デュエ魔法少女マジカル☆ベル (モノクロらいおん)
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1章 春 -デュエマと縁と学園生活-
1話「デュエマを覚えるよ」


 ピクシブにて連載している作品の移転……というより、再掲です。
 ちょっとずつになると思いますが、こちらにも全話投稿予定なので、どうかよろしくお願いします。


 学校帰りのことだった。

 事実は小説よりも奇なり、という言葉は、イギリスだったかアメリカだったかの詩人の言葉らしいけど、わたしのお母さんはいつもその先に「しかし奇異な虚構を生み出すことが小説家の務め」と言う。

 だけれど、今この状況は、どう考えても小説よりもおかしい。

 ……いや、小説ぐらいおかしい、かな。

 似たようなシチュエーションなら、小説とか漫画とかで読んだことあるし、そう考えると、そこまでおかしくはないかも。

 いやいや、でもやっぱりおかしい。どう考えてもおかしい。小説や漫画にあることが、こうして現実にあるだなんて、絶対におかしい。

 わたしはなにも変なことはしてない。確かに、普通の中学生ならスルーするようなことかもしれないけど、たまたま見ちゃって、それにたまたま関わろうと、出来心みたいなものが湧き上がってしまっただけで、そんな気になったのはただの偶然だ。

 だから、総合的に見て、わたしはおかしくない。

 でも、その偶然が、もしかしたら運命ってものなのかもしれない。

 あの時あの人に会ったことも、こうしてこの子にあったことも。

 全部、運命の導きなのかもしれない――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「助けてくれてありがとう。君、名前は?」

「……小鈴(こすず)

 

 思わず名乗ってしまった。

 どうしよう、混乱してる。このまま相手の言いなりになってはいはい言っちゃダメだと、本能が刺激する。

 とりあえず、状況を整理しよう。まずは、わたしが何者かから。

 わたしの名前は伊勢小鈴(いせこすず)。私立烏ヶ森(からすがもり)学園中等部に通う中学一年生。

 自己紹介する必要はなかった気がするけど、たぶん混乱してるせいだ。次は、今日なにがあったか。今、なにをしているのか。

 少しずつ、思い出そう――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――初夏と呼ぶも、少しずつ暑くなってきたある日。なんの変哲もなく普通にいつも通りの授業を終えて、少し図書室に寄って本を読んで、夕方になって帰路についた。

 その、途中だった。

 一羽の小鳥が道路に横たわっていた。

 時々、カラスに食べられちゃった雀の頭とかが地面に落ちてる時があるけど、そんな様子じゃなかった。血も出てないし、身体のどこかが欠けているわけじゃない。

 それでも地面に落ちちゃったってことは、病気か、寿命か、見えないところに怪我をしているか。

 でも、飛んでる最中に病気で落ちたり、寿命を迎えたりするのかな……? 生物はそんなに詳しくないから分からない。

 わたしが小鳥に近づいたのは、だから、そのちょっとした異変を察知したからなのかもしれない。

 小鳥に近づくと、その小鳥はまだ生きてた。それでもかなり弱ってるみたい。

 口をパクパクさせているけど、お腹すいてるのかな。

 鞄から、いつも朝ごはんとして食べてる食パンの袋を取り出す。そして、パンの柔らかい身の部分を少しちぎって、地面に落とした。

 雀とかはパンくずを食べたりするけど、この鳥も食べるかな……?

 ちょっと心配だったけど、小鳥は頑張って首を伸ばして、パンくずをつっついて食べた。

 そして、

 

「……味がない」

「え?」

 

 なにか聞こえた。

 周りを見る。誰もいない。この小鳥に近づこうと思った時も、周りに誰もいないことを確認していたけど、もう一度確認してもいない。

 

「でも、お腹はちょっと膨れたよ。これでもう少し動ける。次は飢え死ぬまえに食べ物を見つけておかないとな」

 

 また聞こえた。しかも、心なしかさっきよりもはっきりしてる。

 それに、その声は、目の前の小鳥の嘴の動きと同時に聞こえてきた。

 

「あぁ、そうだ。忘れてたよ」

 

 小鳥がこっちを見た。明らかに、わたしに視線を合わせている。

 そして、三度目の正直。今度こそ、明確に、明らかに確実に、わたしに伝える。

 ――この子の声を。

 

「助けてくれてありがとう。君、名前は?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 そして、冒頭に戻る。

 確かにこの小鳥は喋った。嘴が開閉して、声が聞こえてくる。小さな動きのわりには、はっきりした声だった。

 鳥が喋るなんて、童話の中でしか見たことがなかったけど、こうして現実として起きている。そののことにわたしは困惑している。

 困惑している、はずなんだけどなぁ……

 

「小鈴か。それじゃあ小鈴、ここで出会ったのもなにかの縁。折り入って頼みがあるんだ」

「た、頼み? 話が急展開じゃない?」

 

 普通に受け答えしてしまうわたし。混乱している頭は、状況を整理したらすぐに冷めちゃった。なんでこんなに落ち着くのが早いんだろう。自分でもビックリだよ。

 でも、いきなり頼みがある、だなんて言われると、少し焦る。わたしは道端で出会った小さな鳥さんになにをお願いされるんだろう。

 

「見ての通り、僕は弱ってる」

「自分で言っちゃうんだ、それ」

「ここで倒れていたのは、単にお腹がすきすぎて動けなくなっただけだけど、そうなる前から、僕はかなり力が弱っていたんだ」

「……話が見えないよ」

 

 動けなくなる前から弱ってたって、どういうことなんだろう。この鳥さんはなにを言っているの?

 

「あー、えっと、そうだね。最初からちゃんと説明しないと……でも、そうすると凄く長くなるしなぁ」

「長くなるのはちょっと……わたしも、日が暮れる前に帰りたいし。簡潔に、短くお願いしていい?」

「うん、分かった」

 

 分かったんだ。

 正直なところ、ちょっと無茶振りかなと思ったけど、そうでもないみたい。

 鳥さんは小さな嘴を大きく動かして、言った。

 

「僕の力を取り戻すために、協力してほしいんだ」

「協力? ど、どういうこと? 協力って、わたしにできることならいいけど、なにをするの?」

「具体的には……あ、その前に、君はクリーチャーって知ってる?」

「クリーチャー?」

 

 聞いたことがある。というか、よく耳にしている言葉だ。

 お母さんの小説の中に出て来る、カードゲームの用語。カードゲームの名前は、確か……

 

「デュエル・マスターズ、のこと?」

「デュエ……あぁ、そうそう、それそれ。そうだった、この世界では僕らの世界の色んなことを、そういう風に括っているんだったね」

「この世界?」

 

 この鳥さん、本当になにを言ってるんだろう。もうちょっとした電波だよ。電波な鳥さんとお喋りなんて、三回生まれ変わってもできないよ。

 

「そのデュエル・マスターズについて、君はどれくらい知ってるんだい?」

「どれくらいって、えぇっと……」

 

 正直、あまり知らない。

 お母さんは小説の題材に使ってるから詳しいし、お姉ちゃんもお友達とそれでよく遊んでるみたいだけど、わたしはやってないし、カードも持ってないから、ルールも知らない。デュエマの知識と言ったら、お母さんの書いた小説をパラパラめくって流し読みした程度のもの。あれだって、わけも分からず、ただページ捲ってるだけみたいなものだったし。

 だからつまり、

 

「……ぜんぜん」

「そっかぁ。僕も、君らの世界では、クリーチャーたちがカードとなっている、ってことくらいしかまだ情報がないから、よく分からないんだよね」

 

 なんなのこの鳥さん。知ってる? とか聞いておきながら、自分もぜんぜん知らないじゃん。無責任だよ。

 

「とにもかくにも、僕が力を取り戻すためには、他のクリーチャーの力を借りることは必須事項だから、どうにかしてこの世界での、デュエマ? を知らないと。でも、僕は見ての通りしがない小鳥だから、集められる情報もささやかなものだ」

「変なこと喋る鳥は、ただのしがない小鳥とは言えないよ……」

 

 でも、この鳥さんがデュエマのことを知ろうと思っても、知ることが難しいのは確かだろう。

 ということは、

 

「小鈴。僕の代わりに、デュエマについて調べて来てくれ。そして、君もデュエマを覚えるんだ!」

「え、えぇ!? わ、わたしが!?」

「頼むよ。協力してくれたら、お礼に君の願いをなんでも叶えてあげるから」

「そんなこと言われても……」

 

 困った。わたしは困った。困って言葉が続かない。

 そして、言葉が続かなかったから、 わたしは鳥さんの要求を跳ね除けることができず、唯々諾々というか、半ば強引にというか、うやむやで曖昧なまま、デュエマについて調べることになってしまったのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「んー……」

 

 鳥さんと出会った次の日。

 あの後、鳥さんはどこかに姿を消した。どこに行ったのかは分からない。だから、もしかしたら、これであの鳥さんとは縁が切れるかも、と思ったけど、今朝、昨日とほぼ同じところで出会ったから、その希望は潰えた。ずっとあそこで待ってたみたい。嫌な根性だよ。

 家に帰ってから、わたしはデュエマについて調べようとした。とりあえず、デュエマに詳しいはずのお母さんかお姉ちゃんに聞こうと思ったけど、ダメだった。

 お母さんはお仕事が忙しくなって、昨日は帰ってきてない。大変だね。

 お姉ちゃんはお母さんがいない分、家事をやってくれてるし、生徒会のお仕事も忙しいみたい。タイミングが悪かったね。

 というわけで、わたしは早速デュエマについて尋ねるアテを失ってしまった。

 どうしようかと机に突っ伏して頭を悩ませていると、

 

「どうしたの、小鈴ちゃん」

「あ、みのりちゃん」

 

 一人の女の子が話しかけてきた。

 香取実子(かとりみのりこ)ちゃん。わたしのお友達です。

 

「さっきから唸ったり、溜息ついたり、机に突っ伏したり、なにかあったの?」

 

 全部見られてたみたい。凄く恥ずかしい。

 でも、こうやって悩んでるわたしに声をかけてくれるのは、純粋に嬉しかった。

 鳥さんのことは言えないし、たぶん言っても信じてもらえないだろうし、というか混乱させちゃうし、もしかしたらわたしの頭を疑われちゃうかもしれないし、そこは黙っておくとして。

 なんて言ったらいいんだろう。そのまま、デュエマについて知りたい、って言って、どのくらい伝わるのかな。ちゃんと最初からいうべきかな。でもそうすると、鳥さんのこともあるし……

 

「もしかして、剣埼(つるぎざき)先輩のこと?」

「っ……!」

 

 言うべきかどうか迷っていると、予想外の言葉が飛んできた。

 あながち間違ってはいなかった。今そのこととは違うことに悩んでいるけれど、ある意味、それもわたしの悩みの種だった。

 それも、入学してから……いや、入学する前から植えられた、大きな種。

 

「あ、やっぱりそうなんだ」

「ち、違うよっ!」

「怪しいなー、慌てちゃって」

「本当に違うんだって!」

 

 わたしの反応から勘違いを続けたみのりちゃんは、そのままからかうように言葉を続ける。

 そして、笑いながらでも、真面目なことを言ってくる。

 

「でも、小鈴ちゃんも、そろそろ自分の気持ちに正直になって、前に進んだ方がいいよ」

「そ、そんなこと言ったって、クラスも、普段どこにいるかも知らないし……」

「なら、聞いてみれば?」

「誰に? 上級生の教室を聞いて回るのは、流石に恥ずかしいよ……」

「違う違う。そうじゃなくって。このクラスにいるでしょ、先輩と関係が深そうな人」

「……それって」

「そう」

 

 みのりちゃんは視線を教室の真ん中あたりに向ける。そこには、当然ながらこのクラスの生徒が一人。

 確かに、あの子なら先輩のことを知ってるかもしれない。

 

 

 

 ――日向恋(ひゅうがこい)さんなら。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 日向恋さん。わたしと同じ、1年A組の女の子。

 わたしも大きい方じゃないけど、日向さんは凄く小柄な女の子だ。小学生と言っても通じると思うし、小学生だとしても小さい。身体も細い。

 そして彼女はとてもキレイだ。色白な肌はきめ細やかで、透き通るよう。色素の薄い髪も同様で、一目見て分かるほどにさらさら。最初に見た時は、よくできたお人形さんだと思ってしまったくらいだ。

 けれど、彼女は笑わない。少なくとも、わたしは彼女が笑ったところを見たことがない。ずっと、口を一文字に閉じて、目はぼんやり、無表情を体現し続けている。

 少し前まで不登校気味で、一週間くらいずっと休んでることもあった。最近は毎日学校に来てるけど、クラスの誰かと喋ったり、クラスで一緒にお弁当を食べてるところも見たことがない。休み時間はいつも本を読んでる。

 すごくキレイなだけに、もったいないけど、わたしたちからすれば気軽に触れられない存在になってしまっている。彼女自身も、わたしたちと関わり合うつもりはないみたいで、自然と両者の間には障壁ができてしまった。

 要するに、日向さんはクラスで孤立している。日向さん自身は物静かで、取り立てて問題行動を起こしてはいない。いじめとかはないし、誰も邪険にはしてないけど、とにかく彼女は独りだ。

 だからわたしも声をかけにくい。

 ……そもそも、剣埼先輩のことは、今は関係なくって、わたしの問題は別のところにあるんだけど……

 

「あ、あのっ、日向さん」

「…………」

 

 放課後。

 結局、みのりちゃんに押され押されて、訂正もできず、わたしは日向さんに声をかけることになってしまいました。

 階段を下りる日向さんの後ろ姿に声をかけると、日向さんは、ゆっくりと、面倒くさそうに、緩慢な動きで振り返る。

 

「……呼んだ……?」

「え、あ、うん」

「なんの用……?」

 

 日向さんは、囁くような声で言う。ほとんど喋らないから初めて思ったけど、声もキレイだ。小さな声なのに、はっきりと聞き取れる。

 でも、たぶん今から帰ろうとしているだろう日向さんからは、わたしに対して、鬱陶しい、と言わんばかりのオーラが発せられている。実際はどうか分からないけど、そんな気がする。

 だけど、ここで引いたら、勇気を出して声をかけた意味がなくなる。本当は、今すぐ逃げ出したいんだけど……

 それに幸か不幸か、日向さんはわたしの“今”の悩みの種の解決に繋がるものを、持っていた。

 

「その、腰にさげてる箱ってさ」

「……これ?」

「そう、それ。それって、デッキケース……だよね? デュエマの……」

 

 ちょっと自信がなかったから、尻すぼみがちな声になった。

 けれど、日向さんは頷いた。

 

「そうだけど……それが、なに……?」

「え、えっとね、わたし、デュエマについて知りたくて、だから、その、日向さんに教えてほしいなー……って」

 

 いまいちはっきりしない。日向さんはこんなに小さいのに、なんでだろう、見上げられているだけですごく威圧感みたいなものを感じる。こっちが気圧されて、気後れする。

 

「……そういうのは、つきにぃの方が向いてる……」

「つきにぃ、って?」

「……私は無理」

 

 日向さんはキッパリと断った。

 だけど、その後にまた、言葉を続けた。

 

「でも……つきにぃは、初心者とか、レクチャーとか、好きだから……」

「えっと、そのつきにぃさん? っていうのは……?」

「私は無理だけど……ついてきたいなら、好きにして……」

 

 まったくわたしの話は聞かず、取り合う気もなく、一方的に言葉だけを押し付ける日向さん。

 彼女はもう、わたしのことなんて目もくれずに、トコトコと階段を下っていく。

 

「あ……待って!」

 

 わたしは慌ててその後を追う。

 意外と日向さんは歩くのが早くて、見失いそうになったけど、すぐに見つかった。

 彼女は、どこかへ向かっているようだ。行き先からして昇降口じゃない。わたしがほとんど行ったところのない方に向かっている。

 あの方向は、確か……

 

「……部室棟?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 日向さんの後を追うと、辿り着いた先は部室棟。

 そこがどういう場所かと言うと、書いて字の如くな場所、としか言えない。というより、わたし自身、どの部活にも所属してないから、部室棟という建物に詳しくない。とりあえず色んな部活動の部室が集まってるところなんだろうな、という認識だ。

 部室棟内をずんずん進む日向さん。彼女はしばらく歩くと、一つの扉の前で立ち止まった。 扉のプレートには、『学園生活支援部』と書かれていた。

 そして、扉を開けてすぐに入る。わたしも後に続いた。

 部屋は意外と広く、長机が三つ、コの字型に配置されていて、壁には本棚。本棚の中には、ファイルがたくさん詰まっていた。でもよく見ると、小説や漫画も入ってる。

 そして部屋の中には、一人の男の人がいた。制服を着ているから、この学校の生徒なのは間違いない。胸の校章も、何度も見たことがあるデザイン。中等部の人だ。

 男の人はこちらを振り返ると、柔和な笑みを浮かべ、穏やかに声をかける。

 

「来たか、恋」

「ん……」

「? そっちの子は……?」

 

 こっちに気付いた。当然だけど。

 男の人は柔らかい笑みを浮かべたまま、歩み寄ってくる。

 それだけで、わたしの心臓の動悸が早くなる。頭もぼぅっとして、思考が追いつかない。

 

「ん……君は……」

「あぅ、えぇっと、あの、えと……」

「いや……ようこそ、学園生活支援部へ。なにか、お悩みかな?」

「えっと、その……」

「とりあえず座りなよ。立ち話をしに来たわけじゃなさそうだし」

「は、はい……」

 

 彼は笑いかける。それだけで、燃えそうなほど身体が熱くなる。

 そして、彼は続けた。

 

「君はどういう理由でここに来たのかは、ゆっくり聞かせてもらうとして、まずは自己紹介かな。俺は三年の剣埼一騎(つるぎざきいつき)。この部の部長だよ。一年生じゃ、あんまり馴染みはないかな?」

 

 いいえ、知っています。

 その名前は、知っています。

 剣崎一騎先輩。

 

 

 

 わたしの――思い人だ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 まさか、まさかまさかまさか。

 まさかと思った。本当に。

 いや、知ってたけど。日向さんが剣埼先輩と関わりが深いことも。ここに来る途中、もしかして先輩と会えるかも、と期待したりもしたけども。

 だけど、まさか本当に、会えるだなんて。

 この邂逅は、とても嬉しかった。

 でも同時に、焦る。困る。惑うの三連コンボで頭を抱えたくなる。

 なんとなく思ってはいたけど、実際にその思いが実現すると、どうしたらいいか分からない。思考もぜんぜんまとまらないし、頭の中ぐるぐるだし、どうしたらいいか分かんなくて、今すぐにでも逃げ出したくなる。

 もう逃げるしかない。この場からも、今のわたしの思考からも。わたしの精神安定のためには、それしか手段はない。

 それしか手段はない、と思ったんだけど……そんなことは、できるはずもなく。

 

「あ、あの、わ、わたし、伊勢小鈴、ですっ」

 

 なんでだろう、自己紹介してるよ、わたし。しかも、妙に威勢よく。噛みそうになったけど。すごくたどたどしいけど。

 焦りながらも、名前を名乗っている自分がいました。

 

「伊勢……? うん、よろしくね、伊勢さん」

 

 剣埼先輩は、またにっこりと笑いかけてくれる。最初にあった時から、にこやかな人だと思ってたけど、本当に笑顔の多い人だなぁ。

 

「それで伊勢さんは、どういう用件でうちに来たのかな? 恋と一緒に入ってきたみたいだけど……」

「それは、えっと……」

「もしかして、恋の友達?」

「え」

「……はいっ、そうです」

 

 違うよ。

 違うよわたし。日向さんと喋ったのは、今日が初めてだよ。憧れの先輩相手に嘘ついちゃダメだよ。

 そんなことは分かってるけど、つい口からそんな言葉が出てきてしまう。それに気づいた瞬間、日向さんに視線を向けて助けを乞うてみたけど、訂正する気はない。え、いいのそれで? 日向さんはそれでいいの?

 

「そっかぁ、恋の友達かぁ……ふふっ」

 

 先輩の笑い声が零れる。

 なんというか、すごく嬉しそうだった。

 

「恋、友達できたんだな」

「……べつに」

 

 日向さんは短く答える。そこはちゃんと否定して欲しかったかもしれない。そうすれば誤解は解けるのに。

 

「あ、あの……いいですか?」

「なんだい?」

「ここは、どういう部、なんですか?」

 

 わたしは気になってたことを尋ねる。

 扉のプレートには『学園生活支援部』と書かれていたけれど、具体的にどういう部活なのか、まったく見当がつかない。その名前だけじゃ、内容が推察できない。

 

「ここは『学園生活支援部』。簡単に言うと、なんでも部、かな」

「な、なんでも?」

「一応、定義としては、烏ヶ森学園における学園生活に困った生徒を手助けする、ってなってるけどね。お助け部、って言った方が分かりやすいかな」

「お助け部……」

 

 やってることが生徒会みたいだ。

 でも、わたしの疑問は一つ氷解した。日向さんがこういう部活に入ってるのは、正直意外だったけど……

 それと、わたしはもう一つの質問をぶつけてみる。

 

「あの、もう一個、いいですか?」

「いいよ。なんでも聞いて」

「えと、先輩と日向さんは、どういう関係なんですか? その……兄妹、なんですか……?」

 

 日向さんは剣埼先輩と関わりが深い。それは、彼女が剣埼先輩と一緒にいるところを見かけることが多々あったからだ。

 クラスではいつも独りな日向さんだけど、剣埼先輩とだけは、一緒にいた。それはわたしも見たことがあるし、学内ではそれなりに有名だ。

 剣埼先輩自身、成績優秀でスポーツ万能、人当たりもいい人格者で、学内で有名人なんだ。そこに、日向さんが一緒にいるとなれば……その、不釣り合い、ではないけど、どういう関係があるんだろう、と思ってしまう気持ちはわかる。

 一説には、二人は一緒に住んでいて、血の繋がっていない義兄妹という噂もあるんだけど……本当なのかどうかはわからない。

 だけど、今の日向さんや剣埼先輩を見て、なんとなく、兄妹っぽいとは思えた。つきにぃ、って呼び方も、剣埼先輩の下の名前をもじってるんだろうし、先輩も日向さんを名前で呼んでる。そんな二人の空気に、わたしは、わたしとお姉ちゃんに似たものを感じた。だから、聞いてみた。

 それに、二人の関係をはっきりさせておきたかった。それが一番大きいかもしれない。

 

「んー、兄妹か。まあ、似たようなものかな」

 

 先輩は、意外とあっさり答えた。

 だけど、ちょっとハッキリしない回答だった。

 

「あんまり人に言うことじゃないんだけど、親の都合で俺は今、恋の家に居候してるんだよ」

「い、居候?」

「そう。もう結構前からね。だから、恋は妹みたいなものかな。血は繋がってないし、戸籍上も全然関係ないんだけどね」

 

 妹みたいなもの。血は繋がってなくて、戸籍上の関係もない。

 最近のライトノベルみたいな義理の兄妹でもない。それでも、ずっと一緒にいる、妹のような存在。

 関係をはっきりさせたいと思って聞いたことだけど、逆にもやもやしちゃったかも。わたしには、ちゃんと理解できなかった。

 

「こんな答えだけど、大丈夫かな?」

「え、あ、はいっ。ありがとうございました」

「じゃあ、今度はこっちが聞いていいかな?」

「な、なんでしょう?」

「伊勢さんはうちに、どんな用事かな?」

「え?」

 

 思わず聞き返してしまった。別に変なことは言っていない。先輩は普通のことを言っているのに。

 ただわたしが、その答えをすぐに用意できなかっただけだ。

 

「さっきも言ったけど、うちは学園生活で困った生徒を助ける部だからさ。伊勢さんがここに来たってことは、なにか困ったことがあるんじゃないかと思うんだ」

「えっと……」

 

 確かに困ってる。困ってるけど、私の悩みの種の両方とも、ここで言えることではない。

 先輩については当然。デュエマについても、別に学校と関係ないし、そもそも先輩が知ってるかどうかも分からないし、なかなか言い出せなかった。

 そんな時だ

 

「つきにぃに……なんか、こいつ、デュエマ教えてほしいって……」

「え、そうなの?」

 

 言えるわけがない。そう思っていたのは、わたしだけだった。

 ここに来て、日向さんがあっさりと言ってのける。

 

「そっか。伊勢さんはデュエマを始めたがっていたのか。ちょっと待ってて」

「え? え?」

 

 なに、どういうこと?

 先輩がなにやら準備をしている。しかもなんだか楽しげに。一体なにを始めるつもりなの?

 

「そんな用件でうちに来る人は伊勢さんが初めてだけど、正直、嬉しいな。ちょっと不謹慎かもしれないけど、趣味と合わさってるから、やる気が湧くよ。それに、恋と友達になってくれた人だしね」

「あ、あの、先輩……?」

 

 戸惑い気味に声をかけると、先輩が振り返る。そして、その手には紙の束が握られていた。

 紙と言っても、普通のペラペラの紙ではなく、もっとしっかりした素材。色も真っ白ではなく、ここからだと青色と黄色が渦巻くような模様、英字、なにかのシンボルが見て取れる。

 それはいわば、カードだった。カードの束が、こちらに差し向けられる。

 

「デュエマのルールを覚えるには、実戦が一番。ルールは随時教えていくから、試しに一回、やってみよう」

「……はい」

 

 頷いてしまった。

 いきなりすぎて、拒否もなにもできないまま。

 わたしの初めてのデュエマが、始まるのでした。




 第一話は以上となります。まだプロローグのようなもので、対戦パートは次回となります。


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2話「はじめてのデュエマだよ」

 2話です。あまりなじみがないかもしれませんが、本作ではお互いのターンが一巡するごとに、場の状況を表示しています。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 えーっと……わたしも混乱しているのですが、今わたしは、デュエマを始めようとしています。

 剣埼先輩は、妙に気乗りした調子で、カードの束を渡してくれる。

 

「はい。伊勢さんには、初心者用のデッキをあげるよ。とりあえずそれを使って」

「は、はぁ……」

 

 急にデッキを渡されて、曖昧に答える。

 どうすればいいの、これ。

 

「実戦が一番とは言ったけど、その前に、簡単にルールを教えないとね」

 

 戸惑うわたしを置いて、剣埼先輩は語り始める。

 いやまあ、デュエマを教えてほしい、っていうのが当初の目標だったから、これはこれでいいはずなんだけど。。

 わたしの心境としては、非常に複雑だ。

 

「デュエマは、クリーチャーや呪文といったカードを駆使するカードゲーム。互いのプレイヤーは、最初に五枚のシールドが展開されて、先にこのシールドをすべて割って、ダイレクトアタック――とどめの一撃を加えた方が勝ちだよ」

「……六回攻撃すれば勝てる、ってことですか?」

「大雑把に言えばそうだね。六回じゃ済まない時もあるし、六回以上攻撃することもあるけど」

 

 次にカードについて言おうか、と先輩は説明を続ける。

 

「デュエマのカードには、大きく分けて四種類。クリーチャー、呪文、クロスギア、城があるんだけど……とりあえず、主に使うクリーチャーと呪文だけ説明するよ。クリーチャーはプレイヤーの代わりとなって戦ってくれる仲間。このクリーチャーが攻撃することで、相手のシールドを割ったり、とどめを刺すんだ。デュエマの基本はクリーチャーだね」

 

 自分は指示だけ出して、仲間を一方的に戦場に送り出すと考えたら、すごく残酷に思えるけど、そういう考え方をするゲームじゃないことは分かる。

 わたしは黙って次の説明を聞く。

 

「次は呪文だね。呪文は一回使ったらそこで終わり、使い捨てのカードだよ。色んな形でプレイヤーをサポートしてくれる」

 

 具体的には、相手のクリーチャーを破壊したり、手札やマナを増やしたりするらしい。

 マナ? と首を傾げていると、後で説明するよ、と先輩は言った。

 

「カードの説明と……ゾーンの説明もいるかな」

「ゾーン?」

「カードを置く場所のことだよ。最初に、40枚のカードで組んだ束、デッキを自分の右前に置く。そして、ゲーム開始時に、自分の正面に五枚のシールドを置く。シールドを置くゾーンが、シールドゾーンだ」

 

 実際にカードを並べて、先輩は説明してくれる。

 自分の目の前に五枚のカード。まるで、自分を守る盾のようだった。

 

「次にマナゾーン。マナゾーンは、シールドゾーンを隔てた手前側のゾーンで、マナチャージしたカードを逆さに置くんだ」

「マナチャージ?」

「クリーチャーを召喚したり、呪文を唱えるために必要な、マナを溜めることだよ。詳しくは後で言うね。次に、デッキの横のゾーンが墓地。破壊されたクリーチャーや、使い終わった呪文はここに置くんだ」

 

 墓地って、なんだかずいぶんとリアリティのある名前で、生々しくて怖い。

 

「次はバトルゾーン。シールドを隔てた奥側の場所だよ。召喚したクリーチャーはここに置くんだ。攻撃したりできるのも、基本的にこのゾーンにあるクリーチャーだけだ」

「ここが戦場、ってわけですね」

「そうだね。最後に手札。手札は、ゾーンというか、相手に見せないように手に持っておいてくれたらいいよ」

「手札は最初はどうするんですか?」

「ゲーム開始時に、シールド展開の後に五枚のカードを引いて、手札にするんだ」

 

 それから、ターンの流れも教えてもらった。

 アンタップステップ、ドローステップ、チャージステップ――言葉の意味を理解するのは難儀だったけど、どういう流れかは大体分かった。カードを引いて、マナチャージして、クリーチャーを召喚して、攻撃。そしてターン終了、が基本的な流れみたいだ。

 

「それじゃあ恋、相手してあげて」

「……私?」

「せっかくできた友達なんだ。最初のデュエマの相手をしてあげたらどうだ。それに、俺は伊勢さんに教えながらの方がいいだろうし」

「……つきにぃが言うなら、しょうがない……」

「あ、デッキはこれ使ってね」

 

 そう言って、先輩に指名された日向さんは、押しつけられるにもう一つのデッキを手渡された。

 日向さんはそのデッキを軽く眺めると、無表情な顔のまま、ピクリと眉根を少しだけ動かした。

 

「……なにこれ……」

「恋が今回使うデッキだよ。いつものデッキでデュエマ初めての人を相手にするのは、流石にないだろう」

「……私、ビートダウン、苦手……」

「カラーはいつもと同じだし、それなら使えるだろ。ほら、いいから」

「むぅ……」

 

 よくわからないけど、わたしの相手は日向さんで、しかもハンデを受けてるようだ。初心者のわたしを相手にするから、手加減してくれるみたい。

 そんなこんなで、わたしと日向さんのデュエマが始まった。

 長机を二つくっつけて、お互いに机を挟んで座る。

 デッキを自分の右前に置いて、その上から五枚のシールドを並べて、次に手札を五枚引く。手札のカードを見てみるけど、よく分からない。

 

「まずはじゃんけんで先攻と後攻を決めるよ。勝った方が先攻だからね」

「じゃーんけーん」

 

 ほい、という掛け声で、わたしは手を出します。

 わたしが出した手は、グー。日向さんが出した手は、パー。

 

「恋が勝ったから、恋が先攻だね」

「……マナチャージ。ターン終了」

 

 日向さんは、手札のカードを一枚、伏せた五枚のカードの手前側に、逆さ向きで置くと、そう言う。 

 

「まず、ターンの初めにはクリーチャーやマナをアンタップするんだけど、まだゲームが始まったばかりで、クリーチャーもマナもないから、ここは飛ばすね。次にドローと言って、山札からカードを一枚引くんだけど、先攻の1ターン目はこれができないんだ」

「どうしてですか?」

「簡単に言えばハンデかな。デュエマは基本的に、先攻が有利なゲームと言われているんだ。だからその有利さを打ち消すためのハンデとして、先攻はカードを引けないんだ」

 

 でも、伊勢さんは後攻だから、カードを引けるよ。そう言われてわたしは山札からカードを一枚引いた。少しだけお得な気分。

 

「その次はマナチャージ。デュエマのカードはマナがないと使えないから、ここは重要だよ。1ターンに一度、手札のカードを一枚、マナゾーンに置くことができるんだけど、その前にマナコストについて教えようか。カードの左上に数字があるでしょ」

「赤い丸に囲まれた数字ですか?」

「そうそれ。それがマナコストと言って、そのカードを使うために必要なマナの数を表しているんだ。1マナ必要なら1、2マナ必要なら2、って具合にね。そのカードを使いたければ、カードに書かれた数字の数だけ、マナコストを支払わなくてはならないんだ。マナの支払いは、マナゾーンに置いたカードをタップ――横向きにすることで、支払ったことになるよ。なんにせよ、マナがないとデュエマは始まらないし、なにもできない。とりあえず、なにかマナゾーンに置いてみようか」

「えっと……1ターンに一回しかマナチャージできないってことは、この数字が大きいほど、使いにくいってことですよね?」

 

「そうそう。察しがいいね」

 

 先輩に褒められた、嬉しい。

 

「コストが大きいカードはすぐには使えない。ゲームの最初はそういう今すぐには使えないカードをマナゾーンに置くのがセオリーかな。でも、コストが大きいほど、効果が強力だったりするけどね」

 

 そう言われると、手札に残しておきたくなっちゃうけど、ここは先輩の言うとおり、セオリー通りにやってみよう。左上の数字が6と書かれたカードを、逆さにして置く。

 

「それじゃあ、この《爆獣ダキテー・ドラグーン》をマナに置きます。これで1マナだから……」

「カードの右上に1と書かれているカードが使えるよ。あるかな?」

「えーっと……あ、ありました。《凶戦士ブレイズ・クロー》です。これを使います」

「《ブレイズ・クロー》はクリーチャーだから、マナを払って召喚して、バトルゾーンに残るよ」

 

 《凶戦士ブレイズ・クロー》をバトルゾーンに置く。なんかトカゲみたいで、少し気味悪い。

 でも、このクリーチャーがわたしの最初に召喚したクリーチャーだし、わたしの代わりに戦ってくれる(設定だ)から、丁寧に扱わないと。

 

「クリーチャーを出したら、次は攻撃……《ブレイズ・クロー》って、攻撃できますか?」

「できることにはできるけど、このターンは無理だよ」

「えっ、どうしてですか?」

「クリーチャーは召喚酔いと言って、召喚したターンには攻撃できないんだ。攻撃できるのは次のターンになってから」

「はぁ、そうなんですか……」

 

 せっかく先にクリーチャーを出せたのに、少し残念。

 先輩は「ただしスピードアタッカーや進化クリーチャーは、召喚したターンにすぐに攻撃できるけどね」と付け足した。

 

「それじゃあ、伊勢さんのクリーチャーはこのターンには攻撃はできないし、マナも全部使ったから、このターンにできることはもうないね。ターン終了を宣言して」

「は、はい。えと、ターン終了、です……」

 

 

 

ターン1

 

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:30

 

 

小鈴

場:《ブレイズ・クロー》

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:29

 

 

 

「……やっと終わった」

 

 日向さんが、うんざりしたようにため息を吐く。そんなに露骨にならなくてもいいでしょうに。

 

「私のターン……マナチャージ……2マナをタップ、《奇跡の玉 クルスタ》を召喚……ターン終了」

「は、はやい……」

「恋はずっとデュエマやってて、慣れてるからね。大丈夫、伊勢さんもすぐに慣れるよ」

「このデッキ……慣れない、んだけど……」

「デュエマ自体は慣れてるだろう」

 

 説明を受けながら、何分もかけている自分と、十秒足らずでわたしがやった行動を全部こなしてしまう日向さんの差に、ちょっとへこんだ。

 

「わ、わたしのターン。マナゾーンをアンタップして、カードを引いて……マナチャージ」

 

 今度は《めった切り・スクラッパー》というカードをマナゾーンに置いた。これで2マナ溜まったことになる。

 

「それじゃあ、2マナのカードは……これかな。《一撃奪取(スタート・ダッシュ) トップギア》を召喚」

 

 マナゾーンのカードを二枚タップして、今度は別のクリーチャーを出す。

 

「あの、先輩。《ブレイズ・クロー》の召喚酔いって、もうないですよね?」

「うん。1ターン経過したから、召喚酔いは解けてる。このターンから攻撃できるようになるよ。攻撃する時は、攻撃したことが分かるように、タップするんだ」

「わかりました……それじゃあ、《ブレイズ・クロー》で攻撃します」

 

 《ブレイズ・クロー》のカードを横向きにして、攻撃宣言。これで、いいんだよね?

 でも、日向さんは動かない。どうしちゃったんだろう。

 

「……どれ」

「え?」

「シールド……どれ」

「え? え?」

 

 早く言え、というような態度の日向さん。でもわたしからしたら、なにがなんだから分からない。どれってなに? 言えってなにを?

 

「恋、それじゃあ伊勢さんには伝わらないよ」

 

 そんな日向さんを、先輩が窘める。

 

「ごめんね。恋はあんまり人と話すのが得意じゃないから」

「は、はぁ、そうなんですか……」

 

 なんとなく分かってた。見るからに他人を寄せ付けないというか、コミュニケーションを放棄しているというか、そんな雰囲気がある。というか実際に教室ではそうだ。

 

「攻撃する時には、攻撃目標も宣言しないとダメなんだよ」

「攻撃目標?」

「そう。クリーチャーに攻撃するなら、どのクリーチャーに攻撃するか。シールドをブレイクするなら、どのシールドをブレイクするか、選ぶんだ」

「えっと、でも、シールドは全部、最初にシャッフルしたデッキから置いてるから、どれを選んでも同じなんじゃ……」

「普通はね。中にはシールドを増やしたり、中身を操作するカードもあるんだけど……今回は関係ないね。それでも一応、決まりだから」

「はぁ……じゃあ、一番右のシールドを」

「……トリガーなし」

 

 日向さんは、わたしが選んだ一番右のシールドをめくって、ぼそっと呟くとそれを手札に加えた。ブレイクしたシールドは手札に加わるよ、と先輩が説明してくれる。

 これでわたしのターンは終わり。ターン終了を宣言して、日向さんのターンだ。

 

 

 

ターン2

 

場:《クルスタ》

盾:4

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:29

 

 

小鈴

場:《ブレイズ・クロー》《トップギア》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:0

山札:29

 

 

 

「《一撃奪取 アクロアイト》召喚……《クルスタ》で、《ブレイズ・クロー》を、攻撃……」

 

 日向さんは、《クルスタ》を横向きにしたけれど、攻撃先はシールドではなく、《ブレイズ・クロー》を攻撃と言った。

 

「クリーチャーへの攻撃は、タップされているクリーチャーにのみ行えるよ。そして、クリーチャーがクリーチャーに攻撃すると、攻撃したクリーチャーと、攻撃されたクリーチャーどうしで、バトルが発生する」

「バトル?」

「そう。カードの左下に、数字が書いてあるでしょ? それがクリーチャーのパワー、戦闘力だよ。バトルが発生すると、バトルするクリーチャーどうしのパワーを比べて、高い方が勝つ。そしてバトルに負けたクリーチャーは破壊されて、墓地に送られるんだ」

 

 言われてわたしは、カードの左下の数字を見る。《ブレイズ・クロー》は1000、《クルスタ》は2000と書かれている。

 つまり、《ブレイズ・クロー》はパワー1000で、パワー2000の《クルスタ》とのバトルに負けてしまう、ということだ。

 

「やられちゃった……」

「ターン終了……その時、《クルスタ》の能力で、《クルスタ》をアンタップ」

 

 日向さんは横向きにした《クルスタ》を、縦向きに戻した。これが《クルスタ》の“能力”らしい。

 

「クリーチャーにはそれぞれ能力があるんだよ。さっき破壊された《ブレイズ・クロー》は、毎ターン攻撃しなくてはいけないし、その《クルスタ》はターンの終わりにアンタップする。この能力を上手く使って、対戦を有利に進めるのも、デュエマの重要なポイントだね」

「アンタップしたということは、《クルスタ》を攻撃できない、ということですか?」

「そうなるね」

 

 じゃあ、あのクリーチャーは、いくらこっちのパワーが大きくても倒せないんだ。

 なら、どうやって倒せばいいんだろう……そのままにしていたら、わたしのシールドがなくなっちゃいそうだし……

 

「わたしのターン」

 

 能力をうまく使うことも、デュエマでは大切……先輩の言葉を思い返して、わたしは場にあるカードの効果を注視する。

 

「《トップギア》の能力は……自分の火のクリーチャー1体目の召喚コストを1少なくしてもよい……?」

 

 つまり、今はマナチャージしても3マナしかないけど、4マナのクリーチャーを出せる、ということかな?

 剣埼先輩に確認をとってみると、先輩は、そうだよ、と頷いてくれた。

 

「なら……これ、使えますか?」

「うん、出せるよ。でもそれは進化クリーチャーだから、クリーチャーの上に重ねないとダメだけどね」

 

 進化クリーチャー、さっき聞いた言葉だ。

 カードを見ると、火のクリーチャー1体の上に置く、と書いてる。火のクリーチャー?

 

「そういえば、文明のことも言ってなかったっけ。でもこのデッキだと、特に考える必要もないし……とりあえず、《トップギア》は火のクリーチャーだから、そのクリーチャーは出せるよ」

「そ、そうですか。じゃあ、《トップギア》の能力でコストを1下げて、3マナで《鳳皇(ほうおう) マッハギア》を召喚!」

 

 《トップギア》の上に重ねて、《マッハギア》を召喚する。えっと、《マッハギア》の能力は……相手のコスト4以下のクリーチャーを1体破壊する?

 日向さんのカードを見る。《クルスタ》のマナコストは、2と書いてある。

 そうか。攻撃では倒せないけど、クリーチャーの能力なら倒せる。《クルスタ》はこうやって倒すんだね。

 

「じゃあ、コスト2の《クルスタ》を破壊するよ」

「ん……」

 

 日向さんは淡々と《クルスタ》を墓地に置く。まったく表情が変わらない。ちょっと怖いよ。

 

「えっと……進化クリーチャーには、召喚酔いはない、って言ってましたよね?」

「そうだよ。このターンすぐに攻撃できる」

「じゃあ、《マッハギア》で攻撃します」

「《マッハギア》はWブレイカー。一度に二枚ブレイクできる能力があるから、ブレイクしたいシールドを二枚選んで」

「一度に二枚も……すごい。じゃあ、これと、これで」

「ん……」

 

 言われるままに二枚のシールドをめくる日向さん。これで日向さんのシールドは二枚。《マッハギア》でもう一回攻撃したら、シールドなくなっちゃうよ。

 まだわたしのシールド、五枚もあるのに。もしかして日向さん、わたしが初心者だからって、手を抜いてる……の、かな?

 気を遣ってくれてるのは嬉しいけど、初心者相手だからってわざと負けるなんて、あんまりしてほしくはないけれど……

 ブレイクされたシールドをめくる日向さんを見ながらそう思っていると、日向さんはそのカードを表向きにした。

 

「……S・トリガー……」

「シールドトリガー?」

「S・トリガーって言うのは、デュエマの大きな逆転要素だよ。シールドがブレイクされた時、それがS・トリガーを持つカードだった場合、コストを支払わずに使えるんだ」

 

 え、なにそれ、すごい。

 こっちはマナをちまちま溜めてカードを使わなきゃいけないのに、攻撃されたらカードが使えるだなんて、ちょっとずるいかも。

 なんて思ってると、日向さんはわたしがブレイクしたカードを持て向きにして、場に出した。

 

「S・トリガー……《予言者リク》を召喚……私のシールドが二枚以下だから、シールドを一枚追加……」

 

 あ、日向さんのシールドが増えちゃった。これで三枚、とどめまで少し遠くなった。

 

「ターン終了です」

 

 

 

ターン3

 

場:《クルスタ》《リク》

盾:3

マナ:3

手札:4

墓地:1

山札:27

 

 

小鈴

場:《マッハギア》

盾:5

マナ:3

手札:2

墓地:1

山札:27

 

 

 

「私のターン……《アクロアイト》で、コストを1、軽減……《リク》を、進化……《聖霊龍王 ディオフェンス》」

 

 日向さんもクリーチャーを進化させてきた。しかも、なんだか《マッハギア》より強そう。

 

「《ディオフェンス》で、《マッハギア》を……攻撃」

 

 《マッハギア》のパワーは6000、《ディオフェンス》のパワーは8500。こちらの負けで、《マッハギア》は墓地に置かれちゃった。

 

「ターン終了……《ディオフェンス》を、アンタップ……」

「《ディオフェンス》も、《クルスタ》みたいにアンタップするんだ……」

 

 パワーは高いし、コストも5だから《マッハギア》の効果でも破壊できないよ……どうすればいいの?

 

「わ、わたしのターン。ドロー」

 

 今の手札にあるカードじゃ、なにもできない。とりあえず、使えなさそうなカードをマナに置いて、マナを三枚タップする。

 

「《爆炎シューター マッカラン》を召喚。能力は……マナ武装? マナゾーンに火のカードが三枚以上あるから、相手クリーチャー一体とバトルする……?」

 

 タップされているとか関係なく、相手クリーチャーを一体選んで、強制的にバトルを起こせる能力みたい。《マッカラン》のパワーは3000、バトル中にはパワーが1000上がる能力もある。つまり、バトルする時はパワーが4000になるってことだよね。

 

「じゃあ、《アクロアイト》とバトルするよ」

「……殴っとけば、よかった、かな……?」

 

 日向さんはそう言って、《アクロアイト》を墓地に置く。わたしのターンはこれで終了。

 

 

 

ターン4

 

場:《ディオフェンス》

盾:3

マナ:4

手札:3

墓地:2

山札:26

 

 

小鈴

場:《マッカラン》

盾:5

マナ:4

手札:1

墓地:3

山札:26

 

 

 

「私のターン……《ガガ・ピカリャン》を、召喚。能力で、一枚、ドロー……ビートだし、殴るか……《ディオフェンス》で、攻撃……Wブレイク」

「わ、わ……!」

 

 一度に二枚のシールドが割られた。ちょっとピンチっぽい。

 一枚目のシールドは、《トップギア》。二枚目のシールドは……

 

「……あ。し、S・トリガーっ!」

「お、なにが出たのかな?」

「えっと、《爆獣ダキテー・ドラグーン》を出します。能力で、相手のパワー3000以下のクリーチャーを破壊できるから、《ガガ・ピカリャン》を破壊しますっ」

「……ターン終了。《ディオフェンス》を、アンタップ」

 

 再び《ディオフェンス》がアンタップする。

 S・トリガーでクリーチャーは増えたけど、《ディオフェンス》が強すぎる。

 あのクリーチャーををなんとか倒せないと、勝てないかも……

 

「私のターン。ドロー……ん?」

 

 わたしはカードを引くと、そのカードに注目した。

 

「このカードは……いけるかも」

 

 念のために先輩に確認をとってみると、OKサインが出た。

 このカードで、《ディオフェンス》を倒す。そして、一気に突破口をこじ開けるよ!

 

「《ダキテー・ドラグーン》を進化! 《ゴウ・グラップラードラゴン》を召喚!」

「……面倒なの、出た……」

「《ゴウ・グラップラードラゴン》は、アンタップしてるクリーチャーを攻撃できるから、《ディオフェンス》に攻撃!」

 

 《ディオフェンス》はターンの終わりにアンタップしちゃうから攻撃が難しかったけど、《ゴウ・グラップラードラゴン》の効果があれば、それを無視できる。

 でも《ゴウ・グラップラードラゴン》のパワーは6000。パワー8500の《ディオフェンス》には届かない。けれど、

 

「パワーアタッカー+6000! 攻撃中、《ゴウ・グラップラードラゴン》のパワーは6000上がって、12000になるよ。だから、《ディオフェンス》とのバトルにも勝てる!」

「……《ディオフェンス》は、破壊……墓地へ」

「やった……!」

 

 やっと《ディオフェンス》を倒せた。

 これでクリーチャーが攻撃されて破壊される心配もなくなる。これがチャンス、一気に攻めよう。

 

「じゃあ、忘れずに《マッカラン》で右端のシールドを攻撃します。ターン終了」

 

 

 

ターン5

 

場:なし

盾:2

マナ:5

手札:4

墓地:5

山札:24

 

 

小鈴

場:《マッカラン》《ゴウ・グラップラー》

盾:3

マナ:5

手札:1

墓地:3

山札:25

 

 

 

 日向さんのシールドは残り二枚。これでわたしがまた少し有利になったはず。

 

「《アクロアイト》を召喚……そのまま進化……《聖球(せいきゅう) シルドアイト》」

 

 だけど、日向さんはまた進化クリーチャーを呼び出す。

 さっきの《ディオフェンス》よりは強くなさそうだけど、このクリーチャーは……?

 

「《シルドアイト》がバトルゾーンに出た時、山札から一枚、シールドを追加……」

「またシールドが増えた……」

「そして、《ゴウ・グラップラードラゴン》を、攻撃……相打ち」

 

 《ゴウ・グラップラードラゴン》も《シルドアイト》もパワーは6000。日向さんは相打ちって言ってるけど、こういう時って、どうすればいいのかな?

 

「バトルするクリーチャーのパワーがどちらも同じだと、相打ちとなって、どちらもバトルに負けて破壊されるよ」

 

 先輩にそう言われて、わたしは《ゴウ・グラップラードラゴン》を墓地に置く。日向さんはさっさと《シルドアイト》を墓地に置いてた。相変わらずわたしは置いていかれちゃうなぁ。

 《ゴウ・グラップラードラゴン》はやられちゃったけど、日向さんのクリーチャーはゼロ。わたしのバトルゾーンにはまだ《マッカラン》がいるし、どんどん攻めるよ。

 

「《爆裂B―BOY(ビーボーイ)》を召喚! 《マッカラン》でシールドブレイクして、ターン終了!」

 

 

 

ターン6

 

場:なし

盾:2

マナ:6

手札:3

墓地:7

山札:22

 

 

小鈴

場:《マッカラン》《B―BOY》

盾:3

マナ:6

手札:0

墓地:5

山札:24

 

 

 

「私のターン……ん」

「どうしたの?」

「なんでもない……マナは、もう、いい……《奇跡の玉 クルスタ》《聖歌の翼 アンドロム》を召喚……《アンドロム》のマナ武装3、発動……《マッカラン》を、フリーズ」

「フリーズ?」

 

 また聞き慣れない言葉が出て来た。たまにお母さんが騒いでる時に出て来る言葉だけど、あれってパソコン用語じゃないの?

 なんて思ってると、頼りになる先輩が説明してくれる。

 

「フリーズっていうのは、いわゆる俗称で、正式な名前じゃないんだけど、光クリーチャーがよく持っている能力だよ。クリーチャーがフリーズされると、そのクリーチャーはタップされる。しかも、次の自分のターンの最初に、アンタップもできないんだ」

「と、いうことは、《マッカラン》は次のターンには攻撃できないんですか……」

「そうなるね」

 

 うー、やだなぁ。せっかく残りシールド一枚まで追い込んできたのに、攻撃を止められちゃうなんて。

 とりあえずわたしはカードを引く。そして、マナチャージをしようと思ったところで、自分の手札が今引いた一枚だけなことに気付いた。

 引いたカードは《一撃奪取 トップギア》。日向さんのシールドはあと一枚だし、クリーチャーを出して攻めたいけど、マナチャージしたらクリーチャーが出せなくなる。

 ……そういえばさっきのターン、日向さん、マナチャージしてないよね?

 少し気になって、先輩に聞いてみた。

 

「あ、あの、マナチャージって、絶対にやらなきゃいけないんですか?」

「いいや、そんなことはないよ。マナチャージしなくてもいいと判断したり、マナチャージしたくないと思ったら、しなくてもいいよ」

「じゃあ、マナチャージしないで、《トップギア》を召喚。《B―BOY》で攻撃は、どうしようかな……」

 

 日向さんの残りシールドは二枚だから、ここで一枚ブレイクすれば、次のターンには《マッカラン》と《トップギア》で攻撃する。《B―BOY》は攻撃されて破壊されちゃうけど、S・トリガーがなかったら勝てる。

 そんな風に考えていたら、剣埼先輩が声をかけてくれた。

 

「攻撃はしない方がいいよ。恋の場にはブロッカーがいるからね」

「ブロッカー?」

「そう。《アンドロム》の能力を見てごらん」

 

 言われてみてみると、《アンドロム》の能力に、日向さんがさっき使ったマナ武装の他に、ブロッカー、と書かれた、黒い四角に青い丸のマークと、「このクリーチャーは、相手プレイヤーを攻撃できない」という文章が書いてあった。

 

「ブロッカーを持つクリーチャーは、相手クリーチャーが攻撃する時に自分をタップして、その攻撃を止められるんだ。これをブロックといって、ブロックされたら、ブロックしたクリーチャーとブロックされたクリーチャーどうしでバトルするんだ」

「《アンドロム》のパワーは3500……《B―BOY》は1000だから、攻撃してもブロックされて負けちゃって、意味がない、ってことですか?」

「そう。だからここは攻撃しない方が得策かな」

「そ、そうなんですか……じゃあ、ターン終了します」

 

 

 

ターン7

 

場:《クルスタ》《アンドロム》

盾:2

マナ:6

手札:2

墓地:7

山札:21

 

 

小鈴

場:《マッカラン》《B―BOY》《トップギア》

盾:3

マナ:6

手札:0

墓地:5

山札:23

 

 

 

 危なかった……先輩が教えてくれなかったら、無駄にクリーチャーを破壊しちゃってたよ。

 でも、わたしのバトルゾーンにはクリーチャーが三体いる。次のターンには《マッカラン》も攻撃できるようになるし、三体のクリーチャーで、ブロッカー一体とシールド一枚を突破して、押し切っちゃおう。

 わたしはそんな風に戦略を組み立てていた。でも、それは素人の考え方だったのかもしれない。

 わたしは、全然考えてなかったんだ。

 日向さんが次のターン、なにをしてくるかを。

 

「……関係ない」

 

 日向さんのターン。日向さんはややうつむき気味になって、小さく呟く。

 カードを引いて、マナを溜める。

 

「……《クルスタ》を、進化」

 

 そして――

 

 

 

「――《聖霊龍王 ミラクルスター》」

 

 

 

 光り輝くクリーチャーが現れた。

 比喩じゃない。本当に光ってる。カードが。

 

「な、なに、なんか強そう……」

「あのデッキの切り札、《ミラクルスター》だ。ここからは、厳しい対戦になるかもね」

 

 剣埼先輩も険しい顔をしてる。それほど、日向さんが出したクリーチャーは強いってことなんだろう。

 《聖霊龍王 ミラクルスター》。日向さんはそのクリーチャーを《クルスタ》から進化させると、動き出した。

 

「《ミラクルスター》の、能力……登場時、相手クリーチャーを二体、フリーズする……《B―BOY》と《トップギア》をフリーズ……」

「あ……」

「まだ……《ミラクルスター》で《マッカラン》を、攻撃……《アンドロム》で《トップギア》を、攻撃……どっちも破壊」

 

 わたしのクリーチャーが二体も破壊された。しかも、残った《B―BOY》もアンタップできないから、最後のシールドをブレイクすることもできない。

 《ミラクルスター》はパワー12000もあって、Wブレイカーよりも強力なTブレイカーの能力を持っている。その攻撃を受けてしまえば、残ってるわたしのシールド三枚がすべて失われてしまうということ。

 ど、どうしよう。これって、絶体絶命のピンチなんじゃ……

 手札がないわたしは、このドローに賭けるしかなかった。

 そして、引いたカードは、

 

「鳥さん……? え、えっと、《エヴォル・メラッチ》を召喚!」

 

 わたしが引いたのは、小さな鳥みたいなクリーチャー。

 3マナですぐに出せるから、とりあえずバトルゾーンに出すけど、これで勝てるのかな?

 不安に思いながら、《メラッチ》の能力を見てみる。えーっと……

 

「山札から四枚を見て……」

 

 書かれているままに、わたしは山札の上から四枚を見る。

 《ピアラ・ハート》《エヴォル・メラッチ》《鳳皇 マッハギア》……鳥さんがいっぱい。

 《エヴォル・メラッチ》はバトルゾーンに出ると、山札の上から四枚を見て、その中から進化クリーチャーを手札に加えられるみたい。この中だと、《マッハギア》を手札に加えられるけど……

 まだめくったカードは三枚だから、わたしは四枚目のカードをめくる。

 あ、このカード……?

 

「えっと、めくった中から、この進化クリーチャーを手札に加えます」

「……っ」

 

 あれ、日向さんが、ちょっと反応した?

 わたしはこれ以上できることがないからターン終了。

 日向さんのターンが、来てしまった。

 

 

 

ターン7

 

場:《ミラクルスター》《アンドロム》

盾:2

マナ:6

手札:2

墓地:7

山札:20

 

 

小鈴

場:《B―BOY》《エヴォル・メラッチ》

盾:3

マナ:6

手札:1

墓地:7

山札:21

 

 

 

「……速攻で決める」

 

 日向さんは、少しだけ目の色が変わった、ような気がする。

 声は淡々としてるし、表情もないけど、纏ってる空気というか、雰囲気が分かりやすい。少なくとも今の彼女は、すごく攻撃的になっている。気がする。

 

「マナチャージなし……《白騎士の霊騎ラジューヌ》を召喚……そのまま、《シルドアイト》に進化……シールド追加……《アンドロム》で《B―BOY》を攻撃、破壊」

 

 きっちりと《アンドロム》がわたしの《B―BOY》を攻撃して破壊する。抜かりはないみたい。

 それよりも、これって、わたしが本当にピンチだよね……

 進化クリーチャーは召喚酔いしないってことは、このターンに召喚された《シルドアイト》は攻撃できる。わたしのシールドは三枚で、日向さんの攻撃できるクリーチャーは、《シルドアイト》と《ミラクルスター》。WブレイカーとTブレイカーだ。

 そして遂に、本命、《ミラクルスター》の攻撃が放たれる。

 

「《ミラクルスター》で……Tブレイク」

 

 一度で三枚のシールドをブレイクするTブレイカー。わたしの残ってるシールドが、一気に全部ブレイクされた。

 一枚ずつ、ブレイクされたシールドを見ていく。一枚目は《エヴォル・メラッチ》。S・トリガーじゃない。

 二枚目は、《エヴォル・メラッチ》。また? この鳥さん、二枚もシールドにいるよ。

 そして最後、三枚目。ここでS・トリガーが出ないと、わたしの負け。

 なんだろう、すごくドキドキする。

 負けそうなのに、今この状況が、楽しい……?

 この一枚で運命が決まる。そう思うと、重い。

 とっても重い……はずなんだけど。

 その重さが、楽しさに変わっていく。

 わたしは最後のシールドを見る。そして――

 

「S・トリガー!」

「…………」

 

 その最後のカードを、開いた。

 

「《爆流剣術 紅蓮の太刀》!」

 

 最後にめくれたカードは、呪文だった。

 そして、その効果を発動する。

 

「パワー3000以下のクリーチャーを破壊する能力は……使えないね」

 

 《アンドロム》のパワーは3500だから、ちょっとだけ足りない。でも、

 

「こっちは使えるよ、マナ武装5! パワー6000以下のクリーチャーを破壊できる! 《シルドアイト》を破壊!」

「……ターン終了」

 

 最後の最後、ギリギリのところで、《シルドアイト》を破壊できた。これで、とどめは刺されない。

 だけど、わたしのシールドはゼロ枚で、日向さんのシールドは二枚。バトルゾーンも、わたしには《メラッチ》しかいないけど、日向さんには《ミラクルスター》と《アンドロム》がいる。

 ピンチな状況は変わってない。

 だけど、逆転の一手はある。

 わたしのターン。

 

「《エヴォル・メラッチ》を進化!」

 

 前のターン、《エヴォル・メラッチ》が探してきてくれたカード。

 その意味が、ここで分かった。

 わたしに残された唯一のクリーチャー、《エヴォル・メラッチ》。

 それを、ここで進化させる――

 

 

 

「――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 《エヴォル・メラッチ》の上に重ねて、《エヴォル・ドギラゴン》を進化。

 《エヴォル・ドギラゴン》も、《ミラクルスター》のように光り輝いている。相手の《ミラクルスター》は手強そうで、少し怖かったけど、味方にするとこの輝きは凄く頼もしい。

 これがこのデッキの、わたしの切り札。このクリーチャーで、今のピンチを突破してみせる。

 

「《エヴォル・ドギラゴン》で、《聖霊龍王 ミラクルスター》を攻撃!」

 

 《ドギラゴン》のパワーは14000、《ミラクルスター》も12000で高いけど、パワーはこっちの方が上だから、バトルに勝って破壊できる。

 そして、それだけじゃない。

 このターン、クリーチャーが《ドギラゴン》しかいないわたしはとどめが刺せない。

 だからまずは、クリーチャーを倒す。

 

「バトルに勝ったから、《エヴォル・ドギラゴン》の能力でアンタップ! 次は《アンドロム》を攻撃!」

「全滅した……」

 

 バトルに勝ったらアンタップできる《エヴォル・ドギラゴン》。バトルでは無敵のドラゴン。

 これで日向さんのバトルゾーンにクリーチャーはいない。次のターンで決めるために、攻めるよ。

 

「《エヴォル・ドギラゴン》で、シールドをTブレイク!」

「やばい……トリガー、ない……」

「ターン終了です!」

 

 

 

ターン8

 

場:なし

盾:0

マナ:6

手札:4

墓地:12

山札:18

 

 

小鈴

場:《エヴォル・ドギラゴン》

盾:0

マナ:7

手札:2

墓地:9

山札:20

 

 

 

 日向さんのシールドもゼロ。お互いシールドゼロでギリギリの状況になったけど、日向さんはどうするのかな。

 

「私のターン……進化クリーチャー、来ないし……《クルスタ》《リク》を召喚……《リク》の能力で、シールドを追加……エンドで……」

 

 シールドを増やされちゃった。これでまたとどめが刺せなくなった。

 しかも、攻撃できるクリーチャーが二体も出て来た。どうしよう。《ドギラゴン》でバトルできれば勝てるけど、タップしてないから攻撃できない。

 そう思って手札を見る。いや、まだ手はある。

 

「《爆炎シューター マッカラン》を召喚! 能力で《リク》とバトル! さらに《マッカラン》を《マッハギア》に進化!」

「進化速攻……」

 

 さっき日向さんがやってたことを真似してみた。進化クリーチャーは召喚酔いしないってことは、クリーチャーを召喚したそのターンに進化させれば、すぐに攻撃できる。

 これでわたしのバトルゾーンに、このターン攻撃できるクリーチャーは、《マッハギア》と《ドギラゴン》の二体。このターンで勝負を決めるよ。

 

「《マッハギア》の能力で、《クルスタ》を破壊! そして《マッハギア》でシールドブレイク!」

 

 このシールドブレイクで、日向さんのシールドはまたゼロになる。そうなれば、最後に《ドギラゴン》でとどめを刺せる。

 だけど、ここでS・トリガーが来たら、わたしの負け。

 お願い、出て来ないで、S・トリガー……!

 

「……S・トリガー……」

 

 日向さんは、最後のシールドを見る。

 そして――

 

「……ない」

「っ! それじゃあ!」

 

 わたしは、わたしの切り札に手をかけて、横に倒した。

 最後の攻撃を、放つために。

 

 

 

「《エヴォル・ドギラゴン》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……勝った?」

 

 わたし、勝ったの? 日向さんに。

 なんか、勢いでここまでやっちゃったから、あんまり記憶に自信はないけど、わたし、勝ったんだよね?

 

「うん。伊勢さんの勝ちだよ。おめでとう」

「剣埼先輩……」

 

 先輩が称えてくれる。お世辞かもしれないけど、純粋に嬉しい。

 先輩の称賛だけじゃない。

 初めてのデュエマで、勝ったこともだ。

 胸の奥がドキドキしてる。なんだろう、身体が疼くみたいに、むず痒いような感覚。でも、嫌じゃない。

 むしろ心地よい。自然と湧き上がってくるこの気持ちが、すごく気持ちいい。

 これが、デュエマの楽しさなのかな……?

 

「…………」

「慣れないデッキでよく頑張ったな、恋」

「べつに……ビート同士の殴り合いなんて、こんなもん……最後はトリガー……」

「でも、《ミラクルスター》を出した時、いつもの癖で場の制圧から始めただろう? フリーズしたクリーチャーは動けないんだから、そのままシールドをブレイクした方がよかったんじゃないか?」

「……だからビートは苦手」

「恋……」

「……でも、少し……覚えたくなった……かも」

「いいんじゃないか? 少しくらい、違う自分を出しても」

「……がんばる」

 

 先輩と日向さんが、なにか言葉を交わしている。よく聞こえないけど、なんだろう。

 

「お疲れさま、伊勢さん。デュエマのルールは大体わかったかな?」

「は、はいっ。ありがとうございました!」

「そうか、それはよかったよ」

「あ、そうだ。このデッキ返さないと……」

「いや、いいよ。それは君にあげる。最初にも言ったけど」

「え、でも……」

「その代わりと言ったらなんだけど、これからも恋と仲良くしてやってくれないかな?」

「え?」

「言い難いんだけど、あいつ、同学年の友達がいないみたいだから……一応、この部には一年生の男子と女子が一人ずついるけど、どっちもクラスが違うし、反りが合わなかったり、ちょっと特殊な事情があったりで、あんまり仲良くしてるところがないんだ」

 

 深刻そうな顔で言う先輩。

 でも、日向さんの性格なら、確かに同じ部活でも人付き合いが苦手そう。

 かくゆうわたしも、デュエマを教えてほしい、なんてきっかけがなかったら、絶対に関わらなかったと思うけど。

 ……でも

 

「俺が介入するのはお節介かもしれないし、押し付けがましいのは承知してるけど――」

「いいですよ」

「っ、本当かい?」

「はいっ」

 

 日向さんと仲良くできるかどうかは、ちょっと自信ないけど、でも、今までよりは仲良くなりたいって、ちょっと思った。

 だって、今日初めてやった日向さんとのデュエマ――

 

 

 

「――わたしも、楽しかったので!」




 第2話、これにて終了です。ここもまだチュートリアルのようなもので、本格的にお話が動くのは、次回からとなります。また、ピクシブには載せていた、デッキ紹介を兼ねたおまけコーナーを、本サイトにおいては廃止しています。興味がある人は、是非ピクシブの方も覗いてみてください。


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3話「魔法少女に変身だよ」

 3話です。遂にタイトル回収です。マミったりとかはありませんので、ご安心ください。


 剣埼先輩たちにデュエマを教えてもらった帰り。わたしは、前に鳥さんと出会ったところに向かった。

 向かったと言っても、帰り道なんだけどね。

 

「鳥さん、鳥さん! わたし、デュエマ覚えたよ――って、うわぁ! 鳥さん!?」

「う……小鈴か……」

 

 鳥さんがこの前と同じところで倒れてた。

 どうしたんだろう。怪我があるようには見えないけど……

 

「鳥さん、どうしたの? なにがあったの?」

「いや、その……お腹がすいて、動けない……」

「また!?」

 

 この鳥さん、また空腹で動けなくなってたんだ。学習してよ。喋る鳥さんはただ者じゃないと思ってたけど、頭は鳥頭じゃない。

 とにもかくにも、このまま鳥さんを飢え死にさせるわけにはいかない。買い溜めしておいた購買のメロンパンを取り出して、少しちぎって鳥さんの口元に運ぶ。

 

「……甘いね」

「メロンパンだから。この前は味がないって言ってたし」

「とにかくありがとう。生き返ったよ」

「次からはちゃんとご飯食べるんだよ」

「善処する……それより、どうしたんだ小鈴。もしかして、デュエマを覚えたのか?」

「そう! そうだよ! わたし、デュエマ覚えたんだよ! すっごく楽しかった!」

「それは良かった。これで、僕の力も取り戻す見込みが立ったな」

 

 元気になった鳥さんは、わたしの方を向くと、小さな嘴を開いて言った。

 

「それじゃあ小鈴、君の願いを聞こうか」

「願い……?」

「君には僕の頼みを聞いてもらう。その代償として、僕は君の願いを叶える。ギブ&テイクだよ。僕のなけなしの力を使えば、君に奇跡の一つくらいは起こさせるさ」

「え、えぇっと……?」

 

 代償とか、力とか、奇跡とか、ちょっとよく分からない。

 でも、鳥さんはわたしの願いを叶えると言ってる。その言葉通り受け取るなら、それが本当なら、凄いことだよね。

 

「わたしの、願い……」

 

 なんだろう、と考える前に浮かび上がった。

 わたしの心の中で、ずっと燻ってる気持ち。

 これを、あの人に伝えること。

 願いがあるとすれば、それだ。

 先輩に、わたしの言葉を――

 

「――ダ、ダメッ!」

「え? なにが?」

「えと、その……わ、わたしのお願いは、後回しでもいい……?」

「後回し? 僕の頼みを先に聞いてくれるってこと?」

「うん、そう。わたしのお願いは、鳥さんの頼みが終わってからってことで、いいかな?」

「僕としては、それこそ願ったり叶ったりなことだけど、いいの?」

「いいのいいの。気にしないで」

 

 わたしのこの気持ち。それを、先輩に伝える。

 わたしが願うとすれば、そのことなんだけど、なんだろう……勇気が、出ない。

 お願いすれば、深く考えなくても伝えられるはずなんだけど、お願いする勇気すらも、湧かない。

 もう少し待ってほしかった。わたしの、心の整理がつくまで。

 

「そっかぁ。小鈴はお願いなしかぁ」

「なしじゃなくて、後回しだよ」

「そうか、まあいいけどね。どの道、君の理想のための助力はあるわけだし」

「助力?」

「小鈴。君の中で、なにか強いものをイメージするんだ」

「強いもの?」

「そう。こんな自分ならどんな相手にも負けないとか、自分ならこうなりたいとか、そういう憧れるようなものを思い浮かべて」

「わたしの、憧れ……?」

 

 なんだろう。憧れるものって。

 わたしが憧れる人と言えば、先輩――は、ちょっと違うかな。憧れてはいるけど、先輩みたいになりたいかって言われたら、話が別だよね。

 そう考えると、やっぱりお母さんかな。小説家として頑張ってる、わたしの自慢のお母さん。実はあんまりお母さんの小説は読んだことないんだけど。

 だけど、昔読んだ、少女向けの小説は、面白かったな。

 わたしと同じくらいの女の子が、仲間と一緒に悪と戦って、成長するお話。魔法なんてファンタジーな要素もあって、王道もいいところのありがちな話だったけど、あの作品の主人公の女の子は、可愛かったし、格好良かった。

 わたしも、お話の主人公になりたいって、その時に思ったっけ。

 可愛くて、格好良くて、強くて、魔法が使えるような特別な存在。

 そんな自分を、少しだけ想像した。

 その時だった。

 

「え……?」

 

 光が瞬いた。

 一瞬の閃光だった。

 

「わ……わ……っ!?」

 

 わたしは、自分の格好を見て、焦る。

 顔が熱い。たぶん、凄く真っ赤になってることだろう。

 

「な、なにこれ!?」

「なにって、君がイメージした、君の“憧れ”だろう」

「な……で、でも、これ、この格好……!」

 

 わたしがイメージした、主人公の女の子のような出で立ち。

 淡いピンク色を基調とした、ふりふりでふわふわ、フリルとレースをふんだんに使ったドレス状の衣装。

 袖がなく、ミニスカートから伸びる脚は、ハイソックスではなくオーバーニーソックスに変わっている。

 その姿は正に、わたしの想像する“魔法少女”のような意匠だった。

 

「コ、コスプレみたい……! 恥ずかしいよぅ……」

「なんか不満そうだね」

「当たり前だよ! こんな恰好じゃ外歩けないよ!」

「ここは外だ。歩けないのは困ったな……」

「困ったのはわたし! 早く戻してよ!」

「せっかく僕のなけなしの力を使って、理想像に変身させたというのに。まあ、必要な時にすればいいことだから、今はいいんだけど――ん?」

 

 突然、鳥さんの声が低くなる。

 

「小鈴、来るよ」

「え、なにが?」

 

 わたしがそう返した、次の瞬間。

 

「わ……っ!?」

 

 わたしのすぐ横を、凄いスピードでバイクが走り抜けた。

 

「なにあのバイク、速くて危ないなぁ……というか今、見られた!? この恥ずかしい格好見られちゃった!? うわぁ、恥ずかしいよぉ……恥ずかしすぎて燃えそうだよ……!」

「……小鈴、行くよ」

「い、行くってなに!? やだよ! こんな格好で人目に付くところに行けるわけないじゃん!」

「さっきのバイクが走った道をよく見てごらん」

「え……うわっ! なにこれ?」

 

 鳥さんに言われて見てみると、アスファルトの地面が抉れてた。全然気づかなかった。

 

「さっきまではこんなのなかったよね……?」

「そうだね。これはさっき通ったバイクによるものだよ」

「バイク? でも、バイクで走ったくらいで、道路がこんな風になるわけがないよ。きっと、わたしが見落としてて、前からあったんだよ」

 

 と思って道路をもう一度見てみると、ところどころに、抉れた地面が見えた。

 

「…………」

「地面の抉れは断続的になってるね。ということは、アクセルを踏み込んだ時に、衝撃波(ソニックブーム)が発生しているのかな」

「鳥さん……鳥さんはなにか知ってるの?」

「知ってると言えば知ってるよ。恐らくこれは、僕の知る範囲の出来事だ」

「じゃあ、これはなんなの?」

「これは、クリーチャーの仕業だ」

 

 鳥さんはそう言った。

 だけど、それだけでは、わたしは理解できなかった。

 

「どういうこと?」

「さっきのバイクも、クリーチャーだよ」

「クリーチャーがバイク……? よくわかんないよ。 クリーチャーって、デュエマのクリーチャーだよね? え?」

「小鈴、落ち着いて。君たちの世界では、クリーチャーはただのカードゲームの中の生物かもしれないけど、僕らの世界では、君ら人間と同じで、本当に生きているんだ」

「クリーチャーが、生きて……?」

「本来なら別の世界に生きて、交わるはずのない人とクリーチャーだけど、今はそうじゃない。こっちの世界にもクリーチャーが流れ出ている。だけど、僕らの世界とこっちの世界とじゃ、世界を構築する組成が異なるし、この世界はクリーチャーの力の源であるマナの濃度が薄くて、クリーチャーはそのままでは実体を保てない。けれど実体のないというのは、時としては便利に働くものでね。精神体ゆえに、他者の意識に介入することができるし、意識に付け込めるのなら実体を得るために行動もできる。そうやって力を蓄えて、最終的に実体を得てしまえば、この世界は混沌に巻き込まれかねないだろう」

「えーっと……?」

 

 一度にたくさん、しかも難しいことを並べられて、よく分からなくなってきた。

 

「クリーチャーは人間に憑依できて、色々と悪さを働きかねない、って考えてくれればいいよ」

「そ、そっか……」

 

 わかりやすい説明だけど、そもそも、そんな漫画や小説みたいなことが現実にあるのかな?

 そこは疑問です。

 

「とにかく、あのバイクを止めるよ、小鈴!」

「と、止めるって言っても、どうやって?」

「デュエマだよ。君たちの世界のクリーチャーは、君たちのルールで鎮めるものだ」

「いや、そうじゃなくて、それ以前の問題っていうか……もうバイク、行っちゃったんだけど」

「…………」

「今からじゃ走っても追いつけないよ……」

 

 バイクはもうとっくに走りすぎてしまった。バイクに走って追いつけるわけがないし、あのスピードじゃ、もう結構遠くまで行ってるはず。今からじゃ、どうしたって追いかけられない。

 

「いや……来るよ」

「え? な、なにが?」

「小鈴、気を引き締めて。行くよ!」

「だからなに――」

 

 その時だった。

 ブルンブルンという、空気が振動する音が響く。

 そして、わたしの意識は、一瞬、消え去った――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ん……?」

 

 意識が飛んだのは本当に一瞬だった。

 だけど、今の状況を理解するには、一瞬では足りない。

 

「な、なにこれ……」

「ちょうどバイクが戻って来たからね。その隙を突いて、僕の力で、君が戦えるように場所をセッティングしたんだよ」

「そうじゃなくて……いやそれもそうだけど……あぁもうっ、よくわかんないよ。とりあえず……」

 

 わたしは、前方にある“それ”を指さした。

 

「あれ、なに?」

「クリーチャーだよ。言わなかったっけ?」

「確かに人間じゃなさそうだけど……」

 

 バイクに跨った、人っぽいなにか。

 クリーチャーと言われれば、そんな気もするけど。

 とりあえず目の前のバイクさんはクリーチャーだとしても、もう一つ、わたしには疑問がある。

 今度は、わたしの手元にあるものを指して言った。

 

「これは、なに? デュエマのカードみたいだけど……」

「言っただろう。君たちの世界で暴れるクリーチャーは、君たちのルールに則って鎮めるんだ」

 

 鳥さんは言う。

 わたしの手元には、わたしのデッキらしきものが浮いている。しかも、シールドっぽいものが五枚並んでるし、手札っぽいものを五枚いつの間にか持ってるし、山札っぽいものが横にあるし、今からデュエマをしようと準備されてるみたいだった。

 しかもバイクさんの方も同じような状況で、ますますそんな感じがする。

 いや、感じがする、じゃない。

 

「君たちの世界で暴走したクリーチャーを鎮静化させるには、君たちのルール――つまり、デュエマで戦って勝って、大人しくさせるんだ」

「……もうわけがわかんないよ」

 

 鳥さんは、とにかくデュエマで勝てって言ってるんだろうけど、クリーチャーとデュエマなんてできるのかな。

 そもそも、クリーチャー相手だなんて、言葉通じなさそうだし――

 

「あぁ、畜生! 誰だぁ! 俺の走りを邪魔するのはぁ!」

「うわっ、喋った!」

「そりゃクリーチャーだって喋るよ。生きてるんだから」

「いや、日本語で喋ったからビックリして……というか、す、すごい怒ってるよ……?」

「気にするな。彼は、本来いるべきではない世界を訪れ、悪行を為しているアウトロー。違反者は相手なんだから、僕らが正しい」

「そうなのかな……?」

「マナチャージ! ターンエンドだ!」

「わ、始まってる……え、えっと、わたしのターン。マナチャージして、1マナで《凶戦士ブレイズ・クロー》を召喚」

 

 とりあえず、手札にあったクリーチャーを召喚する。

 すると、マナが赤く光って、それがだんだんと一つの姿を形成していく。

 光はやがて、《凶戦士ブレイズ・クロー》のイラスト通り、少し気味の悪いトカゲになった。

 

「っ! クリーチャーが……!」

「この空間は、本来なら神話上の戦を再現する場。僕らの世界と限りなく酷似した、けれども君らのルールに合わせて規律を調整した特殊空間だ。君らの世界ではただのカードでも、この空間なら君らのルールを仮術式として、本来の姿で顕現できるのさ」

「相変わらずなにを言ってるのかよく分かんないけど、それってゲームをするのに、なにか変わることがあるの?」

「ないね」

「ないんだ……」

「今の彼らの主は君だから、君が指示すれば従順に動くよ」

「そっか……あ、ターン終了」

 

 鳥さんとの話を打ち切って、わたしはターンを終える。

 

 

 

ターン1

 

バイク

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:30

 

 

小鈴

場:《ブレイズ・クロー》

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:29

 

 

 

 バイクさんはマナチャージすると、手札のカードを使った。

 

「2マナで呪文《フェアリー・ライフ》! 山札の上から1マナ加速(ブースト)! ターンエンドだ!」

「マナが増えた……わたしのターン。《一撃奪取 トップギア》を召喚! 《ブレイズ・クロー》でシールドブレイク! ターン終了」

 

 

 

ターン2

 

バイク

場:なし

盾:4

マナ:3

手札:4

墓地:1

山札:28

 

 

小鈴

場:《ブレイズ・クロー》《トップギア》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:0

山札:28

 

 

 

 

「《青銅の鎧(ブロンズ・アーム・トライブ)》召喚! 山札の上から1マナ加速し、ターンエンド!」

「またマナを増やした……」

 

 これでバイクさんのマナは5マナ。マナチャージしても、わたしより2マナも多い。

 クリーチャーの数ではこっちが有利だけど、マナが多ければ、それだけ強いクリーチャーが出せるってことだよね。気を付けないと。

 

「《トップギア》でコストを減らして、2マナで《爆炎シューター マッカラン》を召喚! マナ武装発動! 《青銅の鎧》とバトル!」

 

 今度は鎧を纏った男の人――っていうか、クリーチャーだよね――が登場する。《爆炎シューター マッカラン》、人間に近い姿をしているから、《ブレイズ・クロー》みたいな気味の悪さはないけど、目が常に白目を剥いてるから、これはこれで怖い。

 

「さらに1マナで《ブレイズ・クロー》二体目を召喚! 《トップギア》でシールドブレイク! 行って!」

 

 わたしがそう指示を出すと、《ブレイズ・クロー》は駆け出して、飛びあがって、大きな爪でバイクさんのシールドを一枚、引き裂いた。

 よし、先制できた。こっちのクリーチャーは四体もいるし、強いクリーチャーが出る前に、このまま数で一気に押し切るよ。

 と思ってたら、引き裂かれたシールドが、光に包まれる。

 

「……S・トリガーだ! 《破壊者(スクラッパー) シュトルム》を召喚!」

「しまった、S・トリガー……!」

「《シュトルム》がバトルゾーンに出た時、相手のクリーチャーを、パワー合計が6000以下になるように破壊する!」

「パワーの合計が6000以下になるようにって……えぇ!?」

 

 わたしのクリーチャーは四体いるけど、二体の《ブレイズ・クロー》と《トップギア》はパワー1000、《マッカラン》は3000。合計すれば、ちょうど6000。

 《シュトルム》は腕に付けた銃みたいなものを乱射して、わたしのクリーチャーをすべて破壊してしまった。

 

「ぜ、全部やられちゃった……ターン終了……」

 

 せっかく数で押し切ろうと思ったのに、二枚シールドを割っただけで全滅なんて、ついてないよ……

 

 

 

ターン3

 

バイク

場:《シュトルム》

盾:3

マナ:5

手札:3

墓地:2

山札:27

 

 

小鈴

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:1

墓地:4

山札:27

 

 

 

「《青銅の鎧》と《雪精 ホルデガンス》を召喚! それぞれの効果で、合計2マナ加速! ターンエンド!」

「わたしのターン……これしかできないや……《爆裂B―BOY》を召喚して、ターン終了……」

 

 

 

ターン4

 

バイク

場:《シュトルム》《青銅の鎧》《ホルデガンス》

盾:3

マナ:8

手札:1

墓地:2

山札:23

 

 

小鈴

場:《B―BOY》

盾:5

マナ:4

手札:0

墓地:4

山札:26

 

 

「俺のターン! これで終わりだ! 8マナをタップ!」

「な、なにが出て来るの……?」

 

 一陣の風が吹く。

 その風と共に、音速を超えて、侵略者がやって来る――

 

 

 

「障壁をぶっ壊せ! 音速を超えて駆け抜けろ! 《音速 ソニックブーム》召喚!」

 

 

 

 それは、バイクさん自身――大型の自動二輪車に跨ったライダーだ。

 自分自身を、召喚したの……?

 

「気を付けろ、小鈴! 凄まじい力を感じる!」

「う、うん……!」

 

 8マナも払って出て来たクリーチャー。よく分からないけど、凄く強いクリーチャーだろうことは予想できる。

 一体、なにが起こるんだろう……?

 

「《ソニックブーム》を召喚した時、相手のシールドを二枚選び、それ以外のシールドをブレイクする!」

「シールドを二枚選んで、それ以外をブレイクって……だ、出すだけでシールドを三枚ブレイクできるってこと!?」

「そういうことだ! おら、吹き飛べ!」

 

 バイクさんが、バイクに跨って発進する。

 エンジンからは爆音が轟き、アクセルは全開。凄まじいスピードで、こっちに突っ込んでくる。

 

「うわ……っ!」

 

 わたしのシールドにぶつかる直前、バイクさんはドリフトするみたいに方向転換して戻っていったけど、その瞬間、凄まじい衝撃波(ソニックブーム)が起こり、わたしのシールドを三枚も吹き飛ばした。あまりに衝撃が強すぎて、シールドは粉々だ。わたしも吹っ飛ばされそうだったよ。

 

「S・トリガーもないよ……」

「さらに、《ソニックブーム》自体もスピードアタッカーでW・ブレイカーだ! そのままシールドをWブレイク!」

 

 帰っていく途中、バイクさんは振り返って光線銃を放つ。

 放たれた光線がわたしの残るシールドも撃ち抜いた。

 だけど、最初に撃たれたシールドが、光に包まれる。

 

「来た、S・トリガーだよ! 《爆獣ダキテー・ドラグーン》をバトルゾーンに出すよ! 効果でパワー3000以下のクリーチャーを破壊する! 《シュトルム》を破壊!」

 

 リーゼントの悪っぽいトカゲ? がシールドから飛び出して、《シュトルム》を蹴り倒す。

 

「だからどうした! 俺の場にはまだ《青銅の鎧》と《ホルデガンス》がいる! 残るこいつらでとどめだ!」

「まだ終わりじゃない。これで、逆転だよ! 呪文《めった切り・スクラッパー》! コストの合計が6以下になるように、相手クリーチャーを破壊する! 《青銅の鎧》と《ホルデガンス》を破壊!」

「!」

 

 《青銅の鎧》も《ホルデガンス》も、コストは3。だから二体合わせて合計6。《めった切り・スクラッパー》でちょうど二体とも破壊できる。

 ノコギリみたいな大きな刃が、バイクさんの場にいた《青銅の鎧》と《ホルデガンス》の胴体を真っ二つに切り裂く。少しエグい……痛そう。

 だけど、これでこのターン、とどめは刺されなくなった。

 

「《シュトルム》のお返しだよ」

「クソッ……ターンエンドだ」

「わたしのターン!」

 

 マナチャージして、5マナ。わたしの場には《爆裂B―BOY》がいる。

 このターンで、逆転するよ。

 

「《B―BOY》の能力でコストを1減らして、5マナで召喚!」

 

 すべてのマナを使い切って、わたしも、切り札を呼ぶ。

 その時、《B―BOY》が炎に包まれた。

 

 

 

「《ダキテー・ドラグーン》を進化! 《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 これが、わたしの切り札!

 ここから反撃だよ!

 

「《ドギラゴン》で《ソニックブーム》を攻撃! こっちはポワー14000だよ!」

「っ……! 《ソニックブーム》のパワーは8000……勝てねぇか」

 

 《ドギラゴン》の炎が、《ソニックブーム》を焼き尽くす。

 そして、《ドギラゴン》はバトルに勝つたびにアンタップして、もう一度攻撃できるようになる。

 

「じゃあ、一気に決めるよ! 《ドギラゴン》でTブレイク!」

 

 再び、《ドギラゴン》が攻撃する。

 大地を揺るがすような雄叫びを上げて、炎を吹き出し、バイクさんの残った三枚のシールドを一気に焼き払う。

 

「ぐぅ、S・トリガー! 《フェアリー・トラップ》だ! トップをめくり、《青銅の鎧》だ! コスト3未満の《B―BOY》をマナゾーンへ!」

「うぅ、これで勝ちだと思ったのに……ターン終了」

 

 

 

ターン5

 

ソニックブーム

場:なし

盾:0

マナ:8

手札:3

墓地:7

山札:22

 

 

小鈴

場:《エヴォル・ドギラゴン》

盾:0

マナ:6

手札:2

墓地:5

山札:25

 

 

「俺のターン! 《青銅の鎧》と《ホルデガンス》を召喚し、マナを加速! さらに《フェアリー・トラップ・トラップ》で、トップを捲る! 捲れたのはコスト8の《ソニックブーム》だ! 《ドギラゴン》をマナゾーンへ!」

 

 マナを増やして、増えたマナを使って、呪文が唱えられる。

 《フェアリー・トラップ》は、相手クリーチャーをマナに送る呪文。地面から伸びた大量の蔦に絡め取られて、《ドギラゴン》はマナにされてしまった。

 

「どうだ! これで次のターンにとどめだ!」

「いいや、わたしの勝ちだよ」

 

 だけど、わたしの手にはもう、勝つためのカードが揃ってる。

 《ダキテー・ドラグーン》と《ドギラゴン》はやられちゃったけど、それも無駄じゃない。

 

「《マッカラン》を召喚! マナ武装で《ホルデガンス》とバトル!」

「ちぃ! やられたか。だが、俺のトップはスピードアタッカーの《ソニックブーム》だ。このターンを凌いでも、ブロッカーがなけりゃあ終いだ!」

「まだだよ。召喚したばかりの《マッカラン》を、《ゴウ・グラップラードラゴン》に進化!」

「んな……っ!?」

 

 《フェアリー・トラップ》で倒されたクリーチャーはマナになる。つまり、わたしのマナが増える。その数8マナ。

 8マナも溜まれば、《マッカラン》をすぐに《ゴウ・グラップラードラゴン》に進化できる。

 そして、バイクさんのシールドはゼロ。進化クリーチャーは召喚酔いしないから――

 

 

 

「――《ゴウ・グラップラードラゴン》で、ダイレクトアタック!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「か、勝てたぁ……」

 

 バイクさんとのデュエマに勝ったわたしの前から、デュエマのカードが消える。クリーチャーも、手札もデッキもなくなって、元の世界に戻っていた。

 そして、さっきのバイクさんが憑依していた人かな? から、ぽぅっと淡い光が浮かび上がる。その光はふわふわと中を舞って、そのまま空へと消えていく――

 

「よっと」

「!?」

 

 ――途中で、鳥さんがその光をついばんだ。

 え? なにしてるの、鳥さん……?

 鳥さんの小さな嘴の中に、光がスゥッと吸い込まれるようにして消えていく。なにがあったの?

 

「鳥さん、今のは……?」

「クリーチャーを吸収しただけだよ?」

「吸収したって……」

「力尽きて果てたクリーチャーは、マナの塊になるだけだからね。それを吸収して、僕の力として蓄えるのさ」

「な、なんか残酷……」

「残酷なものか。この世界でマナとなってもただ散るだけ。それなら、僕の栄養とする方がよっぽど合理的さ」

「そうなのかな?」

 

 でも、ちょっとだけバイクさんが可哀そうに思えてきた。

 なんでかは分からないけど、この世界で生きていただけなのに、こんなすぐに消えちゃうなんて。

 

「う……なんか気持ち悪い」

「え? と、鳥さん? 大丈夫?」

「ごめん、ヤバい。は、吐きそ……うえぇ」

 

 ゲホッ、と生々しく咳き込む声が聞こえると、鳥さんの口から光の粒子が零れ落ちる。零れ落ちた光は、ふよふよと空を漂って、どこかへ行ってしまった。

 

「うげぇ……マナが重すぎたのかな……? しばらくマナを摂取してなかったから、身体が重いマナに耐え切れなかったみたい……」

「そんな病人みたいな……」

「でも、おかしいなぁ。同じ火文明なら、受け入れられると思ったんだけど……うぅ」

「大丈夫? 鳥さん」

 

 まだえずいてる鳥さんを介抱しながら、わたしはバイクさんが倒れた方を見る。

 そこには、バイクから投げ出されたように倒れ込む男の人が――

 

「うーん……」

「っ! 鳥さんっ!」

「うげぇ……なに?」

「服! この服、早く戻してっ」

「ちょ、ちょっと待って、まだ体調が……」

「待てないよ! バイクの人が起きちゃう。こんな格好見られたら噂になっちゃうよ……!」

 

 慌てて鳥さんを急かすけど、鳥さんはえずいてばかりでよろよろしてる。

 そんなこんなしているうちに、バイクの人が起き上がった。

 

「あれ……俺、なにを――」

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

「こ、小鈴っ!? やめて、揺らさないで……おぇ……!」

 

 こんな姿を見られるわけにもいかず、わたしは全速力で走った。足の速さに自信はないけど、なぜかこの時は、自分でも信じられないスピードで走ってた気がする。

 そうして、しばらく無我夢中で走って、人通りの少ない裏路地で止まり、ぺたりとへたり込むように腰を下ろした。

 

「はぁ、はぁ……危なかったぁ」

「僕は危険域を超えたよ……もう吐けない……」

「こんな恰好を見られたら、一生ものの恥辱だよ、黒歴史確定だよ」

 

 それより、まさか自分がこんなに速く走れるだなんて思わなかった。

 

「速く走れるのは当然だよ……今の君は、クリーチャーに近いからね」

「え? どういうこと?」

「力を貸してあげるって言っただろう。あれは、僕のマナを君に与えたってことだよ。つまり、今の君はマナを纏った疑似クリーチャー。身体能力は、通常より向上しているはずだよ」

「そうなんだ……」

「さっきのソニックブームだって、実は君、攻撃を受けてたんだよ」

「そうなの!? 全然気づかなかった……」

「まあ、衝撃が弱かったんだろうね。その姿じゃなければ、吹っ飛ばされていたよ」

 

 つまり、わたしは知らず知らずのうちに、この姿に助けられてたってこと?

 なんか、凄く恥ずかしいし、今すぐに脱ぎたいけど、そう言われると複雑な気分……いや、着替えたいんだけどね。

 

「とにかく、早く戻してよ」

「はいはい……ほいっ」

 

 気の抜けた鳥さんの声が聞こえると、一瞬、わたしの体に妙な感覚が走る。

 そして、気づけばわたしの服装は、ふりふりふわふわの魔法少女コスから、烏ヶ森の制服に変わっていた。

 

「はぁ……これで堂々とお日様の下を歩けるよ」

「そんなに嫌だった?」

「嫌っていうか、恥ずかしいよ、あんなの」

「でも、君は自分の憧れるものとして、あれをイメージしたんだろう?」

「それは、そうだけど……でも、それとこれとは別だよ」

「ふーん、人間の女の子もよく分からないね」

 

 パタパタと翼を羽ばたかせながら、鳥さんはそんなことを言う。

 同時に、さも当然のようにわたしの肩に止まった。

 

「ところで鳥さん、鳥さんのお願いって、結局なんなの?」

「そのことか。それはね、小鈴。僕の力を取り戻すことだよ」

「力を、取り戻す?」

 

 そういえば、ちょくちょくそんなことを言ってたような……?

 

「さっきも見ただろう。僕は、別のクリーチャーのマナを食べて、力を取り戻せるんだ」

「ほとんど吐いてたけどね」

「それは言わないで。とにかく、この調子でどんどん他のクリーチャーの力を吸収して、力を取り戻すんだ」

「ふぅん……あれ? ってことは……」

 

 今回みたいに、他のクリーチャーの力も吸収するってことは、またあのバイクさんみたいに、デュエマをしなきゃいけないってことで、それってつまり、

 

「このままわたし、鳥さんのためにクリーチャーと戦い続けなきゃいけないの?」

「そうなるね。これからよろしく、小鈴」

「そ、そんなの聞いてないよ!?」

「でも、君だってこの世界で暴れるクリーチャーを放置するわけにはいかないだろう?」

「それはそうだけど……」

「なら、ギブ&テイクだ。君がクリーチャーを倒せば、君の世界は平和が保たれ、僕は力を取り戻せるんだから、WIN―WINの関係だよ」

「それはギブ&テイクともWIN―WINとも言わないよ……」

 

 けれど、わたしは鳥さんを論破することもできず、結局、彼の言いなりになる。

 こうして、喋る不思議な鳥さんと、ごくごく普通の女子中学生であるわたしの、デュエマに渦巻かれた奇妙な生活が始まるのでした――




 第3話、これにて終了です。デッキが古いのはご容赦ください。改稿したとはいえ、流石に対戦相手を変更するまではできず……ちなみに、ソニックブームのデッキについては、ピクシブの方にレシピがあるので、興味がおありでしたら是非どうぞ。もっとも、今ではマンハッタンでいい、ということになりますが……


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4話「お悩み解決だよ」

 ドイツ語は基本的にローマ字読み。4話です。
 一見するとルビの振り方が乱雑に見えるかもしれませんが、考えるのではなく感じてください。


 はじめまして。

 わたしは伊勢小鈴。私立烏ヶ森学園中等部に通う中学一年生です。

 先日、変な鳥さんに協力してほしいと言われて、デュエマを覚えたり、恥ずかしいカッコさせられたり、クリーチャーと戦ったり、平穏とか日常とか、そんな普通な生活からかけ離れた現実に引きずり込まれてしまった。

 デュエマはおもしろかったし、憧れの先輩ともお近づきになれたけど、正直なところ、わたしはかなり混乱してる。

 鳥さんの力を取り戻すために、わたしはこれからクリーチャーと戦うことになるみたいだけど、なにをするのかぜんぜん分からない。鳥さんは全部ちゃんと説明してくれてないっぽいから、分からないことが多い。

 そんなもやもやを抱えた状態で、わたしの日常は進んでいくのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 それは、わたしがはじめてクリーチャーと戦った、数日後のことだった。

 わたしはクラスメイトでわたしの親友でもある、香取実子ちゃんとお昼ご飯をたべながら、先日起こった事件について話していた。

 あの時の出来事は、バイク暴走事件として、地域ではちょっとした話題になったのだ。過激なスピード違反者として、新聞やテレビなどのメディアでも取り上げられていたけれど、バイクに乗ってた男の人がどうなったのかは分からない。

 幸いにもケガ人は、男の人がすりむいたくらいのものしかなかったようで、大事にはならなかったから、たぶん逮捕されたわけじゃないと思うけど。

 でも、ニュースによると、男の人は自分がスピード違反をしていたという自覚はなかった。それどころか、当時のことは覚えていないという。

 ……たぶん、それってクリーチャーに乗っ取られてたから、なんだろうなぁ。鳥さんがそんなこと言ってた気がする。あの時は自分の服装が恥ずかしくて逃げたから、あんまり覚えてないけど。

 なにはともあれ、事件が起こった近所に住んでいる者として、わたしもみのりちゃんも――主にみのりちゃんが――その話題には敏感だった。

 

「それにしても、狭い住宅街でスピード違反なんて、逆にすごいよね」

「うん……そうだね」

 

 わたしはお弁当を食べ終えて、購買で買ってきたクリームパンを頬張りながら答える。

 みのりちゃんはこの話題に興味があるみたいだけど、その事件の当事者というか、立会人というか、真相を知る者としては、どうしても答えづらい。

 そもそも、実は暴走の原因はクリーチャーでした、なんて言っても信じてもらえないし。言えるはずもない。

 だからわたしは返事に困って、視線を逸らす。その先には、黙々と一人でお弁当を口に運んでいる、日向さんがいた。

 日向恋さん。お人形みたいに小さくて、均整のとれた顔立ち、さらさらの髪と、すごく綺麗な女の子。だけど常に無表情で笑わない。いつも一人でいるし、少し前まで不登校気味だったから、誰も近づこうとしない。

 だけど、わたしにデュエマを教えてくれた一人でもあるから、わたしはもう、他人面をしてられないんだよね……

 それに、先輩に一番近いところにいる。

 わたしがそう思った、直後だった。

 ガラガラと教室の扉が開かれる。

 

「失礼します」

 

 昼食をとってる人たちの目線が、一斉に彼に向いた。

 

「3-Aの剣崎一騎です。日向恋さんはいますか?」

 

 礼儀正しく、お手本通りに名乗りながら入ってきたのは、一人の男子生徒。

 剣崎一騎先輩。三年生で、学園生活支援部の部長さん。日向さんとは兄妹みたいな関係だって言ってたけど、詳しいことは知らない。

 剣崎先輩もわたしにデュエマを教えてくれた一人で、そして、わたしの思い人だ。

 

「あ、いた。恋」

「つきにぃ……どう、したの……?」

「詳しくは後で。というか、さっきから連絡してたんだけど」

「イベント、周回中……つきにぃでも、邪魔は、させない……」

「学校でゲームするなよ……いいから、ちょっと来てくれるか?」

「ん……ぜひもなし……わかった」

 

 呼ばれた日向さんは立ち上がって、とたとたと先輩に歩み寄る。

 わたしがそれをぼぅっと見ていると、みのりちゃんが目配せしてきた。え? わたしも行けってこと?

 悪目立ちしそうだからあまり気は進まないけど、みのりちゃんの謎の圧力によって、わたしは動かされる。先輩たちが教室を出たことを確認してから、わたしも席を立った。

 廊下に出ると、二人はすぐに見つかった。

 

「あの、剣崎先輩」

「伊勢さん。どうしたの? お昼は?」

「えっと、もう食べ終わりました。それよりも、なにかあったんですか?」

「あー、えーっとね……」

 

 先輩が口ごもる。わたしには言いにくいことなのかな。

 身内のはなしだったら邪魔になっちゃうな、と思ったけど、先輩はむしろ友好的にたしを見た。

 その目に、少しだけドキリとする。

 

「そうだね、伊勢さんも同じクラスだし、恋よりもよく知ってそうだ」

「?」

「伊勢さん。君が良ければでいいんだけど、ちょっとだけ、俺たちを手伝ってくれないかな?」

「は……はい……っ」

 

 思わず答えてしまった。もっとよく考えてから答えるべきだったのかもしれない。

 だけど、先輩のにこやかな笑顔でお願いされたら、断るに断れなかった。それに、わたしなんかが先輩の役に立てるのであれば、本望だ。

 

「ありがとう。それじゃあ、とりあえず部室に行こうか」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「戻ったよ。ごめんね、待たせちゃって」

 

 学園生活支援部の部室に入ると、中には二人の女子生徒がいた。

 一人は校則違反なんじゃないかと思ってしまうような、金髪の生徒。どことなく異国人のような顔つきをしているようにも見え、学年が分かりづらいけれど、校章を見る限りでは、剣崎先輩と同じ三年生だ。

 もう一人は、こちらも校則に問題がありそうな、薄いブロンドの髪の女の子。だけど、この子は顔つきが明らかに日本人のそれではない。

 剣崎先輩が先に入り、それに気づいた金髪の先輩が立ち上がる。そして、入れ違い際に、剣崎先輩に目を向けた。

 

「対応してくれてありがとう。ごめん、俺の受け持ちなのに」

「別にこれくらいなら構わない。じゃ、あたしは行くからな。昼休み終わるまでには帰ってこいよ」

 

 それだけ言い残して、金髪の先輩は去っていった。

 残されたのはわたしたちと、異国の女の子だ。

 

「待たせてごめんね」

「い、いえ、大丈夫です……あ」

 

 女の子がわたしに気づく。わたしは、会釈とはとても言えないような、苦めの笑みを浮かべた。

 

「えぇっと、あなたは、伊勢さん……」

「こ、こんにちは、ローザさん……」

 

 わたしはこの女の子を知っていた。知っていると言っても、友達とかではない。クラスメイトだ。

 ローザ・ルナチャスキーさん。ロシア生まれ、ドイツ育ちで、両国出身の両親から生まれたハーフだと、最初の自己紹介で言っていた。そして今は日本在住という、経歴だけ見れば同じ中学生だとは思えない子だ。

 来日してから何年か経ってるらしくて、日本語はとても流暢だ。日常会話での不自由は一切ない。

 それでも、わたしはほとんどお話したことないんだけど。だから、どう接すればいいのか分からない。

 

「勝手でごめんね。恋も不登校気味だったから、伊勢さんの方が力になれると思って、俺が頼んだんだ」

「そ、そうなんですか。ちょっと驚いちゃいました」

 

 ローザさんは、わたしがいる理由を知ると、安心したように息を吐く。

 だけどわたしは、なんでここに連れてこられたのか、まったく分からない。

 

「つきにぃ……それで、なんなの……私たちに、なにさせるつもりなの……?」

 

 わたしの疑問を、日向さんが言ってくれた。

 

「うん。実はね、ローザさんから、学援部に依頼があったんだ」

「依頼? それって、学生生活で困ったことがあったってことですか?」

「そうです。とても、困ったことです」

 

 ローザさんは悲しそうに言う。

 

「伊勢さんは知ってると思うんですが、私には、双子の妹がいるんです」

 

 それも、知ってる。

 確かにわたしは、彼女が双子であることを知っている。彼女の妹の姿も見たことがある。彼女の妹も、私のクラスメイトなのだから。

 わたしが彼女のことをファミリーネーム――日本で言うところの下の名前――で呼んでいるのも、そのようなわけがあるのだ。クラス最初の自己紹介で、二人はそれぞれ、自分のことを名前で呼ぶように促した。どちらも同じ苗字で、紛らわしいから、と。

 もっとも、わたしはユーリアさんのことはクラスで見ているって程度で、直接お話ししたことはないんだけど。

 

「私の妹のユーちゃん――ユーリアは今、不登校、なんです……」

 

 それも、知っていた。

 学年で何人か、そういう人たちはいる。私のクラスにも、日向さんがそうであったように、学校に来ていない人が何人かいる。

 理由は知らないけれど、家庭の事情だったり、本人の身体や精神の問題だったり、単なる怠惰だったり、その理由は様々だろう。

 そしてローザさんの妹さん、ユーリアさんも、なにかしらの理由があって、学校に来なくなってしまった。

 

「昔はあんなに明るかったのに、最近じゃ別人みたいに暗くなっちゃって……私は、いつもの明るいユーちゃんが見たい。あの子に元通りになってほしい。そう思って、学園生活支援部さんに、お願いしたんです」

 

 懇願するように言うローザさん。彼女の悲壮感や必死さは、痛いほど伝わってくる。

 それほどに妹を思っているからこそ、彼女はこの部に頼ったのだろう。

 そしてわたしたちは、ローザさん、ユーリアさんの二人とクラスメイトだからという理由で、ここに呼ばれたようだ。

 悲痛そうなローザさんを見て、先輩は本題へと切り出した。

 

「ユーリアさんが学校に来なくなったのは、いつ頃?」

「確か、五月くらいの頃、だったと思います」

「五月病……?」

「ずっと家にいるの?」

「はい。部屋から、出てこないんです」

「そうなってしまうような出来事があったのかな。なにか思い当たる節は? 人間関係とか、成績不振とか。あとは考えたくないけど、いじめとか」

「ない……と、思います。ユーちゃんは私よりもずっといい子です。無邪気で、明るくて、人懐っこいので……私も、あの子が学校に来ていた時はずっと一緒でしたけど、そういうことがあったことはなかったです。成績も、私が一緒に勉強しているので、そこまで悪くはないです」

 

 先輩が一つ一つ質問して、それにローザさんが丁寧に答える。

 わたしはあんまり覚えてないけど、確かにユーリアは、いじめられるような子じゃなかったと思う。なんていうか、憎まれなさそうな性格だったように記憶している。

 

「中高生における不登校とか引きこもりっていうのは、大抵は学校絡みのトラブルによって引き起こされるストレスが原因だけど、ユーリアさんの場合は、もっと他のところにあるかもしれないな」

「双子の私でも知らないようなことが、ですか……」

「うん。恋や伊勢さんは、なにか知らない? 遠くからだからこそ見えるものというのも、あるかもしれない」

「わたしは、その……ごめんなさい。わかりません……」

 

 先輩が、こっちに話題を振ってきた。

 けれどわたしも、ユーリアさんとの接点は、クラスメイトってくらいだし、遠目で見て「みんなと仲良くしているな」って思ってたくらいで、正直なところ、ちゃんと見ていなかった。

 だから、ユーリアさんの変化というのは、よくわからない。

 そして日向さんは、

 

「そんな奴、興味ないし……」

「恋!」

「私が、知るわけないし……それ、つきにぃが一番、よくわかってる、はず……」

「だとしても、言葉には気を付けろ」

「…………」

 

 声を荒げる先輩。そして、口をつぐむ日向さん。

 部室に、ちょっぴり剣呑な空気が流れる。

 

「ごめん。空気を悪くしてしまった」

「い、いえ。わたしも力になれなくてすいません……」

「気にしなくていいよ。君が悪いわけじゃない」

「でも、どうしたらいいんでしょう……このままじゃ、ユーちゃんは……」

「……情報が少ない中で下手に動くのはまずいけど、情報が少ないからこそ大胆に動いてみるべきかな、ここは。ローザさん」

「は、はい。なんでしょう?」

 

 先輩が、ローザさんに呼びかける。

 そして一つの提案。あるいは、お願いをした。

 

「突然で悪いんだけど、近いうちに、君の家を訪ねてもいいかな?」

「え? どうして……」

「ユーリアさんと直接、話がしたい」

 

 先輩は力強く言った。

 

「俺はカウンセラーでもなんでもないけど、直に話を聞ければ、解決の糸口が見えるかもしれない。リスクは付きまとうけれど」

「……あの。一つだけ聞いてもいいですか?」

「いいよ。どうしたんだい、伊勢さん」

 

 話の腰を折る用で申し訳ないのだけれど、ふと、疑問に思った。

 

「このことは先生には話したのでしょうか……?」

「話しました……でも、原因がまったく分からないから、解決は難しいって。家宅訪問も、立場上、簡単にはできないって……」

「教師の立場というのも難儀なもので、なにかしらの確証がないと踏み込みにくいところもある。下手に動いて問題になれば、失うものも大きい。それは不義理なのかもしれないけれど、仕方のないことでもある」

「そんな……」

「だからこそ、俺たちが乗り込むんだよ。俺たちなら生徒同士だし、その気になれば踏み込めるところまで踏み込めるよ。強引な方法ではあるけどね」

 

 先輩は、どこか不承不承といった風だった。これが最善なのかを測りかねているかのように。

 確かにそれは強引だ。先生じゃ踏み入れないところに、子供というフットワークと責任の軽さで押し入っているようなものだ。

 もしかしたら、そこから大変なことになってしまうかもしれないけれど。

 今は動くしかない。進むしかないと、先輩は判断したのかもしれない。

 

「……それなら、早い方がいいですよね。明日、うちに来てください」

「ありがとう。ごめんね、急な話で」

「いえ。私も、一刻も早く、ユーちゃんには元に戻って欲しいので……」

「それじゃあ、明日だね。恋、お前も来るんだぞ」

「めんど……」

「恋」

「……しかたない、か……」

 

 話は決まったようです。みんなで明日、ローザさんの家を訪ねる、と。

 だけどその中にわたしはいない。わたしは学援部じゃないし、ユーリアさんのことを知っているかもしれない、っていう程度で来ただけだから。

 だからわたしの役目はここでおしまい。

 おしまい、なんだけど。

 

(なんだか、変な感じ……)

 

 困っている人がいて、ちょっとでも協力しようとして、だけどなんの力にもなれなくて。

 中途半端に首を突っ込んで、ほんの少しだけ知って、それでおしまい。

 それはなんだか、とても、もやもやする。

 

「あ、あのっ」

 

 だからだろうか。

 半ば無意識に、わたしは口を開いていた。

 

 

 

「わ、わたしも……行っていいですか?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 翌日。

 わたしもローザさんの家に行く手はずとなった。

 先輩もローザさんも、わたしの進言には少し驚いていたけれど、二人とも受け入れてくれた。

 もっとも、わたしがいるからって、なにかが変わるとは思えないけれど……

 先輩は「恋よりは、ユーリアさんと上手く話せそうだし、むしろありがたいよ」って言ってくれたけど、わたしだって人とお話しするのが得意なわけじゃないし、ユーリアさんのことも、あんまり知らないし……

 どうして学校に来なくなってしまったのか、なんて、まったく見当もつかない。今、どんな気持ちなのか、想像もつかない。

 日向さんならもしかしたら、似たような境遇にあったわけだし、なにか思うところがあるのかもしれないけれど。

 学校に来ない、来れない、来たくない。そんな、理由について。

 

「……そういえば」

 

 どうして、日向さんは不登校になってたんだろう。

 今では普通に学校に来てるけど、その前の日向さんには、なにがあったのかな。

 気になる。気になるけど、それはわたしが関わるべきではないことな気がする。

 わたしの進むストーリーとは、別の物語であるような気がする。

 それに今は、ユーリアさんのことだ。

 

 話を戻しましょう。わたしは日直の用事があったから、ローザさんの家の住所を教えてもらって、先輩たちには先に家に向かってもらった。

 やるべきことを終えて、学校を出る。ローザさんの家は学校からそれほど遠くない。歩いても、そこまでかからなさそう。

 あんまり先輩たちを待たせても悪いし、ちょっと速足になって急ぐ。体力には自信ないし、あんまり走りたくはないけれど、ちょっと急ぐ。

 その道中。道端になにか落ちているのが見えた。どこか見覚えのあるそれを見た途端、息を飲む。

 そしてわたしは、慌てて駆け寄った。

 

「鳥さん!」

 

 それは、小さな鳥――先日の不思議な鳥さんだった。

 

「う……あぁ、小鈴か……」

「どうしたの? なにがあったの?」

「いや、その……今日、なにも食べてなくて……」

 

 脱力した。

 この鳥さんは、また食事を怠っていたらしい。

 わたしは今日のお昼の時間がなくて食べきれなかった、クリームパンを一つ取り出して、鳥さんの嘴に押しつける。

 鳥さんは一心不乱にパンをついばんでいた。

 

「うわっ、なんかベタベタする」

「クリームパンだからね。甘いでしょ?」

「むむ、確かに」

 

 ティッシュで鳥さんの口周りを拭ってやる。

 食べ物を与えたり、口を汚したり、手のかかる鳥さんだ。

 

「そうだ小鈴。どこに行くんだい?」

「え……えーっと、クラスメイトの家、かな?」

「クラスメイト? 君の仲間か?」

「うん、まあ、そうなるのかな。今までの関わりが希薄だったから、あんまり実感ないけど……」

「関わりが希薄? それなのに仲間なの?」

「えーっと……」

 

 鳥さんはわたしたちとは違う存在だから、わたしたちとは考え方がちょっと違う。

 少しタイムロスになっちゃうけど、もう既にロスしちゃってるし、いいかな。

 そう思ってわたしは、今までの経緯を鳥さんに話した。

 

「ふむふむ。つまり、そのユーリアって子は、原因不明の精神病を患っているということだね」

「精神病かは分からないけど……でも、心が傷ついているんだと思う」

 

 その理由は分からないけれど。

 そう思った瞬間、鳥さんが言った。

 

「それはクリーチャーの仕業かもね」

「え?」

 

 なにを言っているのか、一瞬わからなかった。

 

「どういうこと?」

「その子の引きこもりの原因は不明なんだろう? 心当たりも、君たちが考えられる限りではない。なら、クリーチャーが関わってる可能性がある」

「なんだか飛躍してない?」

「そんなことはない。急激な異変となると、君らの世界の法則にない存在が関与している可能性は大いにある。君も一度見ているだろう。クリーチャーの暴走を」

 

 先日のバイク暴走事件のことだ。

 あの暴走もクリーチャーの仕業で、そのクリーチャーは、わたしが倒した。

 

「で、でも、不登校になることと、クリーチャーに、なんの関係が……?」

「クリーチャーに乗っ取られた人間の変化の形は様々だ。先日の《ソニックブーム》は身体の自由を奪って、思いのままに操り、暴走した。今回の場合は、もっと精神的なところに働きかけるクリーチャーなのかもしれないね」

 

 精神に干渉するクリーチャー。そんなものもいるんだ。

 もしそれが本当なら、わたしは……

 

「なんだかキナ臭いし、小鈴、僕もその子のところに行くよ。案内して」

「う、うん。分かったよ。でも、みんなの前で出て来ちゃダメだよ?」

「善処しよう」

 

 なんだかちょっと心配だけど……まあ、大丈夫だよね?

 そうしてわたしは、鳥さんを引き連れて、早足でローザさんの家に向かった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「お邪魔しまーす……」

「いらっしゃい、伊勢さん」

 

 少し迷いかけたけど、なんとかローザさんの家に着くことができた。

 出迎えてくれたのはローザさん。家の人は、今はいないらしい。

 

「先輩と日向さんは?」

「今、ユーちゃんとお話してくれてたけど……」

 

 招き入れられたリビングのソファに、剣崎先輩と日向さんが座っていた。日向さんの表情は相変わらずだけど、先輩はどこか浮かない顔をしていた。

 

「ど、どうでしたか……?」

「……率直に言って、ダメだったよ」

 

 ふぅ、と息を吐いて先輩は言う。

 

「こっちの話を聞いてくれないっていうか、聞き入れてくれないっていうか……対話を拒否されたみたいだった」

「対話を……?」

「ハッキリしているのは、ユーリアさんは酷く怯えているようだということ。なにかを恐れていて、縮こまってしまって、なにもできない、みたいな状態だ」

「怯えているって、なににですか?」

「分からない。色んな方面から聞いてみたけど、全部曖昧に答えるだけで、明確な回答は得られなかったよ」

 

 そしてなにより、と先輩は続ける。

 

「敵意ではなさそうだったけど、俺たち自体も、恐怖の対象になっているっぽいんだ。だから余計に聞きづらくてね……ローザさん、ユーリアさんって、対人恐怖症だったりする?」

「いえ……むしろ、人が大好きな子で、どんな人でも人見知りしないし、物怖じもしない子です」

「だよね……」

 

 つまり、先輩が言うには、ユーリアさんはなにかがきっかけで、対人恐怖症のようになってしまっている、ということなのかな。

 だけど不登校になる前のユーリアさんは、対人恐怖症とは真逆の、人懐っこい性格だった。ほんの短い期間の間に、そんな急激な性格の変化があるものなのかな。

 いや、もしもそんなことがあるとするなら、それは本当に、鳥さんが言ったように……

 

「なにが彼女を萎縮させるのか……それが分かれば、解決の糸口になると思うんだけどな」

「あ、あの」

「どうしたの、伊勢さん?」

「よければでいいんですけど、わたしも、ユーリアさんとお話してきても、いいですか……? わたしなんて、お役に立てるか分かりませんけど……」

 

 控えめに申し出ると、剣崎先輩は少し意外そうに目を見開く。そして、ローザさんに目を向けた。

 

「人の心を開くには人だ。俺たちではダメでも、まったく別の考えや心を持つ人なら、あるいは、ということもある。だから俺はいいと思うんだけど、どうかな、ローザさん」

「私も、いいですよ。いや、むしろお願いします。少しでも、ユーちゃんの心が開いてくれれば……そのためなら、どんな可能性にも賭けます」

「……ためせるものは、ぜんぶ、ためせばいいと思う……」

 

 わたしが来てから初めて日向さんが口を開いた。

 それはともかく、先輩とローザさん。二人の許可が出た。

 もしもわたしの考えが当たってるなら、ユーリアさんは……そう思いながらわたしは、ローザさんに案内されて、ユーリアさんの部屋へと向かう。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ユーリアさんの部屋は、真っ暗だった。

 電気は付いていない。閉じられたカーテンの隙間から漏れる光だけが光源だった。

 部屋は、全体的に白っぽい。壁紙、カーペット、カーテン。多くのものは、白が基調となっている。

 壁と接した勉強机に、部屋の真ん中に置かれた小さな丸テーブル。そして勉強机の反対側には、ベッドがあった。女の子らしく、ぬいぐるみなどがいくつか置かれていた。

 一見すると普通の女の子らしい部屋だ。特別荒れたりもしていない。

 でも、なんだろう。この息苦しさは。

 窒息する錯覚に陥ってしまいそうなほどの、息苦しさを感じる。

 そんなものは気の迷いなのだけど。そう自分に言い聞かせて、わたしはベッドに目をやった。

 そのベッド上に、彼女はいた。

 色素の薄い髪。暗いから白っぽく見えるけど、実際には綺麗な銀髪だろう。けれど彼女の髪は無造作に伸びており、ボサボサで傷んでいる。しばらくまともに手入れしていないのだろう。

 髪だけではない。元々白人種とはいえ、それを差し引いても病的に白い肌。血管が浮き出るほどやせ細った体。濁りきった瞳。

 彼女の容姿は、どこを取っても衰弱していた。

 

「……誰、ですか」

 

 こちらに気づいた彼女が尋ねる。

 力のない声だった。

 彼女はこんな声だったか、と戸惑いながら、わたしは名乗った。

 

「えっと、わたし、伊勢小鈴です。あ、知ってるかもしれないけど、ユーリアさんと同じ、1ーAで、だからクラスメイトで……」

「……そうですか」

 

 スス、とユーリアさんは体を後ろに下げた。

 まるで、わたしから逃げるように。

 

(本当に、怖がってるのかな……)

 

 もしそうなら少しショックだけど、それには理由があるはず。

 わたしは机の上に置かれているものを横目で見ると、話を続けた。

 

「デュエマ、やってるんですね」

「……さっき来た、男の人にも、言われました……」

「わたしもやってるんです、デュエマ。と言っても、つい最近始めたばっかりなんだけど」

「……そうですか」

 

 反応が薄い。先輩が言っていたように、こちらとの関わりを拒絶されているかのようだった。

 直接聞くのは悪いと思ったんだけど、遠回りしてたら、いつまで経っても進まなさそう。

 わたしは意を決して、彼女に尋ねた。

 

「ユーリアさん、どうして学校に来ないの?」

「…………」

「わたしは、ユーリアさんのことはあんまり知らないけど、あなたが学校に来ていた頃は、すごく楽しそうだった。夜遅くでも、土日でも学校に来ていそうなくらいだなって、わたし思ってた。それなのに、どうして……?」

「……わかりません」

 

 ユーリアさんは体育座りになって、自分の体を抱きしめるように、身を縮こまらせる。

 

「学校は楽しいところだったはずです。でも、気づいたら……こわくなっていたんです」

「学校が?」

 

 コクリとユーリアさんは頷いた。

 気づいたら学校が怖くなった。そんなこと、あるのかな。

 わたしの知るユーリアさんは、学校が好きで好きで仕方ないみたいな子だった。それが、学校が怖いだなんて。

 

「なんでそう思うのかも、わかりません。でも、学校に行こうとすると、なにかをしようとすると、こわくなって、体がうごかなくて……誰かと会うのも、こわくて……」

 

 ユーリアさんはさらに強く自分を抱いて、身を小さくする。

 

「こんな思いはイヤ、です……だからもう、かかわらないでください……」

 

 そう言うとユーリアさんは、毛布を頭からかぶって、わたしを視界から消してしまった。

 天岩戸に閉じこもってしまった天照大神のように。外界と自分を切り離そうとしているようだった。

 ユーリアさんからの反応がなくなる。うつむいて、こちらを見ようともしない。苦しそうな息遣いだけが、微かに耳に届く。

 それを確認して、わたしは物音を立てないように部屋の中を歩く。そしてカーテンを閉じたまま、隙間から窓の外を見て、静かに鍵と窓を開ける。

 すると、部屋になにかが入ってきた。

 鳥さんだ。

 ユーリアさんに聞こえないように、わたしたちは耳打ちするように小声で話し合う。

 

(小鈴、やっぱりクリーチャーの気配がするよ)

(本当?)

(あぁ、間違いない。この子から、黒いマナを感じる)

 

 黒いマナ? マナって、クリーチャーを出すエネルギーのことだよね。

 それを感じるってことは、やっぱりこれは、クリーチャーの仕業なんだ。

 

(憑りつかれて日は浅いみたいだけど、精神が結構やられてるね。もう可視化できるほどにまで成長してる)

(可視化? なにも見えないよ)

(む、そうか。人間の目じゃ見えないのか。だったら、こうすればどうかな?)

 

 と、鳥さんが口の中でなにかを呟いた、次の瞬間。

 わたしの服装が変わっていた。

 

(って、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!? この格好、あの時の……!?)

(君の力の象徴だよ。それがあれば君は僕らに近い性質を得る。クリーチャーの存在も知覚できるはずだよ)

(そんなことどうでもいいよっ! 戻して、戻してよ! 恥ずかしいよ!)

(えー……すぐに戻したら君をその姿にした意味がなくなるじゃないか)

(意味? 意味ってなに?)

(あの子をよーく見てごらん。今の君なら、見えるはずだよ)

 

 そう言われてわたしはユーリアさんを見る。ジッと見つめる。

 さっきまでとはどこか違う感じだ。なんだか、胸の内がざわざわするような、不安を覚えるような、嫌な感覚。ずっとそれを感じていると、息苦しくなって、窒息してしまいそうな気がする。

 そう、思ったときだ。

 ――見えた。

 

「……っ」

「分かった?」

「う、うん……」

 

 さっきまでは見えなかったものが、今のわたしには、確かに見える。

 ユーリアさんの背後。まるで、彼女に覆い被さるようにして、それはいた。

 赤いマントを羽織った黒い影。そう表現することが、たぶん適切だ。

 

(これも、クリーチャーなの……?)

(あぁ、《萎縮の影チッソク・マント》。闇文明のクリーチャーだ。どうやら彼女にとりついているね。肝心の彼女は、それに気づいていないようだけど。そもそも気づかれないようにこっそりとりついているのかな)

 

 萎縮……ユーリアさんが、“存在しないなにか”に恐怖しているのも、このクリーチャーのせいなのかな。

 この詰まるような息苦しさも、全部このクリーチャーの仕業なんだとしたら、放ってはおけない。

 

「……鳥さん」

「小鈴、やる気になった?」

「うん。だってこのままじゃ、ローザさんもユーリアさんも、かわいそうだよ」

 

 ユーリアさんがなにかを抱え込んでいるだけなら、それはユーリアさんの問題だ。手を貸したい気持ちはあるけど、最終的にその問題はユーリアさんの責任になる。

 でも、こんな、クリーチャーにとりつかれて、学校にも来れなくなって、心も疲弊しきってるなんて、見てられない。

 誰かがクリーチャーを追い払ってユーリアさんを救えるのなら、そうするべきだと思う。そしてそれができるのが、私なんだ。

 ちゃんとできるのか。本当に解決できるのか。自信はないし、不安ではあるけれど。

 

「鳥さん。あのクリーチャーを追い払うには、どうしたらいいの?」

「簡単だよ。前の《ソニックブーム》の時みたいに、デュエマして倒せばいいんだ」

 

 鳥さんは言う。そうすれば、ユーリアさんに憑りついている。クリーチャーも、追い払うことができる。

 私が、デュエマで勝てれば。

 

「じゃあ、お願い、鳥さん」

「承った」

 

 機を見て鳥さんが舞台を準備してくれる。

 だからわたしは、きっかけを作る。

 

「ユーリアさん」

「…………」

 

 返事はなかった。こちらを見てもいない。だけど、それはクリーチャーのせいで、萎縮してしまっているから。

 だからわたしは続ける。ユーリアさんではなくて、彼女に憑りついている、クリーチャーに。

 

「デュエマ、しよう」

「デュエマ……」

 

 反応があった。すると彼女は、ガバッと顔を上げる。

 よく考えたらわたしは今、とても恥ずかしい格好をしているわけで、一瞬焦ったけど、その心配はなかった。

 彼女の眼を見たら分かる。いや、それ以前の問題だ。

 ユーリアさんの瞳は、人とは思えない光を発していて、その中には昏い闇が渦巻いている。

 そして彼女と一体になるかのようにして、クリーチャーは彼女と重なる。

 今なら分かる。目の前にいるのは、ユーリアさんじゃない。ユーリアさんの体を借りた、クリーチャーだ。

 わたしが相対しているのは、ユーリアさんの楽しい学校生活を狂わせた、クリーチャーなんだ。

 

「鳥さんっ」

「了解だ!」

 

 鳥さんに呼びかける。

 そしてわたしはユーリアさんと――いいや。

 人を狂わせるクリーチャーと、戦います――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ユーリアさんとのデュエマ。先攻はユーリアさん。

 お互いにシールドは五枚。私の場には《爆裂B―BOY》。ユーリアさんの場には《一撃奪取 ブラッドレイン》。

 

「……《暗黒鎧 キラーアイ》を召喚(フォーラドゥング)

「え、なに? なんて……?」

「……Ende(ターン終了)

 

 なんて言ったのかよく分からなかったけど、ユーリアさんはクリーチャーを召喚した。

 だけど召喚だけして、ターンを終えてしまった。

 

「攻撃しないんだ……わたしのターン。《B―BOY》の効果でコストを1下げて、《B―BOY》を進化! 《鳳皇 マッハギア》を召喚するよ!」

 

 わたしは前のターンに召喚した《B―BOY》でコストを下げて、そのまま進化元にして、《マッハギア》を出す。

 

「《マッハギア》の効果で、コスト4以下の《ブラッドレイン》を破壊! シールドをWブレイク!」

「……トリガーは、ないです」

 

 《トップギア》と似た名前の《一撃奪取 ブラッドレイン》は、クリーチャーを召喚するコストを下げるクリーチャー。ずっといると厄介だから破壊しておく。そしてそのままWブレイクして、わたしはターンを終了した。

 シールドの枚数では、早速二枚も差をつけたし、《マッハギア》はパワー6000だから、簡単には破壊されないはず。どんどん攻撃するよ。

 

 

 

ターン3

 

ユーリア

場:《キラーアイ》

盾:3

マナ:3

手札:4

墓地:1

山札:28

 

 

小鈴

場:《マッハギア》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:26

 

 

 

「《ブラッドレイン》と《ラヴァール》を召喚……《キラーアイ》で《マッハギア》を攻撃(アングリフ)

「あ、アン……?」

 

 なにを言っているのかよくわからない。発音が日本語じゃないし、英語でもなさそう。

 ユーリアさんはロシアで生まれて、ドイツで育ったって聞いたから、あれはロシア語か、ドイツ語……? 育ったのがドイツなら、ドイツ語なのかな?

 宣言される言葉は不明だったけど、《キラーアイ》は《マッハギア》に突っ込んでくる。これは、攻撃だ。

 だけど理解と同時に、疑問が湧き上がる。

 

「え……? 《マッハギア》のパワーは6000だよ? 《キラーアイ》は2000だから、こっちが勝つけど……」

「そうですけど……バトルに負けた《キラーアイ》が破壊されます。でも、そのとき、《キラーアイ》のスレイヤーが発動します」

「スレイヤー?」

 

 聞いたことのない言葉に、わたしの疑問は募るばかりだった。

 スレイヤー、という言葉が理解できないわたしに、ユーリアさんは説明をしてくれる。

 

「スレイヤーは、バトルをすれば、勝っても負けても相手クリーチャーを破壊する能力です……なので、スレイヤーの《キラーアイ》とバトルした《マッハギア》を、破壊します」

「そ、そんな能力もあるんだ……」

 

 ってことは、前のターン、《マッハギア》で破壊するべきは《ブラッドレイン》じゃなくて《キラーアイ》だったのかな。

 Wブレイカーの《マッハギア》でもっと攻撃するつもりだったけど、あっという間に破壊されてしまって、少しショックだ。

 

「で、でもまだ負けないよ。《凶戦士ブレイズ・クロー》と《爆炎シューター マッカラン》を召喚! 《マッカラン》の能力で《ラヴァール》とバトル! ターン終了だよ」

 

 

 

ターン4

 

ユーリア

場:《ブラッドレイン》

盾:3

マナ:4

手札:2

墓地:3

山札:27

 

 

小鈴

場:《ブレイズ・クロー》《マッカラン》

盾:5

マナ:4

手札:1

墓地:2

山札:26

 

 

 

「……《ブラッドレイン》でコストを1下げて、進化(エヴォルツィオン)

「え、えぼ……?」

 

 また分からない言葉を紡いで、ユーリアさんはカードを操る。

 マナを三枚タップすると、《ブラッドレイン》の上に、一枚のカードを乗せた。

 

「《ブラッドレイン》を、《夢幻騎士 ダースレイン》に」

「あ、進化か……」

 

 ユーリアさんの《ブラッドレイン》は《ダースレイン》に進化する。黒い馬に乗った兵隊さん――いわゆる騎兵のようなクリーチャーだ。

 

「《ダースレイン》の能力で、山札から三枚を墓地フリートホーフへ……そして、その中から《ラヴァール》を手札に戻します」

「せっかく破壊したのに……」

「残った2マナで《ラヴァール》を召喚。ターン終了です」

 

 また攻撃しない……なんでだろう。《ダースレイン》もW・ブレイカーだから、こっちのシールドを二枚もブレイクできるのに。

 怪訝に思いながらもわたしは、カードを引いて、手札にあるカードをただただ使うだけだった。

 

「わたしのターン、もう一度《マッカラン》を召喚! 《ラヴァール》とバトル!」

 

 引いてきた《マッカラン》を出して、《ダースレイン》で呼び戻された《ラヴァール》を破壊。もう一度墓地に押し戻す。

 

「《ブレイズ・クロー》は毎ターン絶対に攻撃しないとダメだから、《ブレイズ・クロー》でシールドブレイク!」

「……S・トリガーです」

 

 《ブレイズ・クロー》がブレイクした一枚が、S・トリガーとして飛び出す。

 ただ、それは単なるトリガーじゃない。

 今回の件の元凶が、姿を現す。

 

「でてきてください……《萎縮の影チッソク・マント》」

「っ、このクリーチャー……! 鳥さん!」

「そうだ。このクリーチャーが、彼女の意識を萎縮という闇に引きずり込んでいるんだ」

 

 《萎縮の影チッソク・マント》。その名の通り、誰かを萎縮させ、息が詰まるような苦しみを与えるクリーチャー。

 このクリーチャーに憑りつかれたせいで、ユーリアさんは元気がなくなって、心まで闇で侵されてしまったんだ。

 

「でも、なんでユーリアさんを……」

「理由なんて考えても仕方ないさ。憑りついて、力を吸いだせるのなら誰でもいい。強いて言うなら、エネルギーを吸いやすい人間がいいだろうね。あるいは、エネルギッシュな人間がいいのかもしれない」

「エネルギッシュって……」

 

 ユーリアさんは、元気で明るい子だった。

 だからこそ、このクリーチャーは、ユーリアさんを狙って言うの?

 

「あくまで一つの可能性だけどね。あのクリーチャーがどんな観点や理由で、餌を選別したのかなんてわからないけど、彼女は萎縮の影によって、確実に力を搾り取られている」

「そんな……」

 

 それじゃあ、なおさらユーリアさんがかわいそうだ。彼女には、なんの罪もないのに。

 わたしがユーリアさんを不憫に思っていると、《チッソク・マント》が不気味な動きで迫ってきた。

 

「《チッソク・マント》の能力です……登場時に相手クリーチャーのパワーを3000下げます。選ぶのは、前のターンに出した《マッカラン》です」

 

 《チッソク・マント》はわたしの出した《マッカラン》に近づくと、覆いかぶさって、その首を絞める。

 呼吸ができなくなって、窒息してしまった《マッカラン》は崩れ落ち、破壊された。

 

「パワーが0以下になったクリーチャーは破壊されます。《マッカラン》を破壊です」

「う……ターン終了」

 

 追撃をかけるはずの《マッカラン》が破壊されちゃったから、もうわたしにできることはない。このままターン終了するよ。

 

 

 

ターン5

 

 

ユーリア

場:《ダースレイン》《チッソク・マント》

盾:2

マナ:5

手札:1

墓地:6

山札:23

 

 

小鈴

場:《ブレイズ・クロー》《マッカラン》

盾:5

マナ:5

手札:0

墓地:3

山札:25

 

 

 

「《チッソク・マント》を進化。《悪魔龍王 ロックダウン》」

 

 ユーリアさんのターン。ユーリアさんは、トリガーで出た《チッソク・マント》を進化させる。

 縫い目の見える虎縞の皮。その下には獣の骨。頭と背中からは黒い翼が生えていて、骨が剥き出しの尻尾には、顔の描かれた爆弾が握られている。

 顔は怖いけど、どことなくファンシーな姿の、ちぐはぐな印象を受けるクリーチャーだ。変なクリーチャーに見えるけど、進化クリーチャーってことは、それだけ強力なはず。

 

「《ロックダウン》がバトルゾーンに出た時の能力で、《マッカラン》のパワーを6000下げます。破壊です。さらに《ダースレイン》で《ブレイズ・クロー》を攻撃」

 

 6000のマイナス……《チッソク・マント》の二倍の数値だ。《マッカラン》じゃ耐えられない。

 《ダースレイン》も《ブレイズ・クロー》を攻撃して、わたしのクリーチャーはいなくなった。

 だけど、ユーリアさんはまた攻撃しないでターンを終了する。まだわたしのシールド、五枚もあるのに……

 シールドはたくさんあるけど、なぜだか安心できない。クリーチャーをすべて破壊されて、場になにもなくなっちゃったからかな。

 

「わ、わたしのターン……《トップギア》を召喚して、ターン終了」

 

 

 

ターン6

 

 

ユーリア

場:《ダースレイン》《ロックダウン》

盾:2

マナ:6

手札:0

墓地:6

山札:22

 

 

小鈴

場:《トップギア》

盾:5

マナ:5

手札:0

墓地:5

山札:24

 

 

 

「……《キラーアイ》を召喚。Ende」

 

 やっとクリーチャーを残せた。

 ユーリアさんの場には《ダースレイン》と《ロックダウン》がいて、スレイヤーの《キラーアイ》がプレッシャーをかけてるけど、ここで進化クリーチャーを出せれば、状況は良くなるはず。

 

「わたしのターン。ドロー」

 

 だけど、このターン引いてきたカードは《めった切り・スクラッパー》。

 わたしのマナは5マナだから、使えない。マナにするしかなかった。

 

「マナチャージだけして、ターン終了……」

 

 手札がないから、引いてきたカードをそのまま使うことしかできないけど、マナも少ないから、強いカードは使えない。

 ユーリアさんは場に《ダースレイン》と《ロックダウン》、二体の強力な進化クリーチャーがいるし、スレイヤーの《キラーアイ》もいる。

 もしかして、今までわたしのシールドをブレイクしなかったのは、わたしに手札を与えないため……? ユーリアさんも手札はないけど、同じ手札がないでも、バトルゾーンの状況はユーリアさんの方がずっと有利だ。

 なかなかシールドもブレイクして来てくれないし、このままクリーチャーがたくさん並んだら、負けちゃいそう……

 

 

 

ターン7

 

 

ユーリア

場:《ダースレイン》《ロックダウン》《キラーアイ》

盾:2

マナ:6

手札:0

墓地:6

山札:21

 

 

小鈴

場:《トップギア》

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:5

山札:23

 

 

 

 

「……そろそろ、Ende(終わり)です」

 

 不安がるわたしの心中を見透かしたかのように、ユーリアさんは告げる。

 

「《キラーアイ》を進化」

 

 ボゴリ、と《キラーアイ》の胸に埋め込まれた目玉が膨れ上がった。

 それに呼応するように、腕、肩、胴、足、そして顔を、《キラーアイ》の身体は膨張し、鎧を刺々しく屹立させる。

 最後に蝙蝠みたいな大きな翼が生えて、《キラーアイ》は別の姿、別の存在、別のクリーチャーとなった。

 そう、進化したのだ。

 

 

 

Bitte verschwinde aus meinen “Augen”(私の“眼”の前から消えてください)――《悪魔龍王 キラー・ザ・キル》」

 

 

 

 ユーリアさんの《キラーアイ》が、《キラー・ザ・キル》に進化した。

 全身が刺々しくて、こちらを睨みつける形相は恐ろしく、胸に埋まった巨大な目玉がおぞましい。率直に言って、凄く怖い。

 これが、ユーリアさんの切り札なの……?

 

「《キラー・ザ・キル》がバトルゾーンに出た時、相手クリーチャーを一体破壊します。《トップギア》を破壊です」

「っ、クリーチャーがまた……!」

 

 《キラー・ザ・キル》は胸の目玉で《マッカラン》を睨みつける。ただそれだけで、《トップギア》は爆散してしまった。

 これでまたクリーチャーがゼロ。そして、遂にユーリアさんが攻めてくる。

 

「《キラー・ザ・キル》で攻撃、Tブレイクです」

「うわ……っ!」

 

 一気に三枚のシールドがブレイクされる。わたしもT・ブレイカーを持つクリーチャーを使うけど、こうして相手に使われると、その強さを改めて実感する。初めてシールドを攻撃されたのに、もうシールドが二枚しかない。たった一撃で、シールドの差を詰められてしまった。

 しかも、ユーリアさんの場にはまだ、《ダースレイン》と《ロックダウン》、二体のW・ブレイカーがいる。シールド枚数を同じにされるだけじゃない、残りのシールドも持っていかれる。

 獣のような雄叫びが聞こえると、こちらにクリーチャーが突っ込んできた。

 

「続けて、《ロックダウン》でも、Wブレイクです」

「うぅ……!」

 

 《ロックダウン》が残りのシールドをブレイクして、これでわたしのシールドはなくなった。だから、残る《ダースレイン》がわたしにとどめを刺しに来るけど、

 

「S・トリガー発動! 《爆流剣術 紅蓮の太刀》!」

 

 わたしの最後のシールドから、S・トリガーが来てくれた。《ピアラ・ハート》や《ダキテー・ドラグーン》じゃどうしようもないけど、《紅蓮の太刀》ならまだ生き残れる。

 

「パワー3000以下のクリーチャーは破壊できないけど、マナ武装5は発動するよ! パワー6000以下の《ダースレイン》を破壊!」

「……ターン終了です」

 

 攻撃できるクリーチャーがいなくなったユーリアさんは、ターンを終了する。

 ギリギリ生き延びることができたけど、わたしのシールドはゼロ、クリーチャーもいない。

 でも、シールドがなくなった代わりに、手札が増えた。

 

「わたしのターン。ドローしてマナチャージ。これで7マナだよ!」

 

 引いてきた《ピアラ・ハート》をマナに置いて、わたしまず、マナゾーンのカードを一枚タップする。

 

「《凶戦士ブレイズ・クロー》を召喚! そして、この《ブレイズ・クロー》を進化!」

 

 次に6マナをタップ。

 《ブレイズ・クロー》を、進化させる。

 

「出て来て! 《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 シールドから手札に来てくれた、わたしの切り札。

 《ドギラゴン》がいれば、まだ逆転できる。

 

「行くよ! 《ドギラゴン》で《キラー・ザ・キル》を攻撃!」

「あ……《キラー・ザ・キル》が……」

 

 《キラー・ザ・キル》はパワー12000もあるけど、《ドギラゴン》のパワーはそれを超える14000。バトルに勝って破壊できる。

 

「それだけじゃないよ、《ドギラゴン》の能力で、バトルに勝ったからアンタップ! 次は《ロックダウン》を攻撃!」

「《ロックダウン》も……」

 

 まずはユーリアさんのクリーチャーを全部破壊。さっきまでのお返しだよ。

 そして、

 

「ターン終了」

「え……終わり、ですか……?」

「うん」

 

 これもちょっとしたお返し。ユーリアさんがどういう理由で今までわたし攻撃しなかったのか、わたしなりに考えて、出した答え。

 わたしもあと一回でも攻撃されると負けちゃうから、S・トリガーでクリーチャーが出たり、クリーチャーを召喚してすぐに進化されるととどめを刺される。だから、それを防ぐために、このターンは攻撃しない。

 今のユーリアさんの手札はゼロ。なにを引いても、すぐにはとどめを刺せないはず。

 ユーリアさんがシールドを攻撃しなかったのは、たぶんわたしに手札を与えないため。手札が増えたら、それだけできることも多くなるから。

 だからわたしは、ここでそれをお返しする。

 

 

 

ターン8

 

 

ユーリア

場:なし

盾:2

マナ:6

手札:0

墓地:12

山札:20

 

 

小鈴

場:《エヴォル・ドギラゴン》

盾:0

マナ:7

手札:2

墓地:7

山札:22

 

 

 

「えと、えっと……ドロー、《ボンバク・タイガ》を出して、マナ武装3発動です……」

「《ドギラゴン》のパワーは14000! パワーを3000下げても11000あるから、破壊されないよ!」

「……ターン終了です」

 

 ユーリアさんは《ボンバク・タイガ》を召喚したけど、それじゃあわたしのクリーチャーは破壊できないし、このターンにとどめも刺せない。

 次のターンで、決めるよ

 

「わたしのターン! 《エヴォル・メラッチ》を召喚! 山札の上から四枚をみて、《マッハギア》を手札に! そして《メラッチ》を《マッハギア》に進化! コスト3の《ボンバク・タイガ》を破壊!」

 

 わたしの手札には《ゴウ・グラップラー・ドラゴン》もいたけど、いいところで《マッハギア》が来てくれたから、こっちを出す。クリーチャーを破壊しておいた方が安心だからね。

 仮に破壊できなくても、このターンで決めるつもりだけど。

 

「《マッハギア》でWブレイク!」

「……S・トリガー、《萎縮の影チッソク・マント》です。《ドギラゴン》のパワーを3000下げます……」

「さっきも言ったよ! それじゃあ、《ドギラゴン》は止められない!」

 

 前のターンに攻撃しなくて良かったと安堵しつつ、わたしは《ドギラゴン》で手を添える。

 ユーリアさんのシールドはゼロ。《ドギラゴン》を止められるものは存在しない。

 だから、これで終わり。

 

 

 

「《エヴォル・ドギラゴン》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 後日

 デュエマに勝ったら、ユーリアさんに憑りついていたクリーチャーは追い払うことができました。そしてまた、鳥さんがマナに変わった光を食べていたけれど、この前と同じで、えづいていた。

 

 なんにしても、ユーリアさんを苦しめていたクリーチャーはいなくなって、一件落着……なのですが。

 それでもわたしの気分が晴れない。胸の内がもやもやするし、すっきりしない。

 あの後、ユーリアさんはぐったりとして眠ってしまった。鳥さんは、憑りついていたクリーチャーが消えただけで奪われた力は戻らないから、疲労で眠ってしまったのだろう、なんて言っていたけれど。それでも、気になります。

 ユーリアさんの問題は、根本的には精神の、心の問題だ。クリーチャーがいなくなって、これ以上の被害はないと言っても、その傷までもが癒えているかどうか……

 それがずっと心配だったけど、わたしにできることはもうない。クリーチャーを退治した以上、もうわたしが関わる隙はない。

 後はユーリアさんが戻って来るのをただ待つだけ。戻って来ても、クリーチャーに憑りつかれていた時のことを覚えているかはわからない。きっと忘れているだろうって、鳥さんは言っていた。

 あんな恥ずかしい格好を覚えていられるのも困るし、その点に関しては構わないのだけれども……

 そんな、色んなものでもやもやしたままのわたしの前に、彼女は現れた。

 

 

 

Guten Morgen(おはようございます)!」

 

 

 

 スパーンッ! と。

 勢いよく扉が開かれ、威勢のいいあいさつ? 共に、誰かが教室に入って来た。

 あんまり急で、しかも大きな声だったから、みんな驚いて固まっている。

 いや、それだけじゃないかもしれない。

 その声は、聞き覚えがあるけれど、初めて聞くような新鮮さがあって、変な感じだった。

 クラスのみんなと同じように、わたしも扉の方へと振り返る。

 すると、そこにいたのだ――彼女が。

 

「グーテンモルゲン! 小鈴さん!」

「ぐ、ぐーてん……?」

 

 こちらにすたすたと歩いてきて、彼女はにっこりと笑いかける。

 キラキラと輝くような、長い銀髪。天使のような、無邪気でにこやかな笑顔。

 一瞬、誰だか分からなかったけど、でも、この声と顔はどう考えてもあの子だ。

 見間違えそうだったけど、見違えた。

 

「……ユーリアさん?」

Ja(はい)! ユーリア・ルナチャスキーです! ユーちゃんと呼んでください!」

「あ、うん……学校、来たんだね……」

「小鈴さんのおかげです! 目が覚めてから、いてもたってもいられなくなって、学校来ちゃいました! 家に引きこもってた時の気持ちが嘘のように、とっても楽しいです!」

「そうなんだ、よかったね……」

「なので、小鈴さんにはとっても感謝してます! Dankeschoen(ありがとうございます)!」

 

 ……やっぱり、ユーリアさんなんだ。

 元気で、笑顔で、人懐っこくて、聞いてた話の通りの人柄だ。わたしのイメージとも大きな食い違いはない。

 これが彼女の本来の人格なのだろう。これが本当のユーリアさんで、本来のユーリアさんが戻ってきて、よかったのだろう。

 だけど、

 

 

 

「……キャラ変わりすぎだよ」

 

 

 

 ここまで変わるなんて思ってませんでした。




 如何だったでしょうか。英語などと比べて、ドイツ語はあまりなじみが薄いかもしれませんが……まあ、そういうキャラだと捉えてくだされば。
 誤字、脱字、感想等。後はあるかわかりませんがドイツ語の間違いなどありましたら、いつでもどうぞ。


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5話「お友達になれたよ」

 マジカルベルを執筆する契機となった事柄はいくつかありますが、実はその一つが恋だったりします。詳しく語ろうとすると、説明が長くなるので割愛しますが。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 わたしは今とても混乱しています。

 しがない女子中学生であったわたしの前に現れた鳥さんとの出会い。それによって、わたしはこの世界で悪さをしているクリーチャーたちを退治する役目を背負うことになってしまいました。

 冷静になって考えてみると、本当にわけがわからない。今でも納得できてないし、困惑しっぱなし。恥ずかしい衣装まで着せられるし。

 こんな、お母さんの書いてる小説の主人公(魔法少女)みたいなことを、なんでわたしが……ずっとそう思ってるけど、わたしはいつまでも流される。

 今更やめるとも言いだせないし、とにかく今は、このことは誰にもバレないようにしないといけない。人知れずクリーチャーと戦ってるなんて言っても、誰も信じてもらえないだろうけど、知られてしまうのは嫌だ。というか恥ずかしい。

 だからわたしは、この事実を隠し通す。

 絶対に誰にも知られないように、秘密のまま、日常を送り続けるんだ――!

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「《エヴォル・ドギラゴン》で、ダイレクトアタックだよ!」

 

 ダイレクトアタックを決めると、いつものデュエマをする空間が綻んで、いつもの現実に戻ってくる。この感覚はいつまで経っても慣れない。

 

「《カラット・アゲッチ》討伐完了。お疲れさま、小鈴」

「うん、ありがとう」

「さて、それじゃあ早速、このクリーチャーのマナをいただこうかな」

 

 鳥さんはわたしが倒したクリーチャー――倒したことで、マナという光のようななにかになってる――をついばむ。

 最初の頃は食べるたびにえづいていたけど、今はもう大丈夫みたい。小さなマナなら、そのまま丸のみしてしまうくらいには慣れたようだ。

 

「でも、コンビニのからあげの数が減ってるなんて情報、クラスの男の子たちが話してるところを偶然聞いてなかったら、絶対にわからなかったよ。クリーチャーって、たまに変なことしてるよね」

「誰しも譲れないものがあるだろう? それはクリーチャーも同じさ。そして譲れないと強く信じるものほど、他人から見るとおかしなものに見える。そんなもんだよ」

「ふぅん」

 

 譲れないもの、かぁ。

 なんだろう、わたしはそういうの、あんまり深く考えたことないから、よくわからない。

 

「それにしても、やるじゃないか小鈴。ここ一週間、連日クリーチャーを討伐しているよ。やはり僕の目に狂いはなかった」

「本当に疲れたよ、鳥さん、わたしと会うたびにクリーチャーの気配がする、って言って連れ出すんだもん。家に乗り込んできたときもあったよね? あの時、お姉ちゃんとお母さんに出かける言い訳をするの、すっごく大変だったんだからね」

 

 そう。わたしはこの一週間、鳥さんのお願いとして、たくさんのクリーチャーと戦った。

 鳥さんは、クリーチャーを倒すことで出て来るマナが必要らしくて、わたしはそのお手伝いをしている。

 クリーチャーは、さっきのからあげ減少事件みたいな小さなことから、バイクを暴走させたり、人を鬱病にしてしまうような怖いことをするものまでいる。

 鳥さんのお願いがなくても、そんな危険なものを放っておくわけにはいかない。そういうこともあって、わたしは渋々ながらも鳥さんの察知するクリーチャーの気配を追って、こうしてクリーチャーと戦っていた。

 

「今日も疲れたし、帰ろう。お母さんたち心配するし、この格好も恥ずかしいし。鳥さん、早く戻して」

「君はよく自分の格好に不満を言うよね? 君が望んだものなのに」

「た、確かにお母さんの書く小説の主人公(魔法少女)に憧れみたいなのはあったけど、実際に同じ格好になりたいかっていうのとは別問題だよっ!」

「そっか。でも、もう君の願いの方向性を修正するだけの力は残ってないからなぁ」

「さっき食べてた、マナ? をたくさん食べれば、変えられるようになるの?」

「まあ、可能っちゃ可能だけど、そうなった君の存在は、今のままで十分に強い。わざわざ変えることないと思うんだ」

「わたしは恥ずかしいの! もうちょっと大人っぽい格好とかでもよかったのに……」

「君が望んだんだろ」

「そうだけど! でも、だって、いきなりだったんだもん……!」

 

 あの時、鳥さん、ほとんど説明せずにわたしをこんな格好にしたし。こうなるってわかってたら、もっとちゃんと考えたよ。

 

「はぁ……」

 

 それにしても、これからずっと、鳥さんのお願いが終わるまでこの格好で戦い続けなきゃいけないと思うと、憂鬱になる。

 この姿だけは、絶対に人に見られないようにしないと。知り合いに発見されるなんてもってのほか。変な噂になっても困るし、恥ずかしい。

 そう。わたしがこんな恰好で町を出歩いているなんて、誰にも知られちゃいけないんだよ!

 と、希うように決意を固めた、その時だった。

 

 

 

「なに、してるの……?」

 

 

 

 小さな、けれどもはっきりと聞き取れる澄んだ声が、耳に届く。

 とても聞き覚えのあるというか、こんな綺麗な声の持ち主を、わたしは一人しか知らない。

 

「ひ、日向さん……!?」

「ん……」

 

 そう。その人は、クラスメイトの日向恋さんその人だった。

 なぜか文庫サイズの本を片手に、日向さんはいつも通りの無表情でわたしを見つめている。視線だけを下から上へと、赤外線でチェックされてるみたいに、流れるように視線を動かす。

 そして、小さく一言。

 

「コスプレ……?」

 

 神の裁きのような衝撃が走った。

 あまりの衝撃に、わたしは動けなかった。口も開けない。でも、言い訳をしないわけにはいかない。頭の中は真っ白、顔は恥ずかしさでたぶん真っ赤、リンゴみたいな頭で、わたしは慌てて口を開く。

 

「あ……い、えっと、その、あの、これは……」

「……コスプレなら、そういうイベントとか、場所でやった方が、いい……人の趣味に、とやかく口出し、するの、主義じゃない、けど……」

「そうじゃ、えっと、いや、ちがっ、違って、こ、これは……!」

 

 わたしの言葉にならない必死の言い訳も、彼女の前では虚しく響くだけだった。

 日向さんはそう言い捨てると、すたすたと歩き去ってしまった。

 

「…………」

「小鈴? どうしたの?」

「……鳥さん」

 

 残されたわたしは、鳥さんに言った。

 

「わたし……死にたいよ」

 

 鳥さんのお願いを聞き始めてから、約二週間。

 たった二週間で、わたしの秘密は日向さんにばれてしまったのだった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 わたしは非常に憂鬱な気分で学校に来ていた。憂鬱の原因はもちろん、昨日のことだ。

 日向さんに恥ずかしい姿のわたしを見られてしまった。

 恥ずかしさで死にそうです。

 幸か不幸か、日向さんは寡黙だし、その、クラスの中でも孤立しちゃってるから、言いふらされることはないんだけど……知られたという事実だけでも恥ずかしい。

 しかも、日向さんにというのが、なんだか不気味だ。日向さんとは、ユーちゃんの件があってからまったく話もしてないし、わたし自身も日向さんのことはほとんど知らない。

 そんなことをずっと考えていたせいか、お昼休みの時間、不意に言われてしまった。

 

「小鈴ちゃん? どうしたの、さっきから」

「え。な、なにが? みのりちゃん」

「ずっと日向さんのことをちらちら見てるから、なにかあったのかなって」

「そそ、そんなことは、ないよ? なにもないよ、なにも。うん」

「そう?」

「そうそう」

 

 我ながら挙動不審だと思った。みのりちゃんはそれに気づいているのかいないのか、「そっか」って言って引き下がったけど。

 わたしはミニクロワッサンを咀嚼しながら、今度は意識的に日向さんを見る。

 羨ましいくらいに整った顔立ち。小さくて、透き通るような白い肌はお人形さんみたい。わたしもこれくらい可愛ければ、とふと思ってしまうくらいに、日向さんは綺麗な子だ。

 その綺麗さとは裏腹に、いや、もしかしたら彼女の綺麗さの一部なのか、日向さんには表情がない。いつも無表情で、笑ったところも怒ったところも泣いたところもみたことがない。それに、他人にまったく興味を示さないというか、自分から孤独を作っている感じがして、近寄りがたい空気を発している。

 だからこそ、怖い。

 日向さんがわたしの弱み(?)を握って、どうするのか。

 

(でも、クラスでも一人でいる日向さんが、誰かに言いふらすことはしないだろうし、誰にもばれないとは思うけど――)

 

 と、そこで。

 わたしは気づいてしまった。

 日向さんにも、一人ではないときがあることに。

 

「…………」

「小鈴ちゃん? どうしたの? 表情が固まってるけど……」

「あ……う、ううん、なんでもない……」

「そうなの? 体調が悪いなら、保健室に行く?」

「大丈夫だよ、そういうのじゃないから」

 

 でも、保健室に逃げたくなるくらいには、わたしは焦っていた。

 

(そうだよ、忘れてた……日向さんのそばには、先輩がいるよ……!)

 

 剣崎一騎先輩。わたしの思い人。

 入学してからは全然接点がなかったわたしと先輩の間を持ってくれたのも、なにを隠そう日向さんなのだ。実際にはちょっと……結構違うけど、日向さんを介して先輩とお近づきになれたのは確かだ。

 それはどういうことか。簡単だ。日向さんの身内として、先輩がいる。

 つまりつまり、わたしの痴態を言い触らす相手として、日向さんの中には先輩がいるはずなのだ。

 憧れの先輩に、わたしがあんな恥ずかしい格好で外を出歩いているだなんて知られたら……もう生きていけない。

 

「……確かめなきゃ」

「なにか言った? 小鈴ちゃん」

「あ、ううん。なんでもないよ」

 

 みのりちゃんにも知られるわけにはいかないから、そんな風に誤魔化しつつ。

 わたしは、先輩が昨日の出来事を日向さんから聞いているのかどうか、確かめる決意をした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 というわけで。

 勇気を出して、学園生活支援部、通称『学援部』の部室へと赴いた。

 部室棟なんて滅多に来るところじゃないし、そもそもどの部活にも所属していないわたしはこの場所に来るべきではないのだから、わたしがいてもいいのか、という恐れもあり、緊張してしまう。

 それでも、わたしの痴態が先輩に伝わっているのかだけでも確認しないと。知るのがすごく怖いけど。

 もし知られてたら……諦めよう、色々。人生とか。

 そんな不安を胸に、控えめに部室の扉をノックする。

 

「はい、今開けます」

 

 すると、中から返事が返ってきて、ゆっくりと扉が開く。

 出てきたのは、わたしの目的である当人、剣崎一騎先輩だった。

 先輩はわたしの顔をみると、にこりと微笑んでくれる。

 

「あ、伊勢さん。いらっしゃい……いや、部室でいらっしゃいっていうのも変だね。まあいいか。なにか用事?」

「えっと、その……先輩に、お話が……」

「俺に?」

「は、はいっ。あ、その、ご迷惑でなければ……」

「全然迷惑じゃないよ。今は仕事もないし。とりあえず入って」

「お、お邪魔します……」

 

 先輩は部員でもないわたしを快く中に入れてくれる。

 中には誰もいなかった。

 

「今、ちょと皆出払っててね。恋も来てないみたいなんだけど、なにか知ってる?」

「あ……日向さんなら、日直のお仕事を――」

「日直の仕事があるんだね。ずぼらな奴だけど、よかった、ちゃんとやってるんだ」

「――サボろうとしてたので、先生からお説教を受けています」

「……後で俺からもしっかり言っておこう。先生にも謝っておかないと……」

 

 そんなことを言う先輩。先生にも謝るって、先輩は日向さんの保護者かなにかなのかな?

 

「まあ、じゃあ恋はそのうち来るとして、伊勢さん。俺に話って?」

「あ、えーっと、えと、その……」

 

 なんて言おう。なんと聞こう。

 つい勢いでここまで来ちゃったけど、まさか「わたしがアニメの魔法少女みたいな格好で町を歩いてること、知ってますか?」なんて聞けるはずもない。そもそもその質問は知ってる前提の確認でしかないし、そんな風に聞いたらばれてしまう。

 

「……昨日、日向さんから、なにか聞いてませんか?」

 

 だからわたしは、曖昧に訪ねることにした。

 

「恋から? うーん……?」

 

 すると先輩は、腕を組んで考え込む。心当たりがないのか、それともありすぎるのか、唸って必死で思い出そうとしている様が見て取れる。

 

「なんだろう、恋から聞いたこと……アニメの感想とか」

「あ、アニメ?」

「最近読んだ漫画のこととか」

「漫画?」

「ネットで話題のおもしろ動画の話とか」

「おもしろ動画!?」

 

 え、なに? 日向さんって、そういう趣味があるの? ちょっと意外だった。

 いやでも、教室でも普段は物静かに本を読んでいるし、そういうこともある、のかな……?

 

「あとは、そうだなぁ。他の中学に通ってる友達の話は、流石に関係ないよね。なら、聖地巡礼の話かな?」

「聖地巡礼? え? 日向さんって、そういう宗教に……?」

「あぁ、違うよ。宗教的な意味じゃなくて、そこから転じた俗語だよ。恋が言ってるのは、アニメとか漫画とかで、実際にその舞台のモデルになってる土地を歩くことなんだって」

「へぇー……」

 

 そういえばお母さんも、昔旅行で行った観光地を舞台に、小説を書いてたことがあったっけ。わたしたちの住んでいる町をモデルにしたこともある、って言ってたかな。

 

「なんか、生きてるだけで聖地巡礼とか、わけのわからない内容だったけど……」

「はぁ……確かに、よく、わかりませんね……?」

「あぁでも、恋の好きな小説に、この町を舞台にしたものがあるらしくて、最近はたまに家を出て見て回ってるらしいね。昨日も気づいたら家にいなかったし、そういうことなのかもしれない」

「そ、そうなんですね」

 

 ということは、もしかしたら。昨日わたしが日向さんとばったり出くわした時、日向さんは聖地巡礼のまっただ中、ってことだったのかな。

 

「まあ、家で引きこもるよりも健康的だからいいとは思うんだけどね」

「そ……そう、ですね……」

 

 そのお陰でわたしは、あんな恥ずかしい格好を見られたわけなのですが。

 でもそれは日向さんのせいじゃないよね……

 

「昨日、恋から聞いた話はそのくらいかなぁ。後は精々、アニメの録画を頼まれたりだとか、夜食をせがまれたりだとか、そのくらい」

 

 う、うーん。

 これってもしかして、日向さん、わたしのことは話してない?

 

「ひょっとして、恋になにか用事?」

「あ、いや、そういうことでもあるような、ないような……」

 

 たぶん一番用があるのは日向さんなんだけど「昨日のことを先輩に話した?」なんて直接聞いていいものか。聞くのも恥ずかしいんだけど。

 でも、先輩は知らないようだし、なにも話していないなら、それでいいのかな……?

 

「……なに」

「あ、恋」

「えっ? 日向さん? いつの間に?」

 

 まったく物音なく、いつの間にか扉の前に日向さんが立っていた。

 彼女はいつも通りの無表情だけど、なんだろう。雰囲気が疲れてるというか、不機嫌っぽい?

 

「日直、とか、本当、面倒……あんなの、一人の人間に押しつけて、いいものじゃ、ない……時間も手間もかかるし、疲れる……ヘイト溜まりまくり……あんなシステムを考えた奴は、絶対、池沼……」

「日直くらいでなにを言ってるんだ。うちの学校はそんなに仕事量は多くないだろ」

「優秀なつきにぃとは、出来が違うから……私は、粗悪品……」

「またそんなことばっかり言って……まあいいや。それよりも、恋。伊勢さんが、恋になにかあるみたいだけど」

「ふぁっ?」

「……なに……?」

 

 日向さんが面倒くさそうな眼差しでこっちを見る。いや、無表情で無感動な目にそんな感情がこもっているのかは分からない。けど、見ているこっちが不安になるほど、こちらに興味を示さない瞳があった。

 わたしは、その視線に耐えられなかった。

 

「あ、あのっ、わたし……そんな、大きな用事でもないので、その……し、失礼しますっ」

「あ……伊勢さんっ?」

 

 剣埼先輩が声をかけてきたような気がするけど、わたしには聞こえなかった。

 慌てて扉を閉めて、逃げるように学援部の部室から去っていく。

 

「……恋。伊勢さんになにかしたの?」

「……さぁ、なにも……」

「恋のことだから、忘れてるのかな」

「……本当に、身に覚えが、ない……」

「でも、恋が関係していることみたいだし、ちゃんと話をした方がいいよ。友達なんだから」

「そんなつもりは……というか、別に、友達じゃ……」

「いいから。これも持って」

「なんでこんなの……」

「一応ね。きっかけがこれなんだし、いつものだと話にならないからね。ほら、早く」

「むぅ……つきにぃが、そこまで言うなら……面倒だけど、しかたない――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……逃げたのは、失敗だったかなぁ」

 

 廊下を一人で歩くわたしは、ふと呟く。

 明らかに怪しいというか、挙動不審というか、おかしな子だと思われても仕方ない立ち去り方だった、と思う。

 こんなはずじゃ、なかったんだけどなぁ。

 人のせいにするつもりはないけど、日向さんのあの目を見ていると、なんだか不安になって、冷静じゃいられなくなって、思わず逃げてしまったのだ。

 なにを考えているのか分からない、不透明でくらがりを持った目。

 その奥には、なにがあるのか。

 

「――小鈴!」

「え? うわっ!」

 

 物思いに耽っていると、声をかけられた。反射的に顔を上げると、横の窓からなにかが飛び込んでくる。

 鳥さんだ。

 遂に学校にまで乗り込んできた。

 

「と、鳥さん……学校にまで来ちゃダメだよ」

「こっちの方にクリーチャーの気配を感じたから、急いで飛んできたんだよ。ちょうど小鈴も近くにいたみたいだったから」

「クリーチャーの気配って……学校で?」

「恐らくはこの建物の中だ。しかも、凄く近い。すぐそばだよ」

「すぐそばって……」

 

 周囲をぐるりと見回すけど、誰もいない。

 ここはもう部室棟じゃないし、放課後の校舎に残ってる人なんて、そうそういない。大抵の人は部活に向かうか、帰るか、精々図書室に行くくらいだ。

 

「誰もいないよ?」

「そんなことない。いや、もしかしたらクリーチャーの姿のままなのかも……小鈴も、もっと注意深く見て」

「そんなこと言われても……」

 

 わたしの目が見える範囲には、なにも見えないし、誰もいない。今わたしが見えていないとしたら、窓の外か、教室の中くらい――

 

「――?」

「小鈴? どうしたの?」

「なにか、聞こえる……?」

 

 耳を澄ませてみると、なにかが小さく鼓膜を震わせている。なんの音だろう。

 音源はたぶん、教室の中。第三資料室というプレートが掛けられた教室からだ。

 わたしはゆっくりと教室の扉に耳を寄せる。すると音の正体がはっきりしてきた。激しい音だ。ビリビリと、紙を引き裂くような音。

 

「なにしてるんだろう……」

「小鈴、この中からクリーチャーの気配がするよ」

「この中から? でも、紙を破るような音しかしないよ?」

 

 クリーチャーが紙を破ってる? 随分とやることが小さいと思った。

 でもここは資料室。入ったことないしよく分からないけど、たぶん、授業で使うプリントとかが保管されている教室。その中にあるものが破られていたとすると、

 

「授業に支障が出ちゃう……かもしれない」

 

 この部屋にどんな資料があるかはわからないし、わたしたちの授業と関係するものがあるとも限らない。

 わたしも勉強が好きなわけじゃないけど、授業が遅れたりするのは、ちょっと困る。なにが困るって言われると、答えにくいけど……

 わたしは音を立てないように、ゆっくりと扉を引いた。

 

「し、失礼しまーす……」

 

 鍵は開いていた。とりあえず礼儀として、聞こえないくらいの小さな声で、そう言ってから教室に入る。

 教室は電気がついておらず、薄暗い。たくさんの段ボール箱が床にたくさん積み上がっていて、棚にはプリントやファイル、教科書らしき書籍が詰まっていた。そのせいか、部屋の中はとても狭くて窮屈な印象がある。それに埃っぽい。

 部屋にはいると、音の正体はよりはっきりした。確かに、びりびり、と紙を破る音が聞こえる。それも、何度も何度も、継続して。

 ダンボールを蹴らないように、足下に注意しながらゆっくりと資料室内を進む。教室は棚が並んで壁みたいになってて、二つの部屋を作るみたいに分断されていた。

 奥まで進むと、棚の隙間ができていて、そこから分断されたもう一つの部屋に進める。わたしはそぉっと棚の陰から首を伸ばして、様子を窺う。

 そこには、スーツ姿の男の人がいた。顔はよく見えないけど、たぶん知らない先生だ。

 先生はプリントを持って、それを縦に思い切り引っ張って、半分に引き裂いた。びりびり、と大きな音がする。

 裂かれたプリントを、さらにもう半分、もう半分、と何度も何度も裂いていく。プリントがもう裂けないくらいになると、新しい紙を手にして、また引き裂いていく。

 

「……なにをしてるんだろう」

「分からないけど、彼から強いクリーチャーの気配を感じるのは確かだね」

「そうなの?」

「あぁ。闇の気配だ」

 

 こんなところにもクリーチャーがいるなんて。驚く一方で、なんとなく納得してしまう。もうわたしは鳥さんに毒されているのかもしれない。

 

「えっと、とりあえず、どうしたらいいんだろう?」

「いつもみたいにデュエマで倒せばいいよ。さぁ、行くよ小鈴。まずは衣装チェンジからだ」

「う、うん……え?」

 

 我ながら間の抜けた声をあげたと思った、その時。

 わたしの格好はいつもの恥ずかしいアレになっていた。

 

「ちょ、ちょっと鳥さん! いきなりすぎるよ……!」

「遅かれ早かれだよ。早くクリーチャーは討伐した方がいいだろう?」

「そういうことじゃなくて……それに衣装チェンジって、もしかして鳥さん、わたしにこの格好させるの楽しんでない?」

「そんなことないよ。それよりもほら、行くよ」

「ちょ、ちょっと待ってって。まだ、二重の意味で心の準備がーー」

 

 鳥さんがわたしの服の袖をついばんで引っ張る。

 デュエマする準備も、この格好で人前にでる準備も済んでいない。もう少し時間が欲しい。

 だけどそんな時間は、誰からももらえない。

 どころか、わたしの心を乱すことが、さらに起こってしまう。

 

「――なにしてるの……?」

 

 資料室に澄んだ声が通る。

 わたしはハッとして振り返る。するとそこには、小さな女の子がいた。

 

「ひ、日向さん……!?」

「……学校でコスプレは、ちょっと……引く……」

「ち、違うの! この格好には訳があってーー」

 

 まさか、こんなところに日向さんがいるだなんて。部室にいると思ってたのに、どうして?

 とにかくわたしは言い訳をすることで頭がいっぱいだったけど、すぐに良い言い訳が思いつかない。どころか頭が真っ白になって、なんと言えばいいのか分からない。

 だから、いたずらにパニックになってるだけだった。

 

 

 

「――誰だ」

 

 

 

 そんなときに、低い声が聞こえる。

 振り返ると、先生が恐ろしい形相でこちらを睨んでいる。

 

「あ……その、えと……」

「…………」

 

 わたしはパニックにパニックが重なって、まともに喋れなかった。日向さんも、口を開かない。

 

「……見たな」

「え?」

「俺の愉悦に浸る至福のひと時を……俺が満たされるこの時間を。なにもかもをビリビリに破り捨てる、最高の瞬間を……見たな?」

 

 そのときだ。

 先生はもう先生ではなかった。

 それはガイコツだ。全身が骨でできている怪物。

 

「《キルビリー》か。そこそこ大物がでてきたね」

 

 確かに、見るからに強そうな見た目をしている。

 

「お前らぁ……俺様の悦楽を邪魔した罪は重いぞ」

 

 ガイコツさんがそう言うと、手の中が光った。バチバチと電気がスパークするみたいな音が聞こえる。

 それだけで、わたしはなにか危ないものを察知した。

 

「お前らもビリビリに、破れちまいな!」

 

 ガイコツさんの手の中で光っていたものが、放たれた。光線だ。赤外線とかX線とか、そんな優しい光線では、ないと思う。

 その光線の行き先を、ガイコツさんはどのくらいちゃんと設定したんだろう。気になるけど、そんなことはどうでもいい。

 重要なのは、その光線の行き先に、日向さんがいることだ。

 

「――!」

 

 ……友達、とは呼べないかもしれない。

 クラスメイト。そう、ただのクラスメイトだったんだ。

 つっけんどんで、なにを考えているかもわからないし、言葉で多くは語らない。

 関わりは希薄で、今でも快く思われていないか、ほとんど無関心という感じ。

 だけど日向さんは、先輩の大切な人なんだ。

 それに、わたしにとっても――

 一瞬のうちに、たくさんのことが頭をよぎった。

 思考を介さず、ほとんど反射で、なにも考えずにわたしは動いていた。

 

 

 

「日向さんっ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 バチバチバチ! と激しい音が頭の中で爆散するように響き渡った。

 

「……っ」

 

 自分でもなにが起こったのか分からない。気づいたら体が動いてて、気づいたら動かなくなってた。

 ……あれ、本当に動かない。

 体がとても重い。目は開いてるはずなのに、視界がスパークしてて上手く見えない。耳も、耳鳴りが酷くてなにも聞こえない。

 でも、だんだんとそれらも回復してくる。

 体は依然重いままだけど、視界は良好になって、耳からも声が聞こえてくる。この声は、鳥さん……?

 

「――じゃあ、頼んだよ」

「……分かった」

 

 わたしの目に映るのは、日向さんの後姿だった。

 彼女はガイコツさんに向かっている。それに、その手には、デッキが握られていた。

 

「日向、さん……?」

 

 気づけば、彼女は消えていた。

 そして私は理解した。

 彼女は対戦の舞台に、行ってしまったのだと。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 閃光が瞬いたと思ったら、身体は突き飛ばされていた。

 そして目の前には、最近になって妙に出会う機会が増えた、クラスメイトらしき少女が倒れている。

 

「……なに、これ……どういうこと……」

「小鈴! 小鈴、しっかり!」

 

 騒がしい声が聞こえる。

 そこには、鳥がいた。なんで学校にこんな鳥がいるのか分からないけど、というかなんで喋ってるのかも分からないけど、とりあえずそれは鳥だった。

 なんとなく、どこかで見たことがあるような。あるいは、どこかで感じたことがあるような気がする。見るからにウザそうだけど、なぜかあまり不快には思わない。

 鳥はクラスメイトの少女をつっついて叫んでいる。少し痛そうだ。けれど、少女は起きない。

 

「まずい、このままじゃ……!」

「…………」

 

 まずい、ということに関しては、同感だ。

 さっきの光線。その発生源に、目を向ける。

 

「ビリビリビリィ……!」

 

 骸骨みたいな化け物が、こちらを見つめている。

 よく分からないけど、とりあえずこいつは敵だ。今の一連の出来事で、そう判断する。

 

「こんな時、どうすれば……誰か、小鈴の代わりに……」

「…………」

「君は……そうだ!」

「……嫌な、予感」

 

 沈黙は無意味だった。とても、面倒くさいことに巻き込まれた気がする。

 だけど――そんなことも、言っていられないか。

 

「君、小鈴の仲間だよね? 力を貸してくれ」

「……なに……?」

「簡単だよ。デュエマしてくれるだけでいいから」

「……ふぅん」

 

 デュエマする。それは、あのクリーチャーと、ということだろう。

 なんとなく、分かった。そして読めた。

 無知でも、馬鹿でも、愚かでも。

 自分のできること、するべきことくらいは、なんとなくでもわかる。

 

「本当は小鈴みたいに、力を具現化させたいんだけど、生憎その力は僕には残されていないから、そのままの姿になるけど――」

「よく分からないけど……分かった」

 

 クリーチャーと対戦する。現実味があることじゃないけど、今こうしてここにあることが現実だ。

 それに、こんな非現実的なことは、慣れている。

 私はデッキを手にしようと、デッキケースに手を伸ばすが、

 

「ん……そういえば、デッキ……」

 

 いつものデッキはない。あの時、渡されたデッキしかなかった。どうしよう。

 いや、どうしようもないか。このデッキを使うしかない。

 即決即断。悩むのは、好きじゃない。不安しかないが。

 

「じゃあ、頼んだよ」

「……分かった」

 

 鳥に促されて、私はデッキを握り、骸骨のクリーチャーに向けて歩を進める。

 デッキはいつもと違うけど。

 いつも通りの、デュエマの――始まりだ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「《奇跡の玉 クルスタ》を召喚……」

「《特攻人形ジェニー》を召喚! 即破壊し、手札を一枚墓地へ!」

「《白騎士の霊騎ラジューヌ》を召喚……《クルスタ》でシールドブレイク」

「呪文《ボーンおどり・チャージャー》! 山札の上から二枚を墓地に送り、チャージャーをマナへ!」

「マナチャージ……《クルスタ》と《ラジューヌ》でシールドをブレイク……」

「もう一度呪文《ボーンおどり・チャージャー》だ。トップ二枚を墓地に送り、2マナで《友愛の天秤》を発動。パワー2000以下の《ラジューヌ》を破壊だ!」

 

 

 

ターン4

 

 

場:《クルスタ》

盾:5

マナ:4

手札:1

墓地:2

山札:27

 

 

キルビリー

場:なし

盾:2

マナ:6

手札:4

墓地:6

山札:22

 

 

 

 なにが起こっているのか分からないけど、どうやら、日向さんとガイコツさんがデュエマをしているようだった。

 日向さんはまだシールドが五枚あって、手札は一枚だけだけど、バトルゾーンには《クルスタ》がいる。

 ガイコツさんはもうシールドが残り二枚。バトルゾーンにクリーチャーもいないけど、墓地にカードを置いてることと、マナが増えていることが気になる。

 

「ドロー、マナチャージ……《ガガ・ピカリャン》を召喚……ドローして《一撃奪取 アクロアイト》召喚……《クルスタ》でシールドをブレイク」

 

 《クルスタ》の攻撃でガイコツさんのシールドがいよいよ一枚になった。日向さんの場にはクリーチャーが三体いるし、全部アンタップ状態。

 流石は日向さん、かなり優勢にデュエマを進めてる。

 

「思ったより雑魚……こっちにはアタッカー三体……殴り切るの、余裕……諦めたら……?」

「さて、どうだかなぁ。こっちにはまだ、秘策が残ってんだよ」

「秘策……?」

 

 ガイコツさんは自信満々に言う。なんでだろう。次のターンにはもう負けちゃいそうなのに。

 そう思っていたら、ガイコツさんはマナゾーンのカードを七枚全部タップして、“秘策”を呼び出す。

 

「出て来いや! 《邪眼教皇ロマノフⅡ世》!」

「それは……」

 

 ほんのちょっとだけ、日向さんの眉が動く。

 なんだろう、あのクリーチャー。7マナも支払ったわけだし、凄く強いクリーチャーなんだろうけど。

 

「《ロマノフⅡ世》の能力発動! こいつが場にでた時、山札の上から五枚を墓地に送り、その中から呪文を唱えるぜ!」

「……しょせんは運任せ……だけど……」

 

 めくられるカード次第では、逆転もあり得るカード。日向さんも、そう思っているのかもしれない。

 わたしにはどんなカードが来るのか想像もつかないけど、日向さんはなんとなく予想できてるみたい。だからか、目が少しだけ険しいように見える。

 《ロマノフⅡ世》の能力で、ガイコツさんの山札から、カードが五枚、墓地に送られる。カードの効果は全然分からないけど、墓地に置かれたカードを見ると、《白骨の守護者ホネンビー》《勇愛の天秤》《邪眼教皇ロマノフⅡ世》《煉獄と魔弾の印》《特攻人形ジェニー》。

 その中から、四番目に墓地に置かれたカードが、怪しく光る。

 

「来たぜ来たぜ! 《煉獄と魔弾の印(エターナル・サイン)》を発動!」

「やっぱり……」

「こいつの効果で、墓地からコスト7以下の闇か火のクリーチャーを、スピードアタッカー付きで呼び戻す!」

 

 虚空に怪しげな印が結ばれ、魔方陣が浮かび上がる。

 鬼火のような炎が揺らめいて、電流のようなものが弾け、魔方陣は墓地とバトルゾーンを繋いだ。

 そして、張り裂けるような音が響き渡り、墓地からガイコツみたいな龍、魔方陣を通ってバトルゾーンに出て来る。

 

 

 

「さぁ、俺様登場だ! 《破線の悪魔龍 キルビリー》をバトルゾーンへ!」

 

 

 

 その時、わたしは悟った。

 ガイコツさんが墓地にカードを置いていたのは、あの呪文――《煉獄と魔弾の印》のためだったんだ。

 墓地からクリーチャーを戻せるってことは、墓地を手札みたいに使えるってことだと思う。だから、好きな時に墓地から好きなクリーチャーを出せるように、墓地を増やしてたんだ。

 

『まだまだぁ! 俺の墓地にクリーチャーが六体以上いるため、《百万超邪(ミリオネア) クロスファイア》を(グラビティ)・ゼロで召喚だ!』

「……でも、打点は足りてない……《ロマノフⅡ世》は召喚酔いだし……」

『誰がこのターンで終わらせるつったよ! 俺様で攻撃! 俺様の墓地にカードが八枚以上ある時、それらすべてを山札に戻すことで、《キルビリー》の能力起動! 相手クリーチャーのパワーをすべて-8000だ!』

「っ……!」

 

 ガイコツさんが攻撃する。その時、ガイコツさんが増やした墓地のカードが、全部山札に戻っていく。

 すると、ガイコツさんは黒い光線を散らすように放った。その光線に触れた日向さんのクリーチャーは、どんどん弱っていって、すぐに骨になって倒れてしまった。

 パワーが0になると、クリーチャーは破壊される。ユーちゃんとのデュエマで知った知識だ。ユーちゃんは大きくてもパワー6000までしか下げなかったけど、ガイコツさんは8000、しかも相手クリーチャー全体のパワーを下げてきた。それがどれだけ強いかは、わたしでも分かる。

 ガイコツさんの攻撃で、一瞬にして日向さんのクリーチャーはいなくなってしまった。

 

『《キルビリー》でWブレイク! 《クロスファイア》でもWブレイクだ!』

「……トリガー……ない……ありえな……」

 

 加えて二体の大きなクリーチャーが攻撃を仕掛けてくる。スピードアタッカーを付与されている《キルビリー》に、元々スピードアタッカーを持っているらしい《クロスファイア》。二体のWブレイクが決まって、日向さんのシールドも一枚になってしまった。

 これって、凄くピンチなんじゃ……日向さん、大丈夫なのかな。

 

 

 

ターン5

 

 

場:なし

盾:1

マナ:5

手札:4

墓地:5

山札:25

 

 

キルビリー

場:《ロマノフⅡ世》《キルビリー》《クロスファイア》

盾:1

マナ:7

手札:3

墓地:0

山札:26

 

 

 

「……《ラジューヌ》《アクロアイト》を召喚……ターン終了」

 

 日向さんのターン。日向さんは、二体のクリーチャーを出すことしかしなかった。

 ブロッカーも出さなかったし、これって、日向さんも打つ手がないってことじゃ……

 もしかして、日向さんが負けちゃう……?

 

「《白骨の守護者ホネンビー》を召喚。トップ三枚を墓地に送り、二体目の《ホネンビー》を回収。そのまま召喚し、再び効果発動。トップ三枚を墓地へ、《特攻人形ジェニー》を回収だ」

 

 ニヤリと、ガイコツさんが微笑む。

 とても、嫌な笑みだった。

 

「これで終いだな。《ロマノフⅡ世》で最後のシールドをブレイク!」

 

 《ロマノフⅡ世》が、日向さんの最後のシールドを撃ち抜く。

 

「……S・トリガー」

 

 ここで引かないと、というところで、日向さんは引いた。

 この危機的状況を切り抜ける、S・トリガーを。

 

「《聖歌の聖堂ゾディアック》……」

「っ、ちぃ!」

「マナ武装5達成……《キルビリー》《クロスファイア》《ホネンビー》をフリーズ……」

 

 日向さんが引いたS・トリガーは、呪文カード。《聖歌の聖堂ゾディアック》。

 相手クリーチャーを三体選んでタップする呪文みたいだけど、マナ武装5で、マナゾーンに光のカードが五枚あれば、タップしたクリーチャーを次の相手ターンのはじめにアンタップさせなくする。

 これでガイコツさんの攻撃できるクリーチャーを、少しの間だけだけど封じ込めることができた。

 

 

 

ターン6

 

 

場:《ラジューヌ》《アクロアイト》

盾:0

マナ:6

手札:2

墓地:6

山札:24

 

 

キルビリー

場:《ホネンビー》×2《ロマノフⅡ世》《キルビリー》《クロスファイア》

盾:1

マナ:8

手札:3

墓地:4

山札:19

 

 

 

 だけど、ガイコツさんの場には、ブロッカーが二体もいる。一体はタップしてるけど、日向さんの並べたクリーチャーじゃ突破できないし、パワーも勝てない。

 封じ込めることができるのは、次のターンまで。その間にガイコツさんのシールドを割って、とどめを刺したいだろうけど、攻撃できるクリーチャーが足りないし、日向さんがそうしたように、トリガーも怖い。

 日向さん、どうやってこの状況を切り抜けるんだろう。

 

「マナチャージ……《アクロアイト》の能力でコストを1軽減……《奇跡の玉 クルスタ》を召喚」

「今更そんな雑魚を出しても無意味だぜ!」

「無意味かどうかは、その眼で確かめればいい……」

 

 日向さんはそう言って、残りの5マナをタップした。

 

「《ラジューヌ》の能力でコスト1軽減……《クルスタ》を進化」

 

 そして、今さっき出した《クルスタ》の上に、さらなるクリーチャーを重ねる。

 ガチャリ、と《クルスタ》の中でなにかが動く音が聞こえた。そのまま球状の身体を分解するように、あらゆる方向に伸ばしていく。首が伸び、胴が伸び、脚が伸び、尻尾が伸び、それらが光に包まれ、サファイアの宝玉と翼、そして輝く星を授ける。

 そう、進化したのだ。

 

 

 

「――《聖霊龍王 ミラクルスター》」

 

 

 

 一度、見たことがある。

 わたしが初めてデュエマをしたとき。わたしの初めての相手をしてくれた日向さんが出した、彼女の切り札。

 それは、馬――それも翼の生えた天馬――のようなクリーチャー。神々しいほどの純白の毛並に、光り輝く大剣、胸で煌めく星の紋章など、とにかくキラキラしていて綺麗だ。

 その高潔さは簡単に触れてはいけないようなものな気がして、ちょっとだけ、日向さんと似ていた。

 

「《ミラクルスター》の能力発動……《ホネンビー》と《ロマノフⅡ世》をフリーズ……」

「っ、ブロッカーが……! それに、アタッカーが増えやがった……!」

 

 わたしも一度経験しているから、《ミラクルスター》の能力は知ってる。

 場にでたときに、相手クリーチャーを二体タップして、その二体を次の相手ターンのはじめにアンタップさせない能力。《聖歌の聖堂ゾディアック》を、少し小型化したみたいな能力だ。

 でもこれで、S・トリガーで出た《聖歌の聖堂ゾディアック》と合わせて、ガイコツさんのクリーチャーを全部封じ込めることができた。それに、ブロッカーもタップさせたから、攻撃が通る。

 

「攻撃もブロックも、ぜんぶ止めた……だけど……」

 

 このまま攻撃すれば勝てる。わたしはそう思うけれど、S・トリガーが怖い。

 日向さんも同じことを考えているのか、すぐには攻撃しなかった。ジッと、ガイコツさんの場全体を見つめている。

 わたしも同じように考えてみる。ガイコツさんのバトルゾーンのクリーチャーは全部、次のターンにはアンタップできないから、1ターンは確実に攻撃を受けないはず。それなら、もうちょっとクリーチャーを出して、S・トリガーが来ても攻撃できるクリーチャーが残るようにしてから攻撃するとか、先にバトルゾーンのクリーチャーを破壊してから攻撃するとか、そういうこともできそう。

 そんな風に考えていると、ぽつりと、日向さんは声を漏らした。

 骸骨さんには、ちゃんと聞こえるような声で。

 

「……《クロスファイア》か、《5000GT》あたりを、握ってる……?」

「!」

「……図星」

 

 一瞬、わたしにはどういうことか、分からなかった。

 

「G・ゼロは無理だけど、《クロスファイア》は手出しできるし……墓地にクリーチャーが三体だから、《5000GT》はコスト9、次のターンに出せる……」

「読まれてたか……!」

 

 歯噛みするガイコツさん。《5000GT》? っていうカードは分からないけど、《クロスファイア》は、さっき出してたクリーチャーだよね。今もバトルゾーンでタップしてる。

 えっと、もし日向さんの言うように、ガイコツさんが手札に《クロスファイア》を持ってるなら、次のターンに出して、スピードアタッカーで攻撃すれば、ブロッカーもシールドもない日向さんにとどめが刺せる、ってことなのかな。

 そっか。相手の手札にあるカードも考えると、むしろ対戦を長引かせるのは、不利になっちゃうんだ……

 

「いつもの私なら、制圧を考えてた……でも、このデッキだし……制圧するよりも、殴る方が、勝てるかな……それに、そのデッキのトリガーなら、今のクリーチャーでも問題なさそう……」

 

 わたしは下手な考えで悠長なことを考えてたけど、日向さんはそれも一つの可能性として、どの選択肢が最善なのかを考えてたんだ。

 先にクリーチャーを破壊する、トリガーに備えてクリーチャーをもっと並べる。そういった長引かせるプレイングと、今すぐに決着をつける、S・トリガーで逆転されないか考える。これらのプレイングを天秤に掛けて、どちらが良いかを測っていた。

 やっぱり、日向さんはわたしよりもずっとデュエマが上手いんだ。

 

「私のアタッカーは三体……シールドは残り一枚……アタッカーを二体、うち一体はパワー12000のTブレイカー……これを潰すことのできるトリガーがあるかどうか……試してみる……?」

「ぐ……!」

「……《アクロアイト》で最後のシールドをブレイク」

 

 この場合の最善手として、攻撃することを選んだ日向さんは、《アクロアイト》から攻撃する。

 この攻撃でガイコツさんのシールドはゼロになった。トリガー次第では逆転されちゃうけど、そもそも出なければ……と思ったけど、ガイコツさんは最後のシールドからトリガーを出した。

 だけど、

 

「畜生ッ……S・トリガー発動! 《インフェルノ・サイン》! 墓地の《壊滅の悪魔龍 カナシミドミノ》を復活! こいつの効果で、相手クリーチャーのパワーはすべて-1000! さらにクリーチャーが破壊されるたびに、追加で-1000! 《アクロアイト》と《ラジューヌ》を破壊! 二体破壊されたから、-2000追加だ!」

「……《ミラクルスター》のパワーは12000……-3000程度じゃ、話にならない……」

「クソッ……!」

 

 墓地からクリーチャーが出されたけど、そのクリーチャーでは、《ミラクルスター》は破壊できなかったみたい。

 日向さんの場には、進化してすぐに攻撃可能な《ミラクルスター》が残ってるから。

 

 

 

「《聖霊龍王 ミラクルスター》で、ダイレクトアタック――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 対戦が終わった。

 ガイコツさんの姿は消えて、先生が倒れてる。大丈夫かな?

 いや、それよりも、大事なのは、

 

「……終わった」

「日向さんっ」

 

 わたしは起き上がって、日向さんに駆け寄る。

 まだちょっと身体は重いけど、もう動けるくらいには回復した。

 

「……どうしたの」

「どうしたのって、その、えぇっと……」

 

 慌てて駆け寄ったはいいけど、言葉が続かなかった。

 日向さんは涼しい顔――というより、いつもの無表情のまま、こちらを見つめている。あんな非現実的な現実を目の当たりにしても動じないあたり、すごいと思う。

 それよりも、どこから説明すればいいんだろう。

 わたしが必死で考えていると、先生の呻き声が聞こえてきて、体が震えた。

 

「そ、そうだ、早くここから離れないと……鳥さんっ、この服どうにかしてっ」

「もう大丈夫なのかい? クリーチャーの攻撃をまともに食らったんだ。その状態の君ならダメージは小さく抑えられたと思うけど、まだ――」

「いいから!」

「わ、分かったよ……はい」

 

 すると、わたしの格好はいつもの制服に戻っていた。これで外に出られる。

 

「ひ、日向さん、とりあえず外に……!」

「ん……」

 

 わたしたちは急いで資料室を出る。この時間、廊下に人はいないけど、流石にここで話をするのはまずい。誰に聞かれるか分からない。

 適当に人気のなさそうな教室に目を付けて、わたしたちはそこに飛び込んだ。

 

「こ、ここなら、大丈夫かな……日向さんは、大丈夫?」

「別に……なんとも、ない」

「そっか、よかった……」

 

 それよりも、だ。

 とりあえず人のいないところに移動したけど、ここからどうしようか。

 いや、どうするかなんて決まっている。あの姿を見られて、鳥さんの存在も知られて、なによりもクリーチャーと戦わせてしまった。

 すべてを、打ち明けるしかない。

 

「えっとね、日向さん。驚かないで聞いて欲しいんだけど……」

「……うん」

 

 わたしは、鳥さんの補足も合わせて、日向さんに全部を説明した。

 鳥さんのこと。鳥さんの力を取り戻すために、この世界のクリーチャーを倒していること。そして、そもそもクリーチャーは実在していること。

 全部、そのまま話した。

 すると日向さんは、

 

「……ふぅん」

「な、なんか、反応薄いね……」

「似たような経験、してるし……とりあえず、理解した」

 

 感情の起伏が乏しい子だと思ってたけど、こんな荒唐無稽な話をしても、まったく表情を変えないなんて、実はこの子はアンドロイドかなにかなんじゃないかな。

 実際に対戦している時も、妙に落ち着いてたし、とても不思議な子だ。

 

「あ、あと、このことは、みんなには黙っててほしいんだけど……」

「みんな……?」

「友だちとか、剣埼先輩とか……」

「つきにぃにも……? まあ、いいけど……」

「ありがとう、日向さん」

 

 不思議ではあるけど、こっちの事情を察して(?)受け入れてくれるあたり、やっぱりいい子なんだ。

 とにもかくにも、わたしとしては、このことは剣埼先輩だけには絶対に知られたくないから、日向さんには口止めをしておかないと。

 わたしが若干の恐怖と戦っていると、ふいに、日向さんがジッとこちらを見つめている。な、なんだろう。

 そして、ぽつりと言った。

 

「……恋でいい」

「え?」

「恋でいい……名前」

「名前? 呼び方、ってこと……?」

「うん……」

「……名前で呼んでほしい、ってこと?」

「……ん」

 

 日向さんは答えなかった。いや、とても控えめで、判断しづらいけど、短い言葉で頷いたような気がした。でも、なんだろう。雰囲気からなんとなく伝わってくる。

 信用されているというか、距離が近づいたような感じ。でも、彼女はそれを自分から言わない。

 照れてる、のかな。そう考えると、ちょっと可愛いかも。普通の女の子って感じで。

 彼女がそれを求めているなら、わたしも、応えないとだよね。

 

「日向さんにも、そういうとこあるんだね」

「どういう意味……あと、恋でいい……」

「あ、ごめん」

「それより……」

「? なに?」

「名前……なんだっけ……?」

「えぇ!?」

 

 わたしの名前、覚えてなかったの……?

 それは、ちょっとショックだよ……

 

「……小鈴。伊勢小鈴だよ」

「伊勢……? ……ん、覚えた……」

「それじゃあ、これからもよろしくね……恋ちゃん」

「ん、よろしく……こすず」

 

 手を差し伸べようか、一瞬迷った。

 友だちって、こうだと決めた瞬間にできることの方が少ないから、いざこういう場面に立ち会うと、戸惑っちゃうよね。

 わたしが迷っていると、恋ちゃんから先に、アクションを起こした。アクションというか、口を開いた。

 

「ひとつ、聞きたい……なんで、あの時、私をかばったの……?」

「え? なんでって言われると……なんでだろう? 気づいたら身体が動いてたから……」

「そこだけ、気になる……私をかばう理由なんて、ない、はずなのに……」

「って言われても、うーん」

 

 咄嗟のことでよく覚えてないけど、無関係な恋ちゃんを守ろうとした、んだと思う。

 わたしの良心に関わることだから、理由とか言われると答えるのが難しいんだけど、そうだなぁ。あえて言うなら――

 

「――恋ちゃんには、デュエマの面白さを教えてもらったから……かな?」

 

 わたしの初めてのデュエマの相手。それは、恋ちゃんだった。

 ぶっきらぼうで、無表情で、冷淡だけど、恋ちゃんはわたしにデュエマの楽しさを教えてくれたんだ。

 だから、わたしにとっても、大切で、特別な人みたいなものだ。

 そう思ったからかな。恋ちゃんのことを、守らなきゃって思ったのは。

 

「……教えたのは、つきにぃ……」

「ルールを教えてくれたのは剣埼先輩だけど、でもあの時、対戦してくれたのは恋ちゃんでしょ?」

 

 それが、嬉しかったし、楽しかった。

 新しい世界が見えたような気がした。デュエマを始めたのもそうだし、恋ちゃんと関わるようになったのもそう。

 そして、剣埼先輩とも――

 だから恋ちゃんには感謝してる。理由をつけられるなら、これくらいかな。

 わたしがそう言うと、恋ちゃんは黙ってしまった。俯いてるし、また照れてるのかな?

 

「……まあ、いい……」

 

 今度はそっぽを向いてぶつぶつと呟いている。よく聞こえないけど、納得してくれた、のかな?

 この後、恋ちゃんは部室に戻った。わたしは……気まずかったから、そのまま帰ってしまった。

 今日は大変な一日だったけど、恋ちゃんと仲良くなって、いいこともあった。

 ……そう。

 

 新しいお友達が、できました。




 今回は恋のお話で、初めて小鈴以外が主体となってデュエマする回でした。
 本作のみで彼女のキャラクターのすべてを語り尽くすことは容易ではないですが、この作品で、彼女の独特でありながらも普遍的な価値観を味わっていただけたらと思います。


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6話「はじめてのカードショップだよ」

 カードショップの特典って、スタンプ制よりもポイント量による割引制の方が多い印象。まあ、どうでもいいことですが。
 今回はタイトル通り、カードショップのお話です。初心者くささが抜け切っていない小鈴たちをどうぞご覧下さい。


「《エヴォル・メラッチ》を召喚! 山札の上から四枚を見て……《エヴォル・ドギラゴン》を手札に加えるよ!」

「来ましたね、小鈴さんのKapitaen(切り札)! でも、今日のユーちゃんにはMassnahmen(とっておき)があるんです! ユーちゃんのターン! 《解体人形ジェニー》を召喚!」

「え……なに、そのカード? 見たことない……」

「このクリーチャーはバトルゾーンに出たとき、相手の手札を見て、その中から一枚を捨てさせるのです!」

「え……それって」

「ではでは手札を見ちゃいますよ! 捨てるのはとーぜん! 《エヴォル・ドギラゴン》です!」

「そ、そんな、せっかく手札に加えたのに……」

「《ボンバク・タイガ》と《キラー・アイ》でシールドブレイク!」

「え、えーっと、じゃあ私は、《トップギア》と《エヴォル・メラッチ》を召喚! 山札を見て……《マッハギア》を手札に」

「《ジェニー》を進化! 《ロックダウン》です! 《トップギア》を破壊です!」

「あ、まずい……」

「《ロックダウン》でWブレイク! 《ボンバク・タイガ》でもブレイクです!」

「……S・トリガーは、ないよ」

「だったら《キラー・アイ》でとどめです!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「やりました! 今日はユーちゃんの勝利です!」

「うーん、負けちゃった……」

 

 こんにちは、伊勢小鈴です。

 わたしは今、烏ヶ森学園中等部にある空き教室でユーちゃん――本名、ユーリア・ルナチャスキーさんとデュエマをしていました。

 ユーちゃんとは、クリーチャー騒ぎの一件以来、仲良くなった。というより、ユーちゃん自身がすごく人懐っこいから、不登校だったけどすぐにクラスに馴染んだし、外国人なんてことを意識させることもなくてとっつきやすかった。

 その中でもわたしは、他の人よりもちょっとだけ縁があって、こうして時々、一緒にデュエマをやってる。

 空き教室でやってるのは……その、わたしのワガママというか。クラスのみんなに見られるのがちょっと恥ずかしかったから、人のいないところにしてもらってたり。

 

「それにしてもユーちゃん、今日は今までに見たことのないカードがあったけど、あんなカード入ってたの?」

「Ja! あれはですねー、昨日、デッキをVerbesserungしたんです!」

「? ……?」

「あ、えーっと、日本語だと……カイゾー、でしたっけ?」

「カイゾー?」

 

 カイゾー、かいぞー……改造?

 

「って、どういうこと?」

「自分の持ってるカードと、デッキの中身を入れ替えるんです! ひょっとして小鈴さん、フェア……えっと、カイゾーしたことないですか?」

「う、うん。デュエマ始めたのも最近だし、カードって言ったら、剣崎先輩からもらったこのデッキだけしかない……」

「だったら小鈴さんもデッキをカイゾーしましょう! とっても楽しいですよ!」

「そ、そうなんだ……」

 

 ハキハキとした声で身を乗り出すユーちゃん。とても元気だ。

 クリーチャーに憑りつかれて、萎縮してた頃とは大違いだよ。わたしも慣れるまで、ちょっと時間がかかったもん。

 

「でも、改造ってどうやるの?」

「カードをデッキのカードと入れ替えるだけですよ」

「でもわたし、このデッキしかなくて……」

「なら、カードを買えばいいんです!」

「カードって、どこで買うの……?」

「え……」

 

 ユーちゃんがポカンと、呆けたように口を開けている。

 わたし、なにかまずいこと言っちゃったかな?

 

「……小鈴さん」

「な、なに? ユーちゃん……」

 

 バッ、と。ユーちゃんがわたしの両肩を掴む。

 そして、ガバッと顔を上げて、言い放った。

 

 

 

「明日、ユーちゃんとカードショップにいきましょう!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ナントカにいくとユーちゃんに誘われた翌日、土曜日。

 ユーちゃんに案内されたのは、カードショップ『Wonder Land』というお店。

 カードショップというからには、カードを売っているお店みたいだけど、入ってみると、わたしの想像とは違っていた。

 ファンシーな内装。軽快でポップなBGMに、不思議の国のアリスを思わせる小物の数々。看板とか、壁や床も、ファンシーに飾られている。

 

「なんかイメージと違う……雑貨屋さんみたい……」

「そうですよね! 女の子向けのお店なんですって! ユーちゃんこのお店、とっても素敵(シェーン)で、好きなんです! よく来てます!」

「そ、そうなんだ……」

 

 自分でやっててこんなこというのもなんだけど、デュエマって男の子がやってるイメージがあったから、女の子向けって言う響は、なんだか不思議で、魅力的に聞こえた。

 そういうお店があるってことは、女の子でュエマをやってる人も増えてたりするのかな?

 実はクラスの子も、他にも誰かやってたりして。

 

「でも、本当にお客さんも、わたしたちと同い年くらいの女の子が多いね」

「店員さんも、女の人が多いんですよ。だから女の子に人気なんです!」

「確かにこれなら、わたしでも入りやすいかも……」

「ですよねですよねっ! 学校からも近いですし!」

「う、うん。雰囲気もいいし、いいお店だね」

「そう言ってもらえると、嬉しいがね」

「はひゃっ!?」

 

 突然、後ろから声をかけられて、思わず変な声が出てしまった。

 振り返ると、そこには男の人が立っていた。

 

「あ、テンチョーさん! Guten Tag(こんにちは)!」

「いらっしゃい、ユーちゃん。隣の子は、友達?」

「Ja! ユーちゃんのお友達です!」

「そうか。俺はまあ、言われた通り、この店の店長だ。よろしく」

「あ、はい。伊勢、小鈴です。よろしくおねがいします……」

「そう畏まらなくていい。長い付き合いになるのだろうからな」

「は、はぁ……」

 

 なんだか、不思議な人だ。

 一見するだけじゃ年齢がよくわからない。若いように見えるけど、そうじゃないようにも見える。

 口調も、淡々としているようで、気さくな感じもするし。

 距離感が上手く掴めない人、だった。

 

「今日はなにか探し物? それともフリー?」

Nein(いいえ)! 違いますっ。今日は小鈴さんのデッキをカイゾーしにきたんですっ!」

「君の? それとも、この子の?」

「小鈴さんのです! でも、ユーちゃんもカード欲しいです」

「なら代金を支払ってカードを買うしかないな」

「あ、あの。それなんですけど……その、わたし、カードとか買ったことなくて、改造しようにも、このデッキしかないので……」

 

 わたしがそう言うと、店長さんは納得したように頷いた。

 

「成程、初心者(ルーキー)か。なら俺よりも適役者がいるな。(よみ)詠の奴を呼んで来よう」

「ヨミさん、今日いるんですか!?」

「あぁ。受験生だというのに熱心なことにな。今、呼んでくる」

 

 そう言って店長さんは、辺りを見回すと、一人の女の子を見つけて手招きする。

 それに気づいた女の子は、店長さんに駆け寄った。

 

「店長? どうしました?」

「詠、ユーちゃんが友人を連れてきた。レクチャーを頼む」

「え? ユーちゃんが? 珍しいですね。とりあえずわかりました」

「あそこだ。頼んだぞ」

「了解です」

 

 店長さんに呼ばれて、女の子がパタパタとこっちにやってくる。

 女の子と言っても、わたしたちよりもずっと年上に見える。高校生くらい、かな? 『Wonder Land』と書かれたエプロンをかけているから、店員さんっぽい。

 

「ユーちゃん。いらっしゃい、こんにちは」

「グーテンターク、ヨミさん! この前はデッキのアドバイスしてくれて助かりました! Danke!」

「いいよー、あれくらい。そんなに大したことは言ってないし」

「でも、ヨミさんのアドバイスのおかげで、この前はお友達に勝てました! あ、この人が、そのお友達です!」

「わっ、ゆ、ユーちゃん……!」

「ユーちゃんのお友達? いらっしゃい。ここでバイトしてる長良川詠(ながらがわよみ)っていいます。苗字だと長いし呼びづらいだろうから、詠って呼んで」

「あ、えっと、わたしは、伊勢小鈴、です……」

「小鈴ちゃんだね。よろしくね」

 

 店員さん……詠さんは、にっこりとほほ笑んでくれる。

 さっきの店長さんと比べて、にこやかで気さくで、優しそうな人だった。

 

「今日のお客さんはユーちゃんというより、あなたみたいだね。それで、どんなご用事かな?」

「小鈴さんのデッキをカイゾーしたいんです!」

「改造? どんな風に?」 

「えーっと……その、わたし、まだカードとかぜんぜん持ってなくて……」

「あー、そういうことか。うん、わかったよ。じゃあ、まずはカードを買わなきゃだね」

「あの、デッキの改造って、どうすれば……」

「具体的に言うのはちょっと難しいかな。一口に改造って言っても、色々あるし……デッキはあるんだよね?」

「あ、はい。これです」

 

 わたしは、剣埼先輩からもらって、ずっと使ってるデッキを詠さんに渡した。

 詠さんは手慣れた手つきでわたしのデッキにサッと目を通す。

 

「構築済みまんまだね……まあ、この段階なら、パックで手に入れたカードをちょっとずつ入れ替えればいいと思うよ。自分が気に入ったカードとか、強そうだと思ったカードとかを、使いにくいと思ったカードと入れ替える。ちょっとずつね」

「それでいいんですか?」

「デッキのコンセプトを決めて改造するっていうのもあるけど、それは改造っていうより、デッキ構築になるかな。他にカード持ってないなら、あんまり大々的に改造はできないし、カード資産を増やしていくっていう点も含めて、ちょっとずつだね」

「な、なるほど……」

「まあ、兎にも角にもカード買わないことには始まらないし、こっち来て」

 

 詠さんに導かれて、レジの前までやってくる。

 

「まだわからないと思うけど、希望のパックとかある?」

「はいはい! ユーちゃん、前に買ったやつをもう一回買います! 今度は5パンです!」

「ユーちゃん、日本語は覚えきれてないのに、そういう言葉は覚えちゃうよね……はい、810円ね。カードは持って来てる?」

「持ってます! どうぞ!」

「スタンプ一個ね。あと二個で商品券だね。がんばって」

「はいです! 小鈴さんはどうしますか?」

「あ、えーっと……」

「この中から選んでね」

 

 詠さんに見せられたボードには、色んなパック? の絵が並んでる。

 この中から選べってことみたいだけど、いきなり言われても、よくわからない……なにを選べばいいんだろう?

 

「パックは一つにカード五枚入り、税抜150円だよ。ちなみに、さっきユーちゃんが買ったのはこれね」

「じゃあ……その隣の、これを……」

「いくつ?」

「えっと、じゃあ、わたしも、五つで……」

「はい。810円だよ。無料でカード作れるけど、作る?」

「作ると、なにかあるんですか?」

「500円の買い物するごとにスタンプを一個押してあげるよ。たくさん集めると色んな特典がつく。無料だし、作って損はないよ」

「なら、おねがいします……」

「わかった。ちょっと待っててね……どうぞ。名前は書いといた方がいいよ」

「はい、ありがとうございます」

 

 というわけで、わたしは生まれて初めて、パック、というものを買った。

 この中にカードが入ってるんだ……なにが入ってるんだろう。わたしが見たこともないようなカードなんだろうな……

 

「ここで開けていいんですか?」

「いいよ」

 

 詠さんの許可ももらって、わたしはパックを開ける。

 ん……ちょっと、開けづらい……えい。

 

「わわっ」

「大丈夫?」

「ちょっと、力、入れ過ぎちゃいました……カード、無事かな?」

「パック開ける時は気をつけてね。変に剥くとカードが傷ついちゃうから」

「は、はい……あ、このカード……」

「なにかいいの当たった?」

「はい。なんか、キラキラしてます」

「このカードは……あー、うん。まあ、ベリーレアだね」

「ベリー?」

「レアリティって言って、カードの当たりやすさとか、価値の基準かな。まあ、どっちかっていうといい方だよ」

「そうですか……」

「そのカード、使いたい?」

「はい……でも、どうすればいいんでしょう?」

「そうだなぁ。そのカードはデザイナーズコンボが既に作られてるから……とりあえず、他のパックも開けてみようか」

「は、はいっ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 パックの開封を終わらせると、詠さんが軽く店の中を案内してくれた。

 ちなみにユーちゃんは、知らない間にどこかに行っちゃった。お店の中にいるはずだが、ちょっと探せばすぐに見つかるはずだけど。

 詠さんはショーケースの前で止まった。ショーケースには、大事そうにカードがたくさん並んでいる。

 

「こういうカードショップだとね、シングルっていう、カード一枚だけでも売ってるんだよ」

「す、すごい、みんなキラキラしてます……でも、すっごく高いです……」

「パックはランダムだし、たくさん買っても目当てのカードが当たらないことは多いからね。どうしても欲しいカードがあるなら、一枚ピンで買うのも賢い買い物だよ」

「なるほど……」

「で、こっちはストレージ。コモンとかアンコモンとか……言っちゃうと、あんまり使われないカードがたくさん入ってるよ。こっちも欲しいカードがある時は探してみるといいよ。大体、一枚何円で値段がつけられてるから、お得だしね。たまに掘り出し物もあるし」

 

 ちょっと大きめの入れ物の中に、たくさんのカードが雑多に入っていた。その下には、『ストレージ 1枚20円』と手書きの紙が貼られている。

 詠さんはストレージの中のカードに目を通して、何枚かカードを抜き取った。

 その後、ショーケースに戻って、一枚のカードを指さす。

 

「とりあえず、枚数確保するならこれだけど、本当に買う?」

「か、買います……」

「正直に言っちゃうと、このカード、別にそんなに強いわけじゃないよ? ガンガンマンモスっていう、実はもっと簡単なコンボがあるし」

「でも、せっかく二枚も当てたカードなので、使ってみたいです……!」

「そっか。だったらもう止めないよ。合わせて220円ね」

「あ、さっきちょっと見つけたんですけど……これと、あと、このパックを二つ、一緒におねがいしていいですか?」

「いいよ。だったら合わせて554円だね。カードにスタンプ押しとくよ。まいどあり」

「ありがとうございます……それで、その……」

「わかってる。改造、だよね。最後まで付き合ってあげるよ」

「! あ、ありがとうございます!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「で、できました……!」

「なんか、追加で課金させちゃったみたいでごめんね。コンボデッキみたいな動きをするから、どうしても潤滑油にドロソ、あとは有用なトリガーがあった方がいいかと思って……」

「いえ、ぜんぜん構いませんよ。むしろ、色んなカードが手に入って、楽しいです!」

 

 デッキを改造する中、わたしは後からいくつかカードを買い足した。

 一つのデッキを改造するだけでも、お金がかかるけど、でも、色んなカードが見れて、それを自分が使えると思うと、嬉しくもあった。だから、後悔はしてない。

 

「元の形はあんまり崩してないけど、さっきのコンボが肝になるから、それを狙ってプレイするといいよ。例の二体を並べて、場に維持することを心がけて」

「はい! アドバイス、ありがとうございます!」

「いやいや、これくらいお安い御用だよ」

 

 詠さんの協力もあって、わたしのデッキの改造は完了した。

 ……でも、これからどうすればいいんだろう?

 

「デッキが完成したら、普通は調整って言って、本当にこれで完成なのか。このカードはこの枚数でちょうどいいのか、このカードは本当に役に立つのか、もっとこんなカードを入れた方が動きやすいんじゃないか、っていうのをテストするものなんだよ」

「そ、そうなんですか? じゃあ、誰かとデュエマしないと――」

「小鈴さんっ!」

「わっ、ユーちゃん……どこに行ってたの?」

「ユーちゃんもデッキをカイゾーしたんですよ! さっそく、デュエマしましょう!」

 

 なんか、またユーちゃんが元気になってる……いや、いつものことなんだけど。

 でも、今はちょうどいいタイミングだよ。

 

「いいよ。わたしも、デッキの改造、できたんだ」

「小鈴さんもですか。それは、とっても楽しみです!」

 

 というわけで。

 わたしとユーちゃん、お互いに改造したデッキで、デュエマが始まった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 わたしとユーちゃんの対戦。

 まだお互いにシールドは五枚。わたしの場には《一撃奪取 トップギア》。ユーちゃんの場にも、それに合わせるように《一撃奪取 ブラッドレイン》が出ている。

 

「わたしのターンだね。《トップギア》でコストを減らして、3マナで《ジェット・ポルカ》を召喚!」

 

 いつもなら《マッハギア》に進化して攻撃するところだけど、今回は違う。

 詠さんのアドバイスをもらって作ったこのデッキで、このクリーチャーには大きな役目がある。次のターンには決めに行くよ。

 

「《ジェット・ポルカ》です……? もしかして……ユーちゃんのターンです」

 

 ユーちゃんは訝しむような目を向けると、カードを引く。

 そして、パァと表情が明るくなった。

 

Gute(やった)! 《ブラッドレイン》でコストを減らして、3マナで《解体人形ジェニー》を召喚(フォーラドゥング)です! 見せてください!」

「そのカードは……」

 

 手札を見て、好きなカードを捨てさせるクリーチャーだ。

 わたしは渋々、ユーちゃんに手札を見せる。

 

「やっぱりありました、《ゴウ・ブレイクドラゴン》! そのカードを墓地(フリートホーフ)墓地へ!」

「うぅ、次のターン出そうと思ってたのに……」

「これでユーちゃんはEnde(ターン終了)です!」

 

 

 

ターン3

 

 

小鈴

場:《トップギア》《ジェット・ポルカ》

盾:5

マナ:3

手札:1

墓地:1

山札:28

 

 

ユー

場:《ブラッドレイン》《ジェニー》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:27

 

 

 

 

 手札から捨てられたのは、《ゴウ・ブレイクドラゴン》。

 攻撃する時に自分のクリーチャーをタップすれば、アンタップできるクリーチャー。このクリーチャーと、進化クリーチャーが攻撃したらアンタップする《ジェット・ポルカ》を組み合わせれば、ずっと攻撃し続けられるコンボになるんだけど、防がれちゃった……

 というかユーちゃん、このコンボ知ってるみたいだっけど、有名なのかな?

 

「とりあえず《エヴォル・メラッチ》を召喚するよ」

 

 これで《ゴウ・ブレイクドラゴン》が引けたらいいんだけど……

 

「……あ、やった。《ゴウ・ブレイクドラゴン》! 進化クリーチャーだから手札に加えて、ターン終了だよ」

 

 ラッキーだよ。これなら次のターンこそ《ゴウ・ブレイクドラゴン》を出して、無限攻撃のコンボができる。

 そう思っていたけど、

 

「そうはさせないですよ、小鈴さん! もう一回《解体人形ジェニー》です!」

「えぇ!?」

「その手札も捨ててもらいますよ!」

 

 わたしが二枚目の《ゴウ・ブレイクドラゴン》を引いたように、ユーちゃんも二枚目も《ジェニー》を引いていたみたい。

 わたしの手札から、前のターンに手に入れた《ゴウ・ブレイクドラゴン》が、一回目と同じように手札から墓地に落とされる。

 

 

 

ターン4

 

 

小鈴

場:《トップギア》《ジェット・ポルカ》《エヴォル・メラッチ》

盾:5

マナ:4

手札:0

墓地:2

山札:26

 

 

ユー

場:《ジェニー》×2《ブラッドレイン》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:0

山札:26

 

 

 

「二回目も防がれるなんて……なにもできないよ。マナチャージだけして、ターン終了……」

「ユーちゃんのターンです! こっちも出しますよ、ユーちゃんの新しいカードです! 4マナで《暗黒鎧 キラード・アイ》を召喚です!」

 

 ユーちゃんは、また見たことのないクリーチャーを出す。

 なんだろう。《キラー・アイ》に名前と絵が似てるけど……

 

「《キラード・アイ》がバトルゾーンに出た時、山札の上から四枚を墓地へ! さらに、1マナタップ! 墓地の《死神術士デスマーチ》を墓地進化(フリートホーフ・エヴォルツィオン)墓地進化!」

「え、な、墓地から召喚……!? っていうか、進化クリーチャーなの……!?」

「そうですよ! 進化元は墓地の《凶殺皇 デス・ハンズ》です!」

 

 墓地からクリーチャーが出て来ることも驚きだけど、それが進化クリーチャーっていうのも驚きだ。

 というか、進化元が墓地のクリーチャーって、どういうこと?

 わたしが混乱していると、詠さんが声をかけてくれた。

 

「墓地進化っていうのはね、その名の通り、墓地のクリーチャーを進化元にして召喚する、特殊な進化方法なの」

「で、でも、だからって墓地から出せるんですか?」

「Nein! 違います、小鈴さん。そっちは《キラード・アイ》の能力です! 《キラード・アイ》の能力で、私は闇の進化クリーチャーを墓地から召喚できるんです!」

 

 墓地から進化クリーチャーを召喚するって、それ、すごい強い能力なんじゃ……?

 つまりユーちゃんは、手札に進化クリーチャーがなくても、墓地から召喚できるわけで、たとえ破壊しても、その進化クリーチャーは墓地から戻ってくる、ってことだよね?

 しかも、今ユーちゃんの場にいる進化クリーチャーは、進化元を墓地から調達できる《デスマーチ》。いくら破壊しても、たった1マナ払うだけですぐに復活しちゃう。

 とにかく《キラード・アイ》をどうにかしなきゃ。

 

 

 

ターン5

 

 

小鈴

場:《トップギア》《ジェット・ポルカ》《エヴォル・メラッチ》

盾:5

マナ:5

手札:0

墓地:2

山札:25

 

 

ユー

場:《ジェニー》×2《ブラッドレイン》《キラード・アイ》《デスマーチ》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:2

山札:21

 

 

 

「わたしのターン……《勇愛の天秤》を唱えるよ。手札を一枚捨てて、二枚引けるけど……手札がないときは、そのまま二枚でいいんですよね?」

「うん、いいよ。手札を捨てることをコストに使う呪文じゃないからね」

「じゃあ、二枚ドロー……ターン終了だよ」

 

 《キラード・アイ》は倒せないけど、いいカードが引けた。これならまだ勝てる。

 

「ユーちゃんのターン! 《ボーンおどり・チャージャー》です! 山札を二枚、墓地へ! チャージャー呪文は唱えたあと、マナに置きます。さらに《ブラッドレイン》でコストを下げて、3マナで《解体人形ジェニー》です!」

「またぁ!?」

「《ゴウ・ブレイクドラゴン》は出させません! 捨てちゃいます!」

 

 《勇愛の天秤》で引いた《ゴウ・ブレイクドラゴン》が、また墓地に落とされる。これで三枚目……ユーちゃん、すごく鋭いよ。

 ことごとくわたしのコンボが邪魔されて、できることが全然ない。

 

 

 

ターン6

 

 

小鈴

場:《トップギア》《ジェット・ポルカ》《エヴォル・メラッチ》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:4

山札:22

 

 

ユー

場:《ジェニー》×3《ブラッドレイン》《キラード・アイ》《デスマーチ》

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:4

山札:18

 

 

 

 

「わたしのターン。《エヴォル・メラッチ》を進化だよ! 《ゴウ・グラップラードラゴン》!」

「そっちですか……!」

「《ゴウ・グラップラードラゴン》はタップされていないクリーチャーを攻撃できる! 《キラード・アイ》を攻撃!」

「《デスマーチ》でブロックです!」

 

 あ、ブロッカーも持ってたんだ、そのクリーチャー……墓地から出て来ることと、墓地進化で、すっかり見落としてた。

 《ゴウ・グラップラードラゴン》で倒そうと思ったけど、次のターンには墓地から戻って来るし、攻撃して倒すのは無理かな。

 そう思っていると、また詠さんが声をかけてきた。

 

「小鈴ちゃん。《キラード・アイ》を気にするのはいいけど、《キラード・アイ》は墓地を手札みたいに使って進化クリーチャーを出すんだよ。だから、ちゃんとユーちゃんの墓地も見た方がいいよ」

「え? それってどういう……」

「ユーちゃんのターン! 決めちゃいますよ、小鈴さん!」

 

 詠さんの言葉を遮って、ユーちゃんが勢いよくカードを引く。 

 

「《ブラッドレイン》でコストを下げて、《キラード・アイ》で墓地から召喚します! 5マナで《解体人形ジェニー》を進化(エヴォルツィオン)!」

 

 そして、

 

 

 

「行きますよー! 《悪魔龍王 キラー・ザ・キル》!」

 

 

 

 墓地から、ユーちゃんの切り札――《悪魔龍王 キラー・ザ・キル》が召喚された。

 このクリーチャーも、墓地にいたんだ……全然、気づかなかった。というか、ユーちゃんの墓地、ちゃんと見てなかったよ。

 《キラード・アイ》は登場時に墓地を増やすし、ユーちゃんは《ボーンおどり・チャージャー》も使ってた。墓地から進化クリーチャーを召喚できるっていうことは、墓地を増やすことが、手札を増やすのと同じみたいになるんだ。

 

「《キラー・ザ・キル》がバトルゾーンに出たので、《ゴウ・グラップラードラゴン》は破壊です! さらに《キラード・アイ》の能力で、墓地の《デスマーチ》二体も墓地進化! 《デス・ハンズ》と《ブラッドレイン》から進化です!」

「二体も……!?」

「いきますよー! 《キラー・ザ・キル》でTブレイクです!」

 

 これは、とってもまずい。

 ユーちゃんの場には、《キラー・ザ・キル》《キラード・アイ》《ブラッドレイン》が一体ずつ、《ジェニー》《デスマーチ》が二体ずつ。

 クリーチャーがこれだけたくさんいるのに加えて、《キラー・ザ・キル》がTブレイカーだから、一体や二体クリーチャーを破壊したくらいじゃ、ダイレクトアタックを防げない。

 えーっと、このデッキに入れたカードで、この状況をなんとかできるカードって、なにかあったかなぁ……?

 

「《キラード・アイ》でブレイクです! 《ブラッドレイン》でもブレイク!」

 

 ……あった。

 運がよかっただけって気もするけど、まあ、結果オーライってことで。 

 

「S・トリガー! 《破壊者 シュトルム》!」

「ふわっ!? そ、そのカードは……?」

「《シュトルム》の能力で、パワー合計が6000以下になるように、相手クリーチャーを破壊するよ! 《ブラッドレイン》も、《ジェニー》も、《デスマーチ》もパワーは1000! 五体まとめて破壊!」

 

 《キラー・ザ・キル》は最初に攻撃するとして、《キラード・アイ》は他のクリーチャーと同じようにシールドを一枚しかブレイクできないから、こっちを残されてたら負けちゃってた。ユーちゃんの選択に助けられた感じかな。

 

「止められちゃいました……《キラード・アイ》は最後に攻撃したほうがよかったです……Ende」

 

 

 

 

ターン7

 

 

小鈴

場:《トップギア》《ジェット・ポルカ》《シュトルム》

盾:0

マナ:6

手札:4

墓地:6

山札:21

 

 

ユー

場:《キラー・ザ・キル》《キラード・アイ》

盾:5

マナ:7

手札:0

墓地:8

山札:17

 

 

 

「わたしのターン。ここで《ゴウ・ブレイクドラゴン》を引けたらいいんだけど……」

 

 残念、引けない。

 ……なら、もう一回チャンスだ。

 

「2マナで《勇愛の天秤》を唱えるよ。手札の《トップギア》を捨てて、二枚ドロー」

 

 またしても、引けない。

 でも今度は代わりに、それとは別の切り札が来たけど……

 

「う、うーん……行ける、かな……?」

 

 少し頭の中で計算する。S・トリガーが出てクリーチャーが破壊されたとしても……ギリギリかな?

 まあでも、あと一回攻撃されたら負けだし、《キラード・アイ》とか、《デスマーチ》とか、別の進化クリーチャーとか出て来るだけ終わっちゃうからここは攻めるよ。

 

「5マナで《トップギア》を進化――」

 

 《ゴウ・ブレイクドラゴン》は出せないけど。

 わたしの切り札は変わらない。

 いつだって、先輩からもらった、このクリーチャーだよ。

 

 

 

「――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

「こ、ここで《ドギラゴン》ですか……でも、《ドギラゴン》はTブレイカーです! それだと、まだとどめまでは……」

「ううん。たぶん、行けるよ。《ジェット・ポルカ》でシールドをブレイク!」

「うにゅ? えっと、トリガーはありませんよ?」

「じゃあ《ドギラゴン》で《キラー・ザ・キル》を攻撃! この時、《ジェット・ポルカ》の能力発動だよ!」

「あ……」

 

 《ジェット・ポルカ》の能力は、最初にも言ったように、進化クリーチャーが攻撃する時にアンタップすること。

 《ゴウ・ブレイクドラゴン》と組み合わせれば無限に攻撃ができるけど、それをメインにわたしはデッキを作ったけど、《ジェット・ポルカ》は《ゴウ・ブレイクドラゴン》以外の攻撃にも反応する。

 勿論、《ドギラゴン》にだって。

 

「わたしの進化クリーチャー、《ドギラゴン》が攻撃したから、《ジェット・ポルカ》をアンタップするね。攻撃を続行するよ。《ドギラゴン》と《キラー・ザ・キル》でバトル! そっちのパワーは12000、こっちのパワーは14000だから、《ドギラゴン》の勝ち! そして、バトルに勝った《ドギラゴン》はアンタップ! 次は《ジェット・ポルカ》で攻撃! シールドをブレイク!」

「あ、そ、そういう……うぅ、トリガーはないです……」

「《ドギラゴン》で《キラード・アイ》を攻撃! その時、《ジェット・ポルカ》の能力で自身をアンタップして、《ドギラゴン》と《キラード・アイ》でバトル! バトルに勝ったから《ドギラゴン》をアンタップ!」

「へぇー、考えたね、小鈴ちゃん。《ゴウ・ブレイクドラゴン》みたいに無限アタッカーになれるわけじゃないけど、《エヴォル・ドギラゴン》は相手クリーチャーの数だけ攻撃できるようなものだから、その数だけ《ジェット・ポルカ》で攻撃できる。シナジーはしてるね」

 

 《ゴウ・ブレイクドラゴン》みたいに無限攻撃、ってわけにはいかないけど、《ジェット・ポルカ》でシールドをブレイクしながら、《ドギラゴン》でユーちゃんのクリーチャーを攻撃していけば、似たようなことができる。

 《ジェット・ポルカ》でちょっとずつシールドをブレイクしたから、ユーちゃんのシールドはこれで三枚。わたしの場には、まだ攻撃できる《エヴォル・ドギラゴン》《ジェット・ポルカ》《トップギア》が残ってる。

 

「ここで決めるよ! 《ドギラゴン》でTブレイク!」

「トリガーは……《デス・ハンズ》、一枚だけです……召喚して、能力で《ジェット・ポルカ》を破壊しますけど……」

 

 S・トリガー一枚なら、大丈夫。

 まだわたしには、クリーチャーが残ってるから。

 

 

 

「《シュトルム》でダイレクトアタック!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「あぅー、負けちゃいました……まさか、《ドギラゴン》で《ジェット・ポルカ》とコンボするなんて……」

「ぐ、偶然だよ。たまたま、手札に《ドギラゴン》が来たから思いついただけで……」

「でも、咄嗟の判断としてはよかったんじゃないかな。ユーちゃんも、今引きの可能性があったんだから、ハンデスに甘えないで《ジェット・ポルカ》を処理しておかなくちゃ」

「は、はい……」

 

 確かに、《ゴウ・ブレイクドラゴン》は何度も手札から捨てさせられたけど、《ジェット・ポルカ》は破壊されなかった。それが、今回はいい方に働いたんだと思う。

 

「うー、小鈴さん! もう一回! もう一回、デュエマしましょう!」

「うん。いいよ。次こそは、コンボを決めて勝つからね」

「じゃあ私も、もう少し見ていようかな」

 

 こうしてわたしたちは、長い時間、『Wonder Land』でデュエマをしていたのだった。

 デッキの改造、新しいカード、まったく違う環境……わたしにとってはどれも新鮮で、すごく、楽しかった。

 鳥さんとの約束があって、デュエマは、クリーチャーは怖いものでもあるけれど、少なくとも今日は違う。

 この一日のデュエマというものは、とても楽しいものだった――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 数日後のある日。わたしが、一人で『Wonder Land』を訪れた時のこと。

 

「あの、詠さん」

「小鈴ちゃん。いらっしゃい、今日は一人なんだ。どうしたの?」

「さっき、パックを買って強そうなカードを当てたんですけど……」

「どれどれ? ……あー、これね。小鈴ちゃん、確かに弱くはないけど、絶妙というか微妙というか、強いとも弱いとも言い難いスペックのカードばかり引き当てるね」

「え……つ、使いにくいんですか、これ?」

「まあ、癖はあるかな。同系統のカードと比べると、使いやすい方ではあるけど……それで、これを使いたいの?」

「はい。でも、どうすればいいのかわからなくて……」

「そうだなぁ。これをコンセプトにするなら、《ゴウ・ブレイクドラゴン》みたいに、今の小鈴ちゃんのデッキにそのまま入れればいいってものでもないからね。もちろん、流用できるカードはあるけど、別にもっと色んなパーツを集めないと」

「た、大変そうですね……」

「こうなると、デッキ改造じゃなくてデッキ構築になるからね。デッキを作るのは一日にしてならず、だよ。コツコツカードを集めて頑張ろう。なにが必要かは、一緒に考えてあげるから」

「あ、ありがとうございます、詠さん!」

「いえいえー。それじゃあ早速だけど、こっちの能力発動を前提とするなら、相性のいいカードが1シーズン前の構築済みデッキに収録されててね――」




 復帰勢って、現環境におけるカード資産がないといろいろ困りません? ガチ環境に足を踏み入れるにも、ファンデッキに甘んじるにも。カードにお金がかかるということがよくわかります。
 それを思うとなんだかんだ、構築済みを買って、無理しない範囲でパック買って、それで当てたカードをちょいちょい入れ替えるのが、一番楽しくて健全な遊び方って気がします。


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7話「誘拐事件だよ ~前編~」

 感想受付設定というものがあることを知らずにいたのですが、最近その存在を知って、非ログインの方でも感想を書き込めるようにしました。
 まえがきで書くことがこんな報告なのもどうかと思いますが、一応この場でご報告させていただきます。
 さて、今回は物騒なタイトルで始まる7話の前編です。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 今日は土曜日です。学校はお休みです。でも、お父さんはお仕事の都合で、今日は家にいません。だけど安心してください。わたしのお父さんはブラック企業勤めというわけではなく、本当にちょっとした偶然と不測の事態が重なってお仕事が入ってしまっただけで、決して会社に無理やりお仕事を入れられたわけではないんです。

 って、お父さんは必死になってわたしたちに言い聞かせてたけど、その必死さが逆に怪しいよね……わたしは詳しくは知らないけど、毎日遅くに帰って来るとかってわけでもないし、お父さんの言ってることは本当なんだろうけど。

 それはともかく。今はいないお父さんのことは関係ないので、置いておきます。

 伊勢家では、お父さんを除いた家族三人でお昼ご飯です。お姉ちゃんも今日は学校の講習や生徒会のお仕事がなくて、お母さんも打ち合わせとかお仕事がないから、三人で食べるのは久しぶりかもしれない。お父さんのことは忘れよう。

 ……こう考えると、うちの家族ってみんな、なにかしらのお仕事してるなぁ……わたしだけ遊んでて、なんだか申し訳ない気持ちです……

 夏も近づく今日この頃。お母さんのリクエストで作った冷やし中華をすすりながら、ふとテレビに目を向ける。アナウンサーのお姉さんが、ハキハキと今話題の事件について、話していた。

 

『――山田摩耶さん(10)が、昨日から家に帰っていないと、警察に届け出がありました。山田さんは友人の家に遊びに出かけ、「6時には帰ってくる」と母親に話していたとのことです。自宅と友人宅との区間で聞き込みをしたところ、昨日の夕方ごろ、山田さんと思われる小学生くらいの少女が歩いているところを見たという目撃情報があり、警察機関は三日前にも発生した『少女連続誘拐事件』との関係を調べるとの――』

 

「まーたこの事件ね……小学生を狙った誘拐犯なんて絵に描いたようなロリコンが、まさか実在しているとは……」

「でも、これでもう五人目って、かなり大きな事件になったねぇ。警察が無能なのか、ロリコン誘拐犯が有能なのか」

 

 お姉ちゃんとお母さんが、ニュースに対して口々にコメントする。

 『少女連続誘拐事件』。世間ではそう呼ばれている事件が、わたしの住んでいる町で起こっている。最初の事件は、一週間くらい前かな。小学校六年生の女の子が行方不明になって、目撃情報から誘拐じゃないかという可能性が示唆された。その後、ほとんど間を開けずに、連日小学生の女の子が行方不明になっている。

 四人目までで行方不明になった人は、すべて小学生の女の子。時間は大体が夕暮れ時。この短期間で連続して事件が発生していることと、この町に限定されていること、それから被害者の共通点から、ほとんど誘拐だということで、警察の捜査は進められているらしい。

 誘拐、それも立て続けに発生する誘拐事件なんてお話の中みたいな出来事がこんなに身近にあると、なんだか変な気分になる。怖い、という気持ちもあるけど、それだけじゃない。

 ……それもこれも、鳥さんのせいで変なことばっかりに首を突っ込んでるせいだよ。純粋に事件を怖いと思う感覚も薄くなってきちゃった。

 事実は小説よりも奇なり、というか。現実にもおかしなことはいっぱいあるものです。

 などと、どこか他人事のように思っていると、お姉ちゃんが言った。

 

「小鈴、あんたも気をつけなさいよ」

「え? どうして? わたしもう中学生だよ?」

「そういう問題じゃないから。相手はこっちの年齢なんて知る由もないし、あんたのちっこい背丈と子供っぽい童顔じゃ、狙われてもおかしくないって話」

「う……でも、お姉ちゃんだってわたしとそんなに変わらないじゃない……身長とか」

「五十鈴はけっこーなツリ目だから、誘拐犯の方がビビって逃げ出しちゃうかもね」

「母さん? それはどういう意味?」

「そういう意味だよ。顔が怖いよ、五十鈴」

 

 お母さんの軽口に、キッと睨みつけるお姉ちゃん。確かに、その顔は顔は怖い。

 

「まあでも、小鈴は案外、さっくり五十鈴を抜かしちゃうかもねぇ。この子は赤ん坊の時からかなり早熟だったし。背も胸もすぐに大きくなった」

「その話はやめてよお母さん……」

「まあ、いくらロリコンがいても、あんたのその胸を見れば小学生とは思われないかもしれないわね」

「だからやめてってば! もう!」

 

 お母さんが振って、お姉ちゃんも乗っかって、私はもう我慢できなかった。お父さんがいないからなんだろうけど、私の身体について話をされるのは恥ずかしい。私は勢いよく席を立つ。

 

「ごちそうさま! わたし、出かけてくるからっ」

「この前、友達と行ったっていう例のお店?」

「そうだよ」

「じゃあ気をつけて帰ってきなさい。ロリコン犯罪者に捕まったら、なにされるかわからないからね」

「まぁ、事件のことがなくても、あんまり遅くならないようにね」

「うん、わかったよ」

 

 私は一旦部屋に戻って、外出用の服に着替えてから、前もって準備していた鞄を手に取った。

 そこからもう一度リビングを通って、玄関に向かう。

 

「それじゃあ、行ってきます!」

 

 人は当事者意識というものを持たない。それは、普段なら当事者になることがないから。

 わたしもその例に漏れず、この時は露ほども思っていなかった。

 他人事だった誘拐事件の真相に、触れることになるなんて――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 今日はユーちゃんに教えてもらったカードショップ、『Wonder Land』へと行く予定だ。

 予定と言っても、なにか特別な用事があるわけではない。ただ、あのお店の雰囲気が気に入って、暇さえあれば足を運ぶようにしている。

 ファンシーな店先を見つけると、ガラス戸を押して店に入る。カランコロンという来店を知らせるベルが鳴り、視界に見覚えのある女の人が映った。

 

「詠さん! こんにちは!」

「あ、小鈴ちゃん。いらっしゃい」

 

 長良川詠さん。このお店でバイトをしているお姉さん。今は高校三年生らしく、私よりも五つも年上だ。

 それでも年上に対する恐怖とか萎縮とかは感じない。いつも親身に接してくれていて優しいし、フランクで気兼ねしない雰囲気がある。私がこのお店を気に入ったのも、詠さんの存在があるからだと思う。

 

「ごめんね。まだ例のカードは入荷してないんだ」

「あ、そうなんですか……」

「ごめんね。でも、こっちは手に入ったよ」

「え?」

「はい。これね」

 

 そう言って詠さんが手渡してくれたのは、箱のようなものだった。厚紙の上にプラスチックのカバーがかけられていて、中にはカードの束が入っている。

 

「これが、例のデッキですか?」

「うん。店長が特別に手に入れて、値段も当時の価格のままでいいって」

「あ、ありがとうございます!」

「どうする? すぐに買っちゃう?」

「はい! お願いします」

「わかったよ。じゃあ、540円ね。まいどあり。このままちょっとデッキ弄って、新しいカードにも慣れておこうか。私も手伝うよ」

「いいんですか?」

「いいよー。小鈴ちゃんはお得意様だし、店長も気に入ったみたいだし、今日はなんでかお客さんが少ないから、私も暇だし。それに」

「それに?」

「小鈴ちゃんの相手をしてると、自分がデュエマを覚えたての頃とか思い出して、なんだか楽しくてね。やれ環境だ、やれメタゲームだっていうしがらみを気にせず、純粋にデュエマを楽しめる今っていうのは、やっぱり大事だと思うんだ」

「はぁ……」

 

 環境とか、メタとか、言ってることはよくわからなかったけど。

 

 

「あの子はすぐに環境とかそっちの方に寄っちゃったからねぇ。別に悪いってわけじゃないけど」

「あの子?」

「私の妹。小鈴ちゃんよりもちょっと早くにデュエマを始めたくらいで、あの子もまだまだビギナーだけど……案外、早くにガチ環境に首突っ込み始めちゃったんだよね」

「詠さんって、妹さんがいたんですか?」

「うん、四つ下のがね。今は中二だから、小鈴ちゃんのいっこ上かな? いつか紹介してあげるよ。きっと気が合うと思うんだ」

「は、はい……」

 

 詠さんの妹さんかぁ。どんな人なんだろう。

 そんなことを考えながら、わたしはお店の中を、しばらく巡っていた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「すっかり遅くなっちゃった……早く帰らないと……」

 

 ワンダーランドを出る頃には、時刻は六時を回っていた。

 夏至は越えてるからまだ外は明るいけど、それでも暗がりが差してきている。早く帰らないと、お母さんやお姉ちゃんが心配しちゃう。

 急いで早足になって駆けていると、日没とは違う、なにかの影がわたしに近づいてきた。

 

「小鈴!」

「あ、鳥さん。なんか久しぶりだね」

 

 そして、声をかけられる。声をかけてきたのは、鳥さんだった。

 

「どうしたの? わたし、ちょっと急いでるんだけど……」

「クリーチャーだよ。微かだけど、この近くにクリーチャーの気配を感じるよ」

「え? クリーチャー? こんな時に……」

 

 なんとなく予想していたけど、やっぱりそのことなんだ。

 どうしよう。クリーチャーは放っておけないけど、わたしはわたしで、早く帰らないとダメだし……

 

「どこにいるの?」

「わからない。気配もかなり微弱だし、どこにいるのか見当もつかないよ」

「……鳥さんて、本当に計画性がないよね」

 

 呆れて溜息が出そうだった。

 

「でも、どこにいるかもわからないんじゃ、探しようがないよ」

「わからないと言っても、この近辺にいるはずなんだけど」

 

 キョロキョロと首を回す鳥さん。

 鳥さんと話しているところを見られても困るし、早く帰りたい。幸い、人通りは少ない道だから、誰かに見られることはなさそうだけど。

 と、思っていたら、

 

「お嬢さん、ちょっといいかな?」

「ふぇっ?」

 

 振り返ると、女の人が立っていた。髪や腕にいろんななアクセサリーをつけた綺麗な人だ。

 

(鳥さん! 早く隠れて!)

(え、なんで?)

(なんでじゃないよ! 鳥さんと話してるところを見られたら、わたしが鳥とお話する変な女の子だと思われちゃうよ!)

(いや、でも……)

(でもじゃないよ! ちょっと辛抱だから出てこないで! 喋っちゃダメだよ!)

 

 鳥さんを両手で包む込むようにして、ちょっと強引に抑えつける。もぞもぞと動いて、羽毛がくすぐったいけど、喋る鳥さんを人に見られるわけにはいかない。

 

「どうかなさいましたか?」

「あ、いえ、な、なんでもありません……大丈夫です」

「そうですか」

「えっと、その、なにかご用ですか……?」

「あぁ、そうでした。ちょっと道をお尋ねしたいのですが、よろしいですか?」

「あ、はい。どこへ向かわれているんですか?」

「駅の方です。どちらへ向かえばいいでしょうか?」

「駅ですか? 駅ならあっちーー」

 

 と、わたしが片手を離して、指差した瞬間。

 両手の拘束が緩んで、手の中から鳥さんが飛び出した。

 

「小鈴!」

「鳥さん!? 喋っちゃダメだって! っていうか出て来ちゃダメだよ! 人がいるのに!」

「違う! 後ろ――」

 

バチッ!

 

「え……?」

 

 弾けるような音が鳴った。

 その瞬間に、わたしの視界が暗転する。

 

「小鈴! 小鈴――!」

 

 最後に鳥さんの声が聞こえた。

 それっきり、わたしの意識は消えてしまった――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ん……」

「あ、目が覚めました!」

 

 ぼんやりと、自分の感覚に気付いていく。わたし、眠っちゃってたのかな。

 視界は霞んでいて、よく見えない。でも、誰かの声が聞こえる。なんだか、とても聞き覚えのある声――

 

「小鈴さん! 大丈夫ですか?」

「え、あれ……ユーちゃん……?」

 

 目を擦って見開くと、そこには見慣れた女の子。

 日本人ではありえないほど真っ白なな肌。色素の薄い艶やかな髪。目鼻がスッと通った整った顔立ち。

 ユーリア・ルナチャスキーさん――ユーちゃんだ。

 

「ビックリしましたよ。小鈴さんがいきなり運ばれてきたんですから」

「ここは……?」

「わからないです」

 

 周りを見渡す。わたしたちの他にも、子供――女の子ばかりだ。みんな、わたしたちよりも年下に見える――が何人もいた。

 内装はコンクリートが打ちっぱなしの壁。床は、一応カーペットが敷かれているけど、コンクリートの上にそのままだ。急ごしらえで敷いたように見える。

 部屋は十人近くの人がいるけど、スペースは有り余っている。広い部屋だ。

 けれど、場所はいくら見ても、見たことがない場所だった。

 

「待って、これどういうことなの? わたし、確か鳥さんと出会って、お姉さんに道を聞かれて……」

「ユーちゃんも同じです。お散歩中にキレイなおねーさんに話しかけられて、お話してたら、気づいたらここにいたです」

 

 お姉さんと出会ってから、ここに来るまでの記憶がない。思い出そうと努力してみるけど、いまいち思い出せない。

 ちょっと考え方を変えてみよう。お姉さんと出会ってからの記憶がなくて、わたしはここに寝ていた。その間、わたしは気を失っていたわけで。

 ということは、

 

「これって、もしかして今ニュースでやってる……」

「ユーカイ、ってやつですね!」

 

 ユーちゃんは、自分の知ってる日本語をズバリと言い当てて、なんだか満足げだ。楽しそうにしているけれど、これが例の誘拐事件だったとしたら、ただ事じゃないよ。

 もう一度、部屋を見回す。

 やはりここにいるのは、女の子、それも、小学生くらいの子ばかりだ。

 よく見てみると、今朝のニュースで報道されていた女の子もいる。ぼんやりとだけど、写真の映像が流れてたから、覚えている。

 頭を抱えたくなった。まさか、自分がこんな事件に巻き込まれるだなんて……!

 

「ど、どうしよう……ユーちゃんはいつからここに……?」

「小鈴さんよりも、ちょっと前です」

「今まではどうしてたの?」

「どうにもできないです。あ、でも、トイレやお水はあったので、なんとかやってます」

 

 言われて、三度部屋を見回す。部屋の隅には小さな扉があって、その隣には小さなシンク。さらに隣には、タオルと小さな食器棚。棚にはコップばかりが入っている。子供用の。

 

「あと、小鈴さんが来る前に、ここにいた子から聞いたんですけど、食事は決まった時間に、毎日三食、出るみたいです。台のないベッドもあります」

「それはお布団だよ……水道が通ってて、食事も出るし寝床もあるんだ……」

 

 人が生活するうえで、最低限のものは揃っているみたい。なんだか、それはそれで不気味だった。

 

「な、なにか変なことされなかったのかな……?」

「ユーちゃんがお話した限りだと、ずっとここにいるみたいです」

「じゃあ物を取られてるとか……えぇっと、携帯は当然のように取り上げられちゃってるね。でもカバン自体はそのままだし……うーん、なにが目的なんだろう……」

 

 自分の荷物を改めて確認する。取り上げられているのは携帯だけだった。

 これだけの子供を誘拐して、どうしようっていうんだろう。携帯は外と連絡が取れないようにするためとして、お財布は残ってるからお金目当てじゃない。

 もっとも、子供のお財布の中身に入っている額なんてたかが知れてるから、お金目当てで子供を誘拐なんてしないだろうけど。もしも本当にお金目当てなら、身代金を請求するとか、そういうことをするだろうし……でも、ニュースにはそういう情報はなかったはず。それに、こんなにたくさんの子供をさらう必要もない。

 となると他に残ってる可能性は――

 

「…………」

「小鈴さん? だ、大丈夫ですか? お顔が真っ青です……!」

「う、うん。大丈夫……」

 

 ――全身に怖気が走る。

 その可能性は、できれば考えたくなかった。

 まだ小学生くらいの子供もいるのに、もしもそんな理由なら、それは、流石に……惨い。

 この嫌な気分を少しでも振り払いたくて、視線を彷徨わせる。ふと、わたしの後ろの扉が目についた。

 

「あの扉は?」

「開かないです。あのお部屋から、ユーカイハンの男の人が出入りしています。小鈴さんも、あそこから入って来たんですよ」

「まあ、そうだよね……

 

 いくらなんでも、そこで自由に出入りができるわけがない。

 鍵をかけ忘れた可能性とか、もしかしたら開くかも、なんて願望に縋ったわけじゃないけど、わたしは何気なしに扉が開くかどうか、試してみた。

 結果はダメだった。まず、ドアノブが回らない。力いっぱい回してみるけど、わたしの力じゃ金属の鍵はどうしようもできなかった。

 

「じゃあ窓……は、鉄格子がはまってるね……」

 

 それに窓自体、かなり高いところにある。お布団を重ねてよじ登ればギリギリ届くかもしれないけど、格子を外すことはできなさそう。

 

「完全に監禁されてるね……こ、これって、どうしたら――」

 

 いいんだろう。とは、続かなかった。

 なぜなら、

 

 

 

「――小鈴!」

 

 

 

 聞き慣れた声が、聞こえたから。

 

「!」

 

 声の方向を見遣る。高いところ。さっきまで見上げていた鉄格子のはまった窓。

 鉄格子の隙間から、なにかが這い出ようとしている。

 小さな鳥。一見するとごく普通の小鳥だけど、これはわたしの知ってる――

 

「――鳥さん!」

 

 鳥さんだ。

 まさか、わたしを追って、ここまで助けに来てくれたの?

 鳥さんは鉄格子の隙間に小さな体を捻じ込ませて、こっちに入って来る。

 

「大丈夫かい? クリーチャーの一撃で昏倒した君は、そのままどこかに運ばれてしまったんだけど、覚えてる?」

「う、うん、なんとなく……」

 

 本当はあんまり思い出せてないんだけど。

 でも、状況から、大体のことは推察できた。

 それに、鳥さんの言葉からも、新しい情報を得ることができた。

 

「あの女の人、クリーチャーだったんだね……」

 

 ということは今回の誘拐事件も、クリーチャーの仕業だったんだ。

 しょうもないことばっかりやってると思ってたけど、今までで一番、大掛かりで恐ろしいことをやってのけるクリーチャーだった。

 

「あ、あのー……小鈴さん?」

「え? なに、ユーちゃん?」

「そのVogel()は、なんですか……?」

 

 フォーゲル?

 驚いたように指差すユーちゃん。

 その指の先にいたのは――鳥さんだった。

 

「あ……」

 

 しまった。

 そうだ。鳥さんのことは、誰にも知られちゃいけなかったのに。

 周りを見れば、ユーちゃんだけじゃなくて当然、他の子も、この喋る奇妙な鳥さんを凝視している。純粋に驚いている子もいれば、その不可解さに怯えている子もいた。

 こんなの不可抗力だと言いたくなるけど、そんな苦言を呈したところで、もうどうにもならない。

 でも……ど、どうしよう……なんとか誤魔化せないかな……?

 

「えっとねユーちゃん、その、この鳥さんはね……」

「小鈴。今回の事件の首謀者もクリーチャーだ。それなら、君のすべきことは自ずと理解できるはずだよ」

「鳥さんは黙ってて!」

 

 今必死でユーちゃんたちに、このおかしな鳥さんのことを説明……もとい、誤魔化しているところなんだから。

 なんてわたしの弁明は、結局は無駄になってしまうのだけれど。

 わたしの必死の努力をすべて突き崩すように、鳥さんは続ける。

 

「いつまでもこんな辛気臭い場所にいるものじゃない。早速だが準備をするよ」

「え?」

 

 パッ、と。

 気付けばわたしを包むものの感覚が、変質していた。

 率直にに言えば、いつもの衣装になっていた。

 

「って、鳥さん!? ちょっと待ってよ!」

「クリーチャーと戦うなら、それ相応の準備が必要だからね」

「いや、でも、だからって……!」

Oh(おぉ)! 小鈴さん! とってもかわいいです! 素敵(シェーン)素敵です!」

 

 いきなり衣装を変えられて、すっごく恥ずかしい。というか、なんでみんなが見ているところで変えたの鳥さん!

 

 謎の喋る小鳥との意思疎通、瞬く間の衣装チェンジ、そして、アニメでしか見たことないようなフリフリ衣装……ユーちゃんはなぜか変に興奮してるし、女の子たちの視線は、疑惑と疑念混じりだけれど、なんだかキラキラしているように見えた。

 うぅ、こんな風に目立つのはイヤだし、こんなことが知られるのも困るんだけど……こうして見せちゃった以上は、もう隠し通せるはずもない。

 

「え、えーっと、み、みんな! 今日の出来事――主にわたしのこと――は、全部忘れてね! 誰にも言っちゃダメだよ!」

 

 どれくらい効果があるかはわからないけど、とりあえずそう言っておく。

 さて、これからわたしは例の誘拐犯が来るのを待つことになる。皆が見ている前で、いつ来るかわからない人を、待つ。

 それも目立つから嫌だなぁ、などと思っていたら、それを察して――じゃないだろうけど、鳥さんが言う。

 

「それじゃあ、件の誘拐犯をとっちめに行こう!」

「なんで鳥さんが乗り気なの……それに、この扉が開かないと、わたしたちは外にも出れないんだよ」

 

 鳥さんはまだ今の状況を理解していないから仕方ないけれど、今のわたしたちは監禁状態。鳥さんでもない限り、外には出られない。

 そのことを鳥さんに伝えると、

 

「その点は問題ないよ」

 

 と返した。

 そして、続けてわたしに指示する。

 

「小鈴、ドアノブを握って」

「? こう?」

「力いっぱい回して」

「さっきやったけど、ダメだったよ」

「いいから」

「うーん……わかったよ。こう?」

 

 言われるままに、わたしはドアノブを握って、さっきと同じように力いっぱい回す。すると、

 

 

 

ベキッ

 

 

 

「……え?」

「よし、これで先に進めるね」

 

 回った。ドアノブが、回転した。

 キィ、と小さく扉が開く。

 

「なになになに!? どういうこと!? これ、ドアノブ壊れてるー!?」

「何度も言ってるけど、君の格好は、君の理想の塊なんだよ。人は無意識に強さを求めるもの。このくらいの障害なら力ずくで破れるよ」

「本当に力ずくだったね……うぅ、わたし、そんなに怪力になりたいわけじゃないのに……」

 

 ちょっと老朽化してたっぽいとはいえ、素手で鍵のかかったドアノブを破壊するなんて、普通じゃない。

 この格好になるたびに、わたしは人として大事なものが欠けていっているような気分になる。

 

「小鈴さん……」

「ユーちゃん……えっと、ユーちゃんも、このことは内緒でお願いね」

 

 前にもユーちゃんとは、クリーチャー関係でトラブルがあったけど、ユーちゃんの反応を見る限り、わたしがクリーチャーを追い払ったことも、自分がクリーチャーに憑かれていたことも、覚えていない。

 できれば忘れたままでいてほしかったけど……そこは、とても申し訳ない気持ちになる。

 

「わたしなら大丈夫だよ。ちゃんと、戻ってくるから。それまで、この子たちと待ってて」

「……Ja! 小鈴さんなら、無事に戻ってくるって、ユーちゃん信じてます!」

 

 ユーちゃんに見送られて、わたしは部屋の外に出る。

 外は部屋の内装よりも酷い。取り繕う気が一切感じられない、コンクリート打ちっぱなしの廊下。ところどころヒビが入っていて、崩れかけている壁もある。

 

「外装も酷かったよ。どうやら、どこかの廃屋のようだね」

「廃屋なのに水道は通ってるんだ……変な場所。どこにあったの?」

「空から見る限りでは、住宅街からは離れていたよ」

「そっかぁ。どこだろう……わたしも、町の隅々まで知ってるわけじゃないし……」

 

 ただ、住宅街から遠いってことは、やっぱり誘拐犯は隠れて行動している。

 今までのクリーチャーにない計画性を感じるよ。本当に、なにが目的なんだろう。

 と、考えながら歩を進める。とりあえず出口を探そうと、適当に歩く。

 すると前方から、ふっと人影が差した。

 

「……これは驚いた。子供の力であの部屋から出られるとは」

 

 そこには、町で出会った、様々なアクセサリーで着飾った女の人がいた。

 だけど、口調があの時と少し違う。男の人っぽい言葉遣いだ。

 

「一体、如何なる力技術を使った? 確かにこの建物は老朽化している。後付の鍵の防犯性も怪しいところだが、それでも幼子の力で突破できるような造りではないはずなのだが。まさか力ずくで破壊したわけでもあるまいに」

「…………」

 

 ごめんなさい。力ずくで壊しちゃいました。

 そんなことは口に出さず、わたしは、女の人に問う。

 

「あなたが、今ニュースでやってる、誘拐事件の犯人……ですか?」

「否定はできないな。現に君や、他の少女たちをここに連れてきている」

「どうして、こんなことするんですか? なにが目的なんですか?」

「目的か。目的……そうだな」

 

 女の人は、考え込むよな仕草を見せる。

 そして、わたしの横の鳥さんに目を向けた。

 

「……なんとなく、君が連れている鳥から同種の香りがしたのだが、あれはやはりクリーチャーか。となると君は、私がクリーチャーであることを既に知っているのではないか?」

 

 コクリと頷く。

 それを見て、また続ける。

 

「私はこの世界に来て、最初に大きな感動を覚えたことがある。これは、その感動を形にするための準備だ」

「感動……?」

 

 予想外の言葉だ。感動って、なにに感動したんだろう?

 わたしが疑問符を浮かべていると、女の人は、さらに語る。

 わたしの予想なんてぶち抜く勢いで、45度きっかりの斜め上に飛んでいくような、言葉を。

 

「この世界の少女は――愛らしい」

「……え?」

 

 一瞬、彼女がなにを言っているのか分からなかった。

 だけど固まっているわたしに構わず、彼女は続ける。

 

「なんと表現すればいいのかわからないが、とにかく愛おしいのだ。美しい? 可愛らしい? 適切な表現が見つからない。しかし私は、人間の幼い子、それも、女性の幼体――いわゆる幼女というものに、大きな感動と、強い興奮を覚えたのだ」

「…………」

「ゆえに、まずはこの世界の生物について調べた。その結果、俗に“小学生”と呼ばれる人間の雌が、私の興奮を喚起する最も素晴らしい存在だと理解した」

 

 女の人は、滔々と語り続ける。

 

「とはいえ、完全に理解できたとは言い難い。まだまだ不可解な領域は山ほどある」

「だ、だから……? どうするつもりなの?」

「愚問だな。私は知識を司るもの。それが感覚的であろうとも、未知なるものは既知にせずにはいられない。彼女らは、そんな私の未知を既知にするためのサンプルである。そしてその意図も含みつつ、彼女のらは保護し、保存し、保管し、管理するに値する崇高な存在であるがゆえに、その高位な価値に基づく適切な処遇を与えるべきであると、私は判断した。無論、少々自分本位に過ぎると思うが、ほんの少しばかり私の愛玩の対象となってもらうことにもなろうが」

 

 意気揚々と、興奮気味に語る女の人。

 わたしはそれを呆然と聞くことしかできなかったけど、

 

(この人――)

 

 間違いない。

 わたしの知識にもある。こういう人のことを、なんて呼ぶのか。

 驚愕のあまり、わたしは声にならない叫びを、心の中で轟かせた。

 

 

 

(――すっごいロリコンさんだ!)

 

 

 

 わたし、そんな理由で誘拐されたの!?

 というか、クリーチャーにもそういう趣味があるの!?

 

「っていうか、わたしは小学生じゃないよ、中学生だよ……」

「む? しかし、私の調査では、体長が約1.5m以内に収まっていれば、小学生、という区分に属すると……」

「人によるよ、それは……」

 

 確かに、ちょっと前まで小学生でしたけども。

 確かに、身長は小学生と言っても通じるくらいだけども!

 

「……そうか、胸か。人間の女性体も乳房の大きさが成長と年齢に比例するのか。そこも考慮すべきだったか……」

「そういう話はもういいから!」

 

 今朝の話を蒸し返されたみたいで、恥ずかしくなるよ……

 

「と、とにかく! もうこんなことはやめてもらうよ! みんな、こわがってるんだから!」

「それは無理な相談だ。私は私の理想と目的を果たす。これほど素晴らしい存在を、無為なままで終わらせはしない。私の未知を未知のままで終わらせはしない。ついでに私の愛玩を手放したくもない」

 

 ロリコンさんの目つきが、鋭くなった。

 体も、ぐんにょりと変形して、一体の異形の姿になる。

 

「こいつは……《知識の精霊ロードリエス》だ!」

「ロード……リエス……?」

 

 なにか引っかかる名前だった。

 なんだか、身体の奥がぞわぞわするような響きがある。

 

「やるよ小鈴! このクリーチャーを止めないと!」

「う、うん!」

 

 変な目的だし、なんだかおかしなロリコンさんだけど、やってることは誘拐、立派な犯罪だ。

 それに、子供たちがこわがっているのも、確かな事実。どんな理想を聞かされたって、あの子たちの震える姿を正当化するような理由だと思うことはできない。

 このロリコンさんを倒して、みんなを解放する。

 わたしはデッキを手に取って、いつものように、戦いに出る――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 わたしとロリコンさんの対戦。

 と言っても、まだデュエマが始まったばかり。どっちの場にも、なにもない。

 

「《スカイソード》をチャージ。ターンエンドだ」

「わたしのターン。《めった切り・スクラッパー》をチャージして、終了だよ」 

「では私のターン……ふむ。いい引きだ」

 

 ロリコンさんはニヤリと口の端を釣り上げて笑う。嫌な予感がした。

 

「《ホルデガンス》をチャージ。2マナ発生、《セイント・キャッスル》を要塞化!」

 

 ロリコンさんのマナゾーンからマナが生み出されると、それは光となる。光はロリコンさんの手札のカードと結びついて一つの形を作り、それがシールドの上で形成される。

 シールドの上に出来上がったのは、大きな建物からなる西洋風の街並みだった。

 街というより、これは……

 

「お城……? なんなの、あのカード……シールドに張り付いてるけど……」

 

 シールドの上に、お城が建っている。しかもよく見ると、薄い壁みたいなものも張ってあって、とても奇妙だ。

 わたしが首を傾げていると、ロリコンさんが口を出す。

 

「城を知らないのか。城はシールド上に要塞化することで効力を発揮するカード。この城がある限り、私のクリーチャーは城の恩恵を受けることができる。ただし、要塞化シールドが破られれば、当然、城も落城するが」

 

 城って言うカードなんだ……なんにしても、早く壊した方がよさそう。

 

「私はターンエンド。君のターンだ」

「わたしのターン! 《メガ・ブレード・ドラゴン》をチャージして、2マナで《トップギア》を召喚だよ。ターン終了」

 

 

ターン2

 

ロリコン

場:なし

盾:5(《セイント・キャッスル》)

マナ:2

手札:3

墓地:0

山札:29

 

 

小鈴

場:《トップギア》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

 

「私のターンだ。《アクア・メルゲ》をチャージし、3マナ発生。《青銅の鎧》を召喚だ。能力で1マナ加速。ターンエンド」

「わたしのターンだよ」

 

 ロリコンさんは光、水、自然の三つの文明みたい。確か、トリーヴァカラー、だっけ。

 光の防御力に、水のドローと自然のマナ加速。こっちの攻撃を耐えて、そのうち大きなクリーチャーが出て来るはず。それよりも早く決めないと。

 

「よし、来たよ! 《ヘーゼル・バーン》をチャージ! 3マナで《トップギア》を《マッハギア》に進化! 《マッハギア》の能力で、コスト4以下の《青銅の鎧》を破壊するよ! そして《マッハギア》でシールドを攻撃!」

「ストップだ。ニンジャ・ストライク3発動、《土隠風の化身(カイト・トーテム)》を召喚」

 

 わたしが攻撃しようとすると、ロリコンさんは手札から一枚のカードを放った。

 それはクリーチャーだ。凧みたいな形をした、派手な装飾のクリーチャーだ。

 前に教えてもらった。確かこれは、ニンジャ・ストライク。相手が攻撃やブロックした時に、手札からタダでクリーチャーを出せる能力。

 ニンジャ・ストライクを持つクリーチャーは、ターンの終わりに山札に戻っちゃうけど、場に出た時になにかの能力が発動するって聞いたけど、なにをされるんだろう……

 

「《土隠風の化身》の能力発動! 場のクリーチャー一体のパワーを、このターンの間3000上昇させる! 対象は《土隠風の化身》だ」

「……? ターンの終わりに山札に戻るのに、自分をパワーアップ? なんで出したんだろう……とりあえず、《マッハギア》で攻撃だよ!」

「それを、待った、だ。《土隠風の化身》でブロック!」

 

 刹那。

 突貫する《マッハギア》の間に凧のクリーチャーが割り込んで、その攻撃が《土隠風の化身》に防がれる。

 

「え? なんで!? そのクリーチャーはブロッカーじゃないよね……?」

「《セイント・キャッスル》の効果だ。この城が要塞化されている限り、私のクリーチャーはすべてブロッカーになり、パワーが1000アップする」

「っ、そ、そんな……!」

「《土隠風の化身》のパワーは8000! さぁ、バトルだ!」

「うぅ、《マッハギア》はパワー6000……こっちの負けだね。ターン終了だよ」

 

 ロリコンさんが、パワーを上げる能力しかないクリーチャーを出したのは、《セイント・キャッスル》でブロッカーになってるからだったんだ。しかも、パワーを上げる能力も、《マッハギア》を倒すために、ちゃんと効力を発揮している。

 

 

 

ターン3

 

ロリコン

場:なし

盾:5(《セイント・キャッスル》)

マナ:4

手札:1

墓地:1

山札:28

 

 

小鈴

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:2

山札:27

 

 

 

「私のターン。《セイント・キャッスル》をチャージし、行くぞ。ここからが私の本領発揮だ」

 

 そう言って、ロリコンさんは興奮気味に次のクリーチャーを繰り出す。

 

「5マナ発生! 《知識の精霊ロードリエス》を召喚!」

 

 次に出て来たのは、ロリコンさん自身だった。

 

『私の能力で、ブロッカーが出るたびに一枚ドローだ。私自身もブロッカーなので、一枚ドロー。ターンエンド』

「わたしのターン」

 

 ロリコンさん――もとい、《ロードリエス》のパワーは4000。だけど、《セイント・キャッスル》があるとパワーが1000上がって5000になる。手札に《マッカラン》はあるけど、これじゃあ相打ちにもできない。

 たった1000しかパワーを上げないと言っても、微妙な差で相打ちにもできなくなるんだから、パワーって大事だね。

 

「とりあえずここは《めった切り・スクラッパー》をチャージ。《エヴォル・メラッチ》召喚! 山札の上から四枚を見て、《ゴウ・グラップラー・ドラゴン》を手札に加えるよ。ターン終了」

 

 

 

ターン4

 

ロリコン

場:《ロードリエス》

盾:5(《セイント・キャッスル》)

マナ:5

手札:1

墓地:1

山札:26

 

 

小鈴

場:《エヴォル・メラッチ》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:2

山札:25

 

 

 

『私のターンだな。《ホルモン》をチャージ。3マナ発生、《ダイキ》を召喚。能力でドローだ。さらに私の能力発動だ。《セイント・キャッスル》でブロッカーを得た《ダイキ》が場に出たので、もう一枚ドロー。続けて《青銅の鎧》を召喚。マナを増やし、私の能力でドローする』

「す、すごい……クリーチャーを出しても、手札が全然減らない……」

 

 場のクリーチャーを増やして、手札を増やして、マナも増やしている。

 どんどんどんどん、ロリコンさんのカードが増えていく。それだけで、わたしは圧倒された。

 

「わ、わたしのターン。《めった切り・スクラッパー》をチャージ! 5マナで《ゴウ・グラップラー・ドラゴン》を召喚!」

『ほぅ、進化クリーチャーか。少し面倒だな』

「《ゴウ・グラップラー・ドラゴン》で《ロードリエス》を攻撃だよ!」

『その攻撃は《青銅の鎧》でブロックだ』

「ターン終了!」

 

 《ゴウ・グラップラードラゴン》の攻撃はブロックされる。だけど、《ゴウ・グラップラードラゴン》のパワーは6000あるから、まだ破壊されないはず。

 ちまちました作業になるけど、タップされていないクリーチャーも攻撃できる《ゴウ・グラップラードラゴン》で、少しずつ場のクリーチャーを倒していくよ。

 

 

 

ターン5

 

ロリコン

場:《ロードリエス》《ダイキ》

盾:5(《セイント・キャッスル》)

マナ:7

手札:2

墓地:2

山札:21

 

 

小鈴

場:《ゴウ・グラップラー》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:2

山札:24

 

 

 

『ふむ……《ロードリエス》をチャージ。7マナ発生、《緑神龍バグナボーン》を召喚だ。当然、私の能力で1ドロー。ターン終了』

「な、なんか強そうなのが出て来たよ……わたしのターン」

 

 パワーは9000、《セイント・キャッスル》で強化されて10000かぁ。攻撃されたら、《ゴウ・グラップラードラゴン》がやられちゃうな。

 でも、わたしの手札には《マッカラン》があるし、《ダイキ》は倒せる。《ロードリエス》か《バグナボーン》のどっちかは破壊できるはず。

 だからここは攻撃しよう。

 

「《マッハギア》をチャージ! 3マナで《コッコ・ゲット》と《マッカラン》を召喚! 《マッカラン》のマナ武装3で、《ダイキ》とバトルするよ!」

『こちらはパワー2000だ』

「《マッカラン》は4000! こっちの勝ちだね! そして、《ゴウ・グラップラー・ドラゴン》で《バグナボーン》を攻撃!」

『通さんよ。ニンジャ・ストライク4、《斬隠(きりがくれ)テンサイ・ジャニット》召喚!』

 

 《ゴウ・グラップラードラゴン》で《バグナボーン》を攻撃。そのまま破壊するか、《ロードリエス》にブロックされて、どっちかを破壊しようと思ったけど、わたしが破壊したのはどっちでもなかった。

 ロリコンさんの手札から出て来た、猫みたいなクリーチャー。また、ニンジャ・ストライクだ。

 

『《ジャニット》の能力で、登場時、コスト3以下のクリーチャーを手札に戻せる。《コッコ・ゲット》よ、戻れ!』

「でもそれじゃあ、《ゴウ・グラップラー・ドラゴン》の攻撃は止められないよ!」

『忘れたのか? 《ジャニット》は《セイント・キャッスル》の能力でブロッカーだ』

「あ……」

『まずは私の能力でドロー。そして、《ジャニット》でブロック!』

 

 わたしが破壊したのは、《ジャニット》だった。

 ロリコンさんはニンジャ・ストライクで、わたしの攻撃に合わせて手札のクリーチャーを出して、ブロックできる。しかも《セイント・キャッスル》で自分のクリーチャーをブロッカーにしてるから、《ロードリエス》の能力でカードも引ける。つまり、手札が減らない。

 攻撃を防いでもすぐに次の弾が装填されて、わたしの攻撃は届くのか不安になってきた。

 

 

 

ターン6

 

ロリコン

場:《ロードリエス》《バグナボーン》

盾:5(《セイント・キャッスル》)

マナ:8

手札:2

墓地:4

山札:18

 

 

小鈴

場:《ゴウ・グラップラー》《マッカラン》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:2

山札:23

 

 

 

『私のターン。7マナ発生。《不滅の精霊パーフェクト・ギャラクシー》を召喚!』

 

 ロリコンさんは、また大きなクリーチャーを召喚する。

 今度は、光のクリーチャー……?

 そのクリーチャーが登場するや否や、ロリコンさんのシールド――《セイント・キャッスル》のあるシールドの横のシールドだ――が光った。

 

『シールド・フォース発動。《セイント・キャッスル》の左のシールドを選択しよう』

「シールド・フォース……?」

『知らないのか。シールド・フォースは、クリーチャーの登場時にシールドを指定する。指定したシールドが存在する限り、そのクリーチャーを強化する能力だ。《パーフェクト・ギャラクシー》の場合は、ブロッカーを得、また破壊される代わりに場にとどまる、という能力が付与される』

「破壊される代わりにとどまるって、それじゃあ、破壊できないってこと!?」

『そういうことだ。さぁ、次の攻撃だ。《バグナボーン》で《ゴウ・グラップラー・ドラゴン》を攻撃! その時、《バグナボーン》の能力で、パワー3000以下のクリーチャーをマナゾーンから呼び出す。出でよ、《無頼聖者スカイソード》!』

 

 わたしはロリコンさんのクリーチャーをブロッカーにする《セイント・キャッスル》だけでなく、破壊できなくなった《パーフェクト・ギャラクシー》のシールド・フォースで選んだシールドも割らなければいけなくなる。

 どうしよう。シールド割りたいけど、全部ブロッカーだし、手札からもブロッカーになった忍者が出て来るし、攻撃が通らない……しかも、ロリコンさんのクリーチャーはどんどん増えていく。

 

『《スカイソード》の登場時能力。マナとシールドと一枚ずつ追加し、私の能力で手札も増やすぞ』

 

 す、すごい……クリーチャーを並べながら、手札にマナに、シールドまで増えてる……!

 これ以上、ロリコンさんの防御が固くなったら、いよいよ攻められないよ……

 

『《バグナボーン》と《ゴウ・グラップラー・ドラゴン》でバトルだ! こちらはパワー10000!』

「こっちは6000……破壊されちゃうね」

『ターンエンドだ』

「わたしのターン……《コッコ・ゲット》を召喚して、ターン終了……」

 

 ここでわたしの手札もなくなってきた。もう攻めるためのカードもない。

 攻めたくても攻められないし、攻めても攻撃は防がれる。パワーでも勝てないし、クリーチャーはどんどん増やされる。

 どうやって勝てばいいの……?

 

 

 

ターン7

 

ロリコン

場:《ロードリエス》《バグナボーン》《パーフェクト・ギャラクシー》《スカイソード》

盾:6(《セイント・キャッスル》、SF)

マナ:9

手札:3

墓地:4

山札:13

 

 

小鈴

場:《マッカラン》《コッコ・ゲット》

盾:5

マナ:7

手札:0

墓地:4

山札:22

 

 

 

『私のターン。《ダイキ》を召喚。カードをドロー、私の能力でもドローだ……ほう』

 

 また、ロリコンさんがほほ笑んだ。

 ここにきてまだ、強いカードが出て来るの……?

 

『私は君たちの世界で言うところの幼児性愛者と呼ばれるもののようだが、それでも、私にも元々、奉ずるべき神聖なる主がいたのだ』

「あ、主……?」

『あぁ。その聖なる御姿を今、お見せしよう。6マナ発生。私を進化!』

 

 ロリコンさんは、ロリコンさん自身――《ロードリエス》を進化させた。

 そうして現れたのは――光り輝く、神々しい精霊の王様だった。

 

 

 

「出でよ。歴史に名を刻む、偉大なる天空の王よ――《聖霊王アルカディアス》!」

 

 

 

 青を基調とした、黄色のラインが入った機械的な体躯。だけど、後光が差すその姿は神々しくて、とても眩しい。正に、光の王様だ。

 ロリコンさん――《ロードリエス》は、手札に忍者を引き入れたり、クリーチャーを出すための手札を確保する役割があるはず。それを進化させたってことは、ロリコンさんは攻めに来る。

 

「チェックメイトだ。《アルカディアス》が場にいる限り、誰も光以外の呪文は唱えられない! 《バグナボーン》で攻撃する時、《ダイキ》をバトルゾーンへ! 一枚ドローし、Wブレイク!」

「う……!」

 

 やっぱり、攻撃してきた。

 わたしのシールドが初めて割られる。だけど、早速出たよ。

 

「S・トリガー、《めった切り・スクラッパー》――」

「おっと、二度は言わせないでくれたまえ。光以外の呪文は唱えられないぞ」

「そうだった……うぅ」

 

 いきなり出たのに、このS・トリガーは光の呪文じゃないから使えない。

 というか、わたしのデッキに光のカードは一枚も入ってないから、どんな呪文も封じられてしまう。

 

「続け! 《アルカディアス》で攻撃! Wブレイク!」

 

 さらに二枚。シールドが割られる。

 呪文は唱えられない。ほとんどの防御手段が、封じられた。

 だけど、

 

「! S・トリガーだよ!」

「またか。呪文は唱えられないと言ったはずだが……」

「呪文じゃないよ! クリーチャーだから召喚する!」

「クリーチャーだと? だが、火文明でこの状況を覆すトリガーなど――」

「S・トリガー!」

 

 ロリコンさんの言葉を遮って、わたしはそのクリーチャーを召喚する。

 

「出て来て! 《メガ・ブレード・ドラゴン》!」

 

 このピンチを切り抜けるカードは、このクリーチャー、《メガ・ブレード・ドラゴン》。

 詠さんが、どうしようもない時に助けてくれるって言って、わたしが考えてる戦略とも相性が悪くないから入れてみたけど、ここで来てくれるなんて。

 

「《メガ・ブレード・ドラゴン》がバトルゾーンに出たとき、相手のブロッカーを全部破壊するよ!」

「ブロッカーだと? ……っ!?」

「忘れたなんて言わせないよ。あなたのクリーチャーは全部、《セイント・キャッスル》でブロッカーになってる! だから、すべてのクリーチャーを破壊だよ!」

 

 次の瞬間、ロリコンさんの場のクリーチャーがすべて爆散する。

 一体残らず――いや、一体の例外を残して、クリーチャーは全部破壊した。

 

「ぐっ……だが、シールド・フォースは発動中だ! 《パーフェクト・ギャラクシー》は生き残るぞ!」

 

 《パーフェクト・ギャラクシー》だけはバトルゾーンに残る。シールド・フォースで選んだシールドは、まだあるからね。

 でも、窮地を脱することはできた。 詠さんの言った通り、本当にどうしようもないピンチを救ってくれた。《メガ・ブレード・ドラゴン》を勧めてくれた詠さんと、《メガ・ブレード・ドラゴン》には感謝しないとね。

 

「ここはシールドを割り切って、次でとどめを刺す。《パーフェクト・ギャラクシー》で残りのシールドをブレイク! ターン終了だ!」

「わたしのターン!」

 

 これでわたしにシールドはゼロ。場に《パーフェクト・ギャラクシー》を倒せるクリーチャーもいない。

 

「……よし」

 

 だけど、勝利の勝ち筋は、見えた。

 

「まずは4マナで《爆槍 ヘーゼル・バーン》を召喚! 次に、《コッコ・ゲット》のマナ武装3で、わたしのコマンド・ドラゴンの召喚コストは2少なくなってるから、4マナ! 《マッカラン》を進化!」

 

 さぁ、決めるよ。出て来て、わたしの切り札――

 

 

 

「――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 わたしのクリーチャーが炎に包まれ、その中で姿を変え、進化する。

 その姿に、わたしはホッと息をつく。そして、希望の力が湧いてくる。

 

「やっと出せた……!」

 

 わたしの切り札、《エヴォル・ドギラゴン》。

 《ドギラゴン》はバトルに勝ったらアンタップするクリーチャーだから、パワーで《ドギラゴン》に勝たないと、ブロックしても無意味。だけど、《ドギラゴン》のパワーは14000もある。《土隠風の化身》でも超えられない。

 だから、安心して攻撃できる。

 

「行くよ! 《ドギラゴン》で《パーフェクト・ギャラクシー》を攻撃!」

「なに? シールドではないのか?」

「うん。こっちでいいよ。《ドギラゴン》と《パーフェクト・ギャラクシー》でバトル! パワー14000の《ドギラゴン》の勝ちだよ! バトルに勝ったから、《ドギラゴン》をアンタップ!」

「だが、シールド・フォースで《パーフェクト・ギャラクシー》は場を離れない……無意味ではないか」

「いいや! 無意味なんかじゃないよ! わたしの火のクリーチャーがバトルに勝ったから、《ヘーゼル・バーン》の能力発動! 相手のシールドを一枚ブレイクするよ!」

 

 さぁ、ここからがコンボの始まりだよ。成立したのは、偶然だけど。

 わたしは、お城のついたシールドを指さした。

 

「そのシールドをブレイク!」

「《セイント・キャッスル》を剥がしてきたか……」

「次だよ! 《ドギラゴン》で《パーフェクト・ギャラクシー》を攻撃!」

「また《パーフェクト・ギャラクシー》に……シールド・フォースで場に留まる!」

「でも、バトルには勝ったから《ドギラゴン》はアンタップして、《ヘーゼル・バーン》の能力でシールドをブレイク! 次はそのシールド!」

 

 わたしは一番端っこの、なんでもないシールドを指さす。すると、《ヘーゼル・バーン》の槍が、そのシールドを貫いてブレイクした。

 

「城は剥がしても、シールド・フォースは剥がさないだと……? いや、これは……」

 

 ロリコンさんは気づいたみたい。でも、もう遅いよ。

 次も、《ドギラゴン》で《パーフェクト・ギャラクシー》を攻撃する。

 

「バトルに勝ったから《ドギラゴン》をアンタップ、《ヘーゼル・バーン》の能力でシールドをブレイク! そのシールド!」

「またシールド・フォースを残した……やはり、《パーフェクト・ギャラクシー》が場を離れないことを利用して、無限に殴り続けるつもりか……!」

 

 ロリコンさんが悔しそうに呻く。

 その呻き声を聞きながら、わたしは《ドギラゴン》で攻撃し続けた。

 

「《ドギラゴン》で攻撃! アンタップしてシールドをブレイク! もう一度攻撃! アンタップしてブレイク!」

「ぐっ、ぬぅ……! ニンジャ・ストライク! 《テンサイ・ジャニット》で《コッコ・ゲット》を手札へ戻す!」

 

 五回の攻撃が続いて、遂に五回目でシールド・フォースのついたシールドをブレイクする。これで、無敵状態は解除された。

 

「これで最後! 《パーフェクト・ギャラクシー》を攻撃! バトルに勝ったからアンタップして、《ヘーゼル・バーン》の能力でシールドをブレイク!」

 

 そして、最後の六回目の攻撃で《パーフェクト・ギャラクシー》を破壊して、残ったシールド一枚もブレイク。

 ロリコンさんは防御を忍者に任せていたのかな。S・トリガーは一枚も出ず、わたしの攻撃が止まることはなかった。

 あとはこのまま、とどめだ。

 

 

 

「《ドギラゴン》で、ダイレクトアタックだよ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「やった、勝った……!」

 

 これで、ロリコンさんもカードに戻るはず。誘拐事件も、もう起こらない。

 わたしは床に倒れたロリコンさんに近づく。その身体は淡い光が漏れ出ていて、綻び始めていた。

 あとは、鳥さんが力を吸収するだけ。

 そう、思っていた。

 

「小鈴!」

 

 鳥さんの声が聞こえる。切羽詰った、鬼気迫る声。

 その声が聞こえた、直後。

 

「あ……ぅ……」

 

 私の身体は動かなくなり――倒れ伏した。

 

「な……んで……?」

 

 もっとちゃんと考えるべきだったんだ。鳥さんは、クリーチャーがわたしを昏倒させたと言っていた。だけど、ロードリエスにそんな能力はない。

 もっとちゃんと聞くべきだったんだ。ユーちゃんは、男の人が誘拐した女の子を運んでくるって言っていた。だけど、ロードリエスは女の人に化けていた。

 これらのことから導き出される結論はいくつかあるけど、わたしの現状も踏まえると、一つ。

 

「ロードリエス……助ける、ゾ」

「……すまない、助かった。感謝する」

 

 わたしの背後に、クリーチャーが浮かんでいた。

 そう、それは、

 

 

 

「協力者が、いたんだ――」




作中で登場した白青緑ロードリエスコントロール、略してロリコン。名前のネタさも含めて好きなデッキです。作中で登場したのは古い型ですが、今だとメメントとかを入れたりするといいかもしれませんね。
如何せん、ピクシブで投降した時から時間が経っているので、採用カードが時代錯誤感ありますね(そうでなくても古いデッキですが)。
また、まえがきでも書きましたが、感想受付設定を変更して、非ログインの方でも感想を書き込めるようにしましたので、よろしければご活用ください。
次回は第7話の後編となります。どうぞお楽しみに。


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7話「誘拐事件だよ ~後編~」

 7話後編です。
 ハーメルンの形式だと、投稿数に対する話数が設定されたりするので、前後編で分けるとそちらとの齟齬が生まれてしまうのが難点ですね……まあ、だからわざわざ、サブタイトルに話数をつけているのですが。
 このくらいのゴーイングマイウェイは許してください、というわけでロリコンによる誘拐事件、これにて終結です。


「ぅ……ぁ……」

「小鈴! しっかりするんだ、小鈴!」

「無駄、ダ。娘の動きは完全に、束縛、シタ」

 

 無機質な声が響きます。人間のものではない、無感情の声でした。

 

「《束縛の守護者ユッパール》……!」

「…………」

 

 見るからにこの状況はおかしいです。無機質で、機械的な物体が、宙に浮いています。およそ現代的ではない、かといっておとぎ話のようでもない、奇妙な光景。

 《ユッパール》。確か、クリーチャーをタップさせて、アンタップさせなくさせるクリーチャーだったはずです。対象を、文字通り“束縛”し、寝かせてしまう能力を持つ、クリーチャー。

 その力を使って、子供たちを誘拐する時にも、抵抗できないように意識を奪ったということでしょうか。

 そして今も。

 

「危ないところだった。まさか、クリーチャーに協力する人間がいるとは思わなかった。加えて、ここまでの力を持っているとは」

「油断大敵、ダ」

「想定外だったのだ。油断はしていない」

 

 誘拐犯の、協力者。

 ロードリエスは主犯。子供たちを誘拐する実行犯。

 そしてユッパールは、そのサポートをする協力者。

 あの姿は確かにクリーチャーですけれど、この声は聞き覚えがあります。

 そう。あの部屋に出入りしていた――“男の人”です。

 

「さて、では今度は逃げられないように、厳重に縛りつけておかなくてはな。幼子に傷がつくのは好ましくないが、やむを得ん。ユッパール」

「ウム」

 

 ユッパールは近づいていきます。厳重に縛りつける。その意味は、ちゃんとはわかりませんけれど。

 けれども、そうなってしまうのは、とても、とても困るような気がします。

 なら、そろそろ頃合いです。

 私の大切な人を助けるために。

 おとぎ話の英雄のように、登場しましょう――

 

 

 

「――小鈴さんっ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「小鈴さんっ!」

 

 声が聞こえた。

 友だちの声。この舌足らずで、それでいて明朗軽快な声は……

 

「ユー……ちゃん……?」

 

 身体は相変わらず動かない。縛られているみたいに、手足がぎゅうぎゅうと痛むし、なんだか痺れているような感覚もある。

 精一杯顔を動かして見えるのは、白い肌に煌めく銀髪の女の子。ユーリアちゃん――ユーちゃんだ。

 

「なんで……来ちゃったの……」

「ユーちゃんは、小鈴さんを助けたいからです」

「……?」

「だって、あの時も小鈴さんは、ユーちゃんを助けてくれたから……その恩返しは、まだできてません」

 

 はっきりと、ユーちゃんは言った。

 あの時。それが、なにを意味しているのか。頭の中もぼんやりとしているけれど、それがわからないわけじゃなかった。

 

「……ユーちゃん、あの時のこと、覚えて……?」

 

 ユーちゃんは笑っている。笑顔を向けている。

 純真無垢で朗らかな、いつもの笑顔を。

 

「Ja! もちろんです! 忘れるわけないじゃないですか! あれが、小鈴さんとのはじめてのデュエマだったんですよ!」

 

 そういえば、ユーちゃん、わたしとデュエマしたことは、覚えていたっけ……

 じゃあ最初から、ずっとわたしのこと、知ってて……

 ……ダメだ。頭が朦朧とする。上手く、考えられない。

 ユーちゃんの声だけが、ごちゃごちゃした頭の中で反響する。

 

「トリさん!」

「僕のことかい?」

「お名前を知らないので、小鈴さんと同じように呼ぶんです。トリさん、ユーちゃんでも戦えますか?」

「ただ戦うというだけなら問題ない。ただし、戦場をセッティングするだけだ。僕からの援助は期待しないでくれ」

「じゅーぶんです!」

「忸怩たる思いだけどね。しかし小鈴が動けない今、君に託すしかない。頼まれてくれるかい?」

「もちろんですっ! 小鈴さんは、ユーちゃんを助けてくれました。今度はユーちゃんが、小鈴さんを助ける番ですっ! 」

 

 ユーちゃん……

 小さな身体で、勇ましくクリーチャーたちに立ち向かっている。

 あんなわけのわからない存在に、物怖じしないその姿は、すごく輝いていて、ちょっとだけカッコよくも見えた。

 

「次から次へと……子供は元気で素晴らしいな。その姿は輝かしいぞ」

「休んでいろ、ロードリエス。こちらで処理、スル」

「うむ。頼んだ」

 

 ユーちゃんと、ロリコンさんの協力者さん。二人が向き合った。

 そして、私に代わってユーちゃんが、協力者さんと、デュエマを始める――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「《デス・ハンズ》をチャージ、ダ。ターンエンド」

「ユーちゃんのターンですね! 《月下城》をチャージです! Ende(ターン終了)!」

「《ホーリー》をチャージ。《墓守の鐘ベルリン》を召喚、スル。ターンエンド」

「《ドルゲドス》をチャージです! 2マナで《ブラッドレイン》を召喚(フォーラドゥング)です!」

 

 ユーちゃんと、協力者さんのデュエマです。

 協力者さんのマナゾーンは光と闇のカードが見えます。でも、まだよくわからないです。

 

 

 

ターン2

 

協力者

場:《ベルリン》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:0

山札:29

 

 

ユー

場:《ブラッドレイン》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

 

「《クロック》をチャージ。3マナ《コアクアンのおつかい》を詠唱、スル」

「水のカードですね! 三つの文明のデッキ……?」

「山札の上から三枚公開。《オール・イエス》《クルスタ》《ファンク》を手札ニ。ターンエンド」

 

 これはたぶん、前に詠さんが話していた、白青黒(ドロマー)というデッキです。しかも、あのクリーチャーでも呪文でもないカード、ユーちゃんの記憶にあります。

 《至宝 オール・イエス》。これも詠さんからちょっとだけ聞いたことあります。あれが、あのデッキのメインだと思います。

 だったらその邪魔をしたいのですけども……

 

(うーん、《ベルリン》がいるから《ジェニー》が使えないです……)

 

 《墓守の鐘ベルリン》は、手札破壊を防ぐクリーチャーです。

 正確には、手札を捨てさせると、墓地のカードを二枚、手札に戻しちゃうクリーチャーですが、手札を落としても戻されちゃうなら、意味ないです。

 ブロッカーでもあるので、攻めづらいですが……それならそれで、取れる手段はありますよ!

 

「《月下城》をチャージ! 《ボンバク・タイガ》を召喚! マナ武装3で《ベルリン》のパワーを3000下げて破壊します!」

「やられた、カ」

「《ブラッドレイン》でシールドブレイクです! Ende!」

 

 邪魔なクリーチャーを破壊するのは、ユーちゃんの、闇文明の得意技です。

 このまま一気に攻めちゃいますよ!

 

 

 

 

ターン3

 

協力者

場:なし

盾:4

マナ:3

手札:6

墓地:2

山札:25

 

 

ユー

場:《ブラッドレイン》《ボンバク・タイガ》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:27

 

 

 

「《リリィ》をチャージ。《クルスタ》を召喚。さらに《至宝 オール・イエス》をジェネレート、ダ。ターンエンド」

Gelegenheit(チャンス)です! 《解体人形ジェニー》を召喚です! 手札を見せてください!」

 

 協力者さんの手札には《希望の親衛隊ファンク》《セブ・コアクマン》《束縛の守護者ユッパール》《停滞の影タイム・トリッパー》の四枚。

 どれもいやらしいカードですけど、ここで捨てさせるなら……

 

「《コアクマン》です! 墓地(フリートホーフ)へ!」

 

 手札補充のカードを捨てさせちゃいます! 手札を増やされるのは、手札を破壊するユーちゃんにとっては嫌ですからね。

 そして、どんどん攻めますよ!

 

「《ボンバク・タイガ》でブレイクです!」

「S・トリガー……《クロック》を召喚、ダ」

「あぅ、S・トリガーですか……」

「ターンを強制終了、スル」

 

 

 

ターン3

 

協力者

場:《クルスタ》《クロック》《オール・イエス》

盾:3

マナ:4

手札:3

墓地:3

山札:24

 

 

ユー

場:《ブラッドレイン》《ボンバク・タイガ》《ジェニー》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:0

山札:26

 

 

 

 《クロック》は、とっても強いS・トリガーです……出てきたら、ターンが強制的に終わっちゃいます。

 それがブレイクの途中でも、です。絶対に攻撃を止めてしまうS・トリガーです。

 

「《ファンク》をチャージ。3マナで、コイツを召喚、ダ。《束縛の守護者ユッパール》、召喚」

 

 協力者さんは、協力者さん自身――《ユッパール》を召喚しました。

 

『《ユッパール》の能力発動、ダ。《ブラッドレイン》をフリーズ、スル』

 

 バチバチッ!

 激しい音が鳴り響くと、ユーちゃんの《ブラッドレイン》が倒れてます。身体が動かせないように見えます。

 

『さらに、《クルスタ》に《オール・イエス》をクロス。《クルスタ》で《ボンバク・タイガ》を攻撃、ダ』

 

 クリーチャーを寝かせた後、すかさず攻撃。

 しかも、ただの殴り返しではないです。

 

『この時、《オール・イエス》の能力が発動、スル。相手の手札を一枚墓地、ヘ』

「手札が……」

 

 これが、《オール・イエス》の強いところです。

 クロスすれば、どんなクリーチャーでも攻撃するだけで手札破壊ができるようになっちゃいます。パワーも大きく上がりますし、これは厄介です。

 

『さらに《クロック》で《ブラッドレイン》を攻撃。破壊、ダ。ターンエンド時、《クルスタ》をアンタップ』

「むむむ、苦しいです。けど、あきらめませんよっ! ユーちゃんのターン! 3マナで《ボーンおどり・チャージャー》です! 山札の上から二枚を墓地へ! チャージャーはマナにおいて、Ende!」

 

 墓地に落ちたカードは、《ゴワルスキー》と《ブラッドレイン》ですか。

 《クルスタ》は《オール・イエス》でブロッカーになっているので、《ジェニー》では勝てません。攻撃せずにターン終了します。

 

 

 

ターン4

 

協力者

場:《クルスタ+オール・イエス》《クロック》《ユッパール》

盾:3

マナ:5

手札:2

墓地:3

山札:23

 

 

ユー

場:《ジェニー》

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:5

山札:23

 

 

 

『《トリッパー》をチャージ。《セブ・コアクマン》を召喚』

「! 手札、増やされちゃいました……」

『《ユッパール》と《カレイコ》を手札に加え、《おつかい》を墓地、ヘ。ターンエンド』

 

 協力者さんは攻撃しませんでした。S・トリガーが嫌だったのでしょうか?

 

「ユーちゃんのターン! 《ジェニー》を進化(エヴォルツィオン)! 《夢幻騎士ダースレイン》です! 山札の上から三枚を墓地へ!」

 

 でも、こっちは攻撃しますよ!

 いいところに引けた《ダースレイン》。手札も増やせます。

 能力で墓地に落ちたのは、《デスマーチ》《デス・ハンズ》《ロックダウン》です。

 

「来ましたよ! 《デスマーチ》を手札に! そのまま墓地進化(フリートホーフ・エヴォルツィオン)! 《ブラッドレイン》を《死神術士デスマーチ》召喚です!」

 

 《ダースレイン》から《デスマーチ》の連続進化!

 このまま一気にどんどん攻めちゃいます!

 

「《ダースレイン》で攻撃(アングリフ)です!」

『……《クルスタ》でブロック、ダ』

「相打ちですね! だったら《デスマーチ》でもブレイク!」

 

 これで協力者さんのシールドは残り二枚です。少しずつ、勝ちに近づいています!

 

 

 

ターン5

 

協力者

場:《クロック》《ユッパール》《コアクマン》《オール・イエス》

盾:2

マナ:6

手札:4

墓地:5

山札:19

 

 

ユー

場:《デスマーチ》

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:8

山札:19

 

 

 

 

 

『《禁術のカルマ カレイコ》召喚。《オール・イエス》をジェネレートし、《コアクマン》にクロス、ダ。《コアクマン》で《デスマーチ》に攻撃、スル』

「《デスマーチ》の能力でパワーを4000下げられますけど、《オール・イエス》があるから、パワー1000vs2000ですね……こっちの負けです」

『ターンエンド、ダ』

 

 またバトルゾーンからクリーチャーがいなくなっちゃいました……ちょっとピンチです。

 

「! またまた来ちゃいましたよ! 《暗黒鎧 キラード・アイ》を召喚! 山札の上から四枚を墓地に――」

『ストップ、ダ。《カレイコ》の能力発動。山札から手札以外にカードが移動する時、山札に戻させる、ゾ』

「そ、そんな! それは困ったですよ……」

 

 墓地はユーちゃんのデッキでとっても大切なものです。それが増やせないというのは、困ります。

 どうしましょう……

 

「Ende……」

 

 

ターン6

 

協力者

場:《クロック》《ユッパール》《コアクマン+オール・イエス》《カレイコ》《オール・イエス》

盾:2

マナ:7

手札:2

墓地:5

山札:18

 

 

ユー

場:《キラード・アイ》

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:10

山札:18

 

 

 

『《クロック》をチャージ。《純潔の信者 パーフェクト・リリィ》を召喚、ダ。《オール・イエス》を《リリィ》にクロス。ターンエンド』

「ユーちゃんのターンです……うーん……ここは……」

 

 とっても困りました。

 《キラード・アイ》はいますけど、相手のバトルゾーンにはクリーチャーが五体。

 《オール・イエス》で強化された《コアクマン》と《リリィ》。墓地を増やさせてくれない《カレイコ》。あとは《ユッパール》と《クロック》です。

 特に《リリィ》と《カレイコ》が困ります。《リリィ》は破壊できませんし、《カレイコ》がいるのでで墓地が増やせません。

 

「……こうしましょう! 《ジェニー》をチャージ。《キラード・アイ》の能力です! 墓地の《ロックダウン》を召喚です! 《キラード・アイ》から進化!」

 

 《キラード・アイ》の、墓地から闇の進化クリーチャーを召喚できる能力で、墓地から《ロックダウン》を復活です!

 パワーを下げれば《リリィ》は倒せますが、今のパワーは6500なので、《ロックダウン》の能力ではギリギリ倒せません。

 だから、狙うのはこっちです!

 

「《ロックダウン》の能力で、《カレイコ》のパワーを6000下げます! 破壊です! Ende!」

 

 これで墓地が増やせます。

 攻撃したいですけど、《リリィ》がブロッカーなので、攻撃できないです。このままターン終了です。

 

 

 

ターン7

 

協力者

場:《クロック》《ユッパール》《コアクマン+オール・イエス》《リリィ+オール・イエス》

盾:2

マナ:8

手札:1

墓地:6

山札:17

 

 

ユー

場:《ロックダウン》

盾:5

マナ:7

手札:0

墓地:9

山札:17

 

 

 

 

『《コアクマン》を召喚。《トリッパー》《ベルリン》《クルスタ》を手札に。《クルスタ》を召喚』

「また手札が増えちゃいました……」

『《コアクマン》の《オール・イエス》を、《クロック》にクロス。《リリィ》で攻撃、能力発動、ダ。《ロックダウン》をタップ』

 

 《リリィ》の能力で、《ロックダウン》がタップされてしまいました。

 しかも、《オール・イエス》を《クロック》に付け替えています。ということは……

 

『シールドをブレイク』

「トリガーなしです」

『《クロック》で《ロックダウン》を攻撃。手札を捨てさせ、こちらはパワー7000、ダ』

「《ロックダウン》はパワー6000なので、破壊されます」

 

 やっぱり、《ロックダウン》を狙ってきました。

 手札も一緒に捨てさせられて、ユーちゃん、まだまだピンチです。

 

「……でも、あとは信じるしかないです! 《キラード・アイ》を召喚! 山札の上から四枚を墓地へ!」

 

 引いてきた《キラード・アイ》を召喚。山札を墓地に送ります。

 送ったカードは、《夢幻騎士 ダースレイン》《爆弾団 ボンバク・タイガ》《死神竜凰ドルゲドス》《解体人形ジェニー》。

 ……これなら、いけるかもです……!

 

「墓地進化! 《デスマーチ》を召喚です! 《デスマーチ》でシールドをブレイクです!」

 

 ブロッカーがタップしている間に、攻められるだけ攻めちゃいます。

 これでクリーチャーさんのシールドは残り一枚です!

 

 

 

ターン8

 

協力者

場:《コアクマン》×2《ユッパール》《クロック+オール・イエス》《リリィ+オール・イエス》《クルスタ》

盾:1

マナ:9

手札:3

墓地:6

山札:13

 

 

ユー

場:《キラード・アイ》《デスマーチ》

盾:4

マナ:7

手札:0

墓地:14

山札:12

 

 

 

『《ベルリン》を召喚。《クロック》の《オール・イエス》を、《クルスタ》にクロス。3マナで《ユッパール》を召喚。《デスマーチ》をフリーズ』

 

 ! ブロッカーが……!

 これは、もしかしたら、とってもピンチなのでは?

 相手の攻撃できるクリーチャーは六体。そしてユーちゃんのシールドは四枚です。

 

『《リリィ》で攻撃、《キラード・アイ》をタップ。シールドブレイク、ダ』

「……トリガーないです」

『《クルスタ》で《キラード・アイ》を攻撃。《オール・イエス》の効果で、手札を墓地へ』

 

 これでユーちゃんのシールドは三枚。協力者さんのアタッカーは四体。

 ブロッカーもいないので、ダイレクトアタックが防げません……!

 

『このまま攻め落とす、カ。《コアクマン》でシールドブレイク』

「なにもないです」

『二体目の《コアクマン》でブレイク』

「こっちもないです……」

『《ユッパール》で最後のシールドをブレイク、ダ』

 

 まずいです、とってもピンチです! 本当にピンチです!

 ここでトリガーを引かないと、ユーちゃんは……

 

(ユーちゃんだけじゃ、ないです……!)

 

 小鈴さんも、このままじゃ……

 ユーちゃんは、ここで負けるわけにはいかないんです!

 

「! やっときましたS・トリガー! 《デス・ハンズ》! 《クロック》を破壊です!」

『凌がれた、カ……ターン終了。《クルスタ》はアンタップ、ダ』

 

 ギリギリ耐えられました。《デス・ハンズ》には感謝です。

 それに、このシールドブレイクできちゃいました。ユーちゃんの切り札!

 

「ユーちゃんのターン! このターンでユーちゃんの大逆転ですよ!」

 

 ちょっと、運が良くないとダメですけど。

 でも、絶対に決めてみせます!

 

 

 

eins(ひとつ)zwei(ふたつ)drei(みっつ)……Lass uns die Nummern arrangieren(さぁ、数字を揃えましょう)! 《暗黒貴族ウノドス・トレス》!」

 

 

 

『! そのクリーチャーは……!』

 

 協力者さん、ビックリしてます。

 そのビックリが見れただけで、ユーちゃん満足ですけど、ビックリだけでは終わりませんよ!

 ちゃんと、勝ってみせます!

 

「まずは《ウノドス・トレス》の能力で、山札の上から三枚を墓地へ!」

 

 これで落ちるカード次第では、ユーちゃん負けちゃうんですよね……だから来てください!

 一枚目――《凶殺皇 デス・ハンズ》。さっきは助けてもらいましたが、違います。

 二枚目――《悪魔龍王 キラー・ザ・キル》。ユーちゃんの切り札ですけど、今は使えないです。

 三枚目――《死神術士デスマーチ》。

 

「これです! 来ました! 次にユーちゃんの墓地から、コスト1、2、3のクリーチャーをそれぞれ復活させます! 墓地進化!」

 

 コスト1、2、3のクリーチャーをまとめて墓地から出せる《ウノドス・トレス》。ユーちゃんの新しい切り札です。

 このクリーチャーの凄いとことは、進化クリーチャーも出せることです。そして、ユーちゃんのデッキには、墓地から進化元を調達できるクリーチャーが、たくさんいます!

 さぁみなさん、出て来てください!

 まずは一体目!

 

(アインス)! 《死神術士デスマーチ》!」

 

 続いて二体目!

 

(ツヴァイ)! 《鬼面妖蟲ワーム・ゴワルスキー》!」

 

 最後に三体目!

 

(ドライ)! 《死神竜凰ドルゲドス》!」

 

 一度に、三体のクリーチャーを、復活させましたよ!

 

「この三体を、墓地進化です! 《ドルゲドス》の能力で、《クルスタ》はブロックできないですよ!」

『! マズイ!』

 

 これでユーちゃんの攻撃できるクリーチャーは四体。協力者さんのブロッカーも、一体封じて、残り一体です。

 シールドも残り一枚なので、あとは、S・トリガーとの勝負です! 《クロック》や《ホーリー》がなければ、ユーちゃんの勝ちなはずです!

 ユーちゃんもシールドがないので、このターンに決めないと後がない……でも、このターンで決めてしまいますよ!

 

「《デス・ハンズ》で攻撃です!」

『《ベルリン》でブロック!』

「《ゴワルスキー》!」

『S・トリガー《デス・ハンズ》! 《ドルゲドス》を破壊、ダ!』

 

 最後のシールドから捲られたのは、《デス・ハンズ》でした。

 《クロック》でも《ホーリー》でもない。なら、

 

「これでEnde(対戦終了)、ですね!」

 

 ユーちゃんの――勝ちです!

 

 

 

「《デスマーチ》で、ダイレクトアタックです!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 こうして、ユーちゃんのお陰もあり、『少女連続誘拐事件』は解決した。

 とはいえ犯人はクリーチャーで、そのクリーチャーは鳥さんが文字通り食べちゃったから、公的には犯人は不明で、逃亡中ってことになってるけど。

 警察の人たちにはちょっと申し訳ないけど、クリーチャーの仕業なんて言っても信じてくれるわけないし、これ以上事件は起こらないから、めでたし、なのかな?

 でも、今回の一件で、クリーチャーはこわいい存在だってわかったから、わたしも気をつけないと。

 ……ちょっと変な趣味嗜好だったけどね。

 それはそれとして、わたしはユーちゃんに、聞きたいことがあった。

 

「ユーちゃん、あの時のこと、覚えてたの?」

Natuerlich(もちろんです)! じゃないとユーちゃん、小鈴さんとこんなに仲良くなれなかったですよ!」

「そ、そっか……」

 

 言われてみれば、確かにユーちゃんは学校に復帰した時、一直線にわたしのところに来た。それまで、接点はあまりなかったのに。それがその証明だったんだ。

 今まで全然そのことについて触れなかったし、クリーチャーに操られてたから、勝手に記憶がなくなってる、みたいな解釈をしてたけど、そんなわけはなかった。

 滑稽だなぁ、わたし。

 わたしの恥ずかしい秘密を知られちゃったのは、すごく恥ずかしい。

 だけど、ユーちゃんはいい子だし、今まで触れなかったってことは、わたしがそれを秘密にしてるってこともわかってるってことだと思う。

 だからむしろ、大事な友達に知ってもらって、よかったのかもしれない。

 

「小鈴さん!」

「な、なに? ユーちゃん」

「ユーちゃんはなにがあっても、小鈴さんとお友達、ですよ!」

 

 ニッコリと笑うユーちゃん。

 そこに、陰鬱だった頃の面影はなくて、闇を照らす光のように、陰りも暗さも感じさせない、明るく朗らかな彼女だけがいた。

 その笑顔を見ていると、わたしの考えていた悩みとか、心配とか、全部どうでもよくなってくる。

 

「……うん。ありがとう、ユーちゃん」

 

 わたしの隠し事は、また一人の人にばれちゃったけど。

 それでもなにかを失ったという気はしなくて。

 むしろ、別の大切なものを得たような気がした。

 

「友達、か……」

 

 ふと、思う。

 わたしは本当に、友達を大事にできてるのかな、って。

 ずっと隠し事してて、大事なことは秘めたまま。

 今回は成り行きと、ユーちゃんには元々ばれてたっていうこともあったけど。

 わたしは、友達をちゃんと友達としているのだろうか。

 “あの子”のことを思うと、少しだけ胸が痛かった。




 ピクシブで投稿した段階でも古いデッキだという自覚はありましたが、そこからさらに一年二年と経っているので、もはやセイントリエスとか、オールイエスとか、化石みたいなデッキなのでは、という気がします。個人的には好きなのですが。
 改稿しているとはいえピクシブからの移転なので、そのあたりはご了承くださいまし……
 誤字脱字、ご意見ご感想などございましたら、お気軽にどうぞ。


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8話「盗撮魔です」

 誘拐犯に続き盗撮魔とか、物騒かつ犯罪的な臭いしかしないタイトルが続きます。8話です。
 今回くらいから、ようやっとこの作品らしさというか、やりたいことができてきたというか……えっと、とりあえずデッキ構築とかに色々力を入れました。
 勿論、ストーリーも。何分、軽々しく扱いづらい題材を取り入れているので、かなりギリギリのラインを攻めていますが……


「はー……やっと終わったよ……」

「ちょっとだけお疲れですね。でも、体育って楽しいです!」

「無理……死ぬ……」

 

 更衣室に戻って、各々様々な表情を見せるわたしたち。ユーちゃんはいつでも元気いっぱいだけど、恋ちゃんは今にも死にそうな顔をしてて、とても心配です。

 あ、こんにちは。伊勢小鈴です。忘れてたので言いましたけど、この挨拶って、毎回必要なんでしょうか?

 現在は放課後。わたしたちはついさっきまで体育の授業の補習を受けていました。授業を欠席した分を取り戻さなくてはならないのです。

 サボっていたのか、と聞かれると、流石に否定するよ。仕方なくお休みしたの。仕方なくだよ。女の子には色々あるのです。

 ……まあ、ユーちゃんと恋ちゃんに関しては、学校に来てなかった時期があるから、その分のツケが溜まっているのだけども。

 

「こんなクソみたいに暑い日に、グラウンドで、体育とか……教育委員会は頭が、狂ってる……消えてしまえばいいのに……」

「仕方ないよ、お休みした分はグラウンドでの授業なんだから……あと恋ちゃん。女の子なんだから、もうちょっと言葉には気をつけよう?」

「でも、こんな暑い日にはプールがいいですよね! プール!」

「そっちも嫌だ……」

「ユーちゃんはプール好きだよね」

「はいです! 大好きです!」

 

 確か、遊泳部に入ったって、前に聞いたことあったっけ。

 なんで水泳部とか競泳部じゃなくて、遊泳部があるのかがちょっと気になるけど。競泳部があるなら逆ベクトルの遊泳部があってもおかしくはない……気がする。

 余談ですが、わたしたちの通う烏ヶ森学園は、そんな少し変わった部活が多いです。生徒の自主性を重んじる云々で、部活動の設立に関する規定が緩いかららしい。

 ただしその代わり、予算の管理とか、部の運営とか、そういうことをしっかりと生徒だけでやらなくてはならない。自由には責任が伴う、というのがこの学校の方針らしい。顧問はあまり干渉しないんだって。

 なんで部活にも入ってないわたしがこんなことに詳しいのかと言いますと、お姉ちゃんから聞きました。わたしのお姉ちゃんはこの学校の三年生で、生徒会長さんなんだよ。すごいでしょ? わたしの自慢のお姉ちゃんです。

 

「……まあ、思うところも、ないわけじゃないけど……」

 

 勉強もできて、運動もできて、生徒会長としてバリバリお仕事してて、わたしの自慢のお姉ちゃん。

 わたしの憧れだし、尊敬もしているけれど、ただそれだけかと言われると、そうでもない。

 ……あんまり考えるのはやめよう。早く着替えないと。

 わたしはいい加減、体操服を脱ぐ。

 この更衣室はグラウンドと直通。放課後は運動部も使うから、あんまりゆっくりもしていられないしね。

 

「ずっと思ってたんですけど、小鈴さんっておっきいですよね!」

「ふぇ?」

 

 ユーちゃんが、なぜか目をキラキラさせてこっちを見ている。いや、この子が目をキラキラさせているのはいつものことだけど。

 だけど、その……視線が……視線の先が……恥ずかしいんだけど……

 

「ユーの言う通り……確かにこれは、中一の体型じゃない……こんなあからさまな体型、二次元でしか見たことない……」

「こ、恋ちゃんまで……」

「ちょっと触ってもいいですか?」

「ダ、ダメだよっ! やめて!」

 

 無邪気な笑顔で迫り来るユーちゃんの手。胸を隠しながら後ずさるわたし。

 

「わかりやすいコンプレックス……ありがち……大なるものはもう少し寛容であるべきだと、私は思う……」

「そんなこと言われても……」

 

 わたしだって、好きで大きくなったわけじゃないんだから!

 むしろ、そのせいで小学校から周りの目が恥ずかしかったり、服選びも大変だったし……しかも身長がないから、なおさら。

 

「うぅ……どうせ背が伸びないなら、わたしは二人みたいなスリムな体型がよかったよ……」

 

 恋ちゃんはちょっと痩せすぎな気もするけどね。

 身長なんて130cmちょっとしかなって言うし、心配になっちゃうよ……

 

「そういえば、外国の人って背が高いイメージだけど、ユーちゃんは細身だよね……それとも、中学生だとこのくらいなのかな?」

「ドイツのお友達は、もっとおっきかったですよ。ユーちゃん、ドイツでもちっちゃいです」

 

 あ、やっぱりそうなんだ。

 

「背が低いと、いろいろ大変だよね……」

「でも、ちっちゃいほうが泳ぎやすいんですって! それに、ブチョーさんが言ってました! ガイジンロリはキチョーでジュヨーがあるって!」

「うん、ちょっと危ない発言だね……ユーちゃん、その部長さんには気をつけようね?」

 

 日本の文化をまだちゃんと知らない純粋なユーちゃんは、かくっと首を傾げて疑問符を浮かべている。わたしも、ユーちゃんには純粋なままでいてもらいたいです。

 

「恋ちゃんも、もう少し肉付きがよくなるといいね」

「大丈夫、問題ない……貧乳はステータスだし、ロリには十分な需要があるから……」

「そういうことじゃなくて、不健康そうに見えるってことだよ……」

 

 実際、極端に運動苦手で、身体も虚弱気味だし。

 骨、ちょっと浮き出てるんだよ? いくらなんでも心配になっちゃうよ。

 食生活自体は、わりとちゃんとしてるって聞くけど、これは体質だけで片付けられる問題でもない気がする。

 

「って、そんなことより、早く着替えなきゃ」

 

 別にいつまでに着替えなきゃいけないとか、この後に予定があるとかじゃないけど、運動部の人が来た時に邪魔になっちゃう。

 着替えを入れてるロッカーを開ける。二人の視線が痛いし、いつ襲われるか冷や冷やする。手早くブラウスを手に取って袖を通す。そして、ボタンを留めていく。

 このボタンを留めるのが、毎回難儀なんだよね……上の方が留めにくくって。中学に上がって制服を着るようになってから、ずっと。まだちょっと慣れない。

 ボタン留めに手間取って、二人の視線を感じるような気がする……と、その時だ。

 ふと下げた視線。ロッカーの中に、なにかが見える。

 第二ボタンを留めるのを一旦諦めて、屈んでそれを手に取った。

 

「なんだろ、これ……ビデオカメラ?」

 

 黒く直方体に近い形状の機械。丸いレンズが見えていて、それはわたしの知る限りでは、映像記録機――いわゆるビデオカメラだった。

 なんでこんなものが、ロッカーの中に……

 

「運動部の忘れものかな?」

 

 運動部の人たちは、自分たちの動いている様子を撮影するって聞くし、そう考えるのが自然な気がする。

 すると、恋ちゃんがやって来た。

 

「これ……動いてる……」

「え!? 撮影中ってこと!?」

「うん……」

 

 撮影中のビデオカメラが、女子更衣室に設置されている。

 その意味がわからないわけがなかった。

 

「……盗撮」

「う、嘘、全部撮られてたの……!? いつから!?」

「わからないけど……消しとく……」

 

 恋ちゃんがわたしの手からビデオカメラを取る。なにか操作をすると、わたしの返した。

 

「消した……体操服に着替えるところから、撮られてた……」

「誰がこんなこと……先生に言った方がいいかな……?」

 

 自分が盗撮されるなんて思ってなかったし、正直あんまり実感が湧かない。だけど、たとえ学内でもなんでも、盗撮は犯罪だ。このまま放っておくわけには、いかないよね……?

 と、その時。小さく女子更衣室の扉が開いた。

 入ってきたのは、わたしたちと同じ紺色のセーラー服に赤いリボン制服――烏ヶ森の制服を着ている、ショトヘアーの生徒だった。

 校章の色を見るに、わたしたちより一つ上の学年。二年生だ。

 体操服やユニフォームじゃないから、運動部の人じゃない? あ、でもマネージャーさんかも。

 

「っ……」

「あ、すいません。すぐ出ます……っ」

 

 急いで着替えるわたしたち。運動部の人だったら、邪魔になっちゃう。

 そう思ったけど、その人はわたしたちを見るや否や、身体を震わせて、行ってしまった。

 

「……!」

「あ……っ!」

 

 僅かに開いた更衣室の扉。廊下を覗いてみると、もう誰も見えなかった。

 

「行っちゃった……」

「恥ずかしがり屋さんだったんでしょうか?」

「コミュ障……」

 

 なんだったんだろう、さっきの人は。

 なんだか、妙な視線も感じたけど……

 わたしたちのささやかな謎。

 この時はまだ、その謎の意味を、知らなかった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「この後、どうしようか」

「だったら小鈴さん! ワンダーランドいきましょう! ユーちゃん、デッキをカイゾーしたんです!」

「私も……ちょっとテストプレイしたい……」

「恋ちゃんも? でもわたし、恋ちゃんにはほとんど勝てないんだけど……」

「恋さんはとっても強いですもんね!」

 

 体育の補習が終わって、着替えも済ませて、わたしたちは帰路に着こうとする。

 補習が被ったのはたまたまだけど、最近はこの三人で一緒にいることが多くなった。

 きっかけは……デュエマと、クリーチャーの事件だけど……

 

「あ!」

「小鈴さん? どうしました?」

「ビデオカメラ……更衣室に置いてきちゃった……」

 

 あの人が入ってきて、慌てて着替えてすぐに出たから、うっかり忘れてしまっていた。

 

「取りに戻りますか?」

「う、うーん……」

「面倒……それに、回収されてそう……秘匿性が大事だから、あんなもの、そんな長々と置いとかないだろうし……現に私たちに発見されてる」

 

 しまったなぁ。

 再発防止のために先生に報告するはずが、現物を置き忘れるなんて……

 

「……たぶん、大丈夫……次、気をつけておけばいい……」

「そうですよ小鈴さん! 次があります!」

「次があったら困るんだけどね……」

 

 わたしのうっかりで学校の女子生徒全員に迷惑が……なんて拡大して考えたりはしないけど、でも、それも大袈裟ではないんだよね。

 今から急いで戻るべきかな……

 どうしようか考えていると、横で恋ちゃんが携帯を取り出した。

 

「ん……連絡……つきにぃから……?」

「恋ちゃん?」

「つきにぃが呼んでる……面倒くさい……」

「そんなこと言っちゃダメですよ! 一騎さんはいい人なんですから!」

「むー……んん……?」

「今度はどうしたの?」

「つきにぃから、レスポンス……こすずがいるなら、連れて来いって……」

「え? わたし?」

 

 画面を見せてもらうと『伊勢さんがよければ、一緒に部室に来てもらってもいいか頼んでほしい。強制はしない』という剣埼先輩の言葉が並んでいた。

 

「部室ってことは、学援部の活動のこと、だよね。たぶん……それに、わたし?」

「ユーの時みたいな、ことかも……」

「そっかぁ……」

 

 ユーちゃんの時は、クリーチャー絡みだったからなんとかなっただけで、わたしなんかが力になるとは思えないけど……

 

「部室棟に行く途中に、更衣室に寄れるし……ついでみたいになっちゃうけど、行こう」

 

 断る理由はなかったし、それになにより、先輩の力になるなら……そう思って、わたしたちは学園生活支援部の部室へと向かった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 『学園生活支援部』というプレートのかかった部屋までやって来た。

 ここに来る途中に寄った更衣室では、ビデオカメラは見つけられなかった、恋ちゃんの言うように、もう回収されてしまったらしい。

 そのことに申し訳なさを感じつつ、部室の扉を開く。

 

「し、失礼しまーす……」

「伊勢さん。恋と……ユーリアさんも?」

 

 部室には、剣埼一騎先輩と、もう一人、男子生徒がいた。

 だけど、制服の形が、少し違う。確かこの制服は、高等部の制服だ。

 

「いきなり呼び出してごめんね。とりあえず三人とも、座って」

「は、はい。失礼します……」

 

 先輩に促されるまま、わたしたちは空席に座る。

 わたしと、恋ちゃん、ユーちゃん。剣埼先輩に、高等部の先輩。

 五人が学援部の部室に集まる。

 

「恋はともかく、伊勢さんたちは正式な部員じゃないから、こういうことを頼むのはよくないんだけど……生憎、他の部員は所用で動けなくて、恋だけじゃ心もとなかったから……」

「わ、わたしは大丈夫です。はい」

「ユーちゃんもです!」

「そう言ってくれると嬉しいけど、本当に無理はしなくていいからね。君らが責任を感じることもないから」

「で……つきにぃ。なんなの……?」

 

 恋ちゃんが、本題に入れ、と言わんばかりに先輩を見つめる。

 

「うん。えっと、どこから話そうか……そうだな。先輩」

「なんだ」

 

 と、ここで初めて、高等部の人が声を発した。

 剣埼先輩は、その人を指して言う。

 

「この人は水早(みはや)さんっていって、見ての通り高等部の先輩だよ。うちのOBでもあるんだ」

 

 高等部の先輩は、水早さんというらしい。

 正直に言って、取り立てて特徴があるわけじゃないから、どうにも反応しづらかった。

 

「その水早先輩から、うちに依頼があったわけなんだけど……それが、先輩の弟さんについてなんだ」

「弟さん?」

「水早霜っていうんだけどな。俺と同じように烏ヶ森に通ってて、今は中等部だな。学年は一年で、クラスは確か……Aクラスだったはずだ」

「1―Aって……」

「ユーちゃんたちと同じクラスですね」

 

 なんとなく、話の流れが読めた。

 これはたぶん、ユーちゃんの時と同じ流れだ。

 

「察したみたいだね。きっと君らの思う通りだよ」

「そんでも一応はちゃんと説明する。率直に言うと、俺の弟は不登校状態で、学校側からすりゃ問題児同然でな。俺も手を焼いてるんだ」

 

 やっぱり。

 水早くん。その名前には、聞き覚えがあるような、ないような……先生は出欠を取る時も、学校に来なくなった人のことは飛ばして、生徒に意識させないようにするから、あまり記憶にない。

 一応全生徒の名前が載ってる名簿には、名前があったような気がしないでもないけど、わたしだって全員の名前を完璧に暗記しているわけじゃないし、関わりがない人だったらなおさらだ。

 

「その人は、どうして学校に来なくなっちゃったんですか?」

「…………」

 

 ユーちゃんの純粋な質問に、二人の先輩は口をつぐんでしまう。

 ユーちゃんの時は、実際にはクリーチャーの仕業だったんだけど、表向きは軽い鬱病ということになっていた。

 今回も同じようにクリーチャーの仕業だとは思わない。不登校になるのには、それなりの理由があるはず。

 それはなんなんだろう。

 

「……どうなんだろうな。俺も、あいつがどうして塞ぎ込んでるのか、その明確な理由はよくわからないんだよな」

「ただ、水早先輩が言うには、ここ最近の弟さんの様子が、明らかにおかしいらしいんだよ」

「おかしいって、具体的には、どのように……?」

「急に家から消える」

「え」

「って、言うのは大袈裟だが、家族に黙ってどっか行ってるみたいなんだ。」

 

 家出、というわけではないけれど。

 行き先不明の外出が多い、ってことなのかな?

 

「それと、ちょっと家のものがなくなってたりもするな。俺は……青年向け雑誌だが、俺の兄貴はビデオカメラがなくなってる」

「セーネン……?」

「先輩にしては言葉選びを頑張った方ですが、それもギリギリですよ……」

「とにかくだ。家のものがちっとなくなってんだよな。俺はどうせ兄貴からパクったエロ本だからいいけど、兄貴はビデオカメラを無断使用されて、少しキレ気味なんだよなぁ」

「先輩。女の子もいるんですから、言葉を選んでください……もうメッキが剥がれてますよ」

「家から消えてるって、ことは……ユーみたいに、引きこもってたわけじゃ、ない……」

「お外にはでてるんですね!」

「でも、行き先がわからないまま、急に外に出るって、ちょっと危ないよね……」

「まあ、そうだな。親父もお袋も、基本的にはその辺を心配してる」

 

 基本的には、という水早先輩の言葉に、ほんの少し引っ掛かりを感じた。なにか、含みがあるような。

 あるいは、まるで別のことにも、心配事があるみたいな口ぶりだ。

 だけどわたしたちは、それ以上言及することはできなかった。

 

「で……? その不登校野郎を、どうする……?」

「言葉が悪いよ、恋」

「こいつが剣埼の妹分か……四天寺にも聞いたが、随分な大物だな」

「すいません、先輩。うちの恋が……」

「構いやしないさ。事実だしな。それより、これからどうするか、か」

 

 水早先輩は少し考え込む仕草を見せる。

 そして、しばらくして顔を上げた。

 

「とりあえず、俺の弟がどうなってるかを知るべきだろうな」

「はぁ……でも、水早くん、会ってくれるんでしょうか……?」

「無理かもな。だがまあ、無理なら無理で、それでもいい。うちに来れば、なにかしらは得られるだろう。俺にはなにも感じないあいつの部屋も、剣埼たちなら、あるいは……」

 

 ユーちゃんの時のように、水早くんの家に実際に押し入る、という方針。

 その方法が正しいのかはわからない。

 だけど、他にどうすればいいのかも、わたしにはわからなかった。

 なら、先輩の示す道筋を辿るしかない。

 

「……いいんですか? 先輩」

「しゃーないさ。我ながら回りくどいとは思うが、バレたらバレた時、だ。あいつには悪いとは思うけどな」

「俺も踏み込むラインは慎重になりますが、しかし今回は、相手が相手ですよ」

「わかってる。全部、承知の上だ。だが、そのせいでお前らに、必要のない責任と傷を負わせることになるかもしれないが……そうならないよう、俺も努力する」

 

 なにか、先輩たちがひそひそと小声で耳打ちしている。

 なにを言っているのか、あんまり聞き取れないけど……バレるとか、踏み込むラインとか、責任とか……なんのことだろう?

 

「さて、それじゃあ善は急げだ。早速、(ウチ)に行くとしよう――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「なんで……どうして……!」

 

 辛い。苦しい。

 身体も。心も。

 どっちが本当に辛いのかは、わからない。

 どっちも苦しいけど、どっちがどっちなのか、わからなかった。

 自分がどう生きればいいのか。どういう存在として進めばいいのか。

 昔は彼女がそれを教えてくれた。頼りない兄貴や、理解のない両親の代わりに。

 だけど、彼女はもういない。

 代わりに彼女は残してくれた。彼女の、最後の願いを。

 その願いが、楔のように胸に穿たれている。

 彼女の願いを叶えなければいけない。だけど、どうすればいいのかわからない。

 暗夜を手探りで進むように、不明瞭にもがいている。彼女の求めるものに近づこうと、精いっぱいの努力はしている。

 なのに、なぜだ。

 なにも満たされない。なにも感じない。なにも、どうしようもない。

 辛苦だけが、身体に刻み込まれる。

 

「……ならなくちゃ。絶対に」

 

 変わらなくてはいけない。

 彼女に憧れてた自分を捨てて、彼女が望んだ自分に。

 どうしても。

 

ゴンゴン

 

 無骨なノック音。

 その直後、自分を呼ぶ声。

 “今の姿”はまずい。着替える暇はない。慌てて靴を引っ張り出して、窓に手をかけた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 わたしたちは、水早先輩の家に招かれた。

 水早くんの悩みを聞いて、できれば解決すること。それが学援部への依頼内容。わたしたちは、一応同じクラスだし、ユーちゃんも似た経緯があるから、力になれるかもしれないということで、そのお手伝い。

 水早先輩は、水早くんがなんのために、なにをやっているのか。それさえわかれば後はどうでもいい。学校に戻る必要はない、って言ってたけど、本当は学校に復帰して欲しいと思ってるはず。

 でも、簡単にはいかないよね。なにか、とても大きなものを抱えているみたいだし……

 

「ここが弟の部屋だ」

 

 そして、なんやかんやで水早くんの部屋の前まで来ていた。

 水早先輩は、ゴンゴンと扉をノックする。

 

「おーい、(そう)! いるかー?」

 

 水早先輩が大きな声で呼びかける。

 だけど、部屋からはなにも聞こえてこなかった。

 

「……返事がない」

「ただの屍のようだ……」

「こらっ、恋!」

「じゃあ、物色させてもらうか」

「か、勝手に入っていいんですか……っ!?」

「構うもんか。責任は俺が取る」

 

 と言って、扉を開け放つ水早先輩。

 部屋の中は、少し散らかっている様子があったものの、綺麗な部屋だった。

 そして、わたしの男の子の部屋のイメージとは、大きく違っていた。

 

「わぁ! かわいい部屋ですね!」

 

 ユーちゃんは、開口一番、そう言った。

 レースがあしらわれた、たなびく水色のカーテン。ベッドや机の上に置かれたぬいぐるみ。チェック柄の青いカーペットから、写真立てのフレームまで、女の子らしい調度が見て取れた。

 部屋を見た感じだと、全体的に水色が多い。青系の色が好きなのかな?

 わたしも男の子の部屋に入ったことがあるわけじゃないけど、でもこの部屋の感じは、なんだか男の子っぽくないということだけは分かる。まるで女の子の部屋だ。

 

「……なんか、変」

 

 恋ちゃんがぼそりと呟く。

 部屋が女の子らしいことに言ったわけではないようだった。

 

「恋ちゃん? どうしたの? なにかあった?」

「ん……これとか」

 

 そう言って彼女が差し出したのは、一冊の本。雑誌ぽい。

 表紙には一糸纏わぬ女の人が映ってて――

 

「わ、わわわ……っ!」

「うぉ! 俺の参考資料!」

 

 水早先輩が恋ちゃんから本を慌てて取り上げる。

 でも、ちょっと見えちゃった……

 この部屋の雰囲気とそぐわない本。確かに、少し変かも。

 恋ちゃんは今度は、窓に視線を向けていた。

 

「エロ本広げっぱなし……窓も空いてる……慌てて外に逃げた……?」

「なくもないな」

 

 わたしたちが来たことに気付いていたのかどうかはわからないけど、お兄さんがノックしただけで慌てて逃げる……

 やっぱり、水早くんにはなにかあるのかな。

 

「PCは……流石にロックかかってるか……こっちは……手紙……?」

「恋。あんまり勝手に弄るなよ。いくら学援部への依頼といっても、人の部屋を勝手に漁るのは倫理的にアウトなんだから」

「で、ゴミ箱……ティッシュたくさん……」

「恋! 俺の話、聞いてるのか?」

「んー? なーんか変に未使用感溢れるティッシュの山だな、こいつは」

「先輩も乗っからないでください」

 

 次々と物おじせずに部屋を物色する恋ちゃんと、それを窘める剣埼先輩。

 恋ちゃん、普段は大人しいけど、いざなにかを始めると、積極的というか、なんでも手に付けようとするよね……遠慮がないというかなんというか。

 ユーちゃんは可愛いぬいぐるみの数々に見惚れてる。わたしも、もうちょっと水早くんのなにかを知るための手掛かりを探さないと……

 

「あれ? これ……」

 

 ふと“あるもの”が目についた。

 その瞬間、わたしの中でなにかが繋がった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 一通り部屋の中を見たけど、家探ししすぎるのは水早くんのプライバシーを侵害することになると言って、剣埼先輩によって早々に切り上げられた。

 恋ちゃんは色々と探ってたみたいだけど、概ね表面的なところしか部屋は見ていない。

 だけど、それでもわたしからすれば、大きな発見があった。

 水早くんの家から出て、帰り道。剣埼先輩は別の用があると言って、今はいない。

 わたしと、恋ちゃんと、ユーちゃん。三人で並んで歩いている途中で、わたしhが切り出した。

 

「恋ちゃん。ユーちゃん。わたし、わかったかも」

「ん……私も。このくらいの推理、余裕」

「え? え? お二人はなにかわかったんですか!?」

 

 ユーちゃんはずっとぬいぐるみ見てたから、知らないよね。

 恋ちゃんはやっぱり、気づいてた。

 

「水早くんがなにについて悩んでいるのかはわからないけど……どこに行って、なにをしてるのかは、わかったよ」

「おぉ! 小鈴さん、そこまでわかったんですね! それで、それってなんですか!?」

「水早くんの部屋に、あったんだよ」

「なにがですか?」

「ビデオカメラ」

 

 短く答えると、ユーちゃんは小首をかくんと傾げた。可愛い仕草だった。

 でも、これだけじゃこの子には伝わらないんだ……もう少し、踏み込んで言おうか。

 

「水早くんの部屋で、ビデオカメラを見つけたんだけど……そのビデオカメラはね、わたしたちがこの前、更衣室で見つけたやつと同じ型だったんだよ」

「えぇ!? っていうことは、トーサツマは水早さんってことですか!?」

 

 ユーちゃんの盗撮魔のイントネーションがお芋の名前みたいになってるのはともかく。

 偶然の一致という可能性もあるけど、その可能性は極めて高いと思う。

 水早くんが隠れて外出していることや、ビデオカメラをお兄さんから無断借用していることを考えると、単なる偶然とは思えない。

 

「不登校児だったら、盗撮がばれても犯人として探し当てられる可能性も低い……ゲス野郎の姑息な隠蔽工作……」

 

 と、恋ちゃんは酷評してる。

 だけど、なんか引っかかるんだよね……

 男の子が、その、女の子の着替えとか、そういうのに興味を抱くのはわかるけど……水早くんが本当にそれを望んでいたのかどうか。

 あの部屋はあまりにも女の子らしすぎる。エッチな本はあったけど、あれは水早先輩のものらしいし……

 水早くんがどういうつもりで盗撮をしているのか。その動機が、不鮮明だ。

 少なくともわたしは、男の子だからという理由だけでは、まだ納得できない。

 なんにしても、いつかは水早くんに直接会って、話をしないといけないんだろうけど……

 

「本人に問いただして、正直に言ってくれるかな……」

「データ消したのが裏目に……証拠がない……」

 

 恋ちゃんは理詰めで問い詰めるつもり満々だった。

 そういうの、わたしはよくないと思うんだけど、事が事だし仕方ないのかもしれない。

 だとしても、問い詰めるための材料がないのだけれども。恋ちゃんはしばらく思案すると、ふと口を開いた。

 

「……目には目を、歯には歯を……」

「恋ちゃん? 急にどうしたの?」

 

 ハンムラビ法典の有名な条文を引用する恋ちゃん。いつも社会の授業では寝てるのに。

 有名な条文だから、知ってても別に不思議はないけど。

 なんて思ってるわたしの耳に、とんでもない言葉が飛び込んできた。

 

「相手がカメラで女の着替えを覗くなら……こっちもカメラで盗撮現場を押さえる……」

「え!?」

 

 恋ちゃんの提案は、それはそれは衝撃的だった。あのユーちゃんも絶句している。

 そんなわたしたちの心情なんて微塵も理解していない様子で、恋ちゃんは続ける。

 

「カメラは私が提供する……」

「こ、恋ちゃん! それは犯罪だよ!」

「……ばれなきゃ犯罪じゃない」

「そういう問題じゃないでしょ!?」

「大丈夫……悪用目的じゃない……」

「で、でも、みんな嫌がるよ……」

「そうですよ! 悪いことはダメです!」

「……こすずもユーも、いい子ちゃん……めんどい……」

 

 つまらなさそうに吐き捨てる恋ちゃん。

 実際に水早くんが盗撮する現場を、こっちが盗撮する。確かに、この上ない証拠になるし、相手の裏もかける確実な手段なのかもしれない。アプローチはいいと思う。

 それが、相手のやってることと同じ、犯罪であるということを除けば、だけど。

 流石に法に触れることはできない。もっと、別の方法じゃないと。

 

「水早くんが設置したカメラを回収して、それを突き出せば……」

「自分じゃないとシラを切られたら終わり……」

「そ、そっかぁ……」

 

 でも、犯罪はダメだし、どうしよう……

 その後も、わたしたちは恋ちゃんの犯罪を止めるために、説得を続けた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 目を閉じると、あの日の記憶が蘇る。

 意識が失せると、かつての思い出が呼び起こされる。

 思い出したくないわけじゃない。だけど、“彼女”の存在と、言葉が、ボクに楔を穿つんだ。

 ボクがボクであるために選んだ、ボクの存在証明。

 彼女が僕に遺した言葉は、それを覆す。

 自分が自分であるための証明を失った時、人はどうすればいいんだろう。

 考えに考えた結果、ボクは自分を変えることにした。

 それはボクにとって、転生するのと同じようなことだった。

 だけど、ボクは本当に変われたのかな?

 ちゃんと変わることができたのかな?

 まだ変わり切れていないんじゃないのかな?

 どうすれば、ボクは変われるんだろう。

 どうすれば、ボクは本当のボクを、見つけられるんだろう――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 悲報です。

 結局、恋ちゃんの案は採用されてしまった。

 恋ちゃん、普段は自己主張全然しないし、大人しいんだけど、一度自分の意思を持ったら凄く頑固なんだよね……今回でそれを思い知ったよ。

 ひっそり、こっそり、わたしたちは例の女子更衣室に、ビデオカメラを仕掛けた。

 わたしたちも見つかったら大問題になるし、そもそも同じ場所で盗撮魔がまた現れるとも限らないし、逆に見つかったら打つ手なくなっちゃうし、リスキーすぎる気もするんだけど……

 だけどそんなわたしの不安は、すぐに打ち消されることとなった。

 毎日毎日、カメラを設置しては回収してを繰り返した、三日目。

 遂に目標(ターゲット)を捉えた。

 という恋ちゃんの連絡を受けて、わたしはユーちゃんと一緒に、恋ちゃんの家を訪ねている。

 思えば、ここって剣埼先輩の家でもあるんだよね……そう思うと、緊張する。

 だけど先輩は今はいないようで、すぐに恋ちゃんの部屋に通されたから、緊張もなにも、あまり感じなかったけどね。

 それよりも今は、例の映像についてだ。

 

「こんなに早く成果が上がるなんて、思ってもみなかったよ……」

「私も流石に予想外……相手は素人くさい……」

「はやく見ましょうよ! Beeile dich(はやく、はやくっ)!」

「急かされても困る……取り込んだ映像、流すから……」

 

 恋ちゃんが、ビデオカメラと繋いだパソコンでなにか操作すると、ディスプレイに映像が流れ始めた。

 無音の更衣室。やがてたくさんの人が入ってきた。そこに映ってるのは女の子の――

 

「って、恋ちゃんストップ! これはダメなやつだよね!?」

「ん……間違えた……こっちだったかも……」

 

 恋ちゃんがファイルから別の動画データを再生する。

 危なかった……危うく見ちゃいけないものを見るところだったよ。

 今度も無音の更衣室から始まった。さっきと同じように、人が入って来るけど、今度は一人だけ。そして、明らかに挙動がおかしかった。

 キョロキョロと周りを気にするように視線を彷徨わせて、ひとつのロッカーを開ける。中でなにかゴソゴソと弄っていた。

 カメラを仕掛けているといってもおかしくない所作だった。恋ちゃんが仕掛ける時も、大体こんな感じだった。

 だけど、わたしたちが目を奪われたのは、そこじゃない。

 

「小鈴さん、恋さん、これって……」

「うん……」

 

 わたしたちは、水早先輩の弟さんが、カメラを仕掛けていたのだと思っていた。

 でも、そこに映っていたのは、わたしたちの予想を裏切る姿だった。

 

「女の子……!?」

 

 映像の中にいたのは、紺色のセーラー服の、女子生徒。

 しかもそれは、わたしたちが最初にカメラを見つけた時、更衣室に入ってきた女子生徒だった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「俺の弟は女なんだ」

 

 

 

 わたしたちの予想を裏付けるように、水早先輩はそう言った。

 場所は学援部の部室。わたしたち三人は、剣埼先輩、水早先輩らと向かい合っていた。

 わたしたちが盗撮した例の映像を出すわけにもいかず、ばれたらまずいところだけを隠して、大事な核心部分だけを言ったら、なにかを察したように先輩はすぐ白状した。

 水早くんが女子更衣室で盗撮をしていたことは、ビデオカメラからわかった。だからわたしたちは、彼のことを探ろうと、わたしたちもカメラを仕掛けて、証拠を掴んだわけだけど……わたしたちのカメラに映っていたのは、女の子だった。

 それがなにを意味するのか。その答えが、水早先輩の言葉だった。

 

「弟が……女……」

「? どーゆーことですか? ユーちゃんにはわかんないです……」

 

 ……なんとなく、わたしには水早先輩の言いたいことがわかる。少なくともわたしが感じていた違和感、腑に落ちない感覚、疑問は、先輩の言葉でほとんど払拭された。

 傍でユーちゃんが首をかしげている間、先輩方がなにか言っている。

 

「やはり部屋に入れるのはまずかったんじゃないですか? こんなにも早く、しかもほとんど確信を持って水早君のことがバレてしまいましたよ……」

「まあ、しゃーないさ。正直、この子らに協力を仰いだ時点で、こうなっちまうことは承知の上だ」

「その通りですけど、これに関してはナイーブな問題ですし、軽々しく口にすることは……」

「だとしても、協力してもらってんのに情報を開示しないっていうのは、おこがましいと言えないか?」

「それは……そう、ですね」

 

 こっちもなんとなく感じていたけど、先輩たちはわたしたちに、なにか黙っていたみたい。

 

「悪かったな。本当なら、ちゃんと話しておくべきだったっていうのに」

「でも、分かってほしいんだ。これから話すことは、水早君の大事なところに踏み込みかねない。簡単に人に言えることじゃ、ないんだよ」

「……はい」

 

 ユーちゃんや恋ちゃんはどうなのかわからないけど、わたしは覚悟はしている。たぶんそういうことだろうと、思ったから。

 先輩たちが、おもむろに口を開く。

 

「最初にも言ったが、俺の弟は女だ。生物学上は男なんだが」

「ユーちゃんには、それがどういうことなのかわかんないです……」

「いわゆる、身体は男の子でも、心は女の子って意味だよ。この表現が正確でないということを前提として、わかりやすい似たものを指す言葉を使うなら――性同一性障害、というんだ」

 

 とても回りくどく言う剣埼先輩。だけど、それだけ大事なことなんだと思う。

 性同一性障害……身体の性別と、心の性別が一致しない障害。話にだけなら、聞いたことがある。

 だけど先輩は、一概にそう定義しない。それが、水早くんに対する心遣い、なんだと思う。

 

「だいぶ昔からだ。俺の弟は、確かに男なんだが、女に憧れてるようなところがあってな……小学校までは、しょっちゅう女の格好してた」

「でもそれって、ヘンなんじゃないんですか?」

「そうだね。多くの人から見たら、それは“おかしいこと”と思われてしまうかもしれない。だけど、水早君にとっては、そうじゃないんだよ。ユーリアさんも、日本に来た時、ドイツの生活と違うことがあって、大変だったことはない?」

「あ、あります! 日本人(ヤーパナー)のみなさん、電車が遅れると、とっても怒ってました! すごく、怖かったです……」

「自分からすれば普通のことでも、他人からしたら普通じゃないと思われる。水早君も、同じようなことで悩んでいたんじゃないかな」

「そうだな。学校でも結構、問題だったらしいしな……つっても、あいつには拠所があったんだが……」

「よりどころ?」

 

 言い換えれば、心の支え。

 それがあったから、水早くんは男の子でありながら女の子であっても、やっていけたのだろうか。

 でも水早先輩は、“いた”と過去形で言っていた。

 それって、つまり……

 

「……あいつの幼馴染だ。俺たち兄弟の幼馴染でもあったんだが、一番仲良くしてたのは霜だった。女の姿でいるあいつを肯定した、唯一の女の子だ」

 

 それが、水早くんの拠所。そういうものが、人が、いたんだ。

 でも、それだけでは、終わらない。

 

「だが――その子は、もうこの世にはいない」

「っ……」

「死んだんだ。交通事故だ」

 

 思わず、息を飲んだ。

 死。

 それは、この世界にたくさん溢れていることだし、お話の中でも、ニュースでも新聞でも、色んなところに満ちている概念。

 だけど、わたしたちの認知している範囲では、滅多に見られないものだった。

 凄く近いのに縁遠い。そんな不思議な概念。

 

「伊勢さんたちは知らないかな。今年の三月……春休みの出来事なんだ」

「つきにぃは、知ってるの……?」

「うん。その子は、烏ヶ森の二年生だからね」

「えっ? そーなんですか!?」

「正確には、二年生になる予定だった、だがな」

 

 三月だと、まだ進級はしていない。

 つまりその人は、二年生になる前に、この世を去った。

 

鈴谷凛(すずやりん)さんっていうんだけど、君たちの一つ上の学年の、女の子だったんだ」

「その人が、水早くんの……」

「拠所。わかりやすく言えば、理解者、だな。あの子と霜は幼馴染なんだが、男なのに女の格好したがるあいつを、普通に受け入れてたよ。どころか、服を貸したりもしてたな」

 

 しみじみと語る水早先輩。

 その口振りからも、なんとなくだけど、鈴谷さんがどれだけ水早くんにとって大事だったかが、伝わってくる。

 それに、水早先輩が、水早くんのことを大事に思っているということも。

 

「ってことは、水早くんが学校に来ないのは……」

「リンちゃん……おっと、鈴谷凛の死が関係しているのは、まあ間違いないだろうな。抱えてるものが抱えてるものだし、茶化されたり、冷やかされたりしたことも多かったせいで、人間不信なところのある奴だったんだが、彼女の死以降は、それに輪にかけて他人を嫌うようになったっていうか……明らかに閉鎖的になって、部屋に引きこもるようになった」

 

 心の拠所を失ったから。

 唯一の理解者がいなくなったから。

 だから、塞ぎ込んでしまったというのは、理解できる。

 

「ただ、本当にそれだけなのか。それだけで終わっているのかが、気になってるんだ」

「……?」

「塞ぎ込んでるだけなら、まだ話は単純だったんだ。だけどあいつは、なにを考えてるのか、行き先不明の外出をしたり、兄貴のカメラを無断使用したり、俺のエロ本――じゃない、参考資料を持って行ったりしてる。流石にこの奇行は理解しがたくてな。心配なんだ」

 

 理解できない行動をしているから、心配。

 ただ落ち込んでいるだけならわかりやすいけど、水早くんはそうじゃない。謎の行動を繰り返している。

 それが、水早先輩の不安の種になっている。

 

「だから、それを剣埼に頼んで調べてもらおうと思って、君らにはその手掛かりになってほしかったんだが……悪かったな、黙ってて」

「い、いえっ。とても大事で、繊細なことだってわかったので……もう気にしてません」

 

 先輩たちの言葉で、わたしたちの予想は、これで確信に変わった。

 それだけで、十分だった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……どうしましょう」

「とりあえず……推論は裏付けが取れた……証拠もある……」

「うーん……」

 

 悩ましいところではあるよね。

 水早くんが、男と女の性差に悩んでいるのなら、彼が“女装して学校に来ている”という推論はかなりの真実味を帯びる。

 そして、女子の制服を着たショートカットの女の子は、女子の制服を着た水早くんだと考えられる。

 亡くなった鈴谷凛さんは、水早くんに服を貸していたらしい。それも踏まえると、水早くんが女子の制服を持っていることにも、納得できなくもない。それに彼が着ていた制服の校章は、二年生のものだった。鈴谷凛さんは年齢がわたしたちよりひとつ上。彼が鈴谷凛さんの制服を着ていたなら、ここでも辻褄が合う。

 結局は全部推論だけど、さっきの話と併せて当てはめると、当たっているような気がする。

 だけど、問題はそれからだ。

 水早くんが女装して女子更衣室にカメラを仕掛け、盗撮をしている。だけど、それはなんのため?

 男の子が盗撮するのは、まあ、その、わからなくもないけど……女の子になりたがってる男の子が、そんなことをするのかな?

 わからない。

 それに、彼が盗撮をしているということを掴んでも、そこからどう彼とコンタクトをすればいいのかも。

 

「うーん……」

「……とりあえず、ひっつかまえて聞き出すのが手っ取り早い……」

「ランボーはダメですよ、恋さん! メッ、です!」

「面倒くさい……」

 

 剣埼先輩が言っていたように、この問題は、とてもデリケートだ。

 水早くんの心は、確実に弱っている。そして、迷っているし、歪んでいるかもしれない。

 無理やり、乱暴に解決するような手段を取るのは、ダメ、だと思う。それはきっと、水早くんをもっと追い込んでしまう。

 慎重にならなければならない。だけど、慎重になったからって、どうしたらいいのか、なにが最善なのかは、わからない。

 わたしたちは、どうやってこの事件を、解決に導いたらいいんだろう――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――好きだよ、ソウちゃん――

 

 ボクを苦しめる、彼女の最期の言葉。

 それ以降、ボクは充足感を捨てた。

 可愛いワンピースや、ふりふりのスカートはボクを満足させた。女の子の服は、ボクを幸福にした。

 彼女もそれを喜んでくれた。ボクと一緒に笑ってくれた。

 だけど、彼女が最期に遺していた言葉に、ボクは気づかされた。

 彼女はどうあっても女の子だったということに。

 彼女の気持ちは嬉しい。だけど、それはボクという存在を見つめ直さずにはいられなかった。ボクという存在が変わらずにはいられなかった。

 変えないわけには、いかなかった。

 彼女が好きと言ってくれた。ならボクは、彼女の好きに応えなくてはならない。

 女の子ではなく、男の子として。

 男の子には、どうなったらなれるのか。

 都合のいいことに、ボクには兄貴が二人いたから、二人をサンプルにしようと思った。一番上の兄貴は堅物だから、機材を拝借。軟派な下の兄貴からは、資料を拝借。

 バレているとは思うけど、ボクにはそれを気にする余裕はなかった。

 男の子への成り方を知らないボクは、どんな手でも使う。

 それが、法に触れることであっても。

 倫理的に悪いことであっても。

 …………

 ……でも、苦しいんだ。

 幼い女の子を見ても、スタイルのいい女の子を見ても、可愛いとか、綺麗とか、そんな感想しか湧いてこない。

 男に必要な興奮は、そこにはなかった。

 ボクの心は、完全に女の子になってしまったのか。

 わからない。

 彼女と一緒に女に染まるのは、楽しかったし嬉しかったけど。

 その思い出が、ボクの楔となっている。

 穿たれた穴は痛くて、辛くて、苦しくて。

 ボクはどうすればいいのか、わからない。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 今回は随分と恋ちゃんに主導権を握られてしまっていた。

 水早くんとの接触。これ以上わたしたちができることはないような気もするけど、ここまで踏み込んでしまったからには、大人しく引き下がるわけにもいかないという気もする。それでいて、これ以上は踏み込んでもいけないという気もする。

 そんなわたしの葛藤は、恋ちゃんにはなかったのかな。恋ちゃんは水早くんと直接接触して、話を聞くという手を取った。

 話を聞く、という点ではわたしも納得できなくもないけども……結局はそうしないと、水早くんが抱えているものは見えてこないんだから。

 ただ、どこまで踏み込んでいいのか。そして、わたしたちにその加減ができるのか。特に恋ちゃんにそれができるのか。それが不安だった。

 恋ちゃんは歯に衣着せぬ物言いをするし、言葉の毒も強い。直に話を聞くって言っても、ディベートで相手を論破するわけじゃなくて、水早くんの気持ちを聞き出すことが目的なんだから、言葉で狼藉を働くようなことがあってはいけない。

 わたしはそんな恋ちゃんが、やりすぎないようにストッパーになるべきなんだけど、わたしに務まるかなぁ……?

 ところで、どうやって接触するかというところに疑問を抱くと思うんだけど、方法は単純明快です。カメラで盗撮現場の証拠をつかんだ時とほぼ同じ。

 水早くんが更衣室に入ったタイミングを見計らって、本当にそのままの意味で直接接触する、らしい。

 そんなわけで、わたしたちは更衣室近くの階段の陰に隠れて、水早くんが来るのを待っていた。

 と、その時だ。

 不意に、声をかけられる。

 できれば、こんな時、こんなところで聞きたくなかった声を。

 

「小鈴!」

「と、鳥さん!?」

 

 いきなり、鳥さんがやって来たのは。

 本当に突然でびっくりした。この場にいるのは、鳥さんのことを知ってるユーちゃんと恋ちゃんだけだから、大丈夫だけど。

 

「トリさんです! この前はおわせなりました!」

「なんだ……焼き鳥か……」

「焼き鳥って僕のこと?」

「そう……間違ってない……」

 

 ど、どうだろう。

 当たってたとしても、その呼び方はあんまりだと思うけど……

 

「小鈴、クリーチャーの気配だ。またこの学校で確認されたよ!」

「また……?」

「実は今まで何度か、それらしい気配を察知してたんだけどね。ただ、上手く小鈴と会えなかったり、気配が弱かったりで補足できなかったんだけど、今回は上手くタイミングを合わせられたよ」

「それはよかったね……」

 

 だけど、今はそれどころじゃ……

 

「! 小鈴さんっ。来ましたよ!」

「よし……行動開始……」

「あ、ちょっと待ってっ!」

 

 水早くんが更衣室に入っていくのを確認したらしい。恋ちゃんとユーちゃんの二人が、腰を浮かせる。

 鳥さんのことも気になるけど、今はこっちだ。鳥さんに、今は手が離せない、ということだけを伝えて、わたしも二人の後に続く。

 更衣室に突入するわたしたち。そこには案の定、紺のセーラー服を着たショートカットの生徒――水早霜くんがいた。今まさにビデオカメラを持っているところだった。

 彼はわたしたちを見ると、ビクッと身体を震わせて、その場から立ち去ろうと一歩踏み出すけど、わたしたちが入口を陣取ってるせいで、それもできない。

 一番最後に入ったわたしは、後ろ手で扉を閉めると、彼に問いかけた。

 

「水早霜くん……だよね」

「……ボクのこと、知ってるんだ」

 

 初めて、その声を聞いた。

 変声期を迎えていない、男の子とも、女の子とも言えない、子供の声。

 だけどやっぱり、彼は男の子なんだ。顔立ちも、あどけないし女の子っぽいけど、よく見れば男の子のそれだということがわかる。

 わたしはできるだけ警戒心を抱かせないように、努めて朗らかに話しかける。

 

「うん。わたしは伊勢小鈴です。一年A組で、その、君のクラスメイト、だよ」

「……ボクはもう何ヶ月も学校に来てないけど……今更、ボクのクラスメイトがなんの用?」

 

 気を遣ったつもりだけど、あまり効果はなかったみたい。水早くんは、警戒するように視線を鋭くする。

 さり気なく手に持つビデオカメラを鞄の中に仕舞っている。カメラを仕掛けようとしていたことは、なかったことにするつもりっぽい。

 これは本当にそのまま聞いても、シラを切られてたのかも。

 話の本題も、本来なら彼の持っているビデオカメラについてなんだろうけど、上手いこと話をすり替えられちゃったし。

 だけど、それでもわたしたちのすべきことは変わらない。

 

「君のお兄さんに頼まれたの」

「兄貴に……?」

 

 少し意外そうな声を上げる水早くん。だけど、すぐになにか理解したように気を取り直した。

 

「こんなボクに構うとしたら、真ん中の……お節介にもほどがある。悪いけど、構わないでくれ……これは、ボクの問題だから」

「……女装して更衣室に忍び込んで……女の裸盗撮して……なにがしたいのかさっぱり……なにが、お前の問題、だ」

 

 恋ちゃんが口を挟んだ。

 彼女の声は、どこか攻撃的に感じられる。

 これは、少しまずいかも……

 

「こ、恋ちゃん……」

「恋さん、ちょっと言い過ぎですよ」

「こすず、ユー……黙ってて……」

 

 恋ちゃんの小さな矮躯から発せられる、不思議な気配。

 その圧力に気圧されてしまい、わたしもユーちゃんも、黙り込んでしまった。

 

「女になりたがってるって、聞いたけど……本当に、そうなのかどうか……」

「……それ以上、ボクに踏み込んでくるな」

「実は……もっと考えるべきことが、あるはず……死んだ女に、なにか、吹き込まれた……?」

「……黙れ」

 

 こ、恋ちゃん、それ以上は……!

 わたしが想像していた最悪の展開よりも、さらに悪い方向に進んでいく。

 明らかに二人から、険悪なムードが展開されている。空気が重いし、悪い。

 どうやってこの場を鎮めようかと考えていると、背後から声がした。

 ……背後?

 わたしが最後に入ったから、わたしの後ろには誰もいないはずなのに、と思ったら。 

 

「小鈴」

「と、鳥さん!?」

 

 鳥さんだった。

 ちゃっかり入って来てるよ!

 ここは一応、女子更衣室なんだよ! 鳥さんはオスなんだから入って来ちゃダメだよ!

 ……本当にオス、なのかな?

 いや、そんなことは今はどうでもいい……たぶんどうでもいいんだけど、そんなことを言う間もなかった。

 

「クリーチャーの気配だ。彼から感じるよ」

「え?」

 

 鳥さんの口から、思ってもみなかったことを聞かされる。

 水早くんから、クリーチャーの気配?

 

「クリーチャーの力が溢れつつあるのを感じる……なにか、彼の“核”に触れたのかも」

「核……」

「なんにせよ、彼はクリーチャーに侵食されてるみたいだ」

 

 水早くんが、クリーチャーに憑りつかれてる?

 水早くんが抱えている問題も、クリーチャーに関わること?

 そこまでは鳥さんもわからないけど、なにか、彼の中では様々なものが複雑に絡み付いているようだった。

 わたしと鳥さんがそんなことを言っているうちに、恋ちゃんと水早くん、二人の剣呑な空気はどんどん悪化していく。

 

「私情としては、盗撮されたっていう一点……それ以上に、お前の態度は……ムカつく」

「ボクも、君みたいな輩に、ボクの大切な領域を踏みにじられるのは不愉快だ」

 

 水早くんが、明確に怒りを表した、その時。

 彼の背後に、なにかの影を見た。

 

「っ」

「見えた? 凄いね。変身しなくても、もう見えるようになったんだ」

「見えたというか、一瞬だけ、なんかぞわっとしたよ……人じゃないって確信できる感じ……なんか、怖い……」

 

 視覚的に見えた気がするけど、感覚的にはそうじゃない。なにか、身体の芯に働きかけるように、感じた。

 クリーチャーの、存在を。

 

「……クリーチャー……か……」

「恋ちゃん……?」

「小鈴……ユー……下がってて……」

「恋さん?」

 

 恋ちゃんはなにを察したのか、前に進み出る。

 そんな恋ちゃんの意思に引き付けられるように、水早くんも同じように進み出た。

 それは水早くんの意思なのか。それとも、クリーチャーの意思なのか。

 

「私が……カタ、つける……」

 

 そう恋ちゃんが言った瞬間。

 二人は、戦いの場に立っていた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 恋ちゃんと、水早くんデュエマが始まっちゃった。

 本当なら水早くんと話し合うための接触だったはずなんだけど……

 でも、水早くんがクリーチャーに憑りつかれているのなら、まずはその前提を取り除かないといけない。

 彼の、本当の気持ちを聞くためにも。

 二人の対戦は、今のところ、どっちもシールドは五枚。恋ちゃんは《霞み妖精ジャスミン》を召喚して、マナを増やしてる。

 一方、水早くんは水のカードをマナに置いてて、まだ動かないけど……

 

「ボクのターン。《メテオ・チャージャー》をマナに置いて、《ネクスト・チャージャー》を唱えるよ」

「火のチャージャー……」

「手札の交換はしない。ターンエンド」

「私のターン……《フェニックス・ライフ》を唱える……山札の上から二枚を見て……こっちをシールド、こっちをマナに置く……」

 

 恋ちゃんのマナに置かれたのは、《悠久を統べる者 フォーエバー・プリンセス》。火と自然のクリーチャーだった。

 

白赤緑(リース)か、珍しいね」

「ビートダウンでもないのに青赤なのも、どっこいどっこい……」

「そうかい。確かにビートダウンみたいに殴らないけど、遅いと思って油断してると、即死するよ」

 

 

 

ターン3

 

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:0

山札:28

 

 

場:なし

盾:6

マナ:5

手札:3

墓地:2

山札:24

 

 

 

 意味深なことを言って、水早くんのターン。

 水早くんはマナチャージをすると、素早く手札を切った。

 

「《No Data(ノーデータ)》を召喚だ!」

 

 出て来たのは、直方体の……クリーチャー?

 クリーチャーみたいだけど、なにかの機械に見える。その姿は、クリーチャーとは思えなかった。

 名前もNo Data(情報がない)だなんて、不気味……

 

「小鈴、あのクリーチャーだ」

「え? なにが?」

「あのクリーチャーが、彼の異常の原因だよ」

 

 鳥さんが、機械のクリーチャーを指して言う。

 《No Data》……あのクリーチャーが、水早くんの異常の原因?

 どういうことだろう?

 

「ターン終了する時、《No Data》の能力で、ボクの手札とシールドを一枚ずつ入れ替えるね……ターンエンド」

「シールド交換……トリガー、仕込んだ……?」

 

 《No Data》の能力で、水早くんはシールドを入れかえる。

 シールドを入れかえるってことは、手札にあるS・トリガーを仕込んだって考えられるけど……どうなんだろう。

 

「入れ替え、だね」

「? それがどうしたの?」

「それが、彼の異常なのさ。シールドは楯。言い換えれば、周囲からの“見られ方”だ。外から見られる情報と言ってもいい」

「……?」

「彼は図らずも、それをすり替えられているのさ。彼の内面と外面の落差。表面に出すべき自分と、自分自身の中に潜む自分を、あのクリーチャーによって入れ替えられている……その戸惑いが、彼の心の暴走を引き起こしているんだ」

 

 鳥さんの言うことは難しい。どういう意味なのかよくわからないけど……しっかりと考えてみよう。

 水早くんの内面と外面。それはたぶん、水早くんの抱える“性差”の問題。

 心は女の子でいたくても、身体は男の子。女の子として振舞おうとする自分と、どうしたって男の子である自分。

 今までの水早くんは、幼馴染の存在もあって、その二つを上手く切り替えられていたんだと思う……でも、それがクリーチャーの仕業で、自分の望まない方向に入れ替えられている……?

 

「……酷い」

 

 人の心の問題は、とてもデリケートだ。ましてや、それが自分の性に関することなら、なおさら。

 わたしだって胸が大きくなり始めた時は、周りとの差に凄く悩んだ。いくらそれが当然のことだと言われても、悩まずにはいられなかった。

 水早くんの場合は、どちらかと言えば少数派(マイノリティ)な悩み。それを打ち明ける相手も少なかっただろうし、いなかったかもしれない。ずっと自分で思い悩んでいたかもしれない。

 その心をかき乱すなんて……酷いと思う。

 わたしの中で、なにかが沸々と湧き上がるのを感じた。

 

(恋ちゃん……頑張って……!)

 

 目の前で水早くんに立ち向かう恋ちゃんを応援しながら、わたしは二人の戦いを見届ける。

 

「とりあえず……《幸弓の精霊龍 ペガサレム》を召喚……シールドを一枚追加して、ターン終了……」

「《ペガサレム》か。シールドが増えたけど、それは一時的なものだよね。今のボクには関係ないな」

 

 まだどっちも大きな動きを見せていない。攻撃もしてない。

 ピリピリとした空気のまま、水早くんのターン。

 

 

 

ターン4

 

場:《No Data》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:0

山札:27

 

 

場:《ペガサレム》

盾:7

マナ:6

手札:2

墓地:2

山札:22

 

 

 

 

 

「ボクのターン。まずは《No Data》の能力で追加ドローして……《極武者カイザー「斬鬼」》を召喚!」

「《「斬鬼」》……?」

「ターンエンド。《No Data》の能力で、手札とシールドを入れかえるよ」

「よくわからない……私のターン、《ペガサレム》の能力で、さっき追加したシールドを回収……」

 

 《ペガサレム》の能力は、1ターン限りのシールド追加。

 1ターン経っちゃったから、追加したシールドは手札になってしまう。

 

「……《「斬鬼」》がいるってことは、殴ってくるはず……ここは、出し惜しまない……殴る」

 

 恋ちゃんはしばらく手札を見つめると、そう呟いて、カードを切った。

 マナゾーンのカードを七枚タップして、タップしたカードを三枚、手に取る。

 

「マナゾーンの《シュトルム》《ホーリー》《フォーエバー・プリンセス》の三体を、進化元にして……」

「!」

 

 手に取ったカード三枚を、重ね合わせた。

 重なったそれらのカードにもう一枚重ねて、バトルゾーンに出す。

 

 

 

「マナ進化GV(ギャラクシー・ボルテック)――《超神星グランドクロス・アブソリュートキュア》」

 

 

 

 な、なにあれ……!?

 マナゾーンのクリーチャー三体を吸収して現れた、物凄く大きなクリーチャー。あれは、鳥……?

 燃えるように輝く大きな鳥。その姿はまるで、不死鳥だ。

 

「《アブキュア》……!」

「《アブソリュートキュア》で攻撃……メテオバーン発動」

 

 メテオバーン。

 その言葉に反応して、《アブソリュートキュア》の下にあるカードがすべて、墓地に置かれた。

 

「進化元三体を墓地に置く……この時、《フォーエバー・プリンセス》の能力が割り込んで、墓地のカードをすべて山札に戻す……それから《アブソリュートキュア》の能力発動……山札の上から三枚をシールドへ……」

 

 一気に、恋ちゃんのシールドが三枚も増えた。

 す、すごい……これで恋ちゃんのシールドは九枚。これだけのシールドがあれば、そう簡単には負けないよね。

 

「Wブレイク……」

「S・トリガー発動! 《無法のレイジクリスタル》!」

 

 シールドを一気に増やしながら攻撃するけど、いきなりS・トリガーが出てしまった。残念。

 でも、状況は恋ちゃんが有利だし、大丈夫だよね……?

 

「使い回されるのは嫌だけど、仕方ないな。パワー6000以上の《アブキュア》を手札に戻す(バウンス)! パワー6000以下の《ペガサレム》は破壊だ!」

「……ターン終了」

「マナを見た感じ、《アブキュア》型の白赤緑トリガービートか……シールドが増えるだけならボクのデッキでは関係ないけど、トリビはちょっとな……」

 

 困ったような表情を見せる水早くん。

 これだけたくさんのシールドがあったら、割り切れないし、困ってしまうはず。

 だけど、水早くんは諦めてなかった。

 

「……いや、でもこの際もう仕方ない。一気に勝負をつけに行くよ!」

 

 ある意味では諦めがついたと言うように。水早くんは、手札のカードを切る。

 

「6マナで《龍素記号Sb リュウイーソウ》を召喚!」

「《リュウイーソウ》……?」

「見せてあげるよ、ボクのコンボを!」

 

 そう言って水早くんは、前のターンに召喚した《「斬鬼」》に手をかける。

 

「《極武者カイザー「斬鬼」》で攻撃! この時、《「斬鬼」》の能力でボクのシールドを一枚、手札に加えるよ! そうすれば、相手のパワー6000以下のクリーチャーを破壊できる」

「私の場に、クリーチャーがいないのに……?」

 

 シールドを手札に加えることで、6000以下のクリーチャーを破壊する能力。

 うーん、なんだか燃費が悪い気がするなぁ。たった五枚しかないシールドを一枚失って、できることがパワー6000以下のクリーチャーを破壊するだけなんて。

 でも、それ以上に水早くんの行動は、わたしにも疑問だった。恋ちゃんの場にクリーチャーがいないのに、わざわざシールドを手札にするなんて。

 シールドを減らすだけなのに、どうしてそんなことをしたんだろう。その答えは、すぐに明らかになる。

 

「クリーチャーなんて関係ない! このシールドが手札に加えられる時、手札に加える代わりに――(ストライク)・バック、発動!」

「……まさか」

 

 恋ちゃんの瞳が、一瞬だけ揺れた。

 わたしも、水早くんからなにか危機的なものを感じた。

 水早くんは《「斬鬼」》の能力で手札に加えたカードを、表向きにする。

 

「《リュウイーソウ》の能力で、ボクの手札にある呪文は、同じ文明のカードでS・バックできる。ボクが捨てるのは火文明の《メテオ・チャージャー》。だから、手札から火文明の呪文を、コストを支払わずに唱えるよ!」

 

 S・バック……これも、教わったことがある。

 確か、シールドを手札に加える時、手札に加わったカードがS・バックで指定されたカードなら、それを捨てることで使えるカード。

 《リュウイーソウ》は手札の呪文に、その呪文と同じ文明のS・バックを付与する。ということは、手札からどんな火文明の呪文でも唱えられるということ。

 わたしにはなにが出るのか想像もつかないけど、恋ちゃんはなにかを察している様子だった。

 そして、水早さんの手から、シールドから加えられたカードが墓地に落ちる。

 直後、凄まじい号砲が轟いた。

 

 

 

「まとめて吹き飛べ――《ティラノ・リンク・ノヴァ》!」

 

 

 

 水早くんが唱えた呪文は……コスト14!?

 流石に目を剥いた。こんなコストの高い呪文があるんだ……14マナなんて、そんなにマナは溜まらない。普通に唱えるのはほとんど無理なんじゃないのかな?

 それにこれだけ大きなコストなら、それだけ強力な効果を持っているはず。どんな効果なんだろう……

 

「《ティラノ・リンク・ノヴァ》……」

「少し古いカードだけど、説明する必要はないみたいだね。まあ、説明するほど難しい効果でもないけど……ね!」

 

 刹那。

 恋ちゃんのシールドが、一瞬で吹き飛んだ。

 

「……っ」

「《ティラノ・リンク・ノヴァ》の効果で、相手のシールドをすべて手札に加えさせる! これで君は丸裸だ!」

 

 再び目を剥くわたし。

 確かに単純だけど、凄く強い効果だ。問答無用でシールドを全部なくしちゃえるなんて……恋ちゃんが増やした九枚のシールドが、全部まとめてなくなっちゃった。

 シールドが増えても関係ないっていうのは、このことだったんだね……

 だけど、効果が強力な分、この呪文には弱点もあるみたい。それは重すぎるコストと、

 

「……S・トリガー、《フェアリー・ライフ》でマナを増やす……《メガ・ブレード・ドラゴン》召喚……、それと、《ペガサレム》二体……シールドを二枚追加する……」

 

 S・トリガーが使えるところ。

 恋ちゃんのデッキはS・トリガーがたくさん入ってる。だから、これで攻撃を凌ぐこともできるかもしれない。

 

「それじゃあ止まらないよ! 《「斬鬼」》でシールドをWブレイクだ!」

 

 そういえばこれって、《「斬鬼」》が攻撃中のことだった。

 途中で呪文を唱えても、攻撃は続くんだ……《ペガサレム》で増えたシールドを《「斬鬼」》がそのままブレイクした。

 これでまた、恋ちゃんのシールドはゼロ。

 

「……S・トリガー、《閃光の守護者ホーリー》……相手クリーチャーをタップする……」

「《No Data》の攻撃が止められたか……仕方ない。ターン終了だ。手札とシールドを入れかえるのも忘れないよ」

 

 だけど、最後のシールドから《ホーリー》が出たお陰で、ギリギリ耐えられた。

 よかった……でも、またシールドがなくなっちゃった。

 恋ちゃん、大丈夫かな……

 

「……決める」

 

 と、思ったけど。

 わたしの心配は、杞憂だったかもしれない。

 

「《ペガサレム》を進化――」

 

 恋ちゃんはもう、切り札を引いていたんだ。

 

 

 

「――《聖霊龍王 ミラクルスター》」

 

 

 

「っ、ここで《ミラクルスター》か……!」

「《ミラクルスター》の能力で、《リュウイーソウ》と《「斬鬼」》をフリーズ……」

「単純とはいえ、二体フリーズは厳しいな……」

「…………」

 

 恋ちゃんは少し考えてから、攻撃対象を宣言する。

 その対象は、水早さんではなく《No Data》だった。

 

「《メガ・ブレード・ドラゴン》で《No Data》に攻撃……相打ち」

「やっぱりこっちから処理するか。慎重だね」

「次に、《ミラクルスター》でTブレイク……仕込んだシールドから」

 

 《リュウイーソウ》と《「斬鬼」》はフリーズで動けないから、放っておいても大丈夫。

 恋ちゃんのアタッカーは《ミラクルスター》《ペガサレム》《ホーリー》。水早くんのシールドは残り二枚。とどめまで行ける。

 と、思ったけど。

 

「S・トリガー《終末の時計 ザ・クロック》だ!」

「《クロック》……予想はしてたけど、本当にあった……」

「《クロック》の能力で、このターンは強制終了! ボクのターンだ!」

 

 ターンを強制的に飛ばしてしまうS・トリガー、《終末の時計 ザ・クロック》。

 このカードの存在を初めて知った時、わたしも驚いたけど……ターンを飛ばして攻撃を止めるって、まず発想が凄いよね。

 ブレイクの途中でもお構いなしに止めちゃうから、水早くんのシールドが一枚残ったまま、恋ちゃんのターンが終わっちゃった。

 

「《アクア・スーパーエメラル》を召喚! 手札とシールドは……入れ替えない! さらにもう一体召喚だ!」

「ブロッカー……」

「このターンは攻撃しても意味がない……なら、ターン終了だ」

 

 恋ちゃんの場には《ホーリー》がいるから、攻撃できるのが《クロック》しかいない水早くんは、攻撃できない。

 ブロッカーが二体いても、恋ちゃんの攻撃できるクリーチャーは三体いる。それに

 

「私のターン……《アブソリュートキュア》をマナ進化GVで召喚……進化元は《罠の超人》《シュトルム》《フォーエバー・プリンセス》の三枚……」

 

 恋ちゃんの手札には、マナ進化できる《アブソリュートキュア》がいる。

 進化クリーチャーはすぐに攻撃できるから、これでアタッカーが四体。今度こそ、とどめを刺せるはず。

 トリガーが、やっぱりちょっと怖いけど。

 

「盾交換しなかったってことは、トリガーはない……? ここは殴るべきか……《アブソリュートキュア》で攻撃……メテオバーンで進化元を墓地に……《悠久》の処理を割り込んでデッキをシャッフル、シールドを増やす……」

 

 一気にシールドが三枚も回復した恋ちゃん。不安な要素はあるけど、今度こそ行けるはず。

 水早くんの最後のシールドが割られる。ブレイクされたシールドを見て、水早くんの顔から、表情が消えた。

 女の子っぽい、男のような、なにもない表情だった。

 

「……来てくれたか」

「《クロック》……?」

「いいや。だったらボクも嬉しかったけどね」

 

 俯き加減だった水早さんは、スッと恋ちゃんを見据える。

 そして、割られたシールドカードを手にして、叫ぶ。

 

「さぁ、勝負だ!」

 

 すると、そのカードを墓地へと投げ放った。

 

「このブレイクで手札に加わったカードは、《無法のレイジクリスタル》!」

「トリガー……」

「だけどボクは、このトリガーを使わない。手札にも加えない。代わりに墓地に捨てて、S・バック発動――」

 

 S・トリガーなのに、しかも強力な《無法のレイジクリスタル》を使わずに、S・バックで捨てちゃうの?

 もったいない。わたしはそう思ったけど、水早くんが考えていることは、わたしとは全然違った。

 それに、わたしよりもずっと、勇気ある行動だった。

 

 

 

「喰らえ――《ティラノ・リンク・ノヴァ》!」

 

 

 

「……っ」

 

 水早くんは、S・トリガーを捨てて、《ティラノ・リンク・ノヴァ》を唱えた。

 その瞬間、《アブソリュートキュア》で回復させた恋ちゃんのシールドが、再び消し飛んだ。

 

「君のシールドには消えてもらう……さぁ、トリガー勝負だ!!」

「……S・トリガー、《ペガサレム》召喚……シールドを一枚、追加する……」

「それだけかい?」

「二枚目……《フェアリー・ライフ》。マナ加速……」

「それで、終わりかな?」

「……終わり。だけど、攻撃は終わりじゃない……《ミラクルスター》でダイレクトアタック」

「《スーパーエメラル》でブロック!」

「《ペガサレム》でダイレクトアタック……」

「そっちもブロックだ!」

 

 ……あれ?

 水早くんのシールドはもうない。ブロッカーもいない。だけど恋ちゃんの場にはまだ、《ホーリー》がいるよね。

 水早くん、もう恋ちゃんの攻撃を防げないんじゃ……

 

「…………」

 

 だけど、恋ちゃんは攻撃しない。

 なぜか、ジッと水早くんを睨みつけている。

 

「トリガーの《レイジクリスタル》を捨ててまで、捨て身の《ティラノ・リンク・ノヴァ》……こんな初歩的な打点計算を間違えるとは、考えいにくい……《ハヤブサ》、握ってる……?」

「言うわけないだろう、そんなこと」

「ブラフの可能性……でも、耐えれば打点揃ってるのに、わざわざそのリスクを冒す必要性はある……?」

 

 ぶつぶつと呟きながら、しばらく考え込む恋ちゃん。

 よくわからないけど、とどめが刺されると分かっててトリガーを手放したから、手札にシノビがあると思ってるのかな。

 でも、シノビで防御できるなら、さっきのトリガー手放しも納得できるかも。

 

「……ターン、終了……」

 

 しばらく悩んで、恋ちゃんはターン終了を宣言した。

 

「ブロッカーを残したね。その判断は正しいよ。これがラストターンだから言うけど、ボクの最後の手札は《ハヤブサマル》だ」

「やっぱり……」

 

 水早さんは、恋ちゃんの予想通り、シノビを握っていた。

 恋ちゃんのシールドは残り一枚しかない。だけど《ホーリー》はブロッカーだから、恋ちゃんのS・トリガー次第では、もしかしたら耐えられるかも。

 

「このデュエマのラストターン、最後の勝負だよ! 《「斬鬼」》でシールドを攻撃!」

「《ホーリー》でブロック……」

「まだまだ! 《リュウイーソウ》で、Wブレイクだ!」

 

 恋ちゃんの最後に残ったシールドが破られる。

 これがトリガーじゃなかったら、恋ちゃんの負け……!

 

「…………」

 

 これが最後のブレイク。

 来て。S・トリガー……!

 

「……残念」

 

 恋ちゃんは、ブレイクされたシールドを捲って、ぽつりと呟く。

 そして、そのシールドを、静かに置いた――

 

 

 

「S・トリガー……《破壊者 シュトルム》」

 

 

 

 ――バトルゾーンに。

 

「っ……!」

 

 最後のシールドは、S・トリガー、《シュトルム》。

 パワー6000以下になるように相手クリーチャーを破壊するS・トリガーのクリーチャー。

 そして、水早くんの場にに残っている《クロック》のパワーは、3000。

 耐えきった……!

 

「そんな……ボクの、負け……?」

 

 水早くんはこれ以上、攻撃できるクリーチャーがいない。

 このターンはこれで終わり、恋ちゃんのターン。

 水早くんにはシールドもブロッカーもない。《ハヤブサマル》がいても、この数なら凌ぎきれない。

 だから、これで、恋ちゃんの勝ちだ……!

 

 

 

「とどめ……《ミラクルスター》で、ダイレクトアタック――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「…………」

 

 恋ちゃんと水早くんの対戦が終わる。

 結果は恋ちゃんの勝ち。お陰で、水早くんからクリーチャーが剥がれ落ちて、鳥さんが必死についばんでる。

 でも、なんでだろう。

 崩れ落ちて、涙を流す水早くんの姿を見ると、めでたしめでたし、とは言えなかった。

 

「どうして……なんで……どうなってるんだよ……!」

 

 《No Data》は、水早くんが抱いていた気持ちの、内面的な発現と、外面的な発現を、入れ替えていた。

 それはたぶん、彼の男の子としての気持ちと、女の子としての気持ちの居場所を、見失う結果になってしまったのだと思う。

 狂わされたものが元に戻った。そう聞くと、なにも問題がないように感じるけど、水早くんは一度変わってしまった居場所に苦しんで、それを自分なりに落ち着けようとした。

 狂ってしまったものに、自分なりに合わせようとして、それがまた元の位置に戻った……それって、もう一度狂わされたことと、同じだと思う。

 結局は、なにも変わってないんだ。

 鈴谷凛さん、だったっけ。大切な人を失ってしまった、水早くんの傷心は、なにも解決されていない。

 クリーチャーを倒したって、彼が悩んで、苦しむことには、変わりなかったんだ。

 それはとても――残酷だった。

 

「ボクは、どうしたらいいんだよ、どうすればよかったんだよ……女の子でいればいいのか、男の子でいればいいのか……!」

 

 ボロボロと雫を零す水早くん。その姿はあまりにも弱々しく、悲惨で、とても見ていられなかった。

 

「リンちゃん、教えてよリンちゃん……ボクは、君のような女の子になるべきだったの? それとも、君に相応しい、男の子に――」

 

 

 

「――甘ったれるな」

 

 

 

 ぐいっ、と。

 恋ちゃんが、泣き崩れる水早くんの襟元をつかんだ。

 

「こ、恋ちゃんっ」

「恋さん! ランボーはダメですよ!」

「二度目……こすずとユーは、黙ってて……」

 

 わたしたちの言葉に、聞く耳を持たない恋ちゃん。

 恋ちゃんは、言葉の毒は強めだけど、あんな乱暴なことはしない。いったい、どうしたんだろう……?

 

「男とか女とか……そんなことで悩んでるなんて……くだらない」

「く、くだらない、だって……?」

「あなたが男になりたいのは、好きな人のため……だったら、性別なんて二の次。そんなもの、どうでもいい」

 

 どうでもいい。

 そんな強い言葉で、はっきりと、恋ちゃんは水早くんの悩めるものを否定する。

 いや、彼女からしたら、それが彼の真の悩みではないと、言いたいのかもしれない。

 

「そんなその人が好きなら、好きな人のために、自分はなにができるのかを考えるべき……男か女かなんて些末なことを考えるのは、その後でいい……」

 

 どうしたんだろう、恋ちゃん。

 声のトーンが、心なしかいつもよりも低い。淡々としているのに、怒りにも似た、強い感情を感じる声。

 恋ちゃんには、なにか思うところがあったのかな。

 一体なにが……それを考える間もなく、恋ちゃんは捲し立てていく。

 

「女同士とか……そんなものは、あなたがあなたであること、あなたが誰かを好きであることと、なんら関係ない……」

「関係、ない……?」

 

 呆然としている水早くん。そんな彼に、恋ちゃんは最後に、痛烈な言葉を浴びせかける。

 

「男か女かで悩む振りして、本当の問題から目を逸らすな……ちゃんと、自分が好きだと信じた人と向き合え……たとえ、もうこの世にいなかったとしても」

 

 それは、小さない声だけど語調は強く、厳しい言葉だった。

 

「……それだけ」

 

 くるりと、恋ちゃんは水早くんに背を向ける。

 恋ちゃんがこんなに一気に喋ってるところも、こんなことを言うところも、初めて見た。

 わたしたちも呆気に取られたけど、それ以上に、わたしは恋ちゃんの目に、目を奪われた。

 水早くんを叱咤した彼女の目は、とても、優しい目をしていたから――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 あれから、一週間が経った。

 期末テストや夏休みが近づく頃で、教室内の話題はもっぱらそれらだったけど、わたしの中には別のことが渦巻いている。

 水早くんのことだ。

 ユーちゃんの時は、元々ユーちゃんが明朗軽快な性格で、クリーチャーがいなくなったらその性格が戻っただけだったけど、水早くんはそうじゃない。

 確かに、水早くんからクリーチャーは剥がれ落ちた。だけどクリーチャーは原因の一つで、混乱の一端でしかなくて、それがいなくなったからといって、すべてが円満に解決する問題じゃない。

 実は、水早くんには、性差の問題以外にも、抱えているものがあった。

 それは、水早くんは、鈴谷凛さんが好きだったということ。

 彼の本当の悩み、心の傷は、性差の問題じゃなくて、大切な人の喪失だった。

 後に、鈴谷さん遺した、水早くんに宛てた手紙の内容を知ったわたしたちは、少しだけ、彼の悩みが理解できたと思う。

 水早くんが鈴谷さんを好きだったように、鈴谷さんも水早くんが好きだった。

 それが“男の子として”なのか“女の子として”なのか。その点が大きな問題だった。

 水早くんは、女の子として好きだった鈴谷さんの最期の言葉を受けて、大きな葛藤を抱えたみたい。

 女の子になりたい水早くん。彼の心は女の子のそれだったけど、本当の女の子じゃない。

 そんな水早くんのことを、好きだと言い残してこの世を去った鈴谷さん。彼女は、本当の女の子。

 わたしには同性間の恋愛ってピンとこないけど、水早くんは二重のマイノリティに苛まれていたんだと思う。

 男の子の身体で、女の子の心を持つ性差。

 女の子の心のまま、女の子が好きでいる同性愛。

 どちらも、性というデリケートな問題。

 一つ目の悩みは、鈴谷さんがいたからこそ安定していた。だけど、鈴谷さんがいなくなって、彼女の遺した言葉を聞いて、二つ目の問題が生まれた。

 それと同時に、一つ目の悩みが再発して、そこでクリーチャーにも憑りつかれて、暴走しちゃったんだと思う、っていうのは鳥さんの考察。

 わたしが考えるに、水早くんは男の子になろうとしたんだと思う。

 それが彼の望んだことであるかはさておき、女子更衣室の盗撮も、エッチな本を拝借したのも、男の子の気持ちを知ろうとしたからなんじゃないかな。

 それまで女の子の気持ちしか知らなかった彼が、男の子の心になろうとした。

 その理由はきっと、“男の子として”鈴谷さんを好きになろうとしたから。

 同性愛はマイノリティで否定的に受け取られるものと捉えられがちらしい。その否定から脱却するには、水早くん自身が男の子になるほかない。

 それが、本来の性別に戻るだけ、だなんて思えないけど。

 でも、性差に悩んで、とりわけて敏感だっただろう水早くんにとっては、大きな決断だったんだと思う。

 これから水早くんがどうするのかは、わからない。

 鈴谷さんへの感情と、どう折り合いをつけるのか。女の子の心のままなのか、男の子になるのか。

 剣埼先輩も、なにも教えてくれない。

 もうわたしは、水早くんについて知る術はなかった。

 ここまで関わった仲だし、心配はする。気にもなる。

 でも、軽々しく触れられる問題じゃないから、もう関わらない方がいいのかなぁ……

 と、その時。

 ガラガラ、と。

 教室の扉が開いた。

 それだけならなんとも思わない。誰かが教室に来たんだなって、ただそれだけのこと。

 だけど、なんか教室がざわざわしてる。なんでだろうと、顔を上げると、

 

「っ!?」

 

 思わず、息を飲んだ。

 女子の制服を着たその子は、わたしを見つけると、まっすぐこちらにやってくる。

 

「……おはよう」

「お、おはよう……」

 

 水早くんだった。

 

「学校、復帰したんだね……」

「うん、まあ……彼女に言われたこと、ちゃんと受け止めようと思ってね」

「そっか……でも、その格好……」

「うん。やっぱり自分は偽れないと言うか、こうじゃないと、ボクじゃない気がするからね」

 

 

 

 水早くんの格好は、紺色のセーラー服――女子の制服だった。

 

 

 

「でも、それっていいのかな……?」

「この学校の校則って、制服着用は義務付けられているけど、男子が男子用、女子が女子用の制服を着なくてはならない、っていう記載は一切ないから、大丈夫だよ」

「えー……?」

「って、兄貴と剣埼先輩が言ってたよ」

 

 先輩も関わってるんだ。わたしたちが暴いちゃったことの事後処理をさせちゃったのかなぁ。だとすると、とても申し訳ない。 

 

「水早くん……あ、水早さん、の方がいいかな?」

「どっちでもいいよ。もう、気にしないから」

「……えと、じゃあ」

 

 どうしよう。

 気にしないって言っても、水早くん自身にとっては今でもとても大きな問題だろうし、軽々しく触れられないこと。女の子っぽい呼び方ならそれでいいかと言われると、そうでもない気がするし……

 あ、そうだ。

 

「そ、霜ちゃん」

「え?」

「霜ちゃん」

 

 二度言った。

 わたしの個人的な感性だけど、名前呼びでちゃんづけなら、男の子でも女の子でもありかな、って。

 霜って名前はちょっと男の子っぽいけど、ちゃんづけすれば結構可愛いね

 

「……まあ、いいか」

 

 少し顔を赤らめる霜ちゃん。なにか思うところがあったのか、ただ照れてるだけなのか……わからないけど、許しが出たから、今度から水早くんのことは、霜ちゃんと呼ぼう。

 とその時、また教室の扉が開く。今度は、小柄な女の子――恋ちゃんが来た。

 

「こすず……おはよう……」

「恋ちゃん。おはよう」

「……学校、来たんだ……」

「うん、お陰さまでね」

 

 恋ちゃんは霜ちゃんを見ると、ぼそりと呟くように言う。

 霜ちゃんも、あっさりと答えた。

 この前の一件で、二人にはいろいろあったから、また険悪な空気になるのかもしれないと思ったけど、どっちもあんまり気にしていない様子だった。

 

「君には、お礼を言わないといけない」

「礼……?」

「君の言葉で目が覚めた気がする。確かに、ボクはボクだし、リンちゃんへの気持ちはなにも変わらなかった。まだ、ちゃんと答えは出せてないし、迷っているけれど……でも、悲観することはないって、思えるようになったから。君はそれに気づかせてくれた。だから、ありがとう」

「……そう」

 

 素っ気なく返す恋ちゃん。

 だけど、きっと照れてるだけだよね。

 

「……ねぇ、恋ちゃん」

「……なに……?」

「恋ちゃんって、霜ちゃんのこと知ってたの?」

「……なにが」

「その……霜ちゃんが、鈴谷さんのこと、好きだってこと」

 

 最後に恋ちゃんが霜ちゃんに浴びせた言葉。

 あれは、霜ちゃんが抱えていることを知ってたからこそ出た言葉なんじゃないかと思った。

 少なくともわたしにはそう感じられたから、聞いてみたけど

 

「……さぁ」

 

 はぐらかされちゃった。

 でも、恋ちゃんは霜ちゃんの部屋を一番熱心に探ってたし、どこかで手がかりを見つけていたのかもしれない。

 その真相は彼女だけが知る。恋ちゃんは、教えてくれる気はないみたいだけど。

 恋ちゃんが言うつもりがないなら、わたしも深くは追究しない。それでも、いいかなって。

 

「私はただ……性別がどうとか、なんてことで……好きな人への気持ちに迷うところが、見てられなかった……だけ」

「……そっか」

 

 あんまり恋ちゃんらしくないというか、恋ちゃんにもそういうところがあったんだなっていう驚きが、ちょっぴりあったけど。

 それが水早くんを救ったのなら、恋ちゃんのお手柄だね。

 なんにせよ、だ。

 本日。

 水早霜(みはやそう)くん。霜ちゃん。

 

 

 

 わたしに新しいお友達が、できました。




 というわけで新キャラ、女装男子、水早霜くんです。とはいえ彼については、一筋縄ではいかない女装キャラというか……あんまり女装とか男の娘みたいな属性で見ないで、水早霜という一人のキャラクターとして見る方がいいかもしれません。それは、他のキャラにもおおよそ当てはまることですが。
 誤字脱字、ご意見ご感想等ありましたら、お気軽にどうぞ。


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9話「にゃんこ大戦争だよ」

 タイトルに深い意味はありません。


「こ、こんにちはー……」

「小鈴ちゃん、いらっしゃい! 例のカード、入荷したよ!」

「はい。その連絡をもらったので、来たんですけど……」

「今日は一人なんだね」

「ユーちゃんも恋ちゃんも、今日は部活があるからって」

「そっかぁ。それで、どうする?」

「せっかく入荷してもらったわけですし、買っちゃいます」

「小鈴ちゃんならそう言うと思ったよ」

「いくらなんですか?」

「100円」

「安い!?」

「四枚買うなら400円だね」

「それでもワンコイン以下……」

「今のインフレ環境に耐えうるカードじゃないし、ぶっちゃけ需要はないからね……ヒロイックだから人気はあるけど、わざわざ買う人は稀かなぁ。だからこんなもんだよ。ついでに結構キズあり」

「そうなんですか……」

「あぁ、そうだ。そのカードと相性がいいカードがあってね……これこれ」

「これって……」

「そっちも需要がないから割安だけど、組み合わせると結構強いよ。ファンデッキの域はでないけど、やっぱりシナジーあるしヒロイックだし、私はお勧めかな」

「キズあり200円……安いですね」

「まっさらなやつならもっと高いよ」

「じゃあ、これと、さっきのも一緒にお願いします」

「はーい、まいどあり!」

「……あの」

「ん? どうしたの?」

「この後、もしお時間があればでいいんですけど……デッキ組むの、手伝ってもらっていいですか?」

「いいよ。そういうお誘いなら大歓迎だよ」

「あ、ありがとうございます、詠さん……!」

「いいっていいって。気にしないでー」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「最近、学校の敷地に猫が住み着いてるんだって」

 

 わたしその話を聞いたのは、期末考査が近づきつつある七月の初旬。お友達の香取実子ちゃんとの、何気ない雑談の最中だった。

 

「猫? にゃんこのこと?」

「そうそう、にゃんこの方の猫」

「にゃんこ意外にネコって言葉はないような……それはいいんだけど、学校に住み着いたって、そんなことがあるんだね」

「ね。しかも三匹だって」

「三匹も?」

「でも、凄くすばしっこくて、姿をちゃんと見た人はいないって話だよ。派手な毛色の猫らしいけど」

「へー。もぐもぐ」

 

 わたしはお昼に食べ損ねたハムカツサンドを頬張りながら、相槌を打つ。

 さらに聞くと、花壇が荒らされたとか、ものを盗られたとか、爪を研いだ痕があるとか、いろんな被害の話を聞いたけど、そんなに大事というわけでもなさそうだった。

 当人たちからすれば、そんなこともないんだろうけど。でも、相手が猫ってことを考えると、深刻になることもない。

 と、わたしは思ってたんだけど。

 

「ここ最近はその被害がだんだん大きくなってきてるらしくてね。ほら、この前、理科室の鍵が紛失した事件があったでしょ」

「うん」

「あれも、先生が猫に鍵を盗られたって噂が流れてるんだよ」

「えー? 野良猫でしょ? そんなことするとは思えないけどなぁ」

「他にも、生徒のもの――主に食べ物――を盗む被害が多いんだって。生徒会の人とか、学園生活支援部の人とかが、密かに動いてるんだってさ」

「生徒会と、学援部が……」

 

 そんな話、お姉ちゃんからはまったく聞いてないなぁ。恋ちゃんからもそうだ。

 そういえば、その恋ちゃんは、今教室にいない。さっき、先生から呼び出しがあったみたいだけど。

 そう思った矢先、教室の扉が開いて、件の日向恋ちゃんが入ってきた。お人形さんみたいに整った顔立ちと、きめ細かい白い肌が今日も綺麗だけど、なんというか、その表情というか空気というか、雰囲気がとても重い。

 

「こ、恋ちゃん? どうしたの?」

「こすず……」

 

 恋ちゃんはふらふらとした足取りで私の下に来ると、手にしたものを突き出した。

 

「……これ」

「? これって、この前の数学の小テスト?」

「と、これとこれとこれ」

「英語と理科と社会もでてきたね。最近、期末考査が近いから小テスト多いよねぇ」

「……って、ちょっと待って恋ちゃん。この点数……」

「……察してくれた」

 

 小テストは大体10点満点なんだけど、見せられたテスト用紙の点数は、すべて0~2点。選択問題だけ当たってる。

 でもこの当たり方、どう考えてもまぐれ当たり……

 

「恋ちゃん、これって……」

「期末考査で赤点だったら……夏休みは全日補習って、脅された……」

「そりゃそうだよ……」

 

 いくら小テストとはいえ、ここまで酷いとそう言われても仕方ない。流石に全日っていうのは誇張だろうけど、ほとんど潰れるといっても過言ではないと思う。

 

「夏休み……つきにぃたちとの、合宿あるのに……」

「学援部に合宿ってあるんだ」

「ん……他校の、中学校と……合同で……友達とか、くるから……絶対、いく……」

「へ、へぇ……」

 

 恋ちゃん、他校に友達がいたんだ。。

 いい子なんだけど、結構変わった子だし、わたしもきっかけがなかったら仲良くなれなかっただろうし、とっつきにくいと思ってたけど、仲良くしてる子がいるんだね。

 わたしの知らない恋ちゃんの友達……想像してみると、なんか、変な気分だな。

 どんな子だろう。

 

「……こすず、たすけて」

「え? わたし?」

「夏休み……潰したくない……」

「う、うーん。そんなこと言われても……」

 

 ギュッと、わたしのブラウスの裾を掴んで離さない恋ちゃん。

 恋ちゃんはジッとわたしの顔を、下から覗きこむように見上げている。

 こんな風に上目遣いでお願いされちゃうと、困るんだけど……珍しく必死な恋ちゃんだなぁ。

 邪険にはできないし、どうしようとたじろいでいると、再び扉が開いた。

 今度は、スパーン! と勢いよく。

 

「お話はすべてお聞きしましたよ!」

「わ、ユーちゃん……」

「小鈴さん! ユーちゃんもセーセキのことで困ってるのです!」

 

 入ってきたのは、ユーリア・ルナチャスキーさん、通称ユーちゃんだった。

 名前の通り外国人、ロシア生まれドイツ育ちという、わたしたちの常識を覆す女の子。でも、元気いっぱいで楽しい子です。

 その元気の方向性が、なんだか今日はちょっと迷子気味だけど。

 

「ユーちゃん、日本語(ヤーパニッシュ)のテストが悪くって……」

「や、やーぱ……? 国語のこと?」

Ja(はいです)……」

「ユーちゃんはドイツ育ちだもんね。でも、誰でも苦手はあるし、一教科だけなら、少しずつ克服していけばいいんじゃないかな?」

英語(エングリッシュ)もダメなんです……」

「そ、そっか……」

 

 エングリッシュ……英語かな? 

 ユーちゃんはドイツで育った子。そしてドイツの言葉は、ドイツ語だもんね。

 英語とは全然違うって聞いたことがある。となるとユーちゃんは、馴染みの薄い日本語と英語、二つの言語を勉強していることになる。

 それは確かに、大変そうだね……

 

「社会とか理科とかも、日本語が難しくてあんまりわかんないんです……小鈴さん! ユーちゃんも助けてください!」

「え、えぇ……」

 

 恋ちゃんに続き、ユーちゃんまで……

 二人に捕まって、再び困った。

 と思ったら、またまた教室の扉が開いた。

 

「話は聞かせてもらったよ」

「霜ちゃん……」

 

 今度は霜ちゃんだった。

 水早霜くん。男の子なんだけど、いろいろあって女子の制服を着てる、わたしの友達です。

 

「実は、ボクも成績が不安なんだ」

「そうなの? でも、霜ちゃんは真面目に授業受けてるよね?」

「そんなのは当然だ。だが、それでも学校に復帰したばっかりだから、今まで習ったところがなんなのか、さっぱりわからないんだ」

「……なるほど」

 

 そうだった。

 霜ちゃんは真面目だけど、いくらなんでも学校復帰したてで授業についてくるのは、難しいよね。

 そういえば、恋ちゃんやユーちゃんも、霜ちゃんと同じように不登校だった期間があったっけ……だからみんな、困ってるんだ。

 

「一応、先生から補填のプリントは貰ったんだけど、一人で理解するのはちょっと限界で……誰かに手伝ってほしかったところなんだ」

「そ、そう……」

「小鈴。頼む、ボクも助けてくれ」

「…………」

 

 恋ちゃん、ユーちゃん、霜ちゃん。

 三人そろって、そんなふるふるした眼でわたしを見ないで……

 

「……いいんじゃない? 小鈴ちゃん、成績いいし」

「そーなんですか?」

「中間試験では、学年で3位だったよ」

「み、みのりちゃん……!」

「それは凄いです! さすが小鈴さん!」

「……決定」

「頼もしいね」

 

 みのりちゃんの言葉で、三人の目が輝く。

 そんなに期待されても困るんだけどな……人に教えたことなんてないし……

 せめて、他の誰かが協力してくれれば、と思って振り向くけど、

 

「それじゃ、がんばってね」

「え、えぇ!? みのりちゃん、そんな無責任な……」

 

 言い出しっぺのみのりちゃんは、いつの間にか荷物をまとめてて、スクッと立ち上がると、どこかへ行ってしまった。

 明らかに、わたし、置いてかれたよね?

 迫り寄ってくる三人。どうにかしてあげたいのはやまやまだけど、わたしなんかでどうにかなるのかは、不安だ。

 というか、一度に三人も見れないよ。

 と思ってると、またしても教室の扉が開いた。

 

「話は聞かせてもらったよ」

「せ、先輩!?」

 

 ここで現れたのは、予想外の人物だった。

 剣埼一騎先輩。学園生活支援部の部長さんで、恋ちゃんのお兄さん、みたいな人。

 それと、わたしの……いや、これはいいかな。

 

「先輩、今までの話、全部聞いてたんですか……?」

「いや、実は断片的にしか聞いてないけど、概ね内容は察したよ。俺としても、恋の成績については心配だったんだけど、まさかそこまでとは……伊勢さんがよければでいいんだ。無理強いはしない。どうか、恋の勉強を見てやってくれないかな? 勿論、君たちのことも応援したいし、俺にできることなら、出来る限りの力を貸すよ」

「それは……」

 

 先輩に頼まれると、ますます断りにくい。

 しかも、他ならぬ剣埼先輩からのお願い。

 ど、どうしたらいいんだろう、わたし……

 

「それに、恋は夏休みを楽しみにしてるみたいだからね。伊勢さんたちとも遊びたいって」

「え……そうなんですか?」

 

 合宿が楽しみだとは言ってたけど、わたしたちと遊ぶなんて話はまったくしてない。

 恋ちゃんを見ると、視線を逸らされた。

 

「ん……つきにい……それ言うの、反則……」

「恋ちゃん……」

 

 恋ちゃんが照れてる。

 まったく表情は変わらないけど、なんとなく、雰囲気でわかるようになってきた。恋ちゃんにしては、珍しい反応だ。

 でも、恋ちゃんがそんな風に思ってたなんて、なんだか嬉しいな……

 

「……じゃあ、期末前に、みんなで勉強会でも開こうか」

「それがいい……」

「小鈴さん! Danke!」

「ありがとう小鈴。助かるよ。恩に着る」

 

 恋ちゃんの言葉に感化されちゃったかな……最後には、わたしはそんなことを言ってた。

 勉強会なんてしたことないけど、友達のことだし、放っておけないし……私も、みんなと遊びたい。

 わたしなんかに少しでも手伝えることがあるなら、協力してあげたい。頑張ろうって、少し、思った。

 

「そういえば、先輩はどうして教室に?」

「そうだった、忘れてた。恋、今日は部会の日だろ。時間になっても来ないし、連絡もないし、どうしたのかと思って」

「……忘れてた」

「そんなことだろうと思った。ほら、行くぞ。処理しないといけない案件がまだ残ってるし、お前もそろそろ、学援部としての活動を覚えてもらわないと」

「むぅ……面倒くさい……」

「逃げるな。ほら、行くぞ……失礼しました」

 

 恋ちゃんの首根っこを掴んだ剣埼先輩は、律儀に一礼して教室から出て行った。

 ……恋ちゃんも、大変だね。

 なんにせよ、わたしたちは勉強会をすることになりました。

 でも……まだ日程は未定です。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 期末テストまで時間はないけど、四人で集まれる時じゃないと日程も合わせられない。

 とりあえずそこについては明日決めるとして、今日は各自帰宅ということになった。

 みのりちゃんは本当に帰っちゃったみたいだし、わたしも学校にもう用事はないから、まっすぐ帰ろうとしたんだけど、

 

「あ、購買まだやってる……」

 

 ふと通った購買部の前。いつもなら3時過ぎには閉まってる場所なんだけど、今日はまだやっているようだった。

 ……人には、抗えない欲求がある。

 それは本能的なものであって、生命体が生命体であるために必要なものだ。特に、生き物として活動するために不可欠なこと。

 お行儀がよくないとわかってても、身体の内側から湧き上がる、生命体としての本能に直接働きかける欲望を抑えることなんて到底できない。

 わたしはほぼ無意識のうちに、購買部の窓口の前に立っていた。

 

「こ、こんにちはー……」

「お? 君か。いらっしゃい」

 

 購買の店員さんが顔を覗かせる。

 購買はよく利用してるから、わたしの顔は覚えられている。この店員さんも、今まで何度も対応してもらってるから、わたしも顔を覚えた。いわゆる常連、顔見知りです。

 

「まだ購買、やってるんですね」

「いんや? もうすぐ畳むよ。ちょっと他の人が動けなくて、こっちも事務でちょっとね……時間かかっちゃっただけさ」

「あ、そうなんですか……」

 

 いつもより長く営業しているわけではなく、閉まるタイミングが遅くなってしまっただけらしい。

 ちょっとしょんぼりです。

 

「……なんか買ってく?」

「いいんですか?」

「ちょっとくらいなら、別に構わんよ。おまけはできんけどね」

「ありがとうございます! えーっと、どれにしようかなぁ……」

 

 カゴの中に並べられたパンを眺める。

 種類も数も少ないけど、こうして残ったパンの中からなにを選び取るかっていうのが、遅い時間に購買に来た時の楽しみだ。

 

「……しっかし君、パン好きだよな。毎日のように買ってるし。普通のお弁当も持参してるんだろう?」

「はい。母と姉の分を作るついでに」

「ダイエットとか言って無理な減食するよりはいいけど、よく食べるよね」

「パンはおやつかデザートなので別ですよ?」

「……そうかい」

 

 もういい、とでも言いたげだった。

 わたし、なにか変なこといったかな?

 

「じゃあ、これにします」

「カレーパンかよ……がっつり食べる気満々じゃん。デザートじゃなかったのか。それともなにか、君はカレーはドリンクって言う人種か?」

「? カレーは食べ物ですよ? あ、でもスープカレーなら飲むものと言えなくもないですね。それに、カレーも食べ物と定義するならカレーライスになりますし……」

「わかったわかった、もういい。カレーパンね、はい。120円」

「えへへ、ありがとうございます」

 

 お金を渡してカレーパンを受け取った。

 わたしは、商品が並んだカゴを引き上げる店員さんを尻目に、カレーパンの袋を抱えて、昇降口を目指す。

 

「買い食いみたいになっちゃった……お行儀悪いけど、この誘惑には抗えない……」

 

 靴を履きかえて、校舎を出る。

 流石に歩き食いはお行儀がわるすぎる。どこかで座って食べよう。

 放課後だから教室は施錠されてる場合がある。中庭なら、ベンチがあるし、ゆっくり食べられるはず。

 烏ヶ森学園は、とても大きい。中等部と高等部で敷地がわかれているんだけど、中等部の敷地だけでも、かなりの広さがある。

 大きな学校ってだけあって、中庭も広いし立派だ。綺麗に舗装された道。花壇に植えられた色とりどりの花々は、園芸部の人たちが手入れしてるらしい。

 中庭の一角にある木製のベンチがある。わたしはそこに腰かけた。

 そして、さっき買ったカレーパンを取り出す。

 

「本当は家に帰ってトースターで焼き直したいけど、お姉ちゃんからお小言もらっちゃうかなぁ……」

 

 でも、お姉ちゃんは生徒会のお仕事があるから、家にはいないかな?

 あんまり買い食いしてるところは見られたくないし、むしろ家に帰った方が良かったかもしれない……でも、そうじゃない。

 

「家で食べるのと、外で食べるのとでは、味わいが全然違うんだよね……買ったものは、できるだけ買った場所で食べたいしね」

 

 と、その時。

 一陣の風――というほど大仰なものでもなく、なにかの影が過ぎ去った。

 それも、わたしの手元にあるものを掠め取りながら。

 

「あ……わたしのカレーパン!」

 

 気づいた時には手元からなくなっている。

 影が飛んでいった方向に目を向けると、赤い毛色の動物が、パンの袋を咥えているのが見えた。

 その動物は、とても派手で珍しい色合いをしているけど、四足で、耳と尻尾があって、そのシルエットはわたしもよく知っている動物と酷似していた。

 

「猫……もしかして、噂の猫さん……!?」

 

 みのりちゃんが言ってた。

 校内で色んな悪戯をする猫さんが住み着いてるって。

 あの猫さんは、たぶんみのりちゃんが言ってた子だ。事実、わたしのカレーパンが盗まれたのだから。

 猫さんはわたしの方を見ていたようだけど、すぐに走り出してしまう。

 

「あ、ま、待って! わたしのカレーパン返してっ!」

 

 ほぼ反射的に、わたしは猫さんを走って追いかける。

 けど……

 

「はぁ、はぁ……流石に、猫さんに追いつくのは、無理……」

 

 すぐに音を上げました。

 ただでさえ運動は苦手な方なのに、動物に身体能力で勝てるわけがないよ……

 と、わたしが肩で大きく息をしている時。

 聞きなれたいつもの声が聞こえてきた。

 

「小鈴!」

「! 鳥さん!」

「小鈴、実はね……」

「いいところに来てくれたよ鳥さん!」

「え? な、なに?」

「猫さんを追いかけて! 鳥さんは鳥さんだからいけるはずだよ!」

「……なんか今日の君は、いつもと違ってアグレッシヴだね?」

 

 そんなことはないけど、わたしのパンが取られちゃったんだから、仕方ないよね。

 

「まあいいや。それで、その猫とやらはどこへ?」

「あっち!」

「よしわかった。君もちゃんとついてくるんだよ」

「え? わたしが追いかけられたら鳥さんには頼まないよ?」

「だったらこうすればいいんだよ」

 

 あ、この流れはいつもの……

 わたしがなにかを言い切る前に、わたしはお馴染みの、あのふりふりの格好をさせられていた。

 

「と、鳥さん! 学校でこの姿は……」

「さぁ、いくよ!」

 

 今日はわたしのペースで持っていけると思ったけど、マイペースさでは鳥さんの方が上手だった。鳥さんは猫さんを追いかけて、飛んで行ってしまう。

 わたしもその後を、慌てて追いかける。

 放課後で人が少なくて助かったけど、それでもゼロじゃない。

 

「っ!」

「小鈴! ちょっと、どこに行くんだ!?」

「鳥さんは黙ってて! 静かにして、こっち!」

 

 慌てて植え込みに飛び込んで、身を隠す。

 すると、その直後、校舎から二人の男子生徒が出て来た。

 

「……?」

「どうした?」

「いや、なんか今、ふりふりな格好した女子が見えた気が……」

「お前……ついの脳まで女児向けアニメに侵されたか……」

「そんなことはない! ……って言いたいが、さっきの幻視で否定しづらいぞ……」

 

 二人はすぐに歩き去っていった。

 それを確認すると、植え込みから顔を出す。

 

「あ、危なかったぁ……」

「なにをしてるんだ小鈴! このまだと、さっきのクリーチャーを見失ってしまうよ!」

「クリーチャー? さっきの猫さんが?」

「そうだとも」

 

 だから、あんな派手な色をしていたのかな。

 色が変なだけで、見た感じ、わりと普通の猫さんだったけど……クリーチャーって不思議だね。

 

「さぁ、クリーチャーはこっちだよ」

「わかるの?」

「気配で大体ね。だから僕もここまで飛んできたんじゃないか」

「……もう鳥さんだけで追ってくれればいいのに」

「僕だけじゃ、見つけても倒せない。小鈴がいてくれないと」

「鳥さんって、頼りになるようでならないよね」

 

 日に日に感じる、鳥さんの他力本願な感じ。

 まあそもそも、わたしは鳥さんが力を取り戻すために、こうして恥ずかしい格好でクリーチャーと戦うことになってるんだけど……

 ……そういえば、鳥さんって結局、何者なんだろう?

 鳥さん自身もクリーチャーで、だけど力が

 

「小鈴! 見つけたよ!」

「あ、うん……」

 

 鳥さんに声をかけられて、我に返る。

 ……まあ、とりあえずはいっか。

 今は目の前の問題に集中しよう。

 

「あれ? でも、毛色がさっきと違う……?」

 

 と思って、前方に見える猫さんの姿を見た。

 遠目でちょっと見にくいけど、さっきまでの赤い毛色とは、違うように見える……

 

「小鈴! 前!」

「っ! わ、わわっ!」

 

 少しぼぅっとしてたら、急に猫さんがこっちに飛び掛かった。

 後ろに倒れるみたいにして、間一髪で避けられたけど、こ、怖かった……

 

「ほら小鈴! あっちだ!」

「ま、待って!」

 

 慌てて立ち上がると、その先には赤い毛色の猫さんがいる。

 さっきは違う色に見えたけど、気のせいだったかな……?

 と思っていると、猫さんはまた走り去ってしまう。

 

「あ! 見失っちゃう……!」

「小鈴! 後ろ!」

 

 慌てて追いかけようとしたら、鳥さんの声。

 振り返ると、そこには猫さんがいた。しかも、今度ははっきり見える。

 青い毛色の、猫さんだ。

 

「え……ど、どういうこと? さっき、あっちにも猫さんが……」

 

 さっき、赤い猫さんがいた方に視線を戻す。

 すると、いた。

 

「!」

 

 赤い毛色の、猫さんが。

 まさか、これって……

 

「二匹いる……!?」

 

 そういえば、みのりちゃんが言ってたっけ。

 住み着いた猫は、三匹いるって。

 ということは他にも、もう一匹いるんじゃ……

 そう思った時、鳥さんが言った。

 

「違うよ小鈴。一匹だ」

 

 わたしの言葉を、否定して。

 わたしがまたしても、振り返る。青い猫さんがいた方へと。

 すると、そこには異常が存在していた。

 なにもない、虚空と言うべき空間。空気以外のなにも存在していない空中。

 なにも存在しないはずのそこに、なにかが存在している。

 なんと言えばいいのかわからないけど、それをなにかと表現するなら……穴。

 空間に、バチバチと電流が走ったような音が響き、穴が空いていた。 

 

「な なにこれ……!?」

「超次元ホールだ……ということ、やっぱり……」

 

 その穴から、青い猫さんが飛び出した。

 後ろを振り返ると、赤い猫さんはいなくなっている。

 

「小鈴、このクリーチャーは《シンカイヤヌス》だ。気をつけて」

「え? な、なに? 《ヤヌス》……?」

「詳細は省くけど、二種類のクリーチャーがひとつの身体を共有しているんだ。君が最初に見たっていう赤いのが《ヤヌスグレンオー》、目の前の青いのが《シンカイヤヌス》だ。この二体は超次元ホールを介して、姿を変えることができる」

「? なに言ってるのか、よくわかんないよ……」

「ともかくだ。あのクリーチャーらは、僕らがあんまりしつこく追いかけるものだから、僕らを完全に敵と認識したみたいだよ」

「と、いうことは?」

「戦うしかないね」

 

 バチッ

 

「っ!」

 

 なにかが弾けるような音が聞こえた。

 その瞬間、目の前に猫さんが姿を現す。

 

「小鈴!」

 

 鳥さんの叫び声が聞こえる。

 それと同時に、いつものように、一瞬の意識の浮遊感が、わたしを襲った――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 いつもと同じ。いつものように、わたしはクリーチャーとデュエマをすることになってしまいました。

 もう今さらだから文句を言う気も失せてるけど、なんだか負けている気がする。

 目の前には、例の猫さん。今は、青い方の姿をしていた。

 猫さんのマナゾーンには火と水のカード。そして、猫さんの頭上の空間が、歪んでいる。

 

「なんだろ、あれ……?」

 

 歪んだ空間の奥に、カード? が見える。全部で八枚だ。

 よくわからないけど、特になにもないまま、デュエマは進んでいく。

 

 

 

ターン2

 

小鈴

場:《トップギア》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:0

山札:29

 

 

ヤヌス

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:2

手札:5

墓地:0

山札:27

 

 

 

「わたしのターン! 《トップギア》でコストを下げて、《爆槍 ヘーゼル・バーン》を召喚! ターン終了だよ」

「にゃんにゃん! にゃおぉん!」

「え? な、なに……?」

 

 猫さんは大きく鳴いた。

 その鳴き声と共に、手札から呪文が唱えられる。

 

「なに、あの呪文……? 《超次元エクストラ・ホール》……?」

 

 わたしの両目1.5の視力では、そう見える。

 すると、猫さんの頭上にあった歪みは大きな渦になって、空間に穴が空く。

 

『にゃあぁぁぁぁっ!』

「……!」

 

 絶句するわたしなんてお構いなしに、穴が空いた虚空から、青い方の猫さんが飛び出した。

 《時空の戦猫シンカイヤヌス》。

 それが、猫さんの名前だった。

 一体どこからでてきたのかわからないし、不思議だけど、クリーチャーではあるみたい。パワーは4000。《ヘーゼル・バーン》でも倒せないや。

 

 

 

ターン3

 

小鈴

場:《トップギア》《ヘーゼル・バーン》

盾:5

マナ:3

手札:2

墓地:0

山札:28

 

 

ヤヌス

場:《グレンニャー》《シンカイヤヌス》

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:1

山札:26

 

 

 

「わたしのターン……うーん、どっちにしよう……こっちかな。《コッコ・ゲット》をチャージして、《エヴォル・メラッチ》召喚! 山札を四枚めくるよ」

 

 捲ったカードは、《トップギア》《コッコ・ゲット》《めった切り・スクラッパー》《エヴォル・メラッチ》の四枚。

 進化クリーチャーは一枚もなかった。

 

「あぅ、失敗か……ターン終了……」

『にゃあん!』

 

 今度は普通にクリーチャーを出してきた。和服っぽい衣装で、赤い髪の女の子クリーチャーだ。

 《龍覇 ストラス・アイラ》というらしい。

 《ストラス・アイラ》が場に出ると、また空間が歪んだ。そして、虚空から一本の真っ赤に燃える剣が飛び出してきて、《ストラス・アイラ》がそれを掴む。

 それだけではない。猫さんの様子が、なんだかおかしい。

 

『にゃしぃ……グルルルルル!』

 

 ぴょんと跳び上がって、猫さんは空中でくるっと一回転。すると、青い体毛の猫さんは、赤い体毛の猫さんへと変わっていた。

 《時空の戦猫ヤヌスグレンオー》、という名前の猫さん。

 姿が変わったみたいだけど、わたしにはなにが起こっているのかさっぱりわからないよ……

 

「どうなってるの、これ……」

 

 《ストラス・アイラ》が持っている剣も、猫さんが赤い猫さんになったのも、カードの効果なんだろうけど、なにがどの効果なのかさっぱり。

 今まで見てきたクリーチャーは聞かなくても説明してくれたけど、猫さんは鳴くだけで、言葉がわからない。

 わたしが頭を抱えていると、猫さんは唸り声を上げて、攻めてきた。

 まずは《ストラス・アイラ》。剣を構えて、《ヘーゼル・バーン》に斬りかかる。

 

「っ、スピードアタッカー……!?」

 

 それ以前に、《ヘーゼル・バーン》はアンタップ状態のはず……アンタップクリーチャーにも攻撃できるクリーチャーなの?

 《ヘーゼル・バーン》の槍と、《ストラス・アイラ》の剣が、互いに切り結ぶ。

 鋭い槍の突きが何度も放たれたけど、《ストラス・アイラ》は舞うような動きでそれらをすべてかわして、手にした剣で一閃。《ヘーゼル・バーン》を斬り捨てた。

 続けて《グレンニャー》と、《シンカイヤヌス》から変化した《ヤヌスグレンオー》が、シールドを突き破る。

 さらに、

 

「っ! 剣が……!」

 

 《ストラス・アイラ》の持つ剣が高く掲げられ、燃え盛る。

 彼女の手から離れた剣は、炎の中で姿を変え、龍となった。

 ……いやいやいや! なんで剣がドラゴンになってるの!? おかしいよね!?

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:《トップギア》《エヴォル・メラッチ》

盾:3

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:27

 

 

ヤヌス

場:《グレンニャー》《ヤヌスグレンオー》《ストラス・アイラ》《リトルビッグホーン》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:25

 

 

 

 わたしの悲痛な叫びは虚しくこだまするだけで、このデュエマにはまったく影響を及ぼさない。

 

「こんなデュエマがあるなんて……うーん……」

 

 猫さんの場には《グレンニャー》《ヤヌスグレンオー》《ストラス・アイラ》。そして、さっき剣が姿を変えた《熱血龍 リトルビッグホーン》の四体。

 対して私のシールドは三枚。このままじゃ、押し切られちゃう。

 

「スピードアタッカーもあるみたいだし、どうすれば……」

 

 S・トリガーが出れば耐えられるけど、こっちの場には《トップギア》と《エヴォル・メラッチ》。猫さんのシールドはまだ五枚あるし、ちょっと凌いでも、このままじゃ数で押し切られちゃう。

 この引きでなんとかしたい。そんなことを願いながら、ドローすると、

 

「!」

 

 引いた。

 ちょうど、このタイミングで最も生きる、わたしの切り札が。

 

「《トップギア》でコストを下げて、4マナで召喚! 《エヴォル・メラッチ》を進化!」

 

 わたしの手札は三枚。この手札は大切にしておきたいから、マナチャージはしない。

 《トップギア》の力で、今あるマナ数でもギリギリ足りる。

 

 

 

「これが、わたしの新しい切り札――《爆革命 グレンモルト》!」

 

 

 

 詠さんが勧めて、店長さんが仕入れてくれたカード。

 《爆革命 グレンモルト》には、わたしの他のクリーチャーのバトルを肩代わりする能力があるけど、それだけじゃない。

 なんにせよ、これで安心。ここから攻めるよ!

 

「《グレンモルト》で攻撃! シールドをWブレイク!」

『グルル……ガルッ!』

 

 《グレンモルト》が叩き割ったシールド。

 そこから、人型のクリーチャーが飛び出した。

 

「あ、《クロック》……!」

 

 ターンを強制終了させるS・トリガーのクリーチャー、《終末の時計(ラグナロク) ザ・クロック》。恋ちゃんらが言うには、最強の防御トリガー。

 これでターンが終了してしまい、わたしの攻撃も終わっちゃう。

 だけど、ターンが終了する前、猫さんは赤い姿から青い姿へと変わった。同時に、一枚ドローする。

 

『にゃおぉぉぉんっ!』

 

 猫さんの声と同時に、また、空間が歪む。

 《超次元の手ブルー・レッドホール》。その呪文の名前の通り、歪んだ虚空から一つの手が伸びて、新しいクリーチャーを呼び出す。

 《ブーストグレンオー》。それが、新しく現れたクリーチャーの名前だった。

 《ブーストグレンオー》が出たと同時に、わたしの《トップギア》が燃やされ、猫さんはまた姿を変える。青い姿から赤い姿へ。

 

『にゃあ……グルルルル、ガルルルルッ!』

 

 そして、攻撃を開始した。

 まずは《グレンニャー》から。わたしの三枚目のシールドをブレイクする。

 トリガーはない……だけど。

 

「これでわたしのシールドはが二枚になったよ! それによって、《爆革命 グレンモルト》の革命2発動!」

 

 《グレンモルト》に刻まれた、拳の紋章が光り輝く。

 すると《グレンモルト》は、わたしたちの前に立つ。まるで、わたしたちを守るかのように。

 

「わたしのシールドが二つ以下の時、相手は《グレンモルト》を攻撃しなくちゃいけない。あなたはもう、わたしに攻撃できないよ!」

『ギャルルルル……!』

 

 唸る赤い猫さん。これで、わたしへの攻撃は全部止まる。猫さんの攻撃はわたしには届かない。

 ただしそれは、《グレンモルト》がいる限り、という条件付きだ。

 

『ルルルルル……キッシャァ!』

 

 猫さんが咆える。すると、《リトルビッグホーン》が突っ込んできた。

 《時空の戦猫ヤヌスグレンオー》と《超次元の手ブルー・レッドホール》。二つの効果で、《リトルビッグホーン》はパワーアタッカー+4000。攻撃時のパワーは9000で、《グレンモルト》と同じ。

 相打ちに持ち込んで、《グレンモルト》の壁を突破するつもりらしい。

 《グレンモルト》が破壊されちゃったら、他のクリーチャーに攻められて、とどめまで行ってしまう。

 だけど、それは想定内。

 そう簡単には、いかないよっ!

 

「わたしの火のドラゴンが攻撃される時、手札からこのクリーチャーをバトルゾーンに出せる! 出て来て!」

 

 わたしは、手札にずっと持ってた、そのカードを繰り出す。

 

 

 

「《熱血逆転 バトライオウDX》!」

 

 

 

 相手の攻撃を引き寄せてくれる《グレンモルト》と、ドラゴンが攻撃されれば場に出せる《バトライオウDX》。

 これがわたしのコンボだよ。詠さんに教えてもらっただけだけどね。

 

「《バトライオウDX》の能力で、《グレンモルト》のバトルは《バトライオウDX》が引き受けるよ! 《バトライオウDX》はパワー8000だけど、バトル中のパワーはプラス5000されて13000! 《リトルビッグホーン》を破壊するよ!」

『クゥーン……』

「まだまだ! 《バトライオウDX》は火のドラゴン! わたしの火のドラゴンがバトルに勝ったから、手札から《爆竜勝利 バトライオウ》をバトルゾーンに出すよ!」

 

 相手の攻撃から、一転攻勢。わたしは場にWブレイカーを二体並べることに成功した。

 

「これで逆転、だねっ!」

 

 そして残るクリーチャーはすべて、《グレンモルト》が迎え撃つ。

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《爆革命 グレンモルト》《バトライオウDX》《バトライオウ》

盾:2

マナ:5

手札:1

墓地:1

山札:26

 

 

ヤヌス

場:《グレンニャー》《ブーストグレンオー》

盾:3

マナ:5

手札:4

墓地:4

山札:22

 

 

 

 そして、わたしのターン。

 

「呪文《爆流剣術 紅蓮の太刀》! マナ武装5で、残った《グレンニャー》と《ブーストグレンオー》を破壊! 《グレンモルト》でWブレイク! 《トップギア》で最後のシールドをブレイクだよ!」

「にゃおぉん……」

 

 猫さんの残るクリーチャーを破壊、シールドも全部叩き割る。

 これ以上のトリガーはなかったようで、わたしの攻撃は止まらなかった。

 だから、これでとどめだよ。

 

 

 

「《バトライオウDX》で、ダイレクトアタック!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「か、勝ったぁ……」

「お疲れさま、小鈴。だいぶ強くなったじゃないか」

「今回は詠さんのお陰かな……」

 

 詠さんが勧めてくれた《爆革命 グレンモルト》と《熱血逆転 バトライオウDX》があったからこそ、今回は勝てた。カードもわざわざわたしのために仕入れてくれたみたいだし、詠さんには感謝しないと。

 

「じゃあ、僕はクリーチャーの残ったマナを頂こうかな」

「その前に! わたしの格好、元に戻してからだよ!」

「あぁ、はいはい。わかったよ。君は自分の出で立ちばかり気にするね」

「そりゃそうだよ。こんな格好、誰にも見られたくないもん」

「その感覚が僕には理解できないな。自分の憧れが見られたくない……どういうことなんだろうね」

 

 などと言いながら、鳥さんはわたしの格好を、いつもの制服姿に戻してくれた。

 そういえば、なにか忘れているような……

 

「……あ! そうだ、わたしのカレーパンは!?」

「カレーパン? なんだい、それは」

「さっきの猫さんがくわえてた、わたしのパンだよ!」

「さぁ、知らないね。超次元ホールを移動するうちに、落としたんじゃないのかい?」

「そ、そんなぁ……」

 

 結局なくなっちゃうなんて……わたしはなんのために、恥ずかしい格好で猫さんを追いかけたの……?

 わたしががっくりと項垂れていると、聞こえてきた。まるで、鈴の音のような、小さな音が。

 それに続いて、にゃぉん、という声が。

 

「え……? 猫、さん……?」

 

 トコトコと、軽い足取りで、黒い子猫が現れた。

 さっきまでの赤かったり青かったりする猫さんよりもよっぽど普通の姿で、首は鈴つきの首輪まで付けている。一見、普通の猫さんに見えるけど……

 

「と、鳥さん。この猫さん……」

「それはクリーチャーじゃないよ。この世界の動物だ」

「あ、普通の猫さんだったんだ」

 

 ちょっと安心した。

 みのりちゃんは、三匹の猫さんが住み着いてるって言ってた。

 赤い猫さんと、青い猫さん。あの二匹がそれぞれ違う猫さんだと認知されていたのだとすれば、もう一匹いることになる。

 この黒い猫さんが、最後の一匹……?

 

「わっ、わわ……!」

 

 わたしがジッと猫さんを見てると、不意に、猫さんが飛びかかってきた。

 しかも、顔に。

 あまりに突然で避けられなかったわたしは、顔面で猫さんを受け止める。痛いというか、衝撃が凄い。思わず後ろに倒れ込む。

 一体急にどうしたのだろうか。とりあえず、猫さんを引きはがそうとするけど、

 

「痛……っ」

 

 髪が引っ張られる感覚。見れば、猫さんの爪が、髪に引っかかってる。

 猫さんは必至で手を伸ばして、わたしの髪に触れようとしている。

 いや、違う。

 わたしの髪じゃなくて、わたしの髪の結び目に手を伸ばしてる……?

 

「……もしかして、これ?」

 

 わたしはなんとか腕を曲げて、髪紐をひとつ解く。

 お母さんから貰った、鈴がついた髪紐。中の玉は抜いてるから、音は鳴らないんだけど。

 わたしのお気に入りで、大切な髪紐だ。

 この猫さん、もしかして、この鈴が欲しいのかな?

 

「で、でも、いくら可愛いにゃんこが相手でも、この髪紐はゆずれないよっ。お母さんから貰った、大事なものなんだから!」

 

 と、わたしと猫さんが張り合っていると、

 

「あれ? 伊勢さん?」

 

 名前を呼ばれた。

 その聞き覚えのある声に、バッと振り返る。

 すると、そこにいた。

 あの人が。

 

「つ、剣埼先輩……!」

「やっぱり伊勢さんだ。どうしたの? こんなところで」

 

 先輩が、しゃがんでわたしの顔を覗き込む。

 

「あれ、その猫……伊勢さんが見つけてくれたの?」

「え? えぇっと、はい……?」

 

 見つけようと思って見つけたわけじゃないから、はっきりイエスとは言いづらくて、曖昧に返してしまう。

 

「いや、よかったよ。伊勢さんが見つけてくれたんだね。ありがとう」

「は、はぁ……」

「実は、うちの生徒に飼い猫が脱走したって人がいてね。今回の野良猫騒ぎはその人の猫が一枚噛んでるんじゃないかって思ったんだけど、当たってたっぽいな」

 

 そう言って先輩は、わたしの手から黒猫を取って抱き上げた。

 

「この猫は俺が引き受けるよ。ありがとう、伊勢さん」

「い、いえ。わたしはなにも……」

「……ん?」

 

 ふと、先輩がわたしの顔を覗き込む。

 少しだけ近づいた先輩との距離。ほんの少しだけなのに、その小さな接近に、わたしの胸がドクン! と高鳴るのを感じた。

 

「せ、先輩……!?」

「伊勢さん。顔、どうしたの? 引っかき傷みたいなのがあるけど」

「え? あ、さっきの猫さんと……」

 

 頬に触れてみると、ピリッとした痛みが走る。

 さっき猫さんが飛びかかってきた時に、引っかかれたのかな。

 すると、先輩がわたしの手を取って、立ち上がらせた。

 

「じゃあ、行くよ」

「え? どこにですか?」

「保健室に決まってるじゃないか。ほら、行こう」

「あ……先輩……っ」

 

 猫を小脇に抱えたまま先輩は、わたしの手を引く。

 その瞬間、わたしの胸が、さらに高鳴る。

 そして、わたしの身体は熱を帯びる。

 熱く、熱く。

 なにも考えられなくなるくらいの熱に、包まれていた気がした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 かくして、わたしのカレーパンを犠牲にして、烏ヶ森学園の野良猫騒動は終結しました。

 後から聞いた話だけど、黒猫さんは無事に飼い主の元に帰ったそうです。でも、学校生活で色んな物を食べたせいか、グルメになってしまって大変なことになってるとかなってないとか。

 でも、このことを皆に話したら、あの黒猫さんには人の物を泥棒するような技能はないっぽくて、クリーチャーの方の猫さんが、黒猫さんに食べ物を与えていたんじゃないかって、霜ちゃんは言ってました。だとすると、クリーチャーの猫さんも、悪い猫さんじゃなかったのかもしれない。わたしのカレーパンを盗んだのは許せないけどねっ。

 それはそれとして、その後のお話をしましょう。

 黒猫さんを途中で会った学援部の人に託して、わたしは剣埼先輩に保健室に連れて行かれて、簡単な消毒をしてもらいました。

 

「伊勢さん。俺が言うのもお節介だとは思うけど、それでもあえて言うよ。女の子なんだから顔に傷をつけるのは、あんまりよくないんじゃないかな」

「ご、ごめんなさい……」

 

 先輩に窘められるわたし。といっても、この傷は事故なんだけど……

 と、その時。ガラガラと、保健室の扉が開いた。

 そこから、ひょっこりと顔が出る。

 

「……こすず」

「小鈴さんっ!」

「恋ちゃん? ユーちゃん……?」

「ボクもいるよ」

「霜ちゃんまで……みんな、どうしたの? 部活は?」

「こすずが……つきにぃと、保健室いったって聞いたから……」

「恋さんからそう聞いて、ユーちゃんも、心配で……」

「……二重の意味で」

「そっか……ごめんね」

 

 なんだか、みんなに心配をかけちゃったみたい。

 確かに、学校に住みついている猫さんの正体はクリーチャーで、その猫クリーチャーさんと戦ったりもしたけど、結局わたしの傷は普通の猫さんに引っかかれた傷だけ。大したことはないんだよね。

 

「はい、とりあえず、処置は済んだよ」

「あ、ありがとうございます……その、すいません。お手数おかけして」

「いいよ、気にしなくても。猫の件もそうだし、伊勢さんには俺もお世話になってるから」

「そ、そうでしょうか……?」

「まあ、君自身のことじゃなくても、色々ね……それに恋のこともある」

「……?」

「つきにぃ……それ以上、言わなくていいから……」

 

 恋ちゃんが先輩の服の裾を引っ張って、先輩の言葉を止める。

 

「そうかい。じゃあ、後は君たちに任せるよ。俺は部室に戻るから」

「ん……任された」

「小鈴さん、だいしょうぶですか?」

「わたしは大丈夫……子猫にちょっと引っかかれただけだから」

「君は女の自覚がないのかい? 自分の顔くらい、もうちょっと大事にしなよ」

「先輩にも同じこと言われたよ……」

 

 いつものように変わらない表情で、ジッとわたしを見つめている恋ちゃん。

 普段は天真爛漫だけど、今は不安そうに瞳を揺らしているユーちゃん。

 ちょっと呆れた顔をしながらも、傷を気にしている風の霜ちゃん。

 三人とも、全然違う形だけど、わたしのことを心配してくれているのが伝わってくる。

 なんだろう……凄く、懐かしい気がする。

 胸の内側からなにかが込み上げてくるような、あったかいなにかが、じんわりと広がってくる感覚。

 そういえば前にも、こんなことが、あったような――

 

「……?」

「こすず……どうしたの」

「今、窓の外に誰かいなかった?」

「窓の外、ですか? 誰もいないですよ?」

「急に怖いこと言わないでくれ……」

「ごめんね。気のせいだったみたい」

 

 わたしの中に生まれたなにかが反応するように、なにかを感じた気がしたんだけど……

 そんな、ちょっとしたもやもやが、わたしの中に残ったけど。

 それはすぐに雲散霧消してしまう。

 恋ちゃんや、ユーちゃんは、霜ちゃん。皆に囲まれているから。

 でも、なんでかな。

 三人ともいい子だし、一緒にいると楽しいし、嬉しい。

 なのに、満足できない気がする。

 なにかが欠けてるような。

 なにかが足りないような。

 パズルの1ピースが埋まっていないかのように、ぽっかりと穴が空いた感覚が残っている。

 みんなと一緒にいると楽しいけど、みんなと一緒だからこそ感じる、もうひとつの感覚。

 楽しさと同時に、どこか寂しい気がする。

 なんでだろう。

 なにが、わたしをそんな気持ちにさせるのだろう――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――楽しそうだな、小鈴ちゃん」

「しかし貴様は楽しくない……そうだろう?」

「……また来たんですね」

「そろそろ、恋しくなってきた頃だと思ってな?」

「あなたが恋しいと思ったことなんて一度もありませんけど?」

「オレ様のことではない。お前の……ひいては、あの娘のことだ」

「…………」

「だろうな。貴様の抱える“それ”が肥大化していくのを感じたからこそ、オレ様は貴様に目をつけた」

「……それで、私になんの用ですか?」

「以前と変わらんよ。あの娘と接点を持ちたいか否か。それだけだ」

「私に干渉する、あなたのメリットは?」

「今ここで貴様に伝えても仕方あるまい。しかしオレ様がこうして直々に出向いているのだ、それ相応のリターンはある。安心しろ、そのリターンは貴様へのリスクとして返ってくるわけではない。オレ様の要求に是と答えるなら、オレ様と貴様、双方に得が出る。ただそれだけだ。WIN-WINというやつだな」

「それは、本当に……?」

「本当だ……ならば手始めに、これを貴様に授けよう」

「これって……」

「そいつを生かすも殺すも貴様次第だ。ただし気をつけろ。そいつには、生かすと殺すの他に、もう二つの選択肢があるからな」

「他の、選択肢……?」

「あぁ、そうだ。生かすか殺すか……そして、生かされるか殺されるか。精々、裏切りに飲まれんよう気をつけるのだな、『白ウサギ』――」




 ヤヌスビートも好きなデッキなんですよね。あの、ヤヌスがくるくる回転しながら展開していって、一気に殴る感じが面白いです。とはいえそういうビートダウンは、現環境、カードプールではかなり下火でしょうが。
 誤字脱字、ご意見ご感想等あれば、遠慮なく気軽にどうぞ。


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10話「……裏切りだよ -前編-」

 ほんわかふんわり、ライトでポップなマジカル☆ベルも、今回は今までよりもヘビーでシリアスなお話です……いや、霜の話でもわりとシリアスでしたけど。場合によっては、それ以上かもしれないです。
 今回もまた前後編。そしてここが、一つの大きな山場になります。どうぞ、お付き合いくださいまし。


 初めて出会った時、彼女は不安そうな顔でいた。

 初めての進学。初めての環境。初めての人間。幼い私たちにとっては、初めてのことだらけの状況で、不安でいっぱいだったけど、彼女は特に怯えているように見えた。

 その様子が儚げで、寂しげで、悲しげで、見ていられなくて、どこか愛らしく感じられた。

 ちょっとだけ頼りないけど、普通の女の子だった彼女は、私の目には特別に見えた。

 なんでそう思うのか。彼女にはなにがあるのか。それはまったくわからなかったけど、わからなくてもいい。

 私には、彼女の言葉があるから。

 

「誰かを好きになることに理由はいらないの。それは人としてあるべきものだから。ただ、その気持ちを大事にするだけでいい」

 

 幼くて小さいだけだと思っていた彼女は「お母さんの小説の言葉だけど……」と、はにかみながら笑っていた。

 私も大人じゃない。好きという感情がなんなのか、はっきりとした答えは見つけられていない。

 でも、私は彼女が好きだ。それだけは胸を張って、はっきりと言える。

 彼女が楽しいと、私も楽しい。彼女の幸せは、私の幸せだ。

 なのに、なんでだろう。

 今の彼女が笑っていると、胸が苦しい。今の彼女が幸せそうだと、寂しくなる。

 誰かを好きになる理由はいらない。

 だったら、誰かを嫌いになるのに、理由は必要なのだろうか。

 私が彼女を嫌いになるのだとしたら、その理由は、きっと――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 暑い日が続きます。みなさんこんにちは、伊勢小鈴です。

 今年はかなり早くから暑くなってきましたが、その暑さは増すばかりで、収まる気配がありません。

 だけど、薄着にはあんまりなりたくないんだよね……その、視線とか身体のラインとか、色々恥ずかしいし……最近はプールの授業のたびに、恋ちゃんとユーちゃんが目の色を変えて襲ってくるからとってもこわいです。

 それはそれとして、期末試験が近づいている。みんなでお勉強会をする予定だけど、どこでやるかとか、スケジュール合わせとか、結構難しい。恋ちゃんとユーちゃんはまだ部活があるし、なかなか難航してる。

 まあ、これもわたしの要領が悪いせいなんだけど……わたし、幹事とか絶対向いてないよね……

 今日も二人は部活があるらしくて、すぐにいなくなっちゃった。霜ちゃんは自力で少しでも追いつけるように勉強してるみたい。

 じゃあわたしはどうしようか、とうんうん唸っていると、不意に声をかけられた。

 

「ねぇ、小鈴ちゃん」

「どうしたの? みのりちゃん」

 

 みのりちゃん――香取実子ちゃんだった。

 別にみのりちゃんと話すのはいつものことだし、声をかけられるなんて普通のことだけど、どうしたんだろう。

 

「明日、なにか用事とかないかな?」

「え、明日?」

「そう。ちょっとお出かけしない?」

「お出かけ?」

 

 お誘いだった。

 入学して、みのりちゃんと仲良くなってからは、一緒にお買い物したり、遊ぶことも多かったけど、最近はそういうことも減ってきたし、その言葉には惹かれるものがあった。

 だけど、

 

「テスト近いけど、大丈夫かな?」

「小鈴ちゃんなら大丈夫じゃない?」

「そんなことないよ。中間テストだって、お姉ちゃんにみっちり教えられたからだもん」

 

 それに、それだけじゃないんだよね。

 

「恋ちゃんとか、ユーちゃん、霜ちゃんのこともあるんだよね……」

「……小鈴ちゃんがそこまで頭を悩ませること、ないんじゃない?」

「そんなこと言われても、無責任なことはできないよ……」

 

 というか、みのりちゃんの一言がなければこんなことには……なんて、今更言っても仕方ないけど。

 

「まあ小鈴ちゃんも色々大変そうだし、少しは息抜きしたらどうかな?」

「うーん……」

 

 テスト勉強とか勉強会のこととかもあるけど、それとは別に、鳥さん――もっと言えば、実体化するクリーチャーのこともある。

 鳥さんはわたしの事情なんて関係なく連れ出すから、本当に大変だよ。実は昨日の夜も、こっそり近所の公園までクリーチャー退治に家を出たもん。玄関でお母さんに見つかった時は、誤魔化すのがすごい大変だったんだから。

 まあ、お母さんはちょっと適当っていうか、ちゃらんぽらんなところがあるから、わりとあっさり誤魔化せたけど……

 でも、それを思い出すと、確かに少し息抜きをしたい気持ちが湧いてきた。

 一日くらいなら、いいかな。明日はなにもないはずだし……

 

「……じゃあ、その話に乗るよ。どこに行くの?」

「久しぶりに、私の家の方まで来ない?」

「みのりちゃんの家?」

「うん。駅の近くに新しいパン屋さんがオープンしたんだ」

「パン屋さん!? 行く! 絶対行く!」

「小鈴ちゃんならそう言うと思ったよ。じゃあ集合は駅で、時間はお昼だと込むから、少し時間をずらそうか」

 

 そういうわけで。

 わたしは明日、みのりちゃんと久々のお出かけをします。

 パン屋さん、楽しみだなぁ――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 みのりちゃんは、学校からちょっと離れたところに住んでいる。わたしの家からだと、最寄駅から普通電車で二駅先。自転車や、頑張れば徒歩でも行けるけど、体力のないわたしは大人しく電車を使います。

 久しぶりに行くな、みのりちゃんの家の方は。市内に行く時くらいしか電車は使わないというか、そもそもうちの県に見どころなんてほとんどないし、あんまり外で遊ぶってことはないんだよね。お買い物する時くらいです。

 電車の中は暇なので、少しみのりちゃんについて、お話しましょう。

 香取実子ちゃんは、中学校に入ってからできた、わたしの友達です。いつもニコニコしてるけど、背は高めで体型もすらっとしてて、格好良い。モデルさんみたいです。

 少し大人びてて、他の女のことはちょっと違う雰囲気のある子だけど、お話してみると、結構気さくで、普通にお喋りできて楽しいよ。

 あと、みのりちゃんは一人暮らしです。っていうのはちょっと違うんだけど、みのりちゃん自身が「実質的に一人暮らしみたいなもの」っていつも言ってます。

 どういうことかといいますと、みのりちゃんのご両親はお仕事が忙しくて、ほとんど家に帰ってこないそうです。なんのお仕事をしているかまではわからないけど、確か、お父さんが海外へ長期出張。お母さんも県外で働いてて、こちらも出張か、会社に缶詰めか、良くても夜遅くの帰宅して、早朝には出社してしまうんだとか。

 兄弟姉妹もいないから、家にはみのりちゃん一人。そう考えると、なんだか寂しいけど、本人は「家事は面倒だけど、自由きままにできるから悪くないよ」って言ってた。

 本当はみのりちゃんも、家族と離れて暮らして寂しいと思うんだけど……そんな気配は微塵も出さない。

 みのりちゃんは、とても強い子だと思う。

 わたしとは、大違いだ。

 そうこうしているうちに、目的の駅に着きました。

 決して都会ではないけども、田舎というほどでもない。でもこの辺は住宅街が多いこともあって、わりと発展してる方なんだよね。確か、おしゃれな服屋さんがあったはず。前にみのりちゃんと行ったことがある。

 改札を出てすぐのところに、みのりちゃんがいた。

 みのりちゃんはわたしを見つけると、手を振る。

 

「小鈴ちゃん!」

「みのりちゃん! おまたせ。待たせちゃった?」

「ちょっとだけ。それでも五分くらいだし、気にしなくていいよ」

 

 みのりちゃんは白いシャツにジーンズという、とてもラフでシンプルな服装だったけど、それが逆に、彼女の格好良さを引き出してる……ように思う。

 少なくとも、わたしは格好良いと思う。

 本当にいいなぁ、みのりちゃんは。すらっとしてて……

 

「小鈴ちゃん、そのワンピース可愛いね」

「そ、そう? お姉ちゃんのおさがりだけど」

「あぁ、どうりで」

「? なにが?」

「いつもと違って胸が苦しそうじゃないから」

「み、みのりちゃんっ。もう、なに言ってるの……」

「でも、お姉さんのおさがりだっていうなら納得だね」

 

 にこやかに笑うみのりちゃん。

 ……敵わないなぁ、みのりちゃんには。

 わたしは、勉強だけはお姉ちゃんにみっちり教えられてるけど、それ以外は全然ダメ。特に体育は凄く苦手。

 でもみのりちゃんは、勉強だって、運動だって、芸術も技術も、なんでもそつなくこなす。

 とてもそんな感じの子じゃないけど、ちゃんと見ると、みのりちゃんこそ完璧という言葉は相応しいと思う。

 

「さて、それじゃあ行こうか。例のパン屋さん」

「うん。道案内、お願いね」

「任せて。まだ一回しか行ったことないけど」

「……ちょっとだけ不安になったよ」

「あはは。大丈夫だって。最近の地図とGPS機能は優秀だから」

 

 できれば行き当たりばったりな道案内はやめてほしいけど。

 でも、歩を進めるみのりちゃんの足取りは迷いがない。一回しか行ってなくても、道はちゃんと覚えているようだった。

 駅を出てから10分ほど歩くと、鼻先に温かくて、仄かに甘いような、いいにおいが漂ってきた。

 そして目の前には、小さいけど、ログハウスのようなデザインのパン屋さんが見えてきた。

 

「着いたよ」

「本当に近いね」

「通勤するサラリーマンとか、通学する学生とか、そういう層を狙ってるんだろうね。そうでなくても、このパン屋さんは色んな国のパンが置いてあって、見てるだけでも楽しいよ」

「そっか……ねぇみのりちゃん、早く入ろ?」

「待ちきれないか。仕方ないなぁ、小鈴ちゃんは」

 

 呆れたように笑うみのりちゃんは、パン屋さんの扉を押し開ける。

 

「焼き立てのパンのにおいだ……ふわぁ……」

「小鈴ちゃんは本当にパンが好きだよね」

「うんっ」

 

 とりあえずわたしたちは、お店に入ると、トレイとトングを手に取って、棚に並んだ数々のパンを眺める。

 メロンパン、カレーパン、ホットドック、サンドイッチといった見慣れたパンもあるけど、肉まんみたいなのか、ケーキみたいなのとか、凄く薄いのとか、形容しがたい変な形をしたパンとか、見たことのないパンがたくさんあるよ!

 ど、どれにしようかな……こんなに種類があると目移りしちゃうよ……

 

「色々挑戦してみたいけど……ここは王道に、このクロワッサンにしよう」

 

 トングを伸ばして、見るだけでサクサクな触感が伝わってきそうなクロワッサンをひとつ取って、トレイに乗せる。

 ……他にも、もうひとつなにか、買っちゃおうかな。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 結局、三種類のパンを買ってしまいました。

 食の欲望には逆らえません。仕方ないよね。

 お会計を済ませて、わたしたちはパン屋さんの中にある簡単な飲食ペースで、買ったパンを食べている。

 焼き立てほかほかのパンは、やっぱりおいしいです。特にこのクロワッサン。噛んだ瞬間に伝わるサクサクした食感の直後に、口の中いっぱいに広がるバターの風味が、パン本来の甘みをさらに引き出してて、とにかくおいしいんだよ!

 上には薄く砂糖もまぶしてあって、普通のクロワッサンより少し甘め……でも甘すぎなくて、とても食べやすい。程よい甘さです。

 

「……本当に美味しそうに食べるよね。パンを食べてる時の小鈴ちゃんは、一番幸せそうで可愛いよ」

「だっておいしいんだもん」

「美味しすぎて思考力が落ちてるのかな? それとも、美味しさを噛みしめるあまり、他のことを考えられない?」

「そうかも」

 

 ごくん、と飲み込む。

 それで、みのりちゃんはなんて言ったんだろう? よく聞いてなかった。

 

「ずっと気になってたんだけど、小鈴ちゃん、なんでそこまでパンにこだわるの?」

「別にこだわってるわけじゃないよ。好きなだけだよ」

「ちょっと好きすぎる気がするけど、なにか好きになるきっかけとか、あったんじゃない?」

「あ、それはあるよ。ちっちゃい頃……小学校の給食で出たパンが、すっごくおいしかったんだよ。ただの揚げパンだったんだけど、今まで食べたことのない食感とか、味とかが、とにかく衝撃的で」

「そうなの?」

「うちはお姉ちゃんとお父さんが絶対白米主義で、パン食はあり得ないから。小学校の給食で出るまで、パンって食べたことなかったんだ」

「へぇ、そうなんだ」

 

 今でも自分で買わないと食べられないけどね。伊勢家の台所にはお米しか置いていない。

 

「あ、そうだ。学校近くの商店街の先のケーキ屋さん、知ってる?」

「うん。知ってるよ。カフェと併設してるところでしょ? 行ったことはないけど」

「来月、あのケーキ屋さんで新商品のパンケーキが出るんだって。テスト終わって夏休みになったら、食べに行こうよ!」

「いいね。一緒に行こうか」

「うんっ、行こう。みんなで!」

 

 カタッ

 みのりちゃんの座ってる椅子が、ちょっと揺れた気がした。だけど、あまりに自然すぎてて、次の瞬間には、わたしの意識はまったく別のところに移っていた。

 

「恋ちゃんとユーちゃんは部活で忙しいかな。女の子っぽい場所だから、霜ちゃん、気に入ってくれるといいな……楽しみだなぁ」

「…………」

 

 お勉強会のことが決まってないうちから遊ぶ予定を立てるのはよくないけど、テスト後のごほうびに、おいしいものを食べに行きたい。

 ケーキ屋さんだけじゃない。どこかに遊びに行ったりもしたい。夏休み中には林間学校もある。

 クリーチャーのこととか、色々大変なこともあるけど、新しいお友達がたくさんできたんだ。

 みんなと、もっと楽しい思い出を作りたいな。

 

「……ねぇ、小鈴ちゃん」

「あ、なに? みのりちゃん」

「この後、ちょっといいかな?」

「この後……? なにかあるの?」

「うん。ちょっとね……食後の運動的な、ね?」

「?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「みのりちゃんの家の近くに、こんな大きな公園があったんだね」

 

 パン屋さんを出て、少し歩く。みのりちゃんの家の方に向かっていくから、家に行くのかと思ったけど、そうじゃなかった。

 着いたのは、公園。それも、遊具と砂場だけの小さな公園じゃなくて、池とか休憩所とかがある、大きな自然公園だ。

 

「昔は家族と一緒によく来てたよ。奥にアスレチックがあってね。大好きだったなぁ」

「アスレチックかぁ。わたしは、ちょっと苦手かな」

「ハンデがあるもんね」

「うぅ……」

「でも、大丈夫だよ、小鈴ちゃん。アスレチックは今、点検中だから」

「あ、そうなんだ。けど、じゃあなにして遊ぶの?」

 

 他に遊具とかがあるのかな、って思ったけど、みのりちゃんが提案したのは、とても意外なものだった。

 

「……これだよ」

 

 みのりちゃんは鞄の中から、小さな箱を取り出す。

 なんとなく見覚えのあるような形だと思ったら、その箱の蓋を開ける。

 

「これ、デュエマ」

「えっ? みのりちゃん、デュエマやってたの!?」

「うん。知らなかった?」

「初耳だよ。なんで教えてくれなかったの?」

「まあ、色々とね。小鈴ちゃんはデッキ持って来てる?」

「あ、えっと……うん、持ってるよ」

 

 一応、鞄の中を確認する。ちゃんとデッキケースはあった。

 ここ最近ずっと、鳥さんにしょっちゅう引っ張られてるから、デッキを持つ習慣が身について、特に使う予定がなくても持ち歩くようになってしまった。

 

「じゃあ、あそこの休憩所でやろうか」

「う、うん」

 

 みのりちゃんと一緒に、テーブルとベンチだけがある、壁のない木造の休憩所へと歩いていく。

 ……みのりちゃんがデュエマやってたなんて、全然知らなかった。凄くびっくりしてるけど、なんだか、安心もしてる。

 なんでかはわからないけど、よかったと思える。

 みのりちゃんとのデュエマ……楽しみだな。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 みのりちゃんとのデュエマ。

 まだ始まったばかりで、わたしは《トップギア》を召喚したところ。次はみのりちゃんの2ターン目だ。

 

「私のターンだね。《ブルトラプス》をチャージして、2マナで呪文《メンデルスゾーン》を唱えるよ。この呪文は、山札の上から二枚を表向きにして、その中のドラゴンをすべてマナに置けるの」

「わ、2マナも増やせるんだ。すごいね」

「捲れるカード次第だけどね……あらら。捲れたのは《メガ・カラクリ・ドラゴン》と《メンデルスゾーン》だね。《カラクリ》をマナに置いて、《メンデルスゾーン》は墓地に置くね。これでターン終了」

 

 

 

ターン2

 

小鈴

場:《トップギア》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:0

山札:29

 

 

実子

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:2

山札:26

 

 

 

「わたしのターン。《コッコ・ゲット》をチャージして、《エヴォル・メラッチ》を召喚するよ。山札の上から四枚を見て……やった。《爆革命 グレンモルト》を手札に! ターン終了!」

「じゃあ私のターン。《刀の3号 カツえもん》をマナチャージ。3マナで《地掘類蛇蝎目 ディグルピオン》を召喚するよ。《ディグルピオン》は3マナでパワー6000のWブレイカー、さらに登場時にドラゴンがいれば、山札からマナ加速ができる」

「え? なにそれ!? 強くない?」

「強いよ。でも、ドラゴンがいない時に出したら、そのままマナに行くの。これでターン終了」

 

 場に出た《ディグルピオン》を、みのりちゃんはすぐにマナに移動させる。

 よかった、この段階でそんなクリーチャーが出たら困っちゃうけど、そんなに都合のいい話もなかった。

 結局みのりちゃんがしたことは、マナを増やすことだけ。クリーチャーも並ばず、ターンを終える。

 

 

 

ターン3

 

小鈴

場:《トップギア》《エヴォル・メラッチ》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:27

 

 

実子

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:2

山札:25

 

 

 

「よーし! じゃあ行くよっ! マナチャージして、《トップギア》でコストを1減らすね。4マナで《エヴォル・メラッチ》を進化! 《爆革命 グレンモルト》!」

 

 わたしのシールドは五枚あるから革命能力は発動しないけど、状況はわたしが有利なはず。

 みのりちゃんの場にクリーチャーはいないし、ここは一気に攻めるよ。

 

「《グレンモルト》で攻撃! Wブレイク!」

「トリガーは……ないねぇ」

「だったら《トップギア》でもブレイク!」

「こっちもトリガーなしだよ」

「なら、ターン終了。みのりちゃんのターンだよ」

 

 《グレンモルト》と《トップギア》の連続攻撃で、みのりちゃんのシールドは残り二枚。次のターンには、ダイレクトアタックが決められるかな。

 でも、なにもさせずに終わっちゃったら、みのりちゃんには悪いかも……

 

「私のターン……マナチャージして、6マナで《リュウセイ・ジ・アース》を召喚」

「スピードアタッカー……《トップギア》がやられちゃう……」

「それだけじゃないけどね。まずは《リュウセイ・ジ・アース》の能力で、山札の一番上を見るね……これはマナかな」

 

 そう言ってみのりちゃんは、《メンデルスゾーン》をマナに置いた。

 《トップギア》は攻撃されてやられちゃうけど、《グレンモルト》は残るはずだし、次のターンにシールドをゼロにできる。そうなれば、やっぱりわたしが有利だよね。

 みのりちゃんにはもうマナがないし、このターンは攻撃以外には、なにもできないはず――

 

「さらに、《リュウセイ・ジ・アース》で攻撃――」

 

 ――そう、思っていた。

 

「――する時に!」

「っ!?」

 

 ダンッ!

 と、みのりちゃんは急に、カードをテーブルに叩きつけた。

 《リュウセイ・ジ・アース》の上に、重ねる。

 存在を上書きするように、飲み込むように、覆い被せて。

 そうしてみのりちゃんは、宣言した。

 

「侵略発動!」

「し、侵略……?」

 

 初めて聞く。いや、言葉として聞いたことあるけど、それもデュエマの能力なのかな。

 見れば、みのりちゃんは俯いていた。顔を伏せて、表情が見えない。

 唐突にみのりちゃんの様子が変わった。

 急変、という言葉が、これ以上ないってくらい合致するほど、いきなりで、突然の変化。

 その変貌は、みのりちゃんの纏う空気は、なんだかとても――こわい。

 

「ごめんね、小鈴ちゃん……私だって、本当はこんなことしたくない……でも、小鈴ちゃんが悪いんだよ……? 私は小鈴ちゃんを嫌いになりたくない……小鈴ちゃんと、ずっと一緒にいたいだけ……だから……」

「み、みのりちゃん……?」

「……侵略は、指定された条件を満たすクリーチャーが攻撃する時に、手札から攻撃中のクリーチャーに進化できる能力……そして、手札にあるこのクリーチャーの侵略条件は、私のコスト6以上の革命軍が攻撃する時――」

 

 《リュウセイ・ジ・アース》の種族は確か、レッド・コマンド・ドラゴン、ハムカツ団、そして革命軍。

 コストは6。みのりちゃんの言う侵略の条件は、満たしている。

 

「大丈夫だよ、小鈴ちゃん。私の気持ちは、絶対に小鈴ちゃんを裏切らないから」

 

 ゆらりと、みのりちゃんが顔を上げる。

 みのりちゃんは、笑っていた。だけど、今までわたしが見てきたみのりちゃんの笑顔じゃない。

 目には暗い光が湛えられ、深淵を覗き込むみたいだった。口元だけが湾曲して、笑みを形作っている。

 スゥッと、みのりちゃんの手が離れる。

 そこには、《リュウセイ・ジ・アース》はいない。

 革命軍という称号を乗っ取られた、侵略者がいた。

 

 

 

「裏切りの侵略(革命)を為せ――《裏革命目 ギョギョラス》!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 眼前に現れた、巨大な……鳥?

 恐竜、始祖鳥……ドラゴンっぽくもある、怪獣だった。

 がっしりとした、大木のような身体。太い足。緑色の翼も大きくて、怪しい羽を散らしている。

 なにより目を引くのは、嘴に並ぶ鋭い牙。ギョロリとした眼差し。

 鳥のように見えるけど、そう呼ぶには奇怪すぎて、禍々しすぎる。いつか図鑑で見た、大昔の鳥のような姿にも見えるけど、やっぱりそれは、わたしの目には、恐ろしい怪物に映る。

 

「侵略進化! 私のコマンドを進化元に、《裏革命目 ギョギョラス》をバトルゾーンに出すよ!」

「う、裏、革命……?」

「さらに!」

 

 みのりちゃんは、今度は《ギョギョラス》を《リュウセイ・ジ・アース》ごと手に取り、持ち上げた。

 そして、裏向きにして、手札にする。

 

「侵略した《ギョギョラス》を――手札に戻す」

「え? せっかく進化したの、戻しちゃうの……?」

「ふふっ。勿論、ただ戻すだけじゃないよ……私のコスト5以上の火か自然のクリーチャーが攻撃する時、革命チェンジも同時に発動したの」

「革命……?」

 

 なんだろう。嫌な予感がする。

 その名前は、わたしの切り札《グレンモルト》と同じ名前を持ってるけど、とても怖くて、不吉な響きだ。

 革命チェンジ。そう宣言したみのりちゃんは、手札から新しいクリーチャーを場に出す。

 

 

 

「侵略に、革命に、裏切りを重ねよう――《蒼き団長 ドギラゴン(バスター)》!」

 

 

 

 そのクリーチャーはを見て、聞いて、認識した瞬間、衝撃が走った。

 姿も色も違うけど、それは、わたしの最初の切り札と、同じクリーチャーだったから。

 

「!? 《ドギラゴン》!?」

「小鈴ちゃんの持ってる《ドギラゴン》より、ずっと強いよ……さぁ、行くよ。ファイナル革命、発動!」

 

 また革命。だけど、やっぱりその言葉には、怖気を感じる。

 わたしの知っている革命とも、《ドギラゴン》とも、まったく違う偉業を感じる。

 

「革命チェンジで《ドギラゴン剣》が場に出て、なおかつこのターン他のファイナル革命能力を使ってないから、《ドギラゴン剣》のファイナル革命が発動するよ。その効果で手札またはマナゾーンからコスト6以下になるよう多色クリーチャーをバトルゾーンへ出せる……手札の《リュウセイ・ジ・アース》をバトルゾーンへ!」

「《リュウセイ・ジ・アース》が戻ってきた……!」

「まだまだ終わらないよ。《ギョギョラス》が場に出た時の能力を解決。《トップギア》をマナゾーンへ!」

「っ!」

「さらに《リュウセイ・ジ・アース》の能力で、山札を見るよ。これは手札に加えるね……じゃあ、攻撃だ」

 

 ギラリと。

 わたしの知らない《ドギラゴン》が、牙を剥き、刃を振るう。

 

「《ドギラゴン剣》でTブレイク!」

 

 刹那。

 わたしのシールドが三枚、切り裂かれた。

 

「っ……S・トリガーだよ! 《メガ・ブレード・ドラゴン》! 二体召喚! さらに、これでわたしのシールドが二枚以下だから、《爆革命 グレンモルト》の革命2発動! 相手クリーチャーは《グレンモルト》を攻撃しなきゃいけなくなるよ!」

「関係ないよ……どうせ殴り殺すつもりだったし。《リュウセイ・ジ・アース》で《グレンモルト》に攻撃」

 

 一撃でわたしとみのりちゃんのシールド数が同じになったけど、お陰で《グレンモルト》の革命能力が発動できた。

 強制的に攻撃させて、《リュウセイ・ジ・アース》を討ち取る。次のターン、《グレンモルト》と《メガ・ブレード・ドラゴン》でダイレクトアタックするしかない。

 S・トリガーが出るかもしれないけど、そのための保険もある。

 

(《グレンモルト》のパワーは9000、《リュウセイ・ジ・アース》には勝てる……そうすれば、手札の《バトライオウ》が――)

 

 視線を手札に向ける。《バトライオウ》が出れば、トリガーでクリーチャーが二体倒されても、まだダイレクトアタックが届く。

 だけど、

 

「もう忘れてる。お馬鹿さんな小鈴ちゃんも、可愛いけどね」

「え?」

「小鈴ちゃん。私の手札に戻ったのは《リュウセイ・ジ・アース》だけじゃないんだよ?」

 

 みのりちゃんは《リュウセイ・ジ・アース》をタップすると同時に。

 手札のカードを再び、《リュウセイ・ジ・アース》に叩きつけ、重ね合わせ、覆い尽くした。

 

「侵略発動! 《裏革命目 ギョギョラス》!」

「あ……っ」

 

 そうだった。

 《ドギラゴン剣》が出た時、みのりちゃんは《ギョギョラス》を手札に戻してたけど、その《ギョギョラス》は《リュウセイ・ジ・アース》が進化したクリーチャーだ。

 《ギョギョラス》と一緒に《リュウセイ・ジ・アース》も手札に戻って、《ドギラゴン剣》の能力で出した《リュウセイ・ジ・アース》は、それを場に戻しただけ。ということは、

 

「進化した《ギョギョラス》も、一緒に戻ってくる……」

「そういうこと。だから、そのS・トリガーは悪手だよ。《ギョギョラス》の能力で《メガ・ブレード・ドラゴン》をマナゾーンへ! そして《メガ・ブレード・ドラゴン》よりコストの小さい《葉嵐類 ブルトラプス》をバトルゾーンへ出して、《ブルトラプス》の能力で、もう一体の《メガ・ブレード・ドラゴン》にもマナに行ってもらうよ!」

「《メガ・ブレード・ドラゴン》が……」

 

 トリガーで出たクリーチャーが、二体ともマナに送られてしまった。

 マナは増えたけど、クリーチャーの数はぐんと減ってしまう。

 それだけじゃない。

 

「さぁ、バトルだよ。《ギョギョラス》のパワーは12000!」

「《グレンモルト》はパワー9000……こっちの負けだよ……」

 

 《ギョギョラス》が、巨大な足で《グレンモルト》を踏み潰す。

 《バトライオウDX》がいてくれれば返り討ちにできたけど、わたしの手札には《バトライオウ》しかいない。

 このターン、みのりちゃんは攻撃しかできない。わたしはそう思ってたけど、ただの攻撃が、こんな結果になるとは思わなかった。

 わたしのクリーチャーは全滅。シールドも残り二枚。みのりちゃんの場には、わたしの場を蹂躙した《ドギラゴン剣》と《ギョギョラス》が唸っている。

 《ギョギョラス》が足をどけると、《グレンモルト》は跡形もなくなっていた。完全に破壊されてしまったようだ。

 と、そこで気付く。

 

「あれ? クリーチャーが……?」

 

 実体化、してる。

 この現象、鳥さんがいる時にいつも起ってるデュエマと同じ……

 

「みのりちゃん、まさか……!」

「違うよ小鈴ちゃん。私は、クリーチャーに憑依されてるわけじゃない」

 

 みのりちゃんは、はっきりとそう言った。

 その傍らには、《ギョギョラス》がいる。不快で奇怪な鳴き声を上げている。

 

「これは私の意志。私が望んでやってることだよ。クリーチャーに操られているわけじゃない……力は、貰ったものだけどね」

「クリーチャーのことも知ってる……」

 

 どういうことなの?

 なんで、みのりちゃんがクリーチャーのことを……いや、それよりも。

 どうしてみのりちゃんは、こんなことを……

 

「安心して、小鈴ちゃん。わたしはいつだって、なにがあったって、小鈴ちゃんの味方だから……小鈴ちゃんがどう思ってても、私は、小鈴ちゃんを裏切らないよ」

「み、みのりちゃん……」

「それより、ほら、小鈴ちゃん。私はターンエンドだよ。次は小鈴ちゃんのターンだよ」

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:なし

盾:2

マナ:7

手札:3

墓地:2

山札:26

 

 

実子

場:《ドギラゴン剣》《ギョギョラス》《ブルトラプス》

盾:2

マナ:6

手札:4

墓地:2

山札:22

 

 

 

「……わたしのターン」

 

 よくわからない。なにが起こってるのか、なんでこうなってるのか。

 鳥さんもいない。わたしだけじゃ、なにもわからない。

 ……でも

 

(この現象にクリーチャーが深くかかわってるのは事実だし、今までもデュエマで勝てば解結してきた……だったら、きっと今回だって……)

 

 同じ方法で、解決できるはず。

 わたしはカードを引いた。

 この状況をひっくり返せる、切り札を引くことを信じて。

 

「! よし、引けたよ! わたしの切り札!」

「じゃあ、最後まで見せて。小鈴ちゃんのすべてを」

「言われなくても! まずは《龍友伝承 コッコ・ゲット》を召喚! マナ武装3で、わたしのコマンド・ドラゴンの召喚コストを2少なくするよ! そして、この能力でコストを2下げて、4マナタップ! 《コッコ・ゲット》を進化!」

 

 わたしの、初めての切り札。

 剣埼先輩から貰ったデッキ。恋ちゃんやユーちゃんを相手に戦いぬいた、わたしの相棒。

 みのりちゃんとは違う、わたしの力、わたしの切り札としての姿。

 それが――

 

 

 

「力を貸して――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「これがわたしの《ドギラゴン》だよ、みのりちゃん! わたしは今まで、このクリーチャーと、みんなと、一緒に戦ってきたの! だから、今回だって!」

「……みんな、ね」

 

 流し目で視線を逸らすみのりちゃん。なにを考えているのかわからないけど、焦っている様子はない。どっちかっていうと、つまらなさそうだ。

 なんにせよ、これでまだわたしの勝機は消えない。逆転の芽が見えたよ。

 

「《ドギラゴン》で《ドギラゴン剣》を攻撃! こっちの《ドギラゴン》はパワー140000だよ!」

「《ドギラゴン剣》はパワー13000だから、負けちゃうね」

「わたしの《ドギラゴン》がバトルで勝ったから、《ドギラゴン》をアンタップ! さらに、このバトルでわたしの火のドラゴンが勝ったから、手札の《爆竜勝利 バトライオウ》をバトルゾーンへ!」

 

 《バトライオウ》はこのターンに攻撃できないけど、まだ終わらない。

 

「アンタップした《ドギラゴン》で、《ギョギョラス》にも攻撃!」

「《ギョギョラス》のパワーは12000だから、やっぱり負けるね」

「もう一度アンタップ! 次はシールドを攻撃! Tブレイク!」

 

 《ドギラゴン》の攻撃で、みのりちゃんのシールドはこれでゼロ。

 まだやれる。まだ、戦える。

 侵略に革命チェンジ。いきなり大きくて強いクリーチャーが出てきて驚いたけど、まだ、なんとかなる――

 

「小鈴ちゃんは、本当に可愛いなぁ」

「みのりちゃん……?」

「負けるってわかってるはずなのに、震えて、泣きそうで、それでも頑張って戦ってる……本当に、可愛いよ」

 

 なにを、言ってるんだろう。

 みのりちゃんの眼は、どことなく虚ろというか、焦点が定まっていないというか、むしろ定まりすぎているような、瞳の奥に揺らめく炎みたいなものが覗いていて、なんだか、不気味だった。

 こんなみのりちゃん、見たことない……

 

「でも、ごめんね。私も手は抜けないの……もう、遠くに小鈴ちゃんを感じたくないから……ずっと近くで、寄り添っていたいから……我慢、できなくなっちゃったから」

 

 みのりちゃんはカードを引くと、マナチャージせず、マナを横向きに倒した。

 

「3マナで呪文《スクランブル・チェンジ》。次の召喚する火のドラゴンのコストを5少なくして、スピードアタッカーを与えるよ」

「スピードアタッカーって……」

「そう。呪文の効果で3マナになった《龍の極限(ファイナル) ドギラゴールデン》を召喚」

 

 今度は、金色に輝く《ドギラゴン》……?

 人型になってるけど、あの顔つきは確かに《ドギラゴン》だった。

 

「《ドギラゴールデン》の能力で、小鈴ちゃんの《ドギラゴン》をマナゾーンへ送るよ!」

「そんな……っ!」

 

 《ドギラゴールデン》は手にした銃を放って、わたしの《ドギラゴン》を撃ち抜く。

 すると《ドギラゴン》は消滅し、大地へと還っていった。

 これでみのりちゃんの場には、《ブルトラプス》とスピードアタッカーになった《ドギラゴールデン》の二体。《ドギラゴールデン》はTブレイカーだから、S・トリガーが出ないととどめまで届いちゃう……

 

「《ブルトラプス》で攻撃する時、革命チェンジ発動! 《蒼き団長 ドギラゴン剣》!」

「そっちもあるの!?」

「ファイナル革命! マナから《メガ・カラクリ・ドラゴン》をバトルゾーンへ! シールドをTブレイク!」

 

 ど、どうしよう。

 このままじゃ、負けちゃう。S・トリガーが出ないと……

 

「! 来た、S・トリガー! 《イフリート・ハンド》で、コスト9以下の《ドギラゴールデン》を破壊!」

「三枚目かぁ、運がいいね、小鈴ちゃん。だけど、それじゃあ足りないよ」

「う……」

 

 もう一枚ブレイクされたシールドはトリガーじゃない。

 わたしには、みのりちゃんの追撃を防ぐ手立てはなかった。

 

「一応、革命0対策はしとこうか。《メガ・カラクリ・ドラゴン》で攻撃する時――侵略発動! 《カラクリ》を《裏革命目 ギョギョラス》に侵略進化!」

 

 ダメ押しのように《ギョギョラス》まで現れる。

 能力で《バトライオウ》がマナにされて、みのりちゃんのマナゾーンから新しいクリーチャーが出て来る。

 大きくて、おぞましい。太い体幹、不気味に広がる両翼。牙の並んだ嘴。

 その巨大な、龍のような、鳥のような怪物は、わたしの恐怖心を煽って、駆り立てる。

 でも、それだけじゃない。

 胸の奥の方が、キュッとなる。苦しく感じる。

 このクリーチャーのせいなの? それとも……

 

「お願いだから……私から離れないで、小鈴ちゃん……ずっと、傍にいてほしいの……」

「え……?」

 

 なんだろう、今のは。この感覚は。

 みのりちゃんの顔に挿した影に、一筋の光が流れたような――

 

「……これでおしまいだよ、小鈴ちゃん!」

 

 ――わたしには、それを考える余裕も、確認する隙もなかった。

 みのりちゃんの繰り出す圧倒的な力の前にひれ伏し、蹂躙され、押し潰される。

 

 

 

「《裏革命目 ギョギョラス》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「みのり……ちゃん――」

 

 ガクッと、小鈴ちゃんは後ろに倒れ込む。

 ちょうどそこは木のベンチで、座り込む形になった。

 今の小鈴ちゃんは生身の身体。ダイレクトアタックの直撃は危険だから避けたけど、衝撃で気を失っちゃったかな。

 それとも、私がこういう形で立ち向かって、ショックを受けちゃったかな。そうだったら嬉しいけど。

 でも、安心して欲しいな、小鈴ちゃん。

 小鈴ちゃんが私を裏切ったとしても、私は絶対に小鈴ちゃんを裏切らないから。

 対戦が終わったらあの人が来るかと思ったけど、まだ来ないな。

 とりあえず、どうしようか。このまま小鈴ちゃんを寝かせておくわけにもいかないし――

 

 

 

「小鈴!」

 

 

 

 ――え?

 

「小鈴! なにがあったんだ、一体……!」

「あなた……」

「君は小鈴の……これは、どういうことだ?」

 

 綺麗に整えられたショートヘアーに、ふわふわなフレアスカート、フリルのデザインが可愛いブラウスを着た――男の子。

 まるっきり女の子にしか見えないけど、私の知識が目の前の眩惑を振り払う。

 そんなことよりも。

 

「ここで邪魔が入るとは思わなかったなぁ」

「邪魔? これは、君の仕業なのか?」

「あなたには、関係ないかな」

「関係ないわけあるものか! 小鈴は、ボクの友達だ!」

「友達、か……」

 

 さて、どうしようかな。

 華奢な子だけど、男の子なんだよね、一応。

 あの人が来てくれればいいんだけど、信用できないし、ちょっとまずいかも。

 この子はあの三人の中では、強い部類だ。少なくとも、小鈴ちゃんよりも強い。

 どんなデッキを使うかもわからないし、絶対に勝てる保証はないんだよね。

 

「……例の鳥も来ないみたいだし、ここは一旦、退いた方がいいのかな。はらわたが煮え繰り返るほどに納得いかないけども」

 

 私はデッキをケースに収めると、それを鞄に仕舞いこむ。

 そして、小鈴ちゃんらに、背を向けた。

 

「あなたに頼むのはちょっと癪だけど、小鈴ちゃんのこと、お願いね」

「……逃げるのか?」

「追いかけたいならご自由にどうぞ。でも、このままじゃ小鈴ちゃん危ないし、任せるよ。ちゃんと送ってあげてね」

「な……おい!」

 

 後ろから彼の声がするけど、気にしない。とっとと走り去ってしまおう。

 しばらく走った。走るのは得意だ。特になにも考えず、無心で走って、着いた。

 家に。

 

「…………」

 

 なぜか、あの人がいた。

 

「よう、遅かったな。首尾はどうだ?」

「天然なのか、見ててあえて言ってるのかわからないんだけど」

「オレ様にも色々ある。自由に出歩ける身分ではないのでな」

「あっそ。まあ、どちらにせよ、今回は失敗、かな」

「そうか。残念だ」

「全然そうは見えないね」

「チャンスはいくらでもあるからな。そう焦ることでもないだろう」

「……私は、焦るよ」

 

 この人にはわからないだろうけどね。

 だけど私は、急ぎたい。

 だって……

 

「ずっと近くにいたはずの小鈴ちゃんが、いつの間に離れてて……いつか、遠くに行っちゃいそうなんだもん……」

 

 だから、その前に。

 小鈴ちゃんが本当に、私のいない違う場所に行っちゃう前に。

 あの頃の、お互いに初めて友達だった小鈴ちゃんを、取り戻すんだ――




 それでは、ここから後編へと続きます。
 誤字脱字、ご意見ご感想等ありましたら、お気軽にどうぞ。


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10話「……裏切りだよ -後編-」

 10話後編です。それ以上をまえがきで語ることはありません。どうぞ、お先にお進みください。


「なに読んでるの?」

「え? あ、えっと……」

「あ、私、香取だよ。香取実子。同じクラスだけど、覚えてる?」

「は、はい……というか、隣の席……ですよね……?」

「お? 覚えてるんだ、よかったよかった。あなたは伊勢さん、だよね」

「は、はい。それで、わたしになんの用でしょうか……?」

「敬語なんていいよー、同級生でしょ?」

「はい……あ、うん」

「別に理由なんてないよ。あんまりお話できてないし、教室にもいないこと多いし、なにしてるのかなーって。そしたら、たまたま図書室で本を読んでるの見つけたからさ。それで、なんの本読んでるの?」

「えっと、これ……小説、なんだけど……」

「あ、これ知ってる。凄い人気の小説だよね。作者は、伊勢誘さん……だっけ」

「う、うん。わたしのお母さんが書いてるんだけど……」

「え!? あなたのお母さんって、小説家なの!? 凄いね!」

「うん……自慢のお母さんなの」

「そういえば、この学校の生徒会長さんも伊勢って名前だけど」

「……わたしのお姉ちゃんです」

「やっぱり! お母さんはプロの小説家で、お姉さんは生徒会長さんか。伊勢さんって凄いんだね」

「わたしは全然すごくないよ……ちっちゃいし、運動音痴だし、ダメダメだよ……」

「そんなことないと思うけどなぁ。きっと伊勢さんには、伊勢さんのいいところがあるよ。なんなら、私が見つけてあげる」

「香取さんが……?」

「うん。ほら、だからさ」

「?」

「にぶいなぁ」

「え? え?」

「つまりね、その――私と、友達にならない?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――みのりちゃん……」

「小鈴! よかった、目が覚めた……」

 

 揺らぐ視界。感覚が少しずつ戻っていく。

 背中が硬くて、ちょっと痛い。ゆらゆら揺れている視界は、少しずつ明瞭になっていって、やがてちゃんと像を結ぶ。

 そして、そこにいたのは、

 

「……霜ちゃん?」

「そうだよ。大丈夫?」

「えっと……」

 

 クラスメイトで、友達の、水早霜くん。霜ちゃんがいた。

 凄いふりふりで可愛い格好してるけど、その表情は不安と安堵が入り混じったよう。どうしたんだろう。

 というか、わたしはどうしてたんだっけ?

 今まで意識を失っていたみたいだし、その前に、なにが――

 

「! そうだ、みのりちゃん!」

「彼女なら、どこかに行っちゃったよ」

「え……?」

「正直、ボクも買い物帰りにたまたま君を見つけただけだから、状況がよくわからないんだ。ただ、明らかに普通じゃないし、君のことだから、クリーチャーが関わる類の事件に巻き込まれてるんじゃないかと……」

「クリーチャー……そうだ! そうだよ! みのりちゃんが! クリーチャーを……」

「小鈴、落ち着いて」

 

 霜ちゃんに窘められる。

 ガシッと肩を掴まれて、動くわたしの動きを止める。

 女の子みたいだけど、やっぱり霜ちゃんは男の子。わたしよりも力は強い。

 霜ちゃんはわたしの肩を抑えると、まっすぐにこっちを見つめてくる。

 

「……とりあえず帰ろう、小鈴。彼女はもう、ここにはいない」

「…………」

「正直、ボクは君がなにを考えて、この状況をどう思っているのかわからないけど、彼女の言葉を聞いたボクが考えるに、彼女はここには戻ってこないと思う」

 

 霜ちゃんの言葉は、本当だと思う。

 みのりちゃんがどうしようとしたのか、なにを思ってあんなことをしたのか、わたしには全然わからない。

 だけど、あれは確実にみのりちゃんだった。

 わたしの知らない、みのりちゃんだったんだ――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 その後。

 わたしは一人で帰れると言ったけど、霜ちゃんは心配だからと家まで送ってくれると言った。

 そして帰りの電車の中で、わたしはふと疑問に思ったことを口に出す。

 

「そういえば、霜ちゃんはなんであそこにいたの? わたしたちの住んでいるとこから、ちょっと離れてるのに」

「あの近くにいいブティックがあるんだ。『Brush up』っていう、ちょっと遠いし少し目立ちにくいけど、結構穴場でね。それなりの価格で可愛い服が買える。知り合いとも遭遇しないし、通販も受け付けてるというじゃないか。暇さえあれば通ってるよ」

「あぁ……」

 

 前に、みのりちゃんと一緒に行った服屋さんだ。

 まさかあのお店を、霜ちゃんが行き着けにしてただなんてまったく思わなかった。

 ……みのりちゃん。

 

「詳しいことは明日聞くよ。今日はもう休んだ方がいい」

「…………」

「その間に、ゆっくり飲み込んだらいい。君にとっては簡単に受け入れられないことかもしれないけど、ありのままの現実を見るんだ。そうなければ、なにも進展しないし、なにも解決しない」

「……うん」

 

 それから、沈黙の時間だった。ガタン、ゴトンと、電車の揺れる音だけが響く。

 ありのままの現実を見る。

 あれが、みのりちゃんの真実。

 最初はただただ混乱して、困惑して、戸惑っていた。

 だけど頭が少しずつ冷えてきて、状況を認識して、わかった。

 認めたくないんだ、みのりちゃんのことを。

 あんなことをするみのりちゃんを。わたしの知らないみのりちゃんのことを。

 信じたくないんだ、現実を。

 酷い現実逃避だけど、そうわかっていても、どうしようもない。

 どうしたらいいのか、わからなかった。

 

「……本当に彼女のことを思うのであれば、君は自分がなにができるのか、考えるべきだよ」

 

 すると、霜ちゃんが、ふとそんなことを言った。

 どことなく、聞き覚えのある言葉だった。

 

「……その言葉って……」

「あの日あの時、あの子に言われた言葉だよ。ボクのアレンジつきだけど、本意は変わってない」

 

 恋ちゃんが霜ちゃんに言った言葉。

 本当に好きなら、好きな人のために自分がなにができるのかを考えるべき。

 正直、恋ちゃんの口からあんな言葉が出るとは思わなかったけど、今のわたしにも、その言葉は突き刺さる。

 でもその言葉の矢は、曲がったように、まっすぐ入らない。

 どこか、屈折している。

 

「ボクはもう、リンちゃんのためにできることはないけど……君ならできる。彼女との関係をどう清算するのかは君次第だけど、決着をつけるチャンスがあるんだ。うやむやのまま終わらせたいならそうしてもいいけど、自分が嫌だと思う結果にならないように努めるべきだよ」

「う、うん……」

「とりあえず今日はなにも聞かない。君の中でも整理がついてないみたいだし、また明日、皆で集まろう。時間は短いけど、その間にできる限りの整理をつけるんだ」

「わかったよ……その、ありがとう、霜ちゃん」

「いいさ、気にしなくても。君もボクのために尽力してくれた一人だし……その、なんだ」

 

 少し照れたように、霜ちゃんは車窓の外に視線を逸らしながら、言った。

 

「ボクらは、友達、だからね」

「……友達」

 

 ありふれた普通の言葉。

 だけども、今のわたしには、どこか虚しく響くのだった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――さて、第二プランを考えないといけないね」

「そうだな。恐らく最も成功率が高かったと思われる前回の作戦は失敗したからな」

「あなたが来なかったのも一因だと、私は思うな」

「もしやオレ様は、非難を浴びているのか?」

「浴びないと思う?」

「オレ様の登場は計画表には記載されていなかったはずなのだがな。それに、オレ様は確かに貴様らとは違うが、超人ではない。できないこともある」

「私は小鈴ちゃんを取り戻す、あなたは聖なる獣とやらを手に入れる。そのためには、私たちは結果的に同じ場所にいるべきだったんじゃないかな?」

「しかしあの場に聖獣は現れなかったそうではないか」

「小鈴ちゃんを確保すれば、誘き出せたかもしれないのに?」

「む? ほぅ……?」

「なに?」

「異常な友愛だと思っていたが、なかなかどうして残酷な回路も持ち合わせているのだな、と思ってな」

「……皮肉のつもり?」

「ただの感想だよ。だがしかし、貴様がオレ様との契約をキッチリと遂行し、そのために尽力しようという意志には感服した。気高き志に敬意を表し、ここはオレ様が折れておこう」

「慇懃無礼って感じに見えるけどね。で? あなたは、私になにをしてくれるの?」

「そうだな。オレ様が貴様に授けられるものなど、ほんの僅かしかない。貴様に託した裏切りの力も、オレ様ではなくオレ様の同胞が代用したものに過ぎんしな。ゆえにオレ様は、物質的なものではなく、契約の履行という点において、物質ならざる価値を提供する他ない」

「回りくどい。結局、あなたはなにが言いたいの?」

「あまりにもありきたりな形ゆえに、少しばかり大仰に気取ってみただけだ。なに、要は貴様の“お願い”をひとつだけ聞いてやる、というだけだよ。オレ様のできる範疇でだがな」

「お願い、ねぇ……ま、それじゃあ期待しない程度で考えておくよ」

「ふっ、オレ様を前にして物怖じしないその不遜な態度も、感服に値するな」

「手を貸してくれたことには感謝してるけど、あなたの言葉をすべて信じたわけじゃないからね。結局あなたが何者なのかもよくわからないし」

「少なくとも、貴様らとは違う部類の存在だということは示しておこう。何分、オレ様たちとて、オレ様たちをどう定義し、どのように説明するべきか悩ましいのでな」

「まあ……あなたが何者かなんて、どうでもいいけどね。私の目的が果たされるのなら」

「あぁ、それでいい。オレ様のような、この世における最底辺の生物に縋った時点で、貴様の選択肢などないのだから。破滅を謳歌しながら、地獄の底で這いずりまわり、己が欲望を満たすべく手を伸ばすがいいさ」

「……それで、どうするの?」

「どうしたものか。詳しくは伏せるが、オレ様も、あまり大っぴらに貴様に助力できるわけでもないからな」

「なんで?」

「詳しくは伏せると言っただろう。まあ、強いて言うのであれば、あまりオレ様たちの存在が明るみに出ても困る、といったところだ」

「……警察に追われてるの?」

「まさか。健全な一般市民を堂々と名乗れる身分に決まっている」

「なんか言ってることが支離滅裂だなぁ。狂ってるっていうか、頭イカレてんじゃないの?」

「どのような見方をするかは貴様次第だ。イカレているのは否定はせんがね」

「押しても引いても手応えないこの感じ、喋ってるだけでイライラするね……」

「おっと、それはすまない、しかしこれは性質(タチ)でな。わりと、どうにもならん。許せ」

「別にいいよ。気にしないわけじゃないけど、言っても仕方ないし、なによりどうでもいい。それより、今後どうするかを考えないと」

「そうだな、そうであろうな。オレ様も、貴様の抱えているものなんぞに興味はない。お互い、知らなくていいことは知らないようにすべきだろう」

「すべき、なんて押し付けがましいルールを提示しないでほしいけど、癪なことに今回は同意するよ。あなたは、私の興味の対象じゃないから」

「では、お互い興味の対象に近づくために、頭を捻り出すか」

「……そうだね」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――成程」

 

 翌日、日曜日。

 近くのファミリーレストランで、わたしと、霜ちゃん。そして恋ちゃんにユーちゃんも呼んで、四人で集まった。

 話の内容は当然、昨日のみのりちゃんのこと。

 わたしは昨日、みのりちゃんとお出かけしたこと。パン屋さんでおいしいパンを食べたことや、その後、みのりちゃんデュエマをしたこと。そして、途中でクリーチャーが実体化していたことなど、すべてみんなに話した。

 昨日のうちに整理なんて全然つかなかったけど、話しているうちに、ちょっとずつ自覚できた気がする。

 さらに霜ちゃんの話も合わせると、みのりちゃんは霜ちゃんを避けるように、その場を去ったという。

 

「正直、わからないことだらけだね」

「でも……事実は、はっきりしてる……」

「? どういうことです?」

「こすずは、嵌められた……その、みのりこ、とかいうのに……」

「…………」

 

 押し黙った。

 確かに、恋ちゃんの言う通りかもしれない。

 みのりちゃんがわたしとデュエマして、倒すことが目的なんだとしたら、わたしはみのりちゃんの罠に嵌められたことになる。

 

「でも、デュエマをするためにお出かけの約束なんて、するんでしょうか?」

「こすずを……油断させる、ため、とか……」

「普通にデュエマを持ちかけるだけで、十分だと思うけどな。だって彼女と小鈴は、知らない仲じゃないんだろう?」

「う、うん。みのりちゃんは、中学に入って最初に仲良くなった子だし……」

「教室でも、お昼食べたり、お話したり、一緒ですもんね!」

「とはいえ、どんな意図があったかは読めないが、結果だけを見れば外出の約束も計略の一つと見るのが自然だと思う。小鈴、君は信じたくないかもしれないけど、君の話から鑑みるに、そういう結論が出てしまうのは仕方ないことだと思う」

「……だけど、こんなものは……ただの結論でしかない」

「小鈴さんは、実子さんと仲直りしたいんですよね?」

「……そう、だと思う……」

 

 自分で言っててなぜか自信が持てないけど。

 みのりちゃんがなにを考えて、ああなってしまったのか、わたしにはわからない。

 少なくとも、その真意を知りたい。わたしは、そう考えてる。

 

「問題は、まともに話ができるかってところだね。彼女の目的は不明だけど、一度は牙を剥いた相手だ。また、なんらかの方法で襲ってくる可能性がある」

「……倒すだけなら、私が、出てもいいけど……」

 

 三人の目線が、わたしに向く。

 

「……そういう問題じゃないからね」

「小鈴さんが実子さんと仲直りするためには、小鈴さんが実子さんと戦わなきゃいけないって、ユーちゃん思います。小鈴さんが戦わないと、ダメなんです」

「ん……まあ、同感……これは、私たちの問題じゃなくて、こすずの問題……」

「わたしの、問題……」

 

 確かにその通りだ。

 霜ちゃんに助けてもらったし、恋ちゃんやユーちゃんも相談に乗ってくれてるけど、これは、わたしの問題なんだ。

 わたしと、みのりちゃんの間で起こった問題。

 だけど、

 

「……でも、私たちも……ただ黙ってる、つもり、ないから……」

「そうだね。ボクらも君の問題が解決できるように、できる限りの助力はするよ」

「小鈴さんは、ユーちゃんたちを助けてくれました。そうでなくっても、小鈴さんはユーちゃんたちのお友達ですから!」

「みんな……」

 

 一切表情を変えないけれど、恋ちゃんはしっかりとわたしの眼を見つめてくれる。

 男の子も女の子も関係なく、霜ちゃんはわたしにその手を差し伸べてくれる。

 無邪気な笑顔のまま、ユーちゃんはわたしの手を握り締めてくれる。

 わたしには、これだけの仲間が、友達がいる。

 力になってくれる、友達が。

 

「……ありがとう」

 

 でも、なんでだろう。

 これだけ心強い味方がいるのに、わたしの心は晴れない。

 まだ、なにか薄暗いものが渦巻いているような。

 満たされない。埋まらない。空っぽな空洞があるような感覚が残っている。

 

「さしあたっては、デッキをどうにかしないといけないね。小鈴は決して弱くはないけど、デッキパワーは初心者レベルなわけだし」

「……相手のデッキは、どうだった……?」

「え、えっと、確か火と自然のデッキで、侵略とか、革命チェンジとかって能力で、大きなクリーチャーがたくさん出て来た……かな?」

「侵略に革命チェンジか。踏み倒しを連打するタイプのビートダウンかな」

「踏み倒しなら……メタは張りやすい……」

「あの、ごめん。話がよく見えないんだけど……?」

「彼女がまた君を狙ってくるなら、次こそは負けられないだろう。だから、対彼女用にデッキを改造するんだよ」

「どんなデッキにも、弱点はある……どんなカードにも、対策カードは存在する……そういったカードを突っ込んで、デッキを組む……」

 

 つまり、みのりちゃんのデッキに対して強いカードを入れて、みのりちゃんに強いデッキを作るってことなのかな。

 なんかちょっとずるい気がするけど、デュエマはそういうもの、と恋ちゃんと霜ちゃんに説き伏せられた。

 

「もっとも、相手も同じデッキを使ってくるとは限らないから、諸刃の剣ではあるけどね。ただ、今の君なら、下手に広い範囲をカバーしようとするより、一点特化でメタを張るほうが有効だと思うんだ」

「で、でも、わたし、そんなにカード持ってないよ」

「だったら、ユーちゃんたちのカードも使ってください!」

「え?」

「みんなで考えて、みんなのカードで、デッキを組むんです! そうすれば、絶対に強いデッキになるはずですよ!」

 

 ユーちゃんはそう提案する。

 みんなで一緒にデッキを作る。

 みんなのカードで、一つのデッキを作る。

 わたしのため。みのりちゃんに、勝つために。

 

「その理屈はわからないけど、カード資産の問題は解決されるね」

「でも、みんなに悪いよ」

「……少し貸すくらいなら、まったく問題はない……よくあること……」

「そうですよ! それに、お友達の小鈴さんのためです! このくらい、当然です!」

 

 みんな、口々にそう言ってくれる。

 カードはデュエリストの魂、って誰かが言ってた。

 わたしなんかのために、なにが起こるかわからない状況なのに、みんなは大事なカードをわたしに託してくれる。

 じんわりと、なにかが込み上げてきそうだった。

 すごく……あったかい。

 でも今はまだ、ダメなの。ここで出しちゃったら、ダメ。

 この気持ちが溢れてしまわないように、抑え込むように、胸に手を当てる。

 

「どうしたんですか小鈴さん? 胸に手を当てて……またおっきくなりましたか?」

「ち、違うよ!? もう、いきなり変なこと言わないでよ、みのりちゃんじゃないん、だか、ら……?」

 

 ……あ、そうか。

 そういうことだったんだ。

 

「小鈴さん?」

「……ううん、大丈夫だよ、ユーちゃん」

 

 ちょっとだけ、わかったかもしれない。

 みんながいるのに、みんなじゃないみたいな、このさびしい感覚。

 この、正体が。

 

「待ってて、みのりちゃん――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 わたしがみのりちゃんと初めて出会ったのは、入学したばかりの、中学一年生の春。つい数ヶ月前のことです。

 特別なことなんてまったくなく、劇的でもない、平々凡々な、なんということもない出会いでした。

 ファーストコンタクトは、最初の席決めの時。たまたまみのりちゃんと隣の席になりました。

 でもその時は、特になにもなかった。軽くあいさつしたくらいで、お互いのことを――少なくともわたしはみのりちゃんのことを――ちゃんと認識していませんでした。

 そもそも、わたしたちの出会いというけども、今にして思えば、あれを“わたしたちの”と称するのは、ちょっと違うかもしれない。

 わたしはなにもしていない。弱いわたしには、なにかをする力も、勇気も、なかった。

 だから彼女が――みのりちゃんが、わたしに会いに来てくれたんだ

 

「なに読んでるの?」

 

 そう、声をかけてくれた。

 ただの興味本位の言葉だったのかもしれないし、気まぐれかもしれない。大した意味なんてなかったのかもしれない。

 あの時のわたしも、その言葉にそれほどの意味を見出していなかった。

 だけど今のわたしなら、はっきりと言える。

 あの最初の言葉のお陰で、わたしは素敵な出会いができた。

 最高の友達ができた。楽しい時間が生まれた。

 あの瞬間は間違いなく、わたしにとって意味のあるワンシーンだった。

 ……本当に嬉しかった。

 本という空想の世界は、面白おかしく彩られている。幼いころからその色彩を見てきたわたしにとって、外の世界は無色透明な、なにもない世界に見えた。

 けれど、みのりちゃんがいたから、わたしは外の世界にも色があって、なにもないわけじゃないってことを知ることができた。

 みのりちゃんは、わたしの背中を押してくれる。わたしの手を引いてくれる。先に進ませてくれる。

 小さな炎をさらに燃やすための薪のように、みのりちゃんはわたしに勇気をくれた。

 全部わかった。思い出した。再認識した。

 みのりちゃんがなにを考えているのか。なにを思っているのか。なにに、苦しんでいるのか。

 わたしなんかの考えが正しいかはわからないし、みのりちゃんの抱えているものはもっと複雑なのかもしれないけど。

 でも、それでも、わたしにはできることがあるはず。

 わたしだって、手を差し伸べて、引っ張らなくちゃいけない。

 みのりちゃんが燃やしてくれた炎で、暗がりを照らさないといけない。

 やっぱり、わたし一人の力じゃ頼りないし、弱いけど……でも、大丈夫。

 

 

 

 わたしには“みんな”がいるから――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

[From:小鈴ちゃん

To:みのりちゃん]

件名:大切なお話があります

 

 放課後、おととい一緒に行った公園で待ってます]

 

 

 

 昼過ぎくらいに、そんなメールが来た。

 一昨日の件から二日経った。昨日はなにもせず、今日も学校は仮病を使ってサボった。ズル休みなんて初めてだ。

 試験前だけど、今は、小鈴ちゃんには会えなかった。小鈴ちゃんも困惑してるだろうし、いつも通り接することなんてできないと思ったからだ。

 でも、本当にそうなのかな。

 学校で小鈴ちゃんと会っても、そこに私がいるのかどうか。私はいるべきなのか。

 それがわからないだけかもしれなかった。

 いや、そうじゃないと思ってるから、なんだろうな。

 

「別にいいけどね、それでも」

 

 私には私の世界がある。誰もが持ってる、自分の世界。

 自分の望むような世界を創るために、私はできることを、したいことを、するだけだ。

 私は多くは望まない。人間は矮小だ。人ひとりが持てる幸せも、愛情も、限られている。

 だから私は、たった一つの、小さな幸せを求めて、たった一つのものに愛情を注ぐ。

 私の世界に、余計なものはいらない。ただ一つ、大切なものがあればそれでいい。

 ただそれだけで、私の中の空虚さは、欠けてしまった空洞は、埋められる。

 適当な服を着て、雑に身なりを整えて、デッキを持って、家を出る。

 一昨日、小鈴ちゃんと行った自然公園。

 時間は午後三時過ぎ。

 待っています、の文面通り、そこに待ち構えていた。

 

「……小鈴ちゃん」

「みのりちゃん……」

 

 可愛い、とふと零しそうになる。

 まるで魔法少女だ。

 見たこともないような、フリフリの服。白とピンクを基調に、フリルをふんだんに使って、なにかのコスプレみたいに見える。普段の彼女なら、恥ずかしがって絶対に着ないような服だ。

 だけど今の彼女は、恥じらいを一切見せていない。

 まだ少し揺れているけど、なにかを決意したような、彼女らしからぬ意志を持った眼で、わたしを見つめている。

 

「……待ってたよ」

「じゃあ、お待たせだね。だけど、こんなに大人数で待ってるとは、思わなかったな」

 

 視線を彷徨わせる。

 学校帰りなのだろう。制服のままの女の子――男の子も混じってるけど――が、小鈴ちゃんの後ろに並んでいる。

 小鈴ちゃんだけなら良かったものの、他の子も連れてきちゃったか。

 なんか、つまらないな。

 

「一人で来ると思ってたんだけど」

「わたしも、最初はそうしようと思ってた……でも、わたし一人じゃちっぽけで、なにもできなくて、みんながいないとダメダメで……」

「だから“お友達”と一緒ってわけか。理に敵ってるし、小鈴ちゃんらしいっちゃらしいのかな」

「うん、だけど、それだけじゃないよ」

「……?」

「恋ちゃん、ユーちゃん、霜ちゃん……わたしの“友達”。“わたしたち”の問題を解決するなら、“みんな”揃ってるべきじゃないかって、わたしは考えたの」

「…………」

 

 そっか。

 小鈴ちゃんは、そう考えてるんだ。

 だったら、話は早い。

 最初から、面倒な計画なんて立てる必要、なかったんだ。

 

「……わかったよ、小鈴ちゃん」

「みのりちゃん……」

「小鈴ちゃんがあの頃の小鈴ちゃんに戻ってくれそうなら、わたしも“あの人”の言うようなことはしないつもりだったけど……それは、無理かも」

 

 ポケットの中に手を突っ込む。

 昨日、中身を弄ったデッキ。ケースから、四十枚のカードの束を取り出す。

 

「一度目は単なる奇襲。ある種の意思表示でしかない。だけど二度目は――本気で潰す」

 

 無理やりでも、強引でも、小鈴ちゃんが拒絶しようとも。

 なにがなんでも、あなたを奪うよ。小鈴ちゃん。

 

(あぁ、結局……裏切っちゃいそうな気がするな)

 

 小鈴ちゃんの気持ちを。

 でも、自分は裏切れない。私の、この気持ちは。この衝動は。

 胸の内が、物凄く熱い。なのに、どこか虚無感が漂う。不思議で、歪で、凄まじく気持ち悪い感覚。

 不愉快だ。あまりにも不快だ。

 その不快感を払拭したくて、吐きそうなほどの熱を振り払いたくて。

 私は、小鈴ちゃんの前に立つ。

 

「みのりちゃん……!」

 

 小鈴ちゃんも同じように、手にデッキを持っていた。

 一昨日は不意打ちみたいな形だったけど、今は違う。

 こうして呼び出した小鈴ちゃんも、戦う意志を見せている。

 それはつまり、

 

(私と小鈴ちゃんの、初めてのケンカ……なのかな?)

 

 そう呼ぶには、気分が沈みすぎているけれど。

 気分としては、そんな感覚が近い気がする。

 

「じゃあ、小鈴ちゃん」

「うん、みのりちゃん」

 

 始めようか。

 

 

 私の世界を賭けた、一世一代の大ゲンカを。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「わたしのターン。《天使と悪魔の墳墓》をチャージして、2マナで《連唱 ハルカス・ドロー》を唱えるよ。一枚ドローして、ターン終了」

 

 小鈴ちゃん先攻の3ターン目。小鈴ちゃんは軽いドロースペルで手札を整えている。

 ただそれだけならなんてことのない光景だけど、この場合重要なのは、相手が小鈴ちゃんであること。そして、彼女のゾーンだ。

 

(マナに見えるのは《牢獄》に《伝説の秘法 超動》、そして《墳墓》……粗が目立つけど、まあ普通にボルコンっぽいね)

 

 今まで単色デッキだったのが、急に四色になったこと。そしてマナ基盤としてもよく使われる《牢獄》や、強烈な効果を持つメタカードの《墳墓》。さらに超次元ゾーンにまでカードが見える。

 これはボルコン以外には考えられない。

 

(ボルコンはその場その場の判断が重要で、扱いが難しいコントロールデッキ……まだまだ全然小鈴ちゃんに使いこなせるとは思えないけど……)

 

 まあ、小鈴ちゃんは頭いいし、飲み込みも早いから、効率的なカードの動かし方はできるだろうけど、如何せん知識が足りない。

 次になにをしてくるか、なにが待ってるか。相手の戦術を見極めて対応する。そういう、“知識”と“経験”に基づいた判断は難しいはず。

 現に、私のデッキにガン刺さりな《墳墓》をマナに埋めちゃってるし。二枚以上積んでいる可能性もあるけど、見るからにハイランダー気味な構築っぽいから、頭の隅には置いておくけど、過剰な警戒はしない。

 ボルコンはとにかく豊富なメタカードで、あらゆる戦術に対応してくる。

 だったら対応される前に、全力でこっちの勝ち筋を叩きつけようか。

 

「……私のターン。3マナで《龍友伝承 コッコ・ゲット》を召喚するよ。ターン終了」

 

 

 

ターン3

 

小鈴

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:1

山札:27

 

 

実子

場:《コッコ・ゲット》

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:0

山札:27

 

 

 

「わたしのターン。《シド》をチャージして……これかな? 2マナで《制御の翼 オリオティス》を召喚だよ!」

「《オリオティス》……!」

 

 嫌なカードが出て来た。

 最高に嫌なタイミングだ。

 

(困った……これじゃあ《リュウセイ・ジ・アース》が出せない……)

 

 《オリオティス》は、いわゆる踏み倒しメタとなるカードの一種だけど、他の踏み倒しメタとは性質がちょっと違う。

 というのも、《オリオティス》が規制するのは、本来のコストを払わず出るカード。詳しく言うなら、自分のマナゾーンにあるカード枚数より、コストの大きなクリーチャーを出した時、そのクリーチャーは山札の下に送られる。

 だから、踏み倒したとしても、マナゾーンのカード枚数が多ければ問題ないけど、マナゾーンのカードが少ない時は、踏み倒してなくてもコスト軽減で出した場合も規制される。

 前に使ったのはマナブーストして《ギョギョラス》と《ドギラゴン剣》を発射するデッキだったけど、このデッキはコスト軽減で侵略や革命チェンジに繋げるデッキ。《オリオティス》は致命的に刺さる。

 《オリオティス》の規制から抜け出すには、マナを溜めるしかない。だったら……

 

「……《コッコ・ゲット》でコストを2軽減。4マナで《リュウセイ・ジ・アース》を召喚!」

「あ……《オリオティス》の能力だよっ! みのりちゃんのマナゾーンにあるカードの枚数より、コストの大きいクリーチャーが出たから、山札の下に戻して!」

「うん、戻すよ。でも、除去されても《リュウセイ・ジ・アース》の能力は使えるから、こっちを先に解決するよ。トップを見て、マナに置く」

 

 手札に加えるつもりはない。どんなカードが捲れても、即座にマナに落とす。

 これで私のマナは5マナ。次のターンには6マナだ。

 やっぱりこういうコントロールはやりにくい。でも、多少無理してでも、ここはマナを伸ばす。

 《ギョギョラス》や《ドギラゴン剣》の破壊力を叩きつければ、速度の遅いボルコンじゃ対応しきれないはずだから。

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:《オリオティス》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

実子

場:《コッコ・ゲット》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:0

山札:26

 

 

 

「山札の下に戻っちゃうのに、マナを増やしてきた……」

 

 唖然とする小鈴ちゃん。この動きは想定してなかったのかな?

 

「《オリオティス》は過信しない方がいいって、こういうことだったんだね、恋ちゃん……わたしのターン。早く次の手を打たないと……5マナで《No Data》を召喚! ターン終了する時、手札とシールドを入れかえるよ!」

(《No Data》? ドローソースかな……厄介だけど、先に《オリオティス》を対処しないと)

 

 ボルコンにしては珍しいカードだ。

 即効性のないドローソース。枚数的なアドバンテージに繋がらないシールド交換。だけど、能力自体は癖がなくて堅実。場に維持できれば、かなり大きな恩恵をもたらしてくれるのは確かだ。

 私のデッキは結局殴るデッキだ。《単騎連射 マグナム》はいるけど、呪文は防げない。トリガーを仕込まれるのは困るけど、それよりも踏み倒しを封じられる方が困る。

 ここは、もっと加速しないと。

 

「《リュウセイ・ジ・アース》召喚! トップを見て、マナへ置くよ。さらに《リュウセイ・ジ・アース》で攻撃する時に、革命チェンジ! 《蒼き団長 ドギラゴン剣》! ファイナル革命で手札の《リュウセイ・ジ・アース》を再びバトルゾーンへ! トップを見て、マナゾーンへ!」

「! 《オリオティス》の能力発動!」

「《ドギラゴン剣》登場時点でトリガーしてるからね……仕方ないね」

 

 連続で《リュウセイ・ジ・アース》を出して、マナを8マナまで伸ばしたけど、《ドギラゴン剣》が革命チェンジして、バトルゾーンに出た瞬間、《オリオティス》の能力も同時に発動している。

 《ドギラゴン剣》が場に出た瞬間はまだ7マナだったから、私の《ドギラゴン剣》は山札の下に戻される。

 でもこれで、私のマナは8マナ。もう《オリオティス》の規制はほとんど受けない。

 あとは、侵略と革命の力で、暴力的に押し潰すだけだ――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《オリオティス》《No Data》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:1

山札:25

 

 

実子

場:《コッコ・ゲット》《リュウセイ・ジ・アース》

盾:5

マナ:8

手札:1

墓地:0

山札:24

 

 

 

 正直、かなりピンチだよ……

 みのりちゃんは本当に強い。恋ちゃん、ユーちゃん、霜ちゃん……みんなの知恵と力を合わせて組んだデッキだけど、攻撃を防ぐので精いっぱいだよ。

 《オリオティス》の能力も、あそこまでマナが増えたらもう期待できないし、手札には他に侵略や革命チェンジするクリーチャーを持ってるかもしれない。

 だから、あの《リュウセイ・ジ・アース》をなんとかしたいけど、手札になんとかできそうなカードはない。

 

「だったら、このドローに賭けるしか……わたしのターン! 《No Data》の能力でドローしてから、もう一枚ドロー!」

 

 霜ちゃんから借りた《No Data》。シールドにトリガーを仕込めるだけじゃなくて、多くドローして手札も増やせるから、凄く強い。

 

「よしっ。3マナで呪文《魂と記憶の盾(エターナル・ガード)》! 《リュウセイ・ジ・アース》をシールドへ!」

「っ!」

「さらに《ディオーネ》を召喚! ターン終了する時に、手札とシールドを入れかえて、ターン終了だよ!」

「スピードアタッカーまで止めてきた……!」

 

 《ディオーネ》はスピードアタッカー能力を無力化するブロッカー。

 この能力なら、《リュウセイ・ジ・アース》は出たターンに攻撃して革命チェンジできないし、《ドギラゴン剣》や《スクランブル・チェンジ》で付与したスピードアタッカーも無効化できる。

 霜ちゃんの提案で入れたカード。これで攻撃を止められたらいいけど、

 

「だったら直接葬る……《龍の極限 ドギラゴールデン》を召喚! 《ディオーネ》をマナ送りだよ!」

「も、もうやられちゃうの!?」

 

 全然止めれてない。せっかく霜ちゃんから借りたのに……

 で、でも、このターンの革命チェンジは防げたから、よかった……のかもしれない。

 みのりちゃんのデッキは、本当に攻撃力が高いし、速い。いや、爆発力とか、瞬発力がある、って言うべきなのかな。

 一度クリーチャーが出たら、即座に襲い掛かってくる。しかもその一撃が、とにかく重い。

 

(全部、恋ちゃんたちが言ってた通りだ……)

 

 みのりちゃんの動きも、その多くが言われたことと合致している。

 スッと、目を閉じた。

 思い返す。あの時、恋ちゃんに言われたことを――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

赤緑(ステロイド)はマナ加速のスピード……そこから繋がる、打撃力がウリ……攻撃力が高い……」

「確かに、わたしよりもずっと早くマナが溜まってたし、一瞬で大きなクリーチャーがたくさんでてきた……」

「でも、攻撃に特化しすぎてるから、妨害には弱い……まずは動きを止めて、守りを固めて……その隙に、ディスアドを押し付ける……」

「シールドなくなっちゃったら大変だもんね」

「とりあえず、《オリオティス》は必須かも……《メンデルスゾーン》とか《スクランブル・チェンジ》あるなら、呪文メタも有効……ブロッカーも入れておくといい……」

「い、一度にそんなに言われても……!」

「でも……守ってばっかじゃ、勝てない……守りを意識……でも、攻め時は、ずっと狙わないと……ダメ」

「……うん。やってみるよ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

ターン6

 

小鈴

場:《オリオティス》《No Data》

盾:5

マナ:7

手札:1

墓地:2

山札:23

 

 

実子

場:《コッコ・ゲット》《ドギラゴールデン》

盾:6

マナ:8

手札:1

墓地:0

山札:23

 

 

 

 みのりちゃんのデッキの仕組みや、キーカード、その特徴、性質……全部、恋ちゃんや霜ちゃんが教えてくれた。

 その対策になるカードも、みんなから借りて、なんとかデッキを組んだ。

 

「《No Data》の能力で二枚ドロー……!」

 

 ユーちゃんが教えてくれた。わたしは、一人で戦ってるんじゃないって。

 友達が、みんなが、支えてくれた。一緒にいてくれて、笑って、遊んで、助けてくれた。

 だから、

 

「恋ちゃん……よし」

 

 このデッキには、みんなの力が詰まってるんだ。

 

「動きを止めるよ。6マナで、《オリオティス》を進化!」

「え……進化?」

 

 恋ちゃん。

 いつも静かで無表情だけど、実は凄く可愛くて感情豊かな子だった。

 恋ちゃんはわたしと初めてデュエマをしてくれた人。その中で、戦いながらわたしにデュエマを教えてくれた。

 ブロッカーを並べたり、S・トリガーをたくさん使ったり、シールドを増やしたりして、わたしのクリーチャーや、わたし自身の動きさえも封じる戦略を見せてくれた。

 その力――借りるよ!

 

 

 

「これが、恋ちゃんから借りた力――《聖霊龍王 ミラクルスター》!」

 

 

 

 わたしが繰り出したカードを見て、みのりちゃんは、明らかに目を見開いて、驚愕していた。

 

「!? 《ミラクルスター》!?」

「《ミラクルスター》の能力で《コッコ・ゲット》と《ドギラゴールデン》をタップ! 次のターン、アンタップできないよ! そして、《ミラクルスター》で《コッコ・ゲット》を攻撃!」

 

 光文明が得意とする、相手をタップさせて、攻撃する。タップキルっていうんだっけ。

 恋ちゃんから借りた、恋ちゃんの切り札《ミラクルスター》。

 みのりちゃんの攻撃を止めつつ、クリーチャーも破壊できたよ

 

「ターン終了!」

「……まさか《ミラクルスター》なんてカードが入ってるなんて……ボルコンにしては変だと思ったけど、ますます変だね……」

 

 さっきまで驚いた表情をしていたみのりちゃんだけど、もう落ち着きを取り戻していた。

 

「ここまでで《ボルメテウス》は見えてないけど……なんにしても、その高パワー三打点は無視できないね。こうなったら、強引すぎるくらいに殴る! 《ドギラゴン剣》を召喚!」

「っ! そのまま……!?」

「《ドギラゴン剣》は自身の能力でスピードアタッカーになる! 《ミラクルスター》を攻撃! 破壊するよ!」

 

 恋ちゃんの《ミラクルスター》が、《ドギラゴン剣》に切り裂かれた。

 革命チェンジで出すクリーチャーとばかり思ってたけど、普通にも出せるんだ……

 

「ターン終了」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「相手の邪魔をすると、自分のやりたいことがやりやすい、らしいですよ、小鈴さん!」

「相手の邪魔をする……手札破壊、とかかな」

「ユーちゃんも使ってた《解体人形ジェニー》が強いですよ! 手札を見て、一番出されたくないカードを捨てられます。マッドネス? には、気をつけないとですけど。それから《カレイコ》とか《タイム・トリッパー》とかも、マナが増やせなかったり、使いづらくなるので、Zeit(時間)が稼げますよ!」

「時間を稼ぐ、かな? そっか。みのりちゃんのデッキ、切り札が出るの早かったもんね。そういうのも大事なんだ」

「でも、本当にダメだったときは……破壊しちゃいましょう!」

「あ、やっぱりそうなるんだね」

「Ja! やりたいことを邪魔されちゃうこともありますけど、それを振り払って、それでも先に進めば、きっといいことがあります!」

「……そっか。わかった、わたし、頑張るよ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

ターン7

 

小鈴

場:《No Data》

盾:5

マナ:8

手札:1

墓地:4

山札:21

 

 

実子

場:《ドギラゴールデン》《ドギラゴン剣》

盾:6

マナ:8

手札:1

墓地:1

山札:22

 

 

 

「まずい……どうしよう……とりあえず二枚ドロー……」

 

 このまま《ミラクルスター》でどうにかしようかと思ったけど、一瞬で散ってしまった。

 みのりちゃんの場には《ドギラゴールデン》と《ドギラゴン剣》。パワーが高いTブレイカーが二体。

 流石に、放置するわけにはいかない。

 

「! ユーちゃん……! これなら……マナチャージして《停滞の影タイム・トリッパー》を召喚!」

「今さらそんなクリーチャー出しても、意味ないよ」

「そんなことない! これは、ユーちゃんが貸してくれたカード……そして、これも! どうしようもなくなったら、破壊する! 6マナで《タイム・トリッパー》を進化!」

 

 ユーちゃん。

 いつも元気で天真爛漫で、その明るさはわたしの力にもなった。

 ユーちゃんはわたしに『Wonder Land』を教えてくれた。わたしのデッキが強くなったのは、ユーちゃんが一緒に戦ってくれたから。

 クリーチャーを破壊したり、手札を捨てさせられたり、墓地を自由自在に操って、デュエマのゾーンの重要性、カードの存在する場所には意味があることを教えてくれた。

 今だけ一緒に――戦って!

 

 

 

「これが、ユーちゃんから借りた力――《悪魔龍王 キラー・ザ・キル》!」

 

 

 

 一度目の《ミラクルスター》を経験しているからか、みのりちゃんの驚きは、それほど大きくはなかったけど。

 それでも、困惑を隠し切れていない。

 

「今度は《キラー・ザ・キル》……!」

「《キラー・ザ・キル》能力で《ドギラゴン剣》を破壊だよ!」

 

 闇文明が得意とするのは、破壊。

 ユーちゃんから借りた、ユーちゃんの切り札《キラー・ザ・キル》。

 単純だけど、とにかく強い。パワーもコストも文明も種族も、なにも関係なく、問答無用で《ドギラゴン剣》を破壊する。

 

「そして《キラー・ザ・キル》で攻撃! シールドをTブレイク!」

「トリガーはないけど……ボルコンで痺れを切らして殴ったら負けだよ、小鈴ちゃん」

 

 みのりちゃんはブレイクされたシールド三枚を、手札にする。

 わかってる。恋ちゃんや霜ちゃんも言ってた。このデッキで、安易にシールドを攻撃すると、自分の首を絞めるって。

 だけど、これでいいんだ。

 わたしはみんなと一緒に戦いたかった。みんなが力を貸してくれたんだから、その力を、カードを、使わない理由はない。

 

「私のターン! 3マナで《スクランブル・チェンジ》! コスト軽減して、2マナで《超DXブリキン将軍》を召喚! 能力で山札を見て……《ドギラゴン剣》を手札に!」

「! 来る……!」

 

 《スクランブル・チェンジ》の効果で、《ブリキン将軍》はスピードアタッカーになってる。そして《ブリキン将軍》自身が、火と自然のドラゴンだから、《ドギラゴン剣》が革命チェンジできる。

 みのりちゃんの場には《ドギラゴールデン》がいて、《ブリキン将軍》が《ドギラゴン剣》になれば、わたしのシールドは全部ブレイクされる。さらに《ドギラゴン剣》のファイナル革命で、少なくとも《ブリキン将軍》は出せるから、とどめまで行っちゃう。

 

「早くとどめを刺したいけど、トリガーが怖いね……まずは盤面を掃除しようか。《ドギラゴールデン》で《キラー・ザ・キル》を攻撃!」

「うっ……!」

 

 《ドギラゴールデン》が発射する銃弾に撃ち抜かれて、ユーちゃんの《キラー・ザ・キル》も破壊されてしまった。

 

「さらにスピードアタッカーを得た《ブリキン将軍》で攻撃! する時に!」

 

 みのりちゃんは手札のカードを一枚抜き取った。

 そして、《ブリキン将軍》の上に、覆い被せるように、その身を乗っ取るように、叩きつける。

 

 

 

革命(侵略)を裏切り、喰い潰せ――《裏革命目 ギョギョラス》!」

 

 

 

 《ブリキン将軍》の鋼鉄の身体が、メキメキと内側から壊れて、砕かれて、そして喰われ、飲まれるように――その巨大な古代の龍は、現れた。

 

「で、出た……侵略……!」

 

 でも、それだけじゃない。

 みのりちゃんはさっき、あのカードを手札に加えてる。

 

「並びに革命チェンジ! 《蒼き団長 ドギラゴン剣》!」

「くぅ……!」

「まずは《ギョギョラス》の能力! いい加減、その鬱陶しい《No Data》をマナ送りにするよ! そしてそれよりコストの小さいクリーチャー、コスト5未満の《マグナム》を、マナからバトルゾーンに!」

 

 《単騎連射(ショートショット) マグナム》。確か、恋ちゃんか霜ちゃんが言ってた。このデッキに入れようか議論してて、やめたカード。

 自分のターン中に、相手が出すクリーチャーをすべて、場に出させずに破壊してしまうカード。要するにS・トリガーなんかでクリーチャーを出させない能力だ。

 

「次に《ドギラゴン剣》のファイナル革命発動! 手札の《ブリキン将軍》をバトルゾーンに! 能力で山札を見て……《ドギラゴールデン》を手札に加えるよ!」

 

 今まで抑えてきたみのりちゃんの攻撃が、爆ぜるように放たれる。

 前に対戦した時は、怖くなかったけど、怖かった。

 だけど今回は、怖いけど、怖くない。

 みんながいるから……みんなの力があるから。

 

「さぁ……《ドギラゴン剣》の攻撃だよ! 仕込んでないところからTブレイク!」

 

 《ドギラゴン剣》が刃を咥えて突撃する。

 一瞬のうちに、わたしのシールドが三枚、切り裂かれたけど、

 

「っ……S・トリガー! 《無法のレイジクリスタル》!」

「呪文か……クリーチャーだったら止められたんだけどね」

「パワー6000以上の《ドギラゴールデン》を手札に戻して、6000以下の《ブリキン将軍》を破壊するよ!」

「追撃ができない……ターン終了だね」

 

 あ、危なかった。

 シールド交換してないところを攻撃されたから、ヒヤヒヤしたけど、なんとか攻撃を止められた。

 

 

 

ターン8

 

小鈴

場:なし

盾:5

マナ:10

手札:2

墓地:7

山札:16

 

 

実子

場:《ドギラゴン剣》《マグナム》

盾:3

マナ:7

手札:5

墓地:4

山札:19

 

 

 

 シールドブレイクは、余計な手札を相手に与えてしまう。

 ユーちゃんと初めてデュエマした時、ユーちゃんが実践してたこと。その後、わたしもなんとなくそれがわかって、たまに意識してたけど、今回のデッキを組む時、改めて恋ちゃんや霜ちゃんに教えられた。

 わたしが《キラー・ザ・キル》でシールドブレイクしたのは失敗だったかもしれない。まだ攻撃するべきではなかったかもしれない。

 でも、だとしても。

 その失敗を挽回するチャンスはある。

 

「わたしのターン! 《ニコル・ボーラス》を召喚!」

「! 《ボーラス》……そんなカードまで……!」

「《ニコル・ボーラス》の能力発動! みのりちゃん、手札を七枚捨てて!」

 

 登場時、《ニコル・ボーラス》は相手に手札を七枚捨てさせる。

 捨てるカードは相手が選ぶけど、七枚も捨てるとなると、ほぼ全部だ。みのりちゃんはシールドブレイクや《ブリキン将軍》で手札を増やしてたけど、それも全部まとめて墓地に送り込める。

 

「……小鈴ちゃん。不用意なハンデスは身を滅ぼすよ」

 

 みのりちゃんが言う。

 そう、わたしは失念してた。

 手札破壊(ハンデス)の弱点も、ちゃんと教えてもらったのに。

 それを逆利用するようなカードも、存在するって。

 

「マッドネス発動! 《熱血提督 ザーク・タイザー》!」

「!」

 

 そのカードを見た瞬間に、思い出した。

 手札から捨てられた時に、場に出るクリーチャーがいるということを。

 

「相手のカードの効果で捨てられた時、墓地の代わりに場に出るクリーチャーだよ。さらに場に出た時、山札の上から三枚を見て、コマンド・ドラゴンとヒューマノイド爆を手札に加えられる!」

「手札補充……!」

「《ボルシャック・ドギラゴン》と《リュウセイ・ジ・アース》を手札に!」

 

 せっかく手札を捨てさせたのに、回復されてしまった。

 これは、まずいかもしれない。

 

「……ターン終了」

「私のターンだね。決めるよ。《ドギラゴン剣》でTブレイク!」

 

 再び《ドギラゴン剣》が駆け、わたしのシールドを切り裂く。

 そのブレイクされた二枚のシールドを見て、わたしは一枚を放った。

 

「S・トリガー! 《支配のオラクルジュエル》! アンタップしてる《マグナム》を破壊して、他のクリーチャーをタップするよ!」

「また止められた……!」

「もう一枚トリガー! 《埋没のカルマ オリーブオイル》! わたしの墓地のカードを、全部デッキに戻す!」

「粘るね……小鈴ちゃん。ターン終了だよ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「いくら守りを固めたり、相手の妨害をしても、それだけじゃ長くはもたないよ。マナを溜めるにも、カードを使うにも、手札がないと」

「そっか。相手の邪魔をし続けるためにはたくさんカードを使わなきゃいけないから、たくさんカードが必要なんだ」

「ドローには必要なカードを引きいれる目的もあるね。ちょっと重いけど、《No Data》がお勧めだよ。常に手札を多く供給できるし、シールド交換で守りも固められる」

「普通にトリガーを仕込むためにも使えるんだよね。どんなに攻撃してきても、トリガーで反撃できるならいいかも……」

「その考え方は危険だよ。一撃が大きいから、受け身になりすぎちゃいけない。常に先手を打つつもりで妨害しないと。その時々で最適なカードを使うことが大事だ。手札にないなら《クリスタル・メモリー》で必要なカードをピンポイントで引っ張ってきてもいい。トリガー頼みの受動的な対応は最後の手段だ。このことを、しっかり覚えておいて」

「わ、わかった」

「とにかく、あらゆる手を尽くして守り切れ。革命チェンジ主体じゃ、息切れを狙うのは微妙だけど、そこに勝機がある……あぁ、そうだ。君は、君自身を大切にしてくれ。恐らくだが、あの彼女も、君が傷つくのは本意ではないはずだから」

「……うん。ありがとう、霜ちゃん」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

ターン8

 

小鈴

場:《ニコル・ボーラス》《オリーブオイル》

盾:0

マナ:10

手札:2

墓地:0

山札:26

 

 

実子

場:《ドギラゴン剣》《ザーク・タイザー》

盾:3

マナ:8

手札:2

墓地:9

山札:16

 

 

 

 《オラクルジュエル》のお陰でなんとか凌げた。ブロッカーも出せたし、もう少し耐えられるはず。

 でも、もう最後の防御手段も使い切ってしまった。

 なんとかこの状況を打開しないといけないけど、そのためにはカードが足りない。

 守るにも、破壊するにも、そして攻めるにも。

 もっと手札がなくちゃ。

 そうして、引いた。

 

「……これに賭けよう。6マナタップして、このクリーチャーを召喚!」

 

 霜ちゃん。

 わたしの初めての男の子の友達だけど、それを感じさせないくらい可愛い。

 霜ちゃんはわたしにカードどうしが生み出すコンボを見せてくれた。カードは一枚だけじゃ成立しない、組み合わせてこそ強くなるってことに気付かせてくれた。

 たくさんカードをドローしたり、シールドにトリガーを仕込んだり、呪文をタダで唱えたり、変幻自在なカードの動き、色んなカードの可能性を示してくれた。

 お願い――わたしを助けて!

 

 

 

「これが、霜ちゃんから借りた力――《龍素記号Sb リュウイーソウ》!」

 

 

 

 流石に三度目。みのりちゃんの驚きも、困惑も、だいぶ薄らいで、かなり冷静さを保っていた。

 

「《リュウイーソウ》って、また変なカードが……でも、シールドがないなら、S・バックもできないか」

「さらに呪文《超次元エナジー・ホール》! 一枚ドローして《時空の踊り子マティーニ》《時空の英雄アンタッチャブル》をバトルゾーンに! 《リュウイーソウ》の能力でもう一枚ドロー!」

 

 霜ちゃんはS・バックで呪文をタダで使ってたけど、《リュウイーソウ》には、呪文を唱えるとドローできる能力も持ってる。

 このデッキは呪文が多い。色んな手段で相手を邪魔しながら、手札を増やして、みのりちゃんの攻撃を耐え凌ぐんだ。

 

「《ニコル・ボーラス》で《ザーク・タイザー》を攻撃! この時《ニコル・ボーラス》の能力で《ドギラゴン剣》を破壊! 《ザーク・タイザー》とは相打ちだよ!」

 

 《ザーク・タイザー》のパワーは7000、《ニコル・ボーラス》も7000だから、残念ながら相打ち。どっちも破壊されてしまう。

 

「これで、ターン終了」

 

 みのりちゃんのクリーチャーは、すべて破壊した。

 わたしの場には《オリーブオイル》《マティーニ》というブロッカーが二体いる。そう簡単にとどめは刺されないはず。

 

「変なカードばっかり……ここまでで《ボルメテウス》が一枚も見えてないし、なんなの、そのデッキ……」

「みんなで組んだ、みんなのデッキだよ。わたし一人じゃ、絶対に生まれなかったし、ここまで戦うこともできなかった」

「……みんな、か」

 

 どこかさびしそうな表情のみのりちゃん。

 やっぱり、みのりちゃん、君は……

 

「それが、小鈴ちゃんにとっての“みんな”なの?」

「……みのりちゃん」

「そこに私はいない……私のいないところが、小鈴ちゃんにとってのみんな、なんだね」

「みのりちゃん、あのね……」

「いいよ……わかったから」

 

 どこか投げやりに、みのりちゃんは言う。

 

「小鈴ちゃんが私を裏切っても、私は小鈴ちゃんを裏切りたくなかった。私には、小鈴ちゃんを嫌いになることなんてできない。私がいないところで楽しそうにしてる小鈴ちゃんも、私にとっては愛しいし、幸せの形だから……だったはず、だけど、だから、なのに……でも、そう――」

 

 静かな眼でわたしを見据えるみのりちゃん。

 その瞳は虚ろで、だけどもその奥には、揺るがない意志が見て取れた。

 

「小鈴ちゃんがそのつもりなら、私自身で作るよ。私と小鈴ちゃんの、世界(いばしょ)を」

 

 そして、みのりちゃんのターン。

 みのりちゃんは、カードを引いた。そして、

 

「私のターン……《リュウセイ・ジ・アース》を召喚」

「ここで《リュウセイ・ジ・アース》……」

「トップを見るね」

 

 少し身構える。

 みのりちゃんの手札は少ないけど、《リュウセイ・ジ・アース》が出たってことは、また《ギョギョラス》や《ドギラゴン剣》に繋げられる可能性がある。

 だけどみのりちゃんは前のターンに革命チェンジや侵略をしてこなかったし、そういうカードを手札に持ってないのかもしれない。

 だったら、よかったんだけど。

 

「これは手札に加える。そして《リュウセイ・ジ・アース》で攻撃……する時に!」

「っ!」

「侵略発動!」

 

 来る!

 

 

 

「小鈴ちゃんの世界を喰らって、“私たち”の世界を創り出せ――《裏革命目 ギョギョラス》!」

 

 

 

 《リュウセイ・ジ・アース》の革命軍を上書きし、乗っ取って、侵略者へと塗り替える。

 裏切りの革命、裏返る侵略。

 巨大な龍のような鳥が、地響きを鳴らしながら現れた。

 《ギョギョラス》は鳥とも獣とも思えない、おぞましい声で、けたたましく咆える。

 

「とどめまでは届かないけど、ブロッカーをまとめて消し飛ばすよ! 《ギョギョラス》の能力で《オリーブオイル》をマナに送って、マナの《コッコ・ゲット》をバトルゾーンに! ダイレクトアタック!」

「《マティーニ》でブロック!」

「じゃあ、ターン終了!」

 

 

 

ターン9

 

小鈴

場:《リュウイーソウ》《アンタッチャブル》

盾:0

マナ:12

手札:2

墓地:2

山札:23

 

 

実子

場:《ギョギョラス》《コッコ・ゲット》

盾:3

マナ:7

手札:1

墓地:12

山札:15

 

 

 

 ……そろそろ、限界かも。

 ブロッカーがいなくなって、シールドもない。みのりちゃんのスピードアタッカーや、侵略や、革命チェンジを止める手立ても、全部なくなっちゃった。

 これ以上は、耐えきれそうにない。

 だけど

 最後に、みんなは教えてくれたん――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「最後に仕上げ……フィニッシャーが必要……」

「いくら守っても、妨害しても、決着をつけられないと意味はないからね」

「切り札、ですね!」

「切り札か……」

「形としてはボルコン……だったら、答えは一つ……」

「《ボルメテウス》系でいいだろうね。確実に詰められる」

「小鈴さん、ユーちゃんたちのカード、使ってください。はいです」

「あ、ありがとう」

「そのカードは……」

「致命的に合わないな……ビート向きだし、流石にやめた方がいいんじゃ……」

「そんなことないですよ! みんなで力を合わせて作ったデッキなんです! 小鈴さんには、ユーちゃんたちの切り札を使ってほしいんです!」

「ユーちゃん……」

「非合理的すぎる……」

「小鈴を勝たせるためのデッキだから、コンセプトに外れるのはちょっとね……」

「で、でも……でもでも!」

「……わたしは、ユーちゃんの案に賛成、かな」

「小鈴……?」

「いや、でも、君はあんまりコントロールデッキを知らないからそう言うかもしれないけど、せっかくカードを使いまくって時間を稼いでるんだ。とどめは確実に決めないと」

「た、確かにそうかもですけど……」

「でも、みんなが手伝ってくれた意味っていうか、その形というか……そういうのを、残したいんだ」

「…………」

「小鈴……」

「小鈴さん……」

「ごめんね、わたしのわがままで……だけど、わたしは一人で戦ってるわけじゃない。みんなが一緒にいてくれるってことを、その意味を、このデッキに込めたい。だから、お願い」

「本人がそこまで言うなら……止められない」

「……わかったよ。君がそこまで言うなら」

「それじゃあ、小鈴さんの切り札も入れましょうよ!」

「わたしの?」

「普通にブレイクするなら……プレイングも、さらに気をつけないと……トリガー……革命0、スーパー・S・トリガーも……」

「ここまで来たら、コンセプトを変えるしかないかもね。どうなるかな。偽装ボルコンと言えばそれっぽいかもしれない」

「だったら、もっとクリーチャーも増やしましょうよ!」

「みんな……ありがとう――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ……そうだ。

 みんなが教えてくれた。

 これは、みんなの力を借りても、わたしが解決しなきゃいけないこと。

 最後は、わたしがやらなくちゃいけないんだ。

 

「わたしのターン! 《超次元ムシャ・ホール》! 《コッコ・ゲット》を破壊して、《勝利のリュウセイ・カイザー》をバトルゾーンへ!」

「ここで《勝利のリュウセイ》……? ! まさか……!」

「6マナで《勝利のリュウセイ・カイザー》を進化!」

 

 みんなの力が集まって、みんあの思いを積み上げて、そうして作られたのがこのデッキ。

 だけどこれは、わたしの問題。わたしの戦いなんだ。

 みんなの貸してくれたカードは、あくまでも助けでしかない。

 決着をつけるのは、わたしの力で――わたしのカード!

 

 

 

「これが、わたし自身の力――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 ドラゴンは、ドラゴンを超えたドラゴンへと進化する。

 革命を起こしそうなほど、熱く、激しく、そして力強い姿へと。

 

「《エヴォル・ドギラゴン》……!」

 

 みのりちゃんが驚いている。

 恋ちゃんや霜ちゃんも言ってたけど、こういうデッキには合わないカードみたい。その理由はよくわからなかったけど……そんなことは関係ない。

 わたしの思いを伝えるために、わたしじゃない力を使っても意味がない。

 だからわたしは、このカードに託す。わたしの、伝えたい思いを。

 

「お願い……《エヴォル・ドギラゴン》! 《ギョギョラス》を攻撃だよ!」

「っ、今回も破壊されちゃったか……!」

 

 これでみのりちゃんのクリーチャーはゼロ。だけど、みのりちゃんのデッキにはスピードアタッカーが多いから、油断はできないよね。

 《エヴォル・ドギラゴン》をアンタップさせる。わたしのクリーチャーは《リュウイーソウ》《アンタッチャブル》《エヴォル・ドギラゴン》の三体。みのりちゃんのシールドは三枚。

 確かこういう時は、破壊されにくいクリーチャーから攻撃するのがいいって言ってた。破壊されにくいといえば、選ばれない《アンタッチャブル》だけど……

 

「……《リュウイーソウ》でWブレイク!」

「トリガー……ないよ」

「《アンタッチャブル》で、最後のシールドをブレイク!」

 

 これでみのりちゃんのシールドはなくなった。

 あとは、とどめを刺すだけ。

 

「《エヴォル・ドギラゴン》で攻撃! とどめだよ!」

「させないよ、小鈴ちゃん! 革命0トリガー! 《ボルシャック・ドギラゴン》!」

「か、革命0トリガー……!?」

「革命0トリガーは、自分のシールドがゼロで攻撃を受ける時……つまり、相手からダイレクトアタックを受ける時に、手札からタダで使えるカードだよ」

「? そのクリーチャーは進化クリーチャーだよね……? 進化元はいないよ」

「ううん、違うよ。《ボルシャック・ドギラゴン》は進化クリーチャーだけど、革命0トリガーで出す時に限り、山札の一番上をめくって、火の進化でないクリーチャーだった場合、それを進化元にできる」

「そ、そんな……で、でも、場に出ただけじゃ、攻撃は止められないんじゃ……」

「攻撃も止められないのに出すわけないでしょ。《ボルシャック・ドギラゴン》はバトルゾーンに出た時、相手クリーチャー一体とバトルできるんだよ。これで破壊できれば、攻撃は止められる」

「……でも、でもだよ。《エヴォル・ドギラゴン》のパワーは14000、《ボルシャック・ドギラゴン》のパワーは12000……やっぱり、《エヴォル・ドギラゴン》は止められないよ」

「何度も言わせないで。止められないってわかってるなら、出さないよ、小鈴ちゃん」

 

 みのりちゃんは食い下がる。

 それは、絶対に譲れないことであるかのように、不退転の意志を見せつけてくる。

 

「《ボルシャック・ドギラゴン》の能力で進化元にするクリーチャーは、一度バトルゾーンに出るの。つまり、バトルゾーンに出た時の能力が発動する……進化元次第では、《エヴォル・ドギラゴン》を止められるよ」

「!」

「とはいえ、この状況で《エヴォル・ドギラゴン》を処理できるカードなんて限られてるけどね……私のデッキだと、《ドギラゴールデン》しかない。それをめくれば、私の勝ち」

「…………」

「さぁ、《ボルシャック・ドギラゴン》の枚数は三枚だよ! まずは一枚目!」

 

 みのりちゃんが、自分のデッキの一番上をめくる。

 一枚目は、《メガ・マグマ・ドラゴン》。

 

「これじゃない……《メガ・マグマ》を出して《ボルシャック・ドギラゴン》に進化! そして、二枚目!」

 

 二枚目は、《蒼き団長 ドギラゴン剣》。

 これも違う。二体目の《ボルシャック・ドギラゴン》がバトルゾーンに出るけど、わたしの《エヴォル・ドギラゴン》は止まらない。

 

「これで最後……三枚目!」

 

 みのりちゃんは、最後の山札をめくる。

 ここで《ドギラゴールデン》がめくれれば、わたしは負ける。

 だけど、そうじゃなかったら……

 そして、捲られたカードは――

 

 

 

 ――《裏革命目 ギョギョラス》

 

 

 

「……最後の最後で、私自身が、裏切られちゃったか」

 

 自分自身に、と、みのりちゃんはぽつりと呟いた。

 最後の革命0トリガーは、不発。

 《メガ・マグマ・ドラゴン》から進化した《ボルシャック・ドギラゴン》。放たれる爆炎が、《アンタッチャブル》を焼き払う。

 《蒼き団長 ドギラゴン剣》から進化した《ボルシャック・ドギラゴン》。突き出される拳が、《リュウイーソウ》を打ち砕く。

 だけど、裏の革命から力を得られなかった三体目の《ボルシャック・ドギラゴン》では、《エヴォル・ドギラゴン》は止められない。

 だから、これで終わりにしよう。

 そして、届いて。わたしの気持ち。

 みのりちゃん――!

 

 

 

「《エヴォル・ドギラゴン》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「負けちゃった……」

 

 終わった。

 わたしと、みのりちゃんのデュエマ。

 みのりちゃんは、俯いている。陰で表情は見えない。

 だけど、ふと、急に顔を上げた。

 

「……あはは」

 

 みのりちゃんは、笑っていた。

 でもその笑いは乾いていて、覇気がなくて、弱々しい。

 すべてが空っぽになったかのような、望のない瞳だった。

 まっくらな眼。空虚な声。

 見ていられないほどに、今の彼女は、空っぽだった。

 みのりちゃんは、ふらふらと、揺れている。

 

「ははっ……もう、ダメだ……小鈴ちゃんが……遠くに行っちゃうや……小鈴ちゃんも、自分も、なにもかもを裏切って、かなぐり捨てて、ダメになって……もう、どうしようもない……なんにもならない……もう終わりだね。小鈴ちゃんは、私のいないところに――」

 

「――みのりちゃん!」

 

 まだ、届いていない。

 デュエマで戦って勝てば伝わるなんて、甘えだ。

 こんな中途半端じゃダメだ。ちゃんと、わたしの言葉で伝えないと、ダメなんだ。

 そうとわかった途端、わたしはしがみつくようにみのりちゃんの肩を掴む。まくし立てるように、言葉を発する。

 わたしの思いをすべて、届けるために。

 

「みのりちゃん……」

「小鈴ちゃん……」

 

 虚ろな眼で見つめるみのりちゃん。

 そんな彼女に言わなければいけない言葉。それは――

 

 

 

「――ごめんね」

 

 

 

 ――謝罪だ。

 わたしの罪の懺悔。そして、贖罪。

 

「え……?」

「ごめんね、みのりちゃん……わたしが鈍感だったせいで、みのりちゃんの気持ちに気づけなくて……さびしい思いをさせちゃって、ごめんね……!」

「こ、小鈴ちゃん……」

 

 わたしは、みのりちゃんに謝らなきゃいけない。

 自分のことばっかりで、周りをちゃんと見てなかった。

 一番最初にできた、大切な友達なのに、わたしはみのりちゃんのことを全然考えてなかった。

 みのりちゃんがさびしい思いをしていたことにも、全然気づかなかった。

 だからわたしは、謝らなくちゃいけない。

 だけど、それだけじゃない。

 

「あとね……みのりちゃん、違うんだよ。みのりちゃんは、ひとつ勘違いをしてるよ」

「勘違い……?」

「わたしも、ずっと変だなって思ってた。恋ちゃんといる時も、ユーちゃんといる時も、霜ちゃんといる時も……友達といる時はいつでも楽しい。だけど、なんか、違うんだよ。ずっと、心に小さな穴が空いたような感じっていうか、パズルのピースが欠けてるみたいな、なにかが足りない気がしてきた……でも、今日、気づいたよ」

 

 わたしの中で足りなかった、ひとかけら。

 その正体が。

 わたしは……わたしの、わたしにとっての“友達”は、“みんな”は――

 

 

 

「――わたしの友達は、そして、わたしにとっての“みんな”の中は、みのりちゃんもいるんだよ!」

 

 

 

 ずっと、なにかが足りない気がしてたんだ。

 どれだけ楽しくても、みんなと一緒でも、満たされなかった。わたしにとってのみんなが、一人欠けていたから。

 中学に入って一番最初にできた友達。いつも一緒にいてくれて、助けてくれて、支えてくれた。

 一番近くにいるのに、一番分かっていなかった。

 恋ちゃんやユーちゃん、霜ちゃんと一緒にいても楽しいけど、その楽しさにかまけて、みのりちゃんのことを考えてあげられなかった。

 わたしは、友達失格かもしれない。

 

「だけど、もしみのりちゃんが、こんなわたしでもまだ友達でいてくれるっていうなら……また一緒に遊ぼう。お出かけしよう。パンを食べに行こう。お勉強会もやろう。テストが終わったらケーキ屋さんに行って、夏休みになったらプールとか、夏祭りとかにも行こう。林間学校も一緒の班になって、たくさん楽しいことしよう! わたしと、恋ちゃんと、ユーちゃんと、霜ちゃんと……みのりちゃん――みんなで!」

「みんな……で……?」

「うん、そうだよ。お願い、信じて。わたしだって、絶対にみのりちゃんを裏切らないから」

 

 わたしはずっと、みのりちゃんのことをのけものにしていた。そんなつもりはなかったけど、結果的にそうしていた。

 だからみのりちゃんが裏切られたと思うのも、当然だと思う。わたしは、それだけのことをしてしまった。

 今さらこんな懇願をしても仕方ないのかもしれないけど、でも、それでも、わたしは伝えたかった。

 

「中学生になってから、デュエマを覚えてから、たくさんのお友達ができた。恋ちゃん、ユーちゃん、霜ちゃん……みんな個性的で、一緒にいると楽しい。でも」

 

 それでも、揺るがないことがある。

 絶対に忘れない、あの日。あの時。

 

「わたしのはじめてのお友達は、みのりちゃんだよ」

「小鈴ちゃん……」

「うれしかったよ、あの時も。そして今も。みのりちゃんが友達でよかった。だからね、みのりちゃん――」

 

 わたしの感謝を、伝えるんだ。

 

 

 

 

 

「――友達でいてくれて、ありがとう」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ことの結末をお話ししましょう。

 とてもお恥ずかしいお話なのですが、あの後、みのりちゃんはなぜか泣き出してしまって、わたしも感化されたというか、もらってしまったというか、とにかく一緒に泣いて……泣き通していました。

 ずっと泣いてたものだから、その時はまるでお話にならなくて、そのまま言葉もなく別れちゃったんだよね。恋ちゃんたちはいつの間にかいなくなってたし。

 だけど、あの時の涙を通して、少しは離れちゃったみのりちゃんとの心が、近づいた気がする。

 というわけで、翌日。火曜日です。

 お昼に食べる用のチョココロネを購買で買って、一時間目の授業の準備をしているところで、誰かが入ってきた。

 

「おはよう、小鈴ちゃん。相変わらず早いね」

「あ、みのりちゃん。おはよう」

 

 入ってきたのは、みのりちゃんだった。

 みのりちゃんは自然な動きでわたしの隣の席に座って、鞄を開ける。

 

「……昨日は、ううん、その前も、ごめんね」

「い、いいよ。わたしも、ごめん……みのりちゃんが、あんなことを思ってたなんて、全然気づかなくって……」

「小鈴ちゃんは意外とにぶちんさんだもんね。そこをちゃんとわかってなかった私の落ち度でもあるから、気にしなくていいよ」

「な、なにさ、その言い方! 失礼しちゃうよっ」

「ふふっ、そうだね。ごめんね」

 

 軽く微笑むみのりちゃん。

 これだ。

 いつもの日常っていうか、わたしの知ってるみのりちゃんが戻ってきた。

 いや、そんな自分本位な考え方じゃ、ダメだよね。

 みのりちゃんはなにがあってもみのりちゃんなんだから。

 

「……ねぇ、小鈴ちゃん」

「なに? みのりちゃん」

「私たち……友達、なんだよね?」

「そうだよ。当たり前じゃない。みのりちゃんは、わたしの一番最初にできた、大切な友達なんだから」

「そっか……そうだよね」

 

 ふっと息を吐いて、みのりちゃんは虚空を見つめていた。

 

「小鈴ちゃんの一番にはなれないけど……小鈴ちゃんは、そういう子だもんね。落としどころとしては妥当かな」

「? どうしたの?」

「ううん、なんでもない。小鈴ちゃんのそういうところが可愛いなって」

「え? え? な、なに? そういうところって、どういうところ?」

「なんだろうねぇ」

 

 とぼけるみのりちゃん。こういうところは、相変わらずだなぁ。

 

「あ、そうだみのりちゃん。今度、恋ちゃんたちとお勉強会するんだけど、みのりちゃんも手伝ってよ。わたし一人じゃ手が足りないんだよ」

「そういえばそうらしいね」

「元はと言えば、みのりちゃんが発端なんだよ。責任とってよ」

「小鈴ちゃんの責任を取る、か……いい響きだね」

「え?」

「なんでもないよー。うん、勉強会だね。いいよ、私も参加するよ」

「本当に? ありがとう! みのりちゃん!」

 

 そういうわけで。

 わたしとみのりちゃんは、仲直りできました。

 恋ちゃんや、ユーちゃん、霜ちゃん。“友達みんな”の力で――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――『白ウサギ』はバックレたか」

「ふえぇ……だ、大丈夫、なんですか……? そ、それって、作戦失敗、ですよね……?」

「まったくだぜダンナ。アンタが任せろっつーから黙ってたが、結局ワタシら大損こいてね?」

「そうでもない。ある程度は想定内であるからな」

「そーてーない?」

「こうなる結果も予期していた、ということだ」

「だってのに乗ったって? そりゃ、化けの皮も剥がれちまうって、僕らの努力も台無しでェ。つまりはざっけんなって」

「まあまあ、そういきり立つことでもないのよ。一度失敗しても、きっとまた、素敵な提案をしてくれるのよ」

「で、あるな。彼は我々を統率する者。主役(キング)以上の大役であるからにはな」

「……いやいや、そう思って黙ってたら、見事失敗して帰ってきた、って話でしょうよ、これは。ほんと、大丈夫なんですか?」

「大丈夫か、と問われれば、大丈夫だ、と返す自信はない」

「ちょっと」

「だが、頃合いなのやもしれん」

「頃合い、とは?」

「どういう意味なのよ?」

「まさか、ようやくか? 穴蔵解放、地上に台頭、“あっち側”にライド! ってことか!?」

「そういうことだ」

「おー、だいたん。ひかげものから、だっきゃく?」

「脱却は無理だな。しかし、そろそろ我々の正体を明かす時が来た、ということだ。やむを得ずではあるが」

「……そうか。まあ、ダンナが決めたんなら、ワタシらは従うがよ」

「だ、大丈夫、なんですか……? そうなったらもう、代えは、聞かないって、いうか、そのあの……」

「問題ない。いや、問題はあろうが、ここが正念場ということだ。乾坤一擲というわけではないが、勝負どころはここだ。なにせ聖獣が絡んでいる」

「は、はぁ……ぐ、具体的には、なにを……? また、代用品、用意しなきゃ、ですか……?」

「それとも“ワタシたち”を使うか? 四番目くらいまでなら、動かしてもいいぜ」

「私も、おそと、でていーい?」

「バッドにドープな奴がいたら教えろよな。それまで僕は寝静まってるぜ」

「ふふっ、皆楽しそうで、(アタクシ)も楽しいのよ」

「ならばぼくらも、姉上の歓喜に乗じて幸福を噛み締めよう」

「……面倒くさいことにならなければいいんですけどね。で、どうするというんですか?」

「貴様らが一度に喋るものだから、なにを考えていたか忘却しそうになったぞ。詳細は追って伝えるとして、ひとまずオレ様たちがすべきことは一つ――」

 

 

 

「――可憐なアリスを、我らのお茶会に招待しようではないか――」




 これにて10話完。ひとまず一区切り……でしょうかね? 明らかに怪しい連中が出ていますが。
 作中で登場したギョギョラスは、個人的にとてもお気に入りのカードです。侵略と革命チェンジを同時に行いつつ、自身を回収して再度侵略に備えられる、という点が。まあ、侵略条件が厳しすぎて、なかなか扱いづらくはあるのですが。
 ご意見ご感想、誤字脱字、その他諸々、なにかりましたらお気軽にお伝えください。


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11話「お勉強会だよ」

 勉強会とは、勉強をする場ではない。


 こんにちは、伊勢小鈴です。烏ヶ森学園中等部に通う中学一年生です。

 特に取り得もないし、教室の隅っこで目立たないような生活を送っていたわたしだけど、そんなわたしにある日、大きな転換点がありました。

 それは、不思議な喋る鳥さん、そして、デュエマとの出会いでした。

 クラスメイトの日向恋ちゃんや、恋ちゃんのお兄さん的な人である剣埼一騎先輩にデュエマを教えてもらって、わたしの世界は大きく変わりました。

 それと合わせて、わたしは鳥さんによって、この世界に現れる“実体を持ったクリーチャー”について知ってしまいます。

 曰く、鳥さんは本来の力を取り戻すために、他のクリーチャーの力を得る必要がある、らしいです。正直、よくわかりませんが。

 ともかく、そんな鳥さんの力で、わたしはふりふりの恥ずかしい格好をさせられながらクリーチャーとデュエマで戦う日々を送ることになってしまったのです。

 普通とも平凡とも程遠い人生になっちゃったけど、でも、いいこともたくさんありました。

 ドイツから日本に渡ってきたユーリア・ルナチャスキーちゃんや、女の子よりも女の子らしい男の子の水早霜くん。それまでのわたしなら、絶対に出会うことのなかっただろう友達と、出会うことができました。

 中学に入ってから初めてできた友達、香取実子ちゃんとも、もっと仲良くなることができました。

 はっきり言ってこんな生活は大変だし、クリーチャーと戦うための格好は恥ずかしいし、こんな物騒なこと、やめられるものなら今すぐやめたいけど。

 鳥さんや、デュエマのお陰で、楽しいこともたくさんあった。

 だからも、うちょっとだけ。

 こんな、はちゃめちゃな毎日でも、続けていこうと思います――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 突然ですが、今日は前々から計画していたお勉強会を開こうと思います。

 ……いや、前々から言ってたんなら、突然じゃないか。

 それはさておき、成績に悩む恋ちゃん、ユーちゃん、霜ちゃんのためのお勉強会です。場所は、恋ちゃんが家を提供してくれるとのこと。

 図書館とか、学校の図書室とかにも勉強スペースがあるし、参考書も置いてあるからいいと思うんだけど、他の人もいるから気兼ねなくできるっていうのは、いいことだよね。特に、ユーちゃんはちょっと元気すぎるところがあるし……

 筆箱と、教科書にノート、それからお姉ちゃんから借りた参考書をいくつか鞄に詰め込む。他に必要なものは……

 

「……ん?」

 

 その時、無意識に机の上に置かれたデッキケースを取って鞄に入れていた。

 なんか、もう完全に身体に染み付いちゃってるなぁ。

 もしもという時に必要かもしれない、なんて大抵の場合は単なる空想でしかないけど、残念ながらわたしには、その“もしも”が存在してしまうから、それを考慮して持って行く理由が存在してしまう。

 それを差し引いたとしたら、今日の目的を考えれば、どうなるか。

 

「いや……まさか、ね……?」

 

 今日はお勉強会。みんな大なり小なりテストへの不安がある。もしも赤点なんてとったら、夏休みも遊べなくなってしまうかもしれない。

 流石に、こんな時まで、これを持って行く必要なんて、ないはず……はずなんだよ。

 だけど、

 

「…………」

 

 わたしは、そのまま鞄のファスナーを閉めました。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 恋ちゃんの家は、学校からそう遠くないところにあるマンションらしい。そういえばわたし、恋ちゃんの家って行ったことないな。

 みのりちゃんの家は何度か遊びに行ったことがあるし、ユーちゃんと霜ちゃんも、学支部のお手伝いでお邪魔したことがある。

 あれ? でも恋ちゃんの家って、つまりは剣埼先輩の家ってことだよね?

 確か恋ちゃんは先輩の義理の妹(のようなものと本人たちは言ってたけど)で、一緒に暮らしてるって聞いたことある。

 ……なんか、緊張してきた。

 

「――小鈴!」

「はわっ!」

 

 と、その時。

 不意に背後から声をかけられた。

 振り返ると、そこには見慣れた可愛らしい女の子――じゃない。男の子、というか、友達がいた。

 

「霜ちゃん……」

「どうしたんだい? 道端で立ち尽くして」

「う、ううん、なんでもないよ」

 

 水早霜くん。男の子なんだけど、女の子みたいにかわいい、わたしの友達です。現に今も、女の子らしい服装をしている。

 わたしたちはそのまま、一緒に恋ちゃんの家に向かうことにした。

 

「霜ちゃん、その服かわいいね」

「このチュニックのこと?」

「うん。涼しそうでいいね」

「これはこの前おろしたばかりなんだよ。柄はシンプルだけど、装飾が細かくて気に入ったんだ。こことか、あとはこっちにも」

「あ、本当だ。ふりふりだね」

 

 女の子に憧れて、女の子になろうとしているだけあって、霜ちゃんはとってもお洒落さんです。

 下手な女の子よりもよっぽどかわいいと思うんだよね、霜ちゃんは。

 

「ボクのことはいいとして……小鈴」

「なに?」

「君の服装は正直、ダサい」

「だ、ダサい?」

「ダサいというか、幼いというか……垢抜けなさがありありと伝わるし、子供っぽい。もう中学生なわけだし、もう少し背伸びした格好にしてもいいんじゃないか?」

「子供っぽいって、そんなことないと思うけどなぁ……」

「自分で服選んだりしてるの?」

「う……ちょ、ちょっとは」

「その服は?」

「……小学生の時にお母さんに買ってもらったものです……」

 

 白状させられてしまいました。わたしの負けです。

 確かに、わたしはファッションとかは疎い。服選びの自信もないし、一人で買いに行く勇気もない。今でもお姉ちゃんに選んでもらうことがほとんどです。

 本当ならファッション誌とか買って、そういうことも知っておくべきなんだろうけど、日々の食事とカードと間食で、わたしのおこづかいもピンチなのです。

 なんて言い訳をしても、わたしのセンスのなさと無知さを擁護できるわけでもないのだけれど……

 と、わたしがしょんぼりしていると、霜ちゃんが言った。

 

「……今度、機会があったら一緒に服を見に行こうか」

「え?」

「他人をコーディネートしたことはないけど、ファッションに関してはそれなりに見る目はあるつもりだし、一緒に君の服を選んであげるよ」

「い、いいの?」

「いいよ。君のお子様ファッションは、ちょっと見てられないしね」

「あぅ、お子様なんて言わないでよ……」

 

 言葉は手厳しいけど、その申し出は、ちょっと嬉しかった。

 霜ちゃんと一緒に買い物かぁ。夏休みの楽しみが、またひとつ増えました。

 

「それにしても、霜ちゃんは凄いね」

「なにが?」

「だって、わたしよりもお洒落だし、物知りだし、それに、かわいい」

「っ、いきなりなにさ……」

「わたしも女の子だけどさ、わたしの知らない女の子のことをいっぱい知ってるんだもん。それって、凄いことじゃない?」

「……君は少し、流行とかファッションとかに疎すぎると思うけどね、年頃の中学生として」

「うーん、それはちょっと否定できないかも……」

「そんなことより、早く行くよ。この調子だと、約束の時間を過ぎてしまうよ」

「え? わっ、本当だ。ちょっとゆっくりしすぎちゃったね」

 

 勉強会はお昼過ぎ、午後1時に現地集合という約束だったけど、もう12時50分だ。

 これ……間に合うかなぁ?

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 案の定、遅れてしまいました。時刻は午後1時15分。結構、遅刻しちゃった。

 恋ちゃんの家は、このあたりだとちょっと有名な高級マンションだった。高級と言っても、凄く偉い人しか住めないとか、そんなに大袈裟なものではないけど。

 

「しかし大きいな」

「わたしも。恋ちゃんって、実はお金持ちだったのかな?」

「どうだろう。剣埼先輩は、両親が資産家だったらしいけどね」

「そうなの?」

「以前、話をした時に、少しだけ聞いた。雑談の中の余談みたいなものだったから、詳しくは知らないけど」

「うーん、剣埼先輩が恋ちゃんと一緒に暮らしてることと、関係があるのかな?」

「わからないけど、そんな詮索することでもないだろう。約束の時間を過ぎてしまったし、早く入ろう」

 

 すたすたとマンションに入っていく霜ちゃん。その後を追って、わたしも続く。

 

「大きいし、きれいだね。わたし、このマンションには初めて入ったよ」

「ボクもだよ。まあそもそも、家に遊びに行くような友達もほとんどいなかったわけだけど」

「あ、あはは……」

 

 それについては、わたしもあんまり人のこと言えないけどね。

 確か恋ちゃんの部屋は、512号室だったはず。エレベーターに乗って5階まで上がって、広い廊下をふらふらと探していると、見つけた。

 

「あ、ここだ」

 

 512号室だ。

 高級マンションと呼ばれるだけあって、玄関先の造りも立派……に見える。実際はごく普通のものなんだろうけど。

 流石に中の音は聞こえない。防音性はバッチリのようだ。

 

「もうみんな来てるかなぁ」

「まあ、たぶんボクらが最後だろうね」

 

 と言いながらインターホンを押す。ピンポーン、という弾むような音が聞こえて十数秒後。ガチャリと扉が開いた。

 扉から出て来たのは、小柄で華奢な女の子。日向恋ちゃんだ。

 

「こすず……そう……やっと来た……」

「ごめんね恋ちゃん、遅くなっちゃった」

「すまない」

「……まあ、別に、いいけど……これで、全員そろった……」

 

 とりあえず入って、とわたしたちは恋ちゃんに招かれて、玄関の扉を潜る。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「《解体人形ジェニー》を《夢幻騎士 ダースレイン》に進化エヴォルツィオンです! 《ダースレイン》でWブレイク!」

「あー、トリガー出ないなぁ」

「だったら《キラー・ザ・キル》でダイレクトアタックです!」

「シノビもないよ。負けちゃったぁ。やるねぇ、ユーリアさん」

「えへへ、やりました!」

 

 恋ちゃんに案内された一室――リビングには、既に二人の友達が来ていた。

 ユーリア・ルナチャスキーちゃん。ロシア生まれドイツ育ちという、わたしには想像できない外国から来た元気いっぱいな女の子。わたしたちはいつも、彼女のことをユーちゃんって呼んでいます。

 そしてもう一人。わたしが中学生になって初めてできたお友達。みのりちゃんこと、香取実子ちゃん。

 ここにわたしたち二人で、今日の勉強会のメンバーは全員そろうんだけど……わたしには、それよりも気になるものが一つあった。

 

「……なにしてるの?」

「あ、小鈴さん! Guten Tag(こんにちは)!」

「やっほー、小鈴ちゃん」

「あ、うん。ユーちゃん、みのりちゃん……じゃなくて」

 

 わたしは半分呆れつつ、テーブルの上に広げられたそれを指さす。

 

「なんでデュエマしてるの……?」

「……暇だったから?」

「先に始めててもよかったのに」

 

 というか、なんでみんなしっかりデュエマのデッキ持って来てるの?

 今日って勉強会だったよね?

 わたしの後に続いて、霜ちゃんも部屋に入ってくる。

 そこで、霜ちゃんとみのりちゃんの視線がぶつかり合った。

 

「……やっぱり、君もいるんだね」

「? どうして?」

「今さらこんなことを、しかもこんな場で言うのことでもないのかもしれないけれど、やっぱりはっきりさせておきたいんだ」

「霜ちゃん……?」

 

 どうしたんだろう。

 さっきまでの霜ちゃんと、少し感じが違う。

 

「はっきり言うよ。ボクはまだ、君が信用できない」

「……へぇ」

 

 霜ちゃんの言葉に対して、みのりちゃんはまっすぐに、けれど眼を少しだけ細めて、霜ちゃんを見据えている。

 その時点でもう、二人の世界になってしまったような感覚になる。わたしたちが軽々しく口を挟める空気じゃない。

 だ、だけど、なんだか霜ちゃんが怖いし、場を鎮めないと……

 

「そ、霜ちゃん。急にどうしたの?」

「小鈴。君は彼女と仲直りしたつもりなのかもしれないけど、それですべての問題が解決したわけじゃないんだよ」

「? どういうことです?」

「そもそも、なんで君が小鈴にあんなことをしたのか。動機もわからないし、なにが目的だったのかも不明瞭なままだ」

「あれは私の気持ちそのままだよ。私と、小鈴ちゃんの、二人の関係性の中でのお話。だから、外野が知るようなことじゃないよ」

「み、みのりちゃん……?」

「それでもちゃんと言葉にしてあげるなら、私はただ、小鈴ちゃんと一緒に遊びたかっただけ。だから、今こうして勉強会に誘ってくれたことも含め、もうそこに不満はないよ」

「仮にその言葉を信じたとしても、それだけじゃないよ。君も実態を持ったクリーチャーと関わりがあるようだけど、ボクやユーみたいにクリーチャーに乗っ取られたわけじゃないと言っていたね。その真意はなんだ」

「うーん、説明が難しいね。私もよくわからないまま巻き込まれたようなもんだし、真意なんて難しい言葉を使われても困っちゃうなぁ」

「そうやって曖昧に濁して、煙に巻こうとするんだね」

「そんなつもりはないよ? わからないことはわからないと、ハッキリ言ってるじゃん?」

 

 険悪な空気はますます大きくなっていく。

 みのりちゃんはいつも通りと言えばいつも通りだけど、それはそれで怖い。

 

「わかっている者が、わからないと濁すのは簡単なことだよ」

「ふぅむ。つまり水早君は、私にはまだなにか裏があるんじゃないかって言いたいのかな?」

「大雑把だが、端的に言えばそうだ」

「そっかぁ。でも困ったよ。そんなこと言われても、証明のしようがないからね。ないものはないんだから」

 

 やや悪戯っぽく微笑みながら言うみのりちゃん。だけど、その軽めな態度が気に入らないのか、霜ちゃんはさらに眉間に皺を寄せるだけだ。

 でも、なにも企んでいないことを証明するのは、確かに難しい。それは信用問題だから。証拠を提示してはい解決、というわけにはいかない。

 

「さてさて、困っちゃったね。こういう時にお返しに聞いてみようか。君は、私にどうしてほしいの?」

「小鈴に近寄らない、というのが一番だね。君はどこか、危険だ」

「それは無理な相談だなぁ。そんなことされたら私、また同じことしちゃうかもよ?」

「脅しのつもりか?」

「理不尽な言いがかりへの抵抗かな」

 

 バチバチと、火花の音が聞こえてきそうなほどに、二人の仲は険悪になっていく。

 霜ちゃんはずっと鋭い目をしたままだし、みのりちゃんはどこか笑っているようだけど、それでも言葉の端々は少し刺々しい。

 どうしよう、これ……しかも、なんだか話題の中心にいるの、わたしっぽいし、わたしが止めるべきなのかな……止められる気はまったくしないけど。

 

「まあ、とは言ったものの、私にはもう暴れるだけの力もないしねぇ」

「思想だけでも君は油断ならないけどね。いやむしろ、そちらの方が危ういと思えるほどだ」

「個人の思想くらい自由にしてほしいね。それともあなたは人権侵害が趣味なのかな?」

「む……」

 

 みのりちゃんに言われて、霜ちゃんは言葉を詰まらせた。

 そして、

 

「……わかった。君が行動に移さないことを非難するのは、確かに筋違いだった」

「お? 思ったよりも話がわかるんだね。ないものねだりの性悪君ではなかったんだ」

「だけど、君が暴れないという保証はない。力があるのなら、この前の二の舞になる可能性は否めないからね。せめてそのくらいはハッキリさせておきたい。頭の中の計画を止めることは無理だが、危険物のチェックは必要だ」

「人を爆弾みたいに言ってくれちゃって。と言っても私、もう本当にあの時みたいなことできないんだけどなぁ」

 

 あの時みたいなこと。それはきっと、実体化したクリーチャーのこと、だと思う。

 みのりちゃんはあの時、確かにクリーチャーを実体化させていた。だけど、それは人間に憑りついたクリーチャーとは違う感じで、わたしにとっては初めての体験で、だから、よくわからない。

 人間に憑依したクリーチャーが、人間を操って使役するんじゃなくて。

 まるでカードそのものにクリーチャーを実体化させる力が宿っていて、それをみのりちゃんが使っていたかのような。

 もしもみのりちゃんが、まだそんなことができるなら、確かに危険かもしれないけど……

 

「まあ君は私の言葉を信用してくれないみたいだし、私は信用を得るところから始めないといけないのかな」

 

 ふぅ、とみのりちゃんは溜息をつく。

 そして、さっきまでユーちゃんと対戦していた、デュエマのカードを掻き集めて、片付けている。

 

「こんな悪魔だか鬼畜だかの証明なんて、理不尽すぎて笑えてくるけど……ま、これも小鈴ちゃんと一緒にいるためだ。面倒ながらも、じゃあちょっくらやりましょうか」

 

 いや、違う。

 片付けてるんじゃなくて、まとめているだけだ。

 トントン、とひとまとめにしたデッキを整えて、みのりちゃんはそれを掻き混ぜる(シャッフル)。

 

「勉強前にもう一戦。ちょっと遊ぼうよ、水早君。証明問題、完答できる自信はないけど、部分点くらいは貰おうか」

「……いいよ。ボクもただ言いがかりをつけてるだけとは思われたくない。ここで君を見定めよう」

 

 霜ちゃんも鞄から、デッキケースを取り出す。そしてユーちゃんが退いて、みのりちゃんの前に座した。

 わたしは、なにも言えなかった。ケンカしないで、とか。そんなこと言わないで、とか。お勉強しよう、とか。言いたいことはいっぱいあった。

 それは、二人の剣幕に押されてしまったのが、半分。そしてもう半分は――

 

 

 

(なんでみんな、勉強会にデッキ持って来てるの……?)

 

 

 

 ――呆れ、だと思います。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 なんでデュエマで決着つけるみたいな流れになってるの? というわたしの疑問は「世の中、そういうもん……」という恋ちゃんの言葉に説き伏せられてしまい、みのりちゃんと霜ちゃんの対戦が行われることとなってしまいました。

 

「デュエマを始める前に、確認しておくよ。新ルールのことは知ってるね?」

「うん、知ってるよ」

「新ルール?」

「……つきにぃに渡されたメモ、忘れてた……」

「そういえば、デュエマのルールが変わるって聞いたことあります」

「そうなんだ、わたし全然知らなかったよ。どんなふうに変わるの?」

「シールドブレイクとターン開始時の処理が変更されるんだ。シールドブレイクは、今までは一枚ずつだったけど、新ルールではWブレイク以上のブレイクは同時に二枚以上手札に加わる。ターン開始時の処理は、カードのアンタップをした後に、ターン開始時に発動するクリーチャーの能力が解決される、という順序になったよ」

「え、えーっと……」

「こすず……詳しいことは、つきにぃがメモしてる……後でわたすから……」

「あ、ありがとう。でも、なんでそんなものが……」

「細かいルールなんて追々覚えていけばいいんだよ。小鈴ちゃんのペースでね」

「ともかくだ、始めようか」

「そうだね」

 

 というわけで、みのりちゃんと霜ちゃんのデュエマが始まっちゃいました。お勉強はどうするんだろう……

 ターンは、みのりちゃんの先攻で2ターン目が終わったところ。みのりちゃんは、ユーちゃんもよく使う《一撃奪取 ブラッドレイン》を召喚したばかり。対する霜ちゃんはマナチャージしかしていない。

 

 

 

ターン2

 

実子

場:《ブラッドレイン》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:0

山札:29

 

 

場:なし

盾:5

マナ:2

手札:5

墓地:0

山札:28

 

 

 

「私のターンだね。《クロック》をチャージ。《ブラッドレイン》でコストを下げて、3マナで《【問1】 テック(アップ)》を召喚だよ。ターン終了」

「……ボクのターンだ」

 

 みのりちゃんのデッキは、この前と打って変わって、水と闇文明。霜ちゃんは水と自然文明のカードがマナゾーンに見える。

 知らないカードも結構あって、どんなデッキなのか想像つかないや。

 

「ボクもそろそろ動くよ。《イルカイル》をチャージして、3マナで《青銅の鎧》を召喚! マナを一枚追加するよ」

 

 霜ちゃんが遂にクリーチャーを召喚した。おなじみ《青銅の鎧》。マナを増やすクリーチャーだ。

 霜ちゃんは山札の一番上をマナに置くけど、そのカードが、

 

「ん? 《ニコル・ボーラス》……?」

 

 みのりちゃんが首を傾げる。

 この前、わたしも貸してもらったことのあるクリーチャー、《ニコル・ボーラス》がマナゾーンに送られた。みのりちゃんには、それが意外だったようだ。

 

「青緑じゃなくて、黒赤のカードもあるんだ。4c? 光抜き4cなんで珍しい、HDMかな?」

「さあ、どうだろうね。これでターン終了だ」

 

 

 

ターン3

 

実子

場:《ブラッドレイン》《テック⤴》

盾:5

マナ:3

手札:2

墓地:0

山札:28

 

 

場:《青銅の鎧》

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:0

山札:26

 

 

 

「うーん、よくわからないけど、まあいいか。わたしのターン。《【問2】 ノロン》を召喚するよ。カードを一枚引いて、《クロック》を捨てるね。そして、《テック⤴》で攻撃……する時に!」

「来るか……!」

「水か闇のドラゴンの攻撃で、革命チェンジだよ! 《求答士の参謀 マルヴァーツ》!」

 

 出た、革命チェンジ!

 前にも見せてくれた、攻撃中にクリーチャーが入れ替わる能力。

 《テック⤴》の攻撃で、みのりちゃんの手札から新しいクリーチャーが出てきて、攻撃中の《テック⤴》と入れ替わる。

 

「《マルヴァーツ》でWブレイク!」

「トリガーは……出たよ、《葉嵐類 ブルトラプス》! アンタップクリーチャーを一体選んで、マナに送ってもらおうか」

「なら、《ブラッドレイン》をマナに送るよ。ターン終了」

「ボクのターン。ドロー……」

「おっと、この時《マルヴァーツ》の能力発動だよ。相手がカードを引いた時、あなたは手札を一枚捨てることができるけど、どうする?」

 

 みのりちゃんが、霜ちゃんがドローした瞬間に言った。

 だけどわたしには、その発言の意味がよくわからなかった。

 

「? 手札を捨てられるって、選べるの? でも、普通は捨てないよね?」

「ま、普通はね。だけど《マルヴァーツ》の能力は、それだけじゃない。捨てるか捨てないかを相手に選ばせて、捨てない場合、私はカードを二枚引けるの」

「要するに、自分の手札を削るか、相手の手札を増やすかの二択だろう。革命チェンジはハンドが重要なギミック。ボクの手札は十分あるから、ハンド一枚くらいなんてことない。手札の《ホルデガンス》を捨てるよ」

 

 霜ちゃんは一切迷うことなく、手札を捨てることを選択した。思い切りがいいなぁ。

 

「トリガーのお陰で、予定よりも早く攻められるね。《ホルモン》をチャージして、5マナで《Dの機関 オール・フォー・ワン》を展開!」

「えっ?」

 

 思わず声に出して驚いてしまった。

 霜ちゃんは普通に手札からカードを使ったけど、場に出されたそのカードは、クリーチャーでも呪文でもクロスギアでも城でもない。横向きで出された、わたしが見たことのないカードだった。

 そんなわたしの吃驚を見て、霜ちゃんが説明してくれる。

 

「これはD2フィールドっていうカードタイプのカードだよ。細かいルールは後で説明するが、このカードはその名の通り、領域(フィールド)のカード。バトルゾーンにある限り、自身になんらかの効果を発生させるカードだ」

「そんなカードもあるんだ……」

 

 場にある限り効果を発生させるっていうのは、ちょっと城に似てるね。バトルゾーンに出てるから、シールドブレイクされても剥がされることはなさそうだけど。

 

「さて、ボクはこれでターン終了するけど、その時、《オール・フォー・ワン》の効果発動。ボクのクリーチャーを一体破壊する。《ブルトラプス》を破壊だ」

「自分のクリーチャーを破壊しちゃうの?」

「ただ破壊するだけじゃない。破壊したなら、こうして破壊してクリーチャーより、コストが最大2大きい進化ではない水のクリーチャーを手札から出せるんだ」

 

 霜ちゃんが破壊した《ブルトラプス》はコスト7。

 ということは、コストが最大9のクリーチャーが出せちゃうってこと?

 

「ボクが出すのはこいつだ! 《サイバー・G・ホーガン》!」

「うわっ、《ホーガン》はちょっと嫌だなぁ……」

「それだけじゃないよ。さらにこの瞬間《オール・フォー・ワン》の(デンジャラ)スイッチを発動!」

 

 霜ちゃんはコスト8の水のクリーチャーを出した。

 さらに場に出していたフィールドのカードに指を添えると、くるっと180度、半回転させて上下逆さまにひっくり返す。

 

「霜ちゃん、なにしてるの?」

「Dスイッチだよ。一部のD2フィールドが持つ能力で、一枚のフィールドにつき一回だけ効果が使えるんだ。発動する効果は様々で、《オール・フォー・ワン》のDスイッチは、クリーチャーの能力を二回使うことができる」

「能力を、二回……?」

「……厳密には、登場時限定のトリガー能力……」

「《ホーガン》は登場時、激流連鎖という能力が発動する。《オール・フォー・ワン》のDスイッチで、それを二回使うよ」

「激流連鎖って、なんですか?」

「……面倒くさいから、《ホーガン》の場合だけ、言うけど……自分の山札を二枚めくって……コスト7以下のクリーチャーを、全部出せる……」

 

 え? つまり、一体で三体分のクリーチャーが出るってこと?

 しかも、それが二回発動するから……

 

「激流連鎖、一回目! コスト3《デュエマ・ボーイ ダイキ》とコスト2《デスマッチ・ビートル》をバトルゾーンへ! そしてもう一回、激流連鎖! 山札の上から二枚見て……《愛されし者 イルカイル》《阿修羅ムカデ》をバトルゾーンへ!」

「い、一気に四体も出て来たよ!?」

 

 霜ちゃんはこのターン、D2フィールドを出すことしかしていないはずだった。

 なのに、ターンの終わりに《ブルトラプス》が《ホーガン》に化けて、ついでのように四体もクリーチャーが出て来た。

 なんというか、すごい……とにかくすごいという言葉しか出てこない。それくらいに、霜ちゃんは一気に盤面を広げた。

 

「次に場に出たクリーチャーの能力を解決するよ。まずは《ダイキ》の能力で1マナ加速。次に、《阿修羅ムカデ》の能力で《マルヴァーツ》のパワーを9000下げるよ」

「あちゃ……これはまずいね」

 

 せっかく革命チェンジで出した《マルヴァーツ》が、すぐに破壊されてしまった。

 これ、もしかしなくてもみのりちゃんがピンチだよね……圧倒的にクリーチャーの数が違う。

 

 

 

ターン4

 

実子

場:《ノロン》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:2

山札:26

 

 

場:《青銅の鎧》《ホーガン》《ダイキ》《デスマッチ・ビートル》《イルカイル》《阿修羅ムカデ》《オール・フォー・ワン》

盾:3

マナ:6

手札:2

墓地:2

山札:20

 

 

 

「盤面の差が酷いなぁ……でも、こっちもなにもできないし、とりあえずマナチャージして《テック⤴》を召喚。ターン終了するよ」

「ボクのターンだ。7マナで《デス・ハンズ》を召喚! 《テック⤴》を破壊するよ!」

「《テック⤴》が破壊されたから、能力で二枚ドローするよ」

「果たしてそのドローは正解かな? ターン終了する時、《オール・フォー・ワン》の効果を解決だ! コスト7の《阿修羅ムカデ》を破壊して、コスト8の《ニコル・ボーラス》をバトルゾーンに!」

「うわ……」

「《ニコル・ボーラス》の能力で、手札を七枚捨ててもらうよ!」

 

 七枚の手札破壊。自分で捨てるカードを選べるとはいえ、七枚も捨てるとなると、ほぼすべてだ。

 みのりちゃんの手札が、一瞬で全部墓地に行ってしまった。

 

「《オール・フォー・ワン》で出す前提だから《ボーラス》がいるんだ……」

「それだけじゃないよ。《阿修羅ムカデ》は破壊された時、タップ状態で墓地からバトルゾーンに復帰する。墓地の《阿修羅ムカデ》を復活、登場時能力で《ノロン》のパワーをマイナス9000!」

「……成程ねぇ」

 

 みのりちゃんは、なにかわかったみたい。

 

「《オール・フォー・ワン》の効果で、毎ターン《阿修羅ムカデ》を破壊し続ける気だね」

「……《阿修羅ムカデ》の破壊は、イコール、バトルゾーンに出ること……つまり、毎ターン9000のパワー低下を放ちつつ、手札の水のクリーチャーを、踏み倒せる……」

「す、すごいコンボです!」

「言っておくけど、これで終わりじゃないよ。これは永遠にエンジンが回り続ける永久機関だ。今はターン終了時、《イルカイル》の能力で、さっき出した《ニコル・ボーラス》を手札に戻すよ」

「え? せっかく出したのに、戻しちゃうんですか?」

「いや……これは……エグイ……」

「なんで《イルカイル》がいるのかと思ったけど、《オール・フォー・ワン》で踏み倒すクリーチャーを使い回すためなんだね」

「?」

 

 ユーちゃんはまだよくわかってないみたいだけど、わたしも気づいたよ。

 確かに、これは、えげつないのかもしれない。

 

「水早君は《オール・フォー・ワン》を使って毎ターン手札から水のクリーチャーを踏み倒せる。《オール・フォー・ワン》の能力を使うには破壊するクリーチャーが必要だけど、それを《阿修羅ムカデ》にしちゃえば、破壊しても場に戻ってくるから、実質的にノーコストになる。そこに自分のクリーチャーを手札に戻す《イルカイル》も絡めることで、水早くんは毎ターン、水のクリーチャーの登場時能力を何度でも使えちゃうってわけだね」

「しかも、戻すのがオールハンデスの《ボーラス》だから、毎ターンハンデス可能……《阿修羅ムカデ》で除去も撃てるから、場とハンド、両方を制圧できる……」

「手札にカード握ってもハンデスされちゃうし、場に出しても除去されちゃうし、マナチャージしたら《ホーガン》を回されるんだろうなぁ……完全に嵌められちゃったよ」

「そういうことだね。こうなったら簡単には抜け出せないよ。処理は全部終わったから、君のターンだ」

 

 

 

ターン5

 

実子

場:なし

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:6

山札:23

 

 

場:《青銅の鎧》《ホーガン》《ダイキ》《デスマッチ・ビートル》《イルカイル》《阿修羅ムカデ》《デス・ハンズ》《オール・フォー・ワン》

盾:3

マナ:7

手札:1

墓地:2

山札:19

 

 

 

「私のターン……うーん、なにもできないなぁ。マナチャージだけして、ターン終了するよ」

「ボクのターン……もう少し打点を蓄えたいな。《飛散する斧(スプラッシュ・アックス) プロメテウス》を召喚。マナを二枚、タップして追加するよ。その後、マナのカードを一枚回収だ。回収するのは《ホーガン》だよ。そして、ターン終了時に《オール・フォー・ワン》の効果で《阿修羅ムカデ》を破壊、《サイバー・G・ホーガン》をバトルゾーンへ!」

「まただ……」

「墓地から《阿修羅ムカデ》を復活! 《ホーガン》の激流連鎖で山札を見て、《ダイキ》と《青銅の鎧》をバトルゾーンに! 《ダイキ》の能力はドローを選択、《青銅の鎧》でマナを増やすよ。《イルカイル》の能力は使わず、ターン終了だ」

 

 

 

ターン5

 

実子

場:なし

盾:5

マナ:7

手札:0

墓地:8

山札:21

 

 

場:《青銅の鎧》×2《ダイキ》×2《ホーガン》×2《デスマッチ・ビートル》《イルカイル》《阿修羅ムカデ》《デス・ハンズ》《プロメテウス》《オール・フォー・ワン》

盾:3

マナ:9

手札:2

墓地:2

山札:12

 

 

 

「私のターン。これは……一応、持っとこうかな。マナチャージせずにターン終了」

「退屈かい?」

「退屈だよ。やることないから」

「悪いね。だけど、安心していい。このターンで終わりにするから。ボクのターン」

 

 このターンで終わりにする。霜ちゃんは、確かにそう言った。

 つまり、もう攻撃を開始するということだ。

 

「あまり意味はないと思うけど、《Dの機関 オール・フォー・ワン》を展開。フィールドを張り替えるよ。そして攻撃だ! まずは一体目の《ホーガン》でWブレイク!」

 

 みのりちゃんの動きを完全に封じ込めていた霜ちゃんが、遂に前に出た。

 クリーチャーの数は圧倒的。ここまで数が多いと、ちょっとやそっとのトリガーじゃ耐えられない。

 まずは、一体目の《ホーガン》が、シールドを二枚打ち砕く。

 

「さて、トリガーは……ないよ」

「二体目の《ホーガン》でもWブレイク!」

 

 続けて二体目のWブレイク。

 これでみのりちゃんのシールドは、残り一枚。

 

「ん……S・トリガー」

「出たか……なにが出た?」

「これだよ、《地獄門デス・ゲート》!」

 

 みのりちゃんは、ブレイクされたシールドから、トリガーの呪文を叩きつける。

 それも、二枚。

 

「《デス・ゲート》二枚引き……!」

「ラッキーだったね。んじゃまずは一枚目、《デス・ハンズ》を破壊して、墓地の《【問3】 ジーン》をバトルゾーンに! 次に二枚目、《プロメテウス》を破壊して《終末の時計 ザ・クロック》をバトルゾーンに!」

 

 たった二体のクリーチャーを破壊したくらいじゃ、霜ちゃんの攻撃は止められないけど、《クロック》なら話は別だ。

 ターンを強制的に飛ばしてしまうから、どれだけ数を並べても、それらはすべて攻撃できないまま、終わってしまう。

 

「……まあ、このデッキは枠の都合でトリガー対策できなかったからな。この結果は仕方ないか」

「いやはや、抜け穴があって助かったよ。じゃあ、順番に処理するよ。まずは《ジーン》から」

「墓地のカードを二枚選んで回収させるか、二枚ドローさせるか、だったよね。変なカードを引かれるのも困る。それなら君の墓地の《ブラッドレイン》と《マルヴァーツ》を手札に戻してくれ」

「了解。じゃあ次に《クロック》の能力発動! このターンの残りをスキップするよ!」

 

 

 

ターン6

 

実子

場:《ジーン》《クロック》

盾:5

マナ:7

手札:4

墓地:4

山札:20

 

 

場:《青銅の鎧》×2《ダイキ》×2《ホーガン》×2《デスマッチ・ビートル》《イルカイル》《阿修羅ムカデ》《オール・フォー・ワン》

盾:3

マナ:9

手札:2

墓地:5

山札:11

 

 

 

 間一髪、みのりちゃんは霜ちゃんの攻撃を食い止めた。

 だけど、状況はそこまでよくなっていない。

 まだ霜ちゃんの場には、大量のクリーチャーがいるんだから。

 

「霜さんはシールドが三枚ですし、場にはブロッカーの《イルカイル》と《阿修羅ムカデ》がいます」

「あのムカデ、ブロッカーだったんだ……ただの廃車モルディカイだと思ってた……」

「モル……?」

「……なんにせよ、みのりこの、勝ちの目、薄い……テック団だけじゃ、瞬間打点低めだし、スピードアタッカーもいないし……次元もないとなると、ブロッカー退けて四打点確保は、まあ無理……《デスマッチ》いるから、踏み倒しも、しづらいし……」

 

 恋ちゃんは淡々と、みのりちゃんが厳しい状況に立たされている要素を挙げていく。

 わたしにもわかる。みのりちゃんの場には、攻撃できるクリーチャーは二体いるけど、シールド三枚とブロッカー二体を突破するのは簡単じゃないはず。《阿修羅ムカデ》なんて、下手に破壊したら、逆にこっちのクリーチャーがやられちゃうわけだし……これが、とても厳しい状況だというのは。

 でも、みのりちゃんの目は、どこか楽しげだった。

 

「私のターン。押し付けられた《ブラッドレイン》はいらないからチャージしちゃおう。そんでもって、これで8マナだよ。《完璧問題(ラストクエスチョン) オーパーツ》を召喚! 《オーパーツ》の能力で、まずは二枚ドロー! 次に、手札かバトルゾーンからカードを二枚選んで、山札に戻してもらうよ」

「テック団のエースが登場か。今さら出て来ても遅いけどね。《青銅の鎧》二体を山札の下に戻すよ」

 

 霜ちゃんのクリーチャーが減ったけど、それでもまだまだたくさんいる。たった二体減らしただけじゃ、全然効果がない。

 だけど、

 

「……まあでも、枚数はギリギリ足りてるね。あとはトリガー勝負か」

「?」

 

 みのりちゃんは、笑っていた。

 楽観的な瞳に、口角を釣り上げた微笑み。

 厳しいとか、窮地とか、そんなことを微塵も思わせない、けれどもどことなく危うい笑顔で、みのりちゃんはカードを切った。

 

「さぁ……行くよ。《【問3】 ジーン》で攻撃――する時に!」

「革命チェンジかい? だけど、《オーパーツ》や《クエスチョン》じゃこの布陣は突破――」

 

 できない、と言い切る前に。

 みのりちゃんは、宣言した。 

 

 

 

「――侵略発動!」

 

 

 

 侵略。

 その言葉に、霜ちゃんや、わたしたちまで、驚き息を飲んだ。

 

「革命チェンジじゃなくて侵略!? い、いや、でも、《デスマッチ・ビートル》がいるから、生半可な踏み倒しは効かない……」

「さて、それはどうかな?」

 

 みのりちゃんは悪戯っぽく笑いながら、手札のカードを《ジーン》に重ねる。

 

「まずはS級侵略[不死(ゾンビ)]! 《S級不死(ゾンビ) デッドゾーン》二体を手札から侵略!」

「《デッドゾーン》か……! だけど、《ムカデ》は死なないし、二体なら耐えられる……!」

「まだまだ、もう一枚あるよ! S級じゃない、普通だけど普通じゃない……裏切りの侵略!」

 

 二枚の《デッドゾーン》が重なったところに、みのりちゃんはさらにカードを叩きつけた。

 青くて黒い上に、反発するような緑色のカードを。

 それは――

 

 

 

「侵略進化! 《裏革命目 ギョギョラス》!」

 

 

 

 ――あの時に見た、裏切りカードだった。

 

「《ギョギョラス》だって!? な、なんでテック団にそんなカードが……!」

「あれ? 気付かない? 《マルヴァーツ》や《ジーン》は、コスト6の革命軍で、コマンドなんだよ?」

「……!」

「ってか、変だって思わなかったの? テック団で固めて《オーパーツ》を切り札にするなら、《ジーン》や《マルヴァーツ》なんて使わないでしょ、普通。《ジーン⤴》とかから成長気味に乗り換えていく方がいいはずなのに、わざわざ重い癖に取り回しづらいカード使ってさ。おかしいって、思わなかった?」

 

 言われてみれば、確かにそうだ。

 《マルヴァーツ》も《ジーン》も、水と闇文明だけど、コスト6で、種族に革命軍とクリスタル・“コマンド”・ドラゴンを持ってる。

 それと、侵略のルールは前に教えてもらった……確か、攻撃したクリーチャーから侵略できるカードは同時に発動できて、実際に侵略進化する時は、進化元が条件と合致してればいいんだよね。

 《ギョギョラス》の進化条件はコマンド。《デッドゾーン》は闇文明だけどソニック・“コマンド”だから、《ギョギョラス》は進化できる。

 《ジーン》から《デッドゾーン》、《デッドゾーン》の上にさらなる《デッドゾーン》、その頂点に《ギョギョラス》と、一気に三枚のクリーチャーが重なり合う。

 

「くっ、《デッドゾーン》だけならまだしも、よりにもよって《ギョギョラス》が出るなんて……!」

「ふふっ、ごめんね。侵略によって、《ジーン》の上に《デッドゾーン》二体と、さらにその上に《ギョギョラス》を重ねて侵略! 《デッドゾーン》二体分の能力で《デスマッチ・ビートル》と《イルカイル》を選択! パワーを9000マイナスするよ!」

「パワー0以下になった《イルカイル》は破壊される……」

「次に《ギョギョラス》の能力で《阿修羅ムカデ》をマナゾーンへ! 一応、《阿修羅ムカデ》よりコストの低い《マルヴァーツ》をマナから場に出しておくね」

 

 これで霜ちゃんのブロッカーがいなくなった。

 そしてみのりちゃんの場には、侵略して出た《ギョギョラス》と、《クロック》がいる。

 

「破壊じゃないから《阿修羅ムカデ》は復活できないし、《デスマッチ・ビートル》はパワーが下がってバトルに勝てない……しかも《ギョギョラス》はTブレイカー、まずい……!」

「王手だね。あとはトリガーの勝負だよ。《ギョギョラス》でTブレイク!」

 

 《ギョギョラス》が、霜ちゃんの残ったシールドをすべてブレイクする。

 ここでS・トリガーが出て、《クロック》の攻撃を止められれば、霜ちゃんは勝てるけど……

 

「……トリガーは、ない……!」

 

 ブレイクされたシールドを見て、霜ちゃんは歯噛みする。

 

「なら、《クロック》でとどめだよ! シノビはある?」

「……ない。ボクの負けだ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「まさかあそこまで嵌めておいて負けるとは……詰めの甘い自分が恥ずかしいな」

「いやー、でも正直、私も危なかったけどね。《デス・ゲート》二枚なんて最高のトリガー出ないと負けだったし。あの嵌め技は素直に凄いと思ったよ?」

「それでも負けてたら意味はないさ……ところで、さっきの件だけど」

「うん」

「……その《ギョギョラス》、やっぱりまだ持ってるのか」

 

 霜ちゃんが、最後に侵略で現れた《ギョギョラス》を指さす。

 それは、わたしとのデュエマでも見せた、みのりちゃんの切り札だったカード。、

 

「でも、実体化してないでしょ?」

「確かにそうだけど……」

「今はただのカードだし、大丈夫じゃない?」

 

 気楽そうに笑っているみのりちゃん。

 霜ちゃんは受け入れがたいと言わんばかりに顔をしかめている。

 だけどやがて、諦めたように息を吐いた。

 

「……わかった。どうにも君の場合は事情が違うようだし、ひとまずボクは引き下がろう。まだ腑に落ちないところはあるけどね」

「それはよかったよ。痛くもないお腹を探られるのは気分がよくないからね」

「完全に納得できたわけじゃないよ。そこは勘違いしないでほしいな」

 

 すごく険悪な空気が、まだ少し剣呑ではあるけども、和らいだような気がする。

 とりあえず、これで場は収まった……のかな?

 なら、そろそろ言わなきゃ……!

 

「あ、あのっ」

「小鈴ちゃん。どうしたの?」

「どうしたのじゃないよ……今日は勉強会って話だったでしょ」

「あー、そうだったねぇ」

「ごめん。つい……」

 

 やっぱり忘れてる。

 でも、とりあえず霜ちゃんも落ち着いたみたいだし、これで勉強ができるよね。

 と思ったけど、

 

「……なんか、だるくなってきた……というか、私もデュエマしたい……」

「ユーちゃんもです!」

「だよねー。もうみんなで遊んじゃおっか」

「だ、ダメだよっ! 特に恋ちゃんとユーちゃんは成績危ないみたいだし、ちゃんと勉強しなきゃ! もうテスト来週だよ!?」

 

 デッキを取り出し始める恋ちゃんたち。もう勉強する気なんてさらさらないんじゃないかと思ってしまう。

 うーん、こんな調子で、来週のテストは大丈夫なのかなぁ……?




 新ルールについてわざわざ触れているのは、この話を最初に投降したのが、ルール改正前だったからです。
 今後も、殿堂レギュレーション改正前や、裁定変更前に書いた故に、現在のルールと不整合が生じている話があるかもしれませんが……ご了承ください。
 できる限り現行のルールに沿うよう改稿はするつもりですが……話の展開とか諸々の理由で、どうしようもない時もあるかもしれません。
 それと、デッキもやはり古いのですよね……今回の霜のデッキは、新章の第一弾発売時期に考案したデッキなので、今では弄る要素が多々あるかと思います。
 まあ、それらも変に弄ると展開が変わっちゃうのですけど、できる限り現行のカードプールに合うように、できたらデッキも調整する所存です。
 ご意見ご感想、誤字脱字、その他諸々、なにかりましたらお気軽にお伝えください。


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2章 夏 -不思議の国と夏休み-
12話「お茶会のお誘いだよ」


 今回が、本作品の転換点になります。
 ある意味、本作の道筋を決めた回と言っても過言ではないでしょう。


 お茶会のお誘い

 

 貴女を我々の主催するお茶会に招待したく思います。お時間がよろしいようでしたら、6時に地図に記した会場に来ていただきたい。食べ物は用意してないので、鳥を一羽連れて来てくれると嬉しく思います。

 

PS.都合が悪いようでしたら、地図の場所に不参加の連絡をしてくださいませ。

 

――『帽子屋』より――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……なにこれ?」

 

 みなさん、こんにちは。伊勢小鈴です。

 期末試験最終日。テストという全世界すべての学生と敵対する存在との終戦日と言える今日この瞬間、わたしは下駄箱の中でこんなわけのわからない手紙を見つけました。

 

「小鈴さん! どーしたんですか?」

「あ、ユーちゃん……なんかね、変な手紙が入ってたの。イタズラかなぁ?」

「……手紙……?」

「そう、こんなの」

 

 やってきたのは、ユーちゃんことユーリア・ルナチャスキーさんと、日向恋ちゃん。わたしのお友達です。

 ユーちゃんと、恋ちゃんの二人も、わたしの持つ手紙を覗き込んだ。

 そしたら二人とも、同じように首を傾げた。

 

「お茶会のお誘いだなんて、素敵(シェーン)ですね!」

「……文章、怪しすぎる……食べ物がないから鶏肉持ってこいって、意味不明……」

「そもそも帽子屋ってなんなんだろうね」

 

 意味はわかるけど、わたしにはお茶会に招いてくれるような帽子屋さんの知り合いなんていない。

 しかも、なんで下駄箱に入ってるの?

 

「なにか盛り上がってるけど、どうかした?」

「なんだか楽しそうだねぇ」

 

 そこに、水早霜くん――霜ちゃんと、香取実子ちゃん――みのりちゃんも来ました。

 二人もわたしのお友達です。

 

「そんなにテストが終わって嬉しいのかな?」

「……最高にハイってる……」

「へぇ、手ごたえあったんだ」

「……それはまた、別の問題……」

「補習にならないといいね、恋ちゃん……」

 

 お勉強会で恋ちゃんのことも見たわけだけど、授業というか、勉強に対する取り組みの低さがすごかった。意欲がまったく感じられなくて、教えるのも一苦労だったよ。

 一応、それぞれの科目の基本的なところは押さえられたと思うんだけど、点数、大丈夫かな……?

 

「で、どうしたの? 小鈴」

「えっと、なんか下駄箱に手紙が……」

「手紙? しかも下駄箱に? まさか小鈴ちゃんがラブレター? 殺すか」

「ラブレター!? いやまさか、そんなわけないよ! っていうか殺すってなに!?」

 

 あまりにも物騒な言葉が聞こえた気がする。気のせいだと思いたいです。

 それはそれとして、みのりちゃんにはこう答えたけど、困惑が大きすぎて、この手紙がなんなのか、正常な判断はできない。

 うーん……でも、お茶会のお誘いを言い換えれば、わたしと会いたいって風にも取れるよね。

 わたしが好きだから、お茶会に誘いたい?

 

「まさかそんなわけ……」

 

 ないとも言い切れない。

 というか、本当によくわからなさすぎて、どんな可能性もあり得る気がする。

 

「でも、なんか最後の方によくわからない文章もあるし、違うと思うな……」

「見せてもらってもいいかい?」

「いいよ。はい」

 

 霜ちゃんに手紙を手渡した。するとやっぱり、霜ちゃんは同じように首をカクっと傾げた。

 

「確かによくわからないな。ワードチョイスが奇妙だけど、文章が短くて情報量も少ない。不思議で不審な手紙だ」

「だよね」

「そうなの? 私にも見せてよ」

 

 と、みのりちゃんが手紙を覗き込む。

 そして、ピシッと硬直した。

 明らかに、固まっている。わたしにはわかる。

 スッとみのりちゃんの表情が消えて、冷たくなっていく。

 みのりちゃんは霜ちゃんの手からバッと手紙を奪い取ると、ビリビリ、と引き裂いた。

 

「!? み、みのりちゃん!?」

「な、なにしてるんです!?」

「…………」

 

 みのりちゃんの突然の蛮行に、わたしたちは目を見開いている。

 だけどみのりちゃんは、さっきまでの冷たい無表情が嘘のように、いつもみたいに朗らかに笑った。

 

「悪戯だね、これは。タチの悪い悪戯だよ、うん」

「そ、そうなの?」

「そうそう。こういうのあるらしいよ。わけのわからないことを書いて興味を引いて、誘導するみたいなね。気をつけた方がいいよ小鈴ちゃん。小鈴ちゃんは危ない人に狙われやすそうだし」

「え? それってどういうこと?」

「そんなことより、こんなこと早く忘れて帰ろうよ。せっかくテストも終わったんだし、どこかに遊びに行こう」

「わわっ、引っ張らないでよみのりちゃん……!」

 

 みのりちゃんはわたしの手を引く。

 それだけならいつもとそう変わらない行動だけども。

 

(どうしたんだろう、みのりちゃん……なんか、変だよ……)

 

 さっきの手紙を見てから、表情が消えてから、みのりちゃんの言動がイビツに感じる。

 恋ちゃんやユーちゃん、霜ちゃんを見ても、みんな、困惑しているようだった。

 そんな、なんだか変な気分を抱えたまま、わたしたちの夏休みは始まったのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「《暗黒貴族ウノドス・トレス》を召喚(フォーラドゥング)! 能力で墓地(フリートホーフ)から進化(エヴォルツィオン)! eins()、《デスマーチ》! zwei()、《ゴワルスキー》! drei()、《ドルゲドス》!」

「あ、これは耐えられないかも……」

「いきますよー! 《ダースレイン》で攻撃(アングリフ)! Wブレイクです!」

「S・トリガーは……《爆流剣術 紅蓮の太刀》だよ! 《デスマーチ》と《ドルゲドス》を破壊するけど……」

「まだまだクリーチャーはいますよ! 《ゴワルスキー》でダイレクトアタックです!」

 

 夏休みが始まってから数日。

 わたしたちは特に用事があるわけでもなく、『Wonder Land』に集まってデュエマをしていた。

 

「あぁ、負けちゃった……」

「ドンマイだよ、小鈴ちゃん」

「ユーちゃんのデッキが相手だと、手札を破壊されちゃうじゃら、こっちのやりたいことが上手くできないんだよね……」

「えへへ、ユーちゃんだって、そーゆーことちゃーんと考えて、デッキ作ってるんですよ!」

手札破壊(ハンデス)が嫌なら、マッドネスを入れるといいんじゃないかな? 《ザーク・タイザー》とか《永遠のリュウセイ・カイザー》とか、強いしお勧めだよ」

「どっちも持ってないや……」

「! 恋さんと霜さんのデュエマ、凄いことになってますよ!」

 

 ユーちゃんが指差す。そっちでは、恋ちゃんと霜ちゃんがデュエマをしていた。

 それに促されて、わたしたちもそっちを見遣る。

 

「ターンエンド。《イルカイル》の能力で《ホーガン》を手札に戻してから、《オール・フォー・ワン》の効果解決だ。《阿修羅ムカデ》を破壊、手札から戻した《ホーガン》をもう一度出すよ。《阿修羅ムカデ》を復活させてから《ホーガン》の激流連を解決。《ダイキ》と《ブルトラプス》をバトルゾーンに。《阿修羅ムカデ》の能力で《アブキュア》のパワーを9000下げて破壊だ」

「私のターン……マナ進化GV、もう一度《アブソリュートキュア》を召喚……攻撃して、メテオバーン……進化元をすべて取り除いて、シールドを三枚追加……Wブレイク……」

「これ以上盾を割られるときついかな……《イルカイル》でブロックだ」

「うわぁ、凄い盤面……」

「霜さん、クリーチャーがいっぱいです!」

「恋ちゃんもシールドがたくさんある……どうなってるの?」

 

 霜ちゃんはバトルゾーンに十体以上のクリーチャーが並んでて、恋ちゃんはシールドが十一枚ある。

 なにをどうしたらこんなことになるんだろう。

 

「殴りたいけど、どう考えてもトリガーで止まる……デッキ枚数、確認していいかい?」

「ん……」

「……こっちの方が少ないか。《N》が引ければワンチャンスだけど、どこにあるかもわからないし、盾落ちなら最悪だ。となると、山札切れ(LO)]に頼るのはリスキーだな。殴るしかないのか……」

 

 霜ちゃんはぶつぶつと呟きながら、なにか思案しているようだった。

 その表情はすごく真剣で、集中している。

 

「なんか、わたしたちよりも真剣にデュエマしてるね……」

「はいです……」

「二人とも、結構ガチっぽいからねぇ。日向さんなんて、ずっとあのデッキを調整してるって聞いたけど」

「そういえば、恋ちゃんはずっとあのデッキ使ってるね。えっと、リース……トリガービート、だっけ?」

 

 恋ちゃんともよくデュエマするけど、光文明だけのデッキから、いつの間にかあの光火自然のデッキに変わってた。

 

「……日向さん、考え方がなんかコントロール思考っぽく見えるんだけどね。闇単とか使わないのかな」

「闇って言えば、ユーちゃんはずっと闇文明のデッキだね」

「はいです! 日本に来てから初めてのデッキなので、まだこれを使っていきたいんです」

「そうなんだ」

「小鈴さんも、ずっと火文明のデッキですよね?」

「あ、うん。そうだね」

 

 言われてみれば、わたしもずっと同じデッキを使い続けてると言えるのかな。

 詠さんのアドバイスでデッキを改造したりもしたけど、それだって剣埼先輩から貰ったデッキが基(もと)だし。

 

「トリガー《ホーリー》……全タップで……」

「また止まるか……だけど、ハンドは潰しておくよ。《オール・フォー・ワン》で《阿修羅ムカデ》を破壊して《ニコル・ボーラス》を出すよ。手札をすべてハンデス、《阿修羅ムカデ》を復活して《ホーリー》のパワーを9000マイナスして破壊だ」

「……そのコンボ、流石に……インチキくさい……」

「悔しかったら勝つことだよ。ターンエンド」

「ん……《悠久》召喚……そのまま攻撃」

「トップで《悠久》か……シノビはないよ、ボクの負けだ」

 

 あ、恋ちゃんと霜ちゃんのデュエマが終わったみたい。

 

「恋さんの勝ちです!」

「……ギリギリ、だったけど……ハンデスきつすぎだし……トップが、強かった……」

「手札破壊って、やっぱり強いんだね……」

「流石に《ボーラス》は、レベル、違う……」

「わたしも手札破壊でよくやられちゃうから、対策したいんだけど、マッドネス? ってカード、持ってないんだよね……」

「……なにが、足りないの……?」

「みのりちゃんは《ザーク・タイザー》とか《リュウセイ・カイザー》とかがいいんじゃないかって言ってたけど」

 

 とわたしが言うと、恋ちゃんは無言で自分の鞄の中に手を入れて、ごそごそとなにか探し始めた。

 すると、少し小さめの本――ではなく、ファイルが出て来た。それもただのファイルじゃなくて、なんでもカードを補完するためのカードファイルというものだそうです。デュエマをして、わたしは初めてこれの存在を知りました。

 恋ちゃんはカードファイルを開くと、その中のカードを一枚、抜き取る。

 

「ん……はい」

「え? ……え?」

「……あげる」

「えぇ!? そ、そんな、悪いよ……なんか、キラキラしてるし……」

「別に……《タイザー》はない、けど……《永遠リュウ》なら……使わないし、余ってるし……一枚なら、あげる……」

「で、でも……」

「本人がこう言ってるんだ。受け取ったら、小鈴」

「……小鈴が弱いままじゃ……私も、張り合い、ないし……」

「そ、そんな理由……?」

 

 確かに恋ちゃんや霜ちゃんには全然敵わないけど、わたしだって少しは強くなってると思うんだけどな……

 それはともかく、恋ちゃんは無言でカードを差し出してくる。強いカードみたいだし、キラキラしてて高そうだし、タダで貰うなんて悪い気しかしないけど……

 

「……い、いいの?」

「うん……」

「じゃ、じゃあ……その、ありがとう……」

「ん……」

 

 わたしは差し出されたカードを、受け取った。

 恋ちゃんはいつもの無表情なままで、カードを渡してくれる。

 恋ちゃんって、冷たい時は冷たいんだけど、最近は凄く優しい気がする。

 なんでだろう。

 

「……テスト勉強……の、お礼……?」

「え? あ、あぁ……そんな、気にしなくていいのに……」

「だから……補習だったら、返して……」

「えぇ!? そういうことなの!?」

「……冗談」

 

 真顔で言うから冗談には聞こえないよ……もう。

 

「よかったですね、小鈴さん!」

「う、うん。ありがとね、恋ちゃん」

「ん……別に……」

「でも、マッドネスは一枚だけじゃ対策としては不十分だよ」

「そうなの?」

「引けないと意味ないし、何度だってハンデスは繰り返してくるからね。まあ、《リュウセイ》は単純に強いから、一枚でもそれなりに役立つと思うけど、デッキは少し弄らないといけないかもしれないね。手伝おうか?」

「ううん、自分でやってみるよ。一枚だけだし」

「じゃあじゃあ小鈴さん! デッキのカイゾーが終わったら、ユーちゃんともう一回デュエマしましょう!」

「うん、いいよ。じゃあすぐに入れ替えるから、ちょっと待っててね」

「なら私は、日向さんに挑もうかな」

「……わかった」

「今度はボクがあぶれたか。まあいいよ、皆の対戦を見てるよ」

 

 わたしは移動してデッキのカードと、恋ちゃんから貰ったカードを入れ替える。みのりちゃんと恋ちゃんは、それぞれデッキを持ってデュエマを始める。霜ちゃんは、それを横で眺めてて、ユーちゃんはわたしがカードを入れ替え終わるのを今か今かと待っている。

 こんな時間が、この数日間だけ、ずっと続いていた。

 それが変わったのが、今日だった――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ずっとデュエマしてたら、遅くなっちゃったね」

「でもでも、最後の実子さんと恋さんのデュエマは凄かったです!」

「トリビとドギバスの殴り合いながらの接戦は見事だったね。息を吐かせぬいい攻防だったよ」

「結局、負けちゃったけどねー。凌ぎ切られちゃった。日向さんのデッキ、堅いのなんのって」

「ん……まあ、そういうデッキに、したから……」

 

 時刻は18時少し前、つまりは夕方です。夏だからまだ日は高いけど、ほんのり暗さがあって、微かな夜の存在を感じる時間。

 みんなとのデュエマが楽しくて、つい遅くなってしまいました。お姉ちゃん、怒るかな……?

 

「みのりちゃんは遠いから、帰り大変だね」

「この時間ならまだ大丈夫と思うけど、まあ、あれだったら自転車置いて電車で帰るって手もあるからね」

「君らは門限とか大丈夫なの?」

「特に……つきにぃには、連絡したし……」

「ユーちゃんも大丈夫です! ローちゃんにはちゃんと伝えました!」

「私は一人暮らしだしー」

「そうなのか?」

「ま、親の都合ってやつでね」

 

 結構遅い時間になっちゃったけど、まだ今日に未練があるかのように、もっと楽しめたと言わんばかりに、わたしたちの歩む速度は遅くなっていく……気がする。

 ふと、考える。思う。感じる。

 みんなと遊ぶ毎日は、楽しいって。

 最近はクリーチャーも出て来ない。鳥さんと会えないのは少しさびしいけど、変な事件に巻き込まれないし、みんなと一緒の時間がすごく増えた。

 夏休みだからっていうのもあると思うけど、こんな時間が永遠に続いて欲しいって、ずっと続くはずだって、時間なんて限りのことを考えずに、信じ込んでいる。

 ふと、無意識に携帯を見て、時間を確認する。

 まるで、時間が流れてほしくないと、思っているかのように。

 時刻はちょうど18時――午後6時を指していた。

 

 

 

「お遊戯会は楽しかったかい、お嬢さん方?」

 

 

 

 闇夜に響く、奇怪な声。

 不意に、声をかけられた。

 

「っ!」

 

 あまりに唐突で、驚いて思わず足を止めてしまう。

 振り返ると、そこには背の高い男の人が立っていた。

 革靴を履いて、シャツにスーツを着ているけれど、きちっとしているわけじゃなくて、カジュアルというか、無造作な感じに着崩している。

 なによりも目を引くのは、口元を隠す長いスカーフと、貌を覆う仮面、そして、真っ赤な帽子だった。

 男の人と言ったけれど、この人が本当に男の人なのか、わからない。ただ、声が男の人っぽかったから、男の人だと思うけど……問題はそうじゃない。

 わたしは、まったくこの人のことを知らなかった。

 

「え……だ、誰、ですか……?」

 

 だから思わずそう聞いちゃったけど、後からこれは失敗だったなと思う。

 どう考えても不審者です。まさか自分がそんな目に遭うなんて、という考えは、誘拐事件で捨て去りました。

 ここは声なんてかけずに、みんなで無視して走るべきだったのです。

 だけど、どっちでも同じだったのかもしれない。

 わたしたちは、この人から逃げられないという運命にあったのだから。

 

「誰、か。一応、自己紹介らしきことはしてるし、身分も明かしているのだがな……まあいいさ。面と向かっては言ってないからな」

 

 男の人は誰に言うでもなくそう言ってから、名前らしきものを、名乗った。

 

「オレ様のことは、『帽子屋』とでも呼んでくれ」

「帽子屋って……」

 

 名前らしからぬ名前だけど、その単語には聞き覚えがある。

 その名前は、確か、どこかで見た……数日前……

 

「! あの手紙の、差出人……!」

「正解。まったく、せっかく丁寧に文章を書き連ねたというのに、無視はあんまりであろう。不参加の対応も教えたというのに、だ」

 

 夏休みが始まった、テスト最終日。

 わたしの下駄箱の中に入ってた、奇妙な手紙。確かその差出人が、『帽子屋』だった。

 ってことは、この人があの手紙をわたしに差し出した人、ってこと、だよね……?

 帽子屋と名乗る男の人は、スカーフと仮面で表情が見えないけど、わたしの方に向いていた顔を、少し動かす。

 彼が見ているのは、わたしの隣に立つ――みのりちゃんだった。

 

「……帽子屋さん」

「貴様が余計なことをしたのか? まあ、どちらでも構わないが」

「みのりちゃん……この人のこと、知ってるの……?」

「…………」

 

 みのりちゃんは、静かに口をつぐんでいる。

 あの時、みのりちゃんがあの手紙を見た時と同じような、冷たい表情をしていた。

 そのままなにも喋らないのかと、少し怖くなったけど、やがてみのりちゃんは、おもむろに口を開く。

 

「……帽子屋さんは、私に力をくれた人だよ」

「力……?」

「夏休み前、小鈴ちゃんとケンカしたよね。その少し前から、私の前に現れては、協力しようとか、契約しようとか、わけのわからないことを言って……最後に、“力”を持つカードを、私に渡したんだよ」

「そ、それって、みのりちゃんを騙した、ってこと……?」

「それはとんだ勘違いだな、お嬢さん。彼女が正確性を重視し言葉を選択した努力が台無しだ。オレ様は彼女を騙したわけではなく、あくまでも彼女の意志は最後まで尊重したつもりだ。最後は少々、強引だったがな」

「あなたがなにを言ってるのかはよくわからないが、君が“あの事件”の原因になっていたことはよくわかった」

 

 話の流れを断ち切る勢いで、霜ちゃんが割って入った。

 

「で、君は何者なんだ? 実子に実体化するカード渡したことからして、クリーチャーと関わりが深いようだけど……それとも、あなた自身がクリーチャーなのか?」

「その疑問に正確性を持って回答することは難しいな。貴様らと比べれば、確かにクリーチャーに近しい存在と言えようが、しかしてオレ様はクリーチャーという存在そのものではないし、同時に貴様らと類似した種でもあるのだから」

「……意味不明……わかる言葉で、説明して……」

「おっと、それは失礼した。しかし先程も述べたが、オレ様たちの存在を、貴様らの概念で誤解なく伝えるというのは、相応に困難な所業だ。加え、現時点において、オレ様の存在、種を事細かに説明する必要も感じない」

 

 とても、不思議な感覚だ。

 平衡感覚が狂うみたいな。自分がどこにいるのか、わからなくなってしまいそうな、奇妙で、奇怪で、おかしな感覚に支配される。

 その言葉に惑わされる。その声に振り回される。

 なにを言っているのか、よくわからない。そんなよくわからないまま、わたしは、帽子屋さんのおかしさに、飲まれてしまっているのかもしれない。

 

 

「しかし、身分を明かさぬのも、不審さを高める要因ではあるか」

「今でも……十分、不審……」

「言葉にするのとしないのとでは、その意義も価値も大いに違いが生まれよう。言葉にするからこそ、意味があるのだ。そうは思わないか?」

 

 そう問うてくる帽子屋さん。だけど帽子屋さんは、わたしたちの返事を待たず、言葉を紡ぐ。

 

「ゆえに、オレ様の身分を知りたくば、こう呼ぶがいい――【不思議の国の住人】とな」

「不思議の国? ふざけているのか?」

「半分くらいな」

 

 ククッ、と帽子屋さんから笑い声が漏れる。

 なんというか、上手く言えないけど、帽子屋さんの言っていることはすべて“言葉通り”と感じる。

 嘘は言ってない。すべてが、言葉そのままの意味で吐き出されている。

 それが、イビツに、不可解に、面白おかしく歪んでいるだけで。

 

「……それで、その【不思議な国の住人】とやらは、なにしに来たんだ?」

「オレ様たちには目的があるのさ。その目的を達するための手段として、探しているものがある……と、これはそこなお嬢さんには話したな」

 

 帽子屋さんは、みのりちゃんを指した。

 みのりちゃんは、否定も肯定もしないような、曖昧な素振りを見せる。

 

「話だけ聞いても、よくわからなかったけどね。私も実物を見ているわけじゃないし。あなたの説明はあまりにも抽象的で偶像的だったし」

「ならばやはり、オレ様の口から再び言葉にすべきか。そう、オレ様はある存在を探している」

「ある存在って……なんなんですか? それって?」

 

 恐る恐る、尋ねる。

 この人とはあまり言葉を交わすべきではない。奇妙な話術、奇怪な語り口、謎すぎる言葉に、怖いほど不思議な雰囲気。

 関わらない方がいいと、頭ではわかっているはずなのに、わたしはその口に乗せられて、聞き返してしまう。

 帽子屋さんは、ゆっくりと口を開いた。

 

「あらゆる奇跡を引き起こし、不可能を可能に不可逆を可逆に変える。そんな“あり得ない”を“あり得る”ことにしてしまう、あり得ないようで存在し得る存在。太陽の如く降り注ぐ大いなる希望の光――即ち、聖獣だ」

「聖獣……?」

 

 大仰で、あまりに大それた向上。

 正直、なにを言ってるのかよくわからないけど……その聖獣っていうのを、帽子屋さんは探している。それはわかった。

 だけど、

 

「じゃあ、なんで小鈴さんと実子さんをケンカさせたりしたんですか……?」

「お嬢さん方の喧嘩はそっちが勝手にやったことで、オレ様の目的とは無関係だよ。ただ、オレ様は引き出したかっただけさ、聖獣の存在をな」

「……鬱陶しい……回りくどい……はっきり、結論だけ……言え」

「手厳しいな。ならば言わせてもらおう……鈴のお嬢さん」

「っ、わ、わたしっ?」

 

 鈴。

 それはわたしの名前であり体である。わたしを象徴する一つの言葉であり物体。

 だから、帽子屋さんはわたしを指名したのだと思う。

 そしてわたしは、その指名に体をこわばらせる。

 

「貴様が聖獣の存在を握る鍵なんだよ」

 

 帽子屋さんは言った。わたしに対して、確かにそう告げた。

 一瞬、その言葉の意味がよくわからなかったけど、

 

「……え? えぇ!? そ、そんなわけ……!」

「ないと言えるのか?」

「ないよ! だって、そんな、聖獣なんて、し、知らないもん……!」

 

 すぐに否定する。

 帽子屋さんの言う聖獣というのがなんなのか、わたしはまったく知らないけど、そんな話はまったく知らない。

 人違いじゃないの?

 

「知らない、か。そんなはずはないのだがな」

「そんなはずないよ! だって、そんなすごい聖獣? なんて、会ったことも見たこともないんだから! な、なにかの間違いじゃない……?」

「確かにオレ様は少々イカレているからな。見間違い、見当違い、人違い、勘違い、解釈違い。なんらかの認識の齟齬を完全に否定することはできないが、これでも情報は精査している。その可能性が限りなく低いだろうことは主張したいところだ」

 

 今までの言葉のやり取りでも、つかず離れずの距離を取っていた帽子屋さんは、ここで詰め寄ってきた。

 わたしは聖獣なんて知らないし、会ったこともないけど、帽子屋さんはそれを否定する。

 でも、本当に知らないんだよ……どうすればいいの?

 

「オレ様は別段、貴様らと争いたいわけでも、ましてや害したいわけでもない。ただ、聖獣の在処を知りたいだけだ」

「で、でも、そんなの知らないし……」

「その否定には説得力と根拠が足りないな。あるいは、貴様が意図的に隠匿している可能性の示唆とも考えられる」

「そんなこと、言われても……」

 

 なんだか、雲行きが怪しくなってきたように感じる。

 知らないものは、わからないものは、ありもしないものは証明できない。

 悪魔の証明。なんだかこの前にも、こんなことがあったような……

 わたしがたじろいでいると、ガマンしかねたように、ユーちゃんが噛みついた。

 

「むぅ、小鈴さんは知らないって言ってるじゃないですか! 小鈴さんが、ウソつくはずありません!」

「ユーちゃん……」

「そうだね。彼女は嘘がつけるほど器用じゃない。それに、そんな大層な存在を、ボクらにも隠し通すことができるわけがない」

「確かに……クリーチャーのことも……すぐ、私たちにばれてるし……」

 

 痛いところを突かれてしまいました。

 確かに、クリーチャー事件のことは隠そうと思ってたけど、結局みんなにはばれちゃったな……

 

「……帽子屋さん。私は別のあなたを恨んではいないけど、あなたが小鈴ちゃんに手を出そうとするのなら、私も黙ってはいないよ」

「やれやれだ。もはや称賛に値するな、貴様は。その求心力、あるいは繋ぎとめる力。この国では“縁”とでも言うのか? オレ様のような、イカレたわけのわからない輩を前にしても、貴様の友は背を向けることなく、狂った帽子屋に牙を剥くか」

 

 両手を上げて、首を振り、ポーズで示す帽子屋さん。

 まったく表情が見えなくて不気味だけど、やけに感情豊かに見えて、なおさら不気味に見える。

 できれば、あまり見たくないとさえ、思うくらいに。

 

「しかし、せっかく今日のお茶会をキャンセルして来たというのに、なにもせずにすごすご帰るというのも、格好がつかないな?」

「っ!?」

 

 と、一瞬でも思ったからだろうか。

 目を離した覚えはない。だけど、意識からは外れたかもしない。

 気づいた時には、瞬間移動でもしたかのように、帽子屋さんがわたしの目の前にいた。

 

「っ……!」

「強引な手法で申し訳ない。しかし我々も焦っている、ということだ。可能性は低かろうが、僅かに灯った希望に縋るくらいは許せ」

 

 恋ちゃんが、ユーちゃんが、霜ちゃんが、そしてみのりちゃんが、なにかを言って、なにかをしようとしているように見えたけど。

 それらとは一切合切無関係に、無意味に、わたしは帽子屋さんの開いたお茶会(デュエマ)に、誘われてしまうのだった――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――これって、いつもの……」

「聖獣を呼び出す儀式のようなものだ。貴様との闘争を通じれば、あるいは……といった、希望的観測に基づくある種の可能性でしかない」

 

 五枚の手札と、五枚のシールド。そして山札。

 いつものような、デュエマを始める時の状態。

 まるでクリーチャーと戦う時のような、戦場。

 

「さぁ、貴様の先攻だ。カードを取れ」

「…………」

 

 少し、たじろぐ。

 わけがわからない。この人のことも、目的も、聖獣とかいうものも、この状況も、なにもかもが。

 混乱してばかりだし、困惑してしまうし、こんな意味不明な出来事に巻き込まれたくない、付き合いたくない、逃げ出したいって、思った。

 だけど、わたしの気持ちは、それだけじゃない。

 

(……みのりちゃん)

 

 わたしも、この人に対しては思うところが、ないわけじゃない。

 みのりちゃんはああ言ったけど、わたしとみのりちゃんがケンカする原因がこの人にあったと知って、なにも感じないわけがない。

 聖獣なんてなんのことかさっぱりわからないけど。

 

「……わかった」

 

 戦う理由が、ないわけじゃない。

 帽子屋さんに促されるままに、わたしは、手札を取った。

 

 

 

「わたしのターン! 《トップギア》をチャージして、《龍友伝承 コッコ・ゲット》を召喚! ターン終了だよ」

「オレ様のターンか。《爆砕面 ジョニーウォーカー》をチャージし、2マナで《ダーク・ライフ》を唱える。山札の上から二枚を見て、片方をマナに、もう片方を墓地に置く。マナには《飛散する斧 プロメテウス》、墓地には《裏切りの魔狼月下城》だ。ターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

小鈴

場:《コッコ・ゲット》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:28

 

 

帽子屋

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:2

山札:25

 

 

 

 3ターン目が終わった。

 2マナのクリーチャーが引けなくて、ちょっとスタートダッシュには失敗しちゃったけど、でも、ここからならまだまだ立て直せる。

 それよりも不気味なのは、帽子屋さんだ。

 1、2、3ターン目と、多色カードばかりをマナゾーンに置いてる。さっき遂に多色じゃないカードが見えたけど、多色カードばかりのデッキというのは初めてだ。

 それに、それぞれの文明も、かなりバラけてる。光、火、自然。水、闇。火、自然。闇、自然……えっと、少なくとも五文明すべてが存在している。

 どういうデッキなのか、全然わからないけど、動きは遅そう……だったら、早くシールドをブレイクすれば、いけるはず。

 

「一気に勝負をつけるよ! わたしのターン! 《エヴォル・メラッチ》をチャージ! 《コッコ・ゲット》のマナ武装3発動! わたしのマナゾーンに火のカードが三枚以上あるから、能力でコマンド・ドラゴンコストを2下げるよ。そして、4マナタップ! 《コッコ・ゲット》を進化!」

 

 早速、切り札を出すよ!

 これで決める――

 

 

 

「――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 《コッコ・ゲット》の能力でコストを下げて、《コッコ・ゲット》は進化する。

 わたしの切り札、《エヴォル・ドギラゴン》。ここで出せれば、一気にわたしが有利なはず。

 ガンガン攻めるよっ。

 

「《ドギラゴン》で攻撃! シールドをTブレイク!」

「強烈なほどに刺激的だな……だが、S・トリガーだ。呪文《獅子王の遺跡》」

 

 《ドギラゴン》が、一度に三枚のシールドをブレイクする。

 S・トリガーが怖かったけど、トリガーは一枚だけだったみたい。

 それも、それはこっちの攻撃を止めるどころか、クリーチャーを除去するようなカードでもない。

 

「《獅子王の遺跡》の効果で、山札の上から一枚目をマナに置く」

「それだけ? 《フェアリー・ライフ》と同じ……」

「残念ながら、それだけではない。マナ武装4発動。《獅子王の遺跡》は、少々変わったマナ武装を持っていてな。オレ様のマナゾーンに多色カードが四枚以上あれば、さらに追加で2マナ加速できる」

「ってことは、一気に3マナも増やせるの!? ……でも、マナに多色カードは三枚しかないから……」

「1マナだけで済むと思うだろう? 残念だな。最初のマナ加速とマナ武装は別々の効果だ。ゆえに、最初の加速で多色カードがマナに置かれれば、条件達成だ」

 

 そう言って、帽子屋さんは山札の一枚目を、マナに置く。

 そのカードは、横向けに置かれた。

 

「マナに置かれたのは、多色カードの《ダーク・ライフ》だ。マナ武装4達成、さらに2マナ追加だ」

「こんなマナ武装があるなんて……でも、シールドではわたしが有利だし、大丈夫だよね……? ターン終了」

 

 一気にマナを増やされちゃったけど、逆に言えば、マナを増やされただけ、と思っておこう。

 けどその認識は、正しくても、間違いだった。

 確かに帽子屋さんはマナを増やしただけだ。でも、ただそれだけのことが、どれだけ大きなことに繋がるのか、わたしは知らなかった。

 だから、楽観していたんだ。

 

「オレ様のターン。そろそろ本腰を入れるぞ。6マナで《大革命のD ワイルド・サファリ・チャンネル》を展開」

「っ! D2フィールド……! しかも、これも多色カード……!?」

 

 横向きに出されるフィールドのカード。

 展開されたのは、どこまでも広く続く草原。そのど真ん中に立つ、黄金の獅子の顔が浮かぶステージ。

 D2フィールドは前にも見たけど、このカードは初めて見る。一体、どんな効果が……?

 

「知りたそうだな? この領域の意味を。その好奇心と恐怖心には、多少の悪戯心が芽生えそうだが、しかし今は口直しの紅茶のように素直(ストレート)になろう」

 

 言って帽子屋さんは、マナを一枚、二枚倒す。

 つまりタップ。次のカードを使うつもりのようだった。

 だけど、ただ使うだけじゃない。その挙動は、わたしの知るそれとは、ほんの少し、違っていた。

 

「この瞬間、《ワイルド・サファリ・チャンネル》の効果発動。オレ様はマナゾーンの多色カードから、2マナ生み出せるようになる」

「……? 2マナ、生み出せる……?」

「マナゾーンにある一枚の多色カードが、2マナ分のエネルギーを持つようになる、と言えば分るか? さらに噛み砕いて言うなら、オレ様のマナゾーンに存在するカードはほぼ多色(レインボー)。ゆえに、オレ様のマナ数は、カード枚数こと変わらんが、実質的にほぼ“二倍”だ」

「……っ!」

 

 マナが、二倍……!?

 帽子屋さんのマナは8マナ。それが倍になるということは、16マナ……もちろん、多色じゃないカードもあるけど、それでも一気に10マナ以上のマナを得たことになる。

 だけどまだ、その膨大なマナによる、暴力的な蹂躙はない。

 ただ今は、僅かばかりの残り香のようなものを受けるだけだ。

 

「というわけだ。では、多色の《プロメテウス》から2マナ、単色の《ドンドン吸い込むナウ》から1マナ、計3マナで《謎帥の艦隊》を唱える。《エヴォル・ドギラゴン》を手札へ戻すぞ」

「あ……《ドギラゴン》が!」

「ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:0

山札:27

 

 

帽子屋

場:《サファリ・チャンネル》

盾:2

マナ:8

手札:4

墓地:4

山札:21

 

 

 

 せっかく出した《ドギラゴン》は手札に戻されちゃった……これでわたしのクリーチャーはゼロ。

 

「でも、破壊されたわけじゃないから、また出せばいいはず……えっと、じゃあ、ここは……マナチャージして、2マナで《一撃奪取 トップギア》! 3マナで《コッコ・ゲット》を召喚! これで、わたしはターン終了だよ」

「オレ様のターン……ふむ、まだパーツが足らんな。ならば、次はこうするか。多色三枚と単色一枚で7マナ発生、《時の秘術師 ミラクルスター》を召喚。能力で、墓地にあるコストがそれぞれ違う呪文を回収するぞ。回収するのはコスト2《裏切りの魔狼月下城》コスト3《謎師の艦隊》コスト4《獅子王の遺跡》だ」

「ま、また呪文が手札に……しかもブロッカー……」

「無論、それだけではないがな。多色一枚で2マナ発生、呪文《裏切りの魔狼月下城》を唱える。こいつは普通に使えば相手にセルフで手札を一枚捨てさせる呪文だが、多色四枚のマナ武装4を達成すると、捨てさせる枚数が三枚に増加する」

「さ、三枚も!?」

 

 わたしの手札は二枚だから、全部捨てなきゃいけない。

 ……だけど。

 

「わかった……捨てるよ」

 

 今のわたしの手札には、これがある!

 

 

 

「《永遠(とわ)のリュウセイ・カイザー》をバトルゾーンへ!」

 

 

 

「おっと……っ?」

 

 スカーフで口元が見えないし、仮面で目元も隠れているけど、初めて帽子屋さんが驚いたような気がした。

 でも、それだけだ。

 

「これはまずい、《リュウセイ・カイザー》か。この脅威は無視できん。ならば仕方ない、保持しておきたかったが、こうなってしまえばこのカードを切らざるを得んな」

 

 確かにこの一手は、帽子屋さんの予想外の一手で、帽子屋さんを驚かせたし、脅威とまで見られた。

 だけど、そこで終わってしまっている。

 脅威でこそあれ、それで危機感を覚えさせても、わたしの優位には至らない。

 残しておくのは困るけど、その元凶を取り除く術が、彼にはあるのだから。

 

「やむを得ず、だ。こちらも使うとしよう。多色一枚単色一枚で3マナ発生、《謎帥の艦隊》。この呪文もマナ武装4を持っている。多色カードがマナに四枚あれば、場のクリーチャーを最大三体まで手札に戻す」

「うっ、せっかく出したのに……」

「すまないな。《謎師の艦隊》の効果で、《トップギア》《コッコ・ゲット》《リュウセイ》をバウンスだ。ターンエンド」

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:2

山札:25

 

 

帽子屋

場:《ミラクルスター》《サファリ・チャンネル》

盾:2

マナ:9

手札:4

墓地:3

山札:20

 

 

 

 わたしの場は、またクリーチャーはゼロに巻き戻ってしまう。せっかく出せた《リュウセイ・カイザー》も、すぐに戻されちゃった。

 だけど、やっぱり手札に戻されただけ。もう一度出し直せばいいし、《リュウセイ・カイザー》も手札に持っておけば、また手札破壊を対策できる。

 なかなか前に進まないけど、決して無意味じゃない。

 

「《トップギア》をチャージ! 3マナで《エヴォル・メラッチ》と《コッコ・ゲット》をそれぞれ召喚! 《メラッチ》の能力で山札の上から四枚を見て《爆革命 グレンモルト》を手札に加えるよ。ターン終了!」

「オレ様のターンだな……今の不測の事態で、一手遅れたか。さて、どうしたものか」

 

 帽子屋さんは、考えるような仕草を見せる。

 だけど表情が見えないから、本当に考えているのか、なにかを考えているのかは、さっぱりわからない。

 とにかく、不可解、不思議で、不気味だ。

 

「《リュウセイ》が見えてるから《裏切り》は撃ち難い。とりあえずマナチャージ。多色二枚で4マナ発生、《獅子王の遺跡》を唱える。マナ武装を達成しているから3マナ追加だ。さらに多色二枚と単色一枚で5マナ発生、《飛散する斧 プロメテウス》を召喚だ。2マナタップして追加、マナゾーンから《プロメテウス》を回収だ。そのままもう一体《プロメテウス》も召喚。2マナ追加して、《ドンドン吸い込むナウ》を回収。ターンエンドだ」

「ま、マナがすごい……」

 

 すさまじい勢いで帽子屋さんのマナが増えていく。これで枚数だけでも10マナを超えた。そして増えたマナはほとんどが多色カードだから《ワイルド・サファリ・チャンネル》の効果でマナが二倍になってる。つまり、今のマナ数は、実質的に20マナ以上。

 同時に手札も増やして、なんでもできる、とでも言わんばかりの状態だった。

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《エヴォル・メラッチ》《コッコ・ゲット》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:2

山札:24

 

 

帽子屋

場:《プロメテウス》×2《ミラクルスター》《サファリ・チャンネル》

盾:2

マナ:15

手札:3

墓地:4

山札:12

 

 

 

 《リュウセイ・カイザー》の存在があるから、帽子屋さんは手札破壊を躊躇してる。お陰でわたしの行動が妨害されることはなくなったけど、それでもまだ、わたしが不利なことに変わりはない。

 帽子屋さんは、手札もマナも、わたしよりずっと多い。ブロッカーもいる。

 残り二枚のシールドが、すごく分厚く見えた。たった一体のブロッカーが、すごく高い壁に感じた。

 だけど、

 

「わたしの、ターン」

 

 どんな防御だって、突破して見せる。

 わたしの、切り札があれば。

 

「また、来てくれた……《エヴォル・メラッチ》を進化!」

 

 除去されても、デッキにある限り、何度だって!

 《エヴォル・メラッチ》が羽ばたいて、炎を纏い、進化する。

 

 

 

「もう一度、お願い――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 再びバトルゾーンに出て来る、わたしの切り札。《エヴォル・ドギラゴン》。

 このクリーチャーがいれば、まだ……!

 

「さらに《コッコ・ゲット》も進化! 《爆革命 グレンモルト》!」

「ほぅ、あっという間に《ミラクルスター》のパワーラインを超えて王手(チェック)をかけてくるか。可憐な小娘(アリス)に見えたが、存外、凄烈かつ苛烈だな」

 

 わたしの切り札が二体、場に出揃う。

 だけど、まだこのターンにとどめは刺せない。シールドを割り切るのが精々だ。

 それでもいい。そこまで進めれば、もうブロッカーもなにも関係なく、《ドギラゴン》で押し切れるから。

 わたしはただひたすら、前に向かって突き進むだけ。

 

「行くよ! まずは《グレンモルト》で攻撃!」

「それは通すわけにはいかないな。《ミラクルスター》でブロックだ」

「次に《エヴォル・ドギラゴン》でブレイク!」

 

 《グレンモルト》で《ミラクルスター》を討ち取って、帽子屋さんの残っているシールドを《ドギラゴン》が薙ぎ払う。

 

「……ノートリガー。いよいよオレ様も断崖に追いやられ、後がなくなったな」

 

 S・トリガーも出ず、これで帽子屋さんのシールドはゼロ。

 まだわたしのシールドは五枚もあるし、これなら、勝てるはず。

 次のターンには、きっと。

 ……そう、思ってたけど、

 

「だがまあ、十分時間は稼いだ。準備も整った」

「え……?」

 

 帽子屋さんは、どこまでも余裕だ。

 崖っぷちと言いながらも、逆にわたしを崖から突き落とす算段は立っていると言わんばかりに、危機感がまるでない。

 

「オレ様のターン……開始時に、《ワイルド・サファリ・チャンネル》のDスイッチ起動(オン)!」

 

 帽子屋さんはカードを引く前に、その力を行使する。

 ゲーム中に一度だけ使える、D2フィールドの能力。

 《ワイルド・サファリ・チャンネル》が上下逆さまになって、Dスイッチが発動したことを証明した。

 

「《サファリ・チャンネル》のDスイッチにより、オレ様はこのターン、マナゾーンからもクリーチャーを召喚できるようになった」

「ま、マナゾーンから、召喚……!?」

 

 帽子屋さんのマナゾーンには、15マナもある。そこにあるクリーチャーの数も、少なくない。

 それすべてが出せる状態になった。それがどのくらいすさまじいのか、わたしには判断できないけど、帽子屋さんがこのタイミングで一回しか使えないDスイッチを使ったことからも、ここが重要な局面で、だからこそこれがわたしにとって危ない状況だっていうのは理解できる。

 《ワイルド・サファリ・チャンネル》の中心で、獅子が咆哮する。その瞬間、草原が眩い光に包まれた。

 

「っ、なに、これ……?」

 

 見たこともないような光景に、思わず後ずさる。

 ふと顔を上げると、その先には、ククッと笑い声をもらす帽子屋さんが、超然と佇んでいた。

 

「不思議の世界へようこそ。ここから先は、貴様の常識は通用しない……世界も、時代も、規律も、因果も、すべてがイカレた摩訶不思議な物語の始まりだ」

 

 そう言って帽子屋さんは、光る地面に手を突っ込む。

 地中の奥底から引っ張り出すようにして、一枚のカードを、マナから抜き取った。

 

「序章は颯爽と駆け抜けて行く。可憐な迷子(アリス)よ、時計を持ったウサギは待ってくれないぞ。置いて行かれたくなければ、必死で追走することだ。もっとも、その先は果てなき地獄かもしれんがな」

「な、なに、なんなの……なにを、言ってるの……?」

「ただの妄言だよ。オレ様は狂いに狂った幻想のイカレ帽子屋だ。一人で訳もなく頭のおかしいことを呟くのさ。それでもただ一つ、確かなことを言うのであれば……ここから先は、絵本と同じだ。ページを捲ったら、すぐに終わってしまう。短く儚い、終わりへと向かう物語(ストーリー)と同義。そして、そんな夢物語の始まりだ」

 

 帽子屋さんはそう言って、光り輝く草原の力を得て、膨大なマナを生み出す。

 光の粒子が、そこかしこから湧き上がって、帽子屋さんの力となる。

 

「多色四枚、単色二枚タップ! 合計10マナ!」

 

 そして、子屋さんは、地中から抜き取ったカードを、場に放り投げた。

 このときから、絵本のように瞬く間に過ぎていく物語が始まった。

 わたしの知らない、奇妙で怪しい、摩訶不思議な物語が――

 

 

 

子供(アリス)の夢を塗り潰せ――《ジョリー・ザ・ジョニー Joe》!」

 

 

 

 嘶く声が聞こえる。銃声が響く。大地を駆ける蹄が轟く。

 大草原の力を得て、地平線の遥か彼方より、何者かが疾駆する。

 銃を擬獣化したような不思議な馬。その馬に騎乗するのは、巨大な銃を背負って、赤い帽子を被った騎手。

 草原よりも荒野を駆けている方が似合いそうな彼らが、わたしの前に立ちはだかった。

 これは《ワイルド・サファリ・チャンネル》の効果で、マナゾーンから召喚したクリーチャーのはずなんだけど、

 

「こ、これ、クリーチャー……?」

 

 わたしには、それがクリーチャーとは思えなかった。と言うと言いすぎるけど、今までのクリーチャーと、明らかに違う。

 なんて言ったらいいんだろう……リアルな動物とか、人型とか、モンスターじゃない。すごくイラストチックで……そう。

 言うなれば、子供に合わせたようなタッチなんだ。

 子供のラクガキみたいな。

 もしくは、絵本の中から飛び出したかのような。

 そんな、どこかイビツで不安定な姿をしている。

 

「ククッ、驚いているな。貴様の感じるように、こいつは他のクリーチャーと少々出自が違うものだが、それでもれっきとしたクリーチャーだから安心するがいい。もっとも、こいつの力を前にして、安堵する余裕があるとも思えないが」

「パワー19000……スピードアタッカーに、(クアトロ)ブレイカー……ダイレクトアタックまで届いちゃうけど、トリガーが出れば、まだ耐えらる……!」

「それだけではない。それは希望的観測という名の幻想さ。見るがいい、《ジョリー・ザ・ジョニー Joe》の登場時能力発動! こいつが召喚によって場に出た時、相手の場にクリーチャーが存在すれば、他のクリーチャーをすべて破壊する!」

「す、すべて破壊!?」

 

 帽子屋さんの《ジョリー・ザ・ジョニー Joe》は、携えた巨大な銃を構える。そして、引き金を引いた。

 バズーカ砲みたいにやたら大きなその銃から放たれるのは、その大きさに見合った、巨大な弾丸。凄まじいエネルギーを纏って放たれる弾丸が、わたしのクリーチャーをすべて、吹き飛ばしてしまった。

 同時にその時に発生した爆風で、帽子屋さんの《プロメテウス》も一緒に吹き飛ばされた。

 

「っ、クリーチャーが、全部いなくなっちゃった……でも、これで帽子屋さんはとどめを刺せなくなったよっ!」

「そう勝負を急ぐな。確かにすぐに過ぎ行く物語と言ったが、焦っていいというものでもない。さらに多色二枚で4マナ発生、呪文《ドンドン吸い込むナウ》を唱える。山札の上から五枚を見て、《獅子王の遺跡》を手札に加えよう。ここで《ドンドン吸い込むナウ》の追加効果発生、この呪文は火か自然のカードを手札に加えると、場のクリーチャーを一体、手札に戻せる」

 

 そのカードは、何度か見たことがある。

 欲しいカードを手札に加えながら、場合によってはクリーチャーを除去できるし、S・トリガーとして防御にも有効な呪文だ。

 だけど今この時に限って言うなら、わたしには帽子屋さんの行動も、発言の意味も、よく分からなかった。

 《獅子王の遺跡》を手札に加える意味も、クリーチャーを手札に戻すと言った意味も。

 

「手札に戻すって……でも、クリーチャーはもう、いないよ……?」

「なにを言っている? クリーチャーならここにいるだろう」

「ここにって……まさか……」

 

 わたしは“それ”に視線を向ける。

 そこには、お互いのバトルゾーンを蹂躙して、たった一人、孤高に佇む不思議なクリーチャーがいた。

 そう、それは、

 

「そのまさかだ《ジョリー・ザ・ジョニー Joe》を手札に戻す」

 

 帽子屋さんの切り札と思しきクリーチャー、《ジョリー・ザ・ジョニー Joe》。

 それを帽子屋さんは、惜しげもなく手札に戻した。

 

「10マナも払って出したクリーチャーを、わざわざ戻しちゃうの……!?」

「そこに意味があるんだ、このクリーチャーはな」

 

 わけがわからなかった。

 自分で自分のクリーチャーまでも破壊して、かと思ったらたった一体残ったクリーチャーも手札に戻して、わたしには理解できない、わたしの常識が通じないことばかりだった。

 それは、確かに不思議の国とでも言える、イビツに狂った歪んだ世界かもしれない。

 

「多色五枚で10マナ発生! 《ジョリー・ザ・ジョニー Joe》を再び召喚だ!」

「ま、また出た……でも、もうクリーチャーはいないよ……あなた一体、なにがしたいの……?」

「おっと、先に言うが、不快に感じるのは筋違いだ。これは遊んでいるわけでも、弄んでいるわけでもない。貴様を愚弄するつもりなど欠片もなく、むしろ敬意の表れだと思ってもらいたい」

 

 やはり、わからない。

 わたしには理解ができない、なんでそうなってるのか、なんでそうするのか、なにがそうさせるのか、なにがそうであるのか、意味不明で理解不能な世界の中で、帽子屋さんはまたわけのわからないことを言っている。

 わたしの知らないところで、どんどんお話が進んでいってて、そこはかとない不安が掻き立てられる。

 なにもわからない。言葉だけを連ねても、決定的になにかが足りていない。

 

「オレ様の言葉に偽りがないことを証明するため、こいつの真の能力を教えてやろう。こいつが召喚された時、相手の場にクリーチャーがいれば、他のクリーチャーをすべて破壊する。では、クリーチャーがいない時はどうなる?」

「ど、どうなるって……」

 

 そんなことは知らない。

 知らないことだらけだ。

 わたしは答えられない。

 

「答えは単純明快だ」

 

 だから、帽子屋さんが答える。まるで自問自答だ。

 帽子屋さんはクイッと帽子のつばを押し上げて、言った。

 ある意味では、わたしの不安を解消するように。

 だけど実際には、わたしの不安を後押しするように。

 現実なのか、非現実なのか、わからない、混沌とした結果だけを、押し付けてくる。

 だけど、終わりはハッキリしてる。

 帽子屋さんの言うように、簡単で、単純明快だ。

 そこにあるのは、たった一つの終焉だけ。

 

 

 

「オレ様がゲームに勝利する」

 

 

 

「……え?」

 

 こんどは、理解の拒絶だ。

 その言葉の意味が受け入れられなくて、だから、わけがわからない、と思ってしまった。

 だけど本当は分かっていた。嫌な予感は、していたんだ。

 それが今、現実になっただけ。

 

「これで物語は終了だ。あとがきもエピローグもない……本を閉じろ、餓鬼(アリス)

 

 すべて終わったんだ、と帽子屋さんは言い放つ。

 その時、わたしはあの不思議なクリーチャーが、わたしに銃口を向けていることに気付いた。

 直感でわかる。あれは、まずい。

 まずいけど、無理だった。もう終わってしまう。どうしようもないということだけは、理解できた。

 理屈じゃない、感覚的なもので、理解する。

 

「引き金は何度だって引くさ。ルールも理屈も捻じ曲がった世界では、プライドもこだわりもひん曲がっている。常軌を逸した不可思議なことが理だ。無知な少女(アリス)よ、残念だが、お茶会も物語もこれで終わった……またな」

「……っ!」

 

 バキュン!

 

 乾いた銃声。空を切る音。

 刹那。

 一発の弾丸が、わたしの胸を射抜く――

 

 

 

「――Extra win」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 わたしは、一発の銃弾に射抜かれる――ことはなく。

 ふっと意識が戻った時には、確かに五体満足で、なに一つ異状はなかった。

 あるのは、ただの敗北感だけ。

 

「契約者を危機に晒せばあるいは、と思ったが、そう簡単な話でもないか。命の危機に瀕するまで進むべきだったか? いやさ、銃口を突きつけられてなお、予兆さえも感じさせないということは、同じ結果だっただろう」

 

 ぶつぶつと帽子屋さんはなにかを呟いている。

 そしてふと、こちらに視線を向けた、ような気がした。

 

「なんだ、五体満足なのが不思議か? 五臓六腑が散るとでも思ったのか?」

「い、いや、その……」

 

 みのりちゃんと最初に戦った時は、わたしは気を失ってたみたいだし、今回もそういうことがあるのかなとは思った。

 けど、どうも今回は、そういうわけでもなさそうだった。

 

「オレ様があえて射線を外した、ということもあるが……あの決戦場は本来、性質の違う生命体同士が、同じ立場、同じ土俵で争うための仕組みだ。なぜこのような理が存在し、誰がこんなシステムを創り出したのかまでは知らんが、本質的には“勝敗を決する”という概念に基づいている。ゆえに、物理的な干渉はルールで統制されてはいない。もっとも、ルールの外にあるということは、如何様にも利用可能ということでもあるのだが」

「………」

「それに言ったはずだ、危害を加えるつもりはないと。それはオレ様の本意ではない」

 

 帽子屋さんは静かに言う。

 確かに言葉通りではあった。今のデュエマも、結局わたしはなんの被害もない。ケガもしていないし、ただデュエマしただけだ。

 ……銃弾が飛んできた時は、冷や冷やしたけども。

 それに……

 

「それはさておき、聖獣の出現条件というのも、よくわからんな。貴様のことは重要な手足と認識しているものと思っていたが。あるいは、危機意識が段階的なのか? どの程度までが聖獣にとっての“危機”と感じるのか、試してみるのも一興か?」

「っ!」

 

 その言葉に、思わず身体がビクンッと跳ね上がる。

 すると帽子屋さんは、肩をすくめた。

 

「そう怯えるな。流石に、危害を加えることが本意ではないと言っておきながら、舌の根も乾かぬうちに撤回するつもりはない。おっと、イカレたオレ様が言っても説得力は皆無か」

 

 また、ククッ、と笑いながら言う帽子屋さん。

 説得力がないなんて自分で言っておきながら、踵を返す。

 

「だが、オレ様は、お茶会とカードゲームは一日一回と決めているのでな。時間も時間だ、今日はもう帰るさ。家に飾った植木鉢の中身も気になるしな」

 

 意味不明なことを言いながらも、本当にもう、帰るつもりのようだ。

 

「また会う日が来るだろう。その時まで、聖獣のことを思い出しておいてくれるとありがたい……では、またな」

 

 See you again (また逢おう)! と最後に告げて、帽子屋さんは背を向けて立ち去って行った。

 …………

 その姿が完全に見えなくなるまで、わたしは動けなかった。なにも言葉も出せず、沈黙のまま、夜の帳が降りてきた静寂の中にいた。

 

「……二度と来るな」

「わけがわからないまま、嵐のように過ぎ去っていったな……」

「小鈴さんっ! 大丈夫ですか!?」

「う、うん……なんともないよ」

「ほら、掴まって。立てる?」

「ありがとう、みのりちゃん……」

 

 みのりちゃんに手を借りて、立ち上がる。

 物理的な干渉はないとか帽子屋さんは言ってたけど、身体が少し重い気がする。

 でも、これは本当に負けたからなのかな。

 ……この身体の重みが敗北感によることなのかどうかはわからないけど。そうだ。

 わたしは、負けたんだ。

 あの、帽子屋さんに。

 

「帽子屋とか、【不思議な国の住人】とか、わけがわからないことばかりだ……君はいつも、こんな変なことに巻き込まれているのかい?」

「今回は特別に変というか、いつもはクリーチャーが変な事件を起こしてるから、今回みたいなのは初めてというか……」

「いつかのロリコンさんよりも、おかしな人でしたね」

「とりあえず、今日はもう帰ろうか。私は電車で帰るから、家まで送るよ、小鈴ちゃん」

「え? い、いいよ。そんな……」

「……用心は、した方がいい……と思う……あいつの言うことも、信用、できないし……また、戻って来る、かも……」

「そうだね。言えの方向はボクも同じだから、一緒に送るよ」

「だったら、ユーちゃんも行きます!」

「ご、ごめんね……みんな」

「気にしないでください! ユーちゃんたちは、小鈴さんのお友達なんです! このくらい当然ですっ!」

「そうだよ小鈴ちゃん。本当に困ってる時は、私たちを頼ってもいいんだよ。友達なんだから」

「……うん、ありがとう」

 

 結局その日は、みんなに送られて帰ることに。家に着く頃には、七時になっていました。

 そうして、奇妙で怪しい、摩訶不思議なわたしの一日は終わるのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 負けちゃった。

 もう少しで勝てた、なんて思えなかった。

 シールドで追い詰めても、そんなものは関係なかった。

 たくさんのマナと手札と、強力なカードで、圧倒的に負けた。

 そんな気分だった。

 

「それで今日はアンニュイに一人で来たんだね」

 

 わたしは、一人で『Wonder Land』に来ていた。恋ちゃんやユーちゃんは部活があって、霜ちゃんとみのりちゃんは家族と用事があるらしくて、今日は一人だ。

 世間でも今は夏休みだけど、他のお客さんも少ない。だからか、いつもわたしによくしてくれている店員さん、長良川詠さんは、わたしの話を聞いてくれていた。

 帽子屋さんのことはもちろん伏せてるけど、帽子屋さんとの対戦で負けたこと。そのことを、話した。

 なんでかわからないけど、あの対戦と、あの敗北は、わたしの中でわだかまりを作っていたから。

 この気持ちのやり場。それがどうしようもなくって、思わず、逃げ込むようにわたしはここに来た。

 

「小鈴ちゃんがデュエマで負けて愚痴りに来るなんてねー」

「そ、そんなつもりはないですけど……でも」

「でも?」

「……なんか、すごく……悔しかったです」

 

 帽子屋さんに負けた時、わたしの中にはいろいろな感情が、混沌と入り混じっていたと思う。

 わたしの知らない戦術、わたしの知らないカード、わたしの知らない勝ち方……帽子屋さんのデュエマは、わたしが知らないデュエマで、わたしはあの不思議な世界に飲まれてしまっていた。

 だから負けた後、わたしにはなにが起こったのか、まったくわからなかった。今でもよくわからないままだ。

 だけど、一つだけハッキリしてることがある。

 それは、どんなにわけがわからなくても、わたしは負けた。その事実は確かだ。

 負けちゃったんだ。それも、圧倒的に、絶対的に。

 その敗北をちゃんと認識して、感じてから、無性に胸の奥がむずむずする。

 まだ自分でもよくわからないけど、たぶんこれは、悔しいってことなんだと思う。

 

「そっかぁ、小鈴ちゃんも遂に“楽しさ”以外を覚えたかぁ」

「? 詠さん?」

「デュエマは楽しいだけじゃないからね。強くなればなるほど、マイナスの感情も芽生えてくるものだよ」

「そうなんですか……」

「だけど、悔しいって気持ちは、決して悪いことじゃないよ。それの気持ちは力になるからね」

「力に……えっと、どうしたらいいんでしょう?」

「小鈴ちゃんはとにかくもっと経験値を積むべきだと思うけど……それ以外にできることといったら」

「いったら……?」

「うーん……デッキ、かな」

「デッキ、ですか? デッキを改造するってことですか?」

「そうと言えそうだけど、違うと言えば違うかな」

「?」

「改造じゃなくて、組むんだよ、デッキを」

「なにが違うんですか?」

「今あるデッキのコンセプトを崩して、まったく違うデッキを作るってこと。メインにする種族を変えるとか、新しい文明を追加するとか、戦術を変えるんだよ」

「まったく別のデッキにする、ってことですか?」

「そういうこと。それが一人でできるようになったら一人前かもね」

「ひ、一人で、ですか……」

「一人で組むのは、まだちょっとハードルが高いかな? だったら、誰かと一緒に組んでみてもいいかもね」

「詠さんは、手伝ってくれないんですか?」

「んー、今回は小鈴ちゃんの力で頑張ってみた方がいいんじゃないかな? どうしようもなくなったら頼ってもいいけどね」

 

 どうしようもなくなったら。それはつまり、最後の手段という意味……だと思う。

 もっと話を聞きたかったけど、詠さんは店長さんに呼ばれて、店の奥へと行ってしまった。

 そして、わたし一人、残される。

 

「デッキを一から作る、かぁ……」

 

 思い出すのは、みのりちゃんとケンカしたあの時。あの時は、みんなと一緒にデッキを作った。

 でもそれができたのは、みんながいたからだ。一人で同じことをするなんて、とてもじゃないけど、わたしには無理だと思う。

 

「でも……誰かと、一緒なら……」

 

 一人ではできなかったけど、逆に言えば、みんなの力があれば、わたしでもデッキが作れる。

 

 わたしたちの中で一番強い、恋ちゃん。

 わたしと同じ目線で対戦できる、ユーちゃん。

 わたしの知らないデュエマを教えてくれる、霜ちゃん。

 わたしの中で一番心に残るデュエマをしたことのある、みのりちゃん。

 みんなそれぞれ、使うカードも、戦術もスタイルも、全然違う。

 だからこそ、誰と一緒にデッキを作るかで、出来上がるデッキも大きく変わるような気がする。

 一人でやるべきなのか。それとも、誰かに協力を求めるべきなのか。

 

 

 

「……どうやって、デッキを作ろうかな――」




 前々から伏線とも呼べないようなあからさまに怪しい奴が出ていましたが、【不思議の国の住人】より、『帽子屋』の登場です。
 およそ名前とも呼べないような名ですが、【不思議の国の住人】が組織の名であり、『帽子屋』がキャラ名です。
 今ではめっきり見なくなった5cジョニーを携えて、唐突に現れては颯爽と消えていく変質者です。少し前はVVギガタックのフィニッシャーで使われてましたね、赤ジョニー。
 珍しく次回予告なんぞをしてみますが、次回はデッキ構築回です。ピクシブでは、読者にアンケートを取って、その結果を反映させた回にしたりして、痛い目を見たりもしたのですが……こちらは再掲のようなものなので、特にアンケートなどは取らず、既にある者を改稿して掲載する予定です。


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13話「デッキを作るよ」

 ピクシブ連載時は、アンケートを取って「誰と一緒にデッキを組むか」ということをやったのですが……ちょっと誤算があって、わりと無理やりな展開になってしまったんですよね。
 アンケートの結果は、あとがきに載せておくので、知りたいという人は先にそちらをどうぞ。先入観なく読みたい人は、このままお進みください。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 先日、わたしは『帽子屋』と名乗る男の人に、デュエマで負けてしまいました。

 帽子屋さんは【不思議な国の住人】とか、聖獣を探しているとか、ちょっとよくわからないことを言ってましたが、わたしにとってそんなことは、あんまり関係なかった。

 帽子屋さんに負けたことが、すごく悔しかった。

 不思議で奇妙で不可解で、わたしの知らない世界を見せつけられて負けたことが、悔しかった。

 それはたぶん、帽子屋さんに対してじゃない。

 自分に対して、自分の無知と弱さが、悔しかったんだと思う。

 わたしは、もっと強くなりたい。今まで、みんなとやるデュエマは楽しかったけど、楽しいだけじゃ、終われなかった。

 本当なら、みんなと遊べるだけで、それでいいはずなのに。

 それはある種の予感のようなもので。ただ楽しいだけで終わってはいけないような。そのままだとダメなような、そんな気がしたんだ。

 行きつけのカードショップのお姉さん、長良川詠さんに相談したら、一人でデッキを作ってみたらどうかと、提案された。

 一人でデッキが組めたら一人前、詠さんはそう言っていた。改造ではなく、一から組み上げるんだって。

 どうして一人でデッキを作ることが強くなることに繋がるのかはわからないけど、詠さんの言う通りわたしは一人でデッキを作ることにした――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――どうしよう」

 

 学校の図書室、その一角で、わたしは頭を抱えていた。

 ちょっと自慢ですけど、わたしたちが通う烏ヶ森学園の図書室は、第一図書室から第三図書室まで、三つの図書室があります。それぞれ使用目的がちょっと違ってて、第一図書室が小説とか絵本とかの楽しむための読み物が置いてる一般的な図書室。生徒がよく使うのはこっちです。

 第二図書室は参考書とか辞書とかが置いてある、勉強のための部屋。ちょっとした自習スペースが用意されてて、テスト前になるとここで勉強する人も多い。わたしが今いるのはここです。夏休みが始まったばかりで、人がいないからね。

 ちなみに第三図書室は大きな書庫で、貸出禁止の貴重な本が色々保管してあるとかなんとか。この部屋はほとんど行かないからよくわからないです。

 そんな第二図書室の自習スペースで、わたしは今自分が持ってるカードをすべて広げて、デッキを作ろうとしていた……んだけど。

 早速そのデッキを作る手が止まっていた。

 

「そもそもデッキってどうやって作ったらいいの……? 全然わかんないよ……」

 

 デッキの改造だけなら、ユーちゃんや詠さんたちのアドバイスでなんとかできたけど、一から作るとなると、どうすればいいのかわからない。

 みんなでデッキを作ったこともあったけど、あれはみんなが持ち寄ったカードを色々入れてたら、なんとなくできたものだし、それにみのりちゃんのデッキに対抗するため、っていう目的があったからできたものだし……

 

「ん……? 目的……?」

 

 そういえば、みのりちゃんと戦うためにデッキを作った時は、みのりちゃんに勝つため、みのりちゃんのデッキに対抗するという目的でカードを選んで、デッキを作った。

 みんなわたしよりもカードについてたくさん知ってるってこともあるんだろうけど、目的がハッキリしてるから、どんなカードを入れるのか、すぐに決められた。

 

「つまり、どんなデッキにするか、デッキの目的がハッキリしてれば、デッキを作るためのカードも選びやすいってことなのかな」

 

 そうと決まれば、デッキの目的を設定したいところだけど、

 

「……どんなデッキにすればいいんだろう」

 

 今度はデッキの目的ってどうやって決めるの? という堂々巡りに入ってしまった。

 わたしって、本当になにも知らずにデュエマやってたんだなぁ……デッキも自分一人じゃ作れないんなんて。

 

「やっぱり、誰かに手伝ってもらおうかなぁ……」

「あれ? 伊勢さん?」

 

 と、その時。

 背後から声をかけられた。

 この声は、まさか……

 

「っ、剣埼先輩……!?」

「やっぱり伊勢さんだ。夏休みに自習室にいるなんて珍しいね」

 

 そこにいたのは、三年生の剣埼一騎先輩。恋ちゃんのお兄さんみたいな人で、学援部の部長さん。

 自習室というのは、第二図書室の通称です。

 というのはともかく。

 

「ん? カード……?」

「あ、あわわわわ……! これは、その……」

 

 慌ててカードを隠そうとするけど、ちょっと広げすぎた。どう考えても隠しきれていない。

 

「……学校でカードを広げるのは、あんまり感心できないよ」

「ご、ごめんなさい……」

「まあ今は人もいないし、だからこそここでやってたんだろうから、やめろとは言わないけど……でも、どうしてこんなところで?」

「デッキを作ろうと思って……カードショップだと他の人に迷惑になりそうですし、家だと、その、お姉ちゃんに見られたくなかったので……」

「あぁ……」

 

 なんだか先輩が渋い顔で頷いている。

 

「やっぱり伊勢さんって、会長の……」

「? どうしました?」

「いや、なんでもないよ。それよりデッキを組むって、一人で?」

「は、はい。強くなるにはどうしたらいいかって聞いたら、行きつけのカードショップの店員さんに、一人で作ってみたらって言われたので、そうしてみようかなって……」

「伊勢さんは、強くなりたいの?」

「……はい。わたし、みんなよりも弱いので。もっと強くなりたいと思って」

 

 本当はちょっと違うけど、それも嘘ではない。

 ユーちゃんとは同じくらいの強さだけど、それでも最近はよく負けちゃうし、恋ちゃん、霜ちゃん、みのりちゃんらにはまったく勝てない。

 少しでもみんなに近づきたいという気持ちも、ないわけじゃないんだ。

 

「……伊勢さん。君は今、楽しんでデュエマができてる?」

「え?」

「俺は君にデュエマを教えた日以来、君のデュエマを見たことがないけど、まだ君は初心者を抜け出していないと思う。だけど、それとは関係なく、君の周りには強い人がいると思う。それでも、実力差が明らかな相手とのデュエマでも、楽しいかい?」

「…………」

 

 なんとなく、先輩が言いたいことはわかる。

 わたしの友達はみんなデュエマをやってるけど、そのほとんどの人が、わたしよりもずっと強い。

 わたしはみんなとのデュエマでは、ほとんど負けてばかりだ。

 それでも、そんなデュエマでも、楽しいかどうか。

 改めて言われると考え込んじゃうけど、答えはすぐに出た。

 

「……楽しいですよ、とても」

 

 いつも負けちゃうけど、みんなとのデュエマは楽しい。それは確かなことだ。

 恋ちゃんは、わたしに強さを伝えてくれる。

 ユーちゃんは、わたしと同じ目線で戦ってくれる。

 霜ちゃんは、わたしの知らないコンボを教えてくれる。

 みのりちゃんは、わたしを驚かすカードの使い方を見せてくれる。

 確かに勝てないけど、デュエマするたびに、みんなから色んなものを得られるし、デュエマをするごとに驚きや発見がある。

 だから、みんなとのデュエマは楽しい。それだけは、確かなことだ。

 

「そう……ならよかったよ」

 

 先輩は、いつものような穏やかな微笑みを見せた。

 

「恋から話だけは聞いてたけど、楽しいならよかったよ」

「恋ちゃんから?」

「うん。最近の恋、毎日凄い楽しそうにしてるんだ」

「そ、そうなんですか……」

 

 表情が一切変わらないし、昔の恋ちゃんをよく知らないから、わたしにはよくわからないけど……

 でも、先輩が言うなら、そうなのかな。

 

「俺は、伊勢さんに感謝してるんだ」

「え? わたしに、感謝、ですか?」

 

 思いもしない言葉に、キョトンとしてしまう。

 

「うん。恋が楽しそうにしてるのも、君のお陰だからね。あいつは見ての通り、ちょっと変わった奴だし、クラスにもあんまり馴染めてなかったようだけど、君が恋と友達になってくれたから、あいつは毎日が充実してるみたいなんだ。だから、本当に感謝してる」

「そ、そんな感謝だなんて……」

「恋のことだけじゃない。ユーリアさんや水早君の件についても、君がいてくれたから解決できた。俺も君には色々助けられてるんだ。今ここでもう一度お礼を言わせてもらうよ。ありがとう」

「あぅ……」

 

 先輩にお礼を言われて、恥ずかしいような、こそばゆい気持ちになる。

 ……けど、嬉しい。

 こんなわたしでも、先輩の役に立てたと思うと、すごく嬉しい。

 ふと、思い出す。

 あの時のことを。

 

「……あの、先輩」

「なにかな?」

「その……わたしは……」

 

 ずっと、言いたかったことがある。

 あの時からずっと抱えた言葉。

 ここで、言いたかった。

 精一杯の勇気を出して、声を振り絞る。、

 

「先輩――」

 

 

 

ピリリリリリ

 

 

 

 無機質な電子音が響き渡った。

 音源は、先輩のポケットの中だった。

 

「わっ、マナーにしてなかったっけ……ごめん伊勢さん! ちょっと待ってて」

「……あ、はい」

 

 先輩は携帯片手に、慌てて図書室の外に出た。

 扉の向こうから、微かな声が聞こえる。

 

「……ミシェル? ……うん、うん……あ……そうなんだ。こっちは大丈夫。うん……資料、見つけたから……」

 

 ちょっと待ってて、の言葉通り、数分としないうちに先輩は戻ってきた。

 

「ごめんね伊勢さん。ちょっと、学援部の方で呼ばれちゃったから、俺はもう行くよ」

「は、はい……」

「そういえばさっき、なにか言おうとしてた気がするんだけど……」

「……いえ、なんでもないです……」

「そ、そう? ならいいんだけど……」

 

 つい、そう言ってしまう。

 ちょっとだけ自己嫌悪。

 

「あ、そうそう忘れるところだった」

「?」

「これを伊勢さんに渡したくってね」

 

 そう言って先輩は、さっきと違うポケットから小さな箱を取り出した。

 どう見てもデッキケースだ。先輩はデッキケースの蓋を開くと、中から一枚のカードを引き抜く。

 

「これを、伊勢さんに」

「え!? こ、これって、デュエマのカード、ですよね……?」

 

 それは両面印刷で、キラキラと眩しく光るカードだった。

 見たことのないカードだ。だけど、なんだかとても強そうに見える。

 

「こ、こんなキラキラしたカード、もらえませんよ……それに、先輩のデッキのカードなんじゃ……」

「いいんだ。二枚持ってるしね。それは恋のことに、学援部のこと……色んなことのお礼だよ」

 

 お礼って……わたし、お礼をされるようなことなんてしてないし、わたしのやったことでこんな貴重そうなカードなんて、申し訳ないよ……

 だけど先輩は、返そうとするわたしの手を制する。

 

「これは俺の気持ちだよ、強引だと思うかもしれないが、ぜひとも君には受け取ってほしい。むしろ、こんなことでしかお礼ができなくって心苦しいくらいだ」

「先輩……」

「それを使ったからと言って、簡単に恋に勝てるわけではないけど……それで少しでも君の力になれるなら本望だよ」

 

 そう言うと先輩は、半身をわたしに向ける。

 

「それじゃあ、俺はもう行くよ。頑張ってね」

「は、はいっ。ありがとうございました……っ!」

 

 ガラガラ、と自習室の扉が開かれ、ピシャリと閉められる。

 無言で、無音の、静寂の時間。

 なにもない時間が、やけに長く感じたけど、だからって、どうというわけでもない。

 無意味な静寂に小さな穴を空けるように、ぽつりと口から声が漏れる。

 

「……結局、言えなかったなぁ」

 

 先輩に感謝を伝えられたけど。

 わたしは自分の感謝を、伝えられないままだ。

 悔やむように、わたしは先輩からもらったカードに視線を落とした。

 

 

 

「《銀河大剣 ガイハート》……かぁ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「小鈴ちゃん、このカードどうしたの……!?」

 

 新しいデッキを作るにはカードが必要。必要なカードを買うために『Wonder Land』に来たんだけど、そこで詠さんに、剣埼先輩からもらったカードを見せたら、目を見開いて驚かれた。

 

「その、知り合いからもらって……」

「これをタダで渡す人がいるなんて信じらんない……」

「そんなに貴重なカードなんですか?」

「レアもレア、ドラゴン・サーガの最高レアリティだよ。しかも再録の新規イラストバージョン! どんなに安くても数千円は下らないんじゃないかなぁ」

「そ、そんなに……!?」

 

 思った以上に凄いカードをもらってしまった。

 それを知って、なおさら申し訳ない気持ちになるけど……

 

「……大事にしなきゃ」

「そうだね。高いだけじゃなくて強いカードだし、それでデッキを組んでみたら?」

「はい。そのつもりです」

 

 そう。

 どんなデッキを作ればいいのか、その目的がハッキリしてなかったけど、このカードを使いたいという目的ができれば、相性のいいカードは探しやすくなるって、わたしは考えた。

 先輩からもらったカードなんだし、せっかくだから、これでデッキを作ろうと思っていた。

 

「だけど、これ一枚じゃダメなんですよね?」

「そうだね。だけどそれを出すためのドラグナーは再録とか多いし、ストレージにもあるかもね」

「は、はい、探してみます……あの、探すの、手伝ってもらっていいですか?」

「勿論だよ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「えーっと、ドラグハートは龍解が大事なんだよね」

 

 とりあえず、《ガイハート》を出すためのドラグナー――《龍覇 グレンモルト》は、必要だからと四枚集めました。

 問題は、その後。このカードを使って、どうやってデッキを作るかだ。

 《ガイハート》の龍解条件は「自分のクリーチャーが攻撃する時、そのターン2度目のクリーチャー攻撃であれば、攻撃の後、このドラグハートをクリーチャー側に裏返し、アンタップする。」というものだった。

 これを要約すると、クリーチャーで二回攻撃すればいい、ってことなのかな?

 

「装備したクリーチャーはスピードアタッカーになるから、すぐに攻撃できる。ってことは、それより前にもう一体クリーチャーを出しておけば、装備したターンに龍解できるよね」

 

 S・トリガーで攻撃を止められちゃったら龍解できないけど、攻撃するだけで龍解できるなんて、簡単そう。

 

「でも、ドラグナーの《龍覇 グレンモルト》は6マナのクリーチャーかぁ」

 

 6マナっていったら、《エヴォル・ドギラゴン》もそうだった。

 だけど《ドギラゴン》は進化クリーチャーでコマンド・ドラゴンだから《B―BOY》や《コッコ・ゲット》の能力でコストを下げられた。だから結構早く出せたけど、《グレンモルト》は進化クリーチャーでもコマンド・ドラゴンでもない。

 

「《爆革命 グレンモルト》は、同じ《グレンモルト》でも両方の能力でコスト下げられたんだけどなぁ。どうしてこっちはヒューマノイド爆とドラグナーしかないんだろう」

 

 同じ名前だし、姿も同じなのに、種族が違うなんて変なの。

 変と言えば、《爆革命 グレンモルト》はどう見てもドラゴンじゃないけど……

 

「《龍覇 グレンモルト》は《トップギア》でしかコストを下げられないかぁ。そうしたら5マナだけど……」

 

 ブロッカーとかで攻撃を止められるのもヤだし、S・トリガーが出ちゃう可能性も考えると、もっと早く出したい気もする。

 《エヴォル・ドギラゴン》は出せたらすぐにTブレイクできたけど、《グレンモルト》は二回攻撃を成功させないと、切り札が出せないもんね。

 もっと素早く出すには、どうすればいいんだろう……

 

「そう言えば、みのりちゃんの切り札も6マナからだったっけ」

 

 みのりちゃんも色んなデッキを使うけど、わたしが最初に戦った、侵略と革命チェンジのデッキ。

 あの時のみのりちゃんは《リュウセイ・ジ・アース》や《メガ・カラクリ・ドラゴン》を始点に、切り札を繰り出していた。

 始点となるクリーチャーのコストは6と、ちょっと高かったけど、みのりちゃんはマナを増やして素早く出してたっけ。

 

「そうか、自然文明のマナ加速! マナを増やせば、早く切り札が出せるんだ」

 

 《トップギア》とかだと、破壊されちゃったらコストを下げられなくなって、計算を狂わされることがあるけど、マナを増やせばそういう心配もない。

 

「確かわたしも、マナを増やせるカードを持ってたはず……あ、あった。これだ!」

 

 《青銅の鎧》という緑色のカードを引っ張り出す。

 

「これならマナを増やせるし、クリーチャーも増えるから《ガイハート》を龍解しやすくなるよね」

 

 でも、一枚じゃ引けなかったらダメだから、たくさん入れないと。

 えっと、確か同じカードは最大四枚まで、だったよね。

 

「あ、でも二枚しかないや……」

 

 とんだ誤算です。

 いくらカードを漁っても《青銅の鎧》は二枚しか見つかりません。

 

「うーん、ワンダーランドに行って買ってこようかなぁ……ん? あれ?」

 

 足りないカードを買おうか考えていると、ふと別のカードが目に留まる。

 

「このカード、《青銅の鎧》とほとんど同じ能力だ……ってことは」

 

 《青銅の鎧》の代わりになる?

 どっちもコストは同じだし、マナを増やせるし、これも一緒に入れれば《青銅の鎧》と同じ役割になれるってことだよね。

 とりあえず、文明の合うカードをとにかく入れてみよう。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「うーん、なんだか上手くいかないなぁ……」

 

 とりあえず、火と自然でデッキはできたんだけど、なんだか上手くいかない。

 わたしが昔使ってたデッキと、新しいデッキ。二つのデッキを使って、一人で新しいデッキがちゃんと戦えるか、少しでもわかればいいなと思って対戦してみたけど、新しいデッキはなかなか勝てない。

 

「《グレンモルト》がやられちゃったり、引けなかったら、なにもできなくなっちゃう……」

 

 一人対戦の結果は、昔のデッキの快勝。S・トリガーで攻撃が止められて龍解できなかったり、《グレンモルト》が引けないうちに強いクリーチャーで押し切られちゃったりで、全然勝てない。

 

「もっとS・トリガーを増やそうかな……それに、《グレンモルト》だけじゃダメってことなのかな?」

 

 前のデッキは《ドギラゴン》以外にも《マッハギア》《グラップラードラゴン》《バトライオウ》などなど、強いクリーチャーはたくさんいた。それらのクリーチャーも、切り札と言って差し支えないくらいには強かった。

 《ドギラゴン》が引けなくてもそれらのクリーチャーで勝つことも少なくなかった。ということは、切り札は一種類だけじゃダメ?

 

「でも、他の切り札ってどうすればいいんだろう……」

 

 そもそも《グレンモルト》が引けなきゃダメだから、もっとドローするカードを入れた方がいいのかな?

 

「そういえば霜ちゃんもコンボする時、ドローするカードをたくさん使ってたっけ」

 

 霜ちゃんはコンボをする時、必要なカードを集めるためにドローするけど、それが大事なのはコンボだけじゃないんだ。

 どんなデッキでも、結局は切り札が引けないと勝てない。そこにコンボデッキもそうじゃないデッキも違いはない。

 だけど火と自然じゃ、ドローするカードはあんまりないし……

 

「ドローと言えば、水文明かぁ」

 

 今のデッキ水文明を入れると、文明が三つになる。

 みのりちゃんとケンカした時は四つの文明だったけど、あのデッキを使うのは凄く大変だった。

 一つに減ったとしても、普段は火文明しか使わないから、三つの文明が入ったデッキを上手く使う自信はない。二つだってちょっと戸惑うのに。

 だけど色々試した方がいいと思って、とりあえず水のカードを探してみる。

 すると、

 

「……? あれ、このカード……」

 

 また、一つのカードが目に留まる。

 

「このカード、水文明だと思って見逃してたけど、このデッキにすごく合うんじゃ……」

 

 カードの能力をよく読んでみると、色々な発見がある。

 文明は同じ文明のカードと組み合わせるばかりじゃない。わたしが今まで使ってたカードは、同じ文明どうしでサポートし合うカードばかりだったけど、違う文明をサポートするカードもある。

 本当に、わたしが知ってる世界は狭かったんだなぁ。

 

「あ、こっちも……これも、マナが増えるから出しやすいかも……でも、ちょっとカードが足りないかな……」

 

 どのカードを、どのくらいの枚数を入れたらいいのか。

 どんなカードを入れたらいいのか。

 カードを探して、作りかけのデッキからカードを抜き入れし続ける。

 それを続ければ続けるほど、完成形が遠ざかっているかのようで、迷ってしまう。

 先が見えなくて、終わりがわからなくて、足踏みしている。

 探り探りでやってるけど、それもだんだん限界かも。

 これ以上どうすればいいのかわからず、手が止まってしまう。

 完成が見えたと思ったら、それは間違いで。

 終わったと思ったら、それは失敗で。

 ゴールの見えない永遠の作業が、巡るように続いていく。

 やればやるほど思い知らされる。デッキ作りって、こんなに難しいんだって。

 

「……ちょっと、ワンダーランドに行ってみようかな」

 

 暗がりのある、息苦しい空気に耐え切れず。

 わたしは家を出た。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 何気なく『Wonder Land』に足を運んでみたら、そこには見慣れた二人組がいた。

 

「あれ? 小鈴ちゃん?」

「やぁ、奇遇だね、小鈴」

「みのりちゃん、霜ちゃん……どうしてここに?」

「どうしてもこうしても、カードを買いに来たんだよ。そしたら彼女とたまたま会って」

「私は暇潰しかなぁ。家にいても退屈だし、新しいデッキ組んだから、フリーで試しつつ遊ぼうと思って来たら、水早君と出会ったってわけ」

 

 みのりちゃんと霜ちゃんは、対戦スペースで向かい合って、デュエマをしていた。

 まだ始まったばかりみたいで、どっちもクリーチャーやマナの数は少ない。

 

「はい、じゃあ《ボルシェ》で攻撃する時に革命チェンジね、《シン・ガイギンガ》だよ」

「厄介だな。処理したいけど、選べない……トリガーは、《エマージェンシー・タイフーン》だ。二枚引いて一枚捨てるよ」

「《ガイギンガ》……?」

 

 みのりちゃんが出したクリーチャーに目が留まった。

 それは、わたしが切り札にしようとしていたカードとよく似ている。けど、違うカードみたいだ。

 

「みのりちゃん、それ……」

「ん? 《シン・ガイギンガ》のこと?」

「うん、ちょっとそれ、見せてもらっていいかな?」

「いいよ。はい」

 

 外野がデュエマを中断させちゃって申し訳ないんだけど、どうしても気になって、そのカードを見せてもらった。

 

(《ガイギンガ》と似てる、っていうかほとんど同じ能力だ……)

 

 ドラグハートか普通のクリーチャーか、登場時の能力があるか革命チェンジがあるか、細かい違いはあるけど、わたしの持ってる《ガイギンガ》とかなり似たスペックのクリーチャーだ。

 もしかしたら、このカードから、なにかヒントが得られるかも。

 

「みのりちゃん。これ、どう使ってるの?」

「どうって、革命チェンジのギミックがあるから、素早くドラゴン出して殴る切るだけだよ。《ボルシェ》が使いたいからマナ加速じゃなくてコスト軽減の《トップギア》と《トップラサス》を入れてるけど、安定性を考えるなら加速でマナ伸ばして、横に展開が理想だよね。《ガイギンガ》は単騎で切り込むより、他のクリーチャーを並べて殴った方が強いと思うんだ。まあ、このデッキは展開よりも速度を重視してるんだけど」

 

 やっぱり、マナ加速が大事なんだ。

 ってことは、自然文明を入れようとしたのは、正解だったかな。

 

「ほぼアンタッチャブルみたいなもんだし、早い段階で殴られるとなかなかきついんだよね」

「速度特化は伊達じゃないんだよねぇ。3ターン目の《シン・ガイギンガ》の恐ろしさを体感するといいよ」

「3ターン目のアンタッチャブルくらいどうってことないね。それならこっちは4ターンキルだ。ボクのターン。マナチャージして、1マナで《死神術士デスマーチ》を墓地進化で召喚。進化元は《ヘヴィ・デス・メタル》だよ」

「あ、もう揃ってるんだ……」

「さらに3マナ《龍脈術 落城の計》だ。《デスマーチ》を手札に戻すよ」

「せっかく出したのに、戻しちゃうの?」

 

 あれ? だけど霜ちゃん、進化元にしたクリーチャー戻し忘れてる。

 それを指摘したら、みのりちゃんは、

 

「小鈴ちゃん、これはね。退化っていうギミックなんだよ」

「退化?」

「進化の逆だよ。進化クリーチャーの一番上を剥がして、進化元を残すテクニックさ」

「? クリーチャーを手札に戻すのに、一番上を剥がす? 進化クリーチャーって、場を離れると進化元と一緒に移動するんだよね?」

「クリーチャー指定のカードならね。《落城の計》はクリーチャーを手札に戻すんじゃなくて、カードを戻すんだ。進化“クリーチャー”を指定する場合は、進化元とセットで一枚のクリーチャーだけど、“カード”指定する場合は進化クリーチャーと進化元は別々のカード扱いなのさ」

「だから一番上だけ剥がせるってわけ。にしても、もうダメかもね、これは」

「これでボクの場には《ヘヴィ・デス・メタル》が残った。《ヘヴィ・デス・メタル》はスピードアタッカーでワールドブレイカーだ。全部のシールドをブレイクするよ」

「あー、トリガー……あった、《ブルトラプス》! 《アツト》をマナに送るよ」

「凌がれたか……ターン終了」

「もう殴り切るしかないね。《ハムカツマン》を召喚して攻撃、革命チェンジで《ブリキング》を出すよ」

「三体並んだか。ここでトリガー引けないと、厳しいな……」

 

 退化というコンボで、みのりちゃんを追いつめる霜ちゃん。

 また、霜ちゃんはわたしの知らないコンボを見せてくれる。

 みのりちゃんは《シン・ガイギンガ》と共に、そんな霜ちゃんに食らいつく。

 

「……二人とも、すごいね」

「なにが?」

「だって、一人でデッキを考えて、一人で作っちゃうんだもん」

 

 わたしが一人でデッキを作ろうとしても、全然うまくいかない。

 なにをどうしたらいいのかわからないし、なにかをどうにかしようとしても、失敗してる。

 だけど二人は、いつもいつも、新しいデッキ、新しいコンボを見せてくれる。

 純粋にすごいと思うし、羨ましい。

 

「別に凄いことなんて一つもないよ。ボクらはただ、デッキを作るのが好きなだけだ」

「そうそう。それに、日向さんやユーリアさんみたいに、一つのデッキへの執着が薄いんだよね、どうにも」

「飽きっぽいとも言えるね」

「そんな風に言われるのは心外だけど、否定できないなぁ」

「……でも、やっぱりすごいよ。わたしは二人の作るデッキに、驚きっぱなしだもん。それに、一人でこんなにすごいデッキをたくさん作れるんだから」

 

 わたしがそう言うと、二人はお互いに目を見合わせていた。

 そして、今度は二人で、わたしをまっすぐに見つめる。

 

「凄い凄いって何度も言うけど、ボクらはただ、ボクらのしたいことを、したいようにしてるだけだよ」

「したいことを、したいように……?」

「カードが持っている可能性。それをどう広げるか。どんな可能性が眠っていて、それがどう作用するのかを考える。ボクらがデッキを作るのは、その思考と、それらが生み出す発見が、たまらなく楽しいから。ただ、それだけだ」

「それにね、小鈴ちゃん。私たちだって、いつもいつも思い通りのデッキが組めているわけじゃないんだよ」

「え? そうなの?」

「当然だよ。たとえばこの落城退化デッキは、そもそもボクが発案したデッキじゃない。ボクなんかよりもずっと早く、この仕組みを考えて、デッキにして、強いということを証明した人がいる。ボクはその発想を借りてデッキを組んだだけに過ぎないんだ」

「私のこのデッキも、だいぶ形にはなったけど、まだ満足する出来じゃないよ。弱点も欠点も改善点も、たくさんある。もっと序盤をスムーズに動かしたいとか、横並びに展開したいとか思ってるけど、全然うまくいかないの」

「だけどその試行錯誤が楽しいし、その過程で新たな発見もある。なにより、自分の考えた自分が理想とする動きがスムーズにできた時の嬉しさは、言葉にし難いほど至上のものだよ。その快感を得るために、デッキを組んでいると言っても過言ではないね」

 

 楽しいからやっている。それは、酷く単純で当然の気持ちだった。

 今まで見たすごいデッキのすべてが、そんな簡単な理由で作られていたと思うと、拍子抜けする。

 

「だからつまり、なにが言いたいかって言うとね」

「自由にやればいいよ。デッキビルディングに完成はないし、完璧もない。それゆえに正解もない。目指すは最上だが、それはあくまでも目標でしかない。本質的に、ベターはあってもベストはないんだ」

「悩みすぎて止まっちゃうくらいなら、思い切ってなんでもやってみよう。失敗したらやり直せばいいんだから。自分が納得するまで、何度でも何度でも、繰り返せばいいの」

「調整相手が欲しかった、いつでも呼んでくれ。友達なんだから、一緒に遊ぶくらい、なんてことない」

「そうだね。私なんて家に一人で暇だし、毎日遊びに来てもいいよ」

「みのりちゃん、霜ちゃん……」

 

 言われて、気づいた。

 わたしは、少し気負いすぎていたのかもしれない。

 デッキを作るって、すごく難しいことだと思ってたけど、そうじゃない。

 デュエマでデッキを作るって、とてもありふれたことなんだ。

 対戦するだけじゃなくて、デッキを作るということも、デュエマの在り方の一つで、それは特別なことじゃない。

 難しく考えることも、深みにはまって思い悩むこともなくて。

 ただ楽しい、そうしたい、そんな単純な気持ちでいればいいんだ。

 自分のやりたいように、何度でも、何度でも。

 やっぱり、みのりちゃんと霜ちゃんは、すごいや。

 わたしに、また新しいことを教えてくれた。

 言葉にならないくらいの感謝が込み上げるけど、これはちゃんと、言葉にしないといけないよね。

 みのりちゃん、霜ちゃん――

 

 

 

「――ありがとう」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ぼ、帽子屋さん……な、なんの用、でしょうか……?」

「大した用事ではない。貴様、今は暇だろう?」

「え、えぇ、まぁ……暇と言えば、ひ、暇かも、しれませんけど……」

「ならば遣いを頼もう。件のアリスの下へな」

「そ、それって、例の、聖獣について……?」

「その通りだ」

「代わりが利かないのは、だ、大事、ですものね……で、でも、アタシで、いいんですか……? いくらでも代えが利くような、アタシ、なんかで……?」

「そう卑下するな。貴様の能力は素晴らしいものだ。貴様に代わりなどいない」

「そ、そんなこと……」

「なに、そう気負う必要もあるまい。少しばかりちょっかいを出せというだけだ。兎にも角にも、再び聖獣の姿を確認せねば話にならん。奴がアリスと密接に関わっていることは確かなはずなのだが、両者を引き寄せる条件が不明瞭なのだ」

「……な、なんだか、大変、ですね……回りくどい、と、い、いいますか……」

「回りくどい。それもそうだ。だがしかし、仕方あるまい。この好機はものにせねばならないが、そのための手段は暗闇の中だ。手探りで挑み、あらゆる可能性を模索するのは必然である」

「えっと……な、成程。それなら確かに、代用品のアタシでも、務められそう、です……」

「だから卑下するなと言っているだろう。今度の茶会の席、貴様のカップにだけ水銀でも混ぜるか?」

「そ、それは……や、やめてほしい、です……」

「我々の弱小さを考えれば、ネガティブになるのもわかるがな。あまりに迂遠で、不確定で、不確実だ。微かな光に縋るようなものだ。それでも、そこに僅かな希望があるのなら、求めずにはいられんよ。我々は、そういう存在だ」

「……わ、わかって、います……」

「これは無意識にして気まぐれの布石。勝利も敗北も関係ない。ただ貴様は、アリスを惑わせ、聖獣との因果を繋げるだけでいい。アリスとの縁を辿ってな。そう、これは迷えるアリスと、奇跡の聖獣と、我々を繋ぐ縁を紡ぐための一手だ。だから、頼んだぞ」

「は、はい……わかり、ました」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「で、できた……っ!」

 

 あれから数日。

 思いつく限りのカードを入れたり抜いたりして、遂にデッキが完成した。

 結局、デッキを作る過程でみのりちゃんや霜ちゃんと対戦はしなかったけど、一人対戦ではかなり勝てるようになったし、これでひとまず完成でいいと思う。

 

「とりあえず、誰かと対戦したいけど……」

 

 今日はみんなが集まれる日じゃない。みんなとのデュエマはできないかな。

 連絡も取ってみたけど、今日はみんな、用事があるみたい。

 

「そういえば、みのりちゃんはフリースペースで新しく作ったデッキを試してるって、言ってたっけ」

 

 知らない人とデュエマするのは、少し緊張するけど、今のわたしはそんな緊張には縛られない。今すぐにでも、完成したこのデッキでデュエマしたい。

 そう思ったら止まらなかった。

 わたしはデッキを持って、すぐに家を出る。

 向かう先はもちろん、カードショップ『Wonder Land』だ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 とにかくデュエマがしたい。今までにないくらい、わたしの気持ちは熱く、盛り上がっている。

 デュエマができるなら、クリーチャーでもなんでもいい。鳥さんがやって来たりしないかなぁ、なんて、いつもなら絶対に思わないようなことも考えている自分がいた。

 こんな自分は初めてだよ。自分でもそう思う。

 

「もうちょっと……なんかうずうずしてきたなぁ」

 

 『Wonder Land』までもう少し。もう少しで、この新しいデッキでデュエマができる。

 そう思って一歩一歩を踏み出す、その時。

 

「あのぅ……」

「へ? はい……?」

 

 急に、声をかけられた。

 振り返ると、そこには、わたしと同い年ぐらい? のリュックサックを背負った女の子が立っていた。

 タートルネックのTシャツに、緑色のパーカーをフードまで被っている。フードには、耳? 角? どっちなのかよくわからないけど、それらが突き出た、それっぽいデザインになっている。

 なんというか、ちょっと夏には暑そうな格好だなぁ。

 

「な、なんでしょう……?」

「…………」

「…………」

「……はうぅ」

 

 な、なんだろう、この子……

 目線も合わせてくれないし、なんというか、おどおどしてて、挙動不審だ。

 

「やっぱり、緊張します、怖いです……あ、アタシの代わりなんて、いくらでもいるのに、な、なんでアタシなんかを……い、いえ、やっぱり、代えがあるからこそ、でしょうか……」

「……?」

「うぅ、で、でも、代わりがいるのに、アタシを選んでくれたのは、純粋に嬉しいから、頑張らなきゃです……」

 

 なにか、一人でぶつぶつ言ってるけど、大丈夫かな。

 わたしも人見知りするし、独り言もよく言うけど、ここまでじゃない。

 

「そのぉ……あのぅ、お、お尋ねしたいことと、いいますか……」

「はぁ……」

「たぶん、もう、き、聞いてると思うんですけど……」

「はい……」

「せ、聖獣の居場所を、し、知りたくって……」

「えぇ……え?」

 

 思わず、聞き返してしまった。

 

「聖獣って……あなた、まさか……」

「あ、はい、も、申し遅れました……ごめんなさい。アタシ、【不思議な国の住人】で……帽子屋さんの、つ、遣いの者で……その、だ、『代用ウミガメ』、です……」

「だ、代用? ウミガメ? カメ……?」

「はい……どうせアタシなんて、いくらでも代わりがいるような、だ、代用品なので……全然大したことないんですけど……名前を覚える価値なんてないので、気にしないでください……」

 

 気にしないでくださいって、気にしないわけないよ。

 【不思議な国の住人】。それは、あの帽子屋さんの仲間って意味なんだから。

 

「そ、それで、帽子屋さんのお遣いの人が、なんの用……?」

「あぁ、えっと、それはさっき言ったように、聖獣の居所が知りたくて、ですね……」

「それは知らないって、何度も言ったんだけど……」

「で、ですが、アタシは帽子屋さんにそう言われて来たので……あ、いえ、厳密には、あなたにちょっかいを出して、縁を結ぶとか、因果を形成するとか、そんな感じらしいんですが、よくわからなくて……その、あ、アタシは、代用品は代用品らしく、言われたことしかできないんです……愚図で無能でごめんなさい……」

「…………」

 

 なんか、変わった子だなぁ。

 帽子屋さんはすごい自信満々な態度だったけど、この子は真逆だ。

 驚くほど自己肯定感が低くて、卑屈だ。自虐的とさえ言える。

 

「うぅ、もしもこのお遣いで、し、失敗したら、アタシ、首を切られちゃうかもなんです……しょせん代用品のアタシは、失敗したら捨てられちゃうかもしれないんです……うぅ……」

(なんだかやりにくいなぁ……)

 

 泣き落とされようとしているような気分になる。

 慰めてあげたいけど、聖獣? っていうのの居場所を、わたしは知らないし、どうしようもない。

 

「……え、えぇっと、その、なので……お願い、します、ね?」

「え?」

「……ちょっと、ま、待っててください……」

 

 『代用ウミガメ』さん――長いから、カメさんって呼ぼう――カメさんは、背負ったリュックサックを降ろした。

 よく見れば、それもカメの甲羅みたいなデザインになってる。どこまでもカメさんだった。

 カメさんはリュックサックからなにかを取り出すと、背負い直す。

 そして、

 

「しょ、勝負です……っ!」

「デュエマ……」

 

 カメさんは、カードの束を突き出した。

 うーん、なんでこうなるのか、さっぱりわからないけど、

 

(新しいデッキを試すチャンスと考えれば、悪くない、のかな……?)

 

 なんだかんだ言っても、まだちゃんとした実戦を経てないから、不安もあるけど。

 でもこのデッキは自信作だ。不思議と、あんまり負ける気はしなかった。

 

「わかったよ。その勝負、受けるよ」

「あ、ありがとうございます……え、えっと、では……」

 

 その時。

 ふわっと、どこか奇妙でおかしな感覚に、身体が包み込まれる。

 まるで、クリーチャーと戦う時のような、あの感覚に。

 

 

 

「よ、ようこそ……不思議の世界へ――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 カメさんとのデュエマ。

 まだどっちもシールドは五枚あって、わたしの4ターン目。

 わたしは《風の1号 ハムカツマン》でマナを増やしている。カメさんは、見たことない種族のクリーチャーを並べていた。

 メタリカ……? 宝石みたいなクリーチャーと、土でできた巨人のようなクリーチャー――まるでお話の中に出て来る土人形、ゴーレムみたいだ――を召喚している。

 

「マナチャージ! 5マナで《飛散する斧 プロメテウス》を召喚だよ! マナを二枚増やして、マナのカードを手札に戻すよ! 戻すのは《超電磁コスモ・セブΛ(ラムダ)》!」

「あ、アタシのターンです……えっと、では……《一番隊 クリスタ》の能力でコストを1軽減して……《青守銀 ルヴォワ》を召喚します……《ルヴォワ》の能力で、《ルヴォワ》をタップ……そちらの《プロメテウス》も、た、タップします……そして《土の怒り 岩砕》で、《プロメテウス》を攻撃です……」

「《プロメテウス》がやられちゃった……」

「それだけじゃ、ないです……《岩砕》がバトルに勝ったので、し、シールドを一枚、増やします……ターンエンド、です……ごめんなさい」

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:《ハムカツマン》

盾:5

マナ:6

手札:3

墓地:1

山札:24

 

 

代用ウミガメ

場:《クリスタ》《岩砕》《ルヴォワ》

盾:6

マナ:4

手札:2

墓地:0

山札:25

 

 

 

 

「わたしのターン……よし、ここは行くよ! 5マナで《ハムカツマン》を進化! 《超電磁コスモ・セブΛ》!」

 

 これが、このデッキのもう一つの切り札だよ。

 

「《コスモ・セブΛ》は水文明だけど、火か自然のクリーチャーから進化できるよ! そして攻撃するとき、メテオバーンで進化元の《ハムカツマン》を墓地に送って三枚ドロー!」

 

 進化クリーチャーだからすぐに攻撃できるだけじゃなくて、攻撃しながら三枚ドローできるから、他の切り札も引き込める。

 火文明だけだったり、火と自然のデッキだとすぐに手札がなくなっちゃってたけど、このクリーチャーを入れてから手札もたくさん増えるようになった。ここからどんどん攻めるよ!

 

「行って! 《岩砕》を攻撃!」

「あ……う、うーん……で、では《ルヴォワ》の能力を使います……《ルヴォワ》をアンタップして、攻撃先を《ルヴォワ》に変更します……」

「えぇ!? そ、そんなことが……」

「は、はい……アタシなんかが、小賢しいことして、ごめんなさい……」

 

 目を伏せて謝るカメさん。そんな風に謝られると、ちょっと罪悪感が……

 

「アタシのターンですね……《クリスタ》の能力でコストを下げて、3マナで《龍装者 バーナイン》を召喚です……《バーナイン》の能力で、自身かメタリカが出るたびに、カードを一枚、ど、ドローできます……さらに2マナで《緑知銀 フェイウォン》を召喚……自身をタップしてドロー、《バーナイン》の能力でもドローします……」

「クリーチャーが二体……!」

「え、えっと、えとえと……で、では《岩砕》で攻撃します……《岩砕》はラビリンスが発動してますね……」

「ラビリンス?」

「あ、説明忘れてました……ご、ごめんなさい……その、ラビリンスというのは、自分のシールドが、相手よりも多い時に発動する、の、能力です……」

 

 わたしのシールドは五枚。カメさんのシールドは六枚。

 カメさんの言う通り、わたしのシールドよりもカメさんのシールドが多かった。

 

「《岩砕》はラビリンスが発動すると……パワーがプラス3000されて、だ、Wブレイカーに、なります……」

「え、Wブレイカー!?」

「は、はい……なので、Wブレイクです、ごめんなさい……っ」

 

 直後、巨人の拳が振り下ろされて、わたしのシールドが二枚、砕け散る。

 これでシールド差が一気に開いちゃった……だけど、

 

「S・トリガー発動! 《破壊者 シュトルム》を召喚だよ!」

「ふぇ? あうぅ、それは困ります……」

「《シュトルム》の能力で、相手クリーチャーのパワーが6000以下になるように好きな数破壊できるから……《クリスタ》《バーナイン》《フェイフォン》を破壊!」

 

 《クリスタ》は2000、《バーナイン》は2500、《フェイウォン》は1500だから、合計パワーはピッタリ6000。

 まとめて破壊だよっ。

 

「た、大変なことになってしまいましたけど……どうせ、代わりはたくさんいますし……た、ターンエンドです……」

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《コスモ・セブΛ》《シュトルム》

盾:3

マナ:7

手札:6

墓地:2

山札:20

 

 

代用ウミガメ

場:《岩砕》

盾:6

マナ:5

手札:3

墓地:4

山札:21

 

 

 

 これでカメさんのクリーチャーは《岩砕》だけ。シールドの枚数では不利だけど、バトルゾーンではわたしが有利。

 

「わたしのターン! ターンの初めに《コスモ・セブΛ》の下にカードを置けるよ……《爆竜GENJI(ゲンジ)XX(ダブルクロス)》を置いて、ドロー、マナチャージ!」

 

 マナにカードを置いて、これで8マナだから……行けるね。

 

「3マナで呪文《龍脈術 落城の計》! コスト6以下のカードを手札に戻すよ!」

「《岩砕》が、も、戻されてしまいますか……代わりは多いので、構いませんけど……」

「いいや、戻すのはそれじゃないよ! わたしが戻すのは、《コスモ・セブΛ》!」

「ふぇ……?」

 

 カメさんがキョトンとしている。

 霜ちゃんみたいに派手じゃないけど、わたしにもコンボらしきものはできる。

 わたしが考えたわけじゃないけど、これが、わたしが知識として得たコンボだよ。

 

「《落城の計》の効果で戻すのは“カード”だから、進化元はそのまま残る。だから《コスモ・セブΛ》の下に置いた《爆竜GENJI・XX》が場に残るよ!」

「た、退化ですか……」

「さらに5マナで《シュトルム》を《コスモ・セブΛ》に進化! 《コスモ・セブΛ》で《岩砕》を攻撃する時、メテオバーンで進化元を墓地に置いて三枚ドロー!」

「あわわですね……クリーチャーがいなくなっちゃいました……」

「続けて《GENJI・XX》でもWブレイク!」

 

 これでカメさんのシールドは四枚。追いついてきたよ。

 

「! S・トリガー、ごめんなさい……《青守銀 ルヴォワ》を召喚します……!」

「む、わたしはターン終了だよ」

 

 S・トリガーでクリーチャーが出ても、わたしの場には《GENJI・XX》と《コスモ・セブΛ》がいる。

 《ルヴォワ》で攻撃先を変更できるとしても、このまま攻め続ければ、押し切れそう。

 

「アタシのターンです……えっと、じゃあ、これで……《ルヴォワ》をNEO進化……《星の導き 翔天》を召喚です……!」

「ね、NEO進化……?」

 

 カメさんの手から、新しいクリーチャーが出て来るけど……そのクリーチャーは《ルヴォワ》の上に重ねられる。

 まるで、進化クリーチャーを出すみたいに。

 

「NEO進化は、進化じゃないクリーチャーなんですけど……場のクリーチャーの上に、し、進化クリーチャーとして重ねることも、できるんです……」

「進化クリーチャーとしても、進化じゃないクリーチャーとしても出せるんだ……」

「で、では、《翔天》で攻撃します……し、シールドを、ブレイクです……」

「……トリガーはないよ」

「では、ターンエンドです……」

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《GENJI・XX》《コスモ・セブΛ》

盾:2

マナ:8

手札:8

墓地:4

山札:16

 

 

代用ウミガメ

場:《翔天》

盾:4

マナ:6

手札:3

墓地:5

山札:20

 

 

 

 進化クリーチャーとしても出せるっていうから、もっと強いと思ったけど、意外にも《翔天》はシールドを一枚ブレイクしただけだった。Wブレイカーでもないんだ。

 わたしもよく進化クリーチャーを使うけど、進化クリーチャーってもっとパワフルで強いイメージがあったから、少し肩透かしというか。

 でも、それならそれで好都合だよ。

 

「わたしのターン。《コスモ・セブΛ》の下に《ジョニーウォーカー》を置くよ」

「あ、あの……ごめんなさい、いいですか……?」

「え? な、なに?」

「相手ターンの初めに、《翔天》がタップされているので……その、の、能力が、発動します……」

 

 突如、《翔天》から光が迸る。

 肩透かしとか言っちゃったけど、それは、わたしの思い違いだった。

 《星の導き 翔天》の本当の力は、ここで発揮される。

 

「《翔天》の能力で、手札からコスト8以下の光のクリーチャーを……た、タダで、場に出せます……」

「えぇ!?」

「なので、すいません……迷宮入りです……」

 

 そして、カメさんの手札から、新たなクリーチャーが現れる。

 

 

 

「《大迷宮亀 ワンダー・タートル》をバトルゾーンに……!」

 

 

 

 《翔天》の光に導かれて、大地から巨大なカメが姿を現した。

 宝石のようにキラキラと煌めいて、背中の甲羅は迷路のよう、尻尾の先は砂時計。

 とても不思議な姿をした、カメさんだった。

 

「《ワンダー・タートル》の、ら、ラビリンス発動です……このターン、アタシのクリーチャーは、場を離れません……」

「そ、そんな……」

 

 場を離れないってことは、《翔天》を破壊することもできない。もちろん、《ワンダー・タートル》自身も。

 これは、ちょっと困ったかも……

 

「いきなり大きなクリーチャーが出たけど……これだけマナと手札があれば、行けるはず……マナチャージして《青銅の鎧》を召喚だよ。一枚マナを増やして、《プロメテウス》も召喚。マナを二枚増やして、マナから《グレンモルト》を手札に加えるよ」

 

 やっと来てくれた《グレンモルト》。

 引くまで随分と時間がかかったけど、これがあれば、次のターンから一気に勝負を決められるはず。

 

「じゃあ、《コスモ・セブΛ》で攻撃する時、メテオバーン発動! 三枚ドローするよ!」

「あ……その攻撃は、《翔天》の能力で……攻撃先を、曲げます……」

「え!? そのクリーチャーもそれできるの!?」

「は、はい、ごめんなさい、言ってなくて……攻撃先を《ワンダー・タートル》に変更です……」

 

 《翔天》は起き上がると、《コスモ・セブΛ》を竜巻のような見えない力で引き寄せる。

 引き寄せられた先は、正に迷宮。高い壁がそびえ立ち、不規則に曲がりくねっている。

 とても抜け出せそうな気がしない、複雑怪奇な大迷宮だった。

 

「代わりに、お、お願いします……《ワンダー・タートル》」

 

 迷宮に迷い込んだ《コスモ・セブΛ》に、大きなカメが這い寄る――《ワンダー・タートル》だ。

 その存在に気付いた時には、もう遅い。

 侵入者を排除すると言わんばかりに、迷宮の番人は《コスモ・セブΛ》を押し潰してしまった。

 

「《コスモ・セブΛ》が……!」

「そ、それだけじゃ、ありませんよ……《ワンダー・タートル》がバトルに勝ったので、や、山札の上から四枚を見ます……その中から、コスト6以下の光のクリーチャーを一体、場に出します……」

「クリーチャーも出るの!?」

「はい……じゃあ、《フェイウォン》を、場に出します……自身をタップして、一枚ドローです……あ、《フェイウォン》も攻撃を曲げられるので、お、お気をつけて……」

 

 ってことは、《GENJI・XX》が攻撃しても、その攻撃は《ワンダー・タートル》に引き寄せられてしまう。

 そうなったら《GENJI・XX》も破壊されて、またクリーチャーが出ちゃう。

 

「あぁ、もう一つ言い忘れてました……わ、《ワンダー・タートル》の能力で、もし、あなたが攻撃しなかったら、そのターンの終わりにクリーチャーをすべてタップするので、その、ご注意ください……」

「そんな能力まで……」

 

 その能力があるなら、攻撃を曲げられても、このターン攻撃したのは正解だったかもしれない。

 だけど、だからといって安心はできない。

 《翔天》に《ワンダー・タートル》。それらの存在のせいで、わたしは自由に攻撃ができない。

 攻撃しようとしても、その攻撃は思い通りの方向にはいかない。攻撃しなかったら、クリーチャーが寝かされちゃう。

 攻撃すればいいのか、攻撃してはいけないのか、どこを攻撃すればいいのか、どこに攻撃が向かうのか、まるでわからない。

 なにをすればいいのかわからず、わたしは迷ってしまう。

 カメさんの創り出した、この迷宮に。

 

「小さなアリスさん……かわいそうですが、あなたはもう、迷宮入りしてます……複雑怪奇な迷路を、あっちへこっちへ駆けまわり……右も左も行き止まり、前と後ろは無限回廊……迷って巡って出口を探して……がんばって、くださいね……」

 

 カメさんの声が、こだまするように聞こえる。

 クリーチャーも、カメさん自身も、すべては見えているはずなのに、視界が狭く感じる。

 なにも見通せないかのような気分で、このバトルゾーンは狭く広がっていた。

 本当に、迷宮に迷い込んだみたいだ……

 

「……ターン終了だよ」

「アタシのターンですね……う、うーん、とりあえず、盤面を、取りたいですね……マナチャージして、7マナです……呪文《ノヴァルティ・アメイズ》……相手クリーチャーを、す、すべてタップします……」

「っ!」

 

 上空に浮かぶ宝石から、眩い光が放たれる。

 その光を浴びて、わたしのクリーチャーがすべてタップされてしまった。

 

「《ワンダー・タートル》で《GENJI・XX》を攻撃……は、破壊です……バトルに勝ったので、四枚見ます……《バーナイン》を出して、一枚ドロー……」

「《GENJI・XX》が……それに、クリーチャーがまた出て来た……」

「破壊されても、か、代わりのクリーチャーは、たくさん出せるので……《翔天》と《フェイウォン》でも、それぞれ《青銅の鎧》と《プロメテウス》に攻撃です……ターンエンドです……」

 

 

 

ターン6

 

小鈴

場:なし

盾:2

マナ:11

手札:9

墓地:9

山札:9

 

 

代用ウミガメ

場:《翔天》《ワンダー・タートル》《フェイフォン》《バーナイン》

盾:4

マナ:7

手札:3

墓地:6

山札:16

 

 

 

「わ、わたしのターン……」

 

 こ、これは、まずいよ……

 わたしのクリーチャーはどんどん破壊されて、カメさんのクリーチャーはどんどん増える。

 ただでさえダイレクトアタックされそうなのに、さらにクリーチャーが増えて、どうしようもなくなりそう。

 ……だけど。

 

(きついけど、このターンが来てよかった……これならまだ、“あのクリーチャー”でなんとかなりそう……)

 

 まだ負けない。

 “あのクリーチャー”なら、この状況もひっくり返せるはず。

 

「えっと、じゃあ、《翔天》の能力発動です……」

「あ、そうだったね。忘れてたよ……」

 

 これでまた《ワンダー・タートル》が出てきたら、それこそまずい。

 またクリーチャーを倒せなくなっちゃうけど……

 

「《翔天》の能力で、《光器ペトローバ》をバトルゾーンに……」

 

 出て来たのは、《ワンダー・タートル》ではなかった。

 コスト5のクリーチャーだけど、あれはなんだろう? 初めて見る。

 どこか機械的だけど、女性のような姿をしていて、綺麗なクリーチャーだ。

 

「《ペトローバ》が場に出た時、種族を一つ選びます……アタシはメタリカを選びます……」

「選んだら、どうなるの……?」

「選んだ種族のクリーチャー、すべてのパワーが……4000プラスされます……」

「え!?」

「迷路の壁を、補強する、ようなもの、なので……き、気にしないでください……」

 

 気にしないわけにはいかない。それは、わたしにとっては大きなことだ。

 《ペトローバ》が放つ光によって、カメさんのほとんどのクリーチャーが、一斉に強化される。

 パワーが13000もある《ワンダー・タートル》のパワーはさらに強化されて、17000だ。

 

(パワーが上がった……! これじゃ、“あのクリーチャー”を出せない……)

 

 二体目の《ワンダー・タートル》も困るけど、このクリーチャーはそれ以上に厄介かもしれない。

 常にパワーを上げ続けるんじゃ、あのクリーチャーを退かさない限り、わたしの秘策が使えない。

 

「! やった、引けた……4マナで《双勇(ダブルヒーロー) ボスカツ(ナックル)&カツえもん(ソード)》を召喚! 《ペトローバ》とバトルするよ!」

「あ、それはできないです……ごめんなさい、《ペトローバ》はカードの効果で、え、選ばれないので……」

「そ、そうなの?」

「はい……代わりはたくさんいますけど、場持ちはとてもいいんです……」

 

 それじゃあ、ますます厄介だよ。退かす手段がないなんて……

 

「……じゃあ、《フェイウォン》とバトルするよ」

「《フェイウォン》のパワーは、《ペトローバ》で強化されて5500ですが……」

「《ボスカツ闘&カツえもん武》のパワーはバトル中3000プラスされるから、パワー6000、《フェイウォン》を破壊するよ」

 

 とりあえず《フェイウォン》は破壊したけど、焼け石に水という気がしてならない。

 次のターンには、たぶんダイレクトアタックされてしまう。

 

「でも、できることだけはやらなきゃ……さらに8マナ! 《サイバー・G・ホーガン》召喚! 激流連鎖で山札をめくるよ!」

 

 思った以上に対戦が長引いて、マナもかなり増えた。

 これで、なにか逆転に繋がるようなクリーチャーが捲れたらいいんだけど……

 

「《龍覇 グレンモルト》と《終末の時計 ザ・クロック》をバトルゾーンへ!」

 

 捲れたのは、確かにこのデッキの切り札だけど、この状況を打開できるクリーチャーではなかった。

 

「《グレンモルト》の能力で《銀河大剣 ガイハート》を装備。さらに《クロック》の能力で、このターンを終了させるよ」

「あぁ……ターンが強制終了してしまったので、《ワンダー・タートル》の能力が使えません……」

 

 とりあえず、できる限りクリーチャーを並べて、カメさんのターン。

 わたしが信じられるのはもう、S・トリガーだけ。

 ここでどうにかしないと……

 

「……はぁ、もう、いいでしょうか……だ、代用品のわりには、がんばったと、思うのです……アタシのターンです……」

 

 カメさんは、わたしにとどめを刺すべく、このターン決めにかかる。

 

「《クリスタ》を召喚、《バーナイン》の能力でドローです……《岩砕》を召喚してドロー、《アクロアイト》も召喚です……」

 

 クリーチャーを並べるけど、それは形だけ。

 わたしを倒すのは、既に場に出ているクリーチャーだけで、十分だ。

 

「では、お願いします……《ワンダー・タートル》で……シールドをTブレイクです……」

 

 巨大なカメの一撃が、残ったわたしのシールドをすべて粉砕する。

 ここで引かなきゃ、負けちゃう……お願い、来て……!

 

「……! S・トリガー! 《ドンドン吸い込むナウ》! 山札を五枚見て……《葉嵐類 ブルトラプス》を手札に! 自然のカードを手札に加えたから、《翔天》を手札に戻すよ!」

「でも、《ペトローバ》がいるので……ダイレクトアタック、しちゃいますね……」

「それも止めるよ! もう一枚S・トリガー! 《クロック》! このターンはこれで終わり!」

 

 

 

ターン7

 

小鈴

場:《ボスカツ闘&カツえもん武》《ホーガン》《グレンモルト+ガイハート》《クロック》×2

盾:0

マナ:12

手札:8

墓地:10

山札:5

 

 

代用ウミガメ

場:《ワンダー・タートル》《バーナイン》《クリスタ》《岩砕》《アクロアイト》

盾:4

マナ:8

手札:3

墓地:8

山札:11

 

 

 

「あぁ、二枚もトリガーでしたか……《翔天》いなくなっちゃいましたし、アタシも、トリガー引かないと、ちょ、ちょっと、まずい、です……」

 

 なんとか生き延びた……《クロック》、本当に強いS・トリガーだよ。これだけクリーチャーがいる状況でも、耐えられるんだもん。

 それに、《翔天》も退かせたお陰で、もう攻撃を曲げられることもなく、一気に攻められる。

 

「……よし」

 

 ……だけど。

 その前に、やることがある。

 

「《龍覇 グレンモルト》を召喚! 《熱血剣 グリージー・ホーン》を装備!」

「……? 今さら、《グレンモルト》、ですか……? しかも、《グリージー・ホーン》……?」

「それだけじゃないよ! この《グレンモルト》を……進化!」

 

 やっと出せる。

 いくら新しいデッキを作るっていっても、デッキを変えるとしても、このクリーチャーだけは抜きたくなかった。

 それはわたしのエゴで、ワガママなだけだと思ったけど。

 そのエゴとワガママが、今ここで、意味をなす。

 NEO進化なんて特別なものじゃないけど、わたしのとっての、特別がここにある。

 

(わたしも、やりたいように、やりたいことをするんだ……!)

 

 迷宮なんて関係ない。

 最初は迷ったけど、やっぱりこのクリーチャーをデッキに入れたかった。

 もう迷いはない。《グレンモルト》の上に重ねて、進化する。

 

 

 

「お願い、力を貸して――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 それは、わたしの切り札。不変のエース。

 デッキを変えても、このカードだけは、変えられなかった。思い出のカード。

 だってこれは、先輩が初めてくれたデッキの、初めての切り札、だから。

 

「ふぇ……? 《ドギラゴン》ですか……!?」

「ただの《ドギラゴン》じゃないよ。この《ドギラゴン》は、《グリージー・ホーン》を装備した《グレンモルト》を進化元にしてる」

 

 ドラグハート・ウエポンを装備したクリーチャーを進化させると、装備したウエポンは進化クリーチャーに引き継がれる。

 だから、

 

「《グレンモルト》が装備した《グリージー・ホーン》は、《エヴォル・ドギラゴン》に引き継がれる……つまり、《エヴォル・ドギラゴン》はアンタップしてるクリーチャーも攻撃できるよ!」

 

 いつも携えている大剣に加え、もう一振り。真っ赤に燃える炎の剣を構え、《ドギラゴン》は飛翔する。

 

「一応、確認だけど、アンタップクリーチャーへの攻撃は、選ぶことにはならないよね?」

「……はい」

「なら、《エヴォル・ドギラゴン》で《ペトローバ》を攻撃だよ!」

「あぅ……こ、困りました……攻撃も曲げられません……」

 

 灼熱の剣が、《ペトローバ》を一刀両断にする。

 これでカメさんのクリーチャーのパワーは、元に戻る。

 つまり、《ワンダー・タートル》のパワーも13000だから、

 

「バトルに勝ったから《エヴォル・ドギラゴン》をアンタップ! 次に、《ワンダー・タートル》を攻撃!」

「《ワンダー・タートル》まで……あわあわ……」

「それだけじゃないよ。これが二度目のクリーチャーの攻撃! 《グレンモルト》に装備した、《ガイハート》の龍解条件成立だよ!」

 

 《グレンモルト》自体は攻撃してないけど、どんな形であれ、ターン中に二回の攻撃を成功させた。

 鎖に繋がれた龍の剣が、今、ひっくり返る。

 

 

 

「龍解――《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 《グレンモルト》が掲げた剣から、新しい龍が生まれる。

 右手に大剣を構え、左手は渦巻く銀河のような盾。

 宇宙を内包しているかのような、その凄まじい存在感に、思わず圧倒されてしまいそうだった。

 だけど、今はわたしの仲間だ。

 その力強さは、この上なく心強い。

 

「《ガイギンガ》が龍解したから、パワー8000以下の《バーナイン》を破壊! さらに《エヴォル・ドギラゴン》の攻撃を続けるよ! そのまま《クリスタ》《岩砕》《アクロアイト》にも攻撃!」

「あ、あわわです……こ、こま、困ります……困りました……全滅なんて……あ、アタシの迷宮が、こ、こわ、壊れて……崩れちゃいました……!」

 

 カメさんのクリーチャーがいなくなった。

 これで、S・トリガーが出てもあんまり怖くない。

 

「ここで決める……! 《ドギラゴン》でTブレイク!」

「うわわです……え、えっと、トリガーは……?」

 

 《ドギラゴン》は大剣を振るい、一撃で三枚のシールドを薙ぎ払う。

 

「……S・トリガー、《ノヴァルティ・エントリオ》と《青守銀 ルヴォワ》を召喚です……! 《エントリオ》の効果で、《ホーガン》と《グレンモルト》をタップ……《ルヴォワ》の能力で、自身をタップして、《ボスカツ闘&カツえもん武》をタップです……」

「二枚もトリガー……だけど、攻めるよ! 《クロック》で《ルヴォワ》を攻撃!」

 

 わたしの《クロック》とカメさんの《ルヴォワ》が相打ちになる。

 カメさんのシールドは残り一枚。わたしの攻撃できるクリーチャーは残り二体。

 

「うぅ……あ、あとは、最後のシールドに《ノヴァルティ・アメイズ》があることを、い、祈るばかりです……」

 

 あ、あの呪文もS・トリガーなんだ。

 もしもあの呪文がS・トリガーで出てきちゃったら、攻撃が完全に止められるから、逆転されちゃう……!

 

「でも、もう止まれない……《クロック》で最後のシールドをブレイク!」

 

 これでカメさんのシールドはゼロ。

 最後のトリガー勝負だ。

 

「…………」

 

 カメさんは、揺れる瞳を伏せて、シールドを捲る。

 そして、

 

「……スーパー・S・トリガー、《緑知銀 イーアル》……ですか……」

 

 そのカードを、場に出した。

 

「……ダメ、ですね……一応、《ガイギンガ》をタップさせちゃいますけど……」

「……選んだね」

「はい……」

 

 出しても出さなくても、結果は同じ。

 行き着くまでの過程が、少し違うだけ。

 

「《ガイギンガ》が選ばれた時、このターンの終わりに、もう一度、自分のターンを行うよ!」

 

 それは、つまり、

 

「ターン終了……そして、わたしのターン!」

 

 連続でターンが行えるということ。

 だからカメさんが《イーアル》を出しても、出さなくても、この一撃は決まりきっていた。

 これで、わたしの――勝ちだよ!

 

 

 

「《熱血星龍 ガイギンガ》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「あぁ……あぁぁ、あぁぁぁぁ……ま、まけ、負けちゃいましたぁ……!」

 

 デュエマが終わった直後。

 カメさんが、泣き崩れてしまった。

 

「もうダメですぅ……やっぱりアタシは代用品ですぅ、愚図で無能なモドキですぅ……ふえぇ……」

「え、えっと……」

 

 女の子は、稀に涙で演技をすることがあるんだけど、この子はどう考えても、どう見ても、明らかに、本気で泣いてる。

 流石にこんな道の往来で泣かれちゃうと、どうしていいかわからないというか、わたしも戸惑う。

 というか、今までデュエマで負けて泣く子なんて見たことないよ……

 

「ぐすん……も、もう、お家に帰ります……首切られても仕方ないですけど、もうダメです、どうにもなれですよぅ……」

 

 帰るんだ。

 それに、随分とやけっぱちになってるけど、大丈夫なのかな。

 あんまり大丈夫には見えないけど。

 

「では……アタシは、帰ります……今日は、し、失礼しました……」

 

 リュックサックを背負い直すと、カメさんは踵を返して、わたしに背を向けてとぼとぼと歩き去ってしまった。

 その後ろ姿は哀愁漂うというか、決して後味のいい終り方じゃないけれど……

 

「か、勝ててよかった……!」

 

 それは、帽子屋さんの刺客に勝ったとか、そういうことじゃなくて。

 わたしが組んだデッキで勝てたことが、たまらなく嬉しかったんだ――




 あとがきです。ここで、ピクシブでのアンケートの結果を載せておきます。
 『誰と一緒にデッキを組む』の選択肢は、恋、ユー、霜、実子、そして小鈴が一人で組む、というもので、一緒にデッキを組んだ相手によって、デッキの内容を変えるつもりだったんです。たとえば、恋と一緒に組んだら光入りのトリガービートのようになったでしょうし、実子と組んだら自然入りの革命チェンジや侵略、霜と組んだら水入りのコンボデッキ、のような感じで。小鈴一人で組んだ場合は火文明単色の予定でした。
 ただし結果は、霜、実子、小鈴の同率一位……そう、作者は同率の可能性を失念していたのです。
 しかも、よりによって「小鈴一人で組む」という選択肢との同率ですから、頭を抱えました。これがなければ、みんなと一緒に組む、だけで済んだのに。
 その結果、霜や実子からはアドバイスを貰う程度に留め、デッキ自体は小鈴一人で組ませ、色は霜の青、実子の緑、小鈴の赤を取り入れたシータカラーに。そこに退化のギミックや革命チェンジ(と関わりのあるハムカツ団)を組み込んだ、ラムダ&グレンモルトビート+色んなギミック詰め合わせという、よく分からないデッキになりました。
 これはこれで、色んな動きがあって面白いんですけどね。カード資産に難のある初心者らしいジャンクさが、かえって良いフレーバーになるのです。


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14話「火鼠のようです」

 ネズミはかわいい。ただ、世間一般的に有名なネズミキャラは、どうにも純粋にかわいいとは思えないというか、微妙に好きになれない……夢の国の彼とかね。
 では、不思議の国のネズミはどうでしょうか。かわいげがあるかどうかは、その目でお確かめください。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 夏休みは本日も継続中。今日も今日とて夏季休暇期間を満喫しています。もちろん、宿題だってちゃんとやってるよ。

 今日はみんなと『Wonder Land』で集まる日。わたしが組んだ新しいデッキを、みんなに見せたいと思ってます。

 とりあえず、お母さんに一言伝えてから、出かけないとね。

 

「お母さーん。いるー?」

「んー?」

 

 お母さんの部屋を開けると、お母さんはパソコンの前に座っていた。お仕事中だったかな。

 

「……邪魔しちゃった?」

「いいや? 別に部屋に入るくらいで邪魔だとは思わんよー。それよりなに?」

「あ、えっと、友達と遊びに出掛けるんだけど……」

「あぁ、はいはい。例の子たちね。行ってらっしゃい。暗くなる前に帰るんだよ」

「うん」

 

 そして、わたしは部屋を出ようとした。

 けれど足を止めた。ふと、お母さんの持ってる“それ”が目に入ったから。

 

「お母さん、その絵って……」

「あぁこれ? 今度出す短編の挿絵のデザインラフの落書きの没案だよ。挿絵担当の人と個人的な酒の席で酔ってたら、いつの間にか書かれて、いつの間にか持ってた」

 

 お母さんは手にした紙をひらひらと振る。

 受け取って見るとそれは、鉛筆書きの荒い線。ラフ画と呼ぶにも雑さが見て取れてしまう。正に落書きといった絵だった。

 でも、いくら線が荒くて雑でも、ちゃんとした形を作っているその絵は、わたしの目には汚いものとしては映らない。

 

「かわいい……」

「でしょ? 平坂さん、もういい年こいたオッサンの癖して、ポップでキャッチーな絵を描くんだよねぇ」

 

 平坂さんというのは、プロの絵描きさん――イラストレーターだ。

 イラストレーターとしての名前は平坂浄土(ひらさかじょうど)といって、本名じゃないらしい。一度だけ会ったことはあるけど、わたしも本名は知らない。

 なんでわたしが――というか、お母さんがプロのイラストレーターさんと交流があるかっていうと、それはわたしのお母さんが小説家で、その小説の挿絵を平坂さんが何度も担当しているから、その縁だ。

 本当は、作家とイラストレーターが個人で繋がるのはご法度らしいんだけど、お母さんと平坂さんは、一緒にお仕事する以前に、仕事とはまったく関係なく、個人的に交流があって、二人で一緒にお酒を飲みに行くくらいには仲がいい。

 本人曰く「仕事とプライベートは分けてるから問題ないって、たぶんね。あっちもそのくらいはわかってるでしょ」らしい。

 挿絵が云々のお話も、本当はメールとかでやり取りするんだろうけど、没案で落書きとはいえデザイン画をそんな簡単に書いてていいのかな……お酒が入ってるらしいけど、本当に仕事とプライベートをわけられているのか、少し心配です。

 平坂さんの絵は、若い――というより、幼げな女の子が描かれていた。二次元キャラクターの年齢なんて見た目じゃわからないけど、たぶん小学生とか中学生とか、そのくらいだ。ちゃんと書き込まれた物じゃないけど、衣装はなんとなくふりふりの可愛いものに見える。

 

「しかもその可愛らしい絵描きになる発端が、まだ小さかった娘さんを喜ばせたいからだよ? どんな子煩悩だよって話でしょ?」

「動機は素敵だと思うけど……」

「そうだねぇ。そういう意味では、私も人のこと言えないしね」

 

 そう言って、わたしを見つめるお母さん。

 ジッと、まっすぐに私の目を見ている。

 

「……? な、なに?」

「なんでもないさー。でまあ、またなんか新しいの書くから、こっそり感想聞かせてね」

「新しいお仕事?」

「なんとかって雑誌に載せる、単発の番外短編だから、大したもんじゃないよ。って、そんなこと言ったら編集さんとかに失礼なんだけど。文量は少ないけどイラストもあるし、ちゃんとした仕事だね。ま、本命のシリーズの宣伝みたいなもんだよ」

「本命の宣伝ってことは、あれ? 魔法少女なんとかっていう……」

「『デュエ魔法少女 マジカル☆コマンド』ね。いやはや、デュエマをモデルに魔法少女ものを書いてはどうかとか、担当さんが言い出した時は、私も一休さん並みのとんちを期待されてるのかと頭を抱えたものだけど、意外となんとかなったね。なんやかんやで結構人気も出たし」

「って言うか、日曜朝にやってる番組のノベライズ版だよね? わたしでも知ってるくらい超人気作品だよ?」

「そりゃ私の娘なんだし、知っててもらわないと困る。ってのはさておき、アニメとコミックとノベルスで、世界観が同じなのに内容が全然違うのは笑っちゃうよね。ま、好きにできるからこっちとしては楽だけど、製作会社には気ぃ遣うよねぇ。女児向けの魔法少女ものだし」

 

 お母さんはいつもの陽気というか、ちょっと気だるげというか、やる気がなさそうに見えなくもない、それでいて超然とした風に息を吐く。

 小説家の母親がいる。しかも人気のある、いわゆる売れっ子作家であることは、わたしの密かな自慢だ。

 それだけじゃない。わたしは生まれてこの方、お母さんの書いた本を読んで育ったし、今もそうだ。本当はダメなんだけど、世に出る前の作品をこっそり読ませてもらって、感想を言い合う。そうしてお母さんは、一読者としてもわたしの意見を作品に取り入れたりする。

 だから実は、わたしのお母さんが書いている作品は、ほんのちょこっとだけ、わたしの気持ちが入っている。お母さんの作品は、本当はお母さんとわたしの作品でもある。

 それが、ちょっとだけ嬉しくて、楽しい。わたしのささやかな誇れるもの。

 あんまり自分の自慢じゃないから、格好付かないけどね。

 

「魔法少女かぁ……」

 

 ふと、考えてしまう。

 お母さんが書く作品は、わたしも大好きだ。その中の主人公に憧れを抱いたこともある。

 魔法少女という言葉の定義は曖昧だけど、女の子が主人公で、悩み戦うものが魔法少女の作品だと呼ぶのなら、お母さんは確実にその手の作品を多く執筆している。そしてわたしも、そのすべてを読んだ。

 だからかな。魔法少女っていう存在は、わたしの中で、ちょっとだけ特別なものになっているのかもしれない。

 少なくとも、自分の強さに願いを託すくらいには。

 

「……魔法って、あるのかな」

「え? なに? いきなり夢見る乙女みたいなこと言い出してどうしたの?」

 

 不意にわたしは呟くと、お母さんは目を丸くさせていた。

 聞こえちゃってた。ちょっと恥ずかしい。

 けど、どうせだし、勢いのまま、聞いてしまう。

 

「お母さんは、魔法ってあると思う?」

「まーたぞろ難儀な質問というか、メルヘンチックだねぇ。家族に向けた質問じゃないよ?」

「え? そ、そう? ごめんなさい」

「んー、でもどーだろう。私はまあ、実は似たような概念なら信じてるクチだけど……現実的にはないと言えばないし、あると言えばあるんじゃない?」

「どういうこと?」

 

 ないと言ってるのにあるとも言ってる。

 それは矛盾だよ、と指摘する前にお母さんは言う。

 

「人間は昔から、魔術だのなんだのって言って、色々研究してたって歴史はあるけどね。黒魔術とか錬金術とか降霊術とか、全部その類でしょ」

「ファンタジーだね」

「そりゃファンタジーさ、現代科学の視点から見たらね。ま、そのファンタジーから現代の科学に通ずる道筋も生まれたわけだけど、それはそれ。私は小説家だ、創作者(クリエイター)だ。創作者(私たち)は、その実体のないファンタジーを空想と想像で肉付けして、形あるものとして物語にできる。理屈も仕組みも意味不明で荒唐無稽、理解不能のオーバーテクノロジーでオーパーツ、だけど惹かれて思い焦がれる……魔法ってそういうもの。足りない現実感は想像で補って、魔法の存在を創造してしまうのさ」

 

 お母さんは続ける。

 夢も希望もあるけど、掴み損ねたら壊れてしまいそうな、淡く脆い言葉を。

 

「私個人というより、あくまで小説家としての意見だけどね。物書きっていうのは、概念さえあれば大抵のものはなんでも作っちゃうのさ。だから魔法なんて、概念として存在し得ない人の心を描写するより遥かに簡単だよ。ドッキリビックリな科学的アプローチから、過程をすっ飛ばした超常現象、空想的で幻想的な世界を作ればそれで済むんだから」

「あんまり夢がないね」

「夢がある方がよかった?」

「子供っぽい?」

「思う。けど、子供なんだからそれでいいんだよ。五十鈴なんかは、反発するだろうけど」

「お姉ちゃんは……そうだね」

「いやはや、まったく可愛いながらも手のかかる娘たちだよ。まっすぐ育ってくれたけど堅物な五十鈴に、優しいけど内気で人見知りな小鈴。子育てってのも、一筋縄じゃいかないねぇ」

「う……人見知りは、昔よりはよくなったよ……」

「そうかな? ……あぁ、でもまあそうか。友達と一緒に遊ぶくらいだもんね」

「……あ」

 

 その一言で、思い出した。というか忘れてた。

 みんなとの約束があるんだった。早く行かないと。

 

「あの、お母さん……」

「ん? あー、友達とも約束だっけ?」

「うん。もう、わたし行くね」

「ほいほい、気をつけて行ってらっしゃいな」

「はーい、行ってきます」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

『魔法?』

 

 ワンダーランドでみんなと合流して、しばらくデュエマして遊んで、休憩がてらの雑談時間。

 わたしがお母さんにしたような話をみんなにも振ってみたら、四人ともキョトンとした表情で固まってしまった。

 

「……君は意外と、乙女チックだったんだね」

「妄想……? それとも、中二病……?」

「酷い!?」

 

 特に恋ちゃん。別に本気で信じてるわけじゃないよ!

 

「いやぁ、小鈴ちゃんも可愛いとこあるなぁ。魔法だって、魔法」

「でも、とっても素敵(シェーン)です! ユーちゃんもおとぎ話(メルヒェン)は大好きですよ! ローテンブルクに旅行に行ったときは、ワクワクしました!」

 

 うーん、こっちもこっちで……そういうことじゃないんだけどなぁ。

 わたしの言葉は、同じ魔法でも、お母さんに向けた時の意味と、みんなに向けた時の意味は違う。

 

「……なんでまた、急に、魔法なんて……?」

「いや、ほら、みんな知ってると思うけど、わたしさ……」

「あぁ……“アレ”ね」

「うん、“アレ”」

「クリーチャーと戦ってるじゃない?」

「そっちかい!?」

「え? どっち?」

「いや、なんでもないよ……続けて」

 

 ? なんか霜ちゃんが変な感じだけど、まあいいや。

 

「ちょっと考えたりするんだよね。クリーチャーってどこから来てるんだろう、とか、わたしたちが持ってるカードゲームとどう関係してるんだろう、とか」

「確かにねぇ」

「むぅ、言われてみるとそうですね。小人さん(リリプーター)はいないのに、クリーチャーはいる。不思議(ヴンダリヒ)です」

 

 今まで何度もクリーチャーと戦ってきた。その事実が、わたしにクリーチャーの存在を確かなものにしている。

 だけど、それは本来あり得ないもののはず。わたしたちだけがその存在を認識できているだなんて、やっぱりおかしい。

 ちょっとした偶然から、わたしは普通の人よりちょっとだけ特別かもしれないけど、それとは関係なく、クリーチャーは確かに、そして明らかに、この地球に影響を与えている。

 現代の人間は、それを単なる“不思議なこと”だけで片付けたりはしない。

 そしてそれは逆説的に、クリーチャー側も、単なる“不思議なこと”というだけで現実に存在しているわけじゃないと思う。

 

「だからそれは、魔法みたいな力が働いてるんじゃないかな、って」

「魔法か。確かに、科学では観測できない不可思議な力、それは魔法と定義することもできるね。未だ解明できずの理屈(ロジック)として」

 

 わたしの言いたいことを、霜ちゃんが簡潔にまとめてくれた。うん、やっぱり霜ちゃんはこういう時、頼りになるなぁ。

 

「そうだな。クリーチャーについて考えることは、今後のことも考えると、無意味じゃないかもしれない。どういう仕組みで彼らが存在しているのかを知ることが出来れば、なにかしらの手掛かりになるかもしれないしね」

「……まあ、いつまた、クリーチャーが出るとも、限らないし……」

「これまでの事例を挙げてみようか。どんな時にクリーチャーが現れたか。そして、それはどのような形か」

「えっと、わたしが最初にクリーチャーと戦った時は、バイクに乗った男の人に憑りついてたよ」

「……うちの教師に、憑依したことも、あった……」

「ロリコンさんは、人間の姿をしていましたが、クリーチャーでした。のっとったりとかはなかったです」

 

 と、次々と報告例を挙げていく。

 ほとんどはわたしの口からだけど、ここにいるみんなは、すべてなんらかの形でクリーチャーが実体化するところを目の当たりにしている。全員が、口々にその事例を言っていった。

 

「オーケー、過去を振り返るだけでも結構な成果が出たね。まとめると、クリーチャーの出現方法には三種類あるようだ」

 

 そして、大体言い終えたところで、霜ちゃんがまとめに入る。

 

「一つ、クリーチャーが人間の身体を乗っ取るパターン。これはボクや、ユーが経験したことだね」

「……ユーちゃん、あのときのこと、あんまり思い出したくないです……」

「ボクもだ。いい思い出とは言い難いからね」

 

 二人が、どことなく悲しそうで、それでいて申し訳なさそうな表情を見せる。

 ユーちゃんも霜ちゃんも、クリーチャーに憑りつかれて、自分の意志とは異なる行動を取っていたことがある。

 わたしがクリーチャー退治にちょっとだけ乗り気になったのは、このことが関係あったり、なかったり……

 

「クリーチャーに乗っ取られるケースの場合、程度差や、性質の違いがあるようだね。ユーは完全に自閉してた。意志も行動もクリーチャーに支配されていたと聞く。ボクの場合は、自分の意志に干渉された。まったく、女である自分と男である自分、自覚をすり替えられるだなんて迷惑な話だ。それ以上に、そんなことで戸惑う自分を恥じたけどね」

 

 ユーちゃんは辛うじて自我を持ってたけど、本来の明るさが消えて、なにもできなくなっていた。

 霜ちゃんは自分で考えて行動できるようになってたけど、自分自身を見失ってしまっていた。その結果、行動が狂ってしまった。

 他には、バイクの人や先生は、完全に意識も行動もクリーチャーのものとなっていたっけ。

 こうして振り返ると、確かに色々な発見があるね。

 

「二つ目は、クリーチャー自体が人間に化けるパターン。これは事例が一つしかないけど……」

「確かに、人間がクリーチャーの姿のなってたよ。その後も、乗っ取られた人とかは出なくて、そのまま鳥さんが食べちゃったし……」

「人間に扮するクリーチャーがいるっていうのは、厄介かもね」

「そう?」

「だって、こうして周りにいる人が、もしかしたらクリーチャーかもしれないってことでしょ?」

 

 あ、そっか。

 みのりちゃんに言われて、思わず周りを見回す。

 見える人、人、人。

 見て知っている人、見たことのない人、見覚えのあるような気がする人。様々だ。

 だけどその中の知らない人たちが、もしかしたらクリーチャーかも、と思ってしまいそうだった。

 

「まあ、人間に擬態したクリーチャーがいても、実際に事件を起こさないなら無害だし、なにか起こらないとこっちも動きようがない。後手に回るのは癪だけど、疑わしきは罰せずだ」

 

 霜ちゃんの言う通りだ。

 疑ってたらキリがないし、それで無関係の人を巻き込むわけにはいかない。

 ……でも、気になっちゃうし、不安だよね……

 

「そういえば……みのりこの、クリーチャーは……」

「《ギョギョラス》のこと? あれは帽子屋さんからもらったカードだから、よくわからないんだよね。今では普通のカードだし」

「それが三番目。とはいえ特殊ケースに近い気がするけど。人間が、不思議な力を得てクリーチャーを実体化させることが可能なケース」

「ぶっちゃけ私も、あのカードでなにができるのかとか、よくわからないんだよね。なんとなーく感覚で使ってただけだし、今はもう、燃料が切れたみたいにうんともすんとも言わないし」

「……その、帽子屋……とやらの、ことも……」

「そういえば実子は、あの帽子屋とやらと深い関わりがあったね」

 

 クリーチャーについて言い終えるや否や、今度は帽子屋さんの話題。そして、その矛先はみのりちゃんに向けられた。

 

「別に深くはないよ。私も最初はあの人のことを拒絶してたし……まあ、最後は自分の弱さに負けた、かな」

「みのりちゃん……」

「だから小鈴ちゃんは気にしなくていいよ。それに、あのケンカも今ではいい思い出だしね」

「……うん」

「そこを追求する気はないけれど、あの帽子屋とやらが何者なのかも、わからないのかい?」

「全然。私はただ、あのカードを受け取っただけ。まあ、その後も帽子屋さんとちょいちょい接触はしてたけど、聖獣とやらを捕まえる云々って言ってただけだからなぁ。私、そんなことには微塵も興味がなかったから、その辺は全部、帽子屋さんに一任してたし」

「……大事なところだけ、知らない……ってこと……?」」

「そう言われても仕方ないかも」

 

 聖獣。帽子屋さんが求めるなにか。

 そして、わたしがその鍵を握っているとか言ってたけど……

 

「聖獣、かぁ……」

「本当に知らないんです? 小鈴さん」

「うーん、わからない」

「本人がこう言ってるんだから、帽子屋さんの勘違いとしか思えないけどね」

「もしくは、単純に小鈴が記憶していないだけか」

「記憶力には自信があるんだけど、聖獣、ってことはたぶん動物だよね? そんなすごそうな動物と出会った覚えはないよ」

 

 帽子屋さんには悪いけど、あれは勘違いだと主張させてもらうよ。身に覚えがなさ過ぎるもん。

 

「こうして考えてみると、(ゲハイムニス)が多いですね」

「クリーチャーが実現するなんて、非現実甚だしいことだしね。僕らにわからないことが多いのは仕方ない」

「普通こういうことって、それまでの人が研究したり、研鑽して体系化された知識があるけど、私たちしか知らないことは、圧倒的に“積み重ね”が足りてないからね」

「その通りだ、わからないことが多すぎる。どこかにクリーチャーの生態についてでも研究してる組織があればいいんだけど」

「そんなのないよ……」

 

 わたしたちしかクリーチャーについて知ってる人がいないんだから、研究組織なんてあるわけがない。

 ……だけど。

 もしかしたら、わたしたちの知らないところで、わたしたちとはまったく関係ないところで、わたしたちとはなんの関与もなく。

 わたしたちのようにクリーチャーと関わり、研究しているような場所が、あるのかもしれない。

 と言っても、そこに至るための道筋がなにもないのだから、それを考えることに意味はないけれど。

 

「結局、ボクらは受け身にならざるを得ないか。どうも彼らは小鈴のことをつけ回すつもりのようだし、これからも仲間が現れる確率は十分に高いだろう。彼らとの接触が多ければ多いほど、ボクらも知識を得て、対策を講じやすくなる……酷い循環だけどね」

「そう、だね……」

 

 霜ちゃんは、そう結論付ける。

 帽子屋さんたち【不思議の国の住人】については、そうするしかないのかもしれない。

 クリーチャー事件だけでも大変なのに、その上、変な人につけ回されちゃっている。この状況は、なんというか。

 

(なんか、大変なことになってきちゃったなぁ――)

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ふあぁ……」

 

 少年が一人、大きく欠伸をする。

 行き交う人々から、その姿はかなり注目されているが、そんなことはお構いなしだ。

 アテもなく、ただ歩を進める。

 否。目的はある。ただ、その目的は、目的地という意味ではない。そういう意味では、この歩みそのものには意味がないと言える。

 

「マジでねみぃ、ガチでだりぃ……今日は一日、寝て過ごすつもりだってのに、なのに」

 

 もう一度欠伸をしてから、愚痴るように零す。

 なんで僕がこんなことを、と。

 

「ま、帽子屋の頼みじゃ、しゃーねーか。夢のために手を尽くすスタイルはバッドだし、マイメンの頼みを断るのは気分悪ぃ」

 

 言って少年は、ポケットに手を突っ込んだ。

 

「カメ子から“代用品”もぶんどってきたし、とりま、こいつであぶり出すか」

 

 指先に触れた。それを軽くつまむように持つと、引き上げるように衣服の奥底から引きずり出す。

 それは、数枚のカードであった。

 

「さぁ、ネズミ捕りの始まりだ――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 結局、デュエマしつつクリーチャーの出自や対処法について話してたけど、明確な答えなんて出る訳もなく。

 霜ちゃんが色々な意見を出してくれたけど、それはすべて推論。本当のことは、わたしたちにはわからなかった、

 わたしたちじゃ、異変が起こらないとクリーチャーの存在を知ることはできないし、擬態したクリーチャーを見分けることもできない。クリーチャーがどうやってこの世界に現れているのか、その理屈。そもそも何者なのか。今持ってる情報で、それらを理解することはできない。

 結論だけ言ってしまうと、今は考えるだけ無駄、ってことになっちゃったんだよね……

 だから今日は普通にデュエマを楽しんでました。みんなに新しいデッキも見せられたし。なんか、すごく驚かれたけど……

 ワンダーランドからの帰り道。時刻は5時。わたしは、久々に聞いた声で、名前を呼ばれた。

 

「小鈴!」

「そ、その声は!」

 

 振り返ると、パタパタと、それなりの速さでこっちに向かってくる影が見えた。

 あのシルエットは、間違いない。

 

「鳥さん! なんだか久しぶりだね」

 

 鳥さんはこの町にクリーチャーが出ないと姿を現さない。

 最近はクリーチャーが出る事件もなくて平和そのものだったから、鳥さんと会うのも久しぶりだ。

 そういえば、鳥さんはクリーチャーにとっても詳しい。というか、鳥さん自身がクリーチャーなのかもしれない。

 だったらもしかすると、鳥さんに聞けばクリーチャーのこともわかるのかな。

 

「ちょうどいいところに来てくれたよ、鳥さん。実は鳥さんに聞きたいことが――」

「小鈴! クリーチャーだ! この近くに、クリーチャーが発生してる!」

「……やっぱり……お約束……」

 

 ぼそりと恋ちゃんが呟いた。わたしも同じ気持ちだよ。

 もう何度もそうやってクリーチャーを退治してるから慣れたものだけど、またあの格好をして町を走り回るのかと思ったら、ちょっと憂鬱だ。

 

「じゃあ、早くそのクリーチャーを退治しちゃおう」

「そうしたいところだけど、そう簡単にもいかなさそうなんだ。何体ものクリーチャーが、同時に発生してる」

「え?」

「こんなこと初めてだ。バラバラの場所に、同時に複数のクリーチャーが現れるなんて……」

 

 鳥さんはいつにも増して深刻な顔をしている。

 同時にクリーチャーが発生……確かに、今までにないことだ。そして鳥さんの様子を見る限り、それが正常でないこともわかる。

 

「えっと、じゃあわたしはどうしたらいいの?」

「…………」

「だ、黙らないでよ……」

 

 鳥さんが黙っちゃうと、わたしもどうしたらいいのかわかんないんだから……

 でも、同時にたくさんのクリーチャーが現れても、わたしの身体はひとつだけ。たぶん、どのクリーチャーも無視することはできないだろうし……ど、どうすればいいの?

 

「……そのクリーチャーは、どこにいるんだい?」

 

 と、わたしたちが困っていると、霜ちゃんが鳥さんに尋ねた。

 

「ここから東西南北、それぞれの方向に散ってるね」

「じゃあ、ここは手分けして事に当たろうか」

「え?」

 

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 霜ちゃんが言った言葉。それって……

 

「違う場所に同時にクリーチャーが現れたのなら、やることは一つだろう?」

「Ja! お手伝いしますよ! 小鈴さん!」

「霜ちゃん、ユーちゃん……」

「……こっちも、忘れないで、ほしい……」

「そうそ。友達なんだし、小鈴ちゃんのためなら大抵のことはやっちゃうよ」

 

 恋ちゃんとみのりちゃんも……

 なんだか悪いような気もするけど、でも――

 

「みんな……ありがとう」

 

 ――嬉しかった。

 友達が、なんの躊躇いもなく、力を貸してくれることが。

 

「とはいえ、君らだけじゃクリーチャーと戦うことはできないわけだから、僕が飛び回って、君らの戦いの場をセッティングしなければならないのか」

「手間はかかるしスマートではないけど、事が一刻を争うなら妥協するしかないな。大まかな方向は彼に聞いて、クリーチャーを発見したら小鈴に連絡して、そこの鳥類を飛ばしてもらう。誰がいつどこにいるのかという情報は、常に共有するようにしよう」

「りょ……」

了解です(アインフェアシュタンデン)!」

「面倒くさいけど、まあそうなっちゃうよね。オッケ」

 

 と、いうわけで。

 わたしたちは、手分けしてクリーチャーの討伐に向かったのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――さーて、そろそろネズミがにかかった頃か?」

 

 少年は身体を起こして、寝転がっていた近くの公園のベンチから降りる。

 まずは時間を確認。短針が示すは4、長針が指すは4と5の間。ちょうど、短針と長針が重なる位置だった。

 

「……あと30分ってところか。わざわざカメ子の奴に借りを作って、成果なしじゃ笑えねぇ。スピーディーに、かつスポーティーに、そしてビューティーに終わらせるか」

 

 寝てる間に硬くなった身体を軽くほぐしてから、少年は歩き出す。

 彼の言う“ネズミ”を獲りに――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「小鈴さん! こっち、終わりましたよ!」

『ありがとうユーちゃん!』

 

 現れたクリーチャーを倒したので、小鈴さんに電話をかけました。

 どうやら、クリーチャーを倒せたのはユーちゃんが一番だったみたいです。やりましたよ!

 

「小鈴さんの方はどうです?」

『こっちはまだ見つからないかな……』

「ユーちゃん、次はどうすればいいです? 小鈴さんのお手伝いしますか?」

『えっと、そうだね。他にもクリーチャーがいるかもしれないから、無理はしない範囲でそれを探しながら、一度合流しようか』

「了解です! じゃあ、そっち向かいます!」

 

 電話を切って、早速小鈴さんのところへと向かうとしましょう。  

 

「よーし、小鈴さんのお手伝いに――」

「ちょいとタンマだ」

 

 と、思ったら、引き留められてしまいました。

 

「? どちら様でしょう?」

「どちら様でも構わねぇよ。なに、ちょっくらネズミ捕りに付き合ってもらうだけだ――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 何度かかかってくる電話を切って、ちょうど戻ってきた鳥さんを見る。

 

「霜ちゃんの方も終わったって」

「君の友達は凄いな。普通の人間で、こんなに早くクリーチャーを索敵して、討伐できるのか。小鈴より早いじゃないか」

「わたしだって普通だよ……」

「クリーチャーのマナを捕食できないことだけが心残りだけど、そこはそれ。今回ばかりは仕方ないと割り切ろう」

「聞いてよ、わたしだって普通なんだから……」

 

 と言って聞いてくれる鳥さんじゃなかった。

 うーん、酷い。

 鳥さんへのちょっとした不安を密かに募らせながら、鳥さんのナビゲートを頼りに走る。

 ナビゲートしてるのは鳥さんなんだから、わたしが遅い原因は鳥さんにあるんじゃないのかなぁ。

 そう思ってると、また携帯が鳴った。

 

「あ、みのりちゃんからだ。あっちも終わったのかな――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「これは……」

 

 どういうことだろうか。

 ついさっき小鈴ちゃんに連絡して、近くにいるはずのユーリアさんと合流してから小鈴ちゃんのところに向かおうとした。ここまではいい。

 ユーリアさんと合流もできた。寸前までは。

 そこに“知らない少年”がいなければ、ちゃんと合流できたと言えるのだけれど。

 

「あなたは……」

「お? お前、帽子屋が目ぇつけてた女じゃん。なんだよ、あんだよ、またハズレかよ」

 

 帽子屋。ってことは、この少年は……

 目線を下げる。そこには、見慣れた女の子の姿も。

 ただし、見るからに意識がない。

 

「ユーリアさん……」

「こっちもハズレ、女はアバズレ、どうにもやりづれぇ。やっぱこーゆー、地味にちまちま索敵とか、性に合わないっての」

 

 ぼやく少年。だけど、そんなぼやきに付き合ってはいられない。

 そっと、デッキを手にする。

 

「……小鈴ちゃんと合流する前に、こっちかな」

「あん? やんのかよ。いいぜ、ハズレ女とやり合う時間は惜しいが、喧嘩上等、気分上々、戦闘続行! 売られた喧嘩は買ってやれ! アンサー返せねぇMCはクソッタレ! ってな!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――S・トリガー《クロック》! 残りのターンを飛ばしてわたしのターン! 《龍覇 グレンモルト》を召喚して《ガイハート》を装備! そして攻撃! 《クロック》でも攻撃して、トリガーはない? だったら《ガイハート》を龍解! 《ガイギンガ》でダイレクトアタックだよ!」

 

 やっとこさクリーチャーを探して出して、なんとか勝てました。

 いつものように、光の粒子となって消えていくクリーチャーを、鳥さんがついばんで食べている。

 なんだけど、今日はちょっと様子が違った。

 

「……? なんか、変だな?」

「どうしたの? 鳥さん」

「食べた気がしない」

「…………」

「体内に吸収されてる感覚がまるでない。食べたのに、食べたことがなかったことにされたみたいな……食べたのに食べてないみたいな感覚が……」

 

 なにを言ってるの、この鳥さんは……

 わけがわからないよ。

 

「なんだか、今回のクリーチャーはいつもと違う感じだ。“本当の”クリーチャーではないみたいな」

「本当のクリーチャーではない? じゃあ、さっきのクリーチャーは、クリーチャーの偽物ってこと?」

「わからない。けど、今回の事例は異常だったし、普段となにか違う質のクリーチャーなのかもしれない」

「違う質……言われてみれば、本当にクリーチャーが出て来ただけだったね、今回は」

 

 いつもはなんらかの事件を通して発見できるんだけど、今回は本当に、クリーチャーそのものがいるだけだった。

 誰かの身体を乗っ取ることも、人間に化けて事件を起こすこともない。ただ、そこにいるだけ。

 確かに、いつもとちょっと違うね。

 

「霜ちゃんが混乱しそうだなぁ。また新しいパターンが出来ちゃったよ」

「パターン?」

「あ、そうだ。せっかくだから聞いておきたいんだけど、鳥さん。クリーチャーって、どうやって現れるの? というか、どこから来てるの?」

「クリーチャー? そんなの、クリーチャーの世界から来ているに決まってるじゃないか」

 

 こともなげに言う鳥さん。そんなあっさり……

 

「言ってなかったっけ? 僕らのいた世界は、綻びが多いんだ。別次元、別世界への穴がいくつかあって、それらを目聡く見つけたクリーチャーが、その穴を通じてこっちの世界に流れて来てるんだよ」

「あぁ、そうなんだぁ……」

 

 なんか拍子抜け。思ったより呆気ない答えだった。って納得しちゃったけど、それ物凄いことなんじゃないかな?

 

「でも、なんでわざわざクリーチャーがわたしたちの世界にやって来るの? クリーチャーは、こっちにはいないのに」

「そんなの、そのクリーチャーの思惑が色々あるから、僕にはわからないよ。ただ僕らの世界は統治が消滅した無秩序な星になっている。それを嫌ったクリーチャーが、別の秩序だった星に行きたがるという道理は、あるかもね」

「うーん、よくわかんないけど、鳥さんの世界も大変なんだね」

「大変さ。信仰と秩序が失われた世界は、もう混沌の世界だもの。僕の相棒や主人は、そういうのも好きだったけど、僕はちょっと苦手だな」

 

 相棒? 主人?

 鳥さんにも、そう呼べる人? がいるんだ。

 

「…………」

「小鈴? どうしたんだい? 急に黙り込んで」

「いや……なんか、変だなって思って」

「変? なにがだい?」

「いや、その……ユーちゃんやみのりちゃんからの連絡が、ないなって」

 

 携帯を確認してみるけど、少し前の通話より後の着信はない。

 二人とも、わたしから近い場所に向かったから、時間的にはもうそろそろ合流できてもいい頃なんだけど。

 ユーちゃんは元々ドイツにいたし、みのりちゃんも隣町に住んでるから、この町の土地勘はちょっと薄いかもしれないけど……

 なんか、嫌な予感がする。

 

「鳥さん。わたし、ユーちゃんやみのりちゃんが向かったところに行くよ」

「う、うん?」

「もしかしたら恋ちゃんや霜ちゃんの方にもなにかあるかもしれないから、鳥さんはそっちに向かってくれる?」

「わかったよ。確かに、今回のクリーチャー出現は特殊だしね。なにがあるかわからない。請け負ったよ」

 

 そうしてわたしはユーちゃんやみのりちゃんの向かった方向へと走り出し、鳥さんは恋ちゃんや霜ちゃんの向かった先へと羽ばたく。

 ……何事もなければ、いいんだけど。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「《ギョギョラス》をチャージ! 2マナで《メンデルスゾーン》を唱えるよ。二枚めくって……ドラゴンの《ドギラゴン剣》と《メガ・カラクリ・ドラゴン》をマナへ! ターン終了!」

「おっと? チルいかと思ったが、イルいビート刻むな」

 

 少年がニヤリと口角を上げて笑う。

 手札には《フェアリー・ギフト》《リュウセイ・ジ・アース》《ギョギョラス》《ドギラゴン剣》の四枚が綺麗に揃ってる。

 次のターンには、確実に侵略と革命チェンジの連続攻撃ができる構えだ。

 

「そのスピードには感嘆。だがこっちも最速パターン!」

「!」

 

 だけども。

 相手の導火線にも、既に火が点いていた。

 

「アンサー返せるもんなら返してみろ! マジでバッドなパンチライン、お見舞いしてやるよ――!」

 

 ……これは、まずいかも――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 みのりちゃんが向かったところには、なにもいないし、誰もいなかった。次にユーちゃんが向かったところへと走ると、そこには、誰かが立っていた。

 その人物は背を向けていたけど、わたしの足音に気付いてか、くるりと振り返る。

 

「――やっとアタリが出たか?」

 

 男の子だ。わたしと同じくらいか、もしくはわたしよりも小さい男の子。

 あどけない顔立ちと、高いとは言えない背丈から、小学生って感じだけど……

 

(な、なんか凄い見た目……)

 

 斜に被ったキャップ。後ろで一つに縛った髪は白く脱色してて、さらに赤く染めているけど、脱色しきれていない黒髪が残っていた。

 眼は赤い。たぶんカラーコンタクトだ。顔から腕にかけてはもっと凄い。右のほっぺから、右腕の関節あたりまで、燃える炎のような刺青がくっきりと彫り込まれている。

 片耳にはこれでもかというほどピアスが連なっていて、もう片耳にも同じようにイヤリングがいくつもぶら下がってる。

 それだけじゃない。黒い指抜きグローブの上からたくさんの指輪。腕には腕輪、首からはネックレスとペンダント。全部シルバー。腰にも鎖がジャラジャラとたくさん付いている。

 なんというか、とにかく、これでもかというほどにアクセサリーをつけた男の子なんだけど……

 

(こんなファンキーな小学生、生まれて初めて見たよ……!?)

 

 たぶん、後にも前にも一生見ないような人だった。

 そのショッキングな見た目に言葉を失っていると、相手の方から語りかけてきた。

 

「どうせ僕のこと、知らねーだろうから、名乗ってやるかな。僕は『眠りネズミ』。今日のレベゼン【不思議な国の住人】だ」

 

 と、男の子は名乗った。

 眠りネズミ。そして、【不思議な国の住人】。

 これは、間違いない。この子は、帽子屋さんと関係のある人だ。

 だけどそれは、今はどうでもいい。

 わたしは彼の後ろで倒れる、みのりちゃんとユーちゃんに視線を落とす。

 

「みのりちゃんと、ユーちゃんに、なにしたの?」

「オイオイオイ、MCが出会ったらラップスタートってのがお決まりだろ? デュエリストが出会ったらデュエマするっきゃねーだろ? そーゆーもんだろ?」

 

 ……なんか、喋り方がちょっとラップ調?

 不良みたいな見た目だけど、ラッパー志望?

 不思議というか、奇妙というか。そういう意味では、帽子屋さんたちと同じ子だ。

 

「ま、今回に限って言えば、帽子屋に頼まれて動いてるが。これはあれだ、ネズミ探しの途中経過だ」

 

 ネズミは僕の方だけどな、とネズミさんは笑うけど、全然笑えない。

 

「そこで、今回でやっと本命のネズミがかかってくれたわけだ」

「……わたしが、目的なの?」

「正確には、てめーが隠してる聖獣とやらだが」

「…………」

 

 またそれだ。

 もう知らないって主張するのも疲れちゃったよ。

 

「小難しいスタイルは僕には向いてねーし、手っ取り早く決めちまおうぜ。こーゆーやり方はワックだが、マイメンのためなら泥くらいかぶってやる」

 

 そう言ってネズミさんは、拳を握って親指を突き立て、サムズアップのサインを――したわけではなく。

 立てた親指で、後方を指す。

 

「僕の後ろでおねんねしてんのがてめーのマイメン。てめーの持ってる情報が聖獣の居所。互いにアンティするモンがあるっつーこった」

 

 つまり、

 

「フリースタイルデュエマで、負けた奴は勝った奴の欲しいモンをくれてやる、ってのはどうだ?」

「……わかった。それでいいよ」

「オーケー、ノリがよくてバッドだ。そんじゃ、とっととスタートしようや」

 

 生殺与奪の権限は向こうにある。だったら相手に従うしかない。

 けど、そんなのは建前だ。

 友達が倒れてるのに、見過ごせるはずがない。

 その邪魔をするというのなら、相手が誰であっても、退けるわけがない。

 その気持ちが、たぶん、一番大きい。

 ネズミさんは至極楽しそうに、ジャラジャラと鎖やらアクセサリー不協和音を奏でながら、指を鳴らす。

 それが、対戦開始の合図だった。

 

「ウェルカム、不思議の世界へ――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「私のターン! 《青銅の鎧》を召喚! マナを一枚増やして、ターン終了だよ」

「僕のターンだ。《トップギア》でコスト軽減! 《お騒がせチューザ》を召喚! ターンエンド!」

 

 

 

ターン3

 

小鈴

場:《青銅の鎧》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:0

山札:27

 

 

眠りネズミ

場:《トップギア》《チューザ》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:27

 

 

 

「《クロック》をチャージして、5マナで《飛散する斧 プロメテウス》を召喚! 2マナ増やして、マナから《ボスカツ闘&カツえもん武》を手札に加えるよ」

 

 うーん、微妙だなぁ。

 《グレンモルト》か《コスモ・セブΛ》を手に入れたかったんだけど、なかなか引けない。

 でも、ネズミさんのデッキは火文明。火文明ってことは攻撃的だろうから、バトルでクリーチャーを破壊できる《ボスカツ闘&カツえもん武》はあって損はないよね。

 

「遅いぜのろいぜチルいぜ! そんなんじゃ僕には追いつけないぜ! 《トップギア》でコストを1軽減、1マナで《一番隊 チュチュリス》を召喚!」

「またネズミさん……」

「《チュチュリス》の能力で、ビートジョッキーのコストも1軽減! 1マナで《ダチッコ・チュリス》召喚!」

 

 立て続けに呼び出されるネズミたち。

 最初に出て来たネズミさんは、ちょっと燃えてる以外は普通のネズミだったけど、次に出て来るのはローラースケートで動いてたり、ヘッドホンをつけてたり、奇妙なネズミたちだった。

 

「さらに! 《ダチッコ・チュリス》の能力で、次に召喚するビートジョッキーの召喚コストを3軽減!」

「さ、3も!? それに、《チュチュリス》もいるから、さらに1下がって……」

 

 合計で4コストも下がることになる。

 ネズミさんのマナは残り2マナだから、出て来るとしたら6マナのクリーチャー。

 

「こいつが僕のパンチライン! アンサー返せるもんなら返してみろ! 《ダチッコ・チュリス》からNEO進化!」

 

 ヘッドホンを装着したネズミさんが、光に包まれて進化する。

 

 

 

「ガンガン千射、ブレイク決めるぜぇ! 《ガンザン戦車 スパイク7K》!」

 

 

 

 現れたのは、戦車だった。

 黒いキャタピラ、巨大な砲身。そして、それを動かすのは小さなネズミさん。

 ファンシーだけど凶悪な、煤けた大戦車が召喚された。

 

「《スパイク7K》の能力発動! こいつは二つの能力があり、そこから一つをセレクトし、自分のクリーチャーをパワーアップさせる!」

「二つの能力……?」

「パワーを2000アップしてアンタップキラーにする、パワーを5000アップしてブレイクアップする。騎射炸裂な二者択一だ」

 

 つまり、上がり幅は違うけどパワーを上げるのはどっちも同じで、アンタップしているクリーチャーも攻撃できるようになるか、ブレイク数が増えるか、ってことだよね。

 ……あれ、これってかなりまずいんじゃ。

 

「後者をセレクト! 強者のエフェクト! 強化はダイレクト! 僕のクリーチャーはすべて、パワープラス5000! ブレイク数ワンナップ!」

「……!」

 

 《チュチュリス》は召喚酔いしてるから関係ないとして、これで《スパイク7K》がTブレイカーになって、《トップギア》と《チューザ》はWブレイカーだ。

 このブレイク数だと、わたしのシールドをすべて割り切って、とどめまで届いちゃう。

 

「速攻、上等、大炎上! アタック開始だ! 《チューザ》で攻撃! Wでブレイク!」

「うっ、くぅ……! S・トリガーだよ! 《ドンドン吸い込むナウ》――」

 

 砕け散ったシールドから、S・トリガーが出た。これで凌げる。

 とりあえず、S・トリガーで引いた《ドンドン吸い込むナウ》を唱えようとしたけど、

 

「ちょいとストップ、そいつはロック。使えねーぜ」

「え? なんで?」

「《チューザ》の能力だ。こいつがタップ、どいつもスペル、例外なくロック!」

 

 なんでラップ調なのかはやっぱりわかんないけど、つまり、呪文が使えないってこと?

 それは、ちょっと困るけど……

 

「だったらもう一枚! S・トリガー《罠の超人(トラップ・ジャイアント)》! 《スパイク7K》をマナゾーンに!」

「ハァ!? ダブルトリガー!? マジかファッキン! ガチでガッデム! ワックだぜ!」

「ご、ごめん……?」

「だが、テンションダウンでもノンストップだ! 《トップギア》でもWブレイク! ターンエンド!」

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:《青銅の鎧》《プロメテウス》《罠の超人》

盾:1

マナ:6

手札:5

墓地:0

山札:25

 

 

眠りネズミ

場:《トップギア》《チューザ》《チュチュリス》

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:0

山札:26

 

 

 

 な、なんとか凌げたけど、だいぶシールドが減っちゃった。

 でも今の手札なら、まだ耐えられるかな……

 

「《風の1号 ハムカツマン》《双勇 ボスカツ闘&カツえもん武》を召喚! マナを増やして、《チュチュリス》とバトル!」

 

 《チュチュリス》のパワーは2000、《ボスカツ闘&カツえもん武》のパワーはバトル中6000になるから、余裕でこっちの勝ちだね。《プロメテウス》で手札に加えておいてよかったよ。

 

「それから、《罠の超人》で《チューザ》を攻撃して破壊! 《青銅の鎧》で《トップギア》を攻撃! こっちは相打ちだよ! ターン終了」

「盤面はクリーン、完全にストッピン……だが僕は、オールグリーン!」

「どっちかっていうとレッドじゃない?」

 

 なんて思わず言っちゃったけど、ネズミさんは無視ししてカードを引いた。

 

「ナイスドロー! 《トツゲキ戦車 バクゲットー》召喚! ハンドレスにツードロー!」

「! 二枚も引いた……!」

「ついでに《ナグナグ・チュリス》も召喚! 《ハムカツマン》とバトルして、ターンエンド!」

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《プロメテウス》《罠の超人》《ボスカツ闘&カツえもん武》

盾:1

マナ:8

手札:3

墓地:2

山札:23

 

 

眠りネズミ

場:《バクゲットー》《ナグナグ・チュリス》

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:3

山札:24

 

 

 

 

「《チューザ》がいなくなったし、《ドンドン吸い込むナウ》を唱えるよ。山札から五枚を見て……《グレンモルト》を手札に加えるよ! 火のカードを手札に加えたから、《バクゲットー》を手札に! ターン終了だよ」

 

 よし、やっと《グレンモルト》を手札に加えられたよ。

 これで次のターンに、《ガイギンガ》まで龍解させられれば、ほぼ勝ちにまで持って行けるはず。

 

「そのシンクはワックだぜ」

「!」

 

 ネズミさんは、わたしを指差して言った。

 わたしの思考を、見抜いたかのように。

 

「見え透いてんだよ、甘い考え。燃えてるんだよ、僕のフロウ! マナチャージ! 《バクゲットー》召喚! ハンドレスで、ツードロー!」

 

 手札はないのに、手札を捨てる動作をした後、ネズミさんはまた二枚ドローする。

 そして、ニヤリと口角を釣り上げた。明らかに、いいカードを引いた笑みだ。

 

「来たぜ……見せてやる、喰らわせてやる! さぁ、マジでドープにバッドなパンチライン! お見舞いしてやるぜ!」

 

 な、なにか引いたみたいだけど、なにが来るの……?

 

「まずは、2マナ! 《ダチッコ・チュリス》を召喚!」

 

 あれって、クリーチャーのコストを下げるネズミさんだよね。

 だけど今回は2マナで召喚して、3マナ下げるから、差し引きで下がったコストは実質1。

 ネズミさんのマナは残り2マナ。5マナのクリーチャーまでしか出せない。

 ってことは、少なくとも《スパイク7K》は来ないよね。

 

「……さらに」

「え?」

 

 でも、それだけじゃなかった。

 コストを下げるのは、《ダチッコ・チュリス》だけじゃなかったんだ。

 

B・A・D(バッド・アクション・ダイナマイト)! 発動だぁ!」

「ば、バッド……ダイナマイト……?」

 

 なんのことかよくわからないけど、遥か遠くから、爆ぜるような爆発音と、重く響く重低音が聞こえる。

 それはだんだん大きくなって、わたしの鼓膜を大きく揺さぶっていた。

 

「コストを2軽減! 《ダチッコ・チュリス》とあわせて5軽減! 2マナでこいつを召喚だ!」

 

 そして、やがて。

 わたしの目の前で、それは爆ぜた。

 

「そこを退きな姉ちゃん。ここは親分の道じゃん? こいつはとどめ、最後に参る。それでも行くか、迷子のアリス?」

 

 韻を踏む言の葉のBGMは、爆発。爆音。そして爆撃。

 とにかく大きく、炎が爆ぜる。

 そして、絶大な爆発を背に、それは現れた。

 

 

 

「そぅら――《“罰怒(バッド)”ブランド Ltd.(リミテッド)》のお出ましだぁ!」

 

 

 

 巨大な歯車を両肩に付け、全身を機械的な装甲で覆った、人型のクリーチャー。

 爆ぜるような炎を吹き散らしながら、ジェット噴射するスケートボードのようなものに乗って、そのクリーチャーは滑走――どころか、爆走して来た。

 なによりも目を引くのは、そのコスト。そして、実際に現れた時のコストだ。

 

「な、7コストのクリーチャーが、2マナで……!?」

 

 《スパイク7K》よりもコストの大きなクリーチャーが、なんで2コストで出て来るの!?

 い、いや、それよりも……これって、まずいんじゃ……

 

「B・A・D2……このターンの終わりに自爆する代わりに、コストを2軽くする。そうして《“罰怒”ブランド Ltd.》を召喚! 目ン玉かっぽじってよーく見な、これがB・A・Dのフロウだ!」

 

 コストを2軽くする代わりに、ターン終了時に自爆する? クリーチャーを使い捨てるってこと?

 でもそれなら、《スパイク7K》よりも軽く現れるのも納得だ。

 《ダチッコ・チュリス》で3、B・A・Dで2、合計5コストも軽くなって、《“罰怒”ブランド Ltd.》が爆走する。

 

「《“罰怒”ブランド Ltd.》の登場時能力で、パワー6000以下の《ボスカツ闘&カツえもん武》を破壊!」

「あ……」

「まだまだぁ! 《ナグナグ・チュリス》で、ラストブレイク! シールドブレイク!」

 

 《ナグナグ・チュリス》が拳を振りかざして、わたしの最後のシールドを打ち砕く。

 まずい、このままじゃとどめをさ刺されちゃう……

 

「……! 来たよ、S・トリガー! 《ドンドン吸い込むナウ》!」

「あぁクソ! ファック! 気持ちよくアタックさせろっての!」

「そんなこと言われても、わたしだって負けられないんだから! 《エメラルド・リュウセイ》を手札に加えて、《“罰怒”ブランド Ltd.》を手札に戻すよ!」

 

 火と自然のカードを手札に加えて、《ドンドン吸い込むナウ》の効果を起動。ジェット噴射するスケボーに乗って爆走する《“罰怒”ブランド Ltd.》を、手札に押し戻した。

 ふぅ……なんとか、ギリギリのところで踏みとどまれたよ……

 

「マジでファッキンだぜ。ターンエンドだ」

 

 

 

ターン6

 

小鈴

場:《プロメテウス》《罠の超人》

盾:0

マナ:9

手札:4

墓地:5

山札:20

 

 

眠りネズミ

場:《ナグナグ・チュリス》《バクゲットー》《ダチッコ・チュリス》

盾:5

マナ:7

手札:1

墓地:3

山札:21

 

 

 

 

 間一髪、九死に一生を得たけど、ネズミさんの場には攻撃できるクリーチャーが三体もいる。

 それに、手札には戻った《“罰怒”ブランド Ltd.》。バトルゾーンのクリーチャーを全部倒したとしても、手札から現れるスピードアタッカーの攻撃を防ぐ手立てはない。

 ……さっきまではね。

 今は、B・A・Dも怖くないよっ! 

 

「わたしのターン! 8マナで、《永遠のエメラルド・リュウセイ》を召喚」

「あ?」

 

 エメラルドに輝く、緑色の《リュウセイ》が現れた。

 恋ちゃんや霜ちゃんは、そんなに強くないって言ってたけど、このタミングで召喚するこのクリーチャーには、大きな意味があるはず。

 わたしのデッキは攻撃的で、攻めることに秀でたクリーチャーが多いけど、《エメラルド・リュウセイ》は違う。

 攻めるためじゃなくて、守るための切り札。

 今みたいな、追い込まれている時にこそ、輝くんだ。

 

「攻撃だよ! スピードアタッカーの《エメラルド・リュウセイ》で、《ナグナグ・チュリス》を攻撃!」

「ノックアウトでフェードアウト、んでもってグレイブにシュート……とか、アンサー返してる場合じゃねぇな」

 

 これでわたしのターンは終了。

 ネズミさんの場にはまだクリーチャーが残ってるし、手札にも《“罰怒”ブランド Ltd.》が残ったままだけど、大丈夫。

 まだ、わたしは負けない。

 

「……7マナで、《“罰怒”ブランド Ltd.》を召喚。《罠の超人》を破壊」

 

 B・A・Dを使わず、普通に召喚してきた。能力でまたわたしのクリーチャーが破壊されちゃうけど、《エメラルド・リュウセイ》が残ってるなら問題ない。

 なにせ、《エメラルド・リュウセイ》がいる限り、ネズミさんの攻撃はわたしに届かないからね。

 

「……攻撃誘導、マジで有用、僕の行動、無意味で昏倒……オイオイオイ、こいつは困った、あいつで嵌った、攻撃届かなくなった」

 

 ラップで正気を保ってる……? 別に昏倒なんてしてないけど。

 《エメラルド・リュウセイ》には、攻撃を止める能力がある。正確には、攻撃先を《エメラルド・リュウセイ》に固定してしまう能力が。

 つまり《エメラルド・リュウセイ》をタップさせれば、《エメラルド・リュウセイ》が破壊されない限り、ネズミさんの攻撃はわたしには届かない。

 ネズミさんのクリーチャーのパワーはすべて、8000未満。《エメラルド・リュウセイ》を倒すことはできない。

 

「《スパイク7K》がいれば、ゴリ押しフロウで突破できたんだが、引けねぇしな……悔しいが、ここでそのリリックはバッドだぜ。サムズアップでハンドアップだ。ターンエンド」

 

 

 

ターン7

 

小鈴

場:《プロメテウス》《エメラルド・リュウセイ》

盾:0

マナ:10

手札:3

墓地:6

山札:19

 

 

眠りネズミ

場:《ナグナグ・チュリス》《バクゲットー》《ダチッコ・チュリス》《“罰怒”ブランド Ltd.》

盾:5

マナ:7

手札:1

墓地:4

山札:19

 

 

 

 やった! 凌げた!

 この1ターンは大きいし、大事にしなきゃ。《エメラルド・リュウセイ》のパワーは8000しかないから、ネズミさんが言ったみたいに、《スパイク7K》を出されるだけで突破されちゃうし、他にも相打ち以上を取れるクリーチャーがいるかもしれない。

 《エメラルド・リュウセイ》の防御力も、過信はできない。だからできるだけ早く決めないと。

 そう、できることなら、このターンに。

 

「《龍覇 グレンモルト》召喚! 《銀河大剣 ガイハート》を装備!」

「チキンハートかと思ったが、《ガイハート》でやっとノーガードか。いいぜいいぜ、アクティブにアタック来いよ! テメーのアンサー見せてみろ!」

 

 ……なんか、楽しそうだなぁ。

 状況的には追い込まれてるはずなのに、笑ってる。一喜一憂が激しくて、感情のアップダウンが大きくて、とにかく楽しそうだ。

 でも、わたしはユーちゃんとみのりちゃんの無事がかかってる。素直に楽しんだり、純粋に笑ったりは、できない。

 

「《プロメテウス》を《超電磁コスモ・セブΛ》に進化!」

 

 これで準備完了。

 龍解も考えれば、とどめまで行ける。あとはトリガーを踏まないことを祈るだけ。

 

「行くよ! 《グレンモルト》でシールドをブレイク!」

「S・トリガー!」

 

 うわ、いきなり出ちゃった……

 な、なにが出るんだろう……?

 

「《バクゲットー》を召喚だ! ハンドトラッシュ、ツードロー!」

「ただのドロー、よかった……じゃあ、《エメラルド・リュウセイ》で攻撃! Wブレイク!」

 

 クリーチャーは増えたけど、《バクゲットー》なら関係ない。手札が増えただけじゃ、問題もない。

 続けて《エメラルド・リュウセイ》でもシールドを攻める。これで残り二枚。

 

「ノートリガー」

「じゃあ、《ガイハート》の龍解条件成立だよ!」

 

 これで、このターン二回の攻撃が成功した。

 それによって、《ガイハート》が龍解する。

 鎖に縛られた大剣を、ひっくり返す――

 

 

 

「――龍解! 《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 先輩から託された、わたしの新しい切り札。

 ここで龍解すれば、もうわたしの勝利は揺るがない。《ガイギンガ》が龍解して、負けたことはないんだから!

 

「《ガイギンガ》が龍解したから、《“罰怒”ブランド Ltd.》を破壊するよ! そして、《コスモ・セブΛ》で攻撃! メテオバーンで進化元を墓地に置いて三枚ドロー! そのままWブレイクだよ!」

「ノートリガーだ」

 

 まあ、トリガーが出ても、《ガイギンガ》を倒すことはできなかったと思うけどね。

 なんにせよ、わたしの勝ちだよ!

 これで、とどめ!

 

「《熱血星龍 ガイギンガ》で、ダイレクトアタック!」

 

 私の、渾身にして決死の一撃が、ネズミさんに届く――

 

 

 

「――革命0トリガー!」

 

 

 

 その、刹那。

 ネズミさんの手の内が、燃え上がる。

 

「《ボルシャック・ドギラゴン》! 三枚だ!」

「っ、え……っ!?」

 

 《ガイギンガ》のダイレクトアタックが届くその瞬間。

 ネズミさんは、手札から三枚のクリーチャーを晒した。

 あのクリーチャーは確か、みのりちゃんも使ってた……革命0トリガーの、クリーチャー。

 

「テメーのパンチライン、マジでバッドだったぜ。超絶ドープでつい聞き惚れちまった……だが! 僕もまだ、アンサー返せるんだよ!」

 

 ネズミさんは革命0のカードを三枚、空に放り投げる。

 

「トップデックを公開! 火のクリーチャーを展開! そのクリーチャーに進化かい? それとも、ここが僕の限界? 答えはノー、めくってやるぜ、マジでバッドな正解!」

 

 リズムを刻みながら、ネズミさんは山札をめくる。

 まずは、一枚目。

 

1st(ファースト)! 《ナグナグ・チュリス》!」

 

 確か、革命0トリガーは、指定された文明の進化でないクリーチャーがめくれたら、それをバトルゾーンに出して進化させる進化方法だったはず。

 

NEXT(ネクスト)! 《トツゲキ戦車 バクゲットー》!」

 

 この時、進化元のクリーチャーは一旦バトルゾーンに出るから、登場時の能力が使える。

 

Last(ラスト)! カムカムカム! 僕のマジでバッドなパンチライン!」

 

 《ボルシャック・ドギラゴン》のパワーは12000だから、バトル中の《ガイギンガ》の方がパワーは高い。

 だけど――

 

 

 

「――《ガンザン戦車 スパイク7K》!」

 

 

 

 ここでめくれるカード次第では、パワー負けしてしまう。

 

「き、っ、た、ぜぇぇぇぇぇぇぇ! 来たぜ来たぜ! イルいリリック! マジでバッド! ガチでドープ! ゴッドな神引きだぁぁぁぁぁぁ!」

 

 歓喜に絶叫し、咆哮するネズミさん。

 ゴッドと神で意味が重複してる、なんて野暮なことは言ってられない。

 それ以上に、その三枚のめくられたカードがまずいということを、わたしは理解したから。

 

「《ナグナグ・チュリス》! 《バクゲットー》! 《スパイク7K》! こいつら三体それぞれから進化! 《ボルシャック・ドギラゴン》!」

 

 ネズミと、戦車と、ネズミたちが登場した戦車。それぞれが進化して龍となる。

 わたしの持っているのとは、また違う《ドギラゴン》へと。

 

「《スパイク7K》はNEOクリーチャー! つまり、進化元なしでも通常召喚可能! さぁ、進化元の能力解決だぜ!」

 

 わたしは今まで見てきたNEOクリーチャーは、数は少ないけど、進化した方がその力を発揮しやすかった。すぐに攻撃することに意味があるクリーチャーが多かったから。

 だけど、進化しなくても出せる、という能力が、今ここで大きな意味を持った。

 

「まずは、《スパイク7K》の能力で、僕のクリーチャーすべてのパワーをプラス5000! これでもう、どいつにも負けねーぜ! 続けて《バクゲットー》の能力で、ハンドトラッシュ! ツードロー!」

 

 自軍を強化しつつ、手札を大胆に入れ替えるネズミさん。

 そして、ここからが本命だ。

 

「《ナグナグ・チュリス》の能力で《エメラルド・リュウセイ》とバトル!」

「う……っ」

 

 《ナグナグ・チュリス》から進化した《ボルシャック・ドギラゴン》が、拳を振りかざす。ネズミだった時よりも、よっぽど大きくて、硬くて、雄々しい。力強い拳だ。

 鉄拳が《エメラルド・リュウセイ》を打ち砕く。わたしの守りの砦が、崩された。

 それだけじゃない。

 

「残りを解決だ! 《ボルシャック・ドギラゴン》三体の能力で、《ラムダ》《グレンモルト》《ガイギンガ》とバトル!」

 

 三体の《ボルシャック・ドギラゴン》が、それぞれのターゲットへと飛翔し、拳を繰り出す。

 《コスモ・セブΛ》を、《グレンモルト》を、そして《ガイギンガ》を。

 《ガイギンガ》のパワーはバトル中13000になるけど、《ボルシャック・ドギラゴン》は《スパイク7K》の強化を受けて、パワー17000だ。

 わたしの切り札は、あまりに強大な拳の前に、粉砕されてしまった。

 ……でも、ただではやられない。

 

「《ガイギンガ》の能力発動! 《ガイギンガ》が選ばれたから、もう一度わたしのターンだよ!」

 

 

 

ターン7(NEXT:小鈴EXターン)

 

小鈴

場:なし

盾:0

マナ:11

手札:4

墓地:10

山札:15

 

 

眠りネズミ

場:《ダチッコ・チュリス》《バクゲットー》×2《ボルシャック・ドギラゴン》×3

盾:0

マナ:7

手札:2

墓地:9

山札:13

 

 

 

 なんとか追加ターンは手に入れたけど、わたしのバトルゾーンにクリーチャーはゼロ。シールドもないから、このターンで決めないと。

 ここでスピードアタッカーを引けないと、わたしの負けだ。

 

(お願い、引いて……!)

 

 そう祈りながらカードを引く。

 そして、

 

「! やった! 《ハムカツマン》を召喚!」

「…………」

 

 引けた。

 マナ加速のためのカードで、《グレンモルト》と一緒に攻撃したり、《ドギラゴン》の進化元にしたりするためのクリーチャーだったけど、こんな形で活躍するなんて。

 それに、このタイミングで引けたのは、本当にラッキーだ。

 

(なんにしても、これでダイレクトアタックが決まる――)

 

 ――待って。

 ネズミさんのマナゾーンに、《ボルシャック・ドギラゴン》ってないよね?

 さっきネズミさんは、三枚の《ボルシャック・ドギラゴン》を出した。もしも四枚フルで入れてたら、あと一枚残ってるはず。

 ネズミさんのデッキ枚数はあと10枚くらい? ここまでで最後の一枚が見えてないってことは、デッキにある可能性もあるけど……

 

(もし手札に持ってたら、《ハムカツマン》じゃ倒せない……だったら)

 

 わたしのマナゾーンには、まだマナがたくさんある。

 これだけで終わるのは、ちょっともったいない。

 だから、

 

「8マナで、《サイバー・G・ホーガン》を召喚!」

 

 残りのマナをふんだんに使って、《ホーガン》を召喚する。

 なにもしないより、なにかする方が絶対にマシだ。相手が《ボルシャック・ドギラゴン》を持ってようと持ってなかろうと、この行動に意味はあるはず。

 

「激流連鎖発動! 山札を二枚めくって、コスト8未満のクリーチャーを全部出すよ! 一枚目! 《風の1号 ハムカツマン》! そして、もう一枚!」

 

 これで《ハムカツマン》が二体。《ボルシャック・ドギラゴン》一体なら耐えられるけど、それは《ボルシャック・ドギラゴン》だけの場合。

 《ボルシャック・ドギラゴン》は、山札をめくって、めくれられた火のクリーチャーの能力も使える。場合によっては、スピードアタッカー二体でも押し切れない。

 ここからはもう、運と可能性の領域だ。

 あるかどうかもわからない“詰め”のお話。

 かもしれない、来てほしい。可能性と、確率と、願望が混ざり合った状態。

 来なくても勝てるかもしれない。けれど勝てないかもしれない。だから、来てほしい。

 そう願う。そして――

 

 

 

「――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 引いた。

 無意味か、有意義か。どちらに転ぶかもわからないけれど、わたしの切り札が、来てくれた。

 

「《ハムカツマン》を進化元にして進化だよ! そのまま《エヴォル・ドギラゴン》で攻撃!」

「ガッデム! なにめくったら勝てるんだよこれ……まあいい! 一応出すぜ、革命0トリガー! 《ボルシャック・ドギラゴン》!」

 

 やっぱり持ってた!

 偶然なんだろうけど、この一番いいタイミングに四枚も防御手段となるカードを引くなんて、凄すぎるよ、ネズミさん……

 でも、引きの強さで言ったらわたしも負けてない。

 ここ一番で、《エヴォル・ドギラゴン》を引けたんだから。

 

「トップ公開! 場に展開! 《ボルシャック・ドギラゴン》を、《“罰怒”ブランド Ltd.》から進化! パワー6000以下の《ハムカツマン》を破壊する……が、ここまでか」

 

 《“罰怒”ブランド Ltd》の能力で、控えていたもう一体の《ハムカツマン》が破壊されちゃう。《ボルシャック・ドギラゴン》のバトル能力も残ってる。けど、問題ない。

 《スパイク7K》はいないし、これが四枚目だからこれ以上《ボルシャック・ドギラゴン》も出ない。《ボルシャック・ドギラゴン》のパワーは12000、《エヴォル・ドギラゴン》のパワーは14000だ。

 バトルでは、《エヴォル・ドギラゴン》に負けはない。

 ネズミさんの最後の防御も乗り越えて、《エヴォル・ドギラゴン》が飛翔する。

 

「《エヴォル・ドギラゴン》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ふぅ……終わった、やり切った、燃え尽きた……ぜ」

 

 対戦が終わるや否や、ネズミさんはだらんと両腕を垂らして、呆然と虚空を見つめていた。

 ど、どうしたんだろう……

 

「言い訳の余地なく負けたぜ、こりゃ……あー、だがまあ、楽しかったなぁ……!」

 

 虚ろだったら目に火が灯ると、今度はわたしの方を見つめる。

 彼は、笑っていた。

 

「……わたしが、勝ったよ」

「わかってるわかってる。帽子屋の頼みは断れないが、あんたとの約束を反故にはしない。今回は失敗、今日のところは撤退、次に会う時は勝ちたい……負けっぱなしは嫌だが、今日の負けは悪くなかった。あんたのフロウ、マジでバッドだったぜ」

「あ、うん。ありがとう?」

 

 褒められてるのかよくわからないけど、とりあえずそう返す。

 

「あーあ、悪ぃな帽子屋、他でもないてめぇの頼みだってのに、完遂できなかったぜ。だが、てめーはちっとばっか、頼む相手を間違えたぜ。それに、僕に頼むんなら、先にお膳立てしてくれねぇと、時間が、足りな……い、ぜ……」

「え? ちょ、ちょっと、大丈夫?」

 

 急にふらふらしだしたネズミさん。どうしたんだろう?

 

「おぅ……大丈夫だ。僕は『眠りネズミ』。ちぃっとばかし……“おねむ”なだけ、だぜ……あぁ、もう時間、だな……はしゃぎ、すぎた……これ、以上は、無理……寝る」

 

 と言って。

 バタン。 

 ネズミさんは、その場に倒れた。

 いや“眠った”。

 仰向けに寝転がって、小さな寝息を立てて、眠っている。

 

「…………」

 

 こんな人目も気にせず、道のど真ん中で眠りにつくなんて、どんな神経してるんだろう……しかも、見るからにもう完全に寝入ってるし……

 流石に放っておけないんだけど、みのりちゃんやユーちゃんのこともあるし、どうしよう……

 と、わたしがおどおどと戸惑っていたら、わたし以上におどおどした声が聞こえてきた。

 

 

 

「ネ、ネズミくんっ!」

 

 

 

 ……いや、実際はそんなにおどおどしてないんだけどね?

 だけど、その聞き覚えのある声を聞くと、そう思っちゃったんだよ。

 振り向くとそこには、フードまで被ったパーカー姿に、大きなリュックサックを背負った女の子がいた。

 つい先日、わたしにデュエマを挑んできた【不思議な国の住人】の一人。カメさんこと『代用ウミガメ』さんだ。

 なんでここに、と言いたかったけど、なんとなくその理由がわかった気がした詩、その目的も察せられたので、なにも言わないことにした。

 

「あぁぁぁ……や、やっぱり、気になって来てみれば、よ、予想通りだよ……こ、こんなところで寝ちゃダメだよ、ネズミくん……っ」

 

 カメさんは一直線にネズミさんのところまで駆け寄って、ゆさゆさと揺するけど、起きる気配はない。

 

「はうぅ、やっぱり、ア、アタシなんかよりも、他の人に代わりに行ってもらった方が良かったんじゃ……で、でも、ネズミくんのことだし、放っておけないし……あぅあぅ……」

「…………」

 

 わたしはいつまでこうしていればいいんだろう。

 

「あ……ご、ごめんなさい、放置しちゃって……」

「い、いえ……お構いなく……」

 

 そんなわたしの視線に気づいたのか、カメさんはペコペコと平謝りしてる。

 ……なんだろう、この茶番は。

 

「え、えっと、ネズミくんは、その、ちょ、ちょっと普通の人よりもよく寝るだけで、所構わず寝ることが特技みたいな子で……へ、変な子じゃ、ないんです、普通の子、なんです……っ」

「はぁ……」

 

 いや、それは十分人として変だと思うけど……というか、カメさんはなにに弁明したいんだろう。

 

「……こ、このままお話してたら、目的を忘れちゃいそうです……そ、その、ネズミくんは、連れて、帰ります……ご迷惑を、お、おかけ、しました……っ」

 

 カメさんはネズミさんを(リュックの上から)背負うと、最後にペコリと一礼してから、たったかと速足で私の視界から消えて行った。

 ……本当に、なんだったんだろう。

 なにはともあれ、今回の騒動はこれで終結。みのりちゃんもユーちゃんも無事で、この後、何事もなく帰宅できました。

 なんともまあ、締まらない終わり方だけれども。

 彼ら独特の、まったくスッキリしない、奇妙な残り香だけを残して。

 今日という日は、終わりました。




 帽子屋、代用ウミガメと来て、今回も新キャラ、眠りネズミの登場です。言うまでもないとは思いますが、いずれも『不思議の国のアリス』から名前を取っているキャラクターです。
 眠りネズミは、その名の通りネズミのクリーチャーを擁するビートジョッキー使いですが……やはりこれも、ピクシブ投稿時が結構な昔で、カードプールに差異があるため、ちょっと古いタイプの赤単ビートジョッキーなんですよね。それなりに強いので、今でも多少は通用するとは思いますが。
 それでは、ご意見ご感想、誤字脱字、その他諸々、なにかりましたら遠慮、容赦、忌憚なくお伝えください。


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15話「コーディネートだよ」

 我ながらふざけたギャグテイストになったと思いますが、あながちギャグだけでもないつもり……【不思議の国の住人】の奇妙さ、おかしさが少しでも伝わればな、と思います。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 いきなりですが、今のわたしはお出かけタイムです。どこに行くかって? それも言うけど、その前に、大事なことがあります。

 それは、誰とお出かけか、です。

 夏休み前の約束を果たすための、お出かけなんです。

 

「霜ちゃーん!」

 

 待ち合わせの駅。構内に入ると、すぐに視界に入る女の子――の格好をした男の子。水早霜くん、霜ちゃんだ。

 

「ごめんね、待った?」

「いいや、ボクもさっき来たところだ」

 

 時刻は午後2時。太陽がとても熱い時間帯。

 二人で切符を買って、ホームに出る。そこで、ふと霜ちゃんが呟いた。

 

「……遂にこの日が来たね」

「霜ちゃん、嬉しそう?」

「こんなことを言うのは少し照れくさいけど、しかしボクが今日という日を楽しみにしてきたのもまた事実。そして、その事実は揺るがない、変わりようがないことだ。今から胸の動悸と全身の躍動が止まらないよ」

「そんな霜ちゃんはちょっと怖いけど、わたしも少し嬉しいかも。だって今日は――」

 

 一拍置いて、あの時の言葉を思い出す。

 何気ない約束だったのかもしれないけど、今日という日が来てしまえば特別だ。わたしにとっては未知に近い、詳しくない領域になる。だからこそ怖いけど、だからこそ、楽しみだ。

 それはたぶん、友達が、霜ちゃんがいてくれるからかな。

 こと今日に関しては、みのりちゃんでも、ユーちゃんでも、恋ちゃんでもない。霜ちゃんだからこそ、という日だ。

 そう、今日は――

 

 

 

「――霜ちゃんがわたしを、コーディネートしてくれる日だもんね」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 要するに、女の子同士のお買い物です。霜ちゃんは男の子だけどね。

 でも、こと衣服、ファッションに関してなら、下手な女の子よりも詳しい。少なくともわたしよりはね!

 以前(11話)に、霜ちゃんと一緒に服を買いに行く約束をした。女の子同士のお買い物ではなく、わたしの服を選ぶ、霜ちゃんがわたしをコーディネートしてくれるってことなんだけど。

 ……まあ、それもこれも、わたしの服に関する頓着がないのが問題なんだけどね。でも流石に、正面切ってダサいと言われるとショックだよ……

 

「ここだ、着いたよ」

 

 電車に揺られて数十分。そこから炎天下の道を歩いて十数分。『Brush up』と看板が掲げられたお店が見えてきた。

 

「あ、このお店。ここに来るの、久々だなぁ」

「君も来たことあるのかい?」

「うん、四月の後半くらいかな? みのりちゃんと一緒にお出かけした時に立ち寄ったの」

「その時も服を?」

「あの時は見るだけだったけどね」

 

 特にアテもないお出かけだったから、服を買うほどの余裕がなかったんだよね。でも、ウインドウショッピングも楽しかったよ。

 

「そうか。だけど、今日はきっちり君のダサいファッションを矯正するよ。覚悟してくれ」

「あんまりダサいって言わないでよ、結構傷つくんだよ……?」

「……ごめん」

 

 少しバツの悪そうにする霜ちゃん。ちょっと言い過ぎちゃったかな。

 霜ちゃんはわたしの服をダサいって言うけど、それは、霜ちゃんなりにわたしのことを考えてくれてるからってわかるから、あんまり気にしてはいないんだけど……でも、ちょっとは気にしちゃうかな、やっぱり。

 

「とりあえず入ろう。外は暑い」

「うん、そうだね」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「どうせワンピースとかロングスカートの類は多く持ってるだろうし、違う方向で攻めたい感じはあるな。ミニスカも似合わないわけじゃなさそうだし」

 

 お店に入った直後、霜ちゃんのコーディネートが始まった。

 店内に並んでる数々の服を手に取って、わたしに合わせてくれる。その中でも特に気になったものは試着する。それの繰り返しだ。

 

「こんな感じのスカートはどうだろう」

「う、脚を出すのは、ちょっと恥ずかしいかも……」

「なにを今更。制服は普通にスカートじゃないか」

「わたしのスカートはそんなに短くないよっ」

「しかし、さっきはああ言ったものの、どう攻めたものかな。今の小鈴の雰囲気そのままに、よりハイセンスな服を選ぶか。それとも、違う方向性を模索するべきか……」

 

 服を選びながら、霜ちゃんはずっとそうやってぶつぶつ呟いてる。

 なんというか、あまりに没頭していてちょっと怖いけど、こんなに真剣な霜ちゃんは初めて見た気がする。

 

「小鈴はどんな感じがいい?」

「え? うーん、目立ちすぎなくて、あんまり派手じゃないのがいいかな……あと、肌を出すのはあんまり……」

「よし、参考にならないな」

「えぇ!? 酷い!」

 

 だったら聞かないで、と言いたくなる。

 

「でも、困ったな。ボクはボクのいいところを理解しているけど、小鈴のいいところを小鈴が理解していないのが問題だ」

「そうなの?」

「そうだとも。自分に似合う服がまったくわからないんじゃ、合せる基準が定まらない」

「わたしにも好みは一応あるんだけど……」

「好みと似合う似合わないは別だよ。とはいえ、好きな服が似合う服であることは往々にしてあるけど。でも君の場合、それが必ずしも合致するわけじゃなさそうだから、そこが難しい。まずはどういう感じが似合うのかを探してから……」

 

 また霜ちゃんがぶつぶつ呟く世界に入ってしまった。

 うーん、覚悟はしていたけど、これは長丁場になりそうだなぁ。

 と、わたしたちがそうやって試行錯誤していると、トントンと霜ちゃんの肩を叩く人が。

 

「お困りですか? 水早さん」

「あ、どうも」

 

 声をかけてきたのは、女の人だった。お店のエプロンつけてるし、店員さんかな?

 

「小鈴、紹介するよ。この人は見ての通り、ここの店員さんだ。名前はボクも知らない。この店に来るたびに、ボクもよくお世話になってるんだ」

「ど、どうも、こんにちは。伊勢小鈴です」

「こんにちは、伊勢さん。今日はお友達と一緒なんですね」

「はい。今日は、服のセンスがない彼女のために服を選んでるんです」

「霜ちゃん……!?」

「まあ、そうなの」

 

 驚いたような仕草を見せる店員さん。

 それはいいんだけど、センスがないって人前で言うのはやめてよ……

 

「水早さんが他人のために服を選ぶなんて。よっぽど大事な友達なんですね」

「えぇ、まあ……」

「でも中学生の服選びですか……だったら、私よりも適任者がいますね?」

「適任者?」

「店員さんが手伝ってくれるのでは?」

「ここで店員やってるのは親の手伝いみたいなものですし、私はあくまでデザイナーだから。人のコーディネートより創造が好きなんです。それに、あの子の方が歳も近いし、流行とかに聡いから、私よりもいいアドバイスをくれると思います。ちょっと待っててください、今呼んで来るので」

 

 そう言って店員さんは、お店の奥へと引っ込んでしまう。

 わたしたちが棒立ちで待っていると、やがて戻ってきた。適任者なる人を連れて。

 

「お待たせ。連れて来ましたよ。今ちょうど遊びに来てる従妹なの」

「この子たちが、ふーちゃんの言ってたお客さん?」

 

 店員さんの後から続いてきたのは、女の子だった。

 明るい髪を二つに括った、小柄な女の子。

 女の子は、眩しいばかりの笑顔を見せる。

 

「はじめまして! ふーちゃんのいとこで、春永(はるなが)このみだよ! よろしくね!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 春永このみ、と女の子は名乗った。

 なんだけど、わたしたちはこの子のある一点から、目を外せなかった。

 

((うわ、胸、すご……!))

 

 霜ちゃんも口をあんぐりと開けている。たぶん、わたしと同じことを考えてるんだと思う。

 

(そ、霜ちゃん! どどど、どうしよう……! わ、わたし、同年代でわたしより胸の大きい女の子、はじめて見たよ……! ちょっと感動したよ!)

(ボクも流石に驚きだ……想像ではあり得ると思えても、こうして現実を目の当たりにすると……小鈴より小柄なのに、明らかに小鈴よりも胸があるなんて……)

 

 彼女の身長はわたしよりも低い。ユーちゃんと同じくらいかな。わたしが150cmくらいで、そのわたしが見下ろすくらいだから、140cmあるかどうか……流石に恋ちゃんよりは背が高いようだけど、ここまで低いと比べるのも、ってなっちゃう。

 

「? どうしたの?」

「いえ、なんでも……ボクは水早霜です。はじめまして」

「わ、わたしは、伊勢小鈴、です……」

「んー……すずちゃんと、そーちゃんね! 覚えたよ!」

 

 無邪気に笑っている。その笑みはとても爛漫で、子供っぽい。

 一体、いくつなんだろう、この子。同い年? それとも小学生?

 なんて思ってると、店員さんの口から、衝撃の事実が言い放たれる。

 

「このみちゃんは今年から高校生だったよね? なら、私よりも今時のファッションに詳しいと思うんだけど」

『高校生!?』

 

 これで!? わたしよりちっちゃいのに!? 胸は大きいけど!

 

「この見た目で、ボクらよりも三つも年上なのか……!?」

「わたしのお姉ちゃんよりも年上だよ……?」

「あー、よく言われるなぁ、それ」

「あ……ご、ごめんなさい! 失礼でしたよね……」

「いいよー、気にしてないから。それにしても、そーちゃんは男の子なのに可愛いね!」

「え……!? ボク、男だって言いましたっけ……?」

「見ればわかるよー。最初ちょっと変わってるなーって思ったけど、可愛いから気にならないね」

「一目でボクの性別を見抜くのか……なんて人だ……!」

 

 霜ちゃんが戦慄してる。ちょっと面白い。

 そんなに自分が男の子であると見抜かれるのが驚きだったんだ。確かに、見た目じゃ女の子にしか見えないけど。

 

「ん……閃いた! ゆーくんにもふりふりの衣装着せたら面白くて可愛いかも……文化祭のときとか、来てくれないかなぁ。姫ちゃんにも協力してもらおうっ」

「あ、あのぅ、それより……」

「あ、ごめん。えっと、なんだっけ?」

「このみちゃん。伊勢さんが今時の女の子のファッションに悩んでるから、力になってあげて」

「うん、そーゆーことね! すずちゃんのファッションね! すずちゃんはねー……うーん」

「あ、あの……? 春永さん?」

「このみでいいよー。ぺちぺち」

 

 このみさんが、なぜかわたしの頬をぺちぺちと軽く叩く。

 それから、右に回ったり左に回ったり後ろに回ったり、下から覗き込んだり背伸びして上から覗き込もうとしたり、色んな角度から視線を向けてくる。

 

「……あたしとちょっと似てるかも。すっごいふりふりにするのも面白そうだけど、ふつーにいくなら森ガール系?」

「やっぱりそうなりますよね。本人は派手なのは嫌だって言うんですけど」

「じゃあギリギリを攻めてみよう! とりあえずはこの辺で……」

「お、お手柔らかにお願いします……」

 

 そんなこんなで、霜ちゃんに加えこのみさんによる、わたしのファッションコーディネートが再開されました。

 ……なんか、怖いなぁ……

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「こんなのはどう?」

「うわぁ、ふりふり……もったいなくて着れないよ……」

「少し華美すぎじゃないですか? 小鈴の性格とあんまり合わないような」

「じゃあこっちは?」

「あのこれ、ちょっと布面積小さすぎじゃ……」

「小鈴の体型を考えると、露出が多くてやや下品になりそうです」

「ちょいとボーイッシュに、パンツ系とか?」

「き、キツイかも……!」

「体型的に無理がありますね」

「成程ねー。なら、これはどうかな?」

「か、可愛いけど、ちょっとこれは……恥ずかしいかも……」

「流石に子供すぎます。これじゃあ小鈴がダサいままです」

 

 あれからどれくらいの時間が経っただろう。店員さんは店の奥に引っ込んでしまった。

 このみさんはかなりアグレッジヴな性格みたいで、目につく服をあれやこれやと次々と試着させてくる。それはそれでいいんだけど、何度も繰り返してると疲れてくるよ。

 しかも同時に霜ちゃんによる辛口コメントで精神的にもチクチクとダメージが蓄積される。

 それにしても、まさかズボンを履くだけで大変な思いをするとは思わなかった。これがお姉ちゃんの言ってた地獄なんだね……

 

「難しいね、すずちゃんコーディネート」

「体型がアレだから、服を選ぶんですよね。わかってはいたけれど、実感としてあるとやっぱり厳しいな」

 

 あぅ、体型がアレって……霜ちゃんはズバズバ言うなぁ。わたしだって、もう少し身長があれば、おかしくもなんともないんだけど。

 そういえば、とわたしはこのみさんを見る。

 今の霜ちゃんの言葉で、ちょっと気になったのだ。

 

「あの、このみさん」

「なになに?」

「このみさんは、服を選ぶ時、どうしてるんですか?」

「んー? なんで?」

「いや、その、あの……すごく、服を選ぶのが大変そうなので……」

 

 背が低いのに胸が大きいと、着れる服が限られてくるから、結構大変なのです。わたしがファッションにあんまり興味を持てないのも、そのへんが大変だからだったりするんだよね……面倒くさい、ってことなんだけど、要するに。

 だから、わたしと似た体型だけど、わたしよりも顕著なこのみさんは、わたしよりもずっと苦労してるんじゃないかと思って、聞いてみたんだけど、

 

「あたしの服はふーちゃんお手製のオーダーメイドだからね! 服のサイズで悩んだことはないよ!」

((オーダーメイドなんだ……))

 

 なんか、妙に納得してしまった。

 でも確かに、オーダーメイドで服のサイズを調整できるなら、苦労はしないよね……

 

「あ、そうだ!」

 

 と、その時。

 このみさんがなにか閃いたようだった。

 

「確かこの前……ふーちゃーん!」

「えぇ、このみさん!? ど、どこへ……?」

「ちょっと待ってて! すぐ戻るから!」

 

 そう言ってこのみさんは、店の奥へと突撃するように消えてしまった。

 な、なにがあったのかな……

 

「あのさあのさ、この前デザインしてたやつなんだけどさー――」

 

 店の奥からそんな声がかすかに聞こえた気がする。

 このみさんが戻ってくるのは、それからもうしばらく経ってからのことだった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「お待たせー! これなんかどうかな?」

「ワンピース……?」

 

 このみさんが持ってきたのは、淡いピンクと水色に彩られた、チェック柄のワンピースだった。

 袖の辺りにレースがあったり、胸元のリボンとかが素敵な服なんだけど……

 

「サイズ、明らかに大きくないですか?」

「大きい、よね。ちょっとこれは着れないかも」

「これを着る必要はないよ? だってこれ、ふーちゃんがデザインして、仕立てた服だもん」

「え? 店員さんが?」

「うん。思い通りの出来じゃないからって捨てるつもりだったみたいだけど、これをすずちゃんサイズに合わせれば、絶対可愛いと思う!」

「ふむ……確かに悪くないですね。装飾自体はシンプルだし、ワンピースなら小鈴にも合いそうだ。ちょっと幼い気もするけど、この辺のワンポイントとか、いい感じですね」

「でしょでしょ?」

 

 霜ちゃんのお眼鏡にも敵ったみたい。わたしも、素敵なワンピースだと思う。

 

「これに薄手のジャケットかなにかあれば……こんなのはどうだろう」

「いいねそれ! じゃ、早速ふーちゃんに交渉してみるよ!」

「あ、裾は短めでお願いします」

「霜ちゃん!?」

 

 最後にサラッと言い放つ霜ちゃん。

 訂正したいけど、たぶん、わたしのことを考えて言ってるんだろうなぁ。そう思うと止められない……

 

「でも、これって実質オーダーメイドですよね? お金、大丈夫かな……」

「そこは任せて! あたしがちょちょいとふーちゃんを説得するから!」

 

 そう言って、このみさんはワンピースを持って、また店の奥へと消えて行った。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 このみさんの交渉の結果、思った以上にあっさりと、店員さんはサイズを合わせてくれた。

 没案を作り直すのはなー、なんてちょっと愚痴っぽいことも言ってた気がするけど、それはそれでまんざらでもなさそうだったし。

 原価がまったくわからないからなんとも言えないけど、お金も思っていた以上に安かったし、このみさんと店員さんには感謝しないとね。

 もちろん、霜ちゃんにも。

 

「今日はありがとう、霜ちゃん」

「こちらこそ。他人のコーディネートは初めてだったから、いい経験になったよ」

 

 少し遅くなった帰り道。

 買ったワンピースとジャケットを抱えて歩く。

 今までお洒落ってあんまり気にしたことなかったし、今でも正直よくわからない。霜ちゃんやこのみさんがすごく熱くなってたけど、なにがそこまで熱意を持たせるのかはさっぱりだ。

 だけど、誰かがわたしのために一生懸命になって服を選んでくれた。わたしのために、尽力してくれた。

 それがすごく嬉しい。ファッションはわからないけれど、その感情だけは、しっかりと胸に刻み込まれる。

 

「じゃあ、服を買ったら次のステップだね」

「え? 次?」

「その服を実際に着る場が必要だろう? じゃなきゃ意味がない。買っただけで満足するんじゃ、ゲームやプラモに参考書と同じだ」

「あ、そっか……?」

 

 ……参考書?

 

「だから、また近いうちに、どこかに出かけよう。遊びに行くでも、買い物に行くでも」

「うんっ、ありがとう。霜ちゃん」

 

 今日は、霜ちゃんのお陰でとてもいい日になった。

 こんな楽しい日が、またやってくる。霜ちゃんはそれを約束してくれた。

 そんな風に。わたしが今日という一日を噛みしめ、未来への希望に胸を躍らせていると――

 

 

 

「やっと見つけたぁーッ!」

 

 

 

 ――そのいい気持ちを、木端微塵に粉砕するみたいな大声が轟いた。

 しかも、正面から。

 その声に驚いて、わたしも霜ちゃんも目を丸くする。

 そして声の轟く目の前の人たちに、目を見遣る。

 

「さぁさぁさぁ、予定調和上等で、本日のノルマを回収しにやって来たのよ!」

主役(キング)を差し置いて話を終わらせようなど、笑止千万! まだなにも終わらぬわ!」

「……なんか、すいません、楽しそうなところ邪魔して。だけど、これが仕事なんで、どうかご勘弁を……」

 

 うわぁ、なんかまた変な人出て来たぁ……しかも三人!

 三人とも、それぞれ個性的な格好をしている。 

 一人は女の人。煌びやかなドレスを着て、様々な模様と色に彩られた、派手なマントのようなものを羽織ってる。真夏というこの季節に真っ向から反抗した格好だ。

 次は男の人。結構がっしりした体つきで、その上から、燃える炎のような模様の入ったライダースーツを着ている。だから体つきがしっかりわかる。こっちも暑そう。

 最後も男の人だけど、一番若く見える。浅黄色の、地味な色合いのシャツ。そして、まるで絵の具をぶちまけたみたいな、オレンジや紫、黒い色が乱雑に染められたスカーフを巻いている。一番まともな格好だけど、やっぱり暑苦しく見える。

 唐突な闖入者三人組。わたしは驚愕のあまり、呆気に取られてしまったけど、霜ちゃんはどこか冷ややかな目で、彼らを見つめている。

 

「……なんとなく読めた気がするけど、誰ですか?」

 

 霜ちゃんは三人組に問うた。

 わたしたちは、この人たちを知らない。だけど、なんとなくわかったような気もする。

 その疑問を解消するための、答え合わせのような問。そして三人からの返答は、わたしたちの創造を裏切らないものだった。

 

「ふふふ、そう聞かれてしまったら、お決まりとして答える他ないのよ!」

 

 バサッと、お姉さんは羽織物を翻して、恥ずかしげもなくポーズを取る。

 そして三人はそれぞれ、名乗りを上げた。

 

「蟲の三姉弟の長女、(アタクシ)の名は『バタつきパンチョウ』! 帽子屋さんに頼まれて、あなたと縁を結びつつ、姉弟揃って本日のノルマを回収しに来た、【不思議な国の住人】なのよ!」

「ここに宣言する! ぼくこそが、蟲の三姉弟が長男! [[rb:主役 > キング]]たる我が名は『燃えぶどうトンボ』! 姉上と同じく、帽子屋殿の命を受けた【不思議な国の住人】が一人だ!」

「……次男、末っ子の『木馬バエ』です。鬱陶しい上に阿呆な姉と兄がご迷惑をおかけしますよ……でも、まあ、諦めてください。こっちもボスに頼まれてるものでしてね」

 

 あぁ、やっぱり。帽子屋さんの仲間の人たちなんだ……

 これで三回目。なんかもう、慣れちゃったよ。

 ドレスの女の人が『バタつきパンチョウ』、ライダースーツの男の人が『燃えぶどうトンボ』、若いスカーフの人が『木馬バエ』。

 名前を覚えるのもしんどくなってきたなぁ。三人一緒だから、なおさら。

 

「……で、君たちはボクらになんの用?」

「ノルマを達成しにきたのよ」

「もっと具体的に」

「聖獣の居場所を賭けて、私たちと勝負よ!」

 

 やっぱりそうなるのかぁ。そんなこと言われても、わたしは知らないんだけどなぁ。

 今回はいつにも増しておかしな展開だ。【不思議の国の住人】の人たちと出会うと、なんだかいつも奇妙な感覚に襲われて、空気が重いのか軽いのかよくわからなくなるんだけど……今回は、そのおかしさが顕著だった。

 まるでコントのようなやり取り。今まで以上に、都合が合わせられているというか、予定調和に感じられるイベント。

 小説なら、こんな唐突な登場は、普通はあり得ない。事前に伏線を張るとか、なにかを仄めかすような要素があったり、あるいはそのシーンに作品における意味が見出されるはず。

 だけどこの出会いは、なんだかそういうものではないように感じる。

 取ってつけたような因果。こじつけたご都合主義。不要なものでも、それがなければ成立しないものを接ぎ木したかのような。

 それはお姉さんが言うような、ノルマのようなもので。

 予定調和、だと思えてしまう。

 なんて、わたしがこの奇妙な出会いに困惑していると、その間に向こうの三人組は、なにか話し合っていた。

 

「問題は、誰が戦うかなのよ。相手はお子様お二人。これは、こっちも二人で臨むのがマナーというものだけれど」

「姉上! 相手の人数など関係ない! 数で勝るぼくら姉弟で蹂躙すればいいだけでは!」

「それはマナー違反なのよ。相手が二人ならこっちも二人。これがお約束なのよ。それに私たちは、一度に三人一気に出た。これは展開、演出的にはあまりよろしいとは言えないのよ。読む人が混乱するからね。だから、まずは紹介も兼ねて一人ずつなのよ」

「むしろ、いつ出るかもわからない奴らが、一人一人時間を置いてキャラ付けする方が混乱するんじゃないの……?」

「いや、ハエ。姉上がそう言うのであれば、そうなのだ。姉上を信じろ!」

「信じてはいるけど、発言の視点が意味不明すぎるんだよ、姉さんは……いや勿論、それがどういうことに起因しているのかは理解しているけども」

「じゃあここは、お姉ちゃんの一存で決定するのよ! ここは最も自然な展開、都合の良い流れで進めるのよ!」

「委細承知だ、姉上」

「わかったよ……で、とかなんとか、勝手に話進んでますけど。そちらさん、大丈夫ですか?」

 

 若いスカーフの人――『木馬バエ』さん? が、どこか無気力に、気を遣ったような言葉を投げかけてくれる。

 もっともそれは、儀礼的に言っているか、不合理がないようにするための作業、という印象が拭えなかったけど。心配は言葉上だけで、わたしたちには微塵の興味もないみたいな。

 それにその言葉は、問い掛けだけど、イエスもノーも、同じ意味でしか届かないということを表しているかのようだった。

 それを察した霜ちゃんは、不満と呆れを滲ませた声で答える。

 

「ダメって言って、聞いてくれるのかい?」

「まあ無理でしょうね。うちの愚姉愚兄は虫けら並みの素晴らしい脳ミソをお持ちなので、人の話聞けないですから」

 

 とても皮肉の利いた、辛辣な言葉を躊躇いなくお姉さんとお兄さんに浴びせる、弟さん。

 だけどお姉さんもお兄さんも、聞いているのかいないのか、どこ吹く風だ。

 それを見た弟さんは、どこか呆れ気味に続ける。

 

「姉さん、兄さん。盛り上がるのは勝手だけど、この子ら見つけるのにかなり時間使っちゃったから、もう残り時間あんまりないよ」

「なんと! それは真か! 弟よ!」

「ちゃんと時間見てよバカ兄貴。帽子屋さんも、時計はチェックしろって口を酸っぱくして言っていただろう」

「ハエだけに、酸っぱいものを舐めるから口が酸っぱいのよ?」

「うるさい。口が腐ってて悪かったな……じゃなくて」

 

 ……なんだか、テンションもそうだし、コントっぽいなぁ。

 弟さんの方は、至極まじめっぽいけど。

 

「私らが私らとして動ける時間には限りがあるんだから、そこも意識しないとダメだろって話だよ。わかってるの?」

 

「それもそうなのよ。作品的な尺の問題もあるし、なにより一話一戦がこのお話のルールなのよ。となると、ここで相手できるのは一人だけと見るべきなのよ」

 

 お姉さんは、意味不明な言葉を並べ立てる。

 作品とか、尺とか、お話とかルールとか、なにを言ってるのか、わたしにはさっぱりです。まるでこの世界を、ひとつの小説として見ているみたいな、おかしな視点でものを言う人だ。

 もうどうにでもなれ、と匙を投げたい気分。投げようが投げまいが、たぶん、わたしにとっていいとは言えない結果になるんだろうけど。

 

「それじゃあ、誰が行くのよ? やっぱりここは、年長者のお姉ちゃんが行っちゃう?」

「私が行こうか? 面倒くさいけど、汚れ役なら引き受けるよ」

「いいや、ここはぼくが行こう」

 

 わたしたちのことなんてそっちのけで、三人で話し合っているお姉さんたち。

 その中で、お兄さんが名乗りを上げる。

 

「帽子屋殿の命とはいえ、此度の任務はさほど重要なものでもない。であれば、姉上が出るほどのことでもなかろうよ」

「なら、やっぱり私が出るべきじゃないか、兄さん」

「ふっ。確かに年功序列を先んじて示しはしたが、我ら姉弟、それがすべてではない。麗しの弟を戦地に送り出すような無粋な真似はせん」

「え、なに、麗しとか気持ち悪い……」

「ゆえに、ここは主役たるぼくが出る幕だということだ!」

「まったく理屈が意味不明だ。ただ自分が暴れたいだけじゃないのか?」

「もうっ、ハエはそんなこと言わないの! お姉ちゃんは感動したのよ、トンボがこんなにも私たちを思って戦ってくれるだなんて……その意志は汲まないと! だから今日の主役はトンボで決まり! なのよ!」

「……あっそ。そうですか。じゃあもう好きにしてくれ」

「とゆーわけでトンボ! 今回はあなたに任せるのよ!」

「承知した。姉上、弟よ。必ずや小娘の首を取って帰還するゆえ」

「好きにしろとは言ったけど、首取るのが目的じゃないでしょ」

 

 とまあ、そんな感じで色々あって、話はついたみたいです。

 協議の結果、ライダースーツの男の人――『燃えぶどうトンボ』さんが、進み出た。

 一番話通じなさそうな人が出てきちゃったよ……わたし、すごい不安です。色んな意味で。

 でも逃げられそうにないし、逃げるわけにもいかないし……

 と、わたしがまごまごしていたら、霜ちゃんがわたしを手で制して、前に出た。

 

「小鈴、下がってて」

「霜ちゃん、でも……これは、わたしの……」

「違うよ、これは君だけの問題じゃない。ボクらみんなで共有すべき問題だ。それに、いつも君ばっかりが戦ってるじゃないか。ボクらがいる時くらい、ボクらを頼ってもいいんだよ」

 

 そう言う霜ちゃんの姿は、とても頼もしくて、いつもよりも、格好良かった。

 

「それに、ボクは君よりも強いしね。安心しなよ」

「……あはは、そうだったね。それじゃあ霜ちゃん、お願いしていい?」

「あぁ、任された」

 

 そして霜ちゃんは、わたしに代わり、相対する。

 

「話は終わったか? ぼくは誰が相手でも頓着はせん。主役は相手選り好みはせんからな」

「それはよかった。いちゃもんつけられたらどうしようかと思ったよ」

「そのような無粋で矮小なことはせん。では、始めるぞ!」

 

 その一言で、空気が変わった。

 ピリッとした、少し痛いような、なんとも言葉にできない摩訶不思議な空気に。

 

「いざ行かん、不思議の世界へ――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 霜ちゃんと、【不思議の国の住人】の一人で、蟲の三姉弟の長男、『燃えぶどうトンボ』さんの対戦。

 先攻を取った霜ちゃんは《エマージェンシー・タイフーン》で手札を交換。序盤の動きとしてはよくあることだ。

 だから相手のお兄さんも、マナ加速とかそんな感じのことををするんだろうなって、思っていたけれど、

 

「さぁ行くぞ! ぼくのターン! 2マナで《巨大設計図》を詠唱! 山札を四枚めくり、コスト7以上のクリーチャーをすべて手に入れることができる!」

 

 激しい勢いのまま、カードをめくり上げるトンボさん。

 そうして、めくれらてカードは、

 

「《メガ・ドラゲナイ・ドラゴン》《勝利天帝 (ガイアール)メビウス》《剛撃古龍 テラネスク》《界王類絶対目 ワルド・ブラッキオ》! 《テラネスク》以外のカードはすべて回収だ!」

 

 !?

 い、一気に三枚も手札補充をした……!?

 使ったマナは霜ちゃんと同じ。だけど霜ちゃんが二枚引いて一枚捨てる、差し引き一枚しか手札に加えていないのに対し、トンボのお兄さんは三枚も手札を増やした。

 な、なんなの、この差は……!?

 

「驚嘆は免れまい、この豪快かつ豪放な戦力供給! これぞ主役の所業にして運命よ! ターンエンドだ!」

 

 た、確かにこの手札補充はすごい。

 でも、手札に入ったのは9、10、11マナの大型クリーチャーばかり。まだ2マナしかないトンボさんは、それらのクリーチャーを召喚できないはず。

 いくら手札が増えても、それを使うためのマナがなければ、意味がないような気もするよ……?

 

 

 

ターン2

 

場:なし

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:2

山札:27

 

 

燃えぶどうトンボ

場:なし

盾:5

マナ:2

手札:7

墓地:1

山札:25

 

 

 

「ボクのターンだね。3マナで《聖龍の翼 コッコルア》を召喚だ。ターンエンド」

「なんと矮小で鈍重なことか。小賢しく挙動だ。その程度の凡愚な動きでは、追い抜くどころか追従すら敵わんぞ! ぼくのターン!」

 

 いちいち台詞と行動と態度が大きなトンボさんは、大仰な動きでカードを引くと、マナチャージ。

 そして、

 

「再び刮目せよ! これぞ主役の権威なり! 3マナで《キング・シビレアシダケ》を召喚!」

「っ、そいつは……!」

 

 ……? 霜ちゃんが苦い顔をしているけど、なんだろう。

 見た感じ、クラゲみたいなクリーチャーに見える。キノコっぽくもあるけど。だけど、雰囲気とか王冠とかからして、王様っぽい。キングって言ってるし。

 なんだろう、あのクリーチャー。3マナだし、あんまり強そうには見えないけど……?

 

「《キング・シビレアシダケ》の能力発動! 自身の手札を好きな枚数、タップしてマナゾーンに置く。それにより、手札の四枚をマナゾーンへ!」

 

 え!? さっき手札に加えたカード、全部マナに置いちゃった!?

 わたしは再び驚かされる。この、豪快で急激なマナ加速に。

 手札は一気に減ったけど、同時にマナが大きく増えた。前のターンにたくさん手札を溜めていたからこそできる所業だ。

 そして、これでトンボさんのマナは……7マナ!? まだ3ターン目なのに!

 

「ふははははは! 見たかこの偉大なるマナの恵みを! 大いなる豊穣こそ主役の証よ! ターンエンドだ!」

 

 

 

ターン3

 

場:《コッコルア》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:2

山札:26

 

 

燃えぶどうトンボ

場:《キング・シビレアシダケ》

盾:5

マナ:7

手札:2

墓地:1

山札:24

 

 

 

 手札を大きく減らした代わりに、大量のマナを得たトンボさん。

 それでも最初に《巨大設計図》でカードを三枚も手に入れてたから、まだ手札は残ってる。

 次のターンから、切り札級のクリーチャーが出て来そうな勢いだ。

 

「《巨大設計図》からの《キング・シビレアシダケ》……開拓アンノウンみたいなデッキか。だけどフィニッシャーはゼニスじゃない。ドラゴンが多いようだけど、一体なにを飛ばしてくるつもりだ……?」

 

 霜ちゃんは思案している様子。

 ここからどうするんだろう……

 

「まだ相手のデッキの全貌がわからない。それにこのデッキだ。ここは、ボクもボクにできることをするしかないな。《コッコルア》でコマンド・ドラゴンのコストを1軽減、4マナで《白壁の精霊龍 ヌーベル・バウラ》を召喚。ターンエンドだ」

「惰弱な。その程度のクリーチャーでは、すぐさま燃え尽きて終焉を迎えるが関の山! 行くぞ、ぼくのターン! 《メガ・ドラゲナイ》をチャージし、4マナで《ボントボ》召喚! 山札からマナを追加だ!」

「《ボントボ》……」

「さらに、マナに落ちたのがパワー12000以上の《Gメビウス》であるため、さらにもう1マナ追加! ターンエンド!」

 

 

 

ターン5

 

場:《コッコルア》《ヌーベル・バウラ》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:2

山札:25

 

 

燃えぶどうトンボ

場:《キング・シビレアシダケ》《ボントボ》

盾:5

マナ:10

手札:1

墓地:1

山札:21

 

 

 

 

「ボクのターン。マナチャージして、まずは2マナで《エマージェンシー・タイフーン》だ。二枚引いて《コッコルア》を捨てるよ。さらに3マナで《ポッピ・ラッキー》を召喚。ターンエンドだ」

「ふん、その程度か。ではそろそろ、火付けの幕を下ろそうぞ」

 

 霜ちゃんはまだ大きな動きを見せていない。

 対するトンボさんも、やっていることはマナを溜めることばかりだけど、もう10マナもある。

 そしてこの様子。明らかに、なにかを仕掛けてくる。

 

「三度刮目せよ! これがぼくの切り札! 我が身と共に、魂をも燃焼せよ! 《キング・シビレアシダケ》をNEO進化!」

 

 NEO進化! カメさんやネズミさんも、NEO進化するクリーチャーがデッキの中核になっていた。ってことは、やっぱりトンボさんの切り札が来るの……!?

 クラゲみたいな王様が、眩しい光に包まれて、進化する。

 

 

 

「その命を燃やせ――《ハイパー・マスティン》!」

 

 

 

 NEO進化で現れたのは、大きな人型の虫だった。

 身体の節々にトゲトゲがあって腕には鎌みたいな刃。額にはV字に伸びる触覚――じゃないよね。装飾がある。

 そう、それはまるで、ヒーローみたいな姿の、カマキリだ。

 

「ドラゴン軸だと思ったが、核はそいつか……!」

「応とも! この巨体こそが我が力の証左! 小さき者よ、王威を放つ巨虫に踏み潰されるがいい!」

 

 トンボのお兄さんが、そして《ハイパー・マスティン》が、大きく、雄々しく、咆える。

 

「NEO進化した《ハイパー・マスティン》は、登場と同時に攻撃可能! さあ行け、展開せよ、そして蹂躙せよ! 攻撃時に能力発動!」

 

 背中の翅を展開して、空に羽ばたく《ハイパー・マスティン》。その時、翅の羽ばたきが大気を、そして大地を震わせた。

 振動が地面を割り、そして、新しいクリーチャーが這い出てくる。

 

「《ハイパー・マスティン》は攻撃時、山札を三枚見る。そして、その中にあるパワー12000以上のクリーチャーを好きな数呼び出すことができるのだ!」

 

 パワー12000以上のクリーチャーを、好きな数呼び出せる!? パワー12000って、絶対に切り札レベルの大型クリーチャーじゃない!

 そういえば、最初に《巨大設計図》で手札に加えてたカードも、コストが重くてパワーが大きなクリーチャーばかりだった。ってことは、まさか……

 

「さぁ、出でよ一騎当千の(しもべ)たち! 燃え盛る一粒のぶどうを飲み、火吹きの遊戯に興じようではないか!」

 

 めくられ、放たれ、宙を舞う三枚のカード。

 それらすべてが、バトルゾーンへと降り立つ。

 

「《勝利天帝 Gメビウス》! 《龍世界 ドラゴ大王》! そして――《ハイパー・マスティン》!」

「二体目……っ!」

 

 現れたのは、二体の大きなドラゴン。

 そして、それらの先陣を切るようにして着陸したカマキリ――二体目の《ハイパー・マスティン》だ。

 

「ふははははは! 愉快、痛快、爽快であるなぁ! 平伏し天を見上げよ! この圧倒的に巨大な、竜なりし蟲けらの戦士たちを!」

 

 高笑いを上げるトンボさん。

 でも確かに、この光景はすごい。たった一枚のカードから、コスト10以上のクリーチャーが三体も出て来るなんて……!

 

「粉砕せよ、破壊せよ! 主役の覇道を見せつけるのだ! 二体目の《ハイパー・マスティン》は《ボントボ》からNEO進化! 《ドラゴ大王》の能力で《コッコルア》を戦闘破壊! そして、《ハイパー・マスティン》でTブレイク!」

「S・トリガー! 《エマージェンシー・タイフーン》! カードを二枚引いて、一枚捨てるよ」

「今更そのような呪文を唱えたところで、まるで関係ないわ! 無意味なり! 蹂躙続行だ! 二体目の《ハイパー・マスティン》で攻撃! 攻撃時、山札を三枚めくるぞ!」

 

 二体目の《ハイパー・マスティン》が攻撃し、トンボさんは再び山札をめくる。

 これでまた、最大で三体のクリーチャーが出てきちゃう……!

 

「《界王類絶対目 ワルド・ブラッキオ》《メガ・ドラゲナイ・ドラゴン》をバトルゾーンへ! 残りは手札だ。さぁ、絶え間なく粉砕せよ! 残りのシールドをブレイク!」

 

 今度は二体だけ。でも一体はスピードアタッカー。

 これは、流石にもう……

 と思っていると、砕けた霜ちゃんのシールドから、光が迸った。

 

「……S・トリガーだ。一枚目、《ドレミ団の光魂Go!》」

「ぬぅ、小癪な。だが、《Gメビウス》は一度のタップでは止まらんぞ?」

「いいや、ボクが選ぶのはタップ効果じゃない。もう一つの効果さ。よって一枚ドロー」

「なに?」

 

 目を丸くしているトンボさん。

 えっと、あの呪文は見たことあるよ。確か、相手クリーチャーをタップするか、手札から呪文を唱えられる呪文だ。

 タップすれば攻撃を防げそうだけど、霜ちゃんはそうしなかった。なにか、考えがあるんだ。

 

「その後、手札からコスト5以下の光の呪文を唱える。唱えるのは《ドラゴンズ・サイン》! コスト7以下の光のドラゴンをタダで呼び出すよ。出すのはこいつだ!」

 

 霜ちゃんは手札から呪文を唱える。そして、龍を呼ぶ印が結ばれる。

 そこから、一体のドラゴンが呼び出された。

 

 

 

「戦士なんて脳筋(ジョブ)は、魔法でいなしてやろう――《導師の精霊龍 マホズン》!」

 

 

 

 霜ちゃんが呼び出したのは、魔法使いみたいな出で立ちのドラゴンだった。

 ローブのような法衣、大きなつばのとんがり帽子、そして大きな杖。

 やっぱりどう見ても、ファンタジーでよく見る魔法使いの意匠だ。ドラゴンがその姿をしているっていうのは、斬新だけど。

 

「さぁ、こいつが今回のボクの切り札だよ」

「ブロッカーか……だが、そいつを出したところで止まらんだろうに」

「どうかな? 実はもう一枚S・トリガーがあるんだ。二枚目、《攻守の天秤》。こっちは当然、タップ効果を選択するよ。相手クリーチャー二体、《Gメビウス》と《ドラゲナイ》をタップだ」

「だが、《Gメビウス》は各ターン初めてタップした時、アンタップする!」

 

 二枚目のトリガーで、攻撃できるクリーチャーを縛りつける。

 だけど《Gメビウス》は自力で、《攻守の天秤》の束縛から解き放たれた。

 《ドラゴ大王》と《ワルド・ブラッキオ》はスピードアタッカーじゃないみたいだから、これでトンボのお兄さんが攻撃できるクリーチャーは《Gメビウス》だけ。

 それなら、このターン出て来た《マホズン》でブロックすれば、なんとか耐えられる。

 

「このターンに終止符を打つことはできんか……だが、貴様の戦力は削ぎ落す。よって攻撃続行! 《Gメビウス》で攻撃する時、パワー6000以下の《ポッピ・ラッキー》を破壊だ!」

「《マホズン》でブロック! この時《マホズン》の能力発動! 《マホズン》のブロック時、カードを一枚引いて、手札からコスト7以下の呪文を唱えるよ。唱えるのは《ドレミ団の光魂Go》だ! こっちの効果でも一枚引いて、《ドラゴンズ・サイン》! 《マホズン》をバトルゾーンへ!」

「ぬぅ、潰したと思ったが、また湧いてきたか……これは止む無し。ターンエンド」

 

 

 

ターン6

 

場:《ヌーベル・バウラ》《マホズン》

盾:0

マナ:5

手札:1

墓地:14

山札:18

 

 

燃えぶどうトンボ

場:《マスティン》×2《Gメビウス》《ドラゴ大王》《ワルド・ブラッキオ》《メガ・ドラゲナイ》

盾:5

マナ:10

手札:2

墓地:1

山札:14

 

 

 

「ボクのターン」

 

 結果としては、実質的に場の損害なしで、霜ちゃんはトンボさんの攻撃を凌ぎ切った。

 だけど、場にクリーチャーは二体しかいない。トンボさんの場には、大きなクリーチャーが何体もいる。

 霜ちゃん、大丈夫かな……?

 と、そんなわたしの心配は、杞憂だった。

 

「残念だけど、ここからはもう、ボクの勝ちパターンに入ってる」

「……なんだと?」

「君の勝ち筋はトリガーだけさ」

「そのたった二体のクリーチャーで、ぼくの布陣を打破できると? そんな馬鹿な。虚勢のための妄言は、己が価値を貶めるだけだぞ」

「虚勢でもないし、妄言でもないよ。大きな力っていうのは、ちょっとしたロジックとトリックでコロッと覆せるんだから」

 

 自信満々に告げる霜ちゃん。

 ハッタリ、ってわけでもなさそうだけど……ここからどうやって勝つんだろう。

 

「もう謎を解くための証拠は出揃っている。見えているパーツから推理するといいさ。君が暇すぎて頭を働かせている間、ボクは為すべきことを為すからさ……まずは呪文《エマージェンシー・タイフーン》! 二枚引いて《ドラヴィタ・ホール》を捨てる! 次に《コアクアンのおつかい》! 山札を三枚めくるよ!」

 

 めくれたのは《コアクアンのおつかい》《攻守の天秤》《超次元シャイニー・ホール》の三枚だった。

 

「《攻守の天秤》と《シャイニー・ホール》を手札に加えて《おつかい》は墓地へ……このくらいでいいかな? 《ドラゴ大王》さえいなければ、《ポッピ・ラッキー》を出していたんだけどね」

 

 と言いながら、霜ちゃんは自分のクリーチャーに手をかける。

 

「まずは《ヌーベル・バウラ》で攻撃! 《ヌーベル・バウラ》の能力発動、攻撃時に墓地の呪文を回収するよ。回収するのは、さっきトリガーで唱えた《攻守の天秤》だ。シールドをブレイク!」

「ふむ、トリガーはない」

「じゃあ、次に《マホズン》で攻撃だ。《マホズン》は攻撃時にも能力が使える。カードを一枚引き、手札からコスト7以下の呪文を唱えるよ。唱えるのは《攻守の天秤》だ。今回はアンタップ効果を使う。ボクのクリーチャーをすべてアンタップするよ」

「む?」

「Wブレイク! トリガーは?」

「……ないぞ」

「じゃあアンタップした《ヌーベル・バウラ》で再び攻撃だ。」

 

 あれ? この《ヌーベル・バウラ》って、さっき攻撃してたよね?

 もしかして、これって……

 

「そして《ヌーベル・バウラ》の能力発動。墓地から、さっき唱えた《攻守の天秤》を回収し、シールドをブレイク」

「ぐぬぬ、トリガーはない……しかもこれは、無限攻撃ではないか!」

「そうだよ」

 

 霜ちゃんがあっさりと肯定する。

 わたしにも、すぐにわかった。

 たった二体のクリーチャーで大丈夫かと思ったけど、霜ちゃんにとっては、その二体で十分……いや、その二体こそが、大事だったんだ。

 

「《ヌーベル・バウラ》で《攻守の天秤》を回収、《マホズン》で詠唱。このサイクルを作るだけで、この二体は無限に攻撃できる。トリガーやシノビでどちらかを無力化しないと、止められないよ。ほら、次は《マホズン》で攻撃だ。一枚引いて《攻守の天秤》、クリーチャーをアンタップして、最後のシールドをブレイク!」

「ぐぬぬ、パワーが3000以下でなければ、《ハイパー・マスティン》でも止められないではないか……!」

 

 《マホズン》と《ヌーベル・バウラ》。二体の魔法使いの龍たちは、王威も、巨虫の壁も乗り越えて、まるで夢のような――あるいは、魔法のような結末をもたらす。

 

「S・トリガー、《バトクロス・バトル》……! 《ヌーベル・バウラ》を破壊するが……」

「それじゃあ止まらない。《マホズン》で攻撃する時、《攻守の天秤》を唱えてアタップ!」

 

 止まることのない怒涛の連続攻撃が、これで終了する。

 霜ちゃんの、勝利によって。

 

 

 

「《導師の精霊龍 マホズン》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「…………」

 

 対戦が終わって、霜ちゃんが勝利した。

 それが決まるや否や、トンボさんは立ち尽くして、白目を剥いて固まっていた。

 ど、どうしたんだろう……怖いんだけど……

 

「あぁ! トンボが燃え尽きてしまったのよ!」

「いつも通りの魂燃焼ですね。トンボ兄さんは勝つと調子乗るけど、負けると燃え尽きるからなぁ、普通に最悪な性格してるよね」

「ハエ、説明ご苦労なのよ。今日のノルマも達成したし、ここはもう、トンボを連れて帰るのよ!」

「……いつも思うけど、チョウ姉さんのノルマってどういう基準なの? 感覚的すぎて、私はいまだよくわかってないんだけど」

「そんな話は後なのよ! それじゃあ皆さん、さようなら!」

 

 ぐったりして動かないトンボさんを抱えて、残りの二人は瞬く間にわたしたちの前から消え去った。

 すごい、本当に瞬きしている間に遠くに行っちゃって、少し呆けている間に消えてる。意識した時には、そこにはいなかった。

 だけど、

 

「……嵐のように過ぎ去っていったね」

「うん……」

 

 一体なんだったんだろう、あの人たちは。

 帽子屋さん、カメさん、ネズミさんと、今までビックリドッキリで、ファンキーかつファンシーで、サイケデリックにしてエキセントリックな【不思議な国の住人】の人たちを見てきたけど、今日の人たちはいっとう変な人たちだった。ノルマとかなんとかって言ってたけど。

 一度に色々なことが起こりすぎて、わたしにはなにがなんだか。

 とりあえず思ったことは、二つだけ。

 まだまだ変な人に絡まれるんだろうなぁ、という明日以降への憂鬱と、

 

 

 

(今日は終始、霜ちゃんに頼りっぱなしだったなぁ――)

 

 

 

 ――ということだけだった。




 蟲の三姉弟の元ネタは、『不思議の国のアリス』ではなく、『鏡の国のアリス』なのですが、まあ些末な問題ですね。
 作中で燃えぶどうトンボが使用した開拓マスティンですが、これも新章が始まった直後くらいに組んだものなので、今ではもう少し改造の余地がありそうです。ツインパクトが出たので、ドラゴンに拘らずクリーチャー面が高コスト、呪文面が低コストのカードを使ったりとか。具体的には黒豆白米。
 霜が私用した無限攻撃マホズンも、《ミラダンテⅩⅡ》や《ジャミング・チャフ》を入れて詰め性能を高められそうな感じ。
 それでは、ご意見ご感想、誤字脱字、その他諸々、なにかりましたら遠慮、容赦、忌憚なくどうぞ。


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16話「プールに行くよ!」

 夏休みはもうほぼ終わりですが、創作というものは、時間には縛られないもの。これを読んでいるその時の時間では、本作の中身はバリバリ夏休みなのです。
 恐らく最も夏休みらしいプール回です。水着回って言う方が、一般的かもしれませんね。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 突然ですが、今日はとても暑いです。

 ギラギラと照りつける日差し。風は熱を持って吹き付け、大気も同様に熱と湿気でわたしたちに襲い掛かります。

 でも、その暑さもそんなに苦じゃありません。

 なぜでしょう? ヒントは、わたしたちが今日来ている場所に関係しています。

 そう、わたしたち、です。

 今日はみんなで遊びに来ています。

 夏の日に、暑さが気にならなくなるくらい楽しく遊べる場所。それは――

 

 

 

 ――プールです!

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「よく晴れてるねぇ……」

 

 一面の青が大空を塗り潰し、白い雲が千切り絵みたいに散らばっている。その中に一点、ギラギラと輝く太陽。

 いつもならうなだれてしまうほどの暑さ、日差しだけど、今日に限ってはこの快晴は楽しさに変わる。

 なんてったって、みんなでプールだもんね。それも、学校のプールや市民プールじゃなくて、遊園地みたいなテーマパーク感のあるプール。ウォータースライダーも流れるプールもあるんだよ!

 運動は苦手だけど、こういう遊ぶためのプールは運動神経とか体型とかあんまり気にしないで楽しめるからいいよね。

 うん、体型とか、ね。

 ……………

 ……あぁ、ちょっと恥ずかしくなってきたなぁ。

 学校指定の水着以外の水着なんて、着るの久しぶりだからなぁ……霜ちゃんには服のセンスはダサいって言われるし、ちょっと不安です。この水着、変じゃないよね……? (お姉ちゃんからのアドバイスをもらいつつ)自分で選んだんだけど……

 淡いピンク色で、フリルが付いてて、ボトムスがミニスカートみたいになってる、セパレートの水着。これも一応、ビキニって言うのかな? こういうタイプは初めて着たけど。サイズは合ってるはずだけど、ちょっと胸がキツイです。

 個人的には可愛いと思うんだけど、ちょっと子供っぽいかな……?

 それにしても、みんな遅いよね。まあ、女の子の着替えは時間かかっちゃうものだけど。

 え? わたし? わたしは家を出る間に、服の下に着てきたよ。一番時間かかっちゃいそうだったから。あと、なんだか今日が楽しみすぎて、つい気が急いちゃったから。

 白雲流れる真っ青な空を眺めながらみんなが来るのを待っていると、わたしを呼ぶ声が聞こえた。

 

「小鈴さーん! お待たせしましたー!」

「……暑い……死ぬ……帰り、たい……」

 

 なんて正反対な声だろうか。片や、この暑さも気力で吹き飛ばしそうな朗らかな声。片や、この暑さに気力を吹き飛ばされたような沈んだ声。

 ユーちゃんと恋ちゃんだ。

 

「更衣室、って……ジメジメしてるし、熱、こもってるし……地獄のような、場所……死ね」

「のっけからそんなマイナスオーラ噴き出すのはやめようよ、恋ちゃん……」

「そうですよ恋さん! せっかくのプールなんですから、そんなこと言っちゃメッ、ですよ!」

 

 ユーちゃんにも窘められる恋ちゃん。

 でも、恋ちゃんは今日の誘いも最後まで渋ってたけど、それでもなんだかんだ、最後には来てくれたんだよね。今もこうして、水着に着替えてここにいるわけだし。

 あ、そうだった。忘れてたよ。

 せっかくプールに来たんだから、こればっかりはスルーできないよね。

 わたしは二人に向き直る。

 

「二人の水着、可愛いね」

「えへへー、ローちゃんといっしょに選びんだですよ!」

「……スク水でいいって、思うけど……つきにぃが、うるさいから……」

 

 ユーちゃんも恋ちゃんも、顔立ちが整ってて可愛いもんね。水着もよく似合ってる。

 ユーちゃんはわたしのと似たタイプの水着だ。ふんわりしたフリルのついた、白いセパレートタイプ。カラーリングが白い肌に銀髪と相まって、太陽光に照らされてすごく綺麗だ。

 一方、恋ちゃんは淡い水色のワンピース状の水着。裾の辺りがスカートっぽくなってて、シンプルだけど可愛らしい。

 なんか、霜ちゃんの相手をしてたら、わたしもちょっとファッションチェックする癖がついちゃったかも。でもまあ、二人とも可愛いから仕方ないよね。

 ところで、ユーちゃんは腰に付けたフックに、恋ちゃんは首からかけた紐に、四角い箱が引っかけてあるんだけど……あれって、お金を入れておく防水ケースだよね?

 ……そうだよね?

 

「そういえば、ローザさんは?」

「んー、ローちゃんは、エンリョしていかないんですって」

「そっかぁ。残念だね」

「伊勢さんたちと楽しんでらっしゃい、って」

「お姉さんみたいだね」

「おねーちゃんですからね! ローちゃんは、ユーちゃんの!」

 

 そういえばそうだったね。双子だけど。

 そんな話をしていると、

 

「あ、いたいた。おーい、小鈴ちゃーん」

「みのりちゃん!」

 

 そこに、みのりちゃんもやって来た。

 みのりちゃんの体型はいつも羨ましいと思ってるけど、水着になるといつも以上にすらっとした体つきが目に見える。

 緑色のビキニにパレオを巻いているくらいで、シンプルで普通の水着なんだけど、みのりちゃん自身がスレンダーな体つきだから、とても格好いい。ポニーテールまとめた髪も、いつも以上に輝いてるように見える。

 なんだけど、ちらちらと見え隠れする太腿にホルスターが巻きつけてあって、そこに四角い箱が見える。

 これも防水お財布だよね、うん。そうだよね?

 

「……うふふ」

「ど、どうしたのみのりちゃん? 笑い方が変だよ……?」

「いやぁ、小鈴ちゃんと一緒にプールに来れる日が来るなんて、僥倖だなぁって。ちゃんと目に焼き付けておかないとね、小鈴ちゃんの水着姿」

「どういうことなの!?」

 

 わたしなんかよりも、恋ちゃんとかユーちゃんの方が可愛いと思うんだけど……

 

「眼福眼福。これは私もちょっかいをかけたくなっちゃうよ」

「や、やめてよ……ただでさえ、なんだか心もとないんだから……」

「それはそのたわわのことかな? それともこっちの紐のことかな?」

「ちょ、ちょっとみのりちゃん!? その紐、飾りじゃなくて本当に結んであるから引っ張らないでー!?」

「スカート付きだから、脱いでもギリギリ見えない! 即ちノープロブレム!」

「そういう問題じゃないよっ!」

 

 みのりちゃんが悪戯っぽく笑いながら、水着を結ぶ紐に手を掛けようとする。それが引っ張られて脱がされるのだけは死守しないと……! 恥ずかしいというか公序良俗的にも!

 なんてやっているうちに、

 

「……ボクが最後か。待たせちゃったね」

「あ、霜ちゃん!」

 

 最後に、霜ちゃんがやって来た。

 霜ちゃんに関しては、どんな水着で来るのか心配というか、不安があったけど、思ったより普通だ。

 ショートパンツみたいなボーイズレッグのアンダー。上は黒いTシャツの上に、薄手のパーカーを羽織っている。

 あぁ、Tシャツって手があったんだね……確かにプールでも、水着の上からTシャツやパーカーを着ている人はいるから、変じゃない。

 Tシャツの上にパーカーだと、流石に普通のお客さんっぽくはないけど……

 

「……重装備……」

「霜さんは水着じゃないんですね」

「一応、水着と言えば水着なんだけど……まあ、ボクが上半身裸だと、あらぬ誤解を受けかねないからね。変な注目を受けて君たちに迷惑をかけるわけにもいかない。この格好も少し目立つが、まだマシだろう」

「でもそれじゃあ泳げないよ?」

「いいさ、見てるだけでもそれなりに楽しいしね。それに泳ぐのは好きじゃない」

「そうなんです? 泳ぐの(シュヴィンメン)はとっても楽しいですよ!」

「そういえば、ユーちゃんは遊泳部だったね」

 

 烏ヶ森学園の七不思議のひとつ(らしい)、謎に分類された部活動。その一端を担う競泳部と遊泳部の二つ。ユーちゃんは遊泳部に入っている。

 具体的にどういう活動をしてるのかは聞いたことないからまったくわからないんだけど、遊泳って言っても泳ぐことに変わりはないはず。

 あんまりイメージがなかったけど、ユーちゃんって泳ぐの好きなのかな?

 

「ボクのことなんて気にすることじゃない。それより早く行こう。時間がもったいないよ」

 

 うーん、確かに霜ちゃんの言う通りだ。

 ユーちゃんなんてさっきからプールを見てうずうず待ちきれないと言わんばかりな感じだし、わたしもプールに入りたい。

 その気持ちはみんな同じで、異論はなかった。

 ……ところで、霜ちゃんのパーカーのポケットから出てる四角い箱っぽいものは、やっぱりプール用のお財布だよね?

 なんか、嫌な予感というか、あり得ないはずの未来を想像しちゃうなぁ……

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

Kuehl(冷たい)! Angenehm(気持ちいい)! 小鈴さん、恋さん! こっちですよー!」

「……無理……追いつけな……」

「恋ちゃん!? 沈んでる沈んでる!」

 

 プールの奥底へと沈みそうな恋ちゃんをなんとか引き上げて、プールサイドに掴ませる。。

 まずはスタンダードな、なんの仕掛けもない普通のプールで軽く水遊び――だけじゃつまらないからって、プール遊びの定番(らしい)水中鬼ごっこを始めたたんだけど……

 鬼役になったわたし恋ちゃんじゃ、ユーちゃんとみのりちゃんに追いつけなくて、まったく鬼役に変化がない。

 ユーちゃん、小柄だし華奢だから運動が得意とは思ってなかったんだけど、これが捕まえられないのです。早いというより、すばしっこい。なんとか迫って手を伸ばしても、魚みたいにスルッと抜け出されてしまう。

 というかみのりちゃんはどこ? さっきから姿が見えないんだけど。

 

「んー、水中鬼ごっこは二人には厳しかったかな?」

 

 ザブッ、とみのちやんが姿を現した。さっきまで潜水してたんだ……どうりで見つからないと思った。

 

「鬼ごっことか、冗談じゃない……死ねる……体力的に……」

「恋ちゃんも運動苦手だもんね」

「小鈴ちゃんもねー。普段のハンデは水中でも有効だったか。むしろ水中で激しく動く方が難しいかな?」

「ハンデです?」

「ほら、そこで激しく自己主張をしてる胸が――」

「みのりちゃん!」

「……こすずを激しく、動かして、お約束を発生させる、計画……」

「恋ちゃんもなに言ってるの!?」

 

 三人の視線が一気にわたしに向けられる。わたしというか、わたしの身体というか……

 そこに、パラソルを差した霜ちゃんが、プールサイドから現れる。

 

「……君たち。いくら水着だからって、ここぞとばかりに小鈴の体型をネタにするのはやめないか?」

「お約束だから……」

「今のうちにネタにしないと、小鈴ちゃん、すぐに厚着になりたがるから」

「なぜそんな食い溜めみたいな思考になる」

 

 プールサイドから霜ちゃんが溜息を漏らす。

 

「でもでも、確かに小鈴さんのおムネはMutti(お母さん)みたいです! 」

「ユ、ユーちゃん……っ!?」

 

 すると、ユーちゃんが飛び付いてきた。

 飛びついたというか、抱きついたというか……胸に、顔を埋められました。

 その、えっと、うん……恥ずかしいです。

 

「ふにゅぅ……」

 

 そしてユーちゃんはその体勢のまま、なんだか、動かなくなっちゃった?

 まるで眠りにつく赤ちゃんみたいな安らかな表情で、ずっとわたしに抱き着いている。

 あの、他の人に見られちゃいそうだし、そうじゃなくても恥ずかしいから、早くどいて欲しいんだけど……

 

「……これがバブみ……」

「小鈴ちゃんがお母さん……それはそれで」

「二人ともなに言ってるの!? ユ、ユーちゃんも離れて……っ」

「はわっ! つい気持ちよく( アンゲネーム)で……ごめんなさい、小鈴さん」

 

 ユーちゃんは我に返ったかのようにわたしから離れた。

 

「……今日はまた、一段と暑いな」

 

 そして、その一部始終を見ていた霜ちゃんは、どこか遠くを見るような目で、そんなことを言っていた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ねぇ、ユーちゃん」

「? なんです?」

「ユーちゃんって、泳ぐの好きなの?」

 

 流れるプールに浮き輪を浮かべ、流れに身を任せてゆったりとした景色と時間の流動を楽しむ。

 そんな、のんびりとした時に、ふとユーちゃんに聞いてみた。

 なんてことのない質問なんだけど、ユーちゃんが競泳部じゃなくて遊泳部に入ってるのはなんでだろうと思ったのだ。

 まあユーちゃんが競泳部って、それこそイメージできないけど、遊泳部なんてちょっと変わった部活に入った理由は、ちょっと気になってた。

 それにユーちゃんが入部したのって、学校に復帰した後だし、きっかけとか、なにかあったのかなって。

 今は泳ぐというより浮かんで流れてるだけだから、お話しするくらいしかないっていうのが本音ではあるけど、気になっていたのも事実だ。

 だから、この機会に聞いてみる。

 

「んー、どうなんでしょ?」

「え? どうなんでしょ、って……えっと、ドイツにいた頃とかは、よく泳いでたとかじゃないの?」

Nein(いいえ)。ユーちゃん、ドイツにいた頃は泳ぐいだことはなかったです。ちょっと川遊び(フルス・シュピーレン)をしたことがあるくらいで、(メーア)にも行ったことないんです」

 

 なんか今日はいつにも増してドイツ語が堪能(ドイツ人だから当たり前なんだけど)なユーちゃん。なに言ってるのかよくわからないけど、あんまり泳いだことはないみたい。

 ちょっと意外だな。元から好きだったと思ったんだけど。

 

「泳いだことがなかったのに、遊泳部に入ったの?」

Ja(はい)! ブチョーさんに勧誘(クンドシャフター)されたんです! お菓子もくれました!」

「……その人、ちょっと危なくない……?」

「? ブチョーさんは優しい人ですよ?」

「そ、そう……」

 

 なんて言ってるのかはニュアンスでしか伝わらないけど、遊泳部の部長さんは、どことなく危険な香りがするよ。

 と、わたしが遊泳部の部長さんへの危機感を募らせていると、ぽつりと、ユーちゃんが声を漏らした。 

 

「……はじめての感覚、だったんです」

「え? なにが?」

 

 小さな声だった。

 明るさではなく暗さ、騒々しさではなく静けさ。

 水面に小さな波紋を生むだけ。そんな、矮小な声が聞こえる。

 

「水の中に自分の体が全部入っちゃって、上も下も、右も左も、周りが全部水になっちゃってる感覚が、とても……心地いいんです」

 

 それは、元気溌剌ないつものユーちゃんとは、まるで違う声。

 静かで、大人しくて、儚いような言葉。

 ほんの少しだけ、“あの時”のユーちゃんと、似ている気がする。

 

「ユーちゃんは一人じゃないです。お家にはMutti(お母さん)Vati(お父さん)、ローちゃんがいます。学校に行けば小鈴さんたちがいます。だけど、水の中だと、ユーちゃんは一人なんです。(ヴァッサァ)だけの世界(ウェルト)。これが、とっても不思議(ヴンダリヒ)なんです。懐かしい(ゼーンズフト)ような気持ちになるんです。それでいて、憧れ(ゼーンズフト)みたいな心が、あるんです」

 

 やっぱり言葉はよくわからないけど、それでもユーちゃんの言葉は、わたしの中に染み込んでくる。

 詩人みたい。彼女の感性が、わたしにはよくわからなかった。言葉の一つ一つ。その意味が語学的に理解できない。それに、その言葉の真意も、わからない。

 それでも一つだけ、わかるとすれば。

 ユーちゃんはいつも元気で明るくて、無邪気に笑っているけれど、それは彼女の一面だったのかもしれない。

 彼女は、わたしたちとは違う、別の感性、感覚、もしくは世界を、持っている。

 そんな気がする。それは彼女にとって、水や泳ぐことに関係しているのかもしれない。あるいは、彼女の知らない世界、に対して、か。

 憶測というか、わたしの感覚的な考えでしかないけれど。

 前にも一瞬だけ見た気がするユーちゃんを、もう一度見れた。

 わたしが返答できずに言葉に詰まっていると、ユーちゃんはまた、二パッと笑みを見せた。

 

「でも、今日は水の中にいても小鈴さんたちがいてくれますから、いつもとちょっと違いますね!」

「……そっか」

 

 いつものユーちゃんに戻った。いや、さっきまでのユーちゃんが隠れたって言うべきなのかな。

 ユーちゃんはその笑顔のまま、思い出すように話題を切り替えた。

 

「そういえばこの前、実子さんと一緒に、ワンダーランドでデッキをカイゾーしたんですよ!」

「みのりちゃんと?」

「Ja!」

 

 なんか、珍しい組み合わせだね。

 いつか霜ちゃんといっしょにいた時みたいに、個人的に行ったらたまたま会ったとかかな?

 

「……この前、ユーちゃん、あの不思議(ゾンダァバール)な男の子に負けちゃいました」

 

 と、またユーちゃんの声のトーンが落ちる。

 でもこれは、さっきまでの不思議な感じじゃなくて、もっとわかりやすい。どんよりと、落ち込んだような声だ。

 ゾンダ……っていうのはわからないけど、この前の男の子というと……ネズミさんのこと、かな。

 帽子屋さんたちとの一件で、初めてみんなに助けられた時のことだ。

 

「ユーちゃん、とっても悔しかったんです。デュエマで負けたことじゃないですよ? デュエマは勝ったり負けたりするものですから、負けても楽しければそれでいいんです。でも……」

 

 そこでさらに、ユーちゃんの面持ちは沈んでいく。

 

「お友達の……小鈴さんの力になれたらと思ったのに、また、小鈴さんに助けられちゃいました……それが、悔しかった、です」

「ユーちゃん……」

 

 あの時は特になんともなくて、わたしはほっとしたものだけど。

 ユーちゃんは、そんな風に考えてたんだ……

 

「……ユーちゃんは、いい子だね」

「ふぇ?」

 

 ユーちゃんが目を丸くしている。

 ちょっと照れくさいけど、この際だし、静かなユーちゃんはともかく、沈んだユーちゃんは見たくない。

 

「いいんだよ、そんなに気負わなくても。わたしだって色んな失敗をしちゃうし、ユーちゃんや、みんなに助けられたことも一度や二度じゃないもん」

 

 特にあのロリコンさん――もといクリーチャーに誘拐されちゃったと時は、すごく助けられた。

 その他にも、たくさん助けられたことはある。この前のネズミさんとの一件も、その前のクリーチャー騒動はユーちゃんも力になってくれた。

 それだけじゃない。

 

「それにね、ユーちゃん。実はわたし、助け合うとかってあんまり好きじゃないんだ」

「えっ? な、なんでですか? ユーちゃん、小鈴さんにイヤなことしちゃいましたか……?」

「あ、いやいや! ごめんね、ちょっと誤解させちゃったかも。手伝ってくれるのは嬉しいし、助かるんだけど……できれば、助け合いとか、協力して困難に立ち向かうとか、そういうのがなくなればいいのに、って思ってるの」

 

 あんまり人には話したことがない、わたしの本音。

 みんないい人だから、申し訳なくてこういうことは言いたくないんだけど。

 でも、ユーちゃんには言おう。

 それが、わたしの望みだから。

 

「わたしはただ、こうしてみんなと遊んで、笑って、一緒にいたいかなって……それが一番で、友達とは、楽しく遊んで笑っていたいの」

「小鈴さん……」

「だから本当は、助け合いなんて必要がないくらい、平和で楽しい時間が過ごせればよかったんだけど……世の中、そう上手くはいかないね」

 

 それもこれも、わたしが要領悪くてどんくさいのが悪いんだけどね。

 わたし一人でなんでもできれば、みんなの力を借りなくていいし、ただ楽しく遊んでいられるんだけど。

 残念ながら、まだわたしは未熟者でダメダメだから、そういうわけにもいかないようです。

 

「わたしは、できるだけ笑っていたいの。だからユーちゃんも笑って。真面目な顔よりも、無邪気に笑ってるユーちゃんの方がユーちゃんっぽいし、可愛いよ」

「ふにゅ……」

 

 わたしがそう言うと、ユーちゃんは身体を丸めるように俯いてしまった。よく見ると、ちょっと顔が赤い。

 あ、照れてる。ユーちゃんにしては珍しい。新鮮で初々しい反応だ。こんなユーちゃんも可愛いね。

 

「実子さんみたいなこと言いますね、今日の小鈴さん……」

「え? みのりちゃん? なんでみのりちゃん?」

「実子さんとお話しすると、半分くらいは小鈴さんの可愛いところのお話になるんです」

 

 そんなこと言ってるの、みのりちゃん……まったくもう。

 

「そういえば実子さん、小鈴さんのこと……ちょっと、確認(フィアゲヴィッサン)します……小鈴さん。失礼しますね!」

「え? なに……うわっ!」

 

 突然、ユーちゃんがわたしの浮き輪の隙間に体を捻じ込ませてきた。

 いやいや、普通、浮き輪の穴は人ひとりしか入れなくて、いくら小柄で細身だからってそこに入られると非常にきついんだけど……!

 

「これは思った以上にgrosse Bruesteです……Muttiもおっきいはずなんですけど、小鈴さんはそれ以上……」

「ちょっ、ユーちゃん、そんなに引っ付かないでというか、寄りかからないで……重心が――」

 

 ――あ。

 ぐわんと、浮き輪が傾いた。というか回転した。縦に。

 横転、ひっくり返る……いや、転覆、が一番正しいかな。

 バッシャーン! と。

 わたしとユーちゃんは、二人仲良く水底に沈みました。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 浮き輪が転覆して沈んだわたしたちは、流れるプールの底で流されていたところを、みのりちゃんに引き上げてもらって救出された。

 というのもちょっと誇張表現。ユーちゃんは自力で普通に浮上してたし、わたしは沈んだときにたまたま潜水してたみのりちゃんに抱きかかえられて水面まで戻ってきただけで、流石に一人で上がってこられたよ。

 ……たぶんね。

 というかみのりちゃん、潜水好きだなぁ。

 

「なんか、疲れちゃったな……」

 

 もともと体力はあんまりないんだけど、少しはしゃぎすぎちゃったかも。

 みのりちゃんやユーちゃんはまだ流れてるし、恋ちゃんも流されてるし、ちょっと休もう。

 プールサイドに設置されてるビーチチェア? に向かって歩いてると、二つ並んだそれのの片方。霜ちゃんがパラソルの下にいた。

 

「やぁ小鈴。君も日陰者になりに来たのかい?」

「日陰者って……隣、いい?」

「勿論」

 

 霜ちゃんのOKをもらって、隣に座る。いや、経常的には寝るって表現するべきなのかな。

 って、そんなことはどうでもいいか。

 そういえば霜ちゃんにはちゃんと言っておかないといけないことがあったんだったよ。

 

「ねぇ、霜ちゃん」

「なんだい」

「……ごめんね」

「え、なに急に。なんで君が謝るんだい?」

「だって、霜ちゃんって、その……こういうとこ、来づらいかなって……」

 

 霜ちゃんは男の子だけど、女の子でもあって、その区別は簡単につけられるものじゃない。

 普段は女の子の格好をしている霜ちゃんだけど、この場ではそういうわけにもいかない。

 わたしがみんなから散々言われたように、水着っていうのは、男女の体格がはっきりと分かってしまう。

 霜ちゃんはその辺、かなり上手く工夫したみたいだけど、それでもまったくプールに入らないし、普通に服着てるように見えるし、顔立ちが女の子に見えることもあって、少し悪目立ちしてるように見える。

 男女の性差、その在り方に苦悩していた霜ちゃんに、プールという場所は酷なんじゃないか。わたしは、そう考えていたけれど、

 

「……やけに神妙に切り出すからなにかと思ったが、なんだ、そんなことか」

「そ、そんなこと?」

「プールね。確かにちょっとハードルは高いけど、この格好ならギリギリセーフだ」

「そうなんだ……」

「ボクは自分が男である自覚はある。その上で、女の子の衣服で着飾ることが好きなだけだ。まだ完全に割り切れてはいないけれど、折り合いはつけられるつもりだ」

 

 だから君が気にするようなことはなにもない、と霜ちゃんは言う。

 思ったよりもきっぱりと断言されてしまって、わたしは言葉に詰まってしまう。

 でも、そうか。霜ちゃん、あんまり気にしてないんだね。わたしの杞憂だったみたい。私は少し、霜ちゃんのことを過小評価していたのかもしれない。

 霜ちゃんは、わたしよりもずっと強い子だった。わかってた、はずなのにね。

 

「そもそもボク、学校では普通に男子更衣室で着替えてるからね? 半裸姿くらい、見るも見られるも慣れたものさ」

「そっかぁ。そういえば、女子更衣室に出入りしてたこともあったよね」

「ぐ、その話は黙っておいてくれると助かる……ボクの人生最大の汚点であり弱点だからね……!」

 

 霜ちゃんは焦ったように歯を噛みしめていた。

 汚点なのはともかく、自分で弱点って言ってるけど、いいのかな?

 この話を続けるのも霜ちゃんに悪いし、ちょっと話題を変えようか。

 

「それにしても、人が多いねぇ」

「この辺じゃ一番大きなプールだからね。夏休みだし、家族連れが多いんだろう。迷子とかもたくさん出てきそうだ」

「迷子かぁ……」

「小鈴も迷子になっちゃダメだよ」

「な、ならないよっ! もう中学生なんだから!」

「どうだろう。君は少し抜けてるからなぁ」

「そんなことは――」

 

 ないよ、と言おうとしたところで、わたしには“それ”が目に留まった。 

 わたしはほとんど無意識に、その方向へと指差した。

 

「霜ちゃん あそこ……」

「……少年が一人、立ち尽くしているね。小学生か、もしくは未就学児かもしれない。周囲に親兄弟などの姿も見えない。となるとつまり」

 

 いくつかの情報から分析する霜ちゃん。

 そして出た結論は、

 

「迷子だね」

「え? 迷子? どこどこ?」

「あ、みのりちゃん」

 

 声で気付いた。いつの間にか、三人とも戻ってきていたみたい。

 

迷子(フェアローネス・キンド)です?」

「……だったら、迷子センター直行……それですべて、片付く……」

「味気ないけど、まあ、そうだよねぇ」

「…………」

「小鈴さん?」

 

 最後に、ユーちゃんの声が聞こえたけど、もう遅い。

 その時にはもう、わたしは動き出していた。

 

「あ、小鈴……」 

「うふふ、小鈴ちゃんらしいなぁ」

 

 一直線に男の子の下へと向かう。

 他にも男の子のことに気付いている人はたくさんいる。だけど、その誰も彼に近づかない。

 それが悪いことだなんて、わたしには言えない。障らぬ神に祟りなし。君子危うきに近寄らず。そんな諺がなくても、合理的に考えれば、赤の他人に与する必要もメリットもない。わたしはそれを否定はしない。

 それに恋ちゃんの言う通り、迷子センターで係の人に対応してもらう方がいいと思う。合理的って言うなら、それこそ合理だ。迷子の扱いに慣れてる人の方がいいだろうからね。

 だからこれは、純粋にわたしが“そうしたいから”するだけのワガママだ。

 男の子は浮かない面持ちで俯いている。寂しさも、恐怖も、不安も、涙といっしょに必死に堪えている。

 わたしは、男の子に目線を合わせるためにしゃがみ込む。

 

「……どうしたの?」

「…………」

「お父さんか、お母さんは?」

「…………」

「じゃあ、お兄ちゃんとか、お姉ちゃんは?」

「……わかんない……いなくなっちゃった」

「はぐれちゃったんだね」

 

 やっぱり迷子だった。

 迷子、か……

 とても不安げなこの子を、放ってはおけない。

 これ以上、孤独を感じさせてはいけない。そう思う。

 係員の人に伝えるべきだし、アナウンスもしてもらわなきゃいけないけど、そうじゃなくて。

 ……そう。

 探してあげなきゃ。

 この子の求めるものを。

 

 

 

 

 

 ――どうしたの? 迷ってしまったのかい?――

 

 

 

 

 

 …………

 わたしは振り返った。

 これはわたしのエゴだし、ワガママだし、みんなにちゃんと言っておかないといけない。

 そう、思った。

 

「みんなに迷惑はかけられないし、この子はわたし一人でなんとかするから、みんなは遊んでても――」

「なに言ってるの、小鈴ちゃん」

 

 最後まで言い切る前に、みのりちゃんに遮られた。

 そして、その後に、みんなが続く。

 

「君を一人残しておくなんて、気が気でなくて遊ぶどころじゃないよ」

「……まあ、こうなった以上は、仕方ない……」

「いっしょに探しましょう! 小鈴さん!」

 

 ……あぁ、そっか。

 あの時とは、違うんだよね。

 

 

 

 

 

 ――俺は君の探している人にはなれないけど、代わりに一緒に探して、一緒に歩いて、一緒にいてあげるよ――

 

 

 

 

 

 あの時の孤独が、不安が、恐怖が。

 今のこの時と繋がっている。

 あの時のわたしは、本当に一人で、一人でなにもできなくて、とっても弱くて。

 今のわたしは、やっぱり一人で、やっぱり弱くてダメダメだけど。

 

(一人で迷ってたあの時とは、違うんだよね――)

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 そういうわけで。

 みんなに手伝ってもらいながら、迷子探しが始まりました。

 あれ? 探すのは迷子の子の家族だから、迷子探しはおかしいかな?

 まあいいや。

 天真爛漫なユーちゃんや、優しいみのりちゃんや、(一応)同じ男の子の霜ちゃんが、迷子の相手をしてくれて、彼の不安もだいぶ紛れたみたい。

 わたし一人じゃ、こんなに上手いことはいかなかっただろうなぁ。

 みんなに感謝です。

 

「……こすず」

 

 ふと、声をかけられた。

 恋ちゃんだ。「子供と話すの、苦手……」って言って近づきたがらなかった恋ちゃんだ。

 

「どうしたの?」

「どうして……迷子の親、なんて探すの……?」

「なんでって……」

「係員に任せた方が、効率的……なのに……」

「えっと……」

 

 もしかして、迷子探ししようとしたの、怒ってるのかな?

 でも確かに、わたしたちで歩き回って探すより、迷子センターに預けてアナウンスしてもらう方が、絶対に合理的なんだよね……いや、今も迷子センターに向かってるんだけど。

 と思ったけど、どうやらそうじゃないみたい。

 

「別に、責めてない……ただ、気になる……というか、理解、できない……」

「理解できない、かな」

「私は、人の善行が偽善だなんて、思わない……でも、善いことをする。それが当たり前っていう感覚が、よくわからない……悪いことをしないのは、わかる。悪行は混沌を生む、秩序を乱すから、理解できる……でも、善行はしてもしなくても、影響はない。なのに、なんで……?」

 

 なんだか難しいことを言われてる気がする。

 善行。

 そんな風に直球で言われると、少し恥ずかしいんだけど、そんなつもりはあんまりないんだよね。

 それでも、それをそうだとして、わたしの行動をわたしなりに分析して説明するとしたら、そうだなぁ……

 

「……ほっとけないから、かな」

「ほっとけない……?」

「わたしも迷子になったことがあってね、小学生の頃。その時に助けてもらった人がいるの」

「……だから……?」

「なのかなぁ。自分でもよくわからないけど、あの子を見た時、ふと昔の自分を思い出した気はしたよ」

 

 それに、“あの人”の言葉もね。

 文字通り迷っていたわたしに、そのまんまの意味で道を示してくれた、あの人。

 

「一人で、右も左も分からなくて、どこに向かえばいいのかも不明確で、誰がどこにいるのかも不明瞭で、自分がすべきことも理解できなくて、動けなくて、動かなきゃいけなくて……そんな悩みや葛藤に苛まれる。そういう経験はわたしにもあるし、その苦しさもわかる」

 

 人が苦しむ姿なんて、見ていたくないからね。

 結局は自分のため、わたしのエゴみたいなもの。

 助けたいから助ける、というよりは、助けないとわたしが嫌な思いをするから助ける、って感じかも。

 そう考えると、わたしもあんまり善人とは言えないかな? 恋ちゃんはそれを否定したけど、偽善と言われても仕方ないかも。

 

「……こすずは、お人好し……誰かさん、みたい」

「誰かさん? 誰?」

「……さぁ」

 

 適当にはぐらかされた。わたしも知ってる誰かっぽいけど、誰だろう。

 

「自分じゃなくてもいい、誰でもいい……絶対に必要じゃない、いずれ解決される……自分の力が必要とは限らない、助力無用でもなんとかなる……なのに、手を差し伸べる……わたしには、ちょっと、理解できない、かも……自分には、関係、ないし……」

「こうして出会って目に見えちゃったら、それはもう、無関係とは言えないんじゃない?」

「……無関係だし。そんなこと、言ってたら……全人類、無関係な人間なんて、いなくなる……」

「それは飛躍しすぎだよ」

「目に映る人間を、全員救う……そんなの、夢物語……」

 

 あぅ。

 そう言われちゃうと、確かにその通りなんだけどね。

 

「……ごめん」

「い、いいよ。気にしないで」

「ん……でも、やっぱり、難しい……他人の不幸は蜜の味、っていうのはわかる、けど……他人の不幸が嫌って、逆に、苦しそう……」

「そうかな。嫌な思いをしている人を見るのって、嫌じゃない?」

「胸糞悪いことは、ある……けど、実行に移すかは、別問題……」

「そうかなぁ。そんなことないと思うけど」

「……それを、平然と言える……ってことが、既にお人好しの思考……ちょっと、呆れた」

「えー、酷いよ恋ちゃん」

「でも……そんな、こすずは、嫌いじゃない……かも」

「恋ちゃん……えへへ、ありがとう」

「……むぅ」

 

 言わなきゃよかった……なんて言ってそっぽを向く恋ちゃん。

 うーん、恋ちゃんもなかなかどうして、素直なのかそうじゃないのか、よくわからないね。

 と、その時。

 

 

 

「あー!」

 

 

 

 大きな声が、鼓膜を震わせた。

 ユーちゃんや、霜ちゃんや、みのりちゃんの声じゃない。男の子の声でもない。

 正面から聞こえた、女声。

 顔を上げると、そこには。

 幾人もの子供たち、そして、女の人が、こちらを指さしていた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「あー! 見つけた!」

 

 子連れの女の人が、こっちを――というか男の子を指さしている。

 そして男の子の表情も、女の人を見るなり、パァッと明るくなった。

 

「おねえちゃん!」

「ったく、だからあれほど周りを見て遊べっつったろうが! みんな心配したんだかんなこの野郎!」

 

 男の子がパタパタと女の人へと走っていく。そして女の人はその子を抱きとめた。

 この人が、男の子の保護者の人かな? 髪をざっくばらんに切り落としたような、スッキリとしたショートヘアの、とても若い女の人だ。

 というか、若すぎじゃない……? 流石にわたしたちと同じって感じはしないけど、大人、なのかな……? 高校生? いや、大学生くらい、に見える、かな? 若々しい風貌は二十代前後って感じだ。

 後ろには、男の子、女の子。小学校低学年くらいから、幼稚園児くらいまでの子供がたくさんいる。

 お姉ちゃんって言ってたし、この人が、この子のお姉さんなんだろうけど、こんなに大姉弟なんだ。すごいや。

 お姉さんはわたしたちを見るなり、慌ててこっちに来て、頭を下げた。

 

「すんません、ウチの弟が迷惑かけたみたいで!」

「い、いえ、気にしないでください。それより、見つかって良かったです」

「えぇ、本当にその通りで。感謝してます……って、ん?」

 

 突然、平謝りしていたお姉さんが、わたしの顔をマジマジと見つめる。

 な、なに? わたしの顔に、なにかついてる?

 

「アンタ、どっかで見たような……」

「え? ひ、人違いじゃないですか?」

 

 少なくともわたしは、この人のことは知らないし、初めて出会ったと思うんだけど。

 だけど女の人は、そうは思っていないようで、うんうんと唸りながら、考え込んでいる。

 水底に沈んだ記憶を、掘り起こすように。そしてそれを、解析するように。

 

「うーん、どこで見たんだっけなぁ。んにゃ、実物を見たって言うより、特徴を人づてで聞き及んでいるみたいな、その要素だけが頭ん中にあって知ってるみてーな感じ……あぁ!」

 

 バッと顔を上げるお姉さん。どうやら、思い出したみたい。

 それより、人づてに特徴を聞くとか、要素だけ知ってるとか、どういうことなんだろう?

 と、思っていると――

 

 

 

「アンタ、帽子屋のダンナが付け回してるガキ(アリス)じゃん!」

 

 

 

 ――ちょっと予想だにしない言葉が、飛んできました。 

 

 

「ぼうし、や、って……えぇ!?」

 

 思いもしなかった名前が出て来て、驚きのあまり、思わず声を荒げてしまう。

 確かにこの人は、帽子屋、と言った。

 わたしの知る中で、帽子屋っていったら、あの人しかいない。

 ということは。

 

「ま、まさか……!?」

「おいおいマジかよ。今日は完全オフのつもりだってのに、こんな時にバッタリ遭遇とかシャレになんねーっての」

 

 よくわかんないけど、帽子屋さんの関係者ってことは、たぶんこの人は、アレだよね。

 【不思議な国の住人】を自称する、ストー――もとい、不思議な人たち。

 兄弟姉妹を連れてやって来たのは、前回の蟲のお姉さんお兄さんたちと同じだから驚かないけど、姉弟がたくさんいるのは驚いたよ。それにちっちゃい。可愛い。

 

「奇縁ってやつかねぇ。いや、言葉の意味が正確じゃねー気がするが。なんにせよ、この因果律は望んでねーぞ」

 

 ガシガシと粗野な挙動で、髪を掻き毟るお姉さん。

 さっきまでの気さくそうなお姉さんの表情は、不機嫌で、不満げで、敵意が剥き出しの険しいものへと変貌していた。

 

「望まないならお互い不干渉、ってわけにもいかねーよなぁ。聖獣の存在は、ワタシとしても無視できねーし、因縁つけとく価値はあるわけだしなぁ」

 

 それでも、お姉さんはギリギリまで迷うように、ぶつぶつよ一人でなにか呟いている。

 そして、

 

「ワタシ個人の惰性に幸楽と、一団としての将来と役割、ってとこか。クソが、んなもん天秤にかけるまでもなく、決めつけられてんじゃねーか」

 

 最後には投げやりな感じで、吐き捨てた。

 

「悪いなお前ら、ダンナのために一仕事しなきゃならんようだ」

 

 お姉さんは後ろで控えている、小さな弟妹たちに言った。小さな彼らは、わかっていると言わんばかりに、コクリと頷く。

 そしてお姉さんは、やっとわたしたちへと向き直る。

 

「ウチの弟が世話になったな」

「え? あぁ、はい……」

「それについては感謝する。だが、それはそれ。帽子屋のダンナへの恩義っつーか、義理っつーか……まあ、通さなきゃなんねぇ筋があるんだよ、こっちにもな」

 

 どことなく、不承不承といった風だけど、それでもお姉さんの敵意はそのまま。

 いや、それは敵意というよりも、義務感のように感じられた。

 そうすべきである、そうしなければならない、といった、責任感のようなもの。

 

「とはいえ、ダンナの指令だけで有給を無駄にするのも腑に落ちねぇ。だからもうちっとばかし、因縁つけてやろうか。ワタシが動くだけの理由付けをな」

「理由……?」

 

 お姉さんはそう言って、わたしに視線を合わせる。

 上から下まで、じっとりとした目で眺めて、一声。

 

「初見でも自分の目を疑ったモンだが、やっぱそいつはヤバいな。AV女優みてーなカラダの女は、ウチの弟妹(ガキ)の健全な成長に悪影響だ」

「えーぶ……って……!」

 

 顔に熱が集まる。

 な、な……こ、このお姉さん、今、なんて……!?

 

「ちょっとちょっと! 黙って聞いてれば、小鈴ちゃんになんてことを!」

「そうですよ! 小鈴さんのおムネはユーちゃんのMuttiよりもふわふわもっちりなんですから!」

「ちょ、ユ、ユーちゃん、やめて……!」

「事実だろ。なんだよ、ガキの癖にその異様にデカい二つの肉塊は。見せつけすぎだっての」

「だからいいんでしょ!」

「みのりちゃんもやめてよ……」

 

 わたしの介入できない世界で、わたしの風評が流されてるんだけど……誰か止めてくれないかな……?

 なんて思っても、当然ながら止めてくれる人がいるわけもありません。

 それにしても、やっぱり、気にしてることをこうズバズバと言われると……やっぱり、へこむね……恥ずかしいし……

 恥ずかしさで熱を帯びつつも意気消沈しているわたしとは違って、ひたすらヒートアップしていくみのりちゃんとユーちゃん。

 二人は怒っているようだった。わたしのため、だなんて自惚れるのもどうかなって思うけど、その怒り方はちょっとどうなのかな?

 

「これは許せないよ。私も怒るよ!」

「そうですそうです! ユーちゃんもプンプンです!」

「そうだよね! よし、ユーリアさん! やっちゃいなさい!」

了解です(アインフェアシュタンデン)!」

 

 そしてその勢いのまま、ユーちゃんはごくごく自然な流れで、フックに付けられた箱からデッキを取り出した。

 ……え? なんでデッキ持ってるの?

 

「いいぜ、やるか? 『ヤングオイスターズ』の長女として、相手してやる」

「『ヤングオイスターズ』?」

「……それに……長女って……」

「あ、ヤベ。まだ名乗ってなかったな。オンの時間は名乗りを上げるのが童話的演出とかなんとか、チョウの姐御がなんか言ってたっけな」

 

 わたしの疑問に答えてくれそうな人は皆無。そして、その戸惑いの中で、お姉さんは名乗りを上げる。

 

「そう、ワタシは……いんや。ワタシたちは、ご存じ【不思議の国の住人】が一人、あるいは一種。その名は『ヤングオイスターズ』。発展途上な哀れな牡蠣(カキ)たちだよ」

 

 自嘲的に名乗るお姉さんの名前は――『ヤングオイスターズ』?

 複数形の名前。お姉さんも、ワタシたちとか、一人ではなく一種とか……なんだか、今までの人たちとは、ちょっと違う感じだ

 

「なんか気になるね。『ヤングオイスターズ』とやら。あなたが長女ってことは、弟妹も同じく【不思議な国の住人】とやらなんだろうけど、彼らはなんなんだ?」

「ワタシの弟と妹だ。そんでもって、ワタシであり、ワタシたちだよ」

「は……? 意味不明……」

「ま、すぐに理解しろつっても難しいわな。ワタシたちは、【不思議な国の住人】の中でもいっとう特殊な固体……いや、群だからな」

 

 群。群れ。個人ではなく、集団。

 そんなカテゴライズは、ちょっと聞き慣れないというか、よくわからない。どういうことなんだろう。

 当たり前のようにデッキを取り出したことと一緒に尋ねたい。

 

「ワタシたち兄弟姉妹は、そのすべてが『ヤングオイスターズ』という群としての名前を持つ。それがワタシたちという存在だ。だが見ての通り、ワタシたちは兄弟であり姉妹、兄がいて、弟がいて、姉がいて、妹がいる。その中で一番年上なのがワタシという個である、ってだけだ」

「『ヤングオイスターズ』は種族の名前であり、個人の名前ではない、ってことか?」

「残念ながらそういうわけでもねぇ。ワタシたちはな、“個が群であり、群が個”なんだよ。個人と群を明確に区別しない。すべきではないのさ」

 

 個が群であり、群が個?

 な、なにを言っているの……?

 今まで【不思議の国の住人】の人たちは、一様におかしなことを口走っていたけれど、その中でもこの人は、言ってることが本当に意味不明だ。

 帽子屋さんくらいに理解不能。だけど、あの人とは違って、狂ってるとか歪んでるって感じはしない。

 なんていうか、そう。

 ただただ“わたしたちとは程遠い存在”という感覚だ。

 

「……複数の固体が群になることで、その群が一固体として認識される、ってことかな。なんかそんな生物がいた気がするな」

「人をオモシロ生物みたいに言うな。んなわかりやすいもんじゃないっての。ま、深刻に考えるようなことでもねーし、結論だけで言えば個体は固体って感じなんだが……なんにせよ、だ。弟たちは見ての通りまだ幼いんで、思考能力がもっとも発達した長女たるワタシが、『ヤングオイスターズ』という存在の司令塔役を買って出てるってだけだ。こいつらの保護者ってことだな!」

 

 ざっくばらんにまとめる、ヤングオイスターズのお姉さん。

 わたしたちの疑問は解消されないままだけど、きっとこのまま言葉を積み上げ続けても、理解できる気はしない。

 わたしたちが、わたしたちの常識で縛られている限り、彼女の異質すぎる在り方は、理解できない。そんな気がする。

 

「そんなことは、どーでもいいです! ユーちゃん、小鈴さんにひどいこと言うのは許せないです!」

「はんっ、知ったことか。弟のエスコートには感謝するがな、その天秤のもう片方には、ダンナへの義理とエロい身体の悪影響が乗っかってんだ。どっちが重いかは明白だぜ」

「やっぱり和解は無理だね。ユーリアさん、武力行使で黙らせる、いやさ謝らせるしかないよ!」

「いいぜ上等! ムカついた時にはスカッとこれだよな! わかりやすく白黒つけようや!」

 

 浮き沈みが激しい。

 さっきまで、どことなく暗い水底のような空気を発していたお姉さんの雰囲気は一変して、熱く、迸るような気勢を発している。

 その加熱と冷却の温度差にも困惑するけど、なにより、なにもしてないはずなのに、わたし自身が話題の中心にいることは、わたしは腑に落ちないんだけど。

 とはいえ、わたしがいくら不平不満を述べようとも、それはきっと無意味で、その抵抗は無為のまま、ユーちゃんと『ヤングオイスターズ』の長女と名乗るお姉さんの、デュエマが始まるのです。

 ここ、プールなのにね。

 もはや思考を放棄したわたしの耳に、とてもやる気満々なお姉さんの声が届く。

 

「そんじゃあ案内するぜ、不思議に世界によ――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ユーちゃんのターンです! 《龍装者 ジバル84号》をマナチャージして、2マナで《一撃奪取 ブラッドレイン》! 召喚(フォーラドゥング)です! Ende!」

「ワタシのターンだ! 《第4新都市 ウツボイド》をチャージする! 2マナで《一番隊 ザエッサ》を召喚するぜ! これでターンエンドだ!」

 

 

 

ターン2

 

ユー

場:《一撃奪取 ブラッドレイン》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:0

山札:29

 

 

ヤングオイスターズ(長女)

場:《ザエッサ》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

 

 相手のおねーさんデッキは水文明。そしてユーちゃんは、いつもみたいに闇文明も使ってますけど、今日は一味違いますよ!

 

「ユーちゃんのターンですね! 《クロック》をマナチャージです! そして、3マナで《サイバー・チューン》を唱えます! 三枚引いて、二枚を墓地(フリートホーフ)へ! Ende、です!」

 

 今日のデッキは、闇文明だけじゃなくて、水文明も入れてますよ。

 手札を入れ替えて、カードを墓地に捨てます。

 

「行くぜ、ワタシのターン! 《ザエッサ》の能力で、ワタシのムートピアの召喚コストを1軽減! 1マナで二体目の《ザエッサ》を召喚!」

「コストを下げるクリーチャーが二体ってことは、コストが2も下がるんですか!?」

「おうよ。しかも、アンタの《一撃奪取》と違って、《一番隊》のコスト軽減は永続する! つまり、続けて出すクリーチャーもコスト軽減って寸法よ! 2マナ軽減、1マナで《貝獣 ホーラン》を召喚だ! 能力で一枚ドロー! 続けて1マナで《異端流し オニカマス》を召喚! これでターンエンドだ」

 

 い、1ターンで三体も出てきちゃいました! あぅ、す、すごいです……!

 

 

 

ターン3

 

ユー

場:《一撃奪取 ブラッドレイン》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:3

山札:25

 

 

ヤングオイスターズ(長女)

場:《ザエッサ》×2《ホーラン》《オニカマス》

盾:5

マナ:3

手札:2

墓地:0

山札:26

 

 

 

「たくさん出てきちゃいました……でも!」

 

 バトルゾーンを見るだけで、ユーちゃんがピンチなのは明白です。

 こんなに早くに、ここまでクリーチャーの数に差がついてたら、とても苦しいです。

 だけど、ユーちゃんには諦めませんよ!

 まだまだ、ここからです!

 

「ユーちゃんも、ここからすごいことやっちゃいますよ! 《デス・ゲート》をチャージ!」

 

 これで4マナです!

 マナは溜まったので、ここから見せちゃいます!

 ユーちゃんの必殺技です!

 マナをすべてタップして、《ブラッドレイン》の上に重ねて、出します。

 

「《ブラッドレイン》を進化(エヴォルツィオン)! 《悪魔龍王 ロックダウン》です!」

「なーにが出るかと思えば、ふっつーの進化クリーチャーだなぁ」

「そんなことないですよ! このクリーチャーはすごいんですから! 《ロックダウン》の能力で、《ザエッサ》のパワーを6000下げます!」

「パワー0以下になった《ザエッサ》は破壊されるが、それだけ――」

「それだけじゃありません! 《ロックダウン》で攻撃(アングリフ)――する時に!」

 

 《ロックダウン》をタップして攻撃と言いましたが。すぐにその攻撃の流れを止めます。

 そして、攻撃中のクリーチャーを、“手札に戻します”!

 

「革命チェンジです!」

「あん!?」

 

 えっへん! これがユーちゃんの新しい必殺技ですよ!

 ……実子さんに教えてもらったんですけどね。

 攻撃しているクリーチャーと、手札のクリーチャーを入れ替える革命チェンジ。今は《ロックダウン》の攻撃中なので、その《ロックダウン》がユーちゃんの手札に戻って、手札から出しますよ、新しいクリーチャー!

 ユーちゃんの新しい切り札、そのうちの一枚です!

 

「コスト5以上の水か闇のドラゴンが攻撃したので、革命チェンジ! 出て来てください!」

 

 手札に戻した《ロックダン》と、入れ替わるようにして、バトルゾーンへ!

 

 

 

Das ist "Beweis des Teufels"(これが「悪魔の証明」です)――《完璧問題 オーパーツ》!」

 

 

 

 《ロックダウン》が革命チェンジして、手札からより大きなドラゴンの登場です!

 ……ドラゴンなのかは、わかりませんけど。

 大きなロボットに見える気がしますけど、ドラゴンらしいので、ドラゴンということにします!

 

「おぉぅ、《オーパーツ》と来たか……! これはまずいぜ」

「《オーパーツ》の能力発動です! まずはカードを二枚引いて、おねーさんの手札か場のカードを合わせて二枚、選んでください! 選んだカードを山札送りです!」

「くっ、しゃーなしか。手札一枚と《ホーラン》を山札に戻す……だが、ただじゃやられないぜ。《オニカマス》の能力で、相手が自身のターンに召喚以外の方法でクリーチャーを出した時、そいつを手札に戻せる! そら、戻りやがれ!」

 

 《オニカマス》の能力で、《オーパーツ》は手札に戻されちゃいました。

 残念です、せっかく出したのに……

 

「どうだ、これが革命チェンジ殺し、《オニカマス》の力だ! 露骨なメタカードはダテじゃないぜ! 不正は許さねーよ!」

「うー、でも、これはしょうがないです。Ende……」

 

 ユーちゃんの場からクリーチャーがいなくなっちゃいました。

 でも《オーパーツ》でドローできましたし、相手クリーチャーも、手札も減らせました。

 まだまだがんばれますよっ。

 

「ワタシのターン! さて、クリーチャー数では勝ってるし、相手は革命チェンジ主体のデッキ。《オニカマス》で牽制はできるが、アド差が結構痛いな。ここはしゃーなしで、《アーヤコーヤ》をチャージだ。3マナで呪文《ストリーミング・シェイパー》を詠唱! 山札を四枚めくるぜ!」

 

 おねーさんが表向きにした山札は、《一番隊 ザエッサ》《貝獣 ホーラン》《終末の時計 ザ・クロック》《貝獣 ホタッテ》の四枚。

 

「全部水のカードだから、すべて手札に加えるぜ!」

 

 水文明だけのデッキなので、青いカードばっかりです。だからこの結果は、当然ですね。

 

 

 

ターン4

 

ユー

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:6

墓地:3

山札:22

 

 

ヤングオイスターズ(長女)

場:《ザエッサ》《オニカマス》

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:2

山札:23

 

 

 

 とは言ったものの、せっかく手札を減らしたのに、たくさん増やされちゃいました……

 《オニカマス》がいる限り、ユーちゃんは革命チェンジができないです。やってもすぐに手札に戻されちゃいます。

 それに《ロックダウン》を出すには進化元が必要なので、ここはなにもできないです……

 

「ユーちゃんのターンです。《【問2】 ノロン⤴》を召喚です。二枚引いて、二枚捨てます。それから、2マナで《虹彩奪取(レインボーダッシュ) マイレイン》も召喚します。これでEndeです」

「ワタシのターン、ドロー……お? これはキレイに繋がりそうだなぁ……とりまこいつだ! マナチャージなし! 《ザエッサ》でコスト軽減、1マナで《ザエッサ》を召喚!」

「またですか!?」

「あぁ、まただぜ! さらに《ホーラン》召喚、一枚ドロー!」

 

 この流れは、最初と同じ動きです。

 コストを軽減するクリーチャーを出して、コストの下がったクリーチャーを何体も召喚する。

 でも、さっきと同じなら、《ロックダウン》からの《オーパーツ》で対処できるはずですよね。

 《オニカマス》は手札に戻しちゃうだけですから、能力はまた使えます。そうすれば手札も増えますし、なんとかなるはずです。

 って思ってましたけど、それは相手のおねーさんもわかってるはずです。それでも、おねーさんは勝ち気な表情を見せてます。

 それどころか

 

「……いいドローだ。はっ、笑いが止まらねぇぜ!」

 

 すごく、笑ってます。

 そんなにいいカードを引いたのでしょうか? でも、おねーさんはもうあと2マナしかありません。《ザエッサ》が二体いても、4マナまでのクリーチャーしか出せないはずです。

 4マナのクリーチャーならそんなに怖くないと思います。たった2マナなら、大丈夫だと、思うんですけど……嫌な予感がします。

 もしかして、この状況で使える切り札を、引いたのでしょうか?

 

「こいつがワタシの必殺の切り札だ! 《貝獣 ホタッテ》を通常召喚! そして、これでワタシのムートピアの数が五体だ!」

 

 そう言われて、改めておねーさんのクリーチャーを数えます。

 《ザエッサ》が二体、《オニカマス》《ホーラン》《ホタッテ》が一体ずつ。全部、種族はムートピアで、確かに合計で五体います。

 お姉さんマナは残り1マナ。それで、どうやって切り札を出すんでしょう。

 ユーちゃんがそれを考えていると、おねーさんは手札を一枚抜き取って、急に、冷淡な声を響かせます。

 

「ワタシたちは個にして群、群にして個。(ワタシ)ワタシ()であり、(ワタシ)ワタシ()であり、弟妹(ワタシたち)ワタシたち(弟妹)である」

「……?」

「だが! こいつは、こいつだけは! ワタシを“ワタシたち”ではないワタシにする! さぁ、よーく見とけ。これが――“ワタシ”だ!」

 

 かと思ったら、今度は沸騰したみたいに熱く、煮えたぎるようなセリフを告げました。

 その後に、おねーさんは一枚のカードを、掲げます。

 

 

 

「来い――《I am》!」

 

 

 

 それは、クリーチャーでした。シルクハットをかぶって、悪魔のような羽の生えた、人型のクリーチャー。

 なんだか、あの人型、見たことある気がします。学校の、緑色の光ってるところとかにあるヤツです。

 もちろん、デュエマのカードなので、クリーチャーなわけですけど。

 

「こいつはワタシの場にムートピアが五体以上存在する時、タダで召喚できる!」

「えぇ!? コスト9のクリーチャーなのに、ですか!?」

「おうよ。だが代わりに、この方法で出したら、ワタシの進化でないクリーチャーはすべて手札に戻っちまう。それはこの《I am》も例外じゃねぇ……だーから!」

 

 お姉さんはそのカードを、場のクリーチャーの上に、叩きつけるようにして重ねました。

 

「NEO進化! 《ホーラン》を《I am》に進化させるぜ!」

「!」

「これで《I am》は場に残る! 他のワタシのクリーチャーは、全部手札に戻ってこい!」

「クリーチャーが一体だけに……」

 

 コスト9、パワー15000の大型クリーチャーがタダで出たけど、その代償は決して小さくありません。

 お姉さんは、《I am》以外のクリーチャーを失ってしまったのだから。あれだけクリーチャーを出したのに、それを一体のクリーチャーのために消費しました。

 これは、逆にチャンスなんじゃないでしょうか……?

 

「そいつはどうかね、まだ終わっちゃいねーぜ。ワタシにはまだ、マナが残ってる」

「1マナしか残ってないですけど……」

「それだけあれば十分! そら、手札の《ザエッサ》二枚を捨てて、《神出鬼没 ピットデル》を召喚だ!」

「ふにゅっ!?」

 

 こ、これは驚きましたよ!

 手札を二枚捨てて、マナコストを支払わず、クリーチャーが出て来るなんて……!

 

「面白いだろ? 《ピットデル》はコストを払う代わりに、手札の水のカード二枚を捨てれば、召喚できるんだ」

 

 手札二枚を召喚コストの代わりにするなんて、そんなクリーチャーがいるんですね……

 でも《ピットデル》は、たったパワー2000のブロッカー。攻撃もできるとはいえ、そんなに強いとは思えませんが……?

 

「そして1マナ! 《貝獣 ホタッテ》を召喚! 《ピットデル》からNEO進化だ!」

「あ……」

 

 あのクリーチャー、さっき召喚したクリーチャーです。NEO進化できるクリーチャーだったんですね。

 それが、《I am》を召喚して手札に戻ってきたから、最初は普通のクリーチャーとして出したのを、今度はNEO進化クリーチャーとして召喚する。

 つまり、このターン中に攻撃できるようになるってことです。

 

「これだ打点は揃った、攻撃だ! 《I am》で攻撃! 《I am》はNEO進化クリーチャーの時、パワーがプラス10000され、ワールド・ブレイカーになる!」

「わ、ワールド……!?」

「アンタの盾を、一撃で全部ぶっ飛ばすって意味だよ! そうら、吹き飛べ!」

 

 ワールド・ブレイク、とおねーさんが叫びます。

 すると、ユーちゃんのシールドが、一度に全部、ブレイクされてしまいました。

 あっという間にシールドゼロです。

 

「こいつでとどめだ! 《ホタッテ》でダイレクト――」

「ま、待ったですよ! S・トリガー《地獄門デス・ゲート》です! 《ホタッテ》を破壊!」

「……ちっ、止められたか。まあトリガーの一枚や二枚は想定内だけどな。ターンエンド」

 

 

 

ターン5

 

ユー

場:《マイレイン》《ノロン⤴》

盾:0

マナ:5

手札:8

墓地:6

山札:19

 

 

ヤングオイスターズ(長女)

場:《I am》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:6

山札:21

 

 

 

 あ、危なかったです……!

 S・トリガーが出なければ、ダイレクトアタックされちゃうところでした。

 本当なら《デス・ゲート》で墓地のクリーチャーを復活させたかったところですが、破壊したのがコスト1のクリーチャーでは、復活させるクリーチャーがいないです。しょうがないのです。

 それより問題なのは、おねーさんの切り札です。

 

「パワー25000のNEO進化クリーチャー、《I am》。ワタシの手札は二枚。《ロックダウン》や《オーパーツ》じゃ《I am》は退かせないぜ? さぁ、どーする?」

「…………」

 

 確かに、パワー25000もあったら、バトルでは勝てないです。バトル大好きな小鈴さんでも倒せないと思います。

 パワーを下げても、《ロックダウン》で下げられるのは6000なので、19000です。《オーパーツ》に革命チェンジしても倒せません。

 《オーパーツ》で山札の下に送れればいいんですけど、おねーさんの手札は二枚なので《オーパーツ》を出しても、たぶん、その手札を山札の下に送ります。

 バトルでも、《ロックダウン》でも、《オーパーツ》でも、確かに倒せません。

 でも、だけど。

 あのクリーチャーを破壊するのは――

 

「――簡単(アインファッハ)、ですよ?」

「あん?」

 

 Einfach……簡単なんです。

 相手の切り札を倒す、なんてことは。

 

「そーゆーの、ユーちゃん得意なんです! マナチャージして、《マイレイン》でコストを下げて1マナ! 《ブラッドレイン》を召喚です! そして、5マナで《ノロン⤴》を《ロックダウン》に進化! Ich……じゃないです、《I am》のパワーを下げます!」

 

 さあ、《I am》を倒す準備です。

 まずは《ロックダウン》に出て来てもらいます。これだけで、ほとんど準備は終わりなんですけど。

 後は、攻めるだけです!

 

「《ロックダウン》で《I am》を攻撃――する時に!」

「《オーパーツ》か? 無駄だぜ、パワーが違いすぎる! そんなに殴り合いたけりゃ、《ロックダウン》を三体引っ張って来るんだな!」

 

 おねーさんがそう叫びますけど、ちょっと勘違いしてるみたいです。

 

「殴り合いなんて……そんなランボーなこと、しませんよ?」

「え?」

「このクリーチャーは、ユーちゃんの“コスト5以上の闇のコマンド”の攻撃で、革命チェンジします!」

「闇のコマンドって、おいまさか……!?」

 

 《ロックダウン》はドラゴンですけど、デーモン・“コマンド”・ドラゴン。種族にコマンドも持ってます。

 その、コマンドを条件にした革命チェンジ。それは――

 

 

 

Ein einsamer Wolf bellt in der Dunkelheit(孤高の狼は暗闇の中で咆える)――Ich bitte dir(お願いします)! 《Kの反逆 キル・ザ・ボロフ》!」

 

 

 

 真っ黒な狼。

 硬い拳 を握る、ボクサーのようなクリーチャーです。

 悪魔には悪魔です! これが、ユーちゃんの新しい切り札ですよ!

 

「《キル・ザ・ボロフ》の能力で、ユーちゃんの墓地から《マイレイン》を山札の下に戻します。そうしたら、相手クリーチャーを一体破壊です! 《I am》を破壊!」

「ふっつーに破壊されたし……参ったぜ」

 

 パワーで勝てないなら、そのまま破壊しちゃえばいーんです!

 ユーちゃんの闇文明のカードなら、そのくらいカンタンにできちゃいます。

 

「Ende! おねーさんのターンですよ」

 

 攻撃先の《I am》が破壊されていなくなっちゃったので、《キル・ザ・ボロフ》の攻撃は終わりです。

 おねーさんは手札がほとんどないので、ここはシールドをブレイクしたくないです。

 

「……《オニカマス》を二体召喚だ。ターンエンド……」

 

 

 

ターン6

 

ユー

場:《マイレイン》《ブラッドレイン》《キル・ザ・ボロフ》

盾:0

マナ:6

手札:7

墓地:5

山札:19

 

 

ヤングオイスターズ(長女)

場:《オニカマス》×2

盾:5

マナ:5

手札:0

墓地:8

山札:20

 

 

 

 予想通り、おねーさんは《オニカマス》しか召喚できませんでした。

 革命チェンジができなくなりましたが、大丈夫です。

 革命チェンジしても手札に戻されちゃうなら、手札に戻されない方法で出せばいいだけですから。

 

「《マイレイン》と《ブラッドレイン》でコストを2軽減! 6マナで《完璧問題 オーパーツ》を召喚!」

「普通に出しやがった……素出しするだけのオツムはあんのか、このシルバーガイジン……」

「能力で二枚ドロー! カードを二枚、山札に戻してください!」

「《オニカマス》しかいねーよ! こっちが選ぶからアンタッチャブルも無意味だしよぉ……!」

「では、これでEndeです!」

「完全にワンショット狙いか……《クロック》ないと詰みだが、逆に言えば、《クロック》さえ引けば勝てるってことだな」

 

 そうなんですよね……

 ユーちゃんはシールドが一枚もないので、一回でも攻撃を受けたら負けちゃいます。

 このデッキにブロッカーはいません。なので、もしも《クロック》が出てしまったら、ユーちゃんの負けです。

 だからもう《クロック》が出ないことを願ってます。

 

「とか言いながら《クロック》召喚だよ! そっちの引くじゃねーよ、ふざけんな! ターンエンドだ!」

 

 

 

ターン7

 

ユー

場:《マイレイン》《ブラッドレイン》《キル・ザ・ボロフ》《オーパーツ》

盾:0

マナ:7

手札:8

墓地:5

山札:16

 

 

ヤングオイスターズ(長女)

場:《クロック》

盾:5

マナ:5

手札:0

墓地:8

山札:21

 

 

 

 ……出ないことを祈りましたが、出ちゃましたね。でも、トリガーで出ないなら大丈夫です。

 それに、もう攻撃してもいいと思うんです。そろそろ、ユーちゃんも攻めますよ。

 

「2マナで《ノロン⤴》を召喚です。二枚引いて二枚捨てて……残り6マナで、《ノロン⤴》を進化!」

 

 今いるクリーチャーだけでも、シールドはすべてブレイクしてダイレクトアタックもできますけど、《クロック》じゃないトリガーがあるかもしれません。

 それに、なにより、このクリーチャーを出さないと、って思います。

 《オーパーツ》も《キル・ザ・ボロフ》も切り札ですけど、これも、忘れちゃダメですよ!

 

 

 

Die Boeseauge der Dunkelheit werden dich toeten(闇の邪眼があなたを殺す)――Ich bitte dir(お願いします)! 《悪魔龍王 キラー・ザ・キル》!」

 

 

 

 これで、Tブレイカーが一体増えました。

 それだけじゃありません。

 

「《キラー・ザ・キル》の能力で、《クロック》を破壊です!」

「盤面掃除にダメ押しの三打点かよ……オーバーキルだっての」

「さぁ、行きますよー! 《キラー・ザ・キル》でTブレイクです!」

 

 これだけクリーチャーがいれば、ちょっとやそっとのS・トリガーが出ても大丈夫です!

 一気に攻めますよ!

 

「ちっ、三枚捲って全部ノートリかよ……!」

「《オーパーツ》で攻撃です! 革命チェンジで《オーパーツ》を出します! 二枚ドロー!」

「手札二枚ボトムに置けばいいんだろ! で、二枚ブレイクか……」

 

 手札を減らしながら、残る二枚のシールドもブレイクしちゃいます!

 これで《クロック》が出なければいいんですけど……

 

「……S・トリガーだ」

「はぅっ!」

「だが、《崇高なる智略 オクトーパ》だ……クソッ、止まんねぇ……!」

 

 おねーさんのトリガーは、《オクトーパ》だけ。

 それなら問題ありません! ユーちゃんにはまだ、攻撃できるクリーチャーが残ってますから!

 これで、終わりですっ!

 

 

 

「《キル・ザ・ボロフ》で、ダイレクトアタックです――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「畜生! 負けちまったぜ!」

「えっへん! ユーちゃんの勝ちですよ!」

「あぁ負けたよ! クソッ! こればっかりは言い訳の余地がねぇ敗北だ……! マジ腹立つ!」

「えへへ。やりましたよ! 小鈴さん、実子さん……って、なにやってるんですか!?」

「あ、ユーちゃん。終わった?」

「終わりましたけど! ユーちゃん勝ちましたけど! でも、なんで、なんで……!」

 

 ユーちゃんが、“わたしたち”を指さして、わなわなと震えている。

 こんなユーちゃんは初めて見たなぁ。怒ってるの、かな? どこか不満げで、ちょっと涙ぐんでいるようにも見える。

 ユーちゃんは一度、スゥッと息を吸って、吐いて、深呼吸。

 そして、鋭い声で、言い放った。

 

「なんでプールでデュエマしてるんですか!?」

「いや、その言葉はそっくりそのままお返しするからね? ユーちゃん?」

「……ブーメラン……」

 

 というか、それはわたしが聞きたい。

 なぜかみんな、さも当然、みたいにデッキを取り出すし、お姉さんの弟さんや妹さんたちも、なぜかカード持ってるし。お財布だと思ってた箱はデッキケースっていうオチ。わけがわからないよ。

 ここがプールであることを忘却したかのように、ユーちゃんがお姉さんと対戦している間に、こっちでもデュエマで遊んでいるという始末。みんな、プールをなんだと思ってるの?

 わたし? もちろん持ってないよ。持ってくるわけないじゃない。

 ……まあ、弟さんや妹さんと遊んでる時は、結構、楽しかったけど。

 子供っていいよね。無邪気で明るくて、癒される。

 

「ユーちゃんも混ぜてください!」

 

 ユーちゃんは、一人だけ仲間外れにされたせいか、むくれている。

 そこにお姉さんの声が響いた。

 

「おーいお前ら! そのへんにしとけ! あんまり懐くな!」

「えー」

「えーじゃない! はいはい、解散解散! 今日はもう帰るぞ!」

「まだ遊びたーい!」

「おねーさんたちと遊びたーい!」

「うるせぇ! 変な女を知ると、将来の性癖が歪むぞ! ねーちゃんはお前らに健やかに育ってほしいからな。女の味を知るのは大人になってからだ。とにかく今日は帰宅! 帽子屋のダンナにも報告しないといけないしな!」

 

 お姉さんは弟さんや妹さんたちを叱るように言って、帰ろうとしている。

 弟さんたちは不満たらたらだったけど、お姉さんの言葉には逆らわなかった。ぶーぶーと口を尖らせながらも、きちんとお姉さんの後についていく。

 ……と、思ってたら、兄弟姉妹の集団から、男の子が一人、ピョコッと出て来た。

 さっきの、迷子になってた男の子だ。

 男の子はトタトタとわたしの下へと走ってくる。プールサイドで走ると危ないよ。

 

「どうしたの?」

「おねーさん! これ! おねーさんにあげる!」

 

 そう言って男の子は、ピッとわたしに差し出した。

 ちょっと予想外のことに、わたしは面食らってしまう。

 

「え? これって……どうしてわたしに?」

「今日のおれい! おねーさん、ありがとう!」

 

 男の子は満面の笑みを見せてくれる。

 あぅ、そんな笑顔を見せられたら、断れないよ……眩しいなぁ。

 ちょっと申し訳ないような気持ちがあるけど、これを断るのも逆に吸散れ如何な。せっかくの善意、この子の精一杯のお礼なんだから、ちゃんと受け取ってあげないと。

 わたしは差し出されたそれを受け取った。

 

「こちらこそ、ありがとう。気をつけて帰るんだよ」

「うんっ!」

「おーい! なにやってんだ! またはぐれんぞ!」

「わかったー! じゃあ、おねーさん! またね!」

「うん、またね」

 

 そうして、男の子はまた、トタトタと走ってお姉さんたちの、『ヤングオイスターズ』の集団へと入る。

 彼らの姿が見えなくなると、わたしはそれに目を落とした。

 なんだか、前にも似たようなことがあったなぁ。

 そんなことを思い出しつつ。

 わたしの目には、初めて見る“カード”が映し出されていた。

 

 

 

(《魔法特区 クジルマギカ》、かぁ――)

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「あ、いらっしゃい小鈴ちゃん! 今日は一人?」

「はい、そうなんです。えっと、詠さん」

「なにかな?」

「その、新しいカードを手に入れたので、デッキを改造したいんですけど、アドバイスとかもらえたらなって……」

「別にいいけど、もう小鈴ちゃんは私のアドバイスなんてなくても、デッキ組めそうだけどね」

「一人で組むのは、まだ不安で……」

「そっか。まあいいよ。それで、どんなカードを手に入れたの?」

「えっと、これです」

「うわ、小鈴ちゃんはちょいちょいびっくりなカードを持ってくるね」

「え、このカード、強くないん、ですか……?」

「いや強い。強いと思う。うん、たぶん強い」

「……煮え切らないですね」

「このカードはまだ、色んな人が研究中だから、本当に強いのかいまいち判断しかねるんだよね。面白いカードなのは確かなんだけど……」

「どう使えばいいんでしょう?」

「いやぁ、こればっかりは私もお手上げかな。わかんないや」

「えぇ!? そんなぁ」

「ごめんね。でも、これは本当にきつい……巷で話題のコンボならすぐに教えられるけど、それを今から組むってのもねぇ。小鈴ちゃんのデッキとはまったく違う形になるだろうし」

「……そうですか」

「うーん、まあ私も、できる限り相性の良さそうなカードは教えるよ。でも後は、小鈴ちゃん自身で考えた方がいいと思う。小鈴ちゃんのデッキを一番よく理解してるのは、自分自身だろうから」

「そうでしょうか……?」

「そうだと思うよ。横から小鈴ちゃんのデッキ見てると「え? なにこのデッキ?」って思うもん」

「あぅ、そうですか……」

「でも、だからこそ、そのカードも色んな使い方ができるんじゃないかな……あ、そうだ」

「どうしました?」

「今度ね、このカードショップで大会を開くんだ、非公認だけど。私も運営を手伝うの」

「そうなんですか。頑張ってください!」

「話を終わらせようとしないで。その大会に、小鈴ちゃんも出てみない?」

「え? わたしが、ですか?」

「大会って言っても小規模なものだし、そもそもレギュレーションが変則っていうか、ガチ禁止っていうか……とにかく、小鈴ちゃんでも十分戦えるような場になるはずだから、是非とも参加してほしいんだ。小鈴ちゃんの腕試しと、あと、色んなプレイヤーと触れ合う機会だからさ」

「……か、考えておきます……」

「うん。いい返事を期待してるよ」




 ここ最近、新キャラのラッシュが続きますが、今回もまたヤングオイスターズの登場です。個にして群、群にして個と称する、どこぞの百の貌を持つ暗殺者集団みたいな奴ですが、別に彼女は暗殺者ではありません。哀れな牡蠣です。
 そして、相も変わらずデッキは古いです。今回も出て来たのは、旧型の青単ムートピア。最近だと《I am》は、軽量呪文を連打して《コーラリアン》や《マノミ》を投げつつループする型が話題ですね。アニメで《スコーラー》も登場し、ムートピアの方向性が定まってきている感じがします。
 対するユーちゃんの方は、わりとお気に入りな青黒革命チェンジ。《ロックダウン》が《オーパーツ》と相性いいんですよね。《デッドゾーン》の存在があるせいで評価が低めな《ロックダウン》ですが、相手のウィニーを除去しながら《オーパーツ》にチェンジして、相手の選択肢を狭められるのがなかなか強いです。
 それでは、ご意見ご感想、誤字脱字の報告など、なにかりましたら気軽に送ってください。


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17話「怒るよ」

 なんだかんだでタイトルらしいことはあんまりしていない本作ですけど、ここいらからようやっと、タイトル回収というほどではないにせよ、それに近づいていくことができたかな、みたいな回です。


SAW

[じゃあ、2時に時計台の下ね]

[昼の時間遅いけど、大丈夫?]

 

 

 

こすず

[だいじょうぶ

朝ごはん、おそめに食べるから]

 

 

 

SAW

[了解]

[遅刻しそうなときは、また連絡して]

 

 

 

こすず

[わかったよ]

 

 

 

こすず

[霜ちゃん

明日、楽しみだね]

 

 

 

SAW

[気持ちはわかる]

[だけど早く寝た方がいいと思うよ]

 

 

 

こすず

[お昼集合だからだいじょうぶだよ]

 

 

 

SAW

[なめてかかると遅刻するよ]

 

 

 

こすず

[わたし、朝は強いから]

[楽しみすぎて、ちょっと眠れない]

 

 

 

SAW

[小学生かキミは]

 

 

 

SAW

[……そこまで言うなら、少しつきあってあげるよ]

 

 

こすず

「ありがとう!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 こんにちは、伊勢小鈴です。

 今日はお出かけです。え? 今日も、だって? そうかも。最近、よくお出かけしている気がします。一番最近だと、みんなで一緒に行ったプールかな。色々とショッキングだったけど、楽しい一日だったよ。

 その前には、霜ちゃんといっしょに服を買いに行ったもしたっけ。霜ちゃんたちが一生懸命わたしの服を選んでくれて、とても嬉しかった。

 今日はその服を着て、お出かけです。

 それも、また霜ちゃんと一緒に。

 特にアテがあるとか、なにをするとか、そういう明確な目的は決まっていなくて、ただショッピングモールをぶらぶらするだけなんだけどね。

 

(霜ちゃんは遅れるって言ってたし、ちょっとヒマだなぁ)

 

 ちょっと前に霜ちゃんから、遅れるとの連絡がありました。今から自転車を飛ばしてくるそうです。その辺だけ男の子っぽい。

 いつも集合五分前にはきっちり着いてるはずの霜ちゃんが遅刻する理由は、朝寝坊らしい。

 ……とても身に覚えがあるというか、たぶん、わたしのせいだね。

 昨夜、結構遅くまでお話に付き合わせちゃったもんなぁ。

 で、でも、わたしはちゃんと起きられたんだよ!

 ……そんな言い訳するのはやめようか。ごめんね、霜ちゃん。

 

「それにしても、暑いなぁ……」

 

 ショッピングモール前にある時計台。その下はベンチになってて、よく待ち合わせにも利用されている。

 屋根がついてて日陰にはなってるんだけど、屋外だからやっぱり暑いね。

 背もたれに寄りかかってぐったりしてると、リンッ、という音が聞こえた。

 わたしの鈴の音じゃない。わたしの髪紐に付いてる鈴は玉を抜いてるから音はしない。

 となると、

 

「あ、ネコさん……」

 

 足元に視線を向けると、黒い子猫がいた。

 ネコさんはわたしの傍までよじ登って、すり寄ってくる。

 

「かわいい……首輪を付けてるってことは、飼い猫かな?」

 

 さっきの鈴の音も、この子の鈴なんだろう。

 近くに飼い主がいるのかな? とキョロキョロしてみるけど、それらしい姿はいない。

 そもそも猫は犬とは違う。散歩をさせる必要なんてないし、勝手にどこかに行ってしまう、気ままな生き物だ。

 とはいえこんな街中にいるのはちょっと奇妙だけど、飼い主の人がわざわざ連れてきたとも思えないんだよね。この辺に獣医とかもないし。

 だから、迷い猫ってわけでもないと思う。

 でも気になるなぁ。子猫が一匹だけでいるって、少し不安になる。

 そんなわたしの不安なんて関係ないと言わんばかりに、この子猫はわたしにじゃれついてくる。どことか、指を舐め始めた。さらには舐めるどころか、口にくわえてしゃぶり始める。

 

「わわっ、甘えん坊だなぁ……」

 

 指先にざらざらした舌の感触が伝わってくる。

 とりあえず指を引き抜いて、抱いてみる。毛がふさふさしてるけど、真夏の炎天下には少し暑いかな。

 

「あ、この子、よく見たら尻尾がしましまだ。変わった子だね」

 

 どういう種類なんだろう。動物についてはあんまり詳しくない。

 みのりちゃんがペットとかには詳しいんだけど、尻尾だけがしましまの猫っているのかな?

 

「あ、わ……っ」

 

 そんな感じでネコさんと軽くじゃれ合ってると、不意に、ネコさんが手を伸ばしてわたしの髪に爪を絡ませた。

 あぅ、せっかく整えてきたのに……

 なんて思ってたけど、ネコさんの目的は髪を乱すことじゃなくて、わたしの髪に付いてる物っぽい。

 わたしがいつも付けてる髪紐の鈴。それに、手を伸ばしている。

 欲しいのかな? でも、これはお母さんにもらった大事なものだから、あげられない――

 

「ん……? なんか、前にもこんなことがあったような――」

 

 ブー! ブー!

 と、ポケットからバイブレーションが響いた。

 

「あ、霜ちゃんからかな? ごめんね、ちょっとおとなしくしててね」

 

 わたしがネコさんを脇に座らせて、携帯を取る。

 相手は確かに霜ちゃんだったけど、メッセージじゃなくて通話だった。通話をオンにして携帯を耳に当てる。

 

「もしもし、霜ちゃん? どうしたの」

『ごめん、小鈴。不幸にも黒塗りの高級車に――』

「え!? ぶ、ぶつかっちゃったの!?」

『――驚いてスリップして、自転車がパンクした。一度家に戻って、自転車を置いてから電車で向かう。だから、もうしばらく時間がかかりそうだ』

 

 あぁ、そういうこと。よかった、大きな事故とかじゃなくて。

 でも、黒塗りの高級車に驚いたって、どういうことなのかな?

 

「うん、わかった。でも霜ちゃん、大丈夫? ケガとかしてない?」

『その点は問題ないよ。それより、この炎天下、ずっと待ち続けるのも辛いだろう? 先に昼を食べておいてよ。どこか涼める場所で待つか、先に見て回っててもいいからさ』

「流石にそれは悪いよ。せっかく霜ちゃんが誘ってくれたんだから」

『いやいや、遅刻するのはボクだし、それについては全面的にボクが悪い。まあ、強いて言うなら、あの自転車を使い潰してる兄貴にすべての責任を押し付けてやりたいところだけど、流石にそれは筋違いだとグッと堪えて……』

 

 なんか、霜ちゃんの怖い声が聞こえた気がする。

 霜ちゃんのお兄さん、ちょっと会っただけだけど、いい人だと思うけどなぁ。

 兄弟どうし、そんな簡単な関係じゃないんだろうけど。

 

『とにかくだ。君を待たせて熱中症にでもなられたら困る。貧血でも同じくだ。君の体調のことも加味して、十分な食事と、涼しい場所で待機しててほしい』

「う、うん、わかったよ」

『じゃあ、また近くなったら連絡するよ。本当にごめん』

 

 最後にもう一度謝ってから、霜ちゃんは通話を切った。

 霜ちゃん、遅れちゃうのかぁ。

 何事もなかったみたいで安心だけど、霜ちゃんと一緒にショッピングできる時間が減っちゃうのは、ちょっと残念かな。

 それに、今日の服は、霜ちゃんに早く見てほしかった。

 霜ちゃんが選んでくれた服。今日のお出かけはこの服のためだと言っても過言ではない。

 だから、ちょっと残念だな。

 霜ちゃんが来れなくなったわけでは、ないんだけれど。

 

「……あ。ごめんね、ネコさん。置いてけぼり、に……?」

 

 振り向いたら、そこにはなにも、誰もいなかった。

 鈴の音を鳴らして現れたネコさんは、音もなく、消えていた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「先にお昼にしててと言われたけど、どうしよう……」

 

 実はこの辺のお店にはあんまり詳しくなくて、霜ちゃんと合流したら、霜ちゃんに任せるつもりだったんだけど……人任せにしようとした報いかな。

 正直、どんなお店に入ればいいのかわからない。

 なにか食べたいものがあるわけでもないし、どこかお店に入ろうにも、どこに入ればいいのかわからず困っちゃう。

 ……あぁでも、強いて言うなら、パンが食べたいかな。わたしのパン屋さんリサーチでは、この近辺に目ぼしいパン屋さんはないはずだけど。

 とりあえず近くになにがあるか見てみようか。

 

「ん、あの子……?」

 

 時計台の下にはたくさんの人が集まっている。

 その中でも目立つ子供が、一人いた。

 まず目に付くのが、真っ白なショートヘア。色が抜け落ちたみたいな髪。ユーちゃんも銀髪だけど、外国人だからとか、そういう感じじゃない。完全に脱色してる。

 次に、黒いコート。この真夏の炎天下にはあり得ない格好と言ってもいい。わたしも正直、その服装は信じられない。

 そんな、奇妙な女の子が一人、ちょこんと時計台下で、ジッと時計を見上げ、立っていた。

 歳は、かなり幼く見える。小学生か、それにも満たないかもしれない。

 この歳の子が、こんなところで一人。迷子かな? この前のプールといい、迷子に縁がある。あまり、いい縁とは言えないけれど。

 周りを見回してみる。

 奇妙な少女に心配や好奇の眼差しを向ける人はたくさんいる。けれど、誰も彼女に近づこうとはしない。

 ……別に、わたしはそれを責めようとは思わない。

 多くの人は自分のことで手いっぱいだ。わたしもそう。自分一人できないことばっかりで、自分の面倒を見るだけで精一杯。

 それに、この女の子の特異な意匠に近寄りがたい雰囲気がある……ような気がする。それは彼女に関わりたくない言い訳かもしれないけど、その気持ちもわかる。

 なんて。

 他の人なんて関係ない。

 わたしはわたしがしたいようにするだけだよ。

 わたしの、ちょっとしたワガママ。けれど今は霜ちゃんもいないし、少しくらいは、いいよね?

 

「どうしたの?」

 

 女の子の前にしゃがみ込んで、尋ねる。

 前髪の合間から覗く。少し切れ目の眼差し。さらにこの子の独特な雰囲気が、伝わってくる。

 その瞳は無感動。虚無が漂う、何者でもないような眼差し。

 ちょっとだけ、恋ちゃんと似てるかもしれない。

 

(どうしよう。両親について聞こうと思ったけど、なんか、危ないものを踏んじゃった気がするよ……)

 

 腕も足も、大きなコートにすっぽり覆われてて見えない。それがかえって、恐ろしい。

 だけど声をかけてここまで来てしまったからには、もう引き下がれない。

 

「あの――」

 

 きゅるるる……

 …………

 ……気の抜けた、可愛らしい音が鳴り響いた。

 わたしからじゃなくて、周りからでもなくて。

 この子から。

 女の子は、ぽつりと言った。

 

「……おなか、へった」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「おいしい……おねーさん、ありがとう」

「うん……よろこんでくれて、わたしも嬉しいよ……」

 

 なんでわたしは、迷子かなと声をかけた女の子と一緒にご飯を食べてるんだろう……

 場所はショッピングモールの中にあるハンバーガーショップ。

 なんでこんなところで女の子と一緒にいるのかと言えば、空腹の女の子に対して「なにが食べたい?」だなんて聞いちゃったからだろう。

 ちなみに女の子は「おにく」と答えた。わたしはパンが食べたいと思ってたから、その折衷案の結果です。霜ちゃんは先にお昼を食べててって言ってたし、いいよね?

 それより、女の子がハンバーガーをもきゅもきゅと頬張っているのをただ見ているだけではいけない。可愛いけどやるべきことがある。

 聞くべきことを、聞かないと。

 

「えっと、とりあえず……あなたの名前は?」

「…………」

「えっと、お名前。お父さんとかお母さんとか、お友達とかから……なんて、呼ばれてるのかな?」

「……なっ……ち……」

「え?」

「……な、ち……」

 

 なち?

 そう言ったのかな?

 

「なちちゃん、っていうの?」

「…………」

 

 無言で見つめてくる。せめて頷くとかして欲しいんだけど……

 うーん、でも否定されないってことは、たぶんそういうことなんだと思う。

 なちちゃん……うぅん、申し訳ないんだけど、ちょっと呼びにくい。舌を噛んじゃいそう。

 

「えぇっと、じゃあ、なっちゃん、って呼んでもいいかな?」

「……いい、よ」

 

 コクリと頷いてくれた。

 あんまりコミュニケーションが取れないから、なんか嬉しい。

 これをとっかかりに、色々と聞いてみよう。

 

「なっちゃん。お母さんとか、お父さんとかは?」

「ん……」

「一人で来たの?」

「ん」

「あそこでは、誰かを待ってたの?」

「……ん」

「……その格好、暑くない?」

「んーん」

 

 あぁ、ダメだ……上手くコミュニケーション取れる気がしない。

 わたしの目をしっかりと見つめる。その眼には力強さを感じるけど、首の動きすらないせいで、なんと伝えたいのかさっぱりわからない。

 それでもなんとか、小さな反応から、手掛かりを必死で考えてみる。

 こんなに小さな子が、一人でここにいるとは思えないけど「一人で来たの?」という質問には、ハッキリとした声で答えた。ということはきっと、一人なんだ。

 一人で、ここに来た。じゃあ。それは、なんのため?

 誰かを待っていた、というわけではなさそうだけど。

 この子の用事については、よくわからない。

 とりあえず、それをハッキリさせようと思った時だった。

 

「……さがしてる」

「え?」

「きらきら……さがしてる」

「きらきら……?」

 

 唐突に、なっちゃんは告げた。

 けど、その意味はわからなかった。

 きらきらって、なんのこと?

 その表現は、主に光ってる物に使われるものだけど……

 

「いっぱいある……きらきら……でも、ない……」

「?」

「おねーさんは、きらきら……みえる……ゆーぼー」

「あ、ありがとう……?」

 

 会話が成立しなくて困ります。

 でも、なっちゃんの目的は、ちょっとだけ見えたかもしれない。

 

「なっちゃんは、その、きらきら? を、探してるの?」

「ん」

 

 コクコク、と頷く。

 頷いてくれたってことは、これは確定かな。

 きらきらっていうのがなんなのかよくわからないけれど、それが、彼女がここにいる理由なのだろう。

 そこから推理してみると、色々と考えられる。

 たとえば、両親への贈り物だとか。

 以前、ここで大切なものを落としてしまったとか。

 きらきら、というのがなにを指しているのかがよくわからないから、なんとも言えないところもあるけど、彼女がそれを目的としていることは確か。

 なら、それを見つけてあげるべき、なのかな。

 

「えっと、その、きらきらって、どこにあるかわかる?」

「ん」

 

 小さく声を発して、なっちゃんは指差す。

 ――わたしを。

 

「え? いや、そんなわけ……」

 

 きらきらしたものなら、手鏡とか、少しはそれらしいものを持ってるかもしれないけど……

 

「ん、ん」

 

 と思ったら、なっちゃんはさらに店内を、はたまた窓の外――ショッピングモールそのものを指さす。

 ……どうしよう、さらにわからなくなった。

 

「たくさんあるの?」

「うん。いっぱい。きらきら、いっぱいあるよ」

 

 いっぱいあるのかぁ。

 なっちゃんにとっての、きらきら、とは本当になんなのかわからない。

 

「でも、さいきん、あんまりない……きらきら、ちょっとしかない……」

「少ないんだ」

 

 とりあえず、そのきらきらというものは、数えられるみたい。

 うーん、このまま放っておくこともできないし、ご飯だけ食べさせてさよならなんてできないし。

 霜ちゃんは、先にショッピングしててもいいって言ってたし、ちょっとくらい、いいよね?

 

「なっちゃん――一緒にきらきら、探そうか?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ないねぇ、きらきら」

「ない、きらきら」

 

 というわけで。

 なっちゃんと一緒に、きらきら探しに参りました、小鈴です。

 きらきらというから光ものかな? と思って、雑貨屋さんとか色々見て回ったけど、なっちゃんは首をふるふると振るばかり。きらきらは見つかりません。

 

「あ、ここ。時計屋さんだって。すごいぴかぴかしてるよ」

「ぴかぴか……だけど」

「だけど?」

「きらきら、してない……」

「そっかぁ」

 

 ぴかぴかときらきらは違うみたい。

 次に入ったのは、糸とか布とかたくさんある……手芸屋さんかな?

 

「これビーズだ。いろんな色や形があるんだね」

「きれい」

「うん、綺麗だね」

 

 他にも店内を見てみる。

 手芸の道具だけじゃなくて、小物とか、アクセサリーとかも置いてある。ちょっとした雑貨屋さんだね。

 そういえば、霜ちゃんは裁縫とか凄く上手くて、家庭科の時間はいつもテキパキと授業課題をこなしちゃうけど、こういうものでアクセサリーとかは作らないのかな?

 服はよく可愛いのを着てるけど、アクセサリーっていうのは、あんまり付けている印象がない。髪はショートだから髪飾りとか付けにくいだろうし……

 

「……なっちゃん、ちょっと待っててもらえるかな?」

「いいよ……まってる」

「ありがとう。本当にちょっとだから。あ、すいません――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「あ、こんなところにカードショップがあるんだ」

 

 またしばらく歩いてると、ショッピングモールの一角に、カードショップらしきお店を見つけた。

 店頭にデュエマの新しいパックの広告とか出てるし、間違いないよね。

 カード専門のお店って、ワンダーランドくらいしか入ったことないから、ちょっと興味あるな。

 

「なっちゃん、ちょっとこのお店を見てみても……」

 

 となっちゃんに一言断ろうとしたら、なっちゃんはすでに店に入ってた。行動が早い。

 なっちゃんはガラスケースの中を熱心に覗いていた。

 

「……ぴかぴか、してるね」

「ぴかぴか」

「なっちゃん、デュエマ知ってるの?」

「うん。しってる」

「やってるの?」

「うん。やってる」

 

 やってるんだ。

 ちょっとビックリ。このくらいの子でも、デュエマってやるんだ。

 なっちゃんが正確にいくつなのかはわからないけど、小学校低学年だとして、まあ、やっててもおかしくないのかな。

 ……それにしても、とわたしは店内をちらちらと見回す。

 

(お、男の人がいっぱいいるなぁ……)

 

 小さなお店だから多く見えるのかもしれないけれど、人口密度とその割合的に、とても男の人が多く見える。女の子はわたしたちだけかな。

 ワンダーランドとは全然雰囲気が違う。

 どことなく無機質だけど、内輪な感じもあって、まるで秘密基地みたいな感覚だった。

 でもわたしはここに来たのは初めて。なんとなく、よそ者、って感じちゃうな。

 

「なっちゃん、きらきら、見つかった?」

 

 ふるふる、と首を振る。なっちゃんも随分とまともなコミュニケーションを取ってくれるようになった。

 わたしは嬉しいよ。

 

「ここ……やだ」

「え?」

「きらきら、ない……どろどどろ、してる」

「どろどろ?」

「きたない……ぐちゃぐちゃで、やだ……くさい」

 

 し、辛辣だなぁ……

 うーん、なっちゃんはそう言うけど、そこまで不衛生で不潔なところには見えないけどなぁ。

 それなりにちゃんと掃除されてるし、換気扇もちゃんと回ってる。商品の陳列も、特におかしなところは見当たらない。どろどろとか、ぐちゃぐちゃなんて酷評するほど、酷いところには見えないけど……

 

「おねーさん……いく」

「もう出る?」

「うん。いく」

 

 くいくいと、なっちゃんはわたしの服の袖を引っ張る。布が伸びちゃうから引っ張らないで……

 袖を伸ばされても堪らないので、もう少し見ていきたい気持ちをグッと堪えて、なっちゃんと次のお店に向かう。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「うーん、それなりに回ったと思うけど、見つからないね、きらきら」

 

 結構歩き回って、ちょっと疲れたから、屋上で休憩です。青い空がきれいだなぁ。炎天がとても暑いけれど。

 なっちゃんは自動販売機で買ってあげたオレンジジュースを手に、ベンチに腰かけて足をぷらぷらさせている。

 

(結構、時間も経った気がするけど、霜ちゃん今どのへんかなぁ)

 

 時計を確認する。時刻は四時前。なっちゃんと一緒にショッピングしてた時間は二時間弱くらい。思ったより長くいたみたい。それまで、霜ちゃんからの連絡はない。

 またなにかあったのかもしれないと、ちょっと不安になっちゃうけど、大丈夫、だよね。一緒にショッピングする時間がなくなっちゃうことも心配だ。

 でも、それよりも、今はこっちだ。

 

「ねぇ、なっちゃん」

「なーに、おねーさん」

「なっちゃんは、どうしてきらきらを探してるの?」

 

 ずっと聞きたかった。

 この際、きらきらがなんなのかはどうでもいい。どうでもいいというか、わからないから置いておく。

 この子がここにいる理由が、彼女の言う、きらきら。それがわかれば彼女の目的も推測できるわけだけど、それがわからない。

 だから、アプローチを変えてみた。

 目的はなんなのか。きらきらをきらきらとして、それをどうするのか。

 それがわかれば、逆算するみたいに、きらきらがなんなのか推理できる。

 だから、聞いてみる。

 きらきらを求める、理由を。

 

「……どうする?」

「うん。なんで、きらきらを探すのかなって」

「……なんで?」

 

 復唱するなっちゃん。

 なっちゃんは、ぼぅっと虚空を見つめている。かと思えば、視線をキョロキョロさせたり、足元を見たり、挙動が一定しないというか、ちょっと不審だ。

 

「……みさだ、める、から」

「?」

「みんな、どろどろで、ぐちゃぐちゃで、きたなくて、どすぐろくて……やだ。私は、きれいで、きらきらが、すき」 

「なっちゃん? どうしたの?」

「きらきらが、ほしいの。とっても、きれいで、うつくしい、うるわしい、みてて、きもちいい……そういう、きらきらが……こころ……?」

 

 コクリ、と首を傾げるなっちゃん。

 首を傾げたいのはこっちだけど、なっちゃんの様子が、どこかおかしい、気がする。

 大人しいだけの女の子だと思ったけど、そうではない。

 それとも、これが本当の、この子の姿なのか。

 なっちゃんは立ち上がる。そして、とたとたと、小さな足で歩む。

 首を回して、大きな時計に目を向けた。

 時刻は四時。一周回った四の数字を指している。

 

「……もう、じかん」

「なっちゃん……?」

「私は、みさだめる、もの……やみよなかで、ひかるつきを、さがすもの……それを、のむもの……それが、私」

 

 わたしも立ち上がる。立ち上がって、彼女の背を追うけど、寸前で止まってしまう。

 

「きらきらは、いい……ほしいの。りゆうとか、なくて。とにかく、ほしくて。ずっと、ずっとずっと、さがしてる。ちょっとずつ、みつけた。ちいさいきらきら、ちゅうくらいのきらきら、おっきなきらきら……ちょっとずつ、だけど、みつけたの」

 

 不意に、彼女は振り返った。

 

「おねーさんは、すごく、きらきら、してた……きょう、いちばんの、きらきら。だから――」

 

 そう言ってなっちゃんは、コートのファスナーを、ジーッと、ゆっくり降ろす。

 同時に、告げた。

 

 

 

「――ほしいの」

 

 

 

「っ!?」

 

 驚愕した。

 彼女のコートの下は、普通の黒い半袖Tシャツに、黒のショートパンツ。なにもおかしなことはない。肌も白くて綺麗。痣や傷もない。なんでことのない普通の姿。

 問題なのは、彼女のコートそのもの。

 より正確に言えば、その、内側――中身だ。

 太陽の光を反射する、銀色の煌き。ギラギラとして輝き。

 包丁。果物ナイフ。カッターナイフ。ヤスリ。アイスピック。電動ドリル。ペンチ。ドライバー。ハサミ――

 わたしの家にもあるような道具の数々。どんな家庭にあってもおかしくない凶器。

 わたしの知識ではわからないものもあるけれど、多くは一度は目にした道具だ。

 それが、彼女のコートの裏に、隠されていた。

 隠されて、いたんだ。

 最初から手に握り締めていれば、それは危ないで済んだ。

 だけど、わたしの、他の人の目に映らないように、隠していた。

 その意味は、できれば理解したくなかったけど。

 本能には、抗えない。

 

「なっちゃ――」

 

 ヒュッ、と。

 空を切る音。

 わたしは床に尻餅をついていて、なっちゃんに見下ろされている。

 彼女の手には、刃の出たカッターナイフが右手に、チープな果物ナイフが左手に握られていた。

 

 ――まずい。

 

 思考が滅茶苦茶でも、目の前の存在をそう認識できるだけの理性は残っていた。

 それはもはや、本能か。

 子供が振り回す凶器ほど、稚拙で、それでいて恐ろしいものはない。

 地面を這いずるように彼女から逃げる。無我夢中で、一心不乱に。

 ようやく屋上の柵を頼りに、なんとか立ち上がったけれど、思考は混乱しっぱなしだ。

 さっきまで大人しかったなっちゃんが、急に凶器を振り回し始めた。

 わけがわからない。論理的でも理論的でもない。

 なにが起こっているのか、なにが彼女をそうさせるのか、まるでわからない。

 確かなのは、彼女はただの女の子ではないということ。いくらなんでも、おかしすぎる。さっきまで一緒にハンバーガーを食べて、ショッピングをしていたのに、この変貌。おかしすぎる。狂ってる。理解できない。

 だから、わたしは混乱した頭で、彼女に問うた。

 

「なっちゃん……あなたは、何者なの……!?」

「なにもの……私、私は……なち……なっ、ち――」

 

 時計と、自分の手を交互に見遣り、確認するように、彼女は息を吐く。

 そして、

 

 

 

「私は――『バンダースナッチ』」

 

 

 

 そう、名乗った。

 

「ぼうしやさん、との、やくそく……はたしに、きたの……」

「帽子屋さん……!? ってことは、あなたも……!」

 

 【不思議の国の住人】。

 もしかして、今まで迷子の女の子を装って、わたしを誘ってた……?

 きらきらを探してる、なんていうのも、ウソ? わたしを油断させるための方便?

 わからない。なにが真実で、なにが虚偽なのか。

 

「私、は……きらきらが、ほしい……ほしいの……おねーさんの、なかに、あるはず……そこに。その、むねの、うちに、だから……だす、とって……とり、だすよ……きって、さいて、きざんで、えぐって」

「わっ、うわっ!」

 

 なっちゃんは、迷わずわたしにカッターナイフを突き立てようとする。慌てて横に避けたけど、ぶんぶんと果物ナイフも振り回すから、近づけない。近づきたくもない。

 すごく、怖い。なっちゃんの動きは拙い。赤ん坊が刃物を持っているのと同じだ。殺意を持ってわたしを殺そうとしているとかじゃなくて、ただ、玩具みたいに振り回してるだけ。だけど、目的がないわけじゃないみたい。

 動き自体は滅茶苦茶だけど、だからこそ、どう動くのか予想できない。

 それが、怖い。とにかく怖い。

 悪意も殺意もない、真意が読み取れない、この子の眼が、たまらなく怖く感じる。

 揺れるような動きで、けれども確固たる意志で、なっちゃんは刃物を振り回す。執拗に、わたしの胸を狙う斬撃や刺突。

 それは、心臓を狙っているとしか、思えなかった。

 

「な、なんで……なんで……っ!?」

 

 わけがわからない。どうしてこんなことになっているのか。どうして、わたしはこんなにも怯えて逃げ惑わなくてはならないのか。

 今までわたしに接触しようとしてきた人たちは、勝負を仕掛けてはくるけど、こんな物理的に害のあるような行動は取らなかった。だって、彼らの目的は、わたしが知っている(と思い込んでいる)聖獣の居場所を聞き出すことなはずだから。

 それが【不思議の国の住人】の総意。そう思っていたけれど、実は違うのかもしれない。

 この子の目的は、わたしを害すること? 傷つけること? それとも、まさか――

 

「っ、いたっ!」

 

 彼女から目を離すと、それはそれで危険だ。だから、後ずさりしながらなっちゃんから離れようとしたけれど、焦りのあまり、足がもつれてしまった。

 それが、命取り。

 正に命を取られる瞬間だった。

 なっちゃんのカッターナイフが、わたしの胸元、心臓目掛けて、振り下ろされる――

 

「……!」

 

 ――寸でのところで、なっちゃんの腕を押し返して、カッターの刃は刺さらなかった。

 生きた心地がしないというか、なにも考えられない。

 目の前の命の危険に、頭が真っ白になる。

 

「あ、あぁ、ふ、ふっ、ふぅ……!」

「……おねーさん、いじわる」

 

 グッ、と。

 なっちゃんが腕の力を強める。

 でもそこは、子供の腕力。わたしも非力だけど、それでも中学生だ。同じ女の子なら、流石にわたしの方が力はある。

 だけど、カッターの刃は胸元のリボンを抉るように裂き、布地を刻む。

 襲い掛かってくるなっちゃんを、押し返そうとすると。

 ザクリ、と。

 ビリビリ、と。

 胸元が――わたしの服が、引き裂かれた。

 

「!?」

 

 それは偶然で、彼女もそれを意図したわけじゃないんだろう。

 力と力が拮抗して、そのベクトルがずれて、逸れて、勢いあまって、その結果。

 胸がはだける。肌もなにもかも、全部見えちゃってるかもしれない。

 だけど、今は、それどころじゃなかった。

 いつものわたしが同じことをされてたら、恥ずかしさが先に訪れたかもしれない。

 でも今日は違う。これは、この服は、違う。

 これは、“霜ちゃんたちが選んでくれた服”だ。

 わたしのために、考えて、悩んで、試して、選んで、決めてくれた、大切な服。

 ふっ、と。

 頭になにかが湧き上がる感覚。

 プツンと、なにかが途切れる音。

 混乱で真っ白だったわたしの頭は、赤く塗り替えられた。

 あまり感じたことのないこの感覚は――あぁ、たぶん、あれだね。

 

「……よくも」

「?」

 

 ――怒り。

 

 

 

「よくも、霜ちゃんとの思い出を――破ったなッ!」

 

 

 

「ぁぅ……っ」

 

 小さな矮躯をはね退ける。

 さっきまで手加減してたって言うと変だけど、気を遣ってたのは確かだ。小さな女の子が相手だから。下手なことはできないって、意識していなくても、そう思ってた。

 だけど、今は、少なくともさっきの一瞬くらいは、そんな気遣いが消えていた、気がする。

 無意識に、感情と、昂ぶりと、衝動のままに、突き飛ばした。

 ほんの一瞬、わたしの意識はなくなってた。気づいたら、なっちゃんをはね飛ばしてた。

 そのくらい、衝撃的だった。

 それくらい、わたしにとって、それは大きなことだった。

 

「……おねーさんも、どろどろに、ぐちゃぐちゃに……きらきら、だったのに……」

 

 なっちゃんも立ち上がる。少し涙目になってたけど、心配という感情はまったく湧いてこなかった。

 そして相手の方も、さっきまでの無感動な眼差しが、まるで汚物を見るような、嫌なものを視界に入れてしまったと言わんばかりの、冷たい目に変わっていた。

 

「やっぱり、にんげん、やだ……きたない、みにくい、おぞましい……おねーさんも、そうだった……そんなおねーさんは、きらい」

「わたしもだよ、なっちゃん。わたしをつけ回すとか、勝負を仕掛けて来るとか、本当に迷惑だけど、それでも許せた……でも、これだけは、許せないし、譲れない」

 

 人に優しくとか、情けをかけるとか、それはわたしのワガママでしかないけれど。

 これは、わたしにとっての大事なもの。

 絶対に譲れないものなんだ。

 

「わたしはいい。痛いのはイヤだけど、ガマンしようと思えばできる。でも――」

 

 これは、これだけは、ガマンならないんだ。

 

 

 

「――“友達”との思い出を傷をつけることだけは、絶対に許せない!」

 

 

 

 霜ちゃんとの、思い出の服。

 わたしのファッションセンスがダサいとか、子供っぽいとか、酷いことも言われたけど、最後に霜ちゃんは、わたしにこれをくれた。

 わたしの友達が考えて選んでくれた服。たかが服って思うかもしれないけど、霜ちゃんに選んでもらって、わたしは凄く嬉しかった。

 友達が、わたしのために一生懸命になってくれた。そして、わたしのことを思って、コーディネートしてくれた。

 その思い出を、思いの結晶を、傷つけられたんだ。

 優等生じゃない、優良生でいようとする皮なんていらない。

 いい子でいようだなんて、まったく思わない。

 今だけは、この衝動に従いたい。そうしないと、やってられない。

 

「いかり、いきどおり、ぞうお、にくしみ。そんな、しょうどう……にんげんの、みにくい、きたない、こころ、きもち……おねーさんの、きらきら、きえちゃった……ざんねん、だよ」

「なんとでも言えばいいよ。あぁ、こういうの、いけないってわかってるけど、今回ばかりは無理だよ、ガマンできない……!」

 

 拳を握り締める。だけど、これは違う。

 この子に痛い目を見せたい。復讐、報復……まさか、わたしの中にこんな酷い気持ちがあるだなんて、自分でも驚きだけど、なぜか、今は受け入れられる。

 それでも、暴力は、違う。それはわたしじゃない。わたしの衝動につき従っても、わたし自身を見失っちゃいけない。

 なっちゃんは、【不思議な国の住人】。だったら――

 

「なっちゃん、あなたは許せない。だから――お仕置きだよ」

「……うん。ぼうしやさん、との、やくそく……はたすよ」

 

 ただのカードゲームかもしれないけれど。

 わたしという自分を見失わずに、この怒りをぶつけて、この子を懲らしめられる手段があるとすれば、これしかない。

 ほんの少し……じゃないね。とても、かなり、凄く。

 感情的に、この子を、なっちゃんを、『バンダースナッチ』を。

 

 わたしの友達との思い出を傷つけた――こいつを、ぶちのめそう。

 

 

 

「いこう……ふしぎの、せかいへ――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「わたしのターン! 2マナで《エール・ライフ》を唱えるよ! マナを増やして、ターン終了!」

「私の、ターン。……《一番隊 バギン16号》の、のうりょくで、しょうかんコストをひとつ、へらすね。マナをみっつ、《脳徐医 ラベン》を、しょうかんするよ」

 

 

 

ターン3

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

バンダースナッチ

場:《バギン16号》《ラベン》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:27

 

 

 

 ……カードを触っているうちに、ちょっとずつだけど、気持ちが落ち着いてきた。

 だけどお腹の中でグツグツと煮えたぎってる気持ちは変わらない。

 今のわたしは、敵意と、悪意と、害意に見ている、酷く醜い存在だ。誰にも見られたくないようなわたしだ。

 だけどそのわたしを、今だけ許す。許すから、この破壊的な気持ちをどうにかしたい。

 そう、その、気持ちを呼び起こさせた元凶に、ぶつけるとか――

 

(――ダメ、落ち着いて、デュエマに集中しないと……!)

 

 まだ始まったばかりだけど、改めて場を見直す。

 《脳徐医 ラベン》……NEOクリーチャーってことは、NEO進化できるクリーチャー。でも、なっちゃんはNEO進化しなかった。

 NEOクリーチャーってNEO進化することが多かったから、少し怪しい気がするけど……

 

「除去できないし、ここは手札を増やすよ。マナチャージして5マナ! 《金縛の天秤》! 二つ効果があるけど、今回は二枚ドロー! ターン終了だよ」

「私のターン。……マナふたつで《凶鬼27号 ジャリ》を、しょうかん」

 

 なっちゃんのデッキは闇文明。マフィ・ギャングって種族がメインみたい。

 コストを下げる《バギン》、NEOクリーチャーの《ラベン》に続き、今度はスコップを持った《ジャリ》。

 そのクリーチャーは、なっちゃんの山札を、そして墓地を、掘削し始めた。

 

「《ジャリ》の、のうりょくで、やまふだをふたつ、ぼちへ。ぼちの、マフィ・ギャングをひとつ、てふだにするよ。《ヘモグロ》を、てふだに……もういちど、マナをふたつ。《魔薬医 ヘモグロ》を、しょうかんするよ」

「次々とクリーチャーを……!」

 

 この感じ、カメさんやネズミさんと同じ感じだよ。

 コストを下げるクリーチャーから、どんどんクリーチャーが展開される。このままじゃ……

 

「《ヘモグロ》の、のうりょくで、てふだをひとつ、すててね」

「っ、じゃあ、これ」

「《ラベン》で、こうげき。《ラベン》がこうげきしたら、てふだをひとつ、すてさせるよ」

「また手札破壊……!? せっかくドローしたのに……」

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:4

マナ:5

手札:3

墓地:4

山札:23

 

 

バンダースナッチ

場:《バギン16号》《ラベン》《ジャリ》《ヘモグロ》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:1

山札:24

 

 

 

 立て続けに手札を削られて、少し困った。

 でも、今回のわたしのデッキは、今までと違う。

 敵から塩を送られた、なんて思わないけれど。

 『ヤングオイスターズ』の迷子の男の子のお陰で、このデッキが出来上がった。

 切り札はまだ出ないけど、改造の成果を生かす時だ。

 

「出し惜しみはしないよ。わたしもとっておき、見せちゃうんだから!」

 

 ちらりと、横の空間を見遣る。

 いつもは武器しか置いてないけれど、今回は違う。

 ドラグハート以外にも、もう一種類、入ってる。

 

「5マナで《超次元ボルシャック・ホール》! パワー3000以下の《バギン》を破壊して、コスト7以下のサイキック・クリーチャーをバトルゾーンに出すよ! 出すのは《勝利のガイアール・カイザー》!」

 

 そう、サイキック・クリーチャー。

 ドラグハートもあるけど、サイキックも入れて、さらに動きの幅が広がった。

 

「《勝利のガイアール》で《ラベン》を攻撃!」

「ぁぅ……はかい、されちゃった……」

 

 パワー5000の《勝利のガイアール》が、パワー4000の《ラベン》を切り裂く。

 なっちゃんは、クリーチャーが破壊されて少し悲しそうな表情を見せていた。

 

「……ターン終了」

「マナをみっつ。《凶鬼63号 ジュトク》を、しょうかん。《ジャリ》から、NEOしんか」

「っ、NEO進化した……!」

「《ジュトク》で、《勝利のガイアール》を、こうげきするよ。《ジュトク》の、のうりょくで、しんかじゃない、私のクリーチャーを、はかいするよ」

「え? 自分のクリーチャーを……?」

「《ヘモグロ》を、はかい。《勝利のガイアール》と、バトル」

 

 《ジュトク》のパワーは6000だから、《勝利のガイアール》は破壊されちゃう。

 でも、《勝利のガイアール》は超次元ゾーンに変えるだけ。もう一度、超次元呪文で呼び出せば来てくれるし、その時はまたアンタップクリーチャーを攻撃できる。

 

「ターンしゅうりょう。《ヘモグロ》の、のうりょくをつかうよ」

「え? 能力?」

「《ヘモグロ》は、私のターンにはかいされると、ターンのおわりに、バトルゾーンにもどってくるの」

「っ、復活するってこと? しかも、あのクリーチャーは確か……」

「うん。《ヘモグロ》の、のうりょく。てふだをひとつ、すててね」

 

 自分で選ぶとはいえ、今の手札にあるカードはどんなカードでも、この状況で有用なカードだ。

 それを、捨てさせられる。手札が、減っていく。

 ……ユーちゃんとの対戦を思い出す。

 最近はちょっと変わってきたけど、ユーちゃんはこっちが必要な手札をピンポイントで叩き落してきた。

 だけど、この子は違う。

 時に無作為に、時にわたしに選ばせて、手札をもいでくる。

 じわりじわりと、少しずつ、ゆっくり、ゆったり、緩やかに、緩慢に、手足を削ぎ落とす。

 とても、残酷で、残虐で、巧妙で、執拗な手口だった。

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:4

マナ:6

手札:1

墓地:6

山札:22

 

 

バンダースナッチ

場:《ジュトク》《ヘモグロ》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:3

山札:23

 

 

 

「わたしのターン! 5マナで《超次元エナジー・ホール》! カードを引いて、ここは……えぇっと、これかな。《勝利のリュウセイ・カイザー》をバトルゾーンに!」

 

 なにを出せばいいのか迷ったから、とりあえず《勝利のリュウセイ》を出しておく。

 パワー6000、W・ブレイカー。それに、相手の置いたマナをタップさせるから、動きを鈍らせることができる。

 

「残った2マナで《熱湯グレンニャー》も召喚! カードを一枚引いて、ターン終了するよ」

「……私の、ターン」

 

 手札は相変わらず少ないけど、バトルゾーンは持ち直してきた。

 マナも溜まったし、早く《グレンモルト》を引いて攻めたいんだけど……

 

「マナをひとつ、ふやすね。……いこう、かな」

「っ!」

 

 ぞわり、と悪寒が走る。

 なっちゃんの無表情で、無感動な瞳が揺れて、呼び起こす。

 なにを?

 黒い、おぞましい、なにかを。

 

「マナをいつつ」

 

 マナを支払う。その動作は、供物を捧げるかのようだった。

 生み出されたマナが、一つの呪文として、その力を行使する。

 

 

 

「――《狂気と凶器の墓場(ウェボス・グレイブ)》」

 

 

 

 黒い瘴気が漂う。

 暗くて昏い、暗鬱とした霧。

 そんな暗黒の中で、なっちゃんの山札が崩れ落ちた。

 

「やまふだから、ぼちにふたつ、おとす。そしてマナがむっつまでのクリーチャーを、ぼちからだせるよ」

「マナがむっつ……6マナ以下のクリーチャーが出て来るってこと?」

「あ、しんかじゃないの、だけ」

 

 6マナといえば、わたしの《グレンモルト》や、新しい切り札と同じコスト。進化も含めれば《エヴォル・ドギラゴン》もだ。

 決して大型クリーチャーとはいえないけど、侮れない力を持つクリーチャーが出て来るはず。

 

「……私は、ひかりをみるもの」

「?」

「ひめるひかり、やどすねつい、かかえるじょうねつ……私は、わたしたちでないものたちを、みさだめる。みすかす。かんそくする」

 

 ぼぅっと虚空を見つめる。虚ろな眼差し。

 彼女はぽつり、ぽつりと、途切れ途切れで、ツギハギしたような言葉を発する。

 

「おぶつに、しゅうあくに、せいさんに、あくいに、けがれに……はいせきを。……すべてをとりはらい、そこにあるのは、なにか。そこにるのは、ひかりか。そこにあるのは……私がもとめる、なにかか」

 

 ぷつりと、糸が切れたように言葉を止めると、彼女は、わたしを見据えた。

 虚空の眼差しで、ジッと。

 

「……おねーさん」

 

 心のこもらない無情な瞳が、気持ちの入らない無感動な声が、わたしに届く。

 

「ほしい……あなたの、ひかりが――」

 

 そして、深淵の底より、黒き王が現れた――

 

 

 

「――《マキャベリ・シュバルツ》」

 

 

 

 漆黒の外套。

 暗黒の王冠。

 黒い闇の、王様。

 玉座に腰かけた王様は、脚を組んで、優雅に座す。

 その威厳を、見せつける。

 

「NEOしんかは、しないよ。《ジュトク》でこうげき。《ヘモグロ》をはかい」

「また、ターンの終わりに手札を破壊する気……」

「それだけじゃないよ。《マキャベリ・シュバルツ》の、のうりょく、はつどう」

 

 《ジュトク》が《ヘモグロ》を巻き込んで攻撃してくる。その時、王様の眼光が暗く光った。

 その瞬間、わたしの手札が、蒸発した。

 

「私のNEOクリーチャーがこうげき、するとき。てふだをひとつ、すてさせるよ」

「っ、また手札が……!」

「ふたつ、ブレイク」

 

 直後、《ジュトク》の凶器がわたしのシールドを切り裂く。

 手札を捨てられて、二枚ブレイクだから、差し引きで一枚手札が増えたけど……

 

「ターン、おわり。もどっておいで、《ヘモグロ》。のうりょくをつかうよ。おねーさんのてふだ、ひとつ、すててね」

「っ、くぅ……!」

 

 ターンの終わりに復活する《ヘモグロ》がさらに手札を捨てさせるから、手札の差し引きは±0。わたしの手札は増えない。

 

 

 

ターン6

 

小鈴

場:《グレンニャー》×2《勝利のリュウセイ》

盾:2

マナ:7

手札:1

墓地:9

山札:19

 

 

バンダースナッチ

場:《ジュトク》《ヘモグロ》《マキャベリ》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:3

山札:21

 

 

 

(シールドが減ってるのに、ドローもしてるのに、手札が増えない……戦いにくい……!)

 

 気づけばシールドは二枚。だけど、手札は一枚だ。

 じわりじわりと、首を絞められてるみたいな、息苦しい状況が続く。

 

「これに賭けるしか……マナチャージして、2マナで三体目の《熱湯グレンニャー》召喚! 一枚ドロー!」

 

 小型クリーチャーばっかり並べてる。結構ならんだけど、まだとどめを刺すまでには至らない。

 だから、ここであのカードが引ければいいんだけど……

 

「! やった! 《龍覇 グレンモルト》を召喚だよ! 《銀河大剣 ガイハート》を装備!」

 

 来た! 《グレンモルト》!

 これで、一気に龍解してとどめまで行ける! 

 

「《グレンモルト》で《ジュトク》を攻撃! バトルで破壊するよ!」

「……《マキャベリ・シュバルツ》の、のうりょくを、つかうよ」

 

 少し考えてから、なっちゃんは王様になにかを告げる。

 すると王様はコクリと頷いて、手招きで《ヘモグロ》を呼び寄せた。

 そして、

 

「私のしんかクリーチャーがはかいされるとき、かわりに、ほかのクリーチャーを、はかいする。《ヘモグロ》を、はかい」

 

 斬り捨てられた《ジュトク》はぐったりと倒れているけれど、そこにふわふわした光球が吸い込まれる。

 その光球は、《ヘモグロ》から出たもの。王様が取り出した、《ヘモグロ》の魂。

 《グレンモルト》の斬撃を受けた《ジュトク》に、《ヘモグロ》の魂を移植して、《ジュトク》は蘇った――いいや、生き残った。

 《ヘモグロ》を、犠牲にすることで。

 でもその犠牲を咎めようという気はない。

 それにここで《ジュトク》が生き残っても、わたしの攻撃は止まらない。

 

「まだ攻めるよ! 《勝利のリュウセイ》でシールドをWブレイク!」

「……S・トリガー」

「っ!」

「《魔狼月下城の咆哮》……《グレンニャー》と《グレンモルト》を、はかいするよ」

 

 狼の遠吠えが聞こえる。血と魂を貪り食らう、餓狼の悪霊の咆哮が。

 直後、わたしのクリーチャーは――《グレンニャー》と《グレンモルト》は、狼たちに食い尽くされていた。

 

「あ、っ、くぅ、止められちゃった……!」

 

 《グレンニャー》が破壊されるくらいならともかく、《ガイハート》を装備した《グレンモルト》が破壊されちゃったらどうしようもない。龍解も叶わず、わたしの攻撃は止められてしまった。

 

「これ以上攻撃しても、破壊されちゃうだけだし……ターン終了だよ」

 

 ここで攻めたかったのに……!

 少し、まずいかもしれない。というか、とてもピンチだ。

 相手にはW・ブレイカーが二体。わたしのシールドは二枚。

 普通に、とどめを刺されてしまう。

 

(相打ちになってもいいから《勝利のリュウセイ》で《ジュトク》を破壊するべきだった……攻め急いじゃったかな)

 

 《勝利のリュウセイ》が破壊されても攻撃は二回通ってるから、龍解はできる。龍解が目的なら、そっちで安全にするべきだったのかもしれない。

 自分が攻撃することばかり考えて、相手からの攻撃を忘れていた。

 完全にわたしの失策だ。反省しないと。

 そして、トリガーに祈るしかない。

 

「私のターン。《電殺医 ストマック》を、しょうかん。《ジュトク》から、NEOしんか」

 

 またNEOクリーチャー……多いね。

 王様――《マキャベリ・シュバルツ》がNEOクリーチャーに反応して手札を捨てさせてくるから、それに合わせてるのかな。

 

「《ストマック》の、のうりょく。《ストマック》が、バトルゾーンにでたとき、あいてクリーチャーのパワーを、ぜんぶ。にせん、さげるね」

「パワー、マイナス2000……!? 《グレンニャー》が……!」

「まだ。《ストマック》で《勝利のリュウセイ》に、こうげき。《ストマック》の、のうりょく。ぼちのクリーチャーをひとつ、てふだにするよ。もどってきて、《ラベン》」

 

 ……?

 このターンにわたしを倒せるだけのクリーチャーが揃ってるのに、シールドに攻撃しない?

 

「いくよ。《ストマック》で、《勝利のリュウセイ》と、バトル」

 

 本来ならどっちもパワー6000で相打ちだけど、今の《勝利のリュウセイ》は、《ストマック》の能力でパワーが下がって4000しかない。

 だから、一方的に殴り倒されてしまう。

 

「ターン、おわりだよ」

「?」

 

 どころか、シールドにも攻撃してこない。そのままターンを終えてしまう。

 

 

 

ターン7

 

小鈴

場:なし

盾:2

マナ:8

手札:0

墓地:13

山札:17

 

 

バンダースナッチ

場:《マキャベリ》《ストマック》

盾:3

マナ:7

手札:1

墓地:6

山札:19

 

 

 

(待ってる……? トリガーが出てもいいように、もっとクリーチャーを出してからとどめを刺すつもりなの……?)

 

 ユーちゃんにも似たようなことをされたけど、この子もかなり慎重だ。

 その慎重になっている隙を突いて、攻めたいところなんだけど、

 

「…………」

 

 場を見回す。

 とても酷い状況だ。

 バトルゾーンは更地に。手札もない。

 反撃するにしても、相手のシールドは三枚。たった一枚のカードで逆転は難しい。不可能とさえ言えるかもしれない。

 

「……4マナで、呪文。《王立アカデミー・ホウエイル》。三枚ドローするよ」

 

 とりあえず引けた呪文は、正に砂漠のオアシスのようだった。

 枯れ果ててしまった喉を潤すように、手札を与えてくれる。

 

「3マナで、《風の1号 ハムカツマン》を召喚。1マナ増やして、さらに《エール・ライフ》。もう1マナ増やして……ターン、終了だよ」

 

 だけど、引いてきたカードはお世辞にも強いとは言えない。

 マナを増やして、クリーチャーを出して、それで終わり。

 相手には、わたしにとどめを刺すだけのクリーチャーがいる。

 つまりわたしは、喉元に刃物を突きつけられているのと同じ状況だ。

 起死回生のチャンスも、遠い。

 

「《凶鬼25号 ギュリン》を、しょうかん。やまふだから、みっつ。ぼちにおくよ。それから、《ギュリン》を、《ラベン》に、NEOしんか」

 

 NEO進化して現れる女医のクリーチャー。これで攻撃可能なクリーチャーが三体。

 S・トリガーでクリーチャーを一体退かしても、倒しきれない。

 

「《ストマック》で、こうげき。ぼちから《ラベン》を、てふだに。それと、《マキャベリ・シュバルツ》の、のうりょく。てふだをひとつ、すてさせるね」

 

 遂になっちゃんが攻めてきた。

 わたしの残りの手札を潰して、最後の盾を殴り砕く。

 

「シールドブレイク、ふたつ。おねーさんのシールド、もう、ないよ」

 

 あとはとどめを刺すだけ。

 確かにそうだ。相手の攻撃できるクリーチャーはまだ二体残ってる。

 でも、

 

「……S・トリガー」

 

 二体で攻撃してくるなら。

 その二体とも、取り払う。

 

「一つ目、《ドンドン吸い込むナウ》! 山札から五枚見て、《熱湯グレンニャー》を選ぶよ。《マキャベリ・シュバルツ》を手札に!」

「あぅ、でも、てふだなら、いい……」

「二つ目、《父なる大地》! 《ラベン》をマナゾーンへ!」

 

 二枚のS・トリガーで、二体のクリーチャーを退かせた。

 だけど《父なる大地》にはまだ効果が残ってる。クリーチャーをマナ送りにした後、相手のマナからクリーチャーを出さなくてはならない。つまり、場とマナのクリーチャーの入れ替えだ。

 ここでもう一度《ラベン》を出して、召喚酔いさせれば攻撃は止まる。

 だけど、それだけじゃないよ。

 

「マナゾーンの《ラベン》を、もう一度バトルゾーンに出して。ただし――」

 

 実は知らなかったことだけど。

 この呪文を唱えた時、理解した。

 

「――“《ストマック》からNEO進化させて”ね!」

 

 わたしがそう宣言すると、《ラベン》がマナから現れる。《ストマック》から進化して、だけど。

 NEO進化クリーチャーを出し直した場合、進化するかどうかの権限は、出し直させたプレイヤーにある。この場合、《父なる大地》で《ラベン》をマナに送ったのはわたしだから、わたしがNEO進化させるかどうかの権限を持つ。

 そのルールで、《ストマック》を《ラベン》に進化させて、弱体化させる。クリーチャーの数も減るし、《ストマック》はタップ状態だから進化した《ラベン》もタップされる。

 反撃の、チャンスが来た。

 

「あぅ、ぁぅ……ターン、しゅうりょう……」

 

 

 

ターン8

 

小鈴

場:《ハムカツマン》

盾:0

マナ:10

手札:1

墓地:18

山札:10

 

 

バンダースナッチ

場:《ラベン》4

盾:3

マナ:8

手札:2

墓地:8

山札:15

 

 

 

 

「わたしのターン! 《グレンニャー》を召喚して一枚ドロー!」

 

 反撃のチャンスと言っても、手札がほとんどないことに変わりはないし、このドロー次第なんだけどね。

 だけどここまでまったく見えてないし、そろそろ引けそうな気がする。

 さぁ来て、わたしの新しい切り札。

 

「……《グレンニャー》を、“NEO進化”――」

 

 迷い子から貰い受けた新しい力。

 龍の武器だけじゃなくて、超次元の魔法を操って、魔物を従えて。

 単なる進化の先にある進化を成す。

 見せてあげるよ、なっちゃん。

 敵に塩を送られた、だなんて思わない。

 これはそういうものじゃない。あの子の気持ち、心だ。

 あなたとも、わたしたちとの因果も因縁も関係なく、わたしはこれを使う。

 わたしの、力の一部、そして、成長の一端として――

 

 

 

「お願い、わたしに魔法の力を――《魔法特区 クジルマギカ》!」

 

 

 

 《グレンニャー》が進化する。だけどそれは、いつもの進化とは、ちょっと違う進化。

 縛り、条件という絶対的なものではなく、選択、可能という自由なものへの進歩。

 赤と青、熱さと冷たさ、炎と水の猫さんは、大海をたゆたうクジラへと進化した。

 

「NEOしんか……おねーさんも……? それに、それって……」

「お話は後だよ。いや、お話しする気なんてないけどね。行くよ、NEO進化ですぐに攻撃可能。《クジルマギカ》で《ラベン》を攻撃! その時、わたしの手札か墓地から、コスト5以下の呪文を唱えられるよ!」

 

 《クジルマギカ》の能力で、わたしのNEOクリーチャーが攻撃するたびに、呪文を唱えられる。

 わたしの手札には使える呪文はないけど、墓地にはたくさんある。

 それは、わたしが自分自身で唱えたものだったり。あるいは、削ぎ落とされた手札だったり。

 失われた呪文を弾に変えて、《クジルマギカ》は装填する。

 そして、射出した。

 

「唱えるよ、《超次元エナジー・ホール》! 一枚ドローして、《時空の踊り子マティーニ》《時空の英雄アンタッチャブル》をバトルゾーンへ!」

 

 発射された弾は、わたしに手札を与えてくれる。さらに超次元への穴を作って、《マティーニ》と《アンタッチャブル》を呼び出した。

 なっちゃんの手札には、《ストマック》で墓地から手札に加えた《ラベン》がある。また小型クリーチャーを出してすぐ進化されたら、そのまま攻撃されちゃうから、ブロッカーは必須。

 問題は、ブロッカーが除去されたり、二体以上の攻撃できるクリーチャーが出て来ることだけど……

 

「バトル! 《クジルマギカ》のパワーは6000! 《ラベン》を破壊するよ!」

「……ぁぁ」

 

 そんなこと、考えても仕方ない。

 今はただ、目の前の障害を取り払う。そして突き進む。今できることをするしかない。

 

「ターン終了!」

「私、の、ターン……」

 

 バトルゾーンからクリーチャーがいなくなったなっちゃん。

 これで、わたしも結構有利にはなった。

 

「……《ラベン》を、しょうかん。《ラベン》を、《ラベン》に、NEOしんか……」

「同じクリーチャーに重ねて進化……!」

「……こうげき、てふだをひとつ、すてさせる、よ……」

「《マティーニ》でブロック!」

「……ターン、しゅうりょう」

 

 

 

ターン9

 

小鈴

場:《ハムカツマン》《クジルマギカ》《アンタッチャブル》

盾:0

マナ:10

手札:1

墓地:18

山札:8

 

 

バンダースナッチ

場:《ラベン》

盾:3

マナ:8

手札:1

墓地:12

山札:14

 

 

 

 都合のいいことに、ブロッカーは除去されず、二体以上の攻撃もなかった。まだ、わたしは生きてる。

 彼女の凶刃の前に、倒れていない。

 

「わたしのターン! 4マナで《網斧の天秤》を唱えるよ。マナゾーンのクリーチャーを手札に戻せる……《グレンモルト》を手札に!」

 

 生きてるなら、まだ逆転できる。

 むしろ、相手の攻め手が切れかかってる今が好機だ。

 

「6マナで《グレンモルト》を召喚! 《ガイハート》を装備!」

 

 攻撃準備完了。

 もう一度、龍解のチャンスが訪れた。

 今度こそ《ガイギンガ》まで龍解させて、一気に決める!

 

「《グレンモルト》で《ラベン》を攻撃! さらに《クジルマギカ》でも攻撃! 墓地から《超次元フェアリー・ホール》を唱えるよ! マナを増やして、《勝利のガイアール》をバトルゾーンへ!」

 

 ダメ押しの《勝利のガイアール》も出して、とどめを刺しに行く。

 これでなっちゃんのシールドは一枚だから、《勝利のガイアール》《ハムカツマン》、そして《ガイギンガ》の三体で、一気に決められる。

 S・トリガーが出ても、これなら乗り越えられるはず。

 

「Wブレイク!」

 

 《クジルマギカ》の砲撃が、シールドを撃ち抜く。

 もう少し、もう少しだ……!

 《グレンモルト》が龍解の構えを見せる。

 だけど、

 

「……やだ、よ」

 

 ぽつりと、彼女の声が小さくこだまする。

 だんだんと大きく、必死に、そして狂乱していくように。

 

「やだ、いやだ……いやだっ!」

「……っ、なに、なんなの……?」

 

 彼女は、泣きながら、喚き散らしていた。

 さながらそれは、赤ちゃんと同じ。

 子供らしからぬ彼女は、子供のように、泣き喚く。

 

「S・トリガー……《魔狼月下城の咆哮》!」

「っ!」

 

 その叫びは咆哮として、わたしのクリーチャーも、食い荒らす。

 

「《ハムカツマン》、《グレンモルト》……はかい!」

「でも、まだ《勝利のガイアール》がいるよ!」

「……もう、ひとつ」

「!」

 

 砕かれたシールドのうち一枚は、《魔狼月下城の咆哮》として、わたしのクリーチャーを貪った。

 そしてもう一枚は、魔狼なんて生易しいものではなかった。

 冥府の王そのものが、牙を剥く。

 

「《冥王の牙(バビロン・ゲルグ)》……《勝利のガイアール》も、はかい!」

 

 せめて最後のシールドだけでもと思ったけど、それすら叶わなかった。

 《勝利のガイアール》は冥王の牙に飲まれて、砕かれて、破壊されてしまった。

 また、攻撃を止められてしまった。シールドも一枚残されている。

 でもこれ以上の攻撃はできない。ターンを終了するしかなかった。

 

「私の、ターン……」

 

 さっきまでの狂乱も、少しは落ち着いたのか、なっちゃんの声が静かになる。

 そして静かなまま、狂気を振りまくのだ。

 

「……《狂気と凶器の墓場》!」

 

 この呪文は……!

 山札を崩して、再び、墓地のクリーチャーが戻ってくる。

 

「《電殺医 ストマック》を、よみがえ、らせるよ。パワーをぜんぶ、さげる!」

「《アンタッチャブル》が……!」

「ターン、しゅうりょう……! だよ」

 

 

 

ターン10

 

小鈴

場:《クジルマギカ》

盾:0

マナ:10

手札:1

墓地:20

山札:7

 

 

バンダースナッチ

場:《ストマック》

盾:1

マナ:8

手札:1

墓地:18

山札:11

 

 

 

 思った以上にクリーチャーを削られてしまった。残るは《クジルマギカ》が一体。

 だけど、それなら、まだ戦える。

 

「5マナで呪文、《超次元フェアリー・ホール》! 《時空の喧嘩屋キル》と《時空の踊り子マティーニ》をバトルゾーンへ!」

 

 問題は、ここでマナに落ちるカード次第だけど……うん、多色じゃないカードがマナに行ってくれた。

 なら、もっと攻められる。より強い力で。

 《クジルマギカ》だけでも攻めきれそうだけど、念には念を。それに……

 

(……ここで引いちゃったんだ。これを叩きつけたいと思うのは、当然、だよ……!)

 

 また少し、醜い自分の姿を見ちゃった。

 目は瞑らない。無視もしない。

 そうであると飲み込んで、叩き込む。

 

「6マナで、《キル》を進化!」

 

 今度はNEOじゃない普通の進化。

 順当で純正な進化の形。

 さぁ、出てきて――

 

 

 

「お願い、力を貸して――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 また訪れる、攻撃のチャンス。

 三度目の正直。

 今度こそ、押し切る!

 

「《クジルマギカ》で攻撃! その時、墓地から《超次元ボルシャック・ホール》を唱えるよ! クリーチャーは破壊できないけど、《勝利のガイアール》をバトルゾーンに!」

 

 これで、チェックメイトのはず。

 もうなっちゃんは、この攻撃を耐えることはできない。

 

「これでわたしの残る攻撃できるクリーチャーは二体。どっちもパワーは3000を超えてるから、《魔狼月下城の咆哮》があっても、防ぎきれないよ」

「…………」

 

 黙するなっちゃん。

 わたしとしては、これでチェックメイトになると踏んでるけど、この子からしたらどうなのか、わからない。

 やがてぽつりと、なっちゃんは言葉を漏らす。

 

「……まだ」

「…………」

「さいご、が、《冥王の牙》……なら、まだ、私は……まだ、まだ……!」

 

 まだ、希望が残ってるんだね。

 ならその望みが叶うか。それとも、潰えてしまうのか。

 勝負だよ。

 

「《クジルマギカ》で、最後のシールドをブレイク!」

 

 海洋からの砲撃が、最後のシールドを撃ち抜く。

 S・トリガーか、そうでないのか。

 目当てのトリガーがあるのか、ないのか。

 わたしは引いた。自分の命を繋ぐためのカードを。

 この子は、引けるのか。最後の、最後で。

 本当に望むカードを。

 

「ぁ、ぁぁぁ……!」

 

 小さな呻き声が聞こえた。

 砕かれたシールドは、収束して彼女の手の中に落とし込まれる。

 この結果は……なにもなかった、のかな。

 残念だけど、同情の余地はない。

 今回のわたしは、怒ってるからね。

 怒りで始めたデュエマなんだ。情けも、容赦も、ないよ。

 

 

 

「《エヴォル・ドギラゴン》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ぁぁぁ、ぅぅ、ぅぁぁぁ……っ」

 

 か細い、囁くような、今にも崩れて消えてしまいそうな、儚い泣き声。

 さっきまでのわたしみたいに、なっちゃんはわたしから逃げるかのように、地面を這う。

 

「きらい、きらいきらい……ひどい、きらい……!」

「…………」

「きもち、わるい……きらきら、じゃない……どろどろで、あつくて、いたくて……いやだ……!」

 

 さっきまでの無感動な瞳も、狂乱の声も飛び越えて、そこにあるのは、恐怖だった。

 この子は、恐れている。わたしを。

 ……かなり、わたしの感情と衝動を剥き出しにしてぶつけちゃったから、怖がられるのも無理はないけど……

 なんだか、変な感じがするよ。

 さっきまでの怒りが、スゥッと消えて。

 なにもない、空っぽな感じ。虚無感、喪失感。それと似た感覚が、胸のあたりに蟠る矛盾。

 なんだか、切なくて、苦しいよ。

 

「ごめん、なさい、ごめんなさい、ぼうしやさん……ごめんなさい、でも、やだよ、、やだ。きらいだよ、こわい、こわい、こわい……!」

 

 もはや誰に言ってるのかすらよくわからない。いや、最初から誰かに向けた言葉ではなかったのかもしれない。

 

「きらきらしてたのに……ぐちゃぐちゃに、なっちゃった……いかりも、にくしみも、つらい、いたい、かなしい……もう、いやだ……やだよ……」

 

 彼女は、泣きながらその場から立ち去っていった。それを追う気にはなれない。

 取り残されたのは、わたし一人。

 胸元に目を落とす。ビリビリに敗れたワンピースの襟。装飾のリボン。床を這いまわったせいで、ところどころほつれかけてるし、汚れてもいる。

 もう、怒る気にもならなかった。

 あの子の恐怖心を見せつけられたから、だけじゃない。

 怒りに任せた結果の虚ろな心を、思い知らされたから、だろう。

 ぽっかり胸に穴が空いたみたいな虚無の感覚が漂うのに、同時にもやもやしてる胸の奥。矛盾だ。矛盾の苦悩だ。

 苦しくて、辛くて、痛い。

 ……あぁ、でも。

 やっぱり、喪失、なのかな。

 失ってしまった。壊れてしまった。引き裂かれてしまった。

 霜ちゃんがくれた、この服。

 大切な友達との、思い出の結晶。

 それが、失われてしまった。

 もう同じ形には戻らない。

 破壊は喪失と同義だから。

 

「……ぅ」

 

 あぁ、ダメだ。

 もう、ダメだ。

 堪え、切れそうにない……!

 誰もいないし、もう、いいかなって。

 思った、その時だ。

 

 

 

「――小鈴!」

 

 

 声が、聞こえた。

 スゥッと突き抜けるような、平静でありながらも冷たくはない、涼やかな、少年の声。

 

「っ、ぅ……霜、ちゃん……?」

 

 屋上の扉を勢いよく開け放って現れたのは、霜ちゃんだった。

 霜ちゃんは凄い剣幕で、わたしに詰め寄る。

 

「まったく、どうしたんだ、どういうことだ!? 何度メッセージを送っても連絡ないし、電話しても出ないし、なにがあった!? さっき、小さな女の子が泣きながら階段を下りてったけど……って、本当にどうしたんだ!? 服が破れてるし、暴漢にでも襲われたのか!?」

 

 冷静な声だと思ったけど、そうでもない。怒っていると思ったら今度は困惑して、混乱。コロコロと表情を変える霜ちゃんだった。

 なんとか言ってあげたい。なにか言うべきなのは分かってる。

 だけど、言葉にならない。

 抑えきれない。

 

「うぅ……そぅ、ちゃん……」

「小鈴?」

「ぅ、ぅぅぅ……!」

 

 胸の中から湧き上がる激流が、止められそうにない。

 自分の身体も、心も、もう制御しきれなかった。

 ガバッ、と霜ちゃんにしがみついて、胸に顔を埋める。

 その瞬間、すべてが、解き放たれた。

 

 

 

「う、ぅ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 

 両目から零れ落ちるのを、抑えられなかった。

 混ざり切った感情が溢れ出すのを、堪えられなかった。

 恐怖も、憤怒も、悲哀も、虚無も、すべてが混濁して、ぐちゃぐちゃに混ざったわたしの気持ちは、臨界点に達して、限界を迎えて――決壊する。

 大粒で、大量の、雫となって。

 

「!?」

「うわぁぁぁぁ! うぐ、えっぐ、うぅ、霜ちゃん! 霜ちゃん……!」

「ちょ、ちょっと、なに、なに!? どうしたんだい、小鈴、急に泣き出すのは、ちょっと、ボクも困る……!」

「だって、だって……ごめん、ごめんね霜ちゃん! わたし、あぅ、えっぐ、わたし……!」

「えぇい、よくわかんない! 泣いててもなにもわからない! ちゃんとした説明を要求したい! 一から十まで全部わかるような、理路整然とした論理的な理屈の伴った解説が必須だ! だから、とりあえず――」

 

 ぎゅっ。

 少しだけ、わたしの心が、穏やかになった気がした。

 

「――気が済むまで泣いてくれ」

 

 しっかりと、男の子の腕で、抱きしめてくれた。

 可愛いふりふりの服も、わたしの涙とかでぐちゃぐちゃになることも厭わずに。

 

「えっぐ、そうちゃぁん……」

「君の涙が枯れるまで泣いてくれ。なにもかもが枯れ果てたら、ボクが水を注いであげるよ。話は、それからだ。言葉なんて、静けさを取り戻してからで十分だから」

「……う、うぅ……」

 

 そんな甘い言葉のまま、わたしは霜ちゃんの胸の内で泣き続けた。

 その間、霜ちゃんはなにも言わず、ただただ黙って――わたしを抱きしめてくれた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……成程、そんなことがあったのか」

「うん……ごめんね、霜ちゃん」

 

 どれくらい泣いただろう。

 霜ちゃんが選んでくれた服が傷つけられて、もう元に戻らないと理解してから、気持ちが溢れて、止まらなくなって……とにかく泣き続けた。霜ちゃんの胸がびしょびしょになっても泣き続けた。

 霜ちゃんは宣言通り、わたしの涙が枯れるまで抱きしめてくれた。泣き止んでからは、ぽつぽつと、これまでのことを話した。

 なっちゃんとの出会い。ハンバーガーショップで一緒に食事をしたこと、ショッピングモールでお買い物をしたこと、そして、屋上での出来事を、全部。

 霜ちゃんは黙って聞いてくれた。時々うんうんと頷いて、言葉を挟むことなく、わたしのたどたどしい説明を、全部聞いてくれた。

 そして、口を開いた時には、

 

「……君は馬鹿じゃないのか?」

「え、え?」

 

 罵倒された。

 わたしが困惑していると、霜ちゃんは捲し立てるように続ける。

 

「ボクが一緒にいれば、もっと違う結果になったのかもしれないけれど、遅刻したのはすべてボクの責任だから、そこはしっかりと謝ろう。ごめん、悪かった。だが、それはそれとしてだ」

 

 謝罪している人とは思えない不遜な態度の霜ちゃん。

 というか、なんか、怒ってる……?

 

「君の話を聞くに、さっきの幼女――バンダースナッチとやらは、かなり危険な存在だ。まともにコミュニケーションが取れるかどうかさえ怪しい時があるみたいじゃないか。それに加え、凶器を持ち歩いてる? そんな露骨に危ない奴は初めてだよ!」

 

 声を荒げる霜ちゃん。でも確かに言われてみれば、今までそんなあからさまに武器を持っている人はいなかったよね。

 

「そんなの相手に、ボクが選んだ服を破られたから怒って突撃するなんて、馬鹿だとしか思えない。君の頭に脳みそは入っているのか? そこは、相手を跳ね飛ばしたのなら逃げろよ! 一目散に背中を向けて! 君でも全力で走れば子供よりも速いだろうし、人目のつくところに入れば、子供だろうと刃物を振り回してる危険人物が野放しになんてならないんだから」

「で、でも! わたしは、霜ちゃんが服を選んでくれたのが嬉しくて、だから、すごく、悔しくて……!」

「わかってる。けど、それでもだ。少しでも、ボクの我儘を聞いてくれるなら、君に言っておきたいことがある」

 

 ガシッ、と肩を掴まれる。

 目を逸らすこともできず、霜ちゃんを直視する形。霜ちゃんは、まっすぐにわたしを見て、告げた。

 

「……君はもっと、自分を大事にしてくれ」

 

 とても、真剣で、真摯で、切実な眼で。

 

「……え?」

「え、じゃない。服なんて飾りだ。その人を煌びやかに飾り立てるだけのオプションに過ぎない。そんなもの、いくら破れようが裂かれようが、新しく買うなり直すなりすればいい」

 

 ちょっと、驚いた。

 あんなにファッションにこだわる霜ちゃんが、服なんてかざりだ、オプションだ、だなんて言うなんて……

 さらに霜ちゃんは、言葉を続ける。

 

「だけど、君の身体はそれ一つしかない。君の身体に傷がつく方が大ごとだ。君の身こそ、かけがえのないものだ。服なんて量産品はどうでもいい。それより、君が――」

 

 一拍置いて。

 霜ちゃんはもう一度、わたしを見つめる。

 目を逸らさずに、真っ直ぐに。

 そして、

 

 

 

「――ボクの大切な友達が傷つく方が、嫌だ」

 

 

 

 彼は、告げた。

 

「……霜ちゃん」

 

 霜ちゃんの言葉が、スゥッと入り込んでくる。

 なんだろう。さっきまでの憤慨も、虚無も、全部、なくなっちゃった。

 嫌な気持ちは取り払われて失われた穴は埋められて。

 ぽかぽかと、穏やかであったかい、ような……?

 

「……あー! もう!」

 

 わたしがぼぅっとしていると、急に霜ちゃんが、ガシガシと髪を掻き毟り始める。

 なんか、いきなり男の子っぽい仕草が……

 

「なんでこんな恥ずかしいことを言わせるんだ! 言わせるなよ! 君の馬鹿な行いで、言葉にしなくていいことまで言葉にさせるな!」

「うぅ、そんなにバカバカ言わなくても……わたしの方が頭いいよ?」

「勉強のできるいい子ちゃんでも馬鹿は馬鹿だ。量産品と唯一のもの、どっちの価値と優先度が高いかもわからないようじゃね」

 

 ふんっ、とそっぽを向いちゃった。

 お、怒らせちゃった……なんだかよくわからないけど、霜ちゃんを怒らせちゃったみたい。

 でも、まあ。

 本気で怒ってるんじゃない、っていうのは、わかるよ。

 

「……さ、帰るよ、小鈴。もうショッピングどころじゃないだろう」

「……うん」

「ほら、これ着て。ボクの上着貸すから。そんなに胸をあっぴろげてちゃいけないよ。ボクからしても目のやり場に困るというか、目に毒すぎる」

「あ、ありがとう」

 

 薄手のジャケットを羽織らせてもらう。

 そういえば、今のわたしって、服がボロボロで往来を歩けないような格好なんだよね……

 下手に人に見られたら、警察の人を呼ばれちゃいそうだよ。

 とりあえず、胸元だけでもちゃんと隠しておかないと。

 

「これ、ボタンが留められない……」

「ボクのサイズに合わせてあるからね。しかし、肝心の胸元が隠せないんじゃな……じゃあ、ボクの鞄も持って。これで隠して」

「う、うん……」

 

 霜ちゃんが手提げ鞄をを押し付けるようにわたしに渡してくる。わたしの鞄――というかポシェットじゃ小さいから、ってことなんだろうけど。

 ……あ、そうだ。

 まったく脈絡なく、思い出した。

 

「霜ちゃん霜ちゃん」

「なに?」

「これ、あげる」

 

 自分の鞄から、小さな紙袋を取り出す。リボンで装飾された袋を。

 よかった、自分を這いずりまわっても、鞄の中身までは崩れてなかったみたい。

 

「これは……?」

「開けていいよ」

「……これは?」

「ぶれすれっと……?」

「なんでたどたどしいうえに疑問形なんだ」

 

 輪っか(リング)が二重になって絡み合ったようなデザインの腕輪(ブレスレット)

 霜ちゃんって服は色々着るけど、アクセサリーとかってあんまり付けてるイメージなかったから、どうだろうって思ったんだけど……わたしが選んだものだから不安しかない。できるだけ霜ちゃんに似合いそうなものを選んだつもりだけど、ど、どうかな?

 

「その、服を選んでくれたり、今日のお出かけとかの、お礼にと思って……」

「……呆れた。君は天然の大馬鹿女だな」

「え……?」

「自分の服をボロボロにされて大泣きしたのに、ボクにはアクセをプレゼントする余裕があるのか。豪胆というべきか、図太いと取るべきか、やはり天然なのか。あるいは、ある意味、大物なのかもね」

 

 はぁ、と吐息。やれやれと言わんばかりの仕草。

 だけど、優しい目で、わたしを見てくれている。

 

「でも、凄く嬉しいよ」

 

 わたしの服選びについては、ダサいとか子供っぽいとか、いつも酷評してたけど。

 このわたしの贈り物には、なにも言わなかった。

 なにも言わずに、受け入れて、受け取ってくれた。

 

 

 

「ありがとう――小鈴」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ぼうしや、さん……」

「バンダースナッチか。どうだ、散歩の結果は? お前の探し求めるものは――純粋で綺麗な人間の心? 的なものは、見つけられたか?」

「……うん。……でも、なくなっちゃった……」

「そうか、それは残念だ」

「おねーさんの、きらきら……すごく、すごく、きれいだった、のに……ぐちゃぐちゃに、よごれて、だめに、なっちゃった」

「……ほぅ?」

「にんげんは、やっぱり、こわくて、おそろしくて、きたなくて、おろかだよ……ぼうしやさん」

「そうか。貴様は他の連中とは違う。見定める者、観測者だ。貴様には人の心が見える――そも、心などという曖昧なものを定義したならばの話だが――だからこそ、貴様に観察してもらった。あのお嬢さんを、そして、人間を。しかしだ」

「……?」

「オレ様は貴様のことを信用している。貴様だけではない、代用ウミガメも、眠りネズミも、ヤングオイスターズも、蟲の三姉弟も、信用と信頼のおける同胞だ。しかしそのような信頼とはまた別の意味で、ある意味では信頼があるからこそ理解できる、決定的かつ致命的な貴様の穴が心配でならない」

「あな?」

「幼さだ。今の貴様に言っても詮無きことではあるのだがな。人を見定める観測者、あるいは観察者。その命を任じたのはオレ様だが、正直、貴様には荷が重いと思っている。力不足というやつだな」

「……私、じゃ、だめなの……?」

「そういうことではない。適役が貴様以外にいるとも思えん。単なるスキル、熟練度の問題だ。ただ貴様は幼すぎる。如何様に心なるものが視認できたとしても、貴様がそれをどう認識し、処理するか。その点で多大なノイズが混じる。貴様の判断能力は、貴様の姿そのものと相違ない。即ち、童と同等。ゆえに、その言葉を鵜呑みにするわけにはいくまいというだけだ」

「じゃあ……私は、なんの、ために……?」

「さてな。縁を結ぶ一手ではあったが、どうやら刺激が強すぎたようだ。アリスにとっても、貴様にとってもな。とはいえ、貴様とて己が目的に近づいたのではないか?」

「……わかんない」

「そうか。まあいいさ、貴様の目的は貴様の目的だ。オレ様が直々に関与することでもない。貴様の手でどうにかしろ」

「ぼうしやさん、つめたい」

「貴様がもう少し理解のできる存在であったならば話は別だったのだがな。貴様は幼いがゆえに、あるいが幼かろうがどうしようが、あまりにも理解不能だ。存在の見えない獣。獣という表現が適切なのかさえ分からぬ魔物。魔物と呼ぶことができるのかもわからん怪物。ゆえに貴様は『バンダースナッチ』なのだからな。その意味不明さは『ジャバウォック』と同等だが、貴様には確固たる意志がある分、奴よりも悪辣で厄介と言えような」

「私、やっかい?」

「おっと失言だったな。オレ様とて貴様に刺されるのは御免だ。聞き流せ」

「うん、わかった」

「いいぞ。貴様の素直さだけは、ジャバウォックよりも好感が持てる。なにせ奴は、扱いが困るからな。意志があるからこそ困る貴様も、だからこそ同格以上、あるいは同格以下なのだが」

「それで、ぼーしやさんは、どうするの?」

「オレ様はどうもせんよ……と、言いたいところだがな」

「だが?」

「……まあ、そろそろいいだろう、と思いたいところだ。これは不合理で、奇妙奇天烈で、およそ狂っているだろうと思われるだろう。綺麗な物語の造りとは程遠い、不整合にして稚拙なご都合主義の如き、あるいは尺稼ぎと同義の愚かな行いだと罵られることだろう。それでもあえてオレ様は、無意味有意義を求め、意味もなく意義を望み、打算的な楽観した希望的観測でもって、理解されない下手な展開へと導く、道化となろう。つまり――」

 

 

 

「――再び、オレ様直々にお茶会の開催だ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「難儀してるなぁ、帽子屋よぉ」

「帽子屋さんはいつもそうね。うふふ」

「……貴様らか。今日は客が多いな」

「客ぅ? 私たちはそんなかたっくるしい仲だったか?」

「どうだったか」

「ねぇ帽子屋さん、なっちゃんの監察結果はどうだったの?」

「相変わらずだな。人間は醜く穢れたおぞましい心を持つ生き物。一瞬でもその中に光を見たようだが、すぐに塗り潰されてしまったようだな」

「あらら、なっちゃん可哀そう」

「私はバンダースナッチの奴は苦手なんだよな。思考回路がイカれてるぜ、あいつはよ」

「だからこそ、帽子屋さんと気が合うんじゃない? ほら、同じイカれた者どうしだし?」

「否定はしないが、好き勝手言ってくれるな。奴をお茶会に招いたのはオレ様だからな。その義理くらいは果たすというだけだ」

「そいつはご立派なことだな」

「義理なんてあるのかないのか分からないくらい、すぐ放り出すこともあるのにね?」

「その逆もあるから、こいつはわけがわからないんだがな」

「戯言は聞き流そう。して、なんの用だ? バンダースナッチの報告を又聞きに来たのではあるまい」

「なに、別に用ってほどのもんじゃねぇさ。お前さん、どうすんのかって思ってな」

「どう、とは?」

「帽子屋さんが熱心に追いかけてる女の子。彼女をどうするのか、気になるのよ。みんな、ね」

「…………」

「ダンマリかよ。そりゃねーぜ、帽子屋よ」

「黙秘するつもりはない、少し、考えてただけだ。オレ様もいまだに決めかねているところがあるからな」

「でも、八割くらいは決まってるんじゃない?」

「残り二割を蔑ろにしたくないだけさ。まあだが、うむ」

「なんだよ?」

「ここまで、代用ウミガメ、眠りネズミ、蟲の三姉弟……ついでにヤングオイスターズらの接触によって、流石に理解した」

「なにを?」

「無知を、だ。あのお嬢さんは聖獣を知らない。あるいは、知っていてもそれを聖獣だと認識していない。はたまた、聖獣を知り、正しく認識していても、その居場所がわからない、正確に在処を伝えることができない、といったところだろう」

「ふん、まあそうだろうな。お前さんにしては、まともな結論に辿り着いたもんだ」

「つまり聖獣の居場所を探るのに、必ずしもアリスを追う必要がなくなった、ということ。となれば」

「生かしておく必要はない?」

「そこまで言い切れないのがもどかしいところだな。奴が存在する限り、聖獣への道の手掛かりが残されていることは事実。我々は、真になにも持ち合わせていないのだから。ランタンの灯がないのならば、儚い星の灯りに縋るしかあるまい。縋ったところで、それは文明の明かりに掻き消されるほど淡いものであるが」

「ふふふ、帽子屋さんも右往左往してるわね」

「ゆえに、八割だ。可能性を残すか、雑音を掻き消すか」

「決めかねてるって、そういうことかよ」

「生かすか殺すか。生殺与奪は8:2。あるいは、別の手段も取れるかもしれないが……」

「その手段が思いつかない限りは、やるっきゃねぇよなぁ」

「ゆっくりしすぎると、お茶も冷めちゃうしね?」

「あぁ。ゆえに遠くない将来。明日か、明後日か、夏を超えた先か、あるいはさらに先か。オレ様にも読めん暗き未来、オレ様はあのお嬢さん(アリス)を――」

 

 

 

「――殺してしまうかもな」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「今日もあの子のところに行って来たの? 好きだねー」

「――――」

「うん、うん。いいよ言わなくても。わかってるから」

「――――」

「で、今日はなにを見て来たの?」

「――――」

「そんな意地悪しないで教えてよー。ストーカーにはストーカーの利点があるでしょうに。情報共有くらいしてもいいじゃない」

「――――」

「あ、ごめん、ごめんって! ストーカーは言い過ぎたよ。チェイサーって呼んであげる」

「――――」

「そんなんで納得するのもどうかと。それで今日はどうしたの? こんなに引っ張るってことは、よほど面白かった? それとも」

「――――」

「……単純に、言いにくい?」

「――――」

「まあ気持ちは分からないでもないよ? いや、分かんないけどね? でも想像はできるし、こっちとしても知っておきたいんだよ。君のこと、なんだかんだで全然知らないし、君もあんまり喋ってくれないし。喋るっていうのは、なんだか語弊があるような気がしないでもないけど」

「――――」

「君とは一心同体、一蓮托生。そういう仲でしょ? 少しでも恩義を感じるなら、そして、少しでも義理を感じるなら、さらに、少しでも温情があるのなら、包み隠さず言って」

「――――」

「押し付けがましいって? 君には言われたくないなー。なに、心配せずとも大丈夫だよ。君のことは信じてるから」

「――――」

「そうそう、素直になればいいのさ。あんまり真面目にさせないでよ、キャラが保てなくなっちゃうじゃん」

「――――」

「え? どうせキャラ作りだって? それはそれ、これはこれ。キャラっていうのは作ろうが作らまいが一口には言い表せない奥深いものだよ。時に本質、時に虚構、時に糊付け、時に被せて、時に投げ捨てる。使い方も色々さー」

「――――」

「ふーん、ん? あー、そゆこと。だから言い渋ってたのか。ういやつめ」

「――――」

「まー、安心してよ。いつかはそういうこともあるだろうって思ってたから」

「――――」

「そう、だから演じてみせるよ。君のために、あの子たちのために、自分のために。それか世界ためとか、なにかのためとかに――」

「――――」

「――ヒーローかぶれの道化みたいな、ね?」




 幼女とはものはどうしてこんなにも合うのでしょう。
 持ってるのは日用品の域を出ないものばかりだけど、異常な嗜好をを跳ね除けて、正常な思考で考えたら、ただただヤバい奴でしかない幼女、バンダースナッチの登場です。ここまでヤバい奴を書いたことは今までありません。
 デッキはわりと普通なんですけどね。マフィ・ギャングのNEO進化ハンデスビートという、種族シナジーに寄せた黒単ザマルみたいなデッキです。例によって、これもちょっと古いデッキなのですが。
 一方小鈴は、前回手に入れたクジルマギカ入りのグレンモルト、通称モルト☆マギカです。今回出したものとは違う型なのですが、なんか大会でちょこっとだけ結果出したことがあるようで、クジルマギカ→狂気墓場→グレンモルトの流れが綺麗で好きです。なにより、デッキ名が魔法少女っぽい。フィニッシュはガイギンガなので、完全に相手ぶった切ってますが。
 今回はやたらと地の文なしの会話劇が多いですが、ちょっとずつ話もそちらに寄せていくので……というわけで、今回はここまで。
 それでは、ご意見ご感想、誤字脱字の報告等々、なにかりましたら遠慮なく気軽に送ってください。


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18話「正義の味方だよ ~前編~」

 前書きで本編について触れると、ネタバレになってしまいそうで語りにくいと感じてしまうのですが、ならここってあらすじとか書けばいいんでしょうか。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 いつものように、わたしたちは『Wonder Land』に集まっています。ただし今日は、ちょっとしたお知らせというか、みんなに話しておきたいことがあったのです。

 それは――

 

「――店舗大会、ですか?」

「そう、せっかくの夏休みだし、なにか催し物をやろうってことになってね」

「だからこうして、常連客を手当たり次第に勧誘しているわけだ。店のためにとは言わんが、その気があるのなら盛り上がってくれ、とな」

 

 以前、詠さんが教えてくれた大会の話。

 せっかくだから、みんなにも教えようと思ったんだけど「時間は?」「規模は?」「レギュレーションは?」って質問攻めを受けて、わたしじゃ答えられなかったから、こうして主催者に直接お話を伺っている次第です。

 主催者、つまり店長さんが説明をすると、恋ちゃんや霜ちゃんはうんうんと頷いている。

 

「でもちょっとルールが特殊でね。楽しんでもらうための大会だから、ガチデッキは禁止なの」

「ガチデッキ?」

「競技性を追求した場における、勝つために特化したデッキのことだよ。いわゆる環境を意識したデッキがこう呼ばれることが多いけど、細かい定義は少し曖昧だね」

 

 霜ちゃんがそう説明してくれるけど、いまいちよくわからない。

 今はなんとなく「わたしとは違う次元の強いデッキ」くらいに考えておこう。

 

「ガチ禁止ですかぁ。それは面白そうですけど、基準が難しくないですか?」

「そうなんだよね。一応、基準となるラインはルールに明記するけど、結局はジャッジの裁量次第だし」

「ジャッジというか、俺だがな」

店長(メニジャー)さんがデッキを見るんです?」

「あぁ、そうだ」

「店長が出場者のデッキをガチか否か判断して、ガチだと判断したら、残念ながら参加できないよ、って感じ」

「ちなみに、ガチの基準は?」

「おおよそは現環境デッキを基準としている。採用カードを多少弄る程度では、残念ながらガチ認定だ。コンセプトそのもので判断するから、そちちらで合わせれば確実だろう」

「今回の大会は、色んなコンセプトのデッキを披露してもらうような場にもしたいからね。競技性を高くして勝つことに拘るよりも、みんなに楽しんでもらいたいなって」

「それは素敵(シェーン)な考えですね!」

 

 環境とかガチとか、わたしにはよくわからないけど……

 大会。色んな人、色んなデッキと出会うだろう場。

 こうしてみんなと一緒に来たものの、正直、まだ悩んでる。どうしようか……

 

「小鈴さん! いっしょに出ましょう! 大会(トゥルニーァ)!」

「ゆ、ユーちゃん……」

「いいんじゃないかな? 小鈴ちゃんも、デュエマの大会を一回くらいは経験してみたらいいよ」

「プレイングやデッキ選び、メタ読みよりも、デッキビルディングそのものが試される大会ってことだよね。それはそれで面白そうだし、ボクは出るよ」

「……私も」

 

 みんな、結構出る気満々だね……でも、それでわたしも決心がついたよ。

 

「じゃ、じゃあ、わたしも、出ます……!」

「よし決まり! 店長、五人も確保できましたよ! この子たち誘ったの私ですし、これ私の手柄ですよね? 昇給とかありません?」

「考えておこう。あぁ、そうだ、言い忘れていたが、大会には、名試合賞やデッキアイデア賞など、各種特別賞がある。そちらの方も狙ってみるといい」

「へー、そういうのも面白そう」

「では、当日はよろしく頼む。俺は裏に戻る」

「じゃあ私もそろそろ。みんなありがとう! 贔屓はできないけど、応援してるよ!」

 

 と言って、店長さんと詠さんは二人でお仕事に戻って行きました。

 

「ガチ禁止の大会かぁ。どんなデッキで出ようかな?」

「どうせなら、楽しいデッキが作りたいですね!」

「……なにを握るか、考え物……」

「え? 大会って、それ用のデッキを使うものなの?」

「別にそうと決められてるわけじゃないし、使い慣れたデッキで出場してもいいけど、大会用にデッキをチューンする人は多いね」

「でもそれは環境ありきなところもあるから、今回は好きなデッキでいいんじゃない?」

 

 好きなデッキなんて言われても、わたしが持ってるのは今のデッキだけだし、選ぶ余地がないよ……

 できるとすれば、このデッキを改造するくらいだけど、どう改造したらいいのか、悩んじゃう。

 ただでさえ改造したてで、《クジルマギカ》をまだ上手く扱えていないのだ。どう弄ればいいか、まだよくわからない。

 みんなも同じように、デッキについて考えているのか、悩む素振りが見える。

 そんな折。

 

「……よし、じゃあ、こういうのはどうだろう」

 

 不意に、霜ちゃんがそう言った。

 そして突然、自分のケースからカードを五枚取り出す。

 

「このカードは?」

「ただのカードだ。五文明それぞれ一枚ずつ入ってる。これを全員に一枚ずつ、裏向きでランダムに配ろう」

 

 わけがわからないまま、カードが配られる。

 伏せられた一枚のカード。めくってもいいのかどうかわからず困惑していると、

 

「そうだな……白、光は恋」

「ん……?」

「闇はユー、自然は実子、火は小鈴、水はボクだ」

 

 指名して、文明を宣言する。

 

「今、文明と人物を対応させた。カードを配られた人は、その文明と対応する人をイメージしたデッキを組む」

「イメージしたデッキ……?」

「そうだ。たとえば、実子がよく使うデッキと言えば、なにをイメージする?」

「え、えっと、侵略と革命チェンジとかを使ったデッキかな……?」

「まあそれがすべてじゃないけど、そういうデッキはよく組むよね」

「ならば、自然のカードを引いた場合は実子、だから、彼女が使用するデッキや戦術をイメージして、それを取り入れたデッキを組むんだ」

「革命チェンジのデッキを組むってこと?」

「引いた人が、その戦術が実子らしいと感じるなら、そうなるね」

「……その人の、イメージで、いいの……?」

「あんまり制限しすぎても自由度が落ちるしね。せっかくのデッキを組む機会だ、お互いにどんなデッキを使うのか、どんな戦術を得意とするのかはわかるだろうし、それを真似てみるのもいいんじゃないかな」

「Gute! 面白そうです! ユーちゃんも、みなさんみたいなデッキを使ってみたいと思ってたんです!」

 

 なるほど……改造と言っても、どうすればいいか悩んじゃうけど、こうやってお題みたいに制約を設ければ、方向性が決めやすいね。

 ユーちゃんが言ったように、みんなのデッキで、いいなと思ったものは少なくない。わたしがそれを再現できるかはわからないけれど、やってみたいとは思っていた。

 だからこれは、それができるいい機会だ。

 

「自分の対応する色を自分で引いたら、どうするの?」

「わざわざ引き直すのもなんだし、その場合は自力で組んでくれ。制約ナシだ」

 

 あ、そうなるんだ。

 極論、全員が対応する色を引くこともあるわけだけど、そうなったら悲しいね……

 

「対応はさっき言った通り。カードは配ったし、オープンだ」

 

 霜ちゃんのその掛け声で、みんな、一斉に伏せられたカードをめくる。

 

「やった! 火文明、小鈴ちゃんだ。大当たりだね!」

「げ……水、そう……」

「げってなにさ。それより、ボクは自然か。実子のは、まあ、わかりやすいけど、どう組んだものか……」

「ユーちゃんは光です。恋さんですね!」

 

 みんなそれぞれ、引いたカードで一喜一憂してる。

 この時点で被りなし。わたしの色もみのりちゃんが引いてるから、被りは絶対に出ない。

 そして、わたしの引いたカードは、

 

「闇……ユーちゃんのデッキや戦術、かぁ……」

 

 黒い闇文明のカード。

 ユーちゃんと言えば、手札破壊や、墓地のカードを利用して、攻撃を仕掛けてくるってイメージかなぁ。

 攻撃のタイミングを計ったり、搦め手を交えたり、わりと計略を弄してくるユーちゃんだけど、実際のところはかなり攻撃的だ。最初からガンガン攻撃するわけじゃないけど、事前に妨害したり、準備をして戦力を整え、機が訪れれば即座に攻撃。準備中でも攻撃の必要があると思ったら、躊躇うことなく攻撃してくる。

 攻撃前に準備するって意味では、今のわたしのデッキと似てるけど……せっかくだし、闇のカードを使ってみようかな。

 

 それからわたしたちは、いつものようにデュエマで対戦したり、どんなデッキにするか考えたり、いつもと同じように、思い思いの楽しい時間を、過ごしていました――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「今日も遅くなっちゃったね」

「自分で提案しておいてなんだけど、これ、思った以上に難題だよ……」

「本当に……」

「ユーちゃんも考えちゃいます。恋さんらしさ、こうして考えると、難しいです」

「私はもう構想は完成かな? 前に組んだデッキを調整するだけで済みそう」

 

 時刻はもう午後6時です。真夏も真夏だから、まだかなり明るいけど、早めに帰らないと、お姉ちゃんが怒りそうだなぁ。

 ……?

 なんだろう、この感じ。

 前にも、似たようなことがあったような。いや、起るような……

 もう一度、時計を確認する。

 さっきと変わらない。時刻は18時――午後6時を指していた。

 いつかと、同じように。

 

 

 

「そう。物語は繰り返す。同じことを何度も、何度も。出会いも、別れも、平等にな」

 

 

 

 ――事件なんて起きない。

 大それた騒動も、大袈裟な動乱もない。それはただ、小さな世界で、狭いコミュニティで、現れるだけ。

 まるで、陰に潜んで、静かにゆっくりと、日常に侵食していくかのように。

 じわりじわりと、わたしたちの世界に近づいて、にじり寄って、踏み込んで、入り込んで来る。

 それに気づいて、振り返った時には、もう遅い。

 だって、そこには――

 

「こんばんは、お嬢さん方」

「――帽子屋、さん」

 

 彼が、いるから。

 カジュアルなスーツに革靴。口元を覆うスカーフ、目元を覆う仮面。そして、赤い大きな帽子。

 また、会ってしまった。

 奇妙で、不思議な、別世界の住人のような、誰か。

 『帽子屋』さんが。

 

「私もいるぞ」

 

 けれど、今回はそれだけではなかった。

 この前とは違う。予想だにしない別の声。

 ぬぅっと、帽子屋さんの背後から新しい人影が顔を出す。

 その姿を見た瞬間、目を疑ってしまった。

 現れた人は、球体だった。

 いや、正確には完全な球じゃないんだけど、体が本当にまんまる……太ってるとか、そんなレベルじゃない。いや、太ってるんだけど。

 どこが肩なのかもわからない球状の胴体に、アンバランスすぎて怖いくらい細い手足と、ちょこんとした頭が飛び出している。そんな体型の男の人だ。

 その姿は、まるでタマゴみたいだった。

 

「え……誰……!?」

 

 あまりに奇妙な体型だから、思わず一歩後ずさってしまう。

 正直、ちょっと怖い。

 帽子屋さんは、そんなタマゴみたいな人を押し退けた。

 

「退いていろ、ハンプティ・ダンプティ。貴様は図体が邪魔だ」

「おいおい帽子屋、お前さんから呼んどいてそれはないぜ」

「見ろ。貴様の奇怪かつ奇異な肉体は、彼女らの恐怖の対象と化している。これでは会談もままならん」

「じゃあ呼ぶなよ」

 

 なんか、帽子屋さんとタマゴさんが、言い争ってる……?

 仲悪いのかな……?

 

「おっと、そこな娘さんらに自己紹介くらいしとかないとだな。私は『ハンプティ・ダンプティ』。言うまでもないだろうが、【不思議な国の住人】だ」

 

 タマゴさん――『ハンプティ・ダンプティ』さんは、そう名乗った。なんだか、はじめて名前らしい名前の人に会った気がする。

 そしてやっぱり、【不思議な国の住人】。帽子屋さんと同じ、彼の仲間だ。

 

「……なにしに来たんだ?」

「おっと少年、眼が剣呑だな。そう身構えるな、まだその時ではない」

「あなたと接触してから、四回。小鈴にちょっかいをかけているというのに、争う気はないって?」

「ちょっかいをかけることと、争うことは別だ。あれはただ、貴様らとの縁を結ぶための儀式みたいなものだからな。それより今は、謝罪をさせて欲しいのだが」

「謝罪……?」

 

 なんだろう、謝罪って。謝られるようなこと、あったかな?

 言ってしまえば、今までのストーカー染みた行為全部に対して謝罪があって然るべきだと思うんだけど、たぶん、そんな話じゃない。

 帽子屋さんは、謝罪という言葉を使うわりには、悪びれずに言った。

 

「言うなれば、直近のちょっかいについての謝罪だ。あれはやりすぎた。我らが同胞、具体的には『バンダースナッチ』が迷惑をかけた」

「…………」

 

 ……あぁ。

 なっちゃんのことか。

 あの時のことは、正直あんまり思い出したくない。恥ずかしいから。

 それに、思い出すと、またお腹とか胸のあたりがムカムカしてきちゃいそう。

 だからあんまりコメントはしたくないなと思っていると、

 

「迷惑だって? 随分と控えめな表現なんだな。ボクも話にしか聞いていないが、あれは殺人未遂というんじゃないのか?」

 

 霜ちゃんが噛みつく。

 でも、その挑発するような物言いにも帽子屋さんは動じなかった。

 

「そうか、これは知らなかった。貴様らは幼児の行為でも法典の言葉を持ち出すつもりなのか」

「年齢も法律も関係ない。ただ事実に対する認識を述べただけだ。それにそもそも、客観的に見て彼女には、小鈴を騙す意志があったように思われる。それに、君らの手引きもあったんじゃないか?」

「バンダースナッチの意志については、オレ様もコメントはできん。ゆえに後者にだけ答えさせてもらうが……手引き、か。確かに、奴の外出を許可したのも、そこなアリスの下へ赴くように指示したのも、そのために労力を払ったのもオレ様だが、アプローチの方法は一任したのでな。どの範囲を手引きとするかによるだろう」

「手引きという言葉が気に入らないなら、監督不行き届きと言い換えてようか?」

「ふむ、成程、見張りの過失か。それについては一定の理解を示さなくてはならんな。やはり言い逃れはできんか。となれば謝罪は必要だな」

 

 なんて言いながらも、やっぱり帽子屋さんは、謝っているようには見えない。

 非は認めるけど、だからどうした、と言わんとしているかのようだ。

 そして、そんな傲岸不遜で厚顔無恥な態度で、さらに続けた。

 

「少年、貴様の言い分は認めよう。だが、同時にオレ様は、許してくれと嘆願しよう」

「許す? なにを許せっていうんだ? あなたたちの行いで、許せる点なんて一つたりともないだろうに」

「まあ最後まで聞け。バンダースナッチの姿は見たか? まあ少なくともアリスは視認しているはずだろうから、貴様は知らずともいい。奴はあの通り、非常に幼い。狡猾ではあるが短慮だ。それになにより、分別が、あるいは区別がついていない」

「区別……?」

 

 なんの? と聞き返す前に、帽子屋さんが言葉を紡ぐ。

 

「これが幼いゆえなのか、奴の性質なのかはいまだ未知だが、なんにせよ奴は、あらゆる認知が混濁している。善悪、なにより、物質と幻影の区別がな。そのせいでオレ様も、少々手を焼ているのだ。奴は少しばかり、自分の欲望に忠実だからな」

「欲望、って……?」

「そうだな。では、たとえ話をするとしよう。貴様らは、幽霊、という存在を信じるか?」

「は?」

 

 あまりに唐突だった。

 幽霊、妖怪、霊魂、妖魔、人魂、お化け、物の怪、ゴースト、ウィスプ。呼び方や種類は様々だけど、それは霊的な存在で、お話の中の存在で、迷信における存在で、存在しない存在。

 それを信じるかどうかって言われたら、わたしはあんまり信じてないと思う。そんな歳でもないし。怖いとは思うけど、存在していると証明されていないことだし、それが存在することで起こる現象も観測されていない。それが幽霊というものだ。

 恐怖を煽られるだけの迷信。わたしは幽霊をそういうものだと思う。だから、信じていないけど……

 

「幽霊が見える子供がいるとする。その子供は、周りの人間が幽霊を見えていないことに気付かない。自分が認識する世界の一部を、他人が認識できないという事実を知らない。ゆえに、現実の中にある物質と幻影の区別がつかない、とな」

「……自分だけが認識できるものがあり、その自分だけという特異性に気が付かないから、すべてをあるものとして扱おうとする、か。わかる話だけど、それがなんだ?」

「心は、目には見えないだろう?」

「は?」

 

 また唐突に、わけのわからないことを言い出す帽子屋さん。今日は前にも増して、突然な物言いが多い。

 

「同じことだよ。我々にはそれぞれの認知が独立しているように見えても、奴にとっては、それらはすべて繋がっている。そして、それらの繋がりこそがすべてなのだ。奴の世界における認知と、それに呼応する欲求、そのための行為。それらすべてが一つに連なっていて、その塊が奴の欲望であり、至極当然の事柄であり、世界のすべてだ」

 

 そして、幼いから世界が狭いのだよ、と帽子屋さんは締め括った。

 相変わらず言ってることはよくわからないけれど、なっちゃんのことは、ちょっとだけわかったような気がする。

 子供にだけ見える妖精の話とか、そういうのに近いもので……だからやっぱり、なっちゃんは子供だということが、改めて分かった。

 でも、それだけだ。

 それだけでは、足りない。

 

「……そもそも」

「ん?」

 

 不意に、黙っていた恋ちゃんが口を開いた。

 

「欲望とか、なんとか……言ってる、けど……なにを求めてるのか、ハッキリ……しない」

 

 そうだ。

 なっちゃんが欲望に忠実だと言っても、それだけじゃ、文字通りわたしに刃を向ける理由にはならないはず。

 そこに、明確な方向性――確固たる“目的”がなければ。

 

「なにを求めているのか、か。ふむ……それがオレ様にもよくわからないな」

「はぁ? わからないだって? あなたは、連中のボスじゃないのか?」

「確かに指導者らしき真似事はしているが、同胞のすべてを把握しているわけではないのだよ。我々はその出自故に未知の領域も多い。それに、オレ様は頭がイカれた帽子屋だからな」

 

 ククッ、と口では自嘲しつつも、愉快そうに笑う帽子屋さん。なにが面白いのかは、さっぱりわからない。

 

「だが、わからないと簡素に切って捨てるのも味気ないな。では、乱暴だがバンダースナッチはの性質を一言で言ってやろう。奴は――心が見える」

 

 心が見える?

 なにそれ……どういうこと?

 

「……人がなにを考えているのかがわかるってことか?」

「読心術ってやつ?」

「違うな。心が“読める”のではない。“見える”のだ。視覚的情報として、心というものが認知できる。それがバンダースナッチという化け物だ」

 

 心を読むのと、心を見るのと。

 その違いもよくわからないけれど……

 もしかしたら、なっちゃんが言ってた「きらきら」というのは、わたしたちには見えない、心、のことだったのかな。

 

「もっとも、これはオレ様が彼女から色々聞き出して、わかりやすく噛み砕いた表現に過ぎないがな。幼すぎるせいで情報伝達が不正確すぎる。故に正直に言ってしまえば、よくわからんのだ」

「成程ね。まあ、心なんて簡単に定義できるものでもない。特に、君らの言うそれは、なにかの比喩的表現にも思える」

「否定はせんよ。なんにせよ、バンダースナッチは心が見える。しかしその幼さゆえに、彼女が視認する心というものは、物質的なものと同じように扱われる。つまり彼女は勘違いしているのだよ。“心が取り出せるものだと”」

「……!」

 

 そこでようやく、わたしは理解した。

 なっちゃんが、わたしに刃を向けた理由が。

 

「わかったか? 彼女は清廉潔白な心を欲している。清浄で穢れを知らない煌びやかな心を求めている。それが、その手で抱けるものだと信じてな」

「……やはり狂ってるな。その結果、刃物を振り回すのも、それを許容するあなたたちも、狂ってる」

「それも否定はせんが、狂っているのはオレ様だけということにしておけ。バンダースナッチの暴威は、奴の果て無い欲望と幼さの現れだとな」

 

 確かにそうかもしれなかった。子供だから抑制が利かないというのは、理不尽だとしても、理屈としては納得できなくもない。

 だけど、肝心なところがわからない。

 なんでなっちゃんは、「きらきらな心」を求めているのだろう。

 認知における差異、欲求を御せないこと、手に入れる手段の凶暴性。それらについてはわかっても、求める動機が、どうしてもわからない。

 帽子屋さんはそれ以上はなにも言わない。なっちゃんの“心が見える”という言論も、帽子屋さんの見解に基づくものだし、完全な真実とは言い難い。ここでなにも言わないということは、帽子屋さんもそこまではわからないってことだと思う。

 なっちゃんは一体、どうして心を求めるのか。

 もかしたら、それを考える意味は、ないのかもしれないけれど。

 

「と、バンダースナッチについて語りつつ弁明し、しかしてこうして謝罪もさせてもらったが、どうだ?」

「……どうもこうもないよ。それで、帽子屋さんは、謝るためだけに私たちに会いに来たの?」

「あぁ、そうだな……勿論、ノーだ」

 

 帽子屋さんの目が、鋭く光る。

 

「ハンプティ・ダンプティ」

「なんだよ、お前さん。こんなことのために私を呼んだのかよ……まあ、いいけどよ」

 

 タマゴさんはどこか呆れたように溜息をつくと、わたしたちを見据える。

 そして、

 

 

 

「ほら、お前さんら、元の位置に戻りな――逆相『誰もハンプティ・ダンプティを元に戻せなかった』」

 

 

 

 と、タマゴさんが声を発した。

 台詞のようだったけれど、彼がなにかをしたようには見えないし、少なくともわたしの身にもなにも起きていない。

 ただし、なにも起きていないわけじゃない。

 

「!? み、みんな……!?」

 

 みんなが、消えた。今まで一緒に歩いていた友達の姿が、なくなっていた。

 いや、違う。消えたんじゃない。

 みんなはいつの間にか、帽子屋さんたちの後ろに、移動していた。さっきまで歩いていた道を、後戻りしたかのように。

 わたしと、みんなで、帽子屋さんとタマゴさんを挟むような形になっている。

 

「なに……これ……」

「小鈴さんが、離れたところに行っちゃいました……!?」

「いや、違う。位置的に、ボクらが動かされたんだ」

「流石の私も、驚かざるを得ないなぁ、これは」

 

 帽子屋さんたちを挟んだ向こう側でも、みんなは吃驚の表情を浮かべている。

 これが、どんな力による超常現象なのかはわからないけど。

 目的は、なんとなくわかる。

 

「さて、雑な仕事だが、舞台は整ったな」

「うるせぇ。いちいち一言多いんだよ」

 

 それはきっと、わたしたちを分断させること。

 そしてきっと、わたしを、孤立させることだ。

 

「オレ様の目的は、鈴の御嬢さん(アリス)、貴様だ」

 

 タマゴさんの苦言は無視して、帽子屋さんはわたしを指さした。

 

「正直なところ、オレ様は決めかねている。貴様らとどう付き合うのか、どう向き合うべきか。排斥なくして進化と開拓はできないが、根絶は悪だ。大義名分があったとしても、軽々しく実行していいようなものではない。即ち、可能であれば別の手段を取るべきである……ある、のだがな」

「……?」

「わからんな。難しいな。しかし、イカれていようとも、狂っていようとも、決断せねばならない。それがオレ様の使命、ここに存在する意味であり理由、物語に割り当てられた配役と役目。それくらいは全うするさ」

 

 独り言のように語らう帽子屋さん。

 なにを言ってるのか、まったくわからない。今までよくわからないことを言う人はたくさんいたし、帽子屋さんもそうだったけど、今この時ばかりは、今まで以上だ。

 自分に言い聞かせるような物言い。再確認するような口振り。

 陽気で軽薄な彼はそこにはいなくて。

 どこか、真剣味を帯びている。

 

「……御託が過ぎたな。オレ様には我々の未来を選択し、決断する役目が与えられている。その使命に従うまで。それに付き合ってもらうぞ」

 

 帽子屋さんはわたしを見据えている。

 仮面で目元は見えないけれど、今までと違う目をしているということは、なんとなく、わかった。

 わたしになにかを求めている? わたしに、なにかを見ている?

 聖獣とやらの居場所を聞き出そうとしているだけの時とは違う。このわたしに、なにかの意味を見出しているかのような、そんな視線。

 

「さぁ、未来を決めよう。不思議の国に招かれたアリス。貴様らの命運は、貴様に委ねられた」

 

 そして、帽子屋さんは宣告する。

 奇妙奇天烈、摩訶不思議。

 数奇な命運に導かれた物語を、開くことを。

 

 

 

ようこそ、不思議の世界へ(Welcome to Wonderland)――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 よくわからないまま始まってしまった、帽子屋さんとの、二度目の対戦。

 以前の帽子屋さんは、たくさんの文明()を使っていた。すべての文明を、色とりどりに。

 だけど、今回はそうではなかった。むしろ、逆だ。

 

「オレ様のターン。1マナで呪文、《ジョジョジョ・ジョーカーズ》を唱える」

 

 帽子屋さんが使ったのは、白いカード。光文明ということではなく、カードが白いのだ。

 見たことのない、真っ白なカード。あれは、なに?

 

(なんなの、あの呪文……それに、あのマナ……色が、ない……?)

 

 様々な色を見せた前回と真逆。今回の帽子屋さんには、色がなかった。

 見たことのない文明。だけどそれは真っ白で、まっさらで、まるで文明が存在しないかのようだった。

 

「《ヤッタレマン》を手札に加えて、ターンエンドだな」

「っ……! わたしのターン! 《熱湯グレンニャー》を召喚! 一枚ドローして、ターン終了!」

「先ほど加えた《ヤッタレマン》を召喚だ。ターンエンド」

 

 

 

 

ターン2

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

帽子屋

場:《ヤッタレマン》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:1

山札:27

 

 

 

(不思議なクリーチャー……前回は、あんまりクリーチャーを出さなかったのに)

 

 学ランのような衣装に、鉢巻、腕章。太鼓にメガホン、旗。その姿はまるで、応援団のようだった。

 とてもコミカルなんだけど、不思議で、どことなく、不気味だ。

 

「わたしのターン。《風の1号 ハムカツマン》を召喚だよ! マナを増やしてターン終了!」

「オレ様のターン。《ヤッタレマン》の能力で、ジョーカーズの召喚コストは1少なくなる」

 

 ジョーカーズ? それが、あのクリーチャーたちのこと?

 種族……なのかな? それだけじゃないような感じがするけど……

 

「よって2マナで《パーリ騎士(ナイッ)》を召喚。墓地のカードをマナに置くぞ。そして増えたマナを使い、2マナ。《ツタンカーネン》を召喚だ。一枚ドロー」

 

 頭がミラーボールになった白スーツのクリーチャーに続き、お金を吐き出すツタンカーメンのようなクリーチャーが飛び出す。

 なんだろう、これは。

 脅威と感じられるほど怖いものではなく、面白い、楽しいと思わせるような風貌をしたクリーチャーたちだ。

 まるで、お話の中から抜け出したみたいな、そんな不思議さがある。

 

「おっと、いいカードを引いたな。G・ゼロ。オレ様の場に無色クリーチャーがいるため、コストを支払わずに《ゼロの裏技ニヤリー・ゲット》を唱える」

 

 無色? ゼロ?

 それも、あの真っ白なカードのこと?

 

「トップ三枚を捲り、無色カードをすべて手札に加えるぞ。さて、なにが捲れる?」

 

 使われた呪文は青い、水文明のカードだ。

 見たことのない文明に困惑するけど、あのカードはわたしもしってる文明だ。そこは安心できた。

 帽子屋さんはその呪文の効果で、山札をめくる。

 

「《バイナラドア》《バイナラドア》《バイナラドア》……成程、スリーカードか。最悪だ。ターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

小鈴

場:《グレンニャー》《ハムカツマン》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:0

山札:26

 

 

帽子屋

場:《ヤッタレマン》《パーリ騎士》《ツタンカーネン》

盾:5

マナ:4

手札:5

墓地:1

山札:22

 

 

 

 めくれたカードは、帽子屋さんとしては嬉しくなかったみたいだけど……それでも三枚も手札が増えてしまった。

 あんまり、ゆっくりもしてられないかもしれない。

 

「5マナで《超次元ボルシャック・ホール》! パワー2000の《ヤッタレマン》を破壊して、《勝利のリュウセイ・カイザー》をバトルゾーンに出すよ! ターン終了」

「マナチャージ。1マナで《ジョジョジョ・ジョーカーズ》……ふむ、来ないな。《ヤッタレマン》を手札に加え、そのまま召喚。ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:《グレンニャー》《ハムカツマン》《勝利のリュウセイ》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:1

山札:25

 

 

帽子屋

場:《ヤッタレマン》《パーリ騎士》《ツタンカーネン》

盾:5

マナ:5

手札:4

墓地:3

山札:20

 

 

 

「わたしのターン、ドロー!」

 

 ! 来てくれた。いいタイミングだよ。

 ここから、一気に攻めるよ。

 

「マナチャージ! 6マナで《グレンニャー》をNEO進化! 《魔法特区 クジルマギカ》!」

「ほぅ? ヤングオイスターズの力か……」

「《クジルマギカ》で攻撃! その時、墓地から《ボルシャック・ホール》を唱えるよ! 《ヤッタレマン》を破壊して、《勝利のガイアール・カイザー》をバトルゾーンへ! 《クジルマギカ》でWブレイクだよ!」

 

 《クジルマギカ》の砲門から、《ボルシャック・ホール》と砲撃が放たれる。

 《ボルシャック・ホール》は炎で《ヤッタレマン》を焼き尽くして、超次元の門を開く。開かれた穴から飛び出すのは、《勝利のガイアール・カイザー》。これでアタッカーが一体増えて、このターンでダイレクトアタックまで届く。

 クリーチャーを破壊して、援軍を呼んで、《クジルマギカ》は帽子屋さんのシールドを二枚、撃ち抜いた。

 

「……S・トリガーだ、《バイナラドア》。オレ様の場とマナにジョーカーズが三体以上いるので、《勝利のリュウセイ》を山札の下へ送る。その後、一枚ドローだ」

 

 あぅ、流石にそんなに上手くはいかないか……

 《勝利のリュウセイ》がいなくなっちゃったから、このターンでとどめは刺せない。なら、

 

「《勝利のガイアール》で《パーリ騎士》を攻撃! ターン終了するよ」

 

 あんまり手札も与えたくないし、ここはクリーチャーを減らしておく。

 帽子屋さんは動きが鈍いけど、なんだか怪しいし、クリーチャーを倒しておくに越したことはないよね。

 

「オレ様のターンだな。《ヤッタレマン》を召喚、コストを1下げて《ツタンカーネン》を召喚、一枚ドローして《パーリ騎士》を召喚、マナを増やして《ジョジョジョ・ジョーカーズ》を詠唱。《パーリ騎士》を手札に」

「せっかく倒したのに、すぐに戻ってきた……!」

「ふふ、しかし安心しろ。こんなものは児戯、下ごしらえのようなものだ。ターンエンド」

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《クジルマギカ》《ハムカツマン》《勝利のガイアール》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:0

山札:25

 

 

帽子屋

場:《ヤッタレマン》《パーリ騎士》《バイナラドア》《ツタンカーネン》×2

盾:3

マナ:7

手札:4

墓地:5

山札:16

 

 

 

 下ごしらえ……つまり、マナを増やしたり、ドローしたりするのは、準備ってことなのかな。

 まだ切り札らしきカードは見えない。なら、それが出て来る前に決めたいところ。

 それなら、

 

「わたしのターン! 《龍覇 グレンモルト》を召喚!」

「おっと……これはまずいな」

 

 わたしの切り札の一つ、《グレンモルト》。

 場にはまだ《クジルマギカ》に《ハムカツマン》、《勝利のガイアール》がいるし、たとえ龍解まで届かなくても、一気に攻められるはず。

 このターンで決めるよ!

 

「《銀河大剣 ガイハート》を装備! 《グレンモルト》でシールドブレイク!」

「これは前のターンに決めにかかるべきだったか? トリガーはない」

「《クジルマギカ》で攻撃! その時、手札から《超次元フェアリー・ホール》を唱えるよ! 《時空の喧嘩屋キル》《時空の踊り子マティーニ》をバトルゾーンへ! そしてWブレイク!」

 

 《勝利のガイアール》は既に場にいるから、追加でアタッカーを呼ぶことはできない。念のために、手札戻し対策に《キル》を、防御を固める《マティーニ》を出しておいて、帽子屋さんの残りのシールドを全部ブレイクする。

 攻撃できるクリーチャーはまだ他にもいるから、S・トリガーの一枚や二枚なら、止められないはず。

 そう、思ったけど。

 

「S・トリガー発動――《タイム・ストップン》」

 

 ベルが鳴り響く。鈴の音なんて優しいものじゃなくて、ジリリリリリ! という、喧しい、騒々しい、うるさい目覚まし時計の音だ。

 ブレイクされたシールドから出たS・トリガー。クリーチャーみたいな姿だけど、あれは、呪文……?

 

「《タイム・ストップン》の効果で、コスト6以下のクリーチャーを一体、山札の下に送る。対象は《グレンモルト》だ。龍解されるのは恐ろしいからな」

「龍解が止められた……でも! まだわたしには、《ハムカツマン》と《勝利のガイアール》が……」

「それもさせない。なぜなら、《タイム・ストップン》はスーパー・S・トリガー。自分のシールドがない時、つまり、最後のシールドとしてブレイクされた時、ボーナスが発動する」

 

 スーパー・S・トリガー。その効果は、わたしも知ってる。

 このカードにも、その効果があったんだ……!

 

「《タイム・ストップン》のボーナス発動、このターン、クリーチャーは攻撃できない」

「っ、そんな……!」

 

 攻撃できない。シンプルだけど、その効果は絶大で致命的だ。

 まだ攻撃できるクリーチャーが残ってるのに、帽子屋さんにはもう守るものがないのに、最後の一撃が通せない。

 あと一歩、なのに……!

 

「……ターン、終了だよ……」

 

 わたしは、なにもできずにターンを終えるしかなかった。

 帽子屋さんのターンが訪れる。

 

「さて、随分と長かったが、待った甲斐はあった……というより、もうこれに賭けるしかないな。待たせたな、と言うよりは、待たされたな、か」

 

 カードを弄びながら一人呟くように語る帽子屋さん。

 やがて手札のカードを一枚、切った。

 たった一枚のカードを。

 その一枚であればいいと言うように。

 それが最強札(ジョーカー)であり、切り札(ワイルドカード)であるかのように、

 

悪戯(ジョーク)のように、道化(ジョーカー)を演じる、支配者(ジョー)呪われしカードたち(カーズ)。名誉と思え。オレ様たちが紡ぐこの物語に、貴様の名を刻んでやろう」

 

 七つのマナを使って、カードを切る。

 

 

 

「Your name is――《ジョリー・ザ・ジョニー》!」

 

 

 

 銀色に輝く銃身の馬。それに騎乗するのは、赤い帽子のガンマン。

 西部劇にでも出てきそうなクリーチャーが現れた。だけど……

 

「このクリーチャー、前にも……!」

「そうだ。だが、あの時の落書きとは似ても似つかぬナイスガイさ」

 

 確かに、以前見た時は子供が描いたみたいな姿だったけど、今回のそれは、普通のクリーチャーに見える。

 銀の馬に赤い帽子、赤いジャケット、赤いスカーフ。両手に握る二挺拳銃。

 あの時と同じクリーチャー。だけれど違うクリーチャー。矛盾しているようだけど、矛盾はない。

 

「いい感じに盛り上がったな。では、そろそろこのお茶会もお開きにしよう」

 

 そう言って帽子屋さんは、命令を下す。

 不思議な理想が現実となった、銀馬の騎手に。

 

「《ジョリー・ザ・ジョニー》はスピードアタッカー、そして、マスター・W・ブレイカーの能力を持っている」

「ま、マスター……ブレイカー……?」

「登場ターンのみ、各シールドブレイクの前に、相手クリーチャーを破壊する……要するに、シールドブレイクの直前に、ブレイクする枚数だけ相手クリーチャーを破壊できる能力だ」

 

 シールドブレイク前に、ブレイク枚数分だけクリーチャーを破壊できる。《ジョリー・ザ・ジョニー》はマスター・W・ブレイカー。つまり、シールドブレイクと同時に、クリーチャーを二体も破壊できるんだ。

 強い。けど、わたしのクリーチャーは五体。Wブレイカーじゃ、いくら破壊しても全然足りない。

 相手も攻撃できるクリーチャーの数が多いけど、ブロッカーの《マティーニ》もいるし、そこまでの脅威ではない。

 まだ、この時は。

 

「ふっ、希望に満ちた少女の表情も悪くないが……すまないな。光しか見えぬ者は、愚鈍と言うのだ」

 

 そんなわたしを、帽子屋さんは嗤う。

 

「御託はここまでにしよう。《ジョリー・ザ・ジョニー》で攻撃――する時に」

 

 攻撃宣言の直後。

 帽子屋さんは、手札のカードを放った。

 銃弾を籠め、それを撃ち放つように。

 

「アタック・チャンス発動! 《破界秘伝ナッシング・ゼロ》!」

「ア、アタックチャンス……!?」

「条件を満たしたクリーチャーが攻撃する時、手札からタダで唱えられる呪文だ。《ナッシング・ゼロ》の条件は無色クリーチャーの攻撃時。ゆえに、ジョーカーズたる《ジョニー》はそのトリガーとなる」

 

 つまり、条件次第で手札からタダで唱えられる呪文なんだね。

 嫌な、予感がする。

 

「《ナッシング・ゼロ》の効果は、自身の山札の上三枚を公開し、その中の無色カードの数だけ、このターンのブレイク数を増加させる。さぁ、トップを公開だ! なにが捲れる?」

 

 カードゲームに興じるように、帽子屋さんは薄ら笑いを浮かべて山札をめくる。

 これはギャンブルだと言わんばかりの様子だけど、たぶん、これは全然ギャンブルなんかじゃなくて。

 確定された出来レース。わたしは、カモなんだ。

 

「《ヤッタレマン》! 《タイム・ストップン》! 《バレット・ザ・シルバー》! てんでバラバラなスリーカード、三枚ともジョーカー(無色)だ」

 

 捲られた三枚はすべて、真っ白な色のないカード。帽子屋さんの言う、無色カードだった。

 これで《ジョリー・ザ・ジョニー》のブレイク数は三枚増加する。

 

「これで《ジョリー・ザ・ジョニー》は五枚のシールドを撃ち抜く弾を装填したことになる。ただしその弾丸を放つ銃は、マスター・ブレイカーの性質を持つ。この意味がわかるか?」

「っ……! それって、五枚のマスター・ブレイク……!?」

「That,s right(その通り)だ、アリス。《ジョニー》のマスター・ブレイクは本来なら二枚、しかし《ナッシング・ゼロ》のブレイク数増加によって、その枚数は跳ね上がる。つまり」

 

 帽子屋さんは告げる。

 死の宣告を。

 

 

 

「貴様のクリーチャーを五体、撃ち殺す」

 

 

 カチャッ、と。

 銃口が、差し向けられる。

 

「……! そ、んな……!」

「ちなみに《ジョニー》は、場とマナゾーンにジョーカーズが五体以上存在すれば、ブロックされない。そら、シールドを五枚ブレイクだ!」

 

 撃鉄が起き上がり、引き金が引かれ、銃声が鳴り響く。

 回転式弾倉が回って、その中に溜め込んだ弾をすべて吐き出す。

 その攻撃は、回避不能、防御貫通の弾丸。

 《キル》は頭を潰された。

 《マティーニ》は胸を貫かれた。

 《ガイアール》は腹を穿たれた。

 《ハムカツマン》は胴体を吹き飛ばされた。

 《クジルマギカ》は背中を砕き散らされた。

 五発の弾丸がわたしのクリーチャーの急所を撃ち抜いて、すべて、破壊した。

 勿論、それだけじゃない。

 放たれた弾丸はすべて、クリーチャーの身体を貫通して、わたしまで届く。

 それはわたしの前に展開された五枚のシールドが守ってくれた。けれど、シールドはすべて、割れてしまう。

 木端微塵に、粉々に、粉砕される。

 弾丸を受け止めた盾はすべて砕け、わたしを守るものは、なくなった。

 後ろに控えるクリーチャーたちがわたしを狙っている。このままだと、ダイレクトアタックを受けてしまうけれど、

 

「S・トリガー! 《ドンドン吸い込むナウ》! 山札を五枚めくって《グレンモルト》を手札に! 《ヤッタレマン》を手札に戻すよ!」

 

 まだ、負けてない。

 クリーチャーは全部破壊された。シールドは全部ブレイクされた。

 だけど、ブレイクされたシールドから、S・トリガーが出て来る。

 シールドがないのは帽子屋さんも同じ。このトリガーでなんとしてでも凌げれば、まだ勝ちの目はある。

 

「もう一枚S・トリガー、《天守閣 龍帝武陣》! マナ武装を達成してるから、《パーリ騎士》と《バイナラドア》を破壊するよ!」

「凄まじいが、どうした? まだクリーチャーは三体も残ってるぞ?」

「まだまだ! 三枚目! 《目的不明の作戦》! 墓地の《龍帝武陣》をもう一度唱えるよ! 《ツタンカーネン》二体を破壊!」

 

 三枚も来てくれたトリガーのお陰で、横に並んだ五体のアタッカーはすべて、排除できた。

 これで、ダイレクトアタックは飛んでこないね。

 

「な、なんとか凌げ――」

 

 

 

 カチャッ

 

 

 

「――え?」

「悪いな、お嬢さん」

 

 ……なんで?

 意味がわからなかった。

 なんで、わたしに銃口が向けられているの?

 攻撃可能な残りのクリーチャーはすべて、除去したのに。

 

「言っただろう? まだ“三体も残っている”と。そこから二体破壊しても、足りないのだよ」

 

 帽子屋さんの場に残っているクリーチャーは、一体だけ。

 攻撃が終わった《ジョリー・ザ・ジョニー》。たったそれだけで、攻撃も終わってるのに。なんで……

 

「狂瀾怒濤の勢いでトリガーを乱射、素晴らしい。その必死な防衛には敬意を表してもいい。だが、あと一手、足りなかったな」

 

 目の前には、銃を構えた帽子屋さん。

 結末は、眼に見えていた。冷たい感覚が纏わりついている。

 今まで何度も読んだことがある、人が死ぬ物語。

 その言葉、その表現、その描写。それらを現実のものとして現した場合、こんな感じなんだろうな、と思えるような奇妙で恐ろしい感覚。

 終わりの空気が、わたしを縛り、絡め取る。

 

「元より、オレ様はこの一撃――もとい乱撃乱射にすべてを賭けていた。ダイレクトアタックを決めるつもりは、それほどなかったのでな」

「ダイレクトアタックを、決めるつもりがない……? ど、どういうこと……?」

「《ジョリー・ザ・ジョニー》の能力だ。《ジョニー》の攻撃後、場とマナにジョーカーズが五体以上存在しており、かつ相手のシールドとクリーチャーが存在しない時、エクストラウィンが発生する」

「それって……ことは……」

「《ジョニー》を退かさなければ、貴様に勝ち目はなかったということだ。もっとも、そのトリガーでは《ジョニー》を退かしたところで、横のクリーチャーがとどめを刺すだけだが」

 

 そのような終わり方は不本意だがな、と言って帽子屋さんは笑う。

 笑っている。この終わり方は不本意なものではなく、自分の望んだ結末であることに。

 

「あまり事を荒立てたくはなかったのだがな。しかし、このままではあまりにも展望が見えない。故に貴様との縁は切り捨てよう」

「な、にを……」

「“面倒になった”というのが本音。建前としては、貴様との接続が切れた聖獣が、貴様の死骸を貪りに来るかもしれないという打算だな。もう我々は、貴様の命に、存在に、固執しない」

 

 事もなげに言い放つ帽子屋さん。

 それは、不思議で奇妙で狂ったイカレ帽子屋(マッドハッター)

 彼は、弾倉を回し、銀色に光る拳銃(リボルバー)を持ち、撃鉄を降ろして、引き金に指をかける。

 

「その幼くも麗しい姿に免じて、顔を撃つのはやめよう。女性は可憐で、華麗で、純潔であるべきだ。実体がどうであろうと、内面が如何なものであろうと、その殻の美しさを欠いてはならない。故に狙うなら、こちらだな」

 

 と言って帽子屋さんは、銃口をわたしの胸に押し付ける。

 身体の中央、やや左より。

 心の臓の位置するところ。

 

さようなら、そしてありがとう(Good bye and thank you)鈴のお嬢さん(Magical Bell)。こうしてオレ様のお茶会に付き合い、話を聞いてくれて感謝する。しかして貴様はアリスにはなれなかった。はたまた、この物語に[[rb:貴様 >アリス]]の命は不要だった。ただそれだけだ。嘆くことはない。貴様の生は恥じるべきものではなかったはずだ。これはそういう運命にあったのか、巡り合わせが悪かっただけさ。そう、奇妙奇天烈、摩訶不思議。こんなイカれた物語に触れてしまった不幸だ」

 

 饒舌に、流暢に、陽気に語りかける帽子屋さん。

 なにを擁護しているのか、なにを慰めているのか、なにを諭しているのか、さっぱりわからない。

 だけど、なんとなく、この先に待ってる展開は読めました。

 たぶん――

 

「最後に言葉を交わすのが、こんなイカれた帽子屋ですまないな。せめて、安らかに終わらせてやろう。平凡なるアリスよ。最後の運命を、この一発に委ねてな――」

 

 これですべてが――

 

 

 

「――Extra win(死ね)

 

 

 

 ――おしまいです。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――――

 …………

 ……?

 ――あれ?

 なんだろう、なんでだろう。

 身体に、まだ感覚がある。だけど、ちょっとだけふわっとした浮遊感。

 実は幽霊って、肉体感覚があるものなのかな。だけど足がなくて浮いてるから、ふわふわして……

 ……ふわふわ?

 柔らかい。そして、温かい。

 ……温かい?

 浮遊感が消えた。

 地に足をつけている感覚はないけど、自分がここに存在する感覚は持っている。

 真っ暗な世界に光が灯る。目が開いた。そういう感覚がある。

 指も、腕も、足も、鼻も、口も、動く。

 わたしの身体は動いている。

 生きて、いる……?

 

「いやー、間一髪。助かったねー」

 

 声がする。耳の奥で鼓膜が震えて、その音が言葉として、意味を与える。

 誰の声だろう。恋ちゃんや、ユーちゃんや、霜ちゃんや、みのりちゃんじゃない。

 甘くて明るくて軽い声だ。

 すぐそこから聞こえてくる声。柔らかくて、温かい。とても、安心できる。

 

「……誰だ? 貴様」

「私の名前を聞いた? そういうの待ってたよ」

 

 コホン、と咳払いしてから、名乗りを上げる。

 名乗る前に、口上があったけど。

 

「魔性の夜天に星が瞬く時、自由の獣が街に集う。無貌の黒猫は姿を隠し、月光の賛美に嘲笑う。道化を演じる色無き玩具は汽笛を鳴らし、己が存在証明を主張する」

 

 静かに、詠うよう、に言葉を、声が響く。

 とても綺麗で、澄んでいて、清らかで、その美しさに見惚れ、聞き惚れてしまいそうだった。

 ……なのに。

 急に、声を張り上げる。

 すべてを打ち壊すかのように。

 

「されど……この私はここにあり! 集会なんてクソ食らえ! 顔は隠せど身は隠さず! 色彩豊かに色を足せ! 自由気ままに豪放磊落! それこそが私! そう、私の名は――」

 

 まるで俳句がロックンロールに変わったかのような変貌を遂げた。

 あぁ、そうだ。

 この状況も、この世界も、この空気も、この人物も――

 

 

 

「――正義の味方、チェシャ猫レディ! ここに推参!」

 

 

 

 ――意味が、わかりません……なにもかも。




 何度も言っていることではありますが、今回も酷いくらい旧型のジョーカーズが出て来てしまいました。とはいえ、ジャンゴ・ニャーンズのお陰で無色ジョニーが珍しく強化されそうなのは、嬉しいですね。
 今後は、溜めに溜めて一射必滅の銃撃よりも、Jチェンジでタイミングを計って奇襲を仕掛けるようなジョニーが見られたりするのでしょうか。
 今回は前後編の前編、次回が後編です。チェシャ猫レディ、その正体は如何に……とでも言っておきましょう。
 それでは、ご意見ご感想、誤字脱字の報告等々、なにかりましたら遠慮なく気軽に送ってください。


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18話「正義の味方だよ ~後編~」

 18話の後編です。
 今回は、大筋の流れはピクシブと同じなのですが、対戦パートだけごっそり書き換えています。なので、デュエマ内容だけは、ピクシブ掲載時とは完全に別物です。なのでどうぞ、お楽しみください。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 今はとってもよくわからないことになっています。なにがどうなっているのか、その意味不明さ、理解不能さ、荒唐無稽さを簡単に表現するなら、これです。

 

 

 

「チェシャ猫レディ! ここに推参!」

 

 

 

 ……はい。

 とりあえず、状況を整理しましょう。アニメや小説などの物語で言うところの、前回までのあらすじ、というやつです。

 わけがわからなくて混乱してるけど、このナンセンスすぎる状況で、逆に頭が冷えてきました。いえ、やっぱり混乱してるかもですけど。

 『Wonder Land』で大会があるという話をみんなとして、各々今までとは違うデッキを組むことになりました。

 でもそれは本題ではなくて、その帰り道、また彼と、『帽子屋』を名乗る男の人と出会ってしまったのです。一緒に『ハンプティ・ダンプティ』と名乗るタマゴみたいな男の人もいましたが、見た目のインパクトが凄いわりに、あまりなにもしないしなにも言わないので、とりあえず無視します。

 帽子屋さんは、相変わらずなにを言っているのか、よくわかりません。なっちゃんのことや、自分たちのことを色々と話してくれたようですが、わたしに理解できたのはほんのちょっとだけ。

 そして意味不明な言葉を並べたてられた後、お約束のように、デュエマで戦いました。

 今度こそ勝つぞ、って多少なりとも意気込んでいたんだけけれど、わたしは、帽子屋さんに負けました。また、負けちゃいました。

 銃を突き付けられ、心臓を撃たれました――撃たれたと、思いました。

 でも気づいたら、この女の人に――チェシャ猫レディさんに、抱きかかえられていました。

 助けてくれた、んだと思います。なんでかは、わからないけれど。

 それにしても、チェシャ猫レディって……いや、名前については触れないでおこう。

 どうあってもわたしを助けてくれたわけだし、悪い人ではない、と思います。

 でも、あまりに突然の出来事で、やっぱり混乱しているんだと思います。わたしはどんな顔で、なんと言えばいいのか、どうすればいいのかも、わかりません

 けれど帽子屋さんは、ジッとチェシャ猫レディさん……長いです。猫のお姉さんを見つめています。

 その視線はあまり友好的なものではなく、むしろ、懐疑的なもののように感じました。

 

「正直、驚いた。こうも隠密に、それでいて堂々と、オレ様に近づき邪魔できる輩がいるとはな。しかも、チェシャ猫だと……?」

「ノンノン、チェシャ猫レディ。この世のいい子と可愛い子を守る、正義の味方だよ」

 

 チッチッチ、とおどけるように訂正する猫さん。

 なんでもいいけど、片手、離さないでほしいです。ここ塀の上っぽいし、落ちそう。怖い。

 

「そーんなことよりもさぁ。帽子屋さん、女の子を撃つのはどうかしてるよ?」

「オレ様の名前まで知ってるのか。なら、オレ様がイカれていることも知ってるだろう?」

「物騒すぎるね。イカレ帽子屋(マッドハッター)であることと、暴力性を容認することは、別じゃない?」

「貴様なんぞにオレ様の在り方を指図されたくはないな……それに、別に本気で殺すつもりはなかったさ。少々嚇かしただけ、今のは空砲だ」

 

 あ、確かに。

 よく見たら、薬莢が落ちてない。

 つまり、帽子屋さんの弾倉には弾が入ってなかった。

 最初に弾を籠め直しているように見えたのは、本当はただ弾を抜いていただけ?

 けれど、猫さんは違う見解を示した。

 

「ふーん? ロシアンルーレットって殺すつもりなくやるものなんだぁ?」

「……目聡いな」

 

 帽子屋さんが回転式の弾倉を開く。

 すると、カランカラン、と弾倉から弾が落ちた。その数は四発。

 弾は、しっかりと入っていた。でも、さっきの一発が空砲であったことは間違いない。

 ロシアンルーレット。猫さんはそう言った。

 わたしも、知識としてなら知っている。度胸試しや賭博で用いられる“ゲーム”だ。

 本来なら、リボルバー式拳銃の弾倉に一発だけ弾を籠めて、自分の頭に銃口を突きつけて引き金を引く。それをその場にいる全員で順番にやっていって、実弾が放たれれば当然負け、というものだけれど……

 最近だと、バラエティ番組とかで、シュークリームやおにぎりの中に、からしとかわさびとか、ハズレ具材を入れてその反応を楽しむっていうことをよくやってる。わたしは、ああいう食べ物をわざと嫌なものにして見世物にするのは、あんまり好きじゃないんだけど。

 それはさておき、帽子屋さんは撃つ前に、弾倉(シリンダー)を回していた。ルーレットのように。

 あの時点で、放たれる弾はランダムだったんだ。

 あの銃が装填できる弾は五発。その五発のうち、実弾は四発で、空砲が一発。

 弾が放たれる可能性は、五発に四発、八割、80%だ。

 

「……っ!」

 

 たった20%の確率で、わたしは生きている。

 単なる幸運。ほとんどわたしは、あの時点で死が確定していた。

 80%の確率で、わたしは、死んでいたんだ。

 それがわかった瞬間、背中が、全身が、ゾクリとうすら寒くなるのを感じた。

 悪寒。嫌なものが、全身を這いずりまわる。

 これは、たぶん、恐怖。

 80%で死んでいた、ほとんど死んでいた。それを自覚すると、途端に、全身に嫌なものが駆け巡る。

 不快感じゃない。もっと、根本的に、なにかを掻き立てるような、心臓の鼓動が嫌に高くなって、足を竦ませるような、なにかが――

 

「うん、怖いよね。」

 

 ぽんっ、と猫さんの手が、頭を撫でる。

 まるで猫を撫でまわすような、優しい手つき。

 ……少しだけ、心臓の動悸が収まった気がする。

 

「恐怖を感じるの悪いことじゃない。恥じるべきことじゃないよ。それは生物として当然の感覚であり、安全装置(セーフティ)だ。その感覚は大事。勇気と勇敢さは主人公(ヒーロー)にとって大事な資質だけど、蛮勇と無謀に変わってしまったら、それはもう、誰もが憧れるヒーローではなくなってしまう。それは、畏怖され、軽蔑され、非難される英雄像だよ。そのことを忘れずにね」

「……は、はい……」

「うん。君はとても小市民らしくてグッドだね、小鈴ちゃん」

「え? なんでわたしの名前……」

「おっと、口が滑ったね。今のは忘れて。代わりにベルちゃんって呼ぶから」

「いやでも、確かにわたしの名前を……そ、それに、ベル?」

「その素敵な鈴の髪飾りを称えてね。うん、あの子が気に入ってるだけあって、可愛いね。今は違うけど、魔法少女……マジカル・ベルってところかな」

「え? えぇ……?」

 

 魔法少女って、まさかこの人、わたしがクリーチャーと戦ってることも知ってるの?

 一体、何者なの……?

 

「おい」

 

 少しドスの利いた声。

 見れば帽子屋さんが、こっちを睨んでいた。

 

「女同士でいちゃつくな。こっちはイカレた頭を必死で回して考えてるんだ。少しはオレ様に話をさせろ」

「おっと、忘れてたよ。ま、話したいならご自由にって感じだけど?」

「では問うぞ。貴様は何者だ?」

 

 帽子屋さんは、今までに見せたことのない疑惑的で、険しい声で問うた。

 それに対して猫のお姉さんは対照的に、さっきまでの帽子屋さんのように、どこか不思議で軽薄な調子で答える。

 

「さっきも言ったじゃん。正義の味方、チェシャ猫レディって」

「それだ。貴様、なぜ“チェシャ猫”を名乗っている?」

「あー、まあ、そこだよねぇ」

「答えろ。それさえ答えれば、このお茶会はお開きにしても構わん」

「そう。でもお生憎様、私はチェシャ猫レディであって、チェシャ猫じゃないんだなぁ」

「……答える気はない、か」

 

 なんだか、話が微妙に噛み合っていない気がするけど。

 猫さんは猫さんで、まともに取り合う気もなさそう。帽子屋さんからピリピリした空気を感じる。

 いつも余裕を持って超然としている帽子屋さんだけど、猫さんを相手にしている時だけは、それが乱れている、ような気がする。

 

「ふぅ……予定にないことをするのは、疲れるものだな。しかし臨機応変な対応もオレ様の役目。カードゲームは一日一回のつもりだったが、イレギュラーが発生した場合は、その限りではないとしておこう」

「お? やる気かな? それは重畳ってやつだ。私もそういうのを望んでたり?」

 

 交戦姿勢を見せる帽子屋さんに、真っ向からそれに受けて立とうとする猫さん。

 ピリピリとした、剣呑な空気が流れる中、

 

「おい待て、帽子屋」

 

 タマゴさんが、帽子屋さんを制するように、彼の前に立ち塞がるように、進み出た。

 

「邪魔するなハンプティ・ダンプティ。これは確認せねばならぬ重要事項だ」

「お前にしては珍しく熱くなってるとこに水を差すのは、私としても不本意なんだがな。だがお前さんよ、時間をよく見な」

 

 時間……?

 思わずわたしも確認してしまう。今の時間は、午後6時45分くらい。もうすぐ7時だ。

 結構、遅くなっちゃったな……

 でも時間がなんだっていうんだろう。

 

「私はともかく、お前さんの時間は、もうあんま残されてねぇぞ。今日は撤退するっきゃねぇんじゃねぇのか?」

「……チッ、Fuck、だな」

 

 帽子屋さんはまた憎々しげに舌打ちする。

 すごく、不機嫌になってるように見えるよ。

 タマゴさんに窘められて、帽子屋さんは仕方ないと言わんばかりに肩を竦める。すると、わたしたちから背を向けて、なにも言わずに立ち去ろうとするけれど、

 

「おっとっと、私もあなたたちに聞きたいことあるんだよねー。ちょーっと逃げるのは待ってくれる?」

 

 猫さんは、ストンッ、と塀から飛び降りた。一緒にわたしも降ろされる。

 口元は笑っているけれども、目は獲物を逃がさないと言わんばかりの眼光。

 まるで、鼠を追いつめる猫のような目つきだった。

 

「……帽子屋。ここは私が請け負ってやる。だから早く帰れ」

「貴様が? 任せてもいいのか?」

「あぁ、心配するな。私も時間までには帰るさ」

「いや、そもそも貴様は雑魚だから、時間を稼ぐなんて芸当ができるかどうか、不安なんだが」

「信用なさすぎだなぁ、おい! 否定はできねぇけどよ!」

 

 なんか、絶妙に緊張感がない……

 でもそれは、猫さんがいてくれるから、なのかな。

 なんだかよくわからないけれど、この人がいると安心できる。それは、わたしを助けてくれたからなのか、それとも別の理由なのか。

 わからないけれど、この人がいれば、なんとかしてくれる気がする。

 

「私の実力が信用に足りないのは認めるっきゃねぇが、そこは信じてくれや。お前さんがいなくなると、私たち全員が崩れ落ちる。私一人がいなくなる方がまだマシってもんだ」

「……まあいい。貴様とて我らが同胞の一人。そして現状取れる最善手は、それしかなさそうだ。この場は任せた、ハンプティ・ダンプティ」

「話の決着はついた? お話はどっちから聞いてもいいけど、やっぱり帽子屋さんを問い詰めたいかなぁ、って」

「悪いがお嬢ちゃん、あいつはイカれた野郎だが、私らにとって必要存在なんでな。今日は時間が足りねぇ。話なら後にしてくんな」

「そうもいかないよ。あなたみたいな人、次いつ会えるかわからないもの」

 

 一歩、また一歩とにじり寄る猫のお姉さん。

 帽子屋さんは、そんな彼女に背を向け、背中越しに言った。

 

「案ずるな、チェシャ猫を名乗る正義の味方とやら。突発的だが、貴様とオレ様の縁は、浅くも今宵、結ばれた。そしてオレ様も、貴様に問い質すべき事がある。ただ今は、少しばかり時間が差し迫っているというだけだ。故に貴様はオレ様と、そしてオレ様は貴様と、またいつか合い見える日が来るだろう」

 

 一方的な約束するように言う帽子屋さん。

 そのまま逃げ去ろうとするんだろうけど、でも、帽子屋さんの歩の先には、みんながいる。

 みんなはこの珍事にどうするべきか、迷っているようだった。帽子屋さんを止めるべきなのか、無視するべきなのか。

 だけど、その考えは結果的には無意味だった。

 

「ハンプティ・ダンプティ。3km程度で頼む」

「時間で指定しろよ。しかも、サラッと長めに距離を取りやがったな。まあいいけどよ――逆相『誰もハンプティ・ダンプティを元に戻せなかった』」

 

 タマゴさんが呪文のように唱えた、刹那。

 帽子屋さんが、消えた。

 さっき、みんながわたしの周りから消えて、移動したのと同じだ。

 違う点があるとすれば、帽子屋さんは完全に、わたしたちの視界から、周囲から存在を消したということ。

 猫のお姉さんは、嘆息した。

 

「あーあー、帽子屋さん逃げちゃった。案外チキンだね」

「あぁそうだ、あいつは意外と臆病なんだぜ?」

「でも、逃げしたのはあなただよね、卵男さん。あなたは逃げないの?」

「孤立無援、四面楚歌だからな。逃げたいのは山々だが……まあ、色々あんだよ」

 

 タマゴさんは、苦々しい表情で言った。

 

「ふぅん。まあでも、さっきのがそうだよねぇ……瞬間移動か、テレポート? 逆相とかよくわからないんだけど。使うのに溜めがいるとか?」

「一度に何度も聞くなよ。順番に聞かれたって、答える気はないけどな。だがその口振り、お前さん、私たちの内部まで知ってるのか?」

「さーてね。教えてくれないんじゃ、私だって教えないよーだ」

 

 猫のお姉さんと、タマゴさん。二人でなにか話をしているけど、その会話の内容は、わたしにはまるで理解できなかった。

 一体、なにについて話しているのか。

 

「そんなことより、私は卵男さんがどういう立ち位置のキャラクターなのかよくわかってないんだけど、帽子屋さんと仲良さそうだったね?」

「別に帽子屋とばかり仲がいいわけじゃねぇさ。私たちは仲間だ。仲間同士で助け合うのは当然だろう?」

「ふーん、まあ綺麗なお言葉だね。でも、口汚くてもいいから、正直に話してほしいかな、私は」

「こいつに関しては、嘘は吐いてねえさ。まあ、どうしても聞き出してえことがあるってんなら、その手で探してみせろ」

 

 タマゴさんがそう言葉を発した瞬間。 

 空気が、変わった。

 これは、この感覚は。

 

「私と、やり合おうって?」

「悪いが私は弱いから、勝算はねえ。けど、どうせお前さんは未知の存在だ。はなっから計算できるもんでもねえし、それなら都合のいいことを押し付けてやろうってだけさ」

「……ま、帽子屋さんには逃げられちゃったけど、あなたもそれなりに詳しそうだし、いいよ。お話は、あなたから聞かせてもらう」

 

 戦う意味は見出された。二人とも、条件を飲み込んだ。

 となればもう、後は告げるだけだ。

 二人の、戦いの、合図を。

 

 

 

「さぁ、答えを探しな、不思議の世界でな――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 始まってしまいました。

 猫さんと、タマゴさんの、デュエマ。

 というか、タマゴさんはともかく、猫のお姉さんもデュエマするんだ……普通に、平然と、当然のように、デュエマを始めてるってことは、やっぱりこの人は、わたしたちの秘密となにか関わりがあるのかな……?

 

「私のターン! 1マナで呪文! 《ジョジョジョ・ジョーカーズ》!」

 

 それはともかく、二人の対戦です。

 猫のお姉さんは、帽子屋さんが使っていたものと同じ、色のないカード、ジョーカーズを使っていました。

 

「山札を四枚見て、その中のジョーカーズ・クリーチャーを手札に加えるよ! 加えるのは《ヤッタレマン》! これでターンエンド!」

 

 

 

ターン1

 

ハンプティ・ダンプティ

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:30

 

 

チェシャ猫レディ

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:5

墓地:1

山札:28

 

 

 

「ジョーカーズか……なら、微妙だがこいつは置いとくか。《ヤドック》をチャージ、2マナで《時空の庭園》を唱える。1マナ加速し、ターンエンド」

 

 タマゴさんは、おなじみの2ターン目のマナ加速だけど、そのカードがちょっと不思議だ。

 《時空の庭園》、見たことないカードだ。普通、2ターン目のマナ加速といったら、《フェアリー・ライフ》とか、《霞み妖精ジャスミン》であることが多いけど、あの呪文は一体……?

 やってることは、《ジャスミン》や《フェアリー・ライフ》と同じみたいだけど……

 

「不思議なカードを使うねぇ。まあいいや。私のターン。2マナで当然《ヤッタレマン》、召喚。ターンエンドだよ」

 

 

 

ターン2

 

ハンプティ・ダンプティ

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:1

山札:28

 

 

チェシャ猫レディ

場:《ヤッタレマン》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:1

山札:27

 

 

 

「私のターン。4マナで《霊騎ラグマール》を召喚。こいつの能力で、互いのプレイヤーは自身のクリーチャーを一体選び、マナに送らなければならない。私は《ラグマール》だ」

「私は《ヤッタレマン》だね」

「そいつはジョーカーズのイカれた展開力の要だからな。先に潰させてもらったぞ。ターンエンド」

 

 得意げに言う卵さん。

 あのジョーカーズは、帽子屋さんも使っていたカード。

 そしてタマゴさんは、帽子屋さんの仲間だ。

 つまり、タマゴさんはジョーカーズの戦い方を熟知している? だから、それに合わせた戦術を取れるってこと?

 でも実際、猫のお姉さんは少し困ったような表情を見せている。

 

「うーん、地味に嫌なことされたなぁ……まあ、しょうがないか。私のターン。3マナで《パーリ騎士》を召喚。墓地のカードをマナに置くね」

「《ツタンカーネン》も一緒に出したかったって顔してるな」

「さて、どうかな。ターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

ハンプティ・ダンプティ

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:1

山札:27

 

 

チェシャ猫レディ

場:《パーリ騎士》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:0

山札:26

 

 

 

 

「私のターン。《剛撃古龍 テラネスク》を召喚。能力で山札から三枚を捲るぞ」

 

 タマゴさんは、山札から三枚を表向きにする。

 こうしてめくられたのは《「祝」の頂 ウェディング》《あたりポンの助》《「終」の極 イギー・スペシャルズ》。

 な、なんかキラキラしてて、強そうなカードばっかりだ……

 

「捲った三枚すべてをマナゾーンに置く」

「回収はしないんだ……《ポンの助》くらいは持つと思ったのに」

「この際だから正直に言うが、実はお前さんのジョーカーズが、なにをフィニッシャーにした型なのか読めんのでな。ジョーカーズ相手に後手に回ってたら瞬殺だ、気づいた時にゃもう遅いってな。それじゃあ持ってても仕方ねぇし、自分の動きを優先した方がいいだろうと判断したまでよ」

「ふーん。まあ、英断じゃない?」

 

 やっぱり、タマゴさんはジョーカーズについて知っている。だから、それに合わせた動きをしているんだ。

 もっとも、そんなタマゴさんでも猫のお姉さんがどう仕掛けてくるのかまでは読めていないみたいだけど……そんなに種類が幅広いのかな、ジョーカーズって。

 

「さて、これで私のターンは終わりだ。お前さんのターンだぜ」

「それじゃあ私のターン、ドロー」

 

 カードを引いてから、猫のお姉さんは、ジッと場を見渡して、思案する素振りを見せた。

 

「相手のマナは9マナ、手札は一枚、場には《テラネスク》……ターボゼニスっぽいけど、なんか妙だよねぇ」

 

 タマゴさんは一気にマナを増やした。次のターンには10マナだ。

 そこから出て来るのは、きっと彼の切り札。それがなんなのか、考えているようだ。

 

「10マナのゼニスってなにがいたっけ? 《ローゼス》と、《ライオネル》と……んー……」

 

 そんな風にしばらく考え込んで、そして、

 

「……ま、《ライオネル》とかが来なければ大丈夫かな。このデッキは《VAN》も効かないしね。というわけでまずはこれ、1マナ、《ジョジョジョ・ジョーカーズ》!」

 

 どういう結論を出したのかわからないけれど、お姉さんは手札を切る。

 仲間を呼ぶ《ジョジョジョ・ジョーカーズ》で、山札をめくっていく。

 

「んー、来ないなぁ。じゃあこれだ、《パーリ騎士》を手札に加えるよ。そんでもって《パーリ騎士》を召喚。墓地のカードをマナに置いて、3マナで《ツタンカーネン》。一枚ドローするよ」

 

 クリーチャーを増やし、マナを増やし、手札も増やす。

 ここまでの動きはほとんど帽子屋さんと同じ。やってることも、見えるカードも、全部。

 

「ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

ハンプティ・ダンプティ

場:《テラネスク》

盾:5

マナ:9

手札:1

墓地:1

山札:23

 

 

チェシャ猫レディ

場:《パーリ騎士》×2《ツタンカーネン》

盾:5

マナ:7

手札:2

墓地:0

山札:23

 

 

 

「私のターン、ドローだ……ところでお嬢さん、あんた今、何マナだい?」

「? 私のマナ? えっと、ひぃ、ふぅ、みぃ……7マナだね」

「そうかい、そりゃいい。なら私は、8マナをタップする」

「? マナチャージもせず、8マナ? ゼニスじゃない?」

 

 タマゴさんは、猫のお姉さんのマナの数を確認した後、マナを八枚タップした。

 見るからになにかを仕掛ける雰囲気だけど、なにをするつもりなの……?

 

「割れちまった卵は、絶対に元には戻せねぇ。王族共が何人集まろうと、誰もハンプティ・ダンプティを元には戻せない」

 

 タマゴさんは唱えるように言う。そしてその一節は、彼が何度も口にしたフレーズだった。

 

「塀の上のずんぐりむっくり野郎は望んだ。覆水盆に返らぬモンを、元に戻したいと。復元したいと。故に私は、不可逆を可逆に逆転させる。因果律に逆走し――逆相でもってな」

「! まさか、8マナって……!」

 

 猫のお姉さんはなにかに気付いたようだった。

 だけど、今の彼女に、タマゴさんを止めることはできなかった。

 

「つーわけで、割れちまった卵を元に戻すため、元に戻らねぇモンを復元するため、逆相の因果を歪めるぜ。さぁ、来い!」

 

 八つのマナ、そして猫のお姉さんの七つのマナまでもを吸収し、合計15のマナを寄せ集めて、それは現れる。

 虚空に浮かぶ逆相の三角錐。それが巨大化し、膨張し、逆転し――繋がる。

 

 

 

割れた卵(ハンプティ・ダンプティ)を復元し、元に戻せ――《「逆相」の頂 オガヤード・スンラート》!」

 

 

 

 それは、物凄く大きい。とにかく巨大なクリーチャーだった。

 逆転した三角錐を重ね合わせたような、どこかずんぐりむっくりした巨体。

 それが今、バトルゾーンに現れた。

 

「そういえば、そんなゼニスもいたね……10マナも払わなくても、出せるゼニスが」

 

 ゼニスって、あのクリーチャーのこと? 種族、なのかな?

 猫のお姉さんの口振りからして、ゼニスっていうのは10マナ以上のクリーチャーみたいだけど……でも、あの巨大なクリーチャーは15マナもある。

 15マナのクリーチャーなんて見たことがない。そもそも、そんなにコストが大きいのに、たった8マナで出しているのはおかしい。

 そう思ったけど、当然、そこにはカラクリがあった。

 

「知っているみたいだから言うまでもないとは思うが、《オガヤード・スンラート》は相手のマナの数だけ、召喚コストが軽減される」

 

 え? ってことは、猫のお姉さんのマナが7マナだから、15から7を引いて、8マナで出せるってこと?

 だから、猫のお姉さんのマナを確認してたんだ。

 

「そしてこいつが召喚に成功した時、マナか墓地から無色カードを二枚まで回収できる。これでターンエンドだ」

 

 タマゴさんは、すごく大きなクリーチャーを召喚したものの、それだけでターンを終えてしまった。

 やったことはマナゾーンのカードを手札に戻しただけ? 自分でコストを下げられると言っても、8マナでそれだけって、なんだか地味だね……

 

「これだけで済んだと思いたいけど、嫌な予感しかしない……私のターン、ドロー」

 

 険しい表情で、ずんぐりした巨躯を見上げるお姉さん。

 その後、手札をに目を落とす。

 

「フィニッシャーも、除去カードもない……なら、これに賭けるしかないね! 5マナで《ビックラ・ボックス》召喚!」

 

 猫のお姉さんは遂に、帽子屋さんも見せなかったカードを見せる。

 それは、おもちゃ箱……いや、ビックリ箱みたいなクリーチャーだ。

 

「《ビックラ・ボックス》の能力発動! 登場時、山札の上から一枚目を捲って、それがコスト6以下のジョーカーズなら、そのまま場に出す!」

「なんだか珍しいカード積んでんなぁ。どういう型だ?」

「それは捲ってからのお楽しみ! トップ公開! さぁ、来て!」

 

 そう言って勢いよく山札を捲り返すお姉さん。

 そうしてめくられたのは、

 

「くっ、《ヤッタレマン》……!」

「ハズレか。まだお前さんの手の内は謎ってことかね」

「残念なことにね。ターンエンド」

 

 猫のお姉さんの博打は外れちゃったみたい。

 そして、タマゴさんの場に、巨大なクリーチャーが鎮座したまま、タマゴさんにターンが返ってくる。

 

 

 

ターン5

 

ハンプティ・ダンプティ

場:《テラネスク》《オガヤード》

盾:5

マナ:7

手札:3

墓地:1

山札:22

 

 

チェシャ猫レディ

場:《パーリ騎士》×2《ツタンカーネン》《ビックラ》《ヤッタレマン》

盾:5

マナ:8

手札:1

墓地:0

山札:21

 

 

 

「お前さんは、《オガヤード》が私のデッキの肝だと踏んで、どうにかしたかったみてえだな」

「……それが?」

「いい勘してるぜ。その通りだ」

 

 ニヤリ、とタマゴさんは笑った。

 

「見せてやるよ。私は【不思議の国の住人】の中じゃ弱ちっろいが、それでも、なんの力もないわけじゃねぇ。逆相に逆転を重ね、因果に運命を掛け合わせ、復元さえもひっくり返してやるよ」

 

 そう宣言して、タマゴさんはマナを倒した。

 その枚数は、五枚。

 

「5マナで《最終兵ッキー》を召喚!」

「へ、《兵ッキー》!?」

 

 そのカードを見て、猫のお姉さんは驚いている。

 白いデッキケースみたいなクリーチャーだ。だけど、なんだか武器を持って武装している。

 このクリーチャーはジョーカーズみたいだけど……タマゴさんは、なにをするんだろう。

 

「《最終兵ッキー》の能力発動! バトルゾーンのクリーチャー一体を山札の下に戻し、そのクリーチャーをコントロールするプレイヤーはカードを一枚ドローする。その後、そのプレイヤーは手札からそのクリーチャー以下のコストを持つクリーチャーをバトルゾーンに出してもよい」

 

 ?

 説明が長くて、いまいちよくわからなかった。

 えーっと……つまり、クリーチャーを一体、手札のクリーチャーと入れ替える、みたいな能力なのかな?

 知らないなりに噛み砕いて理解してみると、すごく変則的な除去能力だ。クリーチャーの数は減らせなさそうだけど、相手の手札に戻したクリーチャー以下のコストのクリーチャーがいなければ、そのまま除去はできるんだね。

 山札から引かれちゃう可能性はあるけど、《ヤッタレマン》くらいなら除去できそうだ。

 なんてわたしは思っていたけれど、タマゴさんはそんな単純な使い方はしなかった。

 除去カードなんてとんでもない。むしろ彼の最終兵器の使い道は、その逆。

 逆相。即ち、その砲口は相手ではなく――自分に向けられていた。

 

「私は、私の場の《オガヤード・スンラート》を選択する」

 

 《最終兵ッキー》の対象に選ばれたのは、《オガヤード・スンラート》だった。

 《オガヤード・スンラート》は《最終兵ッキー》の光線を浴びて、山札の下に――戻らなかった。

 

「この時《オガヤード・スンラート》のエターナル・Ω(オメガ)発動! こいつが場を離れる時、代わりに手札に戻る!」

 

 巨体は山札の下ではなく、手札へと戻っていく。

 とはいえ、場から離れたことには違いない。

 だけど、同時に《最終兵ッキー》の能力で、クリーチャーが現れる。

 それは、戻したクリーチャー以下のコストのクリーチャーで……ということは、

 

「《オガヤード・スンラート》のマナコストは15! つまり、手札からコスト15以下のクリーチャーを、なんでも出せるんだ!」

「げぇ、マジかぁ……!」

 

 そ、そっか……自分でコストを減らせると言っても、元々のコストは変わらない。

 そして《最終兵ッキー》は、除去カードとしてだけじゃなくて、自分のクリーチャーを入れ替えて、強くすることにも使えるんだ。

 コスト15以下なんて、範囲が広すぎる。一体、どんな大型クリーチャーが出て来るんだろう……

 

「場の《最終兵ッキー》に、マナの《ライオネル》《ウェディング》《ポンの助》そして《オガヤード・スンラート》! 合計五体のクリーチャーを進化元に、超無限進化・Ω!」

 

 場から、マナから、数々の無色クリーチャーが集まっていく。

 そして、それらが一点に集い、巨大な存在となって――顕現する。

 

 

 

「復元できぬほどに、すべて潰して砕け散れ! 《「終」の極 イギー・スペシャルズ》!」

 

 

 

 現れたのは、これもまた、物凄く大きなクリーチャーだ。

 その姿は、なんて表現したらいいのかわからない。真っ白な身体に、様々な色に輝く三角錐を纏い、侍らせているクリーチャーだ。

 どこか神聖で神々しく、それでいておぞましいクリーチャーだった。

 

「コスト13の、進化ゼニス……!」

「まあ一応、こいつが私の切り札ってやつだ」

 

 猫のお姉さんも、わたしも、首を大きく逸らして見上げる。

 巨大すぎる。さっきの《オガヤード・スンラート》よりも、遥かに大きい。

 21000という、規格外のパワー。そしてQブレイカー。

 なぜか進化元として、場とマナにいたたくさんの無色クリーチャーを取り込んだために、その存在はどこまでも膨れ上がっている。

 

「さて、攻める前にもう一手間かけておくか。2マナで呪文《時空の庭園》を発動。山札の上から一枚目をマナに」

 

 ここでタマゴさんは、なぜかマナを増やす。

 いや、さっきの進化で一気にマナが減っちゃったから、その行為自体はわかるんだけど……でも、結果的にこれは、マナを増やすための行為ではなかった。

 

「その後、マナのクリーチャーを一体、場の進化クリーチャーの下に仕込む。マナの《ラグマール》を、《イギー・スペシャルズ》の下へ」

 

 クリーチャーを、進化クリーチャーの下に置いた?

 別に場に出たわけじゃないし、進化クリーチャーの下のクリーチャーは存在を無視されるはず。一体なんの意味があるんだろう……?

 

「じゃあ行くぜ? 《イギー・スペシャルズ》で攻撃――その時、能力発動だあ!」

 

 刹那、《イギー・スペシャルズ》の周りを浮遊していた三角錐が、様々な色に輝く。

 その光は、お姉さんの場のクリーチャー。そして、お姉さん自身――いや、その手札を照らしている。

 

「《イギー・スペシャルズ》は攻撃時、こいつの下に存在するクリーチャー……つまり進化元の数だけ、相手の場のクリーチャー及び手札をマナに封じ込める!」

 

 進化元の数だけ、クリーチャーと手札をマナに……!?

 そっか、だからマナを大きく減らしてまで、あんなにたくさんのクリーチャーを吸収したんだ。

 それに、《時空の庭園》の効果も、このため……!

 

「今、《イギー・スペシャルズ》の下にあるクリーチャーは六体! よって、お前さんのクリーチャー五体と、手札一枚をマナゾーンに叩き落させてもらうぜ!」

 

 お姉さんの場と手札を照らす光は、大きくなっていき、そのすべてを飲み込んでいく。

 光に照らされ続け、お姉さんのクリーチャーは、手札は、影と同化し、影と共に溶けて、そして――消えて行った。

 大地、マナゾーンの奥深くへと、沈み込んでいった。

 

「っ、全滅……!」

 

 マナは大量に増えたけど、代わりにお姉さんは、場も手札も根絶やしにされてしまった。

 それにマナが増えたってことは、今タマゴさんの手札にあるはずの《オガヤード・スンラート》のマナコストも下がっているってこと。

 お姉さん……!

 

「《イギー・スペシャルズ》でQブレイクだ! 吹き飛びやがれ!」

「っ! ぐ、うぅ……!」

「まだだ! 《テラネスク》で最後のシールドもブレイクさせてもらうぜ!」

 

 あぁ、お姉さんのシールドがゼロに……!

 

「ターンエンド、だ」

 

 場も手札も、そしてシールドもズタボロにされた状態で、猫のお姉さんにターンが返ってくる。

 だけど、ここからどうやって逆転するのか。そもそも、逆転できるのか。

 わたしには、わからなかった。

 

「私の、ターン」

 

 お姉さんはカードを引く。

 そして、視線を下に落とした。

 

「……マナ、腐るほどあり余ってるなぁ」

 

 皮肉のように呟く。でも、その通りだ。

 《イギー・スペシャルズ》の能力で増えた膨大なマナは、その数14。普通にマナチャージしているだけでは、絶対に到達できないほど、そして、下手すれば使い切ることさえできないほどの量だ。

 ここまで来ると、もはやマナチャージする意味すらないけれど、

 

「まあでも、これは使わなさそうだし、埋めちゃっていいか。《パーリ騎士》をチャージ。2マナで《ヤッタレマン》を召喚! さらに2マナで《ツタンカーネン》! 一枚ドロー!」」

 

 猫のお姉さんはマナチャージして、手札を切っていく。

 失われた盤面を取り戻すために、莫大なマナを使い、クリーチャーを次々と並べていく。

 

「来ないか……なら、7マナで《バイナラドア》! 《イギー・スペシャルズ》を山札の下へ!」

「残念だが、《イギー・スペシャルズ》もエターナル・Ωで、山札の下ではなく手札に戻るぞ。当然、進化元と一緒にな」

 

 そっか、ってことは、今タマゴさんの手札には、《オガヤート・スンラート》と《最終兵ッキー》の二枚が揃ってる。

 また、《オガヤート・スンラート》を《最終兵ッキー》で巨大なクリーチャーと入れ替えるコンボが発動しちゃう。

 

「……その後、一枚ドロー。そして4マナで《ハクション・マスク》を召喚。相手の最もパワーが低いクリーチャーを破壊するよ」

「《テラネスク》か。まあいいさ、破壊されといてやる」

「やることは以上。かな。ターンエンド」

 

 

 

ターン6

 

ハンプティ・ダンプティ

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:9

墓地:3

山札:19

 

 

チェシャ猫レディ

場:《ヤッタレマン》《ツタンカーネン》《バイナラドア》《ハクション》

盾:0

マナ:15

手札:3

墓地:0

山札:18

 

 

 

「私のターン……ちっ、ミスったな。《兵ッキー》を出すのに1マナ足りねぇ」

 

 タマゴさんは舌打ちする。

 このターン、タマゴさんはマナチャージしても5マナだから……確かに、《オガヤード・スンラート》を1マナで召喚しても、《最終兵ッキー》の召喚には5マナかかるから、1マナ足りない計算になる。

 さっきのターン、《時空の庭園》でそのままマナ加速だけにとどめておけば、このターンにとどめを刺されていた。

 

「まあいいさ。お前さんのマナゾーンのカードは15枚。よって1マナで、《「逆相」の頂 オガヤード・スンラート》を召喚!」

 

 猫のお姉さんの莫大なマナを吸収して、またずんぐりむっくりの巨体が現れる。

 

「カードの回収はせず、さらに1マナで《オガヤード・スンラート》を召喚!」

「二体目……!」

「さらにもう一体! 1マナで《オガヤート・スンラート》だ!」

 

 さ、三体……!?

 この巨大なクリーチャーが、三体も現れるなんて……こんなの、とてもじゃないけど倒しきれるはずがない。

 お姉さんのシールドはゼロ。全部倒さないと、負けちゃう……!

 

「ターンエンド。そろそろチェックメイトだぜ、お嬢さんよ」

 

 退路を塞ぐように、ずんぐりむっくりとした巨躯がお姉さんに迫る。

 次のターンには、とどめを刺さんとばかりに。

 

「……チェックメイト、か」

 

 お姉さんは、ぽつりと呟く。

 すると、顔をあげた。

 

「でもね。チェスってのは、相手を仕留めた、って思った時が一番危ないんだよ」

「なに?」

「次の一手で決められる。その算段を打ち砕いて、因果を逆転させてあげる」

 

 つまり――

 

 

 

「――このターンで、私の勝ちだ」

 

 

 

 お姉さんの眼は、まだ、輝いていた。

 戦意を失うことなく、闘志の炎が、燃え続けている。

 

「卵男さん。あなたのずんぐりむっくりした身体を、ぶち抜いてあげる」

 

 猫のお姉さんはそう宣言して、拳を握る。

 そして、マナを横に倒しながら、口を開き、言葉を紡いでいく。

 

「夜闇を駆ける希望の光は、夜天を貫く刹那の弾丸。希望の使い魔は街に集い、物語の終演を見届けるため、その身すべてを闇夜の汽車に預ける」

 

 静寂と静謐の中で語られる言葉。とても静かで、清らかで、神聖ささえ感じられるような、綺麗な声。

 だったのだけれど、

 

「……ってなわけで! 乗り遅れないように注意してね! 夜更かししてでも全員集合! 私らの喜劇の始まりだ!」

 

 その清らかさは一瞬で崩壊し、一筋の光が、暴力的なまでの力を伴って、猫さんの手の内から放たれる。

 

「夜行列車が通りまーす――」

 

 それは荘厳でも厳格でもなんでもなく。

 ただただ眩く、煌めいていた。

 

 

 

「――《超特Q(チョートッキュー) ダンガンオー》!」

 

 

 

 それは、新幹線……の、ようなクリーチャー。 

 正確には新幹線モデルのロボットみたいなクリーチャーだけど。

 でもこのクリーチャーは、今までのクリーチャーと明らかに違う感じだった。

 帽子屋さんの切り札にもどこか似ているような、力強いなにかを感じる。

 

「《ダンガンオー》……! そいつが、お前さんの切り札か……!」

「その通り! さぁ、これでフィニッシュ! 《ダンガンオー》の能力で、このクリーチャーが場に出た時、他のジョーカーズの数だけブレイク数が増えるよ!」

 

 他のジョーカーズ……それって。

 

「私の場にいるジョーカーズは、《ダンガンオー》を除いて四体! 《ダンガンオー》のブレイク数は四枚増加!」

 

 元々Wブレイカーを持っているから、そこから四枚追加で、合計六枚のブレイク。

 単純なブレイク数だけなら、呪文のバックアップを受けた、帽子屋さんの《ジョリー・ザ・ジョニー》を上回る。

 ただし、このクリーチャーはただブレイクするだけみたいだけど……それでも、クリーチャーだけであの一撃必殺の弾丸を越えるほどのブレイク数を叩き出すなんて。

 やりすぎだけど、すご攻撃力だ……!

 

「さぁ、終わらせるよ! 《ダンガンオー》でシールドブレイク――」

 

 新幹線ロボット――《ダンガンオー》は疾駆する。疾風の如きスピードで、一直線に、まっすぐに、その拳を振りかざした。

 そして拳が光り輝き、その場にいる仲間たち(ジョーカーズ)の力を込めて――解き放つ。

 

 

 

「ぶち抜け! 必殺――ダンガンインパクト!」

 

 

 

 まるで、ビッグバンのような大爆発だった。

 拳の一撃がすべてのシールドを粉砕して、木端微塵に、影も形も残らないかと思える破壊力で、蹂躙する。

 たった一撃で、そして一瞬で。

 タマゴさんの五枚あったシールドはすべて、跡形もなく吹き飛んだ。

 

「どうだ! これが正義の鉄槌だよ!」

「ぬ、ぐぅ……! まだだ! S・トリガー《フェアリー・トラップ》! トップを捲り、コスト15の《オガヤード・スンラート》だったので、《バイナラドア》をマナゾーンへ!」

 

 シールドはすべて粉砕されたけど、S・トリガーは発動する。

 飛び出した罠が、お姉さんのクリーチャーを絡め取って、マナへ送り込んだ。

 

「もう一枚《フェアリー・トラップ》! 《ハクション・マスク》をマナゾーンへ! さらに《罠の超人》召喚! 《ツタンカーネン》もマナ送りだ!」

「それで?」

「っ、クソ……! 終わりだ……!」

 

 三枚のS・トリガー。それにより、猫のお姉さんのクリーチャーは、半分以上が除去されてしまった。

 だけど、それでも、すべてではない。

 攻撃可能なクリーチャーは、一体だけ残っていた。

 

「それじゃあ、これで終わりっ!」

 

 その最後の一体が、とどめの一撃を放つ。

 

 

 

「《ヤッタレマン》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ちょーっと冷や冷やしたけど、ま、ざっとこんなもんだね」

 

 対戦が終わりました。

 結果は、猫さんの勝ちです。よかった……の、かな

 猫さんはタマゴさんに歩み寄ると、彼を見下ろしながら口を開く。

 

「じゃ、色々と話してもらうよ。どこから聞こうかな。えーっと……」

「……悪いな」

 

 ぽつりと、タマゴさんは言った。

 

「残念だが、私もお前さんらとお喋りに興じるつもりはないんでね」

「は? いや、私が勝ったじゃん」

「負けたら話すなんて、私は一言も言ってねえぜ。ただ、自分で答えを見つけろって言ったんだ」

「詭弁だよ。ただの言い方の問題でしょ。それ以前に、私もあなたを逃がす気は毛頭ない――」

「お前さんにその気がなくても、こっちはその気なんだよ。時間は十分に稼いだしな」

 

 言ってタマゴさんはスクッと立ち上がると、またあの、呪文のような言葉を紡ぐ。

 

 

 

「逆相『誰もハンプティ・ダンプティを元に戻せなかった』」

 

 

 

 その、直後。

 みんなのように、帽子屋さんのように。

 ハンプティ・ダンプティと名乗るタマゴみたいな男の人は――姿を消した。

 

「あっちゃぁ……逃げられちゃったよ。やっぱ溜めが必要なタイプか。テレポートなのかなんなのかわかんないけど、便利だなぁあれ」

 

 嘆息して、ガックリと肩を落とし、項垂れるお姉さん。

 結局、タマゴさんの謎の力で、帽子屋さん諸共、逃げられてしまいました。

 その結果が気に入らないのか、猫の姉さんは頭を抱えて呻いている。

 

「くぅ、試合に勝って勝負に負けるとは、正ににこのことか! せっかく顔出しまでして出張って来たのに、カッコつけただけで終わりだなんて、そんなのアリ!?」

「あ、あの……」

「うん?」

 

 流石にいたたまれなくなってというか、どうしようもなくなってというか、とにかくわたしは、猫のお姉さんに声をかける。

 まだわたしには、わからないことがたくさんある。それを少しでも知らないと。

 そして、たぶん、このお姉さんは、わたしの知らないことを知っていると思う。

 

「助けてくれて、ありがとうございます……あの、でも、あなたは何者なんですか? 人間、なんですか? それともクリーチャー……?」

「あー、はいはい。そういうのね。とりま、クリーチャーではないかなぁ。そんでもって正義の味方だよ」

「正義の味方って……」

 

 わたしを助けてくれたんだから、いい人だとは思うんだけど……その表現は、どうなんだろう。

 なにか、はぐらかされている感じがするよ。

 

「私の正体ついては、またいずれね。それよりもさ、ベルちゃん」

 

 ベルちゃん。

 そういう呼ばれ方をしたのは初めてだから、なんか、変な感じがするなぁ……

 

「私は正義の味方で君らの味方だから、こういう優しいことを言っておいてあげるよ」

 

 急に真面目な口ぶりで、お姉さんは言います。

 

「【不思議な国の住人】……あいつらはなかなかにヤバい連中だよ。君らが思う価値観とか、常識とか、そういうのが歪んでる……ううん、ずれてる、って言った方がいいかな。いや、それはちょいと差別的だ。だったら正しくは、“違っている”だね」

 

 違っている……?

 価値観、常識。

 人の価値観なんて人それぞれ、とはよく言うし、常識だって国によって違うということも多々ある。

 この町という狭いコミュニティでしか生きたことのないわたしには、その違いが実感としてはよくわからないけど、理屈としてはわかる。

 それをわざわざ説いているのか。

 それとも、わざわざそう説くほどのことが、彼らにはあるのか。

 そもそも彼らは、一体、何者なのか。

 人間なのか、クリーチャーなのか、あるいはそのどちらでもないのか。

 わからないことだらけだった。

 

「まあ、こんなことを言う私も、実はあんまりよくわかってないんだけどね。連中が私たちに近いながらも、決定的に違うってのだけはわかるんだけど、じゃあその違う存在は“何者か”ってところまでは不明でさ。そこは私も興味の的だから、是非ともあの帽子屋さんたちには話を聞きたかったんだけど」

 

 けど、逃げられてしまった。

 帽子屋さんたちの正体。

 わたしたちと違う存在。では、彼らはどういう存在なのか。

 猫のお姉さんも、そこはわかってないんだ……

 

「でも、たぶん帽子屋さんたちは、また現れます、よね……?」

「たぶんねー。ま、私んとこに来てくれればいいけど、興味を失ったみたいなこと言っておきながら、またベルちゃんのとこにも現れそうだし、なんとも言えないかな」

 

 そっか……確かに、そうだよね。

 帽子屋さんの考えることなんて、さっぱりわからない。聖獣を探している、っていう目的だけはハッキリしてるけど、それにしたって、なぜ探しているのかもわからないし、見つけてどうするのかも不明だ。

 もっと言えば、聖獣がなんなのかもわかっていない。

 本当に、わからないことだらけだった。

 話が進んでも、謎はまるで解明されない。

 なんとも理不尽な展開だ。これが小説だったら、怒って本を投げ出してしまいそうなほどに。

 

「ま、もしなにかあっても、私が駆けつけるから安心していいよ」

「はぁ……あの、お姉さん」

「なにかな?」

「お姉さんは、どうしてわたしを助けてくれたんですか?」

 

 わたしは、湧き出た疑問をぶつける。

 正義の味方とか、なんとかって言ってたけど、どうしてわたしを助けてくれるのか。その善意は、どこから来るのか。

 別に疑っているわけじゃない。ただ、純粋な疑問だ。

 この人は、どんな理由で、わたしたちと関わろうとしているのか。

 

「んー……それは、まだ話すべき時じゃないかな?」

「え、えぇ……?」

「ごめんね。こっちにも色々あるんだよ。まあでも、強いて言うなら――」

 

 猫のお姉さんは、わたしに背を向けました。

 その答えを最後に、この場を去るつもりで。

 そして、チェシャ猫レディさんは、宵闇に消えながら、囁くような声で――告げた。

 

 

 

「――憧れ、かな」




 デュエマシーンだけ完全書き下ろしということで、デッキも過去の使い回しではなく、ちゃんと考えました。チェシャ猫レディの方は半ば使い回しですが……というかただのダンガンオーですね。
 ハンプティ・ダンプティの方は、《オガヤード》を《最終兵ッキー》で変換するデッキ、名付けて最終オガヤード・スペシャルです。コスト15以下ならなんでも出るので、出せないクリーチャーは数えるほどしかいません。
 最適解かはさておき、狙いたいのは《イギー・スペシャルズ》。能力で相手のカードを根こそぎマナ送りにできるので、後続の《オガヤード》のコストが大幅に下がります。
 まあ、シナジーがあるだけなので、実用性としては無難に《ウェディング》や《ライオネル》の方がいい気もするんですけどね。あるいは《シャングリラ・エデン》とか。
 なんにしても、今回は久々に変なデッキを書けてたのしかったです。
 それでは、ご意見ご感想、誤字脱字の報告等々、なにかりましたら遠慮なく気軽に送ってください。


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19話「おいしいものを食べてこその人生だよ!」

 タイトルに深い意味はありません。
 しばらく不思議の国の住人とか、変な奴らによる変な話ばっかりだったのですが、今回は箸休め的な日常回です。なにをもって日常を定義するのか、微妙な感じですけど。


 こんにちは! 伊勢小鈴です!

 最近、クリーチャーはあんまり出て来ないのに、不思議の国の住人とか帽子屋さんなんていう変な人たちに絡まれたり、チェシャ猫レディさんっていうちょっと怪しい自称・正義の味方に助けられたりと、てんやわんやな日々を送っています。

 しかし今は夏休みなんです。学生なら誰もが望んで、浮かれて、楽しむ連休です。

 確かに大変なことばっかりだけれど、でも、だからって、わたしたちの楽しい夏は終わっていません。まだまだ、ずっと続くんです。まだやってないこともたくさんあるんだから。

 今日は、わたしがこの夏、絶対に行きたいところの一つに、行って来るんです。

 今日という今日を、わたしはずっと楽しみにしていた。毎日毎晩、この日が来るのを待ち焦がれていたほどに。

 ふふふ、だからわたし、今日はとっても機嫌がいいんです。

 わたしたちがどこへ行くのは、わたしが楽しみにしているものはなにか。わかりますか?

 答えなくても、わたしの方から答えちゃいます。

 そう、今日は、今日は――

 

 

 

 ――みんなで、パンケーキを食べるんです!

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ない!? もうなくなっちゃったんですか!?」

 

 ――食べる、はずだったんです……

 はず、だった、のに……

 もうないだなんて……!

 

「きゅぅ……」

「小鈴ちゃーん!?」

「あわわわわわ! 小鈴さん! しっかりしてください!」

 

 あまりの衝撃に、意識が遠のいていく。

 そう、今日はみんなと一緒にパンケーキを――それも、夏季限定トロピカルサマーパンケーキを食べようと思っていた。

 お店が空いている日時と、みんなの予定と、発売期間。これら諸々が上手く噛み合わなくて、今日、ようやくみんな一緒にパンケーキを食べられると、思っていたのに。今日を逃したらもう一生食べられないのに! 

 それが、ない、なんて……

 わたしは今まで、なんのために生きてたんだろう……

 

「……こすず……無事、死亡……」

「流石に見てられないな……今日の分はもうなくなってしまった、ということですか?」

「はい……そういうことになります」

 

 みのりちゃんとユーちゃんがわたしを介錯(介抱)する間、霜ちゃんが店員さんと掛け合っていた。視界がかすんでぼんやりとしか見えないけど。

 

「今日は発売期間の最終日だけど、まだ午前中だ。そんなに早くなくなるものか……?」

「……なくなったものは、なくなってるわけ、だし……仕方ない、ような……」

「まあそうなんだけど。なんか引っかかるんだよ」

 

 霜ちゃんが何気なくそう呟くと、店員さんは少し言い難そうにしながらも、おもむろに口を開いた。

 

「……実はつい先ほど、残りの在庫すべてを注文したお客様がいらっしゃいまして……」

「は? 在庫全部!? 一体何人分食べるつもりなんだ……?」

「お陰さまで期間限定商品の売れ行きは好調なので、午後にはなくなる勢いだったのですが……そこにとどめを刺したような形で」

「……一人いくつまで、みたいな制限とかはなかったんですか?」

「あまりに多く注文される場合は、注意することもありますが……その、店側の問題と言いますか……」

「?」

「その、ですね……あまり、強く意見できないお客様でして……」

「あー……はい。わかりました……そういうことか。スポンサー的なのか」

 

 納得したように頷く霜ちゃん。わたしはどういうことかよくわからないけど。

 

「それにしても、期間限定商品を買占め、ね。まあ小鈴が絶賛するほど美味しいものらしいだし、価値のあるものならそういうこともあるんだろうけど、生菓子だよね? 転売なんてできるはずもないし、そんなに持って帰ってどうするんだか」

「あ、いえ。そのお客様は店内での召し上がりです」

「! そ……その人は……どこに行きましたか……?」

「こ、小鈴っ?」

 

 流石にもう寝てられない。

 話はよくわからないけど、わたしのこの夏最大の楽しみの一つを奪った犯人は、まだこのお店にいる。

 なら、やることは一つだよ。

 

「に、二階のテラスに向かったようですが……」

「テラスですね、ありがとうございます!」

「ちょっと小鈴! 一体なにを――」

 

 霜ちゃんがなにか言ってるけど、よくわからない。

 今のわたしは風。今だけは、わたしは神速の足を持つ女。今この瞬間に限定して、なによりも速く疾駆する。

 

「うわ早っ!? ハンデのある身体とは思えない俊足だよ!?」

「こすず……リミッター、解除……」

「ユーちゃんでもあんなに早く走れません……小鈴さん! 凄いです!」

「なんて言ってる場合か! あれはどう見ても暴走だ! 早く小鈴を止めろ!」

 

 向かうのはこのパン屋さんの二階テラス。

 繁盛してるって聞いたから人が多いのかと思ったけれど、そこは意外なほど人が少なかった。

 というか、一人しかいない。

 長い金髪をなびかせた、どことなく大人っぽい雰囲気の女の子。

 清楚なワンピースに、大きなつばのついた帽子。窓際の令嬢なんて、使い古された表現だけど、正にそんな空気がある。

 

 

 

 ただし、目の前に置かれたパンケーキタワーがなければ、だけど。

 

 

 

 そしてその物的証拠が、犯人を示している。

 間違いない。あの人だ。わたしのパンケーキ(幸せ)を奪ったのは。

 ……それにしても、美味しそうだなぁ、トロピカルサマーパンケーキ。こんがり焼き上がったパンケーキの上に、琥珀みたいにキラキラと透き通ったメイプルシロップ、純白に渦巻くホイップクリーム、そして、それらを囲むようによりどりみどりなフルーツで彩られている。

 うぅ、食べたい、食べたいよぉ……パンケーキが食べたいよぅ……

 わたしも、覚悟を決めないと。

 一度深呼吸してから、意を決して、わたしは女の子に歩み寄る。そして、呼びかけた。

 

「――あの」

「はい?」

 

 女の子が食べる手を止めて、こちらに振り返る。

 真っ白い肌に、スッと鼻筋の通っていて、均整のとれた整った顔立ち。

 ユーちゃんとはまた違った意味で、日本人にはない華麗さを持った、とても綺麗な子だ。

 碧い(ブルーの)瞳が、鋭く、ジッとわたしを見据えている。

 その気迫に置けされそうになるけど……わ、わたしは負けないよっ。

 なんとしてでも、トロピカルサマーパンケーキを手に入れて見せるんだから!

 バンッ! と、自分を鼓舞するように机を叩きながら身を乗り出して、わたしは、言い放つ。

 

「そ、そのパンケーキ……ゆずってもらえませんかっ!?」

「…………」

 

 女の子は、黙った。冷ややかな目でわたしを見つめている。

 う、なんて厳しい目つきなの……で、わたしは負けない!

 

「お、お願いします! 一口だけでいいから!」

「ちょっとやめなよ小鈴! みっともない!」

 

 いつの間にか、背後に霜ちゃんたちがいた。みんな追いついたみたいだけど、止めないでほしい。

 これはわたしの人生。わたしの生きる意味なの! だから、だから……!

 

「……お断りですわ」

 

 そんな、わたしの必死な願望は、一瞬で叩き落された。

 

「この食事は、わたくしがわたくしの力で手に入れたものですわ。なぜそれを慈善で譲らなければならないのでしょう」

「でもさぁ。それって数量限定で、一度に買える数も制限されてるよねぇ」

「実子もやめなよ……言ってることは正論だけど、こんなところで事を荒立てるな」

「そういった制約も含めてわたくしは“自分の力で手に入れた”と言っているのです。そんなこともわからないのですか?」

「……ムッカ」

 

 みのりちゃんが額に青筋を浮かべている。

 どこか冷たい態度の女の子。一瞬で剣呑な雰囲気になったこの場で、おずおずとユーちゃんが顔を覗かせた。

 

「え、えっと、ユーちゃんも気になってるんですけど……そんなにたくさん、食べられるんですか……?」

「愚問ですわね。こんなにも美味なものですもの、満足するまで食べるに決まっているでしょう」

「……微妙に、会話が成立、してない……」

「用が済みましたら、庶民の皆さんは下がってくださいます? 食事の邪魔です」

「そ、そこをなんとか……!」

「小鈴はもう下手に出るのやめなよ。友人としてそれは恥ずかしいから……」

 

 霜ちゃんに羽交い絞めにされ、引きずられるように引き離される。

 あうぅ、止めないで! あそこに! あそこにわたしの夢が待ってるんだから……!

 と、テラスの外まで連行されそうなところで、空からパタパタと、見覚えのある影が飛んできた。

 あ、あれは……!

 

「小鈴!」

「鳥さん! なんか久しぶりだね」

「例の鳥か……今、取り込み中なんだけど……もしくは、君も小鈴の暴走を止めてくれると嬉しい……」

「……いや、でも……この焼き鳥が来た、ってことは……」

 

 ぼそりと恋ちゃんが呟く。

 そして、

 

「クリーチャーだよ! というか、今まさに、あの少女に憑りついてる!」

 

 な、なんだってー!

 

「なんてグッドなタイミング! 小鈴ちゃん! この女ボコれば万事解決だよ!」

「なんて物騒な……」

「そうなの!? ボコればいいの!?」

「小鈴まで……今日の君はなんかおかしいよ。目を覚ませ」

「彼女はクリーチャーに憑かれてるみたいだし、あの暴食も、そのせいかもね。クリーチャーを取り払うことができれば、収まるはずだよ」

「……なんか、想像、つくけど……なにが、憑りついてる……?」

「それは見ればわかるよ。ほら、見てごらん。彼女に憑りついたクリーチャーを」

 

 鳥さんに言われて、目を凝らす。意識を集中させる。

 じぃっと、一心不乱にパンケーキを食べる女の子を凝視する。

 ……うぅ、美味しそうだよ……わたしも食べたいよ……羨ましいよ……

 と思いながら見てると、浮かび上がってきた。

 猫なのか犬なのか兎なのかわからないけど、獣っぽいクリーチャーだ。

 ただ、頭に大きな赤いリボン。金髪の縦ロール? みたいな髪の毛があって、煌びやかな服を着ている。

 その姿は、まるで貴族。お姫さまみたいだ。

 

「《優雅なアントワネット》……ジャイアントと同盟を結んだ、ドリームメイトの貴族クリーチャーだね」

 

 《アントワネット》。なんだか、ワガママそうなぁ名前のクリーチャーだなぁ。

 鳥さんは当然のように、さり気なくわたしを例の衣装にさせるし。うん、やっぱり恥ずかしい。今はわたしたちとあの子以外、誰もいないけど、誰かきたら一発でアウトだ。

 でもそんなことは今は関係ない。

 だってこれはパンケーキ()を掴みとるチャンスなんだから!

 多少の恥ずかしさは我慢して、もう一度、あの女の子の下へと行く。

 女の子はまたわたしを冷ややかな視線で迎えたけど、わたしの視線の先に気付くと、少しだけ驚いたように口を開いた。

 

「あら、貴女……“わたくし”が見えるのですか?」

 

 それは、女の子が告げた言葉。

 なのに、お姫様のクリーチャーが言ったみたいな感じだったよ……?

 今までクリーチャーに憑りつかれた人は、そのクリーチャーの性質に合わせた行動を取っていただけで、クリーチャーの意識はなかった。

 でも、この子は違う。

 人間の女の子の身体で、クリーチャーの意識がある。

 

「宿主とクリーチャーが同調してる……? 完全同調でないにしろ、目的の指向性が合致してるのか?」

「どういうこと?」

「どうもこの少女とこのクリーチャーは、気が合うらしいね。恐らく無意識なんだろうけど、お互いがお互いを許し合って、肉体と精神を共有している。憑依というよりは、同調、調和……同居? なんていうか、混じり合っている」

「うーん……? よくわかんないや」

 

 なんだかすごく大事で重要なことっぽいけど、今のわたしにとって大事なのはそういうことじゃない。

 わたしにとって大事なのは、これが、わたしのパンケーキ(希望)を取り戻すチャンスということだよ!

 

「貴女が何者かは存じ上げませんが……わたくしの食事を邪魔するということが、どれほどのことか、おわかりでして?」

「そんなの知らないよ! そんなことより、わたしのパンケーキ(楽しみ)、取り戻させてもらうよ!」

「だからこれは、わたくしが実力で手に入れたものだと言っているでしょうに……あぁ、しかし、あなたも実力で奪い取るというのなら、そのように。それなりの対応をさせて頂きますわ」

 

 女の子は、ポケットからデッキを取り出した。

 あ、この子もデュエマするんだ。クリーチャーに憑りつかれてるとか関係なく。

 でも、向こうがやる気なら、手っ取り早くていいね。

 それじゃあ、始めよう。

 

 わたしのパンケーキ(大切なもの)を取り戻し、勝ち取るための戦い(デュエマ)を――!

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「《熱湯グレンニャー》を召喚! 一枚ドローして、ターン終了!」

「わたくしのターン、《電脳鎧冑アナリス》を召喚しますわ。このクリーチャー自身を破壊することで、マナブーストかドローが行えますが、ここはマナブーストを選択。ターンエンドですわ」

 

 

 

ターン2

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

アントワネット

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:1

山札:27

 

 

 

 わたしと、お嬢さま……お姫さま? なんでもいいけど、わたしのパンケーキ(お宝)を奪い取った元凶との対戦。

 わたしは《グレンニャー》で手札補充。相手は、マナを増やしてきた。

 マナゾーンを見た感じ、水と火、そして自然のカードが見える。なにをするデッキなのかな……?

 

「わたしのターン! 2マナで《エール・ライフ》! こっちもマナを増やすよ! ターン終了!」

「わたくしのターン。マナチャージして、これで4マナですわね。それではおいでませ、《優雅なアントワネット》!」

 

 ! 来た。

 お姫さまに憑りついたクリーチャー、その、お姫さま自身が。

 

『これでわたくしはターンエンドですわ』

 

 

 

ターン3

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

アントワネット

場:《アントワネット》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

 

 相手のデッキの核になってそうなクリーチャーが出て来たし、除去したり、ここから攻めたりしたいけど……

 

「わたしのターン……うぅ、手札があんまりよくないなぁ。《グレンニャー》を召喚してドロー、《ハムカツマン》を召喚してマナを増やすよ! これでターン終了……」

 

 今のわたしにできるのは、手札を増やしてマナを伸ばすことだけ。

 ここで勢いに乗れないのは、ちょっとまずいような……

 

『それでは、わたくしのターンですわね』

 

 たたらを踏むわたしをあざ笑うかのように、お姫さまは笑みを浮かべた。

 

『《優雅なアントワネット》の能力で、わたくしの召喚するジャイアントのコストが3軽減されますわ。それによって1マナで、《西南の超人(キリノ・ジャイアント)》を召喚! このクリーチャーは、ジャイアントのコストを2軽減させるのですわ!』

 

 ってことは、ジャイアントのコストは5も少なくなるの!? それって反則じゃない!?

 なんて思ったけど、

 

『そしてこの時、《優雅なアントワネット》の能力発動。わたくしのジャイアントが場に出たので、《優雅なアントワネット》をマナゾーンへ送りますわ』

「あ、マナに行っちゃうんだ……」

 

 ってことは、使い捨てのコスト軽減なんだね。よかった……

 と、安心したのも束の間。

 わたしはまだ、この後に待ち受ける悲劇を知らなかったから、こんな余裕ぶったことが言えたんだ。

 

「続けて《鯛焼の超人(タイヤキ・ジャイアント)》を召喚! このクリーチャーが場に出た時、自身のマナゾーンのカードを最大四枚、アンタップできるのですわ!」

 

 今度は、山のように巨大な鯛焼きを頬張る巨人が現れた。あれもおいしそう……

 なんて思っていたのも束の間。こぼれたあんこがマナゾーンに落ちる。すると、マナに新しい力が注ぎ込まれ、アンタップした。

 

「さっき使ったマナが全部起き上がった……!?」

 

 登場時にマナをアンタップするなんて、そんなクリーチャーもいるんだ……

 でも、もう手札は一枚だけだから、それ以上クリーチャーが出て来ることはないはず……

 

「手札が一枚なら展開できない、そうお思いでしょうか?」

「!」

「そんな甘い話はなくってよ。この一枚が、無限の巨人を生むのですから! わたくしのバトルゾーンにジャイアントが二体、シンパシーでコストを2軽減、《西南の超人》の能力でさらに2コスト軽減、4マナで《剛撃戦攻ドルゲーザ》を召喚ですわ!」

 

 さっきから巨人のようなクリーチャーが出てくるけど、このクリーチャーはそんなレベルじゃなかった。

 下半身が、大地を喰らう化け物。上半身は、筋骨隆々の益荒男。

 巨人は巨人でも、迫力が段違いだよ……!

 

「《ドルゲーザ》の能力発動ですわ! まず、アースイーターの数だけドロー。アースイーターは《ドルゲーザ》だけなので、一枚だけですわね」

 

 でも、やることはドローだけ? なんか地味だなぁ。

 と思うわたしだけど、やっぱりその考えは、すぐに打ち砕かれる。

 そのたびに、自分の浅はかさを実感する。

 

「次にジャイアントの数だけドローですわ! わたくしのジャイアントは《西南の超人》《鯛焼の超人》《ドルゲーザ》の三体! よって三枚ドロー!」

「え、え? ご、合計で四枚ドロー!?」

 

 マナこそ結構使ってるけど、さっき消費した手札が瞬く間に戻ってしまう。

 しかも、まだ終わらない。

 

「あら、とてもいい引きですわね。では、2マナで《鯛焼の超人》を召喚、マナを4枚アンタップですわ」

「ま、また!?」

「さらに《西南の超人》を召喚し、続けて《鯛焼の超人》ですわ! マナを4枚アンタップ!」

 

 ぜ、全然マナが減らないんだけど……減らないっていうか、使っても使っても、何度も起き上って、何度もマナを使ってる……

 こんな相手、初めてだよ……!

 

「そして、シンパシーと《西南の超人》でコストを軽減! 2マナで《ドルゲーザ》を召喚ですわ!」

「に、二体目っ!?」

「アースイーターは二体! ジャイアントは七体! よって合計で九枚ドローしますわ!」

 

 さっき引いた枚数の二倍以上。展開すればするほど、《ドルゲーザ》はコストが軽くなって、ドロー枚数も増える。並べれば並べるほど、強くなるんだ。

 

「これだけ引けば、なんでも手に入りますわ! つまり、なんでもできますわ!」

「で、でも、マナは流石にいつか尽きるんじゃ……」

「あら、ではおかわりいたしましょうか? 《鯛焼の超人》を召喚、マナを4枚アンタップ。さらに《西南の超人》二体でコストを4軽減、3マナ《甘味の超人(パンケーキ・ジャイアント)》を召喚!」

 

 また巨人(ジャイアント)が召喚された。

 今度は、何枚にも重ねられた巨大なパンケーキを貪り食らう巨人だ。

 ……おいしそう。いいなぁ……トロピカルサマーパンケーキ食べたい……食べたいなぁ……

 

「《甘味の超人》の能力で、マナゾーンにあるジャイアント、ドリームメイトをすべてアンタップしますわ! マナの《クロック》以外をすべてアンタップ!」

「っ、またマナが復活した……!? 何回マナを使う気なの!?」

「そんなの、わたくしの気が済むまでに決まっているでしょう? 2マナで《アナリス》を召喚、破壊してマナを増やしますわ」

 

 おまけのようにマナを増やしてから、お姫さまは言う。

 横一列に並んだ巨人たちをひとりずつ、指さし確認しながら。

 

「さて、わたくしの場には今、ジャイアントが四体以上、存在しますわね」

「え? う、うん……」

「それでは、G・ゼロ発動ですわ! 《鯛焼の超人》を進化!」

 

 もくもくと、白煙が立ち込める。

 その煙で目が眩む、視界が遮られる。

 一体、あの煙の中で、なにが……?

 

 

 

「おいでませ! 《対の怒流牙(ラスト・ニンジャ) ドルゲユキムラ》!」

 

 

 

 煙が晴れた時、そこには、巨大な影が渦巻いていた。

 タイヤキを頬張っていた巨人はそこにはいなくて、代わりに、《ドルゲーザ》に似た巨人……というか、おっきな忍者がいた。

 下半身は大地を喰らう巨大な怪物。そこから無数の触手が伸びている。

 上半身は《ドルゲーザ》と比べると細身だけど、引き締まった頑強な肉体。腕と肩から刃、首には赤い巻布、覆面。

 そして、背中に差した長大な刀。

 怪物なのか、巨人なのか、忍者なのか、侍なのか。

 なんだかハッキリしないけど、すごく、強い力を持つクリーチャーっていうことだけはわかるよ……!

 

「《ドルゲユキムラ》の能力発動ですわ! マナゾーンから《甘味の超人》と《ドルゲユキムラ》を回収! その後、手札の《アナリス》《アントワネット》《罠の超人》をタップしてマナに置きますわ!」

 

 巨人忍者さんは、大地を割り砕いて、マナに埋まってるクリーチャーを掘り起こす。

 同時にお姫さまが、手札のカードをマナに埋め直した。

 G・ゼロでタダで出て来る上に、手札とマナのカードを入れ替えられるんだ……でも、タップして置かれるならよかったよ。また再利用されると困っちゃうからね。

 ……ん? 再利用……あ!

 

「そして3マナ、《甘味の超人》! さぁ、何度でもマナを頂きますわよ!」

 

 そうだった、お姫さまは《甘味の超人》を回収してたんだ……!

 つまり、また“マナが起き上がる”。

 

「2マナで《アナリス》を召喚、破壊してドローですわ! 次に2マナで《フェアリー・ライフ》! マナを増やして、1マナで《西南の超人》!  G・ゼロで《ドルゲユキムラ》を、《鯛焼の超人》から進化ですわ!」

「ターンが、終わらない……!」

 

 展開、ドロー、マナをアンタップ。

 やってることは単純だけど、それを何度も何度も繰り返すことで、莫大な戦力を整えている。

 わたしのターンが、全然回ってこない。

 

「さて……回収は《焼菓子の超人》、そして《ドルゲユキムラ》でいいですわね。G・ゼロで《ドルゲユキムラ》を召喚、《鯛焼の超人》から進化ですわ。そして2マナで《焼菓子の超人(マカロン・ジャイアント)》を召喚、これで王手(チェック)ですわ!」

 

 三体目の《ドルゲユキムラ》に、マカロンを食べてる巨人が出て来たところで、遂に打ち止め。

 もう数えるのもバカらしくなるくらい、お姫さまのバトルゾーンには大量の巨人が並んでいる。

 これ、次のターンでなんとかできるのかな……って思ったけど、

 

「《焼菓子の超人》が存在する限り、わたくしのジャイアントはすべて、スピードアタッカーになりますわ!」

「っ、このターンに攻撃してくるってこと……!?」

「それだけではありませんわ。《甘味の超人》の能力で、わたくしのコスト7以上のジャイアントはパワーが5000アップし、シールドを追加で一つブレイクするのですわ! 《西南の超人》はセイバーを持っていますから、破壊しようとしても無駄ですわよ?」

 

 お姫さまは、このターンで決める気だ。

 ジャイアントたちはすべてスピードアタッカーだし、《ドルゲユキムラ》も進化クリーチャー。

 パワーもブレイク数も上がってるから、当然、わたしにとどめを刺すことなんて簡単だ。

 この数、何枚のS・トリガーで止めきれるの……!?

 

「チェックメイトですわよ! 《ドルゲユキムラ》で攻撃! シールドブレイク数は、《甘味の超人》二体の能力で二枚追加! つまり、五枚ブレイクですわ!」

 

 《ドルゲユキムラ》の長大な忍者刀が振るわれる。

 その一薙ぎで、わたしのシールドはすべて切り払われてしまう。

 

「っ! トリガーは……!?」

 

 これだけ攻撃できるクリーチャーが並んでても、《クロック》が一枚でもあれば攻撃は止められる。

 そんな一縷の望みに託して、シールドを確認するけど、

 

(S・トリガーはこれだけ……ダメ、止めきれない……!)

 

 S・トリガーはたった二枚だけ。《クロック》もないから、止められない。

 これじゃあ、どう頑張っても二体までしかクリーチャーを退かせられない。《焼菓子の超人》と《ドルゲユキムラ》を退かしても、もう一体《ドルゲユキムラ》が残ってる。

 せめて《クロック》がトリガーしてくれれば、なんとかなったんだけど……

 

(……いや、待って。もしかして、これは……)

 

 ……耐えたところで、後に続くかわからないけれど。

 やるしかないよね。

 

「……S・トリガーだよ!」

「あら、ここでトリガーということは、《クロック》でしょうか?」

「いいや、違うけど、間違ってないかも」

「?」

「わたしのトリガーはこれだけだよ……まずは《目的不明の作戦》。墓地の《エール・ライフ》を唱えるよ」

「ただのマナブーストでは、なにもできませんわよ?」

「そうだね。だけど、本命はこっちだよ」

 

 マナブーストはあくまでも、次のターンのための保険。

 これで、このターンの攻撃を止めて見せる。

 

「S・トリガー! 《父なる大地》!」

「除去トリガーですが、それ一枚では止められなくってよ?」

「ううん、止めてみせるよ。まずは、あなたの《焼菓子の超人》をマナに送るよ」

 

 これでジャイアントのスピードアタッカー化がなくなるけど、《ドルゲユキムラ》が残ってるから、これだけじゃ意味はない。

 《クロック》がトリガーしなくて、正直かなり焦ったけど。

 このターンの攻撃を止めるだけなら、別に、“わたしのカードじゃなくてもいいんだ”。

 

「そして、あなたのマナから《クロック》をバトルゾーンへ!」

「あ……っ」

 

 《クロック》の能力は、バトルゾーンに出た瞬間、そのターンの残りをすべて飛ばすというもの。

 自分のターンに出せば、当然そのターンの召喚も、攻撃も、すべてが終わってしまう。

 自分のカードだからって、不都合なことはなかったことにはできないんだ。だからこうやって、相手のマナから引っ張り出せば、強制的にターンを飛ばせる!

 

「《クロック》の能力で、あなたのターンはおしまいだよ!」

「くっ、わたくしのカードで攻撃を止めるだなんて、姑息で小賢しい真似を……!」

「わたしのパンケーキを奪って独り占めしてる人に言われたくないもん! お返しだよ!」

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:《グレンニャー》×2《ハムカツマン》

盾:0

マナ:7

手札:5

墓地:2

山札:23

 

 

アントワネット

場:《ドルゲユキムラ》×3《西南の超人》×3《ドルゲーザ》×2《甘味の超人》×2《クロック》

盾:5

マナ:7

手札:0

墓地:4

山札:9

 

 

 

 やっと返ってきたわたしのターン。

 デュエマが始まったばかりのようで、すごい長い時間が経ったような気もする。

 

「くっ……いいえ、落ち着きなさい、わたくし。《父なる大地》には少々驚きましたが、わたくしのシールドはまだ五枚もあります。このターンでとどめが刺せるとお思いでして?」

「当然! わたしのパンケーキ(望み)のためだよ! このターンでぶっ飛ばしてやるんだから!」

 

 とりあえず、クリーチャーを揃えないと。このターンで攻め切るだけの、攻撃手を。

 足りない打点は三つ。Tブレイカーが一体新しく出ないとダメだけど、これだけマナがあれば、そのくらいは簡単に用意できる。このデッキならね。

 

「マナチャージ! 3マナで《ハムカツマン》を召喚! さらに《龍覇 グレンモルト》も召喚! 《ガイハート》を装備!」

 

 これでクリーチャーは揃った。わたしの攻撃できるクリーチャーは、《グレンニャー》と《ハムカツマン》が二体ずつ、そして《グレンモルト》。

 S・トリガーさえなければ、押し切れる!

 

「さぁ、行くよ。《グレンモルト》でシールドをブレイク!」

「トリガーは……ありませんわね」

「よしっ、続けて《ハムカツマン》でブレイク!」

「S・トリガー!」

「っ!?」

 

 ま、まずいよ……まだ龍解できてないのに、ここで《グレンモルト》が除去されたら、龍解できなくなっちゃう……!

 と焦ったけど、

 

「……ですが、《フェアリー・ライフ》ですわ……マナを増やしますわ……」

「あ、危なかったぁ……とにかく、ここで《ガイハート》の龍解条件達成! 龍解だよ! 《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 S・トリガーはマナを増やすだけの《ファリー・ライフ》。それなら《グレンモルト》は破壊されない。

 とりあえず、龍解まではできた。これで、本当の意味で、とどめを刺すだけのクリーチャーが揃ったよ。

 

「龍解したから、パワー7000以下の《西南の超人》を破壊! 《ガイギンガ》でWブレイク!」

「ここでもS・トリガーですわね。しかし、また《フェアリー・ライフ》とは……」

 

 なかなかいいトリガーが引けず、苦しそうな表情を見せるお姫さま。

 わたしの攻撃できるクリーチャーは、残るは《グレンニャー》二体と《ハムカツマン》。残りシールド一枚のお姫様を倒すには十分だよ。

 ……ただ、わたしが生き残るきっかけになった《クロック》が、懸念材料だけど。

 《クロック》がS・トリガーで出ちゃったら、問答無用で攻撃が止められて、わたしの負けになっちゃう。

 もう出ないことを祈って攻撃するしかないんだけど……お願い! 出ないで……!

 

「《ハムカツマン》で最後のシールドをブレイク!」

「っ、S・トリガー……!」

 

 うぅ、またS・トリガーかぁ……!

 流石にもう《フェアリー・ライフ》は望めない。もし《クロック》か、もしくはわたしのクリーチャーを二体以上除去できるカードだったら……!

 

「……《罠の超人(トラップ・ジャイアント)》ですわ……《グレンニャー》を、マナゾーンへ……」

 

 と、わたしの焦燥も、杞憂に終わる。

 罠を張る巨人は《グレンニャー》をマナに送ったけど、わたしにはまだもう一体、《グレンニャー》が残っている。

 かなり冷や冷やしたけど、なんとかなった。

 あとはもう、ちょっと乱暴だけど、思い切り殴りつけるだけだね!

 

「これでとどめだよ! 覚悟してよね!」

「っ……! ちょ、ちょっとお待ちくださいませ! 貴女方に無礼を働いたことは謝罪しますわ! その、わ、わたくしはただ、人間界の美味しいお菓子を食したかっただけで……悪意があったわけでは……!」

「問答無用! それに、あなたは一つ、勘違いしてるよ!」

 

 この際だから、教えてあげるよ、お姫さま。

 わたしがずっと大切にしていること。

 わたしたちの、ルールを。

 

「おししいものはみんなと食べる! 独り占めしない! それがわたしの、わたしたち人間のルールだよ! それを守れないお行儀の悪い人がわたしのパンケーキ(好物)を独占だなんて、絶対に許さないんだから! 反省しなさい!」

「っ……!」

 

 さぁ、これで本当の本当にとどめだよ!

 帰ってきて、わたしのパンケーキ(人生)――!

 

 

 

「《熱湯グレンニャー》で、ダイレクトアタック!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――あれ……わたくしは、なにを……?」

 

 対戦が終わってすぐ、女の子は目を覚ました。

 思ったより早かったなぁ。その間に鳥さんが引きはがしたクリーチャーを食べたり、わたしの格好を戻したりしてたけど、ギリギリだった。

 とりあえず、クリーチャーのことは基本的に秘密だし、この子がどこまで覚えているかを確認しなきゃいけないんだけど、なんて言ったらいいのかな……

 すると、霜ちゃんが女の子に呼びかける。

 

「大丈夫かい? なにがあったか、覚えてる?」

「なにが……わたくしは……お屋敷を抜け出して、日本のスイーツとやらを食してみたいと思い、それで……それで……」

 

 ……この子も、あのお姫さまと同じような理由で動いてたんだ。

 鳥さんは同調とか、気が合ってたとか言ってたけど、そういうことなの?

 

「……ごめんなさい。よく覚えてませんわ。そもそも、ここはどこなんでしょう?」

「洋菓子店、かな?」

「違うよ! パン屋さんだよ! パンケーキがあるんだから!」

「……パン屋だよ」

「パン屋……うぅん、覚えてませんわね。わたくしの口に合いそうなお店を探しているところまでは覚えているのですが……」

 

 どうもこの子は、クリーチャーのことを覚えてないみたい。

 それはよかったよ。あんまり、こういうことに関係ない人を巻き込みたくないからね。

 

「ところで、貴女方は……?」

「通りすがりの客だよ。君がここで倒れているのが見えて、ついさっき慌てて駆け寄ってきた。でも、大事なさそうでよかったよ」

「はぁ、わたくしが倒れて……」

「貧血とかじゃないかな? あれだったら、店員さんとか救急車とか呼ぶけど」

「いいえ、結構ですわ。いざとなれば使いの者に連絡しますので……それより、貴女方には迷惑をかけてしまったようですわね。申し訳ありません」

 

 さっきまでの傲慢な態度が嘘のように、素直に頭を下げる女の子。

 あれはクリーチャーが憑りついてたせいで、本当は優しい素直な子なのかな。

 

「うん、その点は別に構わないよ。ボクらも特になにかしたわけではないし……ただ」

「ただ?」

「君が注文したと思しきアレだけは、なんとかするべきだと思う」

「アレ……?」

 

 そう言って霜ちゃんが指差したのは、わたしのパンケーキ(戦利品)(暫定)。

 だいぶ一人で食べたみたいだけど、まだ何人分か残ってる。おいしそう。

 

「……あのタワーのようなものはなんでしょう?」

「パンケーキだ」

「違うよ! 期間限定トロピカルサマーパンケーキだよ!」

「……期間限定トロピカルサマーパンケーキだ」

「はぁ、パンケーキ……」

 

 自分で注文したことも覚えてない様子。自分の注文も忘れてものを食べるのはちょっとお説教ものだけど、クリーチャーに憑かれてたわけだし、そこは情状酌量の余地ありってことで、見逃すよ。

 

「……わたくし、流石にあの量のパンケーキをすべて食べきるのは、無理なのですが……」

「そこで提案というか、お願いなんだけど」

「お願い?」

「あ、あのっ! そのパンケーキ! ゆずってもらえませんか!? お代は払いますから!」

 

 隣で霜ちゃんが呆れたような溜息が聞こえた気がするけど、気にしない。

 だって、これがわたしの目標で、わたしが戦った意味だもん。

 みっともないと言われようと、醜いと蔑まれようと、意地汚いと罵られようと、諦められるわけがない。

 絶対に、掴み取るんだ。

 わたしが力を込めて、熱も込めて、縋るように女の子を見つめる。

 女の子は戸惑うように瞳を揺らしてたけど、やがて、

 

「……どうぞ。構いませんわ。あるだけご自由にどうぞ」

「あ、ありがとう!」

「あぁ、お金は結構ですわ。よく覚えていませんが、貴女方には迷惑をかけてしまたようですし……そのお詫びということで」

 

 静かに言う女の子。冷たい態度だったのは、やっぱりクリーチャーの影響だったのかな。根はとてもいい子みたい。

 

「やっぱり、クリーチャーに憑かれていいことなんてないんだね……わたし、それを実感したよ……」

「なんだろう。凄く成長してる感出てるのに、この腑に落ちないもどかしさは……」

「……わたくしは帰ります。その……本日はご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでしたわ。そして、ありがとうございました……それでは」

 

 あ……

 女の子はそそくさとテラスから出て行ってしまった。

 うーん、同じ外国人でも、ユーちゃんとはだいぶ違う子だったなぁ。

 冷徹な態度はクリーチャーのせいみたいだし、悪い子ではないみたいんだろうけど。

 でも……もう、会うことはないかな。なんだか、ちょっともやもやする。

 ……だけど、今は、ちょっと自分の欲望に忠実になろう。

 流石にもう、我慢が利かない。

 

「やったぁー! みのりちゃん! 恋ちゃん! ユーちゃんに霜ちゃん! 期間限定トロピカルサマーパンケーキだよ! みんなで食べよう! おいしそう……!」

「Ja! ユーちゃんもお腹ペコリンです!」

「……やれやれ。ここまで随分と遠回りしたな」

「まったく……その通り……」

「私は小鈴ちゃんが楽しそうだし、それで満足かな。昼代も浮いたしね!」

 

 周りに人がいないことをいいことに、ちょっとだけはしゃぎすぎた真夏のある日。

 家に帰ってから、今日のことを思い出したら――恥ずかしさで死にそうになったのはいい思い出です。




 果たしてクリーチャーの事件が起きるのは、日常回と言えるのか。というより、最も狂っていたのは暴徒と化した暴走小鈴だったような気もしますが、雰囲気がライトなら日常回でしょう。
 また相手のデッキはわりとスタンダードなジャイアントの種族デッキです。正直《アントワネット》はいらない。ジャイアントで固める方が強いと思います。
 ジャイアントと言えば、クロニクルデッキでシノビドルゲとして復活しましたが、ジャイアントの種族で固めると、防御力を捨てる代わりに異常なまでの展開力と攻撃力を叩き出せるのが楽しいです。
 それでは今回はこれにて。次回もまた日常回っぽく、そして前々から予定していた大会編です。
 ご意見ご感想、誤字脱字の報告等々、なにかりましたら遠慮なく送ってください。


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20話「大会だよ ~第1回戦~」

 色々とゴタゴタしていて、少し久々の更新になりました。再掲とはいえ、元の文章を再チェックして改稿するから、少し手間かかるせいでポンポン投げられるわけじゃないんですよね……投稿形式とか、ツールもちょっと違いますし。
 そんなことはさておき、前々から作中で予告していた大会編です。何話かに分けてお送りするので、少し長くなりますが、最後までお付き合いください。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 クリーチャーの出現も、不思議の国の人たちの登場も、ちょっとは落ち着いてきたかな、と思いたい夏のある日。

 いつものように、わたしたちは『Wonder Land』に集まっています。ただし今日は、いつもと集まってる理由が、ちょっと違います。

 わたしたちが今日、『Wonder Land』に集まった理由。それは――

 

 

 

 ――デュエマの大会、です!

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 詠さんと店長さんに頼まれて出場することになった、『Wonder Land』ファンデッキ大会。

 いつもとは違うデッキで対戦するこの大会なんだけど、これは、大会なんです。

 みんなでわいわいやってる、いつものデュエマとは、違うデュエマ。

 それは、会場入りした時点の空気の変化で、理解しました。

 

「いつもより人が多い……うぅ、緊張してきた……」

 

 小学校の学校行事以外で、おおよそ大会と呼べるようなものに出たことのないわたしは、お店の熱気に早速、気圧されてしまいました。

 

「大丈夫、小鈴ちゃん? ちょっと休む?」

「そんなに気負うことないよ。交流戦みたいなもんなんだし、楽しめばいいんだ」

「ですです。ユーちゃん、もう今から楽しみです! 大会、頑張りましょうね!」

「……受付、始まった、みたいだけど……」

 

 恋ちゃんが指差す。その先には、お店のカウンターに集うたくさんの人の姿。

 あの人たち全員が大会参加者なんだ……多い……

 

「あうぅ……」

「小鈴ちゃん、本当に大丈夫? 無理はしなくていいんだよ?」

「大舞台に弱いタイプか……この前の大暴走はなんだったんだってくらい弱ってるね……」

「だって、こんなに人……」

 

 自分が内向的な暗い女ってことくらいはわかってます。だから、こういう大会とかって、すごく緊張する。

 みんなと一緒なら大丈夫かと思ってたけど、対戦するのは一人だし、みんなとずっと一緒なわけじゃないし……そう思うと、体が……

 で、でも、詠さんにも出場するって言っちゃったし、この時のためにみんな一生懸命デッキを組んできたわけだし、ここでわたしがリタイアするわけにはいかない、よね……

 

「……ごめん、ちょっと、お手洗いに……先に受付、済ませておいてくれるかな……」

「う、うん。わかった。君の分も先にエントリーしておくよ」

「小鈴さん! お気をつけて!」

「うん、ごめんね……行って来る……」

 

 そう断ってから、お手洗いに走る。

 走るといっても、自分でもびっくりするくらい弱々しい足取りだけど。

 緊張だけでボロボロになった体。いまいちはっきりしない意識の中、不意に、後ろから声が聞こえた気がする。

 

「ところで……小鈴のハンネ……どうするの……?」

『……あ』

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「やっと、落ち着いた……」

 

 胸に手を当てる。まだ心臓がバクバク言ってるけど、さっきまでの恐怖心に近いものはなくなってる。

 そうだよね。わたしは今日このの時を“楽しみに”してデッキを組んできたんだもん。霜ちゃんの言う通り、楽しまなくっちゃ。

 霜ちゃんが提案してくれた、わたしたち五人のスタイルをまねっこするデッキ構築。みのりちゃんは、わたしの戦い方を真似たデッキを組む。霜ちゃんは、みのりちゃんの戦い方を真似て、ユーちゃんは恋ちゃんのを、恋ちゃんは霜ちゃんのを真似る。そして、わたしはユーちゃんの戦い方を真似て、デッキを組んだ。

 ……まあ、ユーちゃんっぽいかと言われたら、ちょっと違う気もするけど。闇文明入れただけだし……でも、なかなかの自信作だよ!

 

「っと、それより、早くみんなのとこに戻らなきゃ」

 

 思ったより時間がかかっちゃった。もうエントリー終ってるかな?

 一回戦の試合開始が1時からだったはず。今の時間は……12時55分。ギリギリだ。

 わたしは急ぎ足で戻る。時間通りに来ないで不戦敗なんて、格好つかないし、申し訳ないからね。

 それにしても、大会って色んな人がいるんだなぁ。

 カードショップとしては女の子が多いお店っていうのは知ってたけど、今日はいつにも増して女の子が多い気がするし、男の人もいつもより多かった。

 それも、わたしたちと同年代の人だけじゃなくて、高校生か、大学生か……ひょっとしたら社会人かもしれない大人の人もいっぱいいたし、小学生くらいの子もいた。ユーちゃんとは違う銀髪の人もいた。外国の人もいるんだ。

 ちょっとだけいつもと違う『Wonder Land』。正に、不思議の国、だね。

 

「……不思議の国、か」

 

 その言葉にはちょっと思うことがないでもないけど……今は、そんなことを考える時じゃないよね。

 気持ち程度の駆け足で、みんなのところに戻る。店員さん――詠さんだ――が参加者の名前を呼んで、点呼を取ってるところ?

 

「お、お待たせ。ごめん、遅くなっちゃった」

「小鈴か。受付はもう済ませたよ……実子が」

「? ありがとう」

 

 なんか、霜ちゃんがわたしと目を合わせてくれないし、どこか遠い目をしてる。なんでだろう?

 

「なんかねー、人が多くて一度に全員対戦は無理だから、二回戦までは前半と後半で二回ずつに分けるんだって」

「そうなんだ」

「まあ交流戦だし、他人が対戦してるところも見てたいからね。一応、観客者席みたいなスペースも設けられてるみたいだ」

「……だから、対戦スペースが狭くなってる……」

「回転効率より楽しみってことだろう」

 

 効率より楽しみ、かぁ。

 やっぱりこの大会は、楽しむことを重視してるんだね。

 

「ユーさーん! いますかー?」

「あ、ユーちゃんですね! 行ってきます!」

「うん。行ってらっしゃい、ユーちゃん」

 

 店員さんに呼ばれて、パタパタと向かっていくユーちゃん。

 あれ? でも、ユーちゃんのユーって、愛称だよね? 本名はユーリアのはずだけど……

 

「言い忘れてたけど、こういう大会だと、本名を使わず、ハンドルネームで呼ぶことが多いんだよ」

「へぇ、そうなんだ。でも、ユーちゃんはユーちゃんだったよね?」

「……別に、本名を使ってはいけない、わけじゃないし……要するに、どう呼ばれるか、ってこと……」

「ユーの場合は、もう既にユーっていうのがあだ名だし、あれがほとんど本名だってわかるのは、うちの学校の生徒くらいだろうね」

「本名を使ったって、他人からはそれが本名かわからないわけだしね」

「あ、なるほど。それもそうだね」

 

 わたしは初めて出るから知らなかったけど、こういう催しって本名使わないんだね。ハンドルネーム……ペンネームみたいなものだよね。

 みんなはどんな名前をつけてるんだろう。

 ……あれ? そういえば、わたしのエントリーはみんなに任せたけど、わたしの名前は……?

 

「マジカル☆ベルさーん? いますかー?」

「……ほら、呼ばれてるよ……小鈴」

「あれってわたしなの!?」

 

 マジカルってなに!? ベルは……ともかくとして、マジカルって……わたしのあの格好からの連想!?

 流石にその名前は恥ずかしいよ霜ちゃん……!

 

「ボクじゃない、あれをつけたのは……」

「私だよ!」

「みのりちゃん!? なんであんなのにしたの!?」

「面白いし、可愛いかなって」

「は、恥ずかしいよ……!」

「もう諦めるんだ、小鈴。他人にエントリーを任せた自分を恨んでくれ……」

「うぅ……」

「……ドンマイ」

 

 恋ちゃんが珍しく励ましてくれて、霜ちゃんも申し訳なさそうに諭してくる。確かに、その通りかもしれないけど……なんだか腑に落ちないよ……

 

「ほらほら小鈴ちゃん、店員さん呼んでるよ。早く行かなきゃ」

「あの名前で呼ばれてる時に行くのはすごい恥ずかしいんだけど……」

 

 でも行かないとお店にも迷惑なんだよね……

 そんなわけで、とっても恥ずかしい思いをしながらも、わたしは席に着くのでした。

 わたしの初めての大会は、緊張感が羞恥心に塗り潰された状態で、始まったのです。

 

「よ、よろしくお願いします……」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「勝っちゃった」

 

 一回戦、突破できました。

 

「おめでとう小鈴ちゃん!」

「おめ……」

「あ、ありがとう。みのりちゃん、恋ちゃん」

 

 大戦が終わったら、みのりちゃんと恋ちゃんがいた。

 一回戦の前半で対戦したのは、わたしと、ユーちゃんと、霜ちゃん。

 二人は後半組だね。

 

「ただいま」

「戻りましたよー!」

「あ、お帰り、霜ちゃん、ユーちゃん。どうだった?」

「デッキが上手く回ってくれたお陰で、なんとか勝てたよ。《オニカマス》も《オリオティス》も《デスマッチ》もなくて助かった」

「ユーちゃんもです! 勝ちました!」

 

 ってことは、前半組の三人はみんな二回戦に進めたんだね。よかったよ。

 

「席を立つ人が増えてきましたね」

「前半戦がもう終わるってことだろう。そろそろ後半戦に入るね」

 

 前半戦が終わって、後半戦に入る。

 次は恋ちゃんやみのりちゃんの番だね。

 

「ラヴァーさーん! いますかー?」

「ん……呼ばれた……行って来る……」

「あ、うん。行ってらっしゃい、恋ちゃん」

 

 早速、恋ちゃんが店員さんに呼ばれて、パタパタと行ってしまう。

 

「……恋ちゃんのハンドルネーム、ラヴァーっていうんだ」

「本名からの連想じゃないか? 恋だから、恋人でラヴァー、みたいな」

 

 Lover(恋人)

 あんまり恋ちゃんとイメージないけど、名前からの連想と言われると納得かな。

 本当にそれだけ? って疑問も、なくはないけど。

 

「稲荷さーん。ここでーす、お願いしまーす」

「お、私だね」

「みのりちゃん、なんで稲荷なの?」

「特に理由はないよ!」

「え」

「ハンドルネームのつけ方なんて、人それぞれさ。実子なら、稲荷寿司が食べたくなったからそんな名前にしたと言っても不思議はない」

「否定はしないかな!」

 

 ちなみに霜ちゃんは「SAW」と書いて「ソウ」だった。この名前は色んなところでも使ってるみたいで、霜ちゃんと連絡する時もそんな名前だったよ。映画のタイトルとかを自分の名前と重ねてるらしいです。

 それはそれとして、恋ちゃんとみのりちゃんが1回戦の後半に出ていく。これが終われば、次は二回戦かぁ。

 このまま、みんなで勝ち進めたらいいんだけど……大丈夫だよね。恋ちゃんもみのりちゃんも、とっても強いし。

 と、思っていたら、

 

「あれ? でも、恋さんの次に実子さんが呼ばれたってことは……」

「あ」

 

 そうだった。

 対戦テーブルを見ると、そこには、向かい合って座る恋ちゃんとみのりちゃんの姿があった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「まさか一回戦から当たっちゃうなんてねー。よろしくね、日向さん」

「ん……よろしく」

「まあ、皆で出てるわけだし、こういうこともあるよね」

「はうぅ、どっちを応援したらいいんでしょう……?」

「どっちでもいいさ。どっちかは勝つし、どっちかは負ける。でもこれは単純に競い合うだけの大会じゃない。ボクらは過程を楽しめばいい」

 

 過程を楽しむ、か。

 確かにみのりちゃんは口元を緩めて笑っている。恋ちゃんは……相変わらずの無表情だけど、少なくとも不機嫌そうではない。

 二人とも、楽しもうとしている、のかな?

 

「まずは次元の確認からだね。私の次元はこれだよ」

 

 

 

[実子:超次元ゾーン]

《銀河大剣 ガイハート》×1

《将龍剣 ガイアール》×1

《爆熱剣 バトライ刃》×1

《銀河剣 プロトハート》×1

《無敵剣 プロト・ギガハート》×1

《熱血爪 メリケン・バルク》×1

《革命槍 ジャンヌ・ミゼル》×1

《神光の龍槍 ウルオヴェリア》×1

 

 

 

 あ、《ガイハート》がある。みのりちゃんも、《ガイハート》使うんだ。

 

「《グレンモルト》は入ってるだろうが、よくわからないな。火文明がメインっぽいけど……《バトライ閣》まであるってことは、ドラゴン軸なのか?」

 

 霜ちゃんは隣で首を傾げていた。

 超次元ゾーンも、相手の戦術を知るための大事な要素って教えてもらったっけ。

 だから、霜ちゃんは超次元から、みのりちゃんのデッキを推理しようとしてるんだろうけど、なにかおかしなところがあるみたい。

 わたしには、《ガイハート》があるから《グレンモルト》が入ったデッキなのかな、くらいしかわからないけど……

 

「赤い……私のは、これ……」

 

 

 

[恋:超次元ゾーン]

《勝利のガイアール・カイザー》×1

《勝利のプリンプリン》×1

《タイタンの大地ジオ・ザ・マン》×1

《魂の大番長「四つ牙」》×1

《ブーストグレンオー》×1

《アルプスの使徒メリーアン》×1

《時空の英雄アンタッチャブル》×1

《時空の喧嘩屋キル》×1

 

 

 

「こっちは普通の次元だね、《勝利のリュウセイ》がないから、十中八九《フェアリー・ホール》一択だ」

 

 恋ちゃんの超次元は、総じて自然文明が多いように見えるけど、ほとんどよく見るカードだ。わたしが使ってるカードも少なくない。

 

「オーケー。じゃ、次はじゃんけんね」

 

 じゃんけんで先攻後攻を決める。勝ったのは恋ちゃんだから、恋ちゃんが先攻だ。

 

「私の先攻……《アブソリュートキュア》をチャージして、終了……」

「私のターン! 《DXブリキング》をマナチャージ! ターンエンド!」

 

 

 

ターン1

 

ラヴァー(恋)

場:

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:30

 

 

稲荷(実子)

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:5

墓地:0

山札:29

 

 

 

「《シュトルム》をチャージ……2マナで、《フェアリー・ライフ》……」

 

 恋ちゃんの動きは、今までわたしたちに見せてたデッキと変わらないように見える。《グランドクロス・アブソリュートキュア》を切り札にした、S・トリガーがたくさん入ったデッキだ。

 だけど、ここでマナゾーンに落ちたカードに、みのりちゃんが反応した。

 

「ん? 《モアイランド》……?」

 

 マナに行ったのは、コスト10のすごく重いクリーチャー。能力はよくわからないけど、なんだか変わったクリーチャーだなぁ。

 自然文明が入ってるわけだし、10マナのクリーチャーでも出せないこともなさそうだけど、なにかおかしいのかな……?

 

「ターン、終了……」

「変なカード入ってるなぁ……まあいっか。速攻で決めちゃおう! 《トップギア》をチャージして2マナ! 《虹彩奪取(レインボーダッシュ) トップラサス》召喚! ターンエンド!」

 

 

 

ターン2

 

ラヴァー(恋)

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:1

山札:28

 

 

稲荷(実子)

場:《トップラサス》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

 

「私のターン、《ホーリー》をチャージ……3マナで《ハイエイタス・デパーチャ》……1マナ加速……」

 

 恋ちゃんはマナ加速を続ける。やっぱり、マナを溜めることが大事なデッキなのかな。

 

「ん、単色おちた……じゃあ《ジャスミン》も召喚……もう1マナ、加速……」

 

 立て続けにマナ加速する恋ちゃん。

 すると今度は、色のないカード――無色のカードがマナゾーンに落ちた。

 

「今度は《VAN》かぁ、なんとなーく読めたかな?」

「……ターン終了」

「じゃ、私のターンね。《未来設計図》をチャージ。《トップラサス》でコスト軽減、3マナで《龍装車 ボルシェ》を召喚! 《トップラサス》からNEO進化するよ!」

 

 みのりちゃんはコスト軽減のために出していた《トップラサス》を、戦車みたいなクリーチャーにNEO進化させる。

 あれ? なんかあのクリーチャー、前にも見たことあるような……?

 

「水早君のまねっこでも、基盤はトリビっぽし、トリガー怖いけど……このクリーチャーなら除去トリガーは怖くないし、私は臆しないよ。速攻で決める! 《ボルシェ》で攻撃! する時に、革命チェンジ!」

 

 出た! みのりちゃんの革命チェンジだ!

 だけど、《リュウセイ・ジ・アース》とかの大きなドラゴンじゃないから、《ドギラゴン剣》とかじゃない、よね……? 

 なにが出るんだろう。

 

「《ボルシェ》の種族はドラゴンギルド! つまり火のドラゴンだから、このクリーチャーとチェンジするよ!」

 

 あ、あのクリーチャードラゴンなんだ。

 デュエマやってるとたまに思うけど、明らかにドラゴンっぽくないのに、種族にドラゴンがついてるクリーチャーがいるから、もう驚かない。

 それよりも、ここで出て来るクリーチャーって、一体――

 

 

 

「小鈴ちゃんパワー! 私アレンジ! 《シン・ガイギンガ》!」

 

 

 

 え、《ガイギンガ》!?

 って、一瞬ビックリしたけど、よく見たらこれ、いつかみのりちゃんが使ってたクリーチャーだ。

 

「これが最速3ターン《シン・ガイギンガ》だ! 《シン・ガイギンガ》でWブレイク!」

「……トリガー、《フェアリー・ライフ》……」

「よしよし、変なトリガーはないね。まあトリガー出ても選んだらエクストラターンもらっちゃうけど。ターンエンドだよ」

 

 

 

ターン3

 

ラヴァー(恋)

場:なし

盾:3

マナ:7

手札:2

墓地:4

山札:24

 

 

稲荷(実子)

場:《シン・ガイギンガ》

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:0

山札:27

 

 

 

「《シン・ガイギンガ》か……そういえば、前にもなんか組んでたな」

「わたしが《ガイギンガ》のデッキを組んでる時だったよね。ちょっと前のことだけど、懐かしいな」

「実子さんは《ガイギンガ》で小鈴さんのまねっこなんですね!」

「みたいだね。革命チェンジで出るから、元の《ガイギンガ》より素早く出せるのが《シン・ガイギンガ》の強みだけど、恋はこれを返せるのかな?」

 

 恋ちゃんはいつものように無表情で、苦戦しているのかは表情からは読み取れないけど……

 

「ゲロキツ……吐きそう……」

 

 ちょっと口が汚くなっちゃうくらいには辛いみたい。

 

「とりあえず、マナチャージ……」

「今度は《ドラゴ大王》か。やっぱりそういうデッキなんだね」

「……7マナ、タップ」

 

 恋ちゃんはマナゾーンのカードを倒すと、その中から三枚を手に取って、それを場に出した。

 これは、恋ちゃんも切り札が来る……!

 

「マナの《VAN》《モアイ》……《ホーリー》の三体を、進化元に、マナ進化GV(ギャラクシー・ボルテックス)……《超神星グランドクロス・アブソリュートキュア》を、召喚……」

 

 《アブソリュートキュア》。攻撃して進化元を墓地に置けば、その数だけシールドが復活するクリーチャー。

 これで三枚シールドが回復すれば、防御力が一気に上がって、長く耐えられるし、トリガーで反撃のチャンスも生まれる。

 はず、なのに、

 

「攻撃は、しない……ターン、終了……」

 

 え? 攻撃しないの?

 攻撃する時の能力があるのに、なんで攻撃しないんだろう……?

 

「恋……随分と強気だな」

「霜ちゃんは、恋ちゃんがなにするかわかるの?」

「むしろなんで君が忘れてるのかボクには不思議だけどね。まあ見てたらわかるさ。アレが綺麗に決まったら、驚くだろうから」

 

 そう言って霜ちゃんは、それ以上は教えてくれなかった。

 なんだかちょっともやっとするけど、霜ちゃんの言う通り、わたしは成り行きを見守ることにした。

 

「んー、手札は残り一枚かぁ。怪しいけど、手札補充を挟んでるわけでもないし……これは誘ってるのかな?」

「さぁ……」

「ふーん。まあでも、今ここで手札を与えるのはまずいし、私は大人しく待つことにするよ。《ボルシェ》はもういらないからチャージ。2マナで《トップラサス》、そして《トップギア》を召喚! ターンエンドだよ」

 

 

 

ターン4

 

ラヴァー(恋)

場:《アブソリュートキュア》

盾:3

マナ:5

手札:1

墓地:4

山札:23

 

 

稲荷(実子)

場:《シン・ガイギンガ》《トップラサス》《トップギア》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:0

山札:26

 

 

 

 みのりちゃんは攻撃せずにターンを終わらせた。

 みのりちゃんも恋ちゃんの狙いに気付いてるっぽいけど、それを見越してのプレイング、なのかな? 手札を与えない、とか言ってたし。

 さっきのターンにとどめは刺せなかったけど、これでみのりちゃんは、恋ちゃんにとどめを刺すだけのクリーチャーが揃った。

 

「……《フェアリー・ホール》、マナを加速……《ブーストグレンオー》を出して、《トップラサス》を破壊……嫌な予感するけど、なにもできないし……ターン、終了……」

「私のターン! もう待たないよ。このターンで決める!」

 

 そう宣言するみのりちゃんは、なんだか、とても生き生きしてる。

 前のターンはあえて攻撃しなかったみたいだけど、ここまでのカードを見る限り、みのりちゃんのデッキはすごく攻撃的なデッキ。

 そう何ターンも待つわけがないし、決められるとわかれば、容赦なく攻めてくる。

 

「《シン・ガイギンガ》をチャージして5マナ! 《トップギア》でコストを1軽減!」

 

 みのりちゃんはありったけの5マナをタップする。

 そうして、出て来るのは、

 

「さぁ、このデッキのセカンド切り札だよ! 《龍覇 グレンモルト》!」

 

 わたしもよく使ってる《龍覇 グレンモルト》。

 このタイミング、あのクリーチャーで出すドラグハートと言えば、あれしかない。

 

「《グレンモルト》の能力で、コスト4以下の火のドラグハートを出すよ。出すのは勿論《銀河大剣 ガイハート》!」

 

 やっぱり《ガイハート》だ。

 なんというか、みのりちゃんはすごくわかりやすく、わたしの戦術……っていうか、使うカードを真似てきてるみたい。

 

「決めに行くよ! まずは《グレンモルト》でシールドブレイク!」

「……トリガー、ない……」

「よしよし。で、次はどうしようか……どうせ《ホーリー》とか出ると全部止まっちゃうし、《シン・ガイギンガ》残す方がいいかな。Wブレイクして《シュトルム》とか《デパーチャ》踏んだら目も当てられないしね。というわけで《トップギア》でシールドブレイク!」

「こっちも……ノートリ……」

 

 S・トリガーを警戒したみのりちゃんの連続攻撃。そしてその甲斐あってか、恋ちゃんはトリガーを引けなかった。

 そして場には《グレンモルト》が生きている。そしてみのりちゃんはこのターン、二回攻撃をした。

 つまり、

 

「《銀河大剣 ガイハート》の龍解条件……成立!」

 

 《ガイハート》が、龍解する。

 

 

 

「これが小鈴ちゃんパワー! オリジナル! 《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 序盤に革命チェンジで現れた《シン・ガイギンガ》。その後を追うように、追撃するかのようにして、オリジナルの《ガイギンガ》が、バトルゾーンに現れる。

 すごいや、みのりちゃん……二体の《ガイギンガ》を同時に展開するなんて。

 

「さぁ、小鈴ちゃんのパワーをその身に受けるがいいよ! 龍解時能力で、パワー7000以下の《ブーストグレンオー》を破壊!」

「む……」

 

 《ガイギンガ》の能力で、恋ちゃんのクリーチャーが焼き払われる。残っているのは、なぜか攻撃しない《アブソリュートキュア》だけだ。

 みのりちゃんの場には《ガイギンガ》が二体。こうなると、恋ちゃんはもう厳しい。

 ……ところでみのりちゃん、ちょいちょいわたしの名前を出すのはやめてよ……

 本名を知ってる人はみんなしかいないとはいえ、周りに人がいるし、ちょっと恥ずかしい……

 

「さて、どっちの《ガイギンガ》から殴るか、若干迷うけど……まあこっちでいいか。《シン・ガイギンガ》で最後のシールドをブレイク!」

 

 これで恋ちゃんのシールドはゼロ。みのりちゃんには《ガイギンガ》が残っている。

 仮にS・トリガーで耐えたとしても、《ガイギンガ》を選んでしまったら追加ターンを取られて、そのまま負けてしまう。

 流石の恋ちゃんでも、ここから耐え凌いで、あまつさえ逆転だなんて、難しいかな……?

 恋ちゃんは顔色一つ変えずにシールドをめくる。そして、

 

「……来た……S・トリガー」

「うわっちゃぁ、最後に踏んじゃったか。やっぱ《ホーリー》?」

「……いや、違う……これ」

 

 言って恋ちゃんは、ピッとシールドのカードを場に出す。

 

 

 

「――《ロイヤル・ドリアン》」

 

 

 

「……え?」

 

 唖然としているみのりちゃん。霜ちゃんは「やっぱりか」なんて顔をしてる。

 初めて見るカードだけど……なんだろう、あれ。緑色の、まりもみたいに見えるけど、イラストだけじゃよくわからない。ドリアン?

 

「《ロイヤル・ドリアン》の、能力発動……進化クリーチャーの、一番上のカードを、すべて、マナゾーンへ……」

 

 一瞬、恋ちゃんの言っていることの意味がわからなかった。進化クリーチャーの、一番上のカードをマナ送り?

 変な書き方だ。進化クリーチャーを除去するんじゃなくて、その一番上だけだなんて。

 とりあえず、相手のクリーチャーを除去するタイプのS・トリガーみたいだけど、その対象はすごく限定的。

 それにそもそも、選ばない除去であっても、《ガイギンガ》は進化クリーチャーじゃないから倒せない。

 なんだけど、問題はそうではなかった。

 

「私の《アブソリュートキュア》の“一番上のカード”だけを、マナゾーンに……残りのカードは、場に残る……」

「げ……!」

 

 恋ちゃんは“《アブソリュートキュア》のカードだけ”をマナに置いて、下にあった残りの三枚はそのまま場に残した。

 あっ、これってあれだ。前に霜ちゃんがちょっと教えてくれて、わたしもデッキに組み込んでた戦術……退化。

 進化クリーチャーの一番上のカードだけを移動させて、進化元を残す方法。《落城の計》でやるのがほとんどって霜ちゃんが言ってたから、水文明のカードが必要だと思ってたんだけど、自然のカードでもできたんだ。

 《ロイヤル・ドリアン》はカード単位でマナに送るクリーチャーなんだね。しかも、対象は相手のみならず、自分も含まれる。だから、退化ができる。

 ……でも、相手ターン中にそれをするなんて、すごいなぁ。

 

「うへぇ、ここで《ドリアン》踏むのはついてなさすぎる。しかも、《VAN》《大王》《モアイ》なら良かったけど、《ホーリー》がいるのかぁ……!」

 

 みのりちゃんは恋ちゃんのS・トリガーを警戒して攻撃する順番を調整していたみたいだけど、それは結果的には間違いだった。

 恋ちゃんの場には、退化によって現れたブロッカーの《ホーリー》がいる。ブロッカーなら、《ガイギンガ》の攻撃でも凌ぐことができる。

 

「結果論とはいえ《ガイギンガ》から殴るのが正解だったんだね、って言いたいけど、こんなん考慮しとらんよー」

「退化って気づいたなら、《ドリアン》は、考慮するべき……私のデッキカラー、的にも……」

「そりゃそうだけどさぁ」

「それで……どうする……?」

「ほぼ負け確なんだよなぁ。まあでも、一応殴るよ。《ガイギンガ》でダイレクトアタック」

「《ホーリー》で……ブロック」

「ターンエンド。あー、まずった、これはもうダメだなぁ」

 

 

 

ターン5

 

ラヴァー(恋)

場:《ロイヤル・ドリアン》《VAN》《モアイランド》

盾:0

マナ:8

手札:2

墓地:6

山札:21

 

 

稲荷(実子)

場:《シン・ガイギンガ》《トップギア》《グレンモルト》《ガイギンガ》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:1

山札:25

 

 

 

 

「私のターン……一応《アブソリュートキュア》を召喚……」

 

 恋ちゃんはダメ押しのように《アブソリュートキュア》を召喚する。

 既に恋ちゃんの場には、大型クリーチャーが二体も並んでるし、みのりちゃん、一気にきつくなっちゃったね。

 

「《モアイランド》で、《ガイギンガ》を攻撃……バトルに勝ったから、シールドを三枚、マナゾーンへ……」

「そういえばそんな能力もあったね」

「《アブソリュートキュア》でも攻撃して、メテオバーン……弾を全部使って、シールドを三枚、追加……Wブレイク」

 

 シールドをマナに送ってトリガーを封じつつ、ダメ押しのようにシールドを追加して守りを固めながら、残るシールドを《アブソリュートキュア》でブレイクする恋ちゃん。

 みのりちゃんもここまで来たら、少ないシールドからトリガーチャンスを狙うくらいしかないけど、

 

「実子もここまでか」

「なんでですか? まだトリガーが……」

「《VAN》でドラゴンとコマンドは出せないし、《モアイランド》で呪文とD2フィールドも使えない。《バトライ閣》を積んでいるということは、あのデッキはできる限りドラゴンを積んでいるだろうから、トリガーもドラゴンである可能性が高い。《VAN》で逆転手はシャットアウトされてるよ」

「つ、つまり……?」

「ほぼ実子は負けが確定している。なにか驚きのカードでも採用していない限りはね」

 

 霜ちゃんが解説してくれる。

 呪文、フィールド、ドラゴン、コマンドが封じられてしまったみのりちゃん。

 みのりちゃんがこの状況から逆転するには、ドラゴンとコマンド以外の、クリーチャーのS・トリガーで、《VAN・ベートーベン》と《ロイヤル・ドリアン》をどうにかしなければならない。

 けど、そんなことができるカードが、都合よくあるとも限らない。

 

(好き勝手言ってくれるけど、まったくその通りなんだよねー……このデッキの防御トリガーなんて《ボルシャック・ドギラゴン》しかないから、《VAN》が出て打点揃えられた時点で詰みだし)

 

 ブレイクされたカードを手札に加える。そして、ふぅ、と息を吐いて手札を伏せるみのりちゃん。

 ってことは――

 

「《ロイヤル・ドリアン》で、ダイレクトアタック……」

「……なにもないよ。私の負け」

 

 

 

 ――この対戦(デュエマ)は恋ちゃんの勝ちです。




 大会編といっても、大会という枠に嵌めてただデュエマしてるだけというのが悲しいところ。でも、こうでもしないと存外、身内戦でストーリーって作りにくいですからね……
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20話「大会だよ ~第2回戦~」

 大会編、その2です。特に事件という事件もない、ただデュエマしてるだけの話ですが、デュエマ描写だけなら何気に今回は自信作かもしれません。描写というか、いわゆる棋譜、対戦譜面ですね。


「――《テンクウオー》で攻撃。手札からジョーカーズを二枚捨ててアンタップ、Wブレイク。トリガーはありますか?」

「……ありません」

「ならもう一度、《テンクウオー》で攻撃、ジョーカーズを二枚捨ててアンタップします。残り二枚をWブレイク」

「あ……S・トリガー《デス・ゲート》ですっ。《テンクウオー》を破壊して、墓地の《カモン・ピッピー》を復活させます! 《カモン・ピッピー》の能力は《勝利のリュウセイ・カイザー》を出します!」

「……ターンエンドです」

「わたしのターン、《龍覇 グレンモルト》を召喚! 《ガイハート》を装備させます。《グレンモルト》で《ヤッタレマン》を攻撃!」

「なにもないです」

「次に《勝利のリュウセイ》で《東大センセー》を攻撃!」

「こっちもないですね……あぁ、ヤバい」

「二回攻撃が成功したので、《ガイハート》を《ガイギンガ》に龍解! 《クジルマギカ》で攻撃する時、墓地の《超次元リバイヴ・ホール》を唱えて《グレンニャー》を手札に戻して、《勝利のガイアール・カイザー》をバトルゾーンに! Wブレイクです!」

「トリガーは……《バイナラドア》、《勝利のガイアール》を選択して、一枚ドロー……」

「じゃあ、《ガイギンガ》でダイレクトアタックです!」

「……なにもありません。ありがとうございました」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「勝ったよ!」

「おめでとう! 小鈴ちゃん!」

 

 戻ると、みのりちゃんが出迎えてくれる。

 一回戦が終わって、続く二回戦も無事に突破できました。

 二回戦は前半戦にわたしと恋ちゃん、後半戦に霜ちゃんとユーちゃんが対戦することになってる。

 見たところ、恋ちゃんは戻ってきていない。まだ対戦中かな。

 

「恋ちゃんの方はどうなってるのかな?」

「ユーリアさんと水早君が観戦してるはずだよ。行ってみよっか」

「うんっ」

 

 みのりちゃんと一緒に、恋ちゃんのいるテーブルへと向かう。

 わたしは二回戦も勝てた。きっと、恋ちゃんも勝てるよね。

 恋ちゃんは自分のデッキを「不完全……まともじゃない……」なんて言ってたけど、わたしよりもずっと強いんだもん。そう簡単に負けるはずがない。

 すぐに恋ちゃんの姿が見えた。小柄だけど、髪の色が薄いから、わりと目立つのだ。

 そして対戦テーブルを見ると――

 

「――《バロム・クエイク》で最終攻撃。防ぐ手はあるか?」

「……通します」

「ならば我の勝ちだな。対戦、感謝する」

「……ありがとうございました」

 

 シールドはゼロ。相手には、幾体ものクリーチャー。

 ……え?

 これって、もしかして……

 恋ちゃんが席を立つ。対戦相手の人は受付へと向かっていった。

 この大会だと、勝者が勝利報告をしに行くルールになってる。って、ことは……

 

「ん……こすず……終わったの……?」

「う、うん」

「どうだった……?」

「勝ったよ。あの、恋ちゃんは……」

「……負けた」

 

 短く簡潔に、なんでもないように言う恋ちゃん。

 恋ちゃん、負けちゃったんだ……残念だな。

 だけど恋ちゃんは、思ったほど落ち込んでいるわけでも、悔しがっているわけでもなく、あるがままの結果を受け入れているようだった。

 恋ちゃんがぼそりと、言葉を零した。

 

「でも、S・O・L(ソル)と対戦できたし……まあまあ、悪くない……」

「ソル?」

「この辺じゃ、ちょっと有名な、DMP……」

「へぇ、S・O・Lが来てるんだ」

「みのりちゃんも知ってるの?」

「名前くらいはね」

 

 S・O・L。その人が、恋ちゃんを倒した人なんだ。

 わたしたちが来た時にはほとんど終わってたし、対戦場面だけ見てて、すぐに席を立っちゃったから、ちゃんとよく見てなかったけど……

 

「その人は、強いの?」

「んー……まあまあかな。ファンデッカーで、CSとかガチの大会にはあんまり行かないって聞いたけど」

「……今回は、デッキが悪かった……まともなデッキなら……」

「その言い訳は、ちょっと見苦しいんじゃない?」

「むぅ……」

「うん、でも、強いか弱いかで言えば、日向さんを倒し得るくらいには強いね。ガチじゃないデッキは、それはそれでカードやプレイングについて知識や経験が必要だったりするし」

「そもそもここの大会に出てるってことは、強さを基準にデュエマをしていないってことでもあるけどね。ボクが見る限りでも、なかなか面白いデッキだったよ」

「でも、残念でしたね、恋さん」

「ん……別に……」

 

 恋ちゃんはなんでもないように言うけど、これでわたしたちの中で、みのりちゃん、恋ちゃんが敗退。

 残ったのはわたしと、二回戦を控えるユーちゃんと霜ちゃんの三人。

 決勝で会おう、なんて漫画とかで使い古された言葉だけど。

 それが実現することは、あるのかな。

 

「さて、もう前半戦も終わりかな。そろそろボクらの出番だ」

「Ja! 恋さんや実子さんの分まで戦ってきますよ!」

 

 霜ちゃんもユーちゃんもやる気は十分。

 とても、力強かった。

 

「とか言ってるそばから、呼ばれたね。行ってくるよ」

「ユーちゃんもです。行ってきますね!」

「……なんか、このパターン……覚えが、あるような……」

「あ……」

 

 対戦テーブルに着くユーちゃんと霜ちゃん。二人は、向かい合って座っていた。

 

「うん、なんかわかってたよ。そういう流れだっていうのは」

「はわわ、霜さんがお相手ですか……」

 

 二回戦、後半。

 その対戦カードは、ユーちゃんと霜ちゃんでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「まずは次元の確認からだね。ボクの次元はこれだよ」

 

 

 

[霜:超次元ゾーン]

《勝利のガイアール・カイザー》×1

《アクア・アタック<BAGOOON・パンツァー>》×1

《時空の精圧ドラヴィタ》×1

《時空の雷龍チャクラ》×1

《勝利のリュウセイ・カイザー》×1

《タイタンの大地ジオ・ザ・マン》×1

《勝利のプリンプリン》×1

《時空の喧嘩屋キル》×1

 

 

 

「んー、ちょっと変な次元だね?」

「《パンツァー》《ドラヴィタ》《チャクラ》……光の次元ホール、積まれてる……?」

「勝利セットも一通り揃ってるから、闇の超次元呪文もありそうだけど、どんなデッキかは判断憑かないね。軽量サイキックが《キル》だけなのも気になるし」

 

 みのりちゃんと恋ちゃんが、霜ちゃんの超次元ゾーンを見て考察してるけど、わたしにはよくわからなかった。

 自分で使ってたり、みんながよく使うカードのことはわかるけど、あんまり見ないカードはまだよくわからないなぁ。超次元呪文の種類とかも、まだ全部はわからないし。

 その辺も、ちゃんと覚えなきゃ。

 

「そっちに次元は?」

「ユーちゃんにはないですよ」

「わかった。じゃあ、じゃんけんだ」

 

 じゃんけんの結果、霜ちゃんはチョキ、ユーちゃんがグー。

 ユーちゃんの先攻で、デュエマスタートだ。

 

「ユーちゃんの先攻です! 《アルカクラウン》をマナチャージ! Ende!」

「《アルカクラウン》!? ユーが使うとは、意外だな……ボクのターン。《族長の無双弓》をチャージ、ターンエンドだ」

 

 

 

ターン1

 

ユー(ユー)

場:

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:30

 

 

SAW(霜)

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:5

墓地:0

山札:29

 

 

 

「ユーリアさんのデッキは5cアルカクラウンなのかな?」

「クラウン?」

「……最近、構築済みが出た……最大で五体のクリーチャーを、踏み倒す……クリーチャー軸の、五色コントロール……」

「まあ見てればわかると思うけどね。たぶん、爆発的なマナ加速から、大型と一緒に四、五体のクリーチャーを同時にぶん投げるようなデッキだよ」

「ご、豪快だね……」

 

 パッと聞くだけだと、物凄く強いように聞こえる。実際、強いんだろうけど。

 

「ユーちゃんのターンです。《ジャック・アルカディアス》をマナに置いて、Endeです」

「《ジャック》……」

「やっぱり普通に《アルカクラウン》のデッキに見えるけど……なんだか普通すぎるね。カード二枚しか見えてないから、まだなんとも言えないけど」

「ボクのターン……《ムシャ・ホール》をチャージ。《エール・ライフ》を唱えてマナを追加、ターンエンド」

 

 

 

ターン2

 

ユー(ユー)

場:

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:29

 

 

SAW(霜)

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:1

山札:27

 

 

 

「《カーネル》をチャージです。2マナで《ジョニーウォーカー》を召喚(フォーラドゥング)! 破壊して、マナを増やしますよ!」

「2コストの加速があるのか……ボクのターン」

 

 霜ちゃんは小さく呟いてから、カードを引く。

 

「2マナのマナ加速カードがあるのは変なの?」

「変じゃないけど、元々の構築済みには2コスト加速は入ってないし、あのデッキは一度に大量のマナを稼ぐ手段があるから、ちまちまマナを増やすカードはあんまり入らないと思うんだよね」

「多色多いから、マナカーブも歪むし……テンポ合わせて刻むより、雑に一気にマナ溜めた方が、手っ取り早い……」

 

 成程、そういう考え方もあるんだ。

 確かにユーちゃんのデッキは多色カードが多いみたい。多色カードはマナゾーンにカードを置く時にタップしちゃうから、カードの使い方がちょっと違うのかな。

 みのりちゃんや恋ちゃんもユーちゃんのデッキがわかってるみたいだし、霜ちゃんがわからないはずはないと思う。

 霜ちゃんは、どう動くのかな。

 

「よし、いい引きだ。《神秘の宝箱》をチャージ! 4マナで《チキチキ・JET(ジェット)・サーキット》を展開! これでターンエンド!」

 

 

 

ターン3

 

ユー(ユー)

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:27

 

 

SAW(霜)

場:《サーキット》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

 

 霜ちゃんはD2フィールドを展開する。

 見たことのないカードだけど、どんな効果なんだろう?

 

「あれは味方すべてをスピードアタッカーにするフィールドだね」

「全部スピードアタッカーになるの? 強いね」

「手軽にスピードアタッカーを付与できるのは画期的だよね」

「……わざわざ《サーキット》使うってことは……アタックトリガーを、活用するデッキ……?」

「侵略や革命チェンジを使うなら、そういう方向性かもねー」

 

 そう言えば、霜ちゃんはみのりちゃんのデッキをまねっこするんだったよね。

 侵略も革命チェンジも攻撃が鍵になる能力だから、スピードアタッカーを付けるのは理にかなってる。

 

「《電脳鎧冑アナリス》を召喚ですよ! 破壊してマナを増やします。Ende!」

「ボクのターン……うーん」

 

 マナを伸ばしていくユーちゃん。対して霜ちゃんは、カードを引くなり考え込んでいる。

 

「こう来たか、迷うな……でも、もう《サーキット》は展開できたし、こっちかな……《カーネル》をチャージ。3マナで《神秘の宝箱》を唱えるよ。山札から自然以外のカードをマナに落とす。《サーキット》をマナに置いて、ターンエンドだ」

 

 

 

ターン4

 

ユー(ユー)

場:なし

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:2

山札:25

 

 

SAW(霜)

場:《サーキット》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:2

山札:24

 

 

 

「そろそろ仕掛けてくると思ったけど、マナを伸ばすんだ」

「……手札が悪かっただけ……だと、思うけど……」

「そうかなぁ。まーでも、《サーキット》はフィールドで場持ちもいい方だし、そうなのかもね」

 

 どちらにせよ、じき攻撃を仕掛けてくることは確実だろうと、みのりちゃんは言う。

 そして問題は、ユーちゃんと霜ちゃん、どちらが先に仕掛けるかということだ。

 

「ユーちゃんのターンです! むむむ。これは、もったいないですけど《キング・アルカディアス》をチャージです。5マナで《腐敗無頼トリプルマウス》を召喚です! 1マナ増やして、手札も一枚、捨てさせちゃいますよ! これです!」

「《シャイニー・ホール》か、それなら問題ない。ボクのターン」

 

 ユーちゃんが無作為に選んだ手札が墓地に落とされる。

 霜ちゃんは手札が少ないから、結構厳しいように思えるけど、涼しい顔をしていた。

 

「ボクのターン……ぐっ、ここで引いてしまったか。だがまあ、仕方ない。《ジョニーウォーカー》をチャージだけして、ターンエンドだ」

 

 

 

ターン5

 

ユー(ユー)

場:《トリプルマウス》

盾:5

マナ:8

手札:1

墓地:2

山札:23

 

 

SAW(霜)

場:《サーキット》

盾:5

マナ:7

手札:1

墓地:3

山札:23

 

 

 

「今の反応、多色引いてマナが足りない感じだったねぇ」

「そうなの? っていうか、そんなことまでわかるの?」

「なんとなくね、経験則っていうのかな。それに、そうじゃなかったら今引きの《ジョニーウォーカー》をチャージだけして終わったりも、あんな苦い顔もしたりしないよ。だからきっと、水早君のキーカードは7マナから動くんじゃないかな?」

 

 霜ちゃんの反応から、そこまで推測できるんだ……

 ということは、霜ちゃんは想定していた動きよりも、1ターン遅くなってしまった。

 それは、この対戦において大きく響くことになる。

 

「! いいカードです! 《プロメテウス》を召喚!」

「うっ、最悪のタイミングで来たな……!」

「2マナ増やして、マナの《アルカクラウン》を手札に! Endeです!」

 

 ユーちゃんは《アルカクラウン》を手札に加えた。

 マナは足りてる。みんなの言う通りなら、次のターン、ユーちゃんは切り札を出すことができる。

 

「ボクのターン……《アルカクラウン》はまずい、多少無理してでも対処したいけど……」

 

 霜ちゃんも苦しそうな表情だ。よっぽど《アルカクラウン》ってカードは強いのかな。

 

「……でも、ドローは最高形なんだよな。まあ、こうなった以上、やるしかないね。先んじて仕掛けられるし」

 

 どこか諦めがついたように息を吐く霜ちゃん。諦めたというよりは、割り切ったというべきかもしれない。

 そして、手札のカードを一枚、抜き取った。

 

「マナチャージなしで、7マナタップ! 《龍素記号Sr スペルサイクリカ》を召喚!」

 

 みのりちゃんの言う通り、7マナのクリーチャーが出て来た。

 あれが、霜ちゃんの切り札、なのかな?

 

「《サイクリカ》の能力で、墓地の《シャイニー・ホール》を唱えるよ。《トリプルマウス》をタップして、《時空の雷龍チャクラ》をバトルゾーンへ! 唱えた呪文は手札に戻る」

「えっ!? 墓地の呪文を唱えておいて、手札に戻せるの!?」

「そこが《サイクリカ》の強いところだよね。一体で二回分、呪文が使えるんだもん。アドバンテージの取り方が半端ないよ」

「……けど、《シャイニー・ホール》一枚じゃ、たぶん、終わらない……」

「だね。あのフィールドの意味、そろそろわかるんじゃないかな」

 

 霜ちゃんが展開したD2フィールドの意味。

 スピードアタッカーを与える効果なわけだから、クリーチャーがいないとその力は発揮されない。逆に言えば、クリーチャーが出た今こそが、効果を発揮するタイミングとも言える。

 それを証明するかのように、霜ちゃんはさっき召喚したばかりのクリーチャーに手をかけた。

 

「《サーキット》の効果だ。このフィールドがある限り、ボクのクリーチャーはすべてスピードアタッカーを得る。よって《サイクリカ》で攻撃――する時に!」

 

 タップして攻撃を宣言した《サイクリカ》を、手札に戻す。

 これは……

 

 

 

「革命チェンジ! 《時の法皇 ミラダンテⅩⅡ(トゥエルブ)》!」

 

 

 

 やっぱり、革命チェンジだ。

 出て来たのは、光と水の大型ドラゴン。同じ革命チェンジでも、みのりちゃんとはまったく違うカードだ。

 

「光か水のコスト5以上のドラゴンの攻撃によって、《ミラダンテⅩⅡ》に革命チェンジだよ。そして《ミラダンテⅩⅡ》のファイナル革命! 次の君のターンの終わりまで、君はコスト7以下のクリーチャーを召喚できない!」

 

 召喚を封じちゃうの!? 1ターンだけとは言っても、コスト7以下と言ったら、ほとんどのクリーチャーがその対象内だ。わたしのデッキだったら、まったくクリーチャーが召喚できなくなっちゃって、なにもできなくなっちゃう。

 それに、召喚を封じるってことは、S・トリガーで出るクリーチャーも封じられるってことだよね。そう考えると、すごく強いクリーチャーに思える。そして実際に強いと、みのりちゃんが教えてくれた。

 でも、まだ終わらない。

 

「次に《ミラダンテⅩⅡ》の登場時能力で、手札からコスト5以下の光の呪文を唱えるよ。唱えるのはさっき回収した《シャイニー・ホール》だ! 《プロメテウス》をタップして、《時空の精圧ドラヴィタ》をバトルゾーンへ!」

「おー、《サイクリカ》一体から、召喚を封じたうえで一気に三体展開かぁ、やるねー」

「……《サイクリカ》で超次元呪文を回収……《ミラダンテⅩⅡ》で射出……絶え間ない、連続詠唱……そういう、コンボ……?」

「かもね。水早君の手札には《サイクリカ》が戻ってるし、次のターン、《ミラダンテⅩⅡ》で唱えた呪文がまた使えるわけだし、こうやって何度も呪文を使い回すようなデッキなのかな? 呪文の範囲が狭いけど」

 

 《サイクリカ》で墓地から唱えて、同時に回収した呪文を《ミラダンテⅩⅡ》で撃って、それをまた《サイクリカ》で唱える。

 何度も何度も繰り返しカードを使い続けるコンボ。

 みのりちゃんが得意な革命チェンジを使ってるけど、その根幹はすごく、霜ちゃんらしいな。

 

「さぁ、Tブレイクだ!」

「うにゅぅ、S・トリガーは召喚だから、出せないんですよね……なにもないです」

「じゃあ、次に《ドラヴィタ》で攻撃だ。こいつも《サーキット》でスピードアタッカーになってるからね。《トリプルマウス》を攻撃!」

「《トリプルマウス》のパワーは2000……パワー5500の《ドラヴィタ》には勝てないです」

「《ドラヴィタ》の能力で、バトルに勝ったのでアンタップだ。次に《プロメテウス》を攻撃! 再びアンタップ!」

「こっちも破壊されちゃいますね……」

「《ドラヴィタ》をアンタップする……が、これ以上盾を殴る意味もないかな。ターンエンド」

 

 

 

ターン5

 

ユー(ユー)

場:なし

盾:2

マナ:9

手札:5

墓地:2

山札:23

 

 

SAW(霜)

場:《サーキット》《ミラダンテⅩⅡ》《チャクラ》《ドラヴィタ》

盾:5

マナ:7

手札:1

墓地:3

山札:22

 

 

 

 ユーちゃんのクリーチャーはいなくなって、霜ちゃんは三体もクリーチャーを展開した。そのうえ、ユーちゃんはこのターン、コスト7以下のクリーチャーを召喚できない。

 圧倒的に霜ちゃんが優位な状況。なのに、霜ちゃんは険しい表情だし、ユーちゃんは現状を苦とも思っていない様子。

 なぜなら、

 

「えっと、コスト7以下じゃなければ、出せるんですよね?」

「……そうだね」

「じゃあ、出しちゃいます! 9マナタップです!」

 

 召喚制限を超えて、より多くのクリーチャーを展開できる算段が、ユーちゃんにはあったから。

 

 

 

「召喚です――《天罪堕将 アルカクラウン》!」

 

 

 

 9コストも支払って出て来たのは、光と、闇と、自然のクリーチャーだった。

 《ミラダンテⅩⅡ》で封じられるのは7コスト以下の召喚だけ。だから、コストが7を上回っていれば、問題なく出せる。

 それがわかっていたから、霜ちゃんは切り札を出せても楽観できなかったし、ユーちゃんは霜ちゃんに仕掛けられても悲観していなかったんだ。

 

「《アルカクラウン》の能力です! 山札を五枚見て、その中から、コスト7以下の光、水、闇、火、自然のクリーチャーをそれぞれ出しますよ!」

 

 ユーちゃんが能力を説明する。クリーチャーを一気に出すっていうのは、そういうことだったんだね。

 要するに、山札を見て、各文明のクリーチャーをそれぞれ出すという能力。制限は、山札の上から五枚、そしてコスト7以下ということ。

 でも召喚じゃないから、これも《ミラダンテⅩⅡ》の制限を受けない。こう見ると、物凄く強いと思ってた《ミラダンテⅩⅡ》も、意外と抜け穴が多いんだね。

 なんにせよ、ユーちゃんの山札がよほど悪くなければ、これでバトルゾーンの状況はひっくり返る。

 ユーちゃんは山札の上から五枚をめくって見た。

 そして、

 

「……完璧(フォルコンメンハイト)です!」

 

 満面の笑みを、わたしたちに見せつける。

 

「光は《腐敗聖者ベガ》! 水は《青寂の精霊龍 カーネル》! 闇は《闇鎧亜クイーン・アルカディアス》! 火は《爆砕面 ジョニーウォーカー》!」

「これはまさか、五体フルで出されるパターンか? 《キリュー》とかがないことを祈りたいね――」

 

 と、霜ちゃんが言いかけたところで。

 ユーちゃんがめくった最後の一枚が、場に出される。

 

 

 

「自然は――《超神星グランドクロス・アブソリュートキュア》!」

 

 

 

「はぁ!?」

 

 ユーちゃんがめくったカードを見て、霜ちゃんが素っ頓狂な声を上げる。

 わたしにはそんなに驚く理由がわからないけど……でも、ユーちゃんのデッキの意図は、少しだけわかった。

 霜ちゃんはみのりちゃんのデッキのパターンを真似するデッキを組んできた。だから、革命チェンジをデッキの中に取り入れている。

 そしてユーちゃんは、恋ちゃんのデッキのまねっこだ。恋ちゃんと言えば、シールドを増やしたり、S・トリガーをたくさん入れたりして、相手の攻撃を防ぐ戦術をよく使う。

 そんな恋ちゃんの切り札のひとつが、《超神星グランドクロス・アブソリュートキュア》。攻撃するだけで、シールドを三枚も増やせるクリーチャー。

 ユーちゃんはみのりちゃんと同じで、真似する相手の切り札をそのまま、デッキに入れたんだ。わたしのまねっこをした、みのりちゃんみたいに。

 

「えっと、《クイーン・アルカディアス》は《ベガ》から進化(エヴォルツィオン)! 《アブソリュートキュア》は、マナの《アナリス》《プロメテウス》《キング・アルカディアス》を進化元にして、マナ進化GVです!」

「確かに7コストかつ多色で、即打点になるから組み合わせられるけどさぁ……だからって、まさかそんなのが……!」

 

 霜ちゃんは驚きながらも悔しそうな表情をしている。意表を突かれた一枚が、そんなに衝撃的だったのかな。

 

「《ベガ》の能力です! シールド追加して、手札を捨てさせます! 《カーネル》の能力で選ぶのは《ミラダンテ》です! 《ジョニーウォーカー》の能力は使わないです」

 

 これでバトルゾーンのクリーチャーの数は逆転した。霜ちゃんは三体だけど、ユーちゃんは一気に五体。倍近くの差がついた。

 それだけじゃない。

 

「いっきますよー! 《グランドクロス・アブソリュートキュア》で攻撃(アングリフ)! する時、メテオバーンです! 進化元のクリーチャーを全部墓地に置いて、シールドを三枚増やします!」

「それは……通そう。Wブレイクだね。トリガーはないよ」

「では、Endeです!」

「まさか《アブキュア》とは。《チャクラ》の覚醒を阻止されるばかりか、シールドが初期より増えてしまった、まずいな……《ミラダンテ》は動けないし、《クイーン》で呪文も封じられたし、かなり厳しい……!」

 

 そう、ユーちゃんはクリーチャーの数で逆転しただけじゃなくて、シールドを1ターンに四枚も増やして、前のターンのシールドブレイクをなかったことにしている。

 霜ちゃんのデッキは前のめりに攻撃していくっぽいし、これは霜ちゃんがかなり厳しそうかな。

 

「とりあえず今は、できることをするしかないな……《サイクリカ》を召喚。《クイーン》で呪文が封じられてるから、能力は不発だ。《サイクリカ》で《アブソリュートキュア》を攻撃する時に、革命チェンジで《オーパーツ》を出す。二枚ドローして、君のカードを二枚、山札に戻してもらうよ」

「じゃあ、《アブソリュートキュア》と、《クイーン》の進化元の《ベガ》を山札の下に置きますね」

「攻撃対象が消えて、攻撃は中断だね。ターンエンド」

 

 

 

ターン6

 

ユー(ユー)

場:《アルカクラウン》《カーネル》《ジョニーウォーカー》《闇鎧亜クイーン・アルカディアス》

盾:6

マナ:7

手札:3

墓地:7

山札:12

 

 

SAW(霜)

場:《サーキット》《ミラダンテⅩⅡ》《チャクラ》《ドラヴィタ》《オーパーツ》

盾:3

マナ:7

手札:4

墓地:3

山札:20

 

 

 

「ユーちゃんのターン! 《フェアリー・ミラクル》を唱えますよ! ユーちゃんのマナには五文明揃ってるので、2マナ増やします! それから、《アルカクラウン》でシールドへ攻撃です!」

「それはニンジャ・ストライク、《ハヤブサマル》でブロックだ!」

「うむむです、防がれちゃいました……Ende」

「ボクのターン」

 

 一気にクリーチャーを展開して、数でも優位に立ったユーちゃんだけど、動きは控えめだった。

 というのも、いくらクリーチャーを並べても、一体一体はそれほど強くない。一方、霜ちゃんは革命チェンジで大型クリーチャーを出せるから、一体一体の力が強い。

 《クイーン・アルカディアス》も《ミラダンテⅩⅡ》や《オーパーツ》にパワー負けしてるし、なかなか攻め入りにくいんだろうな。

 とはいっても、霜ちゃんもきついことには変わりはなかった。

 

「《キング》だと詰んでるけど、《クイーン》も相当にやりづらいな……《カーネル》を召喚。能力で君の《カーネル》を拘束、攻撃もブロックもできないよ。そして《オーパーツ》で攻撃する時、革命チェンジ! 二体目の《オーパーツ》とチェンジだ! 二枚ドロー!」

「ユーちゃんは、手札一枚と、《カーネル》を山札の下に戻します……でも、これも使いますよ! ニンジャ・ストライク!」

「っ、ここでシノビ!?」

「《怒流牙 サイゾウミスト》です! 墓地(フリートホーフ)のカードを全部山札に戻して、シールド追加です!」

 

 ユーちゃんは墓地のカードを全部山札に戻して、シールドを増やす。

 わたしはこのプレイングについてはなんとも思わなかったけど、霜ちゃんは訝しげな眼差しを向けていた。

 

「? ここで《サイゾウミスト》……? とりあえず、Wブレイクだよ」

「S・トリガー! 《ジャック・アルカディアス》です! コスト4以下のカードを破壊しますよ! 《チキチキ・JET・サーキット》を破壊です!」

「っ……!」

 

 怪訝な表情から一変、歯噛みする霜ちゃん。

 D2フィールドが破壊されて、スピードアタッカーを与える効果が消えてしまった。

 あのカードが霜ちゃんのデッキのキーカードだろうことは想像に難くない。それを破壊されちゃったわけだし、霜ちゃんはまた追い詰められる。

 

「《サーキット》が破壊された……! まずい、《カーネル》が攻撃できなくなった。計画が狂ったな……ごめん、ちょっと考えさせてほしい」

「Ja、わかりました」

 

 一言断ってから、頭を抱える霜ちゃん。だけど、思考は止めていない様子。

 こんな時でも冷静に考え続けられる霜ちゃんって、やっぱりすごいよね。わたしなら、絶対にわたわたしちゃうもん。

 

「手札はこれか……ならもう、こうするしかないか……?」

 

 しばらく悩んでから、霜ちゃんは決断したみたい。

 霜ちゃんは場の《ミラダンテⅩⅡ》に手をかける。

 

「《ミラダンテⅩⅡ》で《アルカクラウン》を攻撃! その時、革命チェンジで《ミラダンテⅩⅡ》をバトルゾーンへ! ファイナル革命を発動! 呪文は使えないから、一枚ドローして……バトルだ!」

「どっちもパワーは12000ですね」

「あぁ、相打ちだ。これでターンエンド」

「じゃあユーちゃんは、《サイゾウミスト》を山札の下に戻します」

 

 

 

ターン7

 

ユー(ユー)

場:《ジョニーウォーカー》《ジャック・アルカディアス》《闇鎧亜クイーン・アルカディアス》

盾:5

マナ:9

手札:3

墓地:1

山札:19

 

 

SAW(霜)

場:《チャクラ》《ドラヴィタ》《オーパーツ》《カーネル》

盾:3

マナ:8

手札:7

墓地:7

山札:20

 

 

 

「ユーちゃんのターンですね! まずは《サイゾウミスト》の能力で、シールドを一枚、マナに置きます」

 

 せっかく増やしたシールドを、マナに置いちゃうんだ。

 ってことは、あのクリーチャーは一瞬だけ防御を固められるシノビなんだね。

 ……あれ? じゃあなんでユーちゃんは、あのタイミングで《サイゾウミスト》を召喚したんだろう? 攻撃を防ぐためなら、残りシールドがゼロの時に出した方が、効果的だと思うんだけど……

 それ以外の理由があるとすれば、マナを増やすとか、墓地のカードを山札に戻すためとかだけど……うーん、わかんないや。

 それよりも、場の状況がさらに動いた。

 

「では、9マナタップです!」

「なっ、嘘だろっ!?」

 

 このタイミングで9マナのカード。

 となれば、二度目のあのクリーチャーしかない。

 

「《アルカクラウン》を召喚です! さぁ、もう一度山札をめくりますよ!」

「くっ、ここでまた《アルカウラウン》はきつい……!」

 

 一度に最大五体のクリーチャーを出せる《アルカクラウン》。ただ出るだけで、相当な圧力になるんだろうな。

 

「光は《アブソリュートキュア》、水は《プロメテウス》、闇は《キング・アルカディアス》です!」

「うぐっ、遂に《キング》まで来たか……!」

「《キング・アルカディアス》は《プロメテウス》から進化です! そして《アブソリュートキュア》で攻撃、メテオバーンでシールドを三枚増やして、Wブレイクです!」

「あえて通す……S・トリガー《カーネル》だ! 《クイーン》を拘束!」

「でも、《キング・アルカディアス》の能力で、コストを払って出ないと破壊ですよ!」

 

 S・トリガーでなんとか耐える霜ちゃんだけど、耐えても厳しい現実が待っている。

 

「《キング》《クイーン》のロックが完成しちゃったかぁ。これは水早君の負けっぽいなぁ」

「ロック?」

「……アルカディアス夫妻の、単色メタロック……あの構築済みで、復活した……」

「? 夫婦? 構築済み……?」

「えっとね、あの二体の《アルカディアス》はそれぞれ強力なロック能力を持ってて、二体揃うとほぼ無敵なんだよ。《キング・アルカディアス》は多色以外のクリーチャーの召喚コストを5増やして、相手クリーチャーがコストを支払わずに出たら破壊する。《クイーン・アルカディアス》は多色以外の呪文のコストを5増やして、コストを支払わずに呪文を唱えられないようにする」

「ってことは、霜ちゃんは多色カードじゃないと、ほとんどカードが使えない……?」

「そゆことだね。《キング》《クイーン》でS・トリガーもほとんど封殺されてるし、ゴリ押されたらおしまいだよ」

 

 相手の自由を奪うロック。そうでなくても、クリーチャーの数も増えている。《サイクリカ》の呪文再利用も、革命チェンジも封じられて、デッキの戦術は崩壊した。霜ちゃんがここを切り抜けるのは、難しいとみのりちゃんは言う。

 だけど、一体一体のクリーチャーのパワーは霜ちゃんの方が上だし、まだなんとかなりそうな気がするけど……

 

「霜さんのブロッカーは二体ですね。《キング・アルカディアス》で攻撃したいですけど、パワーは負けちゃってますから……《ジャック・アルカディアス》で《オーパーツ》を攻撃します!」

「そう来たか。それは……《チャクラ》でブロック、する……!」

「《ジャック・アルカディアス》はスレイヤーです! そっちも破壊ですよ!」

「甘んじて受け入れよう。もう覚醒もできそうにないしね」

「これ以上は攻撃したくないです……Ende!」

 

 多色以外のカードをまともに使わせず、コストを支払わない行動も軒並み封じた。

 不自由極まりないこの状況で、霜ちゃんはどうやって戦うんだろう。

 

「まだ耐えられるか……? 4マナで《族長の無双弓(ウビンデ・ワヌル)》を唱えるよ。多色呪文だからコストはそのままだ。アンタップしている《クイーン・アルカディアス》をマナに送るよ!」

「あぅ、やれれちゃいました……」

「ついでにマナ武装2も発動だ。ボクのマナに多色カードが二枚以上あるので、次のボクのターンまで、ボクのクリーチャーはブロッカーになるよ。さらに《超次元シャイニー・ホール》! 《キング・アルカディアス》をタップ!」

「はわっ!?」

「超次元ゾーンからは、《勝利のプリンプリン》を出すよ。《アルカクラウン》を拘束!」

「《キング・アルカディアス》の能力です! コストを払って出てないので、破壊します!」

「結構、君のロックも打ち破らせてもらうからね。《オーパーツ》で《キング・アルカディス》を攻撃だ!」

「《キング・アルカディアス》のパワーは9000なので、パワー11000の《オーパーツ》には勝てません……」

「じゃあ、これでターンエンドだよ」

 

 

 

ターン8

 

ユー(ユー)

場:《アルカクラウン》《アブソリュートキュア》《ジョニーウォーカー》

盾:7

マナ:10

手札:3

墓地:6

山札:11

 

 

SAW(霜)

場:《ドラヴィタ》《オーパーツ》《カーネル》

盾:1

マナ:9

手札:4

墓地:10

山札:14

 

 

 

 す、すごい……!

 ユーちゃんの切り札っぽい二体の進化クリーチャーを、1ターンでどっちも倒しちゃった……!

 

「うん、これは本当に凄いね。《キング》《クイーン》の夫婦ロックを、たった1ターンで完全に崩すなんて」

「……まあ、多色は封じられないし……その穴が、あったからこそ……」

「それでも、これで水早君はのびのび動けるようになったし、勝負はわからなくなったね」

 

 まだユーちゃんはクリーチャーの数で無理やり押し通せそうな感じはあるけど、それでも、二体のロックをかけるクリーチャーを倒せたのは大きい。

 

「うむむ、まずいです、まずいですよ、ピンチですよ……あ、《アナリス》を召喚。破壊して、ドローです」

 

 実際にユーちゃんも、苦しそうにしている。まさかたった1ターンで《キング・アルカディアス》と《クイーン・アルカディアス》、どちらも倒されるとは思ってなかったみたい。

 

「……とりあえず、出しときましょう。《サイゾウミスト》を召喚 。山札をシャッフルして、シールドを追加。Endeです」

「さて、散々引っ掻き回されたけど、なんとか立て直せたな。次はボクが封殺する番だ」

 

 霜ちゃんのターン。

 霜ちゃんはそう宣言すると、カードを引く。

 

「《サイクリカ》を召喚、墓地の《シャイニー・ホール》を唱えて《アブソリュートキュア》をタップし、《チャクラ》をバトルゾーンへ。《オーパーツ》で《アブソリュートキュア》を攻撃する時、革命チェンジ! 《ミラダンテⅩⅡ》!」

「あうぅ、出ちゃいました……」

「ファイナル革命でコスト7以下のクリーチャーの召喚を封じる。さらに手札から《シャイニー・ホール》だ。《サイゾウミスト》をタップして、《勝利のプリンプリン》を出す。《プリンプリン》の能力で《アルカクラウン》を拘束し、《アブソリュートキュア》とバトル」

「こっちの負けです……」

「次に《カーネル》で《サイゾウミスト》を攻撃する時、《オーパーツ》に革命チェンジ! 二枚ドロー」

「うぅ、《サイゾウミスト》と手札一枚を山札に戻します……」

「ならターンエンドだ。だいぶ場が綺麗になったね」

 

 

 

ターン9

 

ユー(ユー)

場:《アルカクラウン》《ジョニーウォーカー》

盾:8

マナ:10

手札:2

墓地:1

山札:17

 

 

SAW(霜)

場:《ドラヴィタ》《チャクラ》《プリンプリン》《ミラダンテⅩⅡ》《オーパーツ》《サイクリカ》

盾:1

マナ:10

手札:7

墓地:10

山札:9

 

 

 

 革命チェンジで、どんどん自分に有利な状況へと場を引き寄せていく霜ちゃん。ユーちゃんの場には、《プリンプリン》に拘束されて動けない《アルカクラウン》と、《ジョニーウォーカー》だけ。そして《ミラダンテⅩⅡ》のファイナル革命で、召喚に制限がかかっている。

 対する霜ちゃんはどんどんクリーチャーを並べて、クリーチャーはたくさん。ユーちゃんのシールドもかなり多いけど、それを全部割り切れるだけのクリーチャーは揃ってる。

 正に形勢逆転だ。ユーちゃんのロックを崩した上に、すぐにここまで持ち直すなんて、すごいや、霜ちゃん。

 

「ユーちゃんのターン……《サイゾウミスト》の能力でシールドをひとつマナに置いて……うぅ、なんにも出せないです……Endeです……」

 

 結局、ユーちゃんは《ミラダンテⅩⅡ》の効果が響いて、文字通りなにもできなかった。

 

「だいぶ長引いてしまったし、そろそろ決めに行くよ。マナチャージ。4マナで《チキチキ・JET・サーキット》を再び展開!」

 

 場も、手札も、マナも潤沢な霜ちゃんは、一度は消えてしまったD2フィールドを展開し直す。

 これで次に出て来るクリーチャーはスピードアタッカーになるから、さらに後が続けば、ちょっとやそっとのS・トリガーじゃ止められないような布陣を作れる。

 そんなわたしの考えた通り、霜ちゃんは続け様にクリーチャーを繰り出す。

 

「7マナで《サイクリカ》を召喚! 墓地の《シャイニー・ホール》を唱えて《ジョニーウォーカー》をタップ、《アクア・アタック<BAGOOON(バゴーーーン)・パンツァー>》をバトルゾーンに!」

 

 これでさらにWブレイカーが二体増えた。

 シールドを全部割ってとどめを刺すだけなら、数は十分だけど、問題はS・トリガーだ。

 それについては、霜ちゃんも考えているようだけど、

 

「盾は七枚か……トリガーが懸念材料だけど、フルクリーチャー気味の構築で、高コストへの除去札は《デッドブラッキオ》くらいだろうし、そのまま攻めるか。《ドラヴィタ》で《ジョニーウォーカー》を殴り倒して……《ミラダンテⅩⅡ》で攻撃! 革命チェンジ! 《オーパーツ》!」

 

 霜ちゃんは臆さず攻撃する。S・トリガーで逆転されることはないだろうと判断したんだろうね。

 

「《オーパーツ》の能力だ。ボクは二枚ドロー。そして君は」

「手札二枚を、山札の下に置きます……」

「じゃあ、Wブレイクだ! 変なトリガーを踏まないでくれよ……!」

 

 祈るように二枚のシールドをブレイクする霜ちゃん。

 対して、ユーちゃんは……?

 

「……なにも、ないです……」

「よし、それじゃあ二体目の《オーパーツ》で攻撃する時にも、革命チェンジだ! 《ミラダンテⅩⅡ》!」

 

 何度も繰り返し現れる《ミラダンテⅩⅡ》。その能力が、また発動する。

 

「ファイナル革命発動! コスト7以下のクリーチャーの召喚を封じるよ。さらに手札から《族長の無双弓》を唱えて、《アルカクラウン》もマナに送ってしまおうか」

 

 S・トリガーによる逆転の芽を摘み、場にいるクリーチャーも排除する。

 そしてその直後、シールドを突き破るクリーチャーの攻撃。

 

「Tブレイクだ!」

「……! 出ました、S・トリガーです!」

「っ、ここでか。でも、召喚は封じてるし、呪文のトリガーじゃ《炎乱と水幻の裁》か《獅子王の遺跡》程度……この場をひっくり返すようなものは――」

 

 と、言いかけたところで。

 ユーちゃんはしたり顔で、そのカードを見せつける。

 

 

 

「S・トリガー――《蒼龍の大地》です!」

 

 

 

 それは、霜ちゃんの予想を覆す、赤と緑で彩られた呪文。

 霜ちゃんの表情が、一瞬で吃驚に変わる。

 

「なにっ!? 《蒼龍の大地》だって!?」

「ユーちゃんのマナゾーンにあるカードの枚数より小さいコストのクリーチャーを、マナから出します。ユーちゃんのマナは11マナなので、それよりコストの小さいクリーチャー――《アルカクラウン》を出します!」

「しまった、トリガーはクリーチャーばかりだと思っていたが、《蒼龍の大地》があったのか……!」

 

 失念していた、と零す霜ちゃん。

 《アルカクラウン》が出たってことは、またクリーチャーが最大で五体出て来る。運次第だけど、出て来るクリーチャーによっては、霜ちゃんの攻撃を食い止められるかもしれない。

 

「えっと、先に《蒼龍の大地》の効果ですね。自然のクリーチャーが出たので《アルカクラウン》と、前のターンに出た《スペルサイクリカ》をバトルさせます!」

「《サイクリカ》は墓地に行く代わりに山札の下へ行くよ」

「次に《アルカクラウン》の能力発動です! 山札を五枚、見ますね!」

 

 山札の上から五枚をめくるユーちゃん。

 S・トリガーこそ出たけど、まだ霜ちゃんの攻撃を防ぎ切るには足りていない。

 だから、すべてはここでめくれるカード次第。ユーちゃんが耐えられるかどうかは、運次第なんだ。

 なんだけど、

 

「光は《サイゾウミスト》、水は《プロメテウス》、火は《ジャック・アルカディアス》、自然は《アナリス》……この四体を出します!」

 

 ものの見事に、必要なカードを引き当てたっぽい。

 

「《サイゾウミスト》で山札をシャッフル、シールドを追加です。《プロメテウス》は2マナ追加、マナのカードを手札に戻します。《ジャック・アルカディアス》で《チキチキ・JET・サーキット》を破壊して、《アナリス》は破壊しません!」

「このターンに出た《サイクリカ》と《BAGOOON・パンツァー》が止まったか。これ以上攻めても、とどめまでは届かないな……ターンエンド」

 

 ユーちゃんのシールドが三枚に増えて、D2フィールドがなくなったからスピードアタッカーも消えてしまい、残った攻撃できるクリーチャーは《ドラヴィタ》と《プリンプリン》だけ。

 倒しきれないと判断した霜ちゃんは、それ以上の追撃はせずにターンを終えた。

 

 

 

ターン10

 

ユー(ユー)

場:《アルカクラウン》《サイゾウミスト》《プロメテウス》《ジャック・アルカディアス》《アナリス》

盾:3

マナ:12

手札:6

墓地:0

山札:14

 

 

SAW(霜)

場:《ドラヴィタ》《チャクラ》《プリンプリン》《BAGOOON・パンツァー》《ミラダンテⅩⅡ》《オーパーツ》《サイクリカ》

盾:1

マナ:11

手札:8

墓地:9

山札:7

 

 

 

(展開されちゃったけど、《族長の無双弓》の保険がある。ボクのクリーチャーはすべてブロッカーだから、現状、ユーの攻撃は届かない。それに召喚制限もかけたから、このターンのかなり守りは固い。簡単には突破されないはず。もし突破できるとするなら……)

「9マナタップです!」

「あぁ……やっぱりか」

 

 どこか諦めがついていたかのような、霜ちゃんの言葉。

 そしてその諦念の示すように、ユーちゃんも幾度となく現れた切り札を呼び出す。

 

「《天罪堕将 アルカクラウン》を召喚! 能力発動です!」

 

 またしても、山札をめくる。

 そしてめくられた五枚は、

 

「光は《キング・アルカディアス》、水は《アナリス》、闇は《クイーン・アルカディアス》、火は《ジョニーウォーカー》、自然は《アブソリュートキュア》! 五体出します!」

「……流石にもう無理だ。詰んだな」

 

 ここまでで最高の五枚だった。

 ロックが強い《キング・アルカディアス》と《クイーン・アルカディアス》、さらには《アブソリュートキュア》でシールドも増やせる。攻撃可能なクリーチャーが一気に三体も増えて、守りも固められるし、トリガーもほとんど封じ込めた。

 正に大逆転だ。

 

「《キング・アルカディアス》と《クイーン・アルカディアス》は、それぞれ《アナリス》と《ジョニーウォーカー》から進化です! 《アブソリュートキュア》はマナの《プロメテウス》《トリプルマウス》《ベガ》の三体を進化元にしてマナ進化GV! 《アブソリュートキュア》で攻撃! メテオバーンでシールドを三枚追加です! シールドブレイク!」

「トリガーあっても、これはもうどうしようもないよ……」

 

 霜ちゃんのブロッカーは五体、ユーちゃんの攻撃できるクリーチャーは八体。

 トリガーですべてのクリーチャーの攻撃を止めるとか、そういうのがないと、この猛攻は止められないし、止まらない。

 そして最後の一撃が、放たれる。

 

「《アルカクラウン》で、ダイレクトアタックです!」

「……通す。ボクの負けだ」




 ロックって、上手く切り返して崩せると物凄く爽快ですよね。勿論、そうそう上手くはいきませんが。
 ちなみにユーちゃんのデッキは、《アブキュア》だけでなく、《ベガ》や《サイゾウミスト》のようなシールド追加カードでも、恋のデッキのような堅い守りを再現しています。
 大したことはしていませんが、次回で大会編は最後です。まあ、最後くらいはそれなりのものを用意しているつもりなので、お楽しみに。
 では、ご意見ご感想、誤字脱字の報告等々、なんでも遠慮なく送ってください。


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20話「大会だよ ~決勝戦~」

 大会編も今回で決勝戦です。なんか色々と混沌としていますが、まあ日常回の延長みたいなものなので。


「《ガイギンガ》でダイレクトアタック……です」

「なにもありません、通します。ありがとうございました」

「あ、ありがとうございました……」

 

 あれ?

 対戦が終わっても、なんだかしっくりこなかった。

 夢じゃないかとさえ思う。現実を受け入れられない、という感覚とはちょっと違う。これが現実でいいのか、という疑問。

 席を立って、受付へ。詠さんがいた。詠さんはわたしに気付くと、にっこりと笑みを浮かべる。

 

「あ、小鈴ちゃん……じゃなくて、マジカル☆ベルさん?」

 

 その呼び方は恥ずかしいからやめてほしいです……

 

「君が来たってことは、そういうことだよね。うん、おめでとう!」

 

 詠さんはスコアボードに記入しながら言う。

 わたしがいまいち受け入れられていない事実を。

 

 

 

「――決勝戦、進出だね!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「おめでとう小鈴ちゃん! 次勝てば優勝だね!」

「正直、驚いた。辺境のカードショップのファンデッカーの大会とはいえ、君が決勝戦まで進むなんて……」

「わたしもビックリだよ……」

 

 さっきの対戦が準決勝。その対戦で勝ったということは、つまりは、そういうことです。

 うーん、自分でも信じられないや。

 まさかわたしなんかが、決勝戦まで行けるなんて……思ってもみなかった。

 あんまり実感はわかないけど、ここまで来たんだ。頑張ろう。

 

「そういえば、ユーちゃんも準決勝まで進んでたよね」

「ユーのところなら恋が向かってるよ。ボクらも行こう――」

「……その必要は、ない……」

「ただいまです……」

 

 ちょうどいいタイミングで、恋ちゃんとユーちゃんが戻ってきた。

 だけど、ユーちゃんの表情は暗い。浮かない顔をしている。

 もしかして……

 

「えへへ……負けちゃいました。ごめんなさい、小鈴さん」

「ユーちゃん……」

「相手……S・O・L、だった……」

「ということは、S・O・Lが小鈴の決勝戦の相手ってことだね」

 

 S・O・Lさん。恋ちゃんとユーちゃんを倒した人。

 ここまで来たからには勝ちたいけど、そんな人に、わたしが勝てるのかな……

 

「うぅ……」

「小鈴ちゃん? 大丈夫?」

「うん……たぶん……」

 

 今回はいつもと違うデッキだけど、でも、普段の恋ちゃんはわたしより強いし、ユーちゃんとは同じくらいだけど、霜ちゃんを倒してる。

 普通に考えて、わたしよりもずっと強い人が相手になる。もちろん、ここまで相手してくれた人も、わたしより弱いかって言われたら、決してそんなことはないんだけど。

 でも、なんというか、理屈じゃない不安が押し寄せる。

 どうしよう……緊張、してきた……

 

「ご、ごめん……ちょっとお手洗いに行って来るね……」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……落ち着いてきた」

 

 やっぱり心が揺れてる時は、一人になった方がいいね。自分一人だけの空間で、ゆっくり、じっくりと自分を見つめて、心を落ち着かせる。

 そうやってると、少しだけ楽になった気がする。

 

「だけど、相手は変わらないんだよね……」

 

 どっちみち決勝戦なんだから、強い人が出て来るのは当然なんだけど。

 重圧が、重いよ。

 時間を確認する。試合開始まで、まだもうちょっと時間がある。

 もう少しゆっくりして落ち着かせたいところだったけど、あんまりギリギリでもみんなが心配するだろうし、そろそろ戻ろう。

 と、わたしが扉を開けたところで、

 

「小鈴!」

「え!? 鳥さん!?」

 

 あまりに予想だにしない存在が視界に映った。

 というか、鳥さんだ。また来たよ。

 

「鳥さん、ここ女子トイレだよ!? 勝手に入って来ちゃダメだよ!」

 

 もっとも、断っていれば入ってもいいわけじゃないし、そもそも鳥さんがオスなのかどうかもわからないけど。

 でも声とか口調とか一人称とか、なんとなく男の子っぽいし、一応、そう窘める。

 それと同時に、疑問も湧いた。

 

「っていうか、どうやって入ってきたの? ここ、窓がないはずだけど……」

「普通に扉の隙間に体を捻じ込んだ。お陰で翼が凄く痛いんだ」

「そっか……大変だったね」

 

 まったく共感できないし同情もしないけどね。というか、わたしの諫言は無視なんだね。

 結局、鳥さんって男の子なのかな? 女の子なのかな? そもそも性別ってあるのかな?

 霜ちゃんみたいな例もあるし、口調とかだけじゃ判断しきれない。

 なんか、思い立ったら気になってきちゃったよ……

 でもそれはとりあえずお置いておこう。

 もはや形だけになるけど、これも一応、尋ねておく。

 

「それで、鳥さんはどうしてここに?」

「どうしてもこうしてもないよ。クリーチャーの反応を感知した。速やかに僕の餌にするよ」

 

 うん、やっぱりね。そうだと思った。鳥さんが現れる理由は、それ以外には考えられない。

 いつもなら、また恥ずかしい格好をしなきゃいけないのかぁ、なんて憂鬱な気分になりながらも鳥さんの言われるがままにクリーチャーを倒しに行くんだけど……

 

「今は、その、ちょっと……」

 

 今だけはダメだ。次は大切な試合――決勝戦がある。

 クリーチャーを放っておくこともできないけど、会場が最高潮に盛り上がっている決勝戦を、不戦敗で終わらせることもできない。

 

「ごめん、鳥さん。わたし、大切な用があるから、今はダメなの……」

「よし、それじゃあ行くよ!」

「わたしの話聞いてた!?」

 

 完全に無視。今日の鳥さんはいつも以上に話を聞いてくれない。

 どころか、早く行くよと急かす代わりのように、わたしの格好をいつもの恥ずかしい、コスプレ染みたふりふりの衣装に着せ替える。

 

「ちょっとちょっとちょっと! こんなところでこんな格好にしないでよ! これじゃあ外歩けなくなっちゃうじゃない! そもそも外に出れないけど!」

「君はなにを言ってるんだい?」

「今は大会の最中だから外に出れないの!」

「別に外に出る必要はないよ」

「えっ? どういうこと?」

 

 外に出る必要はない? でも、クリーチャーが出たって……あぁ。

 まさか、そういうこと?

 わたしの回答に、堪え合わせをするように、鳥さんは言った。

 

「今回現れたクリーチャーは――この建物の中にいる」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「も、戻ったよ……」

「あぁ、小鈴、おかえ、り……いっ!?」

「小鈴さん、その格好……」

 

 みんなの視線が突き刺さる。戻るまでにも、色んな人に見られて、もう顔が火事になりそうなほど熱い。というか恥ずかしい。

 

「……こすずが、その格好……って、ことは……」

「あの鳥肉が来たの? 姿が見えないけど」

「あー……うん。流石にお店の中で鳥さんを放しておくのはまずいから、隠れてもらってるよ」

「隠れてるって、どこに? 鞄の中?」

「いや……すぐに意思疎通できるところにいた方がいいからってことで……その、えっと……」

「? なんだか歯切れが悪いね」

 

 うん、まあ……言いにくいんだよね……恥ずかしいし……

 でもみんななら、いいかな……?

 他の人の視線を見る。誰もこっちを見てない事を確認して、お店の隅っこの陰に移動する。

 そして、見せる。鳥さんの隠れ場所を。

 

「この服、ポケットとかなくて……隠れられる場所がここしかないから……」

 

 恥ずかしい思いを少しだけ押し込んで、グイッ、と。

 胸元を開いた。

 

「っ、いきなり君はなにを……!」

「ふわぁ、おっきいです……」

「……自分から、見せつけていくスタイル……」

「そんな小鈴ちゃんもわたしは好きだよ」

「そうじゃないよ! ここだよ! 鳥さんの隠れ場所!」

 

 隠れ場所は、服の胸元。というか服の中。

 隠れる場所と言われてスカートの中も一瞬だけ候補に挙がったけど、流石に恥ずかしすぎるし、こっちの方が話もしやすいということで、胸の中に埋める形で隠したんだけど……これも、かなり恥ずかしい。というか羽毛がくすぐったいし、ちょっと息苦しい。

 

「苦しいのは僕も同じだよ。呼吸が止まりそうだ」

「文句言わないでよ……わたしだって恥ずかしいんだから……」

 

 お互いに文句を垂れながらの案だ。そもそも鳥さんを隠さなきゃいけないのが厄介だよ。お陰で、ただでさえ恥ずかしい格好にさらに恥ずかしい要素が追加される。もう人生における恥辱の九割くらいは中学生で味わい尽くすんじゃないかってくらい。

 

「物凄い隠し場所だけど、小鈴にしかできないな、これは……」

「……あの鳥肉、いつか絶対殺す。油淋鶏(ユーリンチー)にして飛べない肉塊にしてやる……」

「なんで……油淋鶏……?」

「ちょっとうらやましいです……」

「それで、またクリーチャーが?」

「そうみたい……鳥さんは、会場内にいるって言うんだけど……」

 

 会場内を見回す。

 決勝戦を見るために待機している人。自分の対戦が終わって帰り支度をしている人。大きく分けてこの二種類の人たちがいるけれど、それを分類する意味はないかもしれない。どっちにしたって、今この場で、異常と思えるようなことはなにもないのだから。

 

「……それらしいのは、いない……」

「というか小鈴ちゃん、次の試合どうするの? 決勝戦だよ?」

「う、うーん、そうなんだよね……決勝が始まる前に終わらせるしか……」

「そんな時間があるわけないだろう。いざとなればボクたちが協力するから、とりあえず君は決勝に集中するんだ」

「う、うん……あれ? でもそうしたら、わたしがこの格好になった意味なくない?」

 

 勢いのまま鳥さんにドレスアップされたけど、必ずしもわたしが戦う必要ってなかったんじゃ……

 

「鳥さん?」

「いやいや、君らじゃ相手からの交戦の意志がないと空間が開けないから、どうしても受け身になってしまうんだよ。僕がいれば話は別だけど」

「わたしならいいの?」

「うん。その格好でいる限りはね」

 

 そんな設定は初めて聞いた。あの不思議な対戦する場所はどうなってるのかと思ってたけど、クリーチャーや鳥さんが発生させるものなんだ。鳥さんの言い分だと、わたしもできるみたいだけど……

 

「なんだか話がとっちらかってスッキリしないね。要するに、そこの鳥類はどうしても小鈴に戦ってほしいしそうするしかないと言ってるわけだけど、小鈴には決勝戦が控えてる。そして、肝心のクリーチャーは姿を現さない」

「そんなの、どうしようもなくない? 鳥肉の戯言なんて無視がド安定だよ!」

「そ、そういうわけにも……」

 

 でも、どこにいるのかもわからないクリーチャーを探すのは大変だ。鳥さんが見つけてくれればいいんだけど……

 と、その時、不意に恋ちゃんが声を上げた。

 

「あ……あれ……」

 

 恋ちゃんが指差すと、そこには物凄い人がいた。

 いつぞやのネズミさん――『眠りネズミ』さんほどじゃないけど、インパクトある姿だ。

 背はあんまり高くない。わたしと同じか、それよりも小さいかも。

 だけど、髪はすごく長くて、ユーちゃんくらいあるかな? しかも銀髪。それを一つに縛っている。

 格好は黒いローブみたいだけど、全体的に幾何学的な模様が走っていて、袖とか裾とかにも金の刺繍がある。

 一番特徴的なのは目だ。片方は(ゴールド)、もう片方は(シルバー)のオッドアイ。たぶん、これもカラコンだ。

 明らかに日本人の顔なのに、髪も、目も、服装も、明らかに現代の日本ではお目にかかれないような姿。

 いやまあ、銀髪だけなら、ユーちゃんがいるんだけどね。でもこの子はロシア人とドイツ人のハーフだから。

 もしかしてあの子も、外国人の血が混じってたりするのかな……それにしては、銀髪らしい銀髪だし、顔つきもまったく外国人っぽくないけど……

 というか、あれは俗にいうコスプレというものなんじゃ……

 

「小鈴さん! あの人です! ユーちゃんの準決勝の相手!」

「え!? ってことは、あの人が……」

「ん……S・O・L……」

 

 あれが……わたしの決勝戦の相手……

 正直、決勝戦に出るのも嫌になっちゃいました。あんまり関わりたくないというか、近づきたくないというか……なんであんな格好をして平気でいられるのか、わたしにはわかりません。

 

「あれがS・O・Lかぁ、初めて見たけど、本当に禁断の死神の格好なんだ」

「しにが……え? なに?」

「なんって言ったっけ、月と太陽のなんちゃらで禁断の死神とかいう……まあ、そういう設定だよ」

「設定……」

 

 なんだろう、途端に危ない人って感じがしてきた。

 今日初めて会うS・O・Lさんなる人にちょっと引いてると、急に鳥さんが顔を出した。

 

「小鈴! 彼女だ!」

「え?」

「あの銀の髪の少女から、クリーチャーの気配を感じるよ!」

 

 ……え?

 あの人? あの人に、クリーチャーが?

 えーっと、それって、つまり……

 

「決勝戦の相手(イコール)倒すべきクリーチャー、ってわけかぁ」

 

 クリーチャーを倒すことを選んでも、決勝戦に出ることを選んでも、行き着き先は同じ。

 どう足掻いても、わたしはあの人と関わることを避けることはできないようです。

 

「……決勝の相手が討伐対象か。好都合と言えば好都合なんだろうけど、より事態は面倒くさくなったね」

「え? なんで?」

「彼女と、クリーチャーを倒すために戦うか、決勝戦のために戦うか、って選択をしなくちゃいけなくなる」

 

 最初は霜ちゃんがなにを言ってるのかよく分からなかったけど、少し考えて、理解した。

 クリーチャーを倒すには、クリーチャーと戦うための場が必要だから、少なくとも決勝戦の舞台には立てない。

 結局、話は変わらない。どうしようとも、わたし一人が決勝戦を棄権するか、二人揃って棄権するか、という話でしかない。

 だとすれば、S・O・Lさん自身にも迷惑が掛かっちゃうし、むしろ事態は悪化しているとさえ言える。

 

「……一気にまとめてクエスト消化……って、わけにはいかない……」

「二人とも、普通の人に見えればいいんですけど……」

「確かにね。決勝戦の相手どうしが対戦するって結果は同じだし、それが第三者に危機感がないように伝わればいいわけだから」

「あ、そっか……でも、そんな都合のいいことはできないよね……」

「できるよ」

「え!? できるの!?」

「あ、いや。たぶんできるかもしれない」

 

 かもしれないって……なんなの、この鳥さん。

 

「僕ははあの空間の創造者じゃないから、そういう出力調整は苦手なんだよね……というか守護の奴らは大抵苦手だ……」

「?」

「うん、ともかくだ。君が望むなら、空間の設定を弄ってみるよ。上手くいくかはわからないけど」

「そんなことができるなら最初から言ってよね……」

「できるかわからないからね。君らがなにを問題にしてるのかもよくわからなかったし」

 

 まったく、鳥さんは……

 でも、正直不本意だけど、それでも最高の落としどころは見つけられたかな。

 わたしは決勝戦に出る。そして、そこでS・O・Lさんんに憑りついているらしいクリーチャーも倒す。

 ただでさえプレッシャーな決勝戦に更なる重圧がかかっているようで、いつもと同じことをすると思えば気が楽になるようで、でも鳥さんが不安で……なんというか、もう、なにがなんだかよくわかりません。

 

「ところで小鈴、決勝でクリーチャーを倒すのはいいんだけどさ……」

「? なに?」

「いや……その格好のまま、なのかなって……」

 

 ……あ。

 また、忘れてた。

 そうだ、確かにそうだ。

 決勝戦の舞台でクリーチャーを退治する。しかも、その姿は第三者にも分かるようにして、表向きは普通に決勝戦をやっているよに見せる。

 その方法が一番混乱が少ないだろうけど、そこには個人的な最大の問題がある。

 それは、わたしがあのふりふりの衣装だということ。

 この姿で、大勢の観客の前に立たなければいけないということ。

 想像するだけで恥ずかしい、絶対に嫌だ……

 

「……でも、もう何人にも、見られてるんじゃ……今さら……」

「そ、そういう問題じゃないよっ!」

「小鈴さん、キレイですし、可愛いから、大丈夫だと思いますけど……」

「そういう問題でもなくて……」

「まあ、どうせ相手もコスプレイヤーみたいなものだから、そこまで浮くってこともないだろうけど」

「だからそういうことじゃなくて……」

 

 みんな自分のことじゃないからって……わたしは嫌なのに。恥ずかしいし……

 

「大丈夫だよ小鈴ちゃん。小鈴ちゃんがどうしても恥ずかしいって言うなら、私がなんとかしてあげる」

「みのりちゃん……」

「今さっきいいこと思いついたんだよねー。これなら小鈴ちゃんの恥ずかしさも薄れるかもしれないし、会場も盛り上がるはず!」

 

 ……うん?

 みのりちゃんの目がキラキラしてる。なんだか、わたしが想像している解決方法を提示してくれる気が微塵もしない。

 もしかしてここ、わたしの味方いない?

 

「もう時間もほとんどないし、急いだ方がいいね。それじゃあ、私はちょっと行ってくるよ!」

「あ、みのりちゃんっ」

 

 なにを思いついたのかは分からないけれど、みのりちゃんはどこかへ行ってしまった。

 なんだか不穏な空気しか感じないけれど……

 あぁ、うん、やっぱり、変わらないな。

 いつも通り、流されるように。

 ……行ってきます。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

『始まりました、「Wonder Land (ワンダーランド)交流戦 ファンデッキ大会」決勝戦! 店長の提案により、盛り上がりそうだからって理由で、決勝戦のみ急遽実況することになりました! 実況担当はフロアの長良川詠です!』

『解説役の店長だ。名前は長いから省くぞ』

『若干ぐだぐだしつつ、遂に決勝戦です! ここまで大変でしたね、店長』

『そうだな。思いつきの企画からぐだぐだ進行していったが、ひとまずはその開催を喜ぼう』

『たくさんの参加もあって、皆さんにはとても感謝しています……と、謝辞はこの程度にして、決勝戦です! 対戦するは……えー、なんかプロフを貰ったので読み上げますね』

『参加時にそんなものを受け取ったという報告はなかったのだが』

『ついさっき貰ったんですよ。えっと、決勝戦進出を決めたのは、七つの月を宿し一つの太陽と成す(Septem of Lunas)。陽光浴びし月光神にして、禁断の死神! その名はS・O・L!』

セプテム()オブ()ルナーズ()でS・O・L……英語文法にラテン語混じりは気にするな』

 

 決勝戦。

 わたしの知らないところで、想像以上に盛り上がっていて、物凄く驚きました。

 今までも観戦する人はいたけれども、どっちかっていうとこじんまりと、対戦相手と二人でデュエマしてるって感じだった。

 でも、この人の数と距離。これはもう、対戦相手と二人だけのデュエマって感じじゃない。

 なんて思っていると、選手入場のように、S・O・Lさんが現れた。

 

 

 

「魔道の契約により、我は真名を名乗るわけにはいかぬ。ゆえに我のことはこう呼べ。七つの月を宿す太陽、Septem of Lunas――S・O・Lと!」

 

 

 

 しかもなんか決め台詞っぽいの来た!

 あのコスプレっぽい格好だけでもすごいけど、よくあんな台詞を、こんな大勢の人の前で堂々と言えるなぁ……

 

『そしてもう一人。その対戦相手が……これ本当にあの子が書いたのかなぁ……? えぇっと、巷で巻き起こる珍事件を華麗に解決! 知られざる異世界の魔物(クリーチャー)を退治します! 小さな鈴の音が登場の合図。静かな炎を滾らせ駆けるは、デュエ魔法少女マジカル☆ベル!』

『もはやキャッチコピーだな。うちに売り込む気か?』

 

 うぅ、来ちゃったよ……

 詠さんは首を捻らせてたけど、結局みのりちゃんが書いたよくわからないプロフィールしっかり読んでるし。まあ、だいたい合ってるんだけど。

 決勝戦が始まる直前、みのりちゃんに告げられたことを思い出す。

 

 

 

 ――小鈴ちゃん! 台本を用意したよ!

 ――台本?

 ――さっきS・O・Lと交渉してきて、お互いにコスプレ同士だからって、そのキャラに成り切ってデュエマしようって提案してきたの。

 ――なにしてるのみのりちゃん!? わたしはコスプレじゃないよ!

 ――で、対戦前にキャッチコピーっていうか、プロフィール? の紹介文を入れてもらおうって。ほら、プロレスの実況の前とかにある、あんな感じの。

 ――いやわかんないんだけど……それに、台本っていうのが上手く結びつかない……いつも最後に読むアレ?

 ――いや、私が作った。向こうは成り切りの達人だから、そのままでも様になるけど、小鈴ちゃんは初めてでしょ?

 ――そうだけど……

 ――だから一度、型に嵌めてそれっぽくすれば、あとは勢いで行けるかなって

 ――行けないと思うし、たぶんそれ恥ずかしいやつだよね……

 ――大丈夫! 小鈴ちゃんは可愛いから!

 ――なにが大丈夫なのかわからないよ……

 

 

 

 で、結局押し切られちゃったけど……

 

(ほ、本当にこれ言うの……?)

(ここまで来たんだから、やるっきゃないよ! 大丈夫! 小鈴ちゃんなら可愛いから絶対受ける!)

(そうですよ小鈴さん! 自信を持ってください!)

(自信というか、その、恥ずかしいんだけど……)

(あざと……まあ、でも、相手がS・O・Lだし……いいでしょ)

(小鈴、もう行かないよ。相手を待たせちゃいけない)

(あうぅ……)

 

 みんなから送り出されるというか押し出されて、わたしも進み出る。

 恥ずかしい。何度も言ってるけど、それがまっさきに来る。

 大勢の人。今の格好。そして、この先……想像するだけで、顔から火が出そうです。

 振り返ると、プレゼントを期待する子供みたいに純真無垢な目をしたユーちゃんとみのりちゃん。諦めろとわたしに諭しているかのような無情の目をした恋ちゃんと霜ちゃん。

 うぅ……わ、わかったよ、やるよ!

 みんなの期待、応えてあげるよ!

 あらゆる自分を押し殺して、みのりちゃんに渡された台本の言葉を心の中で反芻。そして、言の葉として紡ぐ。

 

 

 

「清き鈴の音が響く、悪を挫けと鐘が鳴る! 小さな調は大きな炎に! 悪い魔物(クリーチャー)は、いい子になるまで燃やしちゃうよ! デュエ魔法少女マジカル☆ベル! 華麗に可憐に参上!」

 

 

 

 どうしよう。お母さん、ごめんなさい。

 わたし今、生まれて初めて死にたいって思っちゃったよ。

 

『うーん、うちってこんな店じゃなかったと思うんだけどなぁ……この光景を信じられない私がいるけど、今はショップ店員と自分を律して実況します。えー、両選手が出揃いました! 決勝戦の対戦カードは、禁断の死神S・O・L選手と、魔法少女マジカル☆ベル選手の対戦です……自分で言ってて意味が分からないな、これ……』

『色々揺れてるが、大丈夫か?』

『えぇまぁ……と、とにかく、これで最後の決勝戦、開始です! それでは、デュエマ――』

 

 恥ずかしさを抱きつつ席に着いて、遂に始まる。

 この大会最後のデュエマ、決勝戦が。

 

 

 

『――スタート!』

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「協定に従い、聖戦に先立ち互いの戦力を確認する。異次元の獣はいるか?」

 

 いきなりわけのわからないことを言われました。

 もうこの時点で思考放棄したくなるけど、ちょっと待って。考えよう。

 ゲーム開始時に行う確認行為と言ったら……あれかな? 超次元ゾーンのことかな?

 そう解釈して、わたしの超次元ゾーンのカードを見せる。

 

「えっと、超次元はあります。これです」

 

 

 

[小鈴:超次元ゾーン]

《銀河大剣 ガイハート》×1

《勝利のガイアール・カイザー》×1

《時空の凶兵ブラック・ガンヴィート》×1

《勝利のリュウセイ・カイザー》×1

《勝利のプリンプリン》×1

《ブーストグレンオー》×1

《時空の探検家ジョン》×1

《時空の喧嘩屋キル》×1

 

 

 

「承知した。我に異次元の獣は存在せぬ。だが、この領域を展開させてもらうぞ」

 

 そう言ってS・O・Lさんが出したのは、五枚のカード。

 四枚を四角形になるようにくっつけて配置して、その真ん中に五枚目のカードを乗せる。

 

「《FORBIDDEN(フォービドゥン) STAR(スター)~世界最後の日~》――展開! これで我が禁断領域は完成した。終焉の刻を待つがいい」

 

 ……うん、なんだか調子狂うけど、とりあえずやって行こう。

 この五枚のカードが、霜ちゃんたちが言ってた最終禁断のカードだよね……場を大きく圧迫するだけあって、存在感が物凄い。

 みんなが言うには、このカードはゲーム開始時にバトルゾーンに出す、特殊なカード。場に存在する限り、自分はコマンド、イニシャルズ、あるいは名前に《禁断》とあるクリーチャーでしか攻撃できなくなる制約がかけられる。

 それだけだとデメリットしかないけど、このカードは場に出た時に四枚の封印をつけてて、1ターンに一度、自分のコスト5以上の闇か火のコマンドが召喚されると、その封印が外れ、同時に外した場所に応じた能力が発動する。

 そしてすべての封印が外れたら、すごい強力なクリーチャーへと変貌する……らしい。

 恋ちゃんもユーちゃんも、このカードが直接的な敗因になったみたいだし、封印をすべて解かれる前に、勝負を決めたい。

 

「さぁ、先手後手を決定するとしよう」

 

 拳を差し出すS・O・Lさん。じゃんけんは普通にやってくれるみたい。

 妙なところに安堵しながらもじゃんけんをする。わたしはグー、相手はパー。

 先攻を取られちゃった。できれば先攻を取って、先制したかったんだけど……

 

「先手は頂いた。《月の死神ベル・ヘル・デ・スカル》を魔力に変換」

 

 わけのわからない独特の言い回して、S・O・Lさんはマナにカードを置く。たぶんマナチャージするって言いたかったんだよね?

 のっけから困惑していると、胸元でもぞもぞ動く感触。鳥さんだ。口をパクパクさせてなにか言ってる。

 

(小鈴! あれだ、あのクリーチャーだ!)

(え? さっきマナに置いたクリーチャー?)

(あぁ。あのクリーチャーが、彼女に憑りついている)

(……確かに、“見える”けど、あの人って普段からあんな感じみたいだよ?)

 

 恋ちゃんらが言うには、S・O・Lさんはいつもああいう口調らしい。にわかに信じられないけど、こんな人の多いところでも堂々と喋ってるんだから、認めざるを得ない。

 そして、だからこそ、クリーチャーが憑りついているせいでおかしいわけではないと思う。

 というかこの人、一見するとまったくクリーチャーに憑りつかれているかどうかの区別がつかないんだよね。

 

(確かに、あれはクリーチャーのせいで異常なわけではない。むしろ、クリーチャーの異常は、現時点では感じられない。僕が驚いているのは、彼女とクリーチャーとの影響シンクロ率だ。ほぼ完全に同調してて、本人の意識がそのままになってる)

(シンクロ……?)

(簡単に言うと、クリーチャーと気が合うかどうかだ。気が合えば、意識的だろうと無意識的だろうと、友好的な共生関係を築ける)

(それって別に問題ないんじゃ……)

(だとしてもクリーチャーはクリーチャー、いつどこで火種になるかわからない。ここで排除しておくことは無意味じゃないよ)

 

 鳥さんの言うことももっともだけど、だからって今じゃなくても……とも思う。

 だけど、ここで倒しておかなかったらずっと憑りついたままってこともあり得るし、そうなる前に、って考えると、仕方ないのかな。

 

「どうした? 貴様の番だぞ」

「あ、はい。ごめんなさい……えっと、《ノロン⤴》をマナチャージ。ターン終了です」

 

 

 

ターン1

 

S・O・L

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:26

 

FORBIDDEN STAR

左上:封印

左下:封印

右上:封印

右下:封印

 

 

マジカル☆ベル(小鈴)

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:5

墓地:0

山札:29

 

 

 

「では、我が支配時間だ。《死神スクリーム》、この魔術概念を魔力に変換。そして変換した魔力を還元。二つの魔力を生み出し、呪文詠唱《ダーク・ライフ》! 魔力を蓄積、及び冥府に供物を捧げる」

 

 本格的になにを言ってるのかわからなくなってきた。恋ちゃんとユーちゃんは、よくこんな人とデュエマできたね……

 でも、なに言ってるのかはよくわからないけど、行動だけなら実際にちゃんとカードを動かしてくれるからわかる。マナと墓地にカードを一枚ずつ増やした。マナと墓地を増やす戦略かな?

 

「わたしのターン……《熱湯グレンニャー》を召喚して、ターン終了……」

 

 

 

ターン2

 

S・O・L

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:2

山札:23

 

FORBIDDEN STAR

左上:封印

左下:封印

右上:封印

右下:封印

 

 

マジカル☆ベル(小鈴)

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:2

手札:5

墓地:0

山札:27

 

 

 

「再び我が支配権を得た! 四つの魔力を濃縮解放! 我が声に応えよ、《社の死神 再誕の祈(リバース・アイ)》!」

 

 4マナをタップして、クリーチャーが出て来た。自然文明のクリーチャーだ。

 S・O・Lさんはそのクリーチャーを召喚するなり、墓地に置かれた二枚のカードを手に取った。

 

「《再誕の祈》の力により、我が冥府に捧げた供物を魔力に変換する」

「っ、2マナも増えた……!?」

「これで我が支配の時間は一時停止する。貴様の力を見せてみろ」

 

 まだ3ターン目なのに、もう6マナなんて……先制するはずが、これじゃあ追いつけないかも。

 

「……《ボーンおどり・チャージャー》を唱えます。山札から二枚を墓地に置いて、チャージャーをマナへ……ターン終了です」

 

 

 

ターン3

 

S・O・L

場:《再誕の祈》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:0

山札:22

 

FORBIDDEN STAR

左上:封印

左下:封印

右上:封印

右下:封印

 

 

マジカル☆ベル(小鈴)

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:2

山札:24

 

 

 

「ほぅ、そうか。そのような策謀を巡らせているか……ククッ、愉快な奴だ」

「は、はぁ、どうも……」

「では、我が支配の時間だ」

 

 S・O・Lさんは口の端を釣り上げて、ニヤリと微笑む。

 策もなにも、チャージャーで墓地とマナをちょこっと増やすことしかできなかったんだけどな……

 

「貴様の策謀は見えた。ならば次は、我が力の片鱗を見せてやろう。眼孔を開け、魔導の少女よ」

「え、えっと……はい……」

 

 たぶん、しっかり見ておけ、みたいな意味なんだろうけど、流石にこんな場でよそ見はできないよ。

 S・O・Lさんはマナチャージすると、マナのカードを六枚倒して、手札を一枚切る。

 同時に、なめらかに詠うように言葉を紡ぐ。

 

「捧げる魔力は()、刻む数字も()! しかして求める命は拾参(ⅩⅢ)! 魔天に革命の証を残せ! 其の剣は暗雲を裂き、昏き刃は闇夜を斬る! 満天の星々さえも喰らえ、革命の使徒よ!」

 

 ……口上、長いなぁ。

 

「汝の名を告げる。我が召喚に応じろ――《魔天斬 ドゥームズ》!」

 

 長い前口上が終わって召喚されたのは、闇のクリーチャー。

 どんなクリーチャーだろうと思っていると、なにも言ってないのにS・O・Lさんは説明し始めた。

 

「此奴は強欲でな。召喚に応じる代償として、多大なる命を要求する。資源、資産、生命――()の数字を示し、その代償を払わなければならない」

「……?」

 

 本格的に言ってる意味がわからなくなってきた。

 

「その前に、だ。伍を超越する数字と黒き闇を宿す悪魔の使徒が召喚に応じたことで、禁断の領域の封印が一つ、解放される!」

 

 ! このクリーチャー、よく見たらデーモン・コマンドだ。

 コストは6、そして闇のコマンド。

 《FORBIDDEN STAR》の封印が一つ、外れる。

 

「左上の封印を解放!」

 

 S・O・Lさんが外した封印は、左上。

 あのカードは、封印を外すたびに効果が発動するって言ってた。

 確か、左上を外した時の効果は――

 

「並び立つ四つの()。惰弱な命は潰える定め。消えるがいい、炎水の戦猫よ!」

 

 ――パワー1111以下のクリーチャーを一体破壊する。 

 なんで1000以下とかじゃなくて、1のゾロ目なのかは気になるけど、とにかく小型クリーチャーを破壊する効果だ。

 うーん、ここで《グレンニャー》が破壊されちゃうのは、地味だけどちょっと困るかもしれない……

 

「まだ終わらぬ。革命の悪魔よ、冥府に捧ぐ我が力よ、永劫の未来を繋ぐ我の糧となれ!」

 

 封印解除に続いてS・O・Lさんが取った行動は、山札の上から六枚を墓地に送るということ。

 これが《ドゥームズ》の能力なのかな。たった一体で六枚。その墓地をどう使うのかはわからないけれど、たくさん墓地を増やすってことは、それだけなにかに利用するはず。注意しなきゃ。

 

「支配時間停止、一時凍結に入る……さぁ、抵抗して見せよ。精々、我を愉しませるがいい、魔導の少女よ」

「は、はい、わたしのターン……」

 

 とは言っても、《グレンニャー》が破壊されて、ちょっと計算が狂っちゃった。

 大したことはできそうにないな。

 

「……もう一度、《グレンニャー》を召喚……ターン終了です」

 

 

 

ターン4

 

S・O・L

場:《再誕の祈》《ドゥームズ》

盾:5

マナ:7

手札:1

墓地:7

山札:22

 

FORBIDDEN STAR

左上:解放

左下:封印

右上:封印

右下:封印

 

 

マジカル☆ベル(小鈴)

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:5

手札:4

墓地:3

山札:22

 

 

 

「我が時間だが……まだ刻が満ちていない。魔力蓄積のみで終えよう」

 

 あれ? なにもしてこない?

 これは、もしかしてチャンスかも。

 

「これで出せるね。わたしの、切り札」

 

 このカードを見つけた時に、なにかがわたしの中でつながった。世紀の大発見、なんて大仰なものではないけども、わたしの中では大きな発見だった。

 霜ちゃんが、自分だけのコンボを見つけた時の快感がたまらないって言ってたけど、それに近いのかもしれない感覚。

 まあ、デッキを組むのには一役買ってくれたけど、お陰でユーちゃんらしさが闇文明と墓地を使うってくらいになっちゃったのが、ちょっと残念なんだけど。

 なんにせよ、相手の動きも止まってるし、仕掛けるなら今だね!

 

「わたしのターン! マナチャージして……」

 

 本当なら前のターンに使えたのに、と思いつつマナゾーンにカードを置くと、なにかが視界に映る。

 なんだろ。みのりちゃんたちが、なにか出してる。

 

(え? な、なに? カンペ……?)

 

 観客に紛れて、凄くひっそりと出してるけど、こういうのって反則なんじゃ……

 一枚の紙に文字が結構書き込まれてて、かなり見づらいけど、わたしの視力なら辛うじて読めた。えーっと……っ!?

 

(な、なに言ってるのみんな……!?)

 

 実際には言ってないけど、抗議したくなった。こんなの台本になかったよ。

 視線の先には、期待の眼差しで瞳をキラキラさせているみのりちゃんとユーちゃん。いつもと変わらず無表情の恋ちゃん。諦めを促すように首を横に振る霜ちゃん。

 どこかで見覚えのある光景だ。

 

「どうした? 魔力を溜めているのか? 我は一向に構わんが、あまり時間を費やすと、少々退屈だぞ?」

 

 追い打ちをかけるようなS・O・Lさんの言葉。

 今まで恥ずかしいからあえて言及しなかったけど、今のこの対戦の構図がお分かりでしょうか?

 S・O・Lさんは禁断の死神という異名? で通っている、銀髪金眼の女の子。

 そしてわたしは、クリーチャーと戦うための、ふりふりふわふわなあの衣装。

 そう。パッと見、どっちもコスプレなんです。

 相手は意味不明な言葉を並べているとはいえ、キャラになり切っている。

 わたしは、普通にカードを出してるだけ。

 最初こそ名乗りを上げたけど、その勢いはそれっきり。

 この大会は、楽しむための大会。一番を決めるとか、強さを求めるとか、そういうことが重要視されるわけではない。どれだけ皆が楽しめるか、幸せになれるか、熱くなれるか、盛り上がれるか、ということに重点が置かれている。

 穿って言ってしまえば会場が沸きさえすればそれでいいわけで、さらに逆に言えば会場を沸かせるならなんでもいい。もちろん、最低限の節度は守るべきだけど。

 事実、相手の人はデッキや対戦だけじゃなくて、格好、口調、立ち振る舞いで、場を盛り上げている。

 もう会場はS・O・Lさんの作り出した空気に支配されている。わたしがいつも通りに振舞って、縮こまって、萎縮してたら、その温度差も観客の人たちに伝わっちゃうと思う。

 ……考えれば考えるほど、わたしだけが浮いてる気がしてきた。

 

(これだけ盛り上がってて、わたしだけ素のままっていうのも変なのかな……うぅ)

 

 理屈で考えても、心理的に考えても、状況を鑑みても、わたしが間違っているような気がしてならない。

 妨げるのは、わたしの中の理性と、羞恥心と、あとなんか、わたしの沽券みたいなもの。

 

「先刻から幾度と硬直しているが、どうした? 我が魔の気に当てられたか?」

 

 S・O・Lさんが呼びかけてくる。たぶん、急かしてるんだろうなぁ。その口振りも成り切ってて、様になってる。

 早くカードを使わないと。進行を止めちゃうのが一番ダメなことだから。

 だけど、みんなの目が、とても痛い。

 どうすれば……

 

「マナチャージ! そして5マナで――」

 

 ……えぇい、ままよ!

 わかったよ! やればいいんでしょ! やれば!

 覚悟を決めて、色々振り切って、というか投げ捨てて、なげうって、カードを切る。

 最初に恥ずかしい思いをしたし、こんな格好で大勢の人の前に出てるんだから、今更と言えば今更なんだ。

 もうどうにでもなっちゃえ!

 

「死神とか、悪魔とか、そんな悪い子にはお仕置きしちゃうんだから! いっくよー! マジカル☆リバイバル! 《狂気と凶器の墓場(ウェボス・グレイブ)》!」

 

 勢いのまま、心を無にして、山札の上から二枚を墓地に落とす。

 ところで、死神や悪魔を悪い子扱いしてるけど、わたしが唱えたこの呪文も、結構禍々しいよね?

 《狂気と凶器の墓場》の効果で墓地を増やして、墓地からコスト6以下の進化でないクリーチャーを復活できる。

 出すのは、あらかじめ墓地に仕込んでいたこの子!

 

「清く麗らかなわたしの相棒、《魔法特区 クジルマギカ》を復活! マジカル☆エボリューション! 《グレンニャー》からNEO進化だよ!」

 

 《狂気と凶器の墓場》は進化クリーチャーを出すことはできないけど、NEOクリーチャーはNEO進化させなければ、進化クリーチャーとしては扱われない。逆に、場に出す時に進化させることが出来れば、進化クリーチャーになれる。

 倒されちゃうのが怖かったから前のターンには使えなかったけど、ここで一気に攻める!

 

「攻撃するよ! 魔導大海要塞《クジルマギカ》! 《クジルマギカ》の力で、魔導砲(マジカル☆カノン)発射! もう一度やっちゃうよ! マジカル☆リバイバル! 《狂気と凶器の墓場》!」

 

 《クジルマギカ》の攻撃に合わせて、《クジルマギカ》を呼び戻した《狂気と凶器の墓場》が、再び唱えられる。

 《クジルマギカ》は手札から唱えた呪文を、もう一度墓地から撃てる強みがある。本来ならマナが足りなくて、《クジルマギカ》を出してすぐに同じことはできないけど、呪文の効果で《クジルマギカ》を出したのなら別。その呪文をもう一度唱えればいいんだから。

 連続してクリーチャーを出す。普通に出した方が手っ取り早いかもしれないけど、この連続復活、そして連続攻撃に、大きな意味があるんだ。

 

「復活! もう一人のわたしの相棒。熱く燃える龍戦士――《龍覇 グレンモルト》!」

 

 こっちも、あらかじめ墓地に仕込んでいた、わたしの切り札。

 さぁ、これで準備は整ったよ!

 

「《グレンモルト》! この剣をあなたに――《銀河大剣 ガイハート》をセット、ブラッシュアップ! 魔法銀河戦士《グレンモルト》!」

 

 ところでこれ、どういう基準で名前つけられてるの?

 可愛い系だったり、カッコイイ系だったり、なんだか色んなコンセプトが混在してて、混沌としてるように感じるんだけど……誰のセンスなんだろう。

 

「これで完成! わたしの必殺陣形、|魔砲龍剣解放陣《マジカル☆ドラゴニアンズ・フォーメーション 》! そして《クジルマギカ》の攻撃は続くよ、マジカル☆カノン! 悪い心を、撃ち抜けーっ!」

「ふん、なかなかの魔力だ。それは盾で受ける!」

 

 相手は変わらず、どこか物々しい振る舞いを続けている。

 ……これはこれで、温度差がすごいね……相手なりに乗ってくれてはいるんだろうけど、全然演技の方向性が違うから、これもまた、カオスだ。

 とりあえず、二枚のシールドをブレイクする。この後に《グレンモルト》が続いて、その攻撃が通れば、《ガイギンガ》に龍解する。

 このターンにとどめは刺せないけど、相手のシールドをゼロにした状態で《ガイギンガ》が残るから、そのまま押し切っちゃうよ!

 と、思ったけれど、

 

「……かかったな」

「え?」

「謀略、策略、計略、智略……あらゆる戦略を駆使した結末。我が陥穽に嵌った、魔導の少女よ」

 

 ブレイクした二枚のシールドを掲げつつ、S・O・Lさんは不敵に笑う。

 そして、割られた二枚のシールドのうち一枚を、場に放った。

 

「今こそ出陣の時! 夜天より来たれ、月光を浴びし死神よ! 《月の死神ベル・ヘル・デ・スカル》!」

「S・トリガー……! しかも、あのクリーチャーは……!」

 

 今回の目的のクリーチャー。

 本人が場に出ても、実体化するようなことはない。完全に、今の対戦の形に沿っている。

 鳥さんは、同調してるとかなんとかって言ってたけど、クリーチャーが大人しいのも、その影響なのかな?

 憑りついていても、宿主がやりたいと思っていることに従事する、みたいな……わかんないけど。

 でも、どうあったとしても、このクリーチャーを退治するためにこの人に勝たなきゃいけないんだよね。それは変わらない。

 こうして普通に対戦してると、本来の目的を忘れちゃいそうになるけど、気を引き締めなきゃ。

 

「まず、《ベル・ヘル・デ・スカル》の召喚に呼応し、禁断の領域に架せられた封印を解放させる。右上の封印を解放!」

 

 二つ目の封印が解かれちゃった……これで残る封印は二つ。あと半分だ。

 

「さらに《ベル・ヘル・デ・スカル》の力を行使する。此奴の力で、我が冥府の供物、または魔力となった人柱を取り戻すことができる。冥府より舞い戻れ、《威牙の幻ハンゾウ》!」

 

 墓地から一体のクリーチャーが手札に戻った。

 あれは確か、ニンジャ・ストライクで出るシノビのクリーチャー。

 場に出たら、クリーチャーのパワーを6000下げるんだよね……どうしよう、《グレンモルト》が破壊されちゃうから、迂闊に攻撃できないや……

 

「……ターン、終了……」

 

 

 

ターン5

 

S・O・L

場:《再誕の祈》《ドゥームズ》《ベル・ヘル・デ・スカル》

盾:3

マナ:8

手札:3

墓地:7

山札:14

 

FORBIDDEN STAR

左上:解放

左下:封印

右上:解放

右下:封印

 

 

ベル(小鈴)

場:《クジルマギカ》《グレンモルト+ガイハート》

盾:5

マナ:6

手札:3

墓地:5

山札:18

 

 

 

 結局、わたしは怖気づいて攻撃の手を止めちゃった。でも、攻撃しても《グレンモルト》が破壊されちゃうのは目に見えてる。次の《狂気と凶器の墓場》がいつ引けるかもわからないし、ここは一旦身を引こう。

 わたしのターンが終わって、S・O・Lさんのターンに移る。

 

「苦難の刻を耐え忍び、我が支配の時間だ。魔力を蓄積、そして――七つの魔力を吸収、濃縮、放出!」

 

 そう言って、S・O・Lさんは七枚のマナをタップする。

 そして、出て来るのは、

 

「無敵を叫び、痛苦を謳い、呪詛を詠む死神よ! 汝の名を告げる。我が召喚に応じよ! 《無敵死神ヘックスペイン》!」

 

 また、死神の名を冠する黒と緑のクリーチャーが現れた。

 たぶんこのクリーチャーもデーモン・コマンド。そして、7マナ支払って出て来たってことは……

 

「まずは封印を解放だ。左下の封印を解放!」

 

 やっぱり、封印がまた一つ解除される。

 これで残された封印はあと一つ。いよいよ後がなくなってきちゃった。

 

「そして、封印が解き放たれし波導。その悪意、害意、滅亡の意志を受けよ! 禁断の力を授けよう――《魔天斬 ドゥームズ》!」

 

 剥がした封印を墓地に落としつつ、S・O・Lさんは《ドゥームズ》を指さす。

 えーっと、効果の対象にする、って意味なのかな?

 

「魔天の使徒には、撃滅の力が授けられた。四つ並んだ()の数字。それが此奴の力となる」

「……あの、カード、見てもいいですか……?」

「構わん。粗野な所作による力の暴発さえなければな。好きにするがいい」

 

 乱暴に扱わなければいいよ、って言ってるのだと解釈して、効果が書かれているカードを一枚手に取る。

 ふんふん、左下の封印を解くと、自分のクリーチャーにパワーアタッカー+2222を与えるんだね。理解したよ。

 

「あ、ありがとうございました。返します」

「承知した。戦闘続行、しかしてこれが、この刻における最後の力の行使となる! 《ヘックスペイン》! 貴様の力を示せ! 参巡予知(ドライ・センス・フォーチュン)!」

(なんか技名来た!)

 

 必殺技の名前っぽいものを叫んで、S・O・Lさんは山札の上から三枚を見る。

 いや、わたしもそれっぽいのは口にしたから、まあわかるんだけど……

 

「《ヘックスペイン》は、三刻先の未来を見通す千里眼を持っている。それだけではない。その未来を……使い潰すのだ」

(たぶん三刻って使い方間違えてるけど……いいや、もう)

 

 もう彼女の発言を理解しようとすることは諦めたよ。行動自体はわかるし。

 

「ふむ、このような未来……では、一刻先の未来は魔力へ」

 

 三枚の中から一枚を抜き取る。《霞み妖精ジャスミン》がマナに置かれた。

 

「二刻先の未来は、冥府へ」

 

 次にもう一枚が引き抜かれて、《ベル・ヘル・デ・スカル》が墓地に落とされる。

 

「三刻先の未来は……我が知識、我が手元へと置いておこう」

 

 最後に残った一枚は手札へ。

 登場と同時に、山札の上三枚をそれぞれ、マナ、墓地、手札にカードを一枚ずつ移動させるクリーチャーみたい。

 なんか、7マナも払って出したわりには、地味な能力だね……

 

「ふむ。では余力で……《ジャスミン》。自壊せよ」

 

 残ったマナで《ジャスミン》を召喚して破壊、ついでのようにマナも増やした。

 うーん、もうかなりマナも増やされちゃったし、かなり後手後手になっちゃったな……まだ攻め切れるか、ちょっと不安です。

 

「さぁ、烽火を上げよ! 革命の使徒よ。貴様の黒刃で、あの生きた魔法城砦を断罪せよ!」

 

 《ドゥームズ》をタップして、《クジルマギカ》を指さすS・O・Lさん。

 えーっと、これはたぶん、攻撃って意味だよね。

 《クジルマギカ》のパワーは6000。《ドゥームズ》も6000だけど、このターンはパワーアタッカーでパワーが2222上昇してるから、相手のパワーは8222。《クジルマギカ》の負けです。

 うぅ、《クジルマギカ》が破壊されちゃった……このデッキの中核を成す切り札だから、いなくなると困る……

 

「我が支配時間は、またも一時凍結だ。少し眠る。貴様の時間、その僅かな時流の中で、存分に戦うがいい」

 

 たぶんこれはターン終了を宣言したんだと思う。

 いちいち言い回しが独特だから、判断に時間がかかるけど……それもだいぶ慣れてきちゃったなぁ。

 

「わたしのターン……」

 

 攻撃を止められちゃってから、すっかり勢いがしぼんでしまったわたし。もうキャラもぶれぶれで、なにがしたいのか。そもそもわたしのキャラってなんだっけ?

 しかも、その失速をあざ笑うかのように、引きもあまりよくない。

 

「う、うーん……5マナで《超次元ボルシャック・ホール》を唱えま……唱えるよ。《ベル・ヘル・デ・スカル》を破壊して、《勝利のリュウセイ・カイザー》をバトルゾーンに……これでターン終了」

 

 

 

S・O・L

場:《再誕の祈》《ドゥームズ》《ヘックスペイン》

盾:3

マナ:11

手札:2

墓地:11

山札:9

 

FORBIDDEN STAR

左上:解放

左下:解放

右上:解放

右下:封印

 

 

ベル(小鈴)

場:《グレンモルト+ガイハート》《勝利のリュウセイ》

盾:5

マナ:7

手札:2

墓地:8

山札:17

 

 

 

 結局、大したことはできずにターンを終えてしまった。

 早く攻め倒したいけど、《クジルマギカ》はやられちゃったし、《グレンモルト》は下手に動けない。

 ここから、どう攻めていこうか……

 

「我が刻が訪れた……永い刻であったな。悠久とも、永劫とも呼べる、永久の時流を感じたぞ」

(確かに色々あったけど、そんなに時間経ってないんじゃ……)

「さぁ、この刻は満ちた。我が蓄積した魔力の総てを解き放て!」

 

 ……これって、まずいのかも。

 尊大な態度と大仰な口振りに惑わされそうになるけど、ここまでS・O・Lさんの動きは、正直に言ってかなり大人しかった。やってることはマナや墓地を増やす程度で、切り札らしい切り札も出ていない。

 それは、切り札を出すために時間がかかる。それくらいに強力な切り札を出すための準備だと考えられる。

 けど、いつまでも準備しているはずがない。相手のマナはもう10マナを超えてるし、そろそろ動き出してもおかしくない頃だ。

 

()の数字を数えよ。そして解放せよ! ここに魔神降臨の儀式を執行し、禁断の秘術を詠唱する!」

 

 わたしの考えを証明するかのように、S・O・Lさんはマナを倒し、手札を切る。

 十枚のマナに対し、たった一枚のカードを、解き放った。

 

「轟け、蠢け、蝕め。其は血塗られた魔滅の神地なり――《大地と悪魔の神域》」

 

 それは、呪文だった。黒と緑に彩られた、10マナという莫大なコストのかかる、、大きな呪文。

 二桁に届くような大きなマナコストの呪文なんて、霜ちゃんがたまに使う火の呪文くらいしか思い出せない。

 あの呪文は一気にシールドを吹き飛ばすような攻撃的な効果だったけど、この呪文は、なにをするんだろう。

 

「さぁ、大地へと還れ、我が(サーヴァント)たちよ!」

「え……!? クリーチャーが、全部マナへ……!?」

 

 その行為に、まず驚いた。

 S・O・Lさんは自分のクリーチャーをすべて、マナに送ってしまった。

 せっかく出したクリーチャーなのに、それを場から退けちゃうんだ……でも、それだけじゃないはず。

 もしそれが代償なのだとしたら、それだけの強力な効果が控えていると考えるべきだ。

 

「此奴らの命と引き換えに、我は大地と取引をする。それは一体の悪魔、そして一柱の魔神を呼び起こす契約。この場が、この大地が、神の領域であると定義するために、総ての生命を、魔力を、供物として捧げよう!」

 

 相手の場がまっさらになったところで、S・O・Lさんはマナゾーンからカードを二枚、拾い上げる。そのどちらもがクリーチャー。

 ……まさか。

 

「まずは土壌を汚染する。《ベル・ヘル・デ・スカル》! 第一の召喚に応じよ! 魔神たる覇王の礎となれ!」

 

 わたしの想像通り、マナから拾ったクリーチャーをバトルゾーンに叩きつけてきた。 

 だけど出て来たのは《ベル・ヘル・デ・スカル》。それほど強いクリーチャーじゃない。

 出て来るのがこの程度なら大丈夫、と安堵したのも束の間。

 そんな安心は一瞬で吹き飛ばされる。

 

「第二の召喚に応じよ! 最高位なる覇道の魔神! 太古よりその名を刻む、隠遁せし暗黒の巨神よ! 命の生贄は捧げた、魔の霊力は供えた、ゆえに汝の亡骸は死霊の声で満たされた! 儀式は完了だ。暗闇の黒雲より出でよ! 復活し、降臨し、そして君臨せよ! 大悪魔にして魔神すらをも統べる始祖の魔王――黒き覇王よ!」

 

 なんだかさっきまでよりも長くて、気合が入っているように思える口上の後、二枚目のカードが叩きつけられる。

 ただしそれは、《ベル・ヘル・デ・スカル》を下敷きにして、現れた。

 

 

 

「汝の復活を待ち侘びていたぞ――《覇王ブラック・モナーク》!」

 

 

 

 《ベル・ヘル・デ・スカル》から進化して現れたのは、コスト10の進化クリーチャー。

 たった一体なのに、すごい威圧感……!

 ユーちゃんの《キラー・ザ・キル》でも6コストなのに、それを遥かに上回る超巨大なクリーチャーに、思わずたじろいでしまう。

 

「《ベル・ヘル・デ・スカル》の力により、大地より《ハヤブサマル》を我が手中に」

 

 S・O・Lさんは進化元にした《ベル・ヘル・デ・スカル》を示しながら、マナのクリーチャーを回収する。

 あの呪文は、マナゾーンのクリーチャーを一気に二体踏み倒す効果――たぶん、進化クリーチャーを進化元と一緒に出せる効果だ――があり、《ベル・ヘル・デ・スカル》は出してすぐに進化したが、場に出たことには変わりないようだ。その能力は、ちゃんと使える。

 っていうか、またシノビを手札に加えられちゃった……押し切りたいのに、地味に防御を固められちゃってるよ……

 

「これでは終わらぬ。《ブラック・モナーク》よ、貴様の力を示せ!」

 

 今まで、盤面では静かに立ち回っていたS・O・Lさんが、遂に攻撃に出る。

 今しがた登場したばかりの《ブラック・モナーク》を横向けに倒し、攻撃宣言。そして、

 

「《ブラック・モナーク》の勅令だ。冥府の門よ、開け! そして甦れ! 《ベル・ヘル・デ・スカル》! 《FORBIDDEN(フォービドゥン) ~禁断の星~》!」

 

 今度は墓地のクリーチャーを二体拾い上げて、バトルゾーンに出す。また《ベル・ヘル・デ・スカル》だ。そして、もう一体のクリーチャーは……?

 進化クリーチャーではなく、普通のクリーチャーを二体、場に出した。

 

「《ベル・ヘル・デ・スカル》の力で、《大地と悪魔の神域》を我が手に。追従儀式準備を進行。《ブラック・モナーク》よ、打ち破れ! 貴様の進軍を阻む障壁を!」

「T・ブレイカー……!」

 

 強烈な一撃だ。たった一回の攻撃で、シールドを三枚も削り取られてしまった。

 しかも、それだけでは終わらない。

 

「《FORBIDDEN ~禁断の星~》! さらに進軍せよ! そしてその力で、我が禁断の領域の力を受け、流星の炎龍を抹消!」

「っ、《勝利のリュウセイ》が……」

「さらに、抹消した命を糧に、新たな命を生み出せ! 進化せよ、《ベル・ヘル・デ・スカル》――《悪魔神ドルバロム》へ!」

 

 立て続けに放たれる、大型クリーチャーの踏み倒し。そして進化。

 場のクリーチャーがいなくなったと思ったら、それらのクリーチャーはまったく別の、超大型クリーチャーとなって、わたしに襲い掛かる。

 

「不毛の大地を創り出せ! 《ドルバロム》!」

 

 二度目の進化は、また別のクリーチャーだった。

 進化クリーチャーで、このターンに攻撃できるクリーチャーが増えたっていうだけでも困るんだけど、このクリーチャーの力はそんなものではなかった。

 

「《ドルバロム》の力を見るがいい! 我々の大地から、黒き色に染まらぬ土地を汚染し、腐敗させる」

 

 そう言うとS・O・Lさんは、またマナゾーンのカードを何枚か掴んで、今度はそれを墓地に投げ捨てる。

 残されたマナは、ほぼ黒一色。逆に捨てられたカードは、黒みがまったくがいカードばかり。

 まさか、闇文明以外のマナを、全部破壊する能力……!?

 目を凝らしてカードをよく見てみるけど、実際そう書いてある。どころか、場の闇以外のクリーチャーも破壊されてしまうらしく、《グレンモルト》も破壊されちゃう。

 今回は闇文明を使ってたから、思ったよりも被害は大きくなかったけど……もしいつもの、闇文明の入ってないデッキだったら、もう0マナになってた。それを思うと、ゾッとする。

 

「な、なんて激しい攻撃なの……」

 

 たった一枚のカードから、ほんの一瞬のアクションから、これほどの激動が起こるなんて。

 破壊、破壊、破壊。そしてまた破壊。

 ユーちゃんと対戦する時よりも、より強く、激しく、荒々しい、破壊の嵐だ。

 破壊の後には新たな命が芽生えるが、その命はわたしには向かない。すべての生命力が剥奪されてしまったかのよう。

 そう、まるで、命を刈り取られているみたい。

 悪魔、魔神。月のように静かだと思えば、太陽のように荒ぶり蹂躙する。そして相手の命を根絶やしにする、死神。

 場もマナもボロボロにされたところに、《FORBIDDEN》のTブレイクが放たれる。

 これでシールドもゼロ。次には《ドルバロム》がとどめを刺さんと構えている。

 けれど……!

 

「S・トリガー! 《地獄門デス・ゲート》!」

「っ、ちぃ、まだ足掻くか……」

「《ドルバロム》を破壊! そして……あ、えっと、怖い魔神は、あの世に帰ってもらうよ! デスゲート・リザレクション!」

 

 急にカンペを出されたから、取って付けたように咄嗟に言う感じになっちゃったけど……まあそれはいいや。

 なんとかS・トリガーでダイレクトアタックだけは防げた。それに、逆転の芽も、ちょっと見えてきたよ。

 

「さぁ、戻っておいで《クジルマギカ》! ゲートオープン! マジカル☆カウンター・リバイバル!」

 

 ダイレクトアタックを阻止しつつ、《クジルマギカ》を場に戻せた。これは大きいよ。

 《ドルバロム》がコスト10と、かなり大型のクリーチャーでよかった。じゃなかったら、こうはいかなかったよ。

 

「小癪な……だが、面白い。最後まで足掻け、魔導の少女よ」

 

 そして、S・O・Lさんのターンは終わる。

 わたしのターンだ。

 なんとか凌げたと言っても、わたしのシールドはゼロで、もう後がない。慎重に動かなきゃ。

 

「わたしのターン……まずは、5マナで《超次元リバイヴ・ホール》! 戻っておいで、《グレンニャー》! そして行って、《ブラック・ガンヴィート》! お休み中の《ブラック・モナーク》を破壊!」

「覇王の支配はここで終焉か……しかしその爪痕は深淵に届くほど刻まれた」

 

 そうなんだよね。これ以上の追撃をされたらもう持たないから《ブラック・モナーク》は破壊しなきゃいけないんだけど、《ブラック・モナーク》一体からここまでの状況を作り出されているから、それだけあのクリーチャーが如何に強大であるかが伝わってくる。

 本当、たった一撃で蹂躙されてしまった。

 だけど、まだわたしは負けてないよ!

 

「《クジルマギカ》で攻撃、マジカル☆カノン! 墓地からもう一度《リバイヴ・ホール》を唱えて、《ノロン⤴》、戻ってきて!そしてお願い、《勝利のプリンプリン》! 《FORBIDDEN》を拘束! マジカル☆フリーズ!」

 

 ところで、さっきから事あるごとにマジカルマジカル言わされてるけど、ボキャブラリー少なくない?

 魔法少女だからって、なんでもマジカルって言えばいいわけじゃないよ?

 それはそれとして、これでS・O・Lさんのクリーチャーはすべて抑えられた。《ドルバロム》と《ブラック・モナーク》は破壊できたし、《FORBIDDEN》は《プリンプリン》の能力で動けない。次のターンには対処しなきゃいけないけど、それでも時間は稼げた。

 あとは隙を見て攻め切るしかない、と思った刹那。

 

「……かかった」

 

 S・O・Lさんの口元が、邪悪に歪んだ。

 

「宵闇より姿を現せ、漆黒の隠者よ――《威牙の幻ハンゾウ》」

 

 そして手札から飛び出す、一体のクリーチャー――シノビ。

 うん、それは知ってた。出るならここかな、とも思ってた。

 

「《ハンゾウ》の秘術により、貴様の魔法要塞を衰弱死させることが可能だが……その前に」

 

 だけど、その思考はあと一歩足りていない。

 あの時《グレンモルト》を犠牲にしてでも攻撃すればよかったと思えるほどに、この一手は致命的すぎた。

 《ハンゾウ》を出すと同時に、S・O・Lさんの指が、最終禁断フィールドに、それを封じる封印へと、伸びる。

 

「《FORBIDDEN STAR》の最後の封印を――解放」

「え……あ!」

 

 そうか、ニンジャ・ストライクも召喚だから……

 《ハンゾウ》はコスト7のデーモン・コマンド。だから、封印を外せるんだ!

 忘れてたよ……《ハンゾウ》がデーモン・コマンドってことも、ニンジャ・ストライクが召喚だってことも。

 そして、封印が全部外れた……ってことは……

 

「《FORBIDDEN STAR》の左下の封印が解放されし時、それが最後の封印であれば、《FORBIDDEN STAR》は真の姿を現す。さぁ、目覚めよ――」

 

 もう、それを妨げるものはない。

 抑圧され、封じられていた力が、解き放たれる。

 

 

 

「――禁断爆発(ビッグバン)!」

 

 

 

 封をするようにして乗せられていた中央のカードが離れ、集合した四枚のパーツも四散した。

 上下左右に配置された手足の中央に最後の一枚が繋ぎ合わせられ、十字架のような形を形成する。

 

 

 

「解き放たれよ。害ある界に顕現し、悪の世に終をもたらせ――《終焉の禁断 ドルマゲドンX》!」

 

 

 

 ……出ちゃった。

 みんなには、これが出る前に決着をつけないと厳しいって言われた。それが出て来ちゃったってことは、それだけわたしの勝利が遠のいたということ。

 正直、具体的な能力はあんまり聞いてないから、なにをしてくるのかはよくわからないけど……

 と思っていると、S・O・Lさんが腕を伸ばす。「失礼する」と小さく断ると、私の山札の上からカードを手に取り、

 

「《ドルマゲドンX》が顕現せし刻、秘めたる力の総てが放出される……さぁ、受けるがいい。禁断の力、邪封の楔を打ち込め!」

 

 手に取った三枚を、舞い散らすようにして、わたしのクリーチャーに放った。

 

「貴様のクリーチャーを総て――封印ッ!」

 

 ドスッ、と突き刺す音が聞こえたようだった。

 カードを被せられたわたしのクリーチャーの姿が隠れる。

 これって、《FORBIDDEN STAR》を封じていた封印と同じ……わたしのクリーチャーも、封印された、ってこと?

 

「封印された者は、“存在しない”と同義。ゆえに貴様の僕たちは、存在を抹消されたと同然だ。死ではなく、存在の末梢である」

 

 言ってる意味はいまいちよくわからないけれど、封印されたわたしのクリーチャーは、その姿が見えない。

 これじゃあ、攻撃も、能力を使うこともできない。

 もう、なにもできない。

 

「……ターン、終了……」

 

 

 

S・O・L

場:《ドルマゲドン》《FORBIDDEN》

盾:3

マナ:7

手札:2

墓地:17

山札:10

 

FORBIDDEN STAR

禁断コア4

 

 

ベル(小鈴)

場:《クジルマギカ(封印)》《ブラック・ガンヴィート(封印)》《プリンプリン(封印)》

盾:0

マナ:5

手札:7

墓地:10

山札:14

 

 

 

「幕引きと行こう。《ドルマゲドン》、引導を渡せ」

 

 シールドがなくなって、クリーチャーも封印されて、丸裸にされてしまったわたしに、《ドルマゲドン》のとどめの一撃が放たれる。

 ……だけど、

 

「瞬間防御リミット・プロテクト! ニンジャ・ストライク4! 《光牙忍ハヤブサマル》を召喚だよ!」

「なに……っ?」

「《ハヤブサマル》をブロッカーにしてブロック!」

 

 わたしまだ、負けてない!

 

「異星の姫君は封印したが、凍結の力は残留する……《FORBIDDEN》は動けんか。遺憾だが、ここは攻撃を終えるしかあるまい」

「なら、わたしのターンだね。6マナで、今度は手札から! 《地獄門デス・ゲート》! 《FORBIDDEN》を破壊して復活(リザレクション)、《ハヤブサマル》!」

「ちぃ、小賢しい……!」

「《ハヤブサマル》の能力で、《ハヤブサマル》をブロッカーにするよ。ターン終了!」

 

 

 

S・O・L

場:《ドルマゲドン》

盾:3

マナ:7

手札:3

墓地:19

山札:8

 

FORBIDDEN STAR

禁断コア4

 

 

ベル(小鈴)

場:《ハヤブサマル》《クジルマギカ(封印)》《ブラック・ガンヴィート(封印)》《プリンプリン(封印)》

盾:0

マナ:6

手札:5

墓地:11

山札:13

 

 

 

「我が時間だが、追撃手が引けん……ここで《ハヤブサマル》を滅しても、また冥府より呼び戻されては面倒だ。守護の恩恵はこの僅かな一時のみ。しからば、今は攻めず撃せずに待つ。貴様の番だ」

 

 あれ、攻撃しないんだ。

 それなら……やれる。

 《ガンヴィート》も《プリンプリン》もいないし、これ以上はもう耐えられそうにない。

 だからチャンスは、もうこの瞬間だけ。

 これがわたしの、ラストターン。

 

「わたしのターン! 2マナで《【問2】 ノロン⤴》を召喚! 二枚ドローして、二枚捨てるよ!」

「今更そのような惰弱な……」

「弱くたっていいんだよ。だって――強くなれば、いいんだから!」

 

 《ドルバロム》でマナも削り取られた時は焦ったけど、たまたま闇のカードを多くマナに置いてて助かった。

 これならギリギリ足りる。

 

「5マナで復活の呪文(マジカル☆リバイバル)! 《狂気と凶器の墓場》!」

「な……っ!」

「山札の上から二枚を墓地へ! そして墓地から復活――《ノロン⤴》をNEO進化!」

 

 さぁ、わたしの必殺陣形を構築するよ。

 まずは最初の一手。第一タスク。

 

「おいで――《魔法特区 クジルマギカ》!」

 

 三つのタスクから完成する、わたしの必殺技。マジカル☆ドラゴニアンズ・フォーメーション。

 《狂気と凶器の墓場》を唱え、《クジルマギカ》が現れたことで、第一タスクは完了。次の段階に移るよ。

 

「《クジルマギカ》で攻撃! マジカル☆カノン&マジカル☆リバイバル! もう一度撃っちゃえ、《狂気と凶器の墓場》! そして、戻ってきて――」

 

 第二タスクは、《クジルマギカ》の攻撃で始動する。この一発が、すべてに繋がる砲撃となる。

 魔導砲から放たれた魔法が、もう一度わたしの墓地を掘り起こす。

 いくら倒れても、何度だってやり直せる。いくらだって挑戦する。

 諦めたりなんて、しないんだから!

 

「――《龍覇 グレンモルト》!」

 

 二連発の《狂気と凶器の墓場》で、《グレンモルト》も呼び戻すことができた。これで第二タスクも完了。

 問題は第三の最終タスク。ここをなんとかして乗り切らないと、わたしに勝ち目はない。

 けれどこのタスクは完全に運の勝負。だから後はもう、天運に委ねるしかない。

 

「《グレンモルト》に《ガイハート》をセット、ブラッシュアップ! 攻撃も続けるよ、《クジルマギカ》!」

「その攻撃は……」

 

 今まで流暢に語っていたS・O・Lさんが、ここでほんの少しだけ固まる。

 手札に視線を向けながら、思考しているようだった。

 だけどその逡巡は僅か。

 ほんのちょっとの時間で答えを導き出したらしいS・O・Lさんは、迷いなく手札を切る。

 

「……出でよ《ハヤブサマル》! 我を護れ!」

 

 相手も持ってた《ハヤブサマル》が、身を挺して《クジルマギカ》の砲撃から盾を守る。

 シールドを割ることができなかったけど、それでもいい。

 次の二撃目が、決まるのなら。

 

「続けていくよ! 《グレンモルト》で攻撃!」

 

 ここで攻撃が成功すれば、《グレンモルト》が残れば、《ガイギンガ》に龍解できる。

 お願い、S・トリガー……来ないで……!

 《グレンモルト》のシールドブレイク。相手はブレイクされたシールドをめくる。

 そして、

 

「……来てしまったか」

 

 S・O・Lさんは、憂い気を滲ませた溜息をつく。

 なんだろう、悔しさも、嬉しさも、憎さも、楽しさも、色んな感情が混ざったような、あの表情は。

 

「だが、諦念を抱くのは尚早だ。次なる守り手、はたまた月の死神はまだ眠っているやもしれんからな。ひとまず、現れよ! 終の禁断の具現、三番目その名を刻む者、《終断γ(ガンマ) ドルブロ》!」

 

 S・O・Lさんが出したのは、S・トリガーのクリーチャー。でも、能力はブロッカーだけ……?

 それなら、問題ない。

 

「この攻撃で、このターンわたしは二回攻撃したよ。だから――龍解条件成立!」

 

 《ドルマゲドン》みたいに、何枚ものカードを重ねて、繋げてることはできないけれど。

 たった一枚でいい。わたしには、この一枚で十分。

 その一枚のカードを――ひっくり返す。

 

「世界に響いて、龍の鼓動! みんなに届いて、鈴の音色! 邪悪な心は清き炎で焼き尽くす! 銀河の最果てで燃え尽きるまで!」

 

 さぁ、終わらせるよ!

 

 

 

魔導龍解(マジカル☆ドラグハート・ビッグバン)]――《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 これがわたしの真の切り札、《ガイギンガ》。

 《ドルマゲドン》と比べると、小さいし、ちっぽけかもしれないけれど……負ける気は、まったくなかった。

 今まで何度もわたしを勝利に導いてくれた思い出、というのもあるけれど。

 これは、先輩がくれた大切なカード。

 それ自体にはなんの根拠も、理屈も存在しない。

 だけど、ただそれだけで、力が溢れてくる気がする。

 

「……よし。《ガイギンガ》が龍解したから、パワー7000以下クリーチャーは燃やしちゃうよ! 選ぶのは《ドルブロ》! マジカル☆バーニング・ギャラクシティカ!」

 

 これでブロッカーはいなくなった。

 S・O・Lさんのシールドは残り二枚。わたしの場に残った攻撃できるクリーチャーは、《ガイギンガ》と《ハヤブサマル》。

 もう一枚S・トリガーが出たら、今度こそ攻撃が止められちゃう。だからこれが、本当の、最後の勝負だ。

 

「これが最後! 《ガイギンガ》で攻撃!」

「いいだろう、貴様の力を見極めてやる。その攻撃は盾で受ける!」

 

 Wブレイクされたシールド。S・O・Lさんはその二枚を、同時にめくる。

 《ベル・ヘル・デ・スカル》が出たら、墓地の《ハヤブサマル》が手札に戻る。二枚目の《ドルブロ》が出たら、最後の攻撃が通らない。まだ他にも、見えていないS・トリガーがあるかもしれない。

 かもしれない、けれど。そんなものは関係ない。

 わたしは、勝つんだ――!

 

「……成程な」

 

 S・O・Lさんは口元を小さく歪ませると、ブレイクされた二枚のシールドを――伏せた。

 

「終焉だ、万策尽きた。その怒涛の如き攻勢を称えよう、魔導の少女よ」

 

 尊大で、大仰で、不遜な態度だった彼女だけれど。

 その最後の姿は、とても清々しくて、格好良かった。

 わたしは、必死になって足掻いて、小さな糸を手繰り寄せて、しがみついて、縋るようにしてここまで来た。ちょっと泥臭くて、格好悪いけど。

 でも、それも悪くなかった。

 これで、わたしの勝ちだよ!

 

 

 

「《ハヤブサマル》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

『決まったぁ! 「Wonder Land交流戦 ファンデッキ大会」! 優勝はマジカル☆ベル選手だぁ!』

『急にプロレスみたいな大声を出すな……まあいいか。両名とも、素晴らしい対戦だった』

 

 ……勝った?

 勝ったの、わたし。優勝? 本当に?

 

「対戦感謝する。良き戦いだった。これぞ正に、聖戦であるな」

 

 S・O・Lさんが手を差し出す。

 聖戦って意味が絶対違うんだけど……でも、確かにこの対戦は、よかった。

 すごく、いいデュエマだった。

 

「はい……対戦、ありがとうございましたっ!」

 

 差し出された手を、握る。

 今まで何度もデュエマをしてきたけど、その中でも、特にいい対戦だったと思う。

 なんだかいつも違う感じで、クリーチャーと戦うような義務感も……あれ? クリーチャー?

 

(小鈴! クリーチャー!)

(あ……)

 

 わ、忘れてた!

 そうだった! これって、クリーチャーを倒すための対戦でもあったんだ。

 よく見れば、S・O・Lさんにはクリーチャーはもういなくなっている。でも、消えた感じじゃない。

 ってことは、

 

(状況が悪くなったんで、逃げたんだ! いい宿主を見つけたわりには薄情だね!)

(逃げたって、どこに!?)

(外だ! 早く追いかけよう!)

 

 外って、この格好で外に出なきゃいけないの!?

 でも、このまま放っておくこともできないし……ああもう! 仕方ないなぁ!

 

「ご、ごめんんさい! ちょっと、失礼します!」

「へ? あ……ちょっと……っ!」

 

 握った手を離すと、わたしはお店の出入り口目掛けて駆け出した。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「うぅ、この格好で外に出ることになるなんて……人、いないよね……?」

「小鈴! あっちだ! あっちの方に逃げたよ!」

「う、うん」

 

 いい加減くすぐったいし恥ずかしいから、胸元から鳥さんを出す。

 鳥さんはパタパタと羽ばたきながら飛んで、クリーチャーの下までわたしを案内してくれる。

 そんなに遠くまでは逃げてないはずだけど、早く追いかけないと……

 鳥さんの案内でお店の裏手の方まで走ったところで、わたしは、予想だにしないものを目にした。

 

「え? あれ……?」

「おや?」

 

 キラキラと消えゆく光の残滓。

 その中央に佇むのは、一人の、女の人。

 脳というおぼろげな記録媒体の中に、強烈に刻み込まれた記憶の一片。

 いまいち本心が読み取れない薄ら笑いの笑顔を張り付かせて、その人は立っていた。

 

「あ、あなたは……」

「おー! ベルちゃんじゃない! おひさー、ってほどでもないね」

 

 気さくに手を振るこの人は……チェシャ猫レディ、さん?

 帽子屋さんたちとの因縁に、突然首を突っ込んでは引っ掻き回していった、謎の人。

 何者なのかがまったくわからず、正義の味方を自称する怪しいお姉さんだけど、あの時は、わたしを助けてくれた。

 だから、少なくとも敵ではない……と、思います。

 

「なんで、あなたがここに……?」

「なんでって、そんなの決まってるじゃん。私は正義の味方だからね! 挫くべき悪があるところに走り、助けるべき人がいるところに駆けつける。それが当然、摂理ってやつさ!」

 

 こともなげに言う猫のお姉さん。

 正義の味方って、もうちょっとヒーローっぽいイメージがあるけど、なんだかこの人はノリが軽いなぁ。

 

「そうそう、例のクリーチャーだけど、私がぶっ飛ばしといたよ」

「みたいだね。ついさっき逃げたばっかりなのに、どうやったんだい?」

「ん? 簡単だよ。こう、急所を狙った渾身の右で……」

「暴力的じゃない!?」

「なんて、半分ジョークだよ。こっちに来るだろうって予想してたから、こっそり抜け出して待ち伏せしてたの。あとはウザったいから速攻でぶちのめしただけ。まあ意外としぶとかったから、とどめにもう一発殴ったけど」

「やっぱりバイオレンスだよ!」

 

 握り拳を作って、シャドーボクシングみたいにシュッシュッとそれを振るうお姉さん。

 うーん、やっぱり正義の味方ってイメージじゃないよね……

 わたしが冷ややかにお姉さんを見つめている傍ら、鳥さんは訝しげに彼女を見つめていた。

 

「……いくら瀕死でも、クリーチャー相手に生身の人間が物理的な干渉をするなんて、そうできることじゃないんだけどね」

「あちゃ、失言だったかなー」

「え? どういうこと?」

「彼女は人間じゃないかもしれないという意味だ」

 

 人間じゃない。

 その言葉に、なにか揺さぶられる。

 今この世界には、クリーチャーがこうして実在するわけだし、人間じゃない存在がいてもおかしくはない。猫のお姉さんの異常な立ち振る舞いとか、クリーチャーや【不思議な国の住人】を知っていることからも、普通じゃないことはわかる。そこから人間じゃないと推理することもできる。

 だけど、なんだろう。

 それは間違っていない気がするんだけど、わたしの周りを取り巻くものは、そんな単純な言葉で表現できるものじゃない気がする。

 

「んー、まーどう思ってくれててもいいけどね。私は徹頭徹尾、終始一貫、正義の味方というポジションに着くだけだし? 少なくとも、君のことは守るよ、ベルちゃん」

「へ……?」

 

 わたしのことを、守る?

 

「そんなことよりも、お店に戻らなくていいの?」

「え……あ! また忘れてた!」

「君は随分とうっかりしているね」

「鳥さんのせいでしょ!」

 

 そういえば、S・O・Lさんと対戦してすぐ、お店から飛び出しちゃったんだっけ。

 表彰式みたいなのがあるのかな……わからないけど、優勝しておいてすぐに飛び出したのはまずいかもしれない。早く戻らなきゃ。

 

「えっと、その……ありがとうございました。今回も……この前も」

「いいよいいよ、正義の味方としては当然だからね!」

 

 ビシッ! と効果音がつきそうなくらいのキメ顔で言われた。

 それに苦笑しつつ、鳥さんの服も戻してもらって、お店に戻ろうと背を向けると、声をかけられた。

 

「あぁそうだ、最後に言っとかないとね」

「はい?」

 

 急に呼び止めて、なんだろう。

 ここに来てまだ言うことがある? でも、ここで出会ったのも偶然みたいなものだし、この人が大事なことを話すことなんてそうないと思えてしまう。

 失礼な話だけど、あんまり真面目そうじゃないし……忠告と称して告げたあの言葉は、別だけど……

 だからここでも、わりとどうでもいいことを言うんじゃないかと思っていた。

 そして、それは本当に、何気ない言葉だった。

 

 

 

「強かったよ。それに、楽しかった。優勝おめでとう、ベルちゃん」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「まったく、君は慌ただしいな……対戦が終わってすぐ飛び出すなんて……」

「ごめん……」

「ま、状況が状況だから仕方ないよね」

「……場の収拾、つかないし……店への言い訳、面倒だった……」

「でも、すぐに小鈴さんが戻って来てくれてよかったです!」

 

 えっと、とりあえず、なんとか戻ってこれました。

 お店に戻った時には会場は騒然としてて、わたしが戻ってくるや否やどよめきはまた大きくなって……まあ、優勝者が対戦直後に飛びだしたら、そうもなっちゃうよね。お店にも迷惑かけちゃって、申し訳ないな……

 詠さんや店長さんにもちゃんと謝って、慌ただしくも、わたしの初めての大会は終わったのでした。

 結果は優勝。うん、まだ実感は薄いけど、その結果はすごく嬉しい。

 だけど、決勝戦が実態はクリーチャーとの戦いだったり、事後処理でどたばたしちゃったりと、ぐだぐだで終わってしまって、なんだかスッキリしないなぁ……

 

「こういう交流戦はボクも初めて出たけど、意外と面白いものだね。ガチ志向よりこっちの方が純粋に楽しめて、性に合っているかもしれない。面白いデッキもたくさん見られた」

「私は小鈴ちゃんが優勝してくれて満足かなぁ。決勝戦は名勝負でしょ、あれ」

「Ja! 小鈴さんも、相手の死神さんもすごかったです! でも、ユーちゃんも小鈴さんとデュエマしたかったです……」

「……まあ、私たちはしょせん……決勝相手の力を、見せつけるための……噛ませモブだし……」

「小鈴ちゃんのあれを見れたのなら、モブでもいいかなって」

「ボクはあれが本当に大衆に隠蔽できているのか不安で仕方なかったけどね……」

「……意外と、ノリノリだったけど……最後の方、とか……」

「そ、そんなことないよ……」

 

 なんて、今は大会終わりの感想語りに興じているところです。

 わたしも今日の大会は、すごくいい経験になったと思う。

 色んな人と対戦して、色んなデッキ、色んなカード、色んな戦術を見ることができた。

 と、わたしも今日の対戦を振り返って思い出に浸っていると、不意に声をかけられた。

 

「あ! いたいた! ベルちゃん!」

「え?」

 

 ベルちゃん。その呼び名から、猫のお姉さんが来たのかと思ったけど、違った。

 振り返ると、そこにいたのは小さな女の子。小柄な女の子だ。わたしよりもちょっと背が低い。歳はわたしたちと同じくらいか、もしかしたら年下かも?

 茶色っぽい髪をポニーテールにしてて、無邪気そうな笑顔をこちらに向けている。

 なんだろう。初めて会った子のはずなんだけど、どこかで見たことがあるような気もする。

 

「えっと、どちら様……かな……?」

 

 今日対戦した子かな。でも、ここまで小柄な子と対戦した記憶はない。

 一回戦は小学生くらいの男の子だったし、二回戦はわたしより年上っぽいお姉さんだったし……あ。

 一度だけ、あったっけ。わたしより小柄な、女の子との対戦が。

 いや、でも、まさか、そんなわけが――

 

「あー、わかんないかー。あたしだよ、S・O・Lだよ!」

 

 そんな、わけが……ない、と思ってた。

 いやいやいや、ちょっと待って。流石に性格というか口調とか態度とか雰囲気とか全然違いすぎない?

 わたしの困惑なんてなんのその。気を遣うことも考慮することもなく、その調子のまま、S・O・Lさんを名乗る女の子は続ける。

 

「今日は対戦ありがとー! 最後、すっごく楽しかったよ!」

「そ、それはどうも……」

「あたし、あーいうキャラで通してるけど、いきなりでノってくれる人なんて初めてだよー。でもおかげで、本当に楽しかった! ありがと!」

 

 ニッコリと笑顔を向けるS・O・Lさん(?)。それまで見た、口元を歪める邪悪っぽい微笑は完全に消え失せてて、正に無邪気な笑みだ。

 コスプレイヤーさんのことはよくわからないけど、あれがなんのコスプレなのかもわからないし、そもそもコスプレなのかどうかも不明だけど、なにかオンオフのスイッチがあるのかな……大会中はずっとああだったみたいだし、イベント中はキャラになり切るとか……

 そんなことより、この人が本当にS・O・Lさんだとして、大会が終わってなんの用なんだろう。わざわざ探してまで来たんだし、対戦が終わってからのお礼だけ、なんてことはないと思うんだけど……

 

「それだけ! ちょっと家が遠いんだけど、たまにこのお店にも来るから、その時はよろしくね! あ、でもあのカッコするのはイベントの時くらいで、普段はこんなんだから!」

「あ、はい……」

 

 それだけだったみたい。

 

「あ、あと」

「まだなにか……」

「あの衣装、すっごく可愛かったよ! キャラはまだ成り切れてなかったのかな?」

「あぅぁ……」

 

 恥ずかしいところを突かれて、思わず変な声が出た。

 もしかして、コスプレ仲間だと思われてる? だとしたら困るというかなんというか……

 あの格好はしたくてしてるわけじゃないし、コスプレでもないし……っていうかわたし自身、なんであんな格好しなきゃいけないのか、よくわかってないし……

 

「またいつか、一緒にデュエマしようね! それじゃっ!」

 

 最後にそう言い残して、S・O・Lさんは去っていった。

 連絡先も交換しないで行っちゃうなんて……楽観的なのか、計画性がないのか……なんというか、変わった子だね……

 とまあ、そんな感じで。

 終わりまでスッキリしない、ちょっとだけもやもやするけど、なにかに繋がりそうな、よくわからない展開で。

 わたしの初めての大会は、幕を降ろしました。




 これにて大会編、終幕です。
 今回の小鈴のデッキは、ちょこっとだけ結果を出したことがあるらしい、《クジルマギカ》と《グレンモルト》による中速ビートダウンデッキ、作者はモルト☆マギカと読んでいる代物です。もっとも、今ではNEOクリーチャーを生かさなければ、《クジルマギカ》よりも《コギリーザ》の方が良いのですが。でも作者は、名前込みで結構気に入っています。
 それでは次回から、またまともにストーリーを進めます。夏休みと言えど、遊んでばかりではいられないのです。
 ご意見ご感想、誤字脱字の報告等々、なんでも遠慮なく送ってください。


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21話「問いただしましょう」

 今回からお話が動く、といいますか。ちょっとした……いや、大きな? ともかく、なにかしらの変化は見られるかなと思います。その辺かを見てなにを思うかは、読み手次第、ということで。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 実は、今日は制服を着て学校に来ています。夏休みが終わったわけじゃないですよ? 恋ちゃんやユーちゃんの宿題より早く夏休みが終わったら困ります。

 図書室や自習室を使うわけでもありません。今日はみんな、学校に来ています。

 というのも、今日は特別登校日と言って、簡単に言うと「夏休み中だけど生徒が集まる必要があるから登校日にしている」日なんです。

 じゃあその、生徒が集まる必要性とはなにか、ということですけども、これはわたしたちの学校の学校行事――林間学校のための準備です。

 烏ヶ森学園では、夏休み終盤に林間学校――要するに、外泊する校外学習があります。学校が保有している大きな合宿施設で、ハイキングとかをするみたいですけど、一説には、夏休みの宿題が終わらない生徒への救済措置、という名の強制学習という噂も聞いたけど……恋ちゃんとユーちゃんは大丈夫かな……

 それで、その林間学校のための準備――当日の流れや持ち物、班分けの確認。緊急時の対応の確認など、要するに確認作業――をする日が、今日というわけです。

 そういう理由もあって、今日は授業とかはない。午前中で終わりなんだよね。そこは嬉しいところだよ。

 だから、もしわたしに、ほんのちょっとでも憂鬱だと思えるものがあるのだとすれば、それは――

 

 

 

「――来週はいよいよ、2泊3日の林間学校です。もうすぐ夏休みも終わりということで、皆さんには夏休み中に緩んでしまった気を、ここで引き締めてもらいたいと思います。また、三年生の皆さんには来年に控えた高等部へ進級するということを、二年生の皆さんには上級生となったことを、一年生の皆さんには烏ヶ森学園の一員になったことを、それぞれ自覚してもらいたいと思います」

 

 

 

 この、全校集会の時間くらいかな。

 体育館に集められて、いわゆる校長先生の眠い話とか、教頭先生の退屈な話とか、生徒指導の先生の耳が痛い話とかを聞く恒例イベントなんだけど……その中の一つが、ちょっとね……

 

「相変わらず威風堂々って感じだねー」

 

 背後から耳打ちされる。みのりちゃんだ。

 集会は男女それぞれの出席番号順――つまり五十音順で並んでいるから、みのりちゃんはちょうどわたしの真後ろになる。ちなみにわたしの前には二人ほどいるよ。

 みのりちゃんが言っているのは、今正に朝礼台の上で話をしている人――生徒会長さんのことを指しているんだろう。

 

「なんかさー、顔とかは似てるし、あぁ、姉妹だなぁっていうのは納得なんだけど、こういうところ見ると全然違うなぁ、って思うよね――小鈴ちゃんの、お姉さん」

「うん、そうだね。すごいよね」

 

 そうなんです。わたしのお姉ちゃん、生徒会長さんなんです。

 お姉ちゃんは、全校生徒に教職員の人たちを前にしても、まったく物怖じせずにハキハキと話している。詰まることも、どもることも、噛むこともなく、完璧にその使命をこなしている。

 ありきたりで月並みなプロフィールだけど、わたしのお姉ちゃんは、成績はいつもトップクラス、運動神経抜群、生徒教師問わず人望にも厚くて、なんでもできるすごいお姉ちゃんなんです。

 このお姉ちゃんの存在があったから、生徒会長さんっていうのはなんでもできる完璧で万能な人っていうイメージがついてて、ライトノベルとかでよく見る完璧超人な生徒会長さんがほとんどフィクションだってみのりちゃんに教えてもらった時、すごく衝撃を受けたのはいい思い出です。

 そう。わたしとは出来が違う。すごく、優秀なお姉ちゃんなんです。

 

「そういえば小鈴ちゃんってお姉さんの話はまったくしないけど……仲悪いの?」

「ううん、そんなことないよ? お姉ちゃん、最近は生徒会長さんのお仕事で忙しいけど、昔はよく一緒に遊んだもん」

 

 どころか、友達がいなかったわたしの、唯一の遊び相手がお姉ちゃんだったってくらいには、お姉ちゃんとはよく遊んでた。

 今でもたまに一緒にお出かけするし、霜ちゃんのコーディネート講座があるまでは、お姉ちゃんに服を選んでもらってたしね。

 それに、わたしがこの学校に入ったのは、お姉ちゃんの影響が少なからずある。それくらいには、お姉ちゃんのことは好きだし尊敬してる。

 ……だけど。

 

「お姉ちゃんは、わたしには……すごすぎるんだよね」

 

 あまりにお姉ちゃんは完璧で、完全で、すごくて。

 これもまた月並みでありふれた、平凡な感情なんだろうけど……比べちゃう、よね。どうしても。

 尊敬の気持ちがある反面、お姉ちゃんとの差はわたしのコンプレックスの一つでもあった。実際に、小学校では比べられることも多々あったしね。

 だから、こうわたしよりすごいところをこうまじまじと見せつけられると……ちょっと、複雑な気持ちになる。

 特にこういう集会とかの場だと、お姉ちゃんは絶対に壇上に上がるから、中学に上がってからは、そんな気持ちを刺激される機会も増えた。

 イヤ、なわけではない。わたしだってお姉ちゃんのことは大好きだし、お姉ちゃんが頑張ってるところを見るのは嬉しい。けれど、それによって、わたしのダメなところを自覚させられてしまうから。

 だからこの時間は、憂鬱なのだ。拒絶はできないけど、触れたくないような、もやもやしてて、チクチクする感覚が、ずっと付きまとっている。

 

「ふぅーん……小鈴ちゃんにもそういうとこ、あるんだね」

 

 意外そうに言うみのりちゃん。

 わたしはお姉ちゃんほどできた人間じゃない。薄暗い気持ちも、汚い感情もある。

 ちょっと、幻滅させちゃったかな……

 と思ったら、急に後ろから抱きすくめられた。

 

「み、みのりちゃん……っ?」

「まー安心しなよ。いくらお姉さんが凄くても、私は小鈴ちゃんの方が好きだから」

「別に、そんな心配はしてないけど……」

「私は一人っ子だから、そういう妬いちゃう気持ちってあんまわかんないけど、そんなの気にしないでさ。小鈴ちゃんは小鈴ちゃんらしく、小鈴ちゃんのままでいてよ」

「みのりちゃん……」

「それに小鈴ちゃん、それでもお姉さんのこと大好きなんでしょ? 私はお姉さんのことは知らないけどさ、悪を知りながらも他人を善性で受け入れる小鈴ちゃんは、凄いと思うよ」

 

 う、うーん? そうなのかな? あんまり意識したことないけど。

 他人を受け入れること。それは、そんなに特別なのかな。

 そりゃあ、お姉ちゃんはお姉ちゃんだから、否定することなんてできない。

 わたしは、当たり前のことを当たり前にしているだけのつもりだし、当たり前のことは当たり前であるだけだと思っている。

 だから、当たり前じゃないことでもできるお姉ちゃんや、みんながすごいと思う。

 ただ、それだけなんだけどなぁ。

 なんて思ってたら、お姉ちゃんが一礼して、壇上から降りていく。

 みのりちゃんとお話している間に、話し終えてしまったみたい。

 最後に、終わりを告げるための放送が響く。

 わたしの憂鬱な時間が、終わりました。

 

 

 

『以上、生徒会長、伊勢五十鈴(いせいすず)さんでした。続きましては――』

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「やっと終わったーぁ!」

「意外と時間かかったね」

 

 今日のすべての工程が終了しました。授業がないから楽だと思ってたけど、緊急時の対応とか、急病時の対応とか、思ったよりもすることが多くて、結構大変だったよ。

 

「……だる」

「だねー。こんなことに大して意味なんてないだろうに」

「そんなことはないけれど、もっと効率化して楽にできそうな気はするな」

「そーんなことよりもさー、早くお昼にして、どっか行くこーよ」

「ならユーちゃん、ワンダーランド行きたいです!」

「結局行き着くのはそこか。夏休みの間だけで、何度あそこに集まったことか……年頃の女子として、カードショップを溜まり場にするのはどうなんだ?」

「ま、私らの趣味からして集まりやすいとこだからねー、仕方ないね」

「……それより……おなか、すいた……」

「じゃあ、ちょっと寄り道になるけど、ワンダーランドに行く途中のパン屋さんに行こうよ! お手頃価格でおいしいパンがいっぱい食べられるよ!」

「小鈴のパン狂いも、顕著になってきたな……」

 

 呆れたように霜ちゃんが首を振ってる。パン狂いって、そこまでおかしくないよ。普通だよ。たぶん。

 それに、やっぱりおいしいものはみんなで共有したいもんね。わたしは色んなパンのおいしさを知ってもらいたいだけだよ。

 みんなにパン屋さんを紹介する機会なんて、普段はなかなかないし、こういう時に売り込んでいかないとね!

 

「みんな、早く行こっ」

「……なんか、こすず……やたら、テンション上がってる……?」

「そんなに急がなくても。せめてもうちょっと前を見るべき――」

 

 と、霜ちゃんの諫言が聞こえた、その直後。

 ちょうどC組の前を通った時。すぐそこの扉が、ガラガラと音を立てて開いた。

 いつもより軽快に足を運ぶわたしは、止まれませんでした。

 

ドンッ

 

「きゃっ!」

「あぅ……っ」

 

 と、ぶつかった衝撃が伝わってくる。

 その勢いで、わたしも、そして相手の人も尻餅をついてしまう。

 しまった、浮かれすぎちゃった。今のは明らかな前方不注意だよ。

 

「ほら言わんこっちゃない……」

「う、うん。ごめんなさい。あの、大丈夫です……か……?」

 

 ちゃんと謝らないと、と思って、顔を上げて、相手を見遣る。

 そして、硬直した。

 自分でも変だなっていうのがわかるくらい、固まった。

 ……どうして?

 

「こすず……?」

 

 なんで? という気持ちがまっさきに来て。

 考えようとするけど、よくわからない、という結論をすぐに出してしまう。

 頭が思考停止して、混乱のあまり、上手く物事を考えられない。

 

「あなたは……なんで……?」

「あ、あぅ……えと、えっと……」

 

 相手もなにやら困惑した様子で、視線を右往左往させて彷徨わせている。

 目線を合わせたくないけど、逸らす方向が定まらない、みたいな感じだ。

 

「小鈴ちゃん、どうしたの? 知り合い?」

「いや、その、この人……」

 

 お互いに困惑と混乱。その場から動けず、どうしたらいいのかもわからないようなパニック。

 なんと言うべき? なんと伝えるべき?

 慌ただしく騒々しいわたしの脳が辛うじて絞り出した言葉は……

 

 

 

「帽子屋さんの……」

 

 

 

 わたしが最後まで言えず、歯切れ悪くボソッと口走った。

 その瞬間、霜ちゃんとみのりちゃんが動いた。

 

「! 実子!」

「わかってる! そっちは空き教室確保ね!」

「了解した!」

「え? えっ? え!?」

 

 パニックは続く。

 わたしの言葉足らず過ぎる言葉に、みのりちゃんと霜ちゃんの二人は、すごいスピードでその人を捕まえると、手近かつひとけのない空き教室に飛びこんだ。

 ……いや、これは本当にわけがわからない。

 

「霜さんと実子さん、どうしたんですか!?」

「……すごい、機敏……」

 

 もうなにが起こっているのか滅茶苦茶で、落ち着いて話を整理させてほしいけど、そのためには。

 二人を追わなくちゃ。ということで、恋ちゃんとユーちゃんを連れて、三人で空き教室へ。

 すると、そこでは――

 

 

 

「さぁ――尋問を始めようか」

 

 

 

 ――どうにかなってしまっていた。

 

「どうしちゃったの二人とも!?」

 

 机を並べて、みのりちゃんともう一人が向かい合って、それを監視するように霜ちゃんが横に立っている。

 まるで取調室だ。

 いや、実際にここは、二人の手によって即席の取調室にされてしまっていた。

 そして始まるのは、霜ちゃんの言ったように――尋問だ。

 問いただすのだ。

 

「どうしたもこうしたもない。彼女はあれだろう? 君が以前言っていた、【不思議の国の住人】とやらの一人だろう?」

「あ……うん……」

 

 あまりの急展開にわけがわからなかったけど、ちょっとずつ頭が冷えてきた。

 そう、霜ちゃんの言う通りだ。

 色んな不可解な点、疑問点をとりあえず置いておいて、わたしが目にした光景は、単純明快にただ一つ。

 

 

 

「あ、あのぅ……アタシに、な、なにか……?」

 

 

 

 【不思議な国の住人】の一人、『代用ウミガメ』さん。

 彼女が学校に現れました。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 大きなリュックサックを背負い、角っぽい装飾があるフード付きパーカー。ここまでは、以前見た姿と一緒。

 だけど今は、パーカーの下に、烏ヶ森学園の――わたしたちと同じ制服を着ている。

 ……夏にそのパーカーは、ちょっと暑そうだけどなぁ。

 それはさておき。

 なんで【不思議な国の住人】である彼女が、学校にいるのか。しかも制服を着ているのか。

 そのことがあまりにも不可解すぎて、わたしは軽くパニックになっちゃったけど……霜ちゃんたちはちょっと違った。

 

「小鈴。ボクらはね、ずっと考えてたんだ」

「な、なにを……?」

「スパイだよ」

 

 スパイ? とわたしは呆けたように復唱してしまう。

 いやでも、スパイってどういうこと?

 

「【不思議な国の住人】とか言ったっけ。連中は徒党を組んで、どういうわけか君を狙って付け回している。それが現在だ」

「う、うん、そうだね」

「では過去はどうだ? 君は、連中とのファーストコンタクトを覚えているかい?」

「えっと、確か手紙が来て……」

 

 お茶会の誘いという、よくわからない手紙だった。でもそれは、みのりちゃんがすぐに破り捨てちゃって……そしたら帽子屋さんが自ら来た。

 

「もっと遡れば、“ボクら”と連中の初の接触は、実子を介してのものだ。彼女曰く、帽子屋とかいう胡散臭い男は、急に現れたって言ってるけど」

「ただ道を歩いてたら声をかけられたとか、そんなレベルの唐突加減だよ。まあそれはいいんだけど、そこから先を――いやさ、それより前を考えてみよう。私たちは、いつから知られていたのか、ってね」

 

 いつから知られていたのか。

 確かに、手紙が来るってことは、その時には帽子屋さんたちはわたしたちのことを知っていたことになる。

 みのりちゃんに接触したのも、わたしに近づくための一つの手段だとすれば、もっと前から……一体、いつから?

 

「まあ、この際いつかなんて関係ないけど、問題はボクらの存在を知るための手段。そしてその後の対応だ。連中がボクらの存在を認識したのがいつなのかは知らない。けれど、ボクらの動向を探るために、近くにスパイを潜ませている可能性は常に考えていた。それがボクらを認識する以前であれ、現在であれね。まあ、まさか生徒に扮してスパイ活動しているとは思わなかったけど」

「あ、アタシ、スパイじゃないです……」

「そんな低レベルな反論を、私たちが素直に聞き入れると思う?」

 

 カメさんに詰め寄るみのりちゃん。いつも朗らかな表情とはまるで違う。表面上こそいつもの表情を張り付かせているけど、どこか鬼気迫るような気迫がある。

 その気迫はカメさんも感じているのか、ビクッと身体を震わせ、涙目になっている。明らかに怯えていた。

 

「あの、かわいそうですよっ」

「もう少し君らは危機意識を持った方がいい。連中が学校に潜伏していたということは、ボクらはいつ襲われるかわからないような状況だったんだ。その意味がわかるかい?」

「ん……まあ……確かに、ヤバげ……」

「あうぅ……」

 

 肯定せず、けれど否定もできず、カメさんは呻き声を上げるだけ。

 彼女が本当のところ、どう考えているかはわからない。スパイがいるかもしれないというのも、わたしには判断できないし、彼女が学校にいるという事実がなにを意味しているのかも、想像くらいはできる。

 だけど、今にも泣き出してしまいそうな、不安げな表情のカメさんを見ていると、なんか……

 こういうやり方は違うんじゃないかなって、思う。

 

「それで? あなたはなにを探ってるの? なんのためにこの学校に潜入してたのかな?」

「な、なんのためって……」

 

 相変わらず怖い空気を発しているみのりちゃん。

 たじろいで口をもごもごと動かし、なにか言おうとするけど、上手く言えなくて、言葉を発せなくて、伝えられない様子のカメさん。

 喉は震えず、目線は惑う。

 痛い視線。きつい言葉。ピリピリした空気。

 その様子はさながら、お話の中の、虐げられる亀のようだった。

 

「……だ、だって……」

 

 やがて、カメさんの辛うじて振り絞った声が、掠れようにして漏れ出た。

 

「だって、あなたたちにとっては……これが、普通なんでしょう……?」

「は?」

 

 疑問符を浮かべているみのりちゃん。霜ちゃんもよくわからないといった風だ。

 そしてわたしも、彼女がなにを言っているのか、よくわからない。

 

「小学生は小学校に、中学生は中学校に……大人は働いてお金を稼ぐ……人間の社会って、そ、そういうもの、なんですよね……?」

 

 その通りだ。だけど、だからどうしたっていうんだろう?

 それはわたしたちにとっては当然で、当たり前のこと。常識と言い換えてもいい。

 カメさんは、精一杯の抵抗と言わんばかりに、必死で、訴えかけるように、言葉を紡ぎ続ける。

 

「あ、アタシは……アタシたちは、ただ……人間社会のルールに則って、生活してるだけです……そうしないと、あなたたちは、“普通じゃないもの(アブノーマル)”を、“違うもの(イレギュラー)”を、は、排斥するから……だ、だからアタシたちは、そうならないよう、こうして、せ、精一杯、人間のふりをして、生きてて……そ、それで……」

 

 けれどその言葉は、怯えたようにも発せられていて。

 弱者の悲痛な叫びのようにも、悲壮な訴えにも聞こえた。

 そんな返事が来るとは思わなかった。そう言いたげに、みのりちゃんは溜息を吐く。

 

「……ごめん。私、なんかよくわからなくなってきた」

「スパイ疑惑から目を逸らさせるための言い分……にしては、なんか引っかかる物言いだ。ちょっと待って、ボクも少し整理して考えたい」

 

 みのりちゃんも霜ちゃんも、二人して頭を抱えている。

 ……流石にちょっと見苦しいっていうか、見てられないかも。

 こういうのはよくないと思うけれど、でもわたしも、気になってきた。

 彼女らが――何者なのか。

 

「ねぇ、代用ウミガメさん。お話、聞いてもいいかな?」

「え、えっと……はい……」

 

 二人が尋問という名の対話を止めたところで、わたしは横槍を入れる。横槍っていうか、バトンタッチかな。

 スパイだって決めつけて、無理やり話を聞き出すなんて強引なことはしないけど、わたしは純粋に、この人たちのことが知りたくなった。

 興味本位と言えば、それまでだけど。

 知らないままじゃ、いけないように思う。

 迷惑な人たちって思ってたけど、今のカメさんを見ていると、彼らはただの迷惑なストーカーというだけではない、という気がするんだ。

 彼女たちには、なにか秘められたものがある。表立っていない、隠された事実がある。それが良いものなのか、悪いものなのかは、わからないけれど。

 でも、それを知らずして、彼女たちを糾弾はできないし、わたしにはそれを知る責任がある。

 天啓のようにそんな考えが湧いてきて、わたしは思うままに、カメさんに問う。

 

「あなたたちは普段、なにをしているの?」

「…………」

 

 これがクラスメイトとかにする質問なら、休日になにをしているの? 趣味はなに? みたいな意味になったんだろうけど。

 この人が相手の時は、違う意味になる。

 わたしたちの前に現れる時以外。【不思議な国の住人】としての役割から外れた時間。

 その時間は、彼女たちにどんな意味があるのか。

 

「……生きてます。生活、してます……人間の、社会で……」

 

 なんとも曖昧な答え。だけど、なんとなくわかったよ。

 

「一応、確認させてほしい。君は人間じゃないのか?」

「……はい。見た目は、人間っぽくしているつもり、ですけど……本質は違うというか……その、アタシは、【不思議な国の住人】です」

「人間じゃない生物が、人間社会に紛れ込んでるってこと?」

「みのりちゃん、そんな言い方……」

「い、いいんです……その、それは、その通り、なので……」

 

 目を伏せて、悲壮感を漂わせるカメさんは、悲しげに語る。

 

「アタシたちが生きていくには、こうするしかないって、帽子屋さんが……だ、だから、アタシも、帽子屋さんたちに言われた通りに、こうやって、学校に……」

「なんか色々飛躍してる気はするけど……人間社会で生きるためには、人間社会のルールに則って生活しなければならない、ってことか。まあ、道理だね」

「それじゃあそれじゃあ、あなたはいつから学校に行ってるんですか?」

「え……入学式の日から、ですけど……」

「最初からかぁ……」

 

 全然気づかなかった。

 C組の教室から出て来たってことは、C組なんだと思う。体育の時間が一緒なのは隣のB組だけだし、面識ある人はほとんどいないけど、だからって同じ学年で、こんなに身近にいるのに気付かなかったなんて……まあ、カメさんと最初に出会ったのは夏休みが始まってからだけど……

 

「だからアタシ、スパイなんかじゃないです……た、確かに、あなたのことは、帽子屋さんから色々言われてますけど、そのために来ているわけじゃ、な、ないです、から……そ、それに、す、少なくとも、今のアタシは『代用ウミガメ』じゃない、ですし……違う、から、あなたたちに手は出せません……」

「……? 違うから手が出せない?」

「うぅ……あの、これ、あんまり言っちゃいけないんですけど……」

「へぇ、いい度胸」

「……い、言わないと、こ、こわ、怖いので……言いますけど……時間が、違うんです……」

「時間?」

「アタシたちの、ルールなんです……一日のうち、アタシたちが【不思議な国の住人】としていられる時間は、決まってて……そ、その時間外だと、アタシたちは、違うものなんです……はい……」

「なんだかよくわからないな」

「そう? 業務時間が決まってるってことじゃないの?」

 

 ざっくばらんに言ってのけるみのりちゃん。だけど、わたしも霜ちゃんと同じで、よくわからない。

 違うものっていっても、カメさんはカメさんだし、制服を着ていること以外は、以前見た時となにも変わらないように思える。

 

「うーん、時間によって立場が違うってことなのかな?」

「立場というか……本質というか……そ、その、これはアタシたち特有の、性質、なので……あなたたちには、ちょっと、わかりにくいかもしれません……」

「なんか馬鹿にされたみたいな物言いなんだけど」

「あぅっ……そ、そういうつもりじゃ……」

「いちいち突っかからなくていいよ。こっちも理解するの大変なんだから、話をとっ散らかすな」

 

 みのりちゃんを窘め、頭を押さえて考え込んでいる霜ちゃん。

 自分で一人勝手に納得しちゃったみのりちゃんに対して、客観的な見方で納得しようとする霜ちゃん。

 カメさんを連行した時の連携力はすごかったけど、こういうとこ、この二人って対照的だよね

 そんな二人を見かねたように、カメさんは口を開く。

 

「えと、あ、アタシの場合は、午前と午後、それぞれ12時から1時の間以外なら、全部『代用ウミガメ』として、いられます……だ、だからその時間、アタシは【不思議の国の住人】の『代用ウミガメ』として、その本分を、まっとうできる……です」

「今……12時半、ちょっと前……」

「さっき、今は『代用ウミガメ』じゃないって言ってたのは、その決められた時間外、という意味か」

「帽子屋さんとかは、その、す、凄く厳しくて……6時の間しか、『帽子屋』でいられないんです……」

「6時の間?」

「げ、厳密には、6時0分から、6時59分59秒の間、です……」

「一日の内でたった二時間か」

 

 言われてみれば、帽子屋さんはいつも夕方――6時の時に、私たちの前に姿を現していた。

 猫のお姉さんが来た時も、タマゴさんと時間がどうのって言ってた気がする。

 もしかしてそれは、帽子屋さんが【不思議な国の住人】として活動することができる限界時間のことなのかな?

 そう言ったら、コクコクとカメさんは首を縦に振った。あかべこみたいでちょっと可愛い。

 つまり、帽子屋さんが、帽子屋さんとしてわたしたちの前に立てるのは、その決まった時間のみ。それ以外の時間だと、帽子屋さんは帽子屋さんではない……? そして勿論、他の【不思議の国の住人】たちも。

 まるで哲学のような難解な考え方だけど、みのりちゃんのたとえた「業務時間」と考えると、わかりやすい。

 とても奇妙で、おかしな性質だとも思うけれど。それはまるで、物語の“設定”のようで。

 

「あ、曖昧、というか、ほわんほわんした、制約、なので……穴とかは多い、ですけど。木、基本は、そんな感じで……だから、アタシたちも、自由にアタシたちとして、う、動けない、というか……」

「だけど君は12時から1時の間以外――午前と午後を合わせて2時間分を除き、22時間も【不思議な国の住人】として動けるんだろう? 刺客としては十分な条件だと思うけど」

「その時間設定ならいつでも私たちを襲えるから、スパイとして送り込まれた、って考えることもできるよねー」

「それは……そうですけど……」

 

 今まで必死で抗議していたカメさんだけど、ここでたじろいでしまう。

 これまでの話はきっと、すべて真実だと思う。カメさんは本当のことを、そのまま話してくれたんだと思う。

 だけどそれを真実とすると、霜ちゃんたちが言うような理屈も通ってしまう。

 ハッキリ言って、それは悪意のある考え方だ。相手の言葉を信じたうえで、疑っている。都合のいい言葉だけを真実として、都合よく疑惑を押し付ける、よくないロジックだ。

 一部分だけ信じて、一部分だけ信じない。情報の取捨選択と言えば聞こえはいいけど、それは信用の矛盾。相手に自分の考えを通したいから、こうあってほしいという欲深い願望から、都合よく物事を解釈してしまっている。

 それは道理じゃない。霜ちゃんたちはきっと、一つの可能性として指摘しているだけなんだろうけど、悪意がなくても強い言葉には痛みが伴う。

 カメさんは、また顔を伏せてしまった。

 

「やっぱり……そう、ですよね……あ、アタシたちみたいな“異物”が、人間社会にいるべきじゃ、ないんですよね……帽子屋さんも、言ってましたし……アタシも、わかってました……」

 

 項垂れて、自己否定のような言葉を並べる。

 矛盾した理屈は指摘すれば終わりだけど、彼女はそうしない。そもそも根本的な問題点は、理屈でも論理でもないから。

 人ならざるものが人の社会に存在している。

 みのりちゃんや霜ちゃんが見ているのは、もっと狭いコミュニティの、ミクロな視点だろうけど。

 マクロな視点で見ても、カメさんの存在は、あまり許容されるようなものじゃないことは、わたしにだって想像できる。

 悲観した面持ちのカメさんは、急にバッと顔を上げる。

 そして、ほとんど泣き出した顔で、懇願する。

 

「で、でも、こうしないと、アタシたちに生きる道は、ないんです……お、お願いします、から……なにもしませんから……アタシたちのことは、放っておいてください……」

「なにもしないから、って……」

「それ、誰もなんにも保証してくれないしねぇ」

「あ、ぅ……それでも、なんです……こ、これは、替えが利かない……代用品もない、代替不可能な、ことなんです……あ、アタシは、ただ、苦しまないで、い、生きていない、だけ、です。だ、だから……」

 

 弱気で臆病なカメさん。圧迫するような二人の問答に怯えながらの答弁だったけど、今だけは、どこまでも食い下がる。

 これだけは譲れないという感じだけど、それは強い意志によるものじゃなくて、強迫観念に駆られたみたいな、ここで引き下がった崖から落ちてしまうかのような、そんな必死さがあった。

 

「お願いします……もう、なにも望みません……もうひとりでいいから、誰かと関わろうなんて……人と仲良くなろうなんて、思いませんから……ひっそりと、日陰者の身でいいですから……せめて、苦しくないよう……アタシたちを……この世界から、追いやらないでください……」

 

 女の子のすすり泣く声が、静かな教室に響く。

 ボロボロと零れ落ちる涙。あまりに必死で、恥も外聞も投げ捨てた懇願は、あまりに悲痛で、悲愴だった。

 みのりちゃんと霜ちゃんはそんな彼女の姿に、いたたまれない様子だ。

 なにもいらないから、ひとりでいいから、生きていたい。

 なんて悲しいんだろう。なんて寂しいんだろう。

 当たり前のことなのに、当たり前のために、すべてを捨てるなんて、そんな……そんなのは――

 

 

 

「――ダメだよ」

 

 

 

 ぽつりと。

 口から零れ落ちるように自然と言葉が出ていた。

 一度流れると、もう、止まらない。

 衝動が、感情が、押し寄せるように、流出していく。

 

「ひとりなんて、ダメだよ。人間はひとりじゃない。みんなで生きる生き物だよ。あなたが人間社会で生きたいって思うなら、ひとりじゃダメだよ」

「あぅ……で、でも……」

「それにさ」

 

 いつの間にか、わたしもカメさんに詰め寄っていた。圧力になっちゃうかな。怖い思いをさせちゃうかな。一気に言葉をぶつけたら、困らせちゃうかな。

 そんなことを思っても、止められなかった。

 

「あなたは、なにも悪くないんだよ。生きたいって思うことも、どこかに身を置きたいって思うことも、誰かと一緒にいたいって思うことも、全部、自然なことだよ。ちょっとのワガママも、少し汚い欲望も、当たり前で自然なことなの。自然なことを、当たり前のことを享受することは、なにも悪くない。それを欲することも悪いことじゃない。あなたは、悪くないんだよ」

「悪く、ない……?」

「うん。だから、そんなお願いしないで。人間らしく、当たり前でいて……“お願い”」

 

 目元から流れる涙はそのまま。だけど、カメさんは呆けたように口を開いている。

 ……みのりちゃんと霜ちゃんは、この他人のこと、よく思ってないみたいだけど。

 わたしにはどうしても、悪い人には見えなかった。

 前にわたしの前に立った時は、帽子屋さんに言われて来ただけ。そして、わたしがネズミさんを倒した時、彼女は倒れたネズミさんを抱えて連れて帰った。

 そしてこうして対面して、対話して――ちゃんと面と向かってお話しすることで、もうちょっとだけ、この他人のことが分かった。

 悪い人じゃない。むしろ、すごく優しい他人なんだと思う。

 言葉なんて偽れるし、心なんて曖昧なものだし、それでその人のすべてを理解できるわけがないけれど。

 それでも、わたしは――

 

「ねぇ、あなたの名前は?」

「ふぇ……? な、名前、ですか……? それは、もう……」

「そうじゃなくて。だって、この学校の生徒なんでしょ? なら、あなたの人間としての名前があるんじゃない? 『代用ウミガメ』って、お話の中のキャラクターならともかく、人間の名前って感じじゃないから」

 

 今までずっと心の中では、カメさん、なんて呼んでいたけれど、そうやって呼ぶのも失礼かなって思う。

 この人にとっては、『代用ウミガメ』というのが本当の名前なんだろうけど、わたしはこの人のことを、人間として見たいと思った。

 だってここは、人間の社会、だもんね。

 

「し……しろ……み」

 

 か細く、小さな声だけど。

 それでもハッキリと、彼女は――人としての名前を、名乗った。

 

「あ、アタシは……亀船代海(きふねしろみ)、です……っ」

「代海ちゃんだね。じゃあ、代海ちゃん」

 

 これでわたしたちは対等だ。

 なんだか強引だし、無理やりだし、突然で唐突で突飛で飛躍してて、わたしの一方的なワガママだけれども。

 首を引っ込めたカメさんに頭を出してもらうため。なにより、わたしがその姿を見たいから。

 わたしは、彼女に手を伸ばす。

 みんなが、わたしにそうしてくれたように。

 

 

 

「友達になろうよ――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……で、こうなる、と……」

「わぁ、初めての人のデュエマは、ワクワクしますね!」

 

 空き教室をそのまま拝借して、机と机をくっつけて、簡易デュエマ台の完成。その両端に、わたしと代海ちゃんが立つ。

 前にも代海ちゃんとは、『代用ウミガメ』さんとして対戦したことがあるけど、今回はもっと純粋かつ単純。デュエマしたいからするよ。

 

「……呆れたというかなんというか……ボクたちの努力がバカみたいだ」

「ま、これが小鈴ちゃんの美点ではあるんだけどねー。小鈴ちゃんのためなら、私はバカでも構わないけど」

「そういうことじゃないんだけど……まあ今はいい。正直ボクも、もうどうしたらいいかわかんないし、とりあえず成り行きを見守ろう」

 

 みのりちゃんや霜ちゃんは渋い顔をしているけれど、特に止めるようなことはしなかった。

 

「わたしの超次元はこれだよ。代海ちゃんは、超次元ある?」

「あ、ありません……」

「わかった。それじゃあ、始めよっか」

 

 超次元ゾーンにカードを置いて、じゃんけんで先攻後攻を決める。先攻は代海ちゃんだった。

 ちなみにわたしの超次元ゾーンのカードは、大会の時と同じだよ。

 最初の1ターン目はどっちも動きなくマナチャージのみ。そして、2ターン目。

 

「うぅぅ……《クリスタ》が引けません……マナチャージだけで、ターン終了です……」

「わたしのターン。2マナで《【問2】 ノロン⤴》を召喚するよ。二枚ドローして、《グレンモルト》と《グレンニャー》を捨てるね」

 

 代海ちゃんはスタートダッシュに失敗しちゃったみたいだけど、逆にわたしは、すごく順調だった。

 この手札なら、かなり早い段階から仕掛けていけそうだよ。

 

 

 

ターン2

 

代海

場:なし

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:29

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:2

山札:26

 

 

 

「あ、アタシのターン、です……うぅ、手札が悪すぎます……《緑知銀 フェイウォン》を召喚して……た、タップ、します。一枚ドローして、終わりです……」

「わたしのターンだね。《熱湯グレンニャー》を召喚! 一枚ドロー!」

 

 カードを引いて、場を見る。

 《フェイウォン》はパワー1500か。それなら倒せるね。

 

「《ノロン⤴》で《フェイウォン》を攻撃!」

「えと、《ノロン⤴》のパワーは2000……あうぅ、ぎ、ギリギリ負けちゃってます……」

「ターン終了だよ」

 

 

 

ターン3

 

代海

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:1

山札:27

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》《グレンニャー》

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:2

山札:24

 

 

 

「あ、アタシのターン……うぅ、《フェイウォン》しか召喚できません……タップして、一枚、ど、ドロー……ターン終わります……」

 

 なんだか、悪いことしてるみたいだなぁ。

 楽しんでもらおうと思って誘ったんだけど、こうなっちゃうと、ちょっと申し訳ない。

 

「めちゃくちゃ事故ってるぽいね、彼女」

「ま、仕方ないでしょ。事故る時は事故るのがデュエマだし、事故った時にどう対応するかもデッキ構築だから。それもプレイヤーの責任でしょ」

「それはその通りだけど……」

「今日の実子さん、なんだか……厳しいです……」

「そう?」

 

 一方的な展開で、あんまりいい気持ちはしないけど。

 でも、手を抜くのはもっと失礼だし、悪いけど、ここは全力で行くよ!

 

「マナチャージ! 3マナで《ボーンおどり・チャージャー》を唱えるよ! 山札から二枚墓地に落として、チャージャーはマナに置くね。そして《ノロン⤴》で《フェイウォン》を攻撃! 破壊して、ターン終了!」

 

 

 

ターン4

 

代海

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:2

山札:25

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》《グレンニャー》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:4

山札:21

 

 

 

「あぅ、やっぱり、きっちり、処理されちゃいました……あ、アタシの、ターンです……」

 

 ここまでの4ターン、代海ちゃんはほとんどなにもしていない。

 だけど、そろそろ動いて来るかな?

 

「! や、やっと引けました……! 《龍装者 バーナイン》を召喚、ですっ。ターン終了……っ!」

「やっとか。でも、流石に遅すぎたね」

「だね。もう小鈴ちゃん、必殺圏内に入ってるし」

「……もし、こすずのデッキ、知ってたら……《フェイウォン》、ハンドに残す、べきだった……」

 

 恋ちゃんの言う通り。

 いつもよりクリーチャーが多いから、数はちょうど足りてる。攻撃を曲げるクリーチャーがいたら届かなかったけど、下手したらこのターンに決まっちゃうね。

 

「マナチャージして……これで6マナだよ! 《グレンニャー》をNEO進化――《魔法特区 クジルマギカ》!」

「あぅ、そ、それは……」

「《クジルマギカ》で攻撃する時、手札からコスト5以下の呪文、《狂気と凶器の墓場》を唱えるよ! 山札の上から二枚を墓地に送って、墓地のコスト6以下のクリーチャーをバトルゾーンに!」

「えと……ぼ、墓地は……あぁ……」

「出すのはこれ! 《龍覇 グレンモルト》!」

 

 わたしの必殺技。この陣形、この展開、この流れ。

 さぁ、止められるかなっ。

 

「《グレンモルト》に、《銀河大剣 ガイハート》を装備! 《クジルマギカ》でWブレイク!」

「あぅ、と、トリガーはありません……」

「続けて、《グレンモルト》で攻撃! シールドブレイク!」

「うぅ、こっちにも、トリガーはありません……」

「なら、このターン、わたしのクリーチャーが二回攻撃に成功したから、《ガイハート》の龍解条件達成だね!」

 

 シールドを三枚削ったところで、S・トリガーはなし。

 ここまで来ると、本当に申し訳なさが込み上がってくるけど、でも、止まらないし、止めない。

 手抜きはせず、手加減もしないで、全力全開だよ!

 

 

 

「龍解――《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 わたしは、わたしの全力の切り札を、代海ちゃんにぶつける。

 みんなと、デュエマした時のように。

 

「こ、このクリーチャーは、確か……」

「《ガイギンガ》の能力発動! 龍解した時、パワー7000以下のクリーチャーを破壊するよ! 選ぶのは《バーナイン》!」

「う、ううぅ、せっかく出したのに……」

「そのまま《ガイギンガ》でWブレイク!」

 

 《ガイギンガ》ですぐさま攻撃。これで、代海ちゃんのシールドはゼロ。

 ここでもS・トリガーがなければ、《ノロン⤴》のダイレクトアタックで決まり。

 仮にS・トリガーがあっても、ちょっと動きを止めるくらいじゃ、このまま押し切れると思う。攻撃しながら呪文を唱えられる《クジルマギカ》に、選ばれたらもう一度自分のターンができる《ガイギンガ》。この二体がいれば、ちょっとやそっとの防御は貫けるし、こっちの戦力を削がれることも早々ないはず。

 さぁ、どう来るかな?

 代海ちゃんは最後にブレイクされた二枚を手に取って、不安げな眼差しで眼を落とす。

 ……いや、違う。

 不安げなんかじゃない。まだ揺れているけど、その瞳には光が灯っている……ような気がする。

 ゆらゆらゆらゆら、ゆらめいて。

 されどもキラキラ、煌めいて。

 彼女は、一筋の光を、掴んだ。

 

「こ、このシールドは――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

(この人は……全力で、アタシに向かって来てる……)

 

 手加減なしで、情けも容赦もなく。

 それ自体は、今まで何度も、あらゆる意味合いで向けられてきた。

 たとえばそれは、悪意だったり。

 たとえばそれは、害意だったり。

 人間は排他的な生き物だ。自分たちと違う存在を見つければ、温情なんて掛けずに攻撃してくる。残酷で獰猛な種だ。

 しかし、

 

(……? 笑ってる……?)

 

 彼女は、笑っていた。口元から、頬から、瞳から、笑みの表情を作っていた。

 嘲笑されることこそあれど、こんな優しい笑みは初めて向けられた。

 まるで、今この瞬間が楽しいと言わんばかりの笑みだ。

 

(アタシなんかと一緒にいて、楽しい……? そんなことって……)

 

 あり得ない。そんなことがあるはずがない。今までだってそうだった。

 ……だけど。

 もし、微かでも、僅かでも、ほんの少しでも、その仮定が真実であるとするならば。

 少しだけ、前向きに彼女らを見つめることができるかもしれない。

 

(……この人は、違うのかな……それとも、これが本当の“人間”なのかな……)

 

 わからない。

 人間が多面的な生き物だということは知っている。一面だけでは推し量れないものを内包している、複雑な思考回路と心情を持つ種であると。

 なにが真実なのか、あるいはすべてが真実なのか、わからない。

 わからない、わからない、わからない。

 

(……ごめんなさい、帽子屋さん……)

 

 わからないから――見てみたい。

 言いつけられた手段や方法ではなく、距離感も接触も異なるが、そんな欲望が湧いてしまった。

 我侭も、欲望も、自然なこと。自然なことを受け入れるのは、当たり前。

 それが人間という生き物だと、彼女は語った。

 ならば、ほんの少しでも、人間に近づいてみよう。

 また傷ついてしまうかもしれないけれど。

 彼女の見せた希望に、縋りたい。

 そして、自分の知らない人間の側面があるなら、見てみたい。

 だから――

 

(――アタシは、アタシのやり方で……人間を、見てみます……っ!)

 

 その笑みが眩しくて、嬉しくて。

 手を差し伸べてくれるのが幸せで、楽しくて

 なにかが込み上げてくる。初めての感覚、かもしれない。

 目頭が熱くなる。なぜだろう。悲しいなんて気持ちはない。痛くもない、辛くもない。なのに、零れそうになる。

 それはすべて、彼女の存在ゆえ。

 太陽みたいに輝いて見える彼女。そんな彼女に、自分ができることはなんだろうか。

 わからない。だから、できることをなんでもやってみよう。

 首は引っこめない、頭を出そう。

 手も足も伸ばして、ジタバタと慌てふためいて足掻いて、みっともなくて格好悪くても。

 自分を“人間”として見てくれた彼女に、なにかをしてみよう。

 そして、一筋の光を――掴んだ。

 

 

 

「――スーパー・S・トリガー!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――スーパー・S・トリガー! 発動、です……っ!」

 

 き、来ちゃった……しかも、よりにもよってスーパー・S・トリガーかぁ。

 どんなカードが来るのかな……

 

「呪文《ノヴァルティ・アメイズ》です……まず、相手クリーチャーを全部、タップ、します……!」

 

 攻撃が止められた!

 それだけなら別にいいんだけど、この呪文って、スーパー・S・トリガーなんだよね。

 このシールドブレイクで、代海ちゃんのシールドはゼロ。ってことは……

 

「カードを一枚引いて……スーパー・S・トリガーのボーナスで、手札から、コスト8以下の進化でない光のクリーチャーを一体、バトルゾーンに出します……っ!」

「コスト8以下のクリーチャー!? で、でも、シールドはゼロだし、《ガイギンガ》もいるし、あのカメのクリーチャーなら……」

「……い、いいえ……違い、ます……」

 

 首を振って、代海ちゃんは否定して見せた。

 カメのクリーチャーじゃない? でも、前に対戦した時には、コスト8にも及ぶ大きなクリーチャーは、あれくらいしかいなかったはず。

 それとも、手札にないのかな?

 

「こんなにボコボコでも……全然、クリーチャーが応えてくれなくても……アタシは今……楽しい、です……っ」

「代海ちゃん……」

「こんなの、はじめてで、わからなくって、どうすればいいのか、全然……だけど……アタシだって、じ、自分の気持ちに、自分の衝動に……嘘は、つけない、です……! だから……っ!」

 

 キラッ、と。

 彼女の目元が、煌めく。

 そこから小さな一滴が、零れ落ちる。

 

 

 

「ごめんなさい、泣いちゃいそうです――《オヴ・シディア》」

 

 

 

 現れたのは、一つ目の真っ黒なクリーチャー。

 逆さまにした円錐形に、浮遊する二つの手。真っ黒な宝石――黒曜石のようなクリーチャーだった。

 このクリーチャーもコスト8。しかも、不気味で暗い姿に反して、帽子屋さんの切り札みたいに、キラキラと輝いている。

 ……なんだろう、すごく、嫌な予感がします。

 

「《オヴ・シディア》の能力発動、です……このクリーチャーが場に出た時、相手のクリーチャーの数だけ、山札を、め、めくります……そして、その中から、コスト6以下のメタリカをすべて、バトルゾーンに、だ、出せます……っ!」

「ま、まだ増えるの!?」

 

 わたしのクリーチャーは、《ノロン⤴》《クジルマギカ》《グレンモルト》、そして《ガイギンガ》の四体。

 最大で四体まで、クリーチャーが増えるってことだよね。出て来るクリーチャー次第では、逆転されちゃうかも……

 

「で、出て来てくださいっ! 《一番隊 クリスタ》! 《青守銀 ルヴォワ》! 《星の導き 翔天》!」

「三体……そんなに強いクリーチャーじゃないけど……」

 

 四枚めくった中に、出せるクリーチャーは三枚だったみたい。

 それでも、たった一枚のS・トリガーから、バトルゾーンを五分の状態にされてしまった。

 で、でも、代海ちゃんのシールドはゼロだから、ラビリンスももう使えないし、わたしには《クジルマギカ》も《ガイギンガ》もいる。

 このターンには決められないけど、なんとかして攻め切っちゃおう。

 

「ターン終了だよ」

 

 

 

ターン5

 

代海

場:《オヴ・シディア》《クリスタ》《ルヴォワ》《翔天》

盾:0

マナ:5

手札:8

墓地:4

山札:19

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》《クジルマギカ》《グレンモルト》《ガイギンガ》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:5

山札:19

 

 

 

「アタシのターン……《クリスタ》を、《龍装者 ヴァルハ》にNEO進化、です……! そして、《ヴァルハ》で《ノロン⤴》を、こ、攻撃……その時、《ヴァルハ》の能力で、《クジルマギカ》《グレンモルト》を、フリーズ、します……っ」

「う……」

 

 破壊じゃないのが救いだけど、一度に二体もクリーチャーの動きを止められちゃった……

 特に、攻撃する時に能力を使える《クジルマギカ》が動けなくなったのは、ちょっと痛いよ。

 

「これで、数ではアタシが有利……では、い、行きますっ!」

 

 いや、ちょっとどころじゃない。

 このターン、わたしは凄まじい大打撃を受けることになる。

 

「《オヴ・シディア》で攻撃――その時、マスター・ラビリンス、発動……ですっ!」

 

 真っ黒な黒曜石のクリーチャーが攻撃するその時。

 拭いもしない代海ちゃんの涙が、その雫がまた、零れ落ちる。

 

「マスター・ラビリンスは、シールド枚数だけじゃなく……クリーチャーの数が上回ってる時でも、は、発動するん、です……」

「クリーチャーの数、って……」

 

 わたしのクリーチャーは、《ノロン⤴》が破壊されちゃったから、今は三体。一方、代海ちゃんのクリーチャーは《オヴ・シディア》で増やして、四体。

 条件は、満たしてる。

 

「《オヴ・シディア》のマスター・ラビリンスで……アタシの手札七枚を、すべて……シールドへ、置きます……!」

「うそっ!? シールドが七枚!?」

 

 せっかくゼロ枚まで削り切ったのに、回復どころか、最初より増えてるよ!?

 ラビリンスを発動させないようにしたつもりが、一気に巻き返されちゃった……

 

「そして、《オヴ・シディア》の攻撃先は――《ガイギンガ》、です」

「!」

 

 《ガイギンガ》に来るの!? と驚いたけど、その理由はすぐにわかる。

 あまりにも単純で、原始的な理由で行われる突破手段だけど、確かに、確実でわかりやすい。

 

「《ガイギンガ》は、バトル中にパワーが4000上がって、13000になるけど……!」

「あ、アタシの《オヴ・シディア》のパワーは、13500ですっ! 破壊、ですよっ!」

 

 パワーの差はたった500。たった500の差で、わたしの《ガイギンガ》は破壊された。

 

「まさか、力ずくで破壊されるなんて……!」

「次は《翔天》で、し、シールドをブレイク、です!」

「っ、S・トリガー! 《地獄門デス・ゲート》! 《ルヴォワ》を破壊して、《グレンニャー》を復活させるよ!」

「あぅ……た、ターン終了、です……っ」

 

 代海ちゃんの怒涛のカウンター攻撃が止まって、やっとわたしにターンが返ってくる。

 クリーチャーが並ばないと思ったら、たった一枚のS・トリガーから頭数でも逆転された。

 シールドをゼロにしてラビリンスも封じたと思ったら、初期状態より多く回復された。

 凌がれても強引に突破しようと思ったら、とことんクリーチャーの動きを封じられた。

 しかも、

 

「……まさか、《ガイギンガ》が破壊されるなんて……」

 

 選ばれたらもう一度わたしのターンだから、実質選ばれないようなもの。バトル中のパワーも高いから、破壊されるなんてそうあることじゃないと思ってた。

 だけど、代海ちゃんはそんなわたしの予想を、上回ってきた。

 ……すごいなぁ。

 

「だけど……パワー勝負なら、わたしだって負けないよ」

 

 《ガイギンガ》が破壊されて、《クジルマギカ》も動けない。

 だけど、わたしにはまだ、切り札が残ってる!

 

「わたしのターン! 6マナで、《グレンニャー》を進化!」

 

 この前の大会では、ユーちゃんのまねっこって思って、あえて入れなかったけど。

 やっぱり、このカードがなくちゃね!

 

 

 

「わたしの全力は、まだ終わってないよ――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 《クジルマギカ》や《ガイギンガ》がわたしのすべてじゃない。これがわたしの、もうひとつの切り札。これがないと、全力だなんて言えない。

 さぁ、これで一気に攻め切るよ!

 

「《エヴォル・ドギラゴン》で、《オヴ・シディア》を攻撃!」

「う、くうぅ……《翔天》をアンタップ、して……こ、攻撃を、《ヴァルハ》に曲げ、ます……!」

「意味ないよ! 《エヴォル・ドギラゴン》はバトルに勝ったらアンタップする! 何度だって、叩き潰しちゃうんだから!」

 

 《ヴァルハ》を破壊。バトルに勝ったから、アンタップ。

 そして今度こそ、あの黒曜石を打ち砕くために、飛び掛かる。

 

「もう一度攻撃だよ! 《ドギラゴン》!」

「《オヴ・シディア》の、ぱ、パワーは、13500、ありますが……」

「《エヴォル・ドギラゴン》のパワーは14000! さっきのお返し、だよ!」

 

 《ガイギンガ》を、500のパワー差で打ち倒した《オヴ・シディア》。

 だけど今度は、その500に負ける番だよ。《ガイギンガ》を僅差で上回ったパワーは、《ドギラゴン》に僅差で下回るパワーだ。

 ギリギリの接戦で、わたしの《ドギラゴン》は、代海ちゃんの《オヴ・シディア》を叩き割り、破壊した。

 

「そのままシールドにも攻撃するよ! Tブレイク!」

「あぅ……っ」

「ターン終了!」

 

 

 

ターン6

 

代海

場:《翔天》

盾:4

マナ:6

手札:3

墓地:8

山札:18

 

 

小鈴

場:《クジルマギカ》《グレンモルト》《エヴォル・ドギラゴン》

盾:4

マナ:7

手札:1

墓地:5

山札:18

 

 

 

「……《バーナイン》を召喚です。一枚ドローして、さ、さらに《クリスタ》も召喚、もう一枚ドローです……」

 

 《オヴ・シディア》で一気に展開して逆転を図っていたみたいだけど、並べたクリーチャーがほとんど破壊されて、苦しそうな代海ちゃん。

 次のターンからは《クジルマギカ》と《グレンモルト》も動ける。増えたシールドからのS・トリガーが怖いけど、一気に攻め切っちゃおう。

 

「あ……そ、そうですね……やっぱり、あ、アタシには、こっちです……」

「……?」

 

 カードを引くなり、ぼそぼそと呟く代海ちゃん。

 なにか、いいカードを引いたのかな?

 

「《翔天》で攻撃です……し、シールドを、ブレイク!」

「トリガーはないよ」

「では……ターン終了、です」

「じゃあわたしのターン……」

「あっ、こ、ここで……《翔天》の能力……発動、です……っ」

「っ!」

 

 そういえば、《翔天》がいたんだったね。

 前のターンは《オヴ・シディア》の能力で手札を全部シールドにして能力が発動しなかったから、うっかり忘れてた。どっちみち破壊はできなかったけど。

 ここで《オヴ・シディア》が出て来るなら大丈夫。クリーチャーを並べられても、《ドギラゴン》で蹴散らせばいいだけだからね。

 だけど、それ以外のクリーチャーなら――

 

 

 

「すみません、迷宮入りです――《大迷宮亀 ワンダー・タートル》……っ!」

 

 

 

 ――とっても、まずいことになるかもしれない。

 

「《ワンダー・タートル》のラビリンス、は、発動、です……このターン、アタシのクリーチャーはすべて、場を離れま、せん……っ」

 

 やっぱり《ワンダー・タートル》……!

 パワー自体は《ドギラゴン》の方が上だけど、ラビリンスでクリーチャーを破壊することが出来なくなっちゃった。

 それに、下手に隙を見せると、さらにクリーチャーを出されちゃう。わたしのシールドも少しずつ削られてるし、強引に攻められるととてもまずい。

 だったら……

 

「これ、かな……《超次元ボルシャック・ホール》! クリーチャーは破壊できないけど、《勝利のプリンプリン》を出して、《ワンダー・タートル》の動きを止めるよ!」

 

 これで次のターンにやられる心配はないはず。

 次の問題は、《ワンダー・タートル》の能力だ。

 攻撃しないとわたしのクリーチャーはタップしちゃう。だから攻撃しなきゃいけないんだけど、どこに攻撃しよう。

 《翔天》と《ワンダー・タートル》がタップ状態だから、《クジルマギカ》で攻撃すると破壊されちゃう。だから攻撃するのは《ドギラゴン》にしたいけど、破壊できないクリーチャーに行くか、シールドに行くか。

 悩みどころではあるけれど……

 

「ラビリンスを使われるのも嫌だし、早く攻め切りたいから……シールドに行くよ! 《ドギラゴン》で攻撃!」

「攻撃を曲げても、突破されちゃいますね……なら、それは、シールドで受けます……S・トリガー、です」

「っ!」

「《ルクショップ・チェサイズ》が、に、二枚、です……山札の上から二枚を見て、一枚をシールドに、もう一枚は、手札に加えます……これを、もう一度、しますね……」

 

 よ、よかった、呪文か……でも、シールドが増やされちゃった。シールド枚数は同じだから、ラビリンスは発動しないけど。

 それにしても、早く倒し切りたいのに、なかなか攻めきれない。

 攻撃を屈折させる能力で牽制して、シールド追加で守る。ただひたすらに堅い恋ちゃんとは違う、変幻自在で迷宮のような防御だ。ただ強固なんじゃなくて、受け流されているような感じ。

 迷宮自体は攻略できず、迷宮の壁も頑丈だから強行突破もできない。二つの要素が噛み合って、総合的に高い防御力を発揮している。

 これは、攻め切るにはまだ時間がかかりそうかな……

 

「ターン終了だよ……」

 

 

 

ターン7

 

代海

場:《翔天》《バーナイン》《クリスタ》《ワンダー・タートル》

盾:3

マナ:7

手札:5

墓地:10

山札:11

 

 

小鈴

場:《クジルマギカ》《グレンモルト》《エヴォル・ドギラゴン》《プリンプリン》

盾:3

マナ:8

手札:1

墓地:6

山札:17

 

 

 

「あ、アタシのターン、です……《クリスタ》でコストを下げて、1マナで《クリスタ》召喚……二体の《クリスタ》で2コスト下げて、3マナで《ルヴォワ》を召喚です……自身をタップして、《クジルマギカ》を、た、タップします……」

 

 攻撃を曲げるクリーチャーが出て、《クジルマギカ》がタップされちゃった。

 でも、攻撃を曲げる能力は《ドギラゴン》が関係なく貫けるし、《クジルマギカ》も《ワンダー・タートル》の動きを止めてるから破壊されないはず。

 ……ついさっきまでは、だけど。

 

「えっと、そ、それから2コスト減って、4マナ……《陰陽の果て 白夜》です……」

 

 見たことのない、新しいクリーチャーが現れた。なんだかキラキラしてるけど、このクリーチャーは……?

 

「《白夜》の能力で、シールドを追加……こ、これで、ラビリンス発動、です……っ。アタシのクリーチャーは、次のアタシのターンまで……す、すべてのバトルに、勝ちますっ」

「すべてのバトルに!? ま、まず……っ」

 

 自分でシールドを増やしてシールド枚数を上回りながら、自分のラビリンスを発動させるなんて……

 しかもわたしの数少ない優位性である“クリーチャーのパワーの高さ”が、一瞬で塗り替えられてしまった。

 

「《翔天》で、《エヴォル・ドギラゴン》を攻撃、です!」

「ド、《ドギラゴン》が……」

「《バーナイン》も《クジルマギカ》を攻撃……ターン終了、です……」

 

 わたしの切り札がまとめて破壊されちゃった。

 残っているのは《グレンモルト》と《プリンプリン》。代海ちゃんの場には《ワンダー・タートル》がいるけど、タップ状態じゃないから、攻撃を曲げて新しいクリーチャーを出されることもない。《翔天》と《ルヴォワ》で攻撃を曲げられちゃうけど、もうこれ以上はもたない。なんとかして、次のターンで強引に攻撃するしかないかな……

 

「と、とりあえず、わたしのターン……」

「《翔天》の能力を、つ、使いますね……? 《オヴ・シディア》をバトルゾーンへ……」

「ま、また!?」

 

 絶望的状況で現れるまっくろくろすけ、《オヴ・シディア》。

 そこから展開されるクリーチャーが、さらにわたしを追いつめる。

 

「《緑知銀 フェイウォン》《正義の煌き オーリリア》……この二体を、だ、出します……どっちも、攻撃を曲げられますよ……?」

 

 さらに攻撃を曲げるクリーチャーが追加で二体。つまり、最低でも四回は攻撃を曲げられてしまう。

 わたしのクリーチャーは二体で、代海ちゃんのシールドは三枚……元々攻め切れるか不安しかなかったけど、その不可能性が、さらに高まった。

 まあ「可能かもしれない」が「不可能」に変わったくらいの変化だけど……希望の芽を摘まれちゃったよ。

 

「一応、悪足掻きくらいは……5マナで、《超次元リバイヴ・ホール》――」

「あ……そ、それ、ダメ、です……」

「え? なんで?」

「《オーリリア》のラビリンス、です……あ、相手は、コスト5以下の呪文を、唱えられ、ません……」

 

 悪足掻きすらもさせてもらいないみたい。

 

「……もう、どうしようもないよ……ターン終了……」

 

 流石にこれは、どうにもならない。

 諦めてターン終了するしかありません。

 

 

 

ターン8

 

代海

場:《クリスタ》×2《翔天》《バーナイン》《ワンダー・タートル》《ルヴォワ》《白夜》《オヴ・シディア》《フェイウォン》《オーリリア》

盾:4

マナ:8

手札:3

墓地:10

山札:5

 

 

小鈴

場:《グレンモルト》《プリンプリン》

盾:3

マナ:8

手札:2

墓地:10

山札:16

 

 

 

「《オヴ・シディア》で攻撃……マスター・ラビリンスで、て、手札四枚を、シールドへ……!」

 

 これでシールドが八枚。《ドギラゴン》で頑張って削ったシールドも、また一気に回復されてしまう。

 攻撃は曲げる、シールドは増える、バトルゾーンからは離れない、バトルには絶対勝つ、山札からはクリーチャーを出す。

 あらゆる手を尽くして、尽くされて、わたしは時間切れになっちゃったみたい。

 タイムオーバー。代海ちゃんの迷宮を、攻略できませんでした。

 

「Tブレイク、です……!」

「……トリガーは、ないよ」

 

 本当はスーパー・S・トリガーで《ドドンガ轟キャノン》が来てくれたけど、《オーリリア》がいるから唱えることもできない。

 完全に、おしまいです。

 

 

 

「《大迷宮亀 ワンダー・タートル》で、ダイレクトアタックです――っ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「あ、あの……」

「ん? どうしたの?」

「これは、その……ど、どういうこと、なんでしょう……?」

「お昼ご飯だよ?」

 

 目の前のトレに乗った数々のパン。

 みんなで行こうって話していたパン屋さんに、代海ちゃんも連れてきました。代海ちゃんのチョイスはメロンパン。控えめだけど、ここの焼き立てメロンパンを選ぶセンスはなかなかだよ。サックリふわふわで、ほどよい砂糖の甘みが、すごくおいしいんだよね。

 だけど、代海ちゃんはパンに手をつけていなかった。なんでだろう?

 

「……あ、もしかしてご飯派だった? パンはダメ?」

「いえ、そ、そんなことはないんですけど……ご一緒しても、よかったんですか……?」

「当然だよ。あ、こっちのも食べる?」

「え? あ、ありがとうございます……」

「はい、あーん」

「あ、あーん……?」

 

 わたしの取ったラスクをひとつつまんで、代海ちゃんの口に放り込む。

 サクサクと軽快な咀嚼する音が聞こえる。

 

「……おいしいです」

「でしょ? おやつみたいなものだけど、このサクサク感がいいよね」

「はい……あの、も、もうひとつ、いいですか……?」

「なに?」

「あのデュエマには、なんの意味が……?」

「え? 意味なんてないよ」

「えっ?」

 

 驚いたように目を見開く代海ちゃん。

 うーん、人間じゃないって言っても、見た感じがわたしたちと全然変わらないし、人間じゃないって感じがまったくないから、こうやってナチュラルに驚かれると、逆に戸惑っちゃうな。

 デュエマしたことに意味なんてない。それはその通り。だって、

 

「なにかの意味や理由をつけて、友達と遊ばなきゃいけないかな?」

「え、えっと……」

「友達と遊ぶのに、理由なんていらないよ。誰かと一緒にいることは、普通のことで、当たり前のことなんだから」

 

 遊びたいのは、遊びたいから。

 わたしたちはこうやって知り合って、こうやって遊んで、こうやって仲良くなった。

 だから代海ちゃんも、そうやって仲良くなれたらいいなって、それだけのこと。

 

「……って、格好つけてるけど、流石に強引すぎたよね……ごめんね。イヤ、だったかな?」

「そ、そんなこと……っ。イヤ、じゃないっていうか、その……えっと……」

 

 わたわたと慌てたような素振りを見せる代海ちゃん。

 このおどおどした感じ、やっぱり、似てるなぁ。昔のわたしに。

 だからって、それはまったく関係ないんだけど。

 代海ちゃんに同情したのはその通り。だけど、友達になりたいって思ったのは、わたしが代海ちゃんのことを、もっと知りたいって思ったから。

 義務じゃなくて、どっちかっていうと興味。もっと言うと、衝動?

 やっぱり突き詰めると、そうしたい、っていうワガママなんだけど。

 やがて、代海ちゃんはぽつぽつと言葉を零していく。

 

「……アタシは、他の人と、違うから……人間と、あまり触れ合うべきじゃないって、触れ合っちゃいけないって、思うから……」

「関係ないよ。わたしの周りには変な鳥さんはいるし、クリーチャーもしょっちゅう出て来るし、そういうのに比べたら、全然気になることじゃない」

「で、でも、今はもう1時を超えましたし、だから今のアタシは『代用ウミガメ』のとしての……【不思議な国の住人】としての、アタシですよ……?」

「だから関係ないんだって。だって、あなたが人間でなかったとしても、人間らしく人間社会で暮らしていこうと思っているんだから。それに、その気持ちくらいは、汲み取るべきだもん。人としてね」

 

 みんな、やっぱりなんか理屈っぽいよね。

 友達って、そんな難しいものじゃないのに。

 やりたい、そうしたい、そうありたい。ただ、それだけ。

 酷く衝動的で感情的だけど、そういうものだと思う。

 楽しければ、嬉しければ、それでいい。

 それが、友達、っていうものじゃない?

 

「あ……ありがとう、ございます……」

「お礼なんていいよ。それよりも、これからよろしくね、代海ちゃん」

「……はい、よろしくお願いします……っ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 小鈴と『代用ウミガメ』――代海が仲睦まじくパンを頬張っている様子を見て、実子は呆れたように、諦めたように、それでいてどこか嘆くように、溜息を漏らした。

 

「……小鈴ちゃんは甘々だなぁ」

「ボクもそう思う。いつ隠している牙が剥かれるか、わからないっていうのにね」

「それとも、私たちが疑いすぎ?」

「否定はできない。けれど、実のところどうなるかはわからない。彼女一人がその気でも、彼女は一人じゃない」

「一人の意思じゃどうにもならないこともあるかもしれないって? まあ、相手が組織立ってるとね、そうなっちゃうか」

「しかし、小鈴がここまでぐいぐい押してくるとは思わなかったよ。まさかボクらの中に取り込むとは……」

「あー、なーんかわかるけどねー。小鈴ちゃん、中学に上がるまでほとんど友達いなかったっていうし、シンパシー感じちゃったりとか?」

「同情か。人情は美徳だけど、絆されるのはなぁ」

「私は小鈴ちゃんがそうしたいって言うなら、あんまり止めないけど……けどねぇ? 流石にこれはねぇ?」

「わかってる。あの様子じゃ、ユーは小鈴側、恋は様子見で中立って風だ。となると」

「警戒体制を敷かなきゃ、って感じだね」

「あぁ。何事もなければいいけど、なにかあってからじゃ困る。だから、ボクらが目を光らせておかなくてはならない……ボクらの日常を、守るためにもね」




 とまあ、どういうわけかと言えば、こういうわけです。この辺りを発端に、【不思議の国の住人】とはどういう存在なのかを、描写していくつもりですが……まあ、じんわり気長に読んでくだされば。
 そしていつものごとく、ご意見ご感想誤字脱字etc、なにかありましたら遠慮なく送って来てください。


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22話「強いんですか?」

 実質21.5話。番外編にしても良かったなぁ、とか今更ながら思いますが、今更そんなことしてもナンバリングがずれるだけなので、仕方なくそのままに。


 みなさんこんにちは、伊勢小鈴です。

 今日は学校が午前中で終わったのでというか、夏休み中の特別登校日でした。

 途中で『代用ウミガメ』さん――亀船代海ちゃんとお友達にもなったりしたけれど、それは別のお話です。

 そんなこんなで、学校帰りにどこかで遊ぼうということになりました。

 まあ、わたしたちが一緒に遊ぶところなんて、とても限られているんだけど――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――君たちさ、うちに来てくれるのは凄く嬉しいんだけど、この夏だけでどれだけカードショップに来てるの……華やかな女子中学生とは思えないんだけど……」

 

 当初の予定通り『Wonder Land』を訪れると、詠さんが呆れた顔で迎えてくれた。

 そう言われるとその通りなんだけど……それでも今年の夏は、みんなでプールに行ったりしたし、夏祭りとか林間学校に行く予定もあるから、充実した夏休みだと思うんだけど……

 

「っていうか、そっちの子は初めてだね」

「あ……は、はい……だいよ……じゃなくて、き、亀船代海です……よ、よろしく、お願いします……」

「これはこれはご丁寧にどうも。私は長良川詠。この店のバイトだよ、よろしくね」

「そういえば詠さん、今日はいつものエプロン付けてませんね」

「今日はオフだからね。特にすることないし、暇だからここ来ちゃった」

「……私たちと、同じじゃん……」

「あはは、そうかも」

「というか詠さんって、確か高校三年生でしたよね。受験はいいんですか?」

「そういうナイーブで繊細な話題に触れるのはナンセンスだよ」

 

 急に真顔になる詠さん。

 どうやら、受験云々については話題にして欲しくないみたい。

 

「……そういえば、詠さんってデュエマ、強いんでしょうか?」

 

 不意に、ユーちゃんがそんなことを言った。

 

「んー? いやー、別にそこまでかなー?」

「そうなんですか? お店の人なのにですか?」

「あはは、それは関係ないよー。ここでバイトしてるのは単に好きだからだし。CSとかの大会もたまに出てたけど、大抵は一回戦落ちだよ」

「そうなんですね。それはそれで、ちょっと意外です」

「そうかな?」

 

 詠さんは、わたしのデッキ作りを手伝ってくれたり、色んなアドバイスをしてくれたり、欲しいカードがあったら入荷を店長さんに進言してくれたり、何度もわたしを助けてくれた。

 だから勝手に、すごい上級者ってイメージがあったけど……

 すると、またまたユーちゃんが、ふと言った。

 

「ユーちゃん、詠さんがデュエマするところ、見てみたいです!」

「へ? 私が?」

「あ、私も気になるー。おねーさん、いっつも解説ばかりでカード触ってるところ見たことないし」

「私そんなに解説してないし、現在進行形でカード触ってるんだけど……」

「でも、確かに詠さんがデュエマするところ、見てみたいですよね」

「えー、そーぉー……?」

 

 うーん、と首を捻る詠さん。

 しばらく、悩ましげにうんうんと唸っていたけれど、やがて、

 

「仕方ないなぁ。ちょうど今しがた新しいデッキも組んだことだし、やってあげますか!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 と、いうわけで。

 詠さんとユーちゃんでデュエマすることになりました。

 

「で……なんで……ユーが……?」

「ユーも新しいデッキを試したいからだろ。前にデッキ組みながら、実子に告げ口されているところを見たことがある」

「告げ口とは人聞きの悪い。ちょっとアドバイスしてただけじゃん」

 

 ユーちゃん、みのりちゃんと一緒にデッキ作ってたんだ。

 夏休みのいつからか、一緒にお話ししたりしてるところをちらほら見てたような気がするけど、いつの間に仲良くなったんだろう?

 

「さて、じゃあ始めようか、ユーちゃん」

「Ja! よろしくお願いします!」

「うん、お願いします。最初は超次元の確認ね。といっても、私にはないけど」

「ユーちゃんにはありますよ! これです!」

 

 

 

[ユー:超次元ゾーン]

《エイリアン・ファーザー<1曲いかが?>》×1

《時空の霊魔シュヴァル》×1

《勝利のプリンプリン》×2

《激相撲!ツッパリキシ》×2

《サンダー・ティーガー》×2

 

 

 

「んん……? なんだ、これは?」

「コスト5以下の、サイキック、ばっか……4コストの、超次元呪文、のみ……?」

「しかも《プリン》《ツッパリキシ》《ティーガー》が二枚積み、《シュヴァル》に《ファーザー》もいるとか、なにするのかわーけわかんないねー」

 

 霜ちゃん、恋ちゃん、みのりちゃんの三人が口々に言う。けれど、どれもユーちゃんのデッキの不可解さに首を傾げるだけだった。

 そしてそれは、詠さんも例外じゃない。

 

「ユーちゃんに限ってブラフなんてことはないだろうけど、なにするデッキなのかさっぱりだね……まあ考えても仕方ない。とりあえず、じゃんけんしようか。じゃーんけーん」

「ぽんっ、です!」

 

 じゃんけんは、詠さんがパーで、ユーちゃんがグー。

 詠さんの先攻だ。

 最初の1ターン目は特になにもなく、二人とも動き出したのは2ターン目から。

 

「《タイム・ストップン》をチャージして、2マナで《ウラNICE(ナイス)》を唱えるよ。一枚ドローしてターンエンド」

「ユーちゃんのターンです! うーん、ここはこうです! 《ジャスミン》をマナにして、《爆砕面 ジョニーウォーカー》を召喚(フォーラドゥング)! 破壊してマナを増やしますよ! Endeです!」

 

 

 

ターン2

 

場:なし

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:1

山札:28

 

 

ユー

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:1

山札:27

 

 

 

「ユーのマナには、《キザム》《ジャスミン》そして《ブラック V》、か」

黒赤緑(デアリ)だね。あ、今はジャンドって言う方が通るんだっけ?」

「どっちでもいい……見た感じ、黒赤バイクの亜種、っぽい……けど……」

 

 それでもまだ、不明なところが多くて謎だ、と言いたげな恋ちゃん。

 そして当然のように、詠さんもユーちゃんのデッキを訝しげに見つめていた。

 

「詠さんの方は、見た感じ無色ジョーカーズだな」

「採用カードが妙だけどね。《ウラNICE》採用してるジョーカーズなんて、小学生以外で初めて見たもん」

 

 ジョーカーズ……あまりいい思い出があるカードじゃないけど、詠さんが使うカードは、帽子屋さんもチェシャ猫レディのお姉さんも使っていないカードがほとんどだった。

 それに、クリーチャーが全然見えていない。マナゾーンにあるカードも、使ったカードも、呪文ばかりだ。

 

「《アリゾナ・ヘッドショット》をチャージ。3マナで《パーリ騎士》を召喚するよ。能力で墓地のカードをマナに置いて、ターンエンド」

 

 遂にそれらしいクリーチャーが出て来た。墓地のカードをマナに置いて加速する《パーリ騎士》。これは、帽子屋さんもチェシャ猫レディのお姉さんも、どっちも使ってたクリーチャーだ。

 

「ユーちゃんのターンですよ。《デス・ハンズ》をマナチャージして、4マナで《超次元の手ブラック・グリーンホール》です!」

「遂に超次元呪文が見えたね。けど、《ブラック・グリーン》?」

 

 詠さんがその呪文を見て、首を傾げる。

 ユーちゃんが唱えたのは、4コストの超次元呪文。文明は名前の通り闇と自然(黒緑)

 

「効果で、墓地(フリートホーフ)のクリーチャーをマナに置きますよ。そして、超次元ゾーンから《サンダー・ティーガー》を出します! 能力で《パーリ騎士》のパワーを2000下げますよ!」

「パワーが0になった《パーリ騎士》は破壊されるよ」

 

 ユーちゃんも詠さんと同じように、墓地のカードを使ってマナを溜める。同時に、詠さんのクリーチャーも減らしていく。

 ジョーカーズは場にクリーチャーを展開することで強くなるところがあった。もし詠さんのデッキがジョーカーズなのだとしたら、この一手は大きい、のかもしれない。

 

「Ende! です」

 

 

 

ターン3

 

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:27

 

 

ユー

場:《ティーガー》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

 

 

「私のターン……ここは、やるしかないかな」

 

 カードをドローして、詠さんは少し考える。

 まだお互いに、大きな動きはない。ユーちゃんがなにかをする予兆を見せているものの、今は予兆で止まっている。

 ここで動けば先んじられるかもしれない。逆に、ここで動かなければ出遅れる。

 実際にそんなことを考えていたのかは分からないけれど、詠さんも動き出すべく、手札を切る。

 

「マナチャージして、3マナで《戦慄のプレリュード》を唱えるよ。次に召喚する無色クリチャーの召喚コストを5軽減するね」

 

 コストを5も軽減するの!?

 でも、唱えるのに3マナ使ってるから、差し引きして結果的に軽減されるのは2マナ?

 詠さんはマナゾーンのカードを一枚倒して、“それ”を召喚する。

 

 

 

「1マナで――《夢幻左神スクエア・プッシャー》を召喚!」

 

 

 

「な、ゴッド・ノヴァ!?」

 

 そのクリーチャーを見た瞬間、霜ちゃんが驚いた声を上げる。そんなにビックリするようなカードなの?

 でも、確かに変なカードだ。イラストの片側に枠がないというか、絵がまだ続くみたいな……

 

「しかも《スクエア・プッシャー》なんて、使われてるところは初めて見たな……」

「能力が地味だもんねー」

「そうなの?」

「うん。まあ、見ての通りだよ」

 

 と言われて、詠さんの挙動を見遣る。

 詠さんは山札から二枚、カードをめくった。

 

「《スクエア・プッシャー》の能力で、登場時に山札の上から二枚を墓地へ送るよ」

 

 ……確かに、地味だね。

 6マナで、パワー6000、能力は墓地を増やすだけ。

 一体詠さんは、このクリーチャーでなにをするつもりなんだろう?

 

「それと、G・ゼロ! 《ゼロの裏技ニヤリー・ゲット》を唱えるよ!」

「うにゅ、それは……」

「山札の上から三枚をめくって、《戦慄のプレリュード》《トンギヌスの槍》《イズモ》を手札に加えるよ! これでターンエンド」

「な、なんだか、とってもヤな予感がするクリーチャーです……Aber(でも)! ユーちゃんは負けませんよ!」

 

 ユーちゃんは、あの不思議なデザインのカードにも気圧されず、笑いながらカードを引く。

 

「まずは《ジャスミン》を召喚です! 破壊して、マナを増やします!」

「この期に及んでマナ加速?」

Nein(いいえ)! 次に《超次元グリーンレッド・ホール》を唱えます! 効果で《激相撲!ツッパリキシ》をバトルゾーンへ!」

 

 ユーちゃんはまた、超次元からクリーチャーを繰り出す。

 《ツッパリキシ》……お相撲さんのクリーチャー? ドイツなのに? いや、関係ないんだけど。

 それより問題なのは、そのサイキック・クリーチャーを呼び出した呪文と、呼び出されたクリーチャーだった。

 

「《ツッパリキシ》は火と自然のクリーチャーなので、《グリーンレッド・ホール》の追加効果です! 《サンダー・ティーガー》を、このターンだけアンタップしているクリーチャーも攻撃できるようにします! そして、マナゾーンの《不死 ゾンビーバー》を手札に!」

 

 わたしは使ったことないけど、4マナの多色超次元呪文には、呼び出したサイキック・クリーチャーに応じて追加効果が発生するものがある。

 《グリーンレッド・ホール》は、その名の通り自然と火(緑赤)のサイキック・クリーチャーに対応している。そうして、それぞれの文明の力を再現するんだ。

 そして、その力を最大限に生かして、ユーちゃんは詠さんの手を潰していく。

 

「《サンダー・ティーガー》で《スクエア・プッシャー》を攻撃(アングリフ)! その時、侵略発動です! 《不死 ゾンビーバー》!」

 

 さっきマナゾーンから手札に戻したクリーチャーだ。

 あのクリーチャーにも、みのりちゃんが使うような侵略能力があるんだ。

 

「まず、《ゾンビーバー》の能力で、ユーちゃんの山札を五枚、墓地へ! そしてバトルです!」

「《スクエア・プッシャー》のパワーは6000、《ゾンビーバー》も6000、だけど」

「《ツッパリキシ》の能力です! ユーちゃんのクリーチャーのパワーは、そのクリーチャーの文明の数だけ1000上がりますよ!」

 

 文明の数だけパワーが上がる……《ゾンビーバー》は闇文明しか持ってないけど、それでも文明をひとつは持ってるから、パワーはプラス1000で7000。

 ギリギリで《スクエア・プッシャー》を上回った。

 バトルによって、謎のクリーチャーだった《スクエア・プッシャー》は破壊される。

 

「見事に処理されちゃったなぁ」

「えへへ、Endeです!」

 

 

 

ターン4

 

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:6

山札:21

 

 

ユー

場:《ゾンビーバー》《ツッパリキシ》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:8

山札:19

 

 

 

「私のターン。ここは……これしかないか。《イズモ》を召喚して、ターンエンドだよ」

 

 詠さんは、今度はイラストの両側が途切れているクリーチャーを召喚する。

 このクリーチャーも、ゴッド・ノヴァ? のクリーチャーなんだ……

 ただ、このクリーチャーは特になにもしないのかな?

 

「ユーちゃんのターンですね! 4マナで《轟音 ザ・ブラック V》を召喚です! そして、《ゾンビーバー》で攻撃――する時に!」

「ん? また侵略かな?」

「Nein! 今度は、こっちです――革命チェンジ!」

 

 侵略に続いて革命チェンジ!

 ユーちゃんはまるでみのりちゃんのように、二つの踏み倒し能力で、攻めていく。

 そしてここで現れるのは――

 

 

 

Ich bitte dir(お願いします)――《Kの反逆 キル・ザ・ボロフ》!」

 

 

 

 ――真っ黒な、狼だ。

 

「……実子がなにか吹き込んでいたのは、これ?」

「だから人聞きが悪いよー。吹き込むとかじゃなくて、単に私とユーリアさんの趣味と好みを重ね合わせた結果だよ」

「侵略……革命チェンジ……どう考えても、みのりこの、入れ知恵……」

「確かにアドバイスとかはしたけどさぁ。というか、別にいいじゃん、デッキ組むのにちょっと口を挟んでも」

「悪いなんて言ってないけどね」

「言外に非難されてるように聞こえるんですけどー」

 

 不満げに口を尖らせるみのりちゃん。

 なんにしても、ユーちゃんはやっぱり、みのりちゃんの教えを受けていたみたい。侵略や革命チェンジなんかを使い始めたのも、そのあたりが理由なのかな。

 

「《キル・ザ・ボロフ》の能力です! 墓地の《デス・ハンズ》を山札の下に戻して、《イズモ》を破壊! そのままWブレイクです!」

「クリーチャー残せないし、トリガーもないし、きついなぁ」

「続けて《ブラック V》で攻撃! その時、《ゾンビーバー》に侵略します! 山札を五枚墓地へ!」

「それと、《ブラック V》のセルフハンデスだね。《テキサス・ストーム》を捨てるよ」

 

 手札を捨てさせながら、墓地を増やして、シールドまで削り取る。

 今日のユーちゃんは、いつになく攻撃的だった。

 

「おっと、S・トリガーだよ。《タイム・ストップン》で、《ツッパリキシ》を指定。山札の底に沈んでもらうよ」

「むむ、倒されちゃいました。じゃあEndeです」

 

 

 

ターン5

 

場:なし

盾:1

マナ:6

手札:4

墓地:8

山札:21

 

 

ユー

場:《キル・ザ・ボロフ》《ゾンビーバー》

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:12

山札:14

 

 

 

「結局、詠さんがなにをしたいのかわからないままだね」

「ジョーカーズとゴッド・ノヴァの混成デッキだってのはわかったよ」

「普通その二つは組み合わせないだろう。しかも《スクエア・プッシャー》なんて、ゴッド・ノヴァでも採用されないようなカードを入れて……なにをするデッキなのかさっぱりだけど、それを見る前にユーが押し切ってしまいそうだ」

 

 S・トリガーで追撃を防いだ詠さん。

 だけど、詠さんのシールドは残り一枚だし、クリーチャーもゼロ。以前として状況はユーちゃんに傾いている。

 

「私のターン……お、ここでこれか。で、手札はこれ、マナは6だから……うん、行けるね」

 

 謡さんは引いたカードを見て、口元に笑みを浮かべる。

 そしてマナのカードを枚数を確認すると、手札を切った。

 

「《トンギヌス》をチャージ、3マナで《戦慄のプレリュード》! 効果でコストを5軽減して、0マナで《イズモ》を召喚!」

「むむ、また来ましたね! でも、何度召喚されたって、破壊しちゃいますよ!」

「いいや。今度こそ、簡単には破壊させないよ。3マナでもう一度《戦慄のプレリュード》! コストを5軽減して、1マナタップ!」

 

 このターンで二枚目の《戦慄のプレリュード》を唱える詠さん。

 手札を犠牲にコストを大きく減らして、さらに繰り出すクリーチャーは――

 

 

 

「さぁ、いよいよ切り札の登場だよ――《邪眼右神ニューオーダー》!」

 

 

 

 ――またしても、片側の途切れたクリーチャーでした。

 

「《ニューオーダー》!? また珍しいゴッドだな……!」

 

 隣で霜ちゃんが吃驚している。

 これも、さっきまで見たクリーチャーと似たデザインだ。イラストの片側だけが、途切れているように見える。

 そして詠さんは、ついさっき出したばかりの《イズモ》と、そのクリーチャーを――繋げる。

 

「それじゃあ、中央(センター)(ゴッド)・リンクの《イズモ》と、(ライト)G・リンクの《ニューオーダー》をG・リンク!」

「ふわっ!? カードが、つ、つながっちゃいました!?」

 

 えっ!? な、なにあれ!?

 ユーちゃんの言うように、カードが繋がって、くっついた。

 途切れていたイラストも、二枚のカードが合わさって、一枚絵のようになる。

 進化とはまた違う。まるで、一つのカードになったみたいに、クリーチャーが一体化したかのように、カードが接続している。

 こんなカードは、はじめてだ。G・リンク? って、詠さんは言ってたけど……

 

「ようやく動けるよ。リンクしたゴッドはすぐに攻撃可能だから、《イズモ+ニューオーダー》で《キル・ザ・ボロフ》を攻撃! その時、《ニューオーダー》の能力発動! 墓地にある、コスト7以下の無色呪文を一枚、タダで唱えるよ。唱えるのは《タイム・ストップン》! コスト6以下の《ゾンビーバー》を山札の下に! そして《キル・ザ・ボロフ》とバトル!」

「《キル・ザ・ボロフ》のパワーは8000ですよ!」

「けど、こっちのパワーは《イズモ》と《ニューオーダー》、二体のパワーの合算だから、5000+8000で13000、《キル・ザ・ボロフ》を超えたよ」

「はわっ!?」

 

 呪文で《ゾンビーバー》を、バトルで《キル・ザ・ボロフ》を除去する詠さん。

 一気にユーちゃんのクリーチャーをゼロにしちゃった……!

 

「これでターンエンド。どうする?」

「うぅ、ユーちゃんのターン……これを使います。《超次元の手ブラック・グリーンホール》! 墓地のクリーチャーをマナに置いて、《勝利のプリンプリン》を出します! そのくっついたクリーチャーの攻撃を封じちゃいますよ!」

「攻撃を封じられちゃったか。とはいえお互いに手札ゼロだから、トップ勝負かな」

 

 

 

ターン6

 

場:《イズモ+ニューオーダー》

盾:1

マナ:7

手札:0

墓地:10

山札:20

 

 

ユー

場:《プリンプリン》

盾:5

マナ:7

手札:0

墓地:13

山札:15

 

 

 

「私のターン。うーん、まあ、シールド一枚だし、怖いことには怖いし、退かしとこうか。5マナで《アリゾナ・ヘッドショット》を唱えるよ。《プリンプリン》を山札の下へ飛ばすね。ターン終了」

「ユーちゃんのターンです!」

 

 シールドの枚数ではユーちゃんが有利だけど、詠さんは切り札でバトルゾーンを支配しつつある。

 どちらも手札がゼロで、できることは少ないけど、詠さんは墓地の呪文を唱えられるから、自由度はユーちゃんよりも高い。

 早くあのゴッド? を止めないと、ユーちゃんも危ない、けど、

 

「! 引けました! 7マナで墓地進化(フリートホーフ・エヴォルツィオン)! 《ブラック V》を進化元にして、《暗黒の悪魔神ヴァーズ・ロマノフ》を召喚です! 《ヴァーズ・ロマノフ》の能力で、クリーチャーを一体破壊します!」

「残念だけど、リンクしたゴッドは場を離れる時、一体だけが除去されて、他のゴッドは場に残るよ」

「そーなんですか!?」

「そうなんです。というわけで、《イズモ》を破壊して、《ニューオーダー》を場に残すね」

 

 破壊しようとしても、ゴッドは簡単には破壊されない。

 片方のクリーチャーを切り離して、もう片方は生き残る。

 

「むー……でも! 攻撃はします! 最後のシールドをブレイク!」

「……うん。トリガーはないね」

「ならEndeです!」

 

 

 

ターン7

 

場:《ニューオーダー》

盾:0

マナ:7

手札:1

墓地:12

山札:19

 

 

ユー

場:《ヴァーズ・ロマノフ》

盾:5

マナ:7

手札:0

墓地:12

山札:14

 

 

 

「私のターン……いいドロー。《イズモ》を召喚。《ニューオーダー》とG・リンク!」

「ま、またですか……これじゃあ、破壊しきれないです……」

「ふふ、ごめんね。《イズモ+ニューオーダー》で《ヴァーズ・ロマノフ》を攻撃。その時、墓地の《ウラNICE》を唱えて一枚ドロー。《ヴァーズ・ロマノフ》とバトルだね」

「ユーちゃんのターンです。《ブラック V》が引ければ……!」

 

 詠さんのシールドはゼロで、いよいよ追い詰められたけど、《ニューオーダー》が倒されないし、止まらない。

 ユーちゃんも、このドロー次第では勝ちの目が見えるけど……

 

「うにゅっ、これじゃあダメです……Endeです……」

 

 そう都合よく、引きたいカードは引けなかった。

 ユーちゃんはなにもしないまま、ターンを終えてしまう。

 

「まあ、何枚積んでるのかは知らないけど、ここまでで《ブラック V》は既に三枚も見えてるしね。そう簡単には引けないだろう」

「5コストの超次元ホールもなさそうだしねぇ。《リバイヴ》でもあれば、生姜であっさりと終わらせられるんだけど」

「……見た感じ、ユーのデッキ……あんまSA、なさそう、だけど……」

「とはいえ、詠さんのデッキも打点を揃えるのがきつそうだ。時間の勝負だね」

「お、チキンレースか。いいねぇ」

 

 ユーちゃんは、スピードアタッカーを引ければほぼ勝ち。詠さんは、ユーちゃんにスピードアタッカーを引かれる前に押しきれれば勝ち。

 どっちが先にクリーチャーを揃えられるかの勝負だ。

 

 

 

ターン8

 

場:《イズモ+ニューオーダー》

盾:0

マナ:7

手札:2

墓地:11

山札:18

 

 

ユー

場:なし

盾:5

マナ:8

手札:0

墓地:14

山札:13

 

 

 

 

「私のターン……うん。いい引き」

 

 詠さんの口元が、また綻ぶ。

 

「6マナで《夢幻左神スクエア・プッシャー》を召喚!」

 

 詠さんは新しいゴッドを召喚する。《イズモ》が両側にカードを繋げられるようになっていて、《ニューオーダー》は右側、《スクエア・プッシャー》は左側がそれぞれ空いているから、三体が一体になれば、完全に絵が繋がるようになる。

 と思ってたけど、詠さんはそうはしなかった。

 

「《イズモ》の中央G・リンクで、リンクを切り替えるよ。《ニューオーダー》と《スクエア・プッシャー》をリンクさせて、《イズモ》は単体で残す」

「? 全部で合体しないんですか?」

 

 詠さんは、先に合体していた《ニューオーダー》と《イズモ》の接続を解除。そして新しく召喚したゴッドと、既にいた《ニューオーダー》を合体させると、《イズモ》だけを残してしまった。

 あのクリーチャー、合体するだけじゃなくて、自由に付け替えることができるんだ……いや、それよりも。

 なんで、三体で合体できるのに、そうしなかったんだろう?

 ユーちゃんも同じような疑問を持ったようで、首を傾げている。

 

「普通に考えるなら、リンクをばらけさせるのは打点を増やしたいから、だけど」

「それなら《イズモ》と《スクエア・プッシャー》でリンクするよねぇ。そうすれば合計で五点だし」

「……そもそも、それでも……一点、足りてない……けど」

 

 霜ちゃんたちも、詠さんの意図は理解していないようだった。

 ゴッドは除去されても、一つを切り離せば生き残るから、複数でリンクしているほど除去耐性は高くなるし、パワーも合算で高くなる。だから三体で合体する方が絶対に強いはず。

 ダイレクトアタックを決めることもできないみたいだし、こんな変な形でゴッドを散らす意味はないように見える。

 

「《スクエア・プッシャー》の登場時とリンク時能力で、それぞれ山札から二枚を墓地に置いて……じゃあ行くよ」

 

 けど、それは、そう見えるだけ。

 行為というものには、ほとんどの場合、そこになんらかの意味がある。だからその行為が無意味なわけがない。ただ、わたしたちが気付いていないだけだ。

 この不可思議な布陣に込めた、詠さんの意図に。

 

「《スクエア・プッシャー+ニューオーダー》で攻撃!」

「ここで攻撃するのか……! トリガーもあるだろうに」

「まあね。トリガー怖いけど、ビビってSA引かれたら負けだし、ここは臆さない。勝算もあるしね」

 

 詠さんは前に出る。遂に、攻めに移った。

 《スクエア・プッシャー+ニューオーダー》が、実質的なTブレイカー。《イズモ》はシングルブレイカーだから、どう考えてもダイレクトアタックまでは届かない。

 だけど、それはその三枚のカードだけで見た場合だ。

 詠さんには、さらにもう一枚、カードを追加する手段がある。

 

「攻撃時、《ニューオーダー》の能力発動! 墓地からコスト7以下の無色呪文を唱えるよ。唱えるのはこれ――《テキサス・ストーム》!」

 

 《テキサス・ストーム》?

 そういえば、どこかで墓地に落ちてたけど……見たことがないカードだ。どういう効果なんだろう。

 

「《テキサス・ストーム》は、自分のクリーチャー一体を山札の一番上に戻して、そのクリーチャーを場に出し直す。その後、そのクリーチャーに相手のシールドを一枚ブレイクさせる呪文だよ」

「? えーっと……」

 

 効果を聞いても、よくわからなかった。出し直すとか、ブレイクするとか……

 わたしが首を傾げていると、霜ちゃんが口添えをしてくれた。

 

「要するに、クリーチャーの登場時能力を使い回すカードだ。同時に、相手のシールドも一枚だけブレイクできる……まあ、シールドブレイクはトリガーのリスクがあるから、ノイズだけどね」

「使い回すって……霜ちゃんが、お勉強会の時にやってたみたいに?」

「まあ、似たようなものだ。あれは手札に戻す効果だけだったけど、この呪文は出し直すまでが1セットになってる」

 

 なるほど。それを使えば、クリーチャーの出た時の能力が再発できるんだね。

 でも、詠さんの場で、それが可能なのは《スクエア・プッシャー》だけ。《スクエア・プッシャー》の能力は墓地を増やすだけだし、それを再発させても、あんまり強くない気がするけど……?

 

「まあ見てなよ。《テキサス・ストーム》の効果で、私の《スクエア・プッシャー+ニューオーダー》を山札の上に戻すけど、リンクを切り離して《スクエア・プッシャー》だけを山札の上に戻す。そして山札の上に戻った《スクエア・プッシャー》を出し直すよ」

 

 詠さんはわたしの想像通り、《スクエア・プッシャー》を出し直した。

 そして直後、《テキサス・ストーム》の効果で、シールドブレイクが入る。けれど、

 

「この時《スクエア・プッシャー》は《ニューオーダー》とリンクするね。そして《テキサス・ストーム》の効果で、相手のシールドをひとつブレイクするんだけど、《スクエア・プッシャー》の能力で、リンクしている時、《スクエア・プッシャー》はブレイク数がひとつ増えるよ」

「ちょっと待ってください」

 

 と、そこで、みのりちゃんが、横槍を入れる。

 どうしたんだろう、急に。

 

「呪文の解決中って、ストックされたクリーチャーの能力は使えませんよね?」

「ん? そうだね」

「じゃあその《スクエア・プッシャー》が場に出ても、リンクできないんじゃないんですか?」

 

 え? そうなの?

 カードの効果を処理する順番とかについては、たまに霜ちゃんとかが教えてくれるけど、わたしにはまだ難しくてよくわかんない……けど、呪文を唱えている最中には、他のカードの効果は使えないみたい。

 だからまず、呪文である《テキサス・ストーム》の効果である「相手のシールドをひとつブレイクする」を解決しないと、クリーチャーの能力は使えない。だからG・リンクもその後だと、みのりちゃんは言う。

 でも、

 

「いいや、できるよ」

「どうしてですか?」

「G・リンクは登場時の能力じゃなくて、場に出る時に解決される能力だから。つまりこの《スクエア・プッシャー》は“リンクして場に出ている”ことになってるの」

 

 詠さんが言うには、それはゴッド特有のルールらしい。

 G・リンクは、場に出た時に発動して、場にいる他のゴッドとリンクする能力――ではない。

 場に出る時には、既にG・リンクしたことになっている。G・リンクし終わった状態で、既に場に出たことになっている。

 だから、呪文の解決中に割り込む、みたいなこともない、らしい。

 わたしには難しくて、よくわからなかったけど。

 とにかく、シールドブレイクするのは、リンクされた《スクエア・プッシャー+ニューオーダー》ということになる。

 

「だから当然、リンク中の常在能力は発動する! 《スクエア・プッシャー》はリンク中、シールドを追加で一枚ブレイクするよ! 《テキサス・ストーム》のブレイク発生源もクリーチャーだからね、合計でシールドを二枚ブレイクだよ!」

「と、トリガーは……ないです」

「ならそのまま攻撃続行! 《ニューオーダー》は攻撃中だから、片割れが場を離れてリンクし直しても、攻撃は続くよ! Wブレイカーに《スクエア・プッシャー》のリンク時の追加ブレイクが加算されて、Tブレイク!」

 

 そういえばこれって、攻撃中での出来事だったね。色々と効果がややこしくて忘れてたよ。

 《テキサス・ストーム》の効果に、《スクエア・プッシャー》の追加ブレイクを加算して、二枚。

 そして《スクエア・プッシャー+ニューオーダー》のWブレイカーに、同じく《スクエア・プッシャー》の追加ブレイクが入って、三枚。

 詠さんは合計で五枚のシールドを、割り切った。

 そして最後に残っているのは、ただ一人、リンクを切り離された《イズモ》。

 

「《テキサス・ストーム》なんかでなにをする気なのかと思っていたが、これ、決めにかかってたのか。なんて回りくどい」

 

 それこそが、詠さんの意図するところだったんだ。

 《イズモ》だけを残したのは、ダイレクトアタックするためのクリーチャーを確保するため。詠さんは《ニューオーダー》《スクエア・プッシャー》そして《テキサス・ストーム》で、シールドをすべてブレイクする手はずを整えていた。

 とても大胆で、巧妙な一手だ。

 

「あうぅ……でも、S・トリガーです!」

 

 だけど、いくらすごい攻撃でも、それはシールドブレイク。

 S・トリガーのリスクは、常に付きまとう。

 

「《禁断V キザム》! 《イズモ》のパワーを2000下げて、バトルです!」

「あちゃ、リンクしてないから《イズモ》のパワーは3000になっちゃうね」

「こっちのパワーも3000です! 相打ちですよ!」

 

 最後にとどめを刺すはずだった《イズモ》は、トリガーで出た《キザム》によって相打ちに持ち込まれ、破壊されてしまう。

 

「まあ、仕方ない。トリガーが《デス・ハンズ》じゃなかっただけ、よかったとしよう。ターンエンドだよ」

 

 とどめを刺しきれず、詠さんは、ユーちゃんにターンを返してしまう。

 

「ユーちゃんのターンです」

「さて、ここで《ブラック V》や《ヴァーズ・ロマノフ》があったらきついけど」

「むむむ……」

 

 ユーちゃんは、手札を見つめて唸っている。

 これは……どうなんだろう。

 見た感じ《ブラック V》や《ヴァーズ・ロマノフ》はないようだけど、だからと言って諦めているわけでもない。

 しばらく考え込んでから、ユーちゃんは動き出した。

 

「……4マナで、《超次元の手ブラック・グリーンホール》を唱えます! 墓地の《キル・ザ・ボロフ》をマナに置いて、《サンダー・ティーガー》をバトルゾーンへ!」

「2000のマイナス程度じゃ、効かないよ」

「いいんです。本命は、こっちですから!」

 

 そう言ってユーちゃんは、さらにマナをタップする。

 その枚数は六枚。

 そしてそのカードを、場のクリーチャーに――重ねる

 

「《サンダー・ティーガー》を進化(エヴォルィオン)!」

 

 そう。それは、進化クリーチャー。

 スピードアタッカーではないけれど、逆転のための切り札だ。

 

 

 

「Ich bitte dir――《悪魔龍王 キラー・ザ・キル》!」

 

 

 

 とにかく、ユーちゃんにはすぐに攻撃できるクリーチャーが必要だった。

 だから、召喚酔いのないスピードアタッカーや、進化元を墓地から調達できる墓地進化クリーチャーを望んでいた。

 けれど進化元を用意して、すぐに進化できるのならば、それでも構わない。

 《ブラック・グリーンホール》で、ギリギリだけどマナを工面し、進化元も同時に用意したユーちゃん。

 後は、とどめを刺すだけだ。

 

 

 

「《キラー・ザ・キル》で――ダイレクトアタックです!」

 

 

 

 シールドのない詠さんには、その一撃を防ぐ術はない。

 ……と、思ったけど、

 

「ニンジャ・ストライク4、《光牙忍ハヤブサマル》」

「はわっ!?」

 

 たった一枚の手札から現れたシノビによって、あっさりと防がれてしまった。

 

「運よく引けてて良かったよ。《ブラック V》だったら、使う前に落とされてたから負けてたけど」

「う、うぅ……勝ったと思ったんですけど……Ende」

 

 

 

ターン9

 

場:《ニューオーダー》

盾:0

マナ:7

手札:1

墓地:22

山札:9

 

 

ユー

場:《キラー・ザ・キル》

盾:0

マナ:10

手札:2

墓地:15

山札:12

 

 

 

「私のターン……ここで引いちゃったかぁ。まあ、一応、出しておこうか」

 

 生き残った詠さんの場には、既に《ニューオーダー》がいる。そして、ユーちゃんのシールドはゼロ。

 もうこのままとどめを刺せるけど、詠さんはダメ押しのように、引いてきたカードを場に出した。

 

 

 

「《左神人類ヨミ》――を、召喚」

 

 

 

 ヨ、ミ……?

 詠さんと、同じ名前のクリーチャー?

 

「《ニューオーダー》とG・リンク。攻撃する時に《ニューオーダー》の能力で、墓地から《タイム・ストップン》を唱えるよ。《キラー・ザ・キル》を山札の底に沈めて――で、ダイレクトアタックだね」

「ニンジャ・ストライク、《ハヤブサマル》です!」

「おおぅ、そっちにもあったんだ……」

 

 前のターンの詠さんと同じように、ユーちゃんも《ハヤブサマル》でダイレクトアタックを凌ぐ。

 

「これはいよいよ、引き勝負だなぁ。とりあえず、ターン終了時に《ヨミ》の光臨発動。山札からコスト7以下のゴッド・ノヴァ、《イズモ》をバトルゾーンに出すよ! 中央G・リンクで、リンクを付け替えられるけど……そうだなぁ、全部バラそうか。《ニューオーダー》《ヨミ》《イズモ》の三体に分割するよ」

 

 あの《ヨミ》ってクリーチャーは、ターン終了時にゴッドを山札から呼べるクリーチャーみたい。

 そうして現れた《イズモ》の能力で、詠さんはすべてのゴッドを解体する。

 これでクリーチャーは三体。除去耐性はないけれど、三体ものクリーチャーを倒し切るのは、破壊が得意なユーちゃんでも、簡単じゃない。

 

「ユーちゃんのターン……4マナで《ブラック・グリーンホール》です! 《勝利のプリンプリン》を出して、《ニューオーダー》の攻撃を止めちゃいます! それから《禁断V キザム》を召喚! 《イズモ》のパワーを下げて、バトルします! 相打ちで破壊です!」

 

 《ニューオーダー》の攻撃を止めつつ、《イズモ》も破壊するユーちゃん。

 だけど、それじゃあ一手、足りていない。

 でも、もうユーちゃんにはマナが残っていなかった。

 

「……Ende、です」

 

 

 

ターン10

 

場:《ニューオーダー》《ヨミ》

盾:0

マナ:8

手札:0

墓地:22

山札:8

 

 

ユー

場:《プリンプリン》

盾:0

マナ:11

手札:1

墓地:17

山札:11

 

 

 

「クリーチャーをばらけさせたのが功を奏したみたいだね。よかったよかった」

 

 笑顔を見せる詠さん。事実、詠さんは合体した方が強いだろうゴッドを、戦術的にばらけさせることで上手く立ち回っていた。

 《テキサス・ストーム》で攻める時も、そして、ユーちゃんからの除去を捌く際にも。

 そして、その結果が今、実を結ぶ。

 

「じゃあ、とどめだよ。流石にもう、シノビとかもないだろうしね」

 

 詠さんのターン。

 《イズモ》は破壊され、《ニューオーダー》も動けない。

 だけど、詠さんの場にはまだ、攻撃できる《ヨミ》がいる。

 

 

 

「《左神人類ヨミ》で、ダイレクトアタック!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「詠さん、強いじゃないですか……」

「いやぁー、偶然っていうか、巡り合わせが良かっただけだよ」

「でも、《ニューオーダー》と《スクエア・プッシャー》の着眼点は面白かったです。ゴッドは、そういえばあんまり考えなかったな……インスピレーションが掻き立てられる……」

 

 対戦が終わった。

 強くないと言いつつもちゃっかり勝っちゃってる詠さん。まったく見たことがなかったカードも使ってて、わたしとしても見どころの多い対戦だった。

 まだゴッドってカードについて、わからないところが多かったから、わたしもそれを聞こうと思ったんだけど、その時、恋ちゃんに袖を引っ張られる。

 

「……こすず、あれ……」

「あれ? ……うわぁ……」

 

 恋ちゃんが指差す方を見遣る。

 するとそこには、お店の扉の隙間に捻じ込まれようとしているなにか。羽毛で覆われた小さな生き物。

 鳥さん……また来たんだ……

 ってことは、なにが起こるのかは想像がつく。前は大会で店内がごちゃごちゃしてたから隠せたけど、今は流石に隠しきれなさそうだから、お店に入る前に回収しないと。

 

「ごめん、みんな。わたし、ちょっと席を外すね」

「え? こ、小鈴、さん……?」

 

 そう一言断ってから、わたしはお店の出口に走る。

 

 

 

「あ、あの、小鈴さんは一体、急に、どうして……?」

「色々あるんだよ……彼女にも」

「……あー、ごめん。私もちょっと外れるね」

「なにかあるんですか?」

「大したことじゃないよ。ちょっとね……すぐ戻るから」

「はぁ……?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「もうっ! 鳥さんはなんでいつもいつも変なタイミングで出て来るのっ!」

「そんなこと、僕に言われても困る!」

 

 またぞろいつものように恥ずかしい格好にさせられて、クリーチャーを探して人通りの少ない道をひた走る。都合よく人がいなくて本当によかったよ。

 

「ほら、クリーチャーはこの先だ。さっき見かけた限りでは、まだ人間に憑りついている様子はなかった。宿主を見つけられる前に叩くよ!」

「わ、わかったよ……って、あれ?」

 

 なんだろう、この既視感(デジャヴ)

 実際にこんな経験を、体験を、ついぞ最近したばかりな気がする。

 いや、違う。気がする、じゃない。

 現にこの角を曲がれば――

 

 

 

「ふぃー、終わった終わったぁー」

 

 

 

 ――見覚えのある、女の人がいました。

 その人はこちらの存在を察知すると、微笑ながら片手を上げる。

 

「や、遅かったねベルちゃん」

「チェシャ猫レディ、さん……」

「イエス、正義の味方、チェシャ猫レディさんだよ」

 

 真意が読み取れない笑みを浮かべるお姉さん。その名前の通り、ちょっと猫っぽいかもしれない。

 クリーチャーが消えゆく残滓を背景に、その人は薄暗い路地裏で、佇んでいた。

 

「また……会いましたね」

「そうだね」

 

 それも、以前とまったく同じ場所で、同じシチュエーションで。

 とても都合よいタイミングで。

 まるでクリーチャーが、この場所に、この時間に現れると知っていたかのような。

 あるいは、わたしがこの時この場所に現れることを、知っていたかのように。

 わたしは鳥さんが教えてくれるから、こうして駆けつけられるけど、この人はどうして?

 そしてなにより、なんでクリーチャーのことを知っているのか。

 この人は、何者で、どういう立場で、どういう目的があるのか。

 わたしが鳥さんに教えてもらったことを、この人はどうやって知ったんだろう。

 そのことが、ずっと気になっていた。

 今は前みたいに、大会の途中じゃない。みんなを待たせてはいるけど、しばらくは時間の問題もないはず。

 尋ねるなら、今しかない。

 

「……あなたは、どうしてクリーチャーのこと、知ってるんですか?」

「んー? いやー、まあ、なんでって言われると、さる筋から聞いたというか、なんというか……まあでも、クリーチャーね。ぶっちゃけ私にもよくわからないよ、それは」

「そ、そうなんですか?」

「うん。だって、これは私の本職じゃないし、本来なら関わり合うことはなかったものだから。なんだけど……」

「けど……?」

「そういう運命の巡り合わせだったからね。実体化したクリーチャーなんて私の目的なんかじゃないけど、目標の道程にあるものであることは確か。なら、相応の努力はするよね、ってお話」

 

 なんだか、すごく迂遠な言い方をされた。回りくどくて、遠回りで、まどろっこしい。

 でも、猫のお姉さんはわたしや鳥さんみたいに、クリーチャーそのものが目的ではないんだ。

 

「それなら、あなたの目的って、なんなんですか?」

「えー? それを聞いちゃうの? ストレートだねー」

「答えて、ください……できれば、真面目に……」

「釘刺されちゃったよ……目的、目的ねぇ。前にも言ったっけな、君のことは守るよ」

「それが本心ですか?」

「偽りではないよね。まあでも、うーん、なんと言うべきかな」

 

 とても言い難そうにしている猫のお姉さん。

 でも、なんだか変な感じだ。言えるのに、言いたいのに、言ってしまってもいいと口にしそうなのに、なにかがそれを塞ぎとめているような。

 すごく、違和感のある言いよどみ方をしている。

 

「私は言ってもいいんだけど、どうもこう、胸の奥から恥ずかしさというか、照れというか、なんかそんな人間くさい感情が込み上げちゃうのよね」

「?」

「君はわかりやすい答えを求めているんだろうけど、申し訳ないね、その要求には応えられない。私が好き勝手になんでも言えるわけじゃないんだな、これが」

 

 なんだろう、すごくはぐらかされているような気がする。

 だけどこの人が嘘をついているようにも思えないし、仕方なくこうしている、という気がする。

 理屈じゃない。なにかとても大事なところが見えていないからこそ、この人の言うことがわからない、理解しがたい、読み取れない、飲み込めない。

 だから、そう思ってしまうのかもしれない。

 かといって、それで納得できるはずもないのだけれど。

 

「……そうだね。じゃあ代わりと言っちゃなんだけど、少し昔の話をしてあげよう」

「昔話?」

「そうそう、昔々あるところに、ってね」

 

 冗談めかして言うお姉さん。

 笑顔を張り付けた表情のまま、お姉さんはその昔話を、語り始める。

 

「あるところに、チェシャ猫という小さな生き物がいました。チェシャ猫とは、透明になって身を隠す、姿の見えない猫のこと。己の姿を消失させる、“不可視の猫”にして、“存在しない猫”にして、“無貌の猫”のことです」

 

 本当に昔話が始まっちゃった……仕方ないから、黙って聞くことにしよう。

 

「ある時、その子はとある女の子と出会い、その時に恋をしました。だけど、存在しない猫には恋心はあまりに遠い。人ならざる存在しない生き物が、誰かを好くだなんて荒唐無稽にもほどがある、と自分で自分を嗤う始末です。でも、それでも、心という躍動は止められない。彼女のためになにができるか、その子は考えました。不可視であり、無存在であり、無貌であるだけの、無力なその子は考えて、自分にはなにもできないことを理解し、それを結論としました」

 

 なにを言ってるのか、なんのことを言っているのか。大事なところだけが、わざと伏せられているような語り口。

 わたしに伝えるつもりはないみたい。だけど、すべてを隠そうとしているわけでもない。

 それでも、理解しがたいけれど。

 

「無力を悟ったその子には、縋れる者が二人いました。甘い香の漂う力ある男と、何者にもなれない平々凡々な少女。選択肢は二つありました――いや、考えればもっとあったんだけど、それはそれとして――その子はなにをトチ狂ったのか、なんでもない、なにもない、空虚で空っぽとさえ思える少女にすり寄ったのです……その結果が今に至る、ってことさ」

「……わけ、わかりません……」

「だろうね。肝心なところだけ抜き落として言ったから。でも、これが限界なの。ごめんね、我侭で」

 

 自分のことなのに他人事っぽく言うお姉さん。

 チェシャ猫レディさん。だけど、この人が語ったのは、チェシャ猫という子の話。

 なにかが、決定的にずれているような……そんな感覚がある。

 今のわたしの視点からじゃ見えないなにかが、この人にはある。そんな気がする。

 

「少女は何者かになりたい。チェシャ猫は目的を果たせるだけの力が欲しい。ただそれだけなんだから、私の正体なんて探っても面白くないよ。少なくとも、君が解決しなきゃいけない問題とは、なんら関係ないモブキャラみたいなもんだろうし」

「モブって……」

 

 こんなおかしなモブキャラなんていないよ……

 

「……でも、やがてわかるんじゃないかな。いつまでもこのままってわけにはいかない。伝えたい思いがあるのに、それを伝えないままだらだらしてるのは、ダメなんじゃない?」

「え……っ?」

 

 ドキリ、と心臓が跳ね上がった気がした。

 とても痛いところを突かれたような、そんな動悸がする。

 それってわたしの……と思ったけれど、

 

「約束するよ。私の目標を達成した暁には、私のことをすべて、君に話すよ。そういう風に話をつけておくからさ」

「は、はい……」

 

 違った。うん、まあ、流石にこの人がそこまで知っているはずないよね。

 それはそれとして、猫のお姉さんは、そんな約束を取り付ける。 

 そもそもこの人の目的っていうものがよくわからないんだけど……でも、ずっともやもやしっぱなし、ということはないみたい。

 本当なら、この人のことをもっとちゃんと知っておきたいんだけどなぁ……なんだかんだ、助けられているし。

 だけどこの人は、それを望まないのかもしれない。

 友好的で協力的で、手を差し伸べてくれるし、手を引っ張ってくれるけど。

 わたしに、なにかを求めることはない。

 

「そういうわけだから! バイバイ! また会おう、ベルちゃん!」

 

 そうして。

 わたしは、猫のお姉さん。チェシャ猫レディさんとまた出会い、また会う約束をして、そしてまた、別れた。




 そんなわけで今回は、ショップ店員詠さんのデュエマ回でした。
 ゴッド・ノヴァも今や化石染みていますが、個人的にはわりと好きなんですよね……その中でも今回は、特にマイナーなゴッドを引っ張り出してきましたが。
 《ニューオーダー》はジョーカーズのお陰で無色呪文が増えたので、色々面白いこと出来そうなんですよね。《名も無き神人類》とか噛ませればもっと楽しそうなことに。
 ちなみに《ニューオーダー》くん、実は《天ニ煌メク龍終ノ裁キ》も撃てたりします。マスター・ドラゴンじゃないので、全体フリーズだけですけどね。
 それでは今回はこれくらいで。次回は夏らしいイベントを用意しておきます。
 ご意見ご感想等、なにかありましたら遠慮なくどうぞ。


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23話「夏祭りだよ」

 与太話みたいなもんです。
 今にして思えば、話の流れとしては悪くないんだろうけれど、どうしてもかのネズ公の扱いづらさにいい顔ができない……
 まあそんなことはさておいて、タイトル通りの夏祭りです。ほんの些細な日常みでも味わっていってくださいな。


 夏休みも終わりが近づいてきました。みなさんこんにちは、伊勢小鈴です。

 まだ終わってはいませんけど、この夏休みには、本当にいろんなことをしました。

 みんなでデュエマしたり、お買い物をしたり、プールに行ったり、変な人に助けられたり、デュエマしたり、パンケーキを食べたり、デュエマをしたり、デュエマの大会に出たり……デュエマばっかりだけど、ちゃんとそれ以外のことでも、遊びに行ったりしたよ。やっぱりそこでもデュエマしてるけど。

 そして今日も――いや、“今夜”も。

 新しいお友達も連れて、遊びに行こう

 そう――

 

 

 

 ――夏祭りに!

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「なんでだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 薄暗い夜天に、奇怪な絶叫が轟く。

 いや、奇怪でもなく単なる叫び声なんだけど、

 

「み、みのりちゃんっ!? 急にどうしたの?」

「どうしたもこうしたもない! なんでなんで!? 私がなにか悪いことした!? それとも世界が狂ってるの!? ねぇ!」

「落ち着け実子。その、なんだ。流石に目立ちすぎてる……」

「これが落ち着いていらいでか! なんで……なんで……!」

 

 キッと鬼のようなすさまじい形相で、それでいて悔恨と絶望を称えた眼差しで、みのりちゃんはわたしを睨みつける。

 そして、叫んだ。

 

 

 

「なんで小鈴ちゃんは浴衣じゃないの!?」

 

 

 

「え……き、着付けができないから……?」

「そんなの私がやったげるよ! やったことないけど!」

 

 やったことないんじゃ、着付けできないんじゃ……

 お母さんは今お仕事で忙しいし、お姉ちゃんも生徒会のお仕事があるって言ってたから、誰にも頼めなかったんだよね。わたし一人じゃ、浴衣なんて複雑で着れないし……

 

「っていうか夏祭りだっていうのに、なんで誰も浴衣じゃないの!? 浴衣着てきたのユーリアさんだけじゃん! おい日本人!」

「浴衣とか……めんどいだけ……」

「女物の浴衣がなかったんだよ。兄貴のしかなくてさ」

「えっと、その……そ、そういうルールは、知らなくて……」

「ユーちゃんはその浴衣、可愛いね」

「えへへ、Danke! Muttiが、ニッポンのワフクが素敵(シェーン)だって、買ってくれたんです!」

 

 ニッコリと笑うユーちゃんだけが、浴衣を着ていた。

 白地に、黒い花の模様? 思ったより地味な色合いだけど、全体的に白くて、涼やかな感じがするよ。

 

「本当はローちゃんも一緒にユカタ着て遊ぶつもりだったんですけど……変に遠慮しちゃうんです、あの子」

「そっかぁ」

「はー、やってらんねぇだよ……小鈴ちゃんの浴衣を楽しみに来たのに、肝心のお楽しみがないとか」

「そういう君だって、色気も味気もないTシャツ姿じゃないか」

「私はいーんですー。浴衣とか邪魔だし小さいし処分しちゃったし」

 

 ふて腐れたように吐き捨てるみのりちゃん。

 なんか、荒れてるなぁ。

 

「あ、あの……あれは……」

「みのりちゃん、最近たまに変なこと言い出すんだよね……うん、あんまり気にしなくていいんじゃないかな」

「実子、小鈴にさえ呆れられてるよ」

「あー、萎えた萎えた。もういい、もういいですからー。私はこの夜で小鈴ちゃんと甘くて酸っぱい濃厚な時間を過ごしますからー」

「これはもうダメだな。やけっぱちになって頭おかしいことしか言ってない」

「……もう、どうでもいい……行くなら、早く……」

「そうだね。みのりちゃんも、きっとおいしいものを食べたら機嫌直してくれるよ」

 

 おいしいものは万人を笑顔にする。

 そしてこのお祭りには、そんな食べ物がたくさんある。

 もうみんな揃ったわけだし、今度こそ。

 

 行こう、夏祭りに――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――眠りネズミ」

「なんだよ帽子屋」

「貴様に頼みたいことがある」

「は? いや無理」

「なぜだ?」

「僕、今日は用あんだ、アウトドアだ。だから無理だ、他を当たりな」

「用とは?」

「祭だ、フェスだ」

「ガールフレンドか。それなら仕方ないな」

「バッ……ちっげーし! なに言ってんだよバッカじゃねーの!?」

「なぜ動揺する」

「動揺なんてしてねーよ! な、なんだってんだよ、頼みって!」

「そこは聞くんだな。なに、大したことではない。少しばかり……猫に噛みついて欲しくてな」

「あ? 猫? あー、キャット、バイトな」

「あぁ、件の見えざる猫だ。そのことについて、侯爵夫人と話をしているのだが、我々の対話だけではどうにも進展がない」

「だからキャッチング、そんでもってバイティング、そんで進めていく、ってことか。でもなんで僕なんだ? んなこと、チョウチョのねーちゃんとかが適役じゃ?」

「猫を噛む役は、鼠が相応しいと思わないか?」

「テメーその言葉は本気? ワンミスで僕の方がマウスイン、こいつはブチギレ案件、だぜ?」

「だからこそだ。猫に甚振られた鼠は、決死の覚悟で牙を剥き、そして生還するものだ」

「ブラック企業かよ。できたら偉業だが、ミスりゃ遺業だな」

「具体的に言うと、なにか戦利品を勝ち取ってもらいたい――まあ別に敗者であっても構わないが――とにかく、なにか物が欲しい。それを侯爵夫人に突き出す」

「バイティングはハンティング、んでテイスティング、ってことかよ。ま、あのクソババァなら、確かにわからな」

「というわけだ。やってくれるな?」

「ノーだよ……だから今日はフェスだっつってんだろ……」

「そこをなんとかな――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――みのりちゃん! 次はあれ行こう!」

「ちょ、待っ……出る、出る! さっき食べたフードが口からリバーシブルする!」

「……フードファイティング……ゲロ吐きそう……きっつ……」

 

 夏祭りと言えば、やっぱりこれだよね!

 おいしい食べ物が売ってる屋台がこんなにたくさんある。しかも、中には普段なかなか食べる機会のないものや、お店であまり置いてないようなものもある。

 パンの類が少ないのが難点だけど、そこには目を瞑って、おいしいものをたくさん食べるよ!

 

「あ、見て見て! ケバブがあるよ、ケバブ! わたしあれ好きなんだ、みんなで食べよう!」

「うぐぐ、小鈴ちゃんのためなら……でもせめて、一人前をみんなでシェアで……」

「おじさーん! ケバブ六つください!」

「小鈴ちゃんそれは正気かな!? 私のこと嫌いになった!?」

 

 みのりちゃんがなぜか驚いた顔で叫ぶ。なんで? さっきまで、たこ焼きとかイカ焼きとか焼きそばとか焼とうもろこしとかエビセンとかフランクフルトとかアメリカンドッグわたあめとかリンゴ飴とかベビーカステラとかチョコバナナとかおいしそうに食べてたのに。なんで急に、ケバブだけ?

 もしかして、ケバブ嫌いだったのかな?

 

「いやいや、そんなにいらないでしょ……」

「数の問題? だって恋ちゃんに霜ちゃんにユーちゃんに代海ちゃんに……あれ? そういえば霜ちゃんとユーちゃんと代海ちゃんは?」

「……そう、なら……あそこ……」

 

 と、恋ちゃんが指差した先には、霜ちゃんの姿。

 屋台の中で、なにやら座って作業をしている風だけど……

 

「できた! できたよ店主、これはどうだい?」

「……ここが欠けてるぞ」

「なにっ? いやでも、こんなものは誤差の範囲内では……」

「……いいや、欠けてる」

「くっ、抗議したいが、この店のルールは店主にある。わかった、あなたが納得できるものをくり抜こうじゃないか」

「型抜きしてる……」

「このご時世に型抜きとか、まだあるんだ……」

 

 噂には聞く型抜き。この辺のお祭りは何度か来たことある来たけど、わたしも初めて見た。

 そういえば、型抜きの型って、食べられるらしいね。砂糖とかデンプンでできてて、甘いみたい。駄菓子みたいなものらしいけど、あれも食べてみたいな。霜ちゃんにお願いしたら、一枚くらいくれるかなぁ。

 

「で……ユーは、ここにいる……」

「わ、ほんとだ。気づかなかった」

 

 いないと思ってたけど、気づいたらすぐ近くにいた。

 なにか買いに行ってたのかな? と思ったら、ユーちゃんの手にはカップみたいな容器が握られている。

 

「ユーちゃん? それって、かき氷?」

「Ja! 一度でいいから食べてみたかったんです!」

「かき氷なんて珍しいものじゃないけどね」

「こう、キラキラしてて、シロップの色もキレイで、とっても素敵(シェーン)じゃないですか!」

「そうかなぁ?」

「テレビで見てすごくキレイだから、ユーちゃん、一度食べてみたかったんです!」

 

 でも、シロップがキレイと言う割には、かかっているのはシロップじゃなくて黒蜜なんだけど。ドイツで育ったユーちゃんには、馴染みのない珍しいものだと思うけどさ。

 そんなものはお構いなく、キラキラと目を輝かせて、ユーちゃんはストローで作ったスプーンでかき氷をすくい、口に運んだ。

 瞬間、パァッとユーちゃんの表情が、さらに光る。

 

「おいしいです! 小鈴さん!」

「そっか、それはよかったよ」

「ドイツにはかき氷ってなかったので、とても新鮮(フリッシュ)です! 食べれば食べるほど、もっと食べたくなるっていうか……」

 

 嬉しそうにかき氷を食べるユーちゃんだけど、その手の動きが止まらないし、早い。

 あ、その急ぎ方はまずい……

 

「ユーちゃん、そんなに急いで食べると……」

「っ――!?」

 

 そしてわたしが止めるより早く、ユーちゃんは頭を押さえた。

 

「あうぅ、あ、あたまが、キーンって……」

「あー、なるなる。かき氷とかアイスとか食べると、頭痛くなるよねー」

「か、かき氷って、食べるのも大変なんですね……」

「そんな大げさなものじゃないけど、もうちょっと落ち着いて、ゆっくり食べよ?」

「でも、早く食べないと溶けちゃいますよ」

「まあそうなんだけど……」

 

 かき氷にはかき氷の食べ方があって、溶けないように早く、かつ急ぎすぎないベストなタイムを自分で作り出すものなんだけど……ドイツにはかき氷がないみたいだし、今日初めて食べるユーちゃんには難しいかな。

 

「えっと、とりあえず無理ないくらいで頑張って。大丈夫、いつか自分にとってベストな食べ方が見つかるから」

「かき氷の食べ方ってなんなの……?」

「ところでユーちゃん、代海ちゃん知らない?」

「代海さんなら、あっちにいましたよ?」

 

 と、ユーちゃんが指差す先に、いた。代海ちゃんだ。

 代海ちゃんは屋台のいけすの前にしゃがみこんでいる。

 

「おーい、代海ちゃーん」

 

 いけすの前にしゃがみ込んでるってことは、金魚すくいかな?

 声をかけると、代海ちゃんは今にも泣きそうな――いや、既に半泣きの状態で、文字通り縋るように泣きついてきた。

 

「……こ、小鈴さぁん……」

「ど、どうしたの代海ちゃん? そんなに金魚取れなかった?」

「違うんです……違うんです……」

「違う? 違うって、なにが?」

「う、うぅ……ぐすっ……」

 

 嗚咽を漏らす代海ちゃんは言葉にならない声を上げるばかり。

 でも、なにが違うのかはすぐにわかった。

 

「……カメすくい?」

 

 看板にはそう書いてある。

 金魚すくいじゃなくて、カメすくいだったみたい。

 

「小さないけすに放り込まれた姿が、なんだか不憫で、なにかしてあげたいって、思ったんですけど……だから、あ、アタシは、彼らを助けてあげたくて……で、でも、アタシは……アタシは、無力でした……ダメダメで、なにもできない凡人です……う、うぅ……」

「そんな大げさな……」

 

 でも代海ちゃんは本気で泣いてる。

 そんなにカメに同情してたんだ……その気持ちは立派なんだけど、なんというか、いたたまれない……

 

「がんばったんですけど、でも、あ、アタシ、どんくさくて、不器用で……なんにもできないグズだから……だ、誰も、すくえなくて……」

(代海ちゃんってここまで卑屈だったっけ……)

 

 代海ちゃん、今日はいつにも増して卑屈になっているような気がするよ。

 しかも代海ちゃん、このカメすくいだけで手持ちのお金を全部使い切ったみたい。お金を貸してあげたい気持ちはあったけど、何十回も挑んで一匹もすくえなかったみたいだし、たぶんあと一回や二回じゃダメなんだろうなぁ……

 これ以上は傷を増やすだけかも。とりあえずおいしいものを食べて落ち着いてもらおうと思って、カメすくいの屋台から引き離す。

 その時に代海ちゃんは振り返って、何度も頭を下げていた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……いつか必ず、力を付けて、また来ますから……そ、それまで、待っててください……ごめんなさい……」

(お店の人がすごく申し訳なさそうな顔してる……)

 

 果たして、代海ちゃんがリベンジできるのは何年後なのかな。

 みんなのところに戻ると、ちょうど霜ちゃんも型抜きを終えたのか、戻ってきた。

 しかも、なんだか満足そうな笑顔で、すごく楽しそうだ。

 

「皆! 見てくれ、この完璧にくり抜かれた型! 美しいと思わないかい?」

「うわ、面倒くさそうな絡み方で戻ってきた……」

「たくさん抜いたから、皆で食べよう!」

「しかもそういうオチ!? もしかしてこのお祭りって、私を満腹死させるための罠!?」

「……満腹死って……なに……」

「あ、あの……ところで、その大量のケバブは一体……?」

「そうだ、忘れるところだったよ」

 

 買ってずっと持ってたけど、すっかり忘れてた。

 

「ケバブ買ったんだけど、みんなで食べよう!」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「あぁ……せめて死ぬ前に……小鈴ちゃんの、手料理を……もしくは、小鈴ちゃんに手料理を……それがダメなら、小鈴ちゃんの手料理で死にたかった……」

「それだと、三番目を達成したら自動的に一番も達成されることになるよ」

 

 一通り屋台も回ったところで、ちょっと休憩です。

 みのりちゃんがなんだかぐったりしてるけど、そんなに屋台回るの楽しかったのかな。

 

「屋台は全部回ったし、結構満足したね」

「いやいやいや。君らが回ってたの食べ物の屋台だけだろう? それとも君は食事のためにここまで足を運んだのか?」

「え? 違うの?」

「え……?」

「……今日のこすず……なんか、おかしい……」

 

 だっておいしいものがあるんだから、それを食べる目的で来たって、なんらおかしくはないと思うんだけど……

 

「せっかく来たんだから、もっと色々回ろうよ。ボクもまだ型抜きくらいでしか遊んでないしさ。ほら、射的とか、金魚すくいとか」

「すくい……うぅ、ごめんなさい……誰ひとりとして、助けられなくて……ごめんなさい……」

「もうっ、霜ちゃん! 代海ちゃんのトラウマスイッチを押しちゃダメだよ!」

「今のボクが悪いのかい?」

 

 理不尽だ、とこぼす霜ちゃん。すごく不服そうだ。

 でも今は、トラウマに囚われた代海ちゃんを宥めてあげないと――

 

 

 

「――小鈴!」

 

 

 

 ――と、その時。

 とても聞き慣れた、わたし呼ぶ声。

 今までに何度も聞いた。耳に馴染むほど耳にした声、言葉。

 振り返ると、そこには――

 

「とり……お姉ちゃん!」

「……あんた今、鳥って言いかけなかった?」

「い、いやぁ、タイミング的に来るならこのくらいかなって……」

「タイミング? あんたはなに言ってるのか……また祭のテンションでおかしくなってるの?」

 

 ――そこには、わたしのお姉ちゃんがいました。鳥さんだと思ったんだけどなぁ。

 

「あんたも夏祭り来てたのね。そっちは友達?」

「う、うん。そうだよ」

「……あんたとこんな祭を一緒に回るなんて、あんたの友達にはちょっと同情するわ……」

「え? なんで?」

「だってあんた、際限なく人になにか食べさせるし……あれ以来、母さんはあんたを縁日とかにも連れて行かなくなったんだから」

「えー、それは関係ないし、わたしそんなことしないよ?」

「…………」

「そこで黙るのは彼女のためにならないよ、実子」

「いや、いいの……いいんだよ……私は、小鈴ちゃんに幸せになってほしいだけ、だから……」

 

 なんでか後ろでみのりちゃんが震えている。

 どうしたんだろう。今日のみのりちゃん、ちょっと様子がおかしい気がする。

 

「それよりお姉ちゃん、今日は生徒会のお仕事があったんじゃ……」

「それが終わって帰ろうと思ったら、ガメつい後輩に連れてけってたかられたのよ」

「ガメついとは酷いじゃないですかー、かいちょーぅ」

 

 突然、お姉ちゃんの背後から女の人が現れた。しかも二人。

 片や、小柄で銀縁の眼鏡をかけた、女の人というか、女の子。後輩って言ってたし、ひょっとしたら同学年かな?

 そして、もう一人は……

 

(詠さん……? いや、似てるけど違う人……)

 

 すごく、詠さんに似てる人だった。

 一瞬、本当に詠さんと間違えそうになったけど、よく見れば顔つきが少し違う。

 

「この子が噂の、会長の妹ちゃんですかー。うわぁ、可愛いー!」

「え? え?」

 

 ……なんか、急に頭を撫でられました。

 それどころか、ギューって抱きしめられました。ハグです。

 え? なに? どういうこと?

 

「……(よう)。その子、困ってる……」

「あははははー、ごめんねー。でも、流石は会長の妹さんだ、可愛さ爆発だね!」

「ちょっと謡! あんまりうちの小鈴にすり寄るのはやめなさい」

「ぐぇ」

 

 なすがままにされていたら、お姉ちゃんが女の人の首根っこを引っ張る。

 

「うにゃー、会長ー、首締まるー」

「いくら私伝いで話を聞いてるっていっても、あんたと小鈴は初対面なんだから、もう少し節度を持ちなさい」

「確かにその通りだ。もう何度も会ってる気がしてた……ごめんね妹ちゃん」

「い、いえ……」

「……なんか突然すぎるのと体調不良で、文句言うタイミング逃したし……」

 

 ちょっとビックリしただけで、嫌ってほどでもなかったから、別にいいんだけど……

 すると、今まであまり前に出てこなかった眼鏡の人がおずおずと出て来た。

 

「……会長の妹さんなら、ちゃんと自己紹介しなきゃ……私は、北上副露(きたかみふーろ)です……二年生で、中等部の副会長をしてます。よろしくお願いします」

「あ、は、はい。伊勢小鈴です……よろしくお願いします」

「堅いなー、フーロちゃん。あ、私は謡だよ。さっきから名前呼ばれてるけど。フーロちゃんと同じく二年生で、庶務とかいう雑用やらされるの」

 

 二人とも二年生。眼鏡の人は先輩だったんだ……身長もわたしより低いから、てっきり同学年かと……

 

「私の挨拶はいる?」

「……生徒会長、ですよね? うちの学校の……」

「小鈴さんのお姉さん、セートカイチョーさんだったんですね!」

「生徒会長……あぁ、つきにぃたちの言ってた……」

「そう。伊勢五十鈴(いせいすず)、三年生よ。まあ名前も嫌ってほど聞いてるでしょうけど」

 

 軽く名乗るお姉ちゃん。

 わたしは毎日、家でお姉ちゃんと会ってお話してるけど、友達と一緒にいる時にお話しするのは、なんだか変な感じ。

 それに、お姉ちゃんが生徒会の人たちと一緒にいるところも、初めて見た。あんまりいつもと変わらないみたいだけど、これもちょっと新鮮だ。

 

「と、邪魔したわね。見つけたから思わず声かけたけど、お互いに連れがいるんじゃ一緒ってわけにはいかないし……私もあんたと一緒にお祭り回るのは勘弁だし……またね」

「う、うん」

「じゃーねー、妹ちゃん!」

 

 なんかぼそっと変なこと言われた気がするけど、お姉ちゃんの言う通り、お互いに友達連れじゃやりにくいよね。

 ここで会ったのはただの偶然だし、事情が複雑な代海ちゃんもいるし、急に鳥さんが来ても困るし、少し寂しいけどここでお別れだね。

 と、思ったけど、

 

「あー! フーロちゃん!」

「え……?」

 

 甲高い女の子の声。

 しかも、北上先輩を呼ぶ声?

 え? 誰? と思って振り返ると、声の通りの女の子がいた。

 明るい髪を一つに結んだ、小柄な女の子だ。

 女の子は弾んだ声を上げ、北上先輩に飛びつく。

 

「フーロちゃんもお祭り来てたんだ!」

「か、カザミちゃん……!? ど、どうしてここに……!?」

 

 落ち着いていた北上先輩が、動揺を見せる。カザミちゃん? って子がここに現れることが、あり得ないと言わんばかりの驚きようだ。

 いや、そうじゃないかな。単純に、この子の登場に、この子の存在に、うろたえてるみたい。

 それともう一つ、気になることがある。

 なんだろう、顔つきが似てるけど、双子ってわけでもなさそうだし、姉妹?

 呼び方もそうだけど、体格も同じくらいだし、どっちが姉なのかわからない。

 

「どうしてカザミちゃんがここに……このお祭り、家から離れてるのに……」

「確かに来るのめんどかったけど、そりゃ行くよ。だってヤマネ君が誘ってくれたんだし!」

「誘ってねーし、テメーが勝手に着いて来たんだし」

 

 と、さらに。

 今度は、男の子の声。

 

「つーかおい、カザミ。急に走るなって言ったろ、忠告したろ、危ないだろ」

 

 今日で何度目になるのか、振り返ると、やっぱり声の通り男の子。

 なんだけど……

 

「……ネズミくん?」

「あ? カメ子? なんでいるんだ?」

 

 その男の子は、小学生くらいの体格で……それで……

 脱色に染色を重ねた髪を一つに縛り、赤いカラーコンタクトを付けた眼。顔から腕にまで入った刺青。指輪に腕輪にネックレスにペンダント、腰には鎖を下げている。そんな、男の子。

 こんなファンキーでエキセントリックな男の子は、一人しか知らないし、残念ながら一人だけは知っている。

 

「うわ、このガキって……」

「うにゅぅ……」

 

 渋い表情のみのりちゃんとユーちゃん。

 わたしも大体同じような感じなんだけど、とにかく今は困惑が大きい。

 今日は変な乱入が多い。いっそ鳥さんが一羽来てくれた方がわかりやすいくらいだよ。

 そう思うくらい、奇妙だ。

 この――『眠りネズミ』さんの登場は。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「北上風水(かざみ)です! フーロちゃんがお世話になってます!」

「か、カザミちゃん、その……わたしの方がお姉さんだし、会長の前で、ちゃんづけは……」

「いいじゃん。フーロちゃんに似て、ちっちゃくて可愛らしい妹さんじゃん。ねぇフーロちゃん?」

「謡は黙ってて……」

 

 乱入者その1。女の子の方は、風水ちゃんと言うらしい。北上先輩の妹さんで、今は小学六年生なんだとか。

 だけど、見た感じどっちが姉なのかわかりづらいというか、二つ違いとは思えないくらい近い……その、体格とか。

 そして、もう一人。

 

「ネズミくんは、どうしてここに……?」

 

 乱入者その2。ネズミさんこと、『眠りネズミ』さん。

 風水ちゃんは友達だって言ってるけど……信じられない。

 代海ちゃんも学校に通って生活しているから、そういうところは特に不思議じゃないんだけど。

 脱色に染髪に刺青にシルバーアクセ剥き出しの男の子なんて、わたしは怖くて近づけないよ。

 というか、これで小学校に通ってるの? 学校の先生とかPTAとかの声がすごそうだけど……

 そんなネズミさんが、このお祭りに来た目的。それは、

 

「マジでバッドなハンドスピナーを、サーチ&キャッチでフェスのウィナーになってやろうと思ってな。それをうっかり、カザミにポロッとこぼしたら、勝手にフォローされてごろつかれた」

(ハンドスピナー目当てなんだ……)

 

 なんでそんなところだけ小学生っぽい感性なの?

 しかも、前みたいになにか使命があって来てると思ったら、完全に趣味だし。

 

「おい。それよかカメ子。ちょっと来い、あっちの森」

「え……? ね、ネズミくん……?」

「カザミ。テメーはねーちゃんと一緒にな、後で入口で合流な」

「えっ、えっと……こ、小鈴さん……ごめんなさい……っ」

「あ、代海ちゃん……」

 

 登場するや否や、ネズミさんは代海ちゃんの手を引いて、森――じゃなくて、近くの雑木林に連れて行っちゃった。

 これ、追いかけた方がいいのかな……?

 

「ヤマネ君、行っちゃった……まあいっか! 次はフーロちゃんと一緒にお祭りだね!」

「で、でも、私は、会長と……」

「いーじゃん! 別にフーロちゃんの妹ちゃんも一緒でも」

「色々とフリーダム過ぎて、私にはなにがなんだか……後輩の妹の友達って、それもう他人だし……」

「あ、会長。私ちょっとトイレ行ってきていい?」

「もう好きにしなさいよ……」

 

 お姉ちゃんが空虚に溜息を吐く。こんな疲れ切ったお姉ちゃんを見るのも珍しい。

 

「えっと、お姉ちゃん。わたしも行くね?」

「えぇ、わかったわ。この子はこっちで預かっとくから、早めにあの刺青の子を呼び戻してよね……っていうか小学生で刺青って……」

 

 とりあえず風水ちゃんはお姉ちゃんたちに任せておいて、代海ちゃんのところに行こう。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「なぁカメ子。テメーも帽子屋のリクエストか? テメーはどういうキャストだ?」

「帽子屋さん……? 帽子屋さんが、どうかしたの……?」

「違うのか……ボクはキャットをバイトするラットな役なんだが」

「? ネズミくんはネズミくんでしょ……?」

 

 あ、いたいた。

 雑木林の奥の方に、代海ちゃんとネズミさんが話している姿が見えた。

 

「代海ちゃーん!」

「あっ……こ、小鈴さん……」

「チッ、邪魔かよ。ファッキンだな。密会くらい静かにさせろよ」

 

 露骨に舌打ちするネズミさん。そんなに不愉快そうな顔をされると、ちょっと傷つくよ……

 ネズミさんはわたしたちのことをまるで歓迎していない様子だったけど、

 

「……だがまあ、好都合っちゃ好都合。お前の呼び声があったのか、引き金を引いたのか、はたまた共鳴したのか、理由はわからねーけど」

「え?」

 

 ネズミさんは、少しだけ口角をあげた。

 すると、

 

「いやっほー、チェシャ猫レディさんだよー!」

「うわぁっ!?」

 

 ガササガッ! と木の枝から逆さ吊りのように、女の人が現れた。

 チェシャ猫レディさんだ。まさかこんなところにまで出て来るなんて……

 

「猫のお姉さん……なんでここに……」

「そりゃまあ、火鼠の焦げ臭いにおいを感じて、ベルちゃんを助けに馳せ参じたまでさ!」

 

 火鼠? ネズミさんのことかな?

 今回は帽子屋さんの時みたいに、別になにもないんだけど……

 だけど、わたしが今回は端役であって、いる意味のない配役なのに対して、猫のお姉さんは、無意味ではなかった。

 

「そいつは見当外れ、本命はここだぜ……即ち、猫のキャストは当然、お前だ公然」

「はい?」

 

 ネズミさんは代海ちゃんとも、わたしとも視線を外して、猫のお姉さんをまっすぐに見つめている。

 まるで獲物を見つけた獣のように。ネズミを狩るネコのように。

 立場が逆でも関係ないと言わんばかりの、鋭い眼差しだ。

 

「あっれー、正義感に駆られて出て来たはいいけど、これってもしかして嵌められた?」

「いいや偶然、これは当然……僕もまさか来るとは思いもしなかったからな」

「あ、そう……まあでも、ちょうどいいや。私も私で知りたいことがあったし」

「知りたいこと?」

「そう。あなたたちが何者なのか、ね」

 

 ? 何者なのか?

 どういうこと?

 

「知ってんじゃねーの? あんたチェシャ猫だろ?」

「ノンノン、っていつも言ってるんだけど。私はチェシャ猫レディ」

「いや一緒だろ」

「違うの!」

 

 声高に主張する猫のお姉さん。

 そういえば、指摘された時はいつもそうやって訂正してるけど、こだわりでもあるのかな。

 あんまり格好良い名前とは思えないけど……

 

「わっかんねー。マジで理解不能、僕の脳は再起不能。こりゃダメだ、帽子屋の奴もお手上げだな」

 

 と、大仰に両手を上げて、お手上げのポーズを取るネズミさん。

 だけどその手には、しっかりとデッキが握られていた。

 

「ま、いいけどよ、どーでも。僕のやることは同じ、使命は子猫の掃除、もとい、作戦名『窮鼠猫を噛む作戦』を開始、だぜ」

「……君らって本当、話が通じないっていうか、今回はいつにも増して突拍子なく、しかも意味不明に進行するよね」

 

 ふぅ、と一呼吸置く猫のお姉さん。

 話が通じないとか、突拍子がないとか、意味不明っていうなら、お姉さんも大概だと思うけど……

 

「まあいいけどね! 用があるのは確かだし、相手してあげる! ボコって聞き出せばいいだけだし」

 

 ほら、ちょっと冷静になったと思ったら、すぐこう変に話を繋げちゃうんだもん……

 この人たちといると、お話が奇妙になる。キレイに繋がらないというか、どこか歪に感じてしまう。

 まあ、それはそれとして、

 

「決まりだな。んじゃま、ミュージックオン! バトルファイト、デュエマスタート、だッ!」

「受けて立とうじゃない! ドブネズミ風情がお猫様を噛もうなんて、輪廻転生してから出直してきなさい!」

 

 

 

 ……わたしたち、完全に置いてけぼりなんですけど……

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 猫のお姉さんと、ネズミさんの対戦。

 二人の対戦は、とても早く、スピーディーに進められた。

 

「私のターン。《タイム・ストップン》をチャージして、早速1マナで《ジョジョジョ・ジョーカーズ》! 山札を四枚見るよ! その中から……この手札なら、これかな。《ヤッタレマン》を手札に! ターン終了!」

「僕のターン……チッ、ファッキン! なにも出せない。《“罰怒”ブランドLtd》をチャージ、エンドだ」

 

 

 

ターン1

 

チェシャ猫レディ

場:

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:1

山札:29

 

 

眠りネズミ

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:5

墓地:0

山札:29

 

 

 

「私のターンだよ。《戦慄のプレリュード》をチャージ! 2マナで《ヤッタレマン》! ターン終了だね」

「僕のターン! ガッデム! 1ターンおせぇ! 《ホップ・チュリス》をチャージだぜ。《一番隊 チュチュリス》召喚! エンドだ」

 

 どちらも1ターン目から動ける算段があって、2ターン目にも確実に動き出している。

 だけど、ネズミさんは少し不調っぽい。

 

 

 

ターン2

 

チェシャ猫レディ

場:《ヤッタレマン》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:1

山札:28

 

 

眠りネズミ

場:《チュチュリス》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

 

 どっちもコスト軽減クリーチャーが出て、下準備をし始めたところかな、とも思ったけど

 

「……整いました」

「あん?」

 

 唐突に、猫のお姉さんは告げた。

 

「私、勝っちゃうかも」

 

 ――勝利宣言を。

 

「《ヤッタレマン》で1コスト軽減、1マナで《The ラー漢》! さらに2マナ! 《The ラー(メン)》をNEO進化!」

 

 まだ3ターン目なのに勝利宣言。いくらなんんでも速すぎでしょ、と思ったけども。

 そのスピードに、その宣言に、偽りはなかった。

 

「神輿担いで闇夜を駆けぬける姿はそう、フェスティバル! 場違いな新幹線なんてここにはないない! さぁ、夜天に輝け、祭星!」

 

 チャルメラを流すラーメンのクリーチャー(本当に見た目がラーメンだ。おいしそう)の上に、さらにクリーチャーが重ねられる。

 

 

 

「おいでなすった――《ワッショイ万太郎》!」

 

 

 

 ラーメンが進化して現れたのは、お神輿を担いだ――いや違う、お神輿そのものだ。

 お神輿がそのまま、クリーチャーになってる。お神輿に顔と腕がついてて、宙に浮く姿は、少し不気味だ。

 でも、3マナのNEO進化クリーチャーが出ただけで、もう勝てるなんて、どういうことなんだろう……?

 

「《万太郎》は、場とマナに合計四枚以上のジョーカーズがあれば、パワーアタッカー+6000、さらにWブレイカーになる! そんな《万太郎》で攻撃! すーるーとーきーにー?」

「あ、やっべ……」

「アタック・チャーンス! 《破戒秘伝ナッシング・ゼロ》!」

 

 あれは、帽子屋さんも使ってた呪文……

 確か、山札をめくって、その中の無色カードの数だけブレイク数が増える呪文だ。

 めくる枚数は三枚だから、最大でブレイク数が三枚増える。

 あれ? でもあのお神輿のクリーチャーは今Wブレイカーだから……

 

「トップオープン! 《戦慄のプレリュード》《タイム・ストップン》《チョコっとハウス》! 三枚とも無色だから、ブレイク数を三枚追加! 五枚ブレイクだよ!」

 

 全部ブレイクできるようになる……!

 一度の攻撃で五枚の全ブレイク。やってることは帽子屋さんと同じだけど、まだ3ターン目だよ? いくらなんでも早すぎる。

 しかも、お姉さんの場には《ヤッタレマン》もいるから、S・トリガーがなければそのままとどめだ。

 

「めちゃくちゃだが、マジでドープなフロウじゃねーの……! 僕も負けてやれねーよ! なんか……来いっての!」

 

 ここでS・トリガーがなければ終わり。こんなに早いのに、もうクライマックスだ。

 そして、ネズミさんのシールドからは……

 

「おらぁ! 来たぜ見えたぜやってやったぜ! こいつで逆転、状況反転、ひっくり返せ! スーパー・S・トリガー! ガッデム、ハードファック! 《爆殺!!覇悪怒楽苦(ハードラック)》!」

「うげ……っ」

「潰れて死ね! コスト8以下になるように爆殺! 爆発! 瞬殺! だぁ!」

 

 五枚のシールドの中から出た一枚のトリガー。しかも、スーパー・S・トリガーだ。

 大きな歯車と、それを動かす装置が現れて、猫のお姉さんのクリーチャーたちを囲い込む。

 クリーチャーたちは歯車に飲み込まれて、すり潰されて、破壊されてしまった。

 

「さらにスーパー・S・トリガーのボーナス! トップ五枚を公開、そっから火のクリーチャーを展開、そしてバトルで倒壊! ……ま、バトル相手はいねーけどな」

 

 言いながら、ネズミさんは山札をめくる。

 

「……ケッ、しょっぺぇの。《チュチュリス》を出すぜ」

「もうなにもできないや……ターン終了」

 

 猫のお姉さんの、超高速の一撃は止められてしまい、逆にネズミさんの戦力を増やす結果となってしまった。

 だけど、まだ3ターン目だし、攻撃の勢いが止められちゃったとはいえ、ネズミさんもそんなにすぐ反撃してこないよね……?

 

「さぁて僕のターン。こうなったら後には退けねぇ、邪魔なモンもいらねぇ、全力でぶっ飛ばせぇ!」

 

 なんてものは楽観で。

 ネズミさんのビートは、わたしが思うよりも、よっぽど早かった。

 

「てめーには、僕のとっておきのアンサーを返してやる! マジでバッドなパンチラインを喰らいやがれ!」

 

 相手の攻めには、自分も同等以上の攻めでお返しする。

 ネズミさんは、高らかに宣言して、手札を切った。

 

「1マナ! 《ダチッコ・チュリス》!」

「っ、嫌な予感……」

「《ダチッコ》に《チュチュリス》二体、合計5マナ軽減! 1マナ! ガンガン連射だ、ブレイク決めるぜ――《ガンザン戦車 スパイク7K》!」

 

 出た、ネズミさんの切り札《スパイク7K》。

 出た時にすべてのクリーチャーのブレイク数を増やすことができるから、これでTブレイカー一体とWブレイカーが二体になる。

 一転攻勢、ネズミさんも、一瞬でとどめを刺す体勢に入っちゃった……

 

「《スパイク7K》を、NEO進化せずに、そのまま召喚だ!」

「え? NEO進化しないの?」

「しねぇ。だが《スパイク7K》のパワーアップはパンプアップでブレイクアップだ、オールでな」

 

 だけど、あれ? NEO進化しないの?

 NEO進化しないと召喚酔いは解けないし、このターンでとどめは刺せないはず……なのに、なんで?

 

「そして! これが! 僕のマジでバッドなパンチライン!」

 

 その理由は、その直後の彼の行動で明らかになる。

 

「アンサー返せるモンなら返してみやがれ。てめーのフロウを焼き千切ってやる! マスター・B・A・D(バッドアクションダイナマイト)! 発・動・だぁ!」

 

 刹那、戦場が爆発する。

 爆音、焦げるにおい、熱気……そのすべてが連鎖的に、爆発的に、凄まじい破壊力を持って放たれる。

 これは、一体……

 

「マスター・B・A・Dによって、2コスト軽減。さらにこのターン、僕が召喚した火のクリーチャーの数だけ2コスト軽減! 《チュチュリス》二体で2コスト軽減! 合計コスト8軽減! 1マナタップ!」

 

 正に連鎖的で爆発的な軽量化。

 以前、ネズミさんが見せたB・A・Dは、自爆する代わりにコストを下げる能力だった。

 代海ちゃんの見せたマスター・ラビリンスは、普通のラビリンスと違って、発動条件に新しい項目が追加されていた。

 マスターという強化によって変化したマスター・B・A・Dは、通常の軽量化に加えて、他のクリーチャーの召喚による連鎖的な、それでいて爆発的な加速を実現する。

 

「そこを退きな子猫ちゃん。ここは親分の道じゃん? これより先はBad hell、それでも行くかCat girl?」

 

 度重なる爆発音と、絶え間ないエンジン音が響き渡り、遥か遠くから、やって来る。

 猫の集いを木端微塵に打ち砕く、暴力の化身が――

 

 

 

「そぅら――《“罰怒(バッド)”ブランド》様のお通りだぁ!」

 

 

 

 《“罰怒”ブランド》。その名前も、聞き覚えがある。

 わたしが対戦した時にも使って他クリーチャーで、そのクリーチャーにもコスト軽減能力、B・A・Dがあった。

 だけどその時のクリーチャーの本当の名前は《“罰怒”ブランドLtd》。今出て来たクリーチャーの名前は《“罰怒”ブランド》。名前が少し違う。

 それに、今回は鎧のようなアーマーを着込んでいて、前よりもゴツゴツしている。能力名といい、この姿といい、以前の強化版なのかな。

 

「俊足で飛ばすぜ、高速で放つぜ。ぶち抜け、過ぎ去れ、疾風の如く! 《“罰怒”ブランド》!」

 

 ジェット噴射するスケボーに乗って現れた《“罰怒”ブランド》が、猛々しく咆える。

 それにつられるようにして、バトルゾーンのネズミたちもけたたましく鳴いた。

 

「《“罰怒”ブランド》の能力で、僕の火のクリーチャーはすべてスピードアタッカーだ!」

 

 え!? まったく能力変わってるじゃん!

 いや、そんなことよりも、火のクリーチャーがすべてスピードアタッカーになるって……

 ネズミさんの場には、《チュチュリス》二体が既にいて、《ダチッコ・チュリス》と《スパイク7K》は召喚酔いで動けないはずだった。

 だけどその制限が解除されて、《スパイク7K》の強化を受けた二体が動き出す。それだけじゃない。《“罰怒”ブランド》自身も攻撃できるから……シールド十一枚分のブレイク数を持ったクリーチャーが並んでるってこと!?

 

「これで《バナラドア》ワンチャンくらいじゃ無味だ、怖いのはラスト《タイム・ストップン》程度か。なんでもいいか。とにかくアタック! 《スパイク7K》でTブレイク!」

「……これは、もしかしなくてもまずい……」

 

 《スパイク7K》の砲弾が、お姉さんのシールドを粉砕する。

 なんて破壊力なの……前よりも、さらに攻撃力が増してる。

 

「S・トリガーは……《タイム・ストップン》、ここでかぁ。一応、《チュチュリス》をボトム送りにするけど……」

「そんなんじゃノンストップ! ここは全開フルスロットル! そらよ! 《“罰怒”ブランド》でもWブレイク!」

 

 スーパー・S・トリガーで出てこないんじゃ、攻撃は止めきれない。対象はコスト6以下までだから、コスト7の《“罰怒”ブランド》も倒せない。

 そしてそのまま、続く《“罰怒”ブランド》の攻撃。これでお姉さんのシールドはゼロ。

 ここでなにか引けないと……

 

「あー……うん、オッケ」

 

 残る二枚のシールドをブレイクされたところで、猫のお姉さんは

 

「首の皮一枚! S・トリガー《タイム・ストップン》! 君の攻撃はおしまい!」

「ガッデム! 二枚目とか聞いてねぇよFuck! クッソタレ! ターンエンド……マスターB・A・Dで、《ダチッコ》を破壊!」

 

 B・A・Dは普通に自爆してたけど、マスターになると他のクリーチャーを破壊してもいいんだ……

 なんとかこのターンの攻撃は凌ぎ切ったけど、ネズミさんにはまだ大型クリーチャーが二体もいるし、《“罰怒”ブランド》がいる限り、手札に来るクリーチャーはすべてそのままダイレクトアタックのために射出されてしまう。

 だけどシールドがないのはお互い様。猫のお姉さんも、スピードアタッカーを引いたり、さっきみたいにすぐに進化させて攻撃すれば、勝ちの目はあるけど……

 

 

 

ターン3

 

チェシャ猫レディ

場:なし

盾:0

マナ:3

手札:3

墓地:7

山札:27

 

 

眠りネズミ

場:《スパイク7K》《“罰怒”ブランド》

盾:0

マナ:3

手札:5

墓地:2

山札:28

 

 

 

(なんとも微妙な手札……《ヤッタレマン》がいれば決まってたんだけど、《万太郎》しかいないし。でも《万太郎》出して《ニヤリー・ゲット》撃ってもどうにもならないしなぁ。このターンで決めないとダメだから、ここは……)

 

 少し考え込んでから、猫のお姉さんは手札を一枚マナに落として、さらにカードを放る。

 

「《ニヤリー・ゲット》をマナチャージ! そんで《ジョジョジョ・ジョーカーズ》を唱えるよ!」

 

 ここで《ジョジョジョ・ジョーカーズ》……ダイレクトアタックを決めるのに必要なカードがなかったのかな?

 でも、これで残り3マナだから、《ヤッタレマン》から《万太郎》に進化して攻撃することはできなくなっちゃうんじゃ……

 それはお姉さんも分かってるはずだし、だとすると、

 

「……よしよし、ちゃんと来てくれたね」

 

 他の攻撃手段が、あるってことなのかな?

 

「なにが欲しいんか知らないが、《プレリュード》あってもあんたのマナはそこで尽きる。自慢の《ダンガンオー》を出すマナは残ってないぜ?」

「残念ながら《ダンガンオー》は点検中でね。それに今日はちょっぱやで決めないといけないから、今日は代理の車両を用意しているのです。ちょっと小柄だけど、スピードは負けてないよ?」

 

 そう言って、お姉さんは四枚のうちの一枚を、公開する。

 

「《チョートッQ》を手札に!」

「あん?」

「3マナで《戦慄のプレリュード》。次に召喚する無色クリーチャーの召喚コストを5下げるよ」

 

 これでお姉さんのマナはなくなった。だけど、無色クリーチャーはマナの支払い――文明を出さなくても、召喚できる。

 だからここで出てくるのは、コスト5以下のクリーチャー。

 それは、

 

 

 

「もうお祭りはおしまい! お帰りはこちらから! ご乗車の際は足元にご注意くださいな――発進! 《チョートッQ》!」

 

 

 

 プルルルルル! という前奏曲に伴い現れたのは、新幹線。

 しかも《ダンガンオー》のように、新幹線をモチーフにしたロボットじゃなくて、まんま新幹線。というか、身体は普通の人型なのに、頭が新幹線になってる。すごい変な造形のクリーチャーだ。

 それにしてもこのクリーチャー、初めて見るはずなのに、見覚えがある気がするのはどうしてだろう。

 

「ファッキン! そっちもいんのかよ!」

「そりゃ帰りは電車を使うからね! 《チョートッQ》は登場ターン、相手プレイヤーに攻撃可能! ってわけで、革命0トリガーの勝負だね?」

 

 《チョートッQ》も、《ダンガンオー》みたいに疑似的なスピードアタッカーを持ったクリーチャーなんだ。

 ってことは、これで終わりなの?

 それならそれで、いいんだけど。

 なんだか、それはとっても――

 

「《チョートッQ》でダイレクトアタック!」

「……なにもねーよ。ギブアップ、ハンドアップだ」

 

 ――あっけない幕引きでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……不完全燃焼、まだまだやれるっしょ……って、言いたいけどな……きっつ……」

 

 終わってみれば、すごく早く終わった二人のデュエマ。

 ネズミさんは目頭を押さえてふらふらしている。おぼつかない足取りのまま、猫のお姉さんに向かっていく。

 

「ちょ、ちょっとちょっと。君、大丈夫? 凄いふらふらしてるけど」

「あー、だいじょうばねぇけど、気にすんな……エナドリ切れただけ、だから、よ……」

 

 声も掠れはじめ、あともう少しバランスが崩れたら倒れてしまいそうなほど、危うい。

 それでもネズミさんは、なにかを求めるように、お姉さんへと向かっていく。

 

「窮鼠猫を噛む……が、結局、僕の歯牙は無駄、結果は空虚だ……だがな」

 

 僅かしか開かれていない瞼を押し上げて、ぷるぷると震える腕を伸ばして、

 

「前に果たせなかった、帽子屋(ダチ)との約束……今回くらい、果たさせろ……!」

「っ……っと」

 

 バタンッ

 伸ばした手は、猫のお姉さんの服のボタンを掠めるけど、それだけだった。

 なにをするでもなく、ネズミさんは地面に倒れ伏して、そして――

 

「ネズミくん……寝ちゃった……」

 

 ――眠りについた。

 『眠りネズミ』の名前のままに。

 

「……前にもこんなことあったけど、どういうことなの……?」

「え、えっと、ネズミくんの活動時間の問題で……ネズミくんは、奇数時間の間だけ【不思議な国の住人】として活動できて、偶数時間になると、そうじゃなくなるんですけど……そ、その、【不思議な国の住人】としての性質というか……体質? みたいなもので、奇数時間の時は……“眠っちゃうんです”」

「それが……今ってこと? でも、さっきまで起きてたよね?」

「あれは無理やり身体を動かしてるだけで、ネズミくん、本来は一時間ごとに、寝て起きてを繰り返す生活が、デフォルトで……」

「なんて面倒くさいの……」

 

 一時間おきに変わるって、そんな制約もあるんだ……

 

「っていうかこの子寝ちゃったんだけど。聞きたいことあったんだけどなー……まあしょうがないか。私も人待たせてるし、今回は諦めよう」

「あの……聞きたいこと、ってなんだったんですか?」

「ん? んー、彼らが何者なのかとか、まあ君も気になるだろうことだよ。といっても、私にとっては、単なる私の好奇心を満たすものでしかないけど」

 

 彼らが何者なのか?

 それは、代海ちゃんが言ってたように、わたしたち人間の社会に紛れ込む、人ならざる……あれ?

 

「そう。人じゃないなんてわかってる。じゃあ、次に進めると“人じゃないならなんなの?”だよ」

「なんなの、って……代海ちゃん……」

「……それは……」

「あなたから聞き出すのもアリだけど、ベルちゃんのお友達なんだっけ? じゃあ無理やり尋問するのはやめとこかな。そこまでして知りたいわけじゃないし、ベルちゃんに嫌われるのは嫌だし」

 

 顔を伏せる代海ちゃんは、どこかホッとしたように息を漏らす。

 聞き出されなくて、よかったってこと?

 代海ちゃんにとって、自分たちの正体は、それほど隠したいことなのかな。

 そしてまだ、わたしたちに言っていない秘密がある……?

 どういうこと……なの、かな。

 

「じゃ、私は戻るよ。その子は頼んだ。じゃーねー!」

「あ……っ」

 

 わたしが考え込んでいると、猫のお姉さんはそう言って、闇夜の雑木林に瞬く間に消えて行ってしまった。

 

「えっと……で、では、アタシはネズミくんを連れて、帰ります……そ、その、ネズミくんのお友達の方には……」

「あ、うん。わたしの方から伝えておくよ」

「ありがとうございます……よいしょ、っと」

 

 代海ちゃんは慣れた所作でネズミさんを背負う。

 そういえば、前も急に倒れて眠っちゃったネズミさんを、代海ちゃんが連れて帰ってたっけ。

 仲いいのかな、あの二人って。

 

「そ、それでは……失礼、します……っ」

 

 ぺこりと頭を下げると、代海ちゃんもまた、夜の闇に紛れて消えて行った。

 

「……帽子屋さんや代海ちゃんたちが何者か、かぁ」

 

 確かに気になることだ。

 だけど、わたしにはそれ以上に――

 

「チェシャ猫レディさん……」

 

 ――あなたが何者かの方が、気になります。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ご苦労だった、眠りネズミ」

「言われた通り“噛みついて”来たが……こんなもんでいいのかよ?」

「構わん。侯爵夫人のことだ。なにかしらの手掛かりを見つけてくれるはずだ」

「……ま、確かにあのクソババァはマジクソファッキンだが、腐ってもあの猫の“飼い主”だったわけだしなぁ」

「我々にとっても特異な関係だ。ヤングオイスターズや蟲の三姉弟とも違う、独立してなお通ずる関係性……興味深いが、今はどうでもいい」

「ふわぁ……なぁ帽子屋、もういいか、バックホーム。僕ももうおねむ……」

「あぁ。貴様は一時間おきにしか、この手の話ができんからな。時間を有効活用しただけだ」

「時間を有効活用ねぇ。いかにも、時計に縛られたテメーらしい言葉だがな……ふわあぁぁぁ……あー、もうダメだ。こりゃもうスリーピング、ベッドとドッキングだ」

「ここで寝るなよ。貴様を運ぶのは面倒くさい」

「へいへい。あー、カメ子なら文句言わずに運んでくれんだが……」

「……そういえば、代用ウミガメについてだが。奴になにか変化があったようだが、貴様なにか知っているか?」

「あん? ……いや別に」

「そうか。ならいい」

「じゃ、僕はもう寝るぜ……おやすーシーユーまたらいしゅー、だぜ」




 《ナッシング・ゼロ》と《ニヤリー・ゲット》の殿堂によって万太郎3キルは消え、ゴゴゴの登場で赤単ブランドも過去の遺物に。今はもう見る影もない速攻同士の対戦でした。だから架空デュエマで環境デッキってあまり出したくないんですよね。サイトを変えて掲載するタイミングが遅すぎたというのもあるんでしょうが……
 というかブランドは変化が急激すぎませんかね? 単騎ラフルルはダメとはいえ、ちょっと前まで《“罰怒”ブランド》つえーって思ってたら、もう《“轟轟轟”ブランド》が環境を走ってるってどういうこと? 環境を走る速度さえも最速ってか。
 ご意見ご感想等、なにかありましたら遠慮なくどうぞ。


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24話「とてもメタいよ」

 近頃、メタ発言と、メタ発言という概念を理解したキャラクターによるメタ発言というネタを混同しつつあります。メタ発言は好きじゃないんですけど、メタ発言そのものをネタとした台詞回しは嫌いじゃないんですよね。あくまでもその作品世界の中に限定された認識ですので。そういう意味では、ある意味今回は、メタ発言へのアンチテーゼ的な意味合いがあるかもしれません。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 …………

 ……いえ、挨拶はしておかないとダメかなって思うんですけど、だからって毎回、なにか言うことがあるわけでもなくって……

 えーっと、要するに、今日はなにもないんです。ごめんなさい。

 いつものように、お母さんはお仕事、お姉ちゃんは生徒会。友達遊ぼうと思っても、恋ちゃんは学援部で召集されてて、ユーちゃんも部活だって言ってました。

 わりと全員が揃わないとわたしたちは集まらない傾向があって、それにならうように、今日は集まりのない日。

 家にいてもお母さんの邪魔しちゃいそうだし、ワンダーランドに行くことも考えたけど、最近ずっとデュエマしてるような気がするし、今日は気分を変えて学校の図書室に来たよ。

 というか、返却期限がギリギリの本を返さなくちゃいけないんだよね。

 

「これ、お願いします」

「わかりました。少し待っててくださいね」

 

 司書の先生が本を受け取って、バーコードを通す。カウンターを通した本は先生に回収された。

 うーん、これで目的は果たしちゃったけど、これからどうしようか……

 今からワンダーランドに行く? でも、みんなとデュエマ出来ないし……じゃあ、近くのパン屋さん? ダメだ、今日は定休日だった。購買はやってないし……恋ちゃんやユーちゃんの様子を見に行く? いやいや、流石に邪魔しちゃ悪いよね。

 と、色々と考えていて、どれもダメで、そして、ふと気づいた。

 

「……なんか」

 

 一人じゃ、なにもできないな。

 昔は一人だからって困るようなことはなかったけど、今は一人だと、なんだか物足りない。

 みんながいないと、なにか違う。

 

(わたしも、変わったのかな……)

 

 それは中学生になったから?

 それとも、鳥さんと出会ったから……?

 どっちなのかはわからない。けどそれは、いい変化、だよね。きっと。

 別に本に飽きたわけじゃないけど、やっぱりみんなと一緒の方が楽しいや。

 だけど今日は一人だし、おとなしく新しい本でも借りて――

 

「――えいやー! だーれだっ!?」

「え? えぇっ!? だ、誰ですか!?」

 

 いきなり目隠しをされました。

 なんだけど、声にあんまり聞き覚えがない。

 こんなことをするのはみのりちゃんくらいだ。身長は確かにみのりちゃんと同じくらいみたいだけど、後頭部に感じる胸のふくらみがそれなりにある。みのりちゃんはこんなに胸が大きくない。スッキリすらっとスレンダーさんだもん。

 逆のお姉ちゃんだったら、もう少し背が低いはずだし、もっと胸があるはずだし……え? 本当にわかんないよ?

 一体、この人は誰……!?

 

「あはは、ごめんねー。流石にちょっと会っただけじゃわかんないか」

「え? あ、あなたは……えーっと、(よう)さん?」

「そう! 謡だYO!」

 

 ……なんでラップ調?

 振り返ると、そこには詠さんそっくりな女の人、謡さんが立っていた。

 この人だったんだ……どうりで、聞き覚えがないなりに、聞き覚えがあると思った……

 謡さん。お姉ちゃんと同じ生徒会の人で、庶務って言ってたっけ?

 ん? 生徒会?

 

「あの……謡さん」

「なにかな、妹ちゃん」

「生徒会のお仕事は……?」

「んー?」

 

 首を捻って明後日の方向を向く謡さん。明らかに誤魔化してる。

 

「今日は、林間学校の資料をまとめるとか、お仕事があるって、お姉ちゃんから聞いてたんですけど……」

「人間ってさ、ずっと根詰めてると、心身ともに悪影響を及ぼすと思うんだよね」

「は、はぁ……」

「これは休憩! 休憩なの! 会長とのお仕事が嫌になったから逃げだしたんじゃない! 戦略的撤退なの!」

「休憩じゃないんですか?」

「そうとも言う」

 

 なんか、言動が支離滅裂だなぁ。

 テンションが高いけど、たまに急激にクールダウンして、かと思ったらまたすぐにハイになる。基本的には躁だけど、躁鬱が激しい。

 ちょっと最近のみのりちゃんっぽい。

 

「本当もう夏休みだってのに勘弁してほしいよねぇ。会長もフーロちゃんも、バリバリのキャリアウーマンになるよアレ。青春真っ只中の中学生の夏だよ? 遊ばなきゃ、って思うでしょ? 妹ちゃん」

「は、はい……そうですね……」

 

 わたしはすごく遊んでました。ごめんなさい。

 

「しかも会長も堅物っていうか、負けん気が強すぎるしねぇ……学援部にちょっと同情しちゃうよ」

「学援部? 学援部がどうかしたんですか?」

「いーやー、なんでもないよ。こっちの話さ」

「?」

「そんなことより妹ちゃんは、どうして学校に?」

「あ、わたしは、借りてた本を返却しに……」

「夏休み前に借りたやつ? そんなの休みの間は誰も借りないし、ペナルティもないんだから、期限ぶっちして夏休み終わってから返せばいいのに」

「だ、ダメですよそんなの! ルール違反です!」

「あー、そうね……こういうところは、会長とそっくりだなぁ。でも!」

「え?」

 

 謡さんが消えた。いや違う。一瞬のうちに、わたしの背後に回り込んだんだ。

 なにこの敏捷性……!?

 

「あぁー、ちっちゃくて可愛いぃ……ここが会長と違うとこだよねー、私にもこんな妹がいたらなー」

「あ、あのっ、ちょっと!」

「しかもこの胸なに? 本当に一年生? これがつい数ヶ月前までランドセルを背負ってた身体なの? こーゆーとこも会長とそっくりなのはプラスポイントだよね!」

 

 背後に回った謡さんは、ガバッとわたしに抱き着く。前と同じです。

 なんだかこの人、みのりちゃんに似た波動を感じるよ。

 

「会長も顔はいいし身体もいいのに性格がきっついのがねぇ。まあいい人だけどさ。そんでもとっつきにくいんだよねぇ。妹ちゃん的にはどう?」

「そ、そうですね、お姉ちゃんはちょっとまじめすぎますけど、でも、そこがお姉ちゃんのいいところっていうか……」

「まあね、堅物じゃなかったら会長じゃないか。あー、うん。わりと堪能できた。ありがと」

「は、はい……」

 

 やっと解放された……ちょっと暑い。

 

「あの……謡さんは、わたしのこと、知ってたんですか……?」

「うん。噂はかねがね会長から」

「お姉ちゃん、変なこと言ってませんでした?」

「たぶん言ってたと思うけど、それらは全部私たちの中で“可愛い”に変換されてるから問題はないね」

 

 いや、そんなことはありません。

 お姉ちゃん、一体なにを言ったんだろう……恥ずかしい話とかしてないといいけど……

 

「いやでもねぇ、本当にねぇ、妹ちゃんとはずっと会いたかった、って思ってたよ」

「え?」

「だって会長、妹ちゃんの話をする時、いっつも嬉しそうで、楽しそうで、自慢げだったもん。いっつも素敵な話で、面白くて、それを聞いてる私は、良くできた妹さんだなって思ったよ。だから、ね」

「……お姉ちゃん」

 

 お姉ちゃんがなにを話したのかは分からないけど、不安がる必要は、なかったかな。

 わたしはダメダメな妹だけど、お姉ちゃんが少しでも、わたしのことをよく思ってくれてるなら……

 それは、とても嬉しいことだよ。

 なにも心配することなんて、なかった。

 

「ちなみに私が一番好きなエピソードは『はじめての下着売り場』だよ」

「えっ!?」

「いやぁ、女子小学生の初々しい羞恥と期待、そして達成感あるラストは最高だった……」

「ちょ、ちょっと! 本当にどんな話してたんですか!?」

 

 前言撤回。心配しかなかった。

 お姉ちゃんもしかして、わたしを話のネタに使ってるだけなんじゃない……?

 

「いやでも、私が君に興味津々なのは確かなんだよ?」

「またお姉ちゃんの話からですか……?」

「いやいや。それもあるけど、というかそうなんだけど、そうじゃなくて」

「?」

「だって君は、お姉さんという“語り手”を得て、物語の“主人公”になってるんだよ。それは凄いことじゃない?」

「え? えっと……」

 

 どういうこと?

 語り手? 主人公?

 この人がなにを言いたいのか、いまいちよくわからない。

 ほろほろと零れ落ちるような言葉が、とくとくと流れてくる。

 

「私は脇役も脇役、モブキャラ以下のモブみたいなもんだからさ。憧れるんだよね、君みたいな――主人公に」

「主人公……」

 

 わたしが、主人公……?

 なにを言っているの、この人……主人公って……

 

「私にはなにもない。だからこそ、憧れるの。物語の主人公や、正義のヒーローにね」

「主人公に、ヒーロー……いや、わたしは、そんなんじゃ……」

「そうかな? 君はその価値が既にあると思うよ? だって君は既に、お姉さんという語り手を得て、“語り手に語られる存在”になっているんだから」

「語り手に、語られる……?」

「うん。だってほら、会長から私の話って聞いたことある?」

「え? いや、それは……」

「ないでしょ。つまりそういうこと。私には口承に登場する価値もない、つまらない人間ってこと。だけど君はそうじゃない。だから、羨ましい」

 

 そんな、人の話の中で出るか出ないかだけで、そんなこと……

 

「僻みみたいになっちゃったね、ごめんよ。別に君が妬ましいとかじゃないんだ。ただただ純粋に、物語の主人公になれる人が羨ましくて、憧れるってだけなんだ。私は会長から君の話を聞いた。でもそれはたまたまで、たまたま君の話を聞いたから、君を羨んだ。それだけ。別の話を聞いたら、その人のことを羨ましいって思ったと思うよ」

「…………」

「……うん、まあ、なんか湿っぽい話になっちゃってごめんね! こんなの中二特有のつまらん悩みだと思って聞き流して! 私、ちょっとニチアサとか好きなだけの女だからさ。ヒーロー好きのただの中学生! 大したことないし気にしなくていいよ!」

 

 取り繕うように、誤魔化すように笑う謡さん。

 だけどさっきまでの言葉は、嘘じゃないはず。

 主人公になりたい、主役になりたい、ヒーローになりたい。

 世界の中心を自分にしたいという、願望。

 人はそれを醜いと、汚い欲望だと、嘲笑うかもしれない。

 自己顕示欲の発露は糾弾される。憧れは時として、黒く反転する望みだ。

 それを、なにを思ってこの人が、主人公にこだわるのかはわからない。

 けど……

 

 

 

「……その気持ち、なんだかわかります」

 

 

 

 わたしは、その願いに同調する。

 

「わたしも、同じです……ダメダメな自分が嫌で、お話の主人公みたいになりたいって、願ったこともありました」

 

 きっかけは、お姉ちゃんの存在。そして、お母さんの描く物語。

 わたしよりもすごい人がいる。お話の中には、眩しいばかりの主役がいる。

 そんなキラキラと輝く人に、憧れた。昔も、今もそうかもしれない。

 その結果、今は変な方向でその憧れが形になってるけど……だからってわたしが主人公になれたかどうかはわからない。近づけたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 なんにもわからない。わたしはまだ、無知でダメダメなままだから。

 だから、

 

「わたしには、なにがいいことなのかはわかりません……先輩の気持ちが、正しいのか間違ってるのか、そういうことは言えませんし、わからないんですけど……でも、わかります」

 

 ただわかるだけ。共感できる。ただそれだけ。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 そんな、普遍的で、平凡で、なんでもないような言葉を零すだけ、だけど、

 

「……ありがとう、妹ちゃん」

 

 謡さんは、笑っていた。

 優しく微笑んでいた。

 わざとらしい快活な笑いじゃなくて、もっと素直な、純粋な笑みだった。

 

「いやぁー、いい子だなぁ! 妹ちゃん!」

 

 と思ったら。

 穏やかな笑みは一瞬で消え失せて、また抱きすくめられた。もう少しさっきの穏やかさを保って欲しいです先輩。

 

「いい子すぎる! あぁもう可愛いなぁ! こんなに可愛いんじゃ我慢ならないよ! もう私、養子になって伊勢謡になる!」

「な、なにを言って――」

 

 

 

「なに言ってんのよあんたは!」

 

 

 

 突如、図書室に一喝する声が響く。

 この声は……

 

「げ、会長……」

 

 ……お姉ちゃんだ。

 この顔を鬼と呼ぶのはあまりに平凡だけど、それが日本人の感性としてはすごくしっくりくるって感じの、今まで見たこともないような怒りの形相で、謡さんを睨んでいる。

 

「謡。あんた、この死ぬほど忙しい時に脱走だなんて、いい度胸ね……!」

「い、いやー、その……効率的な作業のためにも、適度は休憩は必要というか……っていうか会長も現在進行形でサボりだから同罪……」

「ふざけんじゃないわよ! フーロたちだけじゃ処理しきれないんだから、あんたもさっさと来なさい!」

 

 正に問答無用だった。

 謡さんは首根っこを掴まれると、そのまま力ずくでお姉ちゃんに引きずられる。

 

「うーわー! 会長にさらわれるー。でも、もうこれ逃げられないや……とゆーわけで、じゃーねー妹ちゃん! 楽しかったよ!」

「じゃあね小鈴! うちの後輩が迷惑かけたわ! ほら自分の足で歩きなさい。生徒会室に戻ったら、二度と椅子から立てないエンドレスワークの始まりよ……!」

「あはは……ほ、ほどほどにね……」

 

 果たしてわたしの声はお姉ちゃんに届いたのか。

 届いていたとしても、謡さんの処遇は変わらなさそうだけど。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 お話というものは、作者の手によって、それ相応の筋道を立てて設計され、その通りに進んでいく。

 だから、突発的な事態は必ずどこかに意味をもたらすし、前後関係のない文章はなにかの伏線であると考えるべきだ。

 けれど現実はどうだろう。私たちの生きる現実の世界は、必ずしも整合性や前後関係、因果関係を持って事が起こるわけではない。

 事実は小説よりも奇なり。この奇を演出するのは、突発的状況、要するに予測していない急激な展開、事件の発生というのもあるのだ。

 なんて、そんな前置きをしたくなったのはわけがあります。それは、わたしが正門を出てすぐのこと。

 

「甘いお花の匂いに誘われて、やって来たのよ(アタクシ)たち!」

「夏の猛暑は秋への道標、いずれ来る豊穣を願うはこの主役(キング)!」

「……というわけで、お久しぶり」

 

 奇妙な三人組と遭遇してしまいました。

 確か、蟲の三姉弟って名乗ってた人たちで、名前は……チョウさん、トンボさん、ハエさんだっけ?

 

「まだ登場回数少ないし、キャラを覚えてもらうために、改めて名乗ってあげるのよ! 私は蟲の三姉弟が長女! 『バタつきパンチョウ』なのよ! どうぞ覚えて帰ってね!」

「ぼくこそ主役! 蟲の三姉弟が長男! 『燃えぶどうトンボ』! この名を忘れたとは言わせぬぞ! 魔導の娘よ!」

「……次男、末っ子の『木馬バエ』です。二度も名乗ることないとは思うけど、まあ、我慢してください。お互い様なんで」

 

 三人セットで現れた、蟲の三姉弟の面々。

 今日も楽しそうだなぁ、この人たち……

 

「えっと……なんの用ですか?」

「冷めてる!? ちょっとこの子、もう順応しちゃってるのよ! あなたはこういう時、あたふたして慌てふためくキャラじゃなかったの!?」

「そんなこと言われても……」

 

 確かにわたしはトラブルがあるとすぐ慌てちゃったりするけど、別にそういうキャラで通してるわけじゃないし、流石に今まで何度も【不思議な国の住人】の人たちと会ってれば、驚きも薄れるよ。

 それに、まったく驚いていないわけでもないし。

 

「それで、わたしになにか用ですか?」

「そんなにあっさりされると、逆に困るのよ……別にあなたには用はないし」

「え? そうなの?」

 

 じゃあなんでわたしの前に現れたの?

 ……通りすがり?

 

「姉上。目的の彼奴はここにはいないようだが」

「っていうか、今回の帽子屋さんからの“お願い”って、姉さん一人でいいよね? 私もう帰りたいんだけど」

「そんな悲しいこと言わないで! 私たちはいつでも三人一緒で蟲の三姉弟なのよ!」

「うむ! 姉上の言う通りである! 我々は常に三位一体! 誰一人として欠けることは許されん!」

「……あっそ。じゃあ好きにして……」

 

 楽しそうだなぁ。

 わたし、いない方がいいんじゃないのかな? 邪魔しちゃ悪いし、わたしも、もう帰りたいんだけど。

 

「……じゃあ、わたしはこれで……」

「ストップストーップ! あなたに用はないけど、こうなったらプランBなのよ! やや不本意ながら、あなたを利用させてもらうのよ!」

「り、利用?」

「応とも。獣にせよ、魚にせよ、虫にせよ、自然界のそれらを捕獲する際に、貴様らは如何なる手段を用いて捕獲を成し遂げるのだ?」

「え……? 道具を使えばいいんじゃない……? 網とか、竿とか……」

「0点」

 

 手厳しい評価です。

 

「運動能力最底辺の人間が、手足の延長程度の機能しかない道具で、野生の生物を捕獲するなんて非合理的だ。知能だけで発展した生き物なんだから、知恵を使いましょうよ。運動能力で勝てない相手を捕縛するには、まず動きを止めないといけない。では、どうします?」

「追いかけても追いつけないから……罠を張る?」

「正解なのよ! 前置きがめっちゃ長くなって、くたびれちゃうだろうから答えを言っちゃうけど、餌で釣って罠を作るのよ!」

「水面に撒き餌を散らすように、樹木に蜜を塗るように、餌は獣を魅了し、誘惑し、誘導するのだ」

「その餌が、あなただってお話です。わかりました?」

「自分がエサにされるなんて、ゾッとしない話だけど……とりあえず理解はしたよ。だけど、なにを誘き寄せるの?」

「ふふん、それはね――」

 

 と、チョウのお姉さんが言いかけたところで。

 ふっと影が差す。太陽の光が遮られる。

 ほとんど反射で顔を上げると、遥か頭上――正確には学校の塀の上(全然遥かではない)――に立つ、一つの人影が見えた。

 わたしたちがその人影を認識した瞬間、それは塀から飛び降りる。それなりの高さがあるはずなんだけど、高さなんて微塵も感じさせないほどキレイに着地して、

 

 

 

「陽光の下でも輝く正義の味方! 昼寝の時間も惜しんで出て来るぞ! チェシャ猫レディ! 推参!」

 

 

 

 高らかに、そしてちょっと残念に、名乗りを上げた。

 そういえば、この人もこの人で出て来るのが唐突だよね……

 予想外とは言わずとも、なにしに来たのかわからないチェシャ猫レディさんの登場に面食らう私。

 

「やっぱりやって来たのよ、子猫さん」

 

 そんなわたしとは反対に、だけどチョウのお姉さんは、その登場をさも当然といった風に受け止めていた。

 それを聞いて猫のお姉さんも、首を捻る。

 

「やっぱり? あれ? もしかしてこれ、今度こそ私嵌められたパターン? 窮鼠猫を噛む作戦?」

「姉上を鼠扱いとは何事か! 不敬だぞ!」

「まあまあトンボ、ネズミだって懸命に生きているのよ。確かにちょっとばっちぃけど、それがあの子たちの生き方なんだから、そこに優劣はないのよ」

「む……それもそうか。すまぬ姉上、ぼくが浅慮だった」

「わかればいいのよ。それで、私たちがあなたを意図的に呼び寄せたかというと」

「残念ながら今回は確信犯ですよ、チェシャ猫気取りのお嬢さん」

「気取りって……酷い物言いだなぁ」

 

 あぁ、エサって、猫のお姉さんを呼び寄せるためなんだ。

 確かに猫のお姉さんは、わたしを守るとかなんとかって言ってたし、この人はいつもわたしの周りに現れるけど……

 もっとも、わたしが認識できるのはわたしの周囲だけだから、猫のお姉さんがわたしの周り以外で行動していたとしても、わたしにはわかんないんだけど。

 

「ベルちゃん餌に私を誘き出すなんて、意地汚いなぁ。で、わざわざはなんの用?」

「あなたを知りに来た。ただそれだけなのよ」

「知りに来た?」

 

 たった一言。端的で短い言葉。

 だけどその中に内包される情報量が多すぎて、その言葉が発せられる過程や因果が不明瞭で、首を傾げてしまう。

 そもそも、知るってなにを?

 確かに猫のお姉さんは謎が多い人だけど、それを知るために来たって?

 

「……もしかして、私の正体をこそこそ嗅ぎまわってるとか?」

「こそこそなんて失敬なのよ。正々堂々、こうやって真正面から来ているでしょ?」

「確かにね、これは失礼。でも、正々堂々だからって馬鹿正直に話すと思う?」

「思わないのよ。でもいいの。私にとっては、こうして相対することこそに意味があるのだから!」

「?」

 

 また首を傾げるお姉さん。だけど、わたしにも言ってる意味がわからない。

 人を知るには、面と向かって言葉を交わすことが一番だってお母さんは言ってた。でも、それは、その人の言葉から読み取れる人となりを知れるということ。

 そこから猫のお姉さんの正体の手掛かりも掴めると思うけど、そういうわけでもなさそうだし……

 

「どうせ明らかになることだし、変に隠しても伝わりづらいだけだから、鬱陶しい過程を全部省略して教えてあげる。【不思議の国の住人】が自己の“生存”と“確立”のために習得した、個性()について」

 

 個性()

 なんというか、とてもあやふやで、つかみ取り難いような言葉だ。

 

「ま、もっとも。チェシャ猫と絡んでいるらしいあなたには、もしかしたら言うまでもないかもしれませんけどね」

「……さて、どうだろうね」

「まあでも、あっちのアリスちゃんだけ置いてけぼりなのも可哀そうだし、やっぱり言っちゃうのよ」

 

 チラッとわたしに視線を向けて、チョウのお姉さんは語り出す。

 

「まず、私たち【不思議の国の住人】には、各々が獲得した個性()があるのよ」

「獅子が獣を喰い千切るように、馬が草原を駆けるように、鳥が空に羽ばたくように、すべての生き物には、その生物にしかない個性が、強き力が存在する」

「それが個人単位にまで凝縮されたようなものですね。あなた方から見れば、超能力、などと呼称されるようなそれに類似したものに見えるのかもしれませんが」

 

 個性、力、超能力。

 とても漫画的で、わたしには俗っぽく思えてしまうけれど。

 なんとなく、言いたいことはつかめてきたかもしれない。

 

「そして、私たち蟲の三姉弟は、そんな個性()として、この世界を認識する“眼”とは別の“眼”を持っているのよ」

「別の眼……?」

「そう。複眼ってやつなのよ」

 

 それは絶対違う。

 複眼ってそういう意味じゃないよね?

 

「世界を認識する眼とは、別の眼、ねぇ。なにを言ってるのかよくわからないんだけど?」

「通常、生物が持つ“眼”とは、視覚という情報を得るための手段。そこにある現実を見て、認識するための装置だ。だけど、私たちの別なる眼はそれとは異なる眼だ。別角度、別世界――別視点から、物事を認識することができる」

「視点を変えるって言い方が、一番伝わりやすいのかな?」

「これを我々は、通常の認識機能を持つ眼球とは別に“複眼”と呼んでいる。我らが姉弟は、複数の眼を持ち、複数の視点を持ち、複数の世界を見ることができるのだ!」

 

 別視点から世界を見る、視点を変える、複数の眼。

 いまいちなにを言ってるのかよくわからないんだけど、視点がどうこうって、まるで小説みたい。

 誰の目線でものを見るかによって、同じ文字で描かれている世界も変わって見える。

 お姉さんが言ってるのは、そういうことなのかな? だとしても、それを現実で当てはめたらどういうことなのか、いまいちよくわかんないけど……

 

「ま、ごちゃごちゃ概要説明するよりも、言って聞かせて見せてみるのが手っ取り早いかな。どうせ使うんだし、教えちゃうのよ。今回は私の眼の特別大公開日なのよ!」

 

 大公開日って、隠す気があるのかないのか、よくわからない発言だね……どっちかっていうと、なさそうだけど。

 チョウのお姉さんは高らかに宣言すると、人差し指で自身の眼を指さした。

 

「私の眼は第三の眼、三人称の眼なのよ!」

「三人称?」

 

 またわけのわからない単語が飛び出した。

 三人称って、この場にはいない第三者のことだよね? 英語でいうところの「()」と「You(あなた)」ではないもの。

 小説だと、主人公や語り部ではない人物の視点で進行するお話。いわゆる神の視点とも呼ばれるけど……それの、眼?

 それって、どういうこと?

 

「三人称。それは即ち神様の視点。あるいは“読者”の視点、なのよ」

「読者……?」

「あなたたちは、こんな風に考えたことはない? この世界は大きな物語の舞台で、誰かの人生や、この世界は、私たちでは認知できない誰かによって見られている、って」

 

 蝶のお姉さんは言う。それは、単なる仮定の話。そうであるという根拠はまったくない、荒唐無稽な夢想。

 だけれど、わたしは……ないわけでは、なかった。そんな夢物語を空想したことが。

 仮にそうであったとして、わたしたちが干渉できないのであれば、関係ないことなのだけれど。本の中の登場人物が、わたしたち読者に直接的になにかをするわけではないように、たとえこの世界が誰かの読み物だったとしても、わたしたちがこうして生きていることに干渉されることはない。

 だからそれは、まったく無意味な妄想だ。

 だけど、チョウのお姉さんは、そも妄想に、意味を肉付けする。

 

「私の持つ、この三人称の眼は、この世界がひとつの物語だと認識する。つまり、その物語を読む人物――いいえ。この世界を俯瞰する神様の視点で、ものを見ることができるのよ!」

 

 神様の視点。

 小説における三人称視点は、俗に神の視点とも呼ばれる。物語の構造をすべて把握した、神様(読者)が語る物語として。

 もし神様が存在するとして、その神様と同じ視点に立てるってことは……

 

「言うなればそれは、超客観視。完全に公平で、究極的に公正な、第三者の視点。神のみぞ知ることでも知ってしまう眼だ。個人の秘密から、世界の真理まで、その眼は不可視すらも可視化する、最高峰の探査眼だ。姉さんの眼は誰にも誤魔化されない。プライバシーもクソもあったもんじゃないですがね」

「やぁん。ハエ、そんなに褒められると、お姉ちゃん嬉しくなっちゃうのよ!」

「いや、あんまり褒めてないから舞い上がらないで、姉さん」

 

 なんでも知ることのできる眼……それは、かなりすごいことなのだということは、理解できる。すごすぎて、途方もなさすぎて、現実感がなさすぎて、どれくらいすごいのか、実感はまるで湧かないけど。

 神様が全知全能の存在なんだとしたら、神様はどんなことでもお見通しだ。それと同じ視点ということは、神様同様に、あらゆるものを視認して、理解できるということ。

 あるいはそれは、千里眼と呼ばれていた特異な眼。

 もし、そんな眼が本当に存在するのなら、チェシャ猫レディさんのことだって……?

 

「ま、大仰に言ってはみたけども、たかだか綺麗なだけのチョウチョに神様視点は大きすぎるのよ。あくまで始点はこの眼。見方が変わるだけで物理的な視野が変わるわけじゃないから、私が知覚できる範囲じゃないとダメなんだけど」

「あくまで私たちの個性()が定義される文言は『視点を変える』だけだからね。派生した状態変化は定義も定まりにくい。お陰で神の視点なんて言っても、結局はあやふやで、わからないことも少なくない」

「もうハエ! そういうこと言っちゃダメなのよ! せっかくビシッと決めたのに!」

「そうだぞ弟よ。姉上の眼は我々の中でも最も優れた素晴らしい眼だ! それを称えることはあれど貶める道理はない!」

「……まあ、私のよりはよっぽど使える力だしね。はいはい、私が悪かったですよ。ごめんなさいね」

「わかればいいのよ」

 

 適当な感じで流す木馬バエさん。そんな適当さでも、すんなり受け入れちゃうし、やっぱり姉弟仲いいよね、この人たち。

 いや、そんなことよりも。

 

「というわけだから! チェシャ猫だかなんちゃらレディだか知らないけど、そこなお嬢さん! あなたの正体、見破らせてもらうのよ!」

「…………」

 

 第三者の立場に立って、すべてを見通すバタつきパンチョウさんの眼。

 その触れ込みが本当なら、ここでチェシャ猫レディさんの正体が判明する。

 チェシャ猫レディさんは、どんな人なのか。人間なのか、クリーチャーなのか。もしかしたら、その目的までもが、解明されるのかもしれない。

 猫のお姉さんは、口をつぐんで、神妙な面持ちでチョウのお姉さんを見つめている。いつもの快活で明朗な勢いは、まるで感じないほど、静かだ。

 だけどそれは、冷静さではなくて、焦っているように見える。冷や汗が一滴流れ落ちて、なんとかしなければならないと思っても、その手立てがない。

 猫のお姉さんは自分の正体を隠しているっぽいけど、それがチョウのお姉さんの眼で明らかになる。猫のお姉さんからしたらそれは避けたいことなのかもしれない。でも、視認するだけですべてを見透かされちゃうんじゃ、逃げようがない。

 相対することに意味がある。チョウのお姉さんが言っていたのは、こういうことだったんだ。

 そしてわたしはというと、どうすればいいのかわからない。

 猫のお姉さんが嫌がることをされるのは、見ていて気持ちよくないけど、わたしだってどうやって止めればいいのかなんてわからない。

 それに、わたしも気になる。

 チェシャ猫レディと名乗るこの人の正体は、一体誰なのか。

 それが今、明かされる――

 

「……あれ?」

 

 ――はずだった。

 

「どうした、姉上。なにか異常か?」

「う、うーん? なにかなこれ……よく、わからないのだけども……」

「まあ見えるだけで、理解不能なものなら、姉さんにもわからないからな」

「違うのよ。見えることには見えるのだけれども……めっちゃぼやけているのよ!」

 

 え?

 ぼやけてる?

 チョウのお姉さんたちの“眼”とやらは、わたしたちの目の延長というか、それとは別機能を備えているだけみたいだし、レンズのピントが合わないように、視界がぼやけるってこともあるのかもしれない。

 だけど、そのせいで正体がわからない? そんな結果が、あり得るの?

 

「……そっか、成程。そういうことね」

 

 チョウのお姉さんたちが困惑する中で、猫のお姉さんだけは一人、納得したように頷いていた。

 そして、彼女は目を細めて猫っぽく笑う。

 

「いやぁ本当、生きた心地がしなかったというか、わりと本気でヒヤヒヤしたんだけど……バレなくてよかったぁ、マジで」

 

 どことなく乾いた笑みを浮かべながら、安堵の溜息を漏らす猫のお姉さん。思った以上に余裕がなかったみたい。

 だけど、正体が看破されなかったと知るや否や、声に覇気が戻ってきた。

 

「推測が多いけど、これはそういうカラクリなのね。面白いけど、ますます謎が深まっちゃったかな?」

「……あなたは、なにか知っているのですか? 姉さんの眼でも見通せなかった事実が意味することを」

「なんとなーくね。こうかなー、っていう考えはあるよ。やっぱり神様の視点なんてものは、虫さんが持つには大きすぎたんだよ。あなたは神様なんかじゃない。いくら客観視しようとも、あくまでも読者の範囲からは脱せないよ」

 

 猫のお姉さんは、少しずつ調子を取り戻していく。

 声は軽快に、口調は朗らかに。

 まるで猫のように、お姉さんは言葉を紡いでいく。

 

「確かに、チェシャ猫らしく笑いながら姿を消しても、その眼の前では見破られてしまうんだろうね。けど、その先があったら? 見破るだけでは足りなかったら?」

「先? なんなのよ?」

「“視る”だけじゃ足りないんだよ。全知全能の神様なら、私の存在の真なる面を“見破る”こともできるのかもしれないけどね。でも、あなたは神様と同じ視点に立てたとしても、全能じゃないただの虫だよ。“視る”ことはできても、その先にあるものを“見破り”“見通す”ことは敵わない」

「なんだ、なにを言っている? 姉上の眼に、及ばぬものがあるとのたまうか!」

「それがお姉さんの限界なんじゃないの? 事実、不可視を可視化しても、誤魔化しを取り払っても、無貌の顔だけは看破できなかったんだから。偽りの存在をね」

「偽り、だって?」

「むむむ、わからなくなってきたのよ。あなたは変装でもしているの?」

「ある意味ね」

 

 ニヤリと、お姉さんは微笑む。

 

「二十の面を持つ怪人、混沌に這い寄る邪神、顔のない皐月の王……確かに見えないと言い張っても、存在しないと駄々こねても、そこにいることは変えられない。名前のある登場人物である以上、私の存在は目録に載っていると思う。姿を消したところで、アンフェアにはなれないからね」

 

 けど、と猫のお姉さんは続けた。

 

「あなた、推理小説って読んだことない? いくら目録に乗っているからって、登場人物紹介で「この人が犯人です」なんて書くわけないでしょ? つまり、第三者の、読者の視点で他人を見れるからっていっても“隠蔽されている事実”は、見るだけではわからない。読者が“読み解かなければならないよ”」

 

 多くの物語には、なんらかの形で「謎」が存在する。

 その謎を犯人やトリックという形にしたものの多くが推理小説、ミステリと分類される作品群だけど……謎は、隠されているから謎であるんだ。

 隠されていなければなぞではないし、謎だから隠されている。そして隠されているものは、それが解き明かされる時が来るまで、真実は明かされない。

 だから読者は、真実を知りたければ推理しなければならない。その謎の正体が、なんなのかを。

 そして、それを踏まえたうえで、チェシャ猫レディさんは告げた。

 

「あなたの“眼”は、読者として客観的に見ることしかできない。つまり、私が自ら隠蔽し、偽装した私の謎――真実(正体)は、自力で解き明かさない限り、見ることができない!」

「そ、そんなのアリなの!?」

 

 吃驚の声をあげるチョウのお姉さん。わたしからしても、すごい暴論だと思う。

 神様視点になれるという発言もとんでもなかったけど、自分は読者として謎を解かないと正体がわかりません、だなんて、どんな主張なの……結果としてそうなっているとはいえ、傲岸不遜というか、なんというか。

 結局、チェシャ猫レディさんの正体はわからずじまい。わたしとしては、良かったのか悪かったのか……

 

「これはちょっと困ったのよー……こんな抜け道があるなんて、考えもしなかったのよ!」

「まあ、正直私もかなり焦ってたんだけどね。でも、その分の得はしたね。あなたの言葉を信じるという前提だけど、、あなたの“眼”で私の存在がバレないってことは、私は“そういう風にキャストされている”わけで、しかも私の意志による隠蔽は、しっかりと意味を持てているってことなんだから」

「? どういう意味ですか?」

「自分の力と立ち位置を再確認しただけだよ。どうにもあなたたちといると、なにをするべきかが有耶無耶になってしまいそうだからね。私のすべきこと、私の役回りってものを、ちゃんと把握しておきたかったのさ」

 

 確認、把握……?

 ……さっきのとんでも理論は、結果から逆算して行き着いた推理なんだろう。

 正体を隠すという“設定”で覆われた登場人物。それが、チェシャ猫レディさん。

 前提条件からして既に荒唐無稽で、およそ信じられるようなことでもないし、結果だけ見るとなにもわからなかったし、これは実はただの茶番なんじゃないかと、すべてが嘘なんじゃないかと思っちゃうけど。

 でも、たぶんこれは現実なんだよね……この摩訶不思議でおかしな世界が。

 この支離滅裂な理不尽さ。まさしく、不思議の国に迷い込んだみたい。

 猫のお姉さんは、その狂いに狂った舞台で、物事を客観視できるチョウのお姉さんの眼を逆に利用して、自分の立場を見極めた?

 音の跳ね返りで海底までの距離を求めるように、事象の逆算で自分という存在の役割を認識した?

 意味不明で理解不能な域に達しかけている、私たちと、【不思議の国の住人】との歪な縁。

 その中における、チェシャ猫レディさんの配役って……?

 状況が飲み込みきれず、わたしも困惑して、混乱して、よくわからなくなってくる。

 

「さて、私の真名看破が失敗したところで、今度はこっちのターンだよね。この前のネズミの彼には聞けなかったから、改めてあなたたちに尋ねたいことがあるんだけど」

「むぅ……なんなのよ」

「あなたたちって何者? 人間でないのは確かとして、じゃあなに?」

「なにって、私たちはたちでしかないのよ。私は【不思議の国の住人】の『バタつきパンチョウ』。そうとしか言えないのよ。人間はどう足掻いたって人間であるようにね」

「はぐらかさずに教えてくれるとありがたいんだけど」

「はぐらかすだと? 姉上は話を靄にかけるような小癪な真似はせぬわ!」

「残念ながら今回は同意だ。姉さんは真実をあるがままに告げているに過ぎない。あなた方の想像力が足りないだけですよ」

「む……」

 

 姉弟三人揃って反駁する蟲の方々。

 その勢いに気圧されたかのように、猫のお姉さんは口をつぐんでしまう。

 

「まあまあ、二人とも落ち着くのよ。私もちょっぴりムッとしちゃったけど、ケンカはダーメ」

「しかし姉上……」

「残念なことだけど、私の眼が通じない事実は変わらないし、そこはもう変えられない。仕方ないことなのよ」

「じゃあどうするんだよ、姉さん。帽子屋さんからの指令とやらは放り投げるのか?」

「うーん、ぶっちゃけ面倒くさいからそれでもいいかなーって思うのよ」

「おい」

「でもでも! 任されたからには、できるところまではやらないとね! お仕事も、ノルマも、どっちも大事なのよ! だから、私は私らしく、できることをやっちゃいましょう! お互いのためにね!」

「お互いのため? ……あぁ」

 

 弟さんたちを押し退け、前に出るチョウのお姉さん。

 この流れは……読めた。

 確かに、どう話を繋げたらその結果に行き着くのか、およそ理解不能だけれど。

 それでも、この人たちの前では、整合性とか、前後関係とか、因果律とか、運命とか、そういうものはすべて歪められてしまう。

 この目で見える世界は別の視点、自分の感覚は信用できず、時の流れは歪になって、状況は荒唐無稽。

 あらゆる理屈が否定されたような、不思議なお話だ。

 そのお話の流れに沿って生きるチョウのお姉さん。彼女の手に握られていたのは――

 

 

 

「さぁ、子猫さん。私とデュエマ! なのよ!」

 

 

 

 ――一つのデッキだった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 とても不自然な流れでデュエマが始まってしまいました。わたしには疑問しか浮かびません。

 だけど猫のお姉さんは仕方ないといた風に受け入れてるし、チョウのお姉さんはそれがさも当然のようだし、わけがわからない。

 なんでこの二人はデュエマをしているの?

 

「《ツタンカーネン》を召喚! ワンドローしてターン終了かな」

「私のターン。4マナで《タバタフリャ》を召喚して、ターン終了、なのよ!」

 

 

 

ターン3

 

チェシャ猫レディ

場:《ヤッタレマン》《ツタンカーネン》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:27

 

 

バタつきパンチョウ

場:《ステップル》《タバタフリャ》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:0

山札:26

 

 

 

 猫のお姉さんは、以前見たようなジョーカーズのデッキ。対するチョウのお姉さんのデッキは、自然文明のデッキだ。

 トンボのお兄さんのデッキは、火と自然の混色デッキだったけど、今のところお姉さんの方は、自然文明しか見えていない。

 

「私のターン、ドロー……あー、手札微妙! 《洗脳センノー》を召喚してターン終了!」

「あらまあ、動きづらそうで大変だね。でもこちらは順調なのよ! マナチャージして5マナ! 《タバタフリャ》の能力で、パワー12000以上のクリーチャーの召喚コストを2軽減! マナをフルに使ってこの子を召喚するのよ!」

 

 いまいち動きが悪そうな猫のお姉さんに対して、超のお姉さんは言葉通り、順調に動いているみたい。

 そしてその好調は、繰り出されるカードにも響いている。

 

「害虫どもを蹴散らすのよ! 《パンプパンプ・パンツァー》!」

 

 《タバタフリャ》の大幅なコスト軽減を受けて現れたのは、野菜の戦車。

 なんだかすごくエキセントリックな造形だけど、このクリーチャーは……?

 

「うーわ、やなの出た……」

「《パンプパンプ・パンツァー》の能力で、まずは山札の上から一枚目をマナに置くのよ。なにが捲れるかな?」

 

 マナ加速? でも、7マナのクリーチャーなのにたった一枚だけ?

 なんて思ったけど、そんなわけがなかった。

 確かにマナ加速するけど、このクリーチャーで大事なのは、なにがマナに置かれるか。

 なぜなら、

 

「来たのよ! マナに落ちたのは《恐・龍覇 サソリスレイジ》! そのコストは8! それ以下のコストのクリーチャーはすべて、マナ送りなのよ!」

「うっへぇ……」

 

 めくったカード次第で、全体に除去効果を与えるんだ……博打みたいなものだけど、すごい大胆な能力。一瞬で場がキレイになった。

 でも、自分のクリーチャーまで全滅したけど、いいのかな……?

 

 

 

ターン4

 

チェシャ猫レディ

場:なし

盾:5

マナ:7

手札:2

墓地:0

山札:26

 

 

バタつきパンチョウ

場:なし

盾:5

マナ:9

手札:2

墓地:0

山札:24

 

 

 

「……マナチャージだけして、ターン終了するよ」

 

 クリーチャーが軒並み消え去った場。マナはたくさんある猫のお姉さんだけど、なにも出さなかった。

 

「なにもないんだ。なら、このターンで決めるのよ! マナチャージ! 2マナで《一撃奪取 ケラサス》を召喚! そして8マナで、この《ケラサス》をNEO進化!」

 

 不毛の大地に小さな苗木が植えられ、その苗木が急速に成長する。

 巨木が天に伸びるように、そのクリーチャーは、巨大化する。

 

 

 

「おっきくなーれ――《グレート・グラスパー》!」

 

 

 

 ……確かに、大きくなった。

 妖精みたいなクリーチャーは、長大な[[rb:槍 > パルチザン]]を持つ、巨大なバッタに進化した。

 だけどこのバッタ、二足歩行してるし、マントも羽織ってる……どことなく高貴さを漂わせるバッタだった。

 

「ここまで来れば、もう私の勝ちみたいなものなのよ。すべてを喰い尽くして終わらせるのよ! 《グレート・グラスパー》で攻撃! その時、能力発動! 私のNEOクリーチャーの攻撃時、そのクリーチャーよりコストの小さいクリーチャーを一体、マナから場に出すのよ!」

「やーな予感……」

「《グレート・スラスパー》のパワーは14000、よってパワー14000未満のクリーチャーを出すのよ。出すのはパワー13000のこの子!」

 

 パワー14000未満なんて、ほとんどどんなクリーチャーでも出てくるサイズだ。

 その中でもチョウのお姉さんは、最大級のクリーチャーを解き放つ。

 

 

 

「草も木も花も、肉も皮も骨まで喰らう、(イナゴ)の大群のお通りなのよ! 先陣を切って、《連鎖類超連鎖目 チェインレックス》!」

 

 

 

 次に現れたのは、恐竜。

 ティラノサウルスみたいな、トカゲっぽい巨大な肉食獣だ。

 見るからに強そうなクリーチャーだけど、ただ出すだけじゃないと思う。一体なにが起こるんだろう……

 

「うへぇ、チェイングラスパー……!」

「ここから長いから、覚悟してね。《チェインレックス》の能力発動なのよ! 自分の自然クリーチャーが場に出るたびに、そのクリーチャーよりコストが2小さい自然クリーチャーを、マナから出せる!」

 

 自然のクリーチャーが出るたびに、マナから自然のクリーチャーが出せる……《チェインレックス》のコストは10だから、次はコスト8のクリーチャーが出るんだ。

 ……ん? 自然のクリーチャーが出るたびに、マナからクリーチャーが出る……? って、まさか……

 

「出るのよ、《恐・龍覇 サソリスレイジ》! 能力で1マナ増やして、超次元ゾーンから《侵攻する神秘 ニガ=アブシューム》をバトルゾーンへ! そして自然のクリーチャーが出たから、《チェインレックス》の能力発動なのよ!」

 

 やっぱり!

 あのクリーチャー、自分の能力で出したクリーチャーをトリガーに、さらにクリーチャーが出せるんだ!

 コストは2ずつ落ちていくからいずれ止まるけど、ここから一気に展開されちゃう……!

 

「お次はコスト6、《幻影 ミスキュー》! 能力の解決は後回しにして、次にコスト4《タバタフリャ》! コスト2《ステップル》! ここで《ミスキュー》の能力を解決なのよ! 《ミスキュー》をマナへ!」

 

 あれ?

 せっかく出したのに、またマナに行っちゃった……?

 

「《ミスキュー》をマナに送って山札をシャッフル! トップを捲って、そのクリーチャーを場に出すのよ!」

「チェイングラスパーにチェインミスキューのギミック……最悪だなぁ、これは……」

 

 山札から出るから、なにが出るかはわからない。ランダムだけど、またクリーチャーが出て来る。

 クリーチャーが場に出るってことは、つまり、

 

「――トップが最高なのよ! 捲れたのはここが私のお花畑、即ち楽園(パラダイス)! 《古代楽園 モアイランド》をバトルゾーンへ! そしてこれで、コスト10の自然クリーチャーが出たのよ。ここでさらに《チェインレックス》の能力発動なのよ!」

 

 再び、《チェインレックス》の能力が起動するということ。

 新たなクリーチャーがマナゾーンから出てくる。しかも、またコストの高いところから連鎖する。

 

「コスト8《自然星人》! 能力でマナを二倍に!」

「サラッと二倍とか言わないでほしいなぁ……」

 

 チョウのお姉さんのマナは6マナだから、これで一気に12マナ!?

 何度もクリーチャーを出すからマナが減っていたところに、この大量のマナ加速は大きい。しかも、マナが増えたってことは、《チェインレックス》で出すクリーチャーの選択肢も増えたっていうことだから、さらに強力なクリーチャーが出て来るかも……

 

「まだまだ続くのよ! お次はコスト6、《ミスキュー》! 《マッカラン・ファイン》《ステップル》を出してから、《ミスキュー》の能力解決! 《ミスキュー》をマナに送って、トップを捲るのよ!」

 

 ん?

 あれ? よく見るとチョウのお姉さん、火のクリーチャーを出してる。

 《チェインレックス》って、自然のクリーチャーしか出せないんじゃないの?

 というわたしの疑問に答えてくれる人は誰もいなくて、チョウのお姉さんは《ミスキュー》の能力で山札をめくる。

 

「……《タバタフリャ》か。まあ一応そのまま出して、《チェインレックス》の能力で《ケラサス》を出しておこうかな。最後に《ステップル》二体分の能力でマナを追加するのよ」

 

 遂に連鎖が止まった。

 だけど、止まるまでが長すぎた。チョウのお姉さんの場には、数えきれないくらい大量のクリーチャーが並んでいる。しかも、半分くらいはかなりの大型クリーチャーだ。

 イナゴの大群なんて言ってたけど、これはイナゴどころじゃない。たとえイナゴであっても、蝗害は草木を根こそぎ食い荒らしてしまう、凶悪な害虫だ。

 

「待たせたね、これで処理はすべて終了。攻撃に移るのよ! 《グレート・グラスパー》でTブレイク!」

 

 そういえばこれ、《グレート・グラスパー》の攻撃中のことだったっけ。

 能力が何度も連鎖して長く続いてたから、忘れちゃってたよ。

 

「S・トリガー……《モアイランド》がいるから《タイム・ストップン》は使えないし、《ハクション・マスク》を召喚するけど……」

「そんなんじゃ全然止まらないのよ。《ハクション・マスク》は《ケラサス》を破壊するのよ」

 

 マスクをつけた風邪っぽいクリーチャーが、くしゃみでウイルスを飛ばすけど、破壊できるのはパワーの小さなクリーチャーだけ。しかもたった一体。

 その程度じゃ、この大群は止められない。

 

「さぁ、ドンドン行くのよ! 私の場には《マッカラン・ファイン》がいるのよ! マナ武装5で私のクリーチャーはすべてスピードアタッカー! そしてマナは《ニガ=アブシューム》で染色されて、すべて五色! マナ武装の条件は達成しているのよ!」

 

 さり気なく出て来たあのドラグハート・フォートレス、マナゾーンのカードに文明を追加するんだ。

 だから火文明のクリーチャーでも出て来たんだね。

 

「甘い蜜を吸い尽くし、花も草も木の根に至るまで、すべてを喰い尽くすのよ! 《チェインレックス》で残りのシールドをブレイク!」

 

 なんて納得してる場合じゃない。いや、わたしがどう思うと、戦況はなにも変わらないんだけど。

 《マッカラン・ファイン》というクリーチャーに、《ニガ=アブシューム》というフォートレス。この二枚が揃うことで、チョウのお姉さんのクリーチャーはすべてスピードアタッカーになってるってことは、このターンにダイレクトアタックを仕掛けるってこと。

 加えて呪文も封じられてるみたいだし、《タイム・ストップン》で攻撃が防げないんじゃ、この大群は止まらないんじゃ……

 

「……S・トリガー!」

 

 恐竜さんに食い破られたシールドが、光り輝く。

 すると、バタン! バタン! と扉が開いた。

 

「《バイナラドア》! 二枚あるよ!」

「う、五枚のうち四枚がS・トリガーなんて、どんな豪運してるのよ……!」

「あなただって、《ミスキュー》で《モアイランド》捲ってたじゃん。それにこれ、そういうデッキだし。《バイナラドア》二体の能力で、《モアイランド》と《マッカラン・ファイン》を山札の下に送るよ! そして二枚ドロー!」

「《マッカラン・ファイン》が消えてしまっては、どうにもならないのよ……《自然星人》の能力でマナから《グレート・グラスパー》を回収して、ターン終了」

 

 

 

ターン5

 

チェシャ猫レディ

場:《バイナラドア》×2《ハクション・マスク》

盾:0

マナ:8

手札:4

墓地:0

山札:26

 

 

バタつきパンチョウ

場:《ステップル》×2《タバタフリャ》×2《グレート・グラスパー》《チェインレックス》《自然星人》《サソリスレイジ》《ニガ=アブシューム》

盾:5

マナ:10

手札:1

墓地:1

山札:14

 

 

 

 

 スピードアタッカーを与える《マッカラン・ファイン》を除去して、攻撃を止めた……

 だけど、チョウのお姉さんの場にはまだ、大量のクリーチャーが残ってる。やっぱり猫さんにも、もう後は残されていない。

 

「まずは一応、《ヤッタレマン》を召喚! そして5マナ!」

 

 でも、それでも問題なかった。

 だって、猫のお姉さんには――

 

「夜行列車が通りまーす――昼間だけど――轢かれないようにご注意くださーい。まあ……こっち撥ね飛ばすつもりで運転するけどね!」

 

 ――一撃必殺の、切り札があるから。

 

 

 

「《超特Q ダンガンオー》! 出発進行!」

 

 

 

 チェシャ猫レディさんの切り札、《ダンガンオー》。

 登場時に場のジョーカーズの数だけブレイク数が増えるクリーチャー。猫のお姉さんは、一度場をリセットされたけど、S・トリガーでたくさんクリーチャーが出てきたから、その分だけパワーアップできる。

 

「《ダンガンオー》で攻撃! 私のジョーカーズは四体! だから、六枚のシールドをぶち抜くよ!」

「っ……!」

 

 一撃で六枚のブレイク。瞬間的な爆発力なら、チョウのお姉さんより上だ。

 このブレイクが決まれば、それだけでほとんど勝ちだけど、お姉さんの攻撃はそれだけじゃなかった。

 

「さらにさらに! 保険も掛けとくよ。無色クリーチャーの攻撃時、アタック・チャンス発動!」

「アタック・チャンス? 無色ってことは《ナッシング・ゼロ》かな? でも、シールド枚数的に無意味……」

「違うね! 唱えるのはこれ! 《黄泉秘伝トリプル・ZERO(ゼロ)》!」

「っ!?」

 

 なにあれ? ヨミ……秘伝?

 よくわからないけど、《ダンガンオー》が疾駆する中、空中に三つの(ゼロ)の数字が浮かび上がって、それらはそれぞれ、シールドゾーン、手札、マナゾーンへと移動する。

 

「《トリプル・ZERO》の効果で山札から一枚シールドを追加するけど、コスト6以上の無色クリーチャーがいるから追加効果! 手札、マナも一枚ずつ追加!」

 

 移動した0の数字は、カードとなって猫のお姉さんの手に渡る。

 すごい……一気にシールドが復活しただけじゃなくて、手札もマナも増やしちゃった。

 でも、この一撃ですべてが決まるんだから、あんまり意味はないんだろうけど。

 

「そーれ、ぶち抜け! ダンガンインパクト!」

 

 《ダンガンオー》の鉄拳が、チョウのお姉さんのシールドを打ち砕く。

 拳の一振りで、木端微塵に粉砕された盾。一瞬で消え去った防御壁。

 もちろん、S・トリガーの可能性はある。だけど、猫のお姉さんの残る攻撃可能なクリーチャーは三体。果たして何枚のトリガーで、それらのクリーチャーを処理できるのか。

 大群となって放たれたクリーチャーたちはなんの意味もなく、チョウのお姉さんは、一転して窮地に追い込まれてしまった。

 

「……私は『バタつきパンチョウ』。蟲の三姉弟が長女。一番、お姉ちゃん……なのよ」

 

 粉々になったシールドの破片を浴びながら、チョウのお姉さんは小さく呟く。

 そこには、朗らかでにこやかな彼女はいなかった。

 

「流石にもうヘラヘラ笑ってられない。メタも読者も神様も関係ない。私はお姉ちゃんなんだから、弟たちにカッコ悪いとこは見せられないのよ。これが単なるノルマでも、意味のない戦いでも……意地くらいは、あるのよ」

 

 鋭い目つきで、真剣な眼差しで、相手を見据える。

 獲物に口づけし、その身を穿ち、命を吸い上げる蟲。

 優雅で、華麗で、煌びやかな蝶々ではなく。

 それは――獰猛なる蝶であった。

 

「そう、これは長女としての意地っ張り。弟たちの手前――私も負けるわけにはいかないのよっ!」

 

 シュッと伸ばした手が、一枚のカードを掴む。

 それは――

 

 

 

「スーパー・S・トリガー! 《コクーン・マニューバ》!」

 

 

 

 ――チョウのお姉さんの、逆転の一手だった。

 

「まずは《バイナラドア》をマナ送りなのよ! そしてスーパー・S・トリガーのボーナス発動! マナゾーンから、《パンプパンプ・パンツァー》をバトルゾーンへ!」

 

 空中に浮かぶ繭から伸びる糸が、《バイナラドア》一体を絡め取って、マナゾーンへと縛りつける。

 そして繭の中から、新たなクリーチャーが生まれた。

 産み落とされた野菜戦車は、砲塔を天に掲げる。

 

「それで蹴散らすつもりだね。でも、私の場にはまだコスト8の《バイナラドア》がいるよ? コスト7以下のカードじゃ止まらないよ」

「そんなことは分かっているのよ! だけど、私は蟲の三姉弟の長女、バタつきパンチョウなのよ! ここで負けたら、弟たちに示しがつかないのよ!」

 

 力強く叫ぶチョウのお姉さん。

 穏やかな笑みを浮かべて、どこか掴みどころのないような人だと思ってたけど……その言葉には、すごく、純粋な心が詰まっているように感じた。

 姉弟仲がいいとは思ってたけど、それだけじゃないんだね。

 

「姉上……感服いたす」

「……まったく、姉さんはいつもヘラついてる癖に意地っ張りなんだから」

 

 ちらりと横を見遣ると、弟さんたちもなにか思うところがあるようだった。

 ……なんだか、変な感じだ。

 代海ちゃんとは仲良くなれた。ネズミさんにも普通に友達がいた。そして蟲の人たちは、すごく姉弟の絆が強い。

 【不思議な国の住人】と名乗る人たちは、確かに意味不明にわたしたちに突っかかって来たし、酷いこともしてきたけど……でも、純粋に悪い人たちとは思えない。

 本当に、不思議な人たちだ。

 

「蹴散らせトップ! 蝗の大群は田畑を食い荒らし 巨蝶は甘い蜜を吸い尽くす! この場を不毛の大地とするのよ!」

 

 っと、それよりも、対戦だね。

 《パンプパンプ・パンツァー》の能力で、チョウのお姉さんは場を一掃するチャンスを得た。ここでめくれるカード次第では、一発逆転もあり得る。

 果たして、お姉さんのマナに落ちたカードは……?

 

 

 

「――喰い荒らせ! 《連鎖類超連鎖目 チェインレックス》! コスト10以下のクリーチャーはすべて、マナ送りなのよ!」

 

 

 

 刹那、核爆弾のような砲弾が爆発し、その猛烈な爆風によって、バトルゾーンが吹き飛んだ。

 ドラグハートを除いて、バトルゾーンは更地。お互いにクリーチャーゼロだ。

 盤面がリセットされた……すごい。なにもなくなちゃったよ……

 

「……これはターン終了しかないね」

 

 一瞬でクリーチャーを全滅させられては、もうなにもできない。猫のお姉さんも、大人しくターンを終えるしかなかった。

 だけど、状況は猫のお姉さんが有利だよね? 場にはほとんどなにもないけど、猫のお姉さんは保険と言って、シールドや手札を増やしている。まだ二枚のシールドがあるからすぐにはやられないだろうし、手札もマナも増えたから、とどめを刺すのもそう時間はかからないはず。

 一方でチョウのお姉さんは、自分の場のクリーチャーも一掃しちゃったから、反撃に出ようにも出にくい。シールドはゼロだし、あと一発で負けちゃうから、プレッシャーも大きいと思う。

 ダイレクトアタックは防いだけど、追い詰められていることに変わりはなかった。

 

「私のターン! さぁ、今度こそ決めるのよ! 《タバタフリャ》を召喚して、そのまま《グレート・グラスパー》にNEO進化!」

「また来たよ……」

「さぁ、まだマナは残ってるのよ、6マナで《ミスキュー》を召喚! トップを捲るのよ!」

 

 山札をめくる時間。

 またランダムでクリーチャーが放たれるけど、今度はなにが……

 

「《コクーン・マニューバ》……これはハズレなのよ」

 

 めくれたのは呪文だった。クリーチャーじゃないから、場には出ない。

 

「だけど、まだ弾は残ってるのよ。《ミスキュー》を召喚!」

「うへぇ、二発目かぁ。胃に悪いよそれ」

 

 二枚目の《ミスキュー》で、また山札からクリーチャーが飛んでくる。

 《チェインレックス》とか《モアイランド》みたいなクリーチャーが出て来ないことを祈るばかりだけど、

 

「次は……うぐ、また《コクーン・マニューバ》……!」

 

 連続でハズレを引いてしまうチョウのお姉さん。これは運が悪い。猫のお姉さんとしては、一安心なんだろうけど。

 

「手打ちは完全ハズレ、だけど本命はこっちなのよ! 《グレート・グラスパー》で攻撃! 能力でマナから《チェインレックス》をバトルゾーンに!」

 

 あ、そっか……《パンプパンプ・パンツァー》で《チェインレックス》はマナに行ってるんだった。

 それがまた、バトルゾーンに戻ってくる。

 

「連鎖開始! コスト8《サソリスレイジ》! コスト6《ミスキュー》! 《サソリスレイジ》の能力でマナを増やして、《恐龍界樹 ジュダイオウ》をバトルゾーンへ! 《ミスキュー》の能力でトップを捲るのよ! 捲れたのは《グレート・グラスパー》! 《サソリスレイジ》の上に重ねてNEO進化なのよ! そして、再び連鎖開始! コスト6《ミスキュー》! 《ミスキュー》をマナに送るのよ! そして捲れたのは……《ステップル》! マナを増やすのよ!」

「っ!」

 

 《グレート・グラスパー》で《チェインレックス》を引っ張り出して、何度も《ミスキュー》の能力を使って、大きなクリーチャーを踏み倒して……連鎖が止まらない。

 

「! 来たのよ、《マッカラン・ファイン》! 《チェインレックス》の能力で、コスト6に続きコスト4《マッカラン・ファイン》をバトルゾーンに!」

 

 しかも、また《マッカラン・ファイン》が出て来ちゃった。

 山札の下に送ったけど、《ミスキュー》で山札をシャッフルするうちに、デッキの上まで上ってきたんだ。

 

「次はコスト2《ステップル》! マナを増やすのよ……また《マッカラン・ファイン》が落ちたね。待機中の《チェインレックス》の能力で、コスト4の《マッカラン・ファイン》、コスト2の《ケラサス》をバトルゾーンへ!」

 

 と、ここで連鎖終了だけど……

 

「……まさか、たった1ターンでほぼ同じ状況まで再生されるとは……」

 

 1ターンで、全滅したバトルゾーンが戻った……!

 しかも今度は、《マッカラン・ファイン》が二体、すぐに攻撃可能な《グレート・グラスパー》までいる。

 もう《バイナラドア》じゃ防げない。

 

「でも……助かった」

「? なにがなのよ」

「《モアイランド》出てたら流石に無理だったけど、いないなら、ギリギリ希望に縋れる……!」

 

 呪文で増やした保険のシールドが二枚。

 そのうちの一枚が光り輝き、そしてけたたましい音を鳴り響かせる。

 

「スーパー・S・トリガー! 《タイム・ストップン》! 《マッカラン・ファイン》を山札に戻して、攻撃中止!」

「むぐぐ、またトリガーなんて……ターン終了なのよ!」

 

 

 

ターン6

 

チェシャ猫レディ

場:なし

盾:0

マナ:16

手札:3

墓地:3

山札:18

 

 

バタつきパンチョウ

場:《グレート・グラスパー》×2《ステップル》×2《ケラサス》《チェインレックス》《マッカラン・ファイン》《ニガ=アブシューム》《ジュダイオウ》

盾:0

マナ:20

手札:1

墓地:2

山札:8

 

 

 

「私のターン……3マナで《ツタンカーネン》を召喚、一枚ドロー。お次は1マナ、《ジョジョジョ・ジョーカーズ》! 四枚見て、《ダンガンオー》を手札に!」

「引かれちゃったのよ……トリガー対策に《ジュダイオウ》を立てたのも、無意味だったかな」

「6マナタップ! 《超特Q ダンガンオー》を召喚!」

 

 チョウのお姉さんのシールドはもうないから、ここで攻撃可能な《ダンガンオー》が出た時点で決まり。

 だけど、

 

「さらに6マナ! 後続車が来るよ、《ダンガンオー》!」

 

 ダメ押しのように、猫のお姉さんは二体目の《ダンガンオー》を繰り出す。

 たぶん、シノビや革命0トリガーに備えての二体目だ。一体目の攻撃は防がれても、二体目で決めるつもりなんだ。

 

「二車両編成でぶち抜くよ! 《ダンガンオー》でダイレクトアタック!」

「ニンジャ・ストライク! 《ハヤブサマル》を召喚して、ブロックするのよ……!」

「それじゃあ足りてないんだなぁ! こっちにはもう一体《ダンガンオー》がいるんだよ!」

 

 そしてお姉さんの読みは当たってたようで、チョウのお姉さんが割り込ませたシノビが、一撃目を防ぐ。

 だけどそれは予測済み。その予測によって発車した、二両目の新幹線が突撃する。

 

 

 

「《超特Q ダンガンオー》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「うぅ……」

「姉上!」

「姉さん……!」

 

 大戦が終わるや否や、弟さんたちは、一目散にチョウのお姉さんに駆け寄った。

 なぜかチョウのお姉さんは、ぷるぷると震えながら、弟さんたちに手を伸ばす。まるで仲間に看取られる戦争映画のワンシーンのようだ。

 

「ごめんね。トンボ、ハエ……お姉ちゃん、負けちゃったのよ」

「構うものか。姉上は負け姿も麗しい」

「それあんま褒めてないよね、兄さん。というか姉さんも、無駄にシリアスな空気出さなくていいから」

「あぁん、もうちょっと気分に浸らせてくれてもいいのに。ハエはイジワルなのよ」

「まあそう言うな姉上。ハエは本心では、姉上の無事に歓喜している。それを表層で表せぬだけなのだ」

「そうだね。ハエはツンデレさんだもんね!」

「うぜぇ……こいつら面倒くせぇな……」

「コントするのは結構だけど、こっちのこと忘れてないよね?」

 

 姉弟の仲睦まじいワンシーンに割り込む猫のお姉さん。

 不服そうに唇を尖らせながら、チョウのお姉さんはそちらを向く。

 

「こっちの話、いい? あなたたちの正体について話してもらいたいんだけど? さっきは変なところで切り上げられそうになったけど、隠し通させる気はないよ」

「別に私たちは正体を隠してはいないのよ。何度も言ってるように、私たちは【不思議な国の住人】以外の何物でもない、あるがままでそのままの私たちなのよ」

 

 一貫して主張を変えないチョウのお姉さん。

 うーん、わたしには、チョウのお姉さんたちがウソをついてたり、なにかを隠しているようには見えないけど……でも、なにか腑に落ちないのも確かだ。

 なんだろう、なにか、とても大事なことを見落としているような……あるいは、チョウのお姉さんのように、見ている立ち位置が違うような。

 同じものを見ていても、見方も、視点もまるっきり違うみたいな、噛み合わなさがある。

 

「……アプローチを変えてみようかな。あなたたちは、人間が嫌い?」

「どうかな。私はそうでもないけど、嫌ってる子は多いのよ。ハエはわりとそっち側じゃないかな?」

「別に……そんなことはないさ」

「だって言ってるのよ。まあ、ハエはツンデレさんだから、口ではこう言ってても、心は違うかもしれないけどね!」

「うるさいよ、姉さん」

 

 話を振られたハエのお兄さんは、視線を逸らして口数少なくぶっきらぼうに答える。口では否定しているけど、その態度が否定を表しきれていない。

 人間、嫌いなんだ……この人たちの中でもまともそうな人だと思ってたけど、実はすごく敵愾心を持たれてたのかな……

 

「カメ子ちゃんとかは、嫌ってはないけど苦手そうだよね。ネズミ君は人間というか個人を見るし……あ、ウサちゃんとかはかなーり見下してるね!」

「いや、ウサちゃんって誰なの……」

「……同族の人間嫌いがどうとか、至極どうでもいいことですけどね」

 

 とそこで、ハエのお兄さんが口を挟む。

 

「そんなことより。まさか、あなたは私たちの所業が、人間に対する恨み辛みで行われているとでも思っていたのですか? そんな短絡的で、単純な動機だと、本気で思っていたのですか?」

「嫌味っぽいなぁ……じゃあ、なんだって言うのさ」

「それは語るまでもないこと。我々がこうして生きていることそのものが、我らの生存理由であり、魂の輝きに他ならん。そこに無粋な言葉など不要だ」

 

 トンボのお兄さんは堂々とそう言ってのけますが、しかし結論としてはなにもかもが不明瞭で、理解も納得もできるものではなかった。

 わたしにとっても。そして勿論、猫のお姉さんにとっても。

 

「結局はぐらかされるのか……」

「ごめんなさいね。私たちは虫けらなもので、理路整然とした説明というものは苦手なのですよ、お嬢さん」

「って言っても、【不思議の国の住人】とやらって、基本的に話が通じない連中ばっかじゃん。その中でもあなたたちは、比較的マシな部類だと思ってたんだけどねぇ」

「それは光栄なのよ。でも、ご期待に沿えなくてごめんね!」

 

 笑顔で謝るチョウのお姉さん。屈託ない無邪気で眩しい笑顔だ。

 皮肉とか、嫌味なんてものは微塵も感じさせない笑み。

 どこまでも、楽しそうな人だ。

 

「嵌められて、誘き出されて、収穫ゼロ。プラマイゼロなだけマシだけど、無駄に疲れたし、むしろマイナスかもなぁ」

「あらら、それはお気の毒なのよ」

「あなたたちのせいだけどね。まったく、話が通じないってのはなんとなくわかってたけど、ここまでとはね」

「先ほどから聞いていれば、毒の効いた舌ばかり回す小娘だな」

「まあ仕方ないさ。私たちは思考回路も、考え方も、物事の筋道も、理屈も、彼女たちのような人間から外れてしまっているのだから。人間社会に溶け込むにあたって矯正はしたけど、そのずれや歪はなくならないし、偽り切ることなど不可能だ」

「それもそうなのよ! なにより、私たちの頭目たる帽子屋さんがもう、あっぱっぱーにイカれちゃってるもの! 仕方ないよね!」

 

 笑顔で言ってのけるチョウのお姉さん。

 思ったより酷い。

 

「あっぱっぱーって……そんなに?」

「うむ。帽子屋殿は畜生とも怪物とも取れぬ、実に奇々怪々な思索を巡らせる。あれはもう狂人と言っても差し支えないような回路だな」

「まともぶってるけど、本人が自称するだけあって、一番イカれてるよね。まあ、それを隠す技術っていうか、擬態も凄い上手いけど」

 

 この場にいないことをいいことに、結構散々なことを言われてる帽子屋さん。

 リーダーっぽい人だったけど、思ったよりも人望ないのかな……

 

「とまあ、てきとーにお喋りしてたけど、満足したかな?」

「まったくしてないけど、あなたたちとの会話から欲しい情報が得られる気もしないし、もういいや」

「バッサリなのよ」

 

 いっそ清々しいほどすっぱりと諦める猫のお姉さん。いや、諦めたというより、切り上げた、のかな。

 まあ確かに、なんだかこの人たちの物言いは、わたしたちには理解しがたいものがあるけど……

 言ってることはわかるのに意味がわからない。その言葉に秘められた意味が。

 だけどそれは、わからないというよりも……見えない。

 読み取れないし、見通せない。

 この人たちの言葉は、そんな風に感じる。

 

「うーん、イベントはこれで終わりみたいなのよー。残念!」

「イベントってなんだよ」

「あーあ、もっと華麗にお仕事をこなすつもりだったのに、ちょっぴり消化不良なのよ」

「こればかりは仕方あるまい。姉上の“眼”をもってしても見通せぬ存在があるなど、予測不可能だ」

「いや、前例があるんだから予測しとけって。もっとも、予測したところで対処できるわけではないけれど。割り切るという点では、兄さんの言葉も一理ある」

「なんにしたって、これ以上はお仕事をこなせないのよ。そういうわけだから」

「我らは潔く立ち去るのみだな」

「えぇ、私たちは帰ります。邪魔したね、お二人さん」

 

 そうして蟲の人たちは、三人揃って颯爽と立ち去っていった。

 ……本当に行っちゃった。一体なにしに来たんだろう。いや、わかるんだけど、結果だけ見ればなにも変化なく終わったし……

 そもそも、なんでわたしがここにいるのかわからない……わたしの存在って、この場ではまったく無意味だったよね。

 誰もなにも得ずに終わった、虚無の結末。

 強いて言うなら、蟲の人たちには特殊な“眼”があるっていうことと、猫のお姉さんの正体は神様の意志で隠されているということがわかったくらい。冷静に考えると、まったく意味不明だし荒唐無稽な結論だ。

 結局、猫のお姉さんも、【不思議の国の住人】も、その正体はまったく不明なままだったし。

 ……正体、かぁ。

 

「あの……チェシャ猫レディ、さん?」

「なにベルちゃん? とゆーか大丈夫? あいつらに変なことされてない?」

「それは大丈夫ですけど……その、お姉さんは、ずっと正体を隠したままなんですか?」

「……気になる?」

「はい……ちょっと」

 

 信用してないとか、疑ってるわけじゃないけど、ずっと気になってる。

 だって、いきなり現れてわたしを守るなんて言う人だ。わたしとどこかで会ってるのか、どこかで関係があったのか……その繋がりくらいは、気になってしまう。

 なんでこの人は、わたしを守りたいのか。なんでわたしなのか。

 誰かを無償で守ることが正義の味方の使命だとしても、わたしに固執する理由はないはず。

 だから、この人は必ずなにかしらの目的があるはずなんだ。

 それはなんなのか。それはどこから来るものなのか。

 この人は、本当はなにを隠しているのか。

 正直に言うと――知りたい。

 だけど、

 

「前にもなんか聞かれたねぇ。あの時は目的だっけ? まあ、私の正体を知れば、そこから推測も可能っちゃ可能だけども」

「べ、別に探ろうとしてるわけじゃ……」

「分かってるよ。ベルちゃんはそういう性格じゃないもんね。でも、私の正体か。まあぶっちゃけはぐらかしちゃうけど、そうでなくっても説明がとっても煩雑、難解、面倒なんだよねー」

 

 どうやら真面目に答える気はないようです。

 煙に巻くというほど緻密でもなく、真剣に隠匿している風でもなく。

 ごちゃごちゃと言い訳がましいことを言ってるけど、この人の思いは多分、単純明快。

 それはただ“言いたくないから言えない”というだけのこと。

 

「うん、そだね。私の正体を探るのはよした方がいいというか、やめてくれると助かるな。それを望まないものがいる。ただそれだけの理由なんだけど、他者の気持ちは尊重しないとね」

「望まないものがいる……?」

 

 なんでそんな、自分じゃない誰かの意志、みたいな言い方なんだろう。

 この人が探ってほしくないと思っている、わけじゃないの?

 

「まあ安心しなよ。私もずっとダンマリ決め込むつもりはないし、いずれ明かさなきゃいけない時が――時が満ちる時が来ると思うから。犯人の正体が明かされない推理小説なんて、それこそあり得ないでしょ。やがてその時は来る、それまで待ってくれると嬉しいな」

 

 なんと一方的で、曖昧なお願いなんだろう。

 いつかもわからない、いずれ訪れる時まで待てなんて、誰が保証してくれるのかもわからない要求。

 だけど、わたしはそれを突っぱねることはできない。

 いずれ来る時っていうのを信じたわけじゃないし、保証人がいるとも思わないし、この人を完全に信用できるかと言うと、ちょっと怪しいんだけど。

 でも……わたしが無理やりこの人の正体を暴こうとしたら、この人は――もしくは、この人の言う“望まないもの”は、きっと傷ついてしまう。

 それを思うと、これ以上は踏み込めなかった。

 だからわたしは、信じるしかない。

 猫のお姉さんの言う、時が満ちる時を。

 

「さーて、と。そんじゃー私もそろそろお仕事に戻りますかなー。ばいばーい、ベルちゃん! またねー!」

 

 と、最後にはお気楽に笑って、猫のお姉さんも瞬く間に姿を消した。みんな、すごくフットワーク軽い。

 それはそれとして、お姉さん、最後に気になることを言い残していきました。

 

「……お仕事?」

 

 正義の味方は、本業じゃなかったんだ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――と、いうわけなのよ」

「成程。ご苦労だった」

「味気ないのよ、帽子屋さん」

「いや、これでも結構驚いている。まさか個人という単位で、貴様の“眼”で認識できないものが存在するとはな」

「それは私が一番驚きなのよ。でも、これじゃあ結局、あの子猫さんの正体はわからずじまいなのよ」

「そうだな……侯爵夫人の鑑定で、奴とチェシャ猫が関係しているところまではわかったんだが、あと一歩、あと一歩が掴めない」

「ところで、その侯爵夫人様はなんて?」

「ん? 眠りネズミが千切り取った奴の衣服の断片を見て、触って、嗅いで、舐め取って、こう言ってのけた。「これは確かに我が駄猫の魂を感じる。しかし濁っているな、とても汚らしい。あぁ汚い、あの駄猫が人間臭さに汚染されている。汚らわしい、嘆かわしい」とな」

「侯爵夫人様も相変わらずなのよ。それで帽子屋さん、どうするの?」

「どうする、とは?」

「だって、鈴の子とか聖獣とかをほっぽって、子猫さんの正体を探ってるんでしょ? それがそんなに大事なら、私はそれでいいと思ってるけど、そう思ってない子たちもいるんじゃないのよ?」

「否定はできんな。公爵夫人に関しては、奴自身にも関わること故に、珍しく同意を得られたがな。しかしヤングオイスターズやハンプティ・ダンプティあたりには、やや反感を買ってしまっているか。まあ、そんなものは些末な問題だ」

「まあ、カキちゃんたちも可哀そうなのよ。それに、本来の目的を放り出してサイドイベントにかかりっきりになって――しかもそのイベントの成果が出ないんじゃ、帽子屋さんも肩身が狭い思いをしちゃうのよ」

「なにを言っている? ここはオレ様の築いた場所だ。無論、貴様らの助力あってこそだが、【不思議の国の住人】はオレ様ありきの場であろう? 何故、オレ様の肩身が狭くなる?」

「急に我を強くしないで欲しいのよー。これだから帽子屋さんは、頭があっぱっぱーなんだから」

「なにか言ったか?」

「なーんにも言ってないのよ。そんなことより、せっかくサイドイベントを楽しんでるのなら、やっぱり最後までキッチリやり切らなきゃダメなのよ? 帽子屋さんのあるのかないのかわからない示しもつけなきゃダメだしね」

「無論だ。実益からは遠く離れた興味と衝動ではあるが、これは恐らく使命であり義務でもある。即ち、オレ様の役割だ。それは遂行せねばならんだろう」

「役割、ねぇ。まあいいけど! それで、私の“眼”でも認知できなかったあの子の存在を、どう探るっていうのよ」

「……さてな。オレ様にもわからん」

「万策尽きるのが早すぎるのよ!」

「別に万策は尽きていない、千策程度だ。しかし貴様の“眼”が最大の手であったのも確かだ。それが通用しないとなると、奴の言うように、手順を踏まなければなるまい」

「手順? って、なんなのよ?」

「貴様が報告していたろう。奴は物語の犯人の如く、存在が隠匿されていると」

「確かに言ったのよ」

「ならばすべきことは、それに倣うことだ。つまるところ、捜査と推理、そして検証だな。捜査は眠りネズミや貴様らのお陰で十分。推理も、侯爵夫人の証言により証拠がかなり整った。おおよその予想はついたところだ」

「えー、なーんだ。私が出向いたのは確認のためだってことだったのよ? ちょっと酷くない?」

「なにも酷くはない。これは有効だと思われる強力な武器を投入したら、それが通じない相手であったというだけの話だ」

「むぅー、なんだか釈然としないのよ」

「膨れるな。貴様の配役が犯人を暴くという役割に準じていなかったというだけなのだからな。相性の問題だ」

「でもぉー、そのせいでトンボやハエの前でカッコ悪いとこ見せちゃったしぃー」

「そうか、オレ様にはどうでもいいことだな」

「帽子屋さんも酷いのよ! 冷たい!」

「そうだ。オレ様はクールだからな」

「頭おかしいだけなのに、クールとか言っちゃって……別にどうでもいいけどね。それで、話を戻すのよ。手順がどうとか言ってたけど、どうやってあの子猫さんの正体を暴くのよ?」

「ふむ。では、話がとっちらかってきたので、少しばかり整理してやろう。奴はいわば、推理小説(ミステリ)犯人(クロ)だ。そして空想なる狂人を暴くには、正式な手順と、正当な配役が必要であると決定づけられている

「正当な配役? それって、つまり……」

「あぁ。奴が犯人役。そしてその正体を暴く配役が必要であるならば――」

 

 

 

「――オレ様が、探偵役となってやろう」




 だんだんと異能力バトルもの染みてきていますが、この作品はあくまでもデュエル・マスターズですので、ご心配なきよう。ほら、昔だって、闇眼とか究極音感とかあったしね。
 次回からは、前々から予告していた林間学校編です。結構、長い話になる予定なので、お覚悟を。
 例の如く、誤字脱字とか、感想とか、なにかあったら遠慮なく仰ってくださいな。


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25話「林間学校だよ ~1日目・AM~」

 久方ぶりの更新です。例によって、再掲のようなものなのですが。
 今回は前々から触れていた林間学校編です。結構な長丁場になるので、最後までお付き合いください。


 こんにちは! 伊勢小鈴です!

 今日から、待ちに待った林間学校です。2泊3日のお泊りなんですよ。飯盒炊飯したり、山に登ったり、天文台で星を見たり、楽しいことがたくさんありそうです。

 ……でも、登山はちょっと、自信ないな……

 ちなみにお泊りする場所は、学校が所有している合宿所です。ちょっと山奥の方にあるらしいんだけど、山の頂上には小さな天文台があって、それらも全部学校所有のものなんだとか。

 冷静に考えると、学校が山とか天文台とかを所有してるのっておかしいよね? って思ってお姉ちゃんに聞いたら、厳密には学校関係者の所有財産で、友好関係のためにそれを提供している云々と、難しい話はよくわかんなかったけど、要するに厳密には学校側の所有物ではないけど、わりと自由に使えるらしい。

 まあ、この林間学校も毎年行われてるけど、それ以外では部活とかで使う団体があるくらいみたい。だから、そんなに使わる頻度は多くないらしいです。

 そして今は、その合宿所に向かうバスの中。クラスごとに分けて乗っています。

 けど、バスにはずっと乗りっぱなし。山奥といっても合宿所まではあんまり遠くないと聞いたけど、やっぱりちょっと退屈だね。

 

「ヒマー、ヒマすぎるー……外の景色は森ばっかだしー……」

 

 わたしの隣に座ってるみのりちゃんも、そんなことを言い出した。

 最初こそ楽しくお喋りしてたんだけど、だんだんと話すこともなくなってきて、車窓から景色を眺めたりしてたんだけど、それでもこれだ。

 

「つーかさー、遠くないって聞いたけどめっちゃ遠いじゃん。凄い朝っぱらに集められた上に、もう何時間バスに揺られてるのさ!」

「……二時間くらい? でも、もう山に入ったってことは、そろそろじゃない?」

「いやいや、こういうのはもうすぐと思ってからが長いんだ、私は知ってるよ。あと一時間はかかるね」

「そうかなぁ」

 

 流石にそこまではかからないんじゃないかな。

 

「ヒマすぎる……ねぇ、なにかして遊ばない?」

Gute(いいですね)!」

 

 みのりちゃんの発言に反応して、後ろの座席からひょこっと覗かせる銀髪。ユーちゃんだ。

 バスは席は自由だけど、すべて二人掛け。前には霜ちゃんと恋ちゃんが乗ってて、後ろの座席にはユーちゃんと、ユーちゃんの双子のお姉さんであるローザさんが座ってる。

 後ろの方も静かになってたから、寝ちゃってるのかと思ったけど、ユーちゃんもわたしたちと同じで、暇を持て余していたみたい。

 

「ユーちゃんもタイクツしてたところですよ! 実子さん!」

「お? やるかねユーリアさん。小鈴ちゃん、シート動かしていい?」

「わたしはいいよ。ローザさんはいい?」

「私も大丈夫です。ご自由にどうぞ」

 

 許可も得たとこで、わたしたちのシートをぐるっと半回転させて、ちょうどユーちゃんたちと向き合う形になる。

 なにをやるのかは大体察しがつくんだけど、テーブルとかもなにもないのに、どうするつもりなんだろう。

 と思っていると、みのりちゃんは鞄からなにかを取り出した。

 

「じゃあここでこれの出番だね。こんなこともあろうかと用意してきた、折り畳み式の大きな板だよ!」

「そんなものなにに使うつもりだったの!?」

 

 どう考えても使う機会が今くらいしかなさそうなんだけど。

 ただでさえ2泊3日で、着替えとか荷物が多いのに、そんなの持ってきて邪魔じゃない……?

 

「勿論、この時のためさ! お互いの膝で支えてね」

「Ja! リョーカイです!」

 

 みのりちゃんとユーちゃんが、お互いの膝の上に板を乗せて、簡易テーブルの出来上がり。

 とても自然流れで、二人の対戦が始まった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ユーちゃんは超次元はないです」

「了解。私の超次元はこれだよ」

 

 

 

[実子:超次元ゾーン]

《真理銃 エビデンス》×2

《龍波動空母 エビデゴラス》×4

《立体兵器 龍素ランチャー》×2

 

 

 

「これはわかりやすすぎるな。どう考えても《M・A・S》か《メタルアベンンジャー》だね」

「あ、霜ちゃん」

「ボクも暇だから見学させてもらうよ」

 

 デュエマのにおいを嗅ぎ付けて、後ろから霜ちゃんがひょっこりと首を覗かせる。

 霜ちゃんは恋ちゃんと相席だったはずだけど、恋ちゃんはどうしたんだろう?

 

「恋ちゃんは?」

「恋なら車酔いでダウンしてるよ」

「あぁ……恋ちゃん、身体強くないもんね」

 

 ちらりと覗いてみると、恋ちゃんは呻きながらぐったりしていた。辛そうだし、今はそっとしておいてあげよう。

 

「先攻はもらった! 《アナリス》をチャージしてターンエンド!」

「ユーちゃんのターンですね。ドロー! 《デス・ゲート》をチャージです!」

 

 みのりちゃんは水と自然のカード。ユーちゃんは闇のカード。どっちもよく使うカードだから、まだどんなデッキかはわからない。

 お互いに1ターン目は動きもなく、どんなデッキかがわかるのは次のターンかな、と思った矢先。

 ユーちゃんはチャージしたばかりのマナをタップした。

 

「それでは、1マナで《闇戦士ザビ・クロー》を召喚(フォーラドゥング)です!」

「っ!? 《ザビ・クロー》? 速攻?」

「えへへ、どーでしょー? Endeです!」

 

 

 

ターン1

 

実子

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:30

 

 

ユー

場:《ザビ・クロー》

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:29

 

 

 

 ユーちゃんが1ターン目から動いた。

 あのクリーチャーは確か、《ブレイズ・クロー》と同じ能力のクリーチャー。闇文明の《ブレイズ・クロー》みたいなクリーチャーだったはず。

 1ターン目からそんなクリーチャーを出すってことは、素早く攻撃を仕掛けて倒すデッキなのかな。

 

「ユーリアさんが速攻使うなんて聞いてないってばよー。えーっと、《クロック》をチャージして、《フェアリー・ライフ》を唱えるよ。マナ加速してターンエンド」

「ユーちゃんのターンです! 《タマネギル》をチャージですよ! そして《ねじれる者ボーン・スライム》を召喚!」

「《タマネギル》って……え?」

「《ザビ・クロー》で攻撃(アングリフ)! そして――革命チェンジ! です!」

 

 いつになく素早く攻めていくユーちゃん。

 この早い段階での革命チェンジで、出てくるのは……?

 

「《【問2】 ノロン》です! 《ノロン》の能力で、一枚引いて、手札を一枚墓地(フリートホーフ)へ! ユーちゃんは《黒神龍グールジェネレイド》を捨てますよ!」

「《グール》……! なんかこれ、どっかで見たことある……!」

「《ノロン》でシールドブレイクです!」

「残念ながらS・トリガー! は、ないよ!」

「やりました! Endeです」

 

 ……二人とも、楽しそうだなぁ。

 みのりちゃん、前にも増してはっちゃけたところ見せるようになったし、ユーちゃんもユーちゃんでノリがいいというか、どんな場でも笑って楽しく盛り上げる子だから、相性がいいんだろうなぁ。

 

 

 

ターン2

 

実子

場:なし

盾:4

マナ:3

手札:4

墓地:1

山札:28

 

 

ユー

場:《ノロン》《ボーン・スライム》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:1

山札:27

 

 

 

「単純ながらも面倒な布陣だね。打点は低いが、並べて殴ってくるビートダウンは無視できない。けれど、《ノロン》を破壊すれば墓地から《グール》が戻って来てしまうから、逆に打点が増えかねない」

「いやほんとその通り、困ったなぁ。バイクとかドギバスとかブランドみたいな理不尽さはなさそうだけど、こうも速攻染みたビートを仕掛けられるとは思わなかったよ。間に合うかなぁ、間に合えばいいなぁ……《フェアリー・ライフ》をチャージして、《怒流牙 佐助の超人》を召喚」

 

 遂にみのりちゃんもクリーチャーを出してくる。

 だけど、この一枚じゃそんなに状況は変わらなさそうだなぁ。

 

「《佐助の超人》の能力で、一枚ドロー、一枚捨てて、墓地の《ライフ》をマナに置くよ。ターンエンド」

「どんどんやっちゃいますよー! ユーちゃんのターン!」

 

 みのりちゃんはまだ準備中って感じだけど、その間にもユーちゃんはどんどん攻めてくる。

 この勝負、みのりちゃんがどこまでユーちゃんの攻撃を耐えられるかにかかってそうだね。

 

「マナチャージして、《ザビ・クロー》を召喚! そして、《ノロン》で攻撃! する時に!」

「……する時に?」

「侵略です! 《不死(ゾンビ) ゾンビーバー》!」

「あぁ、なんか知ってた……」

「さらに革命チェンジ! 《第三種 ベロリンガM》!」

「そっちも!?」

 

 侵略と同時に、革命チェンジも行うユーちゃん。

 あれ? でもこの動き、どこかで見たことあるような……?

 

「えへへ、実子さんが教えてくれたことですよ?」

「あー、ギョギョラスドギバスの侵略チェンジかぁ」

「確かにやってることは、実子のアレと同じだね」

 

 そういえばみのりちゃんも、《ギョギョラス》に侵略と《ドギラゴン剣》の革命チェンジを同時に使ってたっけ。

 サイズは小さいけど、ユーちゃんのやったこともそれと同じなんだね。

 

「まずは《ゾンビーバー》の能力で、山札の上から五枚を墓地に送ります! その後、《ベロリンガM》の能力で、さらに三枚、墓地行きです!」

「一気に八枚墓地肥やしかぁ」

 

 一回の攻撃で、次々とユーちゃんの墓地にカードが送り込まれていく。

 八枚って、よく考えなくてもすごい枚数だよね。まだ3ターン目なのに。

 

「《グール》は当然として、《デモンカヅラ》に、《オーパーツ》まで入ってるんだ……なんじゃこりゃ」

 

 ユーちゃんが墓地に送ったカードを見て、みのりちゃんが首を傾げながら言う。

 霜ちゃんが言うには、《グールジェネレイド》ってクリーチャーは、ドラゴンが破壊されると墓地から場に出てくるクリーチャー。《ノロン》や《タマネギル》はドラゴンだから、これらのクリーチャーが破壊されると場に出てくる。

 同時にそれらのクリーチャーは《グールジェネレイド》を墓地に送ることができるから、墓地に《グールジェネレイド》を仕込んで破壊を躊躇わせて、その間にどんどん攻撃するってデッキらしい。

 

「成長型みたいに革命チェンジで次々と大型に乗り換えていけば、打点不足もそれなりに解消できるし、《グール》が戻ってくることを考慮すれば疑似的な破壊耐性を得ているようなもの。小型ばかりと思って油断していられないね。見た目以上に厄介なデッキだ」

「それねー。なんかユーリアさん、最近デッキビルディング上手くなってきてない?」

「えへへ、そうですか? Danke!」

「ユーちゃん、最近お勉強の時間もカードを触ってますから……」

「ローちゃん! それはナイショだよ!」

 

 うん、まあ、勉強って好きでできるものじゃないもんね。デュエマをしたい気持ちはよくわかるよ。

 だけど、この林間学校は、夏休みの宿題が終わらない人の救済――という名の徹底指導という噂もある。

 ユーちゃん、大丈夫なのかなぁ……?

 

「うみゅ……と、とにかく、シールドブレイクですっ!」

「トリガーは……出ないんだよねぇ」

「《ボーン・スライム》でも行っちゃいます! 革命チェンジで《ノロン》です! 一枚引いて、一枚捨てますね。ブレイクです!」

「むむむ、こっちもなにもないよ」

「では、Endeです!」

 

 

 

ターン3

 

実子

場:《佐助の超人》

盾:2

マナ:5

手札:5

墓地:1

山札:26

 

 

ユー

場:《ベロリンガM》《ノロン》《ザビ・クロー》

盾:5

マナ:3

手札:2

墓地:10

山札:17

 

 

 

「いやぁ、やばいやばい。全然間に合う気がしないんだけど」

 

 ユーちゃんの攻撃は、一発一発は小さいけど、それが何度も何度も繰り出されるから、ジャブでも馬鹿にはできない。

 あっという間にみのりちゃんのシールドは二枚にまで追い込まれてしまい、ユーちゃんの場にはクリーチャーが三体。次のターンにはダイレクトアタックまで届いちゃう。

 

「手札に《ゾンビーバー》あるんだよね。一体除去ってもジャスキルかぁ」

 

 カードを引いて、考え込むみのりちゃん。

 次のターンを耐えられるのかを考えているみたい。

 でも、1ターン耐えたとしても、今のみのりちゃんの場を考えると、反撃も難しいんじゃないのかな……?

 

「……まあ、なんとかなるか。手をこまねいててもしゃーないし、自分の盾とハンドを信じてやるっきゃないね。私のターン、《ジェイス》をチャージして《龍覇 M・A・S(メタルアベンジャーソリッド)》を召喚! 《ベロリンガM》をバウンス!」

「あぅ、戻されちゃいました……」

「それだけじゃないよ! 《龍波動空母 エビデゴラス》を設置! ターンエンド!」

 

 クリーチャーを手札に戻して、数は二体に減った。これで見た目の上ではギリギリ耐えられる。

 だけど、ユーちゃんの手札にはWブレイカーの《ゾンビーバー》がいるから、やっぱり耐えられないんだよね……

 

「ユーちゃんのターンです! 《ノロン》で攻撃! その時、革命チェンジです!」

 

 なんだけど、ここでユーちゃんが見せたのは、《ゾンビーバー》じゃなかった。

 侵略ではなく、革命チェンジ。

 《ノロン》が手札に引っ込んで、その代わりに現れるのは――

 

 

 

「――《悪革(あくかく)怨草士(おんぞうし) デモンカヅラ》!」

 

 

 

「《デモンカヅラ》? まあどっちでも一緒なんだけど、場数減らされるのかぁ。地味に嫌だね」

「手札の《ベロリンガM》を捨てて、《佐助の超人》を破壊! そしてWブレイクです! このターンにダイレクトアタックですよ!」

 

 ここでWブレイクを受けると、S・トリガーがない限りみのりちゃんの負けが確定しちゃう。

 だけど、

 

「ま、実は普通に耐えられるんだけどね。前のターン我慢してよかった。ここは通さないよ、ニンジャ・ストライク! 行け! 過労死担当の《ハヤブサマル》! ブロックだよ!」

 

 シノビで防御して、二枚のシールドを守るみのりちゃん。

 これでこのターンにとどめを刺されることはなくなったかな……?

 

「うみゅ……でも、止まりませんよー! 《ザビ・クロー》で攻撃! und(そして)革命チェンジ! 《【問3】 ジーン(アップ)》です! 能力で山札を二枚見せますね。選んでください!」

「選んだ方が手札に入って、もう片方は墓地なんだよね。《グール》二枚とかじゃなければいいなぁ」

 

 ユーちゃんは攻撃の手を止めることなく、攻め続ける。

 《ジーン⤴》は、場に出ると手札と墓地をそれぞれ増やせるクリーチャー。相手が選ぶのが難点だけど、手札を減らさず、墓地にクリーチャーも溜められるから、ユーちゃんのデッキとの相性は良さそうだね。

 その能力で、ユーちゃんは山札を二枚公開する。

 

「《ジーン⤴》と《ザビ・クロー》かぁ。ぶっちゃけどっちでもいい感あるけど、場数を並べられるのも嫌だし、《ジーン⤴》をあげるよ」

「ですです。では、シールドブレイクです!」

「トリガーはやっぱりないね。流石にへこむよ」

 

 

 

ターン4

 

実子

場:《M・A・S》

盾:1

マナ:6

手札:4

墓地:3

山札:25

 

 

ユー

場:《デモンカヅラ》《ジーン⤴》

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:12

山札:14

 

 

 

「だけど、なんとかここまで耐えられた……《ハヤブサ》には感謝だね」

 

 残りシールド一枚まで追い込み、相変わらずとどめを刺せるだけのクリーチャーが並び、睨みを利かせるユーちゃん。

 手札もなんだかんだ残ってるから、息切れの心配もあまりなさそうだし、本格的にみのりちゃんはピンチなんじゃないかな。

 と思いながら見てたけど、むしろみのりちゃんはすごくハイになってた。

 

「さぁ、ここからが私の時代! これでもう勝ったね!」

「そーなんですか!?」

「……たぶんね」

 

 高らかに宣言してすぐにトーンダウン。テンションのアップダウンが激しすぎる。

 でも、勝算があるのは確かみたい。じゃなきゃみのりちゃんはこんなことは言わない。

 ハッタリという可能性も否定できないけど、ここでハッタリを仕掛けても、ユーちゃんが攻撃の手を緩めるとも思えないしね。

 

「とりあえず、まずは《エビデゴラス》の効果でドロー。そして通常ドローだよ」

 

 普通よりも一枚多くドローしてターンを始めるみのりちゃん。

 そして、ここからみのりちゃんの反撃が始まる。

 

「さぁ、これが私の答えだ! マナチャージして7マナ! 《M・A・S》を進化!」

 

 すべてのマナを使い切って、みのりちゃんは《M・A・S》の上にクリーチャーを重ねる。

 NEOじゃない、普通の進化クリーチャーを。

 

「まずはこれ! 《革命龍程式 プラズマ》!」

 

 出て来たのは、水のクリーチャーだ。

 なんだろう、初めて見るクリーチャーだけど。

 

「まずは《プラズマ》の能力で四枚ドローだよ!」

「わわっ、手札がたくさんです!?」

 

 一体クリーチャーを出しただけで、一気にみのりちゃんの手札が増えちゃった。

 でもマナは使い切っちゃってるから、ここでこれだけ引いても、すぐには使えない。

 でも、それでもよかったんだ。みのりちゃんにとって大事なのは、手札の量ではない。

 大事なのは“カードを引くこと”だったから。

 

「これで私はこのターン、五枚以上のカードを引いた! よって《エビデゴラス》の龍解条件成立!」

 

 カードを引くこと。それがそのまま、龍解を達成するための条件。

 横向きに置かれていたドラグハート・フォートレスが、ひっくり返って、クリーチャーになる。

 

「龍解! 《最終龍理 Q.E.D.+》!」

 

 これでWブレイカーが二体。

 だけど、これだけじゃ終わらない。

 

「まだまだ! G・ゼロ! このターンカードを六枚以上引いたから、《天災超邪(ビリオネア) クロスファイア 2nd (セカンド)》を召喚!」

「あぅ、どんどん出て来ます……」

 

 さらに大量ドローで増えた手札から、G・ゼロでクリーチャーが出て来る。マナはないけど、G・ゼロならマナを使わなくていいから、問題なく出せるんだね。

 しかもこのクリーチャーも、タダで出す条件がドロー枚数だから、《エビデゴラス》の龍解条件と被ってるんだ。

 どっちも《プラズマ》の能力に反応して起動するから、同時に使いやすいんだね。

 

「さぁ、《プラズマ》で攻撃――する時に!」

「ま、まだなにかあるんですか!?」

 

 ここまででも十分みのりちゃんのプレイングはすごいんだけど、これでもまだ終わらない。

 ドローすることが《エビデゴラス》の龍解に繋がり、《クロスファイア 2nd》を引き込みつつG・ゼロ条件も達成する。

 すべては《プラズマ》がキーカードとして働いているわけだけど、《プラズマ》の仕事はまだ終わらない。

 マナがないから、マナを使わなくてもいいG・ゼロで追加のアタッカーを用意する。だけど、それにはまだ先がある。

 大量ドローで手に入れられるのは、G・ゼロだけじゃない。《クロスファイア 2nd》以外にも、ドローを攻撃力に変換できるクリーチャーは存在する。

 

「《プラズマ》はコスト6以上の! 革命軍で! コマンド! ってことは出てくるのは勿論これ!」

 

 最後の締めが残っていると言わんばかりに、みのりちゃんは“それ”を《プラズマ》に重ね、叩きつける。

 

 

 

「今日も今日とて、予想を裏切って行こう――《裏革命目 ギョギョラス》!」

 

 

 

 で、出て来た……みのりちゃんの切り札、《ギョギョラス》

 今まで何度も見てきたクリーチャーだけど、ここでも出て来るんだ……

 

「……実子は本当、どこからでも《ギョギョラス》をぶん投げて来るね」

「文明とかあんまり関係なく出て来るから、思ってもみないところで侵略されて、ビックリするよね」

 

 今回も、正直《エビデゴラス》龍解と《クロスファイア 2nd》のG・ゼロだけで結構驚いたから、もうこれ以上はないと思ったところでさらに最後の一押しが来て、さらに驚かされちゃったよ。

 

「革命発動してるし、ぶっちゃけここで侵略したの悪手な気がするけど気にしなーい! 《ギョギョラス》の能力で《デモンカヅラ》をマナ送り! それよりコストの小さい《M・A・S》をマナから出すよ! 能力で《エビデゴラス》を設置! さらに《ジーン?》もバウンスだ!」

「ふえぇぇ!? ぜ、全滅ですか!?」

 

 ……なんか、生き生きしてるなぁ、みのりちゃん。

 でもこの動きはすごいね。進化、龍解、G・ゼロ、侵略で、一気にクリーチャーを大量展開して、ユーちゃんのクリーチャーをすべて除去したうえに、このターンダイレクトアタックも仕掛けられる。

 事前準備もあったとはいえ、たった1枚のカードからここまでできるなんて、すごい爆発力と奇襲性だよ。

 

「《ギョギョラス》でTブレイク!」

「! S・トリガー! 《デス・ゲート》です! 《クロスファイア 2nd》を破壊!」

「あちゃ、打点がずれたか」

「そして墓地から……《ジーン?》をバトルゾーンに! 山札をめくりますよ!」

「めくれたのは《オーパーツ》と《デモンカヅラ》ね。どっちもやだけど、ここは《オーパーツ》をあげよう」

「Ja……」

「さて、これで打点足りなくなったけど、残りの攻撃はどうしよっか……また変な藪つっつきたくないし、黙っておこうかな。ターンエンド」

「ゆ、ユーちゃんのターンです……」

「こうなるとユーはきついね。ここで攻め切る打点もないだろうし、攻撃に枠を割いてるみたいだから次のターンを耐える防御力もない。ブロッカーは《Q.E.D.+》で大体無力化されちゃうしね」

 

 速攻デッキは序盤に攻めきれないと厳しいんだっけ。

 手札がなくなるからってわたしは聞いたけど、これは手札がどうこうというより、純粋にバトルゾーンの状況で負けてる。

 

「《ボーン・スライム》二体と、《タマネギル》を召喚です! 手札の《グールジェネレイド》を捨てて、《M・A・S》を破壊します!」

「いいよいいよ、そのくらいはサービスさ」

「《ジーン⤴》で攻撃! 革命チェンジ! 《最終問題 オーパーツ》です! 《オーパーツ》の能力で、二枚ドローします。そして……」

「わかってるよ。私は《ギョギョラス》の下の二枚を捧げよう」

「全然クリーチャーが減ってないです……《オーパーツ》で最後のシールドをブレイクです!」

「残念ながらそれは通さないのさ。ニンジャ・ストライク、《佐助の超人》! 一枚引いて《バイケン》捨てて、《オーパーツ》をバウンスだ!」

「あうぅ、Ende……」

 

 増えた手札から現れるシノビ。みのりちゃんは攻撃を通さない。

 結局、ユーちゃんはほとんどなにもできずにターンを終えるしかなかった。

 

 

 

ターン5

 

実子

場:《ギョギョラス》《バイケン》《Q.E.D.+》《エビデゴラス》

盾:1

マナ:7

手札:5

墓地:4

山札:21

 

 

ユー

場:《ボーン・スライム》×2《タマネギル》

盾:2

マナ:5

手札:5

墓地:14

山札:11

 

 

 

「さぁ、私のターン! まずは《エビデゴラス》の効果で追加ドロー! さらに《Q.E.D.+》の能力で、山札の上五枚を見て、その中の一枚をトップに固定、残りを山札の下に戻して追加ドロー! 最後に通常ドロー!」

 

 みのりちゃんのターン。

 ユーちゃんのデッキにトリガーは少ないだろうって霜ちゃんは言ってるし、それはみのりちゃんもわかってそうなんだけど……

 

「そーれ、《バイケン》を進化元に《プラズマ》召喚! 四枚ドローして二枚目の《エビデゴラス》も《Q.E.D.+》に龍解! さらにG・ゼロで《クロスファイア 2nd》だぁ!」

「うわぁ、イジメみたいな過剰打点だ……」

 

 まったく容赦することなく、みのりちゃんは次々と新しいクリーチャーを繰り出していく。

 これでWブレイカーがさらに二体増えて四体。

 ユーちゃんのシールドはあと二枚しかないし、ブロッカーがいるとはいえ、ちょっとやりすぎな気も……

 

「いやいや、確実に詰めるためにもここは連打だよ! 《プラズマ》で攻撃時に《ギョギョラス》侵略ぅ! あー、またミスった気がするけど……まあいっか!」

「全然詰めれてないじゃないか」

「気にしない気にしない、もうこれは勝ちでしょ! 《オーパーツ》をマナ送りにして、マナから《M・A・S》! 《タマネギル》をバウンスして《エビデゴラス》を設置!」

「えっと、水のドラゴンじゃなければブロックできるんですよね? だったら《ボーン・スライム》でブロックです!」

「もう一発! 《クロスファイア 2nd》でWブレイク!」

「そ、それもブロックです……」

「そういえば《クロスファイア》はドラゴンじゃなかったな……まあいっか」

「ちょっと君、ガバガバ過ぎない?」

 

 うん、わたしもそう思う。

 防御にも使える《プラズマ》を侵略させちゃうし、種族を忘れてブロックされちゃう《クロスファイア 2nd》から攻撃するし。

 勝ちが見えてるからって、いくらなんでも気が緩みすぎだよ、みのりちゃん……

 

「今度こそ! 《Q.E.D.+》でWブレイク!」

「そこは《ギョギョラス》から行くべきところだろう……」

「うみゅぅ……でも、悔しいですが、トリガーはありませんです……はい……」

「だったらこれで決まり! 《ギョギョラス》で、ダイレクトアタック!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「うみゅぅ、負けちゃいました……」

「怒涛の反撃でしたね……」

「ま、ぶっちゃけ《ハヤブサ》引けてなかったらヤバかったけどね。《バイケン》も《クロック》も来ないんだもんなー、速攻は少しきつかったよ」

「というか実子、最後の方の詰めは流石に甘すぎないか? 《プラズマ》を残しておけば手札のトリガーが使えたから防御が盤石になるし、最後だって《デス・ゲート》を踏んでブロッカー出されて耐えられる可能性があったんだから、先に《ギョギョラス》から殴ってブロッカーを無視できるようにすべきだったよ」

「あーあー、知らない知らない。勝てば官軍だよ!」

「なんて暴論……」

「うむむです。このまま負けてるのは、やっぱり悔しいです! 実子さん! もう一回です! もう一回デュエマしましょう!」

「お? やるかね? 私は何度だって受けて立つよ」

「……いや、残念ながらそれは無理だな」

 

 霜ちゃんが小さく言う。

 それと同時に、かくんと、少しだけ前につんのめる。

 そして後ろでは、寝起きらしい恋ちゃんの声。

 

 

 

「んん……着いた……?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 合宿所というか、宿泊施設は、想像以上に立派なものだった。

 全校生徒に先生も宿泊するんだから当然といえば当然だけど、すごく大きい。学校の校舎ほど……とまではいかないけど、それでも、一般的な宿泊所よりも大きいんじゃないかな?

 中も綺麗で、なんというか、ピカピカしてた。

 元々合宿所として使われることが多いからか、華美ではないけれど、汚れてたり老朽化してたり、というようなところはパッと見て見当たらない。真新しいってほどでもないけど、もっと古い建物だと思ってたから、ちょっと意外だ。

 バスから降りたわたしたちは、まずは四人一組の班に分かれて、それぞれ割り当てられた部屋に移動。そこで荷物を置いて、ついでに軽く備品点検をする。

 わたしたちの班は、わたしと、みのりちゃんと、恋ちゃんとユーちゃんの四人。一つの班で一つの部屋を使うことになるから、もちろん男女は別。だから霜ちゃんとは部屋が別々になっちゃうんだよね……

 それに、ローザさんも、わたしたちに遠慮して別の班になったっていうし……なんだか、申し訳ない。ユーちゃん曰く「ローちゃんはそういう子ですから。でも、おうちではとっても仲良しなので、大丈夫です! 問題ありません(プロブレームロース)!」らしいけど。

 うーん、まあ、でも、自由時間も少なくないし、一緒にいられる時間はあるから、特に問題はないかな?

 

「1Aの六班、揃ってる?」

「あ、先生だ」

 

 荷物を置いて、備品も確認も終えたところで、わたしたちのクラス――1年A組の担任の先生である鹿島先生が、扉から顔を覗かせた。

 

「六班は、全員そろってます。部屋も特に問題はありませんでした」

「そうかい。それはよかった……この班の班長って伊勢だっけ? ちょっと話いい?」

「いいですけど、なにか……?」

「すこーしだけな。とりあえず、こっち来てくれ」

「? はい」

 

 話ってなんだろう? わたし、なにかしたかな?

 もしかしてバスでデュエマしてたのがまずかったのかなぁ。トランプくらいにしておくべきだったのかも……

 と思いながら、宿舎の廊下で先生と向き合う。先生はなにやら難しそうな顔で、わたしを見つめていた。

 

「えっと、話ってなんでしょう?」

「…………」

「先生?」

「あ、いや。まあ話っていうか、お願いなんだけどな?」

「お願い、ですか?」

 

 なんだろう。デュエマのことでなかったのは良かったけど、お願い?

 皆目見当がつかないよ?

 

「前置きなしで単刀直入に用件だけを言うぞ。生徒を一人、六班で引き取ってほしい」

「え? ど、どういうことですか?」

「そのまんまの意味だよ。理由を聞いてるなら、そうだな。C組の班なんだけど、班員のうち三人が欠席してるとこがあるんだよ」

「三人も? 一班四人ですよね?」

「ん……あぁ、まぁな……」

 

 どこかはっきりしない物言いの先生。

 もごもごと口を動かしていて、言いづらそうにしている。

 先生のお願いは、生徒を一人、わたしの班に迎え入れてほしいということだった。四人班で、三人が欠席。一人だけが残っちゃったから、他の班と併合しよう、ってことなんだと思う。

 それは理解できるんだけど、なんでC組の生徒をA組の班が? という疑問は残る。それに一つ班で三人も欠席だなんて、普通じゃない。

 なにかがあったんだと思うけど、そのなにかを、先生は言いたくなさそうだった。

 

「……こういうの、身内の恥を晒すみたいであんまり声高には言えないんだけどな……」

 

 だけど、やがて。

 そう前置きして、先生はまた口を開いた。

 

「その、なんだ。三人欠席の班っていうのは、なるべくして生まれたっていうか、不手際と言えば担任の不手際なんだけど、C組の担任はまだ新人だし、こういうのも仕方ないっていうかな……」

「? あの、あまり要領を得ないのですが……」

「悪いな。立場上……っていうか、同僚、いやさ後輩への情だな。先に言い訳させてもらうと、C組の担任は赴任してきたばっかりで、まだ教師として、担任として未熟なんだ。ちょっとした“狂い”があると、うまくことを運べないこともあるわな。そんな状態でも、混乱をほとんど起こすことなく、小さな歪だけでクラスをまとめてるし、そうなるよう常に努力している。怠惰では決してない、むしろ勤勉だ。そこは評価してるし、称えるべきだ」

 

 どこか必死に、C組の担任の先生を擁護するような言葉を並べる鹿島先生。

 わたしはC組の担任の先生のことは知らないけど、熱心な先生だっていうのは伝わってきた。

 じゃあ問題は、その熱心な先生が、対応しきれなかった問題とはなにか、ということ。

 そこが本題で、先生は、今まさにその問題を口にした。

 

「さて、言い訳はこのくらいにして……お前も知ってると思うんだが、うちの学校、結構ついていけなくなる生徒が多いんだ」

「あぁ……はい、そうですね……」

 

 いわゆるドロップアウトというやつです。中退、っていう言い方が正しいのかな。

 もっとわかりやすく、リアリティを込めて言うのなら、不登校。残念なことに、烏ヶ森学園では、そういう生徒が少なくない。すべてのクラスに一人か二人はいるくらいだ。

 理由は人によって様々。霜ちゃんみたいに、自分自身の心の問題だったり、人間関係の摩擦であることもあるけど、多くは学校の勉強で挫折するから、と聞いたことがある。

 なんだかんだ、勉強についてはちょっぴり厳しくて大変だからね、烏ヶ森学園(うちの学校)って。アフターケアはしっかりしてて、相談するところもあるし、留学生サポートみたいなのも充実してるみたいだし……意外と外国人の人が多いから、その手の支援制度は整ってるんだよね。ユーちゃんもお世話になってるって言ってた。

 それでも、学校の勉強についていけないから、学校に行かなくなる、っていう人がそれなりにいるみたい。

 

「そういう意味では、先生はお前のこと買ってるんだ。日向のことや、ルナチャスキー、水早のこととか……正直、かなりありがたいと思ってる。私がどうにもできなかった生徒問題のほとんどは、お前が解決してくれたようなもんだからな」

「いや、わたしはそんなつもりじゃ……」

「お前にそんなつもりがなくても、結果がそう出てるんだ。ま、なんにせよお前には感謝してるし、その能力も高く評価している。その上で、頼みたいんだ」

「C組の人を、わたしの班に……ってことですか?」

「あぁ。もうこの際だからはっきり言うが、その班っていうのが、いわゆる“ついていけなくなった”生徒たちで作られた班でな。本来なら、誰一人として林間学校には来ない。だから形だけの、実質的には存在しない班……の、はずだったんだけどなぁ」

「……一人だけ、イレギュラーがいた……?」

「その通りだ」

 

 大体読めてきた。

 そういうことかぁ……

 

「そう都合よく四人ピッタリ揃うわけもないもので、要するに一人だけあぶれてるんだ。その一人を、伊勢の班と合流させたいんだが……いいか?」

「えっと、わ、わたしはいいですけど……誰なんですか? その人は……」

 

 誰かを迎え入れることは構わない。そういう事情なら仕方ないと思う。みんなにも、ちゃんと話せばわかってくれるだろうし。

 だけど、C組の人なら、C組の班と合流させるべきなんじゃないかなぁ? 体育でも一緒にならないA組より、同じC組の方が仲のいい人も多いだろうに。

 ん……? いやでも、C組で仲のいい人がいるなら、そこで班を作るよね。それをしないってことは……

 

「なんで私が伊勢の班をピンポイントで指名したのか。その理由がそのまま答えだよ」

 

 先生はそう言うと、わたしを手招きした。その後に続く。

 少し歩いて、先生が使うらしい部屋に辿り着く。そして、その部屋にいたのは――

 

「こ、小鈴さん……」

「代海ちゃん……!?」

 

 ――亀船代海ちゃん。

 C組に在籍する、わたしの友達だった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――と、いうわけで、代海ちゃんもわたしたちの班と合流することになったんだけど……」

 

 部屋でのチェックが終わると、宿舎の管理人さんへの挨拶というか、林間学校の開会式みたいなものをしてから、大広間に連れて来られる。

 この大きな部屋でなにをするのかと言えば、とても簡単。勉強です。

 基本的には自習形式だけど、先生たちが用意してきたプリントか、各自用意してきた問題集か、はたまた終わっていない宿題か……いずれかを選択してやることになっている。

 でも、学年ごとに分かれているとはいえ、非常に生徒の人数が多いし、先生の目もわりと緩い。結構立って動く人もいるし、それを咎められることもない。ちょっとお喋りするくらいならまったく問題はなかった。

 そこでみんなに、代海ちゃんがわたしたちの班に入ったことをちゃんと説明したんだけど……

 

「ふーん。君、クラスでハブられて小鈴ちゃんを頼るしかなくなっちゃったんだ。かわいそー」

「そ、それは……あぅぅ」

「みのりちゃん! そんな言い方、よくないよ」

「いやでもさぁ、事実だしー? クラス跨いでまでって、なかなか相当じゃない? C組の問題をこっちまで飛び火させるなって話だよ」

「ご、ごめんなさい……アタシ、その……つい、小鈴さんの名前を……」

「代海さんは悪くないですよ! ユーちゃんは、人がたくさんいて、楽しいと思います!」

 

 話を聞くところによると、代海ちゃんは班で一人だけになったところ、流石にそれはまずいだろうという話になって、担任の先生と他の班に行く相談をしてたみたい。

 だけど、その、代海ちゃんはあんまりクラスに馴染めてないみたいで……あまり、上手くいかなかったみたいで。

 最終的に、わたしたちのところに合流するよう、鹿島先生に預けられたということらしい。

 代海ちゃんも大変だったんだと少し同情したけれど、それ以上に、わたしとしては代海ちゃんと一緒の班になれたことが嬉しかった。

 友達になれたと言っても、まだ代海ちゃんについて知らないことも多いし、もっとお話ししたいと思ってた。だからこれはいい機会だと思ってるんだけど、快く思わない人もいて……みのりちゃんなんかは、なんだかすごく当たりがキツイ。

 ユーちゃんは仲良くしようという気概が感じられるけど、恋ちゃんはどう思ってるのかよくわからないし、霜ちゃんもみのりちゃんほどわかりやすくはないけど、代海ちゃんに対して決して友好的とは言えない。

 

「流石のボクも、実子の態度は少し問題だと思わないでもないけど……警戒はした方がいいよ、小鈴」

「警戒?」

「一緒の班ということは、ほとんどの時間を彼女と一緒に過ごすということだ。当然、寝ている時も。夜襲がないとは言い切れない」

「まさか、そんなこと……」

「“あり得ないなんてことは、あり得ない”。彼女の立場を考えてもね。彼女がC組で孤立しているのも事実だとは思うし、事が大きくなりやすい環境だから、下手なことはしないと思うけど……なにをされるかわかったものじゃない」

 

 みのりちゃんの辺りがキツイのも、霜ちゃんが警戒しろと言うのも、代海ちゃんが『帽子屋』さん側――【不思議な国の住人】という立場にあるから。

 わたしは、代海ちゃんがわたしたちを騙してるとか、そんな風には思えない。

 帽子屋さんたちは、意味不明なことを言って突っかかってきたり、たまに危険な時や人があるけど、根本的には悪い人たちではないんだと思う。この前の、蟲の三姉弟の人たちからも、その様子は窺い知れた。

 わたしたちと、人間と同じように、人を思いやったり、姉弟で仲良くしたり、仲間と協力する人たちだ。

 なにが目的なのか。それがわからないから不気味なんだけど、彼らを悪人だと断ずることは、わたしにはできない。

 そうでなくても、代海ちゃんは友達だ。疑うなんて、できるはずがない。

 そんなわたしにはなにを言っても無駄だと思ったのか、それともまったく別の理由か、霜ちゃんは黙々と溜め込んだ宿題を消化する恋ちゃんの方を向いた。

 

「恋、君は彼女のこと、どう思う?」

「……別に」

「君は中立的に振舞ってるけど、だからこそ、ボクは君の考えを聞きたい」

 

 それはわたしも知りたかった。

 みのりちゃんや霜ちゃんは、代海ちゃんを疑ってる。ユーちゃんやわたしは、仲良くしたいと思ってる。

 だけど恋ちゃんだけはそのどちらでもない。積極的に関わることもなければ、嫌っているようでもない。かといって無関心かと言えば、そういうわけでもなさそうだし、なにを考えてるのかわからないというのが正直なところだ。

 でも恋ちゃん、わりとドライなところあるから、実は本当に無関心で興味ないだけなのかもしれないけど……

 恋ちゃんは手を止めて、だけど視線は斜を向いたまま、口を開いた。

 

「そうや、みのりこの言うことも、一理ある……でも……善意の皮を被った悪人がいるように……悪意に振り回される善人も、いる……表面だけじゃ、人の善悪は、わからないし……一面的に見て、一つの考えに決めつけて、視野を狭めるのは……悪手だし、早計だと、思う……」

「だからまだ判断はできないって?」

「だいたい、そんな感じ……けど」

 

 ふと恋ちゃんは、代海ちゃんに視線を向けながら、言った。

 

「……しろみは、ちょっとだけ……わたしと、似たにおいが、する……気がする……」

 

 そう言う恋ちゃんの表情は、いつと変わらなかった。

 だけどその眼は、今まで見たことがない、穏やかな眼をしていた――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――お茶が入ったのよー!」

「うむ。かたじけない、姉上」

「帽子屋のダンナがいないのに茶会すんのも変な感じだな」

「あの人、急に「三日ほどここを離れる。後は任せた、自由にしろ」とか雑に言い残して本当にどっか行っちゃったけど、どこに行ったの?」

「つーか、カメ子の奴もいないよな」

「ウミガメちゃんは学校の……なんて言ったっけ? リンパ管? みたいなのに行ったのよ」

「林間学校だよ、姉さん。あんまり合ってないよ」

「がっこーって、なに?」

「人間の営みの一形態、かな? 自分たちの知らないことについて学ぶ場所らしい」

「よくもまあカメ子の奴は、あんな退屈な場所にいられるな。マジぱねーな」

「そういうネズ公だって、律儀に毎日小学校に通ってるんじゃねーの?」

「僕のはただの暇潰しだ。授業なんざ興味ない、先公とかどうでもいい。僕のしたいようにしてるだけだよ」

「しかしなんだって、帽子屋のダンナは重い腰を上げる気になったんだ? クソウサギがうるさくてたまんねーんだが」

「そいつは僕も同意、つーか全員の総意? じゃねーの?」

「ウサちゃんが元気なのはいつものことだし、気にならないのよ」

「たぶんそんなことが言えるのは姉さんだけだよ……あいつ、わりと本気で殺意が芽生えるくらいに鬱陶しい奴だからね?」

「ぼうしやさん、いない。ジャバウォックさんも、いなかった」

「……なっちゃん。今、なんつった?」

「? ぼうしやさん、いないって」

「その後だ、後。どいつもいないって?」

「ジャバウォックさん?」

「……ダンナ、わりとマジなんだな。ジャバウォックを連れて行ったのかよ。強行軍じゃねーか」

「帽子屋殿の決意は固いということだな。何日かけようとも、目的を果たす覚悟が見受けられる」

「三日って言ってたけどね」

「でもよー、帽子屋って今、聖獣なんちゃらをほっといてんだろ? んで、変な猫女追っかけてんだろ? なにがしてーのかわかんねーんだが」

「帽子屋さんはイカレてるから。あっぱっぱーな頭でなにを考えてるかとか、考えるだけ無駄なのよ」

「さしずめ、気になるから追ってたら夢中になっちゃった、ってところじゃないかな。私から見ても、あれが本意の行動とは思えない」

「む? 僕は侯爵夫人からの要請だと思っていたが、違うのか?」

「それもあるのかもしれないけど、帽子屋さん自らが動くってことは、本人も相当気になってるってことでしょ。まったく、打算的かと思ったら衝動的になって、計画的かと思ったら突発的に事を始めて、迷惑な方向で読めないし食えない人だよ。前に女の子を利用する時もそうだった。面倒くさい、鬱陶しい、飽きたとか、子供っぽいこと言って切り捨てたんだもんな」

「その癖、変なとこで義理堅いから憎めないのよ。本当、いつもいつも、なにがしたいのかわからないのよ」

「ま、ダンナの――ワタシたちの目的は、ハッキリしてるけどな」

「その目的を忘れない帽子屋じゃねぇ。お遊びも、そろそろ終いじゃね?」

「……それもそうだね。(アタクシ)の見立てでも、たぶん、帽子屋さんが帰って来る時には、なにかが大きく動くのよ。子猫ちゃんのことかもしれないし、聖獣のことかもしれないし、鈴の女の子のことかもしれないし、あるいは――」

「――せかい……すべて……かも、しれない」

「姉上の眼をもって告げるのであれば、相違ないのだろうな」

「えぇ。だから待ちましょう。帽子屋さんを……私たちの、希望をね――」




 とりあえず今回は初回なので、まださわりの部分程度で。
 バス内での対戦はほとんどノルマみたいなものですが、デッキ自体はまあまあお気に入りです。実子のMASプラズマに関しては、これの発展型があるのですが……まあ、それはまた別のお話で。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なく仰ってください。


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25話「林間学校だよ ~1日目・PM~」

 今回が前編後編みたいな分け方してないのは、長いからって理由なんですけど、じゃあどうやって分類しようかと思ったらこうなったタイトル。二泊三日の林間学校で、午前午後という時系列に沿って話を展開していきます。
 前回が一日目の午前だったので、今回は一日目の午後です。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 遂に始まった林間学校。一日目もこれで半分、お昼の時間です。

 班ごとにご飯を炊いて、料理をしてという、いわゆる飯盒炊爨だね。

 午前中のお勉強時間で意気消沈しちゃった恋ちゃんやユーちゃんも、おいしいご飯を食べれば元気が出るかなと思って、わたしも頑張ろうって思った……思ったんだけど……

 

「洗米班は洗い終わった? でもまだ触らないでね、あと二分はステイ。そっちの野菜も洗い終わったら弄っちゃダメだよ。もう少し待つの。すべてはベストなジャストタイミングがある。それを逃したら死刑だよ」

「なんでそんなことを……早く済ませればいいのに……」

「愚問だね。そんなの、小鈴ちゃんに最高の料理を提供するためだよ! ほら、口じゃなくてそれ以外のところを動かしな。口を動かすのは私と小鈴ちゃんだけだよ!」

 

 ……わたしより、頑張ってるというか、張り切ってる人がいます。

 今日のみのりちゃん、やっぱりなにかおかしいよ……

 厨房のすべてを取り仕切っているといわんばかりに、みのりちゃんが班員それぞれに指示を出す。それだけならいいんだけどね。二班一組で、男女混合なこともあって、他の班は統率が乱れがちだけど、わたしたちの班はみのりちゃんが全部仕切ってくれるから、まとまりはある。

 でも、わたしだけ座って待ってるって、それはどうなの、みのりちゃん……流石に、いたたまれないよ…

 

「そろそろかな。そこの……えーっと、名前なんだっけ? 男子生徒Aでいいや!」

「若宮だよ! 同じクラスなんだから名前くらい覚えてくれ!」

「そんなどうでもいいこと忘れたよ! いいから、ちょっとそっちのアレ取って!」

「どれ!? 指示語だけで説明されてもわからない!」

「亀船さんだっけ? 君もこっち来て! 無能だろうとなんだろうと、手があればできることはある!」

「え? え? えぇ?」

 

 しかもよく見ると、みのりちゃんの指示もだんだんめちゃくちゃになってるし。

 若宮くんや代海ちゃんがちょっとかわいそうだよ。

 

「やけに飛ばしてるね、実子」

「あ、霜ちゃん。霜ちゃんは大丈夫?」

「勝手ながら休憩さ。なんとか抜け出してきたよ。いつもよりハードだけど、流石に彼女にも慣れてきたしね。若たちは結構キてるっぽいけど……まあ、同じ班だし、後でフォローしておこう」

「ありがとう、ごめんね……」

「君が謝ることじゃない。実子が傍若無人すぎるんだ。それより、君はいいのかい?」

「うーん、何度か言ったんだけどね。でもみのりちゃん、あんまり取り合ってくれないというか、話が通じないというか……」

「あそこまで熱くなってたらそうか。それと、もうひとつ」

「もうひとつ?」

「あれはどうする?」

 

 あれ? と霜ちゃんが指差した方へと身体を回して、眼を見張った。

 林間学校だからって、勝手に思い込んでた。自分の都合のいいように解釈してたし、正直、忘れてた。

 でも、それはわたしの実生活とは関係なく現れるものだから。うん、そうだよね。

 やっぱり、来ちゃうよね。

 

「と、鳥さん……」

「やぁ小鈴。今日は騒がしいね」

 

 こんな時に来るなんて、タイミングが悪すぎるよ……

 

「と、鳥さん。声、もうちょっと抑えて。みんなに見つかっちゃう」

「そんなに気にすることかい?」

「気にするよっ」

 

 幸い、わたしと霜ちゃん以外はみのりちゃんに振り回されてて、こっちに気付いてないみたいだけど……見つかったら、色々大変なことになっちゃうよね。

 

「君が来たってことは、クリーチャーか?」

「その通り。さぁ行くよ、小鈴」

「え、でも、今は……」

「行ってきていいよ。実子はあんなんだし、君が入り込む隙はなさそうだからね。いざとなれば、ボクがみんなに上手く言っておく」

 

 霜ちゃんがそう提案してくれた。

 確かに今のわたしはなにもしてないけど、一人だけ勝手に抜けるのは悪いような……

 

「小鈴、早くしないと逃げられるかもしれないよ。着替えの時間もあるんだし。それとも今ここで着替えてく?」

「それはイヤ!」

「ハッキリと断ったな……」

「じゃあ決まりだね」

「なんか雑に言いくるめられたような……でも、確かに放っておけないし……霜ちゃん、お願いしていい?」

「あぁ、任せてくれていいよ」

「ありがと」

 

 この場は霜ちゃんに任せて、わたしは鳥さんと一緒に、みんなに気付かれないよう、こっそりと抜け出した。

 それにしても……

 

(林間学校に来てまでクリーチャー退治なんてね……)

 

 クリーチャーさんも、もうちょっと空気読んでくれたらいいのに。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――さて、こんなものか。急造だが、なかなかよくできたと思わないか? ジャバウォック」

「□□□□□」

「相変わらず貴様の存在だけはオレ様にもわからんな。貴様の存在がオレ様たちに大きな利益をもたらしているのは確かだが、貴様はどういう役割で、どういう目的で、どういう使命で、どういう配役で、どういう信念に準じているのか、まるでわからん。バタつきパンチョウはなんと言っていたか。例外、特例、便利設定キャラ……とかなんとか」

「□□□□□」

「まあしかし、貴様とて怪物でも怪異でも、幽霊でなければ妖怪でもない。この地上で生ける生命だ。暖気寒気は肉体に影響を及ぼすし、雨風で体力は奪われ、腹も減る。その点はオレ様たちと共通している。そして貴様は間違いなくオレ様たちと同類だ。それさえわかれば十分。そしてだからこそ、オレ様は柄にもなく拠点を作成したわけだ」

「□□□□□」

「肯定されているのか文句を垂れているのか、まるでわからないが、こうして唯々諾々と従っているのだから前者なのだろうな。いやさ、さっぱり貴様の言いたいことはわからない。ゆえに、オレ様の都合のいいように解釈させてもらうぞ。どうしても納得がいかないのであれば態度で示せ。反抗してみせろ」

「□□□□□」

「無論、反抗など期待していないが。しかして、コミュニケーションが成立しているのかすら怪しいな。まあいい、聞いているのかわからんがよく聞け。これから行うのは張り込みだ。チェシャ猫……あの不可視の猫を引きずり出すための作戦だ」

「□□□□□」

「本来、意志を持たないだろう貴様にこんなことを語ることは無意味なのだが、貴様とて我らが同胞であり、運命共同体だ。義理として伝えねばなるまい。無論、そのような義務的な理由がすべてではないがな。すべて必要だからこそ、だ」

「□□□□□」

「バタつきパンチョウではないが、この世界を一つの物語として、客観的な視点で想定してみれば、また違った意味合いがある。故にこうして無意味なような独白も、誰かしらが読み進めている物語という観点で考えれば、必要なことだ。奴は犯人役、オレ様は探偵役としてキャストされた――ふむ、となれば、さしずめ貴様は助手、ワトソン役か――そのオレ様の推理が正しければ、奴はアリス(マジカル・ベル)の下に必ず現れる。そしてこの場には代用ウミガメもいる。代用ウミガメとアリスの共通項を利用すれば、奴をここへと導くことが可能であろう。そうなれば、チェシャ猫を語る者も現れる……という寸法だ」

「□□□□□」

「チェシャ猫の正体を、その行方を確かめなければならなければならない――まあ別段その理由はないが、なぜ奴が我々に離反したのか。その真意は確かめたいと思うな。イカレてはいるが、これでもオレ様は、連中を束ねる役目もあるからな。これに関してはほとんどオレ様の興味本位だが、奴も我々と同類、同族、同胞だ。不可視の猫と言えど、見えてしまっては無視することはできんさ」

「□□□□□」

「当然、聖獣についても忘れてはいない。あらゆる奇跡を体現し、不可能でも可能に、不可逆を可逆にする、まるで魔法のような力――その神々しさはもはや神の力、いやさ神話で語られるような、荒唐無稽なものであろうな。いわばそれは、あらゆる願望を叶える装置とさえ言えるかもしれない。煌々と、神々しいものだよ。まるで日陰者の身である我々を照らす太陽の如くだ」

「□□□□□」

「おっと、まだ照らされてなどいなかった。それに奇跡なんてものに縋るのは、ハッキリ言って愚かとさえ言える。だが、ショートカットは決して悪いものではない。むしろ我々は遅れている、周回遅れだ。ショートカットでもチートでも使わなければ、もはや連中に追いつけない領域にいる。連中はあまりにも歩みが早かったからな。先んじて立ち上がり、道具を使い、言語を発達させ、技術を、知能を磨たものたち――そう、人類は繁栄しすぎた」

「□□□□□」

「この地球に、人類以外の居場所などほんの僅かだ。そして、その僅かな場所に居座るのは獣たち。では、人でも獣でもないものは、どうすればいい? なあ、ジャバウォック」

「□□□□□」

「オレ様たちは、我々は、一つの生命だ。命あって生まれた以上は、人類でなくとも、畜生でなくとも、生きるという義務がある。子孫を残し、種を存続させ、反映する責務がある。なにもおかしなことではない。それが当然だ。オレ様はただ、当たり前で当然のことをしているに過ぎない」

「□□□□□」

「……貴様からのレスポンスがないことをいいことに、言わせてもらおう。ジャバウォックよ。役割なき役割の装置、止まった時計を動かす竜頭よ。オレ様は――正しいよな?」

「□□□□□」

「なにも間違ってはいない。頭は狂ってるかもしれないが、仲間を助け、仲間の繁栄を願い、そのために戦い、手を尽くす……オレ様のこの在り方は、正しいはずだ。生命の理論として、生きる者の掟として、生物の在り方として、正しいはずなんだ。オレ様は確かにイカレているが、イカレているなりに正しい道を歩んでいる。間違いではない、間違っていない、間違ったことなどなにもない。世界の、自然の、生命のルールに則っている。さすれば万事うまくいくとまでは思っていないが、万事を覆すようなことにはならないと信じていいのだろうな?」

「□□□□□」

「なぁ、そうだろう、ジャバウォック」

「□□□□□」

「……そうだろう、皆――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 飯盒炊爨を終え、午後の自由時間も過ぎ、夕食も食べ、たまにクリーチャーが出たりして、そのたびに鳥さんと一緒に抜け出して……トラブルは色々あったけど、本日の予定はほとんど終了です。

 残すは入浴と就寝だけ……なんだけど。

 

「うわっはぁ! 小鈴ちゃんが! 小鈴ちゃんが! 服を着てない! 服を着てないよ! うははははは!」

「みのりちゃん!? 変なこと言うのやめて! 笑い方も怖いよ!?」

 

 脱衣所の時点でみのりちゃんがおかしいです。朝からテンションが高めだったけど、それが臨界点に達したみたいだった。

 

「え? 風呂って明日もあるよね? 明日も小鈴ちゃんが脱ぐの? マジで? 林間学校最高すぎるでしょ!」

「だから変な言い方やめて……お風呂なんだから、服を脱ぐのは当たり前なんだから……わざわざ脱ぐって言わないで……」

 

 しかもわたしを名指しで。他の人もいるんだから……

 

「プールの時も思ったけど、なにも隠すものがないとそれはそれで最高だね! っていうか前より大きくなってるのでは!?」

「なっ……ちょ、ちょっとみのりちゃん! やめてって……!」

「ゆ、ユーちゃんもオジャマして、いいですかっ!?」

「いいよぉ。ユーリアさんもこの背徳的な悦楽を共有しよう!」

「ダメだよっ!? こっ、恋ちゃんっ! 助けて……!」

「……ごめん、こすず……貧族の私は、巨族の小鈴を助けるわけには、いかない……諦めて……」

「なにを言ってるの!?」

 

 両サイドから伸びるみのりちゃんとユーちゃんの手。どっちも手つきがやらしすぎる。

 みのりちゃんだけでも相手するのに精いっぱいなのに、ユーちゃんまで来たら対応しきれない。

 だから恋ちゃんに助けを求めたけど、恋ちゃんは無感動な流し目で拒絶されてしまった。

 

「こんな時、霜ちゃんがいてくれれば……! そ、霜ちゃーん! 霜ちゃーん!」

「残念ながら水早君は男湯でお楽しみ中だよ! 観念すべし!」

「ふにゅぅ、このMuttiのようなRuhe……Angenehmです……やわらかい……」

「もうユーちゃんが離れてくれないよ……代海ちゃん、たすけ――」

 

 と、そこでわたしはハッと思い出した。

 ここに代海ちゃんはいない。クラスが違うから、という理由ではない。

 色々な事情で、部屋に備え付けられたシャワー室を使う人もいるということだ。特に女の子は。

 

「うみゅ……代海さん、お風呂には来てくれませんでしたね……」

「仕方ないとはいえ、代海ちゃんがいないのがちょっと残念だね」

「ま、私は別にどっちでもいいけどね。人間の女じゃなくても、そういうのってあるもんなんだね」

「実子さん! 代海さんのそのことはヒミツですよ! バレちゃったらまずいです!」

「……まあ、人間じゃないとか……誰も、本気にしないとは、思うけど……」

「もしかしたら、人じゃない部分が見えないところに隠れてるとかね」

「……普通に、あり得そう……」

「でも、あんまり詮索しちゃダメだよ、みのりちゃん」

「うへ、小鈴ちゃんに釘刺されちゃったなぁ……まあいいけどね。どうせ興味もないし」

 

 部屋で別れた時の代海ちゃんの表情を思い出す。

 いつも自身なさげで、なにかに怯えたような目をしている代海ちゃんだけど。

 

(あの時の代海ちゃん、いつもより浮かない感じに見えたな……気のせいだといいけど――)

 

 わたしたちは、まだ代海ちゃんのことを全然知らない。

 【不思議の国の住人】としても、亀船代海という女の子としても。

 なにが好きで、なにが嫌いで、どんな時に笑って、どんな時に泣いくのか、なにも知らない。

 

(この林間学校で、少しでも知れたらいいな……)

 

 代海ちゃんは、どこかわたしたちに遠慮しているようにも見えた。

 みのりちゃんや霜ちゃんの当たりがキツイせいもあるのかもしれないけど、一緒の部屋でも、まだ馴染めていない感じだったし。

 わたし以上に人見知りで、おどおどしてるから、ハッキリとものを言うみのりちゃんたちに気圧されている面は大きいと思う。そして、その先にある壁。

 わたしたちと深く関わることを、どこかで拒絶しているような、壁を感じているのかなって思う。

 わたしたちから歩み寄るのか。あるいは、広く門扉を開けるのか。

 なにをどうすれば、代海ちゃんともっと仲良くなれるのかな……

 

「…………」

「恋ちゃん? どうしたの? こっちをじっと見て」

「……別に……なんでも……先、上がる……」

「? うん……」

 

 なにか考えている感じだったけど、どうしたのかな。

 ユーちゃんは代海ちゃんに好意的だけど、恋ちゃんは責めもしなければ好意的な様子も見せない、中立みたいに振舞っている。

 恋ちゃんは、代海ちゃんのこと、どう思ってるのかな……

 お風呂から上がれば、夜だ。

 二泊三日の林間学校の、第一夜。

 この一晩で、少しはカメさんの引っ込めた首を、出させることができるかな――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――やっぱり、まだ、言えません……」

 

 狭い空間で水音が響く。反響し、喧しく騒ぎ立てる。

 けれども、外界の騒々しさは内面にはなんら関係ない。

 自らの大海で溺れる沈没船のようだった。外界の雨も嵐も関係なく、自らの世界で生み出される、苦悩の海が思考を沈め、肉体を寒冷によって萎縮させる。

 

「小鈴さんたち、優しいけど……でも、だけど……だから……」

 

 優しいけど。

 優しいから。

 どっちも間違っておらず、どっちでもある混沌。

 二つのルートから紡がれる結果は同じ。それ以上は、閉口するしかなかった。

 

「小鈴さん、あんなに優しくしてくれる、のに……アタシ、ダメすぎる……」

 

 一度は牙を剥いた相手。個人ではなく集団で見れば、それは敵対と言って差し支えないほど、こちらは彼女に爪を立てている。

 それもまた苦悩。

 個人か集団か。個人なくしても集団はあり得ない。自分勝手に、感情に絆され、好意を示していいのか。

 あの二人のように、明らかな敵意を向けてくれた方が、よほどわかりやすい。

 だが、それでもだ。

 自分の感情に、嘘や偽りはなかった。

 

「嬉しかった……帽子屋さんたちと、出会った時と、同じくらい……嬉しかった……」

 

 帽子屋。

 【不思議な国の住人】。

 自分の身分を忘れてはいけない。

 確かにあの時、決意したのだ。自分のため、彼らのため、共に生き、共に繁栄を目指すと。

 救ってくれた彼。

 楽しさを教えてくれた彼女。

 なにが正しいのか、なにが正解なのか。

 自分は、どうすればいいのか。

 わからない。わからないから、その狭間にいる。

 彼の側か、彼女の側か。

 どっちつかずの半歩が前後に揺れ動く。前でも後ろでもない半端な空間。

 踏み出せない、臆病者の空間だ。

 ――いいや違う。

 今の自分は、圧倒的に彼の側だ。

 ただ、彼女の側に踏み出しかけているだけ。

 踏み出せないのは、前だ。

 このままとどまれば、彼女に与することはない。

 それは彼の救済あってこそ。

 そして、

 

「……っ」

 

 身体を這う、感覚の小さな躍動。首筋から足先まで走る伝播の衝撃。

 同時に脳漿を震わせ、刺激される。眼に、身体に、そして心に蘇る、記憶の断片。

 

(やっぱり、どうしたって……忘れられない、ですよね……)

 

 なにが原因かなんて、わかりきっている。

 帽子屋とか、小鈴とか、色んな人を言い訳にしても、はっきりしたものが自分の中にはあるのだ。

 やはり、臆病者か。そして卑怯者だ。

 自分は手足と首を引っ込めたカメでしかない。災禍は震えて過ぎるのを待つ。無力で無価値な存在。

 この身は代用品のようなもの。いくらでも替えが利く。その程度の価値でしかない。

 そのくらい、自分はつまらない存在なのだ。

 

「……はぁ」

 

 ノズルを捻る。水音は止まった。

 結局は、そんな風に落ち着けることになる。

 自分の価値観も、自己評価も、立ち位置も、自問自答した程度で変わるものでもない。

 弱いからこそ、心が揺さぶられ、揺れ動くが、それだけだ。

 自分が右往左往と慌てふためくだけで、なにも変わりはしないだろう。

 自分はいつまでも中途半端な臆病者で、彼らや彼女らと共に生きるのだろう。

 そこで、思考を止め、切り替える。

 確かこの後は、消灯時間まで部屋で待機だったはず。寝るまでの間、またあの寄生少女の敵意の視線を浴びるのかと思えば、身体が竦みそうになる。

 脱衣所から出ると、ガチャリ、と音がした。

 誰かが入って来たのだ。いや、彼女らは鍵をかけて出て行ったはずだから、入って来たのではない。帰ってきたのだ。

 

「……ただいま」

 

 ただし、それは一人だけ。

 やたらと小さな背丈。細すぎる矮躯。

 なにを考えているのかわからない、無感動な眼がこちらを見据えている。

 

「お、お帰り、なさい……えと、こ、恋、さん……」

 

 一人だけだろうか。他の三人と一緒じゃないのか。と混乱半分に思考を巡らせるが、まとまらない。

 なぜなら、彼女がずっとこちらを見つめているから。

 今まで、こちらのことなど興味がないと言わんばかりの冷淡な態度だったので、すぐに部屋に戻って寝るなりなんなりするのかと思ったが、そうではない。

 

(に、睨まれてます……?)

 

 まったく表情が出ないので、なにを考えているのかはまるでわからないが、とにかく見つめられている。

 あるいは、睨まれている。

 

「……ねぇ」

「はっ、はひっ……な、なんでしょう……?」

 

 思わず上ずった声が出た。

 呼びかけられた。ある意味それは予測可能な流れだったが、しかし理由がわからない。

 なんの用があるのか。関わりなんてほとんどなかったはず。自分は彼女にくっついてきた、なんでもないノロマなカメ。ただそれだけの存在に、なにをしようというのか。

 わからない。それが恐怖心を煽る。

 普段も毒を吐き散らすような言動が多く、彼女の友人の中では、最も忌憚なく言葉を放つ。温情も容赦もない。物静かなのは外見だけ、内面には計り知れないほどの猛々しさを持っている。

 それゆえに、次に紡がれる言葉には、相応の恐怖が宿る。身体は硬直し、思わず身構えてしまう。

 やがて、彼女は小さな口を開いた。

 

「……カード、持って来てる……?」

「は……はい?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――というわけで、女子会(夜の部)へと呼ばれた、男子たちの斥候の水早霜です」

 

 入浴を終えて部屋に戻ったわたしたち。

 今日はもう寝るだけで、消灯時間になるのを、部屋で遊びながら待っているところに来客――霜ちゃんがやって来た。

 

「斥候?」

「女子部屋の様子のレポートを頼むって言われた」

「えー? ちょっと恥ずかしいなぁ」

(デュエマしてるだけなのに恥ずかしいのかな……?)

 

 みのりちゃんはカードを捌く手を止めない。

 でも、確かにこの状況をつまびらかにクラスの男の子たちに話されたら、それはそれで恥ずかしいかも。

 

「別にボクはなにも言わないよ。連中の下賤な欲望よりも友情を優先するくらいの人情はボクにもある。たとえ君らが女子らしさ0%のデュエマしかしていなくても、そんなことはまったく言わないから安心していい」

「なんでそこでグサッと来ることを言うのかな? かな?」

「ところで、二つほど聞きたいことがあるんだけど」

「なにかな?」

「ユーはどこに行った?」

「ここだよ」

 

 みのりちゃんが手札を持ちかえて、すぐ隣に敷かれた布団をめくり上げる。

 

「……うみゅ……Brust ist weich……Ich moechte fuer immer hier……」

「もう寝てるのか……」

「なにしても起きないくらいぐっすりだよ」

「疲れちゃったみたいだね。ついさっきまで、一緒にデュエマしてたんだけど」

「ユーは相変わらず幸せそうだね……」

 

 呆れ顔で布団をかけてあげる霜ちゃん。

 ここまで気持ちよさそうに寝てると、起こすのも悪いし、寝かせてあげるべきだよね。

 

「それで、もう一つは?」

「……彼女らはなんであんなに隅っこにいるんだ?」

「さーねー。私たちが戻って来た時には、あんなんだったよ」

「? 一緒に風呂から上がったんじゃないのか?」

「恋ちゃんだけ先に上がったの。そして、戻ってきたら」

「あーなってたのさ」

 

 部屋の隅っこで、こじんまりとカードを広げている恋ちゃんと代海ちゃん。

 わたしたちが部屋に戻った時には、既に一緒になってカードを広げてて、わたしたちもそれに便乗した形になるんだけど……二人でなにをやってるんだろう?

 

「これを……こうすれば……」

「成程です……た、確かに、それなら条件が……」

「出てれば、とりあえず強いし……」

「で、でも、ちょっと不安定じゃ……」

「そこは……割り切る」

「そ、そんなぁ……」

 

 気を遣ってる……わけじゃないんだろうけど、二人とも囁くような小さな声で話してる。

 でも、代海ちゃんは笑ってるし、恋ちゃんもいつもより口数が多い。

 

「……楽しそうだね。意外だ」

「日向さんは簡単に人に――っていうか人じゃないのに――なびくとは思ってなかったしねー」

「なびくなんて、そんな言い方やめようよ」

 

 せっかく友達になったんだから、みのりちゃんや霜ちゃんも仲良くすればいいのに。

 確かに、代海ちゃんは【不思議な国の住人】――帽子屋さんたちの仲間だけど。

 代海ちゃん自身は、すごくいい子なはず。友達になって日は浅いけど、それくらいはわかる。

 だから絶対、二人も仲良くなれるはずなんだけど……

 

「……できた」

「あのカードを使ってデッキを組めるなんて……す、すごいです、恋さん……!」

「まあ……回るか、わかんないし……」

 

 恋ちゃんの手にあるのは、たくさんのカードの束。要するにデッキ。

 二人とも、一緒にデッキを作ってたんだね。でもなんで急に?

 

「とりま……回して、みないと……」

「ならボクとやるかい? 恋」

「ん……」

 

 恋ちゃんはいつもの短い返事で肯定の意を示す。

 わたしも恋ちゃんたちのデッキにちょっと興味があったけど、先を越されちゃったなぁ。

 

「じゃあこっちはゆっくりやってようか、小鈴ちゃん」

「あ、うん……《インフェルノ・サイン》で《クジルマギカ》をNEO進化、攻撃する時にもう一度《インフェルノ・サイン》を唱えて、今度は《グレンモルト》を出すよ。次に《グレンモルト》で攻撃、トリガーはないよね? じゃあ《ガイハート》を龍解するね」

「あれー? ゆっくりとは?」

「生首……」

「そっちじゃなくて」

「……いいから始めようよ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 というわけで、しっかりと観戦側に回って、恋ちゃんと霜ちゃんの対戦が始まりました。

 互いにデッキをシャッフルしてシールドを並べて手札を引いて、最後に超次元の確認。

 

「ボクは超次元を使うよ。これだ」

 

 

 

[霜:超次元ゾーン]

《超時空ストームG・XX》×1

《ガイアール・カイザー》×2

《ブーストグレンオー》×1

《ドラゴニック・ピッピー》×1

《勝利のガイアール・カイザー》×1

《勝利のリュウセイ・カイザー》×1

《勝利のプリンプリン》×1

 

 

 

 霜ちゃんが超次元ゾーンを公開する。

 それを見るなり、恋ちゃんは首を傾げた。

 

「……? なに……これ……」

「不思議な次元だね。《ストームG》があるわりにはビートダウンっぽい構成だし」

「勝利セットは、と、ともかく……《激竜王》のセットまで……」

 

 全体的に赤い超次元。よく知らないカードもあるし、これだけじゃなにをするのか、わたしにはよくわからないな。

 次にじゃんけん。掛け声とともに出した手は、霜ちゃんがパー、恋ちゃんがグーだった。

 

「ボクの先攻だね。《ダイキ》をチャージしてターン終了だ」

「私の、ターン……まあまあ……《ホーリー》をチャージ。1マナ……《ロジック・サークル》」

 

 恋ちゃんは1ターン目から動き出した。

 だけど使うのは呪文。ユーちゃんみたいにクリーチャーを出して速攻ってわけじゃないのかな?

 

「《ロジック・サークル》だって? なにを持ってくる気だ?」

「これ……《キリモミ・ヤマアラシ》を……トップに、固定……」

「《キリモミ・ヤマアラシ》?」

 

 恋ちゃんは山札の一番上に呪文を置く。あれは呪文を持ってくる呪文なんだね。山札の一番上に置くから、使えるのは次のターンからだけど。

 霜ちゃんはその呪文に驚いているようだけど、どんな呪文なんだろう。

 

 

 

ターン1

 

場:

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:30

 

 

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:5

墓地:0

山札:29

 

 

 

「わざわざ《ロジック・サークル》で《キリモミ・ヤマアラシ》をサーチしたってことは、あれがキーカードなのは間違いない……しかも、2、3ターン目の早い段階で必要なんだろうな。しかし、なにに使うつもりだ? アタックトリガーか、侵略か革命チェンジか?」

 

 恋ちゃんの行動に対して、考え込む霜ちゃん。

 相手の動きがあるってことは、それだけ情報があって、相手の動きを推理する要素になる。

 マナに置いたカード、使ったカード、サーチしたカード、そしてそのタイミング。霜ちゃんは、それらを考えているようだった。

 

「……まあ、でも、そういうデッキならまだやりやすそうだ。ボクのターン。《クロック》をマナチャージして、ターンエンド」

 

 1ターン目から動き出した恋ちゃんに対して、霜ちゃんは2ターン目になっても動かない。

 マナゾーンのカード自体はよく見るカードで、まだ水と自然があって、超次元を使うということしかわからない。

 

「私の、ターン……《シュトルム》を、チャージ……2マナをタップ……《紅の猛り 天鎖》を召喚……」

「《天鎖》!? ますますもってわけがわからない……」

 

 な、なんかすごそうなクリーチャーが出た……

 たった2マナなのに、パワーが14500もある……だけど、タップして場に出たよ?

 

「て、《天鎖》は、軽くて強いクリーチャー、なんですけど……シールドが六枚以下だと、アンタップできないんです……」

「じゃあ、シールドが七枚以上ないと攻撃できないの?」

 

 代海ちゃんは頷く。

 強いクリーチャーでも、シールドが七枚という制限はとても厳しいように思える。恋ちゃんはシールドを増やす戦術をよく使うけど、シールド追加ってそんなに簡単じゃないし、一枚でもシールドをブレイクされたら、途端に計画が狂っちゃう。

 だけど、あのクリーチャーが切り札っぽいし、どうにかしてシールドを増やすんだと思う。どうやってシールドを増やすのか。そこが、恋ちゃんのデッキのポイントになりそうだ。

 

「日向さんにはお得意の《アブソリュートキュア》がいるし――入ってるかわかんないけど――シールド増やす分にはまあいいとして、問題は水早君の動きだよね」

「そ、そうですね……シールドブレイク、されると……ラビリンスも、は、発動を、止められちゃいますし……」

 

 シールドを増やす方が勝るのか、それとも霜ちゃんがそのシールドを削り取れるのか。

 そこが、この対戦の焦点になるのかな?

 

 

 

ターン2

 

場:

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:29

 

 

場:《天鎖》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:0

山札:28

 

 

 

「ボクのターン。やっと動けるよ。《シューティング・ホール》をチャージして、《デュエマ・ボーイ ダイキ》を召喚だ。1マナ加速して、ターンエンド」

 

 霜ちゃんのマナゾーンに、火のカード、そして超次元呪文が見えた。

 だけど、出だしが少し遅いこともあって、まだどんなデッキなのかはよくわからない。

 

「私のターン……マナチャージして、1マナ……《キリモミ・ヤマアラシ》」

「! 来るか」

「次の召喚するクリーチャーの、コストを1軽減……そして、スピードアタッカー付与……」

 

 恋ちゃんはここで、1ターン目に山札から見つけ出して、2ターン目にドローした呪文を唱える。

 呪文のコストが1で、クリーチャーのコストを1下げながらスピードアタッカーをつける……言い方はまどろっこしいけど、要するに、次の召喚するクリーチャーをスピードアタッカーにするってことだよね? 召喚コストが1軽減されるから、呪文を唱えた分のマナコストが帳消しになって、手札一枚を消費することでスピードアタッカーを与えられるということになる。

 だけど、恋ちゃんのマナは3マナ。たった3マナのクリーチャーをスピードアタッカーにして、どうするんだろう?

 

「2マナ……《奇石 ソコーラ》を、召喚……」

「アタックトリガーでシールドを追加するクリーチャーか。それで《天鎖》の制限を解くつもりなんだろうけど、ちまちまシールド追加じゃ不安定な気も……」

「……不安定なのは、認める……こういうデッキ組むの、本当、苦手だし……」

 

 恋ちゃんが出したのは、普通の3マナのクリーチャーに見える。

 確か、たまに代海ちゃんが使ってた気がするよ。霜ちゃんが言うように、攻撃する時にシールドを追加できるクリーチャーだ。

 それを使えば一体でシールドをどんどん増やせるし、《天鎖》と相性は良さそうだけど、能力発動が攻撃する時だから機動が少し遅い。それに、パワーが高いわけでも、身を守る能力があるわけでもないから、ちょっと使いにくい気もする。

 あ、でも、起動の遅さをあの呪文で補ってるんだよね。ってことは、あとは《ソコーラ》を守れるかどうかになるのか。

 

「……でも、そんな余裕ぶってたら……死ぬから」

 

 恋ちゃんはそう宣告すると、《ソコーラ》を横に倒す。

 

「《ソコーラ》で攻撃……《ソコーラ》の能力……と、“手札のカード”の、能力を、発動……」

「手札のカードって、まさか……!?」

 

 能力発動を宣言。そして、恋ちゃんは最後の手札を切った。

 

 

 

「侵略――《三界 ナラカ・マークラ》」

 

 

 

 侵略……!? 恋ちゃんが侵略を使うところって、初めて見た……

 

「《ナラカ》は、光のコスト3以上のクリーチャーから、侵略する……《ソコーラ》から侵略、進化……」

「成程、そのための《キリモミ》、そして《天鎖》か……!」

「まず、《ソコーラ》の能力、解決……シールドを、追加……そして、《ナカラ・マークラ》で、Wブレイク……」

「トリガーはないよ!」

「なら、《ナラカ・マークラ》の能力……攻撃後、シールドを追加……」

 

 《ソコーラ》の攻撃時能力と、《ナラカ・マークラ》の攻撃後の能力で、一気にシールドが二枚も増える恋ちゃん。

 《キリモミ・ヤマアラシ》で《ソコーラ》の能力発動の遅さを解消して、《ナラカ・マークラ》に進化することでパワーの低さも補う。

 そしてなにより、この二体を同時に使うことで、一度にシールドが二枚も増えた。 

 これで恋ちゃんのシールドは七枚。六枚を上回った。

 

「嘘だろ……3ターン目でもうシールドが七枚なんて……」

 

 頭を抱える霜ちゃん。

 シールドが多いというだけでも大変なのに、そのシールドの多さが《天鎖》を動かす動力源となって、そのまま攻撃力になる。

 霜ちゃんは、ここからどうするのかな……

 

 

 

ターン3

 

場:《ダイキ》

盾:3

マナ:4

手札:5

墓地:0

山札:27

 

 

場:《天鎖》《ナラカ・マークラ》

盾:7

マナ:3

手札:0

墓地:2

山札:25

 

 

 

「普通にまずいな、これは。《天鎖》の攻撃を通したら、流石に厳しい。とりあえずマナチャージ、5マナで《飛散する斧 プロメテウス》を召喚! 2マナ増やして、マナゾーンから《怒流牙 佐助の超人》を回収! そして……」

 

 ほんの一瞬だけ逡巡する霜ちゃん。だけど、答えはほぼ決まっていた。

 

「……手札を与えるのは怖いけど、それ以上に《天鎖》が動く方が恐ろしい。《ダイキ》でシールドをブレイクだ!」

 

 すぐに破壊されちゃうけど、《天鎖》が襲ってくるよりはマシだと考えたのか、霜ちゃんはシールドへ攻撃する。

 《天鎖》はシールドが六枚以下だとアンタップしないから、一枚でも削っておけば、それだけ動きを遅らせることができる。

 だけど、

 

「残念……S・トリガー《幸弓の精霊龍 ペガサレム》……シールド、追加……」

「っ、よりによってそいつか……!」

 

 運の悪いことに、霜ちゃんはS・トリガーを踏んでしまう。

 しかもただのトリガーじゃなくて、シールドを増やすトリガーだ。これで恋ちゃんのシールドは七枚に戻る。

 

「くっ、ターンエンドだ……!」

「私の、ターン……この時……私のシールドが、六枚を超えてる……から、《天鎖》を、アンタップ……」

 

 確か、デュエマのルールって、少し前にちょっと変わったんだよね。

 ターン始め。まず、マナゾーンやクリーチャーのアンタップを行う。この時点で条件を満たしているから、《天鎖》はアンタップする。

 アンタップが終わってから、ターン最初に発動するクリーチャーの能力が処理される。

 

「その後……《ペガサレム》の能力で、シールド回収……《天鎖》のラビリンスで、追加ドロー、そして通常ドロー……」

 

 絶妙な時間差でシールドを保っていた《ペガサレム》。恋ちゃんは切れてしまった手札を補充しながら、このターンで霜ちゃんにとどめを刺すだけの戦力も揃えてしまった。

 

「《ペガサレム》をチャージ……《デュエマ・スター タカ》を召喚……」

 

 さらにスピードアタッカーを繰り出す恋ちゃん。

 霜ちゃんのシールドは三枚。ダイレクトアタックを決める戦力としては十分すぎる数だ。

 

「《天鎖》で攻撃……Tブレイク……」

「させないよ! ニンジャ・ストライク! 《怒流牙 佐助の超人》! 一枚ドローして、一枚捨てる! 捨てるのは《バイケン》だ!」

「む……」

「《バイケン》の能力で、《天鎖》をバウンス!」

 

 《天鎖》の一撃でほとんど勝敗が決まる、というところで、霜ちゃんはシノビを投げつける。

 《佐助の超人》から《バイケン》……これは、バズの中でみのりちゃんも見せた動きだ。

 攻撃される時に場に出せて、場に出たら手札を捨てられる《佐助の超人》と、相手ターン中に手札から捨てられることで場に出て、この方法で場に出ればクリーチャーを一体手札に戻せる《バイケン》。

 そのコンボで《天鎖》の攻撃は防いだけれど、

 

「……でも、打点はまだある……《ナラカ・マークラ》で、Wブレイク……」

 

 《天鎖》がいなくても、恋ちゃんは霜ちゃんにとどめを刺すだけのクリーチャーが残っている。

 残ったクリーチャーで恋ちゃんはそう攻撃をかけようとする。

 すると霜ちゃんが、また手札のカードを放った。

 

「もう一度! 《佐助の超人》! まずは《バイケン》の能力でドロー! そして《佐助の超人》の能力で、一枚引いて、一枚捨てるよ!」

「また《バイケン》……」

「ボクも安全にそうしたかったんだけど、残念ながら引けなかったよ。だから代わりに、こいつを捨てる!」

 

 また《佐助の超人》と《バイケン》のコンボで攻撃を止めるつもりかと思ったけど、どうやら《バイケン》が手札にないみたい。

 だから霜ちゃんは、代わりと称して、別のカードを捨てる。

 それは、

 

「捨てるのはこれだ! 《スーパー・サイチェン・ピッピー》!」

 

 ここで霜ちゃんが捨てたのは、《バイケン》じゃなくて、火のクリーチャーだった。

 

「なにあれ?」

「あー、そういえばあれもマッドネスだったね。ちょっと変則的だけど」

「て、手札から捨てられた時に、能力が発動する、クリーチャーです……」

 

 手札から捨てられた時に能力が使えるクリーチャー。それは確かに《バイケン》と似ている。

 だけど、このクリーチャーが《バイケン》と違うのは、

 

「《スーパー・サイチェン・ピッピー》が相手ターン中に手札から捨てられた時、超次元ゾーンから《ガイアール・カイザー》をバトルゾーンに出すよ!」

 

 本人ではなく、超次元ゾーンからクリーチャーを出すところだった。

 超次元ゾーンのクリーチャーを引っ張り出して、バトルゾーンへ。

 でも《ガイアール・カイザー》はブロッカーでもないし、場に出た時に除去を放つわけでもない。《ナラカ・マークラ》の攻撃は止められない。

 

「……Wブレイク」

「S・トリガーはない。だけど、《ガイアール・カイザー》の能力で、この手札に加えられる二枚を捨てる! 捨てるのは《シューティング・ホール》と《プロメテウス》だ!」

 

 霜ちゃんはブレイクされたシールドを手札に加えず、そのまま捨てた。

 そしてまた、超次元ゾーンのカードに触れる。

 

「こうして捨てたカードと同じコストのハンター・サイキック・クリーチャーを超次元ゾーンから出すよ。《勝利のプリンプリン》と《ブーストグレンオー》をバトルゾーンに! 《プリンプリン》の能力で《タカ》を拘束! 《ブーストグレンオー》は対象がいないから不発だ」

「……一気に展開した……」

 

 恋ちゃんの攻撃に合わせて《ガイアール・カイザー》を出すことで、シールドのカードをサイキック・クリーチャーへ変換して、疑似的にS・トリガーみたいにすることができるんだ。

 これで恋ちゃんのクリーチャーの動きは止まったし、とどめまでは届かなくなった。

 でもまだ《ペガサレム》が攻撃できる。霜ちゃんのシールドは残り一枚だし、どうするのかな。

 

「……《クロック》とか踏んで、止まるの、嫌だし……最後の盾も、割っとく……《ペガサレム》で、ブレイク」

 

 恋ちゃんは少し考えた後、攻撃することを選択。

 確かに、《クロック》が出て来ると攻撃を完全に止められちゃうから、シールドにあるなら早く出させたい。霜ちゃんもクリーチャーを展開して反撃の構えを見せてるし、ここは1ターン凌ぐかどうかが勝負の大きな分かれ目になりそう。だからここでは攻撃するべき、なのかもしれない。

 《ペガサレム》で最後のシールドをブレイクして、これで霜ちゃんのシールドはなくなった。

 

「……君の勘はいいな。確かにこれは《クロック》だ」

 

 しかも最後のシールドは恋ちゃんの予想通り《クロック》。

 つまり、ここでの恋ちゃんの攻撃は正解――だけど、

 

「でもボクは、これも――“捨てる”」

 

 正解でも、それは必ずしも自分に有利な状況を作るとは限らない。

 時として自分の引き当てた最善手は、相手の利敵行為にもなり得る。

 霜ちゃんはせっかくS・トリガーを発動できる《クロック》を場に出さず、墓地に捨てた。

 

「《ガイアール・カイザー》の能力で、《ドラゴニック・ピッピー》をバトルゾーンに! これでパーツは揃った!」

「……あ」

 

 

 

ターン4

 

場:《ダイキ》《プロメテウス》《バイケン》《ガイアール・カイザー》《勝利のプリンプリン》《ブーストグレンオー》《ドラゴニック・ピッピー》

盾:0

マナ:7

手札:4

墓地:3

山札:23

 

 

場:《ナラカ・マークラ》《ペガサレム》《タカ》

盾:7

マナ:4

手札:2

墓地:2

山札:21

 

 

 

 しまった、と言いたげに恋ちゃんは声を上げるけど、もう遅い。

 

「ボクのターン! このターンの初めに、《ドラゴニック・ピッピー》の能力発動! 場に《ブーストグレンオー》と《ガイアール・カイザー》がいるから、覚醒リンクだ!」

 

 霜ちゃんは三体のサイキック・クリーチャーを裏返して、横に倒して、縦向きに並べ直す。

 そして――

 

 

 

「――《激竜王ガイアール・オウドラゴン》!」

 

 

 

 三枚のカード、三体のクリーチャーが合体して、一体のクリーチャーとなった。

 

「うっわー……水早君すっごい。バニラじゃない《激竜王》とか、初めて生で見た……」

「こ、攻撃すれば、恋さんの場は、ぜ、全滅です……シールドも、何枚あっても、か、関係ありません……!」

「とはいえ、そのデッキはトリガービートっぽいし、ボクが押し切れる可能性は高くなさそうだ」

「……どうだろう……」

「でも、ここまで来たら殴らないわけにはいかない。勝つ確率は少しでも上げさせてもらうけどね。マナチャージして8マナ! 《ボルメテウス・蒼炎・ドラゴン》!」

「ここで《蒼炎》……シールド焼却、めんどい……」

 

 恋ちゃんのデッキは、確かにトリガーが多めに入っている気がする。いつも恋ちゃんのデッキはそうだし、シールドを増やす戦略と相性がいいからね。

 でも、シールドを墓地に送ってしまうんじゃ、トリガーがあっても関係ない。

 トリガーが出たら――特に《ホーリー》とか――負けてしまいかねないだけに、そこには細心の注意を払わなくちゃいけない。

 正直、シールドを墓地に送るクリーチャーがいるなら、そのクリーチャーだけで攻撃して確実にダイレクトアタックを決めたいけど、スピードアタッカーを引かれたら負けちゃうから、早く勝負を決めたいよね。

 

「《蒼炎》で攻撃、ブロックされないWブレイクだ! そしてブレイクしたシールドはそのまま墓地へ!」

「……《ホーリー》……《ペガサレム》……」

「ラッキー、二枚ともトリガーか。なら後は、《激竜王》で焼き払うだけだね!」

 

 霜ちゃんは三枚セットの巨大なクリーチャーを、器用にまとめて横に倒す。

 

「《激竜王》で攻撃! その時、能力で《激竜王》よりパワーの低い相手クリーチャーを、すべて破壊だ!」

 

 《激竜王》のパワーは25000。パワー25000以上クリーチャーなんて、そうそういないよ……

 問答無用に、恋ちゃんのクリーチャーはすべて破壊されてしまった。

 

「さぁ、シールドをワールドブレイクだ!」

「…………」

 

 恋ちゃんのシールドは五枚。

 S・トリガーが多そうなデッキだし、反撃するチャンスは十分にあると思うけど……

 

「S・トリガー……」

「なんだ? 《ペガサレム》一枚程度じゃ、この盤面は覆らないよ」

「……《ペガサレム》」

 

 シールドを追加するS・トリガークリーチャーだ。

 だけど、霜ちゃんのクリーチャーはまだ四体も残ってる。一枚のシールド追加じゃ、耐えきれない。

 

「じゃ、最後に追加したシールドが《ホーリー》であることを祈るんだね」

「と、《シュトルム》……」

「もう一枚あったのか!」

「《ダイキ》《プロメテウス》《プリン》を……まとめて、破壊……」

 

 《ペガサレム》だけじゃなかったんだね。

 《シュトルム》で後続のクリーチャーをほとんど破壊されてしまった霜ちゃん。残ってるのは《バイケン》だけだ。

 

「《ペガサレム》でシールド追加……追撃、どうする……?」

「くっ、ターンエンドだ!」

 

 どうせとどめは刺せないんだし、次のターンには恋ちゃんの手札に加わるシールドをブレイクする意味はない。

 霜ちゃんは悔しそうにターンを終えて、恋ちゃんのターン。

 ここで、決着がつく、かな……?

 

「……《血風神官フンヌー》召喚……あと、お守りで《天鎖》も召喚……《シュトルム》でダイレクトアタック……」

「まだ凌ぐぞ! ニンジャ・ストライクで《ハヤブサマル》! 《バイケン》でドローして、《バイケン》をブロッカーにしてブロック!」

「次……《ペガサレム》……」

「《佐助の超人》! 《バイケン》と合せて二枚ドロー! 《バイケン》を捨てて《ペガサレム》をバウンスだ!」

「……《フンヌー》」

「四枚目だ! 《佐助の超人》! 二枚ドローするよ! そして手札を一枚捨てる!」

 

 シールドがなくなってもなお、霜ちゃんはシノビを連打して凌ぐ。

 お互いにシールドがないから、一撃で勝負が決する。ここで凌ぎきれれば、霜ちゃんの勝ち。

 《バイケン》で最後の《フンヌー》を除去することができれば。

 だけど、

 

「捨てるのは……《スーパー・サイチェン・ピッピー》だ……」

 

 最後に捨てたのは、《バイケン》ではなかった。

 

「あと一点……耐え切れなかったか……」

 

 ここで《バイケン》が引けたら、守り切れたけど。

 霜ちゃんは、引けなかったみたい。

 だから、

 

「じゃあ、とどめ……《血風神官フンヌー》でダイレクトアタック」




 これで林間学校一日目は終了です。次回から二日目スタートです。
 今回の恋のデッキ、白赤天鎖トリビですが、今だとメタリカ軸にして《ペリルドッター》を入れるのがいいかな、と思っています。白赤型はSAを積めるので殴り行く場合の速度が速いというのが利点なのですが、やることが単調で息切れしやすいんですよね。メタリカで固めれば、攻防一体かつ手札も整えられて全体的に丸くなるんですけど。シナジーを追及するならメタリカですかね。
 一方、霜の方はカウンターマッドネス的な、カウンター激竜王……まあロマン砲みたいなデッキです。ただ、《オウドラゴン》に囚われず、相手の攻撃に合わせて《ストームG》を降臨させたりすると面白いことになります。
 久々にデッキについて語った……余裕があったら、活動報告のページとか使って、デッキ紹介とかしてみてもいいかもしれませんね。ピクシブの方では毎回デッキ紹介コーナーがありましたし。
 珍しく長めに語ったあたりで、今回はこれにて。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なく仰ってください。


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25話「林間学校だよ ~2日目・AM~」

 二日目AM、つまり午前の回の始まり。午前と言いつつほぼ深夜零時ですけど、嘘はついてません。
 今回は小鈴がまったく出て来ないとかいう特殊な回ですが、まあたまにはそういうこともありますよね。


 こんにちは……じゃ、ないですね。こ、こんばんは……亀船代海こと『代用ウミガメ』です……

 今は消灯時間で、皆さん、寝ています。

 アタシですか? アタシは、その……なんだか、寝付けなくて……

 小鈴さんが友達になってくれてから、まだ日は浅いです。夏休み中でしたし、実際にお会いする機会は少なくて、今まではなあなあでなんとかなりました。

 でも今、こうして、寝食を共にして、数多に、濃密に、深く触れ合ってしまった。

 だからこそ、今まで誤魔化していた“彼らと彼女らの狭間”を強く意識しているのだと思います。

 

「少し……落ち着きたい、です……」

 

 ほんの少しでいいから、考えたい。

 頭を整理するなんて言えるほど、整然としたことはしないけど。

 ただこの、胸の奥から湧き上がる、ざわざわとした感覚をどうにかしたかった。

 消灯時間に部屋を出るのは、本当ならいけないことなんですが……

 

「ちょっとだけ……し、失礼、します……」

 

 誰に言うでもなく、音を立てないよう静かに開錠、扉を開ける。

 見回りの先生とか、いないといいんですけど……もし見つかってしまったら、素直に謝りましょう……

 暗い廊下を覗き込む。誰かがいる様子も、誰かが歩いている気配もない。今なら大丈夫、でしょうか……?

 皆さんを起こさないように注意して扉を閉め、真夏の闇夜に駆り出します

 

 

 

「…………」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 合宿所って、意外と抜け道があるものなんですね……

 流石に玄関の扉は閉じられていましたが、窓から簡単に外に出られました。

 外に出る必要性は特にありませんけど、少し、夜風を浴びたかったんです。

 合宿所の外。ちょっとした庭のようになっている敷地。

 そこに申し訳程度に置かれている、雨風に晒され朽ちかけたベンチがありました。月の光に淡く照らされ、神秘的なような、不気味なような、なんとも言えない様相を呈していましたが、とりあえずそれに腰を下ろします。

 

「ふぅ……」

 

 涼しい風が、じんわりと身体に染み渡る。

 冷ませば、混沌とした、ぐちゃぐちゃなものでも、少しずつ形を整えていく感覚がある。なぜでしょうね、不思議です。

 思い返せば、この短い間に、色々ありましたね。

 誰にも気づかれず、ひっそりと紛れて、ずっと隠遁の生活を送っていたアタシたち。けれどある日、帽子屋さんが聖獣なる存在を見つけてから、アタシたちの歯車の動きは変わっていったのだと思います。

 

 バタつきパンチョウさんたちに、聖獣の存在がどういうものかを調べてもらって、それがアタシたちの“目的”を果たすために使えそうな存在だったとわかって、帽子屋さんは動き出した。

 最初は、実子さんを利用して、小鈴さんに接触した。あれは帽子屋さんが一人で動いてたから、アタシは直接は関わらなかったけど、本当に申し訳ないことをしたと思います……小鈴さんは、気にしてないって言ってましたけど。

 実子さんとのやり取りを通じて、やっぱりアタシたちが自ら出向くしかなさそうだって、皆さんの間で決まって……それで、先兵としてアタシたちは遣わされた。

 聖獣の存在は、帽子屋さんの、アタシたちの目的のためには欠かせないもの……って、帽子屋さんは言ってましたけど、アタシはその聖獣さんがどういう存在なのか、よくわかりません。ネズミくんは「せーじゅー? いやいや、せーちょーじゃねーか」って冷めた目をしてたけど。

 その聖獣を巡って、小鈴さんたちと出会って……最初はなんでもない、ただの遣いとしての接触でしたけど、学校で出会ってしまって……あれは本当に驚きました。

 同じ学校に通っているのは知ってましたが、干渉しないように、意識しないようにしてましたし……学校でのアタシは、亀船代海。『代用ウミガメ』ではないもの。

 そういうものとして振る舞い、そういうものであろうとしました。けど、小鈴さんと出会って、小鈴さんとお友達になって、その殻はぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまった。

 小鈴さんは、亀船代海としての、本当じゃないアタシを見てくれる。だけど、本当のアタシでも、区別はない。

 変な感じだった。帽子屋さんたちも、そしてアタシ自身も、そのルールは厳格なものだったから。

 規定はされないけど、そうあるものだったから。

 混沌としている。混ぜっ返されている。

 アタシの拠所は、アタシの本心は、どこにあるのか。

 だんだん、わからなくなってくる。

 けれど、だからといって、

 

「なかったことには……したく、ありません……」

 

 小鈴さんが歩み寄ってくれたこと。友達になろうって、言ってくれたこと。

 全部、全部、嬉しかったんです。その気持ちに偽りはありません。

 だけど帽子屋さんへの恩義も……そして、そこでの思い出も、忘れられるわけがない。

 どっちが長いとか、そういうことじゃないって思います。

 なにが正解とか、合理的だとか、そんな定規では測れないものが、そこにはある。

 ならアタシは、どうやってこの気持ちに整理を付けたらいいのでしょう。

 

「……頭を冷やすつもり、だったのに……これでは、逆行してます……」

 

 アタシは、小鈴さんたちと一緒にいてもいいのか。いるべきなのか。

 それとも、帽子屋さんと一緒に、帽子屋さんたちだけに導かれるべきなのか。

 

「アタシは……なにを信じれば……いいのでしょうか――」

 

 誰に言うでもなく、虚空に向けて放った言葉。

 

 

 

「――なにを信じても……間違いじゃ、ない……」

 

 

 

 それは、意外な人に、受け取られました。

 

「ひゃぅ……っ!」

 

 突然、声がしました。

 小さく、静かで、か細い、それでいてはっきりとした言の葉。

 振り向くとそこには、月光を浴びて儚く佇む、華奢な矮躯の少女の姿。

 

「こ、恋さん……!? どど、ど、どうして、ここに……?」

「出て行くのが……見えた……から」

「み、見てたん、ですか……!? そ、その、これは……」

「あと……話したいこと……あったし……できれば、二人きり、で……」

「え……?」

 

 アタシと、話したいこと?

 な、なんでしょう……皆目見当がつかないのですが……

 恋さんはアタシの返事なんて待たずに、マイペースにトコトコ歩いて、アタシの隣に座る。

 

「あ……そ、その、恋さん……さっきは、ありがとう、ございました……」

「……?」

「えっと、その……で、デッキ……」

「あぁ……別に……私が、したいようにした、だけだし……」

「は、はい……えと、それで、お話って……?」

「ん……」

 

 恋さんは感動のない瞳で虚空を見つめている。少し、考えてる……?

 奇妙な静寂の間が続いて、やがて恋さんは、小さな口を開いた。

 

「……悩んでる……?」

「え?」

 

 単刀直入に、まっすぐ、恋さんは切り込んでくる。

 正々堂々と、真正面から、アタシを見つめてくる。

 それは暗い闇を打ち払う光のように眩しくて。

 だけど無遠慮とも言えるほどの豪胆さで。

 アタシの中に、入ってきました。

 

「悩んでるかな……って、思った……」

「そ、それは、その……な、なんで、そう思った……の、ですか……?」

「……しろみは……ちょっと、私に似てた……から」

「に、似てる?」

 

 アタシが、恋さんに?

 無表情で無感動で、なのに傲岸不遜で大胆不敵で、冷淡で、毒舌で……だけど優しい、恋さん。

 それとアタシが似てるなんて、そんなこと、あるはずがない。

 

「性格は、さておき……そういう……境遇……?」

「き、境遇、ですか」

「……ちょっと、昔話……する」

 

 唐突に、恋さんはそう切り出しました。

 話の流れがいまいち読めないのですが……恋さんは、アタシになにを伝えたいのでしょう……?

 

「今……私には……大切な人が、いる」

「大切……小鈴さん、ですか?」

「間違ってない……こすずもだけど、違う……あれは、そう……私を……“救ってくれた人”」

 

 救ってくれた……

 救済。絶望の淵にあり、希望を見出せなくなったものに届ける、希望の光。救世主。

 たとえばそれは、鈴の少女だったかもしれない。

 あるいはそれは、帽子を被った彼かもしれない。

 そんな人が、恋さんにもいたんですね。

 

「……でも、私を救おうとしてくれた人は……そして、少しでも私の救いになった人は……二人、いるの」

「二人……? あ、ひょっとして、話に聞いた、こ。恋さんの、お兄さん、ですか……?」

「……つきにぃ、じゃ、ない、けど……でも、つきにぃも、救い……? わかんないけど……違う、人」

「はぁ……」

「ここじゃない別の世界、別の物語……もう語ることはないけど……冷たくて、厳しかったし、あの人はなにもしてくれなかった、けど……私を受け入れてくれた、ことは、事実。あれは確かに、救いだった、かも」

 

 よくわからない。パンチョウさんみたいなことを言う恋さん。

 彼女は、さらに続ける。

 

「でも、私は、その人を……裏切った」

「え……うら、ぎり……? こ、恋さんが、ですか?」

「うん……裏切り。寝返って、反目して……敵対して、対立して……戦って……そして、失った」

 

 淡々と語る恋さん。いつもと同じトーン、同じ口振り、同じ口調なのに、さっきまでの恋さんとは全然違く見える。

 どこか物憂げで、悲しげなのに、誇らしげで、気高いような、相反する姿を見せている。

 

「私は、それを区切りにできた……踏ん切りがついたし、清算もできた……でも、しろみは、そうじゃない……つらいと、思う……板挟み、だし……」

「えっと……」

「こすずは、最大級のお人好し……私も、邪険にはできない……こすずを、切り捨てることは、無理……あなたも、そうだと思う……」

「…………」

 

 ハッキリと、容赦なく、まっすぐに。

 なのに、とても優しく。

 恋さんは、アタシに言葉を投げかけてくれる。

 

「でも、だからって……“もう一つの居場所”を……“最初の場所”を……どちらかを選ぶ、なんて……残酷なこと……」

 

 答えは示さず、ただ語るだけ。

 無表情で、無感動で、冷淡なのは、この人の殻でしかない。

 その本質には、慈悲と慈愛があって、その心が、アタシの深層に少しずつ、入り込んでくる。

 その姿は、慈愛に満ちた語り手だったのです。

 

「どっちが正解じゃない……どっちかを選ぶんじゃない……どっちも、あなたを形作るもの……どっちも、信じてもいい……あなたが……しろみが、信じるなら……それでいい……」

「アタシが……信じるなら……」

「大丈夫……なにを、選んでも……こすずは……あなたが大切だと、思う人なら……応えて、くれるはず、だから……」

 

 ……アタシは、信じていなかった?

 帽子屋さんも、小鈴さんも。

 そんなことはない、と言いたいですけど。

 事実、アタシの心は揺れていた。

 どちらに着くべきかを。どちらが正しいのかを。どちらが最善なのかを。どちらを信じるべきかを。

 判断、しかねていた。

 進むか退くか、立ち止まり続けるか。

 小鈴さんたちと、一緒にいてもいいのか。

 ほんの少しでも、アタシの心が、帽子屋さんたちの共同体から離れてもいいのか。

 絶対に忘れられない、アタシの中に巣食う負の坩堝があろうとも。

 アタシは、この一歩を踏み出しても、いいんですね……

 なぜでしょう。しっちゃかめっちゃかになっていた胸の内が、気持ち悪いくらいにもやもやした混沌が、スゥッと消えて、楽になった気がします。

 とても、不思議な感覚です。

 恋さんの言葉があっただけなのに……いや、その言葉が、あったからこそ……?

 このどこか清々しい気持ちは、恋さんのお陰、なのでしょうか?

 ……人間って、やっぱり不思議ですね。

 であれば、アタシも、ちゃんと言わなければなりません。

 少しでも小鈴さんたちに歩み寄るなら、せめて、代用品でも、仮初でも、偽りでも。

 人として振舞うことが、アタシなりの礼儀です。

 

「……あ……ありがとう、ございます……恋さん……」

「ん……」

「その……こ、恋さんも……アタシがどんな選択をしても……応えて、くれますか……」

「……ん」

 

 恋さんは、短く声を発する。

 よく恋さんは、こうやって言葉を返していたけれど……その真意が、今なら少しだけわかる気がします。

 慈悲があって、感謝があって、歓喜がある。

 こういう人間は、素敵ですね。

 こういう人間も、いるんですね。

 なぜだかそれが嬉しくて、それだけで満たされそうです。

 この気持ちだけは、どうしたって代わりを用意できなさそうな気がします。かけがえのない気持ち、です。

 ですが、ちょっとだけ疑問が浮かびました。

 

「あの、恋さん……なんで、アタシにその、お話を……? わざわざ、アタシなんかの、ために……」

「……難しい……」

「えっ。む、難しい、ですか?」

「なんか、そうしなくちゃいけないと、思ったから……そうすべきだと、感じたから……心と、衝動を、理屈で、理由を、言葉にするのは……難しい……」

 

 衝動的なことだったんですか……落ち着いているようで、感情的なんですね、恋さん。

 

「いや……理由は、わかる……私も、しろみと同じ、だったから……昔の話、だけど。もう終わった話、だけど……でも、だからって、シンパシーだけで行動に移す理由は……うぅん……」

 

 首を捻る恋さん。

 シンパシー……恋さんも、アタシみたいな悩みを抱えていたことがあったのでしょうか。

 だから、アタシを心配してくれた?

 しばらく考え込んでいた恋さんは、ふとその言葉を漏らす。

 

「……正義」

「え?」

「無理やり、言葉にするなら……“あの人”なりに、言葉にするなら……私の“正義”が、そう告げた、から……かな……」

「せ、正義、ですか……?」

 

 ちょっと意外な言葉です。

 恋さんの正義。

 それは一体、なんなのでしょう……?

 

「……そろそろ……戻る……」

「そ、そうですね。体も、ちょっと、冷えてきちゃいました……し――」

 

 最初は刹那の悪寒。

 次は視覚的な陰り。

 その二つの異変を経て、ギリギリ気づくことができた。

 

 ――巨大な黒影が、アタシたちへと迫ってくることに。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「こ……恋さんっ!」

「っ……!」

 

 慌ててその場から飛び退く。すると、さっきまでアタシたちが座っていたベンチは、木くずに成り果ててしまいました。

 無我夢中でその脅威から逃れようとしてたアタシたちが、正気を取り戻して初めて、その存在を知覚できた。

 

「でか……」

 

 月夜に浮かぶ巨大な影。本当、すごく大きいです……

 話に夢中になりすぎていたのか。なぜ見落としていたのか、自分でもわからないくらい、“それ”は巨体でしたが、同時に、こうして相対してもなお、存在感が薄らいでいくような感覚がありました。

 理由はどうあれ、原因はなんであれ、アタシたちは“それ”の接近を許してしまったのです。

 そう――クリーチャーの、接敵を。

 

「なにこの虫……キモイ……」

「あ、《阿修羅ムカデ》、というクリーチャー……だと、思います、けど……」

 

 毒々しい外殻に覆われた体。生理的嫌悪感を醸し出しながら蠢く、針金のような無数の手足。

 ……どう考えてもそれは、地球上に存在する生命体ではありません。それに、こんな姿のカードを、見たことがあります。

 

「これが、異星から流れてきたという、く、クリーチャー、ですか……本物は、初めて見ました……」

「……私だって……地球に、こんなヤバいのもいるとか……思っても、みなかった……」

「……ヤバいのも?」

「なんでもない……それより、どうしよう……これ……」

 

 どうすればいいんでしょう、アタシも聞きたいです。

 

「こすず、呼びたいけど……携帯とか、部屋だし……」

「ちょ、直接、呼びに行のは……無理そう、ですね……」

 

 慌てて逃げてしまったせいで、立ち位置が最悪です。ムカデさんは建物側に陣取ってしまい、アタシたちの退路が断たれています。

 これでは部屋に戻ることができません。小鈴さんたちを呼ぶことも。

 それなら、取れる手段は一つだけです。

 恋さんも同じことを考えていたようで、コクリと頷いてくれました。

 

「こすずたちは、呼べない……逃げるのは、無理……なら、ここで返り討ちに……あれ」

「ど、どうしました?」

「デッキ……ない……」

「あ……そ、そうですよね……」

 

 よく考えたら、今は就寝中にこっそり抜け出してきたんでした。

 普通、寝てる時までデッキを持ったりしませんし、ここまで持ってくることもないですよね……

 アタシも、デッキなんて持って来てませんし……

 

「……困った」

「で、ですね……これ、実は物凄く絶体絶命なんじゃ――」

 

 ――ザクリ。

 

「ひ……っ」

 

 ムカデさんの鋭利な足が、槍のように地面に突き刺さりました。

 たったそれだけで、アタシの恐怖心を煽るには、十分すぎます。

 生き物としての本能が、生命的危機を知らせる信号を送っているのがわかりました。

 怖い、と。

 

(小鈴さんは……皆さんは……い、いつも、こんなのを、相手にしているの、ですか……?)

 

 怖くは、ないのでしょうか。

 いや、怖くないなんて、そんなはずはありません。これに恐怖を感じないなら、それはこの世界の生物ではないか、よほどの狂人としか思えません。

 絶対に恐ろしいはずなのに、傷つくかもしれないのに、それでも戦うのは、なぜなんでしょう。

 どういう気持ちで、皆さんは戦えるのでしょう。

 

(……人間の営みを、人間の心を、人間の意志を……人の世に紛れることで、帽子屋さんは人間を知ろうとした……それを生命線に……そして、目的の手掛かりに、するために……)

 

 アタシみたいなボンクラには、皆さんの考えも、勇気の根源も、戦う意志も、なにもわかりませんし、想像もつきませんが……

 

(もし……アタシが、皆さんのような……小鈴さんたちのような……“人間”みたいに、なれるのだと、すれば……)

 

 その手掛かりは、ここにあるのかもしれない。

 そのためにはまず、信じることからだ。

 恋さんが、言っていたように。

 

「……恋さん……今、何時ですか?」

「え……いや、知らない……」

「一時くらい、ですか?」

「たぶん……消灯が、十時、だったから……そのくらい、だと、思う……」

「一時過ぎ……ですよね?」

「確証はない、けど……」

「一時過ぎってことに……な、なりませんか?」

「……なにが言いたいの……?」

 

 怪訝そうに見つめる恋さん。その態度は当然です。

 でも今は、申し訳ないですが、ちょっと押し通します。

 

「恋さん……あなたを、信じさせてください……」

「……よくわかんないけど……わかった……」

 

 恋さんは、静かに頷いてくれた。

 

「ここを出る前に……確認した……現時刻は、午前一時半……これで、いい……?」

「はい……十分、です」

 

 ……時間とは、本来、人間が生活の上で便利だから創り出した概念です。ゆえに、本当の意味でその存在を決定づけることはできません。

 その曖昧模糊な概念ならば、強く信じることができれば、ちょっとくらいの“ずれ”は無視できる。

 今、時計の針は一時過ぎを指している。恋さんはそう言った。

 ならばアタシは、それを信じます。

 そして、この名を告げましょう。

 

「アタシの名前は『代用ウミガメ』……理想の代わりの偽物……本来あるべきものの代用品……本物にはなり得ない偽りの代行者……」

 

 12時から1時の時間以外なら、アタシは代用ウミガメとして在れる。代用ウミガメとしての個性(力)を振るえる。

 これは誰のためでもない。自分が、前か、後ろか、どこかに足を踏み出すための行い。

 代用ウミガメの名にかけて、亀船代海として。

 アタシは――戦います。

 

「偽物でもいい、代用品でもいい……アタシに、戦う力をください……!」

 

 では「代わりを用意します」。

 定義するのは『本来戦うべきものの代理』。

 代用者はアタシ、『代用ウミガメ』――亀船代海。

 小鈴さんに代わり、代用品となりましょう――

 

「――んぅ……これ、ですか……」

「しろみ……それ……」

 

 手に握られていたのは、少し硬い紙の束――見るからに、デッキです。

 なんとなく予想はしていましたが、やっぱりこういう形になるんですね。

 

「……なにが、あった……?」

「その、アタシは……“代わり”を、創れるんです……」

「代わり……?」

「は、はい。代用品、です……」

 

 これがアタシの、生き残るための力であり、個性(力)。バタつきパンチョウさんは、“複眼”によって自身の認識範囲を変化させることができますが、アタシの個性(力)はもっと物理的で直接的です。

 本来必要な道具を、少し違う形で生み出す力。

 アタシが望んだ必要なもの。それと似た機能を有するもので“代用”する。必要なものを定義し、それの代用品を創造する力。「本当に必要ものは手に入らない」という代償をもって、限定的ながらも、森羅万象を創造します。

 そして今は、小鈴さんの“代わり”に、戦う力を貰いました。

 どういう形で代用するのかまでは、実際にやってみないとわからないのですが……予想通り、デッキという形で出てきましたね。

 

「こ、これで……戦え、ます……っ」

「……大丈夫……?」

「は、はい……たぶん……」

 

 ちょっと、自信はないですけど。

 でも、動かないと。首を引っ込めていたら、どうにもならないから。

 恋さんが教えてくれた。恋さんの正義に従って、アタシはきっかけを掴めた。

 ならアタシも、それに応えなきゃ。

 自分の正義なんて、そんな高尚なものはわからないけれど……

 

(少なくとも、ここで逃げ出すことは正義じゃない、はず……)

 

 ここで逃げたら、このクリーチャーにも、自分にも、すべてに逃げることになる。

 怖いのは怖いけど、それでも。

 アタシはアタシとして。

 小鈴さんに代わり戦い。

 

(なにかを……変えてみせます――!)

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 かくして、小鈴さんに代わって、アタシ、『代用ウミガメ』――亀船代海が、戦うことになりました。

 ……は、話には聞いていましたけど……実際にこうして、戦の場に立つと、その……やっぱり、怖い、ですね……

 

「しろみ……しっかり……」

「こ、恋さん……はい、頑張ります……」

 

 デッキがセットされ、手札が配られ、シールドが展開される。

 あぁ、それと、超次元を確認しておかないと、いけませんね。

 

 

 

[代海:超次元ゾーン]

《百獣槍 ジャベレオン》×1

《不滅槍 パーフェクト》×1

《龍魂教会 ホワイティ》×3

《革命槍 ジャンヌ・ミゼル》×1

《無敵剣 プロト・ギガハート》×1

《熱血剣 グリージー・ホーン》×1

 

 

 

[阿修羅ムカデ:超次元ゾーン]

《時空の凶兵ブラック・ガンヴィート》×1

《勝利のガイアール・カイザー》×1

《勝利のリュウセイ・カイザー》×1

《勝利のプリンプリン》×1

《激天下!シャチホコ・カイザー》×2

《激沸騰!オンセン・ガロウズ》×1

《激相撲!ツッパリキシ》×1

 

 

 

「これ……私の次元……」

「そ、そうなんですか……?」

「ちょっと違うけど……かなり、似てる……」

 

 恋さんがドラグハートを使ってるところって、見たことないですけど……

 えーっと、アタシは小鈴さんの代わりとして、アタシ自身を戦う者の代用品にしたはずです。代用品は、しょせんは代わりです。代行者です。本来の力の“質”は、アタシに由来するはず。現にこのデッキも、アタシがよく使うカードが多く見えてます。

 だけどその認識が、厳密に“アタシ”だけじゃなくて、“アタシたち”となったのならば。

 アタシが無意識のうちに、恋さんのことも勘定に入れてしまったとしたら。

 この力の本質は、アタシと恋さん、二人の分が混じり合ったものになる、ということになる……と、考えられますが……

 

(が、頑張って、決意して、勇気出して、見栄張ったのに……最後の最後で、た、他人頼り、なんて……)

 

 情けないにもほどがあります、アタシ。

 

(……でも)

 

 アタシ一人じゃ心細いですけど……恋さんと一緒なら、勝てる気がします。

 それでは――対戦を、始めましょう

 

「《ギャリベータ》をチャージし、2マナで《禁断X ナーグル》を召喚。ターンエンドですよ」

「あ、アタシのターン……《翔天》をチャージして、《一撃奪取 アクロアイト》を召喚します……ターン終了、です……」

 

 2ターン目。お互いに動き出しました。

 このデッキがなにをするデッキなのかは、手札で概ね理解できました。この動きも悪くはありませんが、不気味なのは相手のムカデさんです。

 一体なにをするデッキなのか、次元を見ても、マナを見ても、まだよくわかりません。闇と火のカードが見えてはいますが……

 

 

 

ターン2

 

阿修羅ムカデ

場:《ナーグル》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:0

山札:29

 

 

代海

場:《アクロアイト》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

 

「私のターン。ふむ、これは仕方ありませんね。《ジェニー》をチャージ、3マナで《ボーンおどり・チャージャー》を唱えます」

 

 墓地に堕ちたのは《ギャリベータ》と《ナーグル》。

 まだ、ムカデさんのデッキの本質は、見えてきません。

 

「これにてターンエンドです」

「アタシのターン……えっと、《エナジー・ライト》をチャージして、3マナで《コアクアンのおつかい》を唱えます……さ、三枚、めくりますね……」

 

 ハンデスが見えたので、少しでも枚数を多く稼いでおきたいところです。不確定ですが、《エナジー・ライト》よりも《おつかい》を優先させます。

 そうして捲られたカードは、《翔天》《アクロアイト》《カーネル》。

 

「! や、やりました……! 全部、光を含むので、手札に加えます……! これでターン終了です!」

 

 

 

ターン3

 

阿修羅ムカデ

場:《ナーグル》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:2

山札:26

 

 

代海

場:《アクロアイト》

盾:5

マナ:3

手札:6

墓地:1

山札:24

 

 

 

 

「私のターン。いい具合に単色カードが引けていますね。マナチャージし、5マナで《超次元リバイヴ・ホール》を唱えましょう。墓地の《ギャリベータ》を回収し、《激天下!シャチホコ・カイザー》をバトルゾーンへ。ターンエンドです」

「アタシのターンです……これなら……行けます……っ!」

 

 さっきの《おつかい》でキーカードは揃いました。

 ここから攻めますよ。

 

「マナチャージ! そして4マナで、召喚ですっ! 《太陽の精霊龍 ルルフェンズ》!」

「……手札から、コスト6以下の、光のクリーチャーが出せる……しろみ」

「は、はいっ……出すのはこれですっ! 《星の導き 翔天》! 《ルルフェンズ》からNEO進化!」

 

 最速4ターン目の《ルルフェンズ》、そして《翔天》へのNEO進化。とても順調です。

 あとは、切り札を呼び出すだけ。

 

「でも《ナーグル》が、いるんですよね……なら、まずは《アクロアイト》で攻撃ですっ」

「《ナーグル》の能力発動。《ナーグル》を破壊し、そちらの《アクロアイト》も破壊しますよ」

「わかってます……でも、それなら平気です。《翔天》で攻撃、シールドをブレイクです……っ」

「……トリガーはありません」

「では、ターン終了です」

 

 

 

ターン4

 

阿修羅ムカデ

場:《激天下!シャチホコ・カイザー》

盾:4

マナ:5

手札:3

墓地:3

山札:25

 

 

代海

場:《翔天》

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:2

山札:23

 

 

 

「私のターン」

「相手ターンの初めに、《翔天》の能力を……」

「お待ちなさい。まずは私のクリーチャーの能力解決からです」

「そ、そうですね……ごめんなさい……」

 

 ムカデさんのターン開始時。焦って先走ってしまいそうになるのを、ムカデさんに制され、諌められる

 デュエマは、そのターンを進行するプレイヤーから能力を処理し、解決する。だからムカデさんのクリーチャーの能力が先に発動します。

 

「では、ターン初めに《シャチホコ》の能力を解決します。墓地のコスト3以下のクリーチャー、《ナーグル》を復活。では、そちらの番ですよ」

 

 出て来るのは《ナーグル》のみ。それなら大きな問題はありません。

 

「えっと、アタシの《翔天》の能力、です……《翔天》がタップされているので、手札からコスト8以下の光のクリーチャーを一体、出します……っ!」

 

 こちらは早速、切り札を出させていただきます……!

 

 

 

「すみません、迷宮入りです――《大迷宮亀 ワンダー・タートル》……っ!」

 

 

 

 アタシの力を定義づけるカードは、やっぱりこれなんですね……安心しました。

 これならいつものように、やれそうです。

 

「《ワンダー・タートル》の、ら、ラビリンス、発動です……次のアタシのターンまでアタシのクリーチャーは、バトルゾーンを離れません……!」

 

 迷宮構築完了です……恋さんの力も借りて、早い段階でアタシのラビリンスが完成しました。

 《ナーグル》と《シャチホコ》が少し厄介ですが、そこさえ上手く対処できれば、《ワンダー・タートル》のパワーで押し切れるはずです。

 

「ふむ、厄介な亀ですね。ではこういうのはどうでしょう? 《閃光の守護者ホーリー》をチャージ」

「っ、光のカード……?」

 

 ここで初めて見せる、光のカード。

 てっきり闇と火のデッキだと思っていましたが、違ったようです。

 

「迷宮と言えば番人、しかし番をするのは番兵だけではありません。獣も番をするのです。まあ、首が一つばかり足りませんが、そこはお許しください――6マナタップ」

 

 黒い闇、赤い火、白い光。

 その三つを掛け合わせ、混ぜ合わせて生まれるものは――

 

 

 

「《シャチホコ》を進化――《豪獣王ディス・オルトロス》!」

 

 

 

 ――双頭の狗(オルトロス)

 暗黒と大火、それぞれの性質を宿す頭を持つ番犬。

 凶暴で、凶悪で、粗暴で、粗野で、危険極まりない獣ですが、その本質は守護獣。

 悪性でも、衝動的でも、気高い使命を背負った双頭の獣です。

 でも正直、こんなクリーチャーいたんですね、ってレベルで知らないクリーチャーです……どんなことをするのでしょうか……?

 

「ターンエンドです」

「あ……えっと、《ワンダー・タートル》の能力で、攻撃していないので、クリーチャーを全部、タップしてください……」

 

 それに結局、《ナーグル》も《オルトロス》も、タップされました。

 ならあとは《ナーグル》をケアしつつ、《オルトロス》も殴り返して盤面制圧……と、行きたいところでしたが。

 

「アタシのターン……」

「ではこの時、《オルトロス》の能力発動。お互いのプレイヤーは、自身のターンの初めに、自身の多色でないクリーチャーを破壊しなければならない……さぁ、お選びください?」

「え……っ?」

 

 クリーチャーを破壊する能力、ですか?

 しかも、このタイミングって……

 

「ターン初めの効果処理は、アタシが先だから、《ワンダー・タートル》のラビリンスは切れちゃってます……破壊はイヤですけど……じゃ、じゃあ、《翔天》を破壊、します……」

 

 優先権が悪い方向に働いてしまいました。

 効果が処理されるのが先ということは“効果が切れるのも先”ということです。そのため、《オルトロス》の能力が発動するより先に、《ワンダー・タートル》のラビリンスが切れてしまいます。

 それさえなければ、無敵状態で破壊を免れることができたんですけど……その隙を狙われてしまったようです。

 まだ《ワンダー・タートル》こそ残されていますが、この状況は、あまり良くありません。

 

(《ワンダー・タートル》で攻撃したい……け、けど、《ナーグル》がいるから、攻撃したら、破壊されちゃう……だけど、このまま残してても、《オルトロス》の能力で、破壊されちゃう、から……)

 

 殴り返せると思った《オルトロス》は《ナーグル》に阻まれ、《ナーグル》除けのクリーチャーは《オルトロス》で破壊されてしまいました。

 このデッキはほとんどが単色クリーチャーで構成されているので、《オルトロス》が存在する限り、破壊を受け続けます。

 だからなんとしてでも《オルトロス》を処理したいのですが、《ナーグル》がそれを許しません。

 《ナーグル》と《オルトロス》。この二体の布陣を突破するのに必要なのは……

 

「手札が心もとない、ですけど……やるしか……《ルルフェンズ》を召喚、します……能力で、《龍覇 エバーローズ》を、ば、バトルゾーンへ……」

 

 クリーチャーを展開するしかありません。

 《ナーグル》と共に自爆してしまう身代わり。そして、《オルトロス》へと捧げる供物。

 すべて《ワンダー・タートル》の代わりとなって消えてしまうもの。とても、申し訳ないですけど……

 でも、簡単には破壊させませんよ。

 今はアタシだけじゃない。恋さんも、いるんですから。 

 人様のカードを使うのは、少し抵抗がありますが……

 

「……遠慮なく、使えばいい……それは、しろみのデッキ……」

「恋さん……わ、わかりました。では、《エバーローズ》に、《百獣槍 ジャベレオン》を、装備です……っ」

 

 シールド一枚を犠牲に、破壊を免れる獅子龍の槍。

 アタシのラビリンス戦術とはあまり相性がよくないですが、今だけは別です。今重要なのは、破壊されないこと。

 使い続ければシールドが消費されてしまいますが、これで《オルトロス》を攻略できます。

 

「こ、これで……ターン終了、です……」

 

 

 

ターン5

 

阿修羅ムカデ

場:《オルトロス》《ナーグル》

盾:4

マナ:6

手札:2

墓地:2

山札:24

 

 

代海

場:《ワンダー・タートル》《ルルフェンズ》《エバーローズ+ジャベレオン》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:4

山札:22

 

 

 

「私のターン。《オルトロス》の能力が発動し、私もクリーチャーを破壊しなくてはなりませんが、私の場には多色クリーチャーのみなので、なにも破壊しません」

 

 《オルトロス》の能力は両プレイヤーに影響をおよぼしますが、破壊するのは単色クリーチャーのみ。

 ムカデさんは多色クリーチャーを軸にすることで、そのデメリットを自ら回避しているようです。

 と、思ったのですが。

 

「《ジャベレオン》ですか。なかなか面倒な代物ですが、まあ、私の前ではあまり関係ありませんね」

 

 その認識は、少しだけずれていて、ちょっとだけ違っていて。

 確かに多色クリーチャーは多いのですが、彼の本質は、そこにはなかったのです。

 

「あなたに絶望を教えて差し上げましょう。マナチャージし、7マナタップ」

 

 デメリットを回避するなんて、そんな生易しいことで終わるはずもない。

 赤い火で燃えようと、白い光に照らされようと、その根幹は黒い闇。

 破壊と暴虐、生贄と供物、、衰退と死滅、利己と寄生。

 凄惨を生産する闇の意志は、自らに降りかから災厄さえも、利用するのでした。

 

 

 

「這い寄り喰らい、貪り殺しなさい。召喚――《阿修羅ムカデ》」

 

 

 

 もぞもぞと蠢く、黒い影。

 生理的な嫌悪感と、生命的な恐怖感を煽る、醜悪で凶悪な黒蟲。

 盾の後ろから、盾の前へ。

 黒い蟲の闇医者が、戦場へと現れました。

 

『《阿修羅ムカデ》の能力で、《エバーローズ》のパワーを9000マイナス。パワー0以下のクリーチャーは破壊されますよ』

「う……《ジャベレオン》の能力で、し、シールドを一枚、手札に加えて……破壊を、防ぎます……」

『しかしパワー低下は残留します。そのまま破壊ですよ』

「もう一枚、手札に加えます……三枚目は、く、加えません……」

『ではターン終了。えぇと、攻撃はしていないので、タップされるのでしたか』

 

 《ワンダー・タートル》の能力でブロッカーでも関係なく寝かせることはできましたが、これでは前のターンの同じです。

 《エバーローズ》は《ジャベレオン》を装備しても、その守りを貫通されて破壊されてしまいました。

 残るクリーチャーは二体。しかし、

 

「アタシのターン……《オルトロス》の能力で、《ルルフェンズ》を、破壊します……」

 

 そのうちの片方は、《オルトロス》への生贄として差し出さなくてはなりません。

 また、アタシの場には《ワンダー・タートル》のみが残されます。

 

「しろみ……」

「ま……まだ、大丈夫、です……も、もう一度、《エバーローズ》を召喚……っ」

 

 少し無理して、シールドを減らした甲斐はありました。

 アタシまだ、もうちょっとだけ、頑張れます。

 

「《エバーローズ》に《ジャベレオン》を装備……ターン終了する時、アタシのシールドが三枚以下なので……つ、2D龍解、です……《百獣聖堂 レオサイユ》……っ!」

 

 《阿修羅ムカデ》の破壊は、あらゆる守りを貫通する。

 それなら、武具ではなく要塞として、守りの拠点を張るまでです……!

 

 

 

ターン6

 

阿修羅ムカデ

場:《オルトロス》《ナーグル》《阿修羅ムカデ》

盾:4

マナ:7

手札:1

墓地:2

山札:23

 

 

代海

場:《ワンダー・タートル》《エバーローズ》《レオサイユ》

盾:3

マナ:6

手札:2

墓地:6

山札:21

 

 

 

『私のターン。《オルトロス》の能力で《阿修羅ムカデ》を破壊します……が、《阿修羅ムカデ》は破壊された時、バトルゾーンに舞い戻ります』

 

 ターン開始時、最悪の悪夢の始まりです。

 薄々気付いてはいましたが、やはり、そうやって使うんですね……

 《オルトロス》のデメリットを、《阿修羅ムカデ》で“利用”する。

 デメリットは、回避するのではなく利用するもの。それが闇の精神。

 破壊されても《阿修羅ムカデ》は蘇り、そのたびに衰弱の破壊をもたらす。自分のターンでも、相手のターンでも関係なく、アタシのクリーチャーは破壊され続けます。

 

『《修羅ムカデ》が場に現れたことで、相手クリーチャーのパワーを削ぎ落す。《エバーローズ》のパワーを9000マイナスしますよ』

「《レオサイユ》の効果で、シールドを一枚、手札に……っ」

『さっきと同じですよ。破壊は続行です』

「もう一枚、手札に加えます……っ」

『これであなたのシールドは一枚。それはどうしますか? まあ、流石にトリガーの望みすらも潰すような真似はしないでしょうが――』

「手札に加えます……」

『……なんですと?』

 

 ここで初めて、ムカデさんは余裕の笑みを崩し、怪訝な視線を向けてきます。

 でもすぐに、納得したような表情を見せました。

 

『……あぁ、成程。革命0トリガーを抱えているのですね』

 

 う……や、やっぱり、ばれちゃいますよね……

 ムカデさんの言う通り、アタシは《ミラクル・ミラダンテ》を抱えています。

 かなりギリギリになってしまいますが、こんな布陣を作られてしまったら、少し無理をしてでも、押し通るしかありません。

 今一番困るのは、中途半端な状態で《レオサイユ》が龍解してしまうこと。これが今のアタシの生命線ですから。

 それに、ここで攻撃されれば、それは反撃のチャンスにもなり得ますし……ただ、狙いがばれてしまったのが、とても痛いですけど……

 

『もしそうであれば、少々厄介なことになってしまいますね。しかし私の引き運もなかなかのものです』

 

 ムカデさんは焦りを微塵も見せません。狙いがわかって、対処する手段があるということでしょうか。

 

『5マナで《リバイヴ・ホール》を唱えます。墓地の《ナーグル》を手札に戻し、《勝利のガイアール・カイザー》をバトルゾーンへ』

 

 追加の打点を用意されてしまいました。

 少しきついですが、でも、それならまだなんとか……

 

『これで終わらせましょう。《勝利のガイアール》でプレイヤーを攻撃する時、侵略発動。《復讐 ブラックサイコ》です。登場時に、あなたの手札を二枚、捨てさせてもらいます』

「っ、《ミラクル・ミラダンテ》が……!」

 

 こ、これは困りました……手札に抱えていた《ミラクル・ミラダンテ》を、叩き落されちゃいました……

 これじゃあ防御札が足りません……ど、どうしましょう……!

 

『ダイレクトアタック。どうしますか?』

「あ、ぅ……か、革命0、トリガー……《ミラクル・ミラダンテ》、です……っ」

『たった一枚ですか。それでは防ぎきれないのでは?』

 

 その通りです……

 抱え込んだ防御札を叩き落されてしまい、単純に見れば、アタシはこれだけの攻撃を防ぐ手段がありません。

 こんなことなら、無理してシールドを手札に加えるんじゃありませんでした……カウンター狙いだっていうのは、すぐにばれてしまうのに……

 シールドを保持して、盾の――迷宮を構築する壁の数で勝り、圧倒するのがラビリンスデュエルの戦い方。

 それとは真逆のプレイングをした時点で、アタシの本質から外れた行動です。

 いつもと違うことをすると、こうも狂わされてしまうものなのですね……

 

「しろみ……早く、捲らないと……」

「は、はい、そうですね……あ」

 

 《ミラクル・ミラダンテ》の進化元にするカードを捲る。

 もうダメかと思いましたが、これなら、まだ戦えそうです。

 

「《ミラクル・ミラダンテ》を、し、進化……進化元は……《太陽の精霊龍 ルルフェンズ》、です……」

『《ルルフェンズ》? それでなにを出すというのです? 《翔天》は無意味、《エバーローズ》でも足りないのでは?』

「ぎ、ギリギリ、足りますよ……《青寂の精霊龍 カーネル》を、バトルゾーンへ」

『っ……!』

 

 ムカデさんは、露骨に苛立ったように眉間に皺を寄せます……眉間も皺も、よくわかんないですけど。

 

「《カーネル》の能力で、《オルトロス》を、こ、拘束します……《ブラックサイコ》の攻撃は、《ミラクル・ミラダンテ》でブロック、です……」

『小癪な……ターンエンドです』

 

 な、なんとか耐え切れました……シールドに埋まっていた《カーネル》のお陰です。

 ここで耐えられたということは、あの時の無理が報われるということ。

 さぁ、行きますよ。

 

「アタシのターン。ま、まずは、《レオサイユ》の処理から、ですね。アタシのターンの初めに、アタシのシールドが一枚以下、なので……3D龍解、です……!」

 

 先に発動させていただきます。

 そちらの獣も、番犬としてご立派ですが。

 こちらの獣は百獣の王。そして、天頂に座す正義の執行者です。

 代行者で、代用品で、偽物のアタシに、力を貸してください……!

 

 

 

「3D龍解――《頂天聖 レオザワルド》……っ!」

 

 

 

『ぐぬぅ、龍解されてしまったか……!』

「つ、次にあなたの《オルトロス》の能力を、解決、します……アタシが破壊するのは《レオザワルド》……で、ですが、シールドがゼロなので、《レオザワルド》は場を離れません……っ!」

 

 これで《オルトロス》は封じました。番犬に捧げる供物はありません。

 シールドが一枚でも残っていたら《レオザワルド》が破壊されてしまう恐れがあったので、無理してシールドを全部回収しましたが……その甲斐はありましたよ。

 

「そして、も、もう一度、《エバーローズ》を召喚、です。《龍魂教会 ホワイティ》を出して、《オルトロス》をフリーズ、です……」

『! こいつ……!』

「《レオザワルド》で《オルトロス》を攻撃……《ナーグル》の能力が発動、しますが……《レオザワルド》は、は、破壊されません……そして、《オルトロス》と、バトルです……!」

 

 《ナーグル》も非常に厄介でしたが、《レオザワルド》がいればそれも無視できます。強制効果なので、《レオザワルド》が動くだけで、自滅していきます。

 アタシの作った迷宮で、随分と勝手気ままに動かれてしまいましたが……これで、本来のアタシを、本来の迷宮を、取り戻せました。

 迷宮に巣食う番犬、《オルトロス》、撃破です……!

 

「……これで、《阿修羅ムカデ》を破壊する手段は……なくなりました、よね……?」

『小娘が……!』

「ターン終了……です」

 

 

 

ターン7

 

阿修羅ムカデ

場:《阿修羅ムカデ》

盾:4

マナ:7

手札:1

墓地:5

山札:22

 

 

代海

場:《ワンダー・タートル》《ミラクル・ミラダンテ》《エバーローズ》《レオザワルド》《ホワイティ》

盾:0

マナ:6

手札:2

墓地:9

山札:19

 

 

 

『ちぃ、私のターン! 《ナーグル》と《ベルリン》を召喚! 《阿修羅ムカデ》でとどめだ!』

「わわっ……え、えっと、《レオザワルド》の、の、能力発動です……アタシのドラグハートでないクリーチャーを破壊して、敗北回避、です……《エバーローズ》を破壊します……」

『ターンエンドだ!』

 

 きゅ、急に口調が乱暴になりましたね……ちょっと怖いです。

 盤面を盛り返したといっても、アタシのシールドはゼロですし、相手には不死身の《阿修羅ムカデ》もいますし、全然油断はできないのですけれど……

 

「あ、アタシのターン……《アクトパッド》と《カーネル》を召喚、です……《カーネル》の能力で、《阿修羅ムカデ》を拘束、して……ターン終了、です……」

 

 

 

ターン8

 

阿修羅ムカデ

場:《阿修羅ムカデ》《ナーグル》《ベルリン》

盾:4

マナ:7

手札:0

墓地:5

山札:21

 

 

代海

場:《ワンダー・タートル》《ミラクル・ミラダンテ》《アクロパッド》《カーネル》《レオザワルド》《ホワイティ》

盾:0

マナ:7

手札:0

墓地:10

山札:18

 

 

 

『私のターン……まだだ、まだ終わっていない……! 5マナで《ナーグル》を進化! 《天下統一シャチホコ・カイザー》!』

「そのクリーチャーは……」

『その忌々しい亀のせいで殴らなければならないのが癪だが、ただで死ぬものか! 《シャチホコ・カイザー》でダイレクトアタックだ! さぁ、どうする!?』

 

 これは……考えないといけませんね……

 ここで《レオザワルド》でブロックすれば、《シャチホコ・カイザー》が破壊されて、エイリアンのサイキック・クリーチャーが出て来ちゃいます。選択肢は《オンセン・ガロウズ》《シャチホコ・カイザー》《ツッパリキシ》《プリンプリン》の四択ですが、ここで出すならきっと《プリンプリン》。あるいは《シャチホコ》です。

 なにを出されたとしても、次のターン、ダイレクトアタックまでの打点は揃っていますが、出されると少し厄介かもしれません。

 でも、ここで《シャチホコ》を破壊しなければ、《ベルリン》も倒しづらくなっちゃいますし、やっぱりここは《レオザワルド》でブロックするしか……

 

「れ……《レオザワルド》で、ブロック、です……」

『《天下統一シャチホコ・カイザー》が破壊されたことで能力発動! 《激天下!シャチホコ・カイザー》をバトルゾーンへ! ターンエンド!』

 

 《シャチホコ》の方で来ましたか……どちらにせよ、トリガーに賭けるしか、ないとは思いますが……

 ここで決めなかったら、またクリーチャーを増やされて攻めあぐねてしまいそうですし、流石にそろそろ攻めないと……

 

「アタシの、ターン……」

 

 もしトリガーを――《ホーリー》なんかを踏んでしまったら、ブロッカーも寝てしまい、こちらのクリーチャーを減らされてしまうので、困ったことになってしまいます。

 アタシの生命線は《レオザワルド》です。ですが、《レオザワルド》で敗北を回避するには、クリーチャーを犠牲にしなくてはなりません。手札もかなり枯れていますし、大量展開は望めない。数にものを言わせて殴られたら、かなり厳しいです。

 トリガーを踏んでも、防御力が落ちないようにできればいいんですけど……

 

「あ……こ、これですっ! 《アクロパッド》をNEO進化! 《星の導き 翔天》!」

 

 と思ったところで、いいカードを引きました。

 攻撃を曲げられる《翔天》。これなら、《ホーリー》が来ても防御手段になります。

 やっぱり、単なるブロッカーよりも、アタシにはこっちですね……

 

「《翔天》でシールドをブレイクです!」

『ぬぅ……S・トリガーだ! 《閃光の守護者ホーリー》! クリーチャーをすべてタップしてもらうぞ!』

「ほ、ほんとにあったんですね……ターン終了、です……」

 

 まさか本当に、しかも一枚目からトリガーなんて……アンラッキーですけど、そのための《翔天》です。

 まだ、耐えられます。

 まだまだ、戦えますよ。

 

 

 

ターン9

 

阿修羅ムカデ

場:《阿修羅ムカデ》《ベルリン》《ホーリー》

盾:3

マナ:7

手札:0

墓地:7

山札:20

 

 

代海

場:《ワンダー・タートル》《ミラクル・ミラダンテ》《翔天》《カーネル》《レオザワルド》《ホワイティ》

盾:0

マナ:7

手札:0

墓地:10

山札:17

 

 

『ターン開始時、《シャチホコ》の能力で墓地の《ナーグル》を復活! そしてドロー! 《黙示護聖ファル・ピエロ》を召喚! 自身を破壊し、墓地の《リバイヴ・ホール》を回収! 《阿修羅ムカデ》でダイレクトアタック!』

 

 《リバイヴ・ホール》に《ファル・ピエロ》……

 これは……もしかして、急いで攻め切るよりも、時間をかけて盤面を盛り返す選択をしたのでしょうか……?

 ど、どうしましょう……《翔天》で攻撃を曲げたら、《ワンダー・タートル》でクリーチャーは出せますが、《翔天》が破壊されかねません……かといって、このままクリーチャーを失うだけというのも……

 

「……しろみ」

「こ、恋さん……?」

「ちょっと……ウザい」

「え、えぇっ!?」

 

 ちょくちょく声はかけてくれましたけど、今まで概ね静観していた恋さんが、急にアタシを糾弾する。

 な、なんでこのタイミングで、そんなことを言うんですか……

 

「黙ってようと、思ってた……けど、流石に、ぐだぐだしすぎ……もう、決めても、いいと思う……」

「そ、それって……」

「攻めていい……守りに入りすぎると……崩してくる……こすず、みたいに……」

「小鈴さん、みたいに……」

 

 確かに、小鈴さんは、アタシの固めた守りを、何度も何度も攻めて、突き崩してきました。

 今は互いに膠着しかけている状態ではありますけど、これがずっと続けば……?

 守ってばかりでは、勝利は勝ち取れない。

 首を引っ込めていては、勝利は遠のくだけ。

 待っていても、勝利はやって来ない。

 だから――前に、進むしかない。

 

「……はいっ。《翔天》の能力を、発動します」

 

 ありがとうございます、恋さん。

 決心、つきましたよ。

 

「《翔天》をアンタップして、攻撃を《ワンダー・タートル》へ、ま、曲げますっ!」

『《ワンダー・タートル》とバトルか……《阿修羅ムカデ》は負け、破壊されるが、蘇る!』

「ですが、ば、バトルには勝ったので《ワンダー・タートル》の能力発動! 山札の上から四枚を見て、コスト6以下の光のクリーチャーを……だ、出します」

 

 ここで捲れるカードに、賭けてみましょう。

 分のいい賭けとは言い難いですが、悪い賭けでもありません。数の上ではプラスマイナスゼロです。

 《翔天》を、守りの一部を失っても、攻めきれればいいんです。

 そして、捲れた……

 

「出すのは……《龍覇 エバーローズ》、です」

『またか……!』

「《エバーローズ》の能力で、《ホワイティ》をバトルゾーンへ! 《ホーリー》を、フリーズ、します……っ」

『《阿修羅ムカデ》の能力を解決だ! 《翔天》のパワーを9000下げ破壊する! そして……ターンエンドだ』

 

 やはり追撃はなく、ムカデさんはそのままターンを終えました。

 これ以上長引かせたら、相手に盤面を整えられてしまうかもしれません。

 シールドがある限り、トリガーの恐怖は消えませんが……でも、それでも、前に進みます。

 

「アタシの、ターン……一応、《エナジー・ライト》を唱えて、ドロー……《アクロアイト》を召喚します」

 

 このターンで決着をつけると仮定して、少し、攻撃の順番は考えなければなりませんが……

 トリガーがなければ、押し切れます……!

 

「まずは、《レオザワルド》で攻撃です……《ナーグル》は、効きませんよ……!」

『ならば《ベルリン》でブロック!』

 

 これで守りは崩せました。

 今度こそ……!

 

「《ミラクル・ミラダンテ》で、Tブレイクです……!」

『ぬ、ぐぅ……!』

 

 ムカデさんは悔しそうに呻くだけ。シールドからなにかを繰り出す様子はありません。

 ということは、なにもない。

 つまりこれで、アタシの勝ち。

 ならば――とどめです。

 

 

 

「《大迷宮亀 ワンダー・タートル》で、ダイレクトアタック――っ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「か、勝てました……恋さん……!」

「ん……よくやった……しろみ……」

 

 ムカデさんの身体は淡く光り、少しずつ綻んでいく。

 そんなムカデさんに、恋さんは静かに歩み寄ります。

 なにをするのかと思ったら、恋さんはムカデさんを見下ろして、口を開きました。

 

「……ずっと、聞きたかったんだけど……」

「なんだ、ヒトの小娘……」

「どうして……クリーチャーが、こっち来てるの……?」

 

 恋さんが、今にも消えてしまいそうなムカデさんに、問いかけます。

 その問いかけにムカデさんは、苦しそうなのに、どことなく余裕そうに、嘲るような笑みを浮かべました。

 

「どうして、とな。秩序と統治の消えた世がどれほど荒廃するか、貴様は知っているか? 住み難い世界を捨て、より住みやすい世界へ移住する。それはおかしなことか?」

「……じゃあ、わざわざ私たちに、なんの用……?」

「愚問にもほどがあるぞ、人間。貴様らとて同じだろう。腹が減れば飯を食う。他者を喰らうことが生きることだ。まさかそんなことも意識せずに生を貪っていたのか?」

 

 あ、アタシたち、食べ物だったんですね……

 ムカデさんはどんどんその身が薄く、透き通っていく。

 今にも失われてしまいそうなほど、その存在は儚いものへと変わっています。

 

「人間は我々を、特異な存在と、誤解しているのではないか? 確かに相互理解など不可能な領域もあろうが、我々とて生命、意志を持った生物だ。本能的な繁栄を望み、種の存続を願う。その点は貴様らと変わらんぞ」

 

 ムカデさんの身体が、いよいよ消えていく。

 肉体の半分は粒子となって放出し、その端から綻んでいく。

 ムカデさんは消えかかる寸前まで、声を振り絞っていました。

 

「驕るなよ、人間共。この世界で生きるのは、貴様らだけでは……ない、ぞ――」

 

 最期にそう言い残して、ムカデさんは完全に消えてしまいました。

 さっきまで確かな命としてあったものが、光る残滓として蟠って、けれどもやがては闇夜に放たれる。

 そして、静寂の暗夜が、再び訪れました。

 恋さんは変わらぬ無の面持ちで、虚空をひたすら見つめ続けています。

 

「…………」

「こ、恋さん……」

「……ごめん……なんでも、ない……帰ろう……しろみ」

「は、はい……」

 

 恋さんは、なにを思ってあんなことを問うたのでしょうか。

 そしてムカデさんのあの言葉は……

 

(繁栄と存続……それって、アタシたちの――)

 

 

 

 ――帽子屋さんの目的と、同じです。




 ちょっと邪魔は入ったものの、ほとんど代海と恋の二人語りです。恋の昔話については、たぶんマジカル☆ベルで語られることはないでしょうね……
 対戦の方は、《ディス・オルトロス》とか誰が知ってるんだよ、という感じの白黒赤ムカデオルトロス。わりと気に入ってるんですけどね、これ。リソースが稼ぎにくい白黒赤ですが、墓地回収を絡めれば意外と回りますし、《ナーグル》や各種メタカードで守りも意外と堅い。一度嵌ったら相手の盤面をズタボロにしていく様子を見ていると、ちょっと邪悪な気持ちになれます。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なく仰ってください。


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25話「林間学校だよ ~2日目・PM~」

 今回で二日目午後、長々続く25話ももう折り返し地点です。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 林間学校も二日目に入りました。明日はほとんど帰るだけなので、実質的に今日が最終日のようなものです。

 今日やることは自然学習と称した登山と、天体観測です。

 学校保有の天文台で天体観測なんて、なかなか体験できることじゃないし、みんなで星を見たりするのは楽しそうだし、今からすごく楽しみです。

 ……だけど。

 

「これは……きついね……」

「……死ねる……」

 

 この登山は、とても大変です。

 そんなに険しい山じゃないけど、登山なんてしたことないから、普通にきつい。ただでさえ、体力には自信ないのに……

 ただこの登山は班行動と限定されてないから、霜ちゃんがいてくれる分、気持ち的に少しは楽かもしれない。

 

「道はちゃんと整備されてるし、傾斜も緩やか。とはいえ、登山は登山。普段は使わないような筋肉の使い方をするし、肉体への負担はかかるよね。正直、ボクも疲れた。少し休憩しよう」

「さんせーい。流石にへとへとだぁ」

「え? ユーちゃんはまだまだ歩けますよ?」

「ゆ、ユーさんは、元気ですね……」

 

 キョトンとしているユーちゃんをやや強引に引き留めて、霜ちゃんの提案に乗って少し休むことにしました。

 座るところなんてないから、しゃがみ込むような形になっちゃうけど、立ちっぱなしよりはいくらかマシです。

 

「ユーちゃんはもっと歩きたいんですけど……」

「そういえば、ユーは昨日の自由時間も山に繰り出してたね」

「山好きなの? ユーちゃん」

「Ja! (ベルク)だけじゃなくて、(ヴァルト)(ゼー)に囲まれて、そこを歩いて見るのは大好きです!」

「なんて言ってるのかはよくわからないけど、自然が好きそうなのは伝わったよ。君は遊泳部じゃなくてワンダーフォーゲル部の方が向いてたんじゃないのかな?」

「ワン……? なんですか?」

「登山する部活だよ、非公式だけど。山に登って自然を体感するとかなんとか」

「おぉ! それは素敵(シェーン)ですね!」

「そんな部活もあったんだ。霜ちゃん、詳しいね。」

「……剣埼先輩に聞いたことがあるんだよ」

「先輩に?」

「そういえば……そう……たまに、部室で見る……ような……」

「霜さん、学援部に行ってるんですか?」

「そんなことはどうだっていいだろう。ちょっとした世間話だ」

 

 ? なんだろう。霜ちゃんがちょっと頑なだ。

 そんなに、わたしたちに言いにくいことがあるのかな?

 

「先輩と言えば、この登山って毎年恒例らしいけど、つまりは三年生って三度目ってことだよね? だるくないのかな?」

「剣埼先輩は、なにか言ってたの?」

「別に、なにも……「今年も賭けレース取り締まりのために、風紀委員に呼びかけておかないと」とか「遭難者が出た時のための対応の詳細を先生方に確認しないと」……って言ってたくらい……」

「十分大事じゃないか」

「か、賭けレース……そんなものが、行われていたんですね……」

「思ったよりブラックだね、この登山」

「……この学校……意外と、闇多いから……」

 

 そうなんだ……

 もっと健全な学校だと思ってたけど、わたしが思うより、わたしの通う学校は黒く染まってるみたい。

 ……たぶん、お姉ちゃんとかがそういうのを正してるんだろうけど。

 

「それより……今、どのへん……?」

「どうだろう。まだ半分も行ってないんじゃないか?」

「だる……誰か、代わってほしい……」

「だ、代走なら用意できますけど、結局は恋さんが頂上に着かないと意味ないのでは……」

「代走って?」

「……昨夜の、アレ……?」

「あ、はい。そうです」

 

 昨夜って、確か、わたしたちが寝てる時にクリーチャーが出たっていう……

 深夜に二人が抜け出して、そこでクリーチャーと遭遇してしまったという話を聞いた。

 抜け出したのは二人が悪いんだけど、クリーチャーの襲撃を察知できなかったのはわたしたちの落ち度でもあるし、すごく申し訳ない。

 鳥さんはこんな時に限って働かないし。

 

「あの時はごめんね……なにもできなくて」

「別に……なんとかなったし……」

「即席でデッキ作ってクリーチャー退治とか、よくやったものだよ」

「そうだよねー。っていうか、今気づいたんだけど、その場でカード創造って、無限に好きなカード作れるってことなんじゃない?」

「あ、それは無理、です……」

「……あの後……デッキ、消えた……」

「あら、そうなの」

「アタシが創れるのは、あくまで“代用品”なので……代わりは、代わりとしての役目を終えたら……用済み、なんです……」

 

 代用品を創る力。

 代海ちゃんはそう言ってたけど、そんな超能力めいたものがあるなんて……正直、ちょっと信じがたい暗い驚きです。

 だけど、蟲の三姉弟のお姉さん――『バタつきパンチョウ』さんも、複眼だとか、神様の眼だとか言ってたし、この人たちは、そういうものなのかもしれない。

 どうしたって、人間とまったく同じ尺度では測りきれないけど……

 

「でも、それでクリーチャーを倒しちゃったんですよね! 代海さんはすごいです!」

「そ、そうですか……?」

 

 ……そのお陰で、二人とも無事だったんだから、いいよね。

 どんな力があろうと、なかろうと、代海ちゃんが代海ちゃんであることは変わりないんだし。

 

「でも、その力とやらで便利アイテムみたいなの創れないのかー」

「い、今は時間が時間なので、代わりを用意すること、それ自体は可能ですけど……望む形で、代用できるかどうかは……」

「そんな得体の知れないものに頼らずとも、歩いて登れないものじゃないだろうに」

 

 それもそうだね。大変だけど。

 まだまだ先は長い。正直、だいぶ気が滅入る。

 そんな未来に、少し憂鬱になっていると、

 

プルルルルルル!

 

 唐突に、電子音が鳴り響いた。

 

「着信音? 誰の携帯?」

「私じゃじゃないよ」

「ボクでもない」

「ユーちゃんも違います」

「あ、アタシ……です……っ」

「携帯持ってたんだね、代海ちゃん」

「は、はい……必要だろう、って、持たされて……」

 

 たどたどしい手つきで携帯を持つ代海ちゃん。明らかに慣れてない。

 代海ちゃん個人のじゃないのかな?

 

「え、えっと、これ、どうすれば……」

「……ここ……」

「あ……ありがとう、ございます。恋さん……えと、す、すいません、ちょっとだけ、失礼しますね……」

 

 そう言い残して、代海ちゃんは携帯片手に脇道に逸れる。

 そんなに気を遣わなくてもいいのに……

 

「こんな時に電話なんて、なんだか妙だね。借り物だとしても、通話に出るということは彼女に向けられた着信ってことだろうし。相手は誰なんだ?」

「……画面には、ダンナって……出てた……」

「誰さ、ダンナって。随分と雄々しい呼び方だけど」

「あ、あんまり詮索するのはよくないよっ」

「小鈴」

 

 霜ちゃんがまっすぐ、わたしを見つめる。

 すごく、真面目で、真剣で、どことなく険しい――怖い眼だ。

 

「忘れるな。彼女はどうしたって、奴らの――【不思議の国の住人】とやらの、一人なんだ。連中のやってきたことを、忘れてはいけない」

「それは、そうだけど……」

「実子のこともあるし、バンダースナッチとかいう奴のこともある。そしてなにより――あの帽子屋とかいう男だ」

「し、代海ちゃんは、帽子屋さんとは……!」

「違う。そうかもしれない。だけど、そうじゃないかもしれない。誰かを信じたい君の気持ちはわかるけど、信じすぎたらいけない。どこから、あの男が足元をすくうか、わからないからね」

 

 霜ちゃんは、まだ代海ちゃんを疑っている。それ自体はわたしにも理解できる。

 できる。けど。

 帽子屋さんや、ネズミくん、なっちゃんのことは、わたしも完全に許すことはできない。

 だけど、プールで会ったお姉さんや、その弟さんたち、蟲の三姉弟。そして、代海ちゃん。

 全員が全員、本当に悪い人だとは、わたしには思えない。

 確かに悪いこともしてるかもしれないし、わたしたちもそれを受けたけど。

 

「……だからって、やっちゃいけないことは、やっちゃいけないんだよ。悪を裁くために、わたしたちが悪になってはいけない。それに、それが本当に悪だともわからないのに」

「小鈴……しかしだな」

 

 食い下がる霜ちゃん。

 静観を続けるみのりちゃん。気が気でないと言いたげにわたしたちを交互に見遣るユーちゃん。そして、いつも通り、だけど今はそれがなによりも恐ろしいほどに表情を変えない恋ちゃん。

 代海ちゃんがいなくなった途端に出来てしまったこの空間。息が詰まりそうになる。まるで地形が歪んだような感覚に囚われる。

 こんなのは嫌だ。こんな場は、わたしの望むものじゃない。今すぐにでも逃げ出したい。

 だけどわたしが逃げたら、代海ちゃんが悪者にされちゃうかもしれない。

 動けない。この空気だけでも、なんとかして欲しい。

 そんな――時だった。

 

 

 

「やあやあ、お嬢さん方! こんなところで女子会かな? よかったら私も混ぜてよ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 陽気な声が響く。

 振り返ると、そこにはジャージ姿の女子生徒。

 

「あ……え? よ、謡さん?」

 

 謡さん。お姉ちゃんと同じ、生徒会の人。

 それ以上のプロフィールを、わたしは知らないけど……とにかく、朗らかな人だ。

 ただ、

 

「やっほー妹ちゃん! 会いたかったよー!」

「え? わわっ!」

 

 急に後ろから抱きすくめられる。

 ……ちょっと朗らかすぎて、少しだけ困るけど。

 っていうか、手つきが少しやらしい。みのりちゃんみたいですよ……

 

「あー、いいなぁ、これ。柔らかい……会長は手ぇ出そうとすると、すぐに蹴り飛ばしてくるからいけないよね。妹ちゃんはそんな乱暴者になっちゃダメだよ?」

「は、はい……?」

 

 蹴り飛ばす? お姉ちゃんが?

 なんだか物騒な単語が聞こえたと思ったら、すごい勢いで、みのりちゃんが謡さんの首根っこを掴んで、力任せに強引に引き剥がした。

 な、なんて乱暴な……

 

「ちょっと先輩。小鈴ちゃんにベタベタするのやめてくださいません?」

「ぐぇっ」

 

 潰されたカエルみたいな声を上げる謡さん。

 みのりちゃん、それはちょっと、先輩に対しては失礼すぎるよ……!

 だけど謡さんはどこ吹く風で、すぐに笑って見せた。

 

「おっとっと、ここにもフーロちゃんみたいな子がいたか。やり方は会長みたいだけど。いやぁ、愛されてるねぇ、妹ちゃん。まるでヒロインだ」

「ひ、ヒロイン?」

「いやむしろ、ギャルゲーの主人公かもね。だったらヒーロー? ここは妹ちゃんのハーレムだったのか」

「あの……言ってることが、よくわからないのですが……」

「で? 先輩は一体、一人でこんなところでなにをしてるんですか? 私たちになんの用ですか?」

 

 みのりちゃんが、やっとわたしの言いたかったことを代弁してくれた。

 遅れているわたしたちも人のことはあまり言えないけど、まだこんなところにいるということもそうだけど。

 グループでの行動が基本なのに、一人で行動しているところは、とても引っかかる。

 みのりちゃんはすごく怖い顔で詰め寄ってるけど、謡さんはまったく怯まない。

 

「刺々しいなぁ。チクチク痛んじゃうよ」

「答えてくださいよ。可愛い後輩の頼みですよ?」

「顔はめっちゃ怖いよ、君」

「…………」

「ごめん、私が悪かった。だからその露骨に不機嫌な顔をやめて。普通に怖い。ヤンキーかね君は」

「じゃあ早く答えてくれませんかね?」

「わかったよ。いやね? 大した理由じゃないんだ。君らは知らないかもだけど、生徒会もこの自己満足林間学校に一枚噛んでてね」

「生徒会が?」

 

 そういえば、林間学校のための書類作成――という名のしおりのデザイン――をやってるって、前に言ってたけど。

 実際の活動にも、関わってたんだ。

 

「そういえば先輩、生徒会の人でしたね。確か、庶務だとか」

「そうそう。都合のいい雑用ね。面倒事をぶん投げられる事後処理と事務係だよ」

「でも先輩。生徒会が林間学校の進行に絡んでるなら、ここに一人でいるのは、おかしいのでは?」

「……確かに」

「ユーちゃんたちみたいに、休憩中ですか?」

「いやいや、これはどう考えてもサボリでしょ。ねぇ先輩?」

 

 流石にサボリなんてことはないだろうけど……霜ちゃんの言う通り、一人でこんなところにいるのは変だ。

 たぶん、先生からの指示を受けて動いてるんだろうけど、それなら麓にいるか、頂上にいるかだもんね。

 あるいは、麓から頂上に向かう途中かもしれないけど、それなら一人っていうことがおかしい。単独行動は遭難の恐れがあるから厳禁って、先生たちから厳しく言われてるわけだし。

 じゃあ謡さんは、なんでこんなところに……?

 

「うむ、残念ながらサボリだね。あんなもんやってられるかってんだよ」

 

 …………

 ……言葉を失ったよ。

 

「糾弾されるべきなのに、ここまで堂々としてると逆に清々しいな」

「あははー。ま、仕事っていうのは、ほどよく手を抜くもんさ……っていうか、それならそこの君はどーなの?」

「私……?」

「君、学援部の子だよね。たまに見かけるけど」

 

 急に恋ちゃんを指し示す謡さん。恋ちゃんが学援部だって、知ってるんだ。

 そして、ここでそのことを踏まえて、恋ちゃんを指さしたってことは、

 

「学援部も、関係してるんですか?」

「一応ね。お手伝いって形で、生徒会と合同で色々と準備とかやってるよ。賭けレースの取締とか、遭難者への対応とか」

「さっき恋が言ってたやつか……でも恋はここにいるよね?」

 

 まさか、恋ちゃんもサボリ? 普通にあり得るから困る。

 と、思ったけど、

 

「いや……私は、気にしなくていいって……つきにぃが……」

「部長自らがそう言ってるのか。あの先輩らしいな」

「ふーん。さっすが、学援部の部長さんはお優しいね。だけど、学援部(君ら)には呆れると同時に同情するよ」

「……どういう、意味……?」

 

 恋ちゃんの眉が、少しだけ動いた。

 これは……少しだけ、不機嫌の火種が蒔かれた合図だ。

 だけどそれを知ってか知らないでか――たぶん気づいてない――謡さんは続けた。

 

「知ってるでしょ? 生徒会(うち)学援部(君ら)を目の敵にしてるの。正確には、会長がそっちの部長さんに敵意剥き出しなだけだけど」

 

 ……え?

 お姉ちゃんが、剣埼先輩に……?

 初めて知った。そんなことは。

 恋ちゃんはそれを聞くなり、小さく頷く。

 

「……ちょっとくらい、なら」

「普段は会長もいい人なんだけど、なーんでか部長さんが絡むと、ハブを見つけたマングースみたいになるんだよねー。しかも、この際だから言っちゃうけどさ、お手伝いなんていうのは建前でね。実際は命令っていうか、脅迫みたいなもんだよ。なにがあったか知らないけど、あんなに高圧的にならなくてもいいのに」

 

 会長。つまり、わたしのお姉ちゃん。

 生徒会長としてのお姉ちゃんのことはほとんど知らなかったけど……

 ……そんな、ことしてるんだ……

 お姉ちゃん……

 

「でも、部長さんのお人好しも、ちょっとどうかと思うよね」

 

 調子を崩さないまま、謡さんは、さらに言葉を続ける。

 今度は、剣埼先輩のことを、彼女は語る。

 

「あーんな当てつけみたいな命令を承諾するなんて、とんだお人好しだよ。あれじゃ善人を通り越してる。必要悪とも言えない。あれじゃあ」

 

 悪しざまに、というわけではない

 それは事実なのかもしれない。現実なのだろう。

 だけど、事実は残酷で。その言葉は無情で。

 思慮もなく、あけすけに、現実を明らかにする。

 白面しか見ていなかったわたしたちに、黒いものも見せつける。

 確かな現実にある一面。そんな杭が、胸に打ち込まれる。

 

「他の部員は不満たらたらって聞くし、ぶっちゃけそれを良しとするのは如何なものかと。そんなこと続けてたら部員の人たちが可哀そうだって思うよね、普通に。人の上に立つなら、集団の中心に位置するなら、人を動かす者ならば――仲間のために、悪を断じて、敵を切る無情さは持って然るべきだろうに」

 

 仲間のために、悪を断じ、切り捨てる。

 謡さんの言ってることも、言いたいことも、わかる。

 不利益があるなら、友達が傷つくなら、害あるものはいてはならない。

 それは……間違ってない。

 間違ってないん、だけど……わたしは、どうしても頷けなかった。

 お姉ちゃんのことも、剣埼先輩のことも――代海ちゃんのことも。

 なにもかも。

 

生徒会(私たち)が敵かはともかく、あの会長の言うことを素直に聞き入れる犬じゃダメだよね。流石に会長の言ってることは、あの行動は、道理からずれすぎてる。そんなのを受け入れるのは、優しすぎるって言えば聞こえは言いけど、ほとんど奴隷――」

「だまれ」

 

 驚くほど、冷たい声だった。

 なのに、怖いくらい、熱く煮えたぎっていた。

 氷のように凍てつく声は、燃える芯を内包して――恋ちゃんは、鋭利な言葉を突きつける。

 

「お前に……つきにぃの、なにがわかる……」

 

 声だけじゃない。言葉だけでは留まらない。

 小さい身体を精一杯伸ばして、先輩の襟首を掴む。

 身長差がかなりあるから、相当無理してるけど――その不恰好さを指摘できないほどに、恋ちゃんは、鬼気迫る勢いがあった。

 表情は変わらず、声の調子自体もいつもと同じ。

 だけど彼女の言葉と、彼女の発する空気は、明らかに“怒り”を放っていた。

 

「クソみたいにお人好しで、頭おかしいくらい馬鹿正直で、狂ってるほどまっすぐ、だけど……あの人は、つきにぃは……あきらと同じで、私がいくら堕ちても……狂って、壊れて、ダメになって……傷つけて、いくら突き放しても……私を、最後まで見捨てなかった……今も、昔も、ずっと……」

 

 怒り、だけじゃない。

 どこか切実で、悲しげで、願うような……そんな、慈愛と悲嘆がないまぜになっている。

 言葉が出ない。こんな感情的で、激情的な恋ちゃんは、はじめて見た。その驚愕と、彼女の無感動に感情的な必死さで、なにも言えない。

 

「つきにぃの“正しさ”は、否定させない……なにも知らない奴が……私の家族(なかま)の“正しさ”を、踏みにじるな……」

 

 ここからじゃ見えないけど、謡さんを見上げる恋ちゃんの眼は、きっと、わたしが想像してるよりずっと、わたしが想像できないくらい、険しいものなんだと思う。

 いつもは見せない、激昂する恋ちゃん。

 無表情な顔と、無感動な声に隠された、豊かな感情。それ自体は、前々から感じていたし、知っていた。

 だけど、ここまで大きく爆ぜるものだとは、思わなかった。

 それに、恋ちゃんがこんなにも、剣埼先輩のことを大切に思っているということも。

 

「……悪く言うつもりは、なかったんだ」

 

 わたしたちと同じように、恋ちゃんの静かな剣幕に圧倒されていた謡さんが、やっとという感じに言葉を発する。

 バツの悪そうな、申し訳なさそうな面持ちで、謡さんは首元を掴まれた手を退けようとすることもなく続けた。

 

「正直、君らが雑用を引き受けてくれるから私は楽できてるわけだし……それに、私もあの先輩には恩義がある。今のはただの、個人的な感想だよ。だけど言い過ぎた。それは認めるよ」

「なら……二度と、その口を、開くな……」

 

 手を離して、顔を背けて、謡さんから離れる恋ちゃん。

 こっちを向いた時に目があった。すごく、冷たい眼をしていた。

 この目は、やっぱりめちゃくちゃ怒ってる。

 謡さんは思いもよらない展開に、相当驚いている様子だ。もちろん、わたしたちもだけど。

 

「あー……ちょっとあけすけに喋りすぎたかな。いやぁ私としたことが、口が滑ったね。愚痴を言うつもりはなかったんだけどな」

 

 この剣呑な空気にいたたまれなくなったのか、無理やり陽気さを保とうとする謡さんだけど、明らかに動揺している。

 

「……こりゃ、私がいると空気が悪くなっちゃうね。あと会長に見つかったら、妹ちゃんにも迷惑かかりそうだし、逃げるようで大変申し訳ないけど、場違いな先輩はとっとと退散しますかね」

 

 朗らかな謡さんでも、このピリピリした場は耐えがたいものだったみたい。

 それに、この人も、この状況に少なからず責任を感じて、自分なりにケジメをつけようとしてるんだと思う。

 その言葉に異論を挟む人は、誰もいなかった。

 謡さんは、わたしたちを気遣ってか、あえてわたしたちが進もうとしていたルートとは違うルートに進むつもりのようで、脇道へと歩を進める。

 だけど途中、謡さんは振り返った。

 その眼は、恋ちゃんを見据えている。

 

「日向恋さん。先ほどの先輩への暴言、及び非礼を撤回し、お詫び申し上げます――ごめんなさい」

 

 謡さんは、丁寧で、慇懃に、頭を下げた。

 謝罪だ。

 できるだけ後腐れを残したくなかったのか。いや、そんな打算的じゃない。

 ただ純粋に、自分が悪いと思ったから。自分の間違い、非を認めたからだ。

 謡さんは、自分にも、他人にも、正直な人なんだね。

 だから、下級生である恋ちゃんにも素直に頭を下げて謝るし。

 

「先輩への侮辱にも等しい評価は改めます……だけど」

 

 だから――最後に、こんなことを言ったんだと思う。

 

 

 

「“私の主張”は、撤回しないからね」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「一体なんなんだろうね、あの先輩は。引っかき回すだけ引っかき回して逃げて行ったけど」

「悪い人……じゃ、ないと思うのです。ですけど……」

「滅茶苦茶、気分悪い人だねー。小鈴ちゃんにはベタベタするし、人のこと中途半端な悪口でぐちぐち言うし、小鈴ちゃんに抱き着くし、小鈴ちゃんにベタつくし」

「胸クソ悪い……あれは卑怯……あんな、まっすぐに謝られたら……恨みにくい……」

 

 謡さんが去った後。

 みんなはそれぞれ、謡さんに思い思いの評価を下していたけど、お世辞にも、いいイメージは持ってもらえなかった。

 だけど、それはわたしも同じこと。

 お姉ちゃんと同じ生徒会の人って聞いて、悪いイメージは持ってなかった。

 でも、さっきのことに加え、謡さんが言っていたこと――生徒会のこと、お姉ちゃんのこと、そして、剣埼先輩のこと。

 謡さんが撤回したのは、先輩への評価だけ。

 謡さんのことは信じたいけど、あの人の言葉を信用するということは、お姉ちゃんの評価も受け入れるということ。

 信じたくはない。だけど、それが真実なら、わたしは……

 

(わたしは……人の、なにを信じればいいの……?)

 

 チクチクと、小さな棘が胸の内に刺さる。

 信じたい気持ちが、信じたくない気持ちと、混ざっていく。

 足場が崩れて、ぐちゃぐちゃになって、混ざり合うように狂っていく。

 わたしの中でなにかが綻んで、歪んでいくような気がした。

 なにを信じればいいのか、誰を信じればいいのか。

 わたしの信心が、信じるということはなにか、わたしの中にあった芯が曲がっていくような。

 わたしが信じたい人は、わたしが好きだと思う人は、なにをもって定義されているのか。

 なにもかもが、わからなくなって――

 

「――小鈴!」

 

 その時、声がした。

 わたしの考えも、思いも、自分勝手に吹き飛ばしてしまうような、身勝手極まりない、この声は……

 

「と、鳥さん!?」

 

 山の木々を掻き分けるようにして空から現れたのは、白い羽毛に覆われた小鳥――鳥さんだ。

 昨日に続いて、また来たよ……

 だけど、ちょっと嬉しかった。

 この嫌に重苦しい空気が、少しでも和らぐ。

 そして、強引で無理やりで自由奔放でワガママな鳥さんは、一時であっても、わたしの悩みを忘れさせてくれる。

 

「来たな鳥肉! 昨日の調理場の時に来てれば、その場で揚げて唐揚げにしてやったというのに……!」

「来てたけどね、昨日の昼、調理中に。君はチーフとして忙しなく動いてたから、気づいてなかったみたいだけど」

「な、なんだってー!? 私としたことが迂闊だった……千載一遇のチャンスを無為にするなんて!」

「そんなことよりも小鈴」

「……自分が絞められて料理されそうだっていうのにこの余裕……この鳥類の豪胆さは、ある意味凄いね……」

 

 わたしもそう思う。

 良くも悪くも――ほとんど悪いことしかないけど――鳥さんは、自分の目的にしか興味ないんだろうなぁ。

 

「クリーチャーの出現を感知したよ。さぁ小鈴、急ごう!」

「それは一大事だけど、その……」

 

 ちらり、とみんなに視線を向ける。

 みんなは、コクリ、と頷いてくれた。

 

「Ja! ここは任せてください、小鈴さん! Gute Reise(いってらっしゃい)! Toi toi toil(がんばってください)!」

「……ちゃんと帰ってくるなら……それでいい……」

「それなら心配だし、私も一緒に……」

「君は厄介だからここにいろ……ボクらのことは気にせず行って来るといいさ。どうせボクらは、最後に到着する運命だろうからね」

 

 にこやかに笑ってくれるユーちゃんに、無表情でも心配してくれる恋ちゃん。

 素直じゃないけど送り出してくれる霜ちゃん、寄り添おうとしてくれるみのりちゃん。

 ……なにを信じればいいのか、信じるってどういうことなのか、よくわからなくなったけど。

 せめて、信じられる今くらいは、大切な人のことくらいは、信じないとね。

 

「うん――行ってきます!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ぼ、帽子屋さん……っ!」

「来たか、代用ウミガメ」

「き、急に電話なんて、な、なにかあったのかと、思って……っていうか、な、なんで、こんなところに……」

「それを聞くか? オレ様の、オレ様たちの目的なぞ、決まり切っているだろう。もっとも、今回はそちらは比較的サブであり、メインは姿見えぬ猫の方だが」

「ち、チェシャ猫さん、ですか……そ、そんなに、大事、なんですか……?」

「そうでもない。ただ、オレ様が気になるだけと言えば、だけだな。公爵夫人への義理立てもなくはないが」

「は、はぁ……そ、そうなんですか……ジャバウォックさんまで、引っ張り出してるのに……」

「こいつがいなければ、オレ様はまともに外に出れんからな」

「そ、そんなことより、後ろに見えてるボロボロのテントは……? まさか、ずっとそこに……?」

「その通りだが?」

「……さ、流石のアタシでも、呆れちゃいますよ……言ってくれたら、アタシが“代わり”を用意、しますのに……あ、もしかして、そのことで、呼んだんですか……?」

「いや違う。オレ様はこの拠点で十分に満足している。貴様を呼んだのは、別件だ」

「別件……?」

「なに、用というわけではない。ただ、今回、オレ様は個人で動いている。身勝手な我侭、自分勝手な自己中心的思考でな」

「は、はぁ……い、いつも通り、ですね……」

「そうだ。いつも通りだ。だから、今回の件で、オレ様が貴様に指令を出すようなことはない」

「……そ、それを伝えるために、アタシを……?」

「そうだ」

「そんなことのために……さ、先に伝えて、くれれば、よかったですのに……」

「伝え忘れていたからな。それに、これは比較的、突発的に計画したものだ。伝えるタイミングがなかった」

「はぁ……あの、その……こんなこと言うのは、し、失礼、かもしれませんが……これ、あまり、意味がないような気が……」

「意味がない。その通りだな。言われて気付いた。オレ様はイカレてるからな。許せ。伝えた方がいいと思っただけだ」

「そ、そうですか……アタシも、ごめんなさい……変なこと言って……」

「構わんさ、気にすることではない」

「で、えっと、それだけで、いいんですよね……?」

「それだけだ。だが逆に、オレ様が貴様に指令を出すようなことがあれば、それはよほどのことだと思え。まあ、そのようなことはないだろうがな。貴様は貴様の意志があり、その意志で人間社会に溶け込み、貴様の生き様がある。それを崩すのは、オレ様としても忍びない」

(既に崩しかけているような気がするのですが……早く、皆さんのところに戻りたい……)

「……む?」

「ど、どうか、しましたか……?」

「いや、大したことではない。ただ、風が荒々しいと思っただけだ」

「風……?」

「日ノ本の国の名物。野山に吹き荒ぶ夏の大風だ」

「え? そ、それって……」

「あぁ――(Typhoon)だ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 鳥さんのナビゲートを頼りに、山中を進むわたしたち。

 本来の道から大きく外れたけど、これ、無事に帰れるのかなぁ……?

 だけど、もう今さら引き返せないし、そこは鳥さんを信じるとして。

 道中、わたしはふと気になったことを聞いてみた。

 

「ねぇ、鳥さん」

「なんだい小鈴」

「鳥さんの目的って、力を取り戻すこと、って言ってたよね?」

「うん。言ったね」

「鳥さんは、なんで力を取り戻したいの? 力を取り戻して、どうするの?」

 

 ずっと、気にはなっていた。

 わたしに協力を仰いでまで取り戻したい鳥さんの力。それを取り戻して、鳥さんは、どうするのか。なにが目的なのか。

 力はあくまで手段で、目的ではないはず。電気は単なるエネルギーで、それを使って光にするか熱にするか、という使用用途があるように。

 鳥さんの本来の力を取り戻したとして、その力をなにに使うのか。

 それを問いただそうとしたんだけど、

 

「失ったものを取り戻したいと思うのは、当然のじゃないのかい? そこに理由なんていらない。君だって、常に病に伏せったままなのは嫌なはずだ。早く病気を治したいと、そのために手を尽くそうとするだろう?」

「え? あ、そ、そうだね……」

 

 簡単に説き伏せられてしまいました。

 うぅ、鳥さん、いつも強引なくせに、いざって時には妙に舌が回るんだから……

 

「まあ、安心するといいよ小鈴。僕の力も、かなり戻ってきた。もうすぐこのやり取りも終わりさ」

「そうなの?」

「そうだ。あとクリーチャー一体分のマナで、本来の姿と力を取り戻すくらいには、回復するんじゃないかな?」

「本来の姿……? 鳥さん、それが本当の姿じゃないの?」

「あぁ、これは省エネモードさ」

「省エネ!?」

「力がなさ過ぎて、小型化しつつこの世界の生物に姿を合わせないと、まともに動けなかったんだ」

「そ、そうなんだ……」

「こっちに来ているクリーチャーは、ほとんどそうさ。世界の法則が違うんだ。その世界に合わせた姿を取るほうが、合理的だ」

 

 言われてみれば、他のクリーチャーも、人間に憑りついたりして行動することが多くて、そのままで動いてるところって、ほとんど見たことないや……正体を看破したら、姿を見せることはあるけど。

 鳥さんだけがすごく貧弱なわけじゃないんだね。

 

「それに、この世界の生物を模すとか、憑代にする方が、表面上は“筋を通せる”しね」

「筋?」

 

 なんだか、変な言い回しだ。

 エネルギーがどうとか、合理的だとか、そういう説明はなんとなくわかるけど、筋が通っているって、どういうこと?

 

「この世界にクリーチャーは、本来存在しないものだ。本来あるべきでないものがある。これは、世界の法則として“筋が通っていない”んだ。わかるかい?」

「う、うん……? なんとなく……」

「要するに、異物なんだ、クリーチャーは。この世界の概念を吸収して、溶け込めるようになったとしても、根底は覆らない。この世界という“お話”に、クリーチャーは存在しない。それが存在するのだから、筋が通らないのさ」

 

 あるべきでないものがある。

 それは、たとえば『桃太郎』という昔話に出て来るおともが、イヌ、サル、キジじゃなくて、ネコとかネズミだったらおかしいのと同じように。

 この世界の登場人物に、クリーチャーは存在しない。クリーチャーがクリーチャーのままでいると、異物となってしまう。

 だから、クリーチャーは、人の姿を偽装している?

 ……じゃあ、代海ちゃんたちは?

 代海ちゃんたち、【不思議の国の住人】の人たちは、この世界に本来存在しないものなの?

 わからない。

 代海ちゃんたちは、一体どういう立ち位置なのか。

 もしかして、この世界で生きるために、無理をしているんじゃないか。

 

「……ねぇ、鳥さん。筋が通らないことを続けてると、どうなるの?」

「どうもこうもない。いずれ“壊れる”だけだ」

「っ……! こわ、れる……?」

「驚くことじゃないよ。無理をするってことは、そういうことだ。人間だってそうだろう? 自分の肉体の限界を超えたことをしようとする。それも世界の法則を、ルールを無視した、無理をするという行いだ。その結果は、法則という限界値の壁との衝突だ。その原理は、あらゆる物事へ平等に働く」

 

 理解はできる。それは理屈だ。道理だ。納得できないはずがない。

 だけど、だからこそ、わたしの不安が募る。

 

「クリーチャーもね、同じなんだ。この世界に、本来あるべき姿のまま生きようとしても、長く続かない。純粋なエネルギーの問題もある。神話の断片、その片翼たる僕でも、こっちに来てすぐ、自らの存在を矮小化しないと死ぬと悟った程さ。マナを供給しなければ生きていけないし、そのために効率のいい身体を、合理的な[[rb:機構 >システム]]を持つ必要がある。僕らのような、別世界から来た異物は、その世界のルールに甘んじなければいけないということさ」

「……鳥さんも、結構ギリギリだったんだね」

「そうだよ。正直、死ぬかと思った」

 

 あっけらかんと言うけど、鳥さんも、わたしが思っている以上に大変な思いをしてたんだね。

 強引すぎるくらいにわたしを引っ張り出す行動も、生きるために必死だったと思うと、納得できる。

 鳥さんの強引さにはちょっとうんざりしてたけど、認識を改める必要があるかもしれない。

 ごめんね鳥さん。

 と、口に出そうと思ったけど、それよりも早く、鳥さんが鳴いた。

 

「なんて話している間に、見つけたよ。あそこだ、小鈴」

「あそこ……って、えぇ!?」

 

 視線の先。

 そこには、黒っぽいようなこげ茶色の体躯――というか、毛皮を持つ生物がいた。 現実で見るのは初めて。

 本の中では、ファンシーな存在としても登場するけど、実際に出会うと、恐怖でしかないその存在に、流石に目を見開いた。まさか、と言いたくなった。

 だって、それは……

 

「く、クマっ!?」

 

 なんでこんなところにクマさんが!?

 この山にクマはいないし、クマ避けのための対策は十分にしてあるって、先生たちは何度も言ってたのに!

 もしかして、それは全部、嘘だったとか……?

 

「クリーチャーが憑りついている……いや違うな、僕と同じか」

「お、同じって?」

「自分の本来の姿に近いこの世界の生物の姿に“擬態”している」

 

 擬態?

 ってことは、あれはクマさんに見えるけど、実際はクリーチャーってこと?

 あのクマさんについて鳥さんと問答していると、クマさんがこちらを向いた。明らかにこっちを見てる。

 あ、これはまずい……は、走ってきた!?

 

「うわぁ!?」

 

 クマさんの突進を、横に跳んで――というか、ほとんど転ぶようにしてかわす。

 この恥ずかしい衣装は恥ずかしいけど、確か肉体が強化されてるとかなんとか。その恩恵に、今までで一番感謝した。

 

「と、鳥さん! これ、ど、どうすればいいの……!?」

「いつも通りでいいじゃないか。見てくれは獣だが、中身はクリーチャーなんだから。ほら、よく見てごらん」

「よく見るって……」

 

 ほとんど尻餅をついたような体勢のまま、クマさんを見遣る。

 ……見えた。

 クマさんの本当の姿。

 

「な、なにあれ……」

 

 確かに、それはクマと言える生き物だった。

 だけどわたしの知っているものは、もっとスマートな体つきをしていたはず。

 でもこの目で見えているのは、筋骨隆々とした、屈強な肉体をしている。

 その身体には、肩から弾倉なのか爆弾なのかわからないけど、やたら太い金色の筒を繋げたものをかけているし、身体そのものにも刺青みたいな、不思議な模様が走っている。

 それに、両手には見たこともないような銃? みたいな武器を抱えている。火器って言えばいいのかな?

 左目には眼帯、赤い軍帽みたいなものを被っていて、ついでにサケ? をくわえている。

 なんと言えばいいのか……怖いんだけど、妙にシュールだ。目も変に見開かれてて、明らかにおかしい。

 とても言語化が難しいんだけど、どこか、狂ってしまったかのような。

 受け入れるべきでないものに憑りつかれてしまって――そう、イカレてしまっている。

 わたしには、そのクリーチャーはそんな風に見えた。

 

「ふむ、《獣軍隊X ゲリラフガン》か。禁断に魅せられた哀れなクリーチャーだね。まともな思考を持っているとは到底思えないから、偶然こっちに流れてしまったのかな? 人間を憑代にしないで擬態に走ったところを見ると、状況は理解してないけど、本能的に肉体の崩壊を察知して、命を繋いだってところか」

「……今日は随分と雄弁だね、鳥さん」

「そうかい? まあ、僕の言葉なんてどうでもいい。小鈴、君の出番だ」

「う、うん……」

 

 咆哮するクマさん。

 意図せずにこの世界に来てしまったのだとすると、それを倒すなんて、忍びないけれど……だからこそ、放置するのも危険だ。

 正直あまり乗り気にはなれないけど、それでも、やるしかない。

 デッキを握り締めて、いつものように、戦いの場へ――

 

「じゃあ……行くよっ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 クマさんとの対戦……咆えたり唸ったり、言葉も通じないし、言動はすべて獣も同然だから、正直すごく怖い。

 わたしの安心はこの五枚のシールドだけ。なにをどう仕掛けてくるかもわからないし、不安です。

 

「《熱湯グレンニャー》を召喚。一枚ドローして、ターン終了」

「Guaaaaa……!」

 

 クマさんもクリーチャーを召喚する。出て来たのは、鎖に繋がれた赤い巨人。

 ――《紅の猛り 天鎖》。

 あのクリーチャーは確か、昨晩、恋ちゃんが使ってたクリーチャーだよね。シールドが七枚以上ないと、起き上がらない。

 それが出て来るってことは、クマさんのデッキはシールドを増やす手段が多いってことなのかな。

 

 

 

ターン2

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

ゲリラフガン

場:《天鎖》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

 

「なら、スピードを上げていくよ! 3マナで《リロード・チャージャー》! 手札を一枚捨てて、一枚ドロー! ターン終了!」

「Guuuuuu……」

 

 今度はクワを持ったキノコみたいなクリーチャーが出て来た。《極太(ゴンブト)(マッシュ) 菌次郎(きんじろう)》……? 見たことないクリーチャーだよ。

 

 

 

ターン3

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

ゲリラフガン

場:《天鎖》《菌次郎》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:27

 

 

 

「ラビリンスを使われるだけでも嫌だし、攻撃されたらもっと困る……攻められる前に攻めるよっ。わたしのターン! マナチャージして5マナ、《超次元ボルシャック・ホール》! 《菌次郎》を破壊して、《勝利のリュウセイ・カイザー》をバトルゾーンに! ターン――」

 

 終了、と言い切る前に。

 クマさんの手札から、《菌次郎》と入れ替わるようにした、なにかが飛び出した。

 

「――っ、クリーチャーが、出て来た……!?」

 

 《極太陽(ゴンブト トレジャー) シャイニング・キンジ》。

 屈強な肉体。鬣か、太陽のように広がった髪を持つ、人型のクリーチャー。

 右手に持つのは、大きな……クワ? かなり変形してるけど、農作業の道具だ。

 脚にはキノコみたいな突起もあるし、名前もそうだけど、どことなくさっきの《菌次郎》の面影を感じるクリーチャーだ。

 

「いや、っていうか、これは……」

 

 普通にまずいのではないでしょうか……?

 クリーチャーを倒したと思ったら、より強いクリーチャーに成り代わってしまった。

 クマさんのターン。《勝利のリュウセイ》の妨害のお陰か、クマさんは出せるカードがなかったようで、マナチャージだけ。クリーチャーを召喚したりはしなかった。

 けど、

 

「Gaaaaaaaa!」

 

 攻撃は、仕掛けてくる。相手に先んじて攻撃されてしまった。

 《シャイニング・キンジ》の攻撃と同時に、クマさんの山札から二枚めくられて、それぞれ一枚ずつがシールドとマナになる。

 攻撃時にシールドとマナを同時に増やすなんて……

 

「しかもWブレイク……!」

 

 一度の攻撃で、《天鎖》が動くためのシールドを増やし、わたしが得たマナの多さという優位性にも詰め寄ってくる。

 これはキノコなんて生易しいものじゃない、狩人だ。

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:《グレンニャー》《勝利のリュウセイ》

盾:3

マナ:5

手札:4

墓地:2

山札:25

 

 

ゲリラフガン

場:《天鎖》《キンジ》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:1

山札:25

 

 

 

「これはもう……仕掛けるしかない」

 

 本当はもっとゆっくりと準備したかった。

 墓地を着実に溜めて、クリーチャーを堅実に並べて、一気に攻勢に出たいところだった。

 でも、ここまで早い段階で、守りも戦線も拡大されながら攻め込まれたんじゃ、溜まったものじゃないよ。

 《ボルシャック・ホール》のツケかな、その代償を支払わないと。

 そのためには、多少の無茶をしてでも、攻める!

 

「マナチャージして6マナ! 《龍覇 グレンモルト》を召喚!」

 

 わたしの場にクリーチャーは既に二体出ている。うち一体は《勝利のリュウセイ》。

 クマさんはシールドを増やしてるから、これだけ並んでもこのターンには決めきれない。

 

「なら、バトルゾーンから攻めるよ! 《グレンモルト》に《ガイハート》を装備! そして《シャイニング・キンジ》に攻撃!」

 

 不幸中の幸いかな、《シャイニング・キンジ》のパワーは6000だから、《グレンモルト》のままでも倒せる。

 《菌次郎》を倒した時みたいに、また手札からなにか出ないかとビクビクしたけど、その心配はいらなかったみたい。クマさんは、今度はなにも出さない。

 これで、一回目。

 

「次は……トリガーが出たら嫌だから、《グレンニャー》で攻撃するよ。シールドをブレイク!」

 

 そしてこれで、二回目。

 《グレンニャー》が割ったシールドにはなにもない。

 

「やった、トリガーなし……じゃあ、これで二回目の攻撃だから、《ガイハート》を《ガイギンガ》に龍解するよ!」

 

 対象がいないから龍解時の能力は不発だけど、《ガイギンガ》が出ただけで、わたしの勝ちはグッと近づく。

 あとは実質的に選ばれない《ガイギンガ》で攻撃していれば、大丈夫だよね。

 このターンには決めきれないけど、このまま押し切るつもりで、攻めるよ!

 

「《勝利のリュウセイ・カイザー》で攻撃! Wブレイク!」

「Guruaaaaa……」

 

 切り裂かれたシールドから光が迸る。

 S・トリガー! でも、《ガイギンガ》は選ばれないし、大抵のトリガーなら――

 

「……え?」

 

 虚を突かれ、思考が止まる。

 思わぬ光景に、意識が飛ぶ。

 なんで、なんで――

 

「が、《ガイギンガ》が……!」

 

 ――なんで、地中に沈んでるの?

 ずぶずぶと、地面に引き込まれているの?

 《ガイギンガ》は選ばれることはないのに、どうして……?

 

「《大地の超人(ガイア・ジャイアント)》……」

 

 クマさんのシールドから飛び出したS・トリガー。

 山のような姿の巨人は、自身と共に、《ガイギンガ》を地中へと引きずり込む。

 わたしは、二つの勘違いしていた――思い上がっていた。

 《ガイギンガ》も選ばれる可能性がある。選ばれないのではなく、選ばれても不利にならないことが、《ガイギンガ》の本質。それが、一つ目の勘違い。

 そして、《ガイギンガ》は決して無敵ではない。選ばれた際の不利を覆すだけ。自ら選ばなければ、《ガイギンガ》は倒れる。それが、二つ目の思い上がり。

 《大地の超人》の能力は、自分のアンタップクリーチャーをマナに送ることで、相手のアンタップクリーチャーをマナゾーンに送ること。

 ただし送るクリーチャーは、相手プレイヤー――即ち、“わたしが選ぶ”。

 わたしの場のアンタップしているのは《ガイギンガ》だけだから、当然、選ぶクリーチャーも一体だけになる。

 勘違いして、思い上がって、過信していた。

 その慢心を、突き崩された。

 

「そんな……」

 

 自ら選ばず、相手に選ばせて除去を放つカードの前には、《ガイギンガ》は無力。

 いつも、実質的な選ばれない能力を盾に強引に攻めていたから、それが身体に染み付いて、誤認してしまっていた。認識をずらしてしまっていた。

 そのせいで、わたしはむざむざと《ガイギンガ》を失ってしまった。

 無駄死に、だ。

 

「う、うぅ……」

 

 これ以上は攻撃もできない。中途半端に手札を与えてしまっただけ。

 しかし動けないわたしは、ターン終了を宣言する他なかった。

 

「Guuuuu……」

 

 クマさんは、《無頼聖者スカイソード》を召喚して、マナとシールドを同時に増やす。

 またシールドが増えた……ますます攻め切るのが難しくなってくる。

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《グレンニャー》《勝利のリュウセイ》《グレンモルト》

盾:3

マナ:6

手札:3

墓地:2

山札:24

 

 

ゲリラフガン

場:《天鎖》《スカイソード》

盾:4

マナ:8

手札:3

墓地:2

山札:21

 

 

 

 ……落ち込んでばかりは、いられない。

 わたしのミスで《ガイギンガ》を失ってしまったけど、まだ、負けてはいない。

 失敗なんて、今までいくらでもしてきた。そのせいで負けたり、それでも勝ったり、色々あった。

 ちょっとやそっとのミスで挫けてなんていられない。状況は依然不利だけど、まだ諦められない。

 少しでも状況を打開するため、前に向きになるため、わたしはカードを引く。

 

「あ……これ……」

 

 ここに来て、これを引くんだ……

 ……《ガイギンガ》はやられちゃったけど、それでも、わたしにはまだ切り札が残ってる。

 初めて使うから、上手く使える自信は全然ないけど……今は、これに賭けるしかないよね。

 

「6マナで、進化――」

 

 場の小さなクリーチャーに、大きな力を。

 進化の強さを与える。

 進化元は、《グレンニャー》――

 

「――(ボルテックス)!」

 

 ――と、《グレンモルト》。

 二体の火のクリーチャーを重ねて、召喚するよ。 

 

 

 

「お願い――《暗黒邪眼皇ロマノフ・シーザー》!」

 

 

 

 わたしの新しい切り札、《ロマノフ・シーザー》だよ。

 切り札と言っても、能力が《クジルマギカ》と似てて、文明も合うからたまたま持ってた一枚を入れてるだけなんだけど。

 でも強いクリーチャーには変わりないはず。それに、このクリーチャーなら、ここから逆転だって不可能じゃない。

 

「《ロマノフ・シーザー》で攻撃! その時、メテオバーン発動だよ! 進化元にした《グレンモルト》を墓地に送って、墓地の《ボルシャック・ホール》をもう一度唱えるよ!」

「Gua……」

「《スカイソード》を破壊! そして《勝利のガイアール・カイザー》をバトルゾーンへ!」

 

 Tブレイカーの《ロマノフ・シーザー》に、二体のサイキック・クリーチャー。

 これでクリーチャーの数は十分。今度こそ、決めに行くよ!

 

「《ロマノフ・シーザー》でTブレイク!」

 

 銃弾が放たれ、クマさんのシールドを撃ち抜く。《ロマノフ・シーザー》の攻撃が、三枚のシールドを粉砕する。

 すると、クマさんは激しく咆哮した。

 

「Guaaa!」

 

 っ、またトリガー!?

 しかも出て来たのは《獣軍隊X ゲリラフガン》――クマさん自身だった。

 

『Guuuuuu……』

 

 まるでわたしの侵攻を阻むかのように、立ち塞がるクマさん。

 なぜか場に出た瞬間にタップされたし、本来持ってないはずのS・トリガーで出て来たし、なんだかよくわからないけど、一つだけ確かなことがある。

 

「攻撃が、止められた……」

 

 いや、厳密には止まっていない。わたしはまだ、攻撃できる。

 だけど攻撃対象を定めようとすると、クマさんがその間に割り込んで、壁のように立ち塞がるのだ。

 クマさんのパワーは7000。決して高くはないけど、《勝利のリュウセイ》では突破できない。

 仕掛けはわからないけど、なんにしてもこれ以上の攻撃はできなくなっちゃったみたい。悔しいけど、また中途半端なところで、ターン終了するしかない。

 

『Guaaaaaa!』

 

 クマさんのターン。クマさんは《スカイソード》に、《虹彩奪取 ケラサイト》を召喚する。とにかくシールドをどんどん増やして、防御力を上げる。

 今さら気づいたけど、クマさんのデッキは、恋ちゃんのデッキと似ている。トリガービート、って言うんだっけ? S・トリガーをたくさん入れて、シールドを増やしてトリガーの確率を上げて、相手の攻撃から身を守りつつ攻めていくデッキ。

 《アブソリュートキュア》で一気にシールドを増やしてくる恋ちゃんより、爆発力は劣るのかもしれない。だけど、継続的に何度もシールドを増やされるのは、とてもやりづらい。

 それに、守りだけじゃない。

 いよいよクマさん自身も動き出して、攻撃。わたしのシールドが二枚まとめて砕かれた。

 

 

 

ターン6

 

小鈴

場:《ロマノフ・シーザー》《勝利のリュウセイ》《勝利のガイアール》

盾:1

マナ:7

手札:4

墓地:2

山札:24

 

 

ゲリラフガン

場:《天鎖》《ゲリラフガン》《スカイソード》《ケラサイト》

盾:2

マナ:10

手札:3

墓地:3

山札:18

 

 

 

「わたしのターン……《プリンプリン》が出せれば、覚醒リンクできるし、そうすればきっと……」

 

 混戦というか、色んなクリーチャーが出て来て、S・トリガーやらシールド追加やらで、明らかにわたしは翻弄されている。

 だからここで一度、すっごく大きなクリーチャーを出して攻めることができれば、この“惑い”から抜け出せるような気がする。

 幸いにも、今のわたしの場には《勝利のリュウセイ》《勝利のガイアール》と、覚醒リンクに必要なクリーチャーが二体揃っている。

 残す《プリンプリン》はどの超次元呪文からでも出せるし、それさえ出せれば、状況を一気に打開できそうだよ。

 

「《グレンニャー》を召喚! 一枚ドローして、《ノロン⤴》を召喚! 二枚引いて二枚捨てるよ!」

 

 できそう、なんだけど。

 

「ん、うぅ、引けない……3マナで《リロード・チャージャー》! 手札を捨てて一枚ドロー……!」

 

 肝心の超次元呪文が引けない。

 まあ、都合よく引きたい時に引ければ苦労しないよね……

 墓地の《ボルシャック・ホール》は前のターンに使っちゃって山札の底。

 となると今は、とにかくカードをたくさん引いて、引き込むしかないかな。

 

「《ロマノフ・シーザー》で攻撃する時に、メテオバーン! 進化元を一枚墓地に置いて、《地獄門デス・ゲート》を唱えるよ! 《スカイソード》を破壊して、《ノロン⤴》をバトルゾーンへ!」

 

 さらにドロー、そして手札を捨てる。

 これで《ロマノフ・シーザー》は弾切れ。なんだか地味な活躍だったけど……でも、ありがとう。お陰で、少しとはいえ確かに状況は好転したし、わたしも前向きになれた。

 次からは、もっと上手く使ってみせるよ。

 

「バトルだよ! 《ロマノフ・シーザー》のパワーは13000! パワー7000の《ゲリラフガン》には負けない!」

 

 とにかく今は対戦だ。

 わたしの侵攻を阻む壁となっていった《ゲリラフガン》は、《ロマノフ・シーザー》の純然たるパワーで破壊する。

 これで攻撃が通るようになった。S・トリガーの危険性は常にあるけど、これはわたしがとどめを刺すチャンスでもある。

 

「よしっ……あれ?」

 

 と、思ったのも束の間。

 厄介な《ゲリラフガン》を破壊したけど、なにか、変だ。

 地面が――相手のマナゾーンが、蠢いている。

 そしてそこから、クリーチャーが這い上がって――場のクリーチャーを、飲み込んだ。

 

「マナからクリーチャーが……しかも進化クリーチャー!?」

 

 《大神砕シンリョク・ガリバー》というクリーチャー、らしい。

 《ケラサイト》から重ねて進化されたそのクリーチャーは、さらにマナゾーンを揺るがす。

 隆起した大地はそのままシールドゾーンへと移り、そのまま盾として形成される。

 つまり、マナゾーンのカードが、シールドに置かれた。

 しかも、置かれたカードに、とても困った。

 

「マナの《ホーリー》が、シールドに……!?」

 

 これって、どう考えてもまずいよね……

 《ホーリー》が仕込まれたシールドがある限り、わたしの攻撃は必ず止められてしまう。だから早めにブレイクしたいけど、《ホーリー》のシールドをブレイクしたら、次のターン、わたしはシールドを割り切られてとどめを刺されてしまう。

 トリガービートの強みは、カウンター性能にあると、恋ちゃんや霜ちゃん、それにみのりちゃんも言っていた。

 防御は攻撃に転じる鍵。増え続ける盾こそが攻めの刃。防御は最大の攻撃。とかなんとか。

 要するに、S・トリガーで出たクリーチャーが、そのまま攻撃の手段になる、ってことなんだろうけど。

 わたしがここでとどめを刺すチャンスであるのと同時に、クマさんにとっても、ここでS・トリガーしたクリーチャーが出ることは、わたしに反撃してとどめを刺すチャンスでもある。

 その可能性が、《シンリョク・ガリバー》の登場で確定した未来に変わったわけだけど、それによって困ったのはわたしだ。

 《ホーリー》をシールドから追いやらないと、わたしはとどめが刺せない。けれど《ホーリー》を場に出したら、わたしがピンチ。

 ブレイクはしたくないけど、このまま手をこまねいているわけにもいかない……ど、どうしよう……

 

「……た……ターン、終了……」

 

 あぅ……怖気づいちゃった……

 臆病風に吹かれて、トリガーの危険性を意識しすぎて、怖がって、恐ろしくて……攻撃の手を、止めてしまった。

 わたしにだって、トリガーのチャンスはあったのに。

 それが正解か間違えいかは、わからないけど……だけど、恐怖で攻撃をためらってしまった自分が、情けなく思えてしまう。

 

「Guuu……」

 

 クマさんはここで、《奪太陽(ゲットレジャー) サンサン》を召喚。そして、

 

「これって……」

 

 場が一変する。これは、D2フィールド?

 《Dの牢閣 メメント守神宮》……よく見るフィールドだ。確か、クリーチャーをブロッカーにするフィールドだったよね。

 ……あれ? ここでそのカードって、すごくまずいんじゃ……

 

 

 

ターン7

 

小鈴

場:《ノロン⤴》×2《ロマノフ・シーザー》《グレンニャー》《勝利のリュウセイ》《勝利のガイアール》

盾:1

マナ:9

手札:3

墓地:6

山札:17

 

 

ゲリラフガン

場:《天鎖》《シンリョク・ガリバー》《サンサン》《メメント》

盾:3

マナ:9

手札:2

墓地:5

山札:16

 

 

「わたしのターン、ドロー……」

 

 その瞬間。

 《メメント守神宮》のDスイッチが発動する。

 

 わたしのクリーチャーはすべて、タップされてしまった。

 想定外の拘束。このターン、わたしは攻撃するという選択肢を奪われることになる。

 困った。あのD2フィールドはまずい。

 あのたった一枚のフィールドが、か細いけど、わたしの中にあった“勝ち筋”を掻き消してしまった。

 どうにかしてあのフィールドを取り除かないと、わたしに勝ち目はない。

 だけど、逆転の手を用意しながら、フィールドまで除去するなんて、そんな余裕があるのかな……

 

「……と、とりあえずこれ……《超次元リバイヴ・ホール》! 《グレンニャー》を手札に戻して、《勝利のプリンプリン》をバトルゾーンへ! 《プリンプリン》の能力で、《サンサン》の攻撃とブロックを封じるよ! さらに(ビクトリー)覚醒(サイキック)リンク!」

 

 このターン、どうしたって攻撃はできないんだし。

 ならせめて、少しだけでも反撃の準備くらいはしておこう。

 

「《唯我独尊ガイアール・オレドラゴン》! ……タップしちゃってるから、攻撃できないけど」

 

 三体のサイキック・クリーチャーが裏返って、連結し、一体のクリーチャーとなる。

 そんなに何回も出したことはないけど、やっぱり壮観だなぁ。

 今はそんな感傷に浸ってる場合じゃないけど。でも、この大きさはどこか安心できる。

 もちろん、今この状況は、まったく安心できないけど。

 

「まだだよ、《ボルシャック・ホール》! 破壊できるクリーチャーはいないけど、クリーチャーは出せる! 《時空の喧嘩屋キル》《時空の探検家ジョン》を出して、ターン終了! ターン終了時に、このターン二体以上クリーチャーを出してるから、《ジョン》を《ジョンジョ・ジョン》に覚醒!」

 

 クマさんのターン。

 《サンサン》の動きは止めたから、このターンにとどめは刺されない……と、思ったけど、

 わたしの場から《勝利のリュウセイ》がいなくなったことで、マナがアンタップ状態で置かれるようになったクマさんは、そのマナをフルに使って、クリーチャーを展開する。

 一体目は《スカイソード》。またシールドが増えて辟易する。

 けど、それだけじゃない。

 

「うっ、《シンリョク・ガリバー》……!」

 

 《スカイソード》を進化元に、再び現れる《シンリョク・ガリバー》。またマナゾーンの《ホーリー》をシールドに仕込んでいく。

 まずいよ。シールドが五枚まで回復されたのもそうだけど、これで攻撃できるクリーチャーが二体になっちゃった……

 ダイレクトアタックまで、届いちゃう。

 

「Guaaaaaaaaaaa!」

「っ……!」

 

 《シンリョク・ガリバー》がわたしのシールドを打ち砕く。

 これでわたしのシールドはゼロ。だけど、

 

「あ……S・トリガー――いや、スーパー・S・トリガーだよ!」

 

 最後のシールドから、S・トリガーが来てくれた。

 それも、この状況を覆す一手となる、最高の一枚だ。

 

「《ドドンガ轟キャノン》! まずはコスト5以下の相手のカード……《メメント守神宮》を破壊!」

 

 まずは邪魔なフィールドを破壊。

 そして、

 

「次にスーパー・S・トリガーのボーナス発動! わたしのシールドがゼロの時にトリガーしたから、コスト7以下の相手クリーチャーをすべて破壊するよ!」

 

 クマさんの場のクリーチャーはすべて、コスト7以下。すべてのクリーチャーが砲撃によって破壊されるけど、

 

「っ、あれは……!」

 

 《サンサン》が光って、手札から《シャイニング・キンジ》が現れる。

 あのクリーチャーからも出て来るんだ……でも、もうそれは関係ない。

 なんにしたって、次がわたしの最後のターン。そして、そのラストターンで決めるから。

 

 

 

ターン7

 

小鈴

場:《ノロン⤴》×2《グレンニャー》×2《ロマノフ・シーザー》《オレドラゴン》《キル》《ジョンジョ・ジョン》

盾:0

マナ:10

手札:2

墓地:8

山札:15

 

 

ゲリラフガン

場:《キンジ》

盾:5

マナ:10

手札:0

墓地:12

山札:12

 

 

 

 

「わたしのターン! まずは、わたしの場にパワー6000以上のクリーチャーがいるから、《キル》を《セツダン》に覚醒! 2マナで《グレンニャー》を召喚! さらに5マナで《狂気と凶器の墓場》! 墓地から《グレンモルト》を復活!」

 

 とりあえず、できる限りのことはする。

 でも、これだけクリーチャーを揃えても、クマさんのトリガー次第では負けちゃうんだよね……でも、もう後には退けない。

 ダメかもしれないけど、やるしかないんだ。勝つための筋道は、これしかない。

 

「S・トリガー怖いし、やっぱりこうだよね……《グレンニャー》で攻撃だよ、シールドをブレイク」

「……Gua」

「《大地の超人》……それなら問題ないよ。《ノロン⤴》をマナへ」

 

 地面に沈みながら、わたしのクリーチャーも引きずり込もうとする《大地の超人》。

 だけど、その選択権はわたしにある。さっきはそのせいで《ガイギンガ》を失っちゃったけど、今はその程度じゃ止まらない。

 

「じゃあ、一気に叩き割るよ! 《ガイアール・オレドラゴン》で攻撃! シールドをワールド・ブレイク!」

「Guaaaaaaaaaaaaaaa!」

 

 来た! S・トリガーだ。

 眩い閃光と共に現れるのは、《ホーリー》が二体。加えて《大地の超人》まで現れた。

 《大地の超人》は、《グレンニャー》をマナに送るとして、これでわたしのクリーチャーはすべてタップされてしまう。しかも、ブロッカーが二体。

 だけど、

 

「……これでわたしは、このターン、二度の攻撃に成功したよ」

 

 攻撃を止められても、クリーチャーは生きてる。

 《グレンモルト》は、まだその剣を手にしている。

 生きてるなら止まらない。今度は、慢心せずにちゃんと扱ってみせる。

 

 

 

「龍解――《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 今度こそ――わたしに勝利を。

 いいや、わたしが、勝利を掴み取る。

 

「まずは《ガイギンガ》の龍解時の能力で、《ホーリー》を破壊!」

 

 これでブロッカーも破壊した。

 あとは、駆け抜けるだけだよ。

 

「《ガイギンガ》で攻撃! ダイレクトアタック!」

「Gaaaaa!」

 

 とどめの一撃、それは《ホーリー》にブロックされる。

 それでいい。

 それも、織り込み済みだから。

 

「このターン、この攻撃が、わたしのクリーチャーの三度目の攻撃だよ」

 

 一度目は《グレンニャー》。

 二度目は《オレドラゴン》。

 そして、三度目は《ガイギンガ》。

 

「《冒険の覚醒者ジョンジョ・ジョン》の能力発動! わたしのクリーチャーの攻撃に反応して――アンタップする!」

 

 起き上がる《ジョンジョ・ジョン》。

 このクリーチャーが、わたしが攻撃を通して、勝つための鍵。

 何度タップされても、ブロックされても、何度でもしぶとく起き上がる。

 諦めずに、何度でも、立ち上がるんだ。

 さぁ、これで終わりだよ。

 

 

 

「《ジョンジョ・ジョン》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「お、終わった……」

 

 光の残滓となって消えていくクマさん。

 ……その姿に同情するというか、申し訳なさがあるけど……こうするしか、なかったのかな。

 わたしは鳥さんに言われるままに動いているけれど、それも正しいことなのか、わからなくなりそう。

 鳥さんは、もうえずくこともなく、いつものように消えゆく光をついばんでいる。

 この鳥さんの“お願い”は、正しいことなのかな。

 クリーチャーを放置しておくことはできないけど、だからといって、本当に倒さなくちゃいけないのか。

 わたしには……わからないよ。

 わたしはあまりにも、クリーチャーのことを知らなさすぎる。クリーチャーがどんな思いでここにいるのか。元々、どんな世界にいたのか。なにも。なんにもわからない。知らない。

 ……わたしが、クリーチャーたちの世界に行けたとしたら、もっとなにかわかるかもしれないのに。

 だけどそれは、叶わぬ願い、だよね。

 わたしはただの人間だ。なんでことのない、なんの力もない、普通の女の子。

 特別な能力もなにもないわたしに、そんな荒唐無稽なことができるはずもない。

 それこそ、あり得ない。筋の通らないことだ。

 

「ふぅ、ごちそうさま。いい具合に力も戻って来たね」

「そう……よかったね」

「君はあまり嬉しそうじゃないね?」

「うん、まあ、いろいろ考えちゃって……」

「ふーん。君の悩みなんて僕は知らないけど、あんまり思いつめないでよ。どんな世界でも、誰だって、笑っている顔が一番いい顔さ」

 

 鳥さんは無責任に言い放つ。

 その笑顔を奪うようなことをしてるんじゃないかで、悩んでるのに……無神経すぎるよ、鳥さん。

 

「さて、せっかく力も戻ったし、君にちょっとだけ、僕の本当の姿を見せてあげようかな」

「え? いいの?」

「そりゃあね。まだ万全完全完璧とは言い難いけど、君に僕の真の姿を見せるのは、礼儀のようなものだと思っている。信頼と親愛の証みたいなものさ」

 

 信頼と親愛……そう言われると、ちょっとだけ照れくさくて、嬉しいけど……

 

「それに、本来の姿を知ってもらう方が、都合がいい時があるかもしれない。だから覚えておいてほしいのさ」

「そう……まあ、そういうことなら……」

「よし。それじゃあ、早速……ん?」

「どうしたの?」

「人の足音が聞こえる……こっちに向かってるのか?」

「え!?」

 

 こっちに人が向かってる!?

 それって確実に、うちの学校の関係者じゃない!

 先生か、生徒かはわからない。もしかしらみんなかもしれないけど……もしも無関係な人だったら、こんな格好とこんな鳥さんを、誰かに見られるわけにはいかないよ!

 

「と、鳥さん! 真の姿とかは今度でいいから、早くどっか行って! あとこの服も戻して!」

「むぅ、片翼とはいえ、せっかく僕の太陽神話から受け継ぎし御姿を見せてあげようと思ったんだが……」

「そんなものは後でいいの! 見つかっちゃう方がまずいよ!」

「仕方ないなぁ。まあ、まだクリーチャーからマナを得る必要がるし、また会う機会もあるだろう。じゃあまた後でだ、小鈴」

「あー! 待って! この格好をどうにかしてから行ってよ!」

「おっと忘れていた」

 

 なんてやりとりをやっているうちに、足音がわたしの耳でも聞き取れるくらい、近づいていることに気付いた。

 まずいまずいと内心で焦りつつ、鳥さんを見送って、自分の服装がさっきまでのジャージ姿になっていることを確認。もうすぐそこまで気配を感じるくらい、近い。

 そこで、振り返る。

 鬱蒼と茂った木々を掻き分けて、現れたのは――

 

 

 

「――伊勢さん!」

 

 

 

 ――思いもよらぬ、想い人。

 その人は――剣埼一騎先輩だった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「せん、ぱい……? どうして……?」

「どうしてもこうしてもないよ! 大丈夫? 怪我とかしてない?」

「え? えっと……」

 

 先輩の勢いに圧倒されて、言葉に詰まる。

 すごい焦っているというか、必死というか……やたらとわたしを心配する先輩。な、なにがあったんだろう?

 

「君たちのグループの到着がやけに遅いから、探しに行ったんだよ。もしかしたら遭難してるんじゃないかって」

「あ……」

 

 言われて初めて気づいた。そうか、そうだよね。

 あそこでわりとだらだら休憩しちゃってたし、謡さんの登場とか、鳥さんに連れていかれたりとかで、さらに時間を食っちゃって……それで、登頂が遅れて、先生たちが不審に思ってもおかしなことはない。

 

「恋たちから事情は聞いたよ。大丈夫、毎年グループからはぐれた遭難はよくあるんだ。大事にならなくて本当よかった」

「あ、はい……」

 

 恋ちゃんたちは、わたしが遭難したって説明したんだ……まあ、そう説明するしかないよね。鳥さんに連れて行かれてクリーチャーを退治してました、なんて言えるはずもないし、そこは感謝だよ。

 それに……なんか、すごく心配させてしまったみたいで、申し訳ないな……

 

「怪我はないようだけど、立てる?」

「は、はい。大丈夫です」

「じゃあ早く降りよう」

 

 先輩はわたしの荷物を持ってくれた。

 わたしは別に遭難したわけじゃないし、そこまでしてもらうのは気が引けるんだけど……でも、少しは演技しておかないと、変な風に見られちゃうかな……?

 

「あの、先輩は、どうしてわたしの居場所が……?」

「GPSっていう便利なものがあるんだ」

 

 あぁ……そういえば、特別登校日の時に、なんか説明と一緒に書類みたいなのに書いた気がする。遭難の恐れがあるから、個人の位置情報を学校側が把握してもいいか、みたいな。

 というか、こんな山中でも機能するんだ……

 速足で木々を掻き分けていく先輩。すごく慣れた手つきだけど、わたしの荷物を背負っているとは思えないくらい速い。

 流石に慣れない山中だと、追いつくので精一杯だ。

 先輩の表情はどこか焦っているようでもあって、それが急いでいる理由なんだろうけど、その理由がわからない。

 わたしは無事だった。その確認で終わり、というわけでもないみたい。

 

「あの、先輩……なんでそんなに急いでいるんですか?」

「そりゃあ急ぐよ。この天気だもの。もう皆、下山してるしね」

 

 天気? 下山?

 そういえば、先輩は早く降りるって言ってた。

 そして今も、山の麓に向かっている様子。

 天体観測は頂上の天文台で行われるはずなのに、なんで逆行しているのか。

 それは、空を見たらすぐにわかった。

 

「暗い……?」

 

 木々で覆われていた山中だとよくわからなかったけど、本日の青空は、完全に暗雲立ち込める空へと変貌していた。

 ――ぴちょん。

 そして、その天候の意味を明確化するかのように、わたしの額に雫が落ちる。

 

「雨……」

「まずい、もう降ってきた……!」

 

 空を見上げて、焦燥をさらに募らせる先輩。

 わたしはいまだ、事の大きさをよく理解していないんだけど……でも、だんだんとわかってきた。

 空を覆い尽くす黒い雲。次第に強さを増していく雨。そして――風。

 風雨に森がざわめき、暗雲が太陽を画し、暗い世界を創り出す。

 まるで難破船の中にいるような、この感覚。いや、もう船から投げ出されているのかもしれない。

 事態を理解したことによる不安と、先輩が感じている焦燥が、わたしにも湧き上がってきた。

 

「……先輩、その、天体観測は……」

 

 自分でもばかだと思うような問いかけだけど、ちゃんと確認したかった。

 わかりきったことだけど、確認する意味なんてないと思うのだけれど。

 だけど、聞いてしまった。

 先輩はそんな意味もない問いかけにも、嘘偽りなく――“正しく”答えてくれた。

 

 

 

「天体観測は中止になった。今――台風が急接近してるんだ」




 小鈴のデッキは回を追うごとに、使用カードやコンセプトはあまり変えず、少しずつ変化させていっていますが、今回は新しい切り札の《ロマノフ・シーザー》登場です。呪文を発射しながらぶん殴るってコンセプトができるカードって、地味に限られるんですよね……ただ《シーザー》は打点が高すぎて、《グレンモルト》が霞んでしまうのがちょっぴりネックです。
 相手の熊さんは白緑のトリガービート。実は《キンジ》って、エグザイルの中では結構好きなんですよね。名前が独特で面白いですし。アニメでは微塵も出ませんでしたけど。
 次回は林間学校編の最終日、三日目です。まあ、このへんがラストスパートになるので、よろしくお願いします。
 また、誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なく仰ってください。


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25話「林間学校だよ ~3日目・AM~」

 林間学校編も最終日の三日目、いよいよ大詰めです。
 今回は今までで断トツに長いお話ですが……内容が内容ですので、ご容赦ください。


 みなさんこんにちは……伊勢小鈴、です……

 その、えっと、わたしもすごく困惑しています。

 昨日行われる予定だった天体観測は中止。その日はすぐに宿舎に戻って、今日は最終日の三日目です。

 最終日は本当に移動だけで、あとはもう帰るだけ……だったはずなのですが、わたしたちはまだ、宿舎に残っています。

 その理由は、わたしたちの部屋の窓を激しく打ち据える大量の水、窓枠ごとすべてを破壊してしまいそうな揺れ。それは激しい風雨。つまりは嵐――台風です。

 

「すごい雨と風だね……」

「うるさい……」

「うぅ、ユーちゃん、タイフーは苦手です」

 

 部屋の隅っこでうずくまってるユーちゃん。絶え間なく打ちつけられ、室内に鈍く、けれども強く響く雨音に、いつもの元気を失っていた。

 まるで沈没船のようだ。ざーざーと鳴り止むことのない雨音。ガタガタと大風に揺さぶられる窓。室内に向けて響き渡る音と、窓を流れ続ける雨水、そしてわたしたちがこの場から動けないという状況そのものが、嵐に縛りつけられる、沈みかけの船のようだった。

 そう。わたしたちは、“動けない”。

 

「まさか最終日になって足止めとはねぇ。予報ではこっちまで来るなんて言ってなかったし、急すぎるったらありゃしないよー」

「そもそも、台風がこっちに来ないからって、この日程になったんだもんね」

「これは教師が無能なのか、気象予報士が無能なのか」

「どっちでも、いい……部屋で待機とか、暇、すぎる……」

 

 台風なんて、悪天候中の悪天候。日本が誇る代表的な災害の一つ。

 そのあまりにも悪い天候のせいで、わたしたちは宿舎のある山域から出ることができない。

 ここまで強い台風だと、地面のぬかるみとか土砂崩れとかで、バス移動における安全性を保証できないからとかなんとか。要するに、外に出るのは危険だから出れない、ということみたい。

 突然の異常気象で先生たちも慌ただしく動いてて、忙しそうにしていた。流石にここまでの気候の変化は誰も予想していなかったみたいで、だからわたしたちは室内待機なんて指示を下されている。混乱を防ぐために、他の部屋に行くこともできない。

 

「うー、ううぅ……こ、小鈴さんは、大丈夫だったんですか?」

「え? なにが?」

「昨日、タイフーが来てから戻ったじゃないですか」

「あ、そのこと。うん、剣埼先輩が先導してくれたから、なんとか」

 

 わたしの秘密がバレやしないか、冷や冷やしたけどね。

 昨日。鳥さんに動かされるままにクリーチャーを退治した後、剣埼先輩が台風の接近を知らせてくれた。そのお陰で、わたしは台風に煽られることなく、無事宿舎に戻ってこられたわけだから、先輩には感謝だよ。

 ……あまりに色々なことが立て続けに起こるものだから、お礼も言いそびれたけど。

 

「しっかし、本当に変なタイミングの、変な台風だよね。通信障害とかはないみたいだけど、接近が唐突すぎるし……学校の裏サイト曰く、この台風はあり得ないらしいけど」

「あり得ない? どういうこと?」

「そのまんまの意味じゃない? 常識じゃ考えられない、って意味。誰が言ってるのかもわかんないガセ情報かもしれないし。でも、天気予報を見る限りは、確かに滅茶苦茶なスピードで近づいてきたんだよねぇ。そのくせこの台風、なんか今になって“やたら遅い”らしいし」

「やたら遅い、って?」

「これもそのまんまの意味ね。いきなり出て来たと思ったら、ずっとここいらで燻ってるみたいだよ」

「それ……どこ情報……?」

「普通にニュース。速報出てるよ、結構大きなトピックとして取り上げられるっぽい」

「そんな大事になってたんだ……」

 

 ……なんだか、嫌な予感がするよ。

 気象予報の外から、急に現れ、この山域で停滞する謎の嵐。

 事実は小説より奇なり。そんな奇妙な台風も、もしかしたらあるかもしれない。気象予報士さんがうっかり予報を間違えたのかもしれない。そんなあり得ないようなことでも、現実にはあり得ることがある。だからこれも、そんな“日常的な異常”ならいいんだけど。

 

(問題はこれが、わたしがこの身をもって体感している異常だったら、とんでもないことになるかもしれない、ってことだけど……)

 

 それは今は、確かめようがない。

 タイムスリップとか、パラレルワールドとか、そんなお話の中でしか存在しないようなこともあり得るのだから、作為的な災害の発生だって不可能とは言えないけれど。

 それも日常的な異常と同じで、わたしが判断できるのは、あり得るか、あり得ないか、だけ。その判断材料じゃ、これが日常的な異常なのか、非日常的な異常なのか、わからない。

 わたし一人だけじゃ、審議を判断することは、正誤を確認することは、できないのだ。

 

(こんな時に鳥さんは来ないし……)

 

 こういう時こそ鳥さんの力が必要なのに、肝心な時にはいつもいないんだから。まあ、この台風の中じゃ、飛ぶことすらままならないだろうけど。

 いくら考えても、わたしの知っている範囲、判断できる範疇では、限界がある。そしてその限界は、あまりにも小さい。

 つまるところ、今のわたしにできることはなにもない、ということです。

 ここは沈没船。わたしたちはこの部屋に縛りつけられている。ここが今のわたしたちの世界のすべて。だからわたしたちは、この部屋の中でできることしかできない。

 暇そうにうなだれている恋ちゃん。ずっとガタガタ震えているユーちゃん。ポチポチとニュースサイトを漁ってるみのりちゃん。そして――

 

「――代海ちゃん」

「…………」

「代海ちゃんっ」

「っ! は、はい……」

 

 ずっと、携帯の画面を凝視し続けている、代海ちゃん。

 その表情は必死で、真剣で、どこか悲しげで、焦っているような……そんな、見ていられないほど不安が募った表情だった。

 

「どうしたの?」

「えっと、えと……い、いえ、なにも……」

「気分が悪かったら、医務室が空いてると思うけど……」

「だ、大丈夫です……ごめんなさい……」

「いや、いいの。大丈夫なら、いいんだけど……」

 

 本当に、大丈夫なら。

 あまりに突然な台風の襲来は、急激な気温の変化もある。

 だけどみんなから聞くに、宿舎に戻ってからずっとこんな感じらしい。一体、どうしたんだろう?

 ユーちゃんのように台風が怖い、というのとはちょっと違う気がする。

 足止めを食らってしまい、いつ帰れるのかもわからない状況だから、不安になるのはわかるけれども……なにをそんなに不安がっているのだろう。

 

「んー、ん? 水早君から連絡だ」

「霜ちゃんはなんて?」

「『そっちはどう?』って。ま、なにもないね。水早君も異常性には気付いてるっぽいけど、流石にこんなんじゃどうしようもないか。適当に返しとくよ」

 

 霜ちゃんとは部屋が別々だけど、流石に霜ちゃんだ。山道で別れてからほとんどなにも話してないけど、この状況を理解して、そのおかしさもわかってるみたい。

 

「……おかしいと、わかったところで……なにも、できない……」

「そ、そうだね……」

 

 鳥さんが来ないから確証が得られない、なんてのは建前でしかない。

 岩でも砕いてしまいそうな強い雨に、大木さえもなぎ倒してしまいそうなほど荒々しい風。

 そんな天候で外に出ることなんて不可能だ。

 そして、外部への干渉ができない、外界と断絶しているという状況は、わたしたちを完全に無力化してしまう。

 この異変がたとえ現実のものでないとしても、それがわかっていても、天災という形でわたしたちの前に現れてしまっては、生身の人間には到底太刀打ちできるものではないのだ。

 

(……うぅーん)

 

 すごく、もどかしい。

 明らかにおかしいってわかるのに。どうにかしなきゃって思うのに。

 なにもできない。

 

(鳥さんが来てくれればなぁ……)

 

 言い訳がましくそんなことを思う。だけど、それが現実だ。

 わたしだって、そこまで無謀じゃないし、向う見ずじゃない。おかしいって思っただけで、命の危険さえある場所に飛び出したりなんかしない。

 ……いや。

 

(できないよ……そんなこと)

 

 するべきでない、というのも確かだけど。

 それと同時に、できない、という自分の無力さも思い知らされる。

 そこにある異変に気づきながらも、そこに向かって踏み出せない自分がいる。

 お姉ちゃんなら、無理を承知で飛び出すのかもしれない。

 剣埼先輩なら、もっと他に安全で言い手段を考えてくれるかもしれない。

 あるいは、こんな嵐も吹き飛ばす太陽のような人なら、すべてを跳ね除けて進めるのかもしれない。

 だけどわたしは、わたし一人じゃ、どうしたってこの嵐の中に身を投げ出すことはできない。

 勿論、こんなものは空想の話で、荒唐無稽なたとえ話でしかないんだけど。

 外に出てはいけないという常識を信じる一方で、ここで待ち続けるもどかしさと焦りに、胸が苦しくなる。

 

(……この台風も、いつかは止むんだよね……?)

 

 この状況は、今までにない状況だ。おかしいことは分かってて、その影響も明確で、原因も理由も察しがつく。

 それなのに、動けない。その影響によって、原因によって。外的要因によって、行動を制限されている。

 こんなことは、はじめてだ。

 だから、こんなにも不安に襲われるのかな?

 

「……あ、あの、小鈴さん……」

「えっ? あ、ごめん。ボーっとしてた。なに?」

「すいません……ちょっと、外に出ても、いい、でしょうか……?」

「やっぱり医務室に行く? 一人で大丈夫?」

「……ごめんなさい……大丈夫、です……」

「うぅん、大事になったら大変だからね。無理しちゃダメだよ。今は特にすることも、できることもないし」

 

 そう、今はなにも、できることはないんだ。

 わたし一人じゃ、なにも。

 

「……小鈴さん……ごめんなさい……」

 

 苦しそうに、辛そうに、悲しそうに、扉に手をかける代海ちゃん。

 外の嵐と、心の中の虚無感に囚われていたせいで、そんな彼女の面持ちを、見落としていた。

 

 

 

「本当に……ごめんなさい」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「やれやれ、なんて嵐だ。流石のオレ様でも参ってしまう。この地域の季節災害はなんとも荒々しいものだ……なぁジャバウォック?」

「□□□□□」

「こんな嵐でも、貴様の声はしっかりと聞こえるのだな。いや、ある意味では聞こえないのだが。しかし、貴様の意志さえ届けばそれで問題ない。貴様の意志など微塵も感じられんがな」

「□□□□□」

「わかっている。いやさ、わからんが。とはいえなにかを問いたいというのだろう。違うとしてもそういうことにしよう。このような暴雨と大風に晒された最悪な日だ。つまらん独り言に酔いしれるのも一興。悪くないだろう」

「□□□□□」

「さて、どうしたものか。機を見てチェシャ猫や聖獣、そしてアリス(マジカル・ベル)について探り、接触を試みようという計画なきプランが台無しだ。元から形がないから、台もなにも存在しないのだが。とはいえここまで天候が荒れてしまえば、これ以上の行動は無意味かつ期待もできんか」

「□□□□□」

「……期待もできん、な」

「□□□□□」

「わかっているさ。オレ様はイカレた職人、帽子屋。狂気的で、狂おしい選択こそを好む。絶望の中に希望を見て、不可能の中に可能性を探り、不可逆さえも可逆を掴む。論理的かつ理論的、感情的かつ衝動的、秩序にして混沌、そのどれでもない――狂気」

「□□□□□」

「オレ様は根本から狂っている。存在そのものが摩耗し、すり潰された狂人だ。ゆえにこんなことをしている。それ自体が既におかしい。しかしオレ様は“正しい”……正しいはずなんだ」

「□□□□□」

「命が、魂が、種が、オレ様に告げている。逸脱した道筋を辿った故に、淘汰でもなく繁栄でもない、狭間を彷徨うこととなったこの生に告げている。オレ様の目的を。一つの生命としての在り方を」

「□□□□□」

「オレ様は正しい、この行いも、この目的も、人間的に言えば正義と言ってもなんら問題はない。ゆえにオレ様は、すべてに手を染める。奇跡にも魔法にも、裏切にも背反にも、利用にも寄生にも、侵入にも潜伏にも、搾取にも排斥にも、合理にも理屈にも、不条理にも不合理にも。あらゆる可能性に縋り、有象無象を頼り、自己を生かしては殺し、他者を捨てては拾う。白くもあった手は虹色に、そして濁った末はすべてを飲む黒。森羅万象さえも予約済みだ」

「□□□□□」

「そう、そう、そうだ。オレ様は利口ではないから間違った選択はすれど、進むべき道は、到達すべき標は決して間違いなどない。ゆえにこんな狂った選択も、手放してみようと思ったが……拾ってしまったよ」

「□□□□□」

「貴様の身がどれほど持つのかはオレ様にもわからんが、命ある身体である以上は辛かろう。あの汚水を吸ったボロ雑巾のようなテントに戻るがいい。この大解放した蛇口の如く滴る特大雨露の木陰よりは幾分マシだろう。なに、貴様の影響下にオレ様を置いていればそれでいい。であれば、オレ様も時間を保っていられるからな」

「□□□□□」

「頼んだぞ、ジャバウォック。このイカレた肉体が風邪を引いたら後は頼む」

「□□□□□」

「……さて、とびきりの愚考から生まれた愚行を選択だ。この狂いに狂った“待ち”は、凶と出るか大凶と出るか――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 わたしたちの時間は、停滞しながらも確実に進んでいた。

 空模様は一切の変化が見られない。暗い空には大粒の雨が舞い、風は乱れ、嵐はこの山に留まり続けている。

 だけどそれは、あくまでも状況が変わらないというだけ。

 この世界という変えようがない法則は、常に時間を刻み続けている。

 動かないのはあくまでわたしたちであって。わたしたちではない人たちは、この停滞した状況を打破するために動いている。

 まあ要するに、先生たちから遂に連絡が来た、っていうだけなんだけど。

 それにその連絡も、帰る目処が立ったとか、台風が通過する見込みができたとか、そういうことではない。

 現時刻は午前10時30分。起床から数時間ほど。

 それは、とりあえず目先のこと。お昼についてだった。

 

「1時になったらお昼だって。10分前までには食堂に全員集めておいてって、先生が」

「あ、了解(アインフェアシュタンデン)……です……」

「もう昼かぁ。昨日からもう何時間も経ってるってのに、台風はまるで弱まる気配がないねぇ」

 

 まったくもってその通りです。

 あれから鳥さんが来る気配もないし、ただひたすら雨風の音と共に部屋に居座っているだけ。

 先生たちも、まだこの動きの遅い台風への対応で忙しいみたい。

 昼食についての連絡を受けた時も“とりあえず”って感じだったし。

 まあでも、みんなこの状況に気が滅入ってたみたいだし、ご飯を食べれば元気になってくれるかな。ちょっとくらいは気分転換になってくれるといいな。

 それに、元気がなさそうだった代海ちゃんも。

 

「わたし、代海ちゃんを呼んでくるよ」

「はいはーい。いってらー」

 

 ひらひらと手を振るみのりちゃん。この閉塞した環境と、行き詰った状況に、どこか諦めと慣れを見せていた。

 まあ、こんな時でも暗くならないのは、みのりちゃんのいいところだよね……その適応力は、ちょっと羨ましい。

 どうにもならないことはどうにもならないわけだし、いくら考えても、不安に駆られても、仕方ないのだから。

 あのユーちゃんも台風に怯えきってるし、平常であること、明るさを失わないことは、こういう時にはとても大切なことのかもしれない。

 

「じゃあ、行ってくるね」

 

 そう言って部屋を出る。

 えーっと、医務室は確か、宿泊部屋とは反対方向だったよね。

 誰もいない廊下を進む。人の話し声も、存在感も、影もなにもない。窓を叩く雨音だけが、暗がりの廊下に響く唯一の音。

 ……だと思ったけど。

 

(足音……?)

 

 廊下の向こうの方から、雨音に混じって、小さいけど足音が聞こえてくる。

 先生が見回りでもしてるのかな? と思ったけど、人影がくっきりしてくると、その考えは間違いだったことが判明する。

 

「やあやあ妹ちゃん! 奇遇だね! こんなところでも出会うなんて!」

「よ、謡さん……」

 

 陽気にそう語りかけてくるのは、謡さんだった。昨日の登山以来だ。

 確かに昨日の今日で奇遇だけど、謡さんはどうしてここにいるんだろう?

 生徒は基本的に部屋に待機してなくちゃいけないはず。見たところ、謡さんは元気そうだし、医務室にいたわけでもなさそう。

 目につくのは手に抱えたビニール袋だけど、なんだろう? 生徒会のお仕事かな? 雨漏りとか?

 気になることはたくさんあるんだけど、それよりも謡さんの方が早かった。

 

「昨日はごめんね。空気悪くしちゃって」

「いえ、その……」

「ところで妹ちゃんは、なんでこんなところに?」

 

 それはわたしもあなたに聞きたいです。

 なんて言えるはずもなく、素直に答える。

 

「えっと、友達が医務室で休んでるので、呼びに……」

「あー、成程。それじゃあ早く行きなね。こんな荒れ狂った天気で一人とか、心細いったらありゃしないだろうからね」

「は、はい……」

「じゃーねー。気を付けてー」

 

 と言って、謡さんはすたすたと行ってしまう。

 ……あれ?

 いつもならもっと絡んでくるのに、今日は随分とあっさりしてる?

 やっぱりお仕事中だったのかなぁ。前に会った時は、夏祭り中か、お仕事をサボっていた時だったみたいだし。

 流石に謡さんもいつもサボってるわけじゃない、ということかな。

 

「し、失礼します」

 

 とりあえず今は、謡さんに言われた通り、代海ちゃんの様子を見に行かなきゃ。

 謡さんは背中を向けたまま、ひらひらと手を振っている。

 わたしも踵を返して、医務室へと向かう。

 

「あの子を偶然見かけてから超速推理で慌てて用意したけど……さて、どうなるかな」

 

 廊下のどこかで小さく漏れ出たその声は、激しい雨音に掻き消されて、わたしの耳にはノイズとしてしか届かなかった。

 それはわたしに向けてではない、遠くのどこかで、誰かに向けられた言葉なのだから。

 

 

 

「スキンブル、いるでしょ。私たちも――覚悟を決めよう」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「失礼します」

 

 謡さんと別れた後、そのまま医務室に向かう。

 コンコン、とノックした後に扉を開けると、保健室特有の消毒液のにおいが鼻をつっつく。だけど、ここはあくまで、宿舎の中にある医務室という設備に過ぎない。保健室よりも少し、消毒液のにおいは薄かった。

 奥にはカーテンで仕切られたベッドが並んでいて、壁際には薬品棚。見た感じ、保健室とあんまり変わりはない。

 部屋の手前には、先生が机に向かって座っていて、こちらの存在に気付いて振り向いた。

 

「あぁ、いらっしゃい。どうした?」

「友達の体調がよくないみたいなので、医務室で休んでて……もうすぐ昼食みたいなので、様子を見に来たんですけど……」

「今は誰も休んでないけど?」

「え?」

 

 思わず素っ頓狂な声が出てしまう。思ってもみない言葉に、思考が途切れる。

 その言葉が真実でないと思ってしまう。

 

「昨日の登山で怪我した生徒とか、体を痛めた生徒に、絆創膏やら湿布やらをプレゼントしてあげたけど、体調不良の生徒は一人も来てないし、この部屋のベッドは朝から真っ新だよ」

「で、でも、そんなはず……」

 

 代海ちゃんは、医務室に来ていない?

 そんなはずはない、と言いたいけど。だけど、先生が嘘をつく理由はないし、それはベッドを調べればわかることだ。

 でも、代海ちゃんはわたしに、医務室に行くって言ってた……言葉と現実が一致しない。それはつまり、代海ちゃんが嘘をついたってこと?

 なんで? どうして? その嘘に、なんの意味があるの?

 考えて……考えるんだよ、わたし……

 “どうして”代海ちゃんがそんな嘘をついたのか。

 その嘘には“どんな”意味があるのかを。

 

(……わたしたちは、待機の指示が出てたから、部屋から出ることができなかった。だけど、医務室に向かうということは、部屋の外に出られるということだから……体調不良は、部屋から出るための口実?)

 

 じゃあ、なんで部屋から出る必要があったの?

 部屋にないものや設備を使うためとか、先生たちの話を聞くため、あるいは誰かに会うため……でも、部屋にないものを使うっていっても、それはなに? 設備だったらそんな簡単に使用はできない。トレーニングルームがあるらしいけど、こんな時にそんなものがなにになる? そもそも、部屋以外の出入りは、先生たちが厳しく監視しているはず――あぁでも、先生たちはこの台風の対応で忙しないから、ちょっとくらいは目を盗めるのかも。

 先生たちの目を盗んで、誰かに会う? でも、代海ちゃんはC組でもちょっと浮いちゃってるらしいし……ん? 待って。監視、目を盗む?

 

(部屋から抜け出すってことは“一人になる”ってこと……!)

 

 部屋にいれば、わたしたちがいる。お互いがお互いの存在を認識している。監視なんて物騒なものじゃないけど、誰がなにをしているのかがわかる。

 だけど部屋から出れば、一人になれば、自分の行動は誰にも見られないから、誰に止められることもない。自由になる。

 でも、自由になったところで、動けるのはこの宿舎の中だけだし、宿舎には先生がたくさんいるから、監視の目という意味では部屋の中とそこまで大差ない。

 

(いや。宿舎の中にある目から逃れたんだから、中に留まってるはずがない……?)

 

 …………

 ……最悪だ。

 こんな予想、あり得てほしくない。だけど、わたしの頭の中で、その最悪の予想が激しく自己主張をしている。

 代海ちゃん……!

 

「君、大丈夫? なんか顔が真っ青だけど、むしろ君が体調不良なんじゃ……」

「ごめんなさいっ! 失礼します!」

「あぁ、おい! 君!」

 

 医務室から飛び出す。後ろから先生の声が聞こえる。けどごめんなさい、それは無視します。

 さっき謡さんと出会った廊下に出た。当然だけど、そこにはもう謡さんの姿はない。

 周りを見回す。まず目に付いたのは、寂れた庭園が見える窓。

 もしかして、という直感があった。本当は、どこかそうであってほしくないと思ったけど、その窓に近づくと、わたしの最悪の予想を裏付けるような結果しかなかった。

 

「床が濡れてる……それにこの窓、鍵が開いてる……!」

 

 朝からこの台風だ。先生たちも施錠管理はしっかりしているはず。

 隣の窓も確認する。そっちはキッチリ閉まっていた。同じ並びの窓なのに、ここだけが開いている。閉め忘れの可能性も否定できないけど、今のわたしは、そんな可能性を考慮することはできず、ここまで繋がってきた因果を辿り、繋げていく。

 

「代海ちゃん、本当に……」

 

 本当に……“外に出た”の?

 なにが目的なのかはわからない。

 だけど、こんな暴風雨の中、一人で外に出るなんて無茶だ。危険すぎる。

 止めないと。

 止めに“行かないと”。

 

「で、でも、この台風の中、出るのは……」

 

 流石にわたしだって、このままじゃ外には出られない。鳥さんがいつものように変身させてくれれば、乗り切れるのかもしれないけど……本当に肝心な時に限っていないんだから。

 せめて雨を避けられるようなものがあるといいんだけど……

 というところで、別の並びの窓に、ビニール袋が引っ掛けられているのが見えた。

 もしかしたら代海ちゃんからのメッセージなのかもしれない、と都合よく考えたわたしだけど、その中身を見たわたしは、首を傾げることになる。

 

「これ、レインコート……?」

 

 なんでこんなものがここに? さっきまではなかったよね?

 濡れてないから、誰かが使って置きっぱなしというわけでもなさそうだし……

 だけど、これのお陰で、少しだけ前に進む道が見えたよ。

 

「誰のかわからないけど、ごめんなさい。ちょっとだけ借ります……!」

 

 人のものを勝手に使うなんて、いけないことだけど……

 今はそんな“いい子”に順じてはいられない。

 ほぼ反射的にレインコートに袖を通す。

 その時、みんなのことがふと、頭の中に浮かんだ。

 

「…………」

 

 短絡的なのも、衝動的なのも、感情的なのも、全部わかってる。

 自分のやろうとしてることが正しくないかもしれない、とも思う。

 みんなは絶対、反対するだろうな……

 

「みんな……」

 

 だけどわたしは、自分を止めない。

 悪い子になっても、みんなの意に背いたとしても。

 だけど、せめてこの足跡くらいは、残しておこう――みんなを信じて。

 そっとポケットに手を入れる。

 

 

 

「……ごめん。行ってきます」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「超特急でお粗末な仕掛けて彼女を動かすことができたわけだけど……どうなるかな」

「――――」

「まだ言ってるし。君が反対してるのはわかってるさ。だけど、私にも譲れないものがあるんだ」

「――――」

「まあ譲れないっていうか、信じたいっていうか。彼女は英雄ではないけど、確かにヒーロー(主人公)ヒロイン(主人公)なんだ。私はね、正しい主人公が正しい筋道を辿らないと、嫌なの」

「――――」

「そうだね。これは、君の方針からは真っ向から反対するようなことだよ。だけど、私もわかってる。彼女は、私にとっての主人公(ヒーロー)で、あなたにとっての主人公(ヒロイン)というだけ。大事なものであることは変わりない。だから、無理はさせない。そのために私が……おっと、私たちが出るんだからね。ただ……」

「――――」

「あぁ、そう。彼女はどうしてこんな奇行に走ったのか。この気候で走ったのか。その真意が掴めない。謎だらけだよ。推理して予想することはできるけどね」

「――――」

「おっと? そんなに私の超絶推理が聞きたい? ……そうでもない? あ、そう。でも言っちゃうよ」

「――――」

「これは私の勘だけど、ここには“あの人”がいる。それは君も感じてるんじゃない? だから私たちは、彼らの望む結末に誘導されているような気がするんだ。でも、誘導にしてはお粗末すぎる。比較するなら、私の仕掛けよりもね」

「――――」

「え? 私の方がお粗末って? 酷い。でもそんなことはどうでもいい。お粗末なのはなにも行動だけじゃない。誘導する意思があるのかどうかってレベルだよ」

「――――」

「誘導したいなら、もっと上手くやるはずなんだ。わかりやすく誘うはずなんだ。あの子は愛おしいほど、そして狂おしいほどいい子だからね。あの立場なら、その善性に付け込むことは簡単だ。なのに、そうじゃないルートを辿っている。これって変でしょ? 合理的じゃない。策略的じゃない。陰謀的でない行いが、果たして罠であるのかな?」

「――――」

「だよね。罠じゃないならなんなんだ、というところではあるよね。ぶっちゃけ他に理由らしい理由が思い当たらない……いや、ごめん嘘。思い当たる可能性はあるよ。罠である可能性を是とするなら、ほぼ前提条件となり得る可能性がね」

「――――」

「ま、そういうことだわね。やってることは、私やあの子と同じ。問題は、彼らにそんな思いやりがあるのか、ってところだけど……どうなんだろう」

「――――」

「そうだね。中途半端に筋道が通っているせいで、なんとも言えない。相反する二つの可能性が混在している。二律背反というやつだ。それも、私としては結構アリだと思うんだけど。それでもまあ、狂ってはいるよね。イカれてるよ」

「――――」

「おいおい、どの口が言うかね? 私は君のこと、信用してるんだよ? 信頼してるし、信じてる。だからそういう可能性も、認められるし、認めざるを得ない」

「――――」

「これって性善説か性悪説か、って話なのかもしれないけどね。あ、知ってる? 善悪二元論。メソポタミアの宗教の教理で……あれ? なんか違う気がするぞ?」

「――――」

「あははー、まあ仕方ないね。姉ちゃんと違って私はあんまり歴史は得意じゃないんだ。根っからの無宗教だからね」

「――――」

「そう、そんなのはどうでもいいんだよ。要するに、人は生まれながらにして善の存在なのか、悪の存在なのか、ということでね。あの奇行が善性なのか悪性なのか、どっちも可能性があって、それを判断する要素がないなら、“根本的にその人は善なのか悪なのか”で判断するしかないかとね」

「――――」

「まあね。そもそもこれは“人間”の善悪について語っている。君らのように“人間でないもの”にまで当て嵌められるかというと、正直わからない」

「――――」

「とまあ、ごちゃごちゃ言って聞いて考えてみたけども、結局、帰結するところは決まり切っている。即ち、自分がどうしたいか、だ」

「―――」

「さぁ行くよ、スキンブル。自分でけしかけておいてなんだけど、主人公(ヒーロー)らしく、私たちの主人公(ヒロイン)を守りに行こうか――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ん? 小鈴ちゃんからだ」

 

 小鈴の帰りを待つ恋たち。

 相も変わらず時が止まったように変化の訪れないその空間を動かしたのは、たった一文の言葉だった。

 

「……こっちのも、来た……一斉、送信……」

「ユーちゃんのところにも来ました。えーっと?」

 

 友人からの連絡。最初はただそれだけだと気に留めていなかった。

 何気なしにそれを読み上げる。

 

「『みんな、ごめん。しばらく待ってて』……って」

 

 ――読み上げて、初めてわかった。

 口にした瞬間に、誰もが理解した。

 この一文の意味を。

 そして、

 

「……!」

「実子さんっ!?」

 

 最も早く動き出したのは、実子だった。

 恋やユーが静止する隙もなく、すぐさま立ち上がり、駆け出し、扉を蹴破るように開き、飛び出した。

 誰もいない廊下を、本能と衝動のみで疾駆する。誰にも拒まれない、誰にも止めさせないと言わんばかりに駆ける。

 しかし、

 

「部屋を飛び出してどこに行くつもりだい?」

 

 途中、実子は足を止めた。いや、止めさせられた、と言うべきか。

 彼女の盲信的な猛進を止めたのは、霜だった。

 

「っ、水早君……!」

「ボクのところにも小鈴から連絡が来たよ」

 

 携帯を掲げる霜。

 恋やユーにも届いていた連絡が、霜にも届かない道理はない。

 

「ギリギリ間に合ったか。あの文面でなにがあったのかすぐに察することができたし、その後の行動も予想できた。君のことだから、こうなるだろうとはね」

「なにしに来たの? いや、そんなことはどうでもいいけど。早くそこ退いてよ」

「それは無理だ。ボクは君を抑えるために来たんだから」

「なんでさ! 君だってわかるでしょ! 小鈴ちゃんがなにしてるのか!」

「わかるよ。けど君とは考え方が違う。君の考えと行動はあまりに浅はかだ」

 

 突き放すように言う霜。その言葉に、実子の額には青筋が立つ。

 

「言ってくれるじゃん……! 君は、友達が危険な目に遭ってるのに、黙って見てろって言うの!?」

「そこが君の浅慮なところだと言ってるんだ。ボクらが彼女の後を追ってなにになる? ミイラ取りがミイラになるだけだ」

「じゃあどうしろって言うのさ!」

「黙って見ていろと言うのさ」

「っ、この……!」

 

 挑発的な霜の言葉に、実子が拳を振り上げる。

 しかしその時、ガバッと背後から、抱き着くようにその拳を止める者がいた。

 ユーだ。その隣には恋もいた。

 

「実子さん! ボーリョクはダメですって!」

「そうも……煽りすぎ……」 

「……すまないね。これでもボクも、焦ってるし気が立ってるんだ。許してくれ」

 

 バツの悪そうにそっぽを向く霜。

 しかし彼はすぐに、彼女たちに視線を向けた。

 

「正直、ボクも小鈴の行動には物申したいが、それはひとまず後回しだ。大事なのは、今この場をどうするかだよ」

「この場を、ですか?」

「あぁ。密室というのは、必ずしも物理的なものとは限らない。そこには心理的なものも含まれるし、なにより概ね密室というものは「密室である」という思い込みによってトリックが発動するものだ」

「いきなりなに? こっちは君の講釈を聞きたいわけじゃないんだけど。自慢のつもり?」

「苛立つな、少し落ち着け。ボクらが置かれているこの状況は密室のようなものだけど、それは「台風だから外に出れない」という要因から発生しているものだ。そしてこの台風を起因として、そこからもたらされる密室的影響は二つ。一つは言わずもがな、この暴風雨。とても外で活動できるような天候じゃない」

「まあ……その通り……わかりきってる、こと……」

「もう一つは、この台風で「外に出れない」――「外に出さない」と認識する存在だ」

「……あぁ……そういう……」

 

 誰から見ても明らかに外出不可能な状況。しかし、ただ出れないだけならば、この場合は問題でなかった。あるいは、絶対的に出れないのであれば、こうはならなかった。

 外に出る可能性が存在する。そんな、特異で異常な奇行に走る者がいる。そんな状況が、状態があり得る。それを前提に置いた「出ることができない」と、そうではない「出ることができない」には、大きな隔たりがある。

 そしてこの状況は「出ることができない」ではなく、厳密には「外に出てはいけない」という禁令だ。

 

「要するに、こんな悪天候で外に出てはいけないと思う教師たちによって、ボクらは縛り付けられているんだ。もっとも、それ自体は至極まっとうなんだけど」

「まっとうだからなに? そんなもの関係ない。小鈴ちゃんは、それでも外にいるんだよ!」

「わかってる。ただ、小鈴がこの天候でなにも考えずに外に出たとは考えにくい。さしずめ、あの鳥類の手引きだろう……それならそれで大事ではないはずだ。ボクが問題にしているのは、大多数の人間がこの悪天候で外に出るべきではないという認識の中、外に出た人物がいるということ。ありていに言うと“ルール違反者がいる”という意味だ」

 

 あの鳥が一枚噛んでるなら、小鈴の無事は概ね保障されているはず。というより、彼らとしては鳥の干渉以外による外出が想定できない。

 ゆえにそれを踏まえた思考を巡らせると、問題は、この台風がもたらした全体に対する規律だ。

 規律は順守されなくてはならない。それが、人間社会の掟である。

 どうしようもないくらい実直で愚直だが、そういう構造になってしまっている。

 

「そしてそのルール違反者が、まさかのボクらの友人だ。これが単なるルール破りなら、単純に罰則だけでいいのだけれど、ボクらはその事情を理解している。とても彼女の行動は糾弾できないし、友人という名目もある。だから……」

「いつまでも理屈ばっかりこねてないで、いい加減ハッキリ言ったら?」

「……じゃあハッキリ言うよ。ボクとしても、小鈴を守りたい。だけどそれは彼女を助けに行くという意味じゃない――彼女の立場を守るという意味だ」

 

 大衆の視点で見れば、小鈴はただのルール違反者かもしれない。

 けれど彼女の行動が正しいことであると、誰かのための行動であるということは、この場にいる誰もがわかっていること。

 友人の正しい行いを、大衆的な目で誤認させるわけにはいかない。彼女が大衆から叩かれ、集団から排斥されるようなことは、絶対にあってはならないのだ。

 だから、口裏を合わせて、小鈴の大衆的な“悪”の行動を、その事実も、真実も、を隠し通す。

 

「ボクらがするべきは、帰ってきた小鈴を受け入れる場所を守ることだよ、実子」

「……小鈴ちゃんが無事じゃなかったら、そんなものに意味はない」

「そこは、彼女の人徳を信じるしかないね」

「人徳?」

「あぁ」

 

 霜の小鈴への信頼。あの鳥が絡んでいるという虚構と、仮にそうでなくても彼女を信じられる根拠。

 伊勢小鈴という一人の少女が繋いだ縁と、それによって彼女が為し、そして為された行い。その結果。

 水早霜が信じる、彼の友の最も優れた一面。

 それは――

 

 

 

「――小鈴の凄いところは、どんなに危機に瀕しても、必ず彼女に手を差し伸べる誰かがいるところだからね」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「帽子屋さん……っ!」

 

 雨中の山道を駆ける。ぬかるんだ地面に足を取られながら、冷たい雨水に体温を奪われながら、凄まじい強風に煽られ平衡感覚を失いながら、それでもなお走る。

 ひときわ強い風が吹いた。手にした傘が吹き飛ばされる。

 申し訳程度でも、風雨から身を守ってくれていた盾がなくなってしまった。でも、構わない。どうせ借り物なのだから。

 もう一度、別のものを借りればいい。

 代用すればいい。

 

「代わりを用意します! 定義するのは『雨避けの装飾』、代用者はアタシ……この嵐を駆け抜ける加護を、お願いします……!」

 

 願ったものは手に入らない。アタシが貰えるものは、本当に欲しいものの代わり。

 だけど、それで十分。

 この豪雨を少しでも防いで、先に進めるだけのものを手に入れる。

 

「帽子屋さん、どこに……!?」

 

 だけど、いくら代用品を手に入れても、それで雨を防げても、本当に大事なものは見えない。

 帽子屋さんの姿は、どこにもない。

 早く、見つけないといけないのに。

 こんなところに、置き去りにはできない。

 

「あんなボロボロのテントで、こんな嵐を乗り切ろうなんて……無茶です……無茶苦茶です……頭がイカレるのも、いい加減に、してください……!」

 

 帽子屋さんは、アタシには指令を出さないと言っていた。もしアタシに指令があるなら、それはよっぽどのことだと。

 それは今じゃないんですか? この嵐は、よっぽどの大事じゃないんですか?

 帽子屋さんには帽子屋さんの考えがあるのかもしれない。あの人は底知れないほどになにかを考えて、アタシたちのために行動してくれる。今までずっと、アタシたちを救い、助けてくれた。

 だけど同時に、とんでもないほどにおかしなことをする人であることも、知っている。常人ではあり得ないような選択をして、不可解な道を歩むような人であることも。

 思慮深いはずなのに豪胆。筋道が立っているようで道を外れている。

 アタシも帽子屋さんとの付き合いは長いですが、いまだにあの人のことが良く分かりません。理解が及ばない思考回路、言動、感情。人となりを完全に理解することはできません。

 だけど、それでも、確実なことがある。絶対に言えることが、わかっていることが、一つだけある。

 

「アタシたちは、人じゃない……まだ、人間世界だけじゃ、生きられない……あなたがいないと、帽子屋さんがいないと、ダメ、なんです……っ!」

 

 帽子屋さんは、アタシたちにとって、絶対に必要で、絶対に失くしてはいけない、大事な人なんだ。

 アタシみたいな、代替可能なポンコツとは違う。アタシを、アタシたちを導いてくれる。

 あなたがいないと、ダメなんです、帽子屋さん……!

 あなたは危険に晒せない。あなたには、無事でいて欲しい。助けなきゃいけない。

 アタシを、そうしてくれたように。

 暴風雨に覆われた山を走りながら、ふと思う。

 

(昔のアタシなら、こんなこと、できなかっただろうな……)

 

 こんな嵐の中で山に潜む帽子屋さんのことを心配こそすれど、そのために自ら動くなんて、考えられなかった。

 だけど今は、こうして雨に打たれ、風に吹かれ、代用した借り物で嵐から身を守り、山を駆っている。

 気づけばこんなことをしていた。危険なことも、いけないことも、なにもかもわかっていながら。

 なのにこんな、無謀なことをしている。それはきっと、あの人のお陰だ。

 

(小鈴さんが……恋さんが……いてくれたから。アタシなんかを、受け入れて、くれたから……)

 

 アタシみたいなのでも、誰かと手を取り合える。

 アタシみたいなのでも、誰かを守ることができる。

 小鈴さんが、恋さんが、それを教えてくれた。

 

(まだ、どっちかとか、自分がどうあるとか、全然わからないし、割り切れないし、悩むし不安だし……迷ってしまうけれど)

 

 迷宮には必ず出口がある。

 いつか必ず、外の光が差し込むことを願って。

 

(今は、目の前の光が――帽子屋さんが、大事です……!)

 

 アタシたちを救って、まとめて、導いてくれた、アタシの恩人。

 帽子屋さんがいなければ、アタシたちはこうして生きていられなかった。バラバラで、自分が何者なのかもわからず、苦悩と理不尽の果てに潰えていたと思う。

 繁栄とか存続とか、アタシには難しいことはわからない。帽子屋さんがなにを考えているのか、ちゃんと理解しているわけじゃない。

 だけど、帽子屋さんがアタシたちにとってかけがえない存在で、帽子屋さんがいないといけないことはわかる。

 そうでなくても、恩人だ。大切な人だ。大事に思わないわけがない。

 

「帽子屋さん……どこ……?」

 

 ……やっぱり、無謀が過ぎたかもしれません。

 流石に、疲れました。アタシたちは人間ではありませんが、この肉体は限りなく人間に近いそれです。いくら雨避けをしていても、そんなものはほとんど焼け石に水。激しい雨と風で全身びしょ濡れ、体温も奪われ、身体は冷えていく。

 走るのもきつくなって、足を止めてしまいました。

 

「探せる、でしょうか……アタシに……」

 

 弱音が漏れる。いつものポンコツなアタシが戻ってくる。

 どれと同時に、より強く、冷たいものが身体に襲い掛かる。

 

「っ、時間、ですか……」

 

 雨を防ぐために借りていた、代用品のレインコートが消えてしまいました。この消え方は、使用期限切れはありません。

 アタシが【不思議の国の住人】としていられる時間、の力が使える時間は、2時から11時の間。宿舎を抜け出したのが11時前くらい。

 そろそろだとは思っていましたが、残念ながら、時間切れのようです。

 

「う、冷たい……それに、風も……」

 

 容赦なく降り注ぐ雨。吹き付ける風。

 急速に身体が冷たくなっていく。海の底のように、熱も光もない世界に包まれていく。

 これは、とってもまずいことになりました。これがいわゆる、ミイラ取りがミイラになる、ということでしょうか。

 だけどアタシの頭の中には、たった一人の人しかいません。

 太い木に背中を預けて、棒のようになった足の力が抜け、膝を折る。

 見上げると、真っ暗で、眩しさも温かみもない空が広がっていた。

 

 

 

「帽子屋さん……どこに、いるんですか……?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「はぁ、はぁっ、はぁ……っ!」

 

 ひたすらに山道を走る。

 レインコートなんて、まるでアテにならないほどの暴雨と暴風。風が強すぎて、上手く走れない。まっすぐ前に進めない。立つだけでも苦しい。

 息が切れる。雨水がレインコートの中にも侵食して、服を、身体を濡らす。そこに強風が吹きつけて、身体の熱をも吹き飛ばす。前髪が張り付いて、視界さえも不明瞭だ。

 それでもわたしは、ひた走る。

 

「代海ちゃん、どこ……!?」

 

 大切な、友達のために。

 我ながら無謀だと思う。馬鹿だと思う。あり得ないと思う。

 代海ちゃんが外に出たなんて確証はない。この暴風雨の中、広い山の中で探すなんて、無茶だってわかってる。

 わかってる、わかってるけど。

 わたしは、自分を止められなかった。

 

(昔のわたしなら、絶対にこんなことしなかった……いや、できなかっただろうな……)

 

 誰かのために、こんなにも力を尽くすなんて、あり得なかった。

 昔だって、大切な人はいたよ。お姉ちゃん、お母さん、お父さん……わたしの大事な家族。だけどそれは、やっぱり家族だから、という意識があった。

 だけど今は、そうじゃない。

 大切な人が、友達が、たくさん増えた。

 恋ちゃん、ユーちゃん、霜ちゃん、みのりちゃん……そして、代海ちゃん。

 絶対に失くしたくない。ずっと一緒にいたい。そう思えるような人たちがいる。

 大事なものを守りたい、失いたくない。無茶をする理由なんて、それだけで十分だよ。

 だって、それだけたくさんの人から、わたしはあたたかい気持ちを――立ち向かう力を、もらったから。

 だから、そんなみんなのためなら、どんなにあり得ないことでも、無茶苦茶なことでも、やってやろうって思える。頭じゃない。わたしの身体が、そう訴えかける。

 ……だけど、

 

「はぁっ、あっ……う……っ」

 

 思わず立ち止まってしまう。

 心臓の動悸が激しい。呼吸が乱れて整えられない。足がガクガクしてきた。身体も冷たい。夏なんて感じないほどに寒い。両手両足の感覚が消えつつある。前も見えなくなってきた。

 ……流石に、無茶をしすぎたかも。

 代海ちゃんが心配で探しに来たはいいものの、わたしもこの嵐には耐えられなかったみたい。当然か。

 ミイラ取りがミイラになってちゃ世話ないよ、とか、霜ちゃんに言われちゃいそうだな。

 

「く、はぁ……」

 

 身体も頭も冷え切って、逆にちょっと冷静になってきた。

 気持ちだけでこの嵐を乗り切れるはずないのに、なにやってるんだろう、わたし。

 自分のやってることが間違いだなんて微塵も思わないけど、もうちょっとやり方があっただろうに。短絡的すぎる。自分でも驚くほどに浅慮だった。

 

(っていうかわたし、こんな衝動的に動けたんだ……)

 

 怒ったり、感情的になったりしたことはあったけど、ここまで無茶なことしたのは初めてかな?

 なんて、言ってる場合でもないけれど。

 やっぱり、みんなにも力を貸してもらうべきだったかも。みのりちゃんとかには怒られそうだけど、みんなを危険に巻き込みたくなくて、連絡だけして一人で出ちゃったけど、失敗だったかな。

 動くのはしんどいけど、まだもうちょっと頑張れそう。最後の力を振り絞って、下山するのも手かもしれない。

 一人で前に進むか。

 みんなを呼んで後ろに下がるか。

 どっちの道が正しいのかわからない。道に迷い、正道を見失う。

 どうやらわたしは、迷ってしまったようです。

 不思議の国を彷徨う、アリスのように。

 誰か、教えてください。

 

「わたしは、どっちに進めばいいの――?」

 

 

 

「――お困りのようですね、お嬢さん?」

 

 

 

 暴雨に打たれながら、暴風に吹かれながら、二つの足で大地に立つ人影。

 束縛と破壊と混乱を示す嵐の中でも、愉快そうに笑っているのは――

 

「チェシャ猫レディ、さん……?」

「イエス。迷える少女の案内人にして正義の味方、チェシャ猫レディ、推参だよ――お待たせ、ベルちゃん」

 

 待ってません。

 だけど、とても嬉しい。

 

「いやぁ、凄い雨だね! 風も半端ないわ! 夏だってのに寒いったらありゃしないよ! 天気予報のお姉さんもアテにならないね!」

「あの……この台風は、クリーチャーのせい、なんですよね……?」

「へ? いや知らないよ」

「え?」

「私はそういうクリーチャー云々とかについてはさっぱりさ! だって私は、大事な人を守るだけの正義の味方。大切な人のために尽くすだけだからね!」

「はぁ……」

「君だってそうじゃない? こうして嵐の中、脇目も振らずにバカみたいに突っ込んで……だけどそれは、大切な人と、譲れない信念のため。動かずにはいられない、ってね」

 

 ……そうかもしれない。いや、その通りだ。

 わたしは、友達のためにここにいる。

 それは確かな真実だ。

 

「さてさて、こんな大雨大風の中で立ち話もなんだ。笑い猫らしく、道案内でも致しましょう。ベルちゃん、カメの女の子を探しに来たんだよね?」

「はい……あれ? なんでそのことを?」

「そこはまあ、うん。そういうものだからさ! 説明してもいいけど、くだらん小細工の話なんて聞いてもみみっちぃだけ。今はとにかく、目標に向かってひた走るだけ! なにせこの台風だ、一分一秒が惜しい」

「そ、そうですね」

 

 確かにそうだ。この台風で身体が限界なのは、わたしだけじゃない。代海ちゃんだって、この暴風雨に晒されている。

 迷っている暇なんてなかった。急がなくちゃ。

 

「さぁ行こう――ん?」

「どうしたんですか?」

 

 猫のお姉さんと一緒に歩み出そうとした瞬間、お姉さんは足を止めた。

 かと思いきや、スタスタと一人で進んでしまう。

 

「ちょ、ちょっと!」

「いやはや、わかるもんだねぇ。“私”にはわからない感覚だけど、実感すると流石にわかる。でもって、この感覚があるということは……」

 

 ぶつぶつとなにかを呟きながら歩を進めるお姉さん。わたしもそれに着いていく。

 しばらく進むと、またお姉さんは足を止めた。

 

「おっと発見。ま、結局は女の子同士の追いかけっこ。ルートさえ一致すれば、さして差が開くものでもなかったか」

 

 先導していたお姉さんは脇に逸れて、わたしの視界を開けさせる。

 その先にいたのは――

 

「! 代海ちゃん!」

 

 山道の樹木に背中を預け、座り込んでいる代海ちゃんの姿だった。

 わたしの申し訳程度の雨具さえもない。なにも装備のない、そのままの姿で、雨風に晒されていた。

 慌てて駆け寄る。身体が冷たい。いや、わたしもだから、本当にそうなのか分からないけど、でも、温かさを、体温を感じない。

 だけど、

 

「……小鈴、さん……?」

「代海ちゃん……!」

 

 力ない虚ろな眼だけど、掠れた小さな声だけど、確かに代海ちゃんは、ここにいた。

 無事、だった。

 

「よかった……本当に、よかったよ……」

「ごめんなさい、アタシ……アタシは……あっ!」

「ど、どうしたの?」

 

 ぼんやりしていた代海ちゃんが、急にガバッと身体を起こした。

 よろけながらも、ふらふらしながらも、立ち上がる。

 

「帽子屋さん……! 帽子屋さんを、探さないと……!」

「え? 帽子屋さん? 帽子屋さんが、来てるの?」

「はい……まだこの山に……早くしないと、帽子屋さんが……!」

「その必要はないんじゃない?」

 

 後ろで、猫のお姉さんが告げた。

 

「どうやら、役者は揃ったみたいだよ」

 

 最後の登場人物の、登場を。

 

 

 

「――気が狂いそうだな」

 

 

 

 暗い空、荒れ狂う風、激流の雨。それらを背景に、山の上から下って来るのは、赤い帽子の人影。

 なにも変わらない。雨に晒されることを厭わないスーツも、風に吹かれることを気にしないスカーフも。

 ただそのまま、時間の流れを感じさせない佇まいで、その人は現れた。

 

「あまりに冷たく寒い。これは命を殺す神の息吹だな。あまりの寒さに、この身が機能停止へと近づく感覚に、暴れるばかりで変化のない大空に、そして――この狂気的な選択が理想の一手であったことに。オレ様は、狂い果ててしまいそうだ」

「帽子屋、さん……!」

 

 ――『帽子屋』さん。

 代海ちゃんたち【不思議の国の住人】の、指導者。

 わたしには、それ以上のことは言えない。ただおかしくて、奇妙で、変で、謎の多い人だ。

 帽子屋さんは、わたしたちに視線を向けると、歩を進めながら口を開く。

 

「本当に来るとはな。感謝するぞ、代用ウミガメ。そしてようこそ、オレ様のお茶会へ。歓迎しよう、アリス(マジカル・ベル)。そして『チェシャ猫』を騙る女」

「騙るもなにも、私はチェシャ猫ディだよ。いい加減、覚えてほしいな」

「それは失敬。オレ様は今、少々、いやかなり高揚していてな。まさか、狂乱した絶望の選択が、ここまで望み通りに行くとは。これだから博打と狂気はやめられない。もっとも、オレ様は好き込んでイカレているわけでもないが」

 

 ……なんだか、いつも以上に饒舌で、なにを言っているのかよくわからない。

 わたしも帽子屋さんとお話したことはそんなに多いわけじゃない。だけど、それでも、いつもより饒舌に見える。高揚しているというのも、あながち嘘には見えない。

 そんな帽子屋さんに対して、チェシャ猫レディさんは前に進み出て、帽子屋さんと相対して、どこか険しい口調で問う。

 

「これは、あなたが仕組んだことなのかな?」

「仕組んだ? 可能性の一つとして思案していたことを謀略と称するのであれば、これはオレ様の企てと言えるのかもしれんな」

「なにそれ。変な言い訳だね」

「どうとでも思うがいいさ。我が同胞が貴様らを連れて来ることを期待したのは確かだが、ここまで上手く事が運ぶとは思わなかった。正直、この嵐のせいでどうにもならなかった腹いせに自棄になってみたのだが、道理で狂うのは気持ちがいい。これが俺の望んだ展開か。爽快だな」

「……ほんっとう、あなたたちって飽きれるくらい自分勝手で、自分本位で、自己中心的で、意味不明かつ理解不能。とにかく話が通じないね。特に今日は、すぐ自分語りだ」

「お褒めに預かり光栄の至りだな」

「褒めてないよあほんだら」

 

 若干呆れ気味に息を吐くお姉さん。

 帽子屋さんも帽子屋さんで、確かにいつも以上に話が通じないし、よくわからない。

 いつもよりも、なにかが奇妙だった。

 なんだか、前に会った時と、決定的になにかが違うような。

 

(……あれ? っていうか、今の時間って……)

 

 ふと、思い出した。

 代海ちゃんの言葉を。

 

 

 

 ――帽子屋さんとかは、その、す、凄く厳しくて……6時の間しか、『帽子屋』でいられないんです……――

 

 

 

「……ベルちゃんも気付いた?」

 

 気付きました。

 代海ちゃんが言うには、帽子屋さんは6時の間しか、活動できない。今までも、必ず6時の時に姿を現して、6時でなくなりそうになると、すぐに帰っていった。

 にもかかわらず、今の時刻は、たぶん12時過ぎくらい。6時からは程遠い時間だ。

 勿論、代海ちゃんやネズミさんみたいに、決められた時間外でも動いている人はいるし、そのルールの意味や厳格さ、そして本質は、わたしにはよくわからないものなんだけど……

 だけど、わたしの経験と、代海ちゃんから教えてもらった知識が、上手く合致しない。噛み合わない。

 これは、どういうこと?

 

「情報操作があるよねぇ。ま、現状では情報錯誤と言っておきましょうか? 帽子屋さん、あなたはこの時間には動けないはずではないのかな?」

「ソース不明の情報を鵜呑みにするのは愚の骨頂ではないのか?」

「さる信頼できる筋から聞いた話だし、私も吟味して検証してるから鵜呑みじゃないよ」

「そうか。またもや失礼したな」

「だけど、その筋の信頼も揺らいじゃうなぁ。ねぇ、それはどういう理屈なの?」

「こう見えてブラックボックスが多いのさ、オレ様たちは。それに生物なんてのは、己のことを、その仕組みを対して知りもしないまま生き、そして死ぬものだ。大した問題ではない。ただ、そういう抜け道もある、ということだ」

「……まーたはぐらかされたし。やんなっちゃう。あなたたちっていつもそう。さっきから言ってるけど」

「返す言葉もないな」

「ま、それはそれとしてだし、あなたが私たちを誘導したのかなんなのか、気になるけどもういいや。面倒くさいからあなたに合わせて付き合ってあげる。ここで現れたってことは、なにか目的があるんだよね」

「無論だ。ゆえにオレ様は、このような狂気の一手に出たのだからな」

 

 わたしたちはほぼ置き去りにして、二人の対話が進んでいく。

 猫のお姉さんは帽子屋さんを、帽子屋さんは猫のお姉さんを、それぞれ見据えていた。

 お互いに、相手こそが目的の人物だと主張するかのように。

 

「貴様は、『バタつきパンチョウ』を覚えているか?」

「チョウ? あぁ、あの綺麗でおかしなお姉さんか。まあ、おかしいのはあなたたち皆だけど」

「覚えているなら話は早い。奴の眼は非常に優秀でな。オレ様たちのような、曖昧で不確定、観測者も定義する者もいないような存在に対して、とにかく有用だ」

「定義する者がいない、ね。ふーん」

「奴がいれば、大抵の謎は解き明かされる。オレ様はそう信じていたのだが……まさかの結果だった。斯様な抜け道が存在するとは思わなんだ」

 

 帽子屋さんたちの話を聞いて、思い出す。

 確か、超のお姉さんは、“神の視点”で物事を見る眼を持つ、って言ってたっけ。

 本来ならわたしたちが知り得ないことを、主観的には感知できない情報を、チョウのお姉さんはその視点から見ることができる。

 だけど猫のお姉さんは、存在しない、見えないなら、神の視点でも知覚できない。犯人が最初から示されている推理小説はない、なんてとんでもない理屈で、正体を隠し切っていた。

 正直、わたしにはよくわからない話なんだけど、とにかく猫のお姉さんは、そう簡単に正体を暴けない、ということみたい。

 

「一度、明瞭にさせておこう。オレ様が貴様に対して抱いている興味関心と、疑念疑惑はただ一つ。それは貴様の正体だ」

「可愛い女の子ならともかく、変なおじさんに付け回されて正体を探られるのは、いい気がしないなぁ」

「自惚れるなよ。オレ様はあくまで『チェシャ猫』に対してその疑問を向けているだけだ……だがまあ、それを克明にするためにも、貴様の正体を掴まなくては、話にならん」

「要するにわたしの正体を暴きたいって? チェシャ猫レディって、何度も名乗ってるんだけどなぁ」

 

 はぐらかすとか、話が通じないとか、猫のお姉さんは帽子屋さんに言ってるけど。

 わたしから見ると、お姉さんも、自分の正体についてはぐらかしているように見える。

 そして帽子屋さんは、それを暴き出そうとしている?

 なんのために?

 それは、本当にただの興味本位なの?

 

「『バタつきパンチョウ』の眼は貴様の正体を看破できなかったが、しかしその結果は、貴様の攻略法を見出す手掛かりとなった。語るに落ちたな」

「ん? 私、なにか言ったっけ?」

「貴様は、本来隠されて然るべきものだからこそ、神の視点でもその前提が揺らがないと、そうのたまったそうだな」

「意訳されてるね」

「意味が伝われば訳など関係あるまいよ。今の言葉を是と受け取り、前提として貴様は隠された存在であると――推理小説(ミステリ)における犯人であると、そう語った」

「そんなことも言ったっけな。あんま覚えてないけど」

 

 言ってたよ……

 端で聞いているわたしからしても、わけがわからないなりに考えて、滅茶苦茶な理屈だと思ったもん。

 

「ミステリ――甘美な響きだな。殺人パズル屋のイカレた所業だ。人道に真っ向から反逆する悦楽にして、非倫理極まりない悪魔のような娯楽。合理的でありながら現実味が薄く、ロジカルでありながらリアリティに乏しい。頭の無駄遣いも甚だしい。これを楽しむ者は、相当に狂っている。人としてな」

「私は推理小説とか読まないけど、そういうこと言うと、誰か怒るよ?」

「怒りか、構わん。イカレた帽子屋には適当だろう」

「で? あなたは推理小説について語りに来たの?」

「まさか。今のは余興だよ。本番はこの先……そう、推理小説、ミステリ。その最大の魅力はなにか。アリス(マジカル・ベル)、濫読家な貴様の意見を仰ぎたい。ミステリの魅力とはなんだ?」

「わ、わたしっ?」

 

 急に指名されて驚く。しかも、推理小説の魅力を聞きたいって?

 帽子屋さんは、なにがしたいの……?

 

「……やっぱり、探偵だよ」

「ほぅ、探偵」

「厳密には“探偵役”かな。謎を解き明かす人。その人がそれまで辿った筋道から、思いがけない推理を披露する瞬間――謎解きの場面で、すごく、輝いていると思う」

 

 物語は総じて、伏線と呼ばれる未来に続くための欠片を散りばめる。説得力になる論拠を、行動原理になる理由を次げるために。

 推理小説ではそれを、犯人に至るための、推理を進めるための、謎を解明するための手掛かりとして拾い上げていく。

 そういった小さな積み重ねが、最後に予想外の結末を創り出す。その些細な道程からの、大きな完成品が、たまらなく楽しい。

 そして、その欠片を拾い上げ、わたしたちにその欠片の合わせ方を教えてくれる探偵が、とてもキラキラした、輝かしいものに見える。

 小さな手掛かりも見落とさず、最後には驚くような組み方で真実を導き出す者。

 ともすればそれは、誰かのヒーローになるような、大きくて、魅力的な存在だ。

 

Thank you(ありがとう).そう、ミステリにおいて重要なのは、探偵の存在だ。謎を解明し、不明瞭なものを明瞭なものへと変え、本当の姿を晒す者。言うなれば、解明する者だ」

「うん、それで?」

「謎があるところに探偵あり、ということだ。探偵が謎を解明するのであれば、逆説的に、謎のあるところには探偵がいなくてはなるまい? つまるところ、こういうことだ」

 

 そんなことはないと思うけど……

 などと言うことはできなかった。有無を言わさないほど強引に、帽子屋さんは告げる。

 わたしたちに割り振られた――配役(キャスト)を。

 

 

 

「誰も彼もが気になっている最大の謎、チェシャ猫レディの正体――このオレ様が探偵となり、暴いてやろう」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「さぁさぁ、謎解きの時間だ。虚言虚飾は看破して、緻密な仕掛け(トリック)を切り崩す。難解な解明(ハウダニット)をもって、世にも奇妙な犯人当て(フーダニット)をお見せしよう!」

 

 嵐の中、帽子屋さんは大仰に、そして愉しそうに、諸手を振る。

 空間が、この世界の認知が歪んだみたいな、変な感覚だ。

 いつものなにかと違う。そんな曖昧模糊とした直感だけがわたしに告げるけど、その声すらも意味不明だ。

 本の中で何度も見て、読んで、解いた、推理の時間。

 それが今、目の前で繰り広げられる。

 

「最有力容疑者は、チェシャ猫レディと名乗る女。その如何にも名前から、容疑者は最重要参考人チェシャ猫との関連性が窺える。しかし当然ながら、容疑者はこれを認めない」

「人のこと容疑者とか、参考人とか、変な呼び方しないでほしいな。急に犯人扱いとか、胸クソ悪すぎるんですけど?」

「まあそう言うな、少しくらいは茶番に付き合え。ククッ」

 

 笑い声を零す帽子屋さん。

 犯人扱いされて気持ちのいい人はいない。しかも探偵役は、あの帽子屋さん?

 世にも奇妙と自称するだけあって、本当に意味が分からないし、とてもおかしな謎解き現場だ。

 今まで読んだ、どんな怪奇小説よりも、どんな童話よりも、奇妙奇天烈で狂ってる。

 

「まず大前提だ。【不思議な国の住人>我々】には、我らが父なる母に授けられ、この過酷溢れる世界で生き残るために獲得した個性()がある。言の葉の連なりによって定義され、発現する特異な力がな。それは当然、人間の持ち得るような技能でもなく、獣のようなある種の超越的身体機能の延長でもない。異質で歪な力だ。不便ながらも便利に使わせてもらっているがな」

 

 個性()……それは、チョウのお姉さんの“複眼”だったり、代海ちゃんの“代用品”のことを指しているんだろうけど。

 言葉の連なり……って、なんのことだろう。

 

「それは、例えば「代わりを用意する」と定義することで代用品を借り受ける『代用ウミガメ』のように。例えば「視点を変える」ことで神の眼を得た『バタつきパンチョウ』のように。例えば「Ⅵの数字を指し示す」ことで時を留めるオレ様のように――『チェシャ猫』は「姿が見えない」」

 

 言葉の連なり……その言葉の羅列、つまり“文章”によって、彼らの力は定義されている?

 いまいちよくわからないけど、それが代海ちゃんたちの力を表現するものであるみたい。

 そしてそれらになぞらえて、『チェシャ猫』というのは、「姿が見えない」能力を備えているらしい。

 姿が見えない……? 透明にでもなるの?

 透明人間?

 

「お次は言葉遊びといこうか。「姿が見えない」と綴られ、定義された言の葉の連なりは、果たしてどのような意味を持つ? 姿が見えないとはなんだ? 透明にでもなるか? それも手だろう。しかし「姿が見えない」という言葉の羅列は、それだけの意味しか内包していないのか? 答えは無論、(No)だ」

 

 言葉の意味?

 帽子屋さんは、一体なにを言ってるの……?

 探偵は必ずしも人にわかるように伝えるとは限らない。頭が良すぎて、考え方が独特すぎて、その推理を披露する時は、常人には理解できない語り口になる探偵も少なくない。

 だけど、こんなに自分勝手に語る探偵を、わたしは見たことがない。

 そしてその勝手なまま、帽子屋さんは語り続ける。

 

「「姿が見えない」という定義は、身を隠すという意味も含まれる。ではその本質はなにか。身を隠すこと、姿を見せないことの本質とは、己の存在を“認識させない”ことだと言えよう」

 

 ……ちょっとずつだけど、わかってきたかもしれない。

 言葉の定義。一つの言葉に含まれる意味。それは単一のものではない。

 わたしは授業で習うレベルの英語しかわからないし、ユーちゃんのドイツも理解できないけど、少なくとも日本語では、一つの言葉から複数の意味を見出すことができる。

 もっと言えば、その言葉から繋がる、連想される意味や言葉も生まれる。それはさながら、物語のように、広く大きく展開していくもの。

 拡大解釈と言えばそれまでだけど、言葉の広がりは世界の広がり。そして広がった意味は、一体なにを表すのか。

 それが、帽子屋さんの口から、語られる……のかな。

 

「さて、ここからは仮定の話だ。チェシャ猫レディなる存在が『チェシャ猫』と深く関係している、あるいはそのものであるとしよう」

「私はチェシャ猫レディだって何度も言ってるんですけどー?」

「まあ待て、あくまで仮定だ。貴様の存在を『チェシャ猫』と同格あるいはそれに限りなく近似の存在として――では、貴様は何者だ?」

 

 指差して、猫のお姉さんを指し示す帽子屋さん。

 語り口、立ち振る舞い。すべてが犯人を暴く探偵のようだけど、それはどこか、おかしく見えた。

 なにが、とは言えない。それが“正しい”ことなのか“間違っている”ことなのかも判断できない。ただ、変だな、と思うだけ。

 探偵は謎を解決する、読者の味方じゃないの? 謎を解くという点においては、正義じゃないの?

 わたしの知ってる探偵のお話は、確かに謎解きによって物語を進め、事件を解決し、正しい行いをした。それを正義と言わずになんと呼ぶか。

 でも帽子屋さんがやっていることは、正しいとは思えなかった。でも、間違っているとも、言えなかった。

 だから、変なの。その悪役のような微笑みも、おかしい。

 まるで――狂ってるみたい。

 

「『チェシャ猫』と近似の存在と仮定しても、それは同一ではない。完全に同じなものとは言い難い。明らかに“異物”が混じっているな」

「…………」

「そう、そうだ。“混じっている”のだ」

 

 念を押すように、これは真実だと確定させるように、帽子屋さんは復唱する。

 猫のお姉さんは口をつぐんでいた。否定しない。それはこの場では、肯定を示す以外の何物でもないというのに。

 

「その異物が『チェシャ猫』という我らが同胞ではなく、チェシャ猫レディなる異形の存在を形成する証左であろうことは想像に難くない。これは間違いないだろう」

「……さてね」

「はぐらかすか。まあいい、簡単に自白されても興醒めだからな。ギャラリーも読者もいることだ、謎解きを楽しもうではないか。では、貴様を構成する概念が『チェシャ猫』を軸とした異物の混入であるとして、ではその異物はどのように取り込まれた? 貴様の姿は、およそオレ様の知る『チェシャ猫』ではない――もっとも、元々オレ様は『チェシャ猫』なる同胞のことは詳しくなかったゆえ、飼い主たる侯爵夫人から裏を取ったのだが――姿、形、口調、魂の在り方さえも合致しない。どこかずれている。これはどういうことか。オレ様は推理したよ」

 

 目深にかぶった帽子の奥から光る、鋭い眼光。

 口元を隠したスカーフが小さく動く、微笑み。

 帽子屋の男は、推理の最後の詰めを、チェシャ猫のお姉さんに、叩きつける。

 

「ここで結論を述べよう。オレ様が導き出した結論は、実に荒唐無稽で非現実甚だしい、それでいて愉快と愉悦に極まるものだ。面白おかしく不思議で狂気。しかしてそれが我々の同胞なれば――納得もいくというものであろう?」

 

 そんな前置きをして、帽子屋さんは続ける。

 荒唐無稽と嘯き、非現実だと騙り、納得がいくなどと根拠もなく言い放つ。

 空想と想像、仮定と仮想から生まれた、彼の推理を。

 

「オレ様が導き出した結論。それは、魂と肉体の融合だ」

「ゆ、融合……?」

「あぁ、融合だ。あるいは、吸収合体、とでも言うのかね? 『チェシャ猫』はどういうつもりか、自分とは種も在り方も異なる女をその身に宿し、吸収し、混ぜ合わせた。即ち、合体だ」

 

 確かに、荒唐無稽だし非現実だ。

 というより、実感がわかない。頭ではわかるけど、それがどういうものかが、感覚としてピンとこない。

 融合、合体。

 口で言うのは簡単だけど、それの意味するところを完全な意味で証明することは、できるのだろうか。

 

「恐らくは人間なのだろうな。人間の女との混血――いいや、混在した魂、とでも言うのか? 混魂……ふっ、まるで(フォックス)のようで愛らしいではないか。もっとも貴様は、元より愛玩の猫であるのだが」

「…………」

「「姿が見えない」という力に、斯様な使い道があるとは思わなんだが、そうであると仮定すれば推理は簡単だ。貴様はその姿を隠すために、擬態した。人間の魂を吸収し、自らの魂と、肉体と、存在と混ぜ合わせることで、『チェシャ猫』という存在を隠蔽しようとした。貴様の持つ特異な力の応用、発展、延長……それによって生み出されたまったく新しい人類にして同胞。それが貴様だ、チェシャ猫レディ」

 

 証明終了(Q.E.D.)

 と、証明にもなっていない、不完全な、けれどもなにかを開いた帽子屋さんの推理でもって、この謎解きは、ひとまずの終わりを迎える。

 しばしの静寂。雨と風の音だけが支配する世界が訪れた。

 

「と、以上がオレ様の推理だが……どうだ?」

「……70点」

 

 自らの推理について問う帽子屋さんに対して、猫のお姉さんは、小さく評価した。

 

「厳しく見積もって70点。いい線言ってるけど、残念ながら正解とは言い難いかな。考え方は間違ってないけど、結論がちょっとずれてるね。まあ、彼女から聞いて推理したなら仕方ないとは思うけどさ。だって、あなた――“俺”のこと、そんなに知らないんでしょう?」

 

 え?

 なに、今の?

 

「ほぅ……表立ってきたな、チェシャ猫」

「ん……あんまり揺さぶらないで欲しいな。一応、パーソナリティは“私”ってことになってるんだから」

「その口振り、嘘ではないようだな。しかし貴様について無知であったことは認めよう。貴様の告げた通りオレ様も、公爵夫人から聞き及んでいただけでな。元より貴様は、同胞とはいえ、奴の飼い猫だったゆえ。隣人のペットについてまでは、流石に詳らかに既知とは言い難い」

 

 猫のお姉さんの口調が、ぶれた……? パーソナリティ?

 二人はなにかを察しているみたいだけど、どういうこと?

 さっき一瞬だけ出て来た猫のお姉さんじゃないなにかが、帽子屋さんが『チェシャ猫』と呼ぶものなの?

 

「自信のあった推理が満点でないのは残念だが、貴様が『チェシャ猫』であることは――『チェシャ猫』を内包する存在であることは確認できた。十分な成果だ」

「ねぇちょっと。自分ばっかり満足してないでよ。私だって聞きたいことがあるんだから」

 

 一人満足げな帽子屋さんに対して、猫のお姉さんが噛みつく。

 そう、そうだ。

 帽子屋さんが猫のお姉さんの正体を探っていたように、猫のお姉さんも帽子屋さんたちの――【不思議の国の住人】のことを、探っていた。

 この推理の場は、謎解きの場面は、決して帽子屋さんのためだけのものではない。

 お姉さんは問う。

 今まで何度も何度も問うてきた、彼らのことを。

 

 

 

「あなたたちは何者で――なにが目的なの?」

 

 

 

「……それは、『チェシャ猫』としての問か? それとも女、貴様の疑問か?」

「私はチェシャ猫レディ。その存在は揺るがないよ」

「そうか。それは失礼した。ふむ、そうだな。思い返せば、飼い猫にはオレ様たちのことは話していなかったかもしれん。公爵夫人(飼い主)もなにも口にしていないのなら、それは筋の通った疑問と言えよう」

「…………」

 

 眉根を寄せるお姉さん。

 それはきっと、帽子屋さんの中に存在する前提が、チェシャ猫レディから『チェシャ猫』へと完全に移ってしまったからだろう。

 帽子屋さんがなにをどう考えているのかはわからないけれど、お姉さんは帽子屋さんからなにかを感じ取って、それが気に入らないらしい。

 

「そも、これは我々にとって共通認識でもなし。オレ様の気が向いたら零す程度の戯言に過ぎん。なぜとな? 理屈は至って簡単だ。今から語ることは、なにもおかしなことはないからだ。それは生物としては至極当然の理念であり、わざわざ口にするまでもない、そう、当たり前のことであるからだ。当然で公然の事実を口にする意味など薄い。大抵の者は知っているだろうが、それを知ることが重要なのではない。大切なことは、“当たり前のものが当たり前に享受される現実”だ」

 

 応答一つ取っても、話が逸れ、拡大され、一見するとまるでわけのわからないところに着地する。

 今日の帽子屋さんは、特にそうだ、今まで以上に、不可解な言動を繰り返している。

 だけど、不可解だけど。わけがわからないけど。

 それでも今日の帽子屋さんは、答えてくれた。

 なにが彼をそうさせたのか。推理を披露して嬉しくなったのか、その推理の結果が嬉しかったのか、それともまったく別の理由があるのかはわからない。予想もできないし、予想がつかない。

 

「御託が長引いたな。ではチェシャ猫レディとやら。貴様が我らが同胞『チェシャ猫』を内包する者として、欠片でも我らが同胞の性質を持つ者として、我らが同胞の一端として話してやろう」

 

 けれど。

 それでも今日という日は、確実になにかが進み、動き出す日だった。

 今まで隠されていた――いいや。わたしたちが辿り着けなかった答えが今、帽子屋さんの口から、明かされる。

 

 

 

「【不思議の国の住人】という存在は如何なものかをな――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「遥か昔、この地球は誕生した。そこから長い月日を得て、この星には数多の生命が生まれ、そして進化を繰り返してきた。それが、貴様ら人間の間で認知されている歴史だ」

 

 帽子屋さんは最初に、そう語った。

 その導入に思わず、首を傾げてしまう。

 

「おっと、文脈から変な勘繰りをしているな? 別段、これを否定しようというわけではない。ただの前提を話しただけに過ぎんよ。共通認識というやつだ。それがなければ、人間は言葉を交わすだけでも一苦労だからな……そう、人間だ。その生命の歴史の中で人間という種は、進化によって驚異的な能力を獲得した」

 

 歴史なのか、地学なのか、生物なのか。

 なんの科目か、そのすべてなのか、あるいはまったく別のなにかなのか。帽子屋さんの話はなんなのかわからないけれど、思ってもみない切り口から語られて、思わず面食らう。

 

「人間はその進化の歴史において、大地に二つの足で立ち、二つの手腕で物を作り、言葉という情報伝達手段を開発し、あまつさえ自然を脅かす炎すらも自らの技術に取り込んだ。自然界で生きる獣としては、異例中の異例。型破りも甚だしい。異端とすら言える、反自然的な文明の発達だ」

 

 これは褒められているのか貶されているのか。

 反自然的……環境問題とかを言っているのかな。だとすれば、確かに人間は、自然から反しているのかもしれない。

 

「人間の歴史は文明の歴史でもある。文明とはかくも不思議なものだな。この世界にあるものしか用いないというのに、自然界には存在し得ない物体を、物質を、あらゆるものを創造する。享楽、娯楽、歓楽――生殖や生命機能の存続としての意味しかない快楽すらも、無駄でしかないものすらも、知能と感情によって、善良な性質を付与した。効率と能率によって支えられながらも、それが獣の法則でありながらも、不必要なものさえも愛する。思想、概念――考え方という定義、仮定。なんともまあ、人間は自然から反したことをするものだ」

「冗漫に過ぎるよ。あなたは、なにが言いたいの?」

「前座だよ。前口上のようなものさ。このように、人間はあらゆる生命の頂点に立った。この星は、人間のものと言っても過言ではないだろう。地上も、海も空も人が支配し、管理している。その中で社会を構築している。どころか、他の生命さえも支配と管理を試みる始末だ。あぁ、なんと勇ましく、挑戦的なのだろうか! そして同時に、なんと傲慢なことだろうか!」

 

 称賛したり、批判したり。言葉の上だけでは判断のつかない口振り。

 帽子屋さんはなにが言いたいのか。なにがしたいのか。

 最初から最後まで、今に至るまで、なにもわからない。

 

「人間はこの地球を支配し、管理し、観察し続けている。この星で把握できないことはないと言わんばかりに――いいや、それが支配者の証明だな。人間は己が支配者であろうとするために、この星のすべてを知ろうとしている。その手に収めるためにな」

「そんな大それたこと考えていきてる人なんていないよ、たぶん」

「無論、人間はすべてを知ってなどいないし、それは個人によるものではない。それは奴ら自身が知っていることだ。無知の知、知らないことを知っている。そこが人間の賢しいところよな……奴らが果てない能力を持つにもかかわらず、すべてを知り得ない理由は、大きく分けて三つある」

 

 帽子屋さんは指を三本立てて、これを一つずつ折っていく。

 

「一つは、この星も常に新たな概念が構築されているから。星も文明も、進化する、成長する、発展する。新たなものが、この星には追加され続ける。ゆえに、探求は終わらない。完成も完了も終了もあり得ない」

 

 新たな概念……

 星の進化とか成長っていうのはよくわからないけど、新しいものが追加されるというのは、少しわかるかも。

 新しい技術。新種の生物。新エネルギー。そういったものが、この世界の百科事典(ライブラリ)に追加されている。

 それに、鳥さんとかクリーチャーとか、あり得なような存在もやって来る。

 これが延々と繰り返されるなら、確かに終わりはないし、だからこそ“未知の存在”を完全に潰すことは不可能だ。

 帽子屋さんは、二本目の指を折った。

 

「二つ目は、過去の失われたものは知り得ないからだ。完全に喪失されたものは取り戻せない――少なくとも、現時点ではな」

「現時点では……」

「それが三つ目。現時点での完了はあり得ない。未来であれば、あるいはそれは可能なのかもしれない。アカシックレコードと言うんだったか? あれを、あるいはあれと類似したなにかを読み解くことが、いずれ可能なのかもしれないな。その可能性は否定せん。否定はせんが――それはあくまでも、未来の話。オレ様が話しているのは“現在(いま)”だ」

 

 ……なんだか、屁理屈っぽいというか、当たり前なことを言ってるだけに聞こえる。

 この瞬間では全部を知ってないから、全部を知っていないなんて言われても、だからなに? という感じだ。

 それが一体、どうしたというのだろう。

 そう思ったわたしに、一つの答えが示される。

 

「今現在においては、どうしたって完了しない。現在において隠されたものは、現在においては知り得ない。逆に言えば、現在において貴様ら人間は“発見していないものがある”。そしてそれが――【不思議な国の住人(我々)】だ」

 

 ……え?

 でも、確かに。

 帽子屋さんや代海ちゃんたちの存在は、明るみには出ていない。たぶん、彼らのことを知っているのは、わたしたちみたいな一部の人だけ。

 人間はすべてを知り得ないなんて遠回りなこと言って、言いたかったのはそれ?

 いいや、帽子屋さんが探偵を語るのなら、騙ったのなら、まだ終わらない。

 ここからが、本番だ。

 

「遥かな過去にこの地球に産み落とされ、成長と進化を繰り返し、いつしか自我を持ち、一つの種となり――我々は、ここまで生き残った。貴様ら人間と同じように、知性も、知能も、感情も得た。貴様らと違い、生き残るための個性()も得た」

 

 ずっと昔から、この地球で成長と進化してきた命。

 それって……

 

「人間と……いや、地球の生き物と、同じ……」

「左様だ。しかし我々には、貴様らと、貴様らの認識する獣どもとの、最大の差異がある。概念として、種として、定義されているか否かだ」

「定義? 名前、ってこと?」

「まあ、詳細なニュアンスなどどうでもいいゆえな。その認識で構わないさ。我々は己が種を定義できない。ゆえに暫定的に【不思議な国の住人】などと(うそぶ)いているに過ぎない、ということだ」

 

 種として定義されていない。

 人間が発見した地球上の生物――いいや、生きていないものでもなんでも。この地球で、人間が発見したものすべてに、人間は名前を付けて、概念としてその存在に説明を付けている。

 特に生き物の種とは、そういうものだ。人間が観測したことで、どういうものか、どう呼ぶのかが決定されている。

 でもそれは、人間が見つけたから。人間が見つけたものにしかない。

 “人々”がその存在を知覚しなければ定義はできず、逆説的に定義されていないものは発見されていない。そして、認識されていない種が存在するのであれば、それを定義するものはまだ、どこにもいないことになる。

 そのどこにもいない、認知の外にいた存在が、帽子屋さんたちなの?

 

「根本的には、【不思議の国の住人(我々)】も、貴様らも、なにも変わらん。そして、自然から踏み外したという所業もな。ただその時期と、結果が少し違えただけだ……そうだ、わかるか人間? この世界で知性を持った生物は、それほどの進化を遂げた生命体は、貴様らだけではない。自惚れるなよ。我々も貴様らと同じで、強かに生きてきた」

 

 この地球で生まれ、その生態系の中で生きて、進化して、わたしたち人間のように言葉を喋っている。道具を使い、作り、文明や文化を理解している。

 知的生命体。そして、この地球で生きてきた命という点で、人間も、帽子屋さんたちも、なにも変わらない。

 ただ、他の動物と同じ。どう進化したのかが少し違ってて、少し似ていた。ただ、それだけだ。

 別の星から来たクリーチャーとは違う。むしろ、わたしたちに近い存在。

 それが――【不思議の国の住人】。

 

(そう、だったんだ……)

 

 図らずもクリーチャーの事件に関わってる身だから、勝手にその類だと思い込んでいたけれど、実際はまったく別。無関係なものだった。

 どころか、わたしたちに近しい生き物だ。

 今を生きるわたしにはピンと来ないけど、でも、理解はできる。この地球で生まれて、育って、こうしてここにいる。その進化の過程で得た力は不思議だけど……でも、その歴史は、生き方は、人間や、地球上のあらゆる生き物となにも変わらない。一つの種だ。

 

「……ふぅん。ま、猫が二本足で歩いて喋ってるようなものか。要は未確認生物(UMA)みたいなもんでしょ」

「腹立たしい解釈だが、まあよかろう。貴様らが傲慢ちきなことは知っている。あらゆる生命体を支配下に置こうとする、そんな自惚れた種であることを知っている。その上で、自らの存在を隠匿し、それを察知する程度には、我々の能力は高かった。しかし、しかしだ人間。さっきも言ったが、この星は貴様らの支配下に置かれている。貴様らの社会が牛耳っている。この意味がわかるか?」

「?」

「支配者たる自覚がないのか。繁栄しすぎたがゆえに、種としての共通認識や自覚が欠如しているのは、貴様らの欠点だな。まあいい。オレ様の目的は、【不思議の国の住人】の総意は、とても単純でありふれた、当然にして純然、些細な願い――種の繁栄だ」

 

 種の、繁栄……?

 それは、つまり――

 

 

 

「我々が望むは種の存続と繁栄。即ち――我々の世界を、我々の国を、我々の社会を創ることだ」

 

 

 

 ――あらゆる生命体の、本能的願望。

 崇高でも低俗でも、高貴でも野蛮でもない。

 面白おかしく狂気に満ちた彼らからは、まるで想像もできないほど、普通で平凡で、当たり前な願いだった。

 

「なにもおかしなことはない。生物としては当然のことだ。意識的か無意識的か、理性的か本能的かはさておき、誰もが己が同胞と言える種が長くこの世界に残り、豊かな発展を遂げることを望む。我々とて同じだ」

 

 確かにおかしくはないけど、明らかにおかしい人たちが集まっているのに、そんなに当たり前なことを言われてしまうと、奇妙に感じてしまう。

 繁栄、存続。世界、社会。

 そんな概念を持って理解できるのは、自我と知性を持ち得る生物だけ。そしてそれができるのは、わたしたちの世界では人間のみ。

 だけど事実はそうではなかった。

 帽子屋さんたちも――【不思議の国の住人】も、人間と同じ意識と叡智を持っている。

 けれど人間と違うのは、生きている世界。

 帽子屋さんの言うように、この世界は人間がかなりを掌握している。その中に、他の動物が、本当の意味での生存権を握っているとは言い難い。

 決して無碍にはしないけれど、人権という言葉が指し示すように、この世界は、人の世界は、この星は、人間を中心に回っている。

 つまりこれは、人間と同等の力を持ちながらも、人間の世界から外れた者たちの逆襲。

 己の生存と、未来への栄光を賭けた、一種の生存競争。

 わたしには、あまりに話が壮大で、まったく実感が湧かない。

 だけど、この話を聞けて良かったと思ってる。なぜか、ホッとしてる。安心してる自分がいる。

 

「人間は種としてあまりに強大だ。我々の社会を創ることさえ叶わんほどにな。ゆえに今は貴様らの社会に寄生し、己を偽装して紛れ込むという生き方に甘んじているが――忘れるな。我々は常に、我々の生きる場所のために生き続ける。そのためなら、貴様らに牙を剥くことも厭わない」

 

 そんな物騒な言葉も、なぜか刺さらない。なにも感じないわけじゃない。ただ、棘として受け取れない。

 やっぱり……間違ってないんだ。

 この人たちは、帽子屋さにゃ、代海ちゃんは、なにも間違ってなかったんだ。

 悪いことなんて、なにもなかったんだ。

 

「……まあもっとも、今の我々は非常に惰弱でな。今は貴様らの社会に紛れて生きるのが精一杯、というのが現状さ。貴様ら人間は、種として、集団として、あまりに強く、大きい。そして成長速度も凄まじい。矮小なオレ様たちはそれを妬み、野望ばかりが膨らんでしまったようなものだよ」

 

 と、最後に肩を竦めて言う帽子屋さん。

 それを神妙な面持ちで聞いていたチェシャ猫レディのお姉さんは、

 

「……成程ね。納得したよ」

 

 帽子屋さんの言葉を、素直に飲み込んだ。

 猫のお姉さんのことだからもっと疑ってくるのかと思ったけれど、思った以上に、そのまま受け取っていた。

 だけど、

 

「なんか、萎えちゃったな」

 

 冷めた目。興味を失ったような冷たい視線を、帽子屋さんに向ける。

 

「私がこんな躍起になって探ってたことが、そんな当たり前のことだったなんてね。いや、否定はしないよ? いいんじゃない、そういうのも? ただ、なんか期待しちゃってたのかなぁ。正義のヒーローと相対するのは、巨悪であるということに。だから……うん。“期待はずれ”だったよ」

 

 期待はずれって……

 ちょっと、酷い言い方だと思った。

 猫のお姉さんは踵を返す。帽子屋さんに背を向けて、歩を進める。

 その背中に、帽子屋さんが驚いたように声をかけた。

 

「おいおい? どこへ行くつもりだ?」

「? 帰るんだけど? 聞くことは聞けたし、こんな嵐の中にいつまでもいてらんないって。ベルちゃんも、目的は果たしたわけだし、もう帰ろうよ」

「え? あ、はい」

 

 確かに代海ちゃんを見つけることはできたし、わたしの目的は果たせたと言える。

 こんな身体も冷え切ってるし、代海ちゃんもちゃんと休ませてあげたい。みんなも心配してるはず。だから、お姉さんの帰るという選択には賛同できる。

 だけど、

 

「なにをとぼけている。“オレ様の推理はまだ終わっていないぞ”?」

「……は?」

 

 帽子屋さんが、それを許さない。

 わたしも、まさかこれですべてが終わりだなんて、思えない。

 いつもの帽子屋さんなら、あっさり引き下がっていたかもしれない。

 だけど今日は、いつもと違う。なにかが違う。

 まだ、終わらない。

 

「満点の正解を導き出すまで、貴様を逃がすつもりはない。もう少し、相手をしてもらおうか。いいや、もう聞き出す方が手っ取り早いか?」

「うわっ、うっざ……」

 

 露骨に嫌な表情を見せる猫のお姉さん。

 何度も言うけど、こんな暴風雨の中にいつまでもいるわけにはいかない。そもそも、この状況で話し込んでいる今は、非常に異常なのだ。

 その異常から脱したいのは、誰も同じはず。なのに帽子屋さんは、一人だけそこから抜け出ようとしない。

 抜け出ることを拒否しているのではなく、それをするには、まだ満足していないと言いたいのだ。

 そんな頑固さ、融通の利かなさ、諦めの悪さ。お姉さんは振り返ると、苛立たしそうに息を吐く。

 

「本当に厄介だなこの人。邪魔も邪魔だよ。だけど振り切る自信もないし、仕方ない。そんなに轢殺して欲しいなら、相手してあげるよ。お望み通り特急列車に撥ねられて死ね」

「え……?」

「おっと……」

 

 慌てて口を塞ぐお姉さん。だけど、確かに聞こえた。

 まただ。しかも今度は、またちょっと違う感じで。

 チェシャ猫レディさんの口調が、おかしくなっている。

 しかもそれは、お姉さんの仕草から、お姉さんが意図したものではないみたい。

 なにかがずれているような。崩れていくような。

 そして、チェシャ猫レディという存在が、揺らぎつつあるように見えた、

 

「ちっ……やるなら早く始めよう」

「それが望ましいようだな。そしてこの戦いが、貴様の真の姿を見定める鍵になりそうだ」

 

 因縁は終わらない。

 それほど衝突しても、言葉を交わしても、推理を披露しても、問いただしても。

 こんな嵐の中でも関係なく、二人は相対する。

 正義を語るチェシャ猫レディさんと、狂気を紡ぐ帽子屋さん。

 これまで、ただ探り合うだけで、誰かを通じて間接的に接触して、実際の言葉を交えることさえもほとんどなかった二人が、遂にぶつかる日が来た。

 今ここに、二人の道化がカードを持つ。

 

 

 

「特急列車が参ります、ご乗車の際は轢き殺されないようご注意ください――帽子屋さん(The Mad Hatter)

 

ようこそ、不思議の国へ(Welcome to Wonderland)――歓迎しよう、チェシャ猫レディ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「オレ様の超次元はこいつだ」

 

 

 

[帽子屋:超次元ゾーン]

《邪帝斧 ボアロアックス》×1

《神秘の集う遺跡 エウル=ブッカ》×1

《激相撲!ツッパリキシ》×1

《勝利のプリンプリン》×2

《サンダー・ティーガー》×1

《エイリアン・ファーザー<1曲いかが?>》×1

《イオの伝道師ガガ・パックン》×1

 

 

 

 対戦開始直前、帽子屋さんは超次元ゾーンを公開した。

 自然のドラグハートが二つに、サイキックが五体。見たことのないカードもあるけど、そんなことよりも、帽子屋さんが超次元を使うというのが驚きだった。

 わたしが帽子屋さんと対戦したのはたった二回だけだけど、そのどちらも超次元なんてなかった。また、デッキを変えたのかな?

 

「この次元は、イメン……?」

 

 小さく呟くお姉さん。わたしにはこの超次元じゃ帽子屋さんのデッキはわからないけど、お姉さんは知ってるのかな?

 

(次元かぁ。確かに帽子屋さんは、五色ジョニーも使ってたらしいし、それに次元を突っ込むことも、まあなくはないだろうけど……ジョーカーズと思って、せっかく帽子屋さんメタったデッキ組んできたのに、ここでデッキを変えられるなんて。でも、ブラフの可能性もあるし……手札が最高なだけに、これは迷うなぁ。どう動いたものか……)

 

 お姉さんは、難しい顔で手札と見つめ合っていた。

 手札が悪いのか。それとも、帽子屋さんの超次元に惑わされているのか。

 険しい表情のお姉さんに対して、帽子屋さんは不敵なようで、どこかおかしく微笑ながら、カードを切る。

 

「オレ様の先攻だ。《タイム3 シド》をチャージ。ターンエンド」

「《シド》……これでジョーカーズの線はなくなったかな……私のターン、ドロー」

 

 帽子屋さんのマナには、光と水のクリーチャー。

 ジョーカーズじゃないんだ……ってことは《ジョリー・ザ・ジョニー》からの奇襲みたいなエクストラウィンはない。

 多色カードってことは、最初に対戦した時に使ってた、赤い方の《ジョリー・ザ・ジョニー》でエクストラウィンなのかな?

 

「いい引き……なら、迷うことはないね。《バッテン親父》をチャージ! 1マナで《ジョジョジョ・ジョーカーズ》! 《ヤッタレマン》を手札に加えてターンエンド!」

 

 

 

ターン1

 

帽子屋

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:30

 

 

チェシャ猫レディ

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:5

墓地:1

山札:28

 

 

 

「オレ様のターン。《カレイコ》をチャージし、2マナで《【問2】 ノロン⤴》を召喚」

 

 《ノロン⤴》? わたしもよく使うクリーチャーだけど……なんだろう。最初に使ってたデッキとも、なにか違う感じがする。

 

「《カレイコ》、それに《ノロン⤴》……? あれ本当にイメン……?」

 

 それは猫のお姉さんも感じているみたいで、訝しげな視線を向けていた。

 帽子屋さんは《ノロン⤴》の能力で、手札を入れ替える。

 

「二枚ドロー。そして二枚捨てる。捨てるのは、《天下統一シャチホコ・カイザー》と《終末の時計 ザ・クロック》だ」

「《シャチホコ》!?」

 

 目を見開くお姉さん。

 光と闇と火のクリーチャー。

 あのクリーチャーが、帽子屋さんのデッキの、キーカード?

 

「ってことはあれ、湧水シャチホコなの? でも、シャチホコであの次元って、ブラフじゃないとしてもわっけわかんない……あぁ、クソッタレ! 私のターン」

 

 自棄になったように叫び、カードを引くお姉さん。

 ……まただよ。また、お姉さんの口調が揺らいだ。

 飄々としてて掴みどころがないのは確かだけど、だからってこんな荒々しい言葉遣いではない。

 やっぱり、お姉さんの中でなんかが歪んでいるような気がする。

 

「ふっ。貴様も、オレ様の狂気に当てられたか? 頭がイカレてきたか?」

「うるさいよ! わけわかんないし、面倒だから超特急で轢き殺してやる! 《ヤッタレマン》を召喚! そしてG・ゼロ! 《ゼロの裏技 ニヤリーゲット》を唱えるよ! トップ三枚を公開!」

 

 めくられたのは、《ジョジョジョ・ジョーカーズ》《バイナラドア》《タイム・ストップン》。

 全部、無色カードだ。

 

「あんまり強くはないけど、まあいいか。三枚とも手札に加えるよ! これでターンエンド!」

 

 

 

ターン2

 

帽子屋

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:2

山札:27

 

 

チェシャ猫レディ

場:《ヤッタレマン》

盾:5

マナ:2

手札:6

墓地:2

山札:24

 

 

 

「オレ様のターン。マナチャージ、3マナで《コアクアンのおつかい》。山札を三枚公開だ」

 

 猫のお姉さんに対抗するように、帽子屋さんも山札をめくる。

 めくられたのは、《タイム1 ドレミ》《タイム3 シド》《湧水の光陣》の三枚。すべて、光を含むカードだ。

 

「Good、すべて手札に。これでターンエンドだ」

「やっぱり湧水……これは、唱えられる前にぶちのめすしかないね。私のターン! まずは2マナ、《パーリ騎士》! 墓地のカードをマナに置いて、1マナで《ジョジョジョ・ジョーカーズ》! 四枚見て……」

 

 めくったカードを見て、少し考え込むお姉さん。

 だけど、半ば投げやりに、一枚を掴み取った。

 

「……これでいいや。《ダンガンオー》を手札に加えるよ! 残った1マナで《ヤッタレマン》を召喚! ターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

帽子屋

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:3

手札:5

墓地:3

山札:23

 

 

チェシャ猫レディ

場:《ヤッタレマン》×2《パーリ騎士》

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:2

山札:22

 

 

 

「《ドレミ》をチャージ、3マナで《シド》を召喚。ターンエンドだ」

「動きが鈍い? それともなにか狙ってるのか……」

「狙い? 確かに狙いはあるな。貴様も半分くらいは予想できているのではないか? もっとオレ様は、結末さえ同じなら道程は問わない。最高にイカしたタクティクスを生かし、イカレた結末を良かれと受諾するだけで、予想があろうとのなかろうと、狙いとはただそれだけなのだがな……おっと、これではまるで眠りネズミのような口振りだな」

「あぁ! うるさい、耳障りだよ! 今はわたしのターン! “黙っててください”」

「おやおや? またか、随分と情緒が不安定だな。銀でも飲んだか?」

「っ、うるさいうるさい! 気が散りますって、黙ってて!」

 

 これで何度目だろうか。

 荒々しい口調から、今度は最初の時のような、どことなく慇懃に、お姉さんの口調が歪んだ。

 その歪みは、少しずつ大きくなっていく。

 

「んっ……クソッ、こん畜生め。お前は人の神経を逆撫でする天才か」

「オレ様が揺さぶっているのは認めるが、貴様も大概、自ら“ぶれている”のではないか? 正体を明かされ、そんなに戸惑っているのか? だいぶ“鍍金(めっき)が剥がれているぞ”?」

「そんなこと……あぁ、もういい。うざいし、とっとと決める! 《ヤッタレマン》二体でコスト軽減マイナス2、4マナタップ!」

 

 ! これは、来る……!

 猫のお姉さんの、切り札が。

 

 

 

「雨風嵐も関係ない。夜空を奔る一閃の弾丸――貫け! 《超特Q ダンガンオー》!」

 

 

 

 手札から一直線にバトルゾーンへと飛び出した、新幹線のロボット、《ダンガンオー》。

 《ダンガンオー》は、登場ターン限定だけど、他のジョーカーズの数だけブレイク数が増える。今のお姉さんの場には《ヤッタレマン》二体に《パーリ騎士》の、合計三体。

 最初から持っているWブレイカーと合わせて、ブレイク枚数はプラス3、合計五枚。

 つまり、帽子屋さんのシールドをすべて打ち砕く力を持っている。

 

「ぶち抜け、ダンガンインパクト! 《ダンガンオー》ですべてのシールドをブレイク!」

 

 《ダンガンオー》が突貫する。ジョーカーズたちの力を拳に集めた、一点集約の攻撃。全身全霊の一撃。

 超特急で超高速。正に、必殺技だ。

 だけど、

 

「……させんよ」

 

 大きく振りかざした、必殺の拳は――

 

「ニンジャ・ストライクだ――《光牙忍ハヤブサマル》」

 

 ――帽子屋さんには、届かない。

 

「《ハヤブサマル》自身をブロッカー化、ブロックだ」

「っ、止められた……!」

「必殺の一撃でも、その一撃さえ届かなければ無意味だ。さぁ、後続はどうする?」

「……ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

帽子屋

場:《ノロン⤴》《シド》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:4

山札:22

 

 

チェシャ猫レディ

場:《ヤッタレマン》×2《パーリ騎士》《ダンガンオー》

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:2

山札:21

 

 

 

「オレ様のターン……さぁ、そろそろこちらも攻めていこうか」

 

 お姉さんの一撃を捌いた帽子屋さんは、余裕綽々と言わんばかりに手札のカードを弄んでいる。

 そしてそれを、ピッと抜き取った。

 

「マナチャージ。そして5マナで、《ノロン⤴》をNEO進化!」

 

 NEO進化!?

 い、いや、わかっていたことだよ。帽子屋さんのデッキは、今までのデッキとはまるで違う。

 目的がハッキリしているのに、手順通りに進まない。道筋が決まっているのに、脇に逸れる。確固たる意志は、薄弱に曲がる。

 ずれてるし、歪んでるし、外れてる。思っていた方向に動かないと思ったら、馬鹿みたいにまっすぐになって、すぐ折れ曲がって、元に戻る。その工程を圧縮して、一つにまとめたみたいな、違和感を固めたような、おかしさ。

 表層を不可思議な仮面で偽った、帽子屋さん。

 その様は、そう。

 

 狂っ(イカレ)ている。

 

 今までは、そこまで思わなかったけど、今の彼を見るとよくわかる。

 無意味なことに熱中して、無意味なことに楽しんで、無意味に自分も人も苦しめて、結果は無為に終わる。

 なのに、目指す果ては有意義で、当たり前で、当然で、納得できて……悪いことじゃ、ない。

 そのちぐはぐさが。どっちつかずさが。混沌が。『帽子屋』という男の人の、致命的な狂気を見せている。

 そしてそれは、彼の操るカードも。

 狂気的で狂喜的な微笑みから繰り出される、その“狂気”とは――

 

 

 

帽子屋のように狂え(Mad as a hatter)――《ジャババ・ハット》」

 

 

 

 ――帽子、だった。

 禍々しい邪気を纏った、帽子。

 目玉に口があって、まるで付喪神、お化けのようだけど、その周囲には邪悪な魂が漂っている。

 

「じゃ、《ジャババ・ハット》……!?」

「イカした帽子だろう? そして同時に、イカレた帽子さ」

 

 言い終わるや否や、帽子屋さんはすかさず場のクリーチャーに手をかける。

 攻めるという宣言は、嘘や偽りではなかった。

 本当に、帽子屋さんはここから、猫のお姉さんを倒しにかかる気だ。

 その、狂った気で。

 

「まずは《シド》でプレイヤーを攻撃……する時に、革命チェンジだ」

「えっ、革命チェンジ!?」

「そうだとも。出るのは彼、《タイム2 ファソラⅩⅡ(トゥエルブ)》! こいつの帽子もなかなかクールでいいものだぞ? なにせ能力で手札から、コスト4以下の光の呪文を唱えられるのだからな! 唱えるのは、当然このカード! 《湧水の光陣》!」

「っ、そうやって唱えるのですかよ……!」

 

 舌打ちして、また妙な言葉遣いで口走るお姉さん。

 何度も何度も。戻ってはずれ、戻ってははずれ、歪んで狂っていく。

 

「どうした? 口調も、呼吸も、身体も乱れているぞ? 淫らなのは三月ウサギで十分、今は踊り狂え! 月光の化身のように、神話の英雄のように、蛇龍の姫君のように! 捨て去れ、忘れて覚えろ、この大嵐の記憶をな!」

 

 ……だけど、言葉がおかしいのは、お姉さんだけじゃない。

 帽子屋さんも、明らかにおかしい。テンションが高いとか、そういうことじゃない。言っていることが支離滅裂だし、わけがわからない。

 なにかの比喩とかでもなく、たとえ比喩でも意味のないことっぽい。そして、ただわけのわからないことを口走っているようにしか思えない。

 どんどん本当の彼女からずれていく、チェシャ猫レディのお姉さん。

 どんどん本来の彼から狂っていく、帽子屋さん。

 どっちもおかしくて、壊れるように歪んでいく。

 そんなこの対戦は、狂気そのものだ。

 

「銀の水によって這いずれ、這い回れ、這い上がれ! 湧いて出ずるは《湧水の光陣》! その効果で、墓地からコスト3以下のクリーチャーを復活させるが……オレ様の場に水または自然のクリーチャーが存在することで、蘇生範囲を5コストまで拡大する」

 

 狂った口上から、一転して淡々とテキストを読み上げる帽子屋さん。

 その流転、奇妙なほどきれいな流動が、怖いくらい変だ。

 

「外なる神にも成れない、龍の成り損ない。貴様は細小を極めし辺獄の辺国にて、天と宇宙>ソラを見据えていればいい。それ即ち、うつけの大口、魔王の如き大食。存在証明も不在証明もいらないから、とっとと死んで生きて輪廻を回すがいいさ」

 

 地の底まで浸透し、湧き上がるのは銀の水。《ファソラⅩⅡ》の存在によってより大きな流水となった湧水は、地底で渦巻く魔方陣となる。

 そしてまた、狂気に飲まれた魔獣が、地上に現れる。

 

 

 

「イカレた帽子で世界を取る時間だ――《天下統一シャチホコ・カイザー》!」

 

 

 

 顔がない。目がない。あるのは剣山のような、地獄のような、赤く鋭い牙が並ぶ大口と、悪魔のような翼。

 ドラゴン……に、見えなくもないけど、あまりにも異形だった。

 周囲には、紫電と共に空間が歪みかけていて、歪に揺れている。

 

「このタイミングで《シャチホコ》まで……!?」

「おうとも。《ファソラⅩⅡ》から進化だ! そして喰らえ、《シャチホコ・カイザー》でWブレイク!」

「ここで止めたいけど……あぁ、無理。トリガーなし!」

「では次だ。ここは狂っていても違えないぞ? オレ様も伊達にイカレてない。頭の螺子(ネジ)を飛ばすのには慣れているからな。異常で正常な軌道を進め、《ジャババ・ハット》で《ダンガンオー》を攻撃」

 

 《ダンガンオー》のパワーは7000あるけど、《ジャババ・ハット》はそれを上回る9000。

 《ジャババ・ハット》は大きな口を開けて、飲み込むように《ダンガンオー》へと食らいつき、頭を噛み千切った。

 だけど、

 

「ククッ。あぁ、喰らったか。ならば貴様も、大食の罰を受けるべきだな。木馬バエではないが、貪食の毒虫には穢れた罰則が待っている。夜闇の誘蛾灯のように、静謐と醜悪に散って死ね」

 

 直後、《ジャババ・ハット》も爆散した。

 その爆発で《ダンガンオー》の身体も木端微塵に砕け散ったけど、バトルに勝った《ジャババ・ハット》まで破壊されるなんて、どうして……?

 

「攻撃後、《ジャババ・ハット》は破壊される。それが運命、定め、そしてそういう能力だ。帽子を固めようと思ったら、身を犠牲にするからな。だから気が狂う……が」

 

 その瞬間、《シャチホコ・カイザー》が咆えた。

 すごく、不気味な咆哮だ。鳥でも、獣でもない。この世のものとは思えない、甲高いのに重く響く、不快でおぞましい、恐怖の叫び。

 

「死んだか? 死んだな? ならば死に狂え。オレ様のクリーチャーが破壊されたことで、《シャチホコ・カイザー》の能力発動! 超次元ゾーンから、光、闇、火のコスト7以下のエイリアンサイキック・クリーチャーを呼び出すことができる。呼び出すのは……まあ、どれでもよいか。とりあえずこれにしておこう。同胞の親しみはオレ様でも理解できるゆえな。出でよ、《激相撲!ツッパリキシ》」

 

 《シャチホコ・カイザー》の雄叫びで、周囲を走っていた紫電が活性化。空間を、次元を歪ませて、歪を大きくて、穴を作る。

 その穴から出て来たのは……お相撲さん?

 これもまた、目がないのっぺりした顔に、不自然なほど大きな口をお腹にも持っていて、全身が火だるま。しかも、今にも崩れそうなほど、炎の亀裂が走っている。髷と廻しのような意匠がなければ、ただの怪物だと思っていたに違いない。

 

「さらに! 《ジャババ・ハット》の能力も発動だ! いくらでも出て来る、幸運の金袋のように! 禁忌で不幸になりながらな! 《ジャババ・ハット》が破壊された時、直前にNEO進化クリーチャーであった場合、墓地に落ちたこいつを場に呼び戻すことができる! おっと? 言葉の順番を間違えたか? まあ、どちらでもよいか」

「真面目な対戦中にふざけんなっての!」

「なにを言うか。茶会(ティータイム)も、推理小説(ミステリ)も、札遊び(カードゲーム)も、楽しんでこそだ。そいつはイカレてても分かるぞ? しかし、狂いすぎても後が面倒だ。多少なりともまともな頭に戻すのは骨だからな。というわけで、戻ってこい《ジャババ・ハット》! 《ツッパリキシ》からNEO進化!」

 

 《シャチホコ・カイザー》の能力で出て来た《ツッパリキシ》が、墓地から戻ってきた《ジャババ・ハット》の飲み込まれて、吸収されるように一体化――進化する。

 ……あれ? これ、バトルゾーンの状態が、さっきと同じになった……?

 《ジャババ・ハット》が攻撃すれば破壊されて、破壊されれば《シャチホコ・カイザー》の能力でサイキック・クリーチャーが出て、そのサイキック・クリーチャーを進化元にして《ジャババ・ハット》がNEO進化して戻ってくる。

 それは、つまり……

 

「無限に《ジャババ・ハット》が殴り続けられる……!」

That's right(その通り)! 早く止めなければ、取り返しのつかないことになるぞ? 後に引けないオレ様のようにな! 《ジャババ・ハット》でWブレイク!」

 

 禍々しい邪霊の帽子は、今度はお姉さんを狙って、牙を剥く。

 残るシールドは三枚。そのうちの二枚が、《ジャババ・ハット》の攻撃を防ぐけど、攻撃後に《ジャババ・ハット》は破壊される。そして、《シャチホコ・カイザー》で進化元を用意された戦場に戻ってくる。

 即ち無限攻撃。S・トリガーやニンジャ・ストライクなんかがないと、止められない。

 

「思ったよりも呆気ないな。攻められると弱い女か? それとも雄猫か? 雌犬か? 豚でもいいが、なんにせよ歯ごたえがないな。すぐに噛み切れるぞ。そんなことでは、バンダースナッチから逃れられないぞ?」

「っ、舐めるな! S・トリガー《バイナラドア》! 《シャチホコ・カイザー》をボトムに送還!」

 

 盾の中から、一方通行の赤い扉が飛び出した。

 扉は白い手を伸ばして《シャチホコ・カイザー》を捕まえて、引きずり込む。そうして異次元の彼方に飛ばしてしまった。

 

「返したか、つまらんな……攻撃後《ジャババ・ハット》は破壊され、自身の能力で墓地から場に舞い戻る。しかし、NEO進化できず、か。楽しいが不愉快、面白いがつまらん。もう少し遊んでもよいのだが?」

「うっさい。遊びは終わりだよ。さっさとターンを返して」

「そいつは失敬。では、ターンエンドだ。次はなにを見せてくれる? お嬢さん?」

 

 《シャチホコ・カイザー》がいなくなったから、《ジャババ・ハット》のNEO進化元を用意できなくなった帽子屋さん。攻撃ができなくなって、ターンエンドするしかなくなった。

 ここから、猫のお姉さんは反撃できるのかな。

 

「私のターン! ここで一気に決める! 《ヤッタレマン》を召喚! 《パーリ騎士》を召喚! さらに《ジョジョジョ・ジョーカーズ》を唱えて、《バッテン親父》を手札に! 《バッテン親父》も召喚!」

 

 怒涛の勢いでクリーチャーを展開するお姉さん。この展開に、そこまで大きな意味はないと思うけど。

 だけどその勢いが、気休めでも、オカルトでも、力になる。

 

「これが最後! 《ヤッタレマン》でコストを3軽減して、3マナタップ!」

 

 みんなの思いが一つに集った、一束の大きな力に。

 

「届かないなら何度だって! この光は、闇夜を照らす弾丸。暗夜を、夜空を、暗黒を――そして世界の悪を討て!」

 

 光が引き寄せられて集約される。

 暗雲が荒ぶる嵐の中でも、その光は進路を見失わない。

 ただひたすらにまっすぐ。ただひたむきにまっしぐら。

 暗い世界を超特急で駆け抜ける、みんなの希望。

 

 

 

「私は悪を誅する光となる――《超特Q ダンガンオー》!」

 

 

 

 《超特Q ダンガンオー》が、お姉さんの下に停車した。

 出発まで、もう秒読みだ。

 いや、それどころか。

 

「鉄道猫はみんなの心を集める。しかと受け取れ、イカレ帽子屋(マッドハッター)イカレ帽子屋! これが――私たちの一撃だッ!」

 

 仲間の思い(ジョーカーズ)を乗せて、瞬時に発車した。

 

 

 

「《ダンガンオー》で――シールドブレイク!」

 

 

 

 ――拳が爆ぜた。

 《ヤッタレマン》《パーリ騎士》《バッテン親父》……ジョーカーズの仲間たちの力と思いを乗せ、そのすべてが込められた必殺の拳は、今度こそ、帽子屋さんの盾をすべて爆散させる。

 シールドはすべて粉々に砕け散り、盾としての役割を一瞬で崩壊させられた。

 ……だけど――

 

「S・トリガー発動、《湧水の光陣》」

 

 ――盾の中に潜む狂気までは、打ち砕けなかった。

 

「まあ無理はない。銀とはいえ水だ。狂気の液体だ。脳が固まるような、聖水ならざる邪水だ。ただの拳で、砕けるものか」

「っ……!」 

「こいつはそうは止まらんよ。燃えたぎる熱による溶融、天へと上る蒸発、気化。そうして初めて、オレ様の狂気を飛ばせるというもの。でなければ、貴様の拳も、貴様の弾丸も、オレ様には届かない」

 

 帽子屋さんの攻撃からお猫のお姉さんを守ったのは、シールドに眠るトリガーだった。

 それならば、お姉さんの攻撃から帽子屋さんを守るのもまた、盾に潜む罠であるのは、当然の摂理だ。

 

「さて、オレ様の場にいるのは、闇の《ジャババ・ハット》のみか……ならば、コスト3以下のクリーチャーを呼び戻すのみだ」

 

 たった3コスト?

 5コストという制約も、思ったより大したことがないというか、《インフェルノ・サイン》や《狂気と凶器の墓場》と比べると、範囲が狭い。その分、軽いしS・トリガーもついているわけだけど、物足りなさを感じてしまう。

 わたしの考えだけど、5コストで物足りないのに、3コストまで落ちたら、いよいよ規模が小さくなってしまう。他のトリガーはないみたいだし、《ダンガンオー》の攻撃は通った。《ハヤブサマル》程度じゃ、残りのクリーチャーの攻撃は防ぎきれない。

 

「しかし、貴様は荒々しいな。口だけでなく、身体まで荒ぶるとは。少し落ち着くといい。茶でもどうだ?」

「こんな時に、なにを……!」

「茶、そうだ茶だ。時間だ。紅茶でも飲んで、時間を忘れろ。どうしても時が気になるのならば、オレ様が止めてやる。なに、時を止めるのはわりと得意なんだ。頭は蝕まれ、身体は穢れ、存在が壊れているゆえに、オレ様は歪の身と共にあった。悠久と摩耗。その中にある存在を支えながら乱した矛盾は――時間だよ」

 

 不思議なんて生易しい言葉でなく、面白おかしいなんて茶化すこともできず、壊れかけの玩具のように狂っている。

 湧き出でる水銀は少なく、少量の狂気によって、地獄の底から狂わされた亡者が引き上げられる。

 

「時間の風化。時の旅人は辛いだろうな。なにより辛いのは停止だ。そうだな、止まることだ。動かないというのは、不動というのは、存外とても苦しい――だから苦しめ。Strange cat(笑い猫)

 

 それは荒くれ者で無法者。

 あり得ないことを起こす、常識という枠を壊す、意識の外から襲撃する者。

 狂った時間は動かない。いつも、同じ時を刻み続ける。

 それは即ち、時間の停止。

 

 

 

「時計の針はⅥを指し止まる――《終末の時計 ザ・クロック》」

 

 

 

 一直線に進んでいた超特急の車両は、本人の意志を、願望を、正義を曲げられ――緊急停止した。

 

 

 

ターン5

 

帽子屋

場:《ジャババ・ハット》《クロック》

盾:0

マナ:5

手札:5

墓地:5

山札:23

 

 

チェシャ猫レディ

場:《ヤッタレマン》×3《パーリ騎士》×2《バイナラドア》《バッテン親父》《ダンガンオー》

盾:1

マナ:7

手札:3

墓地:3

山札:18

 

 

 

「止められ、た……?」

 

 完全な停車だった。

 渾身にして必殺の一撃は、無情にも、無法によって、完全に、完膚なきまでに止められた。

 それはどうしたって、揺るぎない事実だ。

 

「オレ様のターン。《アツト》を召喚、二枚引き二枚捨てる。捨てるのは《ジャババ・ハット》と《アツト》だ」

 

 愕然とするお姉さんのことなんてまるで気にも留めず、帽子屋さんはさっきまでの饒舌が過ぎる口上もなく、淡々とカードを切っていく。

 

「さらに4マナ、《湧水の光陣》。墓地より《ジャババ・ハット》を復活し、《アツト》よりNEO進化だ……これで、ギリギリ足りるか」

「……まだ、トリガー次第だよ」

「そうだな。ゆえに、貴様の時をもう少し止めてみるとしよう。列車の遅延など日常茶飯事。もう少しゆっくりしていけ。《クロック》で攻撃――革命チェンジ」

 

 動き出した時計の針は、狂った方向へと進む。

 止まって、動いて、元に戻って……だけどそれは、時流の中では異常で、壊れているという意味しか持たない。

 結局、動かない針は、止まっている、狂った時計で、イカレた時間だ。

 

「ここに響くは時を刻む音のみ。歯車は軋み、針は崩れ、機構も錆びつき、本来の役割など、とうの昔に果たせずじまいに終わる。それ即ち、貴様は目覚まし時計では起きられんということだ。それはこいつが証明する――《音精 ラフルル》」

「んな……っ!?」

「目を覚ませ。虚構と現実を受け入れ、飲まれよ。このターン、貴様は呪文を唱えられない! その口を閉ざして黙っていろ!」

 

 帽子屋さんは、笑っていた。

 嘲笑するように怒鳴って、宣告する――狂死の最期を。

 

「最後のシールドをブレイクだ!」

「! 《バッテン親父》をタップして、攻撃を中止!」

「止まるものか! 《ジャババ・ハット》で攻撃! シールドをブレイク!」

「うぐ、し、S・トリガー……!」

 

 帽子屋さんの反撃と強襲。さっきまでのお姉さんや帽子屋さん同様、それを食い止める手段は盾の中にある。

 それがまた、お姉さんの盾から放たれる……はずだった。

 トリガーの宣言をした直後、お姉さんは口をつぐんでしまった。

 

(《タイム・ストップン》……!)

 

 それはまるで、口を開くことを禁じられたように。

 沈黙を強いられたかのような、束縛的な閉口だった。

 そのカードを出すことはできず、口にすることもできず、お姉さんは屈辱的で絶望的に、それを手札に加えた。

 それは、つまり、

 

「都合のいいトリガーはなかったようだな。ならば――この茶番極まりない茶会も、お開きだ」

 

 この対戦の、終了を意味していた。

 

「オレ様のお茶会に参加してくれた礼に、貴様には狂気を贈呈してやろう。さぁ、すべてを吐き散らせ」

 

 邪霊に狂気を上塗りし、同族すらも乗っ取った悪意の帽子は、大口を開けた。

 奇妙で狂った終焉が、終演の鐘を鳴らす。これで終わりと告げ、ブザーを轟かせ、幕を引く。

 悪意と狂騒的に乱舞する霊魂が、呪詛と狂想的に嘲弄する帽子屋さんが、馬鹿馬鹿しいほどの探求心でもって、気が振れるほど、気が違えるほど、邪悪な邪気を放つ。

 それは狂いに狂った水銀の仕事人の末路。病魔に心を蝕まれた職人の最期。

 全ては狂気の帽子が支配し、覆い尽くし、飲み込み――終わらせる。

 

 

 

「《ジャババ・ハット》で――ダイレクトアタック」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 崩れていく。壊れていく。

 私の身体が。チェシャ猫レディというヒーローが。英雄の器が。

 ……本当はわかってたんだ。こんなものが、こんな無理やり作ったまがい物が長くは続かないって。いつかは、そう遠くない未来に、壊れてしまうだろうって。

 でも、本音を言えば、もう少し秘密の存在でいたかった。

 だけどそんなものは、勝手気ままで我侭な願望でしかない。

 なんとか必死で保とうとしたけど、やっぱり無理だったよ。

 七割も暴かれたら、それはもう、姿が見られているのとほぼ同義。純粋な視認という概念による隠匿にしなかったせいで、そこら辺の判定も曖昧だ。

 姿が見えない猫は、姿が見えないことこそが、姿が見えないという概念を構築し、姿の見えない猫としての存在を確立させている。

 だからこそ、その仕組みが、その存在が暴かれてしまえば、姿が見えないという概念は崩れ去る。

 あの人の推理が終わってから、この身体が壊れていく感覚はあったんだ。

 だからあれは、ただの強がり。勝てるわけもなく、勝てたとしても、私はもう私じゃいられない。

 正義のヒーローになりたかったんだけどな。

 せめて、好きになった子を守れるくらいの力は欲しかったんだけどな。

 どうやら私にも、俺にも、それはできなかったみたいだ。

 あぁ、ごめんね、ベルちゃん。

 ごめんね、スキンブル。姉ちゃん。

 ……ごめんね……謡――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 パキッ

 メキィ

 パラパラ

 その擬音は、なにかが崩れ落ちる音。

 なにかが壊れる音。

 なにかとは、なんだろうか。

 それは――

 

「っ……チェシャ猫、レディ、さん……顔、が……!」

 

 目を覆いたくなった。

 まるでパズルのピースが零れるかのように、お姉さんの顔が、身体が、ボロボロと崩れていく。

 見ていられない。見ていたくない。怖い。

 直感的にそう思わせるような凄惨な光景。そのはずなのに、わたしは、目を逸らせないでいた。

 お姉さんは、どうすることもできずに呆然とするわたしの方を向く。

 

「怖がらなくていいよ、ベルちゃん。いや、そんなこと言っても無理な話かもしれないけど、別に死ぬわけじゃない。ただ、チェシャ猫レディっていう“英雄の器”が、限界を迎えただけだから」

「器……? 限界……? な、なにを、言ってるんですか……?」

「いつか、私の正体を明かすって約束したよね。不本意な状況だけど、致し方ない」

 

 なにかを悟ったように。すべてを諦めたように。

 チェシャ猫レディだったお姉さんは言う。

 

「もうすぐチェシャ猫レディは消える。そうしたら、私じゃない私が残る。後に残るのは、女の尻を追いかけてる純情な雄猫と、何者にもなれない凡愚な少女。自分のことなのにこんなこと言うのも変だけど、二人のこと、後のこと、よろしくね……これからも、ね」

 

 猫っぽく微笑んで、ウインクするお姉さん。

 それが、最後で最期の言葉だった。

 

 

 

 ――この日。チェシャ猫レディと名乗る正義の味方は消えてしまった。

 

 

 

 だけど――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――え?」

 

 終わりは始まり。

 消えてしまったチェシャ猫レディさんの場所には、一人の女の人と、一匹の獣が横たわっていた。

 それも、わたしにとって、とても見覚えのある姿が。

 

 

 

「よ、謡さん……!?」

 

 

 

 ゆるりと起き上がる。緩慢な動作や、言葉一つ発さず、虚ろな眼で虚空を見つめるその姿。わたしの知っているその人とは程遠い立ち振る舞いだけど、間違いない。

 この人は、謡さんだ……!

 チェシャ猫レディさんが消えたところにいる謡さん。

 ってことは、謡さんがチェシャ猫レディの正体……?

 

「あぁ……妹ちゃん……? えっと、私……」

 

 起き上がった謡さんは、らしくもなくぼぅっとしていた。

 だけど、すぐにハッと目を見開くと、謡さんのすぐそばで、謡さんと一緒に倒れ、いまだ起きない黒猫を慌てて抱きかかえた。

 

「スキンブル! 大丈夫!? しっかり!」

 

 とても大事そうに、必死で謡さんは叫ぶ。

 ネコさんは起きないけど、でも、ピクリと動いた。

 

「生きてる……! 最後の最後で、私から器の主導権奪うとか、無茶に格好ことしちゃって……本当、見栄っ張りだね、君は……!」

 

 強く、強く、ネコさんを抱きすくめる謡さん。

 まるで状況はわからないけど、でも、二人とも無事みたい。

 ……でも。

 

 

 

「これだけのことをしても、本当の姿は見せないのか。その精神、随分と頑なだが、そこまで殻が破れれば流石にわかる。遂に見つけたぞ――『チェシャ猫』」

 

 

 

 そんな二人に、帽子屋さんが立ち塞がる。

 謡さんは猫さんを抱いたまま、睨むように帽子屋さんを見上げる。

 

「スキンブルを、どうするつもり……!?」

「どうもしないさ。オレ様はただ、我らが同胞の存在を感じて、その正体を確かめたかっただけに過ぎん。しかしそれも果たされた。後のことは、公爵夫人(飼い主)次第だな。オレ様としては、そういう形で人間に寄生するのも、我々と違うアプローチで種の存続を目指すのも、悪くないと思っている。好きにするがいい。貴様を好きにする権利は、オレ様にはないのでな」

 

 ……立ち塞がる、と思ったけど。

 帽子屋さんの言葉をそのまま受け取るなら、帽子屋さんはもう、満足したみたい。

 だからって、あの帽子屋さんだ。そんな簡単に信じることはできないけど……

 

「しかし、貴様はそうやって分離するのか。存在、綺麗に分かたれるのだな」

 

 分離……そうだ。

 帽子屋さんの推理では、『チェシャ猫』という存在と誰かが融合して、チェシャ猫レディという存在を形成しているということになる。

 仮にそうだとするなら、あのネコさんは『チェシャ猫』。そして、それと融合している誰かっていうのが、

 

(謡さん、なんだ……)

 

 お調子者だけど、朗らかに笑っていた、謡さんが。

 でも、なんで謡さんは、チェシャ猫レディに……?

 

「これはオレ様の推理も、確かに70点なのかもしれん。混ざり合っているのならば、それほど綺麗に分かたれることなどないと思っていた。混合ではないのなら、なんだ? 詳細な仕組みが気になる」

 

 不躾にも、帽子屋さんは謡さんたちを見下ろしたまま、さらに問う。

 そんなにも自分の推理が楽しかったのか。あるいは、自分の推理に酔っているのか。

 純粋な疑問を、立ち上がる気力も失われた謡さんたちにぶつける。

 しばらく閉口していた謡さんだけど、やがて彼女は、ぽつぽつと語り始めた。

 

「……チェシャ猫レディは、架空の人物なの」

 

 最初に彼女が告げたのは、それだった。

 

「チェシャ猫レディという存在は、実在しない。それは、スキンブルが……『チェシャ猫』が、あなたたちから身を隠すための、“架空英雄”。そして、その器。だから本来は、存在しない、見えない人物なんだ」

「器か。しかし、肉体を偽装するなど、貴様の得意分野であろうに。それを知らない公爵夫人ではなかったぞ。器を用意して、その器に我が身を委ね、姿を隠匿する。それが貴様の専売特許。それを今更、いけしゃあしゃあと語られても、疑念しか湧かないな」

「私はなんちゃら夫人なんて人は知らないけど……でも、スキンブルも今まで通りの方法じゃ隠しきれないってことはわかってた。だから“私たち”を利用したの」

 

 ? 私たち?

 『チェシャ猫』さんが利用したのは、謡さん一人じゃないの?

 

「チェシャ猫レディという器は、凄く大きかった。あなたたちから身を隠すには、それくらい大きな存在で隠すしかなかった。でもその大きさは、スキンブル一匹だけじゃ支えられないほどに、身の丈に合わない大きな器だった。だから」

「読めたぞ。一つの魂では大きすぎる英雄の器を作成したのなら、二つの魂を入れればいい。単純な理屈で、そこに入り込んだのが貴様か。『チェシャ猫』と貴様、二人の魂を一つの器に押し込めた、と。成程、成程。成程なぁ」

 

 嬉しそうに手を叩く帽子屋さん。

 とても楽しそうだけれど、それを見上げる謡さんは、歯を食いしばって、キッと睨みつけていて、怖い顔をしている。あの明るくて、いつも笑っていそうな謡さんからは、考えられないような、険しい表情。

 けれど……なぜかとても、悲しそうに見えた。

 

「パーソナリティがどうこうとのたまっていたが、合点がいった。混ぜたのではなく同居していたというわけか。考えたなチェシャ猫。貴様は思ったよりも頭が回る。イカレたオレ様とは大違いだ。そんな貴様が公爵夫人の飼い猫に甘んじていたことが不思議で堪らないほどにな」

「これで満足した? 今のが百点満点の解答だよ……だからもう、スキンブルに手出ししないで。この子は、ただ好きな子のために頑張ってるだけなんだから」

「言われずともそのつもりだ。我らが同胞が我々と別の道を歩むのは大変嘆かわしいが、そういう手法も悪くはないのではないか? それに、お茶会への参加は自由意志だ。そこは強制せんよ――オレ様はな」

 

 帽子屋さんは……?

 どこか含みを持たせた台詞だ。

 

「チェシャ猫よ。貴様の飼い主は公爵夫人だ。オレ様はあくまで貴様を“同胞”と見てその意志を、貴様の理念を汲んでやる。が、貴様の飼い主が貴様をどうするかまでは、オレ様の関知するところではない。そこはオレ様には触れられん領域だ。そのことだけは、覚えておくがいい」

「……ご忠告どうも」

 

 そう言って、帽子屋さんも、謡さんも、口をつぐんだ。

 言葉を交わすことはない。推理も、追及も、対戦も、終了した。

 わたしは代海ちゃんを見つけられた。帽子屋さんはチェシャ猫レディさんの正体を暴けた。謡さんは帽子屋さんたちの正体と目的を知れた。

 わたしは傍観者で、謡さんは大きな傷を負って、帽子屋さんは一人で高笑いしている。結果としては、帽子屋さんの一人勝ちのような結末だけど、それでも、全員がなにかしらを得て、その目的を果たして、この奇妙なお茶会は終わった。  これで、すべてが終わった?

 ……いいや、そんなことはない。

 まだ、最も大きなものが残っている。

 わたしたちの誰もが主目的にしていないながらも、わたしたちを振り回し、煽るものがいる。

 ずっと、わたしたちの背景となり、その存在を見せつけていたものが。

 ある意味では、この狂ったお茶会の面子を集めた、元凶が。

 暴かれていない真実は、まだ存在するのだ。

 そして、その謎へと導く存在。

 それは――

 

 

 

「小鈴!」

 

 

 

 ――一羽の鳥が、嵐の空に羽ばたいた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「と、鳥さん……?」

 

 この声は、確かに鳥さんだ。

 そして、暴風に煽られて、暴雨に叩かれて、それでも空を飛んでわたし下へと羽ばたく小さな白い姿は、間違いない――鳥さんだ。

 遅いよ、まったくもう……ずっと、待ってたんだから。

 

「鳥さん! 来てくれたんだね!」

「あぁ、君も気づいているだろうけど、クリーチャーだよ!」

 

 やっぱりそうだったんだね。

 このおかしな台風の原因はクリーチャー。そして、鳥さんが来てくれた。

 となれば、やることは一つ。

 この異常気象をいち早く止めるためにも、クリーチャーを退治しなきゃ!

 

「――クハッ!」

 

 ……というところで、急に、帽子屋さんが噴き出した。

 堪えきれないと言わんばかりに、なぜかいきなり、笑い声をあげた。

 あまりに奇妙で、不思議で、おかしく、笑い始めた。

 

「ハハハハハッ! 流石に笑ってしまう、純粋にな。いくらなんでも、事が上手く運びすぎではないか!? 絶望の選択が、ここまで希望に繋がっているとは思わなんだ。本当は『チェシャ猫』の存在を認知するだけで十分、いやさそれが精々だろうとタカを括っていたのだが、ククク……遂に、来たか。来てしまったのか。いやはや、見つけたぞ……!」

 

 笑いながら、帽子屋さんは視線を向ける。

 わたしに、じゃない。謡さんでも、チェシャ猫さんでもない。

 その視線の先にいるのは――鳥さんだった。

 

「貴様をずっと探し求めたいたぞ、聖なる獣。奇跡を呼ぶ白き鳳よ」

 

 ……え?

 帽子屋さん。今、なんて?

 鳥さんのこと、なんて、言ったの?

 

「やはり貴様が鍵だったのだな、アリス(マジカル・ベル)。あまりの無知と接触のなさに、よもや思い違いかと勘違いするところであった。だがしかし、現場は押さえた。証拠は見つけた。もう言い逃れは許さん。これは既に、言い逃れられぬ事実。なんとも滑稽で、幸福で、喜劇的なのだろう!」

 

 狂ったように身をよじらせている帽子屋さん。

 いや、そんな変態的な言動は今はいい。

 帽子屋さんは、鳥さんに対して「探し求めていた」って、言ったの?

 しかも、聖なる獣って。奇跡を呼ぶって。

 そう、そうだ。そもそも帽子屋さんは、彼らの目的のために、聖獣という存在が必要で、わたしがその手掛かりだとか言って、わたしに数々の刺客を送り込んできた。

 その途中でチェシャ猫レディさんが介入して、なぜか帽子屋さんは、彼女の調査に乗り出したけど、それは本来の目的ではない。

 帽子屋さんが目指しているのは、【不思議の国の住人】の種としての繁栄。そして、それを成し遂げるために必要らしい、聖獣という存在。

 そして、鳥さんに向けて放った言葉。

 いくらわたしでもわかるし、理解できてしまう。繋がってしまう。

 そんなことがあるなんて、思いもしなかった。

 まさか――

 

 

 

「感謝しよう、アリス(マジカル・ベル)。貴様が連れて来てくれたのだな。我らが求める繁栄の種、悲願の奇跡――白き聖獣を」

 

 

 

 ――まさか鳥さんが、帽子屋さんたちの求めていた、聖獣だったなんて――!




 とまあ、今までいろいろ濁していた【不思議の国の住人】について。チェシャ猫レディについて。そして鳥さんについて……一挙に明かしたお話です。
 帽子屋さんのデッキは、たぶん最も彼らしい《ジャババ・ハット》をフィニッシャーに据えた湧水シャチホコ……強いかどうかは度外視です。とりあえず意外と決まりにくい。手札がかなり足りないんですよね、これ。
 それでは次回は三日目の午後。小鈴がすぐそこまで迫っている脅威に立ち向かいます。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なく仰ってください。


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25話「林間学校だよ ~3日目・PM~」

 林間学校編も三日目の午後、最終日となり、いよいよクライマックスです。
 今回はちょっと、普通じゃあり得ないようなデュエマ展開を試してみました。ついでにクリーチャーの真名隠しシステムも実装。名前当ても一緒にお楽しみください。


 こんにちは、伊勢小鈴です……なんて言ってる場合じゃない。

 もう、なにが起こっているのか、わけがわからなさすぎて、わたしも混乱してきた。

 ……順番に、思い出していこう。

 異変は、昨日の午後から始まった。急に発生して、この山域で停滞している奇妙な台風。暴風警報が発令されるほどの大嵐。そのせいで、わたしたちは山を下りられず、足止めを食らってしまった。

 帰る目処も立たず、ゆっくりとした時間だけが流れていく。そんな時、様子のおかしかった代海ちゃんが、外に出たことを知った。

 こんな嵐の中でなんて無茶を! と思って、わたしもそんな代海ちゃんを追いかけた。

 その途中でチェシャ猫レディさんと出会い、その導きによって代海ちゃんは見つけられたけど、同時に、わたしたちの前に現れたのは――帽子屋さんだった。

 推理と称してチェシャ猫レディのお姉さんの正体を問い詰め、帽子屋さんたち【不思議の国の住人】が何者なのか、そしてその目的はなんなのかを語った。

 そこからが、驚きの連続だ。

 帽子屋さんたちは人類や他の生き物と同じ、この地球で進化した生命体。その目的は、人間たちのように、自分たちの社会(せかい)を創ること。

 そして、それとは無関係なことだけど……チェシャ猫レディさんの正体に完全な解答を求めた帽子屋さんは、チェシャ猫レディのお姉さんを倒して、その素性を、強引に暴き出した。

 まさか謡さんが、チェシャ猫レディさんだったなんて……

 だけど、これだけじゃ終わらない。

 いつものように現れた鳥さん。今度はその鳥さんが――

 

「――帽子屋さんたちの探してた、聖獣、だったなんて……」

「聖獣? なんのことだい?」

 

 ぽかんとしてる鳥さん。この二転三転して、混沌に煮詰まった状況がまったく理解できていないみたい。

 まあ、わたしも飲み込みきれてないところはあるから、今来たばかりの鳥さんにはよくわからないだろうけど……

 

「そんなことよりも小鈴! 大変だよ! クリーチャーだよ!」

「ちょっと鳥さん! もっと空気読んでよ! この状況で、そんなこと言ってる場合じゃ――」

「それはこっちの台詞だ! この規模の“災害”を巻き起こすクリーチャーを放置していいわけがないだろ!」

 

 鳥さんが怒った!? 珍しい!

 いや、そうじゃなくって……災害?

 それってまさか。

 

「鳥さん、この台風って……」

「クリーチャーの仕業だ」

 

 やっぱりそうなんだ……

 驚きよりも、そんな感想が先に出た。

 この異常な台風は、明らかに地球で発生する天災じゃないとは思っていたけど、鳥さんの言質で確証を得られたよ。

 

「クリーチャーはかなり近づいてきている。これ以上接近されると、下手したらここら一帯すべて、暴風で消し飛ぶぞ!」

「!? そ、そんなことができるの……!?」

「わからない。あくまで僕の想像でしかない。どんなクリーチャーかはまだ不明だしね。でも、異星の地で災害を起こすレベルとなると、どれだけ強力なクリーチャーでもおかしくはない。狂月の化身とかだったら、今の僕じゃどうしようもないかもしれないが……」

 

 珍しく弱気なことを言う鳥さん。

 そんなに強いクリーチャーかもしれないんだ……でも確かに、災害を意図的に起こせるのなら、それは今まで出会ったどんなクリーチャーよりも規模が大きい。

 だけど、そんなクリーチャーを放っておいたら、危険だ。

 

「は、早く止めないと……!」

 

 正直に言うと、すごく怖い。でも、クリーチャーを退治できるのはわたしたちだけ。

 このまま、手をこまねいているわけにはいかない。

 いかない……けど。

 

「ちょっと待ちなされ、お嬢さん方」

 

 そこに、帽子屋さんが割って入る。

 狂った笑いの面を張り付かせて、おどけたような調子で、わたしたちに語りかけてくる。

 

「その鳥はオレ様も用があるんだが……話くらいはさせてもらえないかね?」

「なんだ君は。僕は君のことなんて知らないし、興味もない。今は君のような正体不明の男と取り合っている暇はないんだ」

「つれないな。とはいえこの嵐の中じゃ、まともに茶も振る舞えないのは確かだがな。しかしこれが千載一遇のチャンス、見逃したくないのも本音でね」

 

 まったく取りつく島のない鳥さん。いつもの自由奔放な態度が、今は心強いよ。

 だけど帽子屋さんも怯まない。強引にでも、無理やりにでも、その野望を果たさんとする強い意志が見える。

 ギラギラとした眼が、恐ろしいくらいに光っている。

 どうしよう……早くクリーチャーを倒さなきゃいけないけど、帽子屋さんを無視することもできない。

 この人は、チェシャ猫レディさんを、倒した人なんだ。

 たとえわたしが戦ったとしても、勝てるかどうか……

 と、その時。

 わたしたちと帽子屋さんの間に壁を作るように、人影が割り込んだ。

 ――謡さんだ。

 黒い子猫を抱えたまま、わたしたちには背を向け、帽子屋さんを強く見据えて、立ち塞がった。

 

「……まだ立ち上がるか、憑代の女。それは貴様の意志か?」

「いいや。うちで猫飼う時に約束したんだよね。守りたい女の子を守れるくらいの、正義の味方(ヒーロー)になるって」

「謡さん……」

 

 無理をしているなんて、一目でわかった。

 身体に大きな傷があるわけでもない。だけど、この人は、確実に傷を負っている。見えない傷を。身体にも、心にも。

 それでも、謡さんは自分の意志を成し遂げようとしている。

 正義の味方(チェシャ猫レディ)として。

 

「私の中のチェシャ猫レディという英雄は消滅した。私のヒーローとしての器は剥奪された。だけど、だからって、守りたい大切なものを守る意志は潰えない。そんな作りものがなくても、スキンブルとの誓いも、私の意志も、曲げられるわけがない……!」

 

 光は消えていない。

 大雨に晒され、大風に煽られても。

 ヒーローとしての姿も、力も、なにもかもを失っても。

 謡さんは、自分の信じるヒーローとして、こうして立っている。

 ……格好いいなぁ。

 でも……

 

「やれやれ。オレ様はこれでも紳士的であろうとしているつもりなのだがな。そんな床掃除をした後の雑巾みたいな女を前にしては、どうにもやりにくいではないか」

「知らないよ……あなたにも凄い目的とか、崇高な使命とかがあるのかもしれないけどさ。私にだって、信じたい正義ってもんがあるんだよ」

「その意気やよし、とこの国では言うのか? その信念は素晴らしいが、鬱陶しい。目の前に奇跡の願望器があるのに手を伸ばさぬ者はいない。聖なる杯の前には、そして果たさねばならぬ獣の使命の前には、フェミニズムなど塵芥のようなもの。狂っていようと目指すべきものは違えないさ。なぁ、笑い猫に憑かれた女よ。無為に死に急ぐことはないぞ?」

 

 これ……まずいよ。

 帽子屋さんは、本気だ。本気で、謡さんを……

 

「……帽子屋、さん……」

「代海ちゃん……?」

 

 その時、代海ちゃんが、立ち上がった。

 そして、よろよろと歩む。あと少しでも雨風が強くなれば倒れてしまいそうなほど、弱々しい歩みだけど。

 すごく必死で、希うような、足取りだった。

 

「ダメ、です……もう、これ以上は……帽子屋さんも、危ない、です……」

「……どういうつもりだ、代用ウミガメ。我らが悲願は眼前にある。これを逃す手はない」

「それでも、です……今は、今だけは……だって、帽子屋さんだって……」

 

 代海ちゃんは、辛うじて帽子屋さんの下まで辿り着き。歩み寄り。

 その手を、握った。

 

「こんなに、冷たくて……身体だって、無理をして……」

「どうせ、擦れ、削れ、荒れ、狂った身だ。今更、無理も道理もない。元より条理より外れ、永劫なる時を刻み、摩耗した我が身だ。それが壊れて悲願が果たされるものなら、構うものか」

「ダメです……! たとえ願いが叶っても、アタシたちの世界ができても……そこに、帽子屋さんがいないと……これからも、この先も……! だ、だから……!」

 

 懇願するように縋りつく代海ちゃん。

 ……そっか。代海ちゃんは、帽子屋さんが心配で、この台風の中でも飛び出したんだ。

 それほど、彼女にとって帽子屋さんは大切な存在で、かけがえのない人なんだね……

 

「この嵐を乗り切れるシェルターを、アタシが「代用します」から……い、今だけは、やめて、ください……!」

「…………」

「ジャバウォックさんも……いるんですよね……なら、アタシが、なんとかしますから……今だけは、し、退いてください……! お願いします、から……!」

 

 代海ちゃんの必死の懇願になにを思っているのか。帽子屋さんは口を開かない。

 わたしも、謡さんも、どうしていいのかわからず、暴風雨の音だけが轟く静寂で、立ち尽くすしかなかった。

 なかった、けど。

 

「小鈴! 一刻も早く嵐の発生源たるクリーチャーを叩くよ! 変身した君の力なら、嵐の中でも活動は不可能じゃないはずだ」

 

 鳥さんだけは、そんな空気感とは無縁で無関係。

 ただ、自分のするべきことを、押し通そうとするだけだった。

 そういうところは、帽子屋さんと同じかもしれない。

 だけど、鳥さんの言うことももっともだ。早くこの台風をなんとかしないと。

 

「で、でも、肝心のクリーチャーはどこに?」

「まもなくこの山の頭上に現れると思う。規模が大きすぎて逆に探知しづらいし、なんか変なノイズがかかったみたいになってるけど……高速で飛行しているよ」

「飛行!? そ、それじゃあ見つけられても、戦えないんじゃ……」

「それもそうか。君の能力が強化されていても、あくまで人間の活動範囲の延長で、流石に空は飛べないな……なら、僕が君を乗せよう」

「え?」

 

 わたしを、乗せる?

 鳥さんが?

 

「冗談はやめてよ。鳥さん、そんなに小さいのに」

「それは僕の台詞だ。昨日、言っただろう。僕の本当の姿を見せるって。それが――今だ」

 

 そう言えばそんなこと言ってたっけ。

 あの時は、剣埼先輩が来ちゃったから、見ることができなかったけど。

 力を失った鳥さんが取り戻した、本来の姿()

 それが、見られる……?

 

「さて、それじゃあお見せしようか。太陽神話を語る者、その片翼としての真の姿をね」

 

 バサッと羽ばたく鳥さん。

 嵐の中でも力強く空を飛び、白い羽毛が舞い、翼を広げる。

 それはまるで、物語のような空気感。

 だけどそれは、小説(ノベルス)でもなければ、童話(メルヘン)のようでもなく、音楽劇(ミュージカル)とも違う。

 淡々と事実だけを告げ、その奥底にあるものを読み取る――そう、まるで神話(メソロギィ)のような。

 わたしたちとは、別の世界、別の時空、別のお話で生きている。

 そんな気配を感じさせ、鳥さんは、その身を光で包む。

 すごく、暖かい。

 太陽のような、光に――

 

 

 

「神話継承――獣()解放!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 一瞬の閃光が、わたしたちの目を奪う。

 それは暗雲を晴らす陽光のように、あたりを照らしてくれる。

 そして、雨も風も気にならないような、暖かな熱風が吹き荒れ、そこに現れたのは――

 

『やっと取り戻せたよ――この姿を』

 

 ――真っ白な、鳳。

 わたしよりも大きな翼は、繊細な羽毛がひしめき合って、純白の雲のよう。どんな雨に濡れても、風に吹かれても、その艶やかさと煌びやかさは失われない。

 鋭く尖った金色のくちばし。大きくがっしりした、逞しくも勇ましい爪。

 轟々と燃え盛る、日輪の炎を湛えたような眼差し。

 その姿は神々しくて、神秘的で、神聖。そんな空気を発している。

 これは確かに、聖獣だ。聖なる獣と言って差し支えないような、気迫を感じる。鳥さんだから、聖鳥って言うべきなのかもしれないけど。

 

「鳥さん……格好いい……」

『さぁ、小鈴。僕に乗って!』

 

 あの自分勝手で強引で、道端で行き倒れているような小さな鳥さんが、今はとても頼もしい。

 その姿も、その声も、その立ち振る舞いも。すべてが、勇猛で果敢。

 鳥さんになら、任せられる。鳥さんとなら、この嵐でも乗り切れる。

 不思議と、そんな気持ちになった。

 

『もうすぐ来る。時間がない、急ぐよ!』

「う、うん!」

『いい返事だ。それじゃあ、君の姿も変えないとね』

 

 閃光が瞬く。

 なんだろう。いつもよりもあたたかい。それに、柔らかい。

 身体を包み込むような光の中で、わたしは、鳥さんに与えられた奇跡(魔法)の力を受け取る。

 謡さんは、英雄という主人公にヒーローを見た。

 そしてわたしは、魔法少女という主人公に、ヒーローを見る。

 お母さんの紡ぐ物語のように、勇ましく、可憐に戦うヒーロー(ヒロイン)を。

 

「鳥さん……行こう」

『あぁ。振り落されないように、しっかり掴まっててね!』

 

 鳥さんの背に乗る。すごくふわふわしてて、あたたかくて心地よい。

 鳥さんの鼓動が、ぬくもりが、熱意が、ダイレクトに伝わってくるみたい。

 これなら、大丈夫かも。

 任せたよ、鳥さん!

 そうして、わたしたちは――

 

 

 

『よし――飛ぶぞ!』

 

 

 

 ――嵐の吹き荒れる大空に、飛び立った。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……行ってしまったか」

「帽子屋さん……」

「真に遺憾だが、飛び去ってしまっては仕方あるまい。時流はともかく、流石のオレ様も空は飛べん。一瞬でもたたらを踏んでしまったオレ様の責任としておこう。死ぬほど欲しいものであったが、なに、オレ様の存在そのものに狂いが生じたにすぎん。逆行した行いなど今更だ。さて、ならばこの嵐にも参ってしまう。代用ウミガメ、シェルターの代用を頼む」

「は、はいっ!」

 

 残された帽子屋、代用ウミガメ(代海)、謡――そしてチェシャ猫(スキンブルシャンクス)

 この嵐の原因を取り除くのは小鈴の役目。ならば残された彼らができること、すべきことは、避難だった。

 推理も、追究も、対戦も、暴露も、探索も。この嵐の中で行われる、彼らのイベントは終了した。

 この状況下で残されているのは、魔法少女(マジカル☆ベル)の戦いのみ。

 ならば彼らがすることは、撤収だけだ。

 

「あ、あの……せ、先輩……」

「……私のこと、先輩って呼んでくれるんだ?」

「その、先輩も、一緒に……」

「やだ」

「え、えぇ……!?」

「その男と一緒はやだ。スキンブルのこともあるし……」

「あぅ……で、では、なんとか、宿舎まで戻れるものを、だ、代用、してみます……」

「……ありがと」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 鳥さんと共に、格好よく空に飛び出したはいいものの。

 正直、すごく後悔しています。

 なぜなら――

 

「落ちる落ちる落ちる落ちる! 怖い怖い怖い怖い……!」

 

 ――死にそうで怖いからです。

 わたしは知らなかった。風って、高いところに行けば行くほど強くなるんだね。しかも凍えそうなほど寒い。ただでさえ暴風雨で強風と寒さの連続コンボなのに、その強さが数段上がっているとなると、魔法少女(この姿)でも辛い。

 とりあえず下は絶対に見ないようにして、鳥さんの背中をギュッと掴んで、身体を縮める。

 

『なにをぶつぶつ言ってるんだ君は』

「だって、だってぇ! か、風が! 下よりビュービュー言ってて、お、落ちそう……!」

『今の君の握力なら、僕の身体を握り締めていればまず落ちないよ。仮に落ちても拾ってあげるから、安心しなよ』

「そんなことで安心できるわけないでしょ!?」

『それより、見えて来たよ。あれがクリーチャーだ』

 

 鳥さんがくちばしで指し示す。

 その方向には、明らかに異変があった。

 なんだろう、あれは……白い雲みたいなのが渦巻いてる。あれは、もしかして……

 

「た、竜巻……!?」

 

 竜巻なんて、はじめて見た……!

 あの竜巻の中心にいるのが、この台風を発生させているクリーチャー、なのかな?

 

「それにしても、まったく姿が見えないね」

『風を纏っているからだ。姿を隠すことが目的なのか、あるいはこの嵐を操るために必要なことなのか……どんなクリーチャーなのかがわからない以上、判断のしようもないね。けど、ここまで接近してわかった。どうやらクリーチャーの規模自体はそこまでのようだ。中から大型ってところか。勿論、クリーチャー基準だけどね……あぁ、神羅の起源獣とかじゃないのは僥倖だったね』

「ど、どうするの?」

『あれは今もなお高速で移動中だ。餌を求めているのかな?』

「エサ?」

『食事だよ。要するに、生きるためのエネルギーさ。僕はマナによって力を得ているけど、この世界で生きると決めたクリーチャーなら、この世界に即したものでエネルギーを補給するのが常識というものだ。そもそも、マナの供給源が薄すぎるしね。天候を操るほど強い力には、それ相応のエネルギーが必要になるだろうし、かなりの大食らいなんじゃないかな』

「大食らいって……な、なにを、食べるの……?」

『エネルギーになるもの。命あるもの。ここを狩場と考えるなら、それなりに大きくて、一ヵ所に大量に集まっているようなものが好ましいな』

 

 確か鳥さんは、この世界で、異物であるクリーチャーが生きるには、筋を通さなきゃいけないって言ってた。

 筋を通す。つまりそれは、この世界の在り方に、この世界の文化や風習、ルールに従うという意味。

 わたしたちの世界で、エネルギーになる命あるものっていったら、獣、動物――生物に他ならない。

 わたしたちも動物を食べるけど、動物も動物を食べるし、人間も動物に食べられてしまう。その点では、人間であることは、命ある動物たちと区別がない。

 だから、つまり、

 

「ま、まさか、宿舎の人たちを……!?」

『あくまで可能性だ。これだけの力を発揮するクリーチャーが、マナの薄いこの世界で長くとどまっていられるとは思えない。この強大さを賄えるほどのエネルギー供給源がなくては、長くはもたないよ。突発的な出現、それと同時に現れた嵐。そこから推察するに、知性をもって動いているのではなく、本能で暴れているだけかもしれない。だからこの嵐は一過性のもので終わる可能性も高い……だけど一つだけ真実を伝えるなら、この竜巻は少しずつ軌道を修正している』

「軌道を……?」

『あぁ。山の麓の方へね』

「!」

 

 山の麓。

 それは、宿舎がある方向だ。

 一過性のものかもしれない。つまり、放っておけばそのうち消えるかもしれないという意味。

 だけど、それだって絶対じゃない。まだどんなクリーチャーかもわかっていないのに。

 それにたとえそうだとしても、このクリーチャーが消える前に、宿舎に辿り着いてしまったら……

 

「と、止めなきゃ……! でも、こんなに大きなクリーチャーを、どうやって……!?」

『正直、僕としてもこいつをどう相手取るべきか悩ましい。こんな空中じゃ、君に戦わせるわけもなし。地上に降りてくれればいいんだけど』

「でも! 麓まで行っちゃったら、皆が……!」

『わかってる。僕としても、罪なき民草を巻き込みたくはない。とはいえ、狭い山中であの巨体を引き寄せるのはまずいよね。木々が吹っ飛んでそれどころじゃないだろう。どこか、広くて見晴らしのいい場所に誘導したいところだけど』

「見晴らしのいい場所……あ!」

 

 一つ、思いついた。

 わたしはそれを直接この目で見たわけじゃないけど、写真を見せてもらって、少しなら知っている。 

 あそこなら、クリーチャーを誘き出すのに最適かもしれない。

 昨日、わたしが行けなかった場所――天文台なら。

 

「鳥さん! 山の頂上に天文台があるよ! そこなら!」

『天文台か、悪くないね。それじゃあ、そこに誘導してみよう』

「でも誘導って、どうやるの?」

『なに簡単さ、ちょっとちょっかいを出すんだよ。小鈴、ちゃんと掴まっててね』

「え?」

 

 グンッ、と鳥さんは高度を上げて、羽ばたき、旋回する。

 自ら竜巻へと突っ込むと、体勢を起こして、その太くて大きな爪を振りかぶる。

 わたしはと言うと、必死で鳥さんの背中に掴まって落ちないようにしている。

 そこで鳥さんは、ブンッ! とその爪を振り下ろした。

 

『そら! こっちだ!』

 

 あまりの暴風に目を瞑る。たった一瞬だけど、凄まじいまでの風を全身で受ける。

 そしてその一瞬のうちに、ガィンッ! と鉄みたいな硬いものをぶつけたような音が鈍く響く。

 ……今のって、明らかに攻撃した音だよね。ぶつけたっていうか、ほとんど殴ったみたいな音だったよね?

 鳥さんがすぐさま羽ばたいて後ろに下がる。それと同時に、竜巻の勢いが強まって、こちらに近づいてくる。

 お、怒ってる……!? この竜巻、わたしたちに怒ってるよね!?

 

「ちょっと鳥さん!? そんな乱暴なことするから、あの竜巻、すごい怒ってるよ!?」

『怒らせるのが目的だからね!』

 

 なんて言う鳥さんに、竜巻から弾かれた風が、まるで刃のように襲い掛かる。

 鳥さんは羽ばたいて軽くかわすけど、背中にしがみついているわたしはいつ振り落されるかわかんなくて戦々恐々だよ!

 

『ほらあいつ、やっとこっちに気付いたみたいだ。数の多い方ばっかり見てて、マナが濃くて大きな僕らを見落としてたんだろうね。なんて視野狭窄なんだ。笑っちゃうよ』

「笑ってないで! く、来るよ!?」

『オッケー。小鈴、天文台はどっちだ?』

「え、えっと、山の麓があっちで、上りのルートがそこだから……あ、あっち!」

『了解だ!』

 

 わたしが指差すと鳥さんは、その方角に向けて、ジェット機のように飛行する。

 は、速い……! 風が強すぎて、目を開けるのも辛いよ。

 振り向くと、巨大な竜巻がこっちを追いかけている。完全に目を付けられちゃったみたい。

 だけどスピードは鳥さんの方がずっと速い。あっという間に、開けた場所が見えてきた。

 近くには大きな建物もある。たぶん、あれが天文台だ。

 鳥さんは地上に降りて、やっとわたしも空の旅から解放される。こ、怖かった……足がまだちょっと震えてるよ……

 

『そうら来たぞ。暴風雨の化身だ。小鈴!』

「う、うん!」

 

 なんて、震えてる場合じゃない。

 ゴゥッ! と激しい風音が轟く。

 眼前には、巨大な竜巻が迫り来る。

 この異常気象の原因、時が停滞してしまった根源。

 それがもう、目前にまで来ている。

 

「……!」

 

 鳥さんが頑張ってくれた。鳥さんのお陰で、クリーチャーを見つけて、こうして戦いの場まで持ってこられた。

 後は、わたしの役目。

 みんなの日常を取り戻すため、魔法少女(主人公)はいつだって、迷惑をかける悪者を退治するんだ。

 だから、わたしも――

 

 

 

「――戦うよ!」

 

 

 

 その決意と共に。

 わたしは――戦場へと迎え入れられた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

[小鈴:超次元ゾーン]

《銀河大剣 ガイハート》

《勝利のガイアール・カイザー》

《勝利のリュウセイ・カイザー》

《勝利のプリンプリン》

《ブーストグレンオー》

《時空の凶兵ブラック・ガンヴィート》

《時空の喧嘩屋キル》

《時空の喧嘩屋キル》

 

 

[???:超次元ゾーン]

《勝利のガイアール・カイザー》

《勝利のガイアール・カイザー》

《勝利のリュウセイ・カイザー》

《激天下!シャチホコ・カイザー》

《レッド・ABYTHEN・カイザー》

《ブーストグレンオー》

《時空の司令 コンボイ・トレーラー》

《時空の火焔ボルシャック・ドラゴン》

 

 

 

 わたしと、謎の台風のクリーチャーとの対戦。

 手札はあんまりよくないけど、立ち上がりは普通。わたしは《グレンニャー》を召喚したくらい。

 そして、竜巻を纏って姿を隠しているクリーチャーは、大風と共に吐き出すようにクリーチャーを飛ばす。

 

「――――」 

 

 

 

ターン2

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

???

場:《ブオン》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

 

「わたしのターン! 《狂気と凶器の墓場》をマナチャージして、2マナで《ノロン⤴》を召喚! 二枚ドローして、《ドドンガ轟キャノン》と《狂気と凶器の墓場》を捨てるよ」

 

 いつものように手札を交換するけど、その手札が悪い。《クジルマギカ》も《グレンモルト》もまったく来ないのに、《狂気と凶器の墓場》ばかりが手札でだぶついている。

 絶対に負けられないのに、負けちゃいけないのに、こんなのって……!

 

「――――」

 

 再び、竜巻の中からクリーチャーが飛ばされる。召喚されたのは《ジャスミン》。即座に破壊されて、相手のマナが増えた。

 相手も動きはゆっくりだけど、なにをしてくるのか、まったくわからない。せめて、あの竜巻が晴れて、どんなクリーチャーかがわかれば、少しは判断できるのに……

 

 

 

ターン3

 

小鈴

場:《グレンニャー》《ノロン⤴》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:2

山札:25

 

 

???

場:《ブオン》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

 

「わたしのターン! 3マナで《サイバー・チューン》! 三枚ドローして、手札を二枚捨てるよ!」

 

 相手の動きもゆっくりなら、こっちもできるだけ早く準備を整えて、即座に決めたい。

 だから今度こそ、いいカードを引きたいけど……

 

「うぅ、《ボーンおどり・チャージャー》と《インフェルノ・サイン》を墓地へ……」

 

 手札が全然よくならないし、墓地に置いておきたいカードも墓地に送れない。

 いくら相手の動きがゆっくりだと言っても、あんまり悠長にはしてられないし、どうにかしないと……

 

「――――」

 

 相手のターン。今度は、《プロメテウス》が飛び出した。

 2マナ増やして、マナゾーンのカードを手札に。

 ゆっくりとは言ったけど、動き自体は順調、なのかな? 知らないカードも多くて、マナを見てもなにをするデッキなのか、全然分かんないけど……

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:《グレンニャー》《ノロン⤴》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:5

山札:21

 

 

???

場:《ブオン》《プロメテウス》

盾:5

マナ:6

手札:3

墓地:1

山札:23

 

 

 

「わたしのターン、ドロー……」

 

 引いたのは……《カモン・ピッピー》。

 《狂気と狂気の墓場》や《ノロン⤴》《ボーンおどり・チャージャー》を抱えてるから、《グレンモルト》や《クジルマギカ》を引きたいんだけど、まるで引き込めない。

 ここはどうしよう……《カモン・ピッピー》で《勝利のリュウセイ》や《ブーストグレンオー》を出して、相手を妨害するのも手だよね。

 流石に《狂気と狂気の墓場》の効果で墓地に落ちるのを期待するのは、運に頼りすぎだろうし……

 ……これは、負けられないデュエマ。

 なら、確実に、絶対に、勝たなくちゃならない。

 より成功率の高い選択――それは、たぶんこれ。

 

「マナチャージはなし、3マナで《ボーンおどり・チャージャー》! まずは山札の上から二枚を墓地へ!」

 

 ここは、手札の《狂気と狂気の墓場》を最大限に生かすため、次のターンにできるだけその力を発揮するため、墓地を増やす。

 だけど、こうして墓地に落ちたのは《ボーンおどり・チャージャー》と《クロック》。わたしの凶運は続きます。

 

「でも、唱えた《ボーンおどり・チャージャー》はマナに行くから、こっちも出せるよ! 《ノロン⤴》を召喚! 二枚引いて二枚ドロー!」

 

 ここまで何度もドローしてるんだから、流石にそろそろ、切り札を引きたいところだけど……

 

「! やっと来てくれた! 《クジルマギカ》と《カモン・ピッピー》を墓地へ! ターン終了!」

 

 まだ《グレンモルト》は見えないけど、《クジルマギカ》だけでも悪くはない。

 あとは、どのタイミングで攻撃するかだけど……

 わたしが攻め時を測っていると、ごうっと竜巻がよりいっそう強く、渦巻いた。

 

「――ッ!」

 

 竜巻の中から現れたのは……妖精さん?

 どころなく民族的な、紅白の衣装を纏った、小さなクリーチャー。

 そのクリーチャーが現れるや否や、唸り声のようなものが聞こえてきた。

 そして、

 

「!? な、なに……!?」

 

 な、なんか、山札のカードがすごい勢いで空を舞ってるんだけど……なにが起こるの……?

 風の煽られ、宙に舞うカードの群れ。その数は、七枚。

 そのうちの一枚が、弾かれるようにして飛び出した。

 

『――ッ!』

「わ……っ!?」

 

 な、なに今の!?

 いきなり攻撃された……スピードアタッカー? シールドが三枚になってるから、Wブレイクを受けたみたいだけど、竜巻が突っ込んできただけで、どんなクリーチャーなのかまったくわからない。

 攻撃はそこで終わり、相手のターンも終わったけど、その時。

 仮面のクリーチャーが爆散した。

 

「っ!? クリーチャーが、破壊された……? でも、なんで?」

 

 さっきから、わたしの知らない範囲での出来事が頻発している。なにが起こってるのか、さっぱりわからない。

 こんな時、霜ちゃんやみのりちゃんがいてくれれば……

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《ノロン⤴》×2《グレンニャー》

盾:3

マナ:5

手札:4

墓地:9

山札:16

 

 

???

場:《プロメテウス》《ドラゴンフレンド・カチュア》《???》

盾:5

マナ:7

手札:2

墓地:2

山札:21

 

 

 

 相手はもう、攻撃を始めている。

 一手遅れちゃったけど、相手はわけのわからにことばかりしてくるし、早く終わらせたい。こっちも反撃したいところだよ。

 

「わたしのターン。ドロー……」

 

 ……あれ?

 なんで《ノロン⤴》がタップされてるの? 攻撃してないのに、それにアンタップしない……最初に出した方はなにもないんだけど。

 まさか、あのクリーチャーの能力?

 

「謎すぎるよ、あのクリーチャー……でも、とりあえず行くよ。マナチャージして、6マナ! 《グレンニャー》を《クジルマギカ》にNEO進化だよ!」

 

 さっきのシールドブレイクで来た、二枚目の《クジルマギカ》だよ。

 墓地には《狂気と凶器の墓場》と《クジルマギカ》、手札にはもう一枚《狂気と凶器の墓場》に《リバイヴ・ホール》。

 複数の《クジルマギカ》と《狂気と狂気の墓場》があるなら、NEO進化元さえ用意すれば、連続攻撃ができる。《クジルマギカ》が複数並べば、それだけ呪文も連射できるし、《狂気と狂気の墓場》で《グレンモルト》が落ちてくれれば、龍解も狙えるしね。

 だからここで反撃に出て、一転攻勢! と、行きたいところだけど。

 

(やっぱりあのクリーチャー、不気味だなぁ)

 

 バトルゾーンに渦巻く巨大な竜巻が、わたしの不安を煽る。

 《ノロン⤴》が動けなくなったせいで、このターンにとどめを刺せるかが不安定になっちゃった。《グレンモルト》が都合よく墓地に落ちるとも限らないし、トリガーも怖い。相手はまだシールドが五枚もあるのだ。

 絶対に負けられないけど、勝負を焦っちゃいけない。それに、そもそも相手は次のターン、わたしにとどめが刺せる。わたしは、王手をかけられている状態なのだ。

 今はまだ、無理をする時じゃない。

 

「ここは安全に行くよ。《クジルマギカ》で攻撃する時、能力発動! 手札の《リバイヴ・ホール》を唱えて、《クロック》を手札に。超次元ゾーンから《ブラック・ガンヴィート》を出すよ!」

 

 どんなクリーチャーなのかはまったくわかんないけど、攻撃したってことはタップされてるはず。

 だったら《ブラック・ガンヴィート》の能力で破壊しちゃえばいいよね。

 と、思ったんだけど……

 

「……あれ? なんで破壊できないの?」

 

 《ブラック・ガンヴィート》の能力は確かに発動しているはず。なのに、バトルゾーンの竜巻は消えない。

 まさかタップされていないとか? 実は攻撃していない、とか? いや、シールドが割られたし、流石にそんなことはないはずだけど。

 なんにしても、計画が狂ったし、これはすごくまずい。次のターンのダイレクトアタックを、防げない可能性が出て来ちゃった。

 

「と、とりあえずWブレイクだよ!」

『――!』

 

 繰り出した攻撃は止まらない。無意味に《ブラック・ガンヴィート》を出してしまったわたしは、そのままシールドをブレイクするけど、そこでまた失敗。というか、不運。

 S・トリガーを、踏んでしまった。

 

「《ドンドン吸い込むナウ》……《ブラック・ガンヴィート》が……!」

 

 手札に戻されたのは《ブラック・ガンヴィート》。これでいよいよ、わたしが《リバイヴ・ホール》を使った意味がなくなる。実質、《クロック》を手札に加えただけになっちゃったよ……

 

「た、ターン終了……」

『――ッ!』

 

 バトルゾーンに、もう一つ竜巻が追加された。二体目、ってことなのかな?

 そして、既にバトルゾーンにいた方の竜巻が、《クジルマギカ》に向かって突っ込んでくる。

 その時に、わたしは確かに見た。

 大風が、わたしのクリーチャーを巻き込んでいるのを。

 

(《ノロン⤴》がタップされた……やっぱり、あのクリーチャーの能力なんだ)

 

 攻撃する時にタップして、次のターンにアンタップさせない能力? まるで恋ちゃんの使うカードみたいだ。光のクリーチャー、なのかな?

 竜巻は《ノロン⤴》を抑え込みながら、《クジルマギカ》を飲み込んで破壊してしまう。シールドに来なかったのは少し安心したけど、でも、わたしの切り札が破壊されちゃった。

 続く妖精さんも、前のターンにタップされたらしい《ノロン⤴》を攻撃して破壊。わたしの場には《ノロン⤴》一体だけになってしまう。だけどこの《ノロン⤴》も、アンタップはしないんだよね……

 

 

 

ターン6

 

小鈴

場:《ノロン⤴》

盾:3

マナ:6

手札:3

墓地:11

山札:16

 

 

???

場:《???》×2《プロメテウス》《ドラゴンフレンド・カチュア》

盾:3

マナ:8

手札:3

墓地:3

山札:19

 

 

「わたしのターン……」

 

 やっぱり《ノロン⤴》はアンタップしない。

 とりあえず、なにかこの状況を打開できるようなカードが来ることを願って、カードを引く。

 すると、

 

(《グレンモルト》……! ここで来られても……)

 

 嫌なタイミングで来ちゃった……

 《ノロン↑》がタップされてるから、《グレンモルト》を出しても《ガイギンガ》に龍解できないよ。

 

(龍解できても、この状況がなんとかなるかはわかんないけどね……)

 

 龍解してもシールド枚数的に押し切ることはできない。

 それに、あの台風のクリーチャーは、《ブラック・ガンヴィート》で破壊できなかった。そうなると、《ガイギンガ》の能力で破壊できるのか、そもそも攻撃できない可能性さえある。

 手札には《狂気と凶器の墓場》が二枚もあるから、《グレンモルト》を墓地に置いておきたいところでもあるんだけど、手札のカードを墓地に置くる手段は今の手札にはない。

 

(ちゃんと考えなきゃ。今、この手札でできることはなんなのかを)

 

 わたしの手札は、《グレンモルト》《クロック》《狂気と凶器の墓場》が二枚。

 《クロック》はマナチャージするしか使い道がない。《グレンモルト》は出しても龍解できない。となると、選択肢は《狂気と凶器の墓場》でなにを出すか。

 《クジルマギカ》はNEO進化元がタップしてるから、やっぱり出しづらい。このタップが地味ながらも痛いよ。

 他の候補は、《カモン・ピッピー》くらいかな……《ノロン↑》を戻して手札を捨てるって選択もあるけど、たった2マナのクリーチャーを出すのはちょっともったいないし、そもそもこんな状況で《グレンモルト》を墓地に落としても遅い。

 《カモン・ピッピー》を出すとしたら、《勝利のリュウセイ・カイザー》か《ブーストグレンオー》だけど、今更マナをタップさせても遅いし、《ブーストグレンオー》だと《プロメテウス》しか破壊できない。

 そういえば、あの台風のクリーチャーはWブレイカーみたいだし、となると相手の場にはWブレイカーが二体はいるんだよね。

 わたしのシールドは三枚、次のターンでダイレクトアタックが来てしまう。

 

(もう結構S・トリガー見えちゃったけど、残りのトリガーってどれくらいかな)

 

 数えてみると、たぶん《デス・ゲート》が二枚、《クロック》が一枚くらいかな。トリガーじゃないけど《ハヤブサマル》も残ってるはず。

 うーん、《クロック》を手札に戻さなければ、《デス・ゲート》でほぼ確実に止められたんだけどなぁ……戻すカードを間違えちゃった。

 そもそも、台風のクリーチャーに《デス・ゲート》が効くのか、やっぱりわからない。流石に《クロック》は通用するはずだけど、《ハヤブサマル》でブロックできるかも怪しい。

 

(とりあえず通じると仮定して、そうすればどれか一枚でも引ければ1ターンは耐えられる。そのためには……)

 

 相手クリーチャーは四体。そのうちの三体の攻撃で、わたしは負けてしまう。

 それをできる限り防ぐには、数を減らすしかない。

 もう一度墓地を確認して、わたしは手札を切る。

 

「マナチャージして、5マナで呪文《狂気と凶器の墓場》! 山札の上から二枚を墓地に置いて、墓地の《カモン・ピッピー》をバトルゾーンに!」

 

 とここで、《ハヤブサマル》と《クロック》が墓地に落ちた。最悪だよ……もう《デス・ゲート》しかS・トリガーが残ってない……

 なんて嘆いてても仕方ないんだけどね……とりあえず、《カモン・ピッピー》の能力を使わなきゃ。

 

「《カモン・ピッピー》の能力で、《ブーストグレンオー》をバトルゾーンへ! 《プロメテウス》を破壊するよ!」

 

 《カモン・ピッピー》が開いてくれた超次元の門から、炎の獅子が飛び出す。

 燃えるライオンさんは、炎で《プロメテウス》を囲い込んで、破壊してしまう。

 

「……ターン終了」

 

 これで、相手のクリーチャーは三体。S・トリガーが出れば、耐えられるかもしれないという、あまりにも運任せな状況。

 相手のことを知らなかった無知。知らないという事実と、十分でない半端な理解、そこから下される判断が、選択の間違いを生んでしまった。これは、その積み重ねと、結果。

 わたしは王手をかけられている。玉将は、二つの龍王に囲まれている。

 これはわたしのミスだから、こうなってしまった現実を、わたしは甘んじて受け入れなきゃいけない。縋れるものは、天運しかないという、この現状を。

 

『――――』

 

 虚空に穴が開く。

 この穴は、超次元ゾーンに続く穴だ。ってことは、超次元呪文を使ったんだ。

 燃える斬撃が《ノロン↑》を切り裂いた。そして超次元から現れるのは、《勝利のガイアール・カイザー》。

 追加の攻撃クリーチャーを用意されちゃったけど……むしろ好都合かも。

 《デス・ゲート》がトリガーした時、《勝利のガイアール》を破壊すれば、《クロック》を出してターンを終わらせることができる。

 

『――――』

 

 さらに続けて、小さなクリーチャーが現れた。いきなり爆散した仮面のクリーチャーだ。

 よくわからないけど、たぶん相手も決めにかかってる。あのクリーチャーの意味は、いまだによくわからないけど。

 そして、相手クリーチャーは動き出した。攻撃が来る。

 

『――!』

 

 ただし、攻撃対象はわたしのクリーチャーだった。

 《勝利のガイアール・カイザー》が、わたしの《ブーストグレンオー》を切り裂く。

 あぁ、クリーチャーを破壊するための《勝利のガイアール》だったんだね。タップしちゃったから、もう《デス・ゲート》で狙えないや。

 そして今度こそ、妖精さんがわたしのシールドをブレイクする。

 ここで、なにかトリガーが、《デス・ゲート》が来てくれれば……!

 

「! やった、S・トリガー! 《地獄門デス・ゲート》!」

 

 地獄へと続く門扉が開く。そこから伸びる亡者の魔手が、竜巻のクリーチャーを地獄に引きずり込もうとする――けれど。

 

「っ、そんな……破壊、できない……!?」

 

 地獄門から伸びる手は虚空を掴むばかり。竜巻によって、クリーチャー本体には届かない。

 仕方ないから、さっき爆発した仮面のクリーチャーを破壊するけど、そっちのコストは2。コスト4以上じゃないと、《クロック》は出せない。わたしのデッキにコスト2未満のクリーチャーはいないから、なにも出せずに終わってしまう。

 そして、二つの竜巻のうちの片方が、続けて突っ込んでくる。同時に、《カモン・ピッピー》が大風で抑え込まれた。

 風の刃がきりもみ回転しながら、残った二枚のシールドをズタズタに切り裂き、断裂させる。

 

「あ……S・トリガー……」

 

 一枚は《サイバー・チューン》。そしてもう一枚は、二枚目の《デス・ゲート》だ。

 ついてる。といつもなら思ったかもしれないけど、今は喜べない。

 

(さっきのトリガーでも、《デス・ゲート》が効かなかった……)

 

 いまだに理屈はわからないけど、とにかくあのクリーチャーは、破壊することができない。どんな手段であっても、場から退かせない。

 ついさっき除去が弾かれて、それが証明されてしまったのだ。同じカードが、二枚目の《デス・ゲート》が引けたところで、意味はないとわかってしまう。

 そこには、絶望しかない。

 

(負けちゃうの、わたし……)

 

 ごめん……みんな。

 これは全部、わたしの責任だ。

 無知も、不理解も、経験不足も、言い訳にはならない。言い訳しても、許されるわけじゃない。

 わたしの行動が、わたしの判断が、わたしの選択が、この結末を生んでしまった。すべてを壊してしまう、最悪の結末を。

 これはその責任。罰、と言えるのかもしれない。

 期待は薄く、希望は淡い。救済の光は遠く、暗い深淵のどん底に、突き落とされるような感覚。

 もう、わたしにはなにもない。身を守る盾も、反撃の手段も、なにもかも。

 わたしにはもう、なにも頼れるものがないんだ。

 その時だった。あの輝かしい太陽のような、あたたかく、熱い声が聞こえたのは――

 

 

 

『――小鈴!』

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 風が渦巻く音を切り裂くように、嵐の中を掻き分けて、一筋の光が――声が、届いた。

 真っ白な身体。きれいで、美しくて、神々しい、この世のものとは思えないような鳳。

 わたしに、魔法のような奇跡を与えてくれた存在。

 それがまた、わたしに太陽のような光を浴びせてくれる。

 

「っ! と、鳥さん……!」

 

 どこに行ってたのか知らないけど、この嵐の中、わたしのところに来てくれたの……?

 ……ちょっと、嬉しいな。そんなこと言ってる場合じゃないんだけど、鳥さんは、わたしのことを見捨ててないんだ。

 でも、ごめん鳥さん。流石に、もうダメだよ。

 そういう前に、鳥さんはわたしに怒声を飛ばす。

 

『小鈴! なにを諦めようとしてるんだ! 君に諦められたら、僕が困る! 君だってそうだろう!』

「で、でも……だって! こんなの、無理だよ……」

 

 破壊できない。攻撃が止められない。止める手段は、なにもない。

 唯一の守りであったシールドはないし、S・トリガーは効かないと証明されてしまった。

 そんな相手が牙を剥いている。こんな状況、諦めようと諦めまいと、結果は変わらない。

 もう、どうしようもないよ……

 

『……やっと奴の正体がわかった。如何せん、僕らの存在している世界線とは、少し異なる出自のクリーチャーだからピンと来なかったけど』

「え……?」

 

 鳥さん、あのクリーチャーの正体を探っていたの?

 そして、その正体がわかった?

 だけど、もう手遅れじゃ……

 

『まあそんな細かい話はいい。奴は風を味方につけるクリーチャーだ。風を纏い、あらゆる害悪から身を隠して、受け流す。そういう力を持っている』

 

 それはわかる。実際、わたしの《ガンヴィート》や《デス・ゲート》を無力化されているわけだし。

 

「でも、今更そんなこと言われても、もうどうしようもないよ……」

『君は実は頭が悪いのか? 僕でもわかるような理屈がわからないなんて』

「え?」

『あれはクリーチャー本来に身についている力じゃない。あくまでも“風を防御に使っている”だけなんだ。奴は天候を操るが、気流や乱雲を創造するほどの力はない。そこにある気象を、我が物として借り受けるだけだ。狂月皇帝(ルナティック・エンペラー)のような、絶対的な力は持ち合わせていない』

 

 ? えーっと?

 つまりあのクリーチャーは、自分で嵐を巻き起こしているわけじゃなくて、既に出ている嵐を利用しているだけってこと?

 だけど、それがわかったからって、どうなるっていうの?

 

『簡単な話だ。奴の隠蔽能力が風によるもので、それが周囲の環境に依存するものなら――“その風を打ち払えばいい”』

「風を打ち払うって……」

 

 なるほど、理屈はわかった。

 だけどそんなこと、簡単に言わないでほしい。風って言ったって、あれは大きな竜巻、暴風なんだよ。

 たかだか一人の人間がどうこうできるようなものじゃない。

 

『まあ人間は、自分の肉体の範囲内でしか力を行使できない。そういうことをするのは不得手な生物みたいだからね。だけどそこは問題ない。僕が協力しよう』

「鳥さんが? どうするの?」

『君が集めてくれた力を、さらにもう少し解放する』

「解放……?」

『一瞬だ。一瞬だけ、奴の纏う大風を消し飛ばす。その隙に……やれるね?』

「……う、うん。頑張ってみる……」

 

 鳥さんがなにをするつもりなのかはわからないけど――信じてみよう。

 間違えて、誤って、自ら首を絞めて、みんなに迷惑をかけちゃったわたしだけど……鳥さんは、まだわたしの傍にいてくれる。

 それならわたしも、まだ諦められない。

 信じてくれる人がいるなら。手を差し伸べてくれる仲間がいるなら――最後まで、やり遂げなきゃ。

 

「っ! き、来た……!」

『オッケー、じゃあ手筈通りに。小鈴、しっかりと相手の動きを見てなよ。めちゃくちゃ眩しいだろうけど、目を瞑ったり、逸らさないように。確実に仕留めるんだ』

「う、うん」

 

 竜巻が迫ってくる。わたしの手札には、まだ発動が宣言されていない呪文。

 それを手にして、構える。襲い掛かる竜巻をジッと見据えて。

 刹那、鳥さんが白い羽を散らして、嵐の空へと飛び立った。

 

『……異星の地にて告げる。宇宙(ソラ)に浮かぶ命の光、魂の灯よ。彼の地に降り注ぐ汝の光が、我らの奉ずる神話の陽光と存在を同じくするものならば、我が呼び声に応えよ』

 

 鳥さんは、今まで聞いたこともないような、静かで重苦しい声で、誰かに語りかけるように、言葉を紡ぐ。詠み上げて、唱える。

 信託のように、祝詞のように。

 神話を、語るように。

 

『我は燦然と輝く太陽の威光を語る者なり。白き翼は神話の片翼、燃ゆる炎は白き奇跡の証明――黒翼と対を成す我が白翼の奇跡にて、太陽神話よ、その権能を借り受ける!』

 

 ここからでもわかる。鳥さんが、すごい熱を帯びていることが。ずっと高いところにいるはずなのに、その熱が、その光が、この嵐の中でも、わたしのところまで届いている。

 それは暖かくて、明るくて、安心する陽光。まるで太陽だ。

 竜巻が、もう眼前まで迫っている。

 その、刹那――

 

 

 

『天空に昇れ、白き太陽! この嵐を打ち払い給え――!』

 

 

 

 ――太陽が現れた。

 

「っ!」

 

 眩しい……っ!

 だけど、目を閉じちゃダメ。目を逸らして見失うわけにはいかない。

 それは奇跡の再現のようだった。

 あり得ないようなことが、目の前で起こった。

 嵐の中に現れた太陽が、その輝きが――荒れ狂う暴風を吹き飛ばした。

 

「見えた……!」

 

 太陽の輝きによって消え失せた大風。その中から、風を隠れ蓑にするクリーチャーが隠された姿を現す。

 それは、意外な姿をしたクリーチャーだった。

 雨や風を想起することができないような、鋼鉄。鋼の身体を持つ龍。銀色の表皮に覆われたドラゴンだ。

 

「暴風雨の化身、風翔龍。その真の名は――《鋼龍 クシャルダオラ》」

 

 嵐を消し飛ばした鳥さんが、空から降りてくる。

 《クシャルダオラ》……それが、あのクリーチャーの名前。

 

「さぁ小鈴! 今だ!」

「う、うん! S・トリガー、《地獄門デス・ゲート》!」

 

 わたしは、手札に構えていた呪文を発動させる。

 風を纏っていない今なら、当てられる!

 今まさに、わたしに牙を突き立てようとする鋼の龍。その眼前に、地獄へと続く門扉が現れる。

 開かれた地獄の門からは、魔王の魔手が幾本も伸びて、《クシャルダオラ》を捉え、覆い尽くした。

 

 

 

「《クシャルダオラ》を破壊――!」

 

 

 

 ――バタンッ!

 地獄門は閉じられた。嵐の鋼龍を飲み込んで。

 そしてそれを糧に、別の命を吐き出す。

 

「出てきて《クジルマギカ》!」

 

 《クシャルダオラ》のコストは7だった。だから、コスト6のクリーチャーまで出せる。

 《クジルマギカ》を呼び戻したところで、また、嵐が場を支配して、もう一体の《クシャルダオラ》を守る鎧になった。

 

 

 

ターン7

 

小鈴

場:《カモン・ピッピー》《クジルマギカ》

盾:0

マナ:7

手札:4

墓地:17

山札:10

 

 

クシャルダオラ

場:《クシャルダオラ》《ドラゴンフレンド・カチュア》《勝利のガイアール》

盾:3

マナ:9

手札:2

墓地:7

山札:17

 

 

 

「僕ができるのはここまでだ。ここから先は、君の力でなんとかしてくれ」

 

 弱々しく、だけどいつものように不遜で、自分勝手に言う鳥さん。

 力を使い切ってしまったのか、鳥さんは大きくて、格好良くて、きれいな鳳ではなく、いつもの小さくて貧弱そうな小鳥に変わっちゃってた。

 あの格好いい鳥さんもいいけど、やっぱり、こっちの姿の方が落ち着くな。

 いつものその姿の方が、わたしも、いつものわたしを思い出せる。

 

「……なんか無責任じゃない?」

「なにを言うか。そもそもクリーチャーを倒すのは君の役目だよ。あれだけ力を使って助力したんだから、感謝されこそすれど非難される謂れはないね」

「偉ぶらないでよ……でも、ありがとう。鳥さん」

「あぁ。やってくれ、小鈴」

「うん! わたしのターン!」

 

 鳥さんがその身を粉にしてまで繋いでくれたんだ。このターンは、絶対に無駄にできない。

 わたしの場には、《デス・ゲート》で戻ってきた《クジルマギカ》がいる。

 その状況なら……やれる。

 

「まずは《グレンニャー》を召喚。一枚ドロー」

 

 場を支配するのは大嵐。一度は陽光で消し飛ばしたけど、それはほんの一時の間。それに、それは鳥さんの力があってこそだった。

 だから今度は、わたしの番。

 もう一度、嵐を乗り越えて。

 今度は、今度こそ わたしの――わたしたちの力で、この嵐を打ち払ってみせる!

 

「6マナタップ! 《グレンニャー》を進化!」

 

 わたしは太陽のように、大きくて明るい存在にはなれないかもしれないけど。

 それでも、手を差し伸べることくらいはしたい。寄り添っていたい。

 小さくても、些細でも、大層でなくても、ほんのちょっとしたことであっても。

 誰かを助けられるような、誰かを救えるような、誰かを照らせるような――光になりたい。

 あの人のように――

 

 

 

「お願い、力を貸して――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 どんな大風にも負けない、力強い、大きな炎を。進化の光を。

 この嵐を打ち払う力をわたしに貸して、みんな!

 

「《クジルマギカ》で《カチュア》を攻撃! その時、墓地から呪文を唱えるよ! 《狂気と凶器の墓場》!」

 

 先陣を切るのは《クジルマギカ》。

 その魔法の砲撃が、新たな仲間を呼び寄せる。

 

「効果で山札から二枚を墓地へ送って、《龍覇 グレンモルト》をバトルゾーンに復活! 《銀河大剣 ガイハート》を装備!」

 

 これで、準備完了。

 遂に戦場に立たせることができた《グレンモルト》。もう、怖いものはない。

 《クジルマギカ》の砲撃で妖精さん――《カチュア》が破壊される。

 次に、進化の龍が咆えた。

 

「行って! 《エヴォル・ドギラゴン》で《勝利のガイアール・カイザー》を攻撃!」

 

 後に続くは《ドギラゴン》。《勝利のガイアール》の燃える刃も、硬い装甲を貫くことはできず、力ずくで叩き潰される。

 そしてこの攻撃が、さらに仲間の熱意を呼び覚ます鍵となる。

 

「バトルに勝ったからアンタップ! さらに、これでこのターン、わたしは二回攻撃したよ! だから、《ガイハート》の龍解条件成立!」

 

 《クジルマギカ》が呼んで、《ドギラゴン》が繋げてくれた、この力。お願い、目覚めて。

 その熱意は銀河の如く。その力は宇宙の如く。

 大きな炎と、大きな魂が、星のように瞬き、わたしの心を震わせる。

 みんなを導く、先輩()のように。

 わたしに、その熱血()を――貸してください!

 

 

 

「龍解――《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 やっと、起きてくれた。

 遂に、現れてくれた。

 先輩が託してくれた、わたしの切り札。

 ……行ける。

 これならもう、負ける気がしない。

 

「《ガイギンガ》の能力発動! 龍解した時、パワー7000以下のクリーチャーを破壊するよ! 破壊するのは――《クシャルダオラ》!」

 

 銀河の如き爆発が、爆炎が、巨大な竜巻を焼き尽くす。

 大風も、暴雨も、鋼鉄も、なにもかも関係なく、燃やし尽くした。

 太陽の昇る、すべてを焼き払った焦土の戦場。

 そこを駆けるのは、わたしの仲間(クリーチャー)たち。

 

「《エヴォル・ドギラゴン》で、Tブレイク!」

 

 《ドギラゴン》が三枚のシールドを、一気に割り砕く。

 嵐はない、仲間がいる。

 もう、なにも怖くない。

 

「――ッ!」

 

 砕かれた盾が光り、収束する。S・トリガーだ。

 また《ドンドン吸い込むナウ》……運がいいって言いたいけど、わたしも《デス・ゲート》二枚引いてるから、おあいこかな。

 だけど、いくら運が良くても無駄。

 わたしの《ガイギンガ》は、その程度の嵐には負けないよ。

 

「――――」

 

 《ドラゴンフレンド・カチュア》を捕まえ、それをエンジンにして放たれる吸引の渦。だけど、それは《カモン・ピッピー》を飲み込むだけ。

 もう一枚が《プロメテウス》を加えて、二重の渦を巻き起こすけど、それでも止まらない。大渦の中を、ただひたすらに突き進む。

 わたしの仲間は嵐を超える。

 みんなのために。

 わたしたちが笑っていられる、居場所(日常)のために――!

 

 

 

「《熱血星龍 ガイギンガ》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「た、倒した……?」

 

 巨大な竜巻は雲散霧消し、鋼の龍は光の粒子となって空へと放たれる。

 あれだけ激しかった雨も、あれほど荒れ狂った風もなく、空には燦々と日差しを降り注ぐ、眩しい太陽が浮かんでいた。

 

「お疲れ小鈴。よくやった」

「う、うん。鳥さんもありがとう」

 

 パタパタと、力なく飛んでいる鳥さん。

 今回は、本当に鳥さんに助けられたな。

 

「鳥さん、またちっちゃくなっちゃったの?」

「あぁ、少し無理をしすぎたみたいだ。やはり神話継承するには力が足りなさすぎる。あれだけマナを蓄えても一回きりか……」

「神話……?」

「まあ僕のことは気にしなくていいよ。元より、すぐになんでも元通りとは思っていないさ」

 

 そう言う鳥さんの横顔は、ちょっとだけ寂しそうで、悲しそうで。

 どこか、遠くの星を見ているようだった。

 

「……鳥さんは、クリーチャーなんだよね?」

「そうだよ。君たちの知るそれと、同じとは限らないけど」

「クリーチャーは、色んな目的があって、わたしたちの世界に来ているみたいだけど……鳥さんは、どういう目的で、なんのために、この世界に来たの?」

 

 昨日もした質問。その時ははぐらかされてしまったけれど。

 だけど、わたしはちゃんと聞いておきたかった。わたしに力を与えてくれて、わたしを魔法少女(主人公)にした鳥さんが、なにをしようとしているのかを。

 帽子屋さんは、自分たちの世界が欲しかったから。【不思議の国の住人】という、自分たち(仲間)のため。

 チェシャ猫レディさん――謡さんは、主人公になりたいから。自分たちの正義(ヒーロー)を、信じるため。

 じゃあ、鳥さんは?

 鳥さんの望みは、なに?

 ずっと、それを聞きたかった。

 そして――

 

 

 

「――僕の信じた、僕らの信じた……世界(神話)のため、かな」

 

 

 

 世界、神話……

 まったく、鳥さんの口からは聞いたことのない言葉だった。

 

「僕の世界はね、酷く醜い戦争があったんだ。限られた資源、エネルギー、命……それらのために、手を組むはずの者たちは皆、その手で武器を取ったんだ。支配は崩れ、生誕は衰える。慈愛は失せ、守護の力は虚無になる。海洋は荒れ狂い、賢愚は我を通す。月光は月影へと身を落とし、冥界は暴走した。萌芽の息吹は摘まれ、豊穣なんてもってのほか。焦土に満ちた大地には、太陽が陰りを生む――そしてその結果、無秩序と混沌に塗れた、地獄のような世界に成り果ててしまったのさ」

 

 そう、だったんだ……

 知らなかった。いつも自分勝手で、強引で、悲しさも寂しさも暗さも、そんなものはなにも感じさせなかった鳥さんが、そんなものを抱えていたなんて……

 その世界は、きっと鳥さんの故郷なんだろう。

 それが、荒れ果ててしまった。

 

「今では荒廃に荒廃を重ね、もうなにも手出しができないほどに壊れてしまったよ。失われた技術もある。絶えてしまった種族もある。忘れ去られた神話さえもあった。僕は無秩序も混沌も受け入れるけど、でも、それは地獄だ。誰もが苦しみしか感じない、楽しみが一つもない、虚無という痛苦。絶望しかない現在と未来。そんな世界は、正さなければならない」

「正す……?」

「あぁ。元の秩序ある世界にするんだ。ちょっと鬱陶しくて窮屈で、たまに怒り出すような奴がいるけど……それでも平和で、みんなが笑っていられるような、美しい世界だ」

 

 秩序のある世界。それが、鳥さんの故郷の、元の姿。

 その姿を取り戻すために、鳥さんは、わたしに助けを求めて、戦っている。

 わたしに戦わせているばかりじゃ、なかったんだ。

 鳥さんもずっと、自分の故郷の世界のことを思って、わたしの傍にいたんだ。

 

「……鳥さんは、すごいね」

「すごくないさ。相棒と違い、美しいのはこの羽だけでね。変態錬金術師には非効率的と罵られ、主君の妹君には鬱陶しい白鴉と蔑まれ、幼い妖精の姫には玩具にされて……失敗ばかりを繰り返している。今だってそうだ。もっといい方法がありそうだけど、掴めない。いつになったら終わるかわからないような、途方もない無駄な足掻きをしている。そんな奴だよ、僕は」

「ううん。それでも、自分の守りたいもののためにがんばっている姿は、格好いいよ」

「そうかい……ありがとう。だけどね、小鈴」

「?」

「僕がするべきは、絶望の世界でも未来を託した先人たちの意志を汲み、そしてあの星に残った友たちを信じ、僕らが望んだ結末のために、未来を繋ぐことだ。君には悪いけど、君の、君らのためじゃない」

「そ、それが……?」

「結局のところ、これは僕の自分勝手な我侭ということさ。僕の使命が明確にある以上、いずれその時が来る……僕の物語が終わる時。それが、十二に連なる神話と、彼らが残した、僕の愛すべき友たちとが繋がる時。僕は、その架け橋としてここにいる。そして――」

 

 ――その橋が架かった時が、僕と君の物語の終わりだ。

 鳥さんは、そう言った。

 

「終わり……」

 

 考えたことがなかった。だけど、それは当然のことだ。

 終わらない物語はない。どんなに続きが読みたくても、どんなお話にも終わりはある。

 バッドエンドに絶望しても、ハッピーエンドに笑っても、その続きはない。

 楽しいキャラクターも、胸が躍る展開も、その物語の枠だけで仕舞われてしまい、それ以上、広がることはない。

 わたしたちにも、いずれそういう時が来る。

 いつか、鳥さんとお別れする時が……

 

「鳥さん……」

「……そんな顔しないでくれよ。それは避けられない運命だけど、なにも今すぐってわけじゃない。どれだけかかるかは僕にもわからないんだ。僕が言いたいのは、いずれ来る別れを悲しもうなんてことじゃない。泣き顔なんて真っ平ごめんだ。僕が言いたいのはだね――」

 

 一拍、置いて。

 鳥さんは、小さなくちばしで、言葉を紡ぐ。

 あたたかな、お日様みたいな声で。

 太陽のような輝きを語る。

 

 

 

「――いつか別れる時は悲しいけど。だからこそ、こうして共に戦えるひと時を、笑い飛ばしながら楽しんでいこうじゃないか、ってことさ」

 

 

 

 笑って、楽しむ……?

 鳥さんから、そんな言葉が出るなんて、思わなかった。

 いつもわたしたちをけしかけて、ただすべきことをこなしているだけのようだと思っていた鳥さんが。

 強い使命感に駆られてるはずなのに。大きな役目を背負っているはずなのに。

 それに押し潰されることなく、楽しむ心を持って、楽しもうとしていたなんて。

 驚きだけど、納得した。

 そっか。それが鳥さんの強さなんだね。

 そしてわたしも、気づかされた。

 

「……そう、だね。鳥さんの言う通り、だね……」

 

 悲しみじゃあ、笑えないもんね。

 お母さんの小説も、お姉ちゃんの生徒会も。それは、誰かを幸せにして、誰かを笑顔にすること。

 人はやっぱり、笑ってるところが一番なんだから。

 わたしも――笑わないと。

 

「まあ、毎回急かす僕が言えたことでもないかもしれないけど」

「ふふっ。ほんとだよ。鳥さん、やることやったらすぐに帰っちゃうじゃん」

「この身体で活動するのは、それなりに大変なんだよ……でも僕だって楽しかったよ。そう、君を背中に乗せた時は気分が高揚した。誰かを背に乗せるなんて初めてだったからね。それに君から貰った食べ物――パンだっけ? 最初は無味乾燥と思ったけど、後からくれたものはなかなか美味だった」

「そう? そう言ってくれると、嬉しいな。鳥さんも今度、一緒にパン屋さんに行こうよ」

「僕も入れるのかい?」

「あ、うーん、鳥さんは鳥さんだから、ダメかも……なら、わたしが買ってきてあげる」

「それは楽しみだ」

「うんっ。たくさん食べよう。この世界にも、美味しい食べ物はたくさんあるんだから。いっぱい食べて、楽しもう。だから――」

 

 眩しい太陽が、空に昇る。

 わたしの世界はこんなにも綺麗で、こんなにも明るくて、こんなにも輝いているんだから。

 だからこの陽光の下では。太陽が昇り続ける限りは。

 精いっぱいの笑顔でいよう。

 

 

 

「――これからもよろしくね、鳥さん」

「あぁ。よろしく頼むよ、小鈴」




 というわけで、台風の正体は《クシャルダオラ》でした。台風になるたびに話題に上がるカードですね。デッキも奴を主軸のした《ドラゴンフレンド・カチュア》軸のドラゴン砲デッキです。
 ただ本作では奴の能力は少し意訳されていて「その地域で風に関する注意報か警報が出ている時、相手のカードの効果によって選ばれない」ではなく「暴風警報が発令されるほどの大風が存在する場合、その風を纏うことで相手から選ばれなくなる」みたいな能力になっています。まあ、あれでしたら、鳥さんが風を打ち払った瞬間だけ暴風警報が解除されたと思ってください。
 いつもはあんまり役に立たない鳥さんも、20話に一回くらいは活躍するもので、今回は滅多に描かない鳥さんについても掘り下げができた回でした。
 次回は林間学校も終わり、元の街に帰ってきます。お楽しみに。
 また、誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なくどうぞ。


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25話「林間学校だよ ~4日目・後日談~」

 “林間学校編四日目”
 もうちっとだけ続くんじゃ。
 林間学校は終わったけど、林間学校“編”を終わらせるとは一言も言っていない。
 そんな詐欺めいたことはともかく、今回は後日談……というか、お話を整理したりする回です。前回でいろいろ判明しましたが、それのおさらいと、謡について触れます。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 今日は、あの波乱万丈な林間学校の翌日。わたしたちは、みんなで『Wonder Land』に来ています。まだ休みのはずなのに、人がすごく少ないけど、恋ちゃんが言うには、近くで大きな大会があるから、だそうです。

 まあ、それはそれとして、それでいいんだけど。

 今日集まったのは、いつものようにみんなと遊ぶため、ではありません。

 わたしたちがここに集まった理由。それは、謡さんに呼び出されたから。

 謡さん曰く「すべてを話さなくちゃいけない時が来たから」ということらしいけど……

 

「……なんで、ここに、集まる……?」

「しかも当の本人が来てないし。呼び出しといてなんて態度なんだか」

「まあまあ。謡さんも、生徒会のお仕事があるらしいから……」

「あの台風で、かなり計画が狂ったみたいだしな。事後処理とかがあるんだろう」

「うにゅ、セートカイって大変なんですね」

 

 そうだね。お姉ちゃんも今日は学校でお仕事って言ってたし、いつも大変そうです。

 まあ、台風がなければ今日一日寝ていられたのに、ってぼやいてたから、あの台風がすべての元凶っぽいけど……

 

「ところで小鈴。昨日はボクらもバタバタしてて聞きそびれたし、この際だから色々聞いておきたいんだけど」

「う、うん」

「君が飛び出してから――なにがあったんだ?」

「……そうだね。みんなには、ちゃんと話さなきゃだね」

 

 でも、どこから話せばいいんだろう……

 最初から、かな?

 

「えっと、結局、あの台風はクリーチャーが生み出した――というより、クリーチャーが連れてきたもの、らしいんだけど……」

「《クシャルダオラ》だっけ? まーた変なクリーチャーが出て来たね」

「当然のこととはいえ、クリーチャーもエネルギーが必要なんだな。ボクらが食い物にされそうになっていたなんて、肝が冷える話だよ」

「でも、それは小鈴さんが倒したんですよね!」

「う、うん。鳥さんのお陰でね」

「……いや、そんなのは、分かり切ってる……重要なのは、その、前……」

「そうだ。君が詳しく話さなかった、あの謡っていう先輩、チェシャ猫レディという胡散臭い正義の味方、そして『帽子屋』――【不思議の国の住人】とかいう、ふざけた奴らについてだ」

 

 やっぱり……そうだよね。

 みんなも、そこが一番気になるよね。

 

「でも、そこはその……わたしも、説明が難しいんだけど……」

「順番に……ひとつずつ、話せばいい……」

「そ、それじゃあ、そうだなぁ……帽子屋さんたちのことから、かな」

 

 帽子屋さんたち、【不思議の国の住人】について。

 彼らがどういう存在で、どういう目的を持っているのか。

 

「帽子屋さんたちは、【不思議の国の住人】っていう存在は、この地球にずっと昔から生きてきた生物らしいの。それが、人類と同じように、進化して、環境に適合していった。その過程で自我が芽生えて、人間のような知能を獲得していったんだって」

「より人間に近い獣、ってことか。いや、それはもう、新人類――人類の別の形とさえ言えるかもしれないな。なんて言うんだろうね、亜種人類、とでも言うのかな?」

「いや、UMAじゃん」

「一般的には、未確認の生命体という意味ではそうだろうが……ボクらがしっかりと認知してしまった以上、定義としてはどうなんだ……?」

「……どっちでも、いい……」

「まーねー。で、帽子屋さんたちは人間に紛れて生活している、と。隙あらば私たちの社会を乗っ取ろうとしてるってことかな?」

「乗っ取るというよりは、ただ自分たちの社会が欲しいだけ、って感じだったけど……でも、そのために乗っ取るという行為が必要なら、たぶん、帽子屋さんはそうすると思う……それが、【不思議の国の住人】という種族が栄えて、子孫を残し続けるためなら」

 

 帽子屋さんの真意は、正直まだ読み取れないところがあるけど……

 だけど、人間のようであっても、人間社会に身を潜ませていても、人間でない存在であることは確かなんだ。

 わたしたちの尺度や常識だけで考えちゃいけない。

 

「ともかく、奴らの目的は、種の存続と繁栄、か。【不思議の国の住人】という種族のための、確固とした社会を築くこと……獣ではそこまでの大きな野心はあり得ないが、人間レベルの知性や知能があるなら、自然な野望、なのか?」

「……それで、こすずは……どうするの……?」

「え? どうするって?」

「だって、こすずなら……あいつらの、こと……“悪人じゃない”って、思ってる、だろうし……これから、どうするのかって……」

 

 まっすぐと、わたしを見つめる恋ちゃん。

 まるで動きのない瞳。なにも感じさせない表情。

 ただ純粋な問として、恋ちゃんは、わたしにそれを問うている。

 わたしがこれから、【不思議の国の住人】と、どう向き合うのかを。

 実はそれについては、わたしも考えてた。あれから家に帰るまで、そして今に至るまでの、短い間だけど、ずっと考えてた。

 考えて考えて考えて、そして――

 

 

 

「……わかんないよ」 

 

 

 

 ――答えは、出なかった。

 

「恋ちゃんの言うように、わたしは帽子屋さんたちを悪い人だと、思えない……そりゃ、酷いこともされたし、怖いけど……でも、自分たちの居場所が欲しいっていう気持ちは、すごくわかるから……」

「だけど、連中が求めているの社会、あるいは世界だよ。規模が違う。」

「規模なんて、関係ないよ。わたしだって、恋ちゃんや、ユーちゃんや、霜ちゃんや、みのりちゃん。そして代海ちゃん……みんなと友達になるまで、ずっと一人だったもん。誰だって、自分が地に足を付けて生きていくための場所が欲しい。安心できるところが欲しいよ。そこに大小の差別はないと思う」

「小鈴ちゃん……」

「だからわたしは、帽子屋さんの目的を否定できない。でも、聖獣を――鳥さんを見つけた帽子屋さんが、なにをするかも、わからない。それは、すごく怖い……」

 

 まさか鳥さんが聖獣だなんて思わなかった。こんなに近いところに、帽子屋さんの求める存在がいたなんて、思いもしなかった。

 鳥さんはわたしに力をくれた。その力で、帽子屋さんも願いを叶えるのかもしれない。具体的にどうするのかは、わたしにはわからないけれど。

 だけど帽子屋さんなら、どんな手段も使って、どんなことでもして、願いを叶えようとする気がする。鳥さんに、酷いこともするかもしれない。

 もしそうなら、わたしはそれを許せない。

 だけど、

 

「わからないことを否定するのは、わたしにはできないよ……帽子屋さんたちのやろうとしていることは、その目標は、決して間違いでも、悪いことでもないんだから。だから――」

 

 ――わたしは、なにもできない。

 目の前で起こることに、反応(リアクション)するしかない。

 これじゃあ本当に、不思議の国に迷い込んだアリスそのものだ。

 どっちつかずで、中途半端で、踏み切れない自分が嫌になるけど。

 どうしようもない。どうにもできない。そんな諦念と、躊躇いが、のしかかる。

 みんなも、戸惑うだろうなぁ。霜ちゃんみたいにハッキリした子だと、こういうの、嫌なんだと思う。

 結局はわたしのワガママなんだ。薄弱な意志と決断力のせいだ。

 それが良いことなのか、悪いことなのかすら、わからないんだ。

 その半端でぶれぶれなわたしじゃ、みんなにも迷惑を――

 

 

 

「別に……それで、いいと……思うけど……」

 

 

 

 ――その時です。

 恋ちゃんが、小さく、囁くように、けれどもハッキリとこの耳に届く声で、言った。

 

「善悪で、すべてが判断、できるわけがない……正義のための善行は悪になるし、大義のための悪行も善になる……どっちがいいとか、どっちが悪いとかじゃ、ない……すべてを決めるのは、自分にある……」

「恋ちゃん……」

「そうですよ! 小鈴さん!」

 

 恋ちゃんに続き、バンッ! と机を叩いて身を乗り出すユーちゃん。ち、近いよ、顔が……

 

「ユーちゃんは、小鈴さんが大好きです! 小鈴さんと一緒にいることが! 小鈴さんのすることが、大好きなんです! だから、ずっと一緒です! ユーちゃんが小鈴さんのこと、信じてますから!」

「ユーちゃん……」

「うわー、ユーリアさんに言いたいこと先越されたー。マジへこむー」

 

 と、今度はみのりちゃんが、わざとらしくガッカリした素振りを見せる。

 

「じゃあ、そうだなぁ。なにを言おうかなー……うん、まあ、あれだね。別に小鈴ちゃんが無理することないよ。なにがいいとか悪いとかそんな難しいこと考えないでさ。今まで通りでいいじゃないの。奴らがケンカ吹っ掛けてきたら、ぶん殴ればいいんだから」

「み、みのりちゃん……」

 

 それはちょっと暴力的じゃない? たとえ話なんだろうけど。

 でも、いつもの調子でそう言ってくれるみのりちゃんは、心強かった。

 

「はい、次は水早君ね。トリは譲るよ」

「これって一人一人言っていく流れなのか?」

「そうだよ。女の子はお揃いが好きだからね」

「それ絶対そういうのじゃないと思うけど……実子の言う通りだ」

 

 最後に、霜ちゃん。

 まっすぐにわたしを見つめて、口を開いた。

 

「ボクらもまだ、連中のことを理解しきっているとは言えない。情報不足で戦力不足。城攻めには三倍の戦力が必要って言うし、悪と断じたとしても、こっちからけしかけるのが得策とは言えないよ。後手に回るのが最善とも言わないが、現状を鑑みたら、それに甘んじるのもよしだ。今はまだ、ゆっくりと答えを探していけばいい。一人が辛いならボクらがいる。頼りないかもしれないが、友人を支える情くらいはあるつもりさ」

「霜ちゃん……」

「こすずは……なにも、間違ってない……堂々とすれば、いい……」

「Ja! ずっと一緒ですよ、小鈴さん!」

「ねー。邪魔する奴らをぶっ飛ばして、私たちの日常(せかい)を守ればいいんだから、難しく考えることないよ」

「焦って動く方がまずいだろうしね。待ちも賢い一手だよ、小鈴」

 

 口々に告げるみんな。

 その言葉だけで、胸の奥から、身体の芯から、熱いなにかが込み上げて来るようで。

 わたしは……わたしは……うぅ……

 

「み、みんなぁ……」

「なにを泣きそうになってるんだ、君は」

「だって、だってぇ……」

「おー、よしよし。薄いのでよかったらこの胸で泣きなさいな」

「あうぅ……」

 

 みんな、優しいな……

 こんなどっちつかずで、中途半端で、優柔不断なわたしに、まだ寄り添ってくれるなんて……

 感動して泣いちゃいそうだよ……ちょっと泣いちゃったけど。

 

「とりあえず当面の方針としては、ボクらの取る手段は、受動的反応だ。過剰な防衛は差し控えよう」

「まあ勿論? 脅威と感じるものがあったら即刻排除――」

「そういうのをやめろって言ってるんだ」

 

 ガンッ、と霜ちゃんの握り拳がみのりちゃんの頭を打った。

 い、意外といい音がしたけど……みのりちゃん、大丈夫?

 

「いったぁ!? 水早君!? 流石に女の子に暴力はいけないんじゃないかな!?」

「女を捨ててるやつに女の権利を主張する資格はない。ボクの方がまだ女だ」

「くっそぅ! 私より可愛い顔してるからって調子に乗りやがって!」

「……自分が、女、捨ててる自覚……あるんだ……」

「ともかくだ、この問題の渦中にいるのはボクらではなく小鈴だ。ボクらは小鈴を支えるけど、基本的な意向は小鈴を尊重する。それで異論はないかい?」

「まあ……無難……いいと、思うけど……」

「Ja! ユーちゃんも、イロンはないです!」

 

 わたしの意向……って、そんな大層なものが言えるほど、わたしはしっかりした人間じゃない。

 だけどみんなは、こんなわたしでも否定しない。肯定してくれる。受け入れてくれる。

 そしてそのうえで、一緒に傍にいてくれる。

 この半年。大変なことも、恥ずかしいことも、苦しいことも、胸が痛むようなことも、たくさんあった。

 だけど、辛いだけじゃない。

 恋ちゃんとの繋がりができてデュエマを覚えて。

 ユーちゃんと出会ってカードショップに行って。

 霜ちゃんと友達になってお洒落を教えてもらって。

 みのりちゃんと喧嘩して今までよりも仲良くなって。

 色んなことが積み重なって、今わたしはここにいるんだ。

 そしてそれが、わたしを支えてくれる。

 それならわたしも、簡単にそれを手放しちゃ、ダメだよね。

 

(みんながこうして傍にいてくれるんだ。それだけで心強いし、だからこそ――)

 

 

 

 ――この日常は、守らなきゃいけないよね。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「やっほー! 遅れてごめんね!」

 

 しばらくして、謡さんがやってきた。制服姿のままで。

 

「謡さん……」

「ちょっとせんぱーい? 遅くないっすかー? いくら後輩相手だからって、流石に舐めすぎじゃないですかー?」

「やめろ実子。それはうざ絡みするヤンキーのテンプレだぞ。もう手遅れな君の品性が加速度的に下降している」

「あははー、ごめんねー。まあでも、タイミング的にはちょうどいいんじゃない? ぴったし姉ちゃんのバイトも終わったみたいだし?」

「姉ちゃん?」

 

 と、その時。

 後ろに人の気配。そして、声。

 それも、とても馴染み深く、聞き覚えのある声だ。

 

「やぁ小鈴ちゃんたち。お待たせ」

 

 振り向くと、そこには――

 

「詠さん! え? どうして……」

 

 長良川詠さん。

 このワンダーランドの店員さんが、立っていた。

 詠さんは自然な足取りで、謡さんの隣に立つ。

 そうして並んでみると、似ているところも、違うところも、一目でわかる。すごくそっくりだけど、全然違う。この感覚は、わたしもこの目で見て、体感したことがある。

 これは――“わたしとお姉ちゃんが並んでいる時とそっくりな感覚”だ。

 

「まさか気付いてなかった? こっちは私の姉ちゃん」

「詠だよ! って、自己紹介なんて必要ないだろうけど」

 

 あっさりと打ち明ける謡さん。

 ほ、本当に姉妹だったんだ……でも、納得だよ。

 並んでみるとよくわかる。二人とも、顔が似ている。それも、面影という面で。

 これはユーちゃんとローザさんのような、双子の似方じゃない。

 わたしとお姉ちゃんみたいな、兄弟姉妹の似方だ。

 

「……まあ、なんとなくわかってはいたけどね。証言がないから確証がなかっただけで」

「アウト・オブ・眼中だったんで、全然気にしてなかったよ、私は」

「顔、似てるし……名前も、それ、っぽい……」

「ユーちゃんは、あんまりわかんなかったです……ニッポンの人の顔、まだちょっと、よくわかんないです……」

「あれれー? 意外とちゃんと気づいている人が少ないぞー?」

 

 まともに意識していたのは霜ちゃんだけなんだ……

 みのりちゃんや恋ちゃん、ユーちゃんも、らしいと言えばらしいけど。

 

「あれ? っていうか、謡さん。今日集まったのって、その……」

「わかってる。先にちょっとネタばらしすると、姉ちゃんも無関係じゃないからさ」

「!? そ、そうなんですか!?」

「と言っても私はおまけみたいなものだけどね。まあ、その辺の詳しいところは、外で話そうか」

「外?」

「うん、外。ここはあくまで待ち合わせ場所。わかりやすいしね。きちんとしたお話は、もう少しゆっくりできるところでしよう?」

 

 と言って、詠さんはお店の出口に向かって歩き出す。

 扉の取っ手を掴んだところで、くるりと謡さんに振り向いた。

 

「そうだ謡、ちゃんとスキンブルは連れてきた?」

「寝てたから鞄の中に押し込んできたよ」

「うわ、かわいそう……もうちょっと丁寧に扱ってあげなよ。怒るよ、スキンブル」

「覗き魔ストーカーに人権はないからね!」

「まあ元より人じゃないしね。仕方ないか」

 

 仕方ないの?

 というわたしの疑問は口には出て来ないで、二人の軽口のようなやり取りに目が行っていた。

 その、姉妹らしいやり取りに。

 

「ほらほらお嬢さん方も早くいらっしゃい。ファミレスでも行って、パフェ食べてジュース飲んでお話しましょう? ここは年長者として奢ってあげるから」

「よっしゃ! ゴチになりまーす!」

「反応早いな! そのガメつさはひとまず置いておいて、今日の君、キャラ付け適当じゃないか?」

「……おごりとか、どうでもいい……けど、気になることは、ある……」

「ま、そのための集まってもらったんだしね。長居してたら、また帽子屋さんが来ないとも限らない。6時になる前に終わらせるためにも、早く行こうか」

「あ……は、はい」

 

 そんな、なんだか締まらない感じだけど。

 詠さんたちに連れられて、

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 謡さん、そしてそのお姉さんの詠さんに連れて来られた、近所のファミレス。

 奢ってくれるとは言われたものの、なんとなく申し訳なさを感じて、全員ドリンクバーだけ(霜ちゃんがメニューを広げるみのりちゃんを殴って止めた)にしました。

 そもそも今日は、食事に来たんじゃない。

 昨日の清算のために来たんだ。

 

「まず最初に白状すると――チェシャ猫レディの正体は私です」

 

 開口一番、謡さんがそう口にした。

 だけど、間髪入れずに霜ちゃんが切り返す。

 

「それはもう小鈴から聞きました」

 

 だよね。

 わたしも知ってる。

 知ってるけど。

 

「じゃあ、私からも白状するね」

 

 次に名乗り出た詠さん。

 その言葉は、同じでありながら、まったく違うものとして、受け取ることになった。

 

「チェシャ猫レディの正体は私です」

「え?」

「あと、この子ね」

 

 と、鞄の中で眠る黒い生物――子猫をちらりと見せる詠さん。

 

「うちで飼ってる猫、『チェシャ猫』。またの名をスキンブルシャンクス。長いからスキンブルって呼んでね」

「はぁ……いや、えっと、あの……」

「わかってるよ。ちゃんと説明する」

 

 詠さんが、困惑するわたしに対して、真摯に言葉を紡いでくれる。

 謡さんがチェシャ猫レディの正体なのは知ってたし、そこに『チェシャ猫』っていう人……いやネコさん? が関わっているのも知っている。

 けれど、詠さんも、そこに関係していたの?

 

「小鈴ちゃんは謡から聞いてるから、知ってると思うけど、チェシャ猫レディというのは、スキンブルの――『チェシャ猫』の個性()、「姿が見えない」という性質を曲解して生み出した、架空のヒーローなの」

「そ、そう言っていましたね……」

個性()か。それもよくわからないんですけど、それはどういうことなんですか?」

「私たちも、そんな詳しく知ってるわけじゃないんだけどねー。全部スキンブルからの断片的な話を聞いて、実際に見て、解釈して判断してるだけの現象だし」

「でも、私たちがこの子から得た知識は、ちゃんと君たちに教えるべきだと思うよ、謡」

「……そりゃそうか。じゃあ、ちゃんと説明するね。『チェシャ猫(スキンブル)』の能力について。

 

 『チェシャ猫』の、能力――個性()

 それはきっと、代用品を創造する代海ちゃんや、三人称の視点を持つチョウのお姉さんと同じ、人間にはない特殊な力。

 わたしも帽子屋さんたちから聞いて、なんとなくはわかったけど、それでもあの時はあんな状況(台風)だったし、ちゃんと理解していないところもあるんだよね。

 

「この子、スキンブルシャンクス――『チェシャ猫』が持つ力を定義する言葉は、「姿が見えない」。ざっくり言うと、他者からその姿を見えなくさせることだけど、その言葉の範囲内であれば、それに準じた現象を起こすことができる」

「? どーゆー意味ですか?」

「具体的に説明するよ。わかりやすい例だとねぇ、やっぱ透明になる、かな? 透明になったら、姿が見えないでしょ?」

「でも、彼らの力っていうのはこれだけじゃ終わらないみたいでね。他の形でも、「姿が見えない」という言葉の意味を達成できるなら、その現象を起こすことができるの。そのもう一つの例が、この姿」

 

 また鞄を開けて、中の子猫をわたしたちに見せる詠さん。

 尻尾の先がしましまになってる、黒い子猫だ。一見すると、本当にただのネコさんにしか見えない。

 

(カッツェ)、ですか?」

「カッツ? その言葉は意味はわかんないけど、まあ猫だね」

「「姿が見えない」という言葉の意味を拡大解釈すれば、他者が本人を認識できない、とも取れるからね。本来の姿とは別の姿を取ることで、疑似的な「姿が見えない」状態を作っているの」

「そんな屁理屈な……」

「けど、その屁理屈で生きてるんだな、この子は」

 

 謡さんが、子猫の頭を撫でる。

 ネコさんは少し身体を動かしたようだけど、大人しく鞄の中に収まっていた。

 

「前置きが長くなったけど、つまりこの子は、そうやって言葉の意味を、解釈を広げていくことで、その力の範囲も一緒に拡大していくの。そうして広げていった力の一形態が」

「“架空英雄”チェシャ猫レディ、ってわけ」

 

 「姿が見えない」という言葉の意味。それを、その言葉の意味が失われない範囲で広く意味を拾って、その意味に沿った事を成す力。

 それが、このネコさんの――【不思議の国の住人】の、個性()

 そしてこの子はその力で、ずっと戦ってきたんだ。

 謡さんと、一緒に。

 

「……あれ? でも、チェシャ猫レディの正体って、確か詠さんも……」

「その説明もしなくちゃいけないね。えーっと、妹ちゃんはどこまで知ってるんだっけ?」

「確か、器がどうとか……」

 

 あの時は雨も風も酷かったからそれどころじゃなかったし、実はそんなにちゃんと理解したわけじゃないんだよね……

 

「まあ、こっちもちゃんと説明しようか。基本ルールとしては、チェシャ猫レディっていうハイスペックヒーローになるためには、二つ分の魂が必要なの。つまり、チェシャ猫レディに変身するためには、フュージョンでなくてはならないってことね」

「フュージョン、って……」

「二つの魂で稼働するスーパーヒーローがチェシャ猫レディだったわけだけど、別にこれ、私とスキンブルじゃないといけない、っていう縛りはないんだよね。器を作るスキンブルは必須として、フュージョンする相手は誰でもいい。だから」

「謡が動けない、あるいは現地にいない時は、私がチェシャ猫レディになってたんだよ。ほとんどお手伝い感覚だけど」

「えぇ!?」

「まあ、たまにね。たまーに」

 

 普通の驚きの事実でした。

 でも、言われて初めて、思い出す。

 チェシャ猫レディさんが現れたのは、ほとんど学校の近くか、ワンダーランド近辺。夏祭りの時だけは例外だけど、その時は謡さんがいた。

 毎度毎度、狙い澄ましたかのようにチェシャ猫レディさんが現れて、わたしの代わりにクリーチャーを倒したり、【不思議の国の住人】の人たちと戦っていたのは……つまり、そういうことなの?

 しかも、だとすると……

 

「まさか謡さんって、夏祭りで会う前から……」

「うん。会長から聞いてただけじゃない。ずっと妹ちゃんのことを見てたよ」

「や、やっぱりそうなんですか……」

「というか妹ちゃんは気づいてなかったみたいだけど、ワンダーランドのファンデッキ大会の時は、私、妹ちゃんと対戦してたんだよ?」

「き、気づかなかったです……」

「とまあ、そんな感じだね」

 

 『チェシャ猫(スキンブルシャンクス)』という存在、その個性()

 そして、チェシャ猫レディの本当の姿。

 そのすべてが、詳らかに明らかにされた。

 ……けど、

 

「ちょっと待ってください」

「なにかな?」

「あなたはまだ、二点、大事なことを言っていません」

 

 霜ちゃんが、食い下がった。

 まだ納得できないと言わんばかりに。

 

「一つ。あなたたちは、なにがしたくて小鈴に付きまとっているんですか?」

「そ、霜ちゃん……そんな言い方……」

「そしてもう一つ。あなたたちはどうして、『チェシャ猫』に力を貸すんですか? 同時に『チェシャ猫』も、【不思議の国の住人】と同種の存在なんですよね? ならばなぜ、あなたたちに力を貸すのですか?」

「確かにねー。なーんか小鈴ちゃんを守るとか、ヒーローとか英雄とか綺麗な言葉並べてるけど、ぶっちゃけほぼ初対面ですし? 裏があるとしか思えないのは確かでしょ。人でもない、けれど本当の猫でもない謎生物をペットにして、なにを求めているのか。不気味すぎますよねー?」

 

 それは……確かに、その通りだ。

 理屈はわかった。ロジックは理解した。だけど、それはどうやったのか(ハウダニット)にすぎない。

 トリックが解明されて、犯人が当てられれば、それでよしとする推理小説はあるけれど、残念ながらこれは現実。そして目の前にいるのは、わたしの先輩と、お世話になったお姉さんだ。

 動機(ホワイダニット)が不明瞭なままじゃ、スッキリしない。

 

「ごもっともな意見だね。謡」

「……恥ずかしいし、スキンブルとの契約違反になるから、あんま言いたくないんだけどね」

「でも、こうなった以上は仕方ないよ。スキンブルも、そこはわかってくれるんじゃない?」

「だといいけど……まあ、そっちの可愛い男の子と、おっかない女の子に目ぇつけられてるなら、信用を少しでも得ないといけないし、話さなくちゃいけないか。それが、妹ちゃんへの礼儀でもあるしね」

 

 ふぅ、と一呼吸置く謡さん。

 そして、わたしをまっすぐに見据えた。

 

「スキンブルには悪いけど、二つ目の方から言わせてもらおうかな。あの子が私たちを頼った理由は……実のところ、私たちにもその真意は汲み取れてない気はする。シャイボーイなもんでね。隠し事が大好きな奴だから、腹の中でなにを考えてるのかは私たちにもわかってない。それでもあえて言うなら――恋、かな」

「私……?」

「違う違う。本来の言葉としての意味の方だよ」

 

 恋、恋心。

 それが、『チェシャ猫』さんが、謡さんたちを頼った理由?

 

「【不思議の国の住人】って一口に言っても、個体ごとの強さも立場も、あるいは意志も方針もバラバラみたいでね。そんでこの子は比較的、弱い。というかめっちゃ弱いらしい」

「……らしい……」

「こんな風に猫の姿を取って本当の姿を隠しているのも、その弱さを誤魔化すためとからしいよ」

(カッツェ)が本当の姿じゃないんですか?」

「スキンブル自身はそう言ってたね。まあ、姿は色々変えられるみたいだけど、『チェシャ猫』の名前通り、猫の姿が一番しっくりくるみたい」

「成程。しかし肝心のことはまだはぐらかしていますね。ボクが聞いているのは、その猫がどうしてあなたたちに与するのかです。人でない、獣でもない異種の存在なら、帽子屋たちに付く方がずっといいでしょうに」

「そこは私にもなんとも。飼い主との間でトラブルがあったとか、なんかそんな感じにはぐらかされたけど……まあ、そこはわりとどうでもいいよ」

 

 どうでもよくないと思いますけど。

 と言いたかったけど、すぐにこんな風に続けられたら、そんなことも言えなかった。

 

「大事なのは、なんでスキンブルが私たちと組んで、妹ちゃんと関わろうとするのか、だよね」

「…………」

「うん。まあそこはね、私たちも、というか私とスキンブルも利害の一致? みたいな? っていうかねぇ、これ説明するなら発端たるスキンブルの方から説明するのが手っ取り早いんだよねぇ」

「御託はいいので、早く教えてください。スキンブルシャンクスだが『チェシャ猫』だか知りませんが、その黒猫は、どういう理由で、会ったこともないような小鈴に付きまとうんです?」

「別に最初から妹ちゃん目当てってわけじゃなくて、あの子はただ拾っただけで、あいつが“本性”を晒すまでは、本当にただの子猫だと思ってたんだよ」

「ふーん? なんか言い訳くさ」

「仮に真実でも、まだその先がありますよね。その本性とやらが晒されてから、小鈴との接触を図ったんでしょうけど……じゃあそのきっかけは? その理由は? そこを隠されては、ボクらもあなたを信用しきれません」

「……ま、そうだよねぇ。でもこういうの、私の口から言うの、本当はいけないんだろうけどなぁ」

 

 のらりくらりとかわそうとも、煙に巻いて逃げようとも、霜ちゃんはそれを逃さなかった。

 やがて謡さんは諦めたように息をつく。そして、鞄の中の子猫を優しく撫でた。

 

「ごめんねスキンブル、約束守れなくて。だけど私の至らなさ、君の至らなさ、どっちもどちってこんなことになっちゃったわけだし、許してね」

 

 優しげに、だけれどどこか悔しそうに。

 慈しむように小さな黒猫への謝罪を口にすると、次はこちらにその言葉を向ける。

 わたしたちに――

 

「スキンブルは女の子が好きなナンパ野郎でね。呆れるほどに惚れっぽい奴だったけど――純粋、ではあったかな」

「……とても、純粋には……聞こえない、けど……」

「普段の素行はね。だけど一度火が点けば、その情熱は正しく向けられる。そう、どんなに小さくて、ありふれてて、くだらなくて、平凡な火種でもね」

 

 ――わたしに向けて。

 

「小さいけれど実った身体。幼くも愛おしい顔。キラキラしてる宝石みたいな瞳。透き通るような綺麗な声。可愛い鈴の飾り……それと、カレーパン」

「カレーパン?」

「うん。凄く美味しかったってさ」

 

 ? なにを言ってるんだろう?

 カレーパン……好きだけど、油っぽかったり、食べかすがこぼれれやすかったりするから、実はそんなに食べないんだよね。

 一番最近食べたのは、いつだっけ。確か夏休み前には、クリーチャーに取られちゃったことも――

 

「……あ! もしかして!」

 

 ――思い出した。

 まさか。まさかとは思うけれど。

 いつか学校であった、野良猫騒ぎ。

 あの時、わたしはクリーチャーのネコさんと戦って、退治した。退治はしたけど、それとは別の猫もいた。

 剣埼先輩は、知り合いの生徒の飼い猫が脱走したって言ってたけど……

 

「そう、その猫はなにを隠そう、うちのスキンブルだったのさ。あいつ、うちで食べる飯が不味いとか言って逃げ出しやがったのよ」

「……しょうもな……」

「スキンブルはわりとしょうもない子だからね。そこも可愛げではあるけど」

「姉ちゃんは優しいなー。結構クソ野郎だよ? 覗き魔ストーカーだし」

「そこは否定できないね」

「とまあ、そんなこんなでスキンブルは君のことをいたく気に入ってしまってね。それからだよ。スキンブルが君をストーキング――もとい、守ろうとしていたのは」

「気に入ったって……」

 

 なんだろう、この微妙に飲み込めない感じ。

 なんとなく、ピンと来ないような。

 カレーパンが美味しかったからそのお礼、ってわけでもないのかな? よくわかんないや。

 

「まあ、しばらくはただ遠目で眺めてるだけだったんだけどね。シャイだから」

「だけど、夏休みに入ってから、明確に干渉するようになった。それは、明らかな“脅威”が目に見えていたからですか?」

「ご明察の通りだよ。私たちだって――っていうかスキンブルが個人的に――色々調べててね。特にスキンブルは、元々【不思議の国の住人】。帽子屋さんたちがいつ迎えに来るかわからないってんで、いつもビクビクしてたし、そのへんの動きには敏感だった。まあ、実際にチェシャ猫レディとして動けるようになったのは、実はかなり最近なんだけど……」

 

 脅威……それって帽子屋さんたちのこと、だよね。

 

「だからこそ、君たちが帽子屋一味の一人、『代用ウミガメ』だっけ? って子と仲良くなった時は、戸惑ったなぁ。一応、監視の目はスキンブルに任せたし、それがなんやかんやで、あの林間学校での騒動でも、私たちが対応できたわけだけど」

「もしかして、あの不自然に置いてあったレインコートって……」

「私が仕掛けたものだね。我ながらチープな仕掛けだと思ったけど、そのまま飛び出されても困るし、ないよりはマシだろうって」

 

 むしろそれがきっかけになったようなものだけど、でも、そこは感謝するべきなのかもしれない。

 お陰で、わたしは代海ちゃんを見つけられたのだから。

 だけどその代わりに、謡さんは……

 

「気にするなって言っても難しいんだろうけど、あれは私とスキンブルが勝手にやったことだから、あんまり気に病まないでほしいな。君を守ること、君の身の安全を保持すること。それがスキンブルの願いで、私はそれに従った。ただその結果が、ちょっと悪い方向に傾いちゃっただけなんだから」

 

 謡さんは、優しくそう言ってくれるけど。

 わたしが飛び出した結果でもあるから、責任を感じちゃうところは、わたしにだってある。

 二人は善意でわたしの身を案じてくれたのに……

 

「……よう」

「もしかして私のこと呼んだ? 先輩をいきなり呼び捨てとはやるね、君」

「まだ、私には、わからない……その猫のことは、いい……こすずが好きなのも、いい……だけど……“あなた”は、なんなの……?」

 

 恋ちゃんが、謡さんを見据えて言い放った。

 どこか冷たく、突き放すような声で。

 

「……自分の正義を貫きたかったというか、正義の味方になりたかったというか。主人公(ヒーロー)みたいなことをしてみたかっただけだよ」

「それは……あなたの、本心……? そんな、上っ面な言葉だけで……あなたの“正義”を、言い表して、いいの……?」

「…………」

 

 黙り込む謡さん。陽気で飄々としていたあの謡さんが、口を一文字に結んでいる。

 それだけ、その言葉は謡さんの“なにか”に踏み込むなにかだったのか。

 

「……敵わないな、君らには」

 

 ぼそりと。

 謡さんは、漏れ出るように呟いた。

 

「恋ちゃんだっけ? 君はもしかしたら、見抜いてるんじゃない? 私が、正義を騙った“抜け殻”だって」

「抜け殻……?」

「妹ちゃんには言ったけど、私はなんにもできない、なんにもない人間だからさ。適当に生きてて、目標とかもなく、漫然とそこにいるだけ。だから……“なにかしたかった”んだよ」

 

 なにかがしたかった。

 主人公になりたかった。

 それはあまりに空想的で、漠然とした、曖昧模糊な言葉で。

 それでいて、とても重いものだった。

 

「私がなにを言いたいのか、わかるかな? スキンブルや妹ちゃんと出会うまで、私には夢とか目標とか、あるいは守りたいものとかがなくてね。虚無みたいな日々だったよ。その点、私に声をかけてくれた会長には感謝してるけどねー。お陰で私は、その虚無感を誤魔化せた」

「誤魔化す? 生徒会に打ち込むということもなく、ですか?」

「趣味と仕事は別っていうか。生徒会は確かに私には向いてたんだろうし、会長とかフーロちゃんとかは好きなんだけど、それが私の“一番”だとは思えなくてね。「目の前のことに一生懸命だからあんたは庶務ね」なんて会長に任命されて一年くらい経つけど、あの空間は、私の欲した世界とはちょっと違った」

「違ったって、どんな風に……?」

「私の求めるものはこんなものじゃない、ってところかな。まあ我侭だっていうのは自覚してるけどね。それに、会長から「主人公としての妹ちゃんの話」を聞いた影響もあるんだろうけど、ともかくあそこは私の一部であっても、私が成し遂げたいなにかではなかったんだよ。面倒で色々サボっちゃうし」

「それは先輩の惰性じゃないかなぁ?」

「実子、茶化すな」

「あはは、いやまったくその通り。そしてそれも含めて、結局、私にあるのは自分が主役になりたいっていうエゴと自尊心なんだろうね。人間の汚い一側面。虚無感を誤魔化せる程度の満足感ながらも、英雄譚に渇望した私が、漠然とした大きな使命を求めていたところに、あの子が――『チェシャ猫(スキンブルシャンクス)』が現れた」

 

 ……なんだろう。

 謡さんの話を聞いていると、なにか、むずむずする。

 自虐的な謡さんに同情しているのか、憐れんでいるのか。正直、その気持ちもある。

 だけどそれだけじゃない。

 なにかもっと根本的な。

 自分とは無関係じゃないなにかが、そこにはあるような気がする。

 

「最初はただの拾い猫のつもりだったんだけど、まさかこんなことになるとは、って自分でも思ってるよ。それと同時に、しめたものだとも思ったけどね。こんな偶然、こんな奇跡があるものか、って。私の望むものが、向こうから転がり込んできたんだから。つっても、まあ――」

 

 ふっ、と力なく噴き出す謡さん。

 まるっきり憔悴しきったかのように、覇気が感じられない。

 

「――結局、私のしたいことは、誰かのためじゃなくて自分のためだからね。偽善と言われても仕方ないし、そもそもそんなに確固とした信念もない。崇高な理念もない。なんにもない、空っぽな正義だよ」

 

 妹ちゃんをダシにしたようなものさ、と自嘲的に笑う謡さん。

 その笑みは、今までに見たことないくらい、乾いていた。

 

「会長のこともあるし、これも縁かなとは思ったけど、それだけだよ。私自身が妹ちゃんになにをされたわけでもない。たまたまちょうどそこに、私になにかをする力をくれるものがいて、そんな私がなにかできる人がいた。それがスキンブルで、妹ちゃんで、私はその偶然に縋ったに過ぎないんだよ」

「で、でも、謡さんは、小鈴さんを守ろうとしたんですよね? ユーちゃん、それはとってもいいことだと思います!」

「純真だねぇ。だけどそれも上っ面なんだよ。私は、たまたま現れたスキンブルの強い好意と意志に乗っかった。というか、それが凄く“格好良い使命っぽい”と感じたから、協力したんだけ」

「格好良い使命っぽいって……」

 

 なんと、チープな言葉なんだろう。

 大義があるはずなのに、義を感じない。大切な使命のはずなのに、命が失われている。

 その言葉は、その本質は、確かに空っぽで――抜け殻のようだった。

 

「幻滅したかな? どうせ私のやってたことは“ごっこ”だよ。なんでもない平々凡々な女が、少しでも逸脱した人生を送ろうと無理した痛い結果で、終わってみればピエロみたいなもんさ。スペ3に負ける最弱のジョーカーだよ。それを、この前の林間学校で――帽子屋さんとの戦いで、嫌というほど痛感した」

「それは……」

「現実を思い知らされたね、あれは。つまるところ、私は自分のしたいことも、そのための力も、動機も、なにもかもをスキンブルに頼って、君を理由にして、依存して、自分じゃなにもしなかった卑怯者だよ? だから抜け殻であり、影。パーソナリティを貰ったのも、スキンブルが譲ってくれただけじゃない。私の自我のせいだ。どうしようもない自己顕示欲だよ」

 

 人間には色んな欲望がある。ともすればそれは、醜いと罵られるようなものも、卑しいと石を投げられるようなものも、汚らわしいと忌避されるようなものも、おぞましいと恐れられるようなものもある。

 人の業。それを簡単に悪いものと断じれるのか。

 その可否はさておくとして、少なくとも謡さんは、それを好意的には捉えない。

 

「私の根幹にあるのは“何者かになりたい”。手段は問わず、形は選ばない。何者になりたくもあるからこそ何者にもなれて、ゆえに誠実さが決定的に欠け落ちている。行き当たりばったりで流れに身を任せたようなものさ。そして、それでもいいと諦めて選んだものの一つが、ヒーローという形で現れただけ。そんな、他人に任せた正義感」

 

 自分ではなく、他人ありきの正義。

 謡さんは自分のことを、そうかたり、

 

「まあ、いくら偽善でもまがい物でも、これが私の信じたいものだし、やりたいことに違いはないわけで。ただそれが、醜い陳腐な粗悪品だったというだけで。私にはスキンブルの意志は曲げられないわけで。そんな“なあなあ”のまま、私は君を守ることになったわけだけど――」

 

 そして、私に向けて、告げた。

 

 

 

「――ごめんね」

 

 

 

 その言葉が、とても、とても。

 痛いくらいに、深く、深く。

 わたしの胸に突き刺さる。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……皆コップの中身が空になったし、注いで来ようか。なにがいい?」

 

 話が一段落ついた……とは、とても言いにくいけど、それでも一応、区切りがついたところで。

 詠さんが立ち上がった。

 

「なんでも……ゲテモノ以外で……」

「ユーちゃんはお水(Wasser)……あ、ニッポンだと、タンサンマン?」

「炭酸水か?」

「それです! タンサンスイ、お願いします!」

「ボクは水でいいです」

「果実系。氷なしで」

「はいはい。謡は」

「……いつもの」

「いつものってなに。バーみたいに言われても」

「コーラとかでいいよ」

「オッケー。でも全員分は流石に持ちきれないから、小鈴ちゃん、手伝って?」

「わたしですか? 構いませんけど……」

 

 みんなのコップを持って、詠さんに付いていく。

 一度に三人分を持つのは、ちょっと大変だね……

 ジュースサーバーの前まで来たところで、それぞれのコップに飲み物を注ぎながら、詠さんが口を開いた。

 

「謡、かなり落ち込んでたね」

「え……?」

「後輩の前だからか、辛うじて笑ってはいたけど、あんな卑屈になってるあの子、初めて見たよ」

 

 それは、わたしも思った。

 まだ出会って一ヶ月も経たないけど、あんなに明朗軽快な謡さんが、あそこまで自虐的になっているところなんて、見たことがない。

 それになんだか、無理してなにかを抑えているようだった。努めて淡々と振る舞っていたみたいな……

 

「架空でも空想でも、たとえエゴのためにでっちあげられた仮初の英雄だとしても、チェシャ猫レディは間違いなくあの子にとっての理想そのもので、憧れを体現したヒーローだったんだ。それが失われて、ショックなんだろうなぁ」

「…………」

「どうにかなんないかな? 小鈴ちゃん」

「えっ? わ、わたしがですか?」

「うん。悩める女の子を救うのが、魔法少女かなって」

 

 どこか冗談めかして言う詠さん。

 そんな、救うなんて言われても……

 

「私は本当に謡のおまけで、謡がやりたいことを手伝ってるだけだからさ。そんな、影とかなんとか言われたら、私の方が刺さるっていうのにね」

「はぁ……」

「私はあの子を助けることはできるけど、救いにはなれないんだよ」

「でも、詠さんは、謡さんのお姉さんで……」

「姉だからこそかなぁ。なまじずっと近くにいる存在なだけに、手は貸せるけど、劇的なものは望めない。私たちはそういう関係。私は電気スタンドの土台でしかなくて、暗がりを照らす光は、別にあるんだよ」

 

 暗がりを照らす、光。

 夜の帳が降りても進路を見失わないような、明るい電光。

 

「小鈴ちゃんは、謡が見失ってるなにかを知っている。知らなかったとしても、きっと見つけられる。誰かが見失ったものを見つけるのは、得意でしょう?」

「そんなことは……」

「またまたー。謡から話は聞いてるよ。もっとも、謡はイツキ先輩? って人からの又聞きらしいけど」

「せ、先輩からっ? 一体、なにを聞いたんですか……?」

「素直で、真面目で、まっすぐで。気づいたらみんなの手を握ってる。誰も知らないところで、日陰に落ちた誰かと繋がっている。誰かが見失ってしまった大切なものを、一緒に探して、見つけて、取り戻してくれる。そんな――魔法使いみたいな子だって」

 

 魔法使い。

 別に、魔法なんて使ってない。確かに魔法みたいな、奇跡みたいなことはたくさんあったけど、それは全部、わたしの力じゃない。

 ……でも。

 でも、もし。

 もしも、だよ。

 ちっぽけで、無力なわたしのやってきたことが、わたしにできることが――

 

「なんか押し付けがましくてごめんね。あの子が落ち込んでるのは全部、あの子とスキンブルの落ち度だし、どうしてもってわけじゃないんだ。ただなんとなく、小鈴ちゃんならなんとかいてくれそう、っていう根拠のない無責任な直感があるだけで。妹を助けてほしいなんて、そんなお願いはしない。そこまで私は傲慢でもないし、あの子も子供じゃない。だけど姉として見て見ぬ振りもできない。そんな矛盾しそうな中で、私が取れることは一つ」

 

 ――わたしのやりたいことが、誰かにとっての“魔法”になるのなら――

 

 

 

「あなたの好きなようにやってみて、小鈴ちゃん(マジカル☆ベル)

 

 

 

 ――わたしは、魔法少女(マジカル☆ベル)になりたい。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「【不思議の国の住人】は自分たちの住みよい世界のために、あの鳥類――聖獣とやらを捕まえようと奮起していているが、『チェシャ猫』のようにその意に従わない、あるいは興味を示さないような、独自の立場で動く輩も存在する。そして『チェシャ猫』は、謡という人物に力を貸し与え、小鈴を守るという目的で独自の立場を確立した、と。そして謡さん自身は、ただなんとなく正義の味方になりたいという理由で、『チェシャ猫』と協力することを良しとした――」

「水早くーん? なにをさっきからぶつぶつ言ってるの?」

「……今日一日の情報量が多くてね。頭の中で少し整理をしてたんだ」

「そんな気にすること? あの胡散臭い先輩が、思った以上に貧弱で意志薄弱でしょうもなかったってだけじゃん」

「み、実子さん! そんな言い方、よくないですよ!」

「ユーリアさんも小鈴ちゃんみたいなこと言うようになったねぇ。だけどさ、ヒーローとか正義の味方とか大きく語っていながら、結局は“なんとなく”“そうしたいから”で動いてるんでしょ? 私も大概しょうもないし、崇高さとか高潔さとかを求める気はないけどさ、流石にガキかよって思ったね」

「声が大きいぞ実子。そういうのは感心しないな」

「まあ……気持ちは、わかる……正義を語るなら、それ相応の“正義感”が……そして、“正義観”が、ないと……うすっぺらい……私も、そう、教わった……」

「誰にですか?」

「……大切な人」

 

 帰り道。時刻は4時ちょっと過ぎくらい。6時になったら帽子屋さんがやって来ちゃうから、それまでには帰ろうということだったけど、この時間ならほとんど杞憂だったね。

 ……って言いたいけど、林間学校では帽子屋さん、代海ちゃんが言ってた時間外でも普通に活動していたしなぁ。あれ、どういうことなんだろう。代海ちゃんが嘘をついていたとも思えないけど……

 

「いやいや、帽子屋さんのことはとりあえずいいの」

 

 人の思考の中にまでやって来ないでほしいな、帽子屋さん。

 まだ日が高い夏の午後。

 ある十字路で、謡さんは足を止めた。

 

「んじゃあ、私たちはこの辺で。またね、妹ちゃん」

 

 高度を落としつつある太陽を背に、手を振る謡さん。

 謡さんは笑っていた。けれど、逆光になったその笑みは、とても弱々しくて、見ていられないほどで。

 初めて見るような表情でありながら、今までわたしが何度も見てきた人たちのようでもあった。

 だから、なのかもしれない。

 詠さんの言葉はあった。それが後押しになった。

 一歩踏み出して、暗く陰った正義の味方に告げる。

 自分勝手でも、一方的でも、我侭でも。

 わたしの選択、わたしのしたいことを。

 

「……あの! 謡さん!」

「ん? なにかな? まだ私に用事? もう全部話したと思うけど……あぁ、スキンブルのこと? 現時点で話せることは大体話したつもりだけど、まだ聞きたい? それとも、こいつから直接聞きたいのかな? でもごめんね、それはまた今度でいいかな? こいつに喋らせるのはなかなか骨で――」

「わたしと!」

 

 それは、わたしがたくさんの人と縁を繋いできた、奇跡の儀式。

 色んな人を笑顔(しあわせ)にする、楽しみの行い

 わたしが覚えた唯一の、魔法の呪文。

 それを今――唱えよう。

 

 

 

「わたしと――デュエマ、してください」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 場所はワンダーランドに戻ります。人は少ないままでした。

 目の前には、訝しげに首を捻った謡さんが、デッキをシャッフルしている。

 

「急にデュエマしたいだなんて、どうしたの? 妹ちゃん、そんなキャラじゃなくない?」

「わたし、もやもやするんです……なにか、スッキリしない感じがして。なにかを言葉にしないといけないような気がして……でも、どうすればいいのかわかんないから……」

「それでデュエマっていうのもわけわかんないけどね。まあ、可愛い後輩の頼みなら、ちょっと遊ぶくらいわけないけどさ。でも私、そんなに強くないよ? チェシャ猫レディの時は、知識を含む色んな要素にヒーローとしての上昇補正がかかってたようなもんだし」

「そーなんですか?」

「そうだよ。そもそも私がデュエマはじめたの、かなり最近だし。ぶっちゃけ初心者抜け出してるかどうかって感じ。デッキだって、手を変え品を変えてはいるけど、ジョーカーズしか持ってないよ」

「意外だな……詠さんは、ずっと前からやってるんですよね?」

「うん、まあそれなりにね。と言っても、私も謡の歳くらいに始めたんだけど」

 

 ちらりと、わたしに視線を向ける詠さん。

 その視線や表情から、なにかを読み取ることは、わたしにはできない。詠さんがこの行いになにを思うのかもわからない。

 でも、わたしは詠さんに言われた通り、自分の気持ちに従う。

 ただわたしは、わたしがしたいと思ったことをして、そうあって欲しいという願いを口にするだけ。

 

「カッティングはこんなもんでいいかな。超次元とか禁断とかはある? 私はないよ」

「あります……超次元がこれです」

 

 

 

[小鈴:超次元ゾーン]

《銀河大剣 ガイハート》

《勝利のガイアール・カイザー》

《勝利のリュウセイ・カイザー》

《勝利のプリンプリン》

《時空の凶兵ブラック・ガンヴィート》

《時空の踊り子マティーニ》

《時空の探検家ジョン》

《時空の喧嘩屋キル》

 

 

 

「オッケー。んじゃ、先攻後攻を決めるよ。じゃんけんだね。」

 

 じゃんけんの結果は、わたしがパーで、謡さんがチョキ。謡さんの先攻だ。

 

「そんじゃま、デュエマスタート、ってことで」

 

 すべての準備が終わり、始まった。

 わたしと謡さんの対戦が。

 わたしのデッキは、どうしたって1ターン目から動くことはないけれど、謡さんのデッキは違う。

 

「《バイナラドア》をチャージ! 1マナで呪文! 《ジョジョジョ・ジョーカーズ》! 山札の上から四枚を見て、《ヤッタレマン》を手札に!」

 

 帽子屋さんも使ってたし、今まで何度も見てきた1ターン目の呪文。これで、次に出せるクリーチャーを呼び込むんだ。それに、この一枚が後々の準備に繋がる布石になる。ちょっとしたサーチと言えど、侮れない。

 

「ターンエンド。妹ちゃんのターンだよ」

「私のターン。《ロマノフ・シーザー》をマナチャージだけして、ターン終了です」

 

 

 

ターン1

 

 

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:1

山札:29

 

 

小鈴

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:5

墓地:0

山札:29

 

 

 

「んじゃ私のターン。出すのは当然《ヤッタレマン》! ターンエンド」

「私のターンです。《【問2】 ノロン⤴》を召喚します! 二枚引いて、《クジルマギカ》と《グレンニャー》を捨てます。ターン終了です」

 

 

 

ターン2

 

 

場:《ヤッタレマン》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:1

山札:28

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:2

山札:26

 

 

 

「私のターン! うーん、ここは……まあ、普通にこっちでいいか。《パーリ騎士》を召喚! 墓地の《ジョジョジョ・ジョーカーズ》をマナに置いて、ターンエンド!」

「私のターン、ドロー。マナチャージして、《熱湯グレンニャー》します。を召喚して、一枚ドロー。ターン終了です」

 

 

 

ターン3

 

 

場:《ヤッタレマン》《パーリ騎士》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:0

山札:27

 

 

小鈴

場:《ノロン?》《グレンニャー》

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:2

山札:24

 

 

 

 ここまでは、お互いに普通に準備する動き。

 謡さんはコスト軽減クリーチャーと、マナを増やして切り札に繋ぐ構え。

 わたしはクリーチャーを並べながら墓地と手札を整えて、切り札を生かす布陣。

 並べば《グレンモルト》で攻撃、墓地が増えれば《クジルマギカ》で呪文を発射。うまく噛み合えば、二体の連続攻撃。

 今回はわりと順調にカードを引けているわたしだけど、ここで謡さんが、動きを変えてきた。

 

「私のターン! 次はこれだよ! 《東大センセー》を召喚!」

 

 出て来たのは、椅子のようなクリーチャーだ。

 

「《東大センセー》の能力発動! 私は山札の上から三枚を見る。そして、そのうちの一枚を見せるよ。そのうちの片方を相手に選ばせて、選んだ方を私は手札に加える」

「わ、わたしが選ぶんですか?」

「そうだよ。さぁ、指定席か自由席か。どちらか好きな座席をお選びください?」

 

 チケットを提示するかのようにして差し出されたのは、《超特Q ダンガンオー》。

 謡さんの切り札だ。

 

(手札に加えるカードを相手に選ばせるなんて、変なカードだけど……謡さんのマナは今は5マナだから、ここで《ダンガンオー》を選べば、次のターンに確実に《ダンガンオー》が来ちゃう……)

 

 あの一撃は、とても重たい。一発でも受けたら致命傷だ。

 たった一度の攻撃ですべてのシールドを粉砕するあの攻撃だけは受けられない。だから、《ダンガンオー》は選びたくないけど……

 

(見えない二枚も不気味だよ……)

 

 見える一枚か、見えない二枚か。

 単純に二枚も手札補充されるのは嫌だけど、でも、すぐさま《ダンガンオー》に攻撃されるのも困る。

 見えていない二枚に《ダンガンオー》がある可能性もあるし、そうでなくても、知らないところからなにかをされる恐怖感が付きまとう。

 ど、どうしよう……

 

「う、うぅ……み、見えてない方を、選びます……」

「承りました。それじゃあ、見せたカードは墓地行きだね」

 

 結局わたしは、《ダンガンオー》の攻撃が怖くて、見えない方を選んじゃった。

 手札に加わる枚数的にも、なにが来るのかという構えができる点でも、《ダンガンオー》を選ぶべきだったのかもしれないけれど。

 だけど眼前に迫る確実な脅威を、わたしは無視できなかった。

 

「私のターン……《グレンニャー》を召喚して一枚ドロー。次に《ノロン⤴》を召喚して二枚ドロー。二枚捨てます」

 

 あ、このカードは……

 ……《ダンガンオー》の攻撃は怖いし、いつ攻められるかもわからない。

 だけど保険もかけられるし、間に合わないことはないはず。なら……

 

「《狂気と凶器の墓場》と《エヴォル・ドギラゴン》を捨てます。ターン終了」

 

 少し手札が窮屈になっちゃうけど、一瞬の破壊力の高さは何度も見ているから知っている。下手に攻撃を受けて守りがなくなっちゃったら困るし、ここは安全に行くよ。

 

 

 

ターン4

 

 

場:《ヤッタレマン》《パーリ騎士》《東大センセー》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:1

山札:23

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》×2《グレンニャー》×2

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:4

山札:20

 

 

 

「私のターン……さて、それじゃあ行きますか!」

「え?」

 

 謡さんは、なにかを仕掛けるみたい。

 や、やっぱり《ダンガンオー》の方を選ぶべきだったかな?

 なにをされるかわからないというのは、とても怖い。

 けれど同時に、少しドキドキする。

 そして、謡さんが取った行動は――

 

「《デス・ゲート》をチャージ!」

「えっ!? 闇のカード?」

 

 ――色のないジョーカーズの中に、黒い闇のカードで染みを作ることだった。

 今まで無色のジョーカーズばかりだったのに、闇文明が入ってる……水文明の《ニヤリー・ゲット》ならあったけど、あれはG・ゼロでコストを支払わずに唱えられるし、無色カードをたくさん手札に加えられる、無色のサポート呪文だ。

 だけど《デス・ゲート》は違う。どんなデッキにも入るような効果ではあるけれど、決して無色をサポートするカードじゃない。

 じゃあ、あの闇文明は、一体……?

 謎の黒い影が渦巻いているようだった。その正体不明の影はわたしの不安を煽って、そして、すぐさまその正体を明かす。

 謡さんは、マナゾーンのカードを5枚、黒いカードを含んでタップする。

 

 

 

「影よりいずるは、正義の光で暗い闇夜を照らす夜行列車。徹夜頭の車掌さん、気が狂って骨になるまで働こうか――《狂気と凶器の墓場》!」

 

 

 

 そうして唱えられたのは、《狂気と凶器の墓場》。

 わたしもよく知る――どころじゃない。今まで何度も使って、お世話になって、わたしに勝利を与えてくれた、このデッキのキーカードだ。

 

「墓地戦略を使うのは妹ちゃんだけじゃないんだよ。自分がよく使うカードだからって、専売特許だと思わないことだね!」

「っ……!」

「効果は言うまでもないだろうけど、トップ二枚を落とすよ。そして、墓地からコスト6以下のクリーチャーを呼び戻す! さぁ、墓地(車庫)から出ておいで!」

 

 もしかして、謡さんはさっきの《東大センセー》で、このカードもめくっていた?

 となれば、わたしの選択はどっちにせよ、関係なかったんだ。

 どちらを選ぼうと、地獄行きの乗車券を手にしたことに変わりはない。

 見えている方を選ぼうが、見えていない方を選ぼうが、わたしの前を特急列車が走るということ。

 そう、つまり――

 

 

 

夜行列車(Shadow Bullet)の出発進行――《超特Q ダンガンオー》!」

 

 

 

 ――《ダンガンオー》の発車を止めることは、不可能だったんだ。

 暗い夜でも明かりをつけて、宵闇を超特急で駆け抜ける弾丸の夜行列車。

 凄まじいスピードを持って、その力を叩きつける。

 

「《ダンガンオー》の能力発動! このターン、《ダンガンオー》のブレイクするシールド枚数は、私の他のジョーカーズの数だけ増加する!」

 

 謡さんの場に、《ダンガンオー》以外のジョーカーズは三体。

 だから、

 

「素のWブレイカーと合わせて、五枚ブレイクだよ! さぁ、みんなの心を集めた鉄道猫(スキンブルシャンクス)の一撃――受けてみなよ!」

 

 《ダンガンオー》が走る。《ヤッタレマン》で、《パーリ騎士》で、《東大センセー》で、整備も機関も動力も、すべてが万全だ。

 夜になっても走り抜ける弾丸列車は、最高速度に達したスピードと、乗客の思いを力に変えて、その拳を振りかざす。

 

 

 

「《ダンガンオー》で攻撃! シールドブレイク――」

 

 

 

 けど――

 

「――ニンジャ・ストライク!」

 

 ――わたしにも、備えはある。

 

「《光牙忍ハヤブサマル》を召喚です!」

「うぁっ!?」

「《ハヤブサマル》をブロッカーにしてブロックします!」

 

 さっき《ノロン⤴》で運よく引いた保険の一枚、《ハヤブサマル》。

 あの重たい一撃を受けたら、一気に負けに近づく。でも、帽子屋さんじゃないけど、その一撃さえかわせれば、なんとかなる。

 いつもいつもギリギリのところで攻撃を止めてくれる《ハヤブサマル》には、本当に感謝だよ。このデッキ、ブロッカーなんてほとんど入ってないから、守りがS・トリガーに頼りがちなんだよね。だから、ブロッカーを付与できるカードはすごく助かる。

 

「と、止められちゃったかぁ……まあこれは仕方ない。ターンエンド……《ジェニー》とかも入れたいなぁ」

 

 ぼやきながらターンを終える謡さん。

 ……《ダンガンオー》の弱点は、わたしにもわかる。とても強力だけど、単純明快だ。

 わたしのデッキは守りが薄いから、その強力な攻撃が致命傷になる。だからこそ、その一撃をどうやって防ぐかが、肝要なんだ。

 ブロッカーを追加できるカードは、このデッキではとても貴重で、すごく嬉しい、大事な守り。

 謡さん、ごめんなさい。

 

「わたしのターンです。《メメント守神宮》をチャージ」

「え? 光のカード? 《ハヤブサ》ピン刺しはわかるけど、青黒赤(クローシス)じゃないの?」

「ちょっとだけ、光も入れてるんです。そして4マナタップ!」

 

 あなたの《ダンガンオー》は、もう――

 

 

 

「D2フィールドを展開します――《Dの牢閣 メメント守神宮》!」

 

 

 

 ――運行休止です。

 

「っ!?」

 

 目を見開いて、驚きを見せる謡さん。

 デュエマを始めて半年足らずのわたしでも気づいたんだ。いくら謡さんが、初心者に近いと言っても、自分のデッキの弱点を、それもこんなにも明瞭な欠点を、知らないはずがない。

 

「うっそぉ……《メメント》とか、聞いてないし……」

「ターン終了です」

 

 

 

ターン5

 

 

場:《ヤッタレマン》《パーリ騎士》《東大センセー》《ダンガンオー》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:3

山札:20

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》×2《グレンニャー》×2《メメント》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:5

山札:19

 

 

 

「わ、私のターン、ドロー……」

「相手がターンの最初にドローしたので、《メメント守神宮》のDスイッチを使います! 《メメント守神宮》を上下逆さまにして、相手クリーチャーをすべてタップ!」

 

 《メメント守神宮》を上下逆さまにして、謡さんのクリーチャーの動きをすべて封じる。

 元々、手札からマナを払って出すつもりはなくて、S・トリガーで出す予定だった。《グレンモルト》や《クジルマギカ》のために展開したクリーチャーを防御にも転用しようという考えだったけど、実際に使ってみると、すごい防御力だ。いつもならどう凌ぐかに四苦八苦していたところだけど、想像以上に余裕が出る。

 そんなわたしの余裕は、反転して謡さんにのしかかる。

 

(まずいでしょこれ……《ダンガンオー》一点突破のこのデッキは、展開されたブロッカーが最大の弱点。メタカードはそれなりに入ってるけど、全部が全部ブロッカーになるっていうと、流石に対応しきれない……! 《ドキンダムエリア》入れるべきだったかなぁ……《ドキンダム》持ってないけど)

 

 苦しそうな表情でカードを引くも、落胆した溜息をこぼす。この状況を打開できるようなカードは引けなかったみたい。

 

「……《パーリ騎士》を召喚。墓地の《狂気と凶器の墓場》をマナに置いて、ターンエンド……」

「私のターン!」

 

 1ターンを凌いだ。

 この1ターンはすごく大きい。

 この時間が、わたしを勝利に導く一手だから。

 

「行きます、謡さん! 6マナで《龍覇 グレンモルト》を召喚!」

「あぁ、こりゃダメっぽい……」

「《グレンモルト》に、《銀河大剣 ガイハート》を装備!」

 

 6マナまで到達したら、もう恐れるものはない。

 ダイレクトアタックをするだけのクリーチャーは揃ってるけど、トリガーがちょっと怖いし、謡さんにもクリーチャーが並んできているから、それを無視することもできない。二枚目の《ダンガンオー》も怖いしね。

 《メメント守神宮》のDスイッチは使っちゃったし、攻撃したらブロッカーとしての防御力も失われちゃうから、ここは安全に行くよ。

 

「《ノロン⤴》で《ヤッタレマン》を攻撃します!」

「しかも相打ちでも、きっちりクリーチャーを潰してくるか……!」

「続けて《グレンモルト》で《東大センセー》を攻撃!」

 

 謡さんのクリーチャーを倒しながら攻撃。

 これで、二回目です。

 

「このターン、私のクリーチャーが二回攻撃したので、《ガイハート》の龍解条件成立!」

 

 二回の攻撃によって、わたしの切り札が目覚める。

 先輩に託されてから、ずっと一緒に戦い続けて来てくれた切り札が。

 わたしの信じる――信じたいものが、ここにある。

 

 

 

「龍解――《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 燃える大剣、《ガイハート》が裏返って、灼熱のドラゴン、《ガイギンガ》へと龍解する。

 慢心してやられちゃったことも何度かあるけど、それでも《ガイギンガ》は強い。ひとたび場に出れば、どんな困難も、障害も乗り越えて、わたしの攻撃を押し通してくれる。

 これからも、今だって。

 

「《ガイギンガ》が龍解した時の能力を発動します! もう一体の《パーリ騎士》を破壊です!」

 

 一体。また一体とクリーチャーを破壊して。

 そして、最後に、

 

「《ガイギンガ》で《ダンガンオー》を攻撃!」

 

 停車した《ダンガンオー》を、両断する。

 

「……場が全滅、か」

 

 

 

ターン6

 

 

場:なし

盾:5

マナ:8

手札:1

墓地:7

山札:19

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》《グレンニャー》×2《グレンモルト》《メメント》《ガイギンガ》

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:6

山札:18

 

 

 

「私のターン、ドロー……」

 

 バトルゾーンは、ほとんどわたしが制した。

 《ダンガンオー》は他のジョーカーズがいないと、その力を発揮しきれない。謡さんの手札は少ないし、いきなり現れて即座にダイレクトアタックを決める、ということもないはず。

 謡さんの取れる手段は、それだけじゃなかったけれど。

 

「! これならまだ、やれるかも……5マナで《狂気と凶器の墓場》! トップ二枚を墓地に落として、墓地から《キラードン》を復活! 《キラードン》の能力で、相手が選んだクリーチャー以外の相手クリーチャーをすべて破壊するよ! さぁ、選んで!」

「それなら《ガイギンガ》を選びます!」

 

 そんなカードがあったなんて……場が一気に削られちゃった……

 でも、《ガイギンガ》は生きてる。

 

「これでターンエンド!」

「私のターン! 《魔法特区 クジルマギカ》を召喚! ターン終了です!」

 

 

 

ターン7

 

 

場:《キラードン》

盾:5

マナ:8

手札:1

墓地:9

山札:16

 

 

小鈴

場:《クジルマギカ》《メメント》《ガイギンガ》

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:10

山札:17

 

 

 

「私のターン! ……くぅ、ここで除去札を引きたかった……! 《ツタンカーネン》を召喚! 一枚ドローして、《洗脳センノー》も召喚! ターンエンドだよ!」

 

 場にクリーチャーが並んできちゃった……《メメント守神宮》があるし、クリーチャーを全部タップさせなければとりあえずは大丈夫だろうけど、闇のカードが入ってるってことは、除去も強そう……

 わたしの手札もなくなっちゃったし、少し巻き返される危険性が出て来たかな……?

 

「私のターン……あ、いいのを引きました。5マナで《超次元ムシャ・ホール》! 効果で、まずは4コスト以下の《洗脳センノー》を破壊します! そして超次元ゾーンから《勝利のリュウセイ・カイザー》をバトルゾーンに!」

「うぐ、こんなあっさり《センノー》がやられるとは……」

「《クジルマギカ》で攻撃! その時、能力で墓地の《狂気と凶器の墓場》を唱えます! 山札の上から二枚を墓地へ。そして墓地から、二体目の《クジルマギカ》をバトルゾーンへ! 《勝利のリュウセイ》からNEO進化!」

 

 二体の《クジルマギカ》。そして墓地には、それなりの数の呪文。

 ギリギリだけど、このターンで決めに行く!

 ……謡さん。トリガー引けないと、負けちゃいますよ。

 

「Wブレイク!」

「っ、トリガーなし……!」

「続けて二体目の《クジルマギカ》でも攻撃! 二体の《クジルマギカ》の能力で、呪文を二回唱えます! 唱えるのは《ムシャ・ホール》と《サイバー・チューン》! 《ムシャ・ホール》で《ツタンカーネン》を破壊して、《勝利のガイアール・カイザー》をバトルゾーンへ! さらに《サイバー・チューン》でカードを三枚引いて、二枚捨てます!」

 

 《勝利のガイアール》でギリギリクリーチャーが揃って、《サイバー・チューン》で次の弾もこめた、手札も増えた。

 さぁ、どうしますか? 謡さん。

 

「これでダイレクトアタックまで届きます……《クジルマギカ》でWブレイク!」

 

 二体目の《クジルマギカ》が、さらに二枚のシールドを砕く。これで謡さんのシールドは残り一枚。

 《勝利のガイアール》の攻撃が通れば、《タイム・ストップン》のようなカードじゃないと、《ガイギンガ》の攻撃は止められない。

 この攻撃を止めて見せてください、謡さん……!

 

「……来た」

「!」

「S・トリガー、《バイナラドア》! 《勝利のガイアール》をデッキボトムへ! そしてドロー!」

 

 ……止められちゃいました。

 これで、このターンにダイレクトアタックは不可能になった。

 謡さんのシールドは残り一枚。《ガイギンガ》で攻撃するかどうか、だけど……

 

「…………」

 

 このターンにダイレクトアタックを決めることはできない。そして謡さんは、たくさん手札を持っている。

 次のターン、手札から、あるいは《狂気と凶器の墓場》で墓地から《ダンガンオー》が出て来たら、トリガーがないとわたしは負けてしまう。

 どうせこのターンには勝てないのだし、せっかく《メメント守神宮》があるんだから、ブロッカーを残しておいた方がいいよね……? 《ダンガンオー》の一撃も怖いし。

 シールドを削り切らない状態で懸念されるのは《タイム・ストップン》だけど、ここまで一枚も見えていない。対する《ダンガンオー》は一枚だけ見えているし、それを引っ張り出せる《狂気と凶器の墓場》の存在もある。

 どっちがより可能性が高いか。どっちがよりあり得るか。そして、どっちがより怖いか。

 それを考えた結果。

 

「ターン終了です」

 

 わたしは、攻撃しない選択肢を取った。

 反撃の可能性を少しでも減らしておくために。

 

「……《ガイギンガ》は殴らないんだね。ワンチャンも消えたかな」

 

 

 

ターン7

 

 

場:《キラードン》《バナラドア》

盾:1

マナ:8

手札:5

墓地:11

山札:13

 

 

小鈴

場:《クジルマギカ》×2《メメント》《ガイギンガ》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:12

山札:13

 

 

 

「……はぁ」

 

 バトルゾーンを眺めて、溜息を漏らす謡さん。

 わたしのシールドは五枚。ブロッカーになっている《ガイギンガ》がいて、謡さんにはクリーチャーが二体だけ。

 

(このデッキ、《タイム・ストップン》なんてこじゃれたカードは入ってないしねぇ。こういう状況になると、入れるべきだったなぁっていつも思うけど。《ガイギンガ》が殴ってくれれば、手札に来た《ダンガンオー》で殴るワンチャンスだったんだけどなー)

 

 謡さんはまた、溜息をついた。

 どこか諦めたような、正義の味方に似つかわしくない溜息を。

 そして――

 

 

 

「無理っぽいなぁ、これは。負けかも」

 

 

 

 ――そんなことを、ぼやいた。

 

「私一人の力じゃこんなもんか。ゆってこのデッキも、人様からの借り物みたいなもんだし、どうしようもなく私は他人任せで、誰かがいないと自己を確立できないような、しょうもない奴だったか」

 

 誰かがいないと、自己を確立できない。

 ……あぁ、そっか。

 やっと、わかったよ。

 なんでわたしが、謡さんの言葉にもやもやしていたのか。

 謡さんの言葉で湧き上がる、この気持ちがなんなのか。

 それに気づいたら、わたしはもう――

 

「偽善者の空洞な正義は、積み重ねもなにもないただの妄想でしかない。偶然得ただけの力を振りかざして、誰かのためとか言って、その誰かがいないとなにもできない。自己を持たない哲学的ゾンビ。いやはや思い出せば恥ずかしい。本当にくだらない――」

 

 

 

「――やめてください」

 

 

 

 ――わたしを、止められない。

 

「そんなこと、言わないで、ください……」

「妹ちゃん……?」

 

 そう、そうだったんだ。

 特になにもない日々を過ごして。空想ばかりが募って。だけど、たまたま素敵な出会いを果たして。その出会いから世界が広がっていく。

 そんな謡さんの歩みは――わたしと同じなんだ。

 

「わたしだって……本当に偶然の出会いで、たまたま鳥さんと出会えただけで。そのまま流されるように、鳥さんに振り回されて、魔法少女だかなんだか知らないけど、恥ずかしい格好で街を歩かされて、クリーチャーなんて危険でよくわからない怪物と戦わされて……散々な目に遭ったし、痛いこともあったし、辛いことも苦しいこともあったし、後悔だってした。諦めそうになったことも、もうやだって投げ出したいこともたくさんありました……だけど!」

 

 謡さんはその歩みを、自己の欠落したものだと嘲笑した。自分から蔑み、切り捨てようとしている。

 わたしはそれに同意できない。

 わたしだって、確固たる自分なんてない。いつもみんなに支えられて、ようやく立っていられる。自分で為したことはなく、成し遂げたことはすべて、誰かのお陰、そして、誰かのため。

 だけどそれは当時に自分のためでもあって、自分がなくても、そこに自分がある。

 そう思ったら、叫ばずにはいられなかった。

 わたしのことも、あなたことも。

 

 

 

「あなたの言葉で、わたしを――わたしの繋いできたものを、否定しないで!」

 

 

 

 どんどん込み上げてくるこの気持ちは――怒り。

 なっちゃんに汚い、きらきらじゃない、どす黒いものと畏怖された心。

 だけど関係ない。わたしは怒ってる。

 わたしと謡さんの歩みは似ている。とても、とても似ている。だからこそ、謡さんが自身の歩みを否定するというのは、同時にわたしの在り方も否定しているのと同じ。

 それは、許せない。

 今までわたしが積み上げてきたものを。わたしが憧れるような行いを。それらを繋いだ素敵な出会いを。そのすべてを否定して、崩してしまう謡さんに。

 その怒りを――ぶつける。

 

「わたしはこの奇跡を認めたい。単なる偶然でも、ただの偶然だからって、そこで仲良くなれた友達は否定したくない。その偶然の結果を、そこで得た力を拒否したくない。そこで紡がれた思い出を消し去りたくない。わたしは、わたしを、あなたを――受け入れたい!」

 

 謡さんは、偶然と空虚でできた自分の足跡を嘲笑い、否定するけど。

 それはそんなに悪いものじゃない。わたしはその奇跡も、誰かの願いも、それでいいと思いたい。

 確かにそこに確固たる意志はないかもしれないけど。それでも、絶対に否定できない気持ちがあるんだもん。

 これまでやってきたことは全部――わたしの“やりたいこと”だったから。

 

「わたしは、偶然によって繋がったわたしの物語を受け入れたい! だから、わたしと似た軌跡を辿ったあなたを、否定できない。したくない」

 

 それは謡さんだって同じはず……なのに……!

 

「それに、謡さんはわたしを守ろうとしてくれたんだもん……否定できるわけ、ないよ……」

「……それは見せかけの正義だよ。結局、私が自分で気持ち良くなるための偽善。空っぽで情けない、つまらないものなんだ」

「だからなんだって言うんですか!」

 

 怒りは収まらない。

 恩義とか、そういうのだけじゃない。

 これは単純で、純粋な、わたしの気持ち。

 だって、だって、謡さんは、チェシャ猫レディは――

 

「誰かを守りたい。誰かが好き。その気持ちに、崇高も高潔も、低俗も卑俗もあるわけない! そんなもので、人の気持ちを――自分の信じたものを縛らないで!」

 

 ――すごく、格好良かったから。

 わたしを守ってくれた、正義のヒーローそのものだったから。

 その姿は、誰にも否定して欲しくなかったんだ。

 

「謡さんは、一生懸命で、ずっと前を向いてて、帽子屋さんにも、最後まで屈しなかった! その強い心を、どうして偽善だなんて言葉で汚しちゃうんですか! 謡さんは、すごく……いい人、なのに……!」

「いい人……」

 

 もはやヒステリックに喚き散らしているのと変わりない。だけどわたしは、もう抑えられない。

 自分と似た道を辿った、正義の味方(ヒーロー)。わたしの憧れた魔法少女(ヒロイン)と似ていて、通ずる、格好良い存在。お話の主人公。

 主人公が間違っているだなんて、信じたくない。

 だから、わたしは信じたいし、信じてほしい。

 チェシャ猫レディ(ヒーロー)が信じたものを。

 

 

 

「お願いだから、わたしを守ってくれたあなたの正義を信じてください、謡さん――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 どこかで沈殿して忘れかけていた記憶を思い出す。たった一年程度昔の、あの言葉を。

 

 

 

 ――お調子者かと思ったけど、実際その通りだったけど。これだけはわかる。あんた、いい子ね――

 

 

 

(会長も……そう、言ってくれたっけ)

 

 ただ自分の虚無感を誤魔化したくて、ほとんど反射的に、まるで獣の本能ように、眼前のことだけをこなしていた自分。

 そんな自分に声をかけてくれたのは、あの人だった。

 

(あれは確か、文化祭の準備で……特に意志も目標なく、目の前のことをただ淡々とやってただけなのに、そんなこと言われて、面食らって……でも、嬉しくて……)

 

 ああ、あぁ。

 私の記憶が掻き混ぜられる。沈んだ記憶が、思い出が、次々と浮上する。沸々と湧き上がる。

 あの人の言葉が――蘇る。

 

 

 

 ――こんな雑用なのに、こんなに一生懸命になれるなんて。あなた気に入ったわ。生徒会(うち)に来なさいよ――

 

 ――ちょっと! あんたまたサボったわね! 一度火がつけば凄い有能なのに……もっとやる気を出してくれれば、いいんだけどねぇ――

 

 ――あんたは目の前のことにだけ集中してなさい。あんたが取りこぼしたものは、私やフーロが拾ってあげるから。がむしゃらにやればいいのよ、あんたは――

 

 ――この仕事量でもヘラヘラしてるだなんて、見上げた根性ね。サボり癖は頂けないけど、あんたのそういうところは上手いわよねぇ。意外と折れず曲がらずのところとか――

 

 ――とにかく頑張りなさい。あんたのいいところは、私が一番知ってる。あんたはどんなにくだらない雑用でも、それをやりたいと思えば、目の前のことに一生懸命になれるんだから――

 

 ――私はあんたのそういうところを気に入って、あんたを引き抜いたのよ。それになにより、自分のしたいようになんでも熱中するその姿が、ちょっと格好良くてね。私、あんたのそういうとこは好きよ、謡――

 

 

 

「……忘れてた」

 

 汚いとか、いつものことじゃん。私は自他共に認めるサボり魔なんだから。性根からして綺麗じゃないよ。

 どんなに勇ましい理想的な英雄でも、チェシャ猫レディはあくまで器。私自身は、私という存在は、なにも変わらないじゃん。

 それなのに私はなんで、自分のしたいことになにかを求めていたんだろう。くだらないや。

 アホらしい。バカバカしいにもほどがある。サボってたのは仕事だけじゃなくて脳みそと、この心もか。流石に怠惰に過ぎる。

 私は虚無感を誤魔化すために、目の前のことをひたむきにこなす抜け殻。それで大いに結構。魂を込めるために、それが私の生きる道だから、ただひたすらに頑張るだけだ。

 最初からそうだった。私は、自分が気持ちよくなれるから、自分がそうしたいから、誰かのためになにかをするんだ。

 それが――あの人に報いるためでもある。

 そこに崇高さはなく、高潔さもなく、低俗で卑俗かもしれない。だからなんだ。文句は付けさせない。

 偽善であっても偽悪でない。偽りの善意は悪意じゃない。私の行いは、空っぽで、偽物で、まがい物だとしても、間違っていない。正しい。正義なんだ。

 それを、一般論で語って、自分で自分の在り方を排して、本当に私がなりたかったものを見失って、切り捨てて、忘れて、迷って、遠のいて……本当にアホらしい。道化にもほどがある。

 悩むのも苦しむのも結構だけど、本質を見失うのはまずい。私の核。私のしたいことを、忘れてしまうだなんて。

 そんなことで、あの人に認められた“私”を、私が否定してどうする――!

 

 

 

「そこまで言うなら、もうちょっと信じてみようかな――私の正義(ヒーロー)を!」

 

 

 

 諦めるのは……そうだなぁ。死んでから考えよう。あるいは、私に守りたいものもなにもなくなった時とか。人類滅亡とかね。

 とりあえず誰かがいる限りは、私はくだらなくてしょうもない自分勝手な正義感に縋って、自分のために誰かを助けてやる。

 道化みたいに笑いながら、他の誰かも一緒に笑わせてやるさ。

 

「私のターン! ドロー!」

 

 そう言えばまだドローしてなかったっけ。それなのに諦めとか、私って本当バカだね。頭が随分と足りてないようだ。

 しかもこのドロー……最高だ。引いて良かった。

 足を止めるとか、らしくない。

 振り返るなんて、あり得ない。

 それが泥臭くても、足掻いてもがいて進んでやる。

 開け扉。

 列車に乗り込め。

 この先が、私の正義の終着駅だ。

 

 

 

「呪文――《地獄門デス・ゲート》!」

 

 

 

 そこで私は、私の信じる正義に誓おう。

 

「《デス・ゲート》の効果で、《ガイギンガ》を破壊!」

「! 《ガイギンガ》の能力発動! 選ばれたから、このターンの終わりにわたしの追加ターンを得ます!」

「知らない! そんなのは関係ない! 後のことなんて考えないよ! だって、列車も、ヒーローも――前にしか進まないから!」

 

 私は『チェシャ猫(スキンブルシャンクス)』の影。あの子のやりたいことを、便乗して成し遂げる者。

 なら、影なら影らしく、暗いところからお出ましするかな。

 それに影あるってことは、そこには明るい光がある。

 光が強ければ強いほど、闇が濃くなるように。

 深い闇にはそれだけ大きな――光が待ってる。

 

「《ガイギンガ》のコストは7! よって墓地から、コスト7未満のクリーチャーが復活する!」

 

 ちょっと事故って一旦止まっちゃったけど、もう終点まで止まらないよ。

 暗い闇夜は明るい光で照らす夜行列車。

 ご乗車の際はご注意ください。

 もうじき、発車いたします――

 

 

 

「何度だって突き進め――《超特Q ダンガンオー》!」

 

 

 

 さぁ、快適で素敵な夜行列車の旅を始めよう。残り短い旅だけどね。

 どうせ乗ってる奴らは愉快な仲間(ジョーカーズ)ばかりだ。誰も気にしない。

 なんだって? スキンブルがいないと出発できない? それも気にするな。私がいる。

 指さし確認、準備オッケー。

 目指すは勝利。

 いざ、出発進行――!

 

「《ダンガンオー》の能力で、このターンのブレイク数を一つ増加させるよ!」

「Tブレイカーに、Wブレイカー……トリガーがないと、厳しいよ……!」

「そうだね。だけど、いやだから、もう一点ダメ押しさせてもらおうか。ブーストかけるよ! アクセル全開だッ! 《ダンガンオー》で攻撃する時に!」

 

 最初の一撃を捌かれた時から、ずっと握ってた。

 これでもバカなりに、頭が足りないなりに、色々考えてるんだよ。

 止まらない、止められない攻撃を止められてしまったらどうするのか。

 その答えが――これだ!

 

「アタック・チャンス――《破戒秘伝ナッシング・ゼロ》!」

「っ!」

 

 驚いてる驚いてる。その顔、最高だよ。

 とはいえ、これも博打だけどね。このデッキは四分の一くらいが闇のカード。三枚捲って、無色カードがゼロなんてことも、あり得ないわけじゃない。

 一枚も捲れないんじゃ意味がない。一枚だけだったら価値が低い。目指すは二枚以上だ。

 そんな願望を抱いて。はさて、なにが捲れるかな――!?

 

「トップオープン!」

 

 捲られたのは――《東大センセー》《狂気と凶器の墓場》《ジョジョジョ・ジョーカーズ》。

 二枚。ギリギリセーフ!

 

「無色カードは二枚、ブレイク数を二枚追加する! これで《ダンガンオー》のブレイク数は五枚だ!」

 

 もう《ダンガンオー》を止める者は存在しない。

 守りを得た《ガイギンガ》は《デス・ゲート》に引きずり込み、《ハヤブサマル》も墓地。

 ネズミ一匹、ゴキブリさえも通さない。

 ヤグザな奴は押し黙り、愛想を浮かべて笑え。

 今度こそ受け取れ。これが、皆の心を集める鉄道猫(スキンブルシャンクス)の一撃だ――!

 

 

 

「打ち砕け――オールシールドブレイク(ダンガンインパクト)!」

 

 

 

「っ……!」

 

 通った――!

 それは勝利にも等しい、強大な鉄拳。

 五枚のシールドが砕け散り、終点はもすうぐそこ。

 あとは事故がなければ問題ないけれど――

 

「S・トリガー発動! 《インフェルノ・サイン》! 墓地から《ノロン⤴》を復活です! さらに《メメント守神宮》を張り替えます! 二枚引いて、二枚捨てる……!」

「まだまだ! 《キラードン》で攻撃! とどめだよ!」

「《ノロン⤴》でブロック……!」

 

 ――ま、些細な事故だったね。

 終点には無事到着致しました。これにて夜行列車の素敵な旅は終了です。

 それでは皆々様、気を付けて下車してください。

 お帰りの扉は、ここにありますので――

 

 

 

「《バイナラドア》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「あの……謡さん、ごめんなさい……その、わたし、うるさく喚いちゃって、失礼なことも……」

「いやいいよ。気にしてないし。むしろありがとう。お陰で色々と思い出したよ」

 

 対戦が終わった。

 ついカッとなって色々言っちゃって、ちょっと恥ずかしいし申し訳ないけれど……

 謡さんは、とても清々しい笑顔を見せてくれた。

 

「いやー、にしても……会長も君も、やっぱ姉妹なんだなぁ。どっちも眩しいったらりゃありゃしない」

「え? お姉ちゃんがどうかしましたか?」

「なんでもないよ。私の闇を照らす太陽は、どっちも天照なんだなと思っただけで。私も魔法にかかっちゃったなぁ」

「?」

 

 どういうことだろう?

 いや、それよりも。

 まだわたしは、言わなきゃ――言いたいことがある。

 

「よ、謡さん……」

「なに?」

「わたし、まだ謡さんのこと、全然知らないんです。だから、その……」

 

 出会って一ヶ月足らず。時間はとても短い。半年に満たないみんなよりも、ずっとずっと短い期間。

 その短い間でも、謡さんの人となりは、その思いは、正義は、少しだけでも感じ取れたけど。

 それでも、わたしは謡さんのことは全然知らない。チェシャ猫レディとしての謡さん。生徒会の人としての謡さん。詠さんの妹さんとしての謡さん。そして、素のままの謡さん。

 みんなと一緒。わたしはもっと、色んな謡さんを見たいし、知りたい。

 せっかく出会った、大切な縁。

 それだけは、大事にしたいから。

 

「こ、これから……よろしく、お願いします」

「……うん。そうだね」

 

 謡さんも、深く頷いて、わたしを見てくれる。

 チェシャ猫レディっていう英雄じゃなくなっても、ここにヒーローはいるんだ。

 

「そういや、ちゃんと名乗ってなかったっけ」

 

 不意にそんなことを言う謡さんは。

 どこからしくなく改まって。

 

「烏ヶ森学園中等部二年、生徒会庶務。長良川謡(ながらがわよう)です」

 

 けれど。

 軽薄でも、自虐でもない。

 明朗軽快。陽気で朗らかで、そして、清々しい笑顔で、謡さんは――ヒーローらしく、笑ってくれた。

 

 

 

「よろしく――(ベル)ちゃん!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「今日も色々あったなぁ……」

 

 時間は夕刻を過ぎ、というか夜です。もう10時です。

 改めて謡さんたちの正体を知って、詠さんも一枚噛んでると知って、そしてあの謡さんにも暗いものをがあると知って、驚きがたくさんあった。

 だけど……よかった、よね?

 確かにチェシャ猫レディという正義の味方はいなくなったけど、謡さんは謡さん。その正義は、正義の味方は、失われずにそこにいるんだから。

 

「……わたしも、守ってもらってばかりじゃなくて、自分でじぶんを……みんなを、守れるようにならないと」

 

 だけど、そのためにはどうすればいいんだろう。

 デッキを改造する、とかかな?

 今のデッキはワンダーランドの大会の時から、ほとんど同じものを使ってる。カードの枚数とか種類をちょっとずつ変えてはいるけど、《クジルマギカ》の呪文連射と、《グレンモルト》から《ガイギンガ》への龍解、そしてそれらを繋ぐ墓地戦略は変わっていない。

 

「そういえば、林間学校では上手く使えなかったな、これ……」

 

 デッキからカードを一枚抜き取る。

 《暗黒邪眼皇ロマノフ・シーザー》。呪文をよく使うし、文明も合うし、強いと思ったんだけど、意外と使い難かったんだよね……今日もすぐにマナに置いちゃったし。

 

「このカードをもっと生かせるようなデッキにしようかな……」

 

 林間学校での反省、みたいなものだ。せっかくの強そうなカードだし、もっとちゃんと扱えるようにしたい。

 そうすると、どんなデッキがいいのかな? 《クジルマギカ》と似てるけど、文明も進化方法も進化元も違う。

 もっと言うと、今のデッキも今のデッキで、不満点がないわけでもない。たとえば、マナ加速するカードがないから、相手より先に動きづらい、とか。

 それにS・トリガーも怖い。今日も結局、S・トリガーで攻撃を止められちゃったしね。

 《ロマノフ・シーザー》をもっと生かしつつ、前のデッキの弱点も克服できるようなデッキにするには、どうすれば――

 

 

 

コツコツ

 

 

 

「? なんだろ?」

 

 新しいデッキについて考えていると、窓からなにか叩くような音が聞こえてきた。

 まさか、鳥さん……? こんな時間にまで来るのはやめてって言ったんだけどなぁ。まあ、聞いてくれないよね。鳥さんにも鳥さんの使命があるわけだし……

 半ば諦めながら扉を開けると、黒い影がシュッと通り過ぎた。しかも、上ではなく、下へ。

 え? 鳥さんじゃない?

 

「あ……君は」

 

 黒い影はわたしの部屋へと入る。視線を落とすと、そこには、しましま尻尾の黒い子猫がいた。

 このネコさんには、見覚えがある。

 というか、今日会ったばかりだ。

 会う、というのも少し違う気もするけど。

 だけど確かに、この目で見ている。

 謡さんたちの飼い猫。『チェシャ猫』。確か名前は……

 

「えっと、スキンブルくん、だっけ? それとも、スキンブルさん? 雄猫って言ってたから、くんなのかな……?」

 

 ちゃんとした名前はスキンブルシャンクスっていうらしいけど、謡さんたちは長いからスキンブルでいい、って言ってたっけ。

 あまりの突然の登場に、なんでここに? という疑問が湧き上がるけど、今日のことがあったし、この子がここにいることは、わたしの下へとやって来ることは、そう不思議なこととも思えない。

 ネコさんは床に座したまま、青い瞳でジッとわたしを見上げている。

 『チェシャ猫』、スキンブルシャンクス。

 なんでもない、わたしの非日常的な日常の中に紛れ込んでいた見えない猫。

 この子がどういう心境で、どういう気持ちで、どういう理由やきっかけがあって、わたしのことを意識しているのかはわからないけれど。

 

「あなたは、ずっとわたしのことを守ってくれてたんだね……ありがとう」

 

 見えないところで、姿を隠しながら、人知れずわたしの正義のヒーローになっていたんだね。

 床に伏せた子猫を抱え上げる。思ったよりも重い。こんなに小さいのに、確かな重みがあって、あたたかい。

 

「わっ……甘えん坊だなぁ」

 

 ぎゅぅっと、ネコさんはわたしの胸に顔をうずめる。まるで抱き合っているみたい。

 そして今度は、小さな前足をグッと伸ばして、わたしの髪に――鈴のついた髪紐に手を伸ばす。

 玉は抜いてるから音は出ないけど、子猫の小さな手が、わたしの鈴を揺らす。

 確か前にも、この子、こんなことをしてたような……もしかして。

 

「これ、欲しいの?」

 

 にゃぁ、とネコさんは小さく鳴いた。

 それが肯定なのか否定なにか、あるいは別のメッセージなのかは、わたしにはわからないけど。

 なんとなく、この子はこれを求めているような、なにか惹かれているような気がした。

 うーん、この鈴はマタタビじゃないんだけどなぁ。

 それに……

 

「この鈴は、お母さんからもらった大切なお守り、なんだけど……」

 

 わたしがまだ小さい時。小学校に上がる前の、物心がついた頃かな。

 お姉ちゃんとお揃いの、鈴の髪飾りをもらった。

 お母さんは魔除けお守りで、毎日肌身離さず持ち歩きなさい、言ってたけど、わたしはお姉ちゃんの付けていたそれが羨ましくて、可愛くて、素敵で、ずっと欲しいって思ってたから。

 だから、すごく嬉しかった。

 あぁ……そっか。そうだね。

 謡さんがわたしと同じ軌跡を辿って、わたしと似た者同士なのなら。

 チェシャ猫レディの片割れだったあなたも、わたしと似ているのかもね。

 これはお母さんがくれた、大切なお守りだけど。

 

「あなたがわたしを守ってくれてるなら――一つくらいは、いいかもね」

 

 シュッ、と。

 片方の鈴を、ほどいた。

 

「わたしからのお礼だよ。どうぞ、受け取って」

 

 髪につける用だから、ちょっと小さいかもしれないけど、この子も結構小柄だし、ちょうどいいかな?

 紐をネコさんの首のあたりに回して結ぶ。長さ的に付けられるか心配だったけど、なんとかなったよ。

 

「あはっ、かわいい」

 

 そこには、小さな鈴をつけた、しましま尻尾の黒い子猫がいた。

 とても猫らしい、夜の街を自由気ままに闊歩する猫。

 猫にはやっぱり鈴が似合うね。音が鳴らないのが残念だけど。

 

「謡さんたちはあなたとお話ができるみたいだけど、わたしにはあなたの言葉はわからないや。だけど、いつかわたしも、あなたとちゃんとお話ししたい。あなたにはあなたの事情があるだろうから、無理強いはしないけど……いつかは、そうしたいなって」

 

 この子の言葉を聞きたい。謡さんたちから伝え聞くのではなく、この子そのままの言葉を、わたしの耳で聞きたい。

 ヒーローは姿を隠す者なのかもしれないけど。

 そのヒーローに憧れるヒロインは、ずっとヒーローを探す者なんだから。

 

「あ……もう行くの?」

 

 わたしの腕の中からすり抜けて、窓枠へと飛び乗るネコさん。

 本当、なにしに来たんだろう……でも、こうしてちゃんと会えてよかったかも。

 ネコさんは最後にもう一度鳴くと、わたしに背を向けて、窓から飛び降りた。

 その後ろ姿を見ながら、わたしは列車を見送るように、小さく呟く。

 

 

 

「さようなら、ネコさん(スキンブルシャンクス)。また会おうね――」

 

 

 

 ……さて、髪紐が片方なくなっちゃったわけだけど、明日から髪、どうしよう。

 髪飾りが片方だけっていうのも変だし、これからはポニーテールにでもしようかな――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――我らが父なる母(ハートの女王)よ。この世に生を受けた我らが命、我らが種が、繁栄の花を咲かせる日も見えてきました」

 

 今日のお茶会はとても静か。誰もいない円卓に座すのは、イカレた帽子屋の男ただ一人。

 ただしそこには、巨木の如き何物か。時計という機構に捻じ込まれ、時の流れが堰き止められた存在があった。

 

「もっとも、貴様のような癇癪持ちの女王様に感謝こそすれど、捧げるものなどはなにもございませぬが。精々時の止まったその領地で、静かに座していてくだされ」

 

 紅茶を一口、口に含む帽子屋。

 たまには一人のお茶会も悪くない。この禁忌の領地でお茶会を開くのも背徳的だ。普通の狂気を楽しめる。

 

「これより我らが構築するは、貴様の望む世界ではなく、【不思議の国の住人(我々)】の望む世界。心臓(ハート))を与えられた我らが命は、不思議の国の礎となる。こうなるとは、貴様も予想していなかったでしょうな。いや、そもそも我々の存在など、女王様の与り知るところではございませんかね?」

 

 問うてみるが、返答がないことくらいは分かり切っていた。

 時計は6の数字を指している。その世界がすべて。であれば必然的に、その数字が満たされなくては、返事ができようはずもない。

 

「創造するは『代用ウミガメ』、群れを成すは『ヤングオイスターズ』、心は『バンダースナッチ』、休息する『眠りネズミ』、世界を見る蟲の三姉弟、色欲に酔う『三月ウサギ』、復元する『ハンプティ・ダンプティ』、美しき『公爵夫人』、今は姿なき『チェシャ猫』、掟破りの『ジャバウォック』――そして統括するはこのオレ様、狂気に堕ちるイカレた『帽子屋』」

 

 ただ思いつく名前を並べ立てただけ。そこに意味はない。定義する者のいない名前など、記号としての価値すらない。この魂は、定義のためにあるのではない。種として繋がることにこそ意味がある。

 定められることが目的なのではない。そうすることが、そうすべきことが、そうあるということが、この星に生まれ落ちた命としてあるだけだ。これはそうしたいからという意志ではなく、そうあるからという摂理だ。

 

「随分と死んだ。随分と生まれた。随分と消えた。随分と生きた。しかしてまだ終わらない。寄生から始まるこの物語も、偶発から進む歴史も、我らの歩む筋書きに他ならない。この世界は、本来あるべき物語とは別の視点で描かれた、派生の外典(スピンオフ)。神話的ですらない、個人の小さな心の浮沈のみが描かれた、矮小で、取るに足らないおまけの世界線」

 

 多くを見て悟ったのか。恐らく否。多くを聞いて諦めたのか。たぶん否。狂ったのはこの個性()のせいか。それも否。元からだろう。そうあるということが、この名前に縛られた己の存在意義。逆説的に、この名前で縛ることで、狂気的な狂気を、反転に反転を二重三重と重ねた狂いが生じた。

 そんな自分語りもどうでもよい。言葉を積み重ねても、できるのは単なる文字列だ。ただの綴りには、なんの力もない。個人の心という不確定で不安定なものを揺り動かすことはできても、世界もシステムも変えられない。

 

「神話を喰らいし我らが父なる母よ。ハートの女王よ。貴様の残した“食べカス”は栄華を求め、貴様の牙が届かなかった神話の、その残滓を糧に、踊り狂います。ゆえにどうか、そこで座したまま、できればくたばったまま、眼を開いてくださいませ」

 

 旧世界に用はない。異星の、異次元の、別時空の脅威は関知しない。見せかけの感謝を手向け、寄生に寄生を重ね掛け、個人主義に全体主義を重ね塗る。

 世界を変えるは奇跡の力。その力を求めて。さぁ、野望を叶えろ。

 

 

 

「我ら【不思議の国の住人】。トランプ兵のようにその役割を遂行し、我々の望む、不思議の国(Wonder Land)を築いてみせましょう――」




 というわけで、今度こそ林間学校編は終了です。次回から新章――新シーズン? 夏休みが終わって新学期に入るので、シーズンの方がしっくりきますね――が始まります。
 今回、様が使用したデッキはツイッターである方が公開していたものを(本人に許可を取って)アイデアをお借りしました。《狂気と凶器の墓場》で《ダンガンオー》釣り上げ、《東大センセー》でどっちを捲っても嬉しい、というジョーカーズにしては珍しい墓地利用デッキです。回してみると意外と強かった。
 では今回はここまで。さっきも言いましたが次回は新学期。作者イチオシの奴らがやってきます。お楽しみに。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なくどうぞ。


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3章 初秋-侵食と事件の新学期-
26話「新学期だよ」


 新章突入です。まあ章分けなんて、この作品においては大した意味はないのですが。でも一応、前回が一区切りということで。
 今回は作者イチオシの三姉弟が登場です。秋は虫の多くなる季節だからね。季節に合った虫かはさておき。
 ところで、このサイトって、ピクシブのルビ形式をそのまま変換できるんですね。実はよく分かんなくて触れてなかったんですけど、試しに弄ってみたら物凄い早く終わってしまいました。
 ピクシブの方でもひと段落したので、今度はこっちの更新を頑張ります。とりあえず目標として、年内にピクシブの更新に追いつかせる予定です。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 もうすぐ夏休みも終わってしまう。

 だけどそれは特別なことではなくて、わたしたちはなにも変わらず、『Wonder Land』に集まっていました。

 そんな、ある一日。

 

「んふふー、げへへへへ……」

「……気持ち悪い……」

「み、実子さんが怖いです……」

「女とは思えないほど醜悪な顔をしているね」

「なんとでも言うがいいさ! 君らの罵詈雑言なんて今の私には通じないよ! なぜなら――」

 

 みのりちゃんは、ぐいっとわたしと肩を組むみたいに引き寄せた。

 

「――私と小鈴ちゃんは今! 身も心も一心同体になったからさ!」

「なってないよ……」

 

 髪型一つで一心同体なんかになってたら、自意識がしっちゃかめっちゃかだよ……

 みのりちゃんがなんでこんなに興奮してるのかはわからないけど、ちょっとだけ、わたしに変化がありました。

 とても些細で、まるで大したことのない、日常的な変化。

 ただ、髪型を変えた。二つに振り分けて降ろしていた髪を、一つに縛ったという、ただそれだけのこと。

 もっともそうした理由は、二つあった髪紐が一つになって、そうするしかなかったからなんだけど。

 

「……また、急なことを……どういう、風の吹き回し……心境の、変化……?」

「そのスタイルも、とっても素敵(シェーン)です! 小鈴さん!」

「芋っぽかった前よりも、随分と涼やかになったよね。うん、いいんじゃないか?」

「あ、ありがと……」

 

 霜ちゃんの称賛は、なんだかちょっと毒っぽくもあったけど、やっぱり嬉しい。

 ユーちゃんは純粋に目をキラキラさせて、恋ちゃんはしきりに首を傾げている。みのりちゃんは、さっきからずっとにこやかだ……ちょっと怖い笑いだけど。

 なんというか、みんならしい反応だなぁ。そんなに変わったことはしてないと思うんだけど……

 

「しかし恋じゃないが、どうしてまた髪型を変えたんだい?」

「え、えっと……いつも使ってる髪紐が片方なくなっちゃっていうか、あげちゃったっていうか……」

 

 髪型を変えた理由。それを説明するのは、ちょっと難しい。

 いや、あげちゃったと言えば簡単なんだけど、どうして、とか、なんで、とか聞かれちゃうと、答えづらいっていうか……

 まあ言ってしまえばわたしの気まぐれで、感謝の気持ちというだけの話なのだけれど。

 あの鈴。スキンブルくん(あの子)は、喜んでくれたかな……

 

「いやー、まあ細かいところはどうでもいいさね! うん、お揃いお揃い! 私と小鈴ちゃんはお揃いでポニーテール! 最高っすわ! 世界が誇る至高の髪型じゃない?」

「君のはポニーテールというより、邪魔だからと雑に括ってるだけだろう」

「いいんですー! 形が大体一緒ならそれで!」

「邪魔ならバッサリ切ってしまえばいいのに……」

「女の子に簡単に髪を切れとか、よく言えたもんだね」

「どうせ理容に使う金をカードに回して、金欠になってるだけじゃないのか?」

「ギクッ」

「図星か……」

Aber(でもでも)! 夏休みはたくさんカード買って、たくさんデュエマしましたね! ユーちゃん、とっても楽しかったですよ!」

「良くも悪くも……だけど」

 

 確かに、この夏だけでもたくさんデュエマをしたなぁ。勿論、デュエマじゃないこともたくさんした。

 先輩から貰ったカードで新しくデッキを組んだり、お買い物に行ったり、プールに行ったり、パンケーキを食べたり、デュエマの大会に出たり、夏祭りに行ったり、林間学校があったり。

 ……まあ、そのすべてにおいて、クリーチャー絡みの事件とか、【不思議な国の住人】の人たちとのいざこざがあったんだけど。

 でも、思えばあの人たちと、帽子屋さんと出会ってから、まだ一ヶ月くらいなんだね。夏休みの始まりと共に訪れ、夏休みの終わりと共に正体を明かし、そして……

 

(帽子屋さんたちの目的、鳥さんが聖獣だったこと、そして……謡さんがチェシャ猫レディの正体だったこと)

 

 今までわたしの中でもやもやとしていた謎や疑問が、一気に解き明かされて、とにかく衝撃的だった。もっとゆっくり、一つずつ明かしてくれればいいのに……これらが全部、夏休み中の出来事だなんてね。この夏は、色々ありすぎたよ。

 でも、それがなんでもかんでも悪いことだったわけじゃない。いいこともたくさんあった。

 『代用ウミガメ』さん――代海ちゃんとは友達になれた。チェシャ猫レディさんの正体、謡さんとも仲良くなれた。それは、とても嬉しいことだ。

 大変なこともあったけど、それに負けないくらい、楽しいこと、いいこともあった。

 だからできれば、この楽しい時間のまま、何事もなく、無事に新学期を迎えたい。

 ……そう、思ってたんだけど――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――本日より非常勤として皆さんの授業を受け持つことになりました。生物担当の陸奥国縄太(むつのくにじょうた)です。よろしくお願いします」

 

 ……みなさんこんにちは、伊勢小鈴です。

 なんて挨拶は置いておいて。

 新学期が始まりました。久しぶりにクラスメイトと顔を合わせて、宿題提出に一喜一憂して、実は今日は普通に授業があることに嘆いて、始業式で先生の長いお話を聞いて――林間学校での台風トラブルの話ばっかりだった――ついでにお姉ちゃんの話も聞いて。

 そんな、形式ばった新学期を告げる工程をこなしていった。それだけなら、なにも問題はなかった。

 新学期を始めるための儀式とも言える工程の一つ。儀式的な流れの一部でしかない、教員の異動。

 始業式で見た時には、なにかの冗談かと思った。あるいは、見間違えだと信じた。

 けれど、始業式が終わって、教室に戻って、実際に対面して、わたしは現実を受け入れざるを得なくなってしまいました。

 教壇に上がって、やや無愛想な表情を浮かべて、無骨な眼鏡を光らせて、ただこなすように言葉を連ねていく、この人は――

 

(『木馬バエ』……さん……!?)

 

 確か、そんな名前だったはず。

 蟲の三姉弟と呼ばれる、三人組の弟さん。きれいなお姉さんと、勇ましいお兄さんの後ろで、いつも溜息をついているような人だ。

 お姉さんとお兄さんのインパクトが強すぎてちょっと存在感が霞んでて、加えて今は普通の黒いスーツ姿だから、より印象が弱いけど、二回も会ったから覚えてる。なんで眼鏡かけてるんだろう? 前はかけてなかったよね?

 代海ちゃんもこの学校の生徒として通っているし、それを経験しているからこそ驚きはそこまでだけど、それでもビックリしたことに変わりはない。

 それに、まさか先生として赴任してくるだなんて……

 そんな驚愕を抱えているのはわたしくらいなもので、他のクラスメイトたちは当然、新任の先生の正体なんて知らない。単なる一人の新任教師として接するだけだ。

 

「せんせー! 恋人はいますかー?」

「いませんし作る気もありません。頭が虫けらレベルの手のかかる姉と兄がいるので、その世話で手いっぱいです」

「先生はなんで先生になったんですかー?」

「生物に詳しいからということにしてください。虫の生態とか、わりと得意です。人間の心理についても少し齧りました」

「先生はどこ住みですか? っていうかラインやってます?」

「住所は言えませんが、複合住宅みたいなところで暮らしてます。ラインはやってません」

 

 早速始まった……

 小学生も中学生も変わらない。新任の先生や、教育実習の先生が来ると、こうやって質問攻めをするものだけど……す、すごい淡々と切り返すなぁ。

 小学校でもこういうことはよくあったけど、大抵の先生はあたふたするものだったけどなぁ。木馬バエさん――いや、陸奥国先生?――はまるで動じない。

 なんで木馬バエさんがこの学校に、それも先生としてやって来たのか。それも気になるけど、この様子を見るに、学校で騒ぎを起こすため、ではないのかな……?

 代海ちゃんが生徒として、人間らしく過ごすために学校に通ってるんだから、この人だって学校で働いてもおかしくはない……気がする。理屈としては。

 

「では早速、授業を始めましょう。早く授業というものの感覚を掴んでおきたいので」

 

 先生らしく授業をする気はあるみたいだけど……な、なんか、正体を隠す気がなさそうな発言がちらほら聞こえる……

 新学期早々、頭を抱えたくなるようなことが起こってるけど……大丈夫、だよね……?

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 陸奥国先生の授業は、驚くほど普通に終わった。

 教科書通りになぞった進行、プリントを使った穴埋め形式の問題。他の先生もよくやってる、普通の授業だ。普通すぎて逆に驚く。

 そんな平凡すぎて異常にすら感じるあべこべな状態で、お昼休みです。

 みんなで集まって、机を囲んで、ということをするのも久しぶりだな。

 なんて感慨は、霜ちゃんがわたしに向けた第一声で雲散霧消しました。

 

「小鈴、流石に気付いたよね?」

「う、うん……」

 

 そっか。そういえばあの人たちと初めて会った時は、霜ちゃんと一緒にお出かけした時だっけ。

 

「え? なになに?」

「どーしたんですか? 小鈴さん、霜さん。Unter uns gesagt(内緒話)ですか? ユーちゃんにも教えてください!」

「……なにか……あった……?」

 

 一方で、他の三人は、直接先生たちとは会ってない。

 これはちゃんと言った方がいいよね。

 

「今日来た生物の新任教師。あれ、【不思議の国の住人】だ」

「まじで……?」

「マジだよ。『木馬バエ』、って言ったっけ。蟲の三姉弟とかいう、変な奴らの末弟」

「あの人たちは皆おかしいし変だと思うけどねー」

「うみゅみゅ、ユーちゃんもビックリです」

「ただ驚かすために来たのならいいのだけれどね。問題は、奴らがどういう目的で、この学校に――しかも教師なんて立場で来たのかな」

 

 やっぱり、そこだよね。

 代海ちゃんは人間社会に紛れるために、生徒という人間社会ではありふれた存在として振る舞い、学校に通っている。

 だけど先生はそうとは限らない。わざわざ先生として赴任するってことは、なにか目的があるはずだ。

 それに、ちょっと前に林間学校が終わったばかり。帽子屋さんが鳥さんを求めているのは周知の事実だし、それは向こうも知っているはず。

 タイミング的にも、怪しむ気持ちはとてもよくわかる。

 

「連中がなにかアクションを仕掛けて来るまで、警戒しながら待っているつもりだったが……こんなわかりやすくスパイを送り込んでくるとはね」

「……流石に、露骨すぎな……気も……」

「本当にスパイなのかなぁ」

「わからないが、その可能性は高いと思う。警戒するに越したことはないだろう」

「ケーカイ、ということは、デッキも強くしないとですね!」

「そういう……発想……?」

「大抵のことはデュエマが解決してくれる」

「それも呆れた思考回路だけどね……それはそれとして、デッキと言えば小鈴。この前言ってたデッキは完成したのかい?」

「あ、うん。なんとか形にはなったよ」

「小鈴さん、またデッキを変えたんですか?」

「相変わらずのグレンモルトビートだけどね」

「結構変わったと思うけど……初めて使う組み合わせだし……」

 

 まだあんまり対戦してないから、いまいちデッキの内容を掴みきれてないところはあるけど、それでも感覚的には前のデッキよりも結構違う感じだった。

 

「……小鈴の話題なのに、実子が大人しいな。なにを企んでいる?」

「水早君には関係ないことー……そこだっ!」

「甘い……」

 

 みのりちゃんのお箸が恋ちゃんのお弁当箱に届く寸前。

 恋ちゃんはサッとお弁当箱を引いて、お箸の一突きをかわす。

 

「……なにやってるんだ、君ら」

「美味しそうな飯があったから」

「つきにぃの、弁当は……渡さない……」

「行儀が悪いぞ」

「実子さん、お弁当あるんじゃないんですか?」

「昨日の残り物を雑に詰めただけだよ。生活費をカードに割いてるから肉が食いたい」

「その金で肉を買えばいいだろ」

「生活費を切り詰めるのは、カードゲーマーの悲しいサガだよ。とぅっ!」

「ぬるい……音ゲーマーが、鼻で笑うレベル……」

 

 めげずに恋ちゃんのお弁当を横取りしようとするけど、恋ちゃんには届かない。完全に動きを見切られちゃってるよ……

 

「恋ちゃんは、毎日お弁当だよね」

「私と同じ昨晩の残り物を使ったようなラインナップなのに、なんで私よりも美味しそう!? 解せん!」

「肉がないからだろ。君、このままだとスレンダーどころか竜牙兵(スパルトイ)みたいになるんじゃないか?」

「恋さんのお弁当、確かに美味しそうです!」

「……つきにぃが、作ってるし……当然っちゃ、当然……」

「先輩が?」

 

 恋ちゃんの家は、恋ちゃんと剣埼先輩の二人で暮らしている。

 先輩が料理して、お弁当も作っていると聞くと納得だけど……

 

「先輩だって普通に学校に通っているわけだし、朝早くに起きて弁当作るだなんて、大変だな。林間学校でも見てたが、恋は本当に家事ってものがなにもできないようだから、当然と言えば当然の理屈だけど」

「……おいしい」

「つべこべ言わずにその唐揚げを私に寄越せぇ!」

「いい加減うるさいぞ、実子」

「ぐぇっ」

 

 蛙が潰れたような声がした。

 霜ちゃんがみのりちゃんの襟元を思い切り引っ張って、首が締まってるように見えるけど……

 ……みのりちゃんのことはひとまず見なかったことにして、ユーちゃんと霜ちゃんに向き直る。

 

「ユーちゃんと霜ちゃんも、普通にお弁当だよね」

「Ja! Muttiが毎日作ってくれてます!」

「ボクもそんな感じだね。普通だよ。逆に小鈴は、ちょっと意外だったけど」

「? なにが?」

「いつもパン食べてるから。君は典型的な弁当派だと思っていたけど」

 

 あぁ、そういうこと。

 それは、わたしがパンが好きって理由もあるけど……

 

「うちのお母さん、面倒くさがってあんまり料理しないから……わたしもお姉ちゃんも、朝に作ってる余裕はあんまりないし……」

「普通はそうだよね」

「たまーにその気になったら作るけど、アテにならないから基本的には自由に買って食べることになってるんだ。お姉ちゃんも学食で食べてるらしいし」

「……想像以上に、変な事情、だった……」

 

 それはわたしが一番思ってます。

 まあ、お母さんもお仕事で忙しいし、徹夜とかよくするし、仕方ないところなんだと思ってるけど。昔からそうだったしね。

 それに、お弁当がない分、それだけ多くパンが食べられると思うと、それはそれで悪い気はしない。

 と思ったところで、ちょうど最後のパンを食べ終わった。

 

「食べるの……はや……」

「そうかな? 小さいパンだったからじゃないかな?」

「いや……でもそれ、三つ目……」

 

 まだ三つかぁ。うーん、どうしよう。

 この購買のパンも久しぶりに食べて、ちょっと恋しい。それに、まだちょっと食べたりないし……

 

「わ、わたし……ちょっと購買行って来るね」

「太るぞ」

「うっ……も、もう。霜ちゃんったら、お姉ちゃんみたいなこと言わないでよ!」

「君の着る服がなくなることを危惧してるんだが」

「いいの! なんとかしますー!」

「絶対なんとかならないパターンじゃないのか、それは」

 

 そんなことないよ……たぶん。

 それに、あるかどうかもわからない未来を危惧して、食べたいと思う時に食べられないような生き方はしたくないよ。

 ……後が怖いのは、確かにあるけども……

 

「……水早君、そろそろ……私の首、解放して……意外とキツイ……全部出て、死ぬ……」

「恋みたいな喋り方になってるな」

「私……こんな、死にかけた虫みたいじゃ、ない……」

「私は死にかけなんだよ!」

「生き返ったな」

「……えっと、とりあえず、行ってくるね」

「Ja! Alles Gute(いってらっしゃい)!」

 

 みのりちゃんが生死をさまよう姿を背に、わたしは教室を後にした。

 ……この後に待ち受けることなんて、まるで知らないままに。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「どれにしようかなー」

 

 購買部に並ぶ商品を眺めながら、品定めをする。

 さっきは主食のパンを食べたから、パンケーキみたいなデザートっぽいのにしようかな。

 単に甘いというだけなら、あんパンでもメロンパンでも揚げパンでもいいのだけれど、デザートという意味合いを持たせるなら、また話は変わってくる。今のわたしのコンディションと、今日食べたパンとの食べ合わせも考慮しなければならない。

 今日のメニューは、コッペパンに塩パンにホットドック。これらが今、胃の中にあることを踏まえて選ぶとしたたら……

 ……よし、決めた!

 今日の気分はパンケーキだよ! あとフレンチトーストも食べよう。

 二つの袋を抱えて店員さんの下へと向かう。

 

「これください」

「はーい! まいどあり! なのよ!」

「……なのよ?」

 

 応対してくれたのは、若いお姉さんだった。

 そのお姉さんは、商品を手渡しながら、とても綺麗な笑顔でにっこりと笑った。

 その笑顔は、とても見覚えのあるもので……

 

「どうもこんにちは、なのよ」

「…………」

 

 ……え?

 こ、この人って……?

 

葉子(ようこ)ちゃーん! ちょっとこっちお願い!」

「はーい! 今行きまーす! それじゃあね。また今度なのよー」

「え……あ、はい……」

 

 お姉さんは他の店員さんに呼ばれたみたいで、レジから離れた。

 い、今の人って、確か……

 

「『バタつきパンチョウ』、さん……? だっけ……?」

 

 蟲の三姉弟の長女で、『木馬バエ』さんの、お姉さん……?

 まさかお姉さんまで学校にいるなんて……しかも、売店員さんになってるなんて……

 

「と、とりあえず、戻ろう……」

 

 なにがどういうことなのかよくわからないけど、ひとまずみんなにも報告しなくちゃ。

 困惑しながらも廊下を速足で駆ける。途中、窓の外から、なにか聞こえてきた。

 人の声だ。それも、大人の男の人の声。こんなところまで聞こえるなんて、どれだけ響きやすい声なのか。

 と思って、窓の外に視線を向けると、

 

「ふはははははは! まだ秋にも遠いというのに抜け落ちるとは、情けない落葉どもめ! しかし安心するがいい! 貴様らの末路は焼却炉などという拷問の如き非生産的な灼熱地獄などではない! 新たな生命を育む糧となり、貴様らの種をより良く成長させるための肥やしとなるのだ! さぁ笑え! 歓喜せよ! ふはははははは!」

 

 用務員さんが高笑いをしていた。

 いや違う。いいや違くないけど、ただの用務員さんじゃない。

 やたら丁寧に落ち葉をかき集め、ゴミを拾い、学校を掃除しているのは、若い男の人。

 それも、わたしにとっては見覚えのあるお兄さん。確か……『燃えぶどうトンボ』さん、だったっけ?

 蟲の三姉弟の一人。『木馬バエ』さんのお兄さんで、『バタつきパンチョウ』さんの弟さん。

 

「さ、三人とも、学校にいたんだ……」

 

 確かに、出会う時はいつも三人一緒だったけど、三人まとめて学校関係者として入り込むだなんて……

 一人は教職員として。一人は売店員として。一人は用務員として。

 場所は違えど、三人一緒にこの学校に侵入していたようです。

 

「なんというか……」

 

 新学期早々、波乱の予感しかしません。

 せめて学校でくらいは、ゆっくりさせてほしいよ……

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 蟲の三姉弟との衝撃的なエンカウントにうなだれながら、とぼとぼと廊下を歩いていると、ある人影を見つけた。わたし同じくらいの小柄な背丈に、猫背気味な立ち姿。そして目を引くのは、屋内なのに頭からかぶったパーカーのフード。とても見覚えのある姿だ。というか学校の中でパーカーのフードをかぶってる子なんて、一人しか知らない。

 わたしはちょっと俯き加減で丸まった背に、声をかける。

 

「代海ちゃん!」

「っ……! こ、小鈴、さん……」

 

 その子は、びっくりしたのか慌てて振り返るけど、わたしを見るなり、安堵したような息を漏らす。

 亀船代海ちゃん。隣のクラスの子で、その本当の名前は『代用ウミガメ』さん。【不思議の国の住人】の一人だけど、わたしの友達。

 そうだ。ここで会ったのもなにかの縁。せっかくだから、先生たちのこと、聞いてみよう。

 向こうの内情を探ってるみたいで、あんまりいい気分じゃないけど……

 

「あ、あのさ、代海ちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「? は、はい。アタシが答えられることで、よ、よければ……」

「代海ちゃんたちの仲間に、『木馬バエ』さんって、いるよね」

「ハエさん、ですか? はい。ご姉弟の仲が凄くよくて、あ、アタシみたいなのにも、優しくしてくれます……い、いい人、です……」

「その『木馬バエ』さんが、先生として赴任したみたいなんだけど……」

「あ……あぁ……」

「それと、お姉さんとお兄さんの方も、売店員とか、用務員さんみたいになってて……その、どういうことなのかな、って」

「……そのこと、ですか……」

 

 代海ちゃんたちが、普段彼らとどんなコミュニケーションを取っているのかは知らないけど。

 聞いてみると、代海ちゃんは明らかに、覚えがあるかのような反応を示した。

 

「……た、たぶん、ですけど。前に、み、見ちゃったんです……アタシ」

「見た? なにを?」

「その……蟲の三姉弟の方々――『バタつきパンチョウ』さん、『燃えぶどうトンボ』さん、そして『木馬バエ』さん――お三方が、帽子屋さんと、お話ているところを――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――というわけだ。経理担当のハンプティ・ダンプティが悲鳴を上げていた。そして貴様ら三人の召集。そこから導き出される結論は一つと言えよう」

「お話はわかったのよ。タマゴ男さんには、甘い紅茶を振る舞ってあげるのよ。甘いあまーい、ハチミツを入れた、ハニーロイヤルミルクティー! とっても素敵なのよ! あるいは、ストロベリージャムを入れたロシアンティー! これも素敵!」

「やはり貴様の脳みそは虫だな。知性も、知力も、判断力も、理解力も、考察力もド低能だ。花園頭め」

イカレ帽子屋(マッドハッター)には言われたくないのよ。頭あっぱっぱーのくせしちゃって」

「横入り失礼するぞ、姉上。帽子屋殿、貴殿の仰ることは要領を得ませんぞ。貴殿の性質はぼくらとて理解している所存ではありますが、もう少し具体的な説明を要求したい」

「いや、流石にわかれよ兄さん。私でもわかったぞ。あんたらの脳みそは蠅以下か」

「ゴキブリは死に直面すると、知能が飛躍的に上昇すると聞き及ぶ。となればあるいは、蠅という不浄の蟲は、狩人たる蜻蛉や、姫の如き蝶々よりも賢いのやもしれんな」

「……でも帽子屋さん。この人たち、わりと真面目にわかってない風だし、私もあなたの言い分を誤解していたら困る。ハッキリ言ってほしいというのは、私も同意だ」

「ふむ。姉弟揃って面倒な奴らだ。ゆえに愉快ではあるがな。ではオレ様からの要求――いやさ指令を、端的(フランクリー)かつ直球(ストレート)に言おう。つまるところ、こういうことだ」

「……ごくり」

 

 

 

「貴様ら――働け」

 

 

 

「働きたくないのよ!」

「働きたくないのである!」

「……正直、働きたくないです」

「帽子屋殿! 家計が火の車というならまだしも! そして我々が無駄な浪費をしているというのならまだしも! ただハンプティ・ダンプティ殿が悲鳴を上げた程度で、なぜ我々姉弟が働かねばならないのです!」

「あのデブ……じゃない。ハンプティさんが経理だからでしょ。でも、いくら厳しいっていっても、そんなに急変したってほどでもないでしょうに。それに私らが働いてどうこうなる問題なのですか?」

「さてな。オレ様が聞いたのは奴の悲鳴。しかし、貴様の言う通り、急速な対応が求められているわけではない。言うなれば、金運が下向きに下降していく予兆が見えた、といったところか」

「金策なんて公爵夫人様とか、ウサちゃんとか、そういうお金稼ぎできる人に任せとけばいいのよ! (アタクシ)たちは自由な蟲の三姉弟! 自然のまま、エコロジーに生きているのよ! お金なんてものには、縛られない!」

「ならばここから出て行け」

「それは困るのよ!?」

「……まあ。金っていうのは、面倒くさい概念だよね。人間社会が生み出した物質的信用にして、価値ある信用だ。これを得ることが、人間社会に寄生するためには必須だ」

「わかっているではないか、木馬バエ。そうとも、価値とは、信用とは、形を持って示されるのが人間の世。カード一枚取っても、それにはあらゆる価値が秘められている。実用的価値、稀少的価値、物質的価値、芸術的価値、時間的価値――それらの価値を数字によって明らかにし、信用という枷をつけた。なかなかどうして、面白いことをするよな、人間とは」

「信用が大事なのは理解しますけどね。でも帽子屋さん、やっぱりそれは、私たちがやらなくちゃいけないことではないでしょう」

「そう言われれば返す言葉もないが、立っているものは親でも使え、という格言が人間社会にあるそうでな。貴様らの信用問題も込みにして、ただ貴様らを使おう、という気になっただけだ」

「そんな適当な理由じゃ納得できないのよ!」

「ふむ? そうか、ならば他の理由も付け加えよう。そうだな、ヤングオイスターズの長姉は、兄弟姉妹のためにあくせく働いていると聞くが?」

「よそはよそ、うちはうち! である!」

「面倒くさいな、貴様らは。オレ様が呆れるほどの面倒くささだ。虫とはかくも鬱陶しいものなのだな。ハンプティ・ダンプティよりも面倒くさい。三月ウサギより面倒くさい」

「三月ウサギさんよりもっていうのは撤回してもらいたいところです。うちの愚姉愚兄もよっぽどウザいですが、あの狂乱発情淫婦よりは百億倍マシです」

「ウサちゃんもちょっとツンデレなだけで、いい子なんだけどね」

「それは嘘だろ、姉さん」

「ともかく、とにもかくにも、兎に角だ。自由気ままも結構だが、働いていない貴様らを動かすのもオレ様の役目らしいのでな。いい機会だ、街に住む害虫の気分でも味わってくるといい。そしてオレ様の益虫になってみせよ。働かざるもの食うべからず、とも言うらしいぞ?」

「お仕事ならしてるじゃないのよ! 私がいなかったら、自分たちのこともほとんど知れなかったくせに! ちょっとくらい見逃してくれてもいいじゃない! 帽子屋さんのけちんぼ!」

「そうであるそうである!」

「こればっかりは、私も少し抵抗しましょうかね。手伝うよ、姉さん、兄さん」

「ハエとトンボ、そして私がいれば、けちん帽子屋さんにも負けないのよ! さぁ帽子屋さん、デッキを取りなさい。決闘(カードゲーム)のお時間なのよ! 勝ったら私たちを働かせるのをやめて!」

「ほぅ……そう来るか。いいだろう、それは楽しそうだ。貴様らの信用はさておき、カードゲームの結末には一定の信用を示してもいいだろう。ならばオレ様が勝てば、貴様らは強制労働だ」

「望むところなのよ!」

「受けて立つのである!」

「……なんか急に不安になってきた」

「ではでは、貴様らはなにを所望する? 一網打尽の爆殺か? 一射一殺の銃殺か? あるいは、狂喜乱舞の狂殺か?」

「だまらっしゃーい! 行くのよ! トンボ! ハエ! 私たち姉弟の力! 今こそ見せる時なのよ――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――という、ことがありまして……」

「……た、大変だね……」

 

 思ったより愉快だったけど。

 っていうか、あのタマゴ男さんが経理担当って、帽子屋さんたちはどういう生活をしてるんだろう……?

 

「あ、アタシは、その一部始終をたまたま見ただけで、すぐにその場から立ち去っちゃって……その後のこととか、く、詳しいことは分からずじまいだったんですけど……」

「今の結果を見るに、そういうことなんだろうね……」

 

 帽子屋さんに負けて、あの三人は働くことになった、ということでたぶん間違いない。

 だけど、なんで学校なの? アルバイトとかじゃなくて、普通に就職するだなんて。就職ってそんなに簡単に、すぐにできるものなの?

 そもそも、陸奥国先生は非常勤とはいえ教師だけど、教員免許とかはどうしたんだろう。

 疑問は尽きないけど、たぶん考えても無駄なんだろうなぁ。

 

「とにかく、何事もないといいけど……」

「あ、あのご姉弟なら……たぶん、大丈夫、だとは……お、思います、けど……」

「そうかなぁ」

 

 お姉さんはニコニコしてるけど、なにを考えてるのかよく分からないし、たまによく分からないことを言うし。

 お兄さんはちょっと過激というか、勢いがあっていきなりなにをしでかすかわからない怖さがあるし。

 弟さんは……一番安全かもしれない。二人のストッパーになってくれたらいいのだけれど。

 

「……はぁ」

 

 日常の中に、非日常な物事がたくさん紛れて来る。どんどん、日常と非日常の区分が曖昧になる。

 このままなにもトラブルがなければいいけれど、それは流石に楽観しすぎだろうね。

 わたしの学校生活、どうなっちゃうのかな……?

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 何事もなく、平穏な学校生活が続きますように。

 その願いは誰に届いたのか。わたしが願ったからなのか。それはわからないけれど。

 その後の一週間ほどは、特になにも起こらなかった。

 クリーチャーも来ないし、鳥さんは姿を現さない。

 普通に授業を受けて、カードショップに行ったり、生徒会室から脱走する謡さんの相手をしたりしながら、日々を過ごしていた。

 拍子抜けするほどに平穏だった。呆気ないくらいに平和だった。

 先生は普通に淡々と授業をこなすし、購買のお姉さんはいつもにこやかにパンを売ってくれて、用務員のお兄さんは尊大な口調ながらも出会えば誰にも平等に挨拶をしてくれる。わたしたち相手に、特別な対応をするでもなく、一教員、一職員として接してくる。

 本当に、純粋に働きに来たんだ……霜ちゃんじゃないけど、正直、勤め先が学校だなんて、ちょっとは疑っちゃったけど、ここまでなにも動きがないとその嫌疑も薄れる。

 お陰で、ちょっと安心したよ。相手が相手だから、気にはなるけどね……

 

「――今日の授業はここまでにしましょう。やっと授業というものに慣れてきましたが、やはり疲れる。残り時間が三分程度の残っていようとも、そんなものは誤差の範囲内でしょう。はい、授業はおしまいです」

 

 陸奥国先生はそう言って、とっとと荷物をまとめると、形だけの号令で授業を終わらせて、教室から出て行ってしまった。

 いい先生なんだけど、なんというか……ちょっと自由すぎる気がするよね……

 これが今日最後の授業だから、あとはホームルームだけで終わり。

 また今日という日も、何事もなく終わったなぁ。

 今日はどうしようか。

 

「恋ちゃん、今日もワンダーランドに行く?」

「……いや……今日は、ちょっと……」

「ユーちゃんも、ブカツに行かないとです」

「そっかぁ、残念だね」

「ボクも今日は別に行きたいところがあるんだ。悪いね」

「みんな来れないんじゃ、今日は解散かな」

「え? 私がいるよ? ここは私と小鈴ちゃんでハネムーンじゃない? 二人きりの蜜月だよ?」

「ショップは昨日も行ったし、今日はいいんじゃないか? あんまり頻繁に行ってると、また詠さんに「女子中学生らしくないなぁ」なんて言われてしまうよ」

「そうだね。そうしよっか」

「あの、私は……無視は、ちょっと傷つくんだけど。ねぇ?」

 

 というわけで、本日は各々自由に過ごすということになりました。

 恋ちゃんとユーちゃんは部活で、霜ちゃんは、たぶんブティックとかかな、行きたいところって言うと。

 わたしはどうしよう。家に帰ってもいいけど、図書室にでも行こうかな。

 

「皆が私を無視する……いいもんいいもん! 今日はスーパーの特売日だし、家で一人焼肉してやるよ! 食べたくたってやらねーからよーだ!」

「わかったから、とっととスーパーに行ってこい。いい加減うるさいぞ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 というわけで放課後です。

 家に帰る前に、なにか本を借りようと図書室に向かいます。

 だけど、その道すがら。

 職員室の前で、出会ってしまった。

 

「せ、先生……」

「……伊勢、か」

 

 先生らしく、わたしのことを苗字で呼んでくれる木馬バエさん――いいや、陸奥国先生。

 先生なんだから、校内で出会うのは当然だし、なにもおかしなことはないんだけど。

 わたしと先生の関係は、単なる生徒と教師というだけではない。だから、いくら今までが安全で安泰だと言っても、ちょっと萎縮してしまう。

 先生はしばしわたしを見つめると、独り言のように小さく呟いた。

 

「……ちょうどいいな、これは」

「はい?」

「伊勢。今から少し時間はありますか? 手伝ってもらいたいことがあるのですれど」

「お手伝い、ですか? あの、それって……」

「今の私はあくまで教師。教員としてのお願いです」

「そ、そういうことなら……はい、大丈夫です」

「そうですか、なら少し待っていてください」

 

 そう言い残して先生は職員室に戻る。

 しばらくすると、先生は大量の紙の束を抱えて戻ってきた。

 

「それは……?」

「授業用の資料ですね。これを第三資料室という場所まで運びたいのだけれど、如何せん数が多くて。場所もよくわからないので、手伝ってもらえないですか?」

「それくらいなら、構いませんけど」

「ありがとうございます」

 

 思ったよりも普通で、とても先生らしいお願いだった。

 本当に、あの『木馬バエ』さんは、陸奥国先生という教師になったんだと感じさせられる。

 どうせ今日は暇だったから、先生のお手伝いくらいならなんてことはない。大量の紙束の半分ほどを持って、先生と資料室へと向かう。

 確か第三資料室って、いつかクリーチャーが出て来たところだよね……恋ちゃんをわたしの問題に巻き込んじゃったところだ。

 とても懐かしい気がするけど、あれから半年くらいしか経ってないんだよね。長いよう感じたけど、たった半年だ。

 平穏な日々が送りたいとは思うけれど、じゃあこの生活は、一体いつまで続くんだろう……?

 

(それに、クリーチャーに暴れられるのは困るけど、鳥さんや、陸奥国先生がいる日々は、それはそれで平和だしね……)

 

 平和な日常を乱す、というつもりならとても困ったけど。

 そういうつもりでもないみたいだし、それなら、もっと友好的になれるのかな。

 代海ちゃんの時みたいに。

 

「あ、あの……せ、先生?」

「なんでしょう」

「えっと、代海ちゃんから聞いたんですけど……帽子屋さんに言われて、ここで働いてるんですか……?」

「代海ちゃん? ……あぁ、ウミガメちゃんか。そう言えば彼女、人間としてはそういう名前だったっけ」

 

 ウミガメちゃんって呼んでるんだ……ちょっと意外。

 

「まあ、そうですね。結局、ボスの命令には逆らえなかった哀れな虫けらですよ、私たちは」

「でもなんで、先生に……?」

「なんで、と聞かれると難しいな。あなたたちが近くにいるという打算的理由もなくはないけれど、もっと因果的というか、運命的というか、そういう都合だからというか。これは私の意志ではなく、かといって厳密な意味で帽子屋さんたち他者の意志でもない。そもそも帽子屋さんの意思はわけがわからなさすぎる。だから私は、私の知る範疇で話すしかないわけだけど……そうだな。姉さんの言葉を借りるなら「作者がそうしたいと思った結果なのよ」かな?」

「作者……?」

 

 なんだか、どこかで聞いたような気がする概念だ。こことは違う、けれどここと同じようで、それでいてとても近いどこかで。

 それでも結局、意味なんてわからないのだけれど。

 

「まあ、理由なんて大したことではないでしょう。私は、姉さんや兄さんがいる場所ならどこでもよかった。その結果がここだったというだけ。そこに何者かの意志や謀略が介入していたとしても、私の与り知るところではない」

「はぁ……」

「ただ、想像以上に面倒くさいところですね、学校とは。それに教師という職も面倒くさい。すべきことが多くて、しかも複雑だ。日々生気が削り取られる感覚に苛まれる。これは鬱病待ったなしの職業ですね、地獄だ」

 

 辛辣に教師という職業を批判する先生。

 いつも淡々と授業をこなしているけれど、意外と鬱憤が溜まってたんだね……

 その後も、話は続いた。今は陸奥国先生としてだけど、木馬バエさんとちゃんとお話ししたことはなかった。

 いや、先生だけじゃない。【不思議の国の住人】の人たちとお話しする機会は、ほとんどない。代海ちゃん意外と、こうやって話すことはなかったから、なんだか新鮮で、少し嬉しかった。

 こうして話していると、この人たちが人じゃないということを忘れてしまいそうで、わたしが戦う相手だという認知も曖昧模糊となる。

 代海ちゃんの時もそうだったけど、少し世間ずれはしているのかもしれないけれど、普通の人間とそう変わりない。おかしなことも、外れているということも、狂ってることもない。

 この人たちは、当然のように、この世界に生きる人たちなんだと思える。

 異常でも異質でもない。

 ……なのに。

 なんで、わたしは戦うんだろう――

 

「――さて、ここかな? 第三資料室とやらは」

「あ、はい。そうですね」

 

 しばらく歩くと、資料室に着いた。

 この辺りは資料室とか、空き教室とか、授業でも使わない教室ばかりで、あまり人が通らない場所だ。それに放課後ということもあって、人はいなかった。

 

「じゃあ、この資料を奥の方にお願いします」

「はい、わかりました」

 

 先生に促されるままに、紙の束を抱えて資料室に奥へと進む。

 うーん、でもこれって、授業で使うための資料なんだよね? なんでこんな資料室の、しかも奥に置いておくんだろう?

 そう思って、ちょっとした好奇心で紙をめくると――

 

「……え?」

 

 ――白紙だった。

 

 

 

ガチャリ

 

 

 

 錠が閉まる音が、狭く薄暗い資料室でこだまする。

 

「……人が良すぎると言うべきか。純粋なのか、無防備なのか。なんにせよ、愚鈍にすぎる」

 

 わたしに背を向け、扉に向いていた陸奥国先生は、踵を返してわたしに向き直る。

 静かで、人気がなく、薄暗く埃っぽい、閉鎖的な空間。

 ここにいるのは、わたしと、先生だけ。

 たった、二人きりだ。

 本来ならこんな状況になるなんてあり得ないけれど、それがあり得てしまった理由は、ただ一つ。その道筋を辿る発端は明確だ。

 出発点は、たった一つの虚言。

 

「帽子屋さんの命でここに来たのは本当。学校なんて面倒くさいところに配属されて憂鬱なのも本当。ここまでの道中、話したことはすべて本当のこと。なにも嘘は吐いていない……あぁ、いや、嘘です。一つだけ、嘘をつきました」

 

 バサバサバサ、と。

 先生は“白紙のプリント”を、床にぶちまけた。

 

「授業用の資料というのは真っ赤な嘘です。ただ、あなたと二人きりで、この誰もいない閉ざされた場所に来たかった。そのためにでっちあげた偽りの理由です」

「せ、先生……?」

「本当、帽子屋さんの言うことは滅茶苦茶だし、教師なんて苦痛でしかない奴隷のような職業だと思う。しかし私はそんな悪条件さえも甘んじて受け入れ、結果をただ享受するしかない。私は自分の意志でここにいるわけではなく、何者かの意志に突き動かされて、こんな役回りとなっているに過ぎないんだ……だけど、だからと言ってだ。受動的に結果を受け入れるからって、何者かの意志に唯々諾々と添うからと言って、私が意志のない傀儡というわけではない。ただ、己を出すべき場と、そうではない場。その二種類のケースがあるというだけの話」

 

 先生は床に散らばったプリントを踏み超えて、一歩、また一歩と進む。

 わたしへと、近づいていく。

 

「面倒くさい、憂鬱だ、辛い……しかして劣悪な環境に身を委ね、自分の意志を殺して苦痛を受容する。だからと言って、すべてに消極的になると思ったら大間違い。必要とあらば、己の意志は覚醒させるとも。餌がそこにあるのに、見逃さない虫はいない。ちょうどいいところに、ちょうどいいものがある。それを利用しない手はない。意志を殺しても、偶然は排斥すべきではない。幸運が転がり込んだなら、意識的にそれを掴むというもの。有用な偶然であるのなら、殺した意志も生き返らせて使えばいい」

 

 もう先生は、眼前まで迫っていた。

 細身だけど、わたしよりもずっと大きな身体。後ろは壁。両横は大きな棚。逃げ場はなく、先生はわたしを逃がさないと言わんばかりに、壁のように立ち塞がっている。

 

「先生……な、なにを……?」

「悪いがあなた自身には、さしたる興味はない。ほら、いつか私の姉さんも言ってただろう。あなたは――餌だ」

「っ……!」

 

 先生の手がわたしに触れる。同時に、引っ張るようにして体勢を崩されて、背中から倒れ込んでしまった。

 立ち上がろうとするけど、先生はすかさず覆いかぶさってきて、それを阻止する。

 それはまるで、わたしが先生に押し倒されてしまったかのような様相だ。いや、ような、ではなく、実際に押し倒されたのと変わりはない。

 わたしの身動きは、ほとんど封じられているのだから。

 

「っ……! は、離して、ください……っ!」

「悪いがそれはできない。苦労はしてないが、せっかく捕まえた餌を手放す道理はないのでね」

 

 腕も掴まれて、脚は押さえつけられて、身体は倒れ込み、身動きが全然取れない。

 いや、動けないのは、抑えられているからだけではない。

 

(こ、怖い……!)

 

 身体が震える。自分の意思が上手く伝わらない。動かしたいと思っても、手が、脚が、その命令をちゃんと受け取ってくれない。動かせない。

 怖い……動けないというだけで、こんなにも恐怖が込み上げて来るなんて……

 頭でわかっていても、実際に男の人の力の強さを体感すると、どうにもならない絶望感があった。

 なにをされるか、なんて考える余裕はなく、ただひたすらももがき続けるけど、わたしの抵抗は弱すぎた。

 振り解くなんてもってのほかで、先生は涼しく冷淡な眼差しで、わたしを見下ろしている。

 考えはまるでまとまらず、動かせるものはとにかく動かさないと、恐怖に押し潰されそうだった。

 その恐怖心から少しでも逃れるために、言葉だけでもと、思いついたことをただただ発する。

 

「エサって……な、なにが……」

「不思議の国に迷い込んだアリスは、とても餌としての価値が高い。なにせ、あなた一人を使うだけで、あの婦女子のような少年と、猫を被った正義の味方を、同時に釣れるのだから」

「……? そ、霜ちゃんと、謡さんのこと……? その二人を、どうして……?」

「どうして? そうか、あなたたちは、虫けらを踏み潰してもなんとも思わないような残酷な種族だったな。標本なんて悪趣味な所業を是とするほどだ。蜻蛉や蝶々の翅を毟ったところで、記憶にも残らないか」

 

 トンボ? チョウチョ?

 なにを言ってるの? 先生は、なにが言いたいん? なにをするつもりなの?

 霜ちゃん。謡さん。トンボ。チョウチョ。

 ……あ。

 

「も、もしかして、夏休みの、あの時……」

「思い出しましたか。こんな状況だというのに、あなたは聡明ですね、アリス(マジカル・ベル)

 

 霜ちゃんに謡さん、そしてトンボとチョウチョ。そこから、過去の記憶を引き出せた。

 わたしが、蟲の三姉弟と出会った時の出来事。

 どちらも夏休み中のことだ。一度目は、霜ちゃんと一緒にブティックに行った帰り。あそこで、霜ちゃんはトンボ――『燃えぶどうトンボ』さんと戦った。

 二度目は、林間学校の直前。チェシャ猫レディさんの正体を突き止めようと現れたチョウチョ――『バタつきパンチョウ』さんを、チェシャ猫レディだった謡さんが倒した。

 それらを引き合いに出して、『木馬バエ()』さんはなにかをしようとしている。

 そのなにかというのは、たぶん――

 

「私はあなたたちが許せない。私の気高き姉兄を愚弄したあなたたちを――誰一人として許せない」

 

 ――復讐。

 姉兄の、敵討ちだ。

 

「勿論、ただ一人一人潰すだけなら、それでいい。あなたを使えば、二回行う手間が一回省けるという、その程度の意味合いしかない……あぁ、違うな。ついでに帽子屋さんの求める聖獣とやらも誘き出せるな。一石三鳥というやつですね。まあもっとも、私の憎悪は醜く肥大化している。あなたを使うという悪意がふんだんに滲んでいることは、否定できませんがね」

「わ、わたしを人質にしたって、そんなこと……」

「できるでしょう。あなたたちはそういう種族だ。人間心理もちょっとは勉強しましたからね。わかりますとも」

 

 そう言えば、この姉弟と二回目に会った時、わたしを餌にしてチェシャ猫レディさんを誘き出す、なんて言ってたっけ。

 これはその時と同じ手。蒸し返された手段。

 それが効果的かはともかく、もしもそれで、霜ちゃんや謡さんが、酷い目に遭うようなことがあったら、わたしは……

 

「……それに、あなたは気づいていないかもしれない。自覚がないのかもしれない。しかし、あなたの影響はとても大きいのですよ、アリス(マジカル・ベル)

 

 不意に、わたしの虚を突くように、先生は言った。

 

「え……? どういう、こと……?」

「あなたを使うということは、それだけに大きな影響があり、多くの理由や理屈、因果がつきまとうということですよ。なにせあなたには、不可視にして定義が困難な、不思議な“なにか”がある。それは能力なのか、技術なのか、あるいは別のなにかなのか。定義が難しく曖昧な、よくわからないものだ。私たち風に言うなら、そうだな……「縁を繋ぐ」とでも言うのか。あなたを中心として、あなたはあらゆる人物を引き込んでいる。本来、関わり合うことのなかった異端の者共を、悉くその手中に収めている。無関心に関心を持たせ、恐怖の魔物から善意だけを残し、苦悩の狭間を潜り抜け、裏切り者を表立たせ、正義を懐柔し、代用品だって掌握する――正直、恐ろしいよ。私からすれば」

 

 「縁を繋ぐ」……?

 恐ろしいのはこっちだよ、と言いたくなったけど、そんな余裕もない。

 今、この場の主導権を握っているのは、先生なのだから。

 

「まあそんな恐れはどうでもいい。それも理由の一端にすぎない。私は利用するだけ。あなたを、私の、復讐劇のために」

 

 わたしは、抵抗も無意味な状態なのだから。

 捕まえられた虫のように、自由を奪われ、蹂躙も拘束も、受けるしかない立場なんだ。

 

「こういうの、勝手がよくわからないのだけれど、どうしたものだろうか。抵抗を防ぐなら腕、逃走を防ぐなら脚を潰せばいいけれど……四ヶ所は面倒くさいな」

 

 抑えられた腕に力がこもる。痛い。だけど、引き剥がせない。

 授業中となにも変わらない、その淡々とした言葉が、かえって恐怖心を煽る。

 この人は、なにも躊躇しない。きっと、どんな酷いことでも、非道なことでも、表情一つ変えずにやってのけてしまう。

 その心が、その生き方が、その眼が――とても、怖い。

 

「叫ばれても面倒だし、舌も抜いとくべきかな? いや、舌って噛み切ると死ぬんだっけ? じゃあ抜いたらどうなるんだろう。そこは勉強してないな。出血量の問題ならダメかな。じゃあ歯を抜く? でもペンチとか持ってないな。喉を潰したらたぶん死んじゃうし……まあ黙らせるだけならいくらでもやりようはあるか。とりあえず動きを封じるところから始めましょう。腕と脚を一つずつ。虫は六本くらいが普通だけど、合わせて四本しかないってのは辛いですね。まあ、手足が半分になったら這って動いてください。虫のように」

「あ……うっ、い、いた……っ!」

 

 腕にさらに力が入る。

 本来なら曲がらない方向に力が込められる。

 人体の造りとしては無理な駆動。設計されていない動き。無理やりな力の加圧。

 できないことを無理にするには、それ相応の力が必要だけど、その無理を通せばどうなるのか。答えは子供でもわかるくらいに簡単だ。

 ただ、壊れるだけだ。

 

「っ、や、やめて……!」

 

 

 

ドンッ

 

 

 

「……? なんだ?」

 

 音がした。なにかを叩くような音が。

 部屋の、向こう側。入口の近く。

 ドンドン! と音は激しく大きくなっていく。

 

「誰かが入ってくる? 誰が、なぜ……?」

 

 施錠された扉を、無理やり押し開けようとしている。

 だけど、鍵が閉められたということは、中に入ることができないという意味だ。

 その無理を通すには、今のわたしと同じ。破壊しか手はない。それが、無理を通し続けた末路だ。

 絶え間なく響く打撃音と、破壊の試み。それが何度も何度も続き、そして――扉が、爆ぜた。

 

 

 

「――やっと見つけのよ! ハエ!」

 

 

 

 薄暗い教室に光が差し込む。

 その光の中には、二つの人影。わたしからは、先生が壁になって姿が見えないけど、あの声には聞き覚えがある。

 この一週間、何度も何度も聞いた。お昼のたびに、お腹がすくたびに、その声を聞いて、わたしは満足を得てきたのだから。

 

「ね、姉さん……!? 兄さんも……どうして、ここに……!」

「どうしてもこうしてもないのよ。私たちは、三人揃って蟲の三姉弟。なにをするにも三人一緒。三人揃って笑うのよ」

「その通りだ、弟よ。姉弟として共にあることが自然であり道理。筋は通さねばならぬ」

 

 慌てたように先生が立ち上がった。同時に、パッと腕が、身体が解放される。

 なにが起こっているのか、さっぱりわからない。だけど、一つだけわかったことがある。

 きっとここに、わたしの味方はいない。

 その姿を完全に捉えた。教室に無理やり押し入ったのは、やはり『バタつきパンチョウ』のお姉さん。それに、『燃えぶどうトンボ』のお兄さんもいる。

 蟲の三姉弟が、揃ったんだ。

 先生は、お姉さんやお兄さんのために、その汚名を晴らすために、わたしを使うと言っていた。

 姉弟全員が揃って、わたしは虫の群れに囲まれてしまったようなもの。

 もはや、逃げ場はなかった――

 

「姉さん、兄さん……」

「ハエ。あなたの気持ちは受け取ったのよ。私たち姉弟を思う心意気は、とても気高く、素敵だと思う。だから――」

 

 ――と、思っていた。

 

 

 

パシンッ!

 

 

 

「――こんな恥ずかしいこと、やめなさい!」

 

 甲高い音が鳴り響く。

 お姉さんと向かい合っていた先生はのけ反って、頬は赤く腫れていた。

 

「トンボ、次は任せたのよ」

「相わかった」

 

 呆然とする先生をよそに、お姉さんは後ろに控えていた燃えぶどうトンボさんと入れ替わる。

 トンボのお兄さんは、先生の襟元をぐいっと掴んで、また立ち位置を入れ替える。

 そして――

 

「我が弟、木馬バエ――歯を食い縛れ!」

 

 ――殴った。

 渾身の力で、彼の頬を、思い切り。

 一瞬、先生の身体が宙を浮き、舞って、周りの棚もなにもかもを巻き込んで、背中から倒れ込む。

 色々なものが崩れて、誇りが巻き上がって、それに巻き込まれる先生。

 なにが起こっているのか、思考がまったくついてこない。

 これは、どういうことなの……?

 

「大丈夫? ケガとかしてない?」

「え、えっと……?」

「もうっ、ハエったら。服が乱れちゃってるじゃないのよ。レディにすることじゃないのよ」

 

 チョウのお姉さんが、わたしに駆け寄る。そして、わたしの乱れた服を直してくれてるけど……

 

「まったく、こんなに可愛いうちのお得意様になんてことを……あ、おっきい。私よりもおっきいかも」

「あ、あのっ!」

 

 ようやく、声が出せた。

 わたしの恐怖心は、雲散霧消したとは言い難いけど、どこか歪んだ形で消えていった。

 混乱と困惑が大きく渦巻いているせいで、また思考が停止する。

 安心できたわけじゃないけど、どこか絶望的な恐れは、今はない。

 

「な、なんで、わたしを助けてくれるんですか……?」

「なんで? 私たち、なにかおかしなことしてるかな?」

「だって、先生は、お姉さんたちの弟さんで……」

 

 先生は、お姉さんたちのために動いたのに。

 なんでそれを止めるのだろう。

 協力するならまだしも、止める理由が、わからない。

 

「なにを抜かすか娘。弟が外道に堕ちようとしているのだ。兄として、その道を正すのが道理であろう」

「そうなのよ。私たちは、あの子に悪い子になってほしくないのよ。三人一緒に笑いたいのに、一人だけ陰気なのは嫌じゃない?」

 

 ニッコリと笑いかけてくるお姉さん。

 なんというか……なにも、言えなかった。

 言ってることはわかるんだけど、この人たちはそんなにも“正しい人”だったとは思っていなくて、その落差に言葉を失う。

 だけど、その正しさで、先生は……

 

「そ、そうだ。先生は……?」

「なに、我が弟だ、問題あるまい。平手の一打、拳の一発でくだばるような身体ではなかろうよ」

 

 そういうことじゃないと思う。

 平手はともかく、あの拳は相当だ。それに、あんなに派手に倒れ込んだんだ。頭を打ったりとかしてないといいけど……

 そう思っていると、ガラガラと倒れた棚が動いて、押し退けられる。

 崩れた資料の山から、這いずるようにして現れたのは当然、先生だった。

 ……あれ?

 先生、なんだか……目の色が、違うような……?

 

「やめてよ。姉さん、兄さん……」

 

 先生は少しふらふらしていたけど、それでも、棚を押し上げながら立ち上がる。

 さっきまでわたしに迫っていた姿とは、本質的には同じようで、だけどどこか違っていて。

 まるで、殻が破れたような、覇気があった。

 

「頼むから……私の邪魔を、するなよ……!」

「っ……!」

 

 その眼に宿るのは、明確な敵意。

 誰かを害しようとする心と、敵対者と認めた意識と、悪と断ずる意志が感じられた。

 

「まずいぞ姉上。ハエの奴“開眼”している」

「あっちゃぁ、そこまで行っちゃってたかぁ。これは遅きに失した私たちのミスなのよ。トンボ! ハエを止めて!」

「承知した! しかしああなったハエはもう止まらん。いつまでもは持たんぞ! 姉上、早急な処置を頼む!」

「そんなことはわかってるのよ! お姉ちゃんだからね!」

 

 害意の灯った眼差しを向けてにじり寄ってくる先生を、トンボのお兄さんは羽交い絞めにする。

 

「止まれ木馬バエ! その行いは邪の道だ! 自然にも、道理にも、正しき筋道にも反していることを自覚せよ!」

「離せよ兄さん! 私はもう、無理だ……! もう、この恩讐を解き放たなければ、私は私を止められないんだよ!」

 

 先生が憎悪の視線を向けるのは、わたし。

 さっきまでの冷淡な先生はもういなくなって、感情的で、暴力的で、とても荒々しかった。

 それはもうわたしの知る先生でも、『木馬バエ』さんでもない。

 誰かわからないほどに変貌した、誰かがいた。

 

「あの、せ、先生は……どうしちゃったんですか……? さっき、開眼とか、言ってましたけど……」

「あの子は自分の“眼”を開いた。その結果、己の自意識、己の欲望、己の執念に突き動かされた罪の獣になっちゃった……というところ、なのよ」

「眼を、開いた……? それに、なっちゃった、って」

「なのよ。この際だから、もう全部ゲロっちゃうけどね。私たち三姉弟はそれぞれ「視点を変える」個性()があるのよ。複眼を持って、別視点で世界を見る異能がね」

 

 「視点を変える」。それ自体は、ちょっとだけ知っている。

 このチョウのお姉さんは、神様の視点になって、どんなことでも見通す力がると言っていた。

 だけどその力は、その異質な眼は、お姉さんだけのものじゃなくて、姉弟全員に共通するものだったんだ。

 

「私、『バタつきパンチョウ』の眼はご存じの通り、“三人称”の眼。完全な第三者の眼を持って、神様の視点であらゆる事象を解析する、万能の検索眼。ま、あの子猫ちゃんには効かなかったけど」

「三人称で、三姉弟……ってことは、もしかして」

「お察しの通りなのよ。私の可愛い弟の一人、『燃えぶどうトンボ』。トンボの眼は“二人称”の眼。完全なる他者の視点。そこにいる誰かの視点で世界を見る眼。それは、自分ではない誰かの眼を持つ、有象無象の個人主義の集合眼なのよ」

 

 二人称の眼。その意味をちゃんと理解することは、難しいけど……そうなると、先生の眼っていうのは……

 

「えぇ。愛おしい末弟『木馬バエ』。ハエの眼は――“一人称”の眼」

 

 長女が三人称、長男が二人称、ならば次に来る次男は、残る一人称と自然と決まる。

 でも、それはおかしい。

 お姉さんは自分たちの眼を「視点を変える」と言った。だけど、わたしたちはすべからく一人称で生活している。すべてを“自分の視点”で見ている。

 だから一人称の眼と言っても、それは「視点を変える」ことにはならない。

 先生の眼は矛盾しているんだ。それは、「視点を変える」眼じゃない。

 いとっても、お姉さんが嘘をついているようには見えないし……どういうことなんだろう。

 

「ハエの眼は、私たちと根本的に違う性質なのよ。私たちが世界を広げて見るのに対して、あの子の眼は、世界を狭く見る眼。広げるのではなく、収束させる眼。自分だけの世界、自分だけの意志、自分だけの空想を直視し続ける、視野狭窄の眼なのよ」

「……?」

 

 どういうことなのかわからない。

 自分だけを見続ける……?

 広く見るのではなく、絞って見る。

 それは一体……?

 

「口を挟ませてもらうぞ姉上! 貴様らとて“想像”はするであろう! 他者の視点とやらをな! 客観的な視点というものをな! ハエの眼は、誰かの視点(二人称)も、客観視(三人称)も捨て去った、完全無欠の超個人視点(一人称)! そこに他の者の意志や空想が入り込む余地など存在せぬ!」

「ありがと、トンボ。まあそういうことなのよ。ハエの眼は、別世界を見る眼じゃない。自分の世界を見つめる眼なのよ」

 

 世界を狭く見る眼。

 小学校の道徳の時間、先生から「相手の気持ちになりなさい」なんて教えられたことがある。

 だけど同時に、客観的に物事を見て判断しなさい、と教えられたこともある。

 相手の気持ちを考えること(二人称)も、客観的に考えること(三人称)も失われた、完全な主観(一人称)

 それが、今の先生なの……?

 

「……自分の世界を見つめると、どうなるんですか……?」

「今のハエは、自分のしたいこと、するべきことしか眼に映らない、視野狭窄な状態。ある意味、ウサちゃんや帽子屋さんよりも“らしく”狂っている、わかりやすいバーサク状態なのよ。つまり、己のリソースをすべて、眼前に目的に注ぎ込んでいる。自分以外が“眼中にない”状態なのよ」

 

 自分以外が眼中にない、って。

 自分のやろうとしていることのために、すべてをなげうつってこと?

 それって、とても危険なんじゃ……

 

「うん、危険なのよ。あの眼はある種のブーストをかける力だけど、あんな感じで狂乱状態になっちゃったりもするから、使っちゃメッ! っていつも厳しく言ってるのだけれど……抑えきれなかったんだね、木馬バエ」

「お姉さん……」

 

 お姉さんは暴れる先生を見て、悲しげな、だけど微笑んでいるような、それでいて慈しむような、柔らかい表情を見せた。

 最初に会った時も、二回目も、先生の話を聞いていても、傍若無人さとか、適当さとか、軽い人だと思っていたけれど、全然そんなことはなかったんだ。

 お兄さんも、お姉さんも、そして先生も。

 この姉弟はみんな、お互いに思いやっている。とても、優しい人たちなんだ。

 ……だけど。

 

「なんて力……! 貴様、どれだけ眼の中に憎悪を溜めこんでいたのだ!」

「いいから離せ、兄さん! 姉さんもそこを退け! そいつを……そいつらを! 兄さんや姉さんを穢した敵を喰い潰さなくて、なにが姉弟だ!」

 

 先生は完全に暴走している。

 わたしに強い悪意を向けて、牙を剥いている。

 これは、わたしが出て来れば先生も収まるのかもしれないけれど……お姉さんたちはそれを望まない。わたしだって、霜ちゃんや謡さんに迷惑がかかるようなことは、させられない。

 でも、先生は止まらない。

 

「ど、どうすれば……」

「あぁなったハエは、自分の欲望を発散しきるまで――自分の“したいと思ったこと”をやり遂げるまで、絶対に止まらない。もし止める方法があるとしたら、二つくらいしかないのよ」

「どうするんですか?」

「一つ目は、ハエを殺すこと」

「ころ……っ!?」

「勿論、試したことなんてないし、そんなことするわけもないのよ。要するに、目的を達成するのに、肉体が追いつかなければどうしようもないってことなのよ」

 

 乱暴すぎる手段だった。そんなこと、できるわけがないし、やっちゃいけないことだ。

 先生を殺すだなんて、そんな結末は誰も望まない。

 

「同じような理屈で二つ目。ハエの眼を潰すことなのよ」

「つぶ……っ!?」

「これも当然、やったことはないのよ。でも、私たちの眼は、文字通りこの両目が発生源なのよ。視覚を奪い、光を消し去り、なにも映さない眼孔にしてしまえば、その眼の力も失われる」

「でも! それじゃあ、先生は……」

「わかってるのよ。そんな惨い仕打ちを弟にするくらいなら、あなたの身体を投げ渡すよ。でもそれは最悪も最悪の手段。そんなことはできないのよ」

 

 だけど、それじゃあ八方塞がりだ。

 先生の目的を――復讐を遂行させてはならない。

 かと言って、先生自身を傷つけることもできない。

 なにをしても、誰も望まない結末になってしまう。

 なにをしようと、無理なのかな……

 

「絶望にはまだ遅いのよ、アリスちゃん」

「お姉さん……」

 

 チョウのお姉さんが、わたしの手を握る。

 そして、その手を握ったまま、立ち上がった。

 

「私の名前は『バタつきパンチョウ』。パンがなくても無い物ねだり、蝶よ花よと愛でられて、甘い蜜を啜る、ちょっぴりワガママなお姫さま。ハエには笑ってほしいけど、悪い子になってほしくない。その願いのため、矛盾した道筋を無理やり道理にしちゃいましょう!」

 

 自信満々に豪語するお姉さん。

 一体、どうするつもりなんだろう……?

 

「任せて。私はお姉ちゃんだもの。最愛の弟のことは、この世界で一番よく知ってるのよ!」

 

 そう言ってお姉さんは、先生の前に立つ。一歩引いた位置ではなく、本当に、目の前に立った。

 お兄さんが今、必死で抑えてるとはいえ、その距離は猛獣の前に丸腰で出るようなもの。姉弟という意識がある以上は喉を食い千切るなんてことはないだろうけど、暴れた拍子に怪我をしてしまいそうなほど、危うい距離だった。

 でもそれはきっと、お姉さんの、弟さんに対する信頼。先生に対する信頼、なのかもしれない。

 

「ハエ! あなたの行いは、お姉ちゃんとしてはすっごく嬉しいんだけど……でも! とても許されるものじゃない。そんな悪いことをする弟は、お姉ちゃん、嫌いになっちゃうのよ」

「……っ! それは……嫌、だよ……でも! 姉さん、私は……!」

「わかってる。ハエ。あなたのしようとしていること、したいことは、とてもよくわかるのよ。私も、そしてトンボも、あなたとは姉弟なのだから」

「うむ! 姉上の言う通りであるぞ、ハエ!」

 

 説得を試みてる、のかな……?

 でも確かに、姉兄の言葉なら、今の先生にも届くかもしれない。

 先生が眼を開いたのは、その姉兄のためなんだから。

 

「姉さん……だけど、私はもう、私を止められないよ……! 姉さんや兄さんを穢した、その誇り高さに泥を塗った奴らが、許せない……憎い! 罪を背負ってでも、その罰を下さないと、気が済まないんだ……!」

「やだ、ハエちょっとカッコいい……! 普段こんなこと言わないのに、開眼するとなんでこうイケメンになるのかな。お姉ちゃん、惚れちゃいそう……!」

「姉上! 気をしっかり持つのだ! 今は我らが弟を、邪道から引き上げることが姉弟としての使命であるぞ!」

「おっとっと、そうだった。えーっと、そう! 私とトンボ、二人の総意としては、あなたに悪の道は進ませない。だけど、苦楽を共にした“虫けら”の姉弟として、罪を被る心意気には感動したのよ。あなたを止めたい、あなたの意を汲みたい。二律背反、矛盾する二つの願いを叶えるための手段、それは簡単なことなのよ。ねぇ、ハエ。お姉ちゃんに免じて、約束してくれないかな? 私との約束を守るって」

「…………」

「ちゃんと答えなさい、木馬バエ。あなたのことを思って“お願い”するけど、これは姉弟の縛り。約束を破ったら、あなたとの縁を切るよ。そのくらいには、お姉ちゃん怒ってるんだからね」

「っ! わ、わかった……受けるよ……」

「うん、いい子いい子、なのよ。流石は私の弟」

 

 お姉さんは、まるで子供をあやすようにして、さっきまであれだけ暴れていた先生の鎮めていた。

 でも、先生の眼に灯った恩讐の炎は消えていない。

 わたしに対する、深く暗い敵意も、強く残ったままだ。

 

「あなたが取れる選択は、私たちとの縁を切ってこの子を傷つけるか、この子を傷つけずに私たちと一緒に居続けるか。二者択一なのよ」

「流石は姉上! 自分はどっちも欲しいと我侭を垂れながら、姉弟に対しては容赦なく二択を突きつけるか! それでこそ姉上!」

「ちょっと黙っててトンボ。ハエ、どっちもがダメなら、どっちかにするしかないのよ。そしてどっちかを決めるのは、平等でなくてはならない。この世界の自然のようにね」

 

 と、言ったところで。

 ずっと握っていたわたしの手を引き、わたしも、先生の前に立たせる。

 ……え?

 

「平等で公平なゲームで、あなたの進路を決めましょう。さぁ、アリスちゃん(マジカル・ベル)決断(カードゲーム)のお時間なのよ。あなたの魔法で、怒れる害虫を祓ってくださいな」

「わ、わたし!?」

 

 ここでわたしを出すの!? 予想外すぎるよ!

 先生も凄まじいほどの悪意で満ちた眼差しで私を睨みつけるし。眼力で人が殺せたら、わたしは今頃、木端微塵に爆散してるくらい、先生の鋭い眼光は憎しみに満ちている。

 だけどそんなことはどこ吹く風で、お姉さんはわたしを押し出す。

 

「あったりまえなのよ。アリスは迷い、惑い、導かれ、唆されて道を辿るもの。だけどそんな、伸るか反るかも選ぶはあなた。分かたれた道は、どこかで決めなくちゃいけないのよ。選択と決断にはうってつけだね」

「そ、そんな……」

「そもそも、事の発端はあなたなのよ。ちょっとくらいは手伝ってくれてもいいんじゃない?」

 

 なんて勝手な言い分なの……

 でも、まあ。

 

(わたしはなにもしてないけど……確かに、わたしも無関係じゃない、よね)

 

 わたしがなにかをすることで、先生が鎮まるというのなら。

 

「……わかりました。やります」

 

 みんなが望む結末のために、頑張ろう――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 なんだか強引な展開という気もしますが、始まってしまいました。わたしと先生の――『木馬バエ』さんとのデュエマが。

 

「わたしのターン、マナチャージ。2マナで《爆砕面 ジョニーウォーカー》を召喚。破壊して、マナを増やします。ターン終了です」

「私のターン……マナチャージ。こちらも2マナで《電脳鎧冑アナリス》を召喚、破壊してマナ加速……ターンエンド」

 

 

 

ターン2

 

小鈴

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:1

山札:28

 

 

木馬バエ

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:1

山札:27

 

 

 

 先生はかなり落ち着きを取り戻したみたいだけど、相変わらず目はあの怖い目のまま。

 目の前の餌に喰らいつく、獣のような眼差しだ。

 

「わたしのターン。次はこれ! 4マナで《白骨の守護者ホネンビー》! 山札の上から三枚を墓地に置いて……」

 

 墓地に落ちたのは《超次元リバイヴ・ホール》《超次元ボルシャック・ホール》《ジョニーウォーカー》。うーん、選択肢が《ジョニーウォーカー》しかないや。

 

「墓地の《ジョニーウォーカー》を手札に。ターン終了です」

「呪文が多そうなデッキに《ホネンビー》、そして色は黒赤緑(デアリガズ)……」

 

 わたしのめくったカードを見て、ぶつぶつとなにか呟いている先生。

 そして、

 

「私のターン……よくわからない。ならば、あなたの手札、喰らってみましょうか」

 

 舐めるように。しゃぶるように。

 黒い影がわたしに迫る。

 

「4マナで《解体人形ジェニー》を召喚! さぁ、あなたの手札を見せてください」

「う……っ」

 

 地味に嫌な一手だ。渋々、わたしは手札を公開する。

 

「《ジョニーウォーカー》は知っている、後は《リバイヴ・ホール》、そして……そうか、《ロマノフ・シーザー》か」

 

 このデッキの、わたしの切り札、《ロマノフ・シーザー》。前に使った時は上手く扱えなかったから、《クジルマギカ》と併用するんじゃなくて、こっちに特化させたデッキを組んだんだけど……早速、出鼻を挫かれそうだよ。

 

「《シーザー》を落としても《リバイヴ・ホール》で戻されるだけ。なら、《リバイヴ・ホール》から叩きましょう。こちらも《シーザー》で唱えられてしまうけど、まあ、比較的マシということで。ターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

小鈴

場:《ホネンビー》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:4

山札:24

 

 

木馬バエ

場:《解体人形ジェニー》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

 

「わたしのターン! 2マナで《ダーク・ライフ》! 山札の上から二枚を見て、片方を墓地へ、片方をマナへ! さらに2マナで《ジョニーウォーカー》! 破壊してマナ加速! ターン終了!」

「動きが鈍った……か? それなら私も、もう少しゆっくりさせてもらいましょう……2マナで《ダーク・ライフ》。山札から二枚を見て、それぞれ一枚ずつを墓地とマナへ」

 

 先生はわたしと同じ呪文で、マナと墓地を増やす。

 しかも、それだけじゃない。

 

「続けて4マナ、《アクアン・メルカトール》を召喚」

「っ、あのカードは……」

「山札から四枚を公開し、光、闇、火、自然のカードをそれぞれ手札に加えます」

 

 わたしと違って、手札も増やす。

 あのカード、前のデッキに入れたのはいいけど、一枚しか持ってないからあんまり引けなくて、最後には抜いちゃったんだよね……

 それはさておき、先生の《アクアン・メルカトール》でめくられたのは《怒流牙 佐助の超人》《電脳鎧冑アナリス》《白骨の守護者ホネンビー》《終末の時計 ザ・クロック》の四枚だった。

 

「……《佐助の超人》と《ホネンビー》で、いいかな。この二枚を手札に加えて、残りは墓地へ。ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:《ホネンビー》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:7

山札:20

 

 

木馬バエ

場:《解体人形ジェニー》《メルカトール》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:5

山札:20

 

 

 

「わたしのターン……うぅ、いいカードが引けない……《ダーク・ライフ》だけ唱えて、ターン終了……」

「私のターン。《怒流牙 佐助の超人》を召喚。一枚ドロー、一枚捨て、墓地の一枚をマナに。さらに4マナで《ホネンビー》を召喚。山札から三枚を墓地へ。墓地から《ハヤブサマル》を回収。ターンエンド」

 

 手札がなくて、ほとんど山札の上からカードを使ってるだけになっちゃってる。《ロマノフ・シーザー》を出したくても、クリーチャーが足りないから進化もできないし……このままじゃ、まずいよね。

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《ホネンビー》

盾:5

マナ:7

手札:1

墓地:9

山札:17

 

 

木馬バエ

場:《解体人形ジェニー》《メルカトール》《佐助の超人》《ホネンビー》

盾:5

マナ:8

手札:2

墓地:7

山札:14

 

 

 

(クリーチャーが増えてきちゃった……少し、怖いな……)

 

 しかも先生は、マナや手札、墓地を増やしながら、クリーチャーも展開している。

 まだどんなデッキなのかわからないけど、数で押し切られると困っちゃう……なにかいいカード、引いてっ。

 

「! ちょっといいカード……5マナで《超次元ボルシャック・ホール》!」

 

 ここは……なにを破壊しようかな。そして、なにを出すべきかな?

 墓地に呪文は十分溜まってるし、攻撃された時が怖いから、攻撃できるクリーチャーを破壊した方がいいかなぁ……

 出すクリーチャーは……マナが増えちゃったし、《勝利のリュウセイ》は効果が薄そう。クリーチャーを倒すなら《勝利のガイアール》。攻撃を止めるだけなら《プリンプリン》って手もあるけど、《シーザー》の進化元に出来ないし……

 ……よしっ。決めたよっ!

 

「効果で、パワー3000以下の《佐助の超人》を破壊!」

「そっちを狙うか……」

「さらに超次元ゾーンから《勝利のガイアール・カイザー》をバトルゾーンへ! そのまま《アクアン・メルカトール》に攻撃!」

「ブロックだ。《ホネンビー》とバトル」

「ブロックするんだ……でも、パワーは《勝利のガイアール》の方が上です! 《ホネンビー》を破壊! ターン終了です!」

 

 これでクリーチャーは半分に減らせた。これで向こうからの攻撃は、少し安心かな。

 問題は、どこで攻めるかだよね。《勝利のガイアール》が来てくれたから、次のターンには《ロマノフ・シーザー》が出せるし、《グレンモルト》から龍解にも繋がる。

 あ、でも、先生は《ハヤブサマル》が手札にあるから、攻撃する時はそれを意識しないといけないね。

 とにかくこれでわたしのターンは終わり。

 先生のターンが来る。

 

「……私の名前は『木馬バエ』」

 

 不意に、先生が口走った。

 どこか虚ろで、だけど確固たる意志があって、なのに本能的で、だから獣のようで。

 とても、怖い眼をしていた。

 

蜻蛉(トンボ)のように勇猛な兄さんとも、蝶々(チョウチョ)のように美麗な姉さんとも違う。薄汚く穢らわしい、木屑の(ハエ)

 

 先生はカードを引く。

 

「その肉は蜻蛉の牙(兄さん)に捧げよう。その血は蝶々の唇(姉さん)に奉ろう。残るは塵芥。腐食と風化を待つ、クソの役にも立たないゴミクズの残り物。そしてそれこそが、私が貪り、むしゃぶりつく、卑しき死の骸――即ち、私の餌」

 

 マナゾーンのカードを二枚、横に倒す。

 2マナをタップして先生は、手札を切らない。

 だけどマナゾーンのカードを、手に取った。

 

「能力発動。マナゾーンより、《再生妖精スズラン》を召喚」

 

 マナゾーンから召喚できるクリーチャー……!?

 で、でも、パワーはたったの1000しかないし、スピードアタッカーでもない。しかもよく見れば、ターン終わりにマナに行っちゃうんだ。

 そんなクリーチャーを、わざわざここでマナから出すなんて……攻撃できないし、場にも残らないのに出すってことは、後は進化元くらいにしか……あ。

 

「私は汚れた貪食の虫けら。腐肉を舐め、泥水を啜り、骨の髄まで喰らう蠅。元より全身真っ黒。身も心も雑菌塗れに汚れているさ。口元の汚れも、この身の穢れも、今更ながらに気にするものか」

 

 まるで呪いのように告げるその言葉に続き、先生は、マナを倒す。

 今度は六枚。残るすべてのマナを使い切り、使い尽くし、今度こそ手札を切る。

 攻撃できない、場にも残らない。そんなクリーチャーの使い道なんて、決まっている。

 ――エサにするためだ。

 

「《スズラン》を――NEO進化!」

 

 進化元に、するためだったんだ。

 小さな妖精を喰らって現れるのは――

 

 

 

「死骸を貪り、生者を喰らえ――《マイト・アンティリティ》!」

 

 

 

 これが、先生の切り札……?

 思ったより小さいというか……お兄さんもお姉さんも、すごい大きなクリーチャーを使って、次から次へとクリーチャーを叩きつけてきたから、先生もそうなのかと思ったけど……パワー8000?

 想像していたものよりも小型。それがわたしの第一印象だった。

 それに、そういえば、姉兄と違ってすごいマナ加速もしてこなかったし……根本的にデッキが違う?

 

「なにをそんな呆けた顔をしているんだ。言っただろう。私は蠅。意地汚い勝利を掴む害虫だ。姉さんや兄さんのように、壮大で、派手で、勇敢で、華々しい勝利なんてあり得ない。あるのはこそこそした陰気な勝ち筋。そして、欲望に塗れた泥臭く汚らわしい執念だけだ」

 

 先生は自分を卑下するように、だけども確かな敵意を持って、牙を剥いている。

 自分の弱さも、矮小さも、汚さも、卑屈さも、全部を見下しながらも飲み込んで、己の武器として振るおうとしている。

 そんな先生の眼には、一体なにが映っているんだろう……?

 

「さぁ――意地汚く勝ってやる」

 

 どす黒く、虚ろに揺れる炎を湛えた先生の眼差しは、その言葉さえも痛いくらいに熱く滾らせていた。

 だけど、そんなに激しいのに、どこか冷たくて悲しい声。

 まるで悲鳴のような、悲痛さがあった。

 

「《マイト・アンティリティ》の登場時能力発動! 墓地のクリーチャー二体をマナゾーンへ!」

 

 墓地に落ちたクリーチャーがマナゾーンに還る。屍も無駄なく肥やしに変える。

 これで先生のマナは10マナ……も、もしかして、ここから大きなクリーチャーを出すのかな?

 そんなわたしの予想は、半分間違っていて、半分正解だった。

 

「行くよ、アリス(マジカル・ベル)。《マイト・アンティリティ》で攻撃する時――キズナプラス発動!」

「き、キズナプラス……?」

 

 なんだろう。聞いたことは……ある、気がするけど。よく知らない能力だ。

 

「キズナプラス……キズナマークによって定義された能力を起動する手段だ。《マイト・アンティリティ》の進化元をひとつ墓地に送ることで、キズナプラスを使用する! キズナマークによって定義された、このクリーチャーと、別のクリーチャーの能力が起動……もっとも、今発動するのは《アンティリティ》の分だけですがね」

 

 キズナマークって、あのクリーチャーのテキストに書いてある、あの四角っぽいマークのことかな? それを発動するために、進化元を墓地に送るんだ。なんか、メテオバーンみたいな能力だね。

 ……(キズナ)、かぁ。

 

「《マイト・アンティリティ》の能力で、マナゾーンからコスト4以下のクリーチャーを呼び出します。出て来い! 《甲殻鬼動隊 セビーチェン》! 《アクアン・メルカトール》からNEO進化!」

 

 そして、《マイト・アンティリティ》の攻撃は《勝利のガイアール》へと向けられる。

 

「消えろ、敗者が。《勝利のガイアール》と《アンティリティ》でバトル! 破壊だ!」

「う……っ」

「続けて《セビーチェン》で攻撃する時、《セビーチェン》のキズナプラス発動!」

「ま、また!?」

「あぁ、またですよ。しかも今度は、ただ発動するんじゃない。キズナが――共鳴する」

 

 言って先生は、攻撃中の《セビーチェン》と、攻撃が終わった《マイト・アンティリティ》。両方を指し示す。

 そういえばさっき、キズナマークのある、別のクリーチャーの能力も使えるって……

 

「キズナプラスによって、《セビーチェン》及び《アンティリティ》の、キズナマークの能力が起動する! まずは《セビーチェン》! 二枚ドロー!」

 

 やっぱり!

 クリーチャー一体の能力発動で、二体分の能力が使えるなんて……

 《セビーチェン》は派手な見た目のわりに、ドローするだけでよかったけど、《マイト・アンティリティ》は……

 

「ここからが本番だ。続けて《アンティリティ》の能力を起動! マナゾーンからコスト4以下のクリーチャーを呼び出す! 出て来い、《ルツパーフェ・パンツァー》!」

 

 クリーチャーを踏み倒すと言っても、その範囲は4まで。そんなに大きなクリーチャーは出ないはず。

 って、思ったけど、

 

「さ、3マナでパワー12000!? しかもTブレイカーって……!?」

 

 わたしの想像よりも遥かに大きなクリーチャーが出ちゃいました。

 さらに、驚きは続く。

 

「《ルツパーフェ》は普通に出せば、マナへと消えてしまう重戦車。だけど、手札以外から出せば、そのまま場に残りつつ、相手クリーチャーをマナへと消し飛ばす! 《ホネンビー》をマナ送りだ!」

「クリーチャーが、いなくなっちゃった……!」

 

 たった3マナの大きなクリーチャーってだけでも驚異的なのに、おまけにクリーチャーまで除去するなんて……

 この状況でブロッカーを失うのは、まずいよ……!

 

「まだ終わってないよ。《セビーチェン》でシールドをブレイク!」

「っ、トリガーは、ありません……」

「ターンエンド。あなたのターンです……次こそ、その身を骸に変えて貪りますよ、アリス(マジカル・ベル)

 

 

 

ターン6

 

小鈴

場:なし

盾:4

マナ:8

手札:2

墓地:10

山札:16

 

 

木馬バエ

場:《解体人形ジェニー》《アンティリティ》《セビーチェン》《ルツパーフェ》

盾:5

マナ:7

手札:2

墓地:9

山札:13

 

 

 

「わ、わたしのターン……ここは耐えるしか……《ホネンビー》を召喚! 山札の上から三枚を墓地へ送って、墓地の《ホネンビー》を手札に! そしてもう一体《ホネンビー》です! もう一度山札を墓地に送って、墓地の《ハヤブサマル》を手札に! ターン終了!」

 

 相手にはあれだけのクリーチャーがいる。一斉に攻撃されたらひとたまりもないし、今は防御を固めるしかない。

 幸い、キズナプラスは使うのに進化元が必要みたいだし、今の先生のクリーチャーはみんな、進化元がない。新しくキズナプラス持ちのクリーチャーが出なければ、なんとか……

 

「……無駄ですよ」

 

 そんなわたしの思惑を見透かすように、先生は告げる。

 

「餌に集った蠅は食事をやめない。木屑さえも残さず喰らい、肉という肉も、血という血も、骨という骨も! 爪の一つ、髪の一本、皮の一枚、脂の一欠片に至るまで! 死なる概念すべてを暴食する!」

 

 楽観も、希望も、都合のいい考えも、すべてを否定する現実を、叩きつける。

 

「6マナで、《解体人形ジェニー》をNEO進化!」

 

 すべてのマイナスが集うようにして。

 新しい大食の化身が、現れた。

 

 

 

「死肉を喰らい、脳漿を啜り、骸を飲み込め――《アラン・クレマン》!」

 

 

 

 それは、たくさんの凶器を持った影。

 ナイフのように、フォークのように、肉を刻んで貫く凶器の食器。

 危険な香りしかしない影の者が、大口を開けて待っている。

 

「ま、またなんだか、すごそうなのが……」

 

 とはいえ、これもパワーだけで見たら、6マナで8000。パワー12000以上のクリーチャーがバンバン出て来るお姉さんやお兄さんよりも小さいし、《ルツパーフェ・パンツァー》ほどの衝撃もない。

 ……この時点では。

 

「これで終わりです。《アラン・クレマン》で攻撃する時、キズナコンプ発動!」

「コンプ? プラスじゃなくて……?」

「キズナコンプは、場に存在するキズナマークによって定義されたすべての能力を起動させる、絆の奥義。さぁ、腕から、脚から、頭から! ひとつひとつ喰いちぎってあげましょうか!」

 

 キズナマーク……あ!

 よく見ると、《アラン・クレマン》のテキストのマーク、《マイト・アンティリティ》や《セビーチェン》と同じマークだ!

 そっか、キズナの名前を冠する能力は、こうやって一度の能力発動で、共鳴するように連続使用できるんだ……!

 

「全ての絆よ集え。そこにいい餌がある。柔らかい肉が、紅の血が、生者の骨が! 寄って集って喰らい尽くせ――!」

 

 《アラン・クレマン》が、先生の場のクリーチャーすべてが結集して、その力を解き放つ。

 先生の場に、キズナマークを持つクリーチャーは三体。三回分も、能力が発動する……!

 

「最初は《アラン・クレマン》の能力から! 能力は単純明快、されども脅威! 相手クリーチャーを一体選び、それを破壊する! まずはその骨を噛み砕く! 対象は《ホネンビー》!」

「ブロッカーが……」

 

 確かに単純だけど、強い能力だ。

 守りの要が一つ、崩されてしまった。 

 

「次に《アンティリティ》! マナゾーンの《セビーチェン》を、場の《セビーチェン》に重ねてNEO進化! そして最後に《セビーチェン》! 《ホネンビー》をバウンス!」

 

 あのクリーチャー、ドローだけじゃなくて、クリーチャーを手札に戻すこともできるんだ……

 どうしよう、ブロッカーがいなくなっちゃった……

 

「そしてそのままシールドへ行きます。Wブレイク!」

「う、受けます……っ」

 

 わたしの手札には《ハヤブサマル》が一枚。場のブロッカーがいなくなっちゃったら、トリガーがないと防ぎきれない。

 お願い、なにか来て……!

 

「あ……き、来た! S・トリガー《インフェルノ・サイン》! 墓地の《ホネンビー》をバトルゾーンへ!」

「無駄ですよ。続けて《セビーチェン》で攻撃! 攻撃時にキズナプラス発動! 絆は繋がり共鳴する――《セビーチェン》! 《アンティリティ》! それぞれのキズナマークの能力を起動!」

 

 最初と同じように、《セビーチェン》と《マイト・アンティリティ》の能力が使われる。

 しまった……ただブロッカーを出すだけじゃ、《セビーチェン》で戻されちゃう。

 

「《セビーチェン》で《ホネンビー》をバウンス! 《アンティリティ》で《ジェニー》をバトルゾーンへ!」

「あ……っ」

「その綺麗な手で握ったシノビは、叩き落させてもらいましょう。穢れた墓場にね」

 

 しかも最後の砦だった《ハヤブサマル》も、墓地に落とされてしまう。

 場にも手札にもブロッカーはいない。

 もう、頼れるのはシールドだけ。

 

「シールドブレイク! 続けて《アンリティリティ》で、最後のシールドもブレイクだ!」

 

 これでわたしのシールドはゼロ。

 ここで、なにかトリガーを引かないと……!

 

「うぅ……あ。やった……! S・トリガー発動! 《復活と激突の呪印》!」

「そのカードは……」

「二つ効果があるけど、二つ目はクリーチャーがいないから使えないね……けど一つ目は使えます! 墓地の、進化でないコスト6以下のクリーチャーをバトルゾーンへ戻します! 戻ってきて、《ハヤブサマル》! 自身をブロッカーに!」

 

 ぎ、ギリギリ耐えられたぁ……!

 《セビーチェン》のキズナプラス発動のために、三回に分けてシールドを割らせることになったから、ギリギリ防御が足りるようになったんだ。そう考えると、《インフェルノ・サイン》も無駄じゃなかったね。

 

「ちっ、凌いだか……まあ、一応、殴っときましょうかね。《ルツパーフェ》でダイレクトアタック!」

「《ハヤブサマル》でブロックします!」

「ターンエンド。喰い逃したのは、少し痛いかな……」

 

 

 

ターン7

 

小鈴

場:なし

盾:0

マナ:9

手札:6

墓地:19

山札:6

 

 

木馬バエ

場:《アンティリティ》《セビーチェン》《ルツパーフェ》《アラン・クレマン》《解体人形ジェニー》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:10

山札:12

 

 

 

「ここからなら、まだ……!」

 

 わたしのシールドはゼロ。クリーチャーもいません。

 だけど、この手札と墓地なら、まだやれるはず……!

 

「《ホネンビー》を召喚! 墓地を増やして、《ハヤブサマル》を手札に!」

「まだ耐え凌ぐ気ですか? 無理だ。流石にもう、耐えられない。無駄でしょう」

「無理じゃないし、無駄でもありません! さらに5マナ!」

 

 ここまで溜めてきた、マナと墓地。

 そのすべてを使う時が来ました。

 これが、わたしに逆転の道を作ってくれる――蟲。

 

「《魔光蟲(まこうちゅう)ヴィルジニア卿》を召喚!」

「っ、その、カードは……!」

「《ヴィルジニア卿》の能力で、墓地のクリーチャーを手札に戻します。戻すのは《ロマノフ・シーザー》。そしてこの時、手札に戻したクリーチャーが、《ヴィルジニア卿》と同じ種族を持つ進化クリーチャーであれば、そのまま場に出せます!」

 

 これで、一気に決めるよ!

 絶対に強いのに、前はあんまり活躍できなかったけど。

 今度こそ、

 

「《ロマノフ・シーザー》は、《ヴィルジニア卿》と同じ“ナイト”の種族を持っています。なので、《ホネンビー》と《ヴィルジニア卿》の上に重ねて、進化V!」

 

 今回こそは、上手く使ってみせる――

 

 

 

「――《暗黒邪眼皇ロマノフ・シーザー》!」

 

 

 

「出てしまったか……でもまあ、そのクリーチャーだけでどうにかなるほど、私の盤面はやわじゃない。たかが蠅、されど蠅。集った虫けらの力を舐めるな」

「舐めてません。正直、すごいって思いました」

 

 一体のクリーチャーから、次々と新しいクリーチャーが出て、新しいクリーチャーたちが、絆の能力で力を合わせて戦う姿。とても、カッコいいと思いましたし、素敵だと思います。

 汚いとか、穢れているとか、先生はそんなことを言っていたけれど。わたしには、そうは思えない。

 先生がこんなことをするのは、全部お姉さんやお兄さんのため。

 そして今の場に並ぶのは、絆の力で協力して戦うクリーチャーたち。

 そんな先生は――わたしの“眼”には、すごく、輝いて見える。

 

「だけどわたしも、友達は大事だし、あなたのお姉さんやお兄さんを悲しませたくもない……だから、遠慮も容赦もしません! みんなが望む結末にするために、全力でぶつかってみせます!」

「……熱いな。焼けそうなほど、熱い……」

「《ロマノフ・シーザー》で攻撃! その時、メテオバーン発動! 《ロマノフ・シーザー》の進化元を一枚墓地に送って、墓地の呪文を、合計コストが7以下になるように呪文を唱えます! 唱えるのは、この一枚――」

 

 どこで落ちたのかは覚えてないけど、唱えられたら強いな、って思って、たった一枚だけ入れたカード。

 凶悪で極悪な時代があったらしい、なんてみんなは言ってたけど。

 そこにある“愛”が、本当に“悪”なのか。それは簡単に決められない。先生も、このカードも。

 それを見定めるため……なんかじゃないけど。

 否定できない先生の悪意に対する、わたしなりの礼儀。

 かの時代を、その伝説を、ここに再現します――!

 

 

 

「――《無双と竜機の伝説(エターナル・ボルバルエッジ)》!」

 

 

 

 一瞬、時が止まったような気がした。あるいは、時流が逆流したような感覚があった。

 呆然とそのカードを見つめる先生。

 先生は悔恨でもなく、吃驚でもなく、どこか諦念を滲ませた溜息をつく。

 

「はぁ……見落としていた。そんなカードが墓地に行っていたのか。目の前の飯に飛びつくばかり。この眼も大概、節穴だな……潰してしまいたいくらいだ」

 

 目元覆う先生。グッと、その手に、その指に、力が入るのがわかる。ま、まさか、本当に潰したりはしないよね……?

 先生の一挙一動に戦々恐々しながらも、わたしは唱えた呪文の効果を発動する。

 

「まず、パワー6000のクリーチャーを破壊しますけど、破壊できるクリーチャーはいませんね……でも、もう一つの効果は発動します! その前に、《ロマノフ・シーザー》で《ルツパーフェ・パンツァー》とバトルです! こっちのパワーは13000!」

「こちらは12000。当然、破壊されますね」

「これでターン終了! そして――」

 

 ここで、《無双と竜機の伝説》の効果が、発現する。

 それにより、時代は――繰り返す。

 

 

 

「――もう一度、わたしのターン!」

 

 

 

ターン7(NEXT:小鈴EXターン)

 

小鈴

場:《ロマノフ・シーザー》

盾:0

マナ:10

手札:5

墓地:20

山札:3

 

 

木馬バエ

場:《アンティリティ》《セビーチェン》《アラン・クレマン》《解体人形ジェニー》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:11

山札:12

 

 

 

 《無双と竜機の伝説》の効果は、パワー6000のクリーチャーを破壊して、そのターンの終わりにもう一度自分のターンを行うこと。

 追加ターンに唱えることはできないけど、《ガイギンガ》が選ばれた時の能力を、7マナ払うだけで使えると思うと、すごい呪文だよね。《ロマノフ・シーザー》で唱えればノーコストだし。

 そしてその1ターンがあれば、わたしのデッキなら、やれるはず!

 

「ドロー! 2マナで《ジョニーウォーカー》を召喚! 破壊はしません。さらに6マナで《龍覇 グレンモルト》を召喚! 《銀河大剣 ガイハート》を装備!」

「っ、これは……」

「《グレンモルト》で《セビーチェン》を攻撃!」

「通す……!」

「《ロマノフ・シーザー》で《アラン・クレマン》に攻撃! その時、二度目のメテオバーン発動! 進化元を墓地に送って、墓地から《インフェルノ・サイン》! 《ヴィルジニア卿》をバトルゾーンへ!」

「ここで《ヴィルジニア卿》……! こいつ……!」

「《ヴィルジニア卿》の能力で、墓地の《ロマノフ・シーザー》を手札に戻して――進化V! 《ジョニーウォーカー》と《ヴィルジニア卿》を重ねて進化します!」

 

 現れるは、二体目の《ロマノフ・シーザー》。

 墓地に呪文は腐るほど溜まっている。あり余っている。

 メテオバーンだから最大二回までだけど、呪文の種類は豊富。いくらでも撃ち放題だよ!

 

「バトルです! 《ロマノフ・シーザー》と《アラン・クレマン》!」

「《アラン・クレマン》のパワーは8000……! こちらの負けか……」

「さらにこの攻撃で、《ガイハート》の龍解条件成立!」

 

 呪文も大切だけど、こっちも忘れちゃいけない。

 ターン中、二階の攻撃に成功。よって――

 

 

 

「龍解――《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 ――わたしのもう一つの切り札、《ガイギンガ》が龍解する。

 本当は《ロマノフ・シーザー》で《復活と激突の呪印》や《インフェルノ・サイン》を唱えて、《クジルマギカ》みたいに連続攻撃する予定だったんだけどね。

 まあ、それはいいや。

 なんにせよ、わたしの切り札二つが揃ったんだから、一気に行くよ!

 

「《ガイギンガ》の龍解した時の能力で、パワー7000以下の《ジェニー》を破壊! そして二体目の《ロマノフ・シーザー》で《マイト・アンティリティ》を攻撃! メテオバーン発動! 墓地から《復活と激突の呪印》を唱えます! 効果で墓地の《ホネンビー》をバトルゾーンへ! 《ホネンビー》の能力は使いません!」

 

 《ロマノフ・シーザー》はTブレイカー。やろうと思えば、先生にダイレクトアタックするのは簡単だけど……トリガーが怖い。

 マナゾーンには《クロック》があるし、うっかりトリガーで出て来ちゃったら、そのまま負けちゃう。

 せっかく追加ターンを得たのに、そんなあっさりやられちゃうわけにもいかないし、ここは確実に詰める。

 だからそのために、まずはバトルゾーンのクリーチャーを倒すよ。

 絆を共鳴させる力は、すごく強かったけど。

 残念。パワーを比べたら、力技でこっちの勝ちです!

 

「《ロマノフ・シーザー》で《マイト・アンティリティ》とバトル!」

「《マイト・アンティリティ》のパワーも、8000……くぅっ、兄さんや姉さんなら、13000など容易く乗り越えられる数字だというのに……! やはり、私は薄汚く矮小な蠅に過ぎないか……!」

 

 悔しそうに歯噛みする先生。

 ……これで、クリーチャーはすべて倒したね。

 

「わたしは、ターン終了です」

「私の、ターン……」

 

 シールドはまだ五枚あるけど、クリーチャーが全滅して、手札もない先生にできることは、ほとんどなかった。

 ただ、引いたカードを出すだけ。

 

「……《マイト・アンティリティ》を召喚。墓地のクリーチャー二体をマナに置き……ターン、エンドだ……」

 

 

 

ターン8

 

小鈴

場:《ロマノフ・シーザー》×2《グレンモルト》《ホネンビー》《ガイギンガ》

盾:0

マナ:10

手札:4

墓地:17

山札:4

 

 

木馬バエ

場:《アンティリティ》

盾:5

マナ:8

手札:1

墓地:14

山札:11

 

 

「わたしのターン!」

 

 今のわたしのクリーチャーなら、先生のシールドを割り切ってとどめを刺すことができる。クリーチャーの質も、数も、申し分ない。多少のS・トリガーなら、捌けるほどだ。

 だけど、もしも先生のシールドに《クロック》みたいな、問答無用に攻撃を止めるトリガーがあったら、返しのターンで負けちゃうかもしれない。マナゾーンには《クロック》が見えているから、警戒せざるを得ない。

 ……だから、

 

「2マナで《ダーク・ライフ》を唱えます! 山札から二枚見て、片方をマナ、片方墓地へ!」

「山札が残り少ないのに、ここで《ダーク・ライフ》……いや。山札が、一周している……!?」

「その通りです! 4マナで《ホネンビー》召喚! 能力は使いません! そして、《ロマノフ・シーザー》で攻撃する時、メテオバーン発動! 墓地から呪文を唱えます! 唱えるのは――」

 

 デッキ切れっていう、ちょっと危ない橋を渡ったけど。

 これで《クロック》も怖くない!

 

 

 

「――《無双と竜機の伝説》!」

 

 

 

 もう一度、わたしの連続ターンです!

 

「このターンの終わりに、もう一度わたしのターンを得ます!」

「また追加ターンだと……!?」

「《ロマノフ・シーザー》の攻撃! Tブレイク!」

「っ、ぐぅ……S・トリガー! 《集器医(しゅうきい) ランプ》!」

 

 ここで一気に攻める! というところで、早速トリガーを踏んでしまった。

 《クロック》ではないけど、このクリーチャーは……?

 

「《ランプ》の能力、キズナ発動!」

「っ、今度は、キズナ、だけ……?」

 

 キズナプラスやキズナコンプとは違う。単なるキズナ。

 でもその名前からして、キズナマークの能力を起動する手段であることは、すぐにわかった。

 

「キズナは、キズナを持つクリーチャーの登場時、場に存在するキズナマークで定義されたクリーチャーの能力を一つ起動できる……《ランプ》本来の能力で、クリーチャーのパワーを5000下げることもできるが、今の盤面ではほぼ無意味……なら、こっちを使います。《マイトアンティリティ》!」

「!」

 

 キズナプラスは、攻撃時に二つのキズナマーク能力が起動する。

 キズナコンプは、攻撃時にすべてのキズナマーク能力が起動する。

 そしてキズナは、登場時に場の一つのキズナマーク能力が起動する。

 攻撃による発動じゃなくて、登場による発動。そういう絆も、あるんだ……

 しかも使うのは自分のキズナマーク能力じゃなくて、《マイト・アンティリティ》のキズナマーク能力。

 ということは、またクリーチャーが出る。

 

「《マイト・アンティリティ》の能力を起動! マナからコスト4以下のクリーチャー……《終末の時計 ザ・クロック》をバトルゾーンに! あなたのターンは終わりだ!」

「っ、止められた、けど……次もわたしのターンです!」

 

 

 

ターン8(NEXT:小鈴EXターン)

 

小鈴

場:《ロマノフ・シーザー》×2《ホネンビー》×2《グレンモルト》《ガイギンガ》

盾:0

マナ:12

手札:2

墓地:19

山札:2

 

 

木馬バエ

場:《アンティリティ》《ランプ》《クロック》

盾:2

マナ:7

手札:3

墓地:14

山札:11

 

 

 

 思わぬ形で攻撃を止められちゃったけど、でも、こういう時のための追加ターンだ。

 《クロック》の脅威はなんとか防いだ。わたしの攻撃は止まらない。

 ……でも、二枚目の《クロック》とかは、怖いなぁ。

 もう少し、用心しておこう。

 

「わたしのターン! 呪文《復活と激突の呪印》! 二つ目の効果で、《ガイギンガ》と《マイト・アンティリティ》をバトル!」

「きっちり潰してくるか……!」

「さらに6マナ! 《グレンモルト》と《ロマノフ・シーザー》を進化元に、進化V! 《暗黒邪眼皇ロマノフ・シーザー》!」

 

 攻撃できるクリーチャーが減ってしまったけど、どうせ先生のシールドは二枚。わたしにはクリーチャーがたくさんいるし、攻撃数ならあまり変わらない。

 それよりこの状況でうっかり《クロック》がトリガーしたら、デッキが残り一枚のわたしは問答無用で負けちゃうんだよね……それだけは避けないと。

 だから《ロマノフ・シーザー》で、墓地のカードを山札に戻す。

 

「《ロマノフ・シーザー》で攻撃する時、メテオバーン発動! 墓地から《ボルシャック・ホール》を唱えて、《ランプ》を破壊! さらに《勝利のプリンプリン》も出して、《クロック》を攻撃できなくさせます!」

 

 これで場のクリーチャーも止めた。

 念のための保険を掛けたけど、願わくば、ここで終わりにしたい。

 一気に、決めて!

 

「Tブレイク!」

 

 これで、先生のシールドはすべてなくなった。

 あとはダイレクトアタックだけ……と、思ったけど。

 

「負けたくない……嫌だ、負けたくないんだ……!」

 

 先生の口から、言葉がこ零れ落ちた。

 

「私はいい。どんなに汚れようと、蔑まれようと、罵られようと構わない。それが罪を背負った蠅の在り方……でも、兄さんや、姉さんが汚れるのは……嫌、なんだ……!」

「先生……」

「蜻蛉は格好良くなくてはならない。空を翔け、獲物を狩り、勇猛でなくてはならない。蝶々は可憐でなくてはならない。空を舞い、花を愛で、美麗でなくてはならない……私の大切な姉兄が……家族が! その誇りを穢されることだけは、嫌なんだよ……!」

 

 先生の眼の色が、また、変わった。

 一度は落ち着いて、抑えられた感情が、また溢れている。

 それも、より強く、もっと激しく、さらに荒々しく、どこまでも直情的に、爆ぜた。

 

「自然ってなんだよ、道理ってなんだよ! 格好良いものが格好良いままであり、美しいものが美しいままである。ゆえに、汚いものは汚い奴が背負えばいい。なのに! 格好良いもの(兄さん)が、美しいもの(姉さん)が、その凛々しく崇高な姿が穢される! それは自然なのか!? 道理なのか!? いや、そんなわけがあるものか! 私の行いが反自然的で道理に逆らっていようとも、私は別の道理を正そうとしているだけだ! だから――邪魔をするな!」

 

 砕かれたシールドを掴み取る先生。

 そして――

 

「私の大好きな兄さんを、最愛の姉さんを穢すな――人間!」

 

 ――その中の一枚を、叩きつける。

 

「S・トリガー! 《終末の時計 ザ・クロック》! お前のターンは終わりだ!」

「また止められた……!」

 

 で、でも、そのためにバトルゾーンのクリーチャーの動きを止めたんだし、大丈夫、だよね……?

 そう思いたいけど、その考えすらも飲み込んでしまいそうなほど、先生は鬼気迫る勢いで、わたしを睨みつけていた。

 

「私のターン! 2マナでマナゾーンから《スズラン》を召喚! そして6マナでNEO進化!」

「! このパターン……!」

「言っただろう、意地汚く勝ってやる、と。格好悪くても、卑しくても、醜くても、これが私の勝ち方だ。勝つためならば、私は何度だって汚れるし、罪を背負う――姉弟の縁さえも、切り捨てて見せる!」

 

 っ、そんな……!

 先生は、まさか、本気で……そこまで、執着して……!

 お姉さんの言葉も、お兄さんの気持ちも、自分の信じた姉弟さえも捨ててまで、復讐者に成り下がろうとしているの……!?

 それは……見ていられないほどに、酷い有様だ。

 醜悪とさえ言えるかもしれない。残酷なほどに卑俗で、あまりにも衝動的で欲望的。

 そして――破滅的だ。

 

 

 

「悪辣なる人間を喰い殺せ――《マイト・アンティリティ》!」

 

 

 

 何度も現れる、先生の切り札。

 やられてもやられても、次々湧いて立ち上がる。

 すべての資源を食い潰して、ただひたすら殺意の刃を向ける虫けらだ。

 

「《アンリティリティ》で攻撃する時、キズナプラス発動! マナから《ルツパーフェ・パンツァー》をバトルゾーンに! 《ホネンビー》をマナ送りだ!」

「もう一体の《ホネンビー》でブロック!」

「まだだ……こいつで終わりだ! 《クロック》で攻撃!」

 

 わたしのブロッカーは尽きた。

 今の場では、先生の攻撃は止められない。

 

「とどめだ――ダイレクトアタック!」

 

 先生……どうして、そこまで執念深いのだろう。

 それが姉弟愛の結果だということはわかる。でも、わからないよ。

 あなたのお姉さんは、お兄さんは、あなたのために、あなたを最後まで尊重して、あなたに寄り添おうとした。

 なのに先生。あなたは、そんな姉弟さえも切り捨ててまで、復讐を成し遂げようとするだなんて……

 その原因は、先生の眼にある。

 一人称の眼。視野狭窄に至る狭い視界。

 ……なるほど、そういうことなんだね。

 それなら、やっぱりわたしは、迷うわけにはいかないな。

 先生がこうなってしまった原因は、わたしにもある。それなら、わたしもその責任を負わなくてはならない。

 盲目で、世界を狭めてしまい、暗がりを迷う蠅は、大事なことを忘却している。

 それを、思い出してもらわないと。

 

「――ニンジャ・ストライク4」

「っ……あ……」

「《光牙忍ハヤブサマル》。《ガイギンガ》をブロッカーにして、ブロックです」

 

 

 

ターン9

 

小鈴

場:《ロマノフ・シーザー》×2《ガイギンガ》《プリンプリン》

盾:0

マナ:13

手札:0

墓地:22

山札:2

 

 

木馬バエ

場:《アンティリティ》《クロック》《ルツパーフェ》

盾:0

マナ:8

手札:3

墓地:16

山札:10

 

 

 

 

「わたしのターン……流石にもう、反撃する隙はないと思うけど、一応、使います。ごめんなさい……《無双と竜機の伝説》」

「あ……ぐ……っ」

「《ロマノフ・シーザー》で攻撃する時に、メテオバーンで墓地の《リバイヴ・ホール》を唱えます。《ヴィルジニア卿》を手札に戻して、《ブラック・ガンヴィート》をバトルゾーンに。《マイト・アンティリティ》を破壊します」

「っ、あ、あぁぁ……っ!」

 

 残酷だとは思うけど、バトルゾーンのクリーチャーも破壊しておく。

 そして、今度こそ。

 

「《ロマノフ・シーザー》でダイレクトアタックです」

「に、ニンジャ・ストライク! 《光牙忍ハヤブサマル》で、ブロック……!」

 

 とどめを、刺そう。

 少しだけ、罪悪感を背負いながら。

 

「……ごめんなさい、先生」

 

 これが正しいのかはわからない。

 先生が間違っているとは思わない。

 ただ、大事なことを忘れて、見えなくなって、道を踏み外してしまっただけ。

 わたしのしていることは、正しいのか、間違いなのか。善悪は判断できないけど。

 先生の外れた道筋を正す。そうしないと、悲しむ人がいる。

 それは――許せなかった。

 だから、ごめんなさい――先生。

 

 

 

「《熱血星龍 ガイギンガ》で、ダイレクトアタック――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「負けた……」

 

 決着がついた。

 わたしが勝った。それはつまり、先生が身を退くという取り決めに則ることとなる

 ――はずだった。

 

「……だからなんだ」

 

 先生は立ち上がる。

 そしてそのまま、わたしへと詰め寄った。

 

「敗北がどうした。私は穢れた不浄の蠅。辛酸を舐めようと止まるものか……!」

 

 なんとなく予想していたけど……先生は、約束を守る気がなかった。

 いや、最初はあったのかもしれない。けれど、あの対戦の途中で見せた激情から、考えが変わっていてもおかしくない。

 血走った眼。荒々しい息遣い。害意のみで動かされる手腕。すべてが怖いけど、どこか可哀そうでもあった。

 恐怖心に押し潰されないように勇気を振り絞って、先生へと呼びかける。

 

「先生、もうやめてください……! あなたは、大事なことを忘れてます! あなたがお姉さんとの約束を破ったら、あなたが本当に守りたかった、その大事なものもなくしちゃうんですよ!」

「うるさい、知ったような口を利くな。約束なんて、もうどうでもいい。私は汚濁に塗れた虫けらだ。どんな枷で縛ろうが、その枷を飲む込むほどの罪をもって制すとも。どれほどの代償を支払ってでも、私は私のすべき業を、罪過を背負うまでだ」

 

 わたしの言葉は、やはり届かない。

 狂っている、だなんて言いたくないけど、言葉が通じない。聞く耳を持ってもらえない。

 目の前にいるのは、ただ自分の為すべきことを為そうとするだけの、獣か、悪魔だ。

 わたしには、そんな凶悪な存在を制することはできない。もう、わたしにはどうしようもない。

 

「ハエ!」

 

 わたしと先生の間に、お姉さんが割って入る。

 お姉さんなら、今の先生にも言葉を伝えられるかもしれないけれど、それすらも怪しいものだ。

 暴走に暴走を重ね、狂い果ててしまった先生は、姉兄さえも切り捨てるつもりだ。

 先生が正しくあるための唯一の命綱である、お姉さんとお兄さん。

 それを捨ててしまったら、先生は本当に堕ちてしまう。

 でも先生は、すべてのセーフティを振り切って、堕落の道を進んでしまっている。

 お姉さんと言えど、こんな状態の先生を、止められるの……?

 

「退け、姉さん。縁を切るなら勝手にしろ。あなたが綺麗であるなら、私はどうなろうと構わな――」

 

 と、先生が言い切る前に。

 お姉さんは――抱きしめた。

 先生を、『木馬バエ』さんを。

 ギュゥッと、力強く、優しく、抱きしめた。

 

「よく頑張ったね、木馬バエ」

 

 呆然とする先生。憎悪と復讐の炎を宿す眼差しは、一瞬、無へと変貌した。

 混乱と困惑と混沌が混ざりあった、思考停止の虚無へと。

 

「ね、姉、さん……?」

「えらいえらい、なのよ。あなたはとってもよく頑張った。だから、私はあなたを褒めてあげる。なでなでしてあげる。抱きしめてあげる――そう。あなたは“頑張った”のよ」

 

 それはまるで、すべて終わったと告げているようで。

 子供をあやすように、お姉さんは言葉を紡ぐ。

 

「もう十分に頑張った。だから、無理しなくたっていいのよ。あなたが私たちのために自分を汚そうとしているのは、私たちも知ってる。だけど、あなたが望んで汚れているわけじゃないことも、知ってるのよ」

「……違う。私は、汚い蠅だ。姉さんや、兄さんのために汚れるのが役目で……それが、望みで……そんな、低俗な存在で……」

「そんなわけないのよ。あなたは確かに汚いことでもやってのける不浄の蠅かもしれない。だけど、私たちの大事な弟。姉兄のために泥をかぶるその姿は、とっても高潔なのよ。えぇ、掛け値なしに、私たちの自慢の弟なのよ。ねぇ、トンボ?」

「うむ、姉上の言う通りだぞ、ハエ。自身を貶めてまで他者を持ち上げようとするその精神性、誠に見事なり。自己犠牲は時として悪徳だが、時として美徳でもある。お前は確かに、姉兄のため、その身を削ったのだ。兄として、これほど誇れることはない」

「なのよ。あなたの思いは確かに見届けた。もう、やるだけやったでしょう? だからこれ以上、自分を苦しめなくてもいいの。あなたが汚れるたびに、あなたが悪意を秘めるごとに、あなたの心は軋み、蝕まれてしまう。そんなの、お姉ちゃんは悲しいのよ」

「…………」

 

 お姉さんの胸に抱かれ、頭を撫でられる先生の姿は、本当にただの弟で。

 三人の姿は、ただの姉弟でしかなかった。

 

「木馬バエ。私の愛しい弟。あなたは、本当は優しい子。だからこそ、その優しさを犠牲にしてまで、私たちに優しくしなくてもいいの。自分に優しくしてもいいのよ。その思いと、あなたの幸せが、私たち姉弟の幸せなのだから」

「お前の我々に対する情はこれでもかというほど痛感している。お前の温情が、その志があるだけで、我々は救われるのだ。ゆえに、その志のために、己を潰すな。お前という存在がなくなってしまうのは、とても困る。嫌なことだ」

「私たちの汚名によってあなたが悲しむように、あなたが自分を削ると、私たちも悲しいの。それでも私たちは、あなたの意志を重んじるつもりだったけど……これ以上は、本当に壊れちゃう。だから、止めるのよ。姉弟としてね」

「踏み越えてはいけない一線がそこにはある。お前の憎悪は、その一線を越えようとした。生物である以上、間違えることもあろうが、破滅は看過できるものではない。飛び続けるのは疲れるだろう。もう休め、木馬バエ。我が弟よ」

「……じゃあ、私のこの気持ちは……どうすれば、いいんだよ……二人を穢された、この怒りは、どう発散すれば、いいんだよ……」

 

 先生は、独白のように、力なく言った。

 

 

「どうするもなにも、あなたはもう、怒りも憎しみも、すべてのエネルギーを使い尽くしてるでしょ? 空っぽな心に残った、幻想の残滓があなたを突き動かすだけ……そんな虚構に惑わされないで。あなたが本当にしたいこと、あなたの本当に大事なものを、見失っちゃダメなのよ」

「私の……本当に、大事なもの……」

「あぁ。分かり切っているだろう。我々が最も大事にするもの。それは――」

 

 

 

『――姉弟なのよ()

 

 

 

 ……やっぱり、そうだよね。

 見ててもわかる。

 この人たちはいつだって、姉のため、兄のため、そして弟のために、尽力していた。

 だから目の前の目的のために、本当に大事にしたかったものを手放そうとする先生は、とても見ていられなかった。

 でも、それももう、大丈夫かな。

 

「……あぁ、そうだったっけ。すっかり、忘れてた……ごめん。眼を開いたせいで、視野が狭くなってしまってね……」

「承知しているとも。お前のことは、我々が一番よく知っている。姉弟だからな」

「えぇ。だからハエ。今はもう、罪を背負う必要も、罰を被る責務もないのよ。さぁ、眼を閉じて」

「うん……迷惑かけたね、兄さん、姉さん――」

 

 そうして先生は、本当に眼を閉じて。

 そのまま、目覚めなかった。

 

「あらら、寝ちゃったのよ。随分と消耗してたんだね」

「無理もない。あそこまで憎悪を滾らせたハエなど、ほとんど見たことないからな」

「迷惑と言えば、あなたにも迷惑かけちゃったのよ。ごめんね」

「い、いえ、わたしは……」

 

 ビックリしたし、怖かったけど……終わってみれば、怪我とかもなかったし、何事もなかったし、別にいいかなって……

 それに、かえって良かったとさえ思える。

 この人たちがどれだけ姉弟を大事にしているのかがわかったし、それに。

 

 

 

(やっぱり【不思議の国の住人(この人たち)】は、悪人じゃないって、思えたから――)




 とまあ、トンボのお兄さん、チョウのお姉さんときて、今回はハエ太郎くんの対戦回でした、と。
 デッキはわりと気に入っているキズナアンティリティ。2ブロ含め環境を見た場合、お世辞にも強いとは言えませんが、動きがなかなか面白いです。あと、ダウナーっぽいハエがキズナのデッキって、なんかよくないです?
 小鈴の方は、前回ちょこっと触れてた《ロマノフ・シーザー》です。なんというか、《シーザー》ってやっぱ一撃の破壊力がクソ強いから、《グレンモルト》とか霞みますね。
 とまあ、今回はこのへんで。次回はウサギとカメです。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なくどうぞ。


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27話「狂いました ~前編~」

 27話、今回は前後編です。
 と言っても、一回に収めるには長すぎるから分かたれただけなんですけど……
 また今回はちょっと過激な描写がありそうなので、注意です。R18というほどではないと思うのですが……人によっては苦手かもなので、対戦パート後はお気を付けください。
 かなーり胸糞なキャラが出て来ます。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 新学期早々、学校の職員や用務員として蟲の三姉弟の方々――生物の先生に『木馬バエ』さん、購買店員に『バタつきパンチョウ』さん、用務員に『燃えぶどうトンボ』さん――が現れて、色々てんてこ舞いです。

 でも、悪いことばかりではありません。先日の出来事から、霜ちゃんが心配していたスパイの可能性たぶん薄い。代海ちゃんが言っていたように、本当に働きに来ているだけ……だと思う。

 それに、あの三人はすごく姉弟思いだということも、わかった。だからなんだと思うかもしれないけれど、わたしにとっては、それはとても大事なことだった。

 確かにわたしは先生に酷いことをされそうになったけど、でも、それは先生のお姉さんやお兄さんに対する姉兄愛の結果ゆえだった。

 行動はともかく、その気持ち自体に偽りはないし、それは悪ではない。

 つまり、やっぱりあの人たちは、本当の意味で悪人じゃなかったんだ。

 だから代海ちゃんと同じ。そして、もしかしたら、帽子屋さんとも――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ねぇねえ、帽子屋さん、帽子屋さん」

「…………」

「無視しないでよ、帽子屋さぁん? ねぇ、ねぇってば」

「……うるさいぞ。オレ様は今、忙しい」

「忙しいって、寝てるだけじゃない。寝るならちゃんとベッドで寝ないといけないわ。それとも、一緒に寝る?」

「断る。それに寝ているわけではない。思索に耽っているだけだ」

「動いていないという点で、なにが違うのかしら?」

「頭を動かすという点で、明確な違いがある。視覚的な動きだけで捉えることなかれ。動きという概念は、目に見えぬ形でも常に発生している現象だ」

「ふぅん。まあそんなことはどうでもいいけれども。腰を据えてじっくり考え事なんて、らしくないんじゃない?」

「らしさなど求めんよ。これは必要なことだ。オレ様の頭はかなり風化して錆びついているものでな。時々意識的に動かしておかないと、すぐに狂ってしまう」

「あらら、そうなの。難儀ね、帽子屋さんも」

「今更なことだ。だから退け。今のオレ様は、あまり機嫌がよくない」

「どうして? イヤなことでもあった?」

「別にどうというわけでもない。機嫌の良し悪しなど、流動的で発作的なもの。良い時は良いし、悪い時は悪い。そこに因果も意味も求めるものではなかろう」

「そんなことはないと思うけれど……そんなことより帽子屋さん。それなら遊びましょう? 僕、今とっても暇も身体も持て余してるの」

「そうか。思考の邪魔だから退け」

「もうっ、つれないわねぇ、帽子屋さん。でも、たまにはそういうところもいいものだけど。だからさ、ねぇねぇ、ほらほら、帽子屋さん?」

「やはり『代用ウミガメ』を使うべきか。あるいは蟲の三姉弟か、『ヤングオイスターズ』に通達するのも悪くないか」

「無視しないで欲しいわ、帽子屋さん。ねぇほら、今日はお仕事ないし、コンディションもバッチリなんだから。帽子屋さ――」

「……いい加減にしろ」

「ん? なーにが?」

「鬱陶しい……今は“狂っていられない”時なんだよ。貴様と狂うのはまた後だ。今は失せろ」

「そんなー、またまたー。帽子屋さんだってここのところ働き詰めで、溜まってるんでしょう? たまにはリフレッシュしないとダメよ? だから帽子屋さん、今からベッドに――」

 

カチャッ

 

「……帽子屋さん?」

「二度は言わん。失せろ。今の貴様はオレ様の敵対者となろうとしている。貴様の自慢の身体に傷をつけたくなければ、日が沈むまでオレ様の前に姿を現すな。さもなくば、貴様の脳天を鉛で貫く」

「ちょっ、ガチじゃないの、帽子屋さん……わ、悪かったわ。まさかそんなに怒るなんて思わなかったの」

「弁明はいい。御託も虚言も甘言も聞き飽きた。今は貴様の刹那的衝動に付き合っている時ではない。とっとと消えろ」

「むぅ、せっかく色々準備してきたのに、イジワルな帽子屋さん……まあ、そういうところもまた素敵だけど、嫌われるのはちょっとイヤね。仕方ない、今日は別のところで遊んでくるわ」

「あぁ……では、オレ様はまた、思索の海に沈むとしよう……」

「はいはい、おやすみなさいね、帽子屋さん。今度は一緒にベッドでね」

「…………」

「さて、とは言ったものの、どうしたものかしら。なにか面白いこととかないかしらねぇ……そう言えば、パンチョウの奴が働き始めたとか言っていたけれど――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――はい、今日の授業はここまでです。本日も非常に面倒な授業時間でしたね。皆さんも憂鬱だったでしょう、このような苦痛でしかない授業を一時間近く受け続けるだなんて。義務教育とは一種の拷問のようだと思います。しかし安心してください、本日の授業という工程はこれで完全に終了しましたので。残るホームルームも、あなた方の担任の……鹿島先生、でしたか。彼女が出張でいないので、私が代理を務めさせていただきますが、連絡事項なんて煩雑なものはなにもありませんし知りません。あとは各人、好き自由に放課後を謳歌してください」

 

 教壇で陸奥国縄太(むつのくにじょうた)先生――もとい『木馬バエ』さんが、およそ教師とは思えないことを言っている。

 確かに面白い授業とは言い難いけど、進行自体はすごくスムーズだから、意外と受けがいいんだよね、先生の授業って……結構わかりやすいし。

 ただ先生自身は、あまり授業には乗り気じゃないみたいだけど。

 

(まあ、好きで働いているわけじゃないみたいだし、当然なのかな……)

 

 そもそもどうやって教職に就けたんだろうとか、気になることはたくさんあるけど、気にしたら負けだと思う。

 代海ちゃんも普通に入学してるし、きっとわたしたちじゃ計り知れないようなことがあるんだろう……それも、恐らく合法じゃないことが。

 

「さて、他の先生のアドバイスを受け、前回課題にした宿題を集めたわけですが……なかなかの数ですね。これを持っていくのは、少々骨が折れそうだ」

 

 先生は誰に言うでもなく、宿題として提出されたプリントの山を前にして嘆息する。

 

「確かこういう時は、日直に運ばせるのが定石と聞き及びました。今日の日直とやらは誰ですか?」

 

 ありありと無知を晒す先生。社会に適合する気があるのかないのか、少なくとも学校についての知識が乏しいことを隠す気はないみたい。流石に人間じゃないなんてことは普通の人からしたらわからないと思うけど、それでもわたしはとても心配です。なにがきっかけで、わたしたちの秘密がばれちゃうことやら。

 それはそれとして、先生は荷物運びの労働力として、日直を要求する。

 日直、日直かー……

 ……はい。

 

「わ、わたし……です」

「……成程」

 

 おずおずと手を上げるわたしを見て、先生は一瞬だけ言葉を詰まらせた後、小さく頷いた。

 

「ではお願いします。職員室までなので」

「は、はい……」

 

 あくまでも先生は淡々と職務をまっとうするだけ。

 わたしは“また”荷物運びとして、先生に付き従うことになっちゃいました。

 みんなから集めた宿題のプリントを渡されて、それを抱えて教室を出る。そして、先生と一緒に職員室に向かうけど……

 

「…………」

「…………」

 

 無言の歩行。

 わたしは常に、斜め数歩前を歩く。用心のため、ではある。先生のことを嫌っているわけじゃないけど……でも、どうしてもこの前のことがあるから……

 その話をしたら、霜ちゃんにも「警戒心がなさすぎる! お人好しも一周回って大馬鹿だな君は!」なんてこっぴどく怒られちゃったし。

 先生は悪ではない。姉兄思いの、すごくいい人だ。だけど、その牙を向けられた以上は、やっぱりちょっとだけ怖い。

 あの時はお姉さんやお兄さんのお陰で事なきを得たけど、それでも、先生がわたしたちに恨みを抱いていること自体は、解消されたわけじゃないし……

 と、わたしが先生の様子を窺いながら歩いていると、先生は首だけを回した。

 その流し目が、ふっと、わたしの目と合う。

 その眼は、あの時の怖いものではない。どちらかと言えば恋ちゃんに近い、無関心に抑圧された眼差しだった。

 

「そんなに警戒しなくてもいいですよ。今はあなたになにかをするつもりはない」

 

 そしてわたしの心中を見透かしたように、告げる。

 

「あなた方が許せないという気持ちはまだありますが、あなたに手を出すと、姉さんが悲しむし、兄さんが怒る。私だって姉弟喧嘩なんかもうごめんだ。あの二人に科せられた枷がある限りは、非道な真似はしない。いや、できない」

「なら、いいんですけど……でも、わたしになにかしなくても、霜ちゃんや謡さんには……」

「私があなたを襲ったのは、あの少年や、チェシャ猫の彼女よりも扱いやすそうだったからです。警戒心が薄くて言葉で動かしやすく、また非力そうだったから力ずくで抑え込めるだろうという打算があったからです。あの二人相手だと、あそこまで上手くはいかないだろうし、一筋縄じゃいかないでしょうね。ゆえにあなたを使うことを考えたのですが」

「あぅ……」

 

 まるで反論できなかった。霜ちゃんに言われたことそのままだよ……

 確かにあの時は、全然怪しいとか思わなかったし、事実言葉巧みに乗せられて、力でも反抗できなかったけどさ……

 

「なんにせよ、あなたにも、あなた方にも、手を出すつもりはありません。安心しろとは言いませんが、そんなに露骨に警戒していては、周りの生徒に怪しまれてしまいますよ」

「怪しまれるとか、先生に言われたくありませんよ」

「? なにがでしょう?」

「自覚ないんだ……」

 

 でも、わたしはちょっとだけ安心した。

 もうあの怖い先生ではなくなっていることに。

 霜ちゃんなら、先生の言葉を鵜呑みにするな、って言うんだろうけど、たぶんこの言葉に、偽りはない。

 根拠は……ないけどね。

 

「まあ、いいでしょう。それよりあなた方は、もっと外を意識するべきだ」

「外?」

「私はただ、帽子屋さんに言われるがまま、どういう意味があるのかもわからないことを、どんな意義を持つのかわからない場所で行っているだけに過ぎない。いわば働き蟻だ。末端も末端、果てしなく薄弱な意志によって働くパーツでしかない。あぁ、先日のは例外です。思わず衝動を抑えきれず、開眼してしまったようなものなので。本来の私は、むしろ自己主張を控えているくらいです」

「そ、そうなんですか?」

「そうです。私も、兄さんも、姉さんも、自分の“眼”に飲まれないようにするため、意識をコントロールしているのです。私は外に目を向けることで自我を抑え、兄さんは己を主役と暗示することで何者かの意志に反発し、姉さんは自身の世界を全力で謳歌することで何者かの世界に侵されないようにする。眼という自らの肉体、意志と強く連動した個性()ゆえに、そうしなければ、別の視点に飲まれかねないのですよ。誰かに、あるいは己に、視点を乗っ取られるだなんて、ぞっとしない」

「危険、なんですね……」

「危険ですとも。それでもこの力が、少しでも【不思議の国の住人(私たち)】の力になればと、姉さんらは尽力しています。まったくもって、馬鹿馬鹿しいくらい短絡的で献身的ですよね。笑っちゃいますよ」

 

 なんて、やっぱりほとんど抑揚をつけずに言う先生だけど、その本心はもう、わかっている。

 そんなお姉さんやお兄さんのことが、心配で、だけど気高くて、きっと大好きなんだろうなぁ。

 

「話が逸れました。ともかく、私はよほどのことがなければ主張はしません。姉さんや兄さんも、奔放ではあっても大したことはしません。あなた方に危害を加えるメリットをさほど感じませんし、むしろこの世界、社会が私たちにとってアウェーである以上、高いリスクの方が目につきます。虫けらは確かに矮小ですが、危険には敏感です。軽々しく手出しはできない」

 

 だけど、と先生は逆接する。

 相変わらず、淡々として口調で。

 なにも関心を寄せないと言わんばかりの声色で。

 

「そのうち、もしかしたら近いうちに“激しい害悪”がやって来ることでしょう」

「激しい、害悪……?」

「はい。あなたの性質は強く他者に起因するものだ。だからこそ、強烈な自意識とは反発するでしょう。それが成すのは、完全に相容れない、到底受け入れられない、絶対的な敵対構造。あるいは、完璧なまでの悪意と害意。あなたの選択肢を奪い、あなたの望みを潰す未来。そんな――悪」

 

 悪。

 悪いもの。悪いこと。悪者。悪事。

 それが、わたしの前に現れる……?

 

「ゆめゆめ忘れないことですね。あなた方と私たちは、本来であれば相容れない存在だ。今は“なあなあ”で付き合っていますけど、それもいつまで続くのやら。ゆえに――」

 

 先生は、わたしに向いた。

 どこか冷淡で、だけど真剣で、突き放すようでいながら寄り添うようでもある、矛盾の孕んだ眼差しで、見つめる。

 そんな、混濁した眼から発生られる言葉は――

 

「――あなたは、もっと覚悟した方がいい。アリス(マジカル・ベル)

 

 ――忠告だった。

 

「私だって、帽子屋さんの指令次第ではあなたに牙を剥きます、爪を立てます。そんな未来から目を逸らしてはいけない。それはただの逃避だ」

 

 今がその時ではないだけ。

 本来、わたしたちは、彼らと戦うものであると、先生は言う。

 だからこそ、注意するべきだと。安心するなと。

 覚悟しろ、と。

 そう、忠告してくれる。

 

「……なんで」

「? なんですか?」

「なんで……そんなこと、教えてくれるんですか?」

 

 慮って言ってくれているのか。ただの気まぐれなのか。それともなにか別の意味があるのか。

 わたしたちに危害を加えない、加えられないと先生は言っていたけど、それはあくまでお姉さんやお兄さんが抑えているから。

 先生自身は、わたしたちに好意的とは言えないはず、なのに。

 どうして、そんなことを言ってくれるのだろう。

 先生はしばらく口を噤み、やがて開いた。

 

「……姉さんに」

「?」

「姉さんに「うちのお得意様にイケナイことしようとしたんだから、その分はちゃんと償うのよ!」って、怒られたから……兄さんにも、後始末も含めて筋は通せって言われたし……」

「あー……」

 

 どことなく恥ずかしそうに、そして少ししょんぼりと言う先生。

 理由は、思ったよりも複雑で、単純で、とても“らしかった”。

 そっか……お姉さんたちには頭が上がらないんだ。

 

「そりゃあ、あの件は私が悪いですけど、自分たちだって好き勝手なことばっかりしてる癖に……私の気苦労も知らないで……ぶつぶつ……」

「せ、先生? 先生、あのっ」

「……すみません。家庭の事情です」

 

 コホンと咳払いをして、仕切り直す先生。

 

「私は所詮、汚い蠅だ。害虫ができることなんてたかが知れてるけど、汚れているからこそ悪意や害意には聡いつもりです。だから、忠告くらいならできるだろうと」

 

 改めて平静に振舞う先生。

 先生はそんな風に言うけれど、屈折していようと、強制であろうと、それでもその言葉が善意であることだけはわかった。

 善意に返す言葉。そんなものは、決まり切っている。

 

「……ありがとうございます、先生」

「謝らなくていい。感謝なら、頭の中が花畑の姉さんと、脳漿まで燃焼してる兄さんに述べることですね。あの二人に言われなければ、むしろ口を噤んで仲間と結託して嵌めていましたよ」

「あはは……はい。今度、お礼を言っておきますね」

 

 お姉さんとは毎日のように購買で会うし、お兄さんも学校のどこかしらにはいるし。

 二人ともすごく気さくだから、意外と学校で人気者なんだよね……

 そして先生の「仲間と結託して嵌める」という言葉も、決して嘘ではない。もしもその機会があれば、この人は躊躇いなく、わたしたちに牙を剥けるのだと思う。

 しばらくは……信じてもいいと、思うけど。

 

「……あぁ、でも。あのクソウサギとだけは、死んでも組みたくないな」

 

 ふと、さっきの自分の言葉を受けて、思い出したように先生は呟いた。

 

「ウサギ?」

「私たちの仲間……と呼ぶのも反吐が出ますが、同じ【不思議の国の住人】の一人という意味では仲間ですね。私が害虫なら、あいつは害獣だ。一緒にされたくはありませんがね」

 

 な、なんか、先生が珍しく嫌悪感を露わにしてる……誰なんだろう?

 

「認めたくはありませんが、同族嫌悪、みたいなものなんでしょうけどね。私の“眼”が自意識と自我に収束するからこそ、そして私がその“眼”を疎むからこそ、あの自己中心的な淫婦を私は好きになれない。その悪性が酷く目につく」

「その人って、わたしが会ったことある人、でしょうか?」

「たぶん知らないんじゃないですかね? あいつはあまり表には出ない部類だし、帽子屋さんでさえも手を焼いて放置されるような奴です。いや、帽子屋さんは、快楽の付き合いをして、動物としての性を忘れないようにするためには便利だとか、なにか言っていた気もしますが、忘れました」

「はぁ……だ、誰なんですか、その人……?」

「……名前を口にするのも憚られるが、しかしあいつの名前の価値なんてその程度、と思ってあなたには教えてあげましょう。むしろ、少しくらいは知っておいた方がいいかもしれませんね。姉兄に科せられた親切心から教えましょう。あいつの行動原理は単純だが、いつ行動として起こるかわかったもんじゃない。名前を知るだけでも、多少の心構えにはなるでしょうし」

 

 と、前置きして。

 先生は口を開く。

 

「強欲で傲慢で淫乱、帽子屋さんとはまた違う狂気に犯された獣の毒婦。その名は――」

 

 先生が真性の悪と称する、彼らの仲間の一人の名前を。

 

 

 

「――『三月ウサギ』」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 思いつきと、衝動と、勢いで来てみたものの、どうしたものか。

 事務的で普遍的で、優雅さや煌びやかさの欠片もない、つまらない建物。

 ここから見える人間たちも、あまりに幼く、無力で、平凡だ。

 端的に言って、面白くない。

 まだ門すら潜っていないが、一目でわかる。ここは享楽とも快楽とも無縁で、面白味に欠けた場所であると。

 

「……ま、でも、今から男を引っ掛けるのも面倒だし、たまには子供相手でもいいかしらねぇ……あぁ、そうだ」

 

 一つ、思い出した。

 あいつの勤め先でもあるここには、彼女もいる。

 彼が気にかけ、気に病み、気にし続けている、小さな少女が。

 それを思い出したら、なんだか急に、胸の内に奇妙な苛立ちが募った。

 なんでもいい。このムカつきを発散したい。

 混沌を振り撒こうと、害悪を撒き散らそうと、構うものかと身体が告げる。

 心も身体も血潮が滾るのなら、己の意志が向かう先も、自然と決まっている。

 

「さてそれじゃあ早速……あの子でいいかしらね」

 

 視線の先に捉えた平凡な少女に目を付ける。平凡すぎてなんの感想も抱けないが、どうでもよかった。あまりに幼すぎていなければ誰でもいい。

 門を潜り、ゆったりとした足取りで、その少女へと近づく。

 

「そこのあなた。ちょっといいかしら?」

「え? な、なんですか?」

「少し尋ねたいことがあるの。大丈夫、あまり手間取らせないようにするから」

 

 話しかける最中でも、歩は止めない。

 ギリギリまで、限界まで。肌と肌が触れ合うほど。息遣いが分かるほど。心臓の鼓動が届くほど。

 ――狂ってしまいそうなほど、寄り添うように近寄る。

 

「あ、あの……?」

「楽にして頂戴。あなたはなにもしなくてもいい。無知でもいい。未経験でもいい。全部、全部、僕がリードしてあげるから」

 

 それは、肉体を獲得した生命体の本能。

 その衝動に、誰もが最初は困惑し、戸惑い、振り回されるものだ。

 しかし案ずることはない。それは生き物としては普通で、当然のことだ。

 混乱も、痛みも、羞恥も最初だけ。それはだんだんと、緩慢に肉体を蝕み、蕩けるような快感を伴って、己の一部と化すのだから。

 この少女がどこまで“進んでいる”のかは知らないが、それでも感じたことのないような刺激的な悦楽と、新たな世界を切り開く情感を与えよう。

 それが、せめてもの返礼ということにして。

 小さく吐息を当てて、狂気を囁く。

 

 

 

「淫靡に狂い果てましょう――「三月のウサギのように」」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「『三月ウサギ』さん、かぁ」

 

 職員室にプリントを運んだ帰り。わたしは、先生から聞いた名前を反芻する。

 なんとも可愛らしい名前だけど、先生は苦虫を噛み潰したような渋い顔でその名前を口にしていて、その人に対する言葉も、わたしの口から言うのは憚られるくらい汚かった。

 この前の“あれ”を除けば基本的に温厚な先生が、あそこまで罵詈雑言を並べて嫌悪感を剥き出しにする人……一体、どんな人なんだろう。

 先生は罵るだけ罵っていたけど、具体的な特徴とか、どんな人かは全然話してくれなかったし。ちょっと突っ込んで聞いてみたけど「口にするだけで反吐が出るから、それ以上の追及はやめていただきたい。私が気分を害する、メンタルが持たない」なんて言われちゃったし。そのわりに悪口は言うんだもんね。

 でも、先生がそこまで悪し様に言うほど、悪い人、なのかなぁ。

 実際に会ったわけじゃないし、わたしには判断できっこないんだけど。

 それにこれから会うとも限らないし、そんなに悪い人なら、できれば会いたくないけど……

 

「うーん、でも、霜ちゃんなら「もしそんな奴が出てきたらどうするか、対処法を考えておこうか」なんて言いそうだよね」

 

 個人に対する対処法なんてあるのかって思うけど。

 なんて考えているうちに、既視感のある景色――というか人影が見えた。

 室内なのに、パーカーのフードまで目深にかぶって、背中に大きなリュックを背負った、ちょっと小柄な女の子。

 この今から帰りますオーラをふんだんに発しているのは、間違いない。代海ちゃんだ。

 

「あ、そうだ、もしかしたら代海ちゃんなら……代海ちゃーん!」

「っ! こ、小鈴、さん……」

 

 ビクッと身体を震わせて、振り向く代海ちゃん。

 なんだか前にもこんなやり取りがあった気がする。

 

「ど、どうしましたか……?」

「うん。えっとね、代海ちゃんに用があるんだけど、今、大丈夫かな?」

「ほ、ホームルームも、終わったので……だ、大丈夫、ですよ」

 

 前にも先生や、お姉さんやお兄さん――蟲の三姉弟のことを聞いたけど。

 代海ちゃんなら、『三月ウサギ』さんのことも、なにか知ってるかもしれない。

 先生はちゃんと話してくれなかったけど、代海ちゃんなら、きっと。

 

「えっとね。ちょっと聞きたいことがあって――」

「――こすず」

 

 と、その時。

 わたしの言葉を遮って、小さく、だけどハッキリとした声が届いた。

 

「恋ちゃん……」

「帰り、遅いからって……そうと、みのりこが、カリカリしてる……」

「あ、そっか。ごめんね。すぐ戻るよ」

 

 ゆっくりしてたつもりはないんだけど、先生と話してて遅くなっちゃってたみたい。

 この前のことがあるし、みんなが心配するのもわかる。早く戻らなきゃいけないけど……

 

「えと、えっと……」

 

 どうしたらいいのかわからず、おろおろしてる代海ちゃん。

 流石に、呼び止めてやっぱりいいです、なんて言えないよね。

 

「代海ちゃん。さっきの話なんだけど、みんなも一緒でいいかな?」

「は、はい……アタシは、か、構いません……」

 

 たぶん教室には誰も残ってないと思うし、【不思議の国の住人】の話をするなら、きっとみんないた方がいい。

 それに、先生に言われたことも――

 

 

 

 ――あなたは、もっと覚悟した方がいい

 

 

 

 わかっている。わかっているんだけど、まだピンと来ないし、なんだかしっくり来ない。

 帽子屋さんや、先生や、お姉さんや、代海ちゃんたちが――敵だということに。

 わたしが甘いのか。危機感がないのか。そういうことなのかもしれないけど、なんだか、まだ胸の中がもやもやする。

 このもやもやが晴れれば、なにかがわかるかもしれない。踏ん切りのつかないわたしの心に、なにか変化が起こるかもしれない。

 そんな根拠のない希望を抱いて、そのためにもなにかの手掛かりを掴みたい。

 

「じゃ、行こっ」

 

 代海ちゃんの手を引いて、わたしの教室――1のA教室に入る。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ごちそうさまでした。そして、いただきました」

 

 思ったよりも楽しめた。やはり、いつも同じというのも芸がないし、マンネリ化の元だ。たまには、普段であれば経験できないこと、体験できないことを楽しむのもいい。

 質の良さでは比べるべくもないが、快楽とは質ではなく、感受性と稀少性だ。己の経験内における稀少さこそが、最上のスパイスとなる。

 刺激的とは言い難いものの、少しばかり空腹だった心もそれなりに満たせた。幼い少女でも、前菜程度の価値はあったものだ。

 

「さて、問題はこれだけど……流石にきっついわね」

 

 無理もない。通らない無理を通しているようなものなのだから。未成熟なものの器は、成熟したものに収まり切るはずもない。

 しかし、これは必要なことだ。ちょっとした興味と、衝動的な思いつきも含まれるとはいえ、これが自然で、円滑にことを進められると判断したゆえ。

 

「あんまりデザインは好みじゃないけど……ま、いっか。この子と同じ。たまにはってやつね。たまにはこういうのも、いいものよ」

 

 半ば自分に言い聞かせるように、それを己の身体に押し込めていく。

 ……むしろ、自らおかしな方向に進んでいる気がしないでもないが、そこはそれ。そうだとしても、逆にそれを楽しめばいい。

 

「さて、こんなもんかしらね。胸のキツさと丈の短さが気になるけど、こういうものだと思えば大丈夫よね」

 

 これが仮に“こういうもの”だとすれば、それは自然からは程遠いものなのだが……やはり、それも関係はない。

 こんな器にしろ、殻にしろ、見てくれなんて大した意味は持たない。

 どうせこんなものは、一時的な楽しみでしかないのだ。

 面白おかしく、歪に歪んでいようとも、刹那の一時を楽しもうではないか。

 

「それじゃあ今度こそ、行きましょうか――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 案の定、クラスメイトはみんないなくて、残っていたのは恋ちゃん、ユーちゃん、霜ちゃんにみのりちゃん。いつものメンバーだけだった。

 代海ちゃんと一緒に来たことに、霜ちゃんやみのりちゃんは少し顔をしかめたけど、前ほど攻撃的にものを言うこともなくなった。

 それでも、ちょっとだけ、ヤな空気だけどね。

 それはそれとして、わたしはさっき先生から聞いた話を、みんなにも話した。

 特に、『三月ウサギ』という人のことを。

 そしてその人について、代海ちゃんにも尋ねた。

 すると、

 

「三月ウサギさん……ですか……」

 

 代海ちゃんも、斜を向いて、ちょっと言いづらそうに口ごもる。

 

「えっと、その、な、なんて言うか……自由な人、ですよ……」

「自由? なんとも煮え切らない言い方だね」

「もっとハッキリ言ってよー。自由とか言い出したら、君ら皆そんな感じじゃんさー」

 

 それを君が言うのか? っていう視線が霜ちゃんから発せられているけど、みのりちゃんの言うことももっともだ。

 帽子屋さんもそうだけど、ネズミさんとか、先生のお姉さんやお兄さんも結構、奔放な自由人だ。だけど個性はそれぞれ十人十色。

 それだけじゃ、なんとも判断しづらい。

 

「しろみ……もっと、具体的に……」

「ぐ、具体的って……」

「どんな人なんですか? 好きなことはなんですか?」

「好きな、こと……はうぅ……」

 

 詳細を追及されて、顔を覆う代海ちゃん。

 しかもこれ、困っているのは困っているけど、どういうわけか顔が赤い。恥ずかしがってる、のかな? なんで?

 

「ひょっとして、なにか隠してる?」

「そ、そういうわけでは……」

「じゃあ話してよー。隠されてるとさぁ、ほら、やっぱ疑っちゃうじゃん?」

「あぅ……でも、その、あ、アタシ……ああいう“オトナなコト”は、あんまりわからなくて……」

「……オトナなコト?」

 

 なんか今、急に思わぬ方向に話が転がらなかった?

 

「……わいだんの、予感……」

「? オトナっぽい人なんですか?」

「ま、間違ってない、ですけど……その、なんていうか……」

「……なんとなく、言いたいことがわかった。異性に節操がないとか、そんなところだろう」

「は、はい……それに、凄くプライドが高い、といいますか……す、凄い人、なんですけど、アタシは、少し苦手、っていうか……ちょっと、荒々しいところがある、っていうか……」

「私は今の話で、ヒステリックな高飛車お嬢様系ソープ嬢をイメージしたよ。大体これで合ってるはず!」

「その自信がどこから湧いてくるのかわからないが、正直なところボクも似たような感じだ。夜の街に繰り出していそうだね」

「淫乱ビッチ感溢れる……」

「ソープ? 夜? インラン? なんですか? みなさん、なにを言ってるのか、よくわかんないです」

「もうっ、みんな! ユーちゃんに変なこと教えちゃダメだよ!」

「そんなつもりはないんだが……」

「っていうか小鈴ちゃんはわかってるんだー?」

「ふぇ……っ!?」

 

 みのりちゃんから手痛いカウンターパンチを受けました。

 いや、まあ、その……ちょっとだけ。ちょっとだけだよ?

 お母さんも、決して子供向けの小説だけを書いてたわけじゃないから、たまたま家にちょっと刺激的な本もあって、というか……

 

「そ、そんなことはどうでもいいのっ!」

「ん……その、淫乱ビッチが……やって来るかどうか……」

「うーん、ど、どうでしょう……あの人は、その、あんまり帽子屋さんの指令で、動かない人、ですから……」

「帽子屋という男が、君らのトップだよね? もしかしてトップと仲違いでもしているのか?」

「い、いえ、そんなことは……帽子屋さんが、なにを考えてるかは、わかりません、が……三月ウサギさんは、帽子屋さんに、惚れ込んでいて……」

「んー? 惚れてるのに、惚れた相手の命令は聞かないって? なんかおかしくない?」

「アタシも、変だって思います、けど……あの人たちの、関係は……よ、よく、わかりません……そういう意味でも、自由な人、です……」

 

 今まで出会った【不思議の国の住人】の人たちは、ほとんどの場合、帽子屋さんの命令によって動いていた。中には、先生みたいに個人的な理由で動くこともあったけど。

 それでも、帽子屋さんたちの悲願――種の繁栄と存続という目的に邁進するための活動という軸は、ぶれていなかった。

 だけど『三月ウサギ』という人は、その軸さえも外れている……?

 あくまで人から聞いた話だから、推測でしかないけど、代海ちゃんたちの中でも異端な人、ということはちょっとだけ伝わった。

 

「ま、まあ……たぶん、帽子屋さんも、三月ウサギさんを、持て余してて……放置してるだけ、だと、思いますけど……」

「まるでじゃじゃ馬だな。君ら、言うほど一枚岩というわけではないのか?」

「そ、そういう人も、いるっていうか……ちょっと……ちょっとだけ、本能に、忠実っていうか……」

「本能に忠実、ねぇ。まあはた迷惑な話だこと」

「だね。己の欲望や感情を抑制できず、周囲に害を振りまくようなら、それはもう悪と断じていい。なぁ、聞いているか実子?」

「え? 私なにか悪いことした?」

「自覚がないやつ……」

「で? そのなんちゃらウサギとやらがなんだって?」

「警戒しろ、ということなのかな? 仮にも敵対者の助言を素直に聞き入れるのもどうかとは思うが」

「……しろみ……どう、なの……?」

「三月ウサギさんは……来ない、と、思います、けど……」

「ハッキリしないね」

「そ、その……行動原理が、よくわからない、っていうか……可能性は否定できない、ですけど……その可能性は低そう、というか……」

 

 もごもごと口にしづらそうな代海ちゃん。

 ただ言い難い内容というより、なんと答えれば、どう言葉にすればよくわからない、といった風だ。

 

「か、快楽主義者……? って、言うんでしょうか……三月ウサギさんは、基本、じ、自分の良しとすること……にしか、寄りつかない、ので……そういうのが、ない限り、は……」

「なんとなく理屈はわかった。しかし、そいつがなにに関心を寄せるのかがわからないとな」

「男じゃない?」

「そんな短絡的な」

「概ね、合ってる、と、お、思います……」

「……短絡的なんだな」

 

 男の人、かぁ。

 それなら確かに、わたしたちにはあんまり関係なさそうだね。

 

「情欲に惹かれるというのなら、ボクらとも、ボクらが関わることともとんと無縁だね」

「は、はい……だから、少なくとも、学校なんて場所には……よっぽどのきまぐれがない、限り……そんなことは――」

 

 と、その時。

 ガラガラ、と。

 教室の戸が開け放たれる。

 

「っ!」

 

 今の話を聞かれてしまったのかという不安と懸念。

 同時に、ただ誰かが忘れ物を取りに来たとか、そんな、なんでもないイベントへの期待。

 だけどそれはどちらでもなく、それら以上に悪い展開が待っていました。

 開かれた扉。そこに立っていたのは――

 

 

 

「残念ながら、そんなきまぐれがあるのよねー、これが」

 

 

 

 ――知らない。女の人、でした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「だ、誰……?」

 

 まったく知らない人だ。見るからにわかる。大人の、女の人。

 学校内に、明らかに生徒ではない、教師でもない大人がいるという現実に、困惑するわたしたち。

 だけど代海ちゃんだけは、わたしたちの惑いとは、また別の混乱を抱えていた。

 

「さ、三月ウサギ、さん……」

「はぁい、僕の名前は『三月ウサギ』。帽子屋さんに怒られて追い出されちゃったから、遊びに来ちゃった」

 

 三月ウサギ。代海ちゃんは、そしてこのお姉さんは、確かにそう言った。

 今まで話題に上がっていた【不思議の国の住人】の一人……だけど。

 その出で立ちに、思わず目を奪われる。

 

(す、すごい格好……!)

 

 制服だ。烏ヶ森学園の、女子制服。わりと普通のセーラーで、そこだけ見ると特に違和感はない。かもしれないけど。

 制服というのは学生が身に着けるもので、大人がそれを着ると、すごくコスプレ感が漂う……そんな印象だ。

 しかもこの人は、その……体つきも、すごく大人っぽいから、色々危ないっていうか……み、見えちゃいそう、なんですけど……

 

「なんて下品な格好の女なんだ。自分の品格を悪戯に下げることが、色っぽいとでも思っているのか? 反吐が出るね」

「霜ちゃん!?」

「あ、すまない。つい……失礼した。撤回はしないけど」

「小生意気な娘ね。いや、よく見たら男……? 可愛い顔してるわね。その顔ならスカートの方が似合ってるかもね」

「そいつはどうもありがとう。あなたは、見てくれこそ綺麗ですけど、ファッションセンスが絶望的ですね」

「……口達者のムカつくガキね」

 

 そう吐き捨てる三月ウサギさん。

 き、急に口が悪くなった……霜ちゃんも霜ちゃんだけど。

 いや、そんなファッションチェックをしている場合じゃない。

 

「さ、三月ウサギ、さん……ど、どうして、ここに……!?」

「あらあらカメさん。聞いてなかったの? 帽子屋さんに追い出されちゃったから、遊びに来たのよ」

「遊びに……? それって……」

「えぇ。あなたがさっき言ったように、単なる気まぐれよ。大仰な目的も、大層な意志もない。ただ“なんとなく”という理由ならざる理由でここにいる。とっかかりはあったけどね」

 

 なんとなく。

 あらゆる理屈や条理を粉砕する動機だった。因果関係もなにもあったものじゃない。

 

「ここに来た理由なんて存在しない。だから、なにをしに来た、なんて問われても答えられないのよねぇ。強いて言うなら、楽しみに来た、と言うべきなんでしょうけど。でも、どんな“遊び”だって、楽しいかどうかは結果次第。だからやっぱり、遊びに来た、が正しいのでしょうね」

「楽しみに来たとか遊びに来たとか、随分と曖昧な答えだな。具体的には、どうするって言うんだ?」

「何度も同じことを言わせないでちょうだい。僕はなにも考えずここにいるし、だからその答えは持ち合わせていないわ。ただ、帽子屋さんが熱中する女の子がどんなものかを見に来た、というのがそこそこ近い答えだけれど……むむむ」

「な、なんですか……?」

 

 目を凝らして、ジッとわたしを見つめるウサギさん。

 なんか、目つきが怖いんだけど……

 

「お子様の癖に、なーんか僕より大きい気がするし……ちょっとムカつく」

「えっと……?」

「よし、決めたわ。弄ったり虐めたり、あるいは食べたり貪ったり、舐めたりしゃぶったりというのも悪くはなかったけど、今日は観察に留めておきましょう。うふふ、見るだけっていうのも、それはそれで興奮するわよね」

「……なに、言ってるの……このビッチ……頭、湧いてる……?」

「湧いてるんじゃない?」

「咆えてなさい小娘共。あなたたちみたいな、平凡で未成熟なガキなんか、眼中にないのだから。悦びを知りたければ、話は別だけど?」

「結構です。間に合ってるんで」

(……間に合ってる?)

 

 みのりちゃんの言葉に霜ちゃんが訝しげに首を傾げている。

 ウサギさんはそんなみんなから視線を外して、またわたしに向いた。

 

「ふふっ。可愛らしくも憎たらしいあなたには、狂気をプレゼントしてあげる」

 

 コツ、コツ、と三月ウサギさんは靴音を鳴らして歩み寄る。

 まるで獲物を見つけた肉食獣のような、獰猛で、下卑た笑みを浮かべて

 

「っ! こ、小鈴さんっ! ダメ……その人から、離れてください……っ!」

「え……?」

 

 スッ、と。

 気づけば、ウサギさんは目の前に立っていた。

 わたしの頬に添えられた手。鼻の先がくっついてしまいそうなほどに迫る顔。

 それはとてもきれいで、精巧で、お月様みたいに美しく。

 蕩けてしまいそうなほど、欲情的だった。

 可憐で美麗で淫蕩な獣は、そっと囁く。

 その瞬間。だった――

 

 

 

「月の狂気と獣の淫欲に飲まれなさい――「三月のウサギのように」」

 

 

 

 ――わたしの中で、なにかが弾けた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 三月ウサギさんが、小鈴さんから離れる。

 小鈴さんは放心しているかのように、ぼぅっと虚空を見つめています。

 あぁ……止められませんでした……

 三月ウサギさんの“狂気”を……

 

「な、なんだ……? 小鈴になにをした!」

「さーて、なにかしらねぇ。ふふふっ」

 

 小鈴さんの身に起こった、明らかな異常。それは内情を知るアタシでなくとも、誰もが感じ取れているようです。

 そして、その異常の元凶も明らか。霜さんは三月ウサギさんに噛みつきますが、三月ウサギさんは悪戯っぽく微笑むだけで、答えようとはしません。

 

「あなたは聡明よね。だからこそ、黙ってた方が面白そうだし、僕は手の届かないところで高みの見物を決め込ませてもらおうかしら。ばいばーい!」

「っ、おい待て――!」

 

 待てと言われて待つはずもなく。

 三月ウサギさんは、正に脱兎の如く、その場から離脱した。

 

「……逃げた……」

「あんなのどうでもいいよ! そんなことより、小鈴ちゃん! 大丈夫!?」

「…………」

「こ、小鈴さん……?」

 

 呆然と立ち尽くす小鈴さん。

 今はきっと、受け入れているところなんだと思います。

 けれど、それを受け入れてしまったら、小鈴さんは……

 

「小鈴ちゃん! しっかり!」

「……みのりちゃん」

「よかった、意識はあるみたいだ。しかし、あいつは一体なにを――」

 

 ギュッと。

 小鈴さんは、実子さんを抱きすくめる。

 

「こ、小鈴ちゃん……?」

「……大好き」

「はぅっ!?」

 

 あまりに脈絡がなく、唐突な言葉と行動。

 ギュウゥッと、小鈴さんが実子さんを抱く力は強まるばかり。

 その行動は、普段の小鈴さんからは考えられないような行い、ですけど……

 ……?

 

「初めてのお友達が、みのりちゃんでよかった……いつもありがとう。好きだよ、大好き」

「え、ちょ、ちょ、た、タンマ……お、推しの供給過多で……だ、ダメ、死ねる……」

「きゅ、急にどうしたんだ? 小鈴……」

「普段なら……あんなこと……言わない、ような」

 

 ……どういう、ことなんでしょう……? アタシにも、ちょっとよくわかりません……

 上気したように赤みを帯びた頬。とろんと蕩けたような表情。無邪気でどこか獣染みた微笑み。そして、普段の行いからは逸脱した言動。

 これは確かに、三月ウサギさんの個性()の発露。

 そのはず、なんですけど……なんだか、アタシの知っているそれとも違う……?

 

「えへへ……みのりちゃんは素敵だよ。ほっそりしてて、背も高くて、綺麗だし、格好いいよ。わたしの理想の女の子だぁ……」

「や、ダメ、やめて……嬉しすぎて死んでしまう……!」

「いつもありがとぉ。大好きだよ、みのりちゃん」

「ぐっ、もぅ、無理……かはっ!?」

「み、実子さーん!?」

「実子がやられた!? しかも小鈴に!? そんなことがあり得るのか!?」

 

 実子さんが喀血(したような素振りを)して倒れた。そしてうわ言のように「我が生涯に一片の悔い無し……」と呻いている。

 たぶん、気を失っているだけだと思いますが、そんなことより。

 アタシの知るものとは少し違いますが、今の小鈴さんが“変わってしまった”のは、誰もが理解したところだと思います。

 その変化に戸惑い、混乱し、そして恐れるように、皆さんは一歩後退する。

 

「小鈴さん、どうしちゃったんですか……? いつもの小鈴さんじゃ、なくなっちゃったみたいです……」

「ユーちゃん……」

 

 その声に反応したかのように、小鈴さんは、今度はユーさんを標的に据える。

 一歩一歩、ゆっくりとゆらゆらと、崩れて倒れてしまいそうな危うさで、ユーさんへと歩み寄る小鈴さん。

 異常さの発露を見せた小鈴さんですが、その姿が、彼女が小鈴さんであるという事実に変わりはなく。

 だからこそなのか、ユーさんはその場から一歩も動けず。

 小鈴さんが彼女の目の前に立つ。

 

「こ、小鈴、さん……」

 

 そしてまた、ギュッと彼女を抱き締めた。

 

「はわ……ぁ、ぅ……」

「ユーちゃんも可愛いよ……髪は綺麗で、さらさらで……なにより、とっても元気で、明るくて……癒される……」

「く、くるしいです、小鈴さん……」

 

「可愛いなぁ……わたしのこと、お姉ちゃんって、呼んでもいいんだよ?」

「うみゅぅ、ゆ、ユーちゃんのおねーちゃんは、ローちゃんなんですけど……」

「でも、ローザさんとは双子だよ?」

「小鈴さんとも同い年ですって!」

「それでもだよぉ……うりうり」

「う、うにゅ、うにゅっ……くすぐったいですって……小鈴さぁん……」

 

 まるで小動物を愛でるように、ユーさんを抱き締めて、頭を撫でる小鈴さん。、

 そして、まるで会話が成り立っていない。

 部分的には、それはアタシの知る異常と近しいのですが……これは……

 

「あ、あのっ! 小鈴さん、苦しいですよ……は、離してくださいっ」

「えぇー、もうちょっとだけぇ……はぁ、ふわふわもちもち……」

「小鈴さんのおむねの方が、ふわふわでもちもちなんですけど……あと苦しいです……息が……」

 

 実子さん相手だと、実子さんの方が背が高かったのでなんともなかったですけど、ユーさんと小鈴さんでは、小鈴さんの方が少し背が高いです。

 その身長差もあって、ユーさんの顔は、小鈴さんの大きな胸に埋まっていて、羨ましいような苦しそうなような。

 いや、絶対に苦しいと思うんですけど。鼻も口もほとんど外に出てませんもん。

 何度も拒否の意を示すユーさんですが、小鈴さんは意に介すことなく、その状態をキープ。どころか、小鈴さんの抱きしめる力はどんどん強くなっていって……

 

「わたしも、こんな妹が欲しかったなぁ……えいっ」

「うにゅぅぅぅぅぅぅっ!?」

 

 ……まるで、絞め落とすかのように。

 呼吸困難になったユーさんは、断末魔の叫びをあげて、小鈴さんの胸の中でぐったりと力尽きていました。

 

「きゅぅ……」

「まさかユーまでやられるなんて……」

「無差別テロ……」

「一体なにがどうなってるのかわからないが、この流れだと、次は……?」

 

 実子さん、ユーさんと二人の尊い犠牲者によって、小鈴さんのパターンは読めました。

 いや、これがパターン化されたアクションなのかは、三月ウサギさんの性質を考えると、甚だ疑問ですけど……

 しかし次になにが来るのかは、概ね予想がつきます。

 目を回して床に倒れ伏したユーさんをよそに、小鈴さんは身体を回して、こちらを向く。

 そして、その蠱惑的な眼差しで、蕩けた声で、指し示すのは――

 

「……霜ちゃん」

「ボクか!」

 

 ――霜さん、でした。

 その隣で恋さんが安堵の溜息を漏らしているのは内緒です。

 

「…………」

 

 小鈴さんは無言で、カツカツと少し足早に霜さんへと歩み寄ります。

 ? なんだか、その足取りは、ちょっと不機嫌なような……?

 

「ま、待て小鈴。話し合おう。いきなりハグとか、日本では非常識だよ。人間には高度に発達した自由自在のコミュニケーション、会話がある。これを用いない手はないよ。君の称賛は正直なところ受けたいところだがハグは困る。困るんだ。君の体型で男女が密着するとかあり得ないだろ? 君だって恥じらいがあるはずだ。いつもそうだったじゃないか。本来の君を取り戻すんだ小鈴。なぁ、話せばわかるからお願いします止まってください!」

 

 迫り来る小鈴さんから逃げながら、必死で説得を試みる霜さんですが……まるで効果はないようです。小鈴さんは耳に入ってないかのように無視。霜さんに迫っていきます。

 やがて壁際に追い詰められ、霜さんは逃げ場を失う。

 そこに、グイッ、と。

 小鈴さんらしくない強引さで、壁に押し付けて、霜さんと向き合いました。

 ……これは、俗に言う「壁ドン」ってやつでしょうか……?

 

「むー……」

「な、なに? なんか、怒ってる……?」

 

 実子さんやユーさんとは違う反応。二人には、とろとろした甘い笑みを浮かべていたにも関わらず、霜さんにはふくれっ面を見せていました。

 ……お二人と、霜さんとの明確な違いがあって、本来の三月ウサギさんの、彼女の性質を加味すれば、そこに差が生まれるのは理解できますが……

 なんでしょう。やっぱり、なにかが違うような気がします。

 

「霜ちゃんは可愛いよ。素敵だよ。でも」

「で、でも?」

「わたしのこと、ダサいとか、センスないとか、子供っぽいとか言ってばっかり……」

「ボクには不満!? 少しでも期待した自分がバカみたいじゃないか!」

「? なに?」

「あ、いや……なんでもない」

 

 む、むむ……?

 実子さんやユーさんと違って、霜さんは可愛らしいですが、男の子です。

 だからこそ今の小鈴さんとは一番引き合わせてはいけないはずなんですが……この反応は、やっぱり、かなり“ずれている”。

 けれど確かに“狂っている”。

 本来とは違うようで、違わない。

 

(もしかして、アタシが知らない形でも、三月ウサギさんの狂気は発現する、のでしょうか……?)

 

 そもそも詳しくは知らなくて、例示をいくつか知っている程度なので、そのくらいのズレがあってもなんらおかしくはないのですが。

 だとすると、不幸中の幸い、とでも言うのでしょうか。

 本当に最悪のケースを思えば、よほどマシな状況なのかもしれません。

 と、思ってましたけど。

 

「確かに、わたしは綺麗じゃないし、お洒落もよくわかんないけど……そんなにハッキリ言わなくてもいいのに……傷つくよ」

「ご、ごめん、悪かった。謝るから、その、退いてくれ……色々、当たってるんだけど……」

「霜ちゃん」

 

 下から覗きこむように、上目を遣って霜さんに迫る小鈴さん。

 身体も密着していて、なんというか、とても……色っぽい光景です。見てるこっちまでちょっと恥ずかしいくらいに。

 当の霜さんも、大変困った様子で頬を紅潮させ、目を逸らしています。

 ……実子さんにも、ユーさんにも、小鈴さんはあくまで“女の子”として扱っていました。それも、普段にはない“過激さ”を伴って。

 あるいは、本来ならあり得ないほど“正直に”なって。

 己の羞恥も、常識も、規律も、倫理も、道徳も、すべてをかなぐり捨てて。

 理性が飛んでいる今、小鈴さんを抑える自我はありません。

 相手は霜さん。可愛らしくとも、女性らしくとも、本質は男性です。

 小鈴さん本人がそれを強く意識していなかったとしても、その事実は揺るぎなく。

 そしてその事実があるからこそ、それに応じる因果が存在する。

 

「わたしは背も低いし、顔も服も子供っぽいかもしれないけど……でも、"大人っぽくなりたい"って、思ってるんだよ」

「え?」

「わたしにだって、子供っぽくないところも……大人っぽいところも、あるんだから」

 

 やはり、ここにいるのは“男”と“女”。

 三月のウサギが解き放った狂気は、しっかりと発現していたようです。

 小鈴さんは、霜さんの逃げ場を塞いでいた片腕を解放しました。

 だけどそれは、新しい災禍と、解放の前触れ。

 小鈴さんはその手を、自らの制服の襟元に持っていって――

 

「ちゃんと教えないと、霜ちゃんはわかってくれなさそうだし……今日は体育もなかったから"そういうの"つけてきたし……」

 

 

 

ぷちっ

 

 

 

 ――脱ぎ始めた。

 

 

 

「ちょ……っ!? ちょっと待て! それはまずい! やめろ小鈴!」

 

 小鈴さんの思い切りすぎた行動に目を剥いた霜さんは、慌てて小鈴さんの腕を掴んで止める。

 けれど小鈴さんは、さっきまでの静謐さが霧散してしまったかのように、赤ん坊のように暴れ始めた。

 

「はーなーしーてーっ! わたしだって怒ってるんだからー!」

「それはボクが悪かった! 悪かったからやめろ! 女の子が軽々しくそんなことするもんじゃない! 仮にもボクは男だぞ!?」

「可愛いからいいんだもん!」

「よくない! くっ、小鈴の癖になんて力……恋! 手伝ってくれ! 小鈴を止めるんだ!」

 

 泣き喚きながら暴れて、あまつさえ服を脱ごうとする小鈴さん。

 霜さんはそれを必死で止めようとしますが、霜さんの方が少しだけ背が高いとはいえ、二人の体格はそれほど大差ない。

 一人でリミッターが外れている小鈴さんを抑え込むのは難しいと判断したのか、恋さんに救援を求めました。

 

「いや……そういうの、解釈違い、だし……あんまり、その小鈴に、近づきたく、ない……なんか、恥ずかしいから……」

「そんなこと言ってる場合か!? ここは友人として、一線を越えないために助けるところだろう!? というか助けてください!」

「むぅ……」

 

 霜さんの必死の懇願に、少し考え込む恋さん……そこ、考えるところなんですね……

 やがて恋さんは顔を上げて、嘆息した。

 

「はぁ……やむをえず……しかたない、か……」

 

 そして、渋々ながらも、霜さんに加勢することにしたようです。

 

「……あ、アタシも……」

 

 小鈴さんの奇行に、アタシも面食らってしまいましたが……やはりこれは、まごうことなく三月ウサギさんの仕業。

 止めないと……!

 

「こすず……ステイ、ステイ……」

「ぐっ!? なんか今チラッと見えた気がした……! 今の黒いのは服の影だよな!?」

「知るか……っていうか、これ……想像以上の、難敵……」

 

 霜さんと恋さんが、小鈴さんと格闘している最中。

 アタシは、アタシにもできることを……あるいは、アタシにしかできないことを、しないと。

 

「待っててください、小鈴さん……!」

 

 開け放たれた教室の扉から、廊下へと飛び出す。

 この狂気の元凶――三月ウサギさんを探して。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 覗き見れば、向こう側に人の姿が見えた。

 

「うーん……? あっれー?」

 

 首を傾げている女性が一人。身体に合わない烏ヶ森の女子制服を着ている、大人の女。

 彼女は窓の向こうを眺めては、しきりに首を捻っていた。

 

「おっかしいわねぇ……本当なら、もっとケダモノみたいにかぶりつくはずなんだけど……お子様だからかしら? いや、それにしたってあれは……」

 

 ぶつぶつと呟きながら、女性は不思議そうな、怪訝そうな、理解できない、あり得ないと言わんばかりの、どことなく不機嫌さをにじませた複雑怪奇な表情を見せる。

 

「普通、僕の“狂気”を受けたら、個人の判別なんてできないはずなんだけどねぇ。オスかメス、あるのはそれだけ。ゆえに性対象にはすべて喰らいつく獰猛さと貪欲さが湧き上がり、その他のものなんてどうでもよくなるはずなのに、たったあれっぽっちだなんて……つまんないわ」

 

 その姿は一時の間、隠れる。

 しかし視界にはなくとも、耳に、その下品な笑い声が届いた。

 

「でも、脱がしにかかると思ったら自分から脱ぐとか! そこだけはちょっとウケるわね! 喰らうのではなく、狙って喰らわれる者……誘い受けね。痴女の素質かぁ」

 

 怒ったり、笑ったり、安定しない情緒で、そこから見える景色を愉しむ女性。

 人の尊厳もなにも、その前では意味をなさないほどに醜悪で、傲慢な姿が浮かぶようだ。

 

「愉悦としてはかなーり物足りないけど、まあ、カラダだけのお子様芋女に過度な期待をした僕がバカだったってことにしておきましょう」

 

 言葉が聞き取れるようになった。

 もうすぐだ。

 もう、すぐそこだ。

 

「んー、でも、この欲求不満な感じはどう解消したものかしら。もう何人か玩具にして遊ぼうかしらね? といっても、どこもかしこも、お子様だらけだしねぇ――」

 

 息を切らして、床を蹴って、走って。

 彼女の前に、立つ。

 

「――さ、三月ウサギ、さん……!」

 

 1のAの教室の、ちょうど真向いの廊下。

 直線で結んだ先で、霜さんや恋さん、そして小鈴さんの姿が見える。

 そんな絶景ポイントに、三月ウサギさんはいました。

 

「あら、代用ウミガメ。なんの用?」

 

 アタシの呼びかけに、こともなげに返す三月ウサギさん。

 この人にとって、きっとアタシは取るに足らない存在。さっきも、アタシのことを知っていながらも、アタシにはまるで目をくれていませんでした。

 でも、彼女がアタシのことをどう思っていようと、関係ありません。

 アタシには、明確な用事があるのですから。

 

「……く、ださい……」

「はぁ? なんて?」

「や、やめて……ください……!」

「なにが?」

「こ、小鈴さんに科した、あなたの“狂気”……い、今すぐ、取り消して、ください……!」

「イヤよ。なんでそんなことしなくちゃいけないのよ」

「だ、だって、こんなこと……意味が、ないじゃないですか……」

「意味がない。そうかもしれないけど、そうでもないかもしれない。少なくとも、僕はこの狂気を撒き散らすことを楽しいと感じているわ。それで十分じゃない?」

「そ、そんな、自分勝手な……」

「なによ今更。僕の名前は『三月ウサギ』。みだりに淫らに乱れて狂う、情欲の獣よ? 淫蕩に、衝動的に、この身体と本能の赴くままに享楽を受け入れる。それが僕のあるがままの姿で生き様。それが自然ってやつよ」

 

 確かにそのあり方が、三月ウサギさんの存在そのものと言えるかもしれません。

 でも、だからって、それを振りかざして、振りまくことが許されるはずが……

 

「そもそもよ。自然と言えば、あの女は僕たちの敵なのよ。聖獣を抱えているアリスなのだから、どうしようと問題はないでしょ?」

「でも……」

「なに? アンタ、あの女を庇うの? それでも帽子屋さんに目かけられた【不思議の国の住人】?」

「う、うぅ……」

 

 言葉に、詰まってしまいました。

 勇んで出て来たというのに、情けない限りです……

 でも、それを、帽子屋さんを、【不思議の国の住人】を引き合いに出されると、とても強く反論できません……

 ……いいえ、負けてはいけません。

 アタシにだって、ちっぽけでも、守りたい気持ちや、通したい正義があるのですから。

 

「……で、でも、こんなの……ま、間違って、ます……」

「間違ってる? なにが? どこが? どんな風に?」

「あんなやり方、おかしい、ですよ……だ、だって、あれは人の尊厳を、傷つけるだけで……聖獣の力を手にすることと……帽子屋さんの目指す目的と、か、関係ない、ことです……あなたが、ただ、自分一人で楽しむだけで……なんの、意味も、ありません……!」

 

 精一杯の強がりと、最大限の見栄っ張りで、反論を試みる。

 これは帽子屋さんの命令ではなく、三月ウサギさんが一人で勝手にやっていること。

 いくら小鈴さんがアタシたちの敵と言えども、ただ身勝手に貶めればいいというものではない。

 その行為は単なるエゴでしかなく、それをアタシたちの総意であるかのような、アタシたち全体の行いであるかのような物言いは、間違っているんです。

 

「あなた一人の勝手な振る舞いは……【不思議の国の住人】すべての行為では、ありません……!」

「はぁ……うっざいわね」

 

 鬱陶しそうに息を吐いて、三月ウサギさんは敵愾心を露わにした鋭い視線を向ける。

 ウサギなんて小動物ではない、猛獣のような険しい眼差しを。

 

「なにアンタ? グズでノロマなカメの癖して、僕に意見するわけ?」

「そ、それは……その……だって……」

「一度、ハッキリ身の程ってものをわからせてやらなきゃいけないかしらね。愚鈍なカメは、ウサギには絶対に追いつけないってことを」

「!」

 

 それはまるで、反逆者を抑え込む圧政者のような……いや、もっと原始的で、単純で、醜悪だ。

 彼女の眼に宿るのは、確固たる害意。明確な、傷つけようとする意志。

 嗜虐的で、悪意的な、意味のない暴虐さ。

 そんな暴威に取り合うだなんて、気が進みませんが……

 

「……わ、わかりました」

 

 ここで受けなければ、前には進めません。

 アタシが信じた人のためにも、アタシは……

 

「へぇ? 受けるんだ。昔に比べて肝が据わったじゃない」

「で、でも、アタシが勝ったら……小鈴さんに振りまいた狂気を、取り消して、ください……」

「考えておくわ。僕が勝ったら、そうねぇ……」

 

 しばし考え込む仕草を見せる三月ウサギさん。

 やがて閃いたように、声をあげた。

 

「よし決めたわ。アンタ、僕のペットになりなさい」

「ぺ、ペット……?」

「そう。首輪を付けて、主人の命令には絶対服従。公爵夫人様と、今はいないドブ猫みたいなものよ。無能なカメ女でも、ひっくり返して遊べば、ちょっとは楽しめそうだしね」

「……わ、わかり、ました……」

 

 不穏な響き。陽が落ちる暗がりのような不安。

 これでも三月ウサギさんは、帽子屋さんにとても近い人。下っ端みたいなアタシとは、格も、立場も、経験も、まるで違う。

 ……でも。不安でも、怖くても、嫌でも、前に進まなきゃいけない時がある。

 あの人は……小鈴さんは、その身を持って、アタシに教えてくれました。

 その姿が格好良くて、輝かしくて、素敵で……だから。

 

(絶対に、負けられないんです……!)

 

 太陽の光を取り戻すために。

 アタシは、月の狂気に犯された獣と、対峙する――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

[三月ウサギ:超次元ゾーン]

《勝利のガイアール・カイザー》

《勝利のリュウセイ・カイザー》

《勝利のプリンプリン》

《ブーストグレンオー》

《タイタンの大地ジオ・ザ・マン》

《時空の賢者ランブル》

《時空の凶兵ブラック・ガンヴィート》

《時空の踊り子マティーニ》

 

 

 

 アタシと、三月ウサギさんの対戦……

 《クリスタ》が引けなかったアタシの場には、まだなにもないです……一方で三月ウサギさんは、《ジャスミン》でマナ加速を成功させています。

 お、追いつける、でしょうか……?

 

「あ、アタシのターンです。《奇石 マクーロ》を召喚! 山札から三枚を見て……《クローツ》を手札に加えて、ターン終了、です」

「僕のターンね。マナチャージ、4マナで《ライフプラン・チャージャー》を唱えるわ。効果でトップ五枚を見て、《剛撃古龍 テラネスク》を手札に。チャージャーをマナに置いて、ターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

代用ウミガメ

場:《マクーロ》

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:0

山札:27

 

 

三月ウサギ

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:4

墓地:1

山札:25

 

 

 

「《奇石 クローツ》を召喚です! シールドを増やして、た、ターン、終了です……」

「相変わらずトロトロしてるわね、カメ女。そんなグズでノロマじゃ、アンタもすぐ狂い果てるのが関の山よ?」

 

 蔑むような目で見下す三月ウサギさん。

 アタシ自身が、臆病で、気弱で、意志薄弱なことは十分に自覚していることですが……それとは関係なく、この人の嗜虐的な眼差しは、今に始まったことではない。

 常に相手の“上を取る姿勢”。それが、アタシの性格とはまるで噛み合わない。もしくは、絶望的なまでに噛み合ってしまっている。

 だからこそ三月ウサギさんは、苛立ったように怒りながら、楽しそうに笑う。

 その、血のように真っ赤な眼で、アタシを見据えながら。

 

「僕のターン、《テラネスク》を召喚。トップ三枚を捲って……ちぇ、クズカードばかり」

 

 捲られたのは、《ライフプラン・チャージャー》《スズラン》《ホーリー》の三枚でした。

 《テラネスク》はクリーチャーを引き込みつつ、マナ加速ができる強力なカードですが、捲ったクリーチャーは、確かに良いカードとは言い難いですけど……

 

「こんなカード持ってても意味ないし、全部マナへ。ターンエンドよ」

 

 投げ捨てるように捲ったカードをマナに放って、三月ウサギさんはターンを終えました。

 

 

 

ターン4

 

代用ウミガメ

場:《マクーロ》《クローツ》

盾:6

マナ:4

手札:3

墓地:0

山札:25

 

 

三月ウサギ

場:《テラネスク》

盾:5

マナ:9

手札:3

墓地:1

山札:21

 

 

 

「アタシのターン……い、行きます!」

 

 手札補充はできなかったものの、三月ウサギさんのマナはもう9マナもあります。次のターンには、なにか大きなことをされてしまいそうな予感がします。

 でも、なんとかギリギリ、間に合ったようです。

 手札もちょうどいい感じに揃いましたし、アタシから、切り札を出せそうです。

 マナチャージして、5マナ。

 その5マナをすべて使い切って、唱えます。

 

「呪文――《ジャスティ・ルミナリエ》!」

 

 開くのは、光り輝く正義の門。

 それは、迷宮に繋がる入口です。

 ようこそ迷ってください、三の月に狂うウサギさん。

 正義の門扉は開かれました。そこから現れるのは、この迷宮の番をする者。

 アタシの光を、守る者です。

 

「《ジャスティ・ルミナリエ》の効果で、まずは、手札からコスト5以下の光のクリーチャーを、バトルゾーンへ、出します。出すのは《緑知銀 フェイウォン》!」

「雑魚だけど、攻撃曲げるのはちょっと面倒くさいわね。それで? まだ終わりじゃないでしょう?」

「は、はい。次に、ラビリンス発動、です! アタシのシールドが、三月ウサギさんよりも多い、ので……コスト8以下のメタリカを、バトルゾーンへ!」

 

 門番は一人じゃありません。

 銀の守護象が第一の関門。

 そこから続くのは、最大にして最難関の守護獣。

 アタシと近しく、アタシの最も信頼する、迷宮の番人。

 さぁ、出て来てください――!

 

 

 

「すいません、迷宮入りです――《大迷宮亀 ワンダー・タートル》!」

 

 

 

 宝石の身体を持つ、巨大な亀。迷宮の番人にして、迷宮そのもの。迷って、惑って、行き先を見失わせる、アタシにとっても特別な存在(スペシャルズ)

 これでもう案ずることもありません。

 ラビリンス発動で、迷宮は完全に構築されました。

 後は、迷い来る挑戦者が、疲れ果てて力尽きるのを、待つだけです。

 

「《ジャスティ・ルミナリエ》の効果で、《ワンダー・タートル》をタップ……《フェイウォン》も、能力でタップして、ドロー……ターン終了、です……!」

 

 《ワンダー・タートル》のラビリンスで、次に三月ウサギさんがなにをしようと、アタシのクリーチャーは場を離れません。

 攻撃に出ても、《フェイウォン》と《クローツ》の壁があります。そう簡単に、攻撃は通しません。

 それに、手札には――

 

「ちょーっとだけ、面白くなったのかしら?」

「……っ」

 

 三月ウサギさんは、笑っていた。

 先んじて切り札を出されたのに、笑っていました。

 この状況でも、笑って、いられるだなん……

 

「僕は淫欲、アンタは迷宮。どっちの疲れで身体が果てるかの勝負……ま、でも」

 

 迷宮に迷い込んだのは、ウサギのはず。主導権を握ったのは、アタシのはずだたんです。

 なのに、それはなぜか、いつの間にか――

 

「ウサギとカメ、競争したらどっちが早いかなんて一目同然よ。甲羅から手足を出したくらいで粋がらないで欲しいわね」

 

 ――競争に、すり替わっていた。

 

「僕のターン。4マナで《[[rb:緑銅の鎧 >ジオ・ブロンズ・アーム・トライブ ]]》を召喚。山札の《ウル》をマナへ置いて、残る6マナで《気高き魂 不動》も召喚よ」

 

 三月ウサギさんは余裕な態度とは裏腹に、特に大きなことはしない。クリーチャーを並べただけでした。

 やっぱり、《ワンダー・タートル》のラビリンスが効いている、のでしょうか? 場を離れない能力の前には、どうあっても手出しはできないようです。

 となるとあれは、プライドの高い三月ウサギさん強がり……だと、思います。

 アタシの優位は揺るぎません。

 

「えーっと、確かこのターンはクリーチャーが場を離れない上に、殴らないと全タップされるんだっけ?」

「は、はい……」

「面倒な能力ね。ほら、欲しいならあげるわ、《テラネスク》で攻撃!」

「《フェイウォン》の能力発動です! その攻撃は、《ワンダー・タートル》に、ま、曲げます!」

 

 いくら余裕を見せても、バトルゾーンには真実だけが存在する。欺瞞も虚構も存在しない。あるがままの姿がそこにある。

 《テラネスク》の攻撃は《ワンダー・タートル》吸い寄せられて、巨竜の身体を踏み潰す。

 

「《ワンダー・タートル》がバトルに勝ったので、の、能力発動、です……山札の上から四枚を見て……あ、アタシも、《不動》をバトルゾーンへ!」

「あらら、僕と同じクリーチャーだなんて、頭の挿げ替えられたウミガメの癖に生意気ね。ま、とりあえずこれでターンエンド、と」

 

 

 

ターン5

 

代用ウミガメ

場:《マクーロ》《クローツ》《フェイウォン》《ワンダー・タートル》《不動》

盾:6

マナ:5

手札:1

墓地:1

山札:22

 

 

三月ウサギ

場:《緑銅の鎧》《不動》

盾:5

マナ:10

手札:2

墓地:2

山札:19

 

 

 

「アタシのターン……マナチャージはなし、です」

 

 不気味です。なんで、三月ウサギさんは、あんなにも余裕なのでしょう。

 状況は絶対的にアタシが有利なはず。マナや手札のリソースが尽きかけているのは否定しませんし、その点では三月ウサギさんが有利ですけど……でも、盤面ではアタシが勝ってるはずです。

 それに、この一手で、さらにアタシの迷宮は盤石なものとなります。

 

「《マクーロ》《フェイウォン》《ワンダー・タートル》《不動》……この四体をタップして、呪文を、唱え、ます……!」

 

 正規コストを支払う代わりの代替コスト。

 アタシの名前は『代用ウミガメ』――替えが利くクリーチャーを何度も繰り出して。

 支払うマナコストさえも、クリーチャーで代用します。

 

「呪文――《エメスレム・ルミナリエ》!」

 

 天へと伸びる煌びやかな光。

 四つの宝石が陣を形成し、溜め込んだエネルギーを放出し、鉱石に新しい命を吹き込む儀式。

 

「手札から、コスト8以下のメタリカを、バトルゾーンへ!」

 

 アタシのクリーチャーが捧げたその力が、新しいクリーチャーの命に代わる。

 これがアタシの新しい切り札。

 そして、アタシが願った、アタシの太陽。

 キラキラ、キラキラ、煌めいて。

 アタシを照らす――陽の光。

 

 

 

「これが、アタシを照らす光――《太陽の使い 琉瑠(るる)》!」

 

 

 

 女性的な、流れるようなラインの、美しい肢体。

 華々しい槍と、鬼面のような恐ろしい盾を携え、日輪を背にした宝玉の巨象(ゴーレム)

 《太陽の使い 琉瑠》……このクリーチャーの光が、アタシに希望を、明るい未来を与えてくれます。

 

「ターン終了……その時、《琉瑠》の能力で、《琉瑠》をタップ……! カードを一枚ドローして、終わり、です」

 

 ターン終了時のタップ&ドロー。メタリカの基本戦術と噛み合う能力ですけど、このクリーチャーの神髄は、そこにはありません。

 《琉瑠》がタップしている。そして、《不動》と共にある。この二つの要素が、重要なんです。

 

「《不動》と《琉瑠》が揃いました……こ、これで、アタシのクリーチャーはもう……場を、離れません……!」

 

 《不動》が破壊以外の除去耐性を、《琉瑠》が破壊による除去耐性をそれぞれ付与することで、アタシのクリーチャーはもう、無敵です。

 どうあっても、アタシの布陣を崩すことなんて、できませんよ。

 

「迷宮は、より盤石なものと、なりました……も、もう、崩せませんよ……っ! だ、だから、小鈴さんにかけた“狂気”を、払って、ください……!」

 

 いくらなんでも、ここから逆転なんて、簡単ではないはず。場を離れないクリーチャーたちによって構築された、鉄壁無双の大迷宮。進路は思い通りにならず、曲がりくねって歪んでは歪み、正しい終着点へと辿り着けない。

 この迷宮は攻略不可能な難易度に跳ね上がっています。いくら三月ウサギさんでも、これを突破するなんて、できっこありません。

 攻略できるはずがないんです。

 ないはず、なんです。

 けど……

 

「……くっだらないわね」

 

 蔑むように、三月ウサギさんは、アタシを見下ろします。

 迷宮に迷い込んでもなお、遥か高みからの目線は、変わりませんでした。

 

「自惚れんなカメ女。アンタが必死で作った迷宮の価値なんて、たかが知れてるわ」

「っ……な、なら、突破してみて、くださいよ……で、できないと、思いますけど……」

「言ったわね? アンタにしてはよく咆えたと褒めてあげる」

 

 そう言うものの、目に灯った侮蔑と嘲笑はそのままで、三月ウサギさんのターン。

 三月ウサギさんは、マナのカードを一枚、手に取った。

 

「2マナでマナゾーンから《再生妖精スズラン》を召喚」

 

 《テラネスク》でマナに行った《スズラン》が、戻ってきました。

 《スズラン》は本来、場に留めることができないクリーチャーですが、《不動》がいるので、今はアタッカーとしても使うことができます。

 でも、今はきっとそのためじゃない。

 このタイミングで《スズラン》を出した。その理由は、恐らく……

 

「さらに8マナ! 《スズラン》をNEO進化!」

 

 や、やっぱり、進化元……!

 しかも、8マナで、自然のクリーチャーが進化する、NEO進化クリーチャーと言えば――

 

 

 

「愛欲を貪りなさい――《グレート・グラスパー》!」

 

 

 

 両刃槍(パルチザン)を構えた、巨大なバッタ。

 三月ウサギさんは、ここで仕掛けてくるつもりみたいです。

 準備運動は終わり、アタシを仕留めるために、攻撃の意志を露わにしています。

 でも大丈夫。クリーチャーは場を離れませんし、《クローツ》と《フェイウォン》で防御も万全。それに、《ワンダー・タートル》だっています。

 負けるはず……ありません。

 

「《グラスパー》で攻撃! その時、能力発動! NEOクリーチャーの攻撃時、まずは《不動》の能力でシールド追加! さらに《グラスパー》の能力で、こいつよりパワーの低いクリーチャーをマナから引きずり出す! 《清浄の精霊ウル》をバトルゾーンへ!」

「っ、そのクリーチャーは……」

「おっと? 顔色が悪くなったわね? 薄幸な顔がさらに幸薄くなってるわよ? あるいは、愚かで無知な醜悪顔が、よりいっそう酷くなってるかもしれないわね?」

 

 《グラスパー》だけならそこまで怖くはなかったですけど、《グラスパー》は単体の力だけではない。組み合わせるクリーチャーとの連携で、その力を何倍にも増幅させるクリーチャーです。

 そして《ウル》は、S・トリガーのブロッカーとして防御に貢献する――だけではありません。

 場のクリーチャーを一体、タップまたはアンタップする能力も持っています。相手クリーチャーをタップさせて、タップキルや、防御を突破するため、あるいはアタッカーを寝かせて攻撃を止めたり、アタシなら攻撃を曲げるために使ったりもしますけど……この場合、そのどの使い方とも違う。

 三月ウサギさんは、清浄を謳いつつも不浄なまでの悪意を持って、その力を行使します。

 激しく、荒ぶって、乱れるほどに。

 絶倫な精力によって、巨大な蟲は――起き上がる。

 

「《ウル》の能力で、《グラスパー》をアンタップ! シールドへの攻撃だけど、どうする?」

「それは……う、受け、ます……」

 

 この《ウル》は、攻めるための一手。

 しかも三月ウサギさんのマナゾーンには、もう一枚《ウル》が見えてます。

 ここでなにかトリガーが、《ルヴォワ》とかが出てくれれば、《グラスパー》を止められます……けど、

 

「うぅ、トリガーはありません……」

「ほらほら、この子はまだまだこんなにも元気よ? そんなにすぐへたってちゃ、後がもたないわよ!」

 

 二度目の《グラスパー》の攻撃。太く大きな槍を突き込むと同時に、大地が揺れ動く。

 

「《グラスパー》で攻撃! 再びシールドを追加し、《ウル》をバトルゾーンへ! 《グラスパー》をアンタップ!」

「流石に、これ以上は……《クローツ》でブロックしますっ! バトルには負けちゃいますが、《琉瑠》の能力で、破壊されません……!」

「知ったことかっての。さぁもう一発! 最後に特上のデカいヤツ突っ込んであげるから、しっかりと受け止めなさい!」

 

 ケダモノの叫びと共に、巨蟲の槍が放たれる。

 太く、大きな、貫くための長物()が。

 

「《グレート・グラスパー》で攻撃する時、《不動》の能力でシールドを追加! さらに《グラスパー》の能力でパワー14000未満のクリーチャーをマナから踏み倒す!」

 

 三月ウサギさんのマナゾーンには、もう《ウル》は見えません。だから、これ以上の連続攻撃はない……です、けど。

 

「ただ何度もズッポズッポ突っ込んでるだけじゃ芸もないし、溜めに溜めたこの欲情、最高に濃厚な命の種を、一気に注ぎ込んであげる!」

 

 《グラスパー》がマナから引きずり出すクリーチャーに、制限はない。あるのはパワーのみ。

 パワーさえ勝っていれば、《グラスパー》はどんなクリーチャーでも呼び起こす。たとえそれが、進化クリーチャーであろうとも。

 進化クリーチャーよりも、もっと強大な存在であったとしても。

 

「《グレート・グラスパー》を――“究極進化”!」

 

 進化に進化を重ね、新たな(NEO)進化すらをも飲み込んで、旧時代の進化を呼び覚ます。

 殿堂級の月が、神羅の名の下にアタシに真実を突きつける。

 

 

 

「蒼い狂気の月の下で、踊り狂いましょう――《真実の神羅(トゥルーシンラ) プレミアム・キリコ・ムーン》!」

 

 

 

 それは、あまりに巨大なクリーチャーだった。アタシの迷宮も、そこに配置した番人も、ゴーレムさえも霞んでしまうほどの巨体。そして、強大な力を持つクリーチャー。

 狂月皇帝(ルナティック・エンペラー)。進化に進化を重ねることで到達した、より強大な進化の形。

 この世に災害をもたらすとも言われるほどに、危険な力だ。

 

「き、究極進化クリーチャー……!」

「そうよ。これが僕の切り札……月の引力が為す狂瀾怒濤。狂気の月は獣の肉欲さえも引き起こし、淫乱なる血潮が湧き上がる。さぁ、命を紡ぐ、狂乱の大波を受けてみなさい!」

 

 その瞬間、《プレミアム・キリコ・ムーン》の電子の輪っか(リング)が共鳴する。

 蒼い月が狂ったように輝き、氾濫する河のように、潮が満ちる大海のように、大きな見えない力によって、世界が動く。

 

「《プレミアム・キリコ・ムーン》の能力発動! このクリーチャーの登場時、自身の他のクリーチャーすべてをボトムに強制送還! そしてその数だけ、クリーチャーをトップからばら撒く……けど」

 

 見えない引力が、すべてのクリーチャーを山札へと押し込めようとしますが、そうはならない。

 三月ウサギさんのクリーチャーは、《プレミアム・キリコ・ムーン》とはまた別種の力によって、バトルゾーンに縫い付けられ、縛り付けられている。その場から、離れることはない。

 その発生源は――動かざる誇りの巨像。《不動》だ。

 その名の通り《不動》は、動かない。動かさない。

 すべてのクリーチャーを、この世界に縛りつける。

 

「僕のクリーチャーは《不動》によって、破壊以外では場を離れない! だから、僕のクリーチャー四体分が、そのまま山札から出て来るわ!」

「っ、そ、そんな……クリーチャーが、ほ、ほとんど、倍になるなんて……!」

 

 《不動》によって《プレミアム・キリコ・ムーン》のデメリットを抑えて、単純にメリットだけを残す。

 強欲にも三月ウサギさんは、そんな欲張りを現実のものとした。

 狂った月の輝きは、虚構とも思える理想を、真実の姿へと変えてしまったのだ。

 

「さぁ、出て来なさい! 僕の(しもべ)たち! 酔って狂って果てるまで! 淫靡に舞い続けなさい!」

 

 《プレミアム・キリコ・ムーン》の不可思議で不可視の力は止まらない。山札へと押し込むことができなくとも、山札から引き込むことはできる。

 結果が伴わずとも、充填した力を持って、強大な力で山札のカードを引きずり出し、一気に放出する。

 その数、四枚。

 四体のクリーチャーが、山札から飛び出した。

 

「ふふっ、なかなかいい引きじゃない。《ジャスミン》《テラネスク》《ホーリー》《グレート・グラスパー》をバトルゾーンへ! 《グラスパー》は能力で出た《テラネスク》からNEO進化!」

 

 淫靡に微笑んで、三月ウサギさんは捲られたクリーチャーすべてをバトルゾーンに叩きつける。

 

「まずは《ジャスミン》を破壊してマナ加速。次に《テラネスク》の能力で、トップ三枚を捲って、《グラスパー》だけ手札に加えて、残り二枚をマナへ。さぁ、《キリコ・ムーン》の攻撃だけど、どうするのかしら?」

「う……《フェイウォン》で、《ワンダー・タートル》に……ま、曲げ、ます……」

「パワーは同じだから相打ちだけど、そっちは残るわね。ま、それでもバトルに勝ったことにはならないけれど」

 

 相打ちの場合、両者ともに「バトルに負けた」扱いになるので、バトルに勝った時の能力が使えません……

 フィニッシャー級のクリーチャーを倒せただけ良かったですが、《プレミアム・キリコ・ムーン》は場に出た時点で仕事を終えています。今さら破壊したところで……

 

「さぁ、次よ。二体目の《グレート・グラスパー》で攻撃する時に、能力でマナゾーンのクリーチャーを引きずり出す。そして――究極進化!」

「ま、また、ですか……っ!?」

 

 二度目の究極進化。

 それは、戦術的な一手というよりも。

 アタシを絶望に陥れるための、狂った破壊行為でした。

 

 

 

「狂気の月に飲まれ、狂い果てなさい――《神羅スカル・ムーン》!」

 

 

 

 《プレミアム・キリコ・ムーン》の蒼い月は沈み、代わりに黒い月が昇りました。

 それはとても狂気的で破滅的。不安と恐怖を煽り、暗黒を振りまく闇の月。

 そしてそれを支配するのは、狂骨の肉体を持つ、悪魔のような災厄の化身。

 災禍をまき散らしながら、狂った黒月の支配者は、アタシの迷宮を踏み散らし、アタシの大切な番人(相棒)へと、刃を突きつけました。

 

「《スカル・ムーン》で《ワンダー・タートル》とバトル! パワーは《スカル・ムーン》の方が低いから、こっちの負けね。あら残念」

 

 その言葉とは裏腹に、楽しそうに微笑む三月ウサギさん。

 バトルの結果、《スカル・ムーン》は負け、破壊されてしまいます。

 そう、破壊されてしまうんです。

 ――アタシの、クリーチャーが。

 

「《スカル・ムーン》の能力発動! このクリーチャーが破壊される時、“破壊される代わりに”相手クリーチャーを破壊する!」

 

 自身の破壊を、他者の破壊へと置き換え押し付ける、自己中心的な生存能力。

 己の死を、無理やり他者へと譲渡する、恐ろしいまでの利己的な狂気。

 そしてこの能力の、なによりも恐ろしい点が……

 

「置換効果は連鎖しない。どんなに難解な迷宮だろうと、世界のルールには逆らえないわ」

 

 《スカル・ムーン》の破壊は、自身の破壊を他者の破壊に置き換える破壊。

 俗に言う、置換効果です。

 置き換える効果は連鎖しない。一度置き換えられたものは、もう置き換えられない。

 そしてアタシの《琉瑠》の能力は「破壊される“代わり”に、バトルゾーンに留まる」というもの。

 《スカル・ムーン》の「破壊される“代わり”に、破壊する」という能力が先に発動している以上、その置換をさらに置換することはできない。

 即ち――

 

 

 

「狂い死になさい――《琉瑠》を破壊!」

 

 

 

 ――真っ黒な月に飲み込まれ、狂気に蝕まれ、死を迎えてしまうのです。

 

「あ、あぁ……!」

 

 アタシの、太陽が……!

 いなくなって、しまいました。

 バラバラに砕け散った狂骨が、《琉瑠》の肉体を、その命を糧に、接合し、構築し、組み立てられ。

 その代償として、《琉瑠》の存在が散ってしまう。

 死したはずの《スカル・ムーン》は、《琉瑠》の内側から這い出る。その魂を喰らって、新たな命を手に入れる。

 その災厄の化身に、死という概念は存在しない。

 どれだけ死のうとも、その死は誰かに押し付け、自分だけが生き残るのだから。

 

「あははははは! 散ったわ! 惨たらしく、醜く、脆弱にも死んじゃった! なにが鉄壁無双よ、ダッサ! あんだけ大口を叩いておきながら、1ターンで崩れるとか! 情けないにもほどがあるでしょうに! あはははははっ!」

 

 嘲笑の大笑いが響く。

 それを否定するだけの力は、アタシにはない。

 この凄惨な結末は、まごうことなく、アタシの慢心で。

 アタシが狂気に負けたことを、意味しているから。

 

「その程度の脆さじゃ、僕の夜の相手は務まらなくてよ? もっとも、アンタみたいな臆病者の半端者と一夜を共にするつもりはないけど。それとも、アンタもいい年だし“女”を教えてあげましょうか?」

「あ……うぅ……」

「ほら、そのカメの能力はどうするの? 癪な話だけど、破壊は免れてもバトルの勝敗は覆らない。さっさとしなさい、ウスノロ」

「……つ、使い、ます……山札を捲って……《クローツ》を、バトルゾーンに……」

 

 クリーチャーこそ補填できましたが……これは、かなりまずいです。

 鉄壁だと思っていた布陣は崩され、相手には処理しきれないほどの大量のクリーチャー。そして絶望的なほどに増えたシールド。

 攻めるにも、守るにも、厳しい盤面になってしまいました。

 

「さーて、じゃあ次は雑魚を掃除しておきましょうか。《緑銅の鎧》で《マクーロ》を攻撃、破壊よ!」

「あ……」

「さらに《不動》で《クローツ》を攻撃。シールドを増やして、これも破壊!」

「あぁ……!」

「ターンエンド。さ、ここからどうすんのかしらね、代用ウミガメちゃん?」

 

 

 

ターン6

 

代用ウミガメ

場:《フェイウォン》《ワンダー・タートル》《不動》《クローツ》

盾:4

マナ:5

手札:4

墓地:4

山札:20

 

 

三月ウサギ

場:《ウル》×2《緑銅の鎧》《不動》《ホーリー》《スカル・ムーン》

盾:10

マナ:8

手札:3

墓地:6

山札:5

 

 

 

「あ、アタシの、ターン……」

 

 どうしましょう……どうしたらいいんでしょう……

 《スカル・ムーン》は倒せない。あの数のクリーチャーは捌き切れない。攻め切るには打点が足らなさすぎる。

 手札が弱い。マナも足りない。シールドは僅か。バトルゾーンも貧弱。

 代えは利かない、唯一無二の《琉瑠》がいなくなってしまい、アタシの迷宮は、崩壊の一途を辿るのみ。

 

「……《クリスタ》を召喚……《クローツ》も、召喚して、し、シールドを増やします……」

「ふぅん。で?」

「う、うぅ……わ、《ワンダー・タートル》で、Tブレイク!」

「はいどうぞ。シールドは腐るほどあるし、三枚程度あげるわ」

 

 どうにもならなくて、どうしたらいいのかもわからなくて。

 どうにかしようとして、どうにかなると信じたくて。

 迷わせて疲れ果てたところを、攻め落とすつもりが。

 惑っていたのはアタシで、狂月に飲まれて果ててしまったのも、アタシだったんです。

 

「S・トリガー《閃光の守護者ホーリー》。そこでストップよ」

「うぅ、ぅぅぅ……た、ターン、終了……」

「僕のターンね。《グレート・グラスパー》を召喚、《緑銅の鎧》からNEO進化」

 

 容赦なんて、あるわけがない。

 情けなんて、あるわけがない。

 その害悪の眼差しことが嗜虐の愉悦。

 三月ウサギさんは一切手を緩めずに、痛苦を与える。

 

「《グラスパー》で《不動》を攻撃。マナから《ウル》を引っ張って、《グラスパー》をアンタップ」

「そ、それは……と、通し、ます……」

「じゃあ次は《フェイウォン》を攻撃よ。マナから《不動》を出して、さっき出した《ウル》からNEO進化! さぁ、どうする?」

「……こ、攻撃を、曲げて……《クリスタ》に……」

「《不動》で《不動》に攻撃。《グラスパー》の能力で、《スズラン》でも出しておきましょう。結果は相打ちね」

「…………」

「あれ? 反応がなくなっちゃったわねぇ。マグロ女は興醒めなんだけど……ま、いっか。殴ってればそのうちまた面白いことあるかもしれないし。もう一体の《不動》でクローツを攻撃! 《ウル》でもう一体の《クローツ》も破壊!」

 

 次々とクリーチャーが破壊される。アタシはただそれを、見ていることしかできない。

 ここからの逆転。小鈴さんなら、諦めなかったのかもしれない。

 でも、アタシは……ダメ、みたいです……

 

「これで最後ね。《スカル・ムーン》で《ワンダー・タートル》を攻撃! 能力で、破壊される代わりに《ワンダー・タートル》を破壊!」

「…………」

「なにボケッとしてるのよ。そのカメ、バトルに勝ったけど? 能力使わないのかしら?」

「……使い、ます……《正義の煌き オーリリア》を、バトルゾーンへ……」

「雑魚がまた増えただけか。掃除面倒くさいわね。とりあえずターンエンド、と」

 

 

 

ターン7

 

代用ウミガメ

場:《フェイウォン》《オーリリア》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:10

山札:15

 

 

三月ウサギ

場:《ウル》×2《不動》×2《ホーリー》×2《スカル・ムーン》《グラスパー》《ジャスミン》《スズラン》

盾:7

マナ:6

手札:3

墓地:6

山札:4

 

 

 

「…………」

 

 どうしようもありません。

 手札も、場も。なにかができるとは思えません。

 諦念。それだけが、頭の中をぐるぐる回って、なにもできない。

 

「ねぇ、ちょっと。なにもしないならとっととターン返してよ。ウスノロ」

 

 不機嫌な罵声が飛ぶ。

 それに答える気力さえも残っていない。

 

「まったく。勢いで盾割るんじゃなくて、LOでも狙えばまだワンチャンあったかもしれないのに、自分から勝ち筋を潰してるんだから世話ないわよね。やっぱり雑魚も雑魚、愚鈍でバカな女か」

「…………」

「いいわ、もう終わらせてあげる。相手がアンタみたいなグズでノロマなマグロ女じゃ、楽しいものも楽しめやしないしね。僕のターン」

 

 もはや、アタシのターンなんて、あるのもないのも変わらない。

 完全に蹂躙されて、侵食されて、犯されて。

 刻まれるのは、敗北以外の何物でもないのですから。

 

「《グレート・グラスパー》を召喚! 《オーリリア》をマナゾーンへ! そして《グラスパー》で攻撃! Tブレイク!」

 

 シールドが三枚、砕け散りました。

 残りは二枚です。

 

「続けて《不動》で攻撃! Wブレイク!」

 

 シールドが二枚、吹き飛びました。

 もうシールドは残っていません。

 

「これでとどめよ」

 

 アタシは為す術なく、やられてしまうだけでした。

 黒い月を従えた、狂月の化身。

 狂骨の肉体を持つ、狂気と恐怖の帝王。

 そして、そんな帝を従える、狂気に狂い果て、快楽の獣と化した――三月のウサギに。

 アタシは彼女たちの狂気に飲まれてしまったのです。

 

 

 

「《神羅スカル・ムーン》で――ダイレクトアタック!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 負けて……しまったのですね。

 なんて、格好悪いのでしょう。

 なんと、情けないのでしょう。

 アタシはただ、自分の光を、太陽のような輝きを、煌めくほどの正義を信じたくて、それを守りたくて、恐怖を押し殺し、蛮勇を抱き、無謀と蔑まれようとも狂気の獣に噛みついた。だというのに。

 その歯牙は貧弱で、アタシの意志は薄弱で。この身体は脆弱で。振るった力は虚弱で。

 何一つ、為し得ることは叶わなかった。

 アタシが望む光はこのてに届かず。

 アタシの力はその程度でしかなく。

 望んだものは手に入らない。

 いつも代わりのもので満足しなければならない、『代用ウミガメ』。

 ……あぁ、でも。それはもう、どうでもいいかもしれません。

 今湧き上がるこの感覚。この無力感は、アタシの願望の拒絶ではありません。

 もっと単純で、もっと純粋で、小さくとも大きな罪悪感。

 申し訳なさ――です。

 

「ごめんなさい……」

 

 無力でごめんなさい。弱くてごめんなさい。

 なにもできなくてごめんなさい。

 あなたを助けられなくて――

 

「――ごめんなさい、小鈴、さん」

 

 ただ、それだけだ。

 あなたはアタシを救ってくれたのに。

 アタシはあなたを救えない。

 それがとても悔しくて、情けなくて、申し訳なくて。

 潮水のような、雫が流れ落ち、視界が霞む。

 

「お仕置きターイム……とでも、言ってあげましょうかしらね?」

 

 三月ウサギさんが、アタシの前に立つ。

 侮蔑と嘲笑を込めた眼差しで、アタシを見下しながら。

 しなやかな腕が伸びて、制服のスカーフを乱暴に掴む。

 

「なに突っ立ってるのよ。ほら、カメはカメらしく――這いつくばってなさい!」

「っ……!」

 

 そして、思い切り引っ張られる。

 バランスを崩して、踏ん張ることもできず、そのまま前に倒れ込む。

 立ち上がろうとしますが、先んじるようについた右手に振り下ろされる、足。

 

「い……っ!」

 

 指先から、電撃のような激痛が全身を駆け抜ける。

 加えて、グリッと踏みにじられ、骨が軋むような嫌な音が身体に響いた。

 

「あぐっ……!? い、痛い、です……!」

「うーん? 当然よねぇ。痛くしてあげてるんだか、ら!」

「ぅぐぅ……っ!」

 

 グリグリと、硬い足の裏がさらに食い込む。

 砕くのではなく剥がすように、壊すのではなく歪ませるように、捻じ曲げるような力を込めて、苦痛はじんじんと走り抜ける。

 

「生意気にも僕に盾突き、噛みついた蛮勇は認めてあげる。アンタにしては、よく咆えたわね。えぇ、キャンキャンキャンキャン、耳触りで癪に障った、わ!」

 

 パッと、右手に押し付けられた激痛が収まったと思ったら――衝撃。

 頭を吹き飛ばされるような力と共に、額から痛みが突き抜ける。

 

「あが……っ!」

「弱い癖に、大した力もない癖に、粋がっちゃって。正義感ばかりが募って滑稽ね。まあでも? 手足を引っ込めてばかりだった本当のグズだった頃よりも、ちょっとマシかしらね? 頭を出してくれるカメほど、虐めて楽しいものはないわけだしねぇ!」

 

 今度は脳天。頭から、またグリグリと踏みにじられる。

 痛い。身体も、心も。痛苦と屈辱がぐちゃぐちゃに混ざり合って、自分の存在を見失ってしまいそうです。

 足で頭を押さえつけられて、それを跳ね除けるだけの力もなくて、顔を上げることもできず、アタシはただ、三月ウサギさんに屈服するしかありませんでした。

 

「っていうか、本気で信じられないんだけど。アンタなんで、あんな女の味方するわけ? あいつは敵なのよ? ちょっと優しくされたからって、情でも湧いたの?」

「それは……」

「まあアンタの心情なんてクソどうでもいいけど、それでも解せないわね。あんな悪徳の女に奉ずる精神は、まるで理解できないわ」

「え……あ、悪……?」

 

 小鈴さんが、悪?

 そんなはずは……な、なにを言っているんですか……?

 

「快楽と享楽こそが僕の生き甲斐だけどね、帽子屋さんのために、これでも色々調べてるのよ? マジカル・ベル……本当、尻の軽い胡散臭い女だと思ったわ」

 

 アタシの頭を踏み台にしたまま、どこか怒気を含むような声色で、三月ウサギさんは滔々と語り始めました。

 

「ほんっとあり得ない。陰気な奴ら同士で徒党を組むだけならともかく、僕たちの干渉まで飲み込むなんてね。僕たちは敵なのよ? それなのに仲良くしようとか、悪い人じゃないとか、頭湧いてるんじゃない?」

「ち、違います……小鈴さんは、いい人で……誰でも、受け入れて、くれて……だから……」

「だから尻軽女って言ってんのよ」

「んっ、うぐ……っ」

 

 グリッと、体重をかけて、強く踏みつけられる。反論は許さないとばかりに、蹂躙するように。強く、強く。

 口を開くこともできない。地べたに這いつくばって、カメのようにうずくまることしかできない。

 どんな暴力にも、どんな暴言にも、甘んじるばかり。

 三月ウサギさんは、手も足も、口も出せないアタシを、嘲弄するように言った。

 

「アンタもさぁ、ちょっとは考えたら? モックタートル。子牛の頭にも脳みそくらいはついてるでしょ?」

 

 頭にかけられた体重がふっと軽くなります。

 が、それと同時に、脳天を蹴り飛ばされる。二度目の額への激痛。

 頭の中が、脳みそが、ぐわんぐわんと揺さぶられ、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられるような、気持ち悪い感覚。

 

「なんでもかんでも、はいはいと答えるイエスマンが。どんなものでも、いいよいいよとオッケーを出す停止思考が。如何なる者であっても、差別も区別もなく受け入れるクソ博愛主義者が。どうして信じられるっていうの? 僕にはわからないわ」

「ど、どういう……?」

「考えてみろって言ったでしょ? まあ、アンタみたいなノロマの言葉を待ってるほど、僕も暇じゃないし、答えてあげるけど……いい、代用ウミガメ。この世は“悪”で溢れているのよ」

 

 決して優しくなんてない。それは、彼女がアタシを支配しているからこその言葉。

 どこか諭すように、言いつけるように、三月ウサギさんは言いました。

 

「低俗で、粗悪で、どうしようもないほど腐ったゴミみたいな人間、物、思考――それがこの世の本質。人間が生み出した最悪の負債よ。そして、それらの悪を悪と断じないと、世界は成り立たない。どうしようもない自己愛も、揺るぎないほどの利己心も、醜悪と罵られるような身勝手も、我侭も! すべてが悪で、裁きの対象よ」

「で、でも、それは……あなた、だって……!」

「えぇ、そうよ。僕はどうしようもなく悪なのでしょうね。それは認めましょう。受け入れましょう。罰されるというのなら仕方のないことだと割り切るわ。でも、それはそれ。僕は悪を曖昧に誤魔化さない」

 

 アタシが必死で目線を上げ、睨みつけるも、三月ウサギさんは冷ややかに受け流してしまいます。

 でも、意外なほど真摯で、驚くほどまともに、アタシの悪意も、敵意も、飲み込んでしまいました。

 自分の快楽のため。そんな利己的な理由で、周囲に害を振りまき、傷つける。

 そんなものが善であるはずはなく、それは絶対的な悪だと断ずることができます。そして、それがこの人――三月ウサギさんだと。

 でも、なのに。

 この人は悪だということは、揺るぎない事実のはずなのに。

 アタシは、揺らいでしまっているのでしょう?

 

「本当の悪っていうのはね、悪を許してしまう精神性よ。汚濁を認めてしまうから、世界は腐敗し、混沌の坩堝になるの」

 

 悪を許す精神性。

 それって、もしかして……小鈴さんのこと、なのでしょうか……?

 アタシを受け入れてくれてた、あの人が、悪?

 

「そんな悪を許容するクソ博愛主義者は決まってこう言うわ。「悪には悪の正義がある」「悪に走ったのには理由がある」ってね! バッカじゃないの! だからなんだって言うのよ」

 

 三月ウサギさんは、彼女の言う博愛主義者を一笑に付し、嘲る。 

 

「正義があったら悪に手を染めて許されるの? 理由があったら悪に堕ちていいっていうの? そんなわけないじゃない! どんな正義があろうが、どんな理由があろうが、悪は悪! 悪いものは悪いのよ! なのに、それを無理やり理由をこじつけて受け入れるだなんて、それこそ狂ってるわ! 悪を悪ともみなせないのは弱者であり、それそのものが悪者よ! そんなことだから、世界は腐って汚く濁るのよ!」

 

 怒り狂ったように叫ぶ三月ウサギさん。

 その言葉を、アタシは否定することができません。

 だってそれは、決して間違いではないから。

 でも……アタシは、それを認められない。認めちゃいけない。

 だからせめて、少しでも食らいつこうと、掠れた声を上げる。

 

「……あなたは、矛盾、してます……そんなに、悪を嫌ってるのに……な、なんで……あなたは、悪に、身を堕とすん、ですか……」

「矛盾じゃないわ。いいえ、矛盾なのかもしれないわ。でも、だからなに? 矛盾してても僕は僕。こうしてここに存在しているわ。えぇ、僕は混沌も好きよ。濁って狂って滅茶苦茶な世界を愛しているわ。そんなぐちゃぐちゃな世界の中で、僕は自分の享楽のために、この肉体が求める快楽のために、外道にも邪道にも堕ちることを厭わない。だって、楽しいんだもの。気持ちいいんだもの! それを止めることなんてできないし、したくない。矛盾してようと関係ない。悪に染まっても、悪を許さなくても、この悦楽だけは認めるわ……それだけよ」

 

 ……狂ってる。

 頭の中に浮かんだのは、その言葉だけだった。

 言ってることが滅茶苦茶です。悪を許さないような、悪の本質を突くようなことを言いながら、自分自身が悪だと認めるだなんて。

 おかしな人だとは、前々から思ってました。でも、ここまでとは、思いませんでした。

 この人は、一体どんな信条で、どんな立場で、生きているのでしょう。

 どうして、そんな破綻した精神で、矛盾を内包して、生きていけるのでしょう。

 

「確かに僕は悪の塊よ。でもね。僕はその身勝手な欲望を正当化したりしない。えぇ、これはまごうことなき邪悪よ? でも、僕は残念ながら善人でも正義の味方でもないの。どうしようもない悪役よ。だから、悪いことをするし、正義の裁きなんてものがあるなら、それを受ける責務があるでしょうね。でも! だからこそ! 僕はこの衝動を良く見せようだなんて思わないし、したくもないわ。悪辣を隠さない。善意の殻を被せない。そんな偽善はまっぴらごめんよ!」

 

 清々しいまでに、三月ウサギさんは宣言しました。

 悪徳を受容しながらも、その悪の汚さは否定しない。

 アタシには、まるで理解できない精神性です。

 でも、この人の矛盾なんて、正直、どうでもよかった。

 

「僕がムカつくのはね、人の悪意を、悪行を、裁かれるべき悪徳を見ないふりして正当化して、それでお仲間を作ったつもりになってる、いい子ちゃんぶったクソ偽善者よ! 自分が“いいことをしてる”という妄想に憑りつかれて舞い上がってる姿が最高に滑稽で、最悪なほど反吐が出る! あぁ! 気持ち悪くて、鬱陶しくて、気が狂いそうなほど可笑しくて! ほんっとう! ぶっ殺したくなるほどムカつくわよね!」

 

 ヒステリックに叫び散らす三月ウサギさん。

 憤怒なのか、嘲笑なのか、あるいは両方か。

 色んな感情が混沌と混ざり合って、それは激しい害意として発散される。

 三月ウサギさんはしゃがみこんで、アタシの両頬を掴み持ち上げる。

 踏みにじられたり、蹴られたりする痛みよりはマシですが、無理やり頭を持ち上げられて、首が痛いです。

 

「アンタのことは大っ嫌いだけど、まあ一応は同胞だし、僕のペットになったわけだし、飼い主として教えてあげるわ、代用ウミガメ。なんでも受け入れる度量は優しさじゃない。それは、本当の悪を断じられない薄弱な意志。そして、本質的に悪を許してしまう真の悪よ」

「真の……悪……」

「えぇ。あの女は、きっとこれからも、どんな奴に対しても同じように、媚びた笑顔を向けるのでしょうね。だからこそ、そこにある友愛は薄っぺらいし、信用なんてできない。八方美人ってやつ? なんにしたって、そいつは僕なんかよりも、よっぽどタチの悪い。なんでも受け入れるからこそ、世界を、誰かを腐敗させ、ダメにしてしまう。そんな、弱さを突き詰めた極悪よ。あいつはその弱さで、いつか必ず破滅する。誰かを破滅させる。大切なものだって失うでしょうね。それはもしかしたら、あなたかもしれないわよ? モックタートル」

 

 小鈴さんが、悪。

 あの人の善意は、悪の裏返し。

 すべては、悪を受け入れる、真の悪……

 

「アンタはあの女に大事にされてるわけじゃない。あの女にとってアンタは、数多くいる“優しくしただけの誰か”の一人でしかないのよ。だから、いつかは見捨てられるのがオチね。どうせあの女は、自分が優しくしたっていう偽善で満足感を得ているに過ぎないわ」

 

 偽善。

 偽りの、善意。

 アタシに光をくれた太陽は、本当はまっくろで。

 アタシを照らす陽光は、真実ではない、偽りのもので。

 アタシの中に芽生えたこの気持ちは、虚構によって形作られた?

 

「認めなさい、代用ウミガメ。真の悪とはなんたるかを。すべてを受け入れるのは悪であることを。そして、あの女の悪性を。そう! クソみたいな博愛主義で、僕たちを仲間だと勘違いしてるような痛い女は、僕たちの敵! そして、偽善を持って自身の悪を隠匿する、真にして非道の悪性よ!」

 

 言われてみたら、そうなのかもしれません。

 アタシたちは、小鈴さんたちに酷いことをしてきました。アタシ自身とは限らず、直接的でなくとも。

 【不思議の国の住人(アタシたち)】という共同体は、小鈴さんを、アタシの太陽を、何度も傷つけた。

 そこには明確な害意も、敵意もあった。傷つけようとする意志が。敵としての、害悪が。

 小鈴さんはそれも許して、アタシを受け入れてくれましたけど……本来ならば、アタシたちは相容れることのない存在。人間どうし、ですらないのですから。

 本当は、あの笑顔は偽りなのかもしれません。

 実際は、小鈴さんはアタシのことが大事ではないのかもしれません。

 三月ウサギさんの言葉を否定するには、論拠も、それを弄する弁論の力も、アタシにはありません。

 それに、三月ウサギさんの言葉は、間違ってはいない、ような気がします。

 正しさは、優しさは、決してイコールじゃない。

 悪は腫瘍となり、病原体のように世界を腐らせ、ダメにする。その通り、だと思います。

 小鈴さんは、まぎれもない悪(アタシたち)を認める、より大きな悪。

 それが、真実。

 ――だとしても。

 

「……信じません」

「は?」

「小鈴さんが悪なんて……そんなこと、信じません……!」

 

 アタシは、アタシだけは、認めない。

 その真実を。

 

「小鈴さんは、正しいんです……優しい人、です……偽善者なんかじゃ、ない……!」

「はんっ。なにを根拠にそんなこと言ってるんだか。寝言は寝て言いなさいよね」

「根拠なんてありません! だ、だって……だって!」

 

 そう、根拠なんてない。

 これはただの、アタシの個人的な気持ち。

 そうあって欲しいという願望でしかありません。

 でも、それでいいんです。

 アタシにとっては、それだけで、十分なんです。

 あの眩しさがあれば。

 

「小鈴さんは……笑ってくれたから!」

 

 あの時。

 アタシが『代用ウミガメ』ではなく、亀船代海として、小鈴さんと対戦した時。

 小鈴さんは、敵であるはずのアタシを受け入れて、笑ってくれた。

 すごく眩しくて、とても輝いてて、キラキラと、煌めいていた。

 その光だけで、小鈴さんの正しさを受け入れるには、十分です。

 

「あなたの言葉が正しいのかもしれません。でも、アタシは、その正しさを認めない! アタシが感じたこの“ぬくもり”は、絶対に、ウソなんかじゃありません!」

 

 咆える。カメの剥く牙は、牙ではなくただの歯。小さく、貧弱で、脅威でもなんでもない。惰弱な力です。

 でも、それでも。

 アタシは精一杯、咆える。噛みつく。

 アタシが信じた正義に誓って。

 アタシを照らしてくれた、太陽のために。

 

「あなたが偽善者と罵ろうとも、アタシは、小鈴さんを信じます! だって小鈴さんは、こんなアタシにも、笑って、手を差し伸べて、友達になってくれて……日陰で生きるしかなかったら、アタシに、光をくれた……アタシにとっての、太陽で……!」

 

 そうだ。あの時も、苦しかったんだ。

 苦痛の視線。困惑の空気。ただそこにいるだけで息が詰まりそうで、生きているのも嫌になるような世界で、あの人は、アタシに生きる希望を見出してくれた。

 それは、つまり、

 

 

 

「小鈴さんは……アタシを、救ってくれたから……!」

 

 

 

 救済だ。

 アタシを、痛苦の世界から救ってくれた。アタシの恩人。

 そんな小鈴さんが悪だなんて、信じられない。信じたくない。

 そんなはずがない。アタシは認めない。

 敵だとしても、【不思議の国の住人(アタシたち)】が小鈴さんを傷つけ、敵対するとしても。

 『代用ウミガメ(アタシ)』は――亀船代海(アタシ)は!

 

「だからアタシは――小鈴さんの、味方、です……っ!」

 

 枯れた声で、すべてを出し切った。アタシの答え。

 アタシを照らして、救ってくれた笑顔。

 小鈴さんと一緒にいる時間は、とても楽しくて、幸せで、ひ弱なアタシでも、笑顔になれた。

 小鈴さんは、アタシにとっての救世主なんです。

 

「……はっ」

 

 そんな、アタシの希うような言葉は。

 笑いとして、こぼれた。

 

「あっ……ははっ、あははははははははは!」

 

 三月ウサギさんは、笑う。狂ったように、高らかに、無機質に、嘲るように、冷淡に、笑う。

 そして、スッと、アタシから手を引いて、立ち上がった。

 

 

 

「――ふざっけんじゃないわよ!」

 

 

 

ぐちゃっ

 

 

 

 なにかが潰れる音が、脳天に響き渡った。

 

 

 

「あ、あっ、う、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……っ!」

 

 

 

 鉄の味が、臭いが、突き抜ける。液体があらゆるとこから、器官を、穴を通り抜けて、熱くて、じんじんと、痛くて……なにも、考えられなくて……!

 痛い、痛い。痛い! なにが起こったのかわからない。舌が切れたのか。鼻が潰れたのか。顔を蹴り飛ばされたか、踏み潰されたか。そんなことを考える余裕も暇もなく、ただただ、今までにない激痛が何度も往復して駆け回っている。

 冷たい地面を転げるアタシの頭を乱暴に、強引に掴んで、引き上げる。暴れる力もなく、抵抗なんてできっこない。

 視界もよく見えない。三月ウサギさんがどんな表情をしているのかわからない。

 あぁ、でも、分からなくてよかったかもしれません。

 きっとこの時のこの人は、鬼のような鬼気迫る表情をして。

 醜く怒り狂っていたでしょうから。

 

「救ってくれた? あの女が? アンタを? はっ。バカも休み休み言いなさいよね」

 

 髪の毛を引っ張られて、毛根がすごく痛い。顔の痛みも引かないうちに、何度も頭ばかりに痛みが集中して、脳がどうにかなってしまいそうだ。狂ってしまいそうだ。

 何度か揺さぶられると、投げ捨てられた。受け身も取れず、肩から硬い地面に叩きつけられ、転がされる。

 

「アンタを救ったのはあの女じゃない! 帽子屋さんでしょ!? その恩を忘れたわけ!?」

「はっ、はぁ、はぅ、ぁ……わ、忘れてなんか、いません……」

 

 帽子屋さんへの恩義。それを忘れたことだって、ありません。

 でも、

 

「苦しかったん、です……」

 

 アタシを救ってくれたのは、小鈴さんだけじゃない。最初に救ってくれたのは、確かに帽子屋さんです。

 でも、二人の救済には、明確な違いがありました。

 

「帽子屋さんは、アタシたちを生かしてくれた……でも、ただ生きるだけは……光のない世界は、辛くて、苦しくて、寂しいん、です……出口のない迷路みたいで、一生、このままなんじゃないかって、不安で、怖くて……!」

 

 帽子屋さんがアタシにくれたのは、生きるための道。手段。そして、共に生きる仲間。組織(コミュニティ)でした。

 その恩は忘れません。今も、昔も、これからだって、アタシは帽子屋さんがいたから、ここまで生きて来られたと言えます。

 けど、それでも、どうしようもなかったんです。

 人間の世に交わり切れず、日陰者として、自分を殺して生き続けるのは、とても辛かった。

 ずっと手足を、頭を引っ込める生活は、ひたすらに苦しかった。

 自由に遊ぶことも、着飾ることもできない日々は、寂しくて、虚無的で、すごく、心が痛かったんです。

 あるのかもわからない未来の光は、アタシには遠すぎて。

 冷たい迷宮に一人ぼっちで取り残されるみたいな、寂寥感が募ってしまう。

 

「アタシは『代用ウミガメ』……いつだって、代わりのものしか、手に入らない……本当に欲しいものは、絶対に、掴めなかった……でも!」

 

 あの人との出会いは、そんなアタシの人生を、変えてくれたんです。

 

「小鈴さんは、そんなアタシが、はじめて、手に入れられたかも、しれない……本当に、欲しかったもの、だったんです……! だから……!」

「うるさい」

 

 肩に強い衝撃。今度は、仰向けに倒される。

 すかさず、また足が振り下ろされて、アタシの腹を抉る。

 

「げほっ! けほっ、かほ……っ!」

「なにアンタ? 帽子屋さんの救済に文句をつけるわけ!? 生意気な口もここに極まったりね。あー、胸クソ悪い! ふざけんのも大概にしなさい!」

「あぐっ、かふ……っ!」

 

 足が、振り落される。何度も、何度も。

 そのたびに、狂ったのように暴れるなにかが、身体の中から込み上げて来て、堪えきれなくなって、吐き出してしまう。

 何度も、何度も。

 鉄の味も。酸っぱい味も。しょっぱい味も。よくわからないなにかも。

 全部、全部、流れて、漏れ出ていく。

 

「アンタも! 僕も! 誰も彼も! 僕たちは皆、帽子屋さんのお陰でここにいる! あの人がいたからこうして生きている! そのことを忘れたなんて言わせないわ!」

「あ、あが、あぐぅ、おぇ、ぅ、うぐ……!」

 

 何度、吐き出しただろう。

 何度、漏れ出てしまっただろう。

 今のアタシは、見るも無残で醜悪だと思います。汚物に塗れ、ぐちゃぐちゃになった汚い身体。

 全身がズキズキと、じんじんと、痛みが駆け抜けて、なにもできない。動かせない。

 正に、ウミガメです。

 三月ウサギさんの暴虐は、いつまでもいつまでも続いて、やがていつか収まったのかもしれない。

 

「はぁ、はぁ……僕としたことがつい興奮しちゃったわ。ついうっかり、グズカメ女の言葉を真に受けちゃった」

 

 痛くて、苦しくて、呼吸もままならない。

 視界はほとんど暗転し、意識が朦朧としている。もう、なにも、考えられない。

 

「あーあー、汚い汚い。こんなに汚しちゃって。ダメな女はとことんダメね。意志も、身体も、なにもかもがゆるゆるガバガバ。あまりにも貧弱すぎるわ」

 

 嘲りの声が聞こえる。ただ意味は分からない。それが嘲笑の言葉ということだけが、感覚として伝わるだけ。

 

「そんな雑魚にイライラしちゃって、僕までバカみたいじゃない。でも、その雑魚に本気で怒りを感じたのも真実。僕は自分の気持ちにはウソは吐かないわ。この熱く、熱く、昂ぶる激情をなかったことになんてしない。どうにかして発散しなきゃ。ねぇ?」

「あ……ぅ……」

 

 やっと、辛うじて目が開く。意識が、少しだけ戻る。

 ちょうど見えた目線の先には――

 

「ねぇ、知ってるかしら? 人間ってカメも食べるみたいなんだけど、カメの捌き方っていうのがあるそうなのよ」

 

 鈍く、鋭く、暗く、煌めく、銀色。

 それはヒトが生み出した、暴威の権化。

 ヒトの残忍さ、ヒトの持つ悪意、害意。

 凶暴で凶悪な性質が詰め込まれた、凶器。

 

「誰かしらは追ってくるだろうと読んで、家庭科室? ってとこからかっぱらって来たわ。血を流すのも女の証、だからね?」

 

 三月ウサギさんは、アタシの身体を足で転がす。

 仰向けになって、ひゅーひゅーと口から呼吸が漏れて、無様な姿を晒している。

 顔が上を向いたことで、三月ウサギさんの“それ”が、よりハッキリと、くっきりと、視界に映る。

 足でアタシの胸を踏みしめて、圧迫して、その無骨な刃を握り締めた。

 

「こんな風に、カメの仰向けにして、抑えつけて、首を出したところを――」

 

 ひゅんっ、と風を切る音が耳に届く。

 その音だけで、身の毛がよだつような、悪寒がぞわりと走り抜けた。

 

「――こう、スパッ、てね」

 

 ぞわり、ぞわり。ぞわぞわ。

 動けない。けれど、寒気のような気味の悪い感覚は、ずっと体中を駆け廻っている。

 三月ウサギさんは、きっと本気だ。薄ら笑いの奥底に秘めた、憤激の灯がアタシを見据えている。

 ぞくり、ぞくり。ぞくぞく。

 動かせない身体に、悪寒が駆け巡る。受け取った殺意を、最悪の未来視に変えて。

 それはきっと、死の恐怖。

 いくら格好つけても、強がっても、死ぬのは怖い。

 だってアタシたちは――生きるために、生きているのだから。

 

「う……や……!」

「帽子屋さんへの恩義も忘れた恥知らずに用はないわ。そんなに生きるのが苦しいなら、飼い主として処分してあげる」

 

 満身創痍な上に、踏みつけられ、抑え込まれているアタシに、抵抗する術はない。

 明るくなる視界の先には、最大限の侮蔑を込めた、三月ウサギさんの笑顔。

 そして、暗がりに堕ちていく未来が見えました。

 

「さようなら『代用ウミガメ』。アンタに代わりはいないけど、まあ、帽子屋さんなら上手くやってくれるでしょう」

 

 敵意が、悪意が、害意が――殺意へと、変わった瞬間。

 銀色の刃が、断罪するかのように、断頭台の如く、振り下ろされる。

 あぁ、アタシは、やっぱりダメダメだった、みたいです……

 ごめんなさい。本当に、ごめんなさい――

 

 

 

 ――小鈴さん。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 そこは、まるで墓場だった。

 亡者は呻き、男も女も子供も関係なく、地に伏して果てるのみ。

 ある種の欲望によって、獣の本能によって、あるはずのない狂気によって、そこは屍の転がる凄惨な場へと変り果ててしまった。

 そんな場所に立つのは、一人の少女。

 友を下し、すべてを振り切って、そこに立っている者。

 彼女の欲求を満たす者はここにはいない。彼ら彼女らに注ぐ愛は、本意は、すべて吐き出した。

 それなのに、まだ胸の内に残る蟠りがある。

 これはどう解消すればいいのか。

 身体の疼きは、心の叫びは、どこで放てばいいのか。

 それはなにが教えてくれるのか。

 胸の内に問うてみる。答えは、存外早く返ってきた。

 なぜだろうか。今は、なんでもわかる気がする。

 とても、素直になれる気がする。

 求めるものはすべて自分で答えが出せる。そのためになにをすればいいのかも。すべて、心が答えてくれる。

 答えは得た。ならばあとは、行動するのみ。

 枷が外れたように身体が軽い。疼きと熱が気になるが、抑圧されたようななにかが消え失せ、解放感に溢れている。

 今なら、なんでもできる気がする。

 自分がすべきだったことを。

 あの人に言わなくてはならないことを。

 胸の奥底に置いてきた――この気持ちを。

 

 

 

「わたし……行かなきゃ」

 

 

 

 友たちの屍を踏み越え、少女は歩む。

 ただ一つの目的地へと――




 作者は根っからの悪人を書くのが苦手なのですが、たまには弁解の余地がないくらい邪悪に染まったキャラを書いてみよう、と思い立って三月ウサギとかいうビッチが生まれました。とても書くのが大変でした。やっぱり、一方的に悪しかないキャラって、書くの苦手です。
 けれどウサギのデッキ自体は結構お気に入りです。究極進化グラスパー。《グラスパー》の踏み倒し制限がパワーだけなので、NEO進化の特性も生かして究極進化を乗っけてしまおう、というデッキです。今回使用したのは《不動》とコンボする《キリコ・ムーン》と、個人的に三月ウサギっぽいと思ってる《スカル・ムーン》。他にも《カリビアン・ムーン》とか、意外と面白いこと出来ます。ツインパクトで呪文も増えたしね。
 今回で前編は終わり。次回は今回の後始末、みたいな回です。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なくどうぞ。


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27話「狂いました ~後編~」

 27話、後編です。
 本来は一話に纏めるはずだった話を、長いからと半ば無理やり二つに分割しただけなので、こっちはちょっと物足りないかもです。
 ……いや勿論、全力で書きましたけど。今回は今回で、代海ちゃんの告白とか、チョウ姉さんの活躍とか、全力で推したいポイントありますけど。
 今回は対戦パートを、ピクシブ版とちょっと変えてます。具体的にはフィニッシャー。


 ぐんっ!

 身体が後ろに引っ張られる感覚。

 自分の身体が自分のものではなくなったかのように、自分の意志にない動きを始める。

 いや違う。意志に反した動きをしているのではなく――別の意志で、動かされている。

 カラン、と乾いた音が響く。包丁が手元から離れた。

 気づけば、自由意志はない。

 なにも動かせなかった。

 なにが起こったのか、さっぱりわからない。

 わからない、が。

 

 

 

「はいストップ。なのよ」

 

 

 

 ――誰が邪魔をしたのかは、一瞬でわかった。

 

「バタつきパンチョウ……!」

「はいはーい! ケンカの匂いに釣られてやって来ました、バタつきパンチョウのお姉さんです!」

 

 どこまで人の俗世に堕ちたのか、いつもの無駄にキラキラした衣装は控えめに、質素な白いエプロンに頭巾なんぞ被っていて、酷く貧相で庶民的になっている。

 そして、彼女がいるということは、この動かない両腕の原因は……

 

「虫けら共が……! 姉弟揃って僕の邪魔をしに来たってわけ?」

「その通りだ、三月ウサギ。貴様の行動は、あまりにも目に余る。【不思議の国の住人】として、看過できん」

「端的に言えばそういうことですね。それに今この場は私らのテリトリー。勝手な行動は慎んでください」

 

 弟二人が、ガッチリと両腕を抑え込んでいる。というか、極めている。

 ミシミシと関節が悲鳴を上げており、正直物凄く痛い。

 痛みなんて慣れっこではあるけれども、快楽を伴わない痛みはただ苦痛なだけだ。

 

「乱暴でごめんね。でもねウサちゃん。今回はちょーっとだけやりすぎなのよ。もちょっと抑えよう?」

「なにアンタ、そんなくだらないこと言うために来たの? バカじゃないの?」

「どーだろー? 私はただ、ウサちゃんが後戻りできないほどに悪い子になっちゃうのは、友達として見過ごせなかっただけだから。それに、ウミガメちゃんもね。私は大切なお友達を、二人も失うなんてイヤなのよ」

「なーにが友達よ。アンタだってどうせ、自分たちのこと以外は眼中にない癖に。虫けらは視野が狭くて脳みそも足りなくて、ほんと困っちゃうわ」

「なんだと貴様……! 姉上を、弟を、我らが姉弟を愚弄するか!」

「視野が狭いのは私だけですよ、頭のおかしいウサギさん。その的外れな見解を撤回しないと、あなたが今後ベッドインするのは、赤十字の建物になりますよ?」

「落ち着きなさい、トンボ、ハエ。私たちの目的は傷つけることじゃないでしょう? 自ら害虫になるのは感心しないのよ」

「むぅ……申し訳ない、姉上」

「……ごめん」

 

 少しだけ高速の力が緩む。

 痛みがちょっとだけ引いたことには感謝してもいいが、こういう姉弟愛を見せつけられるのは、ハッキリ言って気持ち悪いし反吐が出る。

 バタつきパンチョウ自身はともかくとして、やはりこの虫けら共は、どうしても好きにはなれない。

 

「で、アンタらなにしにきたわけ? 友達だのなんだの言って、アンタらも偽善を働きに来たの?」

「偽善なんて酷いのよ。ウサちゃんはイジワルなこと言うけど、私はそうは思ってないのよ? 帽子屋さんとのお茶会は楽しいし、ウサちゃんのこともとっても大事だし、【不思議の国の住人】は皆、私たちの仲間。一緒にいるのが自然で、そうあることが幸せ! そんな、当たり前を享受できる素敵な場所なのよ。えぇ、仲間、友達、家族……それはとっても素晴らしいのよ!」

「はんっ。相も変わらず、アンタは脳みそが蜜みたいにスイートね。百花繚乱、桃色の花園って感じ。チョウチョにはお花畑がよく似合うわ」

「そう? ありがとう! 嬉しいのよ!」

「……本当、調子狂うわね、アンタは……」

 

 その笑顔は、皮肉に返しただけなのか本気なのか。どちらでもいいけれど。

 

「……ねぇ、それより痛いんだけど。いい加減、その汚い手を離してくれる?」

「あなたが身を退いてくれると確約するのならば、考えましょう。今のあなたは危険すぎる」

「汚らしい害虫の分際で、僕の身体に触れようだなんてね。虫けら風情が調子に乗るんじゃないわよ」

 

 正直、今はとても苛立っている。

 衝動の発散を阻害されたことが、最高に昂ぶった激情を解き放つ瞬間に邪魔されることが、どれほど苦しく、辛く、物寂しいか。

 寸止めは拷問に等しい所業だ。どんな感情であろうと、どんな衝動であろうと、それは変わらない。

 それをこの虫けら共は、事もあろうにこの『三月ウサギ』にそれをしているというのだ。

 少なくともバタつきパンチョウは、そのことを知っているはず。知っていてなお、逆鱗に触れている。

 これは挑戦状ではないのか。そう受け取っても文句は言えまい。

 それならば、受けて立ってみせよう。

 

「手を離さないっていうなら、僕にも考えがあるわ」

 

 この距離ならば問題はない。

 解放されないなら、そちらの秘めたるものを解放するのみ。

 

「虫とはいえ、アンタたちだって“オス”でしょう? なら、邪淫の道に堕とし狂わせてあげる」

 

 見せて差し上げよう。とくとごろうじろ。

 三月のウサギとは、どのように狂い果てるのかを。

 脳みその足りていない哀れな虫けら共に、快楽を授けよう。

 

「「三月のウサギのよう――」

 

 

 

「ウサちゃん」

 

 

 

 ――集中が途切れた。

 声をかけられたからではない。その程度で止まるほど緩くはない。

 ただその声が。

 能天気で、お気楽で、蜜のように甘く、花畑のような頭のバタつきパンチョウとは思えないほど――冷たかった。

 

「私ね、ウサちゃんとはずっとお友達でいたいと思っているのよ。どんなに悪いことしてても、それがあなただと思うし、その気持ちは尊重したい。それはどんな誰に対しても同じ。たとえあなたがウミガメちゃんを傷つけても、結果を悪と断じても、あなたが悪に染まったとしても、それはそれで受け入れていいと思うの……だけどね」

「ぱ、パンチョウ……」

「私にだって譲れないものがあるし、なによりも大事にしたいものっていうのがあるのよ」

 

 ぞわりと悪寒が走り抜ける。

 虫をも殺し、生きていけないほど、寒く、冷たい声。

 それはもう、花の蜜を吸うご機嫌な蝶ではない。

 冷淡で獰猛な、生き血を啜る肉食蟲の眼だ。

 

 

 

「いくらお友達でも――弟たちに手を出したら、許さないから」

 

 

 

 神の視点になれる眼。

 今の彼女の眼は個人的で、主観的で、神という立ち位置からは程遠いが。

 冷徹で、冷酷で、無慈悲な眼光が、小さな獣を射抜く。

 神は人を狂わせるが。

 人を殺すのは人だ。

 そしてそれは、人ならざる人に擬した自分たちも同じ。

 何者をも黙らせるほどの威圧的な眼力と覇気に、思わず口を噤んでしまう。思考を止め、頭の中が真っ白になる。

 そんな、しばらくの静寂の後。

 ――諦めた。

 

「……ちっ。わかったわよ」

 

 自分が折れるしかなかった。

 あまりの忌々しさに、思わず舌打ちする。

 非常に不愉快だ。イライラする、腹立たしい。

 脳みそお花畑なスイーツ女に阻まれたことも。

 その能天気バカに、気圧されてしまった自分も。

 なにもかもが。

 

「えへへー、ありがとウサちゃん。ウサちゃんならわかってくれると信じてたのよ」

 

 スイーツ女は、さっきの冷酷さはどこへ行ったのか、無駄にへらへら笑っていた。

 

「はいはい。アンタたちが邪魔するから冷めちゃったわ。無粋に過ぎるわよ、パンチョウ」

「外道よりはマシかなってね。悪は認めても、やりすぎちゃダメなのよ」

「ふん……まあいいわ。カメ女を虐めるのも飽きちゃったし、アンタに言い分に乗ってあげる。だから、ねぇ、ほら。害虫ども、とっととその手を離しなさい」

「離してあげて、トンボ、ハエ。ウサちゃんはちょっとヒステリーだけど、レディなんだから」

「誰がヒステリーよ」

 

 後ろの男二人は、姉の許可によって、不承不承と言いたげ風ではあったが、関節を極めていた腕を解放した。

 

「はぁー……ほんっと、胸クソ悪いわね。帽子屋さんは怒るし、アリスはつまんないし、カメ女は生意気だし、パンチョウの奴は邪魔するし、散々な一日だわ。信じられるのは自分だけね。もう今日は自分で慰めて寝ようかしら」

「ほどほどにねー。今日はごめんね。また一緒にお茶しよっ?」

「アンタのお茶は甘ったるくて胸やけがするのよね……ま、考えておいてあげる」

 

 愉しいようで、気持ちいようで、酷くつまらなくて不愉快な日だった。

 踵を返して、窓の外を見遣る。まだ太陽は沈んでいなかった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 三月ウサギさんは、行ってしまわれたようです。

 まだ視界が霞みますが、あの声は、パンチョウさんたちが、助けてくれた……?

 

「ウミガメちゃん! 大丈夫?」

「は……い……」

 

 パンチョウさんが抱き起してくれる。

 とても、とても優しくて、柔らかくて、温かい手でした。

 

「もうっ、ウサちゃんったら酷いのよ。可愛いお顔がこんなに……」

「なんとも悪逆非道なことよな。婦女子の御顔にこのような暴威の限りを尽くすとは」

「保健室に行きますか?」

「う……だいじょうぶ、です……」

「無理をするな代用ウミガメ。人ではないとはいえ、我々は人の身を獲得した生物。たおやかな少女の矮躯が、あれだけの暴威を受けて無事なはずもあるまい」

 

 トンボさんにそう言われてしまいますが、確かに、頭はくらくらしてるし、足はガクガク、全身がズキズキと痛み、満身創痍でふらふらなことは否定できません。

 ……でも。

 

「ま、まだ、小鈴さんが……!」

「そんなにあの娘が大事か?」

「……大事……です」

「帽子屋殿よりもか?」

「それは……その……」

「トンボ。こんな時にそんな……」

「すまぬ姉上。しかし頼む、ここは我を通させてくれ。三月ウサギの行いは到底認められぬ非道であるが、奴の言葉は戯言とは切って捨てられぬ。かの娘により、代用ウミガメが我々の敵対者になるというのならば、こちらも立場を弁えねばならん」

「兄さん。でも、それは半分脅しでは……」

「答えよ、代用ウミガメ。我が眼をもってすれば貴様の視点でものを見るのは易いが、貴様の言葉が聞きたい。実直な心情を述べるがいい」

 

 トンボさんは、真剣な面持ちでアタシを見つめて来る。

 命短き燃えぶどうのトンボ。誰よりもまっすぐに、ものを、人を見据える虫。

 アタシにとって大事なのは、帽子屋さんか、小鈴さんか。

 ……アタシだって、自分の立場は、わかっているつもりです。

 アタシは人間じゃない。人間社会に溶け込み、紛れ込み、寄生するだけの、人間モドキ。【不思議の国の住人】とは、そういう存在だ。

 本来、人と居場所を、社会を、権利を食い合う関係。それを忘れたつもりは、ありません。

 です、けど。

 だからこそ。

 これは、アタシの個人的な気持ちだ。

 代替不可能な、唯一無二の答え。

 

「……どっちか、とか、どっちの方が、なんて……そうじゃ、ありません……」

「それは、如何様なことか」

「帽子屋さんは……アタシに、生き方を、生きる場所を、くれた……小鈴さんは……楽しいことを、あたたかい光を、希望を、くれた……どっちも、アタシにとって、大切なもの、で、だ、だから……どっちが大事、とか、比べられ、ません……」

 

 帽子屋さんがいなければ、アタシはとっくに朽ち果てていただろう。辛いことも苦しいことも痛いことも、数えきれないほどあったけれど、それでも、アタシは今、こうして生きている。

 そんな苦しい世界でも、小鈴さんは光をくれた。太陽みたいに明るくて、あたたかくて、優しくて、安心できる心地。楽しいと、嬉しいと感じられる輝きが、そこにはあった。

 帽子屋さんがいなければ、小鈴さんには出会えなかった。小鈴さんがいなければ、帽子屋さんが生かしてくれた意味がなかった。

 どっちつかずかもしれない。薄情なのかもしれない。でも、そう称されても。

 アタシにとっては、どっちの人も恩人で、救済で……どっちも、大事、なんです……!

 

「今は、アタシを救ってくれた人が、苦しんでる……た、助けたいと、思うのは、当然で……アタシは、ちょっとでも、力になりたくて……だから……」

「それが貴様の答えか」

「……はい。偽りなく代わりでもない、本心、です」

 

 【不思議の国の住人】の『代用ウミガメ』としてとか、烏ヶ森学園中等部1年C組の亀船代海としてとか、そんな立場は、今は関係ない。

 どっちの世界であろうとも大切な人がいる。その人を助けたい。

 ただ、それだけ……です。

 

「……その意気や良し。ならばぼくから言うことはなにもない」

 

 と、そうとだけ言って。

 燃えぶどうトンボさんは、アタシに背を向けた。

 ……なんで、あんなことを聞いたのでしょう。

 本人も言っていましたが、トンボさんの個性()は「視点を変える」二人称の眼。アタシの視点で、アタシの考え方で、誰かを見ることができるのに……

 あの質問は、一体なんの意味が……?

 

「すまない、時間を取らせた。では姉上、指示を頼む」

「オッケーなのよ! ウミガメちゃんの言もあるし、私たちの仕事はまだ終わってない。ちょっぱやで済ませちゃいましょう! まずはトンボ! 証拠隠滅! 掃除もよろしくね!」

「承知した。校内清掃も我が責務。必ずやその命、遂行させて見せようぞ」

「ハエは私と一緒に来て。アリスちゃんの様子を確認しなきゃ」

「わかった。ウミガメちゃん、彼女はどこへ?」

「きょ、教室に……いると、思います……1のAの……でも……」

 

 結局、なにも解決はしていません。三月ウサギさんの放った狂気はそのままです。

 恋さんや霜さんが抑えてくれていましたが、それも、いつまでもつのか……

 

「安心していいのよ、ウミガメちゃん。いざとなれば、首元あたりをキュッと締めて昏倒させた後、然るべき毒抜きとかをすればなんとかならないこともないから!」

「え……っ!?」

「それで治るものなのか?」

「とにかく、アリスちゃんを回収しないことにはどうにもならないのよ! ゴーゴー!」

「健闘を祈るぞ! 姉上、ハエ! そして代用ウミガメ!」

 

 後ろで、トンボさんの声援が飛ぶ。

 そして、パンチョウさんに支えられながら、アタシは再び1のAの教室に、向かうのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「もっと、もっとだよぉ……」

「Ihre Brust ist weich……gut……Sehr gut……!」

「冗談だろ……中学生が、あんなの付けて、いいのかよ……発育が過ぎるって、畜生……!」

「かゆ……うま……」

 

 教室に戻ると、惨憺たる光景が広がっていました。

 床に伏せた実子さんとユーさん。

 壁を背にぐったりとしている霜さん。

 机に突っ伏すように倒れている恋さん。

 誰も彼もが、屍のように無残に転がっていました。

 ……勿論、うわ言を呟いている時点で、死んでいるわけもないのですが。

 

「死屍累々、だね。あるいは、つわものどもが夢のあと、か」

「女の子の身体は神秘で夢だものね!」

「そういう意味で言ったんじゃないけど」

「そ、そんなことよりっ」

 

 これは、とてもまずいのではないでしょうか。

 実子さん、ユーさん、霜さん、恋さん。

 四人がここにいて、しかも倒れている。

 そしてなにより、

 

「小鈴さんが、いません……!」

「順当に考えれば、彼女らの制止を振り切って外に出た、ってことなんだろうけど」

「ウサちゃんの狂気を孕んだ状態で外に出るって……これは乙女の純潔の危機なのよ!」

「……大袈裟でないのが、またなんともな」

 

 三月ウサギさんの狂気に当てられても小鈴さんは、本来の三月ウサギさんの個性()の在り方によって狂いはしなかった。

 それでも、あの状態の、普通でない状態の小鈴さんを、放ってはおけません……!

 

「こ、小鈴さんは、一体どこに……!?」

「……しろ、み……」

「! 恋さん……!」

 

 机に突っ伏して倒れている恋さんが、意識を取り戻した。

 

「恋さん! し、しっかりしてください……!」

「私は、もう、ダメ、かも……けど、小鈴、は……」

「小鈴さんは、ど、どこへ……?」

「ぶ……ぶし、つ……とう……ガクッ」

「こ……恋さーん!?」

 

 そしてまた、机に倒れ込む。

 

「……茶番っぽかったけど、必要な情報は得られたね」

「ブシツトウ? ってところに、アリスちゃんは向かったっぽいね。ウミガメちゃん、場所わかる?」

「た、たぶん……行ったこと、ないですけど……」

 

 恋さんが最後の力を振り絞って教えてくれた情報です。

 絶対に、小鈴さんを助けなきゃ……!

 

「しかし部室棟か。確か人間のコミュニティでも学校というのは、個人単位の趣味を部活というカテゴライズをして、さらに小さなコミュニティ化するそうだが……この学校は、部活動の数が多いと聞いたよ。範囲が広いし、特定するのは難しくないか?」

「それもそうなのよ。あの子の趣味ってなんだろう? パンを食べるブカツとかかな?」

「あ、それなら……あ、アタシ、ちょっと心当たりが――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 いつもよりも静寂な、学園生活支援部――通称、学援部の部室。

 それもそのはず。今、この部屋にいるのは、この部の長ただ一人なのだから。

 元より物好きの集うようなコミュニティであり、人数は決して多いとは言えないのだが、本日の部員数が少ないことには、別の理由がある。人には話せないような特殊な事情だが、それはまた別のお話。

 この場で重要なのは、この部屋に存在する者は、この部の長である剣埼一騎ただ一人ということだ。

 

「ん?」

 

 足音が聞こえる。軽いが、酷く不安定で、奇妙な足音だ。

 部活仲間ではない。妹分でもない。生徒会の者でもなさそう。この部を訪れそうな他の知り合いでもないと思う。

 となると、依頼者か。

 そう思った直後、ギィ、と控えめに扉が開く。

 扉の先に立っていたのは、彼にとっては、少々意外な来訪者だった。

 

「せん、ぱい……」

「伊勢さん? ご無沙汰だね、うちの部室に来るなんて」

 

 妹分の友人の少女。

 そして、多少なりとも、直接的でなくとも、自分の因縁を繋ぐ者でもある。

 もっとも、今はその話をする必要もなく、またその話をすることは永劫ないだろうが。

 因果とは、縁とは、ただそこにあるだけでいい。

 特別な繋がりも、線も、必要ない。

 

「あれ? 恋たちは一緒じゃないんだね。てっきり、皆で来たのかと思っていたけれど……まあいいか。とりあえず入りなよ。今は俺しかいないけど」

「…………」

「? 伊勢さん、なんだか顔赤い気がするけど……大丈夫?」

 

 それに、足元が少しふらついている。

 風邪だろうか。まだ残暑が残るとはいえ、季節の節目。体調を崩しやすい時期ではある。

 彼女の用件も問わなければならないが、それよりも先に保健室にでも連れて行くべきだろうか。

 などと考えていると。

 

ガバッ

 

「っ!? い、伊勢さん!?」

「せんぱい……」

 

 ――抱き着かれた。

 

「……っ!?」

 

 思考停止。フリーズする。あまりにも唐突すぎて、二人一緒に倒れ込んでしまう。

 この現実に、網膜が焼き残した視覚情報に、あり得ない、という概念が脳内に渦巻く。

 今まで、色んなことがあった。非常識なこと、予想外なこと、突発的なこと、理不尽なこと、不条理なこと、非現実的なこと。様々な艱難辛苦を経験し、耐え、受け入れ、そして解決してきた。

 かの場所での僅かな行いと、学援部での活動と、ここにはいない彼ら彼女らとの冒険と――あらゆる困難を乗り越えてきた自負はあるが。

 それらに比べれば酷くちっぽけなことではあるが、今までに体験したどんな難題よりも、理解しがたく、そして未経験な事態に、最大級の混乱が発生する。

 言葉が声にならない。なにを言えばいいのかもわからない。どういうことなのかも理解不能だ。

 考える、ということができない。その概念だけがすっぽりと抜け落ちてしまったかのように。やり方を忘却してしまったかのように、思考の感覚が欠落した。

 こんなことをするような子ではないのに、という感情がぐるぐる回って、なぜ、という疑問までは行き着くのに。

 その先から、進まない。

 理性と知性が吹っ飛び、すべてが感覚に支配されるが、理論(ロジック)のない概念は空想でしかなく、現実を、実を結んだ行為となり得ることはない。

 要するに、なにもできなかった。

 すべて、感じるまま。そこにあるがまま。

 感じるものが、あるだけだ。

 

(っ……!)

 

 ――小柄ながらも、意外としっかりと肉付いた身体。

 柔らかくて、しっとりしていて、温かい。

 女子特有の甘い香。さらさらした髪が、頬を撫でる。

 どうしようもなく子供のはずなのに、なぜか魅力的に見えてしまう肢体に幼い顔。

 そして、奥に覗く小さな鈴の髪飾り。

 この感触。この匂い。この感覚。この気持ち。

 あぁ、やはり――この子は“彼女”の妹なのだな、と実感させられる。

 

(……って、違う! そうじゃないだろ!)

 

 我に返る。

 過去の幻想を、いつかの回想を幻視して、逆に冷静になれた。

 ――そうだ。似ていようと、縁があろうと、因果で繋がっていようと、彼女はどうあっても“彼女”じゃない――

 まだ困惑しているが、頭が動かせる程度には回復した。とりあえず、状況を確認する。

 後輩の女子生徒にマウントを取られている先輩男子生徒。

 これしかなかった。

 とても、最悪だ。

 誤解しか生まない絵面だ。頼むから、今だけは誰も戻って来るなと切に願う。

 

「い、伊勢さん……!」

 

 とりあえず引き剥がそうにも、完全に尻餅をついてしまったこの体勢では、それも難しい。

 それになにより、ピッタリと寄り添うように密着されている。なにもかもが当たって心臓の鼓動まで聞こえてきそうなほど、近い。

 乱暴にもできないので、ほとほと困ってしまう。

 

 

「あ、あの、伊勢さん……なにがあったのかはわからないけど、とりあえず、退いてくれないかな……?」

「……せんぱい」

 

 グッ、と。

 尻どころか背中まで、押し倒される

 柔道では負け確定だな、などと現実逃避も甚だしいことが一瞬だけよぎった。

 甘い香気と共に漂う、彼女の吐息。

 瞳はどこか空虚で、だけども確かに色づいていて。

 とろんと蕩けたような、らしくもない淫靡な表情が、とても艶っぽい。

 

「わたし……わたし、ずっと、せんぱいに……言いたかった、ことが……」

 

 彼女の顔が近づいて、もう目と鼻の先で、なにもかもが敏感に感じられる。

 床に押し倒され、二本の腕で逃げ場は失われる。

 いや、そんなことがなくても、逃げるなんてできなかった。

 彼女の溶融したような、熱っぽい顔。

 上気したように赤みを帯びた頬。

 甘酸っぱさを含む香に、吐息に。 

 どれほど淫蕩に酔っても、彼女のその真摯な眼差しだけは――偽りではなかったから。

 

「あ……」

 

 呼気が漏れる。

 言葉が、湧き上がる。

 彼女の中の、秘めたるなにかを伝えるために。

 大事に大事に仕舞われた、奥底に眠ったなにかが。

 浮上し、解放される。

 鈴の音のような、透き通るような声で。

 魔法の呪文を唱えるように。

 彼女は――告げた。

 

 

 

 

 

「――ありがとう、ございました――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――小鈴さんっ!」

 

 ガラガラガラ! と荒々しい音を轟かせて、扉を開け放たれた。

 思わず目を剥く。心臓の鼓動が、別の意味で跳ね上がる。

 まずい、と脳内が軽傷を響かせるが、もはや無意味で、後の祭りだ。

 いや、それよりも。

 

「っ!? だ、誰!?」

 

 知らない生徒だ。

 なぜか屋内なのにパーカーのフードまで被っていて、顔中が痣と血で塗れていて、制服も汚れて擦り切れて、見るからにボロボロな女子生徒。

 それと、その背後に二人の大人。しかも、一人は授業で見た覚えがある。

 

「本当にここにいたか。白髪の彼女の言葉は本当だったね」

「陸奥国先生!? あ、あの、これはその、なんと言いますか……!」

「はいはーい! お楽しみ中に失礼するのよ! ちょっと今緊急事態だから、この子もらって行くね! バイバーイ!」

「え、っと……し、失礼しましたっ!」

 

 三人は彼女の首根っこを掴んで引き上げると、凄まじい勢いで扉を閉めて、ダッシュで廊下を駆け抜けて行った。

 

「な……なんだったんだ、今の……?」

 

 あまりに色々なことが起こりすぎてて、わけがわからない。

 あの三人組も。そして、明らかに平時とは違う、彼女の行動も。

 そんな彼女が発した――言葉も。

 

「……ありがとう、か」

 

 それは一体、なにに対する言葉で。

 なにを意味していて。

 彼女の、なにを表すのだろうか――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 学援部の部室から小鈴さんを取り戻したアタシたちは、稀代の大怪盗もビックリな足で、逃げるようにその場から走り去りました。

 と、とりあえず、みっしょんこんぷりーと、です。

 なんだかちょっと手遅れな気もしますが……さっき小鈴さんとくっついてた人、たぶん恋さんのお兄さん、ですよね……

 小鈴さんは、恋さんのお兄さんと、なにかあったのでしょうか……?

 

「それにしてもウミガメちゃん。よくあの部室だって一発で引き当てられたね。なんで?」

「えっと、恋さん……その、と、友達の、部活なので……前に、そう、聞いたことが、あって……小鈴さんも、関わったこと、あるって……」

「成程。十分とは言えないが、理屈は通っているね」

 

 というより、そのくらいしかアテがなかったわけですけど……

 なんにしても小鈴さんが戻って来てくれてよかったです……でも。

 

「購買のお姉さん……ふかふかですねぇ……」

「にゃうっ!? 今どこ触ったのよ!?」

「ふにふに……ふわふわ……」

「ちょ、ちょっとくすぐったいのよ!」

 

 小鈴さんに科された狂気は、まだ消えていません。

 それをどうにかしないことには……

 

「と、とりあえず! ウミガメちゃんの手当てもしなきゃいけないし、人の気のない場所に行くのよ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「保健室って、そんなに人気のない場所か?」

「じゃあどこで手当てをするって言うのよ?」

「……まあそうだけどね」

「っ」

「あ、ごめん。痛かった?」

「い、いえ……大丈夫、です」

 

 所変わって、保健室。

 アタシの傷の手当てをするという理由と、今の小鈴さんを誰かと引き合わせてはいけないという理由で、この場所にやって来ましたが……保健室の先生がいなくてよかったです。

 でも、先生がどこに行ったのかも、いつ誰がここを訪れるかわかりません。油断はできません……急がないと。

 ……まあ、アタシは今、木馬バエさんに手当てしてもらっているのですけれど……

 

「お姉さん、胸おっきいですね……しゅごい……」

「あなたには敵わないけどね……ってちょっとー!? なにしてるのよ!?」

「ふわふわ……! おっきい……」

「やーめーてー! スカートの中はやめてー! 服を脱がせようとするのもやめてー! ハエー! 助けてー! なのよー!」

「……今、こっちで忙しいから」

「わぁ、すごい……これが大人……!」

「ねぇ、実はこの子レズなんじゃないの!? 絶対なにかの毒電波を受信してのよ! 前に会った時は普通のいい子だったのに……ってぇ! なんでそんなに器用に人の服を脱がせられるのよー!?」

「わ、わわっ……ぱ、パンチョウさん、す、凄いです……!」

「……兄さん、早く戻ってきてくれ……! 私一人じゃ、いたたまれなさすぎる……!」

 

 木馬バエさんを挟んで向こう側で、パンチョウさんと小鈴さんが、その、色々と、アレなことになっていますが……お二人とも、スタイルがいいから、その……す、凄いです……!

 顔を覆いたくなっちゃうくらい見てるこちらも恥ずかしくなってしまいますが、手当されてる手前そんなこともできず、マジマジと見ちゃいました……

 

「とりあえず、こんなものかな。専門じゃないから雑だけど、ごめんね」

「い、いえ、そんな……ありがとう、ございます」

「気にしなくていい。別段、私が君に優しくしようとしているというわけじゃなくて、これも姉さんの意向だ……まあ、あのクソ淫婦の被害者として、同情はするけどね」

 

 そうこうしているうちに、手当が終わりました。

 

「姉さん。いつまでも遊んでないで、本題に入ろう」

「遊んでないのよ! 遊ばれてるのよ! この子ものすっごいんだけど!? なぜか私、さっきから三回くらい服の脱ぎ着を繰り返してるんだけど!?」

「はいはい。で、その子(マジカル・ベル)だけど」

 

 パンチョウさんと格闘する小鈴さんを指さして、木馬バエさんは言います。

 

「なんかおかしな感じだけど、いまだに三月ウサギさんの狂気に犯されてるってことでいいのかな?」

「たぶんね。こんな状態になるのは私もはじめて見たけど、似たようなケースがないわけじゃないのよ」

「ふぅん。私、あのクソ毒婦についてはあまり詳しくないけれど……情欲を解放するというだけじゃないんだね」

「なのよ。「三月のウサギのように」狂わせる。それがウサちゃんの個性()。だから、その文言の範囲内でのことなら、なんであってもあり得ちゃうのよ」

「「三月のウサギのように」、ね。抽象的だな」

「まあ大抵の場合は、要するに凄くエッチになっちゃうってことなんだけど」

「要約しすぎじゃない? あの淫乱女らしいけど」

「厳密には、獣としての本能、潜在的に眠っている欲望、無意識下に存在する自己を発現し、解放するってものなのよ。だから、引き出される本能が性欲であることが多いけれど、それは結果の1パターンでしかなくて、本質じゃない。その個性()の本質は、外界による影響力を遮断し、フラットに己を見つめた先にある“本当の自分”を曝け出すこと、なのよ」

 

 本当の、自分。

 ということは、今の小鈴さんは、本来の小鈴さん……?

 周りからの干渉もなく、ありのままの、小鈴さんの姿、なんでしょうか……?

 

「自分のありのままがそのまま表層面に現出するから、よく言えば「物凄く素直に」、悪く言えば「欲望的に」なっちゃうわけなのよ」

「成程。単純に媚薬や催淫剤を投与したような状態、というわけではないんだね。しかし、理性で本能を抑え込み、欲望を制御するのが人間だ。そのセーフティを外すわけだから、知性も倫理も一緒に飛ぶわけか。人間としては、ほとんど退化したみたいなものだね」

「まあ、定義される文言が「三月のウサギのように」だから、個人差はめちゃくちゃ激しいんだけどね! ぶっちゃけ、こんなケースは私も初めて見たのよ! 一方的なのはともかく、人の話を聞かないっていうか、言葉が通じないっていうか!」

「えへへ、おねーさーん」

「甘えてくれるのは嬉しいし可愛いけど、流石に弟の前では恥ずかしいのよ! あ、でも、うち男兄弟ばっかだから、妹もちょっと欲しいかも……」

「姉さん」

 

 口説き落されそうなパンチョウさんを引き留めつつ、木馬バエさんは問う。

 本当に、大事なことを。

 

「さっき毒抜きとか言ってたけど、その狂気は“治せる”の?」

「病気じゃないから治療は無理なのよ。あくまで欲望の解放だもの」

「じゃ、じゃあ、小鈴さんは……!」

「だから逆に考えるのよ。あれは欲望の解放。でも、人は誰しも、際限ない欲を抱いているわけじゃないのよ。いずれは力尽きる。心か、身体か、あるいは両方か。満たされるか、尽き果てるかした時、狂気という毒は抜け落ちるのよ」

「それって、つまり……」

「そう。話自体は簡単なのよ。身体でも、心でも“果てる”こと。それが、ウサちゃんの毒気を抜く方法なのよ」

「性欲は運動で解消できるらしいしね。要はエネルギー切れを起こさせるようなものか。でも、どうやって? 姉さんがずっと彼女の相手をするのか?」

「それは困るのよ……流石に疲れてきたし、このままじゃストリップしながら全裸体操待ったなしなのよ……お姉ちゃんの尊厳が台無しなのよ……」

「ちょっとなにを言ってるのかよくわからないな」

 

 小鈴さんが力尽きるまで待つ。それが、小鈴さんに科せられた狂気を祓う方法。

 でも、それはいつまで?

 あと数時間程度で終わればいいですけど、一日、二日、あるいは一週間……何ヶ月もかかる可能性も否定できない。

 解決しているようで、それは解決策になっていないのではないでしょうか?

 

「くんくん……おねーさんの髪、いい匂い……お花畑みたい……」

「頭がお花畑だって、姉さん」

「その言葉には棘を感じるのよ。お花は綺麗そうだけどね!」

「しかし、流石に姉さんが拘束されっぱなしなのは蟲の三姉弟として困るな。私としては、その子を簀巻きにして放り出す提案をしておこう。とりあえず動きを封じて放っておけば、そのうち毒も抜けるだろう」

「だ、ダメですよっ!?」

「そうなのよ、スマートじゃないのよ。皆がハッピーになれる、最高で都合のいい展開が欲しいのよ……そうだ」

 

 なにか思いついたと言わんばかりに手を打ったパンチョウさん。

 彼女はスッと目を閉じると、ゆっくりと瞼を開く。

 そして、その“眼”は……

 

「……姉さん? まさか……」

「……うん。ちょっとだけ“視た”のよ。ふむふむ成程。ちょっとわかったのよ」

 

 それは、神様の立場になる眼。

 パンチョウさんはきっと、「視点を変える」ことで、別のなにかを見たんだと思います。

 客観的に――そして、メタ的に。

 アタシたちでは知る由もない、第三者の都合のいい理想を。

 この世界の誰にも手が及ばない、しかしてこの世界に波紋を広げる、何者かの意志を。

 

「私たちらしく、それなりに合理的で、理に適ってて、筋も通ってて、都合がいい。さて、予定外だったみたいだけど、今回のノルマを消化しちゃうのよ」

 

 パンチョウさんは小鈴さんの制服のポケットに手を突っ込む。

 そして、その中にあったものを、そのまま彼女に握らせた。

 それは――デッキケース。

 

 

 

「さぁ、アリスちゃん――運動(カードゲーム)のお時間なのよ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 小鈴さんのエネルギーを消費させ、欲望を発散させて、心身を果てさせる。その手段として、デュエマを用いる。

 一体なにがどうなればそんな結論に辿り着くのか、アタシにはわかりませんが……パンチョウさんには、ちゃんと考えがあるのだと思います。あると信じましょう。デッキを握らせたら、小鈴さんは意気揚々と対戦に乗っちゃいましたし。

 そうして始まった、小鈴さんと、バタつきパンチョウさんの対戦。

 《ダーク・ライフ》でマナと墓地の準備する小鈴さんに対し、パンチョウさんは《デスマッチ・ビートル》で牽制。

 小鈴さんのデッキは、リアニメイト呪文からの《グレンモルト》でのビートダウンする奇襲が脅威ですが、《デスマッチ・ビートル》の踏み倒しメタ能力なら、それも抑えられますね。

 

「わたしのターン……うーんっと、《ホネンビー》を召喚しますね。山札の上から三枚を墓地に置いて……」

 

 こうして墓地に置かれたのは《暗黒邪眼皇ロマノフ・シーザー》《龍覇 グレンモルト》《復活と激突の呪印》の三枚。

 き、綺麗に落ちましたね……《ロマノフ・シーザー》を始点にしたグレンモルトビートの気配が強く漂っています。

 もっとも、《デスマッチ・ビートル》がいる限り、それはできないんですけどね……

 

「じゃあ、《ロマノフ・シーザー》を手札に加えます。ターン終了です」

「私のターンなのよ。《メメント守神宮》をチャージして、2マナで呪文《ジャンボ・ラパダイス》! 山札を四枚、捲るのよ! さぁ、なにが捲れるのかなっ?」

 

 パンチョウさんも、まだ準備段階。ドロースペルで、手札を整えます。

 パワー12000以上のクリーチャーをかき集める《ジャンボ・ラパダイス》。その効果で捲られたのは《デデカブラ》《ゼノゼミツ》《ジャンボ・ラパダイス》《ゼノゼミツ》の四枚。

 

「《ジャンボ・ラパダイス》以外の三枚を手札に加えるのよ! そして残る1マナで《デデカブラ》召喚! ターンエンド! なのよ!」

 

 

 

ターン3

 

小鈴

場:《ホネンビー》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:4

山札:23

 

 

バタつきパンチョウ

場:《デスマッチ》《デデカブラ》

盾:5

マナ:3

手札:5

墓地:1

山札:24

 

 

 

「? たった1マナでパワー12000もあるけど、攻撃できない……? 変なクリーチャー……わたしのターン」

 

 小鈴さんは、パンチョウさんの召喚した《デデカブラ》に首を傾げていました。

 1マナと非常に軽量ながらも、パワーは12000の、小型(ウィニー)なのか大型(ファッティ)なのかよくわからないクリーチャーです。

 ただこのクリーチャーは、パワーが高くても“攻撃できない”。シールドブレイクも、殴り返しもできないクリーチャーです。

 《メメント守神宮》などでブロッカーを付与すれば壁にはなりますが、それでも単体ではなにもできないクリーチャーです。どうしてそんなクリーチャーがいるのか、小鈴さんは疑問を抱いているようでした。

 

「《闇鎧亜ジャック・アルカディアス》を召喚……コスト4以下の《デスマッチ・ビートル》を破壊します」

「わっ、やられちゃったのよ」

「ターン終了です」

 

 ただし単体で使えないということは、大した脅威でもないということ。無視されています。

 小鈴さんは《ジャック・アルカディアス》で《デスマッチ・ビートル》を破壊。これで《ロマノフ・シーザー》の進化元を揃えながら、リアニメイト呪文と《グレンモルト》による連続攻撃の妨げとなるメタクリーチャーを破壊できました。

 

「コスト指定除去とは、的確に弱点を突いてくるのよ。でも、負けないのよ! 私のターンなのよ。まずは3マナで《ボント・プラントボ》を唱えるのよ! 効果で山札から一枚目をマナチャージ!」

 

 マナ数では一歩後れを取っていたパンチョウさんが、マナを蓄え始める。

 《ボント・プラントボ》の効果でマナゾーンに落ちたのは、《ジーク・ナハトファルター》。

 パワー12000以上のクリーチャー、です。

 

「やった! マナに落ちたのがパワー12000以上のクリーチャーだから、《ボント・プラントボ》の追加効果! さらにもう1マナチャージ! なのよ!」

「2マナも増えちゃった……」

「そして2マナで《デスマッチ・ビートル》召喚! これでターンエンドなのよ」

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:《ホネンビー》《ジャック・アルカディアス》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:4

山札:22

 

 

バタつきパンチョウ

場:《デデカブラ》《デスマッチ》

盾:5

マナ:6

手札:3

墓地:3

山札:21

 

 

 

「むぅ、せっかく破壊したのにぃ……」

 

 リアニメイトを邪魔する《デスマッチ・ビートル》の再登場に、膨れる小鈴さん。

 ……ちょっと可愛いです。

 

「なら……こっち。6マナで《龍覇 グレンモルト》を召喚!」

「げ、普通に来たのよ」

「《グレンモルト》に《ガイハート》を装備します!」

 

 《ロマノフ・シーザー》からの連続攻撃プランは諦めたようですけど、代わりに、手札から普通に《グレンモルト》が登場しました。

 小鈴さんの場に攻撃可能なクリーチャーは二体。

 ということは……

 

「攻撃です! シールドブレイク!」

「トリガーは……ないのよ」

「《ジャック・アルカディアス》でも攻撃です! シールドブレイク!」

「《ゼノゼミツ》が欲しいのよー……でもノートリガーなのよー……」

「じゃあ、これで《ガイハート》の龍解条件成立ですね」

 

 小鈴さんの攻撃を止めることもできず、二回の攻撃を受けてしまうパンチョウさん。

 そしてこれで、龍解条件が満たされた。

 

 

 

「龍解です! 《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 で、出ちゃいました、小鈴さんの切り札……!

 高いパワーと実質的に選ばれない能力。

 二つの力を盾として、それを剣に変えて、小鈴さんは容赦なく斬り込んでいく。

 

「《ガイギンガ》でWブレイク!」

「うぅ、めっちゃまずいのよ……」

「ターン終了です」

 

 パンチョウさんのシールドは残り一枚。

 かなり追いつめられているように見えますし、パンチョウさん自身も困った顔をしているので実際、苦しいのだと思います。

 

「どうしたものかな……ここまでボコボコにされたら、耐えられる自信がないのよ。決めるにも攻め手がまだ揃ってないし……とりあえず私のターン、ドローなのよ」

 

 いくらパワーが高くても、殴り返しもできないクリーチャーでは、小鈴さんのアタッカーを捌き切ることはできません。見たところ、除去カードが多そうなデッキでもありませんし……

 むしろここでなにを引けば耐えられるのかと考えてしまいましたが、

 

「お? いいドローなのよ! 4マナで《Dの牢閣 メメント守神宮》を展開!」

 

 あ、そういう手がありましたか……

 ほぼ自然単色のデッキですが、恐らくタッチで入っている光のマナを生み出せたために、守りの布陣が出来上がりました。

 

「さらに2マナで《ジャンボ・ラパダイス》! トップ四枚を捲るのよ!」

 

 守りを固めて、さらに手札補充。

 次に捲られたのは《コレンココ・タンク》《Dの牢閣 メメント守神宮》《ボント・プラントボ》《コレンココ・タンク》。

 

「《コレンココ・タンク》二枚を手札に加えるのよ! 残った1マナで《デデカブラ》を召喚! ターンエンド! なのよ!」

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《ホネンビー》《ジャック・アルカディアス》《グレンモルト》《ガイギンガ》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:4

山札:21

 

 

バタつきパンチョウ

場:《デデカブラ》×2《デスマッチ》《メメント》

盾:1

マナ:7

手札:6

墓地:4

山札:18

 

 

 

「わたしのターン、ドロー……」

「ドローしたね? ならその瞬間、《メメント守神宮》の能力発動! Dスイッチ・オーンッ!」

 

 《メメント守神宮》が上下逆さまになって、一回限りの特別な力を発揮する。

 

「相手クリーチャーをすべてタップするのよ!」

「あぅ、困りますよぅ……」

「私だってボコボコ殴られて困ったんだから、おあいこなのよ!」

 

 各ターン開始時、いずれかのプレイヤーのドローによって誘発する《メメント守神宮》のDスイッチ。

 これで小鈴さんのクリーチャーはすべてタップ状態。1ターンだけですが、このターンの攻撃はほとんど防いだようなものです。

 

「うーん、じゃあ《ホネンビー》を召喚します。山札から三枚を墓地に置いて……」

 

 手札の少ない小鈴さんは、《ロマノフ・シーザー》を抱えたものの、持て余してしまっている様子。クリーチャーがタップ状態では、進化しても攻撃できませんしね……

 そのため、一旦待って、墓地と手札を増やす選択をしたようです。

 ここで墓地に行ったのは《インフェルノ・サイン》《無双と龍機の伝説》そして――

 

「――《エヴォル・ドギラゴン》を手札に加えますね」

 

 あれは、小鈴さんの切り札のひとつ……!

 手札には《ロマノフ・シーザー》があって、墓地には《無双と竜機の伝説》もあります。

 このままだと、《メメント守神宮》で築いたパンチョウさんのブロッカーも乗り越えてしまいます……

 

「これは、次に必殺のムーブメントで殺しに来るヤツだね」

 

 《ロマノフ・シーザー》から放たれる《無双と竜機の伝説》によるエクストラターン。パワーラインを超える限りブロッカーを寄せ付けない単騎性能を持つ《エヴォル・ドギラゴン》。

 どちらにせよ、次のターンは持ちこたえられそうにはない布陣です。

 です……が、

 

「でも残念! 1ターン稼げれば十分なのよ!」

 

 そもそも、次の小鈴さんのターン自体が、とても遠いものとなっていました。

 

「私のターン! まずターンの初めに、マナゾーンの《ジーク・ナハトファルター》の能力起動! この《ナハトファルター》を手札に戻すのよ!」

「手札に戻った……でも、11マナのクリーチャーを、ここで戻すの……?」

「そうなのよそうなのよ! さぁ見るのよ! あまーい蜜で育った虫けらは大きく、そして数多の群となって集う! 姉弟で最も巨大で大群な、私の蟲たちの舞踏(ダンス)をご覧あれ!」

 

 マナの《ナハトファルター》と入れ替えるようにマナチャージして、パンチョウさんはさらに手札を切る。

 あらゆる虫が集う源――蜜。

 樹から、花から、それは生産され、虫けらを巨虫へと、孤独を大群へと変えてしまう。

 では、その蜜を運ぶのは誰でしょう?

 ある時は蜜を作り、ある時は運び、あらゆる虫へと供給する存在とは。

 

「私の場にパワー12000以上のクリーチャーは三体! よって、W・シンパシー発動で6コスト軽減! 4マナで、この子を召喚なのよ!」

 

 木々が、花々が、虫たちが、彼を求めている。

 救世主のように、ヒーローのように、その存在と役割を望まれた者。

 そんな願いが天を舞う風となり、虫けらたちのささやかな望みを叶えてくれる。

 甘くて優しい、創造主にして運び屋。

 雲を裂き、空を貫く、その姿は――

 

 

 

「あまーい蜜をご所望なのよ――《天風のゲイル・ヴェスパー》!」

 

 

 

 ――蜂だ。

 甘い蜜の香りを漂わせながらも、刺激的な力強さのある、狩人の蜜蜂。

 あまりに巨大で清々しいその姿に、思わず圧倒れてしまいそうです。

 

「コスト10のクリーチャー……!」

「おっきいでしょ? でも、ただおっきいだけじゃないのよ? 甘くて美味しい蜜には、たくさんの虫が集まるの。おっきいのも、ちっちゃいのも、カッコいいのも、可愛いのもね!」

 

 虫たちの求める蜜が、そこにはある。

 たくさん、たくさん。おぞましいほどの虫たちが、甘い蜜を求めて集まってくる。

 己の重さも忘れるほどに。

 

「《ゲイル・ヴェスパー》の能力発動! 私の手札にあるクリーチャーすべてに「W・シンパシー:パワー12000以上のクリーチャー」を付与する!」

「え、それって、そのクリーチャーと同じ……」

「そうなのよ! 美味しいものは皆で分け合う! 独り占めなんて許さないのよ! 皆みーんな、軽くなっちゃえ!」

 

 蜜蜂の恩恵は、すべての虫にも、樹木にも、花にも、平等に与えられる。

 すべてのクリーチャーが、《ゲイル・ヴェスパー》の甘い蜜に惹かれて集る。

 蟲の大群が形成されるまで、あと少し。

 

「《ゲイル・ヴェスパー》によって得たW・シンパシー発動! 私の場にパワー12000以上のクリーチャーは四体だから、8コスト軽減! 3マナタップするのよ!」

「8マナ軽くなって、使うのは3マナだから、合計11マナ……ってことは、もしかして……」

「そう、その通りなのよ! お次に出るのはこの子! 真っ白で細いたくさんの糸を紡いで、束ねて、綺麗なドレスを作りましょう! さぁ、甘い蜜のお茶会の後は、素敵な舞踏会の始まりなのよ!」

 

 初めは、細くて弱い、頼りない糸。

 それを何本も何本も紡いで、束ねて、重ね合わせることで、大きな繊維になり、布になり、服になる。

 綺麗に煌びやかに着飾って、たくさんの人々(虫たち)が集まって、為すことはただ一つ。

 そう――

 

 

 

「綺麗なお召物を着けて、皆一緒に踊りましょう――《ジーク・ナハトファルター》!」

 

 

 

 ――踊るのだ。

 

「……決まったな」

 

 後ろで、木馬バエさんがどこか満足そうに呟きました。

 大型クリーチャーが一挙に二体も現れましたが、一体ここからなにが……?

 

「蜂のように甘く、蝶のように可憐に! 踊って舞って楽しみましょう! 《ジーク・ナハトファルター》の能力発動!」

「!」

「《ナハトファルター》は、自分のパワー12000以上のクリーチャーが場に出た時、山札の上から二枚をマナチャージして、その後マナのクリーチャーを一体回収するのよ! その能力は勿論、《ナハトファルター》の登場時にも発動する!」

 

 要するに、クリーチャーを出す行為が、そのままマナと手札の増強に繋がる能力ですね。

 マナを使い、大量展開にも長ける、自然文明らしい能力です、が。

 この後に待ち受けているのは、そんな生易しいことではありませんでした。

 

「行くのよ! 2マナチャージして、マナの《ゲイル・ヴェスパー》を回収! そして、これで私の場にパワー12000以上のクリーチャーが五体! W・シンパシーでマナコストはマイナス10!」

「じ、10マナも軽く……!?」

「ここまで来れば、もうなんでも1マナで出せちゃうのよ。とゆーわけで、《ゲイル・ヴェスパー》を1マナで召喚! 《ナハトファルター》の能力で2マナ追加してマナ回収なのよ!」

 

 《ゲイル・ヴェスパー》によって手札のカードは軒並み1コストに化け、《ナハトファルター》によってマナも手札も増え続ける。

 決して枯渇することのない資源、甘い蜜に集う巨虫たち。

 終わることのない生命の循環。永久なる大自然の力が、場を震撼させる。

 

「1マナで三体目の《ゲイル・ヴェスパー》を召喚! これでW・シンパシーが三つ! ガンガン召喚コストを下げちゃうのよ! さらにマナを追加してマナ回収! 《ゼノゼミツ》を召喚して、《グレンモルト》と強制バトル! 破壊するのよ!」

「あわわ……!」

「さらにマナを追加、回収! 《ゼノゼミツ》召喚! 《ホネンビー》を破壊! 追加、回収、《ゼノゼミツ》でもう一体も破壊! さらにマナを追加、回収するのよ!」

「く、クリーチャーの展開が、と、止まらない……!」

 

 《ガイギンガ》や《ジャック・アルカディアス》こそ残っているけれど、にバトルゾーンを支配されつつある小鈴さん。それとは対照的に、クリーチャーが増殖し続けるパンチョウさん。

 場のクリーチャーは増えているけれど、手札は減らず、マナはむしろ増える一方。しかも、クリーチャー自体はどれもこれもがパワー12000以上の超大型クリーチャー。

 な、なんて場なのでしょう……これだけの大群が絶え間なく、延々と湧き続けるなんて……

 《ゲイル・ヴェスパー》の甘い蜜、《ナハトファルター》の温かな繭。

 虫たちにとって居心地の良い楽園が形成され、そこに数多の虫が集う。

 

「ひーふーみー……うんっ! 数は揃ったのよ! じゃあ、《ゲイル・ヴェスパー》を召喚して2マナ追加、マナからクリーチャーを回収するのよ!」

 

 クリーチャーは増えるけど、そのどれもが攻撃できない。

 では、パンチョウさんはどうやって勝つつもりなのか。

 その理由は、すぐに明らかになる。

 

「5マナをタップ!」

 

 数多の虫たちが集う。この有象無象の虫たちは、ただ無意味に集まったのではない。

 彼らは光の下に集ったのだ。

 過酷な世界にぬくもりをもたらす、甘美にして偉大なる光に。

 

「《デデカブラ》三体、《デスマッチ・ビートル》二体、《ゼノゼミツ》三体、《ゲイル・ヴェスパー》二体――合計十体のクリーチャーを進化元にして、超無限進化!」

 

 虫たちは一点に集う。一体一体は惰弱かもしれないけれど、それらが寄り集まることで、それは強大な力の力場を生み出す。

 有象無象は森羅万象に。それは即ち宇宙。

 そして――

 

 

 

「あまーいお茶会はこれでお開きなのよ――《無限銀河ジ・エンド・オブ・ユニバース》!」

 

 

 

 ――銀河となる。

 

「これでフィニッシュなのよ! 《ジ・エンド・オブ・ユニバース》で攻撃! その時、メガメテオバーン10、発動!」

「メガ……メテオバーン……?」

 

 それは《ロマノフ・シーザー》のような、ただのメテオバーンではない。

 流星の如く儚くも強烈な一撃を遥かに超えたそれは、いわば流星群。

 華々しく美しい、天上に咲き乱れる百花繚乱の(ソラ)の花。

 そのすべてが一斉に咲き誇り、そして散る。

 

「メガメテオバーン10の効果で、《ジ・エンド・オブ・ユニバース》の進化元をすべて墓地に送るのよ。そうして、こうした時、ゲームに勝つ!」

「……え?」

 

 端的で、強烈な、ただひとつの現象。

 それが宇宙の理であり、理不尽とも思える銀河の力。

 神のみぞ知る最果ての秩序が、小鈴さんを飲み込む。

 

 

 

私の勝ち(エクストラウィン)! なのよ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ん……」

 

 覚醒。

 目覚めの感触というのは、とても不思議だ。なにもなかった、なにも感じなかった“無”という知覚不能な状態から、急にスッとなにかが湧き上がるのだから。

 無を有にする感覚、とでも言えばいいのか。なんにせよ、無意識から目覚める意識、自分の大切なものが戻って来るような感覚は、とても奇妙だと思う。

 

「ここは……?」

 

 ぼんやりとそんなことを考えながら、ちょっとずつ頭が平時のそれに変わる感覚も取り戻していく。

 消毒液の匂い。柔らかくて温かい。白い壁。布。

 これはベッド……そして、ここは、保健室……?

 

「わたしは、一体……」

 

 なにを、していたんだっけ。

 どうして、こんなところにいるんだっけ。

 一つずつ、思い出していこう――

 

 

 

 

――いつもありがとぉ。大好きだよ、みのりちゃん

 

 

 

――可愛いなぁ……わたしのこと、お姉ちゃんって、呼んでもいいんだよ?

 

 

 

――わたしにだって、子供っぽくないところも……大人っぽいところも、あるんだから

 

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 なに!? なにこれ!? なんなのこの記憶は!?

 い、いや、わかるけど! 鮮明に……とは言えないけど、脳裏に刻まれたこの記憶は、確かなものとして理解できるけども!

 全部覚えてる。思い出せる。

 みのりちゃんに抱き着いたことも。ユーちゃんをなでなでしたことも。霜ちゃんに迫ったことも、全部、全部!

 ちょっと曖昧だけど、多少はおぼろげだけど、嘘でも偽りでも記憶違いでもない。

 これは、真実だ。

 

「……きゃうぅ」

 

 思わず枕に顔を埋める。

 死にたい。死んでしまいそうだ。恥ずかしくて、恥ずかしすぎて。

 ワンダーランドの大会で、魔法少女のコスプレ(マジカル・ベル)になった時よりも恥ずかしい。

 あの時は、誤魔化しが利いた。クリーチャーが出たから仕方なく。鳥さんが矯正したからやむを得ず。相手もコスプレしてたから違和感なく。

 でも、これは、これは違う!

 だって、だって、これは、全部――

 

(わたしの本心だよぅ……!)

 

 みのりちゃんが素敵で大好きだということも。

 ユーちゃんが可愛くて妹にしたいということも。

 霜ちゃんに言ったこと、やったこと、わたしのすべて、なにもかもが。

 まごうことなき真実で、わたしの本音そのもの。

 それを、全部、出しちゃった……!

 それもみんなにだけじゃない。購買のお姉さんにも、そして――

 

 

 

――せんぱい……

 

 

 

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 あろうことか、剣埼先輩にまで。

 抱き着いて、押し倒して、それで……

 

「違う! 違う! 違うよ! 違うんだもん! あ、あれは、その、本心だけど、そうじゃなくって……だから違うんだってばぁ!」

 

 もう誰に対する弁解なのかもわからない。ただひたすら、この羞恥心をどうにかしたいと手足をばたつかせることしかできない。

 でも、そんなことでこの恥ずかしさが消えるわけもない。

 

「う、うぅ、人生最大の恥辱だよぉ……もう三回くらい言ってる気がするけど……」

 

 でも、その中でも最大級の恥ずかしさだとは思う。

 

「もうどうしようー! 明日からどんな顔してみんなに会えばいいのよー!」

 

 そして、先輩にどんな顔を合わせればいいのか。

 なんであんなことしちゃったのわたし! わたしのバカバカバカ!

 こんな後戻りできないようなことをしちゃうなんて!

 

「……でも、一応……言えたよね……」

 

 不本意ではあるけども。

 理性が飛んでいたような気がするけど、それでも、あれは確かにわたしの意志で、本心なんだ。

 わたしがそうしたいという願いなんだ。

 先輩に伝えたかった、あの言葉……

 

「はぁ……でも、ちゃんと伝えたかったなぁ……」

 

 記憶が曖昧だけど、なんだかその後、思い切り引っ張られて担ぎ上げられたような気がするし。

 全部言い切ったとは、とても言えない。

 でも、ずっと胸の内に秘めたままだと、一生言えないような気がして。

 そう思うと、悪いことばかりでも、なかったのかなって……

 

「って、そんなことあるわけないでしょー!」

 

 悪いよ! 言葉を伝えるだけならともかく、抱き着くのと押し倒す工程は必要ないでしょ!? なにをやってるの!?

 なんて、滑稽にも自分に叱責するわたしがいました。

 男の人に――先輩にあんなことをするなんて……!

 もうわたし、どうしたらいいのかわかりません……

 と、わたしが絶望の淵でしょげている、その時だ。

 ガラガラ、と控えめに扉が開いた。

 

 

 

「……小鈴さん?」

 

 

 

 そこに立っていたのは、小柄な矮躯の生徒。制服の下に着込んだパーカーを、フードまで目深にかぶった女の子。

 

「代海ちゃん……」

「小鈴さん……っ! よかった、目が、覚めたんですね……!」

 

 パタパタとわたしのところまでやって来る代海ちゃん。

 そして、わたしは思わず目を剥いた。

 

「代海ちゃん……っ!? ど、どうしたのその顔!?」

 

 代海ちゃんの顔は、包帯やガーゼで覆われていた。隠されてはいるけども、その下の凄惨さは想像できる。いや、ひょっとすると、わたしなんかの想像を超えたほどに、見るに堪えないほど、惨い有様かもしれない。

 ケガをしている、なんてことは見ればわかるけど、その程度が尋常じゃない。

 女の子の顔に、こんな大きなケガをすることなんて、そうあるはずもない。

 

「あ……っ、いえ、その、これは……ちょっと、仲間割れというか……」

「仲間割れ……も、もしかして、あのウサギのお姉さんが……?」

「…………」

 

 代海ちゃんは、答えなかった。

 でも、その沈黙だけで、わかってしまう。

 

「ごめん……わたしのせいで……」

「小鈴さんは、悪くありませんっ! これは、アタシが勝手に、やったことですから……アタシこそ、ごめんなさい……守れなくて、救えなくて……本当に、ごめんなさい……!」

「し、代海ちゃんこそ悪くないよ! だってこれも、わたしが勝手にやったことと言えばそうだし、わたしの本心であることに違いはないっていうか……」

 

 お互いに悪くないと言い合って、主張も否定もできなくて、それ以上なにも言えなくて。

 そのまましばらくの間、静寂が訪れる。

 いたたまれない、というか。なんと言えばいいのか、わからない。

 三月ウサギさんのこととか、みんなはどうなったとか、聞きたいことはあるんだけど、上手くまとまらない。

 わたしが頭の中でごちゃごちゃとまごまごしていると、代海ちゃんの方から、先に切りだした。

 

「……小鈴さんには、お話ししようと……お、思います」

「え、なにを?」

「その、えっと……あ、アタシの“出生について”です……」

「出生……?」

 

 いきなり改まって、どうしたんだろう?

 出生についての話……?

 

「……話す、決心が、ついたんです……あ、アタシは、小鈴さんを、信じたくて……なにかの代わりでも、偽善でもないって、思いたくて……そう、思うように、なって……だから、ちゃんと、言います……アタシが、今まで……言わなかった、ことを」

 

 正直、なにを言っているのかはよくわからなかったけど、代海ちゃんはまっすぐにわたしを見つめていて。

 その眼は、とても真剣で、真摯で。

 わたしも、気を引き締めなくてはいけないと思って、姿勢を正した。

 

「その……い、いきなりですけど……アタシには、あ、ある一定の時期から……“記憶がないんです”」

「っ!? そ、それって、記憶喪失……?」

「ある意味では……でも、ある意味では、違い、ます」

 

 意味深なことを言って、代海ちゃんは、フードを取って、パーカーを脱ぐ。そしてその細くて小さな手を襟元に持っていった。

 夏なのに暑そうなセーラーカラー。スカーフを解いて、その下のファスナーも下ろして――って。

 

「し、代海ちゃんっ!? なに、どうしたの急に!?」

「その、し、証明、しようと、思いまして……」

「証明ってなに!?」

 

 なんのことかわかんないけど、なんで脱ぐ必要が!? 霜ちゃんの前で脱いだわたしへの対抗心!?

 本当に制服を脱いで、キャミソールも脱いで、完全に上半身裸になる代海ちゃん。

 細くて白い、きれいな身体だ。でも、なんだかお腹の辺りに、痣みたいなものがある。

 それに、恋ちゃんほど病的な細さではないけど、ユーちゃんよりも儚げで、抱きしめたら折れてしまいそうだった。

 代海ちゃんは顔を赤らめながら、ギュッと身体を押し付けるように、わたしを抱きすくめる。

 

「今度はなに!?」

「あ、あの……前は、恥ずかしいので、あんまり、見ないでください……アタシ、小鈴さんみたいに、おっきくないし……」

「別に見ないけど……」

「それに……こっちの方が、見やすい、ですので……」

 

 見やすい? なにが?

 と、何気なく視線を落とす。

 すると、

 

「! ……代海ちゃん、これ」

「……はい。カメの甲羅は固いですけど……傷つかないわけじゃ、ないんです……」

「酷い……」

 

 代海ちゃんの、真っ白な背中。

 本来ならそこにもきれいな肌が広がっているはず、だけど。

 そこにあったのは――傷。

 打撲なのか、切傷なのか、裂傷なのか、刺傷なのか、火傷なのか、擦過傷なのか、どんな傷なのかはわからないし、どんな傷でもあるような、生々しい暴威の痕。

 真新しい打撲みたいな傷もあるけど、ほとんどは古傷のようだった。皮はめくれ、肉は裂け、ズタズタに、ボロボロに、暴力の限りを尽くしたような、見るも無残な爪痕が広がっている。

 なんで、こんなものが、代海ちゃんの背中に……

 わたしが代海ちゃんを見遣ると、代海ちゃんは少し躊躇いながら、けれども踏み切ったように、口を開いた。

 

「小鈴さんに、こんなこと、言うの……嫌、ですし、傷つけてしまう、かもしれない、です、けど……で、でも、言います。言わせて、ください……アタシは、あなたの前では……正直で、ありたいから……お願い、します。小鈴さん……」

「……うん、いいよ。言って」

 

 正直、怖かった。

 代海ちゃんが抱えているものがなんなのか。

 目の前には、見えない線が引いてある。その線を踏み越えてしまったら、わたしは、今までのわたしではいられなくなってしまう。代海ちゃんを、今までの代海ちゃんのように見れなくなってしまう。

 そんな、変化が怖かった。

 ……だけど。

 代海ちゃんが、勇気を振り絞ってわたしに伝えようとしている。

 その思いに応えられないのだけは、嫌だった。

 残酷な真実が待っているのだとしても、代海ちゃんの思いは受け止めたい。

 そして、代海ちゃんは告げた。

 

 

 

「これは……人間によって、ついた傷、です」

 

 

 

 人間によって。

 代海ちゃんに、こんな痛々しく、惨いことをしたのは――人間(わたしたち)

 

「……人づきあいが、下手で……人間社会に、馴染めなくて……ダメダメ、で……だから、こんな、ヘマを……要領悪くて、嫌われて……迫害、されて……」

「代海ちゃん……」

「この傷が、雄弁に物語っています……“昔のアタシ”は、今と変わらず、愚鈍であったと」

「え……? 昔の、代海ちゃん……? どういうこと?」

「髪の毛……後ろ髪を、捲ってください」

 

 代海ちゃんに言われるがままに、わたしは代海ちゃんの後ろ髪をかき上げる。

 最初はなんなのかよくわからなかった。けど、よく見てみると、明らかな異変が見て取れる。

 彼女の、首の、裏側に――

 

「これ……!」

「ハンプティ・ダンプティさんが、頑張ってくれたので……前の方は、誤魔化せるんです、けど……後ろの方は、まだちゃんと、消せなくて……」

「ど、どういうことなの、これって……だって、首が……」

 

 ――不自然な、継ぎ目がある。

 肌の色が違うとか、縫い目が目立つとか、ましてや傷でもない。そういうことじゃない。

 それはまるで、出来の悪い模型のような不自然さだ。

 色は同じでも、別々の部品を繋いだことがアリアリと見て取れてしまう、奇妙な継ぎ目。

 綺麗ではなく、不整合な接続。

 まるで、頭と体が、元は一つのものではなかったかのような、そんな異常。

 その異変に驚愕していると、代海ちゃんは囁くように言った。

 

「……『代用ウミガメ』は、あるいは、アタシではない、この身体の持ち主は、もう――死んだんです」

「し、死んだって……」

「首を切られて……死にました」

 

 斬首。

 それは古代の処刑であって、現代を生きるわたしたちからは、とても遠い概念。

 それに、代海ちゃんが首を切られて死んだって……じゃあ、ここにいる代海ちゃんは、何者なの……?

 

「アタシは、確かに死んだ。でもアタシは生き苦しかった……死にたくないと、生きたいと、強く願った。無様に、醜悪に、意地汚く……お願いして、しまったんです。そこだけは覚えてます。死の激痛と、生を手放す絶望と共に、記憶しています。首を断ち切られるその瞬間、アタシの浅はかな生への執着が、願ってしまったんです。生きたい、って。そうしたら」

 

 代海ちゃんは自分の頭を指さして、どこか自虐っぽく、渇いた笑みを浮かべた。

 

 

 

「この頭が――“代わりの頭として生えました”」

 

 

 

「……!」

 

 絶句する。

 言葉が出ない。なんて言ったらいいのか、わからない。

 頭が、生えた?

 そんな非常識なことが……いや、そうじゃない。

 なにが問題なの? なにが異常なの? わからないけど、全部がおかしい。

 なんで、なぜ、という疑問がぐるぐる頭の中を回るけど、解決策はなにもない。

 混乱するわたしを宥めるように、代海ちゃんはゆっくりと、優しく、柔らかに、言葉を紡いでいく。

 

「それがアタシの、はじめての個性()の発露、でした……で、でも、アタシの「代わりを用意する」個性()は、不完全……あくまで代わりであって、それは、真のものではない……本当に、満足できる、充足した、完全な代用品では、ありません……この頭も、不完全、なんです。この継ぎ目が、その一つ」

 

 本来なかった頭。その身体のものではない別の頭が生えた。だから、別々のパーツをくっつけたみたいな、歪な継ぎ目がある。

 けれど、それだけじゃなかった。

 代海ちゃんは、さらに髪をかき上げたり、口を開いて、自身の異常さを曝け出す。

 

「耳が片方、欠けているでしょう……もう片方も、少し黒ずんでて……それに実は、歯が数本、足りてないんです……それと、舌が短くて……髪も、実際は、黒く染めてて……本当は真っ白、なんですよね……」

 

 あはは、と代海ちゃんは笑うが、どう見ても空元気。その微笑は、渇きに満ちすぎている。

 体育の授業を休んでいると聞いたことはある。林間学校でも、頑なに着替えるところを見せなかったし、お風呂も一緒に入ろうとはしなかった。それに、いつもパーカーのフードをかぶっているのも……

 全部、その頭の異常さを、隠すためのものだったの……?

 

「ま、まあ……頭の方は、いいん、ですけどね……見かけは、普通の人間、なので……か、隠さないと、怪しまれちゃいますけど……ただ問題は……見かけ、じゃなくて」

 

 コツコツ、と頭を軽く小突く代海ちゃん。

 そして、また口を開く。

 

「アタシの代用は、本当に、不完全で、欠陥だらけで……完全な頭、じゃない、どころか……昔の記憶さえも、引き継げません、でした……」

「記憶……それって、く、首を、その……前の、代海ちゃんの……?」

「はい。昔のアタシが、どんな生活を送って、どんな気持ちでいたのか、今のアタシには、わかりません……で、でも」

 

 代海ちゃんの細い身体が、震える。

 カタカタと、小刻みに、震えていた。

 

「思い、出すん、です……こ、この身体に、刻まれた、痛苦の記憶が……頭が、記憶が、なくても……この身体は、覚えてる……ズキズキと、じんじんと、痛むんです……知らないのに、けれど身体は知ってて……アタシは知らないのに、アタシじゃないアタシが知ってて、それが、怖くて……」

 

 人の記憶がどこにあるかなんて、わたしにもわからない。

 臓器移植した患者は、その臓器の元の持ち主の記憶を幻視するという説があるけど。

 脳を完全に切り離されて、きっと思い出もすべてを失って、だけどその身体はしっかりと残っている。

 歪で歪んだあり得ない蘇生。生きたいという切なる願いのその代償は、あまりにも大きい。大きすぎる。

 凄惨な記憶が感覚としてだけ残った恐怖。それは、わたしの想像の及ばないほど、惨いものなんだと思う。

 

「それ、でも……い、今のアタシは、帽子屋さんに『代用ウミガメ』の名前を与えられた、【不思議の国の住人】です。それより昔のことは、さっぱりで……だから、どうにもならなくて、どうしたいいのか、わかんなくて……それまでの積み重ねが、全部崩れちゃって……だから、今を、帽子屋さんの言う通り、生きるしか、なくって……」

「…………」

「でも……今は、それだけじゃない、かもしれません」

「え?」

「亀船代海……人間社会に紛れるための、本当の名前の、代わりに使う、名前でした、けど……」

 

 ギュッ、と。

 代海ちゃんの抱きしめる力が、ほんのちょっと、強まった。

 

「小鈴さんが、アタシの名前を、呼んでくれる……人でなしのアタシを、歪で、不完全で、異常なアタシも、受け入れて、認めて、笑ってくれて……アタシを、人として、扱ってくれる、から……アタシは、ここにいても、いいのかなって……ちょっとだけ、思ってます……」

「代海ちゃん……」

「……ごめんなさい。こんな話をして……困ります、よね……でも、小鈴さんには、知っておいてもらいたくて……だから……」

 

 代海ちゃんのすすり泣く声が聞こえる。

 ……全然、知らなかった。

 代海ちゃんが、ずっとこんなものを抱えていただなんて。

 こんなに酷い目に遭っていただなんて。

 こんなにも、苦しんでいただなんて。

 あまりに異常な経歴は、わたしにはまるで実感がわかない。首が生えるなんて、どういうことなのかわからない。想像もできない。

 だけど、わたしのものさしで測ることができなくても、代海ちゃんの苦しみは、悲しみは、痛みは、ズキズキと伝わってくる。

 だって、代海ちゃん。こんなにも苦しそうなんだもん。悲しそうなんだもん。痛そうなんだもん。

 その声が、その涙が、すべてを物語っている。

 ……でも、それを知ったのは、ついさっき。

 なんとなくだけど、代海ちゃんがわたしたちになにかを隠していることは、なにかを黙っていることは、知っていた。

 わたしも先輩のこととか、言ってないことはあるし、そういうこともあると思って気に留めていなかったけれど……自分の浅はかさに、能天気ぶりに、嫌気が差す。

 わたしはまごうことなく人で、人間で、なに不自由なく幸せに社会で生きていられる。

 だけど、代海ちゃんたちは、そうではなかった。

 あまりに想像力が欠けていた。たくさんの本を読んでも、色んな物語を知っても。

 友達一人理解できないんじゃ、なんの役にも立たない。

 みんなのことは大切だと思っていた。それは変わらない。けれど。

 ――なにもかもが、甘かった。

 彼女らが人間じゃないことは知ってた。でも、そこで止まっていた。

 人の社会で人でないものが生きる苦しみも想像せず、彼らの生きた歴史も考えず、浅慮で、ただ甘えていた。

 わたしは目を逸らしていたんだ。代海ちゃんたちが抱える、本当の闇を。

 そして、実際に目の当たりにすると、彼女の背負ったものは、あまりも大きくて、わたしには、大きすぎて。

 どうしたらいいのか、わからない。

 そんな自分が、どうしようもないほど、情けない。

 ……堪えようと思ったけど、ダメだった。

 自分の愚かさも、鈍さも、浅はかさも、甘さも、なにもかもが疎ましい。

 自分の無力さが、想像力の欠如が、臆病さが、嫌になる。

 目頭が熱くなって、身体の奥から、熱いものが、込み上げて来て。

 溢れて、出て来ちゃう……!

 

「ご……めん、ね……」

「小鈴さん……?」

 

 あぁ、もうダメだ。

 自分の罪悪感に――耐えられない。

 

「ごめんね……代海ちゃん……!」

 

 涙が、溢れてしまう。

 わたしが泣いちゃいけないのに。

 本当に泣きたいのは代海ちゃんのはずなのに。

 苦しさも、悲しさも、痛みも、背負っているのは代海ちゃんなのに。

 わたしが、弱みを見せるわけには、いかないのに……なのに……

 なんで、泣いちゃうの……!

 

「わたし、あなたのこと、全然知らなくて……! 知ろうとも、しないで……そのくせ、友達面して、それに甘えて……うつ、えぐっ……!」

「な、泣かないでください……アタシこそ、黙っててごめんなさい……でも、アタシは確かに、小鈴さんの“優しさ”に、救われたんです……」

「でも、でも! わ、わたし、わたしこそ、代海ちゃんの“強さ”に甘えて……情けなさすぎるよ……!」

 

 鳥さんに力を貰って。デュエマを覚えて。何度も対戦して。クリーチャーとも戦って。たくさんの友達ができて……少しでも、強くなったつもりでいた。

 でも、今、思い知らされた。わたしは弱いままだ。

 どれだけデュエマが強くなろうとも、カードのことを知って、カードの使い方を知って、相手を倒せても。

 “人間としては”全然成長してない。

 魔法少女(マジカル・ベル)だなんて、笑ってしまう。

 友達の苦しみも知らないで、よくも浮かれていたものだと、自分を嘲る。

 こんなことでは、魔法少女なんて――いや、それ以前に。

 

「こんなんじゃ、わたし、友達として――失格だよぅ……!」

 

 友達の苦しみも理解できないで。それを知ろうとしないで、目を逸らして、楽しいところだけ見て。

 滑稽だ。あまりにも滑稽だ。

 そして、最悪だ。

 自分は、最低最悪の――醜悪な“人間”だ。

 

「……そんなこと……ありません、よ」

「代海ちゃん……」

「いいえ、そうだったら、あ、アタシも、困り、ます……だって、アタシには、小鈴さんが……必要、なんですから……」

「ひ、必要……? わたしが?」

「はい。アタシは、小鈴さんと、お友達でいたいって、思います……それが、今のアタシの、拠所で……光で……太陽、なんですから……」

 

 ……あたたかい。

 代海ちゃんの身体も、声も、ポカポカしてる。

 こんなダメで、卑劣なわたしを、認めてくれるの……?

 

小鈴さん(マジカル☆ベル)……あなたの魔法は、確かに、届いてます……キラキラしてて、あたたかくて……とっても、優しい魔法……アタシの太陽。かけがえのない、おひさまです」

 

 穏やかな眼でわたしを見つめる代海ちゃん。

 魔法なんて、かけた覚えはないけれど。

 けれど、目に見えないなにかは、確かに繋がっている。

 代海ちゃんは笑う。渇いた力ないものではなく、にこやかで、たおやかで、あたたかな微笑み。

 キラキラと光り輝く、水面のような柔らかさで。

 変わりなく、代わりもない。ただ一つの真の言葉を、紡いでくれる。

 ――わたしの、ために。

 

 

 

「だから、これからもずっと……お友達でいて、くださいね。小鈴さん」

 

 

 

 代海ちゃんは、こんなわたしでも、受け入れてくれた。

 たくさんの苦しみを耐え抜いた代海ちゃんほど、わたしは強くないけれど。

 でも、友達がこうして言ってくれているんだ。それなら、その言葉に応えないといけない。

 今度こそ、間違えないように。

 

 

 

「……うんっ! もちろんだよ! 代海ちゃん!」

 

 

 

 ――この日。

 わたしと代海ちゃんは、またちょっとだけ、お互いのことを知って。

 前よりも、ほんのちょっとだけ――仲良くなれました。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――何度考えても変よねぇ。僕の狂気を喰らってあんなもんとか。まったく性を知らないお子様ならともかく、あの身体で、なにも知らないとかあり得ないわよ。どうなってんのかしらねぇ、マジカル・ベルとやらは――」

「おい、三月ウサギ」

「っ!? ぼ、帽子屋さん!? まだ日は沈み切ってないけど……で、出直す?」

「なぜだ」

「今朝、日が沈むまで戻って来るなって言ったじゃない」

「忘れたな。それより、妙案が思いついたぞ。かなり久方ぶりに、この狂った脳みそがいい働きをした。その功績に免じて、しばらく休暇をやろうと思うのだが、どうだ?」

「どうだって……それって寝るってことじゃないの? 別に好きにすればいいんじゃない?」

「つれないな。オレ様はハイだぞ」

「見ればわかるわよ。今日はちょっと散々な一日でね……まあでも、帽子屋さんが楽しそうで、僕も嬉しいわ。その妙案とやら、聞かせてちょうだい」

「いいだろう。貴様は要だぞ。それに、今日の働きも良かった」

「え? 今日? なにかしたかしら……」

「アリスの下へと馳せ参じたのだろう? 随分と派手に掻き回したそうだな」

「なんでそういうとこは知ってるのかしらねぇ。ヤングオイスターズの誰かがチクった? まあ、どうでもいいけど。そうね。それが?」

「貴様に与える配役は悪役(ヒール)だからな。悪徳な行いは身になる」

「ふーん? よくわかんないけど、なんだか楽しそうね?」

「我ながら冴え渡っていると自負している。まあ、オレ様の記憶力では、あと数日で綻び始めるのだろうがな……それに、準備もかかる」

「準備?」

「あぁ。入念に、念入りに、じっくり、ゆっくり、茶葉を蒸らすように、整えていく」

「あんまり僕好みじゃないわね」

「準備には時間がかかる。貴様は出番まで引っ込んでいればいい。邪魔はするなよ」

「また帽子屋さんを怒らせたくないし、そうさせてもらうわ。代わりに全部が終わったら、祝勝会でも上げましょう?」

「いいだろう。盛大なパーティーと行こうではないか」

「帽子屋さんがノリノリなんて、本当に機嫌がいいのね……わかったわ。じゃあ、またね。帽子屋さん」

「あぁ」

 

 

 

 

 

「――待っていろ、マジカル・ベル。貴様を、我らが不思議の国へ招待してやろう――」




 半ば無理やり対戦パートぶち込んだ感じありますけど、まあ架空デュエマってそういうものでしょう。
 今回はこの作品では珍しく、環境でも活躍しているデッキを使用、ゲイル・ヴェスパーです。ピクシブ版では、フィニッシャーは《ワルド・ブラッキオ》と《モアイランド》を並べて《鬼羅丸》でフィニッシュでしたが、こちらでは《ジ・エンド・オブ・ユニバース》で簡略化されています。変えた理由? チョウ姉さんには白いカード使って欲しかったからです。
 今回はこれにて。次回は……今回と、ちょっと似た構図の展開かも。今回よりもずっと短いですけどね。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なくどうぞ。


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28話「猫探しです」

 今回、殿堂レギュレーションの関係で、謡のデッキをピクシブ版から変えています。時期的な関係でしかないので、別に変える必要がないと言えばないんですけど。
 あと、どうでもいいのですが、デッキは変えても対戦相手の動き、使用カードはまるで変わらなくて、変な感動を覚えています。ピクシブ版と比較してみると面白いかも。



 こんにちは……いや、おはようございます、伊勢小鈴です。

 今朝は珍しく、お姉ちゃんが一緒に登校しようって誘ってくれました。いつもは生徒会のお仕事とかで、わたしよりも先に家を出るんだけど、今日はそうではないようです。

 

「小鈴ー! 早く来ないと置いて行くわよ」

「ま、待ってー! 今いくー!」

 

 玄関の方から、お姉ちゃんの声。

 急いで制服を着て、鞄を持つ。えーっと、教科書と、ノートと、筆箱と、ハンカチと、テッシュと、お財布と、お昼のパンと、おやつのパンと、デザートのパンと、予備のパンと、デッキケースも持ったよね?

 よしっ。

 

「お待たせ、お姉ちゃん」

「それじゃあ行きましょうか。母さーん! 私たち、学校行ってくるわよ」

「行ってきます、お母さん」

「うーぃ……行ってらー……」

 

 リビングから気の抜けた――というより、生気の抜けた声が聞こえる。お母さん、また徹夜だったのかな……?

 まあ、いつものことだから、大丈夫だとは思うけど。でもちゃんと寝てほしいし、寝るなら自分の部屋のベッドでしっかり休んでほしい。

 そんなお母さんのことが心配になりつつも、お姉ちゃんと二人で通学路を歩く。

 

「お姉ちゃんと一緒に登校するなんて久しぶりだね。生徒会のお仕事はいいの?」

「まあ、たまにはね。ようやく、林間学校関係の雑務が終わったところだし、ちょっとした小休止よ」

「そっか」

「にしても大変だったわ。あの台風で色んなことが一気に狂ったんだもの」

「あ、あははは……そうだね」

 

 あの台風自体はクリーチャーが引き起こしたもので、別にわたしのせいとかではないけど、なんだかちょっといたたまれない。

 ……思えば、あの日も大きな転換点だったのかもしれない。

 代海ちゃんが嵐の中に飛び出して、【不思議の国の住人】という存在とその目的が判明して、帽子屋さんとチェシャ猫レディのお姉さんが戦って。

 そして、チェシャ猫レディという存在が消えて――謡さんと、スキンブルシャンクスくんだけが残った。

 知らないことを知った。わたしには見えていなかったことが、考えが及ばなかったことが、想像もできなかったことが、全部、明確に曝け出された。

 それがあの、嵐の日だった。

 帽子屋さんたちや、代海ちゃん。彼らのことを否定することは、やっぱりできない。

 種の存続とか繁栄とか、そんなことを言われても、わたしにはピンとこないけど、仲間と手を取り合って、生きたいと、生きようとすることを否定することなんてできない。

 それはわたしたちと、人間と、同じだから。

 生物として、あたりまえのこと、だから。

 

(……そういえば、スキンブルくんは、どうして帽子屋さんたちから離れたんだろう)

 

 なにか彼の目的があるみたいだけど、詳しくは知らない。謡さんは、女の子に恋としたとかなんとか、冗談とも本気ともつかないことを言っていたけれど。

 

「小鈴? どうしたの、いきなり黙り込んで」

「あ、いや。なんでもないよ。それより、お仕事が終わったんだよね。お疲れさま、お姉ちゃん」

「ありがと。ま、これは私一人の頑張りじゃないけど。生徒会の皆には感謝しないとね」

「お休みは、そのご褒美みたいなもの?」

「褒美ってほどじゃないわよ、働きには相応の休息が必要ってだけ。それと」

「それと?」

「謡の奴にも言われたけど、ずっと仕事をぎゅうぎゅうに押し込んでじゃ士気も下がるってもの。分かっていたつもりではあったけど、指摘されてハッとさせられたわ。だから改めてスケジュールとかも見直しとかも兼ねた休憩よ」

「謡さんが?」

「えぇそうよ。あの子も、基本的には真面目だし、たまに凄いいいことを言うのよね。サボり癖が抜けないのが玉に瑕だけど」

 

 お姉ちゃんがどれくらい忙しいかは、なんとなくわかる。家ではあまりそういう素振りを見せないけど、帰りが遅かったり、部屋にこもってたりする時がままあるから、そういう時は特にお姉ちゃんの多忙さを感じる。

 謡さんは、いつでも関係なくわたしたちのところに遊びに来るけど……そっか、ずっとサボってたんだ……そのたびにお姉ちゃんがやってきて連れ戻したりしてるけど。

 

「ま、あいつがサボってるのは、自分で適度にガス抜きしてるつもりなのかもね。サボりを認めるわけじゃないけど、私もちょっと反省。引き継ぎもあるし、引退がてらスケジュールだけじゃなくて、今の生徒会の体制全体を見直そうと思ってるわ」

「そういえば、次の会長さんって誰になるの?」

「例年通りなら、晩秋頃から冬にかけて選挙があるはずだけど……今年は読めないわねぇ。なんか色々変則的だし」

「二年生の女の人が候補って、どこかで聞いた気がするけど」

「……あぁ、学援部の奴ね。ないでしょ」

「そうなの?」

「驚くほど堅物だし、お互いの因縁考えるとあり得ないと思うわ。そう考えてる人も少なからずいるし、そこで票が完全に割れるから、多くの得票は見込めない……それ以前に、立候補するかすら怪しいわ」

 

 そういえば、生徒会と学援部には確執がある、みたいなことを、謡さんが言ってたっけ。

 わたしも学援部の人――っていうか、恋ちゃんや先輩にはお世話になってるし、気になるけど、ちょっと聞きづらかった。

 だって、お姉ちゃん……学援部の人の話になった途端、ちょっと怖くなったから。

 厳しい時は厳しいお姉ちゃんだけど、今のお姉ちゃんは、厳しいと言うより、険しい。目つきが鋭くて、不機嫌そうに口を曲げている。

 そんなお姉ちゃんは、わたしの知ってるお姉ちゃんとは違っていて。

 ちょっと、見ていられなかった。

 お姉ちゃんから視線を外した時、ふと、視界になにかが入ってくる。

 

「? あれ、なんだろ……?」

 

 灰色のアスファルトの上に、なにか別の色が混じっている。

 赤い、なにか。ここからだと、ちょっと遠くてよく見えないけど。

 目を凝らして、もっとちゃんとよく見ようとすると――

 

「っ! 小鈴、こっち!」

「わっ! な、なに? お姉ちゃんっ?」

 

 腕を引っ張られた。

 お姉ちゃんはわたしを抱きすくめるように受け止める。

 

「あれ、たぶん猫よ」

「猫? でも、赤かったよ……あ」

 

 ……そっか。

 そういう、ことか。

 

「車……とかかしらね。気の毒だけど、よくあることよ」

「……そうだね」

「まったく、妹と久々の一緒に朝だっていうのに、気分悪いわね。あんまり見ないようにして、早く行きましょう」

「……うん」

 

 久しぶりにお姉ちゃんと一緒に登校する朝。

 その朝は――とても、後味の悪いものでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 朝からちょっと嫌なものを見てしまい、へこんだ気分で登校して、校門前。

 そこで、か細い、けれどやたらハッキリと聞こえる、聞き慣れた声がする。

 

「……こすず」

「あ、恋ちゃん。おはよう」

 

 恋ちゃんだ。今日はちょっと早いね。

 あれ? でも、登校時間に恋ちゃんがいるってことは……

 恋ちゃんの隣を見遣る。するとそこには――

 

「せ、せせせせせ!? 先輩!?」

「あ……お、おはよう、伊勢さん」

 

 ――剣埼先輩が、いた。

 

「……剣埼一騎」

「い……伊勢、さん……」

 

 わたしの隣で、お姉ちゃんの眼が、今まで見たことがないほどに、鋭く、険しく、そして怖いものに、変貌していた。

 刃物のように、今にも先輩の喉を引き裂いてしまいそうなほどの敵意を込めて。

 先輩を、睨んでいた。

 

「え、えっと……?」

「なに小鈴。あんた、こいつと知り合いだったの?」

「え? あ、うん、まあ……その、い、色々と……ひゃぅ……」

「あんた。私の妹になにかしたの?」

「な、なにもしてないよ。俺は、なにも……」

「俺は? 間接的になにかしたってこと?」

「そうじゃなくって……いや、そうなのか……? “アレ”は俺にもなにがなんだか」

 

 覚えている。思い出してしまう。先日の、あの時のことを。

 三月ウサギさんの“狂気”に当てられて取ってしまった、わたしの強行。

 先輩に、してしまった、言ってしまった、あの日のことを。

 

「あわわわわわわわわわ……っ!?」

「こすず……パニック……」

「あんた本当になにしたの? うちの妹に手ぇ出したら、どうなるかわかってんでしょうね?」

「なにもしないってば! 伊勢さん……いや、生徒会長の思ってるようなことは、普通はないから」

「普通は? なにその濁した言い方。特殊ケースなら手ぇ出すっていうの?」

「そうじゃなくて……」

「大体、あんたなにか隠してない? さっきからハッキリしない物言いだし、私に知られてまずいことでもあるの?」

「いや、それは……」

 

 先輩に詰め寄るお姉ちゃん。

 わたしはもう、あの日の出来事が頭の中でぐるぐる駆け巡って、恥ずかしくって、悔やんで、どうしていいかわからなくて、お姉ちゃんの態度に戸惑う暇もなかった。

 

「……恋。先に行ってて」

「ん……りょ……こすず……いこう」

「え? う、うん……」

 

 今度は、恋ちゃんに腕を引かれる。

 

「ご、ごめんお姉ちゃん。わたし、先行くね」

「わかった。私も、こいつにちょっと用があるから」

 

 お姉ちゃんは先輩に詰め寄ったまま、先輩は困り顔のまま。

 わたしと恋ちゃんは、その場を後にした。

 ……それにしても。

 

 

 

(あんなイライラしたお姉ちゃん、初めて見たかも――)

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「待て。その足を止めよ、三月ウサギ」

「? あら、公爵夫人様。僕を呼び止めるだなんて、珍しいこともあるのね?」

「貴様に問いたい事柄がある」

「夫人様が僕に? なにかしら?」

「先日、貴様は『代用ウミガメ』らの在籍する学舎をを訪問したと聞き及んだが、真か?」

「がくしゃ……? 学校とかいうつまらない場所のことかしら? えぇ、確かに行ったわ。本当、つまらないところだったけど」

「然らば、助言を求む。彼の地に赴くのはこれが初事である故な。万全を期して臨み、最大の結果を獲得する所存である」

「夫人様らしい、意識高いお言葉でいらっしゃるわね」

「最高効率、最大収益を求め邁進するのは至極当然であろう。でなくとも、儂はこれでも多忙な身だ。自然と無駄は嫌悪の対象になり得る。三月ウサギ。貴様の自分本位な志は認めるところだが、少々下手を打ちすぎではないか?」

「ご高説は結構よ。で、なんだっけ? アドバイス? 別にそんなものはないけど……あぁ、でもそうね。格好には気を付けた方がいいかも」

「格好、とな。貴様、儂の容貌に意見するとな?」

「違うわよ。まさか、かの公爵夫人様の見てくれにケチつけるわけないじゃない。あなたは逆相によって、誰よりも美しいことを定められているのだから。僕が言っているのは、ドレスコードよ」

「服装規定か。理解した。して、どのような服飾品で着飾ればいい?」

「制服っていう、窮屈な服があるのよ。それを着ないといけないとかなんとか」

「承知した。助言、感謝する」

「それで? 公爵夫人様は一体、何の用があってあんなつまらないところに行くのかしら? あなた、前に出るようなタイプじゃなかったんじゃないの?」

「難解なことはない。目的に対する手段は適当でなければならん。帽子屋でもあるまい、目的を遂行するための手段が頓珍漢では、成るものは成らず、為すものも為せん。愉快ではあるがな」

「つまり? なにが言いたいの? 夫人様の言ってることは、難しくてよくわからないわ」

「儂は当然の道理を、当然の理屈を、現実のあるがままを説いているに過ぎんよ。即ち、儂とていつまでも座していられまいと。我が願望を叶えたくば、腰を上げる他あるまいと判断したまで」

「願望? あなたに望みなんてあったの?」

「当然だ。漠然としていようと、曖昧模糊であろうと、あの狂気の帽子屋に従属しているのだ。相応の願望を抱かねば釣り合わん。あるいはそれは、欲求と呼称されるべきなのやもしれんがな」

「ふぅーん。で? 公爵夫人様は、なにをしに学校に向かわれるのかしら?」

「猫探しだ」

「は?」

「猫探しだ。二度も言わせるな」

「ネコ? ネコって言ったかしら、今。それって……」

「あぁ。我が愚猫だ」

 

 

 

「我が下から去った笑い猫――『チェシャ猫』を回収する」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「どっせーい! みんなー! 元気かなー!」

「あ、謡さん……こんにちは」

 

 放課後。

 ホームルームも終わって、帰り支度をしていると、威勢の良い声が教室に飛び込んでくる。

 長良川謡さん。二年生。わたしたちよりも、一つ上の先輩。お姉ちゃんと同じ生徒会の人。

 そして、わたしが色々なことでお世話になった人……かな?

 上級生が来たからか、クラスメイトのみんなはちょっと驚いているようだった。

 そしてわたしたちはというと、その反応は様々。

 ユーちゃんは嬉しそうに笑ってるし、恋ちゃんは無関心そうにいつも通りだし、霜ちゃんはちょっと呆れてるし。

 そして、みのりちゃんは、

 

「うわ、またも来たし。せんぱーい。今日もサボリですかぁ?」

 

 露骨に嫌そうな顔をしていた。そんなに謡さんのこと嫌いなのかな……?

 けれど謡さんはそんなみのりちゃんの対応にも、笑顔で返す。

 

「イエス! ……と、言いたいところだけど、残念ながら今日は違うよん」

「言いたい? 別にそれは残念ではないのでは?」

「サボりに……楽しみを、みいだしてる……愉快犯……」

「そんな言い方やめてよー。今日は普通にお休みをもらったから、先輩としてみんなと遊ぼうかなって」

「自分が遊びたいだけじゃ……」

「そうとも言う」

「なら最初からそう言えばいいのに。相変わらず面倒くさい先輩だ」

「でもユーちゃん、謡さんと遊ぶの楽しみです!」

 

 夏休みが明けてから、先輩は時々、わたしたちの教室にやって来る。その理由のほとんどは、生徒会のお仕事をサボるためだったけど、今日は違うみたい。

 純粋に、謡さんが遊びに誘ってくれている。

 これはこれで、ちょっと珍しいかもしれない。

 

「そんなわけだから、皆でカドショでも行こうよ。先輩らしく1パックくらいおごったげるからさ」

「ごちになりまーす!」

「手のひら返し早いな実子! というか、それは女子中学生としてどうなんだ? スイーツとまでは言わないが、せめて飲み物くらいにしておくべきではないのか?」

「パック、だと……あたり、はずれ、で……戦争……」

「そういう意味で言ったんじゃない」

 

 ……まあでも、やっぱりいつもの謡さんだったよ。

 今日もいつものようにみんなでカードショップ(ワンダーランド)に行くつもりだったし、それに謡さんが加わったというだけ。

 ほんの少しの変化。だけど、その変化もまた、いいよね。

 

「……あれ?」

 

 ふと、教室の扉の方に目を向けると、そこにはひょっこりと頭を出して、教室の中を覗き込む影。

 殻にこもって、縮こまるように首だけ出しているその姿は、カメのよう。

 そしてその子は、とても見覚えのある子で……というか。

 

「代海ちゃん?」

 

 先日の傷はまだ治ってなくて、ガーゼや包帯を巻いたままの顔で、こちらを覗いている。

 隠れているつもりなのかどうかわからないけど、ばればれだよ……?

 

「そんなところでなにしてるの?」

「い、いえ、そ、その……お、お邪魔じゃ、な、ないかなって……」

「そんなこと、ない……しろみも、くれば、いい……」

「じゃ、じゃあ……お、お邪魔、します……」

 

 よそのクラスに入るのに気が引けるのはわかるけど、そんなに畏まらなくてもいいのに。もうクラスのみんなは、そそくさと逃げるように教室から出て行っちゃったし。

 

(今日は、たくさん人がいるなぁ)

 

 思えば、入学する前は一人だった。

 入学してからは、みのりちゃんと二人だった。

 みんなと友達になって、五人になった。

 今は、謡さんに、代海ちゃんもいる。

 “わたし”は、“みんな”になって。

 “みんな”の輪は、どんどん大きくなっている。

 なんだろう。その感覚が、すごく、楽しいし、嬉しい。

 

「おや?」

 

 けれど本日の来訪者は、この二人だけじゃなかった。

 さらにもう一人――いいや、もう“一匹”いた。

 

「やぁ、スキンブル。君、今日は学校まで来たんだね」

 

 窓枠から、スッと入り込んでくる、一匹の子猫。

 黒い毛並が照らされて、首にはわたしと同じ鈴。

 一見すると普通の子猫。けれどその実態は、猫でも人でもないもの。

 スキンブルシャンクス。謡さんの飼い猫だけど、それでいて『チェシャ猫』という名前も持つ存在。

 代海ちゃんと同じ【不思議の国の住人】。

 ただ彼女とも違うのは、帽子屋さんたちに与していなくて、謡さんと一緒にいるってところだけど、そのあたり、わたしも詳しくは知らないんだよね。

 わたしを守ろうとしてくれてたみたいだし、悪い子ではないけどね。

 

「あの、流石に教室に動物を連れ込むのは……」

「まーまー、堅いことは言いっこなしだよ。ほーらスキンブル、おいでー」

 

 謡さんが両手を広げて、スキンブルくんを誘う。

 スキンブルくんは、後ろ足で地面を蹴って、跳躍。胸の中にぽすんと収まった。

 

「わっ」

 

 ――わたしの、だけど。

 いきなり飛び掛かられてビックリした……なんとか抱きとめられてよかったよ。

 けれど隣で、謡さんがムスッと唇を尖らせている。

 

「……飼い主を差し置いて別の女の子に抱きつくとか。なんなの、君」

「嫌われてますねぇ、センパイ?」

「ムカつくなぁ」

「それは実子がですか? それともあの猫が?」

「どっちかっていうと後者」

「実子。君、実は先輩に相手されてないんじゃないか?」

「……むぅ」

 

 みのりちゃんが、苦虫を噛み潰したような、それでいてどこか悔しそうで、納得いかないと言わんばかりの、すごい絶妙で、なんとも言えない顔をしてる……こんな変な顔のみのりちゃんは初めて見たよ。

 

「ちゃ、ちゃんとお会いするのは、は、初めて、でしょうか……チェシャ猫さん……い、いえ、スキンブルさん、でしたっけ……? は、初めまして……」

 

 代海ちゃんが、スキンブルくんを覗き込む。スキンブルくんも、にゃぉんと、猫らしく鳴いて応答する。

 あんまり気にしてなかったけど、代海ちゃんとスキンブルくんは“同族”なんだよね。

 だからこの二人が共にあるのは自然なことのはずなのに、この光景はとても新鮮だ。

 

「シロちゃんは、スキンブルのこと知らなかったの?」

「し、シロちゃんって、アタシのこと、でしょうか……? えと、チェシャ猫さんの存在だけは、は、話には、ちょっとだけ聞いてました……ただ、詳しくは……」

「君らって本当によくわかんないね。この前の三月ウサギとかいう奴もそうだったけど、一枚岩じゃないというか。情報統制とかどうなってるの?」

「そ、それは、帽子屋さんがトップなので……そ、それに、公爵夫人様の事情は、ひ、秘匿事項っていうか、あんまり、教えてくれなかったので……」

「公爵夫人様?」

「チェシャ猫さんの、飼い主さん、です……あ、い、いえ。元、飼い主さん、でした……」

 

 そういえば林間学校でのあの時、帽子屋さんもそんなことを言っていたような……

 飼い主。わたしたちが使うその言葉と、彼らが使うその言葉が同義なのかわからない。それが、どんな意味になるのかも。

 抱きかかえたスキンブルくんに目を落とす。

 こうして見て、触れていると、スキンブルくんは普通の子猫にしか見えない。毛並の綺麗さも、あたたかさも、柔らかさも。

 

「小鈴さん! ユーちゃんも、スキンブルさんをだっこしたいです!」

「ちょ、ちょっと待ってね、ユーちゃん。なんか、あんまり離れてくれない……」

 

 今日は、いつもよりも騒がしくて、喧しくて、姦しくて、そして、賑やかだ。

 でも、たくさんある変化は、そのすべてが楽しいものとは限らない。

 また新しい変化が訪れる。けれども、それは望まざるもの。

 わたしたちの和を脅かす、災厄だ。

 

 

 

「騒々しいものだな。笑い猫の笑みは、もっと卑しいものではなかったか」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「姿は見えず、どこにもおらず、されども笑う顔はそこにある。笑い無き猫ならず、猫無き笑い。それは嘲笑であり、歓楽なれども、歓喜に非ず。なんとも、奇々怪々なことよな」

 

 詠うような語り口で、その人は当然のように、自然な足取りで教室へと入ってくる。

 その姿に、わたしたちは思わず、目を奪われてしまった。

 

(わ、すっごい美人さん……!)

 

 まずまっさきにわたしが思ったのは、それだった。

 ハリのある艶やかな肌。スッと通った鼻筋。パッチリした二重瞼。クールな切れ目。

 背も高くて、カッコよくて、目が覚めるような美人さんだ。

 ……なんだけど、なぜか烏ヶ森の制服を着ているのが、とてもシュールだった。しかも、すごくピチピチな。お陰で身体のラインがすごくハッキリ出てしまってて、なんだか見てるこっちが恥ずかしい……

 なんだか妙に見覚えがある光景だけど、このクールビューティーなお姉さんは、一体何者……?

 

「貴様が女好きである事実は既知だが、よもや年端もいかぬ小娘に囲まれて浮かれているとは思わなんだ。貴様の主人では不満か? あるいは、貴様の愛好は童女にのみ向けられるのか?」

「……いや……誰……?」

「無粋な小娘だ。しかし旧知との感動の再会でも、切なる願いの果ての到達でも、ましてや望んだ栄光を掴んだわけでもあるまい。浮かれていたのは、儂かもしれんな。では手早く、目的遂行に励むとしよう」

 

 高いところから見下ろされるかのような物言い。どこか傲慢で、驕り高ぶったような傲岸不遜な態度。

 どこか高貴さというか、煌びやかさを感じる振る舞いだけど、その実、とても高圧的だ。

 それでも、とても礼儀正しく思えるような所作で一礼して、美人さんは名乗りを上げる。

 

「儂は『公爵夫人』と呼ばれる者。【不思議の国の住人】の支配階級だ」

 

 公爵、夫人……?

 つい最近、聞いたことがあるような――どころではない。

 ついさっき、代海ちゃんが口にしたばかりだ。

 

「『公爵夫人』って……スキンブルの……」

「そうだ。貴様が手懐けた愚かな笑い猫。『チェシャ猫』の主である」

 

 スキンブルくんの、本来の主人……

 あまりに、唐突だった。

 突然だけれど、これはいつか訪れる時だったのだろう。

 いずれ木たるべき時。それが今だったというだけの話……なのかもしれない。

 でも問題は、その時がいつ来るのかということじゃない。

 なぜ、どうして、この人が今この時に来たのかということだ。

 

「……ねぇ。支配階級ってなに? そんな貴族じみた位置づけがあるのか?」

「え、えぇっと……帽子屋さん、みたいで、同じくらい、凄くて……【不思議の国の住人】を、まとめる人たちっていうか……いないと困る人っていうか……あ、アタシたちが、徒党を組むために、集団であるために、頑張ってくれてる人たち、です……」

「要は幹部的なものか」

「あまりに稚拙だな、代用ウミガメ。しかし、我々の内部事情を詳らかに述べる行いが既に愚行。両者を鑑みれば、貴様の拙い説明による背信行為は、ひとまず保留となろう」

 

 ……?

 な、なにを言ってるの、この人……?

 難しいことを言ってる、というよりも、表現が持って回りすぎていて、一回聞いただけじゃなにを言っているのかよくわからなかった。

 当の代海ちゃんも、首を傾げて戸惑ってるし……

 

「たぶん、代海が言葉足らずながらも奴らについて口を滑らせて、それを諌めているんだと思う」

「あぅ……ご、ごめんなさい……」

「愚かな餓鬼共と思っていたが、多少は聡明な者も存在していたか。もっとも、此度の儂は下等な餓鬼に構う(いとま)はないが」

 

 美人さんは、視線をわたしの方へ。いや、違う。

 わたしの手元――スキンブルくんへと、向ける。

 

「儂が求めるは、そこなる黒猫故な」

「……元ご主人様が、今更なんの用なのさ」

「それは借問か? 予期できる問掛は非合理かつ無意味だが、それでもなお、貴様は問うのか?」

「………」

「黙するか。なんと愚かであろうか。愚者に手向ける言葉は生憎と持ち合わせていないが……良かろう。我ながら遺憾であり、癪に障る言だが、狂言に乗ってのたまうとしよう」

 

 大仰に、そして高慢に。

 威風堂々とした佇まいで、宣言する。

 わたしが抱いた謎。

 この人が、今になってわたしたちの前に現れた理由を。

 

 

 

「我が愚かな飼猫――『チェシャ猫』の返還を求め馳せ参じた」

 

 

 

 一同に口を噤み、静寂が訪れる。けれどそれは、理解できないからじゃない。

 むしろ、誰もがそれを考えていたと思う。だからこそ、今ここで、遂に現れたいつかの可能性に、押し黙ってしまった。

 最初にその静寂を破ったのは、謡さんだ。

 

「……なにそれ? スキンブルを返せってこと?」

「そもそれは儂のものだ。道理には敵っていよう」

「捨て猫を拾ったんだ。今はうちの猫だよ」

「儂は己がものを捨てた覚えなどないがな」

 

 美人さんの高圧的な眼差し、威圧的な言葉が突き刺さるけど、謡さんは負けじとキッと睨み返す。

 ……いつかは、来るだろうと思っていた。わたしたちも、謡さん自身も。

 けれど、今わたしが胸に抱いているスキンブルくんは、どう思っているんだろう。

 

「スキンブルは、自分の意志で今ここにいるんだよ。それを踏みにじるっていうの?」

「飼猫の脱走など、茶飯事だ。今回は度が過ぎた、長期にわたり居着いたというだけのこと。煩雑だが、己が責務は自ら果たす。飼猫の不始末は自分でつけるさ」

「なんであなたが、あなたのことのようにスキンブルを語るかな。スキンブルの意志はどうなのさ」

「無知な小娘がよく咆える。問い掛けは賢者の証でも、それを意味なく繰り返すのは装置と相違ない。寛大にも貴様の愚問に応じるならば、これは己が意志、儂の意志だ。そこに他者の思惑が付け入る余地は与えん」

「……つまり、スキンブルのことはどうでもいいってことだね」

 

 二人の剣呑な言葉の応酬は、平行線だった。

 スキンブルくんを渡せと要求する美人さんに、それを躱すように問いただす謡さん。

 相容れないし、交わらない。

 わたしたちも二人の険悪さに、割り込む余裕はなかった。

 

「強引な……帽子屋さんもしつこかったけど、あなたも同じだね」

「あやつと儂を同列に語るとは、失笑を禁じ得んぞ。あのイカレ帽子屋は称えられるだけの結果があるが、あまりに道楽と狂気に過ぎる。珍奇な輩だ」

「その珍奇な輩は、最後にはすっぱり諦めてくれたんだけどね。今までなにも仕掛けて来なかったのに、なんで今になって、そんなスキンブルに執着するのかな?」

「答える義理はない。餓鬼との口論もそろそろ飽きたぞ。苦難の先送りは冗漫でしかなく、怠惰の証左だ。問答など無意味。貴様の選択肢は、肯定か、否定か、二者択一だ。しかして覚悟せよ。その選択の結果はすべて、己に還るぞ」

 

 刺し貫くような言葉を躱す謡さんだったけど、遂に、避けきれなくなった。

 イエスか、ノーか。単純で、だからこそ避けられない選択を突きつけられる。

 

「……私が首を横に振れば、力ずくで奪い取る、って言いたいの?」

「いまだ無知を気取るか小娘。その問いに意味はあるのか? 貴様はそれほども分からぬ愚者か? 選択せぬ選択は存在しない。逃避は不可能。さらには、斯様な咆哮を上げ、牙を剥き、それでいて闘争心を、己が刃を収めるとのたまうか?」

 

 美人さんは、怯まないし、臆さない。物怖じもしないし、常に毅然と、悠然と、威風堂々としている。

 前へ前へと進み、前を向き続け、言葉で持って謡さんを追いつめていく。

 

「…………」

 

 押し黙る謡さん。

 謡さんが、ひたすら美人さんの要求を、受けるでも、撥ね退けるでもなく、躱そうとしている理由は、よくわかる。

 スキンブルくんを渡したくないのは、当然。けれどそれを拒絶すれば、あの美人さんはきっと、牙を剥く。武器を取る。

 代海ちゃんは美人さんのことを、帽子屋さんと同格だと言った。

 そして帽子屋さんは、謡さんとスキンブルくんが分たれた――チェシャ猫レディが消失した、最大の原因。

 最大で最高の自分を打ち破った相手と、同格の相手。

 そんな人を相手にするのに、気圧されてしまっているんだ。

 だから、逃げ道を探っている。要求を飲まず、けれども衝突せず、逃げ延びる道を。

 傍から見ても、謡さんが戦わないことに必死な様子は窺い知れたし。

 美人さんが、その逃げ道を断とうとしていることも、わかった。

 

「……労なく果報を得られるのならば、それに越したことはないと安易に思考していたが、儂も愚かであったな。愚鈍な餓鬼に弁舌を弄するだけ無駄というもの。ならば腕をもぎ、脚を折り、胴に穴を空け、脳天を散らしてでも奪還する他あるまいて」

 

 美人さんの目つきが、変わった。

 高圧的なのも、威圧的なのも変わらないけど、見下すような態度は、蹴落とす空気に変わる。

 それが意味するものは――

 

「やるしか、ないのか……!」

 

 ――彼女の手に、握られていた。

 カードの束、デッキ。

 やっぱり、こうなってしまう。

 思い描いていたビジョンは、そのまま、現実に表れてしまう。

 

「戦だ、餓鬼。貴様が駄々をこねるならばそれも良し。骸と成り果てた後も泣き喚くがいいさ」

 

 現実を歪ませるように、空気も歪む。

 誰も望まない戦場が、ここに広がっていく――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 謡さんと、美人さんのデュエマが始まった。

 お互い、超次元ゾーンにカードは見えない。

 けれど相手の場には、六枚の封印を付けた《禁断》が鎮座している。

 あの人、見るからにただ者じゃない雰囲気があるけど……謡さん、大丈夫かな……

 

「私のターン! 1マナで《ジョジョジョ・ジョーカーズ》! 四枚見て、《ヤッタレマン》を手札に加えるよ! ターンエンド!」

「儂のターン。《レッドゾーンX》をマナチャージ。ターンエンドだ」

 

 

 

ターン1

 

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:1

山札:29

 

 

公爵夫人

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:5

墓地:0

山札:22

禁断:6

 

 

 

「《レッドゾーンX》か、バイクっぽいカード……《禁断》もあるし、バイクなら早く決めないと。2マナで《ヤッタレマン》召喚! ターンエンドだよ!」

「儂のターン。《一撃奪取 トップギア》を召喚し、ターンエンド」

 

 

 

ターン2

 

場:《ヤッタレマン》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:1

山札:28

 

 

公爵夫人

場:《トップギア》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:21

禁断:6

 

 

 

 お互いにコスト軽減のクリーチャーを召喚。どっちもスタートダッシュは順調だ。

 

「私のターン。マナチャージして、G・ゼロ! 《ゼロの裏技ニヤリー・ゲット》!」

 

 あのカードは、謡さんがよく使ってる、マナも払わずいっぱい手札を増やす呪文……

 謡さんと対戦するようになってから、この呪文の強さを思い知らされた。2ターン目に、最大で三枚も手札が増える。派手ではないけど、それがどれだけ強いことか、分かってきた。

 クリーチャーを並べるのにも、切り札を出すのにも、その攻撃を通すのにも、すべては手札から繋がる。その手札の増強を、コストを支払わずに行えるのだから、弱いわけがない。

 山札からめくられたのは《パーリ騎士》《洗脳センノー》《超特Q ダンガンオー》の三枚。

 

「よしっ、三枚とも手札に! そして2マナで《パーリ騎士》を召喚! 《ジョジョジョ・ジョーカーズ》をマナに置いて、2マナ! 《洗脳センノー》召喚!」

 

 謡さんはいつもの動きで、《ダンガンオー》発進の準備を整える。

 場にクリーチャーは三体。《ヤッタレマン》がいて、マナは4、手札には《ダンガンオー》。

 次のターンには終わらせる。そんな布陣を構え、拳を握り込んだ。

 

「《センノー》で侵略は止めた。あなたのバイクが走るよりも早く、私の《ダンガンオー》が発車する。それでおしまいだよ」

「抜かせ。次のターンに発車だと? 思い上がるな。貴様の浅慮な思惑など、瞬きのうちに打ち砕き、雲散霧消させてくれようぞ」

 

 謡さんの必殺の動きを見てもなお、美人さんの表情から余裕は消えない。

 彼女は静かに、カードを切る。

 

「特急などと笑わせる。貴様の指定した時刻に、貴様の望みの鉄箱は来ない。遅延したまま、その錆びつき肥大化した鉄屑でも研磨しているがいい。3マナ、《停滞の影タイム・トリッパー》を召喚」

「うぐっ、鬱陶しいのが……!」

 

 

 

ターン3

 

場:《ヤッタレマン》《パーリ騎士》《洗脳センノー》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:24

 

 

公爵夫人

場:《トップギア》《トリッパー》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:20

禁断:6

 

 

 

 《タイム・トリッパー》……確か、ユーちゃんがたまに使ってたっけ。

 マナに置くカードがすべてタップされてしまうクリーチャー。地味だけど、動くのが1ターン遅れちゃうから、出されるとちょっと困ってしまう。

 

「バイク相手に1ターンの遅れはきついけど、こっちも《センノー》がいるし、侵略は抑えられてるはず……私のターン、ドロー」

 

 このターンに発進するはずだった《ダンガンオー》は、マナが足りずに出すことができない。

 この瞬間のために調整されたダイヤが、少しずつ乱れ始める。

 

「くっ、2マナで《ツタンカーネン》、一枚ドロー。さらにもう一体《ツタンカーネン》、ドロー……」

 

 謡さんはこのターン、クリーチャーを並べることしかできない。

 クリーチャーの数自体は十分。今の謡さんに必要なのは、一撃ですべてを粉砕する切り札。

 けれどその登場は、相手の妨害によって遅らされてしまっている。

 今も、そしてその先も。

 

「ターンエンド。けど、次のターンこそ……!」

「不許可だ。儂に先んじて疾走することなど許さん。それに、貴様の不細工な鉄箱は見るに耐えん。醜悪なガラクタを儂の前に晒すでない。儂のターン。2マナで――このカードだ」

 

 美人さんは、手札を一枚、抜き取る。

 それを、唱えた。

 

 

 

双極・詠唱(ツインパクト・キャスト)――《ブンブン・バースト》」

 

 

 

 え? な、なにあのカード……?

 変なカードだ。カードの真ん中あたりで、イラストが二つに分割されている。

 上の方に描かれているのは、クリーチャー? っぽいけど……でも、美人さんは、それを召喚ではなく、唱えた。

 

「呪文の効果で、パワー4000以下のクリーチャーを破壊する。破壊するのは《ヤッタレマン》だ」

「《センノー》じゃないの……? 侵略を止められてるのに……?」

「ターンエンド。貴様の手番だ」

 

 

 

 

ターン4

 

場:《ツタンカーネン》×2《パーリ騎士》《洗脳センノー》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:2

山札:21

 

 

公爵夫人

場:《トップギア》《トリッパー》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:1

山札:19

禁断:6

 

 

 

「私のターン……くぅ、また《ダンガンオー》が出せない……!」

 

 美人さんが破壊したのは、侵略を完全に禁止してしまう《洗脳センノー》ではなく、コスト軽減の《ヤッタレマン》。

 《洗脳センノー》がいるから、侵略はされない。けれど、《ヤッタレマン》がやられてしまったことで、《ダンガンオー》の登場もまた1ターン、遅れてしまう。

 

「でも、私には他にも、《ダンガンオー》を出す手段がある。これに賭けるよ! 5マナをタップ! 《ビックラ・ボックス》を召喚!」

 

 謡さんが繰り出したのは、プレゼントの箱……いや、ビックリ箱のような姿のクリーチャーだった。

 

「《ビックラ・ボックス》の能力で、私はトップを捲る。それがコスト6以下のジョーカーズなら、そのまま場に出せる!」

 

 コスト6というと……《ダンガンオー》が、ギリギリ範囲に収まるコストだ。

 もしここで《ダンガンオー》がめくれれば、一気にシールドを打ち砕いて、とどめが刺せるかもしれない。

 

「貴様も混沌を望むか。愚かだが、貴様の天運が、貴様の行く末を開拓せしめるのならば、儂は貴様の力を認めよう。さすれば、錆びた鉄塊を儂の眼前に晒すことも吝かではなかろう」

「うるさい! なに言ってんのかさっぱりわかんないけど、スキンブルのためにも、あなたには負けない! お願い、《ビックラ・ボックス》!」

 

 謡さんの呼び声によって、《ビックラ・ボックス》の中身から、山札の一番上のカードが飛び出てくる。 

 謡さんはそのカードを掴み取り、そして、

 

「……《ヘルコプ太》をバトルゾーンへ」

 

 バトルゾーンに出す――けれど。

 それは、《ダンガンオー》ではなかった。

 

「塵の一片程度には、期待したのだがな。貴様の天運は、貴様の力は、儂の測量を超えることはない、か」

「っ、でも、《ヘルコプ太》の能力は発動するよ! 私の場のジョーカーズの数だけドローできる。私の場にジョーカーズは六体いるから、六枚ドロー!」

 

 ろ、六枚……!?

 その凄まじいドロー枚数に、思わず目を剥く。

 これで謡さんの手札は八枚。これだけ手札があれば、なんでもできると言っても過言ではない。

 

「ターンエンド! 次のターンこそ、終わらせてやる……!」

 

 このターンも攻撃はできなかったけど、謡さんはたくさん手札を一気に増やした。マナも伸びてきたから、次のターンには、確実に《ダンガンオー》が発車できる。

 運が良ければ、次のターンで倒せるかも……そうでなくても、シールドを全部ブレイクできれば、謡さんに形勢が大きく傾くはず。

 けれど、

 

「粋がるな。停滞した貴様の行動は無意味極まりない愚者のそれであったが、儂の行いが貴様と同価値ではない。希望を捨てよ、楽観するな。儂が無意味に戦を引き延ばしているのではないと知れ、小娘」

 

 美人さんは、切っ先を突きつけられてもなお、堂々たる態度を崩さず、遥か高みから、高慢に言い放つ。

 ここまでの流れはすべて織り込み済みだと言わんばかりの様子で、気高く、強かに、突き進み、突き穿つ。

 

「権謀術数は儂の領域。ただ爆走するだけが、血塗られた鉄の疾風の本懐ではない。望む時間を逃した時点で、貴様の敗北は決定していた。それを今ここで、証明しよう」

 

 美人さんはカードを引くと、マナチャージ。

 そして、手札を一枚切り、場に繰り出して、重ねた。

 

「《トップギア》でコストを軽減。5マナで《トップギア》を進化!」

 

 謡さんのように、手札補充も、マナ加速もすることなく、けれど攻撃もせず、ただ一時凌ぎのように謡さんの邪魔ばかりしていた美人さんだったけど。

 ここで初めて、前に出る。

 

 

 

「禁忌に邪槍を穿つ。奔れ――《禁断の轟速 レッドゾーンX》!」

 

 

 

 禍々しい槍に貫かれた、黒く染まった機体。

 バイクっぽいけれど、かなり変形したロボットだ。

 それに、とてもおどろおどしい。力強さが、凶悪さに変わってしまったかのような、怖さがある。

 

「そ、そいつ、そのまま出すの!?」

「吃驚することなどなかろうよ。侵略を封じたのは貴様だ。なれば儂は、その束縛の中で、我が力を振るうのみ」

 

 《洗脳センノー》で侵略を止めているから安心、ではなかった。

 侵略できないのならば、そのまま進化する。そのために、この人は《ダンガンオー》の発進を遅らせ続けたんだ。

 自分が走り出すまでの時間を、稼ぐために。

 

「《レッドゾーンX》が出たことで、禁断の封印を一つ解放。さらに貴様の《洗脳センノー》を封印!」

 

 謡さんのクリーチャーが《レッドゾーンX》の投げた槍に貫かれ、石化。封印されてしまう。

 クリーチャーが一体減らされるけど、それだけじゃない。

 これで美人さんは、今まで止めていたコスト踏み倒しが、できるようになってしまった。

 

「道化の呪術師は消えた。今こそ奔れ。《レッドゾーンX》の攻撃時、侵略発動! 一枚目、墓地からS級侵略[轟速]、《レッドゾーンX》! さらに二枚目、手札から《超音速 ターボ3》!」

 

 《禁断》から落ちた墓地から、そして残った手札から、次々とクリーチャーが重なっていく。

 みのりちゃんも、侵略と革命チェンジを同時にやったりするけど。

 この人は、一体のクリーチャーに、どんどんクリーチャーを重ねて進化させていくんだ……!

 

「二体の火のコマンドが現れた。封印を二つ解放――」

 

 と、《禁断》を封じる封印が一つ、また一つと外れていく。

 一枚の闇のカードがそこから零れ落ち、墓地に置かれる。すると――

 

 

 

バチバチバチィッ!

 

 

 

 ――突如として、赤雷が迸った。

 

「なっ、なに!?」

「見るがいい、小娘。これが天運をも支配する我が力の顕現。貴様のような餓鬼では到底及ばぬ、支配者の証だ」

 

 赤雷は、墓地を発生源として、どんどん広がっている。

 美人さんはそれを見つめていた。謡さんだけでなく、自らに対しても迫る、(いかずち)を。

 

「我が名は『公爵夫人』。逆相を重ねた憤怒の醜女(しこめ)。我が言の葉は戒めの鎖。怒れるままに、貴様を縛り、鏖殺してくれよう」

 

 そして彼女は、墓地に落ちたカードを一枚、拾い上げる。

 

「この瞬間、墓地に落ちた《闇侯爵ハウクス》の能力を起動! 《ハウクス》が場から墓地に没した時、互いのプレイヤーは手札を全て破棄する!」

「んなっ!?」

 

 それを聞いて、謡さんが驚愕と、どこか怒りを含んだ戸惑いで、声を荒げる。

 

「い、いや、待って待って! 封印から墓地に落ちたじゃん! 破壊されてないよ!?」

 

 それは、わたしも同じことを思った。

 さっきのクリーチャーは、封印から墓地に落ちたカード。バトルゾーンで破壊されて墓地に行くことで能力を発動するクリーチャーはたくさんいるけど、封印から墓地に行ったからって、発動するはずがない。

 けれど美人さんの使うカードは、わたしの認識とは、また違うものであった。

 

「貴様は他者の言を反芻し、深く理解するという思慮が不足しているな。しかして貴様の理解を待つ時間も惜しい。今一度、儂の口から述べてやろう」

 

 どこか説教くさい物言いで、美人さんは語る。

 

「《ハウクス》の能力は“バトルゾーンから墓地に送られた時”に発動する能力。破壊時に発動する能力ではない。故に“バトルゾーンに存在する封印”から墓地に送られた時にでも、能力が発動するという仕組(カラクリ)だ」

「はぁ!? そんなのアリ!?」

「無論だ。そのように定められた(ルール)であれば、それが世界の理だ。儂はその理を利己的な解釈をもって利用するまで」

 

 そんな能力が、そんな風に扱われる能力が、あるんだ。

 そんなもの、書き方の違いでしかないと思ったけど、そうではない。違う解釈が存在する。

 それを、この眼の前に広がる光景で、思い知らされる。

 

「貴様の言葉に価値は無い。故に議論する余地もない。現実を認めよ。《ハウクス》の能力解決だ。儂には捨てる手札がないが、貴様はどうだ」

「う……っ!」

 

 墓地から放たれる赤雷は遂に、二人を飲み込むほどに大きくなる。

 雷は二人の身体は傷つけない。けれど、二人の手札に走り、燃やし尽くしてしまう。

 ただし、美人さんの手札は一枚もなくて。

 謡さんだけが、持っていた八枚もの手札がすべて、焼け落ちる。

 

「《ダンガンオー》が……!」

「処理続行。《レッドゾーンX》の能力で《ビックラ・ボックス》を封印!」

 

 手札に抱えていた二枚の《ダンガンオー》が失われ、さらにはバトルゾーンまでもが削り取られていく。

 いや、手札と、場。それだけではない。

 

「攻撃続行! 《ターボ3》でWブレイク!」

 

 音速を超える速度で走る車体が、二枚のシールドを撥ねるように打ち砕く。

 手札を落とし、場を封じ込め、そしてシールドも叩き割る。

 じわりじわりと、謡さんを追いつめる。

 

「トリガーは、ない……」

「ならば《ターボ3》の能力発動。儂の手札をすべて破棄し、三枚ドローする。もっとも、手札なぞ最初からないがな。そのままドローだ」

「人に捨てさせといて、自分だけ手札補充とかずっこい……! 運任せの癖に!」

「運任せ。そうであろうな。しかし、天運が傾くまでに如何にして道筋を辿るか。傾いた天運を如何に扱うか。儂と貴様にあるのは、その差だ。儂はこの結末を辿るべく、貴様の鉄塊を封じた。貴様はただ、思考を放棄し、愚直に奔走したに過ぎん。発生した結果に罵声を浴びせる前に、己の思慮を重ねてみせるがいい、餓鬼」

 

 無慈悲に、無情に、そして無関心にそう言い放って、美人さんはターンを終える。

 

 

 

ターン5

 

場:《ツタンカーネン》×2《パーリ騎士》《ヘルコプ太》《洗脳センノー(封印)》《ビックラ・ボックス(封印)》

盾:3

マナ:6

手札:2

墓地:10

山札:11

 

 

公爵夫人

場:《ターボ3》《トリッパー》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:3

山札:15

禁断:3

 

 

 

「くぅ……! 私のターン! 6マナで《激怒!富士山ン》召喚! コスト3以下の《タイム・トリッパー》を破壊!」

 

 手札を根こそぎ削られてしまい、謡さんの計画は一気に崩れ去った。

 最速パターンで動けたのに、《ダンガンオー》はいまだ出せず。むしろ相手の切り札によって、追い詰められている。 

 

「ターンエンド。とりあえず、一旦これで、ギリギリ凌ぐしか……」

「その程度で防衛とは、舐められたものだ。あるいは、それも、無知蒙昧なる貴様の未熟さが招いた結論か?」

「なんだって……?」

「貴様は開戦直後、儂の力を分析した。あの一手ならば理解して当然であるが、その分析は概ね正しい。児戯にも等しい考証ではあるが、正しきものは、正しいのだ。だが、故に儂は問う。貴様、このデッキの本質を忘却しているのか、とな」

 

 爆走を止められてもなお、表情を一切崩すことがない。

 高貴で高慢な公爵のように、美人さんは気高く、怒れるままに、カードを操る。

 

「我が資産には、いまだ多数の力が眠っている。残存する追撃手は無数。轟音はいまだ果てず、暴走し、邁進するのみ。4マナタップ。双極・召喚(ツインパクト・サモン)――《暴走 ザバイク》を召喚!」

 

 美人さんの手札から飛び出す、新しいクリーチャー。

 スピードアタッカーしか持たないクリーチャー――だけど、その下半分は、最初に見せた呪文。

 でも今は、クリーチャーとして、バトルゾーンを走り抜ける。

 

「封印を一つ解放。続けて双極・詠唱。2マナで《ブンブン・バースト》! 《パーリ騎士》を破壊だ!」

「……っ」

 

 今度は、同じカードでも、違う効果を、呪文として放つ。

 なんなの、あのカード……クリーチャーになったり、呪文になったり。

 わけがわからないまま、美人さんの“侵略”が再始動する。

 

「《ザバイク》で攻撃! その時、侵略発動! 《熱き侵略 レッドゾーンZ》!」

「侵略先まで握ってる……! しかも《レッドゾーンZ》って……!」

「封印を更に一つ解放。《レッドゾーンZ》の能力で、貴様のシールドを一枚焼却! Wブレイクだ!」

 

 シールドを墓地に送り込みつつ、攻撃。

 トリガーのチャンスが一つ潰された上に、襲い掛かるWブレイカー。横にはもう一体、攻撃可能なクリーチャーもいる。

 なにもなければ、とどめが刺されてしまう。

 謡さん……!

 

「っぅ、まだ……終わんないよ! S・トリガー《ゲラッチョ男爵》! 《ターボ3》をタップ!」

「む、殺しきれなかったか。儂としたことがぬかったな。ターンエンド」

 

 

 

ターン6

 

場:《ツタンカーネン》×2《ヘルコプ太》《富士山ン》《ゲラッチョ》《洗脳センノー(封印)》《ビックラ・ボックス(封印)》

盾:0

マナ:7

手札:2

墓地:12

山札:10

 

 

公爵夫人

場:《ターボ3》《レッドゾーンZ》

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:7

山札:14

禁断:1

 

 

 

 首の皮一枚で繋がった謡さん。

 けれどシールドはゼロだし、相手はスピードアタッカーがたくさん入っているような、ものすごく攻撃的なデッキ。

 もう後がないのは、誰が見ても、火を見るよりも明らかだ。

 

「打点は五、シールドも五枚。トリガーは見えてないけど、バイクなら守りは薄そう……でも、あと一歩が足りない」

 

 守り切るには絶望的。攻め切るにも戦力が足りない。

 押すにも引くにも辛い状況。それならば、 

 

「ここで決める。でも、そのためには、引くしかない……私のターン、ドロー!」

 

 後ろに引けないなら前に出る。

 どちらの道も辛いなら、無理を通して攻めに行く。

 謡さんは、常に前を見続ける。前進する道を選んだ。

 

「1マナで《ジョジョジョ・ジョーカーズ》! 山札から四枚を見るよ!」

 

 必要なものが手元にない。それならば、引き寄せる。

 謡さんは山札を掘り進んで、目当ての一枚を探す。

 

「引けない……! とりあえず、《ビックラ・ボックス》を手札に!」

 

 欲しいカードは引けない。

 謡さんは自分の手札を見て、歯噛みし――そして決心したように、カードを一枚、抜き取った。

 

「もう、これに賭けるしかない! 5マナで《ビックラ・ボックス》召喚! トップを捲るよ!」

「またも天運に身を委ねるか。しかして、無駄だ、と宣言しよう。先の博打で貴様の力量は見切った。貴様では、如何なる結果を掴もうとも、儂にその拳を届かせることは叶わん」

「勝手なことばっかり言うな! 私は今度こそ、引いて見せる! 自分勝手でにスキンブルの意志を踏みにじるようなあなたなんかに、負けるものか!」

 

 謡さんは、山札に指を添える。

 ここで引かなければ、後はない。これが本当のラストチャンス。

 山札の上にない可能性だってある。封印として使われてしまった可能性もある。

 だけど、それでも。

 謡さんは信じている。自分の切り札(ヒーロー)を。

 それが、今――

 

 

 

「これが私の最後の一撃――《超特Q ダンガンオー》!」

 

 

 

 ――戦場を、駆け抜ける。

 

「引き当てたよ、私の切り札!」

「そうか。して貴様は、歓喜に咽び、泣き喚くか? 感涙で叫ぶか? 正しく餓鬼よな。貴様がどのような手繰り寄せようとも、天運は貴様に傾いていない。時が過ぎ、遅れに遅れた列車に、なんの価値がある? 貴様にはそれが理解できんか?」

「言ってなよ。なんにしても、これが最後。お願い、私に正義の味方を気取らせて――《ダンガンオー》!」

 

 《ダンガンオー》が、走り出す。

 仲間(ジョーカーズ)の力を推進力に変えて、超特急でその拳を突き出す。

 

 

 

「ぶち抜け! ダンガンインパクト! シールドを――オールブレイク!」

 

 

 

 その一撃で、すべてのシールドが砕け散った。

 やっと謡さんの本領発揮。たった一瞬で、最大の火力を叩き出す。僅かな瞬間の大きな見せ場。

 この一発を通すことがすべて。けれど同時に、この一発の後が、最も困難な関門でもある。

 

「ふん……これが貴様の総てか。その青さにしては苛烈だが、やはり荒々しいばかりだ。焦燥に駆られ、力を求め、死に物狂いで縋っている様ではないか」

 

 舞い散るシールドの破片を浴びながらも、顔色一つ変わることなく。

 美人さんは、高貴な振る舞いを崩さない。

 

「強大な力は瞬きの内に消え去る、儚く脆い流星の如し。振り返らず、前しか見ず、後先考えぬ浅慮さよな。貴様が愚かしくも星のように輝くのなら、その愚かしさを抱きながら、星屑のように堕ち、潰えるがいい」

 

 虚空に手を伸ばす。そこには、シールドの破片しかないけれど。

 その虚無から。いいや、寄り集まった破片から創られた、一本の槍を掴み取る。

 

 

 

「S・トリガー――《ジ・エンド・オブ・エックス》」

 

 

 

 手にした槍を、投擲する。

 その一刺しで謡さんのクリーチャーが封印されるけど、その一本だけでは足りない。

 けれど美人さんは、それだけでは終わらない。

 

「貴様のクリーチャーを封印。そして、儂の最後の封印を――解放する」

 

 槍の投擲に合わせて、そびえ立つ石柱の封印が外れる。

 六つ目の、最後の封印が、剥がれ落ちた。

 

「こ、これって……」

「刮目せよ。これが貴様に引導を渡す、破壊にして破滅、禁忌にして禁断の星だ」

 

 石柱が、その本性を隠す岩盤を削ぎ落とす。

 呪いの縛りを解いて、大きすぎる破滅の力が、放たれる。

 

 

 

「禁断解放ッ!」

 

 

 

 その号砲を引き金に、禁断の鼓動が――爆ぜた。

 

 

 

「禁を破りし邪鑓を以って、有象無象を飲み込め――《伝説の禁断 ドキンダムX》!」

 

 

 

 ガラガラと崩れ去る岩の鎧。

 そこから姿を現すのは、恐ろしく、おぞましい、巨大な魔人。 

 赤い血が脈動しているかのような、白い屈強な身体。胸は二本の邪悪な槍で貫かれ、禍々しさを全身から放っていた。

 凶悪な禁断の魔人は、宇宙にまで届くような咆哮を轟かせる。

 

「《ドキンダムX》が禁断解放した時、相手クリーチャーをすべて封印する――終わりだ」

 

 刹那、宇宙の闇が、黒天の空が瞬く。

 

「!」

 

 真っ黒な空に浮かぶ、無数の光。

 星屑のように広がり散るそれは、ひとつひとつが邪悪の槍。

 それらが流星群のように、戦場へと降り注いだ。

 

「わ、私の、クリーチャーが……!」

 

 轟音を立てて流れ落ちる数多の邪槍は、地上を、謡さんのクリーチャーを、刺して穿ち、突いて貫く。

 そして夢を持ったジョーカーズたちはすべて、石のように固まって、封じられてしまった。

 すべてが停止し、喪失してしまった。

 まるで地獄のように、虚無と死滅の世界が、そこには広がっている。

 

「色褪せた道化が封印されては、二度と戻るまい。それ以前に、貴様の資産も尽きた」

「え……あ……」

 

 目を落とす。そして、ハッと気づかされた。

 謡さんのデッキが、なくなっている。一枚も残さず、すべてが消え失せていた。

 

「デッキが……」

 

 封印は、封印をつけられるクリーチャーのプレイヤーの山札から付けられる。

 度重なるドローに大量展開ですり潰された山札が、最後の禁断解放で、終わりを告げてしまった。

 

「己が力が無限と思うな。美が儚いものであるのと同義で、財にも、生命にも、万物万象には限界があり、果てがある。驕るな、溺れるな、自惚れるな。慢心は強者の証明と知れ、惰弱な小娘」

「…………」

 

 世界が収束していく。とどめを刺されることなかったけど、山札がなくなったことで、謡さんは戦う権利を剥奪されてしまったんだ。

 ただ負けたんじゃなくて、謡さんは、戦いの土俵から追い出された。

 それは、謡さんの身が無事であることを喜ばしく思えばいいのか。

 あるいは、謡さんの“弱さ”を突きつける残酷さを嘆くものか。

 わたしには、わからなかった。

 

「疾く失せよ、出来損ないの正義の味方とやら。戦う術のない“ただの人間”は、戦場には立てんよ」

「ただの、人間……」

「然り。力も色もなく、何者にもなれんただの小娘など、この槍で貫く価値すらない。まさしく無味乾燥だ」

 

 謡さんは、蔑むように見下ろされる。

 侮蔑と、軽蔑と、嘲笑を込めた、とても残酷で残忍な声。

 ただ突くだけでは、刺すだけでは飽き足らず。

 冷淡に、冷徹に、執拗に。

 抉り出すように、言の葉の槍を穿つ。

 

「貴様の総ては、貴様が染まった色は、あまりに薄く淡く、そして儚い。単調な自己、周囲の環境があって初めて滲む色味。それは貴様という個の喪失であり、貴様が何物でもないことを意味し、貴様の弱さの根源だ。意志薄弱、色のない虚弱。そして、果て無く愚かしく、救い難き罪の惰弱」

「色のない……私の、弱さ……」

「己が身を、心を、理解することだな。夢幻を追い、(うつつ)から目を背け、虚像に縋る限り、貴様に展望はない」

 

 そして最期。

 射殺すための一句で、貫いた。

 

 

 

「色無き小娘――貴様は一生、無色透明だ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「儂としたことが、少々口が過ぎたな。興が乗るのは良しとしても、度が過ぎれば我が身が腐り落ちる毒とならん。戒めねばな」

 

 もはや謡さんに目を向けることもしない。そこに存在していない、透明な存在であるかのように振る舞う。

 そして当の謡さんは、ぼぅっと虚ろな眼差しで、どこでもない遠くを見つめている。

 放心しているかのように、心ここにあらず、といった風だった。

 

「さて、悪戯に冗漫な展開と相成ってしまったが、儂まで忘却しては敵わん。遅きに失した気もなくはないが、迅速に目的を遂行する。あの愚かな黒猫を回収せねばな」

 

 と、言ったところで初めて気づいた。

 わたしの腕の中が、妙に軽いことに。

 

「あ、あれ? スキンブルくんは……?」

 

 いない。

 いつの間にか、わたしの腕の中からいなくなっていた。

 謡さんが戦っている隙に、逃げたのかな……?

 でも、美人さんの目的がスキンブルくんなら、むしろここにいない方が好都合かもしれない。

 と、思ったけれど、

 

「消えたか。そも、チェシャ猫とは己を消す笑い猫。猫のなき笑いのみが虚空を満たす。姿を眩ますことが存在理由であり意義であろう、が」

 

 ガシッ、と。

 美人さんは、虚空を掴んだ。

 本来ならばなにも掴まない、無であり空である触感。

 しかし美人さんは、確かに、その手の内に、黒い子猫を握り締めていた。

 

「半端者が。逃走ならば去れ、隠匿なら己を殺せ。逃避とも隠蔽ともつかぬ中途半端な自己消失で、儂を欺けると思うな」

 

 見つけられてしまった。

 逃げたのではなく、隠れていた。けれど、元の主人である美人さんの目から、逃れることはできなかった。

 

「さしたる邪魔もなく完遂したな。目障りな小娘が癇に障ったが、まあ、取るに足らん些事か」

 

 じたばたと暴れるスキンブルくんの首根っこを鷲掴みにして、踵を返す美人さん。

 彼女の目的はスキンブルくん。なら、それを文字通りにその手に収めたのなら、これ以上、ここに居座る理由はない。

 それまでの出来事なんてまるでなかったかのようにあっさりと立ち去ろうとする。けれど、このままじゃスキンブルくんは……

 引き留めないといけない。そう、思った。

 

「っ、ま、待って――」

 

 けれど、

 

「なんだ小娘? 儂になにか用か?」

「っ……!」

 

 もはや、彼女は謡さんに微塵の興味も示さない。路傍の石ころを見つめるような冷たい目で、ギロリと、一睨みする。

 それだけで、わたしの身体は竦んで、動けなかった。

 帽子屋さんとも、この前のウサギさんとも違う。

 圧倒的に熾烈で、単調でも苛烈で、怖いくらい凄烈な眼差し。

 狂気で笑っている帽子屋さんやウサギさんとは違う。この人の眼は、ただひたすらに、鋭く尖っている。

 もしもわたしが引き留めたなら、有無を言わさず突き刺され、貫き穿ちたれてしまうような。

 わたしはその穂先を向けられるだけで、黙らされてしまった。

 わたしだけじゃない。誰も、この人を止められない。

 

「ダメ……やめて……」

 

 けれど。

 うわ言のように呟いて、よろけるように進んで、謡さんは、スキンブルくんに手を伸ばす。

 謡さんは、まだ諦めていない。けれどその意志と、現実は、残酷なほどに乖離していた。

 

「スキンブルを、連れて行かないで……!」

「……己が足で立てず、歩けず、地を這いずる気概もない亡者が」

 

 パシンッ

 謡さんの手は簡単に弾かれて。

 トンッ、と胸を貫くように突かれ、後ろに押し倒される。

 

「謡さんっ!」

 

 避けるどころか、受け身さえも取れず。

 椅子や机を巻き込んで、謡さんは倒れ込んだ。

 

「姿なき笑い猫には、色無き愚者はよく似合う。しかし“これ”は儂のものだ。儂の財産であり、儂の力だ。我が下に還ることが道理であり必然。貴様のような惰弱な小娘に渡してやる気は毛頭ない」

 

 徹底的に、最後まで。

 完膚なきまで、情け容赦なく。

 麗しの公爵夫人は、毒の槍を突き立てる。

 

「力なき者に物申す権利はない。己が意志で立てぬ者に、我を通す道理もない。貴様の言葉は弱者の戯言――話にもならん」

 

 吐き捨てた言葉が突き刺さる。

 本当に、それが最後の言葉となって、公爵夫人と名乗る麗人は、立ち去ってしまった。

 チェシャ猫(スキンブルシャンクス)を、連れて――

 

「スキンブル……そんな……もう、お別れなんて……」

 

 崩れ落ちる。いや、崩れ落ちてしまった謡さん。

 目尻に雫を溜め、いなくなってしまった、本当に姿の消えてしまった相棒の名前を呼ぶ。

 けれど、もうスキンブルくんはいない。

 いつか元の主が現れるかもしれない。いつかお別れする時が来るかもしれない。

 そんな予想は、いつでもあった。そんな可能性は、常に付きまとっていた。

 だからこれは、突然であっても、不条理で、理不尽であっても、不幸ではない。

 わかっている。そんなことは、誰もわかっている。けれど、そんな簡単に、言えることじゃない。

 大切な誰かが、いなくなった。

 それがどれほど悲しくて、辛くて、痛ましいか。

 謡さんの悲しさも、辛さも、痛みも、全部、こっちにまで伝わってくるようだった。

 手を、膝を付いて、零れ落ちる雫も気に留めず、ただひたすらに、悲哀と悲愴が、教室を纏っていた。

 

「スキンブル――」

 

 

 

 ――にゃぉん

 

 

 

 不意に、鳴き声が聞こえた。

 人ではない。獣の、猫の、鳴き声が。

 

「! スキンブル!」

 

 バッと顔を上げる謡さん。

 わたしも、思わず周りを見回す。

 そして、

 

「も、もう……いい、でしょうか……?」

 

 代海ちゃんが、カバンを降ろす。

 カメの甲羅みたいな、大きなリュックサック。

 そのファスナーを開けると、ひょこっと顔を出す、黒い影。

 

「う、上手く、いきました……」

「代海ちゃん……? え? カバンの中にいるのって……」

「はい。チェシャ猫さん……じゃ、ないですね。スキンブルさん、です……」

 

 ……え?

 な、なんで?

 確かに顔を出しているのは、スキンブルくんだ。でも、あの子はさっき、連れていかれて……え?

 

「……どういう、こと……?」

「お、お二人が戦ってる間に、スキンブルさんの身体を、だ、代用して……ダミーを、作りました……」

「そんなことができるのか……」

「す、凄いです、代海さん……!」

「い、生き物では、初めてやったので……上手くいくか、わからなかった、です、けど……成功して、よかったです」

 

 代用品を創造する。

 代海ちゃんには、そんな特技があるけれど、それで本物のスキンブルくんを、偽物とすり替えた。

 ということは、美人さんが連れて行ったスキンブルくんは、代海ちゃんが創った偽物……?

 つまり、本物のスキンブルくんはここにいるから――

 

「よかった、スキンブル……!」

 

 ――まだ、謡さんと一緒だ。

 スキンブルくんを抱きしめる謡さん。まだ涙は零れたままだけど、悲痛な表情には、笑顔が戻っていた。

 

「ありがとう……シロちゃん」

「い、いえ、そんな。アタシは、大したことは……公爵夫人様も、焦っていたよう、なので……だから、騙せたのかも、し、しれません……」

「あれ、焦ってたの? 全然わかんなかったなぁ」

「やたら威圧的に暴言を吐いてた感じだったけど、それも余裕がなかったから、なのか?」

「ど、どうでしょう……公爵夫人様は、いつもあぁですけど……あ、ある意味では、いつも焦っているような人、なので……変わりない、のかもしれません……」

「よくわからないな」

「でもでも! スキンブルさんが無事で、よかったです! ユーちゃん、まだスキンブルさんだっこしてないです」

 

 ひとまず、災厄は過ぎ去って、それ以前のわたしたちに戻った。

 けれどすぎた災いは、なかったことにはならない。

 今日の出来事は、確実にわたしたちの心に刻まれ、変化をもたらしたんだ。

 スキンブルくんをユーちゃんに渡す時、ふっと、謡さんの表情に影が差した。

 

「……このままじゃ、終われない」

 

 そしてその口から、言葉が零れ落ちる。

 

 

 

「私も、強くならなくちゃ――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「おい、代用ウミガメ」

「っ! こ、公爵夫人、様……」

「貴様。これはどういうつもりだ?」

 

 そこには、黒い子猫の姿をした――ガラクタ。

 公爵夫人の手で握り潰された、生物を模した複製品。

 チェシャ猫の代わりとして創造された、チェシャ猫人形だ。

 ――わかっていた。あんな小手先の小細工は、その場凌ぎだと。

 彼女たちのために、自分ができる精一杯のことをしたい。そんな、思いつきのような心持ちで、自分は目の前の夫人を騙した。

 それがなにを意味するのか、わかっていながらも。

 

「問うてやろう、代用ウミガメ。これは明確な、儂への敵対行為と見做すべきか?」

「あ、ぅ……そ、それは……」

「知らぬ存ぜぬとは言わせんぞ。あの場に座していた貴様なら、儂の目的を解していよう。それを踏まえ、儂の目的遂行を妨げるような行い。さて、導き出される結論は如何なものか」

 

 切っ先でちくちくと刺されるかのような、刺々しい言葉。

 しかしその槍は、いつ本当に、この身を貫いてもおかしくない。

 言葉が出ない。敵対するつもりはないし、したくもない。公爵夫人を敵に回して、無事で済むだなんて思っていない。

 考えが浅はかだった。それに尽きるが、だからと言って、諦めてそれを素直に受け入れることなんて、できない。

 なにも言えず、ただ夫人の眼光だけが、鋭く険しく突き刺さる。

 そんな、時だった。

 

 

 

「――なにをしている? 代用ウミガメ。そして公爵夫人」

 

 

 

 それは救世主か、道化師か、死神か。

 なんとも言えず、どうとでも言える、イカレた帽子屋が現れた。

 

「ぼ、帽子屋、さん……」

「代用ウミガメに用があるのだが……しかし珍しい組み合わせだな?」

「邪魔をするな帽子屋。儂は今、反逆者への尋問中だ」

「反逆者? 代用ウミガメが、か?」

「あ、あの、帽子屋さん……アタシ……」

 

 自分の行いが、公爵夫人に対する反抗であることは理解している。

 責任は自分にある。それを、帽子屋に言うべきか、どうか。

 助けてほしい。けれど、相手は帽子屋だ。二重三重の意味で、助けを乞うてもいいのか、悩ましい。

 言葉に詰まっていると、なにを思ったか、あるいは察したのか、帽子屋が口を開く。

 

「……よくわからんが、そう殺気立つな、公爵夫人。美しい御顔が台無しだ」

「自負はある。世辞は結構だ。それとも帽子屋、貴様も儂を妨げようとのたまうか?」

「妨げる? まさか! なぜオレ様が、同胞を害さなければならない」

「同胞とはよく言ったものだが、儂は貴様らと慣れ合うつもりはない。互いに使うか使われるか。我らの関係は私利私欲と相互依存、共生に寄生。害あらば貴様から処断するぞ」

「恐ろしいことを口にするものではない。ふむ、夫人殿は随分と興奮しておられるようだ。どうだ、茶でも飲むか?」

「結構だ。貴様は一体なにがために現れた。のらりくらりと躱すばかり。参上の理由は儂を愚弄するためか?」

「理由? それは最初に言ったはずだが。代用ウミガメに用があると。そうしたら貴様もそこにいたというだけの話」

 

 気が立っている公爵夫人。そして、恐らく無自覚で、その神経を逆撫でしている帽子屋。

 二人の纏う空気――というより、公爵夫人の発する殺気は、ますます剣呑なものになっていく。

 

「理由なくば疾く失せよ。貴様に用はない。儂は、反逆の意志を摘み、責務を追求するだけだ。邪魔はさせん」

「それはそれは、そこはかとなく物騒な匂いのする響きだ。しかし公爵夫人、代用ウミガメは我らが同胞だ。なくてはならぬ、かけがえのない存在だ。それを貴様の感情で喪失するわけにはいかない。オレ様の主張はただそれだけ。オレ様にしては珍しく、至極まっとうな言論を展開しているはずだが、如何かな?」

 

 イカレているが、ふざけているが、狂っているが、わけがわからないが。

 それでも一応、帽子屋は、自分を守ろうとしてくれているらしい。

 しかし公爵夫人は、引き下がらない。

 

「儂は貴様の論に応じる義理はない。今、儂と貴様は対立した。貴様は儂にとっての害あるものとなろうとしている。それでもなお貴様は、友好などと世迷い事をほざくか?」

「貴様が敵意を露わにするのは構わんさ。しかし、オレ様とて向けられた牙には相応の対応をする。さて、ここで殺し合うことが、貴様の益か? 公爵夫人」

「む……」

 

 公爵夫人が、口を噤んだ。

 ほんの僅か。しかし僅かであっても熟考し、彼女は、答えを導き出す。

 最も合理的で、効果的な未来はなにか。その、答えを。

 

「……否、だな」

 

 言い負かされた。

 そんな屈辱が、彼女の言葉から滲み出しているかのようだった。

 ここで自分に手を掛けるということは、帽子屋と敵対するということ。反逆者への制裁と、帽子屋との闘争。どちらが重要であるか、

 その天秤を突き出され、公爵夫人は牙を収める。

 

「気位が高いのも、感情を重んじるのも、まあいいだろう。しかして大局を見失うのはらしくないぞ、公爵夫人」

「……貴様といると気が狂う。よもや、イカレ帽子屋に説教される日が来ようとはな」

 

 最初の高慢な気勢はなく、憎々しそうに毒づくだけで終える公爵夫人。

 それで、この一幕は終演した。

 

「とまあ、こんなところであろう。矛を収めたならばそれで良し。我々も、大局を見据え動く日が遠くないだろう。ゆえに公爵夫人、貴様も我らが同胞だ。期待している」

「ふん。戯言を。マッドハッターが」

 

 最後にそう吐き捨てて、公爵夫人はその場から立ち去った。

 

「あ、ありがとう、ございます……ぼ、帽子屋、さん……」

「なに構わんさ。組織内のいざこざを鎮めるのもオレ様の役目、ということにしておこう。それに、オレ様は貴様が必要だ」

「アタシが、ひ、必要……?」

「貴様に代用してもらいたいものがある。頼めるな? 代用ウミガメ」

「……は、はいっ。あ、アタシで、よければ――」




 ピクシブ版だと、《パーリ騎士》と《セイレーン・コンチェルト》で《ニヤリー・ゲット》を使い回したり、《ユニバーサル・鮫・アンド・シー》でアンブロッカブル・ダンガンインパクトしたりするデッキでしたが、《ニヤリー・ゲット》が殿堂入りしてコンセプトが崩壊したので、こっちでは《ビックラ・ボックス》型ダンガンオーに変えました。安価でまあまあ強いので、気に入っていたんですよね、ビックリ箱ダンガンオー。ただ、プロットの都合で、使用する回を作れなかったので、お蔵入りしちゃったんですよね。それを今回は引っ張ってきた感じです。同じ作品を他サイトでも投稿していると、こういうことができるからいいですよね。いや、同じ作品なんだから、違うサイトで別々のことをするなと思う人もいるかもしれませんが。
 対する公爵夫人のデッキはハウクスバイク。テキストの問題で、国語的な意味不明裁定を食らった面白カードですが、結構、この裁定を受け入れがたい人もいるようですね。個人的にはアリだと思うのですが。どうせ昔のカードしか対応してないし、環境入りするようなカードでもなさそうですし。
 このデッキ、昔ちょっと遊んでたことがありますけど、連ドラとかガチロボとかダーツデリートとかグランドダイスとか、その辺の運に頼るデッキよりも、よほどギャンブルしてます。上手く《ハウクス》が落ちれば相手の手札を根こそぎにしながら疾走できますが、下手すれば侵略しようとしたらハンドレス、トリガーで反撃したらハンドレス、と自分の首を猛烈に締めます。ハイリスクハイリターンで、しかもほぼコントロール不能。でもそこが面白いという、かなり狂ったデッキでした。
 さて、ちょっと興が乗りすぎて喋りすぎましたが、今回はここまでです。次回は特訓回。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なく仰ってくださいな。


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29話「お別れです」

 漫画では特訓回ってよくあったけど、小説だとどうなのだろう、と思う作者です。たぶんあんまり映えないというか、伏線を張るとか、なんらかの意図、効果をハッキリと提示しないと、ダレるだけって感じします。


 みなさんこんにちは、伊勢小鈴で――

 

「――姉ちゃんッ!」

「わっ、謡? それと、皆も。い、いらっしゃい?」

 

 ……伊勢小鈴です。

 えぇっと、その……わ、わたしたちは今、ワンダーランドに来ています。

 そこで謡さんが、カウンター越しに詠さん――謡さんのお姉さんに詰め寄る。

 

「姉ちゃん。私、強くなりたい」

「え? な、なに? どうしたのいきなり」

「あ、あに、アタシも……」

「うん。よくわからないけど、よくわかった。とりあえず落ち着こうか。はい、深呼吸」

「ひっ、ひっ、ふぅー……」

「いや、産卵じゃなくてさ」

「出産ですよ、詠さん」

「それはさておき。小鈴ちゃん、なにがあったの?」

「じ、実は……」

 

 興奮する謡さんを抑えながら私たちは、詠さんに話した。

 ついさっき起こったばかりの出来事。

 公爵夫人と名乗った女の人との接触について。

 その、目的についても。

 

「――成程ね。私もいつかはあるだろうとは思ってたけど、遂にか」

「姉ちゃん。私、強くなりたい。強くならなきゃ、いけないんだ。今すぐにでも」

「あ、あの。あ、アタシも……」

「ふぅーむ……私はそんなつもりで、謡にデュエマを教えたんじゃないんだけどねぇ……」

 

 がっつく謡さんに、詠さんは、どこか遠くを見ているような目で、言葉を零した。

 

「無理言ってごめん。姉ちゃんには、受験もバイトもあって忙しいのはわかってるけど……それでも、お願い。私を鍛えてほしい。私にデュエマを教えてくれた時みたいに」

「……それは別に構わないけど。謡は少し誤解しているよ」

 

 詠さんは、謡さんとは対照的に、とても冷静だった。

 

「デュエマに限らず、カードゲームの強弱は、単純には測れない。デッキの相性も、その時の運もある。定石を覚えたり、パターンを覚えたりという経験が、そのまま感覚という身になる。それが一朝一夕でその技術が身につくわけもない」

「そ、そうかもしれないけどさ……じゃあどうしろっていうのさ」

「変えるのは意識だよ。一戦一戦を、一挙一動を大切にして、反省と考察を繰り返す。それをずっと、ずぅっと続けて、ちょっとずつ自分の中に蓄積される。その積み重ねが強さになるの。こうすれば強くなる、なんて裏ワザも、近道もないよ」

「う……」

 

 厳しい語調で、謡さんを説き伏せる詠さん。

 な、なんだか、ちょっと険悪な空気を感じるよ……

 

「そ、霜ちゃん……」

「詠さんの言ってることは間違ってないよ。現実はゲームじゃないんだ。百回対戦したからって、その分だけ経験値が入ってレベルアップするとは限らないし、特定の敵を倒したからって一度にたくさんの経験値が得られるわけでもない。継続は力なり、であり、長い目で見なければならないものだ」

「その通り。すぐに強くなりたいなんて無理難題もいいところ。いくらなんでもそんな我侭は聞けないね」

「でも……」

 

 詠さんに、斬って捨てられてしまう謡さん。

 詠さんの言ってることは正しくて、謡さんもきっと、わかっていると思う。

 けれど、それでも、そうだとしても、謡さんの気持ちは、わたしにもわかる。

 今回は代海ちゃんのお陰で何事もなかったけど、また次があるかもしれないし、その時に同じような手が通じるとは限らない。

 また同じ失敗をしたくない。一度得たチャンスを無駄にはしたくない。

 ……きっと、それ以上の気持ちが、謡さんの中で渦巻いている。それはわたしじゃ測れないし、わたしが語るべき言葉でもないから、これ以上はなにも言わないけれど。

 とにもかくにも、謡さんは前に進もうとしている。

 だから、こんなにもすっぱりと切り捨てられてしまうのは、見るに耐えないのだけれど……

 

「……まあ、厳しく言っちゃったけど、強くなりたいって願い自体は否定しないよ。今のはただの注意書きみたいなものだから」

「っ。って、ことは」

「うん。謡がその気になったのなら、少しくらいは手伝ってあげる。あんまり構ってあげられないかもしれないけど」

「ありがとう姉ちゃん! 流石姉ちゃんだ!」

「あ、あの……アタシも……」

「じゃあとりあえず、デッキを変えるところから始めようか」

「え? デッキ? 私の?」

「うん。だって謡、ずっと《ダンガンオー》ばっかり使ってるじゃない。一つを極めるのも悪くないけどさ、敵を知り己を知れば百戦殆うからず。知は力なり。誰かが使うかもしれないデッキを使うのも、そこから自分の癖や特徴を知るのも、レベルアップに繋がる。知るということが強さの踏み台だよ。だからまずは、デッキから」

 

 なるほど……確かにわたしも、色んなデッキを使うようになってから、そのデッキの強みとか、弱点とか、どうすれば最大限の力が発揮できるのか、どうすれば負けないように立ち回れるのか、そういうことを考えるようになった。

 先輩から貰ったデッキをずっと使ってたら、きっと至らない考えに、至れるようになった。

 ……先輩、かぁ……

 

「うーん、いきなりそんなこと言われてもなぁ。姉ちゃんも知ってるだろうけど、私ジョーカーズのデッキしかないよ?」

「ジョーカーズ一つ取っても、色々型はあるでしょ、とりあえず《ダンガンオー》抜いたら? これ買ってあげるから」

 

 そう言って謡さんは、後ろの棚から小さな箱を持って来た。

 

「なにこれ? ピザ?」

「なわけないでしょ。デッキだよ、構築済みの。これ、買ってあげる」

「え!? いいの!? 姉ちゃんの奢り!? ありがとう姉ちゃん!」

「私から出す指令はただ一つ。それでデッキを組んでみて。《ダンガンオー》抜きでね」

「……《ダンガンオー》抜きで?」

 

 喜びも一瞬。謡さんはすぐ、険しい表情を見せる。

 《超特Q ダンガンオー》。謡さんの、切り札だ。

 

「本当なら、まったく別のデッキを使わせたいんだけど、今の謡にそんなことさせたら、階段を踏み外して転げ落ちそうだし。だから変化はちょっとずつ。だけど、一番大きなものは変えてもらう」

「……本気で言ってる? 姉ちゃん。遊びじゃなくて?」

「私は本気だよ。謡も本気でしょ? でも、これから謡が歩む道は、本気でも、真剣でも、本番じゃない。本作のための習作であって、本番までの練習。だから何度でも“最悪”を経験してもいい。なればこそ、拠所を失った感覚に慣れておくべきだね」

「受験勉強と同じって?」

「そういうこと。失敗してもいい時に、パターンに慣れておくの。本当に大事な時、失敗しないためにね」

「最悪に慣れておく、かぁ」

 

 それはたとえば、思い通りの動きができなかった時。

 最大の切り札が使えないような時。

 自分にとって最も大事なものが喪われている状態。それを前提に置くことで、より高みを目指せと、詠さんは言っている。

 そしてそれは、謡さんの一番の切り札を、封じるという意味だった。

 謡さんは口を一文字に結んでいた。

 自分のデッキケースを――その先の切り札を、見据えながら。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 《ダンガンオー》をデッキから抜け。姉ちゃんは、そう言った。

 そんなに思い入れがあったつもりはない。ただのスターターに入ってたカード。デュエマを始めてすぐに手にした切り札ってだけで、他にもっと強い切り札があるなんてわかってる。ジョーカーズで組むなら、環境に合わないことも理解していた。それこそ、帽子屋さんみたいに《ジョリー・ザ・ジョニー》の方が切り札として相応しいとさえ思う。

 カード資産がないなんてのは言い訳で、しかも足りないカードは姉ちゃんから借りてたから、そんなものは言い訳にもならない。

 でも、私が《ダンガンオー》にこだわっていたのは、逃げじゃない。そう、胸を張りたいものではあった。

 好きだった……のかも、しれない。

 単に愛着が湧いただけなのかもしれない。

 最初の切り札。ただ、それだけだ。

 それだけ、だけど。

 だから、こそか。

 このカードを手放すことに、とても、抵抗がある。

 デッキから抜きたくない。そう、強く思う。

 姉ちゃんも意地が悪い。これがいっそ、まったく別のデッキなら思い切れるというのに、中途半端にジョーカーズのままだなんて。そんなの、離れづらくなるだけなのに。

 まあ、私だって今までジョーカーズしか使わなかったんだ。他のデッキをいきなり使えるようになるだなんて、思わないけど。

 今までずっと一緒に戦ってきたのに、ここで別れる。それは、とても嫌だ。そんなことはあって欲しくない。

 けれど、これが私が前に進むために必要なことのなのなら。

 その悲しみも、苦しみも、背負って受け入れるべきなのかもしれない。

 しょうもないって思われるかもしれないけど。たかが一枚のカードだし、恋しくなったらまた入れればいい。今生の別れみたいに演出しても、そんなものはデッキから抜けるだけ。

 けれど、そんなしょうもないことに固執し続けるから、そして縋っているから、私はダメなんだろうな。

 だからこの決別は、やっぱり私にとっては、大きな一歩なんだ。

 しょうもなく弱い自分から、少しでも抜け出すための。

 笑いたければ笑え。こんなの、弱い初心者のダサい一歩だよ。

 本当はもっと、格好良くありたかったんだけどね。ヒーローらしくとはいかなくても、せめて、先輩っぽいところは見せたかったんだけど。

 どうも私の弱さは、そんな見栄すら張れないほど、酷いみたいだ。

 それならそれなりに、泥臭くても、格好悪くても、ダサくても、やってみようか。

 いつか――格好良い理想の自分になれるように。

 

 

 

(私が強くなるその時まで――さよならだ)

 

 

 

 未来の自分を信じて。

 ここで、別れを決めよう。

 

 

 

(さようなら、私のヒーロー(ダンガンオー)――また会おう)

 

[newpage]

 

「――姉ちゃん。私、やるよ」

「その答えが聞きたかった。じゃあ、どうする? 私も手伝おうか?」

「いや、いいよ。デッキだけ姉ちゃんに預けていいかな? まずは自分でやってみる」

「わかった。まあ、行き詰ったら話しなさい。デュエマなんて結局のところは二人でやるゲーム。調整だろうと鍛錬だろうと道楽だろうと、なにをするにしたって、一人じゃどうにもならないんだから」

「うん……ありがとう、姉ちゃん。それと、妹ちゃんたちも」

「え? い、いえ、わたしはなにも……」

 

 なにかを決意したような面持ちで、顔を上げた謡さん。

 さっきの逡巡の間、なにを思ったのか。

 デッキケースを詠さんに預けて、謡さんは踵を返した。

 

「なんか引っ掻き回しちゃってごめんね。とりあえずは一人で頑張ってみるよ……それじゃ! またね!」

 

 そうして謡さんはただ一人で、行ってしまった。

 

「……一人で勝手に騒いで、他人を巻き込んで、しまいには一人でやるって。傍若無人な先輩だなぁ」

「み、みのりちゃん……」

「いえいえ、ほんとにねぇー。私の妹はあんなんだったかなぁと、姉的にも妹の変化には戸惑うばかりだよ。ごめんね皆」

「い、いえ……わたしは、別に……」

「さて。謡はとりあえずあれで放っておくとして……無視してたわけじゃないんだけど、ごめんね。いきり立つ謡を先にどうにかしないといけなさそうだったから、そっちにかかれなかったよ」

 

 と、詠さんは代海ちゃんの方を向いた。

 謡さんが詰め寄るたびに、少しずつ自己主張してたけど、気づいてないわけじゃなかったんだ……

 

「代海ちゃんだっけ? 君も謡と同じクチかな?」

「は、はい……」

「まあ、さっきの一部始終を見てたなら、私の言いたいことはわかると思うけど」

「あ、アタシも、わかっては、います……で、でも」

「そっちの言い分もわかるよ。謡は妹って手前、下手に甘やかしたくもなかったし、あんな感じになったけど」

「え? デッキ一個買っといて甘やかしたくないとか言っちゃうの?」

「実子。君はとりあえず黙ってろ」

「水早君は相変わらず辛辣だぁ」

「君には、もう少し突っ込んだアドバイスをしてもいいかな? 君はたまに小鈴ちゃんたちとデュエマしてたよね。そんなにじっくり対戦を見てたわけじゃないけど、後ろからちょいちょい見てるだけでもわかる。君、相当なビビリだよね」

「あぅ……」

「別にそれが悪いと言ってるわけじゃない。蛮勇や無策で殴るのも問題だし、臆病になって詰めに気を付けるというのは、初心者を抜ける一歩でもある。ただ、臆病なままだと、そこで止まっちゃうよね」

 

 わたしは、どちらかと言えば攻撃していく側だと思う。最初に貰ったデッキも、今のデッキも、攻撃行動が大事になるデッキだ。

 けれど、これまでずっとデュエマをやってきて、なにも考えずに攻撃をつづければ勝てるわけじゃない、ということは理解できた。

 S・トリガーとか、増えた手札からの逆転。何度もやって来たし、何度もやられて来た。どこで攻撃すればいいのかなんて、今でも悩む。

 代海ちゃんの抱える“弱点”は、そんなわたしのささやかな悩みと似ていて、非なるもの。

 近いけど、真逆の考え方だ。

 

「要するに、君はちょっと防御に寄りすぎってこと。だから、君も謡と同じ。一度、自分の殻を破ってみたらどうかな。防御に入りがちなスタイルを変えるために、攻撃に寄せたデッキを使うとかさ」

「攻撃……」

「謡はすぐ人に頼りがちだから一人にしたけど、あなたは謡とは真逆っぽいし、なによりもあなたには、とても心強い友達がいるみたいだし」

「と、友達、ですか……」

「うん。だからあなたは、皆と一緒に、頑張って」

 

 わたしたちに目配せして、ウィンクする詠さん。

 うーん……なんだか、思ってた展開と違ったというか。

 わたし自身、まだまだ全然デュエマについて詳しくもなんともないのに、教える側になるだなんて無理難題、って感じなのだけど。

 

「こ、小鈴さん……」

 

 救いを求めるような、ちょっと潤んだ眼差しで、目を向ける代海ちゃん。

 ……友達が困ってるなら、助けを求めているのなら、放っておくわけにはいかないよね。

 

「うん。一緒にがんばろう、代海ちゃん」

「やれやれ。小鈴はお人好しだな。物好きとも言うべきか」

「……まあ、だからこそ……こすず、だと、思う……けど」

「Ja! そうですね! ユーちゃんもお手伝いします!」

「み、みなさん……あ、ありがとう、ございます……っ」

 

 ぺこりと頭を下げる代海ちゃん。

 強くなりたいって気持ちは、わたしもわかる。

 デッキを改造したい、新しいデッキを作ろうと思っても、一人じゃどうにもならなかったこともある。

 わたしの時は、霜ちゃんやみのりちゃんが助けてくれた。

 だから今度は、わたしが……って言いたいけど、わたし一人じゃ力不足だから、みんなで。

 代海ちゃんのために、力を添えよう。

 

「それじゃあ、私の役目はとりあえずここまでかな。ここからは個人作業になるし。またなにかあったら呼んでね。仕事がなければ、対応するよ」

「は、はいっ。あ、あの、ありがとう、ございました……!」

「礼には及ばないよ。むしろ、お礼を言うべきはこちらだったね。すっかり言うタイミングを見失っていたけれど、ありがとう」

「え?」

 

 ……あぁ。そういえば、林間学校の最終日。

 わたしは、台風の元凶たるクリーチャーを倒すために鳥さんと飛び立ったから、その場にはいなかったんだけど、残された謡さんたちは、代海ちゃんの『代用ウミガメ』としての力で、難を逃れたんだっけ。

 

「君は、謡やスキンブルを助けてくれた恩人だから。これも、その恩返しってことで。恩を返すには、全然足りてなさそうだけど」

 

 去り際に、ウィンクしながら微笑む詠さん。

 なんだか格好良く立ち去って行ったけれど、取り残されたわたしたちはその空気に、ポカンとするしかなかった。

 当人の代海ちゃんでさえも。

 

「……なんだかよくわからなかったが、気を取り直そうか」

「そ、そうだね」

「彼女の新しいデッキを組む。ただし、従来までの防御寄りのデッキとはコンセプトを変えて、攻撃を重視したデッキにするわけだが、残念なことに適役がいる」

「残念な、ことに……?」

「あぁ。ボクらの中で攻撃重視のデッキと言えば、実子だからな」

「それが残念ってどういう意味さ。っていうか、デッキが攻撃的だって言うなら、小鈴ちゃんだってそうじゃない?」

「いや、君はほぼノーガードで一気に殴りに行くからな。それに、小鈴はかなり溜めるようになったけど、君は思考も前のめりだ。実際にどうなるかはさておき、攻撃に寄せようとするなら、感覚としてそのくらい思い切った方がいい」

「そんな人を脳筋みたいに。失礼しちゃうなー」

「でも、実子さんはユーちゃんにも教えてくれてますし、テキニンだと思います!」

「やーだよ面倒くさい。この人にそんなことする義理もないし」

「あぅ……そ、そうです、よね……」

「はいそうです。というわけで、他をあたってくださーい。私は横で見てるから」

 

 な、なんだか、のっけから空気が不穏だよ……

 みのりちゃんは、代海ちゃんの特訓には、あまり乗り気じゃないみたい。

 でも、代海ちゃんが助けを求めているのを放ってもおけないし……ど、どうしよう……

 

「小鈴、君の出番だ」

「えっ? わたし?」

「あぁ。実子の顔を見て、こう言えば……」

「……それだけでいいの?」

「あいつはチョロいから大丈夫だよ」

 

 霜ちゃんはわたしに耳打ちする。

 みのりちゃんは今にも帰りたそうにしてるけど、そんなことで、本当に動いてくれるのかなぁ?

 半信半疑ながらも、霜ちゃんに言われた通り、みのりちゃんに向き直る。

 わたしとみのりちゃんじゃ、身長差が10cm以上あるから、自然と見上げる形になる。

 ……わかってることだけど、やっぱりみのりちゃんは大きいなぁ。いや、わたしの背が低いだけなんだけど……

 それはさておき。

 ともかく、わたしはまっすぐにみのりちゃんを見つめて、霜ちゃんに言われた通りに、お願いする。

 

「みのりちゃん、そんなことイジワルなこと言わないで……ね?」

「むぐ……うぐぐぐぐ」

「……効いてるし……雑魚……」

「小鈴、もう少しだ。畳み掛けろ」

「畳み掛けるって、なにをっ!?」

 

 ただお願いしてるだけだよ?

 けど、みのりちゃんは揺らいでるみたいだし、もっとお願いすればいいのかな?

 

「わ、わたしも一緒にがんばるからさ。みんなで一緒に、代海ちゃんを助けてあげよ?」

「う、うーん……」

「小鈴、違うよ。もっと自分を売り込むんだ」

 

 えー……?

 ここでわたしはあんまり関係ないんじゃないかなぁ?

 けど、霜ちゃんがそう言うなら……

 

「お、お願いみのりちゃん。わたしは、代海ちゃんを手伝ってあげたからさ……そ、その。わたしを、助けると思って……」

 

 ちょっとずるい言い方だったかなぁ。

 内心でみのりちゃんに申し訳なく思いながらも、みのりちゃんの表情を窺うと、

 

「……しゃーないなぁ」

 

 不承不承ながらも、承諾してくれた。

 ……いや、なんだか、顔がいやらしくにやけてる……ちょっと怖い。

 

「まあ、小鈴ちゃんがそこまでお願いするなら? 私も協力することもやぶさかではないけどね?」

「単純なのに面倒くさい奴だな、君は」

「あ、ありがとうございます……っ」

「あくまでも、私は君のためじゃなくて小鈴ちゃんのためにやるんだからね。そこは履き違えないで欲しいな」

「……マジ……面倒くさい……」

「でもでも! 実子さんがいてくれてよかったです! これでヒャクニンリキ、ですね!」

 

 みのりちゃんの説得にも成功して。

 そんなこんな、なんやかんや。

 代海ちゃんのデッキ改造、あるいはデッキ構築が、始まりました。

 

「じゃ、早速デッキを組んでみようか。先輩の例にならって、あのキラキラしたカメは禁止ね」

「まあ、あれは、スペックはともかくコストの重さ的に、あまりビートダウン向きなカードでもないしね」

「は、はい……」

 

 まず最初に打ち出した方針。

 それは、謡さんが切り札の《ダンガンオー》を手放したように。

 代海ちゃんも同じく、《ワンダー・タートル》を抜いたデッキにするというものだった。

 《大迷宮亀 ワンダー・タートル》。これまで代海ちゃんがデュエマする時は、必ずと言っていいほど使われた、代海ちゃんのデッキの中核に位置する切り札。

 それを、代海ちゃんはジッと、どこか名残惜しそうに、眺めていた。

 けれどそれは悔いでも、悲しみでもなくて。

 その眼はとても真剣で、意を決するような、覚悟に満ちていた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 アタシは、迷宮から抜けなくちゃならない。自分自身の弱さという、果てのない迷路から。迷いを断ち切って、前に進んで、脱出しないといけない。

 胸の中に蟠る。ずっと、ずっと、アタシはあの時のことが忘れられない。

 この傷が、この痛みが、彼女との戦いを刻みこんでいる。あの時の恐怖も、後悔も、絶望も、なにもかも。

 アタシがこんなことを思う理由は、やはり、彼女にある。彼女と交わした言葉。そして、彼女の爪痕。あれが、きっかけだったように思う。

 けれど、それは復讐心とか、憎悪とかではない。三月ウサギさんが悪だなんて言う資格は、アタシにはない。アタシが信じたいものを貫けなかったのは、全部、アタシが弱かったから

 今までは、それでもなんとかなった。帽子屋さんに助けられて、【不思議の国の住人】のみなさんに守られて……辛くても、生きて来れた。

 でも、それだけじゃいけないって、思えるようになった。

 守られてばかりで、自分自身が崩れないように、他人に縋ってでも 自分を保とうとして、それのことに精一杯のアタシが、初めて誰かに目を向けられた。

 ……小鈴さん。あなたが、いてくれたから、アタシは、この迷路を抜けようと思う決意ができた。

 どうせ抜けられないと放棄することなく。迷うことの居心地良さに甘えることもなく。苦しさも辛さも受け止めて、永遠のため、迷うために進むのではなく、抜け出すため、新しい景色を見るために進む、勇気を貰えた。

 なにもできないし、なにもしない。そんな情けない自分は、もうおしまい。

 失敗しても、弱くても、情けなくても、前に進む。進みたいと、思う。

 行き先もわからない迷宮の出口を探して、邁進できる。

 《ワンダー・タートル》……アタシの、相棒のようなカード。

 代わりを作る、代わりのいない、代用の亀。『代用ウミガメ』のアタシと、似て非なる、けれどやっぱり近しいようなクリーチャー。

 今までずっと、アタシのことを守ってくれて、一緒に戦ってくれた、かけがえのない仲間だけど。

 この大きな力に、ずっと縋って生きる。それが正しい道筋なのかどうか。ここで手放すことが、正解の順路なのか、それさえも、アタシにはわからないけれど。

 そう、だからこれは、意識と、決意と、覚悟の問題だ。

 目の前にあるのは、二つの分かれ道。アタシはずっと、《ワンダー・タートル》と共にある道を選んできたし、それ以外を選ぶことはできなかった。

 けれど今は、違う選択肢を選べるチャンスだ。今まで進まなかった、もう一つの道に進む機会だ。

 この道が正解かどうかなんてわからないけれど。

 きっと、ここで進む道には、大きな意味がある。

 代わり映えのない、代替可能な『代用ウミガメ』。そんな、代用品の自分を変えるため。

 今までと違う道に進むために。

 そして、強くなって、この迷宮から抜け出す。

 

 

 

(それまでは、少しお別れです……アタシの相棒(ワンダー・タートル))

 

 

 

 これが正解に至るための道だと信じて。

 ここでアタシは、道を変えます。

 

 

 

(迷宮を抜けたその先で……また、会いましょう)

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「で? なに使いたい? 流石に使いたいカードくらいは選ばせてあげるよ」

「その……光文明を……で、できれば、メタリカで……」

「……はぁ」

 

 代海ちゃんの言葉に、みのりちゃんは露骨に溜息をついた。

 

「君さぁ、殻を破るんじゃなかったのかなー? それじゃあ元のデッキとそんな変わんないでしょーが」

「あうぅ、そ、そうですけど……い、いきなり、まったく違うデッキは、そ、その、自身がない、と、いいますか……」

「頼りの切り札を抜いてデッキ組むってのに、本人の意志薄弱過ぎないかな? まるで前傾姿勢になってないよ」

「ま、まあまあ、みのりちゃん」

「メタリカもラビリンスがあるから、前のめりに殴る構築も不可能じゃないよ。白単速攻とか、トリガービートとか、白くても殴るデッキは普通にある」

「いやでもさ。ぶっちゃけラビリンスって弱いじゃん」

「はぅっ!」

「実子さん! そんなこと言っちゃダメですよっ!」

「いやいや、まがりなりにも強くなりたいって思うなら、現実を見ようよ。理想だけで強くなれるわけないじゃん。ラビリンスなんてホーリー・フィールドの下位互換みたいなもんだし、そもそも条件の厳しさのわりに能力がてんで弱い。大したプレッシャーにもならないよ」

 

 みのりちゃんの言葉が発せられるたびに、打ちのめされていく代海ちゃん。

 グサッ、グサッと、なにかに刺される音が聞こえてきそうだった。

 

「言ってることはもっともだが、これはダメだな。実子は致命的にティーチングに向いていない。ユーはなんで、こんなのから教えを乞うて理解できたんだ?」

「こんなのとはなにさ」

「実子さん。ユーちゃんにはフツウに教えてくれましたよ? デッキも見せてくれて、どんな風に使うのか、優しく教えてくれました!」

「……みのりちゃん?」

「私にだっては人は選ぶし、その権利くらいはあるじゃない? それにほら、ユーリアさんはなんか、純粋すぎて茶化しても皮肉っても笑顔なんだもん。私も意味のない罵倒を繰り返すほど馬鹿じゃないよ」

「自身の悪意を容認してる時点でクズだけどね。反吐が出るほどに」

「けっ、善人ぶっちゃって。私としても君のそーゆーとこ、ウザいよ」

「二人とも実は仲悪い!?」

『別にそんなことはないよ』

「……仲いいのか、悪いのか……わからない……」

「ケンカはダメですよ! 代海さん、困ってます!」

 

 代海ちゃんの方を見ると、剣呑な空気を発する二人に戸惑っているようだった。

 うーん、みのりちゃんも霜ちゃんも、二人ともわりといつもこんな感じだけど、今日はなんだか一段と険悪だ。

 

「すまない、脱線しすぎた。それで、君のデッキについてだが……とりあえずメタリカから見てみよう。そこから発展して、別の形になることもある」

「使いたいカードを決めて、最後にそのカードが抜けたらデッキが完成、ってやつだね」

「な、なんですか、それって……」

「実子の言ってることは無視するとして、攻撃的、つまりはビートダウン向けなメタリカだね。ちょっと調べてみようか」

 

 そう言って霜ちゃんは携帯を取り出して、画面を操作する。

 わたしはインターネットにはそんなに強くないからピンと来ないけど、最近は手軽に調べ物ができて便利だって、お母さんがよく口にしているのを思い出した。

 デュエマのカードも、ネット上のサイトを通じて、簡単に調べられるみたい。

 

「ふむ。ラビリンスで打点が上がる《岩砕》、呪文が封じられる《オーリリア》、シンパシーで早出しできる《マルハヴァン》……このあたりか?」

「ほらやっぱり微妙じゃん。パッとしないんだよ」

「とりあえず実子は黙っててくれ。白いデッキなら、恋が得意じゃないのか?」

「私……ビートダウン、苦手……でも、メタリカなら、サザン、とか……?」

「無難だね。《マルハヴァン》とも合わせやすいし、普通に強いデッキだ」

「でもサザンって、そんなに攻撃的かなぁ?」

「……微妙だな」

 

 曰く、サザンというデッキは、相手の動きを抑え込みながら攻撃するデッキらしくて、攻める時は攻めるけど、動かない時はとんと動かないこともあるらしい。

 

「あれはビートダウンというよりも、単にメタカードを大量に突っ込んだ結果、中速程度のスピードで殴れるというだけだからね。本質はメタデッキだ」

「相手によっちゃぁ、ガッチガチに動き固めて来るからねー」

「あぁ。それに今の環境だと、シールドブレイクのリスクが高い。下手な攻撃は愚策だ」

「殴り方なんて相手をボコボコにしてるうちに覚えるし、とりあえず殴ってみればよくね? って思うけどなー」

「ヤンキーか君は。いくらなんでも考え方が野蛮すぎるだろ。思考放棄した試行の価値は一気に下がる。まずは考えてから実行に移すべきだ」

「考えてばっかで時間を無駄に浪費して、挙句の果てには好機を逃すよりかはマシじゃない? スピードは大事だよ? とりあえず結果を出してから考えても遅くないって」

「け、ケンカはダメですよっ。お二人とも! 代海さんのデッキを組みましょう!」

『喧嘩じゃないから』

「……面倒くさい、こいつら」

 

 うーん……霜ちゃんとみのりちゃんが揉め始めてしまいました。

 正直なところ、わたしにもこの二人の関係がよくわかりません。仲良さそうにデュエマしてる時もあれば、今みたいに火花を散らすこともあるし……今日はいつもよりも過激に見えるけど。

 なんにせよ、ユーちゃんの言う通り。今は代海ちゃんのデッキの方が大事だ。

 攻撃的なデッキかぁ。

 わたしのデッキは、呪文を併用しつつクリーチャーも並べて、最後に《グレンモルト》からの連続攻撃で龍解を目指す、というデッキで、攻撃的と言えば攻撃的だけど、《グレンモルト》が出る準備が整うまではあまり攻撃はしない。

 霜ちゃんもギリギリまで攻撃しないデッキは少なくないし、恋ちゃんは攻撃こそするけど、シールドを増やしたりトリガーを使ったりと、防御に寄りがち。

 特に攻撃的なのは、確かにみのりちゃんや、あるいはユーちゃんだ。

 ユーちゃんはみのりちゃんにデッキ作りのレクチャーをしてもらったって言ってたし、たぶんみのりちゃんの影響を受けている。

 そして当のみのりちゃんのデッキは、侵略や革命チェンジを中心としたデッキ。《ギョギョラス》の侵略と、革命チェンジを合わせて、かなり前のめりに、派手に、大きく動くデッキだ。

 ユーちゃんもみのりちゃんにならってなのか、最近はよく侵略や革命チェンジを使っているところを見る。林間学校では、速攻デッキも使ってた。

 そんな風に、色々と思い返している中で、ふと思った。

 

「……みのりちゃんやユーちゃんが攻撃するのって、侵略や革命チェンジがあるから、だよね」

「Ja! そうですね!」

「攻撃する時に発動する能力だからね。そりゃ当然だよ」

「ふむ。つまり小鈴は、デッキの中に攻撃する意義を強く持たせよう、と言いたいのか」

「そ、そんな大層なものじゃないよ。ただ、みのりちゃんやユーちゃんと同じように、代海ちゃんのデッキにも、侵略や革命チェンジを入れたら、攻撃的になるんじゃないかな、って」

 

 安直な考えだとは思うけど、攻撃する時に発動する能力があるのなら、それを軸にすれば、自然の攻撃する方向にデッキが組み上がるんじゃないかなー……と、思ったというか。

 

「理屈は通っているね。曖昧な方向性を定めるなら、その方向性に合致する能力、カードをあてがうというのは道理だ」

「でもメタリカでしょ? キツくない? 侵略はコマンド指定、革命チェンジはドラゴン指定がほとんどだし」

「いやしかし、確か前に恋が、侵略入りのメタリカデッキを組んでなかったか? ほら、林間学校の時」

「……あぁ。でも……あれ、白赤ビートダウン……メタリカ、と、言われると……微妙」

「それでも、そこそこメタリカが入ってただろう。侵略はコスト指定もあるから、打点はそこで補えそうだ」

「打点ねぇ。まあ、侵略と革命チェンジは打点増強の手段でもあるしねぇ。新種族にはドラゴンギルドもあるし、革命チェンジもワンチャンあるのかな?」

「代海さん! どうですか?」

「え、えぇっと……」

 

 ユーちゃんの勢いのいい食いつきに、たじろぐ代海ちゃん。

 侵略、革命チェンジ。

 それを用いたデッキ構築。代海ちゃんが、その中で見つけ出したものは……

 

「ひ、ひとつ、思いついた、というか……このカードは……ど、どうでしょう……?」

 

 そう言って代海ちゃんは、霜ちゃんとみのりちゃんに、一枚のカードを指し示す。

 

「実子、これは……」

「あぁー、そう来た? 水早君、ちょっち手伝って。こういう脳みそ使う感じの得意でしょ?」

「得意ってほどじゃ……それにこれ、ボクの出る幕あるか? 君一人でもどうにかなるだろうに」

「とりあえずだよ。君の価値はその頭にあると思うんだよね。それにほら、自分のためならともかく、人のために考えるのって苦手でさ、私」

「やれやれ。これだから利己的な脳筋の女は。結果ばかりで過程を無視するから、多様性を見落とすんだよ、君」

「さっすが、理屈こねくりまわすだけの頭硬いモヤシは言うことが違うね。パズルやってる人生は楽しい?」

「あ、あの……みのりちゃん? 霜ちゃん? や、やっぱり、二人って……」

『別になにもないから安心していいよ』

「なんなの……こいつら……」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――《キラー・ザ・キル》に進化(エヴォルツィオン)! 攻撃(アングリフ)する時に、革命チェンジ! 《キル・ザ・ボロフ》です! 《勝利のリュウセイ・カイザー》と《白骨の守護者ホネンビー》を破壊します! Wブレイク」

「い、一気に減らされちゃったなぁ。トリガーは……うぅ、ないや」

 

 それから数日くらい経った。

 あれ以来、謡さんの姿は見てないし、代海ちゃんは霜ちゃんとみのりちゃんと一緒にデッキを組むことが多くなった。

 ……まあ、みのりちゃんはたまにこっちに来ては、霜ちゃんに連れ戻されたしてるけどね。

 それと、謡さん。詠さんがちょくちょく代海ちゃんの様子を見てはいるみたいだけど、謡さんは完全に一人。けど、何回か詠さんと対戦して、デッキの動きを確認してるという話を、詠さんが教えてくれた。

 なんだか、とても変な感じだ。

 同じ場所にいるのに、別々のことをしている。

 別の場所にいるのに、同じことをしている。

 わたしは、代海ちゃんのデッキについて口出しできるほどの知識も力もないから、今はまだ待っているだけ。それがちょっともどかしい。

 だからこうして、ワンダーランドでユーちゃんや恋ちゃんといつものようにデュエマして、時間を潰しているんだけど。

 こっちはいつも通り。あっちはいつもと違う。

 うーん、やっぱり変な感じするなぁ。

 バラバラになってしまった、なんて思わないけれど。

 いつもとちょっと違うと言うだけで、なんだか、むずむずする。

 

「もう一度《キラー・ザ・キル》に進化(エヴォルツィオン)です! Tブレイク! それから、《キル・ザ・ボロフ》でダイレクトアタックです!」

「え? わ、トリガーもない……負けちゃったなぁ」

「やりました! 小鈴さんに勝ちましたよ! 次は恋さんです!」

「…………」

「うにゅ? 恋さん?」

「恋ちゃん? どうしたの?」

「ん……いや、なんでも……」

 

 のっそりと反応する恋ちゃん。

 なんだか、いつもの恋ちゃんらしくない。

 いつも虚空を見つめているかのような無表情さだけど、恋ちゃんは反応はわりと早い。虚ろでいるようで、実際はそんなことはない。ぼぅっとしているように見えるのは、ただ表情が出ないだけだ。

 だから、今みたいに本当に意識が飛んでいるのは、わりと珍しいんだけど……

 

「気分でも悪いの?」

「そういう、わけじゃ……胸くそは、悪い、かも……だけど」

「ムナクソ?」

「恋ちゃん、あんまり汚い言葉使うのはよくないよ……でも、なにかあったの?」

「……猫」

「猫?」

「学校、行く途中……猫、死んでた……から……ひどいグロ画像……テンション、だだ下がり……」

 

 あぁ、それは確かに、気分も悪くなるかもね。

 あれ? そういえばわたしも、最近似たようなことがあったような……

 

「ユーちゃんも昨日、(フント)が死んじゃってるのを見ました。かわいそうでした……」

「わたしも、何日か前に見たなぁ。なんか、不吉だね……」

 

 黒猫が目の前を通り過ぎると、不幸の前触れと言うけれど。

 純粋に“死”という現象を見せつけられると、やっぱり、なにか嫌な気分になってしまう。

 そんな話題になってしまったものだから、空気が重くなる。恋ちゃんは相変わらず無表情だけど、言葉を発しないし、ユーちゃんもしょんぼりしちゃってる。

 重苦しく、暗鬱な空気。その中でわたしたちが暗くなっていると、直後、その暗雲を吹き飛ばすかのような、快活な声がお店の中に轟いた。

 

「姉ちゃん姉ちゃん! やっとデッキ完成したよ! 見て見て!」

「ちょっと謡! 他にお客さんがいるんだから、もっと静かに!」

 

 謡さんだ。

 数日ぶりに見たけど、とても元気だった。元気すぎて、詠さんに窘められるほどに。

 

「先輩のデッキ、完成したんだね」

「あ、霜ちゃん」

「こっちも今しがた形になったとこだよ。あーダルかった」

 

 霜ちゃんとみのりちゃん、そして代海ちゃんが戻ってきた。

 三人も、デッキが完成したみたい。

 

「お? シロちゃんもデッキ組んでたんだ?」

「は、はい……」

「ならちょっと付き合ってよ。お互い、デッキの出来を試したいじゃない?」

「対戦するのは構わないけど、他のお客さんに迷惑がかからないようにね……」

「オッケー。で、シロちゃん? どうする? やる?」

「……は、はい……や、やります……っ」

「よーしよし。妹ちゃんたちも見てて! 私の新しいデッキのお披露目だよ!」

「ひゃぅっ、あ、あの……っ、引っ張らないでくださいぃ……!」

 

 そう言って謡さんは、代海ちゃんを引っ張って対戦スペースに立った。

 有無を言わさぬ勢い。とても興奮しているようだった。

 

「私としちゃ、別に先輩のデッキとかどーでもいんだけど……」

「しかしさっきまで組んでいたデッキの初お披露目でもある。どう動くのか、見ておかなくていいのか?」

「別にぃー? 小鈴ちゃんに上目遣いでお願いされたから仕方なくやっただけで、亀船さんのデッキには微塵も興味ないよ」

「実子さん、そんな悲しいこと言わないでくださいよ。みんなで見ましょう、代海さんのデュエマ!」

「そうだよみのりちゃん。みんなで一緒に、ね?」

「はぁ……ま、小鈴ちゃんがそう言うなら、暇潰しくらいには見てもいいかなー」

「何様……」

「君は本当、面倒くさいわりにチョロいな」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 なんてことをやってる間に始まっていた、謡さんと代海ちゃんの対戦。

 見れば代海ちゃんの超次元ゾーンには、八枚のカードが見えた。

 

 

 

[代海:超次元ゾーン]

《勝利のガイアール・カイザー》

《勝利のリュウセイ・カイザー》

《勝利のプリンプリン》

《激天下!シャチホコ・カイザー》

《時空の不滅ギャラクシー》

《時空の雷龍チャクラ》

《時空の英雄アンタッチャブル》

《時空の喧嘩屋キル》

 

 

 

 うーん……見知ったカードが半分、あんまり知らないカードが半分、って感じかな?

 全体的に光文明のカードが多め、かな? わたしの知識じゃ、この超次元ゾーンでなにをするのか、よくわからない。

 

「私の先攻! 《バイナラドア》をチャージして、1マナで《ジョジョジョ・ジョーカーズ》! 《ヤッタレマン》を手札に加えて、ターンエンド!」

「い、いきなり順調、ですね……《アクロパッド》をチャージして、ターン終了です……」

 

 

 

 

ターン1

 

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:1

山札:29

 

 

代海

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:5

墓地:0

山札:29

 

 

 

 

「《ヤッタレマン》を召喚! ターンエンド!」

「あ、アタシのターン……えっと……」

 

 1ターン目の《ジョジョジョ・ジョーカーズ》から、2ターン目の《ヤッタレマン》に繋ぐ流。

 王道過ぎるパターン。謡さんの動きは滞ることなく、順調なようだった。

 それにたじろぐ代海ちゃんは少し悩んでから、手札のカードを切る。

 

「こ、こっち……双極・召喚ツインパクト・サモン!」

「!」

「《奇石 ミクセル》を召喚、です……ターン終了」

 

 あ、あれって、この前も美人さんが使ってた、イラストが半分に切られてるカード……ツインパクト、とか言ってたっけ。

 クリーチャーになったり、呪文になったりする、不思議なカード。それを代海ちゃんは、クリーチャーとして召喚したみたい。

 

 

 

ターン2

 

場:《ヤッタレマン》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:1

山札:28

 

 

代海

場:《ミクセル》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

 

「私のターン……《パーリ騎士》引けないし、コスト軽減じゃ大型にも繋げられないなら……こっちだ! 呪文で撃つよ《ガガン・ガン・ガガン》!」

 

 代海ちゃんに対抗するかのように、謡さんもツインパクト? のカードを使う。

 クリーチャーとして召喚した代海ちゃんと違って、こちらは呪文として。

 

「墓地のジョーカーズをマナに置くよ。できた1マナで《チョコっとハウス》を召喚! ターンエンド!」

「アタシの、ターン……《奇石 マクーロ》を召喚します。や、山札を捲って……《超次元シャイニー・ホール》を手札に……ターン終了、です」

 

 

 

ターン3

 

場:《ヤッタレマン》《チョコっとハウス》

盾:5

マナ:4

手札:1

墓地:1

山札:27

 

 

代海

場:《ミクセル》《マクーロ》

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:0

山札:26

 

 

 

「ん……いいカード引いた! 《ゼロの裏技ニヤリー・ゲット》! トップ三枚を捲るよ!」

「あぅ……」

 

 ジョーカーズの強力な手札補充、《ニヤリー・ゲット》。

 めくられたのは《ヘルコプ太》《パーリ騎士》《ニヤリー・ゲット》の三枚だ。

 

「この二枚を手札に加えて、《パーリ騎士》を召喚! マナに《ニヤリー・ゲット》を置いて、これで4マナ! 《ヘルコプ太》を召喚! ジョーカーズの数だけドローするよ!」

 

 謡さんの場のジョーカーズは《ヤッタレマン》《チョコっとハウス》《パーリ騎士》、そしてさっき召喚した《ヘルコプ太》の四体だから……

 

「四枚ドロー! ターンエンドだよ」

「四枚も……す、すごいね……」

「《ヤッタレマン》のコスト軽減と、強力なドローソース。展開力がそのまま《ヘルコプ太》のドローに直結し、そしてそのドローが新たな展開を生み出す。この凄まじいまでのシナジーが、ジョーカーズのウリだからね」

「今はまだ雑魚ばっかりだけど、フィニッシャーが出たら怖そうだねぇ」

 

 フィニッシャー……でも、謡さんは今回、《ダンガンオー》を使っていないはず。

 一体、なにが出て来るんだろう……?

 

「アタシのターン……こ、こちらも、行きますよ」

「お?」

「しろみ……動く、っぽい……」

「4マナで、《マクーロ》をNEO進化ですっ」

 

 謡さんの大量展開と大量ドローに対して、代海ちゃんは一体のクリーチャーを育て、繋げていく。

 絆を、紡ぐように。

 

 

 

「想い出しちゃいます――《記憶の紡ぎ 重音(かさね)》」

 

 

 

 あれが、代海ちゃんの新しい切り札……?

 《ワンダー・タートル》とはまったく印象が違う。コストもパワーも半分以下。Wブレイカーすら持っていないNEO進化クリーチャー。

 けど、あれはきっと、代海ちゃんが《ワンダー・タートル》の代わりとして選んだ切り札なんだ。

 小さくても、弱くても、それだけで終わるはずがない。

 

「《重音》で攻撃する時、革命チェンジを宣言……そ、それと、キズナプラスも発動、です。《重音》の下の《マクーロ》を墓地に置いて、キズナマークの能力を、つ、使いますね」

 

 キズナプラス……先生が使ってた能力だね。

 代海ちゃんの場には、他のキズナマークを持ったクリーチャーはいないから、能力が発動するのは《重音》だけ。けれどその代わりと言うように、革命チェンジも同時に発動している。

 その二つの能力が、同時に放たれた。

 

「ま、まずは、《重音》のキズナ能力で、一枚ドロー……そ、それから、手札のコスト5以下の呪文を……た、タダで唱えますっ。唱えるのは、《超次元シャイニー・ホール》……で、でも、その前に、革命チェンジで、《大聖堂 ベルファーレ》です……っ」

「げ、面倒くさいのが……」

「《シャイニー・ホール》の効果で、《ヘルコプ太》をタップ、です。そして超次元ゾーンからは……こ、これですっ。《時空の雷龍チャクラ》!」

 

 次々とカードが入れ替わり、立ち代わり、現れるのはサイキック・クリーチャー。

 キズナに、革命チェンジに、メタリカにドラゴン、呪文からサイキックと、入り組んだ迷路のように道筋を変えてカードを切っていく代海ちゃん。

 代海ちゃんは、これまでの相手を迷わせる受け身さではなく、自ら迷路を作り変えていく自在さで持って、謡さんへと攻めていく。

 

「これって、みのりちゃんの案?」

「ん? まーねー。最初に《重音》使いたいって言ってたからさ。《重音》はドラゴンギルド、だから革命チェンジとも合わせられるって寸法さ」

「革命チェンジすれば、打点上昇だけでなく、《重音》のキズナプラスも使い回せるしね。ただ、《重音》を使うなら呪文も組み合わせる必要があったんだが……そこは無難に超次元呪文だ。《チャクラ》とのシナジーは、単調だけど強烈だと思うよ」

 

 そっかぁ。

 口ではああ言いながらも、なんだかんだみのりちゃんは、ちゃんと代海ちゃんのために尽くしてくれてたんだ。

 

「……いや。実子をその気にさせるのは、かなり苦労したよ……カードも揃ってて、デッキ自体は発案10分で大枠のレシピが完成したのに、組み上がるのに三日もかかったんだから……」

「やる気が出ないもんは仕方ないよ」

 

 た、大変だったんだね、霜ちゃんたちも……

 それはともかくとして、代海ちゃんは呪文を放ちつつ、革命チェンジで斬り込んでいく。

 

「《ベルファーレ》の能力で、《ヤッタレマン》《チョコっとハウス》をフリーズ……Wブレイク、ですっ!」

「トリガーは……なしかぁ。ここで《チャクラ》処理しないとキツそうなんだけど……」

「い、一応、そっちも処理、しておきますね……《ミクセル》で《ヘルコプ太》を攻撃して、ターン終了、です」

 

 

 

ターン4

 

場:《ヤッタレマン》《チョコっとハウス》《パーリ騎士》

盾:3

マナ:6

手札:6

墓地:2

山札:20

 

 

代海

場:《ミクセル》《大聖堂 ベルファーレ》《チャクラ》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:2

山札:24

 

 

 

「……まっずいなぁ。《チャクラ》って確かアレだよね。ラビリンスみたいな……」

「ホーリー・フィールドです……ラビリンスより、発動条件はやさしい、ですよ……?」

 

 代海ちゃんの場に立ったサイキック・クリーチャー、《チャクラ》。

 初めて見るクリーチャーだけど……ただのブロッカー、ってわけじゃないんだね。

 

「《チャクラ》は自分のターンの初めに、シールド枚数が相手以上なら覚醒する。覚醒すればパワー13500のTブレイカーだ。ブロッカーの攻撃制限も解除したりするけど、それ以前に純粋に打点が高い」

「除去耐性も、強い……覚醒、したら、なかなか、はなれない……」

「だから先輩としては亀船さんのシールドを削りたいだろうけど、クリーチャーを寝かされちゃったからねぇ」

 

 自分のシールド以上ってことは、ラビリンスよりも少し、発動条件が緩いんだ。

 そして、その状態でターンを渡してしまったら、大型クリーチャーへと覚醒する。確かにそれは食い止めたいけど、謡さんのクリーチャーはフリーズさせられてしまって、無理やり攻撃するにも厳しい状況。

 それはまるで、迷宮の壁が迫ってきているみたいだった。

 

「《チャクラ》が邪魔すぎる……こんな時、《ダンガンオー》があれば……」

 

 不意に、ボソッと呟く謡さん。

 けれどすぐにハッとして、ブンブンと頭を横に振った。

 

(いやいや。そうじゃないだろ私。《ダンガンオー》ばかりに依存しないって決めたんだ。なにかに頼るな。今この時、自分の力で、どうすれば勝てるのかを考えろ。それが、私が強くなるために必要なことでしょ)

 

 ……謡さんは、変わろうとしている。前に、進もうとしている。

 真剣な眼差しで手札を、場を見つめて、必死で考えを巡らせている。

 自分の力で、戦っているんだ。

 

「……とりあえず、これで決めよう。1マナで《ジョジョジョ・ジョーカーズ》! 四枚見るよ」

 

 手札に打開策がなかったのか、謡さんはさらに山札からカードを引っ張ってくる選択を取った。

 四枚のカードを見て、その中の一枚を抜き取る。

 

「よし来た、これだ! 《ガンバトラーG7(グレイトセブン)》!」

「そ、そのクリーチャーは……」

「流石に知ってるか。まあ、知っててもこうなったら止まらないけどね! 2マナで《パーリ騎士》! 墓地の《ヘルコプ太》をマナに!」

 

 序盤から今に至るまで、止まることなくクリーチャーを並べ続けてきた謡さん。

 謡さんは、これまでは、まっすぐに、速く、大きく、そして強い力を叩きつけるスタイルだったけど。

 

「これで私の場にジョーカーズが四体だよ。よってマナコストマイナス5! 《ヤッタレマン》でさらにマイナスして、6コスト軽減! 1マナタップ!」

 

 今回の謡さんは、一味違った。今までほど、単純ではなかった。

 たくさん並べて、仲間を募って。

 追い風を吹かせて――解き放つ。

 

 

 

「一斉掃射だ――《ガンバトラーG7》!」

 

 

 

 現れたのは、銃器をロボットにしたみたいな、ジョーカーズ。

 これが、謡さんの新しい切り札なの……?

 

「《ガンバトラーG7》の能力で、既に場にいた《パーリ騎士》のパワーを7000引き上げるよ。さらに1マナで《チョコっとハウス》を召喚。これで、私の場にジョーカーズが六体! またまた1マナで――」

 

 切り札を出してもなお、謡さんの展開は止まらなかった。

 止まることなく、絶えず撃ち続ける弾丸のように、さらにクリーチャーを並べていく。

 

 

 

「第二波、一斉射――《ジョット・ガン・ジョラゴン Joe》!」

 

 

 現れたのは、落書きのような姿をしたクリーチャー? ドラゴン、っぽいけど……

 前にも帽子屋さんが、似たような落書きみたいなカードを使ってたような……《ジョリー・ザ・ジョニー Joe》、だっけ。

 そのカードと、よく似ている。不思議なカードだ。

 それにコストが9もある。でも、1コストで出たってことは、このクリーチャーも、さっきのクリーチャーみたいに、自力でマナコストを軽減できるクリーチャーなのかな。

 

「あぅ……で、ですが、《ミクセル》の能力で、山札の下に……っ」

「その前にこっちの能力だよ! トップ二枚を捲って、そのコストの合計以下の相手クリーチャーをボトムに送還する!」

 

 言って謡さんは、山札の上から二枚を表向きにした。

 

「捲れたのは《ジョジョジョ・ジョーカーズ》と《ヘルコプ太》! ギリギリ足りないけど、まあいいか。合計コストは6だから、《ミクセル》をボトムに送還!」

「あ、危なかったです……」

「これでやることは大体済んだけど、一応、これも使っておこうかな。1マナで《ジョジョジョ・ジョーカーズ》! 四枚捲って……これでいいか。《ガンバ(グレイト)》を手札に」

 

 できることはすべて終えた謡さん。

 大量展開に、大型クリーチャーも並び、一気に反撃に出る構えだ。

 だからあとは、攻めるだけ。

 

「殴る! 《パーリ騎士》で《ベルファーレ》を攻撃! 《ガンバトラーG7》でパンプアップしてるから、こっちのパワーは9000!」

「《ベルファーレ》のパワーは8500……うぅ、ギ、ギリギリで、やられちゃうなんて……」

「さらに、《ガンバトラーG7》の能力で、私のジョーカーズはすべて、召喚酔いを無視してプレイヤーを攻撃できる! 《ガンバトラーG7》で攻撃――する時に!」

 

 召喚酔いを無視してプレイヤーを攻撃できる!?

 な、なんだかすごく強い能力だよ……だからあんなにいっぱいクリーチャーを並べていたのかな。

 ブロッカーはいるけど、この数のクリーチャーを相手にすれば、代海ちゃんでも防ぎきれない。

 それに、謡さんはあらゆる手を尽くして、代海ちゃんを攻めたてる。

 

「アタック・チャンス! 《破戒秘伝ナッシング・ゼロ》!」

「あ、あうぅ……」

 

 めくられたのは《バイナラドア》《ジョット・ガン・ジョラゴン》《ガンバトラーG7》の三枚。

 すべて、無色カードだ。

 

「ヒット! これで《ガンバトラーG7》は、シールドを五枚ブレイクできるよ!」

「そ、それは、受けられません……《チャクラ》でブロック、ですっ」

 

 シールドをすべて砕かれてしまう。それだけは避けたい。

 代海ちゃんは《チャクラ》を犠牲に、その攻撃を止める選択をした。

 

「残りはどうしようかな。殴ってもいいけど、殴り切れないし。んー……じゃあ、ターンエンドで」

 

 代海ちゃんが切り札を捨ててまで防御に徹したため、謡さんに残されたクリーチャーでは、このターンにダイレクトアタックまで通すことはできない。

 

「実子。今のどう思う?」

「私ならぶん殴るね。先にトリガー処理したいし。というか《ナッシング・ゼロ》をあんなタイミングで撃たない」

「だよね。盤面処理の心理が働いてしまったか。あの先輩、一撃に賭ける時は思い切りがいいのに、選択肢が広がったら半歩下がりがちだね」

「し、辛辣だね、二人とも……」

「ボクは思ったことを言ったまでさ」

「うみゅ。ユーちゃんは、トリガーが怖いから、攻撃したくないかもです……代海さん、最後によくトリガーで逆転しますし」

 

 ユーちゃんの言う通り、代海ちゃんと対戦する時に怖いのはS・トリガーだ。

 わたしも代海ちゃんとの対戦では、よくトリガーで逆転されちゃってる。

 

「そんなのは、ただの、ジンクス……それに、あのデッキで、警戒するトリガーは……あんまり、ない……」

「《ノヴァルティ・アメイズ》もなさそうだしね。スパーク呪文があるなら、むしろ先に処理したいだろうし」

「先輩も頑張ってるけど、まだまだだねぇ」

「まあしかし、先輩が多少ミスをしても、戦況的には先輩の方が有利なことに変わりはない」

 

 確かに、霜ちゃんの言う通りだ。

 クリーチャーはゼロで、大量のクリーチャーに取り囲まれている代海ちゃんは、次のターンにはとどめを刺されてしまう状態だ。

 

「あ、アタシのターン……できることが、ぜ、全然、ありません……と、とりあえず、《一撃奪取 アクロアイト》と《天雷の導士アヴァラルド公》を、召喚……《アヴァラルド》の、能力、で、山札を三枚、め、めくり、ます……」

 

 ここでめくられたのは《超次元エナジー・ホール》《奇石 ミクセル/ジャミング・チャフ》《光牙忍ハヤブサマル》の三枚だった。

 

「あぅ、シノビが……《エナジー・ホール》と、《ミクセル》……もとい、《ジャミング・チャフ》を、て、手札に加えて……ターン終了、です……」

 

 このターン、代海ちゃんは大したことはできなかった。

 向けられた銃口を払い除けることも、攻めに転じることもできず、ターンを謡さんに渡してしまう。

 

 

 

ターン5

 

場:《チョコっとハウス》×2《パーリ騎士》×2《ヤッタレマン》

盾:3

マナ:8

手札:3

墓地:4

山札:17

 

 

代海

場:《アクロアイト》《アヴァラルド》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:3

山札:22

 

 

 

「私のターン。なんか後輩たちに小言を言われちゃったけど、流石にここでひよったりはしないよ。全力で殴って、決めに行こうか!」

 

 わたしたちの発言はしっかりと聞こえていたみたいです。

 ……え、えっと、なんにしても、さっきは少し待った謡さんは、ここでいよいよ、とどめを刺しに行く。

 照準を合わせ、グリップを強く握り、撃鉄を落とし、引き金に指をかける。

 けれど、すぐにはその引き金を引かなかった。

 

「二体目だ! 《ジョット・ガン・ジョラゴン Joe》! 捲るカードは、さっき固定したこの二枚!」

 

 攻撃の前に、しっかりとクリーチャーを並べていく。それも、切り札級の大型クリーチャーを。

 ここでめくられたのは《バイナラドア》と《ガンバトラーG7》。その合計コストは15。

 

「なにが出てもいいようにって大きいのを残しといたけど、あんまり意味なかったかも。《アクロアイト》と《アヴァラルド》をボトムに飛ばすよ!」

「はうぅ、また、クリーチャーが……」

「さらに! 1マナで《ガンバトラーG7》! 4マナで《ヘルコプ太》! ジョーカーズが九体だから、九枚ドロー!」

 

 き、九枚!? 流石に引きすぎなんじゃ……

 そう思っているのはわたしだけじゃなくて、霜ちゃんやみのりちゃんを見ても、少し訝しげな面持ちをしていた。

 けれどそんなことは関係なく、展開もドローもやめない謡さん。

 謡さん、なんでこんなにドローしてるんだろう……

 

「……ここまで掘り進んでも来ないのか。じゃあもう盾かな……まあいっか。なくてもなんとかなるだろうし、これ以上並べてもあんま意味なさそうだから、もう殴りに行くよ!」

 

 そこで、ドローをやめて、謡さんは攻めに出る。

 前のターンは《チャクラ》を退かすためだけの、踏み切らなかった攻勢だったけど。

 今度は、とどめを刺しに行くための、勝ちに行くための攻めだ。

 

「《ジョット・ガン・ジョラゴン Joe》でTブレイク!」

「と、トリガーは……あ、ありません……」

「よしよし。じゃあ次、《ガンバトラーG7》でWブレイク!」

 

 これまでのような一撃必殺の弾丸ではなく、大量の銃弾を乱射するように攻撃する謡さん。

 最初に大きな二発がシールドを打ち砕く。けれど、後ろにはまだ、大量の弾丸(ジョーカーズ)が残っている。

 ちょっとやそっとのトリガーじゃ、この数の暴力を凌ぎ切ることはできないけれど、

 

「き、来ました……S・トリガーですっ、《終末の時計 ザ・クロック》!」

「《クロック》、入ってたんだ……一枚も見えないから、てっきりないものとばかり思ってた」

 

 数も馬力も関係なく、代海ちゃんは、一切合切の時間を止めてしまう《クロック》で、ターンを飛ばす。

 強制的なターンスキップ。これなら、数で押し切ろうとも、関係はない。

 

「ほら、こういうのがある。だからさっき殴るべきだったんだよ」

「見えてないカードを考慮するというのは、時として道化を演じるだけだけど、ここで《クロック》の可能性を切ったのは、やっぱり浅慮だったよね」

「……流石に、ようも……もう、わかってる、と……思う、けど……さっきの、プレミ、って……」

「それに、やっぱり、代海さんがピンチです……!」

 

 そうだ。ひとまず、最後の引き金を引かれることはなかったけれど、それでも代海ちゃんのピンチに変わりはない。

 

「アタシの、ターン……! も、もう、後がありません……このターンで、なんとかするしか……」

 

 引き金は引かれていないが、大量の銃口が代海ちゃんに向けられている現状は変わっていない。そして代海ちゃんは、その銃弾から身を守る盾もない。

 向けられた銃はあまりに多く、それらすべてを捌き切ることは、まず不可能。

 なら、するべきことは一つしかない。それは、生き永らえたこの時間を最後のチャンスとすること。

 守るにせよ、攻めるにせよ。

 不可能でも可能にするか、可能な範囲で足掻き続けるか。

 どちらにせよ、このターンが、代海ちゃんの勝敗を運命づけるターンだ。

 

「ま、まずは、《ミクセル》を召喚です。そしてNEO進化、《記憶の紡ぎ 重音》!」

 

 代海ちゃんもそれはわかっている。だから、代海ちゃんは引き金に指をかけた。

 

「トリガーはもう考慮してられないとして、先輩の盾は三枚。彼女の場にはアタッカーが二体か。手札に革命チェンジ獣を抱えていても、打点は三打点がギリギリのはず。白青のデッキですぐに捻り出せる一打点って、なんだろうね」

「《重音》は4コストだから、《ミラダンテ》もないしねぇ。なにか防御札があるのかもしれないけど……マナも使い切っちゃってるし、このターンで攻め切るのは無理じゃない?」

「……でも、しろみは……あきらめて、ない……たぶん、なにか……手が、ある、から……」

 

 シールドゼロでも耐えきれる算段があるのか。あるいは、このターンでとどめを刺すだけの手段があるのか。

 ここで代海ちゃんが取った選択は、攻撃。

 数多の銃口を向けられてなお、前に出た。

 

「《重音》で攻撃する時、革命チェンジ宣言……そ、それと、キズナプラス、です! 一枚ドロー……!」

「……ここでシールドを削りに行くのは当然として、殴り切れないのなら、一応《賢者の紋章》があるね」

「青いクリーチャー……少なそう、だけど……」

「あのデッキで即時一打点を捻り出すより、そちらの方が現実的かと思っただけだよ」

「呪文が多そうなデッキだしねぇ」

 

 外野の声をよそに、代海ちゃんは、デッキに手を掛ける。

 そして願うように、指先に力を込めて、引いた。

 

「……ひ、引け、ました……!」

 

 《重音》のキズナは、まだ終わっていない。

 引いて、すぐさまそのカードを、場に置く。

 

 

 

「呪文、《超次元フェアリー・ホール》……!」

 

 

 

 それは、この対戦で初めて見える、緑色のカードだった。

 

「自然のカードっ!? と、トリーヴァカラーなんて……白青だと思ったのに」

「ちょ、ちょっとだけ、自然も入ってるんです……マナを増やして、《勝利のガイアール・カイザー》をバトルゾーンに!」

「あぁ。だから《勝利のガイアール》がいたのか。ブラフじゃなかったんだね」

 

 そういえば代海ちゃんの超次元ゾーンには、《勝利のガイアール・カイザー》がいた。

 光や水の超次元呪文では出せないカードだけど、それが入っているということは、多くの場合は、出す手段があるから。

 偽装でも、ハッタリでもなく、正しく代海ちゃんは、それでとどめを刺すための攻撃手を増やした。

 

「……ギリギリ、打点が、そろった」

「あとはトリガー勝負か。先輩、プレミで普通に追い込まれてるじゃん。ちょっと笑えるね」

「そこは面白くもなんともないけど、ここで打点を捻り出して殴り切れるかが、ボクとしては楽しみだ」

「さ、最後の処理です。革命チェンジ、《星光の旋律 ベルファーレ》! 二枚ドロー……そ、そして、Wブレイク、ですっ!」

 

 《勝利のガイアール・カイザー》の登場で、殴り手が一体増やせた代海ちゃん。

 革命チェンジでWブレイクも通し、残ってるクリーチャーは《勝利のガイアール》と《クロック》の二体。

 

「うーん、トリガーはないよ」

「あと少し……お、お願いします……《クロック》で、最後のシールドをブレイクですっ!」

 

 代海ちゃんが、最後のシールドを砕く。

 ここでS・トリガーが、なにが出るかで、勝敗が決する。

 守りを放棄して、数多の銃器に突っ込んでいった代海ちゃん。その攻勢の結果は――

 

 

 

「……ノートリガー」

 

 

 

 ――勝利、だった。

 最後のシールド。謡さんはそこから、S・トリガーを引くことはできなかった。

 もう、守るものはない。

 

「じゃあ……これで、終わり、です……っ!」

 

 代海ちゃんが強引に生み出した最後の一発が、撃ち込まれる。

 

 

 

「《勝利のガイアール・カイザー》で、ダイレクトアタック――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――残念」

 

 ニヤリ、と。

 とどめの寸前に、謡さんが口の端を釣り上げた。

 代海ちゃんが放った、最後の一撃。それは――

 

 

 

「ニンジャ・ストライク――《光牙忍ハヤブサマル》」

 

 

 

 ――いとも容易く放られるカードに、阻まれてしまった。

 

 

「……え?」

「私がなんのために、過剰打点にもかかわらず《ヘルコプ太》で追撃手を引いたと思ってるのさ。《マキシマム》を掘り出すためってのもあったけど、私だって少しくらいは“もしかしたら”を考えてたんだよ。まあ、《クロック》の可能性は除外しちゃったけどさ」

 

 つまり謡さんの、過剰とも言えるあの大量ドローは、《ハヤブサマル》を、緊急の防御手段を手札に引き込むため……?

 そして実際、その保険は、しっかりと役目を果たしたのだった。

 

「これでさっきの失敗はとんとん……ってことにはならないだろうけど、ツケは払えたかな。それで、まだなにかある?」

「……あ、ありません……ターンエンド、です……」

 

 これ以上、代海ちゃんは攻撃できない。流石にこれ以上、攻撃を続けることも、クリーチャーを呼び出すこともできない。

 乾坤一擲。代海ちゃんの渾身にして決死の一撃は通らず、ターンを終える。

 

 

 

ターン6

 

場:《チョコっとハウス》×2《パーリ騎士》×2《ガンバトラーG7》《ヤッタレマン》《ヘルコプ太》《ジョット・ガン・ジョラゴン Joe》

盾:0

マナ:9

手札:13

墓地:5

山札:4

 

 

代海

場:《クロック》《星光の旋律 ベルファーレ》《勝利のガイアール》

盾:0

マナ:6

手札:7

墓地:5

山札:20

 

 

 

「私のターン……流石にもここから凌がれるなんてないと思うけど、一応、これで止めておくよ。G・ゼロ、《ジョジョジョ・マキシマム》。《ジョット・ガン・ジョラゴン Joe》を選んで、その攻撃中に呪文は唱えられない」

 

 謡さんはこれ以上の展開もドローもせず、ただその呪文を唱えるだけで、攻撃に移った。

 一瞬、代海ちゃんの場に残ったクリーチャーに目を向けたけれど、それさえも無視して、代海ちゃん自身に、照準を合わせる。

 そして今度こそ、最後の一発を、引き金を――引いた。

 

 

 

「《ジョット・ガン・ジョラゴン Joe》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ま、負けちゃいました……うぅ……」

「まあでも、シロちゃんも強かったよ。最後の《フェアリー・ホール》、かなりドキッとしたもん」

「それ以前に、謡はプレミ多かったね。もう少し考えてプレイングしろって言ったでしょ」

「あはは……それは、追々学んでくってことで、許して?」

 

 謡さんと代海ちゃんの対戦は、最後には謡さんが勝った。

 代海ちゃんのサイキック・クリーチャーのプレッシャーもすごかったけど、謡さんの軍勢はそれ以上で、なんていうか、数の暴力、って感じだ。

 《ダンガンオー》で一撃必殺を決めて来た、今までのスタイルとはまるで違う。同じジョーカーズでも、こんなに戦い方が変わるんだ。

 それに代海ちゃんも、じっくりと《ワンダー・タートル》のような大きなクリーチャーで立ち塞がるような戦術とは打って変わって、小型クリーチャーが多く、素早く勝負を決めに行っていた。

 二人とも、それまでの切り札と決別して、新しい力を身に着けている。

 それぞれの道を、歩み始めたように。

 

(……お別れ、かぁ)

 

 今までなにかと、誰かと別れたことなんてなかったけれど。

 わたしもいつか、自分が変わるため、前に進むために、なにかとの別れを決める日が、来るのかな。

 それは、すごく遠い未来なのか。

 あるいは、もう間近に迫っているのか。

 どちらにせよ、それが必要なことであるとしても、わたしは二人みたいに、ちゃんと決意できないかもしれない。

 今ある大事なものを、手放すなんて、できない。

 決別。足切り。言い方はどっちでもいいけど、なにかのために、なにかを犠牲にするとか、なにかを選び取るとか。

 わたしは、それができるだろうか。

 そして、もしもそれができなかったら、どうなってしまうのだろうか。

 それがちょっとだけ、怖かった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 暗い闇夜に舞う、赤い雫。

 獣の臭いじゃ、満たされない。

 輝きは、畜生の中では見出せない。

 思考、情緒、想像、感動。手掛かりは、やはりここにあるのか。

 そんな風に繋がった。考えが繋がれば、あとは行動するだけだった。

 どういうわけか、最近はまったく制止がない。とても自由だった。それが好機だった。

 恨みがあるわけでもない。ただ、都合がいい、と思うだけ。ゆえにやりたいようにやらせてもらうだけだ。

 彼はなにかを言っていた気がするけど、狂った文言の意味はよくわからなかった。彼の言葉はノイズのようで、よくわからない。

 よくわからないなら、それでいい。彼は邪魔をしようというわけではないのだから。

 さあ、探し物を続けよう。ずっとずっと探しているものを。なにかもわからない、けれどとても尊い、きらきら輝くお宝を。

 今日からは、対象を変える。獣ではなく、もっと知的で、おぞましくもあり、輝かしくもある、不思議な生き物。

 できるだけ、小さいのがいい。そっちの方がやりやすいし、それに、きれいだ。

 そっと近づいて、スッと差し込む。

 闇夜に銀色の刃は煌めくこともなく、ただ淡々と、暗黒に深紅の色を彩る。

 音もなく、声もなく、静かになって、冷たくなる。

 あぁ、きれいだった。きれいだけど、どうしてだろう。満たされない。見つからない。

 今日も失敗。疲れたから、もう帰ろう。

 あまりいいことはない。ずっとずっと、見つからない。

 でも、今日は悪いなりに、いい日かもしれなかった。

 空を見上げる。真っ暗だった。星の光が一つも見えなくて、それでいて。

 

 

 

 月のない、真っ暗な夜空だった。




 この作品、ガチデッキというか、環境デッキってあんまり出しませんけど、出るとなったらわりと勝つんですよね。いやほら、作者の考えたヘンテコなデッキなんかより、世界中DMPが研究した研鑽されたデッキの方が絶対に強いわけですし。なにか特別なメタを張っていれば話は別ですが、そんな環境に染まったデッキは趣味じゃないです。
 代海のデッキは重音チェンジ。まあ、色んな人が考えただろう《重音》で革命チェンジしながら呪文発射するやつですね。本編では見せませんでしたが二種類の《ミラクルスター》で相手の呪文パクったり、墓地の呪文を回収して使い回したり、《激天下!シャチホコ・カイザー》でキズナプラスの種を戻して進化元確保したりと、実はかなりカードを循環させるようなデッキなんですよね。まあ殴ってるので、コントロールには向かないのですが。でもこういうぐるぐるするデッキは好き。1ターン無限ループはノーサンキュー。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なく仰ってくださいな。


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30話「脅迫されました」

 最初の頃は一話完結を心掛けていた本作ですが、もうすっかりそんなものはなくなってしまいましたね。
 しかも今回から、今章の大部分を使った一連の物語を書いていく予定なので、余計に一話完結という言葉が遠のきます。お悩み解決編してた頃が懐かしい。
 あんまり前後に繋がりが強すぎると、更新に間を置いた読者がついて来づらいかなとか考えてしまうんですが、どうなんでしょうね?



 こんにちは、伊勢小鈴です。

 今日は、というか今はホームルームです。

 ……わたしだって、毎回毎回、なにか面白いイベントをやったり、気になることを見つけたりしてるわけじゃないんです。今この状況がホームルーム。それ以外に、説明しようがありません。

 あぁ、でも。

 気になると言えば、先生がちょっと気になることを言っていました。

 

「――では、本日も欠勤していらっしゃる担任の鹿島先生とやらの代わりに、ホームルームを務めさせていただきます。陸奥国です……あぁ、面倒くさい。なんで私みたいな新人が、こんな雑用を……これだから教師は……」

 

 壇上に上がる陸奥国縄太先生(『木馬バエ』さん)は、憂鬱そうに溜息を漏らす。

 本当ならホームルームは、担任の鹿島先生が受け持つんだけど、どういうわけかここ最近、鹿島先生は休んでいる。

 季節の変わり目に風邪を引いたって噂だけど、もうかれこれ一週間ほど欠勤してる。そんなに酷い風邪なのかなぁ。とても優しくていい先生だし、心配だよ。

 そしてその鹿島先生の代わりが、陸奥国先生。

 相も変わらず教師とは思えない言動で、忌憚なく不平不満を吐き散らしているけれど、もういつもこんな感じだから、生徒はみんな慣れてしまっていた。

 

「と言っても、特に連絡事項はないのですけど。文化祭とやらについては、委員の方がなんとかしていると信じましょう。こちらからわざわざ問いかけるなんて面倒くさい。できないならできないで、黙って破滅していればいいでしょう。その人にとっては、それはその程度のことだった、ということです」

 

 ……なんだか、やたらと不穏なことを吐き出すね、先生……

 ストレス溜まってるのかな?

 

「こんなものでしょうか? さっさと終わらせたいので、こんなものでいいですよね……あぁ、ダメだ。これも言っておかないといけないのか……あぁ、面倒くさい」

「せんせー。面倒面倒ばっかり言ってると、教育委員会とかなんとかがうるさいですよ」

「お気遣いありがとうございます。クビになったらなったで清々するので構いませんよ。誰がこんな奴隷のような職業を好き込んでするものですか」

「先生のその態度が清々しすぎる……」

「さて、では面倒ですが、次の連絡事項です。近頃、物騒な事件が起きているそうなので、できるだけ集団で、速やかに帰宅しろと、生徒指導部からの命令です。命令? ……まあ、命令でいいか。ニュアンスは適当に掴んでください」

「先生! 物騒な事件ってなんですか?」

「知りませんよ。ニュースでも新聞でも見てください。確か、犬猫の変死事件とか、傷害事件とか、そんな感じだったと思いますけどね。テレビでも新聞でもネットでも、あらゆる媒体でニュースになってますよ。とはいえ情報規制もそれなり、ですけど。中高生の間では都市伝説とか噂話とかにもなってるとかで、くだらないですね」

 

 いや、だいぶと知ってるじゃないですか、先生。

 ちょっと適当に喋りすぎてませんか?

 

「犯人がまだ捕まってないそうなので、あまり外出はしないように、深夜徘徊はもってのほか、ということだそうで。まあ、そんな危険の中に飛び込む馬鹿は勝手に死ねばいいと思いますけどね。知っててなお死にに行くならどうしようもない馬鹿ですし、無知ならただの馬鹿です。馬鹿に生きる価値は無いので、しっかり勉強して死なないように努めてください。死なれたらこちらが困るので」

 

 ……今日の先生、いつも以上に辛辣だね……

 相当イライラしているのがわかる。

 

「まあ、そういうことです。皆さんなら私の言いたいこと、わかりますよね?」

「先生。それ、とってもウザい教師のセリフトップ10にランクインする発言ですよ」

「知りません。つまり、巻き込まれるのは勘弁してくださいということです。あなた方が巻き込まれると、私たちが教師が困る。余計な仕事を増やさないでくださいよ。ただでさえ、近隣のパトロールとかいう厄介な仕事を押し付けられて辟易してるというのに……死んでも死なないでください。お願いですから」

「死ねばいいと言ってすぐに死ぬなって、先生、疲れてるのかな……」

「しかも、死んでも死ぬなって、矛盾もいいところ……」

 

 近隣パトロール……あぁ、だから機嫌が悪かったんだ。

 先生のお仕事がどれだけ大変かは、常々先生の口から語られるけど、今日はいつもの比じゃない。クラスのみんなも、心配そうにひそひそ話しているほど。

 けれどそれが聞こえていないのか、それとも無視しているだけか、先生は最後にこう言って締め括る。

 

「本当、憂鬱だ……ではホームルーム以上です。もう帰っていいですよ。というか、とっとと帰ってください。頼みますから、変な事件に関わるのだけは、勘弁してくださいね」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ホームルームが終わって、みんなで昇降口へ。

 そこで霜ちゃんが、さっきの先生に対して苦言を呈す。

 

「それにしてもあの人、人間社会に溶け込む気なさすぎじゃないか? 教師としてあの発言は問題すぎるだろ」

「どーでもいいけどね。先生の言ってることはもっともだし?」

「過激すぎるし度が過ぎている。大事になったらどうする気なんだ」

「……まあ、でも……相手は、選んでる……っぽ、し」

 

 恋ちゃんの言う通り、陸奥国先生は、あの態度も人によってわりと使い分けてたりする。

 あんな態度を取るのは生徒(わたしたち)の前だけで、他の先生の前では、それなりにまともな言動だ。どちらにせよ、他人には興味なさそうな感じだったけど。

 そのくらいの常識があってちょっと安心はするけど、でも、いつどこであの暴言の数々が漏れるかわかったものじゃないから、ちょっと怖いよね……

 先生は、クビになるならそれはそれで清々する、なんて言ってたけどさ……

 

「あの、小鈴さん」

「どうしたのユーちゃん?」

「その、代海さんは、今日は一緒じゃないんですね……」

「うん。なんだか、用事があるからって、先に帰っちゃったよ」

 

 さっきC組を覗いた時に、代海ちゃんのクラスメイトが教えてくれたことだ。

 わざわざクラスメイトに言伝してまで伝えてくれたってことは、それだけ大事なんだと思う。

 

「彼女が用事、か……」

「なにか臭うねぇ。水早君もそう思うよね?」

「……まあ、彼女は立場が複雑だからな。そういうこともあるだろう」

「あり? ここは一緒に叩き合う流れじゃないの? 私たち、友達でしょ?」

「他者の批判で喜んでるような猿と友達なんて願い下げだ」

「なんだとぅ」

 

 代海ちゃんの用事。そのことに霜ちゃんはなにか言いたげだったけど、結局はなにも言わなかった。

 霜ちゃんも、代海ちゃんを受け入れ始めている。それは嬉しいんだけど、ちょっと気を遣わせちゃってもいるようで、少し申し訳ない気持ちもあった。

 靴を履き替えて、五人で昇降口を出る。後門の前には既に、帰宅する生徒たちの流れができている。

 

「そういえば、さっき先生が言ってた事件だけど、それのせいで休止になってる部活があるらしいね」

「え? なに? 誰か死んだ?」

「みのりちゃん!」

「……ごめんって。ちょっと調子乗った」

「まったく、これだから実子は。そうじゃなくて、単に用心のためだ。帰りが遅くなってはいけないってね」

「ユーちゃんのブカツも、しばらくお休みです……残念です(ゾウ シュリム)

「……遊泳部、って……秋、活動する、の……?」

 

 わかりません。

 だけど、この町で起こってる事件が、わたしたちとは無関係じゃない範囲で影響を与えているということだけはわかる。

 ……怖いなぁ。

 ふと前を見ると、校門の前には二つの人影が見えた。

 いや、というか、あの二人組は……

 

「用務員さんと購買のお姉さん、ばいばーい」

「なのよー! 気を付けて帰るのよー!」

「うむ。近頃は物騒な事件が多発している。十全な注意を払い、迅速に帰宅せよ。集団であればなおよしだ。集団であることは、生き延びるための有用な手段の一つであるからな!」

「……なんかいる」

 

 見覚えのある男女の二人組だった。

 そのうちの一人、女の人が、こっちに気付いてぶんぶんと手を振る。

 

「あら? (すず)ちゃんなのよ! やっほー!」

「ど、どうも。葉子(ようこ)さん……」

 

 初めて出会った時よりもだいぶ大人しくなってるけど、それでもドレスみたいな華やかなワンピースを着た、煌びやかなお姉さん。

 購買のお姉さんこと、陸奥国葉子さん。本当の名前は『バタつきパンチョウ』さん。

 その名の通り、陸奥国先生のお姉さんだ。

 それと、その隣にいるお兄さんが、葉子さんの弟さんで、『燃えぶどうトンボ』さん……だったっけ。こっちは学校で用務員さんをやっている。

 

「……君ら、いつの間に親しくなったの?」

 

 霜ちゃんが訝しげな視線を向けて来る。

 そんなこと言われても……別に、大したことはしてないよ?

 ただ、購買の店員さんだから、毎日お昼の時間に会ってはいるけど。

 

「うちのお得意様なのよ! あんなにいっぱいパンを買ってく子は見たことないのよ! 買いっぷりがとても気持ちよくて、私、鈴ちゃんのこと気に入っちゃった!」

「姉上の眼鏡に敵うとは、なかなかやるではないか、小娘!」

「は、はぁ……」

 

 お兄さんに褒められました……褒められてるの?

 でも、葉子さんはいつも笑顔で、元気で、それにとても弟思いで、お話してて楽しい人だよ。

 ……ちょっと、弟さんが好きすぎるんじゃないかって気もするけど。

 それにしても、購買のお姉さんに、用務員のお兄さん。二人とも、なんでこんなところにいるんだろう?

 そう思って聞いてみたら、

 

「ハエ太を待ってるのよ!」

「ハエ太?」

 

 誰のことですか?

 と重ねて尋ねようとしたところで、後ろから声がかかった。

 

「……姉さん。ハエ太はやめてよ」

 

 どこか陰鬱で、嘆くような声。

 振り返ると、そこには陸奥国先生――『木馬バエ』さんが立っていた。

 先生は蛍光色のジャケットを羽織っていた。確か見回りがあるって言ってたし、今からそれに行くところなのかもしれない。

 ……っていうか、ハエ太って、先生のこと?

 

「どうして? 人間のとしての名前が縄太(じょうた)なんだから、虫になったらハエ()太なのよ!」

「いつも通り呼んでくれよ……恥ずかしいだろ」

「やーん、恥らってるハエ太も可愛いのよ!」

「……うっぜぇ」

 

 斜を向いて吐き捨てる先生。

 とてもストレスフルで憂鬱そうだ。

 

「で、なにしてるんだよ、姉さん。兄さんも。仕事は?」

 

 不機嫌なまま、先生はわたしも尋ねた質問を、姉兄に問う。

 

「そんなものはとうの昔に完了させている! 加え、本日は室長殿から速やかな帰宅の命も受けた故だ」

「私もなのよ! 今日は鈴ちゃんのお陰で、とても早くに完売したのよ! 事後処理もパッパと済ませて、二人でハエ太を待ってたのよ」

「……あっそ。悪いけど、私はまだ仕事、終わってないよ。それとハエ太はやめてね」

「そうなのよ?」

「そうなんだ。近隣のパトロールとかなんとか。面倒くさいったらありゃしない。死にたい奴は勝手に死なせておけばいいのに」

「まあまあ! 流石はハエ太! 重役なのよ!」

「別に。手の空いてる雑用係が私ってだけだよ。他の教師もやってることだ。私が特別なわけじゃない。それからハエ太はやめてくれ」

「しかしハエ太よ。貴様はこの周辺地域の民を守護する役割を得たということだ。大義ではないか!」

「興味ないよ。私がそのへんを歩いたところで、そう変わるものでもないだろうに。なんでもいいけどハエ太はやめろよ」

「そんなことないのよ! ハエ太がいるだけで、生徒の皆も、町の皆も、安心できるのよ! それはとっても大事なことなのよ! しっかりやり遂げなさい」

「……姉さんや兄さんの言いたいことはわかったよ。別に投げ出すつもりはない。仕事だからね。それとさっきから何度も言ってるけど、ハエ太はやめろ」

 

 どこまでも過激で残酷で、だけど卑屈で陰鬱な先生。

 それはお姉さんやお兄さんと真逆だけど、それでも三人は衝突しない。

 本当、仲良いんだなぁ、この三人は。

 

「それじゃあハエ太! 頑張るのよー!」

「尽力せよ、我が弟よ! 貴様ならできる!」

「はいはい……わかってますよ。でもハエ太はやめてくれ、恥ずかしいから」

 

 そう言い残すと先生は、堪えきれないと言うように、スタスタとパトロールに行ってしまった。

 そんな先生たちの一部始終を見て、隣で霜ちゃんが言葉を零す。

 

「……独特な姉弟だね」

「うん……そうだね」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 先生と葉子さんとお兄さんの仲睦まじい(?)寸劇を見た後の帰り道。

 ホームルームでああ言われてしまい、先生も巡回に向かった手前、とりあえず今日はワンダーランドで集まらずに帰ろうという話でまとまったわたしたち。

 その帰路でのことだった。

 

「あれ? なんだろう」

 

 前方に、人だかりができている。

 それどころか、パトカーが停まっていて、救急車が走り出した。

 

「野次馬、パトカー、救急車……要素が揃いすぎてて、嫌な予感しかしないな」

「偶然にしてはできすぎ? でもま、こうして現実にあっちゃうとねぇ」

「……どう、する……スルー、する……?」

「うにゅにゅ……でも、気になっちゃいますよ」

 

 さしものわたしでも、予想がついた。

 驚きに加え、怖いものが背中を通るけど、同時に好奇心も湧き上がる。

 自分の住んでいる町。身近で起こっていること。

 たとえそれが恐ろしく、軽々しく触れてはいけないようなものでも、それを無視することはできない。

 言い訳染みているような気がするけれど、そう思ってわたしは進んだ。

 騒然としている、人混みに向かって。

 

「……人が、多いね」

「いやまったく。声が重なりに重なってノイズになってて、なにがなんだかよくわからないねー」

「入りたくない……」

「……うん? あれは……」

「霜さん? どうしましたか?」

「ごめん、皆。ボクはちょっとはずすよ」

「なにかあったの?」

「ちょっと有益かもしれない情報源を見つけたんだ。大丈夫、すぐ戻るよ」

 

 そう言って霜ちゃんは、わたしたちから離れる。

 そして人混みを掻き分けながら、進んでいく。なにか明確な目的地があるような足取りだった。

 霜ちゃんの先にいたのは、一人の男の子。というか、あれは――

 

「――やぁ、若。奇遇だね」

 

 若宮くん、だった。

 クラスメイトの、若宮智久くん。

 若宮くんは新聞部員で、前にちょっとだけ取材を受けたことがあるんだけど……わたしとの関わりと言えばそのくらい。

 だけど霜ちゃんは、彼と仲がいいみたい。

 霜ちゃんは体育とかは男子として参加してるけど、あんまり男の子のことについては話してくれないから、わたしは若宮くんについてよく知らないんだよね……

 どうやら霜ちゃんは、わたしたちより先にこの場にいた水早くんから情報を聞き出すつもりみたい。若宮くんは新聞部だし、確かに情報には期待できそうだ。

 

「水早……奇遇っちゃ奇遇だけど、いつもの仲良し五人組じゃないの?」

「皆いるよ。ただ、君と会うのに皆がいては、不都合があるからね」

「なにが不都合だって言うんだ?」

「言ってもいいけど、君の名誉のためにボクは黙っておきたいな」

「お前にとっての僕の評価はどれだけ低いんだ!?」

「冗談だよ。ただ、皆がいない方が、君も話しやすいだろう? 君は女慣れしてないから」

「ほっとけ! ……その通りだけどさ」

 

 なにやら楽しく談笑している様子の霜ちゃんと若宮くん。

 霜ちゃん、わたしたちといる時は、いつも眉間に皺を寄せているような表情なのに、若宮くんと話している時は……楽しそう。

 わたしたちと一緒の時が楽しくなさそうってわけじゃないけど、なんだか今の霜ちゃんは自然っていうか、ちょっと爽やかで、“男の子”って感じがする。

 

「で、これは一体なんの野次なんだい?」

「なんだ、聞きたいことはそんなことか?」

「まあね。こういうのはパパラッチに聞くのが一番だと思って」

「誰がパパラッチだ。僕はごくごく普通の一般記者だっての」

「うん。まあその辺の細かいニュアンスはさておくとしてね」

「置いとかないで欲しいんだけど。一応、僕の沽券に関わるから」

「君にパパラッチができるほど度胸がないチキンだってことはボクが証明するから安心していいよ」

「不名誉だな!」

「そんなことより、聞きたいことを聞いていいか? 話が進まない」

「それは悪かった……けど、水早にも責任はあると思うんだが……」

「君がなにをしているかは、この際どっちでもいい。これは、どういう野次馬だ?」

 

 霜ちゃんが若宮くんに再度問うと、若宮くんはげんなりとした様子で、だけどしっかりと答える。

 

「わざわざ僕に聞くことか、それ? こんなの、水早なら察しはついてるだろ。ホームルームでも言ってた、話題の通り魔事件だよ」

「通り魔事件……そんな風に呼称されているのか?」

「一部ではね。まあ、世間的には『幼児連続殺傷事件』という呼称の方が通りがいいけど」

「ボクもしっかりとニュースをチェックしたわけじゃないけど、幼児ということは、子供がターゲットなのか?」

「そうだね。今のところ、被害者は子供、それも未就学児ばかりだって」

「……あまり気分のいい事件じゃないね」

「まあね。新聞社(うちの部)でも、取り上げるのを中止したくらいだ。見ての通り警察も動いてるし、なかなかにヤバいタイプの事件だよ。おっかないね」

「今回の被害者も、子供なんだよね」

「みたいだよ、もう救急車で運ばれて行ったけど。聞くところによると、今回の被害者は幼稚園にも入っていない子供だって。今まで三件の事件があったけど、その中でも断トツで幼いね」

「そうなのか?」

「あぁ、他の事件では小学生が被害者だったから。と言っても、小学校低学年だから、標的にされているのが幼い子供ということに違いはないけれど」

「そうか……しかし、随分と詳しいな。君はそんなに熱心な新聞部員だったのか?」

「腐っても僕は報道部の新聞社員だ。この町の大きなニュースくらいは把握しているさ……まあ全部、先輩の受け売りなんだけどさ」

「なんだ、君が大したものというわけではないのか。だけど、紙面に載せるのは却下されたんだろう? なのに、そんなに詳しい人がいるのか?」

「まあね。紙面掲載は中止になったけど、そうなる前から調べていたみたいだし」

 

 人混みがすごくて、なんの話をしているのかはよく聞こえないけど、若宮くんはこの事件について詳しいみたい。

 それに、それだけでは終わらない。

 

「そうだ。もう一つ、面白い話があるんだ」

「面白い話?」

「あ、いや、面白いと言うと不謹慎だな」

「なんでもいいよ。で、なに?」

「連続殺傷事件の始まりが、およそ一週間前。だけどその前から、ちょっとした都市伝説みたいな噂が流れていたのは知ってる?」

「聞いたことあるかもしれない。車に轢かれた犬猫の死体が、やたら発見されてるってやつか?」

「そう、それだ。今細々と続いているみたいだけど、噂では黒魔術的な儀式とか、当たり屋ならぬ猫轢き屋とか、くだらない説が流れているが……実はその犬猫たちは、事故死じゃないって話だ」

「どういう意味だ?」

 

 霜ちゃんが、訝しげな視線を向けながら、尋ね返す。

 それを受けて若宮くんも答えた。

 

「故意に殺害されているんだよ。大抵の人は、血塗れの獣の死体なんて近づきたくもないだろうけど、それをまじまじ観察した人もいるとかなんとか。あるいは保健所の証言かなにかか。細かいところは忘れたけど、真偽はさておき、犬猫の死因は、車に撥ねられたことじゃない。何者かによって、はらわたをズタズタに引き裂かれたから、だという」

「本当か? なんのために?」

「知るかよ。数こそ多いが、こっちは事件性が定かでない。都市伝説みたいなものだからね。実際に轢かれてる死体もなくはなかったとも言うし。警察が動き出す兆しもあったみたいだけど、その前にこっちのよりデカい事件が出て来て、それどころじゃなくなった、ってところじゃないか?」

「犬猫の変死体ね……いや、切り裂かれているなら変死ではないのか。それはどこまで本当なのやら」

「僕もそう思うけど、でも、わりと信憑性は高いみたいだよ? 地方紙だが、どこかの新聞に載ってたって、先輩は言ってた」

「また先輩か。何者なんだ?」

「いたって普通の先輩……とは言えないかな。まあでも、いい人だよ。少し変わりものだけど」

「それで? その動物の惨殺死体と、今回の傷害事件と、なんの関係があるんだ?」

「因果関係は解明されていない。ただ時期と事件発生場所が近い、どちらも刃物が凶器となっている、程度の共通点だな」

「……獣を殺すのに飽きてしまって、人間を殺し始めた快楽殺人者、とかか?」

「知らないけど、その可能性も否定はできない。だが、奇怪な事件が同時に発生したからと言って、両者が因果関係で結ばれているとは限らないよ。そんな物語的なことは、現実的じゃない。それに、獣はズタズタに殺されているのに、人間の方は瀕死ではあっても死んではいないわけだし……あぁでも、かなり危険な状態で、死者が出てないのは単に運が良かっただけ、とも言われていたっけ。だからまあ、微妙なところだな。結局はよくわからない」

「それは、単純に人間の方が殺しにくい、死ににくい、ということではないのか?」

「だから知らないよ。僕らはもうこの事件からは手を引いてるし、今だって帰る途中にパトカーがやって来たから気になっただけなんだ。僕が知ってる情報はこれで全部だよ」

「そうか……ありがとう、若」

「別にいいよ礼なんて。でもまあ、他人事っぽいけど、相当大きくて、それでいて身近な事件だし、水早も気を付けろよ。お前は女っぽいから」

「若も男らしくないから、気を付けた方がいいんじゃないか?」

「ほっとけ」

 

 と、わりと長かった、霜ちゃんと若宮くんの話はそこで切り上げられた。

 一通り話を終えた霜ちゃんが、人混みから離れたわたしたちのところに戻って来る。

 

「……なにか……わかった……?」

「微妙だね。とりあえず分かったのは、この町とその近辺で起こっている二つの事件についてだ」

「二つ? ホームルームで言ってたやつだけじゃないの?」

「みたいだよ。順番に説明しよう。一つは、今ここで起こった幼児連続殺傷事件。その名の通り、子供ばかりを標的にした殺傷事件だ」

「怖いですね……」

「で……二つ目、は……?」

「もう一つは、動物惨殺事件。こっちは事件というより、都市伝説だけど。最近、やたら犬や猫の死体が見つかるけど、それは事故死ではなく、誰かが刃物で惨殺した、というものらしい」

「うわ酷い。わざわざ小動物をひっ捕まえて殺すとか、外道だね!」

 

 みのりちゃんが珍しく怒ってる……けど、その通りだ。

 わたしとユーちゃんでふんふんと頷いていると、霜ちゃんが驚いたようにみのりちゃんを見つめている。

 

「……実子、大丈夫か?」

「え? なにが?」

「いや、君にしては、驚くほど常識的というか、随分と倫理的というか……まるで心を持った真人間みたいな発言だったけど……」

「なんだと。それはどういう意味かなー? 水早君?」

「だって驚くじゃないか。いつもロクなことを言わない実子が、まともなことを言うと。ヤンキーが捨て猫を拾ってるところを目撃してしまったみたいな感覚だ」

「私はヤンキーってか。ならヤンキーらしくそのケンカ買うよ?」

「け、ケンカはダメですよ、お二人とも!」

「……また、はじまったし……」

 

 いつものように霜ちゃんとみのりちゃんが言い合いを始めるけど、わたしの頭の中には別のことが浮かんでいた。

 凶悪な事件。不可解な都市伝説。

 そんな、日常の中に潜む非日常感。

 その根源を、可能性を、口にする。

 

「……クリーチャーの仕業、なのかな?」

 

 クリーチャーの引き起こした事件。

 わたしたちは、今まで何度も、それを経験してきた。

 これまでは大きな被害はなかった。誰かが傷つくことも、少なかった。

 まったくなかったわけじゃないけど、最後にはみんな、笑っていたんだ。

 けれどクリーチャーは、わたしたちの常識を超えて来る。

 誘拐事件の時も、林間学校でのことも、わたしは忘れない。

 クリーチャーは犯罪を犯すし、天災さえも引き起こす、危険になり得る存在。

 だから、もしかしたら、今回の事件も……

 

「クリーチャーの仕業か。可能性は否定できないな」

「ユーちゃんたち、前にクリーチャーにユーカイされちゃったことがありますよ」

「その例を踏まえると、クリーチャーが計画的な犯罪をやらかしてもおかしくないねぇ」

「……あの、焼き鳥、は……?」

「鳥さんのこと? 鳥さん、最近まったく姿を見せないからなぁ……」

「いざって時に使えない鳥肉だね。喋らないし見つからないし食えないとか、無能では?」

「うーん。でも、クリーチャーが現れたら、来てくれると思うんだけどね……」

 

 わたしと鳥さんの関係は、一方的で受け身だ。

 だから、こうやって必要な時にいないということは、珍しいことじゃないんだけど。

 それでも、こんな時は鳥さんが恋しくなってしまう。

 

(鳥さん……どこにいるんだろう)

 

 今、この町には異変が起きている。それだけはわかる。

 だけどその中身までは暗がりとなって見えない。

 なにも知らない。わからない。

 入口も、扉も見えているのに、扉の鍵が見つからないみたいな。

 その先で、なにかとても大変なことが起こっている。その音だけが聞こえていて、けれどそこに立ち入る手段がない。

 わかっていても手が出せなくて、もどかしい。

 気付けばわたしの中で、小さな種が芽吹いていた。

 このままなにも知らずに終わりたくない。なにかが起こっているのに、なにも知らないままなのは、イヤだ。

 なんでもいい。誰でもいい。誰か、なにか。手掛かりが欲しい。

 灰色に濁った空を見上げながら、誰でもない誰かに希う。

 果たしてその願いは、誰が聞き届けたのか。

 もしも神様がいるのなら、その神様はよっぽど気まぐれなのか、適当なのか、それとも、わたしたちの考えなんて到底及ばないなにかなのか。

 なんにせよ。

 

 

 

「――知りたい?」

 

 

 

 その神様の叶えたらしいわたしの願いは、奇妙な縁を結んでしまったのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 不意に、声をかけられて、ほとんど反射的に、振り返る。

 けれどわたしは、わたしたちは、上手く反応できなかった。

 それはあまりに突然で、予想なんてできなくて、その存在を思わせるようなものは、なにも感じられなかったから。

 伏線も、布石も、なにもない。

 予兆もなにもなく、ただそれが当然であるかのように、彼女はそこにいた。

 嵐の最中、台風の目に急に光が差すように。

 暴風雨を伴った明るい兆しが、やって来た。

 けれどその光はとても不自然に見えて。

 どうしてそうなっているのかわからなくて。

 その不思議さ、奇妙さのせいで。

 彼女の名が、自然と零れ落ちる

 

「わ、若垣(わかがき)、さん……?」

 

 そう、わたしたちは、彼女の名前を知っている。

 若垣狭霧(さぎり)さん。わたしたちのクラスメイトの、女の子。

 可愛いと言うよりは、カッコいい。ボーイッシュというよりは、クールビューティー。

 シュッと一つに括られた髪に、スマートな体型。制服のスカートよりもジャージの方が似合うような。霜ちゃんやみのりちゃんとはまた違った男の子っぽさというか、カッコよさがある。

 けれど彼女の纏う空気感はとても独特。気だるげで、どことなく世捨て人のような眼が、近寄りがたい空気を発しているせいだ。

 クラスでも孤高の人という感じで、誰かと一緒にいるところはほとんど見たことがないし、本人も誰かと触れ合うことを求めている様子はない。

 他人に対して無関心を決め込んでいるみたいな。ちょっと斜に構えたというか、冷ややかなところのある人だ。

 そういう人なだけに、わたしもほとんど話したことがないし、接点もクラスメイト、というくらいだ。

 だから当然、どうして? という疑問が湧く。

 どうして、ここにいるのか。

 そして、さっきの言葉の意味は、なんなのか。

 わたしはその前触れのない嵐にたじろいでしまって、口ごもってしまったのだけれど、代わるように霜ちゃんが尋ねてくれた。

 

「君は若垣さん、だよね。若垣狭霧さん。クラスメイトの」

「そうだけど」

「一体なんだい、藪から棒に。ボクらは君とあまり接点はなかったはずだけれど、随分と親しげだね」

「接点とか。そんなくだらないものに縛られてるの? 呆れた。アンタはもう少し聡明だと思ってたけど、なんだ、ハリボテか。ガッカリ」

 

 会話を始めて間もないのに、この棘のある態度に発言。

 霜ちゃんの額がピクリと動く。

 

「……君の目的が読めなくて警戒している、ということくらいは察して欲しいものだけどね。じゃあ、そっちの詮索は後回しにしようか。君は、ボクらになにを教えてくれると言うんだ?」

「別にウチはなにも教えたりはしないわよ。ただ聞いているだけ。アンタたちの答えは、イエス、オア、ノーの二者択一よ。知りたいのか、知りたくないのか。どっち?」

「知りたいと言ったら、君は教えてくれるのか?」

「さてね。ちょっとは考えなさいよ、なんでウチがアンタたちとコンタクトを取ったのかを。アンタたちなんかに、ましてやナントカ殺傷事件やら都市伝説やらに興味なんかないのに、こうして接触を果たした意味を」

 

 もったいぶる若垣さん。誰かが話しかけても、いつも素っ気なくあしらうだけの彼女が、こんなに饒舌に喋っているところは、はじめて見たかもしれない。

 けれど、まず間違いない。

 若垣さんは、今回の事件についてなにか知っている。なにかしらの手掛かりを持っている。

 それだけはきっと、確かな事実だ。

 

「それで? 知りたいの? 知りたくないの? 早く答えて」

「…………」

 

 急かす若垣さん。

 霜ちゃんは、そんな彼女に疑念を抱いているのか、答えない。

 正直、わたしも怪しいと思うし、奇妙だし、裏があるんじゃないかって思うけど。

 でも、

 

「わたしは知りたい」

「小鈴……」

 

 これが偶然でも、必然でも。

 前に進むためのチャンスを、逃したくなかった。

 

「若垣さん。あなたがなにかを知ってるというのなら、教えて」

「その答えを待ってた。ウスノロかと思ったけど、案外イケてるじゃない。女装趣味よりいい話ができそう」

「…………」

「でも、ただ教えるだけじゃつまらない。なにかサプライズが欲しいところね」

 

 さ、サプライズ?

 え? なにを言ってるの?

 

「せっかくだし、賭けにしない? お互いに賭け金を用意して、負けた方がそれをぶん取れるっていうの。あぁ、賭け金って言っても、当然、金品なんてナンセンスなものはナシよ」

 

 なんだかすごいことを言ってる。

 すべて彼女の思うままに話が進んでいて、正直ついていけない。

 若垣さんの謎の申し出に、わたしは困惑するだけだけど、霜ちゃんは違った。

 彼女の奇妙さ、おかしさに、喰らいつく。

 

「馬鹿馬鹿しいな。荒唐無稽だよ。取引ですらないなんて」

「そう? 結構、面白いと思うんだけど」

「そもそも君は、ボクらになにを提供するのかさえ不明瞭じゃないか。君がボクらに接触した意図も、君の目的も、なにもかもが謎すぎて、信用に値しない。ボクらにとってのリターンが明確でないのに、下手なリスクは負えないよ」

 

 まったくもってその通り。やっぱり霜ちゃんは、どこまでも理性的だった。

 若垣さんを信用するかどうかはさておいて、彼女はわたしたちに、今回の事件について知りたいかどうかを聞いているだけだ。それについて答える、とは一言も言っていない。

 とにかく行動が、その意図が、真意が読めない。

 その賭けにしたって、彼女が勝って得をするのかどうか。たぶん、なにも得しないような気がするけど。

 せっかく展望が見えてきたけれど、わたしたちに差し伸べられた手は、あまりにも奇妙奇天烈で、とてもその手を取ることはできなかった。

 

「悪いけど、若垣さん。あなたの提案には乗れない。あまりにも混沌だ。打算的な思考がなさすぎる」

「なによ、せっかくこっちが乗って来たってのに、冷めること言って空気読めない奴ね。でもこっちも、興が乗ったところで簡単に引き下がりたくもないの」

「だったら他を当たってくれ。ボクらは、君の茶番に付き合っている暇はない」

「偉そうでムカつく。けど、アンタには最上級のカードを用意してるから、むしろ滑稽ね。アンタもこっちの手札を知ってれば、のほほんとマヌケ面を晒していられたでしょうに」

「……? なんだ、交渉材料でもあるのか?」

 

 若垣さんとのやり取りも打ち切り、という流れだったけれど。

 彼女はその流れを、強引に引き戻す。

 

「お兄ちゃんからは言わない方がいいって言われてたけど……ま、面白いしいっか」

「なんなんだ。まだ交渉の余地があるって言うのか? ボクとしては、君の話は信用に値しないから、早く打ち切りたいところなんだけどね」

「交渉、交渉ね。まあ体面的にはそう言いたいところではあるね」

「随分ともったいぶるな。そんなに大事なものなのか、それは」

「ウチにとってはどうでもいいけど、アンタにとってはどうでしょうね」

「ますますわからないな。ボクと君の接点は希薄だ。君がボクの急所を知っているとは思えないが」

 

 そうだ。わたしがそうであるように、霜ちゃんだって若垣さんと接触する機会は少ないはず。男女で体育が別々だし、それだけでわたしたちよりも、霜ちゃんは若垣さんとの接点はずっと薄くなる。

 だから、若垣さんがわたしたちのことを詳しく知っているなんて、ないはず、なんだけど……

 

「アンタがウチをそう認識してるってことは、ウチがいつもなにをして、誰とつるんでるかも知らないってことでしょ? それなのに、よくもまあ、自分のことを知ってるはずなんてない、なんて言えるわね」

「ハッタリか? 悪いけど、君の妄言や虚言に付き合ってあげるほど、ボクはお人好しじゃない」

「とかなんとか言って、本当は気になってるんでしょ? ビビってるんでしょ? 実はなにかあるんじゃないかって可能性を捨てきれなくて、探ってるんでしょ?」

「……本当、なんなんだよ。君は、なにを知ってるっていうんだ? そこまでもったいぶることなのか? それは」

 

 焦らすような若垣さんの物言いに耐え切れなくなったのか、霜ちゃんが遂に踏み込む。

 けれどそれは、地雷原に生身で突っ込むようなものだ。

 若垣さんの持ってるカードは、交渉のための材料なんて、生易しいものじゃない。

 

「だってそうでしょ。このカードを切っちゃったら、これはもう交渉じゃなくて、脅迫だもの」

 

 それはとても鋭い刃。

 そして、猛毒だ。

 霜ちゃんにだけしか効かない、とても、とても強い毒。

 彼女はそれを、突きつける。

 

 

 

「ねぇ――“盗撮魔さん”」

 

 

 

 その一言で、すべてが凍りついた。

 空気が、身体が、思考が、なにもかもが。

 短い時間だったと思うけど、それはとても長い時間に感じられた。それほどに、その沈黙は重かった。

 そして、その重力を一番に感じていたはずの霜ちゃんが、真っ先にその静寂を打ち破った。

 

「……なぜ君が、そのことを?」

 

 努めて冷静に振る舞う霜ちゃんだけど、わたしにもわかるほどに、その声は震えていた。

 声だけじゃない。指先も、身体も、必死で抑えようとしているけれど、それでも震えが見て取れる。顔も青ざめていて、とても正常な状態じゃない。

 それは見るからに、恐怖だった。あの冷静で、気丈で、利発な霜ちゃんが、恐れている。こんなにも怯えた霜ちゃんは見たことがないってくらいに、怖がっている。

 いつもの毅然とした態度は脆く、あと少し突けば、崩れ去ってしまいそうだ。

 見かけの上では取り繕っていても、それはあまりにお粗末だ。わたしにすら、霜ちゃんの内心が透けて見えるほどだもの。

 それほどに、霜ちゃんはあの時のことを、ずっと引きずっているんだ。

 ――絶対に忘れない。霜ちゃんと初めて出会った時のこと。

 “男の子”になろうした霜ちゃんが取った行動。女子更衣室のビデオカメラ。

 わたしたちは、霜ちゃんを許した。クリーチャーが絡んでいた事件だったし、霜ちゃんの悲痛な気持ちを、無視することはできなかったから。

 そう、だからわたしたちは、霜ちゃんが犯してしまった罪を隠した。霜ちゃんのためと思って。わたしたちだけの秘密にした。

 だけどそれは、事情を知っているわたしたちの判断であって、もっと客観的に見れば、簡単に許していいものとは言えない。

 中学生とはいえ、法律に触れるようなことだ。それだけで、責任感の強い霜ちゃんには、大きな重責になっているはず。

 そしてなにより、霜ちゃんを含めてわたしたちは、霜ちゃんの保身を優先して、あのカメラに映っていた人たちのことを無視したんだ。

 二重の枷で、罪の十字架だ。

 霜ちゃんは今まで、それを表に出すことはなかったし、わたしたちも禁忌(タブー)と思って口にはしなかったけど。

 それは間違いなく、霜ちゃんの決定的な急所。

 そして、わたしたちの仲を引き裂きかねないほどの致命傷を伴う、弱点だ。

 ただ、それとは別に不思議なこともある。

 なぜあの時のことを若垣さんが知っているのか。あの時の出来事は、学援部で内々に処理されて、表沙汰に放っていないはず。みのりちゃんはちょっと知ってるけど、でも、みんながこんな大事なことを簡単に口外するわけがない。

 学援部の人たちだって、きっとそうだ。だから、若垣さんがあの時のことを知っているはずはないんだけど……

 

「さて、なんでかしらね。まあでも、これで交渉の余地はあるんじゃない? お互いの大事なもの、浮き彫りになったでしょ?」

「……なにがお互いだ。ボクの汚点を曝け出しただけじゃないか。クソッ……」

 

 憎々しげに舌打ちする霜ちゃん。

 でもこれはもう、交渉なんかじゃなくて、脅迫だ。

 霜ちゃんの保身を考えたら、わたしたちは、若垣さんの言うことに従うしかない。

 いや、従って済むのなら、まだマシだ。

 

「スリリングで楽しくなったきたわね。負けた瞬間に人生ゲームオーバーとか、なかなか笑える話」

 

 脅迫されて、それに従えばいいというものではなく。

 あくまでこれは賭け。賭けの勝敗で、すべてが決してしまう。

 もはやそれは、脅迫でも交渉でもない。快楽殺人のようなものだ。

 流石に、黙っていられなかった。

 

「わ、若垣さんっ! なんで、そんな……」

「なんでって、面白いからって言ってるでしょ。もっとノリよく乗ってくれれば、ウチだってこんな汚いマネすることはなかったのに。そこのダッサイ女装趣味が頑固だから。仕方ないじゃない」

「……限度が、ある……お前の、それ……もう、犯罪レベル……」

「さて、ウチは法律とか詳しくないし、興味もないから、知ったこっちゃないわね。っていうか、いい加減、話をまとめない? ウチとの賭けに乗るの? 乗らないの?」

「……選択肢なんてないんだろう。いいよ、やってやるさ」

「霜ちゃん……」

 

 力のなく無理やり絞り出したような声で応じる霜ちゃん。

 精神的にも、およそ正常とは言えないのに。

 だからなのか、今の霜ちゃんは、どこか投げやりな風にも見える。

 

「ま、そう答えるしかないよね」

「それで、賭けとは言うが、なにで勝負するんだ?」

「んー……そうね。ならお互いにルールを知り尽くしてるゲーム――デュエマでどうかしら」

「え? デュエマ?」

 

 なんでそこでデュエマ? と疑問符が浮かぶ。

 というか、若垣さんもデュエマやってたんだ……

 こんな大事なことを、デュエマで決めるの……?

 

「なぜデュエマ……」

「面白いからに決まってるでしょ。時間は30分後。場所はウチらの教室で。先に行って待ってるから。それじゃ」

 

 一方的で、決定してからの若垣さんの行動は早かった。

 踵を返すと、一目散に学校へ向かって駆け出す。あっという間にその姿は見えなくなってしまった。

 若垣狭霧さん。

 今までは、他人に興味のない冷淡な人、ってイメージだったけど。その実、とても饒舌で、気分屋で、そして残酷な人だった。

 まるで嵐だ。いきなり現れては、すぐに消える。だけど、しっかりとその爪痕は残していく存在。

 それはわたしたちにも、決して小さくない影響を与えていった。

 

「霜ちゃん、大丈夫……?」

「あぁ……驚いたけど、勝てば問題ないんだ。大丈夫だ」

「ぜんっぜん大丈夫は見えないけどねー。病人かってくらい顔真っ青だし、南極にでもいるみたいに身体ガタガタ震えてんじゃん。ほら、お茶でも飲んで落ち着きなよ」

「……ありがとう」

 

 みのりちゃんの差し出した水筒のお茶に口を付ける霜ちゃん。

 やっぱり、霜ちゃんはかなり精神的に来ている。いつもみたいに、みのりちゃんの軽口に返す余裕もないなんて。

 それにみのりちゃんも、いつもみたいにおどけた調子だけど、気を遣っているのがわかる。

 

「そんなブルブル震えてたら勝負になんなくない? あっちは特に人を指定してなかったし、私がボコしてこようか? なんかムカつくし」

「私も……」

「いや。あれはボクへの挑発であり、挑戦だ。それになにより、“あのこと”はボク自身の責任だ。自分でカタをつけるさ」

「霜さん……」

 

 一番怖いのは霜ちゃんなはずなのに、それでも霜ちゃんは、気丈さを失わないし、人としての正しい在り方を貫いている。

 脆さや弱さに甘えることなく、自らにムチ打って責任を果たそうとしている。

 

「ありがとう。だいぶ落ち着いたよ」

 

 霜ちゃんはみのりちゃんに水筒を返す。

 さっきよりも顔色はよくなったし、震えも小さくなったけど、それでも完全に消えたわけじゃない。

 

「しかしデュエマで決めるとはな……30分後か。デッキを調整してる時間もないし、今のまま行くしかないか」

「デッキ……だいじょうぶ……?」

「家に帰れば大会で使うようなデッキもあるんだが、流石にそんな時間はなさそうだ。手持ちのデッキだとちょっと不安だけど……まあ、今あるのは比較的マシなやつだし、なんとかするさ」

「不安だなぁ」

「それでもやるしかないんだ。さあ、早く行こう。遅れて不戦敗なんていちゃもんをつけられても困る」

「あっ。そ、霜さんっ! 待ってくださいよぅ」

 

 急くように学校へと踏み出す霜ちゃん。

 その後ろ姿はいつもの霜ちゃんと違ってて。

 カッコいいけれど、恐ろしくて。

 とても、危なっかしかった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 若垣さんと別れたから、指定された時間通り、およそ30分後。

 1年A組の教室に戻ると、誰もいな教室にただ一人、若垣さんは待っていた。

 

「しっかり来たのね」

「脅されているからね。来ざるを得ない」

「あっそ。まあ、ウチは楽しめればなんでもいいけど」

「楽しめれば? 快楽のために、こんな茶番をしてるっていうのか?」

「少なくともウチが楽しくなくちゃ、どんな目的の物事だろうと、やりたくないから」

 

 霜ちゃんの声は、もういつも同じくらいの平静を取り戻しているように見えるけど、内心はどうなのか、わからない。

 でもきっと、怖いはずなんだ。若垣さんは、霜ちゃんに対する最大の切り札を握っているんだから。

 

「それじゃ、手っ取り早くサクッと楽しんで、お互い得する時間にしましょうか」

「ボクが勝てば、君の知ってることを教えてくれる。そういう取り決めで、信じていいんだね?」

「こんなとこでつまらないウソは吐かないわよ」

「……そうかい」

 

 そんなことを言いながら、お互いにデッキをシャッフルしている。

 それにしても、本当にデュエマで勝負するんだ……

 これを若垣さんの茶目っ気と呼ぶには、あまりにも残酷すぎて、容赦がなさ過ぎて、とてもそうは呼べないけど。

 でも、こうしてカードを並べているところを見ると、これはこれで奇妙というか、変な感じだ。

 殺伐とした空気、というわけでもなく、かと言って遊びと言えるような気分でもない。

 若垣さんのやってることは、正直、酷いことだと思う。霜ちゃんのやったことは許されることではないし、わたしが身内贔屓しているのも確かなんだけど……それをダシにするやり方は、よくないと思える。

 だけど彼女は、それを脅迫ではなく、あくまで賭け金として使っているだけ。その存在自体が脅迫としての効果があるのは確実だけど、彼女は本気で脅迫のために使おうという気概が感じられない。

 悪意ではなく、歓楽や快楽的ななにかで動いているみたいな。面白がっている、のともまた違う気もする。

 そこに打算があるのか、謀略なのかはわからないけど……

 うーん、上手く言葉では言い表せなくてもどかしい……単純な善悪や敵味方で測れないような、この感覚。

 まるでちょっと前の代海ちゃんみたいな、とても変な感じがする。

 

「先攻はアンタからでいいよ」

「そうか。それなら遠慮なく貰っておくよ。ボクの超次元ゾーンはこれだが、君は?」

「これ」

 

 わたしがうんうん唸っているうちに、二人の間で超次元の確認が行われていた。

 

 

 

[霜:超次元ゾーン]

《勝利のガイアール・カイザー》

《勝利のプリンプリン》

《魂の大番長「四つ牙」》

《タイタンの大地ジオ・ザ・マン》

《サンダー・ティーガー》

《シルバー・ヴォルグ》

《時空の英雄アンタッチャブル》

《時空の喧嘩屋キル》

 

 

[狭霧:超次元ゾーン]

《勝利のガイアール・カイザー》

《勝利のリュウセイ・カイザー》

《勝利のプリンプリン》

《ガイアール・カイザー》

《横綱 義瑠の富士》

《イオの伝道師ガガ・パックン》

《時空の戦猫シンカイヤヌス》

《アルプスの使徒メリーアン》

 

 

 

「んー……? 水早君の方は緑中心の次元っぽいけど、若垣さんの、なにあれ?」

「《義瑠の富士》……生姜じゃない《ガイアール》……《ヤヌス》……わからない……」

「コスト8のサイキック二体って珍しいね。シューティングガイアールとかかなぁ。にしては低コストのサイキックが奇妙だけど」

 

 若垣さんの超次元を見て、首を傾げるみのりちゃんに恋ちゃん。

 わたしはあんまり詳しくないけど、こういう超次元は見たことがない。

 霜ちゃんは表情を変えないようにしてるみたいだし、この超次元に戸惑っているのかどうかもわからないけれど……

 

「じゃ、始めようか」

「あぁ。ボクの先攻、《怒流牙 サイゾウミスト》をチャージして、ターンエンド」

「ウチのターン。ドロー。ここは……んー」

 

 手札を見て悩む若垣さん。

 迷いなくマナチャージした霜ちゃんとは対照的だ。

 

「最初から悩んでます?」

「手札がいいのか、あるいは悪いのか。マナチャージするカードが悩ましい状況ってことだよね」

「もしくは……安易な、マナチャージが……致命傷になるようなデッキ、か」

 

 一番最初のマナチャージから悩む。それだけ、若垣さんのデッキは難しいデッキなのかな。

 しばらく悩んでから、若垣さんは手札から一枚を抜き取った。

 

「ま、普通にこれよね。《超次元ごっつぁん・ホール》をチャージ。エンドよ」

「《ごっつぁん・ホール》……? 黒赤緑(デアリ)なのか?」

 

 

 

ターン1

 

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:30

 

 

狭霧

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:5

墓地:0

山札:29

 

 

 

「動きが怪しいな……ボクのターン。《クロック》をチャージして、2マナで《貪欲な若魔導士 ミノミー》を召喚」

「へぇ、いいカードじゃない」

「そいつはどうも。《ミノミー》の能力で、山札から三枚を見るよ。その中から、《神秘の宝箱》を手札に加える。ターンエンドだ」

「ウチのターン。《ボーイズ・トゥ・メン》をチャージ。ターンエンドよ」

 

 クリーチャーを出しながら呪文を手札に加える霜ちゃん。

 対する若垣さんはマナチャージだけ。でも、マナに置いたのは光と水と自然のカード。

 前のターンに置いたのが、火と闇と自然のカードだから、これで五文明すべてが揃ったことになる。

 

 

 

ターン2

 

場:《ミノミー》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

狭霧

場:なし

盾:5

マナ:2

手札:5

墓地:0

山札:28

 

 

 

「5c……? のわりに、カードが妙だな。しかもあの次元。まさか……」

 

 若垣さんのマナゾーンを見て、訝しげな視線を向ける霜ちゃん。

 疑った眼差しのままカードを引く。

 

「ボクのターン、《アクアン・メルカトール》をチャージ。3マナで《神秘の宝箱》を唱えるよ。山札から《オール・フォー・ワン》をマナに置いて、ターンエンド」

「こっちも、変なカード、見えた……《宝箱》の、時点で……怪しいことする気、満々……だけど」

「《オール・フォー・ワン》かぁ。なんか嫌な思い出が蘇るよ」

 

 あのカードは、夏休み前の勉強会でも見せたD2フィールドだね。

 でもマナに置いちゃったし、あの時のデッキとは違うのかな。

 わたしたちが霜ちゃんのデッキについて考えていると、不意に、若垣さんがこちらに視線を向けていることに気付いた。

 

「ウチのターン、《プラチナ・ワルスラS》をチャージ……さて、そっちのデッキは意味不明だけど、こっちのデッキはそろそろ気づいてるんじゃない?」

「…………」

「ま、気づいてなければただの馬鹿ってことで。それと、そっちのお馬鹿さんはわかってなさそうだから、ここがいいタイミング。種明かしをしてあげる」

 

 お馬鹿さんって、わたしのこと……?

 確かに、若垣さんのデッキはまったくわからないけどさ……そんなこと言わなくてもいいのに。

 なんて膨れている間もない。

 種明かしをする。そう宣言するだけのことを、若垣さんは行うのだ。

 

「2マナで《月光電人オボロカゲロウ》を召喚!」

 

 出て来たのは、たった2マナの水のクリーチャー。

 パワーも1000しかないし、そんなに強そうには見えないけど……

 

「《オボロカゲロウ》の能力発動。ウチのマナゾーンの文明の数だけドローするわ。ウチのマナゾーンは五色すべてが揃ってるから、五枚ドロー」

 

 と、思ったら、次の瞬間にとんでもないことをしていた。

 たった2マナで五枚もドロー。それがどれだけ凄まじいことかは、わたしにもわかる。

 って驚いたけど、流石にそんなにおいしい話はなかった。

 

「その後、引いた枚数分、手札を山札の下に戻す」

「あ、戻しちゃうんだ」

 

 しかも引いた枚数と同じ枚数を戻すんじゃ、プラスマイナスゼロで、手札は増えない。

 結局は、手札を入れ替えただけ?

 五枚も入れ替えられるのはすごいけど、思ったよりも地味だね……

 

「違うよ小鈴ちゃん」

「え?」

 

 そう思うわたしの心中を見透かすように、みのりちゃんの言葉が突き刺さる。

 

「私はもうわかっちゃったなぁ。確かにあれはただ引いただけ。ハンドアドは増えない手札交換でしかないけどね。あのカードは“引くこと”に意味があるんだ」

「? どういうこと?」

「見てれば、わかる……あのデッキは……ここから……」

「その通り。このターン、ウチはターン最初のドローで一枚、《オボロカゲロウ》で五枚。合計カードを六枚引いた。よってマナコストをマイナス6! 1マナでこいつを召喚よ!」

 

 ドロー枚数を告げ、若垣さんは残る1マナをタップする。

 静かに、けれども確かな荒々しさを、瞳の中に湛えながら。

 

 

 

「嵐の前に荒みなさい――《絶海の虎将 ティガウォック》!」

 

 

 

 っ!? 7マナのクリーチャーが、1マナで出た!?

 パワーは7000、Wブレイカーは当然として、ブロッカーまで持っている。

 それが、1マナ……? どういうこと?

 

「《オボロカゲロウ》は、低コストで大量ドローできるクリーチャー。ただの交換だから手札の枚数こそ増えないけど、ドローしていることに変わりはないんだよね」

「だから……《ティガウォック》のコストも、一気に、下がる……それに……」

 

 そ、そっか。大事なのは手札の枚数じゃなくて、ドローそのものだったんだ。

 引いたという行動そのものを糧に、若垣さんは新しいクリーチャーを呼び出した。だけどそれは、まだ止まらない。

 押し寄せる波濤の如く、若垣さんはさらなる嵐を呼びこんだ。

 

「《ティガウォック》の能力で三枚ドロー! さらにG・ゼロ! 《天災超邪 クロスファイア 2nd》を召喚!」

 

 あ、あれは……!

 林間学校で、みのりちゃも使ってたクリーチャーだ。確か、六枚ドローすれば、G・ゼロでタダ出しできるクリーチャーだったはず。

 《ティガウォック》が六枚ドローでコスト1になったように、《クロスファイア 2nd》も六枚引くことでタダで場に出る。

 たった2マナで出た《オボロカゲロウ》の行動がどんどん繋がって、こんなに大きな嵐を産むなんて……!

 

「……変な5cだと思ったけど、やっぱりオボロセカンドか」

「そう。のろのろしてたら一瞬で吹き飛ばされるから、覚悟しなさいよ。《クロスファイア 2nd》で攻撃――する時に!」

 

 さらに若垣さんは手札を切る。

 その攻撃性は衰えないどころか、カードが繋がるたびに、怒涛の勢いで激しくなっていく。荒々しい、大嵐のようだ。

 

「侵略発動、《超奇天烈 ガチダイオー》! 能力で《ミノミー》をバウンスして、Tブレイク!」

 

 2マナの《オボロカゲロウ》から始まり、《ティガウォック》が繋ぎ、《クロスファイア 2nd》という嵐を生み、それが《ガチダイオー》という大風になった。

 まだ3ターン目なのに、若垣さんの場には大きなクリーチャーが立っている。

 そして霜ちゃんのシールドが一気に三枚も砕かれた。

 

「っ、S・トリガー《未来設計図》! 山札から六枚を見て、《ワチャゴナ》を手札に!」

「ターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

場:なし

盾:2

マナ:4

手札:7

墓地:2

山札:25

 

 

狭霧

場:《オボロカゲロウ》《ティガウォック》《ガチダイオー》

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:0

山札:24

 

 

 

「はぅ。霜さん、ピンチです……!」

「水早君はこっから巻き返せるのかねぇ。《鬼面城》こそないけど、相手は最速でブン回ったオボロセカンドだよ?」

 

 早い段階で追い詰められてしまった霜ちゃん。

 若垣さんの場には、大中小と並んだ三体の水のクリーチャー。

 これらをなんとかしないと、霜ちゃんは負けちゃうけど……

 

「ボクのターン……ギリギリ間に合ったか。とりあえず、こっちも行くぞ! マナチャージして5マナ! 呪文《超次元フェアリー・ホール》! 1マナ加速し、《勝利のガイアール・カイザー》をバトルゾーンへ!」

「生姜? ここで生姜ってことは、侵略か、革命チェンジか」

「考えるまでもなく見るがいいさ。《勝利のガイアール》で《ガチダイオー》を攻撃! その時、革命チェンジ発動!」

 

 若垣さんが侵略で攻めたてたように、霜ちゃんも革命チェンジで対抗する。

 《勝利のガイアール》と入れ替わり、現れるのは、

 

 

 

「フィールドセット! 《族長の魂友(ムウェン・ザング) ワチャゴナ》!」

 

 

 

 光と自然の、コンテナみたいな巨大なクリーチャー。霜ちゃんのデッキで初めて見える光のクリーチャーだ。

 

「そういえば、さっきそんなの手札に加えてたわね。マナには《オール・フォー・ワン》があるけど」

「あぁ。当然、出すのはこれさ。《Dの機関 オール・フォー・ワン》を展開!」

 

 《ワチャゴナ》の能力で、マナゾーンのD2フィールドがバトルゾーンに現れる。

 でも、確かあのフィールドは、攻撃する上ではなにも効果をもたらさなかったはず。

 攻撃的に使う革命チェンジとは、あまり噛み合っていないような……?

 

「で、《ワチャゴナ》で《ガチダイオー》に攻撃するが、どうする?」

「んー……どうせシールド二枚だし、パワーでは勝てないし……いいわ、討ち取らせてあげる」

「ありがとう。じゃあ《ワチャゴナ》で《ガチダイオー》を破壊だ! そしてターンエンド……する時に!」

 

 とりあえず巨大な《ガチダイオー》だけは破壊して、ターンを終える霜ちゃん。でも、若垣さんの場にはまだ、《ティガウォック》と《オボロカゲロウ》が残ってるから、ダイレクトアタックまで届いてしまう。

 でも、そんなことがわからない霜ちゃんではなかった。

 

「《オール・フォー・ワン》の効果発動! 《ワチャゴナ》を破壊する!」

「えっ? せっかく出したのに、破壊しちゃうんですか?」

 

 わたしも思ったことを、ユーちゃんが代弁してくれる。

 せっかく出した大型クリーチャーを、自分から破壊するなんて……あのクリーチャーなら、《ティガウォック》にも勝てるし、また《ガチダイオー》が来ても倒せるのに。

 なのに、どうして?

 その答えは、霜ちゃんだけが知っていた。

 

「《ガチダイオー》を残さなかったのは君のミスだよ、若垣狭霧さん」

「なにが?」

「ここでボクが出すカードがなにか。そこに考えが至っていれば間違えなかったんだろうけど、残念ながら君は不正解の答えを進んでしまったよ」

「御託はウザいからいらない。ハッキリ言いなさいよ」

「言わないよ。ただ見せるだけだ。破壊した《ワチャゴナ》のコストは8だから、出て来るのはコスト10以下の水のクリーチャー。そしてボクが出すのは、このクリーチャーだ」

 

 フィールド展開のために登場した《ワチャゴナ》は破壊され、改造される。

 出しては引っ込み入れ替わり、ぐるぐるぐるぐる巡った果てに現れるのは――

 

 

 

「君のすべてを歴史の底に沈めよう――《完璧問題 オーパーツ》!」

 

 

 

 あれは、前にユーちゃんも使ってた、革命チェンジのクリーチャーだ。

 でも、あのクリーチャーって、革命チェンジでも出せるよね? どうしてわざわざ、フィールドの効果で出したの?

 わたしと同じ疑問を抱いた若垣さんも、同じようなことを言った。

 

「なにかと思えば、そんなクリーチャー? 革命チェンジで出した方が手っ取り早いじゃない」

「君の言うことはもっともだ。けど、ボクは無駄に手間をかけたわけじゃないよ。ここで《オーパーツ》の能力を発動……する前に、《オール・フォー・ワン》のDスイッチ起動!」

「!」

 

 霜ちゃんはここで、《オール・フォー・ワン》を逆さまにする。

 確か、あのフィールドのDスイッチ効果って……

 

「《オール・フォー・ワン》のDスイッチにより、《オーパーツ》の能力を倍加させる! よってまずは二枚ドロー! 君は手札か場のカードを二枚、山札の下に送ってくれ」

「……成程。確かにこれはウチの失策ね。手札二枚をボトムに」

「ならもう一度《オーパーツ》の能力発動だ! 二枚ドロー! そして君はもう一度カードを二枚、ボトムに送ってもらおう」

「《オボロカゲロウ》と手札を一枚、ボトムに」

「これで全部の処理が終わった。本当のターンエンドだ」

 

 黙々と、淡々と、場のカードや手札を山札に戻していく若垣さん。

 何も感じていないかのように静かな所作だけど、バトルゾーンがまっさらになったし、あんなにドローした若垣さんの手札は残り一枚だ。

 そしてなにより、それだけのことをさせている、霜ちゃんのコンボだ。

 

「……すっげ。四枚ドローに四枚除去。爆アドじゃん」

「ちょっと地味……だけど……アドは、すごい」

 

 横でみのりちゃんが感嘆の溜息を漏らす。

 一気にカードを四枚も削り取りながら、自分は四枚もドローする霜ちゃん。

 若垣さんもたくさん引いて、次々とクリーチャーを投げ放っていたけれど、霜ちゃんも負けていない。同じようにたくさん引きながら、若垣さんが展開したクリーチャーのことごとくを、そして若垣さんが引いた手札さえも、山札の底へと沈めてしまった。あんなに引いて並べたのに、若垣さんはギリギリ手札一枚とクリーチャー一体を残すまでに追い込まれる。

 

「ふぅ、間に合ってよかった。これだけアド差を広げられたら、ひとまずは安心か」

 

 場も手札も削り取って、安堵の溜息を漏らす霜ちゃん。

 若垣さんはクリーチャーが一体、手札も一枚。ここからまた攻め返されるようなこともなさそうで、確かに安心できるのかもしれない。

 けれど、若垣さんは焦った素振りをまったく見せない。

 どころか、勝ち気に、高圧的に振る舞う。

 

「……アンタ、アドバンテージの意味って知ってる?」

「? なんだ、急に」

「アドバンテージってのはね、優位性、って意味よ。それがたくさんあればあるほど、勝利に近づくもの。だけど、それ自体が勝利条件じゃない。《シャコガイル》やら《アダムスキー》やらじゃあるまい。資産を食い潰したって、それを勝利のための力に転換できなきゃ意味ないのよ」

「ボクがアドバンテージの転換を怠っていると言いたいのか?」

「そんなの知らないわよ。けどね」

 

 若垣さんのターン。

 彼女はカードを引きながら、霜ちゃんを見据えて、言い放つ。

 

「爆アド程度で調子に乗るな、って言いたいの」

 

 直後、間髪入れずに二つのマナが倒される。

 

「2マナ! 《オボロカゲロウ》を召喚!」

「二枚目……!」

「五枚ドローして、五枚を山札の下に! 1マナで《ティガウォック》! 三枚ドローしてG・ゼロ、《クロスファイア 2nd》!」

「んな……っ!?」

 

 大量のドローから、《ティガウォック》《クロスファイア 2nd》と立て続けで引いて、若垣さんはさっきとまったく同じ展開を見せる。

 あんなに一気に削り取ったものが、一瞬のうちに元に戻されてしまった。

 しかも、攻撃できるクリーチャーが二体。

 攻め返されることはないと思った次の瞬間に攻め手が戻る。嵐が、再びやって来てしまった。

 

「あっという間に、元通りです!」

「いくらディスアド押し付けられようが、死ぬほどデッキ回転させて必要なカードを掘り出せば関係ないのよ。喰らいなさい、《クロスファイア 2nd》でWブレイク!」

「っ……! S・トリガー《クロック》! このターンは終わりだ!」

 

 

 

ターン4

 

場:《オーパーツ》《クロック》《オール・フォー・ワン》

盾:0

マナ:5

手札:10

墓地:3

山札:19

 

 

狭霧

場:《ティガウォック》×2《オボロカゲロウ》《クロスファイア 2nd》

盾:5

マナ:3

手札:2

墓地:2

山札:24

 

 

 

 《クロック》でなんとか首の皮一枚で繋がった霜ちゃんだけど、若垣さんの攻撃はすごく激しい。

 一瞬で攻めるための布陣を完成させて、崩されてもまた一瞬で建て直す。それはさながら、何度も渦巻く怒涛の嵐。

 霜ちゃんはもうシールドがゼロだし、若垣さんの攻撃を耐えきれるのかな……?

 

「もう後がないけど、向こうだって無理して攻めてるだろうし、ここが正念場だな。《ワチャゴナ》をチャージ! そして5マナで《フェアリー・ホール》だ! 《勝利のガイアール・カイザー》をバトルゾーンに出すよ! そして《オーパーツ》で《クロスファイア 2nd》を攻撃する時に、《オーパーツ》に革命チェンジだ!」

「まあ、あんだけドローしてれば、二枚目くらい引くよねぇ」

「《オーパーツ》の能力発動。こっちは二枚ドロー、そっちは手札か場のカードを二枚、山札に戻してくれ」

「《クロスファイア 2nd》と《オボロカゲロウ》をボトムに戻す。攻撃先がいなくなったから、攻撃は中止ね」

「まだ終わっていないよ。《勝利のガイアール》で《ティガウォック》を攻撃する時に、革命チェンジ! 《オーパーツ》だ!」

「あぁ、さっき戻した奴……これはちょっとウザいわね。攻撃対象の《ティガウォック》と、手札一枚をボトムへ」

「ターンエンド。《オール・フォー・ワン》の能力で《オーパーツ》を破壊し、《オーパーツ》を出すよ」

「三回目……」

 

 霜ちゃんは場から手札、手札から場へと、反復横跳びのように《オーパーツ》を繰り返し繰り出していく。

 そのたびに霜ちゃんは手札が増えて、若垣さんのカードは減っていく。

 そして、その結果、

 

「……けずりきった」

 

 若垣さんの手札とクリーチャーが、すべてなくなった。

 場も手札もゼロ。あるのは僅かなマナと墓地のみで、ほとんどのカードが山札へと沈められた。

 対する霜ちゃんは、溢れんばかりの手札を抱えているし、マナも十分に溜まっている。

 これだけ使えるカードに差が開けば、若垣さんでもきついはず。

 

「……マナチャージだけして、エンド」

 

 案の定、若垣さんはマナチャージだけしかできずにターンを終えた。

 これは霜ちゃんに流れが来たのかな……?

 

 

 

ターン4

 

場:《オーパーツ》×2《クロック》《オール・フォー・ワン》

盾:0

マナ:7

手札:12

墓地:6

山札:11

 

 

狭霧

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:0

墓地:2

山札:29

 

 

 

「ボクのターン……さて、とりあえず場も手札も更地にはできたけど、ここからが問題だな……」

 

 場も、手札も、マナも、ほとんどの要素において圧倒的優位に立ったはずの霜ちゃんだけど、表情は険しかった。

 

「なにが問題なの?」

「オボロセカンドは、大抵の場合は結構たくさんトリガー入ってるんだよ」

「トリビが、ひな形、みたいなとこ、ある……から……」

「つまり、下手に殴るとトリガーでカウンターの餌食、ってわけだね」

「怖いですね……攻撃、しづらくなっちゃいます」

 

 霜ちゃんはシールドがゼロだし、ブロッカーがいるわけでもない。

 もしもS・トリガーでクリーチャーが残ってしまったりしたら、それだけで負けてしまいかねないほどギリギリなんだ。

 そう考えると、圧倒的有利というのは言いすぎで、霜ちゃんも崖っぷちなんだ。

 あらゆる手段を排除され、縛られ、動けない若垣さん。

 軽く押すだけで、そのまま敗北の奈落へと転落してしまう霜ちゃん。

 動けない状態から脱して、若垣さんが霜ちゃんを突き落すのが早いか。

 若垣さんが動けないまま、立ち位置を入れ替えて霜ちゃんが若垣さんを落とすのが早いか。

 すごく、ギリギリな戦いだ。

 

(相手のデッキには《ごっつぁん・ホール》もある。下手に長引かせてトップ解決からスピードアタッカーで負けなんてくだらない結末はごめんだ。このデッキのロックカードなんてたかが知れてるし、ブロッカーだってほぼ積んでない。打点は心もとないが、オボロセカンドならトリガーはかなり積んでるはずだ。多少打点を増やしたところで、どうせトリガーで防がれるんだったら、早いうちから攻めておくべきか……? 幸い保険もあるし、ここで待つ旨みはない……はず、だが、どうするか……)

 

 考え込む霜ちゃん。

 手札と、場と、若垣さんを、確認するように何度も見つめては視線をずらして別の場所を見遣る。

 それを繰り返すうちに、やがて霜ちゃんは、決断を下した。 

 

「……攻める! 5マナで《音精 ラフルル》を召喚だ! このターン、君は呪文を唱えられない!」

「へぇ、そいつを素出しするんだ」

「あぁ。殴ると決めたんだ。半端な真似はしない。躊躇いなく全力で叩かせてもらう。さあ、行くぞ! 《オーパーツ》で攻撃する時に、革命チェンジ発動!」

 

 《オーパーツ》の攻撃に反応して、革命チェンジが発生する。

 もう若垣さんには、削り取る手札もクリーチャーもないけれど、ここで霜ちゃんが繰り出すのは、《オーパーツ》ではなかったし、ましてや《ワチャゴナ》でフィールドを張り替えるはずもない。

 このターンするべきことは、相手のカードを削り取って有利になることでも、ましてやそのための準備でもない。

 霜ちゃんの目的は、反撃の手を封じて、攻め切ることだ。

 つまり、ここで必要なのは、

 

 

 

「ありきたりなフィニッシャーで悪いね、《時の法皇 ミラダンテⅩⅡ》!」

 

 

 

 封殺(ロック)するクリーチャーだ。

 それが、霜ちゃんがここで最も必要とする一手。

 若垣さんを追い詰めて、防御も反撃も許さず、確実に息の根を止めるための切り札だ。

 

「《ミラダンテⅩⅡ》の能力、ファイナル革命発動! 次のターンが終わるまで、君はコスト7以下のクリーチャーを召喚できないよ」

「そんなこと、言われるまでもなくわかってるわよ」

「ならいいさ。じゃあ《ミラダンテⅩⅡ》で、シールドをTブレイクだ!」

 

 この対戦における、霜ちゃんの初めてのシールドブレイク。制圧ではなく、ゲームを終わらせるための攻撃。

 一撃で三枚のシールドが吹き飛ぶ。呪文も、クリーチャーの召喚も封じている以上、生半可なS・トリガーは使えないから、反撃の手段さえも制限されている。

 

「……呪文は使えないのよね。じゃあなにもないわ」

「よし、いいぞ。《オーパーツ》で攻撃する時に、《オーパーツ》に革命チェンジだ! 二枚ドロー!」

「手札二枚をボトムへ」

「Wブレイクだ!」

 

 きっちり若垣さんの手札を削って、霜ちゃんはさらに追い詰めていく。

 これで若垣さんのシールドはゼロ。

 あと一撃で終わる――けど。

 

「……S・トリガー」

 

 嵐の中での航海は、順風満帆とは行かなかった。

 

「《閃光の守護者ホーリー》。相手クリーチャーをすべてタップ」

「っ、止められたか……! だけど、攻撃が止まっても、まだボクのターンは終わっていない。《オール・フォー・ワン》の効果で《オーパーツ》を破壊して、《オーパーツ》をバトルゾーンへ!」

「またそれ? ウザいし、アンタも飽きないわね。手札二枚をボトムへ。ウチのターン」

 

 攻撃は止められちゃったけど、霜ちゃんは最後まで諦めない。

 何度も何度も《オーパーツ》を繰り返しバトルゾーンに出して、若垣さんの攻め手を削り取っていく……けど、今回は削り切れなかった。

 若垣さんのバトルゾーンには、《ホーリー》が残ってしまっている。

 

「……はぁ」

 

 だけど、勝ちの一手が残っている若垣さんは、カードを引くなり至極つまらなさそうに溜息をつく。

 

「しょうもない。こうした方が面白いかなって、こうした方が楽しいかなって、こうした方が盛り上がるかなって、ウチなりに色々と考えて、まあまあ楽しい感じに進んだのに……なんか、冷めちゃった」

「なんだそれは? 負ける言い訳か?」

「そのまんまの感想よ。クソみたいにつまらないことでも、上手いことやれば楽しくなるもの。今回もそうだった。けど、最後の最後までそうはならなかった。ただそれだけ」

 

 はぁ、ともう一度、大きな溜息をついて、若垣さんは霜ちゃんを見据えた。

 

「みみっちぃけど、正直、強かったわアンタ。さっき言ったことを撤回する気はサラサラないけど、見誤ってたのは認める。不覚にもウチの血潮が騒ぎ立てるくらいにはワクワクした。そこは確かな事実」

「ボクを(おだ)ててなにがしたいんだ?」

「だから、そのまんまの感想って言ってるでしょ。偉そうな口だけ叩いて終わったら、恥ずかしいじゃない」

 

 ? 若垣さんがなにを言ってるのか、なにが言いたいのか、わからない。

 遠回しな投了……というわけでもない。だって、今この状況だと、若垣さんが負ける道理がないのだから。

 だからそれは、どこか言い訳がましくも、愚痴っぽいかった。

 

「こんなことなら、ちゃんとしたデッキ持ってくるんだった。まあ、このデッキでも同じようなものだし、別にいいけど……そろそろ来る頃とは思ってたけど、この流れでトップ解決(こんな勝ち方)とか、ダサいにもほどがある」

 

 言いながら若垣さんは、山札の上から引いてきたそのカードを、そのまま場に放り投げる。

 

「呪文《超次元ブルーホワイト・ホール》。《勝利のプリンプリン》をバトルゾーンに出して、《ミラダンテⅩⅡ》を拘束。そして《ホーリー》で攻撃よ」

「まだだ! ニンジャ・ストライク、《ハヤブサマル》を召喚! 自身をブロッカーにするよ!」

 

 あ、そうか。その手があったんだ。

 若垣さんも、攻め手が削りに削られてギリギリ。霜ちゃんはシールドこそゼロだったけど、度重なる《オーパーツ》の登場で、手札が異常なまでに増えている。

 普通ならその手札を使い切ることはできないけど、使い切らなくても、こうしてシノビを引き入れることで、防御の手段として活用できるんだ。

 ラスト一撃。その一撃を防いで、霜ちゃんの逆転だ。

 そう、思っていた。

 

「《ハヤブサマル》でブロ――」

 

 けれど、そうはならなかった。

 ブロック。そう言い切る寸前に、霜ちゃんはその動きを止めた。

 ハッと、なにかに気付いてかのように。

 ふと、なにかを思い出したかのように。

 

「自分で気付いてよかった。ウチから言ってたら幻滅もいいところ」

「……クソッ」

「アンタがシノビ握ってるなんてお見通し。だからさっき言ったじゃない。“トップ解決なんてダサい”って」

 

 え? どういうこと?

 これってもう、霜ちゃんの勝ちじゃないの……? どうして、霜ちゃんはブロックの手を止めちゃうの?

 

「……《ブルホワ》の、効果……」

「え?」

「《ブルーホワイト・ホール》の効果だよ。あれはただ低コストのサイキックを出すだけじゃなくて、出したクリーチャーの文明に応じた効果が発動するんだ。《ブルーホワイト》は、光のサイキックに反応してシールド追加をすることができて、そっちの方が目立つからもう一つが忘れがちになっちゃうけど……水文明のクリーチャーを出していれば、自分のクリーチャーをアンブロッカブル、つまりブロックされなくすることができる」

 

 ブロックされなく……?

 ってことは、この攻撃を、霜ちゃんは防げない……?

 

「そ。このターンに限りウチの《ホーリー》はブロッカーを無視できる。《サイゾウミスト》握ってれば勝てたんだろうけど、《ハヤブサマル》じゃ、止まらない」

 

 嵐が過ぎ去るのは一瞬。

 あっという間に、あっけなく、けれども凄惨に。

 荒々しい暴風雨は、最悪の形で終わりを告げた。

 

 

 

「そういうわけだから、大人しく負けてよね――《ホーリー》でとどめ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ハァ……ダッサいデュエマだったわね。勝った方も、負けた方も」

 

 対戦が終わるなり、勝者のはずの若垣さんは、とてもつまらなさそうに吐き捨てた。

 わたしからすればすごい対戦だったけど、若垣さんにとってはそうではなかった。

 それに……

 

「…………」

 

 虚脱した眼差しで、口を噤んでいる霜ちゃん。

 これは賭け。勝負の結果が命運を決める。

 そして若垣さんは、霜ちゃんの弱点を握り込んでいる。

 ……流石に、黙っていられなかった。

 

「あ、あの、若垣さんっ。その、今回のことは……」

「そんながっつかないでよ暑苦しい。いいよ、もうどうでも。萎えちゃったし」

「え?」

 

 萎えた?

 それって……

 

「もうアンタらのことも、ナントカって事件も、全部どうでもいいってこと。別にウチはアンタらの弱みを握りたいわけじゃないし。そんなくだらないこと、バラしたりはしないわよ」

 

 事もなげにそんなことを言い放つ若垣さん。

 な、なんて気分屋なの……今までわたしたちが気を揉んでいたことは、なんだったんだろう。

 安心よりも呆れてしまう。温度差も、熱するのも冷めるのも激しすぎる。

 彼女の言う「どうでもいい」は、とても極端で、わたしたちの数奇な出会いさえも、無に帰そうとしてしまう――

 

「アンタは負けた。ウチは萎えた。お互いに話を進める権利も義理もなくなったわけだし、今回の話はなかったことに――」

 

 

 

「――しないでよ! 狭霧ちゃん!」

 

 

 

 ――ことも、なかった。

 教室の扉が、スパーン! と、勢いよく開け放たれる。

 怒ったように叫びながら入って来たのは、男の子……というか、男子生徒だ。

 い、一体、この人は……? 若垣さんの知り合いみたいだけど……

 

「あ、来た」

「あ、来た。じゃないよ! オレはただパイプ役としてお願いしただけなのに、なんでこうなるの!? ただ自然なコンタクトを取ってオレのところに連れて来てほしかっただけなのに、いきなり喧嘩を吹っ掛けるわ、脅迫するわ、変な勝負始めるわ、あまつさえ計画の全てを放り投げようとするわ、全然オレのシュミレート通りに行かないよ! あとオレのデッキ勝手に持っていくのやめて!」

「こんなの誰が使っても同じよ。それに、カバン置いてトイレなんて言ってるお兄ちゃんが悪いんでしょ」

「それはオレが悪いの!? いや、オレのデッキはこの際どっちもいいや。兎にも角にも、狭霧ちゃん。もう少しオレのプランに沿ってくれないかな?」

「ウチはお兄ちゃんに言われた通りのことしかやってないよ」

「いや、言われた通りのこともできてないから! どの口が言うのさ!」

「お兄ちゃん、好きにしていいって言った」

「確かに手法は任せたけど、だからって脅迫するなんてどういう神経してるのさ! 事の本意を捉えてよ! 本意を!」

「ウチ、そういう難しいことわかんない」

「だとしても、せめてお願いしたことくらいはまっとうして! 頼むから!」

「……お兄ちゃん。なにをそんな必死になってるの?」

「狭霧ちゃんがあまりに傍若無人だからでしょ! 好き勝手やりすぎだよ!」

 

 な、なんか、険悪……ではないけど、揉めてるみたいだった。

 いや、この人の言ってることは至極まともで、若垣さんがすっとぼけたように振り回しているようにしか見えない。

 もうなにがなんだかわからなくなってきたよ、わたし……でも、このまま二人を言い合わせてるわけにもいかない。

 

「あ、あの……っ」

 

 流石に放置できなくて、思い切って声をかける。

 すると、ハッとしたようにこちらを向いてくれた。

 

「あ、っと。ごめん。いきなり入ってきて喚き散らしちゃって。申し訳ない」

「い、いえ……それよりも、あなたは……?」

「そうだね、自己紹介を忘れていたよ。重ねて申し訳ない。オレは若垣(おぼろ)、二年生だよ。言うまでもないと思うけど、狭霧ちゃん……若垣狭霧の兄です。妹がご迷惑をおかけして、本当、重ね重ね申し訳ない……」

 

 ペコペコと何度も申し訳なさそうに頭を下げる若垣先輩。

 あの自由人な若垣さんとは似ても似つかないほどに礼儀正しい人で、ちょっと面食らってしまう。

 

「はぁ、狭霧ちゃんは勝手すぎるし、結局オレが乗り込むんじゃ本末転倒だよ……でも、もう仕方ないか、こうなったら。結果オーライと言うにはあまりにも酷い現場だけど、臨機応変にいこう。というか諦めよう」

「……聞きたいんですけど。若垣さん――妹さんを差し向けたのは、あなたですか? もしそうなら、それはどうして?」

「それを今から話すよ。とりあえず、誤解を招いて狭霧ちゃんみたいなことになったら困るから、あなたたちが気になっているだろうことを、端的かつ簡潔に伝えておきたい」

「なにそれ。ウチのやったことに不満があるっていうの?」

「不満しかないよ!? って、そんなことを言ってる場合じゃない。えーっと、そうだな。どう言えば伝わりやすいだろう。正確に伝えるためには言葉をたくさん用いなければいけないけど、誤解を恐れず、ストレートにメインとなる情報だけを伝達するのなら……うん。とりあえずは、こう言うとしよう。オレがあなたたちと接触を果たす理由。それは――」

 

 しばし悩んで、考えて、言葉を選ぶ。

 そうして捻り出された言葉でもって、先輩は、わたしたちの謎に答えた。

 

 

 

「――あなたたちを、オレの助手として勧誘しに来たんだ」

 

 

 

 ……はい?

 

 




 若宮智久くんというのは、ピクシブ版に投稿した「登場人物紹介をインタビュー形式にして短編を書こう」という書くのがクソ疲れるお話に登場したキャラクターで、霜ちゃんの数少ない男友達です。林間学校編でも一瞬だけ出てました。
 その短編は対談形式でおよそ小説と言える代物ではないし、色々挿入するのも難しい話なので、こちらで投稿するかずっと悩んでるんですが……どうなんでしょうね? みんな、若宮くんのことそんな知りたい?
 と、若宮くんのことはひとまず置いておいて、デッキについてちょっと触れますが……今回は作者お気に入りのオボロセカンド。このデッキのギミック凄い好きなんですよね。トリガービートみたいな構築で、奇襲性も、デッキ回転率も高いから、色々引っ張ってこれる。マナやハンドの管理のキツさと、《オボロ》引けないと動けない不安定さ、なにより地雷としては有名になりすぎてしまった知名度が辛いですが……まあでも、動き自体が好きなので、別にって感じです。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、ご自由に仰ってください。


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31話「協力依頼です」

 ピクシブ版では投稿している短編をどう扱おうか悩んでいます。若宮くんはちょっと特殊だけど、何気に本編とちょっぴり連動してたりもするので、どこかで隙を見て投稿したいんですけど……章で区切ってしまったから、なかなか難しい。



 みなさんこんにちは、伊勢小鈴です。

 ふわふわ、あつあつ、あまあま。三拍子が見事にそろったパンケーキが、とてもおいしいです……じゃなくて。

 えーっと、ここまでの経緯を、説明しないといけないかな。

 今この町では、ある事件が起こっています。

 子供ばかりを狙った『幼児連続殺傷事件』。事故ではなく故意に、犬や猫などの動物が惨殺されているという都市伝説。

 偶然にもわたしたちは帰宅途中に、二つの事件のうちの一つ――『幼児連続殺傷事件』の現場に遭遇した。

 そこでクラスメイトの若宮くんから、その二つの事件の詳細を聞いたんだけど、わかるのは事件が起こっているということだけで、そのための手掛かりはまるでつかめていない。

 この事件がクリーチャーの仕業である可能性もあることから、わたしたちは少しでもこの事件について知りたい。そう思った時に、図ったように現れたのが、こっちもクラスメイトの若垣狭霧(わかがきさぎり)さんだった。

 若垣さんは、その二つの事件についてなにか知っている様子だったけど、どういうつもりなのか、なかなか教えてくれない。どころか、霜ちゃんの弱みを握って、賭けと称して「デュエマで勝負しよう」なんて言い出す始末で、正直、なにがしたいのかさっぱりわからなかった。

 その目的も、意図も、なにもかもが不明で怪しくて、わたしたちを振り回し続けた若垣さん。

 結局、若垣さんとのデュエマは負けちゃったんだけど……そのタイミングで現れたのが、若垣さんのお兄さんの、若垣(おぼろ)さんだった。

 その後、若垣先輩は「腰を落ち着けて、じっくり話がしたい」と言った。わたしたちも先輩たちの言動の意味知りたくて、先輩に連れられるまま、近くのファミレスに入った。

 以上が、今現在に至るまでの経緯。

 ……え? パンケーキはどこから出て来たのかって?

 なんか、先輩がお詫びと前金にって、おごってくれました。とてもおいしいです。先輩はすごくいい人だね。もぐもぐ。

 ちなみに、好きなものを頼んでいいって言われて、ユーちゃんは特大パフェ(こっちもおいしそう)を、恋ちゃんは大量のピザ(全部一人でたべるつもりらしい)を、みのりちゃんは和牛のステーキ(一番高いやつ)を、それぞれ頼んでいた。

 霜ちゃんだけは、食欲がないからって言って、お水だけ飲んでるけど……

 

「ヤバい……きっと遠慮すると思って、奢るなんて軽い気持ちで言っちゃったけど、まさかこんなにも容赦なく注文されるとは思ってなかった……女子中学生怖い……」

 

 若垣先輩は、テーブルの上の数々の品と、財布の中身を見て、わなわなと震えていた。

 そして、その震えた声で、隣でメロンソーダを吸い上げてる若垣さん――妹さんの、若垣狭霧さんに問い掛ける。

 

「さ、狭霧ちゃん。今、手持ちいくらある……?」

「ハァ。お兄ちゃん、流石に妹にたかるのはダサいよ」

「無銭飲食が掛かってるんだから、オレもなりふり構ってられないよ……!」

「ならカッコつけて奢るとか言わなきゃいいのに。ダッサ」

「それが礼儀というか、そうした方が交渉も捗ると思って……狭霧ちゃんが散々場を荒らしたわけだし、少しでも有利に進めないといけないし……」

「小賢しいね」

「概ね狭霧ちゃんのせいだからね!?」

「ふーん、あっそ」

 

 そう吐き捨てて、メロンソーダに口を付ける若垣さん。お兄さん相手でも、まったく容赦ないね……もぐもぐ。

 

「……それよりも。落ち着いてしたい話って、なんですか?」

「あ、そうだね。あなたたちの遠慮のなさに面食らって、本題を忘れるわけにはいかないね。それじゃあちょっと長くなるけど、今から話すから、よく聞いて欲しい」

Oh(ふにゅぅ)! Suess und Lecker(甘くておいしいです)! 」

「……あ。つきにぃに、今日、夕飯いらない、って……連絡、しないと……」

「他人の金で喰う肉はうめぇ。久々の肉だし、今日の夕飯代も浮くし、いいことづくめだよ」

「頼むからオレの話を聞いてください! お願いしますから!」

「相変わらずお兄ちゃんは、ダサいし情けないわね」

 

 誰も話を聞く気がないし、妹の若垣さんからは辛辣な言葉。

 ……ちょっと、わたしも同情しちゃうかも。もぐもぐ。

 

「とりあえず君ら、一旦食べる手を止めろ。小鈴もまともぶって食べてるんじゃない。話が一向に進まないだろ」

「今喰わずしていつ飯を喰えと言うのさ!」

「話が終わってからにしろ」

「それじゃあ冷めちゃうでしょ!」

「あー……じゃあ、食べながらでもいいよ。食べながらでいいから、オレの話を聞いてください……」

「むぅ、そこまで言うなら、仕方ないですねぇ。あ、すいませーん。ライスのおかわりくださーい」

「呆れるほどに図々しいな、君は……すいません、こんなんで」

「いや、いいよ。お願いするのはこっちだし。でも、とりあえず話を聞いて欲しいです……」

 

 切実に懇願する若垣先輩。みのりちゃんも、食べる手は止めないものの、一応、先輩の話に耳を傾ける姿勢は見せた。

 その様子を確認してから、改めて、若垣先輩は姿勢を直す。

 

「ふぅ、やっと話ができる……じゃあ、改めて自己紹介をさせてもらうよ。オレは若垣朧。烏ヶ森学園中等部の二年生で、報道部・新聞社の部員だよ」

「新聞部? 新聞部の人なんですか?」

「正式名称通り、新聞社と呼んでほしいのだけれど……まあそこはいいや。その通り、オレは新聞部の部員なんだ」

「ウチは違うけどね」

「新聞部か……例の事件のことも、その関係ですか?」

「半分は当たりだけど、半分は違うかな。それと、先に君には伝えておこう。水早霜君」

 

 若垣先輩はそこで、霜ちゃんに向き直った。

 

「な、なんですか?」

「あなたには、謝らなければいけないことがある。それと、誤解も解かなくてはならない。オレはあなたたちと対等な関係で、その上でお願いをしたいんだ。交渉の余地がある以上は、不信感を持たれたままなのは嫌だし、困る」

「……それは、もしかして……」

「あぁ。あなたにかかっている“盗撮”の疑惑だよ」

 

 また、空気が凍りつく。さしものみのりちゃんたちも、食べる手を止めた。

 霜ちゃんが復学する直前に起きた“事故”。その延長線上にある、女子更衣室のビデオカメラ。

 ほとんどの人は存在すら知らなくて、話題にも上がらなかったけど……それをやったのは霜ちゃんだ。それは、わたしたちが証明してしまった。

 いけないことだっていうのはわかってるけど、あれはクリーチャーが原因で、その延長で起こった事故みたいなものだし、霜ちゃんに責任を追究するのは残酷だと思って、わたしたちの中でなかったことにしたけど……若垣さんは、若垣先輩は、なぜかそのことを知っている。

 その謎が、若垣先輩自身の口から、話される

 

「五月くらい、だったかな。烏ヶ森学園の女子更衣室に、一時期、不審なビデオカメラが発見された。すぐになくなったこともあって、表沙汰にはされず、その小さなニュースはほとんど流布しないまま風化したけど、盗撮の疑念を抱いている人は少なからずいた」

「あなたは、どうしてそのことを?」

「新聞社って言ってるじゃないか。“調べた”んだよ。小さな噂話を拾ってね」

「じゃあ、ボクが犯人かもしれないっていうのは……」

「稚拙ながらも推理してみたんだ。目立つビデオカメラで盗撮なんて、本気で盗撮する気があるとは思えない。教師ならもっと上手く、小型カメラとかでやるだろう。だからこれは明らかに素人、それも機材を揃えられない生徒の仕業だろうってね。じゃあどんな生徒か。やっぱり男子生徒の可能性が高いけど、それ以前にビデオカメラを設置して盗撮なんてあまりにリスキーだ。では逆に考えて、リスクを負っても構わない生徒だったんじゃないか、と思ったんだよ。それはつまり」

「不登校の生徒、ってことですか」

「うん、その通り」

 

 霜ちゃんも心にショックを受けたり、クリーチャーに憑かれたりして、学校に来てない時があった。そもそも、それが盗撮だとか、クリーチャーの騒動の一因なんだけど……

 だから、霜ちゃんが容疑者に入るというのは、理解できた。でも、

 

「口、挟んでいいですか?」

「実子……?」

「私はその事件のこと、ほっとんど知りませんし興味もないですし、別に水早君を擁護する気なんてサラサラないですけど。でも、純粋にあなたのことも信用できないから、その不信感から質問しますね」

「し、辛辣だね……でもまあ、当然か。どうぞ」

「不登校の生徒が容疑者。そこはわかりました。でも、不登校の生徒とか、他にもいません? 推理ガバガバすぎでは?」

 

 みのりちゃんの言う通りだ。

 恋ちゃんだって、ユーちゃんだって、学校に来ていない時期はあった。それに、他のクラス、学年でも、そういう人はいる。

 その中から霜ちゃんに絞り込んだ理由が、わからない。

 

「そうだね。各学年に加え、高等部の生徒まで含めたら、不登校児もそれなりの数がいる。だから、不登校の生徒だった、というだけでは、水早君が犯人だとは断定できない」

「どうやって絞り込んだんですか?」

「不登校期間」

 

 先輩は、即座に、端的に答えた。

 

「ビデオカメラが見つからなくなった時期と、水早君が学校復帰した時期が、ちょうどピッタリ当てはまる。まあ、オレも綿密に調べたわけではないんだけど、この時期に復学しているのは水早君だけだ――あぁ、ルナチャスキーさんも時期が近いけど、彼女は不登校というより、鬱病のようなものらしいし、一時的だったから、除外したよ――だから、不登校期間と復学時期、そしてカメラの設置期間を照らし合わせて、合致する生徒を見て、その過程で“なにかがあったのではないか?”とオレは考えた。そのなにかが、カメラ云々に関してのことだね」

「……愚問だと思いますが、なんでボクが学校復帰した時期を知ってるんですか?」

「調べたから。それだけだよ」

「どうやって?」

「それはちょっと言えないかな。コンプライアンス的に」

「では、なぜそのことを調べたんですか? プライバシーに関わりかねないというのに」

「気になったから。真実を明かすために必要だと思ったから。これも、それだけだ」

 

 またも即座に、だけれど淡々と言い放つ若垣先輩。

 さっきまでの頭を下げていた時の雰囲気とは打って変わって、ただ静かに事実を継げていく先輩は少し、怖かった。

 

「……それでも、ボクが犯人だって言うのは……」

「あなたに辿り着いた理由は、まだあるよ。事件の捜査中、オレは学援部の動きを察知したんだ」

「ん……うち……?」

「剣埼一騎さん、って知ってるよね? 学援部の今の部長さん。学内ではかなり有名な人で、オレも色々と交流があるんだけど……あの人が、高等部に行ったはずの水早先輩と一緒に行動しているところを見たんだ。高等部の先輩が中等部に来るんだ、なにかがあるのではないかと勘繰ってしまうのは道理だね。しかも水早先輩には弟さんがいるらしいじゃないか。加えて一年生に、水早という不登校の男子生徒がいる。うちの学校、少なくとも中等部に水早という苗字の生徒は君だけだから、関係があるのはほぼ確定。直前に学援部は、ルナチャスキーさんの不登校云々について動いてたし、そのどちらにも、伊勢小鈴さん、あなたが関わっていた」

「わ、わたしですか?」

「うん。あなた」

 

 いきなり名指しされました。

 た、確かに、ユーちゃんの時も、霜ちゃんの時も、わたしは学援部のお手伝いをしてたけど……それを知ってる外の人がいたなんて思わなかった。

 

「水早君の不登校期間、復学時期、ビデオカメラの設置時期。お兄さんが学援部と接触していたこと。生徒の不登校関係で、どちらも伊勢小鈴という一般生徒が関わっていたこと……これらの要素が無関係だと断ずることは簡単だけど、これらを総合的に見て、因果関係を探ってみると……浮かび上がってくる人物像があるわけだ」

「…………」

 

 霜ちゃんが絶句していた。わたしも、それに恋ちゃんも、ユーちゃんもビックリしていた。みのりちゃんだけは、我関せず、と言った風にステーキ食べてるけど……

 まさかあの時、みんなで内密に行っていたことを、断片的な情報からほぼ真相に辿り着いてしまう人がいるだなんて、思いもしなかったから。

 胸がバクバクと早鐘のように脈動するのを感じる。知られてはいけない真相を暴かれて、わたしまで、心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥る。

 けれどそこで、若垣先輩は、少し困ったような苦笑いを浮かべた。

 

「ただ、そこまで推理できたのはいいものの、決定的な証拠が出て来なかったんだよね……だからオレは、その盗撮騒ぎについては「水早霜という生徒が怪しい。なにか知っているのかもしれない」というところで止まってしまっているんだ」

「なんだ。ってことは、若垣さんが言ってたのって、ただのハッタリじゃないですか」

「ウチはお兄ちゃんから聞いたことをただ言っただけで、真偽なんて知らないわよ。そっちの責任はお兄ちゃんにあるんだから」

「狭霧ちゃん、オレに責任をなすりつけるつもりだったの!? 酷いよ!」

「そっちの方が面白いと思ったから」

「それでオレが責任を負うのはどうなのかな! だから情報はもっと慎重に扱ってって言ってるのに……狭霧ちゃん、面白そうってだけで人を煽るんだから……もっと効果的に使ってよ」

「別にいいじゃない。結果的に、交渉できてるんだから」

「オレが恥も外聞もプライドもかなぐり捨てて頑張ったからね! 間違いなく狭霧ちゃんの成果じゃないからね!」

「なにがかなぐり捨ててよ。プライドなんて微塵も持ってないクセに」

「コントは、いい……続き……早く……」

「あ、ごめんなさい……」

 

 ……仲、いいのかな?

 さっきまで怖い感じだった先輩も、妹さんが入り込むと、途端に調子が狂っちゃうね……

 

「とにかく、オレは水早君が犯人だと断定できたわけじゃないんだ」

「……不躾ですが、それを追求する気は?」

「結局はその話題も沈静化しちゃったし、話題性がなくなったら取り上げる意味もない。元から小さなニュースだったこともあったし、不謹慎な記事になりそうなことはわかっていたんだ。つまりオレはもうこのことについては調べていないし、追究する気もない。これは全部、過去の情報で、オレにとっては興味もないし、価値もない情報だよ……狭霧ちゃんが荒らして、変なことになっちゃったけど」

 

 若垣先輩が、隣の若垣さんをジトッとした目で見つめるけど、当の若垣さんはどこ吹く風でメロンソーダを飲んでる。

 先輩のささやかな非難は妹さんには届かず、嘆息して、また霜ちゃんに視線を戻した。

 

「まあ、というわけだから安心して欲しい。オレは君が盗撮犯であるという確たる証拠を持っているわけでもないし、それを記事にして取り上げようというつもりもない。狭霧ちゃんが意地の悪い言い方をして、怖がらせてしまったかもしれないけど、オレたちに君を吊し上げる力はないし、その気もないんだ。勝手に調べたことは、悪かったよ。そこも本当に申し訳なく思ってる……ごめんなさい」

 

 すべてを話して、頭を下げる若垣先輩。とても潔くて、そして、後輩であるわたしたちに素直に頭を下げる責任感の強さを感じた。

 確かな証拠がないから、犯人だとは断定できないとは言うけど、それでも先輩の調べたことはほとんど核心に迫っている。そこは純粋にすごいと思ったし、わたしもビクリとしちゃった。

 

「そういうわけだから、オレのことを信じてほしい。ついでに狭霧ちゃんのことも、許してくれるとありがたいんだけど……」

「……わかりました。今回のことは、水に流します」

「ありがとう。そうしてくれると、オレも助かるよ。これでスムーズに交渉できる」

「ゆってあんな反応してたんじゃ、ボクが犯人ですー、って言ってるようなもんじゃない」

「狭霧ちゃん! いい感じで話がまとまったんだから、蒸し返さないでよ!」

「飲み物なくなったから、ドリンクバー行ってくる」

「蒸し返さないでとは言ったけど、オレの話には言葉を返してほしいかな!」

「ちょいちょい漫才挟むのやめてくれませんかねー、先輩」

「ご、ごめんなさい……」

 

 別にまったく悪くないのに、平謝りする先輩。

 なんか、妹さんが絡むと、すぐに空気が変わる人だなぁ……

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 若垣さんが戻って来たのを見て、若垣先輩はまた口を開く。

 

「ごめん。本題に入ると言いながら、前置きが長くなってしまったね」

「とりあえず、先輩が新聞部員としてとても有能だということは、わかりました」

「それは買い被りすぎだよ。オレ一人の力はあまりに非力だ。だから現に、オレはこうして、あなたたちに助けを乞うているのだから」

「確か、助手がどうとかって……」

 

 そう言えば、そんなことを言っていた。

 助手として勧誘しに来た、だっけ?

 

「そうそう。助手って言うと、大仰だし語弊がある気もするけど、要するに力を貸してほしい、ってことだね」

「私たちの、なんの力を借りるってんですかね」

「それを今から話すよ……オレは今、あなたたちも知っているであろう『幼児連続殺傷事件』と例の都市伝説について調べているんだ」

「その手伝い……を、しろ、って……?」

「んなの、部内でやっててくださいよ。そういうの得意でしょう? 新聞部なら」

「オレも最初はそのつもりだった。だけど、部では企画を却下されてしまって、部員の力は借りられないんだ。だからしばらくは一人でやってたんだけど、事が事なだけに、自力で調べるにも限界を感じていてね。情報整理だけでも手一杯だ」

「つまり、純粋に人手が足りない、と?」

「そういうこと。情報っていうのは鮮度が大事だから……でも、このまま日々更新されていく情報に埋もれてたら、にっちもさっちもいかなくてね。猫の手も借りたい状況だ」

「……そこで、ボクたちの力を借りたい、ってことですか」

「そうなるね」

 

 だんだんと、若垣先輩の要求が見えてきた。

 どういう理由かはわからないけど――先輩は興味だって言ってたけど――若垣先輩は、例の事件について追っているみたい。

 けど、一人じゃ大変だから、そのお手伝いを、わたしたちに頼みたい、ということのようだ。

 でも、先輩のことはわかってきたけれど、同時に疑問も湧いてくる。

 

「成程。とりあえずわかりましたが、わからないところもありますね。いくつか質問してもいいですか?」

「いいよ」

「まず一つ。彼女はなぜここに?」

 

 若垣先輩の隣でずっとメロンソーダを吸い上げてる若垣さんを指さす霜ちゃん。

 先輩はわたしたちに、事件の捜査を手伝ってほしいと言っていた。だとすると、若垣さんの存在が、よくわからない。

 なぜ彼女がわたしたちと接触を図ったのか。

 散々わたしたちや先輩までもを振り回すばかりで、彼女が動く意図、理由がさっぱりわからない。

 そのことについて問うと、若垣先輩は、また困ったような苦い表情を見せた。

 

「あー……そこはオレの失敗だ。ほら、いきなり見知らぬ上級生が現れて、手を貸してくれ、なんて言うのは気味が悪いだろう?」

「大して交流もない同級生が、こんなことで声をかけても気味悪いですけどね」

「そこは比較の問題ということで……まあつまり、彼女にはパイプ役、先兵? 伝達役? まあ表現はどうでもいいけど、交流がなくとも、狭霧ちゃんはあなたたちのクラスメイトだ。オレよりも接点は多い。だから、妹を入口にして、スムーズに話し合いの場を作ろうと思ったんだ……思ったんだけどね……」

「大失敗してるじゃないですか、先輩。この人とんだじゃじゃ馬ですよ」

「なによ。アンタだって相当なクレイジーサイコレズじゃない」

「やめてよ狭霧ちゃん、これ以上喧嘩を売るのは……」

「みのりちゃんも抑えて抑えて」

「どーどー、です」

 

 ユーちゃんといきりたつみのりちゃんを宥める。

 

「……騒がしくてすみません」

「いや、こっちもごめんね……狭霧ちゃんが気分屋なのはわかってたけど、クラスメイトをオレのところまで連れてくるくらいなら大丈夫だろうと、甘く見ていたよ……」

「えぇ。とりあえず、彼女はイレギュラーということで処理します」

「そうしてくれると助かるよ……」

 

 なんていうか、若垣さんの存在は、若垣先輩にとっても御しがたいものみたいだった。

 若垣先輩は色々なことを考えて、わたしたちに協力を要請しようとしたみたいだけど、若垣さんがそれをすべて掻き混ぜているみたい。

 若垣さんを悪者にするつもりはないけど、さっきまでのいざこざも全部、若垣さんによるものなんじゃ……と思ってしまう。

 

「では二つ目の質問です。どうしてボクらを求めるんですか? 事件の捜査っていうなら、もっと適任者がいるんじゃないんですか?」

「うーん、そこか。確かに、あなたたちよりも、こういうことに向いている知り合いはいるけど、その人たちは軒並み、新聞社の関係者だから」

「さっき、部内で企画が却下されたって言ってましたっけ。でも、若垣さんは……あぁ、妹さんの方じゃなくて、お兄さん、先輩の方ですけど……」

「うん。ずっと言おうって思ってたけどタイミング測り損ねてたから、ここいらで言っておくね。オレのことは朧でいいよ。どっちも若垣だし、ややこしいでしょ」

「じゃあ妹の方は狭霧ちゃんと呼んであげよう」

「やめてくれない? ちゃん付けとか、気持ち悪いんだけど」

「お兄さんはそう呼んでるのに?」

「お兄ちゃんはいいのよ。気持ち悪いから」

「酷い!?」

「だってお兄ちゃん、人の情報を掌握しないと気が済まない変態ストーカーじゃない」

「人聞きが悪すぎる! でも微妙に否定しきれないのが辛い!」

 

 ……楽しそう、だね……?

 わたしも、若垣さんと若垣先輩って呼び分けてたけど、ちょっとややこしかったから、これからは呼び方を変えよう。

 若垣先輩改め、朧さんは、狭霧さんに振り回されながらも、話を続ける。

 

「水早君は、私的な理由で動けるのなら、私的な事情として、他の部員に協力を仰げないのか、ってことじゃないかな?」

「はい。ボクらよりも、よほど適役だと思うのですが」

「そうだね、その通りだ。だけど、実はこれ、部員には秘密に動いてるんだ」

「え?」

 

 新聞部に秘密で? 先輩は新聞部員なのに?

 なんだか、話の空気が不穏になってきたような気がするよ……

 

「狭霧ちゃんをけしかけて、あなたたちに協力してもらいたい理由の一つでもあるんだけど、今のオレはちょっと、表立って動きにくくてね。オレが下手に動いて、事件について調べていることが部内に広がるとまずいんだ」

「それは、どうしてですか?」

「さっきも言ったけど、例の事件について取り上げる企画は、既に部内で却下されている。危険だからとか、規模が大きすぎて手が回らないとか、締切の問題とか、まあ理由は色々あるんだけど……その中でも飛びぬけて大きな理由が“不謹慎”だ」

「不謹慎?」

 

 言ってることは、なんとなくわかる。でも、曖昧な表現だ。

 被害者の気持ちとか、そういうのは大事だと思うけど、報道とはある程度はそこを踏み越えるものだということも、理解はしている。

 けれど、朧さんが発した言葉は、それ以上だった。

 

「もったいぶらず、わかりやすく言おうか。『幼児連続殺傷事件』の被害者の一人が、部員の親族なんだ」

「っ……!」

 

 ――思わず、息を飲んだ。

 それは、とてもわかりやすくて、そして、惨かった。

 

「人間の感情というのは非常に厄介なものだよ。不快感、哀悼、悲運。これらの前では、論理も理屈も排されてしまう。まあでも、それこそ頭が固まった打算だ。流石に、部室で泣かれちゃったらどうしようもない」

「それは……ご愁傷様、です」

「そんなわけでこの企画は部全体で強い反対を受けてね。企画は完全に取りやめになって、もはやその話題はタブーになった。触れることすらできない禁忌だよ。だから、下手に部員を頼ろうとすると、そこからオレの動きがバレる。オレが事件について調べていると露呈してしまったら、当然、反対派の部員から反感を買って、オレの部内での立場が悪くなる。それは、今後の学校生活のためにも、できれば避けたい」

「思ったよりも、自分本位な理由ですね」

「オレが聖人だとでも思ったかい? 善い人であろうとする姿勢は悪くないけど、オレは記者だ。善意は取引のための手段でしかない。真実を暴くためなら、多少の悪には目を瞑るよ」

 

 事もなげに言い放つ朧さん。その様子は、また怖い感じの朧さんだった。

 でも、それよりも。

 もっと、大事なことが。聞きたいことがあった。

 

「……朧さんは」

「うん?」

「朧さんは、どうして……そこまでして、事件について知ろうとするんですか……?」

 

 部で反対されて、部員たちと軋轢が生まれるかもしれないリスクを背負って、初対面のわたしたちまで頼って。

 そこまでして、どうして事件について調べるのか。

 

「そこか。まあ、理由は色々あるよ。いつかその情報が役立つかもしれないとか。事件について知ることで、被害を防げるかもしれないとか。自衛のためとか。新聞社員としてのスキルアップとか。いつか役立つかもしれない情報として、知識の備えをするため、自分の力を磨くため……っていうのは、まあ、建前だよね」

 

 高尚で殊勝な言葉の数々は、あくまで建前。

 本心は、本音は、そこではない。

 朧さんは、言った。

 

 

 

「興味だ」

 

 

 

 たった三つの音、二つの文字で表現される、端的な言葉。

 それが、朧さんがこの事件に触れる理由。

 

「ぶっちゃけオレの行動原理は興味関心だ。少なくとも、今回に限ってはね。それに付随する価値も、利益としてしっかりと受け取りはするが、着手の根幹はやはり、オレの欲に他ならない」

「…………」

「何度も言うけど、オレは聖人でも善人でもない。利益でなびくし、自分の欲求のために他人の領域に踏み込むし、それによって侵害することもあるし、場合によっては謀りもする。水早君にかかった嫌疑が、そのいい例だよね」

 

 また、淡々と告げていく朧さん。

 自分の悪性を隠しもせず、ただ事実を、あるがままに述べていく。

 

「せんぱーい。そんなこと言っていいんですかね? それ、交渉材料的に不利な情報では?」

「まあ、そうだね。でも、オレの手伝いをするということは、オレの悪性も認めて貰わなくてはならない。結局これは信用問題なんだ。酸いも甘いも、善悪どっちも受け入れてもらうしかない。変な疑いをかけられるのは困るし、健全でクリーンなやり取りをしたいからね。こんなオレを認められないっていうなら、この話はなかったことにしてくれていい。オレはただ、お願いすることしかできないんだから」

 

 すべてを曝け出した上で、わたしたちに判断させようという朧さん。

 確かにそれは、変に隠されるよりも信じられる、けど……

 

「あなたは、どうなんですか?」

 

 わたしが口ごもっていると、霜ちゃんが朧さんに問い掛ける。

 

「うん?」

「朧さんは、ボクたちのことを信じられるんですか?」

「それはどういう意味?」

「さっきの質問の続きです。どうして、ボクたちなんですか? ボクらは、調査も捜査も、経験したことなんてありません。素人もいいところです。それに、ほとんど接点もない。そんなボクらに協力を要請しようと思った動機、きっかけ。それが、わかりません」

「ふぅむ」

「あなたは信用を得るために、すべてを話してくれました。けど、ボクらに対する信用は、どこから来るのですか?」

「……オレが口を開くたびに信用が失われそうな気がするけど、でもまあ、問われたならこれも話さないとダメだよね。今更だからハッキリと言うけど、オレはあなたたちについて、かなり調べた」

「でしょうね」

 

 霜ちゃんのこともあるし、あれだけのことを知っていながら、それ以外のことについてまったく知らないということも考えにくい。

 だからきっとこの人は、わたしたちが今までなにをしてきたか、知ってるんだ。

 ……流石に、クリーチャー関係のことは、知らないと思うけど。

 

「あなたたち五人のうち、三人は学校に来ていない期間があった事実。その期間と復学時期。学内に親族がいるかどうか。所属団体。交友関係。出席日数や委員会。後はある程度の行動パターンくらいは、概ね把握しているよ」

「こわ……」

「行動パターンは流石に引きます」

「そんな大仰なことじゃないよ。昼は教室か食堂か、とか。購買や図書室はどのくらい利用するか、とかそんな程度だよ」

「いや、それを知ってるだけでも十分おかしいですからね」

「一般的な視点ではそうだよね……でもこんなの、それぞれの空間に知り合いがいるかどうかだよ。図書委員に知り合いがいれば、その人から利用状況を聞くことができるってレベルだ。大したことじゃないよ」

 

 朧さんはそう言うけど、それもやっぱり、なかなかできることじゃないような……?

 それに、それだけたくさんの知り合いがいるというのもすごい。新聞部の人って、顔が広いのかな。

 

「でまあ、あなたたちは特に、学援部と関わりが強いみたいだね。そこは日向さんとの繋がりかな」

「ん……」

「学援部についての説明は、今更するまでもないよね。あなたたちは、その活動に関わっていたことが、何度かあった。水早君の復学についても、その一つだったのかな?」

「…………」

 

 霜ちゃんは、まだ警戒しているのか、答えたくなかったのか、それとも他に理由があるのかわからないけど、その問いには答えなかった。

 朧さんも回答には期待してなかったのか、そのまま話を続ける。

 

「特にオレが注目しているのは、あなただ。伊勢小鈴さん」

「わ、わたし、ですか……?」

 

 またも名指しされました。というか、さっきと同じ状況です。

 

「取り組んだ経緯まではわからないけれど、あなたは入り組んだ問題に対して、それを解決する力がある。オレはそう判断した」

「で、でも、わたしはそんな、大したことは……」

「あなた自身がそう思っているだけで、客観的に見たら、それなりに功績はあると思うんだ。クラスで一匹狼の日向さんや亀船さんをコミュニティに引き込み、ルナチャスキーさんや水早君の復学に関わっている。生徒会の長良川さんの猫探しにも協力してたみたいだし。あとは、誘拐事件の解決に立ち会ったって噂もあったっけ。こっちは事件性が大きくて情報規制もされてるから、詳細がよくわからないのだけれど」

 

 つらつらと、わたしが今まで関わってきた事件や、やって来たことを挙げ連ねる朧さん。

 あの誘拐事件についてまで知ってるだなんて……確かにあれはニュースになったけど、わたしが被害者だってことは、秘密になってたはずなのに……

 

「……やっぱり、こいつ……やばい」

「モノホンのストーカーだね」

「言われてるよ、お兄ちゃん」

「残念ながら否定材料がないんだよね! 目的はともかく、やってることはストーカー同然だもん!」

 

 わかってはいたけれど、いざ自分のことをこうして知られているということを知るのは、なんか……ゾッとします。

 

「とまあ、勝手に調べたのは申し訳ないと思ってるけど、その結果、あなたたちには力があることは証明されたわけだ。あなたたちの問題に取り組む能力と、それに対する解決能力は、認められて然るべきだと思う。他の誰が認めなくとも、オレはそう判断した。それじゃあ不満かな?」

「……説得の方法が怖すぎますが、とりあえずわかりました」

 

 朧さんは、あらゆる物事を調べて、その上でこうしてわたしたちと話し合っている。それは、これでもかというほど思い知らされた。

 わたしたちに協力を要請する動機も、どうしてわたしたちなのかも、なにもかも。

 理由も理屈も確かで、しっかりしている。相手の主張はよくわかった。

 だから、後は“わたしたち”だ。

 

「少し、時間をください。答える時間を」

 

 すべての話を、質問したいことも含めて聞き終えて、霜ちゃんはそう要求した。

 それに対して朧さんは、快く承諾してくれた。

 

「いいよ。こっちも急に、しかも荒唐無稽なお願いをしている自覚はある。ゆっくり考えてくれ」

「返事はいつまでに?」

「いつでもいいと言えばいいけど、できるだけ早い方がいいかな。さっきも言ったけど、情報は鮮度が大事だ。調査するなら早い方がいい。まあでも、こっちはお願いしている立場だ。あなたたちが納得いくまで考えてほしい」

 

 優しく、柔らかな声で、そう言ってくれる朧さん。

 朧さんは、連絡はここに、と言って、メールアドレスと電話番号の書かれたメモを手渡して、立ち上がった。

 

「それじゃあ、オレたちは先に出よう。いい返事を期待しているよ」

 

 そして、わたしたちの前から立ち去る――

 

「ちょっと待って。メロンソーダもう一杯飲んでから」

「あぁもう、狭霧ちゃんってば! ちょうどいいタイミングで席を立てたんだから、その流れに乗ってよ!」

「お金、貸さないよ」

「ごめん……わりと本気で足らなさそうだから、お願いします……」

「…………」

 

 ――のは、もう少し後のことでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 狭霧さんがメロンソーダを飲み終えて(結局、一杯どころか三杯くらい飲んでた)、二人が席を立った後。

 残されたわたしたち五人は、そのままさっきのことについて、話し合っていた。

 内容は単純明快。朧さんの要請を受け、事件の調査に協力するのか、しないのか。

 

「断ればよくねー? なんかキナ臭いし。妹さんはムカつくし、お兄さんは怪しさマックスのストーカーと来た。上っ面は優男気取ってるけど、腹になにか抱えてるタイプと見た。関わらない方がいいって」

「口は悪いが、実子の言ってることはもっともだ。個人的なことを調べられた不快感も混じってしまっていそうだが、それ以上にあの人の申し出は怪しすぎるし、奇妙すぎる。承諾するにせよ、しないにせよ、警戒はしないといけない」

 

 みのりちゃんと霜ちゃんの意見は、わりと否定的だった。

 怪しい。裏があるんじゃないか。二人はそう思って、断るべきだろうと感じているみたい。

 だけど、

 

「あの二人は怪しいが、しかし、非常に有用なのは確かだ」

「ユーヨー、です?」

「ボクらについて、あそこまで調べている人間だ。一人では手が回らないとは言っていたが、今回の事件についても、ボクら以上に情報を握っているだろうことは想像に難くない。そしてその情報は、非常に有益なものであろうことが推察できる」

「小難しいねぇ。もっとパパッと言ってよ」

「ボクらは、彼らにはない視点があるってことだよ。そしてそれは、あの先輩の思惑通りに進んでしまいそうで癪ではあるが、きっとボクらにしか解決できない視点での問題だ。つまり――」

「――クリーチャー、だね」

 

 みんなが、一様に頷いた。

 そう、わたしたちには、クリーチャーの仕業という視点を持てる。そしてそれは、わたしたちが関わってきた事件のすべてに該当することだ。

 そこが朧さんたちと根本的に違うところであり、わたしたちにしかできないこと。

 

「じゃあ水早君は、先輩たちから情報だけぶんどって、あとはスタンドプレイで動くべき、って言いたいの?」

「そこは……難しいな。彼らに与することが最善とは思わない。謀られている可能性も否定できないし、その可能性を考慮するなら、完全に関わりを断つべきなのかもしれない。だが、彼らと共に動くことで、得られるものはあると思っている。彼らの策謀に嵌りさえしなければ、彼らはきっと、とても有用な情報源だ」

「それってそんなに大事?」

「大事でないとは言えないな。なにせボクらは、クリーチャーの存在については、今やどこに行ったかわからない鳥類に依存している。ボクらに足りないのは情報と索敵なんだ。一時的とはいえそれを得られるのなら、大きな力になることは間違いない」

 

 朧さんたちの情報は、わたしたちの知らないことも含まれていると思う。それを生かしてクリーチャー探しをすれば、解決の糸口を、より早く、的確につかめるかもしれない。

 それが、最大のメリットだ。

 だけど朧さんがもし、わたしたちを騙していたとしたら。

 なにかの企みがあって、そのためにわたしたちを誘っているのだとしたら。

 この誘いに乗ってしまうのは、とても危険だ。霜ちゃんは、そう言っている。

 

「恋はどう思った?」

「みのりこの、言う通り……あやしい。あれ、くーごと似たタイプ……なにか、企んでる……はめられそう」

「じゃあ、君もあの人の案に乗るのは反対?」

「……わからない。その、企みが……クリーチャー絡み、とも、思えないし……なら、なにを企んでいるか、に、よる……」

「まあ仮に通り魔がクリーチャーじゃなかったとしても、少なくとも、先輩らが通り魔の犯人と繋がってるって可能性はないよねぇ」

「となると、なにが目的なんだか。場合によっては、それについても探る必要があるか……?」

「あの二人は……私たちが、クリーチャーを追う、つもりなら……それで、事件を見る、なら、使える……リスクはある、けど」

「結局は水早君と同じ答えじゃん。ハッキリしないなぁ」

「みのりこ……うるさい」

「とはいえ、なんとも言えない、という中途半端な答えになってしまうというのは、喜ばしくはないな。もっと意見が聞きたい。ユー、君はどう思った?」

 

 霜ちゃんは、今度はユーちゃんに問い掛ける。

 あんまり喋らなかったユーちゃんは、暗い表情で、答えた。

 

「ユーちゃんは、こわいです……なんだか、今までと違う感じが、して……」

「それは、あの先輩が?」

「Nein。そうじゃなくって。もっと、おっきな感じで……」

「より大きな……この事件が、ってこと?」

「Ja。そう、それです」

「ユーは彼らの、乗る乗らない以前に、今回の事件に首を突っ込むことに反対か」

「Vorahnung……えっと、日本語(ヤーパニッシュ)だと……そう、ヨカンです。イヤなヨカンが、するんです」

 

 いつもよりもドイツ語がちょっと多め……ユーちゃんは、とても不安になってるみたい。

 嫌な気がする。悪い予感がする。だから、事件には関わらない方がいい。

 霜ちゃんと違って、まったく論理的ではないけれど、でも、気持ちはわかる。

 わたしも、似たような感覚があるから。

 いや、わたしのは、もっと違うなにか、だと思うけれど。

 

「予感ね。ボクにはよくわからない感覚というか、頭で理解できるものではないけれど、君の言いたいこともわからないでもない」

「私はわかるなー。あいつには近づかない方がいいって、第六感が叫んでるもん」

「君のは単なるレッテル貼りじゃないのか?」

「否定はしないけど、直感的にはっ付けたレッテルってのが、予感ってやつなんだよ」

「ふぅん……まあ、クリーチャー絡みの事件なら、理屈じゃ説明できないことも多いからな。一応、信じてみようか」

「これぜってー私の主張だけじゃ信じなかったやつだ。ユーリアさんがいるから信じたってやつだよ」

「みのりこ……うるさい」

「二回目?」

「もういいよ。それより」

 

 霜ちゃんは、遂に、こっちを向いた。

 わたしの、方を。

 

「小鈴。君は、どうしたい?」

 

 朧さんを信用してないみのりちゃん。事件そのものへの関与に消極的なユーちゃん。判断しかねている霜ちゃん、恋ちゃん。

 みんな、否定的な意見ばかりだ。でも、その気持ちは、よくわかる。

 じゃあ、わたしはどうだろう。

 この事件について、どう向き合うべきなのか。

 わたしは……わたしの、答えは――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「それじゃあ小鈴、気を付けて」

「ばいばーい小鈴ちゃん!」

Auf Wiedersehen(さようなら)! 小鈴さん!」

 

 首を突っ込もうがどうしようが、例の事件が起こっている事実に変わりはなくて、いつ自分たちが被害者に回るとも限らない。

 まだ日が沈まないうちに、わたしたちは帰路に着いた。そしてちょうど、みんなと別れたところです。

 今日は、とても考えさせられる一日だった。狭霧さんのこと、朧さんのこと。

 そして、二人が引き込んできた、事件の調査について。

 ――あの時、わたしは答えが出せなかった。

 どうしたいのか。どうしたらいいのか。色んな気持ちが渦巻いて、自分の気持ちがあやふやになって、形にも、言葉にもならなくて。

 結局、なにも言えないまま、終わってしまった。

 霜ちゃんは「返事に期限は指定されなかった。今日だけであまりに膨大な情報が入ったわけだし、すぐに答えが出ないのも無理はない。ゆっくり考えるといいさ」なんて言って、気を遣ってくれたけど、わたしだけなにも言えなかったというのは、とても、悪い気がしてしまう。

 だけど、なんて言えばいいのか、わからなかった。どうすればいいのか、どうすべきなのか。

 この町で起こっている事件を無視することはできない。それにクリーチャーが関係しているかもしれないというのなら、なおさら。

 クリーチャーの事件を解決できるのは、わたしだけ。だから、これがクリーチャーのことなら、わたしが動くべき、なんだけど……

 そうではない可能性。そして、そうだった時の――いや、そうでなかったとしても、わたしには、踏み込めない、踏み込んではいけない領域がある。

 胸中で渦巻くそれが、わたしの足を止める。塞いで、遮って、堰き止める。

 責任感と使命感。そして、それらを押し返す不可侵領域。

 それが、わたしの足を、どんどん遠ざけていく。

 ……わたしは、どうすればいいんだろう。

 こんな時、鳥さんがいてくれれば――

 

「――こすず」

 

 と、その時、不意に声をかけられた。

 ずっと一人で歩いていると思ったから、驚いて振り返る。

 あれ? でもこの、小さいけれど、透き通ってて、ハッキリとした声は……

 

「こ、恋ちゃん……!?」

 

 小さくて細い矮躯に、色の抜けたさらさらの髪。真っ白な肌は夕焼けに照らされ、影となって暗がりが落ちている。

 その姿。それに、なにを見据えているのか、なにを思っているのかがまるで見通せない、無感動な瞳は、まごうことなく恋ちゃんだ。

 

「どうしたの? 家に帰ったんじゃ……!?」

「……もどって、きた」

「いや、こっちはわたしの家の方角だから、戻るって表現は変だよね?」

「ん、たしかに……それじゃあ……気になった?」

「なんで疑問形? わたしにはわからないよ……」

「まあ……どうでも、いい、か……」

「恋ちゃんなにしに来たの!?」

「…………」

「なんで黙っちゃうの!?」

「ん……その……こすず、悩んでる、っぽかった、から……」

「え……?」

 

 それって、もしかして……

 

「わたしのことを、心配してくれて、それでわざわざこっちまで……?」

「ん……」

 

 短く答える恋ちゃん。短すぎて、まともな返答ではないけれど。

 でも、それが否定を意味していないということは、わかった。

 それは、その気持ちは、嬉しい。

 

「……悩んでる……?」

「う、うーん、どうだろ。悩んでる、っていうより、怖いのかな」

「こわい……あぁ。あの、おぼろ、とかいう……」

「ううん。朧さんたちのことじゃないの」

「じゃあ……事件に、ついて……?」

「それも近いけど、ちょっと違うかも。犯人がクリーチャーにせよ、人間にせよ、怖いのは間違いないんだけど……そうじゃないの」

「じゃあ……なに……?」

 

 恋ちゃんは、考えが尽きたと言うようにわたしに問う。

 わたしの中でも、まだごちゃごちゃしていることだけど……ちゃんと、言葉にしなきゃ。

 混ざり合った思いをろ過するみたいに。絡まり合った考えを解きほぐすように。

 気持ちを整理して、口にする。

 

「……朧さんも言ってたよね。新聞部で、事件について調べるのは却下されたって。部内に被害者がいて、その人のことも考えて、って」

「うん……それが……?」

「これは紛れもなく事件なんだよ。傷ついている誰かがいて、傷つけた誰かがいて……色んな思いが、渦巻いてる。そんなところに、なんの関係もない、専門家でもない、部外者で、素人のわたしが、割り込んでもいいのかなって」

「……でも……クリーチャー絡み、だったら……」

「そうだけど、そうじゃないかもしれない。それに、わたしとクリーチャーたちとの関係は、他の人は知らない。それでわたしが、他の人にとってデリケートな領域に、無遠慮で入り込んでしまうのは……いけない、気がするの」

 

 傷を負った人たちの立場を考える、なんて大仰なものではない。

 その人たちはきっと、わたしなんかには想像もできないくらい、色んなことを抱えているのだと思う。辛いことも、苦しいことも、悲しいことも。

 わたしはそれを、想像してしまった。

 そして、それ以上、その傷を深くしたくない。

 けど。いや、だから。

 わたしは、踏みとどまってしまう。

 

「わたしが口にしたなにかが、わたしが行ったなにかが、誰かを傷つけてしまうかもしれない。わたしがやったことが、間違ってしまうかもしれない。そう思うと……なんだか、怖くて」

「…………」

 

 恋ちゃんは、黙っていた。

 静かに耳を傾けて、なにも口にしない。一文字に口を閉じて、ジッとわたしを見つめるだけ。

 無表情で無感動。最近は、ちょっとずつ雰囲気とかでなにを考えているのかわかるようになってきたけど、今の恋ちゃんは、よくわからない。

 その眼はなにを捉えて、なにを見ているのか。なにを考え、なにを思っているのか。

 静かすぎるほど静かに、微動だにせず、直立不動の恋ちゃん。

 彼女はやがて、ゆっくり、静かに、告げた。

 

「……こすず」

「な、なに?」

「……うち」

「うち?」

「ん……いや……家」

「家?」

 

 え? なに? どういうこと? なにが言いたいの?

 わたしがたじろいで混乱していると、ようやく恋ちゃんは、適切な言葉を捻り出した。

 

 

 

「家……いっていい……?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ただいまー」

 

 家の扉を開けて、いつも通りの言葉を発するけれど、返事はない。電気もついてない。

 鍵がかかってたから、もしかしたらとは思ってたけど、お母さんは出かけてるのかな? お姉ちゃんも、まだ帰って来てないみたい。こんな時でも生徒会のお仕事かな……ちょっと不安です。お姉ちゃんなら、大丈夫だとは思うけど。

 それに、友達を呼ぶなら、むしろ好都合かもしれません。

 

「それじゃあ、入って」

「ん……おじゃま、します……」

 

 迷いなく入って、のそのそと靴を脱いで玄関に上がる恋ちゃん。そう言えば、家に友達を呼んだのは、はじめてだ。

 ――いきなり、家に行きたい、なんて言われて、断る理由もなかったから招き入れちゃったけど……恋ちゃんは、なにを考えているんだろう……?

 

「あっちはお母さんのお仕事スペースだから、あんまり行かないでね。足の踏み場がないし、下手に触ったら、お母さん、怒るから」

「りょ……」

「じゃあ、とりあえずわたしの部屋に行こうか」

 

 階段を上がって、わたしの部屋へ。

 扉を開けて中に入る……けど、恋ちゃんは続かなかった。

 

「恋ちゃん? どうしたの?」

「……片づける、時間……待つ……」

「いや、別に待たなくていいよ。っていうか、わたしの部屋、片付けなきゃいけないほど散らかってないから……」

「こういう時、は……待つ、ものだから……」

「そうなの?」

「そう……経験上」

「経験があるの?」

「……ない」

「ないんだ……」

 

 なにを言ってるのかはよくわからなかったけど、とりあえず部屋に入る。

 けど、そこからどうすればいいんだろう。

 恋ちゃんがわたしの家に行きたいと言った理由がまったくわからない。目的も不明。だから、なにをすればいいのかもわからない。

 なにかして遊ぶということも考えられるけど、時間もそれなりに遅いし、そんな余裕はない。それは、恋ちゃんもわかってるはず。

 一体、恋ちゃんはどうしたんだろう……?

 

「……じゃあ、はじめる……」

「な、なにを?」

「デュエマ……」

「なんでっ!?」

 

 まったく流れがわからないよ!?

 というか恋ちゃん、そのつもりで来たの? それならワンダーランドでもいいでしょうに……

 

「ん……説明、むずい……」

「? なにか、言いたいことがあるの?」

「そんな感じ、のような……んっと、その……“こうした方がよさそう”だから、というか……まあ、いいや」

「あきらめないで!?」

 

 まったく言いたいことがわからない。わかるのは、恋ちゃんは恋ちゃんで、考えているということだけ。

 うーん、その意図は不明すぎるけど、恋ちゃんなりに考えてのことなら、いいのかな? よくわからないけど。

 

「一戦だけ……で、いい……時間、ないし……」

「そこまで言うなら……いいけど」

「じゃあ、はじめる……次元、は……?」

「これだよ」

「あぁ、いつもの……私は、ない……」

「うん。じゃあ、始めよっか」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 唐突に始まった、わたしと恋ちゃんの対戦。わけがわからないけど、これが終われば、恋ちゃんの考えを、少しでも理解できるのかもしれない。

 わたしは《爆砕面 ジョニーウォーカー》でマナを増やしたところ。

 一方で恋ちゃんは、まだなにもしてこない。マナゾーンを見る限りは、光文明だけのデッキみたいだけど……

 恋ちゃんはブロッカーやS・トリガーで守りがちに戦うことが多いから、動きが静かだということに不思議はないんだけど……それにしても、いつも以上に静かすぎる気がする。

 なにか仕掛けてくるのなら、動かれる前に決めないと……

 

「わたしのターン。4マナで《カラフル・ナスオ》を召喚するよ。能力で、山札から四枚をマナゾーンにタップして置いて、マナを四枚、墓地に送るよ」

 

 ここで墓地に落とすのは、《ホネンビー》《カラフル・ナスオ》《ジャック・アルカディアス》《無双と竜機の伝説》の四枚。

 うーん、《無双と竜機の伝説》は墓地に置けたけど、ちょっと呪文が微妙かも。まだ《ロマノフ・シーザー》も《グレンモルト》も見えてないし、どう攻めたらいいかな……

 

「ターンエンド、だよ」

「私の、ターン……《信頼の玉 ララァ》、召喚……ターンエンド」

 

 恋ちゃんの方にも、遂にクリーチャーが出て来た。

 あれは確か、光のコマンドやドラゴンの召喚コストを下げるクリーチャー、だったかな?

 あのクリーチャーから進化して、4ターン目に《ミラクルスター》を出されたことが何度かあったし、気を付けなきゃ。

 

 

 

ターン3

 

小鈴

場:《カラフル・ナスオ》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:5

山札:23

 

 

場:《ララァ》

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:0

山札:27

 

 

 

「わたしのターン。5マナで呪文、《超次元リバイヴ・ホール》を唱えるよ! 墓地の《ホネンビー》を手札に戻して……うーん」

 

 手札で使えそうなカードがあまりなかったから、とりあえず唱えたけど……どうするか悩んでしまう。

 とりあえず、早く切り札を引き込むために《ホネンビー》を手札に加えるのはいいとして、出すサイキック・クリーチャーをどうすべきか。

 

(《ララァ》を破壊するのがいいのかもしれないし、《ロマノフ・シーザー》の進化元を並べる方がいいのかもしれない。けど、《グレンモルト》が来たら一気に決めたいし、ここは……)

 

 普段はあまり使わないけど、ここは、このカードだよっ!

 

「《勝利のリュウセイ・カイザー》をバトルゾーンに! ターン終了!」

「醤油……生姜よりマシ、とはいえ……ちょっと、めんどいかも……私の、ターン」

 

 恋ちゃんはマナにタップしてカードを置く。この1ターン分の遅れが、どれだけ意味を成すか。

 わたしの選択は、正しかったのは、間違っているのか。

 それは、後のターンにわかること。

 

「《真紅の精霊龍 レッドローズ》を、召喚……マナ武装3。一枚ドローして、コスト4以下の、光のクリーチャー……《光輪の精霊 ピカリエ》を、バトルゾーンに……ドローして、エンド」

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:《カラフル・ナスオ》《勝利のリュウセイ》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:5

山札:22

 

 

場:《ララァ》《レッドローズ》《ピカリエ》

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:0

山札:24

 

 

 

 クリーチャーが並んできちゃったな……

 こっちもできることは少ないからどうしようもないけれど、先に仕掛けられるか、ちょっと不安になってきた。

 

「《白骨の守護者ホネンビー》を召喚。山札から三枚を墓地に置いて……」

 

 ここで墓地に落ちたのは《解体人形ジェニー》《白骨の守護者ホネンビー》《エヴォル・ドギラゴン》。

 これは、どうしようかな。

 二枚目の《ホネンビー》を手札に加えて、《グレンモルト》か《シーザー》が来るのを待つ? でも、それよりも早く恋ちゃんに動かれちゃったら、きついかもしれないし……

 うーん……

 

「……《エヴォル・ドギラゴン》を手札に加えるよ。残った2マナで《爆砕面 ジョニーウォーカー》も召喚。破壊はしないで、ターン終了」

 

 結局、わたしは次のターンに攻撃する選択を取った。

 光文明は除去は得意じゃないし、たぶん、次のターンまでわたしのバトルゾーンは無事だ。

 だけど、この選択が正しかったのかどうかは、わからない。

 攻め急いじゃってるのかもしれない。不確定で、不明瞭な未来に怯えてしまったのかもしれない。

 

「《ララァ》で、コストを2、軽減……《指令の精霊龍 コマンデュオ》を、召喚……一枚ドローして、コスト5以下の、光のクリーチャー……《閃光の精霊龍 ヴァルハラ・マスター》を、バトルゾーンへ……ターンエンド」

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《カラフル・ナスオ》《勝利のリュウセイ》《ホネンビー》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:7

山札:19

 

 

場:《ララァ》《レッドローズ》《ピカリエ》《コマンデュオ》《ヴァルハラ・マスター》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:0

山札:22

 

 

 

 恋ちゃんは、さらに二体のクリーチャーを追加する。

 これは、ちょっとまずいかも……

 

「早く決めないと……わたしのターン!」

 

 とはいえ、恋ちゃんの場にはブロッカーの《ピカリエ》がいるし、そんなに簡単には決められない。

 でも、ここで手をこまねいていたら、それこそ守りを固められちゃうかもしれない。

 大丈夫。今ならまだ、わたしには攻撃を突き通す手段がある。

 恋ちゃんが完全な防御態勢に移行する前に、攻め切る。

 

「……6マナをタップ! 《ジョニーウォーカー》を進化!」

「来る……か」

 

 久々の登場だね。

 今は、あなたの力が必要だから、力を貸してほしい。

 《グレンモルト》も《ロマノフ・シーザー》もいないけれど、あなただけはいる。

 だから、今この時。その力を、示して――

 

 

 

「――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

「……あいかわらず……出しにくい切り札、チョイス、する……らしい、けど」

「行くよ、恋ちゃん! 《エヴォル・ドギラゴン》で攻撃! Tブレイク!」

「通す……」

 

 《エヴォル・ドギラゴン》は、バトルに勝てば何度でも攻撃できる。だから、事実上ブロッカーは通じない。

 そのまま、恋ちゃんのシールドを三枚、まとめて叩き割る。

 

「ん……トリガー、ない」

「なら、《勝利のリュウセイ・カイザー》でWブレイクだよ!」

「それは……それも、通す……ノートリ……」

 

 恋ちゃんは《勝利のリュウセイ》の攻撃も、ブロックしなかった。

 これで恋ちゃんのシールドはゼロ。ブロッカーが構えているから、《カラフル・ナスオ》では攻撃できないけど……シールドがなければ、ブロッカーを踏み越える《エヴォル・ドギラゴン》で突破できる。

 勝てる……の、かな?

 

「ターン終了だよ」

 

 次のターン、《エヴォル・ドギラゴン》が残っていれば、ダイレクトアタックを通せる。

 シールドを増やされちゃったらどうしようもないけど、それでも、こっちにもそれなりにクリーチャーはいるし……大丈夫、だよね?

 まだ恋ちゃんがなにをするデッキなのかが見えてないのが怖いけど、このまま行けば攻め落とせるはず。

 

「私の、ターン……4マナ、《神聖の精霊 アルカ・キッド》、召喚……一枚、ドロー……」

 

 それにしても、さっきから恋ちゃん、クリーチャーを出してはカードを引いて、という挙動ばかりを繰り返してる。とても静かで、地味だ。

 とはいえそれも積み重なって、結構な数になっちゃったけど……えぇっと、これでクリーチャーは六体、かぁ。

 恋ちゃんにはもうマナがないから、このターンにできることは攻撃くらいだと思う。一斉攻撃されても《ホネンビー》がいるし、《勝利のリュウセイ》も守れるから、問題がないと言えばないんだけど。

 いや、そんなことはない。

 恋ちゃんともあろう者が、ただ意味もなくクリーチャーを並べているはずがなかった。

 

「……本当は、《アルファ》が良かった、けど……やむなし……これで、私の場に、エンジェル・コマンドが、五体……G・ゼロ」

「え?」

 

 改めて、数を数える。

 《レッドローズ》《ピカリエ》《コマンデュオ》《ヴァルハラ・マスター》《アルカ・キッド》。

 《ララァ》を覗く五体のクリーチャー。それらを揃えることが、恋ちゃんの目的だった。

 五体の天使たちが集った。それは、大天使を呼び出すために必要な儀式。

 その儀式を経て、聖なる神霊の王様が降臨する――

 

 

 

「――《聖霊王アルファリオン》」

 

 

 

 神聖で、荘厳で、偉大な、天使たちの王様。

 コスト10、パワー15500の、超大型クリーチャー。

 そんなクリーチャーが、G・ゼロ――コストゼロで、現れた……?

 これじゃあ、《ホネンビー》だけじゃ守りきれないよ……!

 

「《レッドローズ》の上に、重ねて、進化……そして、《ヴァルハラ・マスター》で、攻撃……その時、能力、発動……手札から、《スパーク》呪文を、唱えられる……唱えるのは……《ホーリー・スパーク》」

 

 恋ちゃんはさらに、追い打ちをかける。

 《スパーク》呪文。その名前は、何度も聞いた。

 光はタップが得意で、光の強力なトリガー呪文には、相手クリーチャーをタップさせるカードがたくさんある。

 そしてその多くは、名前に《スパーク》とついていた。

 この呪文も同じ。ということは、わたしの《ホネンビー》が無力化されてしまう。

 ……だけでは、なかった。

 

「ここで……《アルカ・キッド》の、能力……発動」

「ま、まだなにかあるのっ?」

「うん……私が《ホーリー・スパーク》を唱えた、ことで……手札の《聖霊王》を、召喚、する……《アルカ・キッド》を、進化」

 

 《聖霊王》を召喚って、名前で指定するの?

 というか、《聖霊王》ってさっき出た進化クリーチャーみたいなものだよね? それがまた出るってことは――

 

 

 

「――《白騎士の聖霊王HEAVEN(ヘヴン)》」

 

 

 

 わたしの状況は、悪くなる一方だった。

 中型程度のクリーチャーと侮っていたけれど、それらのクリーチャーは、進化の引き金となり、姿を変え、より強い存在へと変化する。

 

「《HEAVEN》の、能力……光以外のクリーチャーを、すべて……シールドへ」

「ぜ、全部、シールドに!?」

 

 わたしのデッキに光のカードなんて入ってないし、バトルゾーンのクリーチャーも当然、光文明ではない。

 つまり、すべてのクリーチャーが、シールドに封じ込められてしまったのだ。

 《エヴォル・ドギラゴン》でさえも。

 バトルゾーンは完全に一掃。そしてそのまっさらな戦場を駆け抜けるかのように、恋ちゃんのクリーチャーが殴りかかってくる。

 

「《ヴァルハラ・マスター》は、相手にアンタップクリーチャーがいなければ、パワー11000の、Wブレイカー……シールドを、Wブレイク」

「う……と、トリガーは……あった! 《ハムカツ団の爆砕Go!》だよ!」

「いや……それ、無理」

「え? どうして?」

「《アルファリオン》の、能力……相手は、呪文が、唱えられない……」

「えぇ!? じゃあ、このトリガーも使えないんだ……」

「あと、クリーチャーの召喚コストも……5、増える」

「そんなに!?」

 

 ノーコストで出て来るわりには強すぎじゃない!? 呪文は使えないし、クリーチャーの召喚もできなくなるなんて。

 

「攻撃、続行……《アルファリオン》で、Tブレイク……」

「うぅ、こっちにもトリガーはないよ……」

「《HEAVEN》で……Tブレイク」

 

 いよいよ、シールドが残り一枚まで追い込まれてしまった。

 このデッキ、《ロマノフ・シーザー》の能力を使うために結構、呪文も入れてるから、呪文が使えないというのはとてもきつい。

 それ以前に、恋ちゃんの攻撃可能なクリーチャーは二体残っている。

 

「《ララァ》で、最後のシールドを……ブレイク」

 

 呪文は封じられているから、S・トリガーにも制限がついてしまっているこの状況。

 えぇっと、この場合、このデッキで防げるトリガーは――

 

「――これ! S・トリガー《凶殺皇 デス・ハンズ》! 《コマンデュオ》を破壊するよ!」

「……止まった」

 

 あ、危なかったぁ……!

 進化元になるからって、ちょっとだけクリーチャーのS・トリガーを入れておいてよかったよ……お陰で命拾いした。

 

「《アルファディオス》だったら、こんなの……いや、それ以前に、《HEAVEN》、出すべきじゃ、なかった……? ……まあ、ミスったものは、しかたない……いいか。ターンエンド……」

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《デス・ハンズ》

盾:0

マナ:7

手札:8

墓地:7

山札:17

 

 

場:《ララァ》《ピカリエ》《ヴァルハラ・マスター》《アルファリオン》《HEAVEN》

盾:0

マナ:6

手札:5

墓地:2

山札:20

 

 

 

 ギリギリ踏みとどまれたけど、いつもと同じく、状況が悪いことに変わりはない。

 というか、最悪だ。

 恋ちゃんのシールドはゼロ、わたしの場には《デス・ハンズ》がいるけど、同時に恋ちゃんにもブロッカーの《ピカリエ》がいるから、とどめまでは届かない。

 そしてなにより、《アルファリオン》の能力で、呪文は使えないし、クリーチャーの召喚コストは5も増えている。まともにカードを使うことさえできない。

 このターンにマナチャージしても8マナ。つまり、3マナまでのクリーチャーしか召喚できないのだ。

 3マナ以下のクリーチャーなんて、このデッキには《ジョニーウォーカー》くらいしか……

 ……ん?

 

「ねぇ、恋ちゃん」

「なに……?」

「《アルファリオン》って、召喚コストを増やすだけ?」

「……うん。召喚とか、コスト踏み倒し自体は、封じない……トリガーの、クリーチャーは、使われる……」

「そっかぁ」

 

 さり気なく墓地も確認しておく。

 今の墓地はこんな感じか……なら、行ける。

 

「7マナで《ジョニーウォーカー》を召喚するよ。破壊して、マナを増やすね」

「……《アルファリオン》、いる、から……加速、意味ない、けど……」

「わかってるよ。でもこれで――届く」

 

 恋ちゃんも、コストを支払わないで大型クリーチャーを繰り出した。

 それと同じ手段は、わたしにもある。

 本来なら呪文を介して使うことが多いけど……これだけは、そうじゃない。

 墓地の枚数を数える。

 枚数は、ギリギリ足りてる。

 だから、わたしも、出せる。

 

「わたしもG・ゼロ! わたしの墓地に、クリーチャーは六体いるから――」

「あ……この、流れ……ミシェルとおなじ……」

 

 呪文ばかりじゃない。

 どっちつかずで、選び切れないで、中途半端かもしれないけど。

 クリーチャーも、呪文も、どっちも使う。

 呪文が封じられちゃった今、わたしが取れる手段はクリーチャーだけ。

 

 

 

「――《百万超邪(ミリオネア) クロスファイア》を召喚!」

 

 

 

 呪文が封じられても、クリーチャーは出せる。

 クリーチャーが重くなっても、攻撃はできる。

 あと一撃さえ、届かせることができれば……!

 

「つきにぃ、くーご、みこと……かと思えば、ミシェル……こすず、読めない……」

「これで決めるよ、恋ちゃん! 《デス・ハンズ》でダイレクトアタック!」

「《ピカリエ》、で、ブロック……」

 

 そのブロックで、恋ちゃんの場から防御手段が消えた。

 ラスト一撃。あとは、その一撃を通すだけ。

 これで、終わらせるよ――

 

 

 

「《百万超邪 クロスファイア》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ニンジャ・ストライク……《ハヤブサ》でブロック」

「えぇ!?」

 

 ――と、思ったけど。

 乾坤一擲。わたしの最後で渾身の一撃は、無情にも防がれてしまいました。

 

「危なかった……《ハヤブサ》、引いてなかったら、死んでた……」

「ここはわたしが勝つ流れじゃなかったの!?」

「いや……私も、負けんの……イヤ、だし……」

「うぅ、そんなぁ」

「それより……終わり……?」

「う、うん。もうなにもできないから、ターン終了だね……」

「じゃあ、私の、ターン……《アルファリオン》で、とどめ……」

「負けました……」

 

 最後まで頑張ったけど、恋ちゃんには負けちゃいました……うぅ、今度こそ勝ったと思ったのに……

 ……って、普通にデュエマを楽しんじゃったけど、本来の目的はそうじゃなかったよね。

 

「恋ちゃん。結局、恋ちゃんはなにがしたかったの?」

「ん……んぅ……んー……」

 

 呻く恋ちゃん。きっと、言葉を探して、選んで、考えてるんだと思う。

 しばらくして、恋ちゃんは絞り出した言葉を口にする。

 

「その……私、コミュ障、だし、頭、悪いし……どう言えば、いいか……わかんない、けど……でも、私は、今まで……“こうやって”やってきた、から……そうやって、悩んだり、進んだり、世界が、開けたり……した、から……そうするしか、方法を、知らない、から……」

 

 あぁ……そっか。

 恋ちゃんは、伝えようとしてくれてたんだ。だけど、どう伝えればいいのかわからないから、恋ちゃんにとって最も身近なデュエマに置き換えられた、と。

 理屈はやっぱりさっぱり不明だけど、その気持ちだけは伝わった。

 ……恋ちゃんは、優しいな。本当に。

 でもいまだに、恋ちゃんの言いたいことが、よくわからない。

 

「……プレミ、した」

「え? プレミって、プレイングのミスのこと、だよね? いきなりどうしたの?」

「私は《HEAVEN》出さず、殴れば、よかった……」

「そ、そうなんだ」

「こすずは……《ララァ》、処理、すべきだった……」

「あぅ。そ、そうだよね……《グレンモルト》が来たら、一気にとどめまで行けるからって《リュウセイ・カイザー》を出したけど、そっちの方がよかったよね……」

「でも、私たちは……“そうしたい”って……そうした方が、いいかもって、思った……違う……?」

「え? う、うん。確かに……」

 

 そうだ。結果的にあれは間違った選択だったけど、わたしは「一気にとどめまで持っていきたい」と思って、あの選択をした。

 恋ちゃんもきっと「バトルゾーンにクリーチャーを残したくない」って思って、あんな選択を取ったんだと思う。

 

「そうしたいで、いい……どうするべきか……どうした方が、いいのか……それも大事、だけど……それで悩むのは……違う、と、思う……」

「すべき、こと……」

「本当に大切な、ことは……こすずが……“どうしたいか”」

 

 どうしたいか。

 わたしの、やりたいこと。

 義務ではなく、使命でもなく、欲求。

 言われてハッとさせられる。

 わたしは、ずっとずっと、正しい道を選ぼうとしていた。誰も傷つかない、誰もが幸せになれる、最も正しい、正解を。

 それが見つからなくて悩んでいたけれど……そもそも、その考え方が、間違っていた?

 いや、間違いじゃない。間違いではない。事件に関わるのも、関わらないのも、どちらも正しい道だと思う。

 けれど、わたしはその二つの道のいいところだけを取ろうとして、立ち止まっちゃってた。本当は、そんな虫のいい話はないのに。

 どちらかを選ばなくちゃならない。その、選ぶための道しるべとなるものを、恋ちゃんは教えてくれた。気づかせてくれたんだ。

 だ、だけど……

 

「それで誰かがイヤな思いをしちゃったら……」

「考えすぎ……そこが、こすずの、いいとこ……だと、思うけど……選ぶって、そういう、こと……どっちもは、手に入らない……」

 

 そう言う恋ちゃんは遠くを見つめていた。その顔はどことなく達観してて、ここにはいない誰かを見つめているかのようだった。

 

「……でも。今、見える道は……どっちもは、無理、でも……やってみれば、案外……いい結果に、なったりする……私も、そうだった」

 

 暗闇が覆っていたものが、晴れたような気がした。

 わたしが見えていなかったものを、恋ちゃんは照らして、見せてくれる。

 とても不器用だけど、優しく。

 光差す道標となってくれる。

 

「だいじょうぶ……こすずが選ぶ道は、きっと、正しい……これまでも、そうだった……これからも、そう……」

「あ、あんまり、自信ないよ……不安、ばかりだよ……間違っちゃうかもしれないし……」

「そこも、安心、していい……たとえ、間違った道に、進んでも……私たちは、こすずに、ついていくから……」

「恋ちゃん……」

 

 ……そう、だよね。

 一人じゃ、迷ってばかりで、なにもできなくて、恐れて、足も止めてしまうけれど。

 みんなが、傍にいてくれるなら――

 

「……ありがとう。恋ちゃん」

「ん……別に……見て、らんなかった、し……」

「やっぱり恋ちゃんは優しいね」

「そんなこと、ない……帰る」

「あ、待って。送るよ」

「だいじょうぶ……それより」

「なに?」

「こたえ……決まった……?」

「まだちょっと、ぐらぐらしてるけど……明日には」

「そう……なら、いい……じゃあ、また……」

「うん、また明日ね。ばいばい、恋ちゃん」

「ん……」

 

 そうして、ほんの短い間の、恋ちゃんとの対話は終わった。

 一時間も経っていないくらい。僅かな時間だったけれど……その時間の中で、わたしは、とても尊いものを、見つけられた気がする。

 あとは、気持ちを落ち着けて。この気持ちが揺らがないうちに、先輩に伝えよう。

 

 

 

 ――事件の捜査に、協力するって。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ご機嫌じゃない、お兄ちゃん」

「そう? いやまあ、事がいい感じに進んでるからかな。本当、助かったよ。彼女たちには感謝しないとね」

「ふぅーん。ま、ウチには関係ないけど」

「いやいや。そこでスタンドプレイはなしでしょ、狭霧ちゃん。確かにこれはオレへの課題だけど、同時にオレたちの問題なんだから」

「だってウチ、そういうの向いてないし」

「向き不向きは仕方ないけど、兄妹なんだからもう少し手伝ってくれても……」

「気が向いたらね」

「そんなご無体な……」

「まあでも、これはこれでそこそこ楽しいから、いい感じに気が向くかもよ? 向かないかもだけど」

「本当、狭霧ちゃんは気分屋だなぁ。できれば向いて欲しいけど、まるっきり無関心じゃないのは珍しいね?」

「善人ぶった奴が、自分たちの手の平の上で踊り狂ってるところを見るのは楽しくない? ねぇ、お兄ちゃん?」

「人聞きが悪いよ。オレは別に彼女たちを騙しているわけじゃない」

「でも、言ってないことがあるんじゃない?」

「事件の捜査とは無関係なことだからね。わざわざプライベートなことを言うものか」

「ふーん?」

「なにさ」

「別になんでも。お兄ちゃんは妹にもウソをつくのかって」

「嘘じゃないってば。オレは本当に、ただの純然たる興味で事件を追ってるよ。オレの性質は、狭霧ちゃんもよくわかってるだろう」

「まあね。でも「本当のことを言ってないだけで、ウソはついてない」って、酷い詭弁よね。動く理由はそれだけじゃないクセに」

「それはそうだけど……でも、協力者とはいえ、クライアントのことを他者に吹聴するのは、コンプライアンス的に問題だよ」

「まーたそうやって、意識高い横文字並べて煙に巻こうとする」

「だから違うって。狭霧ちゃん、さっきからなにが不満なの?」

「別に? お兄ちゃん、そんなちまちましてるから、あの人に目ぇ付けられたのかなって」

「うぐ。まあ、趣味も兼ねてるし、オレはこういうことをするのに向いてるからね。事件捜査とか、犯人探しとか、その手の依頼が来るのは道理だ。オレもなんだかんだ、楽しんでやってるとこあるしね。報酬がないのがネックだけど」

「不満はないの?」

「さっきも言ったよ。報酬がない、それだけが不満だ。でもまあ、オレたちの現状を考えると、それは仕方ないのかもしれないね。むしろここでの働きで、還元できると考えるべきか」

「前向きね、お兄ちゃんは。ウチはちょっと気に喰わない」

「もうそれはいいよ。で、狭霧ちゃんはどうしてくれるの?」

「好きにさせてもらうわ。お兄ちゃんは?」

「まずは中で探る。外は彼女らに任せて、オレはデスクワークだ。これがオレの得意分野だし、一番性に合う」

「相変わらずつまんなそう。もっと面白いことすればいいのに」

「オレにとっては、これだって面白いことだよ。狭霧ちゃんの面白いが混沌すぎるんだ」

「そう?」

「そうだよ。頼むから、オレが困るようなことはしないでね」

「お兄ちゃんの隠し事をバラすとか?」

「だから隠してないけど、クライアントの情報が漏洩されるのは困るね」

「言い訳がましいお兄ちゃん。そういうこそこそしてるの、ぶっ壊したくなる」

「やめてね!? 本当、お願いだから!」

「ウチを退屈させなければね。期待してるよ」

「ぜ、善処します……」

「んじゃ、ま、あれね。楽しくなるといいわね、お兄ちゃん」

「そうだね。計画通りに進んでくれるといいよ、狭霧ちゃん」




 作中で『新聞社』『新聞部』と表記の揺れがありますが、これは作者のミスではなく、各キャラの認識の相違です。烏ヶ森学園には『報道部』という部活があり、その中で『新聞社』『放送局』という風に部署みたいなので分かれてて、朧くんは『報道部・新聞社』の所属という設定です。ただし、『新聞社』も『放送局』もほとんど別々の部活として活動しているので、大抵の人からはそれぞれ独立して『新聞部』『放送部』と呼ばれてしまっている、という理屈です。
 なので、この辺の事情に疎い小鈴らは『新聞部』と呼称していますが、これが一騎や五十鈴などなら正式に『新聞社』と呼びます。まあ、単なる呼称の話でしかないので、そんな大事でもないんですけど。
 と、話すことないからってそんな無粋でどうでもいい設定話をしたところで、今回はここまで。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、自由に仰ってください。


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32話「切り裂きジャックです」

 物騒なタイトルの32話。今回はいつもよりちょっと長めです。
 ……今はまだ、長め、という程度なのです。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 早速ですが、今わたしたちは、とても大変な事件に巻き込まれてしまいました……いや、この表現はあんまり正確じゃないんだけど……

 この町では今、異変が起こっています。異変、というよりも、事件が。

 子供ばかりを狙った『幼児連続殺傷事件』。そして都市伝説としてまことしやかに囁かれている『動物惨殺事件』。

 わたしたちは、その二つの事件を追っている新聞部の若垣朧先輩に請われ、その捜査に協力している。

 そして、その捜査の一日目、最初の一歩。

 放課後に適当な空き教室に集まって、みんなと作戦会議です。

 

「さて、小鈴の意向で、ボクらは彼らに協力することになったわけだが」

 

 指揮を執るのは霜ちゃんだった。まあ、自然な流れだよね。

 わたしたちの中で誰よりも理性的で落ち着いてる霜ちゃんなら、安心してまとめ役を任せられる。

 

「まず大前提。ボクらは本物の事件の捜査なんて無理だ。危険でもあるし、そちらは領分ではない。ここまではいい?」

「意義なーし」

「ん……おけ」

「Ja!」

「だから、ボクらはこの事件について、ボクらの視点で捜査する。つまり……」

「クリーチャーが犯人って前提で動くってことでしょ? まどろっこしいんだよ、水早君は」

「……情報、状況の整理とは、そういうものだよ」

「もっとわかりやすくでいいじゃん。私らの仲で煩雑な精密さはいらないよ」

「そんなことを言うから、大事なことを見落とすんだ。今回は一つのミス、見落としが致命的になるかもしれないんだ。だからこそ、細部までしっかりと情報を整理、確認して……」

「あー、はいはい。御託はいいからさっさと続けて」

「…………」

 

 霜ちゃんのこめかみがピクピクしてる……

 え、えっと、それはそれとして、わたしが朧さんの要請を受けた理由は、みのりちゃんの言う通りだ。

 今回の事件は、クリーチャーが関わっている可能性がある。それならば、その事件を解決できるのはわたしたちだけだ。

 わたしが朧さんに協力しようと思った大きな理由が、そこにある。

 つまりわたしたちは、犯人がクリーチャーであると決め打ちして、それを前提とした調査をしよう、というわけだ。

 

「前提条件の確認は、とりあえず大丈夫そうだね。意思確認模はした方がいい? 強制じゃないから、降りたいなら降りればいいけど」

「ん……冗談」

「今更そんなこと、言いっこなしっしょ」

「ユーちゃんも、ソーサに協力しますよー!」

「愚問だったか。なら気にせずに進めよう。最初に、あの新聞部の先輩――若垣朧さんから得た情報を確認していこうか」

 

 わたしたちが朧さんに協力する条件――というより、理由。それは、朧さんの持っている、事件に関する情報にある。

 朧さんの情報収集能力の高さは、先日の一件で嫌というほど思い知らされた。だけど、それが自分たちの目的と合致した時は、とても頼もしいし、頼りになる。

 とりあえずは、朧さんがくれた現時点での情報を、整理していく。

 

「動物の惨殺事件についてはひとまず置いておいて、まずは『幼児連続殺傷事件』から。この事件は今まで、同一犯の犯行と思われる事件が三件発生していて、つい先日に四件目が発生した。その最初の事件は、およそ二週間前だ」

 

 改めて聞くと、やっぱりすごい事件だ。

 二週間のうちに四人も……死人は出ていないとはいえ、すごい大事件になってきちゃったような……

 

「一人目の被害者は六歳の男児……まあ、幼稚園児だね。犯行場所は西の公園。犯行時刻は4時頃。母親と共に公園に遊びに来ていたそうだ」

「親子で来てたのに襲われたの? ママさんはなにをやってたの?」

「そこでは、いわゆるママ友と呼ばれるコミュニティのようなものがあったみたいだ。子持ちの親が集まって、その子供たちが一緒に遊んでいたらしい」

「子供たちは一緒に遊べて、ママさんたちは談笑に興じれると。合理的ぃ」

「でも、それ……説明に、なってない……」

 

 その説明だと、むしろ監視の目が行き届いているように思える。

 けど、そうではなかった。

 

「逆だよ。母親たちは、複数人の目があるからと安心しきっている。それにコミュニティと言っても、知り合いたちばかりでもなくて、そこだけで形成された、いうなればうわべの付き合いだ。だからこそ、ほんのちょっとした変化には気付きづらい」

「変化です?」

「あぁ。被害者の母親の証言によると、少し目を離した隙に、いつの間にか我が子がいなくなっていたらしい。どこに行ったのかと不審に思って周囲を探しに出たら、子供の泣き声が聞こえて……ってところだ」

「普通、襲われた段階で叫ばないもんかねぇ」

「口を塞がれてたとかじゃないか? そこらへんはデータが不足してるとかで、よくわからないけど」

 

 朧さんの情報収集能力はすごいけど、それでも、なんでも知っているわけじゃない。

 というより、現段階でわかっているのは、色んなニュース、新聞、雑誌などで報道された情報のまとめらしい。

 そう聞くと、なんだかあんまり大したことしていないように聞こえるけど……

 

「ふーん。で、他の事件は?」

「他の事件も、概ねそんな感じだ。違うのは時間と場所だけ。ただし、二件目の事件は少し勝手が違うようだ」

「勝手って?」

「被害者は最年長――といっても、小学一年生だけどね――友達と遊びに出かけて、その帰路で襲われたらしい」

「時間は?」

「発見されたのは、午後6時くらい。たまたま近くを通った学生に発見されて、救急搬送されたらしい。場所は人通りの少ない路地だったけど、たまたま襲われてから発見が早かったみたいで、お陰で命に別状はなかったと」

「それは、とっても幸運(グリュック)でしたね……」

「事件に巻き込まれてる時点で、不運だと思うけどね」

「みのりちゃん、ユーちゃんの言ってることわかるの?」

「なんとなく。フィーリングで」

「まあ、不幸中の幸いというやつだ。残りもざっくり説明するよ。三件目は、発見時間が2時30分頃。だから犯行があったのは、それより少し前だね。四件目が3時から4時の間に発見されている。いずれも被害者は未就学児で、場所は公園やその近辺だ」

 

 時間にはばらつきがある。けど、気になるのは昼間の時間も少なくないということだ。

 不審者が行動したりするのは、暗い夜と相場が決まっている。なのに、犯行時刻は昼が多い。

 もう秋で、暗くなるのも早いけど、2時とか3時じゃ、まだ日も高いのに……

 

「ちなみに、凶器は?」

「鋭利な刃物だろう、って言われてるね。胸や腹なんかに複数、刺したり切り裂いた傷があったらしい」

「目撃情報……とかは……?」

「これが奇妙なことに、ほとんどない。ただし、昨日の四件目の事件で、ようやく証言が得られたみたいだね」

「どんな人なんですか?」

「これを特徴と言っていいのかは謎だけど、黒いコートを着込んで、フードやマスクで顔を覆った男だって。ファッションセンスの欠片もないザ・不審者な出で立ちだが、まあ、不審な人物と言えばこういうものだろう」

 

 霜ちゃんの言うように、お手本通りの不審者さんだ。

 あまりに普遍的すぎて、かえってどう判断したらいいのかわからない。

 

「これだけじゃ、よくわからないです……」

「ねー。被害者は幼い子供で、凶器は刃物で、犯行場所は公園が多いってことくらいしかわからないや」

「きっと犯人は子供が目当てで、子供が集まりやすいのが公園だから、自然とそこが犯行場所になりやすいんだろう」

「犯行時刻からは、なにかわからないかな?」

「これも犯行場所と同じ理屈だと思うけどね。午後2時~6時。まばらと言えばまばらだが、一般人、特に子供が外出する基本的な時間と言えそうだ」

「つまり、犯行時刻は子供が外出している時間だから、自然とその時刻になってるってこと?」

「でもさ、二件目のやつ。6時だったら、小さな良い子は帰ってる時間だよ?」

「そうなんだよな……その事件だけは未就学児ではなく小学生相手だし、事情が少し違うのかもしれない」

「ジジョーって、なにがですか?」

「それは……わからない」

「まあ……そう、なる、か……」

 

 とりあえず手元の情報を並べてみたけど、思った以上になにもわからなかった。

 いや、そもそも事件の調査って本来こういうもので、わたしが朧さんの情報に過剰に期待しすぎてただけなのかもしれないけれど。

 

「……で、どうするの……私たち……」

「先輩から貰った情報を信じるなら、犯人は2時~6時の間、子供の集まる場所で犯行に及んでいる、ということがわかるね」

「つまり、私たちは2時~6時の間、近所の公園を虱潰しに歩き回れって?」

「現時点で行える現実的な手法は、そのくらいだ。実地調査ということなら、そうなるな。もっとも、ボクらには授業があるから、まともに捜索に当てられるのは放課後の2、3時間程度になりそうだが」

 

 3時間。

 長いようで、その時間は、きっと短い。

 でも、わたしたちも学校をサボるわけにもいかないし、今できる最善の手は、それだけしかないんだよね……

 

「さて、調査するにしても、なんの手掛かりもなく、なんとなく怪しい、という曖昧模糊な感覚だけで犯人を突き止めることはできない。特にボクらが追っているのは、相手がクリーチャーという前提だ。人間に擬態した、あるいは人間に憑依したクリーチャーは、一見するだけではそうであるとはわからないだろう」

「そうだね。今までも人の姿をしたり、人に憑りついたクリーチャーはいっぱい見てきたけど、パッと見では全然分かんなかったよ」

「……生き証人……言うことは……?」

「え? 私に言ってる? つっても、私のあれは憑りついたってより、たぶんなんかもっと違う感じなんだよねぇ。一時的な気の狂いというか、とりあえず憑依っぽいことしてみた、的な?」

「そうなのか?」

「いや、感覚だからわからないけど。でもあれ、帽子屋さんから貰ったカードだし……後からマジで普通のカードになったけど」

「まあ、実子の証言はさておきだ。擬態しようが憑依しようが、クリーチャーは、クリーチャーとしての性質に引っ張られる傾向がある。それを手掛かりに捜査を進めれば、なにか進展があるかもしれない」

「クリーチャーとしてのセーシツ、ですか?」

「たとえば、いつかケーキ屋で小鈴が暴食していた時、《優雅なアントワネット》が人間に憑依していたね。あの時、憑依された人間の方は特に健啖家というわけでもなかったようだが、クリーチャーの方は相当な大食いだった」

「わたしとユーちゃんが誘拐された時のクリーチャーも、そういえば……」

「ロリコンさんです!」

「《知識の精霊ロードリエス》だっけ? 《ロードリエス》でロリコンっていうのも、なんだか妙だが……共犯者であった《束縛の守護者ユッパール》は、文字通り束縛、相手を昏倒(フリーズ)させる力があったらしいね」

 

 《アントワネット》はクリーチャーの設定上、《ユッパール》は能力、《ロードリエス》は……ちょっとよくわかんないけど、人間社会に紛れ込んだクリーチャーたちは、それぞれのクリーチャーの持つなんらかの性質に基づいた特徴を持っている。

 それは、これまでのわたしたちの経験から、確かであると言える。

 

「今回の犯人が、人間に化けたクリーチャーであれ、人間に憑依したクリーチャーであれ、犯行手段や動機は、クリーチャーとしての性質に準じていると考えられる。これを念頭に置いておけば、手掛かりも見つけやすくなるだろうと思うんだ」

「理屈は通ってるねぇ」

「で……具体的、には……?」

「それを今から話そう」

 

 ちょっと自信ありげに言う霜ちゃん。

 ……ひょっとして、ずっとそれを言いたかったのかな?

 

「リサーチに当てられる時間は短かったが、ボクなりに今回の事件に関わるかもしれないことを、色々考えて調べてみたんだ」

「熱心だねぇ。で、なにかわかったの?」

「事件そのものについては、報道も規制されているのか、正直よくわからなかった。だから代わりに、類似した事件を調べてみたんだ」

「ルイジ……緑のおじさんですか?」

「いや、そうじゃなくて……ほら、種類にもよるが、クリーチャーにも知性はあるだろう? 知能があって、物事を学習する力がある。彼らは彼らなりにこの世界に順応しようと、知識を得ている節がある」

 

 言われてみれば、確かに……

 ロリコンさんも「人間の子供」について学習していたような素振りを見せていたし、超次元の猫さんは学校内に巣食って餌を漁っていた。

 他にも、恐らくクリーチャーの世界にはないものを求めて、人間社会の物事について学び、知識を吸収していると思われるクリーチャーは、たくさんいた。

 

「だから、今回もボクらの世界の出来事、概念なんかを学習して、それに倣って犯行に及んでいるのかもしれない、と推測してみたんだよ」

「過去の似たような事件を学んで、その再現をしてるってこと、かな?」

「再現とまでは言わないけど、概ねそんな感じだ。クリーチャーの考えることなんてわからないけれど、かつての人間世界での事件から、なにかを見出していてもおかしくはない」

「言いたいことはわかったよ。で? 具体的には?」

「犯人の目的が“多くの人間を殺傷すること”と仮定して、それと類似する事件――というより概念は、やはり連続殺人。そして、恐らく世界で最も有名だろう連続殺人鬼(シリアルキラー)と言えば……あれしかいないだろう」

「あれって……?」

切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)だよ」

 

 切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)

 その名前くらいは、流石に知っている。

 二百年くらい前、イギリス――ロンドンで起こった連続殺人。その犯人の呼び名だ。

 いまだ犯人が捕まっていなくて、真相も不明なままの、いわゆる未解決事件だから、犯人の名前は通称、仮の名前で呼ばれている。けれど、その通り名はとても有名だ。

 有名、なんだけど。

 

「あぁ。あのちっこ可愛いの」

「解体……幼女……」

「……なんの話してるんだ、君ら?」

 

 みのりちゃんと恋ちゃんの知ってるそれは、わたしの知らない切り裂きジャックみたいです。

 まあ、切り裂きジャックって有名なだけに、それを題材にした小説、漫画、映画にアニメと、モデルとする創作がたくさんあるし、切り裂きジャックの正体自体も不明だから、かえってどんな形でも描ける、ということでもある。わたしも切り裂きジャックをモチーフにしたお話はいくつか読んだことがあるけど、作品ごとに正体は違っていた。

 

「まあ、君らのイメージはさておき、切り裂きジャックの説明は不要かな? 19世紀のロンドンで起こった、いまだ真相が解明されていない連続猟奇殺人事件だけど」

「不要とか言いながら説明しちゃうやつ」

「うるさい、ただの確認だよ」

「そんな怖い人が、関係あるんですか……?」

「直接の関係はないだろうけど、仮にクリーチャーが切り裂きジャック――あるいはそれに類する猟奇殺人など――のことを学習して、知識として吸収し、模倣に走ったのなら、その事件の性質を理解することに意味があると思ったんだ。事件の真相と直接関係がなくても、なにか推理するとっかかりになるかもしれない」

「まどろっこしいんだよねぇ。とっとと現場に直行して調べればいいものを」

「闇雲に探しても効率が悪いと言っているんだ」

「こんなところでごちゃごちゃ言ってるのが効率的だって?」

「ちょっと、二人とも……」

「また、始まった……よくも、まあ、あきない……」

「ケンカはダメですよっ! 霜さん、実子さん!」

 

 みのりちゃんと霜ちゃんは、少し気を抜くとすぐに険悪な空気になるから、ちょっと怖い。

 

「……まあ、今回は私が引いてあげようか」

「君に譲歩されるのは、それはそれでムカつくのだけどね」

「私もケガしたくないし、ケガさせたくない子もいるしね」

「なんだよ。わかってて突っかかって来たのか?」

「さーねー?」

「……まったく。君と話してると、頭が痛くなる」

「私は楽しいけどね。イラつくけど」

「それで楽しいっておかしくないか?」

「私の中では矛盾しないからいいんだよ。私はね、心の動きを楽しんでるの。そういう意味では、ムカつきも喜びも大差ないわけ。わかる?」

「理解できないな。君の言ってることは、まったくもって」

「……いいかげんに、しろ」

 

 堪えきれなくなったように、恋ちゃんが二人の襟元のスカーフを掴んで引っ張る。

 ……非力すぎて、二人の注意が逸れるくらいの効果しかなかったけど。

 

「話、脱線しすぎ……」

「……すまない。つい熱くなった」

「メンゴメンゴー」

 

 とりあえず、二人とも矛先を収めてくれたみたい。

 うーん、この二人は、仲がいいのか悪いのか、よくわからない……みのりちゃんはなんだかんだで楽しそうにしてるし、霜ちゃんもいつもは見られない一面が見られるけど、空気は険悪そのものだし。

 それはそれとして、今は切り裂きジャックの話だ。

 かつての猟奇的凶悪犯の真似をするクリーチャーがいるかもしれない。それなら、その犯行を掘り返せば、なにかがわかるかもしれない。

 

「コホン。さて、気を取り直して。切り裂きジャックの特異な点はいくつかあるが、その一つは被害者の共通項。被害者はすべて女性、それも娼婦だ」

「ショーフってなんですか?」

「え? えっと……」

「それは……」

 

 言葉に詰まるわたしと霜ちゃん。

 な、なんて言ったらいいのか、これ……

 わたしたちがユーちゃんの純粋無垢な眼差しにたじろいでいると、意外なところから助け舟が出た。

 

「コウノトリを呼ぶ仕事をしてる女の人のことだよ」

「? よくわからないですけど、素敵(シェーン)ですね!」

(み、みのりちゃん……!)

(ナイスだ実子。君は知能はお粗末だが、こういう時には役に立つな)

 

 みのりちゃんが上手いことかわしてくれた。

 ユーちゃんはまだちょっと首を傾げてるけど、とりあえず納得……もとい誤魔化せた。

 

「まあともかくだ。被害者はすべて女性。そして他にも、臓器が摘出されているという共通点がある。切り裂きジャックの目的や正体については諸説あるけど、そういった事例も加味して、医者、あるいは医術の心得のある者の犯行だという説があるね」

「医者ねぇ。クリーチャーにお医者さんがいるわけ?」

「いるじゃないか。マフィ・ギャングっていう種族に闇医者が」

 

 そういえば、あの種族のクリーチャーには、いくつか種類があったね。

 その一つにお医者さんのような風貌のクリーチャーもいた。確かあれは、なっちゃん――『バンダースナッチ』ちゃんと戦った時、だっけ。

 ……あんまり思い出したくないな……

 

「たとえば、クリーチャーの中に知的好奇心に優れる個体がいると仮定して、そのクリーチャーが人間の身体に興味を持って、そこらの幼児を殺傷するという犯行に及んだというのはどうだろう?」

「身体に興味を持ったって、なんかえっちぃ表現だね」

「いちいち茶々を入れるな。興味というのは学術的興味。医学的、生物学的な意味だよ」

「でもさ、それなら殺傷なんて半端なことじゃなくて、殺すまで身体切り開くんじゃない?」

「……あぁ、その通りだ。だから今のは一例だよ」

「子供ばかり狙って殺傷事件だなんて、私は普通に狂ったサイコ野郎の犯行だと思うけどなー。快楽犯ってやつ?」

「正直、人間であれクリーチャーであれ、その可能性が否めない。というか、そうである可能性が高いとは思うんだが……そういう狂人にだって“狂い方”は様々だろう」

「狂い方……?」

加虐性欲(サディスト)幼児性愛(ペドフィリア)死体愛好(ネクロフィリア)……どんな倒錯(パラフィリア)でも、種類、分類がある。それらを解析することで、犯人の像を浮かび上がらせることができるかもしれない。だから一言でサイコパスと切り捨てるのは早計だし、そこから考えを発展させるのが大事だと思う」

「横文字が多くてなにを言ってるのかわかんない。カッコつけんのやめよう」

「…………」

 

 あ、今、霜ちゃんの額にくっきりと青筋が浮かんだ。

 けれどさっき恋ちゃんに窘められたことがあるからか、霜ちゃんは出かけた言葉を飲み込んだ。

 

「……まあ今回に関しては、被害者が小学校低学年から幼稚園児までと、年齢層がとりわけて低い。犯人は幼児性愛嗜好(ペドフィリア)なのかもしれないね」

「ペドなクリーチャーとか知らないよ」

「ロリコンなら……いたらしい……」

「でもそれって、人間の被害者の場合、だよね?」

「あぁ。もう一つの、犬猫が惨殺されているという事件と関連があるとするならば、ペドフィリアと決めつけるのは早計だ。というか、二つの事件を結び付けてしまったら、人間に対する性愛で犯行に及んだとは考えにくい。獣への性愛もあるけど、やはりどうしても、人間の殺傷とは結び付けにくいところはある」

「難しいですね……」

「ぐだぐだな上に雑ですまないが、とりあえず、今は二つの事件は分けて考えてみないか? 片や残虐とはいえ死者は出ておらず、片や何匹もの動物が惨殺されている。性質は似て非なるものだし、最初から結びつけて考えてたら、かえって混乱すると思うんだ」

 

 確かにそうかも。

 一つの事件だけでも、わたしたちの手に余るような難題なのに、それを二つも同時に考えるの、とても大変だし、しんどい。

 二つの事件の関連性はまだ朧さんも決定的には認めていないみたいだし、とりあえず保留して、ひとつひとつ考えていくというのは、わたしたちのやりやすさも考慮すると、いいのかもしれない。

 

「うーん……あー、なんか飽きたなぁ」

「君な」

「こんなとこでぐだぐだ言ってても仕方ないじゃない? 結局、情報が足りてないんだから憶測止まりなんでしょ? 情報が足りていない今こそ、自らの足で情報収集しないとダメなとこあるんじゃない?」

「実子の癖にまともなことを……まあしかし、その通りだ。まだ細かいところは残っているが、主要な可能性は概ね伝えたし、ボクの考えを延々と全て披露する意義も薄い。皆からなにもなければ、これ以上、ここで作戦会議をすることもないが……どう?」

 

 誰も首を縦に振らず、一様に横に振る。

 勿論、わたしも。

 それは、つまり、

 

「それじゃあ、実子が暴れないうちに……もとい、日が傾かないうちに、外に出て調査開始だ。少しの異変でも見つけたら、皆で共有しよう」

 

 実地調査(フィールドワーク)の始まりです。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 結果、なにも見つかりませんでした。

 ……流石にへこむね。いや、わかってはいたけれど。それでも、本当になにも、それらしいものが見つけられなくて、ちょっと落ち込んじゃうかも。

 クリーチャーなら、もう少しなにか痕跡とか、違和感とか、あるのかと思ってたけど……想像以上になにもなかった。

 たった一日で、わたしたちは自分たちの力不足を実感したのでした。

 

「それで、オレのところに来たと?」

「えぇ。先輩の性格や趣味はさておき、情報収集能力はとりあえず認めています。一日経つだけでも、なにかしらの情報は掴んでいるかもしれないと思いまして。情報はできるだけ早くに更新したいですし」

「微妙に刺々しいね! 否定しづらいしいいけどさ!」

 

 とまあ、そんなわけで、翌日。この日は朧さんのところを訪ねました。

 朧さんは、普段は新聞部の部室を拠点として活動しているみたいだけど、今回の活動は新聞部には内密にしているから、空き教室の一室を(勝手に)拝借、占領して、拠点としているみたい。

 勿論、教室の無断借用も占領も、先生にバレたら怒られちゃうけど、朧さん曰く「施錠されていないということは、無断借用に対する危機意識が薄く、それが実際に発生しても大した問題にならないということだろう?」らしい。たぶんそういうことではないと思うけど。

 ともかく、朧さんは机の上にファイルやらノートやら紙束やらの資料を散乱させ、その上にノートパソコンを乗せ、それを操作しながらわたしたちと言葉を交わしている。

 

「まあ、情報の更新は大事だね。マメに進捗を共有することは悪いことじゃない。たとえ、まったく進展がなかったとしてもね」

「ご、ごめんなさい……」

「別に責めてるわけじゃない。むしろ当然だ。ちょっとやそっとの捜査ですぐに尻尾が掴めるのなら、オレもあなたたちに協力を要請したりはしない。それに、事が事だ。安全第一、地道にコツコツと、焦らず急がず、だ。あなたたちになにかあっても困るからね」

「あ、一応、私たちの身を案じてはいるんですね」

「そりゃあ、頼んでる事が事だし……クライアントになにかあったらオレの信用にも関わる。オレの知りたがりも、安全であるためという目的以上に、安全であるからという前提があるからね」

「それで。朧さんは、なにか情報を掴んだんですか?」

「んー」

 

 霜ちゃんの問いに、朧さんは肯定とも否定とも取れるように、曖昧に頷く。

 

「あると言えばあるし、ないと言えばない、かな? 事実確認として、犬猫の方は昨日今日で何匹か殺害されているみたいだけど」

「なんですかその曖昧な情報は。ハッキリと提示してください」

「いや、まだこの手持ちの情報が、情報として扱えるかどうかわからない状態なんだよ。未確定情報は混乱を招き、大きなノイズとなりかねない。今ちょっと知り合いに頼んで調べてもらってるから、その結果が出たら話すよ」

「もったいぶりますねぇ。なんか怪しい?」

「怪しくないよ! 約束では、もうすぐ連絡が来るはずなんだ。だからそれまで待ってて」

「こちらも捜査に使える時間は限られてるんですが」

「それはそうかもしれないけど……うーん、じゃあ、そうだなぁ。事件と直接は関係はないかもしれないけど、一応、別に手に入れた情報でも聞く? 大した意味はなさそうだけど」

「別に手に入れた情報?」

 

 なんだろう、それは。

 事件には関係なさそうと朧さんは言うけど、ちょっと気になります。

 

「じゃあ、どれから聞きたい?」

「ど、どれから、とは……?」

「演劇部と新体操部が無期限の休部期間に入ったこと。キャベツの値上がりで学食のメニューの数が一部減ったこと。ここ半月の保健室の利用者が平均値から30%増えたこと。ついでに切傷が多かったこと。だけど欠席者は平均よりも15%ほど減ったこと。鹿島先生の欠勤が続いてること。陸奥国先生がラブレターを読みもせず捨てたこと。購買に最近入った陸奥国葉子さんが、男子生徒に告白されたけど、ほとんど意味を理解してなくてデートしそうになって、弟さんが止めに入ったことと。それから……」

「もういいです」

 

 つらつらと色んなデータ、出来事を挙げ連ねた朧さん。

 国語の先生がD組の授業中に二回ほど噛んだとか、体育の授業でやるバスケで勝った生徒は誰だとか、誰が誰に告白しただとか、振られただとか、近くのコンビニの利用者数だとか、本当にどうでもいいことがぽろぽろ出て来る。

 流石にどうでもよすぎて、みのりちゃんがキッパリと切り捨てた。霜ちゃんも無言で頷いている。

 いや、というか……

 

「先輩、なんでそんなこと知ってるんですか……?」

「調べたから」

「なんでそんな関係ないこと調べてるんですか!?」

 

 あまりにも情報の種類が謎すぎた。他のクラスの授業の様子も、色恋沙汰も、すごくどうでもいいことにしか思えない。

 

「そんなクソどうでもいいこと調べるくらいなら、もっと事件の本筋をしっかり調べてくださいよ。やる気あるんですか?」

「だって気になるじゃん! 気になったらそりゃ、調べたくなるよ」

「なりませんよ……」

「それに、なにが事件解決の手がかりになるかわからないしね。情報を集めるに越したことはないよ……ちょっと処理しきれない時があるけどさ」

「……実は、こいつ……凄いバカなんじゃ……」

「シッ! 恋、それ以上はダメだ。一応、彼は先輩なんだから……」

「聞こえてるからね!?」

 

 でも、朧さんが提示した情報のほぼすべては、本人が言っていたように、事件となんら関係ないように思える。

 それだけたくさんのことを調べられるのなら、もっと事件に注力してくれてもいいのに、とはわたしも思った。

 

「いやまあ、この辺の情報になると、情報網として確立してるところから勝手に流れ込んでくるから、手間というものはほとんどないんだけどね。クラスメイトや廊下での生徒同士の会話に聞き耳を立てたり、単純な世間話から拾うこともある」

「だからそのリソースをもっと本題に向けろと」

「これでもオレの力の大半を事件に向けてはいるんだけどね」

「それでも……手掛かり、見つからないんじゃ……無能……」

「ぐ、痛いところを突くね。否定したいが、現実問題、オレはまだ大した手掛かりを得られていないから、反論するには説得力が足りない……」

 

 恋ちゃんの言葉にしょんぼりする朧さん。

 なんて言うか、朧さんって色んなことを知ってるし、口も達者だけど、意外と言い負かされやすいよね……

 

「……まあ、強いて言うなら、これだけ調べても情報が出ないっていうのが、一つの手掛かりと言えるかもしれないけどね」

「どういう意味ですか?」

「警察や報道機関があえて規制しているのか、あるいは本当に見つからないのか。これだけ事件が起きていても、犯人の手掛かりが表沙汰になっていない。そこから推理できる要素もあるということだよ」

「?」

 

 手掛かりがないことが、推理する要素?

 どういうことなんだろう?

 

「たとえば、ここまで情報が出ない理由が「本当に犯人につながる手掛かりがなくて、そもそも報道できない」だとしよう。現場には犯人に繋がる痕跡がなく、目撃情報もない。それはつまり、誰にも見つからず、あらゆる痕跡を残さず犯行に及んだ犯人の手際の良さが窺えるわけだ」

「計画された犯行で、なおかつ犯人はプロだと?」

「殺しのプロっていうのも、オレらにはピンと来ない話だけどね。ただ、そういう推理はできるよね」

 

 あ、成程。

 手掛かりがない。それはつまり、手掛かりに繋がるような痕跡を残さずに犯行に及んだとか、痕跡を綺麗に消し去ったとか、そういう推測が立てられるんだ。

 あくまで推論でしかないけど、確かにそこから推理することはできる。

 

「ま、情報が少ない以上、そういう推理の仕方をするしかない、というのが本音ではあるんだけどね。だけどこの事件の特異性は、十分な推理材料になる」

「トクイセー、ですか?」

「あなたたちにも話したと思うんだけど、今回の事件は、目的証言が異常なほど少ない。犯行は深夜ではなく、人目もある昼から夕方に行われている。だというのに、その時間に誰にも見つからずに子供に近づき、犯行に及べるなんて、普通じゃ考えられないよ」

「確かに……」

「先輩はその点をどう考えているんですか?」

「まだなんとも言えないよ。犯行件数は今までで四件。町の規模を考えると決して小さな数字ではないけど、異常に多いわけでもない。過密地域でもあるまい、単純に偶然誰にも見られなかったとか、そういうこともあるよね」

 

 ぼかすように言う朧さん。

 確かにそうだけど、そんなことを言っちゃったらどうにもならないんじゃ……

 とわたしが思っていたら、霜ちゃんがそんなわたしの心情を代弁するように言ってくれた。

 

「しかし、そうでない可能性の方が高いのでは?」

「可能性なんて、所詮は「あるかないか」だよ。とはいえ、その指摘は正しい。だから素直に考えたら、犯人は「警戒されない」あるいは「警戒されにくい」人物だったんじゃないかな、と」

「警戒されない人物?」

「荒唐無稽なことを言うよ。犯人が透明人間だったとすれば、誰にも見つからずに犯行に及べるよね。姿が見えないんだから、そもそも警戒するという前提条件が成り立たない」

「そんな小説の中の科学者みたいなこと……」

「馬鹿馬鹿しいですね。非現実甚だしくて、仮定する価値さえ見出せません」

「まあね、今のはたとえだよ。じゃあ、そうだな……犯人は被害者の母親の友人――ママ友コミュニティの誰か、とかね。上手いこと母親たちの目を盗みつつ、子供を連れ出して草陰でザクリ。その後、何食わぬ顔で子供と一緒に帰宅、とか。そういう可能性はどうだろう。まだ現実味があると思うけど」

「うーん……」

「先輩って、実は推理下手くそなんじゃないですか?」

「無能……探偵、向いてない……やめたら……?」

「ハッキリ言うね、君たち!」

 

 遂にみのりちゃんと恋ちゃんが言い放った!

 あえてわたしたちは口にしなかったのに!

 

「だから今のは一例だって。オレだってわかってるよ、こんな推理が穴だらけだってことくらいはさ」

「じゃあ……なぜ言ったし……」

「とりあえず口には出しておこうと思って……でもそんな風に、警戒されにくい工夫はあったんじゃないかと思うよ」

「ふむ。まあ、そこだけは一理ありますね」

「だろう? そこのトリックはわからないけれど、そこが解明できれば、大きな一歩を踏み出せそうなんだよね」

「肝心のそれがわかんなきゃ意味ないですけどね」

「まったくもってその通りだね!」

 

 だから、それを解明するために色々と調査したり、情報収集したり、推理したりしてるわけだけど。

 

「けど、オレは記者であって探偵ではないからね……正直、さっぱりわからない」

「わたしも、推理小説は読みますけど、自分で推理するかと言われると……あんまり……」

「だよね。ふむ、このまま進展がなさそうなら、うちの学校の推理小説(ミステリ)研究会にでも頼ってみようかな。謎を書いた紙をワープロで作って、挑戦状みたいに部室に放り込んでさ。嬉々として取り組んでくれると思うんだ」

「そんなことして、自分のやってることバレても知りませんよー?」

「うちの学校のミス研なら、閉鎖的だから大丈夫だと思うんだけどね。文芸部はわりと社交的だから危ないけど」

 

 推理小説研究会、文芸部……そんな部活があったんだ。

 っていうか、推理小説と文芸って、範囲被ってないのかな?

 この学校の部活動は、やっぱりどこか変わってるな、と改めて思っていたら、どこからともなくポップな音楽が流れてくる。

 

「ん? 電話だ。やっとかな……ごめんね。ちょっと出るよ」

「ど、どうぞ」

 

 それは、朧さんの携帯の着信音。

 朧さんは携帯を手にして、教室の外に出る。そんなに気を遣わなくてもいいのに……

 

「もしもし……(ほむら)君? 例の……だよね? うん……ありがとう」

 

 扉越しに、微かに朧さんの声が聞こえてくるけど、よく聞き取れない。

 

「やっぱり……か。それだけ……あれば……確定かな。うん、ありがとう。お礼は例の……で。じゃあ、また……連絡するよ。またね」

 

 一分も経たないうちに通話を終え、朧さんは戻ってきた。

 その表情は、どこかうきうきしているように見える。あるいは、わくわくか。

 そんなにこやかな面持ちで、朧さんはわたしたちに向き直る。

 

「さて、あなたたちに話をする準備ができたよ」

「未確定の情報とやらですか?」

「そうだ」

 

 最初に言ってたやつだね。

 やっぱり、なんだかんだで朧さんは、なにか情報を掴んでいたみたい。

 そして、朧さんが掴んだ情報というのが、

 

「模倣犯が出たかもしれない」

 

 ……模倣犯?

 ちょっと思ってもみない角度からの言葉だった。

 さらに朧さんの、突拍子がない面食らうような発言は続く。

 

「あなたたちは、カマイタチは知ってるかな?」

「カマイタチって、妖怪の、ですか?」

「そうそう。気付いたら足とか腕とかに切り傷ができてるっていうアレね」

 

 カマイタチ。日本の妖怪や怪奇現象としては、かなり有名な部類だと思う。

 つむじ風に乗って現れる鎌を持ったイタチが、通り際に切り裂くとか。あるいは、漫画とかゲームだと、風そのもので切り裂く現象にも言われたりする。

 どっちにしても、それは民間伝承とか伝説みたいなものだけど……?

 

「どうもね、ここ数日、そういう異変が起きてるっぽいんだ」

「知らないうちに腕や足を怪我している人が続出していると?」

「そういうことだね」

「それが、どうしてモホーハンなんです?」

「単純に規模の違いがあるけど、どちらも“誰かを刃物で傷つける”という点が共通している」

 

 あぁ……そう言えばそうだ。

 切り裂きジャックも、カマイタチも、どちらも“切り裂く”という行為は共通しているし、都市伝説まがいの性質も類似している。

 殺人か、そうでないかの違いは大きいけれど、共通点はあるんだね。

 

「でも、それだけで模倣犯だと断定できるのですか?」

「できない。けど、その可能性は低くないと思うんだ。なにせ例の事件で騒ぎ立てられてるこのタイミングだし、そういうのが出てもおかしくはない」

「でも手足に切傷って、規模がしょぼくないですか?」

「そこはほら、犯人はその程度のチキン野郎ってことじゃない? 殺人未遂級の犯罪を連続して犯すとか、普通に狂気の沙汰だし」

「推理……雑……」

「むしろ大きな犯罪を犯してくれなくてよかったけどね。そっちの方が、単純に怖い」

「しかもチキンはこっちじゃないですかー」

「あの、そもそも、本人にも気づかれずにそんな通り魔みたいなことができるものなんですか?」

「さあ? 麻酔でも打ってから切ったのかもね。あるいは、ワイヤーを仕掛けたとか」

「やっぱ先輩、推理のセンスないでしょ」

「ボクが脅迫された時と同じ人とは思えないな」

「オレだってわからないんだよ! 水早君のアレは、手掛かりとなり得る情報がたくさんあったし、狭いコミュニティのごく限られた物事だったから推理もしやすかったけど、今回はそうじゃない。それにこの情報は、今しがた確定したばっかりなんだから」

「逆ギレ……情けな……」

 

 流石に散々な物言いだよ、みんな……

 ちょっと朧さんがかわいそうかもしれません。

 いや、っていうか。朧さん、さっきちょっと気になることを言ってたような……

 

「……確定したって?」

「あぁ、うん。なんかカマイタチが起こった、みたいな噂話はちょいちょい拾ってたんだけど、それがどのくらいの範囲、人数で発生しているのかが不明瞭だったから。それをさっき、知り合いに頼んで調べてもらって、一つの事件性を認められるくらいの規模だと判断したから、こうして話すことにしたんだ。じゃなければ、単に怪我に気付かなかっただけとか、そういうノイズ情報になる可能性があるからね」

 

 あ、ちゃんとそのへんは、しっかり考えてたんだ。

 

「それで、模倣犯が出て、なにがどう変わるんですか?」

「いいことはないね。捜査が攪乱されたり、本命の犯人が身を退く可能性もある」

「結局は捜査に進展はなし、ですか」

「やっぱり……無能か……」

「これオレが悪いの!?」

 

 なぜか非難される朧さん。

 朧さんは身振り手振りで、必死で弁明しようとする。

 

「いやでもほら、これが『幼児連続殺傷事件』の犯人と同一犯の犯行で、捜査を攪乱するためとかでカマイタチしてる可能性もあるし……」

「カマイタチするって……」

「まあ、言ってることはそれなりに筋は通っていますが……ここまで痕跡を残さず犯行に及べる犯人が、かえって情報を増やすような真似をしますかね?」

「そうなんだよねぇ……」

「やっぱり先輩、探偵の才能ないですよ」

「無能探偵……」

「だからオレは探偵じゃなくて記者だって……」

「無能って言われてるのはいいんですか?」

「オレの推理が穴だらけなのは否定できないし……そもそも否定しても訂正してくれなさそうだし……」

 

 あぁ、朧さんがいじけちゃった……

 みんながあんなに言うから……先輩なのに。

 朧さんがいじけたから、というわけではないけれど、これ以上の目ぼしい情報もなく、わたしたちはいじける朧さんをしり目に、ここで教室を後にした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「結局、思ったよりも成果はなかったねー」

「うにゅぅ、ユーちゃん、皆さんがなにをおしゃべりしてるのか、難しくてよくわからなかったです……」

「でも……成果なし、なら……理解する意味も、ない……することが、ないし……」

「いや、でもあれは仕方ないよ。君らは容赦なく先輩を()き下ろしていたが、そもそも事が事だ。そう易々と結果に繋がるわけもない。それを踏まえると、あの先輩には非はないよ。むしろ、模倣犯の可能性を先んじて教えてくれただけで上出来なくらいだ」

「うーわ、上から目線だ。生意気ー」

「教師を辞職に追い込む不良生徒みたいな君の態度ほどじゃないよ」

「……だから、いい加減に……」

「おっとっと、日向さんがおっかないおっかない。だいじょぶだって、なんもしないから」

 

 教室を後にして、昇降口を経て、帰路につくわたしたち。

 帰路と言っても、この後も捜査は続けるんだけどね。

 

「今日はどの公園に行くのー?」

「そうだな……先輩との情報共有で少し時間を食ったし、近場にしよう。だけど、ボクらがあまり足を伸ばさないところだ」

 

 霜ちゃんが携帯の画面に地図を出して、調査する場所を指し示す。

 そこは『Wonder Land』や駅から離れているし、わたしたちの家がある方角でもないから、普段はあまり通らないけど、学校の近くにある公園だ。

 

「今日はこの公園だけにしよう」

「もっと探さなくていいの?」

「時間的な問題があるからね。単純に暗くなると危険だというのもあるが、あまり遅くなって補導されても困る」

 

 あぁ、そうだね。事件について調査してるなんて、先生たちに知られたら絶対に止められちゃうもんね。

 陸奥国先生とかだったら、見逃してくれるかもしれないけど。

 

「いや、無理だろう。あの先生、なんだかんだで自己中心的だし「あなたたちが事件に巻き込まれたら、私の仕事が増えるんですよ。とっとと帰ってください」なんて言って帰されかねない」

「確かにねー」

「優しい先生なんですけど、今回はそれだと、ちょっと困っちゃいますね」

「……やさしい……? どこが……?」

 

 うーん、陸奥国先生は優しいんだけど、優しさがちょっときついというか、独特なんだよね……

 そんなことを話しながら、いつもは滅多に通らない道を、ちょっと新鮮な気持ちで歩く。

 そして、とある小さな文房具屋さんを通った時だった。

 店の外のベンチにもたれかかっている女の人と、目が合った。

 色褪せたように茶味がかったショートヘアに、スラリとした手足。

 大人の女の人だけど、とても若々しさを感じさせる人だった。

 そしてなにより、この人は――

 わたしが口を開くより先に、その人の口から、わたしを呼ぶ言葉が紡がれる。

 それも、ただの呼び名じゃない。

 わたしにとっても、ある意味“特別な呼び名”だ。

 

「げ、マジカル・ベル……!」

「あなたは……!」

 

 わたしは思わず足を止めた。

 この人は確かに、わたしを見て“マジカル・ベル”と言った。

 わたしのことをそう呼ぶ人たちを、わたしは他に知らない。

 そしてこの女の人は、以前にも見たことがある。確か、名前は――

 

「『ヤングオイスターズ』……!」

 

 の、長女って言ってたっけ。

 夏休み、みんなでプールに行った時に、この人の弟さんが迷子になって、その時に関わったりしたけど……正直、あまり深い関係ではないと思う。

 あの時のお姉さんも、仕方なく、って感じでわたしたちに当たってきたし……

 なんにせよこの人は【不思議の国の住人】の一人。帽子屋さんたちの、仲間。

 

「小鈴さん? どうしたんですか?」

「なにか見つけたー?」

 

 わたしが足を止めたことで、それにみんなも気づいて、こっちに戻って来た。

 そして、ヤングオイスターズのお姉さんに視線を向ける。

 

「むむ? このヤングでサッパリしたお姉さんは」

「確か『ヤングオイスターズ』とかいう……」

「ユーちゃん覚えてます! 小鈴さんにひどいこと言ったおねーさんです!」

「待て、待て。その敵意剥き出しな視線を向けるな。今日のワタシはドンパチするつもりはないっての!」

 

 慌てたように、両手を開いて突き出すお姉さん。拒絶、というより、自己防衛のジェスチャーだ。

 

「前に会った時もそうだが、今回もアンタらとやり合うつもりでここにいるわけじゃねーんだ」

「だが、プールの時はいちゃもん付けてきたじゃないか」

「ありゃ帽子屋のダンナに言われたからで……それに今日は弟妹もいねーし、ワタシの【不思議の国の住人】としての活動時間は短いんだよ。だから、アンタらとやり合う道理もねぇ」

「……活動時間」

「そういやあったねー、そんな設定」

「設定じゃねーから! いや、チョウの姐御が言うには、設定みたいなもんらしいが」

「あなたは、弟妹の人数が、【不思議の国の住人】としての活動時間と関係しているのか?」

「あぁ。『ヤングオイスターズ(ワタシたち)』に与えられた時間は、その時一緒にいる『ヤングオイスターズ(姉弟)』と連動する。今日のワタシは一人だから、一時の間しか活動できねーんだ。今三時時過ぎくらいだろ? だから今のワタシに、【不思議の国の住人】としての力はねーんだよ」

 

 妹弟の人数が関係してるんだ……そういう人もいるんだね。

 っていうか、時間が固定じゃない人もいるんだ。

 

「それで? あなたはどうしてこんなところに?」

「なにか企んでるんじゃないのー?」

「なんだよアンタら。ワタシたちが人間社会(日常)にいることが異物みたいに言いやがって」

 

 霜ちゃんやみのりちゃんの詰問に、お姉さんは不満げに口を尖らせた。

 

「ワタシたちだってな、隠居みたいなことしてるとはいえ、普通にアンタらの社会の中で、アンタらの社会規範に則って生活してんだよ。そのへんの街中にいたってなにもおかしくないだろうが。いちいち目的とか、そんなもん聞くなっての。それともあれか? お前らはそのへんの通行人とか、クラスメイトの連中とかに「どうして道を歩いているんですか?」なんて聞くのか?」

 

 捲し立てるように、非難するように、言葉を返すお姉さん。

 口調はちょっときついけど、でも、言ってることはもっともだ。

 代海ちゃんや、先生、葉子さん……【不思議の国の住人】の人たちが、普通に人間として生活しているところは、もうたくさん見てきた。

 だからこのお姉さんも、代海ちゃんたちのように、人間として生活していてもおかしくないし、そうならば、今ここにいる目的を問うのは、おかしいのかもしれない。

 けれど霜ちゃんは、そのおかしさも飲み込んでしまう。

 

「そうかい。それじゃあ、あれかな。あなたはなんの目的もなく、ここで散歩でもしてるって言うのか? あなたたちの組織の目的もなく、ぶらついてるって?」

「おさんぽは楽しいですよ?」

「ユー……ちょっと、静かに……」

「……まったく、ムカつく上に聡いガキだ」

 

 お姉さんは、観念したように両手をあげた。

 少なくとも、お散歩するためにここにいるわけではないみたい。

 

「ま、ワタシたちとアンタらの関係だ。警戒するのも道理か。いいぜ、別に隠すことでもねぇ、話してやるよ。ワタシがこうして町に出て、この場所にいる理由は、大きく分けて三つだ」

「三つ……思ったよりも多いな。一つ目は?」

「ワタシは今、帽子屋のダンナからある指令を受けてんだ。その指令に従い、こうして町に繰り出してるってわけだ」

「帽子屋さんから?」

 

 確かプールで合った時も、帽子屋さんからの指令を受けてるから、わたしたちと戦わなくちゃいけない、みたいなことを言ってたっけ。

 今回は戦う気はないって言ってるし、わたしたちに関係することではないと思うけど……なんだろう? 帽子屋さんからの指令って。

 

「指令ねぇ。で、なにを企んでるの?」

「ワタシはダンナのコマだぜ、“ワタシは”なにも企んじゃいねーよ」

「じゃあ帽子屋とやらの企みはなんなんだ?」

「知るか。あんなイカレた野郎の考えてることなんて、想像もつかねーよ」

 

 吐き捨てるように言い放つお姉さん。ちょっと酷い言い様だ。

 だけど、葉子さんとかも帽子屋さんのことをあまり良く言ってなかったし……帽子屋さん、あまり慕われてないのかな……

 

「まあいいや。それで、あなたの指令というのは?」

「実はたいしたことないんじゃない?」

「そうでもねぇぜ。アンタらも知ってるだろうことだ」

「わたしたちでも、知ってること?」

「おう。最近、話題になってるらしいじゃねーの。子供やら獣やらがズタズタにされるって事件。『ヤングオイスターズ(ワタシ)』はあれを追ってんだ」

「!」

 

 思わず目を剥いた。まさか、お姉さんもあの事件について調べているだなんて。

 いや、違う。正確には、お姉さんが、じゃない。

 それは帽子屋さんの意向。つまり“帽子屋さんが”、わたしたちも追っている『幼児連続殺傷事件』や『動物惨殺事件』の解決を目指しているということ。

 とても、信じがたかった。あの帽子屋さんが、そんなことをしようだなんて。

 

「……それは本当か?」

冗談(ジョーク)みたいだろ? あの帽子屋のダンナが、人間社会の事件に興味津々になってワタシを送り出してんだぜ? だがしかし、こいつがマジなんだよなぁ」

 

 笑い半分、諦め半分に、嘆きを滲ませて言うお姉さん。

 あの帽子屋さんがやることとしては、信じられないけど……でも、お姉さんがウソをついているようにも見えないし……

 帽子屋さんのやることなすことは、いつもいつもよくわからないし、今回も、わたしたちが思いもしないような、理解不能な理由で動いているのかな……?

 

「ふむ。理由は不明だが、あの男も事件について真実を暴こうとしている。そして、それにあなたが動員されたということか」

「そーなるなぁ。ワタシとしても、身に振りかかる危険があるなら排除しときたいし、一応ダンナの意向とは添うんだよなぁ」

「でもさー、お姉さん。お姉さんって、事件の捜査とかできるのー?」

「ワタシは得意じゃないが、弟妹の中にはそういうの向きな奴もいるっちゃいる。『ヤングオイスターズ』は共同体、群が個である特異な存在。ワタシの問題は、同時にワタシたち姉弟の問題であり、ワタシの行動も思想も、姉弟全体の行動であり思想だ。ワタシが動くということは、『ヤングオイスターズ』すべてが動く。つまりはそういうこった」

「いや全然わかんない」

 

 きっぱりと言ってのけるみのりちゃん。だけど、わたしにもよくわからなかった。

 そもそも、群体が個体である、という概念がよくわからない……

 

「ふん、まあ理解は求めてねーよ。【不思議の国の住人】でも、『ヤングオイスターズ(ワタシたち)』を真に理解できてる奴なんて少数派だしな。皆無と言ってもいい」

「要するに、あなたは事件の捜査には向いてないけど、あなたの弟なり妹なりは、そういうのが得意と言いたいのか?」

「概ねそんな感じだな」

「でもさぁ、それじゃあお姉さんがここにいる理由なくない? 弟さんなり妹さんなりに任せちゃえばいいのに」

「そいつは長女としてのワタシのプライドが許さねぇ。つーか、あんま弟や妹を危険に晒したくはないんでな。ワタシは若牡蠣の中で最も老いた個体。『ヤングオイスターズ』は若くちゃ存在意義がねぇ。つまり、弟妹は後方支援に回して、死んでもいいようなワタシは前線にだすっつー合理的判断だよ」

「お、意外と弟妹思い」

「たりめーだ。自分自身なんだからな」

 

 当たり前、とお姉さんは言う。自分を危険に晒してまで、弟妹を守ることが、当たり前だと。

 でもそれは……とても、すごいことだと、わたしは思う。

 『ヤングオイスターズ』のお姉さん。この人のことは、あんまり知らなかったけど……今、ちょっとだけわかった。

 この人は先生や葉子さんたち、蟲の三姉弟の人たちと似ている。

 弟妹を大事に、第一に考えているところとかが、とても。

 

「ま、それだけじゃねーがな」

「というと?」

「言ったろ、ワタシがここにいる理由は三つあるって。その複合的理由によって、ワタシは外に出てる」

「それじゃあ聞かせてもらおうか。二つ目の理由とやらを」

「あぁ、いいぜ……あんま話したくないけどよ」

「なになに? そんなに言い難いことなの? 隠し事?」

「ちげーよ! アンタらはもう知ってると思うんだが……“あいつ”と関わると、ロクなことがねーからな――」

 

 あいつ?

 それは誰、と問う前に、声がした。

 文房具屋の奥から、弾むような、屈託のない、幼い少女の声が。

 

 

 

「――アヤハー」

 

 

 

 その声は、わたしの頭の中で、痛いくらいに響き渡る。わたしの奥底に秘めたものを引きずり出すようで、それでいて、引っ掻き回すような不快感がある。

 店の奥から出て来たのは――女の子。

 とても幼い。小学生か、あるいはそれよりも小さいかもしれないくらいの、小さな小さな、幼い少女。

 色素が一切合切抜け落ちたような、まっしろな髪のショートヘアー。

 その白さと対を成すように、服装は黒い。明らかにサイズが合っていない、まっくろで大きなコートを着込んでいる。

 声で、既にわかっていた。けれど、その姿を見て、わたしは驚かずにいられなかった。

 いや、驚く、とも違う。

 その子を、“それを”――忌まわしいと思わずには、いられなかったんだ。

 

 

 

「なっちゃん……!」

 

 

 

 ――『バンダースナッチ』。

 それが、この女の子の名前。

 思い出したくもない、夏休みの、あの日の出来事。

 霜ちゃんとショッピングに行った時。霜ちゃんが、ちょっとしたトラブルで遅れてしまっている間に、わたしが一緒に行動した女の子。

 彼女を見ているだけで、普段は感じないし、気にもしていない感情が、湧き上がってしまうような気がした。

 それを出してしまったら、わたしの大切ななにかが喪われてしまうような。そう思わせるような、黒く、汚いなにかが。

 こんなことは、できれば言いたくはない。そう思うことすら嫌だ。

 だけど、気持ちは正直だ。感情は素直だ。わたしの信条を捻じ曲げてでも、本心を叩きつける。

 そう、わたしはこの子のことが――嫌いだ。

 

「……おねーさん?」

 

 そんなわたしの心中を知ってか知らないでか、なっちゃんはキョトンとした、純粋な眼でわたしを見つめる。

 じぃっとわたしを見つめ続け、そして、彼女は少しだけ笑った。

 

「んー……きょうは、おねーさん、きらきらしてるね。まえよりも、こわくない。きょうのおねーさん、ちょっと、すきかも」

「…………」

 

 以前、わたしたちの間であったことなんて、なかったことにされたかのように無垢に笑うなっちゃん。だけどわたしは、笑えないし、その言葉になにかを返すこともできなかった。

 あの時に感じたわたしの怒り。わたしの悲しみ。わたしの嘆き。わたしの絶望。

 この子は、わたしが感じたものを、まったく理解していないのだろう。

 だから、こんなに無邪気に笑っていられるんだろう。

 

「……ワタシが外出する二つ目の理由。それがこいつ――『バンダースナッチ』の監視(おもり)だよ」

 

 くたびれたように、『ヤングオイスターズ』のお姉さんは、なっちゃんを指さす。

 おもり……そっか。

 人間じゃないと言っても、なっちゃんはまだ小さな子供。外出するなら、保護者がついているべき、というのはその通りだ。

 そうでなくても、この子は、あまりにも危険すぎる。その、ストッパーとしての役割。

 お姉さんは、そのためにもここにいるんだ。

 

「で、なっちゃん。どうした?」

「これほしい」

 

 そう言ってなっちゃんは、カゴを差し出す。

 その中に入っていたのは、種類がそれぞれ違う、カッターナイフ。

 それに、ハサミ、コンパス、ホチキス、シャーペンにピンセット、画鋲、彫刻刀、千枚通しまである。

 ものの見事に、どれもこれも鋭利な部分のある文房具だ。

 それを見て、わたしは戦慄し、お姉さんは嘆息する。

 

「これだからお前のおもりは嫌なんだよ……ったく、こんなもん、なにに使うんだか。あぶねぇからやめろよな、そういうの」

「かってくれないの?」

「そうやって脅しかけんのやめろよ。お前、ワタシが意に沿わないことしたら、グサリといくつもりだろ」

「じー」

 

 お姉さんの言葉には答えず、なっちゃんは、じぃっとお姉さんの目を見つめる。

 しばらく二人のにらみ合いが続いたけど、決着は思いのほか、早くついた。

 

「……しゃーねぇ。だが、ワタシも金がそんなあるわけじゃねーし、千円以内でな。適当に返してこい」

「はーい」

 

 折れたのは、お姉さんだった。

 お姉さんは千円札をなっちゃんに手渡す。するとなっちゃんは、カゴとお金を抱えて、パタパタと店へと戻っていった。

 そんな一部始終を見て、霜ちゃんがやっと口を開く。

 

「……なんなんですか、彼女」

「『バンダースナッチ』。まあ、なんだ。うちが抱えるじゃじゃ馬っつーか、ケダモノつっーか、バケモンっつーか……帽子屋のダンナでさえも警戒して、常に監視を置いとくようなヤバい奴だ」

 

 なっちゃんの危険性については、わたしが身をもって知っている。

 できれば……関わりたくは、ないな……

 

「あの帽子屋さんがねぇ。そんなヤバいんだ、あの幼女」

「なんでそんな危険な子供を抱え込んでいるんだ?」

「意外と残酷だなアンタら。ヤバいつってもまだガキだし、あんなんでもワタシらの同族だからな。外に出たいと物申されれば、そりゃあ出かけることもあるわな」

「でも、一人では外には出せないんでしょ?」

「まあ……まあな。表向きは、まだガキだからって理由だが、実際には監視だ。あいつを野放しにしたらマジやべぇからな。たまに、ダンナの許可を得て、一人で出歩くこともあるが……あの時のワタシたちがどんだけ戦々恐々してるかわかるか? コンロの火をつけたまま家を出るようなもんだぞ?」

 

 それは……怖いね。

 なんか、なっちゃんって、わたしが思っていた以上に危険視されてたんだ……

 

「中にいるうちはともかく、外に出るなら見張ってねーと、なにするかわからねぇ奴だからな。だが、たまたま手が空いてたとはいえ、バンダースナッチの外出に付き合わされることになったのは災難だったぜ」

「あの、おねーさん!」

「ん? なんだよシルバー外人」

「おねーさんのお名前は、アヤハさんというんですか?」

 

 あ、それわたしも気になってた。

 なっちゃんの危険性ばかりを気にしてたけど、さっきなっちゃんは、お姉さんのことを「アヤハ」と呼んでいた。

 代海ちゃんや先生たちにも、【不思議の国の住人】としての名前と、人間社会で生活するための名前を使い分けてたし、お姉さんにもそういう名前があるのかな。

 

「あぁ、そうだが」

「お姉さんにもあるんですねー、そういうの」

「当たり前だろ。っていうか、『ヤングオイスターズ』ってのは、個人(ワタシ)の名前というよりかは、個体(ワタシたち)の名前だかんな。ワタシを指す言葉ではあるが、ワタシ個人に向けられてるってだけじゃねぇ。その範囲は、弟や妹を含めたワタシたちすべてを指す名前だ。だから『ヤングオイスターズ』って呼ばれると、「お前」じゃなくて「お前ら」って呼ばれる感じがして、むずむずすんだよ」

 

 力説するお姉さん。

 だけど、わたしには、まったくわからない感覚だ。

 個人じゃなくて、組織名……社名とか、サークル名で呼ばれているような感じなのかな?

 

「これ、わりと切実なんだが、あんま理解されねぇんだよなー。虫けら三姉弟なんかは、若牡蠣とか言って、さっぱりワタシを名前で呼びやがらねぇ。どうでもいいけどよ、もう」

「それで、アヤハなんてそれらしい名前使ってるんですね」

「意外と可愛らしいんだね」

「うるせーよ。だが、人間の名前ってのはいいよな。そうやって区分区別がはっきりしてて。便利に使わせてもらってるぜ……ま、そんなんで喜ぶのが滑稽ってモンだろうが。この感覚自体、お前らにとっちゃ当たり前で、ワタシらはその理解すらも遅れてる原始生物みたいなモンなのかもしれんがな」

「べ、別にそこまで言ってるわけじゃ……」

「気にすんな。ワタシらが生き物として弱く、文化もなにもかも遅れているという自覚はある。だからこそ、こうやってこそこそ隠れ生き延びてるわけだしな。仕方ねぇさ」

 

 どこか諦観したように『ヤングオイスターズ』のお姉さん――もとい、アヤハさんは言った。

 

「と、ところで、お姉さんに人間としての名前があるなら、なっちゃんにも……?」

「おう、一応あるぜ。番出那智(ばんでなち)ってんだ。本来なら、幼稚園に入れるつもりで作ったんだが……」

「あんなヤバそうな子供を幼稚園に入れたら、先生皆ストレスマッハで潰れますよ」

「だよなぁ。結局そういう話になって、あいつは内々で面倒見ることになっちまったんだ。せめて小学校には入れて、多少は常識ってもんを教えてやりてーんだが、その年になるまでにまともな精神を育めるかどうか……」

「アヤハさん、まるでMutter(お母さん)みたいですね!」

「どっちかって言うとお医者さんじゃない? 精神科医的な?」

「ワタシはただ、安穏と生きたいだけだよ。だってのに、ったくよぉ。あんな面倒な奴のおもりとか、やってられねぇって」

 

 荒み始めるアヤハさん。

 それくらい、アヤハさんにとっても、なっちゃんの存在は快いものではないんだ……

 と、そこで、なっちゃんがお店から戻って来た。

 

「アヤハー、かってきたー」

「おう……って、これ本当に千円以内かよ?」

「うん」

「本当かよ……」

 

 とそこでまた、アヤハさんは憂鬱そうに溜息をつく。

 

「はぁ、まったくよぉ、ネズ公といい、虫けらの兄さん姉さんといい、ワタシの財布の中身を地味にむしりとるのはやめやがれってんだ……で、ほら、なっちゃん」

「? なーに?」

 

 アヤハさんはなっちゃんに手を差し伸べる。

 当のなっちゃんは、首を傾げるばかりで、その意味を理解していない。

 

「釣りを返せ。ピッタリ千円ってわけじゃねーだろ」

「ん」

「ん、じゃねーよ! 釣銭返せ! 釣銭!」

「んー!」

「この野郎……人が汗水垂らして稼いだ金をなんだと思ってやがる! おら出せ! お釣りを出しやがれ!」

「やー!」

「……なんて醜い」

 

 アヤハさんが、おつりを奪還するためになっちゃんの小さな矮躯を羽交い絞めにする。

 なっちゃんのことはあまり擁護できないんだけど……でも、アヤハさんのやってることも、大人げないというか、なんというか……はい。

 しばらくアヤハさんとなっちゃんが、おつりを巡って格闘していると、不意になっちゃんが声をあげた。

 

「っ、いたっ!」

「あん? どうしたなっちゃん? そんな強くしてねーだろ?」

「なんか、いたかった」

「んー……ん? おいなっちゃん、お前、ケガしてねーか?」

「けが?」

「ほら、袖んとこ」

 

 コートの袖をまくって見てみると、確かになっちゃんの手首のあたりには、一筋の切り傷があった。

 

「手首に、傷……リスカ……」

「いや、にしては場所が変だ。普通、リストカットって言ったら、幾重にも重なってるか、動脈を一閃するかのどちらかだ。あんな子供が自発的に手首を切るとも思えないし、そもそも傷も浅い」

 

 確かに、なっちゃんの傷はそれほど深くなさそうだし、もう出血も止まっているみたいだった。

 ただ今は、切った痕が残っているだけ。

 

「どっかで切ったのか?」

「んー……わかんない」

「そうかよ。まあ、変な傷ではあるが、大したことじゃないな。こいつに限ってリスカとかあり得ねーし」

 

 と言ってアヤハさんは、ハッと思い出したようにポケットに手を突っ込んで、携帯を取り出す。

 ……なんだか、見覚えのある携帯電話だ。確か、前に代海ちゃんも同じのを持ってたような……

 そんなことはさておき、アヤハさんは携帯の画面を――時計を見て、目を剥いた。

 

「うぉっ!? やっべぇ、そろそろ行かねぇとバイトに遅刻しちまう!」

「……バイト?」

「おう。ワタシがここにいる理由その3――というかこいつが本命なんだが――バイトに行くために、こうして外出してんだよ」

「お姉さん、バイトしてるんだ……」

 

 最後の理由が一番納得できたかもしれない。

 うん、でも、まあ、そうだよね。

 代海ちゃんが学校に通ってて、先生や葉子さんたちも働いてるわけだし、アヤハさんがバイトしてても、なにもおかしくはないよね……

 

「これでも十一人の弟妹を持つ長女だかんな! 【不思議の国の住人(ウチ)】の金はハンプティ・ダンプティのおっさんの管理が厳しいし、できるだけ弟妹の養育費やら生活費を、自分で稼がなくちゃならねーんだ。連中のメシ作るための食費も必要だし、小遣いとかもやらにゃならんし……つーか、ウミガメの奴やネズ公の小遣いまでワタシのポケットマネーから捻出するっておかしいよな、やっぱ……」

「お母さんかよ……」

「でも、アヤハさん、とっても立派(グート)です! ユーちゃん、カンゲキしました!」

「よせよ。なんだかんだ言っても、こんなの自分のためにやってんのと変わらねーんだからよ」

 

 とは言いつつも、ちょっと照れたように言うアヤハさん。

 前にプールで合った時は、いきなり突っかかって来て乱暴な人だと思ったけど……わたしが思っていた以上に、面倒見が良くて、優しくて、そして弟妹思いなお姉さんだった。

 なんて言うか、大家族を養うために苦労している苦学生みたいな。

 

「さて、ワタシはもう行かなくちゃならないんだが……なっちゃん、一人で大丈夫か?」

「うん。だいじょうぶ」

「ならいいけどよ。お前が理解してるかは知らねーが、物騒だから寄り道せずに帰れよ」

「わかったー」

「……本当にわかってんのかね、こいつ」

 

 どこかのほほんとしているなっちゃんに、訝しげな視線を向けるアヤハさん。

 監視してなくちゃいけないって言ってたわりには、もう監視の目がなくなりそうになってるけど、いいのかな……?

 

「いや別に、四六時中監視してるわけじゃねーから。ヤバいつっても、いつでも凶器振り回してるわけじゃねーし」

「あれ? わたし、声に出てました?」

「顔に出てんだよ」

 

 そ、そっかぁ……わたし、そんなに表情読みやすいんだ……

 ……ちょっとへこみます。

 

「けど、監視の目を解いてもいいのかい?」

「よくはないが、まあ、今ならギリギリ許容範囲だな。こいつは、いつ、どこで、なにをするかがわからないからヤバいだけで、常にヤバいわけじゃないし」

「いやそれは、ヤバいことに変わりはないじゃん」

「わかってるっての。だが、ワタシはこいつのことよりかは、バイトの方が大事だ」

 

 言い切った!?

 そんな発言をするから危険を誘発しているような気もするけど……大丈夫なのかなぁ?

 なんだかこの人たちって、どうにも理詰めとかを詰め切れていないというか、“とことんまで”“きっちりやり遂げる”ということが足りないような気がするんだけど……

 

「ま、一応、虫けら三姉弟あたりに一方入れとくか。ハエのにーさんか、トンボの兄貴か、チョウの姐御か……まあ、誰かしら反応するだろ」

「雑だな……」

「って、マジで時間やべぇ! ワタシの時給が!」

 

 もう一度、携帯で時間を確認して焦るアヤハさん。

 アヤハさんはわたしたちに背を向けて、駆け出した。

 その瞬間に、半身で振り返る。

 

「そんじゃなっちゃん! ワタシ今からバイト行ってくるから。気を付けてな! アンタらも、気ぃつけろよな!」

 

 最後にそう言い残して、『ヤングオイスターズ』のお姉さん――アヤハさんは、わたしたちの前から立ち去ったのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 アヤハさんはバイトに行って、なっちゃんは家? に帰って、それぞれと別れたわたしたちは、そのまま当初の予定通り、公園へと移動して、調査を開始した。。

 と言っても、やっぱりそれらしい手掛かりは、なにも見当たらないんだけど。

 それに、わたしの中ではずっと引っかかってることがあって、調査にも集中できていない。

 そんなわたしを察してか、霜ちゃんが声をかけてくれた。

 

「小鈴、どうした? さっきから上の空っぽいけど」

「霜ちゃん……その、ちょっと、気になることというか……」

「事件に関すること?」

「うん……その、もしかしたら、事件の犯人に関係するっていうか、犯人そのものかもしれないというか……」

「小鈴さん! 犯人がわかったんですか!?」

 

 わたしの言葉に、ユーちゃんが勢いよく食いつく。

 そしてユーちゃんの声に気付いて、恋ちゃんとみのりちゃんも来た。

 

「なになに? 小鈴ちゃん、犯人わかったの?」

「あ、いや、わかったっていうか、そうかもしれないと思っただけというか……根拠とかは全然ないんだけど、もしかしたらっていうか」

「ハッキリ……しない……」

「まあ、とりあえず話だけでも聞こうか。なにか推理にとっかかりになるかもしれないしね」

「う、うん」

 

 霜ちゃんに促されて、わたしはみんなに話した。

 わたしの想像と、思い込みと、ちょっとの私怨を。

 

「もしかしたら、今回の事件は、なっちゃん――『バンダースナッチ』ちゃんが、犯人かもしれない」

「あの子供が?」

「わ、わかんないよ? ただ、わたしが前に、その……あんなことがあったから、警戒してるだけなのかもしれないし……」

 

 だけど、刃物でズタズタにするという犯行から、彼女を連想してしまったのは確かだ。

 子供が犯人だという朧さんの滅茶苦茶な推理も、なっちゃんが犯人だとしたら、ある程度は納得できる。

 そしてなにより、彼女の残酷さ。無邪気に凶器を振り回す危うさ。

 わたしは、それらと今回の事件を、結びつけて考えた。

 と言っても、大した根拠はない。あの子の性格上、そういうことをするかもしれないというだけで、犯人だと断定できるわけじゃない。あてずっぽうもいいところだ。

 そんなわたしの考えを黙って聞いていた霜ちゃんが、口を開く。

 

「……ボクは君から話を聞いただけだから、正確な判断を下す自信はないが、可能性はあると思う」

 

 そして、頷いた。

 

「この社会で連続殺傷事件だとか、野良犬を惨殺だとか、そんなことをする奴は狂っている。そして、君の話では、あのバンダースナッチとかいう子は、かなり狂っている。仲間にまでヤバいと言われるくらいなのだから相当だろう」

「文具屋であんな的確に凶器になりそうなものをピックアップするあたり、私でもビビるくらいにはヤバそうな子だったよね」

「ただ、彼女はあまりに幼い子供だ。そんな計画性や知能があるのかが謎だ。それに、仲間内でも危険視されているがゆえに、かなり監視されているようだから、どうやってその眼を掻い潜ったのか、なんて疑問もある」

「頭に関してはわかんないけど、監視の目に関しては、連中がグルだったとか、っていうのは? さっきのお姉さんはただのポーズで、本当は証拠を消して回ってるとかさ」

「それもあり得る可能性だが、彼女のスタンドプレイでも、チームプレイでも、子供やら犬やらを殺傷する意味がわからない。人間社会に身を潜めて細々と生きているような連中が、そんなちまちまと、それでいてリスキーなことをするだろうか?」

 

 そう、だよね……

 帽子屋さんたちは、自分たちから人間より弱いと称している。そしてそれは、種という大きな枠で見れば、決して謙遜でも、間違いでもない。

 たぶん、世界中の人がその気になれば、帽子屋さんたちの存在を暴き出して、支配してしまうことは、簡単なことだと思う。それがわかってるから、帽子屋さんたちも、ひっそりと人間社会の中で生きているみたいだし……

 だから、こんな人間と敵対するようなことを、簡単には行わないはず。行うにしても、人間と彼らとの戦いと見るのであれば、今回の事件はあまりにも小さい。

 

「ゲリラ戦……とか……?」

「だとしても、子供や犬猫だけを狙う理由とは繋がらないと思うけどね」

「子供殺して、少子化を促進させて人類を衰退させるつもりとか?」

「気の長い話だな。尻尾を掴まれる方が先じゃないか?」

「だよね」

 

 とまあ、そんな感じで。

 わたしの考えは、否定こそされなかったけど、肯定するには少し消極的……というより、根拠が足りなかった。

 まあ、それ自体は、わたし自身が一番よく分かっていたけどね。

 

「とはいえ、彼らが怪しいことには変わりない。可能性の一つとして、警戒しておこう」

「先生とか亀船さんらを?」

「……小鈴は、あまりいい顔をしないかもしれないけどね」

「…………」

 

 少し申し訳なさそうにする霜ちゃんに、わたしはなにも言えなかった。

 代海ちゃん、陸奥国先生、葉子さん、そして今日出会ったアヤハさん。

 みんな、いい人だった。最初は衝突したりもしたけど……それは、彼らの本心ではなかった。

 ちゃんと話をして、触れ合ってみれば、仲良くなれる。敵対とか、そんな剣呑な空気は必要なかったし、そうならない道を見つけられた。

 だから、できればわたしは、彼らが今回の事件に関わっていると、思いたくなかった。

 これが、クリーチャーによる事件であると、願いたかった。

 そう、願ったからなのか。

 

 ――羽が一つ、舞い落ちる。

 

 羽ばたく音が聞こえる。遠くから響くその音は、少しずつ、少しずつ近づいていく。

 近いようで、とても遠くなっていた。

 ずっと、わたしの中のどこかで燻っていたもの。

 それが今、舞い降りて来る――

 

 

 

「――小鈴!」

 

 

 

 懐かしい声だ。

 もうずっと聞いていなかったような気がする、久しい彼の声。

 白い羽を散らして、わたしの前に降り立つのは――

 

 

 

「――鳥さん!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「どこに行ってたの、今まで! 探して……はいないけど。その、鳥さんが必要だったんだよ!」

 

 林間学校の時以来だ。

 もう一ヶ月以上も姿を現さなかった鳥さん。

 その鳥さんが、今になってわたしの前に現れた。

 来るのが遅いと、文句を言いたくなるし、言っちゃったけど……でも、元気そうでよかった。

 それに、やっと来てくれて、よかった。

 

「悪いね。力を解放した時に、ちょっと無理をしちゃって。それが祟って、しばらく動けなかったんだよ」

「あ、そうだったんだ……」

 

 台風と共にやって来たクリーチャー、《クシャルダオラ》。あのクリーチャーと戦うために、鳥さんは“本来の姿”に戻った。

 そもそもわたしは、鳥さんの失った力を取り戻して、を元の姿に戻すためにクリーチャーと戦っているわけなんだけど……この前の林間学校での戦いで、鳥さんはかなり消耗しちゃったみたい。

 元の姿に戻ったのもほんの少しの間だけ。本来の姿に完全に戻るためには、まだまだエネルギーが足りないみたい。

 

「それにしても、僕がしばらく休眠してる間に、随分とクリーチャーが湧いてしまったみたいだね。嫌なにおいがぷんぷんするよ」

「! やっぱり、クリーチャーが……?」

「みたいだね。まったく、僕が動けないことをいいことに、好き勝手やってくれたものだ」

 

 鳥さんは、この町にクリーチャーが増えていると言う。

 この一ヶ月で、そんなに増えてたんだ……でも、ということはやっぱり、今回の事件もクリーチャーの仕業って可能性が高くなった。

 

「さぁ、できる限り迅速に、クリーチャーをとっちめようか。僕もお腹が減ったし」

「お腹……今日の残りのフレンチトーストならあるけど、食べる?」

「いいのかい? ありがとう」

「待て。ナチュラルに食事を始めるな」

「ユーちゃんも欲しいです……」

「はい、どうぞ」

Oh(わぁ)! Danke(ありがとうございます)!」

「だから待って」

「……というか、こすず……なんでいつも、余分にパン、持ち歩いてるの……今日も五袋くらい、開けてたけど……」

 

 鳥さんとユーちゃんに、フレンチトーストを分けながら、残りもう半分に分ける。分けた分は家に帰って食べるとして、もう片方を口に放り込む。

 ちょっと時間が経っちゃってるから、味は少し残念だけど、でも甘くてしっとりした触感がいいね。

 

「もぐもぐ……こくん。それで鳥さん、クリーチャーの場所はわかるの?」

「んぐんぐ……うん、概ねね。とはいえ、なんだか奇妙な感じなんだけどね。ぽつぽつと出現と消失を繰り返しているというか……」

「むぐむぐ……ショーシツです?」

「君ら、食べながら喋るなよ……」

 

 鳥さんは、クリーチャーの気配が、現れたり消えたりしていると言う。

 でも、クリーチャーがこの近くにいることに変わりはないはず。

 

「それで、クリーチャーはどっち?」

「こっちだ。さぁ行こう!」

「うんっ!」

 

 鳥さんが羽ばたき、飛び立つ。

 わたしも、その後を追って駆け出す。

 

「わわっ! 小鈴さん、待ってくださーい!」

「うーん……なんか、ちょっと焦ってない? 小鈴」

「んー、焦ってるけど、嬉しそうにも見えるかなー、私には」

「……なにかに、必死になってる……よう、にも、見える……けど」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 鳥さんの後を追って走り出したはいいものの、思ったよりも早く、鳥さんは止まってしまった。

 

「どうしたの?」

「反応が弱まった……というか、消えた。ありていに言って、見失った」

 

 見失った……って。

 鳥さんが来て、クリーチャーによる事件の可能性が濃厚になったけど、のっけから出鼻を挫かれてしまいました。

 

「小鈴さーん!」

「……やっと……追いついた……」

「あ、みんな……」

「どうしたの? 立ち止まっちゃって」

「なんだか、鳥さんがクリーチャーを見失っちゃって……」

「無能……焼き鳥……」

「だけど、出現と消失を繰り返していると言ってたね。つまり、今彼が探知しているクリーチャーは、なんらかの能力で気配を消せるということなのかな?」

「そう考えるのが自然だろうね」

 

 気配を消せるクリーチャー、かぁ……どういうクリーチャーなんだろう。

 相手に感知されない、気づかれないってことは、影の薄いクリーチャー? あ、選ばれないクリーチャーとか、ブロックされないクリーチャーだったりするのかな?

 というのを言ったところ、

 

「どうだろう。その手のクリーチャーなら、最初から気配を察知できないと思うんだけど」

「なら、条件付きアンタッチャブルやアンブロッカブルとかはどうだ? なんらかの条件を満たすことで、この鳥類の探知から逃れているのではないだろうか」

「条件付きアンタッチャブルって、なにがいたっけ?」

「ちょい待ち……今、ググる……」

「公式サイトでカード検索した方が良くない?」

「いや、そういう検索だったもっと使いやすいサイトが……」

 

 霜ちゃんたちが、携帯で検索をかけてクリーチャーを絞り込む。

 もしもなんらかの条件を満たすことで鳥さんが気配を察知できないのであれば、その条件を知ることで、そのクリーチャーに辿りつけるかもしれない。

 

「《龍装艦 ゴクガ・ロイザー》、呪文限定でアンタッチャブルだ」

「《囚われのパコネコ》。ビークル・ビーがいれば、アンタッチャブルになるね」

「《正義の煌き シーディアス》……ラビリンスで、他のメタリカをアンタッチャブルにする……」

「そのクリーチャーのどれかなんですか?」

「いや……どうだろ……」

 

 いまいちみんなの反応はよくなかった。

 

「水文明には、呪文限定のアンタッチャブルがいるけど、まずこの鳥類の探知能力は、たぶん呪文由来ではない。普通にクリーチャーの能力的なものだろう」

「そうだね。僕は呪文とか、そういうのはあまり得意じゃないしね」

「じゃあ、他のクリーチャーと一緒にいる時じゃないでしょうか!」

「どうかなー。一緒にいたら探知されないならずっと一緒にいればいいし、なにか理由があって別行動してるとしても、条件を満たすための“相方”の反応まで消せるものかな、って思うけど」

「ビークル・ビーにアンタッチャブルの類はいなかったはずだよ」

「じゃあ、《シーディアス》が二組で行動してるとか……」

「ラビリンス条件……謎……」

 

 うーん……

 強いて言うなら、わたしたちの今のこの状況こそが迷宮(ラビリンス)入りしてるようなものだけど……シールドの枚数とは関係ないよね……そもそもシールドがわからない。

 結局はまた、行き詰ってしまった。

 

「……ねぇ、さっきから言おうと思ってたんだけどさ」

「実子さん? どうしましたか?」

「なんか臭わない?」

 

 みのりちゃんが、急にそんなことを言いだした。

 におう……? そう言われて、すんすんと鼻を動かしてみるけど、特になにもにおわないような……

 

「ボクはなにも感じないけど」

「気のせいかなぁ。なんか、変な臭いがする気がするんだけど……とっておきの肉を取っておいたのに、知らないうちに冷蔵庫のコンセントが抜けてたみたいな……」

「まるで意味が分からない」

「……腐ってる、って、こと……?」

「うん。いやでも、似てるようで違うかなぁ? 臭いが薄くてよくわかんない……クンカクンカ」

「擬音が気持ち悪いんだが。特に君だと」

 

 目を閉じて、神経を集中させて、鼻を動かすみのりちゃん。

 そして、ふっと目を開いた。

 

「ハエ……」

「ハエ?」

 

 先生?

 と思ったけど、そうじゃない。

 本物の、普通の、黒いハエが、みのりちゃんの前を通った。

 ただ、それだけだ。

 

「ハエがなんだっていうんだ?」

「……ハエってさ、どういうところに(たか)る?」

「え?」

「なんか、ヤな予感しない?」

 

 みのりちゃん?

 なにを言って……いや、なにが、言いたいの?

 

「ちょっと、行ってみようか」

 

 そう言って、みのりちゃんは駆け出してしまった。

 

「みのりちゃんっ!」

「やれやれ。実子に行く先を頼るなんて業腹だが、彼女なりの確信があるっぽいな」

「行ってみましょう!」

「……走るの……きつ……」

 

 わたしたちも、みのりちゃんの後を追いかける。

 しばらく、けれどもそう遠くないところ。

 先頭を駆けるみのりちゃんが足を止めたと同時に、わたしたちも止まった。

 そしてみのりちゃんの視線の先。みのりちゃんがじぃっと見つめる、道の真ん中。その先には――

 

「い、犬……?」

 

 茶色い毛並の犬。たぶん、野良犬だ。

 だけどその身体には、赤黒いものがこびりついていて、この距離からならわかる、鼻をつまみたくなるようなにおいを発していた。

 

「し、死んでるの……?」

「待て。誰かいる」

 

 思わず近づこうとして、霜ちゃんに制される。

 よく見れば、その犬には影が差していた。

 電柱の陰になって、姿が見えなかったけど、確かにそこには誰かがいる。

 ゆっくりと、ゆらりと、柱の陰から現れる、影。

 大きくない、けれども黒い。

 それは消えつつある夕焼けの光に照らされて、白さを惑わせ、深く黒く落ちていく。

 血に濡れた刃物を携えて、現れたのは――

 

 

 

「――なっちゃん?」

 

 

 

 思わず、声が出てしまった。その名前を、呼んでしまった。

 夕焼けの影に染まるのは、白い髪に、黒い衣の、小さな幼女。

 小さく、けれども鋭利な刃物をその手に握って、息絶えた獣を見下ろしている。

 

「そ、んな……まさか、本当に……」

 

 本当に、なっちゃんが事件の犯人……?

 衝撃のあまり、現実を拒んでしまっている自分を感じる。

 だけど目の前の出来事は事実だ。犬の死体の前に、血塗れの刃を持ったなっちゃんがいる。

 言い訳も、弁明の余地もない犯行現場。

 わたしたちは、その現行犯を、目撃してしまった。

 わたしの声に気付いてか、あるいは、気配か。

 なっちゃんが、こちらを向いた。

 

「……みつかった……」

 

 そして、くるりと踵を返すと、脱兎の如く駆け出した。

 

「……逃げた」

「小鈴! 追いかけるよ」

「あ……ま、待って、鳥さん!」

 

 まっさきに飛び出したのは、鳥さんだった。なんで鳥さん?

 いや、でも、確かにこれは、追いかけないといけない。

 あの現場からして、なっちゃんが犯人なのは、間違いない。それなら、捕まえて、やめさせて、真相も聞き出さないと。

 わたしは鳥さんの後を追って、また走り出す。

 

「……まさかこんな早くも真相に近づこうとはね」

「ね。私の勘に感謝して欲しいな」

「遺憾だが、今回ばかりは素直にそう思うよ」

「そういうとこが、素直じゃないけどね」

 

 後ろから、みのりちゃんたちも追いかけてくる。

 それにしても、思ったよりもなっちゃん、足が速い。子供とは思えないくらい。

 曲がり角で何度か見失いそうになるけど、なんとか必死で追いかける。

 でも、わたしもそんなに運動が得意じゃないっていうか、苦手だから……そろそろ、きつい……

 

「くっ、しばらく休眠してたせいで、まだ力が出ない……」

「と、鳥さん……大丈夫?」

「小鈴、さっきの食べ物がもう一つ欲しい。奴の化けの皮を剥がす」

「え? さっきのパンを? っていうか、化けの皮?」

「早く! 逃げられる」

「う、うん。えっと……」

 

 鳥さんがあまりにも急かすから、わたしは一度足を止めて、鞄からさっきのパンの袋を取り出す。

 そして、家で食べる予定だったフレンチトーストの残りを鳥さんの前に差し出す。

 鳥さんはくちばしで、差し出されたトーストをついばんだ。

 

「もぐもぐ……よし。これでもう少し頑張れる」

 

 全部は食べきらず、なんかすごい中途半端にフレンチトーストを残して、鳥さんはまた羽ばたき、飛び立つ。

 心なしか、さっきまでよりも、ちょっとだけ元気があるように見える。

 鳥さんは一息で滑空するように飛翔し、なっちゃんへと近づいていく。さっきまでよりも、ずっと速いスピードで追い縋る。

 

「随分と小賢しいことをしていたようだけど、流石にここまで近づいたら、偽装されてもわかるよ」

「…………」

「ダンマリか。僕も舐められたものだ。テクスチャで誤魔化したくらいで、僕の鷹の目を騙せると――思うなよ!」

 

 鳥さんは、いつか台風のクリーチャーと相対した時のように、その鋭い足の爪を振り上げた。

 そして、その爪は、なっちゃんの顔に、肌に、肉に、向けられる。

 そして――

 

「……っ!」

 

 ガリッ、と。

 

 

 

 なっちゃんの皮が――剥がれた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「な、なに、これ……!?」

 

 鳥さんの爪が、なっちゃんの顔面を大きく引き裂いた……けど、それは異様だった。

 残酷とか、痛々しいとかじゃなく……異常だ。おかしい。おかしすぎる。

 血は流れていない。一滴たりとも、血痕は残らない。代わりに、鳥さんに引っかかれたところが、傷口の奥に、暗く、黒い闇が広がっている。

 

「な、なっちゃん……?」

「……ばれてしまったか」

 

 それはなっちゃんの声だ。幼い、子供の声。

 だけどその言葉は、およそなっちゃんのものとは思えなかった。

 あの子は、残酷だけど、こんな冷たい声はしていない。

 誰……なの?

 

「小鈴。もしかしてあの子供は君の知り合いかい?」

「知り合いっていうか……」

「まあ、なんでもいいけど、たぶん彼女は偽物だよ」

「え?」

「奴はクリーチャーだ」

 

 クリーチャー……? なっちゃんが? それとも、なっちゃんの姿をした、あのなにかが……?

 鳥さんは続けて、なっちゃんの姿をした、何者かに言った。

 

「いい加減、姿を見せなよ。もう隠す意味もないだろう?」

「……それもそうですね」

 

 諦めたようにそう言うと、なっちゃんは――なっちゃんの姿をした誰かは、鳥さんに引っかかれた黒い傷口を掴んだ。

 ベリベリベリ!

 そんな、シールを剥がすみたな動作で、身に纏っていた“なっちゃん”を剥がした。

 その下に現れるのは、小さな矮躯の幼女ではない。

 もっと大きく、もっと深く、もっと黒い、人ならざるものだ。

 

「真に遺憾です。計画の半ばで、こうして私の姿を晒すことになるとは」

 

 怪物……いや、これは、クリーチャーだ……!

 何本も腕があったり、骨みたいなものを身に着けているけど、白衣を纏っていて、メス、注射器、ハサミなど、医療器具らしきものを携えているその姿は、お医者さんのようでもあった。

 だけど、その姿はあまりも不気味で邪悪だ。

 そう、その姿はまるで、闇の中の医者みたいな……

 

「人間はやはり侮れませんね。まさか、地獄の神の腕を持つ私が手ずから精製した偽装皮を看破し、あまつさえそれを剥がす者がいるとは。もっとも、私にいたのは神話も潰えた世界。即ち、正に神は死んだ世界なので、神の腕と名乗るのも滑稽ではありましたが」

「その骨……そうか、君は纏うことで仮初の種族となる者か。小鈴らの反応を見るに、人の皮を被り、存在を偽装していたのかな?」

「化石を纏うのも、皮を被るのも、大して違いはありませんからね。とはいえ、この世界の生物の皮は脆弱すぎて、剥がすどころではありませんでしたが。ゆえに身を裂き、血肉を用いて、自ら作らなければいけなかったのは、とても煩雑な作業でした」

「僕の探知から逃れられたのも、人の皮を被って、人間に擬態していたからか」

「他人に成り変われる能力か。成程、そんな能力があるのなら、犯人だと特定されないのも頷けるな」

「しかし、存在そのものまで組み替えてしまうとはね。化石を被っただけで竜種を名乗る、図太い君ららしい」

「それほどでも。私の腕にかかれば、肉体の成分から個人の表皮、記憶等々を完全にコピーし、存在そのものを一時的に同化させるなど造作もないのです。お陰で様々な人間に乗り換え、多くのことを得ることができました」

 

 饒舌に語るお医者さん。

 言ってることはよくわからないけど……でも、このクリーチャーが、誰かを傷つけて、そうすることで他の人に化けていたということだけは、理解した。

 

「随分とペラペラお喋りが好きなクリーチャーだな。それで、ここ最近の殺傷事件の犯人は、君か?」

「殺傷事件? さて、人間ども時世に興味はありませんが、血液採取と私の医療技術向上のために、色々とメスを入れていたのは確かですね。いやはや、こちらの世界の生物とは興味深い。あの時の少女を解剖できなかったことが気にかかり、あの腐った世界に見切りをつけてこちらに来てみましたが……正解でしたね。やはり一度、しっかり研究しておくべきものです」

「……害悪だね」

 

 取り合う気はないと言わんばかりに、霜ちゃんは短く吐き捨てる。

 どうでも良さそうなことまで、滔々と語るお医者さん。だけど、その内容は、聞いているだけで怖気が走るようなことだった。

 このクリーチャーが、今回の事件の犯人……?

 わからない。けど、もしそうでなかったとしても、このクリーチャーを放っておくわけにはいかない。

 少なくとも、このクリーチャーがさっきの犬を殺したのは間違いない。

 そして、誰彼構わず、そのメスで切り裂いて、誰かを傷つけていることに変わりはない。

 そんな危険で、邪悪なクリーチャーを野放しにはしてはおけない。

 ここで、倒さないと。

 

「小鈴。準備はいいかい?」

「うん……お願い、鳥さん」

 

 刹那のうちに、わたしの姿は――衣装は、変わる。

 この、ふりふりでふわふわの服装も、久しぶりだな。

 いつかわたしが願った、魔法少女の姿。その、再現。

 その姿でわたしは、クリーチャーのお医者さんに向き合う。

 

「ほぅ、これは奇怪な術だ。しかし感じますよ、そうやって私と争おうという気概が。できれば、闘争は避けたいところなのですがねぇ」

「知ったことか。行くよ、小鈴」

「うんっ」

 

 鳥さんと一緒に、お医者さんへと近づいていく。

 そして、クリーチャーと戦うための“場”が、用意されていく。

 

「この感覚は、あの空間……それはいけません。あそこは、私の手術室ではありませんからね」

 

 近づくわたしたちに、お医者さんはたじろぐ。

 そしてすぐに、鳥さんへと視線を向けた。

 

「発生源は……あなた、ですか。では――」

 

 そして、幾本もあるその手の一つに、注射器を握り込む。

 

 

 

「――退場していてもらいましょう」

 

 

 

 風を切る音。

 黒い魔手はわたしのすぐ横を通過して、ブスリ、と嫌な音を立てる。

 直後、カシュッと空気の抜けるような音が聞こえたところで、わたしは振り返った。

 

「と、鳥さん!」

 

 そこには、注射器で刺された鳥さんの姿があった。

 だけど鳥さんは、羽ばたき続けて、言った。

 

「大丈夫だ、大したことないよ」

「で、でも……」

「いくら肉体が衰えていても、この程度の針じゃ僕は落ちない。まだやれるさ」

 

 気丈に振舞う鳥さん。でもそれは、わたしが心配するような強がりではなく、本当に、なんともなさそうだった。

 ……本当に、今の攻撃でダメージがない?

 実はこのお医者さんって、そんなに強くないのかな?

 と思っていたら、お医者さんはまた、腕を振りかぶった。

 

「さて、注射の後には採血です。順番が逆? 知りませんね!」

「きゃっ!」

 

 なにか刃物のようなものが振り下ろされる――わたしに向けて。

 反射的に後ろに下がろうとしたけど、刃物の切っ先がわたしの腕に振れて、皮を破り、肉を裂く。

 ツゥっと、赤い雫が、線となって腕を走り、地面へと零れ落ちた。

 

「小鈴ちゃん!」

「だ、大丈夫。ちょっと切っちゃっただけだから……みんなは、下がってて」

 

 傷は大したことがない。カッターで手を切っちゃうのと、そう変わらない程度の浅さだ。痛みもほとんどない。

 だけど、このお医者さんは、とても攻撃的だ。好戦的ではないけど、攻撃になんの躊躇いもない。危険なクリーチャーだということは、わかった。

 さっきのはわたしが変身していたからギリギリ避けられたけど、こんなに攻撃的なら、みんなは近づかせられない。

 お医者さんは、刃物の先についたわたしの血を、どこからか取り出した試験管に垂らしながら、独り言のように言う。

 

「ふむ、綺麗な血ですね。しかし妙だ。これは本当に純粋な人間の血なのですか……? なんだかクリーチャーっぽい因子を感じるのですが……気のせいですか?」

 

 なにか言ってるけど、もうどうでもいい。

 とにもかくにも、早くこのクリーチャーを倒さないと。

 

「鳥さん!」

「あぁ。少し抵抗されたが、今度こそ引きずり込む!」

 

 今一度、お医者さんを倒すため、いつものあの戦いの場を用意しようとする。

 だけど、

 

「ふぅ、人間と争うのはもう懲り懲りなのですがねぇ」

 

 お医者さんは、くるりと後ろを向く。

 そしてそのまま、ダッと駆け出した。

 要するに――逃げた。

 

「また逃げました!」

「なんか、いつものクリーチャーと違う感じだな……いつもは、もっと好戦的というか、すぐ戦いに入ってたものだが……」

「……人間、避けてる、みたいな……」

「恐れてるってか、慣れてるってか。なんか立ち回り違うね」

 

 霜ちゃんたちの言う通り、なんだか、いつものクリーチャーとは様子が違う。

 なかなか対戦に入れなくて、もやもやするし、いじらしい。

 

「厄介なクリーチャーだな……追うよ、小鈴!」

「う、うん!」

 

 とにかく、あのクリーチャーは倒さなきゃいけない。わたしは鳥さんと一緒に、その後を追い、走る。

 この姿だと、いつもよりも力が出る。普段は足が遅いし体力のないわたしだけど、この姿の時は、クリーチャー相手でも、追いかけられるよ。

 お医者さんを追いかけて、道路をひた走り、角を曲がる。相手の足も速いけど、このままなら追いつけそう。

 

「こ、小鈴、ちょっと速い……僕も、結構、力が衰えてて……」

「でも、このままじゃ見失っちゃうよ! 先に行くね!」

 

 まさか、わたしが他人(鳥だけど)を追い抜いて走る日が来るなんてね……

 それはそれとして、減速しつつある鳥さんを置いて、わたしはさらに走り、角を曲がる。

 二つ、三つ、そして四つ目の曲がり角を曲がる。そこで、わたしは思わず足を止めた。

 

「え?」

 

 お医者さんをおいかけてたんだから、そこにいるのはあのクリーチャーのはず。

 だけど、そこにいるのはお医者さんではない。

 黒い髪。小さな背丈。幼い顔立ち。それと、その、ちょっとふくよかな色々……そして極めつけは、鈴のついた髪紐に、ふりふりでふわふわの衣装。

 これは、まさか――

 

 

 

「わ、わたし……!?」

 

 

 

 ――もう一人の、わたしでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「やっと追いついた」

「小鈴! どうした?」

 

 わたしが目の前のわたしに戸惑っていると、ちょうどそこで、霜ちゃんたちが追いついた。

 そして、わたしと同じように驚いた表情を見せてくれる。

 

「!? 小鈴ちゃんが二人!? 眼福!?」

「な、なんで小鈴さんが二人なんですか!?」

「これも、他人に成り変わる能力によるものか。しかし、敵対者そのものに変化するとか、悪趣味な……」

「……血から、皮を作る、とか……言ってた、ような……」

 

 血……そう言えば、さっきわたしに切りかかった時も採血がどうとかって……

 あの時、わたしの血を採ったから、お医者さんはわたしに変身できた、ってことなの?

 

「ど、どっちが本物の小鈴さんなんですか……!?」

「わたしだよ、って言いたいけど……」

「こっちのわたしも、同じこと言うよね……」

「口調、性格までほぼコピーできるのか。参ったな、判断つかない」

 

 まったく同じ声、口調、調子で話す、もう一人のわたし。

 わたしはわたしが本物だってわかってるけど、ここまでそっくりだと、本当にわたしがもう一人いるみたいだよ。どうやって見分けるか、わたしにだってわからない。

 

「確かに見ただけじゃどちらが本物の小鈴かはわからないが、この程度の偽装、なんの意味もないよ」

「鳥さん?」

「奴の変身は、ただ皮を被ってるだけだ。それを剥がせば問題ない」

 

 あ、そういえば鳥さんは、お医者さんがなっちゃんに化けている時も、引っかいて皮を剥がして、その変身を見破ってたね。

 ってことは、鳥さんに引っかいてもらえば、本物かどうかがわかるんだ。

 ……でもそれ、ちょっと痛そうでやだなぁ。

 

「こんなものは、なんてことのない、小手先の子供騙しさ。さぁ、どっちの小鈴から調べる?」

「いや、その、痛そうだし、わたしは後で……」

「あ、ずるい! わたしだって痛いのはやだよ!」

「……どっちでも、いい……早く……」

 

 どっちでもいいって、簡単に言うけど恋ちゃん。鳥さんの爪、意外と鋭いよ? これ、絶対に痛いからね?

 できれば最初から偽物の方を引っかいて欲しいです。

 

「まあ、彼女の言う通り、どっちからでも同じか」

「同じじゃないよ!?」

「一回目で外したら痛いだけだよ!?」

「その通りではあるが、まあしかし、結果的に判別がつくなら多少の傷は誤差だよね」

『霜ちゃん!?』

 

 なんてことを言うの!? 誤差なんかじゃないよ!

 もう、みんな、当事者じゃないからって好き勝手言って……

 

「とりあえずだ。どっちからでもいいなら、僕が適当にどっちからにするか決めるよ。変にどっちを先にするかを押し付け合われても、怪しいだけだし」

「そ、それもそっか……」

「じゃあもういいよ、好きにして……」

「よし。それじゃあやるか。できるだけ痛くないようにするから、我慢してね」

『うぅ……』

「……なんか今の発言、下品で気持ち悪いね」

「気持ち悪いと思ってる君の思考回路の方が気持ち悪くて下品だから安心しなよ、実子」

 

 爪を光らせて、ばっさばっさと羽ばたいて近寄って来る鳥さん。

 仕方ないよね……これも、犯人であるクリーチャーを捕まえるためだもん。

 そう思って、観念して鳥さんの爪を受け入れるわたしたち。

 ――だけど、

 

「じゃあまずは、こっちの小鈴からテクスチャを剥がして――うぐっ!?」

『鳥さん!?』

 

 いきなり、鳥さんが墜落した。

 ぼとりと、初めて出会った時のように、無様に地面に落ちて、這いつくばるように力なく小さな体を横たえている。

 な、なにがどうしたの……!?

 

「ぐ、これは……!」

「どうしたの鳥さん!」

「大丈夫? なにがあったの?」

「体が、動かない……痺れたみたいな、感じが……あと、なんか、気持ち悪いというか、全身が痛い……!」

「な、なに、どういうことなの? 病気?」

「それとも、さっきのパンが当たっちゃった?」

「……いや、たぶん……あの時の“針”だ」

 

 針? それって……

 

「さっきのあのクリーチャーの注射器か」

「そういや、なんかぶっ刺してたね」

「……注射……ってことは、薬……?」

「あるいは毒だな」

Gift(毒ですか)!? そんな、Gefahr(危ないもの)を……」

「仮にも医者を名乗ってたクリーチャーだ。劇薬とか、猛毒とか、そんなのを持っててもおかしくはないだろう」

「闇のクリーチャーみたいだったしねぇ」

 

 毒……ってことは、それを注射した後に逃げたのも、鳥さんの身体に毒が回る時間を稼ぐため……?

 

「くっ、激痛が走ってるのに、意識が、沈みそうだ……」

「と、鳥さん!」

「しっかり!」

「…………」

『鳥さん!?』

 

 遂に言葉も発しなくなってしまった鳥さん。

 見た感じ、辛うじて息はあるみたいだけど……

 

「……厄介なことになったな」

 

 霜ちゃんが、忌々しげに吐き捨てた。

 

「あのクリーチャーは小鈴に成り変わり、小鈴を見分けられる鳥類は倒れた。ボクらだけじゃ、対戦の場に引きずり込むこともできないし……」

「息、ある……焼き鳥……まだ、生きてる……毒、まだ、回り切って、ない……?」

「でも、時間の問題じゃない? あのクリーチャーをぶっ飛ばせば、なんとかなるのかもしれないけど」

「そのためには、まずどっちの小鈴があのクリーチャーなのか、判別しないといけないな」

「で、でもでも、どっちが本物の小鈴さんなのか、全然わからないですよ……」

 

 わたしは、もう一人のわたしを見遣る。もう一人のわたしも、こっちを見つめている。

 もどかしい。こっちのわたしがクリーチャーなのに、それはわたしが一番よく分かってるはずなのに、それを証明できないなんて……

 わたしが鳥さんに頼らず、クリーチャーと戦えたら、こんなことにもならなかったのに……

 

「……どうやって、見分ける……?」

「そうだね。しかしどうやって見分けるべきか……古典的だが、いくつか質問してみよう。小鈴しか知らないことを聞いてみれば、ボロを出すかもしれない」

 

 わたしが沈んでる間にも、みんなは本物のわたしを探り当てようとしてくれる。

 わたしだけじゃ、本物のわたしを証明できない……悔しいけど、みんなを信じて任せよう。

 

「じゃあ、ボクから行こう。小鈴、君のお姉さんの名前は?」

『えっと、伊勢五十鈴、だよ』

「……期末テストの……平均点」

『確か……92点、だったかな?』

「昨日のお昼はなにを食べました?」

『昨日は購買で3割引きだったから、サンドイッチとレーズンパンと蒸しパンケーキを二つずつ食べたよ。おいしかった』

「上から?」

『えっと、きゅう……って、なに言わせるの!?』

「反応がまったく同じだ……」

「判別……つかない……」

 

 わたしもビックリした。

 こっちのわたしは、わたしと同じことを言ってるし、わたしのことも全部知ってるみたいだった。

 今ここにいるわたしという存在、そのアイデンティティが、揺らぎそうだ。

 

「家族の名前とか、身体のサイズならまだしも、テストの点数とか昨日の昼ご飯まで知ってるってことは、記憶もコピーできてるってことなのかな?」

「加えて、それらに対する反応まで同じってことは、単純に小鈴の脳内をコピーしているんじゃなくて、それらについて“どう思っているか”まで理解しているっぽいな」

「どう思ってるか、ですか? どういうことですか?」

「小鈴の感情さえも理解しているということだ。健啖家であるとか、身体にコンプレックスがあるとか、そういうところまでしっかりと知られてしまっている」

 

 な、なんかそう言われると、すごく恥ずかしいんだけど……

 わたしの色んなところを、あのお医者さんに知られちゃってるってことだよね……やだなぁ、恥ずかしいなぁ……

 

「意識感覚までコピーしているとなると、相当難しい。すべて演技なんだろうけど、再現度が高すぎる……」

「演技ってことは、その知識に対して「こう反応する」っていうのがわかってるから、そういう反応ができる、ってことだよね」

「あぁ、たぶんね。だから、本物の小鈴じゃないと再現できない反応とか、わかってても再現できないとか、再現しきれない反応、みたいなものがあれば、判別可能なのかもしれないけど……即席で行うには難易度が高すぎる」

「本人がめっちゃ複雑な感情を持ってたりとかすればいいってこと?」

「まあ、端的に言えば……小鈴自身がコントロールしきれないような感情の揺さぶりをかけられれば、あるいはと言ったところだと思う」

「うーん、小鈴ちゃんは素直だからなぁ」

「どうすればいいんでしょう……」

「そもそも理屈と仮定の話だから、実際にどうすればいいのか、皆目見当がつかないな」

「制御できない感情ねぇ。小鈴ちゃんを怒らせるとか?」

「小鈴をか? それはそれで難しいな……どうしたら怒るんだ?」

「え? うーんっと……小鈴ちゃんの身体のサイズを大声で叫び散らすとか?」

『やめてやめてやめて! それだけはやめて! みのりちゃん! お願いだから!』

「……怒るっていうか、羞恥のあまり自殺しそうなんだが……」

 

 二人がかりでみのりちゃんの口を塞ぐわたしたち。相手はわたしの言動を完全にコピーしたわたしだから、無駄に連携が取れてしまっています。

 それにしても、怒る、かぁ。

 自分でも怒った経験はあんまりないっていうか、怒るってどういうことなのか、よくわからないっていうか、怒れないっていうか……

 ……記憶にある中で、わたしが明確に“怒り”を感じたのは、あの時ぐらいかな。

 なっちゃん――『バンダースナッチ』ちゃんと初めて出会った、あの日。

 わたしの大切なものを傷つけられて、失ってしまった、あの出来事。友達との思い出、繋がりを、文字通り引き裂かれたあの時。

 自分でも驚いて、戸惑うくらい、あの時は激情に突き動かされた。頭の中が一つのことでいっぱいになって、他になにも考えられなくなった。

 あんなのはもう懲り懲りだけど……今はあの感情が必要、なのかな……

 でも、必要だからって、意図的に怒れるわけがない。

 

「そもそも、そんな簡単に怒らせることができるのなら、その程度の怒りでは再現されてしまう可能性が高いな」

「そう?」

「そうだろ。だって、実子のセクハラにもあの反応だよ。ちょっとやそっとの感情の揺さぶりは、効果なさそうだ。もっと複雑な感情じゃないと」

「複雑な感情? 具体的には?」

「それがすぐに出たら苦労しないよ」

「なにそれ、完全にお手上げじゃん」

「あぁ、非常に困った。降参なんてできるわけもないんだが、解決の糸口は見えても、そのための手段が致命的に見つからない……」

「ど、どうしましょう……! このままじゃ、トリさんが……」

 

 こうしている間にも、鳥さんの身体には毒が回っていく。

 早くしないと、鳥さんが危ないし、クリーチャーも倒せなくなっちゃう。

 

「……複雑な、感情、か……みのりこ」

「ん? なに?」

「携帯……貸して……」

「別にいいけど、なにに使うの?」

「持ち物で判別するのか?」

「でも、小鈴さんのカバン、ここにありますよ?」

「衣装もそっくりそのままコピってるし、意味なくない?」

「ん……まあ……ここでごちゃごちゃ、言ってても……なんにも、ならないし……それなら……やるだけ、やってみる……」

 

 恋ちゃんはみのりちゃんの携帯を借りて、なにか操作している。誰かに電話をかけているみたいだけど、誰だろう?

 それに今、さり気なくスピーカーにしたけど、なにをするつもりなのかな?

 

「こすず……はい」

「はい、って……」

「言われても……」

 

 恋ちゃんは、わたしたちに携帯を差し向ける。

 わたしたちに手渡そうとしているのかもしれないけど、どっちに渡そうとしてるの? そもそも、通話相手は誰?

 差し出された携帯をどうするべきかわからなくて、まごまごするわたしたち。その間もコール音が鳴り続けていて、そして――遂に、その相手が受話器を取った。

 

 

 

『もしもし。剣埼です』

 

 

 

 そしてそれは、予想だにしない相手。

 わたしの胸の内でずっと燻っていた気持ちに、また火を投げ込まれる。

 ずっと昔のあの時。デュエマを教えてもらったあの時。

 そして、わたしが狂ってしまった、あの時。

 すべての記憶が、気持ちが――溢れた。 

 

「せ、先輩!?」

 

 吃驚。感情の揺さぶりと言うなら、これ以上のことはないのかもしれない。

 自分でもわからないくらいに気が動転している。あの時、わたしの本心で、本意だけど、望まなかった、ある意味では望んでいた、あの出来事。

 やってはいけないけれど、そうしてしまいたいと思った自分がいる羞恥。それでいてそうしたいという衝動。あの時のわたしは狂っていた。おかしかった。

 あの時の恥ずかしさを、自分のはしたなさを、みっともなさを、見つめたくなくて、思わせたくなくて、思い出したくなくて、あえて避けていたのに。ずっと声も聞かないようにしていたのに。

 電話越しの音声とはいえ、それを、聞かされてしまった。

 それゆれにわたしは、それを思い出した。思い出されてしまった。だからパニックになる――けれど。

 “本物のわたし”にとって、あの人の存在は、もっと大きい。

 

 

 

「せ、せせせせせ――先輩……っ!?」

 

 

 

 呂律が上手く回らなくなるほどに。ついでに目は回ってるし、天地がぐらつくくらいによろめいてしまっている。

 わたしは一瞬で、冷静さを失ってしまった。

 そして、

 

 

 

「――見つけた」

 

 

 

 わたしのすぐ横に、恋ちゃんがいる。

 もう一人のわたしの襟元を掴んで、鋭い視線で、見上げている。

 

「これ……返す」

「ええ、ちょ、え?」

 

 みのりちゃんに向けて、携帯を放り投げる恋ちゃん。

 久々の先輩の声に気が動転してしまっているわたしは、もうなにがなんだかしっちゃかめっちゃかで、わけがわからない。

 落ち着いて状況を確認する暇もない。ただ見えたのは、恋ちゃんの手に握られたデッキケースだけ。

 

「もう……逃がさない」

 

 そして、そんな恋ちゃんと、もう一人のわたしが、いつ通りの、あの不思議な空間に、飲まれていく――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――こっちでも、ちゃんと、開けるんだ……よかった……安心……」

「なにが安心、でしょうか。こちらはあの鳥を封殺して安心していましたが、その安心を裏切られましたよ。いえ、それ以前に、まさか私の変装が見破られてしまうとは思いませんでした。肉体、記憶までは良いですが、完全な人心偽装までは遠いですね。人間の思慕の念とは、理解を超える大きな情感なのですね」

「どうでもいい……それより、あの焼き鳥に、なに、打った……?」

「なに、麻酔のようなものですよ。もっとも、私の界隈における麻酔ですけども」

「……どういう、意味……?」

「我ら闇文明にとっては、死と休眠は同義、ということです。墓場は寝室、柩は寝台、墓石は枕、念仏は子守唄です。一休みするために殺され、眠れないからと自死します」

「…………」

「それに、そもそもの話、強すぎる麻酔は毒と同じですからね。というより、あれは鎮静効果のある毒物なんですけども。効き目は遅いですが、じっくりと時間をかければ、確実に殺しますとも。えぇ、あの鳥が如何なる種であろうとも、確実にね」

「毒……」

「ゆえに、私を倒そうがどうしようが、解毒されることはありません。あれは私が調薬しただけであって、私の力そのものではありませんからね」

「そう……まあ、藪医者に……解毒剤とか、なんて……期待、してないけど……」

「む、失礼な令嬢ですね。私が作った毒なのですから、当然、それに対する処方箋はありますとも。毒とは、それを滅するものも同時に作らなくては意味がないですからね」

「……そう」

「ひょっとして、私を倒せば解毒剤が手に入るとでもお思いで? それはとんだ自信過剰ですよ。あなたも、私のサンプルに成り果てるだけです。無意味なことですよ」

「……言ってろ」

 

 

 

 ――ちょっとずつ、落ち着いてきた。

 どうやら恋ちゃんは、先輩の声でわたしの心を揺さぶって、判別しようとしたみたい……ちょっとひどいけど、でも、ありがとう恋ちゃん。

 恋ちゃんのお陰で、お医者さんとの戦いの場は用意できた。

 だからあとは、恋ちゃんがお医者さんを倒してさえくれれば……!

 

「呪文《フェアリー・ライフ》……1マナ加速……エンド」

「私のターン。2マナで《【問2】 ノロン⤴》を召喚です。二枚引き、二枚捨て、ターンエンド」

 

 

 

ターン2

 

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:1

山札:28

 

 

闇医者

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:2

山札:26

 

 

 

「私の、ターン……4マナで《ドンドン吸い込むナウ》……」

 

 その呪文を唱えた瞬間、風が吹き、恋ちゃんの山札が舞い上がる。

 宙を渦巻く五枚のカードを見つめながら、恋ちゃんは思案するように、視線を彷徨わせる。

 

(相手のデッキ、よくわからない……墓地には《サイクリカ》と、《アツト》……墓地ソース、ではないっぽい、けど……呪文、使うなら……ロマノフ……? ミシェルみたいなの、かな……)

 

 やがて、周囲を回るように舞うカードを一枚抜き取る。

 

「……《ボーイズ・トゥ・メン》を、手札に……バウンスは、しない……エンド」

「私のターンですね。3マナで《ボーンおどり・チャージャー》を唱えましょう。山札から二枚を墓地へ」

 

 お医者さんは、山札を掘り進んでいく。

 そしてこの時、墓地のかれたカードが反応を示した。

 

「おや、《イワシン》が落ちましたね。では《一なる部隊 イワシン》の能力起動。この雑魚がどこからでも墓地に落ちた時、一枚引き、一枚捨てます。《ダークマスターズ》を墓地へ」

「《ダクマ》……やっぱ、ロマサイ……?」

「これで私もターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:2

山札:26

 

 

闇医者

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:5

山札:22

 

 

 

「5マナ……呪文《ボーイズ・トゥ・メン》……一応、クリーチャーを。タップ……一枚ドロー、1マナ加速……ターンエンド」

 

 いまいちおとなしい恋ちゃん。

 着々と進んではいるっぽいけど、それも順調とは言い難く、動きは鈍いように見える。

 一方でお医者さんは、スムーズに準備できてるっぽい。

 だけどここで、彼は奇妙な動きを見せた。

 

「私のターン……おや、ここで引きましたか。では一応、使っておきましょう。5マナをタップ。双極・詠唱(ツインパクト・キャスト)

 

 お医者さんの後ろで、黒い影が蠢くのが見えた。

 闇の魔手が、なにかを求めるように、蠢動している。

 

「呪文《地獄のゴッド・ハンド》です。相手クリーチャーを破壊できますが、対象はいませんね」

 

 え?

 破壊できるクリーチャーがいないのに、呪文を唱えた……?

 なんで、そんな意味もないことを……?

 

「……? 空撃ち……? あやしい……」

「これもまた重要な手術工程の一つ。ご安心なさい、私は失敗しません。ターンエンド。あなたのターンですよ」

 

 

 

ターン4

 

場:なし

盾:5

マナ:6

手札:3

墓地:3

山札:23

 

 

闇医者

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:6

山札:22

 

 

 

「……《音感の精霊龍 エメラルーダ》を、召喚……シールドを一枚、手札に……その後、手札を一枚、シールドに……ターンエンド」

 

 マナがそれなりに増えてきたけど、恋ちゃんはまだ、あまり動かない。

 やっとクリーチャーを召喚して、シールドとカードを入れ替えたみたいだけど……なんだか出遅れているような気がするよ。

 

「遅いですねぇ。準備というものは大切ですが、治療も手術も、迅速に行わなければ」

「お前だって……別に、速くない……」

「いえいえ。準備は念入りに、確実に、無駄なく最低限で済ませますとも。ここまでの流れは最速かつ円滑。そして、オペを開始してからは迅速です。えぇ、即座に終わらせますとも」

 

 流暢に言ってお医者さんは、メスを取る。

 そして、腹を裂くように、暗く深い闇の底へと、刃を差し込んだ。

 

「6マナで呪文《戒王の封(スカルベント・ガデス)》!」

「ここで……?」

「まだお気づきになられませんか。まあいいでしょう。《戒王の封》の効果で、墓地のコスト8以下の闇のクリーチャーを蘇生させます」

 

 封を切り、開かれた深淵への扉。

 そこから、産み落とされず、救い上げられた赤子の如く、闇を纏った者が、這い上がる。

 

 

 

「オペを開始します――《龍装医(りゅうそうい) ルギヌス》!」

 

 

 

 ハサミ、注射器、メス……様々な医療器具を持つ、数多の魔手。

 龍の骨をその身に纏った、凶悪で、狂った鬼の医者。

 《龍装医 ルギヌス》――これが、あのお医者さんの正体……!

 

『《ルギヌス》の能力発動です! 墓地のコスト7以下のクリーチャーを蘇生。さぁ、蘇りなさい! 《龍素記号Sr スペルサイクリカ》!』

 

 お医者さんは、墓地から拾い上げた死体に、注射する。

 すると、その直後、死体は跳ね上がるように動き出して、バトルゾーンへと降り立った。

 

「《サイン》と同じ、リアニメイト……」

『ちょっとした気付け薬と、龍素のエッセンスを打っただけですよ。それでは《スペルサイクリカ》の能力で、墓地の《戒王の封》を再び詠唱!」

「っ」

 

 さっき唱えたばかりの呪文が、唱え直される。

 そして開くのは、戒めの王が封じた門扉。それが、再び開く。

 

「双極・蘇生召喚! 《ルギヌス》をバトルゾーンへ呼び戻し、そしてその能力で《轟改速(ごうかいそく)(エックス) ワイルド・マックス》を蘇生!』

 

 二人目のお医者さんがバトルゾーンに戻って来る。

 そして今度は巨大なチェーンソーと丸鋸で、ガリガリガリ! と嫌な音を轟かせながら、巨大なバイクのような機械が、バトルゾーンに引き上げられた。

 す、すごい……たった一枚の呪文から、コスト7以上の大きなクリーチャーが、一気に四体も……!

 

「……さっき、空撃ち、したのって……」

『今更ながらに理解が及びましたか。無論、私が墓地で準備するためです。それではいよいよ、執刀の時間ですよ。身体の隅々まで、文字通り切り開いて差し上げましょう!』

 

 お医者さんが、再びメスを執る。

 だけどそれは治療のためではない。

 切り裂き医(ジャック・ザ・リッパー)としての、執刀だ。

 

『《ワイルド・マックス》の能力で、私のクリーチャーはすべてスピードアタッカー! よって《ルギヌス》で攻撃! その時にも、能力発動! 墓地の《ダークマスターズ》をバトルゾーンへ!』

 

 またしても墓地のクリーチャーが蘇る。今度は、真っ黒な悪魔のような龍。

 そのクリーチャーは恋ちゃんの背後を取ると、その手札を覗き込んだ。

 

『カルテをください。あなたの手札情報を閲覧させてもらいましょう……えぇ、勿論、すべて捨ててしまいますがね!』

 

 直後、恋ちゃんの手札が吹き飛んだ。

 《超次元ホワイトグリーン・ホール》《母なる星域》《怒流牙 サイゾウミスト》……ボロボロと、恋ちゃんの手からカードが零れ落ちる。

 

「シノビが……」

『さぁ、Wブレイクです!』

「……っ」

『続けて《ワイルド・マックス》でも攻撃! もはやカルテを見るまでもありません。その二枚の手札を墓地へ!』

 

 シールドブレイクで手札が増えても、その手札さえも、叩き落とそうとする。

 巨大な髑髏が叫び、悲鳴のような轟音が響き渡る。その絶叫が、恋ちゃんの手札をさらに食い破るけど、

 

「舐めんな……《時の秘術師 ミラクルスター》の、マッドネス……っぽいの。墓地の《ライフ》《星域》《ホワイトグリーン・ホール》《ボーイズ・トゥ・メン》を回収……」

『おやおや、手札が増えてしまいましたか。これは想定外。しかし、手術の成功の可否にはさして関係ありませんね。いくらノイズを紛れさせようが、最後に解体されていれば良しです』

 

 マッドネス……確か、手札破壊された時に発動する能力だったよね。

 あの《ミラクルスター》は確か、墓地からコストが違う呪文をそれぞれ手札に戻せるクリーチャー……これで恋ちゃんの手札が回復したね。

 だけど、手札が増えても、攻撃は止まらない。

 お医者さんは容赦なく、恋ちゃんのシールドを粉砕する。

 

『手札が戻ろうと、攻撃は続きますよ。《ワイルド・マックス》でWブレイク!』

 

 バイクの前面に付けられたドリルが、恋ちゃんのシールドを突き破る。

 手札は戻ったけど、これでシールドは残り一枚。シノビが手札に加わったわけでもないし、恋ちゃんがピンチなことに変わりはない。

 恋ちゃんは焦った様子を見せないけど……だ、大丈夫かな……

 

「……S・トリガー、《フェアリー・ライフ》……マナ加速、しとく……」

『もう一体の《ルギヌス》でも攻撃! その時に、墓地にクリーチャーがこれしかいませんので、一応《アツト》を呼び戻しておきましょう。それでは、最後のシールドをブレイクです!』

 

 恋ちゃんの最後のシールドが破られる。

 お医者さんの攻撃可能なクリーチャーは、まだ四体も残っている。《ワイルド・マックス》を除去するとか、なにかしらのS・トリガーで攻撃を止めないと、恋ちゃんが負けちゃう……!

 ……あれ? でも、あのシールドって確か、《エメラルーダ》で入れ替えたシールド――

 

「……かえって、最後で……よかった、のか、なんなのか……」

『はい?』

「まあ、いいか……スーパー・S・トリガー」

 

 恋ちゃんの手の内が、光る。

 そして、そこから、一枚のカードが飛び出した。

 

「こっちも……ドラゴンギルドで、対抗――《龍装者 フィフス》、召喚」

 

 飛び出した……けど。

 コスト5の、大きいとも小さいとも言えない、中途半端なクリーチャー。

 だけど、お医者さんの場に立ち並ぶクリーチャーたちと比べれば、ずっと小さい。

 こ、こんなクリーチャーで、残りのクリーチャーの攻撃を止められるの……?

 

「《フィフス》の、スーパー・S・トリガーの能力……私のクリーチャーはすべて、ブロッカー……あと、このターン……離れない」

『成程。面白い防御手段を持っているようですね。しかし、それでもあなたのブロッカーは二体。私の攻撃可能なクリーチャーは残り四体。私の攻撃は、その防御を貫きますよ』

「それ、フラグ、だから……《フィフス》の能力……本来の能力……手札から、コスト3以下の呪文を、唱える……」

『たかだかコスト3以下でなにをすると?』

「……これ」

 

 ブロッカーの壁はあまりにも薄く脆い。お医者さんの言う通り、軽く貫かれてしまうほどに。

 でも、恋ちゃんはまだ、負けを認めていない。

 小さく、か細く、けれどもハッキリと、透き通る声で。

 手にした呪文を、唱える。

 

 

 

「《母なる星域》」

 

 

 

 恋ちゃんの場とマナを覆うように、それぞれの場所に星が瞬いたような紋章が浮かび上がる。

 この呪文は……

 

「《星域》で、《フィフス》を、マナに……いかないけど……で、マナの数以下の……コスト8以下の、進化クリーチャーを……踏み倒す」

 

 恋ちゃんのクリーチャーが紋章の中に吸い込まれそうになるけど、《フィフス》がそれを防ぎ、バトルゾーンに繋ぎとめる。

 その刹那――音が聞こえた。

 静かに、確かに、一定のペースで、止まることなく、時を刻む音が。

 チク、タク、チク、タク、と。

 時計の針が進んで、そして止まる音が。

 

「《フィフス》を……進化」

 

 星の煌きのような光の中で、龍の骨を纏った仮初のドラゴンは、進化する。

 本物の龍へと昇華し、その世界を築くために――

 

 

 

「私の世界の時間が止まる――《時の革命 ミラダンテ》」

 

 

 

 ――それは、荘厳で、神々しくて、キラキラした……とても、きれいなクリーチャーだった。

 一角獣(ユニコーン)のような角。天馬(ペガサス)のような翼。純白の毛並に、鎧。そして金色に輝く(たてがみ)

 そして、最も目を引くのは、鎧と共にある、赤い薔薇があしらわれた時計盤。

 すべての時間を支配すると言わんばかりの、神秘的で神聖なそのクリーチャーは、そっと、静かに恋ちゃんの前に立った。

 

「お前の時間は、終わり……《ミラダンテ》の能力、発動……相手クリーチャーを、すべて……フリーズ」

『な……っ!?』

 

 《ミラダンテ》がいななく。美しい讃美歌のような、歌うような咆哮を合図とするかのように、光る鎖が、お医者さんのクリーチャーをすべて、縛りつけた。

 まるで植物のツタのように。生い茂る茨のように、鎖は相手のクリーチャーを捕縛し、締め上げる。

 動きを封じて、二度と起き上がれないように。

 

『……まさかそのような方法で攻撃を止めるとは。致し方ありません。ここはターンエンドです……!』

 

 

 

ターン5

 

場:《エメラルーダ》《ミラダンテ》

盾:0

マナ:7

手札:4

墓地:5

山札:21

 

 

ルギヌス

場:《ルギヌス》×2《ノロン⤴》《サイクリカ》《ワイルド・マックス》《ダークマスターズ》《アツト》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:2

山札:18

 

 

 

 まさか相手のターンに進化クリーチャーを出して、その能力で攻撃を止めちゃうなんて……

 恋ちゃんの守りの堅さが、こんな形でも現れるだなんて、驚いた。

 そして恋ちゃんの、防御であり、攻撃でもある“支配”は続く。

 

「《超次元ホワイトグリーン・ホール》……《プリンプリン》を出して、マナの《星域》を、回収……3マナで《母なる星域》。《プリンプリン》を、マナへ」

 

 再び星の紋章が輝いて、恋ちゃんのクリーチャーが今度こそマナに――行ったけど、一瞬で超次元ゾーンに戻っていった――送られ、またしてもマナゾーンから進化クリーチャーが呼び出される。

 

「……本当は、《アルファリオン》が、良かった、けど……しかたない、か」

 

 嘆息気味に呟いて、恋ちゃんは、マナのクリーチャーを解き放った。

 

「《エメラルーダ》を、進化……《聖霊龍王 アルカディアス(ディー)》」

 

 また、光のドラゴンだ……こっちも、あんまりドラゴンっぽい見た目じゃないけど。

 恋ちゃんの場にクリーチャーは二体。数ではお医者さんに負けてるけど、一体一体からは、すごい力を感じる。

 

「フリーズの継続は、1ターン……光の呪文、止まらない、けど……青黒赤で、この状況、返せるカード……たぶん、ない……《アポカリ》なんて知らない……《ミラダンテ》で、Tブレイク」

 

 恋ちゃんは恐れず、前に出る。

 空を翔ける龍馬は光の軌跡を描き、お医者さんのシールドを三枚、突き破った。

 だけど、そのうちの一枚が、光の束となって収束する――

 

『S・トリガー《終末の時計 ザ・クロック》! 貴様の時間は終了――』

「うごくな」

 

 ――ピシッ。

 静止。あらゆる動作が、流動が停止して、無と静の空間が構築される。

 

「めざわり……時間が止まってるのは、お前……終わってるのも、お前……私の支配は……私の世界の構築は、もう始まってる――終わってる」

『なに……?』

「……《ミラダンテ》の革命0……発動」

 

 停止した時間。静止した空間の中で、光の鎖がお医者さんを縛る。

 数多の腕を、脚を、身体を、固く縛りつける。

 そうすることで、あらゆる動きを、許さない。

 

「私のシールドが、一枚もない、時……お前は、クリーチャーを召喚、できない」

『召喚、できない……!?』

 

 鎖で縛られているせいで動くことができないお医者さんは、吃驚の表情を見せる。

 召喚ができないということは、S・トリガーは使えない。シノビも、S・バックもできず、クリーチャーによる防御手段はほとんど封じられてしまう。

 そして当然、次のターンに反撃の手を伸ばすこともままならない。

 

「ん……《メメント》、あるかも……? ……じゃあ、エンドで」

 

 恋ちゃんはふと別の可能性に思い至ったようで、そこで攻撃をやめてしまう。

 けれども、それでもなにも問題はなかった。

 なぜなら、お医者さんの身動きは、光の鎖によって封じ込められているから。

 

『クリーチャーはすべてフリーズしている上に、召喚もできない……コストの制限もなく、問答無用とは……!』

 

 バトルゾーンのクリーチャーは完全に機能停止。手札から増援を呼ぶこともできない。

 そんなお医者さんがもがき、取ろうとする一手は、ただ一つ。

 唯一動かすことのできる口を開いて、言の葉を紡ごうとするけど――

 

『ならば、呪文だ! 双極・詠唱《地獄のゴッド・ハンド》! 《ミラダンテ》を破壊――』

「だまれ」

 

 ジャラジャラジャラ!

 再び鎖が叫ぶ。そして、お医者さんの頭を、口を、縛りつけ、締め上げる。

 口腔を破壊するような勢いで、言葉を紡ぎ、文言を唱えることさえも、封じ込めてしまった。

 

「うるさい……《アルカディアスD》の、能力で……光以外の、呪文……禁止」

『む、ぐうぅ……!』

「言ったはず……私の世界はもう、築かれ……完成してる」

 

 クリーチャーは攻撃できず、召喚は禁止され、呪文を唱えることさえできない。

 腕、脚、身体、口。

 あらゆる箇所が縛られ、締められ、束縛されてしまったお医者さん。

 正に手も足も、口さえも出せず、身動きを封じられた。

 完全に、なにもできない状態だ。

 どうすることもできず、動けないその姿は、まるで。

 時間が止まってしまったかのようだった。

 すべてが停止したその世界で動けるのは、世界の主ただ一人。

 そしてその主は、可憐で小さな女の子。

 彼女はその停止した世界の始まりと共に、彼に終焉を告げる。

 

 

 

「ようこそ――“私の世界”へ」

 

 

 

ターン6

 

場:《アルカディアスD》《ミラダンテ》

盾:0

マナ:6

手札:3

墓地:7

山札:20

 

 

ルギヌス

場:《ルギヌス》×2《ノロン?》《サイクリカ》《ワイルド・マックス》《ダークマスターズ》《アツト》

盾:2

マナ:7

手札:5

墓地:2

山札:17

 

 

 

 もはや、この対戦の場は、完全に恋ちゃんの世界と化していた。

 すべての権限は彼女が握っており、支配権は彼女だけが有している。

 彼女が許さない限り、動くことも、生み出されることも、喋ることすらも禁じられる。

 完全に統制され、封殺され、なにもかもが禁じられた、閉鎖的な空間だ。

 

「……《アルカディアスD》」

 

 恋ちゃんは呪文を封じる《アルカディアスD》に、呼びかけた。

 その瞬間、お医者さんの口を縛る鎖が、解き放たれた。

 

「……解毒剤とか、ある……?」

『それを聞いて、どうするというのです?』

「いいから言え……」

『ぐぅ!』

 

 ギリギリギリ、とお医者さんの身体を縛り付ける鎖が、さらにその身体を縛り上げる。

 光の鎖には、なにか赤黒いものが垂れ始め、異常なほどに黒い身体に食い込む。

 それは、少し、見ていられないというか……とても、痛々しかった。

 

『はっ、ふぅ……それを言って、私にメリットはあるのでしょうかねぇ……?』

「お前の処遇、それで決まるから……苦しみたく、ないなら……とっとと言え……」

『ぐぅ……左様ですか。しかし、可愛い顔をして、存外、残酷ですねぇ』

「……私は、一度、間違った……今更、自分の過ちを、なかったことになんて……できない、から……手が、汚れるくらい……どうでもいい……」

『成程、よくわかります。一度手を血に染めてしまえば、何度赤くなろうとも関係ないですからねぇ。前科とはいくら積み重ねても、そう変わるものではありません。ならばいくらでも重ねて、勝手気ままに犯すのがより良い生き方と言えるでしょうね』

「うるさい……余計なこと、喋んな……」

『がふっ!』

 

 饒舌に喋るお医者さんを黙らせるかのように、さらにギリギリと締め上げる恋ちゃん。

 ちょ、ちょっと、怖いよ……

 ……だけど、今の恋ちゃん。こか苦しそうだし、悲しそう……

 なんで……どうして、そう見えるんだろう……

 

「時間を稼ぐな……解毒剤、どこ……?」

『それで私は解放されるんでしょうかね? 条件次第では、いくらでもお教えしますが?』

「……わかった。約束、する」

『いいですね、契約をよく理解している良い娘です。では、まずは右腕を解放してもらいましょう』

「右腕って……どこ……?」

『あなたから見て右側です』

「いや……そうじゃなく……」

 

 腕が何本もあるから、右腕と一口で言われても、どの右腕わからない。

 いくらなんでも、全部を解放するなんてできないし……

 なんてことを考えながら、二人の間でもう二、三の言葉が交わされた後、お医者さんの腕の一本が解放された。

 

『ふぅ、痛いですね。メスが握れなくなったらどうするというのでしょう』

「…………」

『おっと、お嬢さんの視線が痛いので、私も契約に応じるとしましょうか。これですよ。解毒剤……というよりは、血清に近いものですが、これであの鳥に打った薬の効果を、打ち消すことができるはずです』

 

 コロコロと、解毒剤が入ってるらしき注射器を転がすお医者さん。

 恋ちゃんはそれを拾い上げると、訝しげにお医者さんを見つめる。

 

「……本当に?」

『本当ですとも。ここで欺瞞を働けば、私の命が危ういですからね』

「なら、とりあえず……お前に一発、刺しておくか……」

『別に構いませんよ? 毒素を滅する類のものではなく、あくまで抗体を作るものですからね。私の免疫力が上がるだけです』

「……やっぱ、いい」

 

 どうやら恋ちゃんは、お医者さんのことを疑ってたっぽいけど、最終的には信じたっぽい。

 なにを根拠に信じたのかはわからないけれど、なんだか恋ちゃん、クリーチャーを相手にするのに慣れてる感じがある……気のせいかな?

 

『契約成立です。さぁ、早くこの束縛を解放してください。あぁ、勿論、あなた方にはもう手は出しませんよ。私だって命は惜しい。医者は自分の身体だけは手術できませんからね。人間の中には、自らを手術する狂気の医者がいるようですが。ブラック・ジャック、とかいいましたか? 頭おかしいですよね」

 

 また饒舌になるお医者さん。

 解毒剤と引き換えに、恋ちゃんの拘束から逃れられるとわかって、安心し、喜んでいるみたい。

 ……だけど、

 

「《アルカディアスD》……《ミラダンテ》……」

『むぐぅ!?』

 

 光の鎖が、お医者さんの口と、解放された腕を今一度、縛りつける。

 お医者さんは怒り狂った形相で、もがもがと鎖で抑え込まれた口を動かす。

 

(なにをする! 話が違うではないか!)

「なに、言ってるか……わかんない、けど……私は、お前の解放は、約束した、けど……見逃すとは、言ってない……というか、あんなことして……許すわけ、ない……」

(小娘が! 私を謀るとは……! そもそも、解放すらしてないではないか!)

「お前は、見てて不愉快……凄く、不愉快……イライラ、する……」

(そんなに私のオペが気に喰わないか! 貴様、そんな善人ぶった思考で、私を甚振るのか! 偽善者め!)

「違う。お前の犯行が、じゃない……残虐でも、そんなものは、私にとっては、どうでもいい……」

(では、なんだと言うのだ!)

 

 相変わらずもがもがと口を動かすだけのお医者さんの声は、まったく言葉になっていなくて理解できないけど、恋ちゃんはそれをちゃんと聞き取っているように、クリーチャーの声を理解しているかのように、言葉を紡いでいく。

 

「私が、許せないのは……たった一つ、だけ……お前が、こすずの姿に、化けたこと。それを、利用しようとした、こと……こすずの中を、のぞいたこと……その、すべて」

 

 いつもと変わらない無表情。静かで、澄んだ声。

 だけど、その言葉には、いつもはない“熱”がこもっていた。

 それは、いつもの冷ややかな恋ちゃんとは違っているけれど。

 いつもの恋ちゃん以上に冷徹で、少し、怖かった。

 

 

 

「闇医者風情が……私の“ともだち”を――穢すな」

 

 

 

 刹那。

 光の熱線が、残ったお医者さんのシールドをすべて、焼き払った。

 

「《アルカディアスD》……Tブレイク」

(ぐっ、《クロック》《戒王の封》……!)

「だから……無理」

 

 砕かれた二枚のシールドから、S・トリガーは出たっぽいけど……それも、無意味だ。

 お医者さんの意思で顕現しようとしたクリーチャーも、呪文も、《ミラダンテ》と《アルカディアスD》によって封殺される。

 すべてのシールドがなくなり、お医者さんを守るものは、完全に失われた。

 同時に、お医者さんの口を塞ぐ鎖と、腕を、脚を、身体を縛り付ける鎖が、解き放たれる。

 

「ん、これで解放、した……約束、守ったから……じゃあ」

 

 そして恋ちゃんは、お医者さんに背を向けた。

 

 

 

「……さようなら。死ね」

 

 

 

グサリ

 

 

 

 光の時計針が、縛鎖から解放されたお医者さんの胸を貫く。

 それで、すべてが終わった。

 最後に、恋ちゃんが一言、終わりを告げることで――

 

 

 

「《時の革命 ミラダンテ》で……ダイレクトアタック――」

 

 

 

 ――時が、再び流れ始めた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「…………」

 

 その様子に、呆気にとられてしまった。

 わたしの知らない恋ちゃんの姿。恋ちゃんの一面。あるいは、内面……?

 物静かで、ちょっと口は悪いけど……それでも、心優しい恋ちゃんの、残酷さ。

 いや、これも恋ちゃんの優しさ、なんだろうけど。

 その優しさは、同時に苛烈で、過激で、凄惨でもあった。

 そんな恋ちゃんは、ちょっとだけ怖くて、わたしは口を開くこともできず、呆けてしまっていた。

 

「……終わった……こすず、これ」

「あ、うん……」

 

 恋ちゃんが、注射器みたいなものを渡してくれる。

 これが、鳥さんの毒を治せる解毒剤……!

 

「ごめん……時間、かかった……」

「誤らないで。恋ちゃんがいなかったら、これを手に言入れることもできなかったんだし……」

「そうですよ! 恋さんのお手柄です!」

「……手遅れだったり、これで、騙されてたら……責任、取って……腹、切る……」

「そんなことより、あそこで野垂れ死んでる鳥類に薬を」

「そ、そうだね。鳥さん!」

 

 急いでぐったりしている鳥さんに駆け寄って、恋ちゃんが手に入れてくれた注射器を取る。

 えっと、これを刺して、注射すればいいのかな?

 注射は動脈に刺すものらしけど……鳥さんの動脈なんてわからないし、適当に、首の辺りとかに刺せばいいかな?

 

「鳥さん……えいっ!」

 

 ブスリと注射針を刺して、一思いに、一気にピストンを押し込む。

 ビクンッ! と一瞬だけ、大きく鳥さんの身体が跳ねた。

 そしてしばらく、ピクピクと痙攣したように身体を震わせて……

 

「う……」

「鳥さん! よかったぁ、無事で……」

「あまり、無事ではない気もするけどね……酷く身体が重いんだが……いや、でも、そうか。思い出した。随分と迷惑をかけてしまったみたいだね。ごめん」

「本当だよ、もう……」

 

 でも、鳥さんが無事で、本当によかったよ。

 

「――成程。それはよさそうですね、手軽ですし。じゃあ今夜あたり試してみます。はい。ありがとうございます。じゃあ、また」

 

 後ろで、ピッ、と電子音が聞こえる。

 見ればみのりちゃんが、携帯をポケットに仕舞っていた。

 

「で、実子はなにを話してたんだ?」

「今日の晩飯について。安くて簡単なレシピを教えてくれた」

「主婦かよ……」

「剣埼先輩に繋いだまま携帯放り投げたの日向さんじゃん。マジで相手する時ビビったんだからね。なんか凄い不振がられたというか、不安がられたというか」

「……まあ、みのりこ、だし……いいかなって」

「どういう意味? 日向さんまで私のことそんな扱いなの? 酷いなー」

「でもでも! これでイッケンラクチャク! ですね!」

 

 そうだ。さっきのクリーチャーが、事件の犯人なら、これで全部、解決したんだ。

 鳥さんのことばかり考えてて、すっかり忘れてた。

 

「でも、これ朧さんになんて言おう……」

「犯人を倒して解決したところで、流石にクリーチャーの仕業でした、なんて言えるはずもないしな。黙っていればいいんじゃないか? 犯人が見つからない以上、世間的には不安の種が残るが、そこは仕方ない。尻尾が掴めなくなれば、いずれ向こうも諦めるだろう」

「なんだか悪い気がするなぁ」

 

 まあでも、これで事件が解決したのなら、それでいいのかな。

 わたしたちだけが事件の真相を知っているというのも、隠し事してるみたいで、後ろめたいけれども……

 

「なにを言ってるんだ、君たちは。まだ終わってないよ」

「え?」

「まだこっちに流れたクリーチャーはわんさかいる。あの闇医者だけが事件を引き起こしているわけじゃないんだよ」

「あ、そっちか。そうだね、うん」

 

 そう言えば、鳥さんがしばらく来ない間に、この町にはクリーチャーがたくさん居着いたって言ってたね。

 ってことは、また今までみたいな生活の始まりかぁ……

 ……そうだ。

 

「ねぇ、鳥さん」

「なんだい、小鈴」

「ちょっと、提案があるんだけど――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――『ヤングオイスターズ』、進捗はどうだ?」

「全然だぜ、帽子屋のダンナ。それらしいものはちらほら見つかるが、ダミーっつーか、的外れっつーか、勘違いっつーか……まあ、ハズレばっかだ」

「そうか」

「そもそも、ワタシはこーゆーの苦手なんだよ。アンタもそれは知ってんだろ」

「無論だ。しかし、貴様は、“貴様だけではないだろう”?」

「……ウチの弟妹(ガキ)を、危険に晒せるかってんだ」

「別に貴様の弟妹を死地に送り込もうなどとは考えていない。ただ、貴様の弟やら妹やらは、その手の作業が専門ではないのか?」

次男(四番目)か。まあ、ワタシもあいつの集積したデータを元に動いてるわけだが……あいつは収集と整理は得意でも、それ以上のことは突出してるわけじゃねーからなぁ。探偵の真似事ってんなら長男(二番目)の方が適任なんだが……」

「なにか不都合でもあるのか?」

「受験だ。大学受験。すげー頑張ってるし、邪魔はできねぇ」

「受験とな。いつ果てるかもわからぬ老い先短い人生で、なにを学ぶというのか。オレ様にはわからんな」

「……おい、ダンナ。アンタでも言っていいことと悪いことがあるぜ」

「おっと、それはすまない。口が滑った。謝罪しよう」

「……まあ、ワタシたちは、アンタらに従ってなきゃ生きられねぇからな。アンタとは、できるだけ良好な関係でいたい。さっきの発言は水に流してやる」

「ありがたい限りだ」

「アンタの言われた通り、これからも捜査は続ける。ワタシたち弟妹の力も、できる限りフル稼働させて力は尽くす……が、保身は優先させてもらうぜ」

「あぁ、それで構わない。貴様らが欠けてしまっても、困るからな」

「……ダンナ。聞きたいことがあるんだが、いいか?」

「なんだ?」

「アンタ、なんでこんな事件を追っかけてんだ? 前は「寄生した宿主の異常を放置もできんだろう」とか戯言を抜かしてたが……ワタシには、アンタの本心が見えねぇ」

「本心か。だが、貴様に言ったことは嘘ではない」

「じゃあ、あの言葉は真なのか?」

「さてな。まあ、案ずるな。貴様にはいずれ、すべてを話す。貴様は城塞(ルーク)だ、盤上の砦となる」

「……そんでも、今はまだ、話せないっていうのか?」

「そうするべき時ではない、とだけ言っておく」

「ちっ。アンタはいつもそうだ。同胞だなんだと嘯きながら、アンタに縋るしかない連中を、そうやって惑わせる。やっぱアンタはイカレ帽子屋(マッドハッター)だよ」

「褒め言葉として受け取っておこう。しかし、重ねて言う、案ずるな、と」

「…………」

「オレ様はいつだって、我々の繁栄を目指しているさ。貴様らを足切るつもりなどない」

「なら、いいがな……じゃあ、ワタシはもう行く」

「あぁ、少し待て」

「なんだよ」

「貴様、マジカル・ベルと接触したな」

「ん? あぁ、そうだな。“ワタシも”あいつと会ったぜ。バンダースナッチのおもりに夢中で、言い忘れてたぜ」

「それを踏まえ、貴様の行動に一つ、装飾を施してやろう。恐らくは、事件の真相へと踏み込めるであろうよ」

「……なんだ?」

「なに、簡単なことだ。たった一つの、非常に簡単な条件だ――」




 恋の存在というか、立場というか、ってちょっと特殊で難しいから、扱いづらいのですよね……彼女の掘り下げや描写には気を遣います。彼女、たまに変なこと言ってるかもしれませんが、まあ今はスルーしてもいいでしょう。
 次回も『幼児連続殺傷事件』編(仮)が続きます。しばらくこのノリが続きます。最後までお付き合いください。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、遠慮なくどうぞ。


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33話「呪いです」

 中国の伝承やら神話やらなんて、学校で習うわけでもないにのに、なぜかみんな知っているみたいな風潮ありますよね。蠱毒とか、四神とか。
 ……という話がツイッターで流れてましたね。日本のサブカルチャー文化の影響力をひしひしと感じます。
 作者は、四神はデジモンとベイブレードで、蠱毒はシーキューブで知りました。


 おはようございます、伊勢小鈴です。

 朝、です。暑苦しさはなくなって、ちょっとの肌寒さが布団のぬくもりを求める、秋の日の朝。

 わたしは寝ぼけ眼を擦りながら起き上って、立ち上がって――机の上の木箱に、ちょっとだけ視線を向けた。

 一応、確認してみるけど……うん、まだいいかな。

 ちゃんと起こすのは、ご飯を食べてからにしよう。わたしはそのまま、階下へと向かう。

 リビングまで降りる。食卓には、お母さんとお姉ちゃんが座ってました。

 

「あら小鈴。おはよう」

「おはよーさん」

「お姉ちゃん、お母さん。おはよう」

 

 お母さん、今日は起きて朝ご飯作ってくれたんだ……最近は、お仕事あんまり忙しくないのかな?

 食器棚から自分のお椀を出して、炊飯器からお米をよそう。台所にはお味噌汁もあったから、そっちもお玉ですくう。おかずはもう食卓に出てたから、わたしが準備するのはここまででいい。

 ……本当は朝もパンが食べたいのだけれど、お姉ちゃんとお父さんが「朝はご飯」って譲らないから、わたしはそれに逆らえません……別にいいんだけど…… 

 よそった朝食をわたしの席にまで持っていって、昨日の晩ご飯の残りの肉じゃがに箸をつける。

 もぐもぐ……ずずず……

 いつものように、静かで、なんの変化もない朝。寝起きで少しぼぅっとしてるから、頭もあんまり動いてないし、テレビのニュースも流し聞いているだけ。

 そんな時、ふと、お母さんがわたしに言葉を投げかける。

 

「そういや小鈴」

「なぁに、お母さん」

「前に、鈴なくしたって言ってたよね」

 

 ドキリとする。一瞬で目が覚めた。

 わたしの髪を結んでいた二つの鈴。お姉ちゃんとお揃いで、お母さんから貰った大切なものだったんだけど、わたしは今、それが一つしかない。

 本当はスキンブルくんにあげたんだけど、まさか先輩の猫にあげたなんて、どう説明したらいいのか分からなくて、なくしたと嘘をついちゃいました。

 

「……ごめんなさい」

「別に気にしなくていいんだけどさ。私だって原稿のデータどっか行っちゃって、編集さんに死ぬほど怒られたことあるしねー。ははは」

「母さん、それ笑い事じゃないから」

 

 ジトッとした梅雨の日の空みたいな目をお母さんを睨むお姉ちゃん。

 お母さんは「そうだね。あれは死ぬほど謝って三日後に書き上げて許してもらったっけ」なんて、急に真面目なトーンに戻る。

 かと思えば、またいつもの飄々とした調子で言った。

 

「そんなことより小鈴。あの鈴、失くしちゃったんなら、また作る?」

「え? 作る?」

「うん、作る」

「あれってそんなに簡単に作れるの?」

「作れるよ、材料さえあれば」

 

 あっさりと言うお母さん。

 わたしは、“材料”という言葉が、ちょっと引っかかった。

 

「材料って?」

「だから、その鈴の材料だよ。ちょっと近々、実家に戻る用ができたもんで。そのついでに、家のあまりものをちょちょいとくすねて作ろうかと。二つないとなにかと不便だったりするでしょ」

「くすねてって、そんな泥棒みたいな……っていうか、別に二つなくても、便利も不便もないでしょ?」

「そう? 片方なくしてから、なんか変なことに巻き込まれてない?」

「そ、そんなこと……ないよ?」

 

 あの鈴をスキンブルくんにあげたのは、夏休みの終わり。

 その後と言えば、蟲のお姉さんお兄さんたちがわたしたちの学校に赴任したり、ウサギさんや夫人のお姉さんが来たり、朧さんや狭霧さんと連続殺傷事件や動物惨殺事件を追ったり……

 ……正直、色々巻き込まれてます……

 

「いや、母さん。小鈴があの誘拐事件以上にヤバい事件に巻き込まれるなんてないでしょ」

「あー、それもそうか」

「あ、あはは……」

 

 どうだろう。

 いつかのロリコンさんの誘拐事件。あれも大事だったけど、意外とあっさり解決しちゃったからなぁ……

 

「でも、あの鈴とわたしに、なんの関係があるの?」

「関係があるっていうか、なんていうか……なんて説明したらいいかなぁ?」

 

 うーん、うーんとしばらく唸って言葉を探すお母さん。執筆に悩んでいる時と同じ動きをしている。

 やがてお母さんは、面倒くさくなったように、溜息をついた。

 

「いいたとえ話とか、気の利いたギャグとか、ウィットに富んだ話とか思いつかないから、率直に言うよ」

「そんな前置きいらないから、最初から率直に言ってよ……」

 

 なんでそんな、話をするだけで変に盛り上げようとするのよ、お母さん……

 

「うん。あれってね、魔除けの鈴なのよ」

「魔除け? あぁ、そういえば、お守りだって言ってたね」

「そうだけど、そうじゃなくて。あれはマジの神気っていうか、神様のご加護? みたいなスピリチュアルなパワーが込められてるんだって」

「えー……?」

 

 お母さん、流石にそれはオカルトじゃない……?

 昔ならともかく、わたしだって、それなりに思慮分別のついてるんだから。もうおまじないを信じる歳じゃないよ?

 

「信じてないなー? お母さん、小鈴のために一生懸命祈ったのになー」

「祈った?」

「そう、祈った。祈祷ってやつ?」

「お母さん、なにやってたの?」

「家業の一環?」

「家業?」

 

 そういえば、さっき実家がどうこうって……

 あれ? そういえばわたし、お母さんの実家のこと、なにも知らない……お父さんの両親――おじいちゃんや、おばあちゃん――は知ってるけど、お母さんの両親については、全然知らないや。

 わたしが疑問符を浮かべながら呆けていると、お姉ちゃんが非難がましい視線をお母さんに向けた。

 

「母さん、小鈴にまだ話してなかったの?」

「そうっぽい。うっかり忘れてたわー。わはは」

「笑い事じゃないでしょ。まあ、母さんの実家についてはともかく、私らの出生については、私もあんまり信じてないんだけど」

「酷いなぁ。小鈴ほどじゃないにせよ、五十鈴だって悪い流れがあったんだよ?」

「はいはい。身に覚えがありませんよっと。不幸とか、邪気とか、オカルトすぎるわ」

「五十鈴はそういうとこ、本当お父さんに似たよねぇ。ま、私はお父さんのそういうとこに惚れたんだけどさ。血筋も家柄も関係ねぇ! ってとこが」

「……ねぇ、二人とも、なんの話をしてるの?」

 

 出生? 邪気? 血筋?

 二人がなにを言っているのか、さっぱりわからない。

 

「じゃあ、いい機会だし、かるーく話すか」

「軽くなの?」

「別にそんな重い話じゃないし。五十鈴も小鈴も、私が死ぬ思いで生んだ子だってことに変わりはないからね。生まれた後に……生まれる時に? あるいは生まれる前に? まあどうでもいいけど、ちょっとあったってだけ」

「どうでもいいの……?」

 

 全然話が見えなくて不安になるけど、とりあえずわたしは、黙ってお母さんの話を聞くことにした。

 

「五十鈴も小鈴も、生まれた時から悪い気が凄くてね。悪霊に羅刹、魑魅魍魎。不幸も不運もうじゃうじゃ寄ってくるような身体だったんだよ」

「悪い気って、なに?」

「説明が難しいな。要するに、悪いことが起こりやすい体質っていうか、性質? もしくはアンラッキーみたいなものかな」

「…………」

「流石に小鈴でもこうなるわよね。母さん、いくらなんでもオカルトすぎるんだもの」

「本当なのになぁ。酷いよ娘たち」

 

 って、言われても……

 生きていれば、ちょっと運が悪かったことなんていくらでもあるし……なんていうか、あまりにも実感から遠すぎる。

 って、お母さんに言うと、

 

「そりゃそうだって。その悪い気を封じるために、お母さん頑張ったんだから」

「頑張ったって、なにを?」

「鈴を作るのを」

 

 鈴って、わたしたちが貰った鈴だよね?

 さっき魔除けだとかなんとかって言ってたけど……そんなことあるのかなぁ?

 

「五十鈴も同じ顔してたけど、小鈴も信じてないなぁ?」

「いや、だって、わたしだっておまじないとかは小学校で卒業したし……」

「そういう子供騙しの(まじな)いじゃなくて、わりとガチな(のろ)いだよ」

「呪いなんてそんな……」

「いやいや、マジなんだって。丑の刻参り程度の呪術なら、余裕で反射して逆に相手を呪い殺すくらいの魔除け力あるから」

「呪い殺す!?」

「母さん、適当言わないの」

「ごめん。呪い殺すは流石に言い過ぎたけど、世に知れ渡っている大抵の呪術なら、打ち消せるよ」

「そんなゲームのアイテムみたいな……」

 

 っていうか、魔除け力って……

 なんだろう、早朝から変な話になってきたよ……吹こうとか、邪気とか呪いとか……

 

「邪気ってのは、大人になってからはともかく、幼いうちは及ぼす悪影響が大きいからね。可愛い娘が若いうちから死んじゃうなんて母さん悲しいし、二人を厄から守る必要ために、母さんは実家の小道具をパクって魔除けの鈴を作ったんよ。それが二人にあげた、お守りの鈴」

「母さん、いくら実家のものだからって、勝手に使うのはよくないわよ」

「うん、後から母さん――母さんの母さんだから、二人のお婆ちゃんね――にめっちゃ怒られた。事情を話したら、まあ、それなりに譲歩してくれたけど」

「……お母さんの実家って、一体なんなの? 陰陽師?」

 

 邪気とか、呪いとか、厄とか、そんなオカルトじみた単語がポンポン飛び出て来る。

 わたしたちの鈴が魔除けの鈴だったとして、それを作ったって。神社とかお寺とかで貰ったというならまだしも、魔除けのアイテムが手作りだなんて。

 加えて、なんでお母さんは、わたしたちに悪い気があるのがわかるんだとか、それを防ぐためのお守りを作れるんだとか、色々と疑問が湧いた。

 

「陰陽師……まあ、ちょっと近いかな。今のサブカルチャー的には、もっとポピュラーで俗っぽいけど。あるいは萌えっぽい。いや、萌えってもう死語だけども」

「?」

「伊勢って、母さんの実家の名字なんだけどね。なんかピンと来ない?」

「……えっ? まさか……え? そういうこと?」

「うん。そういうこと。まあ本家じゃなくて、分家筋に近いんだけどね」

 

 そっか、お母さんの実家って、そういう……ちょっと納得したかも。

 オカルトな話は、まだちょっと半信半疑だけど。

 

「つまり、私たちも少し母さんたちの気が変わっていたら、今頃、緋色の袴を着て、竹箒で地面を掃いていたりしたのかもしれないわね」

「そっかぁ……袴は、ちょっと着てみたかも」

「うちに帰れば着れるけど、小鈴たちにはあんまり会わせたくないなぁ。特に五十鈴」

「なんでよ」

「喧嘩しそうだから。気の強さは母さんの母さんと似てるんだけど、反りは絶対に合わないと思うんだよねー」

「……そんなの、今ここじゃ判断できないでしょ」

「喧嘩してからじゃ遅いんだけどね。まあそんなに着てみたいなら、帰った時にまたパクってくれば……」

「母さん!」

 

 お姉ちゃんが声を荒げて、お母さんを諌める。

 いくら実家のものとは言っても、勝手に持っていくということに対して、お姉ちゃんは許せないみたい。

 

「……やんないよ。五十鈴がそんな怒るんなら」

「怒らなくてもやらないでよ」

「悪かった悪かった。で、なんの話だっけ?」

「……小鈴がなくした鈴の話じゃなかったっけ?」

「そうそう、それそれ。それでどうする? 新しく作る? 一つと言わず、三つでも四つでも作るけど」

「そんなにいらないよ……」

 

 三つも四つもあっても、つけるところないし……

 お母さんの言うことを信じるなら、わたしはこの先も、不幸なことが待ち構えているかもしれない。悪いことが起こったり、災厄に見舞われるかもしれない。

 でも、お母さんが新しく鈴を作ってくれれば、その悪い出来事も回避できるかもしれない、っていうことだと思う。

 邪気とか魔除けとかは、正直あんまりピンと来ないけど……でも、お母さんの気持ちは、すごく嬉しい。

 また新しく、あの鈴を作ってくれるというのなら、それは喜ぶべきことなんだろうけれど……

 

「……うぅん。大丈夫」

 

 わたしは、その申し出を断った。

 

「いいの? 悪霊とかに襲われてない?」

「悪霊には襲われたことないかな……たぶん」

 

 クリーチャーとなら、何度も戦ったけど。

 その中に悪霊みたいなクリーチャーもいたかもしれないけど。

 お母さんが新しく鈴を作ってくれるのは嬉しいけど、今は、一つでもいい。

 そうじゃないと、わたしがスキンブルくんに鈴を託した意味が、なくなっちゃうような気がしたから。

 

「ふーん……ま、小鈴がそう言うなら、いいけど」

「そもそも、邪気とか悪霊とか、オカルト極まりないしね」

「皆してそんなこと言ってー、悪霊を舐めちゃいかんよ? 母さんはね、悪霊に憑りつかれた父さんがお祓いに来た時に知り合ったんだから」

「それは悪霊の怖さとは関係ないよね……」

「父さんの命の危機を救った点は評価して欲しい。まあ、祓ったの母さんじゃなくて、母さんの母さんだけど」

「なんで母さんが自慢げなのよ」

「えへへ」

「えへへじゃないわよ。いい年してその笑い方はないわ」

「若々しくて巷の紳士には人気の笑い方なんだけどなぁ。まあ、母さんは仕事柄、家に引きこもってるんだけど」

「またそんな適当なことばっかり言って……!」

「ご、ごちそうさま」

 

 お母さんとお姉ちゃんがちょっと剣呑な空気になる中、わたしは食べ終わった食器をもって席を立った。

 うーん……お母さんの言うことを疑うわけじゃないけど、やっぱりちょっと、実感が湧かないというか、なんというか……

 食器を流しに置いて、戸棚から買い置きのパンをいくつか抱えて、部屋に引き返そうとすると、じっとりとしたお姉ちゃんの視線が、わたしに突き刺さる。

 

「小鈴、またそんなにパン持っていって……」

「あぅ……」

「ちなみに先月の食費は、小鈴の昼飯代だけ4割くらい増えてたりする」

「ご、ごめんなさい……」

「まあいいんじゃない? 育ちざかりってことで」

「育ってるとこがおかしいのよねぇ。私でも中一であそこまではなかったわよ。今でも負けてるし……それに、それを差し引いても食べ過ぎって気もするけど」

「わたし、もう行くからっ」

 

 これ以上あんまりつっつかれたくなくて、逃げるように部屋へと戻る。

 確かに食べる量は増えたかもしれないけど……今は、ちょっと事情があるんだよ。

 部屋に入って、まっさきに目につく勉強机。その上に置かれた木箱。小学校の頃、図工の時間で作ったオルゴールだ。

 わたしは、その蓋を開いた。

 

 

 

「――鳥さん」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 中でうずくまる、白い毛の塊。毛は毛でも、羽毛だけれど。

 一度の呼びかけではなにも反応がなかったので、もう一度、声をかける。

 

「鳥さん、起きて?」

「ん……? 朝か……」

 

 もぞもぞと、彼は動いて、グッと小さな翼を伸ばす。

 そして、こちらを向いて、一声。

 

「おはよう、小鈴」

「うん。おはよう、鳥さん。朝ごはん持って来たよ」

「ありがとう、小鈴。恩に着るよ」

 

 塩パンを差し出すと、それをくちばしでついばむようにして食べ始める鳥さん。

 ……そいうわけで、昨日から鳥さんを飼うことになりました。

 昨日で連続殺傷事件の犯人らしいクリーチャーは退治したけども、今この町にはクリーチャーがたくさんいるみたいだし、いざって時に鳥さんが近くにいないと困ることも多かった。

 だからわたしは、寝床と、朝と昼の食事のパンを分けることを条件に、鳥さんをうちで飼うという契約を交わしたのです……なんだか、わたしが損をしているだけな気もするけど。

 家族に隠れて生き物を飼うのは、少し抵抗があったけど……まあ、鳥さんだし。いいよね。

 わたしは塩パンをつっつく鳥さんに尋ねる。

 

「鳥さん。クリーチャーの方はどう?」

「どうって言われてもな……それらしい気配は、薄々ながらも色々察知してるけど、明確にどこにいるかまではわからないな」

「そっかぁ」

「そもそも、僕は索敵とか、そういうちまちましたのは苦手だからね……あぁ、でも」

「なに?」

「なにか強い気配が遠くから近づいているっぽい。昨夜、散歩がてら外を飛んでたら、ヤバそうな気配があった」

「夜中にそんなことしてたんだ……っていうか、鳥なのに散歩って……」

 

 飛んでいても散歩っていうの?

 夜間飛行……危なそう。

 

「それは、クリーチャーなの?」

「たぶんね。如何せん、この家から遠かったし、闇に紛れられてしまったから、君を呼ぶこともできなかったんだけど」

「そうなんだ……そのクリーチャーとも、いつか戦わなきゃいけないのかな……」

「かもね。それから……嫌な気が渦巻いてるね」

「気? 邪気っていうやつ?」

「邪気? あぁ、そういう表現もできるかもしれないね。気配とか、存在感っていうよりもしっくりくる」

 

 思わずお母さんと同じ言葉を出しちゃったけど、鳥さんはなぜか満足げに頷いている。

 わたしにはお母さんの言う悪い気っていうのはよくわからなかったけど、鳥さんにはわかるのかな……?

 

「邪気か、いい言葉だ。この感覚的な気を表現するのに最適だな」

「あの、どういうことか、ちょっとわかりにくいんだけど……」

「僕らは言葉で語るものではないからね。フィーリングで察してくれ」

「無茶言わないでよ……」

 

 ただでさえ、鳥さんはわたしたちとちょっと常識がずれてるのに、感覚まで合わせろなんて無理な話だ。

 なんて思ってると、階下から声が聞こえてくる。

 

「小鈴ー! 早くしないと遅刻するわよー!」

「っ!」

「今の声は?」

「お姉ちゃんだ……わかったー! 今行くー!」

「私、先に出てるからねー!」

「はーい! いってらっしゃーい!」

 

 お姉ちゃんい言われて、時計を見る。今日は朝からお母さんと変な話してたから、いつもよりも遅い。

 遅刻ギリギリ、というほどでもないけど、少し急いだ方がいいかも。

 

「鳥さん、早く食べて食べてっ」

「もぐもぐ……そんなこと言われても、口が小さいから、こんなに大きな食べ物、すぐに食べきれないよ」

「……今度からは、もっと小さなパンを買ってきた方がいいかな」

 

 結局、鳥さんの食べるスピードが遅かったこともあって、わたしは今日、遅刻ギリギリで教室に滑り込む羽目になったのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ずっと思っていたんだけど」

 

 昼休み。

 みんなといつものようにお昼ご飯を食べていたら、不意に、霜ちゃんがわたしの方を向いて、そう切り出した。

 

「もぐもぐ……どうしたの? 霜ちゃん?」

「単刀直入に聞くよ。君の身体はどうなってるんだ?」

「ええっ?」

「なに? セクハラ? 水早君でも本気で殴るよ?」

「君じゃあるまい、そういうつもりじゃない。純粋な疑問だ」

 

 霜ちゃんのことだから、そうなんだろうけど、いきなりどうしたんだろう?

 

「思考中に、不意に湧き上がった疑問だよ。体型についてもそうなんだけど、春に初めて君と出会ってから、君の身体は随分と人間離れしているような気がして」

「確かに、こんなちっこでっかい中学生いないよねー」

「ちょっとみのりちゃん、やめてよ……わ、わたしは、その……ちょっと、食べ物が溜まりやすいだけだから……」

「一部分に……」

「うらやましーです……」

 

 いつもの無表情な眼差しが怖い恋ちゃんと、子供みたいな純真無垢な目が辛いユーちゃん。

 二人とも、わたしなんかよりもずっと顔立ちも髪も綺麗だし、そんなに気にしなくてもいいと思うんだけど……

 

「君らは羨望という視点なんだろうが、ボクとしては悩みの種だけどね」

「なんで小鈴ちゃんのスタイルが水早君の悩みなのさ」

「小鈴に似合う服を探してるんだけど、なかなかいいサイズが見つからなくてね。こういうのがよさそう、っていうイメージはあるんだが」

「それで?」

「だからいっそ、自分でも作ろうかと思うんだ」

「作るの!?」

「うん」

 

 服を作るって……お母さんといい、霜ちゃんといい、なんでみんな、こうもクリエイティブなの?

 

「霜さん、お洋服を作れるんですか?」

「まだ勉強中だから、すぐにとはいかないけど、いずれはね。その時になったら採寸もしたいんだけど、君が成長を続けると、どのタイミングで測ればいいのかわからない」

「確かに、小鈴ちゃんの成長スピードは驚異的だもんね。胸囲なだけに」

「どこ見て言ってるの、みのりちゃん」

「あと別に上手くないからな。むしろ下品だ」

「でも実際、この半年くらいでどんくらいおっきくなってることやら」

「どのくらいって……」

 

 思い出してみる。およそ半年前。制服の採寸に行ったり、お姉ちゃんと一緒に服を買いに行ったりした時のことを。

 …………

 

「……三つくらい?」

「元から大きかったのに、普通に凄いよね」

 

 茶化すわけでもなく、みのりちゃんにしては珍しく、ただただ純粋に驚いたように言った。

 あまり意識していないようにしなかったけど……確かに、そう、なのかな?

 お姉ちゃんもわりと早くにおっきくなったって言ってたから、正直、感覚がよくわからないのだけれど……

 

「とまあ、これはボクの個人的な事情だけど。それに加えて、君への心配もある」

「心配?」

「上手く言葉にできないんだけど、なんだか君が変わっていってしまっているような気がして……その兆候というか、変化みたいなのは、なんとなく察しているんだ」

「そうなの?」

 

 わたしはまったく気にしたことなかったけど。

 ……ごめんなさい、ずっと気にしてます。気にしてるからこそ、意識しないようにしているけど。

 でも、わたしが思っているよりも、霜ちゃんは深刻そうにわたしを見つめていた。

 

「霜ちゃん……?」

「いや……なんでもない、大丈夫」

「?」

「それよりも、君は本当に変わったと思うんだ。たとえば、食事量、春と比べてかなり増えただろ」

「そ、そんなことは……」

 

 ない、と言おうとして、今朝お母さんに言われたことを思い出す。

 先月のわたしの昼食代が、四割も増えたということを。

 お母さんにそう断言されてしまった以上は、否定できなかった。

 

「……あるかも」

「だから大きくなるわけだしね」

「鬱陶しいからいちいち茶々を入れるな。まあ、年齢を考えたら、食べないよりも食べる方が健康的だし、そうあることがおかしいとも思わない。非難したいわけでもない。だけど、君の食べる量は、ちょっと度を越してないか?」

「そうかなぁ?」

「一応言っておくけど、一般的な女子中学生は、昼休みにパンの袋を五つも六つも開けないからね」

 

 ベリッ、とフランスパンの包装を破くのとほぼ同時に、霜ちゃんはそう言った。

 私の机には、五つほど食べ終えたパンの包装があるけど……まあ、わたしも、普通の人よりもちょっとだけ食べる量が多いのかもしれないけど、そんなにかな?

 

「数は多いけど、ほら、そんなに大きなパンじゃないし」

「小鈴ちゃん、フランスパンは小さくないよ」

「個包装の食べ物っていうのは、一つあたり一人分の一食の量って大まかな目安が決まってるものだ。多少の物足りなさはあるだろうけど、二つ三つくらいならまだしも、その数は異常だよ」

「……流石に、否定、できない……」

「ユーちゃんも、そんなに食べられないです……」

「そのツケ、いずれ絶対に払うことになるからな。覚悟しときなよ」

「き、肝に銘じておきます……」

 

 みのりちゃんに言うような、いつもよりも少し強い語調で釘を刺されました。

 って言われても、お腹は減るし、食べたいって気持ちもあって、なかなかやめられないんだけど……節制しなきゃいけないのかなぁ。

 

「まあ、そっちはボクの私的な疑問だから、割合どうでもいいのだけれど」

「のわりには引っ張ったねぇ」

「うるさいよ」

 

 ……さっきまでの、個人的なことだったんだ。

 しかも、どうでもいいって……心配してくれたわけじゃなかったの……?

 いや、霜ちゃんのことだから、そういうわけでもないんだろうけど。

 これから話すことの方が、もっと大事だということなんだと思う

 霜ちゃんは一呼吸置いてから、切り出した。

 

「例の都市伝説の件、まだ終わってないよね?」

 

 わたしたちの空気が、ちょっとだけ変わる。

 ほんの少しだけ、冷ややかなものに。

 

「都市伝説って……あの、犬とか猫が、殺されちゃってるっていう……」

「そう、それだ」

 

 今この町では、子供が次々と襲われるという事件が起こっている。いや、起こっていた。

 わたしたちはその事件の犯人がクリーチャーだと目星を付けて、事件を追っていく中、つい先日、その犯人と思われるクリーチャーを倒したんだ。

 だけど、この町で起こっている異変は、子供が襲われていることだけじゃない。

 

「連続殺傷事件の方は、あの闇医者が主犯だったとしても、ボクらが知る限りの情報じゃ、あのクリーチャーが犬猫にまで手を出す理由がないように思えるんだ」

 

 ハッキリとした理由は語らなかったけど、あのお医者さんは、人の血を使って、他人に化けられるという能力を持っていた。だから、色んな人を傷つけていた。

 それがすべての目的ではないだろうけど、殺傷事件を引き起こす理由の一端にはなると思う。けどそれは逆に、人を相手にしかしていない、ということ。

 動物相手に殺傷事件を起こす動機にはならない。

 

「もしかしたら動物にもなれたのかもしれないけど、どうもそんな感じでもなかったんだよな。もっと色々と聞き出すべきだった」

「……ごめん」

「恋さんは悪くないですよっ」

「そうだよ。わたしたちじゃどうにもならなかったクリーチャーを倒して、事件を解決してくれたんだから」

 

 恋ちゃんが機転を利かせてくれなきゃ、鳥さんも危なかったし、事件も解決できなかったかもしれない。

 昨日、事件が解決できたのは、恋ちゃんのお陰なんだから、恋ちゃんはなにも悪くない。

 

「ボクも情報不足については、誰かに責任を追及するつもりはない。ただ、こっちの事件も解決したとは言い切れないから、まだボクらも気は抜けない、という話だ」

「やっぱり、そっちの犯人もクリーチャー……なんでしょうか?」

「殺傷事件がそうだった以上、これも、そう考えるのが妥当だとは思う。むしろこっちの方が奇怪な事件だし、クリーチャー絡みっぽい気がするけどね」

 

 確かに、クリーチャーはわたしたちにはない力を持っているし、想像できないようなことをすることだってある。

 後で、鳥さんにもう一度聞いてみよう。

 だけどその前に。

 

「……それで……どう、するの……?」

「! ユーちゃんわかっちゃいました! 今日も行くんですね!」

「とりあえずそうするよねぇ。じゃないと、手を組んだ意味がないわけだし」

「言うまでもないな。満場一致なら、放課後にでも行こうと思うけど」

 

 霜ちゃんの意に異論を唱える人は出なかった。勿論、わたしも。

 ということで、わたしたちは放課後――朧さんの下へと、向かうことになった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 若垣朧(わかがきおぼろ)さん。二年生で、学年的にはわたしたちよりも一つ上の、新聞部に所属している先輩。

 この人も、幼児連続殺傷事件や、動物惨殺事件について追っているみたいで、そんな共通項を持つ中でわたしたちは出会った。

 ……というより、向こうからわたしたちに協力を申し出て、わたしたちも同じように事件の真相が知りたかったから、お手伝いするってことになったんだけどね。

 朧さんは新聞部というだけあって、情報収集能力がすごい。色んな意味で。

 必要な情報も、不必要な情報も、なんでもかんでも大量に掻き集めてくる。どう考えてもいらないだろう情報もあるけど、普通だったら絶対に知り得ないような情報も手に入れてしまう手腕は、純粋にすごいと思う。

 事件について知るために、解決の糸口を探るために、わたしたちはまた、朧さんが根城とする空き教室へと足を踏み入れた――だけど。

 

「お兄ちゃーん、見て見てー。ゲジゲジー」

「うわぁ!? ちょっと狭霧(さぎり)ちゃんやめて! そいつこっちに持ってこないであっち行ってー!?」

 

 教室に入ってみると、お箸でなにかぐねぐねと蠢くものを掴んで朧さんに近づける狭霧さんと、尻餅をついてみっともなく床を這いまわる朧さんがいた。

 …………

 

「……なに、してるんですか……?」

「あ、伊勢さん! ちょっと助けて! 狭霧ちゃんが! 狭霧ちゃんが!」

 

 朧さんはに必死に床を這って、狭霧さんから逃げている。

 そして、そんな朧さんを笑いながら追いかけているのは、狭霧さん――若垣狭霧さん。朧さんの妹さんだ。

 狭霧さんはお箸でなにか掴んでるけど……あの、節のある体と、ぞわぞわと蠢く大量の足は、もしかして……ムカデ?

 え? 狭霧さん、なにやってるの?

 

「狭霧ちゃんやめて! それほんとダメだから! オレほんと虫ダメだから!」

「えー、お兄ちゃんが部屋に虫が入ったから退治してー、なんてメールするから来てあげたのにー」

「確かにそうお願いしたけど! 自分じゃ手出しできないから狭霧ちゃんにお願いしたってことを分かって欲しいな! うん、だからこっちに近づけないでこっち来ないで!」

 

 よくわからないけど……どうやら、朧さんは虫が苦手みたいです。

 わたしも、ムカデとかハチとかは苦手かな……後は、部屋を這いまわる黒いアレとか。

 

「情けないなぁ。これはダサいですよ、先輩」

「オレにだって苦手なものの一つや二つくらいはあるよ!」

「お兄ちゃん、開き直り方がまたダサいよね」

「わかったから! もうダサくてもなんでもいいから、その虫とっとと窓の外に放り出してよ!」

「メロンソーダ。二箱」

「二……箱!? 箱で要求するの!? 流石にそれはあんまりじゃない!?」

「ゲジゲジー」

「うわぁ!? わかった、わかったから! もう二箱でも三箱でもいいから、それこっちに持ってこないで!?」

「やった。じゃあ四箱」

「ハァ!? ふざけんな! 流石にそれは調子乗りすぎ……ってわかった! ごめん、オレが悪かった! 五箱でもなんでも買うから、もう勘弁して!」

「よし、六箱で契約成立。やったね」

 

 と言って、狭霧さんは満足げな顔で、ムカデ……じゃなくてゲジゲジ? と窓の外に放り投げた。

 

「……契約というより、脅迫とか恫喝だったような気がするけど」

「うぅ、オレの財布が……ただでさえ、この前の接待費ですっからかんなのに……こんなの、借金しなきゃいけなくなるじゃんかぁ……」

「先輩ザコすぎテラワロス」

 

 わりと本気で涙を流しているように見える朧さん。流石に、ちょっと可哀そうかも……

 朧さんは涙を拭うと、やや落ち込んだ表情ながらも、いつもの調子でわたしたちに向き直る。

 

「ただでさえ最近は虫が増えてるし、噛まれたって人も多いってのに、冗談じゃないよ……」

「あ、あのー……」

「おっと、そうだった。えぇっと、いらっしゃい、かな。今日はどうしたの? って、聞くまでもないかもしれないけど」

 

 さっきまでの醜態が嘘のように、朧さんはいつもの調子を取り戻した。切り替えがとても早いです。

 

「事件について聞きたいんですが……今日は、殺傷事件の方じゃなくて、都市伝説の方についてです」

「あぁ、動物惨殺事件ね。ちょうどオレも、そっちについて調べてたところなんだ」

 

 そう言って朧さんは、机の上に積み重なっていた何冊かの本を引っ張り出した。

 

「これは?」

「図書室から借りて来たものと、オカルト研究会からの借り物だね」

「オカルト?」

「そう。ちょっと別にアプローチから、探ってみようと思ってね」

 

 朧さんが言うには、動物惨殺事件の犯行動機は、幼児連続殺傷事件の動機よりも、推理しづらいらしい。

 というのも、人間が人間を相手にする感情、人が人を傷つけようとする目的、子供を狙う理由、そういったもの前例も少なくなく、それゆえに心理学的にも研究されており、統計的、論理的な解答を得やすいとのこと。

 けれど、動物を殺して回るという事件については、前例も少なく、データが少ないらしい。

 

「だから、不承不承ながらも、オカルトに手を出すことになってしまったのさ」

「なにを言ってるのかよくわかりません」

「動物を殺し続けるという行為は、ただの怨恨や憂さ晴らしではなく、より狂気的で、猟奇的で、人としてあるべき論理的思考から遠く離れたところにある、ということだよ」

 

 やっぱりなにを言ってるのかわからない。

 けれど朧さん曰く、この手の事件は、そういう「よくわからない」ものであるらしい。

 

「狂人の考えなんて、常人にはわからないものさ。それは一種の信仰のようなもの。重度の酩酊によって引き起こされる幻覚症状は、医学的には知覚の疾患だが、閉鎖的な部族においては神や精霊といった高位の存在に近づくための手段でもある」

「メーデー……? もう過ぎてますよ?」

「酩酊だよ。酒を飲みすぎて酔い潰れることだ」

「そもそもお酒というのは、神様と繋がる手段だからね。ヤマタノオロチの伝説や、神社にお酒を奉納したり、お屠蘇を飲む文化なんかも、そういった性質がある。酔うと普段は見えないものが見えて、普段は感じないものを感じて、普段は意識しないことを意識するようになるわけで、そんな平時とは違う感覚を、大昔の人――より正確に言えば、医学という学問的知見のないコミュニティにおいては、神や精霊との交信の手段として――」

「……話、長い……酒の話、なんて……してない……」

「おっと、ごめんごめん。だいぶ脱線してしまったね」

「結局、先輩はなにが言いたかったんですかぁ?」

「動物惨殺事件については、オカルト的な知見に基づいて行われていて、なおかつ犯人は、重度の錯乱状態――常識的、良識的な思想や思考が欠落していると思われる、ってことだよ」

 

 えーっと……つまり、犯人はオカルトを本当に信じていて、それを実践しようとしている、ってことなのかな?

 

「オレの考えとしては、概ねそんな感じだね。獣の命、あるいは血肉。これらは古来より、黒魔術に用いられてきたものだし、この異常な殺戮は、ちょっとやそっとの怒りとか不満とかではないと思うんだ」

「でも、動物は殺されてても、死体は残っているんですよね?」

「そこまではなんとも言えないとこあるな。死体は確かに残っている。けれど、“臓器”まで残っているかは、わからない」

「……っ!」

 

 臓器って……そんな……

 

「魔術ってのは、そういうものだよ。人の心臓を捧げることだってあったんだ、動物の心臓だってあり得る。毛皮、骨、血液……なにを使うかなんてわからないよ。なにせ、オカルトだからね。殺すことそのものに意味があったのかもしれないし」

「けど先輩、それじゃあなにもわかんないんじゃないんですか? そんなこと言い出したら、オカルトってだけでなんでもアリですけど?」

「まあね。だから、どんな魔術、呪術的な儀式があるのかを、色んな文献とかネットの情報を漁って探っているところなんだよ」

「また暇そうなことを……」

「そんなわけで、その件に関しては、オレの調べた資料については教えられるけど、これといった情報は提供できないんだ。ごめんね」

「役立たず……」

「あ、そこらにある本は借り物だから貸せないけど、どうしても読みたいなら、オレの方から掛け合ってみるよ。参考になりそうなサイトとかも教えられるけど」

「いや、結構です」

 

 霜ちゃんが即座に断った。

 うん……まあ、たぶん読んでもよくわからないもんね……

 わたしたちは、事件の犯人がクリーチャーだという前提で動いているから、鳥さんに聞いた方がいいかもしれない。

 朧さんから話を聞くのは、このくらいで潮時かな、って思った時だった。

 部屋の中で、小さな悲鳴が響く。

 

「わっ、痛っ!」

「狭霧ちゃん!?」

 

 それは、狭霧さんのものだった。

 彼女は尻餅をついていて、目尻に涙を浮かべている。

 これはただ事じゃないと思って、みんなで駆け寄る。

 そして、朧さんが心配そうに、けれど冷静に、彼女に呼びかけた。

 

「狭霧ちゃん! どうしたの?」

「お、お兄……ちゃん……うぐ、ぐす……」

「大丈夫だから。なにがあったか、話してみて」

 

 あの狭霧さんが泣いているだなんて、そうあることじゃないと思う。現に、朧さんもすごく驚いているし。

 もしかしてクリーチャーの仕業……? だとしたら、すぐに鳥さんにも話して、退治しないと。

 いやでも、その前に狭霧さんから、なにがあったのかをちゃんと聞かないとダメだよね。

 そうして、狭霧さんは、涙声で、話してくれた。

 なにが、起こったのかを。

 

「ゲジゲジで遊んでたら……噛まれた……」

「馬鹿なのかな?」

 

 一気に脱力した。

 いや、その、それでも大事と言えば大事なんだけど……なんて言うか……自業自得というか……

 

「……まだ……いる……」

 

 ボソッと恋ちゃんが呟く。視線を落とすと、床にはまだ、さっきのゲジゲジ? ムカデ? が這っていた。

 狭霧さんが投げ捨てたように見えて、まだ捨ててなかったのか。それとも、窓の外には縁(へり)があるから、そこを伝って戻って来たのか。

 どちらにしても、ムカデは毒があるかもしれないし、気を付けないと――

 

「――――」

 

 ――ブチッ

 

 小さく、潰れるような音が聞こえた気がした。

 いや、気がした、なんてことはない。

 実際に、さっきのムカデが、潰されていた。

 硬い節の身体は砕かれ、壊れ、長い胴は真っ二つに断ち切られて、千切られ、すり潰されている。

 それだけでは飽き足らず、形が残った頭の方も、もう片方の半身も、同じように踏み潰され、床に擦りつけられるように、身体をすり潰された。

 そしてそれをやったのは――朧さん、だった。

 

「お、朧さん……?」

「……ん。なに?」

「いえ、その……それ……」

「あ……あぁ、つい、ね」

 

 どこか冷たい目で、朧さんはムカデを踏み潰して、グリグリとすり潰していた。

 蚊を叩くような気軽さではない。どこか憎悪と怒りを滲ませて、殺すだけではなく、存在そのものを消し去るかのように、捻じり切って、すり潰す。

 その姿は、今まで見た朗らかでひょうきんな朧さんとはまったく違っていて、少しだけ、怖かった。

 だけど同時に、そんな朧さんは、なにも偽らず、装わず、その行動は素の、本心からの行為のように思えた。

 

「虫、苦手なんじゃないんですか……?」

「……いやすっごい苦手だよ。あー、つい勢いでやっちゃったけど、床も靴も汚しちゃったよ。やだなぁ」

 

 朧さんはまた、おどけたように、なにかを貼り付けたような表情で言った。

 ……さっきまでの朧さん、一体、なんだったんだろう……?

 

「お兄ちゃん……痛い……」

「はいはい、もう、狭霧ちゃんは仕方ないなぁ。ごめんね、ちょっと狭霧ちゃんを保健室まで連れて行って来るよ。掃除とかは全部オレがやっとくけど……今日は、この辺で切り上げさせてもらってもいいかい?」

「あ、はい。わたしたちも、もう行きますので……」

 

 なんだか変な気分だ。

 朧さんの怖い面を見たような気がする。だけど同時に、朧さんのなにかが見えたような気もする。

 矛盾していそうでしていない。ただ、噛み合っていないように見えるだけで、噛み合わせる要素はどこかにある。

 だけど、色んなことを知っている朧さんは、自分のことを教えてはくれないし、わたしたちがそれを知るすべもない。

 そんな、おぼろげでもやもやしたまま、わたしたちは、朧さんたちと別れたのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 朧さんたちと別れてから、学校を出たわたしたち。

 一度、人気のないところに向かってから、わたしは鞄の中から、例の元オルゴールの木箱を取り出して、蓋を開いた。

 

「話には聞いていたけど、本当にその鳥類、飼い始めたんだ……」

「小鈴ちゃんと同じ屋根の下で暮らしてるとか、この鳥肉、うらやま……妬ましい……!」

「まったく言い直せてないからな」

 

 鳥さんは木箱から、太陽の光を求めるように、にゅっと首を伸ばす。

 ずっと暗い所に押し込めてしまっていたのは悪い気もするけど……でも、仕方ないよね?

 と言い訳しながら、わたしは鳥さんに問う。

 

「鳥さん、クリーチャーは?」

「んー……わからないな」

「使えな……」

「気配がわかるっていっても、場所までは近づかなきゃわかんないよ。あるいは、相応の力を放出するくらい動きがないと」

「いくら言い訳しても、使えない鳥肉なのは変わんないからね?」

 

 そこまで言うことはないと思うけど、でも、鳥さんじゃないとクリーチャーの存在は感知できない。

 その鳥さんからの情報がないんじゃ、わたしたちにはどうしようもない。

 困っちゃったな……なにかもっと、手掛かりがあればいいんだけど……

 

「これから、どーするんですか?」

「どうすると言ってもな。なにも事件がない、なにも指標がないんじゃ、動きようがない」

「今日はもう帰るしかなくねー? ってことだね」

 

 うーん、そうなちゃう、のかな?

 なんだかもやもやするけど、霜ちゃんの言う通り、どこにクリーチャーがいるのかわからない、なにをしているのかわからないんじゃ、わたしたちにできることはなにもない。

 今日はもう朧さんも頼れないし、どうすることもできないのかな……

 それっきり、わたしたちは言葉もなく、ただ帰路を歩くだけだった。

 クリーチャーについて知っているのは、わたしたちだけ。そうでなくても、この事件を追い掛けているのは、わたしたちと朧さんくらいなものだと思う。

 朧さんは確かにすごい情報収集能力を持ってるけど、わたしたちとは違う観点でものを見ている。それは、時としては広い視野でものを見れるけど、わたしたちは自分たちの情報を打ち明かしきれなくて、より深くを見つめる手助けにはならない。

 なんだか、心苦しいし、もやもやする。なにかがつっかえたような、息苦しさにも似た感覚だ。

 なにか、進展が欲しい。少しでも手掛かりになるなにかが欲しい。

 ないものねだりのようなものだ。ただのワガママにも等しい。

 それでも、そう思いながら、わたしは歩を進めていた。

 なにかないのかな、と。

 ほんの少しでもいい。次に繋がるような異変がないかと。

 そんな、時だった。

 

「あれ? あの人……」

 

 病院――というより、小さなクリニックから、見覚えのある、若い風貌の女の人が出て来る。

 それを見て、わたしは思わず、その人のことを、口に出してしまった。

 

「……アヤハさん?」

「げ、マジカル・ベルと愉快なパーティーメンバー……」

「おねーさんだー」

「っ、なっちゃん……」

 

 病院から出て来たのは、『ヤングオイスターズ』のお姉さん――アヤハさん。

 そして、まるで子連れのように一緒に出て来たのは、なっちゃんこと、『バンダースナッチ』ちゃん。

 昨日に続いて、今日も出会うなんて、奇遇というか、なんというか……

 

「……病院から出て来たよね、今」

「も、もしかして、病気(クランクハイト)ですか……?」

「クラ……なんだって?」

 

 ガリガリと頭を掻くアヤハさん。

 病院から出て来たってことは、つまりはそういうことなんだろうけど、なにがあったんだろう。

 

「なにかあったんですか?」

「あー……いやなんだ、虫に噛まれたっつーか」

「虫?」

「ガキにはよくあることだろ、公園で遊んでて、蜂の巣つっついて痛い目見る、みたいなこと」

「ないですけど」

「概ねそんな感じだ。強いて言うなら、こちらに過失はなくて、理不尽な事故だった、ということだが」

「……よく、わかんない……」

「つまり、蜂に刺されたの?」

「いんや、ムカデだ。こいつがな」

「いたかったー」

 

 そう言ってアヤハさんは、なっちゃんを指し示す。

 なっちゃんの足首あたりには、よく見れば包帯が巻かれていた。

 ムカデに噛まれて、念のために病院まで来た、ってことなのかな?

 ……この人たちでも、病院って行くんだ……身体の構造とか、人と同じなの……?

 

「けれど、またムカデか」

「また?」

「いいや、なんでもない。こっちに話だよ」

「はぁん。まあ、またって言いたいのはこっちなんだがな」

「?」

「なんでもねーよ」

 

 ムカデと言えば、狭霧さんもムカデに噛まれてたっけ……あれは自業自得だったけど。

 朧さんも虫が増えてるとかって言ってたっけ。

 あっちでもこっちでもムカデ、ムカデ。流石に、偶然かな……?

 

「……しかし、あれだな」

「はい?」

「秋ってのは虫が多い季節だ……な!」

「わっ!?」

 

 ダンッ! と、アヤハさんの足が地面を踏みならす。しかも、わたしの足元目がけて。

 い、いきなりどうしたの……っ!?

 

「びっくり。アヤハ、どーしたの?」

「……ムカデ」

「え?」

 

 恋ちゃんがボソッと呟く。

 視線を落とす。見れば、わたし足元近くに、潰れたムカデが転がっていた。

 当然、これはアヤハさんが潰したムカデだ。

 

「わ、わたしを噛もうとしてた、の……?」

「知るか。だが、放っておいても気分悪ぃし、私怨もある。とりあえずムカつくからぶっ潰しただけで、アンタのためじゃねーかんな」

「えっと、は、はい……ありがとう、ございます……」

「だからアンタのためじゃねーって。なんでもいいけどよ」

 

 よくわかんないけど、アヤハさんはわたしに近づいていたムカデを潰してくれたんだよね。

 それ自体はありがたいんだけど、そこまでしなくてもいいと思うんだけど……

 なんて思っていると、鞄がガタガタと揺れ、もぞもぞと動いた。

 

「小鈴!」

「と、鳥さん! 勝手に出て来ちゃダメだって……!」

「そいつが噂の聖獣か。思ってたよりもちっこいのな」

 

 鞄から鳥さんが顔を出す。

 誰が見ているかもわからないのに、勝手に出ちゃダメだって言ったのに……もう。

 けど、鳥さんはなにも、意味もなく出て来たわけではなかった。

 鳥さんが顔を出したのは、それが必要だという、それだけの理由があったからだ。

 鳥さんは、アヤハさんが踏み潰したムカデを指して、言った。

 

「その虫から、微弱だがマナを感じる」

「えっ?」

 

 このムカデから、マナが……?

 つまり、このムカデはクリーチャー……?

 

「いや、その虫自体はクリーチャーじゃない。この世界の生き物だ」

「えっと、つまり、どういうこと?」

「クリーチャーが操っている、と考えるのが自然だろうけど。なんにせよ、なんらかの干渉を受けているようだよ」

「ムカデねぇ……なんかもう、読めちゃったんだけど、私」

「同じく……」

「流石に露骨だね」

 

 みのりちゃん、恋ちゃん、霜ちゃんの三人は、成程といった風に頷いている。え? どういうこと?

 三人はもう、どんなクリーチャーなのかわかったの?

 

「わかりやすすぎるんだよねぇ。どうせ《阿修羅ムカデ》とかでしょ」

「前に、バトった……しろみが……別個体……?」

「でも、この世界の虫なんかを操って、どうするつもりなのかね?」

「憶測だけど、このムカデは先兵か偵察で、本体が身を潜めながら行動するための手先なんじゃないか? 操ることそれそのものは目的ではない気がするんだ」

「流石にそこまでは確かなことは言えないけど、その可能性は大いにあるね」

 

 えーっと……つまり。

 朧さんが言っていた、最近は虫が増えているというのは、実はクリーチャーの仕業だったってこと、なのかな?

 な、なんかすごく地味なことしてるね……

 

「クリーチャーの目的はわからないけれど、異常に増えた虫たち……もしかしたら、動物の惨殺事件と関係があるかもしれないね」

「え? どうして? 虫と動物だよ?」

「呪術や魔術っていうのは、動物を使うものが少なくない。犬神とか、使い魔とかはその一種だしね。だから、生き物であるという共通項でも、無関係とも言いきれないんじゃないか?」

「ちょっと強引じゃない?」

「そうだろうか。獣の血を用いる黒魔術なんて、メジャーだと思うけれど」

「黒魔術にメジャーとか、意味わかんないんだけど」

「一部の界隈での話だよ。今さっき考えた仮説だけど」

 

 そういうオカルトな本なら、お母さんが資料として持ってて、わたしもちょっとだけ読んだことあるけど……動物を使って儀式を行う、みたいなことは載っていた気がする。

 そう考えたら、まったく関連性がないとも言いきれない……のかもしれないね。

 

「この虫の大量発生に関係しているクリーチャーは、なんらかの魔術的なもので、この現象を引き起こした。そのために、獣の死骸とか血とかが必要で、そのために大量の犬や猫を殺していた……とか」

「うーん……わからなくもない、のかな?」

「おい、さっきから聞いてれば、わけわからん話ばっかだな。ワタシら無視すんなよ。アンタら、なに話してんだ?」

 

 と、そこで、アヤハさんが話に割り込んできた。

 そうだった。鳥さんが出て来てうっかり忘れちゃってたよ。

 それに、アヤハさんはわたしたちのことを全部知ってるわけじゃない。話についていけないのも当然だ。

 

「えっと……実は……」」

 

 だから、わたしは、たどたどしくも、全部話した。

 わたしたちもアヤハさんと同じで、今この町で起きている事件を追っていること。子供を狙った事件の犯人はクリーチャーで、昨日のうちに倒したこと。

 そして今は、動物惨殺事件について追っていること。この事件もまた、クリーチャーが関係しているかもしれないこと。

 すべてを話した。

 するとアヤハさんは、驚いたような表情を見せる。

 

「おいマジかよ。ワタシ、ダンナの指令もうクリアしたようなもんじゃねーか。自給削ってまで捜査してたのはなんだってんだ」

「無駄足ご苦労さんでーす」

「……まあ、終わってんならいいけどよ。でも、まだ脅威が失せたわけじゃ、ないってんだろ?」

「はい……たぶん」

「はぁん。そうかよ、成程なぁ」

 

 うんうんと、アヤハさんは、なにか一人で頷いている。

 そして、鞄から顔を覗かせている鳥さんに視線を向けた。

 

「本来なら、聖獣とやらをふんじばってとっ捕まえるべきなんかもしれねーが……悪いなダンナ。今回ばかりは、ちぃっと私情を優先させてもらうぜ」

「私情?」

「……(ワタシ)もな、やられてんだよ。ムカデに」

 

 どこか、神妙な面持ちで、アヤハさんは言った。

 

「何度も言うが、『ヤングオイスターズ』は群にして個、個にして群だ。ワタシの痛みは弟妹の痛み、弟妹の痛みはワタシの痛み。そして、弟妹(ワタシたち)の悲しみは、『ヤングオイスターズ(ワタシたち)』の怒りだ。弟も妹も、皆『ヤングオイスターズ(ワタシ)』であることに変わりはない。ワタシは、弟妹(ワタシ)にケンカ売られて黙ってられるほど温厚じゃないんでな」

「えっと、それって、どういう……」

「つまりだ」

 

 アヤハさんは、今度はわたしを見遣る。にぃっと歯を剥きだして。

 だけど、まっすぐに、そして、真摯な目で。

 彼女は、手を差し出した。

 

 

 

「手ぇ貸してやる、マジカル・ベル。共同戦線張ろうぜ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……本当にいいのか、小鈴」

「怪しくない?」

「うーん、大丈夫、だと思うけど……」

 

 なっちゃんを帰して、アヤハさんと一緒に行動することになったわたしたち。

 わたしたちに協力してくれるのはとても嬉しいんだけど、霜ちゃんやみのりちゃんは、相手が【不思議の国の住人】ということもあって、警戒しているみたい。

 だけど、アヤハさんは弟さんや妹さんのことを思って、わたしたちに協力を申し出ている。

 それは、葉子さんやお兄さん、姉兄のことを思って牙を剥いた先生と、行動は正反対でも、考えは同じ。

 わたしには、アヤハさんはそんなに悪い人には見えないけどな……

 

「おい、マジカル・ベル」

「は、はいっ」

「本当にこっちでいいのか?」

「えーっと、鳥さん、どうなの?」

「たぶん合ってる」

「不安だなぁ」

「……聖獣って、奇跡の体現者だとかなんとか聞いてたんだが、意外と大したことないのか?」

 

 訝しげな視線を向けるアヤハさん。残念ながら、鳥さんはいつもこんな感じです。

 虫にマナが宿っている。つまり、クリーチャーが虫たちを操っていると仮定して、その虫たちを手掛かりに進んでいくっていう方法で、歩を進めるわたしたち。

 正直、こんな方法で大丈夫なのか、不安しかないんだけど……

 

「あそこにもいるね、マナを宿した虫」

クモ(シュピンネ)……です?」

「ムカデ以外の虫もいるんだ」

「ここまでの道中、色々と観察してわかったけど、どうやらこの虫たちは、一点に集まっているようだね」

「一点?」

「ほぼすべての虫が、一ヵ所へと集合するように仕向けられている、ということだ」

「虫けら共がどこかに集められてるってか。奇妙なもんだ」

 

 ただ大量発生しているんじゃなくて、どこかに集まっている?

 たくさんの虫を、一つの場所へ? どうしてそんなことを……

 

「多くの虫を一つの場所に集める、か……まるで蠱毒だな」

「コドク? なんですか?」

「中国発祥の呪術、つまりは呪いだよ。ムカデとかクモとか、大量の毒虫を壺の中に詰め込んで殺し合わせ、最後に残った虫に最も強い呪いの毒が宿る。そして、その毒虫に刺されたら、呪いの毒が全身に回り、必ず死に至る、というやつ」

「なにそれ怖い」

 

 蠱毒なら、お母さんの資料てちょっとだけ読んだことがある。

 確かに、ムカデもクモも、毒を持つことで知られる虫だし、それらを大量に集めるという目的は、蠱毒という呪いを思わせる。

 けど、呪いなんてオカルトだし……いや、でも、クリーチャーならそうでもないのかな?

 

「目的なんざどうでもいい。その過程でこっちに火の粉が飛んでくるってんなら、振り払って消火するまでだ。おい聖獣、この虫けらはどこに向かってんだ?」

「……歩いているうちにマナの流れが大きくなってきたから、ようやく知覚できるようになった。流れというより、これは渦だな」

「渦?」

「あぁ。虫たちを通じて、マナの奔流が渦巻いている。その中心は――あそこだな」

 

 鳥さんは羽ばたいて、ある一点を見据える。

 それは、山だった。

 

(ベルク)……」

「登山……キツ……」

「それよりもあの山、遠くないか? 歩いて行くには辛そうだが」

「チャリで走っても、まあまあかかりそうだねー」

 

 ここからだと、うっすら霞みがかって見える程度には遠い。今すぐに行こうと思って行けるところじゃない。

 一番現実的なのは、電車に乗って行く、ってくらいだけど……

 

「……しゃーねーなぁ。おい、あの山の近くになにがある?」

「え? えーっと……」

「ちょっと待ってくれ。今、電話する」

 

 わたしがたじろいでいると、霜ちゃんが素早く携帯を取り出して、誰かに電話を掛けた。

 誰に電話をかけてるんだろう……?

 

『はいもしもし、若垣です』

「先輩、ちょっと聞きたいことがあります。今、いいですか?」

『あぁ、水早君。いいよ、狭霧ちゃんにメロンソーダ奢らされてるところだから、時間は大丈夫。うん、時間はね……』

「じゃあ遠慮なく」

 

 あ、朧さんか。

 あの山について調べるつもりなんだろうけど、そうか、朧さんならすぐに調べてくれそうだもんね。

 

「――ということですが、どうでしょう」

『あぁ、はいはい。あの変な名前の小山ね。以前は誰かの私有地だったみたいだけど、相続人もないまま所有者が死んじゃったっていう』

「そうなんですか? いや、そんな情報はどうでもいいんですけど」

『その山近辺の地図だっけ? ちょっと待ってね。後でそっちにメールで送るけど、あの辺はかなーり田舎で、本当なにもないからなぁ。駅からも遠いし……あ、でも、お寺があるね』

「お寺、ですか?」

『うん、お寺。えぇっと、名前は……これなんて読むんだ? まあいいや。それも後で送るよ』

「で、お寺がなんだっていうんですか?」

『龍脈、そして龍穴だよ』

「……風水、ですか?」

『お、知ってるのか。なら話は早い。要するにそこらは龍脈が通っている土地で、ちょうどその山は龍穴にあたる。気運の噴き出す、いわゆるパワースポットだ。魔術的な儀式を行うにはうってつけだろうね。そんなオカルトが実在するかはともかく』

「よくもまあ、そんなことがわかりますね」

『調べたからね。ところで、そんなことを聞くってことは、そっちでもなにか進展があったのかな?』

「全部終わったらお話します。それでは」

『え、あ、ちょっと――』

 

 ピッ、と霜ちゃんは、たぶん一方的に通話を切った。

 

「先輩、なんだって?」

「山の近くにはお寺があって、パワースポットになっているってさ。気の流れとかはオカルトすぎてよくわからないけど、仮にそれを是とするのなら、そこにクリーチャーが拠点を作っていてもおかしくはないと思えた」

「寺、か。その寺はなんつーんだ?」

「じきにメールが来ると思う。難しい漢字を使うみたいだけど……あ、来た」

「はぁん。ま、いいか。こっちもちょうどいいタイミングだしよ」

「タイミング?」

 

 アヤハさんは、道路に身を乗り出した。

 そして、片手をぶんぶんと大仰に振る。

 

「ヘイ、タクシー!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「タクシーなんて太っ腹だねぇ!」

「狭い……」

「ここからあの距離だと、結構な値段になると思うんだが……」

「ふん。ま、必要経費ってことにしといてやるさ。それに、ちょうどバイト代が入ったばっかだし、金はある」

「なんだか申し訳ないです……」

 

 小山までの道程。わたしたちには移動手段がなかったけど、アヤハさんがタクシーを拾ってくれた。

 中学生のわたしたちじゃ、タクシー代なんて払えないけど……大人ってすごい。

 しばらくタクシーに揺られて、名前が難しいお寺で下してもらう。

 そこからさらに歩いて、目的地の山に向かうけど……

 

「Schrecklich……」

「これは……」

 

 土を踏み固めただけの地面に、目に見えてわかるほどの大量の虫たちが這っている。

 ムカデが多いように見えるけど、クモとか、アリとか、他にもよくわからないけど、とにかくたくさんの虫がいる。

 

「田舎は虫が多いものだけど、この大行進は異常だな」

「気持ち悪……」

「これは、水早君の言ってた蠱毒ってのも、実は案外、的外れじゃなかったり?」

「ボクの仮説の是非についてはともかく、これは、困ったかもな」

「? どーしてですか?」

「山に至る前の道でこれなんだ。山中にどれだけの虫がいることやら、想像してみなよ」

「あ……」

 

 言われて気付く。

 そうだ。山の中なんて、ただでさえ生き物の――虫の多い場所だ。それに加え、今は虫が集合する場所となっている。

 あの山の中に、どれだけの虫がいるか。正直、想像もしたくない。

 

「だが、足を止めるわけにもいかねーだろ」

「で、でも……」

「肝っ玉の小せぇガキどもめ。ちょっと待ってな」

「アヤハさん……?」

 

 アヤハさんは、近くのコンビニまで走って行ってしまった。というか、こんな田舎にもコンビニってあったんだ。

 しばらくして、アヤハさんは大きなビニール袋を抱えて戻ってきた。

 

「ほらよ。それがあれば、多少はマシになんじゃね?」

 

 そう言って、袋の中身を放り投げる。

 

「これ……レインコート? それと、殺虫剤……?」

「そんなもんでも、ちっとは虫除けになるだろ。必要なら長靴もある。荷物はコインロッカーにでも入れとけ。金は全部ワタシが出してやる」

「わぉ! なんて太っ腹な財布なのかしら!」

「実子が嬉々として気持ち悪い……なんだよ、その口調……」

「あ、ありがとうございます……なにからなにまで……」

「構いやしねーさ。これも必要経費だ。ワタシも、蟲壺の中に生身で突っ込みたくはないしな」

 

 ぶっきらぼうに言って、アヤハさんはレインコートを羽織る。

 ちょっとつっけんどんな感じもするけど、タクシー代に続いて、ここまでしてくれるなんて……

 

「んじゃ、とっとと行くぞ」

「色々買ってくれたのはありがたいけどさ、なーんであんな偉そうなのかね? 仕切りたがり?」

「長女だからだろ」

「というか、こんなの着た、ところで……え、マジで、行くの……?」

「ユーちゃんも怖いです……」

 

 正直、わたしもこんなに虫がたくさんいるところに行きたくはないんだけど……うん、今回ばかりは本当にイヤだ。

 今更だけど、やっぱり嫌だよ! もう見るからに虫だらけだもん!

 

「おいおい、ここまで来てビビってんじゃねーよ……」

「そうだよ小鈴。この先にクリーチャーがいることは確実なんだから」

「そんなこと言われても……」

 

 だって虫、怖いし。

 毒とか持ってたら、困るし……

 

「毒なんて大したものじゃないさ。マナを帯びていたところで、所詮は虫けら。今の君の肌を食い破ることさえできないだろうね」

「え……って、この格好、いつの間に!?」

 

 気付けば、鳥さんによってわたしの姿は、いつもの魔法少女チックなコスプレまがいの衣装に変えられていた。

 

「……ワタシ、アンタのその姿は初めて見たが、やっぱガキの教育によくねーな。胸元開きすぎじゃね? 『三月ウサギ』のクソビッチじゃあるまいに。まず女としてどーかと思うわ」

「そ、そんなこと言われましても!」

「自分がすっとんとんだからって僻みはよくないですよー、お姉さん?」

「うるせー、ガキ。アンタも変わんねーだろうが」

「しかしその格好、肌の面積増えてないか? かえって山を登るのに不向きになった気がするんだけど……」

「その分、肉体強度は増しているから問題ないよ。いくら噛まれようが這われようが、行動に支障はきたさないだろう」

「問題なくないよ!? 肌に触れるってだけでイヤだからね!?」

 

 それに、あんまりにもふりふりしてるから、ちょっと動きづらいし。

 仕方ないから、アヤハさんに貰ったレインコートを羽織ってできるだけ肌は隠すことにしよう……

 ここでずっと駄々をこねていても仕方ない。ここまで来ておいてやっぱり行かないなんて言ったら、アヤハさんにも申し訳ないし……

 だからわたしたちは、物凄く渋りながらだったけど、クリーチャーの拠点があると思われる、大量の虫の巣食う山へと、入山したのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「キモイ! これはマジでキモイ!」

「正に蠱毒の壺の中、か……なんて悍ましい……」

「こすず……先、行って……」

「はわわわわ! こ、小鈴さん! ぽとって! なにかぽとって落ちました!」

「わわっ!? こ、恋ちゃんもユーちゃんも、引っ張らないで押さないでー!?」

 

 阿鼻叫喚。

 わたしの頭の中には、そんな言葉がよぎりました。

 予想的中というか、やっぱりというか。

 山の中は道端以上に虫の巣窟になっていて、なんていうか、その……すごく、気持ち悪いです。

 地面には、絨毯のようにもぞもぞと蠢く虫。そこらの木にも、色んな虫が止まってるし這っている。蚊だかハエだか蜂だかよくわからない虫も飛んでいる。

 虫、虫、虫。どこを見ても虫だらけ。

 流石に叫ばずにはいられないというか、驚きと恐怖が混ざりに混ざって、叫び声として出てしまう。

 

「うるっせぇぞガキども! ちったぁ静かに歩きやがれ!」

 

 だけど、流石にうるさくすぎてしまったようで、アヤハさんに一喝されてしまいました。

 ごめんなさい……

 

「ふにゅぅ……な、なんでアヤハさんは、そんなに平気なんですか?」

「別に平気じゃねーよ。今すぐ麓に向かって走り出したいくらいには気持ち悪ぃし、こんなとこ一秒だっていたくはねぇ」

「な、なら、どうして……?」

「……弟妹(ワタシ)が、待ってんだよ」

「?」

「んなことより、口ばっか動かしてねーで足を動かせ! とっとと登って元凶を叩くぞ! じゃねーと、いつまでもこんな気味悪いとこにいる羽目になるからな!」

 

 怒鳴るアヤハさん。

 ちょっと怖いけど、言ってることはもっともだ。早くこんなところから出たいし、そのためには早く先に進まなくてはならない。

 わかってはいるんだけど、でも、やっぱり尻込みしちゃうというか、足がなかなか前に進まないというか……

 

「むむむ、なーんか、この人に仕切られてるのは納得いかないけど、前に進んでくれるだけ良しとしようか」

「盾にする気満々だな。ボクもだけど」

「こ、小鈴さーん!」

「こすずシールド……」

「ちょっと二人とも! わたしを盾にするのやめて!?」

「こすず、前に出すと……虫から離れていく……ような、気がする……」

「そんなことないからね!?」

 

 わかんないけど。気持ち、虫が避けているように見えなくもないけど。多すぎて分かんないけど!

 でも、香水とかつけてる人だと、虫とか動物が寄って来やすかったり、逆に寄り付かなくなったりするっていうのは、本で読んだことがある。

 まあ、わたし香水なんてつけてないんだけど。

 

「わっ、わわっ!」

 

 恋ちゃんとユーちゃんに押し出されてしまい、アヤハさんと並んで歩くことになってしまった。

 チラッと後ろを振り返ると、みのりちゃんと霜ちゃんは背の高いアヤハさんを、わたしよりも小さい恋ちゃんやユーちゃんはわたしを、それぞれ壁にしていた。

 うぅ、みんな、薄情だよ……わたしだってこんな虫だらけのところを、先陣切って歩くなんてイヤなのに……

 ……だけど

 

「……あん? なんだよマジカル・ベル。こっち見て。ワタシの顔なんて面白くもなんともないぜ。前見ろよ、前」

「は、はい……」

 

 後ろでは相変わらずみんなの悲鳴が響く中、アヤハさんは、文句も言わずに先頭に立って進んでいる。

 アヤハさんだってイヤなはずなのに。そんなことは、微塵も感じさせず、ただ黙々と。

 真摯に。そして真剣に、歩を進め続けている。

 

「あ、あの、アヤハさん」

「あんだよ」

「アヤハさんは、どうして、そんなに頑張れるんですか?」

「……意味わかんね。アンタらに手を貸してることか?」

「それもですし、事件を追い掛けてることも……だって、危険じゃ、ないんですか?」

「あぁ、危険だよ。だが、ワタシが動くのは、危険だからだ」

「?」

「危険を取り除くには、安全な場所から立ち退く必要がある。そもそも、安全を脅かされている以上、安全を取り戻すには、危険を背負う必要がある、っつーこった」

 

 わかるような、わからないようなことを言うアヤハさん。

 えっと、つまり……安心と安全を得るために、アヤハさんは危険を冒してでも、危険を取り除こうとする。

 矛盾しているようでいて、それは真理だ。

 だけど、そうじゃない。

 それはただの、理屈でしかない。

 わたしが聞きたいのは、そういうことじゃなくって……

 

「……なんのため、ですか?」

「は? なんのため、だ?」

「アヤハさんがここまでするのは、わたしたちのためじゃないって言ってましたけど、それじゃあ、誰のため、なんのため、なんですか?」

「……自分のためだよ」

「本当ですか?」

「嘘じゃねぇ。自分(ワタシ)のためだし、弟妹(ワタシ)のためだ」

 

 ぼかすように言うアヤハさん。だけどそれは、誤魔化そうとしているというよりかは、どう表現すればいいのかわからない、と言っているかのようだった。

 

「『ヤングオイスターズ』の性質については、前に話したな。個にして群、群にして個。ワタシは『ヤングオイスターズ』を形成する一人に過ぎず、他十一人の弟妹の断片でしかない。そして、このワタシもワタシだが、他の十一人の弟妹も、『ヤングオイスターズ』というワタシに他ならない。だから、ワタシの弟妹に迫る危険は、即ちワタシの危険。それを排除しようとするのは、おかしいことか?」

「いえ……そういえば、妹さんが、虫に噛まれたって、言ってましたよね」

「おう。(ワタシ)が報告してくれたんだがな。今回の件に関しては、きっかけはそれだ」

「弟妹のために、そこまで……」

「……痛みがな、違うんだよ」

「え?」

 

 ぼそりと、囁くように、アヤハさんは言った。

 胸の手を当てて、嘆くように、それでいて、怒るように、同時に、どこか悟ったように、そして、諦めたように。

 流れ出る大水のように、言葉が噴出する。

 

「十二人は一人であり、一人は十二人であるのがワタシたち『ヤングオイスターズ』。ワタシたちは、個でありながらも群であり、群でありながらも個であるがゆえに、すべてを共有する。一人の受けた痛みは、十二人分の痛み。ワタシたちは気持ちを分け合うことはしないし、できない。それぞれが皆のすべてを受け止め、それが『ヤングオイスターズ』という個として集積される。一人で一人分の痛みを背負うアンタらとは違う、十二倍の痛みを、悲しみを、怒りを、ワタシたちは背負ってんだ。だからこそ、ワタシたちの痛み、悲しみ、怒りは増幅されるし、それだけのことをしてやりたいって思う……それが、アンタにわかるか?」

「…………」

「わかんねーよなぁ。あぁ、ワタシたちの生き様は、誰にもわかんねーさ。『代用ウミガメ』にだって、『眠りネズミ』にだって、『三月ウサギ』にだって、『公爵夫人』様だって、ワタシたちに一番近い虫けらの三姉弟にだって、ましてやイカレた『帽子屋』のダンナにだってな。誰にも、『ヤングオイスターズ(ワタシたち)』のことなんざ、わかりやしねぇ」

 

 わたしは、なにも答えられなかった。

 【不思議の国の住人】は、人間じゃない。けれど、人間のような姿をしているし、わたしたちの社会で生きて、言葉も通じる。

 だから、わたしたちは近しい存在だと、そう、思っていたけども。

 この人は違う。とても近いように思えて、その実、すごく遠い。

 わたしたちとはまったく違う、もっと別のなにかのようだった。

 わたしは、それを否定できないし、理解もできなくて、だから……なにも、言えなかった。

 

「いや、別にいーんだよ、理解されなくてもな。ワタシたちだって理解できてねーとこあるし、ずっと探り探りだしな。ただなぁ、マジカル・ベル」

「な、なんですか?」

「老婆心ながらに、いっこ忠告しといてやる。アンタ、ウミガメとか、虫けら三姉弟とかと触れ合ってなにを思ったのかはわかんねーが、あいつらは【不思議の国の住人】の中でも、とりわけ穏健派だ。しかも、生き方をアンタらに寄せている。その理由は様々だが……まあ、理解できることもあらぁな。だがな、そうでない奴の方が、ずっと多いんだぜ」

「そうでないって……」

「“分かり合えない奴”って意味だよ」

 

 宣告する。アヤハさんは、わたしにその言葉を突きつける。

 相互不理解。お互いに、理解不能な関係。

 人間と、そうでない者との、差異を。

 

「たとえばワタシ、『ヤングオイスターズ』の生態。口で言って理解しても、だからどうする? って話だろ? 一人が十二人? なに言ってんだ、人格障害かよ、ってな」

「それは……」

「たとえば『バンダースナッチ』。アンタなら知ってると思うが、奴は純粋すぎる欲望の塊だ。ワタシにゃ行動原理さえ理解できん。いや、行動目的、か。あいつの目になにが映って、どうしようとしているのか、さっぱりわかんねーし、対話もできねぇ」

「でも……」

「『三月ウサギ』に『公爵夫人』、それから『バタつきパンチョウ』。方向性は違えど、こいつらは見ている世界が違う。思想が違う。場合によっては対話も不可能。何気にヤバいのはチョウの姐御だ。あいつが見ている視点は、圧倒的にワタシたちとは違う。生き物を超越した眼を持っている。それを、どう理解できるっていうんだ?」

「わたし、は……」

「さらに『ジャバウォック』なんて化け物もいる。どっちかっていうと、『バンダースナッチ』に近い類の怪物だが、正体不明の集合体みたいな奴だよ。意志疎通もクソもない。なんの思想も感じない。どんな思惑も通じない。ただそこにいるだけで影響があるのに、こちらからの影響力は皆無と来た。世界が閉ざされたみてーな化け物相手に、分かり合えるわけがねぇ」

「それでも、わ、わたしは……」

「極めつけは――『帽子屋』」

 

 アヤハさんは、言葉を連ねて、重ねていく。

 わたしの望みに、覆い被せるように。

 

「対話も可能だし、なにを言ってるのかは理解できる。なのに、なにをしでかすのかはわかんねぇ。頭と体が別の回路で通じているみてーに、思想と行動がちぐはぐで、なにをどうしたいのかがさっぱりわかんねぇ。言葉も行動も、なにも信用できない。正真正銘の、イカレ帽子屋だ」

「…………」

 

 そして遂に、わたしは、なにも言えなくなってしまった。

 

「分かり合えるとか、自分たちと同じだとか、似ているだとか。ほんの一面だけ見てそう判断するのは、危険だぜ。ワタシたちは、アンタらを真似てるだけだ。根本的には、全然違う生き物なんだよ」

「で、でも……だって……」

「それでも理解したい。仲良くしたい、ってか。まあ、そうすんのは勝手だ。ワタシたちも、人間と円満な関係でいることに不満はない。だがそれは、その方が都合がいいからってだけだ。心の底から、アンタらと通じ合えると思ったことは、ない」

「ぅ……」

「信じるのは勝手だが、それで傷つくのはアンタだぜ、マジカル・ベル」

 

 ひょっとしたらそれは、アヤハさんなりの親切心だったのかもしれない。

 だけど、そんなアヤハさんの言葉は、わたしの胸中に、深く、深く、食い込んだ。

 

「……さて、無駄にダベってる間に、着いちまったかね」

 

 と、アヤハさんはもうわたしのことを見ずに、ただ前だけ見て、小さく呟いた。

 そこは山の、少し開けた場所。頂上というわけではなさそうだったが、木々はなく、見晴らしのいい場所だった。

 ただし、見晴らしがいいからと言って、いい景色、というわけではない。

 だってそこは、わたしたちの目的地。

 わたしたちの目指していた場所ということは、クリーチャーの本拠地であり、つまり、毒虫たちが最も集う、蠱毒の壺の奥底なのだから。

 そこには、おびただしい数の虫たちが、所狭しと蠢いていた。

 そしてその真ん中に、真っ黒なローブをすっぽりと被って、片手に長大な槍を携えた誰かが、仁王立ちをしていた。

 まるで、わたしたちを出迎えるように。

 

 

 

「よくぞ来た、毒の蟲壺へ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「よくぞ来た、毒虫の壺底へ――歓迎は、できんがな」

「おう、お前か。あぶねー虫をぶちまけてんのは」

「撒いてなどいない。我はただ、収集しているだけだ。毒虫をな。その過程で、毒虫共がなにをしているかまでは、知らんがな」

「成程。つまり、やっぱてめーが犯人だってことだな。よーくわかった」

「どう解釈しようと構わん」

 

 黒いローブの人は、悪びれずに言う。

 たぶん、あの人もクリーチャーだと思うけど……なんだか、ぞわぞわする。

 虫に、ではない。あの黒いローブの人だ。あの人は、今までのクリーチャーと、ちょっと違う感じがする。

 昨日のお医者さんよりも、危険な感じがするっていうか……

 

「……やっぱりこれ、蠱毒の術なんじゃないか? ほら、あの壺」

 

 霜ちゃんが指差す。その先には、わたしの身の丈くらいはありそうな、物凄く大きなツボが置いてあった。

 そして、地を這う虫も、空を飛ぶ虫も、みんな、あの壺に吸い込まれるように入っていく。

 

「左様。我は蠱毒師。この世界の蠱毒の術を会得し、野望を果たす者。しかし、我が呪術はそれだけでは終わらん。数多の毒虫を集め、最凶の毒虫を生成するという発想は素晴らしい。しかして、それは生存の結果ではなく、誕生であるべきだろう」

「なに言ってんのこいつ?」

「毒虫同士を喰わせ、殺させ、生き残った者が最凶である。それが本来の蠱毒なれば、我が蠱毒は最凶の生存者を選別するに非ず。我が蠱毒術は、数多の毒虫を殺し合わせ、死骸を積み重ね――合成する」

 

 合成?

 それって、どういう……?

 

「蠱毒など手段に過ぎん。数多の毒虫は、我が野望のため、必要な毒虫を生み出す餌。蛇蝎の凶蟲を誕生させるための部品でしかない」

「回りくどいね。結局、君はなにがしたいんだ?」

「王の座を得ること。我が力を証明すること。蛇蝎など、そのための通過点だ。我が強大な力を繋ぐための、楔のようなものよ」

 

 言って、黒いローブの蠱毒師さんは、ツボの中に手を突っ込む。

 あの中には、うじゃうじゃと大量の虫がいるはずだけど……と、わたしたちが面食らっていると、蠱毒師さんは、その中から、一掴みほどの虫をすくい上げた。

 

「ふむ。出来損ないの虫が何匹か生まれているな。完全体が生まれるまではあと僅か。しかしその僅かな時を邪魔されるわけにもいかない。故に、不完全体であろうとも、働いてもらおう」

 

 そして蠱毒師さんは、べちゃべちゃっ、と掴んだ虫を地面に落とす。

 それらの虫は、ぐちゅぐじゅと、嫌な音を立てて蠢いて、寄り集まって、そして――

 

「――クリーチャー……!?」

 

 一つの、巨虫の形を成す。

 それが、さらにもう一つ、二つと、増えていく。

 大きなムカデとか、大口を開けたミミズみたいなのとか、見るからに気味の悪いものばかりだ。

 

「小鈴!」

「と、鳥さん……!」

「あの壺から異常なマナを感じるよ。恐らくあれは、集めた虫をマナで掻き混ぜて“新しいクリーチャーを生み出す”装置だ!」

「新しいクリーチャーを生み出すって……そんなこと、できるの?」

「知らないけど、闇文明のマッドサイエンティスト共ならやりかねないね。なにを作り出す気かは知らないけど、かなりヤバそうだ」

「ど、どうすれば……?」

「大元を叩くのが常套だと思うよ。その後で、あの壺をぶっ壊そう。なにが目的かはよくわからないけど、蠱毒とやらで目的のクリーチャーを生み出されたら、たぶん厄介なことになる」

 

 大元っていうと、蠱毒師さんのこと、だよね。

 それを倒すっていうのは、わたしも賛成だけど……途中にいるクリーチャーが邪魔だ。

 いくらなんでも、わたし一人で全員を相手できるわけもないし……

 

「やれやれだな。過去最高に相手したくない輩を相手することになってしまうのか。本物の虫相手よりは、幾分マシだろうけど」

「霜ちゃん……」

「虫の相手とか真面目に嫌だけど、なにもしない役立たずで終わって帰るのもなんだしねぇ」

「憂鬱……けど、まあ、仕方ない……これしか、できないし……」

「みのりちゃんに、恋ちゃんも……」

「ゆ、ユーちゃんもいますよっ!」

「みんな……い、いいの……?」

「そのために、ボクらはいるんだろう? なにを今更」

「……ありがとう」

 

 こんな虫だらけなところまで一緒に来てくれて、戦ってくれる。

 みんなには、感謝することばかりだ。今も、今までも。

 みんながクリーチャーを相手してくれている。今のうちに、わたしは蠱毒師さんを――

 

「数多きはこのためか。しかし、数による圧倒であれば、我が優位。この蟲壺には、幾千をとうに超えた、無限にも近しい毒虫が秘められているのだからな」

 

 蠱毒師さんはまた、壺の中に手を入れて、そこから呪われた虫を、地面に撒き散らす。

 撒かれた虫は互いを求めるように集い、そして、より大きな虫へと変化する。

 そしてその虫は、わたしの前に立ち塞がった。

 

「う……っ」

「我が歩みは誰にも止めさせはせぬ。あと僅かな時で、我が野望は果たされる。それだけの力を得られる。あの、悪鬼羅刹の毒虫が誕生さえすれば……!」

 

 うぅ、あとちょっとなのに……デュエマで戦うところまで持っていければ、どうにかなるのに。

 わたしの前に立ち塞がるこの虫さんをどうにかしないことには、蠱毒師さんのところまでは辿り着けないけど、そこまでの時間をかけてもいられない。

 ど、どうしよう……

 

「何人たりとも我の邪魔はさせん。我が前に立ち塞がるというのなら、魔獣の毒虫を授けてやろう。それさえも拒絶するのなら、我が魔槍を手向けてやろう。もっとも、我が槍の射程にすら入れないようでは、話にならんが。この槍の刺突が届く領域を侵すことができたのならば、我が力を見せることも(やぶさ)かではないのだが――」

「んじゃあワタシが相手するわ」

「っ!?」

 

 え?

 アヤハさん……い、いつの間に……?

 全然気づかなかった。まったく知らない間に、アヤハさんは、蠱毒師さんの正面に立っていた。

 

「貴様、いつの間に……!」

「気配を殺すのは、わりと得意なんだ。ワタシは群れの一個体、十二人の兄弟姉妹の一人。一人一人は個として一人分の存在だが、群れとしては十二人のうちの一かけらでしかない。故に存在感も十二分の十一まで、他の兄弟姉妹に押し付けられる。一人分でもあり、十二人の断片でもありと、まあ矛盾もいいとこだが、ワタシたちってそんなもんだしな。哀れな牡蠣たちに与えられた、なけなしのおまけってとこか」

「訳の分からんことを……!」

「おう、わかんねーだろ? ワタシたちを理解するのは難しいぜ? なにせ、兄弟姉妹(ワタシたち)以外でまともに理解できた奴はいねーし、ワタシたちだって正確に理解できちゃいねーかんな」

 

 挑発するようにデッキケース片手に嗤うアヤハさん。

 蠱毒師さんは、そんなアヤハさんに戸惑っているようだったけど、すぐに意を決したように、槍を構え直した。

 

「珍奇な娘だ……だが、いいだろう。悪鬼羅刹の毒虫の生誕まで間もない。あるいは、貴様を最期の贄とするのも悪くなかろう。我が魔槍に貫かれるか、蟲壺にて毒虫の餌となるか、修羅の蠱毒に飲まれるか――死の選択肢を与えてやろう」

「死なねーよ。ワタシは死ぬわけにはいかねーし、死にたくもないんだ。死ぬほど痛いからな」

「不愉快な戯言を垂れるな、娘」

「不愉快なのはどっちだってんだ。こんなクソ汚ねー虫を湧かせやがって。キモイしあぶねーだろうがよ」

 

 吐き捨てるように言うアヤハさん。

 あっちでも、もう一触即発の空気が張り詰めていた。

 

「ワタシの(ワタシ)に牙を剥いたことを後悔させてやんよ。ワタシは自己中心的だかんな、弟妹(ワタシ)のために、我が身に向けられる毒牙はへし折るぜ」

「笑止。我が野望を邪魔する者は総て滅する。貴様を貫く毒牙は、容易には折れぬほどに長大なり。折ること叶わず、蠱毒の暴威にひれ伏し朽ちるといい!」

 

 そして遂に、始まってしまった。

 アヤハさんと蠱毒師さん。

 二人の対戦(デュエマ)が――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ワタシのターン、《歩く賄賂(わいろ) コバンザ》を召喚し、ターンエンドだ」

「我がターン。《【問2】 ノロン⤴》を召喚。カードを二枚引き、二枚捨て、ターンを終了する」

 

 

 

ターン3

 

アヤハ

場:《コバンザ》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:28

 

 

蠱毒師

場:《ノロン⤴》×2

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:4

山札:23

 

 

 

 ――わたしの方は、思ったよりも早く決着がついた。あんまり強いクリーチャーじゃなくてよかったよ……

 それよりも、アヤハさんと蠱毒師さんとの対戦だ。

 見た感じ、前みたいなムートピアをメインにしたデッキみたいだけど……あんまりクリーチャーは出ていない。

 一方で蠱毒師さんは墓地を溜めているっぽかった。後半、その墓地を使って、なにか大きなことをしそうな雰囲気だ。

 

「ワタシのターン。2マナで呪文《エターナル・ブレイン》を発動だ。効果で山札の上から二枚を見て、順序を入れ替え、山札の上に戻すぞ」

 

 アヤハさんは、呪文で山札の上を操作したけど……やっていることは、とても地味だ。カードを引くわけでもないし、手札のカードを山札に仕込んだというわけでもない。ただただ、不確定だった山札を、ほんのちょっと弄っただけ、と思ったけど。

 それだけではなかった。

 

「その後、この呪文を手札に戻す」

 

 唱えても手札に戻る呪文……そんなのもあるんだ。

 でも、山札をちょこっと弄る呪文なんて、いくら唱えても、あんまり強くないようにも思える。

 だけどそれも使い方だ。

 アヤハさんは、その強くない呪文を強くするための布石を、既に敷いていた。

 

「ワタシが呪文を唱えた時、ワタシの場の《コバンザ》の能力発動。こいつはワタシが呪文を唱えるたびに、ドローできる。よって一枚ドローだ。さらに2マナで《エターナル・ブレイン》」

 

 呪文に反応してドローする能力……そっか、そういうカードと組み合わせれば、何度も唱えられる効果を使って、マナが尽きない限り、何度でもドローできるんだ。

 ちょっとした山札操作でも、少しだけ欲しいカードを手に入れやすくなるから、ただ操作するよりも強くなる。

 《エターナル・ブレイン》と《コバンザ》、この二枚が組み合わさることで、実質的に、マナが続く限り、山札の上二枚から好きなカードを引ける、というコンボになるんだ。

 

「トップ二枚を操作、《エターナル・ブレイン》を手札に戻し、《コバンザ》の能力でドロー。ターンエンドだな」

「小賢しい真似を。私のターン」

 

 地味だけど、このコンボでアヤハさんは、着実に手札を増やしている。

 これなら、もし手札破壊をされても問題ないだろうし、次にも繋げやすくなるね。

 

「3マナで呪文《ボーンおどり・チャージャー》。山札の上から二枚を墓地へ」

 

 蠱毒師さんは、まだ墓地にカードを送り込んでいく。

 手札を増やすアヤハさんと、墓地を溜める蠱毒師さん。お互い、動きはまだおとなしくて、準備をし進めているみたいだった。

 

「墓地へ落ちたのは、《一なる部隊 イワシン》が二体。よって一枚ドローし、一枚破棄。これを二度、繰り返す。ターン終了」

 

 

 

ターン4

 

アヤハ

場:《コバンザ》

盾:5

マナ:4

手札:5

墓地:0

山札:25

 

 

蠱毒師

場:《ノロン⤴》×2

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:8

山札:18

 

 

 

「ワタシのターンか。マナチャージ。んで、3マナで《氷牙フランツⅠ世》を召喚。こいつの能力で、ワタシの呪文のコストは1少なくなる」

 

 呪文のコストを少なくする……ってことは。

 

「1マナで《エターナル・ブレイン》。やることは、まあ、さっきと同じだな」

 

 《エターナル・ブレイン》と《コバンザ》、そこに《フランツ》。この三体が揃うことで、アヤハさんはたった1マナで、手札を増やし続けられる。

 やってることはただのドローだけど、1マナで追加ドローし放題って、これ、実はすごいことなんじゃ……?

 

「あまったもう1マナでさらに《エターナル・ブレイン》だ。トップを操作して、呪文を回収、そしてドロー。ターンエンド」

「成程、地味ながらも強力な相乗効果だ。しかし、その行為は無為、遅きに失している」

「あん?」

「知識の蓄積も良かろう。叡智の集積はより良き糧となろう。しかし、それそのものは手段でしかない。たかだか手段に執着し、本意を違える愚かさを知るがいい」

 

 蠱毒師さんは、アヤハさんを非難するように言って、静かにマナを倒した。

 

「5マナをタップする。双極・詠唱(ツインパクト・キャスト)、《法と契約の秤(モンテスケール・サイン)》」

 

 空中に鈍い金色の秤が浮いて、虚空に白い悪霊のような影が浮かぶ。

 悪霊は署名でもするかのように、謎の文字列を刻み、墓地と場の間に印を結んだ。

 

「呪文の効果により、墓地からコスト7以下のクリーチャーを蘇生。復活せよ、《凶鬼03号 ガシャゴズラ》」

 

 墓地と場との間に交わされた契約によって、墓地から巨大な重機のようなクリーチャーが、地面を割って戦場へと這い上がってきた。

 すごく機械的だけど、その色んなものをつぎはぎしたような姿は異様で、とてもおぞましかった。

 

「そいつが、お前の切り札だって言うのか?」

「否。これは準備に過ぎん。目的を果たすための手段、その部品の一つでしかない。《ガシャゴズラ》の能力で、墓地のコスト3以下のクリーチャーを三体まで復活」

 

 重機のクリーチャーが、巨大なシャベルで墓地を掘り起こす。

 そのからさらに這い出てきたのは、三体の小型クリーチャー。

 

「《ノロン⤴》、蘇生。《ルソー・モンテス》、蘇生。《イワシン》、蘇生」

「わらわら湧いてきやがったが……それがお前の準備とやらか?」

「左様。これなる命は我が願望を果たす糧である。惰弱であれど無為ではない」

「願望、な。で? お前の願望ってなんだよ? 目的だとか手段だとか、ぐちゃぐちゃ御託並べて、結局お前はなにがいたいんだ?」

「我が願望が如何なものかとな。そんなものは決まっている――」

 

 蠱毒師さんは、真っ黒なローブの内側から、ゆっくりと手を伸ばす。

 そしてその手に握られていたのは、大きくて長い、槍だった。

 

「――円卓に座すことだ」

 

 グザリ、と蠱毒師さんは槍を地面に突き刺す。

 

「七人の王は消え、円卓は砕かれた。しかし、あの円卓こそが闇の力の象徴であることに変わりはない。その円卓に座すことこそが、我が力の証明に他ならない」

「……力を示すため、ってか」

「然り。我が力はあの円卓に座すに相応しい。それを今から、証明してみせよう!」

 

 蠱毒師さんは叫ぶ。そして、

 

「《ガシャゴズラ》《ルソー・モンテス》さらに《ノロン⤴》二体をタップし、この呪文を詠唱する!」

 

 蠱毒師さんのクリーチャーが、地面に這いつくばる。まるで、力を吸われているかのように。

 そしてその吸い上げられた力は、虚空に真っ黒な穴を穿つ。

 

 

 

「これこそは、我が座すに相応しい王たちの円卓なり――《七王の円卓(ガウェロット・ラウンド)》」

 

 

 

 四体の闇のクリーチャーの力によって、この場に疑似的に再現されたのは――円卓。

 ただの丸い卓でしかないはずなのに、それは、太陽を飲み込み、破滅へと導くような、そんな予感を想起させるほどに、恐ろしいものであった。

 

「我が力の証明、我が存在の誇示。それを為すが、闇の王が集うこの円卓……ただの一欠片であっても、七王との縁を結ぶに足る代物だ。これはその疑似でしかないが、円卓そのものの再現によって、闇の命を地獄の底から引きずり上げ、呼び起こすくらい、造作もない」

「つまり? 御託がなげぇ、なんだって言いたいんだ?」

「我は力のために、弱き命を集め、より強い命を育んだ。それを、藍色に染まった毒虫の壺から釣り上げるまで。《七王の円卓》よ、我が力の証左たる、戦鬼の如き蠱毒の蟲をここに呼べ!」

 

 その声と共に、円卓が黒い煙を巻き上げる。

 戦場を覆い尽くして、墓地を包み込んで、黒い靄はすべてを闇に染めた。

 そして

 

「《七王の円卓》によって、墓地よりコスト8以下のマフィ・ギャングを蘇生……(まがつ)の毒を得た、呪いの蟲。その暴威でもって、我を最強と証明せよ!」

 

 もぞもぞと、墓地でなにかが蠢いている。

 ぞわぞわと、背筋に嫌な悪寒が走る。

 数多の毒虫を詰め込んだ蠱毒の壺が、ガタガタと揺れる。

 毒虫の命と死骸を喰らって生まれ、闇の円卓に誘われ、蠱毒の壺を破り――這い上がる。

 

 

 

「忌まわしき呪の毒を纏いて生誕せよ――《阿修羅サソリムカデ》!」

 

 

 

 墓地から這い出てきたのは――巨大な虫。

 だけどそれは、先生や、葉子さんや、お兄さんたちの操るような、壮大で雄大な巨虫とは違う。

 嫌悪感を刺激されるというか、一目見ただけでその目を背けたくなるような、おぞましくて、忌まわしくて、恐ろしい。そんな、嫌な虫だった。

 ぐねぐねと蠢く大量の足。そして、凶悪に尖った針のある尻尾。

 サソリの下半身に、ムカデの上半身。そんな、合成魔獣(キメラ)みたいな毒虫が、現れた。

 

「《阿修羅サソリムカデ》の能力により、山札の上から二枚を墓地へ。その後、墓地からマフィ・ギャング二体を蘇生」

「また墓地から出て来るのかよ……」

「無論だ。蘇生の術。それこそが、我が存在理由。我が力の証明は、生命の冒涜であり、汚濁にある。蠱毒の力を用いて、ようやく、我が悲願は果たされる。我は、王の円卓へと至ることができる!」

 

 巨虫が墓地を掘り返す。数多の足で、鋭い尾で、地を貫き、穴を空け、そこに眠る命を引き上げる。

 死者の蘇生が、本人の望むものなのか。それは、わたしたちにはわからないけれど。

 彼だけは、少なくとも、この蘇生を待ち望んでいた。

 ずっとずっと、最初から。墓地で眠り続けている間もずっと、待ち焦がれ、待ち望んでいた。

 それがいま――蘇る。

 

 

 

「七王の円卓に座すは我なり――《ショーペン・ハウアー》!」

 

 

 

 ローブを脱ぎ捨て、蠱毒師さんは、遂にその姿を現した。

 騎士のような兜、鎧のような法衣。そしてなによりも、片手に携えた長大な(ランス)

 威風堂々とした、それでいてどこか陰りを感じる佇まいで、そのクリーチャーは、蠱毒師の忌み名を捨て去り、戦場へと降り立った。

 

「はぁん、どう来るかと思ったが、そう出んのかよ」

『驚嘆したか? 我が身は《七王の円卓》では顕現できんが、《阿修羅サソリムカデ》の力によって、かの毒虫を、この身を戦場へと繋ぎとめる楔としたのだ。蠱毒の術の型を借りたのは、この阿修羅の蛇蝎を呼び起こすため。そしてこの魔蟲によって、我が身は現世に繋がれる! さぁ、タップ状態の《ノロン⤴》二体の上に重ねて、二体の我をNEO進化。これで私のターンは終了するが……まだ、終焉には至らん』

 

 《法と契約の秤》一枚から、延々と続く墓地復活。

 だけどまだ、蠱毒師さんは、手を止めない。

 

『《サソリムカデ》の能力により、ターンの終わりに我がクリーチャー二体を破壊する。よって私は、《サソリムカデ》と《ガシャゴズラ》を破壊』

 

 サソリなのかムカデなのかはよくわからないけど、巨虫が黒い重機を、バキバキと粉砕して、喰らってしまう。

 同時に、自分の身も、爆散した。

 

『次に《ショーペン・ハウアー》の能力発動。ターン終了時に自身がタップしていれば、墓地からコスト8以下のクリーチャーを蘇生』

「コスト8以下……条件はさっきとほぼ同じだが、つーことは……」

『左様。蠱毒は蘇る――《阿修羅サソリムカデ》!』

 

 またしても、巨虫が現れた。

 死んだはずなのに、その死がなかったことのように、何事もなかったかのように、巨虫は墓地から戦場へと舞い戻ってきた。

 だけど、本当になかったことになったわけじゃない。

 確かにこの虫は、一度死んでいる。そして、その上で、蘇ったんだ。

 だから、

 

『再び山札の上から二枚を破棄。その後、墓地の《ショーペン・ハウアー》と《阿修羅ムカデ》を蘇生!』

「三体目……」

『二体目の《ショーペン・ハウアー》の能力により、《ガシャゴズラ》を蘇生! 《ノロン⤴》《ルソー・モンテス》《イワシン》を復活!』

 

 まるで虫のように、次から次へとクリーチャーが湧き上がってくる。

 大きいのから、小さいのまで。有象無象の闇のクリーチャーたちが、バトルゾーンへと集まってきた。

 まるで、覇を競いあうかのように。

 蠱毒の壺の中のように。

 

『最後だ。《阿修羅ムカデ》の能力で、貴様の《コバンザ》のパワーを低下し、破壊。知識の充足を堰き止めさせてもらおうか』

 

 墓地からの復活は、もうなくなった。最後に巨大なムカデがアヤハさんのクリーチャーを破壊して、それで終わり。

 終わり……だけど。

 

 

 

ターン5

 

アヤハ

場:《フランツ》

盾:5

マナ:5

手札:6

墓地:1

山札:25

 

 

蠱毒師

場:《ショーペン》×3《ノロン?》×2《イワシン》×2《モンテス》×2《ガシャゴズラ》《サソリムカデ》《阿修羅ムカデ》

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:6

山札:9

 

 

 

 クリーチャーの数が、凄まじい。

 その数は、合計で十二体。しかもそのすべてがスレイヤーで、Tブレイカーが三体、Wブレイカーは二体、ブロッカーも二体いる。

 これだけの数が相手となると、そう簡単に対処しきれない。

 あまりにも数が多すぎる。攻め手を減らしたり、ブロッカーを並べても、きっと五枚のシールドを守り切ることはできない。ましてや、ここから一気に攻めに転じて逆転だって……

 アヤハさん……

 

「はぁ……」

『嘆息か。絶望したか? それでいい。七王とは、闇の円卓とは、そういうものだ。存在が、力が、誰かの希望を喰らい、絶望として吐き出す。それこそが、王としての、我が証明となり得るのだ。貴様は、それを弁えて――』

「いや、そうじゃなくて。単純に疲れたんだが」

『……なんだと?』

 

 ボリボリと頭を掻いて、気だるげな視線を向けるアヤハさん。

 今の状況がわかっていないはずがない。それなのに、この余裕は、一体……?

 

「処理、すげー長かったなぁ……まあ、ワタシの方が長いんだが」

『なんだ? 貴様、なにを言っている』

「別に。つーかお前こそ、なに言ってんだ、って感じだぜ、ワタシにとっちゃぁな」

「……なんだと?」

「円卓とか王とか、ワタシにゃ全然わかんねーよ? それに、お前がそのためにすげー努力したんだなー、ってのもわかる。それはいい。だがな、お前、ちっとばかし勘違いしてるんじゃねーかなーって、思ったぜ」

『勘違い?』

「あぁ」

 

 顔を上げて、アヤハさんは相手をまっすぐに見る。

 隠されていたものを見つけ出すように、闇の中から、暗い水底から、大切なものを引き上げ、晒すように。

 言い放った。

 

「お前がその円卓の力を得られないってことは、お前はハナっからそこに座す資格はなかったんじゃね?」

『な……っ!?』

 

 蠱毒師さんの顔が、吃驚と、怒りと、焦燥と――色んな感情がないまぜになったような表情で、歪む。

 核心を突かれたかのように、真理を暴かれたかのように。

 

「別にいいけどな。だからこそ、お前は成り上がろうとしたんだろうし。けどまあ、だからって、決定づけられた運命はそう簡単には変わらねーわな。ワタシだって、もっと長く生きたいさ。弟妹(ワタシたち)を置いて、先に行くなんてゴメンだ。痛みや苦しみを奴らに押し付けたくないし、そもそもそんな痛みがあること自体おかしいと叫びたい。だが、そうはいかねーんだろう……まったく、難儀な生だぜ」

『なんだ……貴様は! 貴様こそ、なにを言っている!』

「……命の在り方、かね」

 

 どこか悲しげに、アヤハさんは、小さく呟いた。

 

「ヤングオイスターズは、若牡蠣の集合体。若さという概念によって成立する、集合個体。即ち、若さを喪った瞬間に、ワタシたちは、その存在意義を見失う」

『若さ? そんなもので、貴様は生き永らえているというのか? そんなもの、なんて脆弱で、短小で、愚鈍な命か!』

「そうだよなぁ。だが、てめーにゃわかんねーだろうなぁ。【不思議の国の住人】の誰も、ワタシたちのことなんざ理解できねーさ。生き延びたくても、絶対的に命が短くて、人の形を成しただけの、出来損ないのワタシたちのことなんざな……まあ、理解を求めてるわけじゃねーけど」

『なんだ貴様は……ならば、貴様はなにを求める!? 我は力を求めた。その居場所を、座を、象徴を願った。そのために、禁忌も、呪詛も、すべてを受け入れ、利用した! だが、それを邪魔する貴様は、なにを願っているというのだ!』

「『ヤングオイスターズ(ワタシ)』と、弟妹(ワタシ)の、命の保全、健全な生育。ま、そんなとこだな」

『命の保全、だと……? その程度のことで、命を賭けるというのか?』

「おうよ」

 

 事もなげに返すアヤハさん。

 それはアヤハさんが言うように、蠱毒師さんは、まったく理解できないと言わんばかりに、苦悶の表情を見せる。

 

『陳腐だ。あまりに陳腐だ! 同胞、同士。そんなもののために、己が命を捨てるなど!』

「まず、勘違いすんなよ。ワタシの弟妹は他人じゃねーし、ワタシは命を捨てるつもりなんざ毛頭ない。だが、陳腐な理由なことは認める。こんなもん、ただの合理性の話でしかないからな。あぁ、そうだ。ワタシが必死こいて死なないようにしつつも、ワタシは死んでもいいなんて矛盾、実のところ、そんな大したもんじゃねーんだ。ワタシは『ヤングオイスターズ』の長女、即ち“最も老いた個体”だ。人の体だって、老廃したもんから剥がれ落ちるし、排斥される。若い弟や妹を喪うくらいなら、ババァみてーなワタシから消えた方が万倍マシってだけよ。理に敵ったクソつまんねー理由だわな」

 

 先に死ぬなら、老いた個体から死ぬ方がマシ。

 災害時、老人と子供、どちらの命を優先させるか、という倫理の問題を思い出した。将来的に考えれば、子供を残す方が、人という種の存続という点でも、社会の存続という点でも、有益であることはわかる。それが理屈というものだ。

 だけど、それがすべてなのか。

 本当に、その考えは、絶対的に正しいのか。

 わたしには、わからない。

 その問題の是非も、アヤハさんの考えていることも。

 

「まあ、しゃーねーんだろうなぁ。ワタシだって死にたいわけじゃねーけど、そうなっちまってんだから。ワタシだって、アニキやアネキ、先に逝っちまった兄姉を十一人も見ている。最年長者が消えてどうなるのかなんて、ワタシが一番よく知ってる。どんだけしんどいか、どんだけ困るか、どんだけ悲しいか、どんだけ――苦しいか」

 

 アヤハさんの表情は、すごく、無で満ちていた。

 けれど、感じる。あの無の面の裏に、どれだけの悲しみで満ちているのか。わたしの想像なんかよりも、ずっと大きな悲愴を抱えていることが。

 自分を律して、感情が暴走しないように抑えて、アヤハさんは、水を零すように、語る。

 

「精神的な話じゃねぇ、物理的に“苦しいし”“痛い”んだ。ワタシたちは、十二人で一人で、一人が十二人だ。一人が感じた悲しみも、怒りも、全員が背負う。だってんなら、一人の苦しみも、痛みも――“死”さえも、皆で受け止めなきゃいけねーよなぁ」

『なんだ貴様は。どういう生き物なのだ……感覚の共有でもしているというのか?』

「それが最も近いんかねぇ。共有もなにも、そもそもワタシ含めた弟妹全員が『ヤングオイスターズ』という一個体なんだから、通じ合ってるのが当然なんだがな。断片集だかんな、ワタシたちは」

 

 どこでもな遠くを、虚空を見据えて、アヤハさんは、ぽつりぽつりと、言葉を零す。

 

「アニキが死んだ、アネキが死んだ。ワタシも死ぬ。弟妹もいずれ死ぬ。そして、その時、それは自分の一部が壊死したみてーに腐り落ちるようで、文字通り、身が引き裂かれるような、我が身が崩れ落ちる痛みを伴う。断片とはいえ、実際に“自分が死んでんだ”。そしてワタシは、ワタシの兄姉が、ワタシの断片が、ワタシ自身が、もう“十一回死んでる”。十一回分の、死の痛みを味わってる」

 

 アヤハさん……

 全然、知らなかった。

 代海ちゃんの時と、似たような感覚が、わたしに襲い掛かる。

 知っていたようで、まったく知らなかった。理解できると思っていたのは自惚れで、そんな壮絶なものは、まるでわたしたちの理解の及ばないところにある。

 アヤハさんの、忠告したとおりだった。

 

「蠱毒ってのは、最後に生き残った奴に呪詛を押し付けんだろ? なーんか親近感と嫌悪感を覚えるわけだ。ワタシたちに刻まれた“若さ”と“群衆個体”という性質は、正に呪い、忌むべき生だ。ワタシたちが忌み嫌ってるものを見せつけられて、気分がいいはずがねぇ」

『なにを言うか……これは我が願望のための、魔導の道具に過ぎん。貴様の呪われた生と同義ではない』

「そうかね、いんやそうか。そうだよなぁ、なーんも悪いことなんもしてねーのに、なんてひっでぇ罰なんだろうな。ワタシは、こんな業を弟妹に押し付けんのは、マジで嫌なんだ。んでも、運命ってのは残酷だ。そういう風に出来上がっちまったもんは、なかなか変わらねぇ。アンタはそれを変えるためにすげー頑張ったみたいだけどな。だが、ワタシにゃ、ワタシたちにゃ、そんな余裕はねーや……今を生きるだけで、精一杯だからな」

 

 諦念。そして、執念。

 どれだけ強く望もうとも、その望みだけでは、現実も運命も変わらない。

 努力はすべて水の泡。そんな、悲愴に満ちた生を呪うこと以外にはできない諦め。

 アヤハさんは、その狭間で身をすり潰しながらも、執念深く、生き永らえる。

 諦めても、届かなくても、弟妹(自分)の身を案じて、精一杯生きている。

 わたしには、あまりにも遠すぎる、超絶的な生き様だ。

 簡単に理解はできないし、実感も湧かないし、なんて言えばいいのかもわからない。

 だけど、前を向くことだけは諦めていないアヤハさんは、悲愴的であっても、どこか、カッコよく見えた。

 

「……御託が長くなったのは、ワタシもだったか。昔語りとか、らしくねーや。いい加減、動くぜ」

『動く? 貴様になにができる! 貴様の戯言など関係ない。我はもはや、王位に達した! 貴様如きが、闇の七王を超えることなど……!』

「知るかバーカ。《フランツ》を残した時点で、お前の負けは決まってんだよ」

『なに……?』

「《コバンザ》は正にコバンザメ。本命のおまけみてーなもんだ。そんな囮に騙されてる情弱野郎に、ワタシが負けるかってんだ……つーわけで、このターンで決めてやんよ」

 

 さっきまでの悲壮感を打ち払い、アヤハさんは力強く宣言して、手札を切る。

 

「まずは1マナ! 《エターナル・ブレイン》! 山札の上二枚を操作して、この呪文を回収する!」

 

 アヤハさんは、さっきまでと同じことを繰り返す。

 山札の上を操作。だけど、《コバンザ》がいなくなったから、もうドローはできない。次のターンに引くカードもわかるけど、恐らく、アヤハさんに次のターンはない。

 なのに、それだけたくさん手札があるのに、なんでそんな悠長なことをしているんだろう。

 と、わたしがそう思っていたら、

 

「さらに1マナ! 《エターナル・ブレイン》!」

 

 アヤハさんは、驚くべき行動に出る。

 

『また山札操作だと?』

 

 さっき操作したばかりの山札を、また動かした?

 何度唱えたって、《エターナル・ブレイン》で動かした山札は変わらない。たった二枚のカードが、どちらが一番上になるかというだけでしかない。

 《コバンザ》もいないからドローもできない。だから、それをいくら唱えたところでなにも変わらないのに、どうして……?

 

『貴様。なにを考えている?』

「さーな。さて、ここでワタシはこのターン、呪文を二回唱えたな。よってG・ゼロ! 《貝獣 ラリア》を召喚だ」

 

 マナを使わずに、アヤハさんの手札から、一体のクリーチャーが飛び出す。

 出て来たのは、両手に小さい槍を装着した、サンゴのようなクリーチャー。

 同じ槍でも、蠱毒師さんとは月とスッポンくらいの差だ。禍々しさも、力強さも。

 アヤハさんのクリーチャーは、可愛らしくて、わたしはこっちの方が好きだけど……強さという点では、大きく劣っているように見える。

 ブロッカーを持っているみたいだけど、このクリーチャーだけで止められるようにも思えないし……

 でも、当然、これだけで終わるはずもなかった。

 

「さらに1マナで《エターナル・ブレイン》。トップ操作して、《エターナル・ブレイン》を回収!」

 

 また、無意味な山札操作。

 だけど、そろそろわたしも気付いた。

 アヤハさんは、山札を操作したいわけじゃない。ただ“呪文を唱え続けたい”んだって。

 

「これで三回! G・ゼロ! 《超宮兵(ちょうぐうへい) マノミ》を召喚! こいつが出たことで、二枚ドローだ!」

 

 今度も、槍を携えた、クマノミのようなクリーチャーが、コストを支払うことなく現れる。

 クマノミさんは山札までスイーッと泳いでいって、そこから二枚のカードを持ち上げて、アヤハさんに手渡す。

 

「おぅ、サンキュ。んで、次は……一応、こっち使っとくか。呪文《スパイラル・ゲート》! 《マノミ》を手札に! そんで、もう一仕事頼むぜ、G・ゼロで《マノミ》を召喚し、二枚ドロー!」

 

 《マノミ》の使い回し……さっきと同じように、クマノミさんはアヤハさんに山札のカードを与える。

 呪文を連打しつつ、マナコストを支払うことなくクリーチャーを展開するアヤハさん。

 最初のクリーチャー、《ラリア》は、呪文二回でG・ゼロ条件を満たした。

 そして次のクリーチャー、《マノミ》は、呪文三回でG・ゼロの条件を達成した。

 なら、その次に現れるクリーチャーは……

 

「うっし、これでワタシがこのターンに呪文を唱えた回数は四回だ。よってG・ゼロ発動!」

 

 四回目の呪文。

 マナが続く限り無限に唱えられる《エターナル・ブレイン》で、アヤハさんは呪文を唱える回数を稼いでいたんだ。

 二回、三回と積み重ねられた呪文は、これで四回――魔力は、最高潮にまで達している。

 《ラリア》《マノミ》と続く、呪文を糧に集うクリーチャーたち。

 それが今、終着点に至る。

 

「これなるは竜宮の門。開かれたるは乙姫へ続く道、開かれざるは玉手の箱。若きも老いも刻み込み、歴史を飲み込む海流となれ」

 

 海水が渦巻き、巨大な流れとなって、押し寄せる。

 そして、その流れと共に、時の流れと共に現れるのは、

 

 

 

「《超宮城(ちょうぐうじょう) コーラリアン》――入城!」

 

 

 

 大きな船だ。

 いや、お城かもしれない。綺麗なサンゴや貝殻に彩られた、船であり城。

 それはまるで、おとぎ話に出て来る竜宮城のように、煌びやかで、神秘的で、荘厳だった。

 

「《コーラリアン》の能力で、相手のカードを一枚バウンスできる。《阿修羅ムカデ》をバウンスだ!」

 

 お城の各所から砲門が開いて、砲撃と水流によって、闇のムカデが押し流され、手札へと戻される。

 これでブロッカーは一体いなくなって、アハヤさんの守りもより固くはなったけど、それでも、数の上では全然足りていない。

 

『ふん、一体手札に送還したところで……』

「一体? 舐めたこと言ってんじゃねーぞ」

 

 そう言うアヤハさんの手には、二枚目の《コーラリアン》があった。

 

「G・ゼロ、もう一体《コーラリアン》を召喚。《サソリムカデ》をバウンス!」

 

 これで二体。アヤハさんのブロッカーは三体だ。

 でもまだ、相手のクリーチャーが多い……小型クリーチャーも、どうにかしないと……闇文明だから、除去するようなカードも多いだろうし。

 だけど、アヤハさんはまったく焦っていない。どころか余裕……いや。

 あれは、ちょっとだけ、怒ってる……?

 

『二体でも三体でも、この軍勢の前では多大な変化とはならん』

「ほざいてろ。G・ゼロで《マノミ》を召喚、二枚ドロー……そんで、これでワタシの場にムートピアが五体だ」

 

 《ラリア》が一体、《マノミ》が二体、《コーラリアン》が二体。

 マナを使うことなく召喚されたクリーチャーたちはすべてムートピア。そして、それらが五体、揃った。

 ということは、

 

「十二人で一人、一人は十二人。されどワタシはここにいる。ワタシという個体はここにある。紛れもなくワタシはワタシであり、ワタシの意志は、『ヤングオイスターズ(ワタシ)』という殻に留まらず、ワタシという個として自由である。そう、これは『ヤングオイスターズ(ワタシたち)』である『ヤングオイスターズ(ワタシ)』が、兄弟姉妹(ワタシ)ではなくワタシであるための、ワタシの現身。個である群の、群の中の個。その証明。さぁ、しっかり見てな。これが――“ワタシ”だ!」

 

 自分の中でなにかを決定づけるように。念入りに自己という存在を焼きつけるように。

 固い決心で唱え、アヤハさんは、最後の切り札を繰り出す。

 

 

 

「来い――《I am》!」

 

 

 

 水そのものでできた、液状の身体。シルクハットに、悪魔のような黒い翼。そして光の輪っか。

 ほとんど飾らない、偽りのない自己の証明を具現化するかのように、そのクリーチャーは、バトルゾーンへと降り立った。

 《I am》……確かあのクリーチャーは、ムートピア五体以上でタダで場に出せる上に、ワールド・ブレイカーでシールドを一気に吹き飛ばす、とても強力な、超大型のクリーチャーだ。

 ブロッカーはすべていなくなったし、このクリーチャーなら一気に攻め込んでいける……と、思ったけど。

 

「NEO進化させず、《I am》を召喚! 能力でワタシの非進化クリーチャーをすべて手札に戻す!」

 

 えっ? NEO進化させないの?

 《I am》はNEO進化させないと、出したターンには攻撃できないし、そもそもアヤハさんのクリーチャー、全部手札に戻っちゃったけど……

 

『ブロッカーを排除しておきながら、攻撃に転じないとは、奇妙な……』

「まだその時じゃねーって話だよ。つーか、そろそろ気付や」

 

 戻したカードをひらひらと見せつけて、アヤハさんは言う。

 

「いくら場にクリーチャーがいないからって、このターン、ワタシが唱えた呪文の枚数は、増えることこそあれど、減ることはない。この意味、分かるか?」

『……!』

「思慮が足りねーなぁ。そんなんで王とか、力とか、ましてや知識の集積が愚かだなんだとか、ちゃんちゃらおかしいぜ。クソハードモードなこの世界は、無能なバカから死んでいくんだぜ? 呪われた哀れな牡蠣たちにも劣るようじゃ、王なんて泡沫の夢だわな……まあいい。そういうわけだから、遠慮なくいくぜ」

 

 ギロリ、と鋭い視線を向けるアヤハさん。

 それはまるで、獲物を捉えた、サメのようだった。

 

「G・ゼロ! 《マノミ》を二体召喚し、合計四枚ドロー! さらにG・ゼロ! 《コーラリアン》を二体召喚! NEO進化していない《ショーペン》と《ガシャゴズラ》をバウンス! 最後に《ラリア》も召喚だ!」

『ぬ、ぐぅ……!』

「で、これでまたワタシのムートピアが五体になった。おら、もう一度《I am》を召喚だ! NEO進化させねーから、すべて手札に戻す!」

 

 アヤハさんのクリーチャーはすべて、コストを支払うことなく召喚できる。そのための土台は、完成している。

 呪文を四回唱えたから、《ラリア》《マノミ》《コーラリアン》のG・ゼロ条件は満たされているし、それらを五体以上並べれば、《I am》をノーコストで出せる。

 そして《I am》を出せば、アヤハさんのクリーチャーはすべて手札に戻る。でも、タダ出しするための条件はずっと満たされたままだから、手札に戻っても、マナの支払いなしで、戻ったクリーチャーは出せる。

 つまり――

 

 

 

「――無限ループだ」

 

 

 

 ループ……前に、霜ちゃんたちに教えてもらったっけ。

 カード同士の組み合わせで、同じ手順を何度も繰り返し続けるコンボ。アヤハさんが行っているのは、正にそれだ。

 

「勿論、無意味なループじゃねーぜ? 《マノミ》を回せば、ワタシはデッキを無限に掘り進めるし、《コーラリアン》を回せば、てめーの場は更地になる。デッキがなくなりそうなら《マノミ》の代わりに《ラリア》で頭数を稼げばいい……つーわけで、最後まで付き合えや、王様かぶれ野郎」

『ぬ、ぐっ、ぐうぅ……!』

 

 アヤハさんはその後、《ラリア》《マノミ》《コーラリアン》、そして《I am》によって、何度も何度も、クリーチャーを、カードを、デッキを、流転させ続ける。

 結果、《マノミ》の能力で山札の下から三枚だけを残してドローし尽くし、《コーラリアン》の能力で相手の場のカードをすべて手札に戻してしまった。

 

「ま、こんなもんか。《ラリア》を四体、《コーラリアン》を一体召喚。そして《I am》召喚! 今度は《ラリア》の上に重ねてNEO進化だ」

 

 もう《マノミ》でドローはせず、《コーラリアン》の手札戻しも任意だからか、しなかった。

 代わりに、今まで自分のクリーチャーを戻すために使っていた《I am》を、進化クリーチャーとして出す。

 

「当然《ラリア》と《コーラリアン》は手札に戻るが……出し直せば問題ない。《ラリア》を二体目の《I am》にNEO進化!」

 

 《ラリア》三体と《コーラリアン》一体、加えて《I am》。

 これでムートピアは五体だから、二体目の《I am》が、ノーコストで召喚される。

 

「そら、三体目の《I am》! 最後に四体目だ!」

 

 山札をほとんど引き切ったアヤハさんは、当然の如く、《I am》を四枚も抱えていた。

 一枚だけでも決着をつけてしまうほどのパワーを持つクリーチャーが、四体もだ。

 大小合わせて様々なクリーチャーが大量に湧き上がった蠱毒師さと比べると、アヤハさんが並べたクリーチャーはその半分程度だけど。

 凄まじい威圧感を放っている四体のクリーチャーはすべて、ワールド・ブレイカーで、このターン即座に攻撃してくる脅威だ。

 

「一応、最後に《コーラリアン》二体を出しとく……で、これでしまいだな」

 

 長い長い時間をかけて、アヤハさんは遂に、前に出る。

 

「《I am》で攻撃する時、革命チェンジ! 《音精 ラフルル》! 呪文トリガー見えてねーし、クリーチャーは止まんねーが、一応、呪文くらいは封じさせてもらうぜ」

 

 《I am》が一体、小さな鐘を背負った龍と入れ替わった。

 呪文を封じた代わりに、打撃力は落ちたけど、それもたった一体だ。それだけなら、なにも問題はない。

 だってアヤハさんには、まだ三体も《I am》が残っているんだから。

 

「そら、受けやがれ! 《I am》でワールド・ブレイク!」

「ぐ、ぬおぉ……!」

 

 呪文を封じられ、あまりにも大きすぎる暴力に耐えきれない蠱毒師さん。

 シールドがなくなって、守るものを失って――そのすべてが、失墜した。

 

「ここまで来て、潰えるというのか……! 禁忌を犯し、蠱毒に縋り、死と生の楔を穿ってでも求めた野望が、崩れるなど……!」

「はんっ、ワタシに言わせリャ、ぶっ壊れて当然だけどな。だって、んなもん――あぶねぇじゃねーか」

「なん、だと……!?」

 

 危ない。

 そんな単純で、簡素な言葉で、アヤハさんは、蠱毒師さんを切り捨てた。

 

「アンタが王位につくとか、円卓に座るとか、そんなもんに興味はねぇ。勝手にやってろって話だ」

「ならば……!」

「だが、毒虫集めてもっとヤバい虫を産もうってのはいただけねーなぁ。加えて、弟妹(ワタシ)に害を為すってんだから、見て見ぬ振りもできるわけがねぇ。てめーで集めた虫けらの管理はしっかりしとけって話だよ」

 

 激情を抑えて、アヤハさんは、冷たい視線を向ける。

 

「死んでもいいけど死にたくない。自分のためだが弟妹のため。生きてはいるけど何度も死んだ。『ヤングオイスターズ』は、そんな矛盾を孕んだ哀れな牡蠣たちだ。そんなワタシたちを憐れむのも結構。嘲るのも結構。それでも、ワタシたちは生きる。死の恐怖と痛みを知っているがゆえに、ワタシたちは生き続けるんだ。そのための障害が、危険があるってんなら、容赦なく――潰す」

 

 そこに響く静かな声。

 アヤハさんの命を受け、表情のない、悪魔なのか天使なのかもわからないそれは、ただ無情に、とどめを刺す。

 自らの命を脅かす存在を、排除するために。

 

 

 

「《I am》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 かくして、アヤハさんのお陰で、クリーチャーは討伐できました。

 蠱毒の術は失敗……というわけではなかったけれど、クリーチャーの目的は果たせず。虫たちの大量発生も、もう途絶えるだろうって、鳥さんは言ってました。山を下りる時には、まだいっぱいいたけど……、

 なんにしても、今回はアヤハさんにすごく助けられました。

 事件のきっかけを知るところから、クリーチャーの居場所に移動するまでのお金とか、虫除けの道具を買ってもらったりだとか……お金関係ばっかりな気がするけど。

 でも、最後にあのクリーチャーを倒したのは、間違いなくアヤハさんだ。その功績は、覆らない。

 本当に今回は、最初から最後まで、アヤハさんに頼りっぱなしだった。ちょっと申し訳ないけど、すごく、助かったし、ありがたかったし、嬉しかった。

 山を下りて、またタクシーに乗って帰る道すがら、わたしは隣に座るアヤハさんに、一言告げる。

 

「アヤハさん。その、今日は、本当にありがとうございました」

「やめろって。別にアンタらのためじゃねーから。共同戦線っつったろ? お互い、利用し利用され、だっての」

「でも、ほとんどアヤハさんがやってくれたっていうか、全部アヤハさんのお陰っていうか……」

「んなもん、たまたまだ。それに、クリーチャーの居場所を探ったのはアンタらだし、露払い役を担ったのもアンタらだ。ワタシ一人の手柄ってわけじゃねぇ」

「でも……」

「鬱陶しいなぁ。なんだ? 全部ワタシの功績になるんだったら、ワタシに褒章でもくれるってのか?」

「それはちょっと……な、なにが、欲しいんですか……? わ、わたしにできることなら……」

「冗談だっての。真に受けんなよ」

 

 ぷいっとそっぽを向いてしまうアヤハさん。

 お、怒らせちゃったのかな……?

 

「……あの」

「同情すんなら勝手にしろ。だが、その憐憫を押し付けんなよ」

「え……?」

「ワタシたちは哀れな牡蠣たちだ。だが、だからって哀憐で飯が食えるか? 憐みで解決する人生か? 違うだろ。そんなもんは、なんの役にも立たねぇ。同情するなら金をくれ、って話だ」

 

 現実的な話だった。

 いや、それは建前で、ひょっとすると矜持の問題なのかもしれない。

 アヤハさんの、『ヤングオイスターズ』の呪われた生。

 わたしはそれの片鱗くらいしかわかってないと思う。だけど、それだけでも、アヤハさんがどれだけ壮絶な人生を歩んできたのか、どれだけ苦しんできたのか、ほんのちょっとだけ、想像はできた。

 代海ちゃんの時みたいに。わたしたちの人生観や常識では、到底理解の及ばないもの。だからこそ、下手な憐憫は、かえって傷つけてしまうのかもしれない。

 知れば知るほど不可解で、奇怪な、彼らの生。表面的には近しいように見えても、それは、わたしたちと遠くかけ離れている。

 それを、改めて思い知らされた。

 アヤハさんはさらに、念を押すように言った。

 

「アンタが、ワタシたちと、【不思議の国の住人】共と分かり合おうってんなら止めはしねぇ。だがな、ワタシたちと、アンタらは、決定的に違うもんだ。そこは理解しとけ」

「…………」

「【不思議の国の住人】でとりわけ理解不能なのは、『ヤングオイスターズ(ワタシたち)』か、あるいは『バンダースナッチ』か『ジャバウォック』ってとこだが――あいつらと同列ってのも気に喰わねーが――だからこそ言わせてもらうぜ。ワタシらとの致命的な差異を認知しないまま、相互不理解に陥ったって、んなもんてめーの責任だ。分かり合えないものを分かり合おうとして、それで失敗して、そんなんで被害者ヅラされてもムカつくだけだかんな。そこんとこ、よーく弁えとけ」

「はい……」

 

 山に登ってる時も、似たようなことを言われた。

 わたしは、代海ちゃんや、葉子さんや、先生や――アヤハさんとも、仲良くできたらって、思うけど。

 きっとアヤハさんは、そんなことは求めていないし、そうできるとも思っていない。

 スタンスは、ちょっと先生と似ているかもしれない。言ってることも、考え方も。

 希望を折られた、とまでは言わないけど、なんだか、悲しい気持ちだ。

 代海ちゃんも葉子さんも、すごくいい人だった。先生も、ちょっと過激なところがあっても姉兄思いで、悪い人じゃなかった。

 そして、もちろん、アヤハさんも……

 手が届くと思ってた。全然違う存在だなんて、そんなことはないって思えた。

 だけどそれは幻想かもしれない。ただの思い込みかもしれない。

 それを突きつけられて、わたしは――

 

「……ま、今回に関しては、一時的とはいえ同盟相手として、感謝はしてるがな」

「ふぇ……?」

「アンタらのお陰で、妹の仇討はできたし、ワタシたちの安心安全な生活を脅かす脅威を排除することもできた。単なる契約の履行だが、まあ、そこだけは感謝してやってもいいぜ」

「アヤハさん……」

「……別に、アンタらに気ぃ許したわけじゃねーから、勘違いすんなよ。物を知らないちっこい弟妹は、妙にアンタのことを気に入ってるみたいだったが、根本的にワタシたちは相容れないもんだかんな。いつかは、やり合う時が来るかもしんねぇ。ワタシとしちゃ、んなもんゴメンだがな」

「わたしも……イヤ、です」

「ワタシの嫌とアンタの嫌じゃ、だいぶと違う気もすんが……まあ、ケンカせずに済むならそれでいい。【不思議の国の住人】は弱者の集団だし、『ヤングオイスターズ』は出来損ないで無知蒙昧の、哀れな牡蠣たちだしな。賢く強い人間様にゃ敵わん」

 

 どこか自虐っぽく言うアヤハさん。

 アヤハさんは、人間という種に対して言ってるんだと思うけど……きっと、あなたが思うほどに、わたしたちは強くないし。

 あなたが思うほどに、あなたたちは弱くないって、思うけど……

 

「……ったく、本当、難儀な生だぜ」

「アヤハ、さん?」

「長女だからって、ワタシ一人に意思決定の権利はない。『ヤングオイスターズ』は、十二人の兄弟姉妹の集合体だかんな」

 

 いきなり、どうしたんだろう?

 それに、それって……

 

「前に、ワタシの弟、助けてくれたろ」

「えっと、プールの時、ですよね?」

「おう。それに、他のガキ共も世話になった。その記憶が、感情が、やっぱこびりついてやがる。頭じゃアンタが敵だって、相容れないって、わかってるはずなんだが……弟妹(ワタシ)の気持ちが、アンタを嫌いになれねぇ」

「…………」

「おい、んな露骨に晴れやかな顔すんなや。別に、ワタシ自身はアンタと仲良くしたいわけじゃなくってだな、これは『ヤングオイスターズ』としての性質っつーか、なんつーか……あぁ、面倒くせぇ!」

「アヤハさん……!」

「いやだからな、そんな感激したみたいに見んなや! ガキのそういう目には弱いんだよ、ったくよぉ……」

 

 弱ったように呟いて、また窓の外に視線を向けた。

 夕焼けに照らされててよくわからないけれど、照れてる、のかな……?

 ……やっぱり、いい人、なんじゃないかな……ちょっと、素直じゃないみたい、だけど。

 

「……言いたくもねーこと言っちまった。気持ち一つも自分一人じゃどうにもならんとはな。本当、呪われてるぜ、ワタシたちはよ」

 

 そんなことを言うアヤハさんは、憎々しげにも見えたけど、同時に楽しそうで、嬉しそうでもあった。

 その複雑すぎる気持ちも、弟さんや妹さんのことも、わたしにはよくわからないけれど。

 やっぱりわたしは、あなたたちを理解することを、やめないと思います。

 だって、わたしがそうしたいから。

 あなたたちは、どうあっても悪人じゃないから。

 争う必要なんて、本来はないはずだから。

 だから。

 

 

 

(もっと知りたい。あなたたちのことを――)

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――つーわけだ、ダンナ。アンタの依頼は、知らん間に終わってたっぽいぜ」

「そうか。哀れなアリスも、マジカル・ベルとして、有能に働いている、ということか」

「ワタシの前で哀れとかいうかよ。どうでもいいけどよ。で、どうすんだ?」

「なにがだ?」

「ワタシだよ。いや、アンタか? どっちでもいいが、事件を追ってたんだろ? その目的っつーか、なんで追ってたんだよ。そこに理由があったんだろ? もう終わっちまったけど、事件が解決して、アンタはどうしたいんだ?」

「それは、貴様が知る必要のあることか?」

「依頼人相手に黙ってるつもりか? クライアント以前に、同胞たるワタシには、その権利もないってか?」

「…………」

「…………」

「……ふっ、ジョークだよ。無論、貴様にはすべて話すさ。いずれな」

「今じゃねーんかい!」

「まだその時ではないということだ。それに、本当に“事件は解決しているのか?”」

「あん? どういうことだよ」

「オレ様には陰謀めいたものを感じるものでな。これは、一介のクリーチャーのみによって引き起こされた事件なのか? これですべて終わりなのか? 真に終焉を迎えているのか?」

「……真犯人は、マジカル・ベルが潰した奴の他にいるってのか?」

「推測だがな。いや、予感か? あるいは……勘、だな」

「あてずっぽうかよ!」

「だが、貴様にはもうしばらく、その調査を頼もうと思う。あぁ、できることなら、マジカル・ベルも利用するといい。クリーチャーという脅威に対しては、我々よりも適役だろうからな」

「ワタシたちの方が、クリーチャーに近いんじゃなかったか? チョウの姐御が言ってたぜ」

「近いだけで別物だ。それに、近いからといって理解が及んでいるとも限らん」

「……ま、それもそうか。ワタシも、弟妹に迫る脅威があるってんなら、そいつを潰さにゃならんしな。引き受けてやんよ、ダンナ」

「頼んだぞ……あぁ、それと、ヤングオイスターズ」

「なんだ? またなんかあんのか? 茶会か?」

「いいや。貴様――“あとどのくらい生きられる?”」

「…………」

「オレ様のような狂人でも、【不思議の国の住人】の元締めだからな。貴様らに対する理解が十全でなくとも、そのように努める必要はある。現状把握だよ」

「理屈はわかるが、言い難いことをストレートに聞きやがるな……もう少し気ぃ遣えねーのかい、帽子屋のダンナ」

「そういったものは不得手でな。して、どうなのだ?」

「……もって三年がいいとこか。下手すりゃ、今年のうちにダメかもな」

「そうか。貴様は、今までの若牡蠣の中でも、とりわけ優秀だったのだがな。残念だ」

「しゃーねぇさ。ワタシたちは、そういう呪いを受けてるからな。まあ、無理しなきゃなんとか保てそうではあるが」

「そうか」

「……ワタシがいなくなっても、弟妹(ワタシ)のことは頼みます。『帽子屋』のダンナ」

「任せろ。貴様も、我らが同胞の一人。奇異なる存在であろうとも、我々は受け入れよう」

「……ありがとうございます」




 やっぱり何度見ても《歩く賄賂》って酷い二つ名ですよね。
 アヤハさんのデッキは、最近急激に頭角を現し始めた青単ムートピアですが、型というか、中身はもう全然別物です。《スコーラー》入ってないし。《コバンザ》と《フランツ》と《エターナル・ブレイン》のコンボで呪文連射しながら手札整えてG・ゼロっていう、まあデザイナーズコンボ的な動きですね。次に彼女に似たデッキ握らせるなら、《スコーラー》入れた青単ムートピアになるんじゃないかなー。
 相手の方は《ショーペン・ハウアー》です。なんかもう、色々と酷い悲しみを背負ったマフィ・ギャングなんですけど、妙に気に入っているので無理やりデッキにしました。《サソリムカデ》という蠱毒の虫を利用して、《七王の円卓》に坐する、というストーリー性を重視したデッキ。実際にはクソ弱いデッキですけど、決まったら盤面が物凄いことになるので、まあまあ面白いです。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、ご自由に仰ってくださいまし。


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34話「頼ってもいいんですか?」

 前もちょっと触れたんですけど、今回もピクシブ版のみ投稿している短編ネタが、今まで以上にダイレクトにあるのですが……今はあまり気にしないでください。
 今章が終わったくらいに、短編をまとめてこちらでも投稿するとか、なにか手を考えますので。それまで少しお待ちください。
 ……まあほら、ライトノベルとかでも、別の雑誌とかで掲載した短編ネタを本編に盛り込んだりするし、短編も編集して短編集にしたりするし、なんかそんな感じだと思ってくだされば。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 

きゅるるるる

 

 ……おなか、すきました……

 

「導入が……意味、不明……唐突……」

「恋ちゃん……」

「お昼だよー、お昼だよー。さあ小鈴ちゃん、今日も一緒にランチタイムだ!」

「あ、うん……そうだね」

「小鈴さん? どーしましたか?」

「いや、その……えっと……」

「小鈴、今日は購買には行かないのか? いつも四限目が終わるや否や、運動が苦手という主張が嘘だと思うようなダッシュを見せているのに」

「その後すぐにへばってるあたり、小鈴ちゃんらしくて可愛いけどね」

「そのことなんだけどね……その、みんな。わたしのお願い、ちょっとだけ聞いてもらってもいいかな?」

「小鈴が頼み事だなんて珍しいな」

「ねー」

「まあ……別に、いい、けど……」

「Ja! もちろんです! なんですか? なんですか? Was?」

「うん。えっとね――」

 

 いつもと違うことをするというのは、ちょっぴり恥ずかしいけれども。

 わたしは、ひとつの提案をする。

 

 

 

「今日のお昼は、食堂で食べない?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「購買に行きづらいから食堂に行こうって……君らしくもないが、しょうもない理由だな」

「食堂はごちゃごちゃうるさいし人は多いし高いから、あんまり好きじゃないんだけどなー」

「ご、ごめん……」

「ユーちゃんは楽しいです! 学校の食堂って、行ったことなかったですから!」

「遠い……だるい……めんどい……もう、来たくない……」

「まだ食堂にも着いてないのに……」

 

 わたしたちは今、学校の食堂――いわゆる学食に向けて歩いています。

 お弁当がある人は教室で食べることが多いし、購買でなにかを買う人もそうだ。わたしたちはみんな、お弁当か購買だったから、今まで食堂には縁がなかったけど……今はちょっと、事情がありまして。

 

「しかし、購買の彼女と親しくしていた小鈴が、こうも避けるようになるとはね。虫けら恐るべきだな」

「まったくもって! 一生冬眠してろって話だよねー」

「葉子さんも、別に悪気があってやったわけじゃないみたいだから……でも、やっぱりまだちょっと、怖くて……」

 

 というのも、購買部で働いている葉子さん――『バタつきパンチョウ』のお姉さんと、ちょっと色々あって……わたしにも、なにがあったのかよくわかってないんだけど……

 喧嘩したとか、酷いことされたってわけじゃないけど……酷い目には、あったかもしれない。

 いや、大したことじゃない。うん、そんな大それたことじゃない……んだけど。

 どうしても、今は葉子さんには近寄り難くて、だから購買にも行けなくて。

 それで、みんなを食堂に誘ったのです。

 

「……そうだ。いい機会だし、君らに話したいことがあるんだけど」

 

 不意に、霜ちゃんが思い出したように言った。

 

「話したいこと?」

「どしたの、改まって」

「ボクらはそろそろ、彼について考えるべきじゃないかと思うんだ」

「彼?」

「若垣朧。あの腹に一物抱えていそうな先輩だよ」

 

 ――若垣朧先輩。

 この町で起きていた異変について調査するための、わたしたちの協力者。

 正確には、わたしたちが先輩に協力してるんだけどね。

 

「朧さんのことを考える? どーゆーことですか?」

「小鈴もだが、ユーも大概に警戒心が薄いな。最初から思っていたことだ。彼の目論見だよ」

「目論見って?」

「彼はなにかをボクらに隠して、そして企んでいる……かもしれない」

 

 霜ちゃんは、少しだけ歯切れ悪く言った。

 

「企んでる? 朧さんが?」

「確証があるわけじゃないけど、明らかに彼は怪しい。事件の真相を知りたい、なんて建前でボクらをいいように動かして、裏でなにか手を引いているんじゃないか?」

「そうかなぁ? この町に住んでるなら、そういうことを気にすることもあるんじゃないかな?」

「そーですよ。ユーちゃんだって、なにか知りたいって思うことはいっぱいありますよ?」

「小鈴もユーも、楽観しすぎだ。それに、ユーの好奇心は向う見ずで衝動的だけど、彼は打算的で損得勘定ができるような人間だ。それが、ただの好奇心だけでこんな危ない橋を渡るものか。リスクとリターンが見合わないよ」

 

 だけど、その一見すると釣り合わないリスクリターンを背負って、朧さんはわたしたちと協力関係を結んでいる。

 それはつまり、実際にはそれだけのリスクをおかしてでも、得られるリターンがあるということ。

 

「あるいは、そのリスクを負わなければ得られないリターンだということだ。どちらにせよ、彼には秘密裏になにかを企んでいて、ボクらにそれを隠している。確証がないのがむず痒いが、もしそうなら、これは立派な裏切りだよ」

「……裏切り、ねぇ。まあ確かに? 隠し事されるのはいい気分じゃないね」

「でも、だからってわたしたちに危害を加えるとも限らないし……」

「害があってからじゃ遅いんだよ。今は君のお人好しに付き合って、事件が解決したことも黙っているが、本来なら適当に理由をつけて彼との協力関係を断ち切りたいところだ」

「ご、ごめん……でも、せっかくわたしたちを頼ってくれたのに、そんなこっちの都合で勝手に離れるのは、申し訳ないっていうか……」

「それを言ったら向こうだって勝手な理由でこっちに協力を要請したんだ。おあいこだよ。それに、そもそも事件は解決したんだからそんなことを思う必要もない」

 

 それは、そうかもしれないけど……

 

「でも……クリーチャーのことも、あるし……」

「その情報源として彼を頼るのは、有益かもしれないけどリスキーでもある。上手く利用できれば、文句はないんだけどね」

「小鈴ちゃんは優しいから、搾取とか無理でしょ」

「搾取って、そんなつもりはないよ。わたしは……」

「……ねぇ」

 

 と、そこで。

 くいくいと、恋ちゃんの裾を引っ張られた。

 

「まだ……続ける、の……?」

「え?」

「着いた……けど」

 

 恋ちゃんが指差す。その先には、食堂の入口。

 そんなに遠い場所でもなかったし、喋ってるうちに着いちゃった……

 

「……まあ、この話はまた後で。とりあえずボクは、彼の企みを暴く、という提案をしておくよ」

「…………」

 

 霜ちゃんの言うことも、理解できないわけじゃない。

 朧さんがわたしたちに隠し事をしてるとか、別の目的があるんじゃないかとか、そういう可能性も、確かに否定できない。

 でも、なんだか、そう思って、人を疑って、攻撃的になって、ギスギスした空気になってしまうのは。

 ちょっと、嫌だった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「フーロぢゃ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん゛っ! も゛う゛や゛だぁ! な゛ん゛で゛、な゛ん゛で゛……私がなにじたっで言うのざぁ!」

「ちょっと、謡……恥ずかしい……もうちょっと、声、抑えて……鼻水も拭いて」

 

 …………

 食堂に入った途端、聞き覚えのある声と、姿。

 あの隅っこの席で向かい合っている二人の女子生徒は――もっと言えば、むせび泣いているあの人は、もしかしなくても……

 

「……さて、今日の日替わり定食はスパゲッティか。学食にしてはなかなかにお洒落じゃないか。ボクは弁当があるからなにも頼まないが、小鈴もパン食ばかりじゃなくて、たまにはこういう洒落たものを食べてもいいだろう」

「いやいや、小鈴ちゃんの胃袋的には、安価かつガッツリしたものがいいと思うよ。こっちの丼ものとか、どうかな?」

「ねぇ、みんな、あれ……」

 

 わたしが指差そうとしたら、霜ちゃんに制されて腕を下げさせられ、みのりちゃんに抱きしめられるように視線を無理やり変えさせられました。

 

「小鈴。世の中には関わらない方がいい人間というものが存在するんだ。アレは確実にその類だよ。なにより、知り合いだと思われるのが恥ずかしい。あそこには誰もいない。いいね?」

「で、でも……」

「そうそう。無視安定だよ」

「それにしても、随分と品数が少ないね。そこまで人が混雑しているってわけでもなかろうに。選択肢が少ないというのは、由々しき問題だ」

「ねー。まさかの丼物は売り切れ全滅してるみたいだし、ここはコスパで対抗するという手を思いついたよ。素うどんあたりをわんこそば的に食べ尽くすのはどうだろう?」

「マナー的にはあまり良いとは言えないが、小鈴の食欲を満たすことを考えるなら悪くないかもしれないね」

 

 有無を言わさない圧を放つ二人に、気圧されそうになる。

 いやでも、あれは無視できないというか、あそこにいるのって……

 

「で、でもさ、あそこで泣いているのって、よ――」

「ボクにはなにも見えない。食堂に知り合いなんていない」

「右に同じく!」

「……まあ、確かに……あんま、関わりたく……ない」

 

 霜ちゃんも、みのりちゃんも、恋ちゃんまで、見て見ぬ振り。無視を決め込もうとする。

 ……だけど、一人だけは、違った。

 

「謡さん、どうしたんですか? どうして泣いてるんですか? 悲劇(トラゲーディエ)みたいに悲しいことがあったんですか?」

 

 いつの間にか、ユーちゃんがおんおんと泣いていた謡さんの傍にいて、声をかけていた。

 

「ちょっとユー! そんな面倒くさい爆弾に触れるな! それは火のついたダイナマイトだぞ!」

「こっちにまで誘爆するー! 私、二次被害はごめんだよ!?」

 

 それを見た霜ちゃんとみのりちゃんが、ギョッとしたような顔でユーちゃんを引き戻そうとするけど、謡さんには近づきたくないのか、遠くから戻ってこい、と手招きするだけだ。

 だけどユーちゃんには聞こえていないし、見えてもいないようだった。

 

「ゆ、ユーリアちゃん……」

「はい、ユーちゃんです。謡さん、悲しいことがあったら、お話しましょう? ユーちゃんになんでも話してください」

「うぅぅ……ユーリアちゃぁん……! ひっぐ、えっぐ……」

「謡……後輩にそれはちょっと、情けなさすぎる……」

 

 謡さんは、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ユーちゃんの胸に顔をうずめて泣いていた。

 ユーちゃんはよしよしと、そんな謡さんの頭を撫でてるし……なに、この状況……?

 

「うわぁ、この先輩ガチ泣きじゃん……中学生にもなってみっともない。ひくわー、マジひくわー」

「…………」

 

 わたしも、前に本気で泣いたことがあるなんて言えない。

 それはそれとして、流石にもう無視できないというか、あっちもこっちを認識したようでした。

 謡さんが、というより、もう一人の女子生徒――北上先輩が、だけど。

 

「会長の妹さん……よければ、皆さんこちらにどうぞ。うるさいのがいるけれど」

「そのうるさい先輩の存在はまったくよくないですが、ユーがそちらに行ってしまったので、仕方なくお邪魔します」

「お、お邪魔します……えっと、北上、先輩……?」

「フーロでいいですよ。会長の妹さんですし……」

「?」

 

 眼鏡を掛けた、小柄な女子生徒――フーロさんが、隣の席を譲ってくれた。

 北上副露(フーロ)さん。お姉ちゃんや謡さんと同じ、生徒会の人だ。

 確か、副会長って言ってたっけ。ということは、お姉ちゃんに次いで偉い人、なのかな?

 二年生なのにすごいなぁ。

 

「で、これはどういうことなんですか? この人、なぜこんなにも泣き喚いているんですか?」

「あぁ、それは……くだらない、と思うかもしれないけど」

「……ット、が……」

「はい?」

 

 すすり泣く声でよく聞き取れなかった。

 もう一度聞き返す。

 そして、謡さんは、叫んだ。

 

 

 

「《ニヤリー・ゲット》が! 殿堂! しちゃったのおぉぉぉぉ! うわぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 

 ……殿堂?

 

「そんなくだらないことで、公衆の面前でこれほどの大恥を晒していたのか……」

「ごめんなさい。知人が恥知らずで」

「気持ちはわからないでもないけど、これはひくねー。マジひくねー」

「先輩。泣いているところ申し訳ありませんが、《ニヤリー・ゲット》の殿堂は妥当です。あなたもそれは理解しているのでは?」

「そーゆー問題じゃないのぉー! うわぁぁぁぁぁぁん!」

 

 ぐすぐすと、ユーちゃんの胸の中で泣き続ける謡さん。

 恥も外聞もなく大声で泣いてるから、なんだか周りの視線も……なんでちょっと生温かい感じの視線なの?

 冷たいわけでも、怪訝そうでも、不安そうでも、心配そうでもなく「あぁ、またこの子か……」みたいな視線はなに?

 

「これだけ大勢の生徒の前で、ここまで本気で泣ける神経がわからないですね。無恥にもほどがあるのでは?」

「謡は食堂の常連だし、食堂に来る人は固定化してるから……それに、この子のテンションのアップダウンなんて、いつものこと……皆、慣れてる。今日はいつもよりも激しいけれど」

 

 フーロさん曰く、そういうことらしかった。

 

「あ、あの。それで、謡さんはなんで泣いてるんですか?」

「自分のデッキにとって重要なカードが殿堂入りしたから、だろう」

「でんどーいり?」

「……え? ユー、今まで殿堂レギュレーションを知らずにデュエマしてたのか?」

 

 ユーちゃんの発言に、驚愕の表情を見せる霜ちゃん。

 殿堂レギュレーション……ちょっとだけ聞いたことある気がするけど、そういえばわたしも、あんまり詳しくは知らないなぁ。

 デュエマでは使っちゃいけないカードとか、入れる枚数に制限のあるカードがある、くらいのことはわかるんだけど。

 

「まあ、簡単に説明するとだ。この先輩は、今まで四枚使えていたカードが一枚しか使えなくなってしまって、その悲しさや嘆きで泣いていたと、そういうことだ」

「そうなんですか? それは、確かに悲しい、ですね……」

「冷静に考えて、ノーコストで三枚も手札補充できるようなカードが四枚も積めるのがおかしいんだけどね」

 

 《ゼロの裏技ニヤリー・ゲット》……そういえば、謡さんはよくそのカードを使ってたなぁ。

 そのたびに、強いなぁ、すごいなぁ、って思ってたけど、強すぎてデュエマのルールを整備しているところ(公式って呼ぶらしいです)から、使用枚数に制限を設けられてしまったそうです。

 

「それで謡のデッキは大幅に弱体化。私は《ガンバトラー》の恐怖から逃れられた代わりに、この泣き叫ぶ不要牌を抱え込むことになってしまったの」

「先輩も大変ですね」

「えぇ、とても」

 

 呆れたように溜息をつくフーロさん。

 でも、自分の愛用しているデッキが、そういう風に制限を受けちゃったら……なんだか、悲しいよね。

 それに、今の謡さんのデッキは、謡さんが強くなるために、あえていつもの切り札を抜いたデッキだけど。

 謡さんの本当の切り札は別にあって、その切り札が戻って来るデッキは……

 

「うぅ、ぐす、えっぐ……あうぅ……」

「謡、いい加減にして。会長に言いつけるよ」

「それはやめてぇ。フーロちゃん、後生だからぁ……」

「だったら後輩にみっともない姿を晒すのをやめて。ほらもう、こんなに胸元を濡らしちゃって……謡がごめんなさい」

「いえ、ユーちゃん気にしてません。悲しい時には、泣くものですから」

 

 ようやっと謡さんは泣き止んで――まだちょっと、目尻に涙を浮かべてるけど――ユーちゃんから離れた。

 そして、わたしたちをぐるりと見回して、

 

「ぐすん……妹ちゃん。珍しいね、食堂にいるなんて」

「いまさら……」

 

 まるで初めてわたしたちに気付いたみたいな反応だった。

 まあ、さっきまですごく泣いてたしね……

 と、そこで、ふと思い立ったように、霜ちゃんが先輩たちに言葉を投げかけた。

 

「……そういえば、先輩方は二年生ですよね」

「そうだけど。それが?」

「若垣朧という男子生徒を知っていますか?」

 

 それは、朧さんのことだった。

 そうか。朧さんは二年生。そして、謡さんたちも、二年生。

 学年が同じというだけだけど、わたしたちよりも朧さんのことを知っている可能性がある。

 霜ちゃんとしては、あるかもしれない朧さんの企みを暴きたい、っていう気持ちがあるわけで、そのための情報収集だ。

 わたしとしても、朧さんがなにかを企んでいるというのは考えたくないけど、先輩のことを知ることは、先輩の信用を得ることにも繋がる。

 ……こっそりとやっていることに、罪悪感がないわけでもないけど……

 そして、霜ちゃんの問いに対して、先輩たちは、

 

「朧君? 朧君が、どうかしたの? っていうか妹ちゃんたち、朧君のこと知ってるの?」

 

 意外そうに、目をぱちくりさせていた。

 まあ、いきなり下級生が、接点がなさそうな先輩のことを尋ねても、変だと思われるよね……

 だけど、謡さんたちの反応は、ただ単純に怪訝なだけでもない。

 これは、朧さんのことを知っているという前提で、驚いているんだ。

 

「その様子だと、先輩も知っているんですね」

「知ってるもなにも、クラスメイトだし」

「ひょっとして、お友達、なんですか?」

「友達とは、呼べないと思う。若垣さんと、本当の意味で友好を結ぶのは、簡単なことじゃないだろうから」

「私は友達っぽくしてるつもりなんだけど、まあ確かに朧君、なーんか上手いこと流すもんね。仲良くなれそうな最後の一歩が届かない、みたいな」

「そんな感じ……名前の通り、なんだかおぼろげで、掴みどころがない人」

「で? なんで君らは朧君のこと知ってるの? というか、なんで彼のことなんか知りたいわけ?」

「あぁ……それは、ですね」

「うちのクラスに若垣狭霧さんっていう、若垣先輩の妹さんがいるんですけどね。その妹さんとクラスで一緒に活動することがありまして、その時にお兄さんの話を聞いたんです。そこで、どんな人かと少し興味を持っただけですよ」

 

 謡さんに問われて、霜ちゃんが少し返しに詰まったところで、すかさずみのりちゃんが答えた。

 なんとも流れるようなウソ……重要な真実を一切合切伏せた上での綺麗で偽りのある文言だった。

 でも、仕方ないよね。朧さんから、わたしたちの協力関係については他言しないようにって言われてるから。

 ……あれ? でも、確か霜ちゃんの目的って……

 

(水早君、あの先輩の裏をかきたいんじゃないの? あの人との秘密を隠す必要なくない?)

(彼らにボクらの動向を知られるわけにもいかないからね。下手に事を表面化させたくない。動くなら、少しずつ慎重に、だ)

 

 と、いうことらしいです。

 まあ、わたしとしても、大事にならないのなら、それに越したことはないんだけど。

 

「へぇ、朧君、妹さんもいたんだ。お姉さんがいるのは知ってるけど。なんて言ったっけ? あや……綾波さん、だっけ?」

「私はお兄さんがいるって聞いたけど」

「弟さんもいるって言ってたっけなー」

「……実は適当なことを吹聴してるんじゃないのか?」

「うーん……」

 

 ちょっと否定しづらいです。

 狭霧さんが妹さんっていうのは、わたしたちが直に見ているから真実なんだけど、そんなにたくさん兄弟姉妹がいるというのは、ちょっと信じにくい。あり得ない、とも言えないんだけど。

 

「嘘っていうか、その場凌ぎで適当なことを言った可能性は、否めない、かもしれない」

「どういうことですか?」

「謡、よくウザ絡みするから……その場のノリで」

「あー」

「ちょっとそれどういう意味かな? フレンドリーじゃない?」

「そう思ってるのは自分だけですよ、セーンパーイ」

「あんまりしつこく聞いてくるから、適当な受け答えをして流したってのはありそうだ。ボクも実子にそんなことされたら、そうする」

「水早君? 私、この先輩と同じってこと?」

「みのっちは私と一緒は嫌なの?」

「少なくともその呼び方は好きじゃないです」

「じゃあ別の呼び方を考えておくよ」

「話が脱線してきたな」

 

 霜ちゃんが一瞥すると、みのりちゃんと謡さんは引き下がった。

 

「まあ私も適当にあしらわれてるなー、ってのはわかってたよ。朧君、わりと平気で嘘つくし、そーゆー奴だってのは知ってるもん」

「でもそれは、謡がしょうもないことばっかり聞くからでしょう。彼女だとか、初恋の相手だとか」

「ちょっとしたコミュニケーションのつもりだったんだけどね。どうにも朧君相手だと、接し方が難しくて」

「結構、クラスでは浮いてる人、なんですか?」

「そうでもないよ? 普通にお喋りしてくれるし」

「……でも、あれはきっと、浮かないように自然に溶け込んでる演技も、含まれてる。と、思う」

「演技なんて、大なり小なり皆してるもんじゃない?」

「そうだけど……」

 

 フーロさんは、なにか言いたげだったけど、それを飲み込んだ。

 

「まあでも、やっぱちょっと、油断ならないっていうか、一筋縄ではいかない感じあるよね」

「ちょっと、秘密主義者、っていうか」

「友人とかはいないんですか?」

「うーん、あんまり特定の誰かと仲良くしてるとこは見ないけど……あ、空護君とは、なんかよく話してる気がする」

「焔さんね……彼も、なんだか曲者な雰囲気あるし、波長は合うのかもしれない」

「……くーご……?」

 

 謡さんとフーロさんが出した名前に、恋ちゃんが反応した。

 

「恋ちゃん、知ってる人?」

「私の……」

「私の?」

「……せん……ぱ、い……?」

「なぜ疑問形なんだ?」

「恋さんの先輩……ということは、学援部の人、ですね!」

「ん……まあ、そんな、とこ……変な奴……」

 

 自分の先輩に変な奴、だなんて……恋ちゃんは相変わらずというか、なんというか……

 

「部活と言えば、朧君は新聞部だったね」

「新聞社、ね。報道部二部署の一角」

「細かいことはいいんだよ。朧君、友達はあんまりいなさそうだったけど、同じ部活の人とはそれなりに仲良いみたいだよ。なんか今も、目を付けてる後輩がいるとかって。なんか名字が自分と似てる、みたいな理由で」

「まあ、同じ部活の人となら納得ですかね」

 

 その後も、朧さんのことを色々と聞いてみたけれど、どれもこれも表面的なことばかりで、あまり実りのある話とは言い難かった。

 

「まあ、ゆって私たちもたかだかクラスメイトだし、そんなに知ってるわけでもないんだよね。ごめんね」

「いえ、そんな、十分です……ありがとうござました」

「なにか聞きたいことあるなら、こっちから聞いといてあげようか? いやむしろ色々聞いて来るよ」

「あ、いえ、そこまでは……」

「そう? 遠慮することないのにー。先輩なんてコキつかってナンボだよ?」

「謡、それは語弊がある。あなたがサボるから、そのしわ寄せが先輩たちに行ってるだけ」

「あれー? そうだっけ?」

 

 フーロさんの苦言に、とぼけたように返す謡さん。

 今まで、生徒会の人を交えてちゃんとお話しすることって、あんまりなかったけど……謡さん、生徒会だとこんな感じなんだ……

 なんていうか、いつもより……いや、これは思うだけでもダメだよね。

 

「先輩、いつもの三割増しくらいで馬鹿になってません?」

「みのりちゃん!?」

 

 なんてことを! わたしでも心の中で言葉にするのを抑えたのに!

 

「え……あなたたちと一緒の時の謡って、今よりまともなの……?」

「えっと、その、それは……」

「正直、今よりは大分マシだったと記憶しています」

「謡。やっぱりいつも、手を抜いて……?」

「フーロちゃん、そんな見つめないで。可愛いけど怖い」

 

 小柄だけど、眼鏡の奥の瞳は、鋭く謡さんを睨みつけている。

 フーロさんはやがて、呆れたように息をつく。

 

「はぁ、謡ったら……」

「先輩も大変ですね」

「まったくもって。ちゃんと動けば優秀だって、会長も褒めるくらいなのに……飽きっぽいというかなんというか」

 

 そしてもう一度、嘆息。

 気苦労が絶えなさそうな人だな……副会長って、大変なんだ。

 その役職が関係しているのかはわからないけど。

 

「でも、謡じゃないけれど、あなたたちは一年生なのだから、先輩を頼るのもひとつの手。少なくとも、私たちは手が空いているのなら、快く手を貸す……会長の妹さんもいるし」

「あ、ありがとうございます……」

 

 それは、とても心強い言葉だった。

 朧さんからは他言無用って約束をしてるから、詳しくは話せないけれど……

 いざという時は、先輩たちのことも、頼ることになるのかな。

 

(……できることなら、そんな“大事”には、ならないで欲しいけど――)

 

 

 

 それからわたしたちは、食事を終えて、適当な時間で食堂を後にした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……ねぇ、謡」

「どったのフーロちゃん?」

 

 後輩たちが去った席の席で、フーロは謡に呼びかける。

 謡はお茶を啜りながら、彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「私は今まで、色んな人を麻雀を打ってきた」

「へ? なにいきなり。フーロちゃん家が雀荘なのは知ってるけど」

「一緒に卓を囲んで、遊戯に興じると、色んなものが見えてくる。この人は理論を信じて打つ、とか、この人は加点のために失点を恐れない、とか。そんな盤上でのやり取りから、会話から、空気から、その人の人となりとかが、なんとなく、伝わってくるの」

 

 それはひとえに、彼女の実家が雀荘であり、幼少期から複数の人間と卓を囲み、遊戯に興じるという経験が豊富故の感覚であり、理論であろう。

 即ち、北上副露という少女が獲得した、一種の技能と言える。

 

「私は四姉兄の真ん中で、完全理論派(デジタル)のお姉ちゃんと、完全感覚派(オカルト)の妹に挟まれて、周りの顔色を窺いながら立ち回らなくちゃいけなかった。だから私は、一緒に卓を囲めば――それが食卓だろうと――その人の“性質”みたいなのが、ちょっとだけわかる」

「あー、そう言えばそんなこと言ってたねぇ、去年くらいに。まあ、そういうのはわかるよ。食堂で情報収集するのはスパイの鉄則だしね!」

 

 少しずれた返しをする謡。フーロはそれを訂正したい気持ちに駆られたが、それをしてしまうと、彼女のペースに乗せられる。話の腰が折れて脱線する。そんな未来が見える。

 謡のことは、彼女の感覚と理論で、既知にしている。だからここで彼女の言葉に乗るべきではないということがわかる。

 今はそんな会話を楽しむよりも、自分の言葉を、彼女に投げかける。

 

「試していた、わけではない。ただ、私がこの短い時間で感じたこと。単なる、私の所感、だけど」

「いいよ、言っちゃいなよ。気にしてるんでしょ? 会長の、妹ちゃんのこと」

「ん……うん」

 

 頷く。

 そして、フーロは、後輩たちが――会長の妹が去って行った食堂の出入り口に視線を向けた。

 

「あの子たち、なんだかちょっと――窮屈そうだった」

「窮屈?」

 

 首を傾げる謡。その言葉は、予想していなかった。

 むしろ謡からすれば、彼女らはやや特異ながらも、賑わいある良き仲間同士だと思っているのだが。

 フーロは疑問符を浮かべている謡に対して、さらに続けた。

 

「女の子の人間関係なんてそんなもの、とも言えるけど……なんだか彼女たち、見た目よりも“本性”を出していないように見えた」

「そう、なのかなぁ?」

「遠慮してるのか、我慢してるのか、よくわからないけど。自分を出さないように、抑え込んでるみたいで――あるいは、そうせざるを得ない圧力があるみたいで、、少し、息苦しそう」

「……それって、皆?」

「どう、だろう。私が顕著に感じたのは、銀髪の子と、男の子だけど……きっと他の子も」

「大なり小なり、そういうところあるって?」

「うん。そしてきっと、その圧力の原因は、あの子――会長の妹さん」

「…………」

 

 抑え込む。自分を、本性を、制限する。

 確かに人間関係とはそういうものだ。周囲に染まり、環境に合わせ、適応し、迎合する。そのためには、自我を抑え込むことも、時には必要だ。

 しかし、フーロは知らないはずだが、彼女たちは何度も修羅場を潜ってきた仲間。あるいは戦友とも言える仲だ。そしてなにより、彼女たちの多くは、あの少女に救われている。

 そんな身も心も通じ合っているだろう彼女たちが、互いを縛り合っている? そんなことが、あるのだろうか。

 いや、その縛りが、彼女が発端であるのなら。

 だからこそ、なのか。

 

「妹ちゃん……か」

 

 中心にいる人物が彼女だからこそ、彼女の仲間は、友人は――その枷に、囚われているというのか。

 

「会長にも、そういうところあった。あの人のは、他人(私たち)の目標を、あの人の目標に収束させるっていう意味で、私たちの本心を抑制させることにあったけど」

「カリスマってやつだね」

「彼女のは会長とは逆ベクトル、みたいな……そう、会長が人を進めるなら、あの子のは、押し留めるような……現状維持とか、停滞とか……」

「あんまりいい言葉じゃないね」

 

 現状維持。停滞。

 それは、進歩を止めてしまう言葉だ。

 先がない。未来がない。成長がない。

 ずっと、今のままを肯定し、受け入れてしまう、優しくも恐ろしいものだ。

 

(いや、でも、妹ちゃんなら……)

 

 彼女の性格は、確かにそういうものだ。

 そしてそれは、彼女だけにとどまらず、彼女の周囲にも、伝播している……?

 果たしてそれは良きことか。それとも――

 

「……ごめんなさい。変なこと言った」

 

 顔を上げる。

 フーロは、申し訳なさそうに項垂れていた。いつもクールで毅然な容貌を装う彼女だが、謡や会長の前では、その仮面も少しだけ綻ぶ。

 もっとも彼女は、謡たちの前でも、その格好付けを保とうとするから、このような表情は比較的レアなのだが。

 謡は少しだけ考えた。頭の中に浮かんだ「レア顔」という言葉を口に出すか、否か。

 いつもなら流れるように口にしてしまうのだろうが、今回は押し留まった。であれば、考えなければならない。正解が、どちらか。

 しばし逡巡し、謡は手元のお茶を啜って、すべて飲み込んだ。

 お茶も、言葉も。

 謡は喉にすべてを流し込むと、カップを置いた。

 

「んく……いや、いーよ。気になったんでしょ?」

「うん、まあ」

「フーロちゃんが会長絡みになると熱くなるのは、私も知ってるから。あの子たちの前で言わなかっただけいいんじゃない?」

「でも、謡は私より、あの子たちと……」

「気にしすぎだよー。そりゃあ、私もいつになく真剣に考えちゃったけどさ。でも、それはそれだから」

 

 人間関係で抑圧や制限があるのが普通なのなら。

 コミュニティによって、違う自分に成り変わるのもまた、当然のこと。

 彼女たちの仲間であり先輩としての自分と、北上副露の同僚であり友人である自分は、同一であり別々だ。

 そのくらいは、切り替えるべきである、と。

 

(なんて普通さは、あんまりヒーローっぽくないかな。いや、むしろ普通を偽る方がヒーローっぽい? っていうか、違う自分にーなんて、スキンブルじゃあるまいし――)

 

 少しだけ自嘲を滲ませて、そんな雑念もお茶と一緒に胃袋へと追いやった。

 そう。それはそれであり、これはこれだ。

 彼女が後輩への所感を述べることと、自分が後輩たちに寄せている信頼は、必ずしも反発させなくてはならないわけではない。

 

「フーロちゃんがそう思ったなら、そう言えばいいよ。今の私は君の友達の謡ちゃんだからね」

「謡……流石に自分でちゃん付けは、痛い」

「えぇ!? そこは感極まるところじゃない?」

「感極まるほどの台詞でもない……でも、ありがとう」

「ふふふ、どういたしまして」

 

 残ったお茶を飲み干す。

 そして謡は、フーロの背後に回った。

 

「いやはや、しかしフーロちゃんの会長マニアは、遂に妹ちゃんにまで進んだかぁ。会長好きすぎでしょ」

「っ、そ、そんなことない、から……」

「私もフーロちゃんとは似たクチで会長には恩があるけど、あそこまでベッタリじゃないもんねぇ」

「だから、違うから……」

「またまたー」

 

 言いながら、謡は後ろからフーロを抱きすくめた。

 フーロは露骨に嫌そうに顔を歪ませて、鋭い視線を謡に向ける。

 

「ちょっと、やめて。触らないで」

「そんなこと言わずにさー。ふぅ、フーロちゃんはちっちゃくて可愛いなぁ」

「このロリコン……」

 

 鬱陶しそうに腕を払い退けられながら、そしてそれでもフーロにしがみ付こうとしながらも、謡は別のことを考えていた。

 それは、彼女たち――自分たちの、小さな後輩らのことだ。

 

(疑惑、か……)

 

 フーロのそれは、ただの個人的な感想でしかないが。

 彼女たちに少しでも疑いのような眼を向けてくれたおかげで、謡としてもハッキリした。

 

(あの子たち、私になにか隠してるな……朧君絡みなのか、それとも妹さんの方なのかは。わかんないけど)

 

 彼女たちが抱える、謎について。

 疑いたくないという信心が謡の目を曇らせていたが、それも晴れた。

 そんなことはないという思い込みは払拭された。

 よって、どんな理由があるのかは不明だが、彼女たちは恐らく、隠し事をしているだろうという嫌疑が、確固たるものとなる。

 そしてそれが実感として確かなものになったのなら、謡としても、動かないわけにはいかなかった。

 

(後でスキンブル呼んで、こっそり調べさせよう。それから朧君についても聞いておくか……私が干渉するべきかは、それを知ってから判断すればいいよね)

 

 彼女たちのことだ。隠し事なんて慣れないことをするからには、優しくも甘い理由があるか、誰かに唆されたか、といったところだろう。

 きっと自分が踏み込んでも問題はないと、謡は判断する。

 

(……いいや、違うな)

 

 そうではない。問題ないから、探るのではない。

 そんな理屈ではない。これはもっと、短絡的で衝動的なことだ。

 その衝動に従って、謡もまた、先に進んでしまった後輩たちの背中を、追いかける――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 放課後。

 霜ちゃんは、朧さんがなにを企んでいるのかを明らかにしたいと言って、彼のところへと行く提案をした。

 なにを企んでいるのか、なんて疑ってかかるのは、あんまりよくないと思うんだけど……でも、疑念を晴らすにも、やっぱり直に朧さんと話をしなきゃ、どうにもならない。

 それに、クリーチャーのこともある。朧さんのくれる情報は、雑多だけど、わたしたちにはない力だから。

 だからそれもアテにして、朧さんが根城にする空き教室へと向かったんだけど、

 

「……なんだか、妙に小奇麗ですね?」

 

 いつもは色んな資料とかがあちこっちに散らばっている教室だったけど、今日はそういったものは見られない。

 見えるのは、机の上のノートパソコンと、なぜか奥の窓際に立っている朧さんだけだ。

 

「……やぁ。今日も来たんだね」

「えぇ、まあ……それより、先輩はどうしてそんなところに?」

「ちょっと部屋の換気をね。ずっと部屋にこもりっぱなしだと、空気が淀んで気分が悪くなるから」

 

 朧さんは言いながら窓を開けて、部屋の中央――ノートパソコンのある机まで戻ってきた。

 その最中、霜ちゃんは室内をぐるっと見回して、先輩がこっちに来たところで、口を開く。

 

「そんなことより、この部屋が散らかってないなんて、どうかしたんですか?」

「いや、オレだって部屋の片づけくらいはするよ」

「でも、今までしてなかったじゃないですか。どういう風の吹き回しですか?」

「そんな風に言われるのは心外だね」

「なにかあったんですか?」

「別に? 大したことはないよ」

 

 ニコニコと、爽やかな笑顔を見せる朧さん。

 けどその笑顔は、少し爽やかすぎた。

 

「先輩、隠し事は裏切りですよ?」

「隠し事だなんてそんな」

「例の事件に進展があったんですか? それなら、ボクらにも情報を共有してくれないと困ります。幼児連続殺傷事件の方でも、動物惨殺事件の方でも、あるいは別の切り口でも」

「進展かぁ……いやぁ、あるような、ないような……まあ、君らの求めるものはないんじゃないかな」

「歯切れ悪いですね」

「やっぱなんか隠してません? せーんぱーい?」

「隠してない隠してない」

 

 両手をブンブンと振って否定する先輩。

 だけど、みのりちゃんと霜ちゃんは食い下がる。

 

「水早くーん、シラを切るつもりだよ、この先輩」

「協力者に隠し事とは、新聞記者にあるまじき態度だと言わざるを得ないな」

「だから隠してないってば。言うまでもないと思っただけで」

「それを隠し事と言うのですよ、先輩」

 

 朧さんがついに白状した……

 朧さんは、バツの悪そうな表情で、ノートパソコンを立ち上げる。

 

「話してもらいましょうか、先輩」

「うーん、君らも知ってることだと思うけどなぁ」

 

 どことなく不満げに言いながら、朧さんはカタカタとノートパソコンを操作する。

 

「君たち、最近のニュースは見てない?」

「最近の……?」

「ユーちゃんは見ましたよ! 今日のおてんきよほーは、一日晴れです!」

「だからニュースだよ、ユーちゃん……」

「ニュース……眠くて……聞いてない……」

「電気代がもったいないから、テレビなんて滅多に見ないよ。ゲームする時くらいかな」

「スマホのニュースでもいいんだけど……まあ、いいや。ピンと来てないみたいだから、教えるよ」

 

 と言って、朧さんはノートパソコンに開いたページを見せてくれる。

 ニュースサイトの一記事だ。その見出しは……

 

「『警察署から脱走犯 青果店荒らす』……?」

「あぁ、これか」

「どんなニュースなんです?」

「見たまんまだよ。犯罪者が脱走して、八百屋を荒らしているらしい。あ、こっちがその人相写真ね」

「怖そうな顔の人です……」

「いや……わけ、わかんないから……八百屋……?」

 

 そういえば、朝のニュースで流れていたような……

 詳細までちゃんと覚えてなかったから、画面に映る記事を読んでみる。

 内容は、二日前、拘留中だった男の人が脱走した。そして、その後、近辺の八百屋さんや畑を荒らしまわっている……ということ、らしい。

 

「なんとも言えない珍事件だ。脱走まではともかく、なぜ青果店や畑を襲うのか、さっぱりわからない」

「脱獄犯が野菜とか奪ってる場合じゃなくない?」

「厳密には、荒らされているだけで窃盗ではないんだけどね。なんにせよ意味不明な怪事件なんだけど、その被害は決して小さくない。うちの学食の入荷にも影響が出ているくらいだしね」

「あ、それで品数が少なかったんだ……」

「で? それだけじゃないんでしょう?」

「うん。実は、オレの調べた限りだと、犯人はこの町まで来ている可能性が高いんだ」

「こ、こわい、ですね……」

「ふむ。それで?」

「いや、それでじゃないよ。だって犯罪者だよ? 脱獄犯だよ? ヤバすぎるでしょ、流石に。怖いって」

「え、いまさら……」

 

 さも当然のように、事態の深刻さを訴える朧さん。いや、当然のように、ではない。当然だからだ。

 言われてわたしもハッとする。クリーチャーとかで感覚がおかしくなっていたけれど、犯罪者が逃げ出したって、考えてみればすごい大事件だ!

 

「しかもこの犯人、結構な前科持ちみたいでさ。窃盗とか、傷害とか、強か……っと、まあ、色々やらかしてるっぽいんだよね」

「それで、その犯人がこの町にいると知って、恐れをなして投げ出した、と」

「その通りだ」

 

 キッパリと言い放つ先輩。

 言ってることはもっともだ。なんだけど、それは、なんていうか、その……

 

「先輩、ダサいです」

 

 わたしがなんとも言えない気持ちでもごもごしていると、みのりちゃんが切って捨ててしまった。

 みのりちゃん、容赦がなさすぎるよ……でも。

 

「ダサくて結構! 我が身よりも大事なものがあるものか!」

 

 クワッ! と目を見開いて、力強く宣言する先輩。

 先輩の返しも、それはそれでどうなのでしょう?

 いや、その発言は、ごもっともなんだけど……

 

「オレの興味で下手に動いて、犯罪者なんかとご対面しちゃったらたまったもんじゃない。人質とか嫌だよ、オレ」

「臆病者と罵りたいのだが、言ってること自体は至極まともで正常だから、ボクも困ったよ。この先輩、変に潔くないか?」

「でも、確かに危ない、よね……えっと、例の事件もあるし」

 

 本来、わたしたちが追っている(ことになっている)幼児連続殺傷事件。そして動物惨殺事件。

 それに加え、脱走犯だ。この町は混乱の渦中にいると言っても過言ではないくらい、混沌としてきている。

 

「君たちも、早く帰った方がいいよ。色々危ないから」

「先輩は帰らないんですか? 危険だと主張するのなら、あなたが真っ先に帰宅しているのが自然だと思いますが」

「オレも家遠いし、早く帰りたいんだけどね……でも、今日はちょっと、事情があって」

「事情? 密会ですか? もしかして、彼女とかですかー?」

「想像はご自由に」

「あ、もしかして妹さん……狭霧さんですか?」

「妹と学校で密会する意味はないだろう」

 

 心配そうな表情で、携帯を掲げる朧さん。

 先日、狭霧さんがムカデに噛まれた時にもすごい怒ってたし、やっぱりこの人、狭霧さんに振り回されてはいるけれど、妹さんのことを大事に思ってるんだなぁ……

 

「まあ、オレの約束なんてどうでもいいじゃない。ちょっとクラスメイトと用事があるだけだよ」

「なんか怪しいですねー。なんの取引するんですかー?」

「怪しくないから。取引とかしないから」

「では、そこまで言葉を濁すというのは、ボクらに言えないことなのですか?」

「いや、言えないっていうか、なんていうか……」

 

 半分面白がって追究するみのりちゃんと、真面目に問い詰める霜ちゃん。

 どっちもどっちだけど、人の言い難いことを無理やり聞き出すのは、よくないんじゃないかな……

 流石に朧さんがかわいそうになってきて、二人を止めようかと思っていると、不意に恋ちゃんが窓の外に視線を向けて、ぼそりと呟いた。

 

「……来る」

「え? なに?」

「足音……」

 

 足音?

 と聞き返す前に、わたしの耳にも、その音は届いた。

 誰かが、すごい勢いで走っているような、バタバタという激しい足音が、廊下から聞こえてくる。

 一体、誰だろう。この人気のない場所に来るということは、その人が朧さんの待ち人なんだろうか。

 というか、そうでなくては困る。もしも先生とかに、空き教室を無断使用していることがバレてしまったら、怒られちゃう。

 けれど、扉を開けた人物は、そのどちらでもなかった。

 長い髪を振り乱して、息を荒げながら、突入してきたのは――

 

「鈴ちゃん! やっと見つけたのよ!」

「っ!? よ、葉子さん!?」

 

 ――葉子さん。本当の名を『バタつきパンチョウ』さん。

 最近、購買部で働き始めた、蟲の三姉弟のお姉さんだった。

 格好は、購買部のエプロンを付けたままで、手にはビニール袋を持っていた。

 いや、というか、なんで葉子さんがここに……?

 

「教室にもいないし、もう帰っちゃったのかと思ったけど、最後まで諦めずに探した甲斐があったのよ。まさかこんなところにいるとは思わなかったけど」

「え、あ、えっと、その……」

 

 どうしよう。上手く言葉が出ない。

 わたし、この前のこと、まだ引きずってるみたい。

 葉子さんは戸惑うわたしの前まで歩み寄る。ただそれだけなのに、わたしは委縮してしまって、なにも言えない。ただ一歩、後ろに下がってしまうだけ。

 い、一体、わたしになんの用なんだろう……

 この前のこともあるし、少し怖いと感じてしまう。

 けれど、

 

「鈴ちゃん!」

「は、はいっ」

「ごめんなさい!」

「は……はい?」

 

 怖いどころか、葉子さんは、わたしに頭を下げた。

 頭どころか、膝をついて、すごい勢い――頭を床に打ちつけようかというほどの勢い――で、頭(こうべ)を垂れる。

 いわゆる、土下座だ。

 

「よ、葉子さん!? き、急にどうしたんですか!?」

「この前のことを謝りたくて……私、妹が欲しいあまり、鈴ちゃんに酷いことしちゃったから……ごめんなさいなのよ!」

「あぁ、そ、そのことですか……」

 

 まさか葉子さん、わたしに謝るために、わざわざここまで来てくれたの?

 ……なんだか、避けてたわたしが馬鹿みたいというか、悪いことしちゃったなぁ……

 

「も、もういいですよ、葉子さん。そんな土下座なんてしなくても……」

「いいの? 鈴ちゃん、怒ってない?」

「怒ってませんから。だから、とりあえず頭を上げてください」

 

 わたしがそう言うと、葉子さんの表情がパァッと明るくなる。

 

「ありがとうなのよ、鈴ちゃん!」

「いえ、その……わたしも、ごめんなさい。葉子さんは謝ろうとしてくれたのに、逃げちゃって……」

「いいのいいの! 気にしないのよ! それよりこれ! 私からのお詫びの印なのよ!」

 

 葉子さんは、手にしたビニール袋をわたしに差し出した。

 なんだろう? お詫びの印って。

 中を覗き込んでみると、そこには、

 

「わぁ……! おいしそう……!」

 

 なんと! たくさんの、パンが入っていました!

 

「こ、これ、全部もらってもいいんですか!?」

「いいのよ。私の勤め先で貰ったものだけど、ぜーんぶ鈴ちゃんにあげるのよ!」

「ありがとうございます! 葉子さん!」

 

 中身は一種類だけみたいだけど、こんなにたくさんのパンがもらえるだなんて!

 やっぱり葉子さんは、いい人だなぁ。

 

「あのパン、なんなんですか?」

「あれは、購買部の人気商品ワースト一位のサラダパンだね。彼女ほどでないにしろ、食に飢えた中学生がサラダなんて健康志向なものを食べるはずもないし、ダイエット等を心がける女子にしたって、あんなパサパサのパンとしなびた野菜を一緒に食べるくらいなら、コンビニで売ってる野菜スティックを食べるさ」

「つまり?」

「美談に見えるけど、客観的には売れ残りを押し付けているだけだよ、あれ。本人たちは善意のみでやり取りしているようだけど」

「……小鈴、君って奴は……」

「私は小鈴ちゃんが幸せなら、それでいいけどねー」

 

 たくさんのパンをもらって喜んでいると、なぜだか横から生温かい視線を感じる。

 どうしたのかな? みんなも食べたいのかな? それならそう言えばいいのに。

 すると、不意に葉子さんが朧さんへと視線を向けた。

 

「あら? あなたは……」

「……どうも」

 

 どことなく、苦く乾いた笑みを浮かべる朧さんに対して、葉子さんはニッコリと満面の笑みで返した。

 それから葉子さんはくるりと踵を返す。

 

「それじゃあ、実は私、まだ購買の片づけが残ってるから! 鈴ちゃん、またねー!」

「はい! パン、ありがとうございました!」

「いいってことなのよ! それじゃあ、ばいばーい!」

 

 そして、そのまま廊下に出て、去って行ってしまった。

 葉子さんが立ち去ってから間を置いて、霜ちゃんが朧さんに向き直り、尋ねる。

 

「……先輩、購買のあの人と視線を合わせていましたが、なにかあるんですか?」

「別に。オレも購買を利用することがあるから、顔を覚えられただけだよ」

「本当ですか?」

「購買をあまり利用しない君らにはピンと来ないかもしれないけどね、今の購買はそういうところだ。彼女は顧客それぞれを、大雑把ながらも記憶している節がある」

「はぁー? 購買の利用者数なんて知らないけど、大人数で利用されるとこで、そんなことあるはずがないっしょ。先輩、適当なこと言っちゃぁ……」

「本当だよ? 葉子さん、お客さんひとりひとりの顔を覚えて接客してたもん」

「小鈴ちゃんが言うなら間違いないね」

「おい実子」

「小鈴ちゃんは最も信頼できる証人じゃない?」

「それはそうだけど」

 

 霜ちゃんはなにか言いたげだったけど、最終的には口を噤んだ。

 葉子さんなら、購買を利用している朧さんの顔を覚えていても不思議はないし、見知った顔を見かけたら声をかけたり会釈するくらいは当たり前のことだとさえ言える。

 

「これは余談だけど、彼女が購買部に勤めてから、購買部の総売り上げは二割ほど上昇しているんだ。あの朗らかな人柄に惹かれた人が少なくないようで、彼女目当てに購買に通う生徒もいるくらいでね。もはやアイドル……いや、看板娘ってやつかな、あれは」

「葉子さん、明るいし、優しい人だもんね。スタイルもいいし」

「……弟の方はあんなにやる気ないのに、姉は随分と学校生活をエンジョイしてるんだな」

 

 半ば呆れたように息を吐く霜ちゃん。

 

「……にしても……こすず、それ……大量……」

「そ、そうだね。鞄の中には……ちょっと、入り切らないや」

「だいじょーぶですか?」

「入り切らない分はポケットに入れておくけど、ギリギリかな」

「いくつか置いて行ったらどうだ?」

「ダメだよ! ちゃんとしたところで保管しないと、悪くなっちゃうんだから!」

「そ、そうか、ごめん……」

 

 確かに個包装されたパンはある程度は日持ちするけれど、日に日に状態が悪くなって、時間が経つほどに美味しさも落ちてしまう。

 だからわたしは、そうならないように、一刻も早く適切な場所に適切な方法でこのたくさんのパンを保存しなくちゃならないのです。

 

「みんな、今日はもう帰ろうよ」

「……尋問……あきらめる……?」

「小鈴ちゃんがこの様子じゃねー」

「まさかパンひとつで小鈴に主導権を握られるとは……というか、小鈴に怒鳴られるとは思ってもみなかったよ……」

「そう……意外と、へこんでる……」

「無駄にプライド高いもんね、水早君」

「言ってろ」

 

 なんとかたくさんのパンを、制服のポケットやカバンに詰め込む。

 持って帰るのは大変だけど、こんなにたくさんのパンを貰えたのはとても嬉しい。

 やっぱり葉子さんは、優しいいい人だなぁ……

 

「それじゃあみんな、いこっ」

「……では、やや不本意ながらもボクらは帰宅しますので」

「また今度、彼女さんとの進展具合とか聞かせてくださいねー」

「だから違うって……あぁ、もういいや。うん、君らも気を付けて帰ってね」

 

 最後にそう言い残してから、わたしたちは、朧さんの根城の教室から退室した。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「はぁ、やっと追い出せた……」

 

 アポイントメントも前触れもなく現れる後輩女子たちを部屋から追いやって、一息つく朧。

 常に彼女がたちが訪れる可能性は考えている。毎日それをを想定して、準備はしている。

 しかし朧とて万能なわけではない。普通の、とは言えないまでも、どこぞの生徒会長や学生生活支援部長のような完璧超人ではないのだ。むしろ、あらゆる物事に対して高性能を発揮するよりも、ある一点の技能に特化したタイプだ。

 あらかじめ予想して動く、ということも、本来の彼が持つ特化した技能の副産物のようなものではあるが、それが本質ではない。本質ではないからこそ、その副産物は完璧ではない。

 もっとも、彼女らが、彼女と繋がっていることは知っていたので、これは他言無用という契約条件に驕って見落としてしまった自分の失態でありミスでもあるのだが。この詰めの甘さもまた、完璧とは言えない朧のスペックの限界とも言える。

 さて、ではそんな完璧ではない彼が犯したミスとはなにか。

 朧は部屋の扉を閉めてから、振り返って、視線を彷徨わせる。

 小鈴たちが部屋を訪れた時に朧が立っていた窓際――ではなく。

 それよりももっと後方に位置する、部屋の隅に設置された、掃除用具を収納する古びたロッカー。

 

「さて、非常に困ったことになったな。オレはただ、クライアントの要望通りにしようとしただけなのに、彼女たちを追いやるために、できれば切りたくないカードを切る羽目になってしまった。オレの話術もまだまだ未熟だということを思い知らされるよ。やはり、一度植えつけられた不信感をその場で払拭するのは簡単ではないね。それでも、できれば今回ばかりは、大人しく引き下がって欲しかったと悔やむばかりだ」

 

 朧は誰の姿もない虚空へと語りかける。

 まるで、そこに誰かがいるかのように。

 ――否。

 いるかのように、ではない。

 彼は、語りかけているのだ。

 そこにいる、誰かに。

 

 

 

「ねぇ……長良川さん」

 

 

 

 ギィ、と。

 ロッカーの扉が軋む音を鳴らして、開かれる。

 ちょうど人間が一人分ほどならば入る大きさのロッカー。

 そこから、ぬっと人影が這い出てくる。

 

「君が悔しいように、私も悔しいよ、朧君。後輩にかかる毒牙を見抜けなくてね」

 

 その人影は、謡――長良川謡だった。

 いつもの気さくな雰囲気は失せ、気楽な瞳は消え、剣呑で真剣な空気と視線で、朧を睨みつけている。

 

「でも、後悔するよりも先にすべきことがあるね、朧君。君、私の後輩となにやってるの?」

「オレの後輩でもあるけどね。なに、ちょっとしたお手伝いだよ。お互い合意の上で成り立ってるから、なんの問題もない」

「会話になってない。私は問題の有無を判断したいんじゃないよ。質問に答えてほしいな」

「オレが答えてもいいと思うことなら、いくらでも答えるけどね」

「答える気はないって?」

「曲解しないで素直に言葉を受け取って欲しいな。額面通りの意味だよ」

「……事は、私が思ってる以上に深刻だったのかもね」

 

 ――霜は朧のことを疑ってかかっていたが、実際のところ、朧はなに一つとして嘘はついていない。

 女子と密会というのも、その相手がクラスメイトだというのも、すべて真実。目の前にいる謡こそ、朧の密会相手なのだから。

 

(まあ、密会って言っても、いきなり押しかけてきたんだけどね……どうやってこの場所を嗅ぎ付けてきたのやら)

 

 見つけようと思えば見つけられる場所ではある。しかしそれ以前に、どうして彼女は、朧を“探そうとした”のか。

 探そうとするその意志がなくてはここは見つからない。問題は、そこだ。

 

(長良川さんも伊勢さんたちと繋がっているけれど、そっちの方は口止めしたはずだし……伊勢さんがオレのことを長良川さんに漏らした? なんて、彼女の性格的にあり得ない。じゃあ水早君か、香取さんか、日向さんか……あるいは――)

 

 ――単独で動いているのか。

 

(伊勢さんたちの気配を察して咄嗟にロッカーに隠れるくらいだし、長良川さんも、伊勢さんたちには内密で動いてるってことなのかなぁ。そうなら好都合ではあるんだけどね。オレとしても、伊勢さんたちと長良川さんたちのラインを繋いだ上での協力は遠慮したいところだし……だけど)

 

 視線を、目の前の謡に向ける。

 いつも教室で見る彼女は、騒がしくもにこやかに笑っているものだが、今の謡は違う。

 鋭い眼光で、険しい表情で、こちらを睨みつけている。

 そして、一呼吸置いてから、告げた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「朧君」

「なにかな」

「君は馬鹿な私と違って頭がいいし、案外、周りもよく見てる。だから、ちゃらんぽらんでも、私がどれだけ生徒会に入れ込んでいるのかも知ってるはずだよね」

「うん。理解はしているつもりさ」

「なら、こんなこと、わざわざ言うまでもないかもしれないけど、あえて言うよ。空き教室の無断使用は、れっきとした校則違反。つまり、生徒会への報告案件だよ」

「あぁ、そうだね。烏ヶ森学園中等部校則、第五条十二項、教室利用に関する禁則事項に抵触しているね。それで?」

「それでって……」

「報告内容は、オレの校則違反のことだけ?」

「…………」

「もっとわかりやすく言おうか。“校則違反者はオレだけ”?」

 

 卑しい言い訳だ。

 自分だけではないという主張。違法駐車や違法駐輪において使われる、言い訳の常套句だ。

 そんなつまらない理屈をこねて、逃げ切るつもりでいるのか。

 謡は朧の卑俗さを罵りたくなったが、ここで感情的になったら、付け入る隙を与えてしまう。今は罵倒よりも言うべきことがある。湧き上がる熱を抑え込んで、務めて冷静に、次の言葉を紡ぎ出す。

 

「この部屋の状況を鑑みるに、私的利用していたのは君だけだと思うけどね」

「私物のノートPCだけでそう判断されても困るなぁ。それにそもそも、本当なら勝手に入るだけでもダメなんでしょ? それなら彼女たちも同罪だ。それとも、生徒会役員ともあろう人が、見て見ぬ振りをするの?」

「細かいことをグチグチと……」

「それはこちらの台詞さ」

「君は、そんなにあの子たちを巻き込みたいの?」

「巻き込む? なにを言っているのかな? オレはただ、公正で公平にあろうとしているだけだよ。すべての事実を明らかにする。記者としては当然のことさ」

 

 白々しい物言いだ。その言葉が、声が、謡の神経を逆撫でする。

 と思いきや、朧は急に声のトーンを変えて切り替えした。

 

「いやごめん。悪かった。長良川さんが強い言葉で威嚇するから、ついムッとして言い返してしまったけど、これは確かに“オレたち”が悪い」

「…………」

「これはちょっと魔が差しただけなんだよ。立派な校則違反だというのは理解していたけど、認識が甘かった。今では反省もしているし、二度目の違反はしないと誓おう……だから、今回だけは見逃してほしいな」

「下手に出て情を誘おうって魂胆? 流石に見え透いてるんじゃない?」

「そんなことはない。けど、情というのなら、長良川さんは、彼女らにはなんとも思わない? 伊勢さんたちについてはさ」

「っ!」

 

 伊勢。その、よく知る名を聞いた瞬間、謡の身体が強張る。

 

「彼女も一応、オレの協力者みたいなものだからさ。オレのやってること、やったことと無関係ではないんだよね。勿論、善いことも、悪いこともだ」

「なにそれ。脅迫のつもり?」

「まさか。ただ事実を詳らかにしているだけだよ。長良川さんに、現状がどういうことになっているのかを、過不足なく正確に認知して欲しいからね」

 

 朧がなにかしらの悪巧みをしているだろうと、謡は踏んでいる。その内容までは不明だが、少なくとも現状では「空き教室の無断使用による校則違反」という、彼を告発するカードはある。

 しかしそのカードにはリスクがある。伊勢小鈴や、彼女の友人らを巻き込むというリスクが。

 それを、わざわざ謡に示すということは、どう考えても人質だ。

 朧はさらに続ける。

 

「伊勢会長は、不正は許せない性格だよね。多少の便宜を図るくらいならまだしも、私的な理由で悪事の隠蔽やら揉み消しだなんて、彼女の正義感が許さないだろうし、世間体も悪い。それは、彼女の手足たる君がよくわかってるんじゃないかな?」

「でも、その悪いことに引き込んだのは、君だよ。朧君」

「引き込んだなんて、人聞きの悪いことを言わないでくれよ。これは契約だ、互いに持ち得るカードを晒したうえで合意した決まり事だよ。つまり、善悪も損得も、すべてお互いに判断して納得している。オレも、勿論、伊勢さん自身もね」

「……朧君は会長のことあんまり知らないのかもしれないけど、あの人、身内には結構甘いよ。妹ちゃんの軽い校則違反程度なら、なんてことない」

「あぁ、確かにそうかもね……でも、庇えても伊勢さん一人じゃない? 実の妹以外も庇うほど甘いとは思えないし、それに数も多い。たくさんの人間の行いを隠すのは簡単じゃないよ。もっと言えば、日向さんは学援部の部員だしね。学援部と対立している生徒会が見逃せるものかな?」

「それは、君の言い分次第じゃない……かな。君に、彼女らを守る気があるのなら」

「あるさ。でも、できればオレは真実だけを口にしたい。今までもそうだし、これからもね」

「どの口が言うのかな、それ」

「現にオレはここまで、嘘はついてないよ。虚言ってのは、嵌れば強いけど、リスクが大きい。特に力の強い人相手にはね」

「なにが言いたいの?」

「オレが会長相手に下手に嘘ついて、後から発覚したら、それこそ大問題になるってことだよ。反省の色が見えないってやつだ。それで罪が重くなっては損失が大きくなってしまう。それならオレは、最初から全部自白して、小さなリスクを被る方を取るよ。リターンがあってもハイリスクというのは、やはり怖いからね。そうじゃない?」

「それは……」

「それに、学援部まで飛び火したら、流石に無視も決め込めないし、隠蔽だって難しい。彼女らもグループぐるみで学援部と交流があるしね。それを踏まえて、もしそんなことになったら、友達思いな伊勢さんは悲しむんじゃないかな?」

「っ……こいつ……!」

 

 ああ言えばこう言う。謡の言葉はすべて、ひん曲がった理屈で返される。

 それも、伊勢小鈴という儚い少女を盾にしているのだから、タチが悪い。

 歯噛みして、目の前の男の醜悪さに耐える。その声も、息遣いも、姿も、なにもかもが不愉快だった。

 けれど、彼の口は止まらない。

 

「オレとしては罰を受けることも吝かではないんだけど、伊勢さんたちにまで迷惑をかけるのは本望じゃない。だけど、ここでオレを告発してしまえば、伊勢さんたちにも火の粉が降りかかることは免れないだろうし、それは体面的によくない。オレはできるだけ穏便に済ませたいんだ。誰も困らないような、誰もが傷つかない平和な結末があるならそれで満足――」

「もういい!」

 

 思わず、叫んでしまった。

 感情的になったら負けだというのに。いや、負けたからこそ、叫んでしまったのだろう。

 しかし耐えられなかった。この男の卑劣さ、醜悪さに。これ以上、彼の卑しい言葉を耳にしたくなかったから、打ち切ってしまった。

 朧はそんな謡に対して、肩を竦める。その所作も不快だった。

 不愉快さが極まって、謡も思わず毒づく。

 

「君が腹に一物抱えてるのは感づいてたけど、こんな邪悪で陰湿な奴だったとはね」

「そんなに怒らないでほしい。オレだって遺憾なんだ。これは不幸な事故みたいなものだよ」

「本気で言ってるならぶん殴るよ」

「それは困る。痛いのは嫌だからね」

 

 握り拳をちらつかせると、朧は後ろに下がりながら卑しい笑みを浮かべる。本当に殴ってやりたかった。

 しかし、こうなってしまえば、謡はもう、どうしようもない。非常に癪な話だが、彼の言う通り、彼を告発するすることはできない。それをしてしまった場合、失うものが多すぎる。

 謡としても、できれば彼女たちに傷ついてほしくはない。特に目を付けている鈴の彼女には。

 善意で人を救える彼女に、悪意の醜さを、その刃を向けたくはなかった。

 遺憾と言うのなら、自分の方が遺憾だと言いたい。なにかを守るために、拳を降ろし、目の前の害悪を見逃さなくてはならないのだから。

 しかし、それでも、まだすべてを諦めるには早い。

 謡は朧に問うた。

 

「……朧君。君の口は、本当に嘘をつかない?」

「そう信じてほしいな。少なくとも無意味な嘘なんてつかないよ、オレはね。真実と信用については熟知しているつもりだ。記者だからね」

 

 胡散臭い言葉ではあったが、実際ここまで彼は、嘘をついているようには見えなかった。

 ただ、真実を隠しているだけで。

 

「なら教えて。妹ちゃんは――小鈴ちゃんたちは、なにをしているの?」

「それは、真実のすべては話せないな。なぜなら、オレにも未知の領域があるからね」

「やっぱり一発殴る……!」

「待った待った! 最後まで聞いてよ!」

 

 拳を振り上げると、朧は焦ったように両手で制止する。

 

「はぐらかそうってつもりじゃなくて、そのままの意味なんだよ。協力の話を持ちかけたのはオレだけど、無理強いはしていない。彼女たちは、彼女たちなりの意志と目的があってオレと手を組むことを許諾してくれたんだ」

「だから? もっとわかりやすく言って。私、頭悪いから」

「つまりオレたちは、協力はしてても仲間じゃない。相互利用の関係にあるんだ。そしてオレは、彼女たちの目的までは把握していない。それはオレの目的とは無関係だからね。だからオレが語れるのは、オレと彼女たちを繋ぐ共通項の部分だけなんだよ」

「……まどろっこしい言い方するね」

「事実を正確に伝えようと思ってね。端的に伝えると誤解を生みかねないから。特に、今の長良川さんにみたいに、興奮してる人が相手だと」

「あっそ……まあいいよ。話せることがあるなら、全部話して。さっき言ってた事件のことも、全部だよ」

「はいはい。承りましたよ」

 

 こんな形で知ることは、不本意ではあったが。

 しかしこれも、彼女らが自分に隠していることは、それだけ大きな出来事だからということなのだろう。

 朧から、これまでの彼と彼女らの行動について聞き出すと、謡は教室から出て行った。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ふぅ……」

 

 彼女が出て行ってから、数十秒。

 朧は椅子に腰かけ、背もたれに体を預けながら、嘆息する。

 

「……最悪の一手だ、これは。よく生き延びたな、オレ」

 

 嘆くのは今さっきの出来事。予想だにしない来客だ。

 長良川謡。伊勢小鈴らと繋がる、自分の級友。

 まさか彼女がこのタイミングで乗り込んでくるとは思わなかった。そしてそのせいで、“優先事項”を厳守するために、あまりにも大きなものを失ってしまった。

 

「せっかく穏便に事を済ませようとしたのに。よりにもよって、長良川さんを敵に回してしまうなんて……これは面倒くさいことになりそうだなぁ。色々根回ししとかないと。焔君とか手伝ってくれないかなぁ……ダメだよなぁ。流石にグレーゾーンすぎる。彼そこまでオレには優しくないから、学援部から漏れる可能性は低くなさそうだ。そうなってもまずい」

 

 とりあえず、生徒会への情報漏洩はギリギリで防げたと信じたい。その点は、相手が謡で助かったと言える。これが生徒会張本人だったら、問答無用だっただろう。

 

「まあ、長良川さんだからこそ厄介なこともあるんだけどね。これはもう、伊勢さんたちに動いてもらうのも難しくなったかな? そうなると、クライアント(あの人)との契約も見直さなくちゃいけなくなるのかなぁ。やだなぁ、面倒くさいし。誰か代わってくれないかな――」

「お兄ちゃーん」

 

 一人でぶつぶつと嘆いていると、教室の扉が勢いよく開かれた。

 妹が、やって来たようだ。

 

「狭霧ちゃん。前にも言ったけど、もう少し静かに入ってきてよ。一応、ここ秘密の場所なんだから。もうバレちゃったけど」

「ふーん。それより、一人なの? あいつらは?」

「今日のお客さんは皆帰ったよ。オレももう帰るとこ」

「そっか。じゃあ一緒に帰ろ」

「またメロンソーダたかる気? やめてよね、オレもう破産してるようなものなんだから」

 

 と言いつつも甘やかしてしまうのは、我が身と同じく可愛い実の妹だからか。

 彼女が抱いた欲望、要求には逆らえない。我ながら、なんとも因果な身だと思う。

 兎にも角にも、今日はどっと疲れた。手早く荷物をまとめて、帰り支度をする。

 

(これは計画の見直しも視野に入るかなぁ。契約の見直しも含めて情報共有して、あのお姉さんにも相談して……オレの身の振り方は、それから決めるか)

 

 憂鬱になるが、起こってしまったことは覆せない。

 この流れに逆らわず、できるだけ良い潮流を引き込めるよう、尽力するしかなかった。

 

「まったく、やらせにもほどがある。これじゃあ、実益の価値の方が下がっちゃうってもんだよ――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 教室を飛び出してから、謡は一直線に昇降口を抜ける。

 途中、生徒会室の前を横切った時、同期と上司に僅かばかりの謝罪をしたが、迷いも公開もなかった。

 目的は一つ。後輩たちを追い掛けること。

 今すぐにどうこうという話でもないだろうが、忠言を送るのならば、早いに越したことはない。

 

「変に気を遣わせたくなかったから黙ってるつもりだったけど、ちょっとこれは見過ごせないしね」

 

 これでも人間関係については弁えているつもりだ。いつでもお気楽なわけじゃない。生徒会だって場合によっては、人と人との間にいざこざが起こるもの。そういった現場は何度も経験しているし、そうならないようにも努めてきた。

 だからこそ、能天気でありたい。そんなしがらみに囚われたくはないと願うのだが、人の心の機微は酷く繊細で脆い。考えなしに触れれば、あっという間に狂ってしまう。

 しかし今回ばかりは、多少狂おうとも、手を出さざるを得ない。謡はそう感じていた。

 若垣朧。ただの陰気で秘密主義なクラスメイト程度にしか考えていなかったが、想像以上に危険な香りを匂わせる男だった。

 

「こんなことなら、咄嗟に隠れるんじゃなかったな。いや、でも、そっちの方が危険だったかな……いや、過ぎたことはもうどうでもいい」

 

 それより今は先のことだ。

 校門も通り抜けて、謡の足が止まる。

 理由は、彼女の前に現れた一つの小さな影だった。

 

「おっと、スキンブル。ちょうどいいところに来たね!」

 

 それは小さな猫――スキンブルシャンクス。謡の飼い猫であるが、それだけでは言い表せないほどの相棒であり、パートナー。

 今はそのフットワークの軽さを生かして、情報収集などを任せていた。朧の潜伏場所を突き止めたのも、彼の功績である。

 スキンブルはぴょんぴょんと跳ねるように謡の身体の上を駆け上がり、肩に乗る。そして前足をぐりぐりと謡の頬に押し付けた。

 

「え、えっ? な、なに、なんなの? スキンブル、なにかあった?」

 

 一度は彼と一体となった身。言葉がわかるわけではないが、スキンブルの考えや言いたいことは、なんとなく伝わる。

 しかしどうにも焦っているようだった。いまいち要領を得ないというか、気ばかりが急いてまるで伝わってこない。

 

「……もしかして妹ちゃん絡み? もうすぐまずいことになりそう? ……そっかぁ。なら、急がないとだね!」

 

 詳しいことはわからないが、それは道すがら、もしくは現地で知ればいいだけのこと。

 朧のこともそうだが、それ以前に彼女らは、既に危ない橋を渡っているのだ。たとえ、彼女たちに戦う力があったとしても、多くの仲間に囲まれていたとしても、危険であるという事実は変わらない。

 特に、人を疑えない、人を信じることを信じすぎている無垢な少女には、そんな醜悪な世界は酷であろう。

 誰かが守ってやらなくては。そんなものは傲慢であるが、彼女の心を、悪意から守る盾は必要だ。

 だから、

 

 

 

「だから――私だけのけ者ってのは、嫌なんだよねっ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 朧さんと別れて、帰路に着いたわたしたちは、葉子さんから貰ったパンの封を開けていた。

 

「もぐもぐ……えへへ、こんなにもらっちゃって、ちょっと悪い気がするなぁ」

「そのにやけ顔、微塵も悪いとか思ってないよね」

 

 けど、貰ったパンがちょっと多すぎて、ここで消費しておかないと、ぜんぶ潰れちゃいそうだったんだよね。

 わたしとしても、お行儀が悪いというのはわかっているんだけれど、でも、買い食いと食べ歩きは、それはそれで乙なものだからね。

 け、決してパンの誘惑に負けたわけじゃないんだよっ!

 ちゃんとみんなにも分けてあげてるし!

 

「うわ、なにこれ、まっず……」

「パン、パサパサ……野菜、いらない……」

「まるで粉ひき屋さん(ミュラー)が食べるみたいなパンです……」

「粗食に過ぎる食べ物だ。小鈴の悪食疑惑が浮上したね」

「うーん、わたしはおいしいと思うんだけどなぁ。ヘルシーだし」

「いくら低カロリーでも、まずかったら本末転倒だよ、小鈴ちゃん」

 

 みのりちゃんはそんなこと言うけど、わたしは好きだよ、サラダパン。

 もぐもぐとパンを咀嚼する。確かにパンの質という点では、他のパンにはちょっと劣るかもしれないけど、野菜と併せたこのヘルシーさがいいと思うんだけどなぁ。アッサリしてるし。

 とそこで、わたしはふと思い出して、鞄を開けた。

 そして、大量のパンで埋もれたオルゴールの箱を取り出す。

 

「鳥さん鳥さん。起きて起きて」

「んん……なんだい? 楽しい午睡の真っ最中なんだけど」

「鳥さんも一緒に食べよう。葉子さんからたくさんパンをもらったんだよ」

 

 せっかくみんなで食べてるんだから、一人だけ仲間外れもかわいそうだしね。

 鳥さんにもサラダパンをひとつ、ちぎってあげる。鳥さんは雛鳥みたいに、くちばしで器用にパンを受け取って飲み下した。

 

「……なんだいこれは。乾燥してて不味いね」

「そんなことなくない? ほら、今度はこっちの野菜と一緒に食べてみて」

「むぐむぐ……いや、やっぱり不味い。前に食べたオニオンなんちゃらの方が数段美味しいね」

「あれちょっと高くていいやつだもん。そりゃあ、あっちの方がおいしいだろうけどさ……」

「僕には冥界神話どものような悪食の趣味はない。昼寝を続けさせてもらうよ。昨晩もずっとクリーチャーを探してて、凄く眠いんだ。おやすみ」

「あ、ちょっと鳥さんっ」

 

 言うが早いか、鳥さんは身体を倒して目を瞑って、あっという間に寝てしまった。

 もう、せっかく葉子さんから貰ったのに、失礼な鳥さんだよ。

 

「まあでも、鳥さんも一生懸命、クリーチャーを探してくれてるんだもんね」

 

 クリーチャーを探すことは、今この町で起こっている二つの事件を解決する手掛かりにもなる。

 だから、休むべき時には、ちゃんと休ませてあげた方がいいんだよね。

 わたしは鳥さんの寝床(オルゴール)を仕舞おうと、再び鞄を開ける。

 

「あっ、っとと、わわっ!」

 

 けど、ちょっと勢いよく開けすぎちゃって、うっかり鞄を落としてしまう。

 ファスナーを開けたまま落としちゃったから、当然、中身も散らばる。葉子さんから貰った大事なサラダパンが、道路に散らばってしまった。

 

「小鈴ちゃん! 大丈夫?」

「大丈夫……けど」

「これはまた、随分と派手にぶちまけたな」

「一緒に拾いましょう、小鈴さん」

「う、うん、ありがとう」

 

 とりあえず、このパンたちを拾わなきゃ。

 わたしも一旦、鳥さんのオルゴールを地面に置いた。

 鞄の中にギッシリ詰め込んじゃったから、結構たくさん出て来ちゃった……うっかりしてたよ。

 手分けして、急いでパンを拾い集める。散らばったパンのうち一つに手を伸ばす。

 すると、わたしの手よりも先に、誰かがそれを拾い上げた。

 

「あ、ごめんね。わたしのドジでみんなにも手伝って、もらっちゃっ、て……?」

 

 それを拾ってくれたのは、恋ちゃんか、ユーちゃんか、霜ちゃんか、それともみのりちゃんか。

 一緒に拾ってくれているみんなの誰かだと思ったけど、違った。

 

「……え?」

 

 見上げると、高い人影。みのりちゃんよりも、ずっと大きい。

 女の子の身体じゃない。それは、男の人だった。

 

「ヤ……」

 

 ベリベリッ、とパンの包装が破られる。

 サラダを挟んでいるパンが落ちる。野菜もポロポロと零れ落ちる。

 けれど同時に、すり潰すような咀嚼の音が聞こえた。

 

「……サイ、バ……タケ……コレ、チ……ガ、ウ……ドレ、ドコ……ニ」

 

 一心不乱にサラダパンに、しかもそのサラダにだけ食らいつく男の人。まるでなにかに憑かれているように、狂気的なまでに、わたしのパンを貪っていた。

 

「……モ、ト」

「え、あの……」

「チ、ガウ……モット……ソレモ……クウ、クレ……サガ、ス……ドコ、ダ」

 

 なにかが光った。

 けど、わたしは目の前の出来事の意味が、なにが起こっているのか、まるでわからなくて、呆然としてしまっていた。

 

 

 

「――小鈴!」

 

 

 

 その、声を聞くまで。

 霜ちゃんの声で、ハッと我に返る。そして気付く。

 いつかどこかで覚えがある。これは、この煌めきは――

 

(ナイフ――!)

 

 ヒュッ! と空を裂く音。同時にわたしは、ほぼ反射的に、後ろに倒れるように身を退いた。

 そしてそれは、わたしの前髪を僅かに攫って、振り下ろされる。

 

「っ……!」

 

 ドスッ! と鈍い音が響いた。

 わたしは、とんでもない失敗をしてしまったのかもしれない。わたしが身を退いたことで、わたしは確かにナイフから逃れることができた。

 けれどそのナイフは、深々とオルゴールの木箱に突き刺さっていた。

 

「と、鳥さん!?」

 

 あのオルゴールは、鳥さんの住処であり寝床。そして今も、鳥さんがお昼寝で使っている真っ最中。

 そこにナイフが突き刺さったということは、中の鳥さんも――

 

「なんだなんだ!? 急に寝床が揺れたと思ったら変な気配が……って、蓋が開かないぞ! どういうことだ!? 小鈴、なにがあった!?」

 

 ――無事、のようです。

 よ、よかったぁ……本気で心配しちゃったよ。ただ、ナイフのせいで箱の中から出られなくなっちゃったみたいだけど。

 それに、

 

「な、なんなんですか、あなたは……!」

 

 この、男の人だ。

 人のパンを勝手に食べたり、いきなり刃物を突き付けてきたり、ちょっと普通じゃない。

 っていうかこの人、なんか、どこかで見たことがあるような……?

 

(……あ! そうだ、この人、朧さんに見せてもらった記事の……!)

 

 この町の畑や八百屋さんを荒らして回っているらしい、脱獄犯。

 ネットニュースにあった写真の顔と一緒だ!

 

(で、でも、なんか変……)

 

 さっきから、散らばったパンを拾っては、パンを捨てて野菜だけを貪っている。

 それに、なんだか目も据わってるというか、虚ろというか……

 すると不意に、その眼がこちらに向いた。

 

「コレ……ジャ、ナイ……チ、ガウ……ソ……レ」

「え?」

「ソ、レ……モ……ヨコ、セ。ヤ……サイ……」

 

 見れば、その手にはもう一振り、大きく湾曲した禍々しいデザインのナイフ。

 それを、振り上げていた。

 

「ボケッとするな! 小鈴! 早く立て!」

「小鈴ちゃん! こっち!」

 

 腕を引っ張られる。同時に、また刃物が一閃される。

 

「なにがなんだかわからないが、とりあえずヤバイ! 早く逃げるよ!」

「で、でも鳥さんが……!」

「あんな鳥肉ほっときなよ! きっと大丈夫だから! あいつ、明らかにこっち向かって来てるし!」

 

 みのりちゃんの言う通り、脱獄犯の男の人は、ふらふらと危うげな足取りで、だけれどしっかりとわたしたちに向かって、歩を進めていた。

 

「あれ……クスリとか、やってたん、じゃ……?」

「色々前科持ちだったらしいしね、その可能性はあり得る! どちらにせよヤバさがさらにランクアップしただけだけどね!」

 

 わたしは、みのりちゃんに腕を引かれ、無我夢中で走り続ける。大人の男の人が本気で追いかけてきたら、女子中学生のわたしたちじゃとても逃げ切れないけれど、脱獄犯の人も様子がおかしくて、遅くはないけど速くもない。遅くなったり速くなったり、挙動が変だった。

 なんていうか、わたしたちに向かっているのに、わたしたちを見ていなくて、ずっとよそ見をしながら追いかけて来ているみたいな……

 

「はぁっ、ふぅ……もう、無理……」

「恋ちゃん!」

 

 走っていると、恋ちゃんが音を上げた。

 元々身体が強くないし、体格もわたしたちの中で一番小さな恋ちゃんは、体力がない。50メートルを全力で走りきるだけでも精一杯なほどだ。

 だから、ちょっとの距離でも全力で走れる時間はごく僅か。そして早くも、恋ちゃんの力が尽きてしまった。

 息を荒げて立ち止まった恋ちゃんに、脱獄犯の人の影が忍び寄る。

 

「ドコ、ダ……ドコ、ニ……ソレ……オ……マ、オマ、エ、カ……!」

 

 定まらない視線で、妙なことを口走って、男の人はその手にナイフを握り込む。

 鋭利な刃が煌めく。その切っ先は、恋ちゃんに向く。

 

「だ、ダメ――!」

 

 咄嗟に、みのりちゃんの腕を振り解いて、手を伸ばす。

 でも、届かない。わたしの短い腕では、遅い足では、恋ちゃんまでは、届かない。

 あと少しでも、わたしが大きければ。もう少しだけ、わたしが速ければ。

 そんなことを悔やんだところで、わたしでは、恋ちゃんを助けられない。

 そう――“わたしでは”。

 

 

 

「――スキンブル!」

 

 

 

 小さな黒い影が、物凄い勢いで飛び出した。

 黒影は弾丸のようなスピードで男の人に飛びかかると、その勢いのまま男の人の顔に飛びついた。それに怯んでしまい、相手もナイフを取りこぼす。

 その後に続いて、恋ちゃんを守るように前に出る、女の人。

 その人は――

 

 

 

「ヒーローは遅れてやって来るとか、そんなこと言ってらんないね、こいつは……でも、間に合って良かった」

 

 

 

 ――謡さん、だった。

 そして男の人に飛び掛かったのは、小さな猫――スキンブルくんだ。

 

「大丈夫かな、れんちゃん。怪我とかない?」

「ん、ない……ありがと」

「どういたしまして」

 

 謡さんと、スキンブルくんが、恋ちゃんを助けてくれた……みたい。

 とりあえず、良かった……本当に良かったよ。

 

「でも、謡さんは、どうしてここに……?」

「スキンブルから聞いたんだよ。ヤバそうなのがこの近くにいるから、もしかすると妹ちゃんたちと鉢合わせるかもしれない、って感じでね」

「まるで、ボクらの下校時刻を知ってるみたいな口振りですね」

「まさかつけられてた? ストーカーですか先輩」

「微妙に否定しづらいけど、そのへんの話は後にして。私も言いたいこといっぱいあるけど、今はそれどころじゃないみたいだからさ」

 

 そうだ。

 恋ちゃんは助かったけど、まだ脅威が去ったわけではない。

 脱獄犯の人は、顔面を覆うスキンブルくんに驚いているのか、奇怪な動きで、もがくようにずっとふらふらしている。

 

「謡さんは、あの人を知ってるんですか?」

「いんや、私にもわかんないけど、スキンブルが言うには、たぶんクリーチャーだね」

「クリーチャー!?」

「そ。ってかあれって、ニュースでやってた脱獄犯でしょ。なら擬態したタイプじゃなくて、憑りついてるタイプだろうね。クリーチャーに憑りつかれたから脱獄できたってところかな」

 

 そっか、クリーチャーだったんだ。

 ということは、脱獄犯のおかしな行動も、目の前で見せている奇妙な言動も、全部クリーチャーに関わること……?

 

「妹ちゃん、いつものトリッピーは?」

「と、とりっぴー? 鳥さんのことかな……その、鳥さんは今いなくて……」

「そっか。そんじゃ、うるさいのがいなくなったと前向きに捉えよう。あんな狂った奴を妹ちゃんに任せたくもなかったし……スキンブル! 戻っておいで!」

 

 謡さんがスキンブルくんを呼び戻す。

 

「相手がクリーチャーなら、やるべきことは一つだね。デッキがちょっと不安だけど……叩いて追い出す!」

「でも、クリーチャーってあの鳥類の力を借りるか、相手から交戦意思がないと、戦えないんじゃなかったか? あのヤバそうなの、どう考えても戦場に招いてくれるようには見えないけど」

「ねー、先輩も情弱だなぁ」

「流石の私もそろそろ怒るよ? っていうか、そのくらい知ってるよ。でも大丈夫なんだな、これが」

 

 スキンブルくんを抱え上げて、謡さんは言った。

 

「スキンブルにはクリーチャーの性質の欠片みたいなものがあるんだってさ。こっちから戦いを仕掛けられる」

「スキンブルくんに、クリーチャーの性質……?」

「えっ、スキンブルさんって、クリーチャーだったんですか?」

「違うけど、完全に違うとも言いきれないっていうか……いやまあ、私にも詳しいことはわかんないだけどさ。まあとにかく! 今はそんなお理屈はどうでもいいよ!」

 

 そうでした。

 今は、スキンブルくんがなぜ鳥さんやクリーチャーのように戦いの場を設定できるのかよりも、それができるということが大事なんだ。

 脱獄犯の人は相変わらず、焦点の定まらない目で、どこか違うところを見据えながら歩くように、揺れ動きながらこちらに向かっている。

 その手に、禍々しく湾曲したナイフを握り締めて。

 

「ココジャ、ナイ。ココ、ジャナイ。コ、コ、ジャナ、イ……ドコニ、ドコダ、ドコ、アル……ソコ、アル……?」

「なんか、変なクリーチャーだね。なにかを探してるみたいな……まあ結局ぶっ飛ばすんだから関係ないか。スキンブル、行くよ!」

 

 謡さんの掛け声に合わせて、スキンブルくんも鳴き声を上げる。

 そして次の瞬間には――戦いの場が、創られていた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 始まってしまった。謡さんと、脱獄犯の男の人との、対戦が。

 謡さんは3ターン目にして、さらに《ヤッタレマン》を並べる。

 《ヤッタレマン》が二体。ここから放たれる展開力は物凄いんだけど……

 

(残念ながら《ニヤリー・ゲット》がない……デッキに積んでるのも一枚だけ。いくら《ヤッタレマン》を複数並べても、もう前みたいにアホほど展開することはできないか)

 

 二重のコスト軽減で、マナの問題は解決しているけど、謡さんには、それを使い切るだけの手札がない。

 そして、その手札を支えていた《ニヤリー・ゲット》も、殿堂入りしてしまっている。

 

「まあ、このデッキはそこまで過剰展開する必要もないから、いいんだけどさ。1マナで《パーリ騎士》を召喚。墓地のカードをマナに置いて、ターンエンド」

「ウ、ァウ、ウゥ……ドコダ……ドコ、ダ……ヤサ、イ……ハ、タケハ……ドコニ……」

 

 脱走犯さんのターン。なんだかずっと、奇妙なうめき声とか、うわ言めいたことを呟いているけど、大丈夫なの……?

 

「ドコダ、ドコダ、ドコダ――!」

 

 脱獄犯の人は、場の《虹彩奪取 ブラッドギア》の能力でコストを減らして、クリーチャーを召喚する。

 刃物のような両翼を広げたそれは、ドラゴン。《不吉の悪魔龍 テンザン》。

 なんだか強そうなクリーチャー……って、パワー13000!? たった4マナなのに!?

 い、いくらなんでも強すぎるけど、このマナコストでこのパワーってことは、なにかデメリットがあるはず、だよね……?

 

「エ、ウ、ア、ァ……ウ、ゥア……チガ、ウ、チガウ、チガウチガウ……シラ、ナイ。シラナ、イ、ヤ、イ、ヤサ、イ、イィィ……!」

「なにこいつ、情緒不安定すぎてマジで怖いんですけど……」

 

 

 

ターン3

 

 

場:《ヤッタレマン》×2《パーリ騎士》

盾:5

マナ:4

手札:1

墓地:0

山札:27

 

 

脱獄犯

場:《ブラッドギア》《テンザン》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:27

 

 

 

 どこか苦しそうに、ターン終了を宣言する脱獄犯の人。

 対する謡さんは、相手のクリーチャーに対して、怪訝そうに眉根を寄せていた。

 

「にしても、《テンザン》かぁ……」

 

 謡さんは、あのクリーチャーのことを知ってるみたい。

 きっと、あのクリーチャーの強大さと、たぶん持ってるはずのデメリットを天秤にかけて、どうするのかを考えてるんだと思う。

 謡さんはしばらく悩んでから、その迷いを断ち切るように、スッと手札を一枚引き抜いた。

 

「ほっとくと明らかにヤバいことするけど、やっぱ私にできるのは、自分の動きを押し付けるだけだね。とっとと決めるよ! 3マナで《ヘルコプ太》を召喚! 私のジョーカーズは四体だから、四枚ドロー!」

 

 飛び出すのは、プロペラのついたヘルメットのクリーチャー。《ヘルコプ太》。

 一気に手札を増やせるクリーチャー。これで、謡さんの《ヤッタレマン》のコスト軽減も、活用しやすくなる。

 謡さんはごっそりとカードを引いて、手札に目を落とす。

 

(お、《ポクチンちん》だ。墓地リセットに、踏み倒しメタができるけど……うーん)

 

 そして今度は、相手の場に視線を送る。

 相手のカードから、どんなデッキかを探ってるのかな?

 

(色は黒赤か。って言っても、私じゃあのデカブツでなにをするのかはさっぱりだけど。問題は、墓地を増やされてからじゃ遅いのか、それとも《テンザン》のデメリット回避のために、侵略や革命チェンジを使うのか、ってことだ。墓地を増やしてからのインターバルがあるなら、この《ポクチン》は持っておきたいけど、踏み倒しをするなら出しておきたい。さて、どうしようか)

 

 謡さんはまた、しばらく悩んでから、今度は迷ったままのような表情で、手札のカードを引き抜く。

 

「とりあえず、これで。1マナで《ジョジョジョ・ジョーカーズ》だよ。山札から四枚を見て……」

 

 なにをするべきか悩んだから、ここでの引きで次の一手を決める?

 謡さんがどういうつもりでそのカードの使用に至ったのかはわたしにはわからないけれど、その行動は、謡さんが望む結果を導いたみたいだった。

 

「ラッキー! 二枚目だ、《ポクチンちん》を手札に! そして1マナで、《ポクチンちん》を召喚! 私の墓地を山札に戻してシャッフル!」

 

 謡さんが繰り出すのは、木魚みたいなクリーチャー。というか、木魚そのものだ。

 でも、その名前……いや、なんでもないよ。

 《ポクチ》……木魚のクリーチャーは、ポクポクと自分の頭を叩いて音を鳴らして、念仏を唱える。すると、謡さんの墓地がすべて、山札に戻った。

 墓地のカードを山札に戻すクリーチャー、なのかな?

 

(お相手さんがなにをするつもりなのかはわかんないけど、場と手札の《ポクチン》で、踏み倒しも墓地利用もメタれてる。あとは、上手く“アレ”が引ければ、一気にフィニッシュまで持っていけるけど……)

 

 謡さんはこれでターン終了。

 そして、お相手の脱獄犯の人のターンに移る。

 

「ウ、ウァウゥ……ドコダァ……」

「《リロード・チャージャー》……」

 

 相手の行動は、マナを伸ばすことと、手札交換。

 ――だけじゃない、当然ながら。

 

「コッチ、カ……ソコ、カァ……!」 

「来るか……!」

 

 《テンザン》が咆える。攻撃だ。

 同時に、相手の山札が墓地へと送られた。どうやらあのクリーチャーは、攻撃と同時に墓地を増やすクリーチャーみたい。

 なんだけど、その数が尋常ではない。一、二、三……数えきれない。けど、とんでもない量の――恐らく十枚以上――山札が墓地へと削り落とされた。

 あんなに山札を削ったら、デッキもすぐになくなっちゃうんじゃないか、と思うけれど。

 そんなわたしの考えは、一瞬で吹き飛ぶことになる。

 《テンザン》が攻撃する。墓地がたくさん増える

 そして――

 

「……え?」

 

 

 

 ――バトルゾーンが、爆ぜた。

 

 

 

「な、なんで……!?」

 

 《テンザン》が謡さんのシールドを三枚も食い破る。だけど、謡さんはその攻撃力ではなくて、バトルゾーンの自分のクリーチャーを見て、驚愕しているようだった。

 いや、より厳密に言うのであれば、バトルゾーンにいたはずの、謡さんのクリーチャーを、かもしれない。

 

(なんで私のクリーチャー……“全滅してる”の……!?)

 

 そう、謡さんのバトルゾーンには、クリーチャーはいなくなっていた。

 あんなにたくさん展開したクリーチャーが一瞬で、すべて墓地に叩き込まれていたんだ。

 

(《テンザン》が攻撃する時に、なにかをした素振りはなかった。だからその時に発動したのは、山札のカードを墓地に送る効果だけ。それで発生する除去って言ったら、《爆撃男》……? でも、それにしたって、こんなのあり得ない)

 

 吃驚と、困惑に満ちた謡さんの表情。わたしも、今この場でなにが起こっているのか、さっぱりわからない。

 

(私の場にいたクリーチャーは五体。しかもうち一体は、パワー3000の《ポクチンちん》だった。いくら《爆撃男》が四体落ちても、私のクリーチャーを殲滅するなんて、できるはずないのに……!)

 

 なにが起こって、謡さんの場が全滅したのかはわからない。

 考えられるとすれば、《テンザン》が攻撃した時の能力だけど……って、あれ?

 そこでわたしは、ふと気づいた。

 相手の墓地の、異変に。

 

(墓地が消えてる……《悠久》も一緒に落ちて、山札に戻ったのかな。ってことは、この結果が《爆撃男》的なカラクリで行われてるのだとすれば、《テンザン》が殴るたびに私のクリーチャーが殲滅される……!)

 

 

 

ターン4

 

 

場:なし

盾:2

マナ:5

手札:6

墓地:5

山札:22

 

 

 

脱獄犯

場:《ブラッドギア》《テンザン》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:0

山札:26

 

 

 

「ははっ。どうやら私のデッキは、お相手さんのデッキとの相性が最悪みたいだね」

 

 口では笑ってはいるけれど、表情は険しい謡さん。

 わたしも今まで色んなジョーカーズを見てきたけど、ジョーカーズの戦術の多くは、場にクリーチャーを並べることに意味があることが多かった。

 それはきっと、今の謡さんも同じ。

 だから、バトルゾーンを空にされた今の謡さんは、とても苦しいよね……

 

「トリガーまだほとんど見えてないし、一枚くらいは期待してもいいよね……とりあえず立て直さなきゃ。《ジョジョジョ・ジョーカーズ》で山札を見て、《パーリ騎士》を手札に加えるよ。そして3マナで《パーリ騎士》、もう3マナで《ポクチンちん》を召喚! 私の墓地を山札に戻してシャッフル! ターンエンド」

「ウウウ、ァァァ……マダ、マダ、ダ……ミ、ミツミ、ミ、カ、ミツカ、ナイ……ラ、ナイ……ハ、ヤサイ、バ、タケ……」

「《ブラッドレイン》に《勇愛》……」

 

 脱走犯さんは、あまり大きくは動かない。小型クリーチャーを並べたり、手札を入れ替えるばかり。

 でも、それでも構わないんだ。

 だって、相手はもう、謡さんを倒すだけの武器を、その手に握っているんだから。追加の武器は必要ない。

 二度目。再び《テンザン》が咆える。

 

「第二波、来るか……!」

 

 《テンザン》が刃の両翼を広げて飛ぶ。同時に、また相手の山札が瞬く間に墓地に送られ――そして、山札へと戻っていく。

 その一連の流れはあまりに早く、わたしの目でも追えなかった。

 でも、結果だけは、目に見えてわかる。

 

「っ、また、私のクリーチャーが……!」

 

 場が爆ぜる音。

 煙が晴れると、またしても、謡さんのクリーチャーは全滅していた。

 そしてその煙を突き破って、《テンザン》が謡さんの残りのシールドを食い破る。

 相手の場にはまだ《ブラッドギア》が残ってるし、ここでS・トリガーを引かないと、謡さんは……!

 

「っ、S・トリガー発動《ジョバート・デ・ルーノ》! 《ブラッドギア》をタップ!」

「ウゥ……」

 

 か、間一髪……!

 寸でのところで、謡さんは《ブラッドギア》の攻撃を止めた。

 

 

 

ターン5

 

 

場:《ジョバート》

盾:0

マナ:7

手札:6

墓地:2

山札:24

 

 

 

脱獄犯

場:《ブラッドギア》《テンザン》《ブラッドレイン》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:0

山札:24

 

 

 

 なんとか耐えられた謡さんだけど、バトルゾーンにクリーチャーはいない。そして、シールドも。

 

「……ギリギリ、行けるかな」

 

 けれど謡さんは、まだ闘志を喪っていない。

 絶体絶命の崖っぷちでも、まだ、敗北を跳ね除けるだけの力がある。

 

「3マナで《パーリ騎士》を召喚! さらに3マナ、もう一体《パーリ騎士》を召喚!」

 

 謡さんは、立て続けにクリーチャーを召喚する。

 でも、それはマナを溜めるだけの行為。それに、いくらクリーチャーを並べても、《パーリ騎士》じゃこの場は覆らない。

 けれども、

 

「これで私のマナは残り4マナ。そして場には三体のジョーカーズ……これらすべてを、手札に!」

 

 謡さんは、せっかく召喚した自分のクリーチャーをすべて、手札に戻してしまう。

 なにをする気なんだろう、謡さん……

 

「コストをマイナス3軽減、4マナで召喚するよ!」

 

 カチッ、カチッ、と。

 まるで弾を込めるかのような、金属同士が小さく触れ合う音が響く。

 そして――

 

 

 

「闇夜を裂くは星の群れ。無限の銃弾で奔れ――《ジョット・ガン・ジョラゴン》!」

 

 

 

 ――無限の銃身(ドラゴン)が、降り立った。

 ドラゴン。そう、ドラゴンだ。

 《ジョット・ガン・ジョラゴン》。前にも見たことはあるけれど、あの時のような落書きではない。正真正銘、本物のドラゴン。何丁もの銃を背負った巨大な龍だ。

 これが、今回の謡さんの切り札なのかな。

 

「一気に決めに行くこともできるけど、トリガーちょっと怖いし……一旦待とうか」

 

 謡さんはここでようやく前に出る。

 だけど、まだ攻めるわけではない。銃口が向けられたのは、脱獄犯の人ではなく、そのクリーチャー。

 

「《ジョラゴン》で《ブラッドギア》を攻撃! する時に、手札のこれを使うよ!」

 

 ピンッ、ピンッ! と、謡さんはカードを二枚、跳ね上げる。

 そして、そのうちの一枚は、上空である数字を形作った。

 

「まずはこっちから――アタック・チャンス! 《黄泉秘伝トリプル・ZERO》!」

 

 それは、三つの(ゼロ)

 このカードの見たことがある。前に謡さんが使っていた呪文だ。

 無色クリーチャーの攻撃に反応して、タダで唱えられるアタック・チャンス呪文。普通に使えば、シールドを一枚増やすだけだけど、

 

「追加効果だよ。私の場にコスト6以上の無色クリーチャーがいるから、さらに手札、マナに、山札からカードを一枚ずつ追加!」

 

 虚空に浮かんだ三つの数字は、それぞれシールド、手札、マナへと変換される。

 シールドが回復したから、これでもう少しだけ耐えられそう。

 

「さらに《ジョラゴン》の能力で、一枚ドローしてから、一枚捨てるよ!」

 

 謡さんはさらにカードを引く。そして、跳ね上げたカードが落ちてきた。

 けれど謡さんは、それを掴み取ることなく、墓地へ……いや。

 《ジョラゴン》の手元へと落ちて――吸収された。

 

 

 

「起動――ジョラゴン・ビッグ1!」

 

 

 

 ジョラゴン……ビッグ、ワン?

 なんとも必殺技っぽい響きだ。

 名前からして、《ジョラゴン》の能力みたいだけど、吸収されたカードと関係あるのかな。

 

「ジョラゴン・ビッグ1によって、私は手札から捨てたジョーカーズの「バトルゾーンに出た時」の能力を使うことができる!」

 

 捨てたジョーカーズの、バトルゾーンに出た時の能力を使える……?

 一瞬、なにを言っているのかよくわからなかったけど、それは次の瞬間、わたしの目で確かに理解することになる。

 

再現銃弾(ジョーカーズ・バレット)装填(ロード)標準補正(ターゲットロック)――[[rb:射出準備全完了 >ガンナーシークエンス・フルコンプリート]]」

 

 ガコン、となにかが装填されるような音が響く。

 《ジョラゴン》が数多の銃身のうちの一つを構え、照準を定める。

 そして、引き金(トリガー)を、引く。

 

 

 

第一射(ファースト・バレット)――発射(ショット)!」

 

 

 

 一直線に飛んでいく銃弾。だけど、その弾は、ただの弾丸ではなかった。

 弾丸と一緒に、風になびくあれは……紙?

 いや違う。あれは、クリーチャーだ。

 

「私が捨てたのは《ガヨウ神》! ジョラゴン・ビッグ1で、その登場時能力を再現する。だからまずは二枚ドロー! その後、手札の《ジョバート・デ・ルーノ》を捨てて追加ドローするよ!」

 

 攻撃しながら、ドローを加速させる謡さん。そしてその能力は、あのクリーチャーのもの。

 捨てたジョーカーズのバトルゾーンに出た時の能力を使うって、こういうことなんだ……すごい。

 あれでも、あの能力が発動するのが、ジョーカーズを捨てた時ってことは……

 

「再現銃弾《ジョバート・デ・ルーノ》、再装填(リロード)

 

 謡さんは《ガヨウ神》で、“手札を捨てている”。

 つまり、

 

 

 

第二射(セカンド・バレット)――発射!」

 

 

 

 もう一度、ジョーカーズの弾丸を発射できるんだ。

 

「《ジョバート・デ・ルーノ》の登場時能力を再現。クリーチャーを一体ずつ、タップ&アンタップ! 《ブラッドレイン》をタップして、《ジョラゴン》をアンタップするよ!」

 

 《ジョラゴン》はもう一丁の銃を構えて、引き金を引く。だけどその弾はクリーチャーではなく、上空に向けて放たれた。そして弾丸にも、さっきと同じようにジョーカーズのクリーチャーが宿っていた。

 水道の蛇口……配管工? みたいなクリーチャーは、スプリンクラーのように水を撒き散らして相手クリーチャーをタップ。同時に、《ジョラゴン》の身体を洗浄して、起き上がらせた。

 

「攻撃続行! 《ジョラゴン》で《ブラッドギア》を破壊!」

 

 そういえばこれって、《ジョラゴン》の攻撃中の出来事だったっけ……色々な能力が発動して忘れてたよ。

 《ジョラゴン》の弾丸は一直線に飛んで行って、《ブラッドギア》を射抜く。

 

第三射(サード・バレット)! 《ジョラゴン》で《ブラッドレイン》を攻撃する時、カードを一枚引いて、一枚捨てる――再装填、《バイナラドア》!」

 

 すかさず次の銃を構える。三発目の弾丸を込め、放つ。

 今度の弾は《バイナラドア》。ということは、つまり、

 

「《テンザン》を山札の下へ! そのまま《ブラッドレイン》をバトルで破壊!」

 

 弾丸は赤い扉に変わり、《テンザン》を飲み込んでしまった。

 そして弾丸はそのまま直進して、《ブラッドレイン》を射抜く。

 すごい連続攻撃……あっという間に相手のクリーチャーをすべて倒してしまった。

 謡さんの新しい切り札、すっごく強いよ。

 

「ターンエンド。次のターンに射止めるから、覚悟しといてね!」

 

 勝利宣言しながら、ターンを終える謡さん。

 クリーチャーこそ一体だけど、《ジョラゴン》はジョーカーズの力を自由に使える。さっきの連続攻撃はクリーチャーを倒すために使ったけど、あれをそのまま、相手プレイヤーを倒すために使えば……

 

「ア、アァ、ァア、ァアァァア、イ……コダ、ド、コ、ダ……ァ!」

「! あのクリーチャーは……」

 

 相手の場に、クリーチャーが召喚された。

 大きく開かれた一つ目。緑と黒でおどろおどろしいまでに彩られ、あらゆる箇所から刃は生え、そしてねじれた歪な身体。

 手にしているのは禍々しく湾曲した手鎌。指先まで恐ろしいほどに変色していて、ものすごく不気味なクリーチャーだった。

 あのクリーチャーが、脱獄犯の人に憑りついた、クリーチャーの正体……?

 

「《凶鬼04号 ビビム》……えっと、確かアレは、墓地か場から離れた時に、クリーチャーのパワーを下げる能力を持ったクリーチャー……」

 

 墓地か場から離れるたびに、クリーチャーをパワーを下げる?

 相手のデッキには、墓地に落ちたら、墓地のカードをすべて山札に戻す《悠久を統べる者フォーエバー・プリンセス》が入っている。ということは、《テンザン》で《フォーエバー・プリンセス》と一緒に墓地に送り込んで、その能力で一瞬で山札に戻ることで、パワー低下を放っていたんだ。

 

「成程ねぇ。《爆撃男》と合わせてパワー低下をばら撒くビートダウンってわけか。最後に種明かししてくれるなんて、お優しいこと」

「アゥ、ゥア、ァ……ナイ、ナイ……ガウ、チガ、ガウ……ココ、ドコ……」

 

 煽るようなことを言う謡さんだけど、相手には通じていないみたい。

 ずっと、同じ言葉を繰り返して、狂乱したような叫びと呻きの声を上げている。

 

 

 

ターン6

 

 

場:《ジョラゴン》

盾:1

マナ:10

手札:10

墓地:4

山札:14

 

 

 

脱獄犯

場:《ビビム》

盾:5

マナ:7

手札:1

墓地:2

山札:24

 

 

 

「さて、ちょっとパーツ探しに行こうか……G・ゼロ《ニヤリー・ゲット》! 三枚捲って、《ヘルコプ太》《ジョバート・デ・ルーノ》《ガヨウ神》を手札に。5マナで《ヘルコプ太》を召喚して、二枚ドローするよ」

 

 謡さんはここに来て、膨大な手札をさらに増やす。

 なにかを探すように、山札を掘り進める。

 

「残りデッキ枚数は……だいぶ減ったなぁ。じゃあ、《ジョバート・デ・ルーノ》を召喚、《ビビム》をタップして、《ジョラゴン》で攻撃!」

 

 《ジョラゴン》が銃を構えた。

 謡さんは手札のカードを放ち、それを《ジョラゴン》が吸収、弾丸として込める。

 

「一枚引いて、《ガヨウ神》を捨てる(ディスカード)――再現銃弾、装填。ジョラゴン・ビッグ1、起動!」

 

 弾に宿る《ガヨウ神》。

 相手を射抜く銃弾は敵を斃すと同時に、謡さんに力を与えてくれる。

 

「まずは二枚ドローして、《ジョバート・デ・ルーノ》を捨ててさらに二枚ドロー! 再装填だ。《ジョバート》を捨てたから、《ジョラゴン》をアンタップ!」

 

 カードを引きながら手札を捨てる《ガヨウ神》で、次の弾も装填。前のターンにも見せた、あの連続攻撃だ。

 再度《ジョラゴン》で攻撃する態勢を整えつつ、《ビビム》を撃ち抜く。《ビビム》も場を離れたから、砕け散った刃が飛んできて《ジョバート・デ・ルーノ》を破壊するけど、そのくらいでは、もう止まらない。

 謡さんは次の弾を握っていて、《ジョラゴン》も銃を構えている。

 

「《ジョラゴン》で攻撃する時、一枚引いて、捨てる――再現銃弾、再装填」

 

 ガコンッ、と。

 三発目のジョーカーズ弾が、装填される。

 それは今までよりも大きく、熱く、そして強い弾丸だった。

 

 

 

「ぶち砕け――《アイアン・マンハッタン》!」

 

 

 

 プレイヤー目がけて放たれる《ジョラゴン》の銃弾。例によってその弾丸はジョーカーズの力を宿しているけれど、今回は破壊力が段違いだ。

 弾丸はハンマーへと変わり、相手のシールドを三枚、叩き割ってしまったのだ。

 

「《アイアン・マンハッタン》の能力を再現したよ。相手のシールドを二枚選択して、それ以外をすべてブレイクする!」

「ア、グ、ァァ……ダ、クゥ、マ、ダ、ゥァ……ッ!」

 

 シールドを二枚残して、それ以外をすべてブレイクするなんて……すごい攻撃的な能力だ。これで相手のシールドは、もう二枚になってしまった。

 けど、それだけじゃない。

 

「さらに、手札を捨てて追加でロックもかけるよ! 再装填! 《ジョバート》を捨てたことで、ジョラゴン・ビッグ1起動! 《ジョラゴン》をアンタップ!」

 

 《アイアン・マンハッタン》も、《ガヨウ神》と同じように、手札を捨てる能力を持っている。

 追加でカードを捨て、四発目の弾を込める。

 その間に、プレイヤー目掛けて突き進む銃弾が、残る二枚のシールドを突き破った。

 

「Wブレイク! これでとどめだ!」

 

 ガコンッ、と銃弾を装填。銃を構え、照準を定める――けれど。

 その瞬間、閃光が迸った。

 

「ゥウゥアァァア……ヤサ、イ、バタ、ケ……ド、コ、ダ、ァァァァ……ッ!」

「っ、S・トリガー……!?」

 

 眩い光。その光は、謡さんのクリーチャーをすべて、縛りつけてしまう。

 目を開くと、謡さんのクリーチャーはすべてタップして寝かされている。そして相手の場には、宙に浮く一体のクリーチャー。

 

「《ホーリー》……そんなトリガーがあったなんて……!」

 

 攻撃前にクリーチャーがタップされてしまえば、流石にジョラゴン・ビッグ1も形無しだ。謡さんは、ターンを終えるしかない。

 せっかく、ジョーカーズ同士の連携で追い詰めたのに、あと一歩のところで凌がれちゃうなんて……

 相手のターン。《ホーリー》が攻撃できるけど、このターンにとどめはないはず。

 と、思っていたら。

 

「ドコ……ドコドコドコドコドコ、ドコ、ニ、アル、ダ、ァァァ……!」

「! 《キリモミ・ヤマアラシ》……!?」

 

 相手が唱えた一枚の呪文。次のターンに召喚するクリーチャーにスピードアタッカーを与える《キリモミ・ヤマアラシ》。

 そして、その能力で現れるのは、

 

「《テンザン》か……!」

 

 謡さんの場を荒らし尽くした凶悪なクリーチャー、《不吉の悪魔龍 テンザン》。

 これで、攻撃可能なクリーチャーは二体。謡さんにとどめを刺すだけのクリーチャーが揃ってしまった。

 けれど、

 

「ヤサイ……バタケ……ドコ、ニ、アル……ノ……!」

 

 《テンザン》が咆える。同時に、山札が一気に削り落とされた。

 その中には当然、《爆撃男》と《ビビム》が混じっている。ただし、それらのパワー低下だけじゃ、《ジョラゴン》は倒れなかった。

 でも、それに加え、《テンザン》とバトルも加わるとなると、話は別だ。

 

「シールドじゃなくて、盤面処理に来るのか……!」

 

 《ジョラゴン》のパワーは11000あるけど、《テンザン》のパワーは13000。《爆撃男》や《ビビム》によるパワー低下も受けているから、バトルの勝敗は明白だった。

 あっさりと押し潰されてしまう《ジョラゴン》。謡さんの場は全滅。攻め手が、一気に削がれてしまった。

 それに、謡さんにはもう、後がない……シールドもそうだけど、デッキが……

 

 

 

ターン7

 

 

場:なし

盾:1

マナ:11

手札:15

墓地:11

山札:2

 

 

 

脱獄犯

場:《ホーリー》《テンザン》

盾:0

マナ:8

手札:4

墓地:0

山札:26

 

 

 

「残りデッキ枚数……一枚、か。《マンハッタン》探すためとはいえ、調子乗って引きすぎたね」

 

 謡さんに残されたデッキは、このドローで残り一枚。つまり、このターンがラストターン。

 だけど、場にクリーチャーはいないし、相手の場にはブロッカーもいる。

 このターンに決着をつけるなんて、無理なんじゃ……

 

(……このターンに決着をつけるなら、必要なのはブロッカーを処理するカードと、すぐに殴れるクリーチャー。《ホーリー》はなんとかなるとしても、このデッキのスピードアタッカーは《ジョラゴン》か《マンハッタン》だけ。けど、《ジョラゴン》で殴ればドローしなきゃいけないし、《マンハッタン》はそもそも持ってない)

 

 謡さんは考え込んでいる。やっぱり、今の手札に、この状況を突破するカードがないのかな……?

 せっかく追い詰めていたのに、逆に追い込まれちゃうなんて……そんなことって……

 

(パーツ足りないからって、ドロー系のカードでかさ増ししたツケか。ここでどうにかしないと、次のターンに殴り切られるし、そうでなくてもデッキアウトであえなく敗北……ね)

 

 ふぅ、と謡さんは溜息を吐く。

 まさか謡さん、本当に……と、思ったら。

 謡さんは、とても小さな声で、独り言のように呟いた。

 

 

 

「LOねぇ……」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 このままじゃ、殴り殺されるか、デッキがなくなって負ける。

 そんな時に思い出すのは――脳裏をよぎるのは、いつかの言葉だった。

 

 

 

 ――力も色もなく、何者にもなれんただ小娘など、この槍で貫く価値すらない――

 

 

 

 忘れもしない。辛酸を舐め、屈辱に震え、悔恨に嘆いたあの日。自分の無力さを悲しんだし、怒った、あの時。

 あの時も、デッキのすべてを失って敗北した。とどめすら刺されず、屈辱的なまでの幕引きによって、終わらされた。

 そうだ。あの瞬間、自分は絶望とか、悲嘆とか、そんな不快を、無力さを、思い知った。

 どうしようもないほどに、自分の弱さを、情けなさを、思い知らされた。

 

「……あんな思い、二度とごめんだっての」

 

 不快感と一緒に吐き捨てる。

 あんな情けない自分は、二度と見たくない。二度と、見せたくない。

 今、この場には後輩たちもいる。あの時と、同じように。

 だからこそ、同じ過ちで惨めな思いをするなんて、許せるはずもなかった。

 

「3マナで――」

 

 あの時の自分は、弱かった。今の自分も、弱い。

 けれど、それでも、今の自分はあの時の自分を経た自分だ。

 無力なだけではなく無知だった自分よりも、ほんの少しばかり、恥辱を知った自分だ。

 だったら、為すべきことは一つ。

 あの日の悔しさを飲み込んで、そのすべてを、吐き出して――

 

 

 

 ――過去を、清算するだけだ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――《ポクチンちん》を召喚」

 

 

 

 ふっと、謡さんは一枚のカードを抜き取って、場に放った。

 それは、序盤に出て来た、木魚のようなクリーチャーだった。

 確か、あのクリーチャーは……

 

「私の墓地をすべて、山札に戻してシャッフル」

 

 次の瞬間、謡さんの墓地がすべて、山札と一緒に掻き混ぜられる。

 どす黒いものを洗い流すように。なにかを、清めるかのように。

 山札が掻き混ぜられる最中、謡さんはまた、誰に言うでもなく、誰かに向かって、言葉を投げる。

 

「そりゃあ、私は姿も見えもしない夢を追って、そのくせ現実と向き合えず、虚構のヒーローに頼っちゃうような惨めな奴だけどさ……だけど、ね」

 

 そして、謡さんは顔を上げる。

 謡さんは、虚ろでも、散漫でもない、まっすぐな眼で、どこかを見据えていた。

 

 

 

「意地くらいは―――あるんだよ」

 

 

 

 ピタッとデッキシャッフルが止まった。

 同時に、謡さんの手札から一筋の光が迸る。

 

 

 

「これで終電。さぁ、終点まで奔るよ――《ジョット・ガン・ジョラゴン》!」

 

 

 

 バトルゾーンに降り立つ、ジョーカーズたちを統べる龍――《ジョット・ガン・ジョラゴン》。

 謡さんの(切り札)が、再び火を吹く。

 

「無色透明なままじゃいられない……これで、終わらせる!」

 

 《ジョラゴン》が咆哮する。長大な銃を構え、照準を定め、標的目掛け――放つ。

 

「再現銃弾《バイナラドア》装填――発射!」

 

 一発の銃弾が放たれる。まっすぐ、一直線に飛んでいく、一筋の光。

 弾丸は扉に変わり、《ホーリー》を飲み込んで、飛んでいく。

 シールドのない相手へと。最後の銃弾を――撃ち込む。

 

 

 

「《ジョット・ガン・ジョラゴン》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――とまあそんな感じで、食堂から君らの様子が変だなーって思ったから、スキンブルに頼んでちょっと調べちゃいました。ごめんね」

 

 脱獄犯の人に憑りついていたクリーチャーを倒して、鳥さんを回収して、警察も呼んで――それから、わたしたちは、逃げ込むように近くのファミレスに入った。

 どうやら、わたしたちが隠れて朧さんたちと一緒に動いていたことは、謡さんには見抜かれてしまっていたみたい。それを怪しんだ謡さんに、さらに決定的な証拠まで掴まれて……わたしたちのことは、すべて知られてしまった、みたいです。

 

「……まあ、それに関しては、ボクらが上手く隠せなかったと言葉を飲み込むとしますよ」

「けど、ストーカーは頂けないよねぇ」

「だからそれは悪かったってば。でも、正直に聞いたって、君ら教えてくれないでしょ?」

「それは、その……すみません」

「いいよ別に、気にしてないから……あぁいや、気にしてなくない。ごめん」

 

 自分で言ってすぐに撤回する。

 そして謡さんは続けた。

 

「君らだけで危ないことしすぎ。学年は違えど、私だって同じ秘密を共有する仲なんだからさ。もうちょっと頼ってくれたっていいじゃない?」

「先輩、頼りにならないしなぁ」

「みのりちゃんっ!」

「そこは微妙に否定できない。でも、頭数は多いに越したことはないでしょ……それに私の場合、スキンブルもいるしね」

「そういえば、ボクらのこともあの猫が探っていたんでしたっけ。斥候がいるというのは、わりと大きいかもしれないな」

「でしょー。あ、あともう一つ」

 

 謡さんは指を一本立てる。

 だけど、目を見ると、さっきまでの陽気な謡さんはいなかった。

 至極真剣に、険しい目つきで、睨むようにわたしたちを見つめている。

 

「……朧君には、気を付けて」

「え? 朧さん……?」

「元よりボクらは最初から彼を疑ってかかっていますけど……どういうことですか?」

「実はね、朧君と会って話したのね、私。今日」

「もしかして、朧さんのミッカイの相手って……」

「私のことだね」

 

 そ、そうだったんだ……食堂で話を聞いてみるとは言ってたけど、そんなに早く動いていたなんて。

 嬉しいけど、ちょっと申し訳ないな。

 

「ただ……あいつ、少し腹の中探ると、思ってたよりもあくどい奴だったよ。なに企んでるのかはわかんないけど、なんかキナ臭いよ。というか、いっそ離反しちゃえばいいのに」

「そんな可能性は既に考えてます、あなたに言われるまでもありません。ボクも安全を考えると、彼らから離れるべきだとは思うんですけど……」

「まだ、終わって……ない、から」

「例の、この町の事件のこと?」

「……はい」

 

 そう。この町で起こっている、子供が次々と襲われたり、動物が惨殺される事件。

 その真相を解き明かすためには、まだ、朧さんの情報の力が必要だ。

 朧さんは、もう自分は手を引くと言っていたけど、脱獄犯の人が再逮捕された以上は、復帰してくると思う。

 だから、まだ、終われない。

 

「そっか。じゃあ、危険だからやめろ、なんてことは言いません。でも代わりに、私もそっちに付かせてもらうよ、妹ちゃん」

「え?」

「心配、ではあるからね。事件のこともだけど……朧君のこともある。流石に朧君が子供を襲ったり動物を殺したりしてるとは思わないけど……あいつには裏がある。このままの状態で妹ちゃんと接触させるのは、私も好ましくない。だからあいつが変なことしないよう、予防線を張らなきゃ」

「先輩にしては、気の利いたことしますね?」

「本当はこんなせせこましいことは好きじゃないんだけどね。ただ、彼は新聞社だ。生徒会との繋がりは決して弱くない……どれほど効果があるかはわからないけど、私のツテを使って、牽制してみるよ」

「先輩が策略的だ。そんな組織的なことできたのか、この人」

「ぶっちゃけ管轄外だから、どこまで通用するかはわかんないけどね。後は、これからも君たちは、色んなクリーチャーと戦ったりすると思うけど、そこに私も付いていくよ。学年が違うし、生徒会もあるから、フットワークはあんまり軽くないかもだけど」

「えー、マジっすか。でもなぁ、先輩頼りないしなぁ」

「うるさいそこ」

「ん……っ?」

 

 みのりちゃんが口を尖らせながら言うと、いつもは笑って流す謡さんが、珍しく強い語調で窘めた。

 予想だにしない返しに、みのりちゃんも、そしてわたしも、目を丸くする。

 

「今までなあなあにしてきたけど、そろそろちゃんとケジメをつけるべきだと思うんだよね。私と君らの関係を、ちゃんと見直してさ」

 

 謡さんはいつにも増して真剣に、鋭い眼差しで、わたしたちを見据えている。

 ちょっと怖くて、謡さんらしからぬ剣呑さだ。

 

「はわわ、よ、謡さん、怒ってますか……?」

「実子がいつも先輩を小馬鹿にしてるからだ。せめて形だけでも敬語は使えとあれほど言ったのに」

「えっ、これ私のせいなの? マジで?」

「どう考えても……そう……」

「いや、そうじゃなくて」

 

 みのりちゃんがいつも失礼なことを言うから怒ったのかと思ったけど、そうではないみたいです。

 とりあえずよかった……の、かな……?

 

「別に先輩風を吹かせるつもりはないし、尊敬しろとか敬語を使えとか、そんな堅苦しいことを求めるつもりはないよ」

 

 けど、と謡さんは続けた。

 先輩として敬われることではなく、謡さんが望むことは、たった一つだけ。

 それは――

 

 

 

「私だけ仲間外れにされるのは……悲しいよ」

 

 

 

 ――先輩としてでも、年長者としてでもなく、ただ一人の人間としての、願いだった。

 さっきまでの怒気はなりを潜め、物憂げに、謡さんは言葉を紡ぐ。

 

「君らからしたら、私は後からいきなり現れた闖入者だろうね。一人だけ年上で気に入らないかもしれないし、夏には素性を隠して引っ掻き回して迷惑もかけた。うじうじ悩むし弱っちぃし、快く思えないかもしれないけど……でも、それでも私だって、皆と同じ秘密を共有する仲なんだよ。だから、もうちょっと相談してくれてもいいのに、って」

「謡さん……」

 

 そうだった。

 わたしは、わたしたちは、どこか謡さんとわたしたちの間で、線引きをしていた。

 二年生で、わたしたちの先輩。生徒会の役員さんで、お姉ちゃんと一緒にいる人。チェシャ猫レディとして、スキンブルくんと一緒に人知れず戦っていた影のヒーロー。

 そういったものがあって、わたしの中で謡さんはどこか特別な人だと思ってしまっていたけど……違うんだ。

 謡さんはわたしたちと同じ普通の女の子で、特別なことなんて、なにもない。

 

「小鈴の名誉のために言っときますけど、今回に関しては、先輩が生徒会側の人間だったって理由があります。若垣朧と協力するにあたって、その情報を外に漏らさないことが条件だったので」

「わかってる。だけど、私は生徒会の雑用係であると同時に、君らと友達の――仲間のつもりだったよ」

 

 仲間。

 その言葉が、深く、深く突き刺さる。

 わたしは、謡さんのことを仲間として見られていなかった……?

 

「勝手な物言いだけど、だからこそ、私は悔しいよ。その程度のことも、信じてもらえなかったのかな、って」

 

 その言葉が、とどめだった。

 抑えきれなくなって、わたしの中から、言葉が、零れ落ちる。

 

「ごめんなさい……謡さん……わたし、その……」

 

 申し訳なさが込み上げてくる。謡さんには、何度も助けられて、お世話になっていたのに。

 それなのに、謡さんにそんな思いをさせていた自分の無神経さを、思い知らされる。

 罪悪感が募って目も合わせられない。悔しさで身体が震える。

 けど、そこにスッと、謡さんがわたしの手を握った。

 

「……いいんだよ。私の方こそごめんね、押し付けがましくて」

「謡さん……」

「私が言いたいことは一つだけ。頼って、なんて言い方はしない。ただ、忘れないでほしい。私はいつだってあなたたちの味方だし、味方でいさせてほしい」

「……はいっ」

 

 優しいな……謡さんは。

 きっと、わたしへの不満もたくさんあっただろうに、それを全部許して、受け入れてくれるなんて。

 

「……やれやれ、結局は駄々こねられたようなものじゃないか。まったく身勝手な先輩だ」

「本当にねー。どうする? もうこれ突っぱねてもいいんじゃない?」

「別にいだろう。邪険にする理由もない。あと君は、形だけでももう少し礼儀を弁えろ」

「あーだーこーだ言って……結局、今までとあんま……変わらない、んじゃ……」

「Nein! そんなことないですよ、恋さん。大事なのは気持ち(ヘルツ)です!」

 

 

 

 ――わたしはこの日、改めて思い知った。

 わたしが思っている以上に、仲間の輪は広がっている。そしてみんな、わたしに力を貸してくれることに。

 線引きなんて必要ない。特別視することもない。

 謡さんも、みんなと同じ。ただそこにいてくれて、支えてくれる人なんだ。

 

「あの……謡さん」

「ん? なに?」

「ありがとう、ございます」

「……どういたしまして」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ってな感じだぜ、ダンナ。流石にそろそろワタシらもキツイ」

「ふむ、成程」

「さっきも言ったがな、これ以上、水面下で動き続けるには無理がある。活動自体は続行できても、このまま同じこと繰り返してたら、理想の結果を追究するどころか、どんどん乖離していっちまう。下手すりゃこっちに火の粉が飛びかねねーしな。ワタシはダンナの命令よりも、弟妹の安全を優先するぜ」

「そこは譲らん、というわけか。まあ、群衆こそが貴様の命であり存在理由、存在証明であるからして、当然のことではあるか。しかし、貴様にはまだ動いてもらわねばならん」

「……成果もまるで上がらねぇ。ほとんど無駄足をバーゲンセールしてるってのに、ワタシになにを期待してんだ? マジカル・ベルや聖獣を観察するとかならまだしも、人間社会の事件に首を突っ込んで、どうしようってんだよ、ダンナ」

「事件そのものはさして重要ではないのだ。その過程が必要なのだよ、ヤングオイスターズ」

「あん、過程だぁ? わっかんねぇなぁ」

「なんにせよだ。無理は強いないが、任務は続けてもらうぞ。無論、マジカル・ベルとの接触も忘れんようにな」

「へいへい。一応伝えとくけどよ、何度も言うがそろそろ限界かもしれないぜ。あっちもなんか勘付いてるっぽいし、そろそろ距離を取られるんじゃねーの?」

「そこは貴様の腕でどうにかしろ」

「っ、かぁ! ダンナはそういう大事なとこばっか投げっぱなしだよなぁ! なんだよこの気配りのできねーヘッドはよ!」

「不満か?」

「不満だよ! だが、ダンナがどうしようもない奴なんてのはわかりきってるからな。ないものねだりはしねぇ。愚痴だけ吐かせてもらうぜ」

「ふむ、それで貴様が為すべきことを為すのであれば、いくらでも吐き散らせばいい。オレ様はどうとも思わん」

「そいつは結構。ったく、マジで意味不明だぜ。クリーチャー退治ならあっちの専門だろうに、なんでワタシがこんなことやってんだろーな。何回愚痴ったかわかんねぇぜ……」

「貴様は、犯人はクリーチャーだと決め打ちしているのか?」

「決め打ちってほどじゃねーけど、ワタシは今んとこそっちの方向性で捜査は進めてる。それっぽい情報が入ったしな」

「ほう、情報とな。貴様の末端か?」

「おうよ。犯人の正体を掴めそうなダイレクトな情報だが……そいつを聞く限り、十中八九、どっかから流れて来てるって噂のクリーチャーなんだよなぁ」

「そうなのか。根拠があるようだな」

「根拠ってほどでもねーよ。だが、普通に考えて、そうだろうってだけだ。こんなもんまるで現実的じゃねぇ。なんせ――」

 

 

 

「――“白い少女の幽霊”なんて、あまりにもオカルトすぎるからな」




 《ニヤリー・ゲット》殿堂とか今更、って感じのネタですよね。こういう一時の流行でしかネタしづらいから、環境デッキって好きじゃないんですよ(架空デュエマ作家並感)。
 それはそれとして、遂に謡がジョラゴンジョーカーズとかいうガチデッキに手を出してしまいました。まあパーツが足らなくて、《ガヨウ神》を《ヘルコプ太》で代用したり、《スロットン》がないから《ジョバート》で我慢したりと、妙に生々しい構築になっているのですが。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、自由に仰ってくださいまし。


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35話「お邪魔します」

 お悩み解決編をやっていた初期のノリっぽい今回。だからどうってわけでもないのですが。


「――《暗黒邪眼皇ロマノフ・シーザー》で攻撃! メテオバーンで墓地から《無双と竜機の伝説》を唱えるよ!」

「む、むぐぐ……!」

「ターン終了、そしてもう一度わたしのターン! 《ロマノフ・シーザー》で攻撃する時、メテオバーン発動、呪文《法と契約の秤》! 墓地から《龍覇 グレンモルト》をバトルゾーンへ!」

「くそっ、S・トリガーはない……!」

「なら、これでとどめっ! 《龍覇 グレンモルト》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ふぅ……」

「お疲れ、小鈴」

「う、うん。ありがとう、鳥さん」

 

 えっと、こんにちは、伊勢小鈴です。

 今日も今日で、鳥さんに引っ張られてクリーチャーと戦っていた、ようやく今さっき倒せたところ……なんですけど。

 

「なんか、変だよね」

「ん……まあ、確かに」

「? なにがです?」

「ここ数日、毎日のように現れるクリーチャーを討伐している。それ以前からも同じだ。なのに、まるで事件の終息が見えてこない」

 

 霜ちゃんの言う通り、それはわたしも感じていた。

 どのクリーチャーも、危険なクリーチャーではあったけど、この町を覆う事件とは、どこか違う感じがする。

 

Aber(でもでも)! 二つの事件のうちの一つは、もう解決したんじゃないんですか?」

「あの藪医者ね」

「薄々感じていたことだが、その認識が既に間違いの可能性がある。そうかその可能性がだいぶ高まってきたと思えるよ」

 

 ――わたしたちが手を出してしまった事件と、わたしたちとの関わり方というのは、少し複雑な構造をしている。

 この町に起こった二つの事件、『幼児連続殺傷事件』と『動物惨殺事件』。そのうちの一つ、『幼児連続殺傷事件』については、わたしたちは犯人と思しきクリーチャーを一度、倒している。

 だから今は『動物惨殺事件』について追いながら、平行して鳥さんの“お願い”でもあるクリーチャー退治に励んでいるわけだけど……こうして日々クリーチャーと戦ったり、事件について情報を得ていると、どうにも胸の内側がざわざわする。

 わたしたちは、なにかを間違えているんじゃないかって。大きな見落としをしているんじゃないかって。

 それを、霜ちゃんは言葉にしてくれた。

 

「あの闇医者は事件にまるで関係なくて、どっちの事件もまだ完全に未解決なのだと」

「じゃあ、私たちが今までやってたのはなんだったっていうのさ」

「これまでの行動が無駄とか無意味とか、そんなことを言いたいわけじゃない。どっちみちクリーチャーの掃討は必要なことだしね。だからやることはそう変わらないが、ただ、事件に対する考え方は少し修正する必要があるかもしれない」

「でも、あの藪医者ぶっ飛ばしてから、お子様の事件は起きてないよ」

「Ja、朧さんもそう言ってました」

「単純に、周囲の警戒が強まって動きにくくなったから、という線も考えられる。それに、犬猫の変死体は、数こそ減ったが今も見つかっているそうじゃないか」

「……そう、の言うとおりに、考えた、ら……結局、ふりだし……」

「残念だがそうなるな。ボクらは今まで色々なクリーチャーと接触してきたが、あれらは有象無象に過ぎなかった可能性も考慮せざるを得ない」

「さっきは「自分たちのやってきたことは無駄じゃない!」なーんて言ってたのにね。舌の根も乾く前、とはこのことかな?」

「だからそれは可能性の話だと言ってるだろう。いちいちそんなくだらない茶々入れで話の腰を折るな。揚げ足取りはそんなに楽しいか?」

「け、ケンカはダメですよぅ、二人とも……」

「こいつらセットだと……話、止まる……」

 

 霜ちゃんとみのりちゃん、色々と考えて、情報を整理して、推理してくれるんだけど……こういう口ゲンカが絶えないのが、ちょっとした悩みです。

 とりえず、わたしも霜ちゃんの考えには、賛成というか、思うところはある。

 まるで前に進んでいる感じがしない。まとまりのない、バラバラで雑多なクリーチャーを倒しているだけで、事件の全体像が、核心の部分が、ずっと隠れたまま。そんな感じがする。

 だから、考え方を――進め方を、変えなければいけないのかもしれない。

 でも、わたしたちは人間という凶悪犯には対抗できない。だから必然的に、わたしたちが向かう先はクリーチャーしかいなくなる。

 考え方、進め方を変えるなんて言っても、その手掛かりがなにもないんじゃ――と、思った時でした。

 

「よぅ、マジカル・ベル」

 

 不意に、声をかけられた。

 

「あ……アヤハ、さん」

「私も、いるよ?」

「なっちゃん……」

 

 振り返ると、そこにいたのは、アヤハさん――『ヤングオイスターズ』のお姉さんだった。

 それと、その隣には小さな女の子――なっちゃんこと、『バンダースナッチ』ちゃん。

 【不思議の国の住人】の二人だ。

 アヤハさんは、わたしのことをジッと見つめると、口を開いた

 

「呆れたぜ。今日もエロいカッコしてんな、アンタ。恥ずかしくないのか?」

「は、恥ずかしいですよっ! 鳥さん、もうクリーチャー倒したんだから、早く戻してよ!」

「あぁ、うん。わかったよ」

 

 みんなとの話に夢中ですっかり忘れてたけど、わたしまだクリーチャーと戦う時の格好のままでした。

 あの服装、可愛いけど自分で着るのは恥ずかしいんだよね……流石に慣れてきたけど、指摘されると、やっぱり恥ずかしい。

 

「……クリーチャー、なぁ」

「クリーチャー? クリーチャーに、なにかあるんですか?」

「なんかっつーか、まあ、アンタらはクリーチャー探すの得意そうだよな」

「わたしは別に……そういうのは、いつも鳥さんがやってくれるから」

「ふぅん。なあバンダースナッチ、お前もそういうのわかんね? 蛇の道は蛇っつーだろ」

「んー、わかんない」

「そっかぁ、まあそうだよなぁ。しゃーねぇ、地道に探すしかねーか」

「変な物言いだね。あなたは、クリーチャーを探しているのか?」

「ん? あー、まぁ、一応そういうことになんのか……?」

「歯切れわっる」

「しゃーねーだろ。ワタシにもよくわかんねーんだから。ただまぁ、クリーチャーだとは思うんだよなぁ」

 

 なんともアヤハさんらしからぬハッキリしない口振り。

 アヤハさんたちも、わたしたちと同じようにこの町の事件を追っていたようだけど……今度はクリーチャーを探してる?

 どういうことだろう?

 

「あなたたちは、ボクらと同じように、この町の事件について捜査しているんじゃなかったのか?」

「その通りだ。帽子屋のダンナのお達しで、いまだにずーっと続けてるぜ。んで、その中でちぃっと気になる情報を見つけたんだ」

「情報?」

「おう。まあ眉唾モノって気もするが、ワタシたちにゃ手掛かりはこれくらいしかねーかんな」

 

 情報って、なんだろう。わたしたちの――朧さんでも手に入れていないような手掛かりなのかな

 

「へぇー。いいこと聞けたんじゃない? 小鈴ちゃん」

「う、うん……あの、アヤハさん」

「……おう、別に構いやしねーよ。どうせアンタらも、じきに知るだろうことだしな」

 

 わたしたちもじきに知ること?

 どういうことだろう?

 

「で、あなたの持つ手掛かりって、なんなんだ?」

「…………」

「アヤハさん?」

「ん、あぁ」

「早く言いなよー。それとも、言い難いことなのかなー?」

「まあ、言い難いっちゃ、言い難いな。ぶっちゃけ眉唾モンだし、ワタシも疑ってかかってんだが……ワタシ自身でもあるウチのガキからの情報ってんじゃ、疑いようがないのもまた事実だしなぁ」

「……早く、言ってほしい……もったいぶるな」

「わぁーってんよ! 今ワタシが調べてんのはだな――」

 

 一拍置いて、アヤハさんは言った。

 わたしたちが、想像もしない、その言葉を。

 

 

 

「――“幽霊”だ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「幽霊ってさぁ。流石に私たちのこと馬鹿にしすぎだよねー」

「厳密には、白い少女に幽霊、だったか。まあ、とても信じられない、荒唐無稽な話だ。だが」

「アヤハさん、すごく真面目に言ってたし、あんな嘘をつくような人だとは思えないけど……」

 

 後日。わたしたちは昼食を食べながら、昨日のアヤハさんから聞いた情報について話していた。

 アヤハさん曰く、最近この町に現れるらしい“白い少女の幽霊”について。

 

「いやそれにしたって幽霊はないわー。子供騙しにもほどがあるでしょ」

「……でも、あながちそうとは、言いきれない……かも」

「だね。幽霊っていうのはそのままの意味ではなく、別のなにかの修辞であることは明らかだ。言葉をそのまま真に受けて飲み込むと馬鹿を見るぞ、実子」

「なにおう。私が馬鹿だとでも言いたいの?」

「違うのか?」

「あわわ、お、お二人とも……」

「だから……喧嘩、するな……うるさい、から……」

 

 いきり立つみのりちゃんと霜ちゃんを宥めるユーちゃんと恋ちゃん。

 とにかく、今回は霜ちゃんの言う通りだと思う。幽霊は、本物の幽霊じゃない。いつものわたしなら、ちょっとは信じちゃってたかもしれないけど……でも、今なら、そこから別の意味を見出せる。

 

「さて、少し整理しようか。彼女が言ってたことを」

「最近この町で、白い女の子の幽霊が出てる、って話だよね」

Gespenst(幽霊)……ユーちゃんは、ちょっと、苦手です……『Ein Erlkoenig(魔王)』を思い出しちゃいます……」

 

 幽霊とか妖怪とか、そんな怪談話や都市伝説、噂話なんてものはよくあること。単なる空想のお話でしかないけれど、どうもこれについては違うみたいだった。

 アヤハさんは、この幽霊が空想の物ではないという根拠としてもう一つ、情報をくれた。

 

「公園や民家の花壇が荒らされてる、だったか」

「人間の殺傷、犬猫の惨殺ときて、今度は植物とはねー。うちのサボテンも気を付けないと」

「……君、観葉植物なんて育ててたのか?」

「うん、月下美人」

「似合わないな……」

「うるさいよ」

「話……脱線……」

「あぁ、悪い」

 

 ……えーっと、はい、そういうことです。

 子供を襲う事件がめっきり減った代わりに、今度は色んな場所の花壇、鉢植えなんかが荒らされる、という事案が発生したそうです。

 傷害とか、動物を殺すみたいな、血生臭くて物騒な出来事ではないから、世間では事件ではなく悪戯だと見做されているようだけど、アヤハさん曰く、ただの悪戯だとは思えない点がある、って。

 

「これがただの悪戯には思えない最大の理由は、やり口が執拗だという点。彼女の言葉をそのまま信じるのなら、根っこから植物が掘り返されて、ズタズタに切り刻まれていた、とか」

「酷い話です! Blumen(お花)だって生きてるんですよ! ぷんぷんです!」

「そうだね。ユーの言うように、植物だって生物だ。ならばこれは“植物の惨殺”と言えるだろう」

「植物の、惨殺……」

「だからこそ、それまでの凄惨な事件との関連性を疑えるわけだ」

 

 わたしたちは、つい無意識のうちの人間と、動物と、そして植物とを分けて考えてしまうけど、これらはすべて生物、命ある生き物だ。

 そんな大きな視点で見てみれば、この花壇を荒らすという悪戯も、単なる悪戯とは言い切れない……かもしれない。

 

「でもさー、普通の人間なら、流石に血の通った動物と、植物を同列には考えられないよねー」

「論は乱暴だが、その可能性も否定はできないな」

「植物の惨殺っても、単にクソガキの悪戯がヒートアップしただけかもしれないし」

「それも、否定し切るだけの材料はないね。そもそも、これまでの事件と、今回の悪戯が、同じ犯人によるものとも限らない」

「でも……その可能性を、信じる、なら……人間も、動物も、植物も……“人間じゃなければ”……同列に、考えられる……ことも、ある」

 

 そう。わたしたちがその可能性に至れるのも、その存在を知っているから。

 人間と、動物と、植物とを分けて考えるのは、わたしたちがこの世界で生きる人間だから。

 なら逆に、この世界でないところにいる、人間ではない生き物から見たら、どうだろう?

 普通ならあり得ない考えかもしれないけど、わたしたちにとっては、そうではない。

 

「……クリーチャー、ですか?」

「そう考えるのが、道理だろうね。些か安直な気もするけど」

「これを単なるクソガキの“おいた”だと思わないなら、その答えが妥当じゃない?」

 

 やっぱり、そういう結論に行きつくよね。

 それだけなら今までと同じなんだけど、今回はかなり大きな進展だと思う。

 と、いうのも、

 

「幸いにも、今回は花壇荒らしの像が明確だ。彼女の言葉をどこまで信用するかという話にもなるが、白い少女の幽霊……これが犯人を突き止める大きな手掛かりになるだろうね」

「白い、女の子の、幽霊……幽霊で、女の子の、クリーチャー、かぁ」

「イメージできる?」

「……ぜんぜん」

「ユーちゃんもです……」

「女性型のゴーストなんていたっけか……いや、ゴーストとは限らないが、白い少女というのは、限定的なようでハッキリしないな。少女と言っても、どの程度人間型なのか……」

「そもそも、クリーチャーの姿でうろついているとも限らないしねー。これは思ってたよりも難敵かもだ」

 

 わたしも、白い少女の幽霊と、クリーチャーをすぐには結び付けられない。

 それがどんなクリーチャーかがわかれば、目的とか、同行とかも探りやすいのかもしれないけれど……

 

「……手詰まりか。机上では、これ以上は進めなさそうだ」

「なら、どうするの?」

「決まってる。新しい情報を得るために動くしかないだろう」

「新しい情報……あ! あの人ですね!」

「……でも、あいつ……もう、手、引くって……」

「そうだね。でも、彼の性格上、この情報を知らないとは思えない。聞いてみる価値はあるよ」

「放課後じゃ逃げられるかもだし、昼休みはまだ残ってる。ということは?」

「善は急げ、だ。行くよ、皆」

 

 ……そうなるよね。

 わたしは残ったサラダパンを惜しみつつ、口の中のそれを咀嚼して、飲み下す。七つばかりの包装をゴミ箱に捨てて、みんなの後に続いた。

 情報と言えば、あの人しかいない。

 烏ヶ森一の情報屋――若垣朧さんしか。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 というわけで、二年生の階まで来たけど……ちょっと、緊張するね。別の学年の階に来るのって。

 普通は違う学年の教室に用がある人なんてそういないから、周りの先輩たちも、たまに珍しそうに視線を向けてきて……な、なんだかちょっと、恥ずかしいです……

 

「……小鈴の場合、視線の理由は学年ではない気がするんだけどね……」

「そうなの? どうして?」

「いや、気づいてないならその方がいいだろう。かえって君の羞恥を煽ることになる」

「? どういうこと?」

「つまりね、先輩方も所詮は盛った猿ってこと。皆も気になるんだよ、小鈴ちゃんのお――」

「うるさいぞ実子。黙ってる方が好都合なんだから黙ってろ」

「もがもが」

 

 霜ちゃんがみのりちゃんの口を塞いでる……結局、なんだったんだろう。

 

「っと、ここだな、先輩の教室」

 

 先頭を歩く霜ちゃんが、2-Cと書かれたプレートの教室の前で足を止める。

 ここが、朧さんの在籍しているクラスだ。

 

「朧さん、教室にいるでしょうか……」

「さあね。前にしていた話によると、彼は購買を利用する、つまり弁当持参の生徒ではなさそうだ。ということは学食を利用している可能性もあるから、いなかったらそっちも当たってみよう」

「うわ面倒くさい」

「文句を垂れるな。いいから入るぞ」

 

 霜ちゃんが教室の扉に手を掛ける。

 と、その時。

 

「いっもうとちゃーん!」

「ひゃわぁっ!?」

 

 後ろから抱き締められました。

 どころか、なんだか体中をまさぐられているような……!?

 

「うっわ本当におっきぃ。会長よりデカいじゃんこれ。本当に私よりも年下なのこの子、マジで中一……? ちょっと女としてへこんじゃったよ、私。どうしようよ、フーロちゃん」

「……とりあえず、そのいやらしい手を離したらいいんじゃない」

「な、ななな、な……っ!」

 

 わけがわからないまま体中を触られて、解放された瞬間にバッと振り返る。

 すると、そこにいたのは、

 

「よ、謡さん……っ!」

「やっほー、愛しの後輩たち! こんなとこで会うなんて奇遇だねー、うちの教室になんか用でも――」

「ふんっ!」

 

 ガスッ!

 と、とても痛々しい、鈍い音が下の方が小さく響いた。

 

「いったぁ!?」

「せんぱーい、流石に後輩へのセクハラはダメですよー? 私、怒っちゃいますよー?」

「怒っちゃうというか、もう既に、激おこじゃないっすか、実子さんや……!」

「……まあ、暴力的だけど、仕方ないと言えば、仕方ない。謡の自業自得」

「だからって蹴ることないじゃんさー……あいたたたた、足首折れるかと思った。先輩にも容赦ないなー、この子」

「私、別に先輩のこと先輩だと思ってないんで」

「……本当、容赦ないっていうか、いっそ清々しいね」

「……そうね」

 

 えぇっと……

 その、なんだろう。タイミングが掴めない。

 みのりちゃんの暴力については、無視しちゃいけないんだけど、とりあえず置いておいて。

 とりあえず、振り返った先にいたのは、長良川謡さんと、北上副露さんだった。二人はよく一緒に学食で食べてるらしいから、その帰りかな。

 

「それで、なんでみんなこぞってこんなとこに? 二年生の教室には、君のお姉ちゃんはいないよ?」

「お、お姉ちゃんは関係ありません……っ」

「ユーちゃんたちは、朧さんに用があって来たんです!」

「若垣さん……?」

「あー、はいはい。そういうことね。理解した。学食にはいなかったし、まだ食べてるならここにいるだろうね。ちょっと待ってて、いたら呼んできてあげる」

「あ、ありがとうございます」

「いいってことだよー。ささ、フーロちゃんも」

「? 話が読めない……」

 

 謡さんはフーロさんを引っ張って、2年C組の教室に入っていった。

 そして教室内をぐるっと見回すと、その中から一人の男子生徒を見つける。

 

「おっ、朧君はっけーん!」

「げ、長良川さん……」

「げってなに?」

「いや、なんでもないよ。オレになにか用?」

「私はなにも用事はないけど、君に用事がある可愛い女の子たちがいるから、ぜひとも会って話を聞いてくださいなー」

「えっ、女の子? それって……って、いたたたたたたた!? なんでそんな関節極めながら引っ張るの!? 痛い!」

「さーて、なんでだろうねー。あ、フーロちゃんはちょっと待っててねー。そのうち戻るから!」

「……なに? わけわかんないんだけど……」

 

 そんなやり取りを経て、フーロさんを教室に残し、謡さんは朧さんの腕を変な方向に曲げながら、戻ってきた。

 そこでようやく、朧さんは謡さんから解放される。

 

「いたた……乱暴だなぁ、長良川さん。オレになにか恨みでもあるの?」

「ないと思う?」

「え、まだ引きずってたんだ……あの場で清算すればスッキリするのに。損な性格してるね」

「ぶん殴るよ」

「ごめんって。殴るのは勘弁してください」

 

 ……? この二人、どういう関係なの?

 謡さんは、ただのクラスメイトで、よくは知らないって前に言ってたけど……

 

「それで、オレを呼んでる後輩っていうのは、やっぱり君たちなんだね」

「は、はいっ。その、朧さんに聞きたいことがあって……」

「そうか、まあ君たちが用事って言うとそうだよね。でも、わざわざ昼休みに来なくても」

「放課後じゃぁ、チキンの先輩は逃げると思ったんで、こうして昼休みに襲撃しに来た次第でっす」

「いや、一報くれれば流石に逃げないよ……拠点はもう引き払ったから、あの場所で落ち合うことができないのは確かだけどさ」

「でも、例の脱獄犯も捕まったみたいですし、先輩も逃げる必要はないのでは?」

「そうだね、だから身は引かないよ。オレはオレなりに調査は続けてる。ただ、あそこを引き払ったのは別の理由でね。拠点を持つと不都合が生じるかもしれないと思ったからさ」

「別の理由……?」

 

 謡さんに視線を向けながら言う朧さん。謡さんも、なにか厳しい目で睨み返している。

 な、なんだろう。どういうことで、なにがあったのか、さっぱりわからないのですけれど……でも、朧さんはあの空き教室はもう使わないんだ。

 

「とりあえず移動しよう。時間は多くはないけど、こんな人の往来の激しいところでする話じゃないだろうからね」

「そ、そうですね。あまり、他の人には聞かれたくないですし……目も、ちょっと恥ずかしいですし……」

「んじゃ、みんなで階段の奥の方の柱の陰でコソコソ密会でもしましょうか」

「……長良川さんも来るの?」

「私が来たら不都合でもあるの?」

「いや……別に、いいんだけどさ、オレは」

 

 ? なんだろう、朧さん、謡さんのことを警戒している、っていうより、なんだかちょっと怯えているみたいな……

 

「とりあえず、話をするのなら早く行こうか。昼休みも半分以上過ぎてるわけだし」

「は、はいっ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 朧さんに連れられて、人気のあんまりない階段裏の方にまでやって来ました。

 

「それで、君らが知りたいことってなに? ひょっとして鹿島(かしま)先生の話?」

「? 鹿島先生が、どうかしたんですか?」

「あ、違う? 別の話?」

「えぇ、まあ……とりあえずこっちの話をさせてもらいます。先輩に聞きたいことがあるんですよ。持ってる情報があれば、教えてほしいことが」

「成程ね。いいよ。オレが知ってることならなんでも教えるよ。なにかな?」

「weiss Maedchengespenstです!」

「は? ヴァイ、ペンスト……なんだって?」

「白い少女の幽霊、です」

「幽霊?」

 

 朧さんはその言葉に、少し考え込む仕草を見せてから、思い出したように手を打つ。

 

「あぁ、園芸少女か」

「園芸?」

「呼び名は色々あるんだけどね。園芸少女っていうのは、会談とか都市伝説めいた呼び名だ。なんにせよ、あれだろう? 草木を掘り返して悪戯してる女の子の噂」

「たぶんそれです。その様子だと、やっぱりなにか知っているんですね」

「うん、知ってるよ。つい最近、噂が立ち始めたばかりの情報だ。しかし、よく知ってるね、君ら。オレだってこの話は、兄妹の間でくらいしかしてないのに」

「えっと……えぇ、まあ。ちょっと、人から聞いて……」

「ふぅん。それで、この話のなにが知りたいの」

「とりあえず先輩の知ってることをすべて話してください」

「全部、か。さて、どこから話したものかな」

 

 またも少し考え込んでから、やがて朧さんは、まるで怪談話でも始めるかのように、語り始めた。

 

「つい数日前に、それは発見されたんだ。花が綺麗なことでちょっとした評判の、とある公園の花壇。その花壇に植えられている花がすべて掘り返されていた。それだけではなく、花は花弁から、茎、葉、根に至るまで、すべてがズタズタに切り刻まれていたそうだ」

「……聞いた通り、の、話……まんま」

「事件はそれだけじゃない。その公園からさほど離れていない一戸建ての家。その家の庭に植えられている花もまた、公園の花壇の花々のように、七花八裂、滅茶苦茶にされていたそうだ。これと同じような事案が、同じ町の、狭い範囲で、何件か確認されている。やってることは悪戯だけど、内容は少し病的なものを感じるし、単なる悪戯で済ませられるのか? というところから、噂は広がったみたいだね」

「噂話には尾ひれがつくものですし、幽霊がどうこうっていうのも、その途中で盛られたってことなんでしょうか」

「そういう側面もある。けど、実は幽霊少女という呼び名については、根拠がある」

 

 そう言って朧さんは、制服の内側をまさぐる。そして、内ポケットから一枚の紙を取り出した。

 いや、紙じゃない。それは、写真だ。朧さんは一枚の写真を、わたしに手渡した。

 だけど、写真はほとんどまっくろで、全体的にぼけていて、なにが映っているのかよくわからない。

 

「この写真は?」

「被害のあった公園付近に設置されている、監視カメラが捉えた一場面さ。写真の右上辺りに、白くぼんやりした影が見えるだろう?」

「あ、これですね」

 

 映りが悪いし、明かりがなくて暗いからわかりづらいけど、確かに右上の方はなんだか白っぽい。それに、なんとなく、人の輪郭をしているようにも見える。

 っていうことは、これが白い少女の幽霊?

 

「幽霊? いやいや朧君、こんな犯人激写した写真があるなら、幽霊でもなんでもないじゃない」

「まあね。だから都市伝説っていうより、悪戯してる奴がいるっていう伝聞さ。もっとも、その写真もあんまりにもピンボケしてるものだから、映ってる影が人だとも限らないけどね」

「……それでも……幽霊、って……」

「わかってる。オレだって幽霊なんて非科学的なものは信じちゃいない。でも、人間じゃないにせよ、ビニール袋みたいなゴミだとか、動物だとか、そういう線も考えられるからね」

「しかし、この写真によって“白い少女の幽霊”という噂話が流布したわけですね?」

「そういうこと。少女というのは、まあ、盛られた話だろうけどね。確かに見様によっては女の子に見えないこともないけど、その視点はちょっと恣意的だ。客観的に見れば、その影が人間だとしても、少女かどうかはわからない」

 

 うーん、確かに。

 じっくり写真を見てみるけど、この写真だけで見れば、わかるのは周囲が闇夜に染まっていること。その中にぼんやりと、白い影が浮かんでいること。それくらいだ。

 白い少女の幽霊という噂話は大きな手掛かりかと思ったけど、本当にただの噂なのかな……?

 

「その写真はあげるよ。ネットを漁れば画像なんていくらでも出て来るからね。まあほとんどはコラだけど、その写真は正真正銘、本物だから」

「あ、ありがとうございます」

「ところで先輩、一ついいですか?」

「なにかな水早君。都市伝説の話をもっと聞きたい? ほとんどは創作甚だしい与太話だけど」

「いや、それについてはもういいです。しかし先輩は、最初にボクらが求めてる情報を誤認していましたよね?」

 

 ? 朧さんが、わたしたちの求めることを誤認していた?

 どういうこと? 霜ちゃんは、なにを言ってるの?

 

「先輩は、ボクらが先輩を頼った時に、最初に言いました。“鹿島先生の話?”と。これはつまり、ボクらが求めている情報は鹿島先生のことではないかと、思い込んでいたということですよね」

「あぁ、言ったかもね」

「鹿島先生に、なにかあったんですか?」

 

 そういえば……

 鹿島先生。国語の先生で、わたしたち1年A組の担任。

 ここ最近、ずっと休んでいるけれど……なにか、あったのかな。

 

「なにかあった、か。まあ、これも噂話みたいなもんだけどね」

「でも、先輩は真っ先にそれを話題に上げようとした。あなたにとって、優先順位はそちらの方が高かったのではないでしょうか? 事の性急さや、内容の確実さ、あるいは――ボクたちへの誘導として」

 

 誘導……それってつまり、最初にその話題を提示して、わたしたちにその話をしようとした、ってこと?

 その時、謡さんの視線が鋭く朧さんに突き刺さった。

 

「朧君?」

「……誘導ね。まあ、その意図がまったくなかったわけじゃない。けど、現にオレは君らの話題の方を優先したんだから、過程における思惑くらいは見逃して欲しいな。いや本当、もしも食いついてくれたら嬉しいなー、くらいの気持ちだったんだ」

「ということは、やはり先生のことが、“本命”に関わっているんですね」

「本命、って」

 

 それはつまり、『幼児連続殺傷事件』及び『動物惨殺事件』あるいは『植物荒らし』も含まれるかもしれない、この町を覆う一連の事件。

 それに、先生が関係しているっていうの……?

 

「話してもらいましょうか、先輩。それが大事なことであるのなら」

「いいよ……ただし」

「ただし? 今になって条件なんてつけるの? マージですか先輩?」

「条件というかね。いや、そろそろだと思うんだよ」

「そろそろ……なにが……?」

「時間」

「Zeit?」

 

 と、朧さんが言った、その瞬間。

 それは、鳴り響いた。

 

キーンコーンカーンコーン

 

 昼休憩の終わりを告げる、鐘の音が。

 

「しまった、もう昼休みは終わりか……!」

「あわわわわ、ど、どうしましょう……!?」

「次の授業って確か体育だよね? 早くしないと遅れちゃうよっ!」

「小鈴ちゃん、着替えには手間かかるもんねー。とか、そんなこと言ってる場合でもないなこれは。急げ!」

「今から、全力疾走……無理……死亡、確定……」

「……というわけでね。残りの話は放課後にしようか。場所は、立ち話になるけど例の教室で」

「あっ、は、はいっ! えっと、し、失礼しますっ!」

 

 と、そんな朧さんの言葉を背中で聞きつつ、わたしたちは慌てて教室へと戻るのでした。

 ……ちなみに、体育の授業には遅れちゃいました。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 放課後になって、もう引き払ったという、朧さんが拠点としていた空き教室にやって来ました。

 わたしたちが来た時には、既に朧さんと謡さんの二人が待っていた。

 

「それで先輩、鹿島先生の話というのは?」

「うん。まず、君らの担任の鹿島先生がここ最近、ずっと休んでいるのは知っているよね?」

「そりゃ当然でしょ。うちの担任なわけですし? 毎日ホームルームで顔つき合わせる先公がいなかったら、流石に気付きますって」

「あの、ハエ男も……いつも、愚痴ってる……」

「じゃあ、どうして休んでるのかは、知ってる?」

「え? えーっと……」

 

 そういえば知らない。

 先生だって人間なんだから、風邪は引くし病気にもなる。それに先生のお仕事の一環として、出張することもある。親戚に不幸があったり、法事とかだってある。

 だから先生も学校を休むことはあるけれど、でも、こんなに長く休んでいるだなんて、ちょっと普通じゃない。

 つまりこれは、単なる風邪や病気じゃない?

 

「……別のことにかかりきりになっていたから意識しなかったが、確かに変だ。病気や怪我で入院したのなら、そう通達するはずだ。その方が、生徒たちの混乱も小さくなるはずだからね」

「けど、現実として鹿島先生の長期欠勤は起こっているし、その理由は説明されていないよね。それはどうしてか」

「理屈で考えるのなら……“説明できない理由”だから?」

「その通り」

 

 説明できない理由があるから、説明されない? 

 それが先生が学校に来ない理由なの? どういうことだろう?

 

「もう一つ付け加えるのなら、復帰の目処が立たないから、ということもあるのかもね」

「朧君。ちょっと冗漫じゃない?」

「睨まないでよ。長良川さんに睨まれると怖いんだから……」

「もうちょっとスッキリ喋ってよ。君の話し振りは、ちょっとイライラする」

「そんなこと言われても困るよ。説明には順序があるんだから。前提と認識のすり合わせは大事でしょ?」

「それがぐだぐだしてんの。気取ったりもったいぶったりしてさ」

「オレにはそんなつもりはないんだけど……仕方ない。じゃあ、長良川さん向けに、ちょっと別の話をしようか」

 

 と、朧さんは急に話を転換させた。

 それは謡さんに言われたからというよりも、謡さんの横やりを利用して、説明の手を変えたかのようだったけれど。

 

「オレの元クラスメイトで、同じ新聞社――新聞部の仲間に、香椎さん、って人がいるんだよね」

「え、香椎ちゃん? なんで鹿島先生の話をしてる時に香椎ちゃんが……っ。朧君、まさか……!」

「おっと、流石にオレと同じ元クラスメイトの長良川さんは聡いね」

「ど、どういうことですか?」

 

 謡さんはなにか気付いた様子だったけど、香椎さん? という人についてまったく知らないわたしたちには、なんのことかさっぱりだった。

 やがて謡さんは、重々しく口を開いた。

 

「……香椎ちゃんとは、一年の時に同じクラスになっただけで、そこまで交流が深かったわけじゃないんだけど、そんな私でも知ってることもある。あの子、鹿島先生の姪っ子って噂があったんだ」

「姪? つまり、鹿島先生とは親戚同士、ってことですか?」

「そうだよ。そしてこれは、噂と言ってもほぼ確定。かなり裏は取れてる、相当に信憑性の高い情報さ」

「なんとなくあくどい感じがしますがそれは一旦置いておいて、その香椎先輩とやらが、鹿島先生の欠勤とどう関係するんですか?」

「オレ、確か最初に言った気がするんだよね。君たちに今回の事件の捜査に協力して欲しいって言った時にさ」

「? なにを、ですか?」

「なんで君たちを頼るのか。同じ新聞部の仲間じゃダメなのか。その理由をだよ」

「えーっと……なんでしたっけ?」

「確か、部内で却下されたとか、なんとか……部内に、事件の被害者の親族がいた、でしたか」

「概ねそうだね。じゃあ、もう一つヒントだ。君らは、鹿島先生の左手をよく見たことはあるかい?」

「左手?」

「厳密には、左手の指、としておこうか」

 

 人の手なんて、そんなまじまじと見ないけど……左手?

 左手の指。それって、もしかして……

 

結婚指輪(マリッジリング)か」

 

 左手の薬指。それは、一般的に結婚指輪を嵌める指だ。

 確かに鹿島先生、結婚指輪を付けていたような気がする。年齢的にも、結婚しててもおかしくないし。

 

「香椎さんはオレと同じ新聞部で、鹿島先生とは親戚同士。新聞部には連続殺傷事件の被害者の親族がいる。そして鹿島先生は結婚していて所帯持ち……さぁ、ここから導き出される結論は?」

「……まさか」

「まったく回りくどいよね、君は」

 

 そこまで材料が提示されていれば、推理なんてするまでもなく、ちょっと考えればすぐに思い当たる。

 わたしが顔を上げると同時に、朧さんは口を開いた。

 

「そう。『幼児連続殺傷事件』の被害者の一人に――鹿島先生のお子さんがいる可能性、だ」

 

 可能性、と言うものの、朧さんはほとんど確信を持って言っているようだった。

 たぶんそれも調べたんだろう。鹿島先生の子供が、被害者だということは、きっと確かなのだと。

 

「でも、だからって先生が長期欠勤する理由になるとは限りませんよ」

「そこはオレも推測するしかないな。我が子が被害に遭って塞ぎ込んでしまったとか、色々考えられるけど……なんにせよ、先生のお子さんは確実に事件の被害者であり、先生は事件があった頃から長期欠勤している。これは揺るがない事実だ」

 

 その二つに因果関係があるかは、わからない。わからないけど、二つの出来事の時期も被っているし、そう考えてしまう。

 

「……それで、ボクらにどうしろと?」

「別にどうしろと言うつもりもないよ。オレはあくまでも君たちの自主性を重んじる。その指針として情報を提供する。それだけだ」

 

 朧さんはそう言うけど、これはあまりにも無視できない話だ。

 事件被害者、あるいは被害者に最も近い親族からの聞き込み。これほど、事件の核心に踏み込める手掛かりはない。

 だけど、それは心を踏みにじる行為にもなりかねない。簡単には、踏み入れない領域だ。

 

「君らが望むのなら、三日以内に鹿島先生の住所を突きとめよう。どうするのかは、君ら次第だ」

「……ちなみに、先輩が動く気は?」

「ない。というか、できない。いや、適任ではない、が最も正確かな。あの先生との関わりは、一年の時に国語の授業を受け持ってもらっただけけど、それだけでオレの気質をよく理解されてしまったようだからね。オレが行っても、あまりいい気はされないだろう。それならむしろ、根っからの善人で、善意の塊のような伊勢さんや、そのお友達諸君に行ってもらった方がずっとスムーズに事が運べるだろうさ」

「あっれー? 先輩、自分の姑息さを隠す気なくなりました?」

「オレはただ、最善を尽くすそうとしているだけだよ。オレが見栄を張って善人ぶるより、悪人だと思われようと真実を告げる方が、より良い方向に進めると信じているだけさ。それで、どうする? 先生の家、行ってみる? それとも別の手掛かりをコツコツ探す?」

「目の前に餌を吊り下げておいてこの言い草か。なかなかな神経をお持ちですね」

「ほとんど……行け……って、言ってるような、もの……あくどい」

「なんとでも言えばいいさ。ただ、これは今までにない大きな手掛かりとなることは間違いない。リスクは高いけど、それだけの価値はある。できればお願いしたい、というは正直なところだが、オレには強制する力はない。だから前も言ったけど、これはあくまでも“お願い”だよ」

「……本当、そういうとこだよ、朧君や」

 

 謡さんは半ば呆れるように、諦めるように、だけどもう半分に棘を滲ませて、朧さんを睨む。

 朧さんが提案する、先生宅への訪問、そして当人からの聞き込み。

 とてもリスキーで危険な行為。だけど、同時にリターンが大きくグッと事件の核心に至れそうな、極上の成果も期待できる。

 どうしようか、どうすべきか、悩ましく、なかなか答えを出せないでいたけど。

 

 ――結局わたしたちは朧さんに言いくるめられて、先生の家を訪ねる手筈となりました。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「今日の放課後に伝える、って連絡が来て正門前に待たされてるけど……」

「三日どころか、一日で住所がわかっちゃうなんてね」

「一体、どんな情報網……なんだか……」

 

 朧さんから鹿島先生の話を聞いた翌日。

 わたしたちは朧さんから「鹿島先生の住所がわかったから、聞き込みよろしく」という連絡を受けました。

 ただ、肝心の先生の家の住所は伝えられなくて、正門前で待っててくれればいいとだけ言われたんだけど……

 

「しかし、幽霊の話から担任の家に訪問することになるとは、思ってもみなかったな」

「結局、幽霊の女の子については、誰かの悪戯、以上のことはわからなかったもんね」

「とはいえ、そっちの手掛かりについても追う価値はあるだろうから、記憶の片隅には留めておこうか。今はあの先輩が優先した情報とやらを先に探るだけで、そっちも忘れないようにしないとね」

「ま、十中八九クリーチャーなんだろうけどさ」

「幽霊っていうと、そうなるよな」

 

 と言っても、わたしたちはそもそも、事件の犯人はクリーチャーである前提で動いているから、幽霊の女の子がクリーチャーだとしても、それだけじゃなにもわかっていないことと同義。

 それなら、より手掛かりがありそうなところを調べるのは、道理なんだけど……あんまり、気乗りはしない。

 『幼児連続殺傷事件』、その被害者を訪ねるだなんて。先生は、直接の被害者ではないけど、それでも心に傷を負っているだろうし、同じことだ。

 嫌なことを思い出させたり、関係ない人が入り込んだりするのは、よくないことだと思う。少なくともわたしの倫理観ではそうだ。

 だけど、これからわたしたちがすることは、そういうことだ。そんな、嫌なことを、人を嫌な気持ちにさせるようなことを、するんだ。

 たとえ平和のためだとしても、それはなんだか……複雑な気持ちになる。

 そんなちょっと薄暗い気持ちになりつつ、下校する生徒たちを眺めながら待っていると、こちらに歩いてくる人影が見えた。

 

「ん……来た……?

「でも、なんか人影が小さくないか?」

「じゃあ妹さんの方?」

「いや。違うよ。あれは……」

 

 ある程度近づいてきたら、その姿はハッキリと見える。

 トタトタと小走りで“銀髪”を揺らしながらやって来る、その人は――

 

「ユーちゃん、こんなところでなにやってるの?」

「ローちゃん!」

 

 ――ローザさん、だった。

 ユーちゃんの双子のお姉さんだ。

 

「なんか、物凄く意外な人がやって来たね」

「最初からあの先輩本人が来るとは思ってないけど、もしかして君が、先輩の使者なのかい?」

「? あの先輩? どなたですか?」

「違うのか……ってことは、単にユーがいたから来ただけなんだな」

「普段あんまりこっちに絡んでこないのに、今日は珍しいね」

「ユーちゃん、ちょっと目を離すとすぐにどこか行っちゃうから……それに、最近なんだか物騒じゃないですか。先生方も言ってましたけど、町に危ない人がいるって。だから、私もユーちゃんのことが心配で……」

 

 ローザさんのその言葉に、わたしはドキリとする。

 正にその危ない人(かどうかは、わからないけど)を探すため、ユーちゃんとも一緒に行動しているわけだから、いたたまれない。

 けど、それを言うわけにもいかないし……ごめんなさい、ローザさん。

 

「それに、最近なんだか帰りが遅いようだし、また危ないことでもやってるんじゃないかと……」

「ローちゃんはシンパイショーですって! ユーちゃんならだいじょうぶです! みなさんがいますから!」

「そう? まあ、伊勢さんたちが一緒なら、大丈夫なのかな……でも、無理しちゃダメだよ。ユーちゃんは昔から無茶なことばっかりしてるんだから」

「だいじょうぶ! 小鈴さんたちと一緒なら、なにも問題ないですって!」

「それなら、いいんだけど……」

 

 お姉さんらしく、ユーちゃんを心配するローザさん。なんていうか、本当にユーちゃんのことを大事に思ってるんだなぁ。

 ユーちゃんと仲良くなる時も、ローザさんがユーちゃんを心配して、学援部を訪ねたことが発端だった。それも思うと、やっぱりユーちゃんは、ローザさんに大事にされてるんだね。

 

「なんか、凄く姉っぽいな。君ら一応、双子だろうに」

「ユーちゃん、すぐにあっちこっちに行っちゃうから、私が見てないとダメなんですよ。皆さんにもご迷惑おかけします……」

「そ、そんなことはないよ。大丈夫だよ。ユーちゃん、ひょこひょこしてて可愛いし」

「それ……どんな、フォロー……?」

「ところでローザさんは、いつもなにしてんの? やっぱ双子だからって同じことしてるわけじゃない?」

「ローちゃんは今日もお勉強するんですよ、きっと」

「お勉強?」

「えぇ、まあ……まだ日本には知らないことが多いですし、毎日図書館に通って、色々と勉強してるんです」

「毎日!? はぇー、すっごい。勤勉だねぇ」

「いつも遊びほうけてるユーとはえらい違いだな」

「むぅ……霜さん、イジワルです」

 

 霜ちゃんの言葉に頬を膨らませるユーちゃん。ちょっと可愛い。

 でも、毎日図書館で勉強だなんて、ローザさんはすごいね。日本にはもうかなり慣れている風なのに、それでもまだ勉強を怠らないなんて。

 

「しかし、学校の図書館じゃないんだな」

「はい。商店街の方の図書館の方が、家から近いので」

「あっちの方に図書館とかあった?」

「あるよ? 小さくて、ちょっと古いけど。わたしも小学生の頃はよく通ってたもん」

 

 最近はみんなと一緒に遊ぶようになったから、めっきり行かなくなっちゃったけどね。

 

「それじゃあ、私はこのへんで……皆さん、ユーちゃんをよろしくお願いします」

「あぁ、うん」

「ユーちゃんも、ワガママ言って迷惑かけちゃダメだよ。あと、あんまり帰りも遅くならないでね。Mutti(お母さん)Vati(お父さん)も、心配するんだから。それに……」

「もー、わかったってばー! ローちゃんも早く行って行って!」

「わっ……えっと、じゃあ、皆さん、また明日。じゃあね、ユーちゃんも。Tschues(行ってきます)

Tschues(行ってらっしゃい)!」

 

 ユーちゃんは半ば強引に、ローザさんを送り出した。

 ローザさんもそれ以上は忠言せず、たぶん別れの言葉を言い合って、立ち去った。

 

「しかし、彼女のことはあまり知らないけど、しっかりしたいい姉じゃないか、ユー」

「そうだね。ユーちゃんのこと、大事に思ってるみたいだし」

「えへへー、そうでしょ、そうでしょ? ちょっと口うるさいとこはありますけど、ローちゃんもとってもいい子なんですよ!」

「仲のいい姉妹で羨ましい限りですねー」

「みのりちゃん、一人っ子だもんね」

「私も……」

「日向さんには剣埼先輩がいるじゃないの」

「いや……つきにぃは、ちょっと、違う……私、つきにぃの……ヒモだから」

「ヒモ!?」

「それ、女性に養われてる男性に使う言葉じゃなかったか? というか中学生に扶養の関係はないだろ」

 

 まあでも、姉妹仲がいいっていうのは、いいことだよね。

 ……別に、わたしとお姉ちゃんの仲が悪いわけじゃ、ないですよ?

 確かに中学生になってからは、生徒会のお仕事が大変になって、あんまり一緒に遊ばなくなったけど……

 

「それにしても、遅いな。そろそろなにかしら通達があってもいいと思うんだが」

「ねー。もう帰る人も見なくなったし、私も待ちくたびれちゃったよ」

 

 と、そろそろみのりちゃんがだれてきた頃。

 その人は、現れた。

 

「や、皆。お待たせ」

「謡さん?」

 

 わたしたちの前に現れたのは朧さんでも、狭霧さんでもなく、謡さんだった。

 

「謡さんも、鹿島先生のお家に行くんですか……?」

「……まあね。私も去年、ちょっと荒んでた時に、あの先生に色々と世話焼いてもらったから」

「そうだったんですか……」

「それに、そもそも先生の家の住所を伝えるのは、私の役目だし」

「えっ!? そうなんですか?」

 

 ということは、朧さんからの使者って、謡さんなの?

 だけど謡さんは、なんだかとても怒ってるようだった。

 

「っていうか、本当にあり得ない。「三日以内に鹿島先生の住所を突き止めよう」とか言っておきながら、朧君(あいつ)、香椎ちゃんから直接聞き出してるんだよ。しかも、私を使って! 信じられる?」

「それは……」

「うわぁ、流石の私もちょっぴり同情しますね、それは」

「……あの先輩、なんか急に邪悪さを押し出してきたな。どういうつもりだ、なにを考えてる……?」

「香椎ちゃんが可哀そうだったよ……まあ、結局はあいつに唆されて聞き出した私も同罪だから、朧君のことをとやかく言う権利はないんだけど」

 

 ただでさえ気が重い先生宅の訪問だけど、その経緯も知ってしまうと、さらに気が削がれてしまう。

 けれど、そんなわたしの気持ちを察したのか、謡さんは、

 

「気が進まないのはわかるけど、行かなきゃ。じゃないと香椎ちゃんにも合わせる顔がない」

「謡さん……」

「朧君はムカつく奴だけど、私たちと目的自体は合致してる。ここで動かなきゃ、なにもかも無意味に終わっちゃうよ。私は、それだけは嫌だな」

 

 ……そう、だね。

 謡さんの言う通りだ。ここで止まってしまったら、なにもかもが悲しいまま終わってしまう。

 誰かのためにやっていることではないけれど、それでも、これがなんのためにもならない、無意味なもので終わってしまうのは、ダメだよね。

 

「それじゃあ行こうか。幸いにも先生の家は歩いて行ける距離だから、すぐに着くよ」

「は、はいっ!」

 

 そうして、わたしたちは謡さんの先導の下、鹿島先生の家へと、向かうのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「さーて、伊勢さんたちの捜査は順調かな。こっちも切りたくないカードを切りまくってるわけだし、そろそろ事件の核心に迫って欲しいけど……こればっかりは、彼女たち次第だから、なんとも言えないよねぇ」

 

 謡から連絡を受け、そのまま小鈴たちの下へと向かわせた朧は、今日の収集したデータを集積、整理しながら、彼女たちについて思案する。

 思案、というよりも心配だろうか。彼女たちの身ではなく、事件の進行についてだ。

 謡に存在を察知された時点で、朧の計画は大きく狂ってしまっていた。とはいえそれも、小鈴らをダシに、謡を煽って操るという手段を取ることである程度は修正された。

 もっとも、そのために払った信用(ぎせい)も、決して小さくはないのだが。

 事件の捜査を進めることを第一に考えた結果として、敵意を買ってしまった。仕方のないことではあるが、朧としてもこの一手は、苦渋の決断だったのだ。

 などと、今更己の選択を悔やんでいても、それこそ仕方のないことだ。今は、最も重要な事案を推し進めることが優先だ。

 というところで、ポケットの中の携帯が震えた。

 

「おっと電話だ。誰だろう……げ」

 

 相手の名前を見て、露骨に顔をしかめる。

 できれば話したくない相手だったが、ここで居留守を決め込む方が面倒くさいことになる。切るか繋ぐかを考えた時、比較の問題として、朧は通話ボタンを押した。

 

「もしもし……あぁ、やはりあなたですか。こうして電話あるたびに思いますけど、わざわざオレに連絡します? オレなんて下っ端の末端のペーペーなんですから、できれば上を通してほしいのですが……オレはあなたと直に言葉を交わせるような立場ではありません」

 

 とりあえず、最初に苦言を呈してみる。もっとも、この程度の文句が通じる相手でないことは、わかっているのだが。

 

「それで、なんですか? ……進捗? それはオレから聞かないとダメなことですか? 定時報告は“あちら”が済ませていると思うのですが。オレの情報はあっちと常に共有されていますし、それで十分でしょう?」

 

 溜息を吐く。できれば情報収集に専念して、それ以外のことはすべて他人に任せたいと思っている朧としては、そんなつまらないことで呼び出されるのも、その対応も、億劫だった。

 

「……あぁ、確認ではなく催促ですか。またですか。やってます、オレはちゃんとやってますよ。ただ、あなたの注文通りに動いてるせいもあって、とてもやりにくい。人を動かす、それも限られた人員のみを操って、なんて、そう簡単ではないですよ。オレは情報収集が本分であって、指揮する力はないんですから」

 

 加えて、急かされているとなれば、より辟易するというもの。

 事が停滞しているというのは、朧自身痛感しているところだ。調査も、事件そのものも、近頃は動きが鈍い。

 ここは法と秩序によって守られている人間社会なのだ。野生と本能の自然界ではない。殺傷事件などが起こってしまえば、それを抑圧する働きが生まれて当然である。

 そして自分は、自分たちは、まだ中学生だ。その枠組みに囚われている限り、秩序からの拘束は強く、あまりにも縛りが多い。そんな力不足な子供にできることなど、たかが知れている。

 だというのに、この依頼人(クライアント)は、一体なにを期待しているのか。それとも、そんなこともわからないほど――あるいは、わかっていてやっているような、狂人なのか。

 いやさ、こんな依頼をしてくる相手だ。狂っているのは明らかなのだが。

 

「それになにより、この事件そのものが不可解すぎます。あまりにも隠されすぎている。断片的な情報こそは集まりますが、真相に至るための、決定的な証拠が一切合切見つけられない。奇妙なほどに」

 

 そうだ。進展がない理由は、外的要因だけではない。自分たちの力不足に限らない。

 事件そのものの特異性もまた、停滞の原因である。

 率直に言って、犯人の手掛かりが異常に少ないのだ。ロンドンの切り裂き魔の如く、その存在は霞みがかっている。

 この事件の、犯人の隠匿に関しては、国家権力たる警察が犯人の尻尾を掴めていないことがその証拠と言える。状況や物質による証拠、証言では捕まえらない。そう思わせるほどに、犯人は姿が見えない。

 朧が噂話や都市伝説などという、事件性の薄いものを手掛かりにしているのも、そういった事情が一端にある。

 

「オレも社会での立場ってものがありますからね。時間をかけすぎるわけにはいかないから、無理して彼女たちを、核心に近そうな人物の下までけしかけましたけど……これ、かなり危険な賭けなんですよ。成功しようが失敗しようが、オレはリスクを被らなくちゃいけない。こんな割に合わない博打、絶対に打ちたくないんですけど、背に腹は代えられないと言いますか……まあ、あなたからすれば、オレのことなんて関係ないことでしょうけども」

 

 しかしこちらからすれば、依頼人の指令は絶対だ。なによりも、彼の意向に沿わなくてはならない。催促してくるのであれば、こちらも性急に捜査を進める必要がある。

 小鈴や謡を、彼女たちの倫理観を無視してまで動かしたのも、彼の催促によるところが大きい。

 鹿島女史の欠勤の理由なんて、ずっと前から知っていた。彼女に接触すれば、事件の真相に一気に近づける公算が高いことも承知していた。それでも、それは人としての倫理に踏み込む危険な一手だ。敵を作らないように立ち回るためは、そのリスクある手段を使うことは躊躇われた。

 しかし、依頼人からは催促の連絡がひっきりなしに来るため、朧としても手段を選んでいられなくなってしまったのだ。捜査が停滞している焦りもあった。

 そしてなにより、謡に存在を察知されてしまったため、隠遁に徹する理由が薄まった、というのもある。

 最優先課題は依頼人にある。ならば、多少なりとも周りに敵を作る覚悟で、この強引で危険な一手を打つに至ったのだ。

 

「まあ、オレの読みが正しければ、流石にそろそろなにかは見えてくるんじゃないんですかね。今までが回り道をしすぎていた、と言われればその通りですが……外堀を埋めたお陰で、数多の可能性の多くは潰せました。となると、残る可能性は少なくなります」

 

 推理なんて柄ではない。あくまで情報の収集と集積、それが自分の本分だ。真実は考えるものではない、この目で見て、この耳で聞いて、現実にあるものを受け取ることなのだ。

 それでも、その現実に至るための道を導き出すために、考えるとするならば。

 

「白い少女の幽霊なんて、馬鹿馬鹿しいと一笑に付すのが普通なのかもしれませんけど、これって実は、かなり盲点を突いてるんですよね」

 

 幽霊なんてオカルト甚だしいものは信じてはいない。そんなものはただの都市伝説だ。

 しかし、その都市伝説は、すべてがすべて、虚構や悪戯とも言いきれない。

 

「殺人鬼、呪術師、脱獄犯……人間を脅かす危険な奴ってのはたくさんいますけど、どうやら今回の事件は、そのどれでもない。そもそも、動物は殺すのに、人間は殺さないっていうのは、おかしいんですよね。なぜそこに差をつけるのか、不思議なんですよ」

 

 ここまで大きな事件を犯す者が、殺人だけを避けるようなことは、不自然と言える。人と獣は違うものだし、殺人と殺傷もまた別だが、この秩序だった社会においては、人だろうが獣だろうが、殺そうが殺すまいが、傷つけるというだけで一括りにできてしまう。

 ゆえに、この二つに差はない。この二つに差をつける異常者という考え方もできるが、流石にそれは無理が過ぎる。

 

「つまりこれは、動物は殺して人は殺さなかったのではなく、動物は“殺せた”けど、人は“殺せなかった”のだろうと思うんです」

 

 当然、それは殺人に忌避感が生まれたなどという心情的なものではなく、技術、あるいは身体的なものだ。

 死ぬような目に遭ったことがないこともあって、朧にはよくわからないのだが、人間は存外、死ににくい。

 太古の処刑には八つ裂きの刑と言って、人の四肢を馬に括り付け、馬をそれぞれ別方向に走らせ、人体をバラバラにするというものがあるそうだ。しかし、実際には人体が引き千切れるより先に馬が疲れてしまい、死ぬほど痛いが、死に至ることはないという。

 拷問という概念が存在するのも、ひとえに人間の生命力の高さゆえだろう。老人が火葬の直前に息を吹き返す、なんてエピソードもあるくらい、人間の生命力は馬鹿にならない。

 つまり、動物より、人間方がずっと死ににくいのだ。適当にめった切りにする程度では、相手が子供と言えど、簡単には殺されない。加えて、現代の人間社会は医療技術が非常に発達している。素早く適切に処置すれば、少なくとも死ぬことだけは回避できるだろう。

 

「とはいえ殺せないからと言って、殺意がないわけではないでしょうね。それは被害者の傷跡が物語っています。これでもかというくらいにズタズタに切り裂かれているわけですから、殺意がないわけがない。犯人自身は、本気で殺す気でやったのでしょうけど、それでも死に至らなかった。そう考えるのが自然です」

 

 傷つけるだけが目的で、殺す気はない、ということはまずあり得ない。犯行動機については、流石に推理のしようがないが。被害者に子供以外の共通点がないため、恐らく怨恨ではなく、快楽主義者の狂気だろう、と多少の推測が立つ程度だ。

 

「さてここでおかしな点がひとつ。本人は殺す気で子供を襲っている。少なくとも動物は殺している。では、なぜ子供を殺せなかったんでしょうね?」

 

 人は意外と死ににくい。

 しかし、人を殺すのは簡単だ。

 矛盾するようだが、それが真実なのだ。

 

「あなたなら、どうやって人を殺しますか? ……銃で頭を撃つ? あぁ、そうですね。それが確実です。銃ならやっぱ頭ですかね。ロシアンルーレットはこめかみに銃口を突きつけるわけですし、頭は人体の急所の一つ。そこを砕けば、即死ですよね」

 

 他にも、心臓を穿つ、頸動脈を切るなど、人体の急所を狙って攻撃を加えれば、人は簡単に殺されてしまう。人間というのは、急所の多い生き物なのだ。

 そしてそんな弱点は、とても明瞭に知られている。学校で習うようなことではない。ただ、日常生活を営む間、本能的に、あるいは経験則として、学んでいくのだ。

 頭を殴られれば痛い。首を掴まれれば怖気が走る。そんな防衛本能を働かせるうちに、人は無意識的に自身の弱点を知るのだ。

 そしてその学習は、人に害意を向ける時にも発揮される。

 即ち、刃物で人を刺し殺そうとする時、どこを狙うのかだ。

 衝動的に振るう刃物であれば、腹に刺すこともあるだろう。しかしそれは初撃にすぎない。確実に殺すなら心臓だし、頸動脈を切断してもいい。

 人間はそれを知っている。そうすれば、相手が確実に死ぬことを。

 

「けれどこの事件の犯人は、襲った子供を誰一人として殺せていない。わざと殺さなかったのでなければ、犯人は人体の急所を狙わなかった――いえ“狙えなかった”ことになる」

 

 恣意的に急所を狙わなかったのではないとしたら、犯人は確実に殺す方法を取れなかった、ということになる。

 それはなぜか。答えは、簡単だ。

 

「“知らなかった”んですよ、人体の急所を。人間なら誰しもが学習するだろうことをね」

 

 言ってしまえば簡単だが、とはいえそんな人間がいるのだろうか、という疑問も付きまとう。

 人間ならざる存在であれば、もしかしたら人体の構造を理解していないのかもしれないが、それ以外にも可能性はある。

 

「人が無意識的に己の弱点を学習するのなら、その犯人は人体の急所を学習していない人物。つまり――“子供”です」

 

 子供は危険を察知できない。すぐにものを飲み込み、足場の悪いところで躓き、道路に飛び出す。どんなものが、自分のどこに当たったら酷い目に遭うのかを理解しない。彼らには「痛い」と感じたその瞬間しかないのだ。

 だからこそ、 己の急所さえも把握していない者となれば、それは学習経験が極端に浅い、幼子ということになる。

 

「幽霊が犯人っていうのはオカルトですけど、少女が犯人というのは、あり得ないと切り捨てられるものではないと思います。まあ、少年でもいいですけど」

 

 もっともこの推理も、犯人は人外である、と同じくらい荒唐無稽ではあるのだが。

 しかし荒唐無稽だからこそ、誰もが考えもしない盲点であるからこそ、その存在が掴めない、とも考えられる。

 

「……とまあ、つい興が乗ってらしくもなく推理とかしちゃいましたけど、どうでしたかね? あなたよりも、よほど探偵らしいことしてる自負はあるんですが。まあ、オレはその場にいませんでしたけど」

 

 まだ仮説の域を出ない推論ではある。子供だとわかったからと言って、明確に誰が犯人だとわかったわけではない。

 そもそも、この推理にしたって、子供に生き物が殺せるのか、それだけの力があるのか、目的はなんなのか、など。倫理、技術、動機、その他の外的要因など、諸々の事情が絡んでくるので、やはり突飛なだけで、不完全な推理なのだが。

 

「あぁ……はい、そうですね。口で言っても仕方ないですよね。こればっかりは、結果で示さないと……でも、本当あんま期待しなでくださいね。オレができることは、たかが知れてるんですから。だから別働隊がいるわけですし……」

 

 偉そうに御託を並べても、犯人に繋がらなければ意味がない。こんな時ばかり正論をぶつけられて、少し腹が立つが、苛立っても仕方ないので苦々しく飲み込む。

 

「じゃあ、長くなりましたけどこの辺で。次はいい報告ができるよう、最善は尽くしますよ」

 

 と、いい加減相手の声を聞くのも憂鬱になってきたので、通話を切る。

 

「……とはいえ、オレの方はかなり手詰まり気味だし、後のことは伊勢さんたちが肝だ。上手くやってくれよ――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 そんなこんなで、謡さんに案内されて、鹿島先生が住んでいるらしい、ちょっと大きなマンションへとやって来ました。

 

「ここが、鹿島先生のお家ですか?」

「うん。このマンションの265号室だって」

「265? 205とかじゃなくて? 一体どういうナンバリングなんだ……? 確かに大きいマンションだけど、まさかワンフロアに60部屋もあるわけじゃあるまいに」

「どーでもよくない?」

「えーっと、262、263、264……お、ここだね、265号室」

 

 不思議な並びの部屋番号を辿って、いよいよ先生の家が間近に迫る。

 いや、どちらかと言えば、迫っているのはわたしたちなんだけど。

 なんにしても、ここに先生がいるはず。そして、たぶんそのお子さんも……

 

「…………」

「妹ちゃん、平気? 私が押そうか?」

「い、いえ。大丈夫、です」

 

 インターホンの前でたじろいでしまうけど、ここまで来たら、もう引き下がれない。

 先生にはすごく申し訳ないけれど……一刻も早く犯人を見つけて、これ以上被害を出さないためにも、前に進まなきゃ。

 わたしは恐る恐る、インターホンを押す。

 ピンポーン、という電子音が鳴って、しばらくすると、

 

『……はい』

「あ、あのっ。先生……えっと、その、い、伊勢です。伊勢小鈴です」

『っ! なにっ? 伊勢……? ちょ、ちょっと待ってくれ』

 

 驚いたような声の直後、インターホンの向こうでなにやらバタバタと音がした。

 そしてそのすぐ後に、勢いよく部屋の扉が開かれた。

 当然、出て来たのは鹿島先生だ。

 

「伊勢……それと、日向に、ルナチャスキーに、水早に香取に……長良川までいるのか? これはどういう集まりだ?」

「先生が心配な可愛い生徒たちの集まりです」

「おい、実子」

「ご、ごめんなさい、先生。いきなり来てしまって……その、わたしたち、先生のことが心配で……えっと」

「あぁ、そうか。そうだよな……悪い。だが、どうして私の家が……?」

「住所は香椎さんから聞きました。“私が”強引に無理やり聞き出して、この子たちも連れて来たんです。責任者は私です」

「よ、謡さんっ?」

「よう……」

「……いや、いい。別に、責めるつもりはないんだ。本当なら、厳しく注意すべきなんだろうが……」

 

 いつも気丈で強気な鹿島先生だけど、今は語気が弱くて、覇気も感じない。

 それになにより、すごくやつれている。目のクマも酷くて……正直、見ていられない様子だった。

 

「立ち話もあれだろう。とりあえず、入ってくれ。流石にこの人数だと、少し手狭だろうけど、許して欲しい」

「大勢で押しかけたのはこちらなので、先生が謝ることはありませんよ。いざとなれば誰か帰らせます」

「それ絶対に私のことだよね、水早君」

「お、お邪魔します……っ」

 

 そういうわけで、わたしたちは先生の家へと、上げてもらいました。

 中は、なんとなく暗かった。明かりが消えているというだけじゃない。なんだか空気がどんよりと重く、息苦しい気分だ。

 それに、すごく嫌な感じがする。言葉では言い表せないんだけど……危険というか、なんというか。

 

「Oh……クマさん(ベーァ)がたくさんです。かわいい(シェーン)ですね」

 

 本当だ。先生の家には、たくさんのクマさんのぬいぐるみがあった。

 玄関に、戸棚に、あるいは壁に、大小様々なテディベアがある。

 

「先生、普段はあんなにサバサバしてるのに、意外と少女趣味なんだね」

「先生だって女性だし、そういうこともあるだろう。表向きが男勝りなほど、その反動で内面は少女らしいなんて、よくあることだ」

「そーくんが言うと、妙な説得力があるね。妙な」

「そこを強調しますか」

 

 小声でそんなことを話しながら、先生に案内されて、リビングへと入る。

 

「座卓ですまない。とりあえず、お茶を淹れるから、適当に座ってくれ」

「あぁ、お構いなく」

「社交辞令だね」

「いちいち茶々を入れるな、鬱陶しい」

「ちぇ、せっかく重苦しい場を和ませようと思ったのに」

「今回は殊更にナイーブな問題なんだ、ふざけるなら帰れ」

「ま、まあまあ、霜さん。実子さんも、ワルギがあったわけじゃないと思います」

「そうだよ、ユーリアさんの言う通り」

「……まあでも、そーくんの言う通りでもあるよね」

「え、先輩も私に帰れって」

「だからそういうところだぞ、実子」

「そうじゃなくって、今回は慎重に行かなきゃいけないってこと。先生の傷を抉らないよう、よく吟味して言葉や話題を選ばないと」

「たしかに……」

「この先輩、意外と真面目なこと言えるんだね」

「だからさぁ……!」

「……そう、も……目くじら、たてすぎ……」

 

 霜ちゃんとみのりちゃんのことは置いておくとして、謡さんの言う通りだ。

 朧さんの言う通りなら、先生のお子さんは、今回の事件の直接的な被害者だ。

 そしてわたしたちが探らなきゃいけないことも、その事件について。問題の核であり、恐らく先生がやつれている根源。

 そこに踏み込むのだから、慎重に行かないと。

 それに、朧さんが得た情報も個人のプライバシーを侵害しかねないことだし、先生のお子さんが被害に遭っていることを知っている、ということは伏せないと……

 

「すまない、待たせた」

 

 しばらくして、先生がお盆にお茶を淹れて持って来てくれた。

 先生……すごく辛いだろうに、いきなり押しかけて来たわたしたちを、お客さんとしてちゃんと迎え入れて、もたなしてくれてる。

 それを思うと、自分の利己的な行動に、また心が痛む。

 

「……それで、お前たちが来たのは、その……私のこと、だよな」

「えぇ、ここ最近ずっと休まれているので、どうしたのだろう、と」

「学校でも噂にでもなってるのかな……まあ、仕方ないか。いくらなんでも休みすぎだものな。教頭の気遣いに甘えすぎた。教師……いや、社会人として失格だな、私は」

 

 先生は沈痛な面持ちで言った。

 とても暗く、悲壮感を漂わせる声で。

 そんな先生が見ていられなくて、わたしは思わず、言ってしまった。

 

「そ、そんなことありませんっ。だって、先生だって辛いはずで……」

「小鈴っ」

「え……あっ」

「……やっぱりな」

 

 しまった、と思った時にはもう遅い。

 慎重に行こうって決心したばかりなので、いきなり失敗してしまった。

 

「カマをかけたつもりはないが、そうじゃないかとは思ったよ。じゃなきゃ、お前たちみたいな内向性の高い生徒が、教師の家に突撃するなんてあり得ないものな。ただの噂なのか、どうにかして知ったのかは知らないが……ふむ」

 

 先生はぐるっとわたしたちを見回すと、その中の謡さんに視線を合わせた。

 

「長良川、か。久し振りだな」

「は、はい。去年はお世話になりました」

「生徒会に入ったんだっけか。どうだ、上手くやれてる?」

「はい。会長も、同級生も、後輩も、皆いい人たちなので……とても、楽しいです」

「そうか、それはなにより。クラスではどうだ? お前は誰とでも卒なくコミュニケーションを取る奴だったけど、その辺は?」

「フーロちゃ……北上さんと。生徒会で同じなので、最近は仲良くしてます」

「そうか。確か北上とは、去年もクラスが同じだったな。他に同じクラスだった奴は……そうだな、若垣とか、どうだ」

「…………」

「……ま、その辺からだろうな。あいつは嫌に賢しい奴だったしな」

 

 え、な、なに、どういうこと?

 朧さんから先生のことを知ったのが、バレたの?

 

(凄まじいな……この先生、思った以上にやり手だぞ)

(どういうこと?)

(観察眼が半端じゃない。直接の担任であるボクらならまだしも、ただ1クラスの授業を受け持っただけの先輩たちのことさえも熟知してる。そしてその上で、僅か時間で考えられるあらゆる可能性から最適解を導き出してしまった)

(ごめん、なに言ってるのかわからない……)

(要するに、この先輩を通じて、あの新聞部の先輩との関わりを見抜かれたんだ。この些細なやり取りの中でね)

 

 やっぱりよくわからなかったけど、朧さんのことまでバレてしまったということはわかった。

 それって、なんだか、とってもまずい流れじゃ……?

 先生は顔こそやつれているけど、それでも先生らしく毅然として振る舞いで言った。

 

「本来なら、よほどの理由がなければ、教師の家に生徒がいきなり押しかけるなんて厳重注意、下手すれば生徒指導やらでペナルティを考えるところだけど……今回は確実に、私に非がある、よな」

「先生……」

「いいよ、どうせ全部知ってるんだろう。お前たちのやってることは不謹慎だと叱りつけたくなるが、教師としての責務を放棄している今の私にその資格はない。それにお前たちなら、興味本位とか邪な考えで来たわけじゃないだろうしな」

 

 な、なんだろう。怒られているのか、そうでないのか、よくわからないけど……

 なんていうか、先生は自戒しているようだった。

 

「私が欠勤してる理由は、察しの通りだよ。その、なんだ……娘が、な」

「…………」

 

 やっぱり、そうなんだ。

 その話題を口にした途端、先生の毅然とした態度も、崩れていく。

 

「今、小1だ。絵を描くのが好きで、とにかく明るい子で、友達も多かった。あの日も、友達の家で遊びに行っていたん、だが……」

「そこで、例の……」

「あぁ……」

 

 『幼児連続殺傷事件』。

 未就学児から、小学校低学年まで。幼い子供ばかりを狙った、傷害事件。

 今のところ死者は出ていないみたいだけど、どの被害者も、あと少しでも搬送が遅れていれば死んでいたかもしれないというくらい、惨い傷を受けている。

 そして、先生のお子さんも……

 

「今も娘は療養中……いや、もういっそ不登校と言った方がいいかもしれないな。体調は万全だ。だが、心が身体に追いついていない。いつかのルナチャスキーみたいな状態だな」

「うにゅ……それって、お外に出たくない、ってことですか……?」

「あぁ、そうだ。そうだよ、出られるわけがない。私だって、あの子と同じ立場なら、外に出たいなんて、出られるだなんて、思わないさ」

 

 先生は、血が滲みそうなほど拳を握り締めている。

 表情は重く険しい。それは悲しげでありながらも、その中には凄まじいまでの怒りも内包した、嘆きだった。

 

「“顔”を、あんなにされて……!」

「っ……!」

 

 息を飲んだ。思わず、自分の顔に手を当ててしまう。

 もしも、自分の顔に幾重もの切傷がついたとしたら? 二重に三重に、深い裂傷。刺傷。暴力による蹂躙の痕が残ったとしたら?

 考えるだけで、怖気が走る。全身が毛羽立つような悪寒に襲われる。熱が顔に、身体中に迸って、痛みなんてありもしないのに、痛覚を刺激する。

 想像もしたくないけど、その姿を思い描いてしまう。自分自身を、空想の暴威と、重ね合わせてしまう。

 胸が痛い。胸の奥底が、掻き回されるような気持ち悪さと、痛みを感じる。

 けれどそれは所詮、妄想であり、錯覚に過ぎない。

 本当の……“本物”の痛みには程遠い。

 そしてそれは逆説的に、本物の凄惨さを雄弁に物語る。

 

「あの子は、女の子なのに……!」

 

 言葉が、出なかった。

 先生の抱えるものの大きさに、圧倒されてしまう。事の重大さに、慄いてしまう。

 慰めの言葉も、励ましの言葉も、わたしの口から出る言葉はすべて陳腐で薄っぺらいものになってしまいそうで、なにも言えない。言ってはいけない、そう思ってしまう。

 やっぱり、わたしはここに来るべきじゃ、なかったのかもしれない。

 先生の悲愴を、憤怒を、悔恨を見ると、わたしはそう思ってしまう。

 

「……悪い。お前たちは私を心配して来てくれたのにな」

「いえ、その……ご愁傷様、です」

「中学生が言葉を繕って気遣うなよ。でも、まあ、ありがとう。少し救われたよ。理由はどうあれ、少しでも私を心配して、ここまでする教え子がいるってだけで、私は幸せ者だ。教師冥利に尽きるよ」

 

 先生は、さっきの悲しみと怒りと悔しさに満ちた表情から少し持ち直して、渇いているけれども、少しだけ笑みを見せてくれた。

 でもやっぱり、精神がぐらぐだと揺れていて、情緒不安定に感じる。

 当然のことだけど、それだけ娘さんのことが、堪えているんだ。

 

「ところで先生、娘さん、今……?」

「部屋にいるよ。けど、流石に会わせられない。私なんかよりも、本人の方がずっと堪えているしな」

「や、いくら空気読まない私でも、そこまでさせろなんて言いませんよ」

「……香取、お前変わったよな。一学期はそんなんじゃなかったよな……?」

「そうでした?」

「ずっと、学校を休まれているんですか?」

「あぁ、そうだな。一応、病院には通っているが……けど、傷口は塞がっても、傷痕は消えない。顔だけじゃない、身体の傷もだ」

「……ごめんなさい、変なことを聞きました」

「いや、いい。変に気遣うなよ、水早。私はお前たちよりも、十も二十も上の大人だぞ? 子供がちょっとやそっとの粗相をした程度で怒りはしない。今の私はかつてないほど寛大だ」

「……はい」

 

 先生は冗談めかしてそう言うけど、それが強がりなのはわたしにもわかった。

 確かにわたしたちが根掘り葉掘り聞いても、よほどのことがない限り怒りはしないだろうけど、娘さんのことを口にするたびに、辛そうな表情をするんだもの。

 だけど、霜ちゃんは先生を気遣いつつも、言及を止めなかった。ここで引き下がったら、なにもかも無意味に終わってしまうと、理解しているから。

 

「ということは、病院以外ではずっと家にいるんですね」

「そうだな。基本的には部屋にこもりっぱなしだ」

「そういえば先生、旦那さんは?」

「旦那か? 旦那も働いてるが、帰ってくるのは夜遅くだよ。私は教頭先生の温情で休ませてもらっているが、旦那はそうもいかないようでな。いや、私が休めるから、旦那には働いてもらわなくちゃならない、ってことなんだが」

「今の娘さんを、家に一人にするのも、酷でしょうしね」

「あぁ、そうだな……でも、勉強は大丈夫だ。私の担当は国語だが、小学一年生レベルなら教えられるし、毎日友達がプリントも届けてくれる。あの子が復帰した時のための土壌は、ちゃんと作っておかないといけないからな。学校に復帰しても、学業についていけないなんてことにはさせないさ」

「さっすが鹿島先生。去年から変わってないですね」

 

 勉強の遅れ、不登校。そういう問題は、烏ヶ森にもある。

 鹿島先生も、先生として、その問題に向き合ってきた人なんだ。

 たとえその相手が自分の娘でも、その意志は変わらない。

 

Aber(でも)……学校には、音楽とか、体育とか、美術とかもありますよ?」

「技術科目については、流石にどうしようもないな。リコーダーくらいなら吹けるが、体育はちょっとな……あぁ、でも」

「? なんですか?」

「美術……っていうか、小学校なら図画工作か。図工は問題ない」

「それは、どうして?」

「あの子の得意科目だからな。最初に言ったろ、絵を描くのが好きだって。図工だけはずば抜けて得意でな、一学期の成績は最“優”だったんだ」

「優って……小学校じゃそんな評価の仕方しないですよ。4とか5とか、せめてアルファベットでしょうに」

 

 霜ちゃんがちょっと呆れ気味に言うけど、先生はとても楽しそうだった。

 正に、我が子を自慢する母親の姿だ。

 

「ってことは、家でも絵を描いてるんですか?」

「そうだな。それが少しでもあの子の慰みになればいいんだが……なんか、変なんだよな」

「変、とは?」

「絵を描いてる時だけ、おどろおどろしいというか、なんか違う雰囲気というか……暗いことには暗いんだが、こう、なにかに憑りつかれてるみたいに絵を描いてて……たまに勉強そっちのけで一心不乱に書いてるものだから、安心するようで、少し空恐ろしくもある」

「それは……事件の影響、とかですか?」

「わからない。私も深く尋ねるのは怖くてな……あぁ、教師、社会人に続き、母親も失格かもしれないな、私は」

「そ、そんなことないですよっ! 先生は、gut Mutter(立派なお母さん)です!」

「なにかに憑りつかれてるように、か」

 

 霜ちゃんは、わたしに目配せする。

 うん、その表現でわたしにもちょっと思い当たる節はあるよ。

 先生の娘さんが、かつてのユーちゃんと似たような状態にあるのは、もしかしたら事件の、傷のせいだけじゃないかもしれない。

 事件の傷を強く引きずっているだろうことは想像に難くないけれど、なにかに憑かれたように絵を描き続けるというのは、異常かもしれない。

 少なくとも先生が、違和感を覚える程度には、異変と言える。

 

(まさか、クリーチャーが……?)

 

 『幼児連続殺傷事件』と関わりのあるクリーチャーなのか、それともまったく関係ないクリーチャーなのかは、わからないけれど。

 この家に入った時に感じた嫌な気配も、もしかしたらクリーチャーによるもの……?

 わたしはほとんど無意識に、鞄を引き寄せていた。今は先生がいるから下手に動けないけど、もしもクリーチャーなら、どうにかして……ん?

 

「っ」

「? 伊勢、どうした?」

「あっ、いえ、そのっ……せ、先生っ!」

「な、なんだ……?」

「お、お手洗いを、お借りしてもよろしいでしょうか……っ?」

「構わないが……部屋を出て左の突き当りだ」

「ありがとうございますっ!」

 

 わたしはそのまま立ち上がると、大慌てでリビングを飛び出した。

 

「……あいつ、鞄ごと持っていったな」

「女の子ですから」

「いやだからって鞄まるごとはないだろ。あいつ、お前たちみたいに置き勉せず、教科書とか全部持って帰ってるような奴だぞ。絶対に重いだろ、あれ」

「わ、妹ちゃんマメだねぇ」

「置き勉程度で口うるさく言うつもりはないけど、できれば持って帰ってくれな。先生も人の机の中まで面倒みきれないから」

「はーい」

 

 

 

「小鈴……まさか……」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――もうっ、鳥さん! ちょっとは空気を読んでよ! 大事なお話をしてたのに!」

「それはこっちの台詞だよ。こんなクリーチャーの気配しかしない、クリーチャーの巣の中みたいなところで、黙っていろと言う方が無理な話だ」

 

 鞄を引き寄せた時、なんだか妙な感覚がした。それは、そう、まるで勝手に鞄が動いているような。鞄の中で、なにかが蠢いているような。

 思い当たる節は一つしかない。鞄はファスナーを閉めているから鳥さんでも出て来れないはずだけど、もし鳥さんが先生の眼に触れてしまったら大変だ。

 だからこうして、一人になって鳥さんを大人しくさせようとしたんだけど……やっぱり無理です。わたしじゃ口で鳥さんには敵いません。

 いや、それはそれとして。

 鳥さんはクリーチャーの気配と言った。それは、つまり、

 

「この家に、クリーチャーが……?」

「そうだ。しかも、結構根が深そうだぞ。もしかしたら、この家そのものに憑りついている可能性もある」

「そんなことができるの?」

「できるクリーチャーもいる。そうでなくても、闇のマナがあまりにも充満しすぎている。ここはもう完全に奴らのテリトリーだろうね」

 

 そんな……先生の家なのに。

 それに、傷ついてる先生の娘さんもいるのに。

 

「ど、どうしよう」

「どうしようもこうしようも、いつもと同じだろう?」

「え?」

「どうも君には時間があまりなさそうだから、手早く済ませよう。そら!」

 

 と、刹那の瞬きのうちに輝く閃光。

 そんな一瞬のうちに、わたしは例の、あの、ちょっと恥ずかしい格好にさせられていました。

 

「って、なに考えるの鳥さん!?」

「だから、とっととクリーチャーを倒そうと。僕もお腹すいたし」

「そうじゃなくて! ここ、先生の家! もし誰かに見つかったら大変だよ!」

「じゃあ、見つからないうちに征伐しようか」

「そうでもなくて! あぁ、もう、なんでこんなことにぃー……」

 

 色々と鳥さんに文句を言ってみたけど、まったく取り合ってくれません。

 衣装を変えられてしまったが運の尽き。もう、クリーチャーを倒すしかないのかな……

 うぅ、お願いだから、先生だけには絶対に見つかりませんように。痛いコスプレしてる生徒だとは思われたくないから……!

 

「さぁ、早く行こう。なに、この家屋に巣食っているということは、敵も目と鼻の先だ。すぐに叩けるさ」

「人の家を勝手に歩き回るのはどうかと思うけど……」

「領域侵犯ってこと? まあ、確かに立文明の領域に勝手に入ったら撃ち落とされても文句は言えないけど、バレなきゃ問題ないさ。こっちは大義名分があるわけだし」

「大義名分とか言っちゃったよ……っていうか、そういうことでもないよ。もう……」

 

 鳥さんと話すと、なんだか疲れる。微妙に話が噛み合わないんだもん。

 わたしも諦めてクリーチャーを倒す気がちょっとは出て来たけど、この家の移動範囲は決して広くない。

 少なくとも、先生たちがいるリビングは通れないしね。できれば早くに見つけたいところだけど……すぐに見つかるかなぁ?

 

「む、ここだ。この部屋から邪悪な闇のクリーチャーの気配がするよ」

「この部屋?」

 

 思ったよりもすぐでした。

 その部屋は他の部屋と違って、扉に「あられ」書かれた可愛らしいデザインのプレートが掛かっていた。

 

「あられ……もしかして、ここって先生の娘さんの部屋?」

 

 娘さんの名前は聞いてないけど、あられちゃんっていうのかな?

 先生の娘さんは、事件以後、なにかに憑かれたように絵を描くことに没頭することがあるって言っていた。

 わたしはそれを、クリーチャーのせいかもしれないと考えていたけど、かもしれない、じゃないかもしれない。

 可能性ではなく、これは真実として、そうあるのではないかと。

 

「解答がどうかなんてものは、開けてみればわかることだよ、小鈴」

「う、うん……」

 

 わたしは鳥さんに言われるがままに、ドアノブに手を掛ける。

 ごめんなさい、先生。勝手に家の中を歩き回って。

 そう心の中で謝ってから、ドアノブを回して、扉を開ける。

 明かりはついていなくて、中は真っ暗だった。カーテンすら閉め切られている。

 そしてなにより、空気が淀んでいる。窓も締め切られている、というだけじゃない。

 とても嫌な気配……お母さんの言うところの邪気? みたいなものが、部屋に充満している。わたしにもわかった。

 この部屋は、明らかに異常である、と。

 

「あの子は……」

 

 暗くてよく見えないけど、誰か寝ているようだ。あの子が、あられちゃん、かな?

 

「うなされてる……?」

 

 か細い声でよく聞き取れない。そもそも声としてまともに発生している声じゃない。

 寝言、あるいはうわ言のように、あられちゃんはなにかを言っていた。

 その声はどこか苦しそうで、悪夢でも見ているかのように思えた。

 

「この部屋……」

 

 だんだんと暗闇に目が慣れてきた。ハッキリと見えるわけではないにしろ、部屋の内装くらいはわかる。

 インテリアとしてなのか、家中の色んなところにあったテディベアが、この部屋にもある。他にも普通の勉強机と椅子、クローゼット、タンス、本棚、折り畳み式の座卓、ベッド……特別な家具はなにもない。わたしの部屋ともそう変わらない様子だった。

 ただし、家具は、だけど。

 

「わぁ……なにこれ、すごい……」

 

 部屋の壁は、わたしの部屋とはまるで違っていた。

 壁紙が、じゃない。壁紙の模様はシンプルな白だ。

 ただしその上から、テープかなにかで紙がたくさん貼ってある。それもただの紙じゃない。幾重もの線と多様な色彩が描かれた、絵だ。

 絵が、壁中に貼り付けられている。

 

「これ、全部この子が書いたのかな……」

 

 本の感想ならともかく、わたしには審美眼とか、芸術の感性とか、良し悪しとかはわからない。

 でも、ここに貼られている絵は、小学一年生とは思えないくらい、うまいと思った。少なくとも、わたしが美術の時間に描いた絵よりも。

 描かれている絵は、すべてバラバラ。動物とか、建物とか、あるいは人の絵が多いようだけど、たまに風景っぽいものもある。中にはよくわからない造形のものもあるけど。

 

「ん……? これは……」

 

 座卓の上にも、紙が何枚かあった。これも、あられちゃんが描いた絵かな。

 無意識にそれを手に取ろうとした、その瞬間。

 背筋に悪寒が走る。

 

「っ!」

「小鈴!」

 

 咄嗟に振り返る。いや、倒れ込むように、背中から倒れるように――躱す。

 刹那、わたしの頭上を、煌めく白刃が通過していった。

 わたしは尻餅をつきながらも、その存在をしっかりと視認する。

 この家、この部屋において、明らかな異形のそれを。

 

「どんくさい女かと思ったけど、意外と機敏だね。そんなにデカい“おもり”を付けてるのに」

「な、なんなの、あなた……!」

 

 異形と言っても、姿かたちは、人のようだった。

 子供を思わせる小柄な体躯。フードで顔を覆い、長靴を履いて、ランドセルのようなものを背負っている、男子小学生みたいな姿。

 ただし、フードの中の顔は影のようにまっくろ。ランドセルからは触手みたいなものが伸びていて、鉛筆、ハサミ、定規、カッターナイフなどが握られている。けれどそれらの文房具も、あり得ないほどに鋭く尖っており、ほとんど凶器だ。

 人型なのはシルエットだけ。それは、明らかな異常であり、クリーチャーだった。

 

「《シモーヌ・ペトル》……君のような弱小クリーチャーが、なぜここに?」

「弱小とは失礼な鳥だな。確かにぼくの力は影の者の中でも弱いけど、身体がデカければ強いわけじゃないだろう」

「だけど、この部屋に充満した闇マナの濃度、とても君一人のものとは思えない。それとも君は、親玉の刺客か?」

「刺客だって? 違うね、ぼくは泣きじゃくる女の子に目を付けて、ちょっと利用させてもらってるだけさ。親玉っていうなら、ぼくこそがボスだよ」

「そんなことはどうでもいいよ! あなた、先生の娘さんに……あられちゃんに、なにをしたの」

「そこの人間の女の子のことかい? ぼくはなにもしてないさ。ただ、ちょっと苗床になってもらっただけで」

「苗床……?」

「そうさ。ぼくは弱い。そこは否定しない。でも、ぼく個人が弱いなら、それはそれでやりようはあるってものさ」

 

 男の子が指差す。すると、部屋中のテディベアが、カタカタと震え出した。

 

「な、なに……っ!?」

 

 あまりにもホラーな光景に、身体が跳ね上がる。

 テディベアたちは一ヵ所に寄り集まる。まるで、合体でもするかのように。

 ……いや、まるで、じゃない。

 合体、するのだ。

 

「これは……!」

「驚いた。これ、君が育てたのかい?」

「そうさ。ぼくの戦う力が弱いのなら、強いペットを従えればいい。あの女の子は、そのための器さ。土の入った植木鉢みたいなものだね。なかなか従順でいい子だったよ。お陰で、これほど大きく育ってくれた」

 

 天井まで届くようなそれを、見上げる。

 大きい。それだけで威圧感がある。

 恐怖というよりも、ただただ圧倒される。

 鳥さんも言っていたけど、これには驚く。怖いとかよりも先に、ビックリする。

 だって、これは……

 

「大きな、テディベア……!?」

 

 あまりにも単純明快。だけど、単純だからこそ、純然たる吃驚が訪れるというもの。

 いくつものテディベアが寄り集まったそれは、より巨大なティベアになったのだ。

 ……いや、なんか悪魔みたいな羽と尻尾が生えていたり、フォークみたいな槍? を持ってたり、普通のテディベアとなんか違うけど。

 それでもあれは、見た感じクマのぬいぐるみそのものにしか見えない。

 

「小鈴、あれはクリーチャーだよ」

「えっ!? あれも!?」

「あぁ。どれだけの負のエネルギーを吸ったんだろうね。とんでもない“邪”を溜めこんでいる。愛嬌ある見た目に騙されるな」

 

 あれ、クリーチャーだったんだ……大きなテディベアにしか見えないけど。

 

「君たちがどうやってぼくの存在を察知したのか、なにが目的なのかは知らないが、君たちはぼくの邪魔をするつもりだろう? なら即刻、排除させてもらうよ。行け、《ペインティ》! そいつらを、血の色で塗り潰してしまえ!」

「小鈴、来るよ!」

「う、うん……!」

 

 テディベア――じゃない、クリーチャーだったね――巨大なぬいぐるみさんが、わたしに迫ってくる。

 このクリーチャーたちが、どういう目的で、なにをしているのかは知らない。

 けど、彼らのせいで先生や、あられちゃんは苦しんでいるのだろう。

 だったらその悪い夢から覚まさせるためにも、わたしが戦わなきゃ。

 太腿に手を伸ばす。ホルスターで留めたケースから、デッキを引き抜く。

 

「あなたの悪夢――わたしが祓ってみせるよ!」

 

 そしてわたしは、いつもと変わらぬ戦場へと飛び立った。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

[小鈴:超次元ゾーン]

《勝利のガイアール・カイザー》

《勝利のリュウセイ・カイザー》

《勝利のプリンプリン》

《時空の凶兵ブラック・ガンヴィート》

《タイタンの大地ジオ・ザ・マン》

《魂の大番長「四つ牙」》

《時空の喧嘩屋キル》×2

 

 

 

 巨大なテディベア、ぬいぐるみさんとの対戦。

 わたしは《ダーク・ライフ》から《カラフル・ナスオ》に繋げて、墓地は十分。

 だけど相手も《ノロン⤴》と《アホヤ》で、たくさん墓地を増やしてて、お互いに墓地を増やし合っているような状況です。

 

「墓地に呪文と《ロマノフ・シーザー》は揃った。あとは進化元! わたしのターン! 《アカシシーマ》をチャージして、5マナで呪文《超次元フェアリー・ホール》! マナをひとつ増やして、《時空の喧嘩屋キル》を二体、バトルゾーンへ!」

 

 超次元ゾーンから現れる二体のサイキック・クリーチャー。

 クリーチャーの力自体はあんまり強くはないけど、火のクリーチャーだから《ロマノフ・シーザー》の進化元になる。

 次のターン、《法と契約の秤》で《ロマノフ・シーザー》を復活させて、一気に勝負を決めちゃおう。

 

「ターン終了だよ」

「ボクのターン、モフ」

「喋った!?」

 

 さっきまでまったく喋らなかったのに、なんで急に? っていうか、喋れるんだ……縫い付けられてるのに、どうやって口を開くんだろう……

 いや、クリーチャーに対してそんなことを考えるだけ無駄な気もするけど。

 

「アンタップして、ドローする前に、ボクの墓地のクリーチャーの能力を使うモフ」

「墓地のクリーチャーの……?」

 

 なにか、来る。

 ぬいぐるみさんの墓地でなにか恐ろしいものが蠢いている。

 

「ボクの《ノロン⤴》を破壊、墓地の《アツト》《イワシン》二体を山札の下に戻して、このクリーチャーをバトルゾーンに出すモフ」

 

 そして、それは場のクリーチャーと、墓地のクリーチャーの(むくろ)を喰らって、バトルゾーンへと這い上がってきた。

 

 

 

「《蛇修羅(だしゅら)コブラ》――復活モフ!」

 

 

 

 それは、蛇だ。だけどただの蛇じゃない。コブラのように胴が太く、そして大きな蛇。

 それになにより、腕が六つもあって、そのうちの二本の腕には大きな片刃の剣が握られている。他にも、鎧のような装飾もあって、まるで武神だ。

 先に大きなクリーチャーを出して圧倒するつもりだったけど、相手に先制されちゃったな……

 

「《蛇修羅コブラ》の能力発動モフ。キミのクリーチャーを一体、破壊してモフ」

「わたしが選ぶの? なら、《カラフル・ナスオ》を破壊するよ」

 

 わたしのクリーチャーが、数多の蛇に飲み込まれて、食い殺されてしまう。

 クリーチャーが減ってしまったのは痛いけど、でも、まだ《キル》二体が生きてる。この二体がいれば、まだ《ロマノフ・シーザー》が出せる。

 《ロマノフ・シーザー》の力があれば、このくらいのクリーチャー、倒せるはずだよね。

 

「じゃあ、ドローするモフ。次に3マナで、呪文《蝕王の晩餐(ショッキング・ダンタル)》を唱えるモフ」

「! なに、あの呪文……?」

 

 突然、相手の墓地に巨大な鍋が現れた。中はどす黒く染まっていて、とてもおどろおどろしい。

 まるでこれからなにかを料理するかのようだけど、あんなおぞましい料理があっていいはずがない。

 だけどぬいぐるみさんは、そんなわたしに反するように、まるで材料を入れるかのように、バトルゾーンのクリーチャーをその鍋に放り込んだ。

 

「《蛇修羅コブラ》を破壊して、墓地からそれよりコストが1大きいクリーチャーを復活モフ!」

 

 鍋に放り込まれたのは、さっき復活したばかりの《蛇修羅コブラ》。

 ……中国とかだと、蛇を食べる文化があるらしいけど、あんな大きな蛇をどう調理するんだろう。

 いや、勿論これはデュエマで、お料理ではない。だからまともな調理工程は踏まないし、出来上がるものだって、まともな料理とは限らない。

 そもそも、出来上がるものは、料理ですらなかった。

 

 

 

「出来上がりモフ――《光神龍スペル・デル・フィン》!」

 

 

 

 《蛇修羅コブラ》を材料にして、出来上がった料理(クリーチャー)は、稲妻を走らせ、金色の鎧のような身体を輝かせる、光の龍。

 そのクリーチャーが出て来た瞬間、わたしの手札にある《法と契約の秤》が晒された。

 

「っ……!?」

「《スペル・デル・フィン》の能力で、キミの手札を見せてもらうモフ」

「て、手札を見せるの?」

「それだけじゃないモフ。《スペル・デル・フィン》がいる限り、キミはもう呪文が使えないモフ」

「えっ!?」

 

 そ、そんな……!

 呪文が使えないんじゃ、《ロマノフ・シーザー》を呼び出せない。それに、出せたとしても、呪文が使えないから、力を出しきれない。

 先制どころか、逆に先んじられた上に、こっちの攻め手を封じられちゃった……

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:《キル》×2

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:8

山札:20

 

 

テディベア

場:《アホヤ》《デル・フィン》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:4

山札:23

 

 

 

「わ、わたしのターン……」

 

 手札は少ないし、呪文が使えないんじゃ、わたしのデッキは力を半分も発揮できない。

 

「マナチャージして、《ジョニーウォーカー》を召喚。破壊してマナを増やして……ターン終了だよ」

 

 だからできることもほとんどなくて、わたしはマナを増やすだけで、ターンを終えるしかなかった。

 

「ボクのターン、モフ。《貝獣 アホヤ》を召喚して二枚ドロー、手札を二枚捨てるモフ。さらに《【問2】 ノロン⤴》も召喚モフ。二枚引いて二枚捨てるモフ。《一なる部隊 イワシン》を捨てたから、さらに一枚ドロー、一枚捨てるモフ。ターンエンド、モフ」

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《キル》×2

盾:5

マナ:8

手札:0

墓地:9

山札:18

 

 

テディベア

場:《アホヤ》×2《デル・フィン》《ノロン⤴》

盾:5

マナ:5

手札:0

墓地:9

山札:17

 

 

 

「わたしのターン」

 

 もう手札はない。呪文も使えない。わたしにできることは、極端に少なくなってしまっている。

 だけど、長引けばもっと不利になることは目に見えていた。だから早いうちに、なんとかしないといけない。

 そんな中、わたしが引いたのは、

 

「! 来たよ、6マナをタップ! 《龍覇 グレンモルト》を召喚!」

 

 《グレンモルト》だった。

 たぶんこれが最高のドローだ。《グレンモルト》なら、呪文に頼らずに戦える。

 

「《グレンモルト》に《銀河大剣 ガイハート》を装備! そのまま攻撃! シールドブレイク!」

 

 大剣を握り締め、《グレンモルト》は疾駆する。そして、瞬く間に相手のシールドを一枚、切り捨ててしまった。

 まずは、これで一回。

 

「続けて《キル》でもシールドブレイク!」

「ブロックしないモフ。S・トリガーもないモフ」

 

 そして、これで二回。

 条件――達成。

 

「ターン中に二回の攻撃に成功龍解条件成立だよ! 《ガイハート》を龍解!」

 

 《ガイハート》をひっくり返す。《グレンモルト》も、剣を突き立てて、その真の姿を解放する。

 

 

 

「龍解――《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 わたしのデッキは呪文が主体だけど、切り札は《ロマノフ・シーザー》だけじゃない。

 《ガイギンガ》も、わたしのデッキの切り札のひとつだ。そしてこのクリーチャーが、突破口を開いてくれる。

 ちょっと出遅れちゃったけど……一気に攻めるよ!

 

「まずは龍解した時の能力で《スペル・デル・フィン》を破壊! 続けて《ガイギンガ》で攻撃!」

「それは《アホヤ》でブロックするモフ」

「ターン終了!」

 

 これでわたしの場には《キル》が二体に、《グレンモルト》と《ガイギンガ》。合計で四体のクリーチャー。

 行ける。このまま攻め込めば、勝てそうだよ。

 待ってて、先生……!

 

「ボクのターン、墓地の《蛇修羅コブラ》の能力を使うモフ。《ノロン⤴》を破壊、墓地のクリーチャー三体を山札の下に戻して、《蛇修羅コブラ》を復活モフ」

 

 再び、《蛇修羅コブラ》が復活する。

 クリーチャーを破壊してくるし、ブロッカーだし、ちょっとやなクリーチャーだな……

 

「《蛇修羅コブラ》の能力発動モフ。クリーチャーを一体、破壊してモフ」

「タップされてる《キル》を破壊するよ」

 

 けど、破壊するクリーチャーはこっちが選ぶから、大きな被害はない。《ガイギンガ》が一体だけの時に狙われると厳しいけど、今はクリーチャーもたくさんいるしね。

 と、思ったけど、相手はそんなに甘くなかった。

 可愛い顔をしてても、相手はクリーチャー。可愛いだけじゃ、済まない。

 

「2マナで《ノロン⤴》を召喚モフ。二枚ドローして、二枚捨てるモフ。さらに3マナで《蝕王の晩餐》を唱えるモフ。《蛇修羅コブラ》を破壊するモフ」

「ま、またっ?」

 

 《蛇修羅コブラ》に続いて、二枚目の《蝕王の晩餐》。またコスト9のクリーチャーが出て来てしまう。

 でも、もう《スペル・デル・フィン》が出て来ても関係ない。こっちには《ガイギンガ》がいるから、もう呪文に頼らなくても戦える。

 だけどそれは相手も承知している。わたしが、呪文からクリーチャー主体での戦い方に切り替えたことを理解している。

 だから相手も、クリーチャーで立ち向かってくる。

 

 

 

「次はこれモフ――《世紀末ゼンアク》!」

 

 

 

 現れたのは、人の形をした二体のクリーチャー。だけど、それは一枚のカード。二体で一体分、ということなのかな。

 片や真っ黒な身体で、凶悪で恐ろしい形相をした、悪魔のようなクリーチャー。片や、真っ白な身体で、穏やかで安らかな表情の、天使のようなクリーチャー。

 相反するような存在の二体が、一対のクリーチャーとして、バトルゾーンに呼び戻されたんだ。

 

「《ゼンアク》はブロッカー、それにパワー17000モフ。キミのちっちゃいクリーチャーなんかには負けないモフ」

「い、いちまん、ななせん……!?」

 

 なにそれ……いくらなんでも、強すぎる。

 《ガイギンガ》も、バトル中はパワーが上がって13000になるけど、相手はそれさえも易々と超える、パワー17000。ここまで巨大なクリーチャーでは、《ガイギンガ》でも太刀打ちできない。

 ど、どうしたら、いいの……?

 

 

 

ターン6

 

小鈴

場:《キル》《グレンモルト》《ガイギンガ》

盾:5

マナ:8

手札:0

墓地:9

山札:17

 

 

テディベア

場:《アホヤ》《ノロン⤴》《ゼンアク》

盾:3

マナ:5

手札:1

墓地:11

山札:17

 

 

 

 《ゼンアク》という巨大な壁が、わたしの前に立ち塞がる。

 このクリーチャーを退かさない限り、わたしは攻め込めない。だから早く除去しないけど、手札がないわたしは、山札の一番上のカードを使うことしかできない。

 なにか、いいカードを引けたらいいけど……

 

「ドロー。5マナで《超次元フェアリー・ホール》! 1マナ増やして……ここは、これかな。《タイタンの大地ジオ・ザ・マン》をバトルゾーンに!」

 

 出すクリーチャーには悩んだけど、マナはたくさんあるし、ここは色んな状況に対応できる《ジオ・ザ・マン》だよ。

 《プリンプリン》とかじゃあ、《ゼンアク》を1ターン止めても、《アホヤ》にブロックされちゃうからね。それなら、もっと長期的に活躍できる見込みのあるクリーチャーがいい。

 

「ターン終了。その時、《ジオ・ザ・マン》の能力で、マナの《法と契約の秤》を手札に戻すよ」

 

 このターンに《ゼンアク》を倒すことはできないけど、墓地のカードを使えばそれも可能だ。

 まずは《ロマノフ・シーザー》を呼び戻す。そして、墓地の呪文で《ゼンアク》を倒して、一気に攻め込む。

 次のターンが、勝負だよ。

 

「ボクのターン、《蛇修羅コブラ》の能力を使うモフ。《アホヤ》を破壊、墓地のクリーチャー三体を山札の下に戻して、《蛇修羅コブラ》を復活させるモフ」

「うっ、《グレンモルト》を破壊するよ」

「さらに3マナで、《蝕王の晩餐》モフ」

「三枚目……!」

「《蛇修羅コブラ》を破壊して、墓地からコスト9のクリーチャーを復活モフ。さぁ、出るモフ!」

 

 ……なんだか、とても嫌な予感がする。

 ここでまた《スペル・デル・フィン》が出て来るのも嫌だけど、それ以上に大変なクリーチャーが出て来そうな、そんな予感が。

 《スペル・デル・フィン》《ゼンアク》と来て、次に出て来るコスト9のクリーチャー。それは――

 

 

 

「キミを真っ赤で真っ黒な、血の色で染め上げるモフ――《「邪」の化神ペインティ・モッフモフ》!」

 

 

 

 ――巨大で邪悪な、アクマのぬいぐるみさんでした。

 クマのぬいぐるみのような愛らしい姿。それでいて、背に蝙蝠の羽、先端の尖った尻尾と、悪魔のような姿でもある。

 それになにより、背後から伸びる、夢にでも出て来そうな怪物が、その存在を主張している。

 遂に、ぬいぐるみさん本人が、出て来ちゃった。

 そしてこのタイミングで出て来ることで、恐ろしいまでの悪夢を、わたしに見せつけてくる。

 

『《ノロン⤴》からNEO進化モフ。さらにボクの登場時能力で、他のクリーチャーすべてのパワーを、マイナス10000モフ!』

「い、いちまんっ!?」

 

 パワーを低下させる能力は今までたくさん見てきたけど、場全体に10000もパワーダウンをかけるクリーチャーなんて見たことない。

 それだけの数値のパワーダウンに耐え得るクリーチャーはほとんどいない。ただし、《ゼンアク》はパワー17000もあるクリーチャーだ。10000ものパワー低下も、耐えてしまった。

 だけどわたしのクリーチャーは全滅。そしてなにより、

 

「《ガイギンガ》が……!」

 

 肉体が悪夢に飲まれ、破壊されてしまった《ガイギンガ》。

 《ガイギンガ》はバトル中にパワーが上がるだけで、普段はパワー9000だから、膨大なパワーダウンには耐えられなかった。

 それに、場全体に及ぼす能力だから、追加ターンさえも得られない。

 完全に、完膚なきまでに、わたしの切り札は倒されてしまった。

 

『さぁ、そろそろ終わりモフ。ボクで攻撃、シールドをTブレイクするモフ!』

「! うぁ……っ!」

 

 さらにぬいぐるみさんは、間髪入れずに攻め込んでくる。

 その愛嬌のある見た目にそぐわない、強烈な槍の一撃を叩き込んで、わたしのシールドを一気に三枚も突き砕いてしまった。

 

「と、トリガーは……ないよ……」

『なら、ボクの能力、ブレイク・ボーナスが発動モフ。シールドブレイク後、ブレイクしたシールドの枚数だけ、相手の手札を捨てるモフ』

「ブレイクした数だけ手札を捨てる……!? そ、そんな……!」

 

 ブレイクされたシールドは三枚。その数だけ手札が捨てさせられる。つまり、わたしはシールドブレイクによって手札を得られない、ということになる。

 わたしの手札が三枚、叩き落される。トリガーでこそなかったけど、逆転のための手段が根こそぎ奪われてしまった。

 

『次に《ゼンアク》でも攻撃モフ。残りのシールドをブレイクするモフ』

「こ、こっちにもトリガーはないよ……」

『ターンエンドするモフ。その時、《ゼンアク》はアンタップするモフ』

 

 ターンの終わりに起き上がる《ゼンアク》。その高い壁は、一分の隙もなくわたしの侵攻を阻もうとしていた。

 

 

 

ターン7

 

小鈴

場:なし

盾:0

マナ:8

手札:3

墓地:14

山札:15

 

 

テディベア

場:《ペインティ》《ゼンアク》

盾:3

マナ:5

手札:1

墓地:9

山札:19

 

 

 

 出て来たのが《スペル・デル・フィン》でなかったのは、良かったのか、悪かったのか。

 呪文は使えるけど、代わりにバトルゾーンが全滅してしまった。

 なんとか《法と契約の秤》はキープできたけど、クリーチャーがいなくなっちゃったから、《ロマノフ・シーザー》も出せない。

 《グレンモルト》は手札にあるけど、こっちもクリーチャーがいないと力を発揮できない。それに、ブロッカーの《ゼンアク》もいる。

 わたしのデッキは、どう戦おうと、結局のところはクリーチャーで攻撃して勝つデッキ。

 ここまでバトルゾーンがボロボロにされてしまったら、立て直すのは難しい。

 とりあえず、このターンのドローに賭けるしかない。

 

「わたしのターン、ドロー……」

 

 引いたカードは、《アカシシーマ》……ダメだ。これじゃあ、あの大きなクリーチャーを倒せない。

 わたしのデッキで、あれだけの大型クリーチャーを倒す手段なんて……

 

「……? 待って、これは……」

 

 手札を見て、すぐに墓地に目を落とす。

 ……行ける、かもしれない。

 《世紀末ゼンアク》。あの高い壁を、乗り越えられるかもしれない。

 

「2マナで《爆砕面 ジョニーウォーカー》を召喚! 破壊はしないよ。続けて5マナで呪文《法と契約の秤(モンテスケール・サイン)》! 墓地からコスト7以下のクリーチャーを復活させる!」

『コスト7モフ? そんなちっちゃなクリーチャーじゃ、ボクらみたいなおっきいクリーチャーは、倒せないモフ。諦めるモフ』

「どうかな。わたしのクリーチャーは、小さいばっかりじゃないんだよ。《法と契約の秤》が出せる範囲はコスト7までだけど――“進化クリーチャー”だって、出せるんだから」

 

 コストは小さくても、進化クリーチャーはコスト以上にパワフルだ。

 普段なら《ロマノフ・シーザー》を墓地から復活させるために使うんだけど、今は進化元が足りないから、《ロマノフ・シーザー》は出せない。

 今回出すのは、進化元が一体でいい、普通の進化クリーチャーだ。

 

「《ジョニーウォーカー》を進化!」

 

 けどそれは、ただの進化クリーチャーとは言いきれない。

 このデッキにある、多くの切り札のうちのひとつ。

 それは“最初から”ずっと、わたしと一緒に戦ってくれたクリーチャーだから。

 そう、それは――

 

 

 

「戻って来て――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 ――わたしの、はじめての切り札。

 わたしのデッキの中で、最もパワーの高いクリーチャー、《エヴォル・ドギラゴン》。

 これで、《ゼンアク》の壁を突破するよ!

 

『強そうなクリーチャーモフ。でも、それもパワー14000モフ。パワー17000の《ゼンアク》には敵わないモフ』

「そうだね。でも、これを使ったら、どうかな。2マナをタップ!」

 

 このままだと、確かに《エヴォル・ドギラゴン》は《ゼンアク》には敵わない。

 だけど今は《スペル・デル・フィン》がいない。つまり呪文が使える。

 呪文が使えるのなら、その呪文で――魔法で、《ドギラゴン》を強くすることだって、できるんだよ。

 

「ツインパクト発動、呪文《レッド・アグラフ》! 《エヴォル・ドギラゴン》のパワーをプラス4000! さらにこのターン、アンタップしてるクリーチャーも攻撃できるようになるよ!」

『モフ!? パワー18000モフ!?』

 

 本当はクリーチャーとして使うつもりで入れてたから、呪文の方はあんまり意識してなかったけど……これで《エヴォル・ドギラゴン》のパワーは、14000に4000プラスされて18000。パワー17000の《ゼンアク》を超えた。

 あの高い壁を乗り越えて、一気に駆け抜けるよ!

 

「行くよ! 《エヴォル・ドギラゴン》で、《世紀末ゼンアク》を攻撃!」

 

 《世紀末ゼンアク》とバトル。本来なら負けてしまうけど、《レッド・アグラフ》の力を得た《エヴォル・ドギラゴン》のパワーなら、負けはしない。

 その強大な力で、悪魔のようで天使のような巨体を、叩き潰した。

 

『ぜ、《ゼンアク》は破壊される代わりに、手札に戻るモフ!』

 

「関係ないよ! バトルに勝った《エヴォル・ドギラゴン》はアンタップして、今度は《ペンティ・モッフモフ》を攻撃!」

 

 18000にまで跳ね上がった超パワーで、《ゼンアク》と《ペインティ・モッフモフ》、相手の大型クリーチャー二体をねじ伏せる。

 これでクリーチャーはいなくなった。あと邪魔なのは、シールドだけだ。

 

「そのままシールドをTブレイク!」

 

 そしてそのシールドも、これでゼロ。

 ちょっと危なかったけど、追い詰めたよ。

 

「モフ……モフ……《アホヤ》を召喚モフ。《アツト》も召喚して、ターンエンド、モフ……」

 

 

 

ターン8

 

小鈴

場:《エヴォル・ドギラゴン》

盾:0

マナ:9

手札:0

墓地:15

山札:14

 

 

テディベア

場:《アホヤ》《アツト》

盾:0

マナ:6

手札:3

墓地:15

山札:14

 

 

 

「わたしのターン……これで、終わりだよっ!」

 

 ブロッカーがいるけど、それは《エヴォル・ドギラゴン》の前ではなんの障害にもならない。

 この一撃で、終わらせる!

 

 

 

「《エヴォル・ドギラゴン》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「た、倒した……!」

 

 強かった。あの大きさは伊達じゃない。それに、可愛い顔に似合わぬ力を備えた強敵だった。

 それでも倒した。倒せたんだ。

 

「やったよ、鳥さん!」

「いや、まだだ!」

 

 と、喜びも束の間。鳥さんは喜ぶわたしを制する。

 そうだった。わたしが倒したのは、あくまでも敵の首魁の刺客にすぎない。

 あのクリーチャーを使役していたのは、男の子のクリーチャー――《シモーヌ・ペトル》だ。

 彼を倒さなくては、悪夢は終わらないのだ。

 となれば早く彼も倒さないと。

 そう思って振り返った時だ。

 

「その必要はないよ。こっちはもう、終わったから」

 

 目の前で、消滅する少年のクリーチャーの姿があった。

 そしてその真正面に立つのは、

 

「よ、謡さん!?」

「やっほ、妹ちゃん。お手伝いに来たよ」

「いや、どうしてここに!? 先生たちと一緒にリビングにいたんじゃ……」

「そりゃ抜け出してきたんだよ。スキンブルが、妹ちゃん一人じゃ処理しきれなさそうだって教えてくれたから」

「スキンブルくんもいたんですか? 全然気づかなかった……」

「そりゃあ、チェシャ猫は笑い猫、そして“消える猫”だからね。姿を消すなんて朝飯前さ」

 

 にゃぉん、と謡さんに抱えられているスキンブルくんは鳴いた。

 姿を消す……スキンブルくんも、代海ちゃんや葉子さんのように【不思議の国の住人】としての特異な力が使える。

 「姿を消す」という一文に準じた力が使えるらしくて、昔はそれを拡大解釈して、二人揃って別人に成り変わっていたほどだけど……純粋に姿を消すために使うところは初めて見た。

 いや、姿を消えしてるから、見てはいないんだけど。

 謡さんが言うには、今までずっと姿を消したスキンブルくんが着いてきていて(謡さんは知っていたみたいです)周囲の様子を探ってくれていたらしい。

 だからわたしが鳥さんの動きに気付いてにリビングから出たことも知っていて、わたしがクリーチャーと戦う流れとなったところも見ていて、それをひっそりと謡さんに伝えて、応援要請を出してくれた、らしい。

 

「相手は二体。なら、こっちも二人で挑むのがフェアってもんでしょ。まあ私の相手は冗談抜きで雑魚だったから、一瞬で風穴開けちゃったけど」

「謡さん……あ、ありがとう、ございます」

「どういたしまして。ま、これくらい当然だよ、なんたって先輩だからね。けれど今回は、スキンブルの情報伝達がタイムリーなのが良かったかな」

「確かに、そうですね。ありがとう、スキンブルくん」

 

 お礼に頭を撫でてあげるとスキンブルくんは、にゃぉんと気持ちよさそうに目を細めて鳴いた。

 それにしても、あのクリーチャーたちは結局、今回の事件の犯人だったのかな……口振りからすると、事件との関連性をほのめかしていたようにも思えるけど。

 死人に口なしというか。もう倒してしまったから、聞くに聞けないけど。

 まあ、どっちみち倒したのなら、大丈夫、なのかな?

 

「それじゃあ、やること済んだらとっととお暇しますか。あんまり長く出てると怪しまれる」

「そ、そうですね。ほら鳥さん、寝床に戻って」

「あの木箱が僕の寝床っていうのも、なんだかね。別にいいけど」

「あ、でもその前にこの服どうにかしてね」

「はいはい」

 

 スキンブルくんは既に“姿を消して”いて、謡さんは一足先に部屋を出る。

 わたしは鳥さんをオルゴールの木箱に押し込める前に、このふりふりで恥ずかしい衣装を元に戻してもらう……けど。

 その前に、ちょっとしたハプニングが起こってしまいました。

 もそもそ、とベッドの方で動く気配。

 振り返ると、暗い部屋の中で、身体を起こした少女の影が、浮かび上がっていた。

 その影はぽつりと、か細く小さな声を発した。

 

 

 

「だれか、いるの……?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

(やっちゃったぁぁぁ……!)

 

 この姿だけは絶対に誰にも見られちゃいけないのに! 見られちゃったよ!

 そもそも、見も知らない人が勝手に人の部屋に入っているってだけで通報ものだし……こ、これ、どうしよう……!? とりあえず鳥さんをオルゴールに突っ込んでおかなきゃ! えいっ!

 

「ぐほぁっ」

 

 ってそうじゃない! そんなことをしてる場合じゃない!

 このまま先生にもこの恥ずかしい格好がバレて、学校にいられなくなって、わたしも家に引きこもるビジョンが見えた。もう、お母さんや恋ちゃんを笑えないよ!

 なんてパニックになってると、女の子はまたぽつり、と言った。

 

「もしかして……ようせい、さん?」

「へっ?」

「あっ、でも、かわいいお洋服……ひょっとして、マジコマの新メンバーかしら?」

「まじこま?」

 

 なんだっけ。聞き覚えがあるよ、その言葉。マジカル・コマンド、みたいな。

 確か、日曜朝にやってる女の子向けのアニメ番組で……お母さんがノベライズ版を執筆したとかっていう、作品だったような。

 わたしが、それだと思われてる?

 ……まだ、バレてない?

 それなら……

 

「えっと、その、わたしはね……そ、そう! 通りすがりの魔法少女です!」

「まぁ……」

 

 なんだか反応が薄い気もするけど、心なしか声が弾んでいるような気もするし……えぇい、ままよ。このまま魔法少女を演じ切るしかない。

 

「やっぱり、マジコマの新しい人なのね」

「いや、残念ながらマジコマの人たちとは関係なくて……わたしは、えぇっと……ま、マジカル☆ベル、です」

「まじかるべる? すてきなお名前ね」

「あ、ありがとう……」

 

 自称したのは初めてだけどね。

 なぜか周りの人――主に帽子屋さんたち――がわたしの名前(小“鈴”)をもじってそう呼んでいたけど、よもや自分から名乗ることになるだなんて……ちょっと、いやかなーり、恥ずかしい。

 

「っ!」

 

 わたしがそんなどうでもいいことで一喜一憂していると、急にあられちゃんは、頭から毛布をかぶってしまった。

 

「えっ? ど、どうしたの?」

「みないで……っ」

 

 見ないで? そう言ったの?

 どうして? と尋ねようとしたけど、その意味はすぐにわかった。

 

「わたしのお顔……いま、とてもひどい、から……だから……」

「あられちゃん……」

 

 先生の言葉が頭をよぎる。

 顔。それは人と人が触れ合う時、もっとよく見て、強く意識するところだ。

 男の子だから、女の子だから、と主張するつもりはないけど、それでもやっぱり、女の子の傷は、痛々しい。とても、見ていられない。

 よく見れば座卓の上には包帯が置かれていた。あられちゃんの顔も、暗くてよく見えなかったけど、きっとこの包帯が巻かれているんだと思う。

 そして、その下は……

 

「わたし、ただおともだちと遊んでた、だけなのに……なのに、いたくて、すごくいたくて、いたくて、くるしくて……やめてって、言っても、だめ、やめて、くれなくて、でも、それで……今も、カッターが……わたし、もう、どうしたら、いいのか……わたし……!」

 

 毛布の上からでもわかる。震えている。ガタガタと、全身を震わせて、怯えて、混乱して、錯乱している。言葉もなにを言っているのか、まるでわけがわからない。

 その原因は当然、恐怖だ。過去の出来事のフラッシュバック。あるいは未来への絶望。色んな苦しみを思い起こして、彼女は怖がっているのだ。

 そしてこれは、わたしたちも恐れていたこと。図らずも、それを呼び起こしてしまった。

 思い出したくないことを思い出させて、その恐怖体験や、辛い記憶によって更なる傷を負わせてしまった。

 先生は大人だった。自分を律することができた。だから、わたしたちの不躾な行いも耐えて、許してくれた。

 だけどあられちゃんは違う。まだ小学一年生なのだ。必ず自分の感情を律することができるとは限らない。それが、大きなショックを受けるような辛い出来事であるのなら、なおさら。

 うわ言のように支離滅裂な言動を繰り返すあられちゃん。怯える彼女を、わたしはどうすることができるだろうか。

 考えて、考えて、考えて――わたしは、一歩、進み出た。

 さらにもう一歩、またもう一歩。

 

「あられちゃん」

 

 壁際まで寄って、わたしは言った。

 

「この絵、素敵だね」

「ふぇ……?」

 

 うわ言が止まった。毛布の隙間から、視線が覗く。

 わたしは続けた。

 

「これは鳥さんかな? いいよね、空を自由に羽ばたく鳥さんは。しかも青い鳥だなんて、ロマンチック。わたしの知ってる鳥さんは、白くてきれいなだけで、いっつも無茶苦茶だから、こういう自由そうな鳥さんには憧れちゃうな」

「そ、それは……春に、かいたの……えんそく、で……」

「遠足かぁ、いいね。わたしもちょっと前に、友達とお散歩に行ったんだ。まあ、ほとんど山登りだったけど……あ、この山の絵もきれいだね」

「それ……まえに、おかあさんと、おとうさんと、りょこう、いったときの……しんかんせんで、みた……」

「新幹線? ってことは、富士山かな?」

「う、うん……」

「いいね、わたしは絵を描くの苦手だから、うまい絵を描ける人はすごいって思う」

「わたしの絵……すごい?」

「うん、すごい。とっても素敵で、きれい。なんていうのかな……心が、伝わってくるよ」

 

 楽しい、っていう純粋な心が。

 ただうまいだけじゃない。伸び伸びと、好きなように描いているっていうのが、なんとなく伝わってくる。

 わたしが勝手にそう思ってるだけで、本当は違うのかもしれないけど。

 

「こっちの絵は人だね。鹿島先生……お母さんと、こっちはお父さんかな? それにあられちゃんもいるね」

「うん……おかあさん、おとうさん、おしごとでおうちに、いない、から……」

「あられちゃんのお母さん、学校の先生すごく頑張ってるもんね」

「しってるの?」

「うん、すごくよく知ってるよ。テストはすっごく厳しいし、居眠りしてたらチョーク投げてくるけど……でも、みんなのことをよく見てて、誰も絶対に見捨てない。最高の先生だよ」

「……でも、いまは……おうちに、いる……ずっと……わたしの、せいで」

「あられちゃんのせいじゃないよ。先生は、先生だけど、あなたのお母さんなんだから、あられちゃんが心配で当然だよ。あられちゃんが、そのことで悪く思う必要なんて、ないの」

「でも……」

「じゃあ、こうしよ? あられちゃんがお母さんに少しでも悪いと思うなら、いっぱい勉強して、いっぱいお絵描きして……いつか、笑おう」

「わら、う……?」

「うん、笑うの。こうやってね」

 

 ニコッ、と。

 わたしは精一杯の笑顔を作る。

 意識して笑うって、すごく難しい。

 でも、わたしが笑えなくて、この子が笑えるはずもない。

 学校に行くかどうかとか。それは、わたしがどうこう言うべきではない。それはあられちゃんや、先生の問題だ。

 だけどわたし個人としては、あられちゃんにも、先生にも、幸せになって欲しい。暗い顔で生きていて欲しくない。

 だからせめて、笑ってほしかった。楽しい世界で、生きて欲しかった。

 だから、わたしは笑う。今日はじめて出会った女の子と、お世話になった先生を笑わせるために、笑う。

 

「おねえさん……へんなお顔」

「へ、変って言わないでよっ!」

「でも、すてきよ。とっても、きれい」

「え……そ、そう?」

 

 ちょっと思っても見なかった返答に面食らいます。

 「可愛い」ならみのりちゃんと謡さんから、「素敵(シェーン)です」ならユーちゃんから、飽きるほど言われたけど。

 きれい、と言われた覚えはなかったから。

 

「わたし……おえかきして、笑えば……おかあさんと、おとうさん。笑ってくれる……?」

「うん、きっとみんな笑顔になれるよ。あられちゃんの描いた絵はこんなにも素敵なんだから」

「……ありがとう、おねえさん」

 

 とりあえず落ち着いた、かな。

 さて、わたしのことは魔法少女で誤魔化せたとして、早くここから退散しないと。

 あんまり長いこと先生たちを待たせられないし。

 なんて思ったけど、わたしは彼女の素敵な絵に当てられてしまったのかもしれない。あるいは、あられちゃんを宥めて、ちょっと浮かれていたかもしれない。

 部屋から出る前に、座卓にある絵を見つけて、持ち上げてしまった。

 

「あれ、この絵は?」

「っ、そ、それは……」

 

 その瞬間、またあられちゃんは毛布をかぶってしまった。

 そしてまた、さっきのパニックの兆候を見せ始める。

 

「う、うぅ……ごめんなさい。それ、もってって」

「え? でも……」

「おねがい。わたしも、なんで、いつ、そんなの、かいたのか……わからないの。なんだか、頭がぼぅっとして、気づいたら、かいてて……いや、なのに。おもいだしたくない、のに。いたかった、のに……!」

「あ、あられちゃんっ。落ち着いて……じゃない。えっと、そう、うん。この絵、貰うよ。素敵な絵をありがとう!」

 

 落ち着かせるつもりが、わたしまでパニックになりかけてます。ありがとうじゃないよ。

 でも、いきなりどうしたんだろう。あられちゃんはクリーチャーに憑りつかれていたから、その間に描いた絵なのかな?

 だとしても、一体この絵になにが……? あられちゃんの言葉からして、なにか事件を思い起こすようなものっぽいけど。

 

「その子……もう、いや……やだ……!」

「……その……“子”?」

 

 奇妙な言葉に違和感を覚えつつ、わたしはその絵に目を落とす。

 息を飲む。同時に、頭の中でなにかが繋がった。

 確証はない。わたしよりもずっとうまい絵だけど、これは小学生のお絵描きだ。

 でも、もしこれが、わたしの想像通りなら――

 

「……あられちゃん、落ち着いて。大丈夫だよ、怖くないよ」

「お、おねえ、さん……」

「あなたのことは、きっとお母さんやお父さんが守ってくれる。それでも不安なら、わたしを呼んで。怖い夢くらいなら、やっつけてあげるから」

「……ぐすっ。おねえさん……あ、りが、とう……」

 

 なんの根拠もない約束をするのは、ちょっと心が痛むけど。

 でも、悪夢(クリーチャー)を見たなら、マジカル☆ベル(わたし)の出番だからね。

 

「ゆっくりでいいの。自分ができるって思うことだけでいいから、ちょっとずつ、笑えるようになろう」

「うん……」

「あと、わたしがここに来たことは内緒だよ。特にお母さんにはね」

「うん……」

「もし誰かに喋っちゃったら、魔法が解けて、あられちゃんのところに行けなくなっちゃうから。お姉さんとのお約束だよ。いいね?」

「うん……」

 

 よし、これで大丈夫。あられちゃんは落ち着いたし、わたしの隠蔽工作も完璧だ。

 二度のパニックで疲れたのか、あられちゃんはベッドに倒れて、寝息を立て始めた。

 思えば、クリーチャーに憑かれているだけでもエネルギーを消費するわけだし、それに加えてさっきのパニックもあったんだから、堪えるよね。

 今はゆっくり休んでね。

 

「じゃあね、あられちゃん」

 

 別れの挨拶を済ませて、部屋から出た。謡さんはもうリビングに戻ってしまったようだ。

 わたしはそこでオルゴールに押し込んだ鳥さんを引っ張り出す。

 

「乱暴だなぁ、君は。嘴が砕けると思ったよ」

「ごめん……ちょっと混乱しちゃって……」

 

 でも、鳥さんがいなくて変な横槍を入れられなかったから、結果的には成功だったと思うな!

 それはさておき、鳥さんに服を戻してもらってから、今度は丁重にオルゴールへと仕舞う。

 そしてリビングに戻る――前に、もう一度だけ、あられちゃんから貰った絵に視線を落とす。

 それは、人物画――人が描かれた絵だった。

 しかし描かれているのは、先生でも、お父さんでも、ましてやあられちゃんでもない。

 

(あられちゃんは、この“子”に対して「思い出したくない」「嫌だ」って言ってた)

 

 それが意味するところを正確に読み取るには、もう一度あられちゃんとお話ししなくてはならないけど、この絵でパニックになった彼女と、この絵について話し合うなんて論外だ。

 だからこれは、推測でしかない。

 この絵を描いた時の状況を、あられちゃんはちゃんと覚えていないようだった。なんで描いたのかも、いつ描いたのかも覚えてない。気付いたら頭がぼぅっとしてて、描いていた、と。

 わたしはそれを、クリーチャーに憑りつかれている時に描いたものだと考える。《「邪」の化神ペインティ・モッフモフ》、特に絵に関するようなことはしてこなかったけど、その名前から、色塗り(ペイント)と関連付けられるところはある。

 つまりこの絵は、あられちゃんの意志で描いたものじゃない。だけど、あられちゃんの経験に基づいて描かれている。だから「思い出したくないし」「嫌だ」と言える。

 もしかしたらこれは、クラスでケンカしちゃった子だとか、あるいはイジメっ子かもしれない。

 けど、わたしの中にある仮説は、その説を提唱しない。わたしは“わたしの中の記憶”と繋ぎ合わせて、この絵を見る。

 これはあくまで想像だ。妄想とも言えるかもしれない。だけどわたしはそれがわかっていても、そうであると振り払えない。

 女の子の絵。どこかぼんやりしていて、異常なほど真っ黒な服を着た、異端なほど真っ白な髪の女の子。

 白い、少女の、幽霊。

 この絵に描かれているのは――

 

 

 

「――『バンダースナッチ』」

 

 

 

 ――『幼児連続殺傷事件』の、犯人だ。




 マジカル・コマンドというのは、マジック・コマンドが登場した時に作者が「マジック? マジカルだったら魔法少女っぽいな!」とかトチ狂ったことを考えて、各文明のコマンド使いの少女キャラが活躍するという、女児向けアニメみたいな設定の塊のことです。本作ではそれが現実にコンテンツとしてある、という設定ですね。要は、本作『マジカル☆ベル』の前身のような設定で、小鈴も母親の書いたそれのノベライズ版に影響を受けて今の姿になっているので、実は物凄くこの作品と縁が深いっていう。
 わりと長々続いた『幼児連続殺傷事件』編(仮)も、そろそろクライマックスです。本当はもう少し長く続ける予定だったりもしたけど、色々トラブったので。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、自由に仰ってくださいな。


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36話「真犯人です」

 『幼児連続殺傷事件』編(仮)もクライマックス、タイトル詐欺の心配は不要ですよ。
 また今回もちょっと暴力的なシーンがあるので注意です。具体的には対戦終了直後くらい。


「あー……遂にか」

 

 若垣朧は、ノートPCで掻き集めた情報をチェックする最中、困ったような口振りで、思わず声を漏らした。

 可能性としては常に考慮していた。それでも、そうなることはまずないだろうと考えていた。そういう可能性だった。

 しかし、可能性はあくまでも可能性。1%だろうが99%だろうが、どちらも起こってしまえば無意味な数字であり、どちらにせよ起こり得ることであるという事実に変わりはない。

 それでも、その低い可能性が起こってしまったことに辟易する。

 彼の今の情感を一言で説明するなら「面倒くさい」だ。

 そうならないだろうというより高い可能性を前提として推し進めてきただけに、別の低い可能性によって、その前提が崩れれば、その前提によって成り立つ様々な計画に狂いが生じる。

 その狂いを修正するのが、面倒くさい。

 それに、

 

「これは、本格的に手を引くべきかもしれないなぁ。ここまで身近に危機が迫ると、オレも深追いしたくない」

 

 自衛のことまで、考慮に入れなくてはならなくなった。

 元々危険な橋を渡っていたことに変わりはないが、それでもギリギリ、安全圏から調査だったはず。

 だが、こうなってしまえば、その安全は保障されない。依頼人(クライアント)に頼んだところで、どうしようもなかろう。

 

「あーあ、未就学児から小学校低学年って話だったはずなのに、だいぶ飛んだなぁ。まあ、相手からすれば誰でもよかったのかな? 最近は事件らしい事件も収まりつつあって、皆の警戒心も薄れてきたもんなぁ」

 

 恨む気はない。余計なことをしてくれた、と思わないでもないが、遅かれ早かれとも思っていた。それは朧にとって、そこまで関心を向けるような事柄ではない。

 それでも、自分の計画に狂いが生じた以上、やはり“困った”わけだが。

 

「いやぁ、困った。まさか――“うちの学校から被害者が出ちゃう”とは」

 

 幼児と違い、傷の程度はずっと浅いようだが――果たしてこれは、報道されるのか。あるいは、報告されるのか。

 教師の娘などという絶妙に遠い事柄ではない。彼ら彼女らにとっては、身近も身近、自分たちの生活のすぐそばまで迫ってきているというレベルだ。

 しかし人間社会、とりわけ日本という国の社会はおかしなもので、危険をあるがままに伝えないことが往々にしてある。

 恐怖による混乱を恐れて、なのだろうか。彼女たちはきっと、正確な情報を得ることはないだろう。

 近隣の中学生が襲われた。情報の精度としては、その程度だろうと予想する。自校の生徒とは、明言しないだろう。

 

「これは伊勢さんに伝えるべきかなぁ? 彼女たちなら身を引くなんてことはなさそうだけど、変に怯えさせるのも怖いし……うーん」

 

 しばし考えて、すぐに結論を出す。

 遅かれ早かれ知ることなのだ。ならば、わざわざこちらから伝える必要はない。

 ゆえに、

 

「……ま、聞かれたら答えればいっか」

 

 よく妹たちからは「そういうことするからこズルいんだよ、お兄ちゃんは」とか言われるが、情報の伝達というのは、そういったラインを測り難いものが少なくない。

 相手の保有する情報量と演算能力から情報処理能力を測り、さらに求める情報を予測し、その上で最適な情報を伝える……などというのは、理論上はともかく現実的ではない。ノイズの多い人間だからこそ、定められた枠組みのように、型に嵌めた行いを完璧に実行するのは、不可能なのだ。

 ゆえに、自分は黙する。必要な時だけ、この口を開くことにする。

 不必要に動けば、痛い目を見る可能性が高まるだけ。

 それに、

 

「たぶん……もうすぐ、なんだよな」

 

 それは、自分らしからぬ直感。

 若垣朧という個人では、絶対に導き出すことのない、非論理の解答。

 最後の最後で、自分ではない自分の力と意志を間借りして、朧はノートPCの電源を落とし、パタンと閉じた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――つまり君は、その『バンダースナッチ』とやら犯人だと、そう言いたいわけだね」

「う、うん……そう」

 

 こんにちは、伊勢小鈴です。

 鹿島先生のお家に訪問した翌日、わたしはみんなに、先生の娘さん――あられちゃん。彼女から貰った絵のことを話した。

 そしてその絵に描かれているのは、他でもない『幼児連続殺傷事件』の被害者たるあられちゃんが見た、犯人の姿。

 白い髪に、黒いコート。女児のそれと同じ矮躯。

 そして、幽霊のような不気味さ。

 あの絵に描かれていたのは、そんな女の子――【不思議の国の住人】の一人、『バンダースナッチ』ちゃんじゃ、ないかって。

 

「……被害者自身からの情報提供は、非常に強力な証拠だ。とはいえ、君は直接その子から「これが犯人の似顔絵です」と言われたわけじゃないんだろう?」

「そうだけど……」

「似ていると言っても、これはあくまで絵、イラストだ。現実をそのままに写す写真などとは違い、平面にデフォルメされて描かれたものだ。それも小学生が描いたというのではな……いくら君が似ていると主張しても、それは恣意的なものじゃないか? それに、そのこのっ精神状態だって不安定らしいじゃないか。ならば、この絵が犯人だとは断定できない」

「それは……そう、かもしれない。でも……!」

 

 少なくともあられちゃんは、嘘は言っていないし、この絵に強く怯えていたんだ。

 小さな子が怯える。その原因は、ひとつしかない。

 

「水早くーん。そんな小鈴ちゃんをイジメめないでよ。ぶん殴っちゃうぞ?」

「虐めじゃない、情報を濾過してるだけだ。小鈴の頭が変なったんじゃないかという確認も含めてね」

「わ、わたし、霜ちゃんにそんな風に思われてたの……? 酷いよ……」

「いや、君もたまにおかしくなって暴走するし……ただまあ、今回はそういうわけでもなさそうだ」

 

 霜ちゃんは、まっすぐにわたしを見て言った。

 

「最初にこの絵を見せられた時は、気の狂った妄言かと思ったけど……その説自体は一考の余地がある」

「霜ちゃん……!」

「……まわりくどい……最初から、そう言えば、いいのに……」

「水早君って意外と素直じゃないよねー」

「うるさいぞ。なんでもかんでも許容して全肯定していたらキャパオーバーになるだろ」

「それで、結局どーなんですか? 霜さん」

 

 バンダースナッチ……なっちゃんが、今回の事件の犯人じゃないかという説。

 霜ちゃんは少し考えてから、口を開く。

 

「ボクのそのバンダースナッチとやらのことは詳しくないけど……話を聞く限り、狡猾で残忍、そして危険極まりない子供のようだ。小鈴もえらく泣かされたしね」

「そ、霜ちゃん、その話はやめてよ……!」

「あのアヤハとかいうお姉さんも、化物とか怪物とか、帽子屋さんでも手が付けられないだとか、意外と散々なこと言ってたよね」

「あぁ。だから、この事件に相応しいだけの“危険性”は孕んでいると考えていいだろう」

 

 わたしも、なっちゃんのことは詳しく知っているとは言えないけど、でも、あの子は危険だ。それだけは、確実に言える。

 

「となると次に考えるのは、それが“実行可能”か“実行する動機があるか”だな」

「ハウダニットとホワイダニットだね」

「なにそれ?」

どうやってやったのか(How)なぜやったのか(Why)、という推理小説(ミステリ)用語だね。要は方法と動機だ」

 

 犯人の目星はつけた。

 なら、次はその目星が真に犯人であるかどうかを検証するのが、推理小説(ミステリ)の基本的な流れ。

 そのためには謎を解かなければならない。この場合、謎とはなにか。

 誰がやったのか(Who)、は仮定だけど既に出ている。

 なら、次は犯行の手口、犯行をする理由。つまり、その犯行と犯人を結び付ける要素が不明であり、謎になる。

 だから次は、これを探さなくちゃ。

 

「しかし、ボクらはバンダースナッチという少女について、あまりにも物を知らなさすぎる」

「まあ……まともに、面識、あるの……こすず、くらい……?」

「でも、わたしもなっちゃんのこと、そんなに詳しくはないよ。最後まで、よくわからない子だったし」

「ふむ。ならやはり、こればっかりは、有識者に聞くしかないな」

「ゆーしきしゃ?」

「彼女の仲間だ」

 

 なっちゃんの、仲間。

 というと、それは――

 

「C組に行くよ。もう放課後だが、今ならまだ間に合うかもしれない」

 

 ――同じ【不思議の国の住人】だ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「な、なっちゃん、について……です、か?」

 

 1年C組の教室に向かうと、ちょうど帰り支度をしている代海ちゃんを見つけた。

 そこで早速、なっちゃんについて尋ねてみる。

 すごく言いにくいけど、今回の事件と、その犯人がなっちゃんなんじゃないかということも、合わせて。

 代海ちゃんはかなり面食らっているようだったけど、最後までちゃんと聞いてくれた。そして、少し混乱した様子だけど、控えめに、口を開く。

 

「……えっと、その、い、言いにくい、です、けど……その、あの」

「ハッキリ言って欲しいなー」

「あうぅ……え、えっと、なっちゃんなら……はい、やっても、不思議はない、というか……そ、そういうこともある、かも、しれません……」

「まあ、予想通りか。やはり君たちの中でも、彼女はそういう認識なんだね」

「えぇ……ま、まぁ……で、でも」

「でも?」

「その、あ、アタシたちにも、よくわからないんです、なっちゃんは……人間の模倣に、せ、成功したアタシたちと、違って……な、なっちゃんは、元来(オリジナル)の、【不思議の国の住人(アタシたち)】寄り、です、から……思想、思考が、ずれてる、みたいな……節が、あ、あって」

「思想や思考がずれてる……」

 

 それは、わかるかもしれない。

 わたしもなっちゃんとはどこか話が噛み合わない。なっちゃんはわたしを騙していたけども、その偽装の中に紛れた彼女の“素”は、わたしには測り切れないものだった。

 それこそ、人ではないもののような。人の姿をした別の生き物と喋っているみたいな。

 そんな、ちぐはぐな印象を受けた。

 

「ふーん。帽子屋さんみたいなもんかな」

「い、いえ……帽子屋さんの“狂い”は、ま、また別、ですけど……」

「しかし頭の中が常人から逸脱しているとなると、動機を予想することもできないな。となると、それができるのかどうか、という話だが……彼女、力は子供そのものなんだろう?」

「は、はい。“中身”はともかく、“外側”はほぼ、人間、なので。ち、小さな女の子と、あ、あんまり変わらない、力、しかないはず、です。でも……」

「でも?」

 

 代海ちゃんは口ごもる。

 辛いことを言わせているのは、わかってる。なっちゃんが危ないと言っても、彼女も、代海ちゃんたちと同じであり、仲間なのだから。

 それでも代海ちゃんは、言いにくさを振り切って、言ってくれた。

 

「な……なっちゃんを犯人と言うのは、む、難しい、かなって、思います……けど」

「お? やっぱお仲間だから擁護するんだ」

「みのりちゃん!」

「はうぅ……そ、そう、思われちゃいます、よね……でも、その、ち、ちが、違って……えっと、ちゃんと、理由が……」

「まあ、根拠もなく否定意見を出されても困るからな。で、理由とは?」

「じ、時間が……合わない、と、思うんです……」

「時間?」

「は、はい。あ、アタシたちに、課せられた……活動時間、が」

 

 あ、そうだった。

 代海ちゃんたちは、それぞれ制限時間のようなものがある。

 普通に生活する上では支障はないみたいだけど、【不思議の国の住人】の人たちは、彼らの制限時間の中でなければ、本来の力を発揮できないのだ。

 わたしたちにはピンとこない感覚だけど、代海ちゃんによると、これは彼女たちにとって、結構大きな枷になっているらしい。

 

「人間を、も、模倣した、代償……です。その縛りは、な、なっちゃんも例外じゃ、ない、ので……時間には、縛られます……」

「その時間内じゃなきゃ、君の異能力めいたものとかが使えないんだったか?」

「厳密、には……人によって、差異がある、の、ですけど……でも、少なくとも……なっちゃんは、時間外では刃を……誰かを傷つける凶器を……ふ、振るいません」

「それは絶対と言えるのか? 本人が隠しているだけで、本当は時間に関係なく犯行可能なんじゃないか?」

「絶対、です……そう、縛られて、います、から……無有の怪物(バンダースナッチ)、という、存在(かいぶつ)は……そういう、や、役割を、求められて、います、から」

 

 代海ちゃんは、珍しくハッキリと、断定した。

 あの代海ちゃんがここまで言うってことは、きっとなっちゃんの“縛り”というものは、絶対なんだと思う。

 

「じゃあ、そのバンダースナッチとやらの制限時間って、なんなの? それがわかんなきゃ、判断しようがないじゃん」

「え、えっと、なっちゃんの活動時間、は……あ、アタシや、ネズミくん、帽子屋さんたちのように、固定型じゃ、なくて……蟲の三姉弟さんたちや、ヤングオイスターズの方々の、ように……ひ、日によって、変化、します」

「日によって変わる。そういうのもあるのか」

「は、はい……で、でも、変化、つ、常に、い、いって、一定、で」

「変化が一定?」

「法則性がある、ということか。その法則っていうのは?」

「はい……あの、せ、説明が、難しい、ので……ちょ、ちょっと待って、くださいね……?」

 

 代海ちゃんは紙とペンと取り出すと、まんまるの円を描く。

 そしてその円の縁に沿うように、1、2、3と数字を書き込んでいって、12までその数字を書き入れ、アナログの時計盤を描いた。

 

「なっちゃんの、か、活動時間、は……あ、ある法則に、基づいて……季節のように、め、巡って、いるんです……」

「巡ってる?」

「ま、まずスタートに……十字の時間が、し、始点となります」

「10時?」

「十字……く、クロス、です。あの、十字架の、十字、です」

 

 そう言って代海ちゃんは手書き時計に、12時と6時、3時と9時を通る直線をそれぞれ書き入れ、時計盤に十字を作った。

 

「こ、この時間から、スタート、で……し、“始点軸”です」

「つまり、12時、3時、6時、9時の合計四時間の間……あぁ、いや。午前と午後を合わせて八時間、活動可能ということか?」

「い、いえ……確かに、なっちゃんの活動時間の合計は、は、八時間、です。でも、そ、そうじゃ、なくて……何時から、何時まで……と、いう、時間の長さが、あって」

 

 一続きではなく、断続的に、けれど一定の間隔で、なっちゃんの時間は刻まれる。

 代海ちゃんは、そういうことが言いたいみたいだ。

 

「始点の、それぞれの地点から、一時間、前……そ、それが、なっちゃんの活動時間、なんです」

「えっとつまり、12時と11時、3時と2時、6時と5時、9時8時、ってことかな」

「は、はい」

 

 代海ちゃんは、わたしの言った時間――12時と11時、3時と2時、6時と5時、9時と8時――を、それぞれまとめて丸で囲む。

 

「なんだか、社会の時間で見たマークみたいですね」

「社会のマーク?」

「あれじゃない? 地図記号。ほら、お寺の……」

「マジ卍、ってやつだね」

 

 十字のそれぞれの先端が横に伸びている形。言われてみれば、お寺の地図記号の「(まんじ)」っぽい。

 

「阿呆なこと言ってる場合か。それより、時計盤での表現だと、午前と午後の問題があるだろう。それはどうなんだ?」

「そこも、ひ、日替わりなので……ご、午前か午後か、どっちかにしか、適応されない、ですけど……それが、かわりばんこに、なってて……」

「例えば、今日の活動時間が午前中なら、次の日は午後になってるってこと?」

「そ、そうです」

「めんどくさっ」

 

 なんていうか、ルールがたくさんあるんだね。何時から何時までで固定されている代海ちゃんや帽子屋さん、一時間おきというわかりやすい刻み方をするネズミ君と比べると、かなり異質だ。

 

「さ、さらに、ですね」

「まだあんの?」

「ご、ごめんなさい……えと、ひ、ひとつの始点軸で、午前と午後、二つの時間が、お、終われば……次の日からは、始点軸が、ず、ずれます」

「ずれる?」

「い、一時間、ずれます」

 

 代海ちゃんは、今度は色を変えて、1時と7時、4時と10時を通る直線を引き、新しい十字を作った。

 そして、またその軸を通る時間と、その次の時間をまとめて丸で囲む。

 さっきと同じ卍型の鍵十字がもう一つ、時計盤の上に現れた。

 

「こ、こうやって、なっちゃんは……か、活動時間が、ちょっとずつ、ずれていくんです……」

「成程ね。まるで歯車だな」

 

 つまりなっちゃんは、一時間おきに刻まれる二時間の時間、合計八時間が活動時間で、午前に適用されるか午後に適用されるかは日ごとに順番。そして二日ごとに、刻まれる時間の始点が一時間ずつずれていく。

 なんだか複雑に思えるけど、結構きっちりと法則化はされているみたい。

 

「な、なっちゃんは……この時間、以外は……誰も、傷つけない……いえ、“傷つけられない”、です、から……あの子が、犯人かは……」

「わからない……ね」

「だが、逆に言えば、犯行日時、時刻をすべて洗い出して、彼女の活動時間と照らし合わせればいいわけだから」

「うっわ、聞くからに面倒くさそうな作業じゃん……もっと華麗にパパッと解決しないの?」

「実際の事件の捜査なんて、虱潰しに可能性を埋める作業らしいけどね。問題は、バンダースナッチの始点軸と、どの日が午前午後のどっちを適応しているか、だな。わかるかい?」

「あ、えっと……は、はい。おととい、アタシが、なっちゃんのおもり、だったので」

「おもり、って……」

「監視じゃん」

 

 アハヤさんもそんなこと言ってたけど……なっちゃん、やっぱり事あるごとに誰かの目に縛られているんだ。

 子供だから目を離せない、というものあるのかもしれないけど。なっちゃんの場合、それだけにとどまらない、ということなのでしょう。

 

「確か……おとといが、ちょうど12時を通る、始点軸の……午前、だったはず、です」

「よし。じゃあ、あの先輩から犯行時間を聞き出して、照合してみよう」

「面倒くさそうな作業だなぁ。どうせだし、あなたも手伝ってよ」

「あっ……ご、ごめんなさい。今日はちょっと、別の用事が……」

「用事って?」

「小学校まで、ネズミくんをお迎えに……あ、あと、帽子屋さんにも、た、頼まれごと、が……」

「あのクソガキの迎えって。必要なくない?」

「ネズミくん、一人にすると時間が来て、道端で寝ちゃうこともあるから……だ、誰か、ついてないと……」

「……大変なんだね、代海ちゃんも」

「っていうか、先生なんかもそうだけど、君ら人間社会に溶け込む気あるのか?」

「はうぅ……」

 

 まあ、ともかく。

 なっちゃんに科せられた活動時間の法則は知ることができた。それだけでも十分。

 あとは、朧さんから犯行日時を聞いて、さっき教えてもらった時間に当て嵌めるだけだ。

 それでなっちゃんの動ける時間と、犯行時刻が合致すれば、なっちゃんが犯人の可能性が一気に高くなる。

 さてこのパズル。いい結果が、出るのかな――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ダメだな」

 

 ――ダメでした。

 犯行があった日時に、なっちゃんの活動時間を当て嵌めていったんだけど……途中で、何度も合致しないところが出て来てしまう。

 

「そもそも、犯行はすべて午後で、二日連続で事件が起こっていることもあるのだから、合致するはずもないんだが……」

「それを仮に模倣犯によるものだと仮定して除外しても、また別のところで噛み合わないとこがたくさん出て来るねぇ」

「都合のいいところを模倣犯の仕業にして、無理やり合致させようにも、そうしたら半分は模倣犯の犯行ということになる」

 

 模倣犯という考え方自体、ちょっとどうかと思うのに、その上そんなことでは、それは流石に都合が良すぎる。

 それになにより、模倣犯なんて曖昧な仮定で結果を出しても、それはなにも判明していないのと同じだ。

 

「勘違いとかで、亀の彼女が言った始点軸のスタートが間違っていることも考慮して、始点軸をずらして全パターンで照合させても、やはり合致しない」

「いや本当に大変だった……こーゆーちまちました作業って苦手だね、私」

 

「犯人だけで、こんな、噛み合わない、のに……これに……動物とか……花の件とか……も、ある」

「そうだな。今回は除外して考えたが、動物惨殺や花壇荒らしの事件のことも考慮したら、さらにずれが大きくなるだろうな……」

「ということは、なっちゃんさんは犯人じゃないです……?」

「アリバイを崩すどころか、むしろ補強させてしまったようだ。本末転倒だな……」

 

 なんというか、とても推理小説っぽい展開ではあるけれど。

 お陰で八方塞がり。なっちゃんが犯人じゃないなら、誰が犯人なんだろう。

 これから、どうすればいいんだろう……?

 

「……今朝のHRでも言っていたが、近隣の中学生も襲われたんだってね」

「朧さんも言ってましたね」

「近隣と言ってぼかしているが、きっとそれ、うちの生徒だよ」

「そ、そうなの?」

「たぶん、だけどね」

「でも……おぼろ、なにも、言ってなかった……」

「こっちから尋ねなかったからな。じゃなきゃ話さない。そういう人だろう、彼は」

「うざったいけど、まあ、そうだよねぇ。それで? 水早君はなにが言いたいの?」

「そろそろ、ボクらも動きにくくなるということだ」

 

 霜ちゃんは、深刻そうに言った。

 

「今日も先生たちの多くが町に繰り出して見回りをしているようだし、下校時刻も早められた。このまま事件が続けば、学校は生徒を保護する方向に動くはずだ」

「まあ……どうり」

「そしてボクらは、学校の庇護下にある。守ってもらえると言えば聞こえはいいが、それは行動の自由度を著しく落とされることに他ならない。下手すれば小学生みたいな集団下校さえもあり得るよ」

「うーん、ちょっと否定しにくいね」

「そんな風にボクらだけの行動を制限されたら、事件の調査どころじゃない。あの先輩だって、情報収集もままならなくなってくるだろうね」

 

 事件が進めば進むほど危険になって、早く解決しなきゃいけなくなるのに、それに伴ってわたしたちの行動は阻害される。

 それは当たり前で、むしろ先生たちは善意でわたしたちを守ってくれるんだろうけど……それが、枷になってしまう。

 

「問題は、意外とシビアかもしれない。早急な解決を目指したい……が」

 

 捜査は完全に手詰まり。

 暗礁に乗り上げてしまいました。

 五里霧中の状況。ここから、どうしたらいいの……?

 

「…………」

「うにゅぅ……」

「やー……マジで、困ったね」

「流石に、また被害者に聞きに行くなんてことはできないだろうし、どうしたものか」

 

 みんなも、もうどう進めばいいのかがわからなくなって、足を止めてしまう。

 どうにもならず、どうにもできない。未来への展望が、見えなくなってしまった。

 そんな時だった。

 ガラガラ、と教室の扉が開かれる。

 

「あれ? 皆どったの? 放課後なのに教室で顔を突き合わせてるなんて珍しい」

「謡さん……」

 

 教室に入ってきたのは、謡さんだった。

 

「うわ、失敗した。こんな面倒くさい作業なら、先輩も巻き込めばよかった! 猫の手も借りたいわけだし!」

「おっと、みのりんが上手いこと言ってる。でも今はスキンブルはいないし、私も今日は真面目に生徒会のお仕事さ。っていうか、本当になにしてんの?」

「えっと、実はですね……」

 

 わたしは、謡さんに今日のことを話す。

 なっちゃんのこと、彼女が犯人じゃないかということ。だけど、そのアリバイは崩せず、むしろ犯人でないことを証明してしまったこと。それで、捜査が行き詰ったこと。次巻が残されていないこと。

 すべて、話した。

 

「――ふーん。帽子屋さんとこの子が犯人かも、ねぇ」

「はい……でも、時間が合わなくて……」

「時間かぁ。でも、なんかそれ自体、眉唾物だよね」

「え……っ?」

 

 ここで謡さんは、今までのことをひっくり返すようなことを言う。

 【不思議の国の住人】に科せられた活動時間の縛り、それが、眉唾って……

 

「まさか、代海ちゃんがウソを……?」

「いやいや、そこまでは言わない。ただ、勘違いとか、思い違いとかさ」

「彼女がバンダースナッチの活動時間を誤認していたと? 実は十字の始点軸なんて存在せず、まったく別のルールだった可能性がある、と?」

「かもしれないね。まあ、彼女たちがどのくらい情報共有をしっかりしてるのかはわからないけど、一人だけ誤認してるってのも変な話か。それに、それだけ法則がきっちりかっちりしてるなら、勘違いどうこうみたいなズレもむしろ不自然だし」

「う、にゅ……?」

「結局この先輩、否定したいのか肯定したいのか、どっちなわけ?」

「イエスorノーで答えを出すのは簡潔だけど、それだとあんまり君らのためにならなさそうだし……私の考え、言っていい?」

「……今はどんな手掛かりでも欲しい。どうぞ、聞かせてください」

「うん。じゃあ、ご清聴ください」

 

 霜ちゃんに促されて謡さんは、語り始める。

 わたしたちが見落としていた、ある出来事を。

 

「もしかしたらさ、抜け穴があるんじゃない?」

「? 抜け穴?」

「そう、抜け穴。例外、と言い換えてもいいかも」

 

 抜け穴、例外。

 つまり、規律や法則に従わない、特例のパターン。

 【不思議の国の住人】の活動時間は、厳格なルールとして彼らを縛っているようだけど、その縛りにも、例外的な状況が存在するかもしれない、ってこと?

 

「妹ちゃん、林間学校のことは覚えてる? 最終日のことね」

「え? は、はい。覚えてますけど……」

 

 あの日のことは忘れもしない。たくさんのことがありすぎて、頭がパンクしちゃいそうなくらい、濃密な日だった。

 超大型クリーチャーによる台風の発生。そして、そんな中で戦った謡さん――当時はチェシャ猫レディさん――と帽子屋さん。

 チェシャ猫レディさんの正体が謡さんたちだと判明したり、聖獣とは鳥さんのことだと聞かされたり、とにかく衝撃的な出来事ばかりだった。

 

「あの時、私たちの前に帽子屋さんが現れた。でも、あれっておかしいよね」

「え? おかしいって……?」

「だって、【不思議の国の住人】には活動時間があるんだよ。その縛りは絶対的なもので、時間外では、彼らは【不思議の国の住人】としての力は振るえず、ただの人のようになってしまう。帽子屋さんはあの時、間違いなく【不思議の国の住人】の首魁として私と戦った。でも、あの時の時間は……」

「……あ!」

「そう。あの時はそれどころじゃなくてスルーしてたけど、あの時の帽子屋さんは“時間外にも関わらず活動していた”んだ」

 

 そうだ。私は林間学校が始まるよりも前、夏休みの間に、代海ちゃんがわたしたちの学校の生徒でもあることを知った。

 そしてその時に活動時間のことを聞いたし、その時に、帽子屋さんの活動時間についても聞いている。

 帽子屋さんが活動できる時間は、午前と午後の、それぞれ6時の間。一日にたった二時間だけ。

 でも、あの時の時刻は、確か正午前後。

 6時からは、程遠い。

 

「確かに、そうでした……」

「やっぱりウソなんじゃない? 活動時間なんて」

「私はそうは思わない。そんな変な嘘をつくなんて回りくどいもの。だからこれは嘘じゃなくて……例外なんだよ」

「例外……」

 

 あの時、時間外にも関わらず帽子屋さんが現れたのは、その例外だったから?

 そしてその例外は、もしかしたらなっちゃんにも存在する……?

 

「具体的にどうするのかはわからないけど、彼らの活動時間という縛りには例外がある。その例外が適用されている時に限っては、活動時間を無視できる……という可能性もあると思うんだけど、どうかな?」

「ふむ、簡単に切り捨てるには少し惜しい仮説ですね。経験談もあって、根拠としては十分です」

「ま、私は小鈴ちゃんも見てるなら信じてもいいかな」

「ちょっとだけ、先が見えましたね!」

「でも……例外って、具体的に……どう、してるの……?」

「……さぁ?」

 

 うん……まあ、そうだよね。

 それがわかれば、苦労しないよね。

 

「これも流石に情報がなさすぎる。本人に直接聞く以外、知り得ないだろうな」

「本人って、まさか帽子屋さんに直談判? 流石に無理でしょ」

「……バンダースナッチ、本人も……たぶん、不可能……」

「そんなことはわかっている。本人って、そこまで本人じゃないよ」

「そこまで本人って……」

「帽子屋に適用される例外があり、それがバンダースナッチにも適用されるなら、その例外は【不思議の国の住人】すべてに適用されるってことだろ。それなら、彼らの同胞の誰かに聞いてもいい」

 

 それもそうだね。

 でも、代海ちゃんはもう帰っちゃったし、先生は見回り、葉子さんたちもきっと帰ってしまっている。

 あと、わたしたちが知ってる【不思議の国の住人】なんて……

 

「そういえば、スキンブルさんは、どうなんですか?」

「お、そういえばあの猫もお仲間だったね。どうなんですかー? せんぱーい」

「あぁ、それ無理」

「……なぜに」

「私にも詳しくは教えてくれないんだけど、なんかあいつ、出自が特殊だとかなんとかで、【不思議の国の住人】のこと、ほとんど知らないんだよね」

「そーなんですか?」

「そーなんです」

 

 ……そう言えば謡さん、チェシャ猫レディだった頃は、【不思議の国の住人】について、色々と調べて回ってたね。

 スキンブルくんが【不思議の国の住人】のことを熟知しているのなら、そんなことする必要はない。けどそれをしていたということは、つまり二人は知らなかったということ。

 特殊だというスキンブルくんのことは、ちょっと気になるけど……今は、それどころじゃないよね。

 

「じゃあ、あの猫の活動時間とやらは……」

「ない。あいつはいついつでも、好きなように「姿を消す」よ」

「事実上の完全上位互換では?」

「しかし今回ばかりは、それも困りものだ。肝心の知識が手に入らないのだから」

 

 縛りがないことで、逆にその縛りについて聞き出せない。仕方のないことだけど、困りました。

 代海ちゃんからも、先生からも、葉子さんからも、スキンブルくんからも聞けないとなると――

 

「……会えるかどうかわからないけど、探してみる?」

 

 ――残るは、あの人しかいない。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「なんでここにアンタらが来るんだよ……」

 

 こめかみに指を当てて、訝しげに、けれどどこか呆れたように、彼女は――アヤハさんは嘆息した。

 わたしたちが訪れたのは、とある喫茶店。そこは、アヤハさん――『ヤングオイスターズ』のお姉さんの、勤め先です。

 

「つーか、よくワタシのバイト先がわかったな。この近辺ってのはわかったとしても、どこで働いてるかなんざ、一言も喋ってねーはずなんだが」

「知人に驚異的な情報網を持っている先輩がいるので」

「はぁん。アンタらの仲間にも、ワタシの弟みたいな奴がいるんだな。どうでもいいけどよ」

 

 興味なさそうに、あるいは諦めたような様子のアヤハさん。

 まあ、わたしたちもアハヤさんがバイトしてるってくらいしか知らなくて、今がその時なのか、それともわたしたちみたいに捜査をしているのかも、、ましてやどこにいるのかもさっぱりわからなかったんだけど。

 物凄くどうでもいい情報までなんでも知ってる朧さんに、ダメ元で「アヤハって呼ばれている大学生くらいの女の人が働いてる場所って知りませんか?」と聞いてみました。

 そうしたら、ハトが豆鉄砲を食らったみたいな顔をさならがらも「たぶんここ」と言って即座にアヤハさんの勤め先を教えてくれました。そのあまりにも早すぎる情報提供には驚かされたけど、助かった。

 朧さんって、本当になんでも知ってるね……今回はそのどうでもいい情報網に感謝だ。

 

「ごめんなさい、アヤハさん。ちょっと、急ぎだったので……お仕事中に」

「別に構いやしねーさ。もうアガリだしな。で、なんだよ、急ぎの用って」

「その、アヤハさんに聞きたいことがあるんです」

「だからなんだよ」

 

 早く言え、と言わんばかりのアヤハさん。

 どこから話そうかとわたしが考えていると、隣で霜ちゃんが、単刀直入に切り出した。

 

「あなたたちに科せられた制限時間。それを取っ払う手段は、あるのか?」

「……どういう意味だ?」

 

 その問いかけに、アヤハさんは眉根を寄せる。

 霜ちゃんは、さらに続けた。

 

「濁しても話が進まないだろうし、正直に言いましょう。ボクたちは例の事件の犯人として、バンダースナッチを疑っている」

「…………」

「その根拠はひとまず省くが、そこで、犯行時刻と彼女の活動時間を照らし合わせたが、合致しなかった」

「でも、わたしは知ってるんです……その、帽子屋さんが時間外にも関わらず、わたしたちの前に【不思議の国の住人】として、立ち塞がったことを」

「そういう前例がある以上バンダースナッチもなんらかの方法で、活動時間による縛りを脱した可能性を考慮しなければならない」

「その方法があるのなら……お、教えてほしい、んですけど……」

 

 捲し立てるように言ってしまったけど、アヤハさんは神妙な面持ちで、黙って聞いていた。

 帽子屋さんのケースを考えると、きっと謡さんの見立ては正しい。そして、情報という点では、きっとアヤハさんは正確で必要な情報を持っている。

 今もこうして、わたしたちと協力して『幼児連続殺傷事件』を追っているし、なにより十何人もいるらしい『ヤングオイスターズ』の長女、まとめ役だ。

 それほどの人なら、帽子屋さんやなっちゃんが知るような、縛りの例外だって、知っているはず。

 それを知ることができれば、わたしたちの捜査は一気に進む。

 そう、思っていた。

 やがて、アヤハさんは、口を開く。

 

 

 

「……ふざけてんのか? アンタら」

 

 

 

 返ってきたのは、冷たい声だった。

 思っても見なかった返答に、わたしは、面食らってしまう。

 

「バンダースナッチが犯人、ね。確かにあの化物女ならやりかねないかもな。あいつの思想はあまりにも理解不能で、常軌を逸脱している。少なくとも犬っころぶっ殺すくらいなら平気な顔でやっちまうだろうさ」

「……なら」

「だがな、化物だろうが怪物だろうが、腐ってもあいつはワタシらの同族だぜ」

「あくまで、仲間を擁護する、と」

「当たり前だろうが。アンタらとあいつ、信用できるのはアンタらだが、信頼するならバンダースナッチだ」

 

 そうだ。それは、当然なんだ。

 活動時間という縛りは、彼らにとって重要なもの。それを教えること自体、わたしたちに弱点を晒すようなもの。それなのに、それの例外なんて奥の手を、教えるはずがない。

 彼らが、わたしたちのことを“敵”だと認識しているのなら、それが、当然なのだ。

 

「ちっとばかし共同戦線張ったからって、勝手な仲間意識芽生えさせてんじゃねーぜ。ワタシはアンタらと一時的に手を組んじゃいるが、馴れ合いをするつもりは微塵もねぇ」

 

 そう。わたしたちがアヤハさんとこうして話しているのも、あくまで事件を解決するという目標が同じだからこそだ。

 その枠組みから外れるのならば、アヤハさんはわたしたちのことを“敵”と見る。そうでなくても、共に手を取り合う仲間としては、見てくれない。

 【不思議の国の住人】にとって、人類とは乗り越えるべき壁なのだから。

 それに、

 

「ワタシらは仲間じゃねぇ。お友達でもねぇ。そいつはアンタが最も排除したがってる奴を見れば、一目瞭然だろ」

「え……?」

 

 わたしが、排除したがっている?

 どういうこと……?

 

「なんだよ、まさか自分で気づいてないのか? アンタ、バンダースナッチがムカつくからって、“敵”に悪意を向けて、てめーの都合のいいように解釈してんだぜ」

「……っ」

 

 アヤハさんの言葉が、深く突き刺さる。

 ……代海ちゃんとは、葉子さんとは、仲良くなれた。

 先生は、ちょっとよくわからないけど、それでも少しは分かり合えたと思う。

 お兄さんや、ネズミ君たちとも――それに、アヤハさんとも。

 分かり合える、分かり合えた。

 そう、思っていたけど。

 

「結局、アンタはわかっているつもりなだけだ。アンタがやろうとしていることは、こいつは悪い奴だって、大して知りもしねーで、ワタシらの仲間であるバンダースナッチを悪役に仕立ててぶっ叩こうってことだぜ」

「あ……ぅ……!」

「アンタは、あいつと分かり合えたのか? 相互理解できたのか? できてねーだろ。アンタがやってるのは、嫌いな奴に因縁つけてぶん殴ってやろうってのと同じだ。なんともまあ――醜悪だな」

 

 そうだ、その通りだ。

 結局わたしは、なっちゃんが――“嫌い”なんだ。

 それも、深く、強く、そう思っている。

 敵として攻撃してもいいと、あの子が犯人ならそれでいいと、思ってしまうほどに。

 相手の意志も、尊厳も、すべてを踏み躙ってしまおうと、思えるほどに。

 それは、とても醜く、邪な考えだ。

 

「らしくねーけど、本性を現したか? マジカル・ベル。今、アンタの中の邪悪が、浮き彫りになってるぜ」

「…………」

 

 なにも、言い返せなかった。

 アハヤさんに、“なっちゃんの側の人”に言われて初めて気づかされる、わたしの中に眠っていた悪意。

 わたしはそれを、自覚させられる。

 

「ま、ワタシとしちゃ逆に安心したがな。三月ウサギのクソビッチじゃねーが、邪悪さを持たない人間なんてかえって気持ち悪いだけだ。アンタにもきっちり、悪い子ちゃんなとこがあるじゃねーか」

Nein(違います)! 小鈴さんは、悪い人なんか、ありません……!」

「ユーちゃん……」

 

 いつになく刺々しいアヤハさんに、ユーちゃんが噛み付いく。

 

「そもそも今は人柄の話なんてしていない。こっちだって、バンダースナッチが犯人である根拠を元にした推理だ。ボクらが感情論で動いていると思わないでもらいたい」

「気に喰わないから……殴る、とか……こすずには、無理」

「むしろ私が、この人のこと気に喰わないからぶん殴りたい気分なんだけど。一発くらい、いい?」

「みんな……」

「はんっ。お仲間が擁護してくれるようで良かったな。だが、ワタシがやってるのも、アンタらの仲良しこよしとそう違いはねぇ。ま、ワタシの場合は単に同族のよしみだが」

 

 みんなが、わたしのことを庇ってくれるように。

 アヤハさんも、なっちゃんのことを庇う。

 わたしの友達と、アヤハさんの仲間。その二つはまったく同じではないけれど、どちらも守るものであることには、違いない。

 アヤハさんは、あくまでもなっちゃんの側。たとえ怪物と呼ぼうと、彼女とアヤハさんは、同じ種族で、共に生きた、仲間なのだから。

 その立場は揺るがず、わたしたちと対立する。けど、

 

「とはいえ、ワタシの思考はワタシのモンだけじゃねぇ。他の弟妹の考えも考慮に入れてやる」

「どういう意味だ?」

「アンタらの言葉もまるっきり的外れとは言い切れないってことだ」

「さっきまであんなこと言ってたのに、舌の根も乾かぬとはこのことかね?」

「言っとくがアンタらの言葉を信じたわけじゃない。いくらあの化物女でも、単独でこんだけの事件が起こせるとは思えねーしな」

「なにが言いたいんだ? 結局あなたは、バンダースナッチが犯人だと思っているのか? いないのか?」

「信じてねーよ。信じてねーから、帰るついでにちょっくら調べるんだ。あいつはやってない、って証拠をな。要は潔白の証明だ」

 

 それはまさしく、弁護人のように。

 無罪を証明するための調査だ。

 

「ま、怪物とはいえ身内だ。危険極まりない食えない奴だが、お仲間が疑われっぱなしなのも癪なんでな」

「…………」

「それに一応、この事件を解決するっていう、ワタシとアンタらの目的は一緒なんだ。あいつの容疑が晴れれば、アンタらも無意味な捜査をやめて、次の手掛かりを探すだろ?」

「随分と自分勝手な誘導だな」

「悪いな。ワタシにもワタシの立場ってモンがある。ま、仮にバンダースナッチが犯人だったら、あいつの腕の骨の二、三本へし折って差し出してやらぁ」

「いや……いらない……」

「というか、人の腕は二本しかない。彼女は人間ではないけど」

 

 アヤハさんはそう言ってから、急に顔をしかめた。 

 まるで、今までの発言は、本意ではないと言わんばかりに。

 

「……ちっ。結局、ワタシの一存じゃすべての決定は不可能ってことだな。良かったなマジカル・ベル、ワタシの弟妹に感謝しろよ」

「え?」

「弟妹の手前、アンタを邪険に扱えねーんだよ、ワタシぁな。これが、弟妹(あいつら)の厚意と、ワタシの立場を鑑みた譲歩だ」

 

 よ、よくわからないけど……アヤハさんの弟さんや妹さんに良く思われていたから、アヤハさんもその意を汲まなくちゃいけない、みたいなことなのかな……?

 ヤングオイスターズは兄弟姉妹、個々のすべてが個人として繋がっている存在らしいし、アヤハさんはどうしたって、他の弟妹の意向を無視できない。

 だからわたしたちの考えと対立する立場にあっても、完全に相容れない、ということもない、ようだ。

 

「だが、時間(ルール)破りについてはなにも話すつもりはない。こいつは【不思議の国の住人】のトップシークレットだかんな、ガキ共が喚いても絶対に口外はしねぇ」

「……それは、暗に縛りを破る術自体はあると言ってるのか?」

「さーな」

 

 くるりと、アヤハさんは踵を返した。

 わたしたちに背を向け、歩き出す。

 

「もうアンタらと話すことはねぇ。ワタシは帰るぜ。バンダースナッチの部屋くらいは家探ししてやるから、それでガマンしとけや……じゃあな」

 

 そうして、彼女は、去ってしまった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「なーんなのかなー、あいつ。いきなりつっけんどんになっちゃってさー。マージでムカつくー」

「とはいえ、彼女の言い分は間違いとは言い切れない。こちらも根拠を提示しなかったわけだしね……まあ、発端が子供の描いた絵なのだから、言ったところで切り捨てられていただろうけど」

「でも、小鈴ちゃんにあんな酷いこと……」

「こすず……だいじょう、ぶ……?」

「う、うん。平気だよ」

 

 少し、ショックではあったけど。

 苦手だ苦手だと思っていたけど、わたしの中に眠っていた苦手意識は、わたしが思う以上に大きかったみたい。

 それはもはや、苦手ではなく嫌悪――あるいは、憎悪と呼べるほどに。

 そんなものが自分の中にあって、それを暴き出されて……決して小さくない衝撃は、受けた。

 

「しかし、どうしたものか。彼女も一応、バンダースナッチについて調べるようだが……あれはアテにしていいのか?」

「ダメっしょ。あんな夏休みの宿題気分でやられてちゃ、いつ報告されるかわかったもんじゃない。緊急案件なんだし、こっちはこっちで捜査を続けるべきだね」

「みのりこ……珍しく、まとも……」

「本当にな。どうしたんだ?」

「なんかあいつムカつくから、徹底的にあの幼女を犯人に仕立て上げてやろうと思って」

「それじゃあ冤罪だよ、みのりちゃん……」

 

 とはいえ、わたしたちが進める方向は、もうそこしかないわけだけど。

 それでも、本来あるべき形を捻じ曲げてまでなっちゃんを犯人扱いするのは間違っているし、本末転倒だ。

 

「さて、ボクらの方針はバンダースナッチの犯行を証明することだと再認識したところで、話を戻すよ。捜査を続行すると言っても、次はどこを当たるんだ?」

「そこだよね……」

 

 なっちゃんを犯人として捜査をしてはいたけど、わたしたちには、なっちゃんに直接関わる手がかりが少なすぎる。

 彼女の行動パターンや気質、持ち物。知らないことが多い。

 

「小説なら、犯行現場に何度も立ち入ったりするけど……」

「犯行現場か。とはいえ、現場はすべて片付けられているはずだし、今さら行っても手掛かりを見つけられるかどうか……」

「Dunkel……それに、もう、まっくらです」

 

 時刻は5時30分前といったところ。

 もう秋も半ばで寒くなってきた頃だし、日の傾きもだいぶ早くなってきた。

 太陽は沈み、じきに黒い空には月が昇る。

 ――もっとも、今日は生憎の曇で、暗雲が空を覆い、月のない夜になりそうだけど。

 

「こうも暗いと、現場を調査するにも厳しいよね。一応、聞いてみるけど、誰か懐中電灯とか持ってる?」

「ない……」

「ユーちゃんも持ってません……」

「あってもスマホのライト程度だ。そんな装備で暗夜の中、捜査を進めるのは無謀だな」

 

 時間的にはギリギリ夕方と言いたいけど、空模様は、月の光さえも届かない暗い夜だ。

 光もないのに、この暗闇の中じゃ、どれだけ現場を探したって、なにも見つけられないだろう。

 

「それに、ボクや実子はともかく、女の子の帰りが遅くなるのも具合が悪い。今日は、引き上げた方がいいカモな」

「にゅぅ……確かに、帰りが遅くなると、ローちゃんやMutti、Vatiが心配します……」

「つきにぃ、が……口うるさく、なる……」

「そ、そうだよね。私もお姉ちゃんに怒られちゃう……」

「……あれ? 今、私サラッと女の定義から外された?」

「家に誰もいないだろう、君の場合は」

「まあね。そういう水早君は、家に家族がいるんじゃないの?」

「ボクはいいんだよ」

「だ、ダメだよ。霜ちゃんだって……男の子、だけど。それでも、お家の人が心配しちゃうよ」

「……君、たまにボクの性別を失念するよね。いいけど」

 

 なんにしても、みんな夜遅くに帰るのは危険だし、家族の人たちも心配する。

 となると霜ちゃんに言う通り、今日はもう諦めた方がいいのかな。

 時間がないのは確かだけど、無理をするわけにもいかないし……

 そんな諦念が胸中でじわじわと広がってきた、その時。

 

「すっずちゃーん!」

「ひゃわぁっ!?」

 

 後ろから、いきなり抱きすくめられました。

 背中が、全身が、柔らかい肌の感触で満たされる。

 

「はぁ、柔らかいのよー……流石、(アタクシ)の妹候補ナンバー1の実績を誇るだけはある抱き心地なのよー」

「よ、よ、葉子さん……?」

 

 首だけで振り返ると――振り返らなくてもこの声は、まず間違いなく――そこにいるのは、購買のお姉さんこと、陸奥国葉子さん、真の名を『バタつきパンチョウ』さんだった。

 さらに、その後ろから足音。

 

「姉さん、いきなり奇声をあげながら走り出すなよ。ビビるだろ」

「で、あるぞ、姉上。我々の中で最も眼の良い姉上とはいえ、暗夜は危険だ。十分に注意為されよ」

「先生……お兄さんも……」

 

 わたしたちの先生『木馬バエ』さんに、用務員の『燃えぶどうトンボ』のお兄さん。

 蟲の三姉弟の、お姉さんお兄さんたちだ。

 

「おや、マジカル・ベル。こんな時間に外出とは、よほど暴漢に襲われたいと見える。面倒なこと起こされたら面倒なので、さっさと帰ってください」

「ハエ太ったら、女の子にそんな酷いこと言っちゃダメなのよ!」

「面倒事を起こされたくないものでね。ただでさえ、見回りとかいうクソ面倒くさい仕事が何割も増してやってきたんだ、これ以上あんなゴミ溜めみたいな職場の仕事なんてやってられるか。あとハエ太はやめてくれ」

 

 見回り……そういえば、ここ最近の事件の影響で、学校周辺の先生たちによる巡回警備が強化されてるんだっけ。

 それを証明するように、先生は反射板のついたジャケットを着て、懐中電灯を持っていた。

 

「先生が巡回してるのはわかりますけど、なぜあなたたちまで?」

「それはもちろん、ハエ太と一緒にいたいからなのよ! いつもトンボとはお仕事が終わるのが同じくらいになるけど、ハエ太だけいっつも遅いから、付いてきちゃった!」

「巡回中にいきなり現れるから、ビックリしたよ……まあ、姉さんや兄さんがいれば、このくだらない仕事にも、多少の花は咲くというものか」

「はっはっは! 流石ハエ太、嬉しいこと言うな! だが、花は姉上であって、ぼくにその比喩は些か面映ゆいぞ!」

「どっちでもいいよ。それから、ハエ太はやめてくれって」

「……この人たち、いつでも楽しそうだよね」

「たぶん……一番、学園生活……エンジョイ、してる……」

 

 【不思議の国の住人】は、人の営みに隠れるように生活していると聞いてるんだけど、葉子さんや先生の様子を見ていると、とてもそうとは思えないっていうか……代海ちゃんやアヤハさんとはすごい違いだなって思います。

 個人差、と言えばそれまでなんだろうけど。

 

「そんなことより! 鈴ちゃんたちは、こんな時間になにしてるのよ? ハエ太じゃないけど、女の子だけで夜道は危ないのよ!」

「今宵は月なき漆黒の暗夜。非力な女子(おなご)のみでは、それこそ暴威なる魔性の餌食。逢魔時に踏み出すべきではない異界よ。せめて男子(おのこ)を一人でも連れるべきであろう」

「ボクは一応、男なんだが……」

「……心配、するんだ……意外……」

「私は面倒事を起こさないで欲しいだけだよ。姉さんと兄さんは本気で言ってるだろうけどね。もっと感謝するといいですよ」

「なにこの押し付けがましい上に面倒くさいシスブラコン教師」

「それで結局、鈴ちゃんたちはこんな時間にどうしたのよ?」

「えーっと……その、実は……」

「? なんか元気ないのよ? どうしたの? お腹でも空いたのよ?」

「なんでもかんでも小鈴を空腹と結びつけないで欲しい」

 

 どうしよう……話しても、いいのかな。

 葉子さんは、彼女もアヤハさんと同じ【不思議の国の住人】の一人だ。

 いくらわたしたちに優しくしてくれると言っても、人間ではない。なっちゃんの側の人であり、立場としてはわたしたちと対立するところにいる。

 アヤハさんが教えてくれなかったことを、教えてくれるのか……そして、わたしはそれを、軽々しく聞いてもいいのか。

 ついさっき、アヤハさんに拒絶されたことが尾を引いて、尻込みしてしまう。

 そんなわたしを、葉子さんはより強く、ギュゥッと抱き締めた。

 

「うーん、やっぱり柔らかいのよ! 着せ替えだけで終わって、一緒に寝られなかったのが本当に残念なのよ」

「よ、葉子さん……苦しい、です」

「うん、苦しいよね。すずちゃんは、苦しいのは、いや?」

「イヤ、ですよ。当たり前、じゃないですか」

「そうだね、当たり前なのよ。だから、ちょっとでも苦しかったら、全部出しちゃうのよ」

「……葉子さん」

「大丈夫。私は二人の弟を持つお姉ちゃんだもん。妹候補一人分の悩みくらい、どどーんと受け止めちゃうのよ!」

 

 朗らかに言う葉子さんの身体は、とてもぽかぽかしていて、温かかった。

 わたしはその優しさに、温かさに身を委ねて――話した。

 なっちゃんのことや、つい先刻の、アヤハさんとのやり取りを、すべて。

 葉子さんは、訥々(とつとつ)と紡ぎ出すわたしの言葉を、静かに聞いていた。

 そして、すべてを話し終えると、少し悩ましそうに笑っていた。

 

「あー、うん、カキちゃんねー。まあ仕方ないのよ。あの子も、いっぱいいっぱいだから。だからごめんね鈴ちゃん、カキちゃんを許してあげて」

「若牡蠣の長は、十余名の兄弟姉妹を纏め上げねばならぬからな。かの双肩に掛かる負荷は、誰にも理解されぬ代物。斯様な対応も、無理からぬことよな」

「まあ、そもそもマジカル・ベルは私たちの敵みたいなもんですし、ヤングオイスターズさんの対応はなにも間違っちゃいないと思うんですけどね。そんなことで騒がないでください」

「ハエ太! もうっ、そんな女の子に冷たくしてたら、お姉ちゃん怒っちゃうのよ!」

「あー、はいはい、すみませんね」

「まったくもう、ハエ太ったら。ハエ太が冷たくてごめんなさいなのよ、鈴ちゃん」

「い、いえ……」

 

 アヤハさんいも同じようなことを言われたし、先生を糾弾する気にはなれない。

 それに、実際、先生もアヤハさんも、間違ったことは言っていないのだから。

 

「それで鈴ちゃんは、私たちの呪縛であり代償でもある活動時間……その“例外”について、知りたいのよね」

「……はい。それがわかれば、事件の先になにがあるのか、なにか見えるかもしれないんです」

 

 実際のところは、それがどんなものなのかまるで想像もつかないから、どう事が転ぶのか、それで本当になっちゃんのアリバイが崩せるのか、わからない。

 だけどそれを知らなくては、それが解決の糸口に繋がるかどうかも判断できないし……それに。

 

(わたしはずっと……この人たちのことを、知らないままだ)

 

 【不思議の国の住人】。人間のようでいて、人間ではない、まったく別の生物。

 わたしは、彼らについてあまりにも知らなさすぎる。

 アヤハさんにも言われた。わたしはなっちゃんについて知らないまま、悪役に仕立て上げていると。

 それはその通り。そしてわたしは、なっちゃんだけじゃなくて、アヤハさんのことも、そのほかの知らない【不思議の国の住人】の人たちのことも、全然わかっていない。

 だからこれは事件についての調査だとか、敵の情報を得るためだとか、そんな打算的なことばかりではない。

 相互理解。わたしが、彼らに歩み寄るための、一歩のしたい。

 ……もっとも、アヤハさんが言っていたように、それは彼らにとっての核であり、超重要機密事項だ。

 いくら葉子さんと言えども、そう簡単に教えてくれるとは……

 

「鈴ちゃんが知りたいのならー、私が教えてあげてもー、いいのよー?」

「えっ!?」

 

 お、教えてくれるんですかっ!?

 とわたしが食いつきそうになった瞬間、後ろで先生とお兄さんが驚いたように叫んだ。

 

「姉さん!」

「姉上! それは……!」

 

 気だるげながらもいつも落ち着いている先生や、葉子さんのように朗らかなお兄さんまでも、声を荒げて葉子さんを制する。

 やっぱり、そう簡単に教えられることじゃないんだ……

 だけど、葉子さんは、

 

「もー、ケチケチしないのよ、二人とも。知りたいなら教えてあげればいいじゃないのよ」

「だが姉上、それは我々【不思議の国の住人】で秘するべき禁忌にして秘術。易々と口外すべきものではなかろうて」

「それに姉さん、こいつらは人間だ。私たちとは相容れない生き物――敵だよ」

「違うのよ?」

 

 葉子さんは、先生の言葉をあっさりと否定した。

 まるで、それが当然のことであるかのように。自明の理、明白な事実であるかのように。

 

「人間は……まあ確かに、私たちにとっては、戦わなきゃいけない相手、なのかもしれないのよ」

 

 けど、と葉子さんは続ける。

 

 

 

「鈴ちゃんは、私の――“お友達”」

 

 

 

 どこか子供っぽい、純粋で、純真無垢な満面の笑顔で、葉子さんは言った。

 それだけは揺るがないという、確かな意志を持って。

 

「葉子さん……」

「お友達は敵じゃないのよ? だから、助け合ってもぜーんぜん問題ないのよ! むしろそれが当然ってものじゃない? 私はハエ太やトンボや、カキちゃん、ウサちゃん、カメちゃん、ネズミくんだって、なっちゃんだって、頭あっぱっぱーの帽子屋さんにだって! 手を差し伸べるのよ! 皆、私の仲間で、お友達だもの!」

 

 あまりにもまっすぐで、途方もなく朗らかで、底抜けに明るくて――果てしなく優しい。

 誰にでも分け隔てることなく、その温かな抱擁に包まれる。

 とても、綺麗で美しい、輝きながら空を舞う、蝶のような人だ。

 

「だから、私たちの例外くらいがなんなのよ! そんなの、お友達が泣いてる姿に比べたら、その辺の雑草みたいなものなのよ!」

「……呆れた。もう好きにしろよ。どうなっても知らないからな」

「ぼくは姉上がそれほどの決意を持って告白するというのなら、その意志に応えるまでだ」

「いやないだろ。頭の中、全部花畑になってるぞ、この虫けら」

 

 先生は半ば投げやりになって毒づくが、それだけだ。葉子さんを止めようとはしない。

 

「帽子屋さんはともかく、公爵夫人様とか、ハンプティ・ダンプティさんあたりはぶちギレるんだろうなぁ……面倒くさいな。どうでもいいけど、もう」

「そうなのよー、関係ないのよ。私たちの時間がどうこうなんて、そんなものでお友達とのお付き合いまで縛られるのはまっぴらごめんなのよ!」

「……いいんですか? 葉子さん」

「うん、いいのよっ。鈴ちゃんが悲しんでるとこは、見たくないもの」

 

 にっこりと笑顔を向ける、葉子さん。

 その明るさだけで、わたしは少し、救われた気がした。

 

「で、えーっと、なんだっけ?」

「……あなたたちに科せられた、時間の縛り。それを脱する方法です」

「あー、そうそう。それはねー、私たちのお仲間の力を借りるのよ」

「仲間の力?」

「そ。私たちには、色んな個性()がある。なにかを作ったり、なにかを変化させたり、見えないものを見たり、取り戻せないものを取り戻したり……とにかくいっぱい、ひとりひとり異なった、色んな力があるのよ」

 

 それは、知っている。

 「代わりを用意する」代海ちゃん、「眠らない」ネズミくん、「視点を変える」葉子さんや先生に、「姿を消す」スキンブルくん……【不思議の国の住人】には、ある文言によって定義される、特異な力がある。

 

「その中に、ルールを破る個性()があるのよ」

「ルールを破る?」

「そう。彼? の個性()は、そういう文言で定義されているのよ……ごめん嘘。本当は定義されてる文言がちょっとハッキリしないのよ。でも、まあ、大体そんな感じなのよ!」

「なんか適当だね」

「真に遺憾だが、姉上の“複眼”とて万能に非ず。森羅万象が十全に見渡せるわけではないのだ」

「それができたら流石にヤバいものね。で、その彼、とは?」

「あぁ、それはね――」

 

 葉子さんがその名を口にしようとした、その時。

 

 

 

「――『ジャバウォック』」

 

 

 

 代わりに、先生が告げた。

 

「私たちに“例外”を与える存在、それが『ジャバウォック』だ。奴の活動時間内に限ってだが、奴の個性()の適用範囲内にいれば、私たちは私たちに科せられた縛り(ルール)を無視できる。だから、活動時間なんて制限も関係なくなるのさ」

「あらハエ太。説明してくれるなんて優しいのよ!」

「そんなつもりじゃない。とっととこんな奴らとおさらばして、早く姉さんたちと帰りたいだけだよ。あとハエ太はやめろ」

 

 ぶっきらぼうに言う先生。

 ジャバウォック……その人が、彼らの活動時間を操作する存在。

 つまり、なっちゃんのアリバイを崩す、鍵だ。

 

「まあしかし、ジャバウォック殿は非常に奇怪な御仁というか、なんというか。とても奇妙で不可解な人物? 故にな」

「なんなんだろうね、あれ。バンダースナッチに似てるけど、あれよりも理解不能な怪物だし。暴れないから危険ではないけどさ」

「私もまだよくわからないところが多いのよー。ただあれは、生き物っていうよりも、役割的には私たち専用の外付け拡張装置みたいなものっぽいのよ」

「え、えっと……?」

 

 ちょっとなにを言ってるのかよくわからなかった。わたしはそのジャバウォックさん? のことは見たことがないけど、なんだかとても人に対する扱いではない感じがする。

 

「思ったよりも、すんなりと欲しい情報が手に入ったものだな。それで、そのジャバウォックとやらの活動時間は?」

「残念ながら、それは私たちにもわからない」

「え?」

「なにさ、お仲間なのに知らないのー?」

「違う。我らは同胞であるのに知らぬのではない。同胞であるからこそ、知らぬと宣言できるのだ」

「……意味、不明……なに……?」

「えーっとねー。簡単に言うと、ジャバウォックさんの活動時間は、毎日ランダムで決まるのよ」

 

 ランダム?

 それって、法則性がない、ってこと?

 

「厳密には、24時間という時間をひとつの枠として考えて、何日かかけてその枠の時間を活動時間として消費している。24時間分の時間を消費し切ったら、翌日からはまた24時間分の時間が補填され、それがまたランダムで日ごとに分配される……だから、時間を消費していけばある程度は予想できるけど、基本的にいつ動けるのかはわからない」

「まあ帽子屋さんなら、その時間も認知できるし、ある程度は時間も決められるみたいだけどね。こう、時計を弄るみたいに、ちょちょいっとやっちゃうのよ」

「しかしジャバウォック殿は、普段はその帽子屋殿が管理し、基本的には帽子屋殿の許諾がなければ使役できん。それ故、バンダースナッチめが我欲で彼奴を“持ち出す”ことなど、あり得ぬと思うのだがな」

 

 う、うーん。

 なんだかよくわからないけど、とにかく時間に法則性がないなら、照らし合わせて検証する、ってことはできないんだよね。

 

「なら、過去の記録とかはありますか? ボクらが知るべきは未来ではなく過去だ。そのデータを照合できれば、確信が持てる」

「残念ながらそんなものはありませんよ。帽子屋さんなら、もしかしたら知っているかもしれませんが」

「帽子屋殿が、そんな些末なことを記憶しているとは思えんが」

「同感なのよ。頭あっぱっぱーだからね!」

「使えない……」

 

 必要な情報は手に入ったけど、なんかちょっと、曖昧なままだった。

 でも、これでなっちゃんには不可能、という選択肢はまた消えた。

 完全にアリバイを崩せたわけでもないし、決定的な証拠も掴めてないけど。

 と、そこで、わたしは重大なことに気付いた。

 

「……って、そうだよ!」

「わっ、ビックリした。どったの、小鈴ちゃん」

「そもそも、証拠がないから、なっちゃんを犯人に仕立て上げても、どうしようもないじゃない!」

「あー……」

「? どーゆーことですか?」

「つまり、糾弾しようにも、相手が相手なだけに、アリバイ崩しただけじゃ突き出せないんだ」

 

 これが普通の人間の犯罪者なら、警察を呼べばいい。クリーチャーなら、鳥さんがなんとかしてくれる。

 でも、そのどちらでもない、【不思議の国の住人】という独自の立場の人では、いくらアリバイを崩して犯人だと言っても、確たる証拠がなければどうにもならない。

 ついうっかり、いつものクリーチャーを追いかける感覚でいたけど、とんだ大失敗です。

 

「うーん、なっちゃんも私のお友達で妹候補の一人だから、証拠がないのに悪さしてた、って言われても、ちょっと困っちゃうのよ……」

「ですよね……」

「ま、道理であるな。こればかりは若牡蠣の長姉めの言い分の方が筋が通っているというもの」

 

 捜査が進展したと思ったら、また後退してしまった。

 アリバイは崩せたけど、今度は【不思議の国の住人】の人たちに理解してもらうだけの証拠を集めないといけない。

 まあ……そもそも、最初から証拠もなく、似顔絵とも言い難い子供のイラストというあまりにも説得力の薄い根拠からスタートしたのが間違いなのだけれど。

 結局、今日の成果は一進一退だった。

 

「まあでも、アリバイが崩せただけで良しとしよう。時間がないとはいえ、秒読みってほどでもない。明日、現場に赴こうじゃないか」

「そうだね……えと、葉子さん、ありがとうございました」

「いいのよー。鈴ちゃんが元気になってくれたようでなによりなのよ! また明日も、たくさんパン買ってね!」

「は、はいっ!」

 

 時間も遅いし、今日はこれでお開きだ。

 そう思った、直後。

 プルルルル、という無機質な電子音が鳴り響いた。

 

「誰の?」

「わたしじゃないよ」

「違う……」

「ユーちゃんでもないです」

「というか、こんな味気のないアラーム音にしてる現代人がいるわけ?」

「私だ」

「先生っ?」

「人じゃないものでしてね、無機質ですいませんね」

 

 嫌味っぽく返してから、先生は電話を取る。

 誰だろう、先生同士での業務連絡とかかな。

 

「して、誰からなのだ? ハエ太」

「だからハエ太はやめてね。えっと……ん? ヤングオイスターズ……」

「カキちゃん? カキちゃんブラザー&シスターズの、誰なのよ?」

「あの……アヤなんとかだか、なんとかナミだか忘れたけど、若牡蠣の長女さんからだ」

 

 ヤングオイスターズの長女って、アヤハさん?

 なぜだろう。

 なんだか――嫌な予感がする。

 

「はいもしもし。なんですか? あなたが私に電話なんて珍しい……えっ、マジカル・ベル? まあ、確かにここにいますけど……代われって? よくわかりませんが、はぁ」

 

 先生は携帯を耳から離して、わたしを一瞥すると、その携帯をこちらに向けて放り投げた。

 

「わっ、わわっ」

 

 いきなり放られてビックリしたけど、なんとかそれをキャッチする。

 

「ヤングオイスターズからだ。なぜかあなたに代われと言われた。まったく、なんで私があなたたちと一緒にいるのを知っているのでしょうね。どこかで彼女の兄弟姉妹が見張っているのでしょうか」

「で、出ても、いいんですか?」

「当然でしょう。そのために渡したのですから。手短に済ませてくださいよ」

「は、はい……えっと、も、もしもし……代わりました」

 

 先生の携帯を耳に当てて、応答する。

 けど、電波が悪いのか、返事が返ってこない。

 

「あの、もしもし……? その、アヤハさん?」

『……悪ぃ』

 

 やっと言葉が返ってきたけど、それは酷く短く、小さく、そして冷めきった声だった。

 か細く絞り出される、震える声が、電話越しにわたしの鼓膜を震わせる。

 アヤハさんは、さらに続けた。

 

 

 

『もしかしたら――アンタらの言う通りかもしれねぇ』

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 小鈴たちが蟲の三姉弟と接触する頃、ヤングオイスターズの長女は、【不思議の国の住人】が一挙に集う住居たる屋敷へと帰っていた。

 玄関を潜って廊下を進む最中、すれ違う同胞たちと言葉を交わす。

 

「あ! アヤハさん! お帰りなさい!」

「おう、ただいまだ」

「おっとヤングオイスターズ、今日の晩ご飯はなんだい?」

「面倒だからカレーを煮込んだ。ガキ共には果物でも切って、後は冷蔵庫の中身次第だな」

「お姉ちゃんだ。ねえお姉ちゃん、お兄ちゃん知らない?」

「知らん。またどっかに籠ってんじゃねーのか」

 

 と、そこでふと思い出した。

 

「そうだ。“同期”しとかねーとな」

 

 冷蔵庫の中身について考えていて、うっかりしていた。

 ヤングオイスターズは、個にして群、群にして個。個人が群体という機能を備え、群体という個人である異質な存在。

 故に、各々の感覚や知識は個人のものでありながらも、それを群のものとしても共有できる、ということでもある。

 しかしこれは無制限に行えるわけではなく、あくまでヤングオイスターズが【不思議の国の住人】として、その力を行使できる時に限られる。

 現時刻は五時半。ならば、三女(五番目)が屋敷内にいれば、個性()を発揮できる。

 

「さて、今日の成果はどうかね……」

 

 “同期”を開始する。弟であり、妹であり、自分自身でもあるヤングオイスターズの断片たちの情報が、頭の中に浮かび上がってくる。

 ――長男(二番目)の学業は順調、三女(五番目)は相変わらず滅茶苦茶やって次男(四番目)を困らせている。その次男(四番目)は、どうもマジカル・ベルの動向を探っているようだった。

 

「ん……なんだ、あいつ虫けら三人姉弟と一緒なのか」

 

 そこでふと、思い出した。

 今日、自分の下へと押しかけて来た、彼女らのことを。

 

「バンダースナッチが犯人、ねぇ。正直あり得ない話と切り捨てることはできねーが……」

 

 思想的には、十分にあり得る。動機はわからないが、だからこそ、奴はそれだけのことをやってのける危うさがある。

 とはいえ、彼女にそこまでの大事件を起こすほどの力があるとは思えない。身内でも危険視され、監視の目がつけられるくらいだ。単独で殺傷事件を起こす、それも、自らの存在を隠蔽しつつ、犯行を重ねるなんて、できるはずがない。

 誰かの手引きがあれば話は別だが、彼女に協力する者がいるとしたら、それは精々【不思議の国の住人】の中の誰か。しかし、彼らの仲に共犯者がいるはずがない。

 

(こんなわかりやすく人間を敵に回すようなことには、なんのメリットもねぇ。ワタシたちには、無駄に敵を作ってヘイトを溜めるような余裕はねーかんな)

 

 誰も彼もが人間を敵に回すリスクを承知しているわけではないし、損得関係なく享楽で行動を起こす者もいるが、あのバンダースナッチを御し、これだけの大事件に関与して工作活動を行える人物は限られている。しかしそういった能力のある人物は、きちんと人間を敵に回すリスクを承知しているし、バンダースナッチの危険性も理解している。軽はずみにそんなことをする、できる者たちではない。

 だから、共犯者はいない。よほど狂った意図でもなければ、そんなことはあり得ないのだ。

 と、考えていると、

 

「っ!? んだぁ!?」

 

 ぐにゃっ、となにか柔らかいものを踏みつけた。

 思わずつんのめって転びそうになるが、なんとか踏ん張る。そして床へと視線を落とし、踏みつけたそれを確認した。

 

「って、ネズ公じゃねーか! おいてめー、床で寝てんじゃねーぞ! つーか晩飯前に寝るなって何度言ったらわかんだよ! チーズやんねーぞ!」

 

 廊下で突っ伏して眠りこける眠りネズミに怒鳴るが、寝息が聞こえるだけで、返事は皆無に等しい。

 随分と深く眠りに入っているようだ。

 

「ったく、こいつにはほとほと困ったもんだぜ。ジャバウォックがいないとなると、いつでもどこでも眠っちま――」

 

 と、そこで。

 アヤハは、気づいた。

 

「……眠りネズミが、寝ている、だと?」

 

 再度、時間を確認する。

 午後5時30分。奇数時間。それは、眠りネズミが【不思議の国の住人】としての性質を得てしまい、眠りに入ってしまう時間だ。

 しかし、それは逆の意味でもある。眠りに入る時間だからこそ、彼は眠りから逆行する。

 眠りネズミは、彼の睡眠時間において、睡眠の概念を逆転させ、起きていることができるのだが、これは彼曰く「エナドリ」である。

 つまり、奇数時間に個性()が発揮できるからといって、ずっと起きていられるわけではない。夕方にもなると、彼はエナドリを使い切ってしまう。

 それも、ジャバウォックの力を借りれば「ルールを破る」ことができるため、普通に起きていられるのだが、今は眠っている。

 考えられる理由は二つ。一つは、今がジャバウォックの個性()が発動できる時間ではないか。

 あるいは――

 

「……まさか、な」

「あ、あのぅ……」

 

 声をかけられた。振り返ると、そこにはフードを目深にかぶった少女の姿があった。

 

「代用ウミガメか」

「は、はい……あの、ね、ネズミくん、寝ちゃってます、けど……お、お部屋に、運び、ましょうか……?」

「頼む……あぁ、その前に、ちっといいか?」

「はい?」

「バンダースナッチ、見なかったか?」

「なっちゃんですか? えぇっと……あ、アタシが帰ってきた時には、げ、玄関で、すれ違いました、けど……」

「すれ違った? 外に出たってのか? 一人で?」

「さぁ……お庭に、い、行っただけ、かもしれませんし……お、お屋敷の、外に出たか、までは……普通、なっちゃんは一人で、お外には出れない、はず、ですけど……」

 

 代用ウミガメから話を聞くにつれて、嫌な予感が募っていく。

 彼女の考えは、彼女のエゴであり悪意だと切り捨てたが、まさか……

 

「……あと二つ、頼む。ハンプティ・ダンプティを見なかったか?」

「ハンプティ・ダンプティさん、ですか? えぇっと、た、確か、お部屋に入るのを、見た、ので……お仕事、しているのでは、ないでしょうか……?」

「わかった。じゃあ最後にも一つ」

「は、はい……?」

 

 

 

「ちょっと――代用して欲しいモンがある」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「一体なんだってんだよ、ヤングオイスターズ。私もなんだかんだ忙しい。まともな職にもつかず、非効率的かつ非合理的な働きをしてるお前さんとは違うんだ」

「うっせぇ。こちとら緊急案件なんだ。ずんぐりむっくりは黙ってろ」

「あん!? お前さん、それが人にものを頼む態度かよ!」

「いいから来い! もしなんもなかったら、ワタシの来月の給料、全額熨斗(のし)つけてくれてやらぁ!」

 

 代用ウミガメと別れてから、アヤハはハンプティ・ダンプティを部屋から引きずり出して、廊下を進む。

 迷いなく、ひとつの目的地へと向けて。

 

「着いた、ここだ」

「は……? ここ、バンダースナッチの部屋だが、こんなとこになんの用だ?」

 

 首を傾げるハンプティ・ダンプティ。

 その疑問ももっともだ。怪物の巣などと揶揄され、誰も近づかないバンダースナッチの個室は、屋敷の中でも他の部屋と比べ、離れたところに位置しており、孤立している。誰もこの部屋には近づかない。

 アヤハもできれば訪れたくはなかったが、今回ばかりは仕方がない。

 ドアノブに手を伸ばして、捻る。しかし、ガチャガチャと音と立てるばかりで、回らない。

 

「やっぱ鍵かかってるか」

「いないんだろ。最近、どうも帰りが遅いようだしな。ま、あいつは好奇心の塊だ、仕方あるまいさ。なに、危ない奴だが、付き人がいれば大丈夫だろ」

「あぁ、付き人がいれば、な」

「……ところでお前さん、私に対して脅しのつもりなのかなんなのか知らんが、それ、なんだ?」

「これか?」

 

 アヤハはハンプティ・ダンプティに指差された“それ”を、軽く掲げる。

 ずっしりと重量かんがあり、長い木の棒の先端には、漆黒の鉄塊。

 それは、いわゆる――ハンマーだ。

 それも、手持ち用ではなく、両手で持たなくては扱えないような、大型の金鎚である。

 

「本当は手っ取り早く爆弾みてーなのが良かったんだが、ま、代用ウミガメから借りるモンだかんな。こんくらいになっちまうのは仕方ねぇ」

「まさか私を呼んだのって……」

「おう。後でこの扉、元に戻しといてくれ」

 

 言ってアヤハは、ハンマーを振りかぶる。

 そしてそれを、思い切り扉に――叩きつける。

 

「……ッ!」

 

 ガィンッ! という鈍く重い音が全身に響く。

 それを、何度も何度も、扉に叩きつけ、力ずくで――粉砕した。

 

「うっし、突破だ」

「いくら私が復元できるつっても、お前さんなぁ……」

「緊急事態なんだよ。大目に見ろ」

 

 ハンマーを投げ捨て部屋を見回す。

 大きな部屋ではない。ベッドに、テーブルに、クローゼットに――ごく普通の部屋だ。物は少ない。

 強いて言うなら、テーブルや床に散らばったハサミやらアイスピックやらが、異常に見えるが。

 

「……おいヤングオイスターズ。この部屋、なんか変な臭いしないか?」

「臭い? 言われてみれば……」

「私は内務担当だからよくわからんが、これってあれじゃないのか? 獣と、血の……」

「……!」

 

 ハンプティ・ダンプティが言い終えるより早く、アヤハはクローゼットを開け放った。

 中にあるのは、バンダースナッチがいつも来ている黒いコート――凶器を隠すための装備に、シャツやズボン、下着など、普通の衣服だけ。

 

「……数が少ねぇ。しかも、臭いの元はここ……ってぇ、ことは」

 

 ガコッ!

 クローゼットの奥が、開いた。

 

「ビンゴだ」

「な、なんだぁ?」

「隠し扉みてーなもんだ。あの化物女め、無駄な知恵つけやがって」

 

 隠し扉と言っても、そんな大層なものではない。ちょっとしたものを収納するスペースができた程度だ。

 しかし、その“ちょっとしたもの”が“意図的に隠されている”という事実が重要なのだ。

 アヤハは隠し扉の奥にあるものを引っ張り出す。それは、ゴミでも入っていそうな、黒いポリ袋だった。

 

「ま、実際に入ってるのはゴミだろうがな……ぐっ!」

「うおぉ!?」

 

 中を開けると、思わず鼻を押さえて後ずさる。

 異臭の原因は、ここだ。

 

「もう秋とはいえ、ゴミ袋の中じゃ、湿気や熱が籠るからな……! 微量でも酷いもんだぜ」

「とか言ってる場合かよ、ヤングオイスターズ。こいつは……」

「あぁ」

 

 中に入っていたのは――刃物だ。

 カッターナイフや彫刻刀のような文房具もあるが、果物ナイフや包丁といった、刃物として十分に機能するようなものまである。

 そしてそれらはすべて、変色した血が付着しており、刃も(こぼ)れている。

 

「何度も使って、使えなくなったから捨てたモン、ってとこか。で、こっちは服……血がついて着れなくなったからか。あいつ、こんなモンどうやって処分するつもりだったんだ?」

「……なぁ、ヤングオイスターズ。私はまったく理解が追いつかねーんだが、これはどういうことだ?」

「アンタは、帽子屋がワタシに通達した命令については、どこまで知ってる?」

「詳しくはない。なんか、帽子屋がお前さんや、お前さんの弟妹に、下の町で起こってる事件について調べさせてるらしい、ってくらいだ」

「そんだけわかってりゃ十分だ。その事件は、ちっこいガキや獣が傷つけられ、殺されるって事件なんだが……そのすべての犯行において、凶器は刃物が使われている」

「…………」

「しかも、その凶器は見つかっていない。犯人が持ち去っている」

「……おい、ヤングオイスターズ。お前さん、まさか……」

「あぁ、そのまさかだ。ワタシだって信じたくはねーが……これはちぃっと、無視できねぇ」

 

 一人の少女の妄言が、一気に現実味を帯びてきた。

 どういう理屈かはわからないが、これもはや、立場がどうこうと言っている場合ではない。

 いや、自分の立場だからこそ、動かないわけにはいかなかった。

 

「最後に確認だ、ハンプティ・ダンプティ。アンタ、今すぐこの扉を復元でき(なおせ)るか?」

 

 ハンプティ・ダンプティの活動時間は、4時、6時、8時、10時の四時間に、午前午後それぞれに適用され、合計八時間。

 現時刻は5時30分過ぎ。つまり、彼の活動時間ではないため、彼の個性()は発揮されない。

 しかし、今この家にいるはずのジャバウォックの力があれば、その縛りは無視され、彼はこの扉を復元できる。

 もし、復元できないのだとすれば――

 

 

 

「無理だ。あと30分待て」

 

 

 

 ――ジャバウォックは、屋敷の外だ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

『その後、ハンプティ・ダンプティの野郎を帽子屋のダンナに遣わせて確認したが、今この時間、ジャバウォックは個性()を使える状態だ。つまり――』

 

 ――バンダースナッチが、ジャバウォックを持ち出した。

 他の人にジャバウォックを外に出す理由があるとは考えられないため、外出理由が不明ななっちゃんが持ち出したと、そう考える他ないと、アヤハさんは言った。

 

『肝心のバンダースナッチはたぶん、獲物を探してる。ワタシも今、そっちに向かってる。後で詫びるから、今すぐあの怪物を押さえろ!』

「は、はいっ!」

 

 そうして、アヤハさんは通話を切った。

 

「……なんだか、大変なことになっちゃってるみたいなのよ」

「知ったことか。姉さん、兄さん、もう帰ろう。家で暴れなければ、バンダースナッチがどこでなにをしてようが構いやしないさ」

「もうっ、ハエ太!」

「だってそうだろう。事件を追ってるのはヤングオイスターズさんとマジカル・ベル、被害者は子供と獣。私たちの生活には関係ない」

「鈴ちゃんたちは、あなたの生徒でしょう? 生徒の悩みを解決するのも、先生のお仕事なのよ!」

「私、別に好きで教師やってるわけじゃないし」

 

 な、なんだか葉子さんと先生が言い合ってるけど、それよりも、

 なっちゃんがジャバウォックさんと一緒にいる。それはつまり、次の被害者が生まれかねないことを意味していた。

 となると、今すぐに止めさせなきゃ……!

 

「でも、なっちゃんはどこに……?」

「外って言っても、この町で子供一人を探すなんて、ちょっと無理ゲーしょ」

「それに彼女、確かいつも真っ黒なコート着てたよな」

「暗い……姿、かくれる……」

 

 なっちゃんの行き先もわからないのに、闇雲に探しても見つかるとは到底思えない。

 それに、なっちゃん自身もとても危険な子だ。バラバラに探しても、見つけた時にみんなが危険に晒されてしまう。

 ど、どうしよう……

 

「なっちゃんの行先かぁ。トンボ、わかる?」

「すまぬ姉上、未知だ。ハエ太、貴様はバンダースナッチめを見なかったのか?」

「あ、そっか! ハエ太はずっと見回りしてたものね! なっちゃんのことも見てるんじゃない?」

「だから、ハエ太はやめろって……バンダースナッチ、ね。あぁ、見たよ、姉さんたちと会う直前に」

「! ほ、本当ですか! それは、どこで……!?」

「どこでしたかな。確か、あの……屋根のついた、長い一本道になってる……」

「もしかして、商店街?」

「あぁ、それです。指示されたルート通り、そっちの方に向かっている途中で、見ましたね」

「ぼくらと合流する直前となると、ちょうど半刻前、といったところか?」

「それで、その時のなっちゃんはどうだったのよ?」

「追いかけなかったんですか?」

「別に負う必要はないでしょうよ。付き人なしで外出しているので、まあ妙だとは思いましたが、どうでもいいことかと判断しました。それに、あっちの方は巡回ルート外なので、わざわざ足を運ぶ意味もありません」

「もうっ、ハエ太ったら、融通が利かないんだから!」

「はいはい、ごめんなさいね。そしてハエ太はやめろ」

 

 先生のお陰で、なっちゃんがどっちにの方に行ったのか、おおよその検討はついた。

 

「とはいえ、商店街の方と言っても、あまりに大雑把だ。範囲も狭くない。この視界の悪さだ、広範囲を雑に探すより、もう少し範囲を絞って重点的に捜索した方がいいだろう」

「そーゆーことなら、私たちも手伝うのよ! ね、いいでしょ? トンボ、ハエ太!」

「応とも! バンダースナッチの悪逆非道も見過ごせん」

「姉さんが言うなら別にいいけど、面倒くさいなぁ……」

「じゃあ、私たちは商店街のアーケードの奥の方に行くから、鈴ちゃんたちは脇道の方を行ってほしいのよ!」

「りょ……」

「なんか仕切られてるのいけ好かないけど、緊急事態なら私も空気を読むとしますか」

「脇道っていうと、図書館がある方向ですね」

 

 わたしも小学生の頃に通っていた、小さな図書館。

 あの近辺なら、わたしもよく知ってるから、探しやすい。

 行き先は決まった。あとは、なっちゃんを探して、捕まえて、この事件を解決するだけだ。

 

「よし。じゃあみんな、行こう――」

 

 と、言いかけて、止まった。

 一人、足りない。

 葉子さん、先生、お兄さん。

 みのりちゃんに、恋ちゃん、霜ちゃん、わたし。

 あと一人がいない。

 もう一人、わたしの友達は――

 

「……ユーちゃん?」

 

 

 

 ――闇夜の向こうへと、駆け出していた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 学校が終わったら、図書館で勉強する。中学校に上がってからずっと続けている日課だった。

 勉強と言っても、学校でするような勉強ではない。ただ、自分の知らないこと、自分の理解できないことを、知って、理解しようとする。そんな挑戦を続けているだけだ。

 たとえば、自分の知らない言葉で書かれた本を読む。辞書を引き、事典を引き、わからない言語を翻訳し、わからない単語を調べ、読み解く。ひとつひとつの言葉からひとつの文章へ、ひとつの文章からひとつのページへ、ひとつのページから本全体へと、理解を及ぼしていく。

 勿論、そんな挑戦ばかりでは疲れてしまうので、学校での勉強もする。知っていること反復し、定着させる。その作業は、あまり楽しくはないが、必要なことだとは思う。

 それから、たまに聖書も読む。日本語に翻訳された聖書。

 ドイツにいた頃は、教会で毎週のように読んでいたから、内容はわかる。けれど、違う言語で同じ内容が書かれているというのは新鮮で、その違いを知るのもまた、興味深く、面白いものだった。

 最初は妹も誘っていたが、中で学ぶよりも外で遊ぶことを好む彼女には、こういう“遊び”は性に合わなかったようだ。

 だからもうずっと、一人でこの日課を続けている。別にそれは苦ではなかった。妹には、妹の楽しみがある。ただそれだけの話なのだから。

 

「ん……もうこんな時間」

 

 今日は少し難しい本を読んでいた。この国の、日本の社会問題について。まだずっと先の話だが、仕事をする人、会社の実態について書かれた本だった。

 日本人ならば簡単に理解できるのかもしれないけれど、如何せん自分はこの国の人間ではない。日本語の読み書きも、同年代の日本人と比べて遜色ないほどに習得はしたが、それでも専門性の高い単語や言葉遣い、あるいは日本独自の表現技法は、まだ万全に理解できているとは言い難い。特に(ことわざ)、慣用表現が難しい。馬に祈ったり、顔が大きいかったりすることに、別の意味を取るということが、理解しづらい。

 だからこそ、読むのには苦労したが、その苦労が楽しくもあった。できれば、もっとちゃんと読みたかったが、そういうわけにもいかない。

 時間は有限。そして、一日のうちで、どの時間になにをするかも、決められている。決まっていた方が、より便利に、快適に生活できる。

 楽しさにかまけて生活のバランスを崩してしまうわけにはいかない。それに、自分のことに終始して他人のことを忘れてしまえば、迷惑も掛かる。

 時刻は6時前。もう秋で、だいぶ寒くなってきた頃だ。そして日が落ちるのも、早い。

 外はかなり暗くなっていた。早く帰らなければ、家族が心配する。特に最近は、子供が襲われる事件も起こっていて、物騒なのだ。

 借りた本を本棚に返して、職員の人にお礼を告げ、図書館から出た。

 決して大きいとはいえず、人も少ないし、寂れた感じがあるけれど、職員の人たちは優しいし、静かで落ち着いているので、利用しやすい。そのため、この場所は自分にとってのお気に入りの場所になっていた。

 鞄を持って外に出る。もう外は、真っ暗だった。

 空を見上げても、月すら出ていない暗闇の夜天が広がっている。

 

「早く帰らなきゃ……」

 

 気が急いて、少し小走りになる。

 図書館は学校からは少し遠いが、家からは比較的近い場所にあるので、急げば夕飯までには間に合うはずだ。

 日本は平和な国と言うが、それでも危険がないわけではない。最近は、物騒な事件も起きているらしいので、早く帰るべきであろう。

 それになにより、自分が妹よりも遅く帰っては、姉としての面目も立たない。

 人に注意しておきながら、自分が実践できていないなどということは、あってはならないのだ。

 

「……ユーちゃん、今日も遅いのかな」

 

 しかし同時に、妹には、自分よりも先に帰っていて欲しい、という気持ちもある。

 帰ったら既に妹がいて、笑顔で出迎えて欲しい。そんな、安心が欲しい。

 妹の帰りを待つ姉。その不安感は――いつまでも、拭えないから。

 

「あ……こっち、近道……」

 

 暗い裏路地。電灯がなく、大きな通りよりも危険な道だ。

 いつもなら通ろうとは思わないが、今日はいつもよりも遅く図書館を出たため、帰りも遅くなってしまいそうな時間。少し、急ぎたいところだった。

 大きな通りを通って、安全に時間をかけて帰るか。それとも、暗い裏路地を通って、素早く家に帰るか。

 キョロキョロと周りを見回す。人の気配は、微塵もない。

 

「どうせ大通りに出ても人がいないなら……」

 

 暗い裏路地を通っても同じことだろうと、それならばより素早く帰れる道を選んだ方が良いと判断した。

 その判断は間違いとは言い切れないが、それは相手のことを失念した考えだ。

 つまり不審者とは「常に誰もいないところ」を狙うものであることを。

 

 ――カランッ

 

「っ!」

 

 なにかを蹴飛ばす音が聞こえた。

 思わず身構える。目の前に、誰かがいる。

 暗くてよく見えないけれど、小さな人影。だんだんと、その姿がハッキリしてきて――自分の中の認識は、驚愕に変わる。

 けれど同時に、安堵した。相手は、自分よりもずっと小さな子供。それも、少女だった。

 しかも、親近感を覚える真っ白な髪をしている。顔つきは日本人のように見えるが、どこか異国の血でも混じっているのだろうか。

 

「…………」

 

 少女は黙っていた。ぼぅっと、視線を虚空に彷徨わせている。

 こちらを見ているのか、いないのか、ハッキリしない、あやふやな眼だった。

 

「……あ、あなた」

「…………」

「どうしたの、こんなところで。もう暗いし、危ないよ」

「…………」

「Mutti……えっと、お母さんや、お父さんは? お姉ちゃんやお兄ちゃんでもいいけど……家族の人は? ひょっとして、はぐれちゃったの?」

「…………」

 

 少女は、まるで言葉を返してくれない。怖がっているのだろうか。

 コミュニケーションが取れず困惑してしまうが、恐らく自分の考える通りだろうと、予想する。

 家族と出かけている最中にはぐれてしまった子供かなにかだろう、と。それでここに迷い込んでしまった。

 

(なんだか……ユーちゃんみたいだ)

 

 今でこそ少しは落ち着いたが、家族とはぐれて迷子になってどこかへ行ってしまうというのは、かつての妹を想起させた。

 そして同時に、なにか責務のようなものが、果たすべき使命感のようなものが、自らの内側から湧き上がる。

 

「お姉ちゃんが、家の人のところまで送っていってあげようか?」

 

 本当はそんなことをしている余裕などないのだが、こんな小さな子供を放置するわけにもいかない。

 夕飯に遅れてしまうことも、妹よりも遅く帰ることも、良くないことだが、この場合は事情が事情だ。きっと神様も許してくれる。

 そう信じて、一歩踏み出し、手を差し伸べる。

 

「私、ローザ。あなたは?」

「……な……ち」

「? なんて?」

「なち……」

「な、なち、ちゃん? ちょっと、呼びにくいかも……なっちゃん、って呼んでいいかな?」

「…………」

 

 少女は答えなかった。けど、首をコクリと頷かせたので、いいのだろう。

 なかなか歩み寄ってくれない少女に、どうしたものかと頭を悩ませていると、今度は少女の方から声をかけてきた。

 

「……おねーちゃん」

「どうしたの、なっちゃん」

「きらきら……してるね」

「えっ?」

 

 ポケットに手を入れて、一歩、こちらに歩み寄る。

 心を許してくれたのだろうか。言っていることは不思議でよくわからないけれど、この国独特の褒め言葉か、お礼の言葉かなにかだと解釈しておく。

 そのことに嬉しくないながら、自分も彼女へと歩み寄った。

 

「きらきら……きらきら……とても、きれい。だから――」

 

 一歩、一歩、またもう一歩。

 もうすぐで触れ合う距離。もう数歩で、この子の手を取れる距離。

 手を伸ばす。彼女の手を取り、繋ぐために。

 少女もまた、ポケットから手を出した。

 そして、その手には――

 

 

 

「――あなたの“なか”みせて?」

 

 

 

 ――ナイフが、握られていた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――Rosa!」

 

 パシンッ! と、乾いた音が暗闇の路地に響き渡る。

 カランカラン、と輝きを失った銀色の刃物が地面を滑り、闇の彼方へと消えた。

 二人の少女の前に割り込むもう一人の少女は長い銀髪をはためかせ、ナイフを手失って呆然とする幼女を、キッと睨みつける。

 

Was machst du mit ihr(ローちゃんになにするの)!」

 

 彼女は、その幼い風貌に似つかわしくない険しい表情で、荒ぶる怒声を飛ばす。

 

「ゆ、ユーちゃん……?」

 

 対して刃を向けられた少女は、吃驚に目を見開いていた。

 それは、自分よりもずっと幼い少女から凶器による暴威を受けそうになったこと。そして“自分の妹”が、この場に現れたことによる、驚愕と、困惑であることは明白だった。

 

「――ユーちゃん!」

 

 ――というところで、わたしたちはようやく追いついた。

 唐突に姿を消した――いいや、ローザさんの危機をいち早く察知して、わたしたちを置いて一人で先んじて突っ走ってしまったユーちゃん。

 そしてユーちゃんが考えた通り、そこにはユーちゃんの双子のお姉さんであるローザさんがいて、そして――

 

「なっちゃん……!」

 

 ――『バンダースナッチ』の姿も、あった。

 なっちゃんはナイフを取り零した手を握ったり開いたりしながら、どこでもないどこかを見据えていた。

 そう、彼女は確かに――ローザさんに向けて、刃物を向けていた。

 いつか、わたしにそうしたように。

 ということは、やっぱりなっちゃんが……

 

「い、伊勢さん……? そ、その、これ、は……!? な、なにが、え……!?」

「ローザさん……」

 

 ローザさんは酷く混乱していた。無理もない。いきなり襲われて、だけど助かって、でもそれが自分の双子の妹によるもので……しかもわたしたちまでいて、ローザさんにはなにが起こっているのか、わけがわからないだろう。

 けど今は、現状をゆっくり説明している暇はない。

 暴威が――この町で起こっている数々の事件の犯人が、目の前にいるのだから。

 

「おねーさんだ。きちゃったんだ」

「なっちゃん……あなたは、なにをしようとしてたの?」

「……きらきら。さがしてた。ずっと、ずっと、いまも、まえからも、これからも、ずっと」

 

 きらきら。やはり、それか。

 わたしが初めてなっちゃんと出会った時にも、彼女はそう言っていた。

 それがなにを指すのかはわからない。帽子屋さんは、人間のキレイな“心”のようなものだろうと、言っていたけれど。だとしても、残虐な殺傷行為と、そのきらきらがどう結び付くのか。それは、彼女にしかわからない。

 あるいは、彼女にもわかっていない。

 

「この町で、小さい子を襲ったり、動物を殺したり、花壇を荒らしたりしたのは、あなたなの?」

「……したかも。きらきら、してた、から。とりあえず、“ひらいてみた”の」

「っ……!」

「むずかしかった、けど。は、あんまり、とおらなかった、から」

 

 淡々と、無機質に言葉を紡いでいくなっちゃん。

 機械的で霊的に、無邪気に無感動。歪さを当たり前のものと享受したまま生きているような、歪みきった感性。

 普段はただの子供にしか見えないけれど、こうして改めてみると、その異常さは【不思議の国の住人】の誰よりも際立っているように見える。

 すぐそこに迫る脅威という点では、帽子屋さんの狂気よりも、よほど恐ろしい。

 なっちゃんは、左の袖口からカッターナイフを、右のポケットから果物ナイフを、それぞれ握った。

 それを見るや否や、ローザさんの身が竦む。

 

「ひぅ……っ!」

「ローちゃんに、酷いことはさせません……!」

「…………」

 

 けれどそこには、ユーちゃんが立ち塞がる。

 姉を守りたいという強い意志で、なっちゃんに立ち向かう……けど。

 

「おねーちゃんも、きらきら、だけど。ちょっと、にごってる。じゃま、だよ」

 

 右手の果物ナイフを突きつけるなっちゃん。

 どこの家庭にもあるようなチープな刃物だけど、ナイフはナイフ。触れれば切れる刃物だ。

 相手は幼い子供だけど、刃物を持った相手に、生身で立ち向かうだなんて、無謀もいいところだ。ユーちゃんも、決して体格がいいわけではないのだから。

 

(ど、どうしたら……!)

 

 これ以上、被害を出さないために犯人を捜していたのに。その犯人を突き止めたのに、自分たちがその被害者になってしまっては、元も子もない。

 あの凶器を手放させて、なっちゃんを止めるには、どうすれば……

 

「! そうだ……と、鳥さん! 鳥さん起きて!」

 

 わたしは慌てて鞄の中をひっくり返す。

 オルゴールの木箱を掴み取って、鳥さんを叩き起こした。

 

「小鈴……? どうしたんだ、血相変えて」

「鳥さんお願い――ユーちゃんの、力になって」

 

 時間がない。詳しく説明している暇なんてない。

 わたしは鳥さんをまっすぐに見据える。いつもとぼけた鳥さんだけど、わたしの必死だけは伝わったのか、訳が分かっていないなりにも、鳥さんは頷いた。

 

「いいだろう。あの幼子からは、なにかクリーチャー臭いような、違うような……よくわからないけど、変な臭いもするしね」

「ありがとう、鳥さん」

 

 鳥さんは飛び立る。

 そして、それとほぼ同時のことだ。

 

「おねーちゃん……じゃま」

 

 ゆらゆらと揺らめくなっちゃんの足取りが、ユーちゃんへと近づいていき、手にした刃物の切っ先が、その柔肌に触れる――

 

「Julia……!」

 

 お願い、間に合って、鳥さん……!

 

 ――刹那。

 

 暗闇に、一瞬の閃光が――瞬いた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「これは……? トリさん……?」

 

 刃の切っ先が触れる寸前、二人は聖獣の介入によって、戦いの場に引きずり込まれた。

 二人の間を分つのは、五枚のシールド。

 この空間において、人の世の暴力は通じない。この世界を構築する(ことわり)は、既に神話の中で定められている。

 その条理に従わなければ、この時空においては戦う権利すら持ち得ない。

 

「……ちぇ」

 

 バンダースナッチは両手の刃物を投げ捨て、代わりに目の前の手札を取る。

 それを見てユーリアもまた、手札を取った。

 

「小鈴さん……Danke」

 

 この場を用意してくれた友人に感謝を述べつつ、果てのない遥か上空を仰ぎ見る。

 ――太陽の沈んだ空には、月は無かった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 一方的に刃物を差し向けられるよりはマシだと思って鳥さんにお願いしたけど……本当に、これでよかったのかな……

 ユーちゃんと、なっちゃんの、対戦。

 2ターン目。先に仕掛けたのは、なっちゃんだった。

 

「マナを……ふたつ」

 

 闇のマナを二つ使って、なっちゃんは手札を切る。

 

双極・詠唱(ツインパクト・キャスト)――」

 

 静かに宣言した、刹那。

 獣のような雄叫びが轟いた。 

 

 

 

「――《葬爪(パンテラ)》」

 

 

 

 ビュッ! と。

 切り裂くような、一陣の風が吹く。

 同時に、なっちゃんの山札に爪痕が刻まれ、二枚のカードがボロボロと崩れ落ちていく。

 

 

「やまふだから、ふたつ、ぼちへ」

「……っ」

 

 すごい、威圧感だった。

 ただ墓地を増やしただけで、それ以上のことはなにもしていないのに。

 ただ見ているだけのわたしでさえも、背筋が凍るような、嫌な気配を強く感じた。

 とても……不気味だ。

 

「ユーちゃんのターンです……マナチャージだけして、Ende、です」

 

 

 

ターン2

 

バンダースナッチ

場:なし

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:3

山札:27

 

 

ユー

場:なし

盾:5

マナ:2

手札:5

墓地:0

山札:24

 

 

FORBIDDEN STAR

左上:封印

左下:封印

右上:封印

右下:封印

 

 

 

「マナを、みっつ。で、しょうかん」

 

 なっちゃんは、さらに手札を切る。

 今度は呪文ではない。クリーチャーを呼び出すつもりだ。

 そして、空からなにかが落ちてきた。

 

「《堕魔(ダーマ) グリギャン》」

 

 それは、蝋燭に火の灯った、ひび割れた燭台だ。

 ただしただの物体ではない。三つの蝋燭にはそれぞれ凶悪な貌が張り付いており、不気味に嗤っている。

 それに灯っている火も、紫色に燃え盛っており、ただの炎ではない。

 蝋燭のクリーチャーはケタケタと嗤うと、その炎でなっちゃんの山札を焼き焦がす。

 

ろうそく(ケルツェ)……?」

「やまふだから、みっつ、ぼちへ」

 

 焼かれた山札のカードは、またしてもボロボロと爛れて、墓地へと焼け落ちる。

 

「……おしまい。おねーちゃんの、ばん、だよ?」

「あ、ぅ……た、ただ墓地(フリートホーフ)を増やしてるだけです! 怖いことなんて、なにもありません!」

 

 ユーちゃんは、明らかになっちゃんに気圧されていた。

 初めて見る、今までにない、なっちゃんの不思議で、不気味な空気に、飲まれそうになっていた。

 だけどユーちゃんは屈せずに、立ち向かっていく。ローザさんの――お姉さんの、ために。

 

「ユーちゃんのターン! 3マナで《ボーンおどり・チャージャー》! こっちも墓地を増やしますよ! Ende!」

 

 

 

ターン3

 

バンダースナッチ

場:《グリギャン》

盾:5

マナ:3

手札:2

墓地:6

山札:23

 

 

ユー

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:2

山札:21

 

FORBIDDEN STAR

左上:封印

左下:封印

右上:封印

右下:封印

 

 

 

「マナを、よっつ……《ヴォガイガ》」

 

 また空からなにかが落ちてくる。

 今度は、絵だ。額縁に収められた絵画。

 ただしこの絵画も、ひび割れたような亀裂が走っており、そして絵の中心には醜悪に嗤う貌が浮かび上がっている。

 

「やまふだ、よっつ、ぼち……《ヴォーミラ》、てふだに……おわり」

 

 今度は四枚の墓地肥やし、そして墓地からクリーチャーも回収していった。

 ここまでの動きは、闇文明らしいけど、普通の動きだ。墓地を増やして、墓地のクリーチャーを取り戻す。ただ、それだけ。

 それだけなのに……なんでこんなにも、胸がざわつくの……?

 ユーちゃん……

 

「むぅ、ユーちゃんのターンです! マナチャージして、5マナで《マッド・デーモン閣下》を召喚です!」

 

 ユーちゃんも負けじとクリーチャーを繰り出す。

 それと同時に、ユーちゃんの頭上に浮かぶ巨石に科せられた楔がひとつ、砕け散った。

 

「コスト5以上のコマンドが出たので、封印(ズィーゲル)をひとつ、はずします! そして《デーモン閣下》の能力で、墓地の《キラー・ザ・キル》を手札に! Ende、です」

 

 

 

ターン4

 

バンダースナッチ

場:《グリギャン》《ヴォガイガ》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:9

山札:18

 

 

ユー

場:《デーモン閣下》

盾:5

マナ:5

手札:4

墓地:2

山札:20

 

 

FORBIDDEN STAR

左上:封印

左下:解放

右上:封印

右下:封印

 

 

 

「《ヴォガイガ》で、コスト、ひとつ、すくなく……マナを、みっつ……《ヴォーミラ》」

「今度は(シュピーゲル)、ですか……」

「やまふだからみっつ、ぼちへ」

 

 ドスンッ! と重量感ある地響きを鳴らしながら落下したのは、鏡台(ドレッサー)。これも、当然のように鏡面が割れており、邪悪な貌が舌を出して嗤っている。

 

「マナを、ひとつ……《ドゥグラス》」

 

 続けて降ってくるのは、ひび割れたグラス。

 さらに今度は、《ヴォーミラ》が墓地の中身を映す。そこに映っているのは、刃の(こぼ)れた(ハサミ)だった。

 

「マナ、もうひとつ……《ヴォーミラ》で、ぼちから、しょうかん、するよ?」

「墓地から……!?」

「きて……《ドゥシーザ》」

 

 《ヴォーミラ》が映した墓地。その鏡面を通じて、墓地から鋏が飛び出す。

 その鋏は錆びついた金属音を鳴らしながら《デーモン閣下》を切りつけるけど、力を多少削ぐ程度で、倒すことはできない。

 でも、それで問題なかったんだ。

 彼女の、なっちゃんの本命は、そこではなかったのだから。

 

「《ドゥグラス》、《ドゥシーザ》……《グリペイジ》、《グリール》」

「っ、な、なにが始まるんですか……!?」

 

 なっちゃんは、呼びかける。場と、墓地の、壊れた道具たちに。

 その呼び声に応えるように、道具たちはカタカタと震え出した。

 そしてなっちゃんは、(そら)んじ、数え、唱える。

 鍵となる、数字を。

 

ザン(ひとつ)……ドゥ(ふたつ)

 

 なっちゃんは、手元に集まってくる魔導具を手に取ると、それを無造作に、投げ捨てるように、虚空へと放る。

 ひび割れたグラスを、刃の毀れた鋏を。

 

グリ(みっつ)……ヴォ(よっつ)

 

 墓地から這い上がり、浮かび上がったそれも掴み取り、投げる。

 破れた魔本を、砕けた穿孔機を。

 そして、四つの魔道具が定められた位置へと落ちた――その時。

 

開門(ひらけ)――」

 

 四つの魔導具は、幾何学的な紋様――魔法陣を形成する。

 それらは鍵だ。門を開くために必要な、部品であり道具だ。

 それぞれ単体では機能しない道具だが、それらは四つ寄り集まった時、鍵としての機能を発揮する。

 魔法陣の形成によって、鍵は差し込まれ、錠は落とされた。

 門が開く――刹那。

 

 

 

「――無月の門(むげつのもん)

 

 

 

 黒い月が――夜空を覆い尽くす。

 そして、無月の化身が導かれ、門より出づる。

 

 

 

暗黒断裂(やみをさき)無空葬送(こくうにほうむれ)黒虎疾走(そはしっこくのもうこなり)――《卍 デ・ルパンサー 卍》」

 

 

 

 まるでわけのわからない言葉を読み上げ、現れたのは――真っ黒な、獣だ。

 虎……いや、豹、なのかな。

 全身が紫炎で燃え盛っている、苛烈なる猛虎。悪逆なる魔獣。

 そして、最初になっちゃんが唱えた呪文。あの時、山札を削り落としたのは、このクリーチャーの爪だ。

 夜空を駆けるようにして降下してくる魔獣。その周囲には無数の黒点が浮かび上がり、集い、星座のようになにかの像を結んでいる。

 だけどそれは星座じゃない。あれは、十字……いや、違う。

 あれは、卍だ。

 

「っ、逆鉤十字(ハーケン・クロイツ)……!?」

 

 その黒点の生み出す紋様に、ユーちゃんは目を見開いていた。

 とても恐ろしいものを見るような、忌むべきものであるかのような、眼差しで。

 

「《デ・ルパンサー》……ころして」

 

 まるでわけがわからない。意味不明で、理解不能で、威圧と悍ましさで竦んでしまう。

 けれどそんなことは構わず、むしろ好機とばかりに、魔獣はその獰猛な爪を振るう。

 今度は自らの山札を削って墓地を増やすなんて生易しい真似はしない。

 次に振るう魔獣の爪は、殺戮の凶器だ。

 

「《デーモン閣下》が……!」

 

 一瞬にして、ユーちゃんのクリーチャーが引き裂かれた。

 さらに、それだけでは終わらない。

 

「あと……こっちも。みんな……おいで」

 

 なっちゃんの墓地が蠢く。

 ざわざわと、ぞわぞわと、なにかが大量に、浮かび上がってくる。這い上がってくる。

 夜空に浮かぶ禍々しい門を道標に。

 

「《ハク★ヨン》……《ティン★ビン》」

 

 ボッ、ボッ、ボッ、ボッ、と。

 ゆらゆら、ゆらゆら、と。

 燃ゆる人魂のような、あるいは夜空に浮かぶ星のような、暗い輝きが現れた。

 

「墓地からクリーチャーが……よ、四体も!?」

 

 不明に過ぎる。現状がどうなっているのか、なにがどうしてこうなっているのか、さっぱりわからない。把握も、理解も、追いつかない。

 ただわかるのは、あの獣は道具のクリーチャーたちを寄せ集めた門から現れて、その門に反応して人魂のようなクリーチャーたちも出て来た、ということだ。

 人魂のようなクリーチャーたちは、どこか愛嬌のある顔をしていて、ゆらゆらと揺らめいてなんだか可愛げがある。けれど。

 それは当然の如く、愛嬌を振りまくだけの存在ではなかった。

 

「……《ティン★ビン》」

「あぅっ!」

 

 二種類の人魂のうちの一つ、天秤を(かたど)った姿の人魂が声を上げる。

 その瞬間、ユーちゃんの手札が、燃え上がった。

 燃え尽きた手札は、ボロボロと崩れ、墓地へと落ちる。

 

「おわり、だよ?」

「うぅ……」

 

 ユーちゃんは、苦しそうに呻く。

 まだ決定的な痛打を受けたわけじゃない。だけど、相手にはクリーチャーが八体もいる。

 一体一体は強力とは言い難いけど、この数はあまりにも脅威的。ただそれだけで、プレッシャーだ。

 

「でも、こっちだって……! 5マナで、墓地から《終断Δ ドルハカバ》を召喚です! 左上の封印をはずします!」

 

 ユーちゃんもなっちゃんに対抗するかのように、墓地からクリーチャーを召喚する。

 そしてそれに反応して、またしても巨石の楔が砕けて、二つ目の封印が解かれた。

 

「行きます! 《ドルハカバ》で攻撃(アングリフ)! する時に、S級侵略[不死]! 手札の《デッドゾーン》に侵略です!」

 

 《ドルハカバ》はゆらゆらと浮いている人魂へと突っ込む。そして、それと同時にその姿を変化させた。

 侵略によってその身を侵略者に委ね、スクラップを繋ぎ合わせたような紫色の暴走機械へと変貌する。

 

Und(さらに)……革命チェンジ!」

 

 けど、それだけじゃ終わらない。

 ユーちゃんは手札のカードを放り、攻撃中のクリーチャーを引き戻す。

 侵略した《デッドゾーン》は侵略と同時に、革命を起こして、成り変わる。

 

 

 

Ein einsamer Wolf bellt in der Dunkelheit(孤高の狼は暗闇の中で咆える)――Ich bitte dir(お願いします)! 《Kの反逆 キル・ザ・ボロフ》!」

 

 

 

 一匹に、孤独な魔狼へと。

 

「墓地の《デーモン閣下》を山札に戻して、《デ・ルパンサー》を破壊です!」

 

 墓地の闇のクリーチャーを贄に、《キル・ザ・ボロフ》は凶拳を振るう。

 鋭く重い拳の一打で、燃え盛る猛虎を叩き伏せ、消し飛ばしてしまった。

 

「さらに《デッドゾーン》の能力で、《ヴォーミラ》のパワーを9000下げて、こっちも破壊します! 最後に《ハク★ヨン》と《キル・ザ・ボロフ》でバトル! 破壊です!」

 

 《デッドゾーン》は手札に戻ったが、その能力は残留する。腐敗の力が《ヴォーミラ》の鏡面を台座諸共に融解させた。

 《キル・ザ・ボロフ》は続け様に放ったブローで《ハク★ヨン》を掻き消す。

 なっちゃんの三体のクリーチャーは、一瞬で墓地へと送り返されてしまった。

 とはいえ、それでもまだ五体もクリーチャーが残っている。まだ危機は去っていない。

 

 

 

ターン5

 

バンダースナッチ

場:《ティン★ビン》×2《グリギャン》《ヴォガイガ》《ハク★ヨン》

盾:5

マナ:5

手札:0

墓地:11

山札:14

 

 

ユー

場:《キル・ザ・ボロフ》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:4

山札:20

 

 

FORBIDDEN STAR

左上:解放

左下:解放

右上:封印

右下:封印

 

 

 

 

「……マナを、みっつ。《グリペイジ》、しょうかん……てふだ、すてて」

 

 

 それは、悪魔の本。ギョロリとした四つ目に、血管のような赤い筋の走る表紙。中身はビリビリに破けている魔本。

 魔本は自身の中に記された呪いで、ユーちゃんの手札を破壊する。

 だけど、墓地を活用するという点では、ユーちゃんも負けていない。手札が墓地に行っても、ユーちゃんには痛手にはならない。

 

「効きませんよ! 《ドルハカバ》も、《デッドゾーン》も、墓地から出るんですから!」

「いいよ……魔導具(まどーぐ)が、ばに、ふたつ。ぼちに、ふたつ……だから」

「っ! ま、またですか……!?」

 

 《グリペイジ》が場に出たことで、またしても場がざわつき、墓地が蠢動する。

 そしてなっちゃんの手元に、魔導具たちが集まってきた。

 

「《グリギャン》《グリペイジ》、《グリール》《ドゥシーザ》」

 

 場から二つ、墓地から二つ。

 合計四つの魔導具を手繰り寄せ、それらを虚空へと放り、魔法陣を形成する。。

 

ザン(ひとつ)……ドゥ(ふたつ)……グリ(みっつ)……ヴォ(よっつ)……開門(ひらけ)無月の門(むげつのもん)

 

 そして、魔法陣は門となって、新たな魔物を呼び寄せる。

 黒い月が昇り、月ならざる月が門を超え、邪悪の塊を解き放った。

 

 

 

強欲煩邪(がよくにまみれ)羅刹変化(らせつとかす)魔病毒蟲(そはこどくのびょうまなり)――《無明夜叉羅(むみょうやしゃら)ムカデ》」

 

 

 

 空から、蟲が降ってくる。

 邪悪で、凶悪な、毒虫が。

 

「《夜叉羅ムカデ》、のうりょく……クリーチャーの、パワー……マイナス、9000」

「《キル・ザ・ボロフ》が……!」

「《ハク★ヨン》も、もどって」

 

 巨大な毒虫は、鋭く尖った尾針の一刺しで、《キル・ザ・ボロフ》を死に至らしめる。

 さらに開かれた門の光を標に、墓地に落ちた《ハク★ヨン》が、またしてもバトルゾーンに戻って来てしまった。

 そして遂に、なっちゃんはその毒牙を剥き、殺意と悪意で持って、凶器なる刃を振るう。

 

「《ティン★ビン》、こうげき……《夜叉羅ムカデ》で、てふだ、ひとつ、すてて?」

「ぅ、くぅ……!」

「もう、いったいで、こうげき。てふだ、すててね」

 

 クリーチャーが攻撃するたびに、《夜叉羅ムカデ》のために開かれた門から、小さなムカデが降り注ぐ。

 それを払うために、ユーちゃんは手札を一枚、犠牲にしなければならなかった。

 だけどそのせいで、攻撃されても、シールドがブレイクされても、手札が増えない。ブレイクされた傍から、その手札が失われてしまう。

 二体目の《ティン★ビン》が、《夜叉羅ムカデ》の門を伴って突撃し、シールドを打ち砕く。

 

「し、S・トリガー、《デーモン・ハンド》です! 《ヴォガイガ》を破壊します!」

 

 ブレイクされたシールドから、S・トリガーが発動する。

 悪魔の魔手が伸び、《ヴォガイガ》を額縁ごと砕き、握り潰した。

 だけど、それでもなっちゃんの攻撃は止まらなかった。

 

「《ハク★ヨン》で、こうげき……シールド、ブレイク」

「こっちは、トリガーないです」

「こうげきの、あと、《ハク★ヨン》、しんじゃう……おわり」

 

 攻撃後、《ハク★ヨン》は燃え尽きたように墓地へと落ちて行った。きっと、攻撃したら破壊されてしまうクリーチャーなのだろう。

 だけど、あのクリーチャーは、あの無月の門っていうのが開かれたらまた出て来てしまうから、安心はできない。

 

「ま、まだ、です……!」

 

 完全に数で圧倒され、シールドも残り二枚まで追い詰められた。

 それでもまだ、ユーちゃんは諦めずに、立ち向かっていく。

 

「マナチャージ! 2マナで《終断α ドルーター》を召喚です! 二枚ドロー! さらに、墓地の《ドルハカバ》を召喚! 三つ目の封印をはずします!」

 

 削られた手札を回復しつつ、三つ目の封印も外して、残る封印はあと一つ。

 さらに《ドルハカバ》は、揺らめく人魂を見据えて、突貫し、

 

「《ドルハカバ》で攻撃する時、侵略und革命チェンジ! 《デッドゾーン》! 《キル・ザ・ボロフ》!」

 

 《デッドゾーン》に侵略、さらに《デッドゾーン》をも飲み込んで、《キル・ザ・ボロフ》へと入れ替わる。

 

「墓地の《デッドゾーン》二体を侵略で出します! さらに革命チェンジで《キル・ザ・ボロフ》です! 墓地の闇のクリーチャーを山札にもどして、《夜叉羅ムカデ》《ティン★ビン》《ハク★ヨン》を破壊です!」

 

 《デッドゾーン》二体の腐敗の力と、《キル・ザ・ボロフ》の凶器に等しい拳が、なっちゃんのクリーチャーを一気に三体も破壊する。

 さらに《キル・ザ・ボロフ》は軽快なフットワークで残った《ティン★ビン》へと接近。左からのフックを放つ。

 

「バトルです! 《キル・ザ・ボロフ》で、《ティン★ビン》を破壊します!」

 

 その一打で、《ティン★ビン》も破壊。

 これで、なっちゃんのクリーチャーは全滅した。

 

「Endeです! あとは、禁断爆発さえしてしまえば、ユーちゃんの勝ちですよ!」

 

 

 

ターン6

 

バンダースナッチ

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:0

墓地:17

山札:13

 

 

ユー

場:《ドルーター》《キル・ザ・ボロフ》

盾:2

マナ:7

手札:4

墓地:7

山札:17

 

 

FORBIDDEN STAR

左上:解放

左下:解放

右上:解放

右下:封印

 

 

 

 場は一変、そして一転した。

 数多のクリーチャーを呼び出したなっちゃんはすべてのクリーチャーを失い、手札もない。

 対するユーちゃんはクリーチャーを並べ返し、手札も回復した。

 シールドの数でこそユーちゃんが不利だけど、ここまで押し返せたんだ。このまま、押し切れるかもしれない。

 

「マナを、ふたつ。双極・詠唱(ツインパクト・キャスト)――《葬爪》」

「それなら問題なし、ですね。あなたにはもう手札がないから、これでEnde、ですよね」

「うん」

 

 手札のないなっちゃんは、山札の一番上のカードをめくって、ただ使うだけ。

 ここで《ヴォガイガ》が出てきたら、墓地回収とコスト軽減で、また無月の門を開かれていたかもしれないけれど、彼女が引いたのは墓地を増やすだけのカード。それならばなんの問題もない。

 なっちゃんは墓地を増やすだけで、ほとんどなにもできず、ターンを終える――

 

「……ちがうけど」

 

 ――わけでは、なかった。

 

「《ドゥグラス》《ドゥシーザ》《グリペイジ》《グリギャン》《ヴォガイガ》《ヴォーミラ》」

「え……っ?」

 

 なっちゃんは、また魔導具たちに呼びかける。もう、呼びかけるべき魔導具は場にはいないはずなのに。

 それに、呼びかける数も、違っていた。最初は四つだったのが、今回は六つ。

 そして彼女は、諳んじ、数え、唱える。

 門を開き、絶やすための、黒き鍵となる数字を。

 

絶命(ひとつ)……絶対(ふたつ)……絶望(みっつ)……絶滅(よっつ)……絶縁(いつつ)……絶無(むっつ)

 

 ザン、ドゥ、グリ、ヴォ、ヴァイ、ジグス。

 酷くぶれていて、重なって、揺らいでいるかのように聞こえる、忌まわしき呪詛(カウントダウン)

 場からではなく、すべて墓地から湧いて、浮かび、這い上がる魔導具たち。

 六つの鍵は虚空へと投げ出され、それぞれ寄り集まり、巨大な魔法陣を形成する。

 

「あなたは六道(ろっかい)()()える」

 

 魔法陣は、巨大な門となる。

 これまでの門とは格が違う。巨大で、虚無な、絶対的な、月の出。

 黒き無月の、門出の時だ。

 

 

 

絶門(ひらけ)――無月の門・絶(むげつのもん・ぜつ)

 

 

 

 月ならざる月は、陽も光も根絶やし、黒き無月へと変貌する。

 地の底から夜天の果てまで貫く暗黒が、魔凰(マスター・ドルスザク)の降臨を示す。

 

卍獄堕落(ばんごくにおち)卍獄浮昇(ばんげつのぼる)卍死凰龍(そはばんしのおうりゅうなり)

 

 虚空を支配する黒点は、十字に伸びる軌道で、夜天に漆黒の星座を描く。

 黒き鉤を伸ばす十字。独裁を示す十字架は反転し、正位置へと座す。

 世界を染め上げる黒き意志は、もはや民のために非ず。我欲に正しくあり、独立と独走によって彩られる。

 それは幻影にして虚像なる、無貌の月。

 夜天に浮かぶ根絶の門から魔凰は這い出で、虚無にも等しい命が世界に堕ちる。

 

 

 

 その時すべてが、絶対的な“無”の終焉を迎えた。

 

 

 

卍界封殺(せかいをとざせ)――《卍月(ばんげつ) ガ・リュザーク 卍》」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「が、《ガ・リュザーク》……?」

 

 それは、(とり)なのか(りゅう)なのか。

 その存在はとても虚ろで、あやふやで、ハッキリしない。

 翼のようなものがあるから、鳥、だとは思うけれども……

 身体は紫炎。陽炎のように揺らめきながらも、めらめらと燃え盛っている、暗い焔。

 それはすべてを無に帰す無月の魔凰。

 だけど、どういうわけか夜天に飛翔せず、地に堕ち、翼を畳み、臥せるように這いつくばっていた。

 明らかに大変なクリーチャーなのに、そのクリーチャーはなにもしない。なにかをする気配がまったくない。飛ぼうともしない。

 ただ臥している。それがすべてだと言わんばかりに。

 

「それと……《ティン★ビン》《ハク★ヨン》《ジグス★ガルビ》」

 

 《ガ・リュザーク》は出て来ただけでなにもする気配がないけど、その代わりのように、墓地から数多のクリーチャーが湧いて出た。

 絶と言っても、あれも無月の門。つまり、それを道標に、夜天に暗い星が昇り、瞬く。

 それも、数はさらに増えて、五体。

 

「で、でも! どんなクリーチャーが出て来ても、封印してしまえば問題ありません! ユーちゃんのターン! 5マナで《ドルハカバ》を――」」

 

 《ガ・リュザーク》の存在感と、数で圧倒する無月の星たち。その眼前に迫る脅威がユーちゃんを威圧する。

 それでもユーちゃんには、その数の暴力の一切合切を封じ込める秘策があった。

 四つ目の封印を解き放てば、どれだけ強力なクリーチャーだろうと、どれだけ大量のクリーチャーだろうと関係なく、封じてしまえる。

 そのための最後の鍵。最後の封印を解くため、ユーちゃんはクリーチャーを召喚しようとするけど――

 

「――え? あ、あれ?」

 

 ――できなかった

 理由はあまりにも明白で明瞭だ。

 至極単純だけど、なぜか理解できなかった。

 どうして? と疑問が尽きない。戸惑いを隠せない。

 普通なら、そんなことあるはずないから。あり得ないはずだから。

 

「マナが、三枚しか、ありません……!?」

 

 ――マナが、起き上がらないなんて。

 この場では、マナのアンタップは自動的、強制的に行われる。逆に、自分意志ではアンタップは不可能だ。自分の意志で動かせるのは、タップだけ。

 しかし普段なら問題はなかった。すべてのマナはターンの初めにアンタップするのだから。

 それが今は、どうだろう。ユーちゃんのマナは、三枚しか起き上がっていない。

 

「マナがアンタップしてない……Warum(どうして)!? 」

 

 原因はなにか。なにか、変化はなかったか。

 その根源に辿り着くのは、そう難しくはなかった。

 この異常に関与するものがあるとすれば、それはひとつだけ。

 ユーちゃんはそれに目を向けて、睨みつける。

 

「あの、クリーチャー……!」

 

 そう――《ガ・リュザーク》だ。

 あのクリーチャーは、なにもしなかったのではない。する意味が、なかったんだ。

 《ガ・リュザーク》が現れた時点で、この場は、この世界は、夜天に覆われた無月の世界に支配されたも同然。

 絶門が開き、《ガ・リュザーク》がいる。それだけで、世界の法則を歪めてしまうんだ。

 だから、マナが三枚しか起き上がらなかった。臥せた魔凰と同じように。

 

「な、なにも、できません……でも」

 

 たった3マナでは、封印を外すことはできない。封印を外すための、コスト5以上のコマンドは、召喚できない。最後の封印は、解き放てない。

 だけど、だからと言って、なにもできないわけではない。

 

「ユーちゃんは、諦めません! マナチャージして、2マナで《ドルーター》を召喚です! 手札を一枚捨てて、二枚ドローします! さらに《キル・ザ・ボロフ》で《ジグス★ガルビ》を攻撃! 《デッドゾーン》二体に侵略です!」

 

 マナはなくても、ユーちゃんには手札も墓地もあるし、クリーチャーだって生きている。

 このターンでとどめは刺せない。だからユーちゃんは、クリーチャーへと突撃する。

 少しでも自分が生き残る道を、そして反逆するための希望を、紡ぐために。

 

「《デッドゾーン》の能力で、《ハク★ヨン》二体を破壊です! さらにバトルで《ジグス★ガルビ》も破壊! Ende、です」

 

 

 

ターン7

 

バンダースナッチ

場:《ティン★ビン》×2《ガ・リュザーク》

盾:5

マナ:5

手札:0

墓地:11

山札:10

 

 

ユー

場:《ドルーター》×2《デッドゾーン》

盾:2

マナ:8

手札:2

墓地:8

山札:14

 

 

FORBIDDEN STAR

左上:解放

左下:解放

右上:解放

右下:封印

 

 

 

 数は減らしきれなかった。けれど、たぶんこれが最善手。

 あとは、ユーちゃんのシールド――S・トリガー次第だ。

 

「……《ガ・リュザーク》」

 

 地に臥した魔凰が、遂に身体を起こす。

 敵を、殺すために。

 翼から迸る紫炎が揺らめき、集い、収束して。

 巨大な槍を、形創る。

 照準をユーちゃんに定め、その小さな身体を貫くために、紫炎の魔槍を構えた。

 

「おしまい」

 

 ぽつりと、告げる。

 それが、死刑宣告だった。

 

「Wブレイク――」

「ニンジャ・ストライク!」

 

 けれど。

 大槍が放たれる刹那、ユーちゃんの手札から、ひとつの影が飛び出した。

 

「《威牙の幻ハンゾウ》です! これで――」

 

 暗黒の忍が現れた、その瞬間。

 巨石に打ち込まれた四つ目の楔が、粉々に砕け散った。

 ゆえに、

 

「――最後の封印が、はずれました!」

 

 《FORBIDDEN STAR》の封印が、すべて解き放たれたことに他ならない。

 《ハンゾウ》もコスト5以上の闇のコマンド、そしてニンジャ・ストライクは、召喚だ。

 それが、最終禁断の封印を解く、最後の鍵となった。

 ボロボロと岩塊が崩れ落ちる。大いなる禁断の力を封じていた殻が割れ、崩壊する。

 その内側に秘められた膨大な熱量が、果てしない破滅と侵略の意志が、遂にその姿を晒すした。

 宇宙を生み、壊す、大爆発と共に。

 

 

 

「禁断爆発――《終焉の禁断 ドルマゲドンX》!」

 

 

 

 それは、禁断の星の破壊者。

 世界を、宇宙を、切り拓いて、壊す。破滅の権化。

 その封印が解け、姿を現したということは、その存在証明が為されるということ。

 即ち、

 

 

 

「あなたのクリーチャーはすべて――封印です!」

 

 

 

 無月に向けて、破滅の鑓を解き放つ。

 黒く瞬く星たちも、地に臥せた魔凰も、すべてが例外なく、禁断の力に飲まれ、封印されてしまう。

 それこそ無。無月の化身たちは、存在しないものと同じ、無の状態へと眠らされてしまったのだった。

 

「これで……逆転ですよ!」

 

 なっちゃんの攻撃を防ぎ切り、最大の切り札である《ドルマゲドン》まで現れた。

 正に、一発逆転にして一転攻勢。

 このままなら、ユーちゃんは……!

 

「このターンで終わらせます! ユーちゃんのターン! 3マナで《リロード・チャージャー》! 手札を一枚捨てて、一枚ドローします。さらに5マナで墓地から《ドルハカバ》を召喚!」

 

 クリーチャーの数は足りているけれど、S・トリガーも警戒し、追加でクリーチャーを呼び寄せるユーちゃん。

 そして、そのまま、攻め入る。

 

「《デッドゾーン》で攻撃――革命チェンジ!」

 

 壊れた車体は発進し、暴走し、入れ替わる。

 孤高なる、魔狼へと。

 

 

 

「Ich bitte dir――《Kの反逆 キル・ザ・ボロフ》!」

 

 

 

 ユーちゃんは優勢にも関わらず、抜け目ない。S・トリガーでブロッカーが出て来ても対処できるように、《デッドゾーン》の侵略の目を残しつつ、魔狼の牙を剥く。

 《キル・ザ・ボロフ》が凶拳を振るい、渾身の右ストレートを打ち込んだ。

 

「シールドを、Wブレイクです!」

「…………」

 

 なっちゃんのシールドが粉々に砕け散る。

 ユーちゃんの手札には、《デッドゾーン》が二枚、《キル・ザ・ボロフ》が一枚。場には、《ドルーター》《ドルハカバ》《ドルマゲドン》。

 ブロッカーを出そうと、クリーチャーを除去しようと、もはや止められないし、止まらない。

 ……そう、思っていたのに。

 

「S・トリガー――双極・詠唱(ツインパクト・キャスト)

 

 なっちゃんは砕かれたシールドのうちの一枚を、頭上へと放った。

 そしてそれは、あろうことか――魔法陣を、形成する。

 

「っ!?」

 

 けれど、今までの魔法陣となにか違う。きっちりとした陣は組まれておらず、陽炎のように揺らめいていて、不安定で、ハッキリしない。

 だけどそれは間違いなく、無月の力を宿した門だ。揺らぐ門の中から、巨大な紫炎が、這い出でる。

 

卍月無夜(こよいはばんげつのやてん)卍獄堕天(ばんごくをおとし)卍死影焔(ばんしをもたらすほむらのかげろう)

 

 門の奥から這い出るのは、地に臥したはずの魔凰。

 世界を歪め、堕落を良しとした龍の如き鳳。

 飛ばない鳳が有する紫炎の翼は、なにがためにあるのか。

 その意味が、ここに証明される。

 地に堕ち、臥せた魔凰は今ここで――飛翔する。

 夜天の支配者として、月に代わり無月となった魔凰は、大翼を広げ、終焉を告げた。

 紫炎は数多の魔槍となり、地を焼き殺す鏖殺の凶器となる。

 魔導具を落とすように。

 鏖の槍は、地表へと落下した。

 

 それが、すべてを終わらせる(とき)だった。

 

 

 

卍界滅亡(せかいをこわせ)――《(ばん)(ごく)(さつ)》」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――すべて、消え去った。

 いや、正確には、まだひとつだけ残っている。

 ユーちゃんの切り札であり、命に直結した存在。

 《ドルマゲドン》だけは、シールドひとつに、禁断コアを犠牲にして、生き残っていた。

 しかしそれ以外のすべては、消えた。全滅し、絶滅した。

 敵も、味方も、関係なく、なにもかも。

 無に帰した。

 

「く、クリーチャーが……!」

 

 《ドルマゲドン》がやられてしまえば、その瞬間にユーちゃんの負けが確定してしまう。そういう意味では、《ドルマゲドン》が生き残ったのは、幸いだったのかもしれないけれど。

 でもそれは、即死しなかったという意味でしかない。

 待ち受ける死を、回避できたわけじゃないのだ。

 

「……Ende」

 

 クリーチャーが消えてしまえば、攻撃は続けられない。とどめは、刺せない。

 ユーちゃんはターンを終えるしかなかった。

 そして、

 

「……《ドゥグラス》《ドゥシーザ》《グリペイジ》《グリール》《ヴォーミラ》《ジグス★ガルビ》」

 

 なっちゃんは、再び無月を夜天に浮かび上がらせる。

 醜くぶれて、歪に重なり、禍々しく揺らぐ、忌まわしき呪詛を諳んじ、数え、唱えて。

 ザン、ドゥ、グリ、ヴォ、ヴァイ、ジグス。

 

絶命(ひとつ)絶対(ふたつ)絶望(みっつ)絶滅(よっつ)絶縁(いつつ)絶無(むっつ)――あなたは六道(ろっかい)()()える」

 

 そして、すべてを根絶やす門が再び、開かれた。

 

 

 

絶門(ひらけ)――無月の門・絶(むげつのもん・ぜつ)

 

 

 

 六つの魔導具によって形成された、根絶の無月の門。

 巨大な門扉から這い出るのは、地に堕ち、地に臥し、世界を滅ぼし歪める支配者。

 

卍獄堕落(ばんごくにおち)卍獄浮昇(ばんげつのぼる)卍死凰龍(そはばんしのおうりゅうなり)

 

 六道を巡ってもなお尽きぬ絶対的な無なる死。

 地獄を超え、満月は無に還り、万死の先に果てる、万象の世界。

 そのすべてを黒く染め上げ、闇という星を灯すものが。

 無月の魔鳳が、再臨する。

 

 

 

卍界封殺(せかいをとざせ)――《卍月 ガ・リュザーク 卍》」

 

 

 

ターン8

 

バンダースナッチ

場:《ティン★ビン(封印)》×2《ガ・リュザーク(封印)》《ハク★ヨン》×2《ガ・リュザーク》

盾:3

マナ:5

手札:2

墓地:4

山札:6

 

 

ユー

場:《ドルマゲドン》

盾:1

マナ:9

手札:3

墓地:13

山札:14

 

 

FORBIDDEN STAR

禁断コア2

 

 

 

 またしても、《ガ・リュザーク》が現れてしまった。

 そして、それにつられて、《ハク★ヨン》も戻って来る。

 ユーちゃんのシールドは一枚。そして相手には、三体のクリーチャー。

 絶体絶命、そして絶望だった。

 

(ま、まだ、トリガーが出れば……!)

 

 ほんの微かな一縷の望みに縋ろうとするユーちゃん。

 けれどなっちゃんは――バンダースナッチは、残酷だった。

 すべての希望は、黒く塗り潰される。

 

「……《グリギャン》、《ドゥグラス》」

 

 燭台とグラスが落ちてくる。今更、そんなクリーチャーが出たところで、なにも変わらない。

 と、いうことも、ない。

 

「《グリギャン》《ドゥグラス》、《ヴォガイガ》《ジグス★ガルビ》」

 

 なっちゃんの手元に集まった魔道具たちが、魔方陣を形成し、門とする。

 

ザン(ひとつ)ドゥ(ふたつ)グリ(みっつ)ヴォ(よっつ)――開門(ひらけ)無月の門(むげつのもん)

 

 そしてまた、新たな無月の化身が、呼び出された。

 

 

 

狂気汚染(きょうきにけがれ)凶器暴虐(きょうきをふるえ)凶数狂鬼(そはまがつをかぞえるきょうきなり)――《凶鬼(ばん)号 メラヴォルガル》」

 

 

 

 それは、今までのクリーチャーとはかなり毛色の違うクリーチャーだった。

 蒼炎によって形作られた巨体。それを繋ぐように、機械的な部品、そして火器が取り付けられている。

 

「《メラヴォルガル》……のうりょく」

 

 《メラヴォルガル》が、火器を向ける。

 ユーちゃんに、そしてなっちゃんに。

 直後、禍々しき蒼炎が、二人を襲った。

 

「うぁ……っ!」

「……私と、おねーちゃん……シールドを、ふたつ……ブレイク」

 

 自分諸共、相手のシールドを打ち砕くなっちゃん。

 その諸刃の剣で、ユーちゃんのシールドは、ゼロに。

 

「し、S・トリガー、《禁断V キザム》……《ハク★ヨン》を二体、破壊、です……」

 

 最後の希望は、潰えた。

 小さな星の瞬きは掻き消せても、夜天に浮かぶ無月には、届かない。

 

「……とどめ」

 

 鏖殺の紫炎が、巨大な魔槍を形成する。

 そこに宿るのは、害意、殺意、悪意。

 すべてを滅ぼし、壊し、殺す、狂気と邪悪の意志。

 

「ローちゃん……Verzeihuldigung(ごめんなさい)……」

 

 終わり、だった。

 もはや後には続かない。未来は根絶された。

 無月の魔凰によって。

 彼女は――終焉を告げられる。

 

 

 

「ころして――《卍月 ガ・リュザーク 卍》」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 そんな……

 ユーちゃんが、負けた……?

 誰もその現実を、受け入れられなかった。

 きっとユーちゃんなら勝てると。お姉さんを守って、犯人を捕まえて、事件も解決すると。

 誰もがそう信じていた、けれど。

 現実は、誰の望みも叶えなかった。

 そこに伏しているのは、ユーちゃんで。

 そこに立っているのは、なっちゃんだった。

 

「あ……ぅ……」

「……おねーちゃん、じゃま、だった。けど、ちょっと、きらきら、してた……さき、こっち?」

 

 なっちゃんはまた、コートの内側からなにかを取り出す。

 それは、包丁だ、なんてことのない、どの家にも当たり前に置いてあるような刃物。

 けれどそれは、誰かを傷つけるには――あるいは、殺すには十分な殺傷力(ちから)がある代物だ。

 

「ばいばい、おねーちゃん」

「Julia……!」

 

 なっちゃんは、手にした包丁を逆手に持って、膝をつくユーちゃんへと、振り下ろす――

 

 

 

「――そこまでだ」

 

 

 

 ――ことは、なかった。

 暴威を振るうなっちゃんに対する、三度目の介入。けれどそれはわたしたちでも、鳥さんでもない。

 ギリギリと締め上げるように、なっちゃんの細腕を掴んで引き留めているのは――

 

「バンダースナッチ、てめぇ……なにしてやがる?」

 

 ――アヤハさん、だった。

 

「アヤハ……はなして」

「そいつは無理な相談だ。まずはてめぇが、その包丁(オモチャ)を離せ」

「やだ」

「……一応、同族としてもう一度だけ、言ってやる。手を離せ。身を退け。バンダースナッチ」

「や」

 

 静かに要求をぶつけるアヤハさん。だけどなっちゃんは、頑なに包丁を手放そうとしない。

 そんな頑固ななっちゃんに、アヤハさんは諦めたように息を吐いた。

 

「そうか。なら、仕方ねぇ――」

 

 アヤハさんは力強くなっちゃんの腕を握り締めたまま、もう片方の手で、彼女の手首を掴む。

 そして、グイッと自分の方に引き寄せながら、力を込めて、

 

 

 

「――お仕置きだ」

 

 

 

 ボキッ

 

 

 

 その腕を、へし折った。

 

「ひぐ……っ!?」

 

 なっちゃんの口から小さな悲鳴が漏れる。瞳から涙が流れ、身体を折り、地に這いつくばる。

 

「おら、もう一本だ」

 

 ほぼ無抵抗になったなっちゃんに、アヤハさんはその手を取る。

 ただしそれは、救いの手ではない。

 今度はその手を持って、関節の逆方向に、腕を曲げた。

 ゴギッ、という鈍く嫌な音が、小さく響く。

 

「う、あ、あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 幼い女の子とは思えない、獣のような叫び声が夜空に響き渡る。

 

「ひ……っ」

 

 その恐ろしい暴虐の光景に、思わず悲鳴が漏れる。

 なっちゃんののやったことは、凄惨で許し難いことだけど、わたしたちはそれを直で見てはいない。

 けれど今ここで行われている暴威は、わたしたちの目に焼き付くほどに恐ろしく、惨たらしいものであった。

 両腕を折られて泣き叫ぶなっちゃん。けれどアヤハさんは手心を加えない。それどころか、その惨さは増していく。

 今度は彼女の細い足を、ブーツの底で思い切り踏みつける。子供の成長し切っていない骨が、砕ける音がした。

 幼い女の子の嗚咽。苦しそうな呻き声。怪物の唸り声のようなそれがしばらく響き、やがて聞こえなくなった。

 あまりにも惨くて……わたしは、たぶんみんなも、その先の光景は目にすることができなかった。

 次に目を開いた時、なっちゃんは両手両足をだらんと投げ出し、泡を吹いて、白目を剥いて、ぐったりとしていた。

 気絶、してる……? まさか、死んでなんて、いない、よね……?

 

「約束だ。骨三本、くれてやったぞ。首はサービスだ」

 

 アヤハさんは、動かなくなったなっちゃんを背負う。

 そんな一部始終を見てしまったせいで、なにも言えないでいるわたしたちに、アヤハさんは言った。

 

「安心しろ、これは“(しつけ)”だ、こいつを壊すことが目的じゃねぇ。後できっちり、ハンプティ・ダンプティの奴に復元(なお)させる」

「なにも……安心……できない……」

「……悪いな。とりあえず、こいつは持ち帰る。詫びなら、後で改まってするからよ……だからちっとばかし、待ってくれ。すまん」

「あ、アヤハ、さん……」

 

 そう言ってアヤハさんは、わたしたちに背を向けた。

 そして、

 

「アンタらには、迷惑かけた。許してくれとは言わないが……悪かったな」

 

 その言葉を最後に、夜の帳へと、姿を消した。

 

「これは、なにが、どうなっているんだ……?」

「……わから、ない……けど、あれは……」

「つーか犯人持って行かれちゃったんだけど。いや、私たちじゃあの子を捕まえてもどうしようもないから、連れてってくれて助かるんだけど、なんか腑に落ちないっていうか……」

 

 アヤハさんはユーちゃんを助けてくれた。

 そして、今回の事件の犯人だったバンダースナッチを、連行した。

 これで、終わりなの?

 なんだかとても、もやもやする終わり方だった。

 すべてがキレイに解決。そんな、筋道の通った小説の締めではない。

 曖昧模糊であやふやな、まるでスッキリしない、(わだかま)りの残る終演だ。

 

「まあ、詳細は後日、ちゃんと整理すればいいさ。ボクらが優先すべきは、むしろこっちだろう」

「え? それって、どういう……」

 

 意味なの? と言う前に、わたしの視界に彼女が映る。

 ゆっくりと立ちあがって、ゆったりと歩を進めて、ユーちゃんの下へと歩む、ローザさん。

 見たところ彼女にも傷はない。無事、だった。

 そしてユーちゃんも、デュエマには負けちゃったけど……特に負傷している様子はなかった。

 とりあえず、みんな守れた……のかな。 

 それだけは、とてもよかった。

 よかった――けれど。

 

「……ユーちゃん」

「あ……ろ、ローちゃん。だいじょうぶ――」

 

 よいことばかりでは、なかった。

 

 

 

「――なにを、やってるの?」

 

 

 

 とても、冷たい声だった。

 胸を穿つような、冷ややかで、鋭くて、重苦しい、そんな声。

 

「危ないこと、してるの? ユーちゃん」

「ろ、ローちゃん……」

「伊勢さんたちも、巻き込んで……それとも、あなたたちが……?」

「え? えっと……」

 

 ……わたしは、間違えてしまったのかもしれない。

 ユーちゃんを守るためにと思って鳥さんを遣わせたけど、それは結果的には、悪い未来へと繋げてしまうだけの選択肢だったのかもしれない。

 

「あれ、なんなの……? 変な人たち、だけじゃなくて……あの、“怪物”は……!」

 

 怪物。それは、アヤハさんらがなっちゃんを揶揄する際に使う言葉、ではないだろう。

 文字通りの意味の、怪物(クリーチャー)。わたしたちにとっては慣れ親しんだものでも、彼女にとっては、それらは異形の化物に映るのは道理だ。

 わたしが鳥さんを遣わせたことで、ユーちゃんとなっちゃんとのデュエマが起こった。刃物で襲われるより、そっちの方がいいと思ったから。

 けど、実際にはユーちゃんは負けちゃったし、アヤハさんがいなければなっちゃんのナイフはユーちゃんを切り裂いていた。

 そしてなにより、わたしたちは最も隠すべき“秘密”を、ローザさんの目の前で、披露してしまったのだ。

 凍りつく空気の中、ローザさんは険しい面持ちで、ユーちゃんを問い詰める。

 

 

 

「正直に答えて、ユーちゃん。あなたは、あなたたちは――なにを、しているの?」

 

 

 

 そして誰も――その詰問には、答えられなかった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――戻ったぜ、帽子屋のダンナ」

「ご苦労、ヤングオイスターズ……おや? なにやら手土産があるようだな」

「おう」

 

 アヤハは、蟲の三姉弟からジャバウォックを回収した報告を受け、屋敷に戻るや否や、帽子屋の部屋を訪れていた。

 そして、背負ったそれ、彼の前に放り投げる。

 

「バンダースナッチではないか。なぜ、泡を吹いて手足が折れているのだ?」

「ワタシが首絞めてへし折った。大丈夫だ、殺しちゃいねぇ」

「なんとも惨いな。あとでハンプティ・ダンプティに復元させておかなくてはならん。して、なぜこのようなことに? 貴様は確かに気性が荒いが、嗜虐趣味(サディスト)でも、あるいは虐殺者(ジェノサイダー)でもなかろうに」

「ムカついた。それと、こいつを速やかに無力化する必要があった。それだけだ」

「筋は通っているな。いや、いないのか? どちらでもいいが」

「……なぁ、ダンナ。ワタシからも一個、質問していいか?」

「いいだろう。なんだ?」

 

 アヤハは、ずっと考えていた。

 バンダースナッチが犯人であると確証を得てからもなお、明かされていない謎がある。

 どうして、バンダースナッチはこのタイミングで犯行に踏み切ったのか。厳格ではないとはいえ【不思議の国の住人】たちによる監視を掻い潜れたのか。そしてなにより――どうやってジャバウォックを連れ出したのか。

 バンダースナッチの凶行は彼女らしく、非道で残酷で悪辣なものであったが、彼女にこれほどの隠密的な犯行が可能だとは、アヤハには到底思えないのだ。

 つまり、バンダースナッチは事件を起こすための犯人という“役割(キャスト)”なのではないか。彼女は単なる実行犯であり、その裏で糸を引く、黒幕がいるのではないか。

 彼女を唆して凶行に走らせ、【不思議の国の住人】たちの監視に穴を空け、ジャバウォックのルール破りの時間を調節しながら持ち出させた、後方支援員。

 それは――

 

 

 

「――バンダースナッチを唆したのは、アンタか?」

 

「そうだ」

 

 

 

 ――イカレ帽子屋(マッドハッター)、だった。

 即答。次の瞬間、アヤハの頭が沸騰する。

 

「ふ……っざけんじゃねぇ!」

 

 怒声を轟かせるアヤハ。

 予感はあった。理屈も通る。論理的には、その可能性しか考えられない。

 バンダースナッチの言葉で操れる者など、【不思議の国の住人】には存在しない。それこそ、指導者たる帽子屋が精々だ。

 動きを操作するという点では、バンダースナッチだけではない。究極的に、【不思議の国の住人】たちを口先で動かし、動向を掌握できるのも、首領たる帽子屋になら不可能とは言えまい。

 そして決め手になったのは、ジャバウォックの存在。この理解不能な異形の怪物を操れるのもまた、帽子屋だけ。

 ゆえに、ジャバウォックの力を利用して活動時間のルールを破り、数々の子供、動物、植物を傷つけ、惨殺せしめたバンダースナッチを傀儡にすることができるのは、帽子屋しかいないことになる。

 それでも腑に落ちない点、そしてアヤハが怒りに震える点が、ひとつだけある。

 それは、

 

「なんで、こんな馬鹿げたことしてんだよ、アンタは! ワタシらを、アンタの仕組んだ茶番に付き合わせて、アンタはなにがしてーんだ!」

「どういう意味だ?」

「わかってんだろ!? ワタシたちは“弱い”! 種としては、人間に遥かに劣る劣等種だ! だがそれでも、ワタシたちはいつかの繁栄のために栄光のために、艱難辛苦を耐え忍び、今は身を潜め、機を窺ってる……そんな時じゃねーのかよ!」

「その通りだな」

「だったら、なんでだ! なんでこんな、人間にケンカ売るような真似を、するんだよ……!」

 

 アヤハの疑念と怒りは、そこだった。

 聖獣の存在の認知、マジカル・ベルとの接触によって、随分と表立って動くようになったが、そもそも【不思議の国の住人】とは、地下世界的にアンダーグラウンドに生きている存在だ。未確認生物のように、存在をほのめかすだけで、存在しないかのように振る舞う。身を隠して人間が支配する星に住み、人間社会に寄生する。やがて来たる種の繁栄のために、自分たちの社会の構築のために、今は隠遁に生きることを決めた者たちだ。

 今の自分たちに、人間と戦うだけの力はない。まともに戦っても、簡単に滅ぼされてしまう。だから、彼らに見つからないよう、日陰身の生活をしている。

 それが、バンダースナッチなどという化物を人間社会に解き放ってしまったせいで、彼らに認知されるわけにはいかないのだ。この日陰ながらも平穏で静かな状態が崩壊してしまっては、繁栄の未来など遠ざかるばかり。

 そのことは帽子屋もよくわかっているはず。むしろ、その方策を定めたのが、他でもない帽子屋なのだから。

 だというのに、バンダースナッチを扇動し、人間社会に攻撃し、自分たちの首を絞めるようなことをして、なにがしたいのか、わけがわからない。

 なぜそんなことをして、自分たちを、同胞を危険に晒すのか。意味不明で、疑問が尽きないし、怒りが込み上げる。

 ましてや今回の事件は、自分だけではない、自分自身でもある、弟妹(ヤングオイスターズ)も関わっているのだ。大事な弟妹たちも、危険を冒してまで今回の事件に関わっていたのだ。

 それも、すべては帽子屋の指示で。

 自分たちは彼を信じて、必死で事件の解決に乗り出した。なのに、自分たちがやっていたことは、自分たちを窮地に追い込むだけの茶番だった。そんなことは、到底許せるものではない。

 無意識に、拳を握り込む。

 

「答えろイカレ帽子屋(マッドハッター)! 返答次第じゃ許さねーぞ!」

「貴様の許しを得てなにになるのだろうな。まあしかし、落ち着けヤングオイスターズ。ただでさえ短い寿命が縮むぞ」

「ふざけんな! その寿命を縮めてんのは、他でもないてめーだろうが! このクソイカレ狂人が!」

「だから落ち着けと言っている。オレ様は確かにイカレてはいるし、無意味なこともするが、目的を忘れたことは一度たりともない」

 

 怒りに猛るアヤハに対し、帽子屋は落ち着き払っていた。いつも通りと言えば、いつも通りだが。

 

「貴様が納得するかは別として、オレ様はなにも、歓楽でバンダースナッチを煽ったわけではない。それぞれの者には、それぞれの役割があるのだよ。バンダースナッチの場合、奴には悪意の的になってもらった」

「……どういう意味だ?」

「貴様にも、オレ様が用意した役割がある。これはその予行演習であり、来るべき時のための布石でもある、ということだ」

「役割、だと?」

「あぁ。代用ウミガメの“産卵”と、日程調整が終わっていない故に、まだ先の話だが……その間にも、貴様には役割を準じてもらうことになろうな」

「……ワタシの役割って、なんだよ。つーかそれは、なんの“劇”だ?」

「そうだな、これが終わったら頃合いだと思っていたさ。公爵夫人、それから三月ウサギには既に話したが、貴様にも伝えておこう。オレ様が執筆した“脚本”をな」

 

 帽子屋は、告げた。

 ただ一つの目的のために、狂った頭で考えた物語を。そして、その中に配置される役割を。

 すべてを聞き終えて、アヤハは吐き捨てる。

 

「……バッカじゃねーの。回りくどすぎるし、リスキーすぎるだろ。アホか」

 

 めいっぱい罵りたい衝動に駆られたが、しかしもはや、怒鳴る気力はなかった。

 少なくとも、彼は自分たちの首を絞めたいがゆえに、バンダースナッチを繰り出したわけではないことが分かったので、それで良しとする。

 まだ“そういう”狂い方はしていないようで、安心した。

 

「納得したか?」

「微妙だ。正確な答えを出すのなら、それがワタシの弟妹たちをも巻き込むに値するか、ちぃっとばかしよく考えねーといけねーが……少なくとも、アンタの考えは、理解した」

「ならば結構。さっきも伝えたが、貴様にはしばらくの間、貴様の役割に準じてもらう。貴様が要だ、しっかりやれよ」

「……いいぜ。そういうのは得意じゃねーが、やってやるさ。アンタらと、ワタシたちのため、だかんな」

「そうだ。期待しているぞ、ヤングオイスターズ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……はぁ」

 

 いい匂いが、リビングに漂う。もうすぐ晩ご飯、今日はお姉ちゃんが作ってくれている。

 わたしのなんの捻りもない料理や、お母さんの雑な調理と違って、お姉ちゃんが作るご飯はおいしいから好きだ。

 でも、おいしいものを目の前にしても、この不安感のような、胸の奥につっかえたものは、取れそうにない。

 胸中の暗雲は晴れない。なにもかもが、うやむやなままだから。

 結局あの後は、時間も時間だったし、そのまま各自解散になった。

 なんて、そんな平和的な終わり方はしていないのだけれど。

 より正確に言うなら、ローザさんが口をつぐんでしまったユーちゃんの腕を引っ張って、無理やり家に帰らせ、帰っていって……わたしたちは、それからどうすることもできなかったから、解散するしかなかった、というのが本当のところです。

 なっちゃんのこと、事件のこと、ジャバウォックさんのこと、色んなことが不明瞭なままで、スッキリしない。あの様子だと、きっとなっちゃんがこの町の事件の犯人で、アヤハさんが連れて行ったから、きっともう事件は起こらないんだろうけど……

 ……それにしても、なっちゃんはどうして、あんなことをしたんだろう。アヤハさんや、帽子屋さんの意に背くようなことをしてまでこんな事件を起こしたのは、どうしてなんだろう。

 なんだか、この事件にはまだ隠されたものがあるような気がしてならないけど……それどころではなかった。

 

(ローザさんに、わたしたちの秘密がバレちゃった……)

 

 それが、最大の悩みの種だ。

 わたしの恥ずかしい格好は見られてないけど……これならむしろ、わたしが恥ずかしいだけで済んだ方がよっぽどマシだった。

 なっちゃんの凶行に、鳥さんの存在、なによりも実体を持って戦うクリーチャーたち。そんなあり得ない超常的な出来事に、わたしたちが関わっていること。

 本当なら誰にも見られてはいけない現場を、完全に捉えられてしまった。

 誰も怪我をしなかったからよかったけど……事件解決の代償は、決して小さくない。

 仕方ないとは、割り切れない。だから、ずっともやもやするんだ。

 

「…………」

「よし、できた。小鈴!」

「…………」

「小鈴! ちょっと、小鈴ってば! 聞いてんの!」

「あっ、うん。ごめん、なに?」

「なにぼーっとしてんのよ、あんた。なんでもいいけど、晩ご飯できたから、運んでくれない?」

「うん、わかったよ」

 

 お姉ちゃんに言われた通り、料理を運ぶ。今日の晩ご飯は、とんかつだった。

 せっせとお皿に乗せた料理を運んでいる途中で、ふと気づく。

 

「あれ? 四人分? お父さん、いないよね?」

「そういえば、父さんまだ帰って来てないわね。なんか遅くない?」

「あっれー? 五十鈴、聞いてない? 今日はお父さん、同僚と飲みに行くってさ」

 

 突如、パソコンに向かって突っ伏していたお母さんが起き上がった。

 

「いつそんなこと言ってたの?」

「昨日、晩酌してる時にそんなことを言ってたような……」

「なにそれ? 私、そんなの聞いてないわよ! まったく、それならそうと連絡の一本でもしなさいよね!」

「……あ、ごめん。私んとこに通知きてた。五十鈴に伝え忘れてたわ」

「母さん! まったくもう、あなたって人は……!」

「ごめんよー」

 

 気の抜けた謝罪をするお母さん。あんまり悪いとは思ってなさそうな感じだ。

 お姉ちゃんはそんなお母さんにイライラしつつも、あまった一人分のとんかつを睨む。

 

「どうすんのよこれ、もう作っちゃったんだけど……小鈴、あんた食べる?」

「わたしは……今日は、ちょっといいかな」

「おやまあ、腹ペコ鈴ちゃんが食べ物の差し入れを断るだなんて珍しい。どうしたのかな?」

「腹ペコ鈴ちゃんってなんなの……わたしだって、そういう時もあるよ」

「自分で作っといてなんだけど、私も油物を二人前はちょっと……いや、もういいわ。私が作ったわけだし、自分で食べる」

「太るぞー?」

「一食に一品増やした程度じゃ変わんないわよ!」

 

 いつも通り、お母さんとお姉ちゃんの口ゲンカ(?)が始まる。

 ……いや、別に仲が悪いわけじゃないんだよ? ただ、お姉ちゃんは真面目だから、ちょっと気が抜けててお茶目なお母さんを許せない時があるっていうか……お母さんの冗談を真に受けちゃうというか……

 よく言い合ってはいるけど、険悪なわけではない。お母さんも、ちょっかいはかけるけど、嫌なことは言わないし。

 今日の晩ご飯は、お父さんを除いた三人。悩みの種が大きすぎてあんまり食欲はないけど、お姉ちゃんが作ってくれた晩ご飯を食べないわけにもいかない。

 全員が食卓についたところで、手を合わせる。

 

「いただきま――」

 

 

 

ピンポーン

 

 

 

 ――す、と言い切る前に、インターホンの音に遮られた。

 

「こんな時間にお客さん? 珍しいわね。それとも父さんかしら……小鈴、ちょっと出てくれる?」

「う、うん」

 

 お姉ちゃんに言われて席を立つ。

 扉のチェーンを外して、ロックを解除。

 扉を開け――

 

「ど、どちら様……」

「小鈴さん!」

「わっ!?」

 

 ――開けた瞬間、見覚えのあるものが視界に飛び込んだ。

 わたしの胸の位置くらいにある頭。きらきらと輝く銀の髪。

 そして、小さく華奢ながらも、エネルギー溢れる矮躯の女の子。

 暗くてよく見えない、なんてことはない。わたしが、彼女を見間違うはずがない。

 その女の子は、まず間違いなく、

 

「ゆ、ユーちゃん!?」

 

 ユーちゃん、だった。

 

「ど、どうしたの、こんな時間に……?」

「小鈴さん! お願いがあります!」

「えっ? な、なに?」

「今晩、とめてください!」

「とめる、って?」

「おとまりです!」

 

 ……? なに? どういうこと?

 よく見ればユーちゃんは、林間学校にも持って来ていたキャリーケースを持ってるし、お泊りという単語とは簡単に結び付けられた。

 問題は、なぜ、その必要があるのか。

 どうして、彼女はそれを要求するのか。

 その理由は、

 

 

 

「ユーちゃん――イエデ、してきました!」

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?




 だいぶ力を入れて書いただけあって、字数は今までよりかなり多いのですが……まあ、こんなのまだ序の口だったんですよね……
 バンダースナッチの使用デッキは、作者が好んで使っている無月ムーゲッツ、またはムカデ無月です。コントロール型の無月と違って、《夜叉羅ムカデ》軸にムーゲッツを採用した中速ビートダウンです。殴りながら手札をそぎ落としていくので、感覚としては《ザマル》とかに近いですかね。
 作者が所持しているのは、《ガ・リュザーク》抜きで青を入れた青黒型に変化しているのですが、最初は黒単でした。《夜叉羅ムカデ》はクリーチャーを並べて殴ると強いんですが、無月は門を開くとクリーチャーが減ってしまうのが難点で、それをムーゲッツで補った形になります。強いかと言われると環境では厳しいですが、フリーで遊ぶ分には楽しいです。安価で組めますしね。お勧めです。
 まあ最近は《ギ・ルーギリン》の登場で殴る無月も一気に強くなりましたし、あんまり珍しくないかもしれませんけどね……
 自分のお気に入りデッキが出せたことでテンション上がってますが、今回はここまで。次回は遂に、ハーメルン版が現時点におけるピクシブ版の最新話に追いつきます。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、自由に仰ってくださいまし。


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37話「姉妹ケンカです」

 小説であれなんであれ、文章になるとよく長文になってしまう作者ですが、今回はなんと10万字近くあります。ハーメルン版はおまけコーナーを削っているので、もう少し少ないですが、過去最高文字数であり、過去最大のボリュームです。なので読む人は、ちょっとそのへん覚悟しておいてください。


「おいしいです! 日本のSchnitzelもおいしいですね!」

「とんかつっていうんだよ、それ」

 

 ……こ、こんにちは……いえ、夜なのでこんばんは、伊勢小鈴です……

 今、目の前でユーちゃんが、目を輝かせながら、あまったとんかつをもぐもぐと頬張っています。かわいい。

 かわいい、のは、いいんだけど……

 

「……小鈴。これ、どういうことなの?」

「さ、さぁ……わたしにも、なにがなんだか……」

 

 お姉ちゃんに耳打ちされるけど、わたしにだってわからない。

 ――今日は、本当に色々なことがあった。

 この町で起こっている『幼児連続殺傷事件』。わたしたちはその犯人がなっちゃん……『バンダースナッチ』だと考えて、彼女が犯人である証拠を集めていった。

 その結果、本当になっちゃんが犯人で、彼女を捕まえることができた。もっとも、なっちゃん自身は、アヤハさんこと『ヤングオイスターズ』のお姉さんが連れて行っちゃったけど……

 かくして、『幼児連続殺傷事件』は、秘密裏に解決された……けど。

 わたしたちはそこで、新しい問題に直面してしまった。

 なっちゃんが最後に襲おうとした人。その人はローザ・ルナチャスキーさん――即ち、ユーちゃんの双子のお姉さんだった。

 わたしたちはローザさんに、なっちゃんとデュエマで対戦するところ――クリーチャーが実体化したりするところ――を見られてしまって、わたしたちの秘密がバレてしまった。

 それから、ローザさんはユーちゃんを強引に家まで引っ張って、わたしたちはどうにもできずに解散して、仕方なく晩ご飯を食べようか……というところで、ユーちゃんはやって来た。

 

 

 

 ――ユーちゃん、イエデしてきました!――

 

 

 と、言って。

 イエデ。どう考えても、家出だ。

 林間学校にも持って来ていた、着替えの入ったキャリーバッグも持ってるし。

 わたしは混乱しながらも、とりあえず家に上げて、晩ご飯がまだだって言うから、お姉ちゃんがあまらせちゃったとんかつを食べさせて、今はとっても幸せそうな顔をしてるけど……

 

(家出……家出って……)

 

 ちょっとわたしにはわからない感覚だ。

 そんなことしたら、家族の人が心配するし、困ってしまう。ユーちゃんみたいないい子が、そんなことをするとは思えないけど……

 

(……そっか。家族、か)

 

 なんとなく、思い当たる節はある。

 たぶん、そういうことなんだ。

 

「ごちそうさまです! おいしかったです、小鈴さんのMutter(お母さん)!」

「お粗末様ですー。ま、これ作ったの五十鈴だけど」

「Oh! 小鈴さんのSchwester(お姉さん)ですね! Danke!」

「あ、うん。それは良かったわ……」

 

 さしものお姉ちゃんも、ユーちゃんの底抜けな明るさ無邪気さには毒気を抜かれてしまう。

 お姉ちゃんの性格じゃ、家出してきた子をすんなに受け入れることも難しいかな、って思ったけど、どうも邪険にできない感じだ。

 まあ、ユーちゃんも色々あってこんなことをしているわけだし、すぐに突き返すようなことをしたくはない。そこは、堪えてくれたお姉ちゃんにも感謝だ。

 

「ご、ごちそうさま」

「小鈴。お風呂はもう湧いてるから、先に入ってきちゃいな」

「え? でも、ユーちゃんは……」

「一緒に入ればいいんじゃない? サービスシーン、サービスシーン」

「誰に対するサービスなの?」

「読者的なサムシング?」

「なにを言ってるのかまったくわからないよ……なんなの、読者って」

「ほら私、小説家だから。読者の目とか意識するんだよねー」

「この前は「読者のことなんて気にして小説が書けるかーい!」とか言ってなかったっけ?」

「そうだっけ?」

 

 適当だなぁ……どっちが間違いってわけでもなくて、どっちも本心なんだろうけど。

 まあなんにせよ、お風呂は入らないといけないよね。

 

「小鈴さんとお風呂! リンカンガッコー以来ですね!」

「そうだね……」

 

 なんか、みんなに寄って集って身体を触られた記憶しかないから、あまりいい思い出じゃないけど……

 まあでも、うちのお風呂だし、ユーちゃんだけなら、みのりちゃんみたいなことはないよね。

 ……ないよね?

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 人は、心を強く持たなくてはならない。

 優しくあれど、甘くはなく。強靭なれど、暴力にはならず。

 世界には混沌なる邪悪が、闇の誘惑が、暴威となる脅威に溢れている。

 この世は過酷で危険なものだ。そして、そんな酷薄の世界に対して、人は酷く脆く、弱い。

 だからこそ、正しき道を信じる、強い心が必要だ。

 悪魔の囁きに耳を貸さず、狼の謀略を拒む力が。

 そして、私たちの中に潜む、悪魔と狼を、祓うための力が。

 私はそれが正しい道だと信じてきた。それが傷つかない道であると、信じて疑わなかった。

 けれど、私の大切な人まで、同じ道を歩むとは限らない。

 彼女は己の中の悪魔の声を聞いてしまう。正しくない、危ない道を歩んでしまう。

 人を(たぶら)かし、惑わす、邪悪の化身。

 高慢で、思い上がった、意地汚い獣――狼。

 彼女は純粋であるがゆえに貪欲で、純真であるがゆえに慢心する。

 とても危なっかしくて見ていられないけれど、それもまた彼女の姿だと思って、私は受け止めていた。

 けれど、やはりそれは、綱渡りの道。危険な道なのだ。

 悪魔の誘惑は破滅への道標であり、狼は最後は人の手で悪意のままに死に果てる。

 できることなら、彼女の純真無垢な希望は摘み取りたくないけれど。

 彼女の無垢さが悪道に繋がり、深淵なる奈落に通じているというのなら。

 私が引き留め、正さなくてはならない。

 目を逸らさずに、向き合おう。

 私の信じる心に従って、私の光で以って。

 彼女の、純真無垢な闇を、照らさなくては――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ユーちゃん、髪きれいだけど、長いから手入れも大変そうだね」

「ユーちゃんはあんまり気にしたことないです」

「え? じゃあ、シャンプーとか、どうしてるの?」

「いつもローちゃんがやってくれてたので」

「そっか……じゃあ、今日はわたしがやってあげる」

「いいんですか? Danke!」

「シャンプー、わたしのだけど、いい?」

「Ja!」

 

 ノズルを捻って、シャワーからお湯が出るまで待つ。お湯が出てきたら、光に当たって反射する銀の髪に、水を差すようにシャワーを浴びせ、素洗いする。

 

「大丈夫? 熱くない?」

「だいじょぶです!」

 

 人の髪に触れる機会なんてあんまりないから、ちょっと緊張する。髪や頭皮を傷つけないように、できるだけ丁寧に、優しく髪を洗い流す。

 そうしているうちに、ふと思う。

 

(それにしても、この髪、すごいよね……)

 

 毎日のように見てるから、わかってはいたけど……ユーちゃんの髪、ものすごくサラサラだ。あんまりこだわりのないわたしが、ちょっぴり嫉妬しちゃうくらい、この長い白銀の髪は美しい。もしかしたらCMとかに出れるじゃないかな。

 それに、こうして触ってみて、はじめてわかった。髪の一本一本がとてもきめ細かい。傷んで毛羽立ってる感じがなくて、キレイなまま。毎日しっかりと手入れをしないと、こうはならない。

 ユーちゃんは気にしたことがないって言ってた。ということは、このキレイな髪を、キレイなままに保たせているのは……

 

(ローザさん……)

 

 思えば、ユーちゃんと仲良くなるきっかけになったのは、ローザさんだった。

 ローザさんが、塞ぎ込んじゃったユーちゃんを助けたくて、学援部に助けを求めた。

 たまたまそこにいたわたしが首を突っ込んで、たまたまクリーチャーの仕業だったとわかったからから、ユーちゃんに憑りついていたクリーチャーを払うことができた。

 それが、わたしとユーちゃんの、ファーストコンタクトと言える。本当は四月の時から顔は知っていたけど、ユーちゃんと仲良くなる契機となったのは、確実のあのクリーチャー事件だ。

 そしてその縁を結んだのが、ローザさん。ローザさんの、ユーちゃんを助けたいっていう思いが、結果的にわたしたちを繋いでくれた。

 わたしたちの関係がこうなったのは、たまたまだけど……ローザさんは、ユーちゃんを大切に思っていた。それは、確かなことだと思う。

 

「……ねぇ、ユーちゃん」

「なんですか?」

「……ごめんね」

 

 それを思うと、わたしはとても、申し訳ない気持ちになってきた。

 ローザさんにも、そしてユーちゃんにも。

 

「わたしが、余計なことをしたから……勝手に、二人を戦わせたりしたから……」

 

 あの時、わたしは咄嗟に鳥さんの力を借りて、ユーちゃんをなっちゃんとデュエマで戦わせたけど、それが失敗だった。

 ユーちゃんはなっちゃんに負け、ローザさんには秘密がバレた。すべてが、裏目に出ている。

 そのせいで、わたしはユーちゃんも、ローザさんも、傷つけてしまった。

 

「二人には、悪いことをしちゃった……そもそも、わたしなんかと関わっちゃったから、わたしの、せいで……」

Nein(違います)!」

 

 自己嫌悪に浸っていると、ユーちゃんが大声を上げる。

 お風呂場だから、その声は反響して、鼓膜を強く震わせた。

 

「小鈴さんは、悪くありません! ユーちゃんは、小鈴さんたちと一緒にいて、楽しいんです! だから、小鈴さんは悪くないんです!」

「で、でも、ローザさんのこと……」

「……それは、ユーちゃんが悪いんです。ユーちゃんが、あの子に勝てなかったから……それに……」

 

 ユーちゃんは、らしくもなく言葉が続かず、口をつぐんでしまった。

 わたしはボトルから自分のシャンプーを押し出して、泡立ててから、ユーちゃんのキレイな髪に触れる。

 わっしゃわっしゃと銀色の髪を洗いながら、わたしは尋ねた。

 

「ローザさんと……どうしたの?」

「…………」

「話してよ……わたしだって、無関係じゃ、ないんだから」

 

 ユーちゃんはああ言ってくれたけど、責任は感じてしまう。

 どうなってしまったのか。これからどうなるのか。どうしたらいいのか。

 なにもわからない。だからせめて、友達のことくらいは、知りたかった。

 ユーちゃんはしばらく黙っていたけど、やがてぽつりと、言葉を零した。

 

「……ごめんなさい、小鈴さん」

「え?」

「全部、話しちゃいました……小鈴さんのことも、クリーチャーのことも」

「……うん」

「ちゃんと話せば、わかってくれると思ったんです。でも……」

 

 ダメ、だったのだろう。

 どうダメだったのか。わかってくれないというのは、どういうことなのか。具体的なことはさっぱりわからないけれど。

 たぶん、ケンカ、しちゃったんだと思う。

 いつでも天真爛漫なユーちゃんと、ユーちゃんの髪をこれだけ大事にしているローザさんが。

 ユーちゃんはほとんどの場合わたしたちと一緒だけど、二人がすごく仲がいいのは、普段の素行やユーちゃんとの会話の中から、わかっていた。だから、そんな二人がケンカするというのは、想像しがたい。

 だけど、その火種を生み出してしまったのは――他でもない、わたしなんだ。

 

「小鈴さんは、気にしないでください」

「で、でも……」

「小鈴さんは悪くないんです。悪いのは全部、ユーちゃんなんです……ユーちゃんは、Wolf、ですから」

「ヴォルフ……?」

 

 なんだろう、クリーチャーの名前っぽいけど……ドイツ語? 

 普段はあんまり気にしないけど、なんだか今のは、とても意味深だった。

 こういう時、みのりちゃんがいれば、なんとなくニュアンスを教えてくれるんだけど……

 それっきりユーちゃんはなにも言わず、わたしも無言のまま、ユーちゃんの髪を洗っていた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 もやもやした気持ちのまま、わたしはユーちゃんと一緒にお風呂から上がる。

 パジャマに着替えて、部屋に戻ろうとすると、リビングからお母さんが顔を覗かせ、手招きする。

 

「小鈴、ちょっと」

「? うん。ユーちゃん、先にわたしの部屋に行ってて」

了解です(アインフェアシュタンデン)!」

 

 わたしがそう言うと、ユーちゃんはてってってー、と擬音が聞こえてきそうな軽快な足取りで去って行く。こういうところ、本当に素直だよね、ユーちゃんは。他のみんななら、理由を尋ねるところだもん。

 とはいえ、わたしもお母さんがわたしを呼びつけた理由はわからない。とりあえず、リビングへと向かう。

 

「お母さん、どうしたの?」

「さっきね、ルナチャスキーさんから電話があったの」

「ルナチャスキーって……!」

 

 ユーちゃんの苗字だ。

 でも、当然だよね。娘が家出したんだから、関係ありそうな所には、連絡をかけるよね。

 たぶん、恋ちゃんや霜ちゃん、みのりちゃんの家……もしかしたら、謡さんの家や学校にも電話が行ってるかもしれない……

 なんとなくわたしたちの問題だけって意識があったけど、ローザさんに知られてしまったことや、ユーちゃんの行動から、これはもう、わたしたちだけの問題じゃないんだ。

 今夜の出来事は、その波紋をどんどん大きく広げて、伝播していく。

 

「それで、なんて……?」

「いやぁー、ご両親のどっちも外国人だって聞いてたけど、日本語ペラペラだし、お父様は滅茶苦茶ダンディな声の紳士的なオジサマだったよ。惚れるわー、お父さんの次くらいに惚れちゃうわー」

「そうじゃなくて!」

 

 素なのかボケなのかわからないけど、今はとぼけたことを言ってる場合じゃないんだよ!

 

「ユーちゃんのご両親は、ユーちゃんについてなんて言ってたのっ?」

「娘が落ち着くまで、よろしくお願いします、って」

「え?」

 

 よろしくって……それだけ?

 

「つ、連れ戻したり、しないの?」

「迷惑をかけて悪いけど、無理に連れ戻しても、また家を出るだけだから意味がないって。問題がちゃんと解決したら、その時にまたご挨拶に伺います、ってさ」

 

 し、紳士だ……!

 もしかしたらユーちゃんの行動に怒っていたりするのかもしれないと思って冷や冷やしたけど、杞憂だったっぽい……?

 ふぅ、ちょっと安心した。

 

「ってことは、待ってくれるの?」

「ご両親はね。ただ……」

「ただ?」

「あの子、お姉さんがいるみたいじゃない。双子の」

「あ……」

「そっちの子が、どうなのかなって。ご両親は二人の問題だから、二人に解決させるつもりらしいけど……困ったら連絡してくださいってさ」

 

 そ、そうだよね。

 いくらご両親が許してくれても、問題の渦中にいるはローザさんだ。

 そして、ユーちゃんが家出した直接の原因も、きっと彼女。

 だからってローザさんが悪いわけじゃないとは思うけど、ユーちゃんとローザさんが問題の中心にいる以上、二人の間でどうにかするしかない。

 

「というわけで、しばらくあの子はウチに置いとこうか。五十鈴やお父さんはいい顔しないかもだけど、まあそん時はそん時ってことで。二人には、私からもちゃんと言っとくよ」

「あ、ありがとう、お母さん」

「外国人、しかもドイツの人がホームステイなんて、めったにあることじゃないしねー。これも資料集めにネタ集め、創作活動のための経験値稼ぎだと思えば、楽しいもんさ」

「お母さんらしいね」

 

 とりあえず、ユーちゃんの生活する場所については問題はなさそう。

 でも、いつまでもうちに居続けるわけにもいかない。ちゃんと、二人の――わたしたちの問題を解決しなきゃ。

 そのために、わたしができることと言えば……

 

「……ねぇ、お母さん」

「なに?」

「ヴォルフって、なんだかわかる?」

 

 わたしにできること……は、正直、よくわからない。

 けど、ひとつだけわかることはある。それは、ユーちゃんは“なにか”を抱えているようだということ。

 それがなんなのかがわかれば、もしかしたら、なにかユーちゃんの助けになるかもしれない。

 そのキーワードになりそうなのが、ユーちゃんがお風呂場で言った、ヴォルフ、という言葉。

 ユーちゃんは自分がヴォルフだと言ったけど、それはどういう意味なのか。それがわかれば、そこから、解決の糸口が見えるかもしれない。

 ヴォルフ……それはたぶん、ドイツ語だ。ユーちゃんはたまに、いやよく、気持ちが昂ぶったり、知らない日本語を言葉にしたりしようとすると、ドイツ語が出る。

 わたしは学校で習う英語はできても、ドイツ語はわからない。お母さんもドイツ語まではわからないような気がするけど、ダメ元で聞いてみた。

 すると、

 

「え? 狼じゃない?」

 

 思ったよりも呆気なく答えが返ってきた。

 

「狼……?」

「何語だったかは覚えてないけど、まあドイツ語とかフランス語とかその辺でしょ。漫画とかゲームとかではよく使われる単語だけど、それが?」

「えっと……その、ユーちゃんが、自分のことを、ヴォルフだって……」

「ふぅーん」

 

 狼、か……そう言えば、ユーちゃんの最近のお気に入りのカード《Kの反逆 キル・ザ・ボロフ》を使う時に、たまにヴォルフって言ってたっけ。ボロフとヴォルフ、ちょっと似てる。

 でも、自分が狼って、どういうことだろう?

 

「……あの子、ドイツの人なんだっけ?」

「うん。生まれはロシアらしいけど、ほとんどドイツで育ったんだって」

「独露のハーフとは恐れ入るね。でも、ドイツか」

「それがどうかしたの?」

 

 お母さんはなにかわかったような口振りだった。

 そして、わたしに問い掛ける。

 

「小鈴って、グリム童話って読んだことある? 作品集じゃなくても、単独のお話でもいいんだけど」

「あるよ、小学校の頃に。『赤ずきん』とか、『シンデレラ』とか……」

「あー……まあその辺の作品はペローが脚色したっていうアレコレがあったりもするけど……それはそれとして。グリム童話っていうのは、舞台の多くが森なんだよ」

「そういえば、そうかも。『赤ずきん』も、『茨姫』も、『ヘンゼルとグレーテル』も、森が舞台だね」

「童話とか民話っていうのは、その土地の風土や風習が色濃く反映されるものでね。ドイツっていう国は森と共に生きてきた国なんよ。シュバルツヴァルトって知らない? 黒い森」

「名前だけなら、聞いたことはあるかも……」

「まあそんな感じで、ドイツ人の意識としては森が重要なんだけど……森の中で怖いものって、なんだかわかる?」

「森の中で怖いもの? クマ、とか?」

「そいつはどっちかっていうと日本人の感覚かなぁ? 日本人は森ってより山だね、山。北海道のヒグマはヤバいって聞くよね。あと海」

「そ、そっか」

「答えは狼だよ、狼。ドイツ人にとっての森の脅威は、森に潜む獣。食べ物に飢えた狼だ」

 

 狼が、ドイツ人の脅威?

 確かに狼は怖い生き物かもしれないけど、日本では狼は絶滅しちゃってるし、わたしにはあんまりピンと来なかった。

 

「狼は人を襲ったり、騙したりして食べてしまう、死と恐怖の象徴。だから彼らは狼を忌避するし、追い出そうとするんだ。グリム童話でも、赤ずきんはおばあさん諸共、狼に食べられるでしょ? 狼はおばあさんに化けて赤ずきんを騙すし、邪悪な獣として猟師にも撃ち殺される。お話のパターンはいくつかあるけどね」

「う、うん」

「『狼と七匹の子ヤギ』なんて顕著だよね。お母さんヤギが狼の恐ろしさを子供たちに伝える。けど、狼はあの手この手で子ヤギたちを騙そうとして、最後には食べてしまう。まあ結局、腹に石詰められて井戸に落ちるんだけど。グリム童話って結構なエログロの癖に子供向けの教訓話だから改変が多いけど、この作品については意外と改変されずにそのままにされてるよね。狼の腹を裂くとかさ、わりとショッキングなのに」

「確かに、そうかも。わたしが読んだのもそうだったよ」

「ねー、ヤバいよね。あと、『狼と狐』なんかは、狼の危険性っていうより、強欲さや傲慢さ、そして愚鈍さを描いてるよね。こんな悪いことしちゃダメだよ、こんな悪い人になっちゃダメだよ、悪い人にはバチが当たるよー、ってね」

「そのお話は読んだことないや……」

「強欲や傲慢で思い出したけど、キリスト教でも狼は怒りの象徴とされる邪悪な獣なんだよね。さらに、ドイツからは微妙にちょこっと離れるけど、北欧神話のフェンリルは、狼の姿をした巨大な怪物だ。こいつは主神オーディンを飲み込んだ神々の敵なんだよ。わかりやすいよね、一番の神様を喰っちゃった敵だなんて」

「…………」

「ん? どうした?」

「いや、その、話を飲み込むのが、大変で……」

「あぁごめん。オタクだから、つい早口になっちゃった。一応、専門分野なものでね、許して」

 

 別に怒ってはいないけど……話が早いだけじゃなくて、情報の密度が高くて、話を自分の中に落とし込むのに少し時間がかかる。

 学校では習わないようなことだし、わたしもそういう専門的なことになると、流石に詳しくないから、余計に。

 お母さんは少し待ってくれたけど、本当に少しだけで、すぐにまた話し始める。

 

「日本だったら、(オオカミ)大神(おおかみ)で、むしろ信仰されてたんだけどね。ま、そこは文化の違いってことで」

「そ、そうなんだ」

「まあリアルなところだと、普通に害獣なんだけどね。家畜を喰われるから、牧畜が盛んだったヨーロッパなんかでは忌み嫌われるようになったのでしょう。人狼とかは、そこにファンタジー的な伝承が組み合わさったパターンかね。アイヌとかだと、狩猟に使われてて、神格化されてっぽいけど。猟犬みたいだね。神と言えば、狼は神獣として扱われてるものもあってね。ローマの……なんだっけ? ロムルス? は狼に育てられたとかなんとか。なんか現実でもそんな話あるよね。狼に育てられた少女って。ちなみに私はシートン動物記の狼の王が好きでね、知ってる? 狼王ロボ。めっちゃツンツンしてる孤高の狼なんだけど……」

「お、お母さん! ちょ、ちょっと待って! 話、早い!」

「おっとごめん。オタクだから」

「オタクを免罪符にしないで!」

 

 矢継ぎ早に語り出すお母さんをなんとか止める。

 お母さん、自分の得意な話になると驚くほど饒舌になるんだよね……あまり気にしないで聞いちゃったけど、どうやら地雷を踏んじゃったみたい。

 

「お母さん、よくそんな次から次へと話が出て来るよね……」

「好きなことだしね。それにわりと頑張って勉強したからねー」

「それって、大学とかで?」

「んにゃ、どっちかっていうと、小説家になる前後くらいかな? 自発的に勉強してたよ」

「学校でもないのに、勉強するんだ」

「まあ、楽しいからね。勉強つっても、小説のネタ出しのために色んな知識が必要だから、とかそんな理由をつけて本を読み漁ってただけだし」

「どんな本を読んでたの? 学術書、みたいな? それともやっぱり小説?」

「学術書とか、専門的なのはちょっと難しかったからあんまりだけど、結構なんでも読んだなぁ。でも、意外と小説は読まなかったね。エッセイや伝記、自己啓発本、エトセトラ……知識を得るなら、小説っていう物語フィルターを通すより、ダイレクトにその人の思想や研究成果が示されている本の方が、わかりやすいし身に付きやすいと思う」

「そっかぁ」

「あと私の場合、色んなジャンル書かされるから、そのたびに関連書籍を漁ったね。最近だと、ローティーンから児童向けの作品も書く機会が多いから、児童文学や童話、おとぎ話に神話なんかもかなり読みふけったね」

「……お母さんって、もしかして私よりもたくさん本を読んでる?」

「お母さん舐めんなよー? 小鈴の5000兆倍は読んでるから」

「その数字は流石に盛りすぎじゃない?」

「盛りすぎたね。5000倍くらいだわ」

 

 それでも十分誇張してると思うけど……お母さんも、すごく本を読むんだね。小説家だし当然と言えば、当然だけど。

 お母さんっていつもパソコンの前で唸ったり突っ伏したりしながらお仕事してる印象があったし、本を読んでる姿なんてあんまり見たことなかったから、いまいちイメージできない。

 随分と話が脱線してしまったけど、お母さんのお陰で、狼の意味は、ちょっとはわかったかもしれない。

 

「……ユーちゃんが、自分のことを狼だっていうのは……」

「自分が悪いことをしてる自覚はあるってことなんかもね。あの子がドイツでどんな風に育ったかはわからないけど、一般的なドイツ人の生活をして、お伽噺や民間伝承に触れてきたのだとすれば、狼というものから“邪悪”を連想しないはずはない、とは思う」

「そう……なの、かな」

「さてね。私はあの子がなにを思ってそう言ったのかはわからんよ。今日はじめて会った子だからね」

「……わたしにも、わかんないよ」

 

 ユーちゃんと仲良くなって、半年くらい。

 それでもまだ、わたしの知らないユーちゃんがいて、ユーちゃんの中にはわたしの知らないことがたくさんあるんだ。

 

「まあ、でもさ。私にはなにがあったかわかんないし、あの子はご両親を困らせて悪いことをしてるのかもしれないけどさ。私はいい子だと思うよ」

「うん……ユーちゃんは、いい子、だよ」

「そうそう。“悪いこと”してるからって“悪い人”だとは限らないんだから。自分のことを狼だっていうのも、実はあんまり深い意味はないのかもよ?」

「……そうかな」

「さーね。それを考えるのが……えーっと、文学者、かな?」

「わたしは文学者じゃないよ……」

 

 ただの普通の中学生です。たぶん。そうありたいです。

 ちょっと魔法少女みたいなことしたり、クリーチャーと戦ったり、人間じゃないUMAっぽい人たちに追いかけ回されてるけど、きっと普通の中学生です。

 

「文学者がダメなら……あー、じゃあ、読者でどう?」

「読者? 読み手、ってこと?」

「そうそう。私はわりと書く人になったけど、小鈴はまだずっと、読む人でしょ?」

「そうだけど……」

 

 確かにわたしは、自ら物語を紡がない。筆を執らない。

 ただ、そこにあるお話を読み進めるだけだ。

 

「読者は学者と違って気楽なもんさ。でも、役割はそう変わらない。究めなくていいけど、登場人物の発言からなにを受け取るのか。それを考える役割がある」

「読者の、役割……?」

「そう。人間も小説も、伝えることすべてが言葉にされるわけじゃない。言外に伝えられることもたくさんある。それを読み取って、受け取って、自分の中に落とし込む。そしてなにかを考える。自分の身にする……小説の言葉も、人の言葉も、ただ消費するだけじゃアカンよ。その中には、言葉の中には、なにか大事なものがあるのかもしれないんだから」

「言葉の中に、大事なもの……」

「それを見落としてもいいって気構えなら、それでいいけどね。気楽に消費するのも娯楽の楽しみ方の一つだし、否定はしない。ただ、大事な人がいるっていうのなら、その人の紡いだ言葉には……真摯に向き合ってあげな。それが、お互いのためだ」

「……うん」

 

 ユーちゃんの言葉は、時々わからない。みのりちゃんは、なんとなくニュアンスを察してるって言ってたけど……わたしには、まったく通じない時が、ままある。

 わたしたちほど言葉が堪能ではないかもしれないけれど、ユーちゃんも色々なことを考えて、それを精一杯、吐き出そうとしているんだ。

 それを、汲み取らなきゃ。そうしなきゃ、なにもわからないままだし、なにも解決しない。

 少し気持ちが前向きになれたと思ったところで、お母さんがまた口を開く。

 

「……オタクだから話しすぎちゃった。メンゴメンゴ」

「だからオタクを言い訳にしないでよ。今日のお母さん、ちょっと変だよ」

「最近ずっと根詰めて書いてたから、テンションがハイなのさ。久々の娘との女子トーク、楽しかったよ」

「毎日会って話してるじゃない……でも、ありがとう」

「どういたしまして」

 

 そうしてわたしは、リビングを後にする。

 随分と長話をしてしまった。ユーちゃん、待ちくたびれてるかなぁ…… 

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 昔から妹と比べて大人しいだとか、真面目だとか、しっかりしてるだとか言われてきたが、自分も妹も、根本的にはそう変わりはないのだ。

 知らないものを知るために、手を伸ばす。無知な頭になにかが埋まるのが、楽しい。ただ、その手段が違うだけ。

 自分は内側にそれを求めていて、妹は外側にそれを求める。だから自分は本を読み、妹は野山を駆け回る。違いは、活動場所だけだ。

 ……いや、そうでも、ない。

 本当は、もっと違うのだ。自分が広げる知見は、あくまでも誰かが編纂したもの。誰かの知識に他ならない。

 けれど妹の広げる世界は、彼女自身による、彼女の開拓の結果だ。予測不能で、先の見えない、未知なる闇の世界に足を踏み入れ、その結果としてたくさんのことを知る。

 自分の知識の集積は、人同士の繋がりによって紡ぎだされるものだ。だから安全だし、理路整然としている。

 けれど妹の得る知識は、すべて自分の力、自分の感性で掴み取るものだ。不安定で、不完全で、曖昧模糊で、雑多。結果は必ずしも目に見えるとは限らない。

 その多様性はみとめるべきなのだろう。けれど、多様であるがゆえに、そここには濾過されていない“濁り”もある。

 私が得る知識が蒸留水だとしたら、彼女の得る知識は生水だ。どちらも水は水だし、飲めないわけではないけれど、自然そのままの水は不衛生だし、不純物が多い。寄生虫が潜んでいることだってある。それでお腹が痛くなるくらいならいいけど、それが原因で、重い病気にかかってしまう危険性があるのだ。

 彼女の行動は、それと同じだ。なにがあるかわからないのに、手当たり次第に目についた道を歩む。暗闇の中でも突き進んでしまう。その先はもしかしたら、崖になっているかもしれないのに。

 今までは幸運にも助かってきたけど、その幸運がいつまでも続くとは限らない。

 善き行いをする人には幸あるものだけれど、それは信じるものであり、頼るものではないのだ。

 彼女はいい子だけど、同時に悪い子でもある。だからいつか、神様に愛想を尽かされるんじゃないか。幸運を授けてくれなくなるんじゃないか。守ってくれなくなってしまうんじゃないか。

 いつか、彼女が触れる危険と、神の寵愛の喪失が重なってしまう時が来るんじゃないか。

 私はその瞬間が訪れることが――たまらなく、怖いのだ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 その日は、本当に濃密な一日だった。

 なっちゃんについて調べたり、犯行現場を目撃したり、なっちゃんと戦ったり、ローザさんに秘密がバレちゃったり、ユーちゃんが家出したり、ユーちゃんと一緒にお風呂に入ったり、お母さんと長話したり、みんなにユーちゃんのことを報告したり、ユーちゃんの宿題を手伝ったり、ユーちゃんに胸を枕にされたり、目覚ましを勝手に止められたり、秘蔵のパンを分けて食べたり……特に夜から朝にかけてが、色々あって大変だった。

 そんな密度の濃すぎる一日を終えた、次の日。

 鹿島先生が学校に復帰しました。それでわたしたちは喜んだものだけど、先生からはなにも言われなかった。

 先日の事件のことじゃない。ユーちゃんのことだ。

 みんなにはユーちゃんが家出したことは既に伝えたけど……わたしが伝えるより前に、やっぱり電話が来ていたみたいで、みんなもユーちゃんの家出のことは知っていた。

 だけど、先生からその話はなかった。つまり、先生はユーちゃんの家出について、ユーちゃんのご両親から連絡を受けていない。

 ……まあ、別に学校に連絡しなきゃいけない義務もないだろうし、わたしの家に居着いているのなら、体面的にはお泊り会の延長みたいなものだから、学校も目くじら立てないのかもしれないけど……でも、もしかしたらユーちゃんのご両親が、配慮してくれたのかもしれない。

 だいぶと広がってしまったわたしたちの問題の波紋は、わたしたちの家庭にまで及びつつあるけれど、それもギリギリのところでとどまっている。

 究極的には、この問題はわたしたちと、そしてなにより、ユーちゃんとローザさんの問題に収束する。

 

「……まさか家出に踏み切るとは恐れ入ったよ。まったく感心はしないが、その行動力には度肝を抜かされた」

「だいじょうぶ、なの……飯、とか……風呂、とか……」

「Ja! お風呂は小鈴さんと一緒に入りましたよ!」

「え、マジで羨ましい! ちょっとその話を詳しく! 質感とか匂いとかシャンプーはなにを使ってるのかとか!」

「シャンプーて……変態、っぽい……」

「小鈴さんはですねー、とってもふかふかで、ふわふわしてました!」

「ちょ、ちょっとユーちゃん!?」

「もうちょっと緊張感を持てよ君ら」

 

 呆れた表情の霜ちゃんに、みんな揃って窘められる。

 そ、そうだったね。ユーちゃんはいつでも明るいけど、問題自体はとても重大なんだから。

 

「水早君はユーリアさんの家出に反対? 今すぐ家に帰れって?」

「そうは言ってないだろ。反対というか、少し浅慮ではないかと思うが……まあ、ユーとしても、喧嘩相手と同じ屋根の下で寝食を共にするのは気が滅入るだろうし、行動の正しさはさておき、理解はできる」

「そうです! ユーちゃん、ぷんぷんです!」

「ところで、ユーちゃんはどうしてわたしの家が分かったの?」

「前におさんぽしてる時に、たまたま見つけました!」

「あ、成程……」

「で……どう、するの……?」

「ど、どうするって……」

「家出、しても……別に、問題……解決する、わけじゃ、ないし……」

 

 そうだね。昨日はかなりローザさんと激しく口論をしたみたいだから、ローザさんから距離を置く、という選択は間違いじゃないとは思う。

 だけど、

 

「恋の言う通り、それは問題の先送りに過ぎない。果たして、ユーは頭を冷やして議論をまとめられるのかどうか」

「……全部、話した……?」

「それは……ごめんなさい」

「いや、それについては仕方ないだろう。あそこまでハッキリと現場を目撃されて、言い逃れるなんて不可能だ。だから問題は、ボクらの秘密をどう隠匿するか。あるいはどう向き合うか、だが――」

 

 と、霜ちゃんが言いかけたところで。

 スッ、とわたしたちの輪に近づいてくる人影があった。

 

 

 

「――お揃いですね、皆さん」

 

 

 

 ローザさんだ。

 ユーちゃんと同じ銀髪をなびかせて、怒ったり笑ったりと表情豊かなユーちゃんとは正反対にクールな面持ちで、彼女は現れた。

 

「ローちゃん……!」

「……Guten Morgen(おはよう),ユーちゃん。それと、皆さんもおはようございます」

「お、おはよう……」

 

 ローザさんは冷静だった。

 もっと怒ったり、悲しんだりしているのかと思ったけど……少なくとも、見た感じではそうは見えない。

 だけど、この時のローザさんはどこか冷ややかで、いつものローザさんとは言えなかった。

 

「ローちゃん、ユーちゃんは……」

「待って。私もその話をしたい。でも、ここは学校、すぐに授業が始まっちゃう。放課後、またちゃんとお話ししよう」

「…………」

「……伊勢さんたちも、放課後、教室に残ってください。皆さんも関係者みたいですし、一緒にお話ししましょう。」

「思ったよりも落ち着いているんだな」

「私は、争いたいわけではありません。平和的な解決を望んでいます。怒りでは、それは果たされません。怒りは、過ちを導いてしまいますから」

「……そうだね」

 

 その通りだ。反論の余地もない。

 わたしも、争わず、誰も傷つかずに問題が解決するなら、そうしたいけど……

 

「……そろそろ、授業が始まりますね。それでは皆さん、また放課後にお話しましょう」

 

 そして、ローザさんはそう言って、自分の席に戻っていった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 人は光に縋る。光を求めるし、光の下に集まる。

 世界は暗黒だ。そこに太陽があり、月があり、その光によって私たちは生きている。

 なにも見えないというのは、怖い。どこになにがあるのかが分からないのは、恐ろしい。一寸先の闇は、不安なのだ。

 人は自分に理解できないものに恐怖すると、本で読んだことがある。その根源的なものは、きっと暗闇だ。

 太陽も月も見えない暗黒の世界こそが、人が最も恐れるものだ。

 けれど、今のこの世界は明るい。神様が、そう創ってくれたのだろう。私たちを安心させるために。

 それでも、闇はある。この世界には、光の届かない暗黒の場所が存在する。

 私たちはそれを忌避するけれど、中には、そんな暗闇に飛び込んでしまう人が――先が見えない暗闇だからこそ、その先に行きたがる人がいる。

 それはきっと、愚かで、冒涜的で、とても恐ろしいことだ。

 本来、人があるべき方向に向かわず、逆走する。

 そんな、理解を超えた人がいる。

 時として、それは自分にとって身近で、大切な人として在る。

 私たちは光を探す。光を求め、光を目指し、光に集まる。

 けれど彼女たちは闇に目を向ける。闇に関心を示し、闇の中を進もうとする。

 その中に、なにがあるのかわからないのに――否。

 その中に、なにがあるのかわからないからこそ、彼女たちは闇に“なにか”を求める。

 理解できない。できないけど、彼女たちはそのように在るのだから、仕方ない。

 私はそれも彼女だと、半ば諦めではあったけれど、その不可解なものを許していた。

 彼女は笑っていたから。危ないなと思いながらも、彼女が楽しそうだったから。

 きっと大丈夫、神様が見ていると、私は自分を騙していた。

 彼女を許してしまったがゆえに――彼女を、不幸にしてしまった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 放課後になりました。

 わたしたちはローザさんの言う通りにして、他のクラスメイトたちが教室からいなくなるのを待った。

 そして、1-Aの教室に、わたしたちと、ローザさんだけになった。

 わたしたちは机を囲んで向かい合う。

 

「昨日の続きを始めよう、ユーちゃん」

「何度言われたって、ユーちゃんはイヤだよ」

「だからって家を飛び出しても、なにも変わらないよ。MuttiやVatiはユーちゃんの気持ちも大事にしてるけど、それでも心配してる。ユーちゃんがずっとそのままじゃ、なにも始まらない。なにも変わらない。ユーちゃんは、それでいいの?」

「それでも! ユーちゃんだって、イヤなものはイヤなの!」

 

 ローザさんが口を開くや否や、ユーちゃんはいきり立って噛み付く。

 いつもの朗らかなユーちゃんとは思えない、怒りを滲ませていた。

 

「えぇい、二人だけで話を進めるな。ボクらも巻き込むっていうなら、最初から説明をしろ」

「ご、ごめんなさい……えっと、わかりました。昨日、ユーちゃんと話したんです。あなたたちが、なにをやっているのか、すべて聞きました」

「…………」

 

 ユーちゃんは、少し気まずそうにしている。

 仕方ないことだし、わたしたちはそれを責めるつもりはないけど……でも、わたしたちの秘密が知られてしまったのは、とても大変なことだ。

 ただでさえ危険なことなのに、それにローザさんまで巻き込んでしまうだなんて……

 

「正直、意味が分かりませんでした。今でもわかりません。なんですか、クリーチャーって。なんですか、不思議な国って。物語(メルヒェン)じゃないんですから、そんなことがあるわけがないでしょう」

 

 思ったよりもけちょんけちょんに言われてしまって、少しへこむ。

 確かに、冷静に考えたら、クリーチャーが実在してこの世界に来ているとか、人類がまだ発見していない人類に近い生き物がいるとか、その人たちが自分たちの社会を創るために人間社会に隠れ潜んでいるとか、【不思議の国の住人】なんておかしなセンスをしているとか、ましてやわたしたちがそんな変な人たちと関わり合って、戦っていたとか、普通は信じられないよね。

 だけども、

 

「……と、言いたいところですが、私は昨夜、この目でその非現実的なものを見てしまいました。理解しがたいですし、したくもないですし、非現実的ではありますが、あれが夢や幻でないのだとすれば、私はあれを認めなくてはなりません」

 

 ローザさんは努めて淡々と、冷静に告げていく。

 なんというか、霜ちゃんみたいに理知的に話す人なんだね、ローザさんって。最初にちゃんと話をした時は、ユーちゃんのことで悲しみに暮れていたから、気づかなかったけど。

 怒られるよりも話しやすいし、その冷静さは安心できるけど……同時に、少し怖かった。

 

「とはいえ、昨夜の出来事を母や父に話しても、まるで可哀そうな子供を見るような目で見られるだけで、理解される気配がありませんでした。どころか、私の帰宅の遅さを咎められるほどで……いえ、確かに時間を忘れて本を読みふけってしまったり、近道だからと人の少ない道を通ろうとした私も悪いのですけど」

「話……脱線……」

「あ、ごめんなさい。ともかく、両親は襲われたこと自体は信じてくれましたが、クリーチャーだとか、不思議の国だとか、ユーちゃんが危ないことをしていることや、その危ないことそのものについては、理解を示してくれなかったのです――そもそも私自身、完全な理解ができていないので、それを誰かに伝えて理解させるなんておこがましかったのかもしれませんが――なので、あれは一夜限りのおかしな出来事として、封印します」

 

 ローザさんは、少し怒っているようだった。

 二人のご両親は、二人の問題だからと関与しないつもりだって、昨日の電話で言っていたらしいけど……どうもそれは、単純な娘たちへの気遣いとか優しさではなくて、クリーチャーとかについての話を信じていないから、つまり、単なる姉妹喧嘩かなにかと思って、あんまり心配していないからみたいだった。

 ご両親にクリーチャーのことがバレてないっぽいのはいいんだけど、そんなに軽い話でもないし、なんというか、ちょっと複雑な気分だね……

 

「成程。つまり君は、口外はしないということかい?」

「はい。言っても頭がおかしい人だと思われるだけです。それはとても悲しくて、悔しいですが、そこは引き下がってもいいんです。私の願いの本質は、両親に危険を知らせることではないのですから」

「……? どういうこと?」

「危ないものを危ないと理解してもらえるのなら、それに越したことはありませんが、必ずしもそれに拘る必要はないのです。この世の邪悪も、恐怖も、危険も、失くせるものではないのですから。であればいずれその危険性を人は知ります。そのためには、私たち一人ひとりが清らかであり、正しくあろうとすることの方が大事なのです」

「はぁ……」

 

 曖昧に頷く。なんというか、ちょっと言ってることが難しくて、よくわからなかった。

 

「……思い出しました」

「なにを?」

「お礼を、言いそびれていました」

「え?」

 

 ローザさんは、急にそんなことを言い出した。

 お礼って、なんのこと?

 わたし、お礼を言わるようなことしたっけ……?

 

「昨夜は私も気が動転してしまって、言いそびれたので……ごめんなさい。そしてありがとうございました。私を、それからユーちゃんを助けてくれて。そのことには感謝します、本当に。Dankeschoen」

「あ、あぁ、そのこと……ど、どうしたしまして……?」

 

 反射的に返してしまうけど、わたしは結局なにもしてないし、最後に助けてくれたのはアヤハさんなんだけどね……

 

「なんか意外とツンツンしてないじゃん。そんなに怒ってない?」

「怒ってはいません。これは日本で言う、礼儀、です。私たちが助けられた事実は確かなので、それについてはお礼を言わなくてはなりません。それが人として正しくあることです。ですが、それはそれ。そして、私の願いと主張はまた別にあるのです」

 

 願いと主張。

 ちょっと引っかかる表現で、ローザさんは告げた。

 ずっと胸にしまいこんでいた気持ちを、口にする。

 

「ユーちゃんを危ないことに巻き込まないでください。私はもう……この子を、危ない目に遭わせたくないんです」

 

 それが、ローザさんの望みであり、要求だった。

 ささやかで平凡なことだけど。とても大切で、尊く、優しい願望。

 ユーちゃんを大事にしたいという、そんな家族として、姉妹として、当たり前の願いだ。

 特別なものなんてなにも求めていない。ローザさんはただ、当然のことをしていて、なにもおかしくない、まっすぐな望みを抱いているだけなんだ。

 

「君の願望は理解した。で、それで、ボクらにどうしろと?」

「霜さん!」

「とりあえず話を聞かなくちゃ、ボクらはなにも判断できない。彼女はこんなにも理性的に話し合いに応じてくれている。だからってへりくだるつもりはないが、こちらも礼儀は尽くすべきだ。互いに納得のできる、最善の結果を出すためにもね」

「ありがとうございます、水早さん。あなたのお陰で、私は落ち着いて話ができます」

「それはどうも……ま、ボクもまともに話が通じる人がいて嬉しいよ。最近、どうも話が通じない奴とか、自分の都合のいい話しかしない奴ばっかりで、辟易していたものでね……」

 

 なんだか霜ちゃんの視線が遠い。

 それはそれとして、確かにローザさんの願い――言い換えるなら、要求も聞かないとね。

 これは争いではなく話し合いなのだから。

 

「私が望むことは多いですが、強欲も人を堕落させかねません。欲張ってあれもこれもと主張しては、本当に大事なものを取りこぼしてしまいますからね。なので、端的に一つに絞ります。私の最大の要求は一つだけです。この一つさえ満たされれば、とりあえずはそれで構いません」

「君の最大の望みとは?」

「ユーちゃんを、危ない目に遭わせないこと、です」

 

 それは、さっきも言っていたことだ。シンプルで、平凡で、当たり前の願望。

 たった一人の妹の無事と平穏。姉として、ただそのささやかな安寧だけを願う。

 強欲どころか謙虚すぎるくらいだと思うけど、彼女が真に望んでいることは、本当にただそれだけなのだった。

 

「じゃあ、再び問おうか。君は具体的に、ボクらに、あるいはユーに……なにをして欲しいんだ?」

「……いくつか、考えました。どうしたらユーちゃんが危険な目に遭わず、危ないことをしないのか。しかし、ユーちゃんにはどれもハッキリと断られてしまったので、今はあなたたちへの要求として、言います」

 

 ローザさんはまっすぐにわたしたちを見据えて。

 とても冷淡に、告げた。

 

 

 

「ユーちゃんから離れてください」

 

 

 

「…………」

「必要最低限のこと以外で、近づかないでください」

 

 ……なにも、言えなかった。

 あまりにも明確な拒絶。ローザさんの優しさ、人の好さにに触れた直後だったから、その冷酷とも言える拒絶に、戸惑ってしまう。

 その落差にわたしたちが絶句していると、ユーちゃんが声を荒げた。

 

「ユーちゃんはイヤですよ! 小鈴さんも、恋さんも、霜さんも、実子さんも、謡さんも……みんな、ユーちゃんのお友達です! ずっと、一緒なんです!」

「……と、本人は言っています」

「まあ……しかし、君の願望に対してその要求は、理屈は通っているね。そうさせることで、君の目的は確かに果たされるだろうさ」

「あまり怖い顔をしないでください。怖いです。私も恩人である伊勢さんたちとの縁を断つのは、良心が痛むのです。なので譲歩します」

「……譲歩……?」

「なにをどう譲るんだ?」

「これは伊勢さんたちというより、ユーちゃん本人への要求になります。伊勢さんたちと一緒にいてもいい。代わりに、もう危険なことはしない、と約束して欲しいんです」

 

 なんだか、振り出しに戻ったような言葉だ。

 危険なことはしない。それは、ローザさんの望みそのままで、なにも変わっていないように思える。

 けどそれは、さらに強い、否定と拒絶だった。

 

「危険なことの定義は? そこが曖昧では、約束にならないよ」

「細かいことは後で色々考えます。危険な場所に行かない、知らない人についていかない、といった当たり前のことは勿論ですが……絶対に約束して欲しいことは、一つです」

「それは?」

 

 ローザさんは、告げる。

 とても残酷な、要求を。

 

 

 

「デュエマをやめることです」

 

 

 

「っ……!」

 

 再び、絶句。

 デュエマをやめる。

 つまり、わたしたちが今まで紡いできた縁、成長、楽しさ……そんな思い出をすべて、捨て去るということだ。

 

「ユーちゃんの説明は不明確でした。なにを言ってるのかわかりません。ですが、一つだけハッキリしてることがあります。昨夜もそうでしたが、あなたたちが関わっている“危ないこと”には、デュエマが関係していると。ならば、それを取り除けば、ユーちゃんが危ない目に遭うこともないと考えます」

「……ユーからどういう説明を受けたのかは知らないが、これについては認識を正す必要があるな。否定ではなく、正確で齟齬なく最善の結果を出すために、ボクらからきちんと説明しておこう」

 

 そうだ。

 デュエマを捨てる。それはただ、わたしたちの繋がりが断たれるだけではない。

 わたしたちにとってのデュエマとは、単なる遊びに留まらないのだから。

 

「遺憾だが、ボクらの周囲で起こっている出来事は、既にボクらがコントロールできるようなものではない。たとえるならそれは、嵐や大雨といった災害のようなものなんだ。すぐに根本的な解決ができるわけでもないが、かといって無視して生活できるものでもない。つまりボクらは自衛しなくてはならない。デッキを捨てるということは、戦場で武器を捨てるのと同じ意味だよ。ボクらはもう、関わってしまった。そうなれば、簡単には逃れられない。戦う力を放棄するということは、より危険な目に遭う可能性も秘めている」

「……そうですね。そうなのかもしれません。ですから、これは譲歩です。私はユーちゃんが危険な目に遭わないのであれば、どんな手段でも構わないのです。そのための方法も考えます。なので選択肢を与えました。だから後は、回答を待つだけです」

「だ、そうだ。ユー」

「どっちもイヤです!」

「……という感じで、本人は昨夜から、ずっとこの調子なんです」

「だろうね」

 

 ローザさんに突き付けられた二択。

 だけどそのどちらも、ユーちゃんには受け入れがたいものだった。

 いや、わたしだって、簡単に選べるものではない。

 友達か、その友達と出会い、積み上げてきた思い出か。

 どちらかを手放すなんて……簡単に、選べるはずがない。

 

「正直な話、本当ならあなたたちにも、そんな危険なことはやめて欲しいです。皆さんだって、ユーちゃんの恩人で、友人なのですから。傷ついて欲しくはありませんし、私も悪いことは言いたくないですし、したくないです……それでも、ユーちゃんが危険に晒されるというのなら、私は止めなくてはなりません。もう、あの時みたいなことは起こって欲しくないから……!」

「ローザさん……」

 

 非道とも思える選択を突きつけてきたローザさん。

 だけどそれは、彼女としても苦渋の決断だったのだろう。

 彼女の面持ちには、悲しみと、後悔と、苦しさが滲んでいる。まるで、それが本当の望みではないと言うかのように。

 その時だ。

 我慢の限界と言わんばかりに、ユーちゃんはバンッ! と机を叩いて身を乗り出した。

 

「勝手なことばかり言わないで!」

「ユーちゃん……」

「小鈴さんたちはずっとお友達です! デュエマもやめません!」

「勝手なことばかり言ってるのはユーちゃんだよ!」

 

 そして、我慢の限界なのは、ローザさんも同じだった。

 さっきまでの冷静さが嘘のように、激しく声を荒げて、彼女は叫ぶ。

 

「あなたが傷つくことで悲しむ人がいるんだよ! Muttiも、Vatiも、私も……それに、あなたのお友達だって……!」

「…………」

「ユーちゃんはなにも見えてない! 暗闇の先には、綺麗な世界ばかりが広がってるわけじゃない。危険なこともたくさんあって、傷ついてしまうことだってあるって。何度も運よく助かったりはしない。“あの時”と同じ奇跡が、また起きるとは限らないんだよ!」

「でも! それでも、ユーちゃんは……!」

「落ち着け二人とも」

 

 興奮する二人の間に、霜ちゃんが割って入る。

 

「喧嘩するためにここにいるわけじゃないだろ。君の怒りも慟哭も、理解はできるが、それを叫び散らす解決が最善ではないはずだ」

「うにゅ……」

「……そうですね、水早さんの言う通りです。ごめんなさい」

 

 霜ちゃんが宥めると、二人はすぐに身を引いてくれた。

 落ち着いていると思ったけど、それはあくまでも表面的なものにすぎなかった。

 本当は叫びたい気持ちを堪えていたんだ。最善の結末を導くために……ユーちゃんのために。

 

「とまあ、どうもユーちゃんは私の言うことを聞いてくれないようです」

「ユーの性格を考えたら、まあ、納得させるのは難しいだろうね」

「どっち、選んでも……マイナス、だし……」

「私は大きく譲歩しています。できるだけユーちゃんが悲しまないように、配慮しています。これ以上は、私も引き下がれません」

 

 確かにローザさんは、色んな方法や可能性を提示している。お互いに納得できるような方策を考えて、譲歩できるところは譲歩して、妥協点を探っている。

 結果はともかく、そういう努力をしている。

 けど、ユーちゃんはそれをすべて拒んでいる。

 ユーちゃんの気持ちはわかる。いくら妥協案を示されても、イヤなものはイヤだと言いたいだろう。

 だけど、ローザさんの歩み寄りを完全に拒絶しているユーちゃんは、確かに、ワガママなのかもしれない。

 不意にローザさんがこちらを向いた。

 

「伊勢さん。あなたは、どうなんですか?」

「えっ?」

「聞けば、事の発端はあなただとか……そこを責めるつもりはありません。よくもユーちゃんを巻き込んだな、だなんて怒ったりはしません。ですが、皆さんの中心にいる伊勢さんには、決めていただかないといけません」

「え、っと……」

 

 急に話の矛先を向けられて面食らう。

 わたしがみんなの中心かはともかく……どうすればいいのか、か。

 それは、わたしにもわからない。

 ユーちゃんのみんなと一緒に今までのようにしていたいって気持ちも、ローザさんのユーちゃんを大切にしたいから危険から遠ざけるって気持ちも、どっちも理解できる。どっちの方が気持ちが上とか、どっちの方が大事なことだとか、それは一概には言えない。

 

「あなたはユーちゃんをどうするべきだと思いますか? 危険に晒すべきではないという考えには賛同してくれると思いますが……その手段は、どうするべきだと思いますか? デュエマを断つのか、それともあなたたちから離すのか。それとも……もしかして、ユーちゃんに賛成するのですか?」

「それは……」

 

 だからわたしには、答えられない。

 どっちも大事だし、どっちも切り捨てられるものではない。

 わたしも、この選択肢は、選べない。

 

「ちょい待ち」

 

 と、そこで。

 

「お呼びじゃなさそうだし、珍しく空気を呼んで黙っていてあげたけど、小鈴ちゃんにその偽善っぽい言葉ふっかけるなら、私が黙ってないよ」

 

 今まで黙っていたみのりちゃんが、横槍を入れた。

 

「偽善……ですか?」

「私からすればね。小鈴ちゃんがこんな性格なのを知ってて問い詰めているっていうなら、それは正論ぶちかましてる邪悪そのものだ」

「じゃあ、あなたはどうするべきだと思うんですか、香取さん」

「ユーリアさんの好きにさせればいいじゃん。そんなに自分の妹が信用ならない?」

「信用とかそういう問題じゃありません。少なくとも私は、あなたよりはユーちゃんのことを知っています。ユーちゃんが危ないところに入ってしまうことも、危機意識が足りないことも。だから……」

「のわりには、今までユーリアさんがなにをしてたか知らなかったんでしょ? 今更首突っ込んで来るなよ、部外者」

「…………」

 

 みのりちゃんの刺々しい言葉に、ローザさんは怒りを堪えるように、顔をしかめた。

 

「やめろ実子、煽るな。彼女は正しい」

「はぁ? だってこんなの、この人のエゴじゃん。守りたいって言えば聞こえはいいけど、本人の気持ちを無視してるんじゃ、それは善意の押しつけだよ。押しつけの善意なんて偽物、偽善だ。そんなものに従うなんて馬鹿だよ」

「……みのりこが、それ、言うのか……って、思う、けど……うぅん……」

 

 選べないわたしに対して、みのりちゃんは完全にユーちゃんの肩を持つつもりで、ローザさんと徹底抗戦する姿勢を取る。

 

「……私のユーちゃんへの気持ちを否定することは許せませんが、善意の正しさを証明するのは私でも、あなたでもありません。なので、そこはひとまず、飲み込みましょう」

「反論できないからって逃げるの?」

「いいえ。大事なことは、私の行いが善意か偽善かではないので。私にとって大事なことは、ユーちゃんが安全であるか否かです。香取さん。あなたはユーちゃんが危険な目に遭った時、傷ついた時、どうするんですか? ユーちゃんを守れるんですか? 責任はとれるんですか?」

「責任ってなに? くっだらない。そんなお理屈で友達やってんじゃないんだよこっちは。私たちが楽しんでるのに邪魔する奴がいるなら、そいつはぶっ飛ばすってだけ。今のあなたみたいな奴をね」

「私を排除して、ユーちゃんに迫る危険は取り除けるのですか? そのやり方の確実性は、誰が保証してくれるのですか?」

「うっざいなぁ……あなたは契約書でも書きながら生きてるの? そんな風に生きて楽しい?」

「楽しさで、大事なものが守れますか?」

「楽しさが大事なんだよ。ユーリアさんだって、同じことを言うだろうね」

「でしょうね。でも、ユーちゃんはわかってないんです。楽しいだけじゃ、いつか絶対に傷ついてしまうことも、誰かを傷つけてしまうことも。私はそれを、許したくはない」

「人の生き様を勝手に決めるな! あなたは束縛と保護を履き違えてるんだよ!」

 

 どんどん熱くなっていく二人。

 みのりちゃんはどんどん声が大きくなって、語調も荒くなっていき、今にも掴みかかりそうな勢い。

 ローザさんは声こそ平静を保っているけど、言葉の端々の棘は隠せていないし、目つきも険しい。

 一触即発どころか、今にも爆発してしまいそうな空気だ。

 

「おい、二人とも、いい加減に――」

 

 ヒートアップする二人を、霜ちゃんが宥めようとした時。

 

 

 

「はいはーい、そこまでー」

 

 

 

 ガラガラ、と教室の扉が開かれた。

 誰かが来るとは思っていなかったので、みんな一様に口をつぐんでそちらを向く。そして、予想していなかった来訪者は、

 

「謡さん……」

「なんか騒がしいから来ちゃったけど……これはどんな修羅場かな?」

 

 現れたのは、片手にプリントの束を抱えた謡さんだった。生徒会のお仕事の最中なのかな。

 謡さんは陽気な調子で教室に入ると、みのりちゃんとローザさんの間に割って入る。

 

「なにがあったのか知らないけど、女の子同士の喧嘩なんてよくないよ? 穏便に穏便に」

「……ちっ、余計なことを」

「ごめんなさい……また興奮してしまいました」

 

 突然の闖入者に勢いを削がれてしまったのか、みのりちゃんも、ローザさんも、二人ともおとなしく引き下がってくれた。

 と、とりあえず、大事にならなくてよかったよ……ありがとうございます、謡さん。

 

「で、これはどういうお話なの?」

「えっと、ですね……実は……」

 

 謡さんにも昨夜の出来事は伝えているけれど、直接話したわけじゃないし、さっきまでのローザさんとのやり取りも知らない。

 概要だけをかいつまんで、大雑把に伝える。

 

「ふんふん……ヤバいやつじゃん」

「はい、ヤバいやつです……」

「話は聞いていたけど、そんな風に広がってたんだ」

「なんにせよ、このままじゃ話は平行線だ。いくら彼女が要求を叩きつけても、ユーがそれを真っ向から突っぱねるんじゃ、なにも進展しない」

「私は既に、かなり譲歩しています。ワガママを言っているのはユーちゃんです」

「だーから、そんな一方的な言い分を押し付ける方が間違って――」

「実子は黙ってろ」

「うごっ!」

 

 ガスッ、と。

 どこまでも噛み付くみのりちゃんを、霜ちゃんが叩き伏せる。文字通り。

 そして霜ちゃんは、ユーちゃんへと向き直った。

 

「ユー。悪いが、君に落としどころを決めてもらわなくてはならない。彼女の要求を飲める範囲……つまり、妥協点はないのか?」

「イヤです。ユーちゃんは小鈴さんたちとは離れませんし、デュエマだってやめません!」

「困ったな……」

「えぇ、困っています」

 

 ユーちゃんは、ローザさんの要求を微塵も飲む気がない。妥協点は皆無に等しい。

 このままじゃ霜ちゃんの言うように平行線だ。ユーちゃんはローザさんの言う通りには決して動かない。だけどローザさんも、ユーちゃんが危険に晒されるようなことは絶対に許容できない。

 話し合いではまるで決着がつかない。

 

「ふぅーむ。話し合いで解決しないなら、殴り合いで解決するしかないなぁ」

「えっ?」

 

 突然、謡さんが物騒なことを言いだした。

 

「な、殴り合いって……」

「勿論、比喩だよ。でも、妥協点を見つけることが不可能なら、残る選択肢は「どちらかを切り捨て、どちらかの要求を飲む」だ。 白黒ハッキリつけるしかなくないかな?」

「確かに、ね。極端だが、ユーの主張がこうでは、そうなるか」

「……つまり……どうしろと……?」

「勝負だよ」

「勝負?」

「そう、勝負。勝ち負けを競って、勝者の望みが叶う。誰も彼もが納得するわけではないけど、人を無理やり従わせる、この上なく公平で公正な決め事だよ」

 

 えっと、つまり、ユーちゃんとローザさんでなにかを競い合って、その結果で勝ち負けをつける。

 そうして勝った方の要求を飲ませる、ということ?

 

「……野蛮ですが仕方ありません。それでユーちゃんを守れるのなら、私はそうします」

「ユーちゃんもいいですよ。勝てば、みなさんとずっと一緒です!」

 

 二人とも、意外とあっさりとその申し出を受けた。

 

「問題は勝負の内容だね。両者に優劣の差がないようなものがいいけど……なにがいいかな?」

「こういうのは第三者に決めさせるべきでは?」

「じゃあ、謡さんが?」

「いや、私どっちかっていうとユーリアちゃん寄りだし……むしろ、四面楚歌にも関わらず、譲歩の姿勢を示してるローザさんに決めてもらうべきじゃないかな?」

「……私でいいんですか?」

 

 謡さんが指名したのは、ローザさん。

 二人の勝負なのに、二人のうちのどちらかが決めるのは、不公平なんじゃ……?

 

「私が選んだら、ユーちゃんに不利な勝負を仕掛けるかもしれませんよ。お勉強なら、私が絶対に勝ちますし」

「あっ、それはズルだよローちゃん!」

「でも、君はそんな狡い手で勝とうとはしないでしょ?」

「…………」

「私は君のことはまだ全然知らないけど……なんだか君は、ちょっぴり会長に似たものを感じる。だからきっと公平な人間だ。そもそも、そうやって自分の優位性を自ら告白するんだもん。卑怯な手段で勝負事に臨んだりはしない人だってわかるよ。」

「それは、後から卑怯だと言われて、勝負を覆されたくないから、とも取れると思いますけど……」

「だとしても、だよ。それが言えるなら、君はユーリアちゃんが不利になるような勝負は提示しないだろし、お互いにどういう方法で決めれば納得できるか、わかっているでしょう?」

「ちょっと先輩、勝手に……」

「だから黙れ実子。あまりに不平等な内容だったら、ボクも意義を申し立てる」

 

 謡さんに促されて、ローザさんはしばし考え込む。

 やがて、意を決したように顔を上げると、ユーちゃんをまっすぐに見据えた。

 

「ユーちゃん」

「な、なに?」

 

 ローザさんが提示する、勝負の内容。

 それは――

 

 

 

「デュエマで勝負しよう」

 

 

 

 ――デュエマ、だった。

 

「デュエマ? い、いいの? ローちゃん」

「いいよ」

 

 ローザさんが提示した勝負の内容は、なんとデュエマ。

 デュエマなら、まず間違いなく、ユーちゃんの方が有利。ローザさんがデュエマをやっているかは知らないけど、強いって話は聞いたことがない。もし強いのなら、ユーちゃんが口にしているはずだ。

 それがわからないローザさんでもないはず。なのに、自分が圧倒的に不利なデュエマで勝負するの……?

 

「デュエマだったら、ユーちゃんが勝つよ」

「そうだね。ユーちゃんは、私よりもデュエマ強いもんね。それに、お友達ともずっと一緒に“遊んで”強くなってるだろうし」

「なら……」

「でも、だからこそ……そのデュエマで私が勝つことに、意味がある」

 

 ローザさんは力強い目で、言葉で、言った。 

 

「あなたが大切にしているもので、あなたの大切なものを乗り越えて、打ち砕く。私にとって一番大切なものを――ユーちゃんを、守るために」

 

 それは決意の表れだった。

 ユーちゃんを軽んじているわけでも、ユーちゃんに情けをかけているわけでもない。

 むしろそれは、自分自身への挑戦。

 ローザさんはすべてを賭けて、全力でユーちゃんにぶつかるという意志だ。

 

「……わかった。ユーちゃんが勝ったら、小鈴さんたちとも一緒、デュエマもやめない」

「私が勝ったら、伊勢さんたちとは別れて。それと、デュエマもやめる。それでいい?」

 

 勝負の内容を決めて、その結果も取り決める。

 するとみのりちゃんが口を挟んだ。

 

「はっ? なにそれ、どっちもやめろって? 自分では欲張りはいけないとか言っておきながら、めっちゃ強欲じゃん!」

「これが、最もユーちゃんが安全である方策だと考えました。ユーちゃんが勝てば、ユーちゃんの望みがすべて叶う。私が勝てば、私の望みがすべて叶う。妥協ではなく決着をつけるなら、その結果も釣り合わせることで公平になります。ユーちゃんも、そう条件を示しました」

「ここぞとばかりに自分の要求を全力で押し付けてくるあたり、やっぱ偽善じゃん。ムカつく」

「……構いません。私が偽善者で、私のすることが偽善と思われようと、ユーちゃんが無事でいてくれるのなら。ユーちゃんが、危ない目に遭わないというのなら、私はどんな(そし)りも甘んじて受け入れます」

「だったらいくらでも罵ってあげるよ。自己満足で他人を不幸にする、クソ偽善者だってね」

「いい加減にしろ、実子。もう勝負は取り決められた。君が罵声を飛ばしたって、それは君と、勝負に臨むユーの品位を落とすだけだ」

「……くそったれ。わかったよ」

 

 霜ちゃんに諌められて、みのりちゃんは不承不承ながらも引き下がってくれた。

 

「ユーちゃんは、それでいい? お互いの望みすべてが叶うか、ひとつも叶わないか。どっちかで」

「……いいよ。勝った方の自由にする。好きなようにできる、だね」

「うん。じゃあ、勝負は今週末、土曜日だよ。場所は私たちの教室で」

「わかったよ」

 

 勝負の契約は締結された。

 そうしてローザさんは、教室を後にする。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ローザさんが帰った後の教室。わたしたちは、なんとなくその場にとどまっていた。謡さんは、先に生徒会のお仕事を片付けるって言って、出て行っちゃったけど。しばらく生徒会が忙しいみたいだけど、勝負の日には来てくれるそうです。

 週末の土曜日に、ユーちゃんとローザさんの勝負。勝った方が、好きなように望みが叶う……つまり、ユーちゃんが勝てば今まで通りなにも変わらず、ローザさんが勝てばユーちゃんはデュエマとわたしたちとの繋がりを失う。

 どちらにとっても負けられない、壮絶な姉妹ゲンカだ。

 

「しかしユー相手にデュエマで勝負とは、随分と思い切ったな。彼女、強いのか? 大した自信だったが」

「十回くらいデュエマしたら、八回くらいはユーちゃんの勝ちですよ!」

「雑魚じゃん」

「デッキ相性とかもあるだろうが、基本的にはやはり、ずっとデュエマを続けてるユーに一日の長があるってところか」

 

 ユーちゃん曰く、勝率はおよそ80%。

 ここぞという一回勝負でその数字がどれだけ信用できるのかはわからないけれど、それくらい勝ち越しているということなら、力の差は歴然と言える。

 

「そもそもの話なんだけど……ローザさんって、デュエマするの?」

「しますよ。お家にいる時は、ユーちゃんとデュエマしてくれました!」

「それ以外では?」

「たまに、お休みの日にワンダーランドで一緒に大会に出たりはしますけど……ユーちゃんが誘わないと、一緒に出てくれません」

「……あんま、積極的、じゃない……っぽい」

「まあ、毎日図書館にこもって勉強しているみたいだしね。予想通りと言えばそうだな」

「そんな生活のなにが楽しいんだか」

「実子みたいな享楽的で刹那的な人間には理解できないかもしれないが、世の中には知識を得ること、勉強することが楽しくて、それを趣味とするような人間もいるんだよ。彼女はそんなタイプだろう。本を読むことが楽しい感覚に近い」

「ふーん、陰気そうな人生だねぇ」

「そんなことより、今は目先の問題だ」

 

 そうだね。今日は水曜日だから、土曜日って言ったら、あと三日後だ。

 決着の日は、もうすぐそこまで迫っている。

 

「大丈夫ですって! ユーちゃんは負けませんよ! みなさんもいますから!」

「そうだね。ムカつきパワーで今回は私も全力サポートするから、じゃんじゃん頼って!」

「Danke! 実子さん!」

「…………」

 

 いつにも増して勢いのあるみのりちゃんに対して、霜ちゃんはどこか暗く、表情に陰りも見せていた。

 

「そう……どうした、の……?」

「いや、その……なんというか」

「なにさー、水早君。ここは皆で全力でユーリアさんをサポートするところでしょ」

「そうなんだが……正直、ボクはあまり、ユーの味方をすることに乗り気になれないんだ」

「うにゅ……っ?」

「え、なにそれ。裏切り?」

「違う。仮にも友人だし、肩を持ちたい気持ちはある。だが……今回の件は、どちらの意見が正しい、というものではない」

 

 そうだ。

 ユーちゃんがわたしたちと離れたくない、という気持ちは十分に理解できる。わたしだって、同じ立場なら同じことを言うかもしれないし、その気持ちは誰だって持っているもの。

 だけどその一方で、ローザさんのユーちゃんを守りたいという気持ちも、否定できない。わたしも、ユーちゃんやみんなを守りたいと思うし、そのために危険から遠ざけるというやり方は、必然だとも思う。

 どちらも正しくて、間違っていない。だからぶつかるし、決められないし、平行線になる。

 だから、勝負という方法でしか、望みが叶わないんだ。

 

「どちらの意見も正しいのなら、どちらに筋が通っているのか、だが……ボクは彼女の方が、筋を通していると思う」

「それは……まあ、確かに……」

「彼女は間違いなく、話し合いで解決しようと手を尽くしてきた。それもどこかの先輩のような狡さや悪辣さではなく、誠実で整然とした方法でだ。譲歩し、妥協し、相手のいも汲み取った上で交渉に臨んでいた。ボクは、その姿勢を称えたい」

「くそったれな偽善でも?」

「彼女も言っていたが、ボクらに彼女の行いの善悪を推し量ることはできない。それに、あまりユーを悪く言いたくはないが……君は、まったく彼女に気にかけていなかったじゃないか」

「にゅ……」

 

 霜ちゃんに指摘されて、ユーちゃんの表情が曇る。

 

「彼女はユーのことをワガママだと称していたが、その通りだ。相手が譲っているのだから遠慮しろ、だなんて言わないが、彼女の誠実さに、もう少し向き合っても良かったんじゃないか?」

「勝手な言い分だね」

「わかっているさ。だが、ボク個人としては、どうしても彼女の振る舞いを評価してしまう。謙虚で、誠実で、実直で、けれども己の根幹にある意志は曲げない。ただ無闇に我を通すだけではないあの生き様は尊く、素晴らしいと思うよ」

「ふーん。ま、それが他人への押し付けになっていなければ、私も少しは評価してたかもね」

「そういうわけだ、ユー。君もボクにとっての友人だし、君の気持ちを蔑ろにするつもりはない。けれど、ボクの気持ちとしては、あまり積極的に君を応援できない……ごめん」

「霜さん……」

 

 ……霜ちゃんも、辛そうだった。

 きっと本心では、霜ちゃんもユーちゃんと離れたくないし、デュエマも続けていたいと思う。

 だけど霜ちゃんは、みのりちゃんみたいに自分の気持ちをありのままにさらけ出すということはしない。自分のことでも、いつだってそれが正しいか、正しくないか、考えている。

 理屈と倫理。霜ちゃんはそれらで考えた結果として、ローザさんの方に気持ちが傾いたのだと思う。それは、わたしにもよくわかる。

 だから、ユーちゃんの友達として、とても辛い立場にいるはずだ。

 

「……そう、は……ユーを、助けない、ってこと……?」

「ボク自ら手を出すつもりはない。ただ、友人の頼みを無下にするほど不義理でもないつもりだ」

「?」

「かー! まどろっこしい少年だねぇ! もっとストレートに言えばいいのに!」

「すまない。ボクは君のような単細胞とは違って、繊細で思慮深く生きているんだ。自分に嘘はつけない」

「繊細、って……それ……自分で、言う……?」

「どーゆーことですか?」

「つまりねユーリアさん、水早君にはこう言えばいいんだよ「そーちゃん、ユーちゃんを手伝って☆(キラッ」って」

「なるほどです! そーちゃん、ユーちゃんを手伝ってください! キラッ!」

「口で言った……」

「いや、まあ、頼まれたら力を貸すこともやぶさかではないが……その呼び方は、ちょっと気恥ずかしいな」

「えっ? わたしは?」

「はっ! そーちゃんって呼び方、ユーちゃんっぽいです! 霜さんもお仲間……これからは、そーちゃんさんですね!」

「やめてくれ」

「……なに、この……コント……」

 

 とまあ、そんな感じで。

 ユーちゃんの、ローザさん対策が、ぐだぐだながらも始まりました。

 

「つっても、八割で勝ち越してるんじゃ、対策とかいらなくない?」

「しかし約束の日まで時間もある。どうせやることもないし、思考することは決してマイナスにはならないだろう」

「まあ……確かに……」

「それでユー、彼女ってどんなデッキを使うんだ?」

「ローちゃんはですねー、光文明をよく使います!」

「光、か」

「光といえば、恋ちゃんだよね」

「ん……」

 

 わたしたちのなかで、一番よく光文明を使うのは恋ちゃんだ。

 逆にわたしは、全然使ったことないや……

 

「ですです。戦術も、恋さんにちょっと似てます! シールド増やしたり、ブロッカー出したり」

「まあ、光の基本戦術だな。で、ユーのデッキが?」

「これです」

 

 ユーちゃんは、ポンッと自分のデッキを机に置いた。

 それは、昨晩も使っていた、闇と火の侵略デッキだ。

 

「黒赤ドルマゲドンか。安価版というか、ビート寄りだけど」

「《タイガニトロ》とか抜いて、《キル・ザ・ボロフ》なんかを入れたやつね。まあ高いしね、《ニトロ》」

「《ブラックアウト》すら入っていないとは驚きだな」

 

 最近よく使ってる、《ドルマゲドン》を切り札にしたデッキ。他にも《キラー・ザ・キル》《キル・ザ・ボロフ》《デッドゾーン》など、切り札になり得るカードが多く、攻撃力も除去能力も極めて高い。

 しかも、S・トリガーが多かったりするから、防御力も意外と高いんだよね。

 

「相手の使用デッキがどんなものかはわからないが、光ならわりと有利……なのか?」

「《タイガニトロ》があればコントロール相手にはめっちゃ有利なんだけどねー。ただぶん殴るだけなら、盾厚いデッキはちょいキツイかも」

「だが、実際ユーは勝っているんだろう?」

「Ja! ブロッカーは全部破壊しちゃいますし、シールドを増やされても《ドルマゲドン》で逆転です!」

「すごいけど、そんな簡単にいくものなの?」

「……たぶん……カード資産の、問題……」

「ユーが一方的にパワーカードを押し付けるから勝てている、ということか」

 

 強いカードを持ってるから強い。なんだかあまりいい風には聞こえないけど、それが真理でもあるのだと思う。

 ユーちゃんがローザさんに勝てている理由の一つはそれだろうと、霜ちゃんは言った。

 

「勿論、ユーはボクらと日常的にデュエマをしている。だから純粋にユーの方がプレイングスキルが高いこともあるだろうが」

「……ドルマゲドンって、プレイング、難しい……って、聞いたような……」

「さて、ボクはドルマゲドンって使ったことないんだが……誰か、プレイング知ってる?」

「知らない……」

「わ、わたしも、わかんないや……ごめんね」

「私は《ギョギョラス》入れたタイプなら使ったことあるよ。《ドゴンギヨス》から《ライボット》に繋げて《ギョギョラス》とか、《キル・ザ・ボロフ》着地させてから《ギョギョラス》とか」

「どう考えても君以外の誰も使わない変態型だな」

「《ライボット》って、なに……? そんなクリーチャー、いた……?」

 

 よくわからないけど、みのりちゃんは相変わらず《ギョギョラス》でした。

 

「まあ、《キル・ザ・ボロフ》入りという点では、ユーのそれには近いか?」

「よしっ! じゃあ私がユーリアさんにドルマゲドンのプレイングを伝授してしんぜよう!」

「Oh! Danke! 実子さん!」

「……大丈夫なのか?」

「ユーも、経験値不足……否めない、し……やらないより、マシ……?」

「デッキのカードを弄ろうにも、カードはこのデッキしかないみたいだし、他に手はないか。できることなら、《ニトロ》や《ブラックアウト》を投入したいが、あれも環境を見た場合で一長一短あるからな。ずっと握っていた、使い慣れた形の方がいいということもある。特にユーの場合は」

「感性派……」

 

 デッキが手に馴染むとか、ずっと使い続けたらデッキが応えてくれるとか、デュエマではそういうオカルトみたいな考え方があるみたい。

 わたしにはそういう感覚も理論もよくわからないけれど、要するに、ずっと使っているデッキは使い方が身体に染み付いているものだから、無意識で最善の結果を選べる、ということだと霜ちゃんは言います。

 

「別にずっと同じデッキを使ったからって、ドローがよくなるわけじゃないからね」

「お? 毎回毎回、まったく違うデッキに浮気してる水早君は、言うことが違うねぇー」

「君だって《ギョギョラス》以外のパーツはまるっと変わるじゃないか。そんなんだから、肝心な時に切り札に裏切られるんだ」

「やっば、否定できないじゃん……」

「この前も……《ボルドギ》で、《ギョギョラス》、捲ってた……」

「遂に私も相棒を手放す時か……」

「えっ!? そんなあっさり!?」

「勝てないんじゃあ持ってても仕方ないからね」

「ドライだな。ある意味、正しいけど」

 

 もちろん、冗談だったけど。

 わたしが《エヴォル・ドギラゴン》を使い続けているように、みのりちゃんも《ギョギョラス》を使い続けている。

 デッキ自体は変わっていくけど、切り札自体は、ずっと変わらないままだ。

 

「なんにしても、だ。相手のデッキがどう来るかもわからないし、だからって下手にデッキを変えるよりは、ユーは今のデッキの力を引き出させる方がいいだろう」

「Ja! お願いします、実子さん!」

「オッケー! とことん相手してあげるよ!」

 

 というわけで。

 みのりちゃんを中心に、ユーちゃんの特訓が始まったわけだけど……

 

(なんだか、もやもやするなぁ……)

 

 私の胸の内には、なにか靄がかかったような感じで、スッキリしませんでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 彼女は闇の中へと行ってしまった。

 私は恐ろしかった。その闇が。暗闇の先の未知が。

 だから手を伸ばせなかった。彼女を引き留められなかった。

 だから、彼女をたった一人で、未知なる暗闇へと、送り出してしまった。

 あの日から、いつまでの私の中で燻っている、怒り、悲しみ、そして後悔。

 彼女の意思を尊重したい。そんな言い訳をしながら、私はあの日の自分の罪から目を逸らしていた。

 私たちも、やがて大人になる。過干渉かもしれないし、あの時みたいなことは、もうないだろうと、根拠もなく希望的観測でものを見ていた。

 しかしそれは間違いだった。あんな、私の理解を超えた脅威を目にしてから、私は認識を改めた。

 私は罪を償わなくてはならない。彼女を守るという責任で以って、贖罪を果たさなければならない。

 このままでは、私は本当に大切なものを失ってしまう。

 唯一無二の妹を。血を分け、姿を映した、最愛なるもう一人の自分を。

 それだけは、絶対に許せない。

 だから私は彼女を守る。たとえ、彼女の笑顔を引き裂いてしまうとしても。

 その辛苦さえも背負って、使命を果たしてみせる。

 もう二度と、あの時のようなことは、起こって欲しくないから――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 金曜日。

 ユーちゃんの家出生活三日目……四日目? まあ、どっちでもいいんだけど、その最終日。

 明日になったらすべてに決着がつく。そうなったら、ユーちゃんももう、この家から出て行くことになる。

 ……よく考えたら、別に勝負の日に合わせて家出をやめる必要ってないよね。今更だけど。

 結局、今日までユーちゃんは大したことはしなかった。カードはデッキ一つだけで、これを改造している様子もなかった。

 一応、今のデッキを使いこなす練習として、みのりちゃんの指導を受けながら対戦したり、みのりちゃんの家でなにやら怪しいことをしてたけど、その程度だ。

 霜ちゃんは「相手の出方がわからないなら、下手に対策を打つよりも、ユー本人の地力を伸ばす方が有効だ」って言っていたけれど……なんだか、不安が拭えない。

 それは、ユーちゃんが勝つとか負けるとかじゃなくて、もっと根本的なことのような気がするけど……わたしはそれを上手く言葉にできない。

 ただ胸の内側が、もやもやするだけだ。

 

「わっふー! にゅぅーん……ふわぁ、ふかふかです!」

「くすぐったいよ、ユーちゃん……」

 

 そんな不安を抱えながらの夜。またしても、二人一緒のお風呂だった。

 ユーちゃんとのお風呂も、これで最後……かな? 少なくとも、私の家で入るお風呂はたぶん最後です。

 ユーちゃんは毎晩毎晩、お風呂の時と寝る時に、私の胸を枕にするので、ちょっとくすぐったくて苦しいです。

 今日もわたしの膝の上に乗っかって、背中をこちらに向けて寄りかかってきた。ユーちゃん、背がちっちゃいから、わたしの胸のあたりにちょうど頭が乗る構図になる。湿った髪からシャンプーの匂いが漂ってくる。わたしのシャンプーだけど、なんだかユーちゃんのキレイな髪と合わさると、すごくいい匂いに感じるから不思議だ。

 明日が大事な勝負の日だなんて微塵も思わせないほど、ユーちゃんは気楽な様子だった。プレッシャーになっていないのなら、それはいいことなんだけど……なんだか、不安だ。

 

「小鈴さんのお家、とってもgut(いい)ですね! ご飯はおいしいですし、Mutter(お母さん)は優しいですし! ユーちゃん、とっても楽しかったです!」

「そう……それは、よかったよ」

「それになにより、お風呂が一番好きです! ふかふかなので!」

「それ、普通はお風呂に抱く感想じゃないよね……」

 

 ユーちゃんが喜んでくれるのは嬉しいけど、これ、結構恥ずかしいんだよ? ユーちゃん、容赦なく触ってくるし、顔も埋めるし、枕にするし。

 みのりちゃんの悪影響を受けているとしか思えないくらいに遠慮がない。みのりちゃんみたいに、いやらしくはないけども。

 ご満悦の表情で背中を預けるユーちゃんに視線を落とす。思えば、眼下に自分の胸ではなく人の頭があるというのは、なんだか新鮮だ。

 ユーちゃんは緩みきった表情で、気持ちよさそうにしている。

 

「…………」

「うにゅ? どうしました? 小鈴さん」

「なんかユーちゃんって……」

 

 なんとなく、顎の下に手を伸ばしてみる。

 さわさわと、すべすべの肌を撫でまわす。

 

「うにゅ、うにゅにゅっ。わふぅ……く、くすぐったいですよ、小鈴さんっ」

(かわいい……)

 

 犬みたい。

 耳でも生えていたら、ピコピコ動いていそうだ。

 ユーちゃん、髪だけじゃなくて肌もキレイでツルツルのすべすべだし、ずっと撫でまわしていたい。

 

「……わたしに妹がいたら、こんな感じなのかなぁ」

「にゅっ? 小鈴さんが、ユーちゃんのお姉ちゃんですか?」

「あっ、ごめん。口に出てた?」

 

 失言だったかも。ただでさえ、ユーちゃんはお姉さんと……ローザさんと難しい関係なのに、無神経だった。

 

「Oh! それもいいですね! 小鈴さんがユーちゃんのお姉ちゃん! 素敵(シェーン)です!」

 

 と思ったけど、それは杞憂だったみたい。

 ユーちゃんはキラキラと目を輝かせていた。

 

「小鈴さんがお姉ちゃんなら、ユーちゃんのBrustもきっと……」

「ブルスト?」

「これです!」

 

 ユーちゃんはキラーン! と目を煌めかせると、急にこちらに振り返る。そして、わたしの胸を鷲掴みにした。

 

「ちょ……っ!? ちょっとユーちゃん!?」

「ふわぁ、やっぱり小鈴さん、もちもちふわふわで、おっきいです……!」

 

 さらに顔を埋める。流石に恥ずかしいし、ちょっとこそばゆい。

 なんだかユーちゃん、やけにわたしの胸に執着してるような気がするけど、気のせいだよね?

 

「わふぅ、気持ちいーです……ユーちゃんもこのくらい欲しいです」

「絶対に大変だからお勧めしないよ……というか、ユーちゃんも結構あるよね、胸」

「にゅ? そうなんですか?」

 

 ふに、とちょっと失礼する。

 うん、やっぱりある。

 

「なんと、ユーちゃんにも小鈴さんと同じものがあるなんて!」

「女の子だからね、大なり小なりあるよ。恋ちゃんとかみのりちゃんは、本当にないけど……」

 

 二人はもう少し、ちゃんとご飯を食べるべきだと思う。恋ちゃんなんて骨が浮き出てるし。

 

「ユーちゃんの場合、身体がちっちゃいわりに、って感じだね」

「小鈴さんと同じですね!」

「……そうだね」

 

 ユーちゃんのことだから悪気はないんだけど、ちょっと悲しくなる。

 どうしてわたしは、身長だけ伸びないんだろう……いつまでたっても150cmに届かなくて、とても悲しいです。

 

「なんにしても、ユーちゃんもそろそろ必要かもね、上」

「にゅにゅ! 小鈴さんがいつも付けてる、えっちなやつですね!」

「えっちじゃないよ!? 普通だよ! 必要な人はみんな付けてるよ!」

 

 なんてことを言うのこの子は! と思わず声を荒げてしまったけど、自分が身に付けているものを思い出す。

 

「……いや、ごめん。えっちかもしれない……でも仕方ないじゃない、サイズが……サイズがないんだから……同年代と比べて、大人っぽいものを選ぶ羽目になるのは、仕方ないんだよ……それにわたしだって、ちょっとくらいは大人っぽいものに憧れたりとか……もにょもにょ」

「小鈴さん? どうしたんですか? 悲しいんですか? 嬉しいんですか?」

「な、なんでもないよ、ユーちゃん……」

 

 これ以上この話を続けるの恥ずかしいので、閑話休題とさせていただきます。

 けれどそれっきり、会話は途切れてしまった。

 わたしはユーちゃんを膝に乗せて抱っこするような姿勢のまま、たまにユーちゃんの顎の下を撫でたりしながら、ぼぅっと湯船に浸かっている。

 そんな沈黙が続く中で、ユーちゃんがそれを打ち破る。

 

「小鈴さん」

「なに、ユーちゃん」

「小鈴さんは……もうなにも、聞かないんですか?」

「なにを?」

「ユーちゃんと、ローちゃんのこと」

「…………」

 

 気には、なっていた。

 姉が妹に……ローザさんがユーちゃんを大切に思うことに、理由なんていらない。わたしはそう思う。

 けれどローザさんは教室で、ユーちゃんと激しく言葉を交わした時「“あの時”と同じ奇跡が、また起きるとは限らない」と言った。

 あの時がどんな時で、その奇跡とはなにか、まったくわからないけれど。

 過去に二人の間でなにかがあった。それだけは、確かだ。

 そして、ローザさんがユーちゃんを大切にしようとする理由は、きっとそこが原点なのだと推測できる。

 

「やっぱり、小鈴さんにはちゃんとお話しします」

「……いいの?」

「いいんです。隠してたわけじゃないですから。ユーちゃんは言わなくてもいいかなって思ってたんですけど、ちゃんと考えました。それで、たぶんこれは言わないとダメなことだって、思いました」

 

 言わなくてもいい。だから言わなかった。

 それはつまり、言うまでもないこと、だとユーちゃんは思っていたということ。

 けれどローザさんの口振りからするに、それは決して小さな出来事ではないと思う。少なくとも、ローザさんの気持ちなんらかの形で動かして、行動に反映させる程度には。

 でもユーちゃんは、そこまでのことだとは思っていない。重い内容で、言えなかったから言わなかったのではなく、言うほどのことではないから言わなかった。

 ユーちゃんとローザさんの間で、その出来事に対して認識にずれがある……? いや、認識というより、受け取り方?

 ユーちゃんはわたしに背中を向けながら、いつもよりも大人しく、だけれど決して悲愴さも重苦しさも感じさせない、自然体のまま、語り出した。

 

「実はですね。ユーちゃん昔、ユーカイされちゃったことがあるんです」

「ゆ、誘拐!? ……って、あぁ、そういえばあったね、そんなことも」

「Nein。もっと昔、ユーちゃんがドイツにいた頃です」

 

 春頃、ロリコンさんのクリーチャーに誘拐されたことではなかったようです。

 ドイツで誘拐。それはつまり、クリーチャーによるものではなく、人の手による犯罪。

 ユーちゃんは、それに巻き込まれたことがある……?

 

「ユーちゃんは、気になることがあると、すぐそれを追い掛けちゃうんです。その先がどうなってるのか、どんなものがあって、どんな世界が広がっているのか。それが気になって、知りたくて、どうしても見たくて、みんなが困るってわかっても、ついつい行っちゃうんです」

「……ごめん、ちょっと想像つく」

 

 ユーちゃんは元気いっぱいだから、すぐにどこかに走って行っちゃう姿は、簡単にイメージできた。

 そしてその気質は、昔から変わっていないみたい。

 

「それで、昔からローちゃんや、MuttiやVatiを困らせてました。野に山に森に湖……色んなところに行っては、家族からはぐれて、心配させちゃうことばっかりで、いっつも怒られちゃったんですよね」

「あはは、ユーちゃんらしいや。ユーちゃんは昔から変わらないんだね」

「Ja.でも……もしそれが、少しでも変わったことがあるのなら、それはたぶん、あの日のことです」

 

 どこか遠くを見つめるような眼差しで、天井を仰ぎ見るユーちゃん。

 

「あの日は、ローちゃんと二人でお出かけしてました。町のあちこちを、探検してたんです」

 

 そして、語り出した。

 恐らくは、ローザさんのユーちゃんに対する強い気持ちの、原点について。

 

「最初はちょっとした冒険のつもりで、満足したらすぐ帰るつもりだったんです。でも、ユーちゃんその時、行っちゃいけないって言われてたところに入っちゃっって……MuttiやVatiから、危ないから言っちゃダメって言われてた通りなんですけど……その先がどうなっているのか、どんな場所に繋がってて、なにがあるのか、ユーちゃんは見たかったんです」

 

 それは好奇心。

 人によっては恐怖になる“未知”に、向かって行こうとする気持ち。

 わたしからすれば、ダメだと言われている場所に踏み入ることも、知らない場所を訪れることも、怖くてできそうにはないけれど。

 ユーちゃんにとって未知とは、楽しさに繋がるもの。だから知らない場所とは、冒険の舞台であり、宝の地図に記された島のようなもの。

 けれどそこにあるのは必ずしも、夢や希望だけではない。

 むしろ、現実はそんなキラキラしたものなんて存在しないことの方が、ずっと多い。

 

「ローちゃんにも止められました。行っちゃダメって、MuttiやVatiがダメって言ったんだから、約束は守らなきゃダメだって。でもユーちゃん、どうしても気になって……ローちゃんを置いて、一人で行っちゃったんです」

「そ、それで……?」

「知らない男の人に、知らないところに、連れて行かれちゃいました」

 

 それはつまり、誘拐。人さらい。

 日常が非日常に切り替わる瞬間。

 

「その時は幸運(グリュック)でした。とっても強くてカッコいいSiegfriedが助けてくれたので……でも、そうして帰った日には、怒られませんでした」

 

 怒られなかった。それはつまり、悪いことをした罰ではなく。

 怒りよりも勝る、辛さや悲しみがあったということ。

 

「ユーちゃんはその時、はじめて……ローちゃんを泣かせちゃったんです」

「…………」

「流石にユーちゃん、反省しました。自分が悪いことをしちゃったって、ちゃんと理解しました。それに、ローちゃんを泣かせちゃダメだって、思いました。だから、それからは……ちょっとは、ガマンするようにしてるんです」

 

 わたしは、四月にはじめてユーちゃんと出会った。わたしが知っているユーちゃんは、それ以降のユーちゃんだけ。

 本当のユーちゃんは、きっと今よりもずっと行動的で、公式心旺盛で、自分に正直なんだろう。

 それが悪いとは言わない。それもまた、ユーちゃんの姿の一つだと思う。

 けれどそうあった結果が、現実として存在する。それは、揺るぎない事実だ。

 

「ユーちゃんだって、ローちゃんが悲しむのは、イヤです。ローちゃんが泣いているところは……見たく、ないです」

「……ユーちゃんも、ローザさんのこと、大切に思ってるんだね」

「Ja……ローちゃんは、ユーちゃんの大切な、お姉ちゃんです」

 

 にこやかに微笑むユーちゃん。

 みのりちゃんはああ言ってたけど、ローザさんの気持ちは、決して一方通行ではない。

 ユーちゃんはちゃんと、ローザさんの気持ちを理解している。そしてユーちゃんもまた、ローザさんを理解している。

 お互いにお互いを思いやれる、いい姉妹だと思った。

 でも、とユーちゃんは続ける。

 

「だからって小鈴さんたちと離ればなれになったり、デュエマをやめるのは、違います。それは、それだけはイヤ、です……!」

「ユーちゃん……」

「ユーちゃんはワガママな子です。悪い子です。だからMuttiにVati、ローちゃん、それに小鈴さんたちも困らせちゃいます。誰かが悲しむことになっちゃいます。ユーちゃんのせいで、そういう“お話”になっちゃったんです」

 

 ユーちゃんの声は、少しだけ、震えていた。

 小さな身体も震わせて、暗中で道を見失い、途方に暮れたように、普段の彼女からは考えられないような、弱音を吐く。

 

「小鈴さん……ユーちゃんは、どうしたらいいんですか……?」

 

 ユーちゃんは、わかっているんだ。

 たとえ明日の勝負、誰が勝ったとしても、必ず“誰かが傷つくことになる”と。

 わたしたちは一応、立場上、ユーちゃんを応援しているけれど……霜ちゃんが言うように、ローザさんの気持ちも理解できるし、彼女の振る舞いを蔑ろにはできない。

 明日行われるのは、勝負なんだ。勝った方はすべてを手に入れ、負けた方は大切なものを失う。そんな、残酷な取り決めを果たさなくてはならないんだ。

 ユーちゃんが勝ったら、ローザさんはユーちゃんを守れなかったと悔やみ、悲しむだろう。ローザさんが勝ったら、ユーちゃんはわたしたちと引き剥がされ、大好きなデュエマも失って、やっぱり悲しむと思う。

 どっちが勝っても、どっちが負けても、その先にあるのはどちらかの悲しみと苦しみだ。

 だったらどうすればよかったか、なんてわたしにはわからない。どちらの主張も理解できる。妥協も譲歩もできないのなら、勝負で白黒つけるしかない、という謡さんの提案も間違っていない。

 どこにも間違いがなくて、正解しかない。だけど一つの正解は、なにかの間違いになる。

 あちらを立てれば、こちらが立たず。

 わたしたちは結末を選ばなくてはならないけれど、その選択はとても残酷だ。選べないと、選びたくないと、投げ出したくなるほどに。

 そんな絶望の中で、わたしが真に望む希望があるとすれば、それは――

 

 

 

「わたしは……みんなが幸せになれる結末が、いいな」

 

 

 

 ――甘ったるいくらいの綺麗事で、絵空事だ。

 

「ローザさんの気持ちはよくわかる。わたしも、ユーちゃんには傷ついて欲しくないもん。だけどユーちゃんの気持ちも大事にしたい。ユーちゃんは、わたしたちの大切な友達だもん」

 

 わたしには、選べない。なにも選ばないし、選ぶことができない。

 だからわたしにできるのは、理想を語ることだけ。選択肢にはない、自分にとって都合がいいだけの空想を、ぶちまける。

 

「わたし、前に言ったよね。本当は、みんなと一緒に戦うのって、イヤなの」

「言ってました。戦いにユーちゃんたちを巻き込むのが、イヤなんですよね……小鈴さんは、優しいです」

「ありがとう、ユーちゃん。わたしにとってこの気持ちは、根っこみたいなものなの。みんな、わたしの友達だもん。ただ一緒に遊んで、笑っていたいだけなのに。辛いこととか、苦しいことまで一緒なんて……わたしは、それをみんなに押し付けちゃってるみたいで、イヤ、だから」

「小鈴さん……」

「でも、最近はちょっとだけわかるよ。辛いことを一人で抱えたがるのは、わたしのエゴなんだって。みんなは、憐みとかでわたしと苦労を分かち合ってるんじゃないんだって。きっとみんな……やりたいから、やってるんだよね」

 

 今でも申し訳なさはあるけど、それを止めようとは思わない。

 きっとそれは、みんなの気持ちを、みんなの覚悟を、踏み躙ることになっちゃうから。

 

「霜ちゃんは責任感が強いけど、その責任を重荷じゃなくて、力に変えてるよね。わたしのお姉ちゃんもそういうとこあるから、わかるんだ。お母さんは「責任感ある仕事ができる自分に酔ってる」なんて皮肉を言うけど、それってすごいことだよね。本当は辛いことなのに、それを辛さじゃなくて、楽しさや充実感に変えちゃうんだから」

 

 いっつも眉間に皺を寄せながら苦言を呈する霜ちゃんだけど、結局はなんだかんだで一緒にいてくれる。

 

「みのりちゃんも、楽しそうだよね。なにをする時も笑うし、怒るし、すごく生き生きしてる。前はあんなんじゃなかったのに、おかしいよね。キャラ変わりすぎだって。でも、あれが本当のみのりちゃんで、わたしに本当の姿を見せてくれると思うと、嬉しいんだ」

 

 ちょっと過激なところはあるけどね。でも“なんとなく”友達だった頃よりもずっと楽しくて、仲良くなれた。ちょっとケンカもしちゃったけど、その結果として今がある。わたしは、それが嬉しい。

 

「恋ちゃんはよくわからないけど……でも、義務感、って感じじゃないよね。いや、義務的なのかもしれないけど、無理をしてないっていうか。自然体で、ここぞという時に、力を貸してくれる」

 

 いまだに謎が多い恋ちゃんだけど、わたしが悩んで足を止めてしまった時に、その後を追って、力を貸してくれた。

 

「わたしは、そんなみんなが好きだよ。もちろん、ユーちゃんも」

「うにゅ……」

「みんなが、みんならしく、あるがままの姿でいること。わたしは、そんなみんなが好き。そういう友達でありたい。だから……」

 

 そんな“みんな”が、欠けて欲しくはない。

 きっとこのままでは、明日の勝負の結果が出てしまえば、みんなの“あるがまま”は、消えてしまう。

 それはわたしも、イヤだ。

 だからわたしは、みんながみんならしいまま、みんなが幸せになれるハッピーエンドを望む。

 誰かが苦しんだり、悲しんだり、傷ついたりする終わり方は、望まない。

 みんな一緒にいて、それぞれが幸せになれる。

 わたしが望むのは、そんな物語だ。

 そしてそれは、もちろん、わたし自身の望みだって。

 

「……イヤだよ、ユーちゃん」

「小鈴さん……」

 

 ギュッ、と。ユーちゃんの白く華奢な身体を、抱きしめる。

 

「わたしだって、ユーちゃんと離れ離れになっちゃうのは、イヤ、だよ……わたしも、もっとユーちゃんと一緒に遊びたい。一緒にパン食べて、お喋りして、デュエマしたいよ……!」

 

 もし、わたしがワガママを言うのなら。

 それは、ユーちゃんと同じだ。

 離れ離れになりたくない。デュエマもやめて欲しくない。ずっと一緒で、ずっと楽しく遊んでいたい。

 それだけだ。

 

「みのりちゃんの時もそうだった。恋ちゃんや、ユーちゃんや、霜ちゃん……みんなと仲良くなったけど、なにかがずっと欠けてる感じがした。それで、みのりちゃんと大ケンカして、その欠けたものがみのりちゃんのことだって、わかったんだ。わたしにとってのみんなは、みのりちゃんもいる。わたしはもっと、みのりちゃんとお喋りして、パンを食べて、お出かけして、遊びたいって。だから……」

 

 それが、わたしの一番の望み。

 みんながここにいる日常。ただ笑っているだけでいい。ただ楽しいだけでいい。争いも、戦いも、なにもない。平和で平穏な世界。

 わたしはただ、みんながいればいい。

 

「だから、誰も欠けて欲しくない。なにかを失うのはイヤ……」

 

 だって、だって――

 

 

 

「――わたしも、みんなと一緒にいたいもん」

 

 

 

 ほとんど泣き言だった。

 わたしもワガママを言っている。今のままがずっと続いて、みんなとずっと一緒にいて。そして願わくば、ローザさんも傷つけたくない。

 わたしの願いは、結果的にローザさんを悲しませてしまう。それさえも、許したくない。

 こんなこと、いくらわたしが願ったところで、どうしようもないのに。

 そんな手の届かない願いに縋って、駄々をこねている。

 

「みんな……一緒……みんな、ですか……」

 

 ユーちゃんは、どこか遠くを見つめて、わたしの言葉を反芻していた。

 

「……そうですね。みんな一緒が一番、ですよね」

 

 そしてユーちゃんは、ザバッと、急に立ち上がった。

 

「ゆ、ユーちゃん?」

「小鈴さん」

 

 そして、振り返って――真剣な眼差しで、希う。

 

 

 

「お願いが――あります」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――いよいよ明日だね」

「はい。三日間、ありがとうございました」

「明日は私たちも行っていいの? っていうか私、部外者だけど入れるのかな?」

「入れますよ。なんだったら、こちらで手配しておきますけど」

「お、さっすが。あの子らが頼るにするだけあって、気が利くね。それじゃあお願い」

「お二人とも、いらっしゃるんですか?」

「たった三日とはいえ、教え子の晴れ舞台だもんね。やっぱ行きたいよね。人に教えるなんて、妹の時以来だし」

「そうですね。せっかくですし、行きたい気持ちは同じです。個人的に、気になることもあるし」

「……そうですか。あまり、楽しいものは見せられないと思いますが」

「野次馬のつもりはないし、君を試そうってわけでもない。あくまで個人的な観戦だよ。だから君はこっちのことは気にせず、君の全力を出すといい」

「はい……頑張ります」

「まあ、いい感じに調整はできたと思うし、練習通りやればなんとかなるさ。デッキは仕上がったし、相手に合わせて完全にチューンできてる」

「プレイングもここまで扱えれば十分だ。ただ、実戦だとタイミングが重要だし、引き次第では臨機応変な対応が求められるけど……大丈夫?」

「絶対とは言えませんが、できなければ私が負けるだけです。やります」

「いい心意気だね」

「やはり経験では、どうしたってあちらに分があるけど……君には、君だからこその武器がある」

「普通にやってたらまず勝てないだろうけど、あなたが勝てる要素があるとすれば、その武器を生かした一点突破だけ」

「そう、ですね……ごめんなさい。なのに、変なワガママを言ってしまって」

「いいさ。だってそれが、君の“覚悟”なんだろう?」

「……はい」

「なら、それを尊重するのは当然さ。なにがあったのかはわからないけれど、これはただの勝負ではない、大切な一戦のようだからね」

「はい。本当に、ありがとうございました。いきなり押しかけてきた私に、ここまでしてくれるだなんて……この恩は忘れません」

「大袈裟だねぇ。気にすることないのに。半ば仕事みたいなものだし、私も久々にいいデッキを組めたし、まあこっちも楽しかったよ」

「なんだかすべてが終わったような空気ですけど、まだ終わっていませんよ。まだスタートライン。本番は、明日なんですから」

「おっとそうだった。それじゃあ、頑張って――ローちゃん」

「はい――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 来る土曜日。

 ローザさんとの勝負の日。この日で、ユーちゃんとローザさん、二人を中心とした問題に、決着がつく。

 わたしたちが教室に着く頃には、既にローザさんがいた。

 

「待ってたよ、ユーちゃん」

 

 だけど、それだけじゃない。

 

「ローザさん……っ、と。え……!?」

「ウッソでしょ!?」

 

 思わず、目を見開く。

 ローザさんの後ろに控えている、二つの人影。

 それはどちらも、わたしたちのよく知る人物。

 その二人を目にして、恋ちゃんと謡さんが、真っ先のその名を呼ぶ。

 

「つきにぃ……」

「姉ちゃん!?」

 

 そう――剣埼先輩と、詠さん。

 ローザさんの後ろに控えるように、二人がいた。

 土曜日なのだから、特別な用事がない限り、一般生徒は校舎にはいないはず。ましてや一年生の教室に三年生だなんて、普通じゃない。

 剣埼先輩はまだ、学援部の活動かもしれないと思えるけど、詠さんは高校生だ。まず、中学校にいるはずがない。

 考えられる可能性があるとすれば……

 

「よ、詠さんって、もしかしてうちの高等部の先輩だったり……?」

「いや、姉ちゃんの高校は雀宮だよ。中学も東鷲宮っていう、別の中学だったし……なんでここにいるの? というかそれ私の制服! 勝手に着ないでよ!」

「あはは、ごめんね。サイズピッタリだし、守衛さんに怪しまれたくないからさ。今日だけ許して」

「自分の姉が、自分の制服でコスプレしてるとか、酷いブラックヒストリーだよ……」

「コスプレじゃなーい! 今日は教え子の晴れ舞台なんだから、師匠として見に来るのは当然だよ!」

「教え子ぉ?」

「師匠……?」

 

 それって、もしかして……

 

「皆さんのご想像の通りです。剣埼先輩と詠さん、私は二人に教えを乞いました」

「……!」

「……つきにぃ……」

「お二人共は、こんな得体のしれない勝負事に首を突っ込んだんですか?」

「まあ、ね。学援部の部長として、うちの生徒の悩みを無下にすることはできない。正直、なにがなんだかよくわからないけど、とりあえずデュエマで決着をつけるから、指導してほしいと頼まれた。なら、俺はその願いに応じるだけだ」

「私も概ねそんな感じ。絶対に負けられないからってね。まあ、やったことと言えばちょっとしたテクニックとデッキの動かし方を教えたくらいだけど。あとカード貸したくらい?」

「カードまで!? 姉ちゃん、流石にそれはずっこくない!?」

「ずっこくない。謡だって、私のカード使ってデュエマしてるでしょ」

「むぐぐ……!」

「資産も自分の力だと思いますけどね、ボクも」

「でも、水早君も、お兄さんのカード使ってデッキを組んでるんだよね? 水早先輩から聞いたよ」

「ぐっ、あのバカ兄貴、余計なことを……!」

 

 一瞬で説き伏せられる謡さんと霜ちゃん。

 二人の口が封じられちゃったら、後はもう、みのりちゃんが屁理屈こねるくらいしか、口論で勝てる見込みはありません。

 

「そもそも、これは力の競い合いじゃなくて、決め事を果たすための勝負なんでしょ。だから両者平等にする必要はないけど、だからこそ、カード資産という劣勢に対して、力を貸すのは卑怯とは言えないよ」

「まあ、勝負の取り決めが成された時点で、二人の間には、カード資産でもテクニックでも、大きな差があったようだからね。俺たちは部外者、だからこそ、情で不平等なことだってするよ。せめて、二人のデッキパワーくらいは、同程度に持ってきたいという情でね」

「……なんてこった」

 

 予想外の二人の存在に、霜ちゃんは頭を抱える。

 

「まずいな、まさか考え得る限り最強クラスのトレーナーにセコンドを揃えてくるとは思わなかった。これで準備段階では、ユーにかなり不利がついたことになる。あの二人がいるんじゃ、実子のティーチングなんて足元にも及ばないぞ」

「なんだとぅ」

 

 剣埼先輩は、わたしにデュエマを教えてくれた人。

 詠さんも、謡さんがデュエマを始めるきっかけとなった人で、今でも謡さんのデッキ構築を助けている。

 そんな二人に指導されたローザさんは、どれほど強くなっているのか……

 

「まさかこんな切り札(ワイルドカード)を切ってくるとはね。どうやら彼女の覚悟を甘く見ていたようだ。デッキ、プレイング、実力……最初にユーが言っていた評価が180度ひっくり返るぞ」

「大丈夫ですって。ユーちゃんがローちゃんに負けるはずありません! ユーちゃんには、みなさんがついていますから!」

「それはどうかな。私だって本気なんだよ、ユーちゃん。あなたに勝つために、本気で準備してきたの。そんなお気楽にやってたら、負けちゃうよ」

 

 確かに、わざわざこの日のために、先輩と詠さん、決して繋がりが強いとは言えないだろう二人を引っ張っている。それはつまり、ローザさんがこの勝負に賭ける本気の程を表していた。

 なんとしてでも勝つ。そんな、強い意志を。

 

「最後に確認だよ。私が勝ったら、危険なことはやめてもらう」

「わかった……ユーちゃんが勝ったら、みんな一緒だよ。ずっと」

「うん、いいよ。ユーちゃんが勝てたら、伊勢さんたちと、ずっとデュエマで遊んでいればいいよ」

「…………」

 

 ピリピリとした張り詰めた空気の中、二人はデッキをシャッフルする。

 超次元ゾーンにカードはない。山札を混ぜ、シールドを展開、手札を引き揃える。

 これで、準備完了だ。

 

「じゃあ、始めよう。ユーちゃん」

「……Ja」

 

 そして遂に、始まる。

 ユーちゃんとローザさん。二人による、壮絶な姉妹ゲンカが。

 

 

 

Beginnen wir mit dem Spiel(デュエマ・スタート)!』

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ユーちゃんとローザさんの対戦。

 ユーちゃんのデッキは、この前も使っていた闇と火の侵略デッキ。デッキの切り札にして核である《FORBIDDEN STER》が、バトルゾーンを圧迫して存在感を放っている。

 だけどあのデッキは、S・トリガーが多い反面、2コストのカードが少ない。ユーちゃんはまだ、なにも動き出していなかった。

 一方でローザさんは、2ターン目には《フェアリー・ライフ》を唱えて、マナを伸ばす。マナには光、水、自然と、ユーちゃんとは正反対の三つの文明が見えていた。

 

「ユーちゃんのターン! 3マナで呪文《ボーンおどり・チャージャー》! 山札の上から二枚を墓地(フリートホーフ)へ! Ende(ターン終了)!」

「私のターン。マナチャージして……これで、4マナ」

 

 マナにカードを置いて、ローザさんは手札のカードを一枚、手に取った。

 すべてのマナを倒して、そのカードをバトルゾーンへと置く。

 

「《電脳決壊の魔女(カオス・ウィッチ) アリス》を召喚するよ(vorladete)。能力で三枚ドロー。その後、手札二枚を山札の一番上に置くね」

 

 マナ加速にドロー。なんていうか、すごく普通だ。

 いや、霜ちゃんとかはそういうことをコツコツと重ねてコンボに繋げたりするわけだから、この時点ではなにも断じることはできないんだけど……

 

ende(ターン終了するよ)……ユーちゃんの番だよ」

 

 

 

ターン3

 

 

ユー

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:2

山札:22

 

《FORBIDDEN STER》

左上:封印

左下:封印

右上:封印

右下:封印

 

 

ローザ

場:《アリス》

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:1

山札:25

 

 

 

「ユーちゃんのターン、ドロー……行くよ、ローちゃん」

 

 ユーちゃんもマナを溜めて、遂に動き出す。

 

「5マナ! 《絶叫の悪魔龍 イーヴィル・ヒート》を召喚(フォーラドゥング)!」

 

 ユーちゃんのデッキは、5マナから動き始める。《FORBIDDEN STER》はコスト5以上の闇か火のコマンドに反応する。その瞬間から、ユーちゃんの戦略は始まるんだ。

 

「まずは《FORBIDDEN STER》の封印(ズィーゲル)を一つ、解放(フライガーベ)! 左上(リンクス・オーベン)!」

 

 最初に外す封印は、左上。

 《FORBIDDEN STER》は封印を外すたびに、外した場所に応じた効果が発揮される。そして左上を外したということは、

 

「パワー1111以下のクリーチャー、《アリス》を破壊!」

 

 相手のクリーチャーを、破壊する。

 破壊効果はわりと使われないことも多いけど、今回はそれを持てあますことはなかった。

 

「さらに、《イーヴィル・ヒート》で攻撃(アングリフ)――する時に! 革命チェンジ!」

 

 勿論、小型クリーチャーを破壊することがユーちゃんのやりたいことではない。

 封印を外す。それと同時に攻める。

 《イーヴィル・ヒート》が手札に戻って、同時にユーちゃんの手札から現れるのは、

 

 

 

Ein einsamer Wolf bellt in der Dunkelheit(孤高の狼は暗闇の中で咆える)――Ich bitte dir(お願いします)! 《Kの反逆 キル・ザ・ボロフ》!」

 

 

 

 黒い、狼だ。

 ユーちゃんが自分自身として称したような、悪の化身。

 それは反逆の拳。その拳は、血の繋がった姉に対しても振るわれる。

 

「Wブレイク!」

「っ……トリガーは、ないよ」

「Ende!」

 

 先んじて攻撃を仕掛けたユーちゃん。立ち上がりは順調みたい。

 だけど、

 

「……遅いよ、ユーちゃん」

「え?」

 

 順調なのは、ユーちゃんだけじゃなかった。

 

「ユーちゃんの攻撃、全部止めちゃうから」

 

 マナチャージして、5マナ。

 ローザさんはそのすべてのマナを倒した。

 

「5マナで呪文、《ドラゴンズ・サイン》! 手札からコスト7以下の光のドラゴンをバトルゾーンに出すよ!」

 

 たった5マナで、コスト7のクリーチャーを呼び出す呪文……!

 わたしも《狂気と凶器の墓場》や《法と契約の秤》で、払ったコストよりも大きなクリーチャーを呼び出すから、その強さは十分に理解できる。

 この時、ローザさんが呼び出すクリーチャーは、

 

 

 

Ich nicht hoeren deiner Behauptung(ユーちゃんのワガママは、もう聞かないから)――《サッヴァーク ~正義ノ裁キ~》!」

 

 

 

 輝く剣を手にした、煌めくドラゴンだった。

 

「《サッヴァーク》……は、まあわかるけど。《正義ノ裁キ》だって?」

「金欠で本家が買えないからって、プロトタイプで代用かー?」

「そんな……みのりこじゃ、あるまい……」

 

 なんだかみんなの反応は変な感じだった。プロトタイプって、どういうこと?

 まるであのカードが弱いみたいな空気だけど……

 

「恋の言う通りだ」

 

 それを、先輩が否定した。

 

「あれは代用品なんかじゃない。あのカードでなくちゃダメなパーツだよ」

「マジですか?」

「あぁ。見ていればわかるさ」

 

 先輩はそう言って、視線をバトルゾーンに向ける。

 《ドラゴンズ・サイン》から現れた《サッヴァーク ~正義ノ裁キ~》……一体、なにをするんだろう。

 

「《ドラゴンズ・サイン》の効果で、この《正義ノ裁キ》は、次の私のターンまでブロッカーになるよ。さらに能力で、山札の上から二枚を見て、そのうち一枚を裏向きに、もう一枚は表向きにして、シールドゾーンに追加する」

「うにゅ、防御を固められるはイヤ、だけど……いくらブロッカーが来ても、破壊する。いくらシールドが増えても、全部叩き割っちゃうよ!」

「無理だよ。そんなワガママは――許さない」

 

 ローザさんは、めくった二枚のうち、二枚目を裏側にしてシールドに置いた。

 そして、一枚目のカードは、

 

 

 

Schild kommen(シールド・ゴー),setzen(セット)――《守護すぎる守護(ウルトラ・ディフェンス) 鋼鉄》!」

 

 

 

 表向きで、ローザさんのシールドに鎮座する。

 

「っ!? 《鋼鉄》だって……!?」

「……これ、マジで、ヤバイ……やつ、じゃ……」 

「えっ? なに、どういうこと? っていうか、なんであのカードは表向きなの?」

 

 みんなはなにか驚いているみたいだけど、わたしにはさっぱりだ。

 普通シールドゾーンのカードって裏向きだし、表向きにするのは城くらいなものだと思ってたけど……あのカードがシールドにあるから、なんだっていうんだろう。

 わたしが一人、的外れに疑問符を浮かべていると、詠さんが教えてくれる。

 

「小鈴ちゃん。あれは、シールド・ゴーっていうんだよ。ちょっと古いカードなんだけど、あれはシールドに表向きである限り、能力を発揮する特殊なクリーチャーなの」

「シールドにある時に能力が発動するって、城みたいですね」

「ブレイクされたらそのまま墓地に行ってしまうし、感覚としては近いね。そしてあの《鋼鉄》は、シールドに表向きであれば、自分の場のクリーチャー全体に効果を及ぼすんだが……まあ、見ていればわかるさ」

「……?」

 

 どういうことなんだろう。

 霜ちゃんはそれ以上言わず、わたしはなにもわからないまま、ユーちゃんのターンを迎える。

 

 

 

ターン4

 

 

ユー

場:《キル・ザ・ボロフ》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:3

山札:20

 

《FORBIDDEN STER》

左上:解放

左下:封印

右上:封印

右下:封印

 

 

ローザ

場:《正義ノ裁キ》

盾:4(《鋼鉄》)

マナ:5

手札:4

墓地:3

山札:22

 

 

 

「ユーちゃんのターン! 6マナで、《キル・ザ・ボロフ》を進化(エヴォルツィオン)!」

 

 ローザさんが切り札らしきクリーチャーを呼び出したところで、ユーちゃんもまた、次の切り札を解き放つ。

 

 

 

Die Boeseauge der Dunkelheit werden dich toeten(闇の邪眼があなたを殺す)――Ich bitte dir(お願いします)! 《悪魔龍王 キラー・ザ・キル》!」

 

 

 

 黒い狼は一回り大きくなり、巨大な一つ目の邪龍へと進化した。

 場に出るだけでクリーチャーを破壊できる、ユーちゃんの切り札のひとつ。これで相手の切り札を除去しつつ、残りのシールドをまとめてブレイクできる。

 

「左下の封印を解放! さらに《キラー・ザ・キル》の能力で、《サッヴァーク》を破壊!」

「《正義ノ裁キ》の能力発動! 私のシールドに表向きのカードがあれば、このクリーチャーは破壊されない!」

「にゅっ」

 

 破壊されない……

 闇文明も、火文明も、破壊が得意な文明だ。それを無効化するというのは、ユーちゃんにとっては厄介なことだと思う。

 だけど、それも無制限ではない。

 

「表向きのシールド……あれ、ですか」

 

 ローザさんは言った。シールドに表向きのカードがあれば、と。

 きっとあのクリーチャーの、変わったシールド追加能力も、そのためにあるんだ。

 となれば、話は簡単だ。

 

「なら、それをなくしちゃえばいいだけです! 《キラー・ザ・キル》で攻撃! Tブレイク!」

 

 表向きのシールドがある限り破壊されないというのなら、そのシールドを取り払ってしまえばいい。

 とはいえ、《正義ノ裁キ》は《ドラゴンズ・サイン》で出て来たから、ブロッカーを得ている。すぐにブレイクはできないか……

 と思ったけど、

 

「……いいよ、ブロックはしない」

「えっ!?」

 

 ローザさんのその行動に、驚かされる。

 表向きのシールドをブレイクされたら破壊されちゃうのに、どうして……?

 

「ブロック、しないの……?」

「しないよ。でも、《鋼鉄》と《正義ノ裁キ》の能力は使わせてもらうよ」

「能力……?」

「うん、最初に《鋼鉄》の能力! 自分のクリーチャーすべてに、シールド・セイバーを与える! その能力を使って、《正義ノ裁キ》のシールド・セイバーを発動するよ!」

 

 シールド・セイバー……えっと。

 あんまり聞かない能力だけど、確か、セイバーが自分を身代わりにして他のクリーチャーを守る能力だったよね。

 だけど、ローザさんの場にいるのは《正義ノ裁キ》だけ。せっかく出したクリーチャーなのに、ブロックもせずに破壊しちゃうの?

 ん? 破壊……?

 

「《正義ノ裁キ》のシールド・セイバーで《鋼鉄》のあるシールドを守る! 《正義ノ裁キ》は破壊……されない!」

「!」

 

 直後、《キラー・ザ・キル》がシールドを打ち砕く。

 ブレイクされたシールドは二枚。《鋼鉄》が乗った一枚は、《正義ノ裁キ》に付与されたシールド・セイバーで守られた。

 けれど、その《正義ノ裁キ》は、表向きのシールドがあるために、破壊されない。

 

「こ、これは……」

「そういうことだ」

 

 ようやく理解した。

 そうか、そういうことだったんだ。

 その凶悪なコンボに、戦慄が走る。

 

「シールドに《鋼鉄》がある限り、《サッヴァーク》は死なない。《サッヴァーク》が死なない限り、《鋼鉄》は剥がさせない。そしてシールドが残り続ける限り、ユーちゃんは絶対に、私を倒せない!」

「にゅ……っ!?」

 

 とても恐ろしいコンボだ。シールドを絶対に破らせないなんて……

 

「ど、どうすれば、いいの……? シールドをブレイクできないなんて……」

「抜け道はあるよ。ブレイクせずに勝つとか、シールドを直接焼却するとか。現実的な方法だと、破壊以外の方法で《正義ノ裁キ》を処理する、というところだが……」

「……ユーのデッキは、黒赤……破壊以外の除去は……」

 

 まず存在しない。

 闇も火も、破壊が得意だけど、破壊でしかクリーチャーを除去できない。

 ユーちゃんのデッキでは、《正義ノ裁キ》を退かす手段が存在しない。

 それはつまり、ユーちゃんはもう、勝てないってこと……?

 

「ユーちゃんのデッキはお見通し。ユーちゃん、お洋服だけ持って家を飛び出して、カードは持って来てないでしょ?」

「う……」

「お財布まで家に置きっぱなしだったし、他にカードがないなら、デッキのカードを入れ替えることはできない。つまりユーちゃんは、この前の夜に使ってたデッキのまま。私はそのデッキを見ている。知っている。だから、対策もできる」

 

 ローザさんの、ユーちゃん対策。それが、この鉄壁無双で無敵の防御陣形。

 ユーちゃんのことをよく知って、よく見ているローザさんだからこその罠だ。

 シールドがブレイクできないんじゃとどめが刺せない。とどめが刺せないんじゃ、勝つことはできない。

 こんなの、突破できるの……?

 

「いやいや、そんな悲観することないでしょ。ユーリアさんのデッキには、破壊以外の方法で《正義ノ裁キ》を処理する方法があるんだから」

「え? そうなの?」

「まあ、ね。あるにはある」

「それって?」

「君も知ってるさ。ほら、最初からずっと場に出ているだろう」

「最初からって……あ、そっか!」

 

 《ドルマゲドン》だ。

 禁断爆発すれば、相手クリーチャーはすべて封印される。封印されたクリーチャーは存在しない扱いになるから、実質的な除去、それも破壊じゃない。

 

「つまりユーがこの鉄壁無双を突破する鍵は、《FORBIDDEN STER》の禁断爆発にかかっている。相手クリーチャーをまとめて封印し、その隙に勝負を決めれば」

「ユーちゃんは、勝てるの?」

「勝てる。かはさておき、少なくとも勝機はそこにしかないだろうね、現状では」

 

 《FORBIDDEN STER》の封印は残り二つ。ユーちゃんがこのままコスト5以上の闇か火のコマンドを出し続けられれば、あと2ターンで禁断爆発できる。

 あの陣形を、突破できるんだ。

 

「確かに、禁断爆発されれば私の守りも崩されますね。でも、そう簡単にはやらせない。S・トリガー発動! 《ドラゴンズ・サイン》!」

 

 《鋼鉄》と《正義ノ裁キ》のコンボに驚いちゃったけど、そういえば、今はシールドブレイクされたところだった。

 ローザさんは、《キラー・ザ・キル》にブレイクされたシールドから、S・トリガーを放った。

 正義の裁きを下す龍を呼び出すための印を、再び結ぶ。

 

「私だって、守ってばかりじゃないよ。ユーちゃんには、わかってもらわなきゃ。私がどれだけ、怒っているのかを」

「ローちゃん……」

「《ドラゴンズ・サイン》の効果で、手札からコスト7以下の光のドラゴンをバトルゾーンに出すよ」

 

 ローザさんは、手札を一枚、抜き取る。

 さっきは《サッヴァーク ~正義ノ裁キ~》を呼び出した龍の紋章。

 その印が次に呼び出すのは――

 

 

 

Ich werde dich richte(お仕置きだよ、ユーちゃん)――《煌龍(キラゼオス) サッヴァーク》!」

 

 

 

 ――またしても《サッヴァーク》だった。

 ただしさっきよりも、強そうというか、キラキラとより煌めいていて、豪華で、キレイだ。

 

「《正義ノ裁キ》が私を守る盾なら、この《煌龍》はワガママばっかり言うユーちゃんを“裁く”剣! さぁ、ユーちゃん――お仕置きだよ」

 

 二体の裁きの龍。

 二つの正義はそれぞれ、盾と剣に分かれて、猛威を振るう。

 

「《煌龍》の能力発動! 登場時、相手のカード一枚を表向きのままシールド一枚に、(はりつけ)にする!」

「は、はりつけ……っ!?」

「そう、救世主様による、救済の十字架だよ。選ぶのは《キラー・ザ・キル》! 一番上のカードだけを、磔に!」

 

 聞き慣れない表現で放たれた、《煌龍 サッヴァーク》の除去効果。

 直後、ユーちゃんの《キラー・ザ・キル》は磔刑に処されたかのように、シールドに架けられてしまった。

 バトルゾーンには、進化クリーチャーを剥がされた《キル・ザ・ボロフ》だけが残る。

 

「っ、え、Ende……!」

 

 シールドの枚数では圧倒的にユーちゃんが勝っているけど、ローザさんの《鋼鉄》のシールドの壁が、果てしなく高い。

 それに、バトルゾーンにも二体の《サッヴァーク》が構えており、押し負けている。

 

「私のターン。ドローして、マナチャージ。2マナで呪文《フェアリー・ライフ》、マナを増やすよ。さらに《飛散する斧 プロメテウス》を召喚。山札の上から二枚を墓地に置いて、マナの《サイゾウミスト》を手札に」

 

 防御を固めたローザさんは、もうとどめを刺される心配はない。彼女が気にするのは、《FORBIDDEN STER》の禁断爆発だけだ。

 けれどそれも、あと2ターンかかる。その間に攻め込まれてしまえば、元も子もない。

 

「《正義ノ裁キ》で《キル・ザ・ボロフ》を攻撃(angreifen)! 続けて《煌龍》で攻撃! シールドを――[[rb:ドラゴン・W・ブレイク >Drache zwei Zerbrechen ]]!」

「ど、ドラゴン……?」

 

 ただのブレイクではない、特殊なシールドブレイク。

 これは、どこかで聞いたことがあるような……そうだ。

 帽子屋さんの《ジョリー・ザ・ジョニー》。そのマスター・W・ブレイクに、似ている。

 

「《煌龍》はドラゴン・W・ブレイカーの能力を持ってる。相手のシールドをブレイクするたびに、山札の上から一枚を、表か裏向きにして、シールドに追加できる」

 

 ブレイクのたびに、シールド追加……?

 《ジョリー・ザ・ジョニー》とは正反対の能力だ。あちらが攻撃と同時にクリーチャーを破壊する能力だったけど、こちらは攻めながらも守りを固めている。

 剣と言うものの、その力はやはり、守りに寄っている。

 壊すのではなく、大切なものを守り、大事にしようという力だ。

 

「Wブレイクするから、裏向きで二枚追加だよ。さぁ、攻撃を続けるよ。Wブレイク!」

 

 《煌龍 サッヴァーク》の攻撃が、ユーちゃんのシールドを打ち砕く。

 そして、

 

「くぅ……ユーちゃんは、負けませんよ!  S・トリガー発動! 《禁断V キザム》!」

「! コスト5以上の、コマンド……」

「Ja! なので、右上の封印を解放! 《キザム》をスレイヤーにします!」

 

 三つ目の封印が、外れた。

 S・トリガーで封印が外れるスピードが速まった。これならユーちゃんは、次のターンに禁断爆発できる……!

 

「《キザム》の能力発動! スレイヤーなので、《煌龍 サッヴァーク》も破壊できますが……ここは残します。《正義ノ裁キ》のパワーを下げて、《プロメテウス》とバトル!」

「《プロメテウス》のパワーは1000だから、破壊されるよ……ende」

 

 

 

ターン5

 

 

ユー

場:《キザム》

盾:3(《キラー・ザ・キル》)

マナ:6

手札:3

墓地:6

山札:19

 

《FORBIDDEN STER》

左上:解放

左下:解放

右上:解放

右下:封印

 

 

ローザ

場:《正義ノ裁キ》《煌龍》

盾:4(《鋼鉄》)

マナ:8

手札:3

墓地:6

山札:16

 

 

 

「トリガーで封印が外れるとは、ラッキーだったな」

「あと、ひとつ……」

 

 もう一つ封印を外せば、すべてのクリーチャーが封印され、ローザさんの鉄壁無双の防御陣を突破できる。

 そうすれば、ユーちゃんは……!

 

「3マナで呪文《ボーンおどり・チャージャー》! 山札の上から二枚を墓地に置いて、5マナで墓地から召喚! 《終断Δ ドルハカバ》!」

 

 墓地から召喚されるのは、コスト5、闇と火のコマンド。

 つまり、

 

「最後の封印を解放!」

 

 ゲーム開始時からバトルゾーンに鎮座し、眠り続けていた最終禁断が目覚める。

 

 

 

「禁断爆発――《終焉の禁断 ドルマゲドンX》!」

 

 

 

 それは、すべてを滅ぼす禁断の星の破壊者。

 どんな守りでも、一切合切を塵芥に変えてしまう、恐ろしく、凄まじい力の権化。

 そんな果てしない切り札が、遂に現れた。

 

「《ドルマゲドンX》の能力発動! ローちゃんのクリーチャーは、すべて封印だよ!」

「…………」

 

 《正義ノ裁キ》と《煌龍》、二体の《サッヴァーク》がまとめて封印される。

 封印されたクリーチャーは、その存在が無視され、存在しない扱いとなる。つまり、いくらシールドゾーンに《鋼鉄》がいようと、シールド・セイバーを付与する対象がいないし、ましてや《正義ノ裁キ》で無限に守り続けるなんて、できるはずもない。

 《ドルマゲドン》がいる限り、クリーチャーの封印も正規の方法では外せなくなるし、一気に畳み掛けられる。

 

「ユーちゃんの勝ちだよ、ローちゃん! 《ドルマゲドン》で、Tブレイク!」

「っ……ここは、まだ……!」

「《キザム》で最後のシールドもブレイク!」

 

 《鋼鉄》のシールドは破られ、《鋼鉄》は墓地へ。

 残りのシールドもすべて、根こそぎ砕け散った。

 だけどユーちゃんにはまだ、クリーチャーが残っている。

 

「とどめだよ! 《ドルハカバ》でダイレクトアタック!」

「させない! ニンジャ・ストライク! 《怒流牙 サイゾウミスト》を召喚!」

 

 だけど最後の一撃の直前、手札からシノビが飛び出す。

 《サイゾウミスト》は墓地のカードをすべて山札に戻して、シールドを追加する。《ドルハカバ》の攻撃はプレイヤーには届かず、瞬時に生成された盾に阻まれる。

 

「倒しきれなかった……Ende」

 

 このターンにとどめは刺せなかった。だけど、これは確実にユーちゃんの優勢のはず。

 ローザさんはもうシールドがゼロだし、クリーチャーもいない。

 ユーちゃんにはクリーチャーが三体もいるし、《ドルマゲドン》はそう簡単には除去されない。

 このまま次のターンに押し切れるんじゃないかな……?

 

「ふふん、なんか『ユーちゃんのことは私が一番知ってるの!』みたいなこと言ってガンメタ決めてる風な口利くわりには、ぜーんぜん大したことない。穴だらけのガバガバなメタだったね! やっぱり私の指導は間違ってなかった。こりゃもう、第二、第三の切り札を使うまでもなく、勝てるんじゃない?」

「なに……第二、第三の切り札、って……」

「……いや待て。なんか怪しいぞ」

 

 ユーちゃんが優勢なのはわかるけど、なぜか得意げにしたり顔をするみのりちゃん。

 それに対して、霜ちゃんはふっとなにかに思い至ったように、表情を曇らせる。

 

「あやしい、って……なに、が……?」

「しかし、ドルマゲドンのトリガー比率が高くてカウンターが強いなんて、誰でも知ってる。ユーのことをよく知ってるというのなら尚更だ。にも関わらず、無警戒に殴って禁断爆発を早めるなんて、そんなことあるか?」

「どーせプレミでしょ。やっぱ大したことないんだよ。いくら頑張ってデッキ組んでも、使いこなせなきゃ三流ってね」

「確かに彼女は、ユーよりもプレイングの経験値では劣るかもしれないが……ユーのデッキの性質を知ってなお、そんなプレミをするものだろうか……」

「結局……そう、なにが、言いたいの……?」

「……ただの仮説だよ」

 

 そう前置きして、だけれどどこか確信しているような風に、霜ちゃんは告げた。

 

 

 

「彼女、もしかしたら――ユーの禁断爆発を“誘っていた”んじゃないか?」

 

 

 

 電流が走ったようだった。

 禁断爆発を、誘っていた?

 それが本当なら、ユーちゃんは、ローザさんに乗せられていたってこと?

 

「あの攻撃は単に素早く仕留めたいからではなく、トリガーで封印を外させて、とっとと禁断爆発させるためだったんじゃないか。仮にトリガーを踏まなくても、手札に来たクリーチャーで封印を外せるし、なんだったらそのまま殴り切ってもいい」

「……禁断爆発の、タイミング……を、図って、いた……?」

「謀られた、とも言える」

「でもさー、現に今はユーリアさんが有利じゃん。あとワンパンで勝てるよ」

「だが、もしユーの禁断爆発を意識していなかったのなら、《正義ノ裁キ》で《キル・ザ・ボロフ》は処理しない。《鋼鉄》とのコンボを盾に、そのままフルパン決めて次のターンにとどめだよ」

「でも……《正義ノ裁キ》で、《キル・ザ・ボロフ》を……殴り、返した……」

「あぁ、そこでブレイクされるシールド枚数を調整したんだ。《煌龍》でシールドを増やし、《サイゾウミスト》を握り、次のターンに禁断爆発されてスピードアタッカーが出て来ても耐えられるよう、守りを固めた……そしてその計算は的中し、彼女は生き残った」

「そ、そんなことをして、なんの意味が……?」

「……禁断爆発の使うタイミングを、誤らせた、のかもしれない」

 

 誤らせた……?

 ど、どういうこと?

 

「つまりユーは、このタイミングで“禁断爆発するべきではなかった”のかもしれない」

「すべきではななかった……?」

「禁断爆発は一回限りの大技だ。その大技はユーの逆転の要だけど、相手からすれば、その逆転の一手を凌げればいい、とも取れる」

「……どのタイミングで禁断爆発するのかがわかっていれば、攻撃を耐える手段を用意することもできるし、なんだったらそこから反撃する準備もできるね」

「!」

 

 ローザさんは、あの1ターンでそこまで計算して……?

 そんなまさか、と思った。けれど、

 

「……やはりあなたは聡明ですね、水早さん」

 

 ローザさんは、否定しなかった。

 否定せずに、霜ちゃんのことを称える。

 

「ユーちゃんに、少しでもあなたの聡明さがあれば、と思ってしまいます」

「……ボクはボクだ。そして、ユーもユーだ。ボクにはユーの考えは理解できないし、どちらかと言えば君の考えに賛同するけど……君らの諍いに、水は差さないよ」

「そうですか」

 

 そこで会話を打ち切って、ローザさんは、再びユーちゃんに目を向ける。

 

「水早さんの言う通りだよ、ユーちゃん。ユーちゃんはお友達が大事みたいだけど、そのせいで、私のことを見ていなかった」

「な、なにを……」

「私はずっとユーちゃんのことを見て、考えてた。だからわかる、ユーちゃんがどう戦うのか。それにどう対処すればいいのか。デュエマの知識はなかったから、それを先輩や詠さんに補ってもらう必要があったけど、お陰で私は、ユーちゃんにだけは負けない力を得た。私は誰よりも、ユーちゃんのことを考え、知ってるから」

「ユーちゃんのことを……考え、て……?」

「だけどユーちゃんは、私がなにをするかを考えないから、たった一枚の、たった一度きりの切り札。それを使うタイミングを間違えるんだよ」

 

 ローザさんのターン。

 彼女はカードを引く。マナを溜める。

 

「私にとっても、その置物はとても怖かった。たった一瞬、たった1ターンとはいえ、私の守りが崩されて、無防備になっちゃうからね。だから、早くそれを使ってくれて、安心できたよ」

「たった1ターン……?」

「ユーちゃんの切り札は、全部受け切ったよ。ユーちゃんはその切り札で、私を倒しきれなかった。その時点で、ユーちゃんの負け」

 

 そしてローザさんは、手札を切る。

 

「4マナで《アリス》を召喚、能力で三枚ドローして、手札二枚を山札の上に。そして、5マナをタップ――《ドラゴンズ・サイン》!」

 

 9マナぴったりすべて使い切るローザさん。

 《アリス》でカードを引き、増えた手札は山札の上に。

 さらに結ばれる、三度目の光龍の印。

 

「まさか……」

「そのまさかだよ。手札から《サッヴァーク ~正義ノ裁キ~》をバトルゾーンに出す。能力で山札の上二枚を、それぞれ表裏でシールドに追加するよ」

 

 再び現れる、守りの《サッヴァーク》、《正義ノ裁キ》。

 その能力でシールドが追加される。表裏で一枚ずつだから、結果的に増えるシールドは一枚。

 だけど、追加される場所は、山札から。

 そしてその山札は、さっき《アリス》で置いた手札――

 

 

 

Schild kommen(シールド・ゴー),setzen wieder(再セット)――《守護すぎる守護 鋼鉄》!」

 

 

 

 ――即ち、二枚目の《鋼鉄》だった。

 

「……!」

 

 《正義ノ裁キ》の《鋼鉄》。ユーちゃんを絶対に逃さない、鉄壁無双の強固な防壁が、再び構築されてしまった。

 

「に、二枚目……!」

「ユーちゃんは、自分のことばっかり。私がユーちゃんのことをどう見てるかなんて、考えないんだ。だからこんなことになるんだよ」

 

 そっか、ローザさんはここまで考えていたんだ。

 ユーちゃんが禁断爆発して攻めてくる。だから、それを受け切って、返しのターンですぐに《正義ノ裁キ》と《鋼鉄》のコンボを再構築する。

 ローザさんはこの展開を考えていた。きっと、対戦が始まった、最初から。もしくは、対戦が始まるより前から。

 どのタイミングで自分のコンボを破って攻めてくるのか。そのタイミングを読んで、手札を整え、マナを溜め、守りを固め、さらにはユーちゃんをも誘導して、この結末を引き込んだ。

 それほどに、ローザさんはユーちゃんのことを考えていた。

 

「どんなに強いクリーチャーを並べたって、シールドを割られなければ問題ない。どれだけクリーチャーを破壊してきたって、破壊されなければ怖くない。切り札の禁断爆発も耐え切った……わかる?」

 

 ローザさんは、たった一枚のシールド、けれど果てしなく高く強固な壁を盾に、ユーちゃんに告げる。

 

「もうユーちゃんは、私に勝つ手段はないんだよ。あなたはもう“絶対に”私には勝てない」

 

 

 

ターン6

 

 

ユー

場:《キザム》《ドルハカバ》《ドルマゲドン》

盾:3(《キラー・ザ・キル》)

マナ:8

手札:2

墓地:8

山札:16

 

《FORBIDDEN STER》

禁断コア4

 

 

ローザ

場:《正義ノ裁キ》《アリス》《正義ノ裁キ(封印)》《煌龍(封印)》

盾:1(《鋼鉄》)

マナ:9

手札:5

墓地:1

山札:17

 

 

 

「そんな、絶対に勝てない、なんて……」

「言うねぇ。そんなの見え見えの負けフラグじゃん」

「だが、笑ってる場合じゃないぞ。ユーのデッキは本気で黒赤ドルマゲドン、破壊以外の除去を積んでいるとは思えない」

「《ドルマゲドン》は、禁断爆発、した……最後の、切り札は……もう、切れてる……」

「《レッドゾーンX》とか、《ジ・エンド・オブ・エックス》とかがあったら、いくらでもチャンスがあるんだが……見た感じ、積んでいるようには見えないな」

 

 わりと山札のカードがなくなっているけれど、ここまでそういったカードは一枚も見えていないし、いつかの夜にも使ってはいなかった。

 つまりユーちゃんは本当に、ローザさんの鉄壁の罠に嵌ってしまい、もう抜け出せないってこと……?

 

「んー……」

「どうした、実子」

「なんかさ、ガンメタしてるわりには、回りくどいなって。黒赤ドルマゲドン使うってわかってるなら、もっと他にやりようあるでしょうに。墓地利用メタるとか、踏み倒しメタるとかさ」

「ユーのは《タイガニトロ》抜きでビートに寄っているタイプだから、環境にあるそれとは少し違うが……確かにそうかもしれないな。ユーの動きがここまで読めるなら、もっと直接的に封殺した方が効果的に思える。それがわからなかった、という可能性もあるが……先輩たちがいて、そこまで頭が回らないなんてこと、あるか?」

「カードが足りなかったのかな?」

「ちがう……あれは、覚悟……」

「覚悟?」

「恋の言う通りだね」

 

 剣崎先輩が言った。

 この対戦が持つ、裏の意味を。

 

「これは、勝敗で望みが叶う約束であるけれど、その勝敗は、ただの勝ち負け以上の意味があるし、ただの勝ち負けだけで決めるものじゃない」

「なんですかそれ? そんなこと言ったら、この勝負全否定じゃないですか」

「そうじゃないよ。ただの気持ちの問題だ。でも、それが大事なんだ」

「えっと、それって、どういう……?」

「ただ勝つだけじゃ、本当の勝ちとは言えない。これは相手に“認めさせる”ことが本懐だ」

「だからローちゃんは、ユーちゃんの攻め手を封じたりはしない。すべてを受け切って、その上で乗り越えて勝つつもりなの」

 

 今度は、詠さんが続けた。

 ローザさんがこの勝負かける、思いを。

 

「彼女はユーちゃんを否定したいわけじゃない。だから、先んじて潰すなんて無粋な真似はしない。受けて、耐えて、凌いで、そうして勝つ。それが、彼女の意志であり、覚悟だよ」

「あのデッキも、そういう意図を込めて組みましたよね」

「我ながら力作だった……久々にシールド・ゴー触って楽しかったなぁ」

「姉ちゃんの趣味全開じゃん……」

「まあでも、ユーちゃんのデッキをメタりながら、ローザさんの意志も尊重するっていうと、あのデッキがベストだと思う」

 

 絶対に破壊されない《正義ノ裁キ》に、決してブレイクもされないシールド。

 禁断爆発で突破される恐れはあるけれど、ローザさんはそれを良しとして――むしろその唯一の攻略法を、自ら乗り越えることで、ユーちゃんにに意志を示している。

 抑え込むのではなく、すべて受け止める。それが、ローザさんの覚悟だった。

 

「ユーちゃん、もうやめよう」

「……やめない」

「なんで? もう、ユーちゃんの負けなんだよ。ユーちゃんは私のシールドを破れない。シールドをブレイクできなかったら、ユーちゃんは勝てない。勝てないんじゃ、負けと同じだよ」

「ローちゃんはまだ勝ってないし、ユーちゃんもまだ負けてない! まだ、シールドも山札も残ってるんだから!」

 

 ユーちゃんは叫んで、カードを引く。

 そして場に、クリーチャーを叩きつけた。

 

「5マナで《イーヴィル・ヒート》を召喚! 山札から墓地に置いて、《キル・ザ・ボロフ》を手札に!」

「……わかってくれないんだ。まだ、やるんだね」

「とーぜん! 負けてない限り、ユーちゃんは戦うよ! 《イーヴィル・ヒート》で攻撃する時、S級侵略[不死]! 墓地の《デッドゾーン》侵略して、革命チェンジ! 《Kの反逆 キル・ザ・ボロフ》!」

 

 ユーちゃんは負けを認めない。果敢に、勇敢に、不屈の闘志で、前に進み続ける。

 けれど、

 

「《デッドゾーン》の能力で、《正義ノ裁キ》のパワーを9000マイナス! 《キル・ザ・ボロフ》の能力で、《アリス》を破壊!」

「パワーを下げても無駄! 《正義ノ裁キ》は破壊されないし、《鋼鉄》のシールド・セイバー付与で、私のシールドはブレイクされない!」

 

 いくらユーちゃんが不屈でも、これが現実だ。

 《正義ノ裁キ》と《鋼鉄》のコンボで、《正義ノ裁キ》は倒せず、シールドもブレイクできない。

 どれだけユーちゃんの意志が強くたって、このコンボの前には意味をなさない。すべての攻撃は、あらゆる除去は、受け切られてしまうのだから。

 

「私のターン! 《煌龍 サッヴァーク》を召喚! 能力で《ドルマゲドン》を磔に!」

「《ドルマゲドン》の能力発動! 禁断コア二つと、シールド一枚を犠牲にして、《ドルマゲドン》は生き残る……!」

 

 ローザさんのターン。ローザさんは、再び《煌龍 サッヴァーク》を繰り出して、《ドルマゲドン》を直接狙う。

 《ドルマゲドン》は場を離れたら、その瞬間に敗北が確定してしまう。だからユーちゃんは、シールドを犠牲にしてでも、守らなくてはならない。

 ここで《ドルマゲドン》を守るのは、負けないためには当たり前の行動だけど。

 そうするということはつまり、ユーちゃんはまだ、負けを認めていないということを、暗に示していた。

 ローザさんはそんなユーちゃんに、歯噛みする。

 

「なんで、まだ続けるの、ユーちゃん……?」

「まだ、負けてないから」

「負けだよ。シールドはブレイクできない、クリーチャー破壊できない。もう負けが目に見えているのに、どうしてそれが信じられないの……目に見えるものまで、ユーちゃんは疑うの……?」

「……ユーちゃんは、まだ、負けてないから。勝たないと、ダメだから」

「…………」

 

 ローザさんの表情が陰る。

 唇を噛み締めて、悲痛の眼を見せる。

 

「……ende」

 

 そして、ターンを終えた。

 

「攻撃しない……?」

「なにか意図があるのかもしれないが……まあ、する必要がないといえばないしな」

「そうなの?」

「デッキ枚数は、僅かにユーのほうが少ない。絶対にシールドが破られず、負けないのであれば、後はドローするだけでLOで勝てる。打点も揃っていないしね」

「シールド割るなら、できれば《煌龍》の方で殴りたいしね」

「勝ち確の状態でそこまでやるかとう話だが、まあ詰めというのはそういうものだ。最善かはさておき、合理的な理由はいくらでもつけられる」

 

 合理的、かぁ。

 確かにローザさんなら、そういうことを考えて立ち回るんだろうけど……わたしには、攻撃を躊躇ったようにも見えた。

 本当はこの対戦を望んでいないかのような、そんな躊躇いを。

 

 

 

ターン6

 

 

ユー

場:《キザム》《ドルハカバ》《キル・ザ・ボロフ》《ドルマゲドン》

盾:2

マナ:9

手札:3

墓地:8

山札:15

 

《FORBIDDEN STER》

禁断コア2

 

 

ローザ

場:《正義ノ裁キ》《煌龍》《正義ノ裁キ(封印)》《煌龍(封印)》

盾:1(《鋼鉄》)

マナ:10

手札:4

墓地:2

山札:16

 

 

 

「マナチャージ……《イーヴィル・ヒート》を召喚! 墓地を増やして、《ドルブロ》を手札に! そのまま《終断γ ドルブロ》を召喚! ……Ende」

「遂にユーの攻撃が止まったか……」

「残りの盾は《鋼鉄》だけだし、殴る意味がまったくないもんね」

 

 ローザさんはシールドはたった一枚。だけど、その一枚の壁が、あまりも高く、厚く、そして堅い。

 絶対に壊せない《鋼鉄》の壁。それが、ユーちゃんを阻み続ける。

 

「私のターン、《アリス》を召喚。三枚ドローして、手札を二枚、山札の上に。さらに7マナで、《煌龍 サッヴァーク》を召喚! 《ドルブロ》を磔に!」

「ユーちゃんのブロッカーが……」

「まあ結局あのシールドもブレイクするなら、トリガーでまた出るけどね」

「だが、ブロッカーを退かされてしまった。ドラゴン・W・ブレイクを防げなくなったよ」

 

 前のターンには攻撃しなかったローザさんだけど、このターンは……?

 

「……ユーちゃん、本当にまだ、続けるの」

「続けるよ。ユーちゃんはやめない。一度始めたデュエマを、途中でやめたりしない」

「なんでそこまで……私は、本当はこんな形で争いたくない。本当なら、楽しい遊びのままでありたいし、ユーちゃんとも、争いよりも、遊んでいたい……ユーちゃんだって、そうでしょ?」

 

 ローザさん……

 やっぱりローザさんは、ずっと、たとえ対戦の最中でも、ユーちゃんのことを思っている。

 

「ただの遊びでも、大事な勝負でも……私は、ユーちゃんを傷つけたくは、ないよ。この勝負が終わったら、私はユーちゃんの大切なものを、奪わなくちゃいけないんだから。だから、せめてこの勝負くらいは、穏やかに終わらせたい」

「…………」

「だから負けを認めて、ユーちゃん。もう終わりだよ」

 

 投降を促すローザさん。

 デュエマにも一応、降参はある。自ら負けを認めて、デュエマを終わらせることができる。

 たかが勝負、されど勝負。カードゲームと言えども競い事であり、争い事。

 どんな形であれ、ローザさんはユーちゃんを傷つけることを望まない。

 けれど、

 

「……それは、ちょっと違うよ」

「え……」

「ユーちゃんは、ローちゃんに傷つけられるつもりも、ローちゃんを傷つけるつもりも、ない」

 

 ユーちゃんは、キッパリと否定した。

 

「今のユーちゃんは、ローちゃんとデュエマをしてる。クリーチャーと戦ってるわけじゃない。誰かが傷つくなんて、あり得ない」

「……私が勝っても、ユーちゃんはそれでいいってこと?」

「ユーちゃんは負けないよ。ローちゃんに勝って、またみなさんと一緒にデュエマするの」

「無理だよ。ユーちゃんは、私には勝てないんだから」

「勝つよ。だってこれは、ユーちゃんが大好きな、ユーちゃんがみなさんと繋がることができた、大切なものだから。どんなことがあっても、絶対に手放さない。またみなさんと一緒に、笑うためにも」

 

 ユーちゃん……

 どんな絶望の中にいても、ユーちゃんは希望を捨てない。

 それは傲慢で、強欲で、ワガママでしかないようにも見えるけど。

 どんな暗闇の中でも、その存在は、どこまでも光り輝いていた。

 

「……そう。わかったよ」

 

 ローザさんは、そんなユーちゃんに対して、諦めたように息を吐く。

 そして、

 

「どうやら、私の覚悟が足らなかったみたい」

 

 それを引き金に、ローザさんの目の色が、変わった。

 

「私は今から、あなたの“悪”になる。そして、本気であなたを倒す」

 

 ローザさんは、場のクリーチャーに手を添える。

 二体の裁き龍、《サッヴァーク》のうち一体――《煌龍 サッヴァーク》に。

 

「《煌龍 サッヴァーク》で攻撃! シールドを――ドラゴン・W・ブレイク!」

 

 ユーちゃんの二枚のシールドが、切り裂かれる。

 これでユーちゃんのシールドはゼロ。けど、それだけじゃない。

 

「表向きで二枚、シールドゾーンに追加!」

 

 ローザさんはシールドを増やす。けれどそれは、新しい盾ではない。

 置かれたシールドは、《煌龍 サッヴァーク》と《ドラゴンズ・サイン》。表向きで二枚。

 これは、《煌龍》のための、生贄だ。

 

「《鋼鉄》のシールドが破られないと見て、除去耐性に傾かせたか」

「シールドは《鋼鉄》が一枚あればそれでいいってことだね。舐め腐ってるのはムカつくけど、私もあれは正攻法じゃ破れないなぁ」

「君には《ギョギョラス》があるだろ。あれは相手がユーだからこそ、強固な壁として立ち塞がるんだ」

「ユーのデッキは、黒赤ドルマゲドン……封印、手段なくなったら……もう、破壊しか、除去、ない……」

 

 闇も火も、除去手段は破壊がほとんど。

 《ドルマゲドン》の除去を使ってしまったユーちゃんでは、もう《正義ノ裁キ》を退かす手段がない。

 そして、それを知ってて、ローザさんはあのデッキを、この戦略をぶつけてきた。

 みのりちゃんや、霜ちゃんや、恋ちゃんなら……あるいはわたしでも、あのコンボを打ち破る手段は持っている。

 だけどユーちゃんには、破壊という除去しか持たないユーちゃんにだけは、その壁は真に無敵の壁として、そびえ立つことができる。

 いわばユーちゃん専用の絶対防壁。ユーちゃんを徹底的に封じ込めるための罠だ。

 

「狡い、とは言えないよ、小鈴」

「っ……」

「デュエマっていうのは、カードゲームっていうのは、本来こういうものだ。対人メタはマナーが良いとは言えないけど……勝つためには必要なことだ。それだけ、彼女は本気で勝ちに来ている。嫌われるような戦略を使ってでも、絶対に負けたくないっていう強い気持ちがある。それは、否定できないし、しちゃいけない」

「……うん」

 

 そうだ。

 ローザさんも、それだけ本気なんだ。

 本気で勝とうとしているし、本気でユーちゃんのことを考えている。

 だから、ここまでユーちゃんを追い詰めてるんだ。

 

「っぅ、S・トリガー《終断γ ドルブロ》!」

「《正義ノ裁キ》でダイレクトアタック!」

「《ドルブロ》でブロック!」

「ende……次のターンで終わらせるよ、ユーちゃん」

 

 

 

ターン7

 

 

ユー

場:《キザム》《ドルハカバ》《キル・ザ・ボロフ》《イーヴィル》《ドルマゲドン》

盾:0

マナ:10

手札:4

墓地:9

山札:13

 

《FORBIDDEN STER》

禁断コア2

 

 

ローザ

場:《煌龍》×2《正義ノ裁キ》《アリス》《正義ノ裁キ(封印)》《煌龍(封印)》

盾:1(《鋼鉄》《煌龍 サッヴァーク》《ドラゴンズ・サイン》)

マナ:11

手札:3

墓地:2

山札:12

 

 

 

 ユーちゃんのシールドはゼロ。もはや、後がない。

 クリーチャーをいくら並べても、《鋼鉄》のシールドは破れない。クリーチャーをいくら破壊しても、《正義ノ裁キ》は倒せない。

 残り一枚のシールドの壁は、果てしなく高く、そして強固だ。

 

「ユーちゃんのターン、ドロー!」

「……やっぱり諦めないんだね、ユーちゃん」

「そうだよ、ユーちゃんは絶対に、諦めない」

「うん。それはユーちゃんのいいところ。諦めないのはいいこと。だけどね、ユーちゃん。道理が通らないのに諦めないのは、ただのワガママだよ」

 

 諭すように、窘めるように、あるいは叱るように、語りかけるローザさん。

 その諫言に対して、ユーちゃんは、

 

「……そうだよ。“私”は、ワガママなの」

 

 それを、認めた。

 

「私はワガママで悪い子。欲張りで、自分のことしか考えないWolf(オオカミさん)……そのせいで、MuttiにVati、それにローちゃんにも、迷惑かけちゃった。そのことは、悪いって思ってるし、ガマンしなきゃって思うし、私のできる範囲でそうしてきたつもり」

「なら……」

「でも!」

 

 己の業を、我欲を、エゴを、ユーちゃんは認めた。

 けれど、その自分本位で、心優しい、他でもない彼女自身の正義は、否定しない。

 

「私にも、ワガママを通したい時がある。私がガマンするだけならいい。でも、私の友達や、私の楽しさまでは――私の大切なものまでは、あなたには縛らせない! “ローザ”!」

 

 ユーちゃんは、姉の名を呼ぶ。異国の地で名付けられた仇名ではなく、本当の、本来の名前を。

 それはきっと、昔からの呼び名。異邦のドイツで生まれ育って来た時に呼び合ってきた名前だ。

 ローザさんはユーちゃんの真剣さを感じ取ったはず。朗らかで笑顔を絶やさないユーちゃんが、険しく鋭い眼光で、睨むようにローザさんを見つめているのだから。

 佇まいも、空気も、いつものユーちゃんとは思えない覇気で満ちていた。

 

「……あなたのお友達は、あなたを危険に巻き込むかもしれない。私だって、伊勢さんたちを悪く言うつもりはない。彼女たちは、あの時のユーちゃんを助けてくれたから……とても、優しくて、いい人たちなのは、わかるよ」

 

 そんなユーちゃんに対して、ローザさんは逆に、落ち着き払って答える。

 いや、違う。本当は、もっとたくさんの感情が、彼女の中で渦巻いているはずだ。

 けれどローザさんはその混沌とした気持ちを抑えて、平静を保っているに過ぎない。

 ローザさんは努めて冷静な調子のまま、言葉を紡いでいく。

 

「伊勢さんたちは優しくていい人。それは認める。でも、人は悪意なく間違える。過ちを犯す。善人であれ、聖人ではない。本人にそのつもりがなくても、気づかないうちに邪道を歩んでしまうこともあるし、誰かをそこに引きずり込んでしまうこともある。人間なら仕方のないことだよ。悪魔の誘惑は、狡猾で残酷だから」

「…………」

「だから人には、その誘惑を打ち払うだけの強い心が必要。でも、人は誰もが強いわけじゃない。私だって弱いし、何度も間違える。だから私は、人に強さを押し付けられないし、たとえ道を踏み外してしまっても、その過ちを責めることはできない。私に、人に石を投げる資格はないから……だけど、だからって、それが私の大切な人を危険に晒す理由にもならない」

 

 ローザさんは、あくまでも危険は外にあるとして、わたしたちを悪者にはしない。

 その優しい気持ちは嬉しいけれど、そのことと、ユーちゃんを大事にする気持ちは別。

 ローザさんは何物でもない自分の意志で、自分の力で、ユーちゃんに手を伸ばす。

 

「私は、ユーちゃんを――“ユーリア”を守りたい」

 

 今度は彼女が、妹の名を呼ぶ。

 自分でも呼んじゃうくらいお気に入りの仇名ではなく、かつての呼び名を。ずっと呼び続けていた、真の名を。

 

「傷ついて欲しくない、いなくなって欲しくない。ずっと傍にいて欲しい。危険なことは、しないで、欲しい……私の望みは、ただそれだけなの」

「だとしても、私にも譲れないものがあるの。誰にだって壊されたくないものが。私が大事にしたいものが。たとえお姉ちゃんと争うことになってでも、守りたいものが」

「っ……!」

 

 ローザさんは、瞳を揺らして、歯を噛み締め、軋ませる。

 それが引き金となったかのように、彼女は、波濤の如く言葉を放った。

 

「なんでわかってくれないの、ユーリア! ずっと、あなただって怖い目に遭ってきたのに……どうして、それがわからないの!?」

「それ以上に、この世界には楽しいことがあるからだよ! 山に、森に、人の中に! 楽しさが溢れてる! ローザにはわからないの!?」

 

 対するユーちゃんも、声を荒げて言い返す。

 そこにはわたしたちの知らないユーちゃんの顔があった。怒りに満ちていて、激しく荒ぶる怒涛のようだった。

 二人は大荒れに荒れた嵐ののように、数々の言葉を浴びせかける。

 

「それは、自分を傷つけて、大切な人を悲しませてまで……そうまでして得る価値のあるものなの!?」

「家にこもってばっかりのローザには言われたくない! そんなんだからローザは、大切なものを見落とすんだよ!」

「っ……確かに私は、ユーリアに迫る危険も、ユーリアが危ないことをしていることも、気づけなかった……でも! だからこそ! もうあんな悲しいことは起こさせないって誓うんだよ!」

「やっぱりわかってないよ! ローザは、私が大切にしたいもののことなんて、なにもわかってない! なにも見えてない! 本当にワガママで、自分のことばっかりなのは、ローザじゃないの!?」

「ユーリアだけには言われたくない! いつまでも子供のままで、ワガママ言って、MuttiやVatiや、私や、皆に迷惑をかけてるのはユーリアだよ! 私の気持ちも知らないで!」

「ローザだって私の気持ちをわかってない! ローザだって子供だよ!」

「…………」

「…………」

 

 

 

『……Du bist ein Idiot(この分からず屋)!』

 

 

 

 だんだんと、ヒステリックになってきた。

 一度始まってしまえば、堰を切ったように、二人の言葉の嵐は止まない。二人の抑え込んでいた感情が、混沌のまま溢れ出て、飛び交い、荒れ狂う。

 

「もう怒った! ローザ! あなたが私の大事なものを奪うっていうなら……なにも見えないまま、私たちのすべてを壊そうとするあなたはもう、私のお姉ちゃんなんかじゃない!」

「っ……!?」

 

 ユーちゃんが怒りに任せて放った言葉。

 姉ではない。あなたは、姉ではない。

 あまりにも強烈で、残酷な言葉だった。

 その言葉は、ローザさんの胸に深く突き刺さる。

 

「……いいよ。それでもいい。あなたに嫌われても、いいよ」

 

 けれど、ローザさんはその拒絶さえも、受け止めた。

 怒りか、悲しみか、あるいは両方か。震える身体を必死で奮い立たせ、言葉を絞り出す。

 

「たとえユーリアから嫌われても、私はユーリアが好き。ユーリアが大事。だから、私がユーリアを、守るんだ。守らなきゃ、いけないんだ……!」

 

 ローザさんは、強かった。

 なによりも大事なユーちゃんに拒絶されてもなお、彼女の愛は尽きない。

 一方通行になっても、拒まれても、ローザさんの思いはユーちゃんへと向き続ける。

 なんともひたむきで、健気で、儚いのか。

 その姿は見ているだけで、悲愴と悲痛に満ちている。

 

「……私のターン、3マナで《リロード・チャージャー》! 手札を一枚捨てて、一枚ドロー!」

 

 ユーちゃんはそんなローザさんを見て、それ以上、なにも言わなかった。

 残り短い余命(ターン)――恐らくはこれがラストターン――で、為すべきことを為す。

 

「2マナで《勇愛の天秤》! 手札を一枚捨てて、今度は二枚ドロー!」

「……なにかを探してるね。でも無駄だよ」

 

 ローザさんも少しは落ち着いたようで、対戦へと意識を戻す。

 ユーちゃんはドローカードを連打。つまり、なにかデッキの中に欲しいカードが眠っているんだと思う。

 けれど、ローザさんは不敵だった。

 

「私の《鋼鉄》と《正義ノ裁キ》のコンボは無敵だよ。ユーリアじゃ、絶対に破れない」

 

 何度も口にして、何度も体現されている、鉄壁無双の防御陣。

 シールがブレイクされない無敵コンボ。これが破れなければユーちゃんに勝ち目はないけど、これを突破するだけの手段が、ユーちゃんのデッキにはない。

 その事実が、ローザさんの自信の裏付け。誰よりもユーちゃんのことをよく知るローザさんだからこそ成せた、この時、この瞬間だけの、ユーちゃんへの(メタ)

 コンボを破らなければ勝てないが、コンボを破る手段がない。ならばそれはつまり、敗北しかない。

 ユーちゃんの前に伸びるのは、敗北に続く道のみ――だけど、

 

「……確かに、私の戦術じゃ、私の力じゃ、ローザの守りは突破できない。勝てないと思う」

「そうだよ。だからもう、諦めて――」

「でも、それなら話は簡単」

 

 ユーちゃんもまた、不敵に微笑んでいた

 不敵というより、どこかいつものユーちゃんっぽい、朗らかな微笑みに見える。

 

「ローザは知らないよね。私が今までなにをしてきたか。どうやって戦ってきたのか。小鈴さんたちと一緒にいる間に、なにがあったのか」

「……?」

「ローザは私の知らないことをいっぱい知ってる。本で読んだことをたくさん知ってる。でも、それは私も同じ。私だって、ローザの知らないことをいっぱい知ってる。空色の変化を知ってる、森の木々のざわめきを知ってる、おいしい野イチゴを知ってる、怖い獣の住処を知ってる」

「なにが言いたいの、ユーリア」

「私の知ってることを、ローザにも教えてあげるよ」

 

 そう、たとえばそれは、

 

「小鈴さんや、みなさんの――私のお友達の、強さを」

 

 ユーちゃんはピッと、手札のカードを一枚、抜き取った。

 

「私はローザが部屋にこもって手に入れられなかったものを、たくさん手に入れたんだよ。これは、そのひとつ」

「勝てないよ。自分のことしか見えてないユーリアは、ユーリアのことをずっと見てきた私には勝てない」

「Nein.私は勝つよ、ローザ。今のあなたには絶対に手の届かない、とびっきりの強い力で」

「そんなものが……あるわけが」

「あるよ!」

 

 そして、彼女は――

 

 

 

「だって、私は――“ユーちゃん”は、一人じゃないから!」

 

 

 

 ――飛び切りの笑顔を、見せた。

 

「6マナタップ! 《キザム》をEvolution(進化)!」

 

 そのユーちゃんは、いつもの……わたしたちの知っているユーちゃんだ。

 ユーちゃんはにこやかで朗らかな笑顔で、一枚のカードを繰り出す。

 そのカードは――

 

 

 

Das ist die von ihrer entlehnte Magie(これが今だけの、私のマジカル☆ベル)!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「小鈴さん。お願いがあります」

「お願い……? な、なに? わたしにできることならやるけど……でも、もう勝負の日まで時間ないよ」

「だいじょーぶです! ちょっと、貸してほしいものがあるんです」

「貸してほしいもの? 別にいいけど、なにを貸してほしいの?」

「カードです!」

「カード? カードって、デュエマの?」

「Ja! ローちゃんに勝つために……みなさんが幸せになる結末のために、必要なんです。たぶん!」

「た、たぶんって……でも、いいのかな。わたしのカードを貸しちゃって。それに、今からデッキを変えると、みのりちゃんとの練習が無駄になっちゃうんじゃない?」

「それも、だいじょーぶ、です! 貸してほしいカードは一枚だけです。ユーちゃんのデッキは、あんまり変えません」

「そ、そっか。でも一枚変えただけでそんなに変わるかなぁ? それに、ユーちゃんのデッキって確か、禁断のカードの誓約があるから、制限がかかっちゃうんじゃない? わたし、あんまりコマンドのクリーチャーって使わないよ?」

「そんなことないですよ。あるじゃないですか、小鈴さんにはとっても強い切り札が!」

「? コマンドで、だよね。なんだろう、《ガイギンガ》? でもあれは、《グレンモルト》とか、ドラグナーがいないと使えないし……《グレンモルト》はコマンドじゃないから、攻撃できないよ。《グレンモルト》以外のドラグナーは、わたし持ってないし……」

「Nein! 違います! 一番最初にユーちゃんとデュエマした時に、使ってたじゃないですか!」

「最初にデュエマした時? それって、まさか――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

Ich bitte dir(力を貸してください)――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 ――わたしの、切り札だ。

 ローザさんはそのカードを目にした途端、瞳を揺らし、目で見て分かるほどに動揺していた。

 

「な、なに、そのカード……知らない。ユーちゃんが、使ったことのない、カード……!?」

「ローちゃんは、ユーちゃんのことはしっかり見てるのかもしれない。でも、ローちゃんが見てるのは“ユーちゃんだけ”だよ。ユーちゃんの周りまでは――ユーちゃんが大事にしてる“お友達”までは、見てないんだ!」

「っ!?」

 

 ローザさんの動揺が、身体の震えが、より大きくなる。

 自分の知らないカード。妹から繰り出される、予想だにしない一手。

 ユーちゃんのことを知り尽くし、その対策を立てて、それで万全だと思い込んでいたローザさんだけに、この予想外のクリーチャーが与えた衝撃は、計り知れない。

 

「これは、ユーちゃんのお友達のカード! お家の中で本ばっかり読んで、ユーちゃんとしかデュエマしなくて、ユーちゃんのことしか見えてないようなローちゃんじゃ、絶対に知らないカードだよ!」

「う……!」

「行きますよ! 《エヴォル・ドギラゴン》で、《煌龍 サッヴァーク》を攻撃!」

 

 《ドギラゴン》が飛翔する。

 巨大で力強い体躯で、正義の龍へと突撃し、力任せに叩き伏せる。

 

「き、《煌龍 サッヴァーク》の能力で、場を離れる代わりに、表向きのシールドを身代わりに……」

「効きませんよ! 《エヴォル・ドギラゴン》は、バトルに勝てば何度でもアンタップする! 倒れるまで、殴り続けます!」

 

 そうだ、《エヴォル・ドギラゴン》はバトルに勝ち続ける限り、無限に攻撃できる。

 破壊を防ぐために身代わりを用意する必要のある《煌龍 サッヴァーク》では、《ドギラゴン》の猛撃を耐えることはできない。

 

「あ、う……いや。そ、それでも《正義ノ裁キ》と《鋼鉄》のコンボは破れないよ! いくらバトルに勝ち続けられても、破壊じゃ、倒せない……!」

 

 《エヴォル・ドギラゴン》が、《煌龍》を叩き潰した。

 けど、それはローザさんの切り札をひとつ、倒したに過ぎない。ローザさんの剣を折っただけだ。

 ローザさんの最強の武器は、剣ではなく盾。彼女の真の切り札は《煌龍 サッヴァーク》ではなく、《サッヴァーク ~正義ノ裁キ~》なのだから。

 そして、その盾をより強固にする《鋼鉄》。この二体の布陣を攻略しなくてはならない。

 けれどわたしの切り札じゃ……《エヴォル・ドギラゴン》じゃ、残念ながらあのコンボを崩すことはできない。

わたしの力だけじゃ、あの壁は超えられない。

だけど、今戦っているのは、わたしではなく、ユーちゃんだ。

ユーちゃんの持っている力は、わたしだけの力じゃない。

 

「ローちゃん」

 

 ユーちゃんの顔に浮かんでいるのは、絶望ではない。

 どんな困難にもめげずに立ち向かい、乗り越え、闇の中を進んでいく、希望の光そのものだ。

 

「あのねローちゃん。ユーちゃんのお友達は、小鈴さんだけじゃないんだよ」

 

 そう言ってユーちゃんは、今度は《エヴォル・ドギラゴン》の隣の狼へと、指を添える。

 

「《キル・ザ・ボロフ》で攻撃する時――侵略発動!」

 

 今度は真っ黒な狼が突撃する。その時、墓地で蠢く影が、二つ。

 

「S級侵略[不死]! 墓地から二体、《デッドゾーン》に侵略!」

「《デッドゾーン》でも無理だよ! 《正義ノ裁キ》は、破壊ならパワー低下でも耐え切ってみせる!」

「そうだね。破壊なら、ね」

「え?」

「手札からもう一枚――侵略」

 

 ユーちゃんはもう一枚、手札を切る。

 狼の上に重ねられた廃車の上に、さらにもう一枚。けれどもそれが求めるのは、腐り落ちた侵略者ではなく、反逆の志だ。

 

「……カード同士でも、《ドギラゴン》にピッタリくっついて。本当に小鈴さんが大好きなんですね」

 

 ユーちゃんは優しい笑みを浮かべると、そのカードを、二枚の《デッドゾーン》の上に、さらに重ねる。

 

「《キル・ザ・ボロフ》は“コスト8”のデーモン・“コマンド”。そして――“革命軍”」

「……?」

 

 あ……

 ローザさんは気づいていないようだけど、その羅列された要素で、わたしたちはすぐにピンときた。

 仲のいい双子の姉妹。

 その亀裂を貪る、裏切りの瞬間だ。

 

Ich niemals verrate dich(私は絶対、あなたを裏切らない)

 

 革命に背き、侵略を剥く、反逆の魔狼。

 それは幾度となく裏切りを重ね、その極点に至る。

 

 

 

Ich bitte dir(力を貸してください)――《裏革命目 ギョギョラス》!」

 

 

 

 腐敗の侵略者も、反逆の狼も、なにもかもを飲み込んで現れたそれは、裏切りの化身。

 人の理想を、意識を、予測を、期待を、あらゆるものを裏切って、勝利と敗北をもたらす始祖の怪鳥。

 そして、わたしの友達の、切り札でもあった。

 

「まさか、みのりちゃんも……?」

「一枚だけでいいから、どうしても貸してほしいって言われたものでね」

「どうりで君、なんかずっとにやけてたのか。ユーは“まだ詰んでいない”と知っていたから」

 

 そしてそれは、ユーちゃんが希望を捨てなかった理由でもあった。

 ユーちゃんは、知っていたんだ。ローザさんの牙城を崩す手段があることを。

 そして、わたしたち(友達)が、助けに来ることを。

 

「また、私の知らないカード……っ! ど、どうして……!?」

 

 立て続けに予想外のカードを繰り出されて、パニックに陥るローザさん。

 今が、チャンスだ。

 

「突っ込みます! 《デッドゾーン》二体の能力で、《煌龍》のパワーをマイナス18000!」

「っ、パワー低下じゃ、《煌龍》を守れない……!」

 

 つまり二体目の《煌龍》も、破壊されてしまうということ。

 そして、《煌龍》が場から離れたということは、

 

「《ギョギョラス》の能力で、《サッヴァーク ~正義ノ裁キ~》をマナゾーンへ!」

 

 もはや《正義ノ裁キ》は、破壊以外の除去を受け付けるようになってしまったということ。

 《ギョギョラス》の大口の前に、《正義ノ裁キ》は飲み込まれてしまう。

 

「《正義ノ裁キ》が場を離れた……!」

「さぁ、ぶち込む時だね」

 

 鉄壁無双の牙城は突き崩された。

 となれば残るは、シールドを打ち砕くだけだ。

 

「マナゾーンから《ドルハカバ》をバトルゾーンに! そして、シールドをブレイク!」

「し、シールド・セイバー! 《アリス》を破壊して、《鋼鉄》のシールドを守る!」

「《ドルハカバ》でシールドをブレイク!」

 

 ユーちゃんの攻撃が通り、ローザさんの最後のシールドが、破られた。

 そして最後の砦である《鋼鉄》さえも、墓地へと落ちていく。

 

「ユーリアさんへの対策はバッチリしてきたみたいだけど、その対策を過信して、足元をすくわれたね。これが決まるから《ギョギョラス》は気持ちいいんだ」

「その快感は知らないが、そうだな。ユーへのガンメタが決まったまではよかったけど、ユーが“他人のカード”を使うところまで読めなかったのが、痛打になったか」

 

 ユーちゃんのデッキについて知り、その対策を立てて勝負に臨んだからこそ、予想できなかった一手によって、脆く崩れ去る。

 ローザさんはユーちゃんを知り尽くしているようで、その実、知らない面もあった。

 それは、ユーちゃんが“なにを見ているのか”。

 ローザさんはユーちゃん本人のことは見ていても、ユーちゃんが見て、大事にしている場所までは、見えていなかった。

 果てのない好奇心と吸収力。わたしたちの戦術を、時としてカードそのものさえも取り込んでしまう、貪欲さ。

 それを少しでも想像できていれば、結果は違ったのかもしれないけれど。

 ローザさんは、ユーちゃんの見ている景色まで、見通すことができなかった。

 

「カードを借りたのは、ローちゃんだけじゃないんだよ。それに、ユーちゃんの借りたカードは、ローちゃんと違って――みなさんの気持ちが、込められているから!」

「っ……!」

「だから、ユーちゃんは負けない。負けるはずがないよ」

「……まだ! まだだよ! 私はまだ、負けてない!」

 

 最後のシールドを破られてもなお、ローザさんの眼に燃える闘志は消えない。

 それはもはや、一種の強迫観念のように、彼女にこびりついて、燃え続けている。

 

「私が、しっかりしなきゃ……ユーちゃんを、守らなきゃ、いけないんだ……!」

 

 最後にブレイクされたシールド。残り一つのシールド。

 その終わりのシールドに含まれる三枚のカード。ローザさんはそのうちの一枚を、叩きつける。

 

「S・トリガー、《ドラゴンズ・サイン》! 手札から《サッヴァーク ~正義ノ裁キ~》をバトルゾーンに! 山札の上から、シールド表裏で一枚ずつ追加!」

 

 そういえば、ドラゴン・W・ブレイカーでシールド一つに、カードが何枚も重なっていたんだった。

 うっかり見落としていたけど、その中にはS・トリガーもあった。ローザさんはさらにシールドが増え、ブロッカーもできた。

 ローザさんはまだ、倒れるつもりはない。全身全霊で守りを固めて、受け切るつもりだ。

 

「ユーのアタッカーは残り四体。シノビの枚数やトリガー次第では、危ないな」

 

 ユーちゃんの場に残されたクリーチャーは、《ドルハカバ》《イーヴィル・ヒート》《ドルマゲドン》に《ドギラゴン》。

 ローザさんにはシールド一枚と、ブロッカーと化した《正義ノ裁キ》が一体。

 目に見えているだけでも、二体分の攻撃が止められてしまう。シノビやS・トリガーが一枚だけなら押し切れるけど……

 

「ここはもう、攻撃するしかありません! 全力で行くよ! もう一体の《ドルハカバ》で攻撃!」

「《正義ノ裁キ》でブロック!」

「《イーヴィル・ヒート》でシールドをブレイク!」

「トリガーは……ないよ」

「ノートリガー……それにシールドがなくなった……!」

「後はシノビが何枚あるかだね」

 

 ユーちゃんの攻撃可能なクリーチャーは残り二体。

 シノビが一枚だけなら、このまま攻め切れる。

 

「《ドルマゲドン》でダイレクトアタック!」

「ニンジャ・ストライク! 《サイゾウミスト》! 墓地とデッキを混ぜて、シールドを追加!」

「やはりあったか、《サイゾウミスト》。一枚くらいは持ってるかもしれないと思ったが……」

「これでまた、トリガーチャレンジだね」

 

 《ドルマゲドン》の攻撃の前に、瞬時に増えたシールドが阻む。

 ここでS・トリガーさえなければ……あるいは、シノビがこれ以上なければ、ユーちゃんの勝ちだ。

 S・トリガーさえ、来なければ――

 

「……S・トリガー!」

「っ!」

 

 ――来てしまった

 彼女に勝利を与えるカードが。

 

 

 

「私の勝ちだよ、ユーちゃん――《ドラゴンズ・サイン》!」

 

 

 

 光の龍の印が結ばれる。

 闇の中を突き進むユーちゃんに、眩い光の壁として、彼女の正義が、立ちはだかる。

 

「これで終わらせる! 《煌龍 サッヴァーク》をバトルゾーンへ!」

 

 現れたのは、煌めく正義の執行者、《煌龍 サッヴァーク》。

 その剣は、悪を裁き、誅する断罪の刃。

 かの龍の処断の前では、あらゆる存在は無に還り、磔刑に処されてしまう。

 

「《煌龍 サッヴァーク》の能力で、相手クリーチャー一体を磔に――」

「無理だ」

 

 だけど。

 その断罪は、制されてしまう。

 

「ローザさん。それはできない」

「なっ……ど、どうして!」

 

 先輩が、ローザさんを止める。

 その能力は、使えないと。

 

「《煌龍 サッヴァーク》の能力は、相手のカード一枚を、相手のシールドの上に表向きにして置く、というものだ。この処理を行うためには、相手にシールドがないといけない。十字架がなければ磔にできないように、相手にシールドがなければ、クリーチャーも磔にはできない」

「そ、そんな……!」

「つまり、結果としてはただブロッカーが現れただけ、ということだね」

 

 そうだったんだ……ただのシールド送りではなくて、相手にシールドがないと発動しない除去だったんだね。

 

「結果論だし、君の選択が間違いだとは言わない。けど、結果的に君は前のターンに攻撃するべきではなかった。《ドルブロ》がトリガーし、とどめを刺せないとわかっている状況で、ユーリアさんのシールドをゼロにするべきではなかったんだよ」

「……いいです。磔にできなくても、問題ありません。ブロッカーが出ただけでも、攻撃は防げる――」

Du nicht kannst,Rosa(無理だよ、ローちゃん)

 

 なんて言ったのかはわからないけど、たぶんユーちゃんは、ローザさんの言葉を否定した。

 そしてそれは、この場の誰もが理解していること。

 理解が及ばないのはきっと、わたしのことをよく知らないローザさんだけだけど……彼女も、すぐに思い出すはずだ。

 

 

「《エヴォル・ドギラゴン》で攻撃!」

「《煌龍 サッヴァーク》でブロック――」

「なら、バトルに勝ったからアンタップするよ」

「っ……!」

 

 《エヴォル・ドギラゴン》は、止まらない。

 《エヴォル・ドギラゴン》は、バトルに勝ち続ける限り、何度でもアンタップする。

 ブロッカーが立ち塞がっても、そのパワーを乗り越えられれば、ブロックは効かないも同然だ。

 《エヴォル・ドギラゴン》のパワーは14000。対する《煌龍 サッヴァーク》のパワーは11000。

 《煌龍 サッヴァーク》では、《エヴォル・ドギラゴン》は、止められない。

 

「そ、んな……!」

 

 剣を折られ、盾を砕かれ、牙城は崩される。

 すべてが崩壊したローザさんに、わたしの――いや、今はユーちゃんの力で、ユーちゃんの切り札――《ドギラゴン》が迫る。

 

「これで終わりだよ、Rosa(ローちゃん)

 

 そしてその一撃で、すべてが終わった。

 

 

 

「《エヴォル・ドギラゴン》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「負け、た……負けちゃった……そんな、こんなことって……!」

 

 対戦は終わった。勝敗は決し、決着はついた。

 そして、途端、ローザさんは泣き崩れた。

 

「なんでっ、なんでこうなるの……っ! 私はただ、ユーちゃんが大切で、ユーちゃんを守りたかった、だけなのに……!」

「ローザさん……」

 

 そうだ。

 わかっていたことだ。

 白黒つけると言っても、それこそ契約的な話に過ぎない。

 そうやって決着をつけたって、本人たちの――負けた方の気持ちは、蔑ろにされる。

 どうしたって禍根は残ってしまう。

 どちらかは、悲しんで、苦しんで、辛くて――傷ついてしまうんだ。

 それが、勝負だから。

 

「……でも、そっか。そう、だよね」

 

 ローザさんは涙を零したまま、渇いた笑みを浮かべている。

 眼は虚ろで、焦点が定まっておらず、放心しているかのように、危うげだ。

 

「こんなんじゃ、ユーちゃんは守れない、よね……使命感ばかり先走って、私には、力がなかった。私のエゴで、ワガママ、か……」

 

 そんなローザさんの姿は、とても痛々しくて、悲しくって、見るに耐えなかった。

 すべてを失って、喪失感に苛まれ、絶望に満ちている。

 そんなローザさんに、ユーちゃんは歩み寄る。

 

「……ローザ」

「もう知らない……ユーちゃんなんて、どこへでも好きなところに行っちゃえばいいんだ」

「ねぇ、ローザ」

「いいよ、私のことは気になくても。大事なお友達と、一緒に遊んでればいいじゃない」

「ローザ、あのね……」

「私のことは放っておいてよ。もう、私はあなたのお姉ちゃんじゃない。関係ない人なんだから――」

「あー、もうっ! いいから聞いてよ! お姉ちゃん!」

「うみゅっ!?」

 

 パシンッ! といい音が鳴り響く。

 いや、っていうか、殴った? ユーちゃん、ローザさんの頭を殴ったよ!? あのユーちゃんが! 信じられない……!

 

「……あの鳴き声、姉妹共通なのか」

「そ、そんなことどうでもいいよっ。ユーちゃんが人を叩くなんて……ど、どどど、どうしよう!? 親御さんになんて言えば!?」

「こすず……おちつけ……ステイ、ステイ……」

「人の話を聞かない奴は殴られるもんさ、小鈴ちゃん」

「だったら君は今頃タコ殴りにされているはずだが?」

「……少し落ち着いたら? 後輩たち」

 

 ちょっと信じられない光景に動揺しすぎてパニックになってしまったけど、謡さんに宥められて落ち着く。

 ユーちゃんは泣き崩れるローザさんと視線を合わせ、まっすぐに、真摯で、真剣な眼差しで、彼女を見つめていた。

 

「いたたた……っていうか、お、お姉ちゃんって……ユーリア、あなた……」

「私、ちゃんと考えたよ。どうしたらみんなが幸せになれるか」

「みんなの、幸せ……?」

「Ja.みんなが納得して、みんなが喜んで、みんなが笑顔になれる、最高のハッピーエンドだよ」

「……そんな都合のいい結末なんて、お話の中だけだよ。現実にあるわけ……」

「あるよ! だって、小鈴さんが――お友達が、教えてくれたから」

 

 ……え? わたし?

 わたし、なにか言ったっけ……まったく覚えがない。

 

「ユーちゃんも、みんな一緒がいい。小鈴さんがいて、恋さんがいて、霜さんがいて、実子さんがいて、謡さんもいる、そんな日常が好き。そんな世界を守りたい」

「守ったじゃない、ユーリアは……私を、倒して」

「Nein! これだけじゃ、まだフジューブンなんです! これだけじゃ、まだ足りない。ユーちゃんはまだまだ、もっともっと、欲しいものがあるの」

「欲張りさんだね」

「そうだよ、ユーちゃんはWolfのように欲張りさんなのです。お友達はたくさん欲しいし、色んな人と仲良くなりたいの! たとえばー、小鈴さん、恋さん、霜さん、実子さんに謡さん。それから、代海さんに、一騎さんに、詠さんに、朧さんに、アヤハさんに……えーっと、とにかくたくさんいるんだけど……」

「……ユーリア、なにが言いたいの? よくわかんないよ」

「ご、ごめんね。ユーちゃん、お喋りは好きだけど、わかりやすく話すのは得意じゃないから……えーっと、えっと……そうです! 小鈴さんの言葉をお借りします!」

「またわたし!?」

 

 わたし、なにか言ったっけなぁ……まったく覚えてないや。

 ユーちゃんは、覚えのないわたしの台詞を引用する。ちょっと、おぼろげな感じで。

 

「ユーちゃんはお友達を、みんなを大切にしたいんです。そして、そのみんなの中にはね、私の、とっても大切で、特別な人がいるの――」

 

 とても優しい目で、ユーちゃんは彼女を見据える。

 たった一人の、血を分け、姿を映した、双子の姉。

 

 

 

「――ローちゃん。ローちゃんも、ユーちゃんにとっての“みんな”だよ」

 

 

 

 ローザさんに、笑いかける。

 愛らしく、明るくて、元気いっぱいの、眩しいくらいの笑顔で。

 

「ユーちゃん……」

「だから――」

 

 そしてユーちゃんは、ローザさんに手を伸ばす。

 

 

 

「――一緒に行こう、ローザ」

 

 

 

「あ……」

 

 誘いかけるように、微笑と共に出された手。

 それはもしかしたら、彼女たちにとっては、特別なものだったのかもしれない。

 

「それって、あの時の……」

「Ja! 私が町に行く時にも誘ったよね。あの時のローザはついて着てくれたけど、今度はどうかな?」

「……ダメだよ。だって、約束が……」

「ユーちゃんは勝ったら小鈴さんたちと一緒にいるとは言ったけど、ローちゃんと離れる約束はしてないよ?」

「でも、あの時と同じじゃ、私はユーリアを守れない……また、同じことを……」

「私はローザに来てほしいよ。私一人だと、すぐどっか行っちゃって、危ないから……だから一緒に来て。私を守って、ローザ」

「ダメ……私は、弱い。暗闇に怯えて、足を止めちゃうような、弱虫だから……ユーリアを、守れない……!」

「その時は私が手を引っ張ってあげるよ。ローザがいれば安心だもん」

「どうして? なんでそこまで私を信じられるの? 私は、ユーリアを守れなかった。今も、昔も……結局は口だけで終わって、気持ちばかりが空回りしてるのに……!」

「そうかな?」

 

 ユーちゃんは、きょとんとした面持ちで、首を傾げる。

 

「私は、そうは思わないけど」

「な、なんで? だって、あの時だって……」

「だってあれは……あの時は、ローザいなかったもん」

「え……?」

「知らない? 私、ローザと一緒の時に危ない目にあったこと、ないんだよ」

 

 ――それは、ローザさんが見落としていた、ユーちゃんだけが知っている、絶対的な信頼であり、安心感だった。

 

「ドイツでユーちゃんが行っちゃダメって言われてた場所に行っちゃった時もそう。ニッポンに来てユーカイされちゃった時もそう。どっちもローザがいなかった。でも、ローザがいてくれた時に、そういうことって起こらなかったよね」

「あ……」

「だから一緒に来て。知らない世界を見て、聞いて、知って……わたしを危険から守って。“みんな”一緒なら、安心できるし、危険もないし、楽しいよ!」

「ぅ……あ、うぅ……」

 

 ローザさんの瞳から、ポロポロと涙が零れ落ちる。

 けれどそれは、悲哀の涙ではない。

 きっと、歓喜の涙だ。

 

「……ずるいよ、ユーリアは。そうやって、いっつも私を唆すんだ」

「えへへ。ユーちゃんはWolf(オオカミさん)だからね!」

Wolf()? Teufel(悪魔)じゃなくて?」

「Nein! だって、悪魔は人を破滅させるでしょ? でも、オオカミさんは最後に痛い目を見る。おっきな失敗をしちゃって、反省して、それで最後には人が笑ってるんだよ」

 

 狼は悪魔じゃない。人を騙したり、誑かすけど、それはあくまでも教訓に過ぎない。

 森と寄り添って生きるとは、狼と共に生きることと同義。狼は悪しきものではあるけれど、切り捨てるものではない。

 悪いことへの反省のために、それはシンボルとしてある。童話の中にある危険は、堕落や破滅なんて大層なものではない。

 怖いけれど、それは“痛い目”に遭うだけ。

 その先が、ちゃんとあるんだ。

 

(ユーちゃん)は、絶対にローザ(ローちゃん)を酷い目にあわせない! 一緒に笑おう! 笑って、みんな一緒にいよう!」

Julia(ユーリア)……!」

 

 ローザさんは躊躇っていたけれど、最後にはユーちゃんの手を取った。

 そして彼女は、自分の姿を映した妹の胸で、ずっと泣いていた――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「先日は、ご迷惑をおかけしました」

 

 月曜日がやって来ました。

 連休明けのちょっと気だるい気分を押しのけつつも登校したわたしたちの前に現れたのはそう、ローザさんだ。

 ローザさんはユーちゃんと一緒に――無事に家出も終わりました。よかったです――学校に来て、わたしたちに頭を下げた。

 

「いや本当にね」

「やめろ実子。終わったことだ、突っかかるな」

「香取さんも、ごめんなさい。失礼なことを言ってしまって……謝ります。私にできることなら、償いもします。なんでも言ってください」

「んー、じゃあ今度なんか奢ってもら――」

「だからやめろと言っているだろ。禍根を残すな」

「いった!? 水早君さぁ、なんか最近、軽率に私のこと殴るよね? 一応、女なんだけど、私。もう少し気を遣ってくんない?」

「倫理という拳は男女平等だ」

「男女平等パンチ……」

「凄まじくハラスメントっぽい」

 

 とまあ、いつも通りのやり取りです。

 霜ちゃんはこんなことを言うけど、みのりちゃんはあれだけ噛み付いていたローザさん相手でも軽口を叩けるくらいには、禍根を残していない。正直、わたしはもうちょっと引きずるのかと思ってたけど、意外とさっぱりしていた。

 

「それで、その……ユーちゃんにも言われて、私も自分で考えて、結論を出しました」

「なに……?」

「私は勝負に負けました。その結果を覆すつもりはありません。そんな不義理なことはできません」

「なんか最後の方、いい話風にまとまってうやむやになった感あるけど、そうだよね。勝負はユーリアさんの勝ちだもんね」

「ですが、私はユーちゃんが大事です。その気持ちも、意志も、譲るつもりはありません」

 

 キッパリと、強い意志で言い切るローザさん。

 

「なので、それらを踏まえたうえでの譲歩です。これからは、ユーちゃんの傍で、私がユーちゃんを守ります。ご存じの通り、私は弱いので、ユーちゃんへの危険が完全に排除されるわけではないのが気がかりですが……私が弱いからこそ、このような結果になってしまったことを重く受け止めなくてはなりません。それが私の責任です」

「難しく考えすぎでは?」

「これが彼女なりの、筋の通し方ってことだろう。認めてやれ」

「で……どう、するの……?」

「それは、その……えぇっと……」

「ローちゃん! Viel Erfolg(がんばって)!」

 

 ローザさんはもじもじと、なにか言いにくそうにしている。

 わたしたちは、彼女の言葉を待つ。なにを言われるのかは、想像つくから。

 

「えーっと、それで、ですね……私一人の力では、ユーちゃんを守りきれないかもしれませんし、私自身もっと強くならないといけません。なので今後は、皆さんの力も借り、そしてなにより私自身が強くなるために、ですね……その、私も皆さんの仲間の輪に加えて欲しいと、思って……あれだけ失礼なことをした後で、図々しいとは思いますし、私なんかがいても、皆さんにご迷惑をおかけしてしまうだけかもしれないのですが……」

「そういう自己評価低いアピールいいから。ストレートに!」

「あっ、は、はいっ! ですので、その! わ、私も、皆さんの、お友達に……して、いただけないでしょうか……?」

 

 頬を赤らめながら、上目遣いで、ちょっと恥ずかしそうに言うローザさん。

 うーん……ユーちゃんとはちょっと違う感じだけど、やっぱりユーちゃんと同じ血が流れているだけあって、かわいい。

 

(……あれ? みんな、どうしてわたしを見てるの?)

 

 誰もローザさんに返事をしない。どころか、わたしに視線を向けている。

 ……代表として、わたしが答えろってこと? なんか、そうやってされるのは緊張するんだけど……

 でも、ローザさんの方が緊張しているっぽいし、ここはちゃんと答えないと。

 

「うん、わちゃっ……!」

「あ、噛んだ」

「あぁ、噛んだな」

「かみまみた……」

「みんながプレッシャーかけるからでしょ!」

「……ふふっ」

 

 あ……ローザさん、笑った。

 初めて見るかもしれない、ローザさんが笑うところって。

 ユーちゃんのように無邪気な笑みではないけど、とても優しくて、穏やかな笑い顔だ。

 

「ユーちゃんの言った通りですね。皆さん、本当に楽しそうです」

「ま、楽しくなかったら友達なんてやってらんないからね」

「小鈴、早くしないと言い直すチャンスを逃すぞ」

「えっ!? リテイクあるの!?」

「そりゃ当然」

「逃げは……許されない……」

「小鈴さんも、Viel Erfolg(がんばってください)!」

 

 だからそうやってプレッシャーをかけられると、緊張して失敗するんだよ……ローザさんまで、なんだか笑いながら期待してるし。

 でも、今度こそ失敗は許されない。次に失敗したら、立ち直れなくなっちゃうかも……

 気を引き締めて、ローザさんをまっすぐに見る。

 

「……うん! わたしの方こそよろしくね、ローザさん」

Ja(はい)……よろしくお願いします、伊勢さん」

 

 ローザさんは、にっこりと微笑みで返してくれた。

 このあたり、やっぱりユーちゃんのお姉さんだ。笑顔が眩しい。

 

「では、私たちの繋がり――えぇっと、日本だと、エン、というのでしたか――に、感謝を述べるとしましょう」

「え、そんな急にミッションな。あなたそんなキャラなの? キャラ付け急すぎでは?」

「いや、なんとなくそれっぽさは感じてはいたけど、まさか本当にクリスチャンだったとは……ユーはこんなんなのに」

「こんなんとはなんですかー!」

「祖国では普通でしたよ。日本人の宗教への関心の低さについてとやかく言うつもりはありませんが、信じる心は大切です。ユーちゃんも、もう少しちゃんと教会に来てくれれば……」

「だって、眠いんですもん!」

「……別に……祈っても、トップ……変わらないし……」

「いいんですよ! 私が勝手にやるだけですから!」

「いきなり怒らせるなよ、君ら……」

 

 プイッ、とローザさんはそっぽを向いてしまう。

 けれどその表情はとても穏やかで、優しかった。

 彼女はなめらかに、歌うように、異国の言葉を口にする。

 

 

 

Moege Gottes Segen mit uns sein(私たちの旅路に、神のご加護があらんことを)――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「恋――話がある」

 

 ある日――具体的には、ユーリアとローザの壮絶な姉妹喧嘩が行われた翌日の日曜日――日向恋は、血縁関係も戸籍上の関係もない、義理の兄に呼び出された。

 話がある。その内容は、既におおよそ、予想がついていた。

 

「単刀直入に聞くぞ。恋……お前、なにをやってるんだ?」

「…………」

 

 恋は黙った。

 なんと答えるべきかもわからないし、答えるべきかもわからない。

 本音のところでは、答えたくない。

 

「ローザさんから話は聞いた。と言っても、彼女も相当混乱しているようで、要領を得なかったのだけれど。それよりもあの時は、彼女の「強くなりたい」「ユーリアさんに勝ちたい」という望みの方が優先された。昨日も同じだ。あの日の主役は彼女たちで、俺は端役に過ぎなかったから、黙っていた。けれど、彼女の話には見逃せないキーワードがあった。俺は“立場上”それを無視できない」

「…………」

「お前なら言わなくても分かるよな――クリーチャーのことだ」

 

 恋は押し黙る。やはり、なんと返事をすればいいのか、わからない。

 一騎は

 

「不思議の国とかなんとかっていうのは、正直まったくわからなかったが、ローザさんは、そしてユーリアさんも、確かに実体を持った“クリーチャー”と言っていた。それらと“戦う”とも。これはどういうことなんだ? 恋」

「それ、は……」

「言えないのか?」

「……つきにぃ……怒って、る……?」

「少しな。お前の返事次第で、鎮まるかもしれないし、もっと怒るかもしれない」

 

 いつもは穏やかで、都合のいい、けれど優しく、頭がおかしいくらいお人好しな兄が、今はとても怖かった。

 まともに目も合わせられない。

 けれど、これは自分が向き合わなくてはならない問題だ。

 いつかこうなると、わかっていたのだから。

 

「もしこれが、お前が勝手にやっていることだったら、俺もそこまで怒らなかったかもしれない……むしろ不安になっただろうな。四月……昔のお前に、戻ってしまったんじゃないかって」

「それは……ない……私は、もう、大丈夫、だから……」

「あぁ。あの人のお陰で、俺もお前は大丈夫だと信じてるよ。けどね、恋。お前が抱えているだろう事は、お前一人の問題じゃないんだろう」

「…………」

「恋。お前は、伊勢さんたちを巻き込んで、なにをやってるんだ?」

 

 やはり、答えられない。

 友人の名を出されて、心臓の動悸がより激しくなる。不安と、焦燥、恐怖……様々な負の感情に、苛まれる。

 

「恋。俺は誘導尋問をしているわけじゃない。本当に、お前がなにをやっているのか、わからないだけだ。でも、お前はきっと、また危険なことをしている。ローザさんじゃないが、俺はお前のことが……それに、伊勢さんたちのことも、心配なんだ」

「…………」

「答えてくれよ、恋。お前たちは、なにをやっているんだ? 実体を持つクリーチャーとの戦いって、まさか……」

「……わからない」

 

 恋は、答えた。

 今の彼女が精一杯に考えた、彼女の答えられる、回答を。

 

「それは……わからない……でも、だいじょうぶ……だから……」

「大丈夫って、お前……」

「おねがい、つきにぃ……これ以上、言わせないで……」

 

 恋の声が震えていた。

 一騎は、そんな恋の姿に驚き、目を見開く。

 

「私に、言わせないで……じゃないと、私……こすず、との、約束……守れない……」

「恋……」

 

 つぅっ、と。

 恋の頬に一筋の線が伝う。

 無表情で、無感動な顔。その癖、感情だけは人一倍に豊か。

 気持ちが表に出ない彼女が、珍しく――一騎の知る限りでは、恋の復学の契機となった出来事以来――今の感情を、行動で、表情で、示した

 それだけ、彼女の中でそのことは大きなことだというのか。

 

「ごめん、なさい……つきにぃ……でも……」

「……わかった。俺が悪かった。もう聞かないよ。だから泣くな。お前が泣くと……どうしたらいいか、わからない。困る」

「うん……ありがと……」

「だけど、二つだけでいい……これだけは聞かせてくれ」

 

 一騎は二つ指を立てる。

 彼女が、彼女たちが、なにをしているのか。それについては尋ねない。

 しかしそれでも、彼には彼の立場があり、彼にも守りたいものがある。

 恋の意志を尊重するとしても、彼の大切なものを蔑ろにもできない。そのために、彼は訪ねる。

 

「それは、(あきら)さんにも、話せないことなのか?」

「それは……」

 

 恋は言いよどむ。

 一騎に話せないことは、誰にだって話せない。けれど今、自分が抱えていることは、かなり特殊なことであると認識し、ちゃんと考える。

 自分たちの繋いだ縁と、出来事。これは、いずれどのような結末を迎えるのか。

 考え、考え、そして答えを出す。

 

「……今、は」

「いつかは話すのか?」

「たぶん……そうしなきゃ、いけない時が……くる、と、思う……」

「そうか」

「その時は……つきにぃ、にも……」

「あぁ。待ってる」

「ごめん……」

「だからいいって。いや、よくはないけど」

「つきにぃ、には……絶対、言うなって……言われてて……」

「俺個人で指名されてるの!?」

「うん……」

 

 驚愕だった。

 

「それで、もう一つ……は……?」

「……俺は、お前のことは信じている。お前は俺よりも強い。だから、大抵のことがあっても、大丈夫だと思ってる。けど」

「けど……?」

「伊勢さんは……お前の友達は、大丈夫なのか?」

「……だいじょうぶ……こすずも、ユーも、そうも、みのりこも、ようも……みんな、強い、から」

「長良川さんまで噛んでるのか……いや、いい。良くないけど、お前を信じて俺は待つよ。遺憾なことだが、俺はお前を救えなかった。だから信じるしかない。それが、俺の義理だ」

「ありがとう、つきにぃ……」

「言うまでもないとは思うけど、俺だって苦渋の決断だ。そこは理解してくれ」

「わかってる……ごめんなさい……」

「わかっているのなら、いいんだ。信じてるぞ、恋」

「うん……信じて……私、負けないから……」

 

 恋は、スッとポケットの中に手を入れる。

 指先に触れる固い感触。自分の相棒であり、魂であり、力であり、あるいは自分自身とも言える、デッキ。

 今まで封じていた自分を、すべて解き放つ。本当の自分を晒し、天まで届く門を開く。その覚悟はできた。

 だからもう、負けるつもりはない。すべてを守ってみせる。

 守るのは、得意だから。

 失うのは、嫌だから。

 だから。

 

 

 

「私が、みんなを……絶対に……守る、から――」




 ユーちゃんのキャラの掘り下げって今までほとんどやらなかったのですが、今回でだいぶ、彼女の胸の内もわかってきたかな、と思います。
 むしろ、今まで全然書いてこなかったツケを、今回ですべて支払った感ありますね……そう思うと今回のボリュームも納得。読者の方々が許してくれるかはわかりませんが。
 さて、次回から新章突入……の前に、最も大事な清算をしておくべきかな、と考えています。ちょっとした昔話も兼ねて、次回は小鈴について触れようと思います。
 誤字脱字、感想、その他諸々、なにかありましたら、自由に仰ってくださいまし。


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38話「平行世界です」

 作者が本気を出した。
 字数こそ前話には及ばないものの、前話よりも力を入れたというか、本当にこれが作者の全力の執筆結果だと言えそうな話ができました。
 今回は小鈴のお話。彼女の秘めていたものが、明らかとなるでしょう。


 それは、ローザさんと対立するよりも、霜ちゃんと出会うよりも、ユーちゃんに会いに行くよりも、恋ちゃんに教えを乞うよりも、みのりちゃんと友達になるよりも、ましてや【不思議の国の住人】の人たちとの縁が結ばれるよりも、ずっと前のお話。

 

 きっと、あの“出会い”が、わたしの原点。

 わたしという登場人物(キャラクター)の世界がどれほどの分岐しようとも、揺らぐことのないただ一つの道。

 今のわたしという存在を決定づけた出来事(イベント)

 あの時から、わたしは大人になりたいって思ったんだ。

 あの人のように――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 こんにちは、伊勢小鈴です――

 

「――って、鳥さん! 待ってよっ!」

「急げ小鈴! 早く早く!」

 

 えっと、色々説明は省きますが、例によって例の如く、いつものようにクリーチャーが現れたみたいです。

 これからみんなと一緒に遊ぼうかっていう時に、いきなり出て来るんだから。そりゃあ、クリーチャーは放っておけないけど、鳥さんはいつもいつも唐突なんだよ。

 

「ほ、本当に鳥が喋ってます……幻聴じゃなかったんだ……」

「ふふん、ユーちゃんの言った通りでしょう?」

「なぜユーが誇らしげなんだ」

「我ながらメルヒェンだとは思いますが、あの鳥、呪いをかけられた王子様だったりするんでしょうか? 体色からして。白鳥っぽいですし……」

「どっちかっていうとカラスっぽいけどね、身体の構造は」

 

 怪訝そうな表情を見せるローザさん。そう言えば、ローザさんは鳥さんをちゃんと見たのは、これが初めてだっけ。

 冷静に考えてみると、喋る鳥っていうのも、メルヘンチックだよね……鳥さんはまったくメルヘンな感じしないけど。

 一度だけ見た“本来の姿”の鳥さんはすごく格好良かったけど、普段の鳥さんは、みのりちゃんが言うように白鳥というよりはカラスっぽい。わたしのご飯(パン)を食い漁るカラス。

 その生活に不満があるわけじゃないけど……変わったな、とは思う。

 昔のわたしは、全然こんなんじゃなかった。仲のいい友達もいなかったし、家でずっと本を読んでて、頼れるのはお母さんとお姉ちゃんだけ。

 なにもできない、無力で非力な、小さな子供だった。

 だけど、鳥さんと出会って、みんなと友達になって、わたしは確かに変わったと思う。

 子供だったあの頃より、少しは大人になれたかな?

 

(……あれ?)

 

 妙な感覚が胸中に渦巻いた。

 なんだろう、これ。言葉や感情が引っかかって、なにかを思い出しそうな感じ。

 とても大切な、なにかを。

 

「うん? ……変だな」

 

 と、なにかが込み上がってきそうなところで、わたしは現実に引き戻される。

 鳥さんが急に止まった。どうしたんだろう?

 

「どうしたの? 鳥さん」

「気配が消えた。急にぷっつりと、存在が消えてしまった」

「消えた?」

 

 それってつまり、クリーチャーを見失っちゃったってこと?

 

「そうだね。なんらかの力で姿を眩ましたか、あるいは何者かに倒されたか」

「謡さんでしょうか?」

「ついさっき、生徒会の仕事が云々で駆け回っていたけどね」

「……って、ことは……クリーチャーの、力……?」

「恐らくは。なにかしらの能力で、僕の探知を欺いているのだと思う。なんか奇妙な感じの気配だったし、普通のクリーチャーじゃなさそうだ。厄介だな」

 

 普通のクリーチャーじゃない、か。

 わたしたちからすれば、クリーチャーに普通も普通じゃないもないから、あまりピンとこないけど。

 

「なんにしても、クリーチャーはどっか行ったってことでしょ。ってぇことは、追跡はもう打ち止めだね」

「そうなるね」

「そ、そっかぁ……ごめんね、みんな。振り回すだけ振り回しちゃって……」

「いいえ。何事も起こらず、平穏無事であるのならば、私はそれで十分です」

「けど、このタイミングで姿を消したってことは、向こうはこちらの追跡に気が付いているのかもしれない。警戒は怠らないようにしないと」

「今まで反撃されたこととかないけどね。気にしすぎでは?」

「今までなかったからと言って、今回も反撃されないなんて保障はない。気には留めておくべきだ。特に小鈴」

「えっ、わたし?」

「当然だ。君がそこの鳥類と、つまりクリーチャーと最も密接に関わっているんだから、ボクらの中では一番狙われやすいはず。そもそも君は、常日頃から危機意識が薄いというか、無防備というか……せめて階段でくらいはもう少し下を意識して欲しいと……」

「な、なんでお説教っ!?」

 

 いきなり霜ちゃんの小言が始まった。

 前々からこういうところはあったけど、最近は特に多くなってきている気がします。

 

「まーまー、水早君の説教なんて適当に聞き流してさ、時間あまったんならカドショでも行こうよ」

「こいつはまた……いや、確かに時間に余裕があるのなら、有意義に使うべきか。皆はどうする?」

「どっちでも……いい……」

「ユーちゃんは行きたいです!」

「……私は、帰宅するべきかと」

「えぇ、ノリ悪いなぁ」

「なにか用事でもあるの?」

「用事といいますか……明日提出しなければならない宿題が、まだ残っているので」

『あ……』

「今の「あ……」は三人分だったが、さて」

「鹿島先生の宿題、たくさんあるもんね……わたしも、まだ終わってないや」

 

 授業ごとに宿題の有無や期限はまちまちで、ひとつの授業内でも一定じゃないから、たまたま偶然、ちょうど色んな授業の宿題の提出期限が明日に集中してしまっているのです。

 いくつかは終わらせているけど、わたしもまだ宿題は残っている。

 

「とりあえず、ユーちゃんは帰って宿題を終わらせないとダメだよ」

「Oh nein!」

「しかたない……つきにぃに、任せる、しか……」

「面倒くさいなぁ。てきとーにやるかぁ」

「……実子って、性格は酷いものだが、授業はそつなくこなすよな」

「どういう意味?」

「そのままの意味だ」

 

 また霜ちゃんとみのりちゃんが危ない雰囲気になりかけてるけど。

 明日も学校はあるわけだし、宿題は出さなきゃいけない。残念だけど、今日はもう、お開きとなりました。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――よしっ、できたぁ」

 

 ペンを置いて、グッと伸びをする。

 ようやく宿題が終わりました。

 時計を見ると、もう日付が変わろうとしていた。

 

「もうこんな時間かぁ……シャワーだけ浴びて、もう寝ちゃおう」

 

 みんなから色んなところを聞かれて、それに答えているうちに、時間がかかってしまったみたいです。

 明日も学校だし、早く寝ないと。

 着替えを持って、階段を下りる。風呂場に向かう途中、リビングに明かりがついているのが見えたから、ちょっと覗いてみた。

 

「お母さん、またパソコン開いたまま寝てる……後で起こしてあげなきゃ」

 

 案の定というか、お母さんが机に突っ伏して、死んだように眠っていました。

 たまにあるんだよね、お仕事の途中で力尽きて眠っちゃうことが。

 このままだと風邪引いちゃうし、シャー浴びたら起こしてあげよう。

 

(それにしても……)

 

 ふと、思った。

 鳥さんと出会ってから、もう半年以上も経つんだ。

 それはつまり、わたしがクリーチャーと戦ってきた時間であり、デュエマに触れてきた時間でもある。

 本当に、色んなことがあった。

 喋る鳥さんというだけでも驚きだったけど、その正体がクリーチャーで、しかもこの世界にもクリーチャーがいて、わたしがそれを退治するだなんて。わたしはそれまで、デュエマに触れたことなんてまったくなかったから、最初は戸惑ったっけなぁ。

 でも、お母さんはデュエマを題材にした小説も書いてるし、お姉ちゃんもデュエマについてはなんだか知ってるっぽいし、むしろわたしがまったく触れてこなかったことが変だったのかも。

 そして、そんなデュエマのデの字も知らないようなわたしを導いてくれたのが――

 

「――先輩」

 

 わたしは先輩を、ずっと避けてきた。

 あの時、わたしにはなにが起こったのかよくわからないけど、代海ちゃんが言うには、三月ウサギさんに“狂わされた”。

 なんというか、とても恥ずかしいことをしてしまった。よりにもよって、男の人――それも先輩に。

 正直あんまり思い出したくない。まだ、わたしはあの人に思いを告げられるほど、強くない。

 まだ、子供のままなんだ。

 

(……?)

 

 あれ?

 なんだろう、また、なにか引っかかったような感じが……

 なにか言葉が出そう。なにかを思い出しそう。あとひとつ、あと一歩、あと少し、なにかがあれば。

 子供、大人……うぅん……

 

「……昔のわたしは確かに、大人になりたい、と思ってたはず……思ってたけどさぁ」

 

 ちょっとげんなりする。

 あまりにも局所的すぎるのではないでしょうか。不満があるとかじゃ、ないけど……いやある、けど。

 この極端な成長も、鳥さんと出会ってからだ。流石に関係ないとは思うけど。

 最近は胸の方も落ち着いてきたけれど、身長は一向に伸びる気配がない。せめてあと1cmでもいいから伸びて欲しいんだけど……できるなら、あと10cmくらい、欲を言えば葉子さんくらいは欲しいけど。

 そりゃあ、わたしも小さい頃は、お姉ちゃんの大きな胸に憧れてたこともなくはなかったけどさ……

 

(なんだか、わたしの願望が中途半端に叶ってる感じがする……嬉しいやら悲しいやらだよ)

 

 ……願望?

 なんだろう。今、なにかが頭の中でよぎったような。

 

「なんか、変な感じ……気のせい、かな」

 

 昼間、クリーチャーを追っていた時から、こんな感じだったけど。

 考えてても答えは出ない。ずっと宿題をしてて疲れてるし、そういうことは後で鳥さんにでも聞くとして、早くシャワーを浴びて寝ちゃおう。

 脱衣所に入って、まずは鈴の髪紐ほどいて、服を脱ぐ。

 お風呂場へと入って、扉を閉めようとする。その時、なにかがものすごい勢いで突っ込んできた。

 

「小鈴!」

 

 あ、鳥さんだ。寝てたと思ってたんだけど、起きてたんだ。

 ……え? 鳥さん?

 

「ちょ、ちょっと鳥さん! 待って! わ、わたし今、服着てないから! 裸だから!」

「服なんて僕も着てないよ!」

「あ、それもそうだね……え? そうなのかな……?」

 

 というか、鳥さんってオス? 口振りからすると、メスじゃなさそうだけど、一人称が「僕」でも、霜ちゃんみたいな例もあるし……そもそも、人間じゃないなら、別に大丈夫……?

 

「そんなことよりクリーチャーだ! 近いぞ、すぐそこだ!」

「えっ!? と、鳥さん! 家でその格好はまずいよ! 誰かに見つかっちゃったら言い訳できないじゃない!」

「知るものか! それよりクリーチャーが……来るぞ!」

 

 いつもの3倍速で、例のふりふりの、まるで魔法少女のような格好に変えられる。

 うぅ、なにもこんな時に来なくてもいいのに……夜だから誰も来ないとは思うけど、早く終わらせないと――

 

「なんだ、この異常なマナは。神話世界のクリーチャーじゃない……? それにこれは、時空の――小鈴っ!」

「えっ……?」

 

 ――感覚が、歪む。

 浮遊感。身体の自由が利かない。勝手に、動く。浮く。揺蕩う。

 なんだろう、これ。

 変な感じだ。どこか、懐かしいようで。けれど知らない。なのに既視感がある。

 不思議で不思議で奇妙な感覚。

 認知も知覚も狂い堕ち。

 虚空の扉は昏く渦巻く。

 なにが起こっているのか。その一瞬、その刹那、わたしには、なにもわからなかった。

 

「小鈴! 小鈴! こすず――」

 

 

 

 もう、鳥さんの声も、聞こえない――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――――」

 

 覚醒。

 いや、自覚、かもしれない。

 わたしはその瞬間、外界を認識することができた。

 ベッドから起きて目が覚めるのとは違う。ゆるやかな目覚めではなく、その瞬間、急激に理性と意思を得た。

 意識を得たわたしは、とりあえず、自分の状況を確認する。

 

「ここ、は?」

 

 キョロキョロと視線を彷徨わせる。

 見えるのは、民家。なんの変哲もない、一般的な家屋だ。コンクリートの塀や、鉄柵などで仕切られて、家々は区切られる。

 地面は、普通のアスファルト。掠れた白い速度表示。柱が少しだけ錆びたカーブミラー。段差になっている歩道。

 とても、とてもありふれた、普通の町並みだ。

 見た感じ、住宅街、っぽいけれど……

 

「なんだか、変に落ち着くな……知らない町に来たとは思えない……」

 

 と、いうか。

 なんだろう。なんだかこの町、見たことがあるような気がする。この町を知っているような気がする。

 外観だけではない。この空気が、この町という空間、世界そのものが、変に馴染むというか……

 

「……まさか」

 

 確証はない。ただ、そう思っただけだ。

 わたしだって、目につくものすべてを正確に認識して把握しているわけではない。ほとんどのものは「なんとなく」目に映るだけ。

 でも、それでも。あるいは、そうだから。

 この“見慣れた”と感じる景色に対して、一つの仮説を打ち立てられる。

 

「ここは……わたしたちの、町、なの……?」

 

 断言はできない。けれど、なんだかそんな感じがする。

 思い出して照合してみれば、この景色はあの町によく似ている。

 真偽を確かめるには、もっと歩いてみるしかない。正直、ちょっと怖いけど、でも進まなきゃ。

 自分を奮い立たせて、わたしはなんとか前に進み出す。

 

「これも、クリーチャーの仕業、なのかなぁ」

 

 鳥さんはいない。当然、みんなも。

 わたしは、たった一人。

 まるで、あの頃のようだ。

 

「? あれ。今、昼間……?」

 

 今まで気にしていなかったけど、ふっと違和感を覚えて空を見上げれば、太陽が高く昇っている。

 さっきまでわたしはお風呂に入ってて、夜だったはずなんだけど……これも、クリーチャーの力なのかな。

 昼夜逆転? 時間を巻き戻す? それとも、幻とか、VRみたいな……?

 クリーチャーはわたしたちの常識を軽く超えるけど、ここまで大掛かりなことは、今までほとんどなかった。精々、あの台風の日くらいかな。

 ……っていうか、わたしの格好も、変身させられたままだし……やだなぁ。人気はないけど、誰かに見られないようにしないと……

 人目を気にして、コソコソと物陰に隠れながら町を練り歩いていく。

 だんだんと、既視感の正体が掴めてきた。

 上手く思い出せなくて記憶と照合できないところはあるけど、この町は、わたしの住む町で間違いない。

 

「だとすると、わたしの家はあっちの方で、学校はあっち、かな……?」

 

 そんなことがわかっても、なんにもならない。けど、帰る場所がわかっていると、少し安心する。

 さて、これからどうするか、考えないと。

 これがクリーチャーの仕業だとすると、元凶のクリーチャーを倒すべき、って鳥さんや霜ちゃんなら言うのかな。

 けれど肝心のクリーチャーがどこにいるのか、わたしにはわからない。クリーチャーの居場所がわかるのは、鳥さんだけだ。なら、まずは鳥さんを探さないと。

 

「……でも、わたし一人で探すのは大変かも……」

 

 鳥さんもわたしのことを探しているとは思うけど、鳥さんはいつも自由に飛び回っているから、適当に歩いていても見つけることはできなさそう。

 なら、みんなに手伝ってもらう? 恋ちゃんやユーちゃん、みのりちゃんに霜ちゃん、ローザさんや謡さん、みんなならきっと、助けてくれる。

 携帯……は、ないよね、うん。部屋に置きっぱなしだし。

 だったら一度、家に帰って携帯を取って来て、みんなに連絡しよう。もしかしたら鳥さんも家にいるかもしれないし。

 

「よしっ。とりあえずは家を目指そう」

 

 ここから家に帰るには少し遠いけど、歩いて行けない距離じゃない。

 問題は、この姿を誰かに見られないか、だけど。

 裏道とかを通れば、なんとかなるかな……? そうすると、もっと時間かかっちゃうけど、仕方ないか。

 

「……それにしても」

 

 こんな状況なのに、思ったより慌ててないな、わたし。

 ここが知っている町だから? クリーチャーの騒動に慣れてしまったから?

 いや、きっと、みんなが一緒にいてくれたから、かな。

 昔のわたしからすれば、一人でここまで決めて行動できるなんて、考えられなかった。

 あの時、わたしはずっと一人だったから。一人で迷って、彷徨って、途方に暮れて、泣き出してしまう子供だった――

 

(――あ、また……)

 

 古い記憶が、一瞬だけ呼び覚まされた気がする。けれどそれはほんの僅かなフラッシュバック。それを認識して、理解する前に、淡い記憶は泡沫へと消えてしまう。

 今までよりも強い想起。そうだ、これは、わたしの記憶……思い出?

 なにかを、忘れている? とても大事なことを、見落としている……?

 そのなにかが、わたしと、この世界とを、結び付けている、ような……

 

「…………」

 

 スゥッと、我に返る。

 なんだか今日は、ずっとこんな感じだ。

 なにかとても大事なことが、胸の奥に、脳の底に、こびりついて、焼き付いて、浮かび上がろうとしている。

 とても懐かしくて、恥ずかしい、なにか。

 わたしにとって大切なもの。忘れている、わけじゃない。と、思う。

 ただ、関連性が見つけられない。今、この状況と、その見えない記憶の結びつきが、見えない。

 

「……とにかく今は、家に戻ろう」

 

 ずっと同じ場所で立っていても、どうにもならないし、他に人に見られちゃうかもしれない。

 なんだかもやもやするけど、その蟠りを抱えたまま、わたしは歩き出す。

 見慣れた道。けれど今は、その道路も、違うように見える。

 かつての記憶と、ダブっている。

 右に曲がるということがわかっているのに、左なのかもしれないと思ってしまう。

 直進が正解のはずなのに、実は違うのではないかという、あり得ない疑念が浮かぶ。

 まるで、迷子の子供の如く、道行の感覚が、ぶれていく。

 

(この感じ……なんだか、どこかで……)

 

 そんなことを考えながらぼぅっと歩いていると、人の気配がした。

 誰かが、来る。

 わたしは慌てて物陰に身を隠した。そしてそーっと顔を覗かせてみると、半袖に短パンといった出で立ちの、小学生くらいの小さな男の子と、ノースリーブのシャツにミニスカートの女の子が歩いていた。

 

「カイ! そんなに先に行っちゃダメ。迷子になるわよ」

「大丈夫だって。この辺の地理は把握してるし、いざとなれば携帯もあるからな!」

「まったくもう、屁理屈ばっかりなんだから……」

「そんなことよりゆみ姉、早く! 時間がもったいないぞ」

「あ、待ちなさいっ。カイ!」

 

 すたすたーっと、男の子は駆け足で行ってしまい、女の子がその後を追っていく。

 なんだか微笑ましい……姉弟、かな?

 と、その時。

 ザザッ、と。頭の中で――いや、全身にノイズが走ったような感覚がした。

 それと一緒に、胸の内側から、またなにか湧き上がってくる。

 

「ん……っ」

 

 二つの奇妙な感覚が同時に襲い来る。ちょっと、足元がふらついた。

 なんだろう、今の。ノイズみたいなのは、初めての感じだ……それにまた、なにかダブって見えた。

 ノイズの方はまったくの未知。でも、もう片方は……なに?

 なにか、思い出しそう……プールでの、出来事……そう、迷子の男の子を、助けようとして……それが、アヤハさんの、ヤングオイスターズの、弟さんで……どうして、助けたんだっけ……?

 放っておけなかったから……どうして……? 迷子は、迷うことは、嫌で……それは、あの時、わたしが……

 

「迷子……」

 

 ……なんだか、急に心細くなってきた。

 今この状況に、なのかな。

 知っている町とはいえ、たった一人で放り出されたわたしも、ある意味では迷子のようなもの。

 いや……なんだか、違う気がする。

 まるでみんなが、遠くなってしまったようで……だから、寂しくなるんだ。

 みんなに……会いたいな。

 鳥さん……

 

「……悲しんでいる場合じゃなかった」

 

 みんなの場所に戻るために、今は進まなきゃいけないんだ。

 子供たちがいなくなったことを確認。

 そして、家へと続く道を、歩き出した。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――いい匂い」

 

 家路に行く道程の途中に漂う香気。

 この香ばしくて、あたたかい匂いは、間違いない。

 

「パン屋さん!」

 

 ……おなか、すいたなぁ。

 いや、この格好じゃお店には入れないし、そもそもお金持ってないし、パンを食べられるわけじゃないんだけど。

 でもでも、ちょっと覗くくらいならいいよね!

 わたしの足は自然と、匂いの方へと進んでいった。

 

「……あれ? このパン屋さんって……」

 

 見たことのあるパン屋さんだ。そもそも、わたしの町にあるパン屋さんで、わたしが把握していないお店なんてない。パンを焼く匂いでどのお店かは大体わかるんだから。

 このパン屋さんの匂いは、優しくて、あたたかくて、人の心がこもった、懐かしい匂いだ。

 

「わぁ……懐かしい」

 

 思わず、声にも出してしまった。

 ここは、わたしが昔、大好きだったパン屋さんだ。

 二人の老夫婦で切り盛りしていた、小さなお店。

 確か去年、ご主人が田舎に帰ることになっちゃって、潰れちゃったんだよね。その時には、ちょっとしたパーティーをして、わたしの大好きな揚げパンを作ってくれたんだ。

 本当に、懐かしいなぁ……今はなんだか、怪しいオフィスが建ってるんだよね。よくわからない探偵事務所とかあったりして……

 ……うん? 懐かしい?

 

「懐かしいって、なにか……あ!」

 

 そこでわたしは、重大なことに気が付いた。

 

「な、なんで……潰れたパン屋さんが、あるの……?」

 

 存在しないはずのお店が、ここに存在している。

 いや、それは存在していた事実はある。けれどそれは、過去の話。

 過去に存在していたものが、現在に存在する。それは道理に反している。

 いや、違う。逆だ。

 過去にしか存在しないはずのものが、現在に存在している。それは、つまり、ここは――

 

 

 

「――か、過去の、世界……!?」

 

 

 

 あまりにもファンタジー。あまりにもフィクション。

 正しく、事実は小説よりも奇なり、だ。

 およそあり得ないことだけど、そうとしか、考えられなかった。

 

「過去にタイムスリップなんて……!? あ、でも、クリーチャーならそういうこともあり得るのかな? なんか、前にもこんなことあったような気がしないでもないし……」

 

 そういえば、さっきの男の子と女の子も、晩秋にしてはかなり薄着だった。季節も違っている?

 この姿だと、寒暖の差がハッキリしないんだけど、周りの植物、空気の感じからしても、今は秋や冬ではない。

 夏、って感じでもない。ってことは、春くらい……? 春なら、学校まで行けば桜が咲いているはずだし、夏ならプールに水が張ってるから、すぐにわかるんだけど……

 

「なんにしても、過去の世界に飛ばされた……? ちょっとこれは、とんでもなさすぎるよ……っ!」

 

 今までにないほど、すさまじい現象だ。

 ここがどのくらい昔なのかわからないけど、あのパン屋さんがあるってことは、最低でも一年は昔だから、わたしが小学生の頃なのは確実。

 みんなと友達になったのは、中学生になってから。となると、みんなはわたしのことを知らない。そして当然、鳥さんとも出会っていない。

 

「そんな……」

 

 一気に、暗いものが押し寄せた。

 望みが立ち消え、光が黒く塗り潰される。

 過去の世界。少し時間が逆行しただけで、わたしはすべてを失ったような気持になる。

 頼れる人は、誰もいない。わたしは本当の、本当に、一人だ。

 たった一人で、既知にして未知の世界に、放り出されてしまったのだ。

 

「ど、どうしよう……」

 

 命綱が切れたような気分だ。

 今までわたしの心を支えていた、姿のない友達。

 その影までもが雲散霧消して、わたしは支柱を失ってしまった。

 暗い海の底に、身体ひとつで放り出されたようだ。ぐらぐらと、平衡感覚までもが狂い始める。

 あぁ、あぁ……あぁ……!

 動悸が激しい。どうすればいいのか。クリーチャーを倒せばいいはずだけど、見つけられるのか。手掛かりも、なにもなく。

 たった、わたし、ひとりで。

 その時、ぞわりと、悪寒が走る。

 この、イヤな気配は――

 

「――! クリーチャー……!?」

 

 なにか、黒い影のようなものが、浮かび上がっている。

 ……?

 なんだろう、これ。クリーチャーとよく似た感じだし、この姿は十中八九クリーチャーのはずなんだけど、いつもわたしが相対しているものと、少し違う……?

 いや、そんな細かい差なんて、それこそ些末なもの。

 クリーチャーが現れたのは好都合だ。もしかしたら、このクリーチャーが、この異変の元凶かもしれないし、そうじゃなくても手掛かりになる。

 孤独に押し潰されそうな心を強引に奮い立たせて、わたしは太腿に手を伸ばし、装着されたホルスターからデッキを抜き取る――

 

「あ、あれ……!?」

 

 ――ことは、できなかった。

 わたしの手は虚空を掴む。虚無に空振って、なににも触れない。

 

「デッキが、ない……!?」

 

 ど、どうして!? いつもは勝手に……ま、まさか、部屋に置いてきたから?

 

『M……Oooooo……!』

「あ……」

 

 黒い影が、こちらに迫り来る。

 理由なんてどうでもいい。

 戦えない。今のわたしは。そんな事実を、突きつけられた。

 誰も頼れない。友達はいない。孤独。

 そして、力もない。非力で、無力で、戦えない。

 わたしはなにもできない――泣いてばかりの、子供だ。

 

(――――)

 

 あぁ、また、なにか。

 頭の、中に、浮かんで。

 あの時、迷って、泣いて。

 そして、あの人が、手を――

 

『RURURURURURU,Toooooooo!』

 

 わたしの意識は曖昧なまま。

 清濁どちらとも言えない、不完全で不安定な認知の中。

 黒い影の脅威が、人知では理解し得ない破壊の権化、悪辣なる暴力の象徴が、迸る。

 

(……いや、だよ……)

 

 混濁し、朦朧とした、薄弱な意識の海に浮かび上がる、ただ一つの意志。

 それは、わたしという無力な子供のワガママ。

 

(まだ、あの人に……ちゃんと、伝えなきゃ――)

 

 羞恥によって押し込めてしまった、わたしの意地。

 陽炎のように浮かび上がる幻想。違う、これは幻ではない。

 わたしの、確かな思い出だ。

 あの人と、初めて出会った――だから、まだ……!

 

『――――』

 

 それはただの意地っ張りで、強がりでしかない。

 わたしの気持ちひとつで、暴威がどうにかなるわけではない。わたしの孤独も、無力さも、変わらない。

 だけど、

 

「……?」

 

 黒い影は、動きを止めた。

 そして、さらさらと、その姿を綻ばせ、崩壊していく。

 一体、どうして……?

 

 

 

「間一髪、危なかったね」

 

 

 

 声が聞こえる。女の子の声だ。

 鈴の鳴るようで、少し子供っぽい。

 

「まさか歪みの影響でクリーチャーの影まで生まれてるなんて。思ったよりも深刻みたいで、ちょっと驚いたけど……」

 

 とても、聞き覚えがあるような声。けれど同時に、まったく聞いたことがないようにも感じる、矛盾した声。

 

「それ以上に、こっちに驚いちゃったよ」

「……え?」

 

 顔を上げる。

 自分の目を疑った。なぜ、どうして。

 過去の世界に飛ばされたなんてことよりも信じられない光景が、信じられない人物が、そこ在る。

 

「ま、まさか、そんな……あ、あなたは――」

「こっちも一応、聞いていいかな。あなたは――」

 

 そう、そこには――

 

 

 

『“わたし”なの……?』

 

 

 

 伊勢小鈴(わたし)が、立っていたのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 淡いピンク色を基調とした、ふりふりでふわふわ、フリルとレースをふんだんに使ったドレス状の衣装。

 袖はなく、ミニスカートから伸びる足は、普段は絶対に履かないようなオーバーニーソックス。

 これは今わたしが着ているものとまったく同じ衣装だ。

 そしてなにより、ふたつに振り分けた髪を括る、お母さんから貰った、鈴のついた髪紐。

 間違いない。この女の子は――

 

「わたしが、もう一人……!?」

 

 ――わたしだ。

 わたしとまったく同じ姿のわたし――いや、わたしなんだから、わたしと同じ姿なのは当然だけど――が、目の前にいる。

 ど、どういうことなの? もしかしてこれも、クリーチャーの仕業?

 

「はっ! も、もしかして、いつかのお医者さんの時みたいに、わたしの偽物とか……!?」

「いや、わたしは正真正銘、あなたと同じだと思うよ。あなたが偽物でない限りはね」

「わ、わたしは本物だよ。本物の小鈴だもんっ」

「見た目はそうだけど、お母さんから貰った大切な鈴、付けてないじゃない」

「だ、だってお風呂入ってたんだもん……! そりゃあ髪紐くらい外すよ!」

「ふぅーん。ま、その格好で別人ってこともないか。それに、あなたが正しく進む可能性のあるわたしなら、確かにまがい物はわたしの方が相応しいわけだし」

 

 もう一人のわたしは、よくわからない感じで納得したようでした。

 

「っていうか、その格好だよ。その格好してるってことは、この時代のわたしじゃないよね?」

「この時代? えっと……」

「もしかして迷い込んだ? クリーチャーのせいで飛ばされたとか」

「た、たぶん、そうだと、思います……わたしにも、よくわからないけど……」

「そっかぁ。でも勝手に迷い込むなんてまずあり得ないし、次元跳躍で生まれた穴に引き寄せられたのかな? そっちの世界に干渉した縁が結ばれて、偶発的な歪みの重なりで召喚されてしまった、とか……?」

「?」

 

 まったくなにを言っているのかわかりません。まるで鳥さんです。

 もう一人のわたしはしばらくぶつぶつ言っていると、今度はわたしに尋ねる。

 

「あなたがこの時代のわたしでないことは確かっぽいけど、どの時代のわたしなんだろ。ちょっと質問してもいい? あなた、いまいくつ?」

「じゅ、12歳……中学一年生、だよ」

「中一……ってことは、鳥さんと出会った頃か。彼と出会っていない世界線でなければ、だけど……鳥さんは知ってる?」

「鳥さんって、あの鳥さんだよね。白くて、ちょっと勝手気ままで、人の話を聞いてくれない」

「そうそう。白さは潔白の証明とか嘯いて、黒さを相棒に押し付けて、計画性がまったくなくてその癖使命感だけはいっちょまえな鳥さん」

 

 その鳥さんがわたしの知ってる鳥さんかはちょっと自信なくなっちゃったけど……他ならぬ“わたし”が“鳥さん”と呼ぶ存在は、きっとあの鳥さんしかいないはず。

 そして、その鳥さんを知っているということは、やっぱりこのわたしも、わたしなんだ。

 

「概ね理解できたよ。まあ、ほとんど事故みたいなものか。イレギュラーな事態は慣れっこだし、まあ、なんとかなるよ」

「なんだか不安なんだけど……」

 

 わたしよりも、ずっと落ち着いていて、どこか楽観的なもう一人のわたし。

 見た目は確かにわたしなんだけど、雰囲気は、少し違う。わたしよりも明るいっていうか、堂々としているっていうか……

 まるで“成長したわたし”みたいだ。

 

「……っていうか、そもそもどうして、わたしが二人もいるの?」

「それはあれだよ、このわたしと、あなたというわたし。わたしたちはそれぞれ、別の世界のわたしなの。」

「別の世界のわたし?」

「うん。えーっと、中学生のわたしなら、平行世界(パラレルワールド)は知ってるよね?」

「知ってるよ。無数に分岐した“もしも”の世界がある、って考え方だよね」

「あなたからしたら、わたしはその“もしも”のわたし。あなたとは、ちょっぴり違う道を歩んだわたし。あなたとは別の平行世界における、伊勢小鈴の姿……そんなところ」

「平行世界の、わたし……」

 

 成程……パラレルワールドが本当に存在していることには驚きだけど、とりあえず納得はしたよ。

 

「ってことは、この世界のわたしが、あなたなの?」

「あ、それは違う。わたしはこの世界とは別の世界からやって来たの。あなたと同じようにね」

「え? ってことは、この世界には、わたしたち以外の、本来のわたしがいるってこと?」

「そういうこと」

「ややこしいね……」

 

 別の世界からやって来たわたし。わたしとは違う平行世界からこの世界にやって来たわたし。そして、わたしにとって平行世界に当たるこの世界で生きるわたし。

 今、この世界には三人のわたしがいるってことだよね。そしてわたし自身は、別世界から来たわたしで……あぁもうっ、ややこしいよっ!

 

「……じゃあ、あなたは“いつ”のわたしなの? 中学二年生くらい?」

「え? えーっと……少なくともあなたよりはずっと未来から来ているけど、今いくつだっけ? 途中で数えるのやめちゃったから、あんまりよく覚えてないけど……少なくとも高校生ではあるはず」

「えっ!?」

 

 こ、高校生!?

 でも、顔つきはわたしとまったく同じだし、目線が同じ高さだから、身長だって同じ……ってことは!

 

「わ、わたし、高校生になっても身長伸びないのっ!?」

「わたしはそうだったね」

「そんなぁ。もっとがんばってよ、わたし!」

「文句なら鳥さんに言ってよ。望みが中途半端に叶ったせいで、大人になりたいって願望も部分的になっちゃったんだから。あぁ、でも、胸はずっと大きくなってるよ」

「もうこれ以上はいらないよ!」

「ね。お姉ちゃんくらい大きくなった時は、それなりに喜んだものだけど、大きくなりすぎるのも困り者だよね。まんざらでもないけど」

「わたしがわたしについて説明しないで!?」

「いや、だって、わたしだし?」

「あ、そっか……え? そうなの?」

 

 ちょっとわけがわからなくなってしまいました。

 自分と話してるってのも、変な感じだよ……絶対にできない体験だけど。

 もう一人の自分が、それも正真正銘の自分自身がいるなんてはじめての経験だから、なんか混乱して来ちゃった。

 

「さて、とりあえずわたしは、この世界でやるべきことがあるんだけど……あなたは、どうする?」

「ど、どうするって?」

「どうしたいか、だよ。ちゃんと口に出して、言ってごらん」

「……帰りたいよ。元の世界に、みんなの場所に……」

「みんな、か。うん、じゃあわたしと一緒に行こうか。あなたがここに導かれた原因、元凶はわたしのターゲットでもある。叩いて、目的達成ついでに、次元跳躍であなたを元の世界に送り返してあげる」

「あ、ありがとう……」

 

 次元跳躍とか、なにを言っているのわからない時はあるけど、もう一人のわたしはわたしよりもこの事態について詳しいみたいだし、確かにここは、もう一人のわたしに任せる方がいいのかな。わたしよりも大人みたいだし。

 ……大人……

 

(あぁ、まただ……)

 

 まるでなにかを訴えかけるように、伝えるようにして浮上するおぼろげな幻影。

 きちんとした像を結ばず、曖昧模糊としてある断片的な一場面。

 これは幻なのか、影なのか、夢なのか。

 それとも、現なのか。

 それを考える前に、自我は現実に引き戻される。

 

「どうしたの? ぼーっといて」

「あ、いや、なんでもない……」

「そう。ならいいけど」

 

 あっけらかんと流すわたし。

 なんだかこの人、わたしなんだけど、わたしよりも軽いというか、陽気というか……わたしってこんなキャラだったっけ?

 ……はっ。もしや、これが大人の余裕ってやつなのかな……!?

 

「それにしても、わたしってこんなにぼーっとしてたんだね。どうりでお姉ちゃんが子供っぽいとか垢抜けないとか、いつまでもうるさかったわけだ。客観的に見ると、わたしって本当にお子様だったんだね。やっぱり今のわたしとは違うなぁ、どっちもわたしだけど」

「わたしわたしって、ややこしいよ……」

 

 わたしと、もう一人のわたしと、どっちもわたし。

 わたしにとってのわたしは、このわたしだけだから区別がつかないなんてことはないけど、どっちも「わたし」って呼び合ってるから、だんだん混乱してきた。

 

「じゃあ呼び名を変えようか。わたしはあなたのことは「小鈴」って呼ぶよ」

「あなただってわたしなんだから、小鈴じゃない……」

「まあそれはそれとして、わたしのことはベルって呼んで」

「べ、ベル……?」

 

 なんだか謡さんや、【不思議の国の住人】の人たちみたいな呼び方だなぁ。

 でもまあ、区別をつけるためだから、あんまり関係はないよね。

 

「それでいい? 小鈴」

「う、うん。わかったよ、ベル」

 

 とりあえずこれで、「わたしわたし」と連呼することはなくなった、と思います。わたしたちの区別はハッキリつくかな。

 

「さて、それじゃあ早速移動しようか。そろそろ頃合いだろうし」

「頃合いって?」

「こっちの話。いや、わたしより、あなたの話かもね、小鈴」

「?」

 

 なに、どういうこと?

 意味深なことを言うベル。けど、わたしにはまったくわからなかった。

 

 

 

 ――ザ、ザザザ――

 

 

 

 と、その時。

 わたしの中で、なにかが離れていく。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ザ、ザザザ――

 

「――っ」

 

 まただ。

 あの、ノイズみたいなものが、全身を駆け巡る。

 

「どうしたのまた。ぼーっとしすぎじゃない……って、え? 大丈夫? 顔色悪いよ?」

「わ、わかんない。なんか、身体が、変……!」

 

 なに、これ。

 なんだか、大切なものが遠くに行ってしまうような。

 細い細い糸が、強い力で引っ張られているような。

 どんどんノイズは大きくなる。砂嵐のような、イヤな音。

 引き剥がされるような、遠のくような、離別の感覚が、強くなっていく。

 ザザ、ザ、ザザザザ、ザ――

 

 

 

 ザザザ――プツッ

 

 

 

 ――遂にそれは、途切れた。

 それと同時に――

 

「え……?」

 

 

 

 ――わたしの服が、消滅した。

 

 

 

「き、きゃぁ――っ、むぐ!」

「大声はダメだってば、人が来ちゃうからっ」

「ぷはっ! だ、だってぇ……!」

 

 な、なんで!? どうして!?

 変身した時の衣装が完全に消えて、わたしは一糸まとわぬ姿に……町中なのに!

 たぶん顔はゆでだこみたいに真っ赤に染まっている。顔が熱い。当たり前だ、いきなり、こんな……!

 

「あー、これはあれかなぁ。別世界の次元に移動して、鳥さんとの接続(リンク)が遠のいていたのが、遂に切れちゃったんだね。小鈴はまだ、自力で変身できないのか……いや待って。だからってなんで全裸なの? 普通、元の服に戻るはずなんだけど」

「お、お風呂……シャワー、浴びようとしてたから……」

「あぁ、そう言えばそんなこと言ってたね。これは間が悪かったね」

 

 次元を移動したから、鳥さんの力による変身が解除された……と、ベルは語る。

 あのノイズみたいなのは、鳥さんから与えられた力が離れていく感覚だったんだ。もしかして、デッキがなくなってたのも、そのせい?

 細かいことはよくわからないけど、なんにせよ鳥さんがお風呂に入ろうとする時に限って変身なんてさせるから、わたしはこんな目に……鳥さんの明日の朝ご飯は抜きにしちゃおう。わたし怒りました。

 いや、鳥さんへのお仕置きなんて今はどうでもいい。それより服! 服だよ! これじゃあ、どこも歩けないよ……!

 

「そうだね、服を用意しないとね。服屋さんで買う……は、無理か。わたしはこの姿から変われないし、そもそもお金もないし」

「じゃ、じゃあどうするの!?」

「うーん……」

 

 ベルは腕組みして、悩ましそうに考え込む。

 そして、

 

「仕方ない、時間がギリギリだけど、家に行こうか」

「い、家?」

「この時代の、わたしたちの家だよ。なにかしら、着れるものはあると思うんだ、たぶん」

 

 なるほど。確かにそれはいい考えだ。

 服屋さんで服を買えない以上、タダで服を手に入れる必要があるけど、わたしたちはお互いに人に見られてはいけない姿をしているから、誰かから借りるわけにもいかない。

 となるとその辺で拾うくらいしか選択肢がなくなるけど、自分の服ならば、その限りではない。

 いや、この時代のわたしは、厳密にはわたしとは違うんだけど……この場合は仕方ない。昔のわたしには悪いけど、どうか未来のわたしのために服を貸してください。

 

「それじゃあ急ごうか。隠れながら移動しなきゃいけないから、ちょっと時間かかっちゃうかもしれないし」

「……ねぇ、魔法で姿を消したりとか、できない?」

「魔法? そんなの使えるわけないじゃない」

「そっかぁ……」

 

 ということは、家に着くまでは裸のままなんだ……

 ……絶対に人に見つからないようにしなくちゃ。

 あと流石に寒いです。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 というわけで、なんとか人目を避けながら、誰とも会わずに伊勢家に辿り着きました。

 家の様子は、わたしの知っている家のまったく変わっていない。まあ、改築とかしてないし、当たり前だけどね。

 

「あ、お母さんが家から出て来たよ」

「珍しいね……編集者さんとの打ち合わせかな?」

「なんにしても今がチャンスだよ。今なら、家の中には誰もいないはず」

「なんでそんなことがわかるの。お姉ちゃんがいるかもしれないし、もし休日ならお父さんだって……あ、待ってよっ」

 

 お母さんが家から出て、車を出す。

 その隙に、ベルは門を潜って敷地に入った。

 でも、玄関の扉は鍵がかかってるし、中には入れないよね?

 どうするんだろうとわたしが不安に思っていると、ベルは庭に出て、なにやら上の方――二階かな?――を見上げていた。

 

「えーっと……あ、二階の窓の鍵が開いてるね」

「二階なんてどうやって上るの……木登りするの? 流石に、裸のまま木登りはしたくないよ……」

「どうせ身体が重くて木登りなんてできないじゃない」

「そ、そんなことないもんっ!? た、たぶん……」

「そんなことより跳んだ方が手っ取り早いよ。ほら、掴まって」

「え? きゃぁっ!?」

 

 いきなりベルに腕を掴まれたかと思うと、ぐんっ! と身体が引っ張られた。

 一瞬の浮遊感、そして正に、真の意味で全身で風を感じて、直後。

 ドンッ、と(ひさし)の上に着地した。

 

「び、ビックリした……!」

「魔法なんてファンタジーな力は使えないけど、身体能力は上がってるからね。って、小鈴も知ってるでしょ?」

「知ってるけど、普段そんなこと意識しないし……というか、いきなり跳ばないでよっ」

「時間がないんだよ。どうせ誰にも見つかっちゃいけないのなら、全裸のまま行けばよかったんだからね」

「い、イヤだよっ!? 裸で町を歩くとかあり得ないからねっ!?」

 

 誰にも見つからないとか、そういう話じゃない。裸のまま移動するなんて非常識すぎる。あと寒い。

 

「そんなことは置いといて。とりあえず家探ししようか」

「家探しって……」

 

 いや、実際わたしたちのやってることは、泥棒とまったく変わらないんだけどね……そう考えると、一気に躊躇われる。

 わたし、遂に犯罪に手を出してしまった……うぅ、お母さん、お父さん、ごめんなさい……

 そんなわたしの葛藤と懺悔なんてまったく気にもせず、ベルはクローゼットをごそごそと漁っている。

 

「っていうかこの部屋、よく見たらわたしの部屋だ……」

 

 中学生になる時に、古くなった洋服タンスを買い替えたり本棚を増やしたりして模様替えをしたから、すぐには気付かなかった。

 

「今よりも本が少ない……わ、ランドセルだ。なんだか懐かしいな……あ、このカラーボックス。使わなくなっても置いていたけど、結局はカード入れになったんだっけ」

「ちょっとー、小鈴。早く服を探してよっ。あなたのためにやってるんだからね?」

「あ、うん。ごめんなさい……」

 

 つい懐かしいものを見つけて、感慨に耽ってしまっていたけど、目的はわたしの服を探すことでした。

 わたしは昔使っていた洋服タンスへと歩いて行って、服を探す。

 ……なんていうか、うん。

 霜ちゃんに「小鈴の服のセンスは小学生みたいだ。子供っぽすぎる」なんて言われちゃってるけど、なんかわかるようになってきた気がする。

 この時代のわたしはまさしく小学生なんだけど、これと似たテイストの服を中学生になっても着てたって思うと、確かに恥ずかしいかも……

 

「あ……うわ、この服懐かしい。昔はお気に入りだったなぁ」

「なんか見つかった?」

「うん。見て見て、この服。ふりふりで可愛いよ」

「いや可愛いけど、それ絶対に入らないでしょ。着れなきゃ意味ないよ」

「そ、そうだね……」

「こっちは下着とかだったけど、どれもこれもダメだと思う。絶対に入らない」

「そっかぁ……」

 

 そうだ、昔のわたしの服ってことは、わたしが“今よりも小さい”頃の服ってことだ。今でも小さいっていうのは言わないでください。

 今のわたしは服を選ぶのが大変な身体。小さい頃の服なんて、着れるわけがない。

 一応、試してみようかと思ったけど……悲しくなりそうだからやめておきました。

 それにしても、こうして見ると、わたしの服って中学生になってから、まるっきり変わったんだなぁ……

 

「お姉ちゃんに推されたり、大人っぽくなりたかったりして、変な大人びた下着付けて、紐を結ぶのに四苦八苦したりね。その癖、見られたくないから体育の日はきっちりチェックして」

「余計なこと言わないで!」

「わたししかいないんだから、いいじゃない」

「それはそうだけど!」

 

 そういうことじゃないんです!

 Tシャツから、スカートから、下着から、かつてのわたしの服を見て思う。この頃のわたしは、なにもかもが子供だったんだなぁ、って。

 

「というか、この時代のわたしって、いくつなの あのパン屋さんがあるってことは、小学生の頃なのはわかるけど」

「わたしの調整が正しいなら、鳥さんと出会った時から換算して、ちょうど二年前のはずだよ」

「鳥さんと出会う、二年前……?」

 

 ってことは、中一の春から二年遡って……小学五年生?

 小学五年生の春、ってことは……

 

「まだ胸がちっちゃくて、お風呂でお姉ちゃんに抱き着いて羨ましがってた頃」

「だから口に出して言わなくていいよ!」

「より正確に言えば、この頃から大きくなり始めたんだっけ。あの時は本当に子どもで、それを嫌というほど思い知って、それで……“大人になりたい”って、強く願った時から」

 

 大人に、なりたい……?

 そういえば、そんなことを願ったような……それは、いつ? どうして? なにがあって、そんなことを……

 

「さて、わたしの服がダメなら、大本命お姉ちゃんだね」

「あ、うん……」

 

 ベルの声でハッと我に返る。

 小学五年生のわたしの服はダメそうでした。となると、とても申し訳ないけど、今のわたしの体型に近いはずの、お姉ちゃんの服を借りるしかない。

 わたしが小学五年生ということは、お姉ちゃんは中学一年生かぁ……ちょうど、今のわたしくらいだね。

 家の構造は当然わたしが知っている通りだから、部屋を出て、お姉ちゃんの部屋に入る。部屋にお姉ちゃんがいたら困ってたところだけど、どうやら外出している様子。というより、今、家には誰もいないみたい。

 そこでさっきと同じように、洋服タンスを漁ったりして、着れそうな服を選ぶけど……

 

「お姉ちゃんの服、着れた?」

「……着れなかった」

「胸がつっかえて?」

「……うん」

「そっかぁ。まあ、まだ中学生になったばかりだしね。お姉ちゃんも、まだそこまで大きくはないかー」

 

 お姉ちゃんも大きかったと思うんだけど、これがいわゆる、思い出補正、というものなのでしょうか。

 それにしても、困りました。

 お姉ちゃんの服が着れないとなると、わたしがほんの少しだけ考えていた最悪の可能性――この家に、わたしの着れる服が存在しない可能性が、現実味を帯びてきた。

 

「一応、お母さんの試す?」

「たぶん無理だと思うけど……」

「だよね」

 

 ベルの提案は、満場一致(わたし二人)で却下された。

 お母さん、すごくスレンダーだから。わたしじゃ絶対に着れない。

 でも、本当に困った。まさか一着たりとも身体に収まる服がないなんて。

 

「これはいよいよ、装備なしの全裸で先に進まむことを覚悟してもらう必要が出てきたかな」

「い、イヤだよっ! 絶対イヤっ!」

「そんなこと言われても、入らないんじゃ仕方ないよ。恨むなら自分の身体を恨んでください。あるいは鳥さんを」

「うぅ……!」

 

 なんてこと……正直、今までずっと裸でいたのも、死にたくなるくらい恥ずかしいのに。

 このまままた外に逆戻りだなんて……

 

「あとこの家にある服と言えば……お父さん? お父さんの服は流石に大きすぎる? いや、むしろワンピース感覚でいけたり……?」

「酷いファッションだよ……霜ちゃんが聞いたら激怒しちゃうよ」

 

 「裸の上にTシャツ一枚でワンピースだって? 笑わせるな。ワンピースっていうのは一つながりになっていればそれでいいというものではない。そもそも、上下で分たれた衣服は、それ自体に意味があってだね――」という、霜ちゃんのお説教が聞こえてきそうです。

 と、わたしが何気なく口にしたら、ベルはキョトンとした顔で首を傾げた。

 

「霜ちゃんって誰?」

「え?」

 

 ――信じられなかった。

 聞き間違えかと思った。そう、思いたかった。

 そんな虚像を現実にしたいと願って、わたしは問い返す。

 

「霜ちゃんは霜ちゃんだよ。水早霜ちゃ……くん。知ってる、でしょう?」

「……知らないや」

「と、友達でしょっ!?」

「わたしに友達はいなかったよ。あぁ、鳥さんは友達と……いや、あれは違うかな。一蓮托生っていうか、なんていうか」

「と……友達が、いなかった?」

「うん」

 

 コクリと頷くベル。

 自分のことではないのに、なにか、底知れない恐怖のようなものが込み上がってきた。

 友達が、いない……? ということは……

 

「みのりちゃんとは……? 恋ちゃんとデュエマして、デュエマ覚えたり……ユーちゃんを助けるために、クリーチャーと戦ったり……」

「ごめん、知らない。わたしはずっと一人だよ。デュエマは自力で覚えたし、クリーチャーとは鳥さんと二人で戦ってきたの」

「そ……そんな……」

 

 でも、それはおかしいことではない。

 これが、違う世界のわたしってことなんだ。

 みのりちゃんと友達になって、恋ちゃんにデュエマを教えてもらって、ユーちゃんや、霜ちゃんや、謡さん、ローザさん……みんなと出会ったわたしがいるのなら。

 その逆に、誰とも出会わず、子供の頃のわたしのまま、孤独に道を歩んだわたしだって、存在する。

 それが――ベル(わたし)なんだ。

 

「じゃあ、先輩のことも……」

「いいや」

 

 ベルは首を横に振った。

 

「先輩のことは、ちゃんと知ってるよ」

「え? そ、そうなの……?」

「もちろん。だってそれが、わたしたちの“はじまり”じゃない」

「……?」

「ピンとこない? やっぱり忘れちゃってる? いいや、違うね。意識できなくなっちゃったんだ。わたしは、一気に色んなことを考えて、気にかけられるほど、器用じゃないから。でも、大切なことっていうのは、身体に染み付いてるね」

 

 な、なに? どういうこと?

 ベルは、なにを言っているの?

 

「わたしは、わたしの物語を歩む。あなたには、あなたの物語がある。あなたがこの世界を訪れたのは、きっと偶然じゃない。あなたは自覚していないかもしれないけど、わたし“縁”ってものには振り回されやすいの」

 

 え、縁……?

 まるでお母さんのようなことを言うベル。

 

「人は立ち止まった時、自分の物語の原点に立ち返るもの。でも、人生という物語は、ページを逆行することはできない。できるのは、回想と追想……あなたと、あなたの紡いだ縁は、そんなお手伝いをしているだけなんだよ」

「わ、わかんないよ……あなたは、なにを言っているの? ベル」

「それはあなたが探すことだよ、小鈴。いや、答えはもう知っている。だから、思い出すの。また、歩み出すために。自分が進もうとしていた道にね」

 

 自分が進もうとしていた、道?

 原点……わたしの、最初に願った道。

 それは――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 結局、まともに着られる服はなく、仕方なくお父さんのぶかぶかなシャツを一枚拝借することになりました。

 裸の上にワイシャツ一枚なんて、いかがわしすぎるけど……全裸よりマシだから、仕方ない。うん、仕方ないんだよ。

 わたしだってこんな格好はイヤだもん! まだあのふりふりの方がいいよ!

 この期に及んで、あのコスプレ衣装を求めるようになってしまうなんて、わたしもなんだ……いや、考えるのはやめよう。悲しくなってくる。

 痴女と言われても反論できない格好をしている自分のことは忘れて、今は元の世界に戻ることだけを考えよう。

 

「ねぇ、ベル」

「なに、小鈴」

 

 わたしはベルに先導されて、町を歩く。

 けど、どこに向かっているのか、よくわからなかった。学校っぽい気がするけど、それにしてはルートが迂遠に過ぎる。

 人目を避けて進んでいる、というだけではなさそうだ。

 そんな疑問を抱きつつ、わたしはベルに尋ねる。

 

「ベルは、どうしてこの世界に来たの?」

「どうしてって?」

「わたしは、事故っていうか、巻き込まれちゃっただけだけど……あなたは、違うんでしょ?」

「どうしてそう思うの?」

「だって、この事件のこともわかってるみたいだし、なんか普通じゃないっていうか……上手く説明できないけど、あなたは“すべてを知っている”ような気がするの」

 

 ほとんどわたしの直観と印象だけれども。

 ベルの口振りや手際からして、彼女は今回の事件について、多くのことを知っているように思えた。

 いや、あるいは、もっと多くのことを、知っているのかもしれない。

 次元跳躍とか、平行世界とか、そんな、普通の人では知らないようなことも、知っているのだから。

 

「わたしがこの世界に飛ばされた原因とか、今この町でなにが起こっているのか……わたしは、知りたいよ」

「……本来なら、甘えるなって突き放すべきなのかもしれないけど、あなたはわたしよりもずっと“子供”だし、状況が状況だし……小鈴は黙ってついて来るだけで元の世界には帰れるわけだから、離す必要なんてまったくないけど、まあ、話しちゃいけない理由もないし、いいのかな」

 

 ベルは、重く口を開いた。

 

「わたしは今、色んな世界を飛んで、次元の“歪み”を正しているの」

「じ、次元の、歪み……?」

 

 ベルは、情感を込めずに言った。

 けれどそれは、わざとそうしているんだ。

 あえて、彼女は淡々と、感情を出さないように、話している。

 

「この世には、多くの時空から連なる世界が存在する。過去、未来、現在、そしてそれらが分岐した平行世界、それらとは隔絶された世界、空想や願いによって生まれた異界や仙界、世界というシステムのバグから構築された廃棄場――そんな風に、この宇宙と時空は、多種多様な“世界”で溢れている」

 

 あまりにも、壮大な話だ。

 決して交わることのない別世界、別時空。

 そんな大規模な話は、まるでピンとこない。

 

「わたしは、別次元に飛んで、各々の世界で発生する“歪み”を修正しているの。本来ならその世界にあるべきではないイレギュラーを排除する。あるいは、この世に存在するだけで、別の世界を侵食したり、害を為してしまう、生まれながらにして悪の世界を取り除いたり。そのせいで「次元を渡り歩く者(プレインズウォーカー)」とか呼ばれちゃったりしてね」

「み、未来のわたしは、そんなことを……!? は、話が大きすぎるよ……!」

「……ま、ボランティア活動みたいなものだよ」

 

 素っ気なく言うベル。

 冗談にしても、笑えるような話ではなかった。

 その話はあまりにも大きすぎて、わたしでは実感が持てないけれど。

 そんな巨大なものを、未来のわたしは背負っている、だなんて……信じられない。

 

「で、今回もそのボランティアの一環。別世界で見つけた歪みそのものが、次元を飛んで、この世界にやって来た。わたしはそれを追って来た。単純でしょ?」

「確かに、そこだけはわかりやすいけど……」

「ひとつの世界の中で片づけられなかったのは手痛い失敗だったけど、これもいつも通り……あぁ、いや。あなたを巻き込んだ時点で、イレギュラーだったね。いや、でも、これはある意味、必然なのかも。あなたにとっては」

「ど、どういうこと?」

 

 わたしはただ、不運にも巻き込まれただけ……じゃ、ないの?

 

「意図されたものでない、という意味なら偶然なのかもしれない。“彼”が次元移動の際に、あなたの世界に干渉したのも、その時にあなたと縁を結んでしまったことも、偶然と言えば偶然。だけど、あなたという物語にとって、その偶然は通るべき道なんだよ。試練、なんてのは、ちょっと気取りすぎかな。うん、だからこれは、偶然の縁が紡がれ、連鎖した、あなたの想い出(イベント)。あなたはその道を進んで、未来のための糧としなくちゃならない」

「わ、わかんないよ……ベルの言うことは、まったくわかんないっ」

「じきにわかるよ。あなたは、ちゃんと思い出して、自覚して、意識しなきゃいけないんだから。あなたが、伊勢小鈴であるためにはね」

 

 わたしがこの世界に来たのは偶然でも、この世界での出来事は、わたしにとって為すべきイベント。

 どういうことなんだろう。わたしはただ、巻き込まれて、迷い込んだわけじゃない。

 不思議の国に迷い込んだアリスではない。これは、必然であり、宿命の道……?

 

「話が脱線しちゃったね。あなたのことは、先に進めば自然と解決するはずだから、気にしなくていいよ。わたしの役目も、先に進んで元凶を倒せばそれで解決。わたしに任せてくれれば、それでいいの。あなたはただ、自分自身と向き合えば、それでね」

「……さっきの、黒い影のクリーチャーみたいなのは? また、襲ってきたりしないの?」

「あぁ、あれ? あれは、元凶が次元移動した際の余波、みたいなものかな? なにせ次元というレベルで時空を歪ませる存在だから、その歪みのせいで、間違って命が生まれることもあるんだよ。まあ、命って言っても、意志も肉体もなく、なんとなくそこにある影、みたいなものなんだけど。それらしい気配は感じないし、彼もこの世界での存在が安定したきたのかな。特に心配はしなくていいよ」

 

 そうなんだ……相変わらず言ってることはよくわからないけど。

 わからせる気がないというか、自分の知識や認識を共有しようって気がないあたり、鳥さんに似たものを感じる。

 いや、鳥さんは本当に気遣いができないだけだけど、ベルはこっちがわかっていないことを知った上で、あえて教えてくれないような……気がする。

 

「まあ、なんにせよ、あなたはキッチリ元の世界に戻してあげるから、そこは安心して。むしろあなたは、自分をちゃんと見つめ直さないと。ここはあなたのための舞台……なのかも、しれないんだからね?」

 

 この世界での異常も、元の世界への帰還も、そしてベル自身が抱えている“なにか”も。

 すべては、ベルが背負ってくれている。彼女が、すべてを解決してくれる――理想の、魔法少女のように。

 それならわたしが、この世界ですべきことは。

 わたしの、道行は――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――見つけた」

 

 わたしの世界の話をしたり(ベルは友達いないから羨ましそうだった)、昔懐かしのパン屋さんの話をしたり(意外とパンの好みが違ってた)、鳥さんの奔放さに愚痴を言い合ったり(ここだけ驚くほど気が合った)しながら、しばらく歩いて――ベルは立ち止まった。

 わたしはてっきり中学校の方に向かっていると思ったけど、少し違った。

 中学校の方角ではあるけど、その道程からは少しはずれた路地。

 そこには、ひとりの小さな女の子が、とぼとぼと歩いていた。

 本当に、小さくて、幼い。

 背格好も、体格も、顔つきも、服装も、挙動も、なにもかもが子供らしい――鈴の髪飾りをつけた少女。

 

「あれって……」

「うん。あれが、こすずちゃん――“この時代のわたしたち”だよ」

 

 やっぱり……

 髪型は、昔のわたしのままの、二つ結びのおさげ。ぴょこんと垂れたふたつの髪の房は、鈴のついた髪紐で結ばれている。

 こうして見ると、昔のわたしは、本当に子供っぽい。姿だけじゃない。なんていうか、雰囲気とか、一挙一動のすべてに“子供”であり“幼い”と感じさせるものがある。

 わたしの理想、今のわたしとのギャップもあって、パッと見ただけじゃ、見落としていたかもしれないけど……あの鈴の髪紐だけは、間違えようがない。

 あの子は間違いなく、小鈴(わたし)だ。

 

「ベルは、あのわたしを探していたの?」

「ん? うーん、まあ、そうなるのかな」

「?」

「メインの目的ではないけど、こうするのが、わたしにとっても、あなたにとっても、最善だと思ったんだよ。たぶん“彼”はわたしを意識しているはずだから」

 

 また“彼”と呼ぶ。

 ベルがさっきからずっと言っている“彼”。それは一体、誰なのだろうか。

 

「……ところで、あのちっちゃいわたし、さっきからこの辺りを行ったり来たりしてるんだけど……」

「なにしてると思う?」

「え? うーん……」

 

 物陰からジッと観察してみる。

 泣きそうな顔で、あっちに行ったり、こっちに行ったり、右往左往。

 手にはちっちゃい手提げと、メモ? を持って、しきりにそのメモに視線を落として、またぐるぐる彷徨う。

 そうして同じ場所にまた戻って、涙はどんどん溢れていく。

 これは……

 

「もしかして……迷子?」

「その通り。五年生にもなっておつかいの一つもできないなんて、恥ずかしいね」

「ベルだって同じじゃない……わたしなんだから」

「そうだね。そして、小鈴、あなたでもある」

「え?」

「これはわたしも経験した。あなたも経験したはず。わたしがマジカル☆ベルになれたきっかけは、ここにあるんだから」

 

 わたしが、魔法少女(マジカル☆ベル)になったきっかけ?

 それは、鳥さんとの出会い、ではなくて。

 もっと、昔から……?

 

「正確には、わたしが理想と願いを持つ契機、かな。ほら、思い出してごらん。あなたにも覚えがあるはずだよ。記憶の奥底に沈んでいても、ちゃんと残っているはずだよ。大人の階段の、零段目。わたしを救って、導いてくれた、英雄のような存在。わたしの“決意”が、芽生えた瞬間――」

 

 ――思い出が、重なる。

 その時、声が聞こえた。

 

 

 

「――どうしたの?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――どうしたの?

 

 

 

 それは、あの時のプールでの言葉だったか。

 いや、違う。

 

 

 

 ――迷子かな……お父さんか、お母さんは?

 

 

 

 これは、そう。もっと昔の出来事だ。

 中学生になるよりも前。今よりも、子供だったわたしの、大切な記憶。

 

 

 

 ――それか、お兄さんか……え、お姉ちゃん? お姉さんがいるの?

 

 

 

 わたしという存在から切り離せない一幕。

 わたしの出会いであり、縁であり、憧憬であり、理想。

 

 

 

 ――そっか、お姉さんに届け物が……場所は学校? へぇ、そうなんだ。それなら、こうしよう。

 

 

 

 すべてはここから始まった。

 わたしという物語にプロローグが存在するのなら、それは間違いなくここだ。 

 

 

 

 ――俺が一緒に行ってあげるよ。学校への道ならよく知ってるから。君、名前は?

 

 

 

 つまりここが、わたしの物語の始まりである。

 わたしの、原点が、ここにある。

 

 

 

 ――こすず……小鈴ちゃんっていうのか。なんか聞き覚えがある気が……いや、なんでもないよ。気にしないで。

 

 

 

 あの人と出会い、わたしは導かれた。

 それが、わたしの心の、原初。

 

 

 

 ――俺の名前? あぁ、俺は――

 

 

 

 大人になりたいという理想と願望、誰かに思い焦がれる敬慕と情熱。

 それを抱いたのは、あの人と出会った時。

 

 

 

 ――俺の名前は一騎(いつき)。よろしくね、小鈴ちゃん――

 

 

 

 あの時はじめて――わたしは“先輩”と出会った。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――あー……あ? これは……」

「おかーさん。おねーちゃんは……?」

「あぁ小鈴。五十鈴なら学校だよ」

「でも、今日は学校、おやすみじゃないの? わたしはおやすみだよ?」

「部活動だってさ。生徒会っていう、大事なお仕事があるんだよ」

「お仕事? おとーさんみたい!」

「あぁ、うん。まあお金は出ないけど、誰かを支える大事なことって意味では、お父さんと同じだね。いや本当、五十鈴はどこまでも若い時のあの人に似ていくから怖いわ……」

「おかーさん。おねーちゃんいないなら、わたし、おひるごはんはパンが食べたいな」

「別に構わないけど……」

「? どーしたの?」

「えーっとね、ここにお財布があります」

「はい」

「これは五十鈴おねーちゃんのお財布です」

「いくら入ってるの?」

「いくらだろう。どれどれ……うわ、生意気にも去年のお年玉まだ残してるな。5000円近くある」

「おねーちゃん、すごい!」

「あの子が嫁いだら、質素倹約を旨としそうでちょっと旦那に同情するわ。それはそれとして、五十鈴おねーちゃんは今日、お弁当を持っていきませんでした。朝、急いでたみたいでね」

「たいへん! もうすぐおひるだよ。おねーちゃん、おなかが減ってたおれちゃう……」

「小鈴ほど食い意地張ってないから一食抜いたって大丈夫だとは思うけど、育ち盛りの娘の昼飯がないなんて事態、母親として見過ごすのはどうかと思うんだ」

「そうだね、ごはんは大事」

「大事だ。けど、五十鈴おねーちゃんはごはんを食べる手段がない。お弁当も、お金もないんだから」

「たいへん!」

「大変だ。だからわたしはこれから、ちょっくら中学校まで行ってあの子にお金を届けてあげようと思うんだ。だから、先に一人でお昼食べててもらうことになるんだけど……大丈夫?」

「え? うーんっと、ひとりで、おひる……うーん……」

「ダメそうなら待っててもらうことになるんだけど」

「……おかーさん!」

「え、なに」

「あの、その……わたし……わたし、が――」

 

 

 

「――わたしが、おねーちゃんにおかね、とどけにいく――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――どうしたの?」

「ふぇ……?」

 

 路頭に迷い、心細さから泣き出して、道端に蹲ってしまう、小さなわたし(こすず)

 そんな彼女に手を差し伸べる、優しい人がいた。

 

「君、名前は?」

「……こすず」

「こすず……小鈴ちゃんっていうのか」

「あの、おにーさんは……?」

「俺の名前? あぁ、俺の名前は一騎。よろしくね、小鈴ちゃん」

「よ、よろしく……い、いつき、くん……」

 

 それが、先輩。剣埼一騎さん――いや。

 “いつきくん”だ。

 

「ちゃんと思い出せた? 意識できるようになった? なによりも大事な、わたしたちの原点。わたしたちは、ここから始まった。たとえ分岐を違えても、わたしたちが常ならざる力を操る道を辿るのなら、その手前には必ず、あの人がいる」

 

 そうだ、そうだ、そうだった。

 大好きなお姉ちゃんのため、勇気を出してお遣いに出たわたしだったけど、結局、はじめて通る道で迷ってしまった。

 どん詰まりで、なにもできなくなって、自分の無力さに打ちひしがれて、泣きじゃくっていたわたしの手を取って、導いて、救ってくれた、大切な人。

 その人との、はじめての、出会い。

 

(そうだ……そうだった)

 

 わたしがずっと胸に秘めていたのは、この時の想いだ。

 この時からわたしは“大人になりたい”と、強く願うようになった。

 彼に、報いたくて。

 彼に、追いつきたくて。

 彼に、認めてもらいたくて。

 わたしの願いは、ここにある。

 これが、わたしがここにいる理由。

 薄れてしまった記憶を蘇らせること。

 物語の軌道が修正される。これはそんな、追憶だ。

 かつてのわたしは、あの人に手を引かれる。そして、進むべき道を、二人で歩んでいった。

 

「……実は、さっぱり意識できないとか、わたしたちと別の起源からなる存在だとかだったらどうしようかと思ってたけど、その様子だと、思い人は変わらないようだね」

「っ、そ、それは……」

「ちゃんと言えたの?」

「……言った、けど……ちゃんと、じゃない」

「そっか。なら、帰ったらちゃんと言うんだよ」

「わかってる……ねぇ、ベル」

「なに?」

「ベルはなんで知ってたの? わたしが、この世界に来た意味を」

「勘だよ」

「勘!?」

「だって、あなたはわたしで、わたしはあなた、だからね。こんな大それた仕掛けじゃないけど、わたしにも似た経験がある……原点に立ち返るというのは、運命なんだよ、わたしたちの」

「運命……」

 

 あの人に手を引かれて、道を行くかつてのわたし。

 わたしたちは、そんな幼いわたしの後を、密やかに追いかける。

 

「あとは、やっぱり縁かな」

「縁って?」

「わたしたちと、あの人を繋ぐもの。“アレ”の出自と、わたしたちとの関係性を踏まえてもたらす影響を考えたら、こうなるんじゃないかと思ったんだよ」

「……?」

「まだピンと来ない? なら、心の準備だけしておいて。たぶん、そろそろだから」

 

 少しだけ声色を険しくして、ベルは言った。

 前を行く二人の道行は、やがて目的の場所、中学校へと到達する。

 その、時だ。

 

 

 

 ――空間が、裂けた。

 

 

 

「!?」

「おいでなすったね」

 

 断裂した空間の裂け目から、なにかが出てくる。

 わたしたちの方へと迫り来るそれは、巨大な怪物。

 そしてその怪物に騎乗する、人影。

 

「能力を応用させて次元の狭間に隠れるとは、随分と小賢しいマネを覚えたね。らしくないよ」

 

 ベルはスッと前に出る。

 そして、とてもフランクに、ともすれば友好的とも取れそうな和やかさで、彼に語りかける。

 そう――

 

 

 

「でもまあ、会えて嬉しいよ――“グレンモルト”」

 

 

 

 ――グレンモルトに。

 

「え、嘘……グレン、モルト……なの……?」

 

 信じられなかった。

 しかし、燃える炎のような真紅の鎧を纏った姿は、この目で何度も見た戦士の姿に他ならない。

 そしてなによりも、彼が騎乗している巨躯が、彼の存在を決定づけていた。

 

「ガイギンガも……!」

 

 銀河を翔け、燃やし、星そのものでもある、灼熱の龍――ガイギンガ。

 それを従えるクリーチャーなど、グレンモルト以外あり得ない。

 そしてグレンモルトも、ガイギンガも、どちらもクリーチャーだ。

 わたしたちが今まで戦ってきた存在と、なにも変わりはしない。

 

「安心して、小鈴。彼らは出自が違う。神話世界からやって来た彼ではなくて、別世界の――というより、別の次元で、わたしの記憶を元にして生み出された存在、なんだよね」

「ベルの記憶を元に……?」

「意図してたわけじゃなくて、偶発的に“生まれちゃった”、というのが正しいんだけど……まあそんなのは些末なこと。あなたにとって、わたしたちにとって大事なのは、これが“グレンモルト”であり、“銀河大剣の戦士”であり、わたしたちと縁深い存在だってことだよ」

 

 わたしたちと、縁が深い。

 それは、そうだ。

 《銀河大剣 ガイハート》――先輩からもらった、大切なカード。それを操れるのが、《グレンモルト》だ。

 今のわたしのデッキには《ガイハート》はなくてはならない存在だし、それを扱うために《グレンモルト》の力も必要だ。

 いわば《龍覇 グレンモルト》は、わたしと先輩を繋ぐクリーチャーと言っても過言ではない。

 

「だから、あなたは縁に引かれてしまった。それとも、あなたは意図してやったのかな?」

「…………」

 

 グレンモルトは答えない。

 黙したまま、バイザー越しにこちらをジッと見つめている。

 

「だんまりか。いや、意図的でも偶発的でもいい。わたしの記憶を元に生まれたあなただもん、わたしの大事なものを中心に、事態を渦巻かせることくらいは読めるよ。だから、あの子の傍で、あの人が現れた時、姿を見せることも、読めていた」

 

 すべてはベルの予測通り。

 あのグレンモルトがどういう存在なのかはよくわからないけど、この事件の元凶であることは確からしい。

 なら、彼を倒せば、わたしは元の世界に戻れる……?

 

(でも、相手はグレンモルト……)

 

 ずっと戦ってきた仲間だから、わかる。

 彼は強い。とんでもなく強い。

 簡単に倒せるような相手じゃない。

 

「……怖い?」

「え……っ?」

「怖いよね。ある意味これは、自分自身との戦いのようなものなんだから。あっちの彼は、わたしたちの呼ぶ彼と比べて、次元移動のせいで変質しまっているようだけど……根幹は変わらない。どころか、わたしたちのよりも強いかもだ」

「そ、そんな……」

「でもね、そんなのは関係ないから」

 

 ベルは、力強く言った。

 スカートの裾のさらに先、太腿のホルスターまで手を伸ばして、パチンッ、とケースを開く。

 

「わたしは、わたしを超える。かつてのわたしは、それができなかった。だからいつまでも子供で、少女のままで、恥を晒して生きてきた……だから、今くらいは、過去のわたしと、わたしのいた世界に、ほんの少しの贖いを為してみせる」

 

 ケースから取り出す、カードの束。

 あれが、ベルのデッキ。

 

「姿を現したってことは、やる気なんでしょう? ねぇ、グレンモルト」

「…………」

 

 グレンモルトは腕組みして黙したまま、微動だにしない。

 けれども、その瞳に宿る闘気、そして殺意だけは、変貌した。

 

「清算をしようか。贖罪を為そうか。わたしは永遠なる魔法で生きる儚い少女。世界と時空を飛び越える終焉世界の生き残り。そして今は、分たれた己が記憶と力の責任を果たす主人」

 

 ベルは前へ、前へ進む。強い意志で、彼を見据える。

 グレンモルトもまた、彼女と相対する。鬼気迫る覇気を纏って。

 

「わたしは魔法少女、マジカル☆ベル――グレンモルト。あなたを殺しに来ました」

「……やってみろ」

 

 はじめて、グレンモルトは口を開く。

 刹那――

 

 

 

 ――二人は、神話のような終末の戦場へと、誘われた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ベル(わたし)と、グレンモルトの、対戦。

 戦っているのはわたしじゃないわたしで、その相手はわたしとずっと一緒に戦ってくれたグレンモルト。そんな二人の戦いを傍から見ているのは、他でもないわたし。

 とても奇妙で変な感じだ。そこにいるのは、わたし自身で、わたしの力そのものでさえもあるものたちなのに、わたしではないだなんて。

 

「わたしのターン。3マナで《ボーンおどり・チャージャー》を唱えるよ。山札から二枚を墓地へ」

「オレのターン。3マナで《決闘者(デュエリスト)・チャージャー》。山札の上三枚から《ボルシャック・ドラゴン》を手札に加える」

 

 

 

ターン3

 

マジカル☆ベル

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:2

山札:26

 

 

グレンモルト

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:5

墓地:0

山札:26

 

 

 

 ベルは墓地を、グレンモルトはマナを、それぞれ増やしている。

 見た感じ、ベルのデッキは少し前のわたしのように、火と、闇と、水の三文明。

 そしてグレンモルトは、ほとんど火文明だ。多色含みで、ほんのちょっとだけ自然のカードも見えるけど。

 

「わたしのターンだよ。《熱湯グレンニャー》を召喚、一枚ドロー。さらに3マナで《リロード・チャージャー》、手札を一枚捨てて、一枚ドロー。ターン終了」

「オレのターンだ。5マナで《無双竜鬼ミツルギブースト》を召喚。自身をマナに送り、パワー6000以下のクリーチャーを破壊する」

「焼かれちゃったか……地味に痛いね」

 

 燃える龍が、ベルの《グレンニャー》を焼き焦がす。

 そしてその焦土の痕は肥やしとなった。

 除去と同時にマナも増やして、次のターンにはもう7マナ……静かなのに、なんだかとても、怖い対戦だ。

 

 

 

ターン4

 

マジカル☆ベル

場:なし

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:4

山札:23

 

 

グレンモルト

場:なし

盾:5

マナ:6

手札:4

墓地:0

山札:25

 

 

 

「《グレンニャー》はやられちゃったけど、そのくらいじゃ、わたしは止まらない。2マナで《【問2】ノロン⤴》を召喚! 二枚ドロー、その後二枚を捨てるよ。さらに5マナで《法と契約の秤(モンテスケール・サイン )》!」

 

 ベルのターン。見慣れたカード、見慣れたクリーチャー、見慣れた流れ、見慣れた動き。

 だけど、わたしが知っているわたしよりも、ずっと、ずっと、力強い。

 今のわたしより、遥か高みに、彼女はいる。

 

 

 

「血塗られた契約を交わせ。Wizard of summon――《偉大なる魔術師 コギリーザ》!」

 

 

 

 それは、矮小な子供などではない、魔法使い。

 大きくて、荘厳で、偉大なる、大魔術師だ。

 

「《コギリーザ》で攻撃する時、キズナコンプ発動! 墓地からコスト7以下の呪文を唱えるよ! それにより、もう一度《法と契約の秤》を発動! コスト7以下のクリーチャーを復活!」

 

 あぁ、これは、知っている。

 呪文によって蘇ったクリーチャーが、さらに呪文を繋げ、新たな命を吹き込む儀式。

 わたしも、何度も、何度も、何度も、この手で行ったことだ。

 墓場へと続く扉を叩き、門を開き、呼び戻す。

 ここで来てくれるのは、きっと彼だ。

 わたしの原点(ルーツ)から紡がれた、あの人の力。

 魔法ならざる、剣。

 

 

 

「お願い、来て――《龍覇 グレンモルト》!」

 

 

 

 それは魔法とは無縁。だけど、わたしと縁を繋いだ英雄。 

 優しくって、それでいて、とても強い。大剣を背負う、赤き剣士。

 ――《グレンモルト》。そして、

 

「《銀河大剣 ガイハート》を装備!」

 

 先輩から託された剣、《ガイハート》。

 わたしの身体にも染みつき、馴染んでいる、定められた道筋。

 このベル(わたし)も、やっぱり、わたしなんだ。

 

「このまま押し切る! 《コギリーザ》でWブレイク!」

 

 霧散した呪文を再起動させた《コギリーザ》は、そのまま攻撃行動に移る。相手のシールドを二枚、打ち砕いた。

 これで、一回。

 あと、一回だ。

 

「続いて! 《グレンモルト》で――」

「S・トリガー」

 

 しかし、

 こちらの剣が《グレンモルト》であるように、相手もまた、グレンモルト。

 二回目の攻撃の意味することは、お互いに熟知している。

 ゆえにグレンモルトは、《グレンモルト》の攻撃を許さない。

 

「《熱血龍 バトクロス・バトル》を召喚。バトルだ」

「《グレンモルト》のパワーは、バトル中プラス3000されて、7000になるけど……」

「《バトクロス・バトル》のパワーも7000。相打ちだ」

 

 大剣を振りかぶったところで、シールドから飛び出した龍の拳を受けてしまう。

 《グレンモルト》も返す刀で切り返したけど、お互いに致命傷。戦場に留まるほどの力は残らず、どちらも破壊されてしまう。

 

「……ターン終了」

 

 後に続けられなかった。本当の切り札まで至れなかった。

 こればっかりは、シールドブレイクの運次第。わたしも上手くいかなかったことは何度もあるし、仕方ないことではあるけれど、

 

「オレのターン。マナチャージ……7マナをタップ」

 

 この攻められなかった1ターンは、途轍もなく大きい。

 なぜなら、わたしたちは知っているはずだから。

 姿が違えども、《龍覇 グレンモルト》の強さを。

 そして、相手もまた、グレンモルトであることを。

 

 

 

「召喚――《次元龍覇 グレンモルト「(ヘッド)」》」

 

 

 

 その《グレンモルト》は、既にガイギンガを従えている。《ガイハート》を解すことなく、かの星龍は顕現していた。

 《グレンモルト》はガイギンガに騎乗し、突撃する。

 

『《グレンモルト「覇」》で《コギリーザ》を攻撃。マナ武装7発動』

 

 その瞬間、相手のマナが赤く輝く。

 あの《グレンモルト》は、わたしたちの剣となる《グレンモルト》とは違う。ならば当然、行使し得る力も違う。

 次元を歪ませる穴が開かれる。そこから現れるのは剣ではない。武器ですらない。それは――要塞だ。

 

『浮上せよ――《恐龍界樹(ジュラシック・ジャングル) ジュダイオウ》』

 

 遺跡となった空中要塞。龍を取り込んだその遺跡は、毒蛇の如き威圧を発しながら、大空を浮遊する。

 

「《ジュダイオウ》……!」

『このフォートレスが存在する限り、お前はパワー4000以下のクリーチャーで攻撃することはできない』

 

 パワー4000以下……ということは、《グレンモルト》の攻撃が封じられた。

 あのデッキが、わたしの知っているものとそう変わらないのであれば、これは非常に厳しい。

 パワー5000以上のクリーチャーが少ないわけじゃないけど、わたしのデッキは“攻撃回数”が重要だから、小型クリーチャーの攻撃が止められてしまうと、攻撃回数を重ねることが難しくなってしまう。

 特に、その要素の体現者たる《グレンモルト》自身の攻撃が封じられたということは、もう《ガイギンガ》は……

 

『……バトルだ。オレのパワーは7000』

「《コギリーザ》のパワーも7000! 今回も相打ちだよ!」

「ターンエンドだ」

 

 

 

ターン5

 

マジカル☆ベル

場:なし

盾:5

マナ:7

手札:0

墓地:7

山札:21

 

 

グレンモルト

場:《ジュダイオウ》

盾:3

マナ:7

手札:4

墓地:2

山札:24

 

 

 

「わたしのターン……」

 

 お互いにクリーチャーはゼロ。だけど相手の場には、クリーチャーの攻撃を封じる古代遺跡が浮かんでいる。

 そしてなにより、ベルの手札はゼロ。すべては、山札から引いてくるカード次第。

 

「……《ボーンおどり・チャージャー》だけ唱えて、ターンエンド」

 

 だけど、それは必ずしも、良いカードとは限らない。

 ほとんどなにもできず、ベルはターンを終えた。

 

「3マナで《決闘者・チャージャー》、山札の上三枚から《ボルシャック・ドラゴン》を手札に加える。6マナで《ボルシャック・ドラゴン》を召喚」

 

 けれどそれは、相手も同じ。

 手札がそれなりに多いから、なにか仕掛けてくると思ったけど、まだその動きは静か。

 でも、なんだろう。

 なにか、とても怖い。なにか、途方もない脅威が、迫ってきそうな……

 

 

 

ターン6

 

マジカル☆ベル

場:なし

盾:5

マナ:8

手札:0

墓地:9

山札:18

 

 

グレンモルト

場:《ボルシャック・ドラゴン》

盾:3

マナ:9

手札:3

墓地:2

山札:22

 

 

 

「わたしのターンだね。ドロー」

 

 お互いに切り札を出しても、潰し合って、結果として嵐は大きくならない。

 とはいえ、相手の出方は不気味だし、ベルは手札がないし、こちらが不利なのは変わらない。

 

(《クロック》……ロクなカード引かないなぁ)

 

 引いたカードを見つめて、彼女はなにか思案しているようだった。

 

(次のターン、相手はきっと決めに来る。となるとこれは、わたしが反撃するための小さなピースなわけだけど……出すべきか、マナに埋めるべきか。《ジュダイオウ》を退かす手段はないから攻撃はできない。なら、マナにしちゃう方がいい気がするけど……)

 

 しばし黙考した後、彼女はたった一枚の手札を放った。

 

「……《終末の時計(ラグナロク) ザ・クロック》を召喚。ターンが飛ぶよ」

 

 このタイミングで繰り出したのは、《クロック》?

 他にできることがないから、ターンを強制終了させる能力のデメリットはないようなものだけど……《ジュダイオウ》で攻撃できないし、バトルゾーンにいてもほとんど役には立たない。

 もし、このクリーチャーになにかしらの意味があるとしたら……

 

「オレのターン。7マナで召喚――」

 

 ターンがスキップされて、相手のターン。

 陽炎のように、虚ろな影が揺蕩う。

 次元の壁を越え、時空の理を貫き、その戦士は、再び戦火の戦場へと現れる。

 

 

 

「――《次元龍覇 グレンモルト「覇」》」

 

 

 

 ガイギンガに騎乗する――《グレンモルト》。

 彼の拳は次元の壁に穴を穿ち、そこから、あらたな超次元の力が引きずり出される。

 

『《グレンモルト「覇」》で攻撃、マナ武装7発動。超次元ゾーンから《聖槍の精霊龍 ダルク・アン・シエル》をバトルゾーンに』

 

 呼び出されるのは、またしても武器ではない。今度は要塞でもない。

 それは、クリーチャー。しかしサイキックではない。武器が変じたドラグハート・クリーチャーが、武器の姿を解することなく、そのままの姿で、顕現したのだった。

 そして、それだけでは、終わらない。

 《グレンモルト》は、剣としての暴威を託す。

 より巨大で、強大な、剣に。

 

『さらに――革命チェンジ』

 

 ……あぁ、そうか。

 この恐怖、この脅威は、これだったんだ。

 わたしも知っている。このクリーチャーの恐ろしさを。

 武器なんて、必要ない。なぜなら、これこそが、彼の剣に他ならないのだから。

 

 

 

「《蒼き団長 ドギラゴン(バスター)》」

 

 

 

 深蒼の鎧に、灼熱の魂の込められた刃。

 真紅のマントを翻し、それは戦場を疾駆する。

 《ドギラゴン剣》――わたしはそれを何度も見たことがある。

 あまりにも暴力的で、熾烈な力だ。

 

「ファイナル革命。マナゾーンより《リュウセイ・ジ・アース》をバトルゾーンへ」

 

 大地の底から飛翔して、降り立つ、流星の龍。

 《リュウセイ・ジ・アース》、これも、わたしはよく知っている。

 《グレンモルト》から《ドギラゴン》――わたしの持てる力そのもの。

 だけれど、変質しているというのは、その通り。

 これはわたしよりもずっと、激しく、荒々しく、大地の全てを蹂躙し、焦土と化してしまうような、強大さ、恐ろしさで溢れている。

 

「Tブレイク」

 

 ――一閃。

 《ドギラゴン》――いいや、《ドギラゴン剣》の剣閃が、迸る。

 次の瞬間には、ベルのシールドは三枚、断ち斬られていた。

 

「……S・トリガーなし」

「《ボルシャック・ドラゴン》でWブレイク」

 

 続けて、火炎の龍が咆哮する。

 装甲を纏った翼で空を翔け、灼熱の爪で障害を引き裂き、悲嘆と憤怒の炎で敵対者を焼き払う。

 ベルを守る盾はもうない。そこに、大地から放たれる流星が、迫る――

 

「――S・トリガー発動《デーモン・ハンド》!」

 

 刹那、悪魔の腕が伸びた。

 天翔ける《リュウセイ・ジ・アース》に向かって伸長する漆黒の手腕は、流星を絡め取り、無為なままに大地へ堕とす。

 《リュウセイ・ジ・アース》が破壊された。間一髪、なんとか踏みとどまった。

 

「それと、もう一枚トリガー、《インフェルノ・サイン》! 《コギリーザ》を復活!」

「……ターンエンド」

 

 

 

ターン7

 

マジカル☆ベル

場:《クロック》《コギリーザ》

盾:0

マナ:8

手札:3

墓地:11

山札:16

 

 

グレンモルト

場:《ボルシャック・ドラゴン》《ドギラゴン剣》《ダルク・アン・シエル》《ジュダイオウ》

盾:3

マナ:8

手札:4

墓地:3

山札:20

 

 

 

 ギリギリ耐えた……けど、もうシールドがゼロで、後がない。

 それに、《聖槍の精霊龍 ダルク・アン・シエル》……確かあれは、攻撃、ブロック、そして場を離れたら、相手一体をタップするクリーチャーだ。

 ブロックするだけで一体、破壊されればもう一体、最大で二体ものクリーチャーを足止めする。

 たとえ除去しても攻撃を止められてしまう……《ジュダイオウ》でパワーの低いクリーチャーは攻撃できないし、ベルの攻撃は、大きく制限されてしまった。

 このターンで決めなければ、ベルは負ける。けど、このターンに決めるには、あまりにも壁が高い。

 《ジュダイオウ》が囲い、《ダルク・アン・シエル》が守り、次のターンには《グレンモルト「覇」》が戻って来る。

 これは、もう――

 

「――絶体絶命、って?」

「っ」

 

 ベルは、流し目で一瞬だけ、こちらを視た。

 

「確かにピンチだ。でも、まだ終わっていない……終わってなければ、わたしはまだ、抗える」

 

 すぐに視線を彼へと戻す。

 そんな彼女は、少しだけ、震えていた。

 恐怖なのか、怒りなのか、悲しみなのか。

 その震えの意味を、わたしは、知らない。

 

「抗えるなら、最後まで戦ってやる。あの時のわたしは、なにも決められず、戦うことすらなく、なにもかもを失ったんだから。守りたい人も、大切な思い出も、帰る世界も――わたし自身さえも」

 

 気丈に立ち向かうベル。

 けれどその瞳は、昏い。

 その眼は、わたしが思い描いたキラキラしてる“主人公”からは、程遠い。

 

「わたしには伊勢小鈴という名前を名乗る資格はない。ゆえにわたしはマジカル☆ベル――わたしはもう、終焉を味わい尽くしたんだ。あの惨劇に比べれば、こんなの“ぬるい”よ。なにせ、終わっていないんだから。わたしはこの世界で、この戦いで、まだなにも失っていない。終わっていないのなら、最後まで戦う。終わってから頑張るなんて、殺したいほどに惨めだけど……それでいい。わたしは惨めに、戦い抜く」

 

 そういえば、彼女は今まで一度も自分のことを「小鈴」と呼んでいない。

 それはきっと、彼女の過去――わたしにとっての、あるかもしれない未来――に関わることなのだろう。

 そうだろうとは、思った。なにかを抱えていることはわかっていた。

 とても重いものを背負っていることはわかっていた。

 それがなんなのかは、わからないけども。

 それは、わたしが思い描く以上に、わたしが想像できないほどに、惨たらしいものなのだろう。

 未来のわたし(ベル)は一体、どんな道を歩んだというのか。

 彼女はなにも語らず、ただその背中を、わたしに見せるだけだった。

 

「よく見てて、小鈴。これがわたしの今――なにもかもを失い、何者でもなくなった、魔法少女(マジカル☆ベル)の末路だよ」

 

 ピンッ、ピンッ、と。

 ベルは二枚のカードを、上空に弾いた。

 そして、彼女は姿勢を低くして、構える。

 

「3マナで《リロード・チャージャー》! 手札を捨てて、一枚ドロー!」

 

 二枚はそのまま落下して、一枚は墓地へ、一枚はマナへ。

 追加のカードを引きつつ、ベルは――駆け出した。

 

「さらに5マナで《法と契約の秤》! 墓地の《コギリーザ》を復活、《クロック》からNEO進化!」

 

 クリーチャーが蔓延り、暴れる戦場に、単身突っ込むベル。

 戦場の真っただ中で、彼女はさらなる呪文を唱える。使者を蘇らせる血塗られた契りを交わし、力と命を天秤に掛け、墓地からクリーチャーを引きずり起こす。

 

「行くよ、みんな! 《コギリーザ》!」

 

 ベルの言葉によって、彼女のクリーチャーたちは立ち上がり、沸き立ち、そして怒号する。

 しかしいくら勇猛果敢に突撃しても、それでは《ダルク・アン・シエル》の思う壺。その聖なる黒槍は、自らの死と引き換えに、確実なる生存を約束する。

 だがそれは、戦士の場合。

 わたしたちも剣で戦うことも少なくないとはいえ、この場にいるのは戦士ではなく魔術師だ。

 二体の魔術師――《コギリーザ》は、諸手を掲げてその力を行使する。潰えた呪文を、呼び戻す力を。

 そしてその力は、同族の絆によって、連鎖する。

 

「キズナコンプ――呪文を二度、唱えるよ」

 

 ベルの場には《コギリーザ》が二体。キズナコンプで二体の《コギリーザ》のキズナ能力が同時に発動する。

 つまり、墓地の呪文が、一度に二回、放たれるのだ。

 

「まずは一発! あなたの時間は、わたしが掌握する! Wizard of cast――《時を御するブレイン》!」

 

 グッと、ベルは片手を握り込んだ。

 同時に、《ダルク・アン・シエル》と《ドギラゴン剣》が、動きを止める。

 二体を包み込む空間だけ、時間が停止したように、身じろき一つしない。

 そう。その二体の時間は、ベルが完全に掌握し、御してしまった。

 触れても、倒しても聖槍が輝き守るのならば、触れず、倒さず、止めればいい。

 聖槍は輝く。永遠に、止まった時の中で、無意味に光を放ち続けるだけだ。

 

「そして、二発目! 《インフェルノ・サイン》!」

 

 絆によって連鎖した、二体目の《コギリーザ》による呪文詠唱。

 ぼぅっと指先に灯る紫炎によって結ばれる、煉獄の印。冥府と通じ、地獄と繋がる道が開ける。

 昏い、昏い、暗澹の奥底から駈け上がる、一人の戦士。

 それは――

 

 

 

「来て――《龍覇 グレンモルト》! 《銀河大剣 ガイハート》!」

 

 

 

 銀河のように熱く燃え滾る大剣を背負い、真紅の戦士が、戦場へと呼び戻される。

 ガイギンガに騎乗はしていないけれども、その銀河の力を秘めた刃を手にした、《グレンモルト》。

 わたしの、大切な、切り札。

 けど、

 

「《ジュダイオウ》」

 

 相手のグレンモルトが、一言。

 その瞬間、地中から、中空から、繁茂する植物が、蔦が、葉が、樹が、花が、彼を覆い、縛りつける。

 ――《グレンモルト》のパワーは4000。パワーが上がるのはバトル中だけ。だから、このままではいくらスピードアタッカーが付与されていても、攻撃はできない。

 

「……お願い、《コギリーザ》。《ボルシャック・ドラゴン》とバトル!」

 

 二度の魔術的支援によって、相手の動きを止め、増援も呼んだ《コギリーザ》は、魔力(マナ)を込めた弾丸を放ち、《ボルシャック・ドラゴン》を撃ち抜く。

 

「次、行って――《コギリーザ》!」

 

 二体目の《コギリーザ》が動き出す。

 この時にも、キズナコンプが発動し、呪文が二回、唱えられる。

 

「三回目、――《ボルメテウス・レジェンド・フレア》!」

 

 刹那、白く燃える爆炎が迸る。

 爆炎は戦場を縦横無尽に駆け巡り、弱い命を絶やさんとばかりに暴れ回ってから、相手へと振りかかる。

 もちろん相手への攻撃はシールドが守るけど、その炎によって相手のシールドは一枚、焼け落ち、溶け落ちた。

 陰惨に華やかに、血染めに煌めく炎。散り行く魔法の百花繚乱。

 乱れ撃たれる魔法、世界に満たされるマナ。その中で、一人の少女が駆ける。

 

「四回目、Wizard of cast――《法と契約の秤》!」

 

 またしても、命を秤に掛けた契約が交わされる。

 その契りは魔術師を、戦士を蘇らせる。

 さらには――巨龍さえも。

 そう、わたしがあの人との繋がりは、なにも《グレンモルト》だけではない。

 

「《龍覇 グレンモルト》を――進化!」

 

 向こうのグレンモルトがそうしたように。

 わたしたちだって、《グレンモルト》にさらなる力を与えられる。

 入れ替わり、立ちわ代り、《グレンモルト》は――進化する。

 

 

 

「お願い、力を貸して――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 ――これが、わたしの《ドギラゴン》。

 《ドギラゴン》は《ジュダイオウ》に縛られた四肢に力を込め、ぶちぶちと繁茂した植物を引き千切る。

 《グレンモルト》は《ジュダイオウ》に阻まれてしまうけれど。

 進化した《ドギラゴン》ならば、《ジュダイオウ》のしがらみから解き放たれる。

 

「《コギリーザ》でWブレイク!」

 

 さらに《コギリーザ》が、残りのシールドを薙ぎ払う。

 勝利の筋道が、見えた。

 

「これで終わらせる……行こう! 《ドギラゴン》!」

 

 《ガイハート》を牙で噛み締め、飛翔する《ドギラゴン》。

 そしてその剣はもはや、溢れんばかりの灼熱で滾っていた。

 そこに、ひとつの邪槍が穿たれる。

 

「S・トリガー発動、《熱血龍 バトクロス・バトル》《ジ・エンド・オブ・エックス》。《ドギラゴン》を封印する」

「っ、《ドギラゴン》!」

 

 絶叫し、怒号する《ドギラゴン》。

 禁断の邪槍が深紅の鎧を貫き、時が止まったかのように、その力を封印する。

 しかし、

 

「でも……それじゃあ龍解は止められない! 《ドギラゴン》!」

 

 肉体が石化する直前。

 《ドギラゴン》は《ガイハート》を、ベルに投げ渡す。

 

「ごめんね、《ドギラゴン》、《グレンモルト》……剣、借りてくよ」

 

 ベルは《ドギラゴン》(《グレンモルト》)から託された、灼熱の《ガイハート》を携え、疾駆する。

 軽快な身のこなしで、彼の騎乗する巨体を駆け上がり、そして――グレンモルトと、相対する。

 

「これで終わりだよ、グレンモルト。この剣の意味、あなたならわかっているでしょう?」

 

 力が十分に満たされた《銀河大剣》。

 あとは一言、その名を呼べばいい。

 それだけで、剣は応えてくれる。

 

「……お前は」

 

 と、その時。

 グレンモルトは、自ら口を開いた。

 

「お前は……なにがしたい」

「なにが?」

「オレを否定したいのか。己が生存を望むのか。それとも、小さきお前に、なにかを託したいのか」

「わたしにやるべきことなんてないよ。わたしはただ、自分の意志で決めたことを為しているだけ」

「自分の意志、か」

「そうだよ。わたしは、なにも決められなかった。そんなわたしの弱さが、あの破滅を招いたんだ……だからわたしは、自分で決めた。矮小なプライドで自死を許さず、世界の礎になるって」

「礎。違うな。それは、お前のエゴだ。お前は、世界に必要とされて、そういているわけではないだろう」

「……そうかもしれない。でも、ならそれでいい。あなたはわたしのエゴで死ぬの」

 

 冷たく、鋭く、虚しく。

 昏い瞳で、ベルは言い放つ。

 グレンモルトも、淡々と、けれどどこか熱を感じる声で、彼女と対話する。

 

「最後に警告する。お前がオレを否定するのならば、お前は“奴”との記憶さえも踏み躙るだけだぞ」

「それでもいい。もう全部なくしちゃったんだ。今更、わたしの中のなにかが消えようが構いやしないよ」

「その先にあるのが、戦火に蹂躙された焦土の地獄であってもか?」

「地獄ならもう見たよ。大切な人も、場所も、わたしの生きた証のすべてが消え失せた瞬間は、この眼に焼き付いてる。これ以上の地獄なんてない」

「……いいだろう。形は違えど、お前はオレの主のようなものだ。ならば、オレがお前の因果を断ち切ったとしても、道理だろう」

 

 グレンモルトは、次元の門に腕を突っ込んだ。

 そして虚空から、剣を引きずり出す。《ガイハート》じゃない――朱く、そして金色に輝く、燃え滾る灼熱の剣。

 巻き付いた鎖を断ち切り、振り払い、グレンモルトはそれを構える。

 

「伊勢小鈴。オレの、主であった、主であったかもしれない少女よ」

「やめて。わたしをその名前で呼ばないで。わたしにはもう、その名前で呼ばれる資格はない。わたしは終末と終焉に生きてしまった、魔法少女――マジカル☆ベルだよ」

「知らん。オレがお前と“奴”を繋ぐのなら、オレに染み付いた記憶は奴とも通ずる。むしろオレの性質は、奴に準ずるもの。故に魔法少女など、知りはしない――剣を構えろ、小鈴」

「…………」

 

 ベルもまた、《ガイハート》を構えた。

 熱気が溢れそうになっている、大剣を。

 

「――ッ!」

 

 一呼吸の後、グレンモルトの刺突が放たれる。

 けれど、

 

 ――キィンッ

 

 その一突きは、弾かれる。

 そして、ベルの大剣の切っ先が、グレンモルトの胸を穿った。

 

「……この剣、この刃。そうか、迷いも、曇りも、陰りもなく、永劫輪廻の供犠に殉ずるというのか」

 

 その身を貫く大剣に触れながら、グレンモルトは声を絞り出す。

 

「成程。お前の歩んだ道は、英雄としては酷くつまらないが――お前の意志だけは、認めよう」

 

 それが、彼の最期の言葉だった。

 次の瞬間、ベルは小さく告げる。

 《ガイハート》の力の全てを解き放つ言の葉を――

 

 

 

「――龍解――」

 

 

 

 ――そして彼は、銀河の炎に、燃やし尽くされた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――終わった。

 結果だけを見れば、ベルはグレンモルトに勝った。

 ベルの言う世界の歪みは正されるし、わたしも元の世界に帰れる。目的達成でめでたしめでたし……の、はずなのに。

 とても、喜べる空気ではなかった。

 

「べ、ベル……」

 

 わたしは、ベルに歩み寄る。

 ずっと、ずっと気になっていたんだ。

 ベルは世界を、時空を、次元を、飛び回って世界を正していると言った。

 じゃあ“ベルの世界”はどうなのか、って。

 ベルもわたし。なら、お母さん、お姉ちゃん、お父さん、それに先輩……他にも、かかわりのある人たちは、たくさんいるはず。

 そういった人たちのことはどうなのか。学校とか、食べ物のこととか、とにかくなんでもいい。

 彼女の生活は、どうなっているのか。

 年齢を数えるのをやめた、なんて言っていたけど、それはつまり、ベルは――

 

「ベル……あなたは……」

「聞かないで」

 

 ――ベルは、拒絶した。

 わたしの、他ならぬわたし自身の歩み寄りを、力強く、ハッキリと拒んだ。

 でもそれは、羞恥や、怒りや、悲しみではない。

 彼女の、慈悲だった。

 

「聞いたらきっと、あなたは絶望する。わたしと同じようにね」

「で、でも……」

「あなたより大人になったわたしだって、耐えられなかったんだ。今のあなたが知ったら、道が、できてしまうから。絶望に苦悶する、逃げ場のない終末への道筋が……」

 

 最悪の結末、物語の終焉。

 そこに行くためのルートを、彼女は堰き止めようとしていた。

 

「わたしは間違えたの。なにも選べなかった、なにも決められなかった。だから、その結果が返って来ただけ……今だってそう。決められた結末は変わらないまま、ずっとバッドエンドの続きをしている」

 

 わたしはもう、終わっている。

 ベルはそう言った。

 わたしには、物語がどうとか言っておきながら、彼女の物語は既に、結していたのだ。

 彼女の先にはもう、ページは続いていない。

 それが、ベル――マジカル☆ベル。

 

「……っ、ぅ、べ、ベル……」

「なにをそんな悲しい顔をしてるの。どうせ、わたしのことじゃない」

「わたしのことだからだよっ! だって、だって……!」

「いいの、わたしの決めたことだから。それよりあなたは、あなたの物語を、ちゃんと歩まなきゃ。わたしがこうして支えてあげたんだから……わたしは、バッドエンドなんて許さないよ」

 

 強く、強く、力強く。

 痛みも悲しみも苦しさも知っている、わたしよりも少し大人なわたしは、言った。

 

「あなたはまだ、小さくて、幼くて、弱い子供。でも、なにもできない子供だからこそ、まだ“終わっていない”」

 

 彼女は、わたしの髪に触れる。

 本来なら鈴があるはずの髪に。

 そして、穏やかな眼で、わたしを見つめていた。

 

「真に暗い世界っていうのは、もう、先がない。でも、先が続く限り、未来は明るくなるんだよ。あなたの物語はまだ未知数。まだ、どうとでもなるんだから」

 

 彼女の後ろで、空間が割れ、砕け、裂け、渦巻く。

 この異様な感覚は、もしかして……

 

「あぁ、意外と早かったね。“お迎え”だよ……つまり、さよなら、だね」

「ベル……っ!」

「大丈夫、移動先はわたしが調整してあげるから。確実に、元いた世界、元の時代、元の時間軸に戻れるはずだよ」

「違うよっ! あなたは……」

「……わたしはいいの。それより、あなたにちゃんと言いたいことがあるの」

「言いたいこと……?」

「そう。アドバイス……いや、忠告かな」

 

 子供っぽくて、ゆるゆるな貌なのに、とても真剣な眼で、彼女は言った。

 

「小鈴……あなたはちゃんと、自分の意志で道を決めるんだよ」

「わたしの、意志で……?」

 

 改めてそう言われると、戸惑ってしまう。

 わたしは、わたしの意志でなにかを決めていたか、どうか。

 そんな戸惑いの中、彼女は続けた。

 

「あなたはわたしだから、わかるんだ。優柔不断で、意志薄弱で、困難に直面すると、なにも決められない。自分がどうするべきなのか、決定できない。たたらを踏んで、前に進めない。わたしはそんな弱さのせいで、すべてを失った。でもあなたは、まだそんなバッドエンドのルートに分岐していない。なら、今からでも遅くはない。自分の意志ですべてを決めて、決して立ち止まらずに前に進んで、未来を切り開くの。それが、ハッピーエンドのために――わたし(あなた)の望む結末に至るために、必要なこと」

「で、でも、わたしは……あなた、で……」

「心配しないで、あなたなら大丈夫。あなたはわたしと違って、友達が、たくさんいるみたいだから」

 

 トンッ、と彼女はわたしを押す。

 スゥッと、身体の自由が失われ、存在が、ぶれていく。

 この世界にはいないものと、自分の身体が訴えかける。

 

「それじゃあね。ばいばい小鈴」

 

 沈む意識。飲まれる肉体。

 わたしは、この世界から消え行く。

 最後に彼女は、ひとつの言葉を、わたしに告げた。

 

 

 

 

「あなたは、マジカル☆ベル(わたしみたい)になっちゃダメだよ――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 もう一人の、幼い自分が消えていった。

 あらゆる可能性を秘めた、明るい未来への兆しとなる、マジカル☆ベルの卵。

 どうしようもなくなってしまった自分と違い、彼女にはまだ、先がある。

 自分はもうどうしようもないけれど、彼女ならまだ、なにかができる。

 せめて自分ではない自分くらいは、より良い物語を紡いでほしい。

 そう願いながら、彼女は踵を返す。

 

「……さて、わたしも鳥さんを探さなくちゃ」

 

 そして彼女は、己で決定を下した責務に、身を費やす。

 魔法少女と名乗る者の姿はもう、そこにはなかった――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 伊勢小鈴がこの世界から追放される刹那。

 この世界の幼き小鈴たちの姿が、彼女の眼に映された。

 

 

 

「――着いたよ、小鈴ちゃん。ここが学校だ」

「あ、ありがとう、いつきくん……その、えっと、おねーちゃんは……?」

「たぶん生徒会室だね。そこまで案内するよ。とりあえず来賓用のスリッパに履き替えてもらって……いや、その必要はないか」

 

 

 

「――小鈴!」

 

 

 

「おねーちゃん!」

「あぁ、よかった……母さんから、小鈴がこっちに向かったって電話があったんだけど、なかなか来ないから、事件にでも巻き込まれてないかと心配したわ……」

「ご、ごめんなさい……わたし、その、道が、わかんなくなっちゃって……それで……」

「わかってる、怖かったわね。勇気を出してここまで来ただけでも上出来よ」

「やっぱり、五十鈴の妹さんだったんだね。鈴の髪飾りで、そうかなって思ったけど」

「……悪かったわね、一騎。妹が面倒かけちゃって」

「いいさ、これくらい。気にしないで」

「それじゃあ、私はこれからこの子を家に送り届けるわ。また道に迷ったら大変だし」

「なら、君の受け持ってた仕事は俺が引き継ぐよ」

「本当に悪いわね、そしてありがとう。助かるわ」

「どういたしまして。それじゃあ、また明日。学校でね。五十鈴」

「えぇ、また明日ね。一騎」

 

 

 

(……あれ?)

 

 薄らぐ意識の中で、小鈴はひとつの疑念を抱く。

 

(お姉ちゃんと、先輩……仲、良さそう……?)

 

 これは、この世界での出来事なのか、それとも、元からそうなのか。

 それを考える前に、彼女の思考は闇へと沈んでいく――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ここは……」

 

 うっすらと目が開く。眩しい。

 そして寒い。すごく寒い! というか冷たい!

 あんまり寒いものだから、寒さで目が覚めた。というより、目を覚まさないと危ないと本能が騒ぐから、無理やり覚醒させた。

 それと同時に、声が聞こえる。

 

「小鈴! 小鈴、大丈夫か!?」

「と、鳥さん……?」

「あぁ、よかった。いきなり君の姿が消えるし、生体反応まで感知できなくなったと思ったら、しばらくして急に現れるし……一体どうしたんだ? なにがあった?」

「なにが……えぇっと……」

 

 意識はハッキリしたけど、頭が混乱している。

 なにがあったのか。そう、確か……

 

「わたしは、別の世界のわたしと……」

「別の世界?」

「そう、そこでベルと、小さなわたしと……先輩が……」

「よくわからないけど、無事に帰ってこられたのか。よかったよ。僕とのリンクも切れて、力が途絶えて変身が解除されたら、クリーチャーに太刀打ちできなくなってしまうと危惧していたから」

「ああ、それは……って!」

 

 そうだ、思い出した!

 

「鳥さん! 全部鳥さんのせいなんだからね!」

「え、急にどうしたんだい?」

「どうしたもこうしたもないよ! 鳥さんのせいで、わたし裸で町を歩き回る羽目になったんだから!」

「言ってる意味が分からないんだが……」

「いいから早く出てって!」

「え、ちょっ、うわぁぁぁっ!?」

 

 わたしは鳥さんの羽毛でふさふさの身体を鷲掴みにすると、お風呂場の外に力いっぱい放り投げる。

 ビターン! とすごい音が聞こえた気がするけど、知りません。浴室の扉もきっちり閉じて、完全に締め出します。

 そもそも、女の子の入浴に入って来るとかデリカシーがなさすぎるんだよ、鳥さんは。

 

「はぁ……」

 

 閉めた扉に背中を預けて、溜息。

 全部、思い出した。そう、全部だ。

 わたしが胸のうちに秘めて、薄れつつあった思いも、全部。

 

 

 

「……ちゃんと、伝えなきゃ」

 

 

 

[newpage]

 

 

 

 ここは部室棟。そのほとんど最奥とも言えるような場所。

 他の部室よりも小奇麗そうに見える扉に掛けられているのは『学生生活支援部』の文字。

 わたしは一度、深呼吸をする。そして、意を決して、その扉を叩いた。

 コンコン、と小気味よいノック音の後、扉の向こうから声が飛んでくる。

 

「どうぞ、開いてますよ」

 

 その声を聞いただけで、緊張がせり上がってくる。

 けど、逃げちゃいけない。

 わたし(ベル)は言った。自分の意志で決めろと。立ち止まるなと。

 これはほんの些細な一歩かもしれないけれど。

 彼女の言葉を信じて、わたしは、勇気を振り絞る。

 あの時だって、些細な勇気が、あの出会いに繋がったんだ。

 なら、今回だって――

 

「――失礼します」

 

 ガチャリ、と扉を開ける。

 全体的に綺麗に整頓された部屋。ただ、奥の方の棚は、なんだか混沌としている。漫画とか、お母さんの書いた本とかも見えるけど、見ないことにしよう。

 そんなものより、目の前の人の方が、よほど大事だ。

 

「やぁ、いらっしゃい」

 

 この部屋にただ一人座している男子生徒で、この部を取り仕切る部長さん――剣埼一騎、先輩。

 いつもの柔和で、穏やかな微笑で、わたしを出迎えてくれる。

 さぁ、ここからが始まりだ。

 思い切って、わたしの方から切り出していく。

 

「き、今日はすみません。わざわざ呼びつけてしまって」

「いいよ、気にしないで。恋伝いで聞いた時は少し驚いたけど、俺も君とはちゃんと話がしたかったんだ」

「そんな……え、えと、えっと……」

「とりあえず座りなよ。、硬い椅子で悪いけどね」

「は、はい。ありがとうございます。し、失礼します……」

 

 先輩に促されるまま、パイプ椅子に座る。

 実は、今日はわたしの方から、先輩を呼んだのだ。

 恋ちゃんに頼んで、先輩に「部室で待っていて欲しい」と伝えてもらった。

 それもすべて、わたしのけじめと、清算のため。

 そしてなにより、先に進むために必要なことだ。

 

「……他の部員の方は……」

「あぁ、皆は今、出払ってるんだ。だから気兼ねすることはないよ」

「そ、そうですか……」

「誰もいない方が、話しやすいだろうしね。お互いに」

 

 気を遣わせてしまった……いや、いいや。

 それくらいでしょげないよ、わたしは。

 そう、昨日の夜に考えた台本通りに、まずは……

 

「あの……ご、ごめんなさい」

「え?」

「だ、だいぶ前のことなんですけど……その、先輩に、迫った、っていうか、その、あの……」

「あ、あぁ……“アレ”か」

 

 先輩も苦笑して答えた。

 それは、いつのことだったか。

 『三月ウサギ』さんが学校にやって来て、わたしのその“狂気”に触れてしまった。

 後から話を聞くと、あれは人の欲望――特に肉体と精神に強く結びつく欲求――を増幅させて、その衝動のままに突き動かさせるというものらしくて、わたしはその影響をモロに受けてしまった。

 その結果、先輩に詰め寄って押し倒してしまうなんていう失礼なことをしてしまったのです。

 まずはその謝罪をしなければならない。わたしは、そう思った。

 今までは、その行いの気恥ずかしさ、自分のやったことの重大さ、双方の重みで逃げてばかりだったけど。

 もう、逃げていられない。彼女は、そう教えてくれたから。

 

「本当に……ごめんなさい」

「……まあ、もう過ぎたことだし、なんともなかったからいいよ。でも」

「っ……!」

 

 怒られる。

 わたしはほぼ反射的に身構えた。

 そして、

 

「お酒は良くないよ、お酒は」

「へ?」

 

 先輩は、なんだかよくわからないことを言っていた。

 酒……お酒?

 どういうこと?

 

「まあ、ドイツは弱いお酒なら未成年でも飲酒が認められているみたいだけど、それでも中学生でお酒はよくないと思うんだ。お菓子に含まれてる程度とはいえ」

「え、えーっと……」

「あれ? ユーリアさんのドイツ土産のお菓子に入ってたアルコールで酔ってしまった、って恋から聞いたんだけど」

「あ……えっと、はい、そうかもです……」

 

 お酒入りのお菓子……そういうことになってたんだ……

 あれ以降、この話題はみんなにとってもほぼタブーだったから知らなかった……三月ウサギさんのことを話すわけにもいかないし、恋ちゃん、ありがとう。

 

「アルコールが含まれるお菓子は法律上はお酒にはならないとはいえ、アルコールは危険なんだから。気を付けないとダメだよ」

「は、はい。ありがとうございます……ごめんなさい」

 

 怒られることを覚悟していたのに、なんだか思ってたのとは違う感じで事が収まってしまった。ちょっと肩透かしというか、気が抜けちゃった。

 でも。

 言うべきことは、言わなきゃ。

 

「……ありがとうございました」

「いいんだよ。大事なかったし、そんな目くじら立てて怒ることでもないし」

「いえ、そうではなくて……えぇっと」

 

 落ち着け、落ち着けわたし。

 今日ここに来た目的を、思い出せ。

 

「わたし、ずっと昔に言い忘れてたこと、あったんです」

「ずっと昔に……?」

「今日はそれを、言いに来たんです。いえ、言い直しに、来たんです」

 

 本当はあの時、もう言っちゃってるんだけど、あれはノーカンです。

 あれは意識が混濁した、狂ったわたし。

 だから今度は、ちゃんとわたしの意志で、わたしの気持ちで、わたしの言葉で、伝えるんだ。

 二年前に言いそびれた、感謝を。

 

 

 

「ありがとう――いつきくん」

 

 

 

 あぁ――やっと、ちゃんと言えた。

 あの時に言いそびれた、お礼の言葉を。

 

「道に迷って泣きじゃくるわたしを立たせて、先に進ませて、導いてくれたこと……本当に、感謝しています」

 

 その感謝を伝えられなかった。そのことだけが、ずっと気がかりだった。

 狂った勢いでなにか口走っちゃったことはあるけど、あれは正気じゃなかった。

 けど今は確かなわたしの意志で、わたしの言葉で、伝えられた。

 先輩は言葉が出ないのか、立ち尽くしている。

 あ、そうか。いきなりこんなこと言っても、わけがわからないか。

 

「先輩はもう、覚えていないでしょうけど……わたしたち、もう出会ってたんですよ。二年前」

 

 わたしの物語が始まった時。

 先輩はきっとあの時のことは覚えていない。それは悲しいことだけど、わたしはちゃんと覚えているし、ずっと残っている。

 そして、あの時やり残したことを、今ここで、清算できた。

 それだけで満足、した、はずなのに。

 

「……覚えてるよ」

「え……?」

 

 先輩の口から、そんな言葉が零れた。

 絶対に、忘れられていたと思っていたのに。

 あの時の思い出は、わたしの中にだけあると思っていたのに。

 けれど、それは思い違いだった。

 あの時の記憶は“二人”の中で、息づいていた。

 

「最初に君がこの部室を訪れた時から、覚えてる。あの鈴の髪飾り、忘れるものか」

「そ、そんな……覚えていたんですか……!?」

「実はね。君がなにも言及しなかったから、俺の方こそ忘れられちゃったのかと思ったよ」

 

 笑いながら言う先輩。

 ってことは。

 わたしたちは、お互いにお互いの過去を知りながら、他人行儀に振舞っていたの……?

 な、なんて茶番……! とんだピエロです。

 

「でも、良かったよ。実は伊勢さんって呼ぶの、ずっと違和感があったんだ。それに、俺も君に言いたいことがあった」

 

 先輩は、立ち上がってわたしの傍まで歩み寄る。

 この優しい瞳は。

 穏やかな口元は。

 安心する匂いは。

 あの時と、まるで変わらない。

 いつきくんは、わたしに目線を合わせて、頭を撫でてくれて、そして――

 

 

 

「久しぶり、小鈴ちゃん――大きくなったね」

 

 

 

 ――“今”のわたしに、“あの時”の彼で、接してくれる。

 

「はわ……う、うぅ……」

 

 その優しさに、穏やかさに、懐かしさに、わたしは耐えられなかった。

 恥ずかしくて、嬉しくて、懐かしくて、泣いちゃいそうだった。

 で、でも、泣かない……泣かないもんっ。

 だって、嬉しいから。いつきくんが、わたしのことを覚えててくれた……なら、わたしは、笑わなきゃ。

 けど少し待ってほしい。顔がたぶん真っ赤だ。すごく熱い。とても、まともに彼を直視できない。

 思わず顔を覆ってしまう。指の隙間から覗く彼の表情は、とても和やかで、それでいて満足げだった。

 

「うん、スッキリした。再会の言葉がずっと、つっかえていたんだ。でもこれで、少しは清算できた」

「せんぱいぃ……」

「え、なに?」

「そういう、人……だったん、ですね……」

「どういうこと!?」

 

 こういうの、なんて言うんだっけ。恋ちゃんとかみのりちゃんがなにか……天然? ジコとかジロとか。よくわかんないけど。

 嬉しいのに、なんでか恥ずかしい。なんなの、この気持ちは……!

 むぅ……でも、それなら。

 わたしは少し、先輩の優しさに付け込んでみようと思った。

 

「あ、あの、先輩……?」

「なにかな?」

「その……」

 

 わたしのささやかな対抗心であり、願望。

 叶うのならば、また、あの時のように――そんな理想を抱いて、わたしは告げる。

 

 

 

「い……いつきくん、って……呼んでも、いいですか……?」

 

 

 

 礼儀として、外聞を気にして、なにより怖くて、先輩と今までは呼んでいたけど。

 わたしの中にある剣埼一騎さんは、本当のおにーさんは――いつきくんなんだ。

 

「…………」

 

 けれど、彼は固まっていた。

 驚いたように目を丸くして、言葉を失っている。

 その様子に、わたしは冷静さを取り戻して、焦りが込み上がってきた。

 や、やっちゃった、の……!?

 

「いやあの、人前だとわたしも恥ずかしいので二人っきりの時だけっていうかいやでも二人っきりの時でもそれはそれで変に特別感が出ちゃって変な感じしちゃいますよね! でもでもそういうことでもなくて、ただ昔の呼び方が懐かしいとかそんなことを思っちゃってるだけですけど意外と頃がいいっていうか「つるぎざき」って濁音が続いてたまに舌を噛んじゃいそうだからっていうか年上の先輩に「くん」付けって失礼でしたごめんなさいでもわたしがそう呼びたいだけで――!?」

「ちょっと待って落ち着いて。君はそんなキャラじゃない。ほら、深呼吸」

 

 すぅ、はぁ……

 先輩に促されて息を吸って、吐く。うん、少し落ち着いた賀茂。

 

「呼び方なら、好きにしてくれていいよ。年下の女の子から呼び捨てにされるのには慣れてるから。気にしないよ」

「そ、そうなんですか?」

「あぁ、どこかの部長は馴れ馴れしいから」

「部長さん……?」

「なんでもない、こっちの話だよ」

「はぁ」

「でもちょうどいいや。小鈴ちゃんも誘いたかったんだよ」

 

 誘いたい? それは、なにに?

 ま、まさか、それって、デ、デー―― 

 

「文化祭に」

「ぶんかさい」

 

 ――あ、はい。そうですよね。

 でも、文化祭に誘うって……?

 

「他校に俺の友達がいて、文化祭に誘われてるんだけど、君たちも一緒にどうかなって」

「他校の文化祭、ですか……わ、わたしはいいですけど、みんなにも聞いてみないと」

「そっか。じゃあ、決まったら恋にでも伝えてもらえるかな」

「恋ちゃんは行くんですか?」

「行くよ。絶対に、なにがなんでも、是が非でも行くはず。あいつがあそこに行かないなんてあり得ないな」

「え、えぇ……?」

 

 ものすごく力強く断言されてしまった。

 烏ヶ森じゃない、別の学校の、文化祭、かぁ。

 わたしは他の中学校に入ったことなんてないから、少しドキドキするな。

 

「どんなところなんですか?」

東鷲宮(ひがしわしのみや)っていう、普通の中学校だよ。そこに遊戯部って部活があってね。そこの部長さんに頼まれたんだ」

「頼まれたって、なのをですか?」

「デュエマの大会をするから、一騎君も来なさいな。あと、人もできるだけたくさん連れて来てね。参加者が多い方が盛り上がるから。それじゃあよろしく……って」

「……デュエマの大会?」

 

 学校の文化祭で?

 一体どんな部活なの、遊戯部って……聞いたことのない部活名だけど。

 烏ヶ森みたいに、変わった部活動が多い学校だったりするのかな……?

 ……あぁ、でも。

 

(ちょっと楽しみ……だな)

 

 いつきくんに誘われて、みんなと文化祭。

 想像するだけで、今からわくわくしてしまう。

 

「詳細は追って連絡するけど、とりあえず日付は……ん?」

「どうしたんですか?」

氷麗(つらら)さんからか……ごめん。ちょっと、部員に呼ばれちゃった。申し訳ないんだけど、今回はもう切り上げさせてもらっても大丈夫かな?」

「あっ、い、いえっ。こちらこそ、長々と居座ってしまってごめんなさい……も、もう出ますのでっ」

 

 部員さんから連絡があったようだ。やっぱり、部長さんって大変なんだなぁ。

 伝えたいことは伝えられた。これ以上、邪魔をしたら悪いし、わたしは立ち上がって、部室の扉を開き、退室しようとする。

 

「本当にごめんね。それじゃあ、またね。小鈴ちゃん」

「は、はい、また……い、いつきくん」

 

 そして帰り際に、そう言葉を交わして、扉を閉めた。

 ………… 

 

(……小鈴ちゃんって、呼んでくれた)

 

 嬉しい。とても、とても。

 あの時のわたしが、あの人の中に生きていることが。

 でも、

 

(“あの時”のままじゃ、ダメなんだ)

 

 わたしが目指すのは、その先だ。

 手を差し伸べてくれたあの人に、報いるために。

 そして、わたしが憧れた、あの姿に追いつけるように。

 

 

 

(もっと、がんばらなくちゃ――)




 一騎ルート確定。今まで霜ちゃんルートっぽい道筋を辿っていたけれど、一騎へのルートを避け続けるだなんて許されないのです。
 今回はかなり、作者の別作品の要素が各所に散りばめられていたりしますが……まあそのへんは、知っていれば結構、知らないなら無視して読み進めてくれれば、って具合です。
 次回から第3章、新章突入の予定ですが……ハーメルン版では番外編を投稿していないので、どうせなら番外編専用の章を作って、短編集みたいな形で投降しようかと考えています。


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断章 魔法少女ならざる者達の噺
番外編「取材だよ ~登場人物紹介短編Ⅰ~」


 ようやく書けました、番外編。ここからしばらくは、区切りの関係でハーメルンで投稿できなかった番外編が続きます。
 初っ端は若宮君が主役の取材風登場人物紹介からにしようってずっと決めてたんですが、思いのほか修正に手間取りました。
 以前よりキャラへの理解が深まって、ピクシブで投稿していたものからかなり修正を加え、結構な別物になったので、一度読んでいる人でも目を通してくれると幸いです。
 今回はまあ、一応お話の体裁ではありますが、元々は登場人物紹介をやるつもりで、でも「つまらん。ただキャラ紹介するだけでは、一方的になって終わるに決まっている」って思ったので、取材という形式で、各キャラへのインタビュー風に紹介することになりました。
 まあ、ここまで読んでいる人なら、そのキャラの人となりは大抵はわかっているでしょうが……それならそれで、読み物としてお楽しみください。



 初めまして、若宮智久(わかみやともひさ)です。

 いきなり現れて誰だてめーはと思う人もいると思うので、自己紹介します。僕は烏ヶ森学園中等部の一年生で、報道部――新聞社員です。

 烏ヶ森学園の報道部には、新聞社と放送局、二つの部署が存在する。部署というと大袈裟に思えるかもしれないけれど、事実としてその表現が最も適切だから仕方ない。情報を収集、集積、分析、精査という過程を経て、記事という形で発信するのが新聞社。要するに、新聞部だ。放送局はよくわからないけれど、いわゆるお昼の放送みたいなものをやってたり、校内でイベントの呼びかけとかをしてるし、僕らとは違った方法で広報活動を行っているところではある。

 前置きはこのくらいにしておこう。この場合、大事なのは僕が新聞社員という事実だけだ。

 本題を端的に言うと、これから僕は取材に赴く。

 僕にも取材の概要はよくわからない。一体なんのため取材で、如何なる手段で発信して、どのような意図があるのかも明確に伝えられていない。ただわかっているのは、先輩から「これがインタビューの台本だ。この通りに取材してくれ」と雑に質問用紙を渡されたという事実のみ。あり得ないだろ。そんなんだから新入生が育たないんですよ、先輩。

 ……コホン。そんなウチの裏事情はさておき、僕が今回の取材に駆り出される概ねわかった。それは、今回の取材相手にあると思う。

 僕の在籍する1年A組の生徒たち。要するに僕のクラスメイトが、今回の取材相手なのだ。

 だから、比較的距離の近しい僕に仕事が割り振られたんだろう。単純明快なロジックだ。

 もっとも、今回の取材相手の五人。彼女らがどういう理由で選出されたのかは、大いに謎だけれども。一体、どんな記事にしてどんな内容で発信するつもりなのか。

 でも、そこはあんまり深く考えなくてもいいのかもしれないな。

 良い創作には多作多捨が必要だし、すべての物事に意味があるわけじゃない。ただの僕の経験値稼ぎということもあり得る。

 だから考えすぎず、僕はただの機械のように、取材をしよう。

 僕の役割は、人間の言葉を、聞き出して、引き出して、第三者に明らかにすること。

 第三者。僕らとは関係のない者。

 あるいはそれは、読者と呼ばれる存在。

 僕らの活動への意味はなくとも、僕は第三者のために、彼女らの内側を暴き出す。

 御託はもういいか。

 では、始めよう。

 創作風に言うならば、登場人物紹介、ってやつをね。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 伊勢(いせ) 小鈴(こすず)

 烏ヶ森学園、中等部1年A組。

 誕生日は2月11日。血液型はAB型。部活動は帰宅部。

 身長149cm、体重48kg。

 家族構成は父母と姉。

 趣味は読書とパン屋巡り。

 好きな食べ物はパン、特に揚げパン。炭酸が飲めない。

 誕生日や血液型までならともかく、身長や体重まで……先輩、こんな個人情報(プロフィール)どうやって手に入れたんだ? 非合法の匂いしかしない。

 先輩から貰った事前メモを読みつつ、疑念が湧き上がる。まあ、あの先輩、見てくれはともかく中身は結構な変人だし、なんかヤバげな情報網があるっぽいし、こんなものが用意されていても不思議じゃないけど、これって大丈夫なのか……? 僕が黙ってればいいってことなのか?

 ……まあ、いいや。とりあえず取材だ。

 もう、相手もそこにいる。

 一人目の取材相手は、伊勢小鈴。

 クラスの中でもかなり地味な女で、名前を覚えたのも実は結構最近だ。大人しくて目立つ奴じゃないし、なんていうか、多少会話を交わした程度じゃあまり印象に残らない。

 ただしそれは、彼女を表面的に見た場合。厳密には、彼女を単体で見た場合だ。

 伊勢は今、1年A組で独特の立場を確立させている。本人はたぶん自覚がないけれど。

 学校というコミュニティである以上、治安が良いと言われる烏ヶ森でも、スクールカーストというものは大なり小なり存在する。男子でも女子でも――特に女子の方が顕著だが――友人同士のグループ分け、その格の差、力関係というものがあるわけだが、伊勢に関しては、その枠からすっぽり外れている。

 ピラミッド状に形成された勢力図の例外。ピラミッド内のどのグループにも属さず、どのグループの力関係にも干渉せず、独自の立場を形成する女子。それが伊勢小鈴だ。

 彼女のグループも、コミュ障、外国人、女装趣味――言い方は悪いが、学校的には問題児と称されてもおかしくない、普通という概念から距離を置いているような一癖も二癖もある連中ばかりだ。

 人間は普通を愛する生物だ。愛しすぎるがゆえに、普通から外れると攻撃的になる性質さえある。そんな中で、その普通から外れた者を平然と受け入れる伊勢は、器が大きいのか、奇人なのか。

 しかも、こいつのヤバいところは、そんな奇人変人とつるみながらも、それ以外の部分、つまり本人はいたって普通で平凡な女子中学生という点だ。頭はいいけど、それも稀代の天才とかじゃない。普通に努力して成しえる範囲内だ。

 普通なのに普通じゃないものに囲まれている少女。それが伊勢小鈴という僕のクラスメイトだ。

 

「それじゃあ、早速始めるよ」

「う、うん。よろしくお願いします……」

 

 というわけで、いざインタビューへ。

 他の女子よりも幼く見える程度で、なんの特徴もない顔立ち。低い位置で二つに括った黒髪、いわゆるおさげ。少し珍しいと思ったのは、鈴の飾りのついた髪紐だ。ただのヘアゴムじゃないんだな。でも音が鳴ってない……玉を抜いてるのか? なおさら変だけど、取り立てて注目することでもないな。ちょっとしたお洒落ってレベルだろ。普通だ普通。

 ……でも、やっぱ、その……大きいな……胸……

 夏服で、薄着だからなのか、制服の上からでも結構わかるんだな……背も低めだし、余計に目立つ。ここだけは普通じゃないかもしれない。

 いやいや、そんなことは今はどうでもいい。インタビューに集中しろ、僕。

 

「どうしたの? 若宮くん」

「なんでもないよ。えーっと、先に言っとくね。質問用紙の通りに質問するんだけど、これ、僕じゃなくて先輩が作ったものだから、たまに変な質問しちゃうかもしれない。その時はごめんね」

「う、うん。わかったよ」

 

 こういう身内の恥を晒していくのって、本当はいけないことというか、組織としてダメなんことなんだけど、まあいいか。

 伊勢なら、万一僕がミスしても、僕らを告発するみたいなことはしないだろうし。

 と、質問用紙に目を落とす。その内容に嘆息しそうになるけど、仕方ない。

 

「じゃあまず……君の望みは?」

「望み? えっと、将来の夢、とか……?」

「そうでもいいけど、もっと広い意味だよ。君はどういうことがしたい、どういう方針で日々を生きているのか、ってね」

「う、うーん、難しいね……どういうことがしたくて生きてるか、かぁ。あんまり考えたことないや」

 

 それはそうだろう。僕だってこんな質問、わけがわからない。

 けれど伊勢は、真摯に、一生懸命、考えている。こんな、一見するとふざけたような――実際ふざけているのかもしれない――質問にも、真面目に答えようとしている。

 これだけで、凡庸ながらも、伊勢小鈴という人物の人柄がわかるというものだ。

 

「……わたしは、自由と平和がいい、かな?」

「自由と平和、とは?」

「えっとね。みんながのびのびと、自分のやりたいようなことができて、好きな時に好きなことができるような、そんな状態が一番だと思うよ」

 

 なるほど、理想論だ。しかし叶うはずもない夢を追って生きることは無意味ではない。

 それが、生きるための指針になるのならね。

 

「自分のやりたいこともできないようじゃ、イヤだからね。ガマンしたり、苦しい思いをするのは、できるだけ避けたい、かな。あるがままが一番だよ。あ、でも、誰かの迷惑になるようなこともダメ、だよね」

「自由であれど無法ではいけない、ということだね。それが自由と平和っていう意味かな」

「そうかも。こうしたい、っていう気持ちは大事だもんね。それが“個性”ってものだし、その感情が自分だから。自分に正直になるのは、大切だよ……って、言ってるわたしが、実践できてないことがあるんだけど……」

「ふぅん」

 

 やりたいことのために自由を求める。

 でもこいつは、誰かの自由のために、自分を束縛しそうなタイプだ。

 誰かが悲しむから、あるいは誰かが得をするから、そんな誰かのために自分の気持ちを押し留める。

 典型的な引っ込み思案だ。

 

「あ、あと、これはお母さんの受け売りなんだけど、なにかをしたい気持ち、自分の個性は、クリエイティブな精神に繋がるんだって。お母さんの小説を読むと、わたしもそれがわかる気がするんだ」

「小説……?」

 

 そういえば噂だけど、伊勢の親は小説家っていう話を聞いたことがあるな。

 伊勢誘という、人気爆発中の小説家。僕もその著作を読んだことがあるけど、凄く面白かった。

 お母さんの小説って言葉からして、この噂は本当なのか? ペンネームと苗字の一致が偶然ってこともあるけど、聞いてみるか。

 

「伊勢さんのお母さんって、小説家なの? もしかして、伊勢誘っていうペンネームだったり?」

「あ……ご、ごめん、今の忘れてっ。お母さんに、あんまり他の人に小説家ってこと話しちゃいけないって言われてたの、忘れてた……」

「あぁ、まあ、売れっ子作家だし、ファンが押しかけでもしたら、仕事に支障をきたすだろうしね。わかったよ」

「ありがとう、若宮くん……」

 

 関係ないところで凄い情報を得てしまった。伊勢の母親は、大人気作家、伊勢誘なのか。

 

「さっきの話を引きずって悪いんだけど、やっぱり母親の影響とか受けて、伊勢さんは本が好きなの?」

「好きだよ。昔から本ばっかり読んでたし、今でもお母さんの新作を一番に読ませてもらえるんだ……完成形じゃないけど」

「仲いいんだね」

「うんっ」

 

 にっこりと、無邪気に笑って頷く伊勢。

 あ、やばい。こいつ可愛いぞ。

 普段が地味女オーラ丸出しだから、不意打ちであどけない笑顔を見せられると、結構、くる。

 

「は、話が逸れたね。えぇっと、伊勢さんの言う自由と平和っていうのは、他人を害さない範囲で、誰もが気ままに生きること、なのかな」

「そうなるのかな」

「意識高い人は、苦労が実を結ぶ、って考えることが多いけれど」

「苦労を努力って言い代えたら、わたしも賛成かも。でも、やっぱり苦しいよりも、楽しい方が、わたしはいい。みんなで助け合って、苦しさを分かち合うよりも、一緒に遊んで楽しい方がいい。わたしは、そうありたいよ」

 

 助け合うよりも遊ぶ方がいい、か。優等生の伊勢にしては、随分とお花畑な答えだ。

 いや、優等生なんてレッテルで決めつけるのは悪いな。そうだ、楽しい方がいい。それは間違いない。

 だけど、ちょっとつっついてみるか。

 

「僕、伊勢さんは勉強ばかりしてると思ってたよ。この前のテストも、クラスで2位、学年で4位だったし」

「そんなことないよ。結構、友達と遊んだりするよ? テストは、お姉ちゃんがいるからっていうか、お姉ちゃんが見てるから、ダメダメなところは見せられないだけだし……」

 

 伊勢のお姉さんって……生徒会長か。前に先輩のインタビューに同行させてもらった時に、会ったことがある。

 凄い強気で、だけど決して愛想が悪いわけでもなくて、成績優秀スポーツ万能、人間の善の面を凝縮したような、正道な人間、というイメージだった。

 伊勢はどっちかっていうと弱気だけど、道徳と倫理観を持って、まっすぐな正道を行く人間性、という点では、その潔白さは姉妹で似ているのかもしれない。

 成績上位をキープしているのも、生徒会長の姉の顔に泥を塗りたくない、とかなんだろうな。できた妹だ。

 

「でも、運動はダメダメなんだよね……」

「まあ人間、誰にでも得手不得手はあるし、気にしなくていいんじゃないかな」

「お姉ちゃんは運動もできるんだけど……わたしは……」

 

 胸のせいじゃないか、と言いそうになって慌てて引っ込める。流石に失礼だ。セクハラになりかねん。

 というか、生徒会長もかなりスタイル抜群だったし、それを考えると、体型の問題ではないのかもしれない。

 なんにせよ、このまま沈んだ空気にされても困る。話題を変えよう。

 

「次の質問をしようか。えっと、君にとって、仲間とは?」

「仲間……仲間かぁ。それはもちろん、大切な人たち、だよね」

「大切っていうのは?」

「失くしたくない、ずっと一緒にいたい、笑い合いたい。そういう人たちのことを、仲間っていうんじゃないのかな?」

「僕の知人の言では、自分に利益がある間は仲間と呼称できる、らしいよ」

「そんなの悲しいよ。わたしは、一緒にいるとあたたかい気持ちになって、一緒に遊べるような友達がいいな」

 

 あたたかい気持ちって。

 なんというか、よくもまあ恥ずかしげもなくそんなことを言えるな……

 

「やっぱり仲間っていうなら、幸せを分かち合いたいよ。その人が幸せだから、その人が笑ってるから、わたしも幸せで笑える。それが仲間だもん」

 

 理想主義者(ロマンチスト)だ。

 現実の厳しさを知らない甘ちゃんなのか。それとも、それを知った上で、意固地に理想を掲げているのか。

 伊勢は育ちがよさそうだし、なんとなく前者な気がする。でも、こいつが辛い現実を知った上で、それでもまだ理想を求めるのなら。

 こいつは――本物になる。

 ただの甘ったるい人間になるのか。それとも、その上でしぶとく燃え続ける火種となるのか。

 今の彼女からは読み取れないし、僕もそこまで探ることはできない。

 

「じゃあ、次の質問だ。君の嫌いなものを教えてほしい」

「嫌いなもの? 食べ物ってこと?」

「いいや、もっと抽象的で概念的なものかな。物質的なものでもいいけど、少なくとも食べ物の話じゃない」

「そっかぁ。そうだなぁ……ルールを守らない人とか、やりたいことを抑圧しようとする人とか、そういう意地の悪い人が苦手だけど……一番は、やっぱり」

「やっぱり?」

「……友達を傷つける人が、一番許せないよ」

 

 静かに、けれどはっきりと、伊勢は言った。

 今までにないくらい、意志のこもった言葉だ。

 

「友達だけじゃない。大切な人との思い出とか、そういうのを踏みにじる人は……嫌い」

 

 嫌いときたか。まあそう聞いたのは僕だけど。

 でも、苦手とか、イヤとかダメとか、そういう表現をしてきた伊勢が、明確に“嫌い”と言った。

 つまり、それほどに仲間というものが、伊勢の中で大きな意味を持っているということだ。

 

「……でも、その人にもなにか理由があったんじゃないか、って、思ったりもする。そういう時は、悩んじゃうね」

「情状酌量の余地があるかどうか、か」

「うん。相手にも言い分があるのに、わたしが感情に振り回されて怒って、それで誰かを傷つけちゃったら、その、申し訳ないというか……」

 

 ……本当、こいつはできた人間だ。聖人かよ。

 基本的に人間を、他者を嫌わず、傷つけず、すべての人間と仲良く共存できる。そんな根底が、こいつにはあるようだ。じゃなかったら、こんなこと言えない。 

 人間が好き、というわけでもないな。

 典型的な、性善説を信じているタイプ、って感じか。

 これは、ずっと笑っていたいという理想の続きだ。つまるところ、彼女はこの世界には善人しか存在しないと思っている。勿論、これは極端な話で、実際の彼女の考えは、ここまで単純ではないだろうけど。

 すべてが明るく、光り輝く世界。彼女はそんな世界を信じているし、そんな世界にするために動いている。

 悪なんて存在しません。すべての人間には更生の余地があります、ってか。

 ここまでまっすぐに人間の善性を見つめられるのも、ある意味凄いな。皮肉じゃない、純粋にその心は、稀有だ。

 確かに甘いし、頼りないし、矮小だけど。

 こいつはいい奴だ。底抜けの善人で、信用できる。

 眩しいったらないよ、まったく。

 

「……最後の質問だ。君が戦うことになるとしたら――」

「っ!」

 

 ? なんか今、ビクッて肩が跳ねなかったか?

 なんでそんなにビビってるんだ? まるでなにかを見透かされたみたいになって。

 

「どうしたの?」

「な、なんでもないよ……続けて」

 

 ……まあいいか。変な質問してるのはこっちだし、というか今まで変な質問ばっかりだったし、多少おかしな反応くらい、なんでもない。

 

「君が戦うことになるとしたら、君は誰のために、そしてなんのために戦う?」

「…………」

 

 黙り込んだ。

 だけどこれは、答えられないわけではなく、真剣に考えているんだ。

 今までの中で一番ふざけた質問だな、これ。戦うことになったとしたらって、過程がぶっ飛んでるよ。

 一体これ、なんの目的で作った質問用紙なんだ?

 

「……わたしは」

 

 伊勢が口を開いた。彼女の戦う理由が、明かされる時だ。

 

「わたしは……みんなのために、戦う」

「みんな、か」

 

 なんとなく予想通りの答えだ。

 と思ったけど、伊勢はすぐに言い直す。

 

「あ、でも、ちょっと違う……かも」

「違うって、なにが?」

「みんなっていうか、みんなと一緒にいること、っていうか」

「……?」

「その……わたしにとって一番大事なのは、みんなと一緒に笑う“時間”と“居場所”だから」

 

 あぁ、そういうことか。

 つまり伊勢が是が非でも守りたいものは、個人ではない。

 勿論、友人が傷つくことを、彼女は厭うだろう。さっきもそう答えていた。

 だけど彼女の守りたいものは、人というだけでは成立するものではない。

 友と共にある時間と空間。つまり伊勢にとって重要なのは、友人そのものではなく、友人たちとの“営み”なのだ。

 言い換えるなら“日常”か。

 

「わたしたちの関係が変わっちゃったり、今あるものは崩れちゃったりするのはイヤ……わたしが抗うのなら、たぶん、その“変化”を拒む、と思う……」

 

 保守的、と言えばそれまでだ。

 臆病と言えるかもしれないし、我侭だと、子供染みていると嘲られるかもしれない。

 けれど彼女はそれほどに“今”を、そして“これまで”を重要視し、大事にしている。

 伊勢が戦う理由は、そんな大事な平和な日常を守るため。

 僕は彼女のことを、おどおどした奴だと思ってた。実際そうだったけど、奥まで探ってみると、ただ自信のないだけの少女ではない。

 自己主張が乏しいけど、だからと言って主張を持たないわけではない。

 自分という存在は、外部からの要因で変質するものではない。内面の発現そのままが、本当の自己と言えるだろう。

 あるいは、彼女を取り囲む環境、その在り方ことが、現在の時間軸で彼女を形成している。

 そして彼女は、それを大切にしている。仲間の輪を。人と人との、繋がりを。

 ……なるほど、ね

 

「ありがとう。これでインタビューは終わりだよ」

 

 そう言って、僕は取材を打ち切った。

 終わってから、伊勢とのインタビューを振り返る。

 この世界はメルヘンではないけれど、おとぎ話のような甘い結末を望む少女。

 倫理と道徳を尊び、仲間と絆を信じる純朴さ。

 そして奥底に眠るは、今を保守する自我の炎。

 他人ばかりを気にしているようで、回り回って自分のところへと帰結している。

 恐らく無自覚だが、彼女は環境を作る側の人間だ。彼女には人を惹きつけ、それを定着させる力がある。

 いや、自然発生した環境に染まり、それを固定する、と言うべきかもしれない。

 彼女が形成した人の輪は、不変かつ強固だ。彼女をそれを望む限り、彼女が形成した人の輪はそう簡単には壊れないだろう。

 それほどに、内部へと浸透し、取り込まれ、一体化した組織や内輪というものは、固いものなのだ。

 青くて黒い冷たい世界へは振り向かず、周囲の世界と共に己の世界を生きながら。

 白く綺麗な、優しい緑の友を守り。

 そして最後に、赤く燃える炎がある。

 自由と、平和と、仲間。そして自分の気持ち。

 最後にそんなキーワードを書き記して、伊勢小鈴との取材は終幕となる。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 日向(ひゅうが) (こい)]

 烏ヶ森学園、中等部1年A組。

 誕生日は3月14日。血液型はB型。部活動は学生生活支援部……マジかよ、こいつ学援部だったのか。

 身長131cm、体重31kg。

 家族構成は……母親だけ?

 趣味はネットサーフィンにゲーム、あと読書。ラノベ以外を読んでるところ見たことないけど。

 好きな食べ物はジャンクフードとつきにぃのご飯。嫌いなものは野菜と煮物。典型的な野菜嫌いの小学生かよ。ってか、つきにぃ、って誰だ?

 なんというか、見れば見るほどツッコミどころが多い。

 そんな二人目の取材相手は、日向恋。

 A組の中でもトップクラスの問題児だ。授業中の居眠りは当たり前、当然のように漫画やらゲームを持ち込み、日直やら委員会やらの仕事は平気でサボるし、成績だって文武共に最底辺。落ちこぼれとはまさにこのことか。不良を体現したような問題児である。入学当初から、しばらくの間は不登校気味で学校もサボりがちだったしな。まあ、最近は毎日ちゃんと通ってるみたいだけど。

 加えて、他人にまったく興味がないような冷淡な態度。話しかけても一度目は無視、二度目の反応は面倒くさそうに。応対は歯に衣着せぬ物言いで、口も悪い。コミュニケーション能力は皆無だと思われる。

 そんな日向は、クラスの中でも腫物のような扱いを受けている。障らぬ神に祟りなし、っていうのか。下手に触れると気分を害するのはこっちだ。向こうは悪びれた様子なんて一切見せないわけだからな。

 とまあ、日向の悪評をこれでもかっていうくらい並び立てたわけだけど、容姿は悪くない。

 目つきは無感動で、顔は無表情で、笑顔の一つも見せやしないけど、顔立ちはかなり整っている。病的に色白だけど、それがかえって人形のような、人間離れした美しさを演出しているようでもあった。そして、長い髪。最初の頃は伸ばしっぱなしにしたようなロングヘアーだったけど、今では揉み上げだけが長く垂れていて、その他はバッサリ切り落とされたショートヘアという、変な髪型をしている。しかし素材が良ければ奇怪な髪形も様になるもので、そんなどこか非現実的な存在感を発している日向は、不思議な魅力のある女子生徒だと思う。

 ……ただ、身体が栄養失調を疑うレベルで華奢というか痩せてるし、身長も小学生と比べても小さいくらいには発育が残念なんだけどな。131cmって、小学校低学年くらいの身長じゃないか? 体育の授業ではすぐにバテてるし、体力も小学生並みかもしれない。

 毒とアクの強くて、まさしく食えない奴。浮世離れした容姿、自由奔放で協調性のない行動。常軌を逸したこれらの要素は、一般人たる僕らを遠ざけるには十分すぎる。

 けど、そんな日向にも、友達と呼べる者はいたりする。

 それが、さっきインタビューした伊勢だ。

 こんな奴と友達になれる伊勢は本当に凄い。

 というのも、まだ日向の性格を誰も知らない入学直後、彼女の容姿に惹かれてかなんなのか知らないが、話しかけてきた女子に対して日向は「サブカルクソ女……帰れ……」と無慈悲に言い放ったのだ。

 その後も何人かの生徒か彼女とコンタクトを取ろうとしたが、すべて陥落。もう誰も、彼女と関わろうとしなかった。

 だのに、伊勢だけは、日向と上手く付き合えている。謎すぎる。

 それはともかくとして、無感動で無表情、なにを考えているのかわからない毒舌な不良生徒。それが日向恋という僕のクラスメイトだ。

 

「えっと、じゃあ、質問を始めるよ」

「…………」

 

 そして、その日向との取材。正直、気が重い。

 そもそも、我ながらよくこんな奴を取材の場に引きずり出すことができたものだ。

 委員会の仕事でさえも「めんどい」の一言で切り捨てる日向だぞ? 落とした消しゴムを「取って」とお願いしても無視を決め込む日向だぞ?

 日向を取材の席に来させた。もうこれだけで僕は満足だよ。

 なんて言ってられない。取材を終わらせないと、帰れるわけない。

 

「じゃあ最初の質問だけど、君の望みを教えてほしい」

「……曖昧な表現……望み、って……?」

 

 伊勢と同じような疑問を返される。まあそうだよな。

 僕は伊勢に答えたのと、同じように日向にも答える。

 

「君はどういうことがしたくて、どういう方針で日々を生きているのか。それを望みと表現して聞いているよ」

「ふぅん……」

 

 日向は興味なさそうに相槌を打つ。

 本当、やりにくいなこいつ。というか態度がムカつくな。

 確かにこっちは取材を受けてもらってる側だけど、その傲慢な態度は人間として腹立つ。

 

「……私は、自分のしたいように、する……それだけ」

 

 お、でもちゃんとレスポンスは返ってきたぞ。

 こいつとの交流を持とうとして玉砕した奴は少なくないけど、会話できないわけではないのか。

 

「君のしたいことって?」

「……カード、ゲーム、漫画、小説……その他、いろいろ……」

「サブカルチャーが豊富だね。好きなの?」

「私の、人生の、一部……」

 

 人生の一部とは、大きく出たものだ。

 まあ確かに、普通に休み時間とか、本読んだりゲームしてるもんな、こいつ。自分の欲望に忠実なんだな、主に悪い方向で。

 

「でも、遊んでばかりもいられないよ。僕らは中学生、学校だってある」

「しらない……」

「いや、知らないって」

「すべき、とか、しなければ、とか……押し付けんな……鬱陶しい……」

「僕に言われても」

 

 本当に口悪いなこいつ。

 思わず口に出しそうだったが、ギリギリ飲み込む。態度が悪くても相手は取材相手。それにあの日向だ。あまり怒らせたくはない。

 それでも、少しは苦言を漏らしてしまう。

 

「でも、仕方ないじゃないか。僕らはそういう社会の枠組みで生きているんだし」

「しかたない……たしかに、しかたない……だから、私は、やらない……たまに、嫌々やる、けど……好きなこと、だけで、生きていく……」

 

 これは理想論……じゃないな。ほとんど我侭だ。

 自分の好きなように、自分のしたいように。社会の仕組みも、制度も、知ったことではない。

 恐るべきゴーイングマイウェイだ。我が道を行くにもほどがある。しかも、このナリで。

 なんていうか、本当こいつは社会不適合者だな。この先の人生どうするんだ?

 

「そんな性格じゃ、君の両親も大変だな……」

「……おとうさんは、いない……おかあさんも、仕事……家、いない」

「っ、と、悪い。つい言葉が漏れた。そんなつもりじゃなかったんだ」

「いい……気に、してない……」

 

 そういえば、先輩から貰ったメモには、家族構成[母親]としか書いてなかったな。それはつまり、彼女には父親はいない。母子家庭だったということか。

 僕としたことが、うっかり地雷を踏んでしまったかもしれない。家庭の話はデリケートだからな。

 日向は気にしてないと言うけれど……いや本当に気にしてないかもしれないな。

 言葉を飾るということをしないからな、こいつ。気遣いは皆無。あまりに毒舌で、歯に衣着せぬ物言いをする。

 逆に言えばそれは、嘘も言わないということ。その言葉は清廉潔白で、虚言虚飾が宿らない。

 まあ、単に僕に嘘をつく理由がないから、ということかもしれないけど。

 

「まあ、つまり君は、自分の世界を大事にしたいってことだね」

「世界……そう、世界……私は、私の世界を、守りたい……壊したくない……それだけで、いい……」

 

 私の世界、ね。

 それがどの範囲を指す言葉なのかはわからないけれど、僕はたぶん含まれていないんだろうな。当然か。

 

「うん、じゃあ次の質問に移らせてもらうよ。君にとっての仲間とは、なにかな?」

「仲間……こすずたちの、こと……?」

「別に友人だけに限定しないよ。家族……まあ、自分が大切だと思う人だね。君にとってそれは、どういう存在?」

「…………」

 

 あれ、すぐに答えないんだな。

 友達とか、大切な人とか、表面的であってもすぐにレスポンスがあると思ったんだけど。

 日向を見ると、なぜかそっぽを向いている。なんで? まさか友達って言うのを照れてるわけじゃあるまいし。

 …………

 ……あるまい、よな? こんなドライ気取っておいて、友達宣言が恥ずかしいなんてないよな? 流石に。

 

「……難しい……」

「そんなに?」

「むぅ……」

 

 日向は唸りながら考えている。適当なように見えて、意外と真剣だ。

 表情こそ無の極みで、ロボットみたいにまったく変わらないけれど、時々口から漏れる呻き声が鼓膜をくすぐる。

 ……今知ったけど、こいつ、声も綺麗だな。アニメ声とか、そういう特徴的な声ってわけじゃなくて、透き通っている。聞いてて心地よい声だ。

 無表情の不気味さこそあるけど、小柄な体躯とかも併せて、その声が、日向自身が、少し可愛らしく感じてくる。

 

「……私の」

「え? なに?」

「こすずは……皆は……私の世界の、一部……かも……」

「世界の一部か。パーツってこと?」

「……それは、印象操作……」

「悪かったよ。えーっと、つまり、君の世界とやらを構成する要素の一つ、ってことなのかな」

「ん……」

 

 今の「ん」は肯定なのか。

 自分の世界の要素の一つ。特別に言ってるようで当たり前だな。そりゃ、君の人生を君の世界と定義したら、その中の登場人物は要素と言えるだろうさ。

 

「……皆、私の世界の中にある……けど、私の思い通りには、ならないし、しない……自由でいい……だから面白い……」

「へぇ」

「私も、勝手にやる……やりたいことを、好きに、自由に……だから皆も、勝手にすればいい……それでも、世界は回る……」

「やりたいことが衝突したら? 互いが好き自由、勝手気ままにやってたら、必ずどこかでぶつかり合うよ?」

「……殺し合う」

「物騒な!」

「ん……冗談……でも、衝突も、否定、しない……ぶつかればいい……勝てば官軍」

「君って、視野は狭いけど現実主義だよね」

「……? だから……?」

「別に」

 

 伊勢の理想論に少し近いけど、混沌を否定しないあたりが、結構違うな。

 彼女は自分の世界という狭い範囲でしか物を見ていないけれど、その中では自由なのだ。その点では、伊勢と同じだ。

 だけど、伊勢が“ルールから逸脱しない”“道徳や倫理から外れない”範囲での自由という制限があるのに対し、日向の場合は、ルールも倫理も道徳も投げ捨てている。

 ぶつかり合わないように願う伊勢に対して、ぶつかり合っても構わないと解釈する日向か。この辺は性格の違いだな。

 勝てば官軍なんてのも、勝った方が正義という、乱暴なルールが根底にあるから。

 その点だけ見れば、実力至上主義だ。強い奴こそ生き残る。現実的だな。

 

「ちょっと意地の悪い質問をさせてもらうよ。君の世界は混沌としているけれど、そこに悪意や搾取が介入する場合は?」

「……どういうこと……?」

「利益をちらつかせて、君の世界を削り取ろうとする者がいたとする。君はこの利益を是とするか、非とするか」

「……場合に、よる……」

 

 場合によるか。少し意外だけど、理性的な答えだな。

 

「私の世界を、削る……それはいい……いらないものは、いらないし、それで私が、儲かる、なら、好都合……でも」

「でも?」

「私の……大事なところに、触れるなら……潰す」

 

 潰すときたか、怖いな。

 だけど、わかってきたぞ。

 こいつは感情が表に出ない癖に感情的だけど、同時に理性的で打算的だ。ちゃんと損得勘定ができる。

 だけど譲れないものも当然あって、その芯は曲げない。

 この取材で日向の評価はうなぎのぼりだな。その姿勢だけは、現代人としても、人道的にも、褒められたものだ。

 その殊勝な考え方が、少しでも実生活で発揮されれば、もう少しマシな人間として見られただろうに、もったいない。

 それもこれも、自分の世界しか見てなくて、他人への興味が絶望的に薄いせいだな。

 

「私にも……大切なものは……大事な人は、いる……それに、手を出す、なら……容赦しない」

「意外と友達思いなんだね」

「……友達、だけじゃ、ないし……」

「?」

「あきらも、大事……あと、つきにぃ、とか」

「誰さ、つきにぃって……」

 

 先輩から貰ったメモにも書いてあったけど。

 

「私の……おにぃ」

「お兄さん? 日向さん、お兄さんがいたの?」

「ん……かぞく……ごはん、くれる……おいしい」

「そっか……」

「ついでに、ぶちょう……」

「部長……?」

 

 どこの部だ?

 いや待て、そう言えば先輩メモに書いてあったな。

 こいつは学援部所属。ということは、その部長ってのは……

 

「つきにぃ、ってまさか……剣埼先輩?」

「ん……」

 

 コクリと頷く。

 マジか。でもそう言えば、剣埼先輩には妹みたいなのがいて、烏ヶ森に通ってるって聞いたことはあるぞ。単なる噂だと思ってたけど、本当だったんだな。しかもそれが日向のことだったとは。

 ここで少し、学援部について説明しておこう。

 学援部、正式名称は学園生活支援部。この烏ヶ森学園においては、生徒会と双肩を成す学生支援機構だ。

 こういうと凄い格好良く聞こえるけど、要するに学園の生徒のお助けマン、何でも屋である。生徒会が学園施設やシステムへの干渉、学援部が生徒個人の悩み相談、という細やかな違いはあるけれど。

 あと、これは余談だけど、生徒会と学援部って滅茶苦茶仲が悪いんだよね。というか、お互いのトップがいがみ合っているらしい。

 生徒会長はともかく、学援部の部長さん――剣埼一騎(つるぎざきいつき)先輩――については、そんな牙を剥くような人には見えないんだけどな。誠実で、温和で、思慮深くて、人当たりもいい。当然のように成績優秀でスポーツ万能だし、生徒会長と同じ、この学校の完璧超人の一人だ。

 そんな剣埼先輩には、僕も新聞社で色々と助けられてるんだよね。まったく別の部活動なのに、見返りもなにもなく、困っている僕らを助けてくれた、聖人君子みたいな人だ。そんな人が、生徒会と喧嘩してるなんて、とても考え難いのだけれど、まあ、僕らにはわからない事情があるんだろう。

 話が逸れたな。えっと、それで、日向の言うつきにぃっていうのは、剣埼先輩のことらしいな。

 “いつき”“おにいちゃん”だから“つきにぃ”か。随分と馴れ馴れしい呼び名だな。まるで本当の兄妹みたいだ。

 それとも、本当に血の繋がった兄妹なのか? なんか、血は繋がってないって聞いた気もするけど。名字は違うけど、別姓ってこともあり得るし、父親がいないってのも、実は……?

 いやいや、邪推はやめよう。そこはあまり憶測で踏み込むべきところじゃない。

 

「まあ、君が友人や家族を大事にしているのはわかった。じゃあ、次の質問に移るよ。君の嫌いなものは?」

「……メガネ」

「メガネ!?」

「……自分のしたいこと、はっきりしてるくせして……理屈ばっかり、こねくり回して……結局、動かない奴……嫌い……ウザい……」

「確かに話にだけ聞くとウザそうな奴だけど、メガネってなんだよ……」

 

 急に話を微妙に飛ばさないでくれ。反応に困る。

 ずっと思ってたけど、こいつ、僕の問いかけに対する返答をほとんど、独り言みたいに返してるな。質問者に向けて返答しようという気概がまるで感じられない。

 会話をしているはずなのに、片方は独り言で話しているような感覚だ。質問は受けても、回答は自分に向けている。こっちの投げたボールを返さず、そのまま一人でリフティングを始めるような感覚。

 だからこいつと会話してると、微妙にずれているように感じてしまうし、聞いてるこっちはイライラするんだな。

 自由奔放というか、無法というか。本当、自分のしたいようにやってるのな、こいつ。

 その辺だけは無駄にブレない。

 まあ、こいつも大事な人はいるみたいだし、もしかしたら友達に対しては気を遣ったりするのかもしれないけど、僕は友達じゃないからな。

 

「あと……やっぱり、私の世界の、敵……攻撃してくる……敵」

「敵か」

 

 日向が自分の世界が大切だということは、ここまでで何度も言ってるし、それを脅かす存在を拒絶するというのはわかる話だ。

 

「……潰したい、そういうのは、全部……」

「君って、案外バイオレンスだよね。血の気が多いというか」

 

 もっとも、勝手に敵を作り出して一方的にぶっ叩くのと、攻撃を受けてから敵と認識して徹底的に反撃するのとでは、意味合いが変わるわけだけど。

 こいつの他者への無関心さを見ると、後者っぽい気がする。敵からの攻撃を受けて初めて、それを敵と認識できるタイプじゃないだろうか。動き、鈍そうだし。近づく敵を敵と認識しないどころか、近づいてくる存在にすらも無頓着って感じだしな。

 だけど敵を敵と認識した瞬間、彼女の内向きのベクトルはすべて外向きに変換される。

 世界の守りに徹していた力が、すべて攻撃力に変換されると、どうなるんだろうな。

 伊勢と違って、こいつが大人しいのは表面だけ。中身は外敵を排除することを厭わない、冷酷で、残酷で、残忍。非情かつ容赦がない。

 基本スタンスが無関心ではあるが、そこから離れた時の落差が激しい。仲間という認識を持てば、彼女の世界の仲間入り。逆に、敵という認識を持てば、それは排除されるべき存在となり、彼女は徹底的に潰しにかかるだろう。

 と、言葉を額面通りに受け取ったものの、本当に彼女が、そこまで割り切りがいいかは、わからない。

 すべからく仲間を受け入れられるのか、あらゆる外敵を容赦なく排除しきれるのか。実際には、そこに悩みも葛藤もあるだろう。そのしがらみからは、日向だって逃れられないんじゃないか。

 その部分を省略して、彼女は敵を潰す、と言っているのではないか。

 僕にはそう思えた。

 

「……次で最後の質問だ」

 

 そろそろ切り上げるか。この取材は(実際に紙面に載せられるかはさておき)僕にとっては身のある取材だった。それに、ここまで聞いたんだ。もう結論は大体察しがつく。

 

「仮に君が戦うことになると仮定する。そうしたら君は、誰のために、そしてなんのために戦う?」

「……決まってる……私の、世界のために……私の世界を、守るために……大切な場所と、大事な人のために……戦う……それが、私の……正義、だから……」

 

 やっぱりな。

 自分の世界がすべて。その名の通り、それが彼女の世界なのだから。

 国王が自分の国を守るように、彼女は自分の世界を守りたがる。

 戦いも、防衛手段の一つなのだ。

 壁を作って無関心を決め込めば、大抵の者は干渉しようとしないし、できないけれど。

 その壁を崩そうとするならば、彼女は牙を剥くだろう。

 それは己のためというよりは、己の認識する領域のため。

 言うなればこいつは、自分の空想世界の女王様だな。見た目的にはお姫さまって感じだが。

 我侭し放題の自分勝手だが、自分の国は守る。愛国心のようなもの。自分ではなく、自分の世界が、その中の民衆を愛する。

 自己中心的に見えるけれど、それはあくまでこいつの表層に過ぎない。こいつは思った以上に、遥かに仲間思いだ。

 慈愛の心に溢れている、なんて言うと流石に大袈裟かな?

 

「大事なんだね、仲間が」

「……私には……それしか、ないから……」

「それしかない?」

「今のわたしから、皆が、消えたら……私には、なにも、残らない……私には、なにもない、から……」

 

 急に自己評価が落ちたな。

 こいつはたった一人になってものうのう生きてるように見えるけど、本人はそうは思っていないのかもしれない。

 仲間が消えたらなにも残らない。だから守る。

 それは、彼女の世界とやらは、彼女の唯一の拠所であるということ?

 ……成程な。

 

「ありがとう。これでインタビューは終わりだよ」

 

 そう言って、僕は取材を打ち切った。

 終わってから、日向とのインタビューを振り返る。

 他人に興味のない冷血な女だと思ったけど、彼女は身内には優しくなれる。そうでないものに興味がないだけだ。

 とにかく彼女は、冷熱が激しい。

 冷めていると思ったら、急激に加熱する。

 無関心かと思ったら、唐突に攻撃的になる。

 大切なものはとことん大事に、そうでないものは捨て置いて、敵と見做せば打ちのめす。

 歩み寄れば、彼女は彼女の世界として受け入れてくれるかもしれない。

 彼女の世界は彼女の認識がすべて。認識された敵は、徹底的に撃墜される。

 可能性を見捨てても、あるがままに存在し、破壊をも受け入れ、害悪を討たんとする。

 そんな正義を秘めた、世界の光。

 自分よりも、自分の周囲を見続け、気にかけ、そして守るための力を振るう。

 緑に染まった共同体の認識は狭く、青い自己探求もなく。

 赤黒い利己的で混沌な己の世界を、武を持って守ろうとする。

 そこには、正義で混濁した白い光が輝くのみ。

 自分の世界、外敵の排除、仲間のための冷酷さ、そして正義。

 最後にそんなキーワードを書き記して、日向恋との取材は終演となる。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ユーリア(Julia)ルナチャスキー(Lunachasky)

 烏ヶ森学園、中等部1年A組。

 誕生日は5月27日。血液型はO型。部活動は遊泳部。あぁ、あそこね……話には聞いてるヤバいとこ。

 141cm/38kg。

 家族構成は父母に、双子の姉。

 趣味は散歩か。牧歌的だな。

 好きな食べ物はソーセージ。嫌いなものは麺類。成程、お国柄がよく出てるな。

 三人目の取材相手は、ユーリア・ルナチャスキー。

 名前の通り、日本人ではない。容姿もロングヘアーの銀髪に灰色(グレー)の瞳。ただ、体格はかなり小柄だ。外国人って、もっと高身長でスタイルがいいイメージだったけど、彼女は小学生みたいな矮躯だ。はっきり言って幼児体型である。

 彼女の出身国は、確かドイツ人とロシア人のハーフって言ってたかな? 生まれがロシアで、育ちがドイツ。だからたまにドイツ語が出るけど、そんなものは気にならないくらい日本語が上手い。若干たどたどしいけども、発音はそこまで変じゃないし、言葉の意味も致命的な間違いは少ない。順応性が高いのか、言語による不自由はほとんどないようだ。

 彼女には双子の姉であるローザ・ルナチャスキーという、同じく僕のクラスメイトがいるんだけど、なぜか指定されたのはユーちゃんの方だけだったんだよな。なぜだ。

 あ、ユーちゃんというのは、ユーリアの愛称だ。最初に誰が呼んだのかわからないけれど、ユーちゃん自身がその愛称をいたく気に入って、それ以来、爆発的に普及というか、本人の強い希望で布教されている。僕もなんか勢いでそう呼んでしまうくらいには浸透した愛称だ。

 外国人というのはどうしてもとっつきにくいところがあるものだけれど、ユーちゃんはそんな障壁は軽々と乗り越えて、天真爛漫な性格も相まっていまやクラスの人気者だ。アイドルというか、クラスの妹みたいな存在。いや、ペットか。懐いた犬猫を可愛がってるみたいな。

 日本語が堪能で、人懐っこくて、無邪気なユーちゃんは、人間関係においては、伊勢たちのグループの中では最も良好な人物と言える。

 ……まあ、成績に関しては言うなら、わりと頭の方は残念なんだけれども。

 そもそも、皆の人気者になってるというのに、伊勢たちと強く関わっているというのも、奇妙な話だ。

 いやしかし、皆に好かれるからこそ、どのグループからも独立した伊勢たちのグループにいるのが、相応しいのかもしれない。

 それはそれとして、ユーちゃんについては気になる点が少しある。入学してすぐにクラスメイトからちやほやされてたユーちゃんが、ある時期だけ、ぱったりと学校に来なくなってしまったことがある。姉の方はしっかり登校してたけど、ユーちゃんだけが不登校だった時期があるのだ。

 思えば、その時期を経て、ユーちゃんが学校に復帰してからだったな。ユーちゃんと伊勢が、一気に仲良くなったのは。

 なにか関係あるのか、気になるけれど、今回の趣旨はそこにはない。

 天真爛漫で底抜けに明るい異邦の女の子。それがユーリア・ルナチャスキーという僕のクラスメイトだ。

 

「それじゃあ、インタビューを始めさせてもらうね」

「はい! よろしくお願いします!」

 

 はきはきと笑顔で応じるユーちゃん。

 その素直で純粋な子供っぽさは、僕には眩しすぎる。

 

「うん、よろしくね。早速一つ目の質問だけど、君の望みを、教えてほしい」

 

 今まで補足説明をしていた第一の質問。ユーちゃんの理解力で、どこまで通じるか怪しいものだ。

 そう思っていたけれど、意外にもユーちゃんは、彼女らの中で唯一、聞き返さずに回答した。

 

「ユーちゃんは楽しいのが一番です!」

「楽しさか」

「Ja!」

「そっか。君も結構、自分の欲望に忠実だね」

「? ダメ、ですか?」

「ダメじゃないよ。確認しただけ」

 

 遊びたい時に遊び、食べたい時に食べ、やりたい時にやる。

 自身の欲求がイコールそのまま行動に繋がる、衝動的な人間なんだな、ユーちゃんは。

 一瞬、獣みたいと思ったけれど、これはむしろ幼さからくるものだろうか。年齢は同じだけど、精神的には僕らより子供っぽいしな、ユーちゃん。

 なんにせよ、ユーちゃんの生きる上での望みとは、彼女の中にある欲求の消化にあると考えていいのかな。

 楽しいことがあるなら、楽しみたい。美味しいものが食べられるなら、食べたい。そこにやりたいことがあるなら、それをやりたい。

 なんて、本能的で、衝動的なんだろう。まるで思考というものが介在していない。

 

「じゃあ、君はどういう時、楽しいと感じるのかな?」

「色んなことですよ! みなさんと遊んでる時や、お話している時。歌を歌う時、本を読む時。(ヴァルト)や、(ベルク)や、湖畔(ゼー)をおさんぽする時。色んな瞬間が、とても楽しいです!」

「……山を、散歩?」

「あ、若宮さんとこうしてお話しするのも楽しいです! ユーちゃん、わくわくしてます! どんなお話しできるかなって!」

 

 無邪気な笑顔を見せるユーちゃん。そんなに期待されても困るけど、まあ、楽しんでくれるのなら、それに越したことはない。

 しかしこれは、かえって難儀かもな。

 伊勢や日向は、たどたどしかったり、一方的だったりしたけど、どちらも理性的かつ理知的な応答ができた。

 だけどユーちゃんの場合、友好的だけど、同時に衝動的かつ感情的なインタビューになる。

 相手の言葉を鵜呑みにしてはいけない。今まで以上に、相手の発言から意図を読み取らなくては。

 

「ユーちゃんは、どんなものでも楽しんでるんだね」

「お勉強はちょっと苦手ですし、聖書も眠くなっちゃいますけど……楽しいものはいっぱいですよ! 見たことのないものを見た時は、とってもわくわくします! 世界には、楽しいものがいっぱいです! それを探すのも楽しいです!」

「ふむ……」

 

 新しいもの、つまりは発見か。

 つまりユーちゃんは、未知なるものを求めている。自分の知らない世界を、新たな驚きに飢えている。

 衝動的で感情的とはいえ、同時に彼女は探究心も持ち合わせているわけだ。

 その衝動と、感情を満たす、感動を求める心を。

 

「よし、次の質問に行かせてもらうね。君にとって、仲間とはどういう存在かな?」

「? 仲間は仲間ですよ? 一緒に遊んで、一緒に戦って、とっても大切な人たちです!」

 

 うーん、そう来たか。

 これはちょっと、アプローチを考えないといけないかもな。

 

「じゃあさ、君は仲間をどのくらい大事に思ってるのかな?」

「とってもです!」

「君の仲間が傷つけられそうになったら?」

「うにゅ? それは……」

 

 少し悲しそうな顔をして、ユーちゃんは顔を上げる。

 

「……それは、イヤ、です」

「それはどうして?」

「大事な人ですから。そう思うのは当然です。家族を大切に思ったり、お友だちを守るのに、理由はいりません。大切だから大事なんです。それでいいんです」

 

 まあ、真理だな。

 仲間という枠の中にあれば、理由なく助け合える。助け合って、共に歩む。

 仲間であるというだけで、それが手を取り合う理由になる。

 仲間という絶対的な概念が根底にあって、それは確かな重要性を持って彼女の中に存在している。

 曖昧だけど強固な、横の繋がり。

 伊勢や日向も友達が大事みたいな趣旨の発言が多かったけど、それぞれ、大事に仕方が違う。

 ユーちゃんの場合は、共同体としての強固さや、助け合いによる結束を大事にしているように思える。

 仲間の認識が日向に似ている気がするけど、器の広さはきっと伊勢に近い。

 まったく、明るくって眩しいったら。

 

「じゃあ、次の質問だ。君の嫌いなものはなに?」

「嫌いなもの、ですか? うーん……お勉強……」

「そういうのじゃなくて」

「むむむ、です……うにゅにゅ……」

 

 ユーちゃんは考え込む。

 しばらく黙って見てたけど「うーうー」と唸り声を上げ始めたあたりで、流石に耐え切れなくなった。

 

「……たとえば、君は仲間を大事にするみたいだけど、それを脅かす存在は、敵対対象じゃないのかな?」

「テキタイタイショー……霜さんみたいに難しい言葉を使うんですね……敵、ですか。確かにイヤですけど、嫌いっていうのとは、違うと思うんです」

「違うっていうのは、どのように?」

「だって、ケンカしても、もしかしたら仲良くなれるかもしれないじゃないですか」

 

 敵対者にすら優しくなれるのか。それもまた、彼女の言う可能性の一つなのかな。

 たとえ敵であっても、その本質を見極めてから。即ち、考えに共感できれば、仲間とみなすこともできる。

 伊勢もそうだが、この子もなかなか度量が広いな。

 それとも、現実を理解していないのか。どうなのか。

 

「最後の質問だよ。君が戦うことになるとしたら、君は誰のために、そしてなんのために戦う?」

「誰のため、なんのため、ですか……」

 

 またユーちゃんは考え込む。

 少し待つと、ユーちゃんは歯切れ悪くも切り出した。

 

「……ユーちゃんは、みんなのために戦いたいです。けど……」

「けど?」

「でもやっぱり、ユーちゃんはユーちゃんのために戦っちゃうと、思うんです」

「結局は自分のためになってしまう、か」

「やっぱりデュエマって楽しいですし、色んな発見があって、負けられない戦いでも、楽しさは忘れられないです」

「デュエマ?」

「あ……い、いいえ! なんでもないです! はい!」

「あぁ、そう……」

 

 慌てたようなユーちゃん。なにをまずいことを言ったのだろうか。

 そこで、ふと気になることがあった。

 

「取材とは関係ない話になるんだけど、ユーちゃんってデュエマやってるんだね。ドイツにもあるの?」

「ありますよ! ユーちゃん、ジークフリートさんに教えてもらったんです!」

「ジークフリート?」

 

 それって、北欧の叙事詩に登場する英雄だよな。ニーベルンゲンの歌の主人公……僕もゲームとかで名前を知ってるだけで、詳しくは知らないけど。

 魔剣を用い、悪竜を退治した、北欧の英雄。

 それにデュエマを教わったって? なにを言ってるんだ、この子は。

 

「……英雄にデュエマを教えてもらったの?」

「Ja! あの人は、本当の英雄(ヘルト)です! 正にジークフリートですね!」

 

 嘘を言ってるようには思えないけど……到底信じがたいことでもあった。

 ……まあ、ジークフリートという名を名乗る誰かってことにしておくか。

 

「ユーちゃんはあの人から、いろんなことを教わりました。デュエマの楽しさもそうですけど、自分の願いを叶える大切さとか、人間のこととか……昔は難しかったですけど、今なら、ちょっとだけわかります」

「へぇ……」

 

 英雄の言葉が、今の彼女の一部を形成しているわけか。

 

「話が逸れちゃったね。戻そうか。仲間のために戦いたいけど、結局は自分のためになってしまう、というのは?」

「えっと、その、デュエマじゃなくて……えぇっと、そうです! やっぱりユーちゃん、なんでも楽しんじゃうので……」

「確かに君はそういうとこありそうだね」

「でも、できれば戦うなんてイヤですね……誰も傷つかないなら、それが一番です」

「そうだね」

「でも、もしも戦うことになったとしたら……その中でユーちゃんは、ユーちゃんのしたようにしちゃう、と思います」

 

 揺らいでるな。

 まあでも、それが当然か。そもそも質問が荒唐無稽な仮定を元に成り立っているんだ。そのくらいの揺らぎは、むしろあって然るべきだろう。

 僕らはまだ中学生なんだ。なにが正解かなんてわからないし、いつも芯はぶれているようなもの。なにがきっかけで、どう変わるかわかったものじゃない。

 

「でもやっぱり君は、仲間のために戦いたい、と」

「はいです。みんなで仲良く、助け合うために戦いたいです。最後には、みんなが笑えるような、おとぎ話(メルヒェン)のような結末がいいです」

 

 やはりそこに帰結する。結果的にそうなってしまう。

 どれだけ仲間との繋がりを大事にしても、すべては自分ありき。自分という歓楽の発端、その衝動が一番なのだ。

 仲間を大事にしたいのも自分のため。最後には、自分が楽しくあることがいい。善性に振り切ったエゴ、とでも言うのか。

 ……成程ね。

 

「ありがとう。これでインタビューは終わりだよ」

 

 そう言って、僕は取材を打ち切った。

 終わってから、ユーちゃんとのインタビューを振り返る。

 純粋なほど自分の欲求に忠実で、世界のすべてが歓楽に満ちている。

 発見も探究も、それを見つけ、触れるのも、すべては彼女の楽しさに繋がる。

 誰かと繋がるのも、共にあるのも、すべては彼女が“楽しい”と感じるが故。

 あまりにも単純かつ純真で、ある種の果てしない欲望の権化。

 その善なるエゴは、闇すら塗り潰す。

 すべては己の楽しみのため。

 白い秩序よりも、黒い自我を芽生えさせながら。

 青い探究心と、赤い衝動と、緑の包容で以って、世界を制する。

 世界のすべてに、彼女の求める歓楽があり、彼女はいつだってそれを探している。

 楽しさ、衝動、調和のエゴ、世界の発見。

 最後にそんなキーワードを書き記して、ユーリア・ルナチャスキーとの取材は終了する。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 水早(みはや) (そう)

 烏ヶ森学園、中等部1年A組。

 誕生日は4月10日。血液型はB 型。部活動は……手芸部に暫定入部? へぇ……

 身長152cm/42kg。

 家族構成は父母に、高校生と大学生の兄が一人ずつ。

 趣味はファッションチェックにウインドウショッピング。最近は裁縫……女子かよ。

 まあ、確かに女子みたいな奴だけど。

 四人目の取材相手は、水早霜。

 ある意味、今回の五人の中で、最も特異な奴だ。だけど、僕にとっては一番やりやすい相手かもしれない。

 なぜかって? それは僕と水早が友達だからだ。

 友達と言っても、学内で比較的多く言葉を交わすって程度だけど。伊勢たちみたいに一緒に遊ぶことはあんまりない。

 水早の異質さを説明するのはそう難しくない。もったいぶるのも冗長だし、端的に言ってしまうけれど、彼は、女子制服を着用した男子生徒、なのだ。

 女装癖がある、というよりは、女らしくあろうとする男、と言うべきか。性同一性障害という見解もあるみたいだけど、それも違うと言われている。僕もそれについては詳しくは知らない。

 

 水早がどういう意図で女らしい格好に固執するのか。その理由はわからない。だけど、それが原因で不登校になってたような奴だし、それが水早にとって大きなものであることは想像に難くない。

 まあでも、ぶっちゃけ似合ってるんだよなぁ。元々男子としては背が低い方だし、顔つきもわりと女顔だし。ショートカットの髪も相まって、男にも、女にも見える。女子の制服を着ている姿は、ボーイッシュな女子といったところか。

 容姿については色々と特徴的だけど、性格はそうおかしな奴でもない。

 不真面目というわけでもなく、生真面目というほどでもない。コミュニケーションも普通に取れる。基本的には穏やかだけど、決して控えめでもないし、筋の通った論理的な思考のできる奴だ。

 つまり、内面は至って普通なのだ。学校内で、この社会で、上手く立ち回れるだけの技量が、あいつにはある。

 だからこそ、彼が女装に固執する理由が、気になってしまう。

 一体彼は、なにを抱えて生きているのか。その真意を問うことになるのかな。

 華やかに着飾る凡庸な女装男子。それが、水早霜というクラスメイトだ。

 

「というわけで、インタビューをさせてもらうよ」

「その前に、なんでボクが? ということを聞きたいのだけれど」

「僕にもわからん。先輩が水早を指定した。僕にわかるのはそれだけだよ」

「……怪しいけど、まあ、若が持って来た話なら信じてあげよう。一応、君はボクの唯一の男友達だしね」

「微妙に癪な理由だけど、ありがとう」

 

 適当な軽口を叩き合いながら、取材を始める。

 水早とはそれなりに仲がいいから、やりやすいようで、逆にやりにくい。自分を取り繕いにくいからな。

 まあそんなこと言っても仕方ないし、やるけどさ。

 

「まずは最初の質問。君の望みを教えてほしい?」

「望み? 随分と抽象的で、言葉足らずな質問だね。もう少し詳しく教えてほしいんだけど」

「君の生きる指針、みたいなものだよ。どういう方向に向かって生きているのか。その方向の先にあるものを、望み、と言い換えていると言えばわかりやすいか?」

「成程、なんとなくわかったよ。望み、望みか」

 

 少し考え込んでから、水早は口を開く。

 

「……ボクの望みは、自己研鑽と、自己探求、かな」

「気取った言葉だな」

「うるさいよ。これで満足かい?」

「いいや。もう少し詳しく。自己研鑽っていうのは?」

「いわゆる自分磨きさ。ボクの趣味嗜好は、君も知っているだろう?」

「女装でしょ?」

「ある事象に対して、一面的な部分しか考慮せずに発言するか。君は猿か?」

「悪かった、怒るなよ……けど、一見するとお前のそれは女装とも言えるだろ。どういう意志があって女子の制服なんて着ているのか、僕も知らないわけだし」

「そうか。まだ言ってなかったっけ。ならそこから説明しないといけないな」

「なら頼む。時間はたっぷりある」

「それじゃあお言葉に甘えて」

 

 そう言うと水早は、語り始めた。

 

「ボクには幼馴染がいたんだ。リンちゃん――鈴谷凛(すずやりん)っていう、ボクの人生で最も可愛い女の子だ」

「へぇ……ん? いた?」

「うん、もういない。交通事故だ」

 

 いきなり重い話だ。思わず地雷を踏んでしまった。どう対応すればいいんだよ。

 水早は平然と話しているけれど、それがどうでもいい記憶な訳はない。自分を律しながら、話しているはずだ。

 そこまでさせるのは悪いと思いつつ、そこまでして話す水早の話を止めるのはもっと悪いと重い、黙って聞くことにした。

 

「ボクは物心ついたときから彼女と一緒にいて、気づいた時には彼女に魅了されてたよ」

「好きになったってこと?」

「そうだ。でも、恋心じゃない。まったく違うとは断定できないし、今はもう証明できないけど、ボクは彼女に憧れていたんだ。あぁ、なんて可愛らしいんだろう。ボクも彼女みたいになりたい、とね」

「それで、自分も可愛く着飾ろうって?」

「端的に言うとそうなる。彼女は、そんなボクのことを受け入れてもくれたしね。それがボクの幼少期の話、ボクの起源さ」

 

 思ったよりも単純だったな。僕では絶対にあり得ない回路の繋ぎ方がされているけれど、理屈としては納得できなくもないし、理解もできる。

 それに、男女の性差とか、そういうのを学ぶ前なら、男が女に憧れるということもあり得る話だ。男兄弟に囲まれた妹が、兄の真似をして男っぽくなるとか、またその逆も、取り立てて珍しい現象ではない。

 水早の場合、それが少し極端だっただけということにすぎないのだろう。

 

「もっとも、彼女の可愛さに魅了されて好きになったのか、元から女性らしくあろうと無意識に思っていたところに彼女の承認があって好きになったのか、原因はわからないけどね。もはや知る由もない」

「それは、水早が可愛らしくあろうとする理由ってのは、大事なことなのか?」

「さて、どうだろう。かつては彼女に対する恋心と、ボクが女性であろうとする精神の間で葛藤があったりしたものだけど、今ではそれなりに折り合いをつけられたからな」

「そんな簡単に割り切れるものなのか?」

「まさか。ボクだって友人――あの時は知り合ったばかりだが――に叱咤されて、ようやく気付いたんだよ。恋には感謝しないとな」

「ん、日向? あいつが絡んでるのか?」

「あぁ、まあね。ああ見えて彼女は、性的少数者(マイノリティ)に理解がある」

「そうなのか」

 

 意外だ。そういう、色恋の話には興味がないと思っていた。

 いやでもあいつ、オタクっぽいところあるしな……腐女子ってやつなのかなぁ。

 百合女子、は流石にないか。

 ……ないよな?

 

「話が逸れたね。とまあ、ボクはリンちゃんを起源として“可愛らしさ”というものを追究しているわけだ。ボク自身の理想への探求、それがボクの言う自己研鑽だ」

「まあ、自分磨きってことか。じゃあ、自己探求っていうのは?」

「ボクは自分が本当に可愛いものを求めているのかわからないんだ」

 

 今までの発言をひっくり返すようなことを言いやがったこいつ。

 

「自分を可愛く着飾る、それ自体は好きだ。ボクは今まで、それを目指してきた。だけど、最近、本当にそれでいいのか、と思うことがある」

「……よくわからない」

「美の探求は可愛さだけではない。ましてやボクは今、変声期を迎えようとしてるし、体つきも男のそれに変わりつつある。髭だって生えてきた」

「マジか、僕はまだだ」

「妬ましいね、ボクにとっては。それはさておき、そんな“男”を認識するうちに、疑問が出て来るんだ。ボクの中で求める理想像は本当に、究極的な“可愛らしさ”なのか、ってね。あるいは、このまま可愛らしさを求めて、ボクはそこに到達できるのか、不安なんだ」

「それは……単に自分の身体の変化に、混乱しているだけじゃないのか?」

「否定はしない。だけど前々から薄々思ってはいたんだ。可愛いが、ボクが真に目指す場所なのか、ってね」

「自分の目指す場所、目標がまだ定まってないってことか」

「そういうことだ。決めていたつもりが、ちょっとずつブレていくように感じるんだ」

「だから、その目標を再設定するために、自分の可能性を探っているってことね。真面目だな」

「不真面目に惰性で生きるよりはよほど有意義さ。自分がなにになりたいかもわからなきゃ、どう生きればいいか、わからないしね」

 

 それでものうのう生きてしまうのが人間というものだが、とりあえず水早についてはよくわかった。

 完璧主義者、というわけではないけれど、自分自身が思い描く理想に向かって邁進する。それが水早という人間なんだな。

 女装趣味も、憧憬からきた模倣が、自身の練磨に繋がっているようだし、すべてが自分の向上に通じている。

 やってることはファッションだが、その精神性は、まるで求道者だ。

 

「じゃあ次の質問だ。君にとっての仲間とは?」

「仲間がボクにとってどういう意味を持っているのか、という質問?」

「そうなるね」

「少し難しいな。仲間は仲間だ。そこには色んな意味や理由があるし、個人によってもその役割は変わってくる。そして当然、時間の経過によってもだ」

 

 一義的には言わない水早。

 あらゆる可能性を見出し、それらを蔑ろにせず、すべてを拾い上げようとする。

 やっぱり真面目だな、こいつ。頑固ではないけど。

 

「でも、あらゆる可能性を逐一拾い上げて話してたんじゃ、日が暮れる。時間はあると言っても限度があるぞ」

「わかってる。だから今、最適な言葉を考えてるんだ。ちょっと待ってくれ」

 

 水早は腕組みして考え込む。

 そうして、しばらくしてから、口を開いた。

 

「そうだな……すべてはボクの糧、かな」

「糧?」

「あぁ。ボクがより高みへ至るための経験値、のようなものだ」

「なにお前、友達をスライム代わりに倒してんの?」

「そうだね。じゃあ、手始めに君から経験値にするか」

「待て、怒るな。詳しく話を聞くから」

「まったく、君といい実子といい、軽口はタイミングを選べ」

「お前だってよくふざけたこと抜かすけどな。僕に対しては」

「君に心を開いている証だと思っといてくれ」

 

 そんな軽口を叩きながら、水早は続けた。

 

「たとえば、とてもよくできた先輩がいるとする。その人の話は、ボクにとって身になることもあるだろう」

「あぁ、まあそうだな。身近なところだと、先生の話――まあ授業だな――とかそうか?」

「そうだね。それから、友人たちとの経験。これも、場合によってはボクが理想のボクになる過程として、なんらかの役割を果たすかもしれない」

「そう……なのか?」

「ピンと来ないか?」

「正直な」

「ふむ、じゃあ少し具体例を出すか。ボクは最近、小鈴の服を見繕うことがあるんだ」

 

 小鈴っていうと、伊勢か。

 伊勢の服を見繕うって、こいつなにやってんだ?

 

「彼女は、服のセンスがどうにも悪くてね。いや、ある意味では似合っている。確かに似合ってはいるが、それは悪い嵌り方だ」

「? よくわからない」

「子供っぽいんだよ、彼女は」

 

 あー……成程な。

 確かに伊勢は、垢抜けないというか、あどけないというか、かなり童顔だしな。

 私服姿なんて見たことないから知らないけど、子供っぽい格好というのは、なんとなくイメージできる。

 

「素材がいいだけに、陰気でガキっぽいままなのはもったいないと思って、ボクも色々手伝っているんだけど……そういう他者への干渉も、やがてボクが自分の理想を見つける手掛かりになると思うんだ」

「そうなのか?」

「そうとも。人を振り見て我が振り直せ、だ。それに、誰かをコーディネートできないのに、理想的な自分のコーデなんてできるものか」

 

 ふぅん、そういうものか。

 けどまあ、よくわかった。

 つまり水早にとって、世界は経験値なのだ。

 誰かの話も、誰かとの経験も、遊びも、対立も、なにもかもが、明日の我が身へと繋がっている。

 すべては自分が成長し、高みへと上り、理想の自分となるための糧。

 ある意味、物凄い自己中心的な考え方だ。

 エゴや自分勝手という意味ではなく、最終的に自分に帰結するという意味で。

 

「なんというか、意外だ」

「そうかい?」

「お前はもう少し、献身的な奴だと思ってた」

「幻滅した?」

「別に。僕の認識が修正されただけで、お前が変わるわけじゃないからな。すべての経験が自分に返ってくることを望むからって、誰かに冷たいわけじゃなし」

「面と向かってそう言われると、少し照れるな。けどボクは、小鈴やユーとは違う。結構ドライな性格でね。皆と一緒にわいわいやってても、結局のところ、ボクはボク自身の成長と進歩を望んでいる。それが一番だ」

「けど、だからって友人関係を破棄するわけじゃない、だろ」

「まあね。利用価値がある、と言ってしまえば誤解を招くが、やはり友というのは心地良い。その心地良さに飲まれてはいけないが、そこには確かに得るものもあるし、あって損はない」

 

 とことん真面目で理屈ずくな奴だ。

 友達といる時くらい、成長とか進歩とか考えないで、肩の力を抜けばいいのにな。

 いや、もしかしたらこいつなりに、力を抜いてるのかもしれないけども。

 

「聞きたいことは大体聞けたかな……じゃあ次の質問だ。水早の嫌いなものは?」

「食べ物のことを聞いているわけじゃないよね?」

「うん。水早が嫌悪する概念、存在のことだ」

「そうか、それなら簡単に答えられる。一つ、論理的思考を完全に放棄した大馬鹿者。二つ、自分の可能性を潰す愚か者。三つ、他人の可能性を摘み取ろうとする悪者。以上だ」

「……ひとつひとつ、説明をお願いできる?」

 

 一気に答えられて、少し戸惑う。そんなに一度に言われても、メモしきれないよ。

 

「一つ目は別にいいだろう? 理屈を介さない奴と会話しても無駄だよ。論理的な思考ができないんじゃ、会話にならない」

「随分と極端だけど、言いたいことはわかるよ。人狼ゲームとかするにしても、感情論で動かれると破綻するもんね」

「そう、そういうことさ。秩序だったシステムが、理路整然としていて美しいし、円滑に物事が進む。そして二つ目。自分が持つ可能性を潰す輩は嫌いさ」

「それがよくわからないんだけど」

「さっきも例に出したが、ここでも小鈴を引き合いに出そう」

 

 また伊勢が話題に上がる。

 これまでもちょいちょい名前は上がってたし、やっぱり、こいつらのグループの中心的存在なんだな。

 

「既に言ったが、彼女は服のセンスが悪い。精神も女ではなく、いつまでも子供のままだ。いつまでたっても、甘さや幼さが抜けない。優しさと言えば聞こえはいいが、彼女はいつまでもガキのままだ」

「お、おぅ……」

 

 確かに芋女とか、他の女子に比べて子供っぽいと思ったことはあるけど、そんなストレートに言ったら可哀そうだろ。

 体型とか、子供っぽくない部分もあるんだし。

 と、軽く反論してみると、

 

「そこだ。素材がいいのに服のセンスが悪くて損してるだなんて、どれだけ愚かなんだと思ってしまう。あぁ、ハッキリ言おう。小鈴は可愛い女の子だ。リンちゃんを除けば、ボクが今まで出会った女子の中で、最高レベルで可愛い。背は低いし顔も幼いしなんか色々太めな気がするが、まあそこも含め、素材だけなら一級品な女の子だ」

「友達補正じゃ……」

「ボクはコーデに関しては公平だよ。とにかく、小鈴は素が良いにも関わらず、センスが悪いし精神も未熟だ。それで未来ある可愛さを潰してしまったら、もったいないと思うだろう?」

「うん、まあ、言いたいことはわかる」

「つまりはそういうことだ。あの可愛さは、ボクがこれからどれだけ努力しても手に入れることができない宝なんだ。それをむざむざ捨てるような真似は、許し難い」

 

 少し本音が入ったな。一種の妬みか。

 自分が持っていないものを簡単に投げ捨てられたら、そりゃ腹が立つに決まっている。

 普段は理屈っぽいけど、たまにこいつ、こういう感情的なところ出るよな。

 

「だからボクは小鈴を矯正、もといコーディネートについて手解きをしてあげたりしたわけだ。本人が変に頑固、というか変化を恐れてるせいで、いまいち上手くいかないけど。あと小鈴の着られる服が見つからない。いっそ作るべきか……」

「わかった、もうわかったから。で、で、三つ目は?」

 

 水早の言葉に熱が帯びてきたので、ここいらで話題を変えて熱を冷ます。

 他人の可能性を摘み取る悪者、というのは、二つ目と関連してそうなものだけれども。

 

「一言で言えば敵だ、悪者だ。わかりやすいだろう?」

「わかりやすすぎて説明不足だ。詳細を頼む」

「仲間についての質問で少し触れたけど、仲間はボクの経験値タンクだ。ボクに貴重で尊い、かけがえのない経験を提供してくれる大事な人材だ。言い方は悪いけど、ボクがより高みに上るための大事な踏み台になってくれるんだ」

「踏み台ね。でも君のことだから、踏みつけて上った後でも、手を差し伸べるんだろう?」

「仲間にならね。向上心のない奴は捨てるよ。ボクは聖人じゃないし善人でもない。関係ない奴まで助けたりはしない」

「意識が高いね。で、そんな仲間を失うのは困る、ってことか」

「そうだね、困る。ボクらが築いた秩序を壊すようなことをされたら、ボクの思い描く未来設計図も崩れるというものだ。それは許し難い」

 

 利用価値、なんて誤解を招く言い方をしたけど、逆に言えば水早は、仲間に大きな価値を見出しているということでもある。

 会社は社長だけでは成り立たない。社員が、働き手がいるからこそ、運営することができる。そしてそれは、人間社会でも同じこと。そして、個人というミクロな視点でも同様だ。

 誰かが、仲間がいるから、水早も上を向いていられる。そして、そんな仲間は大切な人材。当然、守るし、場合によっては無理やり腕を引っ張って引き上げる。

 甘くはないけど、なんやかんや、こいつも優しいよね。その優しさを理解するのは、少し難儀かもしれないけど。

 さて、だいぶいい話も聞けたし、そろそろ終わりに向かうか。

 

「最後だ。君が仮に戦うことになるとする。君は誰のために、そしてなんのために戦う?」

「……戦いの定義は? 戦争って意味? それとも競争?」

「その判断は君に委ねる。君自身が戦いだと定義できる現象で考えてくれ」

 

 そう答えると、またしても水早は考え込む。

 悩んでいるのではなく、正確な答えを返すために、熟考している。

 こういうところが、こいつのいいとこだよな。こんなわけのわからない取材でも、真剣に取り組んでくれる。

 本人の前では絶対に言わないけど、僕はこいつと友達で良かった。伊勢たちもそうだろうな。

 なんて柄にもないことを思っていると、水早はおもむろに口を開く。

 

「……そもそも、争いは避けるべきだ」

「身も蓋もないことを言うな!」

「けど、闘争もまた未来の自分への糧になる、なんて同じ回答を繰り返すのは、芸がないだろう?」

 

 む、確かに、それはそうだな。

 同じ答えを繰り返させる記者は二流と、先輩には教わった。そして僕は気を遣われたようだ。少し悔しいな。

 

「ま、結局は戦いでもなんでも、僕にとっては試練のようなものなんだけど。ただ、意味合いは少し、変わってくるかもしれない」

「意味合い? なにがどう変わるんだ?」

「大抵の物事は、体験してこそ糧を得られるものだが、争いというのは、どう避けるかを考える方が肝要だ。つまり、実際に体験しないことこそ糧となる、と考えられる」

 

 ふむ、そういうことか。

 レベルを上げるというのなら、積極的に戦闘して敵を倒し、経験値を得ると考えられる。

 けれど、世界はそんなゲームみたいにはできていない。如何にして戦闘を避けるか。それを考え、実践することもまた、別種の経験値を得ることに繋がる。

 水早はそう言いたいんだろう。

 

「勿論、戦うことで得られるものもあるだろう。だから、どう転んでも得とも言えるが……しかし争いから得るものなんて、大抵は教訓だしね。争いを回避する術を得るために争うのでは、本末転倒だ。だったら最初から避けた方がいい。争いも適材適所、手っ取り早く事態を収拾するために用いる有用性もあろうが、できれば回避したいね」

 

 持って回った言い方だが、まあ基本的に水早は秩序的で平和主義だ。

 争いを全否定はしないが、争わないならそれに越したことはない。

 まあ結局は、それが最も合理的かつ効率的かどうか、というところなのだろうけど。

 

「……うん、まあ何事も平和が一番だよ。そんな争いばかりの世の中じゃ、お洒落もできないからね」

 

 なんて、冗談っぽく言う水早。

 争いまでも、己の糧として取り込まんとする貪欲さ。

 けれど、争うということがどういうことか、彼はその本質をきちんと分析している。

 その上で、合理と理性によって、判断を下すのだ。

 合理的だが、数字に傀儡ではない。

 平和的だが、和睦の奴隷ではない。

 確固たる己の意志で、水早は理屈と平穏を支配しようとしている。

 ……成程、な。

 

「ありがとう。これでインタビューは終わりだよ」

 

 そう言って、僕は取材を打ち切った。

 終わってから、水早とのインタビューを振り返る。

 少し理屈っぽくて、論理的に事を進める奴だと思っていたけれど、水早は僕が思う以上に熱い奴だったな。

 熱いというか、努力家だ。

 自分のために、時に他人のために、その力を磨き、研鑽し、高めていく。より高みを、より強い己を目指す。

 友と共に精進し、禁欲を是として、正道を進み、力を磨く。

 最果てに見据えるは、完成された氷像のような自分。

 他人を使い、他人を引っ張り、自他共により良い未来を、遥かな高みを目指す。

 緑色のぬるい意識は破棄し、黒く汚い利己的な欲望は押し留め。

 白く清い平和な成長と進歩を願い、そのために赤い情熱に誓って邁進し。

 より良い己を形成するために、理想の青い未来を求める。

 切磋琢磨、より良い未来、精進。そして高みへと上る自分。

 最後にそんなキーワードを書き記して、水早霜との取材は終結する。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 香取(かとり) 実子(みのりこ)]。

 烏ヶ森学園、中等部1年A組。

 誕生日は11月19日。血液型はA型。部活動はなし。

 162cm/44kg。

 家族構成は父と母。だけど現在一人暮らし中。中学生で一人暮らし? 凄いな……

 趣味は昼寝とサイクリング。

 好きなものは肉、特に鶏肉、と。

 プロフィールだけ見れば概ね普通だ。

 そんな五人目、最後の取材相手は、香取実子。

 伊勢に次ぐ、もしくは伊勢よりも目立たない女子だ。

 ただその目立たない理由が、決定的に伊勢と違う。伊勢は大人しさゆえの地味さで、要するに“誰の視界にも入らない”類の目立たなさだ。

 だけど香取の場合は、どんな相手にも自然に接して、つかず離れずの距離を保ち、波風も立てない。即ち“異変を感じさせないほど自然に振舞う”タイプである。

 もっとも、最近はたまに奇声をあげたりしてて、悪目立ちすることがたまにあるんだけどな。なんか最近、あいつキャラが変わってる気がする。六月くらいまで、もっと大人しめな奴だったと思うんだけど。

 それに、ある意味ではその自然に振舞う技術も、不自然と見えるかもしれない。流石に疑って見すぎだと思うけど。

 どこか飄々としてて、掴みどころがない女子。そういえばこいつは、最初から伊勢と一緒にいたな。四月の最初の方から。それでも他の女子とも適当に合わせてたみたいだけど、最近は本当に伊勢の周りでしか見ない。

 異常性という面では、伊勢らのグループの中で最底辺、つまり、一番まともに見える。虚弱毒女の日向とも、爛漫外人のユーちゃんとも、女装男子の水早とも違う。こいつらと仲良くできる伊勢と同じ、あるいは別な存在。

 というか、日向も、ユーちゃんも、水早も、大なり小なり不登校期間があったけれど、香取にはそれがないんだよな。それがあるから、普通と思えてしまう。

 ん? 思えてしまう? なんでそう思ったんだろう。

 香取は比較的まともな人間のはずだ。なのにこれでは、彼女が実はおかしな人間のようだ。

 ……まあいいか。

 不自然なほど自然に溶け込む女子生徒。それが、香取実子という僕のクラスメイトだ。

 

「じゃあ、取材を始めさせてもらうよ」

 

 僕と香取は向かい合って、取材を開始する。

 それにしても、こいつデカいな。背が。

 まだ僕には伸びしろがあるだろうけど、香取は僕よりもずっと背が高い。まあ、女子でもこのくらいの身長は、珍しくはないけれど。

 けど、背が高いだけじゃなくて、手足も細くて長いし、ありふれた表現だけど、モデルのようだ。

 なんて見惚れている場合じゃないな。取材しないと。

 

「まず初めに、君の望みを教えてほしい」

「望み? なんか曖昧な聞き方だねぇ。どういうこと?」

「君が生きていくうえでの指針というか、どうしたいのか、どうなりたいのか、という点でなにを考えて生活しているのか。それを聞きたいんだ」

「ふぅん、変な質問だね。でも、答えるのは簡単だよ」

 

 香取は軽い口調で答える。

 真剣に取り合う、という気概はまるで感じられないけれど、そのくらいリラックスして臨んでくれた方がやりやすいと言えばやりやすい。ガチガチになって応答されても、話しづらいからね。取材は一種のコミュニケーションだから。

 なんて思って、油断していたけれども。

 香取は僕が思う以上の人間だった。

 

「私は私のために、そして小鈴ちゃんのために生きてる」

 

 ……あ、これヤバい奴だ。

 普通の人間とか思ってたけど、こいつが一番ヤバい気がしてきた。雰囲気で分かる。

 でも、始めた取材を投げ出すわけにもいかない。

 

「小鈴って、伊勢さんのことだよね。伊勢さんとは、どういう……?」

「友達だよ? それが?」

「いや、なんでもないです……」

 

 たぶん、ただの友達じゃないんだろうなぁ。

 一体どういう関係なのか深く突っ込みたいところだけど、僕にはそれ以上追及する度胸はなかった。

 

「えぇっと、君のため、伊勢さんのため、っていうところを、もう少し詳しく……」

「私のためっていうのは、まあわかりやすいと思うんだよね。結局、人間って自分でものを考えて、自分中心で生きているわけだし、自分がどうしたいかっていうのは必ず内面にある。それに従うのが、指針の一つだと思うんだ」

 

 なるほど、道理だ。

 生きる標を他人に委ねる人間もいるけれど、香取は自分の中の衝動が、生きるための指標の一つだと考えているのか。

 だけどこの口振り。内面だけが自分のすべてではない、という言い分だな。

 

「もう一つは、自分の外部に指針を求めるケースだね。というか小鈴ちゃんなんだけど」

「い、伊勢さんが、なんなの……?」

「そりゃまあ、小鈴ちゃんと一緒にいることでしょ。私のしたいことっていうのも大抵、小鈴ちゃんに通じているし、まあ小鈴ちゃんを愛でることが私の生き甲斐と言っても過言じゃないかな」

「…………」

 

 つい絶句してしまった。

 最後の最後で一番ヤバいカードを引いてしまったようだ。小鈴ちゃんが私のすべて? そんなこと言える中学生がどこにいるんだよ。

 しかも相手はアイドルとか芸能人じゃなくて、友達、クラスメイト。しかも女。

 こいつ、まさかレズなのか?

 

「私の行動原理なんて単純だよ。小鈴ちゃんと一緒にいたい、小鈴ちゃんを守りたい、小鈴ちゃんを愛でたい。それが、私の望み。私の欲望なの」

 

 確かに単純だ。だけど、それは仕掛けた罠が「落とし穴」か「奈落の落とし穴」かくらいの違いがある。

 穴を掘って罠を作りましたと言っても、確かにそれは見かけは単純だが、それが奈落にまで続くほど深い落とし穴だったとしたら、とんでもない。

 

「私の世界は今、小鈴ちゃんを中心に回ってる。私を取り囲む環境に、あの子がいる。私が大事にするのはその領域内だけ。その外にあるものは、まあ、おまけのパセリみたいなものかな」

 

 僕はパセリかよ。

 まあでも、頭のおかしい料理人にトチ狂った調理をされるくらいなら、適当に千切ってそのまま盛り付けられるだけのパセリの方がマシかもな。注文の多い料理にはなりたくない。

 大なり小なり、誰もが自分の世界を持っていて、その世界構造に準じて自らの行動原理を構築するものだけど、こいつは自分の世界をほとんど放棄している……いや違うな。自分の世界の核、他人に委ねているんだ。

 自分の中ではなく、外に重きを置いた世界構築。しかしそれこそが、彼女の欲望のすべてが詰まっている。

 つまるところ、伊勢は香取の欲望の捌け口にされているってわけか。

 言い方は悪いけど、まるで寄生虫だな。利用というよりは共存って感じだし、伊勢もそんなに邪険にしてないようだから、まあ、まだマシな気がするけど。

 

「じゃあ次の質問へ……えっと、君にとって、仲間とは?」

「仲間? 小鈴ちゃんは仲間っていうより、もはや私の半身に近いほど大事な人だからなぁ。いなくなったら困る子だし、仲間はまあ、仲間だよね」

「なんて雑な……」

「まあでも、日向さんとか、ユーリアさんとか、水早君とかは、普通に友達だし、仲間って言えるかもね。もっとも、小鈴ちゃんの友達が私の友達でもあるって流れで知り合ったわけだし『友達の友達は友達』理論だけど」

 

 こいつ本当にヤバいな。ヤバイしか言えないくらいヤバいな。

 伊勢に対する関心が強すぎて、他の部分がかなりおざなりというか、興味が薄すぎる。本気で言ってるわけじゃないだろうけど、『友達の友達は友達』なんて考えで水早たちと付き合ってたと言うか?

 日向は興味関心の有無が極端だけど、自分の友人には優しくあった。

 ユーちゃんも自分の欲求に忠実だけど、そこに邪悪さは一切なかった。

 だけど、こいつはなんだ? 無邪気に、純真に、そんなことを言っているのか?

 底が見えない。伊勢たちのグループを利用している……? そんな風には見えないし、そもそも、その悪意になんのメリットがあるんだ?

 本当に、ただ伊勢が大事の一心だけで、彼女のグループに属しているのか?

 ともすればこいつは、伊勢のために無関係の存在まで食い物にしかねない恐ろしさがある。事実はさておき、そのくらいの勢い――いや、狂信を感じる。

 そのうち「この世界は、小鈴ちゃんと私とそれ以外で構成される」とか言いだしそうだ。

 それほどに、他者への関心――いいや、容赦がない。

 

(……いや、待てよ)

 

 冒頭を思い出せ。確かに最近の香取は弾けてておかしな奴だが、元々こいつは、上手く周りに迎合して器用に立ち回るような奴だった。

 どっちが素なのか、ではない。

 相手によって、立場によって、環境によって、自身の対応を変えている、のか?

 こうしてトチ狂った奴に見えるのも、そういう“キャラ”を演じている……?

 自分が不利にならないように、自分の優位を確保するために、最適な対応をしている。

 こんなのはただの憶測でしかないが、もしかすると、香取はそういう奴かもしれない。

 衝動的で感情的、刹那的で快楽的。けど、日向ほど無関心でも、ユーちゃんほど天真爛漫でもない。こいつはどちらかと言えば水早に近い――知恵が働くタイプと見た。それも、悪知恵が。

 演技とか、騙している、だなんて思わないけど、こいつは一番“僕ら”に近いのかもな。

 保身を考え、利益を考え、自分が傷つかず、得をする。そんな小狡い立ち回りを是とする。

 邪悪なヒトの本質そのもの。伊勢たちのグループは、伊勢の影響か、皆甘さがあって秩序立っているが、こいつはきっと違う。

 甘さを舐め取る虫であり、秩序を飲み込む混沌そのもの。

 なによりも自我とエゴを第一とする、人間の悪性だ。

 

(……なんて、僕の妄想でしかないんだけど)

 

 けど、こいつから感じる隠しきれない不穏さが、そう思わせる。

 伊勢小鈴という世界に寄り添い、甘い蜜を吸う存在。

 あるいは、伊勢という楔がなかったら、こいつはこいつを構成する世界の外側を、すべて喰らいかねないのかもしれない。

 他人に無関心の姿勢を貫く日向よりもタチが悪い。

 まったく、この意味不明な取材もこれで終わりだってのに、最後の最後にとんだ地雷を踏んでしまったものだ。

 

「……次の質問に移らせてもらうね。君の嫌いなものは?」

「ないよ。なんでも食べるね。好きなものは肉だけど」

「食べ物のことじゃないよ……」

 

 むしろこの流れでなんで食べ物だと思ったのか。

 今まで何度も説明していたように、嫌いなものの定義について答える。

 すると、また香取は、大して考えもせずにすぐに口を開いた。

 

「嫌いなものね。そりゃまあ、小鈴ちゃんを害する存在とかだけど」

 

 そうなるよね、彼女の場合。

 わかってた。けれど、まだ続く。

 

「束縛は、好かないね」

「束縛?」

「そう。あ、緊縛プレイじゃないよ」

「わかってるよ……束縛って、どういうこと?」

「世界は楽しいことがたくさんある。っていうかまあ、楽しいことやったもん勝ち、ってね。つまんないことも、かったるいことも、たくさんあるけどさ。なんにせよ私は楽しみたいわけ、人生を」

「うん。そうだね。それが理想だ」

「けど、その楽しみたい人生を「それが規則だ」「そうあるべきだ」みたいなのを押し付けて邪魔するのは、どーかと思うね。こっちは精一杯楽しんでるってのに、くだらないルールだ道徳だで縛りつけられちゃたまんないよ」

 

 うーん、意外とシンプルだな。

 やっぱり、こいつの邪悪さ云々みたいなのは、僕の思い過ごしか?

 それはさておき、規律や規則、倫理に道徳、あるいは空気や伝統に干渉され、楽しみを邪魔されるのが嫌ってことか。

 その理屈はよくわかる。その時の勢いを、熱を、水を差されて冷ますなということだ。

 

「でもまあ、仕方ないところはあるよね。危険なことをしていたら、ストッパーは必要だ」

「別に私も規則だなんだをすべて否定するつもりはないよ。それに従ってた方が楽ってこともあるしね。でも、それで個人の気持ちを縛るのは、認めたくないね」

 

 個人、か。

 まあこいつのことだ、結局は自分がそうされたくないってことが第一にあるんだろうけど。

 

「なんでもありのままが一番だと思うんだよね、私」

「本当かよ……」

「本当だよー? 人の気持ちも、コミュニティもね」

「コミュニティ? それって、伊勢さんたちのこと?」

「ん、まーね。私たちを、小鈴ちゃんを取り巻く心地の良い環境に、作為的な変化はいらない。今のままの、安楽の場が最高なんだよ」

 

 安楽の場、か。

 まあ確かに、伊勢は優しくて、甘いからな。そのぬるい温かさは、心地が良いのかもしれない。

 お前が言うとまるで腐葉土だがな。栄養はあろうが、なんというか、腐ってしまいそうだ。

 しかし、これだけ強い自我がありながら、伊勢への依存度が高いというのは、ある意味凄い。

 伊勢にべったりと張り付きながらも、自分の意志で自由に、歓楽によって、衝動も欲望も本能も肯定している。

 ありていに言ってしまえば、他人に寄生した自由人だな。そう言うと、滅茶苦茶タチが悪い奴みたいに聞こえるけど。

 本人にまだ良識があるっぽいから、マシに見えるけど。

 ……本当に良識あるのか?

 単に、自分の寄生している伊勢の世界を壊したくないから、そう動いているだけって気もするな。

 

「……最後の質問だよ。君は誰のため、そしてなんのために戦う?」

「私の大事なもの……つまり小鈴ちゃんと、あの子の大事にするもののため。何度も言わせないでよ」

「一応、質問用紙には沿わないといけないから……」

「ふーん、じゃあ答えるよ。私は、小鈴ちゃんのためならなんだってするよ。ルールを破るくらいはわけない。計画も打算もすべてなげうつよ。あの子のためなら、世界を滅ぼしたっていい……なーんて、格好つけすぎかな?」

 

 別に格好良くねーから。

 ただ頭のおかしいだけの奴だから、それ。

 絶対に口には出さないけどな。

 それにしても、伊勢のこととか、ここまであけすけに語るとは思わなかった。元から飄々としてるというか、軽薄というか、自由な奴だとは思ってたけど、ここまで奔放だとは。

 傲岸不遜、大胆不敵……いや、豪放磊落と言うべきか。

 ある意味、度量が広いのかもしれない。

 話す内容は伊勢のことばっかりだけど。

 

「ま、でも、戦う理由ね。誰のためっていうのはもうハッキリしたことだけど、理由は色々あるよね。その時々で」

 

 お?

 遂に香取から伊勢について以外の話が聞けそうだ。途中で投げ出さず、最後までやってよかった。

 

「まず、戦いを競争――それも、自然界の生存競争って定義したら、それはやっぱり、生き残ることが戦う理由だよね。戦わなくちゃ生き残れない、ってやつだ」

「そうだね」

「世間は世知辛いし、世界は厳しい。結局、私たちは人生の中、どこかで戦わなくちゃいけない。大規模な戦争か、小規模な諍いかは人それぞれで、時代にもよるけど。ある意味、私たちは戦う宿命にあると言ってもいいかもしれないね」

 

 水早とはベクトルの違う考え方だな。

 あいつは、戦いはできるだけ回避すべきものと言っていたが、香取は、戦うことは逃れられない運命だと言う。

 

「だからまあ、戦うっていうのは生きることで、生存すること、つまりは人生とも言えるんじゃないかな。生きるためには戦わなくちゃいけないし、生きていれば戦わなくちゃいけない。私たちと戦いは、切っても切り離せない関係にあると思うよ。だから、大事なもののためには、残酷にならなくちゃいけない時も、あるよね」

 

 まるで自分の残酷さを正当化するような物言いだけど、言い分はなるほど、納得できる。

 確かに僕らの世界は戦いに溢れている。しょうもない個人間の喧嘩から、国家戦争、学生の身分なら学力競争。形は違えど、僕らの世界は戦いだらけだ。

 そんな中、甘い考えでは、すぐに退場してしまうというシビアな考え方も必要だろう。

 

「自然界に限らず、意外とどんな界隈でも弱肉強食だからねぇ。なんにしたって強さは大事だよね。力がないと生き残れないし。水早君は可能性が狭まる、なんて言ってたかな」

 

 強さが可能性を広げる。可能性を広げるために強さを求めるというのも、ひとつの在り方か。

 まあ香取はあんまり可能性云々には頓着してないみたいだけど。現状維持、ありのまま、今のままを受容している。

 そう、受容。

 受け入れている。

 あるいは、決め打ちしている。

 他者の世界にのうのうと入り込んで居座ってるような図太い奴だけど、普通、そんなのあり得ないからな。誰だって自分の世界が第一に決まっている。

 利用するための寄生ならともかく、共存のための寄生は、共生と呼ぶべきものだ。それはつまり、相手を受け入れるということ。

 あるがままを、現状を、受容するということ。

 なんでそんなことができるのかと問いたいが、それには僕の勇気が足りない。だから考えてみよう。

 考えるまでもないと思うけど。要するに、彼女はどうしようもなく伊勢のことが好きなんだろう。

 彼女に依存し、寄生しているのも、伊勢を利用したいわけではなく、伊勢を崇拝しているわけでもなく、ただ、彼女は伊勢が好きなだけ。

 好きだから、愛したい。

 好きだから、守りたい。

 好きだから、共にありたい。

 好きだから、世界のすべては彼女である。

 すべての道がローマに通ずるように、香取にとってのすべては、伊勢へと通じているのかもしれない。

 ……まさかうちのクラスに、こんな近いところに、こんな危険人物がいるとはな……

 これから伊勢と接する時には気をつけよう。下手したら僕が抹殺されそうだ。

 というか、伊勢も伊勢で、よくこんな狂信者と付き合ってられるな。あいつの人としての器の広さに感服するけど、同時に呆れる。

 

「……うん、そうだね。世界は過酷だ。強くないと生き残れない。今を楽しむにも、やっぱり力が大事になる。小鈴ちゃんは強いけど、甘々だからねぇ。そこが小鈴ちゃんの可愛いところで、いいところだけど、同時に欠点でもあるからね。だけど、残酷なのは小鈴ちゃんには似合わない。だからそういう汚いのは、私が請け負う……ちょっと身勝手だと思うけどね。でも、やっぱり小鈴ちゃんには綺麗にいてほしいから」

 

 なにがどうあっても、行きつく先は伊勢小鈴、か。

 世界が凄惨で、過酷で、醜悪なことを知っているからこそ、他者の世界に寄生してまで、大切なものを大事にする。

 弱者は絶え、強者だけが残る世界だからこそ、強くあろうとする。

 その極致にあるのは、受容。即ち、受け入れること。

 自分ではない世界も、凄烈なルールも、なにもかも、あるがままを受け入れている。

 ……成程。

 

「ありがとう。これでインタビューは終わりだよ」

 

 そう言って、僕は取材を打ち切った。

 終わってから、香取とのインタビューを振り返る。

 とにかく、伊勢小鈴に執着しているヤベー奴だ。軽薄なようで、腹の中にはとんでもない混沌を内包している。

 けれど、伊勢を盲信する彼女の根底にあるものも見えた。

 伊勢の世界は自分の世界。彼女の世界に寄生することが、彼女の喜びであり、存在そのもの。

 理屈なんて知らぬ存ぜぬ、倫理も法もなんのその、欲望と衝動に突き動かされるまま。

 彼女を取り巻くのは、森のように一人の少女を取り巻く聖域。

 世界が苛烈であることを知っているからこそ、仲間を、友を、愛すべき者を真に守りたいと思える、そんな狂った信心。

 青白く光る秩序も進歩も捨て去って。

 赤黒く滾る残酷さと自由な歓楽に身を委ね。

 緑色に取り巻く世界に寄り添う。

 寄生、狂信、過酷。そして受容。

 最後にそんなキーワードを書き記して、香取実子との取材は終焉する。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「終わった……」

 

 なんとかすべての取材を終わらせることができた。どいつもこいつもくせ者ばっかりで、酷く疲れた。

 だけど、今までよく知らなかったクラスメイトたちの、知らない一面が見られたというのは、僕個人としてはそれなりの収穫だ。まあまあ楽しめた。

 それにしても、今回の取材の内容は本当に意味不明だ。こんなのどう使うんだ?

 五人それぞれの人となり、どういう意志を持って行動しているのか、なにを抱えているのか……そういったものを引き出すことはできたけど。

 

「……ま、いいか」

 

 僕は先輩に言われて取材をした。それでいい。僕はまだ一年生、黙って使われていればいいのさ。

 と、思考放棄したところで、携帯が鳴った。

 誰だと思ってそれを手に取る。この番号は……

 

「……もしもし、先輩ですか?」

『あぁ、若宮君。そろそろ取材はおわった?』

「えぇ、まあ、なんとか。それより先輩、これ、なんの意味のある取材なんですか?」

『意味か。それは、一義的には語れないな。物事の意味っていうのは、その時々、人や状況によって形を変える、水のようなものだからね。君の取材はオレや君にはなんの意味もないことかもしれない。けど、どこかの読者にとっては、意味があるかもしれない。そういうものさ』

「またそうやって煙に巻こうとする……朧とはよく言ったものです」

『オレの名前で皮肉のつもりかな? なに、同じ“若”同士、仲良くしようよ』

「別に仲違いする気はないですけど。先輩は胡散臭いですけど、世話にはなってますからね」

『君、意外と言う相手には言うよね。いいよいいよ、時として応えづらい言葉で切り込むのも、記者の資質だ』

「そいつはどうも」

『まあ、終わったんなら一緒にご飯でも行こうよ。奢るからさ』

「騙る、じゃないですよね」

『お金はオレが出すって意味だよ。本当、疑い深いなぁ。オレってそんなに信用ない?』

「実力は認めますが、人格が……でもまあ、騙されてるわけでもなさそうですし、ごちそうになります」

『オッケー、言質は取ったよ。じゃあ、次の取材のことについて話し合いながら、ご飯にしようか』

「やっぱ騙された!」

 

 と、叫んだあたりで通話を切られた。

 はぁ……ただでさえ大変な取材だったのに、またこんなのやらせる気か? あの人は……

 まあ別に、そんなに嫌ってわけでもない。新聞社に入部した以上、その活動には従事するとも。

 先輩も、変な人だし胡散臭いし信用ならないけど、認めているし、信頼もしている。

 また変な取材を押し付けられそうだけど、ご飯奢ってくれるみたいだし、まあ、次も頑張るか。

 

「しかし本当、この取材はなんだったんだろうな」

 

 僕にとっては、この取材の意味はまったくわからなかったけれど。

 先輩が言うには、誰かしらは、僕が取材したことに意味を見出してくれるかもしれない。

 だとしたら、記者冥利に尽きるけれども。

 果たしてそんな物好き、どこにいるのやら――




 リアルな時系列的には、本編でも霜の友人としてちょいちょい出て来てる若宮君の初登場回です。朧も所属する新聞社(新聞部)についての言及も、ここが初出ですね。
 次回はたぶんTS回。誤字脱字感想等々あれば、お気軽にどうぞ。


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番外編「てぃーえすえふ? だよ」

 TS回です。
 トランスセクシャル、性転換。まあ人は選びますが、作者は好きですよ、このジャンル。憑依、転生、女体化等々、種類は様々ですが、個人的には女体化が好みです。
 あ、わりとアレなジャンルですけど、中身はそれなりに真面目なので、ご心配なく。R18とかじゃないです。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 ……伊勢小鈴、です、よね?

 いえ、そのはずです。わたしは小鈴。伊勢小鈴。誰がなんと言おうと伊勢小鈴である、はず……なんだけど。

 流石にこれは、ちょっとその認識が揺らいじゃいそう。

 だって、だって――

 

「……ボク?」

「わたし……?」

 

 

 

 ――目の前に、“小鈴(わたし)”がいるんだもの――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「状況を整理しようか」

 

 みのりちゃんが、最初にそう言った。

 あまりに急な出来事にみんな混乱している。とりあえず近場の公園に集まって、状況確認をする。

 いつもならここで霜ちゃんが仕切ってくれるんだけど、今回は珍しくみのりちゃんがその役割を担ってくれた。というのも、霜ちゃんはこの場にはいないから。

 いや、いる。いるんだけど。わたしの視点からじゃ、その姿は見えない。

 ある意味では見えているけど、それはいつもの霜ちゃんじゃない。

 だけどいつも通りじゃないという意味なら、それはわたしも、この状況もそうだ。

 だって、隣には“わたし”がいて。

 霜ちゃんは“ここに”いるんだもん。

 その事実を明らかにするべく、みのりちゃんは語り始めた。

 

「いつものように現れたクリーチャーを退治するために立ち上がる小鈴ちゃん。しかし敵の攻撃によって、水早君と入れ替わってしまった! 小鈴ちゃんの運命や如何に!」

「なぜナレーター風なんだ」

 

 わたしの隣で、わたしが――いや、霜ちゃんが言った。

 ……わたしからも、事の顛末をもう少し詳しく説明します。

 いつものように遊んでいた私たちの下に、当たり前のように鳥さんがやって来た。鳥さんが来たということは当然、クリーチャーが現れたということで、わたしたちはそのクリーチャーを退治しに向かったんだけど。

 ちょっと油断しちゃったせいで、物陰からクリーチャーの攻撃を受けちゃったみたいで……その時、たまたま近くにいた霜ちゃんを巻き込んじゃったみたい。

 その結果、わたしと霜ちゃんの、心と身体が入れ替わってしまったのです。

 今までいろんな能力を持つクリーチャーがいたけど、こんなことになったのは初めてだよ……

 

「うみゅみゅ、こんなこともあるんですね。驚き(ヴンダァ)です」

「流石の、わたしも……これは、はじめて、見た……」

「は、早く解決しないといけないね」

 

 声を出す感覚も、なんかいつもと違う。変な感じがする。

 それに、なんだろう? 喉の中になにかがある感覚というか、ちょっと掠れて声が出しにくいように感じる。

 

「……クリーチャーについては、あの焼き鳥が、探してる……らしい、けど」

「鳥さんは、なんだかよくわからないからね……」

「それまでずっと、小鈴さんと霜さんは、入れ替わったまま、なんですか……」

 

 クリーチャーに関することには真剣だから、真面目に探してくれているんだろうけど、いつになるかはわからない。

 不意打ちを受けて、そのまま逃げられちゃったから、仕方ないと言えば仕方ないけど。

 と、その時、急にみのりちゃんがわたしの肩を強くつかんで、上下に揺さぶり始めた。

 って、えぇ!? なに急に!?

 

「っていうか水早君! 小鈴ちゃんと身体が入れ替わるとか羨ましいんだよこん畜生め!」

「ちがっ、違う! みのりちゃん違う! それわたし! 今この身体わたしだから! そんなに強く揺さぶらないで!」

「あ、ごめん。素で間違えた……」

 

 パッと手を離すみのりちゃん。

 うぅ、酷いよみのりちゃん……頭がくらくらする……

 

「それ一応ボクの身体なんだから、そういうことをされるのは困るんだけど」

「…………」

「実子? どうしたの?」

「い、いやぁ……小鈴ちゃんに呼び捨てにされるのも、なんか新鮮で、いいなって……」

「そんなこと言ってる場合か!」

「そうだよみのりちゃん! わたしたち、すごく大変なんだからね!」

「水早君の声でみのりちゃん呼びはちょっと気持ち悪いね」

「酷い!?」

 

 わたしだって好きでこうなってるわけじゃないんだよ!

 別に、霜ちゃんの身体が悪いってわけじゃないけど。

 

「でも、確かに変な感じだね。わたしが、わたしの声を聞くっていうのは」

「あぁ、ボクも……少しへこんだよ」

「え? なんで?」

「……ボクにも色々悩みがあるのさ」

 

 なんだか、霜ちゃんが憂い気な目をしてる。わたしの身体だけど。

 声を聞いてへこむって、なんでだろう……うぅん、確かに、喉がちょっと掠れてるというか、声が出にくい感じはあるけど。

 

「それより……二人とも……身体は……?」

「そうです! クリーチャーの攻撃を、受けたんですよね? ケガとかしてないですか!?」

「うーん、わたしは大丈夫そう。痛くもないし。いつもと違うから、なんか変な感じだけど」

「あぁ、そうだね。攻撃と言っても、ダメージを与える類のものじゃなくて、文字通り“入れ替える”能力みたいだ」

 

 入れ替える、かぁ。

 そういえば、霜ちゃんと初めて出会った時、霜ちゃんに憑りついていたクリーチャー――《No Data》も、そういう能力を持ってたっけ。

 あのクリーチャーは心や認識みたいな、隠された、見えないものを入れ替えて、霜ちゃんの心をかき乱していたけど。

 今回は、ダイレクトに身体そのものが入れ替えられている。

 一体、どんなクリーチャーなんだろう。

 

「だけど、なんか身体が重いな……動作のひとつひとつに、妙な倦怠感があるというか……」

「そ、それはね、あんまり気にしないでくれると助かるかな……」

「? あぁ、うん」

「水早君、水早君。たぶんそれはね」

 

 みのりちゃんが霜ちゃんに耳打ちする。

 わざわざ言われるのは恥ずかしいんだけど……

 

「……すまない。失言だったよ。いや、浅慮だった。本当に申し訳ないと思う……」

「いや、いいの……」

「ピンポイントで……そうを、狙うあたり……相手は、やり手……」

「それはたまたまだと思うけど……」

「二人は、元に戻れるのでしょうか……?」

「あのクリーチャーを、なんとかしない、ことには……ずっと、このままかも……」

「ずっと……」

「このまま……」

 

 わたしは霜ちゃんの身体で、霜ちゃんはわたしの身体で。

 つまり、帰る家も、それぞれ違う。

 霜ちゃんの可愛い服が着れるのかぁ、いいなぁ。

 あ、でも、お母さんやお姉ちゃんたちと会えないのは、ちょっとさびしいな……お母さんの新作、今度読ませてもらう約束だったのに。

 

「そうじゃん! このままだと、水早君がお風呂とか着替えとかトイレとか! 小鈴ちゃんの恥ずかしいところ大公開サービスじゃん!」

「えぇ!? 確かに!」

 

 言われてみるとそうだったよ!

 どうしよう……わたし、男子更衣室で着替えるなんて、できないよ……男の子が着替えてるところを見ちゃうのも、申し訳ないし……

 

「気付かなかったのか……いやでも、それは……そうなってしまうが、しかしだな……」

「小鈴ちゃんも水早君のオトコノコを見て心をが穢れてしま――」

「ぶっ殺すぞ実子」

 

 わたしとは思えないくらい低い声で言い放つ霜ちゃん。

 ……怖い。

 

「そ、霜さんがすごく怒ってます……!」

「うはぁ、こ、小鈴ちゃんの声で、ぶっ殺すって……めっちゃ興奮した。い、今のドスの利いた声、もう一回リピートしてもらっていい?」

「呆れるほどぶれないな君は!」

「っていうか、小鈴ちゃんボイスでそのボーイッシュな言葉遣い、マジ最高なんですけどー。録音していい?」

「……ごめん小鈴。ボクは下手なことを喋らない方がよさそうだ」

「う、うん……なんか、わたしもごめん……」

 

 みのりちゃんはいつにも増しておかしいし、このままじゃトイレにも行けないし。

 早く元に戻らないと、色々困っちゃうよ。

 鳥さん、お願いだから早く戻ってきて――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

(女の子の身体、か)

 

 ふと思う。友達と入れ替わっただけとはいえ、ボクが女の子の身体になるだなんて、どんな数奇な運命なのだろうと。

 これは単なる偶然で、作為的なものはない。だから、運命と称するのが適切だろう。

 そんなオカルトを信じているわけじゃないけど。

 この偶然にしてはできすぎているような配役には、なにかを感じてしまうのも確か。

 かつて、“女の子になろうとした男”としては、“女の子のために男になろうとしたボク”としては、偶然だけでは片づけられないものがある。

 そんなものは昔の話だ。だけど、それでも、ボクが女の子になりたいという願望が消えてなくなったわけではない、その事実は残るし、その痕跡は今でも存在する。

 昔の夢。かつての願い。

 それが、それを手放した後に、手に入ってしまった。

 なんという皮肉か。

 もしこの世に神様という存在がいるのであれば、そいつはとんだ意地の悪い奴だと思う。

 だって、ボクが諦めて、割り切って、忘れて、意識しないで、新しく得た希望に笑っているところで、過去の幻影を、その光を見せつけて、こんなことをするんだから。

 ボクを揺さぶっているのか。ボクを試しているのか。

 当然、この世界に神なんていない。そんなものは信仰心によって生み出された空想の救世主、人の心が生んだ架空英雄だ。そんなものに惑わされるなんて、現実を見ていないのと同義だ。

 だけどこれはどうしようもなく現実だ。ボクが昔、夢にまで見た空想が、実現したものだ。

 その事実を確認するように、この身に手を伸ばしそうになるが、寸でのところで我に返る。

 

(っ、危ない危ない。これは小鈴の身体だ。友人とはいえ、いや、友人だからこそ軽々しく触ってはいけないだろう、ボク)

 

 とはいえこれは小鈴の身体なわけだし、どこを触ろうが事実としては小鈴が自分の身体をまさぐっているに過ぎないけど、そういうことじゃない。単純な倫理の問題だ。倫理は単純ではないけど。

 ……しかし、なんだかな。

 どうせ同じ人間なんて思っていたけれど、改めて女の子の身体というものを意識してみると、男の時とはまるで違うな。

 

(全然違う感じだ……凄い重ね着をして動きにくい感覚と、ちょっとだけ似てる……?)

 

 あるものがないとか、ないものがあるとか、下世話だがその感覚がダイレクトに伝わる。

 それだけじゃない。

 

(身体が女の子なわけだから、当然、アレなわけだし……胸も、それに服も……)

 

 スカートなら履き慣れている。女の子らしい、女の子が着飾るための服装という面では、なんの抵抗感も違和感もない。

 しかし、女性の“身体のため”の衣服となると、話は別だ。

 

(へ、変な感じだ。抑えつけられているみたいで……動きにくい要因の一つはこれか……?)

 

 激しく動くと、なにか重大なものが溢れてしまうような、恐怖感に近いなにかがある。なにかが起こると、すべての尊厳が失われてしまいそうな。そんな感情。なんなんだ? この気持ちは。

 苦しいとまでは言わないが、なんとなく不自由で、どこか気になる。

 なんて曖昧模糊なんだ。女性は、いつもこんなものと一緒にいるのか? なんて大変なんだ。

 と、思案していると、実子がボクの――小鈴の?――顔を覗き込んでいた。

 

「水早くーん、どったの?」

「あ、いやすまない。少しボーっとしてた」

「どーせ小鈴ちゃんの身体でエロい想像してたんでしょ」

「み、みのりちゃん!」

「そんなことは……ないさ」

「今ちょっと言い淀まなかった?」

 

 にやにやと卑しい笑みを浮かべる実子。ムカつく顔だ。

 だけど、そう言われると少し否定しづらい。

 確かにボクは今、女の子(小鈴)の身体について、考えていたのだから。

 

(まずい、意識すると、これは……)

 

 考えてしまう。いいや、感じてしまう――女の子の、身体を。

 柔らかで瑞々しい肌。肉感的な肢体。衣服の締め付け、布の感触、心臓の鼓動まで、意識してしまう。

 視線を向けると、もうダメだ。

 膝元が見えないくらい、大きな胸が視界を遮っている。

 膝を擦り合わせると、妙にすべすべした感触が伝わって、変な気分になりそうだった。

 心臓の鼓動も、なんだか男の時とは響き方が違うような気もする。胸の厚みの違いか?

 なんにしても、これはまずい。

 どんどん女の子の身体が気になってしまう。

 しかも、よりにもよって友達(小鈴)の身体が。

 考えるな考えるな! 小鈴は友達だ。そんな、邪な思考で見たらダメだ。

 と、強く念じる傍には、邪念しかない奴もいた。

 

「じー」

「な、なにを見てるんだ?」

「水早君ってさ、いつもわりと、背筋ピンとしてるよね」

「それがどうかしたのか?」

「小鈴ちゃん、本を読むときは凄く姿勢がいいんだけど、それ以外だと自然と身体を丸めちゃうんだよね。なんでだと思う?」

「? 猫背、というわけではないのか?」

「そのでっかい胸を隠そうとするからだよ」

「な……っ!」

「み、みのりちゃん!」

「それが今はどうだろう! 堂々としているよ! さっきから妙な違和感があると思ったんだけど、これは眼福!」

 

 ボクの意識が、また引き戻される。

 くっ、自分でも目立つし感じるしで意識しないように努めていたのに、こいつは煩悩の塊か……! ボクにまでその毒をまき散らすとは。

 心頭滅却することもできず、実子の言葉一つで、また女の子の、小鈴の身体を意識してしまう。

 しかも、今度はその“視線”さえも。

 見られている、と。

 

「う、うぅ……」

「なんか小鈴ちゃんが自分の身体意識してもじもじしだした! 可愛い! 中身は水早君だけど!」

「……一番この状況、楽しんでるの……みのりこじゃ……」

 

 確かにそうかもしれない。

 まったく、自分には実害がないからって、なんて奴だ。

 小鈴が元に戻れなかったら、君だって困るだろうに。

 

「ところで二人とも、トイレとか大丈夫なの?」

「わたしは、なんともないけど……」

「ん……ボクもだ」

「無理しない方がいいよー。女の子は男の子と違って竿がないから、その分我慢が利かないし」

「またそんな品性の欠片もないことを……男子中学生か君は」

「マジもんの男子中学生に言われちゃったよ」

 

 また実子は卑しい笑みを浮かべている。こいつ、ボクらの反応を楽しんでるな、絶対に。そのためにちょっかいかけてるだろう。

 

「……待てよ。中身が水早君ということは、今は抵抗力が薄いんじゃないかな……?」

「今度はなんか、謎理論を展開し始めたぞ……」

 

 と呟いた直後。

 実子が襲い掛かってきた。

 

「ていやー! 覚悟! 小鈴ちゃんin水早君!」

「なっ、なにを……!?」

 

 ボクの危機察知能力はまるで機能せず、実子に思い切り抱き着かれた。しかも、そのまままさぐられる。

 

(う……っ!)

 

 ぞわり、と悪寒が全身を走り抜ける。しかも往復してる。悪寒のフルマラソンだ。

 て、手つきが気持ち悪い! こいつ、太腿はおろか、普通にスカートの中にまで手を入れてるぞ!? どんな風に間接曲げてるんだよ! やめろやめろ!

 

「触り心地はいつもと変わらないけど、反応がやっぱり違う……! なにこれ面白い!」

 

 はぁはぁと気持ち悪い息を吐き散らす実子。本当に気持ち悪い。死んでくれ。

 彼女の手は胸にまで到達する。揉みしだかれる感触。

 

(ん……くぅっ)

 

 布越しとはいえ、なんか、凄く妙な感覚だ。なんだ、これ……?

 肉をまさぐられるって、こんな感じなんだ……くすぐったいような、ほぐれていくような。なんとも言えない、けど。

 

(な、なんか……ぞわぞわって、変なの、込み上げてくる……!)

 

 よくわからないけど、なにかまずいと直感的に脳が判断を下す。頭も上手いこと動いてくれない。

 振り解きたいけど、実子の力が強い。いや、小鈴が非力なのか? わからない。

 身体の内側から昇ってくる熱っぽいなにか。それのせいで、身体の制御が上手く利かない。思い通りの力が出ない。

 なんだよ、これ……

 

「や、やめろ……中身はボクだぞ」

「それはそれ! これはこれ! へーぇ、身体の反応は中身と関係あるんだー。ってことはやっぱり、身体は正直というのは、本当は精神的に受け入れてるってことなのかー」

「だからやめろって……ひゃぅっ!」

 

 なんか変な声が出た!

 こ、こんな声も出るのか、小鈴……妙に艶っぽかったな……

 いや、そうじゃなくて。早く、こいつをどうにかしないと、身体がどうにかなってしまいそうだ。

 だ、誰か、助け――

 

「もうみのりちゃん! やりすぎ!」

「ぐぇっほ!」

 

 ――て、くれたな。

 ボクの身体の小鈴が、実子の首根っこを掴んで引っ張ったようだ。

 実子は一瞬、凄い白目を剥いて、潰れた蛙みたいな声を上げながら後ろに引き倒された。とても女とは思えない醜い顔と声だったな。ざまあみろ。

 そして、ボクを救ってくれた当の小鈴はというと、地面に叩きつけられた実子を心配そうに見下ろしながらも、自分の腕を驚きの顔で見つめていた。

 

「わっ、すごい力……! 霜ちゃん! 霜ちゃんって力持ちだね!」

「いや、むしろ非力な方だと思うけど……」

「それに身体がすごく軽い! 全然引っ張られないよ!」

 

 ぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねる小鈴。なんか、変に躍動的だな。

 

「引っ張られる?」

「あつつ……水早君も、ジャンプしたらわかるよ」

「? ジャンプ?」

 

 起き上がった実子に言われた通り、軽く跳び上がってみる。

 すると、

 

ぐわんっ

 

 という擬音が鳴ったことだろう。

 ジャンプしたことで力学的な力が胸部に働き、その上下運動に引きずられたボクは着地に失敗した。

 

「っ……!」

「ほらね」

 

 実子がまた嫌な笑みを浮かべている。気持ち悪いしムカつく。

 それはそれとして、そ、そうか、胸か……お、思い切りぐわんって言ったぞ。プルンとかブルンとか、そんな可愛いものじゃなかったぞ!?

 クソッ、兄貴の参考資料も大概嘘ばっかりじゃないか!

 それに小鈴も、こんなものと毎日付き合ってるだなんて、凄いな。動くだけでバランスが崩れる。

 

(痛い……しかもなんか、胸のあたりの布がずれた感覚が……)

 

 とりあえず起き上がる。なんだか、凄い違和感が残るな。不快感と言う方が正しいかもしれない。

 衣服のずれは正すべき。でも、これはどこがずれたんだ? そもそも、どうやって直すんだろう。

 そう思いながらずれたっぽいとことに触れて、むにゅりとした柔らかさが指に伝わった直後。

 思い出した。

 これが、小鈴の身体であることを。

 

「……!」

 

 やば、触ってしまった……!

 入れ替わっているから小鈴の身体だけど、それでも中身はボクだ。

 それを、友人の身体を。

 

「ご、ごめん小鈴! ボク、君の身体を――」

「わーい! 身体が、軽いー! まるで羽のようだよ!」

「…………」

 

 なんか急に目が覚めた気がする。いや、冷めたという方が正しいかもしれない。

 なにしてるんだこの男は。いや、小鈴だけど。ボクの身体だけど。

 

「小鈴さんなら、さっきから(フント)みたいに走り回ってます……」

「あんな風にはっちゃけた小鈴ちゃんを見るのも珍しいね。見た目が水早君だけど、そのせいで余計にシュールだね」

「……そんなに、あのデカいの……嫌、だったのか……」

「解放感があるのが新鮮なんじゃない?」

 

 解放感、ね。

 まあ、今のこの身体ならよくわかる。確かにこれは、重い。邪魔だ。動きづらくて不自由極まりない。

 ボクも早く元の身体に戻りたい……

 

「ところで水早君」

「なんだい?」

「小鈴ちゃんの胸ほどじゃないにしろ、男の子にもモノがぶら下がってるわけだし、そういう意味では走りにくいと思うんだけど、それについてはどうなの?」

「今日の君は本当に下品だな!」

「あ、ごめん。まだ中一だもんね。小鈴ちゃんはあり得ないほど大きいけど、普通は小さいもんね、ごめんね」

「いい加減黙らないと、その減らず口を縫い付けるぞ」

 

 いちいちボクの逆鱗に触れるな実子は。

 色んなことに寛容なつもりだけど、ボクにだって踏み込んでほしくない領域はあるんだ。

 

「ところで……これ、このままだと……真面目に、やばいんじゃ……」

「ねー。お通夜な空気が嫌で茶化しまくったけど、現実問題、今日中になんとかしないと、本当にお風呂も着替えもトイレも全部筒抜けになっちゃうよ」

「それは……困るな」

「自分のちんけなオトコノコが見られるのが?」

「元の身体に戻ったら覚えてろよ実子。(おまえ)をボク専用の針山にしてやる」

「ボク専用の○○って、なんかエロ同人っぽいね」

「今日のみのりこ、つよい……メンタル、つよい……」

 

 まったく恋の言う通りだ。

 元からタフな奴だとは思ってたけど、なにを言ってもなにをしても立ち上がる。

 不撓不屈とはこのことか。

 

「でもほんとにさー、まずいよねー。水早君、ブラの付け方とか知らないでしょ?」

「ボクを舐めるなよ。それが美しく見せるために必要な服飾なら、着こなしてみせるとも」

「ふっ、舐めてるのはそっちだよ。小鈴ちゃんが毎回服を着るのにどれだけ手こずっているのかを知らないでしょ?」

「それは……いや、だが、ボクだって小鈴と一緒に服を買いに行ったんだ。それくらいは知ってるさ」

「それって知識としてでしょ? 実際に見てないんじゃ意味ありませーん!」

「そのひねりのない煽り、普通にムカつく……!」

「普通に体育の着替えもいいけど、プールの時が最高だよね。周りの目を気にしながら隠れて着替えるんだけど、まあ見た目はデカいし、動きもとろいし、隠しきれてないのがいいんだよ。最後に調整する時なんかは鼻血出そうになるね」

「調整?」

「男の子にもオトコノコのポジションがあるように、女の子にもそういうベストポジがあるのさ。しかも上と下にそれぞれで二ヶ所。いや、上は二つだから三ヶ所かな?」

「今更だけど、君は大概、女を捨ててるよね」

「気にしたことないね! 基本的には面倒くさいことの方が多い気がするし。まあ、小鈴ちゃんと一緒にお風呂入ったり着替えたりトイレ入ったりできるのは利点だけどね」

「トイレは一緒じゃないだろう……」

「あー、だから林間学校は楽しみだよ! 小鈴ちゃんはどれくらい成長してるんだろう! わっくわくが止まらないね!」

「なにを言ってるんだか、君は」

「そりゃ勿論、その身体についてだよ」

 

 つん、とボクの胸をつつく実子。

 たったそれだけだが、その一瞬で、かぁっと熱が顔に上って行くのが分かった。

 

「っ、この……! 隙あらばそういうことするな! 君は下劣を極めすぎだ!」

「あははー! 一番は揺るぎなく小鈴ちゃんだけど、水早君もわりと面白いよね」

「うるさいよ。いい加減にしないと、ミシンで縫うぞ」

「大丈夫だって。小鈴ちゃんの身体だからこうして遊んでるだけで、普段の水早君にはそんなに興味ないから!」

「……小鈴も大変だな、本当に」

 

 この身体も、その服も大変だけど、一番厄介なのは実子(こいつ)だろう。よくこんなのと一緒にいられるな、小鈴は。その器の大きさは素直に尊敬する。

 と、その時。

 バサッ、と羽ばたく音。

 そして、

 

「小鈴!」

「あぁ、来たか……」

 

 例の鳥類がやって来た。

 やっと来たよ。この鳥類をここまで待ち望んだのは初めてだ。

 

「おう鳥肉。クリーチャーは見つかったの?」

「見つかったとも。というか、もうすぐそこまで来ている!」

「え?」

 

 と、言われた直後。

 暗雲がボクらを覆った。

 いや、暗雲じゃない。これは――

 

「な、ろ、ロボット……!? なんてチープな!」

 

 というか、恐らくクリーチャーだ。恐らく、といまいち確信が持てない理由は二つ。

 一つは、その身体が見たこともないような、四角いロボット型になっているから。なんとなくデザインがメカメカしい。

 そしてもう一つは、デザインはメカメカしいけど、身体は寸胴かつ扁平な直方体。腕と脚は細い棒のようで、口は裂けるどころか横一文字に切れて、パカパカしている。

 こんなの、兄貴の持ってる漫画で見たことある気がする。

 

「ロボット(?)型のクリーチャーか。憑依するだけじゃないんだね」

「あぁ。あれはきっと、あのクリーチャーにとって最適な姿なんだよ」

「いやいや、どう見てもお菓子の空き箱っていうか、あれバルカ――」

『黙せよ、脆弱な人間どもよ』

 

 巨大な空き箱――もとい、ロボット型のクリーチャーが声を発する。

 喋れるんだ、あの口で……

 

『我は最終兵器を呼び覚ます者なり。貴様らのような、愚かで弱い人間どもを殲滅し、新たな星を築く者なり』

「なんか凄いラスボスっぽいこと言ってるよ!? あのお菓子箱!」

「菓子の空き箱で、あんなに大きくなるものなのか?」

「うーん、どうやら僕らが奴を取り逃がした隙に、力を溜め込まれてしまったようだ」

 

 菓子箱とはいえ、あれだけ巨大だと、威圧感が……あんまりないな。

 ただ言ってることとサイズは今までのどんなクリーチャーよりも壮大だ。

 それに、向こうから来てくれたのなら話は早い。

 

「実子、小鈴を呼んでくれ。たぶんこいつを倒せばボクらの身体も元に戻る」

「でも小鈴ちゃん、どこかに走って行っちゃったよ」

「なんだって!?」

 

 言われてみれば、確かにいない。どれだけボクの身体に喜んでるんだよ!

 ユーと恋も小鈴のところに行っちゃったのか……どうしたものか。

 

「さぁ小鈴! いつも通り行くよ」

「いやちょっと待て、そこの鳥類。ボクは小鈴じゃない。入れ替わっているのは君も知っているだろう?」

「うん? あぁ、そういえばそうだったね。でもまあ、それが小鈴の身体なら関係ないよ。そうら」

「ちょっとは人の話を聞け!」

 

 ボクの叫びも虚しく響くだけ。小鈴の苦労が、少しだけわかったよ。

 身体だけじゃなくて、周りにも振り回されるなんて……苦労してるんだね、小鈴は。

 一瞬の輝きの後、肌で感じる布の感触が変化していることに気付く。

 

「あぁ、この格好か……見てる分には子供っぽいとしか思わなかったけど、なんか、自分で着ると妙に恥ずかしいな……」

『そこの奇妙な力を使う小娘は、我が『人類滅亡及び地球再構築計画』最大の障害になると判断した。よって、早急に抹殺する』

 

 今までにないくらいヤバいことを言ってる菓子箱ロボットは、高度を落としてこちらを見据えている。いや、適当な目だから、ちゃんと見えているのかはわからないけど。

 小鈴の身体で、クリーチャーと対戦。

 そんな奇妙なデュエマが、始まってしまった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 さて、始まってしまったな。菓子箱ロボットとの対戦が。

 というか、あのクリーチャーは一体なんなんだ? ボクらの心身を入れ替える能力に、人類滅亡なんて物騒な言動、子供の工作みたいな姿。

 ……まあ、なんでもいいか。じきわかるだろう。

 

「《ラウドパーク》をチャージ。2マナで《聖邪のインガ スパイス・クィーンズ》を召喚」

「《スパイス・クィーンズ》……ゴッド・ノヴァOMG(オメガ)か。ボクのターン」

 

 カードを引き、手札を眺める。

 この身体は小鈴のもの。ということは、つまり、

 

(これも小鈴のデッキ……何度も見てるし、何度も相手してるけど、実際に自分で動かすのは初めてだ。動かし方は知識として知っているとはいえ、感覚が掴めない……)

 

 いわゆる、デッキが馴染む、というやつだ。

 そんなものはオカルトだけど、ボクがこのデッキの詳細なレシピを知らないのは確かだ。投入されているカードの枚数や種類を完全に把握、理解していないから、どのタイミングでどのカードを切ればいいのか、あるカードを引きたい時の期待値や、なにに頼れば勝ち筋を辿れるのか。そういった諸々が、掴みきれない。

 それに小鈴はデッキカラーやコンセプトは変えてないけど、対戦するたびに細かいところのカードを入れ替えてるみたいだしね。この前も《ロマノフ・シーザー》や《アクアン・メルカトール》を当てて、相性がよさそうだからデッキに入れたい、って言ってたし。

 デッキ構築、調整に積極的になったのはいいことだが、この状況ではあまり良い方向には働かないな。

 しかしとりあえず、基本的な動きはわかる。《クジルマギカ》と《狂気と凶器の墓場》で《グレンモルト》に繋げばいいんだ。

 初動の動きくらいは、理解しているとも。

 

「《【問2】 ノロン⤴》を召喚。二枚引き、二枚捨てるよ。捨てるのは《クジルマギカ》と《リバイヴ・ホール》だ。ターンエンド」

 

 

 

ターン2

 

???

場:《スパイス・クィーンズ》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:0

山札:29

 

 

小鈴in霜

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:2

山札:26

 

 

 

「我がターン。《スパイス・クィーンズ》の能力によって、ゴッド・ノヴァOMGのコストを1軽減。3マナで《神滅右神ラウドパーク》を召喚だ。山札の上から三枚を墓地に落とし、墓地の《サマソニア》を回収。ターンエンド」

「ボクのターン。二体目の《ノロン⤴》を召喚だ! 二枚引いて、《ドドンガ轟キャノン》《リバイヴ・ホール》を墓地へ。ターンエンドだよ」

 

 とりあえずそれらしいカードを捨ててるけど、これが正しい手なのかは、ちょっと自信ない。

 《リバイヴ・ホール》は便利だし、一枚くらい手札にキープしてても良かったか?

 

 

 

ターン3

 

???

場:《スパイス・クィーンズ》《ラウドパーク》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:2

山札:25

 

 

小鈴in霜

場:《ノロン⤴》×2

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:4

山札:23

 

 

 

「我がターンだ。《イズモ》をチャージ」

「ん? 《イズモ》?」

 

 ゴッド・ノヴァOMGで《イズモ》だって? OMGなら他にもシナジーするのはあるだろうに。最軽量中央(センター)(ゴッド)リンクとしての役割か?

 だとしても、スタンダードなゴッド・ノヴァOMGとしては珍しく感じる。

 いや、違うな。つまりはそれは、相手のデッキは、普通のゴッド・ノヴァOMGではないということだ。

 

「コスト軽減で4マナ、《光姫左神サマソニア》を召喚だ。リンクはしない。そして、自身が出たことで1ドロー」

「リンクもしない? なにを考えてる……?」

「ターンエンドだ」

 

 ここでさらに、リンクしない選択。ますます怪しい。

 まだなにを仕掛けて来るのかは分からないけど、警戒は怠らないようにしよう。

 

「ボクのターン。《クロック》をチャージして4マナ、《アクアン・メルカトール》を召喚だ!」

 

 早速入ってたよ、《アクアン・メルカトール》。

 まあ、ハンド供給だけでなく、墓地も肝要なこのデッキとは、確かに相性はいい。

 となると、《ロマノフ・シーザー》も入っているのか? 入っていない気がするけど。

 

「《メルカトール》の能力で、トップ四枚を公開する。さぁ、なにか来い!」

 

 捲られたのは、《魔法特区 クジルマギカ》《ボーンおどり・チャージャー》《リロード・チャージャー》《光牙忍ハヤブサマル》の四枚だった。

 おっと、これはこれは。

 

「想像以上にいいラインナップだね。光の《ハヤブサマル》、闇の《ボーンおどり》、火の《リロード・チャージャー》をそれぞれ手札に加えて、残る《クジルマギカ》は墓地へ。ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

???

場:《スパイス・クィーンズ》《ラウドパーク》《サマソニア》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:2

山札:23

 

 

小鈴in霜

場:《ノロン⤴》×2《メルカトール》

盾:5

マナ:4

手札:5

墓地:5

山札:18

 

 

 

「我がターン。では行くぞ、最終兵器起動準備開始」

「っ、なんだって?」

「5マナをタップ。出動せよ――我! 人類を殲滅するために!」

 

 五つのマナを集め、巨大な菓子箱ロボットから、黒幕が姿を現す。

 最終兵器を起動する者。その正体とは――

 

 

 

「――《最終兵ッキー》を召喚!」

 

 

 

 デッキケース、だった。

 両腕には近未来的な電磁砲(レールガン)。両目には計測器(スカウター)

 それは白いロボット型のデッキケース。

 

「あの菓子箱、デッキケースだったのか……」

 

 そもそも、名前からしてこいつが最終兵器なんじゃないか?

 いや、デッキケースがどうとかは、どうでもいい。

 《最終兵ッキー》か。一体、そのデッキでなにをする気なんだ?

 ……? なんか変だな。

 いつものボクなら、もっとなにかしら可能性を思い浮かべると言うのに、なにも浮かばない。

 というか、あのクリーチャー――どんな能力だったっけ?(・・・・・・・・・・・)

 

『我が能力で貴様のクリーチャーを山札の底へ送る。《ノロン?》よ、消えるがいい。そしてカードを引け。それ以下のコストのクリーチャーがいれば場に出せるが?』

「……出せるクリーチャーは、いないよ……」

 

 そうか、クリーチャーを入れ替える能力か。その能力で、ボクと小鈴の、身体と人格が入れ替わったわけだね。

 しかし低コストクリーチャーを除去されると、出せる幅が狭いな。このデッキは呪文も多いし、2コストのクリーチャーは《ノロン⤴》と《アツト》、そして《グレンニャー》がいるかどうか、ってくらいか。

 手札は増えたけど、クリーチャーを減らされてしまった。グレンモルトビートとしては、少しだけ痛いかな?

 

「ボクのターンだ……できることが少ないな。3マナで《リロード・チャージャー》を唱えるよ。《グレンモルト》を捨てて一枚ドロー。次に《アツト》を召喚。二枚引いて二枚捨てる。ターンエンドだ」

 

 

 

ターン5

 

最終兵ッキー

場:《スパイス・クィーンズ》《ラウドパーク》《サマソニア》《最終兵ッキー》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:2

山札:22

 

 

小鈴in霜

場:《ノロン⤴》《メルカトール》《アツト》

盾:5

マナ:6

手札:4

墓地:8

山札:14

 

 

 

『我がターン、《イズモ》を召喚し、《サマソニア》とGリンク。さらにG・ゼロ。呪文《神の裏技ゴッド・ウォール》!』

「《ゴッド・ウォール》……!」

『指定するのは《ラウドパーク》だ。それにより、《ラウドパーク》は場を離れない。これで準備は整った。あとは兵器を呼び覚ますだけだ』

 

 《ゴッド・ウォール》による疑似的な無敵化。リンクしたゴッド。そして《最終兵ッキー》。

 なにをする気だ……?

 わかる気がするのに、まるでわからない。読めない。

 その時、兵器の箱が動いた。

 

『我で攻撃。その時、我が能力で《イズモ&サマソニア》を指定するが、リンク解除により、《イズモ》を山札の底へ送る。そして、そのまま我が変換の力は達成される』

 

 《最終兵ッキー》の能力は、味方にも使える。

 戻されたのはリンクしたゴッド。リンク解除で片方が残るけど、それだけじゃない。

 

『ゴッドのコストは合算で計算。ゆえに《イズモ》と《サマソニア》は共にコスト5、合計コストは10。即ち、コスト10以下のクリーチャーを一体、手札から呼び出す』

 

 場に並んだゴッド。そしてコスト10以下のクリーチャーの踏み倒し。極めつけは《ゴッド・ウォール》。

 知っているような知らないような、曖昧な感覚のまま、

 

『目覚めよ、起源の世界に君臨せし最後(第七)の神帝!』

 

 それらの儀式(シークエンス)を経て、最終兵器が発動する。

 

 

 

『最終兵器起動――《第七神帝サハスラーラ》!』

 

 

 

 それは、最終癖と呼ぶに相応しい神々しさと邪悪さを宿した、神龍にして邪龍なりし起源の神帝。

 どういうわけかこのクリーチャーの能力が思い出せない……いや、知らないのか? そんなはずはないと思うのだけれど……

 ……そうか。この身体は小鈴の身体だから、小鈴の脳にその知識がないのか。

 明らかにヤバいという気配は感じるんだけど、具体的にどうヤバいのかがわからない。

 普段のボクなら、もっと早くにそのヤバさに気付けたんだろうけど……いや、そんなことを言っても仕方ないな。

 今はこの絶望的な状況でなにができるのかを考えて、祈るしかない。

 

『《ラウドパーク》を《サハスラーラ》に進化! そして《サハスラーラ》の登場時、貴様の手札を二枚消し去る!』

「ぐ……っ」

『さらに、墓地の《ロラパルーザ》と《グラストンベリー》を回収。我が攻撃続行、シールドをブレイクだ!』

「トリガーは……ないか。できればここで止めたいところだったけど」

『我が最終兵器が止まるものか! 行け《サハスラーラ》! その攻撃時、相手クリーチャー一体のパワーをマイナス8000! 《アクアン・メルカトール》を消し去れ!』

 

 《サハスラーラ》の力によって、《アクアン・メルカトール》が蒸発した。

 まあ、どうせ出たら仕事はこなすし、それ自体は痛手ではないけど。

 直後に、二枚のシールドが砕け散る。

 

「これもトリガーなし……!」

『止められない、止まらない! 最終兵器は起動したら、機能停止することはない! すべてを蹂躙し、破滅へと導け! そして新たな世界を産み、支配者となるのだ! 攻撃後、《サハスラーラ》の能力により、《サハスラーラ》自身をアンタップ!』

「くっ。無限攻撃なんて、やってられないな……!」

 

 しかも《ゴッド・ウォール》で無敵化した《ラウドパーク》から進化しているから、その状態を引き継いでいる。つまり、《サハスラーラ》を退かすことは不可能だ。

 除去は当然ながら、攻撃後にアンタップするから、スパーク系の呪文も無意味。もっとも、このデッキにスパーク呪文が入っているとは思えないが。

 となると、止める手段は《クロック》と、アレだけか……

 

『再び攻撃だ! 《サハスラーラ》で攻撃し、《ノロン?》のパワーをマイナス8000! 消滅せよ!』

 

 今度は《ノロン⤴》が消し飛んだ。地味に盤面を削られるのも、反撃の芽を摘まれているようで痛い。

 そして残った二枚のシールドも、粉砕された。

 だけど、

 

「……S・トリガー!」

 

 来たか。

 正直、このカードが入っているところなんて見たことない気がするんだけど、なんでか入っていることを知っていた。それも四枚。

 それは小鈴しか知りえない情報。このデッキの中身を、知識として知っている小鈴の記録。

 ここまで見えていないカードだから、期待値的にはシールドに一枚くらいあってもいいはず、と計算したけど、当たってて良かった。

 小鈴の身体を得たボクは、本来知ってるはずの相手のカードのことは知らないけど。

 本来知らないはずの、このデッキのことなら知っている。

 さぁ、最終兵器なんて物騒なものを止めてしまおうか。

 

「《崇高なる智略 オクトーパ》! 《サハスラーラ》を拘束させてもらうよ!」

 

 場を離れない。寝かせられない。だけど、それだって完全じゃない。

 その進撃を止めるだけなら、他にも手はある。

 そう、こうやって、拘束したりね。

 

『小癪な……! だが貴様のシールドは残っていない。《サマソニア》でとどめだ!』

「《サハスラーラ》には無意味だったけど、こいつを忘れてもらったら困るよ。ニンジャ・ストライク! 《ハヤブサマル》を召喚! ブロックだ!」

『ぬぅ、ターンエンド……』

 

 《メルカトール》には感謝だ。なんとかこのターンを耐え凌ぐことができた。

 とはいえ、

 

「だいぶ場をボロボロにされたな……」

 

 シールドはゼロ。手札は削られ、場のクリーチャーも半分に減らされた。

 《サハスラーラ》は場を離れないし、苦しくはある。だけど、

 

「ボクのターン。2マナで《アツト》を召喚、二枚引いて二枚捨てるよ。さらに5マナ、《狂気と凶器の墓場》! さらに二枚落として、墓地からコスト6以下のクリーチャーを戻す! さぁ来い!」

 

 まだ敗北を感じるほどじゃない。

 小鈴の選んだカードには、希望が宿っている――

 

 

 

「――《魔法特区 クジルマギカ》!」

 

 

 

 大洋を進む、生きた魔法の艦艇。

 その一隻目が、姿を現した。

 

「《アツト》からNEO進化して、《クジルマギカ》に!」

 

 さて、頭を整理してたら、このデッキについてだいぶ“思い出した”よ。

 グレンモルトビートだと思っていたけど、今回のデッキはこっちに寄せているみたいだ。なら、動きを徹底的に尖らせてやろう。

 

「なんだか攻めたい気持ちがあるけど、ここは一旦“待ち”だ。《クジルマギカ》で《最終兵ッキー》を攻撃! その時、能力発動! 墓地から《狂気と凶器の墓場》を再度唱える!」

 

 再びトップ二枚を墓地へ。

 そしてまた、墓地のクリーチャーが蘇る。

 小鈴なら《グレンモルト》を戻すだろう。だけど、相手のトリガーには《オラクルジュエル》が見えている。

 それなら《ガイギンガ》の疑似アンタッチャブルに頼った強引な攻めより、一度待つのが最善のはず。

 だから、

 

「墓地から二体目の《クジルマギカ》を呼び戻す! こっちはNEO進化しないよ!」

 

 復活(リアニメイト)させるのは、《クジルマギカ》だ。

 このデッキはどちらかと言えば呪文連射に寄せているみたいだしね。《オクトーパ》も入っていることだし。

 ……というか小鈴、いつの間に《オクトーパ》を買い集めたんだ? 安く売ってから、か?

 まあいいか。

 

「とりあえず攻撃続行だ。どうする?」

『その攻撃は通す……ぐわぁぁぁぁぁ!』

 

 《クジルマギカ》の砲撃が、《最終兵ッキー》の身体を貫く。《最終兵ッキー》は断末魔の叫びを上げ、爆発。

 うん、なんだかロボットアニメを見ているような気分だ。

 

「くっ、しかし、我を倒そうとも、最終兵器は、《第七神帝》は倒れんぞ……!」

「わかってる。だから縛るのさ。《オクトーパ》で《サマソニア》を攻撃! その時、能力で《サハスラーラ》を拘束だ!」

 

 《オクトーパ》の呪詛が、《サハスラーラ》の肉体を拘束する。

 これでもう一回休みだ。

 

「ぬぅ、またしても……!」

「さっきと同じさ。倒せないなら縛りつければいい。君も抑えつけられる苦しさを体感するといいさ。そしてNEOクリーチャーの攻撃時、二体の《クジルマギカ》の砲門も開く! 援護射撃だ、受け取れ!」

 

 墓地に落とした二枚の呪文の呪文を拾い上げ、《クジルマギカ》の砲台へと装填する。

 そして――放つ。

 

「《超次元リバイヴ・ホール》! 《ハヤブサマル》を回収して《ガンヴィート》をバトルゾーンへ! さらにもう一発! 《トライデン》を回収して、《勝利のリュウセイ》! 《ガンヴィート》の能力で《サマソニア》を破壊!」

 

 攻撃途中の《オクトーパ》は、攻撃対象がいなくなって攻撃中止。

 失った手札を取り戻して、戦線拡大。さらに相手の場もかき乱せた。これでだいぶ、戦況を盛り返せたかな。

 

 

 

ターン6

 

最終兵ッキー

場:《スパイス・クィーンズ》《サハスラーラ》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:3

山札:21

 

 

小鈴in霜

場:《クジルマギカ》×2《アツト》《オクトーパ》

盾:0

マナ:7

手札:4

墓地:13

山札:11

 

 

 

「ぬぅ、惰弱な人類が邪魔しおってからに……! 《ロラパルーザ》を召喚! 《オクトーパ》をフリーズし、ターンエンドだ!」

「そりゃあ人類滅亡なんて言われたら、ボクらだって抵抗するさ。拳には自信がないから、智慧を使わせてもらうけど」

 

 すぐにボクのターンが返ってくる。

 打点は十分だけど、トリガーが少し怖いな。このターンで決められるだろうか。

 まあ、トリガーも考慮して、やるしかないか。

 

「2マナで《ノロン⤴》! 二枚引いて二枚捨て、5マナで《インフェルノ・サイン》だ! 墓地の《放浪宮殿 トライデン》を復活! 《ノロン⤴》からNEO進化! 三枚ドローして、二枚捨てるよ」

 

 とにかく怖いのは《サハスラーラ》だ。シールドがなくなった以上、あいつを止めることはできない。

 だけどもう、奴に神の加護はない。なら、最終兵器(第七神帝)には退場してもらおう。

 

「《トライデン》で攻撃! 能力で《サハスラーラ》を手札に戻す(バウンス)!」

「ぐっ、お、おのれえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 

 《トライデン》の生み出す大渦が、《サハスラーラ》を飲み込む。

 コスト10という巨大なクリーチャーだ。白黒に無色を加えたあのデッキじゃ、素出しはほぼ不可能。《最終兵ッキー》にリンクしたゴッドもいないんじゃ、怖くはない。

 それに、それだけじゃない。

 

「まだ終わらないよ! 《クジルマギカ》の砲門開錠だ! 撃て! 《ドドンガ轟キャノン》! 《狂気と凶器の墓場》!」

 

 《トライデン》はNEOクリーチャー。だから、《クジルマギカ》の砲門が開く。

 揺蕩う大型艦艇に寄り添う駆逐艦が、露払いに装填された魔法を放つ。

 

「《ドドンガ轟キャノン》で《ロラパルーザ》を破壊! 《狂気と凶器の墓場》で、さらに来い! 《クジルマギカ》! 《アツト》からNEO進化!」

 

 リンクする恐れのあるゴッドは消して、さらに三体目の《クジルマギカ》だ。

 このデッキにトリガーを封殺する類のカードはなさそうだし、このまま攻め切ってしまおう。

 

「攻撃続行だ! 《クジルマギカ》で攻撃する時、三体の《クジルマギカ》能力が同時発動! 呪文の三点バーストだ! 《リロード・チャージャー》! 《超次元ボルシャック・ホール》! 《インフェルノ・サイン》! 」

「ぐぬぬぬぬ……おのれおのれおのれぇ!」

「《リロード・チャージャー》で一枚捨て、一枚ドロー。《ボルシャック・ホール》で《スパイス・クィーンズ》を破壊して、《キル》と《マティーニ》をバトルゾーンへ! 最後に《インフェルノ・サイン》! 7コスト以下のクリーチャーを呼び戻す!」

 

 次々と呪文が乱れ撃たれる海域にて、さらなる援軍がやって来る。

 トップ二枚を落として、水底より這い上がるのは、

 

「これが四体目――最後の《クジルマギカ》だ!」

 

 四体目(最後)の《クジルマギカ》。

 正直、オーバーキルだと思う。そもそも呪文も切れて来た。山札も一周して残り少ない。どうやら、ここまで連射するつもりはなかったようだ。

 グレンモルトビートのプランもあるから仕方ないとはいえ、小鈴もまだまだ練り込みが甘いな。

 まあ、この呪文に寄せ、連射と展開を連打する構築は、わりとボク好みだけど。

 

「続けて攻撃! 《クジルマギカ》で攻撃する時、能力で呪文を唱えるよ。《狂気と凶器の墓場》《ボルシャック・ホール》。《グレンモルト》と《ジョンジョ・ジョン》を出しておこう。Wブレイク!」

 

 最初の《クジルマギカ》で二枚をブレイク。続く《クジルマギカ》も、呪文を連射しながら、相手の身を守る盾をも撃ち抜く。

 ここで何事もないといいが……

 

「ぐ、ぬ……なにも、ない……!」

「《オラクルジュエル》の一枚くらいはあるものと思ったけど、なかったか。なら、これで終わりだね」

 

 よし、何事もなかったな。

 まあ、最終兵器を潰された悪の親玉は、成す術なくやられる宿命(さだめ)だ。

 それが、主人公の進む王道な結末ってものだろう?

 ……まあ、だけど、

 

「君は迷惑極まりないことをしでかしてくれたが、正直なところ、ボクは少しだけ君には感謝している」

 

 混沌を生む行いを、破壊的な思想を、結果を予想して悪と断ずるのは簡単だが。

 そこまでの過程には、個人的な所感だけれど、思うところがないわけではない。

 《最終兵ッキー(こいつ)》の引き起こした事件で迷惑を被ったのは確かだけど、それでも、これは貴重な経験だった。

 この経験は、ボクに一つの答えを導いてくれたのだから。

 

「こうして実際に女の子になってみてわかった。やはりボクは――“女の子になりたいわけじゃない”」

 

 ボクがずっと抱えていた悩みの種。決して取り除けないと、解決しないと、理解できないと思っていた。だけどそれを、どうにかして掴もうとしたものだが――とんだ形で、解消されてしまったよ。

 ボクは女の子になりたいのか、可愛くなりたいのか、それとも別のなにかか。それがずっとわからなかった。

 そのせいで、小鈴たちに迷惑をかけたこともあったし、社会の規律に、人の倫理に反するようなこともした。

 そんなボクの人生の永遠の命題の一つが、実際に経験して初めて、ハッキリしたよ。

 女の子の身体。瑞々しくて、柔らかくて、肉感的で、か細く、けれども綺麗な、生命力溢れる肉体。

 それは非常に魅力的なものだが、しかし少なくとも、ボクがなりたいものじゃない。

 それに、

 

「いくら身体が変わっても、ボクがボクであることに変わりはないんだ。ならボクが目指すべきは、女の子なんていう形式ばった枠組みじゃない。形だけの、見てくれだけのものじゃない」

 

 それがわかったのは収穫だ。人生をかけて探るつもりだったことが、こんな奇怪な事件であっさりと判明してしまうのはどこか癪だが、まあ、これも小鈴の繋いでくれた縁だ。いいものと受け取っておこう。

 それにボクの人生の課題は、これだけじゃないしね。

 

「まだまだわからないことだらけだけど、探求は終わらないし、楽しい……君はその糧となってくれた。そのきっかけをくれた。その点だけは感謝する。けど」

 

 それだけなら好意的になれたんだけどね。ただボクに女の子の身体を与えただけなら。

 地球滅亡なんて許容できるはずもないけど、相手は人外のクリーチャーだ。むしろこれくらいが当たり前とさえ言える。

 ボクがこのクリーチャーに向ける怒り。それがあるとするなら、そう。

 

「取り換える人間を間違えたね――ボクの友達(小鈴)と入れ替えたのが、運の尽きさ」

 

 よりもよって、小鈴と入れ替えるだなんて。まあ、巻き込まれたのはボクの方だけど。

 ……ボクが小鈴に、彼女(リンちゃん)の面影を見たからなのか。純粋に、ボクを受け入れてくれた友達だからなのか。それはわからないけど。

 大切な友達の、大事な身体を無碍にされたのは、許し難い。小鈴と入れ替えたのが、恋やユーならここまで怒りはないけど、ボクという偶然なる選択は、大きな失敗だ。

 なにせボクは――“男”だからね。

 

「その土手っ腹に穴を空けてやろう。ボクは君らの本来の主人ではないけど、やってくれるね?」

 

 今更すぎる確認だけど、彼らは頷いてくれた。

 いい返事だ。それなら、これで締めとしよう。

 ボクなりの、最大限の感謝と怒りの弾を込めて――撃て。

 

 

 

「《魔法特区 クジルマギカ》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「まったく、昨日はとんでもない目に遭ったな……」

 

 翌日。

 見事クリーチャーを退治して、地球は滅亡の危機から救われ、ボクらの心と身体も元通りになった。めでたしめでたしのハッピーエンドだ。

 クリーチャーの事件なんて、今までいくらでもあったけど、その中でも断トツで凄まじい事件だったよ。相手の目的も含めて。

 しかしまさか、実際に女の子になるとは思わなかった……あれは小鈴の身体だったわけだけど。

 

(まあでも、あれが、昔のボクが目指していた“理想”なんだよな)

 

 あくまで、目指していた、だけど。

 その理想は過去のものだ。今を生きる、ボクの未来には、やっぱり必要のない幻想だった。

 だけどその幻想が、ボクを正しい道へと導いてくれた。

 ふと、彼女の映ったフォトフレームを、指でなぞる。

 

「リンちゃん。ボクは、女の子になるのは無理そうだよ。だからせめて……女の子“らしく”なろうと思う」

 

 まだ、それが正しいのかはわからないけれど。

 ボクの身体は、どんどん男になっていくけれど。

 とりあえずの目標は、らしく、可愛く、だ。

 部屋着を脱ぐ。シャツを一気にめくり上げる。引っかかるものはなにもない。素晴らしいな。

 だけど小鈴は、こういう着替え一つでも苦労してるんだろうな。昨日も、そして今日も、明日も。

 

(そういえば、リンちゃんも割と胸はある方だったっけ)

 

 その可愛さに見惚れ、憧れ、目指していたから、大人でも、男でも、ましてや女でもない、子供だったボクは女性の体つきなんて、全然気にしていなかったけれど。

 昨日の一件で、よりそれを意識するようにはなった。

 ボクも、どうしようもなく男なのか。信じたくはないけどね。

 いやでも、若とかの反応と比べると、やっぱり違うよな。ボクは異端者なのか?

 まあ、どちらでもいいか。そんなことはどうでもいい。

 ボクが考えるべきは、そういうことじゃない。

 

「今度、胸の大きい女の子でも着れるような、可愛い服を見繕ってみるかな」

 

 自分でなってみて、少しだけ感覚がわかった。これからはもっと、あのクソダサセンスに対して、いいアドバイスが出来そうだ。

 結構締め付けられる感覚があるから、ゆったりめの服の方が楽だよね。身体のラインとか、凹凸はあまり出すと品性を損ないそうだし。

 だけどあのスタイルは絶対に魅力なんだよなぁ。本人が嫌がるから無理強いはしたくないけど、上手いこと小鈴の可愛さを、個性を引き出しながら、なんとか合わせられないだろうか。

 胸元の露出を上手く調整する? ベルトでバストアップ部分を強調するのも手か? ならトップスはシンプルにして、ボトムスはどうしたものかな……

 と、クローゼットから服を引っ張り出しながら、コーディネートを考えていると、ガチャリと扉が開いた。

 

「おーい霜! この前、お前に貸したカードなんだが……」

「ちょっ……! 兄貴! 着替え中だ! 勝手に入って来るな!」

「おぉぅ、悪い」

「ノックぐらいしてくれ」

「なんかお前、ギャルゲーのヒロインみたいなこと言い出したな……」

 

 兄貴だ。真ん中の方の。

 思えば、この兄貴なんだよな。リンちゃんを失って、塞ぎ込んでいたボクの危うさを察して、剣埼先輩たちに助けを求めたのは。

 そういう意味では、兄貴には感謝しなくちゃいけないのかもしれないな。今のボクの縁を繋いだ功労者として。

 まあそれとこれとは別だけど。人の着替え中に入って来るなんて、どういう神経してるんだ。

 

「まったく、デリカシーと注意力、そして想像力の欠片もないな、兄貴は。そんなんだから彼女の一人もできないんだよ」

「余計なお世話だ、ほっとけ。ところでこの前のカード返してくれよ」

「あぁ、そうだなぁ……帰ってからでいい? これから出かけるんだ」

「出かける? どこにだ?」

「友達と遊びに行くんだよ」

 

 そう、友達だ。

 兄貴が繋いでくれた、ボクの大切な友達。

 彼女は、ボクに女の子という存在を、肉体を、感覚を教えてくれた。

 そして、ボクの進むべき道に立って、寄り添い、一緒に進んでくれる、大切な友達。

 兄貴を追い出して、服を着て、荷物を確認して、鞄を持つ。カードは……まあ、帰ったら素直に返そう。

 まだ時間は大丈夫そうだけど、もう出ちゃうか。

 

「おっと、忘れるところだった」

 

 扉に手を掛けたところで思い出す。

 ボクの机。大切なフォトフレームの隣にある、二重輪(デュアルリング)(シルバーカラー)腕輪(ブレスレット)

 彼女からの、大事な贈り物。

 子供っぽいし、ダサいし、センスはないけど。

 彼女(リンちゃん)と同じくらい、ボクには眩しい。

 それは、ボクにとって、もう一つの太陽なのかもしれない。

 

「これでよし、と」

 

 ブレスレットを付け、これで万全だ。

 ……リンちゃん。あなたがいなくなって、悲しいし、寂しいけど、ボクは元気です。

 自分の在り方にはまだ悩んでいるけど、それでも、昔よりもずっと前向きになれた。

 それは、ボクを支えてくれたあなたのお陰。そして――

 

「じゃあ――行ってくるよ」

 

 

 

 ――友達(小鈴)のお陰だ。




 スルッと小鈴のグループにいるから忘れそうになりますが、霜って彼女らの中でほぼ唯一の男なんですよね。口調がわりと男(というか少年?)らしいので、まあ女の子らしいかと言われると、そうでもないんですが。
 性別はわりと霜にとってはデリケートな問題なので、触れ方が難しいですね。彼の初登場回でも、結構ぼかした描写になってしまいましたし。
 次回はチョウ姉さん暴走回にしようかなぁ、と考えています。では、誤字脱字感想等々ありましたら、お気軽にどうぞ。


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番外編「妹が欲しいのよ!」

 番外ラッシュの三回目は、不思議の国の住人から、蟲の三姉弟のお話です。
 時系列的には、33話と34話の間くらい。幼児連続殺傷事件の真っ只中になります。


 こんにちは、『木馬バエ』です――今は陸奥国縄太(むつのくにじょうた)と名乗るべきなのか? まあ、どっちでもいいし、どうでもいいか。

 ここは学校という、閉鎖的で秩序的な、牢屋のような空間。長い時間、仕事という勝手に決められた役割を押し付けられ、拘束される、地獄のような場所だ。

 そして今は、昼休み。腐葉土の上で寝転がるような、僅かばかりの休息の時。

 いつもなら虚無的な休憩時間でしかないけれど、今日はいつもよりも有意義な時間を送れている。

 というのも、偶然ながら、校舎内で兄さんと出会えたのだから。

 最初は他愛ない話をしていただけだけど、ふと兄さんは“先日の事件”について、私に尋ねた。

 

「――それで、先日の暴走はどう終結したのだ?」

「あぁ、兄さんは連中を押し留めていたから、結末までは知らないんだったね。死ぬほど面倒くさいことになってたよ。まあ、あのまま続けてたら、殺されそうなほど面倒なことになってたろうけど」

「大事にならなかったのは僥倖であろうが、姉上の奇行はどこまで発展したのやら」

「気になるの?」

「うむ。姉上が無事、帰還せしめた故に歓喜のあまりその場では気に留めなかったが、後にふと、貴様が如何にして姉上を説き伏せたのか、疑問を覚えた」

「別に大したことはしていないよ。兄さんがよくやる方法と、さして変わりはない」

「なに? まさか貴様、姉上を殴打したというのか!?」

「真っ先に思いつくのがそれかよ。別に殴っちゃいないけど、でもまあ、強硬手段って意味では、そんな違いないかなぁ。舞い上がった姉さんは人の話聞かないから、無理やりになるのは仕方ない」

「ふぅむ。では、どのように? 貴様が姉上を追走した後、なにがあったのだ?」

「うん。それはね――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「妹が欲しいのよ!」

 

 

 

『……は?』

 

 あまりに突拍子のない、そして意味不明な姉さんの発言に、兄さんと私の声が、思わずはもった。

 今日も今日とて、いつものように『燃えぶどうトンボ(兄さん)』や『バタつきパンチョウ(姉さん)』と一緒に、虫けらライフを送っていた……ところだったんだが。

 姉さんが、いきなりわけのわからないことを言いだした。

 バタつきパンチョウの姉さんは、私たちとは違う、第三者――神の視点を持っている。それゆえに時折、私たち常人(虫だけど)には理解の及ばない視点や考えで物事を語ることがあるんだけど……今回に関しては、超越的観念という意味で意味不明なのではない。

 そう、言うなれば「こいつはなにを言ってるんだ?」というような類の意味不明さというか。言ってることはわかるけれど、その前後の文脈とか、その結論に至った過程とか、そういうものがすべてすっ飛ばされたことに対する困惑とか、そういうものだ。

 姉さんは反応が遅い私たちに向けて、再度、念を押すかのように言った。

 

「トンボ! ハエ太! (アタクシ)、妹が欲しいのよ!」

「ハエ太って呼ぶな」

「唐突にどうしたというのだ、姉上よ。妹君が欲しいなど」

「きっと疲れてるんだよ、姉さん。仕事なんて慣れないことしてるせいだ」

「違うのよ! お仕事は楽しいのよ! お給料は安いけど、アットホームでいい職場なのよ!」

「うん、その発言からはなんだか悪徳な企業の臭いがするね」

「そんなことはどーでもいいの! とにかく! 私は妹が欲しいのよ!」

 

 ……わけがわからない。

 なんか前にも、ウミガメちゃん相手とかにそんなことを言ってた気もするけど、ここに来ていきなりどうしたっていうんだ。

 

「弟よ。姉上が乱心だ」

「面倒なことに、そうらしい。頭の中身が腐ってないか不安しかないが、ちゃんと訳を聞いてみようか」

 

 よくわからないけど、とりあえずは荒ぶる姉さんを鎮めなければならない。

 そのためにも、姉さんがどうしていきなり「妹が欲しい」なんて世迷い事をほざき出したのかを、聞き出さないと。

 

「姉さん、なにがあった? どうして、妹なんて欲しがるの?」

「我々では不満か? 姉上」

「不満っていうか、勿論、トンボもハエも大事な弟だけど……私、気付いちゃったのよ」

「なにに?」

「トンボも、ハエ太も、どっちも男の子なのよ!」

 

 ……うん、そうだね。

 え? 今更すぎない? 確かに私たちにとって、性別なんて大した意味を持たないけど、だからって私たちの性別を今まで自覚してなかったなんて、そんなことあるか?

 そもそも、私たちが男だったら、なんの問題があるっていうんだよ。

 

「問題大アリなのよ!」

「姉さん、サラッと“眼”を開いて私の思考を読み取るのはやめてくれ。それで、なんの問題があるの?」

「だって! トンボやハエ太とじゃ、一緒にお風呂に入って洗いっこもできないし、一緒にお店に行って服を選んだり、お古の服を着せたりもできないし、「お姉ちゃん、着替え手伝って……?」とかも言ってもらえないのよ!」

『…………』

 

 ……なに言ってんだこの女。頭に蛆でも湧いたのか? それとも寄生虫か? いっぺん頭を切り開いて脳みそを洗い流した方がいいんじゃないか?

 さしものトンボ兄さんも絶句している。今日の姉さんは、波長が私よりもずっと近い兄さんでさえ黙り込んでしまうほど、妙なことを口走っているということか。

 

「……そ、そうであるな。我ら三人、運命を共にする虫けら三姉弟とはいえど、我々は男児であり、姉上は女子(おなご)の身。同衾は元より、裸体を晒すわけにもいくまい……破廉恥であるな……うむ」

「兄さん、ここは照れるポイントじゃない。姉さんの戯言を真に受けるな」

 

 姉さんがおかしなことを言うのはよくあることだし、いちいち真に受けていたら話にならない。

 だけど、今日はいつにも増して変だ。一体どうしたっていうんだ?

 

「確かに、私たちは虫けらの三姉弟だが、雌雄――男女の差がある。そして人間の姿を取ってしまっている以上は、倫理観というしがらみに縛られてしまっているわけだ。だからこそ、姉さんの要望には応えられないわけだけど……そもそも、姉さんはどうしてそんなことを求めるんだ?」

「そうであるな。我々では至らないところがあったか? であれば是正するが」

「そうじゃないの! そうじゃないのよ! ただ私は、妹がすっごく可愛くて、癒されるものだって気づいただけなのよ! だから、そういう子がいてくれたらなー、って思っただけなのよ」

 

 うーん……まあ、言ってることは、わからなくも……いや、やっぱりわからない。

 一体なにが姉さんをこんな風にしてしまったんだ。そんなに妹が欲しいのかよ。気に喰わん。

 

「トンボやハエ太だって、可愛い妹が欲しくない? 「お兄ちゃん」って呼ばれたくない? 私は「お姉ちゃん」って呼われたいのよ!」

「妹君か。確かに我らが同胞、姉弟にさらなる仲間が加えられるということであれば、それは喜ばしく、そして歓喜に値することだろうが……虚構や虚無なる存在から生み、自ら迎え入れたい、とまで思ったことはないな。ハエ、貴様はどうだ?」

「何度でも言うけど、ハエ太はやめろ。そして私も兄さんと同意見だ。そもそも、こんな手のかかる兄や姉がいるのに、その上、妹なんて面倒なものまで出て来たら、私が対応しきれなくなる。そんなものはいらないよ」

「なんて冷たいのよ! ハエ太の冷血漢! すっとこどっこい!」

「はいはい、私は冷たいですよ。どこぞの姉と兄が無駄に暑苦しいから、バランスを取らなければいけないものでしてね。それとハエ太はやめてくれ」

 

 いつものように、姉さんの悪口とも取れなさそうな子供っぽい罵倒を軽く受け流す。

 けど、流したところで姉さんの勢いは止まらない。

 今度は駄々をこねたように手足をジタバタさせ始めた。

 

「とにかく! 私は! 妹が! 欲しい! のよー!」

「ちょっと姉さん、そんなところに転がるなよ。子供じゃないんだから……」

「おぉ姉上! 姉上の高貴なる肌が晒されてしまっているではないか! 静粛に、そして貞淑に! 姉上、鎮まるのだ!」

 

 兄さんが必死で姉さんを宥めようとしてる。

 まったく、姉さんは身体ばっかり大きくなって、そのくせ中身は子供っぽいんだから。

 人間的にはいい年なんだから、私の手を煩わせないでほしいんだけど……

 

「やだやだやだー! 妹欲しい! 妹欲しいのよー!」

「暴れるなって、姉さん。餓鬼じゃないんだから……それに、そんなこと言われても、私たちにはどうしようもないよ」

「で、あるなぁ。妹君が欲しいとのたまわれても、我々は完全なる男児の身。上層を装うだけであれば、ハエが婦女子の出で立ちとなれば済む話ではあるが……」

「おい兄さん、サラッととんでもないことを言うな」

「それはそれとして見たいのよ! ねぇハエ太? 私のお洋服を貸してあげるから、ちょっと着てみない?」

「誰が着るか!」

 

 危ねぇ、こいつら油断も隙もないな……

 いくら私が自分にも他人にも頓着しないからって、女性の振りをするだなんて嫌に決まっている。

 それに、姉さんの服を着るとか……むぅ。

 

「しかし、根本的にはどうにもならぬ問題であるぞ、姉上。もはや我々に、新たな弟妹が産み落とされることはないのだからな」

「それはハートの女王様を“視た”姉さんが一番よく知ってる事だろう?」

「そうだけどぉー、そうじゃないのよー……そうだ!」

 

 ピコーン! と頭から電球でも発射しそうな勢いで、姉さんは飛び起きる。

 ……嫌な予感しかしないんだけど。

 

「実の妹がダメなら、義理の妹なのよ! そういうのもアリだって言ってたし!」

「誰がだよ」

「となれば善は急げ、なのよ! 待っててね、私の妹たち!」

 

 バッと立ち上がると、姉さんはそのままピューンと飛ぶように出て行ってしまった。蝶のようにひらひらと、ではなく、蜻蛉のように一直線に、蝿のように機敏に、すっ飛んで行ってしまった。

 

「姉上!」

「姉さん! ちょっと待てって――!」

 

 私たちが止めようとするも、それはあまりにも遅すぎた。

 もはや姉さんに私たちの声は聞こえていない。姉さんはどこかへと飛び去ってしまい、その姿は見えなくなる。

 

「……どうしようか、兄さん」

「さてな。何事もなければよいのだが……なにやら、不吉な予感がする。虫の報せだ」

「同感。私もだ。姉さんに限ってそんなことはないと思いたいけど、もしも“眼”が暴走したりしたら、姉さんが一番ヤバい」

「神の視座の代償だな。姉上の崇高にして偉大なる姉上だが、真なる神には敵わん。なにをするかも予想がつかん」

「周りに迷惑かけるくらいならまだしも、姉さん自身になにかがあってはいけないよね」

「うむ、それだけは絶対に阻止せねばなるまいな。我らが姉上のためにも」

「となると、私たちも動かないとな」

 

 これがどうでもいいことなら、放置の可能性もあったけど。

 もしも最悪の事態があるのなら。

 今まで恐れていたことが、起こってしまう。起こってしまったのなら。

 放っておくわけにはいかない。

 

「では、二手に分かれるぞ、ハエ」

「その方が効率的だしね。いいよ、じゃあ私は東側から探そう。兄さんは西から頼む」

「承った!」

 

 そんな感じで、私と兄さんは別行動を開始した。

 この時はまだ、姉さんのちょっとした気の迷いだと思っていたんだけど、後に思い知らされることになる。

 私たちは、舐めていたのだと。ずっとそこにあったせいか、その認識が薄れていたのだ。

 

 私たちの“複眼”に潜む、脅威を――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 銀の刃が煌めく。それはチープな文房具、ただの鋏だけど、なにかを切断し、断裁するという機能を持っていることに違いはない。

 続け様に鉄色の果物ナイフ。なんてことのない家庭的な道具だが、それは紛れもなく刃物。なにかを切り裂くことなど容易な凶器。

 多種多様で無尽蔵。様々な刃物が迫る中、私は走っていた。なぜかって?

 いくら常識外れに狂っている【不思議の国の住人】でも、こんなストレートに危険な奴は一人しかいない。

 ――『バンダースナッチ』だ。

 姉さんを捜索中に、ばったり彼女に出くわした。それだけなら「あぁ、今日はついてないな。不吉だから大人しくしていよう」くらいの気持ちでいられるのだけれど、今回ばかりは、本当についていなかった。

 どうやら彼女は不機嫌なようで、私の姿を見るなり、いきなり刃物を取り出して襲い掛かって来たのだ。

 しかし、普段から思考回路も行動原理も意味不明な子だけど、今回ばかりは本当にわからない。彼女は危険人物ではあるけれど、機嫌を損ねない限り、基本的にはこちらに凶器を向けて来ることはないはずなのに。

 つまり、私が知らないうちに彼女に無礼を働いていたか、今回はその基本から外れた例外かの二択ということになるのだが、今はそんなことはどうでもいい。

 今は、兎にも角にも向けられた刃物から逃れるのが先だ。

 というわけで、今現在の私は、全身全霊の全力疾走で、バンダースナッチなる怪物から逃げている。

 けど……彼女の体力は凄いな。ピッタリと私にくっついてきている。

 私は貧弱な虫けらだから、体力にはあまり自身がないのだけれど、それでもこちらは成人男性並みの肉体で、相手は幼児と変わらない身体だ。あの小さな体のどこに、私の疾駆に追いつけるだけの力があるのか。

 逃げ続けるのも不毛だと思い、一縷の望みに託して、私は彼女の説得を試みる。

 

「なっちゃん待て! 待って! とりあえず私の話を聞いて欲しい!」

「やだ。ころす」

 

 取りつく島もない。

 というか、ここまで不機嫌なのも珍しいな。本当になにがあったんだ?

 なんて聞き出せる様子でもない。

 ……こうなれば一か八か。やってみるしかないか。

 曲がり角を曲がったところで、私は足を止める。彼女は幼い割には聡明だけど、今は頭に血が上ってるっぽいし、視野が狭いといいんだが……

 たたたっ、と軽快な足音が聞こえてくる……そろそろか。

 バンダースナッチが曲がり角を曲がってくる。その瞬間を見計らって、腕を伸ばす。

 

「!」

「っ、危ない……!」

 

 バンダースナッチの両腕を掴んで、動きを封じる。けど、ギリギリだった。あと一瞬遅ければ、危うく手首を切り落とされるところだった。

 勿論、カッターナイフや包丁程度で、簡単に手首が落ちるわけもないけれど……この子は危険すぎる。一瞬で手首の動脈を狙ってきた。この子は殺し屋かよ。

 ギリギリギリ、と締め上げるようにバンダースナッチの腕を力強く握る。彼女は痛そうに顔を歪ませるけど、振り解こうともがく。

 まあでも、彼女とて肉体は幼女のそれ。いくら虫けらの私でも、体力で負けたとしても、腕力で負けることはあり得ないさ。

 さて、これでようやく落ち着いて話ができそうだ。危険は付きまとうけど。

 

「なっちゃん。あなたは、どうして私に刃を向ける?」

「……はなして」

「ちゃんと話せば、この手は解放する。私だって本意ではないからね」

 

 バンダースナッチは、じぃっと私を見つめている。

 ……この、純粋なのにどこまでも闇が広がっているような眼差し、苦手だな……

 気を抜くと、私の中に燻った黒いものが、彼女の深淵に飲み込まれてしまいそうで。

 

「……おねーさん」

「? 姉……誰の?」

「チョウの、おねーさん」

「チョウ姉さん?」

 

 なんでここで姉さんの名前が出て来るんだ?

 ……なんだかまずい気配がしてきた。

 

「おねーさん……いきなり、うしろから、おそってきた」

「たぶん、抱き着いたんだと思う」

「しめあげて……くるしくて……いたくて……」

「抱きしめたんだろうね。痛かったのなら、私から謝るよ」

「そのまま、ひきずり、まわされて……めが、まわった……」

「色んなところに連れ回されちゃったのか。災難だったね」

「だから、ころす」

「とりあえずあなたが怒っていることは理解した。本当に申し訳ないが、その刃物だけは降ろしてくれ」

「やだ」

 

 うん。わかっていたけど、聞き分けがないな。

 というかまあ、今回はこっちに非があるようだけど……姉さんの行いで、私がとばっちりを受けるとか、あんまりだ。

 いや、それもいつものことと言えば、いつものことだけど。汚れ役は私の役目だからな。

 とはいえ、姉の不始末で殺されたんじゃ堪らない。なんとか切り抜けないとな。

 

「おにーさん。はなして。やくそく」

「あぁ、そうだったね。だけど、そのおててに刃物が握られている限り、私は身の安全のために、この手を離すことはできない。だから、あなたの持っている二つの危険物を手放してくれたら、私も手を離すよ」

「いや」

 

 うーん、ダメか。

 バンダースナッチは強情だからな。このまま要求をぶつけるだけでは、平行線だ。

 別の手を取りたいが、私の頭ではより良い解決策など見つからないし、そもそも両手が塞がれているのはこちらも同じ。

 ……少し乱暴だけど、仕方ないか。

 どうせ相手はバンダースナッチだ。多少荒っぽいことしても、許されるだろう。

 

「なっちゃん、ごめんなさい」

「? なに?」

「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね」

 

 グイッと、バンダースナッチの腕を引っ張る。小さな矮躯はそれだけでぐらりと体勢を崩すけど、まだ辛うじて、片足が身体を支えていた。

 けど、その足も払う。

 身体を支えるものがなくなって、宙に身を放り出されるバンダースナッチ。そのままビターン! と思い切り床に叩きつけられる。

 痛そう……だけど、このくらいじゃ彼女は止まらない。

 あまり気乗りはしないが、殺されないためには、殺す気で対処しなければならないのも事実。

 恨むなら、あなたの純粋な殺意を恨んでくださいね、バンダースナッチ。

 殺意には、こちらも相応の害意を持って当たらなくては、死んでしまうのでね。

 床に転がって、起き上がろうとするバンダースナッチ。私はそのがら空きの脇腹めがけて――思い切り足のつま先を蹴り出す。

 柔らかい肉の感触。けれど、それはとても不愉快な柔らかさだった。

 

「げは……っ!?」

 

 およそ幼女とは思えない、醜い声を漏らして、バンダースナッチは吹っ飛んでいった。

 バンダースナッチは立ち上がることもできず、ゲホゲホとえずいている。当然と言えば当然だ、腹を思い切り蹴り飛ばしたんだから。

 殺人鬼みたいな危険人物とはいえ、相手は女児。流石に腹を蹴り飛ばすなんて、気乗りしないけれど……まあ、そうでもしないと殺されそうだったし、姉さんたちにやらせるよりは遥かにマシということで。

 その姉さんのせいで殺されそうになっているんだけど。

 

「それではなっちゃん、申し訳ないですが、私はこのへんで。今日一日くらいは、起き上がらないでくださいね」

「う、うぅ……いたい……ころす……」

 

 これもまた当然なのですが、這いつくばった姿勢のまま、恨みまがしい視線を向けるバンダースナッチ。

 ……後が怖いですが、しかし今は彼女のことよりも姉さんだ。ひとまず、あの殺人鬼みたいな暴威は大人しくしたので、無視するとしましょう。

 背中に刺さる視線をできるだけ意識しないように、私はそのまま、その場を立ち去った。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「なぜ最初から説明するのだ?」

「ちょっと思い出すのに時間がかかって……最初から回想した方が、わかりやすいと思ったんだ」

「う、うむ?」

「どうしたの?」

「ハエ、貴様、まるで姉上のような素振りで言うのだな。姉上の眼が移ったか?」

「そんなことあるわけないだろ。なに言ってるんだよ。私は兄さんに対して所感を述べたに過ぎない」

「むぅ、そうか。まあ、そうであるよなぁ」

「なんだよ、変な兄さんだ」

「そうか、そうだな。うむ、ぼくが悪かった。それで、貴様はバンダースナッチの歯牙にかけられそうになっていたのだな。あの時、奴が凶刃を携えて現れたのは、そういうことだったのか」

「その点については悪かったよ。私もあの怪物から逃げるのに必死だったんだ」

「良い。弟の失態を拭うのも兄の務め。気にするな、弟よ。それよりも、貴様がバンダースナッチめの手にかからず済んだことを喜ぶべきであろう」

「そう言ってくれると助かるね」

「して、その後はどうなったのだ?」

「あぁ、うん。その後は、兄さんも知っての通り、一度姉さんと会えたんだけど――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「おう、ハエのにーちゃん」

「ネズミ君、ですか……」

 

 姉さん捜索中に、ばったりと出会ったのは、刺青とかピアスとか鎖とか、とにかくファンキーな装いの少年――『眠りネズミ』。

 下手に絡まれたら面倒くさいクソガキではあるけれど、基本的には無害なネズミだ。バンダースナッチの数億倍はマシです。

 

「なぁ、にーちゃん」

「なんですか。私は今、姉さん探しで忙しいのですが」

「それだよ、それ。チョウのねーちゃんだ」

「姉さんが、なにか?」

 

 まさか、妹が欲しい、とか言ってネズミ君に女装させたとかではないですよね?

 彼は確かに幼く、女顔に見えなくもないですが、姉さん、流石にそれは……

 という私の心配は杞憂だったのですが。

 

「さっきチョウのねーちゃんが、カメ子抱えて走って行ったんだが。」

「なんだって? それは本当ですか」

「おう。今からカメ子と超絶バッドでクールなゲームに興じようと思ったんだが……先越されちまった。チョウのねーちゃん、意外と足はえーのな。スピーディーにスポーティーにギャラクシーだったぜ」

「……情報、感謝します。して、姉さんはどちらへ?」

「あっちだ。なんか洗面器とか持ってたし、たぶん風呂場の方に行ったんじゃねぇか?」

「了解です。ありがとうございます、ネズミ君。今度チーズを奢ってあげましょう」

「穴あきチーズはネズミのせいじゃねーよ。風評被害だ」

 

 そうなのですか。どうでもいいですけど。

 なにはともあれ、貴重な情報です。ドブネズミも、這い回る以外にも能があったのですね。ハエよりは役に立つかもしれません。

 ネズミ君に言われた通りの道を駆ける。急いで姉さんを連れ戻さないと、まずいことになるかもしれない。

 そんなことで頭がいっぱいだった。そう、私はいつだって視野狭窄だ。

 私に与えられた“一人称の眼”のせいか、あるいは、元々思慮に欠けているのか。

 私は目の前の目的ばかりを見ていて、そこだけしか見ていなくて、大事なことを、見落としていた。

 

「ここだな。早く姉さんを連れ戻さないと……!」

 

 遂に姉さんの向かった先、姉さんの居場所へと辿り着いた。今度はウミガメちゃんが巻き込まれてしまったようだし、内気な彼女なら、きっと抵抗もできなかっただろう。

 そして、姉さんが自身の“眼”に飲まれ、暴走する前に、なんとか鎮めて止めないと。そう、事は一刻を争う。

 そんな焦燥に駆られ、目の前の扉を勢いよく開く。

 ……そういえば、ネズミ君は、どこに向かったと言っていたか。

 確か、風呂場って言っていたような……風呂場?

 ということを、今この瞬間、思い出した。

 

「ハエ太!? どうしてここに!? 一緒に入りたいの?」

「ふぇっ!? も、木馬バエ、さん……!?」

「…………」

 

 あぁ、風呂。そう、風呂でしたか。

 姉さんを連れ戻すという目的に囚われて、うっかりしていました。風呂場に向かったということは、そうですよね。そうなりますよね。

 確か姉さんも、妹と洗いっこしたい、とか言ってたし。

 つまるところ私は、二人が今まさに浴場へと向かおうという瞬間、即ち、一糸纏わぬ姿でいるところを目撃したわけで。

 ……その、えっと……

 

「ごめんなさい。出直します」

 

 ピシャリと、扉を閉めた。

 うん。あまりに盲目で浅慮が自分が嫌になって、死にたくなる。

 ウミガメちゃんには、本当に悪いことをしたなぁ。年頃の女の子の裸を見てしまうとは。

 姉さんも、いくら姉弟とはいえ、この歳だ。いやさ、私たちに年齢なんて大した意味はないけれども、人間に近しい感性を獲得した以上、やっぱり、気恥ずかしさというか、気まずさというか……なんかそういう、触れたくない禁忌のようなものがある。

 ……それにしても姉さん、随分と成長したものだな。可憐であることを定められた蝶々というものは、あぁも育つものなのか。子供っぽいわりには色々大きく成長しているとは思っていたけどさ。

 

「よくわかんないけど、さぁカメちゃん! このままお風呂にレッツゴー! なのよ! 一緒に洗いっこいましょ!」

「はわわわわわ、なんでこんなことにぃー……!」

 

 脱衣所から姉さんとウミガメちゃんの声が聞こえる。ごめんねウミガメちゃん。私にはもう、あなたを助けられない。

 姉さんは洗いっこなんて言ってるけど、どう考えても一方的な洗浄になるよな。カメだったらむしろ、甲羅干しとかをするべきだと思うのだけれど。あれ? でも、海亀も甲羅干しってするのか? 海洋生物なのに?

 

「ハエ! ここにいたか!」

「兄さん?」

 

 声。意識が引き戻される。

 兄さんは、屋敷の西側で姉さんを追っていたはず。それなのにこちらにいるということは、わざわざ私を探してたのか?

 

「どうしたの? なにかあった?」

「うむ。実は姉上の捜索がてら、各所で聞き込みをしていたのだが、どうやら今回の珍事、『三月ウサギ』が関わっているやもしれん」

「三月ウサギが?」

 

 『三月ウサギ』。私たちの同胞の一人で……なんと言うか、邪淫と害悪を獣にしたみたいな奴だ。

 嫌われ者という観点では私を超えるほどの醜悪な女だけど、どういうわけか姉さんは、あの娼婦と仲がいい。

 だから、二人の間でなにかがあったとしても、不思議はないのだけれど……

 

「あの淫乱女が、なんだって?」

「ぼくも直にあやつの話を聞いたわけではなく、様々な人物を経た又聞き故、正確な情報を掴むことはできなんだが……なんにせよ、近頃の奴は姉上との接触が多い。故に、奴の悪影響による可能性があると踏んだ」

「あのクソ娼婦が原因ならわかりやすいけど、姉さんに限ってそんなことがあるかな?」

「三月ウサギだけでなく、さらにもう一押しなにかがあるだろうとは思うが、そこまではわからなんだ」

「ふむ……」

 

 どんな人に対しても朗らかさを損なわず、常に自我を保ち続ける姉さんだけど、あらゆる物質、人物、概念に対して、そうであるとは限らない。

 狂気を司る三月ウサギが、他者の自我に悪影響を及ぼすのは想像に難くないけど、あんな邪淫ウサギの友達と称して一緒に不味い茶を飲むような姉さんだ。クソビッチの狂気に、易々と干渉されるとは思えない。

 だから、姉さんが狂った原因が三月ウサギにあるとして、それだけではないはず。

 もう一つなにか。姉さんの自我を、意志を狂わせるようななにかがあるはずだ。

 

「人……ではないよな、たぶん。あの淫乱毒婦と積極的に関わりたい人なんて、いないだろうし」

「それは貴様が如実に証明しているな」

「あの二人の間に入りたがる人なんていない。となると、他に他者への影響を及ぼすのは物だ。姉さんと、あのクソ万年発情ウサギの間で物のやり取りがあった可能性は?」

「それは既に言質を取っている。姉上と三月ウサギとの間で、なにかしら物品のやり取りがあったとの聴取が取れた」

「じゃあ、その物品も押収した方がいいな。姉さんの部屋に忍び込んで家探しでもする?」

「姉上には悪いが、そのつもりだ。しかし、あの姉上の部屋だ。ぼく一人では、少々荷が重い」

 

 あぁ、だから私を探していたのか。

 確かに、姉さんの部屋を一人で家探しするのは、骨が折れるだろう。

 

「いいよ、私も手伝う。けど、鍵はどうするんだ?」

「鍵? あぁ、扉の錠前か」

「姉さんだって仮にも女だ。部屋に鍵もついているさ」

 

 さっきは裸見られても、顔を赤らめすらしなかったけどな。

 

「部屋に入るには鍵が必要だろう。そのロックを解除しないことには部屋に入れないわけだけど、どうするの? 私はピッキングとかはできないよ」

「ピッキング? それは必要な技能か?」

「いや、鍵がかかってるなら必要でしょ」

「扉を蹴破ればいいのではないか? 姉上の部屋の損害は心が痛むが、仕方なかろう」

「いやいや、強引すぎでしょ。無理やり蹴破ったりしたら、ハンプティ・ダンプティさんあたりが怒りそうだ。それはそれで面倒くさい。姉さんにも飛び火しかねないし」

「ではどうするというのだ?」

「うーん……」

 

 そう言われると、困る。手掛かりが見えてても、そこに進めないのならどうしようもない。

 打開策か、代案を考えないといけない。けれど、虫けらの頭で考えられることなんて、たかが知れている。

 奇想天外な発想も、複雑怪奇な解決も、羽虫程度が為せることではないのだ。

 

「弱ったな。姉上の所在も知れぬ今、鍵を奪取することも叶わん。やはり力ずくで突破するしかあるまい」

「できればその最悪の選択はしたくないんだけど……ん? 姉さんの所在? あー……」

「如何した、ハエ」

 

 鍵がかかってて姉さんの部屋に入れない。その問題は、案外あっさり解決するかもしれない。

 なぜなら当の姉さんは、今まさに、風呂場にいるからだ。

 しかも、ご丁寧に服まで脱いで。

 ということを、兄さんに話すと、

 

「……委細承知した。しかし、こうなってしまえば、ますます我々の行動が咎められるな……」

「いいよ、兄さんはそこにいて。私が盗ってくるから」

「大丈夫か?」

「こんなくだらないことで、兄さんの手を汚させるわけにもいかないって。こういうのは、私の役目だから」

 

 風呂に入っている女性の服から、部屋の鍵を盗み取ることが役目って言うのも、果てしなく格好悪いけど。

 なんて、いつものように半分茶化したように自嘲する私だったけど、兄さんの語調は、私の思っていた以上に厳しかった。

 

「ハエよ。ぼくも姉上も、貴様のそれは、貴様の美徳であると理解はしている。しかし同時に、それが貴様の汚点であるぞ」

「…………」

「ゆめ忘れるな。我々は三人揃って蟲の三姉弟だ。貴様も、我らが姉弟が一人なのだ。貴様の悪も、貴様の一部として、貴様の意志による選択として、我々は受け止めよう。しかし、悪に染まる貴様を見るのは、兄として……痛ましい」

「……わかってるよ。行ってくる」

「うむ……苦行を強いる。すまない、ハエ」

「だからいいって」

 

 その苦行も、脱衣所から鍵を盗み取ることだし。

 でも、実の姉の脱いだ服を物色するとか、想像してみると相当な苦痛かもしれない。

 さっきは慌てて締めた脱衣所の扉を、ひっそりと開ける。なんだか、覗き魔みたいで凄くダサい。けど、そんなことも言ってられないな。

 浴室の方から、水音が聞こえる。水の滴る音が響く。

 さらに、姉さんたちの声も聞こえた。

 

「おぉー! ウミガメちゃん、肌がすべすべヌメヌメなのよ! ウミガメみたい!」

「う、ウミガメですから……っていうか、ヌメヌメ、してますか……?」

「いつも思うのだけれど、ウミガメちゃんは可愛い顔してるのに、フードなんか被っちゃってもったいないのよ! もっと堂々としてればいいのに!」

「いや、でも、だって……あ、アタシは……その……」

「気にしなーい気にしなーい! なにがあろうと、ウミガメちゃんはウミガメちゃんなんだから! 私の妹!」

「あの、パンチョウさん……アタシ、い、妹に、なった、覚えは……その……というか、パンチョウさんには弟さんがいらっしゃるんじゃ――」

「私はお姉ちゃんだから、妹のために頑張るのよ!」

「ふわっ!? あ、あのっ、パンチョウさん、それは、その……ひゃぁ……っ!」

 

 ……楽しそうだな、姉さん。

 私じゃ、姉さんをあんな風に楽しませることはできないだろうし、そういう意味では、ウミガメちゃんには感謝もしないといけないかもしれない。同時に、やっぱり謝らなければならないのだけれど。

 

「っと、今はそれどころじゃなかった。二人が上がる前に、鍵を回収しないと」

 

 ゴソゴソと二人の脱いだ服を漁る。まるで下着泥棒みたいで、自分の低俗さが痛すぎる。

 こっちのパーカーはウミガメちゃんのだな。となると、姉さんのはこっちか。

 

「えーっと、ポケットポケット……」

 

 相も変わらず、中も外も派手な服を着るよ、姉さんは。働くようになって、質素で地味な服も着るように放ったけど、それでも普段着の煌びやかさは損なわない。

 どこがポケットなのかわからずまさぐっていると、指先に硬いものに触れる感触があった。

 

「……見つけた」

 

 姉さんの部屋の鍵だ。

 さて、それじゃあ目当てのものは手に入れたし、二人が上がって来ないうちに、さっさとお暇しましょうか。

 

「盗って来たよ、兄さん」

「おぉ、取って来たか、ハエ。大義であった。入浴中に姉上の私物を掠め取るなど、弟として良心が呵責に苛まれるが、緊急自体故に是非もなし」

「別に兄さんまで、こんなコソ泥の片棒担ぐことはないけどね。私一人で十分だ」

「そうはいくまいて。姉上の問題は、我らが兄弟の問題でもある。ぼくとて無関係とはいられんよ。なにより、姉上のことで、沈黙などしていられるものか」

「……そう。まあ、そういうとこが、兄さんのいいところだよね。正に燃えぶどうだ」

「うむ。では、そろそろ行動に移ろうぞ。覚悟はいいか、ハエ」

「覚悟もなにもないでしょ。姉さんに関わることなんだ、生まれた時から死ぬ気だよ」

「それでこそハエ、我が弟だ」

 

 というわけで今度は、私と兄さんで、姉さんの部屋に突撃することとなりました。

 ……突撃というか、不法侵入みたいなものだけど。

 やっぱりやってることはコソ泥だな、私。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「うっ……いつ入っても、なんだか目がちかちかする部屋だな……」

 

 盗んだ鍵を使って、姉さんの部屋に侵入した私たち。

 姉さんの部屋は、意外とものが多い。あの人はあれで意外と人徳(虫に人徳と言うべきかは疑問だが)があるから、貰いものとかが多いらしい。

 だけどあの人自身は、そんなにきっちりしてるわけでもなくて、だいぶ物が散乱してる。

 一応、姉さんの名誉のために言っておきますがね。姉さんは本来、あまり物を持ちたがらない人なんですよ。着の身着のままでも笑って生きているような人なんだ。

 だからこの散らかった部屋は、姉さんのことをなにも理解せずに物を押し付けた連中の、浅慮さの現れのようなものだろう。

 

「弟よ、一体どこを見ている。姉上の視点でも乗り移ったか?」

「いや、なんでもない。ごめん」

「? まあ、ぼくは一向に構わぬが」

 

 ちょっとよそ見をしていた。いや、自分の視野に引き込まれてしまっていた。

 今は、姉さんが変わってしまった原因を見つけることが先決だ。それ以外はどうでもいい。

 私と兄さんは、手分けして姉さんの部屋を、家探しすることにした。

 姉さんには申し訳ないけど、部屋を物色させてもらう……まあ、さっき堂々と脱いだ服を漁ってた私が、今更こんなことで気に病むのも、変な話だが。

 もう堕ちるところまで堕ちても構わないって感じだ。

 などと自嘲気味に嗤いながら、散らかったものを漁る。

 

「なんだこの手裏剣みたいな玩具……ネズミ君かな。彼は変なものばかり見つけてくるな」

 

 どう使うものなのか、さっぱりわからない。真ん中で固定されていて、指で十時に伸びた突起を弾くと、風車みたいに回った。それはくるくると回っていて、ただそれだけだ。風が起こるわけでも、発電機能があるわけでもない。

 ……これのなにが面白いんだ? 理解できない。

 

「こっちのは……ゲーム機? 姉さん、ゲームとかするのか」

 

 意外だ。携帯電話だってまともに使えないのに、こんな電子機器が扱えるのか。

 こっちには小さなノートパソコンもある。姉さんが部屋に変なものを持っているのはいつものことだけど、これはいつも以上にらしくないものだ。

 

「どこでこんなものを……ん?」

 

 机の上に、なにか広がっているな。ノート……にしては小さい。これは、手帳か?

 姉さんも働き始めたわけだし、手帳の一つや二つ持ってても、なにもおかしなことはない。

 おかしくはないが、手帳というものは、その人の行動が記された大きな情報源だ。偽善的に悪いと謝りつつ、その手帳の中身を盗み見る。

 

「ほとんど仕事とか、帽子屋さんとの“観察”の日程だな。あとはお茶会の予定くらい……ん?」

 

 手帳を捲っていると、ふと、妙な記述を見つけた。

 白紙、メモのページの走り書き。これは姉さんの字だが、手癖が酷く、しかも意外とびっしりと書き込まれていて、かなり判読しづらい。

 ミミズが這ったかのような汚い字を睨みつけて、なんとか読み取ろうとする。

 

「えーっと……シ、シオ……シオン、か? 次に書いてあるのは、アルファベット……? AとかBとか……なんだ、これ?」

 

 人名のような文字。その横に連なっているのはAやらBやらのアルファベットの羅列。それが何行かにわたって書き込まれている。

 人名(っぽいもの)+AとBとたまにCやDのアルファベットの羅列、という形以外は特に規則性はなさそうだ。ただ、いくつかには同じ名前が書かれていたり、名前の頭にチェックが付けられている。

 

「謎だ……」

 

 さらにパラパラと捲ってみると、似たような謎の文字列は他にも大量にあった。どれもこれも文字が汚いから、ちゃんと読めないけれど、形は似ているのできっと同じようなことが書いてある。

 

「上の方に書かれてるのは……なんだ? ノ……レート? ダメだ、読めねぇ……」

 

 もっと時間をかければ解読できるのかもしれないけれど、流石に悠長に過ぎる。この謎の文字列を解き明かすのは後回しにしよう。

 手帳を置いて、他にも部屋を物色するけれど、それ以上に目ぼしいものはなさそうだった。とりあえずこれで切り上げることにしようか。

 

「兄さん。大体こっちは探し終えたよ。わりと重要そうなものを見つけたけど」

「こちらもだ、ハエ。これを見よ」

 

 そう言って兄さんが見せたのは、薄い箱だった。

 裏面にはなにやら色々ごちゃごちゃと書かれているけど、表面には、やたらと肌色っぽい、人物画というよりキャラクター風味なイラストがデカデカと書かれている。

 

「姉上の書架に、このようなものが紛れていた。それも奥まった場所に、隠匿するようにだ」

「ようにっていうか、完全に隠しているよね」

 

 箱に書かれた絵は、やたらキラキラしてて目が痛い。無駄に肌の露出が多くて気持ち悪いし、書かれているのは女ばかり。なぜか非常に現実味が薄く感じるイラストだ。

 よく見ると箱の側面には切れ目のようなものがあった。開くのか、これ。

 開いてみると、中には真ん中がくり抜かれた円盤が……って、これは……

 

「ゲームディスクか」

「知っているのか、ハエ」

「クソみたいな生徒が授業中にやってるのを見たり、休み時間に話しているところを少し聞いたことがある程度だよ。私が見たものよりも、幾分か大きいようだけど……しかし、姉さんがどうしてこんなものを?」

「さてな。これだけではない。この書架の裏側は、それと似た図画の箱や書物が複数発見された」

 

 そう言って兄さんはさらに、紙っぺらみたいな本を数冊取り出した。

 

「書物? 本ってこと?」

「うむ。不自然なほどに薄い書物であった。造りも、ぼくの知る書物の装丁とは若干違うようであったが」

「薄い本か……情報量が少ないのはらしいかもしれないけど、本なんて姉さんらしくもないな。というか、情報の少ない本に価値はあるのか?」

「不明だ。中も、文字列ではなく、図画による解説がほとんどを占めているようだった。これはぼくでも知っている。漫画、という形式の書物であろう」

「あぁ、それは私も見たことがある。ゴミみたいな生徒が授業中に読んでたり、昼休みに貸し借りしているとこを見たよ。こんなに薄くはなかったと思うけど……」

「しかし……なんなのだ、このいかがわしい、恣意的に劣情を煽るような図画の数々は。破廉恥であるぞ」

「生徒によると、こういう絵は萌え絵、と呼ばれるらしいよ」

「萌え? 草木の萌芽のことか? この羞恥に染まった図画が、偉大なる大自然の発現となんの関係があるというのだ?」

「私に聞くなよ。まったく、人間っていうのは、よくわからない言葉を生み出す、面倒な生き物だな」

 

 多く、そして複雑な言葉を用いなければ意思疎通ができない上に、その言語体系に翻弄される人間は、なんと滑稽なことだろうか。

 まあ私にはあまり関係のないことだけどね。

 

「そんなことよりも、この明らかに姉さんの私物とは思えない物品の数々が、姉さんを狂わせた元凶と言っていいのかな?」

「そのような結論が適当であろうな。なにかの暗号なのか歪に崩壊させているが、この箱や書籍に描かれた文字列がそれを雄弁に物語っていると言えよう」

「いや、これはそういうものなんだと思うけど……しかしなぁ」

 

 改めて、ゲームやら本やらに目を落とす。

 兄さんの言うように、文字が妙に大きかったり小さかったり歪んでいたりするうえに、色彩が無駄にカラフルで読みづらいが……やけに「妹」とか「シスター」という単語が主張している。

 今の姉さんが、妹がどうこうと叫びまわっているところを見るに、十中八九、このゲームやら本やらの影響を受けている。

 

「しかし、姉上がなぁ。にわかに信じられん」

「どんなことにも全力を尽くすタイプだから、きっかけがあれば乗っかってもおかしくはないけど……これだけの数を隠し持っていたとなると、かなり入れ込んでるみたいだな」

 

 こんなものに入れ込む嗜好はまるで理解できないけど。

 実の姉がこんな俗っぽいものに染まっていると知ると、少しショックだった。

 

「まあ、姉さんがおかしくなった原因は分かった。となると、次の問題だね」

「提供者だな」

 

 姉さんは多くの時間を、私たちと過ごす。姉弟なのだから当然だ。

 勿論、仕事の時とか、帽子屋さんとの観察作業だとか、一部の行動においては別行動を取ることもあるけど、それでも私たちの目は、ほとんど姉さんに向いている。

 そんな中で、私たちに悟られずにこれだけの物を手に入れるなんて、簡単な話ではない。必ず提供者がいるはずだ。

 そして、その提供者と言えば、

 

「三月ウサギ、であろうな」

「兄さんの集めた情報から推測するなら、そうだろうね。こんないかがわしい趣味、あいつくらいしか考えられない」

 

 それに、さっき見つけた手帳に書かれていた予定。

 あれも三月ウサギと会う予定も書き込まれていた。とすると、ここにあるゲームや漫画も、奴から借り受けたものと考えるのが自然だろう。

 てっきり生身の男しか興味がない害獣だと思っていたけども、空想のものでもいいとは意外だ。そもそも、あの箱や本に描かれていたのは、すべて女体だったけど。

 そして、その物品のせいで、姉さんはおかしな嗜好を抱いてしまった。

 姉さんが狂ったのは、三月ウサギに原因がある。

 そう、すべては、あのウサギのせい。

 

「ちっ、あのクソウサギ……! 人の姉になんてことを吹き込むんだ……ぶっ殺してやろうか……!」

「ハエ、落ち着くのだ。沈着冷静を心がけよ、怒りに飲まれるな。“眼”が開きかけているぞ」

「っ、ご、ごめん、つい……」

 

 兄さんに窘められて、なんとか自我を保つ。

 危ない危ない……また私の“眼”が開いて、兄さんたちに迷惑をかけるわけにもいかないからな。ただでさえ今は、姉さん一人で忙しいのに、兄さんにこれ以上負担をかけさせるわけにはいかない。

 さて、原因はこれでおおよそ解明できたわけだが、これからどうしようか。

 

「とりあえず、三月ウサギを吊し上げて、殺――警告するか」

「仮にも姉上の友人故に気は乗らんが、姉上の精神に害をもたらすようなのならば、そうせねばなるまいな」

「まあ、それよりも前に姉さんを……あ」

「どうした、ハエ」

「しまった……! 姉さんのこと、すっかり忘れてた」

 

 つい兄さんにつられてここまで来てしまったけど、今の最優先事項は姉さんの確保だったはず。

 風呂場という逃げ道のないところまで追い込んだというのに、そこから離れてしまうだなんて、とんだ失態だ。

 今日の私はまるで自分の眼を制御できていないな。視野の狭さ全開じゃないか。

 

「兄さん、とりあえず姉さんを引き留めよう。クソウサギの処刑はその後だ」

「う、うむ。別段、処刑するつもりなどなかったのだが……とりあえず了解した」

 

 兎にも角にも、妹が欲しいとか妄言吐いて暴走してる姉さんを止めないと。

 まだ風呂に入っていればいいけど……そう願いながら、私たちは浴場へと戻った。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「おーい、カメ子ー。ホットでアラートか? ヘッドにブラッド? バッドでクラっとダウンしてんじゃねーぞ。しっかりしろー」

「きゅぅ……」

 

 戻ってみれば、そこにはネズミ君とウミガメちゃんがいた。

 厳密には、顔を真っ赤にして倒れているウミガメちゃんの頬を、ネズミ君がぷにぷにと突っついていた。

 ウミガメちゃんの方は、明らかにのぼせている。それが姉さんのせいだと結論を出すのには、そう時間はかからなかった。

 ……というかウミガメちゃん、裸なんだけど。服くらい着せてやれよ、ネズミ君。

 

「お、ハエのにーちゃん。トンボのにーちゃんも一緒か」

「眠りネズミか。そして、そこで倒れているのは、代用ウミガメか? 頭部を開放しているところは久しぶりに見たな。一瞬、誰か分からなんだ……というより、なぜ裸なのだ?」

「僕が知るかよ、風呂にでも入ってたんだろ」

「うぅむ、婦女子が肌を晒しているのは感心せぬが……」

「どう考えても好きで晒してないだろ。肌が云々以前に、このままじゃ湯冷めして風邪引くよ。服着せるなりタオルかけるなりしてやればいいのに。ウミガメちゃん、身体強くないんだから」

 

 とりあえず、そのへんに置かれているタオルをかけてやる。流石に服を着せるのは面倒くさかった。

 

「まったく、仮にも女の子が裸で倒れてるんだから、もう少し気を遣おうよ、ネズミ君」

「カメ子の貧相なマッパなんざ興味ねーよ。チョウのねーちゃんくらいなら別だけどよ」

「姉さんを下卑た眼で見るな。殺すぞ害獣ドブネズミ」

「あん? やるか害虫ゴミムシ野郎。ハエらしく灰にすっぞ」

「やめんか。視線を合わせて二秒で殺気立つな。喧嘩の火花は好物だが、今は姉上の身の方が大事な時だ」

 

 それもそうだった。今はこんな汚い鼠小僧に構っている暇はない。

 

「して、眠りネズミよ。貴様は如何様でこの場にいるのだ?」

「おう。やっぱカメ子と遊びてーって思って、デッドヒートにダッシュリピートで来てみたが、カメ子の奴、目ん玉スピニングでパニックにブレイクしてんの。つまんねーよな」

「ウミガメちゃんはのぼせてるんだよ……いや、もしかして、ネズミ君が介抱してたの?」

「いんや? 起きねーから引きずって行こうかと。僕は遊びてーんだ」

「鬼か君は」

 

 こんな、目を回すほどのぼせている女の子を引きずり回すなよ。

 いやまあ、私たちからすれば、どうでもいいと言えば、どうでもいいんだけど。

 私は周囲を見回す。姉さんの姿はない。

 直前まで一緒にいたウミガメちゃんはこの調子だし、とても話を聞けそうにはない。となると、

 

「ネズミ君。姉さん見なかった?」

「チョウのねーちゃんか? いんや、僕は知らねーけど」

「そうか。まあ、期待はしてなかったけど」

「んなら聞くなや」

 

 ネズミ君に尋ねてみたけれど、情報はない。

 さて困った。姉さんはもう風呂から出てしまった様子。ウミガメちゃんの顔が真っ赤なところを見るに、出て行ってからそう時間は経っていなさそうだけど。

 また、手掛かりなしの状態から屋敷内を走り回らなければならないと思うと、憂鬱になる。

 しかし姉さんの行先に見当がつかない以上は、闇雲に探し回るしかない。

 

「……いや、待てよ」

 

 手掛かりなら、あるじゃないか。

 姉さんは無目的であっちこっち駆け回っているわけではない。意味不明で理解不能で荒唐無稽だが、あの人の行動にはれっきとした指標が存在する。

 “妹が欲しい”という、目的が。

 妹。つまり、姉さんよりも年若い女性だ。

 確か姉さんは、妹と洗いっこがしたいとかほざいてたし、ウミガメちゃんを無理やり風呂に入れていたということは、彼女も妹認定されてしまったということ。

 なっちゃんも同じように撫でくり回されたり抱きしめられたみたいだし、そのことを踏まえると、姉さんは年若い女性の下に現れる可能性が非常に高い。

 

「姉さんより若い女性か……バンダースナッチやウミガメちゃんが真っ先に狙われたところを見るに、可能性が最も高いのはユニコーンちゃんか? あるいは、花畑の連中とかもありそうだな。公爵夫人様は若作りしてるだけだし……」

 

 とりあえず思いつく限り“姉さんの妹候補”をピックアップする。そして、彼女たちがどこにいるのかも想像する。

 こういう時、姉さんがいてくれたらわかりやすくなるんだけど、今は肝心の姉さんがいないからな……むしろ、あの眼の力で彼女たちの居場所を客観的に“視ている”可能性すらある。

 なんて考えていると、不意に、声をかけられた。

 

「よーぅ、虫けらの兄さん共……奇遇じゃねーか」

 

 振り返ると、そこにいたのは、一人の、けれども数多くの、人影。

 『ヤングオイスターズ』――個でありながら、群であるという概念に縛られた、哀れな牡蠣たち。

 その長女を筆頭に、背後には幾人かの彼女の弟たちが続いていた。

 

「ヤングオイスターズの長姉に、その弟君共か。我らに何用だ?」

「……そう言えば、あなた方も若い女性と言えましたね。個人なのか群像なのか判断つきにくいので、妹判定からは省いていましたが」

「おぅ、それだ」

 

 ヤングオイスターズの長女――確か、アヤハ、という個人名を有していた気がするけど、どうでもいい――が、どことなく虚ろで、けれども力強い眼差しを向ける。

 この眼は……なにか、ヤバいな。

 虚無的で渇いているのに、力だけは溢れている。しかもその力は――殺気だ。

 

「妹……妹だよ」

「はぁ、妹、とな。見れば貴様が今しがた侍らせているのは弟君ばかり。妹君は見当たらんが」

「たりめーだ。ワタシの、文字通り我が身の如く可愛い妹たちは傷心中だかんなぁ。おぅ、悲しいぜ。正に我が身の如く、だ」

「……まさか」

 

 嫌な予感が走る。いや、これはもう、ほとんど確信と言ってもいいのではないか。

 妹が欲しいと言って飛び出した姉さん。そして、事情は特殊ながらも、生まれながらにして“妹”という属性、概念を有しているヤングオイスターズの女たち。

 そこから導き出される答えは、あまりにも容易く想像できた。

 そして、なぜヤングオイスターズの長女が、弟を引き連れてここにいるのかも。

 

「お礼参りに来てやったぜ。虫けら共。てめー、人の妹に散々なことしてくれたじゃねーか。嫁に行けなくなったらどう落とし前付けてくれるってんだ? あぁん!?」

「む、意味が分からんが、どうにも奴は怒り心頭な様子。どうする、弟よ」

「どう考えても姉さんの仕業だな。まったく、人様の妹になにをしたんだか……」

 

 というか、彼女たちは嫁ぐつもりなのか? ただでさえヤングオイスターズは短命だっていうのに。いや、私らにはどうでもいいことか。

 問題はあの怒り様だ。姉さんが彼女たちになにをしたのかはわからないけど、相当なことをしたのだろう。

 いや、相当なことでなかったとしても、彼女たちは一人の傷を全員で請け負うという性質を持っている。そしてヤングオイスターズは十二人の兄弟姉妹。長女を除けば、妹と呼べる者は五人。五人分の心の痛みを背負っていると考えれば、まあ、これだけの怒りも納得できないこともない。

 なんにせよ、ヤングオイスターズたちは見るからに殺気立っている。今にも殺されてしまいそうなほどだ。

 勿論、こんなところで死ぬわけにもいかないんだけど。

 しかし姉さん、あなたの行いが弟を殺しかけてるんだけど、もう少し大人しくしてくれないかな?

 無理か。姉さんだもんな。あの頭の中身がお花畑な虫けらにできるはずもないな。

 

「逃げよう、兄さん」

「振り切れるか? 長姉だけならまだしも、その弟君までいるのだぞ」

「どうせ貝殻の中で閉じこもってる哀れな牡蠣たちなんだ。死ぬ気で走ればなんとかなるさ」

「うむ……それもそうか。我々の翅ならば、海産物の鈍足なぞに後れを取ることはなかったな!」

「……捕まったら最期だけどね。んじゃまあ、姉さん探しつつ逃げようか、兄さん」

「応とも!」

 

 その声を皮切りに、私と兄さんは、一斉に、全速力で、駆け出した。

 

「あ、テメーら! 待ちやがれ! うちの妹に手ぇ出してタダで済むと思ってんじゃねーぞ!」

 

 当然のように、背後からヤングオイスターズたちが追いかけてくる。

 やれやれ、なっちゃんに続き、今度はヤングオイスターズに追い回される羽目になるとは……姉さんはの奇行は、とんだ台風を巻き起こしたものだ。こんなに酷いバタフライエフェクトもない。

 などと嘆きながら、私は兄さんと二人で、ヤングオイスターズたちの追跡から逃れるのであった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「とまあ、兄さんもご存じの通りだよ」

「よもや、ヤングオイスターズらに追われることになろうとは思わなんだ。哀れな牡蠣共と馬鹿にはできんな」

「なっちゃんと追いかけっこをするよりはマシだったね」

「その後は確か、貴様と合流したり別れたりしながらも、最終的には同じ場所に集ったのだったか」

「冷静に思い出してみると、誰かから逃げてばっかりだったな、私。叩き潰される宿業を背負ったハエらしいと言えば、らしいのかもしれないけれど」

「案ずるな弟よ。貴様の強さはぼくと姉上が最も承知している。貴様はそう易々と潰されたりなどせぬよ」

「……まあ、確かに簡単に潰されるつもりはないけどね。そのために、そういう風に、意地汚く生きてきたんだから」

「それに、たとえ貴様が何者かの魔手に掛かろうとも、我が身を捧げてでも守ってみせようぞ。ぼくは兄であり、貴様は弟なのだからな」

「そいつはどうもありがとう。けど、献身的になりすぎないでくれよ、兄さん。私が自分に飲まれやすいように、姉さんが超常的視点のなにかに操られやすいように、兄さんは相手に絆されやすいんだから」

「む、ぼくはあくまで己が矜持として述べたのだが、まあいい。弟からの忠言として聞き入れよう」

「さて、話がだいぶ逸れたね。どうも兄さんや姉さんと話していると、話がとっ散らかる」

「我らの兄弟愛が強すぎる故だな! こればかりは致し方あるまい。許せ、弟」

「別にいいけどさ、帽子屋さんたちだって似たり寄ったりだし。で、なんだっけ? どこまで話した?」

「確か……ヤングオイスターズから逃れたところまでだ」

「あぁ、ようやくまともに姉さんと出会えたところか。そうだな、あの時は――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――撒いたか?」

「なんとかね。危なかったよ、本気になった彼女たちの獰猛さを甘く見ていたようだ」

「うむ。奴らの妹君を思う気持ちは真であったということだな。天晴だ」

「それで殺さるんじゃたまったものじゃないけどね。しかし運よくセイウチさんが通りがかってくれて助かったよ」

「そうであるな。セイウチ殿に感謝せねばなるまい。かの御仁なくしては、こうして逃げおおせることも叶わなかったやもしれんからな」

「ヤングオイスターズ共の天敵だからね、セイウチさんは」

 

 無我夢中の全力疾走。一寸の虫にも五分の魂だ。全身全霊で走ったさ。

 流石に火のついた鼠ならぬ、火のついたトンボの兄さんほどではないにしろ、私だって木屑のハエ、生牡蠣なんかに速さで劣ることはない。速さというか、素早さだけど。

 途中でセイウチさんとの遭遇という幸運にも恵まれ、彼ら彼女らを振り切った私たちは、呼吸を整える。

 そして、辺りを見回した。

 

「玄関口まで来てしまったようだな」

「中庭だったら、口うるさいお花さんたちがいたのかもしれないけれど、こっちには誰もいないかな」

 

 運よく散歩中のユニコーンちゃんとかがいるなら、姉さんの手掛かりがつかめるかもしれないけれど、いつも一緒のライオン君と痴話喧嘩する声も聞こえないし、彼女との邂逅は望み薄かな。

 

「うぅむ、しかし姉上はいずこへ行ってしまったのか……この近辺で闊歩していたりしなかろうか」

「そんな単純な話があるわけないだろ。姉さんは妹を求めている。だからきっと、姉さんの思う“妹らしい”人物を探しているはずだ。私としては、とりあえず誰彼からもアイドル扱いされてるユニコーンちゃんを探すところから始めようと思うんだけど、兄さんは――」

「む、いたぞ! 姉上だ!」

「嘘だろ!?」

 

 そんな単純な話が、偶然があるのか!?

 いや、兄さんが嘘をつくはずもないし、その理由もない。チェシャ猫もいないから、誰かが化けていることもないはず。

 私は兄さんが指差す方向を見た。窓の向こう。門へと続く道を軽快かつ優雅な足取りで進むのは――

 

「ね、姉さん……!?」

 

 今にも鼻歌を歌ってスキップでも始めそうなほどに上機嫌な姉さんがいた。

 ここは玄関口。そして、門への道を歩いているということは、まさか、外に出ようとしているのか?

 とそこで、ハッと気づく。

 

(……そうか、そうだった。妹が欲しいだけなら、別に、【不思議の国の住人】に拘る必要はないんだ……!)

 

 失念していた。固定観念に縛られ、狭い思考に囚われていた。思い込みとは怖いものだ。

 このタイミングで姉さんが外に出るのは、屋敷内の妹候補はあらかた食い尽くしたから、外で獲物を探そうということだろう。

 これ以上、事態が大きくなると収拾がつかなくなるし、姉さんの危険性も高まってくる。

 ここで止めないと……!

 

「兄さん!」

「わかっている!」

 

 私と兄さんは、大急ぎで外に飛び出した。

 すると、足音でこちらに気付いたのか、姉さんが振り返る。そしてパァッと、眩く美しくも、可憐でにこやかな笑顔を見せた。

 

「あら? トンボにハエ太! どうしたのよ? 二人も一緒に、お散歩する? 妹探しの旅に出る?」

「なに呑気なこと言ってるんだよ、姉さん」

「姉上。貴女の望みは十二分に理解した。しかし、同時に我々は姉上の身を、その眼を案じているのだ。どうか戻られよ、姉上」

 

 その提案は面倒ながらも魅力的だけど、今は姉さんの麗しさに見惚れている場合ではない。

 兎にも角にも、その“妹探し”とやらをやめさせなくては。

 

「むむ! 一緒に来てくれるのかと思ったら、オジャマ虫だったのよ。虫だけにね!」

「ごめん姉さん、今はそんなギャグに付き合うつもりはないんだ。私と兄さんは本気だよ」

「ハエの言う通りだ。我々は誠心誠意、一片の雑念もなく、ただ姉上の無事と安寧を願い、この場に参じている。理解されよ、姉上」

「むぅ、確かにトンボもハエ太もマジみたいなのよ……でも! 私だって妹が欲しいのよ! これは譲れないのよ!」

「聞く耳持たず、か。どうしよう、兄さん」

「……こうなれば、仕方あるまいて」

 

 兄さんは、意を決したように、前に出た。そして、姉さんと相対する。

 まさか……兄さん。

 

「ぼくは覚悟を決めたぞ。姉上も、覚悟めされよ」

「そう、実力行使ってわけね。いいのよ、お姉ちゃんとして受けて立つのよ!」

 

 結局、こうなるのか。

 しかしまあ、兄さんの言う通り、仕方ないことか。

 姉さんは恐らく、半分くらいは暴走状態。眼に視点を、自我を飲まれかけている。

 ちょっとやそっとの対話でなんとかなるものではないし、時間もない。ならば手っ取り早く叩いて治すのが吉ということもある。

 ……乱暴な手だから、あまり使いたくはないけれど。

 けれど、他の手がない。思いつかない。だから、仕方ないのだ。仕方なく、強引な手段に出るしかない。

 そういう、定めならば。

 

「甘さ控えめだけど、姉弟喧嘩も花の蜜。まだ見ぬ妹と一緒に吸い上げちゃうのよ!」

「蜜など生温い。喧嘩は苛烈な炎だ。ぼくが、葡萄に火酒と共に飲み干してくれよう」

 

 かくして。

 バタつきパンチョウの姉さんと、燃えぶどうトンボの兄さん。

 本来なら起こり得ることなんてないはずの、蟲の三姉弟による姉弟喧嘩の火蓋が、切って落とされた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「私のターン! 《ナハトファルター》をチャージして、2マナで《ジャンボ・ラパダイス》を唱えるのよ! 四枚捲って、《ジュランネル》《ゼノゼミツ》《ゲイル・ヴェスパー》を手札に! そして1マナで《界王類七動目 ジュランネル》を召喚! ターンエンド! なのよ!」

 

 姉さんと兄さんの対戦。

 兄さんは順調にマナを伸ばして、《エスカルデン》《インフィニティ・ドラゴン》と展開しているけれど、それ以上に姉さんの場が危険だ。

 姉さんの場には既に《デデカブラ》に《デスマッチ・ビートル》が二体、そして《ジュランネル》が鎮座している。

 

「四体並んだ巨虫共。マナには《ナハトファルター》、手札には《ゲイル・ヴェスパー》……放置すれば、即死は免れんな」

 

 《ゲイル・ヴェスパー》と《ナハトファルター》が揃ってしまえば、その時点でほぼ勝利確定だ。延々とデッキのカードを回し続け、無尽蔵と言えるほどに虫けらが湧き上がり、その膨大なリソースで理不尽なフィニッシュを叩きつけて来るのだ。

 このターンでなにかしらの対策を取らなくては、あるいは姉さんを仕留めなくては、兄さんは確実に負ける。兄さんは今、王手をかけられているのだ。

 兄さんは、相手の手に対する切り返しは不得手だけれど……大丈夫だろうか。

 

「このような一手はぼくらしくもないが、致し方あるまい。己が身よりも姉上の方が大事である故な。覚悟せよ、姉上」

「む、トンボ、なにかする気なのよ」

「行くぞ! 8マナで《永遠のリュウセイ・カイザー》を召喚!」

 

 兄さんが召喚したのは、《永遠のリュウセイ・カイザー》。

 今の時点ではフィニッシュカードにもならないし、姉さんにとどめを刺すこともできない。けれど、

 

「これで姉上のクリーチャーは、すべてタップされて現れる。即ち、登場ターン内の攻撃は不可能だ」

 

 攻撃を、姉さんの動きを止めることはできる。

 これで《鬼羅丸》だろうが《ユニバース》だろうが、ループしてからの攻撃を介するフィニッシュは一手遅れる。姉さんのデッキなら、1ターンの猶予が生まれるはずだ。

 それに、たとえ《リュウセイ・カイザー》を破壊しようとも、《インフィニティ・ドラゴン》の能力で生き残る可能性が高い。

 確実ではないけれど、姉さんのデッキの除去札は《ゼノゼミツ》程度だろう。それならば、最大でも四回までしか除去は飛んでこないことになる。

 四回。それならば、《インフィニティ》で守り切る確率も、決して低くない。

 

「ターンエンドだ……次の手番に、すべてを語り終えるとしよう」

 

 そして、兄さんのマナは現在9マナ。次のターンには10マナ。

 あと1ターン。あと1ターンでも耐えきることさえできれば、それで決まる。

 つまり、この1ターンが勝負だ。

 

「ふふっ、目標に向かって一直線かと思ったら、急にピッタリ止まる打なんて、流石トンボなのよ。でも、甘いのよ。甘々のスイートハニーなのよ!」

「それは姉上の淹れる茶であろう。甘露はいいのだが、さしものぼくでも、あれは少々甘すぎるのではと常々感じているところだ」

「うるさいのよ! 甘さは正義! 女の子はみーんな! 甘いものが大好きなんだから!」

「しかし姉上、姉上は麗しくも美しき婦人ではあるが、流石に、女“子”と呼ぶのは……」

「いいのいいの! 私だって女の子なのよ! ふーんだ!」

 

 …………

 まあ、身体に反したその子供っぽい性格を考えると、女の“子”と言えるのかもしれないけどさ。

 そんなことより、姉さんはフィニッシュルートを一時停止されたはずなのに、どこか余裕だな。

 なにか手があるのか?

 

「私のターン! 《ジーク・ナハトファルター》の能力で、手札に戻るのよ!」

 

 姉さんは、ターンの初めに《ナハトファルター》を回収する。

 兄さんのデッキ相手にハンデスを警戒する必要はないけど、だからってこのタイミングで、マナを削ってまでそれを手札に戻すのか?

 ランデス警戒……にしても、兄さんの行うランデスのことを考えると、そんな大型クリーチャーを手札に抱えたって意味はないように思えるけど。

 通常、姉さんのデッキで《ナハトファルター》を手札に戻すのは、フィニッシュに向かうタイミングだ。

 そう、殺しにかかる瞬間こそ、あの毒蛾は牙を剥く。

 そして姉さんがそれを手元に呼び寄せたということは、今がその時だということに他ならないのだ。

 

「そして《クロック》をチャージ!」

「なぬ? 《クロック》とな?」

 

 水のカード? 姉さんが青い色を入れているだなんて、珍しいな。

 ……いや待て。あのデッキで水って……

 

「さーらに、Wシンパシー発動なのよ! パワー12000以上のクリーチャーが四体いるから、2マナで《天風のゲイル・ヴェスパー》を召喚! さらに《ゲイル・ヴェスパー》の能力で、私の手札のクリーチャーすべてにW・シンパシーを与えるから、さらにコストを10軽減、1マナで《ジーク・ナハトファルター》も召喚なのよ!」

 

 続け様に現れる、《ゲイル・ヴェスパー》に《ナハトファルター》。

 大幅なコスト軽減と、無尽蔵のマナ加速にマナ回収から生み出される、虫けらの増殖。

 ここから完全ロックなり、エクストラウィンなりを決めてしまうのが常だけど……攻撃する類の勝ち方は、《リュウセイ・カイザー》で封じられている。だから《鬼羅丸》も、《ユニバース》も即死には繋がらない。

 だけど、

 

「《ナハトファルター》の能力で、山札の上から二枚をマナに置いて、マナから一枚を回収! 回収するのは、これなのよ!」

 

 それ以外の、殴らずに勝てるフィニッシャーがいるのなら、話は別だ。

 

 

 

「勝ちも負けも甘い蜜も、ぜーんぶ吸い上げるのよ――《水上第九院 シャコガイル》!」

 

 

 

 そして、今回の姉さんのデッキには、それがいた。

 これは、それだけの話だ。

 

「《シャコガイル》だと!? あ、姉上! いつの間に、そのような外道に堕ちたのだ!?」

 

 吃驚する兄さん。無理もない、私だって驚いている。

 あの姉さんが、本来のルールを捻じ曲げてまで勝利をもぎ取るような外道なクリーチャーを使うだなんて、思ってもみなかった。

 《水上第九院 シャコガイル》――山札を引き切ってしまうと敗北するというルールを、勝利に変換する魔の具現のようなクリーチャーだ。

 ヤングオイスターズの誰だったかがメインカードとして使っていた気がするけれど、まさか借り受けたのか? いや、勝手に持って言った可能性の方が高いけれど……そんな詮索は、今はどうでもいい。

 なんにせよ《シャコガイル》はまずい。あれは、攻撃という手段を取らずに勝利してしまうクリーチャーなのだから。

 

「さーて、これで準備完了! なのよ! あとはてきとーにクリーチャーをポイポイ投げてぇー、山札を残り二枚くらいになるまで削ってぇー……ターンエンド! トンボのターンなのよ!」

「ぼ、ぼくのターン……」

「さぁ、《シャコガイル》の能力発動なのよ! 相手ターンの初めに、カードを五枚引いて三枚捨てる! だけど、このドローで私の山札はもうないのよ。と、いうことは?」

「っ、ぬぅ……!」

 

 《ゲイル・ヴェスパー》と《ナハトファルター》のコンボで山札をすり潰し、《シャコガイル》の能力で資産の喪失を反転させる。

 捻じ曲げられた敗北は勝利となり、天の海風を吹かせた。

 即ち――

 

 

 

「――私の勝ち(エクストラウィン)! なのよ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ふふーんだ! いくらトンボでも、私の妹愛には勝てないのよ!」

「くっ……すまん、ハエ。姉上……!」

 

 ――兄さんが、負けた。

 兄さんと姉さん、どっちが強いかという議論はさておくとして、姉さんが普段なら使わないようなカードを用いて、兄さんの虚を突く形で勝利を収めたという形だ。

 最初に妄言をほざき始めた時から薄々感づいてはいたけれど、なんというか、どうにも姉さんらしくない。

 いつでもあるがまま。常に自然体。存在そのものが自由意思のような姉さんが、こんなにも意固地になって、兄さんを退けてまで我を通すだなんて。

 姉さんも秩序を重んじると言えるほど聖人じゃない。衝動的に動くし、我欲だって肯定する。

 けど、ここまで欲に塗れていたか? 自分のためだけに、ここまで意地を張るものだったか?

 違う。こんなものは、姉さんじゃない。こんな姉さんは、いつもの姉さんじゃない。

 やはり“眼”の悪影響――それも、余所からの干渉も受けた結果、か?

 

「さーて、まだ見ぬ妹たち! 今行くからね! 待ってるのよー!」

「あ……ちょっと、姉さん!」

 

 しまった! 逃げられる!

 ようやく接触できたというのに、ここで逃がしてしまったら……それに、町に出られると、屋敷内よりもよっぽど索敵が困難になる。

 早く追わないといけないけれど、兄さんも……

 

「ハエ、我が弟よ。行け」

「兄さん……でも」

「ぼくでは姉上を止められなんだ。我らは三姉弟。ぼくが姉上を止められずとも、まだ貴様がいる。貴様が、姉上を止め、本当の姉上を取り戻すのだ、木馬バエ」

「……わかった」

 

 力強く言う兄さん。

 私は矮小な小蠅だ。姉さんや兄さんほどの力はない。兄さんに成し遂げられなかったことも、姉さんに勝ることも、できるとは思えない。

 けど、兄さんが乞うのなら。ただ一人の兄が託すのなら。

 姉さんに――立ち向かおう。

 さらに、兄さんは続けた。

 

「ハエ、行く前に一つだけ伝えたいことがある」

「? なに?」

「実はな、ごく短い刻の間だが――姉上の視野で“視た”のだ」

「っ! それで、姉さんは……?」

「あまり姉上に干渉することも憚られた故、瞬きの間のことであったが……今の姉上は比較的、貴様に近い状態だ」

「私に? えっと、それってつまり、視野が狭まってるってこと? まあ、妹がどうとかばっか言ってるから、わからない話でもないけど」

「あれが本来の姉上の自我なのかは不明だが、一つの物事に執着している状態なのは確かだ。問題は、貴様と違って、それがすべて純然たる姉上の意志から生まれた我欲とは限らん、ということだ」

「……やっぱり、ついにやっちゃった可能性があるのか」

「あぁ。あり得るな――“視点憑依”だ」

 

 視点憑依。言い換えれば、視野の――自我の乗っ取り。

 それは、私たち蟲の三姉弟の、視点を変更する個性()において、常に意識しなければならない脅威だ。

 視点を変えるということは、本人らにその意識がなくとも、現実として誰かの視点を借り受ける、あるいは共有するということだ。私に限って言えば、その誰かは自分になるのだけれど。

 そして誰かの視点、誰かの視野、誰かの視座をその身に宿すということは、その誰による干渉も受けかねない、ということ。

 より強い自我や、こちらの存在を意識したもの、あるいは超越的に強大な存在。そんな者たちが、こちらの存在に感づいて、干渉したりすれば、どうなるか。

 逆に、こちらの意識を、その者の自我によって飲み込まれ、存在そのものを奪われかねない。

 だから私たちは、常に危機意識を持たなくてはならないのだ。

 一人称の視点を持つ私は、自分自身に。

 二人称の視点を持つ兄さんは、目の前の誰かに。

 そして、三人称の視点を持つ姉さんは、誰でもない誰かに、視野を乗っ取られまいと。

 

(けど、そのリスクを最も背負っているのが姉さんだ……眼を開く頻度的にも、その性質的にも)

 

 私は、自分自身に飲まれないよう気を付ければいい。

 兄さんは、相手を選びさえすればまず大事にはならない。

 けれど姉さんは、神の視点を間借りしている。あまりにも不明確で、謎多き異能だ。神や読者と称する存在がなんなのさえもわからない。

 それは扱いこなせれば便利なのかもしれないが、未知なる存在に視点や自我を乗っ取られる危険性も多分に孕んでいた。だから、姉弟の中で最も早く、姉さんが視点憑依を発症するというのは道理だ。

 

「だがしかし、アレは紛うことなく姉上だ。まだ、明確な姉上の自我が残っている」

「仮に姉さんの自意識が、神だか読者だかわからない“なにか”に乗っ取られていても、それは完全じゃないってこと?」

「然り。いまだかつて、一度たりとも発症したことのない視点憑依現象だ。詳らかな事は未知数であり、処方箋も不明だが……今ならまだ、別のなにかになってしまう姉上を、引き戻せるやもしれん。いや、あるべき姉上に引き戻さなければならん」

「わかってる。神だか読者だか知らないけど、私たちの姉さんを、誰ともわからない馬の骨にくれてやるものか」

「うむ。では、頼んだぞ、弟よ」

「兄さんも一緒に行こう。姉さんだっていつも言ってたじゃないか、私たち姉弟はいつも三人一緒だって。一度負けたくらいで倒れる兄さんじゃない、まだ立てるだろ?」

「あぁ、確かに立てるし戦える。だが、ぼくにはやらねばならんことができたようでな」

「やらないといけないこと?」

 

 ふと気づく。いつの間にか、兄さんの視線が私を見ていないことを。

 その目は私ではなく、屋敷の方へ向けられている。それにつられて、私も視線を動かした。

 そして、

 

「よぉ。ここにいたか、虫けら共」

「おにーさんたち……みつけた……ころす」

 

 とんでもないものを目にしてしまった。

 怒り心頭の、ヤングオイスターズに、バンダースナッチ。

 ボキボキとおよそ女性が鳴らしてはいけないだろう音が拳から聞こえ、子供が持っているべきではない刃物が煌めく。

 

(若牡蠣共には追いつかれるし、化け物女ももう回復したのか……!)

 

 それに、それだけじゃない。他にも、なんかたくさんいる。

 いずれも女性。【不思議の国の住人】の少女たち。

 それらが、まるで腐肉に集る蠅のように、押し寄せてくる。

 

「これはまさか……姉さんが手を出した女の子たち、か?」

 

 どんだけ節操ないんだよ。流石に手出しすぎっていうか、むしろこの短時間でよくここまでの女性に手が出せたものだと感心する。

 流石に、三月ウサギとか公爵夫人様みたいなのはいないけど、【不思議の国の住人】の女性たちのほとんどを“妹扱い”した様子。

 これはまずい。姉さんを追いかけるどころの話じゃなくなってきた。

 

「……って、まさか兄さん、やるべきことって」

「応とも。貴様が姉上を追跡する最中、ぼくが連中を食い止めよう」

「いや流石に無理だって。何人いると思ってんだよ」

「問題はあるまい。連中は姉上ではなく、蟲の三姉弟をに怨恨の矛先を向けている。ならば、ぼくは門扉の前に陣取り、その避雷針となるまで」

「だから問題なんだろ。無茶だ、兄さん一人でこの数を相手取るだなんて。すぐに潰れるぞ」

「案ずるなハエ。これは自己犠牲ではない、姉弟愛だ」

 

 まっすぐに私を見据える兄さん。

 まるで、私のことを見通すみたいな眼だ。

 いや、もしかしたら、兄さんの“眼”で、見通されているのかもしれない。

 

「貴様は最悪なる未来を予見しているのやもしれんがな、ぼくは違う。貴様が姉上と共に、姉弟として笑いながら帰還する未来が視える。無論、姉上のように眼を通して視える未来ではないが、ぼくの信じる未来は姉上の眼にも劣らん。確固たる信心による、揺るぎない結末だ」

「兄さん……」

「わかったら疾く行くがいい、木馬バエ。連中の血潮も、じき爆ぜる。その前に、行くのだ」

「……ごめん兄さん」

 

 兄さんだってあの軍勢を相手では多勢に無勢だということは、わかっているはずだ。それでもなお、兄さんは姉さんを、私を信じてくれた。

 私にはどうしたって自己犠牲にしか見えないけれど、それならば、それでいい。兄さんの犠牲を、無駄にはできない。

 そして、一刻も早く姉さんを連れ戻して、兄さんと、姉さんと、三人一緒の日常を取り戻す。

 荒ぶる【不思議の国の住人】の少女たちを相手に大見得を切る兄さん。その姿を背に、私は屋敷の門を蹴破って、走り出した。

 

 

 

「さぁ、かかって来るがいい、狂気の世界に犯された女子共! 主役(キング)はぼく、蟲の三姉弟が一人、『燃えぶどうトンボ』だ! 貴様らの怨恨、憤怒、恥辱、そのすべてを我が身で受け止めて見せようぞ――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「しかし兄さん、よくもあの人たちを相手取って無事だったよね」

「正直、本気で死ぬと思ったぞ。バンダースナッチの巻き添えを食うまいと、他の連中がやや尻込みをして助かったといったところだ」

「なっちゃんは周りなんて見ないもんね。いや、あの時は相当頭に来てたから、周りがズタズタになろうが構いやしなかったってところか」

「うむ。ぼくとしては、ユニコーンめが泣きじゃくり、かの獅子を召喚した時が最も戦慄の走ったものよ。虫けらは獅子に喰われるものではないが、百獣の王とはやはり恐ろしいものだ」

「姉さんがユニコーンちゃんになにしたか知らないけど、あの子を泣かせたら、そりゃあライオン君が黙ってないよな」

「しかし結果的には、貴様のお陰で、九死に一生を得た。助かったぞ、ハエ」

「まあすべては姉さんのせいなんだけどね。結局、私たちはその後始末をしただけで」

「それが姉弟というものであろう」

「最悪な関係だな」

「嫌か?」

「……別に、そういうわけでもないさ」

「貴様はもう少し、己の心情に対し素直になってもいいのではないか? 姉上もよく嘆いていたぞ」

「うるさい。私はあんたらみたいに単純な思考回路は持ち合わせていないんだよ。ほっといてくれ」

「むぅ、そうか」

「そんなことより、話が全然進まない。早くしないと休憩時間が終わるぞ」

「それもそうであったな。この先こそ本番。ぼくの与り知らぬところで、どのような丁々発止の大捜査が行われていたのやら」

「なんだよ、丁々発止の大捜査って。そんな大したことはなかったよ……私が到着してからは」

「貴様が到着してからは? それ以前に、なにかあったのか?」

「知るかよ。私はその場にいなかったんだから。ただ」

「ただ?」

「マジカル・ベルが、ちょっとね」

「なぜここであの娘の話になるのかはわからなんだが、とりあえず話を聞かせてもらおうか。屋敷を出た後、なにがあったのだ?」

「うん、とにかく大変だったよ。実は姉さん、町まで降りて行ったんだけど、そこで――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「さて、町まで来たはいいけど、どう探したものかな……」

 

 ほとんど衝動的に、目の前のことだけを見て前進したはいいものの、途方に暮れてしまった。

 屋敷から出られると困る最大の理由は、捜索が困難になること。そして私たちは、残念なことに姉さんの外出を許してしまっている。

 町は広い。アテもなく探したところで、姉さんを見つけることはできないだろう。思考したところでなにが変わるわけでもないが、もう少し後先考えて行動するべきだったのだろうか。

 

(ダメだな、私は、向う見ずに過ぎる……この前の一件以来、やっぱり眼の制御が利きづらくなってる)

 

 マジカル・ベルに向けた逆恨みの開眼。あの時に、長らく開いていなかった“眼”を開いてしまったが運の尽き。奴は忌々しくも、望まない自己主張を繰り返している。

 畜生の糞だって肥やしくらいにはなるが、この眼は、単なる自分の自我の塊だ。そんなクソほどの役にも立たない、腐ったゴミ以下の眼なんて、なんの価値も、意味もない。ただ、邪魔なだけだ。

 

(まあ、私がこの使えないゴミを引き受けて、姉さんたちに必要なものが与えられた、と考えたら、それでいいんだけれど)

 

 私たち姉弟に分割されて与えられた、視点を変える眼。その采配が神によるものなのだとすれば、その神の判断は称えてやってもいいと思う。

 もっとも、今はその与えられた眼のせいで、姉さんが視点憑依、自我喪失の危機に陥っているのだとすれば、恨み言の百や二百は吐かせてもらわないと気が済まないが。

 

「っと、こんなどうでもいいことを考えている場合じゃなかったな」

 

 我が身のことなんかよりも、今は姉さんだ。

 姉さんは、どこへ行ったのか。虫けらの頭の出来なんてたかが知れているけれど、考えてみよう。

 まず、姉さんが求めているもの。姉さんは今、妹なる存在を求めて暴走している。

 私には妹なんていないし、考えたこともないから、姉さんが求める妹像なんてまったく見当もつかない。とりあえず、年若い女性を狙っている、ということは確かだろう。

 【不思議の国の住人】以外で、姉さんが求めるような、妹にしたくなるような若い女性というと――

 

 

 

「せ、先生ーっ!」

 

 

 

 ――頭の中に誰かの顔を思い浮かべようとしたところで、その空想は甲高い声で掻き消された。

 先生。私のことをその肩書で呼ぶ者は、限られている。そして、裏返ってはいるものの、この声は間違いない。

 少々億劫になりながらも、声の方を向く。

 

「マジカル・ベル……今日は随分と華やかですね」

 

 その声の主は少女。それも、ただの少女ではない。

 人としての名前は忘れたが、マジカル・ベル、あるいはアリスだなんて呼ばれている、私たち【不思議の国の住人】にとっては、とても大きな意味のある少女。まあ、私にとってはどうでもいいんだけど。

 彼女をアリスだなんて呼び始めたのは誰だったか知らないけど――たぶん帽子屋さんだけど――いつもは地味でそこらへんの雑草に紛れてしまいそうな彼女だが、今日はその名を現すすかのような、妙にファンシーな意匠であった。

 どことなく給仕のような恰好――エプロンドレス、っていうんだっけ? やたら布がふんわりしてて、リボンやらフリルやらヘアバンドやらが鬱陶しそうだ。

 およそ彼女が好んで着衣しているようには思えないけど、私は彼女の服装については、学校での制服姿と、マジカル・ベルとしての出で立ちしか知らないので、いわゆる私服というものについては知り得ていない。ゆえに、これが彼女のいつも通りである可能性は否定できない。そうだとは思わないが。

 まあそんなことはどうでもいい。

 それより、彼女はどうも焦っているようだ。切迫している。まるで、獣に追いかけられている小動物だ。

 そしてその喩えは実のところ正鵠を射ていたのか、彼女は縋るように懇願する。

 

「た、助けてください、先生!」

「助ける? どうして私があなたを助けなければならないのですか。すみませんが今はあなたに関わる余裕はありません。あなたなんかのことよりも、私は姉さんを探さなければいけないのですから」

「それです! その、よ、葉子さんが……」

「え? 姉さんが関わってるの?」

 

 前言撤回だ。彼女が姉さんについてなにか知っているのなら、話を聞かないわけにはいかない。

 彼女を助けるかはさておき、姉さんの居所か、もしくはそれを知る手掛かりは見つけないと。

 と、思ったその時、彼女の背後からぬぅっと人影が現れた。

 

「すーずちゃんっ!」

「ひゃうっ!?」

 

 ――姉さんだ。

 姉さんは、背後から彼女を思い切り抱きすくめる。

 

「やーっと見つけた! もう、ダメなのよ、お姉ちゃんから離れちゃ。メッ!」

「あわわわわわ……」

「さあ、さっきの続きなのよ! 鈴ちゃんは素材がいいんだから、もっと可愛くなるべきなのよ! レッツゴーなのよ!」

「きゃー!?」

 

 姉さんは、抱きしめたまま彼女を脇に挟んで抱え上げる。随分と豪快な誘拐だな。

 ではなく。

 

「姉さん!」

「およ? わ、ハエ太なのよ」

「ハエ太言うな」

 

 ようやく、と呼ぶにはあまりにも早い遭遇だけれど。

 兎にも角にも、姉さんを止めないと。

 と思ったけど、

 

「ハエ太、今から鈴ちゃんのファッションショーやるのよ!」

「は?」

「ちょっぴり地味に見えるかもだけど、鈴ちゃんはとっても可愛いのよ! あんな地味なお洋服じゃもったいないから、私が色々見繕ってあげてるの!」

「いや、あの」

「というわけで、ハエ太も来るのよ! お兄ちゃんとしてね!」

 

 私が喋る暇なんてなく、姉さんはマジカル・ベルを連れて、いずこかへと走り去ってしまった。あまりにも早すぎる退去だ。

 本当なら、ここで引き留めるべきだったのだろう。その腕を掴んで、すぐに追いかけて。

 だけど、私は足を止めてしまった。

 胸のうちに、なにかが燻っている。ドクドクと気色の悪いものが湧き上がる。ギリギリと痛ましいなにかが締め付けて来る。

 

「……ふざけんな。誰がお兄ちゃんだ」

 

 身体の中で毒のようななにかが生まれているような感覚。それを排出ように、言葉と一緒に吐き捨てた。

 

「私は、兄さんと、姉さんの――弟だ」

 

 そして、遅ればせながらも、姉さんの後を追いかける。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ファッションショー、とかほざいていたか。

 ということはきっと、あの衣装も彼女の趣味ではなく、姉さんが無理やり押し着せたのだろう。

 つまり今のマジカル・ベルは、姉さんの着せ替え人形というわけだ。

 さて、それじゃあその着せ替え人形はどこに連れて行かれたのか。推測は簡単に立つ。服を着せるのだから服屋だろう。

 問題は、どこの服屋なのかだ。少なくとも、ユニコーンちゃんみたいな名前の安い服屋に、あんな華やかな服は売っていないだろう。

 しかし私は服飾には興味がない。興味がないから疎い。だから、あんな服が売っている店なんてまったくわからない。

 だからって足を止めるわけにもいかないので、手近なところから一軒ずつ、虱潰しに服屋を探していく。

 あの明らかに体力や敏捷性に欠けているだろうマジカル・ベルが走って逃げていたくらいだ。たぶん、そう遠いところではないはずだろうから、すぐに見つかると思ったんだけど……

 

「まったく、ハエ太も来るのよー、とか言うんだったら、行き先ぐらい教えろよな」

 

 これが見つからない。もう五軒くらいは回ってるはずなんだけど、一向に見つからない。

 姉さん、どこに行ったんだよ……

 

「さて、困った。これ以上捜索範囲を広げると私の足では手に負えなくなりそうだし、かと言って今まで探した場所を探し直すのはどうなのか」

 

 焦燥が渦巻く。けれど、なぜか思ったよりも焦っていなかった。

 焦りという感情の渦に、別のなにかが混ざっている。熱く、重く、ドロドロしていて、ねっとりとしている、、気持ちの悪いなにか。

 ごみ溜めに流れた泥水のような、醜悪ななにかが、私の中で蠢動している。

 それが焦燥を薄れさせている……?

 ……いや、どうでもいいことだ。私は自身の眼のせいで、焦って周りが見えなくなる悪癖がある。それを思えば、落ち着けるのは好都合だ。

 ただ、妙に身体が痛い気分だ。身体の内側から、チクチクと針で刺されているみたいな、ぎゅうっと締め付けられるような痛みがある。

 

「……おや、あそこにいるのは」

 

 不可解な痛みを抱きながら、私は目に映ったそれを視認する。

 彼女――違う。“彼”は、確か……そうか。

 これは、好都合だ。

 私は道行く彼を追い、その肩を掴んだ。

 

「ちょっとすいません」

「っ! あなたは……!」

 

 彼は私を見るなり、露骨に顔をしかめて、即座に私の手を振り払い、警戒心を露わにする。

 そういう対応は素直にムカつくけれど、マジカル・ベルのように仲間面されて馴れ馴れしくされるよりもマシだ。むしろ私たちの関係なら、このくらい警戒した方がいい。

 

「なんの用、ですかね。先生」

「あなたも学校外だというのに、私をそう呼ぶんですね。まあ、どうでもいいですけど」

 

 私を睨みつけながら、皮肉っぽく私の肩書を呼ぶ。

 彼は……えぇっと、なんという名前だったか。マジカル・ベルの取り巻きの一人。少年のような少女のような少年。

 名簿がないので名前が思い出せない。まあ、どうでもいいか、名前なんて。

 

「あなたに聞きたいことがある」

「ボクに聞きたいこと? まあ、答えられることなら答えても構わないけれど、今度はなにを企んでるんだ?」

「あなたには関係ないことですが、ちょっとうちの姉を探しているんですよ。それ以外のことなんて、どうでもいい」

「いまいち信用できないな」

「信用するもしないも関係ない。どうでもいい。私はただ、あなたに問うだけだ。あなたは、それにただ答えればいい」

 

 なんて一方的な、と彼は吐き捨てたけど、それでいい。相手のことを慮って会話する余裕なんてない。

 だから私は、単刀直入に、尋ねる。

 

「この辺で、華やかな服を売っている場所はどこですか?」

「……は?」

 

 彼は素っ頓狂な声を上げて、理解不能だと言わんばかりに目を丸くする。

 

「え、なに……なんだって?」

「服ですよ、服。衣類です」

 

 私は服飾には疎い。けれど、彼は確か、服飾関係について強い関心を寄せていたはずだ。

 だからきっと、服屋についても詳しいだろうと踏んで、こうして問い詰めている。

 

「なんていうんでしたっけ……ロリータ、ファッション? ゴスロリ? コスプレ? 私は詳しくないのでわかりませんが、あなた、そういうの得意でしょう」

「いやまあ、ファッションは確かに得意分野だけど、ロリータ系とかコスプレはちょっと……」

「知らないんですか?」

「いや、そういうのも売ってる店なら、確かに知ってる。けど、どうしてまたそんな……」

「あなたには関係ない。早く教え欲しい、時間がないんだ」

「……悪巧み、とかではない、のか?」

 

 怪訝な表情をしながらも、彼はポケットから携帯端末を取り出して操作する。

 そして、表示された画面を私に示した。それは地図だった。

 

「こんな田舎町でロリータファッションを扱っている物好きな店なんてごく少数だから、ここしかないけれど」

「それはいい。ということは、この店でほぼ決定ということか」

「ボクもたまに利用するし、店に迷惑とかかけないでくださいよ」

「保障しかねます。では、私はこれで」

 

 場所はわかった。見たところ、徒歩ですぐに辿りつける距離だ。

 少年を置いて、私は地図に示された場所を目指し、駆け出した。

 

 

 

「……なんだったんだ、一体……」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 少女少年に教えられた店は、走って辿りつけたものの、入り組んだ路地裏にある店で、かなり発見しづらかった。

 どうりで見つからないわけだ。こんな奥まった場所にある店、事前に場所を確認しないとまず見つけられない。

 店の扉を押し開けて、中に入る。外観もそうだったが、中も妙にキラキラしており、なんだか変な臭いがする。ゴミ溜めや死骸のような腐臭ではないが、自然のものではない、異臭だ。気持ち悪い。

 ぐるっと店内を見回す。あまり大きな店ではなく、あちらこちらに、マジカル・ベルが着ていた服のような、無駄に華美な服が所狭しと並んでいる。

 店員がなにやら怪訝な目でこちらを見ているが、知ったことではない。そもそも私は姉さんを連れ戻しに来ただけで、客じゃないのだから。

 さて、少年曰くああいった衣服を売っている店は、この近辺ではここだけとのこと。ならば姉さんもきっと、ファッションショーとやらはここで行うはず。

 見たところ店内に姿は見えない。階段などは見えないので、別の階にいるということもない。奥に扉はあるが、スタッフルームと書かれている。流石にあそこにはいないだろう。

 となると、姉さんがいるだろう場所はただ一つ。

 私はその前に立つ。声も聞こえる。ここでまず間違いない。

 訝しむような視線を向けていた店員が、焦ったように小走りにこちらへと向かってくるが、どうでもいい。気にするものか。

 そこに姉さんがいるのなら、私はどんな恥辱にも耐え、どんな汚名も被ってみせる。

 私は、目の前の“カーテンを勢いよく引いた”。

 

「ちょ、ちょっとお客さん! なにしてるんですか!?」

「きゃー!? 先生!?」

 

 私の行動を咎める声。それと、マジカル・ベルの悲鳴。

 どちらも、私にとってはどうでもいいものだ。

 私が何よりも求めているものは、ただ一つ。

 

「姉さん。見つけたよ」

「ハエ太……」

 

 目の前の、姉さんだけだ。

 姉さんは目を丸くしていたけれど、すぐに頬を膨らませた。

 

「もうっ、ハエったらダメなのよ! 女の子がお着替え中のところに乗り込んでくるだなんて、イケナイのよ。まあでも、ハエ太も男の子だし、そういう気持ちはお姉ちゃんとしてもわかってあげたいところだけれど……」

「うるさい。黙って来い」

「え? わわっ、ちょっとハエ太ー! なんなのよー!」

 

 むくれる姉さんの腕を強引に引っ張る。

 気が急く、というのとは違う。なにか、姉さんを見ていると、やたらとむしゃくしゃする。

 翅を引き千切ってしまいそうなほど強引にしてもいいと思ってしまうほどに、激情が静かに滾っている。

 

「お客さん、困ります。こういったことをされては」

「うるさい。あなたに用はない。退け」

「ひっ……!」

 

 途中、店員が道を阻んできたけど、それも無理やり押し退ける。

 マジカル・ベルを店に残してしまったけれど、まあ、どうでもいいか。

 私は姉さんの腕を引いて、店の外まで出る。そこで、姉さんもさすがに抵抗して、私の腕を振り払った。

 

「ちょっとちょっと、ハエ太! なにするのよ! 私の妹計画の邪魔しないでほしいのよ! 今ちょうど鈴ちゃんにピッタリの可愛くてふりふりの服を見つけたんだから!」

「知るか。もう満足しただろ。帰るよ、姉さん」

「嫌なのよ! まだ私は満足してない! 帰りたくなーいー!」

「駄々をこねるな。もう、あんな奴に構わなくたっていいだろ」

「そんなことないのよ! 鈴ちゃんはね、とってもいい子で可愛いのよ! いつも美味しそうにうちのパンを食べてくれるし、その様子も小動物みたいで可愛いのよー。すっごく妹って感じ! 素敵なのよ! それでね――」

 

 嬉々としてマジカル・ベルについて語る姉さん。とても朗らかで、華やかで、眩しくて、美しくて、気高い。底抜けに明るく、楽しそうに話している。

 けれど、姉さんが喜べば喜ぶほど、声が弾めば弾むほど、明るくなれば明るくなるほど、私の中で燻っているなにかは、暗く重く沈んでいく。

 

「ハエ太? どうしたのよ、怖い顔して」

「……なんでもない。そんな顔してない」

「してるのよー。あ、さては妬いちゃった? 私が鈴ちゃんにばっかり構うから、やきもち? もー、ハエ太ったら、いつもムスッとムッツリしてるのに、そーゆー可愛いところもあるんだから! あ、可愛いと言えば、鈴ちゃんがね――」

 

 そうか。理解した。

 そういうことだったのか。この感情は。

 なんだ、わかってしまえば簡単だな。私の心の機微というものも、単純だ。

 単純明快で至極簡単、だけれど。

 だからって、だからこそ。

 大きすぎるこの負の念は、止められない。

 上手く調整しないとまずいけれど、そんな繊細なことができる気はしない。

 でも、この衝動は、止まらない。

 だから、もう。

 

 

 

「――そうだよ」

 

 

 

 開いてしまおう。私の――“眼”を。

 曝け出してしまおう、私の醜い感情の、すべてを。

 

「あぁ、そうだ。姉さんの言う通りだ。私は妬いている――嫉妬している」

「ハエ太?」

「たぶん、色んな人に嫉妬した。一番は、マジカル・ベルに……それに、怒ってもいる。姉さんに」

「え? えっ?」

「姉さん、妹たちとの触れ合いは楽しかったか? 抱きしめたり、頭を撫でたり、一緒に風呂に入ったり、服で着せ替えしたり……あぁ、楽しかっただろうね。今の姉さんを見ていれば、わかるよ。それだけ、妹ってのは大事なもので、いいものだったんだろうね」

 

 私には妹の良さなんて微塵も理解できないけれど、姉さんが嬉しいなら、私も嬉しい――わけ、なかった。

 

「ふざけんな! 私と兄さんを放り出してなにが妹だ! 大概にしろ!」

「ちょ、ちょっとハエ、なにそんなに怒って……」

「怒るに決まってるだろ! 姉さんの下にいるのは、兄さんと、私だろ!? 忘れたなんて言わせないからな!」

「そりゃあ、そうだけどー……」

 

 腑に落ちないという様子の姉さん。

 私の怒声で、ようやく揺らいだ。けれど、まだ揺らいだだけだ。姉さんの自我も、思いのほか強固だった。

 

「そっかー、ハエ太も構って欲しかったのかぁ。でも残念なのよー」

「なにが残念なんだよ」

「そんなの決まり切ってるのよ。だって――」

 

 姉さん少し申し訳なさそうに、けれども当たり前のように、それが当然のことで、世界の理であるかのように――

 

 

 

「男の子は、攻略対象じゃないもの」

 

 

 

 ――宣告した。

 

「攻略対象……?」

「そうなのよ! ようやくルートに入ったんだもの! これを逃す手はないのよ!」

 

 ふざけてんのか! とまた怒鳴りそうになったけど、あまりにも奇妙すぎる言葉に、怒声を飲み込む。

 攻略……ゲームの話か? でも、なんでそれを今ここで?

 姉さんはなんの疑いもなくその言葉を発した。違和感を感じさせないほどに、自然に言ってのけた。

 今の姉さんは、視点憑依を発症している恐れがある。だから、姉さんのように見えても、その眼はまったく別人のものになっている可能性がある。

 その別人とは誰か。三人称の眼を持つ姉さんが宿した、第三者とは誰なのか。

 姉さんは、私は、男は攻略対象じゃないと言った。逆に言えば、女なら攻略対象という意味。

 バンダースナッチ、ヤングオイスターズ、ユニコーン、マジカル・ベル……姉さんが手を出した人たちは皆一様に女性。

 そして攻略というのは、恐らく、姉さんが求める妹を手中に収めることとか、そんなことだろう。つまりは目的の到達だ。無視や獣なら交尾。人間なら、恋愛、というのか?

 

(恋愛……そういえば、姉さんはそういうゲームをしていたな)

 

 三月ウサギのクソ女の悪影響だ。

 確か、あのメモ帳にも、攻略キャラがどうとか書いていた。あの手のゲームでは、そういう呼び方をするのだろうか。

 とすると、まさか、姉さんが宿した第三者って――

 

(――ゲームの、主人公?)

 

 そんな馬鹿な、と言いたくなるが、否定はできない。

 あまりにゲームにのめり込みすぎて、その主人公の視点を宿してしまった。視点を、そんな“第三者”に乗っ取られてしまった。

 だから、ゲームの主人公になり切っているかのような振る舞いをするし、姉さんの行動原理も、本来のものとずれてしまっている……のだろうか。

 

「ごめんねハエ太。もうルートに入っちゃったから、ここから無理やり別ルートに行こうとすると、バッドエンドになっちゃうかもなのよ。そもそも生えたは攻略対象じゃないし、次回作に期待なのよ!」

「……そうかよ。ならわかった」

「あ、わかってくれたのよ? さっすがハエ太、いい子なのよ」

「そっちじゃねぇ」

 

 もうこの人は、なにを言っても無駄だということだ。

 きっと、視点の乗っ取りが進行してしまっているのだろう。これが、姉さんの本心だとは、思えない。思いたくない。

 だから、

 

 

 

「私が、姉さんの眼を覚まさせてやる……!」

 

 

 

 変わってしまった姉さんの心を、叩き直す。

 致命的になる前に。後戻りできなくなる前に。

 本当の、私たちの姉としての、私たちを弟として扱ってくれる姉さんを、取り戻す。

 

「まったくもう、トンボもハエ太も、せっかちさんなのよ……まあでも! サブイベントがてら、かるーく楽しみましょうか!」

「サブじゃないよ、姉さん。私にとって、姉さんはメインもメイン。大本命だ」

 

 感覚が、認識が、信条が、ずれている。

 そのことを感じ、胸中の痛みを耐え忍びながら、私は凶器を手に取る。矮小な私の、戦うための力を。

 

 

 

「姉さん。今から私が、あなたに“眼”に巣食った愚か者を――喰い殺す」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 私と姉さんの対戦。

 姉さんは、兄さんを屠った、水入りのゲイル・ヴェスパーだ。《デデカブラ》《デスマッチ・ビートル》と順調にクリーチャーを並べている。

 対する私の場には《ステップル》が一体。姉さんの圧倒的なパワーの前には、虫けらのようなものだ。いや、元より私は虫けらだけれども。

 

 

 

ターン2

 

木馬バエ

場:《ステップル》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:28

 

 

バタつきパンチョウ

場:《デデカブラ》《デスマッチ》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:0

山札:28

 

 

 

「私のターン。2マナで《ダーク・ライフ》を唱える。山札から二枚を見て、一枚をマナへ、もう片方を墓地へ。さらに3マナで《青守銀 シャイン》を召喚。一応、キズナを発動して、《シャイン》にブロッカーを与えるよ。ターンエンドだ」

「ふふーん、ブロッカーなんて無駄なのよ! 私のターン! マナチャージして、3マナで呪文《ボント・プラントボ》! 山札から一枚目をマナチャージ!」

 

 こっちも不調なわけではないけれど、姉さんは調子がいいようだ。

 どっちも好調に動くのなら、その最大値が大きい方が勝る。

 私なんかは、どうせ弱小な虫けらが集っているだけに過ぎないけれど、姉さんの操る虫は巨虫。最大値というのなら、私の何倍も大きい。

 

「やったのよ! マナに落ちたのが、パワー12000以上の《水上第九院 シャコガイル》だから、もう1マナ追加! なのよ!」

 

 さらに追加でマナに落ちたのは《ジーク・ナハトファルター》。

 まずいな……このままだと、あっという間に特殊勝利される。

 

 

 

ターン3

 

 

木馬バエ

場:《ステップル》《シャイン》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:2

山札:25

 

 

バタつきパンチョウ

場:《デデカブラ》《デスマッチ》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:1

山札:25

 

 

 

「私のターン……このマナチャージで6マナになるけど……」

 

 手札は二枚。《マイト・アンティリティ》は既に握っている。

 だけど、姉さんの場には、踏み倒し相手とバトルする《デスマッチ・ビートル》が構えている。

 《マイト・アンティリティ》でクリーチャーを踏み倒しても、パワー13000の前には太刀打ちできない。私では、姉さんのパワーには敵わないのだ。

 となると……やはり、意地汚く、生き汚く攻めるしかないか。汚らしい蠅のように。

 元より惰弱な羽虫。それがより巨大な存在に噛み付くには、やはり、限られた手段を行使するしかない。

 

「マナチャージなし。4マナで《超越の使い 蒼転》を召喚。ターンエンドだ」

「それだけ? じゃあ、私のターンなのよ! どんどん行くのよ、《コレンココ・タンク》召喚! 山札から三枚を捲るのよ!」

 

 ここで捲られたのは《ジーク・ナハトファルター》《終末の時計 ザ・クロック》《天風のゲイル・ヴェスパー》の三枚。

 最悪というか、絶望的なほどに大正解の捲りだ。

 

「《ゲイル・ヴェスパー》を手札に加えて、それ以外はマナへ! ターンエンド! なのよ!」

 

 マナゾーンには《ジーク・ナハトファルター》、手札には《ゲイル・ヴェスパー》。姉さんの必殺の切り札が揃ってしまった。

 次のターン、姉さんは《ナハトファルター》を確実に回収できる。そして《ゲイル・ヴェスパー》のコストは4まで下がって、後続の《ナハトファルター》は3マナまでコストが軽減される。

 そうなれば終わりだ。山札をすり潰されて、勝敗が反転し、私の負けが確定する。

 クリーチャーを除去したり、手札を叩ければどうにかならないこともないけど、このデッキのパワーでは、姉さんのクリーチャーを殴り倒すことなんてできないし、手札破壊も積んでない。

 《アラン・クレマン》なら倒せるけど、引けたとしてもNEO進化元がいない。

 

 

 

ターン4

 

 

木馬バエ

場:《ステップル》《シャイン》《蒼転》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:2

山札:24

 

 

バタつきパンチョウ

場:《デデカブラ》《デスマッチ》《コレンココ》

盾:5

マナ:8

手札:1

墓地:1

山札:22

 

 

 

 姉さんは次のターンに勝利する準備が整った。

 だけど、私だって指を咥えてそれを見ていたわけじゃない。

 姉さんがどんな動きをするかなんて知ってる。そして、それを踏まえて、私が生き残るためにはどうすればいいのかを、私は知っている。

 常に巨虫の重圧に押し潰されそうになっているんだ。心の余裕なんてまったくない。

 死の恐怖に怯えながら、底意地悪く、負けないように必死に足掻く。

 それが『木馬バエ』、木屑の蠅。

 私の在り方だ。

 

「行くぞ姉さん、食い殺される覚悟はできたか?」

 

 マナチャージして、6マナ。そのすべてを倒す。

 私はハエ。甘い蜜は吸わない。熟れた果実だって口にするものか。

 啜るは泥水。喰らうは腐肉。貪り尽くすは死の骸。

 いつだって最底辺。どこだって地獄だ。

 だから、余裕に優雅に舞う姉さんを、死に物狂いで撃ち落とす。

 覚悟しろ姉さん。あなたが煌びやかに踊ってる隙に、私は牙を研いでいる。

 小さくて、脆弱な牙だけど、無数の羽虫が集えばそれなりだ。

 その惰弱な牙で、最上の御馳走を――あなたの柔肉を、喰わせてもらいますよ、姉さん。

 

 

 

「骨の髄まで喰らい尽くせ――《マイト・アンティリティ》!」

 

 

 

 姉さんや兄さんには見劣りするけれど、これでも私の切り札。

 さあ、木屑の蠅らしく、意地汚く勝ってみましょうか。

 

「まずは墓地のクリーチャーを二体までマナに置く。そして攻撃――キズナプラス発動だ」

 

 《マイト・アンティリティ》と、場の《蒼転》の紋章が光り、浮かび上がり、共鳴する。

 二体のクリーチャーの絆が、今、繋がったのだ。

 

「《マイト・アンティリティ》と《蒼転》の、キズナマークによって定義された能力を起動するよ。まずは《アンティリティ》から。マナゾーンから《夜の青守銀 シャイン》をバトルゾーンへ」

「踏み倒したね? お姉ちゃんにはハエ太の切り札なんてお見通しなのよ! 《デスマッチ・ビートル》の能力発! 《デスマッチ》と《シャイン》でバトルするのよ!」

「待て。姉さん、まだ私のクリーチャーの能力処理が終わっていない」

「む、そういえばそうだったのよ。じゃあ続けるのよ、ハエ太」

「あぁ。次に《蒼転》の能力により、今しがた踏み倒したばかりの《シャイン》に、次の自分のターン開始時まで、破壊耐性を付与する」

 

 《蒼転》のキズナの力は、味方の保護。短い間だが、味方一体を、あらゆる破壊から守る、守護の力。

 小さな虫けらなんて、死のうが生きようが構いやしないけど、使える虫はとことん使い潰した方が得だ。

 それに、こうでもしないと、姉さんの大きすぎる虫たちには敵いそうにない。

 除去耐性を付与された《シャイン》を見て、姉さんはキョトンと目を丸くしている。

 

「え……それじゃあ、バトルしても倒せないのよ?」

「そういうことだ」

「なんだか、イヤなところを狙い撃ちされた気分なのよ」

「当然だろ、私たちが、姉さんのことを一番よく知ってる。あなたの好きなものも、嫌いなものも、戦い方も、生き様も、すべて、すべて、すべてだ! 私と、兄さんと、姉さん。三人ずっと一緒だったんだ! 姉さんが必死で追いかけてる、妹とやらなんかよりも、私たちの方が、ずっと姉さんのことを知ってる! 本物の、正真正銘の姉弟だからな!」

「な、なんなのよ、ハエ太。熱くなっちゃって……」

「まだ終わらないよ。さらに、踏み倒された《シャイン》の能力、キズナ発動! 《アンティリティ》のキズナ能力を起動し、マナゾーンから二体目の《蒼転》をバトルゾーンへ! 《夜の青守銀 シャイン》からNEO進化だ!」

「えーっと、それも《デスマッチ》でバトルするけど……」

「この《蒼転》は、破壊耐性を付与された《シャイン》をNEO進化元にしているから、その状態を引き継ぐ。だから当然、破壊されない」

「そんなぁ」

 

 巨大ではあるけど、単純なんだよ、兄さんも、姉さんも。

 必死で羽虫みたいなクリーチャー共を守るのも意味がある。

 まだ足りない。まだまだ物足りない。もっともっと集ってもらおう。

 僅かばかりの残飯に集え、虫けら共。

 

「これで一連の処理は終了、《マイト・アンティリティ》でWブレイクだ!」

「トリガーはないのよ……」

「次に、既に場に出ていた方の《蒼転》で攻撃、キズナコンプ発動! 私の場のクリーチャーすべてのキズナマークの能力が起動する! まずは《アンティリティ》からだ!」

 

 再び、場のクリーチャーのキズナマークが浮かび上がる。

 今度は《アンティリティ》のような、追加分だけではない。キズナコンプはすべてを完全に起動させる、キズナの極致だ。

 

「マナゾーンから《青守銀 シャイン》をバトルゾーンに! 《蒼転》の能力で、この《シャイン》と、《アンティリティ》に破壊耐性を付与。既に場にいる《シャイン》の能力で、まだ攻撃していない《蒼転》にブロッカーを付与。最後に、踏み倒された《シャイン》のキズナで、《アンティリティ》の能力を起動! マナゾーンの《記憶の紡ぎ 重音》を、踏み倒した《シャイン》に重ねてNEO進化だ!」

「い、いっぱい出たのよ……! っていうか、やってることごちゃごちゃしすぎてて、なにしてるのかよくわかんないのよ!」

「当然だろ、蠅がゴミに集るのに、規律も秩序も存在しない。一心不乱に腐心して、腐った獲物に押し寄せるだけだ」

 

 とはいえ、やっていることは単純だ。《蒼転》で破壊耐性を付与しながら《アンティリティ》で踏み倒しているだけ。無作為で無秩序、混沌で混迷はしているけど、そこに複雑さも精密さもなにもない。

 ただひたすらに、肉を喰らい、噛み千切るだけ。

 

「行け、《蒼転》でシールドブレイク!」

「うー、なにもないのよ」

「さぁ、次だ。二体目の《蒼転》で攻撃する時、キズナコンプ発動!」

「またいっぱい発動するのよ!?」

 

 長々と続く処理に、うんざりしたような表情を見せる姉さん。

 迂遠で、鬱陶しく、嫌悪感を醸すようなことだろうけど、私は蠅。

 意地汚く勝ちに行くのは当然のことだ。

 

「私は姉さんのことをよく知っている。なら姉さんも、私のことはよく知ってるだろ? なぁ!? そうだろ!?」

「な、なに? なんかハエ太、怖いのよ……」

「姉さんだって知ってるだろ。私は兄さんや姉さんのように、力強い巨虫で押し潰す、なんてことはできない。でも、惰弱な蠅でも、誇れるものはある。汚い底辺の羽虫、その唯一の長所は、群れることだ。数多の羽虫が集い、群となれば、強大な巨虫にだって負けない……姉さんのような巨虫だって、貪り尽くして見せる!」

 

 獲物は大きい方が喰らい甲斐がある。

 けど、まだまだ足りない。もっと、もっと喰らえ。骨も皮も残らず貪れ。

 この、妬みと、僻みと、怒りと、憤りを乗せた、驕り高ぶった劣情を、その牙に乗せてぶつけろ!

 

「キズナコンプ発動! 起動せよ、《蒼転》、《アンティリティ》、《重音》、《シャイン》!」

 

 《蒼転》のキズナコンプが発動し、私のクリーチャーのキズナマークが一斉に輝く。

 

「《アンティリティ》の能力で、マナゾーンの《ステップル》を出して、マナを加速! 次に《重音》の能力でドロー! 手札からコスト5以下の呪文を唱える! 《狂気と凶器の墓場》!」

「ぼ、墓地からも出るのよ!?」

「当然。地べたを這いずりまわるのは穢れた害虫の姿。ならば、地の底からだって這い上がるさ……さぁ出て来い、《夜の青守銀 シャイン》!」

 

 墓地から蘇る、《夜の青守銀 シャイン》。

 これでまた、さらに絆が連鎖する。

 

「《シャイン》のキズナ発動! 《アンティリティ》のキズナ能力を起動させ、マナの《奇石 ミクセル》をバトルゾーンに! 《蒼転》二体分の破壊耐性を、《ミクセル》と《シャイン》に付与。ついでに《シャイン》の能力を、この《夜の青守銀 シャイン》に適用、ブロッカーにする」

「うにゃー! なんなのよ! これは!」

 

 踏み倒されたクリーチャーと片っ端からバトルする《デスマッチ・ビートル》だが、バトルに勝てても、まるでクリーチャーが破壊できない。せっかくの踏み倒しメタである《デスマッチ・ビートル》がまるで機能せず、姉さんは狂ったように叫んだ。

 

「これで一連の処理は終了だ。次はシールドを喰らうぞ」

「もー、一回攻撃するだけで長いのよ!」

「蠅ってのは食事が長いものだ。許せ、姉さん……さぁ、《蒼転》でシールドブレイク!」

 

 じわりじわりと、少しずつ削って、喰らっていく。

 もうすぐだ。もうすぐで、姉さん自身に、私の牙が届く。

 そうすれば、きっと、姉さんも……!

 

「あ、S・トリガーなのよ! 《クロック》召喚! これでハエ太のターンは終わりなのよ!」

「ちっ、《クロック》を踏んだか……邪魔しやがって……!」

 

 あと一歩、あと一歩で届いたというのに。

 その一歩が、届かない。

 けれど、

 

「さぁ、ターンスキップで私のターン! これで決めちゃうのよ! まずはマナゾーンの《ジーク・ナハトファルター》を……」

 

 姉さんのターン開始時。姉さんはフィニッシュに向かうため、マナからキーカードを――《ナハトファルター》を回収しようとする。

 だけど、私のバトルゾーンを一瞥して、硬直した。

 

「……え? 《ミクセル》なのよ?」

「あぁ、《ミクセル》だ」

 

 あと一歩が届かないのは、姉さんも同じだ。

 私の場には、相手が自分のマナ数よりコストの大きなクリーチャーを出せば、そのクリーチャーを山札の下に送り返す《ミクセル》がいる。

 姉さんのデッキは、兄さんと違って、膨大なマナ加速から大型をぶん投げるのとは、少し勝手が違う。

 《ゲイル・ヴェスパー》の性能を最大限に生かした、膨大なコスト軽減。それが姉さんのスタイルだけど、今回はそれが仇となったな。

 コスト軽減なら《ミクセル》が許さない。悪いけど、そこで止まってもらうよ、姉さん。

 

「……いや、まだ。まだなのよ」

 

 《ミクセル》で姉さんの必殺の動きは止めた。

 そう、思っていた。

 けれどその考えは、姉さんの淹れる茶よりも甘い。

 一心不乱に、無我夢中になっていた私は、見落としていた。

 私の妨害を躱すための、正攻法な、抜け道を。

 

「《ジーク・ナハトファルター》の能力発動なのよ! マナのこのカードを一枚、手札に戻すのよ!」

「《ミクセル》で《ゲイル・ヴェスパー》を封じられてるのに、《ナハトファルター》を戻した……?」

 

 私のデッキならハンデスが飛んでくる可能性がある。そのリスクを背負ってまで、《ナハトファルター》を抱え込んだ。

 つまり、ターンを跨ぐ気はないということ。このターンで、決めに行くつもりだということ。

 けど、《ミクセル》を立てているこの現状で、《ゲイル・ヴェスパー》が場に残れないこの状況で、一体どうやって勝つつもりなんだ?

 

「まだ私にはあのカードがある。それさえ引ければ、勝ちの目はあるのよ! ドロー! なのよ!」

 

 姉さんにはまだ、奥の手がある? いや、まさか。あのデッキに、そんな変なカードを入れる隙なんてないはず。

 ならば、どうするというのか。

 

「……引いたのよ」

 

 その答えは、すぐに明らかになる。

 

「マナチャージして、3マナ!」

 

 それは、なんてことのない、単純な話だ。

 《ミクセル》によって、大型クリーチャーの存続が阻害されている。膨大すぎるコストに見合わないマナでは、場に留まることを許されない。

 ではどうするのか。本来必要なマナが不足している。だから出せない。

 それならば――

 

 

 

「呪文! 《ボント・プラントボ》!」

 

 

 

 ――マナが足りないのなら、足せばいい。

 

「っ、しま……!?」

 

 姉さんのマナは8マナ。ここで《ボント・プラントボ》で2マナ加速すれば10マナ。《ゲイル・ヴェスパー》が《ミクセル》の妨害から脱せるマナ圏になる。

 その後、大幅なコスト軽減で出した《ナハト・ファルター》は出しても山札の底に沈むけど、一体でも出せば1マナ増える上に、マナにある二枚目の《ナハトファルター》を回収できる。

 そうすれば姉さんのマナは11マナになって、《ナハト・ファルター》も生き残る。そして、その後どうなるのかは、語るまでもない。

 

「ハエは見えるキズナの力を使うけど、私たちには、見えない絆だってあるのよ! そう、これが姉弟の絆にして愛なのよ! さぁトンボ! お姉ちゃんに力を貸して! マナブースト、なのよ!」

 

 ……ダメ、なのか。

 やはり、私のような小さく汚いハエでは、姉さんのような、大きく華々しい蝶には、敵わないというのか。

 

(兄さん……姉さん……ごめん……)

 

 私では、姉さんを止められなかった。

 妹を探すという奇行にして蛮行を、歪んだ視座による暴走を、止められなかったんだ。

 弱くて小さな木屑の蠅では、死に物狂いで足掻いたって、叩き潰されて、惨たらしく絶命するだけ。

 大きく優雅な蝶の前では、貧弱な羽虫でしかなかったんだ。

 すべて、終わりだ。

 終末を告げるように、姉さんのマナゾーンに、カードが置かれる。そう――

 

 

 

 ――《終末の時計 ザ・クロック》が。

 

 

 

「……あれ?」

「…………」

 

 一瞬、わけがわからず呆然としていた。私も、姉さんも。

 けどすぐに理解する。

 つまり、これは、

 

(マナ加速、失敗してる……)

 

 なんというか、これは……いや、まあ、トップに依存した効果だから、そういうこともあるんだけどさ……

 しかし流石に、この結果はどうなのだろうか。

 

「ちょっとー! これじゃあ追加のマナ加速ができない……《ゲイル・ヴェスパー》が出せないじゃないのよ!」

 

 姉さんは、マナに置かれた《クロック》に怒っていた。そんなことで憤慨したって、結果は変わらないだろうに。

 なんにせよ、私は姉さんが組み込んだ青いカードに助けられたようだ。

 道理を捻じ曲げて、外道な手段で勝ちに行くからだよ、姉さん。

 いや――“自分自身”を曲げたから、か。

 見えない姉弟愛。それはあるのだろう。

 けど、今の姉さんに、私たちに対する愛はない。姉さんはずっと、妹に執心していたのだから。

 妹を求めるばかり、私や兄さんをおざなりにした姉さんだ。そんな姉さんに、兄さんの力を借りる資格なんて、ない。都合のいい時だけ私たちの絆を騙って、その力を借り受けようだなんて、そんな虫のいい話はありはしない。

 

「もう無駄だ。ターンを渡せ、姉さん。今すぐ、あなたのその腐った目玉と脳髄を貪り尽くしてやる」

「う、うぅ……ターンエンド、なのよ……」

 

 

 

ターン5

 

 

木馬バエ

場:《蒼転》×2《アンティリティ》《シャイン》《重音》《ステップル》《夜のシャイン》《ミクセル》

盾:5

マナ:2

手札:0

墓地:4

山札:19

 

 

バタつきパンチョウ

場:《デデカブラ》《デスマッチ》《コレンココ》《クロック》

盾:1

マナ:9

手札:4

墓地:2

山札:20

 

 

 

 姉さんのシールドは、残り一枚。

 また《クロック》で耐えられる可能性はあるけど、そんなことはもう、気にしていられない。

 ここまで来たら、最後まで貪り尽くす。

 そして、姉さんを――私たちの姉を、取り戻す。

 

「《蒼転》で攻撃する時、キズナコンプ発動! 《重音》の能力でドローして、呪文《狂気と凶器の墓場》! 墓地から《アラン・クレマン》をバトルゾーンへ! そのままシールドブレイク!」

「! し、S・トリガーなのよ! 私のマナゾーンにパワー12000以上のクリーチャーが五体以上いるから、《タマタンゴ・パンツァー》を召喚! タップして、攻撃を全部引き付けるのよ!」

「知ったことか! 二体目の《蒼転》で攻撃! 再びキズナコンプ発動! そして《アラン・クレマン》のキズナ能力を起動! 《タマタンゴ・パンツァー》を破壊!」

 

 巨大な菌糸の壁は、暴食の化身によって一瞬で食い潰される。その程度では、私は止められない。

 

「これで終わりだ、姉さん」

「そんなぁ。私はただ、妹が欲しかっただけなのに……どうして邪魔するのよ!」

「……姉さんが妹が欲しいだけなら、私は否定しないよ。だけど姉さんは、姉さんじゃない“お前”は、私の逆鱗に触れた」

 

 私だって、姉さんのしたいことを根っこから否定するつもりはない。妹が欲しいなら好きにすればいい。面倒くさいし鬱陶しいし馬鹿じゃないかとは思うけど、姉さんの心までは否定しない。

 けど、そうだとしても、私にだって我慢ならないことはある。

 

「お前は、私を、兄さんを、私たち姉弟を蔑ろにした。本来の姉さんなら、そんなことはあり得ない。私たちの絆を毀すような姉さんは姉さんじゃない……そんな姉さんに憑き、騙るお前を、私は許さない。生者の面影を残さないほどに、惨たらしく食い殺してやる」

 

 私たちよりも妹を優先する。空想の妹のために、兄さんを退け、私にさえも牙を剥ける。

 それだけは、我慢ならない。許せない。

 傲慢な怒りだろう。強欲な妬みだろう。だけど、これだけは譲れない。

 他のどんなものを捨て去ろうとも、私たち蟲の三姉弟の絆は、繋がりだけは、手放さない。

 そして、それを踏み躙るというのなら、容赦はしない。

 

 

 

「戻って来てくれ、チョウ姉さん――」

 

 

 

 私たちの姉としての、私たちを弟として扱ってくれる、蟲の三姉弟の長女、バタつきパンチョウ。

 私たちを導く姉としての視点を、存在を、取り戻すために。

 あなたを、斃す。

 

 

 

「《マイト・アンティリティ》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「私の勝ちだ、姉さん。帰るよ」

「やーだー! やだやだやだー!」

 

 勝敗は決した。誰がどう見ても、私の勝ちだ。

 だけど姉さんは、その場を動かない。子供みたいに駄々をこねて、私の手を拒む。

 

「まだ、私には妹が……トゥルーエンドが待ってるのよ! こんなところで終われるわけないのよ! だって、だって――」

「だってじゃねぇ! いい加減にしろ!」

 

 思わず怒声を飛ばすと、姉さんはビクッと身体を震わせた。

 私は、そのままの勢いで、言葉を掃き散らす。

 

「姉さん。姉さんは私がなんで怒ってるのか、まだわからないのか?」

「わ、わかってるのよ。ハエ太もお姉ちゃんに構ってほしかったんでしょ? でもごめんね、ハエ太はメインルートでのイベントはないから……」

「馬鹿野郎!」

 

 感情のままに拳を振り上げる。

 額に打ち付けるようにして、思い切り拳を振り抜いた。

 ガッ! という鈍い音が、身体の内側に気持ち悪く響く。

 ……姉さんを殴ることになるなんて。はじめてだ、こんなことは。

 姉さんは蹲って、信じられないと言わんばかりの抗議の眼で私を見上げる。

 

「いったぁ!? な、殴った!? ハエ、女の子の顔を殴ったのよ!? さいってー! トンボでもこんなことしないのよ!」

「うるせぇ馬鹿!」

 

 けど、講義をしたいのはこっちだ。信じられないのは私の方だ。

 いまだに自分を取り戻さない姉さんに、私は思うがままに、弾けるように妬みを、怒りを、叫びを解き放つ。

 

「いい加減に目を覚ませよ! なにが攻略だ、なにがルートだ! 私と兄さんよりも、そんなものが大事なのかよ! じゃあ私と兄さんって、あなたのなんなんだよ! 姉さんにとっての私たちって、なんなんだよ!?」

「あ、私にとっての……?」

「私たちの姉だというのなら答えろ、バタつきパンチョウ! それとも、そんなわかりきった答えも忘れたのか!?」

「え、えーっと……」

「あんたが答えないなら、私が教えてやる! あんたの目の前にいる私と、ここにいない兄さんは、あんたの……姉さんの――」

 

 なぜか口ごもる姉さん。答えられないはずなんてない。これが本当の姉さんなら。

 けれど姉さんは、気圧されたように目を丸くするだけで、答えない。その様子に、苛々する。いても経ってもいられなくなる

 我慢できなくなって、堪えきれなくなって。

 私は、叫んだ。

 

 

 

「――“弟”だろ!」

 

 

 

 そうだ。姉さんは、私たちの姉さんで。

 私たちは、そんな姉さんの弟なんだ。

 当然だ。当たり前に過ぎる。あまりにも自明のこと。

 

「弟……」

「そうだ。弟だ。わかるだろ」

 

 なんてことのない。ただ、それだけのことだ。それだけでいいんだ。

 私は多くは望まない。ただ、格好良い兄さんと、美しい兄さん。いつもの二人がいてくれれば、それでいい。

 

「だからこそ、私は悔しいよ、姉さん。姉さんが、私たちのことよりもぽっと出の妹なんかを優先することが。私たちが叫んでも、希っても、聞く耳も持たないことが。姉弟なのに、今までずっと一緒の、蟲の三姉弟だっていうのに……姉さんの心が、私たちから離れてしまうのは……悲しい」

「ハエ……」

「だから戻って来てくれよ、姉さん。頼むから……いつもの、姉さんらしい姉さんを、取り戻してくれよ……!」

 

 “眼”を開いた影響か。私の感情は激しく揺れ動く。

 妬みに怒り、僻みに憤り、嫉みに驕り。負の念は炎のように爆ぜたかと思えば収束し、水のように流れ落ちる。

 もはや懇願だった。私は情けなくも、姉さんに乞うている。

 そして――

 

 

 

「――ごめんなさい」

 

 

 

 ――彼女は、頭を垂れた。

 

「ごめん、なさい。木馬バエ……私が、間違っていたのよ」

「姉さん……」

「そうだった。なんでこんな大事なことを見落としてたんだろ。妹も欲しいけど、でも、私にとってなによりも大事なのは、あなたたち。木馬バエ、燃えぶどうトンボ。蟲の三姉弟の、弟たち。世界で一番大好きな、私の弟……うん、思い出したのよ」

 

 姉さんは、まっすぐ私を見据える。

 その眼差しは、ここにはいない誰かを見てはいない。幻想の妹を視る、三人称(誰か)の視点ではない。

 確かに、私という弟を見る、姉さんの眼だ。

 姉さんはジッとこちらを見上げている。らしくもなく、言いづらそうに、口を開きかけては噤んでいる。

 

「なんだよ姉さん。言いたいことがあるなら、ハッキリ言ってくれ」

「う、うん。ねぇ、ハエ」

「なに?」

「私を、許してくれる……? こんなダメダメなお姉ちゃんでも、いい……?」

 

 姉さんは、潤んだ瞳で、許しを乞う。

 今までの暴走の罪悪感か。不安げで、悲しげで、儚げに、己の罪の在処を私に委ねてくる。

 なにを言いだすかと思ったら、そんなことか。なんてくだらない。どうでもいいことだ。

 

「くだらないこと言ってるんじゃないよ。いいも悪いもない。姉さんらが虫けらで、ダメなとこばっかりで、誰かに迷惑かけまくるなんて、今に始まったことじゃないだろ。鬱陶しいから、いちいちそんなこと聞くな」

「そう……えへへ、ありがと、ハエ」

 

 子供っぽく笑う姉さん。ようやく、姉さんらしい、本物の姉さんらしい笑顔が見られた。

 もう、大丈夫そうだ。神だか読者だかゲームの主人公だか、正体はハッキリしないままだけど、姉さんの“複眼”を乗っ取ろうとしていた誰かの意志は、雲散霧消したと言っていいだろう。

 

「礼なんていい。それよりも、早く帰るよ。兄さんが待ってる」

「そうだね。鈴ちゃんや、皆にも謝らないと……ねぇ、ハエ」

「今度はなんだ」

「ひとつだけ、ワガママ言ってもいい?」

「……なに?」

「おんぶ」

「甘ったれんな」

 

 伸ばされた手を払う。

 すると姉さんは、口を尖らせた。

 

「えー、いいじゃないのよー。ぶーぶー! おーんーぶー!」

「人にさんざ迷惑かけといて、どれだけ図々しいんだよ」

「今はちょっぴり甘えたい気分なのよ! それに、あっちこっち走り回って疲れちゃったんだもの」

「そういうことじゃなくて、厚かましいって言ってるんだけど……あぁ、もういいや。面倒くさいし。今日だけだよ」

「わーい! 流石はハエ太なのよ!」

「だからハエ太はやめろって」

 

 少し気恥ずかしいけれど、姉さんの頼みなら、まあ仕方ない。

 屈んで姉さんに背を向ける。直後、背中に柔肉が押し付けられる感覚。

 そして立ち上がった瞬間、全身を襲う重力。

 

「うわ重っ! どんだけ肥えてるんだよ」

「ちょっとハエ太! 女の子に向かって重いなんて失礼なのよ!」

「姉さんはもう女の“子”なんて言える歳じゃないだろ。兄さんも言ってたけど」

「そんなことないのよ! 私だって、女の子って言えるじゃないのよ?」

「言えないと思うし、どうでもいい。姉さんは姉さんだろ」

「むむっ、ちょっぴり嬉しい! そーゆーことを素直に言えちゃうハエ太は大好きなのよ?」

「ねえ、いい加減ハエ太はやめてくれないか? これを言うのも疲れた」

 

 なんて、他愛もないことを言い合いながら、帰路を歩む。

 いい年こいた大人が、こんなデカい姉を背負って歩くという構図は、些か奇妙に映るだろう。実際、道行く人々は私たちに奇異の目を向けている。

 まあ、周りの人間なんてどうでもいいけどね。有象無象の連中のことなんて、興味ない。

 私の世界に必要なのは、美しく麗しい姉さんと、雄々しく格好良い兄さんだけなんだから。

 周囲の視線を無視しながら、どうでもいい言葉を投げかけ合っていると、不意に姉さんが、しんみりした声で言った。

 

「ねぇ、ハエ」

「なに?」

「迷惑かけちゃって、ごめんね」

「……うるさいよ。私たちは姉弟だろうが」

「うん……そだね」

 

 私たちの会話は、そこで途絶えた。

 そして私たちは、屋敷に帰って、兄さんと落ち合うまで、口を開くことはなかった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――とまあ、結末としてはこんなところかな」

「…………」

「どうしたの、兄さん。黙りこくっちゃって」

「いやすまん。貴様らの姉弟愛に心動かされ、感涙に咽びそうになってな……」

「泣くなよ……」

「流石は我が弟だ。ぼくもその場に居合わせたかった」

「そこは悪かったよ。兄さんに、一番きついことを強いちゃって」

「ぼくでは姉上を止められなかったのだから、仕方あるまいて。それに、貴様も姉上も、ぼくの下に駆けつけてくれたではないか。終わりよければすべてよし、だ」

「楽観的だなぁ……」

「貴様が悲観的すぎるのだ、ハエ」

「そう?」

「応。しかし……“眼”を殴打して、無理やり視点を叩き直すとは、強引なものよな」

「それ以外に方法が思いつかなかった。荒療治だとは思ったし、姉さんに手を上げるのは憚られたけど……」

「それもまた、仕方あるまい。それで姉上が正気に戻ったのだから、万事解決よ!」

「そうだね……ただ、今回のことは、私たちも他人事じゃないよ」

「無論だ。今後は、我々の“眼”の扱いも、慎重にならねばな」

「まあ、私は個人単位でしか開眼しないから関係ないけど、兄さんは気を付けてくれよ」

「承知している。ぼくの“眼”は姉上のように、得体のしれない視野ではないからな」

「だといいけど、兄さんも無茶するからな……」

「あ、トンボにハエ太! みっけたのよ!」

「おぉ、姉上ではないか!」

「姉さん……だからハエ太はやめてくれよ」

「如何した姉上。昼休みは仕事ではないのか?」

「えへへー、無理言って、ちょこっとだけ抜けてきちゃった。二人にもお詫びをしなきゃいけないと思って」

「詫び? なにを水臭いことを。ぼくは姉弟として、当然のことをしたまで。ハエだってそうだろう?」

「まあ、ね。詫びなんて、今更そんなことされても気持ち悪いよ、姉さん」

「まあまあ、お姉ちゃんからの気持ちだと思って受け取って! はいこれ!」

「む、これはなんだ? 食物か?」

「どう見てもそうだろ。っていうかこれ、姉さんの勤め先で売ってるものじゃ……」

「そうなのよ! 売れ残りみたいなもので悪いんだけど、受け取って欲しいのよ! お昼まだだったら、食べて食べて」

「では頂こうか……ふむ」

「ここで喰うのかよ。で、どう?」

「パンは固く、野菜はしなびている。これは、世辞にも旨いとは……」

「不味いんだね」

「えー、そう? お野菜、嫌い?」

「素材が悪いって意味だと思うけど……まあ、どうでもいいか」

「それで、二人で一緒にいるだなんて、どうしたのよ?」

「それはだな、姉上。ハエの先日の武勇伝を聞いていたのだ」

「ちょっと兄さん」

「まぁ、それはとっても素敵なのよ! ハエ太は格好良いしね!」

「おだてたってなんにも出ないよ……私はもう行く。次の授業があるからね」

「む、そうか。ではぼくも、次の業務に取りかかるとしようか」

「うんっ。じゃあ二人とも、お仕事がんばるのー!」

「応。姉上もな」

「じゃあね、姉さん」

 

 

 

 そうして、私たち三人は別れた。

 いつも三人一緒の蟲の三姉弟。だけど、今の仕事を始めてから、一緒にいる機会も減ったように思う。

 兄さんや姉さんは単純だから、今の仕事に満足しているっぽいけど、私としては複雑だ。少なくとも、あまり快くはない。

 

(でもまあ、離別するってわけでもないし、いいんだけどさ、どうでも)

 

 不愉快なことは多い。姉さんらの尊厳を傷つけたマジカル・ベルたちはいまだ許していないし、今の仕事は嫌な事ばかり。クソウサギや生牡蠣共はウザいし、帽子屋さんはたびたび姉さんを連れ出すし。

 学校の生徒共も、バンダースナッチやドブネズミらも、どいつもこいつも勝手な事ばっかりしてムカつくし、鬱陶しいし、面倒くさい。

 ただ、そんな有象無象は、根っこのところではどうでもいいんだ。それは私を形作る世界の片鱗でしかない。

 私は、姉さんや兄さんがいれば、それでいい。あの人たちが、あの人たちらしい、尊い姿のまま生きていれば、それでいいんだ。

 だから、ずっと一緒の人生が続けば、それだけで私はこの世界を認められる。

 

(けど、いつまで今が続くものか……)

 

 不安がよぎる。

 最近、帽子屋さんがウミガメちゃんを引っ張ってなにか企んでいるっぽいし、バンダースナッチはやたら外に出てるし、ヤングオイスターズも兄弟姉妹揃ってなにやら動いている様子だ。

 今までのアンダーグラウンドな生活は、終わりを告げようとしている。私たちは明確に変化の兆しを見せ、どこかへ歩み出している。

 私は賛成も反対もしないけど……もし、その変化が、私たちの在り方にさえも干渉するようなら、私も動かなくてはならない。

 たとえ帽子屋さんであろうと、私たちの繋がりを歪めることは許さない。

 けれど今は、あまりにも不安定だ。どう転ぶのか、読めない。わからない。不明なことが多すぎる。

 私たちにとっての敵とはなんなのか。マジカル・ベルか。クリーチャーか。帽子屋さんなのか。それとも――

 対処すべき相手が見えなくては、備えもできない。

 そんな不明瞭な未来のことを考えるのは、憂鬱だ。

 今を生きるだけで精一杯だというのに、先のことを見据えるだなんて、面倒くさい。

 だから、

 

「……どうでもいいか」

 

 私たち姉弟の絆が壊されていないなら、それでいい。

 もしそれを壊そうとするのなら、徹底的に抗おう。

 勿論、そんなことがないのなら、それに越したことはないけれど。

 

「職員室……寄って行かないとな」

 

 歩みを止めて、方向転換。

 あと少しだ。この地獄のような世界で、塵芥のような人間共と馴れ合って、汚物のような役割を為す。

 教師なんてあまりにも柄じゃない。ただただ憂鬱で面倒なだけ。同僚も生徒もとにかくウザい。姉さんたちに言われたから仕方なくやるけど、そうでもなければ誰がこんなことをするものか。そんな愚痴を吐き出すことすら億劫になる。

 ……まあ、しかし。

 

「姉さんたちがいるのなら、こんな地獄でもいいか」

 

 腐っても地獄だが、受け入れられる。

 これがただの日常として。

 ずっと続く輪廻として。

 

 

 

 なにも変わらない世界であれば、いいのだけれど――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ただいまー……」

 

「お帰り……って、小鈴? あんたどうしたのその服!?」

 

「おやぁ、小鈴、ちょっと見ない間に随分とめんこい格好になったねぇ。不思議の国にでも行ってきた?」

 

「聞かないで……わたしだって、わけわからないんだから……」




 確か34話あたりで、バタつきパンチョウが小鈴に謝罪するシーンがあったと思うのですが、その謝罪は今回の事件が理由です。
 次回は……チョウ姉さんの話が続きますが、年越しのお話にしようかと考えています。では、誤字脱字感想等々、なにかありましたらお気軽にどうぞ。


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番外編「おせちが食べたいのよ!」

 番外編第四弾は、前回に引き続いて蟲の三姉弟のお話。作者が気に入ってしまったってのもありますが、正直、動かしやすいんですよねこいつら。三人一組なのが小回り利かないですが、適当に理由つけて散らせますし。


 とある年の、12月31日、朝。

 【不思議の国の住人】の邸宅でのお話。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 朝、『木馬バエ』はとある人物を探していた。

 普段なら鬱陶しいほどに目につく人物で、そこにいることが当然であり普通とも言えるようなものなのだが、どういうわけか今日はそうではない。なにか特別なことでもあったのだろうか、と思いながら廊下を歩いていると、兄を見つけた。

 

「兄さん」

「む、ハエか。如何した」

「姉さん見なかった?」

「姉上か? さて、言われてみれば、今朝から姿を見ないな。如何したのだ?」

「いや、別に大したことはないんだけど」

「む、もしやあれか。大晦日、年越し、正月、という祭であろうか! 人の世には、この日を暦の区切りとして祝う文化があるらしい。我ら蟲の三姉弟で、新たなる終焉と創始を祝おうというのだな! 弟よ!」

「違う。そんな人間のくだらない文化とかどうでもいいよ」

「うむ、確かに我ら姉弟が共にあることに理由など不要。祭であろうとなかろうと、我らは共に生きる姉弟であるな」

「あー……うん、じゃあそれでいいよ」

 

 面倒くさいので否定しないことにした。別段、否定する要素はひとつもないのだが。

 二人で廊下を歩いていると、『燃えぶどうトンボ』は指差した。

 

「むむ? そこに見えるは、姉上ではないか?」

「あ、本当だ。ヤングオイスターズもいるね。なにやってるんだ? あの二人」

 

 廊下の先に見えるのは、蟲の三姉弟が長女、『バタつきパンチョウ』。そして『ヤングオイスターズ』。こちらも、長女の個体だった。

 なにやら、『バタつきパンチョウ』が『ヤングオイスターズ』に対して、なにかを懇願しているようだった。

 

「おせち! おせちが食べたいのよ! カキちゃん!」

「いや、んなもんねぇけど……」

「どうして!? お正月と言えばおせちなのよ! 日本人なら当然でしょ!?」

「いやだって、ワタシら日本人どころか人間じゃねーし……」

「人間じゃなくたっていいじゃない! 新しい年の瀬が始まるんだから、一緒に祝いましょう? ね?」

「そのための準備をワタシ一人に全部押し付けんのかよアンタは。勘弁してくれ、ワタシは忙しいんだ。今からバイトだしな」

「なんでこんな日にまでお仕事があるのよ!」

「年末年始は人手が足りねーんだよ。だが同時に稼ぎ時でもある。弟妹の学費に食費にガキども小遣い諸々エトセトラ。人間社会ってのは金が要る。稼げる時に稼がねーとな」

「そんなことしなくたって、お金ならハンプティ・ダンプティさんと公爵夫人様がなんとかしてくれるのよ!」

「卵野郎はともかく、夫人様はちぃっとアテにしづらいんだが……つーか、あの二人に頼りっぱなしってのもダメだろうが。アンタ、金の大切さを知らないな?」

「じゃあ早く帰ってきて! そうすれば、おせち作れる?」

「だから無理だっての。今日は臨時で入れたバイトもいくつかあるから、帰りは遅いぞ」

「うー……!」

「そんな顔しても、ダメなモンはだめだし、無理なモンは無理だ。諦めろ」

 

 涙目になって、上目遣いで見つめるが、そんな『バタつきパンチョウ』を、『ヤングオイスターズ』はバッサリと切り捨てる。

 しかし『バタつきパンチョウ』は諦めなかった。

 

「やーだー! おーせーちー! おせちが食べたいのよー!」

「あぁ、うぜぇの捕まっちまったなぁ。これが哀れな牡蠣たち(ヤングオイスターズ)の運命か……」

 

 泣きながら足にしがみ付く『バタつきパンチョウ』。まるで子供だが、彼女は精神点はともかく肉体はれっきとした大人であり、成人女性――成虫――だ。だから始末が悪い。なによりも、純粋に邪魔だった。

 

「おーせーちー! おせちー! 食べたい食べたいー!」

「えぇい鬱陶しい! うちにそんな文化はねぇ!」

「それでも食べたいのよー! テレビでやってたのよ! とっても美味しそうだったのよー!」

「知るか! いい年こいた大人の癖に駄々こねてんじゃねぇ! ったく、人は見かけによらねーとは言うけどよ、こんなんが帽子屋のダンナも一目置く【不思議の国の住人】の定義者だとは、信じがたいぜ……」

 

 『バタつきパンチョウ』を引きずりながら移動しようとするものの、背も胸も尻も大きな彼女は思いのほか重かった。服も無駄に煌びやかなので、余計に重い。わりと本気で足枷になって動けない。

 『ヤングオイスターズ』がどうやって害虫と化した蝶々を引き剥がそうかと考えていると、向こうからやってくる蟲の弟たちと目が合った。

 

「おっと、にーさん方、いいところに。悪いがこのねーさん引き取ってくれよ」

「一部始終は見せてもらいましたよ。うちの姉がすみませんね」

「本当にな。ほら姐御、とっとと離れてくれ」

「姉さん。あまりヤングオイスターズさんを困らせるなよ。ほら」

 

 『木馬バエ』の手によって、『バタつきパンチョウ』が引き剥がされる。随分と慣れた手つきだった。

 

「う、うぅ、ハエぇ……」

「無理なものは無理なんだろ。ほら、立ちなよ。床は汚いよ」

 

 弟に泣き縋る『バタつきパンチョウ』。弟はというと、姉の服の汚れを払っていた。

 

(弟に面倒みられる姉とは、みっともねぇな)

 

 しかしそこが、彼女ら蟲の三姉弟の強さなのかもしれない。

 弟や妹(若い自分)を守るために、兄や姉が犠牲となる。苦を背負うのは年長者の役目だと思っているし、それがおかしいことだと疑いもしないが、だからこそ『ヤングオイスターズ』は、哀れな若牡蠣なのかもしれない。

 一瞬だけ、そう思った。

 

「んじゃ、ワタシはもう行くぜ。じゃーな、虫けら共」

「えぇ、姉がご迷惑をおかけしました」

 

 そうして、『ヤングオイスターズ』と蟲の三姉弟は別れる。

 

「…………」

 

 しかし『燃えぶどうトンボ』は、『ヤングオイスターズ』の背中をジッと見つめていた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ヤングオイスターズ」

「? なんだよ、トンボの兄貴じゃねーの。どうした? ワタシは忙しいんだが」

 

 別れた、と思ったそのすぐ後に現れる『燃えぶどうトンボ』。

 一体なんの用だと思ったら、彼は頭を下げた。

 

「後生だ。どうか姉上に、おせち料理、とやらを振る舞ってはくれないか?」

「アンタもかよ……だからなぁ、そんな暇はねーっての。ワタシはこれから連チャンでバイトなんだ。帰ったら飯は作るが、おせちなんて手の込んだモンを作ってられるか」

「そこをなんとか。どうにもなるまいか?」

「どうにもならん。そもそもワタシはおせちなんて作ったことねーし、材料もない。今からレシピを調べて、材料を買って、仕込みをして……なんて時間はねぇ。ワタシ一人じゃ手が足りなさすぎる」

「ならば、ぼくが貴様の手足となれば、済む話か?」

「あん?」

「今日に限り、我が身を貴様に委ねる。貴様が我が身を自由に使役する。それで、手は足りるか?」

「……姉のために、自分の身を犠牲にするってか」

 

 少し、驚いた。

 自分勝手とは言わないまでも、蟲の三姉弟は自由奔放だ。帽子屋や、長姉たる『バタつきパンチョウ』意外に従属するなど、そうあることではない。

 その従属は条件付きではあるが、彼は条件さえ飲めば束縛されてもいい、と言っているのだ。

 なによりも束縛を嫌う虫けらが、そう言っている。

 彼らしくはあるが、兄弟姉妹のために、我が身を砕く。まるでその在り方は、『ヤングオイスターズ』のようではないか。

 

「……その気概は買ってやりたいがな。だが、やっぱ無理だ。アンタ一人でも足りん」

 

 すべてがすべてとは言わないが、しかしこの屋敷におけるほとんどの家事は、『ヤングオイスターズ』の長女が担っている。 特に料理に関しては、まともに厨房に立てる者がいないため、完全に彼女の管轄だ。

 いくら『燃えぶどうトンボ』が手伝うと言っても、膨大な家事と、特定の技術が必要な料理、これらの家事をこなせるとは思えない。

 猫の手も借りたいと言うが、実際は猫の手なんて借りたところで、まったく戦力にはならない。必要なのは、良質、あるいは大量の人手だ。

 

「ぬぅ……」

「だがまあ、兄弟姉妹のために力を尽くすって姿勢は、ワタシも同じだ」

 

 ヤングオイスターズの場合は、兄弟姉妹とは即ち自分のことであるため、厳密には同じではないのだが、彼の見せる兄弟姉妹への心意気は、自分が持つものと同じものであると、『ヤングオイスターズ』は感じた。

 次男(四番目)ならば、それらはすべて交渉と駆け引きの材料にされてしまうのかもしれないが、長女たる身としては、彼の“気持ち”を汲んでやりたい。

 ゆえに、

 

「やるだけのことは、やってやってもいい」

「っ! それは誠か!」

「だが、条件がある」

 

 彼の懇願を聞き届けてもいいと思った。

 しかし『ヤングオイスターズ』の長女は、情に絆されてすべてを投げ出すほど、人情に厚くも、愚かでもない。

 

「条件、とな」

「あぁ。アンタは知らねーだろ、ワタシが受け持ってる家事を負担することの意味が」

「……?」

「やっぱりな。あのな、ワタシは毎日、料理やら掃除やら洗濯やらをしてるわけだが、それらすべてが、毎日滞りなく達成できると思うか? ワタシはバイトもしてるし、ダンナの無茶振りな指令を聞かされることだってあるんだぜ」

「うむ、確かにな」

「ここ最近はバイトのせいで家事が色々溜まってんだ。飯は最低限作るが、掃除、洗濯、ガキ共の面倒その他諸々エトセトラは溜まりに溜まってる。ワタシを手伝うってことは、アンタはそれらすべてを、一時的にでも背負うってことだ」

「…………」

「それを理解し、この膨大な作業を背負う覚悟があるってんなら、まあ、考えてやらんでもない」

「覚悟か。それは愚問というものだぞ、『ヤングオイスターズ』。姉上のため、我が身を惜しむことはない」

「ま、口ではいくらでも言えるわな。覚悟を示すってのは、口先で語ることじゃねぇ……わかってんだろ?」

「……そういうことか」

 

 覚悟を示せと言われた。

 自分たちがどのような手段を用いて、己の意志を示すのか。

 答えは、明白だ。

 

「いいだろう。我が名は『燃えぶどうトンボ』。覚悟の炎さえも、燃やして見せようぞ」

「そうこなくっちゃな。だが、ワタシはアンタの炎を鎮火させるぜ。そのつもりでよろしくな」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「先に確認しておくぜ」

 

 勝負を始める前に、『ヤングオイスターズ』は言った。

 

「アンタが勝ったら、おせちでもなんでも作ってやるよ。バイトだってドタキャンしてやらぁ。が、ワタシが勝ったら、アンタは今日一日、ワタシの奴隷だ。ワタシの役割だった家事をすべて負担してもらう。飯は流石に任せられねーが、掃除や洗濯くらいはできんんだろ」

「承知。この燃えぶどうトンボ、最愛なる姉上のために燃え尽き果てるまで!」

「そいつは重畳……んじゃ、始めるぜ」

 

 互いに取り出すのは――デッキ。

 自分たちの性質を宿した、自分たちにとっての武器。

 譲れぬ覚悟を、荒事にならず、しかし力で以って示す、絶好の道具だ。

 

「呪文! 《ボント・プラントボ》! 山札から一枚をマナゾーンへ! そのカードがパワー12000以上のクリーチャーならば、さらに1マナ加速する! このカードはパワー16000の《ボントボルト》! 追加で加速だ! さらに2マナで《レッツ・ゴイチゴ》! もう1マナ加速し、ターン終了」

「ワタシのターン。3マナで《エナジー・ライト》を唱え、二枚ドロー……ターンエンドだ」

 

 

 

ターン3

 

燃えぶどうトンボ

場:《タルタホル》

盾:5

マナ:7

手札:1

墓地:2

山札:24

 

 

ヤングオイスターズ(長女)

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:6

墓地:1

山札:25

 

 

 

 『燃えぶどうトンボ』と『ヤングオイスターズ』の対戦。

 『燃えぶどうトンボ』はマナ加速を繰り返すが、対する『ヤングオイスターズ』は、まるで動きを見せない。カードを引いては、ターンを終えるだけ。

 

「ぼくのターン! 6マナで《コレンココ・タンク》召喚! 山札から三枚を捲る! 《ボントボ》《タマタンゴ・パンツァー》《ドルツヴァイ・アステリオ》! すべてマナゾーンへ! ターン終了!」

「スパートかけてきやがったか。ワタシのターン。1マナで呪文《ガード・クリップ》。一枚ドロー……おっと、こいつを引いたか。なら、3マナで《ストリーミング・シェイパー》を唱える。山札から四枚を捲るぜ」

 

 捲られたのは《卍 ギ・ルーギリン 卍》《超宮兵 マノミ》《セイレーン・コンチェルト》《時を戻す水時計》の四枚。

 

「まあまあだな。四枚すべてが水のカードなので、すべて手札に。次で決めるぜ。ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

燃えぶどうトンボ

場:《タルタホル》《コレンココ》

盾:5

マナ:10

手札:1

墓地:2

山札:20

 

 

ヤングオイスターズ(長女)

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:6

墓地:1

山札:25

 

 

 

 ただカードを引き続けているだけだが、『ヤングオイスターズ』はなにか、仕掛ける準備が整った様子。恐らくターンを返せば、戦況を変えるような一撃が待っている。

 しかし、

 

「……させんよ」

 

 準備が完了しているのは、『燃えぶどうトンボ』も同じだった。

 

「力は充足した。故に、我が全身全霊の語らいを、聞かせてやろう」

 

 この数ターン、全力を尽くして溜めたマナ。

 そのすべてを、解放する。

 

「10マナをタップ――双極・詠唱(ツインパクト・キャスト)

 

 地面が、揺れた気がした。

 大地を割り、大空を裂く。本来であれば、これはそのような力なのだろう。

 自然の災厄(ガイアハザード)。『燃えぶどうトンボ』は、その力を解き放つ。

 

「地を這う虫も、天翔ける虫も、等しく生ける語り草。破天に轟け、九十九の命。我らが神話と世界の果てまで語り尽くせ」

 

 それは、伝説的な神話の一幕。

 最も猛き天災。星さえも砕く、地虫たちの咆哮。

 果てしない数多の叫びが、天空へと轟く。

 

 

 

「有象無象の虫けら(英傑)よ集え――《轟破天九十九語(ごうはてんつくもがたり)》!」

 

 

 

 大地震によって大地が割れ、地の底から数多の虫が湧き上がる――そんなビジョンが、網膜に浮かび上がる。

 勿論、現実にそんなことはない。それはただの虚ろな幻影でしかない。しかし、そんな虚構を幻視してしまうほどに、その一枚には凄まじい圧があった。

 

「っ、《轟破天》とはな。予想はしてたが、そのカードを引っ張ってくるってこたぁ、本当にマジなんだな、トンボの兄貴よ……!」

「無論だ。姉上のため、ぼくは全身全霊、己が力の総てを出しきるまで!」

 

 そして、《轟破天九十九語》の効果が、発動する。

 

「《轟破天九十九語》……それは、総ての英傑、英雄、英霊を戦場へと誘う伝説にして神話の一幕。故に我々は、マナゾーンに眠る総てのクリーチャーをバトルゾーンへと呼ばなくてはならん。ただし、バトルゾーンに出た時の能力は使用できんがな」

「……ワタシのマナゾーンからは、《ディール》と《コーラリアン》が出るが……」

 

 顔を上げる『ヤングオイスターズ』。できればそこには、目にしたくない光景が広がっていた。

 

「我がマナに眠るクリーチャーは10体。そのすべてをバトルゾーンに呼び戻す」

 

 《コレンココ・タンク》《タマタンゴ・パンツァー》《ドルツヴァイ・アステリオ》《ゼノゼミツ》《ボントボ》《ボントボルト》――そして、マスター《キングダム・オウ禍武斗》。

 這いつくばる地虫から、天を翔ける羽虫まで、あらゆるクリーチャーが、所狭しと戦場に集う。単騎でも十分に厄介だが、それらが一堂に集うこの場は、壮大であり、圧巻であり、そして『ヤングオイスターズ』にとっては地獄だった。

 

(こう来るってわかっちゃいたが、やっぱ凄まじいぜ、この虫けら……三匹の蟲の中でも、怒らせたら一番やべータイプだ、こりゃ)

 

 地獄を見ることはわかっていた。ここまでは予想通り。

 そして、この後、どう来るのかも。

 

「行くぞ! 《ボントボルト》はマッハファイター! 《ディール》を攻撃!」

「ブロック……する意味はねーな。受ける」

 

 《ボントボルト》のパワーは16000、《ディ-ル》の二倍以上近くある。

 そんなパワーの怪物に敵うはずもなく、《ギ・ルーギリン》は一瞬で虫けらに吹き飛ばされた。

 

「《ボントボルト》がバトルに勝利したことで、能力発動! 次のターン、貴様はぼくを攻撃できない。そして続け、次なるマッハファイター――《キングダム・オウ禍武斗》!」

 

 今度はマスター、《キングダム・オウ禍武斗》が疾駆する。

 狙うは本丸。大海原に浮かぶ魔術の城――《コーラリアン》。

 こちらも、パワーの差は二倍近く。為す術もなく叩き伏せられ、『ヤングオイスターズ』の浮城は瞬く間に海の藻屑と化した。

 

「《コーラリアン》は破壊される代わりに手札に戻る……が」

 

 木端微塵になった《コーラリアン》は手札に還る。死ぬことはなく、再利用の機会を得る。

 しかし、

 

「《オウ禍武斗》がバトルに勝利した時、能力発動」

 

 問題は、その後だ。

 

「これなるは破天を砕きし大絵巻。伝説に綴られ、神話に記される九つの世界。森羅万象、有象無象、その総ては語るに及ばず」

 

 どう来るのか、なにが来るのか、すべては理解の範囲。

 しかし天災とは、災害とは、理解を超えた破壊をもたらすから、災いなのだ。

 

 

 

「我が言の葉を刻め――破天九語(はてんここのつがたり)

 

 

 

 刹那。

 『ヤングオイスターズ』のシールドがすべて――粉々に砕け散った

 

「破天九語。それは悪鬼に打ち勝つ武勲の証明。敵を討ち取ることで、シールドを九つ打ち砕く奥義なり!」

 

 あまりにも凄烈な暴威だった。九つのシールドを粉砕する。それはほぼ、すべてのシールドを破壊することと同義だ。

 一つの物語につき、一つの武功――即ち、一つの守りを粉砕する。しかしシールドは五枚しかない。九つ総ての伝説を語るまでもなく、『ヤングオイスターズ』の守りは崩壊し、尽き果てたのだった。

 

「ったく、相変わらず、すげー破壊力だ。火を吹くトンボってのは、荒ぶる竜と変わらんな。あまりにも激しい牙だ。これならまだ、ハエに貪られるか、チョウチョに吸われる方がマシかもしれねぇ」

 

 シールドをすべて吹き飛ばされ、一瞬で丸裸にされる『ヤングオイスターズ』。

 彼の前にはまだ、火のついた虫――攻撃可能な《タルタホル》が残っている。

 クリーチャーもシールドもない今、その攻撃を防ぐ手立てはない、が。

 

「だが、ワタシもタダじゃやられねぇ」

 

 羽虫の一匹だけでよかった。

 雑魚(ファイアフライ)なら、その火を消せる

 

「S・トリガー発動! 《時を戻す水時計》! パワー3000以下の《タルタホル》を手札に戻すぜ!」

 

 時間が、ほんの僅かだけ、遡る。

 蛍の灯は消える。点火する前の時間まで、巻き戻る。

 

「ぬぅ、攻め手を削がれたか……ターン終了だ」

「ひゅぅっ、あっぶねぇ」

 

 冷や汗を拭う『ヤングオイスターズ』。

 間一髪だった。《轟破天九十九語》から破天九語までは読めても、それを防ぐ手段はなかったのだから。

 しかし、この破壊的な災害を受けてなお、生き残った。

 それだけで、『ヤングオイスターズ』は勝利を確信する。

 

「ワタシのターンだ。まずは1マナで呪文《セイレーン・コンチェルト》。手札とマナを一枚ずつ、入れ替える」

 

 マナのカードを手札に戻し、手札のカードをマナに置く。

 さらに『ヤングオイスターズ』はもう一枚、手札を切る。

 

「もう1マナで《セイレーン・コンチェルト》、手札とマナを入れ替える」

「……? その少ないマナで、なにをしている? 無駄に手札を消費しているだけではないか」

「さて、なんだろーな。さらに1マナで《時を戻す水時計》。《ドルツヴァイ》をバウンス」

 

 《ドルツヴァイ・アステリオ》のパワーはマナゾーンのカード枚数に依存する。《轟破天九十九語》で、文字通りマナを使い切ってしまったため、現在のパワーはたったの1000。

 なんということなく、軽く手札に押し返す。

 

「これで呪文を三回唱えた。G・ゼロ《超宮兵 マノミ》を召喚。二枚ドロー。そして1マナで《卍獄ブレイン》、一枚ドロー……これで四回」

 

 一度は崩れ去った海の城。

 それが再び、浮上する。

 

 

 

「G・ゼロ――《超宮城 コーラリアン》! 入城!」

 

 

 

「戻って来たか……」

「《コーラリアン》の能力で《タマタンゴ》をバウンス。さらにG・ゼロで《マノミ》を召喚! 二枚ドローして、《マノミ》と《コーラリアン》を召喚! 二枚ドローし、《タマタンゴ》をバウンスだ」

 

 G・ゼロによって、ノーコストで次々とクリーチャーを並べる『ヤングオイスターズ』。

 三体目の《マノミ》、二体目の《コーラリアン》を並べたところで、次の一手を打つ。

 

「さて、これでムートピアが五体だ」

「! 来るか……!」

 

 《マノミ》が三体、《コーラリアン》が二体。

 その数は、合計五体。

 

「哀れな若牡蠣を嗤え。個にして群、群にして個の、群衆個体。呪われた個人であり兄弟姉妹。だが、こいつはそんなワタシが、ワタシであるための証明。さぁ、しっかり見てな」

 

 そこに並ぶ同胞は、ただの数でしかない。それは己であり他人。寄り集まって初めて群となり、固体となる、呪われた生。

 その中で彼女は、弟でも、妹でも、兄でも、姉でもない。

 ただ一人の“自分自身”を、曝け出す。

 

 

 

「これが“ワタシ”だ――《Iam》!」

 

 

 

 水面のような身体に、悪魔の翼。

 まるで己を映したような姿。『ヤングオイスターズ』は、その姿に自身を幻視する。

 しかしそんな感傷は一瞬。これは己自身の証明であり、己という力の具現。

 今は、それを武器として振るう時だ。

 

「《マノミ》からNEO進化! 自分の他のクリーチャーをすべて手札に戻し、G・ゼロで再び召喚! 合計で四枚ドロー、《オウ禍武斗》と《ボントボルト》をバウンス」

 

 呪文連打によるG・ゼロの達成。そしてクリーチャー展開からの《Iam》。

 この1ターンにすべてを賭けるために、彼女は手札を溜めていた。

 

「さらに1マナで《時を戻す水時計》、《ドルツヴァイ》をバウンスだ!」

「いくらクリーチャーを流転させようと、無駄だ。貴様は《ボントボルト》の能力で攻撃不可。貴様の牙は、ぼくには届かん」

「そうだな。だがにーさん、《ボントボルト》の効果持続時間は、次のターンまで。つまり“このターン限り”だぜ」

「なに?」

「アンタが操る大地の災厄はしっかり味わった。なら次は、ワタシによる空と海の天災を見せてやる」

 

 にーさんに比べりゃちっぽけだけどな、と自嘲気味に笑って、『ヤングオイスターズ』は繰り出す。

 彼女の、最後の切り札を。

 

「このターン、わたしは呪文を五回唱えた――G・ゼロ」

 

 呪文三回で《マノミ》、四回で《コーラリアン》。ムートピアが五体なら《Iam》。

 ならば、呪文を五回唱えたらどうなるのか。

 

「魔法の大風は次元の壁さえも超越する。アンタが大地を揺るがす地震なら、ワタシは空と海を荒らす嵐だ」

 

 五回の呪文詠唱は、大気中に異常なマナの奔流を生み出す。

 奔流は特殊な風を生み、風は雲を生み、雲はさらなる雲を吸収し、肥大化する。

 五体の同胞の命に匹敵する大いなる現象にして気象。

 《Iam》は五つの命を受け、我が身という個人を映す水面となった。

 ならば五つの魔術は、我が身ならざる世界を越境する嵐となる。

 

 

 

「さぁ、飛ぶぜ――《次元の嵐 スコーラー》!」

 

 

 

 それは個人ではなく、世界の具現。

 海水を吸い上げた大竜巻。稲妻を落とし、大雨を降らせ、暴風が吹き荒ぶ暴虐の嵐。

 次元の壁さえも壊し、超越し、飛び越える暴風雨(スコール)だ。

 

「ワタシはこれでターンエンドだ」

「なぬっ!? 切り札を召喚した直後に手番を終えるだと?」

「ルール上はな。だがワタシは自分の番を終えるつもりはねぇ。《スコーラー》の能力発動!」

 

 それは、たった一度の大偉業。

 『ヤングオイスターズ』は今、次元を超える。

 

 

 

「《スコーラー》が初めてのバトルゾーンに出て、召喚に成功した時、エクストラターンを得る!」

 

 

 

「っ、追加ターン、だと……!?」

 

 デュエル・マスターズにおける、最大のアドバンテージとも言える、追加(エクストラ)ターン。

 それを得るということは、マナが再使用でき、クリーチャーは実質スピードアタッカー、そして、

 

「アンタの《ボントボルト》は、期限切れだ」

 

 『燃えぶどうトンボ』が用意した最後の防衛線すらも、打ち破る。

 

 

 

ターン5(NEXT:ヤングオイスターズEXターン)

 

燃えぶどうトンボ

場:《コレンココ》×2《ゼノゼミツ》×2《ボントボ》

盾:5

マナ:0

手札:8

墓地:3

山札:19

 

 

ヤングオイスターズ(長女)

場:《マノミ》×2《コーラリアン》×2《Iam》《スコーラー》

盾:0

マナ:3

手札:13

墓地:10

山札:7

 

 

 

「さ、終わりだぜ。1マナで《時を戻す水時計》、《ボントボ》をバウンス。3マナで《「本日のラッキーナンバー!」》、8を指定。《マノミ》で攻撃する時、《音精 ラフルル》に革命チェンジ」

 

 残ったアタッカーを処理し、クリーチャーの召喚を封じ、呪文も封じた。

 大空を翔ける肉食虫であろうと、翅を毟り取れば、飛ぶことは叶わない。

 

「これでアンタは、コスト8のクリーチャーは召喚できねーし、呪文も使えねぇ。頼れるのは《ゼノゼミツ》程度だが、それでワタシを止められるか?」

「っ、ぬぅ……!」

「おら、お返しだ。吹き飛びやがれ! 《Iam》でワールドブレイク!」

 

 破天九語ですべてのシールドを吹き飛ばされた『ヤングオイスターズ』は、意趣返しと言わんばかりに、《Iam》の一撃を叩き込む。

 一瞬ですべてのシールドをブレイクする、世界を破壊する一撃が、『燃えぶどうトンボ』を襲う。

 

「し、S・トリガー《ゼノゼミツ》が二枚だ! 《コーラリアン》を破壊、するが……!」

「それじゃあ足りねーな。となれば、これで終いだ」

 

 二つの城が陥落しようとも、もはや問題はなにひとつとして存在しない。

 翅を毟り取られた蜻蛉に、もはや羽ばたく力は残されていないのだから。

 

 

 

「《次元の嵐 スコーラー》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「おっひるー! おっひるー! 美味しい楽しいおっひるー、なのよー!」

「なにその歌……凄い馬鹿みたいなんだけど。姉さん、知能下がってない?」

「そんなことないのよ! ハエったら酷いのよ」

「まあなんにせよ、姉さんが駄々っ子から元に戻ってよかった。流石にあの姿は見るに耐えなかったからな……」

「そんなことより、トンボはどこなのよ? 一緒にカキちゃん作り置きのお昼を食べるのよ!」

「そう言えば、急に見なくなったな。姉さんに続いて、今度は兄さんがいなくなるって、私の姉兄、大丈夫か?」

 

 広間に向かって廊下を歩む『バタつきパンチョウ』と『木馬バエ』。

 しばらく歩いていると、長柄を持っている人影を見つけた。

 

「あれ? トンボなのよ! おーい、トンボー!」

「む、姉上。それにハエか……」

「兄さん、どうして箒なんて持ってるんだ……?」

「なんだか箒を持ってるトンボ、凄く似合ってるのよ! カッコいい!」

「格好、いい、か……?」

 

 確かに妙にしっくりくるというか、なぜか違和感はないが。

 

「で、なんで床掃除なんてしてるんだよ、兄さん。そういうのって、ヤングオイスターズの仕事じゃないか?」

「なのよー。そんなことより、トンボも一緒にお昼を食べるのよ」

「姉上、ハエ……すまん。それは叶わん」

「どうしてなのよ?」

「これは、ぼくの不始末にして不義理。なにも言うな……すまない」

 

 『燃えぶどうトンボ』は、意気消沈した面持ちでそれだけ言うと、掃除用具を持ってその場から立ち去った。

 

「……なんだったんだ、兄さん。なんか火が消えたみたいに変な感じだったけど」

「説明しましょうか?」

「わぁっ!? い、いつの間に現れたのよ!?」

「あなたはヤングオイスターズの……えっと。何番目でしたか」

「四番目ですが、ヤングオイスターズでいいですよ。名前なんて個体を識別するための記号ですからね、他の兄弟姉妹がいないのであれば、ここにいるヤングオイスターズはただ一人です」

 

 どこか裏があるような、食えない笑みを浮かべる『ヤングオイスターズ』。

 彼らそれぞれの個体についてはあまり記憶していないが、この『ヤングオイスターズ』は面倒で厄介な部類だと、『木馬バエ』の本能が告げている。

 しかし彼が密偵の真似事をしていようとも、ここでなにかを謀ることもないだろうと、黙っていることにした。

 

「それで、あなたはトンボのことをなにか知ってるのよ?」

「えぇ勿論。お姉さんの記憶と同期しましたからね。彼は勝負に負けたのですよ」

「勝負?」

「そうです。勝ったらうちの姉におせちを作ってもらう。けれど負けたら今日一日、姉の仕事――つまり家事ですね――をやってもらう。そういう勝負です」

「え? 兄さんが?」

「トンボもおせち食べたかったのよ……?」

「彼の言葉に裏があった場合は別ですが、彼の言葉を額面通り受け取るのであれば……違いますね。彼はあなたのために、我が身を賭け(ベットし)たのですよ、虫けらのお姉さん」

「!」

「オレから言えるのはこれだけですね。いらないお節介でした。ではでは」

 

 軽薄な笑みを浮かべて、立ち去る『ヤングオイスターズ』。

 残された二人の蟲――『バタつきパンチョウ』は、陰りのある面持ちを見せていた。

 

「トンボ……」

「姉さん、どうする……って、ちょっと! 姉さん!?」

 

 突然、『バタつきパンチョウ』が駆け出した。

 『木馬バエ』が制止する前に、彼女は広間に続く扉も無視して、廊下の奥へと走り去ってしまった。

 決して激しい動きに向いているとは言い難い……どころか、どう考えても激しく動くには不向きで、動きを阻害することしかなさそうな豪奢な衣服を振り乱して、彼女はひた走る。

 やがて、彼女は弟を見つけて――抱き着いた。

 

「トンボ!」

「おおぅ!? あ、姉上……如何した? そんな血相変えて。というかその、姉上、なんだ。そのような行いは、少々、面映ゆいのだが……」

 

 姉を慕っている『燃えぶどうトンボ』と言えども、成熟した女性の身体の抱擁は流石に恥ずかしいのか、らしくもなく顔を赤らめる『燃えぶどうトンボ』。

 しかし、

 

「トンボ!」

「な、なんだ、姉上」

「私も――」

 

 彼の姉は、そんな彼とは関係なく、ただ己の言いたいことを言うだけだ。

 

 

 

「私も――手伝うのよ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ふぅ、終わった終わった」

 

 夜。『ヤングオイスターズ』は今日一日のバイトをすべて終え、一息つく。

 しかし彼女の仕事は終わらない。屋敷に帰った後も、同胞たちの食事を作らなければならない。

 

(ま、それ以外の家事はあのにーさんが受け持ってくれたから、多少は気が楽だがな)

 

 今まで家事なんて微塵もやったことがないだろう彼に任せたので、あまり期待はしていないが、少しは楽ができると思えば悪くない。

 軽く着替えを済ませると、店長がやって来た。

 

「お疲れさまー、アヤハちゃん」

「店長……店長もお疲れさまです」

 

 気安く話しかけてくる店長。このバイトは日雇いなのだが、実は以前にここで働いていたことがある。

 わけあって辞めたのだが、お互いにコネクションは残っており、今回は人手が欲しい店長と、金が欲しい『ヤングオイスターズ』で利害が一致し、こうして契約が成立した次第だ。

 

「今日はありがとね」

「別にいいっすよ。ワタシも稼ぎたい時でしたし。それに、辞めた身とはいえ、店長には色々世話になりましたからね」

「その件については本当にごめんなさい……」

「気にしてないんで、店長も気にしないでください。首切りとか、茶飯事でしょう。ワタシだってそんくらい覚悟してますし、バイト先をひとつ失うくらいですよ」

「でも、アヤハちゃん家って、苦しいんでしょう? 今日も明日も、本当は弟さんや妹さんとゆっくり過ごしたかっただろうし……」

「考えたことないっすね。うち、そういう習慣ないんで」

「そうなの? 年末年始なのに?」

「そうっすね」

 

 こともなげに答える。嘘ではない。偽りのない事実だ。

 【不思議の国の住人】に、年末年始を祝う風習はない。人間社会に潜むと言っても、自分たちの内輪にまで、その文化を染み渡らせる必要はないのだから。

 

「でもやっぱり、元日くらいは家族とゆっくり過ごした方がいいよ」

「そうすかね。そういう店長はどうなんすか?」

「私はいいんだよ。親から縁切られてるし、兄弟はみんな死んじゃったし、恋人もいないし、ずっと独り身だし」

「あの、サラッと壮絶な背景を語るのは勘弁してくれませんか……? 特に兄弟が死んだって話は、ワタシにはキツイっす……」

「あ、ごめんね。でも、アヤハちゃんは、ちゃんと家族がいるんだから、今いる身内を大事にしなきゃ。お節介かもしれないけどさ」

「……考えときます。んじゃ、ワタシ帰ったら飯作らなきゃいけないんで、もうアガります」

「ご飯? あ、おせち? 明日の仕込みとか?」

「いや普通に晩飯っす」

「晩ご飯? お蕎麦じゃないの?」

「ソバ? あー……」

 

 そう言えば、年越し蕎麦なる文化があったことを思い出す。

 時計を見る。時刻は8時前。

 帰りが遅くなってしまうと考えていたが、蕎麦だったら、湯がいてすぐに作れるので、良さそうだ。

 

「今日は蕎麦にするかぁ」

「……アヤハちゃんって、たまに日本人とは思えない感性を発揮するよね」

「そうですかね?」

「私の気のせいだとは思うけどね。でも私の助言で、アヤハちゃん家の食卓は、今夜は蕎麦、明日の朝はおせちの鉄板フルコースだね!」

「それはないですね。ワタシおせちなんて作れないですし」

「そうなの? アヤハちゃん、料理得意なのに」

「得意っつっても、作ったことも食ったこともないモンは作れませんよ」

「あらら、食べたこともないの? ビックリ」

「機会がなかったものでしてね」

「最近はコンビニとかでも売ってるよ、おせち」

「そすか。まあでも、いいですよ別に」

 

 早く帰らないと、夕飯の時間がさらに遅れてしまう。

 手早く荷物をまとめて、出口に向かう。

 

「んじゃ、もうアガります。誘ってくれてどうもです、店長。お疲れさまでした」

「あ、うん。今日は本当にありがとうね、アヤハちゃん」

「いいっすよ別に。それでは」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ふぅ、流石に人数分の蕎麦は重いな……」

「お帰りなさい、お姉さん」

「おぅ、お前か。ただいま」

 

 屋敷に帰ると、次男(四番目)が出迎える。いつも部屋にこもっている彼が外に出ているのは、多少はレアだった。

 

「お姉さん。今なら珍しいものが見れますよ」

「珍しいもの?」

「えぇ。蟲の三姉弟たちが掃除をしているところなんて、レアな光景ですよ。紙面のコラムとして取り上げたいくらいには」

「それあれだろ、トンボの兄貴がワタシに負けて掃除してるってことだろ。お前、同期してんならそのくらい覚えて……ん? おい」

「はい」

「お前、今、蟲の三姉弟“たち”っつったのか?」

「はい」

 

 にやにやと笑っている。彼のそういうところは、個人的に少しいけ好かないものの、これも自分の一つであるため、言葉を飲み込む。

 それよりも、彼は「虫の三姉弟“たち”」と言った。それはつまり、一人ではないということだ。

 『ヤングオイスターズ』の長女は、キッチンに蕎麦を置くと、廊下を速足で進む。

 そして、

 

 

 

「ひゃー、水がちべたい!」

 

 

 

 どこか陽気で呑気な、頭の中に花束でも詰まっていそうな、幼くて朗らかな声が聞こえてきた。

 

「窓拭きも大変なのよー。カキちゃんはいっつもこんなことをやってるのよ?」

「まったく面倒くさい作業だ。こんな時期に、冷水に手を突っ込んで作業だなんて、帽子屋さん並みに頭がイカレているね」

「本当にねー。カキちゃん、凄いのよ。でも、私も頑張らなきゃ!」

「……姉さん、もういいんじゃないのか? この家は壊れても、ハンプティ・ダンプティさんが復元するんだ。そんな隅から隅まで手入れする必要はないだろ」

「それは違うのよ、ハエ」

「違うって、なにが?」

「確かに、壊れてもハンプティ・ダンプティさんがいれば、壊れたものは直せる。でもね、なにかを大事にするっていうのは、そういうことじゃないのよ」

 

 彼女は、真っ赤になった手を、バケツの中の冷水に突っ込んで、黒く汚れた雑巾を濯ぐ。

 煌びやかな服が汚れることも厭わず、彼女は穢れにも、痛みにも、笑って立ち向かっている。

 

「私はトンボのお手伝いをしてるけど、同時にカキちゃんのお手伝いもしてるの。この場所は、カキちゃんが大事にしようと、一生懸命になってる場所なのよ。カキちゃんの頑張りが詰まってるんだから、それを大事にしないと」

「……あの人はただ、保身のために屋敷を管理しているだけだと思うけどね」

「だとしても、なのよ」

 

 彼女は、にこやかな笑みを浮かべる。

 花畑を舞う蝶々は、いつでも笑顔を絶やさない。たとえ、極寒の真冬であろうと。

 

「……それにしてもカキちゃん、ずっとこんなことしていたなんて、凄いのよ」

「確かに、そうだね。私は仕事なんて無理だ。面倒くさくてやってられない」

「家事ってとっても大変。カキちゃん、みんなのために毎日こんなことをして……なんだか、私よりもお姉ちゃんっぽいのよ」

「まあ、それはそうかもね。でも、私たちにとっての姉は、姉さんだけだよ」

「ふふっ、ありがと、ハエ」

「……どういたしまして」

「それじゃあ、次はあっちをやるのよ! 行くのよ、ハエ!」

「はいはい。わかりましたよ、っと」

 

 二人の虫けらは、掃除用具を持って廊下の奥へと姿を消す。

 二人がいなくなってから、『ヤングオイスターズ』は物陰で、ボソッと呟いた。

 

「……アホか、あの虫けら女。掃除すんならもうちっとマシな格好しやがれ。そのクソ面倒くさい服、誰が洗濯すると思ってんだ」

 

 そして、くるりと踵を返し、スタスタと歩き出した。

 

「あれ? お姉さん、どうしました?」

「ちょっと買い忘れたモンがある。お前は蕎麦を湯がいといてくれ」

「え。あの量の蕎麦を?」

「そんくらいならできるだろ。んじゃあな」

「あのちょっと、お姉さん!? 嘘でしょ!?」

 

 後ろで弟がなにか騒いでいたが、すべて無視した。

 そして『ヤングオイスターズ』は、屋敷の門を潜る。

 

(……24時間営業なら、今から行っても問題はない、な)

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 朝――1月1日。元旦。

 この国の者にとっては、非常に大きな意味のある特別な日だが、日の丸国旗とはまるで無縁な生い立ちの【不思議の国の住人】としては、特別でもなんでもない。ただの、寒い日の朝だ。

 

「おはよー……なのよー……」

「お、おはようございます、バタつきパンチョウさん……」

「おっす。なんか眠そうだな、チョウのねーちゃん」

「なのよー、お掃除ってとっても大変なのよー……」

「え、姉さん夜までやってたの? 馬鹿じゃない?」

「……な、なんで、パンチョウさんが、お、お掃除を……?」

「掃除って、ヤングオイスターズのねーちゃんがやるんじゃねーの?」

「まあ、色々ありましてね。説明は面倒くさいのでしません」

 

 朝食を取るために、広間へと向かう面々。

 その途中、『燃えぶどうトンボ』の姿が見えた。

 

「あ、兄さん。おはよう」

「ハエ……代用ウミガメと眠りネズミも一緒か。そして……」

「トンボ。おはようなのよ」

「……あぁ」

 

 『燃えぶどうトンボ』は、どこか浮かない表情だった。

 昨日の敗北を、そしてその結果を、ずっと引きずっているのだ。

 

「姉上……昨日はすまない。よもやぼくの失態で、姉上にまで責務を背負わせてしまうとは……」

「いいのよトンボ。私だってお姉ちゃんなんだから! 弟にばっかり、重荷は背負わせないのよ」

「私は完全にとばっちりなのですが。別にいいんですけどね。えぇ、構いませんとも。面倒事を押し付けられて本当に面倒でしたがね」

「あんたが一番面倒くせーよ、ハエのにーちゃん」

「そんなことより、早くみんなでご飯を食べるのよ! ごーごー、れっつごー! なのよ!」

「はわわわわ……! あ、あのっ、ひ、引っ張らないでいただけるとっ!」

 

 『バタつきパンチョウ』はいつもの明るさで、『代用ウミガメ』や弟たちの手を引いて、朝食が準備されているはずの広間へと向かう。

 今日の朝食はなんだろうか。スクランブルエッグか、魚の切り身か、サンドイッチか。

 彼女の手料理を楽しみにしながら、広間の扉を開けると――

 

「おう、虫けら共か。遅いぞ。冬眠か?」

 

 ――他の【不思議の国の住人】が、座して待っていた。

 だからなんだと思うかもしれないが、これはなかなかに、異常なことだ。

 自分勝手で、我が強く、独特で異常者の集い。それが【不思議の国の住人】というものだ。

 飯を食べるだけでも、彼らは遺憾なく己の個性を発揮する。皆一様に座して待つことなど、あり得ない。

 しかしそのあり得ないことが起きている。これはどういうことか。

 

「……ど、どうしてみなさん……その、ご、ご飯を、食べていらっしゃらないのですか……?」

「貴様らを待っていたのだ。まったく、呆れたものよな。なぜ儂が、愚鈍な愚者を座して待たなければならんのか」

「本当よね。焦らされるのは嫌いじゃないけど、ベッドの上以外で焦らされるのは好きじゃないわ」

「飯の席で下ネタはやめろよ。これから喰う飯が不味くなるだろうが」

「しかし役者は揃ったようだな。ヤングオイスターズ、これでいいのか?」

「おう。悪いなダンナ、待ってもらって。だがまあ、そういうしきたりみたいだからな」

「おなかへったー。アヤハー、はやくー」

「……どういうことなのよ?」

「席に着けばわかる」

 

 言われるがままに席に着く『バタつきパンチョウ』たち。

 席に着いてから、発見がひとつ。席には皿と箸しかなく、食べ物がない。

 そしてもう一つ。食卓の上に、いくつかの四角い箱が置かれていること。

 

「先に言っとくが、今日の飯はワタシが作ったわけじゃねーし、味見もしてねーから、味は保証しないぜ。文句はそこの虫けらに言いな。つーわけでてめーら、今日の朝飯はこいつだ!」

 

 パカッ、と箱の上部を覆う蓋が開かれる。

 そして、そこにあったのは――

 

「! こ、これって……!」

 

 ――黒豆、数の子、田作り、伊達巻、昆布巻、紅白蒲鉾、花型人参、椎茸、焼き魚、栗金団――

 多種多様な品が、箱の中に詰め込まれた料理。

 つまり、これは、

 

 

 

「お、おせち、なのよ……!?」

 

 

 

 『バタつきパンチョウ』が望んでいた、正月料理だ。

 

「か、カキちゃん!? これって、まさか私のために……?」

「……別に。なんかコンビニの前を通ったら押し売りされたんだよ」

 

 そっぽを向いて答える『ヤングオイスターズ』。彼女の弟妹はなぜか、ある者は微笑ましそうに、ある者は楽しそうに、にやにやと笑っていた。

 

「なんとも面妖な味付けだ。甘味のようでいて、塩辛いようでいて……」

「不思議な味と食感ね。どんな食材を使ってるのかしら?」

「このお野菜、切り方が綺麗ですね。お花みたいです」

「うわなんだこれ酸っぱ!?」

 

 見たことも食べたこともない料理に、あちらこちらから、様々な声が聞こえる。

 こんな騒々しい朝食は、初めてだ。

 

「ヤングオイスターズ……かたじけない」

「なんでアンタが礼を言うんだよ」

「う、うっ、うぅ……」

「アンタはなんで泣いてんだよ!? そこは笑うとこだろーが! 念願のおせち料理だぞ!」

「わ、わかってるのよ……でも、その、う、嬉しくて……カキちゃん!」

「うぉっ!?」

 

 『バタつきパンチョウ』は立ち上がって、『ヤングオイスターズ』に抱き着いた。

 泣きながら、そして笑いながら。

 

「カキちゃんありがとう! 好き! 好き好き好き! 大好き! 愛してるのよ!」

「えぇい、抱き着くな! アンタ無駄にデカいんだからよ! 重いし苦しい! 飯の一つでそんな騒ぐな!」

 

 『バタつきパンチョウ』を引き剥がしながら、『ヤングオイスターズ』は思う。

 

(どこまでも自然体で、自分に正直で、兄弟姉妹のしがらみもなく、姉でありながらも確固とした自分自身を持つ……ったく、この虫けらはよぉ)

 

 個体差があるとはいえ、同じ長女だというのに、自分と彼女はまるで違う。

 飾ることなく、無理をすることなく、責任感に潰されず、姉らしく振舞いながらも自分を見失わず、己という生を祝福し、謳歌する。

 呪われた生である哀れな牡蠣たちとは、大違いだ。

 その生き様はとても尊く、そして――

 

「……羨ましいったらねーな」

「? なにか言ったのよ?」

「なんでもねーよ。それより、アンタも食え喰え。飯は早いもの勝ちだかんな」

「なのよ! ほら、カキちゃんも。あーん」

「あん!? なにやってんだよアンタは! んな恥ずかしいことできっかよ!」

「恥ずかしがることないのよ。私はお姉ちゃんなんだから!」

「ワタシだって姉だっての! って、あぁクソッ! 豆を押し付けんな! わーったよ、食えばいいんだろ! 食えば!」

 

 『バタつきパンチョウ』に押し付けられた黒豆を、パクッと口に含む。

 

「むふふー、食べるカキちゃんも可愛いのよー!」

「なにアホなこと言ってんだ。頭に蛆でも湧いてんのかよ」

「ねぇ、カキちゃん」

「あんだよ」

「おせち、ありがとう。とっても美味しいのよ!」

「……そいつはよかったな」

「来年こそは、カキちゃんの手料理で食べたいのよ!」

「このクソ手間のかかるモンを作るのかよ……味付けも材料も特殊だし、簡単に作れるモンじゃねーんだが……」

 

 お断りだ、と言いたいところだったが。

 彼女は、笑っていた。にこやかに、朗らかに、屈託のない笑顔を見せていた。

 正月。それは一年に一回日だけの、特別な日。

 自分たちにとっては特別でもなんでもないし、飯とは生きるための糧でしかないが――人間社会に馴染むために文化を学ぶのも悪くないと、思わなくもない。

 一日くらいは、手間暇かけて飯を作る日があってもいいだろうと。

 一日くらいは――本気で誰かを笑顔にするための料理をするのも、悪くはないだろうと。

 

「……また来年な」

 

 彼女の笑う顔を見ていると、柄にもなくそんなことを思ってしまう。

 

(これはワタシの感情なのか、あるいは兄弟姉妹の“誰か”の感情なのか……わかんねーな)

 

 そんな風に自分を誤魔化しつつ、料理に箸を伸ばす『ヤングオイスターズ』。

 その時だ。

 

「あ! そうだったのよ!」

「お、おぅ、今度はなんだよ……?」

「カキちゃん!」

 

 『バタつきパンチョウ』は『ヤングオイスターズ』に向き直り、真剣な、けれどやはり、蝶々らしく笑みを絶やさずに、告げた。

 

 

 

「あけましておめでとう、なのよ!」

 

 

 

 それは、なんてことのない新年の挨拶だった。

 少し面食らってしまったが、それならば返す言葉は決まっている。

 

 

 

「……あぁ。おめでとうだ、『バタつきパンチョウ』」




 元々はこれ、年末年始くらいに季節ネタとして書いたものなんですよね。だからこのタイミングで書くのもどうなん? って感じです。
 また、作中ではあえて明言していませんが、このお話は本編の時間軸と同じとは限りません。作中での時間は明確にしてませんからね。一年前とかかも。
 次回は……問題作の遊泳部の話にでもしましょうか。誤字脱字感想等々ありましたら、お気軽にどうぞ。


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番外編「遊泳部とは?」

 たぶん本作品一番の問題作。霜登場回が可愛く見えるくらいの犯罪臭と頭のイカレた連中の饗宴……自分でもなんでこんなの書いたのか、今ではもう分かりません。エロいっていうか、だいぶ下品な内容なのでご注意を。
 なお今回は特殊レギュレーションによるデュエマです。普通のデュエマに飽きた人はやってみてね。


 とある日の生徒会室。

 役員の生徒たちが慌ただしくしている中、最奥の椅子に座る女子生徒――生徒会長、伊勢五十鈴が、一人の後輩の女子を呼びつけた。

 

「謡。ちょっと謡、来て」

「はーい。なんです会長」

「後で部室棟の方におつかい行ってきて。備品のアレ。そろそろだから」

「あぁ、アレですね。ヤバいとこはどうします?」

「ブラックリストのところは、とりあえず置いておいて。あそこは地雷原だから、後で慎重にやらないと」

「了解でっす。じゃ、早速行ってきますねー」

「よろしく頼むわ」

 

 長良川謡は、手慣れた様子で五十鈴の指令を受けると、書類の束が入ったファイルを持って立ち上がる。

 とそこで、謡の耳にさらに下の後輩たちの会話が耳に入った。

 

「……ブラックリストって?」

「なんかあるらしいよ。ヤバい部活動が載ったリストが」

「なにそれ怖い」

「ブラックリストについて気になるのかな?」

「うわっ、謡先輩……き、聞こえてました……?」

「バッチリ」

 

 噂が立つと飛び込みたくなるのが、謡の性分。

 ついつい、後輩たちの他愛もない雑談に首を突っ込んでしまった。

 

「ブラックリストっていうのは、簡単に言えば問題のある部活のことさね」

「問題?」

「そ。部員がいなくて実体が存在しない部とか、会計処理の関係で実質的に予算がゼロの部とか、事実上“存在しないはず”の部がね」

「あぁ、成程」

「っていうのは表向きね」

「ブラックリストに表向きとかあるんですか……」

「勿論そういうのもあるけど、そんなのは少数派で、実際は単純な話だよ。部活動という組織そのものの問題というより、部員の人格がアレなせいで、結果として問題を起こすような部のことだよ」

「なんか納得しちゃいました」

「つっても多くは会計処理が杜撰だとか、部長会議のサボリ常習犯とか、まあその程度なんだけど」

「その程度って評価でいいんですかそれ」

「もっとヤバいのがいるからね。部室の扉を頑なに開放しないオカルト研究部(オカ研)とか、トリックの実演だとか言って経費でピアノ線とか買う推理小説研究会(ミス研)とか」

「うわぁ……」

 

 後輩たちは軽く引いていた。

 しかし、これでもまだマシな方なのだと、謡は言う。

 

「文化部はまだマシだよ。本当にヤバいのは運動部でね。無駄に行動的だったり、パッションとエナジーに溢れてるから、もうなんでもかんでもやり放題。バドミントン部(バド部)は部費の8割を打ち上げに使うし、チアリーディング部(チア部)は覗き魔だし、セパタクロー同好会(セパ会)は壁をへこますし、もう潰れちゃったけど、昔あった第2テニス部なんて、男子生徒が女子更衣室で後輩の男の子を脱が……おっと、この話はやめとこう。聞かなかったことにして」

「めっちゃ気になりますけど聞くのが怖いので聞かなかったことにします」

「とまあそんな感じで、うちの学校にはヤバい部がいくつかあってね。まー、部活動設立のルールが緩いから、そういうのに溢れ返るのは道理なんだけど」

「それ、放置してていいんですか……?」

「ダメだから、なんか会長が手を打ってるみたいだけど……まあ今は厳重注意だけだよね」

「大丈夫なんですか?」

「大丈夫だったり、だいじょばなかったり。聞き分けのないところは本当、いくら言っても無駄だし。あと、部員の人格に多大な問題があるだけで、目だった問題を起こさない――というか、生徒会が直接手を下しにくい問題を起こす――ところもあるから始末が悪い」

「え、なんですか、そこって」

 

 後輩に尋ねられ、謡はほんの僅かな時間、逡巡する。

 その条件にあてはまる団体は、さてどこの団体だったかと考え、検索し、絞り込む。

 そして、真っ先に名前が挙がったのが――

 

 

 

「――遊泳部」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ユーちゃんって、遊泳部なんだよね?」

「そうですよ?」

「そう言えば遊泳部って、普段なにをしてるんだ? 遊泳って言うくらいだから、大会とかには出ないんだろうけど」

「あ、それは私も気になってました。ユーちゃん、お家でも「楽しかった!」しか言わないから、なにをやってるのかよくわからなかったので」

「そもそもユーリアさん、なんで遊泳部なんてよくわかんない部活に入ったの? そんなに泳ぐの好きだった?」

「ユーちゃん、泳ぐのは好きですし楽しいですけど……たぶん一番は、ブチョーさんにAufforderung(勧誘)されたからだと思います」

「アウフ……なに?」

「たぶんスカウトされたって言ってる」

「みのりこ翻訳……便利……」

「人をグーグルみたいに言わんで」

「でも、正しいですよ。凄いですね、香取さん。ドイツ語がわかるだなんて。どこかで習ったり、ドイツ語圏に住んでたことがあったり、旅行に行ったりしたことがあるんですか?」

「いやフィーリング」

「え……?」

「実子はそういう奴なんだ。しかし、スカウトね。どんな風にスカウトされたんだい?」

「えっと、確かあれは、小鈴さんとお友達になった後のことでしたっけ――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「銀髪外人ロリ、ゲットだぜぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

「もしもし警察ですか? 誘拐犯がうちの部室に突撃してきたんですけど……」

「ちょっと会話のテンポが速すぎるわ。もう少し合間とか行間とかを大事にしてくれないかしら?」

 

 烏ヶ森学園中等部には、競泳部という部活が存在する。その名の通り、その名の通り競泳を主な活動とする部活動で、県大会を勝ち抜くほどには強い部活だ。実績があり、規律もある、とてもクリーンな部活動である。

 しかし奇妙なのは、“競泳”部という名前。水泳部ではなく、競泳部と名付けられている。その理由は、競泳部と対を為す――わけではないが、似たベクトルの、しかしまったく別の部活動に関与している。

 それが、遊泳部だ。

 その遊泳部の部室に、女子生徒の高らかな叫び声が木霊する。

 決して広いとは言えない部屋には、長テーブルが二つくっついて設置されており、その周りは足の低いベンチが二つ、パイプ椅子がひとつ、そして年季の入ったアームチェアで囲まれている。

 壁際に寄せられた棚には、書籍から文房具からよくわからない置物や工具などが雑多に詰め込まれている。そして部屋の一部には衝立が置かれており、部屋を仕切っていた。

 およそ綺麗とは言い難い部屋に、突進するように飛び込んできた女子生徒。そしてその女子生徒の小脇に抱えられた、銀髪の少女。人を連れてくるにしても、正当な手段でないことは明らかだった。

 既に部室でくつろいでいた三人の部員は、女子生徒の奇行及び犯行に対して、淡々と対処法を提示する。

 

「おい、部長がまたなんか拾ってきたぞ。どうすんだ?」

「返してきてください。また生徒会に目を付けられますよ」

「イクちゃん、私も一緒に行ってあげるから、返してきましょう? ね?」

「嫌だ!」

 

 部長と呼ばれた女子生徒ハッキリと拒絶する。

 あまりにも強固な、強い意志だった。

 

「銀髪の外人ロリっ子だよ!? 超希少種じゃん! これを逃す手はないと思うんだよ! ねぇ、皆もそう思うでしょ!?」

「思わん」

「思わないわ」

「思いませんね」

「君らに人の心はないのか!」

「犯罪者予備軍に言われたくねーよ。いいから返してこい」

「人は拾ったら、元の場所に返さなきゃね」

「……というか、この学校で銀髪のロリっ子って、まさか……」

 

 三人の部員のうち、小柄な男子生徒が、女子生徒の抱えている少女を覗き込む。

 

「あ、あのー。そろそろ、降ろしてください……?」

「君は……えーっと、ロー……いや、ユー……リア? さん、だっけ?」

「塩井の知り合いか?」

「隣のクラスに、外国人の双子の女の子がいるんですよ。綺麗な銀髪の子だって話で」

「双子! え、なに、このロリっ子と同じ顔がもう一人いるの!? それはひと狩り行かないと!」

「行くな馬鹿」

「とりあえず、その子を降ろしてあげましょうか。ほら、イクちゃん」

「む、そうだったね。ごめんごめん。ロリには紳士たれ、だね」

「紳士面するには手遅れだぞ」

「イクちゃんは一応、女の子だから淑女よね」

「そこはどうでもいい」

 

 女子生徒は、銀髪の少女を解放した。

 少女は乱れた髪を軽く直すと、あどけない眼で、部員たちを一瞥する。

 

「ここはどこですか?」

「色々説明はするけど、とりあえず、あなたのお名前は?」

「ユーちゃんはユーちゃんです! ユーリア・ルナチャスキー!」

「ルナチャスキーさんね。それで、あなたはどうしてここに?」

「そこの女の人に声をかけられたんです。「おねーさんと一緒に楽しいことしない?」って」

「百点満点の不審者だな。花丸をくれてやる」

「それで抵抗したら、無理やり連れて来られたってとこですかね。まあ、部長らしい誘拐事件でしたね」

「Nein! したいって答えたら、お姉さんが連れて来てくれました!」

「本人同意かよ!?」

「危機意識が薄くて不安になりますね」

 

 部員たちは少なからず驚いていた。部長の人格は理解している。その上で、その意志に賛同してこの場に足を踏み入れる者がいるとは、思わなかったからだ。

 しかし、彼女の勧誘によって部室に足を運ぶ。それは、つまり、

 

「……本人同意の上なら、これは立派な新入部員ということじゃないかしら?」

「そうだな」

「そうだよ! だから、私たちも自己紹介しよう!」

 

 女子生徒は、くるっとその場に回って、明らかに無駄な動きしかないポーズを決めて、胸に手を当て、高らかに名乗りを上げる。

 

「あたしは十九渕(つずらぶち)育水(いくみ)! 二年生で、この遊泳部の部長だよ! 気軽にらぶちーって呼んでね! 部長でも可!」

「らぶちーなんて呼ぶ人、いるんですか?」

「いねぇだろ」

「いるよ! よっちゃんはらぶちーって呼んでくれるもん!」

「誰ですかよっちゃんって」

「流石の私もらぶちーはちょっと恥ずかしいわ」

「どうせ適当な部長だし、適当に呼んでやってくれ」

「なにおう! デルタの癖に生意気な!」

「まあまあ、相手は外国の方。日本語発音が苦手かもしれませんし、その辺は大目に見てあげましょう」

「結構ペラペラだったような気もするけど」

「でも塩井君の言う通りだね!」

 

 などとコントを繰り広げる中、ユーは育水の名前を反芻していた。

 

「つづら、らぶ……ぶ、ぶ……ブチョーさんですね!」

「うん! 素直でよろしい! ご褒美になでなでしてあげよう」

「わふぅ、Danke!」

「なんだか犬っぽいわね、この子」

 

 ユーは水々に、頭どころか顎の下まで撫でられ、完全に犬扱いされていた。

 そんなスキンシップもそこそこに、水々は次の部員を指し示す。

 

「じゃあ次ね! こっちの童貞臭い男はデルタ!」

「おいコラ、余計なこと言うな馬鹿野郎」

「ぎゃふっ」

 

 そこまで大きいわけではないが、それなりにがっしりした体つきで、どこか粗野な印象を与える男子生徒――出太は、口を挟む水々の頭に拳を落とす。

 

「ドーテー?」

「なんでもねぇ! 二年、刈丸(かりまる)出太(でるた)、副部長だ。まあ、よろしくな」

「なんかクールぶってるけど、基本的におっぱいとエロいことしか考えてない童貞だよ!」

「てめぇはいちいち口を挟むな!」

「おっぱい……ユーちゃんも好きですよ!」

「おっと、意外な返しですね」

「そこ、乗っかるのね」

「ふわふわもちもちしてて、気持ちいいですよね!」

「……おう、そうだな」

(童貞だから触ったことないのね)

(リアル生乳を見たこともないと思われます)

「ごめんねユーちゃん、デルタ童貞だから、生のおっぱいは触ったことないんだよ」

「にゅ?」

「だから! お前は! 余計なことを! 言うな! 黙ってろクソロリコンチビ!」

「なんだとー! そこまでちっちゃくないやい!」

 

 と、水々と出太がいがみ合いを始めたが、これはもはや日常茶飯事なので、誰も気には止めない。

 

「お前は昔っから余計なことばっかり口に出しやがって! 名誉棄損って言葉を知らないのか!?」

「知りませーん! 大体さぁ、なにをそんなに隠すのさ。なにかやましいの? 隠れてコソコソしなきゃいけないことなの? デルタってばやらしいんだからー」

「ぐ……それはそれだ! 性癖は自由だが、それを公にするこたねーだろうが! そうだろ塩井!」

「こっちに飛び火させないでくださいよ。どうでもいいんじゃないんですか?」

「ほら塩井君もこう言ってるじゃん! デルタのムッツリ! 童貞! おっぱい星人! 悔しかったら「小学生は最高だぜ!」って言ってみろー!」

「んだとてめぇ……!」

「部長の思考回路が支離滅裂で理解できません。この人はなにを言ってるんですか?」

「イクちゃんは昔からあんな感じよ。理解しようとすること自体が間違ってるの」

「け、ケンカですか……?」

「あー、確かになんか最近、この二人よく喧嘩してますよね」

「音楽性の違いってやつね」

「性癖の違いでしょ」

 

 部長と副部長の争いを、遠巻きに見つめて関与しようとしない部員が二人。

 止めようとすらしないので、ヒートアップするばかりだ。

 

「大体よ、チビがチビ追いかけ回して、ここは小学校かってんだよ。なぁ?」

「小学生じゃないもん、中学生だもん! いいじゃん! 可愛いは正義! イコール、ロリショタは正義! でしょ!? 紅ちゃん!」

「こっちに矛先を向けないでイクちゃん。確かにショタっ子は正義だけども」

「おっと化けの皮が剥がれてきましたね先輩」

「ところで、今って部員紹介の途中じゃなかったかしら?」

「あ、そうだった。デルタ、この決着はまた今度つけるよ!」

「望むところだ。ガキは所詮ガキってことを教えてやる、ちんちくりん」

「お互いに論理が破綻してますし、一生決着がつかないと思うのですが」

 

 ひとまず二人の諍いは収まり、紅と呼ばれた女子生徒が進み出る。

 女性としては、比較的長身で、大人びた雰囲気のある女子だ。

 

柳尾(りゅうび)(べに)、二年生よ。一応、会計だけど……まあ、そのへんの役職はあんまり関係ないかしらね。よろしくね」

「紅ちゃんはねー、小さい男の子が大好きなあたしの親友だよ!」

「イクちゃんは黙ってて。司君、次は任せたわ」

 

 横からひょっこり、文字通り首を突っ込む育水。

 その頭を押し返しながら、紅は最後に残った男子生徒にバトンを渡す。

 かなり小柄で、顔つきも童顔な少年だ。背丈は育水とそう変わらない程度で、ともすれば小学生にも見えていたかもしれない。

 しかしどこか冷ややかな表情が、歳不相応な雰囲気を醸し出している。

 

「はいはい。塩井(しおい)(つかさ)です。僕は一年生なので、敬語は不要、気を遣わなくてもいいですよ」

「年上のお姉さんが大好きなうちのマスコットだよ! ユーちゃんとマスコット争奪戦に出る予定!」

「棄権するので不戦勝で譲ります」

 

 育水の茶々を適当に受け流す司。

 そしてこれで、全員の自己紹介が終わった。

 

「以上四名が、我ら遊泳部のメンバーなのだ! どうどう? カッコいい?」

「カッコいいです!」

「マジか」

「おー、さっすがー! ユーちゃんは話がわかるねぇ!」

「……大丈夫なのかよ、この子」

「演技とか、合わせてるってわけでもなさそうだし、イクちゃんと同じ波長って、やっぱり心配になるわね、人として」

「部長と波長が合うって、なかなかな人材な気がします。将来は大物になるか、世紀末級の馬鹿ですよ」

 

 育水たちには聞こえ(ても構わ)ない声で会話する三人。

 とそこで、ユーは疑問を投げかける。

 

「それで、ユーエイブって、なんですか? ブカツ? ですよね?」

「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれた。それは――これを着れば、わかるっ!」

 

 育水がどこからともなく取り出したのは、水着だった――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――で、学校の水着と同じ感じだったんですけど、真っ白で、キレイで、とっても素敵(シェーン)な水着で……」

「ちょっと待て」

 

 笑顔で語り続けるユーちゃんだったけど、途中で堪えきれなくなったように霜ちゃんが制止する。

 わたしも途中から驚きが勝って、内容があんまり頭に入って来なくなってきた。

 

「どこからツッコめばいいんだこれは」

「白スク、所持……あぶない、部活……」

「話を聞く限りは愉快だけどねー」

「笑い事……なのかな?」

 

 怪訝そうに、そして心配そうにユーちゃんを見つめる霜ちゃん。表情は変わらないけど、少し引いているっぽい恋ちゃん。二人とは対照的に、楽しそうに笑っているみのりちゃん。

 そして、

 

「そ、そんな、人攫いがいる部活に、ユーちゃんがいたなんて……!」

「ローザさん……?」

 

 わなわなと震えているローザさん。

 これは……なんだか、前にも見たことある反応のような……?

 そう、前に壮絶な姉妹ゲンカが起こった時みたいな。

 

「一応、本人の同意の上だったみたいだけど?」

「いいえ、ユーちゃんはきっと騙されてます! ユーちゃんは世の中の危険を分かっていないんです! だから危ない人に騙されちゃうんですよ!」

「参った。話を聞く限り否定材料が存在しない」

 

 ローザさんはガタッと立ち上がると、教室の扉を開く。

 

「黙っていられません! 私、抗議して来ます!」

「え、ちょっとローザさん!」

「……彼女、ユーのことになると一直線だな」

「ど、どうしよう……?」

「追いかけるべき、だよな、これは。全員で行くか?」

「あ、私はパス」

「えっ、みのりちゃん?」

「そろそろ時間だからね」

「時間って、なんの?」

「スーパーの特売」

「とくばい」

 

 なんというか、ちょっと切実な理由だった。

 

「久々に肉が食えるからね。このチャンスを逃す手はないよ!」

「まあ、君は精神はともかく、肉体は悲しいほど貧相だから、もっと食べた方がいいのは確かだ」

「チビがなにか言ってる」

「みのりちゃん、それは霜ちゃんより背の低いわたしも含まれるの……?」

「小鈴ちゃんはいいの。おっきくてちっちゃいのが可愛いんだから」

「大&小……矛盾……」

「ま、私はユーリアさんの好きにさせればいいと思うけどね。そんな悪いとこでもなさそうだし? というわけでばいばーい」

 

 ひらひらと手を振って、みのりちゃんは行ってしまった。

 でも、みのりちゃんにはもっと食べてほしいし、食べ物のことなら仕方ないよね。

 

「私も……今日は、ちょっと……」

「恋ちゃんも? 学援部?」

「ん……まあ、そんな、とこ……」

「じゃあ、ボクと小鈴にユー……それからローか。実子がいない分、やりやすいかもね」

「そんなこと言っちゃダメだよ、霜ちゃん」

「あいつがいると、話が理路整然と進まないから、面倒くさいんだよな……とにかく行こう」

「う、うんっ!」

「Ja! ブチョーさんたちに会いに行きますよー!」

「……いってら」

 

 と、恋ちゃんに見送られながら、わたしたちはローザさんの後を追い、遊泳部の部室を目指す。

 

 

 

「さて……あきらたちのとこ……いかなきゃ……」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「銀髪外人ロリ、ゲットだぜぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

「もしもし警察ですか? 誘拐犯が自首して来たんですけど、場所を間違えたみたいで」

「このやり取り、前にも見たことあるわ。懐かしいわね」

「いや、被害者めっちゃ叫んでるぞ。今回はガチ犯罪じゃねーか」

 

 響き渡る悲鳴。それは、明らかに異常を知らせるサインだった。

 

「なんかユーちゃんっぽい女の子がいたから、スカウトしてきた! 今日から君も遊泳部員だ!」

「ちょ、ちょっと離してくださいっ!」

「イクちゃん、無理やりはダメよ。可哀そうだから離してあげましょう。ほら、暴れて怪我でもしたら大変でしょう?」

「えー。まあ、紅ちゃんが言うなら、いいけどー」

「なんで不満げなんですかね」

 

 廊下まで聞こえてくる喧騒。これはただ事じゃないと思って、わたしたちは慌てて教室へと飛び込む。

 

「ローザさーん!」

「……今日は来客が多いですね」

「あ、ユーちゃーん! ぐーてんぐーてーん!」

「Guten Tag! ブチョーさん!」

 

 教室に入ると、ローザさんを除いて、四人の部員さんがいました。

 えーっと、ユーちゃんの話だと、この一番小柄な女の人が、部長さんなのかな……?

 わたしよりも少し背が高いくらい。髪は自然な感じで色が抜けかけていて、ちょっと茶髪っぽかった。

 

「ほーらユーちゃん、おいでー」

「にゅ? うにゅっ」

「やー、ユーちゃんは今日も可愛いなー。ぎゅーっ!」

「ぎゅー、です!」

 

 出会って早々、ユーちゃんは部長さん? と抱き合っていた。なんだか二人とも幸せそう。ユーちゃんかわいい。

 

「ここが遊泳部……部室は、意外と普通だな」

「おや、水早君ではないですか」

「げ、塩井君……」

 

 ギョッとしたように身を震わせる霜ちゃん。

 知り合いなのかな?

 

「なんで君がここにいるのさ」

「不服ながら僕は遊泳部員ですので」

「そうか……やっぱりここ、そういう部活なのか……」

「君が僕になにを思っているのかは知りませんが、ここは魔窟ですよ。それよりも部長、お客さんですよ」

「え、お客さん……って、うわっほい!」

「ひゃぅっ!?」

 

 こちらに視線を向けた部長さん。

 その部長さんに、わたしも抱き締められました。

 なんか最近、いつもこんなことになってる気がします……って、

 

「なにこの子! ちっちゃくて可愛いぃー! 鈴のついた髪紐とか、チャーミングすぎない? 新たなロリっ子発見だよー! っていうか、お、おぉぉぉ……! デルタ! デルター!」

「うるせーぞ部長、なんだよ」

 

 あぁ、あわ、あわわわ……!

 な、なんか制服の上着剥ぎ取られたし、ブラウスのボタンも外された……!?

 部長さんは第二ボタンまで外すと、襟元を掴んで、制服の胸元をはだけさせられた。

 

「見て見て! おっぱい!」

「ぶッ!」

「な、なにするんですかぁ!」

 

 い、いきなり服を脱がせられるなんて……!

 抵抗しようとするけど、意外と力が強い……いや、わたしが非力なんだけど、とにかく振り解くこともできない。

 そのまま部長さんの手が、わたしの胸をわし掴む。

 

「なにこれすっごい、私よりちっちゃいのにこんなに大きいなんて……F? G? いや、もっとある? この感触、トップはたぶん95くらいあるし、ともすれば……?」

「や、やめてくださいぃ……!」

「えーい考えるのはやめやめ! デルタ! デルタが大好きなものがここにあるよ! ……って、なんで蹲ってんの? 嬉しくないの?」

「嬉しい、が……俺の身体が喜びすぎている……ちょっと待ってくれ……」

 

 状況はよくわからないけど、とにかくわたしの身がピンチです。みのりちゃんでもここまで激しくすることは……滅多にないのに、この人は人目も憚らず、服を脱がせて身体をまさぐってくる。

 とにかく恥ずかしくって、早くなんとかしたくって、わたしはほとんど泣きつくように霜ちゃんに叫ぶ。

 

「そ、霜ちゃーん!」

「うっ、悪い小鈴、あんまり君を見れない……君のその姿は、人の劣情を煽りすぎる……!」

「そんなこと言わないで、助けてよー!」

「わかっているさ……あぁ、こんな時に実子がいれば。なんでこんな時に限ってあいつはいないんだ! 肉なんて食ってる場合じゃないぞ!」

 

 なんだか教室にいた時と言ってることが違う気がするけど、確かにみのりちゃんがいれば、なんとかなったかもしれない。

 霜ちゃんは気を遣ってわたしの方を見ないようにしながら、先輩たちに鋭い声を浴びせかける。

 けど、

 

「あの、先輩方。人の友人にセクハラするのは控えて――」

「ねぇ君!」

「うわっ!」

 

 苦言を呈する前に、女の人が割り込んできた。

 綺麗な人だ。艶やかな黒髪の美人さん。柳尾さん、だっけ。

 けど、なんだろう。なぜか、呼吸が荒いような……?

 

「な、なんですか」

「女子用の制服着てるけど……男の子、よね?」

「えっと、まあ、はい……」

「凄い……可愛い」

「はい?」

 

 次の瞬間。

 ガバッ! と、霜ちゃんは柳尾さんに抱き締められる。

 

「はぁ!? なっ、ちょっと……!?」

「凄い凄い! 女の子みたい! え、お肌すべすべだし、おめめパッチリだし、髪もサラサラだし……今まで出会った男の子の中でも、トップクラスに好みだわ……!」

 

 霜ちゃんは柳尾さんに抱き締められたまま、ジッと見つめられたり、頭を撫でられたり、匂いを嗅がれたり……わたしがみのりちゃんにされているようなことをされていた。

 柳尾さんの顔も、なんだか蕩けたみたいに艶やかで……ちょ、ちょっと、ドキドキ……は、しないかな。

 むしろ、目の焦点が合っていなくて――いや、霜ちゃんだけにロックオンされてて、怖い。

 

「可愛い……ねぇ君、こっちに来てお姉さんとちょっと遊びましょう!」

「な、なにを言って……って、引っ張らないでください! くっ、なんだこの馬鹿力は! 振り解けない……!」

 

 今度は抱え上げられる。がっしりと身体をホールドして。

 霜ちゃんはそこから抜け出そうと暴れるけど、柳尾さんの拘束はピクリともしない。彼女はとても強かった。

 自力での脱出は不可能と考え、霜ちゃんは知り合いらしい塩井君に助けを求める。

 

「し、塩井君! この人なんなんだ!」

「クソショタコンです。適当にあしらってください」

「無理だ! 助けてくれ!」

「断ります」

「な……っ!?」

「僕もその先輩に毎日玩具にされてるんで。まあ、保身が一番ですよね。君とは体育で顔を合わせる程度の仲ですし、義理はありません。いいスケープゴートです」

「畜生!」

「はーい、美少年ひとりお持ち帰りでーす。じゃあイクちゃん、お先にー」

「あ、うん。ばいばーい、紅ちゃん」

「この、クソッ! 離せえぇぇぇぇぇぇぇぇ――!」

 

 と、霜ちゃんは最後まで抵抗していたけど、その抵抗も虚しく、断末魔を上げてどこかに連れて行かれてしまいました。

 ……あれ? これ、とてもピンチじゃない?

 なぜかわたしはずっと身体を触られてるし、霜ちゃんは連れて行かれちゃったし……え? え?

 混乱と困惑で頭が真っ白になる。どうしたらいいのかわからないけど、部長さんの手が止まった? なんだかしんみりした声で、副部長さんに向かい合っている。

 

「……デルタ、ごめんね。あたし、デルタのこと誤解してた。デルタは、おっぱい大好きなだけのキモイ童貞エロ野郎だと思ってた」

「おう、思ってたよりも酷いな」

「でもあたしが間違ってた。おっぱいはロリっ子にも合う! あたしもおっぱいが好きになったよ!」

「それは良かった。これでお前も俺たちの仲間だ。塩井、喜べ。仲間が増えたぞ」

「同じ括りにしないでください。胸はあればいいですけど、僕にとって必須項目ではありません」

 

 え、あの、えっと……

 なんというか、話に乗りたくないっていうか、なんだか恥ずかしい話をしています……あんまり胸とか言わないでほしいな……

 同じ一年生の男の子――塩井君? は、この混沌とした状況でも、顔色一つ変えずに、涼しげだった。

 だった、けど。

 

「なんだよクールぶりやがって。お前だって、こいつとかみたいに、女好きなことに変わりないだろうが」

「そう乱雑なカテゴライズはやめてほしいですね。僕は大人っぽい女性に興味関心が向くだけです。いいですか? 僕は先輩方のように、特定の部位の大小という単純な物差しで測れる嗜好ではないんですよ。大人、という概念は年齢、体格は勿論、服装やアクセサリーといった服飾品のチョイス、あるいは香水やマニキュア、さらに言えば化粧品の扱い、そういった諸々を総合した“雰囲気”が肝であり、これらは複合的要素からなる概念であるがゆえに一概には言えないものなのです。勿論、身長が高い、胸が大きい。これらはその人物を大人っぽく見せる大きな要因になりますが、これらの要素があっても顔が童顔だったら台無しになってしまうように、バランスが大事なんです。だからと言って顔が老けていればいいというわけでもなく、そこには一定の若さ、つまりは美しさが必要になるわけで、その美しさを定義するには――」

 

 な、なんか、急にたくさん喋り始めた……?

 涼しげな顔だけど、なんというか、その様子はとてもシュールだ。

 

「で、出たー! 塩井君の早口オタク喋り! 顔はいいのに年上女性の話になると急に饒舌になって早口で喋るせいで微妙にモテなくなる、塩井君の必殺ムーブメントだー! 口の中が気持ち悪いくらいクッチャクッチャしてるぞー!」

「どういうことですか!?」

「あいつ本当に気持ち悪いよな」

「あなたたちもですよっ!」

 

 はっ!

 つ、つい思ったことをそのまま口に出してしまった……流石に失礼だよね。相手は先輩だし、反省しなきゃ……

 

「まあ塩井君のことが置いておいて、仲直りしようか、デルタ。あたしはデルタがおっぱいに拘る理由がわかった。だからデルタも、ロリっ子を好きになろう?」

「それは無理だな」

「なんでさ!」

「ちんちくりんには興味ねぇ。やっぱ女は胸だろ」

「デルタの馬鹿ヤロー! でもちょっとわかるー!」

「あ、あのっ! お願いですから、せめて上着を返してください! というか、離してくださいっ!」

「そうです! いい加減にしてください! なにをしてるんですかあなたたちは!」

「ローちゃんが怒ってます……」

 

 最後の希望、ローザさんが立ち上がった。

 あまりにも自由で……その、ちょっと恥ずかしい感じの話を躊躇いなくしてしまう先輩たちに、怒り心頭な様子だった。

 

「あまりにも非常識です! 人を困らせるような行いを進んで行うなんて、言語道断です! 地獄に落ちますよ!」

「地獄に落ちるってよ、部長」

「閻魔様がロリっ子の可能性ってないかなぁ?」

「ないだろ、流石に。仮に女だとしても、どっちかっていうと巨乳なイメージだ」

「ふざけないでください!」

 

 自由奔放な二人に、ローザさんの怒りはどんどん増すばかり。

 うーん、なんていうか……相性悪そうだなぁ。

 

「あたしはロリっ子至上主義だから、ユーちゃんと同じ属性の君も平等に愛する所存だけど、それはそれとして、あたしはミーハーな女の子。今は新領域たるおっぱいの気分だから、相手するのはもう少し待ってほしいかも」

「なにを言ってるのかはさっぱりわかりませんが、伊勢さんにいやらしいことをするのはやめてください!」

「そっかー。そーだなー。うーむむ」

「……?」

「無駄だと思いつつも一応は言っておきますが、今の部長、いつも以上に狂ってるので、まともに取り合うと火傷しますよ」

「? それって、どういう――」

「じゃあこうだ!」

「え……うみゅっ!?」

 

 わたしを拘束する腕の片方が離れた。かと思うと、その腕はローザさんを掴んで抱き寄せる。

 結果、ローザさんとわたしは、二人まとめて部長さんの餌食にされてしまいました。

 

 

「それならWだ! うはぁ、やわらかー!」

「や、やめてください! ちょっと!」

「ローちゃんと小鈴さん、うらやましーです……楽しそうです……」

「ユーちゃんも見てないで助けて……あぁちょっと! どこ触っているのですか!」

 

 ジタバタと抵抗するローザさん。お陰でわたしも脱がされないけど服は乱れて、もうなんというか、なにが起こってるのかわかりません。

 ユーちゃんはなぜか羨ましそうにじーっとこっちを見ているし、どうなってしまうのでしょう。どうにかなってしまいそうです。

 

「ブチョーさん、ユーちゃんも入れてください!」

「おう? うーん、なるほろ。姉妹丼に巨乳のトッピングか、最高じゃん。でも、流石のあたしも三人同時は手が足りないにゃー。だから悪いね、塩井君、接待を頼んだ!」

「嫌ですよ。なんで僕がそんな興味ないことを」

「私の従姉のお姉ちゃん」

「いくつですか?」

「今19、大学一年生」

「背は?」

「169cm!」

「顔は?」

「美人系、めっちゃクールだよ!」

「その他は?」

「上から88、57、86のE。体重は勘弁してあげて」

「わかりました。成人していないのと、数値でしか判断できないのがやや不満ですが、十分です。写真か映像で手を打ちましょう」

「おい部長、俺にもその姉ちゃん紹介してくれよ」

「なんなのですかこの人たちは!」

「ユーリアさん、それじゃあちょっとお散歩でもしましょうか」

「おさんぽ! ユーちゃん、おさんぽ大好きです!」

「あ、ちょっと、ユーちゃん――!」

 

 そんなこんなで、ユーちゃんも塩井君に連れて行かれてしまいました。

 残されたのは、わたしとローザさん。そして、わたしたちを捉えた部長さん。ついでに、ずっとこっちを見ている副部長さん。

 ……ど、どうしよう……

 

「よーし、これでゆっくりロリボディを堪能できるね。さぁ君たち、おねーさんといいことしようか……ぐへへへへへ」

「キモいぞ」

「どうしようか、もっと脱がせる? でもデルタが興奮しすぎて倒れたら困るし、やりすぎるのもよくないよねぇ」

「今更ですか……っていうか、あの、離してください。あと、上着も返してほしいんですけど……それと、あんまり見ないでください、恥ずかしいです……」

「ごめんねー、デルタ童貞だから」

「うるせーぞ」

「とか言って、チラ見して視線を逸らせないでやんのー。やーい、ムッツリスケベー」

「うるせーぞ!」

「い、いい加減に離して……なんでこの人は、片手でこんなにも俊敏かつ器用な動きができるのですか!」

「なんか、クリーチャーっぽいよね……」

 

 ちょっと人をやめてる感じの動きと思考が。

 

「…………」

「どうした部長。手が止まってるぞ」

「……揉むの、飽きた」

「おい」

「新しい刺激が、欲しい」

「だったら離してください! こんなことが許されると思っているのですか!」

「それはそれ。なんていうか、もっとこう、エキサイティングでサプライズでエロティックなパッションが欲しい」

「なに言ってんだお前」

「うーん……ピラッ」

「きゃっ!?」

 

 え!? なに今の太腿のあたりに当たったふわっとした感じ!?

 も、もしかして……スカートめくられた!? き、今日に限って……!?

 

「……ロリ顔なのに、凄いの履いてる、この子。服の下だけギルティ級にセクシーだわ。中学生が付けていい奴じゃないよこれ」

「急に真面目トーンになるなよ、ビビるだろ」

「ちょっとあたしも冷静になっちゃうくらい凄かった。ロリなのは外面だけで、中身はむしろデルタとか塩井君好みっぽいなぁ。ま、あたしは見た目が可愛ければなんでもオッケーだけど……ちょぉっと、突き詰めてやりたくなっちゃうねぇ」

「やべーな。育水の奴、変なスイッチ入ったぞ。悪い、ちぃっと我慢してくれや」

「な、なにを……?」

 

 部長さんの手がうねる。うねうねしてる。

 そのうねうねした手で、指先で、わたしの服を、脱がそうとする。もう半分くらい脱がされてるけど。

 そのさらに先に。触れられたくない秘奥へと、その手を伸ばしてくる。

 

「やめてください、ひゃぁ……っ!」

「上も下と同じようなの付けてるのかなぁ。気になっちゃうなぁ。どれどれー?」

「や、ダメ……!」

 

 ブラウスのボタンも、スカートのホックも。

 あとほんの一押しで、すべてが解かれ、放たれてしまう。

 指先一つで、わたしの秘していたものがすべて、曝け出されてしまう。

 そんな時だった。

 

 

 

「そこまで――!」

「うわっぽい!?」

 

 

 

 ガラガラガッシャン! と、とんでもない音を立てて部室の扉が開かれて、誰かが突入してきた。

 その人は、部長さんとわたしたちを強引に引き離して、抱き寄せる。

 ……この声、そしてこの匂い、感触……まさか。

 

「大丈夫!? 妹ちゃん!」

「よ、謡さん……」

 

 やっぱり、謡さんだ。

 謡さんは、キッと鋭い眼差しを向けた。

 

「ちょっとらぶちー! なにやってんのさ!」

「おや? よっちゃんだー! やっほい!」

「よっちゃんってこいつかよ!」

「デルタ君も絡んでたか。まったく、遊泳部がいつも以上に騒がしいと思ったら、なんてことを……」

「よ、謡さぁん……!」

「おっと。よしよし妹ちゃん、もう大丈夫だよ。ローザちゃんも」

「あ……ありがとう、ございます……」

 

 謡さんはわたしの服を整えてくれると、またさっきの鋭い眼差しで、部長さんを睨みつける。

 

「で、弁明を聞きましょうか、らぶちー」

「ロリっ子は可愛い!」

「私もそう思う。じゃあ首を出せぃ」

「斬首刑ですと!? どうかお慈悲を!」

「慈悲も情状酌量の余地もなく極刑だよ! テンション上がったにしてもやりすぎ! 男の子の前で女の子の服を脱がすとかなに考えてるのさ!」

「大事なところは見えないから!」

「嘘おっしゃい! なにも考えずに強制ストリップだったでしょーが! トラウマにでもなったらどうするつもりだったの!」

「そこはほら……ねぇ、デルタ」

「俺に振るなよ!」

「デルタ君も! 女の子に興味あるのはわかるけど、後輩の女の子に手を出すのは最低だよ」

「手は出してねぇよ!?」

「らぶちーの凶行を止めなかった時点で共犯です。けど、君は流されてた面もあるだろうし、この事実を吹聴するだけで許してあげる」

「ただでさえ女子から煙たがられてるのに、俺がより変態扱いされるじゃねぇか! 勘弁してくれよ……!」

「大丈夫だよデルタ! デルタは元々女子から嫌われてるから! なにも変わらないよ!」

「うるせぇ馬鹿! てめぇのせいだクソロリコン! 死んで詫びろ!」

「なんだとおっぱいマニア! だったらデルタは鼻血の出しすぎで死んじゃえ!」

「んなアホな死に方があるか!」

「デルタだったらありそうじゃん!」

「二人とも! いい加減に! しなさい!」

『ぐはっ!?』

 

 な、殴った……!?

 謡さんが暴力を振るうところ、初めて見たかも……

 

「あ、あの、流石に暴力は良くないと思います……」

「いいのいいの。この人らにはこのくらいがちょうどいいのさ。いや、いつもは私だって殴らないけど、なんか普段の十倍くらい暴徒になってるんだもん。もう殴るしかないよね」

「いたたたた……よっちゃーん、痛いよー」

「マジ痛ぇ……畜生、とんだとばっちりだ」

「二人とも、正座」

「え」

「正座」

「あ、はい……」

 

 謡さんの冷たい言葉に、二人とも大人しく正座した。

 

「下級生の女の子にセクハラ。身体を触るのも、服を脱がすのも、れっきとした犯罪だよ。わかる?」

「……ちょっとフィーバーしちゃったんだよ。悪気はなかったんだよ。ね? よっちゃん?」

「はい?」

「ごめんなさい」

「視て犯すのもまた罪。抑止として働かず、見て見ぬ振り。それにも罰。ねぇ、デルタ君?」

「いや、俺はなにもしてねぇし……」

「うん?」

「すみません」

 

 ……なんか、とても珍しい光景な気がする。こんな謡さん初めて見た。

 その後も、二人はずっと説教する謡さんにへこへこと頭を下げていた。

 

「まったく、たまたま通ったのが私だったからよかったけど、これがもしフーロちゃんとか他の人だったら、会長にバレて即廃部&打ち首だよ」

「え、会長様?」

「この子、会長の妹ちゃんだよ」

「マッジ!? 私そんな背徳的……もとい恐れ多いことしてたの!? ちょっと滾る!」

「お前メンタル強ぇーなぁ」

「ほら、ちゃんと謝りなさい」

「ははー! 会長様の妹様とは露知らず、粗相を働いて申し訳ありませんでしたー!」

「あの、その、いえ……えっと……」

 

 べたぁー、と決してきれいとは言えなさそうなタイルの床に土下座する部長さん。

 な、なにもそこまでしなくても……

 

「……そろり」

「ローアングルからスカートの中覗かない!」

「ぐぇっ!」

「…………」

 

 ……う、うーん……

 

「育水、こいつは素直に頭下げた方がいいぞ。俺も頭冷えた。今回は流石にやりすぎた」

「……そうだね。ごめんね。あたし、ちょっとハジケすぎちゃったみたい」

「あ、いえ……い、いいんです、もう……」

「妹ちゃん、断罪するべき時はきっちり処断しないとダメだよ。らぶちーはすぐ付け上がるから」

「いえ、本当にもう、大丈夫ですから……それよりも、謡さんはどうして?」

「生徒会の仕事で部室棟に用事があったからね。その途中で、やたら遊泳部が騒がしいと思って、覗いてみたらこの有様だよ。ブラックリストに載ってるここに来るつもりはなかったけど、流石に見過ごせなくてね」

「ブラックリスト?」

「なんでもないこっちの話」

「ですが、お陰で助かりました……本当に。ありがとうございます」

「どういたしまして」

 

 謡さんが助けに来てくれなかったら、どうなっていたことか……わたしの服はもう戻ってこなかったかも。

 そう思うと、とても恐ろしかった。

 

「にしても、荒れてるわりに今日は人が少ないね。紅ちゃんと、あの一年生の男の子は? っていうか、なんで妹ちゃんたちはこんな変態の巣にいるの?」

「私たちは、ユーちゃんのために来たんです。この人たちの頭がおかしいから……」

「頭がおかしい!?」

「確かに頭のネジが外れてるどころか、ネジの代わりにきのこの山でも刺さってそうな人たちばっかりだもんね」

「あたしはたけのこ派かなー」

「おいやめろ戦争が起きる」

「で、ユーリアちゃんのためっていうのは?」

「それは――」

 

 ローザさんが謡さんに説明しようとする、その時。

 またしても、部室に誰かが駆け込んできた。物すごい勢いで。

 ……っていうか。

 

「そ、霜ちゃん……?」

「あぁ、小鈴、無事だったか……よかったよ……」

 

 駆け込んできたのは、霜ちゃんだった。

 

「どうしたの、な、なんかすごい疲れてるけど……っていうか、どうして男の子の制服を着てるの?」

「無理やり着替えさせられた。まったく、なんなんだあの人は、ゴリラの腕でも移植してるのか? まったく力で抵抗できなかった……隙を見て逃げ出すだけで精一杯だ」

「紅ちゃん、力持ちだもんねー。デルタより腕相撲強いし」

「うちの部で競泳出身なのあいつだけだしな」

「呼んだかしら?」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 ひょっこりと顔を出す柳尾さんに、霜ちゃんの絶叫がこだまする。

 ……トラウマ、植えつけられちゃったみたいです。

 

「く、来るな! 寄るな!」

「あらら、随分と嫌われちゃったわね」

「紅ちゃんステイ。それ以上進んだら、生徒会が相手になるよ」

「? 長良ちゃん? イクちゃん、この状況って、どういうこと?」

「バレちった」

「成程」

 

 部長さんたちよりも物わかりがいいようで、柳尾さんはその一言だけでスッと身を引いた。

 

「……ま、いいでしょう。美少年は視界に入るだけで心安らぐものだしね」

「っ……! この変態め……!」

「寵愛の対象からなら、たとえ罵倒でも褒め言葉だわ」

「こいつもメンタル強いな」

「なんでもいいけど、状況を混沌に戻さないでね、紅ちゃん」

「私は思ったことを口にしただけよ」

 

 ふふっ、と大人っぽく微笑む柳尾さん。

 なんだけど、その笑みはちょっと怖い。霜ちゃんも怯えきっているし……

 

「で、なんだっけ。どうしてみんな、こんな異常者の巣窟に足を踏み入れちゃったの?」

「ユーちゃんが、この人たちの部活に入ってしまったようなので……ユーちゃんの健全な生育のため、やめさせようかと」

「あぁそれがいい。ここはユーの情操教育に悪すぎる。今すぐ退部届を出すべきだ。というかいっそ廃部にしてしまえ!」

「霜ちゃん、落ち着いてっ」

 

 珍しく霜ちゃんが荒れています。みのりちゃんといる時でも、こうはならないのに。

 とりあえず霜ちゃんを落ち着かせて、謡さんも交えて、ローザさんの目的を話した。

 

「……成程ねぇ」

「あの子を退部させるために、わざわざうちの部まで乗り込んできた、と」

「そしたら部長に誘拐されて混沌の坩堝にダイビング、ですか」

「あ、塩井君。おかおかー」

「ただいま戻りました。そろそろ頃合いかと思って戻りました。嘘です。校内散歩で引き留めるのには限度がありました」

「その嘘、必要あるか?」

「ローちゃん、小鈴さん! ただいまです!」

「おかえり、ユーちゃん」

「……ユーちゃんは、大丈夫? なにもなかった?」

「? 購買のおねーさんに、アメを貰いました!」

「いいですよね、購買のお姉さん。顔つきや口振りはかなり幼い面がありますが、肉体、精神はまごうことなく姉属性。口調とかそんな表層ではなく、精神、あるいは魂が姉という年上女性の象徴的なものを表していて、とても美しいです。勿論、そこに高身長、肉感的な肢体など、容姿による情報が入り美しさという評価点をさらに押し上げているわけですが。僕は幼顔には反吐が出るくらい嫌悪感がありますが、彼女のそれはあまりない。どころか僕に新境地を開拓させそうな幼さですらある。いやぁ、素敵ですよね、購買のお姉さん。ご兄弟の肉食虫のような眼光がいなければ、義理の弟になる申し出をしていたくらいで――」

「オタク喋りやめろ」

「あーもう! この部活は本当に話がまとまらないね!」

 

 塩井君と一緒にユーちゃんも戻って来て、一同が揃う。

 遊泳部の皆さんは、各々が好き勝手に話を進めるから、もうしっちゃかめっちゃかだけど、謡さんはなんとか秩序を取り戻そうと、場を取りまとめようと頑張っている。

 

「カット! とりあえず場面転換して仕切り直し!」

 

 ……そのせいなのか、なんか葉子さんみたいなこと言ってるけど。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「つまり君たちは、ユーちゃんを退部させるために来たんだね」

「そうです。この部はユーちゃんに悪い影響があると判断しました。ここにあの子を居させるわけにはいきません」

 

 なんやかんやあって、みんなで席に着いて、話し合いの場が設けられた。

 そして、そこで(もう一度)、ローザさんの要求を突き付ける。

 色々ありすぎて忘れそうになるけど、ローザさんはこの部活の状況が、ユーちゃんに良くない影響があるとして、退部させたいと申し出る。

 ローザさんの気持ちはわかる。でもそれはちょっと乱暴なんじゃないかと思うけど……正直、わたしもこの部活はちょっと、どうなのかと思っちゃいました。

 そしてどういうわけか、その認識は遊泳部の人たちも同じみたいで、

 

「一理ありますね。いやむしろ、全面的に同意できますね」

「ねー。デルタみたいなエロ童貞とか、紅ちゃんみたいなショタコンといると、悪い影響があるかもしれないよね」

「てめぇのこと棚上げにしてんじゃねぇクソロリコン」

「一番悪影響を及ぼしてるのはイクちゃんだと思うわ。だってロリコンなんだもの」

「ロリコンに罪はない!」

「あるだろ」

「どうでもいいよ。身内同士で罪をなすり付け合わないの! 皆一様に同罪だから!」

「暴論です、冤罪です。僕はなにも悪いことしてないのに」

「うるさい! 問答無用!」

「よ、謡さん、落ち着いて……」

「ボクも人のことは言えないが、キャラ崩壊が甚だしいな、この部室は……」

 

 そして話がまったく進みません。

 

「むぅー……ユーちゃんはやめたくないです。ここは、とっても楽しい場所なんですから」

「ダメだよユーちゃん! ここは……とても、よくないところだよ。清廉潔白で正しい成長ができないよ」

「否定できませんね」

「否定できないわよね」

「否定する要素が微塵もねぇ」

「もはや部員までも同意しちゃってるし」

「話がわかると言うのか、なんと言うのか……」

 

 けど、部員さんのほとんどが否定しない。拒絶もしない。

 思ったよりすんなり、ローザさんの要求は通ってしまいそうだった。

 

「そうだねぇ。うちの部員って、みーんな変なのばっかりだし、ユーちゃんのピュアさは失われちゃうかもねー」

「それじゃあ、そういうことで。ユーちゃんは連れて帰りますので」

「だが断る!」

「えっ?」

 

 ダンッ! と、部長さんは机を叩いて立ち上がる。

 テンションのアップダウンが激しい人だ……

 

「ユーちゃんはうちに正式に入部した、貴重な新入部員なんだから! 手放せるわけないよ! ロリだし! 銀髪外人ロリだし! 希少種ロリだし!」

「それはまあ、確かにそうですね。人手は多いに越したことはないですよね」

「人材も、大切な財産だものね」

「ちっこいのがいないと、部長がうるせーんだよなぁ」

「ユーちゃんもやめたくないです!」

「ダメだよユーちゃん。この部活は、絶対にユーちゃんの大事ななにかを曲げてしまうんだから……!」

「……っていうか、なんか遊泳部諸君は、主張が一貫してないね? 急にユーちゃん退部に難色を示しちゃって」

「ぶっちゃけどうでもいいです」

「私も、司君がいるならそれで」

「ちんちくりんに興味はねぇし」

「非情!?」

 

 なんだろう、この人たち……集団としての一貫性がないっていうか、仲悪いのかな……?

 ……いや、そうじゃないか。

 この人たちは、あまりにも素直で、裏表がないんだ。

 

「つーか、ちっこいのにいなくなって欲しくないのは、部長だけだろ?」

「そうでしょうね。イクちゃんは、ユーちゃんにいて欲しいのよね」

「とーぜん! うちの大事な部員だもん!」

「……そういうことなら、まあ、筋としては一応、部長につくべきなんでしょうかね、僕らは」

「仕方ねーなぁ」

「結局、こういう対立構造になるのか」

 

 霜ちゃんが溜息を吐く。

 なんとなくわかっていたけど、最終的に遊泳部の人たちは、ユーちゃんを引き留める方向でまとまったみたい。

 けど、このままだと主張が平行線にしかならないと思うんだけど……どうするんだろう?

 

「君はユーちゃんをうちから引き剥がしたい。あたしたちは新しい部員(ロリ)が欲しい。成程、理解したよ」

「お前の願望じゃねーか」

「そういうことなら、勝負だよ!」

「勝負、ですか」

「そう。君らが勝ったらユーちゃんは返す。だけどあたしたちが勝ったら、君を頂く!」

「わ、私ですか!?」

 

 勝負。

 なんとなく、以前のユーちゃんとローザさんのケンカを思い出す。

 あの時ほど剣呑ではないけれど……やっぱりちょっと、空気がピリピリして痛い。

 

「ふははははは、二人目の銀髪外人ロリっ子美少女をゲットするチャンスだよ! これを逃す手はない!」

「俺はあっちの鈴の子の方が好みなんだが……」

「私もあっちの可愛い男の子が欲しいわ」

「僕は購買のお姉さんが素敵だと思うんですよ」

「ボクら全員ターゲットにされてるぞ、小鈴」

「あわわわわわ……」

「私はノーマークなんだけど。いや、いいけどさ。こんな編隊を組んだ変態たちに狙われたくないし」

 

 遊泳部の方々の視線が怖い。

 霜ちゃんと一緒に謡さんの背に隠れながら、成り行きを見守ります。

 

「……いいでしょう。それで、勝負はなにで行うんですか?」

「ふっふっふ、それはねー……デルタ! 例のブツをカモン!」

「なんだよ、例のブツって。うずまきか?」

「あれじゃない? 箱入り娘」

「バベルの塔では?」

「ちっがーう! ガラクタだよ!」

「なに言ってるのかわからない上にぐっだぐだなんですけど……」

 

 そんなやり取りがしばらく続いた後で、副部長さんが部室の棚から、なにか大きい箱を持って来た。

 ん? なんかこんな感じの箱、どこかで見たような……?

 部長さんはその箱を開ける。すると、見覚えのあるものが出て来た。

 

「これって……デュエマ、ですか?」

「デュエマで勝負するのか? にしては、随分とカードが多いようだけど……」

 

 あぁ、そうか。この箱、使わないカードを入れておく(ストレージ)だ。

 そのストレージいっぱいに詰まったデュエマのカード。

 この中にあるカードでデッキを組んで、デュエマをするのかな?

 

「っていうか、先輩たちはデュエマやるんですね」

「いいや? あたしたち、カードは持ってないよ」

「え、じゃあこれは?」

「それは部室に置いてあったカード。なんか昔は、てぃーしーじーどーこーかい? っていう部活だったんだって。今はなくなっちゃったけど。その人たちが部室に置き忘れたものだよ」

「あー、なんか昔あったみたいだね、そういう部活。会長から話だけ聞いたことあるや」

「それで、これでどう勝負するんですか?」

「そのデッキ丸々使って勝負するんだよ」

「えっ? デッキ? これが、ですか? っていうか、これで勝負? ……え?」

 

 ローザさんは、目を白黒させていた。わたしも、よくわからない。

 この膨大なカードの束がデッキだということも、これを使って勝負するということの意味も。

 わたしたちが困惑していると、霜ちゃんが思い出したように口を開いた。

 

「……聞いたことがある。これは、ワンデッキというものじゃないか」

「ワンデッキ?」

Hund(わんわん)です?」

「一つ、という意味のワンだ。その名の通り一つのデッキで行うローカルな特殊レギュレーションだよ。人や内容によってはタワーデュエルとか、ブラックボックスデュエル(BBD)とか、呼び名は様々だが……一つの巨大なデッキを用いて、デッキと墓地を共有してデュエマを行うらしい」

「そんなルールのデュエマがあるなんて……」

「あくまでもプレイヤーの間で勝手に開発された、非公式な遊び方だけどね」

「……と、後輩君は言ってるけど、そうなの? らぶちー」

「いえーす! 知ってるなら話は早い!」

 

 ワンデッキデュエル……まったく知らない遊び方だ。

 でも、基本的には普通のデュエマっぽいし、あんまり難しくはないかな?

 

「しかし、仮にも水泳部の派生である部活に、なんでこんなものがあるの? 残してても邪魔だろうに」

「うちで揉め事が起こると、大抵はこれで解決してるんだよ。色々公平だからさ」

「最近は争う前にユーちゃんを抱き締めて落ち着くようになったから、これを引っ張り出すのも久々ね」

「そうそう。やっぱりロリっ子は癒し効果があって最高だよね!」

「いや部長、部長が暴走する前にルナチャスキーさんで鎮静させてるだけですからね。僕らは触れてすらいませんよ」

「塩井さんも、ユーちゃんをギューってしていいんですよ」

「ゆ、ユーちゃん……! 相手は男の子だよ!」

「魅力的な提案をどうもありがとうございます。けれどやめておきましょう。後が怖いですし、少女には興味はありませんので。あと十年経ったら、同じ誘いをお願いします」

「気持ち悪いけど紳士的……!」

「どうでもいいけどよ、やるなら早くしようぜ」

「それもそうだね。それでいいかな? ロリっ子ツインズちゃん」

「ローザです。ローザ・ルナチャスキー。ロリとか、変な呼び方するのはやめてください」

「そっか、ごめんねローザちゃん」

 

 こうして。

 遊泳部の部長、十九渕育水さんと、ローザさんとの、ちょっと変わったデュエマが始まったのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「先に簡単なルールを説明しておきましょう。デッキはこのデカいのが一つだけ。このデッキのカードしか使えませんが、このデッキのカードはすべて使えます。ドローなどはすべてこのデッキから行って、墓地は共有。それ以外は普通のデュエマです。シールドをすべて割って、ダイレクトアタックを決めれば勝ちです」

「理解しました。説明ありがとうございます」

「シールドをすべてブレイクしたら勝利、か。LOは……まあ、この枚数なら考慮する必要はないな。EXウィンも、狙えるだけのカードがあるようには思えないから、考えなくていい、か」

 

 デッキ共有、墓地共有。それ以外は普通のデュエマ。

 ただ、普通のデュエマはデッキを自分で組んで用意するものだから、こうしてなにが入っているのかわからないデッキというのは、新鮮だし、不安だ。

 なにがあるのか。どう動けばいいのか。初見ですべてを判断しなくてはならない。

 ローザさん、大丈夫かなぁ……

 

「よーし先攻! 私のターン!」

 

 じゃんけんの結果、先攻を取った部長さんは、1ターン目から早速、仕掛けてくる。

 

「《ミッチー》をマナチャージ! そして1マナ!」

「っ、1ターン目から来るのか?」

「早いね。らぶちー、なにするつもりだろ。《ブレイズ・クロー》とかかな」

 

 火文明のマナを生み出して使う1マナ。パッと思いつくのは《凶戦士ブレイズ・クロー》とかだけど……

 そんな予想をする中、部長さんが繰り出したのは――

 

 

 

「喰らえ! 《偉大なる無駄(グレート・ムダ)》!」

 

 

 

 ……?

 

「ぐ、グレート……ムダ?」

「これでターンエンドだよ」

「え、あの、呪文の効果は……?」

「ないよ」

 

 あっけらかんと言い放つ部長さん。

 呪文の効果がないって……?

 

「どういうことなの……?」

「わざわざ説明するのも無駄で馬鹿らしいが、あの呪文は“能力がない呪文”だ。クリーチャーにも、能力のないクリーチャーがいるだろう? それの呪文版だ」

「でも、クリーチャーはバトルゾーンに出るし、攻撃できるし……能力のない呪文なんて、どう使うの?」

「呪文に反応する効果を誘発できるが、基本的に同色同コストのカードで事足りる。そして今は、呪文に反応するカードすらない」

「と、いうことは?」

「まさしく“無駄”撃ちってことさ」

 

 え……じゃあ、部長さんは意味のないことをしただけってこと。

 手札も減ってるし、それってなんのメリットもないんじゃ……

 

「なーに、サービスだよサービス。あたしはこのデュエマを知り尽くしてるし、ハンデハンデ」

「部長の奴、遊んでやがるな」

「イクちゃんらしいけどね」

「……なんだか、軽んじられているようで、いい気分ではありませんが……勝負は勝負です。私は真剣に臨みますよ。私のターン」

 

 楽しそうに笑っている部長さんとは対照的に、真面目な表情のローザさん。

 カードを引いて、ジッと手札を見つめると、その中の一枚を抜き取ってマナに置く。

 

「マナチャージして、ende」

「あたしのターン! チャージ! エンド!」

「私のターン……むぅ」

 

 またローザさんは考え込む。

 わたしたちも、ちょこっと手札を覗き込むけど、その、なんというか……

 

「こりゃ酷いね」

「予想はしていたが、やっぱりあのデッキ“ロクでもない”カードばかり入っているんだな。ストレージのあまりものを詰め込んだみたいだ」

 

 覗き込んだ手札にあるのは、ほとんど知らないカードで、能力を見ても、どれもこれも使いづらそうなカードばかり。文明もバラバラだし、どうやって対戦を進めればいいのか、掴めなさそう。きっとローザさんも同じことを思っている。

 とりあえず今は、マナを溜めるしかないけれど……

 

「……マナチャージ。ende」

「あたしのターン、ドロー! お、いいカード引いたね。んじゃあマナチャージして、3マナで《無防備のファミリア キナコ》を召喚するよ! 《キナコ》はタップして場に出るよ」

 

 先んじたのは、部長さんだった。

 先攻なだけあって、先にクリーチャーを呼び出して、先手を取る、けど……

 

「……か、可愛い……」

 

 そのクリーチャーは、とっても……キュートだった。

 おねむな様子の……これは、犬、かな? もっちりしたわんちゃんが二段重ねになってます。かわいい。

 

「あのカード……ちょっとほしい」

「お? 妹ちゃんもクリーチャーのイラストに惹かれるようになっちゃったか。いよいよプレイヤーとしての沼に嵌ってきたね」

「だが待て、可愛いのは顔だけだ。あれは少し厄介かもしれないぞ」

「? どーゆーことですか?」

「見てればわかるさ。たぶん」

 

 厄介? あのもちもちしたクリーチャーが?

 無防備とか言ってるし、とても強いクリーチャーには見えないけど……

 

「私のターン……やっと動けます。3マナで《青守銀 モルゲン》を召喚。ende、です……」

 

 

 

ターン3

 

 

育水

場:《キナコ》

盾:5

マナ:3

手札:2

 

 

ローザ

場:《モルゲン》

盾:5

マナ:3

手札:4

 

 

共有墓地:1

共有山札:∞

 

 

 

「あたしのターン! アンタップ、ドロー! 4マナで《王立アカデミー・ホウエイル》! 三枚ドロー! さーて、殴っちゃうぞー! 《キナコ》でシールドブレイク!」

「……S・トリガーは、ありません」

 

 部長さんのターン。早速、前のターンに召喚した《キナコ》でシールドをブレイクする。

 ローザさんはなにもかもが後手後手だけど、このくらいじゃ、そんなにピンチってわけでもないよね?

 

「そうだね、ローザは別にピンチじゃない。今は、ね」

「今は、って?」

「《キナコ》は、タップして場に出るデメリットと引き換えに、3コストでパワー5000もある。普通のデュエマなら、多少パワーが高いだけでは対処するのは容易いから、脅威でもなんでもないが、これは普通のデュエマじゃない。だから、恐らく……」

 

 ローザさんのターン。ローザさんはカードを引き、そして、

 

(……《キナコ》が倒せない)

 

 悩ましそうに、手札を凝視していた。

 

(パワー5000……私の手札に、あれを超えるパワーはありません。除去カードもない。《モルゲン》で攻撃したら、パワーで負けてしまう……攻撃するのも躊躇ってしまう……)

 

 手札と、場と、《キナコ》を、じぃっと見つめて、悩み続けるローザさん。

 

「あのデッキは、不要なカードの“寄せ集め”。言ってしまえば、ほとんどすべて弱いカードで構成されている。そんな使えないカードたちの中で“パワーが高い”ということは、大きな武器になる」

「パワーが?」

「いつものデュエマって、あんまりパワー気にしないけどね。パワー500でもシールドは割れるし。パワー気にするのって、《ミクセル》とか《オニカマス》とか退かす時に考慮するくらいじゃない?」

「ユーちゃんも、パワーなんて関係なく破壊しちゃいます」

「普通のデュエマならね。だが考えてもみてほしい。パワーが高ければ、それだけ殴り返しや火力を受け難いということでもある。それはつまり、除去耐性が高いということでもあるし、ブロッカーも乗り越えやすい。あのジャンクも甚だしいカードの塊では、まともな除去カードも少ないと見た。つまりパワーの高さは生存力であり、戦闘力でもある。パワーが高ければ、相手が対処できないまま、一方的に殴り続けられるわけだ。単純だが、厄介だよ」

 

 なるほど……

 普通のデュエマと変わらないなら問題ないかと思ってたけど、自分でデッキを用意するわけじゃないから、そういうところも大事になるんだ。

 

「あいつ賢いな。一瞬でこの遊びのセオリーを見抜きやがった」

「可愛くて頭もいいなんて、素敵よね……あぁ、欲しい……」

「っ……いや、屈しない。ボクは圧力には屈しないぞ……!」

「気丈なところも可愛いわ……」

「なんだかんだこいつも気色悪いよな。見てるだけでぞわぞわするぜ」

「僕なんて毎日のように膝に上に乗せられているのですよ。骨が当たって尻が痛い、もう少し肉付きが良くなってからにして欲しいものです。先輩」

「善処するわ」

(この人たち、本当になんなんだろう……)

 

 仲がいいのか悪いのかもわからない。

 とにかくわたしの理解の範疇を超えている。

 

「と、とりあえず、《オクトーパの相対性魔力抗議》を唱えます。これで、《キナコ》の攻撃を封じます。ende、です」

 

 

 

ターン4

 

 

育水

場:《キナコ》

盾:5

マナ:4

手札:3

 

 

ローザ

場:《モルゲン》

盾:4

マナ:4

手札:4

 

 

共有墓地:3

共有山札:∞

 

 

 

 ローザさんは《キナコ》を除去することはできなかったけど、1ターンだけ動きを止められた。

 その1ターンで、なにか対抗策が引けるといいけど……

 

「殴れないかー。じゃあ、あたしのターン。《堕魔 ヴァイプシュ》を召喚。攻撃はできないから、このままターンエンドだね」

「私のターン……2マナで《エマージェンシー・タイフーン》を唱えます。二枚ドローして……え、Was ist das(なにこれ)?」

「どったの?」

 

 カードを引いたローザさんは、その引いたカードに怪訝な視線を向けていた。

 一体なにを引いたの……?

 

「あの、すみません。“ガチャ”って、なんですか?」

 

 ガチャ?

 デュエマとは全く関係ない、場違いにも思える言葉に、わたしは面食らってしまう。

 

「おもちゃ屋さんとかに置いてある、ガシャポンのことかな?」

「ローが言ってるのは、たぶんデュエガチャのことだな」

「デュエガチャって?」

「えーっと、デュエマの対戦で使う、玩具みたいなのがあるんだよ。六つのスロットがあって、特定のカードを使うとスロットが回り、それがランダムで表示される。そして表示された効果を使用する、っていう」

「そんなカードがあるんだ……」

 

 ランダムで効果が決まるだなんて、独特だなぁ。みのりちゃんとか、好きそう。

 でも、そういうカードを使ってる人ってまったく見たことないや。

 

「効果がランダムだし、そもそも公式の場では使えないことがほとんどだから、使う人はまずいないね。っていうか、デュエガチャあるんですか?」

「ないよ。だからいつもサイコロ使ってる」

「あぁ、そっか。サイコロも六面だもんね」

「それで、その効果って、どういうものがあるんですか?」

「えーっと確か、ドギラゴン・ガチャの方は赤緑的な……マナ加速とか、強制バトルとか、マナから踏み倒しとかだったかな。ドキンダム・ガチャはパワー低下、ハンデス、リアニメイトとか、黒っぽい効果だったはず。少しうろ覚えだけど」

「携帯使って調べてもいいよ」

「ありがとうございます。では、少しお時間をいただきますね」

 

 許可を貰ったので、ローザさんは携帯を取り出して「デュエガチャ」で検索をかける。

 

「……おおよそ理解しました。では、《エマージェンシー・タイフーン》の効果で手札を一枚捨てます。そして3マナで呪文《ドキンダム・チャンス》を唱えます」

「出たなデュエガチャ起動カード」

「あれがそうなんだ」

「《ドキンダム・チャンス》の効果で、ドキンダム・ガチャを二回回して、その効果を使います」

「オッケー。デルタ、サイコロ取って」

「おう。ほらよ」

 

 副部長さんが、棚からサイコロを取り出して、部長さんに投げ渡す。

 そしてそれをローザさんに手渡した。

 

「出目と効果の関係はこんな感じね」

 

 

1[墓地:自分山札の上から3枚を墓地に置く。]

2[補充:カードを1枚引く。]

3[回収:クリーチャーを1体、自分の墓地から手札に戻す。]

4[忘却:相手は自分自身の手札を1枚選び、捨てる。]

5[衰弱:相手のクリーチャーを1体選ぶ。このターン、そのクリーチャーのパワーを-9000する。]

6[復活:進化でないクリーチャーを1体、自分の墓地からバトルゾーンに出す]」

 

 

「わかりました。では、一回目のダイスロールです」

 

 ローザさんは受け取ったサイコロを、手から滑り落とすように放る。

 机の上を跳ねて転がるサイコロ。

 その最初の出目は、1。

 

「[墓地]だね」

「単なる墓地肥やし……墓地共有のこのルールでは、恩恵は微妙。ハズレか」

「……まだです。二回目……!」

 

 サイコロを拾って、二回目のダイスロール。サイコロがローザさんの手から離れ、机の上を転がる。

 そして、

 

「6……[復活]です! 墓地から進化でないクリーチャーを復活させます!」

 

 二回目は、大当たりを引き当てた。

 [復活]は進化でないクリーチャーなら、どんなクリーチャーでも呼び戻せる。どれだけ大きなクリーチャーでも関係ない。

 既に仕込みは終わっている。だから後は、釣り上げるだけ。

 ここでローザさんが呼び出すのは、

 

 

 

「復活です――《バックベアード》!」

「ぐはぁ!?」

 

 

 

 巨大で、真っ黒な目玉のクリーチャー。

 なんだかイラストが他のカードと違う感じするけど、とてもおどろおどろしいクリーチャーだった。

 ……っていうか、部長さん、どうして吐血(したような素振りを)してるんだろう……?

 

「出たぞロリコン殺し!」

「イクちゃん専用殺戮妖怪じゃない……!」

「このロリコンどもめ、ですね」

「なに言ってるのこの人たち……?」

 

 部員さんたちもなにか盛り上がっているけど、どうして?

 

「……ネタについてはさておき、ここで《バックベアード》は最高だな。一気に盤面を取り返せるぞ」

「えぇ、可愛いHund(キナコ)を倒すのは気が引けますが、これも勝負。遠慮はしません。《バックベアード》の能力で、他のアンタップされているクリーチャーをすべて破壊します!」

「うぎゃー! ぜ、全滅なんて……よよよ」

「ende、あなたのターンですよ」

 

 これで部長さんの場に並んでいたクリーチャーは全滅。ローザさんのクリーチャーもやられちゃったけど、ローザさんにはパワー8000の《バックベアード》が残ってる。

 霜ちゃんの言うように、これがパワーの大きさが重要になるデュエマなら、この状況はローザさんが断然有利。

 部長さんもこの惨劇と劣勢に、泣き顔を見せて……

 

「……なーんてね! 侵略ZERO(ゼロ)!」

 

 と、思ったら。

 一転していたずらっ子のような笑顔を見せ、手札を切った。

 

「呪文《ZEROハンド》! 《バックベアード》を破壊!」

「!?」

 

 な、なに、今のは……!?

 コストを支払わずに呪文を唱えた……? S・トリガーでもないのに!?

 

「ま、またなにか出たけど、あれは……?」

「今回、説明が多いな……あれは侵略ZERO。相手がコストを支払わずにクリーチャーを出したターンの終わりに、手札からタダで使えるカードだ」

 

 コストを支払わずにクリーチャーを出す……ローザさんはこのターン、《バックベアード》を《ドキンダム・チャンス》の効果で出していたから、条件を満たしちゃってたんだ。

 《バックベアード》でローザさんが優勢になると思ったけど、まさかカウンターのためのカードを用意していたなんて……

 

「さらに! 呪文を唱えたから、墓地の《ヴァイプシュ》を手札に戻すよ!」

 

 

 

ターン5

 

 

育水

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:2

 

 

ローザ

場:なし

盾:4

マナ:5

手札:3

 

 

共有墓地:12

共有山札:∞

 

 

 

「あたしのターン! 4マナで《スケルトン・バイス》!」

「プレミアム殿堂カード!? そんなものまであるのか……!」

「ぷ、プレミアム……?」

「要するに禁止カードだ。ゲーム性を壊しかねない強さのせいで、使用できないカードだけど……あれはまずいぞ」

「効果で手札を二枚捨てさせるよ。そりゃっ!」

「う……!」

 

 手札を削り落とされるローザさん。

 単純だけど、これは強烈だ。一瞬で手札が一枚になってしまった。

 

「さらに2マナで《ブレイン・ストーム》! 三枚ドローして、手札を二枚、山札の上に置くよ。ターンエンド!」

「トップ固定……普通のデッキなら、なにかしらのコンボで使うけど、このデュエマはデッキ共有。トップに置いたカードは相手に渡る……ってことは」

「私のターン、ドロー」

 

 カードを引くローザさん。

 そして、また顔をしかめた。

 

「……なんですか、このカード。凄くキラキラしてますが……強い、んですか……?」

 

 なにやら怪訝そうに、困惑したように、カードを見つめている。

 そしてしばらく考え込んで、そのカードをマナに置いた。

 

「うーん……いや、やはり使わないと思います。《アクア・マスター》をチャージ」

「やはり、いらないカードを押し付けたのか」

「どういうこと?」

「さっき、らぶちーは《ブレイン・ストーム》で手札を山札の上に置いたよね? 普通のデュエマなら、山札の上のカードは次に自分が引くカードだけど、このデュエマはデッキが共有。だから、いらないカードを山札の上に置いたら、そのカードを相手にトスできるんだよ」

「相手のドローを一回分、腐らせるってことだね」

「Oh! ブチョーさん、サクシ、ですね!」

「このデュエマを知り尽くしていると言うだけはあるな。変なカードを寄せ集めたデッキで戦うんだ、コンボやらなんやらより、単純なリソース、特に手札が重要になる。不要カードを押し付けるということは、それだけ相手の手札を腐らせることになるわけだから、なかなかいやらしいな。ハンデスも絡めているのだから余計に」

 

 つまり見事、ローザさんはハズレを引かされてしまった、ということ。

 手札が少ない状態で、その時に使えないカードを引いてしまった時の残念感は、わたしも何度も味わってるから、よくわかる。

 

「と、とりあえず、クリーチャーを出さないと……5マナで《夢の兵器 デュエロウ》を召喚します。能力で、私は二枚ドローします」

「こっちも一枚ドローできるね」

「ende、です」

 

 

 

ターン6

 

 

育水

場:なし

盾:5

マナ:6

手札:3

 

 

ローザ

場:《デュエロウ》

盾:4

マナ:6

手札:2

 

 

共有墓地:16

共有山札:∞

 

 

 

「《デュエロウ》で呪文のコストは下がる……重くて使いづらい呪文が撃ちやすくなっただけ、いいのか?」

「まあ、《アクア・マスター》よりは使えるかもね。らぶちーの手札を増やしちゃったのが、ちょこっと気がかりだけど」

「大したカードを引いていないことを祈るしかないか」

 

 デッキのほとんどが“使いづらい”カードで構成されたデッキ。

 ということは、ローザさんが使いづらいカードを引かされたように、部長さんの手札も強いカードがあるとは限らない。

 限らない、けど。

 

「無駄無駄ァ! 4マナで《ドンパッチおじさん》を召喚! 手札の《ヴァイプシュ》を捨てるよ。さらに3マナで《父なる大地》! 《デュエロウ》と《アクア・マスター》を入れ替えてね! そして呪文を唱えたから、捨てた《ヴァイプシュ》が手札に戻る!」

「カード自体は強くないが……なんというか、随分となれた動きというか」

「弱いカード同士でも、思ったより綺麗に繋がるもんだね」

 

 クリーチャーを出しつつ、ローザさんのクリーチャーを入れ替えて、捨てた手札を取り戻す。

 一見すると使いづらそうなカードばかりだけど、部長さんはそれらを見事に操っていた。

 本当に、このルールを知り尽くしているんだ。

 

「わ、私のターン……《レオパルド・グローリーソード》? を、出します。一応《アクア・マスター》につけて……ende」

 

 

 

ターン7

 

 

育水

場:《ドンパッチ》

盾:5

マナ:7

手札:1

 

 

ローザ

場:《アクア・マスター+グローリーソード》

盾:4

マナ:7

手札:1

 

 

共有墓地:17

共有山札:∞

 

 

 

「…………」

「どうしたんですか? 小鈴さん? さっきから、あのキラキラなカードをじーっと見てますけど」

「いや、なんかわたし、あのカードを知ってるような気がして……」

「? まあ、七英雄とか言われて、変な意味で有名なカードだし、知ってても不思議はないと思うけど。小鈴がそういうのを知ってるのは意外だが」

「そうじゃなくて、あのカード、どこかで使ったことあるような……」

「《アクア・マスター》を? 妹ちゃんが?」

「流石にそれはないだろう。あんなの、使えるカードじゃないよ。他のカードと間違えてるんじゃないか?」

「そうかなぁ」

 

 まあ確かに、あのカードは持ってないはずだし、使ったことがあるわけもないんだけど。

 やっぱり気のせいかな。

 

「あたしのターン……おぉ!? ここでこれとは、あたしはツイてる!」

「こ、今度はなにを引いたの……?」

 

 状況はローザさんが不利。そこに、さらに畳み掛けるようなカードがあるの?

 い、一体、なにが……?

 

 

 

「5マナで――《結婚してくれやぁ!!》」

 

 

 

 ……結婚?

 

「なに、あのカード……?」

「えーっと……」

 

 今まで何度もわたしの疑問に答えてくれた霜ちゃんだったけど、霜ちゃんも戸惑いのあまり、口をもごもごさせて言葉が出ないでいる。

 あのカードは一体……見た感じ、光のD2フィールド、に見えるけど……結婚ってなに?

 

「あれって、あれだよね……“幸せフィールド”」

「えぇ、そうですね……」

「幸せ……?」

「効果は……もういいや。説明するようなことじゃない」

「なんでっ!?」

 

 霜ちゃんが説明を放棄した!?

 どういうことなの? あのフィールドは、一体なにが幸せなの?

 

「フィールドの効果で、あたしたちは幸せに包まれる! ハッピー気分のまま《ドンパッチおじさん》でWブレイク!」

「と、トリガーは、ありません」

「ターンエンド! この時、幸せスイッチ発動! プロポーズします!」

「プロポーズ!?」

 

 Dスイッチじゃなくて幸せスイッチ!? なんでプロポーズするの!?

 いやそもそも、幸せに包まれる効果ってなに? もうわけがわからないよ……

 部長さんはとても真剣な顔で、ローザさんと向き合い、そして、その思いを告げる。

 

結婚(にゅうぶ)してください!」

「え……嫌です……」

「バッサリだな」

「なんだったの、これ……」

「気にするな」

 

 プロポーズは失敗に終わったようです。

 ……デュエマって、変なカードいっぱいあるね……

 

「っていうか今の、同じ5マナ払うなら《ヴァイプシュ》出した方が良かったんじゃないの……? そうすれば次のターンジャスキルなのに」

「確かに……しかし、ふざけてはいるが、わりとヤバいぞ、この状況」

 

 霜ちゃんが剣呑な様子で言う。

 

「《ドンパッチおじさん》のパワーは6000、おまけにWブレイカーだ。早く対処しなければ、すぐに殴り切られるぞ」

「パワー6000、《キナコ》よりも高い……」

「打点もね」

 

 ローザさんのシールドは残り二枚だから、あと一撃でも受けたら、シールドがゼロになってしまう。

 

「倒せるカードがない……《月光の守護者ディア・ノーク》と《禁断W エキゾースト》を召喚します……ende」

 

 

 

ターン8

 

 

育水

場:《ドンパッチ》《結婚してくれやぁ!!》

盾:5

マナ:7

手札:1

 

 

ローザ

場:《アクア・マスター+グローリーソード》《ディア・ノーク》《エキゾースト》

盾:2

マナ:8

手札:1

 

 

共有墓地:17

共有山札:∞

 

 

 

 パワーの高い《ドンパッチおじさん》を倒せず、ローザさんはブロッカーで凌ぐことしかできない。

 そうこうしているうちに、部長さんの猛攻は続く。

 

「あたしのターン! 4マナで《新時代の幕開け (ニュージェネレーション)》! さぁ、握手しよう!」

「え、どうしてですか……?」

「そういう効果だから」

「握手するのが効果なの?」

「一応、拒否はできる」

 

 そうなんだ……いや、そういうことじゃないと思うけど。

 なんていうか、またおかしなカードが出てきたなぁ。変なカードばっかりだよ。

 

「あーくしゅ! あーくしゅ! ハンドシェイク! ハンドシェイク!」

「ハンドシェイクは違うわ、イクちゃん」

「握手って……いやまぁ、カードの効果なら仕方ありませんか……」

 

 ローザさんは差し出された部長さんの手を握る。一見するとスポーツマンシップに溢れてるように見えるけど、たぶんまったく関係ない。

 

「うよっしゃあぁぁぁぁぁ! ロリっ子のおててにぎにぎしちゃったぜぇ! もうあたし、手洗いませーん!」

「きたねーな」

「私、もうイクちゃんと一緒にご飯食べるのやめるわ」

「部長、これから部室に近づかないでくださいね」

「みんな酷い!? 別にいいけどね! 今のあたしの手は正にゴッドハンド! 最&高の喜びを手に入れたのだ!」

「喜びというか、その手は悦びになるのでは」

「そうとも言う!」

 

 ……今のは聞かなかったことにしよう。

 もう、手遅れなきもするけど。

 

「……あの、握手するだけですか?」

「おっとそうだったね。おててにぎにぎの後は、お互いに三枚ドローできるよ。」

「私も引けるんですか? 変わっていますね……では、遠慮なく」

 

 ドローもできるんだ。握手するだけだったらどうしようかと思ってた。

 既にプロポーズするだけのカードを出されてるから、もう並大抵のことでは驚けないけど。

 

「ふんふむ。よし、3マナで《パルピィ・ゴービー》を召喚! 山札の上から五枚を見て、好きな順序で戻す!」

「また山札操作……」

「そんで《ドンパッチおじさん》! 行っけー!」

「ブロックします……が」

 

 おかしなことがあったけど、部長さんは《ドンパッチおじさん》で攻撃に移る。

 シールドがゼロになってしまうこの攻撃は受けたくない。だから当然のように、ローザさんはブロックを宣言するけど、少し逡巡した。

 

「……《ディア・ノーク》でブロック」

 

 そして、《ディア・ノーク》をタップする。

 

「え? そっちでブロックするの? どれでブロックしても《ドンパッチおじさん》には勝てないし、パワーの高い《ディア・ノーク》を残した方がいいんじゃ……?」

「《エキゾースト》は破壊されたら、カードも引けるしね

「たぶん、トップのいらないカードを引きたくなかったんだろう」

「カードを引きたくない、ですか?」

「相手は《パルピィ》で山札操作をした。そして《エキゾースト》でブロックしてドローすることも予想できる。ならば上から順番に不要カードを置いている可能性が高い。ローはそんな相手の裏をかいて、トップ三枚に積まれてるだろう比較的不要なカードのうち一枚を引かず、相手に贈呈するつもりなんじゃないか?」

「ほほぅ。前もユーリアちゃんをガンメタしたり、攻撃を受け切って切り返したりしてたけど、結構策士だよね、ローザちゃん」

「ローちゃんは賢いですからね!」

「ユーももう少し知識を身に着けような」

「……バトルは、《ディア・ノーク》のパワーが5000なのでこちらの負けです。どうしますか?」

「むぅ、ターンエンド」

「では、私のターンです。ドローして……《750男》をチャージ。そして、6マナで《アクア・マスター》を進化させます」

「進化!?」

 

 ここで進化って……《アクア・マスター》は水文明でリキッド・ピープルだけど、なにが出て来るんだろう?

 いや、でも確か、今の《アクア・マスター》って……

 

「《アクア・マスター》には《レオパルド・グローリーソード》がクロスされているので、どの種族の進化クリーチャーにも進化できます。なので、《アクア・マスター》を、《世界樹ユグドラジーガ》に進化!」

 

 とりあえず、でクロスしていた《レオパルド・グローリーソード》が役に立った!

 《レオパルド・グローリーソード》の効果で、種族の進化条件を無視して、《アクア・マスター》は《ユグドラジーガ》へと進化する。

 

「また随分と古いカードが出たが……これはいいぞ」

「一応、《グローリーソード》を《エキゾースト》に付け替えて……攻撃です。《ユグドラジーガ》で《ドンパッチおじさん》を攻撃!」

「《パルピィ・ゴービー》でブロック……は、できないのか。ステルスだったね」

「ステルスってなに?」

「相手のマナゾーンに指定された文明があると、ブロックされない能力……だったはずだ。かなり昔の能力だから、ボクもよく知らないけど」

「普通にブロックされない能力の下位互換みたいなもんじゃないの、それ?」

「否定はできませんね」

 

 ……で、でも、今回は相手のブロッッカーを無視して《ドンパッチおじさん》を倒せたし、結果オーライだよね!

 

 

 

ターン8

 

 

育水

場:《パルピィ》《結婚してくれやぁ!!》

盾:5

マナ:7

手札:3

 

 

ローザ

場:《ユグドラジーガ》《エキゾースト+グローリーソード》

盾:2

マナ:9

手札:3

 

 

共有墓地:19

共有山札:∞

 

 

 

「あたしのターン……むぐぐ、ここでいらないカードを引いてしまうとは……」

「ローの読み通りか。慣れてはいるけど単純だな、あの人」

 

 呻く部長さん。

 ローザさんが《エキゾースト》を破壊せず、カードを引かなかったことは、結果としては成功だったみたい。

 

「確か、四番目くらいにあれを置いてたはずだから、ここは……《終断α ドルーター》召喚! フィールドがあるから、一枚捨てて二枚ドロー!」

「あのクソフィールド、役に立ってるぞ」

「たまーに役に立つのよね、あれ」

 

 あのクリーチャーは、ユーちゃんも使ってた……あ、そっか。

 《ドルーター》は“フィールド”があれば能力が使えるから、《ドルマゲドン》がなくても、他のフィールドがあればいいんだ。

 それが、幸せフィールド、なんていう変なフィールドだったとしても。

 

「よーし引いちゃったよ! 《ジェットパンチ・ドラグーン》召喚! タップされてる《ユグドラジーガ》を破壊!」

「やられてしまいましたか……ですが、まだ手はあります。私のターン、3マナで《ライク・ア・ローリング・ストーム》を唱えます。山札から三枚を墓地に置いて、墓地から《カシオペア・ストーリー》を手札に戻します。呪文を唱えたので《堕魔 ヴァイプシュ》も手札に戻りますね」

「《ヴァイプシュ》奪われた!」

「あぁそうか、墓地が共有だから、相手の捨てたカードも取れるのか」

 

 山札が共有で、上に置いたカードを相手に押し付けられるのなら。

 相手の捨てたり、破壊されたカードも、共有の墓地から自分が拾うことができる。

 結果、ローザさんは相手の《ヴァイプシュ》を手に入れた。それ一枚で戦況が大きく変わることもなさそうだけど、ないよりはいいのかな。

 

「7マナで《エキゾースト》を《聖帝カシオペア・ストーリー》に進化! アーク・セラフィムから進化するクリーチャーですが、《レオパルド・グローリーソード》の効果で進化できます」

「まーたぁ!?」

「何気に大活躍してるな、あのクロスギア」

「能力で、山札から五枚を表向きにします」

 

 《カシオペア・ストーリー》の能力で、ローザさんは山札から五枚をめくる。

 めくられたのは、《ギロチン・チャージャー》《怒りの赤髭 ゴセントラス》《3月》《さくらいおん》《青守銀 ダンケ》だ。

 

「その中から、各文明のクリーチャーを一枚ずつ手札に……《ゴセントラス》《さくらいおん》《ダンケ》の三枚を手札に。残りを山札の下に……よいしょ」

「あ、箱の下とかに差し込んじゃっていいよ。どうせもう回ってこないし」

「シャッフルするカードは全部抜いてるものね」

「つーかシャッフルできねーしな」

 

 何百枚あるのかわからない超強大で膨大なデッキ。確かに、これだけの枚数のカードの束をシャッフルするのは、大変かも……

 

「では、次です。墓地に呪文が十枚以上あるので、《怒りの赤髭 ゴセントラス》をG・ゼロで召喚します」

「ふぁっ!? 初見でなんて高等テクニックを! 恐ろしい子!」

「いや、墓地共有ルールを理解している時点で、そのくらいできんだろ」

「基本ルールの応用だし、高等ってほどでもないわよね」

 

 共有墓地には、部長さんとローザさんが二人して溜めたカードがたくさん。呪文の枚数も、とうに十枚を超えている。

 ローザさんはこのターンに一気に大型クリーチャーを展開して、畳み掛ける。

 

「攻撃です! 《カシオペア・ストーリー》でWブレイク!」

「え、えーっと、じゃあ《パルピィ・ゴービー》でブロック!」

 

 

 

ターン8

 

 

育水

場:《ドルーター》《ジェットパンチ》《結婚してくれやぁ!!》

盾:5

マナ:8

手札:2

 

 

ローザ

場:《カシオペア+グローリーソード》《ゴセントラス》

盾:2

マナ:9

手札:5

 

 

共有墓地:25

共有山札:∞

 

 

 

「なかなかに辛み。えーっとここは……《超獣大砲》であたしの《ドルーター》を破壊して、《ゴセントラス》も破壊! さらに4マナで《リバース・チャージャー》! 墓地の《ゴセントラス》を手札に戻すよ!」

「おっと、これは……!」

「G・ゼロで《ゴセントラス》返し! 《赤髭》は寝返った!」

「むぅ……!」

「このルールなら《ゴセントラス》のG・ゼロの達成は容易いが、相手の使ったカードを奪うこともできる以上、奪って返しに出しやすい、というデメリットでもあるわけか。あの壁は厄介だな」

「普通にパワー高いし、ブロッカーだし、打点もあるし、ちょっとヤバくない?」

「ヤバいですね。というか、《カシオペア・ストーリー》って進化クリーチャーなのにパワー6000しかないのか。ちょっと低すぎないか? 8000くらいあってもいいだろ」

 

 確かに、最大で五枚も手札を増やせるのはすごいけど、7コストでパワーが6000しかないのは、少し物足りないかも。

 能力が違うから単純比較はできないけど、《エヴォル・ドギラゴン》は6コストでパワー14000だし……1コスト上がってるのに、パワーは半分以下しかないなんて。

 

「私のターン。手札は多いですが、なんとも使いにくいカードばかり……とりあえず、5マナで《さくらいおん》を召喚。マナを増やして、さらに6マナで《青守銀 ダンケ》を召喚します。山札から一枚を裏向きに、一枚を表向きにして追加……ende」

 

 

 

ターン9

 

 

育水

場:《ジェットパンチ》《ゴセントラス》《結婚してくれやぁ!!》

盾:5

マナ:9

手札:1

 

 

ローザ

場:《カシオペア+グローリーソード》《さくらいおん》《ダンケ》

盾:3(+《ギガジール》)

マナ:11

手札:3

 

 

共有墓地:27

共有山札:∞

 

 

 

「むぃーん、さーてどうしましょかねぇ。殴ったはいいけど、先のこと考えてなかった」

「ノープランだったのか」

「らぶちー、君って奴は……」

「イクちゃんはいつもあんな感じよ」

「知ってるけどさ」

「まあ、勢いだけの馬鹿だからな」

「でも僕、その勢いだけでこの部を創立した点は評価してますよ。あぁ、この人はなにかを生み出せる馬鹿なんだ、って」

「それは褒めているのか?」

「正直、先代の生徒会長が押しに弱かっただけだったと思うのだけれど」

「外野がピーチクパーチクうるさいよ! とりま《クアトロ・ブレイン》! 四枚ドロー!」

「なんかやけっぱちになったぞあいつ」

「イクちゃんだから」

 

 けど、ここで一気に四枚ドローは、結構強いんじゃないかな?

 一気に手札が増えたということは、それだけ攻め手も増えたということ。除去カードも引いているかもしれない。

 ……って、いうか、

 

「あの、えっと……あれ? ねぇ、霜ちゃん……」

「あぁ……なんか、デュエマじゃないカードが混じってるな……」

 

 部長さんが引いたカード、裏面が茶色っぽくて、明らかにデュエマとは違うカードが混ざっている。もうなんでもありですか。

 でも、誰も咎めないし、たぶんそこに物申しても説き伏せられてしまいそうだし、そもそも違うゲームのカードがデュエマのルールで使えるわけもないし、わたしもなにも言えなかった。

 

「むふむふ。なるなるねー。えっと、じゃあ《ソーラー・チャージャー》で《ゴセントラス》と《ジェットパンチ・ドラグーン》を選ぶね。これでターンの終わりに、この二体はアンタップする」

「《ゴセントラス》が警戒を持ったか。面倒だな」

「で、残った2マナで《JK(じゃんけん)軍曹チョキパン》召喚! さぁ、じゃんけんタイムだ!」

「じゃんけん?」

「《チョキパン》はじゃんけんの結果で能力を発動するクリーチャーだからね」

「変わったクリーチャーだね」

 

 バニラ呪文にガチャ(サイコロ)、プロポーズ、握手、別のゲームのカードまで見たんだ。能力でじゃんけんするくらいじゃ、もう驚かない。

 

「じゃんけんですか……いいでしょう」

「よしっ! じゃあ、あたしはグーを出すよ!」

「えっ?」

「心理戦!?」

「小賢しいな……」

 

 たまにいるよね、じゃんけんでなにかを決める時に、心理戦を仕掛ける人。

 こういうのは、深く考えすぎたらいけないんだけど……

 

(あ、相手がグーを出すということは、私はパーを出せば勝てます……で、でも、相手はそれを誘っているわけだから、ここはパーを予想してチョキを出してくる相手に勝つためにチョキを……いやでも、もし相手が素直にグーを出してきたら……)

 

 ローザさんは明らかに、相手の出す手を考えることに没頭していた。

 

「うわぁ、ローの奴、完全に相手の術中に嵌ってるぞ」

「どうせ三択なんだし、適当に出せばいいのにね」

 

 ……ドイツには、あんまりじゃんけんの文化はないのかな?

 

「チョキにはグーを出すべき……でもその裏をかいてチョキで行けば……いやでも、相手がそこまで裏をかくかと言われると……」

「よし勝負だ! あたしはグー! じゃんけんぽん!」

「わ、わわっ、ぽ、ぽんっ!」

 

 あれやこれやと悩むローザさんに、超特急で勝負を仕掛ける部長さん。

 慌てて出したローザさんの手はパー。対する部長さんはチョキだった。

 

「あたしの勝ちぃ! これで《チョキパン》はスピードアタッカーだ!」

「部長、直前で「あたしはグー」って言いましたよね。酷い誘導ですよ」

「あまりにも小賢しすぎるな、あいつ」

「知ったこっちゃないよ! 勝てば官軍! 勝てばよかろうなのだぁ! 行けぃ! 《ゴセントラス》でWブレイク!」

「ブロックした方が……でもここで《ダンケ》を失ったら……う、受けます。S・トリガーは、ありません……!」

「《チョキパン》で攻撃!」

「え、えっと、《ダンケ》でブロック……」

「……だいぶペースを乱されてるな」

「今のは《ジェットパンチ》をブロックする方が良かったよね。あんまり変わらないかもだけど」

 

 ローザさんは完全に部長さんの勢いにのまれていた。

 《ゴセントラス》と《ジェットパンチ・ドラグーン》は《ソーラー・チャージャー》の効果でこのターンの終わりにアンタップするけど、《チョキパン》にはその効果はない。だからここは、パワーも高い《ジェットパンチ》をブロックして倒すべきだったはずなんだけど、焦って《チョキパン》をブロックしてしまった。

 

「ラスト! 《ジェットパンチ》でブレイク!」

「う、え、えぇっと、S・トリガー《フェザン・ルーラー》です! シールドを一枚回復!」

「ターンエンドだよ! 《ソーラー・チャージャー》の効果で《ジェットパンチ》と《ゴセントラス》をアンタップ!」

「シールドが残り一枚……と、とりあえず防御を固めなきゃ……私のターン、《ギガスラッグ》《キング・クラーケン》、それから《堕魔 ヴァイプシュ》を召喚! え、ende……!」

 

 

 

ターン10

 

 

育水

場:《ジェットパンチ》《ゴセントラス》《結婚してくれやぁ!!》

盾:5

マナ:11

手札:2

 

 

ローザ

場:《カシオペア+グローリーソード》《さくらいおん》《ダンケ》《ギガスラッグ》《クラーケン》《ヴァイプシュ》

盾:1

マナ:12

手札:2

 

 

 

共有墓地:30

共有山札:∞

 

 

 

「私のターン! よーし、そろそろ勝っちゃうぞー!」

「盤面ではローの方が強いはずなんだけど、なんだ、あの人の無駄な余裕は」

「あと、あの握ってるマジックのカードも気になるよね」

「マナに置かないってことは、土地ではないのか。いや、あんまり関係ないとは思うんだけど」

 

 《ゴセントラス》のパワーには勝てないけど、ローザさんの場にはブロッカーが二体、しかもうち一体はスレイヤー。

 それにクリーチャーも多いから、このまま押し切ればいける……?

 と思ったけど、部長さんの勢いは、このくらいでは失速しない。

 波に乗ったら、その波は波濤となって襲い来る。

 

「ドロー! おぉ、引きが神ってる! じゃあまず、《ニケ※◎☆#△(オプティック)》! 《ダンケ》をタップして1ドロー! そして《突撃奪取(ロケット・ダッシュ) ファルコン・ボンバー》を召喚!」

「スピードアタッカー……でも、まだブロッカーが――」

「まだまだ! 3マナをタップ!」

 

 ブロッカーで場を固めたローザさん。その布陣を突破することは容易ではない……と、思われたけど。

 今、フィールドを包み込む幸運は、部長さんに向いている。

 だから、

 

「《終断β ドルドレイン》を召喚! 場に自分のフィールドがあれば、相手クリーチャー全部のパワーを-1000!」

「フィールドって……!」

「ずっとあるよ! 君が私のキュウコンを断った、幸せフィールド!」

 

 ……!

 また、あのフィールドが……!

 

「決めにいくつもりか、これは……!」

 

 ローザさんのブロッカーはすべて行動不能、あるいは破壊されてしまった。

 彼女を守るものはシールド一枚。だけど、部長さんの攻撃できるクリーチャーは三体。

 S・トリガーがなければ、ローザさんは……!

 

「《ファルコン・ボンバー》で攻撃! 《ドルドレイン》をスピードアタッカーにして、シールドをブレイク!」

「っ、S・トリガー発動です! 《青守銀 グーテン》を召喚!」

「《ゴセントラス》で攻撃!」

「《グーテン》でブロックです! 《グーテン》が破壊されたので、シールドを一枚追加!」

「《ドルドレイン》で最後のシールドをブレイク!」

 

 S・トリガーで防いでも、まだ足りない。

 もう一枚、S・トリガーがないと……!

 

「……! 来ました、S・トリガー! 《たたりとホラーの贈り物》! 私のパワー5000以下のクリーチャーを破壊して、相手のパワー5000以下のクリーチャーを破壊――」

「させないよ! 2マナで《対抗呪文》! 相手の呪文を打ち消す!」

「はいっ!?」

 

 えっ!?

 部長さん、今なにをやったの!? というかそれ、デュエマのカードじゃない……!?

 

「ちょっと待て! デュエマでインスタントを使うなんてアリか!?」

「アリでーす! ありおりのアリでーす! この束に入ってるカードならなに使ってもいいんだよ! それがルールだ!」

「……確かに、このデッキに入ってるカードならすべて使えるって、最初に言ってたね」

「そういう意味かよ……! デュエマでインスタント、しかも打ち消しとか……!」

「残念だったね! というわけで、《対抗呪文》でその呪文は無効だよ! 残念無念また来年!」

「う……!」

 

 インスタントとか、打ち消しとか、なにが起こったのかもなにもかもがわからないけど、とにかくローザさんのS・トリガーが無効化されたことだけはわかった。

 ブロッカーはいない。シールドもない。S・トリガーも、消されてしまった。

 つまりもう、ローザさんを守るものはない。

 

「あたしの勝ちぃ! ロリっ子二人目は貰ったよ! 大丈夫、安心して! 姉妹丼で可愛がってあげるから!」

「……!」

「《ジェットパンチ・ドラグーン》でダイレクトアタック――」

 

 部長さんのとどめの一撃が放たれる。

 その、刹那。

 

 

 

「――ニンジャ・ストライク!」

 

 

 

 ローザさんの手札から、一枚のカードが、飛び出した。

 

「《光牙忍ソニックマル》を召喚です! 能力で《ダンケ》をアンタップ!」

「げ」

 

 ニンジャ・ストライク……!

 光のシノビ、《ハヤブサマル》じゃない……あんまり見たことないシノビだけど、なんにせよこれで、ブロッカーが機能するようになった。

 最後の一撃を、防げる。

 

「《ダンケ》で《ジェットパンチ・ドラグーン》の攻撃をブロックです!」

「……ターンエンド」

「攻め切れなかったか。相手はこのターンローを倒すためにリソースすべてを使い切った。ここから逆転の芽が見えるな」

 

 間一髪。正に九死に一生を得たローザさん。

 部長さんにはもう、手札もないし、クリーチャーもすべてタップ状態。

 クリーチャーを倒すにしても、このまま攻めるにしても、チャンスではある。

 

(確かに、シールドはゼロでも、バトルゾーンに余裕はあります。しかし、今の手札では《ゴセントラス》が倒せません。とどめまではギリギリ届きますが……)

 

 カードを引いて、思案するローザさん。

 これはローザさんにとってチャンスだ。でも、チャンスだからこそ、彼女は考える。

 みのりちゃんやユーちゃんなら、勢いのまま反撃に出るのかもしれないけれど、ローザさんは立ち止まる。

 立ち止まって、より大きな可能性を、手繰り寄せる。

 

(ブロッカーを残しつつ、クリーチャーを並べて待つべきでしょうか? いや、もしそれで除去カードを引かれてしまったら……)

 

 しばしの熟考。

 考えに考えを重ねて、考え抜いた結果。

 

「……決めました」

 

 ローザさんは遂に、答えを出した。

 

「7マナで《怒号の大地ガルボザック》を召喚。さらに3マナ《ダッシュ・チャージャー》! 《ガルボザック》をスピードアタッカーにします! 3マナで《早食王のリンパオ》も召喚!」

「SA付与……! ローも決めに行くのか。思い切ったな」

「見た感じ大したトリガーはなさそうだけど、スパーク系でもあれば一発で終わりだからね。除去がなかったっぽいけど、そんでも勇気あるよ」

 

 W・ブレイカーが三体に、他クリーチャーが三体。攻撃手段としては十分すぎる。

 ローザさんはここで、勝負を決めるつもりだ。

 

「……行きます! 《ガルボザック》でWブレイク!」

「ぬおぉぉぉ……! トリガー! 《地獄スクラッパー》! 《リンパオ》と《ヴァイプシュ》を破壊するよ!」

「いきなりS・トリガー……でも、まだ届きます! 一応、ブレイクボーナスで4マナ増やして、続けて《カシオペア・ストーリー》でWブレイク!」

 

 二度目のWブレイク、これで部長さんのシールドは残り一枚。

 ローザさんの攻撃できるクリーチャーは二体いるから、これ以上のトリガーがなければ、そのままとどめを刺せる。

 

「トリガーは……あった! S・トリガー!」

「っ!」

 

 そんな希望を打ち砕くかのようにして宣言される、S・トリガー。

 それは、

 

 

 

「《星龍の記憶》!」

 

 

 

 光の呪文……だけど。

 それは唱えられてすぐに墓地に行ってしまう。場に、なにも及ぼさないまま。

 

「《星龍》……ここでか……!」

「あ、あのカードは……?」

「簡単に言えば、自分のシールドをすべてトリガーにする呪文だよ。これで彼女の最後のシールドはトリガーと化した。下手をすれば、地雷を踏み抜くことになる」

「けど、相手はアタッカー三体。ローザちゃんにはブロッカーが一体しかいないし、《さくらいおん》で殴り返しても凌ぎきれない。ここは、突撃するしかないよね」

「すべてのカードがトリガー化すると言っても、相手のシールドは残り一枚。それが有効トリガーになるとも限らないしね」

 

 相手の最後のシールドはトリガー。罠があるとわかっているけれど、進まなくてはならない。

 ローザさんに残された道は、それだけだから。

 

「……攻撃します! 《さいくらいおん》で最後のシールドをブレイク!」

「はっはっは! 飛んで火にいるなんとやら! 当然、こいつはS・トリガーだもんね! 勝ったッ! 第3部完!」

「あ、ダメよイクちゃん、それは負けフラグ――」

 

 S・トリガーとなった最後のシールドをブレイクしたローザさん。

 それをめくり、勝ち誇る部長さん……だけど。

 自信満々にめくったカードを見て、一瞬硬直。顔が真っ青に青ざめて、苦々しい、苦虫を噛み潰したどころか、この世すべてを恨んでいるかの如き怒りと悲しみを湛えた表情を見せたかと思うと、思い直したように首を傾げて、パァッと明るくなって、なぜか楽しそうに笑みを浮かべる。随分な百面相です。

 ……一体、なにを引いたの?

 

「えーっと、じゃあ、S・トリガーです」

「は、はい……」

 

 急に改まって、S・トリガーの使用を宣言する部長さん。

 正直、なにが引けたのかまったく予想がつかない。この状況を打開できるカードなのか、それともハズレなのか。

 部長さんが最後に引いたS・トリガー。それは――

 

 

 

「呪文――《偉大なる感謝(グレート・サンキュー)》」

 

 

 

 ――能力のない、呪文でした。

 

「……最後の最後で、バニラ呪文とは。酷いハズレだな」

 

 正しくその通り。

 部長さんが、ハンデと称して最初に使った呪文と同じような呪文。本来なら能力が書いてあるはずの欄に、カードの能力は書かれておらず、唱えてもなにも発動しない。

 完全に大ハズレ……だと、誰もが思った。

 

「なに言ってんの、大当たりじゃん」

「え?」

 

 けど、部長さんはそうは思っていない。これはアタリだと、主張する。

 

「なーんか、ギスギスしたまま終わる感じで嫌だったんだよね。ちょうどいいタイミングだし、呪文の効果、ちゃんと使わなきゃ」

「呪文の効果? でも、それはなんの効果も……」

「あー、まあそうなんだけど。ほら一応、ちゃんと言葉にしたいなってさ」

「? なにをですか?」

「決まってるじゃん。“感謝”だよ」

 

 感謝?

 それって……

 

「いきなり連れて来ちゃってごめんね。でも、今日はいい一日だった。すっごく楽しかった。久々にコレで遊べたし……うん、だから、そのお礼と感謝だよ」

 

 部長さんは、飛び切りのにこやかな笑顔で、告げた。

 

 

 

「あたしたちと対戦して(遊んで)くれて、ありがとう!」

 

 

 

 精一杯の、感謝の言葉を。

 爽やかに、華々しく。

 

「……Danke」

 

 これで、呪文の効果は終わり。

 ローザさんは最後に残ったクリーチャーに手をかける。

 その時、ほんの少し、彼女の口元は、笑っていた。

 

 

 

「《青守銀 ダンケ》で、ダイレクトアタックです――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「うがー! 負けたー! く゛や゛し゛い゛ぃぃぃぃ! もう吐くー! おろろろろろ!」

「さっきまでの感動はどこへ!?」

「ほらイクちゃん、生物学及び設定上は一応、女の子ってことになってるんだから、簡単に吐くとか言わないの」

「……この人、テンションが急転直下すぎてついていけないな。実子の方がまだマシだ」

 

 えっと……その、とりあえず、勝負は決しました。

 結果はローザさんの勝ち。と、いうことは、

 

「ちっこいのを引き渡すってことだったな」

「そうね。ほら、イクちゃん。いつまでも蹲ってないで」

「うぅー……ごめんねユーちゃん……」

「ブチョーさん……」

「まあ、別にいいんじゃないんですか? どっちでも。というか、どうでも」

 

 事もなげに、塩井くんは言った。

 それは投げやりで、無関心で、冷たい言葉だと思った。けど、違った。

 

「どうせうちの部はいつだって開放的で、来るものは拒みませんし。部長の方針としても」

「それもそうね。また好きな時に遊びにいらっしゃいな」

「そっか! そうだね! いつでも遊泳部の門は開かれている! だもんね!」

「できれば扉は閉めといた方がいいと思うんだがなぁ、俺は」

「でも、部をやめるやめないって話くらいで、私たちの関係が崩れるわけじゃないし。ね?」

「うんうん! 紅ちゃんの言う通りだよ! ユーちゃん! いつでも来て! 毎日来て! いやむしろあたしが行く!」

「それはやめとけ」

「まあもっとも、これもそちらのお姉さんが許せば、の話ですがね」

「…………」

「ローちゃん……」

 

 ユーちゃんは、ローザさんを見遣る。

 なんだか前にケンカした時と、ちょっと似た空気だ。

 前と違うのは、ユーちゃんは怒りではなく、悲しみで訴えかけているところ、だけど。

 そしてローザさんは、そんなユーちゃんに対して、

 

「……いいですよ、もう」

 

 どこか諦めたように、言った。

 

「うにゅ?」

「この人たちが、悪い人でないことはわかりましたし……その、退部とか、もういいです」

「なんと! それは誠ですかいな!?」

「ローちゃん……!」

「ですが! あんまりユーちゃんに変なことを教えないでくださいね! 変なこと教えたら、私も怒りますよ!」

「変なことって?」

「あ、えっと、それは……それはそれです!」

 

 退部の話を取り下げたローザさん。

 ……うん。ユーちゃんも退部は望んでいなかったみたいだし、ローザさんがなにを思って意志を変えたのかはわからないけど、これで一件落着、なのかな?

 

「やれやれ、ここまでの話は全部茶番か」

「で、でも、丸く収まってよかったよ」

「裸に剥かれかけたのに、君はよくそんなことが言えるな」

「そ、それはそうなんだけど……っ」

 

 あんまりそこは思い出させないで欲しいかなっ!?

 ……とまあ、そんな感じで。

 わたしたちと、遊泳部とのドタバタした交流? は、これでひとまず、幕を下ろしたのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 後日、遊泳部、部室にて。

 

「昨日は騒がしかったな」

「でも、楽しかったよ? 久々にアレで遊べたし」

「そうね。私も、とてもいい男の子を見つけられて、嬉しいわ」

「水早君には同情しますね。まあでも、これで僕への矛先が逸れてくれるなら、万々歳ですか」

「勿論、私は司君のことも大好きよ」

「困りましたね。このクソアマ――もといショタコン先輩、どうしてくれましょうか」

「お前本当はコイツのこと嫌いだろ」

「そんなことはありません。背はわりと高い方ですし、顔立ちも綺麗ですし、胸もそれなり。中学生であることを加味すれば、なかなかの上玉だと思います」

「あら嬉しい」

「でもそれは、あくまでも“中学生として見た”場合です。結局のところ、柳尾先輩は僕の一個上の先輩でしかありませんから、お姉さん感が少し薄いんですよね。身近な姉的なものと考えれば、それはそれで需要はありますが、僕が望む最上級のお姉さんではありません。勿論、それは完全完璧な理想像であり、夢のようなものなので、ある種の“叶わないもの”というものではありますが――」

「また出たぞ、塩井のオタク喋り」

「これがなければ、普通に可愛いのよね、司君。この喋りは、私もちょっとキモイわ」

 

 それはいつもの日常、いつもの光景。

 あまりに混沌で、汚濁の如き言葉と感性を思うがままに放出する者共の、宴の痕。

 それもまた混沌であり、汚濁の塊であった。

 

「丸刈り君は? 私はよく見てなかったけど、あの鈴の子、凄い胸が大きかったけど」

「あぁ……ありゃとんでもなかったな」

「ねー。黒と紐は流石の私もビビったもん」

「あんな中学生がいるのかと思ったぜ。そんじょそこらのグラドルよりもデカかいぞ」

「だよねぇ。レースまでならまだしもねー。複合役満とかマジパナイわ」

「中学生でアレってことは、あと一年、二年もすればさらに……将来も楽しみってもんだ」

「あんな凄いの付けて中学生……っていうか、ちょっと前までランドセル背負ってたのか。ちょっと滾るね!」

「話、噛み合ってなくないですか?」

「いつものことよ」

 

 しかしこの汚物の如き世界が、この部である。

 汚らしくとも、俗物的で、獣のようであろうとも。

 それが、彼らの“在り様”なのだ。

 

「でもさー、デルタったらずっと蹲ってばっかりだったんだよねぇ」

「まあ、丸刈り君は童貞だし、仕方ないわよ。特上の本物を前にして、パイタッチや視姦なんて真似ができるとは思えないわ」

「ぐっ、お前ら言いたい放題言いやがって……!」

「童貞は悲しいですね」

「てめぇもだろうが塩井!」

「本当にそう思いますか?」

「え……おい嘘だろ。嘘って言ってくれよ塩井。なぁ!」

「塩井君、黙ってればモテモテだもんねー。小学校の頃、彼女いたんでしょ? オボロ君から聞いたよー」

「なんですって? 司君が、汚されて……!?」

「変な想像しないでくれますか? っていうか、昔の話です。上級生とちょっと仲良くなって、好きだ好きだと言われたものの、やっぱり所詮は小学生。ガキだったので突き放しましたよ」

「辛辣すぎるな。だが安心したぞ塩井。お前は俺の味方だ」

「勝手に先輩の童貞臭さに巻き込まないでください気持ち悪いです」

「そうよ! 司君を丸刈り君なんかと一緒にしないで!」

「……俺にも辛辣だな」

 

 仲間意識を踏み躙り、信頼も信用も打ち砕く。

 嘘も偽りも唾棄して、思うがままを叩きつける。

 だからこそ、この部室(世界)は、混沌とした汚濁でありながらも、透き通っている。

 不信や疑念といった陰りは、一切存在しない。

 

「で、部長。今日はなにかするのか?」

「またいつものようにだらだらしてるだけでは?」

「プールは夏の間しか使えないしね。あ、でも温水プールなら行けるわね。今度はあの子たちも誘って行くと良さ気だと思うのだけど、どうかしら、イクちゃん部長?」

「それもいいなぁ。新しい水着も用意したし……いっそ、あの子たち用の水もあるといいかも」

「誘って来ますかね?」

「知らん」

「その時はほら、またアレで勝負して引きずり込むとか?」

「おー、紅ちゃんもノリのりんじゃーん!」

「どうせ水早君に目を付けただけでしょう。彼を守る義理はありませんが、大事にしないために一応は忠告しておきますけど、彼に性別の話はわりとデリケートなので、注意してくださいね」

「呼ぶならあの鈴の子も頼むぞ。多少強引な手を使っても俺は黙認する」

「ここぞとばかりにムッツリ発動ね、丸刈り君」

「うるせーぞ」

「わかってるわかってる、デルタのことはちゃーんとわかってるよ。あたしもロリ鈴ちゃんには感謝&期待してるもん。あれこそホープ。ビッグ! バスト!」

「要するに巨胸ですね」

「いやぁ、ワクワクしてきた! みんなで遊ぶためのものも用意しなきゃ……あ、みんなでお金出し合って、カード買い足す? そろそろ同じカードばっかりで飽きてきたでしょ」

「まあなぁ」

「僕はあんまり触ってないので、そうでもないですけどね」

「でもいいわね。別のルールを考えたりとかしても面白そう」

「うんうん!」

 

 だからこそ、彼ら彼女らは、純粋に歓喜を享受する。

 気遣いも駆け引きもない、しがらみのない純粋な状態だからこそ、純粋に遊戯を楽しめる。

 それが、遊泳部という部活なのだ。

 

 

 

「あぁ、楽しいことがいっぱいあるって、いいなぁ――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 翌日。

 ドンッ!

 と、ユーちゃんの目の前に、何冊もの本が積まれた。

 

「あの、ローちゃん……これは、一体……?」

「保健体育の教科書だよ」

「……保体の教科書?」

 

 実際には、図書室で借りたと思われる本も混じってるけど……でも、なんでいきなり?

 もしかして、この前の件に関すること……?

 

「私だって反省しているんです。ユーちゃんも、もう中学生。あんまりやることなすことをダメだダメだと禁止するのは、よくないと理解しました」

「ほー、それは殊勝なことで」

「なんで実子が偉そうにするんだ。君、この前の大変な時に限って呑気に肉喰ってたじゃないか。大変だったんだぞ、あの時」

「へー」

 

 みのりちゃんはあんまり興味なさそうだった。

 ……ちゃんとなにがあったかを説明すればまた違うのかもしれないけど、わたしもあんまり思い出したくないし、あんまり話したくないから、この話はこれでおしまいです。

 

「ですが! ユーちゃんが自由に遊ぶのを許したとしても、正しい教育によって、正しい道を進まなければいけません! 変なことを知って、心が歪んでしまってはいけないのです!」

「なんだか暴論っぽいが、あの部室での惨劇を見るに、否定しきれないな」

「ですので、私がユーちゃんに正しい教育を施します。あの部活は、ユーちゃんの知識を曲げてしまいますから」

「そんな部活のひとつやふたつで大袈裟な」

「いや、そうとも言い切れない。あそこは本当に……魔界だ」

「なに魔界って。話盛りすぎぃ」

「あそこは酷い。変態……いや、人の本能に根差した好みをとやかく言うのは良くないな。だからあえてこう言うべきだな。連中は、単純に気持ち悪い、と」

「あっはっは! なにそれ、愉快そうだね」

 

 至極真面目な顔で言う霜ちゃんを、みのりちゃんが笑い飛ばすけど……霜ちゃんの言ってることは、あんまり間違いでもない気がします。

 本当にすごいところだったし……うん、色んな意味で。あけすけというか。

 

「お勉強……ちょっと、イヤ、です……」

「これはユーちゃんにとって必要なことなんだよ。ちゃんと、正しい知識を身に着けないと」

「でもユーちゃんは、実際に見たり触ったりして覚えたいよー」

「じっ、実際に、見たり、触ったり……!? だ、ダメだよユーちゃん、私たち、姉妹だし、女の子同士だし……で、でも、それでユーちゃんが正しくあれるのなら、私は……!」

「……ローザが、こわれはじめた……」

「大丈夫なのか、この姉妹」

「意外とポンコツっぽいよね」

 

 こうして、ローザさんによるユーちゃんへの正しい性教育が始まる……かは、わからないけれど。

 あの部活は確かに、ある意味ではとても恐ろしい。大切ななにかが曲がってしまいそうというローザさんの言い分もわかる。あそこは、刺激的すぎる。

 だけど、あそこの人たちは、根はいい人たちばかりなんだと思う。

 すべて素のまま、あるがままに振る舞って……そのせいで、ちょっと暴走気味なところはあるけど、でも、本当の自分を曝け出せるっていうのは、素敵なことだと思うし、すごいことだと思う。

 わたしは、あんまりそういうことできないから。ちょっと、羨ましいかも。

 

「じ、実技がいいなら、それもやぶさかでもないけれど……で、でもまずは知識からだよ! 身体を使うのは、頭で覚えてから!」

「なんかエロいね」

「そんなことありません! 茶化さないでください! さぁユーちゃん、席に座って! お勉強のお時間です!」

「うー、小鈴さーん! 助けてください!」

「えぇっ!? わ、わたしっ?」

「……こすず、がんば……いちぬけた」

「おっと私も今日はもやしが安い気がしたなぁばいばい」

「あっ、恋ちゃん! みのりちゃん! 待って! 置いてかないで――!」

 

 ユーちゃんに泣きつかれて、ローザさんが迫ってきて、恋ちゃんとみのりちゃんは教室から出ようとして、もうしっちゃかめっちゃかです。

 霜ちゃんも、なんか遠くに避難してるし……あぁ、もう、どうしたら……!

 

「……それにしても」

 

 遠くで霜ちゃんは、窓の外を見遣る。部室棟の方に、視線を向ける。

 そして、誰にも聞こえない声で、囁いた。 

 

 

 

「結局、遊泳部ってなにをする部活なんだ?」




 設定だけあってほとんど触れられなかった、ユーちゃんの所属する遊泳部についてでした。こいつらだけでシリーズ一つ作れそうなくらい変な連中ですが、動きを制御するのが大変なので少なくとももうしばらくは書きません。
 次回もユーちゃんを掘り下げる回を投げようかと思います。というわけで、誤字脱字感想等ありましたら、お気軽にどうぞ。


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番外編「おさんぽです! ~森の外にて~」

 番外編シリーズ、前回に引き続き、今回もユーちゃんを掘り下げる回です。本来の投稿順的にはこちらが先だし、今回はユーちゃんが直接活躍するわけではないですけど。というか半ば実子の話っぽくなってるな。まあ、実子を通してユーちゃんについて見る、みたいな。登場人物紹介短編でも、そんな感じのことしたし。



 

 

 

 みなさんこんにちは、伊勢小鈴で――

 

「Spazieren gehen!」

 

 ――え?

 

「ユーちゃん? いきなりどうしたの?」

「Spaziergang! です!」

「いや、なにを言ってるのかわかんない……」

「おさんぽ、です!」

「え? お散歩?」

「Ja! みなさんで、おさんぽに行きましょう!」

 

 お散歩って……ユーちゃん、いきなりどうしちゃったんだろう……?

 それはあまりにも突然の申し出で、わたしは面食らってしまった。

 だけど、

 

「散歩か。別にそれくらいなら、付き合っても構わないが」

「……だる……」

「私はサイクリングの方が趣味だけど、まあ、散歩も悪くはないかな」

 

 恋ちゃんを除いて、みんなそれなりに乗り気ではあるようだった。

 わたしも、運動は苦手だけど、お散歩くらいなら、別にいいかな?

 ちょっとは体動かさなきゃいけないしね……お姉ちゃんにも、よくお小言貰ってるし……

 

「Danke! 実はユーちゃん、ずっとみなさんとおさんぽ行きたかったんです!」

「そうなんだ。それなら、もっと早く言ってくれたらよかったのに」

「えへへ、そうですね。それじゃあ、早速行きましょう!」

「わわっ、待ってよユーちゃん!」

 

 今日もユーちゃんは元気だなぁ。

 たまには、みんなでお散歩なんてして、ゆったりゆっくり、くつろぐのも悪くはない。

 そう。この時はまだ、そんな風に思っていたんです。

 だかえらわたしたちは、たかが“お散歩”だと、軽い気持ちで乗ってしまいました。

 だから、あんなことになってしまったんです――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――二時間後。

 

 

 

「どういうことだこれは!」

 

 遂に霜ちゃんが叫びだしました。

 うん、気持ちはわかるよ……

 ユーちゃんが行きたいお散歩コースがあるって言うから、ユーちゃんの言う通りにずっと歩いてきたけど……途中から、明らかにおかしかった。

 なんだか人気のない道に入ったり、人の賑わいを避けるように進むし、自然豊かな場所に出るし、もう民家さえもぽつぽつとしか見えなくなってきたよ……

 それでもユーちゃんは、嬉々とした表情で、足取り軽やかに、迷いなく進むものだから、大丈夫って思ってたけど……流石に、絶えられなくなったみたいです。

 わたしも二時間歩きっぱなしは流石に疲れるよ……元から体力ないのに……

 

「こんなの散歩じゃない! 行軍だ!」

「これは、流石の私もキツイわー……日向さんなんて死んでるし」

「…………」

「恋ちゃん!? 恋ちゃんしっかり! 目を開けて!」

「ふみゅ? みなさん、どーしました?」

 

 先頭に立ってずんずん進んでいくユーちゃんは、わたしたちが足を止めたのを察して、振り返った。

 そして、コクンと小首を傾げる。かわいい。

 けど、今はちょっとそれどころじゃないかも……

 

「どうしたもこうしたもないよ! 散歩に行くって言うから着いてきたけど、こんな長旅になるなんて聞いてないよ! というかここはどこなんだ!?」

「? 霜さんはなにを怒ってるんですか? ユーちゃんは、ただみなさんと、普通におさんぽしようって言っただけですよ?」

「この散歩道のどこか普通なんだ!?」

「そ、霜ちゃん、落ち着いて……!」

「そう、荒ぶってる……めずらし……」

「あ、恋ちゃん。よかった、生き返って……」

「私相手でもあんなにはなんないのにねー。ユーリアさん相手だからかな?」

 

 肉体的な疲労が、いつもの霜ちゃんを狂わせてる……とか、かな?

 わかんないけど。

 

「みゅー……ローちゃんとか、Mutti(お母さん)Vati(お父さん)とは、普通にこんな感じなんですけど……」

「なんだと……!? ドイツ人の散歩は狂ってる……!」

 

 頭を抱える霜ちゃん。

 うん、まあ、この距離のお散歩を普通って言いきるのは、ちょっと、わたしたちの感覚からはずれてるかもしれないね……

 行軍とまでは言わないけど、ちょっとハードなハイキングくらいはあるんじゃないかな?

 少なくとも、わたしもこれは、お散歩とは呼び難い。

 

「ま、私はもうちょい付き合ってもいいけどね。チャリじゃないのがあれだけど、まあまあ楽しいし」

「わたしも、ユーちゃんすごく楽しそうだし、もう少し頑張ろうかなって思うんだけど……」

「くっ、毒皿か……!」

「死ねる……」

 

 ユーちゃんに次いで元気なみのりちゃんはともかく、霜ちゃんと恋ちゃんは、色んな意味で辛そうだった。特に恋ちゃん。身体、大丈夫なのかなぁ……?

 けれどもユーちゃんは、あんまり周りが見えていません。ユーちゃんが向いているのは、常に正面だけです。

 満面の笑顔でずんずん先に進んでいくユーちゃんは、ハッとして、エサを見つけた子犬のようにぴょこぴょこと走っていくと、指差しました。

 

「じゃあ、次はここに入りましょう!」

 

 それは、鬱蒼の木々が生い茂る場所。

 奥は深く、薄暗く、どこまで続いているかもわからない深淵。

 

「……ここって……」

「森……いや、山、か……?」

 

 なんとなく地面が傾斜っぽいようには見えるけど、たぶん森だ。正直、どっちでもそんなに変わらない気がするけど。

 ここまで来るだけでもかなり疲れているのに、その上、森に足を踏み入れるだなんて、正気の沙汰ではない。

 というのは、わたしたちの感性でしかないのだけれど。

 

「Oh……! この(ヴァルト)には、一体なにがあるんでしょう……! わくわくです!」

「ユーリアさんは元気だなぁ」

「マジか……」

「……仕方ない。ここまで来たら、もう最後まで付き合うよ……それでユーの気が済むのならね……」

 

 もう、霜ちゃんも諦めモードです。

 でも仕方ないかもね。こんなキラキラと目を輝かせたユーちゃんを前にしちゃったら、色んな意味で止められない。

 ユーちゃんは待ちきれないと言わんばかりに、たったったと走り出した。

 

「Ja! Lass uns gehen(さぁ、行きましょう)!」

「待ってよユーちゃん! 一人で行ったら危ないよ!」

 

 と、わたしもユーちゃんの後を追って駆け出すんだけど。

 やっぱりわたしは、ユーちゃんと比べると、すごくどんくさいから。

 木の根や岩、均されてないゴツゴツとした地面に、足を取られてしまった。

 

「わわっ」

 

 そこで転んでいたら、まだよかったのかもしれない。

 だけどわたしは、咄嗟に、無理に踏ん張ろうとしちゃって、足を変な方向に出してしまった。

 そのせいで、

 

 ――グキッ

 

「っ……!」

 

 足首の方から、嫌な音が聞こえた気がした。

 もう踏ん張りも利かず、わたしは受け身も取れないまま、硬い地面にすっ転ぶように倒れ込んだ。

 

「こ、小鈴さん!?」

「小鈴ちゃん! 大丈夫!?」

「だ、大丈夫……」

「立てる……?」

「手を貸そうか?」

「ありがと、霜ちゃん……」

 

 霜ちゃんの手を借りて、立ち上がろうとする。

 けど、その時、右足に鈍い痛みが走った。

 

「っ、ぁぅ……!」

 

 小さな声が漏れる。

 同時に、かくんと膝が折れてしまった。

 

「小鈴? 本当に大丈夫なのか?」

「う、うん……ちょっと、捻っちゃっただけだから……」

「ちょっと見せてねー。だいじょーぶ、変なことはしないからさ」

「自分で言うのか……」

「ふーむ。ふむふむ」

「どう……?」

「わかんない」

「わからないのかよ! なんで見たんだ?」

「いや、見たらわかるかと思って。結局わかんなかったけど」

「役立たずが」

 

 とりあえず霜ちゃんの手を借りて、なんとか立つ。

 足首がズキズキする……ちょっと、しばらくは歩けないかも……

 

「こすず……あそこ……」

「あれって、ベンチ?」

「ん……」

 

 休んでなさい、ってことなのかな?

 恋ちゃん、周りをよく見てて、気が利くな……ただ自分が休む場所を探してただけだったとは思わないようにしよう。

 とりあえず、恋ちゃんに促された通りに、わたしはベンチで座って休むことにする。

 ……このベンチ、座った時にすごいギシギシいったけど、大丈夫なのかな……こんな寂れた田舎道で雨ざらしにされてるベンチだから、強度が心配です。わたしの重さ? 気にしません。

 

「わたしはここで少し休んでるから、みんなで行ってきて」

「いいのかい?」

「どっちにせよ、しばらく休まないと変えるのも大変そうだし……みんなを引き留めるのも、申し訳ないし」

「別に、私は行きたい、わけじゃ……」

「あの、こ、小鈴、さん……」

 

 ユーちゃんが、おずおずと、申し訳なさ気に、こっちを覗き込んでくる。

 ちょっとそわそわしてて、もじもじしてて、言おうか言わないか、言っていいのか悪いのか、やりたいこととやるべきこととそうでないこと、その狭間で揺れているような、どっちも捨て置けないような、そんな、宙ぶらりんな状態。

 ユーちゃんは迷ってる。わたしがケガしちゃったから、気にしてるんだと思う。そんなに気にすることないのに……これは、わたしがどんくさいからやっちゃったことなわけだし。

 それでもユーちゃんは、責任感を感じちゃってるみたい。だけど、きっとユーちゃんは、まだ満足していない。もっと先へ、もっと奥へ、進みたがっている。だから、揺れている。

 わたしはユーちゃんに言いました。

 

「ユーちゃんの好きにしていいよ」

「にゅ……」

 

 ユーちゃんは、ちょっとだけ驚いたように目を見開いて、そしてまた、おずおずと尋ねます。

 

「小鈴さん……ユーちゃん、ワガママ言っても、いいんですか……?」

「うん、いいよ。だって、ずっと行きたかったんでしょ、お散歩」

「……Danke!」

 

 パァッと、笑顔を取り戻すユーちゃん。

 うん、やっぱりユーちゃんは、そうやって笑っているのが似合うし、かわいいね。

 

「私も残るよ。小鈴ちゃん一人にするのもなんだし」

「私も……残りたい、ん、だけど……」

「なんで実子なんだ?」

「や、誰でもいいっちゃいいんだろうけど、私が小鈴ちゃんと一緒にいたいから」

「ねぇ……私も……疲れた……」

「身勝手な奴だな。今回はまあ、いいけども」

「んじゃ、ユーリアさんの方は頼んだよ」

「あぁ」

「あの……私……」

「ごめんね。わたしがどんくさいせいで」

「まったくだ。しっかり休んで、戻って来るころには歩けるようになっててくれよ。じゃないと。帰れないからね。こんなド田舎、バスすら走ってないし」

「……無視、か……もう、あきらめた……」

 

 そういうわけで。

 わたしとみのりちゃんだけで残って、ユーちゃんと霜ちゃん、それから恋ちゃんの三人は、深い森へと入って行きました。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「みのりちゃんって、ユーちゃんと仲良いよね」

「んんっ!?」

 

 三人が森に入ってから。

 ただ座っているだけなのもつまらないし、みのりちゃんと二人きりというのも久しぶりだ。

 だから、わたしはみのりちゃんと、少しお話しようと思って、そう言葉を投げかけました。

 するとみのりちゃんは、なぜか混乱したように、言葉に詰まった。どうしたんだろう?

 

「な、なにかなー? ヤブからスティッキーに」

「スティッキーって、棒って意味あったっけ……いや、なにもなにも、そう思っただけなんだけど」

「なんでよりもよってユーリアさん? 水早君じゃなくて?」

「霜ちゃんとも仲良しだけど、あれってみのりちゃんが一方的にからかってるだけでしょ? 霜ちゃん、本気で嫌がってるから、やめた方がいいよ」

「考えとくよ。で、ユーリアさんね……まあ、純粋すぎて、あんまり邪険にできないよね」

 

 無邪気という言葉がとても似合う、笑顔が眩しいユーちゃん。

 恋ちゃんもユーちゃんには毒づかないし、それだけユーちゃんには、邪な気持ちを寄せ付けない、朗らかさのようなものがある。

 それはわたしも感じていることだし、それがユーちゃんのいいところ。

 ユーちゃんに流に言うなら、素敵(シェーン)です、ってところかな?

 けど、わたしがみのりちゃんとユーちゃんが特に仲がいいと思ったのは、なにも感覚的なものだけじゃない。

 ちゃんと、根拠もあるんです。

 

「ユーちゃん、みのりちゃんにデッキの組み方とか色々教えてもらったって言ってたよ」

「あぁ、まあ、うん。そうだね」

「わたしたちがいない時でも、一緒に遊んだりしてるの?」

「遊んでるっていうかなんていうか、ショップでたまたま会ったりとかだけど……たまに、皆の予定が合わない時でも、私たちだけでも予定が合うなら、会うことはあるかなぁ」

「やっぱり。仲良いじゃない」

「そう、かなぁ?」

「なんでそこで素直じゃないの?」

「んにゃ、別に……」

 

 なんだか、微妙な表情だ。口元が歪みそうで、その歪みを抑えるみたいな、すごい変な顔をしたまま、ちょっと斜を向くみのりちゃん。

 それはどういう反応なの……?

 

「なにか、仲良くなるきっかけとかあったの?」

「あ、それはハッキリしてる。あのクソガキ……なんていったっけ、刺青入れてるチャラチャラしたガキ」

「えーっと、『眠りネズミ』さん……眠りネズミくん? のこと?」

「名前なんて覚えてないけど、あのクソガキに負けた後、二人でちょっと話す時間があってさ。その時、一緒に特訓しよう、って話になったんだよ」

 

 あれは確か、夏休みの時だったっけ。

 いきなり町中にクリーチャーが現れて、みんなの力を借りて倒して回っていたけれど……その間に、『眠りネズミ』くんが、襲撃してきた。

 目的はわたし――というか鳥さん――だったみたいだけど、その途中で、ユーちゃんやみのりちゃんも倒していた。

 二人は、その敗北がすごく堪えたみたいで、とても悔しかったみたいで。

 だから、二人で強くなろうとした。

 ……って、ユーちゃんもちょっと言ってたっけ。

 みのりちゃんは、あんまりそういう弱みは見せてくれないけれど、内心では、すごく悔しかったんだろうなって思う。

 その気持ちが、二人の間であった。

 だからこそ、二人は仲良くなれたのかな。

 

「まあ、特訓っていうより、私がユーリアさんを鍛えるみたいな感じにはなったけど……凄かったよ、あの子」

「すごいって、なにが?」

「なんて言うかなぁ、ガッツというか、ハングリー精神というか。いや、そんなドロドロしたもんじゃないかなぁ。もっと純粋で、より純真で、なにかを取り入れる力。アドベンチャー的には知りたがる心みたいな……そう、好奇心だ」

「好奇心?」

「あの子、物凄く好奇心旺盛なんだよ。自分の知らないもの、見たことないことっていうのに、どんどん手を伸ばしていくの。その特訓中に、色んなデッキで対戦したりしたけど、ちょっとギミック変えるだけでも、すっごいいいリアクション取ってくれたりしてさー。見てるこっちが変な気持になっちゃうよ」

「変な気持ちってなんなの……」

 

 だけど、そう語るみのりちゃんは笑顔で、自然な笑みが零れてて。

 無邪気で、純粋に笑って、楽しそうだった。

 そう――ユーちゃんみたいに。

 

「小鈴ちゃんは、今のままがいいってタイプだと思うんだけどさ。あの子は、今のままもいいけど、もっと面白いものを見つけようとしてるんじゃないかな。それはある意味、限りない欲……まあ、物質的なものじゃないから、知識欲とかに近いのかなー? そういうのを、好奇心っていうんだろうけど」

「なんだか、霜ちゃんみたいだね」

「いやいや、水早君みたいな頭でっかちと一緒にしちゃ可哀そうだよ。水早君は、わからないことがあったらまず考えて、自分で答えを見つけようとするでしょ?」

「うん、そうだね。霜ちゃんならそうすると思う」

「けどユーリアさんは違う。あの子はわからないことがあったら、まず探す。探しに行く。自分の知識の中で解を求めるんじゃなくて、知らないものを見つけに行くんだよ。外の世界にね。そういうタイプ」

「言われてみると、そんな気もするかも……」

「まあ、今は小鈴ちゃんに合わせてるっていうか、一緒にいたいって思ってるんじゃない? その気持ちがもう少し弱かったら、たぶん、あっちこっち走り回ってたよ」

「そっかぁ」

 

 ちょっとイメージできるかも。ちょこちょこと動き回るユーちゃん……かわいいけど、ちょっと危なっかしいかな。

 わたしは、どっちかっていうと、自分の中で抱えて、考えちゃうタイプだから、特にそういうのは危うく感じてしまう。

 ……まあ、考えたからって、わたしは霜ちゃんほど思慮深くはないし、知識もないから、堂々巡りで迷ってばっかりで、答えが出るとは限らないんだけど……

 

「そうなると、霜ちゃんがまた大変そうだね……」

「水早君は考えすぎだと思うんだけどねー。そうじゃない、そうやって得るものじゃない。論理でも理屈でもないんだよ。ユーリアさんの求めてるものは。楽しさとか、嬉しさとか……あ、雅な表現思いついた。そう、つまりは(おもむき)、粋ってやつだ」

「そうなのかなぁ?」

 

 その表現は、ちょっと違うっていうか、あんまり上手くないと思います。

 

「まあまあ。表現の正確さなんてどうでもいいけどさ。要はあの子、私たちの中でも、一番純粋に“楽しさに飢えてる”ってことなんだよね」

「飢えてるって……そんな狼みたいな」

「健全な意味だって。まあ、私もそういう、楽しみに価値を見出すことには賛成だし、あぁもせがまれて、そのうえ活き活きと、それでいてキラキラとしてるんだもん。邪険にはできないよねぇ」

「ユーちゃん、よくみのりちゃんみたいなデッキ使うもんね」

「や、流石に私のテクは簡単には真似させないよ。技術的にも資産的にも。《ギョギョラス》は誰にも譲れないね」

「別に誰も取らないよ……」

 

 霜ちゃんは、コンボ自体は面白いから取り入れてみたい、みたいなことを前に言ってた気がするけど。

 でも、わたしにはできないなぁ。カードもないし……

 ユーちゃんはその点、みのりちゃんの真似っ子でも、積極的にデッキを組み替えて、カードを入れ替えて、変化させてるからすごいと思う。

 わたしなんて、カードの枚数をちょっと変えたりはするけど、あんまり大きく変えないから……

 

「……でも、なんだかいいね」

「なにが?」

「みのりちゃん、ユーちゃんのお師匠さんみたいで」

「ほわいっ!?」

 

 え? そこ驚くところなの?

 みのりちゃん、ユーちゃんがデュエマ強くなるのを手伝って、一緒に特訓して、ユーちゃんはみのりちゃんのデッキも真似てみて……まるで師弟関係みたいに思えたけど。

 

「違うの?」

「いんやぁ、違うってか、なんてか、そういうの向いてないってゆーか……」

「顔、にやけてるよ」

「み、見るなぁ!」

 

 片手で顔を覆って、もう片方の手でわたしを押しのけるみのりちゃん。

 こんなみのりちゃんの反応、とっても珍しい。というか、初めて見た。みのりちゃんが照れてるところ。

 だけど、さり気なくわたしの胸を鷲掴みしながら押し返すのはやめてほしいです。

 

「あーもう、師匠とかそんなの、私のキャラじゃないって」

「そんなことないと思うよ? ユーちゃんはきっと、みのりちゃんのデュエマする姿を見て、カッコイイって思ったんじゃないかな?」

「う、なんかそんなことを言われた記憶がなくもないような……じゃない! 私、人に教えるとか根本的に無理な人間ですし!」

「んー、教えるっていったら、確かにそういうのは確かに霜ちゃんとかの方が得意だと思うけど、そうじゃなくて……なんて言ったらいいのかな? 振る舞いとか、生き様? とかの話だと思うよ?」

「生き様ぁ?」

「うん。だってみのりちゃん、ユーちゃんと似てるもん」

 

 みのりちゃんの方がいたずらっ子っぽいけど、でも、根本には近いものがあるような気がします。

 情熱がある。衝動がある。それを自分のために燃やして、まっすぐ進める。

 ネズミくんに負けちゃった時に意気投合したのも、二人が似ていたからこそ、同じ道に進めたんだと思うし、ユーちゃんは自分の理想とする道程の先に、みのりちゃんの姿を見たんじゃないかって思う。

 ある種の憧憬。羨望。

 ユーちゃんがみのりちゃんのデッキをまねっこしたのも、そういう憧れが、好奇があったんじゃないかな。

 

「だから、ユーちゃんはみのりちゃんのこと、お師匠さんみたいに思って、慕ってるんじゃない?」

「そんな柄じゃないんだけどなぁ、私。ってゆーか、同学年だし……」

「そんなの関係ないよ。みのりちゃん、自分のことになると素直になれないよね。だからわたしともケンカしちゃうんだよ」

「ちょっとそれわたしの黒歴史だから。小鈴ちゃんでも安易に入って来ないでほしいな……」

「あ、ごめん……」

 

 とても複雑な表情で、片手を突き出して制されました。

 だけど、師匠という肩書を持ったみのりちゃんはカッコイイと思うし、みのりちゃん本人もまんざらじゃなさそうだよ?

 顔もにやけてて、なんやかんやで嬉しそうだし。

 

「……ふふっ」

「あ、笑ったなぁ。なにがそんなにおかしいのさ」

「なんでもないよ」

「くぅ、いつものポジションを逆転されてる気分。マウント取り返さないと!」

「そんなつもりはないよ。でも、こうしてみのりちゃんと、ちゃんとお話しするの久しぶりだから、わたしは嬉しいよ?」

「ん……っ」

 

 みのりちゃんと大ゲンカした後。

 夏休みちょっと前くらいから、みのりちゃんはすごく弾けた。今まで抑圧していたものを解き放つように、閉じていたものを開くように。

 わたしには、どっちが本当のみのりちゃんなのかはわからないし、どっちもみのりちゃんであるのかもしれないけれど……夏以降、どこかおちゃらけたみのりちゃんは、なにか殻を被ってるみたいでもあったから。

 それが取り除かれてるか、とか。そういうことでもないけれど、なにも茶化さないで、みのりちゃんの本心を、思ったままを、本当の気持ちを、ちゃんと伝えあえてるみたいで、わたしは嬉しい。

 今までずっと、一方的なセクハラばっかりだったしね!

 

「むぅ、そういう真面目なのも私のキャラじゃないんだけどな」

「一学期までは、そういうキャラだったんじゃないの?」

「や、私もキャラ付けに迷ってたことがあったし」

「わたしは、キャラ付けとかじゃなくて、そのままのみのりちゃんがいいなぁ」

「……小鈴ちゃん、そういうこと普通に言えちゃうから怖いよね」

「え? なにが?」

「茶化しづらい空気が、逃げ道を塞がれたみたいってことさ」

 

 と、それこそどこか茶化した感じで言うみのりちゃん。

 いや、茶化したい感じ、かもしれない。

 うーん、わたしはただ、前みたいにみのりちゃんとお話しできることが嬉しいだけなんだけど……

 一方的じゃない、お互いの言葉を交わし合える、この会話が。

 できるなら、もっとずっと、お話していたい。

 そう思っていたけれど……残念ながら、わたしの運命というものは、あまりわたしの理想には添ってくれないようです。

 突然の出来事だった。

 空から、声がした――

 

 

 

「――小鈴!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「え? 鳥さん?」

 

 空からやって来た、白い羽毛の塊――間違いない、鳥さんだ。

 鳥さんを見るや否や、みのりちゃんは露骨に嫌そうな顔をした。

 

「うーわ、いい雰囲気が台無しだぁ。鳥肉、なんの用? って、聞くまでもなさそうだけど」

 

 いい雰囲気って……いや、別にいいんだけど。

 だけど、鳥さんが来たってことは、その理由は、確かに聞くまでもなさそうだね。

 

「クリーチャーが出たの?」

「うん。だから君を呼びに来たんだけど、君を探しているうちに、本来のクリーチャーが消えてしまって」

 

 え?

 クリーチャー、見失っちゃったの?

 

「じゃあなにしに来たのさ。ほんっと無能だよね、この肉」

「でも代わりに、新しいクリーチャーを発見した。ついさっき、動きを見せたことで察知できた」

「えぇっと、つまり、最初に鳥さんが見つけたクリーチャーじゃなくて、新しく見つけたクリーチャーをどうにかしよう、ってことなの?」

「よくもまあ、そんな器用な真似ができるね」

「いや、凄く巧妙な偽装工作だったよ、発見できたのは本当に運が良かった。土地そのものに根差すことで隠蔽するだなんて、こんな隠れ蓑があるとは思わなかったからね、完全に虚を突かれたよ。僕がたまたまこの近くを飛んでいたから、力の発動によるマナの流れを知覚できたものの、そうでなければ存在すら悟れなかっただろう。相手は相当、高位のクリーチャーと見たよ」

 

 なんだか、行き当たりばったりだなぁ。

 いや、鳥さんの行動なんて、最初からそうだったけど。

 ……あれ?

 

「ちょっと待って鳥さん。そのクリーチャーって、ついさっき動きを見せて、しかもこの近くにいたの? それに、土地に根差すって……」

「あぁ。きっとその土地を根城にしているんだろうね。あるいは領地か。だから、侵犯者を見つけたことで、防衛モードに入ったと見た。場合によっては排斥かもしれないけど」

「侵犯者って、それって、もしかして……」

 

 わたしが言葉を続けるよりも早く。

 鳥さんは羽ばたいた。

 ――森へ向かって。

 

 

 

「さぁ行こう、小鈴。クリーチャーは“この森の中”だ」

 

 

 

 やっぱり――!

 あの森が、クリーチャーの巣窟だったんだ!

 

「ど、どうしよう……!? 森の中には、ユーちゃんたちが……!」

「君の友人か。それも捨て置けないな。なら、なおのこと急がなければ――ぐはっ!」

「と、鳥さん!?」

 

 鳥さんは森に向かって一直線に飛び出したけど、途中、なぜかいきなり落下した。それも、きっち90度の角度で。

 

「えぇ、なにこの鳥肉……自分で垂直に墜落とか、どんな芸なの?」

「いや、違う、これは……“結界”か!」

 

 結界?

 な、なんかオカルトっぽいけど、要するに、見えない壁があるってこと?

 

「そうか、だからあんなにもハッキリ察知できたのか。森内部への仕掛けかなにかが作動したのかと思っていたが、それだけじゃなかったというわけか。外部と内部を遮断する結界が展開されている」

「結界って……」

 

 みのりちゃんに肩を借りながら、鳥さんが落ちたあたりまで歩く。そして、手の甲で、ちょっと叩いてみた。

 

コツコツ

 

 見えないけど、確かに壁のようなものがあるみたい。硬くて、とても先に進めそうにはなかった。

 

「なんでこんなものが……」

「本来なら、外部の侵入者を防ぐものなんだろうけど、ここまで露骨に、されども強固に、物理的な力を持った結界だからな。それをこんなところで展開する意味と言えばやはり……内部の侵入者を、外部に逃がさないため、じゃないか?」

「そんな……!」

 

 ってことは、ユーちゃんたちは、もうこの森から出て来れないってこと!?

 それに、ユーちゃんたちはきっと、閉じ込められていることも知らないのに……!

 

「あー、ダメだね。携帯も通じないや」

「ふむ、成程。となればこの結界は、物理的にだけではなく、電波や思念の類までも遮断するものなのか。これは、君が変身して全力で殴ったところで、傷一つつきそうにないな」

「そんな……どうすればいいの?」

「なに、深刻になることはない。いつも通りさ」

 

 鳥さんは、妙に自信満々に答えた。

 

「結界を展開している大元がいるはずだ。そして、それはきっと、森の外にいる」

「なんでわかるの?」

「僕は感覚でクリーチャーの存在を感知しているわけだけど、この結界から感じ取れるマナの性質と、直前に感じていた森の中のマナの性質。これらに若干のずれがある」

「つまり?」

「クリーチャーは二体いる、ということさ。結界を構築して、侵入者を外に出さない役割を担っている者と、森の中に巣食って侵入者を排除するクリーチャー。綺麗に役割を分担していると見た。そもそも、これだけ強固な結界だ。これを展開し続けるだけでかなりのリソースを割かれるだろうしね」

 

 な、成程……?

 言ってることは半分くらいしかわからなかったけど、とにかく、結界の外にこの結界を展開しているクリーチャーがいて、それを倒せばいいんだね。

 

「じゃ、じゃあとりあえず、そのクリーチャーを探さないといけないね」

「……いや、その必要はないんじゃない?」

「え?」

 

 みのりちゃんが、なぜかやや上向きにそらを見上げている。

 わたしもつられて、目線を上げると――

 

 

 

「聖域を穢す者が侵犯したとの報せを受け、結界を展開したものの――外にも、侵犯者と通じる者がいたとはな」

 

 

 

 ――いた。ずっと高いところに、宙に浮いている人が。

 いや、あれはきっとクリーチャーだ。やけにキラキラした格好をしてて、どことなく人間味が薄いように感じる。

 そもそも人間は宙には浮けない。

 

「いいや、あれは宙に浮いてるんじゃなくて、この森を覆う結界の上に乗っているだけだよ」

「左様だ」

 

 鳥さんの発言を証明するように、その人は落ちてきた。

 いやこれも、鳥さんの言う通りなら、飛び降りた、が正しい。

 そして音もなく着地。人間業じゃない。ということはやっぱり、人間ではない。

 

「一応、確認だけど。君がこの結界を張った張本人なのかな?」

「虚言は無為であろうな。ならば答える。その通り、とな」

 

 その人は深く、ゆっくりと頷いた。

 

「私は結界師としての役割を与えられた者。もっとも、私はこの壁を、結界と称することには、若干の抵抗があるのだが」

「どうでもいいことだ。そんなことより、君がこの森を外界と遮断するその理由は? 君は、森の中に巣食うクリーチャーと繋がっているのかい?」

「それも是だ。彼は穢れを嫌う。邪道な精神、我欲に塗れた魂、歪な変化を繰り返そうとする欲。私は彼に命じられるままに動き、役割を果たす自然の一部に過ぎない。故に、私に意思はない」

「つまり、親玉は森の中、ってことね」

 

 ということは、やっぱりユーちゃんたちが危ない……!

 早く、助けに行かなきゃ。

 と、わたしは一歩踏み出そうとするけど、

 

「っ」

 

 足首に鈍い痛みが走る。

 まだ治ってない……当然か。ちゃんと手当したわけでもないし、そんなに休めたわけでもないから。

 でも、鳥さんの力で変身できれば、このくらい……!

 

「まあ待ちなよ、小鈴ちゃん」

「み、みのりちゃん……?」

「怪我してる時まで頑張る必要ないって。ここは私がやるからさ」

「でも……」

「いいからいいから。私に任せてよ」

 

 みのりちゃんがわたしを制して、前に出る。

 その手には、既にデッキケースが握られていた。

 

「師匠なんて柄じゃないけど、あの子と一緒なのが楽しかったのは事実。その義理立てくらいはしてもいいかなってね」

「みのりちゃん……」

 

 本当、素直じゃないんだから……もっと普通に、そのまま言えばいいのに。

 助けに行きたいって。

 だけど、その気持ちは、わたしも嬉しかった。

 

「つーわけで鳥肉、ここは私が請け負った。文句は言わせないよ」

「僕としては正式に契約している小鈴の方が安心感があるんだけど、怪我しているから戦場には出さない、という考えも理解できないわけじゃない。仕方なく、君を代理として立てようか」

「うっさい、ぶつくさ言うな。とっとと始めて、時間が惜しい」

 

 鳥さんの言葉を、雑に一蹴するみのりちゃん。

 あ、相変わらず鳥さんには厳しいね……

 

「立ち向かうか、いいだろう。私も、汝らが私を打破しようと試みるのであれば、相応の対応をしなくてはならない。結界の展開で魔力の消費には懸念が残るが、是非もなし。外界からの新たなる侵犯者の可能性を放置できるはずもなく、私は役割を遂行するまで。故に、お相手仕ろう」

 

 慇懃に、そして威風堂々と、二人は向き合った。

 わたしたちの前に立ち塞がる壁を突破して、ユーちゃんたちを助けに行く。

 そのために、このクリーチャーを、倒さなくちゃいけない。

 

「それじゃ、サクッとぶん殴って終わらせようか」

「聖域は侵させない。参る」

 

 それを為すための一戦が今――始まった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 みのりちゃんと、結界師と名乗るクリーチャーとの対戦。

 まだお互いに、《霞み妖精ジャスミン》でマナ加速をしただけ、だけど。

 先に、結界師さんが仕掛けてきた。

 

「3マナ。《絶対の(おそ)防鎧(ぼうがい)》召喚」

「げ、《防鎧》か……」

 

 みのりちゃんは顔をしかめた。

 確かあれは、手札破壊を封じ込めたり、マナよりもコストの大きなクリーチャーを出すことを封じるクリーチャー……だったよね。

 

「汝のマナゾーンに見えているカードから、汝は力の誓約を超越する戦術を取ると見たまで。終了」

「残念なことに、その通りなんだよねぇ……」

 

 みのりちゃんのデッキは、侵略と革命チェンジを繰り返すデッキ。マナゾーンにある文明も、火と自然だから、一番よく使う、侵略と革命チェンジを同時に使うデッキだと思う。

 早いうちからコストを踏み倒して、マナを溜めるよりも早く大きなクリーチャーで押し潰すようなデッキだから、そのクリーチャーの対策は、とてもよく効く。

 みのりちゃん、早速ピンチっぽいけど、大丈夫かな……と思ってたら。

 

「まあけど、こちとら《オリオティス》から泣かされてるんだ。対策くらいしてるよ! 私のターン! 3マナで呪文《フェアリー・トラップ》!」

 

 みのりちゃんは、しっかりと自分の弱点を補うような対策を、施していた。

 

「トップを捲って、そのカードよりも小さいコストクリーチャーをマナに送るよ。このデッキはわりかし重めだから、3コストくらいなら余裕だね。そらよっと!」

 

 と言って、山札の一番上をめくり上げる。

 そしてめくられたカードは、

 

「っ、《ジョニーウォーカー》……!」

 

 コスト2の、《爆砕面 ジョニーウォーカー》だった。

 これじゃあ、コスト3の《防鎧》を倒せない。失敗、しちゃったの?

 

「そのカードで私のクリーチャーを打破できると?」

「嫌味ったらしいなぁ……! 仕方ない、マナを溜めるだけでも《防鎧》の範囲からは逃れられるし、これはマナゾーンへ。ターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

 

結界師

場:《防鎧》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:1

山札:27

 

 

実子

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:2

山札:25

 

 

 

「私のターン。《音感の精霊龍 エメラルーダ》を召喚。能力起動、シールドを一枚手札に……その後、手札を一枚シールドに。終了」

「手札交換だけか。まあ、殴る私としちゃ怖いけど。私のターン……ドローしてマナチャージ」

 

 カードを引いて、みのりちゃんは自分の手札をじっと見つめている。

 きっと、ここからどうするか、考えているんだと思う。

 わたしが前にみのりちゃんと戦った時、わたしもみんなの力を借りて、みのりちゃんのデッキの戦術を封じ込めたけど、それもずっとは続かなかった。

 みのりちゃんはちょっとやそっと抑え込んでも、そこから自力で抜け出すほどの力がある。そして、みのりちゃんは今、そのための方法を探しているんだと思う。

 

(さて、6マナ溜まった。《ジ・アース》は走れるし、《ドギラゴン剣》も握れてるけど、《防鎧》が邪魔すぎる……!)

 

 とはいえ、やっぱりちょっと苦しそうだった。

 憎々しげに《防鎧》を睨みつけた後、手札のカードを一枚、引き抜く。

 

「……ちょっとでもデッキ掘ろうか。《リュウセイ・ジ・アース》を召喚。トップを捲るよ」

 

 みのりちゃんはここで、《リュウセイ・ジ・アース》を出す。

 いつものコンボの起点となるクリーチャーだけど、コスト踏み倒しを半ば封じられている今このタイミングで出すということは、たぶん、攻めるための一手じゃない。

 あのクリーチャーは山札の一番上をマナか手札にできるから、わたしと戦った時みたいにマナを増やして《防鎧》が禁止する圏内から脱するか、《防鎧》を倒せるカードを引き込むつもりなんだ。

 

「うぅん、微妙……持っててもいいけど、白緑ならたぶん除去もないだろうし、《ジ・アース》立たせとけばいいかな……《カラクリ》をマナへ」

 

 みのりちゃんは、めくったカードをマナに置いた。

 

(これで7マナ。次のターンには8マナか。見た感じ守り固そうだし、何度出撃できるかわかったもんじゃないから、攻め手が削られるのは困る。ここで《ドギラゴン剣》は消費できない……あー、《ギョギョラス》があれば、このターンから殴れたんだけどなぁ、肝心なところで裏切ってくれちゃって)

 

 なにを思ったのか、ふぅ、とみのりちゃんは嘆息する。

 マナはちゃんと増えているし、わたしには、順調そうに見えるけど……

 

「ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

 

結界師

場:《防鎧》《エメラルーダ》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:1

山札:26

 

 

実子

場:《ジ・アース》

盾:5

マナ:7

手札:2

墓地:2

山札:23

 

 

 

 

「私のターン。6マナタップ。双極(ツインパクト)召喚(サモン)

「!」

「《龍装の調べ 初不(ういず)》を召喚」

 

 出て来たのは、龍の骨を纏った宝石の巨人(ゴーレム)

 手には錫杖のような杖を持ってて、すごい、ピカピカしてるし、キラキラしている。

 聖なる輝き、っていうのかな。とにかく、雷電みたいに、光り輝いているようだった。

 

「終了」

「動きが怪しいなぁ……でもまあ」

 

 カードを引きながら、みのりちゃんは言った。

 

「私にできることは殴ることだけ。随分と減速させられたけど、ようやく全力でぶん殴れる」

 

 遂に、攻める準備ができたと。

 

「引きはなんとも言えないけど、攻める分には悪くないし、行ってみようか。まずは7マナ、《龍装車 マグマジゴク》! クリーチャーとして召喚するよ」

 

 相手に対抗するように、みのりちゃんはツインパクトクリーチャーで応戦する。

 出て来たのは、これも龍の骨を纏った……く、車?

 車両っぽい見た目だけど、車輪じゃなくてキャタピラがついてたりして、なんとも形容しがたいクリーチャーだった。とにかく気になるのは、船首のような場所に龍の頭の骨が飾られていることだ。

 さらにその車は、あり得ないほどにキャタピラを高速駆動させて、相手のシールド目がけて突っ込む。

 かと思いきや、くるっと急に向きを変えて、今度はみのりちゃんのシールドを吹き飛ばした。

 え? なにをやってるの? 相手だけじゃなくて、自分のシールドまで壊すなんて……

 

「《マグマジゴク》の登場時、お互いのシールドを一枚ずつブレイクする!」

「S・トリガーなどはない」

「次にこっち! こっちもトリガーはないよ。さらに《リュウセイ・ジ・アース》で攻撃! する時に!」

 

 お互いのシールドをブレイクするなんて、変なクリーチャー……

 だけど、なんにしても、これでみのりちゃんの攻める準備は整ったし、今のはその景気づけ、みたいなものなのかな?

 遂に、《リュウセイ・ジ・アース》が羽ばたく。

 そして、空中で更なる大きな龍と――入れ替わる。

 

「革命チェンジ! 《蒼き団長 ドギラゴン剣》! ファイナル革命発動で、手札に戻った《ジ・アース》を出し直すよ! そして、Tブレイク!」

 

 手札に戻った《リュウセイ・ジ・アース》が再び場に現れて、入れ替わった勢いのまま、《ドギラゴン剣》がシールドを三枚、叩き斬る。

 これで相手のシールドは残り一枚。ブロッカーがいるのがちょっと気になるけど、みのりちゃんが有利かも。

 と、思ったけども。

 

「受けよう……S・トリガーだ」

「仕込んでないとこ殴ったのに!」

「S・トリガー《フラッシュ・スパーク》。効果で《マグマジゴク》と《リュウセイ・ジ・アース》をタップ。その後、相手のタップ状態のクリーチャー数だけドローする」

「っぅ、くっそぅ、風穴、ぶち抜き切れなかったか……!」

 

 出ちゃった、S・トリガー……でも、これは仕方ないのかな。

 まだ《エメラルーダ》で入れ替えた怪しいシールドが残ってるし、ひたすら前に出て攻め続けるみのりちゃんには、辛いかもしれない。

 それに、みのりちゃんの辛さは、シールドだけでもなかった。

 

「さらに、私が《スパーク》と名のつく呪文を唱えたことで、《初不》の能力も起動」

 

 《初不》が杖を掲げる。さっきの閃光を再現するかのように、眩い光を――電光を、放つ。

 その電光を受けて、みのりちゃんのクリーチャーは、動きと止めてしまった

 

「次のターン、汝のクリーチャーはアンタップしない」

 

 あ、アンタップしない……!?

 いわゆるフリーズって呼ばれる状態で、恋ちゃんなんかもよく使うけど……他のカードの効果に合わせて発動するなんて。

 これでみのりちゃんのクリーチャーは、一回休み。次のターンに攻めるのも、辛そうだ。

 

「これはきついね……ターンエンド」

 

 

 

ターン5

 

 

結界師

場:《防鎧》《エメラルーダ》《初不》

盾:1

マナ:6

手札:6

墓地:2

山札:22

 

 

実子

場:《ドギラゴン剣》《マグマジゴク》《ジ・アース》

盾:4

マナ:8

手札:2

墓地:2

山札:21

 

 

 

「私のターン。3マナで双極・詠唱、《白米男しゃく》。山札から1マナ増加。その後、マナゾーンのカードを一枚回収。さらに5マナ、《エメラルーダ》を召喚。シールドを一枚手札に加え――S・トリガー発動、《フラッシュ・スパーク》」

「なにかと思えば、そんなカードか……ならいいや」

「そうか。では、三枚ドローする。その後、手札を一枚シールドへ。終了」

「私のターン。ドロー」

 

 《初不》の能力で、みのりちゃんのドラゴンはすべて、起き上がることができず、地面を這うしかない。

 このターンは動けないから、攻めるためのターンを稼がれちゃってるけど……

 

「ん……上出来!」

 

 みのりちゃんはここで、なにかを引いたみたい。

 嬉々として、マナゾーンのカードを倒す。

 

「7マナ! 《ナ・チュラルゴ・デンジャー》召喚!」

 

 ドンッ! となにかが降ってきた。

 それは戦車だ。《マグマジゴク》とは違って、ずんぐりしているけども、ちゃんと砲塔がついている。

 

「《チュラルゴ》の能力で、コスト6以下の自然のクリーチャーを一体、マナから呼べる! 私が呼ぶのは《メガ・カラクリ・ドラゴン》!」

 

 ずんぐり戦車が地面を揺らすと、今度はマナゾーンから、機械仕掛けのドラゴンが出て来た。

 このクリーチャーは……いや、このクリーチャーも、確か……

 

「まずは《チュラルゴ》で《初不》を攻撃!」

「防御だ。《エメラルーダ》でブロック」

「そ。まあそう来ると思ってたけどね。次に《カラクリ》で攻撃する時に……侵略発動!」

 

 コスト6。

 革命軍。

 そして、コマンド。

 この三つの条件を満たした時、現れる。

 みのりちゃんの――切り札が。

 

 

 

「裏切りを重ねようか――《裏革命目 ギョギョラス》!」

 

 

 

 機械仕掛けのドラゴンの身体を乗っ取るように、その、鳥のような、恐竜のような、龍のような、禍々しいクリーチャーはバトルゾーンへと侵略し、進化し、現れた。

 だけど、それだけじゃない。

 この巨大なクリーチャーで攻撃するのだろうという思惑は、簡単に裏切られてしまう。

 悪役(ヒール)のような卑しい笑顔は、英雄的(ヒロイック)な形相へと、すり替わる。

 

「さらに革命チェンジ! 《龍の極限 ドギラゴールデン》!」

 

 《ギョギョラス》がその巨体で飛び立つと、今度は、黄金の龍と入れ替わる。

 《ドギラゴン剣》ではない、《ドギラゴールデン》。より高位の、《ドギラゴン》。

 《ドギラゴールデン》は腕の大砲から、レーザーを発射すると、もう一体の《エメラルーダ》を消し飛ばしたしまった。

 さらに消えたと思った《ギョギョラス》の大口が、その認知を裏切り、地中から《初不》を飲み込む。

 

「《ドギラゴールデン》の能力で《エメラルーダ》をマナゾーンへ! 《ギョギョラス》の能力で、《初不》もマナゾーンへ! マナゾーンからは《ファビュラ・スネイル》を出すよ!」

「制止。《ドギラゴールデン》は、汝のマナの数を超えるコストを有している。よって《防鎧》の能力起動。山札の底へと眠ってもらうぞ」

「……ま、仕方ないか。ターンエンド」

 

 

 

ターン6

 

 

結界師

場:《防鎧》

盾:1

マナ:9

手札:7

墓地:5

山札:17

 

 

実子

場:《ドギラゴン剣》《マグマジゴク》《ジ・アース》《チュラルゴ》《スネイル》

盾:4

マナ:6

手札:2

墓地:2

山札:21

 

 

 

 攻撃に転じることはできなかったけど、でも、相手のクリーチャーをほとんど倒せたし、クリーチャーも増やせた。

 これだけ数が並べば、みのりちゃんなら押し切っちゃえるんじゃないかな……?

 

「その数の暴威は脅威であるが、策はある。私のターン。6マナで《初不》を召喚」

「っ、またか……!」

「《初不》の能力で、汝のクリーチャーは次のターンにアンタップしない。さらに双極・詠唱《エッジ・スパーク》。《ファビュラ・スネイル》をタップ」

 

 二重に、雷光が迸る。

 一度目は《初不》。あの能力って、普通に出た時にも発動するんだ……これでまた、みのりちゃんのクリーチャーは動かなくなっちゃった。せっかく倒したのに……

 そして二度目の、刃のような鋭い電撃。まるで蛇のようにしつこく、獰猛に走る電光は、みのりちゃんの唯一アンタップされているクリーチャーを痺れさせ、地面に横たわらせる。

 

「《防鎧》で《ファビュラ・スネイル》を攻撃し、破壊。終了する」

「あぁもう、鬱陶しい……! でも、こっちだって止まらないから!」

 

 何度も何度もクリーチャーを寝かされ続けて、攻撃ができない。

 そのことに、みのりちゃんは焦燥を募らせている。イライラしているようだった。

 

「6マナで《カラクリ》召喚! 《防鎧》を攻撃する時に侵略! 《ギョギョラス》! 能力で《初不》をマナに送って、《ジョニーウォーカー》をバトルゾーンに! 打点が欲しいから能力は使わない! バトルで《防鎧》も破壊! ターンエンド!」

 

 

 

ターン7

 

 

結界師

場:なし

盾:1

マナ:11

手札:5

墓地:7

山札:16

 

 

実子

場:《ドギラゴン剣》《マグマジゴク》《ジ・アース》《チュラルゴ》《ギョギョラス》《ジョニーウォーカー》

盾:4

マナ:6

手札:0

墓地:3

山札:20

 

 

 

 

 やっと《防鎧》を倒した……それに、相手にはクリーチャーもいない。

 これは、みのりちゃん、チャンスなんじゃないかな?

 

「8マナタップ。《裂竜の鉄槌(トールハンマー) ヨルムンガルド》を召喚。登場時、互いにクリーチャーを二体、マナに送還する。私は《ヨルムンガルド》のみだ」

「なら私は、《ジョニーウォーカー》と《リュウセイ・ジ・アース》をマナに置くよ。二体削ったくらいじゃ、どうにもならないんじゃない?」

「さてな。では、《エメラルーダ》を召喚し、シールドを一枚回収。S・トリガー《エッジ・スパーク》だ。《ドギラゴン剣》をフリーズ。終了する」

 

 《初不》が来なかった……!

 ということは、

 

「やーっと起き上がれる! 《ドギラゴン剣》以外をアンタップ!」

 

 何ターン振りだろうか。みのりちゃんのクリーチャーが、やっと攻撃の構えを取る。

 今まで、数は十分だったのにアンタップさせてもらえなかったけど、これでとどめを刺すだけに必要な頭数は揃った。

 

「とはいえ、トリガー仕込んでるだろうしなぁ。できれば追加打点が欲しいね。なんかいいの、引けっ!」

 

 と言ってカードを引くみのりちゃん。

 引いたカードを見て、一瞬、微妙そうな顔をしたけれど、自分のマナゾーンを見て、少し口角が上がった。

 

「……まあ悪くないかな。呪文《フェアリー・トラップ》! トップを捲るよ!」

 

 あれって、最初の方に使ってた、相手のクリーチャーをマナに送れるかもしれない呪文。

 あの呪文で、ブロッカーを退かすつもりなのかな。

 

「捲れたのは、《ジャスミン》……こっちは弱いなぁ。まあ、じゃあこれをマナに置いて、《ナ・チュラルゴ・デンジャー》の能力発動! 私が《トラップ》と名のつく呪文を唱えたから、マナゾーンからコスト6以下の自然のクリーチャーを出すよ。出すのは《リュウセイ・ジ・アース》!」

 

 あ、そんなことができるんだ。

 結界師さんが《スパーク》と名のつく呪文によってみのりちゃんの動きを封じたように、みのりちゃんは《トラップ》と名のつく呪文によって、マナのクリーチャーを呼び出せるんだ。

 

「《ジ・アース》の能力でトップを捲って……意味ないかもだけど、これは一応、持っとこうか。じゃあ、攻撃だ! 《ギョギョラス》で最後のシールドをブレイク!」

「通過。S・トリガー発動《フラッシュ・スパーク》」

「そっちかぁ……《エッジ・スパーク》ならよかったけど、そう上手い話はないか」

「《ナ・チュラルゴ・デンジャー》と《マグマジゴク》をタップ。そして四枚ドローする」

「でも、ブロッカーは潰させてもらうよ。《ジ・アース》でも攻撃!」

「《エメラルーダ》でブロック」

「ターンエンド!」

 

 

 

ターン8

 

 

結界師

場:なし

盾:0

マナ:13

手札:6

墓地:10

山札:11

 

 

実子

場:《ドギラゴン剣》《マグマジゴク》《チュラルゴ》《ギョギョラス》《ジ・アース》

盾:4

マナ:8

手札:1

墓地:4

山札:17

 

 

 

 かなり、追い詰めた。

 クリーチャーも、シールドもゼロ。

 対するみのりちゃんには、クリーチャーが五体もいる。

 これはもう、今回こそ、このまま押し切っちゃえるんじゃないかな?

 

「正に怒涛、か。苛烈で、獰猛で、暴虐なる、嵐の如き少女だ」

 

 と、その時。

 ぽつりと、結界師さんは呟いた。

 

「だが、私の聖なる結界は、その嵐さえも堰き止めよう」

 

 そして、

 

「8マナで――召喚」

 

 結界師の名の如く。

 その役割を遂行し、体現する。

 

 

 

「我は光輝の壁を築く裁きの使徒なり。故に煌々と(そび)え立て、聖なる白壁よ――《煌メク聖壁 灰瞳(ハイド)》」

 

 

 

 それは、宝石のように、キラキラと煌めくゴーレム。

 結界師と名乗るクリーチャーそのものが、遂に、バトルゾーンへと降り立った。

 そして結界師さんは、右手を突き出す。

 すると、山札からカードが舞い上がり、巨大な壁となって、その正面にそびえ立つ。

 

『私の能力により、山札からシールドを五枚、再展開する』

 

 !?

 し、シールドを五枚、再展開する能力!?

 シールドを入れ替えたり、増やしたりする能力なら何度も見てるけど、一気に五枚なんて見たことない。

 みのりちゃんが必死で割り切ったシールドが、すべて修復されてしまう。

 だけど、みのりちゃんはどこか、怪訝そうな表情をしていた。

 

「……デッキなくなっちゃうよ?」

『不要な心配だ。さらに6マナ、《初不》を召喚。汝のクリーチャーを拘束する』

「っ……!」

「終了だ」

 

 で、出て来ちゃったよ、《初不》……

 これでまた、みのりちゃんのクリーチャーは起き上がれなくなってしまった。

 

「手札が切れて来たこのタイミングで《初不》はきつい……! 一応、《メガ・マグマ・ドラゴン》だけ召喚して、ターン終了……!」

 

 

 

ターン9

 

 

結界師

場:《灰瞳》《初不》

盾:5

マナ:14

手札:4

墓地:10

山札:5

 

 

実子

場:《ドギラゴン剣》《マグマジゴク》《チュラルゴ》《ギョギョラス》《ジ・アース》《メガ・マグマ》

盾:4

マナ:8

手札:1

墓地:4

山札:16

 

 

 

 ここに来て、明らかにみのりちゃんの攻勢が陰りを見せた。今までは、いくら攻撃を止められても、攻めの姿勢そのものは崩さなかったし、相手の守りを突き崩すような手を打ってきたけど、それもここで打ち止め。

 それもそのはず、みのりちゃんにはほとんど手札がなくて、攻めるための手段がないのだから。雷光に縛られ続けて、もう疲弊しきっている。

 バトルゾーンに出ているクリーチャーはみんな、《初不》の能力で止められてしまう。手札から出して即座に攻撃しないとその束縛からは逃れられないけれど、そのための手札が圧倒的に足りない。

 そしてなにより、それらを掻い潜ってもなお、相手には五枚のシールドが立ち塞がっている。

 この二重三重に張られた防御網を突破して、壁を貫き、とどめを刺すのは、とても難しいように思えた。

 みのりちゃん……

 

『私の墓地に《スパーク》と名のつく呪文は五枚。よってマナコストを5軽減し《光サス奇跡ノ裁徒》を召喚』

「またなんか出たし……」

『《光サス奇跡ノ裁徒》の能力で、墓地の呪文を三枚回収。《エッジ・スパーク》二枚と《白米男しゃく》を手札に』

 

 あぁ、相手も呪文を……

 《初不》の拘束もタダじゃないけど、《スパーク》呪文が手札にある限り、何度でも抑え込まれてしまうから、これでそのための弾が二発分も装填されてしまった。

 あと最低でも2ターン、みのりちゃんのクリーチャーは動けない。

 そしてその間に、相手にどれだけ蹂躙されてしまうのか。

 

『8マナで《黒豆だんしゃく》を召喚。汝のクリーチャーには、登場時の能力を行使すれば罰が下る。場に留まれるとは思わないことだ』

「マジか……」

『続けて2マナで《エッジ・スパーク》。《メガ・マグマ・ドラゴン》をフリーズし、《スパーク》と名のつく呪文を唱えたことで、《初不》の能力も起動。汝のクリーチャーは、アンタップしない』

 

 《初不》の雷光が、みのりちゃんのクリーチャーを縛り付ける。

 

「終了だ」

「私のターン……呪文《フェアリー・トラップ》! トップを捲るよ!」

 

 みのりちゃんにはもう、手札がほとんどない。

 だから、山札から引いたカードをそのまま使うしかないけど……ここで使うのは、《フェアリー・トラップ》。

 不確定な除去。今まで二回も失敗してるけど、今回はどうかな……?

 

「《ファビュラ・スネイル》……でも、このカードはツインパクトカード。呪文面の《ゴルチョップ・トラップ》を参照するよ。よって、コスト9以下の《黒豆だんしゃく》をマナゾーンに! さらに《チュラルゴ》の能力で、マナから《ジャスミン》を場に……ターンエンド」

 

 よかった、今回は成功した……なんとか《黒豆だんしゃく》は退かせたから、クリーチャーの登場時能力は使えるようになったね。

 

 

 

ターン10

 

 

結界師

場:《灰瞳》《初不》《光サス奇跡ノ裁徒》

盾:5

マナ:16

手札:5

墓地:7

山札:4

 

 

実子

場:《ドギラゴン剣》《マグマジゴク》《チュラルゴ》《ギョギョラス》《ジ・アース》《メガ・マグマ》《ジャスミン》

盾:4

マナ:7

手札:1

墓地:5

山札:15

 

 

 

「……いや、これまずったのかなぁ」

 

 よかった、とわたしは思ったけど。

 みのりちゃんは即座にそれを否定しかける。

 

「普通に《初不》退かせばよかったかも……トリガーに全賭けして」

 

 ……あ、そっか。

 《初不》の能力でみのりちゃんのクリーチャーは動けなくなっちゃうわけだから、トリガーで耐えることを期待して、次のターンで反撃するって手もあったんだ。

 

『私のターン……さて、私の余命も短い。そして、汝を断ずるに必要な駒は揃っている』

「だよねぇ。どっちみち打点が足りてるなら、そうすべきだったか」

『汝の判断に、私は意見しない。私はただ、この聖壁を守護するのみ。双極・詠唱《エッジ・スパーク》。汝の《ジャスミン》をフリーズし、《初不》によって汝のクリーチャーすべてを拘束する』

 

 バチバチバチ! と、何度目になるのかわからない、もう何度も見た雷光が、みのりちゃんのクリーチャーに迸る。

 

『6マナ、もう一体《光サス奇跡ノ裁徒》を召喚し、《エッジ・スパーク》を回収。3マナで《防鎧》を、2マナでマナより《ナゾまる》を召喚し……攻撃開始』

 

 今までずっと防御に回っていた、結界師さん。

 それが今、遂に――攻勢に転ずる。

 

『《初不》で攻撃。汝のシールドをWブレイク!』

「っ!」

 

 みのりちゃんのクリーチャーを束縛し続けてきた《初不》が、今度はみのりちゃん本人に、電光を放つ。

 

「来た、S・トリガー!」

『む』

「……《地獄スクラッパー》だよ。一応《防鎧》と《ナゾまる》は破壊……で、おまけね」

 

 《マグマジゴク》が走り、結界師さんのクリーチャーを跳ね飛ばす。けど、攻撃可能なクリーチャーは倒せていない。

 どころか、

 

「《マグマジゴク》の能力起動。私が《スクラッパー》と名のつく呪文を唱えたから、お互いのシールドを一枚ずつブレイクする」

 

 そのまま、相手諸共、自分のシールドまでブレイクしてしまった。

 ……あんまり意味のないトリガーだったね。

 

『ふむ……使う必要はない』

「こっちもトリガーなし……」

『少々肝が冷えたが、攻撃手は削がれなかったのは僥倖であるか。残るは《灰瞳》と《光サス奇跡ノ裁徒》。《フェアリー・トラップ》で停止は避けたい。彼女の山の頂には、《ファビュラ・スネイル》が構えていたはず。ならば、《灰瞳》で最後のシールドをブレイクする』

 

 《光サス奇跡ノ裁徒》はコスト10。

 《フェアリー・トラップ》で除去されないように、結界師さんは、自分自身から攻撃する。

 これでみのりちゃんのシールドはゼロ。そのまま、《光サス奇跡ノ裁徒》によるダイレクトアタックが来てしまう。

 

「……や、負けられないっしょ」

 

 ぽつりと、みのりちゃんは呟くように言った。

 

「師匠とかキャラじゃないけどさ。私を手本にしてくれたってのに、そのデッキでボロクソに負けて、格好悪いとこ晒すのは――死んでもゴメンだ!」

 

 《光サス奇跡ノ裁徒》が、身体をうねらせて迫る。

 その、刹那。

 

「S・トリガー、《ナチュラル・トラップ》! 《光サス奇跡ノ裁徒》をマナゾーンへ!」

 

 寸でのところで、その攻撃は届かなかった。

 《ナ・チュラルゴ・デンジャー》の砲撃が《光サス奇跡ノ裁徒》をマナゾーンまで吹き飛ばして、最後の一撃からだけは、辛うじて逃れられた。

 よ、よかったぁ……

 

「さらに、《トラップ》呪文を使ったから、マナから《ジャスミン》を出しとくよ。破壊はしない」

『停止したか……やむを得ず。終了』

 

 なんとかギリギリ耐えられたみのりちゃんだけど、状況は芳しくない。

 クリーチャーはみんな起き上がらないし、シールドはゼロ。相手にブロッカーはいないも同然だけど、シールドは五枚もある。

 トリガーが出る危険もあるし、今から五枚のシールドを全部割り切ってとどめを刺すのは、やっぱり難しい。その事実は変わらない。

 

「私のターン……さて、反撃のチャンスは得た。問題は……」

 

 カードを引いて、みのりちゃんはスゥッと目を細める。

 そして、深く思案するように、手札と、場を見回した。

 

「……《超次元フェアリー・ホール》。1マナ加速するよ」

 

 スッと、マナにカードが一枚置かれる。

 みのりちゃんはそのカードに目を落とした。

 

「《ジ・アース》……次に《勝利のガイアール・カイザー》をバトルゾーンに」

 

 ここで出るのは、スピードアタッカーの《勝利のガイアール・カイザー》。

 これだけでは、相手のクリーチャーを倒せるわけでもないし、シールドも一枚しかブレイクできない。

 まだ、反撃には手が足りていないように見えるけど……みのりちゃんにはまだ、考えがあるようだ。

 その証拠に、みのりちゃんはまだ思案を止めていない。ずっと、考え続けている。

 みのりちゃんは行動派ではあるけど、やっぱり、デュエマになると考える。思考を巡らせる。

 

(これで打点はギリギリだけど、どうしようか。《フラッシュ・スパーク》はどうでもいいとして、私の記憶違いじゃなければ、残ってるトリガーは他の二種が一枚ずつってとこだろうけど……山札、だいぶ掘り進まれてるしなぁ)

 

 じぃっと、考えている。

 らしくもなく、だけどみのりちゃんらしく。

 思案する。

 

(水早君なら自分の引きも考慮して、確率計算とかすんのかなぁ。私はそんなのできないし、数字なんて出しても結果が変わるわけじゃないし……だったら、こういう時は……)

 

 ふぅ、と諦めたように。

 あるいは、吹っ切ったように。

 決断したかのように。

 誰かを、思い出したかのように。

 みのりちゃんは、顔を上げる。

 

 

 

「……やりたいことをやるか」

 

 

 

 そして、場のカードに、手を掛けた。

 

「好きなもののため、自分が追いたいもののため、己が衝動に従うため。ちょーっと強引でも、好き勝手やってやろうじゃない! あの子みたいにさ! ってことで、《勝利のガイアール》で――《光サス奇跡ノ裁徒》を攻撃!」

『なに?』

 

 《勝利のガイアール・カイザー》はアンタップしているクリーチャーを攻撃できる。だけど、パワーでは《光サス奇跡ノ裁徒》に遠く及ばない。パワーの差は二倍以上。歴然としている。

 だから、その圧倒的な差を覆すことをするのだ。

 

「当然、無意味な自爆特攻なんてしない。革命チェンジ、《蒼き団長 ドギラゴン剣》! マナから《リュウセイ・ジ・アース》を出して、能力でトップを捲る!」

 

 相手のパワーを超えるために、相手を倒すために、《勝利のガイアール・カイザー》は、《ドギラゴン剣》と入れ替える。

 そして《ドギラゴン剣》の号令によって、ついさっきマナに落ちたばかりの《リュウセイ・ジ・アース》が、バトルゾーンへと召集された。

 その能力で、山札をめくる。

 それはきっと、みのりちゃんにとっては大きな一枚。

 その一枚で、すべての運命が変わりかねない、かけがえのない一手。

 信じるしかない。必要なものが手中に収められることを願うしかない。

 きっとみのりちゃんは、そう念じながらめくっている――そして、

 

 

 

「……あー、よかった。最後だけでも、裏切らずに着いて来てくれて」

 

 

 

 軽い調子で、信頼を勝ち得た。

 

「んじゃ、《ドギラゴン剣》と《光サス奇跡ノ裁徒》でバトル! こっちのパワーは13000!」

『こちらは10500……敗北だな』

「続けて《リュウセイ・ジ・アース》攻撃――する時に」

 

 そしてその勝ち得た信頼を力に変えて、突撃する。

 

「侵略発動!」

 

 突貫して、その身を――乗っ取る。

 それは即ち、仲間への背信であり、裏切り。

 反転した革命が、鳳の象徴を示す――

 

 

 

「期待は裏切れないもんね――《裏革命目 ギョギョラス》!」

 

 

 

 また、出て来た。

 みのりちゃんの切り札、《ギョギョラス》。

 不気味で不快感を催す、けたたましい鳴き声を響かせて、そのクリーチャーは大地を揺らしながら、バトルゾーンへと降り立った。

 

『! ここで《ギョギョラス》か……!』

「《ギョギョラス》の能力で、《初不》をマナに飛ばすよ! マナから《ジョニーウォーカー》をバトルゾーンに!」

『くっ! 一瞬で我が布陣が崩されるとは……!』

 

 侵略で現れた《ギョギョラス》は、《初不》を喰らい、飲み込んでしまう。

 そしてそれを養分に卵を産み、マナから《ジョニーウォーカー》を誕生させた。

 

「なーんか、赤緑ってカラーと、侵略や革命チェンジの性質、それからたぶん、私の性格からして勘違いしてる人いると思うんだけど……《ギョギョラス》って、殴り返して盤面取り返す方が得意なんだよねぇ。殴るだけならほら、ドルガンバスターウララーで最速フィニッシュの方がいいわけだし。あれ? もうできないんだっけ? どうでもいいけど!」

 

 《ドギラゴン剣》が、《光サス奇跡ノ裁徒》を両断した。

 その《ドギラゴン剣》が呼んだ《リュウセイ・ジ・アース》が《ギョギョラス》に侵略して、《初不》を飲み込み、マナへと還した。

 そして最後。その《ギョギョラス》は、巨大な足を、結界師さん――《灰瞳》へと振りかざす。

 

「喰い潰せ《ギョギョラス》。《灰瞳》を――破壊!」

 

グシャリ

 

 容赦なく、《ギョギョラス》巨体が宝石の魔人を押し潰し、踏み潰し、粉々に粉砕して、破壊した。

 言葉通り、みのりちゃんは相手のクリーチャーを完全に殲滅してしまったのだ。

 

「さて、まだ攻撃はできるけど、ここは殴らない。最後の《初不》を引かれたくないしね。ターンエンド」

 

 

 

ターン11

 

 

結界師

場:なし

盾:4

マナ:18

手札:4

墓地:11

山札:3

 

 

実子14

場:《ドギラゴン剣》×2《ギョギョラス》×2《ジャスミン》×2《マグマジゴク》《チュラルゴ》《ジ・アース》《メガ・マグマ》《ジョニーウォーカー》

盾:0

マナ:6

手札:1

墓地:8

山札:12

 

 

 

「く……《エメラルーダ》を召喚し、手札とシールドを入れ替える。さらに2マナで《ナゾまる》を召喚し、終了だ」

「私のターンだね。さてさて? ようやくだ。ようやく――本当の本気で、ぶん殴れる」

 

 みのりちゃんは、口元で笑って、だけれど、目では笑っていなかった。

 

「随分と舐めてくれたもんだよ。ずっとずっと、地べたに這いつくばらさせられて、プライドはボロボロ、憤怒の炎で身を焦がれ、正気を失うほどの衝動に苛まれて……もう、抑えらんないや」

 

 幾度となく雷光を受け、縛り付けられたクリーチャーたち。

 バトルゾーンにいても、寝かされ続け、攻撃できずに辛酸を舐めさせられた彼らの怒りは、頂点に達していた。

 たった一度、牙を突き立てるだけでは物足りない。何度だって噛み砕かなければ気が済まない。

 それほどの憤怒と獰猛さが今、解き放たれようとしている。

 そして、その解放を合図するのは――みのりちゃんだ。

 みのりちゃんが一言、告げる。

 

 

 

「反撃だ――起きろ」

 

 

 

 絶叫。怒号。咆哮。

 龍も、龍でないものも、すべてのクリーチャーが怒りに狂って叫び散らし、一斉に起き上がった。

 みのりちゃんの号令の下、彼らは凄烈なる形相で眼光をギラギラと光らせる。

 

「その前に、ちょいと掃除しないとね。ぶっちゃけ、もう手数はないと思ってたから、まだクリーチャーを並べる余裕があるなんて思わなかったよ。これは、トリガー警戒で殴らなかったのは裏目かも……なんて」

 

 みのりちゃんは一度、怒りのあまり我を忘れかけている彼らを制して、手札を切る。

 彼らが安全に、そして全力で攻撃できる場を作るために。

 

「呪文《ナチュラル・トラップ》! 《エメラルーダ》をマナに送って、《チュラルゴ》の能力起動! マナから《ジョニーウォーカー》を引っ張り出して爆散! 《ナゾまる》を焼かせてもらうよ!」

「くっ……! なにも残らないとは……!」

「これで邪魔者は消えたね。それじゃあ皆――蹂躙の時間だよ!」

 

 今まで溜め込んでいたものを吐き出すように。抑えつけられた衝動を解き放つように、彼らは長大な牙を剥く。

 怒涛の勢いで迫る、みのりちゃんの大量で、巨大なクリーチャーたち。

 シールドを五枚再展開したと言っても、一撃でその半分は食い破るようなクリーチャーばかりだ。それらすべてが一斉に動き出せば、五枚なんかではまったく足りない。

 結界師さんの築いた壁は、一瞬で突き崩され、崩落してしまった。

 

「くっ、S・トリガー、《ホーリー・スパーク》……!」

「で? それ喰らったらターンエンドするしかないけど、この盤面、返せる? もうその呪文も種切れでしょ? それになにより、あなたには――」

 

 結界師さんは最後の最後で、みのりちゃんの攻撃を止められそうなS・トリガーを発動する。

 けれどみのりちゃんは、それを許さない。封殺しているわけでもないけれど、それは自然の摂理と言わんばかりに、指し示す――

 

「――もうデッキが残っていない」

 

 ――相手の、山札を。

 

「あなたの山は残り二枚。このターンを凌いだって、残されてるのはたった1ターン。その1ターンで私にとどめ刺せる? スピードアタッカーどころか、進化クリーチャーもいなさそうなそのデッキで?」

「…………」

「勿論、山札回復の手段があるなら話は別だけど、白緑でデッキ回復手段ってほとんどなかったはずだし、ほとんどカードが見えてるそのデッキに、そんな感じのカードは全然見えてないし、その可能性は薄いと思うけどね。まあ、あるならご自由に。私の攻撃を止めて、返してみなよ」

 

 捲し立てるように、煽るように言い放つみのりちゃん。

 だけど、言葉だけで、相手の抵抗の手を下げさせた。

 

「……そうだな。運命を覆せぬ足掻きは、浅ましく、醜いだけ。私はどうやら、ここまでのようだ」

 

 結界師さんは、発動しようとしたS・トリガーを取り下げた。

 それは、つまり。

 

「完敗だ。敗北を認めよう」

「そう。んじゃ、遠慮なく」

 

 みのりちゃんの、勝ちだ。

 

 

 

「《裏革命目 ギョギョラス》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――うん。結界は完璧に消えている。これで、森の奥へと入れるよ」

 

 クリーチャーがマナとなって消えて、それを食べ終えてから、鳥さんは言った。

 これでようやく、ユーちゃんたちを助けに行けるんだね……!

 

「ユーちゃんたち、大丈夫かな……?」

「一応、電話してるけど……出ないなぁ。念のために一報は入れておくけど、もうあっちでなんかあったかもしんないね」

「そんな……」

 

 それじゃあ、急がないと……っ!

 

「あぅっ」

「あぁもう、小鈴ちゃんはこういう時に向う見ずになりがちだなぁ」

 

 前に踏み出そうとしたところで、自分の足のことを思い出す。

 

「小鈴ちゃんはここにいた方がいいんじゃない?」

「でも、わたしも……その……」

「一緒に行きたいって? まったく、ユーリアさんも小鈴ちゃんも、ワガママだねぇ」

「ご、ごめん……」

「別にいいけどね。ただ、リミット的にはアレだし……おい鳥肉」

「なんだい野蛮人」

 

 あ、鳥さんの言葉にも棘が混じってる。

 だけどみのりちゃんは、特に気にする風でもなく、あるいはあえて無視して、続けた。

 

「先に言ってよ。あっちには日向さんもいるし、最悪、対戦の場さえ作れたら対応できるはずだから」

「さっきも言ったけど、僕としては正式に契約している小鈴の方が信用に値するんだけどな……特に白髪の彼女、なんだか妙な臭いがするし……」

「うっさい! 怪我してる女の子を戦わせるとか馬鹿じゃないの? いいからとっとと行く! 日向さんみたいに焼き鳥にするよ!」

「わ、わかったよ。僕としても小鈴の身体は大事だ。今は、君の提案に乗ろう」

「わかったらさっさと行く!」

「まったく、焦土軍や豊穣の獣人レベルで荒々しいな、君は……」

 

 少し不満げだったけど、鳥さんはみのりちゃんの言う通り、羽ばたいて森の奥へと飛んで、消えてしまった。

 

「これでよかったのかな……」

「ま、小鈴ちゃんを置いて行ったからって、早く着けるわけでもないし。それに、動けない小鈴ちゃん一人を置いて行くのも危険だしね」

「そっか、まだクリーチャーが残ってるかもしれないもんね……」

「いや、暴漢とか出るかもしれないし……」

「そっち?」

 

 急に現実的な理由になったね。

 なんて言ってる場合じゃなかった。

 

「早く、ユーちゃんたちのところに行かないと……!」

「だね。とはいえ、小鈴ちゃんも無理しちゃダメだよ。足のこともあるし、ゆっくりね」

「う、うん……」

 

 わたしはみのりちゃんに支えられながら、ユーちゃんたちが入っていった森の奥へと足を踏み入れました。

 恋ちゃん、霜ちゃん、そしてユーちゃん。みんな、無事でいて……!




 ドイツ人ってのはやたらと散歩に行きたがるし、しかも散歩の基準値が日本人とまるで違うって話。何時間と野山を歩きまわるとかザラだという。
 今回は前後編、次が後編ですね。というわけで、誤字脱字感想等ありましたら、お気軽にどうぞ。


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番外編「おさんぽです! ~森の奥にて~」

 こんにちは、伊勢小鈴です……なんて、言ってる場合じゃありません。
 ユーちゃんの提案で、みんなでお散歩(という名のハイキング)をしていたわたしたちですが、ユーちゃんたちが入っていった森の中で、クリーチャーが現れてしまいました。しかも、森の外に結界を張って、森を隔離するクリーチャーも一緒に。
 わたしとみのりちゃんは、わたしが足を挫いちゃったから森の外にいて、閉じ込められることはなかったけど……
 番外、前後編の後編です。
 投稿時期的には、ローザと喧嘩する少し前くらいだったはず。ちょうどその辺で、あんまり掘り下げられていないユーちゃんを掘り下げよう、みたいに思ったんですよね。
 こっちだとそのへんの順番がかなり前後していますが、まあどうせ番外編なので、肩の力を抜いてお楽しみください。


「ふぅ……」

「小鈴ちゃん、大丈夫?」

「う、うん。まだ大丈夫だよ」

「あんま無理しちゃダメだよー。足、悪化するし」

 

 緊急事態だし、休んでもいられないから、ユーちゃんたちの後を追うわたしたち。だけど、その歩みはとても遅い。

 隣でみのりちゃんが肩を貸してくれているけれど、身長差が10cm以上あるし、やっぱり歩きづらい。

 運動が苦手だから、外に出ることも少なくて、ケガをしたこともあんまりないけど……足を引きずりながら山道を歩くのって、すごく大変なんだね……わかってはいたけど、こうして実感してみると、その辛さが身に染みてわかる。

 

「だけど、早く行かなきゃ……!」

「いやいや。手遅れとは言わないし、助けに行くことは否定もしないけど、こんなスピードでのろのろ行っても仕方ないでしょ。無理して小鈴ちゃんの怪我が悪くなる方がまずいって」

「で、でも……」

「あの鳥肉に先行させてるし、あっちには日向さんや水早君もいるし、無抵抗のままやられる、なんてことはないんじゃない? 結界消えても相変わらず連絡は取れないし、こっちはこっちのペースで進むしかないでしょ」

「……そう、だね」

 

 今はそうするしかない。

 わかってはいるんだけど、どうしても、気が急いてしまう。

 

「……みのりちゃんは、意外と冷静だよね」

「ん? 心配してないように見えるって?」

「そ、そうじゃなくて……落ち着いてて、ちゃんと周りが見えてるなって」

 

 わたしなんて、みんなが心配すぎて、自分のことすらちゃんと見えてないのに……

 

「んー……まあ、あれだよ。お化け屋敷で、隣に滅茶苦茶怖がってる人がいたら、かえって自分は冷静になる、みたいな。小鈴ちゃん、見るからに焦ってるんだもん。私も別に心配してないわけじゃないけど、小鈴ちゃんがそんなんだと、なんか逆に私は落ち着いちゃうかも」

「そっか……ごめんね」

「気にしない気にしない。身近なことになると切羽詰まる小鈴ちゃんは嫌いじゃないよ。それに、あんまりゆっくりしてられないのも事実だしね」

「う、うん……」

 

 慌てず、だけど速く。

 そんな、気持ちと身体の差異に躓きそうになるけど、今はみのりちゃんが支えてくれている。

 わたしは一度深呼吸して、気持ちを落ち着ける……落ち着いた、のかな?

 まだ気が急いているような気がするけど、心持ちはほんの少し、変わったかもしれない。

 平静を意識しつつ、足は痛みを感じさせないように動かす。一歩、また一歩と着実に進んでいく。

 この長い道の先、深い森の奥にいる、みんなを思いながら。

 一刻も早く、先へと進んでいく。

 

「待ってて、みんな……!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「一体どこまで進むんだ……?」

「死ぬ……死にそう……死んだ……」

「耐えろ恋。ユーから離れたら終わりだよ」

「だから、私も……あそこに、残る、って……言ったのに……」

 

 小鈴たちと別れてから、どのくらい経っただろうか。十分か、二十分か、それ以上か。

 森だか山だか知らないけど、この獣道を歩き続けるのは、かなり辛い。

 だけど先行している彼女――ユーは、ひらひらと長い銀髪を揺らしながら、ぴょこぴょこと動き回っている。

 あの小さな矮躯のどこにそんな体力があるんだと問いたくなるほどに、彼女は元気だった。道には添ってるけど、あっちに行ったりこっちに行ったり、あらゆるものに目移りしては飛び跳ねている。目を離したら、瞬く間にどこかへ消えてしまいそうなほど、危うく、予測不能な動きだ。

 

「もう、無理……そう……おんぶ……」

「それはできない相談だね。こう見えてボクもかなりギリギリなんだ。君を背負って戻る体力なんてないよ」

「マジ……クソ……」

 

 とかなんとか言いつつも、なんだかんだで着いてくる恋のバイタルやメンタルも、捨てたものじゃないと思うけど。

 病弱だとかなんとかって聞いていたけど、意外と底力はあるんだよな、恋って。

 だからと言って無理をさせ続けるのもよくないけれど。

 ボクとしても、この終わりが見えない行軍(ユー曰く散歩)を続けるのは厳しい。せめてどこかで区切りを見つけたい。

 とりあえずユーがどこに向かっておくのかだけでも、聞いておくか。

 

「ユー。もう随分と歩いたけど、どこまで行くんだ?」

「もっとです! もっともっと先です!」

「先って……せめて、目的地くらい教えてくれ」

「ユーちゃんもわかんないです」

「はぁ!?」

 

 いや、散歩なんてものは、往々にして目的地を設定しないものだけど。

 それでも「このくらいまで歩いたら帰ろう」とか、なんかそういう区切れ目くらいは考えるものじゃないのか?

 

「ユー。もう一つ聞くけど、ならボクらはどこに向かってるんだ?」

「わかんないです」

「わからないって、決めてないんじゃなくて?」

「ですです。わかんないです。この道がどこに通じているのか、どこに行けるのか、ここがどこなのかも」

「ちょっと待ってよ……」

 

 それって遭難って言うんじゃないのか?

 てっきり、ユーはこの場所のことを多少は知ってると思ってたんだけど……まったく知らずに歩いてたのか……

 ずっと一本道を歩いてきたし、来た道をそのまま辿れば帰れるとは思うけどさ……

 

「ねぇ、ユー。いつになったら引き返すんだ?」

「いつ……いつでしょう?」

「疑問形で返さないでくれ……」

「ユーちゃんはもっと、ずっと先に行きたいです!」

「君が満足するまでってこと? それはまた、とんでもない苦行になりそうだな……」

 

 ユーの体力は底知れないし、この道の果ても見えない。ユーが満足するまでという曖昧な設定。まるで無間地獄だ。

 小鈴め、無責任にユーの好きにすればいい、だなんて言ってくれたな。

 それを受諾したのはボクらも同じだから、非難できないけど。

 ただ歩き続けるだけというのは、肉体的にも精神的にもキツイ。無駄口を叩いて、頭を回して、体力を消費するのは嫌だけど……無心になって精神をすり減らすのも辛い。

 だからボクは、少しばかりユーに問いかけてみた。

 この行軍、もとい散歩の意味を。

 

「聞きたいんだけど、君はどうして散歩に行くなんて言い出したんだ?」

「なんでって、ユーちゃんは皆さんとおさんぽに行きたかったんです!」

「……これは実子より厄介だな」

 

 あいつはわかってて本意を隠そうとするけど、ユーは単純に、こちらの質問の意図を汲み取れてないように思える。

 額面通り受け取られるというのも困ったものだが、これはボクが悪いか。

 

「ごめん、聞き方を変えるよ。君の散歩の目的はなんだ?」

「? よくわかんないです」

「わかんないって……そんな意味もなく、こんなとこまで来たっていうのか?」

「意味なくなんてないです! ユーちゃんはとっても楽しいですよ!」

「楽しいと言われても……」

 

 ボクは死ぬほど辛いんだけど。

 いや、ユーにとっては楽しいんだろうけどさ……

 

「……見えるのは木と草と土ばかり、上を見上げても空がギリギリ見えるくらい。なにが楽しいんだ?」

「楽しいですよー。(ヴァルト)には色んなものが、たくさんあるんです」

「色んなもの、か。確かに町中では見られないようなものは多いけどさ」

 

 だからなんだ、と思ってしまうけど。

 しかし、ボクが「だからなんだ」と思うようなものでも、ユーにとっては違う見方をしているようで、

 

「ほら、あの(バウム)! とっても大きい(グロース)です!」

「お、おぅ」

「この花も、ちっちゃいですけど、色がキレイで素敵(シェーン)です!」

「そう、だね」

「鳥のさえずりも聞こえます。どんな鳥なんでしょう! 想像するだけでわくわくします!」

「そ、そうか」

「それに、ここは(ヴァルト)なんです! 草木に花の香り、木漏れ日、風、凪……全部を身体で感じて、とっても気持ちいですよ!」

「……あ、あぁ」

 

 ユーはひとつひとつを指さして、両手を広げて、興奮したように声を弾ませる

 騒がしい。けれど、とても楽しそうだ。

 なんでもないことに興味を抱き、惹きつけられ、かと思えばすぐに目移りする。

 まるで子供だな。

 ユーははしゃいでいるけれど、やはりボクには、彼女の楽しさは微塵も理解できない。

 その感受性が、まるで想像できない。

 なんでもないものに興味を抱き、面白いと思えるような、彼女の感性が、まるでわからない。

 

(……いや、そうじゃないな)

 

 わからない、わけじゃない。頭では理解できる。

 ただ、ボクがその感覚を持っていないだけだ。

 あるいは、そんな感受性を、失ってしまったのだ。

 幼少期の自分のことなんて、リンちゃんのこと以外はほとんど覚えてないけど……今よりも、もっと身近なものに対して、好奇心旺盛だったような気がする。

 いつも見慣れているようなものでも、その中にある小さな違いを見出して、発見して、喜ぶ。

 今のユーは、正にそれだ。

 それを子供だと、幼いままだと切って捨てるのは簡単だけど。

 そう表現するのは、きっとよくない。

 この場合、彼女の多感で、繊細で、豊かな感性を表現するなら……こうか。

 

「君はまるで詩人だな」

「シジン?」

 

 コクン、と首を傾げる。

 詩人という単語を知らないのか? たまに思うけど、彼女の日本語のボキャブラリーはどうなっているんだろう? 実子がたまに変な言葉を吹き込んでるけど。

 

「詩人っていうのは、詩を詠む人のことだよ」

「シ……? どんな人ですか?」

「一音で表現する言葉が伝わりづらいのは、日本語の欠点の一つでもあるな……えーっと、なんて言ったらいいかな」

 

 具体的な人名を上げればいいのか? けど、ユーにも伝わる詩人って、誰がいる?

 ドイツの詩人なら伝わるだろうか。けど、ドイツの詩人ってどんな人がいたっけ……カフカは小説家だし。でも、小説家でも詩を書く人もいるわけで、そんな作家といったら……

 

「そうだな……ゲーテ、とかか?」

「Oh! ゲーテ!」

「あぁ、やっぱりそっちでも有名なんだね。ボクは一つ二つ作品を知ってる程度で、そんなに詳しくはないけど」

「Ja! 小さい頃は、よくVatiがゲーテの(シュピーレン)を見せてくれたり、(ポエズィー)を詠んでくれました!」

「よくわからないけど、文脈や動詞から察するに、戯曲とか詩歌のこと、か……? 実子がいたら、もう少しマシに翻訳してくれるんだが……」

 

 日常会話で使うような語彙に不足はないけれど、少し専門性が混じるだけで、ユーの言葉はドイツ語変換されるから、意志疎通が微妙に難しい。

 よくもまあ、小鈴や実子は上手いこと会話を成り立たせられるものだと感心する。

 

「ゲーテの詩については知らないけど、少なくとも日本では、自然の美しさや発見に関心を寄せるのは、詩や俳句で表現されることが多いから、君の好奇心は詩人のようだな、って」

「シジンって、Dichterのことですか? ユーちゃん覚えました! Dichter……詩人、ですね!」

「そうか、またひとつ日本語を覚えられたようでなによりだ」

 

 こうやって語彙をきちんと吸収するあたり、花鳥風月だけでなく、学術的な知的好奇心も十分、か。

 節操がないと言えば口は悪いが、彼女の興味関心は、意外と貪欲だな。

 どんなものにでも、なんにでも、少しでも興味を持てばすぐに食らいつく。

 小鈴がいる時にはそんなにがっつく様子はなかったけど、小鈴がいないというだけでここまで自由奔放になるとは……恐れ入るよ、本当に。

 実子なんかに対してもそうだけど、小鈴は意外と、皆の暴走を抑える鎖になっているのかもしれないな。

 ……あるいは、ボクも彼女によって、なにかしらを抑えられている、のかもな。

 それを今ここで考える意義は薄そうだけど。

 そんなことよりも、ボクも足が重くなってきた。少しずつユーとの間に距離が生まれ始める。

 

「ユー、まだ進むのか?」

「はいです! もっともっと行きましょう!」

「なにがあるかもわからないのに、先に進むのか」

「Nein! 違いますよ、霜さん。なにがあるかわからないから、進むんです!」

 

 ユーは、ボクの言葉を正す。

 わからないのに、ではない。

 わからないから、だからこそ彼女は未知の道を進むのだと。

 

「だって、なにがあるかわからないってことは、なにかとっても素敵なものがあるかもしれないじゃないですか!」

「なにもないと思うし、あったところでどうするのさ……」

「楽しいですよ?」

「う、うーん……」

 

 そんな純粋に返されると、こっちも返答に困る。

 それはここまでの苦労に釣り合うだけのものなのか、甚だ疑問だ。いやさ、ユーにとっては苦労も疲労もないのかもしれないけど。

 そんな不確定で未知数なもののために、ここまでするのは、リスクとリターンが見合っていないような気もするが……そうじゃないな。

 目的のための手段が散歩ではなくて、散歩が目的で、その中に彼女の求める発見や感動が含まれているんだ。

 つまり、散歩にボクらを連れ出して、ここまで来た時点で、彼女の目的は達成されている。けれど同時に、達成はされていない。

 いわばこの時点では「可」の評価を得るだけの達成率で、それだけで目的は果たせているけれど、彼女はそれでは満足しない「良」や「優」の評価に至るほどの満足感を、達成感を得ようとしている。

 そこまで厳格に、キッチリと定義して考えているわけじゃないだろうけれど、彼女が満足していないのは確かだ。

 本当……自分に正直で、欲望に忠実で、それでいて貪欲だ。実子や恋とはまったく違う意味で、彼女も強欲な人間だな。

 さて、ボクはその強欲に、どこまでついて行けるだろうか。

 わかりやすい目的や目標を設定して、それを達成すれば帰還、とはならないのが、もどかしいし、苦痛だ。苦痛なのは主に肉体の方だけど。

 

「ユー、君の言いたいことはわかった。確かにこんな入ったこともない森だか山だか、なにがあるかはわからない。だけどね、ユー。ここは狭い島国の、極小の一点に過ぎない小さな森だ。そんなところに物珍しいものがあるのなら、とうに誰かが発見しているはずだよ。そう考えたら、ここには目ぼしいものはないと思えないか?」

「でも、行ってみないとなにがあるかはわかんないですよ!」

「確かにそうだけどさ……」

「もしかしたら、Nymphe(妖精)Zwerg(小人)Troll(トロール)Geist(精霊)……そんな素敵なものに出会えるかもしれないじゃないですか」

「なんて言ってるかさっぱりだが、ニンフはわかった。妖精か……随分とメルヘンなことを言うな、ユーは。小鈴でもそこまでお花畑なことは言わないよ」

おとぎ話(メルヒェン)ですか? ユーちゃん、メルヒェンは大好きですよ!」

 

 ユーはまた、弾んだ声を響かせる。

 

Seejungfrau(人魚)Zentaur(ケンタウロス)Einhorn(ユニコーン)Pegasus(ペガサス)Drache()Hexe(魔女)はちょっと怖いですけど、どれも会えるかなって、ここにいるのかなって思うと、とってもドキドキしますよね!」

「やっぱりなにを言ってるのかさっぱりわからない。空想上の生物か? メルヘンどころか、オカルトの域に達しそうだ……UMAくらいならまだしも、モンスターはあり得ないだろ。架空の話、作り物だよ?」

「でもユーちゃん、Siegfriedには会いましたよ?」

「ジークフリート? えーっと、ワーグナーだったかの、戯曲か? 『ニーベルンゲンの歌』だっけ」

「Ja! ドイツだと男の人の名前でユーメーですけど、ユーちゃんが会ったのはそう! Held……英雄(ヒーロー)でした!」

 

 外国人の名前なんてそんなに知らないけど、ジークフリートっていうのは、普通に一般的な名前として通っているのか。語源は既に口にした通りかな。

 それよりも、英雄に会ったって、どういうことだ……?

 

「困ってるユーちゃんを助けてくれたんですよ! あの時も、ローちゃんとおさんぽに行って……」

 

 ふっ、と。

 急に、ユーの声が途切れた。

 

「ユー? どうしたんだ?」

「いえ……また、ワガママ言っちゃったなって……」

 

 我侭? この散歩のことか?

 ユーは、彼女らしからぬ、どこか陰りのある声で続けた。

 

「今回も、ユーちゃんのワガママで、メイワク、かけちゃいました……小鈴さんも、ケガしちゃいましたし……」

 

 お気楽で、能天気で、ただ興味と歓楽のために走り回っているだけだと思っていたけれど。

 彼女は、ちゃんと周りを見ている。敏感に自然を感じ取る感性的なものだけじゃなくて、他者を思いやって、慮る視点がある。

 小鈴の怪我のこと、ずっと気にしていたんだな。見た感じ、そんなに酷い怪我ではなさそうだったし、それは別にユーの責任というわけでもないが。

 とはいえ、彼女の発案と行動が契機ではあった。

 ユーも、そこに気付いていないわけでも、無視しているわけでもなかった。

 

「ユーちゃんは、もっと色んなところに行って、色んなものを見て、色んなことをしたいです。皆で、もっともっと楽しいことがしたいです。けど、それは、ユーちゃんのワガママで、ユーちゃんとは違う考えの人もいて、ユーちゃんがワガママを言っちゃうと、困っちゃう人もいて……今回も、あの時もそうでした」

 

 どこか空虚で遠くを見るように、ユーの眼差しが揺れる。

 彼女に根差す陰りは大きくなって、彼女の明るさから反比例するように――あるいは反転したように、暗いなにかが表層へと滲み出ていた。

 

「だから、本当はユーちゃん、こんなことしない方がいいって。いい子でいて、ワガママ言って、皆を困らせちゃいけないんだろうなって、思う――」

「ユー」

 

 ――ボクは、ユーの言葉を遮った。

 ピタリと、彼女から漏れ出る黒いなにかが、止まったような気がする。

 

「一つ、教えてあげるよ。生きている限り、他人に迷惑をかけない人間なんていない」

「うみゅ……」

「ボクだって、服に、将来に、自分の性に悩んで、家族には心配させてばっかりだ。父さんも、母さんも、兄貴たちも、本当ならボクが普通の男であることを望んだはずなんだ。それを申し訳なく思うこともあるし、心配さかけちゃいけないなって思うけど――それでも、曲げられない衝動はあるんだ」

 

 究極的に突き詰めれば、規律としてそうあるからとはいえ、養ってもらっている時点で誰かに迷惑をかけているわけだし、人間は生きていれば衝突もする。意見を違えることもある。

 誰も傷つけないなんて理想だし、そんなことはあり得ない。

 勿論、そうしようと努力し、そう振る舞うことには大いなる価値があるし、それはとても尊いことだ。その点で、ユーの思想はとても大事だと思う。

 

「我を通すということは、時としては大きな非難を呼ぶ。だけど、だからって、自分を抑え込むことがいいことだとは限らない。それは、とても悲しいし、寂しいことだ。自分が本当に興味関心のあることができない人生だなんて、抜け殻みたいなものじゃないか。そんな生き方は――つまらない」

 

 つまらない。なんて、ボクらしくもない言葉だ。

 だけどそれが真理であり、根幹だろう。

 そうしたいからそうする。興味とは、関心とは、つまるところはその感情に他ならない。

 他人に隷属するだけの人生で満足できるのか。他者の顔色を窺うだけの生き方が自分のためになるのか。

 そんなもの、少し考えればすぐにわかる。

 答えは否、だとね。

 

「とはいえ、君の気持ちもわかるよ。誰かに迷惑をかけるのは嫌だ。誰かを傷つけてしまうかもしれないと思ったら、とことん怖くなる。考えすぎたら身動きが取れなくなるし、考えなしでもいけない。他人の被害と自分の願望、その押し引きはどこに基準を置けばいいのか、どうすることが最善なのか、正直わかんないよね」

「Ja……霜さんでも、わからないんですか?」

「わからないさ。その時々で状況は変わるんだから、その場その場で最善手を考えて、我を通すか、身を退くかを判断せざるを得ない。だけどね、ユー。こと今回に限れば、君は自由だ」

「にゅ? Frei(自由)?」

「だって、小鈴は言ったじゃないか。君の「好きにしていい」と」

「……!」

 

 まあ、一口に「好きにしていい」と言っても、その言葉が含む範囲を定義する必要はあるけれど、少なくともユーが自由に野山を駆け回るくらいは許容範囲だろう。

 ユーは自由を許されている。ならば、それでもしも迷惑を被ったところで、それは元より許されるものなんだ。

 

 

「いつもは小鈴に気を遣って抑えてるのかもしれないけどね。でも今はそうじゃないだろう。許されていることを心配するものじゃないよ、ユー」

 

 小鈴はあまり未知への開拓や変化を望まないけれど、それに合わせる必要はない。

 あるがままでいい。誰かのために、自分を抑え続けることはない。

 無論、あらゆる行動にはいつだって、善悪の判定、周囲に及ぼす影響があって、ボクらは常にそれを考え続けなければいけないけども。

 思考停止によって、害を拡散することが悪であるように、自らを束縛することもまた、善とは言い難い。

 誰かのために誰かの自由が喪失される。それが、良いことであるはずがないんだ。

 

「だから、少なくとも、今この時に限っては、君は我侭でもいい。自由に動いていいんだ。小鈴はきっと、そんな君を受け止めてくれる」

「霜さん……Dankeschoen(ありがとうございます)!」

「礼はいらないさ。ボクはボクの思ったことを言っただけだし、ボクがそうしたいと思っただけだよ」

 

 それに、思うところもあったしね。

 「いい子でいなければならない」「我侭を言ってはいけない」――「人は社会で“普通”でなくてはならない」

 そんな規律とも言えない曖昧模糊な、けれどもとても強固な鎖を、ボクは知っている。この身体でもって知っている。

 他者の目、思想、押し付け。そんな鎖で自由を、自分を奪われるのは、とても苦しいことだって。

 着る服くらい。自分の在り方くらい、自由でいいじゃないか。やりたいことも、行きたいところも、好きにしたらいい。答えは単純明快だ。

 ボクもいまだ完全に吹っ切れているとは言い難い。だからこそ、ユーの強迫観念めいた苦悩には、物申さずにはいられなかった。

 まあ、これも言いたかったから言っただけで、ボクの我侭のようなものだけれど。

 

「さて、それじゃあ迷惑やら我侭ついでに、ボクの我も通したいんだけど、いいかな?」

「? なんですか?」

「君の悩みに比べれば、とても些細なことだよ。だけれどこれは、ボクにとっては非常に大事なことだ。君の楽しみを奪いかねない――つまり、君に迷惑かけてしまいかねないことだけれども、それを承知のうえで、ボクはボクのためにこの我を通したいと思う。だから、言わせてもらうよ――」

 

 ずっとずっと、胸の内に秘めていたんだ。だけど、流石にそろそろ溢れ出してしまう。

 言うならこのタイミングしかない。思いが臨界点まで達した、この時しか。

 スゥッと、軽く息を吸う。

 そして、今まで口にできなかったこの言葉を、ユーに向けて告げる。

 

 

 

「――そろそろ身体が限界だ。帰りたい」

 

 

 

 やっと言えた……!

 ユーのことを思って、直接は言わないようにしてたけど、流石にもうそんなことも言ってられない。

 もう一歩だって歩きたくない。そのくらい、身体は疲弊している。

 

「Oh……Verzeihuldigung(ごめんなさい)

 

 ボクのカミングアウトに、申し訳なさそうにしゅんとするユー。

 無責任にも小鈴はユーの我侭も受け止める、だなんて言ったけれど、ボクらが受け止めるか――受け止められるかは別問題なわけで。

 ユーを傷つけないように気を遣っていたけれど、残念ながらボクの体力では受け止めきれなかったようだ。すまない、ユー。

 

「ユーちゃん、やっぱりワガママ言わない方が……」

「いや、今回に関しては気にしなくていい。それより、早く降りよう。恋だってもうほとんど半死に状態だろうし――」

 

 と、グロッキーなことになってるだろう恋の姿を確認しようと振り返る。

 けれど、

 

「――あれ? 恋?」

 

 そこには、誰もいなかった。

 一瞬の思考停止。疲労のせいで再起動が遅い。けれども頭を回転させる。どうして恋はボクらの後ろにいないのか。

 鈍い頭を回して考えて、とても簡単な答えを導き出す。

 

「……途中でぶっ倒れたか」

 

 よく考えればわかることだ。この時点でボクが限界ギリギリなのだから、あの恋が耐えられるはずもない。

 虚弱という風潮に反して、意外と粘り強くはあるけど、それでも身体が弱いことに変わりはない。ボクらが話しながら進む中、ついて来れずに道半ばで倒れ、ボクらはそれに気づかず進んでしまった、といったところだろう。

 

「参ったな、帰りは恋を引きずって帰らなきゃいけないのか……軽い荷物とはいえ、体力的にキツイな」

「そ、そんな落ち着いてる場合じゃないですよっ! 早く恋さん助けなきゃです!」

「あぁ、そうだね。とりあえず来た道を引き返して、行き倒れてるだろう恋を回収しようか」

 

 と、一歩踏み出した、瞬間。

 

 

 自由(意識)が、奪われた――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――霜さん?」

 

 幻でも見ているのでしょうか。さっきまで、ユーちゃんの一歩前にいた霜さんの姿が、なくなってしまいました。

 いいえ。見えないはずのものが見えるんじゃなくて、見えるはずのものが見えなくなったこれは、幻とは言えません。

 日本の伝説(ザーゲ)では、人が消えてしまう現象に名前があったはずです。名前は、確か……

 

「カミカクシ、ですか……!?」

 

 (ゴット)は救い主様ただ一人だって教会では教えられましたけど……日本だと、事情が違うっぽいです。

 救世主様が霜さんを連れて行っちゃうなんてあり得ませんし、日本には神様がいっぱいいる――ツクモガミ? でしたっけ――って、Vatiも言ってました。なら、悪い神様の仕業なのかもしれません。

 

「……?」

 

 そういえば、なんだかこの森、最初に入った時とちょっと違う感じがします。

 なにがどう違う、というのは言葉にはできないですけど……なんだか、ちょっと息苦しい感じというか、扉を閉められたような感覚があります。

 閉じられている、っていうんでしょうか。

 なにか、異変が起こっているような……

 

「そ、それよりも、早く霜さんと、恋さんも見つけなきゃです……!」

 

 ひょっとしたら、恋さんもカミカクシに遭ってしまったのかもしれませんし、そうだったら大変です!

 この森のことは、まだよく知りません。ここに来るまでの道しかわかりません。

 森は下手に入れば迷うもの。現実でも、メルヒェンでもそれは同じです。だから、ここは一度、小鈴さんたちに連絡するべきなのかもしれません。

 

「でも、今はちょっとでも急がなきゃいけない気がします。それに……」

 

 迷ってもいい、という気もします。

 メルヒェンの主人公は、森で迷うもの。『ヘンゼルとグレーデル』も、『鉄のストーブ』も、『白雪姫』も、森の中で迷って、そうして知らない世界を見せてくれたんです。

 なにがあるのかも、どこに向かうのかもわかりませんが、それは絶対に悪い方向に転がるとは限りません。

 だから、進みましょう。

 おとぎ話(メルヒェン)のように。迷いながらも、幸せな結末を探すために――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ここ、でしょうか」

 

 森の中のどこか。どこなのかはさっぱりわかりませんが、そこはとても不思議な感じのする場所でした。

 怖い感じじゃありません。わくわくするような感じとも、ちょっと違います。昔、ドイツで教会の中を探検した時の感じが、一番近いでしょうか。

 神様がいるような場所。当然、神様は救い主様ただ一人なので、この森にいるはずもないのですが……でもそれはドイツのお話で、日本だとそうではないのかもしれません。

 ここにいるのが神様なのかはわかりませんが、でも、なにかはいます。

 一歩、また一歩と地面を踏み締めるたびに、身体がぞわぞわってします。

 そして、さらに一歩、踏み込んだその時。

 

 

 

「――停まれ」

 

 

 

 森の奥から、声がしました。

 とても重苦しくて、だけど澄んでいて、この場所と似た、不思議な感覚。

 その声を聴いた瞬間、ユーちゃんは思いました。「あぁ、私は神様と同じくらい、とても大事な場所に足を踏み入れてしまったのですね」と。

 それを証明するかのように、声の主は森の奥から姿を現します。

 その姿を見て、思わず、声を上げてしまいました。

 

「Einhorn……!」

 

 メルヒェンの中でしか見たことがない、幻の存在。まさか、それを、本当に目にするなんて……!

 でも、ユーちゃんの知ってるEinhornとはちょっと違います。身体はピカピカですし、毛並もなんだか、ツルツルで、ガギガギしてる感じです。

 

(うぬ)の領域を侵犯する者。我らの聖域を蹂躙する者。邪気を、邪念を、邪悪を抱き、神聖なる我の地を穢す者どもよ。(うぬ)らは、我らにとっての悪行を為した。故に我は、汝らを処断しなければならぬ」

 

 Einhornは、重く響く声で言いました。

 

「汝の邪念は、希薄であった。無邪気、無垢。清く澄んだ魂である故に、汝は処断を避ける機会があった。閉口し、無心にて聖壁を超えるのなら、汝は血を流すことはなかった」

 

 しかし。と、Einhornの声は、一段低くなります。

 

「我の前に立つのであれば。これなるを夢想と断じないのならば。我は、汝をも処さなくてはならん。汝の、同志と共に」

 

 同志? 共に……? どういうこと、でしょう。

 そんな疑問を解消するかのように、暗い森に、淡い光が灯りました。幻想的で神秘的な、妖精の悪戯のような灯火。

 その小さな明かりで、もう少し深くまで、森の奥を見ることができました。

 そして、そこにいたのは、

 

「! 霜さん! 恋さんも……!」

 

 二人とも、ぐったりとしていて、動きません。まるで、眠っているようでした。

 

「喰らいはせぬ、砕きもせぬ。魂が失せ、肉が朽ち、土に還るその時まで、静かに眠るだけだ」

「ど、どうしてこんなことを……」

「我の聖域を侵犯した罰だ。邪気を内在した魂により、蹂躙の片鱗を覗かせた。故に我は、その芽を摘む。しかしてこれは殺生に非ず、大地への奉還である」

 

 言ってることは難しくて、よくわかりません。だけど、きっとあのEinhornは、怒っているんです。

 この森は、あのEinhornにとって大事な場所で、ユーちゃんたちが勝手に入ったから……だから、霜さんや恋さんも……

 

「だったら、悪いのはユーちゃんだけです! 皆さんをおさんぽに誘ったのは、ユーちゃんなんです!」

「問答は無為。全て、汝らの所業が示した。全てを認知した上での行いは、魂に基づく精神の発露に非ず。それは、打算である。狡知であり、謀略であり、欺瞞である。故にこそ、我の前に立つ汝は、施しの拒絶と認知する。汝の後方に、道は非ず」

 

 静かに、音もなく、Einhornはこちらに近づいてきます。

 けれどその一歩はとても重くて、ズシンと響くように感じられました。

 

Verzeihuldigung(ごめんなさい)……あなたの大切な場所に入ったことは、謝ります。でも、ユーちゃんたちは、それ以外に悪いことはなにも――」

「言葉は重ねず。汝の開口は意味を為さず。汝もまた、森の堆肥となり、その身、その魂、その命を大地に還すだけのこと」

 

 さらに一歩。もう一歩。

 優しさも、慈しみもなく。

 幻想の獣が、迫り来る――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ギリギリ間に合った!」

 

 暗い森に、鳥のような甲高い声が響き渡りました。

 いえ、それは、鳥のような、ではなく、

 

「と、トリさん!?」

 

 本当の、鳥でした。

 あれ? でも、トリさんって本当に鳥なんでしょうか?

 小鈴さんが鳥って言ってるので、そうだと思ってましたけど、確か鳥さんはクリーチャーだとかなんとかって……

 

「へぇ、これは本当に凄い大物だ。君みたいなのまで、こっちに流れているとはね」

「陽の鳥……そうか、結界師は使命を果たし、森に還ったか。そして、新たな悪意と邪気に満ちた者が、我らの聖域を侵したか」

「聖域? この世界に勝手に居座って得たものが、聖なる土地だって? それは本気で言っているのか?」

「……我としても、忸怩たる思いだ。しかして、彼の世界は、彼の大地は、退廃と汚濁で、荒み、穢れてしまった。もはやあの地は生命の土地に非ず。我らは、新たに命を育む土地を探さねばならなかった。そして、見つけたのだ。豊潤とは言い難く、豊穣には程遠く、邪と悪に塗れた不浄の地だが、我らが生きる地はここにあった。汝らに、我らの生を妨げさるわけにはいかぬ」

「勝手だね。そして薄情だ。豊穣の神話も嘆いていることだろう。君が本来生きるべき大地を捨て、住処を変えただなんて知ったらね」

「然り。承知の上である。我らとて生を捨てることは望まず。そして、高潔、清廉、矜持、憐憫を捨てた結果だ」

「まるで冥界の連中みたいなことをしているね。まあ、君らの思想なんてどうでもいい。ただ、君らはここにいるべきではない。それだけだ」

「なれば、それ以上の言葉を交えることはない」

 

 トリさんとのお話を打ち切って、Einhornはまた一歩、踏み出しました。

 

「流石に、小鈴たちが来るまで時間を稼ぐなんて無理か。小鈴以外に頼るのは不安だし、そこはかとなく気がかりだが、仕方ない。ここで仕留めるしかないようだ……白銀の髪をした君」

「ユーちゃんですか?」

「あぁ、君だ。いつぞやの誘拐事件とかでは世話になった君だよ。不本意だけど、今回も代理を頼むことになりそうだ」

「ダイリ? 代わりってことですか? なんの、ですか?」

「小鈴の、に決まっているだろう。彼女もこっちに向かっているけれど、待っている暇はなさそうだからね。ここであのクリーチャーを仕留めるよ」

 

 クリーチャー……あぁ、そうだったんですね。

 ということは、あれはメルヒェンに出て来るような、本物のEinhornではなかったのですか。ちょっと、残念です……

 

「…………」

 

 Einhornの話している言葉は、とても難しくて、ユーちゃんにはよくわかりませんでしたけど、きっとあのクリーチャーも、悩んだり、苦しんでいたりするんだと思います。そんな気がします。

 詳しい事情は知らないですけど、苦しんでいる誰かを傷つけたくはありません。

 でも、大切なお友達が傷つくところも、見ていられません!

 

「準備はいいかい?」

「Ja! 霜さんと恋さんを助けます!」

「邪に聖を、罪に罰をもって、不浄なる生を浄化する」

 

 決心はつきました。どうしたいかも、どうすべきかも、そしてどうするのかも、決めました。

 デッキを握って、ユーちゃんは、戦います――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――出でよ、《鳴動するギガ・ホーン》。大地より、同胞を集めよ」

「ユーちゃんのターンです! 《ビシャモンズ・デーケン》をチャージして、《ホネンビー》を召喚(フォーラドゥング)! 山札から三枚を墓地(フリートホーフ)に置きますよ!」

 

 ユーちゃんと、Einhornのデュエマです。

 あっちは手札を増やしながらクリーチャーを出していってるみたいですけど、ユーちゃんだって墓地を増やしちゃいます。さぁ、どんなクリーチャーが来るんでしょう?

 

「にゅぅ……じゃあ、これです! 《オブザ08号》を手札に加えて、Ende!」

 

 

 

ターン4

 

 

Einhorn

場:《ピカリエ》《ギガホーン》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:1

山札:24

 

 

ユー

場:《ブラッドレイン》《ホネンビー》

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:5

山札:20

 

 

 

「大地に満ちるマナよ、我に力を授け給え」

 

 ダンッ、と。

 Einhornは大きく、蹄を鳴らしました。

 

「《ピカリエ》よ、その神聖なる光でもって闇を照らせ。《ギガ・ホーン》よ、その強靭なる肉体で大地を揺らせ」

「な、なんですか……っ!?」

 

 二体のクリーチャーが歪んで、光って……まるで扉のように渦巻きました。

 そしてEinhornは、その渦に向かって走り出して――

 

「聖なる天使と、獰猛なる獣は、一角の大角にて交わらん――」

 

 ――別の世界との壁を突き破るように、現れました。

 

 

 

「顕現――《聖獣王ペガサス》」

 

 

 

 金色に輝く肉体。鋭い一本角。

 それはまさしく、おとぎ話(メルヒェン)で語られるような、Einhorn(ユニコーン)でした。

 

『汝の幼き肢体を、我の大角にて穿とう。そして、我の力によって、さらなる同胞を召集しする。大地の果てまで轟け、我が号砲――出でよ!』

 

 Einhorn――いいえ、《ペガサス》が、いななきました。

 すると、森の奥(山札)から、新しいクリーチャーが出て来ました。

 

『《清浄の精霊ウル》、汝に命ず。我の穢れを(そそ)げ』

「お、起き上がっちゃいました……!」

 

 出て来たのは、キレイな精霊。その光で、《ペガサス》はアンタップしました。

 

『我の大角は、一角にて三角なり。三連なりし一突きを受けよ』

「っ、うぅ、トリガーはないです……」

 

 たった一突きで、三枚のシールドがブレイクされちゃいました……これは、ピンチです!

 しかも、まだあのクリーチャーはアンタップ状態。追撃が来ます!

 

『再び、我は叫ぼう。仲間へと、同胞へと、怒号を飛ばそう……参じたのは汝か、《ギガ・ホーン》』

 

 また森の奥から、クリーチャーが出て来ました。

 どんどんクリーチャーが増えて来ちゃいます……

 

「《ホネンビー》でブロックです!」

 

 シールドは残り二枚しかありませんし、これ以上の攻撃は受けられません。

 ここは《ホネンビー》でブロックしないと。

 

「ゆ、ユーちゃんのターン……」

 

 だけど、どうしましょう。

 クリーチャーは三体もいますし、あのEinhornさんは強すぎます。

 攻撃するだけでクリーチャーが増えるなんて……早く、破壊しないと。

 というところで、カードを引くと、

 

「! 来てくれました……! 5マナで、《ブラッドレイン》を進化(エヴォルツィオン)!」

 

 あのクリーチャーが切り札なら、こっちだって、切り札を出しちゃいます!

 

 

 

Die Boeseauge der Dunkelheit werden dich toeten(闇の邪眼があなたを殺す)――Ich bitte dir(お願いします)! 《悪魔龍王 キラー・ザ・キル》!」

 

 

 

 これがユーちゃんの切り札、《キラー・ザ・キル》です。

 これなら、あのすごく強い《ペガサス》だって、倒せちゃいますよ!

 

「《キラー・ザ・キル》の能力で、《ペガサス》を破壊です!」

 

 《キラー・ザ・キル》は雄叫びを上げると、胸の大きな眼をカッと見開かせました。

 それは邪眼(ベーゼアオゲ)。睨むだけで、クリーチャーを破壊します

 

「やりました! Danke!」

 

 相手の切り札を倒せました!

 残ってるクリーチャーはあんまり強そうじゃないですし、これでユーちゃんが――

 

「我が死したか。しかして、我の骸は憐憫が集う。我を憐み出でよ――《ピカリエ》」

「ふにゅっ!?」

 

 また新しく、クリーチャーが出て来ました。 

 まさか、自分が破壊されてもクリーチャーを出せるなんて!

 

「クリーチャーが減らないです……でも! それならこれです! 《キラー・ザ・キル》で攻撃(アングリフ)! する時に、革命チェンジです!」

 

 実子さんから教わった力。

 これが、ユーちゃんのもう一つの切り札です!

 

Ein einsamer Wolf bellt in der Dunkelheit(孤高の狼は暗闇の中で咆える)――」

 

 森に住むのは、あなただけではないんです、Einhornさん。

 暗い森に潜む脅威。深い森の奥の獣と言えば――そう! これです!

 

 

 

Ich bitte dir(お願いします)! 《Kの反逆 キル・ザ・ボロフ》!」

 

 

 

『反逆の魔狼か。禍々しく、不浄なるものだ』

「《キル・ザ・ボロフ》の能力で、墓地(フリートホーフ)のクリーチャーを一体、山札に戻します。そして、相手クリーチャーを一体破壊です! 《ウル》を破壊します! そのままシールドをWブレイクですよ!」

『守護は不要。我が身で受け入れよう』

 

 ブロックはしないで、《キル・ザ・ボロフ》の攻撃がシールドをブレイクします。

 S・トリガーもなかったようです。

 

「Ende!」

 

 

 

ターン5

 

 

ペガサス

場:《ギガ・ホーン》《ピカリエ》

盾:3

マナ:6

手札:5

墓地:5

山札:19

 

 

ユー

場:《キル・ザ・ボロフ》

盾:2

マナ:5

手札:7

墓地:5

山札:20

 

 

 

 まだクリーチャーが二体残っていますけど、切り札は倒せましたし、この調子で行けば、あっという間に倒しきれちゃいそうですね。

 と思ったところで、また、森の奥からなにかが来ます。

 それも今度は、とても重くて、鈍い音が、地面を揺らしながら、出て来るのは、

 

「森の罠。自然の脅威。人為は及ばぬ、無垢なる痛苦。樹海を掻き分け、無機なる戦火の馬が走る。双極・召喚――《ナ・チュラルゴ・デンジャー》」

 

 ぱ、戦車(パンツァー)……!? まったくメルヒェンじゃないですよ!?

 戦車のようなクリーチャーは、とても重そうで、動くだけで地面が鳴り響きます。

 いや、違う。これは、地面の奥から……なにか、出ます!

 

 

 

「大地を掘削し、我の骸を取り戻せ――《聖獣王ペガサス》」

 

 

 

 地面(マナ)から、さっき倒したのと同じクリーチャー――つまり、《ペガサス》が飛び出しました。

 倒したと思ったのに。こんなに早く、また出て来るなんて……

 

『破砕せよ、《ナ・チュラルゴ・デンジャー》。魔に堕ちた餓狼を、土へと還すがいい』

「《キル・ザ・ボロフ》が……」

『再び、同胞に召集をかけよう。愛しき霞みの妖精よ、汝は大地の肥やし。恵みを(もたら)さん』

 

 《ナ・チュラルゴ・デンジャー》で《キル・ザ・ボロフ》が破壊されちゃいました。

 それだけじゃなくて、《ペガサス》も同じように攻撃して来ます。

 この攻撃は、受けられません……!

 

『大角よ、砕け。無垢なる冒涜者を穿て』

「に、ニンジャ・ストライクです! 《ハヤブサマル》でブロック!」

 

 あ、危なかったです……もうちょっとで、シールドがなくなっちゃうところでした……

 

「ゆ、ユーちゃんのターン……えっと、《ブラッドレイン》と、《ホネンビー》を召喚(フォーラドゥング)! 《ホネンビー》で、《ハヤブサマル》を手札にっ!」

 

 また《キラー・ザ・キル》で倒したいですけど、進化できるクリーチャーはいませんし、マナも足りません。

 今は、ブロッカーで守るしかできないです……

 

「Ende……」

 

 

 

ターン6

 

 

ペガサス

場:《チュラルゴ》《ペガサス》

盾:3

マナ:7

手札:4

墓地:6

山札:16

 

 

ユー

場:《ブラッドレイン》《ホネンビー》

盾:2

マナ:6

手札:5

墓地:9

山札:16

 

 

 

『召喚。《ピカリエ》、《ジオ・ホーン》。そして《ジオ・ホーン》よ、異星の繋がりをもって、《カリーナ》を召集せよ』

 

 今度は増えたマナから、普通にクリーチャーが出て来ます。

 そして、さらに《ペガサス》も、角を構えて突撃して来ました。

 同時に、山札から、またクリーチャーが出ます。

 

『《ナ・チュラルゴ・デンジャー》に誘引されたか。ならば汝も行け、《イチゴッチ・タンク》。我に続け』

 

 今度はイチゴの形の戦車です。うぅ、これもメルヒェンじゃないです!

 って、そうじゃなかったですね。この攻撃も防がないと。

 

「《ハヤブサマル》召喚っ、ブロックです!」

『《ナ・チュラルゴ・デンジャー》。障壁を粉砕せよ』

「それも、《ホネンビー》でブロック……!」

 

 な、なんとか耐えられました……

 これならまだ、反撃できます!

 

「5マナで、進化(エヴォルツィオン)! 《キラー・ザ・キル》です! 能力で《ペガサス》を破壊です!」

「召集、《ファビュラ・スネイル》」

「まだ終わらないですよ! ユーちゃんの墓地(フリートホーフ)には、クリーチャーがいっぱいです!」

 

 これは、墓地のクリーチャーの数だけコストが下がるクリーチャーです。

 だから、たった1マナで出しちゃいますよ!

 

召喚(フォーラドゥング)――《龍装鬼 オブザ08号》!」

 

 Drachenknochen(竜骨)を身に着けた、Daemon()のようなクリーチャー。半分は呪文ですけど。

 普通なら9マナですけど、墓地がたくさんあれば、それだけコストが下がって、1マナでも出せちゃいます。それに、これだけでは終わらないですよ!

 

「《オブザ08号》の能力で、ユーちゃんの墓地(フリートホーフ)のクリーチャーの数だけ、相手クリーチャーのパワーを下げちゃいます! 《ピカリエ》のパワーをいっぱ下げて破壊です!」

『摂理を逆行する衰弱。受け入れ難し邪悪な所業だ。聖域の悲鳴が凪を破り、木々を揺らす。受け入れざる愚行なり』

「……でも! ユーちゃんだって負けたくないです! 霜さんや、恋さんのためにも! もう一体! 《オブザ08号》を召喚(フォーラドゥング)! 《ナ・チュラルゴ・デンジャー》のパワーを下げて……うにゅ?」

 

 破壊、と言おうと思ったのですけど。

 よく見ると、《ナ・チュラルゴ・デンジャー》は錆だらけで小さくてボロボロでしたが、まだバトルゾーンに残ってました。

 

「破壊できない……あ、あぅ、一枚足りなかったです……」

 

 墓地を確認したら、その枚数は十一枚。

 《ナ・チュラルゴ・デンジャー》のパワーは12000なので、あと一枚足りなくて、破壊できません……ユーちゃん、うっかりです……

 

「で、でも! それならこうですよ! 《キラー・ザ・キル》で《ナ・チュラルゴ・デンジャー》に攻撃(アングリフ)! する時、もう一回、革命チェンジです! 《Kの反逆 キル・ザ・ボロフ》!」

 

 パワーが0にならなくて破壊できなくても、パワーを下げることには意味があります。

 もう一度、《キラー・ザ・キル》と《キル・ザ・ボロフ》を入れ替えて、どんどん破壊しちゃいますよ!

 

「《キル・ザ・ボロフ》の能力で《イチゴッチ・タンク》を破壊して、バトルで《ナ・チュラルゴ・デンジャー》も破壊です! Ende!」

 

 

 

ターン7

 

 

ペガサス

場:《ジオ・ホーン》《スネイル》

盾:3

マナ:8

手札:4

墓地:12

山札:11

 

 

ユー

場:《キル・ザ・ボロフ》《オブザ》×2

盾:2

マナ:7

手札:2

墓地:10

山札:16

 

 

 

「反逆の戦火が昇った。聖域の命は散らされ、清浄なる地は邪悪に染まる。しかして、森は侵させん。《ガガ・カリーナ》よ、次元を開け。異星の姫君の力を借り受け、餓狼を拘束せよ。そして続け《ピカリエ》」

 

 召喚されたのは、《ガガ・カリーナ》と、その能力で出て来た《勝利のプリンプリン》、そして《ピカリエ》。

 クリーチャーはたくさんですし、《キル・ザ・ボロフ》は動けなくなっちゃいましたが、強いクリーチャーはいないみたいです。

 

Gelegenheit(チャンス)です! ユーちゃんのターン、まずは《ブラッドレイン》! そして、そのまま進化(エヴォルツィオン)です! 《悪魔龍王 キラー・ザ・キル》! 《ピカリエ》を破壊です」

 

 ブロッカーを破壊して、このまま攻撃です!

 相手のシールドは三枚。ユーちゃんにはTブレイカーの《キラー・ザ・キル》に、《オブザ》も二体います。一気にとどめまで行っちゃいますよ!

 

攻撃(アングリフ)! 《キラー・ザ・キル》でTブレイクです!」

「防衛。《ハヤブサマル》」

「にゅっ!?」

 

 一気に攻めようと思ったところで、手札から現れた《ハヤブサマル》が、攻撃をブロックされちゃいました。

 

「防がれちゃいました……でも、ユーちゃんは止まりません! 《オブザ》でWブレイクです」

 

 ここは攻撃を続けます。ブロッカーなら、《キラー・ザ・キル》や《キル・ザ・ボロフ》、《オブザ》で倒せますし、できるだけシールドをブレイクした方がいいと思うんです。

 だからユーちゃんは、もっともっと、先に進みます。

 です、けども。

 

「……森の罠。真なるは、ここに眠る。それは、精霊と讃歌、獣の挽歌――《清浄の精霊ウル》、《怒号するグリンド・ホーン》」

「っ、S・トリガーが、二枚も……!」

 

 《ウル》の能力で《キル・ザ・ボロフ》がタップされ、《グリンド・ホーン》の能力で攻撃していない《オブザ》が攻撃できなくなっちゃいました。

 つまり、もうユーちゃんに、攻撃できるクリーチャーはいません……

 ユーちゃんの歩みは、止められてしまいました。

 

「……Ende、です」

 

 

 

ターン8

 

 

ペガサス

場:《ジオ・ホーン》《スネイル》《ガガ・カリーナ》《ウル》《グリンド・ホーン》《プリンプリン》

盾:1

マナ:9

手札:1

墓地:14

山札:10

 

 

ユー

場:《キル・ザ・ボロフ》《キラー・ザ・キル》《オブザ》×2

盾:2

マナ:8

手札:0

墓地:10

山札:15

 

 

 

「……精霊と獣の交差。汝らよ、穢れを許さぬ聖域の守護者となれ」

「っ!」

 

 空気が震えています。

 森の奥が、静かに、けれども確かな力を持って揺らめいています。

 二体のクリーチャーが交わって、この世界と、異世界とを繋ぎました。

 この森の境に、その奥から、別世界の生き物が歩み寄ってきます。

 神聖で、不思議な、おとぎ話(メルヒェン)のように。

 一角の天馬が、復活します。

 

 

 

「顕現――《聖獣王ペガサス》」

 

 

 

 《ジオ・ホーン》と《ガガ・カリーナ》。エイリアンでもある二体のクリーチャーが異界への扉を繋いで、《ペガサス》の進化元となりました。

 三度目になる、登場です。

 

「ま、また……!」

『悪鬼羅刹を突き砕け、大角よ。そして呼べ、我らが同胞を』

 

 《ペガサス》が角を掲げて、こっちに向かってきます。

 攻撃。それと同時に、山札が、捲られました。

 

『森よりいずるは《ナ・チュラルゴ・デンジャー》――』

 

 山札の上から現れたのは、《ナ・チュラルゴ・デンジャー》。

 そしてその能力で、マナから出て来るのは、

 

『――《ウル》《グリンド・ホーン》よ、我がために交わるがいい』

「え……」

 

 扉は、一つではありませんでした。

 《ウル》と《グリンド・ホーン》。S・トリガーで出て来た二体のクリーチャーが交わり、混ざって、またしても森の奥と異界と繋ぎます。

 それは、つまり――

 

 

 

『二重顕現――《聖獣王ペガサス》』

 

 

 

 ――二体同時に、《ペガサス》がバトルゾーンを駆け抜けるということです。

 

『魔龍を穿て。腐敗した鱗を貫け。邪気に穢れようとも、汝が闇を清め、滅する』

「《キラー・ザ・キル》が……あ」

 

 そうでした。《キラー・ザ・キル》が破壊されたといっても、破壊されたのは、こっちだけじゃありません。

 いつもならもっと喜べるんですけど、今違う。

 だって、あのクリーチャーは……

 

『大地を奔れ、《イチゴッチ・タンク》。我が屍を超越せよ』

 

 破壊された《ペガサス》が、さらにクリーチャーを呼びました。

 攻撃しても、倒しても、《ペガサス》はクリーチャーを呼んできます。

 どんどんどんどん、次から次へとクリーチャーが増えて、もう、破壊しきれません……

 

『次なるは、魔道に堕ちし餓狼を貫く。そして、清めようぞ、我が身を。出でよ、《ウル》』

「あうぅ……!」

『我は終を知らぬ。幾度であろうと、穢れを祓い退けよう――《ウル》』

 

 《キル・ザ・ボロフ》が破壊されて、《オブザ》が破壊されて、それでもまだ、《ペガサス》は走り続けています。

 大きな角を振りかざして、ユーちゃんのクリーチャーを、次から次へと、突き砕きます。

 

『踏み潰せ《ナ・チュラルゴ・デンジャー》。邪悪なりし龍骨纏いし悪鬼を粉砕せよ』

「く、クリーチャーが、いなくなっちゃいました……」

 

 《キラー・ザ・キル》も、《キル・ザ・ボロフ》も、《オブザ》も。

 すべてのクリーチャーが、破壊されてしまいました。

 日本語だと、こういうの、インガオーホーって言うんでしょうか……霜さんが、よく言ってましたけども、それどころでは、ないですよね。

 

『汝が邪気、悪道を断つ。我が大角により、その身を砕け。そして同胞を募らん。空よりいずるは《カリーナ》。次元の門扉を開き、山嶺の使徒を呼ばん――《メリーアン》』

 

 《ペガサス》が、大きな角を構えて突進します。

 攻撃は仲間を呼ぶ合図。能力で《ガガ・カリーナ》が出て来て、そこからさらに《アルプスの使徒 メリーアン》が出て来ました。

 そして、Tブレイク。

 大きな角の一突きが、ユーちゃんのシールドをすべて、一瞬で突き砕きました。

 

『汝を守る盾は砕かれた。幼子の身一つ、縊り殺すなど容易い』

 

 ユーちゃんのシールドはゼロ。ブロッカーどころか、クリーチャーだって一体もいません。

 けれど相手の場にはまだ、《プリンプリン》と《ファビュラ・スネイル》が攻撃できます。

 二体のクリーチャーをどうにかして止めないことには、ユーちゃんは……でも!

 

「ま……だ、です……!」

 

 ブレイクされたシールドのうちの一枚。

 その一枚を、手に取って、唱えます。

 

「S・トリガー《インフェルノ・サイン》! 《ホネンビー》をAuferstehung(復活)!」

 

 本当なら、もっと強いクリーチャーを出したいんですけど、ここは《ホネンビー》じゃないと、ダイレクトアタックを止められません……

 

「《ホネンビー》の能力で、《ハヤブサマル》を手札に……!」

『……命に縋る。それもまた、一つの命の正しい在り方。我と同じ意志である。しかして、我は汝の罪を許容できぬ――異星の姫君よ、行け』

「《ホネンビー》でブロック!」

『《ファビュラ・スネイル》』

「ニンジャ・ストライク! 《ハヤブサマル》でブロックです!」

 

 《ホネンビー》と、手札に戻した《ハヤブサマル》も使って、全力で防御です。

 頑張った甲斐あって、なんとかギリギリ、耐えられました……!

 

『これにて、我の猛威は鎮まろう。しかして、汝に残された刻は瞬きに等しい。汝は、その僅かな光となりて、輝けるか』

「……ユーちゃんは……」

 

 シールドはゼロ、クリーチャーもゼロ。手札はたった一枚。

 もう勝てないって、思っちゃいます。どう考えても、どう見ても、いくら願っても、祈っても、救いを求めても、ここは絶望で満ちています。

 でも、ですよ。

 

「ユーちゃんはまだ……諦めてませんっ! まだこの先に、道は続いています……!」

 

 負けそうでも、負けたくないんです! 

 諦めそうになっても、諦めたくないんです!

 そんなワガママでも、押し通してみせます!

 

「ユーちゃんのターン! マナチャージして、9マナタップ!」

 

 ……正直、使うことになるなんて思ってませんでした。使えるとも、思いませんでした。

 考えてもみなかった盲点。思ってもいなかった無意識でした。

 だけど、色んなところを見て、知って、歩いて、進んだのです。

 果ては遠く、遥か先ですけれども。

 その道すがらに得たものは、確かな力になっています。

 いっぱい進んで、たくさん見て、そうして見えてきた景色があるんです。

 

Paarschock(双極)()Zauberspruch(詠唱)――」

 

 長い長い道のりの、ひとつの終着点。

 ここにあるのは、輝く光でも、眩い瞬きでもありません。むしろ、その逆。

 森の中は光の届かない暗闇。それは奈落であり、深淵なのです。

 それはつまり、これが、ユーちゃんの奥の手。

 最後の最後に残った切り札です!

 Lass uns gehen(さぁ、行きましょう)――!

 

 

 

「――《深淵より来たれ、魂よ(Die Seele sollte aus dem Abgrund kommen)》!」

 

 

 

 闇が、解き放たれました。

 あなたが森の奥から仲間を呼ぶのなら、ユーちゃんは奈落の底から呼んでみせましょう。

 メルヒェンは明るいばかりではありません。森の奥は暗いもので、メルヒェンの中の人たちは、酷いこともたくさんします。

 そして、グリムのメルヒェンは、本当はとっても怖いものです。

 でも、だからこそ、ユーちゃんの力になってくれると、とっても頼もしいです。

 奥底の見えない深淵の先。そこに眠っているのは、ユーちゃんと一緒に歩んできたクリーチャーたち。

 墓地のすべてのクリーチャーを、呼び戻してみせましょう。

 さぁ、皆さん!

 

 

 

Gegenangriff(反撃です)――Bitte wach auf(起きてください)!」

 

 

 

 叫び声が、聞こえます。

 奈落の底、深淵の世界から、クリーチャーたちの声が。

 《傀儡将ボルギーズ》《白骨の守護者ホネンビー》《凶鬼92号 デンカ》が二体ずつ、《龍装者 オブザ》と《Kの反逆 キル・ザ・ボロフ》が三体、《マッド・デーモン閣下》《ビシャモンズ・デーケン》《一撃奪取 ブラッドレイン》《光牙忍ハヤブサマル》がそれぞれ一体。

 全部で十六体のクリーチャーが、墓地から復活しました!

 

『これほどの死者が、魂が……自然の輪廻に逆らい、呼び戻るなど……』

 

 流石のEinhorn――《ペガサス》も、これには驚いているようです。

 

「でも、ここからどうするのか、ちょっと難しいです……でもでも! ユーちゃんはやりますよ! まずは《ホネンビー》で、墓地(フリートホーフ)を増やします!」

 

 こんなにたくさんのクリーチャーを一度に出したことなんてないので、どうしたらいいのか、ちょっと迷っちゃいますが、これだけクリーチャーがいれば負けません!

 ちゃんと考えて、チャンスを生かして、絶対に勝ちますよ!

 

「えーっと、eins zwei drei……Ja! じゃあ次に、《ボルギーズ》二体で、二体の《ウル》のパワーを4000下げます! 破壊です! さらに墓地(フリートホーフ)にクリーチャーは四体なので、三体の《オブザ》の能力で、《ナ・チュラルゴ・デンジャー》のパワーを12000マイナスして、破壊です!」

『ぬ……』

「《キル・ザ・ボロフ》三体の能力で、墓地(フリートホーフ)のクリーチャー三体を山札に戻して、《ガガ・カリーナ》《プリンプリン》、そして《ペガサス》を破壊です!」

 

 たくさん出て来たクリーチャーが、次々と相手のクリーチャーを倒してくれます。

 《ボルギーズ》が、《オブザ》が、《キル・ザ・ボロフ》が、たくさんいたクリーチャーのほとんどを、破壊しました。

 

「最後に《ビシャモンズ・デーケン》です! ユーちゃんのクリーチャーを破壊するので、そっちもクリーチャーを破壊してください!」

「……《メリーアン》を破壊。同時に、我が骸に集う獣を呼ぶ。いずるは《ギガ・ホーン》。同胞を招集する」

「《デーモン閣下》で墓地の《キラー・ザ・キル》を手札に戻して、《ハヤブサマル》をブロッカーにします! これでEndeです!」

 

 

 

ターン9

 

 

ペガサス

場:《ギガ・ホーン》

盾:1

マナ:9

手札:0

墓地:25

山札:4

 

 

ユー

場:《キル・ザ・ボロフ》×3《オブザ》×3《ボルギーズ》×2《ホネンビー》×2《デンカ》×2《デーモン閣下》《デーケン》《ブラッドレイン》《ハヤブサマル》

盾:0

マナ:9

手札:3

墓地:4

山札:8

 

 

 

 やれることはすべてやりました。

 クリーチャーはほとんど破壊して、手札もなくさせて、ブロッカーもたくさん出しました。

 ここから逆転されることはない。ない、はずです。

 どう……でしょうか。

 

「……道は絶無。我等が嘆きも、叫びも、虚無にて木霊し、聖域は、世界は閉ざされた」

 

 バトルゾーンに残ったたった一体のクリーチャーを見つめて、ペガサスは小さく呟きました。

 やっぱり言葉が難しくてよくわかりませんが、なんだか少し、悲しそうです。

 

「汝の魔道が、我の正道を超越した。我には最早、語る言の葉なし。滅びを受け入れよう」

「……よくわかんないですけど、ユーちゃんの勝ち、ってことですね」

 

 相手はなにもしませんでした。ということは、これで、ユーちゃんの勝ちです!

 

 

 

「《キル・ザ・ボロフ》で、ダイレクトアタックです――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「やれやれ、とんだ目に遭ったな……」

「マジ、クソ……二度と、散歩なんか、出るか……私は、部屋に戻らせて、もらう……」

「ご、ごめんなさい……ユーちゃんのせいで……」

「ユーちゃんのせいじゃないよ。わたしこそごめんね。到着が遅れちゃって」

 

 ――帰り道。

 日も暮れてきたし、あそこから歩いて帰るのは大変だし、わたしの足のこともあるし……っていうことで、みんなでバスに乗って帰ることにしました。

 結局、わたしたちがユーちゃんたちと合流した時には、クリーチャーは倒されてて、全部が終わっていました。

 とりあえず、みんな無事そうでよかったです。

 

「結果は散々だったが、ボクも責任追及するつもりはない。事件はあったけど皆無事だし、それなりに得るものもあった。それで良しとしよう」

「そうですね。ユーちゃんもとっても楽しかったです! また皆さんで、おさんぽ行きましょう!」

「断る。二度と行くものか」

「同感……」

「わたしも、これはちょっと……」

「ふにゅっ!?」

 

 ユーちゃんのお散歩は、わたしたちにはハードすぎるよ……

 流石に次からはついていける気がしない。

 

「うぅ、そうですか……残念です……」

 

 残念そうにしゅんとするユーちゃん。

 うーん、ちょっとかわいそうだけど、でもあんなユーちゃんにはどうしたって合わせられないし……

 ど、どうしよう……

 

「……ま、私はそこそこ楽しかったけどね」

「みのりちゃん?」

「実子さん……?」

 

 みのりちゃんは、ユーちゃんに向けて微笑んだ。

 

「私も散歩は嫌いじゃないし、知らないとこ歩くのはまあまあ好きだし。たまになら散歩に付き合ってもいいよ」

「! ほ、本当ですか!」

「土日とかならね。どうせ家にいるだけでやることないし、電気代とかもったいないし、暇だし」

「後ろ向きな理由だな……」

「散歩なんてそんなもんだよ」

 

 みのりちゃん……そっか。

 いつもふざけてるように見えるけど、やっぱりみのりちゃんは優しいね。

 ユーちゃんはみのりちゃんの言葉を受けて、パァッと笑顔を見せた。

 

「Danke! 実子さん!」

「まあ、いいってことだよ。まあ、できることなら自転車を使いたいけどね」

「それじゃあ来週! あっちの(ヴェルグ)に行きましょう!」

「私の要求ガン無視で山かぁ。流石ユーリアさん、強い」

 

 嬉しそうに笑うユーちゃんと、楽しそうに微笑むみのりちゃん。

 霜ちゃんは、どこか呆れている。恋ちゃんは、意味が分からないと言わんばかりに首を傾げている。

 けれど、わたしはそんな二人を見てホッとしたし、安心した。

 わたしじゃ叶えられない願いがある。それを目の当たりにして、どうしようって思ったけど。

 みのりちゃんのお陰で、ユーちゃんのお願いは一つ叶った。

 そして、もしかしたら、みのりちゃんも――

 

「……うん、良かったよね」

 

 今日は、わたしはなんにもしてないけど。

 ……本当に、なんにもしてないや……足挫いて、みんなの足を引っ張っただけだ……

 …………

 

(……あんまり、考えないようにしよう……)

 

 そうだということは、たぶんこれは、わたしの物語じゃないってことだから。

 ふと横を見ると、恋ちゃんが目を閉じて寝ている。きっと、今までにないくらい体を酷使して、疲れちゃったんだろうな。

 わたしも、なんだか少し眠いや。

 もう一度、視線を彷徨わせる。

 とても仲睦まじく、楽しそうに言葉を交わすみのりちゃんとユーちゃんの姿を、視界の端でえ捉えた。

 それを最後に、わたしも、重くなっていく瞼を、ゆっくりと閉じました――




 ドイツ人にとって、森は特別……というより、馴染み深いものなのだとか。森がずっと傍にあり、恩恵もあれば、恐ろしいものもある。森で糧を得る生活があるのなら、森の暗さや、狼などの獣は恐怖になる、っていう。小鈴母も37話でちょっと言ってましたけど。ドイツ人がやたら野山に足を運びたがるのは、そういう、その国の性質みたいなものなのかもしれませんね。
 今回の舞台も森(山?)。そしてユーちゃんの第二の切り札は、グリム童話でもお馴染みの、悪の獣である狼、《キル・ザ・ボロフ》。実はこのあたりから、かなりユーちゃんのキャラ感覚を掴めてきた作者だったりします。作者にとってのドイツのイメージをぶっこんだキャラみたいになった。
 今回はこの辺にして、次回は不思議の国の連中か、あるいは次章に移るかもしれません。そろそろ書き上がるんですよね、再掲じゃない方の最新話。そのへんは気分と、あるかもしれない要望で考えます。
 とまあそんな感じで。誤字脱字感想等ありましたら、お気軽にどうぞ。


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4章 晩秋-祭と破滅の予兆-
39話「切り札を決めよう」


 短編投げる章をもう少し続けようかとも思いましたが、あんまり面白味がなさそうだったのと、次の話が書き上がったので、次章に移ることにしました。
 事件もなにも起こらないだらっとした日常回です。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 秋もすっかり深まって、寒くなってきました。

 そして秋と言えば、そろそろ文化祭です。わたしたちの学校もそうだけど、当然、他の学校もこの時期は文化祭で賑わう頃。

 そんなわけでわたしは、先輩――いつきくんからも、他校の文化祭に誘われました。なんでも、他校のご友人が、部活でデュエマの大会を開くから、参加者が欲しいとかなんとか。

 なんでデュエマ? というツッコミはもう考えないことにして、せっかくなのでみんなも誘おうと、いつものようにワンダーランドに集まって、その話をしてみました。

 

「――って、先輩からお誘いを受けたんだけど、みんなはどうかな? あ、《グレンニャー》を《エヴォル・ドギラゴン》に進化させるね。攻撃するよ」

「成程。他ならぬ一騎先輩の勧誘とあらば、義理立てとして受けることも吝かではないな。あの人の誘いなら裏もないだろうし」

「水早君ってば捻くれすぎぃ。行きたいなら行きたいでいいじゃん。うーん、ノートリ」

「ターン終了だよ」

「別に他校の文化祭にさして興味はない。率先して行きたいとも思わない。が、先輩の先導ありきというのなら、先輩の厚意を受け取るのが礼儀だと思っただけだよ」

「ユーちゃんは行きたいです! たのしそーです! ユーちゃんは《キラー・ザ・キル》召喚します!」

「ユーリアさんは素直でいいね。クソ面倒くさい頭してる水早君も少しは見習ったら? 《ジ・アース》攻撃《ギョギョラス》侵略《剣》チェンジで《モルト》マナに送って《剣》と合せて《ジ・アース》《ジ・アース》ね」

「わ、わわ……っ!」

「でも、ユーちゃんは少し向こう見ず過ぎです。もう少し落ち着いてくれると、私の心配も減るのですが……」

「《ミラクルスター》召喚……《キラー・ザ・キル》フリーズ…………で、行くの……行かないの……どっち……はやく、きめて……」

『行く(行きます!)』

「私も行くー。イツキ先輩の友達、しかも他校の友人って、ちょっと興味あるし」

 

 満場一致。今までのあれやこれやの論争はなんだったのでしょうか。

 まあでも、みんなで行くというのなら、それはとても嬉しいことだ。

 あとは……代海ちゃんにも声をかけておこう。

 

「…………」

 

 もう少しのところでみのりちゃんに負けてしまって、そのデッキを片付けていると、霜ちゃんから視線を感じた。

 

「霜ちゃん? どうしたの?」

「ん? あぁ、いや。なんでもない」

「なにかお悩みでしょうか。皆さんのカードをジッと見つめているようでしたが」

「別に……なんでもないさ」

 

 濁すように首を振る霜ちゃん。

 なんでもないとは言うものの、なにかある様子だ。

 霜ちゃんは、気を遣ってはくれるけど、言いたいことは結構ハッキリと言うタイプだから、こういう反応は珍しい。

 

「おや? おやおやぁ? 水早君はどうして情熱的な視線でこっちを見ていたのかな? なにかな? なんなのかな? かな? 気になっちゃうなぁ」

「うわ、ウザ……」

「……どうか、した……?」

「霜さん、悩み事ですか! ユーちゃんでよければ、お力になりますよっ」

「そーくんが悩み事とはねぇ。先輩として後輩の悩みは解決してあげるべきだよね、うん」

「なんなのさ、皆して」

 

 霜ちゃんらしからぬ珍しい応答に、みんなが食いつき、霜ちゃんの下に集まる。

 件の霜ちゃんは少し困ったような表情を浮かべたけど、すぐに毅然とした態度で、みんなを制す。

 

「なんでもないよ。ただ観戦していただけじゃないか。じろじろ見ていたと感じたなら謝るけど、他意はない」

「ほんとにぃー?」

「……本当だ」

 

 答えるのに、少し間があった。

 にやにやと笑みを浮かべているみのりちゃんは舌を出して、虚空でそれを動かす。なにかを舐め取るような仕草だ。

 

「ぺろっ……これは嘘をついてる味だね」

「実子さん、わかるんですか?」

「わかるとも! 実際に舐めれば効果は抜群だ!」

「Oh! すごいです! ユーちゃんにもわかるでしょうか?」

「わかるわけないだろ。それこそ実子の嘘なんだから……ってやめろユー! 顔を近づけるな! ボクの顔はあんパンじゃないから甘くないぞ!」

 

 みのりちゃんのジョークを真に受けて、霜ちゃんに口を近づけるユーちゃん。それは、流石にローザさんに止められた。

 霜ちゃんが嘘をついているとは思わないけど、でも、やっぱりちょっと気になる。

 今の霜ちゃんは、普段の霜ちゃんとちょっとだけ違うような感じがするし。

 

「霜ちゃん、本当に大丈夫なの?」

「小鈴まで突っかかって来るか。だから、なんでもないってば」

「えぇー、本当でござるかー?」

「本当だ。いい加減にしないとウザいぞ、実子」

「水早さん。懺悔することが恥ではないように、私たちに悩みを打ち明けることは、恥ずべきことではありませんよ。どんな些細なことでも、です」

「だから違うってば。悩みってほどのものじゃあない」

「お、ってことは、“なにか”はあるんだ」

「っ」

 

 しまった、と言うかのように霜ちゃんは口元を押さえた。

 

「ちっ、口が滑ったか。実子に付け入る隙を与えてしまうとは、とんだ不覚だ」

「ほんとにねー。で、なに隠してるの? 白状しなよー」

「なにも問題がないのだから、話すことはない」

「よし、じゃあ推理してみよう。そーくん、じぃっと皆のカードを眺めてたから、そこに関係あると見た」

「切り札?」

 

 そう言えば、わたしの《ドギラゴン》の方を見ていたような気もする。

 

「なになに? 私たちの切り札が羨ましくなっちゃった?」

「そうなの? 使いたいなら、貸してもいいけど……わたしも昔、カード貸してもらったし」

「そういうんじゃない。ただ……」

 

 というところで、霜ちゃんは口をつぐんでしまう。

 それ以上は言うつもりがない、言いたくないといった感じだ。

 霜ちゃんがなにを考えているのかはわからない。

 なにを悩んでいるのかも、なにかを抱えているのかも。

 わたしよりもずっと頭がいい霜ちゃんの考えを言い当てることなんて、わたしには到底できない。

 けれど、

 

「……自分の、切り札が……ない……?」

「っ」

 

 わたしでない誰かは、それを言い当てる。

 恋ちゃんのふっと漏らした言葉に、霜ちゃんは明らかに動揺を見せた。

 

「お、図星?」

「いや、その……なんだ」

 

 そっぽを向いて口をもごもごさせている霜ちゃん。

 ……あれ? これってもしかして、恥ずかしがってる?

 

「あー、そゆこと」

「どゆことです?」

 

 納得したように手を叩く謡さん。

 わたしも、ユーちゃんと同じくまだピンと来ないけど……他のみんなは、勘付いているようだった。

 

「つまり、そーくんは“自分だけの切り札”が欲しいんだね」

「別に……欲しいなんて、言ってない」

「口ではそう言っても、身体は正直だからねぇ」

「いや、口は身体だ。頭を使わず、口で物を喋るから馬鹿丸出しだぞ、実子」

「……でも……否定……しない……?」

「…………」

 

 霜ちゃんは視線を逸らして黙り込んでしまった。

 やっぱり、恥ずかしがっているように見える。ということは、そういうことなの?

 

「へー、水早君も皆とお揃いがいいって思うんだー」

「うるさいな、にやにやするな。気持ち悪いぞ」

「まあ、他者と同じように振る舞う、というのは決して悪いことではありません。悪しき行いは断罪され、根絶に向かうが定め。ならば逆に、多くの人が為していることは、正しい行いであると言えるでしょう。それに、皆一緒というのは、一体感が生まれます。私は、いいと思います」

「Ja! みなさん一緒なのはいいことですね! とっても楽しそうです!」

「にしても、そーくんもそういう乙女チックなことを気にするんだね。もっとクールでドライなキャラだと思っていたのに」

「キャラ、崩壊……みたいな……」

「だから恥ずかしがってたんだ」

「……そうやって囃し立てられるのが嫌だから、黙ってたんだけどな」

 

 やれやれ、と霜ちゃんは観念したように首を振る。

 首を振るだけで、一切自分からそうだとは言わなかったけど。

 

「でも確かに、水早君と言えばこれ! みたいな切り札って、あんまり思い浮かばないねぇ」

「霜ちゃん、色んなデッキ使うもんね」

「けど逆に言えば、それは特定のデッキやカードに拘りがないってことになっちゃうか」

 

 霜ちゃんは色んなデッキを使う。それはつまり、デッキごとに切り札が毎回変わるということ。

 実際、霜ちゃんは特定のカードを使っている印象がない。

 

「よーし! じゃあ水早君のために、水早君専用の切り札を皆で考えよー!」

「おー! です!」

「……だからこういうのが嫌なんだよ……」

 

 なぜかみんなで霜ちゃんの切り札を考えるという流れに……

 霜ちゃんは嫌そうに吐き捨てるけど、諦めたように息を吐くだけだった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 というわけで、みんなで霜ちゃんの新しい切り札を考えることになりました。

 わたしは、カードの知識は乏しいから、あんまり力になれそうにないけど……

 

「じゃあまずは、皆の切り札から見て行こう。まずは小鈴ちゃんから」

「わたしっ? わたしは……《エヴォル・ドギラゴン》は、最初の切り札で、今でもずっと使ってるけど……あとは、《グレンモルト》と《ガイギンガ》、かな」

「ユーちゃんはずっと《キラー・ザ・キル》使ってますよ! 《キル・ザ・ボロフ》もお気に入りです!」

「私は……別に……」

「れんちゃん、《ミラクルスター》使ったり使わなかったりだもんね。というかそれで言ったら、私は《ダンガンオー》封印中なのですけども」

「長良川先輩は、あの……《ジョラゴン》? がいるじゃないですか」

「あー、そっちになるのか」

「私は……」

「実子はいい。わかるから」

「せめて言わせてほしいな!」

 

 そんな感じでまとめてみると、わたしが《ドギラゴン》、ユーちゃんが《キラー・ザ・キル》、恋ちゃんが《ミラクルスター》で、謡さんが《ジョラゴン》、そしてみのりちゃんが《ギョギョラス》。

 

「みんなドラゴンだね」

「しかも進化が多いと来た。ってことは水早君の切り札も進化ドラゴンがいいかな。色はやっぱり青? ちょうど空いてるし」

「空いてるって、なにがだ」

「小鈴ちゃんが赤でしょ、ユーリアさんが黒で、日向さんが白、私が緑で先輩が無色。青色の席だけ空いてるでしょ?」

 

 色っていうのは、デュエマの文明のことだね。

 言われてみれば確かに、わたしたちの切り札はきれいに文明がばらけている。

 

「水文明の進化ドラゴンかぁ、どんなのがいるのかな?」

「《シリンダ》とか? 《ダンテ》投げると強いよ。ちょっと古いけど」

「《ダンテ》、殿堂した……もういない……」

「殿堂……うっ、頭が……」

「この先輩、まだ《ニヤリー・ゲット》の傷負ってるのか」

「《ガンバトラー》が復活しそうって噂を聞いたものだから」

「どうせ緑入り緑入り」

 

 《ガンバトラー》って、確かすごく早く、すごくたくさんのクリーチャーを並べたあのデッキだよね。

 以前、主要なカードが殿堂入りで一枚しか使えなくなっちゃったから、もうそのデッキは使えなくなったって言ってたけど……また、似たような形のデッキを作るのかな。

 

「なら《キリコ》あたりにしとく?」

「《キリコ》か……ボクはあれ、苦手だな」

「そーなんですか?」

「山札の中身を固定して撃つという方法もなくはないが、あれって撃ちたい呪文を絞るのが常道だろう。しかも大抵は《オールデリート》でいいときた。構築を縛るカードは、実はあまり得意じゃないんだ」

「いつも変なデッキ使ってる癖に」

「そこまで変じゃない。ループもしたことはないぞ、ボクは」

「使い回しはするじゃん」

「そのくらい許せ」

 

 と、いくつかカードをピックアップしていくけど、どれもあまり霜ちゃんにはしっくりこなかった様子。

 

「水のドラゴン……他になにかあるかなぁ」

「《超神龍ザウム・ポセイダム》とか? あれ? 《蒼神龍》だっけ?」

「どっちも正解です」

「んー、なーんも思いつかないやー」

「実子、お前もう飽きてきてるだろ」

 

 と、最初は乗り気だったみのりちゃんも、なんだかテーブルに突っ伏してダレてきている始末。

 ぐだぐだになってきました。

 

「もうなにも思いつかないです……」

「長良川先輩や、香取さんたちが思いつかないとなると、私たちではなんとも……」

「そうだよね……霜ちゃんとみのりちゃんと謡さん、それと恋ちゃんだもんね、わたしたちの中でデュエマ詳しいの」

「私はそんなでもないよ。姉ちゃんの教えでちょろっと環境齧ってるくらいだし。ぜんぜん新人」

 

 とは言うけど、デュエマに対して入れ込んだ密度が、わたしと謡さんでは違うからなぁ……

 それはそれとして、みんなが知恵を振り絞ってもなかなかいいカードが思いつかなくなってきているとなると、いよいよ手詰まりだ。

 

「というか、公式サイトのカード検索なりなんなりを使えばいいんじゃないか?」

「つーか、もうなんかどうでもよくない? 水早君は水早君だよ。切り札がどうとか、そんなことに囚われるのはどうかと思うね!」

「それをお前が言うと物凄く腹が立つ」

「香取さんの仰ること自体はもっともですが、始めたことを途中で投げ出すべきではないと、私は思いますよ」

「もっとカードに詳しい人、いないんでしょうか」

「詠さんとか?」

「姉ちゃんは今日は非番だよ」

 

 そうなると……どうしよう。

 この場から、これ以上の発想はない。これ以上の知識はない。

 ならどうすればいいのか。

 方法は、とても簡単だ。

 “この場にいない人の力を借りればいい。”

 

「……ちょっと、待ってて……」

 

 恋ちゃんが立ち上がった。

 小さな手で、携帯を握り締めて。

 

「……しかた、ない、から……あいつに、聞く……」

「あいつ?」

「誰ですか?」

「……いけすかない……メガネ」

「眼鏡?」

 

 誰のこと? と聞く前に、恋ちゃんはわたしたちから少し離れる。

 携帯を耳に当てて、誰かと電話しているみたい。

 

「もしもし……あきら……うん、私……メガネに、用が……そう、あいつ……おねがい……」

 

 いつものようにぼそぼそと、だけど透き通った声でなにやら話している恋ちゃん。

 なんだかいつもと違う感じ……わたしたちと一緒にいる時とも違うし、先輩と一緒にいる時とも違う。一人でいる時とも違う。

 もっと大事な友達――“仲間”に対して、言葉を投げかけるみたいな感じだ。

 

「いいから……言え……早く、しろ……とっとと……そういう、御託、いい……鬱陶しい……これだから、メガネは……」

 

 ……と、思ったけど。

 直後、すごい毒の強い罵詈雑言が聞こえてきた気がする。

 恋ちゃん、いつも歯に衣着せずものを言うけど、なんだか今回はそれ以上というか、いつもよりも毒が強いというか、遠慮がないというか……

 普段の恋ちゃんが「素のまま」で毒を吐くのなら、今の恋ちゃんは「嫌っているから」毒を吐いているみたいな……よく聞こえないから、わからないけど……

 しばらくして、恋ちゃんが戻って来る。

 

「……おまたせ」

「おかえりです!」

「収穫はあった?」

「たぶん……《プラズマ》とか……」

「あぁ、いたね。そんな奴」

「実子。君、以前どこかで使ってなかったか?」

「林間学校の時に見たような……」

 

 《革命龍程式 プラズマ》……だったっけ。

 あんまり詳しくは覚えてないけど、確かカードをドローするような能力だった気がする。

 

「水の進化ドラゴン……革命能力がそれなりにトリッキーだし、まあいいんじゃない? そーくんっぽいと言えばっぽいよ」

「革命は受け身なのが気になるが……ふむ」

 

 少し考え込んでから、霜ちゃんは顔を上げる。

 そしてみのりちゃんに視線を向けた。

 

「ひとつ、思いついた。実子、前に使ってたデッキはあるか?」

「前っていつさ」

「林間学校の時だ。《プラズマ》で《エビデゴラス》龍解させるデッキがあっただろう」

「あー、あれ? 崩した」

「おい」

「あんまり《ギョギョラス》の必要性を感じなかったっていうか? いやまあ、打点上昇とか除去とかでまあまあ便利だったんだけど、枠がキツイというかなんというかね。《ダンテ》が消えちゃったから、リペアじゃないけどまた組み直すのもアリかもしんないけど」

「……そうか」

「なに? なんか必要なカードがあるの?」

「まあね。というか、あれを基盤に、少し弄った構築なんだ」

「ふぅーん。確か《メタルアベンジャー》周りのカードは今あった気がするし、今日だけなら貸してあげる」

「助かる。今日中に無利子で返そう」

「それ、単に今だけ借りるってことじゃない?」

「今からデッキ作るの?」

「組めたらね。どうせならこの場で試したい。誰か相手になってくれないか?」

「それでしたら、私がお願いしてもいいですか?」

 

 とそこで、ローザさんが進み出た。

 珍しい。ローザさんが、自分から対戦を志願するなんて。

 

「ちょうど、前に詠さんからアドバイスを受けたデッキができたところなんです。私も、使用感を試したくて……」

「わかった。じゃあ、ちょっと待ってくれ。実子、カードを貸してくれ」

「はいはーい。じゃあとりあえず《メタルアベンジャー》と……あ、でも肝心の《プラズマ》がないね」

「ボクも持ってない。小鈴たちも、流石に持ってないよね」

「う、うん。ごめんね……」

「まあ、こればっかりは仕方ないな」

「あ、でもジョーカードならある」

「なんでそんなもの持ってるんだ」

「なんかあった。プロキシ用じゃない?」

 

 みのりちゃんが取り出したのは、真っ白なカードだった。

 今まで変なカードはたくさん見てきたから、なにも書かれていないまっさらなカードくらいじゃもうそこまで驚かないけど、あんなカードなにに使うんだろう?

 というか、プロキシってなに?

 

「プロキシっていうのは、要は足りないカードの代わりだよ。手元にないカードの代わりに、別のカードをその足りないカードのようにして使うんだ」

「トランプのジョーカーみたいな?」

「そうだね。本来のカードじゃないから、当然、大会とか公式の対戦では使えない。あくまでテストプレイとか、身内とやる時だけだ。相手の許可を取ることも忘れずにね」

「みのりちゃんは、そのために持ち歩いてたの?」

「いや、そもそも私、持ってないカードでデッキなんて組まないし。私もなんでこんなの持ってるかわからない」

「適当な奴だな。でも、カードがないならそれをプロキシとして使わせてもらおうか。ローはそれでもいいかい?」

「私は構いませんが……」

「? どうかした?」

「いえ、なにも書かれていないというのは……なにか、寂しいですね」

 

 言われてみると、そうかも。

 わたしもこうして直にデュエマに触れてわかったけど、カードゲームって、ただカードの能力で戦うだけじゃなくて、カードのイラスト――絵の迫力や美麗さ、そしてキャラクターとしてのクリーチャーの姿というのも、楽しむ要素なんだ。

 それにわたしは、本物の“クリーチャーの姿”を見ているから、特にそれを感じる。

 ここに描かれているのはただの絵と文字で、インクによる印刷だけど。

 この絵と文字の中にクリーチャーは息づいているんだって。

 物語の中の登場人物と、同じように。

 

「そのままでは味気がないと。成程成程。ねぇ、みのっち?」

「その呼び方やめてください先輩。なんです?」

「そのカード、今後もなにか使う?」

「いやたぶん使わないと思いますけど。プロキシ使わないですし私。むしろ処分に困るくらいで」

「じゃあ少し汚しちゃってもいいよね、あれだったら私が引き取るから……だから、ちょっと借りていい?」

「? まあ、いいですけど」

「ありがとー。んじゃあ、《プラズマ》だっけ? 検索検索、っと」

 

 謡さんがみのりちゃんから真っ白なカードを受け取る。

 そして携帯で一枚のカードイラスト(たぶん件の《プラズマ》だ)の画像を表示させると、ペンを取り出して、そのペン先を白紙の上に走らせた。

 

「なにをしているんですか?」

「お絵描きです?」

「まあそうだね。真っ白で寂しいっていうなら、簡単なイラストでもつけようかなって」

「本来のジョーカードの使い方だな」

 

 あぁ、なるほど。

 ペンを走らせる謡さんの動きはなめらかで、とてもこなれていた。

 って、いうか……

 

「謡さん……絵、上手いですね」

 

 ペン一本で書いているのもあって、元のイラストほどの緻密さや迫力はないとはいえ、即興の模写としては十分すぎるほど上手いと感じた。

 クリーチャーの造形を捉え、特徴を描き出し、白と黒の濃淡だけで陰影を付ける。モノクロカラーのクリーチャーの姿が、浮かび上がってくる。

 それを見ているわたしたちは、思わず息を飲んだ。

 

「これは……本当に上手いな。クロッキーってやつか?」

「先輩って、元美術部とかでしたっけ?」

「残念ながら、生徒会に入る前は帰宅部さ」

「でも、とてもお上手です。なにかやられていたんですか?」

「んー、実は父親がイラストレーターでさ。ペンタブやら液タブやら、買い替えた仕事道具のお下がりを貰って、ちょっと落書きとかして遊んでた時期があったんだよ。最近は生徒会とかであんまり触ってないけど……まあ、そんな感じかな」

「謡さんのお父さんって、イラストレーターだったんですね」

「そうそう。小説の挿絵とか書いたり。なんか前、なんだったかの特典カードのイラストも担当したって言ってたかなぁ」

「……それって……」

 

 恋ちゃんが、か細い声を漏らす。

 少し震えている、なにかを抑え込むような、声で言った。

 

「平坂……浄土……」

「お、知ってるんだ。そうそう、お父さん、イラストレーターの時の名前はそんなんだったな。芸名、じゃないよね。イラストレーターでもペンネームっていうのかな?」

 

 ……平坂浄土?

 あれ、その名前、どこかで聞いたことあるような……うぅん、えーっと……

 

「……あ、お母さんの小説の挿絵を描いてる人……」

 

 思い出した。

 そうだ、お母さんの友達で、お母さんが書いた小説の挿絵を多く担当しているイラストレーター。確かその人の名前が、平坂浄土だったはず。

 あれ? ってことは……

 

「謡さんのお父さんと、私のお母さん……仕事仲間で、友達?」

「え、マジで?」

「は、はい、たぶん……あの、伊勢誘って、知ってますか?」

「あぁ、知ってる知ってる。お父さんの友達っていうか、酒飲み仲間みたいな人でしょ? その人の小説も読んだことあるよ。凄い可愛らしいキャラクターと、わかりやすいのに奥深い文章と話作りだったなぁ」

「それ……わたしのお母さんです……」

「おぉう、そうだったんだ。そっか、伊勢ってそういう……そっちは本来の苗字のままだったんだ」

 

 合縁奇縁……本当に、奇妙な繋がりだ。

 謡さんのお父さんと、わたしのお母さん。知らないところで、わたしたちの身近な人たちが繋がっていたなんて……

 これには驚いた。けど、それ以上に驚き、反応を見せたのが……

 

「こすず……よう……」

「こ、恋ちゃん? ど、どうした?」

「れんちゃん、なんか目がギラギラしてて怖い……って、うわっ?」

 

 ガッ、と恋ちゃんに腕を掴まれて引かれる。

 え? な、なに?

 わたしよりも非力だから、痛いとかはないけど……毒は吐いても暴力に訴えることのない、口は汚くても基本的に大人しい恋ちゃんが、なにか荒ぶっている様子に、わたしは狼狽えてしまう。

 でも、どうしたんだろう。恋ちゃん、震えてる……?

 恋ちゃんはギラついた眼で、わたしたちを――特にわたしを、じぃっと睨むように見据えて、わなわなと震えた唇から、か細い声を、絞り出す。

 

「その、話……くわしく……!」

「え?」

「私……ファン、で……その……伊勢、誘、の……だ、から……」

 

 恋ちゃんはどうも、必死にわたしに語りかけている。必死というか、焦ってるというか。

 いつも言葉が少ない恋ちゃんだけど、これはなんていうか、恋ちゃんなりに捲し立てているんだと思う。余計に言葉足らずになっちゃってるけど。

 だから、えぇっと。

 

「……つまり?」

「……サイン……ほしい……です」

 

 そういうことらしいです。

 好きな作家のサインが欲しい。とてもわかりやすい。

 けど、

 

「えっと……でも、わたし、その……お母さんから、小説家ってことはあんまり口外しないようにって、言われてて……」

「まあ、そうだよな。今話題の売れっ子作家だ。住所が割れてファンがこぞって家に押し寄せてきたら、たまったものじゃないものな」

「あー、だから会長、教えてくれなかったんだ」

「だから、その……ごめんね……?」

「そこをなんとか……!」

 

 ギュッと手を握って、懇願する恋ちゃん。

 こんなに必死な恋ちゃんは、はじめて見たかもしれない。

 友達としては、できるだけ恋ちゃんのお願いは聞いてあげたいけど……これは、どうしよう。

 うーん……

 

「……じゃあ、家に帰ったらお母さんに聞いてみるよ」

「ありがとう……お礼に……今度、つきにぃ、貸す……一日くらい」

「えっ!?」

「恋。自分の欲望のために先輩を売るな。というかそれは小鈴にとって得なのか?」

「まあ得なんじゃない?」

「じゃあ……そういうことで……」

「ちょ、ちょっと待って! っていうか、まだ決まってないからね!?」

 

 お母さんが許可してくれるかどうか……まあ、お母さんはマイペースというか、わりとなんでもオッケーしちゃうから、友達一人にサインするくらいなら、許してくれそうな気もするけど……

 

「しかし、なんだかボクの切り札云々とかどうでもよくなるくらい盛り上がってるな」

「別に水早君の切り札に興味ないしね」

「おいお前」

「で、水早君のご両親はなんのお仕事しているの?」

「話題の転換が急だな」

「話の流れには沿ってるよ」

「……別に、父親は普通のサラリーマン、母親は専業主婦だ。ボクも詳しくは知らないけど、電機メーカーに勤めているとかなんとか」

「へー」

「本当お前はなんなんだよ!」

 

 デッキを組んでいる二人からも声が聞こえてくる。

 あんまり気にしたことないけど、みんなのご両親がなにをやっているのかは、確かにちょっと気になるかもしれない。

 

「みのりちゃんは一人で暮らしてるけど、やっぱりご両親はお仕事?」

「そうだねぇ。大体は外国にいるよ」

「外国! なにやってるの?」

「ツアーガイド、カメラマン、リポーター、通訳……まあ、なんか色々やってるっぽいです。私も詳しく知らないですけど」

 

 素っ気なく言うみのりちゃん。なんだか、いつもよりも淡々としているというか、あえて感情を込めずに言っている感じがする。

 ……気のせい、かな。

 

「はぇー、多芸だね。うちの父親とはえらい違いだ」

「一芸特化も強いんじゃないんですか? 知りませんけど」

「大抵の人間は、鍛えられる芸は一つが限界だしね。多芸は武器だが習熟度が伴わなければ。大学教授とかなら、その道を貫けばよかろうが」

「あ! ユーちゃんのVatiです!」

「? なに? なにが?」

「えっと、私たちのVati……お父さんが、教授……というか、文学者なんですよ」

「おぉ、お偉いさんじゃん」

 

 文学者……すごいなぁ。

 文学、文芸と言えばお母さんの専門だけど、お母さんは物語を“紡ぐ”側。

 その物語を“研究”する人とは違う。

 

「ドイツ文学か。グリム童話くらいしか知らないな」

「あ、いえ。日本文学です。日本文学の研究をしています」

「え? どうして?」

「昔はドイツの文学を研究していたらしいんですが、途中で日本文学の研究に転向したらしくて……その辺の詳しい経緯は私たちもよく知らないんですが……」

 

 そういえばこの前――ユーちゃんとローザさんがケンカして、ユーちゃんが家出した時――お母さんは二人のお父さんと電話で話したんだっけ。確か日本語がペラペラだって……

 

「日本人が外国文学を研究するなら、ドイツ人が日本文学を研究しててもおかしくはない、のか?」

「Ja! Vatiに日本のメルヒェンもいっぱい読ませてもらいましたよ!」

「普通にドイツのお話も多かったですけど……私たち、実はドイツにいた頃から、日本語に触れていたんですよ」

「あぁ、だから二人とも、そんなに日本語が上手いんだね。うちの学校、日本人とのハーフの人とかは多いから皆日本語は結構ペラペラだけど、日本人の血が一切混じってないのにそんなに喋れるのは、どうしてかなって思ってたんだよ」

「昔から少しずつでも触れていたお陰で、抵抗感なくこの国の言葉を受け入れられたというのは、あるかもしれませんね」

 

 なるほど……ユーちゃんたちの謎がひとつ解けました。

 ユーちゃん、勉強嫌いなわりに日本語がちゃんと習得できたのはどうしてだろうと思ってたんだけど、そもそも二人には日本語を吸収する土台が既に出来上がっていたんだね。

 

「――さて、急ごしらえだが、デッキが完成した」

「こっちも描き終ったよん」

 

 というところで、霜ちゃんのデッキが組み上がったようだ。

 

「待たせたね。それじゃあ、始めようか」

「はい。よろしくお願いします」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 というわけで始まりました。霜ちゃんとローザさんの対戦。

 マナを見る限り、霜ちゃんのデッキは水と自然。ローザさんのデッキは光文明……みたいだけど、なんだか見慣れないカードばかりだ。あれは呪文……なのかな?

 

「《ハヤテノ裁徒(サバト)》を召喚します。ende」

「ボクのターン。2マナで《電脳鎧冑アナリス》を召喚。自爆して1マナ加速、ターンエンドだ」

 

 

 

ターン2

 

 

ローザ

場:《ハヤテノ裁徒》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:0

山札:29

 

 

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:1

山札:27

 

 

 

「私のターン、ドロー……ここは、《戦慄のプレリュード》をチャージします」

「《プレリュード》……?」

「《ハヤテノ裁徒》の能力で、各ターン最初に唱える呪文のコストを1減らします。1マナで《トライガード・チャージャー》。私のシールドを一枚手札に加えて、手札を一枚シールドに置きます。チャージャーをマナに置いて、endeです」

 

 ローザさんがマナに置いたカードを、訝しげに見る霜ちゃん。

 《戦慄のプレリュード》って、確か無色クリーチャーのコストを下げる呪文だったよね。

 でもローザさんのデッキはほとんど光文明だし、謡さんのように無色カードが主体というわけでもなさそう。

 

「少し時代遅れだが、面倒なデッキだな……ボクのターン。ふむ、打点が欲しいけど、手札が偏り気味だし、ここは探しに行こうか。《クロック》をチャージ、4マナで《ライフプラン・チャージャー》を唱える。山札から五枚見て、《龍覇 メタルアベンジャー》を手札に。残りは山札の下に置いて、チャージャーはマナへ。ターンエンドだよ」

「お互いに2→4マナの動きでチャージャーとか」

「仲良しさんですね!」

「……そういう、こと……?」

 

 

 

ターン3

 

 

ローザ

場:《ハヤテノ裁徒》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:0

山札:28

 

 

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:4

墓地:1

山札:25

 

 

 

「私のターン。2マナで呪文《剣参ノ裁キ》を唱えます」

 

 ん? なんだろう、あの……呪文?

 なんだか、他のカードと絵柄がちょっと違うような……?

 

「山札の上から三枚を見て、その中から《憤怒スル破面ノ裁キ》を手札に加えます。その後、シールドに表向きで張り付けます」

 

 さらにローザさんは、そのカードをシールドの上に、置いた……?

 

「なにあれ?」

「裁きの紋章だね。唱えた後、墓地に行かず、シールドの上に乗るんだよ」

「城みたいですね」

「城と違って、基本的にシールドに貼り付いているだけじゃ効果はないけど、ブレイクされたら手札に戻るんだ」

「ということは、何度でも使えるんですね!」

「シールドがないと墓地に行っちゃうけどね」

 

 唱えた後にシールドに乗る、そんなカードもあるんだね。

 何度も使える呪文……なんだか迂遠な気もするけど。

 それとも、シールドにあることに、なにか意味があるのかな……?

 よく見れば、マナに見えるのもほとんど裁きの紋章だし……

 

「続けて2マナ、《憤怒スル破面ノ裁キ》! 一枚ドローします。そしてこれでも裁きの紋章、《剣参ノ裁キ》と同じシールドに貼り付けます。これでende」

「ボクのターン……これは、次のターンには出て来るな。その前に決めてしまいたいところだったけど、先手が取れなかったのだから仕方ない。4ターン目に出て来なかっただけマシと思うか」

 

 霜ちゃんはローザさんのデッキに見当がついているようで、苦しそうに呻く。

 けれど、次になにが来るのかがわかっていても、それに対応する術があるとは限らない。

 

「とりあえずボクは、ボクのできることをするしかない。マナチャージ、6マナで《龍覇 メタルアベンジャー》を召喚! 超次元ゾーンから《龍波動空母 エビデゴラス》を設置! これでターンエンドだ」

 

 

 

ターン4

 

 

ローザ

場:《ハヤテノ裁徒》

盾:5(「《破面》《剣参》」)

マナ:5

手札:2

墓地:0

山札:25

 

 

場:《メタルアベンジャー》《エビデゴラス》

盾:5

マナ:6

手札:3

墓地:1

山札:24

 

 

 

「私のターン。マナチャージして、私も6マナを支払います」

「来るか……問題は“どっち”なのかだが……」

 

 顔をしかめる霜ちゃん。

 ローザさんの雰囲気からも、ここでローザさんの切り札が出て来ることは想像に難くない。

 そうして、現れたのは――

 

 

 

「《DG~ヒトノ造リシモノ~》を召喚!」

 

 

 

 ――巨大な龍の瞳だった。

 いや、いや。そうじゃない、かもしれない。

 その目玉は宝玉のようで、それを水晶のような大爪が覆っているかのようだ。

 あるいは、その目玉は龍に飲み込まれているようにも見える。

 

「む、そっちか。ということは、《トライガード》は……」

「《DG》の能力発動です! 登場時、お互いのシールドをブレイクします!」

「自分のシールドもブレイクしちゃうの?」

「そうだね。と言っても、アレは自傷をメリットに変えちゃうから、大した問題じゃないんだよ」

「メリット?」

「私がブレイクするのは、裁きの紋章が二枚乗ったシールド。そして《DG》の能力で、私のメタリカと裁きの紋章はすべて、S・トリガーを得ます。よって、S・トリガー発動!」

 

 自分のカードにS・トリガーを与える……裁きの紋章がシールドに張り付くのは、そういう意味もあったんだ。

 自分で自分のシールドをブレイクして、そのS・トリガーを使うコンボ。

 しかも、ローザさんがブレイクしたシールドは、《トライガード・チャージャー》で追加したシールドだ。

 

 

 

「S・トリガー発動――《煌世の剣 メシアカリバー》!」

 

 

 

 それは、煌びやかで輝かしい、長大な剣。

 鍛えられた刀のような刃ではなくて、まるで水晶の塊から削り取ったかのような、一振りの大剣だった。

 

「二枚目の切り札……というより、それを使うための《ヒトノ造リシモノ》か」

「さらに裁きの紋章も二枚、S・トリガーで唱えます。《剣参ノ裁キ》! 《憤怒スル破面ノ裁キ》!」

「し、S・トリガーが三枚も……」

「しかもS・トリガーは手札から使用する扱いになるから、裁きの紋章がシールドに貼り付く」

 

 るまりシールドがある限り、ローザさんはS・トリガーで延々と裁きの紋章を唱えられるということ。

 裏向きになっている他のシールドも、裁きの紋章であればS・トリガーになる。それに見たところ、ローザさんのデッキはほとんどが裁きの紋章みたいだし、高確率でS・トリガーなはず。

 これじゃあ、迂闊に攻撃できないよ……

 

「まだ終わりませんよ。私のシールドにカードが追加されたことで、《メシアカリバー》の能力も発動します。次の私のターンまで、《メシアカリバー》は場を離れません」

「……ボクはノートリガーってことにしてくれ」

「霜さん、それ使わないんですか?」

「ここで使っても仕方ないからね。手札に持っておくよ」

「? 私はこれでende、です」

 

 なんだろう……霜ちゃん、なにかあるようだったけど……

 よくわからないまま、霜ちゃんにターンが移る。

 

「やれやれ厄介なことになった。これなら《サッヴァークDG》の方が、幾分かマシだったかもね。盾のほぼすべてがトリガーだなんて、やってられないよ」

 

 ふぅ、と霜ちゃんは嘆息する。

 だけど、諦めている様子でも、絶望している風でもなかった。

 

「しかしまあ、こんなデッキだ。前に進まなければ、それこそ話にならない。ボクのターン、まずは《エビデゴラス》の効果で追加ドロー、その後通常ドローだ」

 

 カードを普通よりも一枚多く引いて、霜ちゃんは迷わず手札を二枚引き抜いた。

 そして、片方をマナに落とすと、それらすべてを横に倒して、もう一枚を繰り出す。

 

「7マナで《メタルアベンジャー》を進化!」

 

 それは、既に場にいたクリーチャーの上に重なる。

 

 

 

「《革命龍程式 プラズマ》!」

 

 

 

 いつか見た、水晶のような龍。

 霜ちゃんが新しく、自分の切り札と定めたカードだ。

 

「《プラズマ》の能力で、登場時に四枚ドロー! そして、このドローでボクはカードを五枚引いたことになる。よって《エビデゴラス》を《最終龍理 Q.E.D.+》に龍解!」

 

 バトルゾーンに鎮座する要塞は変形し、クリーチャーとなる。

 さらに、

 

「ボクはこのターン、《エビデゴラス》の追加ドローと通常ドローで二枚、《プラズマ》で四枚、合計六枚のカードを引いた。よってG・ゼロ達成、《天災超邪 クロスファイア 2nd》を召喚!」

 

 大量に増えた手札から、新たに援軍が放たれる。

 一気にWブレイカーが三体。ここまでは、以前見たみのりちゃんのデッキと、ほぼ同じ流れだけど……

 

「さて、どう攻めるか悩むが……とりあえず《プラズマ》から攻撃だ」

「《メシアカリバー》でブロック……」

「させないよ。《Q.E.D.+》の能力で、ボクの水のドラゴンはすべてブロックされない。紋章がついているとこを含めて二枚をブレイクだ!」

「っ、でも、S・トリガーは使えます! S・トリガー! 《ハヤテノ裁徒》《剣参ノ裁キ》《憤怒スル破面ノ裁キ》! そして、シールドから手札に加わった二枚目の《憤怒スル破面ノ裁キ》を捨てて、サバキZを発動! 《刻鳥ノ正裁Z》!」

「サバキZ?」

「S・バックみたいなもんだよ。シールドから手札に加わった裁きの紋章を捨てて、手札から使うの」

 

 実のところ、S・バックってあんまり使われたことないからピンとこないけど……使った後、シールドに張り付く裁きの紋章と相性がいい能力なんだろうな。

 シールドがブレイクされた時に使えるのなら、それを防御に利用してシールドを守る。シールドが守られれば裁きの紋章は維持できる。そして、サバキZとして使った裁きの紋章も、シールドへと張り付く。

 お互いの性質がものすごく噛み合っている、ということは理解できた。

 

「《刻鳥ノ正裁Z》で《Q.E.D.+》をタップ! 次のターン、アンタップしません!」

「攻撃続行! 《クロスファイア 2nd》で攻撃! その時、手札から《龍装者 バルチュリス》を宣言。さらに侵略も発動だ!」

「し、侵略……!?」

 

 前にみのりちゃんは、霜ちゃんが今使っているデッキと似たデッキで、《プラズマ》を《ギョギョラス》に侵略して攻撃力を高めていた。

 《ギョギョラス》の侵略条件はコスト6以上の革命軍、そしてコマンド。だけど、《クロシファイア 2nd》は革命軍でもコマンドでもない。

 それなら、ここで侵略するクリーチャーは……?

 

「侵略――《革命類侵略目 パラスキング》!」

 

 緑色のカード――だけど、《ギョギョラス》じゃない。

 なんだか名前が少しだけ似ているような気もするけど、まったく別のカードだ。

 

「あれは……」

「《パラスキング》だね、見たことない?」

「えぇっと……」

「コスト5以上のクリーチャーから侵略、《パラスキング》をバトルゾーンにだすよ。これで一点上昇だ」

「《ギョギョラス》じゃないのかー」

「入れてないんだから当然だ、知ってるだろ。正直、この状況では《ギョギョラス》の方が嬉しかったけどね。さぁ、《パラスキング》で攻撃だ! 残りのシールドを薙ぎ払うよ」

 

 ローザさんのシールドは残り三枚。《パラスキング》はTブレイカー。

 シールドがなくなれば、もう裁きの紋章を張り付けることはできなくなるから、一気に霜ちゃんに形勢が傾くはず。

 この一撃は重い。凄まじい痛打となるはず。

 ――その攻撃が通れば、の話だけど。

 

「……私には、表向きの裁きの紋章が三枚あります」

「!」

 

 刹那、霜ちゃんがビクッと身体を震わせ、目を見開く。

 《剣参ノ裁キ》《憤怒スル破面ノ裁キ》《刻鳥ノ正裁Z》。ローザさんのシールドに張り付けられた紋章は、三枚。

 ローザさんはこれらすべてを――“裏返す”。

 

「三枚の裁きの紋章を裏向きにして、能力発動。このクリーチャーをバトルゾーンへ――」

 

 そう宣言した、次の瞬間――

 

 

 

「――《煌世主(ギラメシア) サッヴァーク(カリバー)》!」

 

 

 

 ――煌めく救世主が、降臨した。

 いつか見た《煌龍 サッヴァーク》と似た姿――というより、名前からして、きっと同一の存在。

 けれどそれよりもずっと輝かしく、神々しい龍だ。

 水晶の如く澄み切った、煌めく鎧。両手には二振りの大剣――《メシアカリバー》を握っている。

 

「おぉ、切り札の三段構えとはやるねぇ、ローザちゃん」

「い、今のは……?」

「《サッヴァーク†》は相手から攻撃を受けた時、裁きの紋章三枚を裏向きにしたら手札からタダ出しできるんだよ」

 

 裁きの紋章を裏向きに……そんな利用方法もあるんだ。

 最初は繰り返し使える呪文くらいにしか思っていなかったけど、裁きの紋章って、こんなにも多角的に活用できるんだ……すごいや。

 それよりも今は、いきなり現れた《サッヴァーク†》だ。

 

「《サッヴァーク†》でブロック! こちらはパワー17000、パワー14000では敵いませんよ!」

 

 ニンジャ・ストライクの如く現れた巨大な水晶の壁。そこに、霜ちゃんのクリーチャーが突っ込んでいく。

 攻撃中の《パラスキング》のパワーは14000、一方《サッヴァーク†》のパワーは17000。

 このままブロックされたら、《パラスキング》は為す術なく《サッヴァーク†》に破壊されてしまう……けれど。

 

「ちょっと想定外だったものだから、少しばかり驚いたけど……そもそもそのバトルは成立しないよ」

「え……?」

 

 霜ちゃんには焦りも動揺も見られない。

 ローザさんの第三の切り札、《サッヴァーク†》が現れても、そんなものは問題ではないと言わんばかりだ。

 

「《パラスキング》の能力発動だ。ボクのクリーチャーは、すべての文明を得る」

「え? は、はい……文明を得る……? それが、なんだというのですか……?」

 

 いくら文明が追加されたって、それでパワーが上がるわけでも、《サッヴァーク†》を倒せるわけでもない。

 だけど、その能力は今、この時、なによりも輝きを放つ。

 

「わからないか。なら、もう一度、丁寧に言おう。《パラスキング》の能力は全体染色。そしてその効果範囲は、《パラスキング》自身にも及ぶ。よって今この時、《パラスキング》は自然文明でありながら、同時に光文明でも、闇文明でも、火文明でも、そして“水文明”でもある。ついでに《パラスキング》はジュラシック・コマンド・“ドラゴン”だ」

「……あっ」

 

 そこまで言われて、わたしも気づく。

 そうだ。ついさっきもそうだった。

 今、霜ちゃんの場には、あのクリーチャーがいる。

 

 

 

「今の《パラスキング》は水のドラゴンという条件を達成している、《Q.E.D.+》の能力でブロックはできない!」

 

 

 

 《パラスキング》の攻撃を防ごうとする《サッヴァーク†》だけど、その身に触れることはできない。

 透明な水晶に光が通過するように、《パラスキング》は《サッヴァーク†》を透過して、そのままシールドを打ち砕く。

 

「そ、そんな……」

「それともう一つ。この攻撃の終わりに出てくる《龍装者 バルチュリス》もドラゴンギルド、つまりドラゴンだ。そしてこいつも《パラスキング》で全文明に染色される」

「後出して出てくるアンブロッカブルのSAかぁ。エグいねー、水早君。そんなの止めようがないよ」

「除去、無理……タップ、無理……攻撃、止めるトリガー、効かない……となると……」

 

 《バルチュリス》? っていうのはよくわからないけど……なんにしても、霜ちゃんには追撃の手がある様子。

 ローザさんは三体の切り札を並べて、万全の状態のはずだけれど。

 霜ちゃんの場も、相手を倒し切るのに十全な状態。

 このままローザさんは押し切られちゃう……のかな。

 砕かれた三枚のシールド。その中には裁きの紋章がある。そしてそれはS・トリガーになっているけれど。

 それで、攻撃を止められるのか、どうか。

 

「……S・トリガーです」

 

 シールドには既に、《剣参ノ裁キ》《憤怒スル破面ノ裁キ》《刻鳥ノ正裁Z》が張り付けられているから、S・トリガーは確定している。

 そして、それ以外のS・トリガーは――

 

 

 

「唱えます――《命翼ノ裁キ》!」

 

 

 

 ――あった。

 そしてそれは、攻撃を止めたり、クリーチャーを除去するカードではない。

 

「《命翼ノ裁キ》の効果で、シールドを一枚追加! そしてその上に、この裁きの紋章を乗せます」

 

 それは、守りを固める呪文。

 新しいシールドを追加して、追撃を防ぐ手立てとする。

 これでローザさんは、あと一回は攻撃を防げるってことになるのかな。

 

「続けてS・トリガー! 《刻鳥ノ正裁Z》! 《憤怒スル破面ノ裁キ》! 《剣参ノ裁キ》二枚! 《刻鳥ノ正裁Z》で《パラスキング》をタップ! 《憤怒スル破面ノ裁キ》で一枚ドロー! そして《剣参ノ裁キ》二枚で、山札から《ヒトノ造リシモノ》と《メシアカリバー》を手札に!」

「……攻撃の終わりに、《バルチュリス》をバトルゾーンに」

 

 手札から、攻撃前に宣言したクリーチャーが現れる。

 火文明のクリーチャーだ。ネズミっぽく見えるけど、ドラゴンなんだね。

 

「さて、困ったな」

 

 ふぅ、と霜ちゃんは嘆息した。

 

「《ヒトノ造リシモノ》があるから、当然積んでいるとは思っていたけど……それがシールドに埋まってしまっていた。となると、どうするか」

 

 霜ちゃんはなにか困っている様子だ。

 どうしたんだろう?

 

「水早君、これ……詰んだ?」

「このデッキに《ラフルル》はない。《ダンテ》も積んでいないから、《チャフ》も当然ない。《M・A・S》は入ってるから一応、処理できないこともないけど、ローは二枚目の《ヒトノ造リシモノ》を回収してるし、半ば詰んでいるね」

「? どーゆーことです?」

 

 詰んでいる、というのは、勝てない状況にある、ということ。

 ここからではどうしたって勝てない。

 みのりちゃんは、霜ちゃんは、今の状況をそう判断した。

 その理由は……

 

「《ヒトノ造リシモノ》の能力で、裁きの紋章はすべてS・トリガーと化す。そして《命翼ノ裁キ》は、シールドを一枚増やす裁きの紋章だ」

「要は《ヒトノ造リシモノ》がいる限り、《命翼ノ裁キ》は常時S・トリガーになるわけだね。シールドを追加するS・トリガー、しかもそのトリガーは使った後にシールドに乗って繰り返し使えるときた。つまり?」

「……シールドが、減らないです?」

「その通り」

 

 霜ちゃんは涼しい顔で言っているけど、シールドが永遠に供給され続けるって、それはものすごいコンボなんじゃ……

 《ヒトノ造リシモノ》を除去するか、《命翼ノ裁キ》を使わせないようにするかしないといけないけど、霜ちゃんは今のデッキじゃそれはできない、らしい。

 だから霜ちゃんは、詰んでいる(勝てない)、と宣言したのだろう。

 事実上の敗北宣言――投了だ。

 

「……まあ、埋まっていたものは仕方ない。けど投了はしない。これも相手への礼儀だ。一応、できることは全部やって、最後まで全力でやるさ。《バルチュリス》でシールドをブレイクだ」

「S・トリガー、《命翼ノ裁キ》、そして《刻鳥ノ正裁Z》《憤怒スル破面ノ裁キ》《剣参ノ裁キ》!」

 

 《ヒトノ造リシモノ》の能力で、裁きの紋章が重ねられたシールドから、新たな裁きの紋章がまとめて唱えられる。

 シールドを増やす《命翼ノ裁キ》、クリーチャーを拘束する《刻鳥ノ正裁Z》、そして手札を増やす《憤怒スル破面ノ裁キ》《剣参ノ裁キ》が二枚ずつ。

 普通に考えると、S・トリガーが六枚ってすごいね……

 

「ターンエンドだ」

 

 

 

ターン5

 

 

ローザ

場:《ハヤテノ裁徒》×2《ヒトノ造リシモノ》《メシアカリバー》《サッヴァーク†》

盾:1(「《破面》×2《剣参》×2《命翼》《刻鳥》」)

マナ:6

手札:10

墓地:1

山札:11

 

 

場:《プラズマ》《パラスキング》《バルチュリス》《Q.E.D.+》

盾:4

マナ:7

手札:5

墓地:1

山札:18

 

 

 

「えっと、ここは……3マナで《暴輪ノ裁キ》! 次の私のターンまで、《DG》は選ばれず、すべてのバトルに勝ちます!」

「そっちもあったか。これで、《M・A・S》で一時的に退かす線もなくなったな」

「さらに3マナで《戦慄のプレリュード》! 1マナで《DG~ヒトノ造リシモノ~》を召喚! 能力でお互いのシールドをブレイク!」

 

 二体目の《ヒトノ造リシモノ》が現れる。

 S・トリガーを付与する《ヒトノ造リシモノ》が二体。《暴輪ノ裁キ》で選ばれなくもなるし、本格的に《ヒトノ造リシモノ》を退かすことが……S・トリガーを無力化することができなくなってしまった。

 つまり、《命翼ノ裁キ》を封じることができなくなった。

 そしてもちろん、他の裁きの紋章も。

 《ヒトノ造リシモノ》が現れたことで、二人のシールドが同時にブレイクされる。当然、ローザさんの残り一枚のシールドからは、大量の裁きの紋章がトリガーする。

 

「S・トリガー発動です! 《命翼ノ裁キ》《剣参ノ裁キ》《憤怒スル破面ノ裁キ》が二枚に、《暴輪ノ裁キ》《刻鳥ノ正裁Z》! 《暴輪》で《ヒトノ造リシモノ》を選択して、《刻鳥》は《バルチュリス》をタップ、シールド追加してドローして……」

「あ、ちょっとローザちゃんっ」

 

 大量のS・トリガーを使用するローザさんを、謡さんが制する。

 

「やりすぎ厳禁。デッキなくなるよ?」

「ちょっとせんぱーい、対戦中にアドバイスとか横槍はよくないですよー?」

「ボクは構わないよ。どうせカジュアルな対戦だしね」

「でも今の情報、水早君的にはアウトじゃない?」

「……ま、君なら気付くか。なに、どうせ細い勝ち筋だったのが多少現実的になっただけだ。勝って儲けものって程度だよ」

「まあなんにしても、あんまりドローしても、その手札使いきれないでしょ? 使いきれない手札を増やしても仕方ないし、デッキがなくなったらシールドが残ってても負けちゃうよ?」

「そ……そうですね。できることはすべて行い、全力を尽くすことが礼儀だと水早さんが仰っていたのでそれに倣いましたが……それで負けてしまえば本末転倒、ですか」

 

 見ればローザさんの山札の枚数は残り僅か。

 そしてわたしも気づく。

 《ヒトノ造リシモノ》と《命翼ノ裁キ》のコンボは、確かに強力だ。

 だけど、《命翼ノ裁キ》は山札からのシールド追加で身を守る呪文。

 つまり山札の残数までしか、シールドを追加できない。

 上限は山札が尽きるまで。そして山札が尽きれば、ルールとしてローザさんが敗北する。

 シールドを割り切ってとどめを刺すことはできないけれど、ローザさんの山札が尽きるまで、ローザさんからの反撃を耐えきることができれば、霜ちゃんにも勝ちの目がある。

 

「耐久仕掛けたのはローザちゃんの方なのに、ここに来てそーくんが耐える側に回るとはね」

「山札、残り、少ない……数ターン、しか、もたない……」

「でも大丈夫です。このターンで勝ちますので」

(負けフラグだ)

 

 自信満々なローザさんは、自分のクリーチャーに手をかける。

 

「一応、バトルゾーンを少しでも減らしておきましょう。《メシアカリバー》で《バルチュリス》を攻撃です!」

「《バルチュリス》は破壊されるね」

「次に《ヒトノ造リシモノ》で……えーっと、じゃあ、《パラスキング》を攻撃! お互いのシールドをブレイクします! 今回は、裁きの紋章が乗っていないシールドをブレイクします。S・トリガーは……一応、使います。《魂穿ツ煌世ノ正裁Z》、《Q.E.D.+》をシールドに磔にします」

「龍回避で《エビデゴラス》に戻るよ。こっちにトリガーはない」

「《メシアカリバー》の能力発動です。私のシールドが離れたので、アンタップします。《ヒトノ造リシモノ》で攻撃続行です! 《暴輪ノ裁キ》の効果で、《ヒトノ造リシモノ》はすべてのバトルに勝ちます!」

「ふむ……受けよう。《パラスキング》はバトルに負けて破壊される」

 

 無敵状態の《ヒトノ造リシモノ》に一方的に破壊される《パラスキング》。

 ローザさんは鉄壁の布陣を敷き、霜ちゃんのクリーチャーはすべて封じ込められる。

 そしてじりじりと、シールドも、クリーチャーも、削り取られていく。

 

「これで終わらせます! 《メシアカリバー》で攻撃! Wブレイク――」

「待った。《プラズマ》の革命2発動だ」

「か、革命……?」

 

 革命……シールドが二枚以下の時に発動する能力だ。

 霜ちゃんのシールドはちょうど残り二枚。《ヒトノ造リシモノ》でちょっとずつ削られた結果だ。

 だけどそのじわじわした削りによって、革命が発動した。

 窮地に追い詰められた者の、反逆の狼煙が上がる。

 

「こいつを処理されたらどうしようかと冷や冷やしたが、《ヒトノ造リシモノ》から突っ込んできてくれて助かった。《プラズマ》の革命2で、相手の攻撃時、ボクの手札からS・トリガーを使うことができる」

「手札から、S・トリガーを……?」

「あぁ。《終末の時計 ザ・クロック》召喚。君のターンは終わりだ」

「えっ!?」

 

 ターンが飛ばされて、ローザさんは強制的に攻撃を止められてしまう。

 

「霜さん、それ、さっき使わなかったやつです?」

「そうだね。あそこで出すよりも、《プラズマ》が残った時のための保険とした方が良かったと思ってキープしたが……正解だったようだ」

 

 霜ちゃんには手札が大量にある。そして、《プラズマ》の能力で手札からどんなS・トリガーも使うことができる。

 ローザさんは攻撃するたびに、霜ちゃんの手札も警戒しなければならない。だけど、ローザさんの山札は残り僅か。

 決して長くない制限時間の中、霜ちゃんは粘りを見せた。

 

「ちなみにボクは《クロック》をまだ一枚しかマナに置いていない。そしてこのデッキは《クロック》を四枚入れた。君のデッキは、残り何枚だ?」

「……四枚です」

「なら競争だな。ボクが《クロック》を手札に引き込めないまま殴り殺されるのが先か、君が山札を引き切って自滅するのが先か」

「チキンレースか。面白くなってきたねぇ」

 

 ローザさんは、残り四枚の山札がなくなる前に霜ちゃんのシールドを割り切って、とどめを刺さなくてはならない。

 霜ちゃんは、ローザさんの山札が切れるまで、《プラズマ》を保持しつつ《クロック》でローザさんの攻撃を防がなくてはならない。

 まさか、こんなすごいギリギリの対戦になるなんて……

 

「ボクのターン、《エビデゴラス》の能力で追加ドローしてから、通常ドロー。4マナで《ライフプラン・チャージャー》。《クロック》を手札に加える」

「うわ、水早君やらしっ」

「ボクだってギリギリなんだよ。2マナで《幻緑の双月(ドリーミング・ムーンナイフ)》を召喚、能力は使わない。次に《母なる星域》を唱えて、《幻緑の双月》をマナへ、マナの《プラズマ》を《クロック》から進化! 四枚ドローして、《エビデゴラス》を《Q.E.D.+》に龍解! G・ゼロで《クロスファイア 2nd》を召喚!」

 

 大量の手札から、霜ちゃんは流れるように前のターンに“攻め込んだ時”とほぼ同じ状況に復元する。

 

「《クロスファイア 2nd》で攻撃する時、《パラスキング》に侵略だ! シールドをブレイク!」

「こ、攻撃してくるなんて……」

「耐久を仕掛けてくると思ったかい? 残念ながらボクには君のクリーチャーを退かす手段はない。だけどボクが殴ることで君の山札の減りは早くなる。殴るリスクに対してメリットが上回るのなら、耐久勝負でだって殴るさ。それで、どうする?」

「……S・トリガー」

 

 ローザさんは《ヒトノ造リシモノ》でトリガー化した裁きの紋章を唱える。けれど、そこで手を止めた。

 額に汗を滲ませて、深く考え込んでいるようだ。

 

(《命翼ノ裁キ》を使ったら山札が一枚減ってしまう……でも、シールドがなければ、《刻鳥ノ正裁Z》を唱えても墓地に行ってしまうし……山札は残り四枚で、次にドローしたら三枚で、ここでシールドを増やしたら二枚……水早さんはまだ《クロック》があって、えーっと、えっと、えと……)

 

 傍から見てもわかるくらい、ローザさんは目を回している。

 どうすればいいのか、なにが最善なのか、わからなくなっている様子だ。

 気持ちはわかる。ピンチの時って、パニックになっちゃうよね。

 しばらく目を回しながら考えて、ローザさんは三枚の裁きの紋章を公開した。

 

「め……《命翼ノ裁キ》を唱えて、シールドを増やします。さらに《刻鳥ノ正裁Z》二枚で、《プラズマ》と《Q.E.D.+》を、タップ……!」

「これで攻撃できなくなったね。ターンエンドだ」

 

 

 

ターン6

 

 

ローザ

場:《ハヤテノ裁徒》×2《ヒトノ造リシモノ》×2《メシアカリバー》《サッヴァーク†》

盾:1(「《刻鳥》×2《命翼》」)

マナ:7

手札:18

墓地:2

山札:3

 

 

場:《プラズマ》×2《パラスキング》×1《Q.E.D.+》

盾:2

マナ:9

手札:7

墓地:5

山札:11

 

 

 

「私のターン……《ハヤテノ裁徒》を召喚して、合計3マナ軽減、1マナで《刻鳥ノ正裁Z》! 《プラズマ》をタップします。さらに4マナで《トライガード・チャージャー》、手札から一枚、シールドゾーンに置きます……! 《メシアカリバー》で攻撃!」

「《プラズマ》の革命2、手札から《クロック》を召喚! 君のターンは終了だ」

 

 霜ちゃんは《クロック》でローザさんのターンを飛ばす。

 これで残る《クロック》は一枚。

 

「ボクのターン、《Q.E.D.+》の能力で山札から五枚を見る。その中の一枚をトップに置き、残りは山札の下へ。そうしてから追加でドローする。その後、通常ドローだ」

「あぁ、これはこれは」

「……もう、ダメ……っぽい」

「4マナで《ライフプラン・チャージャー》を唱えて、《プラズマ》を手札に。7マナで《クロック》を《プラズマ》に進化! 四枚ドローして、G・ゼロで《クロスファイア 2nd》を召喚!」

 

 山札を掘り進んでカードを探し、さらに大量ドロー。

 ここまでやって、《クロック》が引けていない、なんてことはなさそうだ。

 

「《クロスファイア 2nd》で攻撃する時、《パラスキング》に侵略! シールドをブレイクだ!」

「これが最後のチャンス……S・トリガー! 《刻鳥ノ正裁Z》! 《プラズマ》と《パラスキング》をタップします!」

「ターンエンド」

 

 

 

ターン7

 

 

ローザ

場:《ハヤテノ裁徒》×3《ヒトノ造リシモノ》×2《メシアカリバー》《サッヴァーク†》

盾:0

マナ:8

手札:18

墓地:4

山札:2

 

 

場:《プラズマ》×3《パラスキング》×3《Q.E.D.+》

盾:2

マナ:11

手札:7

墓地:4

山札:4

 

 

 

「私のターン、ドロー」

「これで、ローザさんの山札は残り一枚……」

 

 つまりこれが、ローザさんのラストターン。

 このターンで決めきれなければ、ローザさんの負け。

 霜ちゃんが《クロック》を持っているかどうかの勝負。

 

「1マナで《戦慄のプレリュード》を唱えます。1マナで《ヒトノ造リシモノ》を召喚して、お互いのシールドをブレイクします。私には、シールドはありませんが」

「トリガーはない」

「さらに6マナ、《ヒトノ造リシモノ》を召喚! シールドをブレイク!」

 

 これで、霜ちゃんのシールドはゼロ。

 あとはローザさんの攻撃が通るかどうか。霜ちゃんが、《クロック》を手札に持っているかどうか。

 

「……実は、今のボクの手札には、《クロック》ないんだ」

「え? ということは……」

「いや、残念ながら君の期待は裏切るよ。引けないなと思っていたけど、それってつまり、こういうことなんだなって」

 

 霜ちゃんはブレイクされたシールドを、そのままバトルゾーンに置いた。

 

「S・トリガー、《終末の時計 ザ・クロック》」

「あ……」

 

 手札に《クロック》はない。《クロック》は引けなかった。

 だけどそれは、山札の中に最後の《クロック》がなかった、という意味でしかない。

 

「まあ、そうだよね。あんだけ大量ドローにサーチもしてるんだもん。山札なんてとっくに一周してる。なのに、《クロック》が手に入らないってことは」

「残りは……盾……」

 

 四枚目の《クロック》で、ターンが飛ばされたローザさん。

 最後の攻撃も、届くことはなかった。

 

「……ende」

「ボクのターン。このままなにもしなくてもボクの勝ちなんだが、そのデッキで革命0のようなカウンターもないだろう。温情みたいになってしまうが、きっちりとどめは刺すよ」

 

 霜ちゃんはそう言って、切り札と定めたそのカードを、横向きに倒した。

 

 

 

「《革命龍程式 プラズマ》で、ダイレクトアタックだ」




 対戦パートで終わらせるのって凄い久々というか、滅多になったよな、と思ったり。そのくらい今回は中身がスカスカ。各キャラのちょっとした掘り下げくらいですかね。
 クソどうでもいいことですけど、覚えている人がいるかはわかりませんが、謡の父親の平坂浄土(PN)は、名前だけなら14話の最初の方で出ています。まあ、本当どうでもいいことなんですが。
 今回の霜のデッキは、林間学校一日目午前で実子が使用していた、エビデゴラスビートの発展形です。作者はプラズマダンテという型(の殿堂規制による弱体化)も経てこのデッキに辿り着きました。《Q.E.D.+》のアンブロッカブル化と《パラスキング》の染色で、《バルチュリス》がマジで止まらない打点と化すのはなかなか楽しいです。《サイゾウミスト》は諦めろ。
 というところで、今回はここまで。誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。
 次回もお楽しみに。


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40話「釣られました [起]」

 こんなタイトルだけど釣りではない。ちゃんと真面目に書きましたよ今回は。
 まあ、当初書こうと思っていた話が、思いのほか思うように進まなくて、急遽別の話を前倒しする形で持ってきたのは、少しばかり無念ですが……
 ところで四話構成にすると、どうしても各話がナンバリングになっちゃいますよね。前後編とか、序破急とかできにゃい。起承転結は……なんか意味違う気もするしなぁ。


「はぁー……なんか、飽きてきたなぁ」

 

 彼は気怠そうに溜息を吐く。視線の先には、水面に沈む一筋の釣り糸。

 彼は“こちら”に来てから、ずっと釣りをしていた。海で、川で、磯で、沼で、池で、湖で。延々と釣り糸を垂らし続けてきた。

 一体、どれくらいそうしていただろうか。過ぎてみれば時間などあっという間、とても長い時間が経ったような気もする。だが同時に、それほど時間が経っていないような気もする。

 

「まさか、このぼくが釣りに飽きるなんてね、あいつがいないからかなぁ。なんやかんや、一人釣りって初めてだしなぁ。加えてここまでずぅっとお喋りの相手がいないんじゃ、流石に辛いねー」

 

 その悠久にして刹那の時間は、釣りを生業とする彼の精神さえも摩耗させていた。

 彼は顔を上げ、水平線の向こうまで目を向けて、ぐるりと首を回す。

 見渡す限りの、水の色。青く、蒼く、碧い。

 しかし彼はその海色に満足できなかった。

 

「こっちの海は汚いなぁ、景色で心を満たすこともできない。青黒いっていうか、なんか臭い。見た目が悪いだけじゃなくて、水そのものが気持ち悪い。毒でも流してるみたいだ。これならアッコロのクソタコのせいで海が赤くなる方がまだマシだよ」

 

 不平不満を垂れ流す。ここで相槌でも打ってくれる相方がいれば少しは気楽だったが、そんな相手もいない。

 ただ独り、ささやかな毒を吐くだけだ。

 

「あーあ、こんなことなら、クロノスの話に乗っとけば良かったかなぁ。どうせあいつが戻ってこないなら、気ままに釣りでもしてる方がいいと思って飛び出してきたけど……まさか、こんなにつまらないとは」

 

 ふわぁ、と欠伸をしたところで、竿が独りでに動く。

 ぐいぐいと引っ張られる感覚。大欠伸を噛み締めながら竿を上げると、小魚が一匹、食いついていた。

 それを見て彼は、舌打ちを一つ。

 

「……ちぇ、雑魚か。獲物がしょっぱいのも、飽きる原因だよなぁ。島を釣り上げるなんて伝説的神業はあれっきりにしても、せめてリヴァイアサン級の大物は釣りたいねぇ。こっちにはそのクラスの獲物はいないのかな? 星がちっちゃいから」

 

 小魚を海に放り投げ、再び釣り糸を垂らす。

 何千、何万、何億、何兆。星の数以上にやってきたことの繰り返し。

 今まで、それに飽きるなんてことはなかった。常に新しい獲物が、刺激があり、いつだって楽しかった。

 釣れた日は大漁に喜び、釣れない日は友との語らいを漏らして楽しんだ。

 しかし今はどうだ。釣れようが釣れまいが、なにも感じない。ただひたすらに虚無だ。

 自分の存在理由と言っても過言ではない行為が、価値のないものへと廃れていくような感覚に蝕まれる。

 

「なんやかんや、ネプトゥーヌスの頭でっかちがどやしに来たり、アッコロのタコ助が海を赤くして邪魔しに来たり、ヘルメスのド変態が獲物を掻っ攫ってたりしてた時の方が、楽しかったのかもなぁ」

 

 この今の苦痛に耐えかね、遠い昔の出来事を思いを馳せる。

 昨日の成果より今日の成果。それが信条だったはずなのに、過去に縋るだなんて、らしくない。

 釣果を語るものとしての誇りもなにもが、掠れて、薄れてしまったのだろうか。

 

「まあでも、もう皆いなくなっちゃったし、仕方ないか。いないもんはしゃーない。僕には、もう釣り(これ)しか残ってないわけだし」

 

 だから、こうするしかない。

 半ば惰性で、ほとんど諦めて、彼は僅かに、竿を揺らした。

 

「ん……いや、考え方を変えるか」

 

 と、そこで。

 彼はふと思いつく。

 悪巧みをするには釣りが一番だ。釣りをしていたら、次の悪戯が思い浮かぶ。そう言っていたのは“彼”だった。

 そんなことを思い出しながら、思考を巡らせる。

 普段ならなにも考えずに釣り糸を沈めているだけだが、今は考える。頭を回転させる。

 

「海釣りも川釣りも磯釣りも池釣りも沼釣りも湖釣りも、場所で分類される釣りはコンプした。なら、獲物に狙いを付けてみよう」

 

 ただの釣りには飽きた。なら、その釣りの趣向そのものを変えれば、いいのではないか。

 

「でも、そうだなぁ。もう大抵の獲物は釣っちゃったっぽいしなぁ。っていうかこっちの獲物は、どれもこれも似たような姿で、面白みに欠ける。この前釣ったでっかいタコも、アッコロに比べればちっぽけだったしなぁ」

 

 もっとも、あの神話の化物の方が規格外なんだけど、と彼は呟く。

 釣りそのものの趣向を変える。釣りに目的を付ける。彼の信条からすればそれは邪道だが、あまりにも退屈すぎて、その信条を曲げることにも躊躇いは薄かった。

 しかし、幻の魚だとか、すべての生き物を釣り上げる、という目標ではダメだ。その程度のことは、既に通過している。

 彼に釣り上げていない獲物など、もはや存在しないだろう。

 

「……違うな。ぼくにもまだ、こっちで釣っていないものはある」

 

 海の魚も、川の魚も、磯の魚も、池の魚も、沼の魚も、湖の魚も、あらゆる獲物を釣り上げた。

 しかそ“水中の外”の獲物はまだ、釣っていない。

 

「獲物はなにも、海にしかいないわけじゃない。水の中だけじゃない。そして“釣り上げる”という行為は、必ずしも釣り竿と釣り針で為されるものではない」

 

 自分が語るべき相棒は、島をも釣り上げた。“彼”と彼は、それを釣果として、神話になった。

 ならば、水の外に目を向け、獲物を釣り上げることに挑戦するのも、アリではないか。

 

「暇すぎて死にそうだし、たまには頭を使って釣りをしますか」

 

 それは、今まで自分が為してきたような釣りではないけれど。

 “彼”がしてきたこと。それに近しいなにかではありそうだった。

 

「ぼくはただの釣り針でしかないけど……これでも釣果の神話を語る者。ま、やるだけやってみよう。どうもこっちには、あっちから流れてきた奴らがたくさんいるようだし、そいつらを使えばいいかな」

 

 彼は、竿を上げる。魚はかかっていなかった。

 竿を担ぐと、海を背に、陸を見遣る。

 今までずっと海を見てきたので、大地と向き合うというのは、生を受けて初めてのことかもしれない。

 その新鮮さに、ほんの僅かに退屈を満たす高揚を覚えつつ、彼は歩み始める。

 

 

 

「それじゃあ。この世界に、釣り糸を垂らしてみようか――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 こんにちは、伊勢小鈴です。

 もうすっかり秋です。栗やお芋のパンがおいしい季節です。

 今は帰りのHR中。しばらく休んでいた、担任の鹿島先生も戻ってきました。

 

「――んじゃーそんな感じで、学祭準備は進めといてくれ。で、他の連絡事項は……」

 

 先生は乱雑にまとまったプリントの束をめくっている。

 体育祭、文化祭、中間考査――秋は行事とかが色々ある季節なので、先生も連絡事項が多くて大変そうです。

 

「これは、あー……まあ、あんま関係なさそうだけど、連絡しとけって職員会議で言われたし、伝えとくか。最近、悪質なブラックバイトが流行ってるっぽい」

 

 ブラックバイト?

 バイトって、アルバイトだよね。それがブラック……ブラック企業みたいなもの?

 

「なんでもずっと家に帰ってこない奴もいるらしくてな……まあ、お前らは中学生だし、まずアルバイトなんてできないから、あんまり関係はないな。だが、間違っても変な誘いには乗るなよ」

 

 そう釘を刺すと、鹿島先生はプリントを纏めた束を、無造作にファイルの中に突っ込んだ。

 

「さて、そんなもんか。これでHR終わりだ。最近は寒くなってきたし、欠席者も多いから、風邪には気をつけろよ。んじゃ、解散!」

 

 その快活な声と共に、ガタガタとクラスメイトたちが立ち上がる。圧力や束縛から解放されたかのように、ゆるりと各々の時間をはじめる。

 そしてそれは、わたしたちも例外ではない。

 とりあえず教科書とかを鞄の中に詰めていると、みのりちゃんがゆらりとやって来た。恋ちゃんもいる。

 

「ブラックバイトだって。最近はブラックな職場の話ばっかりだねぇ」

「………そんな話……する……?」

「ツイッターとかで」

「うぅん……いや……年齢層、ちがう……から……」

 

 ツイッター……わたしはやってないけど、二人はやってるのかな?

 わたしがやらない理由は、うっかりお母さんの本――まだ印刷されていない、いわゆる生原稿――の感想を言っちゃったら、色んなところに迷惑をかけちゃうからなんだけど。

 そういう、うっかりなことがないとも限らないから、怖くてSNSとかできないんだよね……

 

「ブラックバイトか……なんかその話、兄貴から聞いたことある気がするな。まあ、兄貴の話なんてどうでもいいんだけど」

「水早さんは、お兄さんと仲が悪いのですか?」

「えっ? どうして?」

「お兄さんのことを、蔑ろにしているような言動が見受けられます。ダメですよ、ご兄弟なら、互いに敬い、認め合わなければ」

「そーですそーです! ユーちゃんはローちゃんと、とっても仲良しなんですよ! 霜さんもおにーさんと仲良くです!」

「いや、そんなこと言われても……兄貴だしなぁ」

「いい人だと思うけどな、霜ちゃんのお兄さん」

「悪い奴じゃないけど、特別いい奴ってわけでもないし。大体、兄弟なんてこんなもんじゃないのか?」

「ユーちゃんとローちゃんは仲良しさんです!」

「わ、わたしも、お姉ちゃんとは仲良いよ? たまに怒られるけど……」

「私も……仲良し……つきにぃ、ごはん、作ってくれる……おいしい……」

「恋のはなんか違うだろ、色んな意味で」

「私はぁー、兄弟姉妹とかぁー、いないんですけどぉー?」

「実子は実子で、なんか面倒くさい絡み方するし……くっ、まさかあんな兄貴のせいで、こんな変に話がこじれるとは……!」

 

 はぁ、と嘆息する霜ちゃん。

 霜ちゃんのお兄さん、霜ちゃんと出会う前にちょっと会ったことがある、くらいの面識しかなくて、名前も知らないけど……確か、あの人も元学援部、なんだよね。

 剣埼――いつきくんの、先輩。だったらやっぱり、悪い人ではなさそうだけど。

 霜ちゃんはお兄さんのこと、苦手なのかな?

 

「しかしブラックバイトね……兄貴はよく「うちのバイト先はブラックだ」って文句垂れてるけど」

「へぇ、どこ?」

「コンビニ」

「うわ普通。面白くないなぁ」

「だろうね」

「そういえば、先生も仰っていましたね。Arbeit……日本では、非正規の雇用のことでしたか」

「やー、就職とかまったく知らんけど、非正規だからってバリバリコキ使う会社が多いらしいね」

「嘆かわしい限りです。労働には、人の行いには、それ相応の対価があってしかるべきです」

「ま、まだボクらには関係ない。三年後くらいには改善されていることを願おう」

「まーねー。どうでもいいよねー、ブラックバイトとか」

「でも、結構な大事になってるみたいだよ、そのブラックバイト」

「え……? うわっ!?」

 

 ぬぅっと、わたしたちよりも大きな人影が現れる。

 線が細くて、柔和そうな顔立ちで、だけどどことなく怪しげな笑みを貼り付けたこの人は……

 

「お、朧さん……? どうしてここに……?」

 

 二年生の、若垣朧さんだ。

 新聞部に所属していて、この前の『用事連続殺傷事件』や『動物惨殺事件』では、色々お世話になった。わたしたちとも、決して浅くない関係の人だ。

 でも、ここは一年生の教室だし、どうして二年生の朧さんが?

 

「狭霧ちゃんに用があって来たんだけど……いない?」

「え、狭霧さん、ですか? さっきまでいた気がするんですけど……」

 

 狭霧さんというのは、若垣狭霧さん。わたしたちのクラスメイトで、朧さんの妹さんだ。

 ちょっと……少し? いや結構? 変わった人で、自由というか、傍若無人というか……気ままな人だ。

 朧さんも狭霧さんによく振り回されているみたいで、色々苦労しているようです。

 

「参ったな、オレだけじゃ手に余りそうだから、狭霧ちゃんにも手伝って欲しかったんだけど。メロンソーダを優先されてしまったかな、これは……まあいいや。どうせだし、ちょっとお喋りしよう」

「……なにか企んでるんですか?」

「まさか! オレには、企みなんてないよ。ただ今回の件は、うちの部でも注意勧告を兼ねて取り上げようと思ってね」

 

 今回の件、というのは、先生も言っていたブラックバイトのことだろう。

 朧さんは、噂や事件に非常に敏感だ。好奇心旺盛というか、知りたがりというか……とにかく、なにかがあれば、即座にその情報を手に入れてくる。中には、ものすごくどうでもいい情報とか、眉唾すぎるものも少なくないけど……

 そしてついさっき、先生が言っていたブラックバイトの話。これについても、もう情報を入手しているようだった。

 

「実は今話題のブラックバイトだけどね、これは労働基準法に触れるような企業の総称、不特定多数の職場のことを指す……というわけではなさそうなんだ」

「……ある一つの企業の隠語(スラング)、ってことですか?」

「恐らくはね。まあ、だいぶ都市伝説染みてるけど」

「まーた都市伝説かぁ。前もそんなんじゃありませんでした?」

「うにゅ……」

「…………」

 

 ユーちゃんとローザさんが、苦虫を噛み潰したような、苦い表情をしている。

 以前、朧さんと一緒に捜査した事件は、結局はうやむやのまま立ち消えた、ってことになったけど、実際はそうではなかった。

 朧さんには、クリーチャーのこととか、“あの人たち”のこととかは言えないから、わたしたちも誤魔化すしかなかったけど……

 都市伝説ではないかと始まった以前の事件は、本物の殺傷事件と化していた。

 じゃあ、今回は……?

 

「で、その都市伝説というのは?」

「どこかにひっそりと存在する工場で、夜な夜なこの世のものではない“なにか”を生産している、みたいな話だね」

「怪談っぽいですね」

「っていうか、かなーりふんわりした話ですね?」

「まあ、都市伝説だから」

「あの、それは、なにを作ってるんですか……?」

「さぁ? 地球外の食べ物だとか、万病に効く薬だとか、あるいは逆に強烈な毒性を持つ毒薬だとか。世界を滅ぼす兵器を作ってるなんて、ぶっ飛んだ噂もあるよ。ほとんど与太話だけどね」

 

 うーん……確かに、どれも事実とは思えなかった。

 噂には尾ひれが付く、とはよく言うけど、これじゃあ噂というより、ほとんど妄想だ。

 

「まあなにを作っているのかは、そこまで問題視されていない。というかさっぱりだ。大事なのは、両親や友人になにも告げず、ふらっと働きに出る者がいる、ということだ」

「働きに出るって、わかるんですか?」

「夜遅くに帰ってきた学生が、両親に言ったそうだよ「バイトしてた」って」

「そのくらいなら、別にそーんな変な感じしないですけどねぇ」

「それが連日続いて、色んな場所で発生して……ってなると、ちょっとずつ怪しさが浮き彫りになるんだよ。バイト先の連絡先もわからないし、業務内容は覚えてなくて、給金も出ていなさそう、とかなんとか」

「それは……確かに、怪しい、ですね」

 

 その話自体、どこまで真実かはわからない。さっきも言ったように、噂話には尾ひれがつくものだから。

 だけど、そんな話が噂としてある以上、すべてがすべて、まるっきり嘘とも言い切れない。

 

「なにより怪しいのは、企業実体がまるっきり不明ってことだ。どこの会社、どこの企業、どこの職場、なにもかもがわからない。なのに、働きに出ている人は皆、その不明な職場に向かっている様子。警察とか探偵とかも動いてるけど、軒並み行方不明になってるって話もある。いやぁ、好奇心をくすぐられるね」

「…………」

「おっと、そんな目で見ないでよ。今回は君たちに協力を要請するつもりはないよ。君らには、この前の事件で色々と迷惑をかけちゃったしね。今回はオレ個人……というか、普通に部として動くつもりさ」

 

 と、まるで弁明するように言う朧さん。

 霜ちゃんやみのりちゃんは、ずっと朧さんがなにか企んでいるんじゃないかと疑っていたけど……あの時、騙していたのはどっちかっていうとこっちだし、わたしはちょっぴり罪悪感がある。

 今回は……朧さんは新聞部として活動するみたいだから、わたしたちの出番はないんだろうけど。

 

「オレは基本的に、ソロで動く方が好きなんだよ。組むとしたら、信用に足る兄弟姉妹くらいだ」

「Ja! おねーちゃんは大事です! 朧さんも、ちゃんとわかってます!」

「言外にボクらは信用できないって言われてるようなのですが」

「ごめん、そういうわけじゃないんだ。ただ、この前はそうせざるを得なかっただけで、基本的にオレは、初心者素人を取材に引きずり回したりはしないって話。あの時はイレギュラーで、君たちとは、もっと純粋な先輩後輩関係くらいでとどめておきたいのさ」

 

 そう言って、朧さんは少しだけ、わたしたちから視線を外す。

 どこか遠くを見るような目で、ぼそりとなにかを呟いた。

 

「……それに、厄介な人に目をつけられて、安易に君らには手を出せないしね」

「へー。誰に目ぇつけられてるの?」

 

 と、その時だ。

 また、ぬぅっと人影が忍び寄る。

 朧さんはその声に身体を震わせ、振り返ると、目を剥いた。

 

「! げっ、長良川さん……!」

「げっ、ってなにさ」

 

 その人影は、謡さん――長良川謡さんだった。

 そういえば、朧さんと謡さんはクラスメイトなんだっけ。

 なぜか朧さんは、謡を見てたじろいでいるけど……

 

「いや……なんでもない、なんでもないよ。オレはなにも言っていない。オレは記者だからね、個人の思想は持たないんだよ」

 

 朧さんは、どういうわけか慌てているように見えた。

 ……どうして?

 

「それじゃあ、オレはこのへんで失礼するよ。狭霧ちゃんも探さないといけないしね。ばいばい!」

 

 と言って、朧さんはそそくさと、足早に、逃げるように、1-Aの教室を後にした。

 

「……なんだったんだろうな、あの人」

「というか、謡さんはどうしてここに……? あ、ひょっとして生徒会のお仕事とかですか?」

「いんや? 生徒会室に行くの嫌だから、適当にぶらぶらしてた」

「またサボリか」

「ダメですよ、長良川先輩。自分の役目は……特に、自分で選んだことなら、しっかりとやり遂げないと」

「耳が痛いなぁ。でも、私もやることはちゃんとやってるから」

「確かにお姉ちゃんも「やらせたことは大抵きっちりやるんだけどね」って言ってたような……」

「実子みたいな要領よく手抜きする、小狡いタイプか」

「え。私、先輩と同じ扱い? うっそでしょ」

「私は実子ちゃんが不満げなのが不満だよ」

 

 唇を尖らせる謡さん。けれど、すぐにいつものニコニコした表情に変わる。

 

「ま、私のことはいいんだよ。それより皆、今日も姉ちゃんのバイト先行くの?」

「なにもないなら、ボクはそのつもりだったが……」

 

 今日も今日とてワンダーランドへ……と思ったけど、今日のわたしには、少し考えがあります。

 考えっていうか、提案が。

 

「それなら、その前にちょっと寄り道してもいい?」

「寄り道? どこに?」

「どこ? うーん……どこだろう」

「? 小鈴、君はなにを言ってるんだ?」

 

 どこ、と聞かれるとなんと答えればいいのか困ってしまいます。

 それはどこにでもあるようで、そこにあるとは限らない、どこかにあるものだから。

 哲学じゃないよ。実際そうで、あれをどう表現するべきか、わたしはちょっとだけ悩みました。

 

「えーっとね、最近おいしいパン屋さんを見つけたの。ちょっとよくわかんないパンなんだけど」

「よくわからないってなにさ。なんか怖いな」

「それって、お昼に食べてたドーナツみたいなやつ?」

「うんっ。今日は運良く朝に出会えたから、買えたんだ」

「……出会えた?」

 

 霜ちゃんがつっつく。

 そうです。わたしは今朝、運命的な出会いをしたのです。

 それは偶然で、奇跡的な邂逅。

 そう、それは、いわゆる……

 

「移動屋台なの、そのパン屋さん」

「移動屋台! それはまた珍しいね」

「しかも焼き芋やラーメンじゃなくてパンか」

「そう、こういうの」

「まだ持ってるし」

 

 わたしは、包装に包まれたパンを取り出す。

 あんまりおいしそうで珍しかったから、たくさん買い込んじゃったんだよね。鞄を圧迫して、潰れちゃいそうです。

 

「おいしそーですね!」

「おいしいよ? みんなも食べる?」

Esse(食べます)!」

「いや……ボクはいい」

「おなじく……なんか、こわい……」

 

 ユーちゃんは受け取ってくれたけど、霜ちゃんと恋ちゃん、それからローザさんと謡さんにも、受け取りを拒否されてしまいました。

 うーん、残念。おいしいのに。

 

「みのりちゃんは?」

「ん……んー……」

「なにを悩んでるんだ。君は食い物には貪欲だろう。迷わず食いつくと思ったが」

「いや、そりゃタダ飯食えるなら万々歳なんだけど、小鈴ちゃんから食べさせられるものって、なんか悪夢が……」

「あぁ……なつまつり……」

 

 夏祭り? あぁ、懐かしい。

 みんなで、たこ焼きとか、焼きそばとか、焼きとうもろこしとか、フランクフルトとか、わたあめとか、りんご飴とか、ケバブとか、たくさん一緒に食べたよね。楽しかったなぁ。

 みのりちゃんはしばらく、うーん、うーんと唸って、答えを出す。

 

「うーん……やめとこう。私も怖い」

「そっかぁ。残念」

「おいひーでふ。むぐむぐ」

「ユーちゃん、ほっぺにお砂糖ついてるよ」

「うにゅ、Danke! ローちゃん!」

「しかし、これはなんだ? ドーナツか?」

 

 今ユーちゃんがもぐもぐとおいしそうに食べているパンは、楕円形の揚げパンみたいなもので、表面にグラニュー糖っぽいものがまぶしてある。

 食感からして油で揚げていることは確実。生地になにか練り込んでいるのかもしれないけど、わたしもどういうパンなのか、よくわからない。ドーナツ、という表現が一番近いと思うのだけれど。

 でも揚げパンっぽいから、わたしは大好きだよ。

 

「……まあいいや。じゃあ、道すがらその移動パン屋台とやらを探しつつ、ワンダーランド行こうか」

「そうしよ。みんなもきっと気に入るよ」

「ちなみに、他にどんなパンがあるの?」

「え? これだけですよ?」

「一種類だけかよ! なら今食べても、後で食べても同じじゃないか?」

「作り立ては違うんだよ!」

「へぇー、作り立てなんだ」

「いえ、包装されてるので、たぶん別のところで作って、それを売ってるだけだと思います」

「……小鈴ってさ、なんで食べ物が絡むと知能が下がるの?」

「えっ!? な、なんの話?」

「……ポンコツイーター……」

「ポンコツ!?」

 

 と、その時。

 ザザザ……とノイズがかった音が聞こえる。

 それは私たちの頭上――各教室や廊下に設置されている、スピーカーから発せられていた。

 

 

 

『えーっと……名前なんだっけ……そう、1-Aの伊勢。至急、職員室の木馬……じゃない。陸奥国のところまで来てください』

 

 

 

 というところで、放送は途切れた。繰り返しの放送もない。

 呼ばれたのは、わたしの名前。そして、あの声は……

 

「……今のって、先生?」

「あのやる気と正体を隠す気のない呼び出しは、間違いなくあの人だな。小鈴、呼ばれてるけど」

 

 先生がわたしを呼ぶなんて珍しい……しかも校内放送で。

 

「一人で大丈夫?」

「大丈夫だよ。学校だし、場所も職員室だから」

「念のため、スキンブルに見張らせとこうか」

「そんな、警戒しすぎですって……」

「小鈴、君は以前、痛い目を見たことをもう忘れたのか?」

「だ、だってあれは……先生も悪くないというか、そんなに故意って感じじゃなかったっていうか……」

 

 ただ職員室に呼ばれただけなのに、みんな大袈裟だよ。

 

「……はぁ。小鈴の危機意識の低さは問題だが、確かにここでそんな派手に動くとは思えないな」

「そ、そうだよ。気にしすぎだって」

「……それより……呼び出し、って……なに……? めずらしい……」

「校内放送を使ったのですから、授業に関するなにか、ではないのですか? あるいは委員会とか」

「いやぁ、あの先生、採点も回収も面倒くさがって、小テストどころか宿題すら出さないんだよ?」

「わたしも、なにも委員会には入ってないし……」

「謎すぎるな……」

 

 うん、言われてみると、呼び出される心当たりはまったくない。

 先生も、あんまりわたしたちと干渉したがらない……っていうか、あんまり生徒や学校関係者と、もっと言えば姉兄にとは無関係のものとは関わろうとしたがらないから、こういうのは本当に珍しい。

 逆に言えば、それだけ大切な用事、ってことなのかな……

 

「じゃあ、とりあえずスキンブルには見張らせておくよ。私たちは、昇降口あたりで待ってよう。行ってらっしゃい、妹ちゃん」

「あ、はい。それじゃあ、行ってくるね」

「はい。お気を付けて」

 

 そうして、わたしは一人で職員室に向かった。

 ……本当に、なんの用事なんだろう?

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「し、失礼しまーす……陸奥国先生は、いらっしゃいますか……?」

 

 コンコンと軽くノックしてから、職員室に入る。

 職員室に入ったのは一度や二度じゃないけど、どうもこの場所に来ると、無条件で緊張してしまう。

 わたしは職員室に入ると、キョロキョロと先生の机を探す。すると、奥の方から、片腕が伸びるのが見えた。

 

「こっちですよ」

「あ、はい。今行きます」

 

 腕はすぐに引っ込んでしまったけど、目的地はわかった。

 わたしは一直線に先生の机へと向かう。

 先生の机は、結構きれいだった……いや、きれいすぎない?

 プリントの一枚もない。それはきれいに整理整頓しているというよりは、仕事したくないから、仕事に関わるものはすべて退けた、ということを示しているみたいだった。

 そのことについて言及しようかと一瞬迷ったけど、先生は眉間に皺を寄せていて、明らかに不機嫌そうだったので、やめました。怖いです、先生。

 

「え……えっと、な、なにかご用ですか? 先生……?」

「えぇ。これを」

 

 そう言って先生は、折り畳んだメモを手渡した。

 そして、

 

「以上です。もう帰っていいですよ」

「……え?」

「聞こえませんでした? 難聴ですね。とっとと帰れと言いました」

「え、えっと……これは……?」

「開いて確認してください。私はまだ仕事が残っています。これ以上、あなたにリソースを裂きたくない」

「はぁ……?」

 

 そのまっさらな机でなんの仕事をするんだろう?

 いや、もっと他に聞きたいことはあったけど、先生はどうもピリピリしていて、怒っている節さえあったので、それ以上の言及は怖くてできませんでした。

 

「し、失礼しましたー……?」

 

 わたしは困惑しながら、そそくさと逃げるように職員室を後にする。

 

「な、なんだろう、このメモ」

 

 そして、先生から貰ったメモを開く。

 そこに書かれていたのは――

 

 

 

[カフェ Walrus & Carpenter]

 

 

 

「――? ? ……?」

 

 カフェ? ……え? なにこれ?

 えぇっと、この英語の文字。これはカフェの……お店の名前?

 うーん、よくわからない。

 わからないけど、とりあえずわたしは、みんなが待っている昇降口へと向かう。けれどそこにみんなの姿はなかった。

 校門の方かな? と思ってそっちに向かうと、予想通り、みんなは校門前にいた。

 それと、

 

「お、小鈴ちゃん戻ってきた」

「わーい! 鈴ちゃんなのよー!」

「わっ、葉子さん……!」

 

 ぎゅむっ、といきなり抱きついてきた、背が高くてスタイル抜群の女の人――陸奥国葉子さん。

 本当の名前は『バタつきパンチョウ』さんっていって、先生のお姉さんだ。今は購買の店員さんをやってて、わたしもよくお世話になってる。

 

「もー、おねーちゃんは悲しいのよー。毎日見てたはずのすずちゃんの顔が、今日は見れなかったのよー」

「ご、ごめんなさい、今日は先に買ってて……そ、それより、あの、葉子さん、苦しいです……胸が……お胸が……」

 

 ぎゅうぎゅうと、すごい質量のものが押しつけられて、息苦しい。葉子さんは背も高いから、ちょうどわたしの頭が埋まっちゃう。息ができない。

 

「小鈴ちゃんが人の胸に圧殺されているところを見るのはなかなか圧巻」

「いんがおほー……」

「わたしが誰かを胸で窒息させたみたいな言い方やめてよ!」

 

 ガバッ、と葉子さんの抱擁から脱出する。というか、普通に手を離してくれた。

 

「そんなことより鈴ちゃん、これからお帰り? お出かけなのよ?」

「あ、そうなんです。これから動くパン屋さんに行くんです」

「動くパン屋って」

「葉子さんも行きますか?」

「それはとっても魅力的なのよ! でも残念ながら、今日の私はトンボとハエ太を待ってるのよ」

 

 葉子さんは、お仕事が終わると、たびたび校門前で弟さん――先生と、用務員のお兄さん――を待っている。

 元々朗らかで明るい性格だし、美人さんだし、スタイルいいし、目立つから、校門前にいるだけでも存在感があって、あっという間に学園の人気者になったりしてる。

 それはそれとして、すごく兄弟思いなお姉さんだから、今日も弟さんたちを待っているみたい。一緒に歩いて帰るために。ただそれだけのために。

 なんでもないことだけど、そのなんでもないことのために力を尽くす葉子さんは、すごく輝いて見える。

 人気者になるのも、当然だね。

 

「うーん、なら、今朝買ったもので良かったら、食べます?」

「本当? ありがとう、鈴ちゃん!」

 

 鞄から、できるだけ潰れていないパンの包みを一つ取り出して、葉子さんに手渡す。

 葉子さんはおいしそうに、もぐもぐとパンを頬張っていた。

 すごくきれいな人なのに、その仕草というか、表情とかは、わたしたちとあまり変わらないようにも感じられる。

 童顔と言ってしまえばそれまでだけど、その幼さも、若さも、ひとつの魅力だ。

 

「ところで小鈴、あの無気力教師の要件はなんだったんだい?」

「あ、うん。なんか、メモを渡されたんだけど……それだけ」

「それだけ? どんなメモだ?」

「こんなの」

 

 みんなに[カフェ Walrus & Carpenter]と書かれたメモを差し出す。みんなはそのメモを覗き込む。

 

「う゛ぁるーず、あんと、かるぺんたぁ……?」

「わーるず、あんど、きゃるぺんたぁ……」

「ヴァールズ・カーペンターじゃないか? 意味はわからないが」

「カーペンターは大工じゃない? ヴァールズはわかんないけど」

「お、《フェイト・カーペンター》だね」

「関係ないぞ」

「というか、これが読めたからなに? って話だよね」

 

 みんなも首を捻っていた。そうだよね、これだけじゃよくわからないよね。

 

「たぶん、これはお店の名前だと思うんだけど……」

「カフェってあるしな。今調べたが、わりと近所の喫茶店だ」

「ここに行けってこと?」

「さぁ……? でも、そうなんじゃないかな」

「なーんか怪しいねー」

 

 わたしは、メモを渡されただけだから、この場所を教えられても、どうすればいいのかわからない。

 普通に考えたら、この場所に行けってことなんだろうけど、その理由も、意義も、なにもかもが不明だ。

 どうしようか困っていると、葉子さんがパンを頬張りながら、ひょっこり首を伸ばして顔を覗かせる。

 

「どしたのよ?」

「葉子さん……えっと、先生からこんなメモを渡されたんですけど、なにかご存じですか?」

「ハエ太が? ……はっ! 電話番号のメモと言えばコールガール! まさか、お姉ちゃんに黙ってそんなウサちゃんみたいなイケナイことを……!」

「電話番号じゃなくて……お店の名前みたいなんですけど」

 

 と、葉子さんにもメモを見せると、どうやらなにか心当たりがあったようだ。

 

「ん? あらら、これってカキちゃんがお仕事してるところなのよ」

「カキちゃんって……えーっと、アヤハさんですか?」

「そうそう、『ヤングオイスターズ』の長女のカキちゃん」

 

 『ヤングオイスターズ』――十二人の兄弟姉妹という群そのものが個体であり、同時に個々は群の集合意識でもある。

 ……と、正直わたしもよくわからないんだけど、なんだかすごく特殊な人たちで、葉子さんたちの仲間だ。

 その一人、長女である女の人が、アヤハさん。

 アヤハさんには、朧さんとも一緒に捜索した、この前の事件ですごくお世話になった。

 どうも色んなところでアルバイトをしているみたいだけど、このカフェが、アヤハさんのバイト先?

 

「あの人の勤め先だって? なんか、ますます怪しいぞ」

「罠じゃん?」

「でも……これが、罠、なら……頭、悪すぎ……」

 

 まあ、なにも隠してないしね……

 ここに行け、なんて罠としてはあまりにも露骨だ。先生は別に行けと言ったわけじゃないけど。

 

「罠かぁ。カキちゃんは、あんまそーゆーことするタイプじゃないけどなぁ?」

 

 そしてその説は、葉子さんも否定する。

 

「カキちゃんはちょっぴり乱暴だけど、どっちかっていうと保守的なのよ。やらされてるならともかく、罠を仕掛けるような子じゃないのよー」

「……それはまず、あなたを信用していいかという話ですけども」

「むむ、そう言われちゃうのは悲しいのよ。おねーちゃんは信用第一なのよー」

「わけわからん姉理論を振りかざさないでください」

「わたしは、葉子さんは信用できると思うけど……」

「君は色々絆されやすいから……まあ、仮に罠としても意味不明すぎるし、なにか気になるものではあるけど」

 

 罠とするにはお粗末すぎる。

 なら、ここにはなにがある? 先生は、アヤハさんは、わたしたちになにを求めている?

 少なくともここに行けば、それはわかるだろう。

 

「どうする? 妹ちゃん」

「……行ってみよう」

 

 アヤハさんとも――【不思議の国の住人】の人たちとは、因縁浅からぬ関係だ。知らぬ存ぜぬを決め込むことはできない。

 

「それじゃあ葉子さん、また明日」

「はーい。ばいばーい、なのよー!」

 

 葉子さんに見送られながら、わたしたちは『カフェ Walrus & Carpenter』へと向かう。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 学校を出てしばらく歩くと、『Walrus & Carpenter』と書かれた見えてきた。

 外装は……とても、普通だ。なにも言うことがない。強いて言うなら、結構大きな喫茶店に見える、っていうことくらいかな。

 ただ看板に、金槌を持った大工っぽい小人と、アザラシなのかトドなのかセイウチなのかジュゴンなのかマナティーなのかわからないけど、海洋の哺乳類っぽい生き物が、向かい合って貝を食べているシュールなイラストが、妙に印象に残る。

 お店に入ると、快活な店員さんが迎えてくれた。

 

「いらっしゃいませー! 何名様でしょうか?」

「七人、なんですけど……その、人を待ってて……?」

「あ、そうでしたか。どちら様でしょう?」

「えぇっと、アヤハさんっていう……あれ、アヤハさんの苗字ってなに?」

「知らないよ」

 

 そういえば、ちゃんと名乗ってもらったことなかったっけ。名前を知ったのは、なっちゃんがアヤハさんのことをそう呼んでたからだし。

 なんて思っていると、店員さんの方から切り出してきました。

 

「アヤハ……? もしかして、うちで働いてるアヤハちゃんのお知り合い?」

「あ、そうですっ」

「そういえば、ここでバイトしてるって言ってたな」

「アヤハちゃんから誰か来るとかそんな話を聞いたような……アヤハちゃんはもうアガリだから、待ってたらすぐ来ますよ。今は弟さんがいますけど」

「弟……?」

「あちらです。ご案内します」

「……あの、すみません。その前に、ちょっと、おトイレ行ってきていいですか?」

「どうぞ。お手洗いはあちらになります。当店は男女共用なので、ご注意ください」

「Ja。Danke」

 

 ユーちゃんがお手洗いに行き、わたしたちは店員さんの案内で奥の広い席に案内される。

 そこには、男の人が一人、座していた。静かに、微動だにせず。

 大人の人……に見えるけど、どこかの学校の制服みたいなブレザーを着ている。高校生、かな……?

 

「それでは、ごゆっくり」

 

 店員さんが引っ込んでしまい、わたしたちも各々席に着く。

 けれど、男の人はまるで動く気配がなくて、じぃっとわたしたちを見つめている。

 ……な、なんか、怖いです……

 前髪の切れ目から覗く眼差しが鋭く、まるで獲物を狙う猛禽か、海獣のようだった。

 表情はない。どことなくムスッとしているようにも見えるけど、なにを思っているのか、なにを考えているのか、上手く読み取れない。

 

「えっと、あの……」

「……マジカル・ベルか」

 

 どうしようかとたじろいでいると、ゆるりと、男の人は口を開いた。

 とても低く、重くのしかかるような声で。

 

「『ヤングオイスターズ』の長男だ」

「あなたが、アヤハさんの弟さん……?」

「あぁ。お前たちは、姉のことをそう呼ぶのか……なら、識別名が欲しければ、アギリとでも呼べ」

「アギリさん、ですか?」

「どちらも同じヤングオイスターズだ、識別する呼称がなければ不便だろう。逆に言えばこの名は、その程度の意味しかない」

 

 すごく淡々としていて、事務的で、機械的だとさえ感じる声だ。

 

「長男ってことは、アヤハさんのいっこ下……?」

「年齢のことではあるまい。順番で言うなら、そうだ。二番目だ。つまり、次世代の『ヤングオイスターズ』の頭目(一番目)となる」

 

 次世代の、一番目……?

 今、ヤングオイスターズの兄弟姉妹で一番お姉さんなのは、アヤハさんなはず。

 けれど次世代……次があるという言い方は……それは……

 

「そうだ。姉の寿命も、そう長くない。ヤングオイスターズも、次の世代について考えなくてはならない頃合いだ」

「っ……!」

 

 寿命が、長くない……?

 それって……でも……

 

「あ、アヤハさんは、まだすごく若いですよ……?」

「人間の年齢で言えば、今は19か。さて、若いと呼べるのは、あと何年だろうな。若さを失えば、我々は存在を確立できなくなる。そして若さの定義とは曖昧で絶対ではない。いつ、若さという定義から外れ、ヤングオイスターズの定義から外れ、その存在を見失うか。それは我々にもわからない。すべては姉次第だ」

「それは……」

「……お前たちに案じられることではない。が、申し訳ない。つまらない話をしたな」

「まったくだぜ」

 

 と、その時。

 どことなく粗野で、ハスキーな声が聞こえてきた。

 

「姉ちゃんが死ぬ話とかしてんじゃねーよタコ。ワタシはまだ、お前らを置いて死ぬつもりなんてねーっての」

 

 アヤハさんだ。

 アヤハさんは、ギロリとした鋭い眼光を、アギリさんに向け、見下ろしている。

 けれどアギリさんも、そんなアヤハさんに食いつくように、睨み返す。

 

「だが、現実問題として、あなたの寿命は残り短い。帽子屋もそのことを懸念している」

「ダンナはダンナだ。ワタシはワタシだ。んで、お前らも、お前らだ。生き様をてめぇ以外で決めるもんじゃねーだろ」

「だが、あなたは、(ボク)たちでもある。あなたの命は、あなただけのものではない。それに、あなたは発言と行動が矛盾している」

「あんだと?」

「自分の生き様は自分で決めると言いながら、あなたはなに一つ、自分では決められていない。帽子屋に唆され、いいように操られ、振り回され、そして縋っているだけだ。自分の本当の意志を殺している」

「……帽子屋のダンナには恩義もある。それに、今はあの人に着いていく方が合理的だろ」

「違う。それは合理性ではない。怠惰と諦念だ。よりよい選択肢を探す努力を怠っているだけだ」

「じゃあ、その選択肢を探る間、ワタシらはどう生きればいいんだよ。理想ばっか語って、現実を見やがれ」

「わかっている。(ボク)はあなたとは違う。兄弟姉妹(ボク)が今よりも幸せな未来に進めるよう、あらゆる知識を、技術を、経験を、蓄えている」

「…………」

「……姉様。そんなボロボロの身体で、いつまで殻に閉じこもっているつもりだ。あなたがそうだから、いつまでたっても俺(ボク)たちは哀れな若牡蠣なんだ」

 

 睨み合いは口論に発展し、両者の間には、酷く険悪で剣呑な空気が纏わり付いていた。

 けれどそれは、やがてアヤハさんの方が口をつぐむ。アヤハさんは、不機嫌そうにドカッと席に着いた。

 

「ちっ……自分と言い争いほど、不毛なもんはねーな」

「あ、あの……」

「あぁ、悪ぃ悪ぃ。つまんねーとこ見せたな。こんな姉弟喧嘩を見せに来たんじゃねーんだよ、今日は」

 

 ガリガリと頭を掻いて、仕切り直しと言わんばかりに、アヤハさんはわたしたちに向き直る。

 

「まず、木馬バエから大体の話は聞いてるな?」

「え? いえ……なにも聞いてないです……」

「……クソッ、虫けらめ。マージで自分の兄ちゃん姉ちゃんのことしか眼中にねーのな」

「木馬バエだからな。連絡を取る相手を間違えている」

「しゃーねぇだろ。チョウの姉御は機械音痴、トンボの兄貴はそもそも繋がらねーんだから」

 

 うん、よくわかんないけど、やっぱり先生が渡したメモは「この場所に行け」ということらしい。

 そしてアヤハさんは、先生を通してわたしたちにコンタクトを取ろうとした、みたい。

 

「はぁ……まあいい。じゃあ、最初から話す。またアンタらを巻き込んじまって悪いがな」

「……また?」

「あぁ、また、だ」

 

 嫌な予感がした。

 ぞわりと、悪寒が背筋を走り抜ける。

 

「前置きは終わりだ。率直(ストレート)に言うぜ」

 

 わたしたちを巻き込むというのは。

 アヤハさんが、“また”と言う、出来事といったら――

 

 

 

「――『バンダースナッチ』が脱走した」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「だ、脱走……? それって、どういう……?」

 

 あの事件以来、なっちゃんの姿は見ていない。今どこで、なにをしているのかも知らない。

 アヤハさんが連れ帰ったようだけど、それ以上のことはわからない。音沙汰無しだ。

 先生や葉子さん、代海ちゃんなんかに聞いたこともあるけど……「あなたがそれを知る必要はありません。鬱陶しいので消えてください」「んー、ヒ・ミ・ツ、なのよー」「あ、アタシは、ちょっと……よく、わからないです……ごめんなさい……」と、なにも教えてくれなかった。

 まあ、あれ以降、特に事件とかもなかったから、そんなに気にはしていなかったんだけど……脱走って……?

 

「急にいなくなった、ということか」

「そうだな。バンダースナッチの奴は、危険だってんで、しばらく謹慎処分? つーのか、まあそんな感じで行動制限を掛けてたんだが、気付いたらいなくなっててな。目下捜索中だが、まったく足取りが掴めねぇ。あいつ自体はガキだから、そう遠くには行ってねーはずなんだが……」

「はぁー、つっかえ。なーんでちゃんと見張ってないかなー」

「あぁ、まったくだ。見張りさえいればこんなことにはならなかった。裸にひん剥いて牢屋にぶち込んで手枷足枷首輪も付けて鎖に繋いだだけで満足しちまってた……ったく、どうやって脱出したのやら」

「本当にどうやって脱出したんだよ」

「せめて両手両足はへし折っとくべきだったな」

「怖いこと言わないでください……」

 

 あの時、アヤハさんはなっちゃんを止めるために、本当に腕や足を折ってたから……とても冗談とは思えない。

 けれどアヤハさんもただ乱暴者なわけじゃない。それはつまり、そうしないといけないくらい、なっちゃんは危険なんだ。

 

「お前らも知っての通り、あいつはヤバい。とにかく危険だ。野放しにしておけねぇ」

「そう、ですね……また、前みたいな事件が起こったら、いけませんもんね……」

「そういうわけだ。アンタらにゃその説で迷惑かけたし世話にもなった。伝えねーわけにはいかねーと思ってな」

「わぉ、殊勝」

「本音はなんだ?」

「はん、相変わらず聡いガキだ。隠してもしゃーねーな。バンダースナッチを探すの手伝え」

「まあそんなとこだろうと思ったよ」

 

 逃げ出して行方知れずになった、なっちゃんの捜索。

 それはまるで、この前の事件の再現だ。

 あの時は、最後までなっちゃんが犯人だということはわからなかったけど……

 

「で、アンタらはなにか知らないか? あいつが野に放たれた以上、なにかしらの事件になってそうだが」

「さぁ、それらしいことは知りませんけど……」

「そうか。まあ、そうだよなぁ。そう都合良く知ってるわきゃねーよなぁ」

「ごめんなさい……」

「いいさ別に。ま、なにか分かったら連絡くれや」

 

 そう言って、アヤハさんはグッと伸びる。

 どうやら、話は以上らしい。

 

「さて、後はバタつきパンチョウの姉御がなんか掴んでればいいんだがな……とりあえずアンタらは、無理しない程度に奴のことを探ってくりゃいい。またなんかあったら、こっちから連絡するからよ」

「は、はい……わかりました」

「さて、店出るか。前払いだ、ドリンクの代金くらいはワタシが出してやる」

「マージかぁ。ランチくらい頼んどけばよかったなぁ」

「図々しいぞ」

「ところで、どうして弟さんも一緒に?」

「たまたま近くにいたからな。どうせなら手伝えと」

「人使いの荒い姉だ。だが、今が非常時であることは重々理解している。次代のヤングオイスターズの頭目としても、無視はできない」

「いちいち突っかかるような言い方する弟様だな、畜生め。ま、そういうこった」

「ふぅん……ところでその制服、雀宮ですよね? うちの姉ちゃんもそこ通ってるんですけど、長良川詠って知ってます?」

「お前たちの名前は知識として入れている。が……その名前は、校内では聞かないな。クラスが違う」

「そうですか」

 

 と、他愛のない話をしながら、お店を出ようかというところで、ローザさんが翳りのある表情を見せた。

 

「……ユーちゃん、遅いですね」

「難産か……」

「実子、一応ここは飲食する場だ。下品な発言は控えろ」

「私……ちょっと、様子を見てきますね」

「あ、じゃあわたしも行くよ」

 

 わたしとローザさんの二人で、お手洗いに向かう。

 流石にちょっと遅いし、少し心配だ。

 と思いながら、お手洗いの扉を開く。

 そして、わたしたちは思わず息を飲んだ。

 なにもなければいい。そんな無意識の願望は、簡単に打ち砕かれる。

 扉の先には、壁を背にぐったりしている、小柄な銀髪の女の子の姿。

 ――ユーちゃんちゃんだ。

 

「ゆ、ユーちゃん……!?」

「Julia! Wie geht es lhnen(大丈夫)!? kheit(病気)!?」

 

 血相を変えて、真っ先にローザさんが駆け寄る。わたしも慌てて、その後に続いた。

 

「な、なにがあったの……?」

Mir ist schwindelig(ふらっとしちゃって)……」

 

 なにを言ってるのかまったくわからないけど、日常的に使えてる日本語が咄嗟に出てこないくらい、余裕がないように思えた。

 ユーちゃんは息が上がってて、汗もかいてるけど、顔色はすごく悪い。

 ど、どうしよう……どうしたら……

 その時、後ろの扉がキィ、と開く。

 

「なんかドタバタしてるけど、どったの……って、うわっ! ユーリアさん、なんか顔が真っ青だよ!? な、なに? なにがあったの?」

 

 みのりちゃんだ。わたしたちの様子がおかしくて、見に来てくれたみたい。

 

「わかりません。と、とりあえず救急車を……!」

「そ、そんなに……ひどくはないよ、ローちゃん……」

 

 ユーちゃんは青ざめた顔で、力なく笑う。

 そしてそのまま立ち上がろうとするけど、すぐにバランスを崩して、倒れ込みそうになる。

 

「あ……っ」

「おっとっと」

 

 けど、寸でのところで、みのりちゃんが抱き留める。

 

「めっちゃふらふらじゃん。えっと、どうしよ。ユーリアさん、大丈夫? 気持ち悪い?」

「うにゅ……」

 

 ふるふる、と弱々しく頭を横に振るユーちゃん。

 みのりちゃんは、ユーちゃんのおでこに手をあてがう。

 

「うーん、なんか熱っぽい? 風邪……って感じじゃない気がするなぁ、なんか」

「ど、どうしましょう……?」

「吐き気はないっぽいし、とりあえず休ませた方がいいのかな。席に戻るか……歩ける?」

「な、なんとか……」

 

 とりあえず、ここは場所がよくない。男女共用だし、他のお客さんも使うし、吐き気がないのなら長居するべきではない。

 みのりちゃんに支えられたユーちゃんと一緒に、わたしたちは元の席へと戻る。

 そこで、アヤハさんが携帯片手に、誰かと話している姿が見えた。

 

「――おう、わかった。そこならすぐ近くだ。すぐ向かう」

 

 ピッ、と通話を切るアヤハさん。

 その表情は、どこか険しい。

 

「アヤハさん? どうかしたんですか?」

「すまん、野暮用だ」

「我々の同胞……あぁ、あなた方は名前は知っているか。代用ウミガメらが、倒れたそうだ」

「! 代海ちゃんが!?」

「場所はすぐ近くだ。とりあえずワタシは行くぞ」

「あ、あの、わたしも……!」

 

 代海ちゃんも、わたしの友達だ。放ってはおけない。

 ユーちゃんのことも心配だけど……

 

「私はユーちゃんをお家に……」

「なら私も一緒に行くよ。可愛い後輩を放ってはおけないし」

「すみません、先輩……お願いします」

「こっちはローと先輩がいるから大丈夫そうだな」

「……うん」

 

 とりあえず、ユーちゃんのことは、ローザさんたちに任せよう。

 わたしたちは、アヤハさんたちと一緒に、代海ちゃんの元へと向かう。

 ……わたしの周りで、わたしの友達が倒れるなんて……

 なにが、起きてるんだろう……?

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 代海ちゃんは、近くの公園にいた。

 そして代海ちゃんの傍らには、ベンチでぐったりと倒れている、一人の女の子と、二人の男の子。

 三人のうち二人は知らない子だけど、一人だけは知ってる。

 脱色染髪、刺青にじゃらじゃらしたアクセサリーの数々。このファンキーな子供は、ネズミさん――『眠りネズミ』くんだ。

 彼らも、ユーちゃんのように顔が真っ青で、力なく横たわっている。

 

「あ、アヤハさん……!」

「代海ちゃんっ! だ、大丈夫?」

「小鈴さんも……あ、アタシは、だいじょうぶ、なん、ですけど……ね、ネズミくんたちが……」

「おぉぅ……マジ卍でBADコンディションだぜ……」

 

 弱々しい手つきで、手を振るネズミくん。気丈に振る舞おうとしているけど、弱っているのは明白だった。

 

「『眠りネズミ』に『ライオン』『ユニコーン』か」

「いつものチビっこ四人組だな。なにがあった?」

「それが、よくわからなくて……急に、三人が倒れちゃって……」

「いや、急に倒れるわきゃねーだろ」

「物事にはすべからく、そうなる理由と原因がある。ひとつひとつ、順繰りに、なにがあったのか回想しろ」

「は、はい……」

 

 アギリさんに促され、代海ちゃんはこれまでの出来事を思い出すように、うーんと唸る。

 

「え、えっと、あ、アタシは、いつも通り、ネズミくんたちを、む、迎えに行って……そ、その帰りに、ネズミくんが、おなか空いたって、言うから……」

「買い食いたぁ、ワタシの前でよくも堂々と言えたもんだな。ワタシの晩飯はそんなにいらねーか」

「ひゃぅ……え、えと、アタシも、い、一応、止めたんですけど……晩ご飯、は、入らなくなっちゃう、って……」

「んなの……ガマン、できっか、っての……飯は、食い時に、食う……ぜ……」

「あぁ、お前は黙ってろ。この際、夕飯の話はどうでもいい」

「むしろ、お前たちが無事に夕飯が食えるかどうかが懸かっているな。それで、なにを買い食いした? それとも拾い食いか? 悪いものに当たった可能性もある」

「えぇっと、たまたま屋台……なんて言うんでしょう、移動屋台? み、みたいなものが、来て……パン、みたいなものを、買って食べたんですけど……」

「……移動屋台?」

 

 その単語に、ピンと来るものがあった。

 それは、ひょっとして……

 

「代海ちゃん、そのパンの包装って残ってる?」

「あ、はい。これです」

 

 代海ちゃんはポケットから、食べ終えたらしきパンの包装を取り出した。

 それは、わたしも見覚えがある。これは間違いない。

 

「これって、あの屋台のだ」

「小鈴が持ってきてたやつか」

「そういえば、ユーリアさんは小鈴ちゃんの持ってきたパンを食べてたね」

「だから腹を下したとでも言うのか? 小鈴はなんともないようだけど」

「胃袋が頑丈なんじゃない?」

「え!? そういうこと?」

「見たところ、この三人の症状に下痢や嘔吐は見られない。食中毒の類ではなさそうだがな」

 

 アギリさんは言う。そういえば、ユーちゃんもおなかを壊した、みたいな症状ではなかった。

 みのりちゃんは風邪みたいって言ってたけど……

 

「現状、我々の認識としては、このパンを食べた者がもれなく体調不良、だ。さてこれは、偶然なのかどうか」

「マジカル・ベルがなんともねーしな。ただの偶然って気もするが、怪しいのは確かだ。もう一手、なにかねーもんか」

「……あのさ」

「恋ちゃん? どうしたの」

「あの……購買のも……食べてた……」

「あ……葉子さん!」

 

 そういえば、葉子さんにもあのパンをあげたんだった。

 

「ちっ……おい、バタつきパンチョウに連絡してくれ」

「彼女は電子機器の扱いが不得手だ。弟の方に掛ける」

「下の方の弟だぞ」

「わかっている」

 

 アギリさんはアヤハさんに言われ、手早く携帯を操作して、電話を掛ける。

 しばらくコール音が鳴ると、繋がったようだ。スピーカーにしているのか、こっちにまで先生の声が聞こえてくる。

 

『ヤングオイスターズ? なんですか? こちとら姉がぶっ倒れて、あなたに構っている余裕など微塵もないのですが』

「大当たりだ」

 

 アギリさんは、つまらなさそうに、淡々と告げた。

 

「申し訳ない、木馬バエ。バタつきパンチョウの容態を教えて欲しい」

『容態? さて、保険医が言うには、熱っぽいですが、原因はよくわかりません。いきなり、急に、倒れやがったんです、この人。本当、手の掛かる迷惑な姉ですよ』

「了解した。それだけわかれば十分だ。手を煩わせた」

 

 そうしてアギリさんは、通話を切る。

 

「そんな、葉子さんまで……」

「こいつは参ったな、バンダースナッチどころじゃねぇ。チョウの姉御の“眼”に期待してたんだが、そういうわけにも行かなさそうだ」

「でも、手掛かりはハッキリしているね」

 

 ユーちゃんに、ネズミくんたち、葉子さん。

 わたしはなんともないけど……このパンを食べた人は、誰もが風邪のような発熱を引き起こしている。

 ちょっと、ただの偶然とは思えなくなってきた。

 

「謎の体調不良を起こすパンか。そしてこれは、謎の移動屋台で販売されている、と」

「じゃあその屋台を探せばいいわけだね」

「……クリーチャー絡みの事件……なのかな」

「まだわからないな。ただ、食品で体調不良っていうと毒っぽいけど、にしては症状に下痢も嘔吐もないというのは妙だ。なにか、普通じゃない薬物が混入されているのかもしれない」

「なーんかキナ臭い話になってきたねぇ」

「とりあえず、件の移動屋台とやらを探そう。なんにせよそれが原因っぽいからね」

 

 あの移動屋台のパン屋さん……売っているパンはすごくおいしかったから、それが原因だなんて思いたくないけど……

 

「んじゃ、ワタシはネズミ共を屋敷に連れて帰る。代用ウミガメ、お前も手を貸せ」

「は、はいっ」

「お前はこいつらを頼む」

「……了解した」

 

 アヤハさんは女の子と男の子一人ずつ、代海ちゃんはネズミくんを背負う。

 さらにアヤハさんはタクシーを呼んで、その場を後にする。

 

「さて、問題はその移動屋台をどう探すか、だな。移動しているんじゃ、探すのも大変そうだ」

「なにか巡回ルート的なのはないの?」

「うーん、わたしも今日はじめて見つけたから、よくわかんない……」

「……こういう時は、雑用の、出番……」

「ん? 先輩のこと?」

「謡さんはここにはいないよ……」

 

 謡さんはローザさんと一緒に、ユーちゃんを自宅まで帰しているところ。

 一応、こっちの状況は連絡しておこう。

 

「ちがう……敵を、探すなら……序盤鳥……」

「鳥? 鳥さんのこと?」

「あぁ、空から探すってことか。まあ、移動屋台ってことはそう遠くまでは行ってないだろうし、悪くないな」

 

 なるほど、確かに空からなら探しやすいよね。

 それなら鳥さんを起こさなきゃ。

 わたしは鞄から、鳥さんの寝床の木箱を取り出して、蓋を開ける。

 中には、まだ鳥さんがお昼寝をしていた。

 

「鳥さん、起きて。起きてってば、鳥さんっ」

「ん……? どうしたんだい? クリーチャーの気配は感じないけど……」

 

 鳥さんは眠そうに目をしぱしぱさせている。なんだかちょっと不安だ。

 けれど、今は鳥さんに頼るしかない。

 

「ねえ鳥さん、屋台を探して欲しいんだけど」

「ヤタイ? なんだいそれは」

「ほら、今朝も見たでしょ。鳥さんは寝てたかもしれないけど……」

「あぁ……そういえば小鈴がうるさくなにか言って見せてたような気がするな。なんとなく覚えてるよ」

 

 うるさくって、そんなにうるさくしてたかなぁ?

 確かに、珍しいパン屋さんで、ちょっと興奮しちゃってたかもしれないけど……

 

「まあいいや。それを探せばいいんだね。なにが起ってるのかはさっぱりだけど、了解した。ふわぁ……じゃあ、行ってくる」

 

 そう言って欠伸をすると、パタパタと鳥さんは飛んでいった。

 ……なんか、本当に心配になってきたよ……

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 眠そうなわりに、鳥さんは珍しく、きっちりやることをやり遂げてくれた。

 案の定、屋台はそう遠くまで行っていなかったようで、すぐに例の屋台を見つけてわたしたちに知らせてくれる。

 鳥さんのナビゲートのお陰で、わたしたちはすぐ、移動屋台を見つけられた。

 

「そ、そこの動くパン屋さん! 止まってくださーい!」

 

 わたしが大声で呼びかけると、屋台はピタリと止まった。

 そして、屋台から店主のおじさんが顔を覗かせる。

 

「うん? おう、今朝も買ってくれた嬢ちゃんか。今度は友達連れてきたんだな」

「あ、はい……じゃなくて。えっと……」

 

 ど、どうしよう。

 ここのパンが怪しいのは確かなんだけど、どうやってそのことを聞き出せばいいんだろう。

 わたしがどうすればいいのかわからずたじろいでいると、横から霜ちゃんが切り込んだ。

 

「そのパン、美味しそうですけど、どこで、どうやって作られているんですか?」

「そら工場だよ。おっちゃんはただの販売員だから、詳しいことは知らねーけどな」

「成程。ところでそれは、どこの、なんという会社なのでしょう? 買って美味しければ、お礼でもしたいのですが」

「嬉しいことしてくれるが、わざわざそんなことしなくていい。買って、食ってくれれば、それで十分だ」

 

 やんわりと、できるだけ怪しまれないように、あくまでも一般客を装って問いただす霜ちゃん。

 だけどおじさんは、霜ちゃんからの投げかけられる質問をすべて躱す。

 一見するとそれは、子供をあしらう大人のようだけど……さっきまでのみんなの容態を見た後だと、なんとなく、なにかを隠しているように見える。

 その後も、みのりちゃんも参加して二人で色々と訪ねるけど、おじさんはまともに取り合ってくれない。

 すると、

 

「おい店主」

 

 アギリさんが進み出る。

 アギリさんは、人間じゃないけど……わたしたちよりも大人だ。

 ひょっとすると、なにか上手い方法で、話を聞き出してくれるかもしれない。

 

「なんだあんちゃん」

「ここの商品を食した者が倒れた。原因を知っているか」

「なんていう直球(ストレート)! ボクらがカマをかけたにのはなんだったんだ!」

 

 ……すごい、率直だった。

 聞き出すもなにもない。あまりにも直接的だ。

 流石のおじさんも面食らったように、目をしぱしぱさせている。

 

「人が倒れた? さぁて、知らないなぁ。口に合わなかったんかね、そいつは悪いことしちまったな」

「一人二人ではない。幾人も、同じ症状で倒れている。その食品になにか問題があったと見るが……中身を確認しても?」

「あ……? いや、それは……」

 

 ……? 言い淀んだ……?

 おじさんは、どことなく困ったような表情を見せている。

 それって、もしかして……

 

「あれ、メール? 誰から……?」

 

 ポケットの中で携帯が震える。

 画面を見ると、メールの通知が一件。開くと、知らないアドレスから。件名はなし。

 文面には、短くこう書かれていた。

 

 

 

『そのひとはくろなのよ byおねーちゃん』

 

 

 

(おねーちゃん……? ……葉子さん?)

 

 この特徴的な語尾は、たぶんそうだ。自分からお姉ちゃんなんて言うのも、葉子さんっぽい。

 そのひとはくろ……その人は黒?

 葉子さんには、物事を客観視して、普通では得られない情報を得る“眼”がある、らしい。それで未来予知染みたこともできるとかなんとか。

 これも、その力によるもの……?

 わたしはこっそり鞄の中に退避させた鳥さんに訪ねる。

 

「鳥さん、この男の人って、クリーチャーだったり……?」

「え? いいや、クリーチャーの気配は感じな……うーん……?」

 

 鳥さんは自分で否定しておきながらも、悩むような素振りを見せる。

 

「クリーチャーの気配っぽくはないけど、なんか妙にざわつくな。クリーチャーじゃないけど、そうじゃないとも言い切れないというか、微かにクリーチャーらしいものを感じる気がするような、しないような……」

「は、ハッキリしないね……」

 

 あんまりハッキリものを言ってくれないのは鳥さんの悪い癖だけど、今回はなんというか、本当に正確に分かっていないみたいだった。

 

「では、その商品をこちらが買い取れば問題ないな、店主」

「あ、いや。もし変なモンが入ってたらいけねーしな。販売は一時中止して、ちっと工場の方に問い合わせてみるわ」

「それならこちらからもクレームを入れよう。会社でも工場でも構わん、連絡先を寄越せ。こちらは被害を被っている客だ、そのくらいの権利はあって然るべきだろう。そもそも商品販売において――」

 

 わたしが鳥さんと話している間にも、アギリさんはおじさんに詰め寄っている。

 おじさんはかなり押されているけど、まだ決定打とはならない。

 

「……よくわからないから、試してみるか」

「試すってなにを……あっ、鳥さんっ」

 

 鳥さんは鞄から飛び出す。見た人がビックリしちゃうから、そういうことは本当にやめて欲しいんだけど……今は周りに人がいないけど。

 

「うわっ! なんだこの白いカラス!」

 

 鳥さんはちょっとだけどうしようもないところもあるけど、それでも鳥。

 その足先の爪は鋭く、飛び出した先のおじさんの肌を切り裂いた。

 そこからドバドバと、赤い鮮血が飛び散――らない。

 

 

 

ジジジ……

 

 

 

 傷口からは、なにか光るなものが、小さく蠢いている。

 それは、およそ人間らしいものではない。まるでロボット……いや、もっと形のないものに感じられる。

 一瞬の電光がずっと続いているみたいな、なにかのエネルギーが可視化されたみたいな……

 

「……成程。店主、そちらも人ならざる者か」

「ちっ……バレたか。つーか、オレらのことを死ってるだと……? お前ら、クリーチャーか?」

「残念ながら違う。少なからず関わりを持つものではあるが」

 

 クリーチャー……!

 おじさんは確かにそう口にした。鳥さんはクリーチャーじゃないって言ってたけど、これはもう、間違いない!

 

「アギリさん! 下がってください! 鳥さん、お願い!」

「あれはクリーチャーじゃなさそうなんだけど、どうもそれに類するなにからしい。食べられそうにないけど、野放しにはしておけないね」

 

 みんなの前で、ちょっと恥ずかしいけど、そんなこと言ってる場合じゃない。

 相手も好戦的な敵意を向けている。鳥さんの力で、わたしはいつもの、ふりふりの格好へと衣装を変える。

 

「……まあいい。ここは任せよう、マジカル・ベル」

 

 アギリさんは後ろに下がる。それと入れ替わるように、わたしは前にでる。

 その間にも、おじさんの傷口の電光は強くなっていく。まるで、電気が弾けるみたいに、バチバチと。

 それは威嚇のようだった。戦う意志の、現れであるかのように思えた。

 

「クソが! お前らが何者かなんて知らねーが、“社長”の邪魔させるかよ!」

 

 店主のおじさんが叫ぶ。

 そしてその瞬間、時空が、歪む感覚が、わたしたちを支配する。

 やっぱり、今回もそうなってしまっていたんだ。今回も、クリーチャーによって引き起こされた事件だった。

 ただ、ひとつ、違ったのは。

 

 

 

 今回の事件は、本当の意味で“わたしの物語”ではなかった、ということだ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「超GR(ガチャレンジ)ゾーン――セットアップ!」

「え……っ?」

 

 対戦が始まる直前。

 屋台のおじさんの手元から、パラパラとカードが舞い上がる。

 その数は十二枚。デュエマのカードっぽいけど、裏面は白かった。

 十二枚のカードは円上に広がると、混ざり合うように一ヶ所に集い、ガチャンッ、と墓地を挟んだデッキの向こうへと設置された。

 

「な、なにあれ……超次元ゾーンじゃ、ないよね……?」

 

 ちょうがちゃれんじぞーん、って言ってたけど……な、なんのことだろう……?

 そんな、不思議なカードを見せつけられたまま、対戦は始まる。

 そしてわたしが相見える不思議なカードは、それだけでは終わらなかった。

 

「2マナでオレガ・オーラ起動! GRプログラムを構築!」

 

 お、おれがおーら……?

 また聞き覚えのない言葉。

 次の瞬間、十二枚の白い束から一枚、カードが弾け飛んだ。

 

「GR召喚――《接続(アダプタ) CS-20》!」

 

 白いカードはバトルゾーンに落下して、一体のクリーチャーになる。

 いや、クリーチャー……なのかな? たぶんクリーチャー、だと思う。

 それは、まるでICチップのようなちっちゃな造形で、あまり生物みたいな感じがしない。ロボットとかよりもより機械っぽくて、言うなればそれは物、物体だ。

 自然的な生命体のようには感じられない。

 ただ、チップの下部から、ぶくぶくと目玉のような気泡が泡立った。

 すごく奇妙で……怖い。

 それに、それだけじゃ終わらなかった。

 

「さらに《接続 CS-20》に、《*/零幻(れいげん)チュパカル/*》をインストール!」

 

 今度は手札のカードが、バトルゾーンに飛んでいく。

 それはICチップのクリーチャーの上に、覆い被さるように重なると――その姿を、変貌させた。

 こちらはより生物らしかったけど、その容貌は上手く言語化ができない。隻腕の不自然に長い爪、ギョロリとした目玉、背中にびっしりと生えた突起、流線型のしなやかな身体。

 現実には存在しないような、奇々怪々な怪物。ドラゴンなんかとは違う、人々が空想した、オカルトのようなクリーチャーだ。

 クリーチャーの姿もそうだけど、そのカードの配置もまた、奇妙だった。

 

「横向きのカードが、クリーチャーと合体した……!?」

 

 白いカードの上に、横向きのカードが乗っかっている。

 ICチップのクリーチャーは、上に乗ったカードに取り込まれ、その姿となる。

 ……そもそも、あの上のカードは、クリーチャーなの……?

 

 

 

ターン2

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

店主

場:《接続[チュパカル]》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

 

「わ、わたしのターン。2マナで《【問2】 ノロン⤴》を召喚するよ。まずは二枚ドロー」

 

 相手のカードは見たことないものばっかりでよくわからないけど、どうであれこれはデュエマ。わたしは、わたしのやり方で行くしかない。

 引いてきたのは、《グレンモルト》と《ボーンおどり・チャージャー》。

 手札には《狂気と凶器の墓場》や《コギリーザ》もあるし、うん、いい感じ。

 

「手札を二枚捨てて、ターン終了」

「ドロー。《チュパカル》の能力で、オーラの使用コストは1軽減される」

 

 オーラ……そういえば、さっきもオレガ・オーラがどうとかって……

 あの横向きのカード。あれが、オーラ……?

 

「さらに《接続 CS-20》の能力で、このクリーチャーと接続するオーラのコストは1軽減される。よってコストを2軽減し、オレガ・オーラ起動!」

 

 手札のカードが、またもバトルゾーンに飛んでいく。今度は、あの白いカードは出てこない。

 けれど代わりに、横向きのカードが、場にあるカードの上に乗る。

 

「情報更新――《*/零幻チュパカル/*》を、《極幻智 ガニメ・デ》にアップデート!」

 

 カードが、さらに重なった……!

 それによってなのか、奇妙な姿をした怪物は、より奇っ怪な姿になる。

 水かきみたいな膜に、幾本もの腕。身体は軟体動物のようにうねっている。

 水棲生物のような身体に反して、頭は水を貯めるタンクみたいで、中には電気的な光が走っていて、どことなく機械的。眼のようなものもあるけど、単眼だ。

 

「《ガニメ・デ》の能力発動! このオーラがGRクリーチャーと接続した時、同時に接続しているオーラの数だけドローする。よって二枚ドロー!」

 

 その怪物は、多腕を伸ばして山札からカードを二枚、引き抜いた。

 そしてそれは、相手の手札になる。

 

「さらに1マナで《チュパカル》を起動、《予知(プレコグ) TE-20》をGR召喚し、これに《チュパカル》の情報をインストール! 《予知 TE-20》が場に出た時、GRまたは山札のトップを見て、それをボトムに沈めることができる。今回は山札を見るぞ!」

 

 ま、また新しいICチップのクリーチャーに、さっきも見たお化けみたいなクリーチャーが……!

 

「……いらんデータだ。これは奥底に仕舞い込んでおく。さらに1マナをタップし、《ガニメ・デ》に《幽影エダマ・フーマ》を追加だ!」

「今度は闇のカード……!」

 

 今までずっと水のカードっぽかったけど、今度は闇のカードだ。

 黒い、影みたいな……?

 

「《エダマ・フーマ》は、接続したクリーチャーの身代わりになる。こいつが場を離れようとしても、《エダマ・フーマ》が代わりに壊れるだけだ」

 

 身代わり……ってことは、一回限り、除去への耐性を得た、ってことだよね。

 つまりあのクリーチャーは退かせない。退かすためには、二回の除去を撃たなくちゃいけない。

 ちょっと、厄介かも。あのカード、オーラっていうカードを使うコストを下げるみたいだし、できれば早く倒したいんだけど……

 

「ターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

小鈴

場:《グレンニャー》《ノロン⤴》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:2

山札:25

 

 

店主

場:《接続[チュパカル/ガニメ・デ/エダマ]》《予知[チュパカル]》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:25

 

 

 

 倒したいけど、どうしたってあのクリーチャーは倒せない……それなら。

 

「3マナで《ボーンおどり・チャージャー》! 山札から二枚を墓地に送るよ」

 

 変なことをされる前に倒す。

 もう必要なカードは揃っている。あとは、それらを適切な場所に配置するだけ。

 

「それから、2マナで《ノロン⤴》を召喚! 二枚引いてから、手札を二枚捨てて、ターン終了」

「それで終わりかい。なら遠慮なくいかせてもらおうか」

 

 その時、おじさんの雰囲気が変わった。鬼気迫るような凄みがある。

 なにか、来る……!

 

「二体の《チュパカル》で2軽減、《接続 CS-20》の能力でさらに1軽減し、コストを3軽減。4マナをタップ!」

 

 3コストも軽くして、4マナ払う。つまり、7マナのオレガ・オーラ。

 横向きになったカードが、走査(スキャン)するみたいに、《エダマ・フーマ》を覆っていく。

 けれどそれは、情報の読み取りではない。

 より強い情報への、上書きだ。

 

 

 

「殺害記録更新――《卍魔刃(マジマジン) キ・ルジャック》!」

 

 

 

 おぞましい死神が、現れた。

 翼のように背の焔が揺らめき、不自然に細長い腕の先には、深紅に染まった鋭利な爪。

 身体の至る所から飛び出した刃に、わたしはあの子を連想してしまう。

 

 なっちゃん――『バンダースナッチ』を。

 

「《エダマ・フーマ》の情報を、《キ・ルジャック》に上書き! そしてインストールされた《キ・ルジャック》の能力発動!」

 

 《キ・ルジャック》の、仮面に覆われた相貌が光る。

 獲物を捉え、ズタズタに引き裂かんとする、殺意の眼だ。

 

「接続されたオーラの数だけ、《キ・ルジャック》の刃は増える。そして、手持ちの刃物の数だけ、《キ・ルジャック》は悪性のクリーチャー(情報)を切除する!」

 

 ジャキッ、ジャキンッと、《キ・ルジャック》の身体からさらに、鎌のような刃が伸びる。

 《キ・ルジャック》は、それらの凶器を掲げ、わたしのクリーチャーへと振りかぶった。

 

「《キ・ルジャック》と共に接続されたオーラは四枚! よって四体のクリーチャーを破壊!」

「きゃ……っ!」

 

 凶刃は、わたしの場にいた三体のクリーチャーをすべて、根こそぎ、根絶やしにした。

 後も残さず、すべて切り裂き、引き裂き、切り捨てた。

 

「ぜ、全滅……!」

「ターンエンドだ」

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:9

山札:20

 

 

店主

場:《接続[チュパカル/ガニメ・デ/エダマ/キ・ルジャック]》《予知[チュパカル]》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:0

山札:24

 

 

 

「クリーチャーがいなくなっちゃった……」

 

 わたしの戦術には、クリーチャーが必要だ。場に水のクリーチャーが一体でもいないと、上手く機能しない。

 それがすべていなくなってしまった。手札も少ないし、ゆっくり態勢を立て直している暇はない。

 となれば、わたしは賭けるしかない。

 

「マナチャージ……そして、5マナで《狂気と凶器の墓場》! 山札から二枚を墓地において、墓地からコスト6以下のクリーチャーを復活させるよ! 呼び出すのは《偉大なる魔術師 コギリーザ》!」

 

 正直、不安しかない。NEO進化していない《コギリーザ》だけを残さなきゃいけないことを。

 強力なクリーチャーは、それだけで狙われやすい。次のターンにやろうなんて思ってゆっくりしていると、あっという間に除去されてしまう。みのりちゃんも霜ちゃんも、ユーちゃんだってそうする。恋ちゃんは……攻撃しても、耐えられるように動くけど。

 なんにせよ、相手は除去が得意な闇文明も使ってるんだ。《コギリーザ》が生き残れるかどうかは、ちょっと怪しい。

 いや、そもそも。

 

「……ターン終了」

 

 わたしには、次のターンがあるかさえも、わからないのだ。

 

「1マナで《*/零幻ルタチノ/*》を起動、《ワイラビ(フォース)》をGR召喚し、インストール。能力で一枚ドローし、手札を一枚墓地へ」

 

 今度は、ワラビみたいな植物っぽいクリーチャーが、寸胴な蛇のような姿に変わる。こっちは、少しかわいらしい。

 

「続けて1マナ《ア・ストラ・センサー》。山札から三枚を見て、呪文かオーラを回収する。回収するのは《極幻智 ガニメ・デ》。そしてこの《ガニメ・デ》を1マナで起動、《キ・ルジャック》に追加!」

 

 《ガニメ・デ》が《キ・ルジャック》と合体する。だけどそれはカード上の話。実際には、《キ・ルジャック》が《ガニメ・デ》を取り込んでいる。

 力があっても、それよりもずっと力が強いものに吸収されてしまう。《ガニメ・デ》は強いカードだったけど、それ以上に、《キ・ルジャック》の方が強力だ。

 だから《キ・ルジャック》は、《ガニメ・デ》を取り込み、吸収し、己の力に変えてしまう。

 勿論、その力も行使する。

 

「《ガニメ・デ》の能力で五枚ドロー! さらに2マナで起動、《極幻夢 ギャ・ザール》! 同じく《キ・ルジャック》に追加する!」

 

 うっすらと、猿のような姿が、幻のように浮かぶ。だけどそれも、《キ・ルジャック》に吸収されてしまった。

 

「これで終いだ。ったく、うちの“工場”を探ろうとさえしなけちゃ、こんなことにはならなかったってのにな……悪いが、嬢ちゃんには消えて貰うか、催眠かけてうちの従業員にするしかねぇ」

「従業員……? それって、まさか……」

「とりあえず、黙ってな! 《キ・ルジャック》で攻撃! その時、接続された《ギャ・ザール》の能力発動! カードを一枚引き、手札からコスト6以下の呪文またはオーラを使用する!」

 

 なにか気になることを言っていた気がするけど、今はそれどころじゃない。

 遂に相手の攻撃が、来る……!

 

「《*/弐幻(にげん)ケルベロック/*》を起動! こいつが接続することで、《キ・ルジャック》の刃は磨かれ、研ぎ澄まされる――アンタップだ!」

「っ、連続攻撃……!?」

 

 攻撃するたびにオーラが使えて、しかもそのオーラでアンタップできるってことは……そのカードが手札にある限り、攻撃し続けられるということ。

 一体、何枚持っているんだろう……《ガニメ・デ》でたくさんドローしてるから、二枚くらいは持ってるかもしれない。いや、それより、この一撃の重さは、どれほどのものか……

 

「《キ・ルジャック》はパワード・ブレイカーだ。パワー6000ごとに、ブレイク数がひとつ追加される」

「で、でも、そのクリーチャーは、パワー2000しか……」

「“クリーチャー”は、な」

 

 ……あぁ、そうか。

 オレガ・オーラはクリーチャーじゃない。クリーチャーなのは、一番下の白いカードだけ。

 あれはただ、クリーチャーにくっついているだけ。ドラグハート・ウエポンみたいに、装備されているだけの、強化パーツなんだ。見た目が変わるのも、その現れ。本体は一番下のクリーチャーのみ。

 オーラは色んな能力を付与して、クリーチャーを強くするみたいだけど、もっと原始的で、単純な強化だってある。

 それはパワー。純粋な、力だ。

 

「オレガ・オーラには追加パワーがある。これを合算し、接続したクリーチャーのパワーを数値を引き上げる! そ《接続 CS-20》に付けられているのは、パワー+2000の《ガニメ・デ》が二枚、《エダマ・フーマ》《ギャ・ザール》《ケルベロック》が一枚ずつ、そしてパワー+8000の《キ・ルジャック》。その合計パワーは――20000!」

 

 に、にまん!?

 わたしのデッキの最高パワー、《エヴォル・ドギラゴン》でさえ悠々乗り越える超パワーだ。

 それに、パワード・ブレイカー? あれは、パワー6000ごとに一枚ずつブレイク数が追加されていくらしい。

 6000で二枚()、12000で三枚()だから、20000は……

 

 

 

「パワード・ブレイカー・レベルⅣ――パワード()・ブレイク!」

 

 

 

 《キ・ルジャック》の悪魔の刃が迫る。

 四枚の刃による斬撃。それは、わたしのシールドをズタズタに切り刻む。

 

「っ、く、うぅ……!」

 

 これで、わたしのシールドはあと、たった一枚だ。

 相手の攻撃可能なクリーチャーは、残り二体。

 だけどあの一番強い、一番カードが重なっている《キ・ルジャック》は、一回限りだけど除去を受け付けない

 それに、あの猿みたいなクリーチャー――じゃなくて、オレガ・オーラだっけ――と、犬みたいなカードのコンボで、また連続攻撃されかねない。

 ただクリーチャーを倒そうとしても、受け流されてしまうだけ。この場を切り抜けるには、あのオーラ自体を、なんとかしないと。

 でも、そんなことができるカードなんて……

 

(……カード?)

 

 そういえば、あれって……クリーチャーじゃ、ないんだよね?

 クリーチャーにくっつくカード。それ自体はクリーチャーではなくて、ただのカード。クリーチャーを強化するための、いわば付属品だ。

 パワーは合算って言ってたから、ちょっと不安だけど、それなら……

 わたしは、砕けたシールドの中から一枚のカードを、掴み取る。

 

「これだよっ! S・トリガー発動《テック団の波壊Go!》!」

「な……っ!?」

 

 明らかに動揺を見せた。ということは、やっぱりそうなんだ。

 

「《波壊Go!》は二つの効果から一つを選ぶけど、今回はこっちだよ。相手のコスト5以下の“カード”を、すべて手札に戻す!」

 

 次の瞬間。

 相手の場が、大波に押し流された。

 顔を上げると、ほとんどカードは残っておらず、相手の手札が異様に増えている。

 やった……成功した……!

 

「ちぃ、オーラを纏めて消されたか……!」

 

 一体のクリーチャーと合体してるから、コストも合算で除去できない、なんて可能性もあったけど、どうやら成功したみたい。

 相手のオーラはほとんど引き剥がした。残っているのは、コストの高い《キ・ルジャック》だけ。

 

「《ギャ・ザール》は消えちまったが、《エダマ・フーマ》で《接続 CS-20》は守った。《キ・ルジャック》も残ってる! まだ終わらねぇ! 《キ・ルジャック》で最後のシールドをブレイク!」

「っ、トリガーは、ないよ」

「ターンエンドだ。《キ・ルジャック》は接続したクリーチャーが破壊されても、墓地のオーラを引き戻す。仕留め損ないはなしだ」

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《コギリーザ》

盾:0

マナ:6

手札:4

墓地:12

山札:17

 

 

店主

場:《接続[キ・ルジャック]》

盾:5

マナ:5

手札:11

墓地:3

山札:15

 

 

 

 ……生き残った。

 わたしも、そして、《コギリーザ》も。

 それなら、やれる……!

 

「わたしのターン! 6マナで《偉大なる魔術師 コギリーザ》を召喚! そして、前のターンに出てた《コギリーザ》で《キ・ルジャック》を攻撃! その時、キズナコンプ発動! 自分のクリーチャーのキズナ能力をすべて発動させるよ!」

 

 わたしの場に《コギリーザ》は二体。だから、この二体の《コギリーザ》の能力が使える。

 ベル(わたし)も信じた、絆の力を……!

 

「《コギリーザ》は二体いるから、二回発動! 墓地からコスト7以下の呪文を唱えるよ。まずは《狂気と凶器の墓場》! 山札の上から二枚を墓地に置いて、《コギリーザ》を復活!」

 

 さて、問題はあのクリーチャーとオーラ――《キ・ルジャック》。

 破壊したら、墓地から《エダマ・フーマ》が戻ってきてしまう。だから手札に戻したいけど、コストが7だから《波壊Go!》では手札に戻せない。それにクリーチャーじゃないから「コスト6以上のクリーチャーを破壊する」効果でも破壊できない。破壊しちゃダメなんだけど。

 手は塞がっちゃったように思えるけど、あれにはたぶん、他にも隙がある。

 あの人は、確かにこう言っていた。

 

 

 

 ――《キ・ルジャック》は接続したクリーチャーが破壊されても、墓地のオーラを引き戻す。

 

 

 

 オレガ・オーラ、それはクリーチャーではないカード。クリーチャーとは別に存在して、クリーチャーと繋がるカード。

 それなら、きっと……

 

「二体目の《コギリーザ》のキズナ能力で、二枚目の呪文を唱えるよ。唱えるのは――《テック団の波壊Go!》」

「ぐ……っ!」

 

 相手は呻く。やっぱり、そうなんだ。

 《テック団の波壊Go!》じゃ、《キ・ルジャック》は退かせない。

 だけど、《キ・ルジャック》と繋がってる“クリーチャー”は、手札に戻せる。

 《キ・ルジャック》の能力は、《キ・ルジャック》と繋がっているクリーチャーが破壊されなければ発動しないから、その下のクリーチャーの方を戻してしまえばいい。

 そして、クリーチャーを失った《キ・ルジャック》はどうなるか。

 

「ちぃ……GRクリーチャーはGRゾーンの下へ、《キ・ルジャック》は手札に戻る……!」

「手札に戻るんだ……」

 

 てっきり墓地に行くと思ってたけど……って、そうか。

 クリーチャーと繋がっているからこそ、クリーチャーの行き先と同じところに行くんだ。

 オレガ・オーラ。クリーチャーとは別のカードでありながらも、クリーチャーがなくては存在できない、クリーチャーと繋がり、寄り添うカード。

 デュエマには、こんな不思議なカードもあるんだね。

 

「攻撃相手がいなくなったから、《コギリーザ》の攻撃は中止。ターン終了だよ」

「くっ、オレのターン! 《チュパカル》を起動! 《アネモ(サード)》をGR召喚してインストール! 二体目の《チュパカル》も起動、《予知 TE-20》をGRしてインストール!」

 

 おじさんは見た山札を、そのまま戻す。あれは、必要なカードだったんだ。

 

「1マナで《ガニメ・デ》を起動! 《アネモⅢ》と接続した《チュパカル》を、《ガニメ・デ》にアップデート! 二枚ドロー! さらに2マナで《エダマ・フーマ》を二枚、《ガニメ・デ》に追加接続!」

 

 う、また一気に、オーラが出て来た……

 

「ターンエンド……!」

 

 

 

ターン6

 

小鈴

場:《コギリーザ》×3

盾:0

マナ:7

手札:3

墓地:11

山札:16

 

 

店主

場:《アネモ[チュパカル/ガニメ・デ/エダマ×2]》《予知[チュパカル]》

盾:5

マナ:6

手札:9

墓地:3

山札:12

 

 

 

「わたしのターン……」

 

 ど、どうしよう……?

 《エダマ・フーマ》が二枚。つまり、三回も除去を撃たなければ倒せない耐性だ。《波壊Go!》を使えば二回で済むけど、生憎ともう種切れ。

 次のターンには《キ・ルジャック》も出てくるし、手札戻しは一時凌ぎにしかならない。《波壊Go!》だって無限に撃てるわけじゃないから、あんまり耐えられなさそう。

 だからそろそろ決めたいけど、S・トリガーも怖い……

 

「いや……このままジリ貧になる方がまずいよね。なら……」

 

 ……前に出る。

 怖いけど、前に進まなきゃ、勝てないもん。

 

「2マナで《ノロン⤴》を召喚! 二枚引いて、二枚捨てるよ。そして残る5マナで《狂気と凶器の墓場》! 山札から二枚を墓地へ、そして《コギリーザ》を復活! 《ノロン⤴》からNEO進化!」

 

 これで、四体の《コギリーザ》が揃った。

 正直、こんなにいても、そこまで呪文を乱射できるわけじゃないけど……

 

「攻撃だよっ! 《コギリーザ》で攻撃する時、キズナコンプ発動! 《コギリーザ》四体分のキズナ能力が発動!」

 

 四体の《コギリーザ》が、それぞれ両手を掲げる。

 ベルも使ってたカード。なんだか……頼もしい。それが四体もいるのだから。

 

「まずは《狂気と凶器の墓場》! 山札から二枚を墓地に置いて、墓地から《龍覇 グレンモルト》をバトルゾーンに! 《銀河大剣 ガイハート》を装備!」

 

 随分と遅くなっちゃったけど、ようやく出てこれた、《グレンモルト》。

 あと一回。あと一撃で、龍解できる……!

 

「二体目の《コギリーザ》で、《ボーンおどり・チャージャー》! 山札から二枚を墓地に……やったっ、三体目の《コギリーザ》のキズナ能力で、《テック団の波壊Go!》だよ! コスト5以下のカードをすべて手札に!」

「《エダマ・フーマ》の能力で、《アネモⅢ》を守る!」

「させない! 四体目の《コギリーザ》の能力で、《ダイナマウス・スクラッパー》を唱えるよ! 《アネモⅢ》を破壊!」

 

 今のわたしは、シールドがなくて、すごくギリギリだ。

 できるだけ、相手のクリーチャーは残しておきたくない。《コギリーザ》の力を借りて、できる限り、掃討する。

 

「《コギリーザ》でWブレイク!」

「S・トリガー! 《幽影モンス・ピエール》! 《幽具ランジャ》!」

 

 あぅ、S・トリガーだ……しかも二枚も。

 

「《接続 CS-20》をGR召喚し、《モンス・ピエール》をこれにインストール! さらに《ランジャ》も同じように重ね、アップデートだ!」

 

 ジジジ、と電影が浮かび、ICチップ型のクリーチャーが、オーラに取り込まれる。

 チップのクリーチャーは、悪魔のような角に、髑髏の面。骸骨のような姿に変貌し、さらにそれは、その髑髏面と似た重火器を手にする。まるでロケットランチャーだ。

 ロケットランチャーから、黒い煙を放ちながら弾のようなものが飛んでいく。それは、まっすぐに《グレンモルト》へと飛来し、彼を捉えた。

 

「《ランジャ》の能力発動! 同時接続されているオーラの数だけ、相手クリーチャーのパワーを-3000する! 《グレンモルト》のパワーを6000下げて破壊!」

「っ、破壊されちゃった……!」

「さらに《モンス・ピエール》の能力で、接続しているクリーチャーはブロッカーとなる!」

 

 《グレンモルト》が破壊されて、龍解できなくなった。その上、相手にはブロッカー。

 《ガイギンガ》が呼べなくなっちゃったのは痛い、けど、

 

「それだったら……数で押す! 《コギリーザ》で攻撃する時、キズナコンプ! キズナ能力を四回使って、墓地からコスト7以下の呪文を四回唱えるよ!」

 

 クリーチャーの数は十分。《ガイギンガ》がいなくても、攻め手はたくさんある。上手く墓地を増やせれば、追加のクリーチャーを呼ぶことも、ブロッカーを退かすこともできるんだから。

 そのため、《コギリーザ》たちは、魔術を練り上げ、失った呪文を取り戻す。

 

「一枚目、《狂気と凶器の墓場》! 山札から二枚墓地に置いて、《ゴリガン砕車(クラッシャー) ゴルドーザ》をバトルゾーンに! 二枚目、《インフェルノ・サイン》で《グレンモルト》を復活! 《ガイハート》を装備!」

 

 これで、さらに攻撃可能なクリーチャーが追加で二体。

 本当はブロッカーを退かしたかったけど、上手く墓地に除去呪文が落ちてくれない。

 

「三枚目、《リロード・チャージャー》! 手札を捨てて、一枚ドロー! 四枚目に《ボーンおどり・チャージャー》! 山札から二枚を墓地に置くよ!」

 

 結局、ブロッカーはどうにもできなかったけど……これだけの数がいれば、行けるよね……?

 

「Wブレイク!」

「《モンス・ピエール》でブロック! スレイヤーだ!」

「なら《コギリーザ》……いや、《ゴルドーザ》で攻撃! はじめて攻撃する時にアンタップして、シールドをブレイク!」

「S・トリガー《*/弐幻ニャミバウン/*》! 《重圧(プレッシャー) CS-40》をGR召喚してインストール! 能力で《コギリーザ》をバウンス!」

「またS・トリガー……」

 

 ここまで三枚ともS・トリガー。すごい強運……いや、元々S・トリガーの多いデッキなのかな。

 でも、こっちは残りが《コギリーザ》《コルドーザ》《グレンモルト》。

 相手のシールドは二枚。

 行ける……!

 

「最後の《コギリーザ》で攻撃! 《テック団の波壊Go!》で、コスト5以下のカードをすべて手札に! Wブレイク!」

「S・トリガー! 《*/弐幻ケルベロック/*》《幽影モンス・ピエール》! それぞれ《重圧 CS-40》と《ワイラビⅣ》にインストールだ!」

「っ、そんな……!」

 

 五枚ともS・トリガー……!?

 これでブロッカーが二体、こっちの攻撃可能なクリーチャーも二体。

 シールドゼロまで追い込んだのに、あと一撃でも通れば、倒せるのに。

 その先には、守り手が立ち塞がっている。

 こんな、この状況……ここから突破、なんて――

 

「――行ける、ね」

 

 《ランジャ》とか、《ニャミバウン》とか、直接的にクリーチャーを退かすトリガーじゃなくて良かった。

 ブロッカーが立ち塞がるだけなら、無理やり――突破できる。

 

「《ゴルドーザ》で攻撃! ダイレクトアタックだよ!」

「《ケルベロック》でブロック! こちらのパワーは、《重圧 CS-40》の基礎パワー4000に、《ケルベロック》の+2000を加えて6000だ!」

「……うん。《ゴルドーザ》のパワーは4000だから、破壊されちゃう……だから」

 

 三つ首のわんちゃんが、番犬の如く《ゴルドーザ》の進軍を遮る。鋭利な爪で、破砕車輪を削り、打ち砕き、抑え込む。

 そして三方からの牙で、機体ごと食い千切った。

 その瞬間、《ゴルドーザ》は爆発する。破壊されてしまい、木っ端微塵に爆ぜる。

 ――ただし、爆ぜるのは、自分だけじゃない。

 

「ラスト・バースト発動! 呪文《ダイナマウス・スクラッパー》!」

 

 ラスト・バースト――クリーチャーが破壊された時に、ツインパクトの呪文が使える能力。

 爆発の瞬間、中から小さなネズミが飛び出す。それは、導火線に繋がれた筒状のものを何本も持っており、導火線には火が付けられている。

 見ただけでわかる。あれはダイナマイト、爆弾だ。ネズミはそれを、メチャクチャににまき散らした。

 ダイナマイトが爆ぜる。壊れた機体の破片も巻き込んで、周囲のものを爆撃する。

 わんちゃんは、咄嗟に身を引いて躱せたみたい。けれど……

 

「《ダイナマウス・スクラッパー》の効果で、相手クリーチャーのパワーが6000以下になるように破壊するよ! 《モンス・ピエール》を破壊!」

「な……っ!」

 

 その近くにいた《モンス・ピエール》は、躱せない。

 《ワイラビⅣ》はパワー4000、そして《モンス・ピエール》が加算するパワーは2000。合計6000。

 ピッタリ、収まったよ。

 もう場に、動けるブロッカーはいない。そしてわたしには、《ガイハート》を装備した《グレンモルト》が残っている。

 

「これで……おしまいだよっ!」

 

 《グレンモルト》は大剣を掲げて、跳躍する。

 その姿は銀河のよう。彼は流星の如く、大剣を振りかぶり――突き込んだ。

 

 

 

「《龍覇 グレンモルト》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 おじさんの姿は、激しい電光(フラッシュ)と共に、消えていた。

 代わりに、小さなICチップのようなものが、ぽとりと落ちる。

 拾い上げてみると、チップは砕けてしまっていて、物言わぬガラクタとなり果てていた。

 

「成程。これが、このクリーチャーの正体か」

「どういうこと?」

「あの貧弱なチップがクリーチャーの本体。そこに、外殻を幻影として纏わせていたんだ。随分とリアリティのある幻だったけどね」

「そっか、っていうことは、あれはオーラ……」

 

 チップ型のクリーチャーに、オーラを取り付けて実際とは違うように見せかける。様々な情報を読み込ませて、人間のように振る舞わせる。

 鳥さんがクリーチャーだと認識できなかったのは、オーラが殻となって外からの干渉を防いでいたから。そして、中身のチップが小さすぎて、そこまで探知できなかったから。

 こんな形のクリーチャーもいるんだね。

 

「しかし、こんな手の込んだ仕掛けを組めるクリーチャーがいるなんてね……賢愚神話か、その従属クリーチャーくらいしか、この手の複雑なデータ生命体は作れないと思うんだが……」

「…………」

「恋ちゃん? どうかした?」

「……いや、なんでも……」

「というか、そのクリーチャーだかオーラだか、倒しちゃって良かったのか? いや、倒すべきではあったんだけど」

「あ……」

 

 そ、そうだった。

 このパン屋台のおじさんは、黒ではあっても、黒幕じゃない。

 社長とか、工場とか言ってたし……あのおじさんは、本当に売っているだけだったんだ。

 このパンを作っている場所は他にもあって、そしてそれを計画した何者かも、別に存在する。

 問題は、それらの手掛かりとなるおじさんが、いなくなっちゃったことなんだけど……どうしよう、対戦に必死だった……もっと色々聞き出せばよかったよ……

 

「まあ、それは仕方ない。少なくともこのパンが危険であることはハッキリしたわけだし、今からまた捜索を開始するしかないな」

「ご、ごめん……」

「だいじょうぶ……こすずのせいじゃ、ない……」

「ちょっとめんどくなったけどね」

 

 ……でも、確かにちょっと困りました。

 既に被害が出ているし、このまま放置できることじゃないんだけど、どうやって黒幕の居所を探ればいいのかわからない。

 他に手掛かりなんてないし……

 どうしよう、と困っていると、また携帯が震える。

 しかも、今度は電話だ。画面を見ると、見覚えのない番号。誰?

 

「ちょ、ちょっとごめんね」

 

 間違い電話かな? と思いつつも電話を繋げる。

 すると携帯の向こう側から、どこか棘があるような、怒っているような、不機嫌そうな……とにかくピリピリした声が、鼓膜を震わせた。

 

『もしもし。こちら、マジカル・ベルの電話ですか?』

「その声……せ、先生?」

『は?』

「えっ?」

『……あぁ、そういえば私は一応、仮にも、設定上は、教員でしたね。そうです、木馬バエです』

 

 びっくりした、色んな意味で。

 電話の相手は、先生だった。それ自体にも驚きだ……というか、どうしてわたしの携帯番号を知ってるの……?

 そもそも、先生からわたしに電話なんて、なんの用事だろう……?

 なにがあったんですか、と尋ねようと思ったけど、それよりも早く、一刻も早くこの通話を切りたいから少しでも早く話を終わらせたい、とでも言わんばかりの声が、先んじた。

 先生は短く、即座に通話を切ってしまいそうな勢いで、わたしに告げた。

 

 

 

『病床でずっと臥せってるうちの姉が、あなた方を呼んでいます。とっとと来てください』




 マジカルベル初のGRとオーラ。デッキ自体は、普通の青黒オーラ……じゃねえな。完全に作者の趣味全開なトリガービート仕様です。オーラ、青黒だけで防御トリガーが16枚積めるとか凄いですよね。しかも、攻撃に転用できる《ケルベロック》に、純粋に除去として強い《ランジャ》、問答無用で道連れにする《モンス・ピエール》と、普通に強いの揃ってますし。《トリムナー》とか《バライフ》とかも突っ込んで、アナカラーオーラトリガービートとか楽しそうです。強いかはさておき。というか、ビートじゃないな。普通に受け強くしただけのオーラだな。
 というところで、今回はここまで。誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。
 次回もお楽しみに。


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40話「釣られました [承]」

 タイトルを分数から四字熟語に変更。やっぱこっちの方がらしいかな、と思って変更しました。ごめんね。
 そして今回は数少ないトンボ兄さんの活躍回です。いまいちパッとした活躍がないけど、今回はちゃんと格好良いはず。


「葉子さんっ!」

「す、鈴ちゃーん……待ってたのよー……」

 

 こんにちは、伊勢小鈴です。

 先生から連絡を受けて向かった先は、学校の保健室。

 そのベッドの上で、葉子さんがぐったりと横たわっていた。顔が真っ青で、苦しそうだ。

 

「ごめんなさい、葉子さん……わたしのせいで……」

「いいのよー。おねーちゃん怒ってないのよー。パンが美味しかったのは本当だしね」

「葉子さん……」

「姉さんは甘い。私としては、今すぐにでも毒を盛った彼女を縊り殺してやりたいところですが」

「ダメー、ダメなのよハエ太。鈴ちゃんだって、悪気があったわけじゃないんだから」

「故意か否かなんてどうでもいい。結果として、彼女はそうした。それ以上の理由はいらない」

「ハエの心情はぼくも察するに余りある。が、姉上はそれを望んでいない。耐えろ、耐えるのだ我が弟よ。己の(エゴ)で姉上を悲しませるな」

「……ちっ」

 

 先生は露骨に憎しみのこもった顔で舌打ちして、黙った。

 ……ごめんなさい、先生。

 

「それでバタつきパンチョウ。あなたは、どのような意図で我々を呼び出した?」

「いやぁー……その、なんなのよー? えぇっと、鈴ちゃんはわかってると思うけどー……私ね、“視た”のよ」

 

 “視た”、ということは、やっぱりあのメールは葉子さんからだったんだ。

 三人称の眼。客観的な、第三者の――あるいは、読者や、神様の視点で、今の状況を“視た”。

 その結果、あのおじさんが黒だと判別できた、ということらしい。

 

「複眼か……そのような満身創痍で、使えるのか?」

「えへへ、おねーちゃんだもん。あ、これはヤバいやつだ、って思って、頑張ったのよー。褒めて褒めて」

「はいはい、凄い凄い」

「ありがとー、ハエ太ぁ」

「わかったからハエ太はやめろ」

「それで、なにを視た?」

「色々。たくさんのものを視たのよ。流石に視すぎて疲れちゃったけど……とりあえず、【不思議の国の住人】の一人として言っておかなきゃいけないことはひとつなのよ」

 

 葉子さんは、よっこいしょー、と言って身体を起こす。

 そして、アギリさんを見つめた。

 

「たぶん、なっちゃんも、絡んでるのよ」

「なに?」

 

 怪訝そうに眉根を寄せるアギリさん。

 なっちゃんも、この事件に絡んでいるって……それって、どういう……?

 

「どういう意味だ。それは真実か? どのような理論、理屈でその答えを導き出した?」

「どーどー、落ち着くのよ。先に言っとくと、私の客観視は千里眼とか未来予知とは違うから、視た光景に対する解釈は、最終的には私の主観が混じっちゃうんだけど……うん、でも、そんな諸々を踏まえても、きっとあの子は無関係じゃないのよ」

「あなたの推理が混じっているのか。それは、大丈夫なのか?」

「姉さんの視たものを疑っているのか? ヤングオイスターズ」

「まあ、不安なのも仕方ないのよ。私の推理はメタ推理。読者の視点で状況を見て、それが一つの物語と仮定した上で、命題を、根拠を、未来を予測して読み取るのよ。私は神様のつもりで視てるけど、世界ってなるようになってるだけで、思い通りになってるわけじゃないからねー」

 

 メタ推理……つまり、物語の外の情報による推理だ。

 作中の人物では得ることのできない情報……たとえば「本の帯にこう書いてあったから、こういう展開が予想できる」とか「この作者の作風はこうだから、こういうトリックを使うだろう」みたいな、物語の外にいる読者だからこそ持っている情報を用いて推理する、ということができる。

 半分くらいはお母さんの受け売りだけど、メタ推理とはそういう、裏技めいた考え方だ。

 そして葉子さんは、そんな裏技で、今回の事件について、独自の考え方で推理をしていた、みたい。

 

「屋台の人が黒だってわかったのも、あの状況で白なんてあり得ない、っていうことなのよ。そんな偶然は、物語には存在しない。創作のお話は、奇跡や運命はあっても、つまらない偶然なんてないの。みんなみんな、なにかと繋がっているのよ」

 

 身体が弱っていることなんて微塵も感じさせず、毅然とした態度で言い放つ葉子さん。

 なんだか葉子さん、いつもよりもキリッとしてるっていうか、凜々しいように感じる。

 

「……ねぇハエ太、今の私、ちょっとカッコよくなかった? ねぇねぇ」

「ウザいよ。いいから話を進めろ」

「むぅ、わかったのよ」

 

 ……はい。

 えぇっと、とりあえず、葉子さんは、わたしたちの認識する世界をひとつの物語と仮定して、その中の出来事を見ているようです。

 

「相変わらず、あなたの思考は独特だ。理解はできないが、信用はしよう。あなたの推理を聞かせてくれ」

「なのよ。今、起っている出来事は三つ」

 

 葉子さんは三本の指を立て、それを一つずつ折っていく。

 

「一つは、私たちもよく知る、なっちゃんの家出なのよ」

「家出って……」

 

 葉子さんはそう認識しているみたい。状況的には、囚人が脱獄したような風に聞こえたけど。

 けど確かにそれは、非情に大きなトピックだ。それこそ、なっちゃんの追跡に注力すれば、ひとつの物語になりそうなほど。

 続いて葉子さんは二本目の指を折る。

 

「次に、鈴ちゃんがくれた美味しいパン」

「件の毒入りパンか。ついでに聞くが、これの中身は分かるか?」

「それはちょっとわかんないのよー。流石に私の眼でも、成分解析はできないのよ」

「我々という種を定義したあなたでも、か?」

「んー、あれも凄く調子のいい時だからこそわかることだし、色んな人の協力あってこそなのよ。なにより、ここには“お母様”がいないからね」

 

 ……お母様?

 葉子さんの、お母さん?

 あれ? そういえば、葉子さんやアギリさん、代海ちゃんたちの……【不思議の国の住人】の、出生って――?

 

「でもわかったこともあるのよ。ちょっと断言できないけど」

「それは?」

「この世界にはない技術、材料、製法で作られてるっぽいのよ。あと、致死性もなさそう。けど即効性はある。ちょっとずつ、じわじわ衰弱させていく、ってところだと思うのよ。時間をかけてちゃんと療養すれば、自然治癒しそうなのよー」

「つまり放置したとして、問題はないわけか」

「でも助けてね? これでもめっちゃ辛いのよ! ダルダルなのよ!」

「ご、ごめんなさい……」

「鈴ちゃんを責めてるつもりじゃないのよ」

「それで、三つ目というのは?」

 

 今、わたしたちの周りで起った出来事。

 なっちゃんの脱走、謎の体調不良を引き起こすパンの販売。

 そして、あと一つが、

 

「黒いお仕事なのよ」

「へ?」

「うちの職場か。あそこは地獄だ。あれこそブラックと呼ぶのに相応しい。私はなぜ教員などという奴隷にされてしまったのか、帽子屋さんに問い詰めたいところだ」

「もしかして、ブラックバイトのことですか?」

「なのよ」

 

 ブラックバイト……先生や、朧さんが言っていたっけ。

 あれも、今回の事件に関係するの……?

 

「この三つは繋がってるのよ。同時期に違う三つの話題が存在するってことは、その三つは関わり合っているものなのよ」

「メタ推理とは言うが、まるで言い掛かりみたいな酷いこじつけだな……」

「バタつきパンチョウの視点は、我々とは違う。まともな思考回路で取り合っても、噛み合わないものだ」

 

 三つの話題が同時に発生しているなら、それらが関係しているはず、なんて……確かに、物語では関係ないと思えた複数の事件が、重なり合っていることが多いけど……

 それを「この世界は物語だから」という視点で関連性を見出すのは、わたしたちの感覚では理解しがたいものがある。

 でも……葉子さんが言っているなら、きっと、嘘ではない……真実だと、わたしは思う。

 そう、信じたい。

 

「三つの事件が関係しているというのはわかった。問題は、その連中がなにをしているか、だ」

「いやー、それはわかんないのよ」

「なぜだ」

「わかんないものはわかんないのよ。私の眼だって万能じゃないのよ。そこまでよく視えなかったし、考えてもまるっきり検討がつかないのよ」

「……そうか」

「毒入りのパンを販売しても、致死性じゃないってあたりが妙ではあるよね。毒による虐殺などが目的ではない、だけど毒を食わせる害意はある。なにが目的なのか、さっぱりだ」

 

 そうだよね。それは安心できるけど、毒の使い方が不可解だ。

 毒って言えば、推理小説なら毒殺の手段に使われるし、毒とはそういうもの。

 殺さない毒、だけど衰弱はさせる……?

 うーん、わたしも推理が得意なわけじゃないし、わかんない……

 

「見当も付かんな。しかたない。敵の目的については後回しだ。バタつきパンチョウ、他に分かったことは?」

「えーっとねー、そう! 黒幕のアジトは突き止めたのよ」

「ほ、本当ですか!?」

 

 アジトを突き止めたって、それはもう、ほとんど解決編なんじゃ……?

 葉子さん、すごいなぁ……

 

「ふっふーん、色々なところから頑張って覗いて見つけたのよ。これはお手柄だよね? ねぇ、ハエ太?」

「なぜ私に聞く。そしてハエ太はよせよ、姉さん」

「それで、居場所はどこだ?」

「慌てない慌てない。あなたの弟さんが色々教えてくれて、色んな考え方で考えて、ようやく見つけたのよ」

「弟……? ……奴か。そういえば、部活動かなにかで調べるとか言っていたな」

「なのよ。あの子の助言がなかったら、ちょっと見つけるのは大変だったのよー」

 

 アギリさんの弟さん……誰だろう? って、わたしは彼らの兄弟姉妹については、あんまりわからないんだけど。

 アヤハさんと、プールでちょっと下の子たちを見たくらいだ。

 葉子さんは、葉子さん自身が視たものと、そのアギリさんの弟さんから得たらしい情報を元に特定した、アジトについて語る。

 

「まず、ブラックバイトについての噂ね。えっと、学生さんとかが遅くまでバイトに行って帰ってこないって話だけど、私は、その人たちはパン工場の従業員になっていると視たのよ」

「謎多きブラックバイトの噂と、毒入りパン販売を、あなたのメタ推理とやらで繋げたわけか。強引かつ安直ではあるが……」

「でも、あの屋台のおじさんも、工場とか、催眠がどうとか、従業員にするとかなんとか、そんなことを言っていたような……?」

「毒入りパンを生産するための労働力を得るために、学生たちを起用した。その結果、ブラックバイトという噂が立ったわけか。クリーチャーが絡んでいるなら、催眠でも企業偽装でもなんでもできそうではあるし、筋は通っている、のか?」

 

 パン工場、そこであの毒入りのパンが作られている。

 そして、今回の事件を引き起こした黒幕も、そこに……

 

「で、その場所を探りたいんだけど、問題はバイト先がわからないことなのよ。電話番号もわからないから、職場に直接行くしかないけど、その職場もわからないのよ」

「そうだな。もっとも、敵が人ならざる存在であれば、その程度の偽装はあってしかるべきだろうが……通常の手段では辿り着けない場所に存在するのか?」

「待った。ボクらは、捜索に出た警察や探偵も行方不明だと聞いたが、彼らは工場に辿り着いたんじゃないのか?」

 

 そういえば、朧さんがそんなことを言っていたような……

 それもどこまで本当なのかわからないようだけど、それでも確実にその怪しい工場を探している人はいたはず。

 そして、そういう人たちが、行方知れずになっているとも。

 

「あー……それは、まあ、たぶん運良く工場を見つけられたけど、なっちゃんが……」

「なっちゃん?」

「あ、いや……う、運悪く、捕まっちゃったんじゃないかしら? なのよ?」

 

 葉子さんは、なにか言葉を濁すように、言い淀んだ。

 

「そ、そんなことより! 肝心のパン工場の場所だけど、場所も連絡先も不明なのには、やっぱり理由があるのよ」

「場所を特定されないため、ではないんですか?」

「それはあくまでも結果でしかないのよ。答えはもっと根本的(シンプル)。そう、つまり――」

 

 葉子さんは精一杯のしたり顔をする。こういうの、ドヤ顔っていうんだっけ。

 そして、ピンッ、と指を一本立てて言った。

 

「――それは、どの場所でもない、電話線が通じてない場所なのよ!」

「なに言ってんのこの人」

「どの場所でもないって、なんだろう……なぞなぞ?」

「電話線が通じてなくても、携帯とかあるけど」

「うぅ、痛いところ突かれたのよ……は、ハエ太ぁ」

「知るか」

「聞かせろ、バタつきパンチョウ。どの場所でもない、とはどういう意味だ」

「特定の場所じゃないってことなのよ。それはどこかにはあるけど、そのどこかとは限らない。ともすればどこにでもあるけど、どこにもない、みたいな」

「哲学かな?」

 

 どこにでもあるけど、どこにでもないって……あれ? でも、なんか最近、そういうのを見たような……

 特定の場所にはない。どこかにはあるけど、そのどこかはわからない。見つけられるかどうか、常に不定。

 そう、それは、わたしがあのパンを手に入れるための屋台。確か、あれは――

 

「あっ、そうか! 移動してるんだ!」

「なのよ!」

 

 たぶん、肯定。

 葉子さんはそうだと言っている。

 工場は“移動している”と。

 

「工場が移動? それは移転って意味なのか? いや、どれほどの規模のものかはわからないけど、だとしても、まさか工場を各地に配置して、転々としている、なんて大掛かりな話じゃないよな?」

「……たぶん……移動型の、工場……」

「移動型工場? なにを言って……」

「水早くーん。これはクリーチャー事件の可能性が高いらしいよ?」

「……あぁ、成程。それなら思い当たる節があるな」

 

 霜ちゃんたちは、なにかピンと来たみたい。え? わかってないのはわたしだけ? 移動する工場ってなに? 工場に足がついてるの?

 なんて、ちょっぴり混乱してて、工場が移動する、の意味がわからないまま、話は進行する。

 

「だが、それだけでは敵の拠点の居場所の特定には至らない。移動型ならば、むしろ居場所の特定がより困難になるだけではないのか?」

「そんなことないのよ? 工場だってずっと動いてるわけじゃないだろうしね」

「移動“する”工場、というよりは、移動“できる”工場、と呼ぶべきかな」

 

 移動可能な工場。だから、他の人からしたら、その場所を特定するのは難しいんだ。

 居場所がバレそうになったら、移動して場所を変えればいい。すごく単純だけど、工場が動くなんて普通は信じられないし、有効な方法に思える。

 

「それに、居場所だってわかるのよ。これはメタ読みなんて必要ない推理なのよ。あなたなら、そういうの考えるの得意じゃない? それなりに大きな工場が構えられて、誰からも気取られないような場所なんて、限られているんだから」

 

 葉子さんの言葉を受けて、アギリさんは口元に指を添えて思案する。

 しばらくして、なにか思い至ったように、顔を上げた。

 

「……成程。我々と同じか」

「なのよ」

 

 二人の間で、なにかが通じている。けれどわたしたちにはちんぷんかんぷんだ。

 

「二人で勝手に納得するな。どういうことか、もう少しわかりやすく言ってくれ」

「山だ。それも、人の気のない、私有地ではないような」

「や、山……?」

「山の中に工場があるって? 動く工場なら、そういうこともある、のかな?」

「……でも、それ……どこの、山……?」

「私有地でなく、登山客も寄りつかないような山など、そう候補は多くない。すぐに調べる、こちらは任せろ……この手の探索は次男(四番目)に委ねるのが吉か」

 

 アギリさんはすぐにどこかに電話を掛ける。今の口振りからして、葉子さんに情報を提供したっていう弟さんに、どの山かの調査をお願いしたのかな。

 さて、これで事件の大まかな像は見えた。相手の居場所も掴んだ。

 となれば、後は動くだけだ。

 

「私はちょっとここから動けなさそうだけど……私の分までお願いするのよ。皆、頑張って」

 

 葉子さんはベッドの上で微笑みながら、グッと親指を突き上げる。

 葉子さんをこんな風にしてしまったのは、わたしの責任だ。かなり葉子さんにはお世話になってしまったけど、せめて事の始末くらいは、わたしが付けなきゃ。

 

「ふふっ。ベッドに寝込みつつ、助言して皆に思いを託すこの感じ……私、凄く強キャラ感出てるのよ」

「どうでもいい。いいから寝てろ。今も、相当無理をしてるんだろ」

「む、おねーちゃんの見栄をそうやって蔑ろにするのはよくないのよ。でも、ありがと」

「なに言ってるんだよ。見栄なんて張らなくても、姉さんは眩しすぎるくらい綺麗なんだ。汚れ役は全部、私が引き受ける」

 

 そう言って先生は、光の宿らない眼で、こちらを――いや、もっと遠く。外、というどこかを見据えている。

 背筋が、ぞわりとする。たまに見せる、先生の昏い眼。愛情が昂ぶりすぎて、誰かへの害意と憎悪に変じた、とても恐ろしい眼光だ。

 この様子だと、先生も一緒に来るのかな……

 ダメ、とは思わない。お姉さんがこんな状態だし、許せない気持ちはあるはず。葉子さんのために、事件を解決したいという意志はあって当然だ。たとえそれが、憎しみに塗れた復讐心からなるものだとしても。

 でもそれは、やっぱり怖くて、危ないような気がして、不安で……心配だ。

 また以前のように、先生が怒り狂ってしまうのは……

 その時、スッと先生を制するように、大きな手が伸びる。

 

「待て、弟よ」

「兄さん……?」

 

 先生のお兄さん……えっと、『燃えぶどうトンボ』さん、だっけ。

 わたしたちの授業を直接受け持ってくれる先生や、購買で毎日のように顔を合わせる葉子さんと比べると、校内で会うことが少ないから、ちょっぴり印象は薄い。

 そのお兄さんが、先生を止めた。

 

「ぼくが行こう」

「兄さんが出るまでもないよ。ここは私が……」

「ならん。ハエ。貴様は駄目だ」

「……なんだって?」

 

 ダメ、と確固たる拒絶を見せるお兄さん。

 先生は、その言葉に眉根を寄せる。不機嫌そうに、不愉快そうに。

 

「私はここを動くなって?」

「そうだ」

「なのよー、私もハエ太が出るのは反対なのよー。私の看病してなのよー」

「図々しいぞ。それより、私がダメってどういうことだよ」

「貴様の場合、眼が開く恐れがあるからな。今も、滾る憤怒を強固なる精神で抑え込んでいるのだろう?」

「…………」

「姉上が倒れた原因がそこにある、となれば貴様は爆ぜる激憤に駆られ、狂乱の暴徒と化すだろう。ぼくも、姉上も、貴様の狂える姿は、もう見たくない」

「……それでも、私は……!」

 

 お兄さんは、先生を説得して止めようとするけど、先生も退かない。

 誰よりも姉兄のことを思っているからこそ、先生はその気持ちをぶつけたがっている。でも、そのせいで悲しい結末を迎えてしまうことを、お兄さんも、葉子さんも望んでいない。

 仲のいい、優しい姉弟なのに、その優しさも、愛情も、ほんの少しだけずれてしまっている。

 先生は止まらないし、止まるつもりはない。

 けれど、その時、ガバッと葉子さんが先生にしがみついた。

 

「ダメー! ダメなのよ!」

「っ、姉さん……! けど、私は……!」

「ダメったらダメ! メッ、なのよ! おーねちゃんの言うことを聞きなさい!」

 

 葉子さんは頬を膨らませて、珍しく怒鳴るように怒る。

 ……いや、怒るって言っても、駄々をこねているようで、小学生の姉が幼稚園児の弟を叱咤するみたいな、子供じみた叱責だけど……

 

「ハエ太は行っちゃダメ! 私の看病をするの!」

「ちっ……頭が働いてないせいか、いつにも増してガキっぽくなってるな、この人……」

 

 けどその幼い叱咤は、かえって効いたのかもしれない。

 先生は毒気を抜かれたように、その表情から昏さも、恐ろしさも、抜け落ちていく。

 さらにお兄さんが続けた。

 

「ここは兄を立てると思え、我が弟よ。ぼくとて腹に据えかねているのだ。姉上の仇を取る大義を背負わせよ」

「……ああもう、わかったよ。好きにしろ」

 

 先生は投げやりにそう言って、そっぽを向いてしまった。

 なんだかとても悪い気がするけど……でも、これでよかった……のかな?

 

「話は決まりだ。ぼくも同行する。異存はあるまいな? あっても聞かぬがな」

「当然。この場は非力なものが多い、あなたの剛力は頼りになる。勿論、その“眼”も」

「トンボ、わかってると思うけど、無理しちゃダメなのよ。相手は選べるけど、だからこそ、あなたの眼は危険なんだから」

「承知しているとも。なに案ずるな、姉上。そこな娘を利用し、姉上に病毒をもたらした不遜な輩は、このぼくが打ち砕いてみせよう」

「なにもわかっちゃいねぇ、この虫けら……まあ、私も人のことは言えないか」

 

 えぇっと、とにかくこれで本当に、すべて決まった、よね。

 毒入りのパンを製造している工場に乗り込んで、黒幕を直接倒す。そして、この事件を解決する。

 それから……なっちゃんのことも。

 

 

 

「では、いざ行かん! 狡猾なる悪漢共を打破せんと――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 とりあえず、今までわかったことを謡さんたちに連絡する。そして、ユーちゃんのことはローザさんと謡さんに任せることにして、わたしたちは山に向かった。

 アギリさんが弟さんに調べて貰ったところ、登山者がほぼおらず、私有地でもない近場の山は、ひとつだけ。そしてそれは、わたしたちも知る場所だ。

 そこは以前、アヤハさんと一緒に登山した山だった。

 あの時は、そこを根城にしているクリーチャーの仕業で、おぞましい数の虫で溢れていたけど、今回はそうでもない。虫はまあ、いっぱいいたけど、それでも普通の数だ。

 ちょっぴりキツいプチ登山の末、わたしたちは奇妙な場所に出た。

 

「……周辺の木々が、不自然に薙ぎ倒されているな」

 

 そこは山中にしては、かなり開けた場所。

 けれどただ開けているわけじゃない。樹木が押し潰されたり、無理やり倒されたみたいに折れてしまっているために、開けている。ちょっと普通の光景じゃなさそうだ。

 

「でも……見た感じは、なにもなさそう……?」

「ハズレか? あるいは、もう移動してしまった後かもね」

「だったら……めんどい……」

「ねぇ、誰か来たっぽいんだけど」

「えっ?」

 

 みのりちゃんの言葉に、バッと振り返る。

 確かに、微かに足音が聞こえるような……それに、木々で隠れて見づらいけど、誰かがこちらに登ってきているように見える。

 

「ど、どうしよう……?」

「まさか登山客ではないだろう。ここに敵の拠点があると仮定するならば、工場の従業員が出勤しに来た、と考えるべきか」

「だったら早く隠れよう。催眠をかけられてるらしいけど、敵の息が掛かっていることには違いない。見つかったらまずいかもしれない」

 

 そ、そうだね。

 わたしたちは急いで茂みの中に身を隠す。すると少しして、大学生くらいの男の人が、どことなくおぼつかない足取りで、開けた空間へとやって来た。

 目は虚ろだし、すごくゆらゆらと身体が揺れてて、とても正気な人間には見えなかった。

 

「しかし、ラッキーだったねぇ」

「え? なんで?」

「奴が件の従業員なら、ここに工場があるという事実が確定するな」

「それに、一見してなにもなさそうな場所だが、隠し通路とか、秘密の入口が存在する可能性がある。このまま見ていれば、その場所を彼が教えてくれるわけだ」

 

 そっか。つまり、あの人の後を付けるんだね。

 そうしてわたしたちが茂みに潜んで、男の人の動向を探っていた――その時だ。

 突然、男の人が消えた。

 

「え……っ!?」

「消え……た……?」

「ワープ? 瞬間移動? なに? 工場って移動ポータル的なので移動するの?」

「そんなものも見えなかったけど、今のは一体……?」

 

 わたしたちの見間違いじゃなければ、確かに男の人は“消えた”。影も形も残さずに。

 それこそ、本当に瞬間移動でもしたんじゃないかってくらい、唐突に消失した。

 その事実に面食らっていると、お兄さんがスッと立ち上がり、さっきまで男の人がいたところへと駆け出した。

 

「お、お兄さんっ? どうかしたんですか?」

「疾く集うがいい。閉まるぞ」

「し、閉まる?」

 

 なにが? と思いながらも、わたしたちは慌ててお兄さんの後を追う。

 すると、お兄さんの姿もまた、消えた。

 そのことに驚きながらも、わたしたちもその場所まで駆けると――

 

「……あ、あれ?」

 

 ――世界が、変わっていた。

 いや、景色は大きくは変わっていない。周りには、山の中らしく木々が見える。

 けれど、空は黒い。夜のように暗いって感じじゃない。なにか、黒い煙のようなもので覆い尽くされているのだ。そして地面は、なぜか真っ黒に汚れている。そこに草花は一切ない。

 そしてなにより、目の前に、明らかな異物が存在していた。

 

「な、なにこれ!?」

 

 まず視界に飛び込んできたのは、四つある柱のようなもの。古いのか、赤茶色に汚れていて、ひび割れている箇所もある。また、下水口かなにかだろうか、丸い穴がいくつか空いていて、そこから紫色の、明らかに身体に悪そうな液体が地面に流れ落ちていた。これが、地面が汚れている原因なのかな。

 さらに視線を上らせると、緑色に光る筋が見えた。それは血管にも見え、脈打っていることがわかる。さらに上部には、小窓のようなものも見える。

 そこまで視線を上げると、全体像が見えてくる。わたしが柱だと思っていたものは、柱ではなかった。それは、足だ。

 それはものすごく巨大な、怪獣でもあった。そして、工場でもあった。わけがわからない。わからないけれど、その両方が、正しい。

 これは怪獣であって、工場でもある。背中の煙突から黒煙を吹き出して、尻尾から汚水を垂れ流している、怪獣の姿をした工場。

 そして、わたしもにわかに信じがたいけど……これはきっと、生きている。

 その証拠に、工場の(怪獣の?)腹部よりやや上の方、胸の位置に、心臓のようなものが「ドクンッ、ドクンッ」と生々しく鼓動している。

 

「《メガロ・デストロイト》……まあ、工場でクリーチャーと言えば、こいつしかいないよね」

「えっ!? これクリーチャーなの!?」

「じゃなかったらなんなのさ」

「なんにせよ、ここが敵の拠点、そして毒入りパンの生産工場というわけだ」

「なんかヤバい液体垂れ流しにして、めちゃくちゃ環境汚染もしてるように見えるんだけど。本当に食品生産工場なのここ? 衛生管理大丈夫?」

「大丈夫ではないだろうな。が、奴らにとって我々の衛生管理など、重要視もしない。そんなことより、燃えぶどうトンボ」

「承知している。こちらだ」

 

 お兄さんは迷いなく歩を進める。わたしたちも、なんとなくその後を追う。

 そういえば、さっきの男の人、いなくなってるけど……というか、これは一体、どういうことなの? こんなおっきなクリーチャー、まったく見えなかったけど……

 

「結界、というのか。要するにカモフラージュだな。正しい入口からでなければ侵入できず、侵入できなければ外界から内部は観測できない。そういった、特殊な防壁だろう」

「な、なるほど……」

 

 ということは、さっきの男の人が消えたり、お兄さんが駆け出した場所が、入口だったのかな。

 わたしたちが見えていた風景は偽物で、今のこの風景が本物……そう思うと、ちょっと怖い。

 だって今この場所は、空も、大地も、なにもかもが汚染されている。恐らく、有害ななにかで。

 山ひとつが、枯れ果ててしまいそうなほどに。

 

「案ずるな、マジカル・ベル。貴様の悲嘆は、まださほど深刻ではない」

「ふぇっ? わ、わたし、口に出してました?」

「すまん。貴様の視点でも“視させてもらった”」

 

 わたしの視点で視る……?

 それって、葉子さんや先生みたいな……

 

「ぼくの眼は“二人称の眼”。弟のような己を見つめる眼でなく、姉上のような神の視座でもない。そこにいる“貴様”の視点で、世界を拝謁する眼だ」

 

 えぇっと、確か【不思議の国の住人】が特異な力を有する中で、葉子さんたち蟲の三姉弟には、複眼と呼ばれる特殊な眼がある、という話だ。

 長女の葉子さんは“三人称の眼”、完全な第三者の視点で世界を視ることで、客観的に、あるいは超越的に物事を観測する眼。

 次男の先生は“一人称の眼”、世界を自分だけの視点に収束させることで、自分以外の思考や思想を完全に遮断する自我の眼。

 そして長男のお兄さんの眼が、二人称の眼。自分ではなく、誰かでもなく、“あなた”の視点。

 

「勝手ながら、貴様の視点で世界を視た。この荒廃した自然を嘆くその心情はぼくも理解できる。真に遺憾であろう。が、安心召されよ。この世界は、別世界だ」

「べ、別世界……?」

「結界は外と内を隔絶する城壁、というわけではない。この結界内部が、ひとつの特殊な空間を構築しているのだ。即ち、結界内部は異界、というわけだな」

「異界……」

「故に、この世界の草木は、貴様の世界のそれと同等のものではない。この世界の汚染は、かの世界には届いてはいまい」

 

 ちょっと難しい言い回しで、わかりづらいけど……つまりこの世界は、わたしたちの世界とは関係のない別世界で、この世界が汚れていてもわたしたちの世界に影響はない、ってことなのかな。

 

「……なぜそんなことがわかる?」

「言ったはずだ。ぼくの眼は二人称の眼。世界の在り方を視るのは、ぼく自身の眼ではなく、そこにいる貴様の眼に他ならない。智のある者の視座なれば、相応の認識を得ようというもの」

「先ほどの男の視点を乗っ取ったわけだな。この世界への入り方も、そして工場への侵入経路も、そうして発見したわけだ」

「あ、これって工場の入口に向かってたんだ」

「左様。姉上のように、単独で使える個性()ではない故、取り回しは悪いのが玉に疵だ」

「い、いえ。すごい、お手柄ですよ、お兄さん」

「そう褒めるな。歓喜に身体が震えるではないか」

 

 本当に嬉しそうに、けれど少し照れたように笑う。

 お兄さんは迷いない足取りで、柱の方へと歩いていく。きっと、そこに工場への入口があるんだ。

 中はどうなっているんだろう……これもクリーチャーみたいだけど、その中に入るって、大丈夫なのかな?

 そもそも中に入って本当に大丈夫なのかも心配になってきた。ここは、敵陣のど真ん中なのだか。

 色々な不安が渦巻く。敵の目的も、正体もハッキリしない。

 それに、葉子さんは言っていた。この事件には“あの子”も、関わっているって。

 『バンダースナッチ』……なっちゃんも――

 

「――!」

 

 刹那。

 悪寒。ものすごく嫌な気配が、突き刺すような邪悪な感覚が、身体を突き抜ける。

 ほとんど直感だった。見上げると、なにかが、こちらに近づいてくる。

 怪獣の背中。工場の煙突のあたりから、こちらに向けてまっすぐに、落ちてくる、なにか。

 わたしは、思わず足を止めた。

 

 そして――一閃。

 

「っ……!」

 

 ピッ、と赤い雫が散る。

 頬に微かな痛み。視界の端に映る、光を反射した白刃と、白と黒の人影。

 わたしはその人物を知っている。

 細くぷにぷにした手足。小さく華奢な矮躯。幼い顔立ち。まるっきり子供の姿。

 病的なほどに真っ白な髪を揺らして、真っ黒な衣を纏い、血の滴る刃を携えた、その子は――

 

「な、なっちゃん……!?」

 

 

 

 ――『バンダースナッチ』、だった。

 

 

 

「き、貴様……バンダースナッチか!?」

「空からだと……!?」

 

 驚きのあまり軽く放心してしまっていたけど、我に返る。

 けれど頭は混乱している。あり得ない。どういうことか、意味が分からない。

 なっちゃんは、確かに“空から降ってきた”。

 工場のてっぺんからここまで、10m以上は離れているように見える。少なくとも、人が――それも幼い女の子が飛び降りて、平気な高さじゃない。

 なのになっちゃんは、怪我ひとつ負っている様子はない。

 ――彼女たちは人間ではない。なら、身体が異常なほど頑丈、という線も考えられる。でも、なっちゃんに限っては、それはあり得ない。

 だって、あの事件の日、なっちゃんはアヤハさんに、手足を折り砕かれていたのだから。

 アヤハさんが異常なほど力があった、というのなら話は別だけど、そうでもなければ、人の力で骨折するような身体が、あの高度からの落下に耐えられるはずがないんだ。

 なにが、どうなっているの……!?

 

「……うーん」

 

 なっちゃんは刃先についた血と、わたしを交互に見て、首を捻る。

 高所からの跳躍なんて、なんてことはないとでも言うように。

 その刃先の向かう先にしか、興味がないかのように。

 

「はずしちゃったかぁ。もういっぽ、ふみだしてくれれば、ころせたのに。おねーさん、うんがいいね」

 

 ……え? あれ?

 わたしは身震いした。この子に対する恐怖を、理解より先に、感じてしまった。

 ファンタジーならあり得るようなことが、実現して恐怖に変わるような感覚だった。

 

「なっちゃん、言葉が……」

「んー? なぁに?」

 

 なっちゃんは、わたしの言葉に、言葉を返す。

 ちょっと舌足らずではあるけど、流暢に、そして確かにわたしの言葉を受けて、返答したのだ。

 わたしが知っているなっちゃんは、いつもひとりで喋っているみたいで、言葉も途切れ途切れで、対話をしているという感じがしなかった。

 けれど今のなっちゃんは、わたしと明確に“対話”した。

 今まで一方的に喋るだけだったはずなのに、ある日突然、動物の方から話しかけられたみたいな。

 化物が人の言葉を発したみたいな怖気が、わたしの全身を走り抜ける。

 

「随分と口達者になったものだ、バンダースナッチ。学習を怠るお前が、どこで言語を覚えてきたのやら」

「そんなことはどうでもいい。それよりもバンダースナッチ、貴様、ここでなにをしているか……!」

「? むしけらのおにーさんたち、おこってる? なんで?」

 

 なっちゃんは、こくん、と首を傾げる。

 その動作自体は愛らしいけれど、同時に、どこか恐ろしくもあった。

 言葉が通じても、なにも理解できなくて、なにも理解されない。そんな、相互不理解と、未知の満ちる暗黒が、彼女の瞳から垣間見える。

 

「なんでおこってるの? わかんないよ。私のほうがおこりたいもん」

「なにを……!」

「だって、みんなひどいよ。私をつないで、しばって、うごけなくするんだもん」

「罰を責める前に己の罪を自覚することだな。自身の悪行を顧みろ」

「えー、だってあれは、ぼーしやが……」

「口を噤め、バンダースナッチ。これ以上、お前の対話するつもりはない。言葉を解そうが、化物と交える言葉は持ち合わせていないからな」

 

 なっちゃんがなにかを言いかけたけど、アギリさんはそれにかぶせるように、会話を打ち切った。

 つかみどころがなくて、目的も、感性も、思考も、正体も、なにもかもがよくわからないなっちゃんだけど……その“よくわからなさ”が、今まで以上におぞましい。

 アヤハさんも、アギリさんも、みんな、なっちゃんのことを化物とか言っていたけれど。

 わたしも、思ってしまったんだ。

 この子は、言葉を話すようになった、怪物なんじゃないかって。

 そのくらい、今のこの子は……怖い。

 

「燃えぶどうトンボ。この化物との対話は無意味だ。情報を得るメリットより、翻弄されるデメリットが勝る。無力化して連行するぞ」

「息の根さえ止めなければ、構わんな?」

「手段は問わない。腕でも足でも腹でも、好きに抉れ。死にさえしなければ、後でハンプティ・ダンプティと代用ウミガメがどうにかする」

「心得た」

 

 物騒な言葉を交わして、アギリさんとお兄さんは、なっちゃんと相対するように立つ。

 幼い女の子に対して、片や学生とはいえ大人の男の人が二人で立ち向かうというのは、大人げないように見えるかもしれない。

 けれど今この時、わたしたちは、まったくそんな風には考えられなかった。

 あのなっちゃんが纏う、言葉にできない空気は、男の人だとか、大人だとか、そんなものは関係ないと思わせるほどに、奇異だったから。

 ……けど。

 

「おにーさんたち、私にひどいことするつもりなんだ」

 

 なっちゃんは、刃物をコートの内側に仕舞った。

 手を頭の後ろに動かし、後ろに後ずさる。

 

「しゃちょーのおかげで、私、たすかったんだよ。おにーさんたちは、きらきらじゃないし……あそぶのは、またこんどね」

 

 すると、ピョンッ、となっちゃんは飛び跳ねた。

 そこでまた、わたしたちは目を剥くことになる。

 なっちゃんの小さな身体は、なにかに引っ張られるようにして、高く高く飛んでいく。

 人間には不可能な、どころか地球上のどんな動物にもできなさそうなほどの、高い跳躍だった。

 

「じゃーねー」

 

 後ろ向きに空を飛ぶなっちゃんは、最後にひらひらと手を振りながら、工場の頂上部へと消えていく。

 わたしたちはその様子を、呆然と見ていることしかできなかった。

 

「……あの子、変な子だとは思ってたけど、あんなアクロバティックなことできるなんて凄いね」

「アクロバティックなんて次元じゃないだろあれは。何十メートル跳んだんだよ。明らかに異常だ」

「バンダースナッチは、姉上の眼を以てしてもその存在が掴み切れん。目的も思想も、個性()さえも理解不能な怪物だ」

「だが、肉体そのものは外見通りだったはずだ。身体を強化する類の個性()を持つ【不思議の国の住人】もいるにはいるが……あれがそんな単純な異能を発現するとも思えない」

 

 アギリさんたちにも、なっちゃんの異様な行動、異常な身体能力については思い当たる節がない様子だ。

 

「……今ここで奴の奇行について考察しても意味はないだろう。奴の捕縛も必須だが、そのための筋道がある」

 

 ひとまず侵入だ、と言って、アギリさんはお兄さんと共に先へと歩む。

 パンの生産も止めなくちゃいけない。異常な労働を強いられている人たちも解放しなければいけない。なっちゃんのことも、どうにかしないといけない。

 葉子さんは、これらの出来事のすべては繋がっていると言っていた。そして実際、工場はあったし、労働者もいたし、なっちゃんも関わっていた。

 じゃあ、それらの出来事を繋げているのは、なんなんだろう。

 この工場の主? なっちゃん?

 それとも――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 トンボのお兄さんの案内のお陰で、すんなり工場内に入ることができました。

 中は、本当に工場って感じです。わたし、工場なんて入ったことないけど……

 無機質で機械的な廊下がずっと続き、しばらく歩くと、左右に扉がずぅっと並んで現れる。

 

「部屋が多いな」

「ひとつひとつ虱潰し……は、流石に辛いよね。ここは敵陣のど真ん中だ。できるだけ迅速にカタを付けたい」

「もっともな意見だな。我々の目的は、バンダースナッチの捕縛および回収。お前たちの目的は、この工場の機能停止、及び労働者の解放だな」

 

 アギリさんは、今回の目的を改めて確認する。

 わたしたちは、毒入りのパンなんて危険なものを作るのを止めさせて、無理やり働かされている人たちを助けたい。

 アギリさんは、元々なっちゃんを連れ戻すことが目的で、それを遂行したい。

 やりたいことは、ハッキリしている。

 

「我々はバンダースナッチを捜索する必要がある。それらしい姿は見えないが、警備の者もいるだろう。この工場が十全に機能している限り、あの小娘を探すのも苦労する。となれば先に、工場を破壊するか」

「は、破壊!?」

「破壊工作、という意味だ。警備機能を落とす。お前たちも、むやみやたらと暴漢に追われたくはないだろう」

「ん……まあ……」

「戦闘はできるだけ避けるのが定石だよねー」

 

 そうだね。わたしは鳥さんがいるからなんとかなるけど、みんなはそうはいかない。

 できる限り、敵との接触は避けなきゃ。

 

「さしあたってすべきことは、隠密行動しながらの情報収集だ。この工場の警備システム、動力炉、責任者……まあなんでも構わないが、機能を停止できるような要素を探す。それと、バンダースナッチの所在だ」

「如何にして探す? 若牡蠣の長男よ」

「浅知恵も甚だしいが、手がないわけではない。バンダースナッチはこちらで請け負おう。工場への破壊工作はあなたに任せる。あなたの眼なら、見つけられるだろう」

「……戦力を分断するってことか?」

「そうだ」

 

 アギリさんと、お兄さん。それぞれ分かれて、行動する、というのがアギリさんの提案だった。

 確かに、六人でぞろぞろと動いても目立ちそうだし、それは悪くない案だと思った、けど。

 

「だが、お前たちは燃えぶどうトンボの方へ行け。こちらは一人で行く」

「えっ? ひ、一人で、ですか? 危険じゃ……」

「危険度で言えば、発見されるリスクはそちらの方が高い。それについて、こちらは発見のリスクは低い。存在を兄弟姉妹に押しつけられるからな」

「存在を押しつける? ……あぁ」

 

 そういえば以前、アヤハさんが言ってた気がする。

 『ヤングオイスターズ』は、自身の存在感を他の兄弟姉妹に肩代わりさせて、最大で十二分の一人分まで、気配を薄めることができる、とかなんとか。

 正直まったく意味はわからないけど、要するに影が薄くなって、存在を感知されにくくなる……らしい。

 

「そういうわけだ。むしろこちらは一人の方が都合がいい。それに、バンダースナッチ捜索の任は、主に姉が――即ちヤングオイスターズが主体となり課せられた使命。帽子屋の命令に素直に従うというのも癪な話ではあるが、この際だ、仕方ない。どうあれ、この組み分けは妥当だと思うが」

「承知した。が、貴様は本当に大丈夫なのか?」

「問題ない。情報収集においてはあなたに劣るために、発見は遅れるかもしれないが……その時は、労働者の救助についてでも考えておけ」

 

 そう言って、アギリさんは一人で、廊下の奥へと消えて行ってしまった。

 

「アギリさん……大丈夫かな……」

「奴はヤングオイスターズの長男であり、ヤングオイスターズの次期頭首だ。巧妙に、狡猾に立ち回るだろう……が、相手はバンダースナッチだ。不安がないとは言えんな」

 

 お兄さんは、険しい顔で言った。

 わたしたちよりもなっちゃんのことをよく知るこの人たちがここまで言うってことは、やっぱりそれほどになっちゃんは危険なんだ。

 

「しかし奴の提案は有り難い。ぼくは姉上に毒牙をかけた工場主を討ち滅ぼすつもりでこの場にいる。バンダースナッチなぞ二の次だ」

「意外と自分勝手な理由だった」

「各々に思惑があって、それがたまたま、いい具合に合致しただけか……ま、喧嘩して仲間割れになるよりはよほどいい」

 

 仲間割れ……

 【不思議の国の住人】の人たちは、なんていうか、各々の距離感がよくわからない。

 葉子さんやお兄さんたち蟲の三姉弟は、互いにすごく仲がいい。先生はちょっと、気難しい人だけど……それでも、姉兄を大事に思っていることに違いはない。

 アヤハさんも兄弟姉妹――そして自分自身――を大事にしている。けど、あのカフェでは、いきなり弟さんと口論をしていたし、考え方に食い違いがあるようにも感じる。

 他にも、代海ちゃんは他の人たちと友好的にだけど、いつか来た『三月ウサギ』『公爵夫人』といった人たちは、なんだか同じ仲間に対しても、敵愾心を向けていたように思えた。

 協力し合うし、仲間意識もある。だけど、それだけじゃない。仲間のような、家族のような距離感さえ感じるけど、同時に争い合う相手でもあるかのような。

 それに、なにより……なっちゃんだ。彼女が、異質すぎる。

 なっちゃん本人は、特別他の【不思議の国の住人】を敵視しているつもりはなさそうだけど、決して友好的というわけでもない。自分本位というか、なんというか。

 だからわたしは、ふと考えてしまう。こんな風に思うのは、いけないと思いながらも、考えてしまう。

 どうして【不思議の国の住人】の人たちは――帽子屋さんは、なっちゃんを連れ戻そうとするのか。

 放っておけないのはわかる。放置していてはいけない子だということには賛同する。

 けれど、手足を折り砕いてまで連れ戻して、檻に閉じ込めて、鎖で繋いで……そんなことをして、どうしようというのか。

 だったら殺せばいい、なんて残酷なことは言えない。けど、痛みで苦しめて、自由を奪って、そうしてまで自分の手の内に置いておくことに、なんの意義があるのか。

 わたしには……わからない。

 帽子屋さんが、なにを考えているのか――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「しゃちょー、ただいまー」

「おや、なっちゃん。お帰りなさい。首尾はどう……って、見てたから知ってるけど。君を釣り上げた、もとい引き上げたのはぼくだからね」

「ごめんなさい。だめだった」

「君が仕事をし損ねるなんて、ほんの少し驚いたけど、今度の客人はなにか不思議な感じだったからねぇ。仕方ないさ」

「ありがとー、しゃちょー」

「ところでなっちゃん、彼らは君の知人かい?」

「そうだよ。ぼーしやのところにいたの」

「ふぅん。つまり、君を鎖に繋いでいた連中の一味か。ということは、君にとっても鬱陶しい存在じゃないのかな?」

「うーん、どうでもいいかな。おにーさんたち、きらきらじゃないし。でも、じゃま」

「だろうね。ぼくとしても邪魔だ。けどそれは、あくまでもこの工場の防衛的観点から見た場合さ」

「ぼーえーてきかんてん?」

「ぼくの目的は、工場に依存するわけじゃない。工場長が討ち死にしようが構いやしないのさ。まあ勿論、この工場自体はいい玩具だから、できれば残したいとは思うけど、それに固執する理由はどこにもない。また新しい玩具を探せばいいだけさ」

「じゃあ、にげる?」

「そうは言ってないさ。ギリギリまで工場長の防衛戦は見守っているよ。高みの見物だけどね」

「私は? 私は、どうすればいい?」

「なにもしなくてもいい。最初に彼女らを仕留めていたなら、そのまま工場の動力炉に投げ込んでいたところだが、失敗しちゃったからね」

「うー、ごめんなさーい」

「だからいいってば。失敗しちゃったのは仕方ない。たまには、そういう変化があるのも面白いからね」

「……しゃちょー、たのしそう?」

「うん、そこそこね。いい具合に楽しめてるよ」

「たのしいと、いいの?」

「勿論。幽閉されていた君をたまたま発見して釣り上げたのも、こっちに流れてきたクリーチャーを集めて商売に手を出したのも、ぼくの胸中に空いた、虚しい穴を埋めるための手段でしかないからね」

「んー、よくわかんない」

「ぼくもなっちゃんのことはまだよくわからないな。君は本当に不思議な子だ。身体は貧弱なのに ぼくが賢愚神話の奴から釣り上げた――もとい掻っ攫った叡智をなんなく吸収してしまったし。君はこの世界の生き物じゃないのかい? もしかして、ぼくらと同郷だったりする?」

「しらなーい。でも、ぼーしやは、私たちは、おかーさんがうみおとした、っていってたよ」

「ふぅん。この世界の法則から考えると、君の性質はあまりにも異常なんだけどね。ひょっとすると、君らのルーツはこの世界にないのかもしれない。外来種が繁殖した結果、とかね。それはそれで、興味深いが……」

「なぁに? どーしたの? しゃちょー?」

「……なんでもないよ。君がどんな出自でも関係ない。ただ、君という存在そのものは、非常に面白い。ヘルメスの鬼畜生ならいざ知らず、ぼくは観察なんて趣味じゃないし、釣った獲物は食べるか逃がすかって主義だけど、それを曲げてもいいと思うくらいには、君は飽きない。ぼくの持て余した暇を、いい感じに満たしてくれる」

「? ありがとー」

「どういたしまして。こちらこそありがとう……さて」

「どこにくの?」

「言っただろう、高みの見物さ。こんなガラクタに未練はない。ただ、どう面白く事が運んでくれるか、というだけの話なんだから。ぼくはただ、毎日の楽しみを見届けるだけさ」

「まいにちの、たのしみ?」

「あぁ――今日の釣果はどんなものか、だよ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 わたしたちは工場をひっそりと進んでいく。

 時折、警備員っぽい黒い人(たぶんクリーチャー)が巡回していて、彼らに見つからないように隠れたり、迂回したり、(お兄さんが)殴り倒したりしながら、奥へ奥へと入り込んでいく。

 しばらく進むと、見るからに生産ライン、みたいな広い空間に出た。わたしたちが出たのは通路で、そこからフェンス越しに、ベルトコンベアとか、なにかよくわからない機械とかが、眼下に見える。

 ベルトコンベアの上には、わたしが買った屋台のパンが次々と流されている……こうして見ると、おいしそうなんだけど……

 さらにそこには、たくさんの人の姿も見えた。みんなどこか目が虚ろで、動きも機械的。ロボットのように、機械を操作したり、ベルトコンベアに乗った食品のチェックをしたり、パンを梱包したりしている。

 

「そういえば、あの人たちどうすんの?」

「助ける必要はあるよね。ひとまず、催眠だかなんだかを解いて、それから避難誘導……」

「……できる……?」

「この数は厳しいね。どうするかは後で考えるとして、とりあえず安全だけは確保しないと」

「兎にも角にも、この工場の主を打破せねばならんということか」

「問題は、その工場主? がどこにいるかじゃない?」

 

 そうだよね。

 この工場はかなり広そうだし、虱潰しで探すにも限度がある。数は少ないとはいえ警備員もいる。あまり時間は掛けられない。

 

「なに、問題ない。その点についてはぼくに任せよ」

 

 するとお兄さんはそう言って、ズカズカとどこかへ行ってしまった。

 ……行っちゃったよ。どうしよう。

 任せよ、と言われても、その間わたしたちはどうすればいいのでしょう? ただ隠れて待っていればいいのかな?

 しばらくの間、手持ち無沙汰のまま、もんもんと待っていると、お兄さんが戻ってきた。

 

「相済まぬ。待たせた」

「本当にね」

「なにをしに行ってたんだ?」

「うむ。この手の作業は不得手なのだが、所謂、情報収集だ」

 

 お兄さんが言うには、この工場で働かされている従業員や、警備員の“視点”を得て、この工場の内情を探りに行ったらしい。

 それならそうと言ってくれればいいのに……

 

「従業員らの視座から得た情報によると、この工場の管理、運営は工場長が総て取り仕切っており、工場長は工場長室に座しているようだ。工場長室の場所も把握済みだ。迅速に到着できることだろう」

「ぐう有能」

「教職をやる気が一切ない弟と、テンションの高すぎる姉のせいで、勝手に変人だと思ってたけど……この人、意外とまともなのか……?」

 

 面食らったような表情を見せる霜ちゃん。

 わたしも、お兄さんのことはあまり知らなかったけど……というか、今でもよくわからない。

 なんだか今のお兄さんは、葉子さんたちと一緒にいる時とは、ちょっと違うような……?

 

「まとも、か。それは貴様らが、己のことをそう認知しているからだろうな」

「どういうことだ?」

「我が眼は二人称の眼。一人称視点の弟が自我に苛まれるように、三人称視点の姉上が空想の視座で思考するように、我が人格の指向は“貴様”に引っ張られる」

 

 お兄さんは、どことなく理知的で落ち着いた調子で、語りかけるように言う。

 

「弟は己が視点で世界を見る、故に自我が人格に浸透する。姉上は神の視点で世界を見る、故に超越的な意志が自我に侵蝕する。ならば、同じ蟲の姉弟であるぼくも、それと同じ事象が起きるまで」

「……二人称視点、つまり“相手の視点”で世界を見るから、相手の人格に影響を与えられる、って?」

「然り」

 

 言われてみれば……お兄さんは、葉子さんといる時は、葉子さんみたいに楽しそうにはしゃぐ様子が多々見られた。

 先生と一緒の時は、姉弟を特に強く思っている様子だったし、アギリさんと一緒の時は――わたしはアギリさんのことを詳しく知らないけど――どことなく論理的で、アギリさんの波長と合っているように思えてきた。

 相手によって口調や態度を変える、という人はいるけれど、それとはまたちょっと違う感じだ。

 

「まるで鏡だな」

「鏡、か。成程、言い得て妙だ。上っ面のみを映すという点でも、実に正鵠を射た喩えと言えような」

 

 お兄さんはにやりと微笑む。うん、言われてみると、ちょっと霜ちゃんっぽいかも。

 

「相手を、映す、って……あなたは、それで……いいの……?」

「なに、案ずることはない。ぼくはぼくだ。貴様の影響を受けるのは、表層に過ぎん。ぼくの信じる正義も、意志も、すべてはぼく自身のもの。それを見失うほど、ぼくは愚かではない」

 

 お兄さんは、まっすぐに恋ちゃんを見返して、そう言った。

 

「ふん、身の上話など、どうでも良いのだ。して今は、なにをするのだったか」

「忘れてるし。無能では」

「えぇっと、工場長がどうとかって話を……」

「おぉ、そうであったな。そうだ、どうやらこの工場の長は、ゲオルグ・バーボシュタインという名のようだ」

「知ってた」

「本当にそいつなのか……たまに思うけど、クリーチャーって背景ストーリーとリンクしているのか……?」

「いや……たまたま、だと思う……」

「たまたまって?」

「世界は……いっぱい、ある……背景ストーリーみたいな、世界がある……なら、“それ以外の世界”も……ある……可能性があれば、偶然も、あるから……」

 

 無数に存在する世界。わたしがベルと出会ったのも、過去の平行世界だった。

 けど、普通は別の世界があるかどうかなんて、わたしたちにはわからない。あるかもしれないし、ないかもしれない。

 可能性がそこにあるのなら、どうにだって受け取れる。そして可能性が皆無ではないのなら、それは否定されない。

 悪魔の証明ってやつだ。“存在しないこと”の証明は、とても難しい。存在しないことが証明されない限り、逆説的にそれは存在する、と言えてしまう。

 恋ちゃんが言っているのは、その否定できない無限の可能性から生まれる、必然的な偶然性だろう。あらゆる世界の可能性があるなら、わたしたちが知っている範囲のものと被ることもある。

 ……とはいえ、なんだか恋ちゃんは、妙に断定的な口振りにも聞こえたけど……

 

「なんだが随分と訳知りな感じで言うね、恋」

「別に……」

「……なにか隠してる?」

「……別に」

「なにか知ってるなら、できれば正直に話して欲しいな。君まで疑いたくはない」

「…………」

「や、やめようよ、霜ちゃん……」

 

 たまに見る、怖い霜ちゃんの影がちらつく。

 代海ちゃんに迫った時のような姿は、あまり見たくない。

 恋ちゃんはいつもと変わらない、毅然としているような、超然としているような、あるいはただぼぅっとしているだけなのか、判然としない。

 

「なかなかどうして、血気盛んだな。拳で打ち合うというのならば、それも良かろう。存分に殴り合え!」

「ちょ……ちょっと、お兄さん……!」

 

 剣呑になりつつある空気で、お兄さんはさらに煽る。

 そんな火に油を注ぐようなことしないで、と思ったけど、

 

「……いや、いい。ボクが悪かった」

「む、なんだ。退くのか」

「あなたがボクらの諍いを楽しんでいるように見えてね、萎えた。それに、今は争っている場合じゃない」

「そうか。ぼくとしては、貴様らが如何様に己が意志で殴打し合うのか、興味をそそられたのだがな」

「そういうのが萎えるんだよ。ボクの論争は誰かのためじゃない、ボクのためだ。ボクのストレスで勝手に利を得ようとしないでくれ」

「利ではなく喜だが、まあいい。先んじてここの主を討ち滅ぼすというのなら、ぼくは一向に構わん。では参ろうぞ、工場長室とやらへな」

 

 お兄さんは、ドカドカと迷いのない足取りで進んでいく。

 ……よくわからないけど、収まった、のかな。

 霜ちゃんは毒気を抜かれたように首を振りながら、お兄さんの後を追う。恋ちゃんは……いつもとあんまり変わんなくて、よくわからないけど、きっと今のことはそんなに気にしていない、ような気がする。

 と、いうより……なんだか今日の恋ちゃんの様子は、いつもと違うような気がする。

 どこがどう違う、というのはハッキリと言えないんだけど……うーん、なんて言うのかな。

 まるで、ベルを見ているみたいな。

 ここにいる恋ちゃんは確かに恋ちゃんなんだけど、どことなく、違う物語の恋ちゃんのような。

 同じ登場人物なのに、物語が違う。違うお話に出るその人を見ている、みたいな。

 見え方が違う。そんな感じだ。

 もちろん、わたしが勝手にそう思っているだけなんだけど……

 

(……恋ちゃんは、恋ちゃんだもんね)

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 お兄さんの案内で導かれたのは、すごくわかりやすく『工場長室』と書かれた扉。

 見るからに、ここが目的の部屋だけど……

 

「流石に露骨じゃないか? ボクらが侵入していることはバレていそうだし、罠の可能性もあるぞ」

「構うものか。陥穽でもあろうものなら、諸共打ち壊して進むまでだ」

 

 そう言ってお兄さんは、工場長室へと続く扉を、強引に蹴破った。ドラノブすら回そうとせずに、蹴りの一撃で扉を開けて――もとい、破壊してしまった。

 

「なんだ。存外、軽い物だな」

 

 などと、拍子抜けしたように言って、お兄さんはズカズカと部屋に入っていく。

 ……その行いになにか言いたい気もしたけど、たぶん言ってもどうにもならなさそうだし、そんな場合にでもないし、言葉をグッと飲み込んで、お兄さんの後に続く。

 工場長室の内装は、工場内とは違っていた。どことなく事務的だけど、格調高くもあって、工場長室っていうより、校長室とか、社長室みたいな雰囲気だ。

 奥には大きなデスクが一つ。そこには、大柄な人影が座していた。

 その人影は、ぐるりとこちらを向く。

 それは人型だけれども、明らかに人間ではないことが一目で分かった。

 ガスマスクのような巨大な呼吸器で顔面を覆っており、頭や肩からは、煙突みたいな突起がいくつも飛び出している。背中から伸びているのは、廃液でも排出しそうなホース。そして全身を、機械的で奇妙なスーツで覆っていた。

 これは……どう考えても、人じゃない。人に化けている様子もない。確実にクリーチャーだ。

 わたしはひっそりと、鞄の中の鳥さんに囁く。

 

(鳥さん……)

(あぁ、クリーチャーだね。酷い臭いだ)

 

 やっぱり。

 警備員もクリーチャーのような風貌だったけど、彼らとは雰囲気も違う。

 ということは、この人が、工場長なのだろう。

 

「貴様が工場長――ゲオルグ・バーボシュタイン、とか言ったか」

「貴様らが侵入者だな? 警備員(デストロ・ワーカー)から報告を受けている人数とは、一致していないようだが……分断したか」

「先に言っておこう。ぼくは貴様と言の葉を交わしに来たのではない。貴様を殴滅しに馳せ参じたのだ」

 

 グッと拳を握り込むお兄さん。

 本当に、このまま殴りかかりそうな勢いだ。

 対して工場長さんは、つまらなさそうに鼻を鳴らす。ガスマスク越しだから、その声はゴフゥ、という耳障りな呼吸音になっていたけれど。

 

「大方、従業員の親族かなにかだろう。バンダースナッチめ、門番の役目を果たせないとは。不始末が続くようなら、奴も工場の動力炉に放り込んでやろうか」

「させんよ。奴は鬼畜だが、我らが同胞でな。我らが屋敷に連れ帰らねばならん」

「工場への視察に、生産妨害、果ては従業員の引き抜きか。とんだ強欲な遣いがいたものだ」

 

 工場長さんは、お兄さんの話など聞く耳持たず、立ち上がって、のしのしとこちらへと歩み寄る。

 立ち上がると、余計にその大柄さが際立つ。お兄さんも大きいけど、相手の方が一回りも二回りも大きい。2mはゆうに超えているだろう。

 

「まったく。生産が順調、販売も軌道に乗り始め、次の段階に進もうかという時に、こんなくだらないトラブルが発生するとはな」

「っ……ど、どうして」

「ん?」

「どうして、毒を入れたパンなんて、作っているの……!?」

 

 わたしは、それをどうしても聞きたかった。

 わたしの大好きな食べ物が、悪いことに使われているっていうのもあるけど、それ以上に、今回の事件は規模がすごく大きい。

 どのくらいの範囲で販売されていたのかなんてわからないけれど、きっと、わたしたち以外にもあのパンを食べて倒れた人はたくさんいるはず。クラスの欠席者が多かったのも、これが原因の一つかもしれない。

 従業員にさせられている人たちも含めて、被害者は数え切れないほどにいる。なっちゃんが通り魔のような事件を起こしていた時以上だ。

 ここまで大胆に、直接的に、そして実際に害を為すクリーチャーはほとんどいなかった。

 だから、わたしは問いかける。すると、

 

「毒ではない。あれは呪いだ」

「え……の、呪い?」

「簡易な呪い、その術式を食品に練り込んでいるに過ぎない。効果も弱い。いくらあのパンを摂取しようと、死にはせん。ただ、長期に渡り肉体が衰弱していくだけだ。多少の中毒性があるから、そういう意味では、毒されると言えるがな。だが、それらの毒性を打ち消す中和剤――貴様らが毒と定義するならば、解毒剤もある」

「え!? げ、解毒剤!? あるの!?」

「あるとも。ちょうど今、それも生産しているのだからな」

 

 正直、耳を疑った。でも、確かにそう言ったんだ。

 解毒剤も生産している、って。

 

「わけがわからない。君らはバイオテロでも仕掛けるつもりなのかとも思っていたが、解毒剤だって? そんなものを作ってどうする」

「毒される者がいるのならば、その毒を浄化する物に需要が集まるのは当然の理だ。そして工場とは、需要に応えるためのものである」

 

 ……? よくわからない……

 毒物を作って、それを売り捌いて、買った人を毒する。

 自分たちで毒しておきながら、その毒を治すための薬も作る。

 そりゃあ、毒を作るなら、それを治す薬も作れるんだろうけど、そんなことをして何になるというのだろう。

 一体、なにが目的なの……?

 

「我らは需要を満たすために集められた。要望に応えるために工場を稼働している。求める者がいるのならば、それを生産する。心に虚空があるのなら、我々はそれを埋めるべく活動するだろう。少なくとも今の我が社の方針は、そうなのだ。故に、生産の邪魔をする者がいるのならば、即刻処分を下す!」

 

 色々話してはくれたけど、あまりわたしたちの話を聞いてくれる様子もなく、工場長さんは声を荒げた。

 ガスマスクを通して、その声は不快な振動へと変わる。

 

「侵入者及び妨害者への処分はとうに決定している。捕縛、連行、廃棄! そして動力炉行きだ。貴様らも、これまで我が敷地に足を踏み入れた哀れな来訪者同様、工場稼働のための燃料にしてくれる!」

 

 ドスン、と重い足を踏み鳴らす。

 ガスマスクを通した、不気味な息遣いが、より強く発せられる。

 同時に、ちくちくと肌を刺すような、殺気。

 わたしはその気迫に、一歩、後ずさってしまった。

 けれどお兄さんは、一歩、前に出た。

 

「御託など、どうでもいい。貴様がなにをしようと、どのような意志を持とうと、ぼくには関係ない。ぼくがここにいる理由はただ一つ。弟の憤怒をも請け負い、姉上の報復を為すため。故に、今この時にて、その命に従い、貴様を討ち果たさん!」

 

 拳を握り込んで、相手にも負けない鬼気迫る勢いで、咆える。

 その姿は、虫けらなどとはほど遠い。

 もっと大きく、強大な、なにかだった。

 

 

 

「臓腑を食い破られる覚悟をせよ、化生共! 蟲の三姉弟が長男、『燃えぶどうトンボ』! 推して参る!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「兄さんは、大丈夫かな……」

「およよ? ハエ太が普通にお兄ちゃんの心配してる。ちょっぴり珍しいのよ」

「ハエ太はやめろってば……私だって、心配な時は心配だ。大事な、兄さんだからな」

「んー、まあ、私は大丈夫だと思うのよー。トンボは強いから」

「私だってそう思っている。けどさ……」

「大丈夫ったら大丈夫なのよ。あの子は、私たちとは違うでしょう?」

「…………」

「ハエ太は自分のことを悪魔、とでも言うのでしょうけど。それになぞらえるなら、あの子はそんなものじゃないのよ」

「それは……そう、だな。悪魔なんて目じゃない。あれは、間違いなく最強の怪物たる資格を持った超獣だ。純粋な力なら、あれに敵うものはいないだろうさ」

「ね。誰もが畏れて、誰もが憧れる、天地を支配する力の象徴――あの子には、そんな強さがある。だったら大丈夫なのよ」

「けど、あれだって危険と言えば危険だ。あれを使う兄さんは、間違いなく怒りに突き動かされているんだから」

「トンボもハエ太には言われたくないと思うのよー」

「ぐ……こればっかりは、なにも言い返せないな」

「わかったら私の看病! 購買で焼きそばパン買ってきて! あまーいお茶も欲しいのよ!」

「……これ、看病じゃなくてパシリってやつじゃないのか? というか、職場の商品くらい自分で買えよ」

「今はハエ太に甘えたい気分なのよー。ほらほらー、お姉ちゃんの言うことを聞くのよハエ太」

「あー、面倒くさい……わかったよ。買ってくるから、ハエ太はやめろ」

「いってらしゃーい、なのよ!」

「……ちなみに、兄さんがあれで、私が悪魔ってのは……まあ否定しないけど、それなら姉さんはなんなんだ?」

「私? そりゃあ私は、可愛い可愛い妖精さんなのよ! きゃるるーん! って感じの!」

「……そうだね。じゃあ、行ってくるよ」

「なーのよー」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――《剛撃古龍 テラネスク》を召喚! 山札から三枚を捲り、すべてマナゾーンへ! ターン終了だ」

「私のターン。2マナで《ルドルフ・カルナック》を召喚し、《ヘモグロ》を破壊。二枚ドロー」

 

 トンボのお兄さんと、工場長さんとの対戦。

 お兄さんは次々とマナ加速するカードを連打して、もうマナが10マナもある。

 だけど相手の手札破壊で、手札はゼロ。

 そして工場長さんは、お兄さんの手札を奪いながら、次々とクリーチャーを並べてく。

 

「さらに2マナで、《ゲオルグ・バーボシュタイン》を召喚! ターン終了時、《ヘモグロ》を復活!」

 

 

 

ターン5

 

燃えぶどうトンボ

場:《トップ・オブ・ロマネスク》《テラネスク》

盾:5

マナ:10

手札:0

墓地:2

山札:21

 

 

工場長

場:《バギン》×2《カルナック》×2《ヘモグロ》《モンテス》《ゲオルグ》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:1

山札:21

 

 

 

(《ゲオルグ・バーボシュタイン》……奴がいるとなると、手札を保持しておきたくはないな)

 

 お兄さんは少し思案してから、引いたカードをそのままマナに落とした。

 

「……マナチャージ。ターン終了だ」

『それだけか。ならば1マナ、《凶鬼27号 ジャリ》を召喚。山札から二枚を墓地に送り、《ルソー・モンテス》を回収』

 

 手札を奪われたお兄さんは動きを大きく制限されている。

 その一方で相手は、さらにクリーチャーを並べ、墓地を増やし、手札を潤していく。

 

『5マナで《法と契約の秤》! 墓地からコスト7以下のクリーチャーを蘇生する!』

 

 相手が動けない上に、手札も墓地もあるから、工場長さんは好き自由に動ける。

 資源は蓄えた。労働力も十分。

 ならあとは、“工場”を動かすだけだ。

 

 

 

『稼働せよ! 《メガロ・デストロイト》!』

 

 

 

 地の底から現れたのは、工場を象った怪獣。

 存在そのものが公害であるそれは、ただひたすらに、意志を持たず、廃液を垂れ流し、煤煙を吹き流している。

 

『ターン終了時、墓地の《ルドルフ・カルナック》を復活! 自身を破壊し、二枚ドロー!』

 

 《メガロ・デストロイト》は、体内で兵隊を生産する。

 屍を繋いで肉体を形作り、仮初めの命を吹き込み、新しいクリーチャーが蘇っ(うまれ)た。

 

 

 

ターン6

 

燃えぶどうトンボ

場:《トップ・オブ・ロマネスク》《テラネスク》

盾:5

マナ:11

手札:0

墓地:2

山札:20

 

 

工場長

場:《バギン》×2《カルナック》×2《ヘモグロ》《モンテス》《ジャリ》《ゲオルグ》《デストロイト》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:2

山札:16

 

 

 

「ドロー……《地掘類蛇蝎目 ディグルピオン》を召喚。ドラゴンが場に存在するため、場を離れず、マナを一枚増やす。ターン終了」

『それだけか。こちらは遠慮も容赦もしない。《シモーヌ・ペトル》を召喚。山札から二枚を墓地へ。さらに《メガロ・デストロイト》の能力発動!』

 

 《メガロ・デストロイト》を稼働し続けるための労働力が追加された。同時に、《メガロ・デストロイト》から排出される廃液の流出が、煤煙の噴出が、より強くなる。

 その排出物が周囲を黒く汚染していく。水も、空も、大地も――生命すらも。

 空間が穢れ、そこに立つクリーチャーもまた、有害な汚染物質に侵される。

 お兄さんのクリーチャーは、足下から黒ずんで行く。

 

『マフィ・ギャングが出るたびに、相手クリーチャーのパワーをすべて、マイナス1000する! さらに1マナで《ジャリ》を召喚。山札から二枚を墓地に送り、《ヘモグロ》を回収。さぁ、さらにパワーをマイナス1000!』

 

 《トップ・オブ・ロマネスク》《テラネスク》《ディグルピオン》、それぞれのクリーチャーへの体内汚染が広がっていく。足下から徐々に、黒い染みのようなものが、せり上がる。

 

『《ヘモグロ》を召喚! 《メガロ・デストロイト》の能力でパワーをマイナス1000! これで合計3000マイナスだ』

 

 さらに汚染は広がる。《トップ・オブ・ロマネスク》は重火器が錆び付き、息も絶え絶え。《テラネスク》は翼を堕とし、地に這いつくばっている。《ディグルピオン》も、身体の半分ほどが黒く染まっていた。

 お兄さんのクリーチャーは、まだなんとか生きながらえている。その生命力はすごいけれど、相手の汚染も止まらない。

 

『《ヘモグロ》二体、《シモーヌ・ペトル》《ジャリ》の四体を廃棄!』

 

 工場長さんのクリーチャーが四体、《メガロ・デストロイト》に吸い込まれる。

 その中で、なにか燃やすようなくぐもった音が響く。

 その後、怪獣の口から、なにかが吐き出された。

 

 

 

『貴様を現場主任(チーフ)に任命する――《ジョルジュ・バタイユ》!』

 

 

 

 漆黒のローブを纏う、影のような人型。

 槌と杭、そして墓石を抱き、それは汚濁の水で濡れた地面と、煤けた黒い空で満たされた戦場に立った。

 

『《ジョルジュ・バタイユ》の能力で、墓地を倍にする! 山札から九枚を墓地へ!』

 

 墓地を倍に……!

 一気に山札が少なくなったけど、闇文明がどれほど墓地を活用するのか、わたしは知っている。

 あれだけ墓地が多ければ、いくらでも利用して、優位に立てることだろう。

 いや、今が既に、相手の有利な状況なんだけど……

 それに、これはただ墓地を増やすだけの行動じゃない。

 

『《ジョルジュ・バタイユ》の登場により、《メガロ・デストロイト》の能力発動! 相手クリーチャー全体をさらにマイナス1000!』

 

 これで、パワー低下量は合計4000。

 もう耐えることはできない。パワー3500の《トップ・オブ・ロマネスク》は、身体を蝕む公害物質の汚染によって、死に絶えた。

 

「…………」

『さらにターン終了時、《メガロ・デストロイト》の能力で《ルドルフ・カルナック》を蘇生! 《ジョルジュ・バタイユ》を破壊……する代わりに、墓地のカード六枚を山札に戻し、破壊を免れる!』

 

 相手の墓地のカードが、山札に戻っていく。

 そっか……山札が残り少なくなっても、回復する手段があるんだ。

 そうなると、相手の攻撃を耐えて山札切れを狙うということもできない。

 そして、そんなことを考えている間にも、《メガロ・デストロイト》による汚染は続く。

 

『マフィ・ギャングの登場により、《メガロ・デストロイト》の能力でさらにマイナス1000! 合計5000のマイナスで、《テラネスク》を破壊!』

 

 今度は《テラネスク》。翼は完全に腐り落ち、鱗も変色して剥がれ、無惨な姿のまま地の上で事切れる。

 労働者が増えるたびに、《メガロ・デストロイト》は活発に工場を動かす。兵隊が生産されるほどに、汚染も広がっていく。

 その公害は、《メガロ・デストロイト》が稼働し続ける限り、決して止まらない。

 

『このターン破壊された《ヘモグロ》と《シモーヌ・ペトル》の能力で、自身を復活! 《メガロ・デストロイト》の能力でマイナス3000の追加だ!』

 

 合計で8000のパワーダウン。生き延びることのできるクリーチャーはおらず、《ディグルピオン》さえもが完全に汚染され、崩れ落ちた。

 相手は大量展開。一方でお兄さんは、クリーチャーが全滅。

 この空間は、完全に工場長さんに、支配されていた。

 

 

 

ターン7

 

燃えぶどうトンボ

場:なし

盾:5

マナ:12

手札:0

墓地:5

山札:18

 

 

工場長

場:《カルナック》×3《ヘモグロ》×2《バギン》×2《モンテス》《ジャリ》《ペトル》《ゲオルグ》《デストロイト》《バタイユ》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:10

山札:4

 

 

 

 

「ぼくのターン、ドロー」

 

 盤面の差は圧倒的。手札がいないからできることもほとんどない。

 あまりにも絶望的な状況だ。十をゆうに超える数のクリーチャーの大軍。次のターンには、一斉に凶器を振りかざして襲ってくることだろう。

 

「さて……意味があるのか甚だ疑問だが、一応、唱えておく。3マナで《ストンピング・ウィード》。山札から一枚、マナを加速だ」

『この期に及んで、マナを増やすだけか。弱者の動きだな』

「……これも意義の有無は不明。が、戻す。《テラネスク》を山札の上へ装填。終了だ」

 

 お兄さんは、マナ加速をしたと思ったら、マナのカードを山札の上に置いただけでターンを終えてしまった。

 マナは、もう十分すぎるほどあるから必要ない。山札の上にカードを戻したのは、次のターンに使うため。手札に持っていたら手札破壊で墓地に送られちゃうけど、山札の上なら、手札破壊を受けず、次のターンのドローで手札に加えられる。

 けどそれは、次のターンを耐えられたら、の話だ。

 そして次のターンを耐えたとして、それは次に繋がるのか。

 お兄さんは毅然とした佇まいで、立っている。その顔には、焦燥も絶望もない。

 なんていうか……とても、まっすぐだ。

 葉子さんはまっすぐっていうか、まっしぐら、って感じだし、先生はまっすぐでも、あまりにも暗い道程だけど。

 この人はひたすらに、正道で、正当だ。

 双眸から覗くのは、滾る炎のようで、真剣そのもの。

 今にも爆ぜそうなほどに、それは熱い。

 

『猶予は与えてやったのだがな。しかしその間でなにもできなかったのならば、貴様に生きる資格も意味もない。だが、安心しろ。貴様らの死骸は、我々が有効活用してやる。具体的には、この工場の燃料だ』

 

 邪悪に微笑むと、相手は動き出した。

 

『2マナで《ビシャモンズ・デーケン》を召喚。《ジョルジュ・バタイユ》を破壊、する代わりに、墓地のカード六枚を山札の下に戻す。さらに1マナで《ジャリ》を召喚。山札から二枚を墓地に置き、《ジョルジュ・バタイユ》を回収。そして《ヘモグロ》二体と《ビシャモンズ・デーケン》、そして《ジャリ》を破壊し、《ジョルジュ・バタイユ》を召喚!』

 

 二体目の《ジョルジュ・バタイユ》が出て来てしまった。もちろん、このターンに攻撃はできないけど……これは戦力増強ではない。攻撃するための駒は、過剰なほどあるのだから。

 この《ジョルジュ・バタイユ》は、きっと“詰め”だ。

 

『さぁ、生者共を食い荒らせ! 《メガロ・デストロイト》でシールドをブレイク!』

 

 今までずっと、凶鬼を生産し、公害物質を垂れ流し、あらゆるものを汚染し続けていた《メガロ・デストロイト》が、遂に動いた。

 巨大な前足で、お兄さんのシールドを一枚、踏み砕く。

 その破片を浴びながら、お兄さんはぽつりと、なにかを呟いた。

 

「……ぼくも、覚悟を決めねばならんか」

『なんだ? 今になってようやく、死ぬ覚悟を決めたのか?』

「あぁ」

 

 お兄さんは、ゆっくりと頷いた。

 

「この身が朽ちても貴様を屠る。貴様を潰すために我が身を燃やす。そのためにも、己が身について思案するのは、やめだ」

 

 それはまるで先生のような、破滅的で、自殺的な言葉のようだった。

 でも、先生とは違う。この人の言葉は、声は、とても熱い。

 明るいでも、暗いでもない。楽観的ではないけれど、悲壮感もない。

 諦念でもなければ、無謀でもない。正常で、後腐れも、後ろめたさも、一切ない心意気。

 そう、それは、お兄さんが言ったように――“覚悟”だ。

 差し違えたいというわけではない。それを目的としているわけではない。

 けれども、そんな最悪さえをも飲み込むほどの気概と、情動を燃やしている。

 

「思案するなどぼくらしくもない。こんなもの、最初から己が衝動に任せれば良かったのだ。それで果てるようならば、その程度の男というまで」

『どういう意味だ? それは遺言か? そんなものを遺したところで、焼却炉で燃え尽きる最期は変わらないぞ』

「違うな。我が身を燃やすのは、我が炎。姉上を害した貴様を討つためにも、ぼくは己が魂をも焼き焦がそうぞ」

 

 お兄さんは、砕かれたシールドを一枚、手に取る。

 そしてそれを、叩き付けた。

 

「S・トリガー! 《無双龍聖イージスブースト》! 山札の上から一枚目をマナゾーンへ!」

 

 出て来たのはS・トリガー……だけど……

 マナを増やすだけのブロッカー。それ自体は決して弱くはないけど、この場面で有効かと言われると……

 

『……ふん。驚かせおってからに。ただの虚仮脅しか。《ルソー・モンテス》でシールドブレイク!』

 

 続けてもう一枚、シールドが割られる。

 さらに続けて、次のクリーチャーが動き出す。

 

『《ゲオルグ・バーボシュタイン》で攻撃! スマッシュ・バースト発動! 呪文《ゴースト・タッチ》! 手札を一枚捨てさせ、さらに相手が手札を捨てるたびに、《ゲオルグ・バーボシュタイン》の能力で相手クリーチャー一体のパワーを-3000!』

 

 黒い瘴気を纏った魔手が、シールドブレイクで増えたばっかりのお兄さんの手札を握り潰す。

 

『次だ、《ジャリ》でブレイク!』

「…………」

『《バギン》でシールドをブレイク!』

 

 遂に、お兄さんの五枚目のシールドが砕かれた。

 まだ相手には大量のクリーチャー。それに《ジョルジュ・バタイユ》は、墓地を山札に戻せばバトルゾーンにとどまる。S・トリガー一枚でこの盤面を取り返すことはできない。

 

「S・トリガー!」

 

 お兄さんは、高らかに宣言する。

 そして、その手から、眩い閃光が解き放たれた。

 

「双極・詠唱――《ホーリー・スパーク》! 相手クリーチャーをすべてタップする!」

 

 閃光は、真っ黒な工場長さんのクリーチャーをすべて縛り付ける。

 S・トリガー一枚じゃ、この圧倒的な盤面はもう取り戻せないけど、動きを止めるくらいならできる。

 ただの、時間稼ぎでしかないけれど。

 

『凌いだか……だが、無意味。ターン終了時に《ヘモグロ》二体が復活! 《メガロ・デストロイト》の能力でパワーをマイナスし、《イージスブースト》を破壊!』

 

 そう。きっと、相手もそれは想定していた。

 だから、《ヘモグロ》を破壊して“詰め”たんだ。たとえ耐えられても、反撃の芽を摘めるように。

 破壊された《ヘモグロ》が場に戻り、シールドブレイクで増えた手札を墓地に叩き落とす。

 さらに手札が捨てられたことで、《ゲオルグ・バーボシュタイン》の能力が発動し、S・トリガ-で現れた《イージスブースト》も衰弱死させる。

 もはやなにも残らない。

 お兄さんは、《ヘモグロ》の能力で手札を捨てる――その時だ。

 

「手札から捨てられたことにより、《永遠のリュウセイ・カイザー》が降臨する!」

 

 わ……っ!

 大型のクリーチャーが、場に現れた。

 《永遠のリュウセイ・カイザー》……マッドネスと呼ばれる、手札から捨てられると場に出るクリーチャーだ。

 相手の手札破壊を利用して、場に切り札を残すなんて……《リュウセイ・カイザー》は味方すべてをスピードアタッカーにするし、もしかしたら……

 と、思ったけれど、その希望さえも崩れ落ちる。

 

『無駄だ。《メガロ・デストロイト》の能力で《ビシャモンズ・デーケン》を蘇生。自身を破壊し、《リュウセイ・カイザー》も道連れだ!』

 

 《メガロ・デストロイト》が、墓地のクリーチャーを釣り上げる。

 デタラメに肉を接合して、安い命を与えて、使い捨て、使い潰す。

 蘇った《ビシャモンズ・デーケン》は場に出た直後、爆散する。《リュウセイ・カイザー》と共に。

 一縷の望みは絶たれ、すべてが奪われた。

 結局、お兄さんはこのターンを凌いだものの、シールドも、手札も、クリーチャーも、なにもかもを失ったまま、自分のターンを迎えることとなった。

 さっきまでとなにも変わらない。シールドがすべて打ち砕かれ、退路も希望もなくなっただけ。

 シールドブレイクは手札が増えるから逆転のチャンス、だけど。

 今この時は、その逆転の芽もすべて、摘み取られてしまっていた。

 

 

 

ターン8

 

燃えぶどうトンボ

場:なし

盾:0

マナ:13

手札:0

墓地:11

山札:16

 

 

工場長

場:《カルナック》×3《ヘモグロ》×2《バギン》×2《バタイユ》×2《モンテス》《ジャリ》《ペトル》《ゲオルグ》《デストロイト》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:7

山札:7

 

 

 

 お兄さんのターン。

 なによりも致命的なのは、手札がないこと。

 マナは13マナもあるけど、そのマナを生かすだけの手札が、お兄さんにはなかった。

 このターンにお兄さんが使えるのは、このターンに引く一枚のカードだけ。

 たった一枚のカードで、この状況から逆転、なんて……

 

「もはや一歩も引けぬ。残るは我が身一つ。眼前に頂く山の恵みは僅か。成程これは厳しい……が」

 

 お兄さんは、カッと目を見開いた。

 瞳の奥には、激情の炎が、轟々と燃え滾っている。

 

「ぼくは貴様を討ち滅ぼす。苦悶に臥す姉上の仇、そして憤怒に軋む我が弟のためにな!」

 

 カードを引く。

 潤沢なマナに対して、その一枚は酷くちっぽけだ。

 だけど、

 

「双極・詠唱! 3マナで《歓喜の歌》!」

 

 お兄さんは闘志を失わない。激憤に駆られても、衝動に突き動かされても、その身を焼き焦しても、彼は威風堂々と、まっすぐに突き進む。

 唱えた呪文の効果で、お兄さんの山札が、バァッと舞い上がる。

 

「山札から九枚を開放、そしてコスト9のカードを我が手に!」

 

 きゅ、九枚も……!?

 手札に加えられるのはコスト9のカード限定と、非常に範囲は狭いし、コストも重いけど、九枚もめくれば一枚くらいはどこかに埋まっているはず。それにお兄さんのマナは、まだ10マナも残っている。ここで引き込んだカードは、即座に使えるだろう。

 そのカードで、逆転できる……?

 どす黒く汚染された大空に舞う九枚のカード。お兄さんはそのうちの一枚を、噛みつくように、食い千切るように、獲物を捕らえるかのように――掴み取った。

 

「我が最強の牙、ここに来たり――《キングダム・オウ禍武斗(カブト)》!」

 

 ガッ、と食いつくようにそのカードを引き込むお兄さん。

 そして彼は静かに、けれど重い声を響かせる。

 

「……貴様は、ぼくの名を覚えているか?」

『なに? 貴様の名前だと? そんなもの、知るものか』

「そうか。ならば再び名乗りを上げる故、覚えて行け。我が名は『燃えぶどうトンボ』。燃ゆる果実を口にし、熱き火酒を吹きつけ、剛力の牙を以て天空を制する猛き蟲」

 

 すさまじい威圧感。

 彼が口を開くたびに覗く歯は、まるで牙のようで、その熱のこもった声は火の吐息のようだった。

 

「弟の如き強かな(Fly)に非ず。姉上の如き麗しの(Butterfly)にも非ず。怒り、猛り、荒ぶり狂う我が身は、蟲にして、蟲に非ず」

 

 轟くような気迫。響き渡る地鳴りのような威迫。

 それは葉子さんとも、先生とも違う。熱く、熱く、ただひたすらに熱い、激情の迫力。

 綺麗な蟲ではない。恐ろしい蟲でもない。それはもっと単純で、純粋で、純然たる――強さだ。

 蟲でありながらも、その蟲の枠を超えた強さの象徴。それは――

 

 

 

「そう、我こそが――蜻蛉(Dragonfly)!」

 

 

 

 ――(ドラゴン)

 

「天翔ける蟲は今、龍と成る。見晒せ!」

 

 架空にして、最強の存在。小さな虫けらは、その薄い翅は強靱な翼となって、大空を翔ける。

 

 

 

「双極・詠唱――大地災厄(マスター・オブ・ハザード・ガイア)!」

 

 

 

 大地が轟く。

 地中深くで、なにかが蠢いている。

 とても大きく、強大な存在が、暴れている。

 

「地を這う虫も、天翔ける虫も、等しく生ける語り草。破天に轟け、九十九の命。我らが世界の果てまで語れ」

 

 大地がひび割れる。

 岩盤が咆える。それは悲痛な叫びではなく、勇猛な雄叫びだ。

 天を衝くほどの轟音が、振動が、お話のように、雄大な言の葉を諳んじて、謡っている。

 小さな蟲が、巨大な龍が、紡ぐ壮大なる物語。

 その最初の頁が――

 

 

 

「有象無象の虫けらよ集え――《轟破天九十九語》!」

 

 

 

 ――開かれた。

 頁を捲る一瞬、物語は停止する。けれどそれは、読み手が息を継ぐほんの短い一時。

 次の瞬間、物語は爆ぜるように躍動する。僅かな静寂を打ち破り、大地から、大空へと、彼らは飛翔する。

 絶え間なく割れ砕ける地面。空を覆い尽くす黒い影。黒ずんだ空に光はなくとも、そこには確かな“力”があった。

 一瞬だった。一瞬で、そこには力を象徴する剛力の龍たちが、天地を支配していた。

 

『な……なんだ……!? なにが起こっている!?』

 

 物語は、主人公だけのものではない。その世界のすべてが物語だ。

 死人のように地面から這い出る黒い人影。こちらも一瞬にして、亡者と凶の鬼の群れが形成される。

 

「《轟破天九十九語》。それは、森羅万象、有象無象、命の総てを以てして、命の総て語る、伝説にして神話の一幕」

 

 お兄さんは、静かに語る。

 地を破り、天に轟く、九十九の命を。

 

 

 

「《轟破天九十九語》の効果により、ぼくと貴様、互いのマナゾーンのクリーチャーをすべて――バトルゾーンに呼び寄せる」

 

 

 

 …………

 わたしは、言葉を失っていた。

 マナゾーンのクリーチャーをすべて、バトルゾーンに出す、って……豪快にもほどがある。しかも、敵味方問わず。

 どういうわけかクリーチャーの能力は発動していない様子だけど、マナが根こそぎなくなって、代わりにバトルゾーンを埋め尽くすクリーチャーの群れは、圧巻の一言だ。

 数で言えば相手の方が多いけれど、お兄さんの従えるのは、一体一体が強力無比なドラゴンだ。それが、十体以上の軍勢となって、襲ってくるのだ。これが脅威でないはずがない。

 たった一枚で戦況を――戦場を塗り替えてしまったお兄さんは、号砲のように、その声を轟かせる。

 

「闘争の始まりだ! 万夫不当にして国士無双の虫けら共! 汝らは今、龍である! 汝らの剛力で、迫る悪鬼を打ち砕け! 熱き息吹で、揺らぐ病魔を打ち払え! ここが汝らの聖地、生路なき彼奴らをその牙で噛み砕き、滾る炎で塵芥に帰すがいい! 獲物はそこだ――さぁ、喰らいつけ!」

 

 龍たちが咆える。

 雪崩のように、怒濤の勢いで龍たちが翔ける。

 龍の群れと、凶鬼の群れが激突する。

 数で言えば、凶鬼たちの方がずっと多い。

 けれど、その力の差は、あまりにも圧倒的だった。

 

「マッハファイター――《無双龍幻バルガ・ド・ライバー》で、《ルドルフ・カルナック》を攻撃!」

 

 一体の龍が、黒い影の人型を叩き斬る。

 その直前、お兄さんの山札が捲れた。

 

「《バルガ・ド・ライバー》の能力で、山札から一枚目を公開。それがドラゴンならば、バトルゾーンへ呼び出す! 行け! 《不敗のダイハード・リュウセイ》!」

 

 龍が龍を呼び、龍の後に龍が続く。

 虫けらなんてものではない。その力強さは、凄烈であった。

 

「続け、《バルガ・ド・ライバー》! 《メガロ・デストロイト》を粉砕せよ!」

 

 数多の重火器の乱れ撃ちが外壁に穴を空け、二振りの刀剣が鋼鉄の身体を断ち切る。

 巨大な公害の害獣は、たった一体の龍により、一瞬で倒壊したのだった。

 

『め、《メガロ・デストロイト》が、やられるなど……!』

「《バルガ・ド・ライバー》の能力により、山札から《摩破目 ナトゥーラ・トプス》を降臨! さらに《ダイハード・リュウセイ》の能力、ドラゴンの攻撃時、貴様のシールドを一枚焼却!」

『ぬぅ……!?』

「まだまだ終わらんぞ! 《ナトゥーラ・トプス》で攻撃! 《ダイハード・リュウセイ》でシールドを焼却し、《ヘモグロ》を破壊!」

 

 《バルガ・ド・ライバー》に《ナトゥーラ・トプス》――ドラゴンたちは、次々とクリーチャーを、シールドを、蹂躙する。

 単純な数で言えば、工場長さんのクリーチャーを全滅させることはできないだろう。けど、たとえ労働者が残っていたとしても、もはや彼らには、なにかを生産するだけの力は残されていなかった。

 それほどに、龍たちは圧倒的な“力”で、彼らを踏み潰したのだ。

 

「天誅だ。《バルガ・ド・ライバー》で、《ゲオルグ・バーボシュタイン》を攻撃!」

『ぐ、う、おぉぉぉぉぉ……っ!』

 

 工場長が、容易く切り捨てられる。

 同時に《ダイハード・リュウセイ》がシールドを焼き払い、さらに続く龍が呼ばれる。

 呼ばれたのは――《永遠のリュウセイ・カイザー》。

 その瞬間に、すべてが決した。

 

「終いだ。この言の葉が貴様の最期である」

 

 工場長さんのシールドはゼロ。クリーチャーは残っていても、ブロッカーは殲滅されている。

 そしてお兄さんの場には、まだクリーチャーが残っている。加えて、それらのクリーチャーはすべて、《永遠のリュウセイ・カイザー》の能力でスピードアタッカーだ。

 天を舞う龍たちの中で、唯一、雄々しく地に立つ巨蟲が、大角を掲げた。

 

「《キングダム・オウ禍武斗》、奴に引導を渡せ」

 

 決着はついた。

 お兄さんは静かに目を瞑ると、背中を向けた。

 終わりの頁を捲り終え、本を閉じるように、最期の言葉を告げる。

 

 

 

「蟲龍の織り成す《轟破天九十九語》――これにて終幕」




 《轟破天》は実質《刃鬼》。いやー、クロニクル楽しみですねー。
 まあ、作者は特に《刃鬼》に思い入れはないのですが。だから刃鬼みたいな構築でも、容赦なく《轟破天》が使える。
 でも実際、一枚のカードからクリーチャー大量展開でフィニッシュっていうと、やっぱ《轟破天》が強いですよね。ただ強いというより、ゼニス級のフィニッシャーでさえもインフレしている感じがします。マナ溜めて撃てば確実に全部出てくるし、《刃鬼》より低コストだし。呪文メタに引っかかったり、相手が《シャングリラ・エデン》みたいなの出してきたら止まるっていうリスクはありますが、あんまデメリットじゃないですよねこれ。《チャフ》とかはまあまあ痛いですけど。
 今回のデッキも、やってることはほとんど刃鬼です。ただ、ビマナというよりターボですが。マナを溜めつつ耐えてコントロールするというよりは、急いでマナを伸ばしてエンドカード叩き付ける感じ。《轟破天》撃ったら勝ちなんだからスピード優先……なんて考える自分は、絶対にビマナ向いてない。
 そんなところで、今回はここまで。誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。
 次回もお楽しみに。


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40話「釣られました [転]」

 内容的には二回目の[承]みたいな話。転じられるのはむしろ次回か……? 転というか微妙な気もする。
 今回はオールアギリさん視点。正確には三人称視点だけど、まあ小鈴の視点がまったくない、実はわりとレアな回です。


 燃えぶどうトンボや小鈴らと別れ、バンダースナッチを連れ戻すため、単独で行動するアギリ。

 ヤングオイスターズが有する個性()の一端。「存在感を他の兄弟姉妹に押しつける」ことで、自身の存在を最大まで希薄にし、警備員たちの監視の目をすり抜ける。

 アギリには、燃えぶどうトンボのように、相手から情報を引き出せるような特異さはない。今この場では、幼い兄弟姉妹から情報提供を受けるか、自分の影を薄くすることしかできない。

 この場にいない兄弟姉妹からの情報なんて、今は価値がない。なのでアギリは、ただひたすらに気配を殺し、工場内を虱潰しに探索する。

 今の自分が生かせる力はこれだけしかない。故に彼は、ただ一人、孤独に工場内を駆けずり回る。

 この廊下の扉はすべて確認した。奥の廊下には一ヶ所だけ鍵が掛かっていた。隣の廊下は警備員の監視が多く近寄れない。

 

(さて、次はどこを探すか……)

 

 ぐるりと、無限回廊のような鉄色の廊下を見回す。

 そして、バンダースナッチが潜んでいそうな場所を考える。

 

(牢獄……は、奴の犯した罪による結果でしかない。そもそも自らそんなところには入らない。だが、奴は獰猛だ。野放しにはできない。しかし同時に、奴には相応の力がある。行動を完全に制限はしないし、できないだろう)

 

 自分たちの経験。バンダースナッチに関する知識。敵の思考。目的。

 あらゆる要素を、数式に当てはめるようにして、考える。

 バンダースナッチが存在するに相応しい舞台は、どこかのかを。

 

(事実として、奴は拘束されている様子ではなかった。つまり奴は、自由に行動できる。その上で、連中が奴の危険性を認識しているのであれば……)

 

 逆に考えてみる。

 バンダースナッチがどこにいるか、ではなく、バンダースナッチをどうするか、を。

 あるいは、バンダースナッチに対して、どんな行動を取るか。

 

(いつでも奴を拘束する準備を整える? いや、流石に厳しいな。最初から殺すつもりでいなければ、奴の凶暴さには太刀打ちできまい。そもそも、奴を抑えられるほどの力が、あの警備員程度にあるとも思えない。そう、それなら――)

 

 ――近づかない。

 それが、バンダースナッチに対する、ベターな対処法だろう。

 いくら言い聞かせても、躾けても、抑え込んでも、彼女は自身の欲望のため、凶器を振りかざす。

 それは決して無視できることではないが、関われば手傷を負うことは免れない。最悪、死に至るだろう。

 無理に彼女を止めるリスクと、自己保身に走って彼女に好き勝手させるリスク。さて、どちらがいいか。

 強者ならば――たとえば、燃えぶどうトンボや、眠りネズミ、あるいは公爵夫人ならば、前者を選ぶかも知れない。

 だが、弱者――代用ウミガメや、自分たちならば、どうする?

 当然、死のリスクを回避する。死にたくない。故に、彼女には近づかない。

 それが賢明な判断だ。

 つまり、この工場の責任者が愚か者でないのだとすれば……

 

「……最も人気の無い場所へ、奴を追いやる、か」

 

 バンダースナッチはあれで、孤独を好む。好むというより、なにかを企んでいそうな気もするが、なんにせよ、個室を与えれば、行動を多少なりとも制御できる。

 そこまで智慧が回り、かつバンダースナッチを理解しているのかはわからないが、試す価値はある。

 アギリは周囲を見回し、警備員が巡回していないことを確認してから、音のない、気配もない、誰も寄りつかないような、暗がりの方へと、歩を進めた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 人気のない方ない方へと進んでいくアギリ。

 廊下は暗く、重苦し空気に満ちている。単純に電灯の光が弱いのではない。空気洗浄が行き届いていないから空気が澱んでいるのではない。

 この空間そのものに、なにか、得体の知れない気が満ちているのだ。

 まるで、怪物の棲む森にでも迷い込んだような感覚だ。

 

「相手はバンダースナッチ……比喩とも言い切れないのが、また気味悪い」

 

 そもそも自分たちは、人の姿を模しているだけで、人間ではない。

 怪物というものが、人間の基準で測れず、観測できない化生だというのなら、自分たちはすべからく怪物だ。

 廊下にずらっと並んだ鉄扉。その一つ一つを、片っ端から開け放っていく。

 森の木の数を数えるように、海底の砂粒を拾い上げるように、果てしないほど繰り返した作業。

 そして、その無限に続くような行いの果てに、次の鉄扉を開く――

 

「見つけたぞ」

 

 ――そこに、無形の怪物(バンダースナッチ)はいた。

 ギラギラと妖しく煌めく刃物を携え、襤褸のような漆黒の衣を纏った、幼い少女の姿をした怪物。

 彼女は牙を剥くように、爪を振り上げるように、刃物を手にしたまま、振り向いた。

 

「わ、おにーさんだ。やっほー?」

 

 彼女には似つかわしくない、流暢な喋り口。

 化物が人語を解するのは恐怖でしかない。それを、その身で体現しているかのようだ。

 その姿はあまりにも悍ましく、アギリとて近寄りたくない。

 が、しかし。

 

「バンダースナッチ。お前を連れ戻しに来た」

 

 残念ながら今の彼は、帽子屋から受けた使命がある。

 そして、それを愚直に信じようとする姉の意志がある。

 ヤングオイスターズは、個にして群、群にして個。

 ただ一人の意志は全体に伝播し、皆の総意は個人に収束する。

 たとえ姉の考えに同調できずとも、アギリは、それを完全にはね除けることはできない。

 彼女は姉であり、自分自身なのだから。

 アギリはバンダースナッチに宣言する。そして、バンダースナッチは、

 

「やだ」

 

 短く、拒絶した。

 

「いやだよ。また、あのくらくて、さむいとこに、つなぐんでしょ?」

「お前の処遇を決めるのは帽子屋だ。どうなるかなど知るものか」

「でもいや。しゃちょーのとこにいるほうが、たのしいもん」

「社長? それが、ここの責任者か?」

 

 そういえば、外で襲撃された際にも、そんなことを言っていた。

 恐らくその「しゃちょー」なる人物が、彼女をあの牢獄から解放し、手懐けている張本人だ。

 

(バンダースナッチの凶暴性を知ってか知らないでか、なんともまあ、大胆なことをする。よほどの馬鹿か、破滅願望か、快楽主義者だな)

 

 一周回って呆れる。こんな狂犬を側に置くなど、正気の沙汰ではない。

 それこそ、帽子屋と同等のイカれた人物か。

 あるいは、バンダースナッチを御せるだけの自信があるのか。

 

「しゃちょーは、すごいやさしいんだよ。おかげで私、こんなにつよくなれた」

「……確かに。少なくとも、言葉は会得したようだな」

「まいにちまいにち、おいしいもの、たくさん……さかなばっかりだけど」

「そうか。魚はいいぞ。頭が良くなる」

「でも、たまに、おにくがたべられる。こうじょーちょーが、おしごとのほーしゅーで、いらないおにく、くれるの」

 

 おにく。

 なにかその言葉に含みを感じなくもない。

 なんとなく察しはつく。

 もしここにマジカル・ベルがいれば、なにか感じ取ったかもしれない。

 

「でも、きらきらは、みつからないなぁ。みんな、どんよりしてる」

「洗脳されているらしいからな。して、社長やら工場長やら言うが、ここのトップは二人いるのか? 経営者と、現場の責任者ということか?」

「さぁ? こーじょちょーは……かおがわるくて、くさい。しゃちょーも……けっこー、いみわかんないこと、いうかなぁ。しんわとか、かたりてとか……なんか、ぞわぞわってする」

「…………」

 

 どうも要領を得ない話だ。

 バンダースナッチにしては口達者ではあるが、やはり元は怪物だ。対話をしようというのが、そもそもの間違いではある。

 アギリの目的は、あくまでもバンダースナッチの回収。それ以外の物事はどうでもいいと言えば、どうでもいい。

 それでも知っておくことには意義があると思い、対話を試みたが……それも潮時かもしれない。

 力ずくで抑え込む心構えだけは、しておくべきだろう。

 

「しゃちょーはね、ちょーかの、かたりて……? で、つりがしたいんだって」

「釣り……?」

「ひとを、つるの。そうやって、あそぶんだって。いっぱいつれたら、私にも、わけてくれる。きらきらを、くれるんだって」

「……成程」

 

 バンダースナッチがここに留まる理由は、なにも社長なる人物に保護されただけではないようだ。

 彼女も彼女なりに、思惑がある。利得の関係で、ここにいるようだ。

 

「それで、お前はなにをしている?」

「私? 私はね、ばんけん? だって」

「番犬……門番か」

 

 三つ首の番犬よりも恐ろしいこの幼女を番兵とするとは、随分と豪胆なことだ。

 だがしかし、不意を突いて侵入者を排除するのなら、この賢しい怪物ほどの適任者もいないかもしれない。

 奇襲性だけで言えば、あのマジカル・ベルを屠りかけたのだから。

 そして事実として、この工場を探りに出た者たちが、行方不明になっているのだ。

 恐ろしいことに、実績は十分だ。こんな凶暴な幼女でも、雇用するに値するということだろう。

 

「そうだ。おしごと、しなきゃ」

 

 バンダースナッチは、刃物を構える。

 ギラギラと、鈍く、妖しく輝く、肉厚のナイフ。

 凶悪さと、暴力と、殺意を、これでもかと言うほど凝縮した道具。

 それが、血を求めている。

 

「おにーさんたち、ころすね。しゃちょーめーれー? っていうやつ?」

「残念だが、それは聞けないな。死ぬことだけはできない」

 

 それだけは、絶対にできない。兄弟姉妹のためにも、自分自身のためにも。

 さて、ここからどうするかだ。

 力ずくでヤングオイスターズを押さえ付けるか。力も体格も、圧倒的にこちらが上。しかし相手は凶器を持っている。

 上手く押さえ付けられればいいが、失敗すればグサリだ。そうでなくとも、抵抗され、深傷を負う可能性は決して低くない。彼女の生き汚さも、泥臭さも、狡猾さも、アギリは知っている。

 どこで報復されるか、隙を突かれるか、わかったものではない。

 となればやはり、連行する前に、無力化する必要があるだろう。

 

「おい、バンダースナッチ」

「? なぁに?」

「お前は、姉に手足をへし折られたことを覚えているか?」

「アヤハ? うん、おぼえてる。すごい、いたかったよ。ころしてやりたいよね」

 

 淡々と、しかし明確に怒りのこもった言葉。随分と根に持っているようだった。当然と言えば、当然だが。

 その怒りが不当だとか、自分の罪を棚上げにするなとか、言ってやりたいこともないではないが、そんなことを言っても意味がないことは分かりきっていた。

 バンダースナッチは、強欲で、傲慢で、狡猾で、残忍で、我が強い、凶暴な怪物だが。

 幼さを内包していることが、致命的だ。

 

(ボク)は姉よりも力が強い。お前が向かって来たところで、あの時と同じ結末を辿るだけだ」

「ふぅん。やってみる?」

「失敗が確定する試行は、試す価値がない。そんなことをしなくとも、もっと手っ取り早く、互いの力を決する方法はある」

 

 スッと、アギリはポケットからデッキケースを取り出す。

 

「少し遊べ、バンダースナッチ」

 

 恐らく、これが最善手だ。

 あの怪物と正面からかち合うことだけは避けたい。不確定要素の多い方法は取りたくない。

 この方法も、決して確実とも良いとも言えないが、リターンは大きい。それに、一定のラインを越えれば、確実だ。

 問題はバンダースナッチがこの誘いに乗るかだ。彼女としても、体格で勝るアギリとの身体的接触は避けたいと思うしかない。

 そして、それ以上に――

 

 

 

「……あはっ」

 

 

 

 ――彼女の童心(さつい)に、期待した。

 猫が鼠をいたぶるような遊び心。

 彼女の幼さの中にある、凶悪な甘さを、誘い出す。

 バンダースナッチは表情無く嗤うと、同じようにデッキを取り出した。

 

「いいよ、かわいそうなおにーさん。私が、あそんで(ころして)あげる」

 

 嗤うバンダースナッチ。アギリも内心では、乾いた笑みを浮かべている。

 ここが正念場だ。

 迫り来る狂気と恐怖に耐え、アギリは、怪物と相対する――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 アギリこと、ヤングオイスターズの長男と、バンダースナッチとの対戦。

 元々、狡猾さという点では知能はあったバンダースナッチが、知性を得て、言葉も得た。

 それは彼女の生においても小さくない影響を及ぼすこととなろうが、この場においてもその発露が垣間見える。

 

「《アクア・ティーチャー》を召喚。ターンを終了する」

 

 

 

ターン1

 

バンダースナッチ

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:1

山札:29

 

 

アギリ(ヤングオイスターズ:長男)

場:《ティーチャー》

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:29

 

 

 

 先んじてクリーチャーを呼ぶアギリ。出だしは順調ではあるが、油断はできない。

 なにせ相手は、無形にして無私の怪物、バンダースナッチ。

 いつどこで、どう動くか、なにを考えるか、わかったものではない。

 

「私のターンだね。マナをふたつで、《堕魔 ドゥリンリ》をしょーかんするね……おしまい。だけど」

 

 ジリリリリ! という耳障りな音と共に、バンダースナッチの山札が一枚削られる。墓地に送られたのは、《無明夜叉羅ムカデ》。

 《ドゥリンリ》はターンの終わりに、一枚ずつ墓地を増やしていく魔導具。バンダースナッチの有する無月の門の性質上、墓地が増えれば増えるほど、その強さを増す。毎ターン墓地を増やす《ドゥリンリ》は、存在するだけで厄介だ。アギリとしては、できれば素早く仕留めたいところではあるが……

 

「ターンを開始する。2マナで、オレガ・オーラ起動」

 

 魔導具の展開をはじめるバンダースナッチ。

 対するアギリは、オレガ・オーラを起動させた。

 機械的な駆動音が鳴り響き、超GRゾーンから、一枚のチップが排出される。

 

「新規プログラムを構築。GR召喚――《無罪(モラル) TV-30》!」

 

 現れたのはICチップ型のクリーチャー。中央部に埋め込まれたチップから、分子モデルのような球が枝分かれし、半眼の目玉を覗かせている。

 

「《無罪 TV-30》に、《*/零幻チュパカル/*》をインストール。さらに《アクア・ティーチャー》の能力も発動だ」

 

 《無罪 TV-30》の登場に反応し、《アクア・ティーチャー》が教鞭を振るうと、アギリの手元に一枚のカードが引き寄せられる。

 

「《アクア・ティーチャー》は、能力を持たないクリーチャーが召喚されるたびに一枚ドローできる。《無罪 TV-30》は能力を持たない(バニラ)クリーチャー、そしてGR召喚はコストを支払った扱いをとなる“召喚”だ」

 

 GR召喚は、呼び出す方法こそサイキックやドラグハートと類似しているが、ルール上、それは“コストを支払った召喚”として扱われる。

 多くの踏み倒しメタの影響を受けない正当な召喚であり、それ自体はカードの能力ではなく、あくまでもルール。

 《無罪 TV-30》に書かれている文章も、能力(テキスト)ではなく注釈文であるため、《無罪 TV-30》自体はなんの能力も持たない無能力クリーチャー(バニラ)

 故に《アクア・ティーチャー》は、力なき者に知識を授ける。

 

「ターンを終了する」

 

 

 

ターン2

 

バンダースナッチ

場:《ドゥリンリ》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:1

山札:28

 

 

ヤングオイスターズ(長男)

場:《ティーチャー》《無罪[チュパカル]》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:27

 

 

 

「私のターンだよ。マナをみっつ。《堕魔 グリペイジ》をしょーかん。おにーさんのてふだ、すてるよ」

「ハンデスか。いいだろう」

「うん。おわり、だよ」

 

 しかしターンが終わると、《ドゥリンリ》が墓地を肥やす。墓地に落ちるのは《堕魔 ジグス★ガルビ》。

 バンダースナッチは、子供らしい自然な微笑みを浮かべていた。

 アギリは知っている。彼女には未知の部分も多いが、それでも確かに言えることがある。

 彼女の内側は、まごうことなく怪物だ。自己中心的なエゴと、無慈悲な悪意を内包した魔物だ。

 化物が、幼い少女の皮を被って、微笑んでいる。しかも、人の言葉を介して、こちらに歩み寄ってくる。

 それが、不気味でないはずがない。恐ろしくないはずがない。

 

「ターンを開始。ドロー」

 

 未知は恐怖だ。ヤングオイスターズの中でも特に冷静沈着なアギリでさえ、内側から込み上げる恐れを押し殺して、平静を装っているに過ぎない。

 だが、逆に言えば、彼には平静を装えるだけの余裕があるということでもある。

 相手は未知の怪物。しかし、振るわれる力そのものは、既知のそれだ。

 ここが争いの場である時点で、彼女への恐怖は削がれている。

 

「《チュパカル》の能力で、オーラの使用コストをマイナス1、1マナで《*/零幻ルタチノ/*》を起動。《ムガ 丙-三式》をGR召喚し、《ルタチノ》をインストール。そして《アクア・ティーチャー》と《ルタチノ》の能力がそれぞれ発動!」

 

 先に《アクア・ティーチャー》の能力で一枚カードを引き、次に《ルタチノ》の能力でもう一枚引き、最後に手札を一枚捨てる。

 

「続けて1マナ、二枚目の《ルタチノ》を起動、《ムガ 丙-三式》をGR召喚し、インストール! 《アクア・ティーチャー》の能力でドロー、続いて《ルタチノ》の能力でドロー、手札を一枚捨て、ターンを終了する」

 

 

 

ターン3

 

バンダースナッチ

場:《ドゥリンリ》《グリペイジ》

盾:5

マナ:3

手札:2

墓地:3

山札:25

 

 

ヤングオイスターズ(長男)

場:《ルタチノ[ムガ]》×2《ティーチャー》《無罪[チュパカル]》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:3

山札:22

 

 

 

「私のターン。マナをみっつで、《堕魔 グリギャン》をしょーかん――」

 

 順当に墓地を肥やし、クリーチャーを並べるバンダースナッチ。

 紫炎を灯す燭台を場に出した、その時。

 クスリと、嗤った。

 

 

 

「――無月の門(むげつのもん)

 

 

 

「来るか……!」

 

 墓地とバトルゾーンからそれぞれ二体ずつの魔導具を用いて、ドルスザクを呼ぶ門を形成する儀式。

 ただし、バンダースナッチの墓地にの魔導具は、二枚には満たない。

 門は閉ざされており、今のままでは開かないが、

 

「《グリギャン》のこーか。やまふだから、みっつ、ぼちにおくよ。これで、魔導具(まどーぐ)がぼちに、ふたつ。ばに、ふたつ」

 

 山札から三枚、墓地に送られる。

 《ティン★ビン》《堕魔 ドゥグラス》《堕魔 ジグス★ガルビ》。

 とりあえず門は創造する。開門は、後からでもいい。

 《グリギャン》の能力を先に処理することで、バンダースナッチは墓地に必要な魔導具を用意できた。それにより、無月の門が開く。

 

「《グリギャン》《グリペイジ》……《ドゥグラス》《ジグス★ガルビ》》」

 

 場から二体、墓地から二体。

 四つの魔導具を集め、形成された魔方陣。

 それが門となり、常夜の向こう側の怪物を、呼び寄せる。

 

ザン(ひとつ)ドゥ(ふたつ)グリ(みっつ)ヴォ(よっつ)……開門(ひらけ)無月の門(むげつのもん)

 

 呪詛のようなカウントダウンを諳んじ、儀式は完成する。

 今、月無き夜の門は開かれた。

 

 

 

強欲煩邪(がよくにまみれ)羅刹変化(らせつとかす)魔病蠱毒(そはこどくのびょうまなり)――《無明夜叉羅ムカデ》」

 

 

 

 ドスン、と巨大な毒虫が地に降り立つ。

 長大な毒針を備えた尾、三対の腕、悍ましさすら感じさせる多足。

 禍々しい威容を、毒々しい威迫を、蠱毒の怪物は湛えていた。

 

「《夜叉羅ムカデ》の、こーかで……うーん、《アクア・ティーチャー》、かな。しんで」

補給路(ドローソース)を断たれたか……!」

「まだだよ。きて《ティン★ビン》《ジグス★ガルビ》」

 

 無月の開門に呼応し、墓地からムーゲッツたちが湧き上がる。

 否、墓地からだけではない。

 

「それと……てふだから、《ソー☆ギョッ》」

 

 手札からも、青いムーゲッツが姿を現す。

 ゆらゆらと揺らめく、陽炎の如き霊魂。

 奴らは嘲るように、ケタケタと嗤っている。

 

「《ソー☆ギョッ》のこーかで、ひいて、《ジグス★ガルビ》をすてるね。《ティン★ビン》のこーかで、てふだ、すててね」

「く……っ」

「ターンおわり。ドゥリンリ》のこーか、はつどうだよ」

 

 黒電話のけたたましい音が、嘲笑の如く響き渡り、山札から《グリペイジ》が落ちる。

 やはり、彼女の操る無月の門、その爆的的な展開力は驚異的だ。

 一度、無月の門が開いてしまえば、一気に盤面が埋め尽くされる。

 オレガ・オーラは一体のクリーチャーに重ねるプレイングが行うため、大量展開よりも、単体を強化する方が向いている。故に数を並べるデッキには、物量で押し巻けてしまうこともある。

 アギリのデッキはそんなオーラの定石通りとは行かないのだが、それでも展開の要になる《アクア・ティーチャー》が破壊されてしまったため、後続を引き込みにくくなってしまった。

 こちらは三体、相手は五体。

 まだ大きな差はついていないが、あの巨大な毒虫は、早急に対処しなければならない課題だ。

 

「ターン開始、ドローだ」

 

 カードを引き、逡巡。

 数秒後、アギリは手札を一枚、引き抜いた。

 

「1マナで呪文、《ア・ストラ・センサー》! 山札から三枚を閲覧し、呪文またはオーラを回収する」

 

 今の手札では対処不可能と判断。山札から後続を引き込むアギリ。

 三枚のカードを捲り、その中の一枚を攫うように掴む。

 

「よし、《ガニメ・デ》を手札に加える。そして2マナで起動、《極幻智 ガニメ・デ》! 《チュパカル》の情報を更新、《ガニメ・デ》にアップデート!」

 

 現時点における《無明夜叉羅ムカデ》の脅威は、大きく分けて二つ。

 一つは打点。バンダースナッチの場には、Wブレイカーが二体、シングルブレイカーが二体、合計で六点の打点が形成されている。

 つまりなん抵抗もせず、S・トリガーもなければ、このまま押し切られてアギリは敗北する。S・トリガーが出ない確率は高くはないが、それもゼロではないのだから。

 そしてもう一つは、クリーチャーの攻撃時に発生するハンデス能力。攻撃するたびに手札を削り取られ、逆転の芽を摘まれてしまう。

 これらの問題をどうにかしないことには、アギリは苦しい戦いを強いられることとなる。

 

「《ガニメ・デ》が接続されたことで、能力発動! 《ガニメ・デ》に接続されたオーラ一枚につき、一枚ドローする! よって二枚ドロー!」

 

 ハンデスに関しては、手札をできるだけ多く持つことで解消する。一気に手札を捨てさせるのではなく、クリーチャーの攻撃時に発動するため、シールドブレイクでの差し引きで手札が残ることを期待する。

 そして打点の方は、よりシンプルだ。

 クリーチャーを殴り倒す。

 

「《ルタチノ》で《ソー☆ギョッ》を攻撃!」

「ん、やられちゃうね。ばいばい」

 

 ムーゲッツはタップして登場する。パワーも低いので、倒すのは難しくない。

 もっとも、また門を開けば沸いて出てくる上に、こちらにタップ状態のクリーチャーを作ってしまった。この隙を突かれ、詰めるように手札を削ぎ落としてくることだろう。

 無抵抗な敗北よりマシだ、と自分に言い聞かせ、アギリはターンを終える。

 

 

 

ターン4

 

バンダースナッチ

場:《ドゥリンリ》《夜叉羅ムカデ》《ティン★ビン》《ジグス★ガルビ》

盾:5

マナ:4

手札:0

墓地:4

山札:20

 

 

ヤングオイスターズ(長男)

場:《ルタチノ[ムガ]》×2《ティーチャー》《無罪[チュパカル/ガニメ・デ]》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:6

山札:18

 

 

 

 

 

「私のターン」

 

 バンダースナッチは知恵をつけた。怪物らしからぬ言葉を覚えた。

 ささやかな叡智を悪意に染め、彼女は、青色の力を捻り出す。

 

「マナを、ふたつ。《堕呪(ダスペル) バレッドゥ》」

 

 ガンッ、とボロボロの樽がどこからともなく落下し、逆巻く水流を解き放つ。

 バンダースナッチは渦のように広がる水流から二枚のカードを引き抜き、手札の《グリギャン》一枚を流す。

 

「んー……うん。にまい、ひいて。ふたつ、すてるね。で、もういっこ。マナを、ふたつ。《ドゥリンリ》しょーかん」

 

 二台目の黒電話。これでターンが経過するたびに、墓地が二枚も増えてしまう。

 

「《夜叉羅ムカデ》で、こーげき。《ルタチノ》を、ころすね」

 

 毒虫が動き出す。多足の脚で蠢きながら、巨大な毒針を掲げた。

 

「《夜叉羅ムカデ》のこーか。おにーさん、てふだ、すててね?」

 

 《夜叉羅ムカデ》が放たれる毒気が、アギリを襲う。

 アギリはそれを振り払うために、手札を一枚犠牲にする。

 その直後、グサリ、と鈍い音が響く。

 ジジジ、と《ルタチノ》の虚像は消えかかっていた。その奥では、毒針が突き刺さり、砕けたチップが無言の絶叫を上げている。

 毒虫の尾が振り上がる。それと同時に、《ムガ 丙-三式》は粉々に砕け散り、《ルタチノ》の像も雲散霧消していた。

 

「おしまい」

 

 ターンが終わると、それまでの二倍、けたたましく、不気味な電話音と共に、山札の上から《カージグリ》《ソー☆ジェ》が墓地に落ちる。

 アギリはこのターン、手札一枚と、クリーチャー一体を失った。

 とはいえ、この程度ならば予想の範疇だ。

 

「ターン開始……さて」

 

 どう動くべきかを考える。

 やることは変わらない。相手の攻撃、妨害をどう耐え凌ぐか。

 状況は大きくは変わっていない。二体目の《ドゥリンリ》が出て来て、打点が増えた、という程度だ。

 バンダースナッチの墓地が着々と溜め直されているのは気になるところではあるが……

 

「……2マナで《極幻智 ガニメ・デ》を、《ガニメ・デ》に追加。能力で三枚ドロー。さらに1マナで《アクア・ティーチャー》を召喚……ターン終了だ」

 

 

 

ターン5

 

バンダースナッチ

場:《ドゥリンリ》×2《夜叉羅ムカデ》《ティン★ビン》《ジグス★ガルビ》

盾:5

マナ:4

手札:0

墓地:8

山札:14

 

 

ヤングオイスターズ(長男)

場:《無罪[チュパカル/ガニメ・デ×2]》《ルタチノ[ムガ]》《ティーチャー》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:8

山札:14

 

 

 

「私のターン……じゃあ」

 

 静寂が戦場に漂う。

 月はない。明るさも、輝きも、光もない。

 空が近い。闇が、黒が、帳が、降りてくる。

 静かに刃物が掲げられる。否、それは刃物などという、認知の内側にあるものではない。

 もっと恐ろしい、奈落のような、怪物の大口だ。

 

 

 

「ころすね」

 

 

 

 異形の怪物が、凶器を伸ばしている。

 牙を剥くように、爪をぎらつかせるように。

 

「マナをふたつ。《堕呪 バレッドゥ》を、となえるよ」

 

 実態を持たない、虚ろなる魔導具。

 その未練の本流が迸る。

 そして、その時

 ギギギ、と門が軋む。

 虚ろにして無の、幻影の月を湛えた門。

 

「これは……!」

 

 《バレッドゥ》の放つ水流によって、手札と墓地で、カードが渦巻く。

 そして、四つの魔導具が、魔方陣を描く。

 

「《バレッドゥ》、《カージグリ》、《グリギャン》、《グリペイジ》」

 

 いつの間にか足下に浸されていた、黒い水。宵闇に染まる湖のような、静寂なる恐怖の深海。

 光は届かず、実体はどこにもない。すべてが幻想、すべてが虚構の世界で、無の月は昏く輝きを放つ。

 

ひとつ(zan)ふたつ(dwo)みっつ(ghree)よっつ(vour)

 

 幻想に満たされた暗い海の底で、怪物は呪詛のように数える。

 墓地に眠る魔導具が水死体の如く浮かび上がり、寄り集まる。

 そして、四つの魂は、虚像の門を創造した。

 

開門(オープン)――」

 

 虚無的で、幻想的な、触れれば消えてしまいそうな、しかし触れることのできない、虚空の門。

 今宵、月無き夜の月は、水面に浮かぶ。

 

 

 

「――虚無月の門(ムーン・レス・ムーン)

 

 

 

 そして今、虚ろなる無月――虚無月の門は開かれ、産声を上げた。

 

深海侵犯(タイカイヲオカシ)清流汚濁(キヨキハニゴル)殺戮麒麟(ソハリソウをコロスゲンジュウナリ)――」

 

 ぴちゃん、と水面の魔方陣から、虚無なる獣が浮上する。

 

 

 

「――《卍 ギ・ルーギリン 卍》」

 

 

 

 それは言葉なのかどうか。それさえわからないように、獣の雄叫びや、怪物の絶叫のような、あるいは悪意に満ちた呪詛のような言の葉を読み上げ、それは現れた。

 ちゃぷん、と湖面に雫を垂らすように、湖底より浮かび上がり、湖月より出づる。

 蒼く染まった虚ろの霊。神に届くほどの神威を放つ幻の獣。

 それは影でしかない。魂でさえない、幻想で、架空の神獣だ。

 しかし、そうであっても、それはそこにある。虚像でも、幻想でも、虚月を映す水面の無月は、命に死を与える力となる。

 

「虚無月の門……魔導具呪文によって起動する、無月の門、か」

 

 バンダースナッチがいつから無月の門の力を操るようになったのかは定かではないが……これは、今まで見せていない無月だ。

 虚無月の門は実体を伴わない無月。実体を必要とせず、必要なのは幻影でも虚構でも構わない、魂だ。

 魔導具の特性を持つ呪文に反応し、場か墓地の魔導具四つと共に、門を形成する。この時、必要な魔導具は、すべて墓地から賄うことができる。

 バトルゾーンの魔導具を要求する通常の無月の門と比べれば、打点を失う心配がない。そして要求される魔導具の枚数も、無月の門・絶より少ない。

 そしてなにより、この無月は――虚無月の門は、“無月の門”なのだ。

 

「きて、《ソー☆ギョッ》《ソー☆ジェ》《ジグス★ガルビ》」

 

 墓地から、わらわらと陽炎のような魂が浮かび上がる。

 虚無月が無月の門である以上、当然ムーゲッツも現れる。

 加えて、湧き上がったムーゲッツの一体は、《ジグス★ガルビ》。

 ムーゲッツにして魔導具である《シグス★ガルビ》の登場に反応し、通常の無月の門も、軋み始める。

 

「《ソー☆ギョッ》のこーか。ひいて、すてて……《ジグス★ガルビ》で、もんをひらくよ」

 

 凶悪な面相の角灯が怪しく光り、そこに他の魔導具たちが集い、魔方陣を形成する。

 

「《ジグス★ガルビ》《ドゥリンリ》……《グリペイジ》《バレッドゥ》」

 

 実体なき魔導具さえも取り込んで、常夜の空に門が浮かぶ。

 

ザン(ひとつ)ドゥ(ふたつ)グリ(みっつ)ヴォ(よっつ)……開門(ひらけ)無月の門(むげつのもん)

 

 呪うようなカウントダウン。

 凶の数字を唱え、諳んじ、門が開かれる。

 

強欲煩邪(がよくにまみれ)羅刹変化(らせつとかす)魔病蠱毒(そはこどくのびょうまなり)――《無明夜叉羅ムカデ》」

 

 そして現れる、二体目の《夜叉羅ムカデ》。

 鈍い音を轟かせ、地に降り立つ巨大な毒虫は、猛毒の凶器を振りかざす。

 そして、虚無月同様、実体なき電影へと、その凶悪な尾を振り下ろした。

 

「《夜叉羅ムカデ》のこーかで、《ガニメ・デ》を……ころすよ」

 

 グサリ、と毒針を突き立てられた《ガニメ・デ》。針はデータ体の表層を貫き、中のチップ、《無罪 TV-30》まで貫通している。

 毒虫の打ち込む猛毒は、姿がなかろうと関係ない。電影の命さえも奪う。

 粉々に打ち砕かれ、錆び付いた《無罪 TV-30》。同時に、それが保有するデータの生命も、消滅した。

 彼女は、刃物を突きつけるように、宣言した。

 

「ばいばい。おにーさん。おいしいといいな」

 

 直後。

 異形にして未知なる怪物は、揺らめく邪霊らと共に、牙を剥く。

 

「《ティン★ビン》でこーげき。《夜叉羅ムカデ》の、こーか。にひき、いるから、にまい、すててね」

「ちぃ……!」

「じゃあ、ひとつ、ブレイク。つぎに、《夜叉羅ムカデ》でこーげき。もういっかい、にまい、すててね」

 

 二体の《夜叉羅ムカデ》。この布陣は想定していなかったわけではないが、やはり厳しい。

 打点こそ減ったが、一度の攻撃で二枚もの手札を奪われるのだ。Wブレイクを受けても、そうして得た手札は、次の攻撃の瞬間には一瞬で蒸発している。

 そして実際、アギリが溜め込んだ手札は、たった二回の攻撃で、すべて吹き飛んでしまった。

 

「すべてもがれたか……!」

「ふたつ、ブレイク」

「ぐ……っ!」

 

 《夜叉羅ムカデ》の長大な尾が、アギリのシールドを二枚、薙ぎ払う。

 手札は奪われ、次々とシールドも砕かれる。それだけでも辛いが、《ギ・ルーギリン》が出て来たことで、バンダースナッチのクリーチャーはすべてブロックされなくなってしまったので、なけなしの防御手段として置いた《アクア・ティーチャー》もまるで役に立たない。

 他にも防御手段は用意しているが、このデッキの展開力を利用した最大の盾さえも、《ギ・ルーギリン》は貫通する。

 

「《ジグス★ガルビ》でこーげき。さらに、にまい。ふたつ、ブレイク」

「ぐ、ぁ……っ!」

 

 《夜叉羅ムカデ》の毒気が、アギリの手札を腐り落とす。

 そして怪しく輝く角灯は、アギリに残された最後のシールド二枚を、食い破った。

 アギリを守るものはもうなく、あとはただ、残った魔導具がとどめを刺すだけで終わる。

 バンダースナッチは、満足げに、つまらなさそうに、死を突きつける。

 

「おしまい。《ドゥリンリ》で、とどめ――」

「S・トリガー発動!」

 

 ――が、しかし。

 刹那、アギリの手から、紫電が走る。

 

「《*/弐幻ニャミバウン/*》! GR召喚を行い、《無罪 TV-30》にインストール!」

 

 紫電は影となり、情報が渦巻き、繋がり、命を形作る。

 《無罪 TV-30》を依り代に、海蛇のようなクリーチャーが、その姿を浮かび上がらせた。

 

「《ニャミバウン》が接続された時、クリーチャー一体を手札に戻す(バウンス)! 対象は《ドゥリンリ》だ!」

 

 今まさにとどめを刺さんと迫っていた《ドゥリンリ》を、《ニャミバウン》の放つ水流で、手札へと押し返す。

 ギリギリだが、なんとか九死に一生を得たアギリ。

 加えて、ささやかながらも、恵みもあった。

 

「さらに能力のない《無罪 TV-30》が召喚されたことで、《アクア・ティーチャー》の能力でドローする!」

 

 相手ターンだろうと、GR召喚は召喚だ。

 《夜叉羅ムカデ》に毒され、削られた手札を、ほんの僅かながらも、回復できた。

 

「ん……ころせなかった。ざんねん。ターンおしまい。つぎはちゃんところすね」

 

 バンダースナッチは残念そうに、しかしどうでもよさそうに、そう吐き捨てる。

 相も変わらず真意が読めず不気味な相手だが、アギリには、そんな不気味さに取り合うほどの余裕もない。

 手札は二枚。場には《ルタチノ》と《アクア・ティーチャー》、そして《ニャミバウン》。

 相手のシールドは五枚残り、ブロッカーの《ギ・ルーギリン》が立ち塞がる。

 守りに入ったところで、シールドもないのに、八体のクリーチャーの猛攻を防ぎきれるはずもない。

 かといって攻め入るには、手が足りなすぎる。このターンだけで突破することなど、不可能だ。

 だが、それでも。

 

「……やるしかないだろう」

 

 非常に、非論理的だ。

 不可能だと言っているのに、やらねばならぬなど。そんな熱血では、安寧の生存は見込めない。根性論も大概にしろと嘆きたくなる。

 しかしその熱意こそが、未来への発展に繋がることを、アギリは知っている。

 不本意甚だしい。性に合わない。柄じゃない。そんな不満を他の誰かの人格と共にすべて飲み込み、アギリは、精一杯胸を張る。

 彼の胸に宿るのは、ただ一つの矜持だ。

 

「これでも(ボク)は長男だ。次代の『ヤングオイスターズ』を任される者だ……こんなところで、死ねるものか」

 

 姉の後を継ぐ、ヤングオイスターズの長男。

 自分自身の代替わり。それは酷く滑稽に見えるかもしれない。しかし彼らにとって、その儀式が如何に惨く、恐ろしく、尊いものか。

 誰かに理解されようとは思わない。理解されるとも思わない。

 故に彼は、兄弟姉妹の寵愛、自己愛にのみ身を委ね、邁進する。

 自分が思い描く、理想郷を目指して。

 

「5マナをタップ! オレガ・オーラ起動!」

 

 一心に手を伸ばす。天国のような場所を夢見て。

 

「情報更新。《*/弐幻ミャニバウン/*》を、《極幻夢 ギャ・ザール》にアップデート!」

 

 楽園に至る道筋があるというのなら、全霊を以て模索する。そのためならば、あらゆる知識を貪り尽くす。

 

「《ギャ・ザール》でプレイヤーを攻撃! その時、能力発動!」

 

 そうして得たものが、ここにはある。

 保守なんて受け身はくそくらえだ。生存は必須項目、しかし生存しか考えられない生ける屍など、死んでもごめんだった。

 それは肉体が生きているに過ぎない。精神が、人格が、意志ある命として生きているとは言えない。

 姉のことは慕っている。愛している。姉なのだから。自分なのだから。

 自分を殺してまで生存の道を選んだ姉の思惑も、そうせざるを得ない理由も理解できる。だが、それは精神を自殺する理由にはならない。

 

「カードを一枚ドロー。その後、手札からコスト6以下の呪文またはオーラを使用する」

 

 姉は今を生きることを選び、未来への繁栄を捨てた。帽子屋は未来に生きる自分たちを望むというのに、彼に付いていくとしながらも、彼女は本当の意味で、栄えある未来に到達するビジョンが見えていない。

 だから、自分がその未来を引き寄せる。楽園への道筋を描いてみせる。

 姉にはできないことを、姉亡き後に、果たしてみせる。

 それが、今まで生きて死んだ、兄姉たちへの報いであり、自分自身の使命だから。

 

「オレガ・オーラ起動。対象は《極幻夢 ギャ・ザール》。その情報を上書きする。更新開始――アップデート!」

 

 これは、楽園へ至るための第一歩。

 兄にはなれない弟が、姉の背を見て伸ばした手の掴んだもの。

 まだ、独りよがりな幻想の翼だが、いつか絶対に、皆を乗せて飛び立ってみせると誓った、哀れな若牡蠣の願い。

 

「害為す邪悪を修正し、世界は今、楽園へ至る」

 

 精神が、魂が、信念が、夢から覚め――飛翔する。

 

 

 

「飛べ――《ア・ストラ・ゼーレ》!」

 

 

 

 紫電が海流の如く迸り、大渦の如く逆巻く。

 流動する身体は大翼を広げ、長大な剣を掴む。

 叡智の結晶は、電影の姿を得て、虚無月の水面を突き破り、無月の空へと羽ばたいた。

 

「《ギャ・ザール》を《アスト・ラ・ゼーレ》にアップデートする! そして、プログラム起動!」

 

 漆黒の湖面と、暗黒の空の狭間。《ア・ストラ・ゼーレ》は剣を水面に突き立て、飛び立つ。

 月の無い宵闇の暗夜は、ひたすらに黒く、絶望で染まっていた。

 しかし、彼らが見据えるのは楽園。絶望を打ち払う希望だ。

 この鳳は、その希望の架け橋であり、象徴なのだ。

 

「《ア・ストラ・ゼーレ》の能力により、このクリーチャーよりパワーの低い相手クリーチャーをすべて手札に戻す!」

「てふだに……?」

「あぁ。さてバンダースナッチ、国語の勉強をしてきたらしいお前に、算数の授業だ。授業料は、お前の敗北で勘弁してやる」

 

 《ア・ストラ・ゼーレ》は、バンダースナッチの猛攻を防ぎ切る可能性を秘めている。

 即ち、クリーチャーをすべて除去してしまえば、次のターンに死ぬことはない。

 ここで重要なのが、《ア・ストラ・ゼーレ》のパワーだ。《ア・ストラ・ゼーレ》の除去は、自身のパワーに依存する。故に、自身の力を計算しなくてはならない。

 もっとも、計算するまでもなく、答えはとうに出ている。なのでこれは、ただの確認作業に過ぎなかった。

 

「オレガ・オーラのパワーは合算。《無罪 TV-30》は基礎パワー3000。《ニャミバウン》と《ギャ・ザール》でそれぞれ2000ずつ加算され、7000。そして《アスト・ラ・ゼーレ》が追加するパワーは6000。よってその合計パワーは――13000!」

 

 少し危うかったがな、とアギリは呟き、《ア・ストラ・ゼーレ》は咆哮する。

 バンダースナッチは数こそ並べたが、最大パワーは、パワー9000の《ギ・ルーギリン》。

 13000未満というラインを、越えることができなかった。

 

「え……ぁ……」

 

 ジジジ、と電流が迸る。

 少しずつ、情報が更新される。世界が塗り替えられていく

 虚構と幻想を湛えた水面も、悪意の常闇で満たした空も、波に攫われ、電子の海に浸蝕されていく。

 

有象無象(ジャンクデータ)を纏めて削除する。プログラム起動準備開始」

 

 バンダースナッチが作った、常夜にして無月の世界は、右も左も、前も後も、天も地も、すべてが情報の支配する電子の世界へと変貌してしまう。

 この世界では、彼女の望むルールは適用されない。欲望も、殺意も、エゴも、すべてが統制され、論理と法則の中に押し込まれる。

 無月の世界の支配者がバンダースナッチであったように、この電子世界の支配者は彼だ。そして、あの怪鳥が、その執行者となる。

 魔導具も、ムーゲッツも、ドルスザクも、電影の水に浸され、ただの情報をなり果てた。彼らの意志ひとつで、その存在は如何様にもされてしまうだろう。

 アギリは、鍵盤を叩くように、パチンと指を鳴らす。

 それが、起動の合図だった。

 

 

 

「電子の海に沈め。お前のクリーチャーをすべて――初期化(デリート)!」

 

 

 

 刹那。

 無月の使者たちは、一瞬で、泡沫へと消えていった。

 なんの感慨もなく、単なるデータとして、ただのカードに戻される。

 

「あ、ぁぁぁ……!」

 

 あれだけ並べたクリーチャーが、たった一枚のカードに、ほんの一瞬で、消去された。

 脅威となるウイルスのようなクリーチャーはすべていなくなった。

 バグはすべてデバックし、プログラムは正常に作動する。

 ならば後は、楽園へ至る、正しい筋道を辿るだけだ。

 

「そのまま、波に飲まれて溺死しろ。《ア・ストラ・ゼーレ》で攻撃! パワード・ブレイカー・レベルⅢ――パワード()・ブレイク!」

 

 電脳空間へと変貌した無月の空を翔け、《ア・ストラ・ゼーレ》は湖面に突き刺さった剣を引き抜く。

 そして、大剣を叩き付けるように、バンダースナッチのシールドを三枚、切り砕いた。

 

「! S・トリガー《堕魔 ドゥグラス》! しょーかん!」

 

 しかし、バンダースナッチの意地汚さ、生き汚さも、忘れてはならない。

 ある意味では『木馬バエ』以上に泥臭く、彼女は生路に縋りつく。自分の欲と、業のために。

 ぽとり、と小さな魔導具が一つ、電子の世界に落ちる。ただそれだけではあるが、このバグは決して小さくない影響を及ぼす。

 アギリの守りは、《アクア・ティーチャー》一体のみ。一撃でも攻撃を受ければ、即死する。

 つまり、パワー1000しかない貧弱なブロッカーが、彼の生命線なのだ。

 しかしその程度のブロッカーが退かせないバンダースナッチではない。《夜叉羅ムカデ》でも《ギ・ルーギリン》でもいい。とにかくなんらかの手段でブロッカー対処すれば、一発殴るだけで勝ってしまう。

 除去手段は豊富。殴り手さえ用意して、ターンが回ってくればバンダースナッチは勝てる。

 だが、しかし。

 

「効かんな」

 

 それを想定していないアギリではなかった。

 

「ターンを終了する……が、《ア・ストラ・ゼーレ》の能力発動」

 

 このターンに決めることなど不可能。ターンを返せば即死する。

 ならば、答えは決まったも同然だ。

 ターンが足りない、相手にターンを回したくない。ならば――

 

 

 

「《ア・ストラ・ゼーレ》が六体以上のクリーチャーを手札に戻した時――追加(エクストラ)ターンを得る!」

 

 

 

 ――もう1ターン、使えばいい。

 

 

 

ターン5(アギリ:追加ターン)

 

バンダースナッチ

場:《ドゥグラス》

盾:2

マナ:4

手札:24

墓地:2

山札:7

 

 

ヤングオイスターズ(長男)

場:《無罪[ニャミバウン/ギャ・ザール/ア・ストラ・ゼーレ]》《ルタチノ[ムガ]》《ティーチャー》

盾:0

マナ:5

手札:2

墓地:17

山札:11

 

 

 

「え……あ、れ……?」

 

 キョロキョロと見回すバンダースナッチ。

 本来なら、自分の手番のはず。なのに、そのようにならない。

 時空がねじれたように、世界の法則が乱れたように、ターンはアギリが続けて行っている。

 それも当然だ。この世界の支配権は今、彼にあるのだから。

 バンダースナッチの望みなど、叶うはずがない。

 

「ターン再開。5マナで《ルタチノ》を《*/陸幻(むげん)スルニャン/*》にアップデート! そして《ア・ストラ・ゼーレ》で攻撃だ! 《ギャ・ザール》の能力で一枚ドローし、《*/弐幻ケルベロック/*》を《ア・ストラ・ゼーレ》に追加接続! 《ケルベロック》の能力で自身をアンタップする!」

「ブロックは……いみないや。S・トリガー、おねがい、きて……!」

「無駄だ。残りのシールドをブレイク!」

 

 大剣による薙ぎ払いで、バンダースナッチのシールドはすべて破られた。

 アギリにはアンブロッカブルの《スルニャン》が残っており、《ドゥグラス》や《ハク★ヨン》では対処できない。

 再行動可能となった《ア・ストラ・ゼーレ》に、ブロックされない《スルニャン》。

 《ギャ・ザール》を取り込んだ《ア・ストラ・ゼーレ》もなにを吐き出すかわかったものではないが、アギリの手札は少ない。都合よく《ニャミバウン》や《ケルベロック》が捲れるとは限らない。

 なので狙いは《スルニャン》だ。最低でも《スルニャン》を除去しなければ、バンダースナッチに勝ち目はない。

 そして、バンダースナッチは、

 

「うぅ……あ、きたよ! S・トリガー!」

 

 果たして彼女は、S・トリガーを引き当てた。それも、クリーチャーを除去する類のカードを。

 

「《堕呪 カージグリ》! 《スルニャン》を、てふだにもどすよ」

 

 ぼぅっと、古びた(ラダー)が浮かび上がる。

 舵はぐるぐると狂ったように右へ左へ回転し、前に進む者の航路を歪ませる。

 さらに、舵は場のひび割れたグラスと、墓地の樽、燭台を引き寄せた。

 

「《カージグリ》、《ドゥグラス》……《バレッドゥ》《グリギャン》」

 

 四つの魔導具は寄り合い、魔方陣を形成し、門を開く。

 

ひとつ(zan)ふたつ(dwo)みっつ(ghree)よっつ(vour)

 

 昏き水面に虚月が映る。幻想が、虚構が、実像を結ぶ。

 電脳の世界に、月無き常夜が、湖面に無月を浮かび上がらせた。

 

 

 

開門(オープン)――虚無月の門(ムーン・レス・ムーン)

 

 

 

 雫が滴り落ち、水面が揺らめき、漆黒の水底から、理想を殺す幻獣が浮上する。

 

深海侵犯(タイカイヲオカシ)清流汚濁(キヨキハニゴル)殺戮麒麟(ソハリソウをコロスゲンジュウナリ)――《卍 ギ・ルーギリン 卍》」

 

 理解不能な呪詛を諳んじる。

 ブロッカーが、より強大な存在となり、転生した。

 もっとも、《ギ・ルーギリン》もパワー9000。パワー15000となった《ア・ストラ・ゼーレ》には遠く及ばない。

 だが、それでいい。こんなものは死んでも構わないのだ。バンダースナッチにとっては、自身の切り札さえも使い捨ての盾であり、捨て駒なのだから。

 ただ必要なのは、虚“無月の門”を開くことだ。

 

「きて……《ソー☆ギョッ》《ソー☆ジェ》」

 

 水面に浮かぶ二つの魂、ムーゲッツ。

 青いムーゲッツは、手札からも現れる。《ア・ストラ・ゼーレ》で手札に押し返された魂が、舞い戻ってきた。

 

「ブロッカーと、アタッカー。どっちも、ようい、できたよ……これで、たえられる……おにーさん、ころせる……!」

 

 《ギ・ルーギリン》で《ア・ストラ・ゼーレ》の攻撃を防ぎ、返しに残ったムーゲッツでとどめを刺す。

 彼の理想を、食い殺すことができる。

 異形の怪物は、牙を剥き、アギリを貪り尽くさんと、邪悪な大口を開く。

 しかし、

 

「ふん。目先の欲に踊らされ、大局を見失う愚か者め。こんな単純なことも見落とすか」

「なにいってるの? いいから、きてよ。おにーさん、ころすから」

「……本当に、盲目だな。月光のない世界とは、貴様の眼からさえも、光を失わせるか」

 

 アギリは嘆くように言って、片手を手を振り上げる。

 

「わかった。お前との対話は無意味。なら、柄ではないが力ずくで分からせる。《ア・ストラ・ゼーレ》で攻撃!」

「《ギ・ルーギリン》でブロック――」

「その前に、《ギャ・ザール》の能力でドロー、手札から呪文またはオーラを使用する」

 

 カードを引きつつ、アギリは手順を確認するかのように、開口する。

 

「お前は、手札に《ニャミバウン》などの除去札や、《ケルベロック》などの連続攻撃に使えるオーラがないことを期待しているのだろう。《ギャ・ザール》で引き込む可能性もあるが、まあ確かに、こちらの手札には《ニャミバウン》も《ケルベロック》もない。種切れだ」

「じゃあ……!」

「だが、お前の半端な防御を突破する手段がないわけではない。そもそも、それはお前が既に、こちらへと送信したではないか」

「……え?」

 

 ぽかんと口を開け、こくりと首を捻るバンダースナッチ。本当に、気付いていないのか。

 アギリはそんな彼女を、哀れとすら思えてきた。

 ならば、早く終わらせるべきか。

 ここまではアギリの想定通り。不確定要素だったシールドも、達成値はクリアした。

 トリガーしたのが《カージグリ》一枚だった時点で、彼女の敗北は決していたのだ。

 アギリは“増えた手札”からカードを一枚引き抜く。

 彼女にとって致命的な、虚無月の幻獣という障壁(ファイアウォール)通過(スルー)する一手を。

 

「オレガ・オーラ起動――《*/陸幻スルニャン/*》」

「あ……」

 

 《ア・ストラ・ゼーレ》の中に、翼を持つ青猫が取り込まれる。

 これでパワーはさらに+6000、さらに、“ブロックされない”。

 

「《カージグリ》程度で止まるものか。お前が消去したと思ったデータも、履歴(キャッシュ)さえ残っていればいくらでも復元できる」

 

 結局のところ、この電脳世界の支配権は覆らなかった。

 どれほど彼女が足掻いても、泥臭く抵抗しても、すべての情報は管理され、操作されてしまう。

 

「終わりだ、バンダースナッチ。大人しく戻ってこい」

 

 電脳の支配者は飛翔する。水面に脚を着けた幻獣では、その羽ばたきを止められない。

 そして、怪鳥の大剣が、振り落とされる。

 

 

 

「《ア・ストラ・ゼーレ》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「おやぁ……?」

 

 社長室と呼ばれる一室で、寝そべっていた身体を起こす。

 電灯が消えている。喧しい機械の音が止み、代わりに慌ただしく駆ける足音が響く。

 瞬時に理解した。工場が、機能を失っている。

 

「工場長やられちゃってるじゃん。こっちに流れてきたクリーチャーの中では、わりと骨がありそうだったんだけど、残念無念。この分だと、なっちゃんもやられちゃったかなぁ」

 

 寝ぼけ眼を擦り、グッと身体を伸ばす。

 工場長がやられたということは、もうこの工場は使えない。工場が使えないということは、呪いのマラサダも、解呪薬も生産できない。

 それはつまり、それなりに熱心に考案した“人釣り計画”の破綻を意味していた。

 

「あーあ、ぼくの負けだなぁ。まさかここまでボコボコとはねぇ。丸投げにするのは愚策だったかぁ」

 

 暗い部屋の中で、陽気に笑う。

 絶望感などまるでなく、怒りも、悔しさもない。

 ただただ残念に思うだけ。「GAME OVER」と表示されたゲーム画面がそこにある、という程度だ。

 

「結構がっつり計画を練ったわりに、意外と早く終わっちゃったな。まあ、ぼくが怠けすぎたのが悪かったか。ゲオルグのアホと愚図のなっちゃんを過信しすぎたね」

 

 立ち上がると、きょろきょろと部屋を見回す。

 薄暗い中で、壁に立てかけてあったそれを、掴んだ。

 

「今回の釣果はゼロ。ま、そういう時もある。けど、だからこそ」

 

 それは、釣り竿だった。

 その竿を肩に掛けると、社長室の扉へと歩いて行き、鉄の扉を開け放った。

 海を眺めたい気分だ。ここにそんな雄大なものはない。ならせめて、それらしい場所に行こう。

 

「どういう終わりを迎えたくらいは……見届けておかなくちゃいけないよねぇ」

 

 世界を眺望できるような、高い岬のような場所に。




 前回同様に、演出の方を凝った回。やっぱこういう描写の方が書いてて楽しいですね……読者的に、このカッコつけた文章がいいかどうかはさておき。
 けど、なんか今回、デッキ的には今まで出たデッキの焼き直しみたいになってますね。バンダースナッチは前に使ったムカデ無月に青を入れたタイプだし、アギリさんはバニラ活用型とはいえ普通にオーラだし。
 演出は凝ったけど……バンダースナッチが対戦するとルビが多くなるから面倒なんですよね。正直、この労力に見合う良さが出ているかはわからない。どうですかね?
 といったあたりで、今回はここまで。誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。
 次回はブラックバイト編、最終回です。お楽しみに。


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40話「釣られました [結]」

 ブラックバイト編もこれで結びの回。
 ちょっと分かりづらいところがあるかもしれませんが……そこは、納得しろとは言いません。不平不満でも、クレームでリクエストでも、なんでもお申し付けください。その覚悟はできてる……たぶん。
 あと、今回は恋の本気も見れます。恋好きの人には、もしかしたら刺さる回、かもしれませんね。


「――これで全員か?」

「ブラックアルバイターはたぶん全員じゃない? 流石に中が広すぎて、ちょっと確証持てないけど、まあ逃げ遅れてたらそれまでってことで!」

「恋ちゃんと、アギリさんもがまた来てないよ?」

「あの人はともかく、恋か……まあ、恋なら大丈夫だろう」

 

 わたしたちは、工場長さんを倒して工場の稼働を止めてから、無理やり働かされていた人たちも解放し、みんなを工場の外まで誘導してきたところです。

 工場自体がすごく広くて、どれだけの人が働かされているかもわからなかったから、全員避難できたかはわからないけど……

 

「しかしこれ、身バレとか大丈夫なのかな? 私たち、ガッツリ顔見られたけど」

「絶対に怪事件として報道されるだろうしね。全員パニック状態で、ボクらの顔なんて覚えちゃいない、と信じるしかない」

「噂になったりしたらやだなぁ……」

 

 写真を撮られたりしてるわけじゃないけど、ちょっと不安です。

 わたしたちのことについては、普通の人たちには秘密にしておきたいし……

 

「案ずるな。今回の件は、公爵夫人にでも握り潰させる。完全に情報を抹消することはできないが、それなりに隠蔽は可能だろう」

「あ、アギリさん……!」

「おぉ、若牡蠣の。無事に戻ったか」

「なんとかな」

 

 アギリさんは、なにかを担いで、わたしたちと合流した。

 担いでいるのは……人。子供だ。っていうか……

 

「な、なっちゃん……?」

「あぁ、バンダースナッチだ。捕らえるのになかなか難儀した。スナーク狩りは二度とごめんだ」

 

 わたしは、意識を失っているのか、ぐったりとしているなっちゃんを見て、少し目を逸らす。

 彼女の腕や足はすべて、あらぬ方向に曲がっていた。およそ人体が駆動し得ない方向へと。

 なっちゃんがやったことは許されることではない。それはわかっているけど……ここまで酷いことをしなきゃいけないのだろうか、とも思う。

 それは、わたしが口を出すことでもない、のだろうけれども。

 

「工場の支配人は殴殺した。バンダースナッチも捕獲した。捕虜も解放し、なにより解呪の秘薬も入手した。これにて此度の事件も、万事解決であるな」

 

 トンボのお兄さんが、満足そうに頷いている。

 あの後、働かされていた人を逃がすために工場内を巡っていたら、出荷前と思われる解呪薬を発見した。

 どういうわけかこの工場では、食べた人を体調不良にする呪いをかけたパンを作りながら、その呪いを解くための薬も作ってて、その薬を見つけられたのは嬉しいんだけど……

 

「わけがわからない。それは本当に使えるものなのか? 罠だったりしない?」

「かの工場長の視点で見るに、彼奴は嘘は言っていない様子だ。あるいはぼくが毒味をするか?」

「やめておいた方がいいと思うがな。バタつきパンチョウに調べさせれば済む話だ」

 

 ちょっと不安だけど、なんにせよ、これでユーちゃんや葉子さんの不調も治るはず。

 他にいるかもしれない被害者に薬を届けられないのは残念だけど……あの呪いは、長く身体に残るものの、自然治癒はするみたいだし、生死に関わるほど強い呪いでもないみたいだから、まだ良かったかもしれない。

 ……呪い、かぁ。

 お母さんなら、お祓いとかできるのかな……?

 できたとして、なにがどうなるということでもないんだけど。

 呪いとか、そういうオカルト的なことを聞くと、どうしてもそんなことを考えてしまう。

 わたしのこの鈴も、魔除けとかそういうお守りらしい。

 悪い気から、わたしを守ってくれるもの。

 流石にそんなオカルトな話を信じることは出来ない。お母さんは、効果は本物だって言うけど……効果が実感できないから、どうも真偽が不明なままだ。お姉ちゃんなんて「大切なものだから付けはするけど、そんな迷信は信じないわ」って一蹴してたし。

 まあ、お姉ちゃんの言う通り、魔除け云々はさておき、お母さんからもらった大切なものではあるんだよね。いっこ、あげちゃったけど。

 何気なく、わたしの髪を結ぶ鈴の髪紐に手を伸ばす。

 その時だ。

 

「っ! い、痛……っ!」

 

 思い切り、後ろから髪を引っ張られた。

 あまりに突然で、わたしは踏ん張ることも出来ず、勢いよく後ろに倒れ込んでしまう。

 

「えっ!? こ、小鈴ちゃん!? なに、どうしたの? 大丈夫?」

「わ、わかんない……なんか、急に髪を……」

 

 なんというか、髪がなにかに絡まって引っ張られたような感覚だった。

 うぅ、髪って引っ張られるとすごく痛いのに……

 毛根がひりひりと痛み、無意識に後頭部をさするように触れる。

 そこで、はっと気付いた。

 

「……ない」

 

 頭に受ける感覚が、明らかにいつもと違う。

 引かれるような感じがなくて、すとんと、自然な状態。

 頭をさする。けれど、その手は髪を梳くばかりで、なにも触れない。

 そこにあるはずのものが、ない。

 わたしの髪を結んでいたはずの、鈴が。

 

 

 

「へぇ、なかなかいいアミュレットを付けてるじゃないか」

 

 

 

 拡声器で張り上げたような声がした。

 ふっと顔を上げる。活動を停止した工場型クリーチャーの背――屋上部に、人影が見える。

 流石に遠すぎて、姿はハッキリと見えない。けど、確かに、そこに誰かいる。

 

「負けた腹いせにちょっと意地悪してみようと気まぐれを起こしただけだけど、これは意外といい玩具になるかな? まあ、魔除けなんてぼくには無用の長物だけど。っていうかこれ、魔除けどころか退魔のチャームじゃないか。クリーチャーの性質によっては、身体吹っ飛んでたな。なんて恐ろしいものを付けてるんだ、君」

 

 独り言のように、しかし明らかにこちらに聞こえる声で呼びかける誰か。

 誰なのかまったくわからない。こちらから呼びかけようにも、遠すぎて声は届かなさそう。

 一体、誰なの……?

 

「えぇっと、なんだ? おめでとうって言えばいいのかな? 君らは見事、ぼくの釣りの計画を台無しにしてくれた。って言うのは傲慢だね。釣りというものは、人と魚のガチバトルだし、今回は魚の代わりに獲物と定められた君らの抵抗が勝った。それだけの話だもんね」

 

 どこか飄々とした声が響く。

 ……釣り? 計画?

 どういうこと……なにを言っているの……?

 

「あ、ひょっとしてぼくが何者かわからない? なっちゃんあたりから聞いていたと思うんだけど……まあ負け犬が喋ることはないか」

「バンダースナッチ……もしや、お前が“社長”か?」

 

 アギリさんが、声を張り上げて叫ぶように問いかける。

 けれどその声が届いている様子はなかった。

 

「なんか一応、区切りというかケジメというか、勝ち負けのラインはハッキリさせた方がいいと思ってしゃしゃり出てしまったけど、正直ぼくにできることはもうないんだよね。ただ、ぼくの完全敗北だから、安心して帰ってねって、それだけ。色んな人間に撒いた呪いも、そのうち勝手に解けるだろうし、君らが気に病むことはなにひとつない」

 

 完全勝利だよ、と声の主は言う。

 実際、わたしたちは呪いのパンの生産も、ブラックバイトの問題も、脱走したなっちゃんの保護も、すべてのタスクをクリアしている。

 その言葉に、偽りはない。ない、のだけれど……

 

「まあ、またなにか企むかもしれないけど、その時はその時だ。君らは勝利の喜びを噛み締めるといいさ。ぼくは、無念と虚無感を抱えながら、どっか行くからさ。じゃあね」

「ま、待って!」

 

 ぼんやりとしか見えないけど、人影が立ち去ろうとしているような気がする。

 わたしたちはすべきことをしたし、解決しなきゃいけない問題はすべて解決した。それはいい。

 けど、それらとはまったく関係なく、わたしには新たな問題が浮上する。

 後ろで広がる髪を振り乱して、わたしは叫んだ。

 

「その鈴、返して!」

 

 聞こえているかは、わからない。それでも叫ぶ。

 お母さんからもらった鈴の髪紐。なんでそれを奪っていくのか、まったくわからないけれど、それを持って行かれるのは、とても困る。

 それだけは、失いたくないものだから。大切な、ものだから。

 持って、行かないで……!

 

「お願い、返して! それは、すごく……だいじな……もの、で――」

 

 ――あれ?

 なんだろう、身体が、重い。

 すごく気怠くて、身体の奥底から気持ち悪さが込み上げる。

 全身を海水に浸されたように、ぞわぞわって、寒気がする。

 身体が動かない。力が入らない。

 膝は折れ、足は崩れ落ち、手をつくことも出来ない。

 視界は明滅して、頭がぼぅっとする。濁るように、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。

 

「小鈴!?」

「小鈴ちゃん! しっかり!」

「どうしたマジカル・ベル! なにがあった!」

 

 みんなの声が聞こえる。

 けど、それもすぐに聞こえなくなって。

 わたしの意識は――途絶えた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ま、そうもなるか」

 

 彼は、地に倒れ伏した彼女を流し目で見遣る。

 どれほどあのマラサダを食したのだろうか。弱い呪いと言っても、完全に意識を失うほど呪いを溜め込んでいたとなると、流石に生命の危機に瀕するだろう。

 もっとも、彼女らは解呪薬を手に入れているはずなので、死ぬことはないだろうが。

 そもそも、殺す気などないのだ。確かに、マラサダを喰わせるために、それなりに中毒性のある物質を使用しているが、普通はいくらか食べれば、呪いで不調を起こし、食欲も失うはず。

 だというのに、彼女は倒れるほどの呪いを溜めることができた。それもひとえに、“これ”のお陰(せい)だろう。

 チリン、などと音は鳴らない、不思議な鈴を掲げて見る。

 

「しっかし凄いアーティファクトだね、これ。体内に蓄積していた呪いを完全に抑え込むなんて」

 

 彼女から“釣り上げた”鈴。しかしそれは、鈴の形をしているだけで、本質的にはもっと別のものだ。

 邪悪なるものを祓い、手にした者に安寧をもたらす、魔除けの護符(アミュレット)

 彼は邪悪な存在でも、それに類する力も持たないが、それでもあまり近づきたくないと思えるほどに、その力は絶大だった。

 魔を除けるどころか、退け、滅してしまうほどに。

 

「マラサダの呪いは食べ物を通して体内に残留したものだから打ち消すことはできなかったようだけど、それでも呪いの影響を完全に抑圧するとは恐れ入る。外からの干渉なら大幅カット、二つもあれば内外共にほぼ完全な耐魔性能を発揮できるね……まったく、なんつーもんを作るんだか。この手の装飾と言えば、ぼくも似たようなものだけど、ぼくの場合は退魔(アミュレット)というよりは招福(タリスマン)だからなぁ。受動的な方が怖いってどういうこっちゃ。専守防衛でも迎撃機能が怖すぎる」

 

 人間には、マナを操る術がない。マナ自体を保有したり、吸収できる人間もいないわけではないようだが、それを有効に活用できるだけの力はない。

 彼は、人間は貧弱で無知な存在だと少なからず思っていたが、少なくともこれを製造した者は、そこらの人間とは違うと感じた。

 下手をすれば、それは“神話”の技術に達しかねないほどに。

 

「鈴自体の強度は低そうだし、限定的な耐性しか持たないけど、込められた術式がとにかく半端ない。方向性が違うけど、気運操作という点ではラクシュミークラス、ヘパイストス並の精錬と加工の技術さえあれば、神話級の“神器”になりそうだ。いやはや、神話でもないのにこんなものを作り上げるだなんて……人間は怖いなぁ」

 

 とは言うものの、自分には効果がないことを知っているので、怖いとはいえ危険はない。むしろ自分が持っていれば、邪悪なる者に対する最強の盾となるので、メリットにさえなる。

 負けたのにいい戦利品を手に入れちゃったなぁ、などと厚かましい顔で呟き、拡声器を放り投げ捨て、釣り竿を担ぎ直し、彼はくるりと踵を返した。

 すると、

 

「おや? おやおや」

 

 一人の少女が、立ち塞がるようにして、そこにいた。

 非常に小柄で、華奢な少女だ。

 病的なまでに白い肌。色素が抜けきった白い髪。なぜかサイドだけを長く残して、残りをショートカットに切り揃えている。

 まるで病人のような虚弱そうな少女は、無表情で、無感動で、しかし、その貧弱な矮躯に反比例するような確かな意志が込められた瞳で、こちらを見据えていた。

 

「なんの用かな? 成果を上げられなかった哀れな負け犬は、大人しく去るところなんだけど」

「……やっぱり、神話空間……中に、いた……」

 

 少女はぽつりと呟くと、片手を差し向けた。

 

「……それ、かえして」

 

 少女は、小さく、透き通るような声で、しかしいやにハッキリした口振りで、要求する。

 先ほど釣り上げた、退魔の鈴を。

 

「これかい? まあ別に必要なものじゃないから、返してもいいんだけどさ」

 

 凄まじい効果を発揮する激レア装備ではあるが、だからと言って、それが彼に必要なもの、というわけではない。

 この世界には邪悪な存在などほとんど存在しない。多少の“不運”はあるかもしれないが、それも難なく抗える程度だ。こんなにも強力な装備は必要ない。

 必要はない、が。

 

「けど、ぼくはそんなさっぱりした性格はしてないんでね。負け惜しみの意地悪だ。返さない」

「それは……だいじな、もの……私の、友達の……」

「……友達、ねぇ」

 

 彼は、どこか遠くを見るように目を細めた。

 回顧するように、追想するように。

 

「いいね、君は。ぼくにはもう、友達なんていないから」

「…………」

「あいつとの釣りは、本当に楽しかった。ぼくという釣り針を使ってくれないことも多かったけど、逆に言えば、特別な釣りの時、ぼくは必ずあいつと共にあった。一緒に島を釣り上げた時の喜びと感動は、今でも忘れない」

 

 どこか寂しげに、彼は滴る雫のような言葉を零す。

 少女を妬むように、過去に縋るように。

 あるいは、心を埋めるように。

 少女は、閉口した口を、ゆっくりと開いた。

 

「……あなたは、なんの……“語り手”なの……?」

「おっと!? ぼくらのことを知っているのかい? こいつは驚いた!」

 

 彼は本当に、心の底から驚いたように、大声を上げる。

 まさかそんなことが、と言わんばかりに喫驚している。

 

「逆に聞くよ。君、クリーチャーじゃないんだろう? どうして、ぼくらのことを知っているんだい? ぼくらの世界に行ったことがあるとでも?」

 

 彼が尋ねると、少女はこくりと頷いた。

 すると釣り人は、さらに驚いたように、そして嬉しそうに、破顔する。

 

「は……ははははは!」

 

 そして――笑った。

 心の底から楽しそうに、面白そうに。

 あり得ない。その無意識を覆され、自らの認知の過ちを知り、正しさを知り、その結果に歓喜を貪る。

 

「こいつはいい! 実に愉快だ! 今回の成果がゼロでも笑い飛ばせるくらいの驚きだよ! こんなことがあってたまるか! だからこそ、面白い! この感動、素晴らしいね!」

 

 その歓喜は、支離滅裂にも聞こえた。

 彼の笑い声が止む。しかし、いまだ嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 

「そっかぁ、でもそうだよね。向こうからこっちに来れるんだ。こっちから向こうに行けるのも、道理か。それでも、あんなぐちゃぐちゃの世界に行くなんて頭がおかしい。狂ってるよ。その上で、こうして邂逅したのだから、あぁもう、愉快としか言いようがないね!」

「…………」

「おっとごめん、一人でハッスルしちゃってさ。ここ最近ずっと暇を持て余しててね。楽しいことに飢えてたんだ。だから、思いがけない珍事に遭遇して、テンション上がっちゃってたよ。いやはや、失敬失敬」

 

 口数の少ない少女に対し、彼は明らかに興奮し、饒舌になっていた。

 少女の冷ややかさに冷静になったのか、彼は少しばかり平静を取り戻して、言った。

 

「なんにせよ、君は神話を知り、語り手を知り、なによりぼくらの世界を知った来訪者というわけだ。それなら、君にはちゃんと名乗っておくべきだね。敬意っていうか、お礼? いや、そうじゃないな。ぼく的にはそう、親しみを込めて、かな」

 

 彼は、爽やかで、しかしどこか悪戯っぽい微笑みを貼り付け、名乗りを上げる。

 

「ぼくはマナイ……いや、アカラだ。釣果の神話を語る者だよ。君は?」

「……恋」

「恋か。うん、いい名前だ。ぼくも、はじめて引っかけた獲物には恋をしてたものだよ」

 

 冗談めかして言うアカラ。

 一方で恋は、なにか確信を得たように、彼に問う。

 

「神話……やっぱり、あなたは……でも、なら、どうして……」

「こんなことをしたのかって? 単純な話だよ」

 

 その問いは、アカラも予想していた。

 彼女たちも、流石に勘づいているだろう。今回の騒動の黒幕が自分であることに。

 そして、事件があれば、必ず動機もある。

 その動機がなにか知りたい。そう思うのは自然なことだ。

 だから、機会があるのなら、その疑問をぶつけられることだろうとは思っていた。

 彼は応える。その疑念に。

 多くの人間も、クリーチャーも、人外も巻き込んだ、大事件の動機。それは――

 

 

 

「暇だったからさ」

 

 

 

 ――酷く、低俗なものであった。

 

「……ひま……?」

「そう、暇。暇潰しだよ。退屈で退屈で仕方なかったから、ちょっと遊んでいただけさ」

 

 事も無げに言うアカラ。

 暇潰し。ただそれだけの理由で、彼は呪いを振りまき、人を操り、狂犬を従えた。

 少女は無表情だ。しかし、どことなく困惑しているようにも見える。

 アカラは続けた。

 

「ぼくは釣りが趣味でね。っていうかむしろ生き甲斐でね。こっちの世界でも釣りを楽しんでいたんだけど、あんまり長いこと釣りしてたら、なんかつまらなくてね。飽きちゃったんだ」

 

 肩に担いだ釣り竿を揺らしながら、アカラは語る。

 飄々としているが、そこの声はどこか物悲しげで、寂しげでもあった。

 しかし彼はそれを隠すように、陽気な語り口で言葉を紡ぐ。

 

「で、色々考えた末に、じゃあ人間を釣ってみよう、って思ったわけ」

「釣る……釣り……?」

「なにも、釣り竿と釣り針を使わなきゃ釣りができないわけじゃない。ぼくは釣り針だけど、魔法の釣り針だ。どんな意味だろうと、どんな概念だろうと、釣ってみせる」

 

 釣る、という言葉は、必ずしも魚釣りに限らない。

 たとえば、恋の頭には今、インターネットの掲示板や、SNSが浮かんでいた。人を誘い、自分が思ったとおりに動かす。そういう、“釣り”。

 まるで【不思議の国の住人】たちの個性()のような、言葉の拡大解釈だ。

 

「呪いをかけたマラサダを餌に、人間を嵌めて、釣る。弱い呪いだから、死ぬほどじゃないけど、衰弱はしていく。長く、長くね」

 

 毒ではないから、どれだけ検査しようと、人間の科学では原因は究明できない。

 誰も、マラサダが原因で体調不良に陥ったと考えることはできず、足がつくことはない。

 

「そして、そんな彼らに、今度は解呪薬を売り出す。第二の餌だ。これでもう一回釣る。そうしたら人間たちは、呪いが解けてハッピー。病気から回復したら、お腹がすくだろう? そこでもう一回、マラサダを売る。そしたら、また呪われる。だから解呪薬がまた売れる。キャッチ&リリースで、無限に釣りが楽しめる! これでしばらくの間、ぼくは退屈から解放される。どうだい? 愉快だろう?」

「……全然」

 

 楽しげに笑うアカラに対し、恋は無感動な目で返す。

 心の底から、笑えないと言うように。

 しかしアカラはどこ吹く風だ。恋の冷淡な態度も、気に留めない。

 

「結構、苦労したんだよ? 人間をどう釣るかを考えて、計画する。同時に、こっちの世界に流れてるクリーチャーで良さそうな奴を探したんだ」

 

 それが、工場長――《ゲオルグ・バーボシュタイン》だった。

 

「ゲオルグは愚かだったけど、勤勉だったからね。ぼくの暇潰し計画にはピッタリだった。ぼくが持て余した退屈という需要に対して、それを解消するための玩具を供給してくれる。本当、都合がよくていい奴だったよ。いなくなっちゃって残念だなぁ」

 

 笑いながらそんなこと言うアカラ。

 彼は楽しそうに、一人で勝手に喋り続ける。

 

「なっちゃんも面白かったよ。ぼくはヘルメスみたいな変態知識欲魔人じゃないから、別になにかを知ることに興奮とかはしないけど、それでも彼女の成長と発展は、見ていて面白かった。あまりにも不確定要素が多すぎて、かえって面白い。彼女も、いい玩具だったんだけどね……そうそう、なっちゃんと言えば、彼女を釣り上げたところがまた愉快でね。監獄みたいな場所に、細い釣り糸を垂らして、一気に引き上げたんだ。拘束されていたから、引き剥がすのが大変だったけど、ま、ヘルメスからぶんどった魔術知識が役に立ったよね」

「…………」

 

 恋は口を開かない。反応しない。

 この手の陽気な人物は得意ではない。根本的に自分と気質が違う。陰と陽の差がある。

 それになにより、彼に狂気染みたなにかを感じていた。

 その思想に、ではない。

 もっと奥深く根付いた、なにかだ。

 恋が閉口してジッとアカラを見つめていると、不意に、彼は言った。

 

「ねぇ君、ぼくと友達にならないかい?」

「…………」

「君は他の人間とは違う。面白い。ぼくは君から、色んな話を聞きたいと思う」

「…………」

「おっと、罠じゃないよ? 純粋に、君と一緒なら楽しいかと思っているだけだ。君なら、少しはぼくの心を満たしてくれそうだと期待しているんだ」

 

 どこか、縋るように言うアカラ。

 恋はそこに、シンパシーのようなものを感じた。

 あるいは追想か。回顧か。

 かつての、自分を見ているかのような。

 

(……あの時の……私と、おなじ……)

 

 失ったものがある。もう取り戻せないものがある。

 心にぽっかりと空いた穴を埋めたくて、どうしようもない喪失感と虚無感から逃れたくて、誰でもいい誰かに依り縋ろうとする。

 それが悪だとは思わない。惨めと嗤うこともない。それは過去の自分の否定に他ならない。

 あの時の自分が、どうしようもない弱者で、周りに当たり散らすだけの子供だったとしても、あそこで得たものは――正義だけは、捨ててはならないから。

 だから。

 

「……できない」

「え?」

「私は……あなたを、許せない、から……許しちゃ、いけない、から……」

 

 ――あなたと、友達には、なれない。

 そう、恋はアカラを、突き放した。

 

「ちぇ、つれないなぁ」

 

 しかしアカラは特に気にした風もなく、唇を尖らせるだけだった。

 

「私は……友達の、たいせつなもの、を……とりかえしに、きた……友達が、苦しいなら……それだけは、見すごせない、から……」

 

 恋は眼下に視線を降ろす。ほとんどなにも見えないが、微かに聞こえた友の声で、なにが起っているのかは察した。

 有象無象の人間を救いたいと思うほど殊勝ではないし、聖人でもない。

 ちっぽけな自分にできることなど、限られている。尽きぬ慈愛を万民に与えるなんて、できっこない。

 けれどせめて、友は――自分に光を見せ、明るい世界に導き、ぬくもりをくれた仲間くらいは、守ろうと思う。

 昔から、守ることだけは、得意だから。

 その相手が、自分から、違う誰かに変わっただけ。

 恋は静かに、デッキを取り出した。

 いつものデッキとは違う。古びて、年季の入った、まるで戦場でも持っていたかのようにボロボロの、デッキケースを。

 

「あなたを、倒す……私の、輝く太陽の、ため……そして、あの時、誓った……私の、正義に、従って……」

「……ははっ。最後まで遊んでくれるのか。いいね、大盤振る舞いだ」

 

 拒絶されても、敵意を向けられても、アカラは笑みを絶やさない。

 恋はくすりともせず、無感動な瞳に揺らぐことのない正義を湛えて、彼に向き合う。

 アカラは渇望するように。

 恋は、友を思い、しかして、自身の物語の混濁を感じながら。

 

 共に、神話の枯れた戦場へと、赴く――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――恋とアカラの対戦。

 恋の場には、なにもない。ここまでクリーチャーを出さず、呪文も唱えず、ただひたすらマナチャージを繰り返すのみ。

 アカラは対照的に1ターン目から動き続けていた。1ターン目には《水面護り ハコフ》を、2ターン目に《一番隊 ザエッサ》を呼び出し、ひたすらクリーチャーを展開していく。

 

「ぼくのターン! 《ザエッサ》でコストを軽減。1マナで《貝獣 アンモ》を召喚! 山札から一枚目を捲って、それがムートピアなら手札に加えられるよ」

 

 はらり、とアカラが捲ったカードは、《一番隊 ザエッサ》。ムートピアだ。

 

「お、いいね。じゃあこれを手札に加えて、1マナで二体目の《ザエッサ》を召喚だ。さらに二体の《ザエッサ》でコストを2軽減、《空中南極 ペングィーナ》を召喚!」

 

 水槽(プール)を背負ったペンギンが、羽ばたき、滑空する。

 多くのムートピアを背にした人の鳥、《ペングィーナ》が、バトルゾーンに降り立つ。

 

「《ペングィーナ》の能力で、他のムートピアの数だけドローできるよ。ぼくのムートピアは、《ペングィーナ》を除いて四体、四枚ドロー!」

 

 ムートピアに安らぎと楽しみを与えることが、《ペングィーナ》の役目。《ペングィーナ》はムートピアを乗せ、また、ムートピアを連れてくる。

 直後、アカラの手元に大量のカードが流れ込む。難を逃れ、安心と歓楽を求め、ムートピアたちが集ってきたのだ。

 

「大漁大漁っ。ターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

アカラ

場:《ザエッサ》×2《ハコフ》《アンモ》《ペングィーナ》

盾:5

マナ:3

手札:5

墓地:0

山札:29

 

 

 

「私のターン、ドロー……チャージ、エンド」

 

 クリーチャーを展開し、手札を増やし、激しく動くアカラに対し、恋はあまりにも静かだった。

 もう4ターン目。だというのに、なにも行動を起こさない。

 手札事故を勘繰ってしまうほどに、彼女はジッと、耐えるように佇んでいる。

 

「随分と静かだね。ひょっとして、君も釣り人かい?」

「違う、けど……」

「そう。その辛抱強く待つ姿勢は、釣り人のそれかと思ったけど……違うか。残念だよ」

 

 本来ならば、アカラも獲物がかかるのをジッと待ち続ける方が好みではあった。

 しかし相手が動かないのならば、こちらから動くしかない。

 それになにより、今は、激しく動きたい気分だったのだ。

 

「悪いけど、ぼくは仕掛けるよ。もう待つのは飽きた。1マナで《ペングィーナ》を召喚!」

 

 続いて現れるのは、二体目の《ペングィーナ》。

 展開すればするほど手札を増やす《ペングィーナ》は、出せば出すほどに手札を潤す。

 

「今度は五枚ドローする! さらに1マナで《ペングィーナ》! 六枚ドロー! ははは! 大漁だねぇ!」

 

 そして手札が潤えば当然、さらなるムートピアが――《ペングィーナ》が、呼び寄せられる。

 連鎖的に現れ、《ペングィーナ》が大量の手札を運ぶ。その様に、アカラは大きく笑うが、

 

「ん……いや。ちっ、雑魚ばっかりだ」

 

 自分の手札を見るや否や、落胆したように舌打ちした。

 ドローとはつまり、必要なカードを引き込む行為だ。

 過剰と言えるほどのドローを見せたアカラには、なにか目的のカードがあったはず。しかし、これだけのドローでも、それを引き込むことはできなかったようだ。

 

「ここまでやっても魚影すら見えないってことは、手の届かないところ(シールド)に引っ込んじゃったかな。仕方ない。手を変えよう」

 

 アカラはつまらなそうに吐き捨てると、方針を転換する。

 メインプランのなり損ないを、サブプランとして活用する。

 

「バトルゾーンに五体以上のムートピアがいることで、手札から《Iam》をノーコストで召喚! 《ペングィーナ》からNEO進化だ! この能力で召喚した場合、進化でない他のクリーチャーはすべて手札に戻る。続けて2マナで《ザエッサ》を召喚。ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:0

山札:27

 

 

アカラ

場:《Iam》《ザエッサ》

盾:5

マナ:4

手札:18

墓地:0

山札:10

 

 

 

 アカラの場には、ワールド・ブレイカーに化けた《Iam》がいる。

 次のターンには、シールドをすべて打ち砕く、世界を破壊する一撃が放たれてしまう。

 しかし恋は、微塵も動じる素振りは見せない。

 静かに、淡々と、カードを操る。

 

「私のターン……マナチャージ、して……5マナ」

 

 ここで遂に、恋が動いた。

 手札を一枚引き抜いて、バトルゾーンへと静かに差し向ける。

 

「《音感の精霊龍 エメラルーダ》……手札を、一枚、シールドに……エンド」

 

 しかして行動は、それだけだ。

 ブロッカーを出し、シールドを増やす。ブロッカーで《Iam》のワールド・ブレイクは防げるが、逆に、シールドをいくら増やそうと、ワールド・ブレイクですべて薙ぎ払われることに変わりはない。

 

「《ザエッサ》を二体召喚。これでムートピアの召喚コストは3少なくなるから、2マナで《崇高なる知略 オクトーパ》を召喚、《ザエッサ》からNEO進化だ」

 

 そして、アカラには溢れんばかりの手札がある。

 たった一体のブロッカーを退ける程度、造作もない。

 

「《オクトーパ》の能力で《エメラルーダ》を拘束。最後に1マナで《異端流し オニカマス》を召喚だ」

 

 ブロッカーは動けない。打点は十分。

 アカラは勢いのまま、衝動のまま、激しく昂ぶる狂瀾に身を委ねる。

 

「それじゃあ、行こうか!」

 

 釣り竿を突きつけ、彼は命じる。

 獲物を釣り上げることはなく、強引に押し寄せ、打ち倒せと。

 

 

 

「《Iam》で攻撃――ワールド・ブレイク!」

 

 

 

 刹那、恋のシールドがすべて、吹き飛んだ。

 粉々に、木っ端微塵に粉砕される盾。

 その破片を一身に浴びながらも、恋は微動だにしなかった。

 表情の変わらない面持ちで、虚空を眺めるように、失われた防壁をの残滓を見つめている。

 しかしその眼は、どこか悲しげにも見えた。

 

「……ごめん」

「? 突然どうしたんだい? まさか、命乞い? やめてよ、興醒めだから。暇潰しとはいえ楽しまなきゃ。君はずっと仏頂面だし心配になってしまうよ。ほら、笑って笑って。最後まで遊ぼうよ」

 

 陽気で、饒舌で――焦燥に駆られるようなアカラ。

 恋には、彼の奥にある心情が、なんとなくわかっていた。

 それを言語化できるほど器用ではないし、頭も良くないから、言葉にはできないけれど。

 ただただ、伝わってくる。

 その心情を汲んでやるべきなのかもしれない、と思った。

 けれど、それはできない。

 

「……今の、私、は……こすずの、友達、だから……あきらたち、とも、つきにぃたち、とも……違う、立場……違う、物語……」

 

 もし、戦いの場が“こちら”ではなく“あちら”ならば、もっと別の手段を取れたかもしれない。

 けれど今ここでは、それはできなかった。

 立場が違う。物語が違う。

 今の自分には、万人に平等に降り注ぐ“慈愛”を優先することはできない。

 酷く個人的で独善的な“友愛”を為すしか、できないのだ。

 

「うん、だから……ごめん。私は、友達との、約束を……大切な人との、約束を……あの時、誓った、正義を……守らなきゃ」

 

 約束を違えることはできない。

 誓いを破ることはできない。

 友情に反することはできない。

 正義に背くことはできない。

 多重に重なった世界と物語に囚われながらも、雁字搦めの鎖に縛られながらも、彼女は苦悩の中から答えを選び取る。

 

「私は、友達を、守る……絶対に……そう、決めたから……」

 

 自分の不甲斐なさのせいで、友を傷つけ、大切な人を傷つけ、大事な契りも喪いかけた。

 同じ失敗はしない。二度と間違えない。

 そのために必要なのは――力だ。

 ただ敵を打ち倒す力ではない。それはもっと別の誰かのもの。自分が真に誇るべきは、もっと別の力だ。

 

「……S・トリガー」

 

 盾の残骸舞う神話的な世界。恋は、その一片を、手に取った。

 光が、彼女の手中に収束する。

 カチリ、と鍵の開く音。

 天まで昇る輝かしい世界の扉が今――開かれる。

 

 

 

「私の世界の扉を開け――《ヘブンズ・ゲート》」

 

 

 

 光輝を放つ神々しき天国への門。

 それは、恋が信じた世界へと繋がっている。

 その先にあるのは、彼女が信を置く、仲間たちの世界だ。

 そして今、彼女の力が、解き放たれる。

 

「手札から、光の、進化でない、ブロッカーを……二体……バトルゾーンへ」

 

 囁くような言の葉に導かれ、先兵のクリーチャーが門を潜り抜けて、戦場へと降り立った。

 

「《歴戦の精霊龍 カイザルバーラ》……二体……」

 

 先兵とは言え、それは、歴戦の名を持り、あらゆる戦場を駆け抜けた猛者だ。

 《カイザルバーラ》は登場時、カードを一枚引く。そして、手札からコスト7以下の光のクリーチャーを呼び出す。

 このクリーチャーが呼び水となり、さらなるクリーチャーを招集する。

 

「《カイザルバーラ》の、能力……一体目、《龍装者 ゼブルエ》……」

 

 一体目の能力で現れたのは、蒼華の龍骨を纏う聖騎士。

 茨の剣と、蒼薔薇の盾を携え、《カイザルバーラ》に続く。

 そして、二体目に続くのは、

 

「おねがい……《真・龍覇 ヘブンズロージア》」

 

 輝く槍を手にした、正義の使者。

 それは、龍と心を通わし、龍の魂が込められた器を振るうドラグナー。

 光の龍のすべてを導く、先導者だ。

 

「《ヘブンズロージア》の、能力で……コスト5以下の、光のドラグハートを……呼ぶ」

 

 《ヘブンズロージア》は槍を掲げる。すると、天高く光が伸びた。

 雲を突き抜け、空まで届き、太陽さえも飲み込むほどの、眩い光。

 そして、白雲を切り裂き、天空の彼方より、輝ける城塞が、降りてくる。

 

 

 

「来て――《真聖教会 エンドレス・ヘブン》」

 

 

 

 それは真に聖光を讃えた神殿。

 龍の魂を宿し浮遊する、空中要塞ならざる、空中教会だった。

 

「これで、処理、おわり……どうする……?」

「…………」

 

 今まで陽気だったアカラが、はじめて押し黙った。

 新たに増えたブロッカーは三体。《オクトーパ》は攻撃できるが、それでクリーチャーを止めたとしても、ギリギリ届かない。

 

「……ターンエンドだ」

 

 アカラは眉間に皺を寄せ、不満そうにターンを終える。

 そしてこれが、彼の最後の攻撃であった。

 

 

 

ターン5

 

場:《カイザルバーラ》×2《エメラルーダ》《ゼブルエ》《ヘブンズロージア》《エンドレス・ヘブン》

盾:0

マナ:5

手札:6

墓地:1

山札:23

 

 

アカラ

場:《ザエッサ》×2《オクトーパ》《オニカマス》《Iam》

盾:5

マナ:5

手札:14

墓地:0

山札:9

 

 

 

 恋のターン。

 マナチャージして6マナ。

 彼女は再び開く。

 天国の――自分の世界への、門を。

 

「呪文……《ヘブンズ・ゲート》」

 

 音もなく天に浮かぶ光の門。

 そこから、新たな光の軍勢が、戦場へと降り立つ。

 

「《カイザルバーラ》……それと、《龍覇 エバーローズ》」

「またそいつ……!」

「《カイザルバーラ》の、能力で、ドロー……《龍覇 セイントローズ》を、バトルゾーンへ……《セイントローズ》で、コスト5以下の……《エバーローズ》で、コスト4以下の……光のドラグハートを……呼ぶ……」

 

 二体目、三体目と、立て続けのドラグナーが現れる。

 そして彼らは、各々が信じた砦を、武器を、呼び寄せる。

 

「来て――《天獄の正義 ヘブンズ・ヘブン》《不滅槍 パーフェクト》」

 

 天に地に、正義を賛美する方舟。

 そして、不滅の誓いを込めた槍。

 《ヘブンズ・ヘブン》は《ヘンドレス・ヘブン》と共に空に浮かび、《パーフェクト》は《エバーローズ》の手中に収まる。

 次々と現れるクリーチャー。そして、ドラグハート。

 いくら楽観的なアカラでも、この状況が相当に危機的であることくらいは理解できる。

 彼は焦燥に駆られるように、声を荒げた。

 

「くっ、《オニカマス》の能力発動! 召喚以外で出したクリーチャーは手札に戻れ!」

「《パーフェクト》の、効果……装備した、クリーチャーは……破壊以外で、場を、離れない……」

 

 《カイザルバーラ》と《セイントローズ》が手札に押し返される。

 しかし《エバーローズ》だけは、《パーフェクト》の加護により、《オニカマス》の効果から免れる。

 

「……攻撃。《ヘブンズロージア》で……《Iam》を……」

「な……!? 《Iam》のパワーは25000だよ!? 自爆する気か!?」

「そう……」

 

 《ヘブンズロージア》が、《Iam》に特攻する。

 しかし《ヘブンズロージア》のパワーはたったの5500。パワー25000の《Iam》には到底叶わず、一瞬で返り討ちにされる。

 しかし、

 

「《エンドレス・ヘブン》の、効果……自分のクリーチャーが、破壊されるたび……シールドを、一枚、追加する……」

 

 死したクリーチャーの魂は、龍の教会の賛美により、聖なる加護を受ける。

 《ヘブンズロージア》の魂の鎮魂の賛美歌によって、恋を守る盾となった。

 さらに、

 

「《ゼブルエ》の、能力、発動……自分のシールドが、一枚、置かれるたび……相手クリーチャーを、一体、フリーズ……《オクトーパ》」

 

 蒼き茨が《オクトーパ》へと伸びる。

 茨は《オクトーパ》を縛り付け、拘束した。

 

「《ゼブルエ》で、攻撃……スマッシュ・バースト、《ローゼス・ブルーム》……シールド、追加……《ゼブルエ》の、能力、発動」

「ま、また……!」

「《ザエッサ》を、フリーズ……《オクトーパ》を、破壊……《カイザルバーラ》で、《ザエッサ》、攻撃……破壊」

 

 シールドが増える。クリーチャーは動きを止められる。そして、殴り倒される。

 ギリギリと、鎖で縛られ、締め上げられるようだった。

 あと一歩で倒せそうな、儚く虚弱な少女。しかし、その一歩は、あまりにも遠い。

 アカラの投げる釣り糸は、彼女には届かない。

 

「ターンエンド……《ヘブンズ・ヘブン》の、効果……手札から、光の、ブロッカーを、一体、バトルゾーンへ……《カイザルバーラ》」

 

 方舟から、手札に送り返された《カイザルバーラ》が舞い戻る。

 多重のブロッカーで守られ、薄い盾を取り戻し、恋は自身の守りを固め直す。

 同時に、アカラを縛る鎖も、より強く、固く、彼を締め上げる。

 

「ドロー……《エメラルーダ》を、バトルゾーンへ……手札、一枚、シールドへ……《ゼブルエ》の、能力で、《Iam》を、フリーズ……」

「ぐ、ぬ、ぅぅぅ……!」

「さらに……私のクリーチャーが、五体以上……《パーフェクト》の、龍解条件……成立」

 

 《エバーローズ》が、手にした槍を掲げ、天高く撃ち上げる。

 空に輝く光は、その身を変えていく。否、秘められた魂を解放する。

 淡く光る天使の翼。高潔を示す鎧。力を象徴する龍の双眸。

 自身の魂を封じた槍を掴み取り、天命の執行者は、流星の如く地上へと降り立つ。

 

 

 

 

「龍解――《天命王 エバーラスト》」

 

 

 

 仲間たちの力を得て解き放たれた《エバーラスト》。

 それは、恋を、恋の仲間を守る盾となる。

 

「《エバーラスト》の、能力……私の、光のドラゴンは……破壊以外で、場を、離れない……《オニカマス》も、効かない、から……」

「う……」

 

 このターンに踏み倒された《カイザルバーラ》も《エメラルーダ》も、光のドラゴン。

 そのどちらもが《エバーラスト》の加護を受け、除去を受け付けない。

 水のメイン除去となるバウンスは、無力化された。

 

「ぼ、ぼくのターン……!」

 

 もはや盤面は絶望的だ。

 この状況をどう脱するべきか。そもそもここまでで重大な失敗があったのではないか。

 焦燥のあまり、思考がバラバラに駆け巡る。心を落ち着かせることは得意だが、この短い間に平常心を取り戻すことはできなかった。

 

「と、とりあえず生き延びること優先だ……! 5マナで《蓄積された魔力の縛り》を……」

「《ヘブンズ・ヘブン》の効果……光以外の、呪文のコストは、1増える……」

「……ちぃ、だがそれでも唱える! 《エバーラスト》と《ゼブルエ》を拘束! た、ターンエンド……!」

 

 

 

ターン6

 

場:《カイザルバーラ》×3《エメラルーダ》×2《ゼブルエ》《エバーローズ》《エバーラスト》《ヘブンズ・ヘブン》《エンドレス・ヘブン》

盾:3

マナ:6

手札:3

墓地:3

山札:18

 

 

アカラ

場:《ザエッサ》《オニカマス》《Iam》

盾:5

マナ:6

手札:13

墓地:4

山札:8

 

 

 

「私のターン……《ヘブンズ・ヘブン》」

 

 恋のターンが始まる。

 その瞬間、恋は宙に浮く方舟に呼びかけた。

 

「私のブロッカーが、三体以上。龍解条件……成立」

 

 《エバーラスト》同様、《ヘブンズ・ヘブン》もまた、仲間の力によって、方舟に封じられた魂が解放される。

 空高く浮かぶ方舟は、その奥底に眠る正義の種を、賛美の歌と共に、芽吹かせた。

 

 

 

「龍解――《天命讃華 ネバーラスト》」

 

 

 

 清廉なる華で飾り、黄金の花弁を散らす。

 正義を託す賛美歌も、天命を象徴する花弁も、すべては天に地に広がっていく。

 光輝の大槍を携え、《ネバーエンド》は降り立つ。アカラを縛る鎖の代わりとして、恋を守る代替の盾として。

 そして恋もまた、彼らの正義に自分の正義を重ね、応える。

 

「6マナ……《ヘブンズ・ゲート》」

 

 再三開かれた、世界の扉。

 そこから、蒼い花弁が舞い散る。

 

「《蒼華の精霊龍 ラ・ローゼ・ブルエ》……二体……そして、《ネバーラスト》で、《Iam》を、攻撃……」

 

 龍解したばかりの《ネバーラスト》が、大槍を構えて飛翔する。

 その時、《ラ・ローゼ・ブルエ》の蒼き花弁が、空を舞った。

 

「《ラ・ローゼ・ブルエ》の、能力……ドラゴンが、攻撃するたび……シールドを、追加……そして、《ゼブルエ》の、能力で……《ザエッサ》を、フリーズ……」

 

 舞い散る花弁は寄り集まり、恋を守る盾となる。

 そしてその守護の意志に応じ、《ゼブルエ》の茨がアカラのクリーチャーを束縛する。

 仲間の連携を横目に、《ネバーラスト》は《Iam》へと突貫する。

 

「ぐ……で、でも! 《Iam》はNEO進化クリーチャーなら、パワー25000! どうしたってパワーはこっちが上だ!」

「わかってる……けど、《ネバーラスト》の、能力……私の、光のクリーチャーは……すべてのバトルに……勝つ」

 

 グサリ、と《ネバーエンド》の槍が《Iam》を貫く。

 抵抗虚しく、《Iam》は力尽き、果てた。

 

「《カイザルバーラ》で、《ザエッサ》、攻撃……シールド、二枚追加……破壊」

 

 追い打ちのように、動けない《ザエッサ》を踏み潰す。

 シールドは既に七枚。ブロッカーは多数。

 アカラのクリーチャーは《オニカマス》のみ。恋のクリーチャーを除去することさえできず、盤面は取り戻せないほどに決定的だった。

 

「ぼ、ぼくのターン……《蓄積された魔力の縛り》で……」

「無理……《ネバーラスト》の、能力……光以外の、コスト5以下の、呪文は……唱えられない」

 

 加えて呪文も封じられている。

 アカラは、多重に巻き付いた鎖で、雁字搦めだ。

 動くことさえ、できない。

 

「……《ザエッサ》《ハコフ》《アンモ》《ホーラン》《オニカマス》を召喚……ターン、エンド……」

 

 せめてもの抵抗と言わんばかりにクリーチャーを並べるが、それでどうにかなるはずもない。

 勝敗は、とっくに決していたのだ。

 

 

 

ターン7

 

場:《カイザルバーラ》×3《エメラルーダ》×2《ラ・ローゼ・ブルエ》×2《ゼブルエ》《エバーローズ》《エバーラスト》《ネバーラスト》《エンドレス・ヘブン》

盾:7

マナ:6

手札:1

墓地:3

山札:14

 

 

アカラ

場:《オニカマス》×2《ザエッサ》《ハコフ》《アンモ》《ホーラン》

盾:5

マナ:7

手札:9

墓地:7

山札:7

 

 

 

「……ターン開始時、私のシールドが、相手よりも、多いから……《エンドレス・ヘブン》の、龍解条件……成立」

 

 アカラを縛る鎖は、さらにきつく彼を縛り上げる。

 天空に座す《エンドレス・ヘブン》が、聖なる合唱を捧げる。

 天を照らし、地上にも降り注ぐ正義の光を浴び、世界のすべてを明らかにする。

 《エンドレス・ヘブン》は仲間の力ではなく、恋自身の意志の力によって、真なる龍の魂を解き放つ。

 

 

 

「龍解――《真・天命王 ネバーエンド》」

 

 

 

 それは、最後の天命王。

 決して終わらない正義を執行する、光の王。

 《ネバーエンド》は、聖なる輝きを放つ神槍を握り締め、恋の傍らに降り立った。

 

「……それじゃあ……終わらせる」

 

 長い長い束縛だった。

 しかしそれも、これで終焉だ。

 

「《エバーラスト》で攻撃……《ハコフ》を、フリーズ……シールドを、追加……《ゼブルエ》で、《ザエッサ》を、フリース……Tブレイク」

 

 ドラゴンが攻撃するたびに、《ネバーエンド》の能力で相手のクリーチャーは束縛される。

 《ラ・ローゼ・ブルエ》がシールドを増やし、そのたびに《ゼブルエ》もクリーチャーを縛り付ける。

 《エバーラスト》の槍が、アカラのシールドを三枚、薙ぎ払った。

 アカラは割り砕かれたシールドのうち一枚を手に取るが、

 

「S・トリガー、《転生スイッチ》……くそっ、ダメだ! 使えない……!」

 

 《ネバーラスト》の天命により、その呪文は封じられている。

 そして、次に《ネバーラスト》が天を翔ける。大槍を構え、アカラへと突撃する。

 その時、恋は小さく、微かに、けれど澄み渡るような声で、言った。

 

「……あなたには、正義も……意志も……信念も……なかった」

「え……?」

「きっと……だいじなこと、忘れてる……」

「忘れてるだって? ぼくが? なにを……」

 

 確かに、アカラの胸にはずっと、ぽっかりと穴が空いたような虚無感が漂っている。

 長く長く続いた空虚な時間。刺激がなく、仲間もいない釣りを、惰性で続ける日々。

 それは酷く退屈で苦痛だったが、なによりも辛かったのは、無二の親友がいないことだった。

 

「あいつがいない釣りなんて、楽しくないに決まっている。だからぼくは知恵を絞った。あいつがいなくても、楽しい毎日を過ごせるように……それが、間違いだとでも言うのか?」

「……まちがってる」

「っ! なにを……!」

「あなたは、それで……ほんとうに、楽しい……?」

 

 恋の言葉に、息を呑むアカラ。

 直後、《ネバーラスト》が大槍を突き立てた。

 残ったシールドがすべて吹き飛び、粉々になる。

 

「私、コミュ障だし……頭、悪いし……人のこと、よく、わかんないけど……クリーチャーのことは、ちょっとだけ……わかる……と、思う……」

「な、にを……」

「あなたは……自分が、思ってるほど……楽しそうじゃ、ない……無理やり、理由をつけて、楽しそうに……演じてる、だけ。大切なこと、忘れてる、から……」

 

 大切なこと。アカラにとって大切なものがあるとすれば、それは当然、釣りと、人生を共にした親友に他ならない。

 神話の追放と共に消えた友。彼と共に行う釣り。

 かけがえのないものがあるとすれば、そんな、思い出くらいだが。

 

「……あぁ、そうか」

 

 そこで、彼は気付いた。

 その思い出の中に、最も大切なものがあることを。

 

「そうかそうか。そりゃあ、楽しくないわけだ。あいつは、こんなことで楽しむはずがないからね」

 

 悪戯好きな彼。島を釣り、怪物を退治し、太陽神話を罠に嵌め、高い空を作り上げた。

 それは酷く周囲をかき回したが……一度だって、誰かを悲しませたことはなかった。

 すべては誰かのため。自分の悦楽と、誰かの歓喜を、共に引き上げる。

 それが、彼だったはずだ。

 彼のやり方と反するような“釣り”をしたところで、楽しいはずがない。

 そんなことさえも、忘れてしまっていたようだ。

 

「ははっ。愚か者はぼくだったか。長い虚無の海に浸されて、狂ってしまったかな」

 

 渇いた笑いを浮かべるアカラ。

 彼は、天を仰ぐ。どこか遠くを見つめるように、零した。

 

 

 

「あぁ、ごめんよ。ぼくが悪かった。反省する。だから、許してくれ――マウイ」

 

 

 

 ぴちゃん、と水音が聞こえた気がした。

 

「……《ネバーエンド》」

 

 恋は無表情に、しかし沈痛そうに、《ネバーエンド》を向かわせる。

 

「こうするしかなくて……ごめん」

 

 神槍を掲げた最後の天命王は、正義を執行するべく、アカラの下へと翔ける。

 

「これは……私の、エゴ、だから……“あいつ”も、いないし……慈悲も……“慈愛”も……ない」

 

 彼にとって友が大事であるように、恋にとってもそれは、かけがえのない存在だ。

 今の自分では、この物語では、慈愛を語ることはできない。

 自分に誓った正義と、友と契った約束を胸に、恋は、悲痛の裁きを下す。

 

 

 

「《真・天命王 ネバーエンド》で、ダイレクトアタック――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――よくわからないうちに、事件は解決していました。

 いや、事件解決自体はわかっているんだけど……なんていうか、わたしが倒れてから、起きるまでの間に、なにがあったのかがさっぱりわからない。

 鈴を取られちゃって倒れてからは、解呪薬を飲まされたらしくて、なんとか意識は回復した。その時に恋ちゃんが、わたしの鈴を取り返してくれたんだ。

 だけど、わたしの鈴を取ったあの人影が誰なのかは、わからなかった。恋ちゃんはなにか知っている風だったけど、なにも教えてくれないし……

 まだ体調不良で困っている人はいるだろうけど、一応、事件は解決した。でも、ちょっともやもやします。

 結局、わたしはあの事件の真相はよくわからなかったし。呪いのパンを売りつけておきながら、それを治す薬も売るって、どういうことなのか……恋ちゃんは「きまぐれと……ひまつぶし」なんてよくわからないことを言うし。

 そんな感じでとてもむずむずしますが、それでも一応、解決は解決なので、そこはよかったところです。ユーちゃんと葉子さんも、薬を飲んだらすっかり元気になったし。

 

「……でも、ちょっと残念だなぁ」

 

 家に帰り、玄関の扉を押し開けながら思う。

 あのドーナツみたいなパンだけは惜しい。

 呪いのパンなんてものは困るけど、あのパンに関しては、ずっと食べていたいくらいおいしかったから。

 

「わたしの中で、揚げパンと覇権を争うよ……むむむ……!」

 

 ドーナツも揚げるから、広義的にはどちらも揚げパンであるような気はするけど、それはそれ。

 また、食べたいなぁ。どうやって作ってるんだろう。どうせ工場まで行ったんだから、もうちょっと作ってるとこをちゃんと見ておけば良かったよ。

 と、ちょっと公開しながらリビングに行くとお母さんがいた

 

「お母さん。ただいま」

「おかえりー……って小鈴か。いいところに来た」

「え? なに?」

「お土産。食べる?」

 

 と言ってお母さんが差し出してきたのは、楕円形で、こんがりと揚げられたパンのような――ドーナツだった。

 なんか、すごく見覚えがある形だ。

 ぞわぞわと悪寒が走る。まさか、事件を解決したのに、お母さんが……!

 

「お、お母さん! それ、ど、どこで……!?」

「どこって、えーっと、なんか屋台だっけ? どうだっけ? なんて言ってたっけなぁ」

「屋台!? 屋台で買ったの!?」

 

 それは、とてもまずい。ドーナツはおいしいけど、まずい。

 薬はわたしに使った分と、ユーちゃんや葉子さんに飲ませた分で、持ってきたものは使い切ってしまった。あの工場はもうなくなってるし、薬はない。

 ど、どうしよう、お母さんが……!

 

「あ、パッケージにお店の名前書いてあるわ。なんて書いてるんだろこれ? ゆーうぃー?」

「はぇ? パッケージ? お店?」

「そうそう、ハワイのお土産物屋さんじゃない?」

「ハワイ!?」

 

 え、なに? なんの話?

 なにか、わたしとお母さんの認識が噛み合っていない気がする。

 

「あの、お母さん……それって、どこで買ったの……?」

「これは貰い物。昔お世話になった編集さんが、ハワイ旅行に行ったって言うから、なんか貰った」

「は、ハワイ旅行の、お土産……?」

 

 このドーナツは、あの屋台で買った、呪いのパンにそっくりだ。

 でも、別物……? あのパンは、これを参考にして作った、とか……?

 

「ハワイで人気のお菓子で、マラサダって言うんだって。小鈴、パンとか好きでしょ? あげるよ」

「あ、ありがとう……」

 

 お母さんから、その、マラサダ? を貰う。

 一口頬張ると……お、おいしい……!?

 焼きたてじゃないから冷めちゃってるけど、表面はカリッとしてて、歯を立てた直後に、ふんわりもちっとした生地が口の中に広がる。

 生地そのものの味に加えて、まぶした砂糖も相まってすごく甘いのに、まるでくどさを感じない。

 冷めている状態でこれなら、揚げたてを食べたらどれだけおいしいって言うの……!? わ、わたしの思い出の揚げパンが、霞んじゃいそうだよぅ……

 

「美味しい?」

「う、うんっ! すごい! すごく、おいしい! びっくした! おいしいよお母さん!」

「うん、なんかこっちがびっくりするくらい美味しそうで良かった」

 

 うぅ、まさかあのパンをもう一度食べられるなんて、感動しちゃったよ……!

 マラサダ、って言うんだ。ハワイで人気ってことは、普通に売ってたり、作れるんだよね。

 ……どこかのパン屋さんに置いてないかなぁ。

 

「ハワイかぁ。ハワイと言えば、ハワイ神話をモデルにしたアニメ映画があったよね」

「え? そうなの?」

「うん。半分人間で、半分神様――いわゆる半神だね――の物語。魔法の釣り針を使って、なんか色々やるんだよ」

「なんか色々……」

「お母さんも見たの昔だから忘れちゃった。ハワイとかそのへんの神話は詳しくないんだよー」

「そ、そっかぁ」

 

 お母さんでも、わからないことはあるんだね。もぐもぐ。おいひい。

 これは呪いのパンじゃない。安心して食べられるから、よりおいしく感じる。

 

(……そういえば、あのパンを食べた人は、みんな身体を壊しちゃってたけど)

 

 わたしも、いっぱい食べちゃったからなのかなんなのか、理由はよくわからないけど、最後にはあのパンの呪いを受けちゃった。

 でも、

 

 

 

(代海ちゃんだけは、なんともなかったような……?)

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「いやー、マジマジのマジ卍でBAD(ひどい)目に遭ったぜ」

 

 【不思議の国の住人】、邸宅にて。

 一同は、夕餉に興じていた。

 

「つーか買い食いとかよ、ワタシの飯はそんなに不味いか? あぁん?」

「ハングリーだからアングリー、だったらスピーディーにイーティングだ。食いたい時に食って、寝たい時に寝る。それが僕のスタイル、アンダースタンド?」

「喰っちゃ寝じゃねーか。眠りネズミじゃなくて眠りウシかよ」

 

 凄むアヤハなどどこ吹く風で、眠りネズミは食卓の料理に手を付ける。

 その横では、他のヤングオイスターズや、蟲の三姉弟もいる。

 アギリが、姉を宥めるように口を挟んだ。

 

「まあ、眠りネズミたちが被害を被ったお陰で、敵勢力を迅速に認識できたと考えれば、無駄な行為ではないかもしれない」

「ふん。姉さんがいなければ、その迅速さもゴミのようなものですけどね」

「もうっ、ハエ太ったら。そんな意地悪なこと言わないの! メッ!」

「……姉さん、その餓鬼っぽい宥め方はよしてくれ」

「はっはっは! なんにせよ、姉上は快復し、バンダースナッチも連れ戻した。万事解決で良かったではないか! いやはや、労働の後の飯は美味である!」

「私は姉さんの看病という名目で一日中使いっ走りにされて、もう疲れたよ……」

「お疲れなのよー、ハエ太! ご褒美に私のタマネギをあげるのよ」

「謝礼という名目で嫌いなものを押しつけんな。自分で食え」

「ぶぅー! ハエ太のけちんぼ!」

 

 いつもと変わらない日常。いつも通りの食卓。

 人ならざる身であっても、彼らには彼らの生活があった。

 いつしか、自分たちの世界を手にするために動くことはあっても……今この時も、これはこれで、楽しいと思える。

 そう思う、はずなのだ。

 

「……ご、ごちそうさま」

 

 代用ウミガメが、恐る恐る、席を立つ。

 

「あんだよカメ子、もう終わりかよ」

「あ、うん……そ、その、……今日は、あ、あんまり、おなか減ってなくて……」

「ったく、だから買い食いすんなっつってんだ。こづかい減らすぞてめーら」

「ガッデム! こいつはひでぇ、根性汚ねぇ!」

「うっせぇ! お前ら運んでやったの誰だと思ってやがる!」

「その節はサンキュー。バッド(だが)、こいつは絶許! マネーは絶対死守!」

 

 ギャーギャーと、眠りネズミとアヤハの口論が始まる。もっとも、彼ら彼女らが言い合うのは珍しいことではない。

 同じ母を持つとは言え、自分たちはバラバラの環境で産まれ、育ち、生きたのだ。

 ただ、帽子屋が自分たちを引き合わせ、集わせたというだけ。

 もっとも、原初が同じなだけに、衝突したとしても、決して仲が悪というわけではないが。

 それに、自分たちは仮にも仲間なのだ。

 志を共にする、仲間である。はずなのだ。

 

「……ウミガメちゃん、大丈夫? 顔色悪いよ」

「だ、大丈夫です……あ、アタシ、部屋に、戻りますね……」

 

 代用ウミガメは、逃げるように、そそくさと食卓を後にする。

 誰もいない、薄暗い、肌寒い廊下。

 暗闇の中で、彼女は立ち尽くす。

 

「……やっぱり、変だよ……アタシ……」

 

 と、その時。

 激しい吐き気が襲ってくる。

 

「うっ、くっ……うぅ……げほっ、かは……っ!」

 

 込み上げてくるものを無理やり押しとどめ、むせかえるほどの気持ち悪さを吐き出す。

 最近、やはりおかしい。

 前々からなにか妙な感じはしていた。

 それ故に、彼女らから、少しばかり距離を取っていた。帽子屋からの頼まれ事による多忙さもあるが、それ以上に、この異常に彼女らを巻き込みたくなかった。

 そこには、ただの思い込み、気のせいだと思い込みたい心理もあったかもしれない。

 大したことはない。そのうち、元に戻ると。

 けれど、今日、ハッキリした。

 

 

 

「なにも……おいしくない……」

 

 

 

 味覚がおかしいのか。それとも内臓か。あるいは、もっと別のなにかか。

 わからない。なにも、わからない。

 ベロッ、と舌を出す。

 指で、そっと撫でる。

 しっとりと湿っており、細い指をそのまま口に含んだ。

 なぜか、こうしている時だけ、落ち着く。

 舐め、咥え込み、しゃぶり、歯を立てる。

 そのまま、食べてしまいそうなほどに。

 自分の指を、飲み込んで――

 

 

 

「代用ウミガメ」

 

 

 

「ぴゃ……っ!?」

 

 ――突如、声を掛けられた。

 指を咥えていたせいで変な声が出た。慌てて指を引き抜き、声の方へと向く。

 そこは暗闇しかない。しかしだんだんと、闇の置くから、声が姿を形作る。

 

「ぼ、帽子屋、さん……?」

 

 その人物は、帽子屋だった。

 室内でも変わらず、目深に帽子を被り目元を、スカーフを引き寄せて口元を隠し、顔を晒そうとしない。

 今の行為を見られていたのではないか、と代用ウミガメは慌てたが、帽子屋はそのことにはまるで言及することはなかった。

 ただ一方的に、自分の要求を突きつける。いつもの帽子屋だ。

 

「代用ウミガメ。手は空いているか? また、頼まれて欲しい」

「ま、また、“あれ”、ですか……?」

「あぁ」

「……ま、まだ、作るんですね……あ、あんなに作って……ど、どうするんですか? 帽子屋さん……?」

「どれほど必要になるか、わからんからな。多く備えるに越したことはない」

「は、はぁ……で、でも、いつまで、続けるん、ですか……?」

「ヤングオイスターズの一人が時を定めている。もうじき、時は訪れるだろう。その時が“レース”の始まりだ」

「…………」

 

 もう、おおよその準備は整った。

 残るは時間と、タイミングだけ。

 しかして帽子屋にしては珍しく、その待ちの時間さえも、手を抜かない。

 入念に、念入りに、最後まで、できることを為す。

 三月ウサギは邪心を昂ぶらせているだろう。公爵夫人は牙を研いでいるだろう。

 代用ウミガメもまた、兵隊の産卵に従事している。来たるべき時に備えて。

 

「この世に産み落とされてから、悠久とも思えるほど待ったが……ようやく、光が見えてきたな」

 

 そう、光だ。

 この世界は、自分たちの国は、暗い。

 明るい世界を手にするためには、輝く光源が必要だ。

 天地すべてを照らし出す、太陽が。

 そのために、帽子屋は計画したのだ。

 

 太陽を捕らえるための、“競争”――『コーカス・レース』を。

 

 

 

「『コーカス・レース』は必ず開催する。故に待て、そして希望せよ。我らの国に、陽の光が昇るその時までな――」




 ブラックバイト編もこれにて終了です。
 しかし、他の作品の要素にガッツリ踏み込んだ回なので、少し理解に難儀するかも知れません。作者がこのサイトに投稿している別作品『デュエル・マスターズ Another Mythology』(通称AM)と関連する話なのですが、そっちの話の進行がちょっと遅いんですよね。でもまあ、そちらを読めば、社長の正体もそれなりにわかるかな、と。
 それでも意味分かんねーよバカ! というのであれば、その怒りを作者にぶつけてください。ブログとか活動報告とか番外編とかで補完するかもしれません。
 それと今回、恋が使ったのが白単天門。知っている人なら、恋と言えばこれ、と思うでしょう。きっと。というか、マジカルベルで天門出したのってたぶんこれが初ですね……有名なデッキだし、最近は妙にプッシュされてるけど、逆風が強すぎる……
 そんな感じで、今回はここまで。誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。
 次回は前々から言っていた文化祭の始まりです。今回以上にAM要素、というかAMのキャラがドバッと出ます。お楽しみに。


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41話「文化祭だよ ~東鷲宮編・AM~」

 小説を書いてたら小説の書き方を忘れました。これがゲシュタルト崩壊ってやつだな。
 そんなこんなで、話はできあがってたけど、なんやかんや書くのに苦労しました。前回投稿から一ヶ月ですって。それなりに速筆な自信はあったんですけど、そんな自信も失墜しちゃいますね。
 今度は文化祭のお話。ただし烏ヶ森ではなく、他校の文化祭です。前々から話には上がってたやつですね。
 今回は小鈴や一騎の、ちょっとだけ違う面が見られるかもしれません。


 こんにちは、伊勢小鈴です。

 今日は待ちに待った文化祭……なのですが、わたしたちの学校の文化祭じゃなくて、他の学校の文化祭に来ています。

 東鷲宮(ひがしわしのみや)中学っていう、わたしたちの烏ヶ森からはちょっと離れた中学校です。

 なんでも、この学校には恋ちゃんや先輩――いつきくんの友達がいるとか。

 そのお友達が主催するデュエマの大会が、この文化祭で催されるみたいです。

 ……文化祭でデュエマって、よく考えたらよくわからないけど……あんまり深く考えないようにしよう。

 

「ようやく件の学校に着いたね」

「なんだか、ちょっとちっちゃいですね?」

「そりゃうちは中高一貫だし、大きいのは当然だよ……このくらいが普通だ。むしろこれでも大きいくらいじゃないか?」

「そだねー。私、ここも入学する学校の候補だったから色々調べたけど、他の学校と比べてもまあまあ大きいよ」

 

 校門前まで来たわたしたち。門扉は大きく開かれていて、人の出入りは、思ったほど多くない。

 というのも、今はまだ午前9時前。文化祭、まだ始まってないんだよね。ちょっと早く着きすぎちゃったみたい。

 けれど、門には大きなアーチがそびえ立っていて、校庭の方にもテントがいくつも並んでいる。まさに、祭の直前、という感じでとても楽しげです。

 

「さて、時間になったら一騎先輩が迎えに来てくれるということだったけど……」

「まだ来てないね。っていうかなんで部外者であるはずの先輩が迎えに来るの?」

「そんなことボクが知るか」

「……もういい……いこう……すぐいこう……いますぐ……かきゅうてきすみやかに……もうまてない」

「えっ? こ、恋ちゃんっ?」

 

 恋ちゃんは、いきなり小走りで駆け出す。

 いつもゆったりしてて、わたしよりも運動できない恋ちゃんが、なんだか今日はすっごく行動的で活動的だよっ?

 

「どうした恋? なんか今日はここに来るまでずっとそわそわしてたけど」

「っていうか日向さんは道わかるの?」

「たぶん……」

「不安しかないな」

「と、とりあえずちょっと待ってください、日向さんっ」

 

 ローザさんは恋ちゃんを制止しようとするけど、それさえも聞かずに恋ちゃんは一人でたったか前に進んでいく。

 今日の恋ちゃんはちょっと変だ。なんだか、焦っているというか、急いているというか……

 なにより、歩くスピードがいつもより段違いに早い。走れば追いかけられそうだけど、生徒らしき人たちがそれなりに行き交っていて、不用意に走るのも危ない。かといってこのままじゃ、見失っちゃうかもしれない。

 と、思った時だった。

 

「むきゅっ」

 

 恋ちゃんは、誰かとぶつかって足を止めた。

 

「おっ、と。ごめんなさ……って、恋か」

「つきにぃ……」

 

 恋ちゃんはぶつかった人を見上げる。

 それはいつきくんだった。

 ちょうどわたしたちを迎えに来てくれたようだ。

 

「あ、先輩だ。ちょうどいいところに来たね」

「すみません先輩。どういうわけか、恋が一人で駆け出してしまって……もう待てないとかなんとか」

「待ててない? ……あぁ、成程」

 

 いつきくんは、なにか納得したように深く頷いた。恋ちゃんの落ち着きがない理由に、なにか心当たりがあるようだった。

 そして、恋ちゃんに向き直って、窘めるように言う。

 

「恋、お前が浮かれる気持ちもわかるけど、集団行動はきっちりとしてくれ。友達と一緒ならなおさらだ」

「むぅ……だって……」

「暁さんともすぐに会える。心配することはない」

「……わかった……」

 

 恋ちゃんはじっといつきくんを見返すと、視線を逸らしながら頷いた。

 

「……ごめん」

「いや、それは構わないんだけど、やけに舞い上がってるな、恋」

「お祭りだからではないのですか? 異国の文化ではありますが、私も少なからず胸が弾みますよ」

「ユーちゃんもです! おまつり、楽しみです!」

「いや、そんなキャラじゃないでしょ、日向さんは。お祭りとか陽キャのイベントはむしろ忌避するタイプでしょ」

「それはそれで酷い偏見だとも思うが……」

 

 でも確かに、夏祭りの時はそこまではしゃいでいたような気はしない。お祭りだから舞い上がっているというよりも、“このお祭り”であることが重要なのかな。

 

「ところで、長良川さんと……亀船さんだっけ? 二人は来てないの?」

「あ、代海ちゃんは用事があるから遅れるって連絡がありました。昼前には着くらしいですが」

「長良川さんは?」

「寝坊」

「……そうか。なら先に行っていようか」

 

 一瞬、なんとも言えない表情になるいつきくん。遅刻を窘めたいけど、本人はここにいないし、お祭りなんだし固いことは言いたくないから黙っていよう、みたいな表情だった。

 まあ、謡さんも急いでこっちに向かっているみたいだし、遅れはするけどすぐに来る……とは、思います。

 いつきくんは踵を返して、来た道を戻るように、わたしたちを先導する。

 大会は昼前から午後にかけて行われる予定で、今から会場入りするのだろう。

 歩いている最中、ふと霜ちゃんがいつきくんに尋ねる。

 

「ところで、先輩はどうして先に来ていたのですか?」

「あぁ、それは沙弓ちゃん……ここの部長に頼まれてね」

「頼まれた?」

「会場のセッティングとか」

「……先輩って一応、扱いとしては客人ですよね? 客に準備を手伝わせてるんですか……?」

「彼女はそういう人だからね……まあそれに、俺としても、友人に力を貸すのは吝かではないよ。だいぶ強引に迫られたけど」

「先輩もお人好しですねー」

「素晴らしい方ですよ、剣埼さんは」

 

 という話をしながら、恋ちゃんを見遣る。

 いつもどこかぼぅっとしていて、ぼんやりとどこかを見ているような恋ちゃんだけど、今日は、今も、なにかずっとそわそわとあたりをキョロキョロしている。

 

「うずうず……うずうず……」

「恋はさっきからずっと浮ついてるな」

「口でうずうずって言ってるくらいだしね」

「まあ、、無理もないよ。恋はずっと今日を楽しみにしてたしね」

「文化祭を?」

「というより、人に会うのを、かな。なんだかんだで暁さんに会うのも久し振りだしね」

「あきらさん? とは、どなたでしょうか?」

「あぁ、暁さんっていうのは……」

 

 と、いつきくんが言いかけたところで、言い切るよりも先に恋ちゃんは言った。

 宣言するかのように。それは絶対の真実であり、揺らぐことのない真理であるかのように。

 明確に、明瞭に、確信を持って、はっきりと告げた。

 

 

 

「私の……好きな人……」

 

 

 

『えぇ!?』

 

 その言葉に、みんな、思わず声を上げてしまった。いつも冷静な霜ちゃんも、大抵のことは笑って流せてしまうみのりちゃんも、そして当然、わたしも。

 好きな人。まさか、恋ちゃんの口からそんな言葉が出てくるなんて……

 しかも、なんだかちょっと顔を赤らめているような……ってことは、まさか、本当に、そういう意味……?

 

「いや、あの……恋……? それは……」

「日向さんに恋人がいたなんて、こいつはたまげたよ!」

「いや、好きというだけで恋仲と決まったわけではないが、しかし恋の口からそんな言葉が出るのは確かに意外だ……」

「恋さん恋さん、その人はどんな人なんですかっ?」

「すごい……つよい……かっこいい……」

「まったく想像つかないけど相当なイケメンっぽいね」

「強い人……それは、大きい人なのでしょうか?」

「ん……そう、よりは、ちょっと……」

「ボクは男としては背が低い方だけど」

「ってことはむしろショタっぽい感じかな? 年上?」

「同い年……少し……男、らしい……?」

「おぉ! なんか盛り上がってきたね!」

 

 霜ちゃんよりちょっと背が高いくらいで、強くて、格好良い、そしてわたしたちと同じ中学一年生……正直、あんまり想像つかない、なんとなくすごそうな人だ。

 なにより恋ちゃんが、好き、とはっきり口にするくらいの人だ。ただ者ではなさそうです。

 

「……誤解が広まってる気がする……解いた方がいいのか……? いや、でもまあ、盛り上がってるところに水を差すのもな……すぐ会えるだろうし……」

 

 そんなこんなで、いつきくんに連れて行かれたのは、ちょっと古い感じの校舎だ。

 そしてその奥の方にある教室――遊戯部と書かれたプレートが掛かった一室へと入る。

 中には、二人の生徒らしき人がいた。片方は女子生徒、もう片方が男子生徒だ。

 

「沙弓ちゃん、戻ったよ」

「はーい。お帰りー、一騎君」

 

 一人の女子生徒が、こちらにやって来る。

 背の高い女の人だった。みのりちゃんくらいか、それ以上かもしれない。利発そうな顔立ちで、なんとなく大人びた雰囲気がある。

 

「さゆみ……おひさ」

「おひさー、れんちゃん。で、こっちの子たちが、話に聞いてた子たちね」

 

 その人は、こちらに視線を向けた。

 どことなく底の知れないような眼差しが、わたしたちを覗き込む。

 

「遊戯部、部長の卯月沙弓(うづきさゆみ)よ。話は一騎君から聞いているわ」

「……遊戯部って、名前だけは聞いてたけど、どんな部活なんですか?」

「古今東西のあらゆる“遊戯”という文化に触れて、自ら体験し、研究する……という名目で活動している部よ」

「名目」

「実際は遊びほうけてるだけじゃない?」

「ふふふ。否定はしないけど、やることはやってるわよ?」

 

 悪戯っぽく微笑む卯月さん。

 部屋を見回すと、確かに棚の中にボードゲームやパズルなんかが仕舞われているのが見える。将棋盤とか、リバーシとか、立体四目とか、わたしも知っているものもあるけど、見たこともないものもたくさんある。

 遊戯……遊びとは言うけど、これだけたくさんのゲームがあるというのは、それだけですごいことのように思える。

 

「まあ今日はこの部屋のゲームは使わないわ。今日はデュエマの大会だもの。あなたたちも、遊戯部主催のイベントに参加してくれてありがとう」

「は、はぁ……」

「部員はここにいる人で全員……ではないですよね、流石に」

「まあ流石にね。あと二人いるわ」

「あと二人? え? たった四人ですか?」

「えぇそうよ。だから一騎君を助っ人に呼んだわけだし」

「早朝からこんな遠いところまで呼び出されて、大変だったよ……」

「あらいいじゃない、私と一騎君の仲でしょう?」

「どういう仲?」

 

 ……なんだか、いつきくんと、卯月さん……仲良さそう……

 話だけを聞くと、確かに卯月さんのやっていることは強引で、勝手に思えるけど。

 それでもいつきくんは、困った顔をしながらも、どこか少し楽しそうに見える。

 それは、わたしの知らない顔。

 わたしの知らない、いつきくんの顔だ。

 

「それはあれよ。一夜を共に過ごしたじゃない」

「えっ!?」

「ちょっ、沙弓ちゃん! 間違ってはいないけど、そういう誤解を招く言い方はやめてっていつも言ってるよね!?」

「そうだったかしら? でも、間違いを伝えてなければ問題ないわよ」

「誤解されて伝わったらダメでしょ!」

 

 一夜を、共に過ごしたって……え? え? どういうこと? そういうこと?

 いつきくんと卯月さんって、もしかして……

 

「……そんなこと……どうでも、いい……」

「どうでもいいの!?」

「さゆみ……あきら……どこ……?」

「あぁ、それは間が悪かったわね。暁ならちょっと前に、柚ちゃんと教室の方に行ってるわ。大会前には戻ってくるみたいだけど」

「むぅ……」

 

 拗ねたように唇をちょっぴり尖らせる恋ちゃん。

 恋ちゃんがこういう仕草を見せるのは、少し珍しい。

 

「ま、そのうち戻ってくるわ。ゆっくり待ちなさいな」

「ん……んん……」

「待ちきれないって顔してるわね。なら、そろそろ文化祭も始まる頃だし、そっちに行ってみる?」

「……そうする……みんな、は……?」

 

 恋ちゃんはこちらを向いて、わたしたちに尋ねる。

 わたしたちも一緒に来ないか、というお誘いなんだろうけど……

 

「ボクはどちらでも構わないよ。勝手の知らない場所だからね、少しでも知識のある人に任せるよ」

「私も賛成です。合理的です」

「ユーちゃんもです!」

「私もどっちでもいいけど……小鈴ちゃんはなにか不満?」

「えっ? い、いや、その……」

 

 恋ちゃんに付き合うのも、いいと思う。

 けどわたしの関心は、わたしの気持ちは、今、きっと、別のところにある。

 

「いつ……先輩は、ど、どうするんですか……?」

「俺? そうだなぁ、俺も暁さんのところに行ってもいいけど……沙弓ちゃん、俺はどうすればいい?」

「一騎君はもう少し私に付き合いなさい。ほら、大会の準備とかあるし」

「なんで俺は他校の文化祭で準備を手伝ってるんだろうね……っていうか、もう大体終わってるよね?」

「まあまあ、固いこと言わないの。今度なにか……なにか……そうね、いいことしてあげるから」

「なにそれ」

 

 仕方ないな、といつきくんは嘆息する。

 

「とまあ、沙弓ちゃんが離してくれそうにないから……ごめんね」

「そ、そうですか……」

 

 いつきくんは、こちらには来ない。あちら側にいる。

 それは特段、奇異なことでもない。むしろわたしは、いつきくんと一緒にいることの方が少ないのだから。

 でも、そんな現実とは別に、胸の奥がもやもやするし、ちくちくする。

 

「……ふーん?」

 

 卯月さんが、なにかを思ったようにこちらを見ている。

 そして、卯月さんは、にやりと口角を上げた。

 

「ごめんなさい、やっぱり予定変更」

「え?」

「カーイー! ちょっとー!」

 

 部室の隅の方で、なにか作業をしている眼鏡の男子生徒に呼びかける。

 男子生徒は露骨に顔をしかめて、気怠げに、鬱陶しそうに、渋々と卯月さんの元へとやって来る。

 

「……なんだよ。そんなにデカい声出さなくても聞こえる。というかあんたらの会話は全部聞こえてたぞ。うるさくて仕方ない」

「それは話が早いこと。あ、この目つきと目の悪いのはカイ。霧島浬(きりしまかいり)よ。変な名前よね」

「うるせぇよ」

 

 霧島さん、っていうんだ。背が高くて、この人も大人っぽいなぁ。

 でも、目つきがちょっと怖い……

 

「それでカイ、これから一騎君と私で会場設営とかの機材の最終調整だったわよね?」

「そうだな」

「その役目、あなたに任せたわ」

「それは……まあ、構わないが、なぜだ? 理由を言え」

「私、これから一騎君とデートに行ってくるから」

「は?」

「え?」

「沙弓ちゃん?」

 

 デート?

 デートって、あのデート?

 ……え?

 

「なによ。どうせどこかで一緒に見て回る約束だったでしょう?」

「そんな約束したっけ? いや、別に君と文化祭を見て回ることはいいんだけど、なんで今?」

「んー、たの……一騎君とデートしたいから?」

「また唐突だね!?」

「好きな人と好きなことをするのはいつだって唐突なのよ」

「なにそれ……」

 

 ――好きな人と好きなことをする――

 それって……それって……!

 

「う、う……あうぅぅぅ……」

「うわっ! 小鈴が急によろめきだしたぞ」

「おーい、小鈴ちゃーん。だいじょぶー?」

「だ、だいじょうぶ……じゃ、ないかも……」

 

 頭がすごいぐらぐらする。胸もものすごくばくばくしてる。

 なに、なんだろう、なんなの、この感じは……!

 

「というわけで行きましょう、一騎君」

「え、いや、でも」

「おい待て部長。まさか、俺一人で残りの準備をすべて済ませろって言うのか?」

「どうせ大会は昼前だし、もう大体終わってるし、カイならやれるわ。頑張って」

「ふざけんな。あんたの勝手で俺の負担を増やすな。そもそも一騎さんをあんたの我儘で振り回すなよ。善意で手伝ってはくれたが、本来一騎さんは客人だぞ」

「あら? ひょっとしてカイも一騎君とデートしたかった? まったくもう、本当にカイは男が好きなんだから」

「ぶっ飛ばすぞてめぇ」

 

 霧島さんは憤怒の形相で卯月さんに詰め寄っていたが、卯月さんはそれらをのらりくらりと口先だけでかわしてしまう。

 そして、いつきくんの手を取った。

 

「というわけで、一騎君もいいわよね」

「いやよくないでしょ。浬君が可哀想だよ」

「カイなら大丈夫よ。それとも一騎君は、私とのデートは嫌? 私とは文化祭を回れないって?」

「そんなことはないけど……」

「ならいいじゃない。行きましょ行きましょ」

「あっ、ちょっと沙弓ちゃん……っ!」

 

 卯月さんはそのまま、いつきくんの手を引いて、軽やかな足取りで出て行ってしまった。

 残されたのは、霧島さんと、わたしたち。

 

「クソッ、本当に行きやがったあいつ……!」

 

 吐き捨てるように言った。すごく怒っているのがわかる。しかし同時に、どこか、なにか諦めているようでもあった。

 そして霧島さんは、こちらにやって来る。

 

「なあ、悪いが部長の奴を連れ戻してきてくれないか? 俺一人じゃ手が足りん」

「は……? 眼鏡の、言うこと……聞く、義理とか、ないし……」

「お前は本当に俺への風当たりが強いな。俺はともかく、一騎さんは気の毒だろ」

「……べつに。さゆみも、つきにぃも……おにあい、だし……」

「そうか? いや、そんなことはどうでもいい。客人なのに早朝からうちのイベントの準備に駆り出された上に、あのアホの部長に付き合わすのは、あまりにも一騎さんに申し訳が立たない」

「私は、どうでもいいけど……そんなことより、あきら……」

「こいつはいつでもそればっかだな……!」

 

 霧島さんとしては、部長の卯月さんに戻ってきて欲しい。

 そして、卯月さんが戻ってくるということは、つまり、いつきくんも……

 

「……行こう、恋ちゃん」

「こすず……?」

「ごめんね。でも、ちょっとだけでいいから、わたしに付き合って……!」

「小鈴さん?」

「なんだか、伊勢さんの様子が、いつもとちょっと違いますね……?」

「……こすずが、言うなら……ちょっと、だけ……」

「ありがとう、ごめんね」

 

 とても、とても変な気分だ。嫌な気分だ。

 お腹の中がひっくり返ったみたいで。心臓がちくちくして、気持ち悪いほどばくばくしてて。

 早く、この気持ちをどうにかしたい。

 どうすればいいのかはわからないけど、どうしたいのかは感じられる。

 それを思った瞬間には、わたしも部室を出て、二人の後を追っていた。

 

「わわっ、小鈴さん!」

「日向さんに続き伊勢さんまでおかしく……どうなっているんでしょう」

「うーん。よくわかんないけど、なんだか面白いことになってきたね?」

「そうか? ボクはむしろ面倒なことになっているような気がするんだが……」

「こすず……おっかける……ストーキング……ストーキング……」

「犯罪的な言い方するなよ」

「……こいつらに任せて大丈夫なのか……?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 わたしは、露店のようにたくさんのテントが並ぶグランドで、二人を発見した。

 それと同時に、後から追いかけてきたみんなとも合流する。

 そしてみんなでひっそりと二人の様子を伺う。

 

「ほら見て一騎君! 明らかに予算の足りないしょっぼいテントが立ち並んでるわ! 毎年のことながら、出し物も軒並みレベルが低い!」

「どうして自分ところの文化祭を罵倒するの!?」

「私は見たままを言っただけよ」

「だとしても、わざわざ悪く言うことないじゃないか……俺はそんなに酷いとは思わないけど。中学校の文化祭としては十分じゃない?」

「烏ヶ森の方が立派じゃない?」

「それは、その……うちと比べるのは酷というか、学校の条件が違うから……」

「あらら、自校自慢?」

「沙弓ちゃんから切り出したんじゃないか! そもそも、皆それぞれ頑張っているし、楽しんでいるんだから、そこに貴賤もなにもないよ」

「綺麗事ねぇ。まあ大丈夫、私も他人の楽しみに水は差すような無粋な真似はしないから。それに、私は悪し様には言うけど悪いとは言わないわ。ただの個人の感想であって、他人を動かしたいって意図はないから。それに、こういうレベルの低いところで、創意工夫を凝らしていいものを作るクラスや部活を見つけるのが楽しいのよ。全部が豪華だと味わえない楽しみ方よ」

「だいぶひねた楽しみ方な気がするけど……沙弓ちゃんはいつでも楽しそうだね」

「当たり前じゃない。楽しんでこその人生でしょう? 自由と命があるのだから、楽しく生きなきゃ。一騎君も、たまには色んなしがらみを振り払って楽しむべきだと思うけど?」

「はは……肝に銘じておくよ」

 

 困り気なのに、寂しげなのに、同時にどこか楽しそうで、嬉しそうで、安心したような笑みを浮かべるいつきくん。

 む、むむむ、むむむむむ……!

 わたしの前では、あんな表情を見せたことなんてなかったし、あんな顔のいつきくんも見たことはない。

 なんというか……なんていうか……

 

「本当にね。あなたは真面目すぎて遊びが足らないんだから」

「俺は俺なりに楽しんでいるつもりなんだけどな……」

「仕事が楽しいってタイプ? ワーカーホリックかしらね。というか一騎君、本当にいつ遊んでるの? 授業に部活に家事に育児に、あっちのことまでやって、自分の時間なさ過ぎない?」

「そこはまあ、色々上手くやってるんだよ。っていうか育児ってなにさ。恋は幼児じゃないよ」

「幼児でなくても我が子みたいなものじゃないの。もうすぐ嫁に行きそうな勢いだけど」

「あぁ、あれなぁ……暁さんは迷惑じゃないだろうか……最近は夕陽さんにも迷惑掛けてるっぽくて、俺も頭と胃が痛いんだ……」

「そういえば空城さんも来るらしいわね、今日」

「そうなんだ……恋が迷惑掛けないように、ちゃんと見ておかないと」

「真面目ねぇ。れんちゃん、あれはあれで強かだし、放っておいてもいいと思うけど」

「もっとまともに生きていれば、それでもよかったんだけどね」

「アウトローにはアウトローの生き方があるのよ」

「できれば真人間として生きてくれ……」

 

 そんな話を聞いていると、横で恋ちゃんがぼそりと囁くように言った。

 

「……ゆーにぃ、くるんだ……」

「誰?」

「私の……未来の、おにぃ……?」

「背景がすっ飛びすぎて意味が分からない。どういう関係なんだよ」

「許嫁かぁ」

「過程をぶっ飛ばして結果だけを出すな。頭が痛くなる」

「うぅ、二人が、わたしの知らない話題で盛り上がってる……」

「妬いてる小鈴ちゃんもたまにはいいねぇ」

「あ、あのっ、二人とも移動しますけど……人混みに紛れて見失ってしまいそうです……」

「追いかけましょう! Beeile dich(早く早く)!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 二人に見つからないように人混みに紛れつつ後を追うと、二人は飲食系の出し物をしているテントで、なにかを買ったようだった。ここからだと、人が多くてよく見えないけど……でも、声はしっかりと聞き取れる。

 

「あはははは! なにこれまっずい!」

「沙弓ちゃん、そんなこと言わないの。作ってくれた人に失礼だよ」

「事実だから仕方ないじゃない」

「だとしても、あんまり人の作ったものに文句を言うべきじゃないと思うよ」

「文句じゃないわ、ただの感想よ。改善しろ、なんて気持ちは微塵もないもの」

「それはむしろ悪質なクレーマーじゃないかな……?」

「それに、なんでも一面的に捉えちゃ本質を見失うわ。見方を変えてみれば、一見すると悪口に見える言葉でも、至言になるかもしれないじゃない」

「少なくとも料理に対する「不味い」って感想は、悪口以外の何物でもないよ」

「というわけで、また一騎君のご飯食べさせてね」

「今どういう文脈でそうなったの!? 国語の成績大丈夫!?」

「わりと得意科目だから平気よ。それにほら、一騎君の味噌汁を毎日飲みたい、みたいなことはいつも思ってるのよ」

「さりげなくスルーされた……まあ、俺の気持ちとしては構わないけども、現実的に毎日は無理でしょ……」

「あらら? 伝わらなかった? 一騎君こそ国語は大丈夫? むしろ古典? 今夜は月が綺麗ですね、って言って伝わらないタイプ?」

「いやわかるけど。沙弓ちゃんだし、どこまで本気なのか測りかねてる」

「私はいつだって本気よ。嘘はつかないわ」

「問題はどこまでが本当か、なんだよね……」

 

 雑踏越しに聞こえてくる、いつきくんと卯月さんの会話。

 その話で、わたしの気持ちは揺さぶられる。

 

「いつきくんのご飯……! わたし、食べたことない……!」

「つきにぃの、ごはん……おいしい……すごい、おいしい……すごく、いいもの……毎日、食べられる……毎日、食べていい……」

「毎日食ってるだろ」

「うぅ、わたしも食べたいよぅ……」

「手料理なら私がいくらでも振る舞ってあげるんだけどなー。食費さえ用意できれば」

「色々突っ込みたいところはあるけど、とりあえずそういう話じゃないから君は黙ってろ」

「また移動するようですよ。あの方向は……校舎の方ですね」

「部室があったのが旧校舎だったか。あっちは新しい建物……本校舎だな。基本的にクラスの出し物とかはあっちにあるんだろう」

「Gehen wir! 行きましょう!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 いつきくんと卯月さんは、二人並んで廊下を進む……んだけど、なんだか、その、卯月さんの距離感が近いというか、なんというか、そんな気が……

 

「結構、色々あるんだね。お化け屋敷とかもあるんだ」

「滅茶苦茶クオリティ低いからお勧めはしないわ」

「そ、そうなんだ」

「狭いしチープだし、どこに楽しむポイントを置いてるのかわかんないのよ。お化け屋敷っていうアトラクションのガワだけ用意して、それをなぞってるだけ、みたいな。アトラクションのどこが面白いのか、どうしたら面白いのか、客が求める面白さはなにかを考えて作ってないから、つまんないわ。せめて参加者の視点移動くらいは頭に入れて作って欲しいものね」

「……沙弓ちゃんも、そういうところは真面目だよね」

「あら? 私はいつだって真面目で真剣よ。真面目に手を抜いて、真剣に楽しむの。これでも部長だもの、しっかりしなきゃね」

「沙弓ちゃんはしっかりっていうか、ちゃっかりって感じだけどね」

「一騎君は仕事に一途で、私は遊びに真摯なのよ。なにせ私は、遊戯部の部長だからね」

「別に俺は仕事が大好きなわけじゃないよ」

「生徒のお悩み相談なんてする部活やってるのに?」

「学援部はスカウトされたから入っただけだし……前の部長の温情というか、拾われたようなものだしなぁ」

「そういえば前に言ってたわね、生徒会から追い出されたとかなんとか」

「……その話は、今はやめた方がいいかな。楽しい話にならない。俺も、沙弓ちゃんの楽しい気分を盛り下げたくはない」

「一騎君」

 

 それは、一瞬ビクッとしてしまうほど、冷たく鋭い声だった。

 卯月さんはさっきまでの悪戯っぽい笑みが掻き消え、代わりに貫くような視線を、いつきくんに向けている。そして、不満をぶつけるように言った。

 

「そういう時はハッキリと、自分はその話をしたくない、って言いなさい。私を、自分の嫌なことから避ける理由に使わないで。あなたのことだから、無自覚で、その気はないのでしょう。私のことを思ってそう言っているのでしょう。けれど、それはそれとして、私個人としては、ちょっとイラッとくるわ」

「ご、ごめん……」

「あとせめて、自分が楽しくないから、って言って頂戴。誰かを楽しませることを考える前に、自分が楽しむことを考えて。どんな遊びだって、まず自分が没入しなきゃ」

「悪かったよ……沙弓ちゃんは本当、遊びに厳しいね」

「厳しくないわ。ただ、私は自由主義でも、気に入る遊び方と、気に入らない遊び方があるって話よ。今の一騎君は、ちょっと気に入らなかった。それだけよ」

「……俺はそういう沙弓ちゃんが好きだよ」

「私はそういう一騎君は嫌いね。あ、でも一騎君本人は好きよ。好き好き大好き愛してる」

「なんで取って付けたように言ったの?」

「あら? 気持ちを込めて言って欲しかった?」

「それはそれで反応に困るな……」

「まあ、こういうことは、口にした方がなんか面白そうだしね?」

「? どういうこと?」

「さぁて、どういうことかしらねー?」

 

 と、その時、卯月さんの視線が一瞬、背後に流れたような気がした。

 もしかして、尾行がばれてる……?

 いや、それよりも……

 

「ねぇ……なんか今、変な話が聞こえなかった?」

「雑踏のせいで聞き取りづらかったけど、生徒会がどうとかって言っていたような……」

 

 生徒会……お姉ちゃんや謡さんの所属する場所。

 いつきくんら学援部と、生徒会は、あんまり仲が良くないって話は聞いているけど……よく考えたら、わたしはその理由もなにも知らない。

 けれど、あの人は、卯月さんは、そのことも知ってる……?

 なんだかとても、情けない気持ちが湧き上がる。

 昔、少し出会ったというだけで、彼がわたしのことを覚えていてくれたというだけで、わたしは舞い上がっていたのかもしれない。

 わたしは、今のいつきんのことを、なにも知らないんだ。

 

「……うぅ」

「うわ、小鈴ちゃんが泣きそうな顔してる。かわ……かわいそ」

「可愛いって言いかけたなこいつ」

「小鈴さん、つらいんですか? 悲しいですか? だいじょうぶですか?」

「だ、だいじょうぶ、だよ……うん、だいじょうぶ、だいじょうぶだもん……!」

「なんだか今日は妬いたり怒ったり、感情の起伏が激しいな、小鈴。マイナス感情だけど」

「嫉妬や怒りはあまり褒められたものではないですが……というか、なぜ伊勢さんはそんなに悲しそうに……?」

「あ、ローザさんは知らないのか」

「正直ボクもあんまりわかってない」

「……あれ? ひょっとして小鈴ちゃんのやきもちの理由知ってるの、私だけ?」

「みなさんっ! 一騎さんとぶちょーのおねーさんが行っちゃいますよっ! Beeilen Sie sich bitte(急ぎましょう)!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ちょっと人気がなくなってきた廊下。わたしたちは柱の陰に隠れつつ、二人の後を追い続ける。

 とある教室の前で、ふといつきくんが足を止めた。

 扉に張られたプレートには『理科室』と書かれている。そして、教室前には立て看板が立てかけられていた。

 

「……ん? 『化学部 結晶実験展示』? へぇ、こんなものもあるんだ」

「なに一騎君、そんなの興味あるの? ぶっちゃけ地味でクソつまらないわよ? まったく祭りの空気と合わないし。まだお化け屋敷の方が雰囲気を楽しめるだけマシよ」

「でも、こういうのってなかなか見る機会もないしさ。誰かが本気で打ち込んだ成果なら、きっと面白いよ」

「意外にも食い下がってきたわね。まあいいけど。一騎君の自己主張はなかなか貴重だし、付き合ってあげる」

「ありがとう、沙弓ちゃん。それじゃあ入ろう」

「カイもそうだけど、ほんっと男の子ってこういうの好きよねぇ」

 

 今までは卯月さんはいつきくんを引っ張っていたけれど、今回は逆に、いつきくんの要望で、二人は理科室へと入っていく。

 

「……男の子って、ああいうの好きなの?」

「さてね。ボクは面白いと思うけど。若もなんだかんだ好きそうだ」

「ユーちゃんは、そーゆーお勉強っぽいのはニガテです……」

「こういうのは、学業に繋がることを、授業とは違う形で発表するから面白いんじゃないか。実践利用こそが知識の本質であり価値なんだから、それを手っ取り早く体験する方が、勉強の意義を見出せるというものさ」

「成程……水早さんは、とてもいいことを言いますね。実演形式にすればユーちゃんもお勉強をちゃんとしてくれるかもしれないわけですか……」

「んなことより、教室に入っていったけど、どうする?」

「ふむ。教室の中だと流石にばれそうだな。こっちにはユー、ロー、恋、実子と、目立つ輩が多いし」

「う、まあ確かに、日本でこの髪の色は目立ってしまいますよね……」

「私……目立つ……?」

「身長だけで判断を下されたの納得いかないんだけど。あの部長さんの方がたぶん背ぇ高いし。っていうか身体的特徴で言ったら、一番目立つのは小鈴ちゃんじゃん」

「小鈴は存在が地味だから」

 

 サラッと酷いことを言われた気がするけど、気にしません。

 でも、霜ちゃんの言うことももっともだ。教室にどのくらい人がいるのかはわからないけど、卯月さんの口振りからして人は少ない気がする。

 となると、窓から様子を窺うか、扉の隙間から中を覗くかだけど……

 と考え込んでいると、不意に、背後から呼びかけられた。

 大きな声が、人の少ない廊下に響く。

 

 

 

「お、見つけた。おーい! 妹ちゃーん!」

 

 

 

 聞き慣れた声。振り返るとそこには、謡さんがいた。

 謡さんは手を振りながら、ぱたぱたと小走りにやって来る。どうやら、遅ればせながらもようやく到着したようだった。

 

「うわっ、先輩だ」

「うわってなに、実子ちゃん。酷いや」

「よ、謡さん! しーっ! しーっ! ですよ!」

「? なに?」

 

 事情を知らない謡さんは、こくんと首を傾げている。

 

「今ちょっと部長と部長をストーキングしてるんですよ」

「いやどこの部長なの?」

「一騎先輩と、遊戯部とかいう、今日の大会を主催してるところの部長です」

「あぁ、例のね。っていうか、なんでその二人をストーキング?」

「なんかデートしてるんで」

「デート!? え? イツキ先輩が? めっちゃモテモテなわりに浮いた話のないイツキ先輩が?」

 

 喫驚する謡さん。わたしたちよりも学校での付き合いがちょっと長い謡さんでも驚くみたいです。

 というか、やっぱりいつきくんって……モテるんだね……

 謡さんは驚きつつも、どこか腑に落ちたように深く頷く。

 

「ははぁ、成程。あの人、女子も男子もすべての告白を断ってるって噂があるけど、そっかぁ、彼女持ちだったからかぁ。他校の人とは予想外だけど、答えがわかれば納得できるね」

「男からも告白されるのか……」

「つきにぃ……ホモ……?」

「やめてやれ」

「先輩って意外と節操なしなんだね」

「だからやめろつってんだろ」

「水早さん……口が……」

「ふーん。まあ確かに、イツキ先輩のデートとか興味の塊でしかないけど、そーくんとかローザちゃんとか妹ちゃんは、こういうの好きじゃないような気がするなぁ」

「いや、当の小鈴が事の発端というか」

「妹ちゃんが? ……へぇー」

「な、なんですか……?」

 

 しげしげとわたしを見つめる謡さん。なんだかちょっと、にやにやしているように見える。

 

「そういえばスキンブルもそんな感じに見えるとかなんとかって……でも、そっかぁ、そういう感じかぁ。なんていうか……罪だなぁ」

「そんな感じで、小鈴がなにか妬いているっぽいんですよね」

「やきもちだね」

「もちもちです!」

「大きなお餅だね」

「ですです!」

「中身のない意味不明な会話をするな。動物園の猿の鳴き声の方がまだ有意義だ」

「で、件の先輩の彼女? はどんな人なの?」

「あんな人です」

 

 霜ちゃんが教室の窓を指さして、そこから中を覗き込む。

 理科室では、二人が展示されている、キラキラしたもの……結晶? を眺めながら、談笑している姿が見える。

 

「沙弓ちゃん、塩の結晶だってさ。簡潔でわかりやすい作り方もあって、面白いね」

「これって物凄く簡単なやつじゃない? カイも小学校の頃に自由研究でやってたわよ?」

「簡単だからこそだよ。人が寄りつきにくい題材でも、誰にでも簡単にできる、っていう身近さがあるからこそ取っつきやすいんだ。集客にも工夫があっていいじゃないか」

「んー、まあ、そういう目で見れば楽しいかもしれないけども……」

「こっちのも綺麗だよ。硫酸銅の結晶だって」

「硫酸銅ってなにかしら。なんかヤバそうな名前だけど、カイなら知ってるかしら」

「俺もあんまり専門的なことは知らないけど、指定劇物の類じゃなかったかな」

「え、ってことはこれ毒物じゃない。こわ……そんなもの文化祭で展示しないで欲しいわ」

「いいや、むしろ文化祭という場でないと、こういうものを公開することなんてまずないよ。きっと凄い時間や手間暇かけて作ったんだろうし、多くの人に見て貰えることは大事だと思うよ」

「そんなもんかしらねー……」

「それに、ちゃんと見張ってる人もいるし、大丈夫じゃないかな」

「大丈夫じゃないと困るんだけどね」

 

 ……いつきくん、楽しそう……

 ちょっとだけはしゃいでいるような、楽しそうな笑顔を浮かべている。あんな無邪気に笑ういつきくんは見たことがない。

 そんないつきくんを見るのは新鮮で、少しかわいくて、けれど、ほんのちょっとだけ寂しいと感じる。

 あの笑顔は、わたしの前で見せているものじゃないから。

 わたしとは関係のないところに、あの笑顔があるから。

 

「うっわ。ガチデートじゃん。なにあのイツキ先輩、めっちゃ楽しそう」

「正直ボクも、あんな先輩は滅多に見ないので、少し驚いています」

「穏やかで微笑みの似合う人ではありますけど、遊んで楽しそうに笑う、というところはあまり見ないですからね」

「なんていうか、あの人といる時の一騎先輩って、感情豊かというか……誤解を招きそうですけど、凄く人間味がありますよね」

 

 不意に、霜ちゃんはぼそりと言った。

 

「今までボクは先輩のことを、偉大な人だとか、自分たちとは全然違う、どこか遠くにいるような凄い人、みたいに思ってましたけど、それが等身大の人間に見えるっていうか」

「んー、ぶっちゃけ私あんまあの先輩のこと知んないけど、聖人君子の完璧超人って言われてるくらいだしねー。ちょっと別世界の人っぽいイメージはあったかな」

「言われてみれば私も、どこかあの方のことを特別視していたかもしれません」

「けれど今の先輩は、とても自然体に見える。気兼ねも気負いもなく、立場も称号もなく、あらゆるしがらみを振り払った、ただ一人の人間として、今を楽しんでいる、みたいな」

「私は学援部としてのイツキ先輩しか知らないけど、確かにあの人、誰にでも親身に接してくれはするし、こっちに合わせてはくれるけど……逆に言えば、その人に“合わせなきゃいけない”ってくらいには、誰とも違うステージにいるのかもね」

 

 けれど今のいつきくんは、間違いなく、平凡で凡庸な、ただ遊び、なんの憂いもなく、衒いもなく、笑っていられる人間に過ぎない。

 あそこにいるいつきくんは、わたしたちがいつも見る、偉大なる先輩「剣埼一騎」ではなくて。

 ただの一人の男の子としての「剣埼一騎」なんだろう。

 それは、それ自体は、喜ばしいのかもしれない。そんな一面が彼にもある。その親しみは、決して悪いものじゃない。

 けれどその顔は、わたしたちの前では見せない。

 あの人の……卯月さんの前で初めて見せて、知ったことだ。

 それが、とても……悔しい、気がする。

 

「っていうか相手の人もけっこー綺麗だなぁ。背ぇ高いし、クールビューティーじゃん」

「クール……?」

「めっちゃはっちゃけてるじゃん」

「人格はさておき、容姿だけで言えば、なかなかのものだと思うよ。中学生にしては、女らしさがありつつも格好良い系……ボクの周りではあまり見ないからな。普段どんな服を着ているのか、気になる……」

「そーくんも私欲が出て来たね」

「あ、あの、二人が出て来ましたよ……?」

 

 一通り見て回ったのか、いつきくんと卯月さんの二人は、理科室から出て来た。

 そのいつきくんの表情は、どこか満足げだ。

 

「ありがとう、沙弓ちゃん。付き合ってくれて」

「まあ一騎君が楽しめたならそれでいいわ。さて、次はどこに行こうかしらね。お昼にはちょっと早いけど、調理部にでも行く? あそこは毎年パンを焼いているのだけれど、これがなかなか美味しいのよ」

「パンか。小鈴ちゃんが喜びそうだな……ん? お昼?」

「どうしたの?」

「いや、昼前には大会が始まるわけだけど……もうそろそろ大会の時間じゃない?」

「確かにそうね」

 

 時間を確認する。現時刻はおよそ10時。

 確か大会の開始が11時だから、確かに運営側としては、もう時間に余裕はあんまりなさそう。

 

「時間は大丈夫なの?」

「んー、まあ、たぶん」

「たぶんって……しっかりしてよ沙弓ちゃん、君が責任者なんだから」

「いやいや、私はわかってたわよ? ただ、時間ギリギリまで粘ろうと思ってただけで」

「もっと時間には余裕を持とうよ」

「まあまあ。ゆってほとんどの準備は終わってるからそんなに切羽詰まってないし、細かいところはカイがやってくれるわよ」

「あんまり浬君の負担を増やしちゃダメだよ……」

「うちの副部長は優秀だから。まあでも、ここは一騎君に免じて一度戻りましょうか。続きは大会が終わってからにしましょ」

「え、まだやるの?」

「当然。嫌?」

「い、嫌っていうか……沙弓ちゃんはいいの? 友達とかいるんじゃない?」

「べっつにー。私はー、一騎君と一緒がー、いいなー、なーんて」

 

 一瞬、卯月さんの視線が泳いだ。

 それはいつきくんに向けて言っているはずだけど、視線だけは、どこか違うところを見ているみたいな……

 っていうか、午後も卯月さんといつきくんは一緒なんだ……そうなんだ……む、むぅ……うぅ……

 

「……成程。そういうことか」

 

 謡さんは、わたしと卯月さんを交互に見遣って、理解した、と言わんばかりに頷く。

 

「会長が言ってた妹ちゃんの悪いとこって、こういうとこなんだろうなぁ……どう考えても誘ってるけど、このとっかかりすら掴めないんじゃなにも進展しなさそうだし、仕方ない。ここは私がきっかけを作るとしようかな」

「先輩? どうしましたか? なにを言ってるんです?」

「なに、ちょっとお節介を焼こうと思ってね。妹ちゃん。ここは気張るところだよ」

「え? は、はい……?」

 

 な、なに? 謡さんはなにを言っているのでしょう……?

 と思ったら、謡さんは急に立ち上がり、あろうことか、二人の前に飛び出した。

 

「ちょっとお待ちなさいな、そこのお熱い美男美女!」

 

 そして、なぜかちょっと芝居がかった調子で宣う。

 ……本当に、どうしちゃったの、謡さん……?

 

「あら? 言われてるわよ一騎君」

「俺? 沙弓ちゃんじゃなくて? ……って、長良川さん? 到着したんだ……っていうか、な、なにしてるの……?」

「いやちょっと後輩のためにキューピッドになろうと思いまして。恋愛成就なんて柄じゃないから、狩り場と弓矢だけ用意して、後はお任せ、って感じで」

「うん?」

「そんなことより、流石にちょーっといちゃつきすぎですよイツキ先輩。仲睦まじいのは結構なことですが、ひとつの恋物語は、同時にひとつの悲恋を生むというもの。私は後輩の泣き顔なんて見たくないんですよ」

「な、なんの話……?」

 

 わかりません。

 謡さんがなにをやってるのかも、なにをしたいのかも。

 

「というわけで、妹ちゃんカモーン!」

「えっ?」

「呼ばれてるぞ、小鈴」

「出てっていいのかなぁ……?」

「バラされちゃったし、しゃーないしゃーない。ゴーゴー」

 

 うぅ……本当、謡さんはどうしたいの……?

 わたしは仕方なく、こっそりと物陰から出て行って、いつきくんや卯月さんの前に立つ。

 

「小鈴ちゃん……い、いたんだ……」

「は、はい、その……」

「羨ましそうにずっと見てたわね。お友達と一緒に」

「げ、こっちもバレてるし」

「うわっ、恋に伊勢さんに水早君に香取さんに……み、皆いる……?」

「一騎君、本当に気付いてなかったのね。少しは周りを気にしないとダメじゃない。ここが戦場なら、背中から撃たれてたわよ?」

 

 冗談めかして言う卯月さんは、調子を変えないまま、続けた。

 

「そんなことよりも、ぞろぞろと何用かしらね。私と一騎君のデートの邪魔だなんて無粋だと思わない? ねぇ?」

「いやいや……」

「うんまあ、正直イツキ先輩が楽しそうにしてるとこはレアだったしまあまあ眼福だったけど、それはそれとして、そこの心身イケメンを独占されると色々困るんだよね。主にこの子が」

「わ、わたしっ!?」

「君以外誰がいるんだよ」

「ねー」

 

 な、なんか、話がどんどんわたしの方に引き寄せられているというか、近寄ってきてる……?

 ただ見ているだけだったはずなのに、これじゃあまるで、わたしが中心みたいな……

 卯月さんは謡さんの言葉を受けて、なにか適当に頷いている。

 

「ふーん。へー。そう。それで?」

「午後の予定は譲ってくれません? 勿論、一方的に譲れ、なんて言いませんよ。軽く勝負でもして、勝った方がイツキ先輩のデート権を貰う、っていうのはどうですか?」

「どうですか、って言われても。その勝負をしたところで私にはなんの得もないわけだし、受ける意義がないわね」

「意義がない? そんなこと言っちゃいます?」

「なにが言いたいのかしら?」

「いやだって」

 

 謡さんはちょっと楽しそうに、にやりと口角を上げながら、言った。

 

「勝負して決めた方が“面白そう”でしょう?」

「乗ったわ」

 

 即答だった。

 ちょっとだけ渋っていた卯月さんは、その一言で、即決で謡さんの誘いに乗った。

 いやもう、わたしもなにがなんだかよくわからないんだけど……でも、これって謡さんが言い出してることだけど、わたしのことで……な、なんでこんなことに……

 

「なんでこんなことに……俺に決定権はないのかな……?」

 

 ……いつきくんも、なんだか似たようなことを思っている様子。なぜか、わたしたちの意志が介入しないところで、他人同士でわたしたちの処遇が決められているみたいな。

 

「で、なにで勝負する? うちは遊戯部、大抵のゲームは置いてあるわ。トランプでもUNOでも麻雀でも人狼でもモノポリーでもスコットランドヤードでもTRPGでもセガサターンでもニンテンドースイッチでも、アナログなボードゲームからデジタルなゲーム機までなんでもござれよ」

「ゲーム機があってもテレビはないだろ」

「スイッチならなくても大丈夫だから」

「テレビがなくても視聴覚室でできるから」

「ちょっと沙弓ちゃん。それはダメでしょ」

「で、どうするの? なにやる?」

 

 勝負の内容を委ねる卯月さん。

 ゲーム……わたしは、あんまりゲームはやらないから、ちょっと不安だよ……

 強いて言うなら、よくやるゲームと言えば……

 

「それなら……大会前の、前哨戦(エキシビジョンマッチ)ってのはどうです?」

「あら、悪くないセンスね。いいじゃない」

 

 わたしの意を汲んだのか、それとも偶然か。あるいは最初からそうだと決めていたのか。

 瞬時に二人の間で合意され、契約が交わされる。

 そして謡さんがこちらを振り向いて、言った。

 

「さぁ妹ちゃん、デッキを取る時だよ」

 

 わたしと卯月さんの、いつきくんを賭けた勝負。

 その内容は、あまりにも身近で、当然で、必然的であった。

 当たり前のように、それは、わたしに大きな決断を、物語の分岐を迫る。

 そう、それは――

 

 

 

「――デュエマだ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ったく。ようやく戻ってきたと思ったら、面倒事を持ち込みやがって……」

「まあいいじゃない。きっと楽しいわよ」

「お前がな」

「それじゃあ、対戦前に確認しとくわね フォーマットは本日における殿堂構築。制限時間は大会開始まで時間がないから30分。勝った方が一騎君とデートね」

「デ、デート……は、はい……」

「イツキ先輩が景品かぁ」

「つきにぃ……もてもて……」

「なんか素直に喜べないんだけど……」

 

 いつきくんを景品扱いするのは気が引けるけど……でも、このまま卯月さんといつきくんがずっと一緒にいるのは、なんだか、ちょっぴり嫌だ。

 彼女が、いつきくんを独占するのが、どうしても許せなかった。

 だからって、二人の気持ちを蔑ろにするようなことはしたくないけれど……ここまで来てしまったからには、もう止まれない。

 わたしはデッキを手に、卯月さんと向かい合う。

 

「とりあえず超次元ゾーン公開ね。私はないけど」

「わ、わたしはこれです……!」

 

 

 

小鈴:超次元ゾーン

 

《銀河大剣 ガイハート》

《神光の龍槍 ウルオヴェリア》

《時空の凶兵ブラック・ガンヴィート》

《勝利のガイアール・カイザー》

《勝利のリュウセイ・カイザー》

《勝利のプリンプリン》

《シルバー・ヴォルグ》

《ブーストグレンオー》

 

 

 

 いつもの《ガイハート》に、サイキックを加えた超次元。

 それから、今回はもうひとつ、用意しているものがある。

 

「それと……これも使います」

 

 それは裏面が白いカード。十二枚の束で構成された、小さなデッキのようなもの。

 超GR。通常デッキや超次元ゾーンとは別に存在する、GRクリーチャーが眠る場所だ。

 

「あら、GRね。それなら、がっちゃーん、って言わないと」

「え? えっ?」

「ほらほら、がっちゃーん!」

「が、がっちゃーん……?」

 

 え? な、なに?

 よくわからないまま、よくわからない掛け声をかけつつ、超GRを指定されたゾーンにセッティングする。

 ……がっちゃーんってなんなんだろう……?

 

「あはは、本当に言ったのね」

「え!? えぇっ?」

「沙弓ちゃん。そうやってからかうのはよくないよ」

「ふふっ、ごめんなさい。茶番はこれくらいにして、はじめましょうか」

「あ……はい……」

 

 うぅ、よくわからないけど、対戦が始まる前から翻弄されてしまってる……

 しっかりしないと。この対戦に勝てば、わたしも、いつきくんと……

 

(で、デー……ト、って……)

 

 か、考えたら、なんだか恥ずかしくなってきちゃった……わたし、なにやってるんだろう……

 ……と、とりあえずデュエマだねっ。

 1ターン目はお互いにマナチャージのみ。そして2ターン目。お互いにはじめの一歩を踏み出す。

 

「わたしのターンです! 2マナで《熱湯グレンニャー》を召喚します! 一枚ドローして、ターン終了!」

「私のターンよ。2マナで《ブラッディ・タイフーン》を唱えるわ。山札から三枚を捲って、二枚を墓地へ、残りを手札に加える。ターンエンドよ」

 

 

 

ターン2

 

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

沙弓

場:なし

盾:5

マナ:2

手札5

墓地:3

山札:25

 

 

 

「わたしのターン! 3マナで《ボーンおどり・チャージャー》! 山札から二枚を墓地へ!」

「なら私は《リロード・チャージャー》よ。手札を一枚を捨てて、一枚ドロー」

 

 ……うーん。

 ここまで、使用カードの違いはあるものの、わたしたちの動き自体はそう変わらない。手札を増やして、墓地を増やして、マナを伸ばす。卯月さんも、わたしと同じ火、水、闇の三つの文明を使ったデッキみたいだし……

 ただ、もちろん使ってくるカードは違うわけだから、気は抜けない。どんな風に仕掛けてくるんだろう。

 

 

 

ターン3

 

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:2

山札:25

 

 

沙弓

場:なし

盾:5

マナ:4

手札4

墓地:4

山札:23

 

 

 

「わたしのターン、3マナで《エナジー・ライト》! カードを二枚引きます。さらに2マナで《【問2】 ノロン⤴》を召喚! さらに二枚引いて、手札を二枚墓地へ! ターン終了!」

「引いては捨てて、大変そうね。次のターンに仕掛けられそうな雰囲気だけど、さて、どうしましょうか」

 

 墓地もマナも十分、手札も揃ってる。

 事実、わたしは次のターンにはいつもの動きを為すことができる。

 わたしのクリーチャーが一体でも残っていれば、だけど。

 

「……やりたいことはなんとなく予想できた。全体火力が欲しいところだけど、まあ、ないものは仕方ないし、軽くしばいておきましょうか。5マナで《世紀末ハンド》、《ノロン⤴》を破壊するわ。ターンエンド」

「っ、でもそのくらいなら……」

 

 

 

ターン4

 

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:6

山札:20

 

 

沙弓

場:なし

盾:5

マナ:5

手札3

墓地:5

山札:22

 

 

 

 《ノロン⤴》は破壊されちゃったけど、クリーチャーが一体でも生き残っていればだいじょうぶ。

 このターンで、仕掛ける……!

 

「わたしのターン! 6マナで《偉大なる魔術師 コギリーザ》を召喚! 《グレンニャー》からNEO進化!」

「《コギリーザ》……へぇ」

 

 にやにやと妖しい笑みを浮かべている卯月さん。

 その表情はひどく不気味だけれど、ここまで来て止まったりはしない。

 全力で行くよっ!

 

「《コギリーザ》で攻撃! その時、キズナコンプで墓地の呪文を唱えます! 唱えるのは《法と契約の秤》! その効果で、《龍覇 グレンモルト》を復活! そして、《グレンモルト》に《銀河大剣 ガイハート》を装備!」

「わぉ、これヤバいやつね。流れるような動きでモルトビート、一騎君より綺麗ね」

「なんで俺を引き合いに出したの?」

「一騎君は顔のわりに強引なのよ。その強引さ、嫌いじゃないけどね?」

「い、今はわたしとデュエマ中ですよっ。《コギリーザ》でWブレイク!」

「まあ妬いちゃって、かーわいい」

 

 ブレイクされた二枚のシールドをめくりながら、卯月さんは悪戯っぽく不敵に微笑む。

 そして、

 

「ほら、可愛いあなたにご褒美よ、S・トリガー《デーモン・ハンド》! 《グレンモルト》を破壊するわ」

「う……た、ターン終了です……」

「……沙弓ちゃんのターンが回って来ちゃったね」

「6マナか……流石に部長も引いてるだろうな」

 

 わたしは6マナの時点で、《コギリーザ》から呪文を撃ち放つ動きが始まる。

 そして、わたしと同じような動きをする卯月さんは……

 

「ま、当然ながら、ここに来てなにもせずに焦らすとか、あり得ないわよね? 6マナをタップよ。呪文《煉獄と魔弾の印(エターナル・サイン)》!」

 

 それは、わたしと同じく、術式を起動する合図(サイン)

 ここから、数々の呪文が乱れ撃つという、号砲だ。

 

「効果で墓地からコスト7以下の闇または火のクリーチャーを、スピードアタッカーを付与した状態で復活させるわ。ここで戻すのは《邪眼教皇ロマノフⅡ世》! 《ロマノフⅡ世》の能力で、山札から五枚を墓地へ! その後、その中にあるコスト6以下の呪文をタダで唱えるわ。ってなわけで、もう一回《煉獄と魔弾の印》! さっきと同じように、墓地からクリーチャーを復活させる!」

 

 二連続で放たれた《煉獄と魔弾の印》。さっきよりもたくさん積み重なった墓地から、屍を掻き分けるように、それは這い出でる。

 

 

 

「あなたの恋心(ハート)を撃ち抜いてあげる――《邪眼皇ロマノフⅠ世》!」

 

 

 

 龍のような、悪魔のような、恐ろしい髑髏の形相。

 そして、その手に握られているのは、蒼く輝く剣のような銃。

 銃……あまりいい思い出はないけれど、あの銃は、帽子屋さんのとは違う。

 

「《ロマノフⅠ世》は登場時、山札から闇のカードを墓地に送れるわ。ここでは……とりあえず、二枚目の《ロマノフⅠ世》を墓地に送っとくわね」

「ロマノフサインか……まあなんとなく予想はできてたけど」

「なんかふつー。並べながらぶん殴るだけじゃん」

「……いや……さゆみの、やること、だし……たぶん、ただワンショットは……しない」

「れんちゃんは聡いわねぇ。ま、いいけど。とりあえず《ロマノフⅠ世》で《コギリーザ》を攻撃よ! その時、《ロマノフⅠ世》の能力発動。墓地からコスト6以下の闇の呪文をタダで唱えるわ。唱えるのは《煉獄と魔弾の印》! 効果で二体目の《ロマノフ》を復活! 唱え終わった呪文は山札の下に送られるわ」

 

 《ロマノフ》は銃口を《コギリーザ》に向ける。そしてその引き金を引くと同時に、墓地の呪文が弾丸として放たれる。

 その挙動は、わたしの《コギリーザ》と同じだ。

 

「そしてこの《ロマノフ》の効果で……まあ、なんでもいいわね。保険として《煉獄と魔弾の印》でも落としておくわ。さぁ、バトルよ! 《ロマノフⅠ世》のパワーは8000!」

「《コギリーザ》のパワーは7000……ま、負けです……」

「それじゃあ次に、二体目の《ロマノフ》で攻撃よ!」

 

 復活した二体目の《ロマノフ》が、今度はわたしに銃口を向ける。

 ……これってひょっとして、墓地から次々に《ロマノフ》が復活して、襲いかかってくるんじゃ……?

 

「《ロマノフ》に囲まれて襲われる、って思ってる?」

「っ」

「安心しなさい。私はそんな、多勢で囲んで嬲るなんて酷いことしないから。私の狙撃手は一人でいいの」

「一人って……もう《ロマノフ》は二体並んでるだろうに」

「そうね。だから“二体目はいらないわ”」

 

 《ロマノフ》は弾を込める。失われた魔法の弾丸を。

 

「マウント取って嬲るなんて趣味じゃないわ。死角から不意討って虚を突く方が好きなのよ、私。そういうわけだから」

 

 卯月さんは、墓地から一枚のカードを拾い上げる。

 それはまさしく、わたしの意識と知識の外から、襲いかかってきた。

 

 

 

「月の影から襲っちゃいましょう――《強襲する髑髏月(ドクロムーン)》!」

 

 

 

 直後、わたしの手札が二枚、食い破られる。

 

「っ!?」

「《髑髏月》の効果で、まずは、あなたの手札を二枚ハンデスよ!」

「えっ、て、手札破壊……!?」

 

 わたしが持っていた二枚の手札が一瞬で削り取られ、わたしの手札はなくなってしまった。

 

「で、でも、シールドブレイクで新しく手札が増えれば……」

「残念、そういうわけにもいかないのよ。《髑髏月》の追加効果発動! 自分の闇のクリーチャーを破壊すれば、この呪文は手札に戻る! 攻撃中の《ロマノフⅠ世》を破壊して、《髑髏月》を手札に戻すわ」

「……!」

 

 思わず目を剥いた。

 攻撃中のクリーチャーを破壊して、強引に攻撃を止めるなんて……

 そのせいで、わたしのシールドはブレイクされない。つまり、手札が増えない。

 そして卯月さんは宣言通り、射手は一体だけとなった。わたしの望まない形で。

 

「うーわ、ロマサイでブラサイみたいな動きしてる」

「ハンデスして攻撃キャンセルか……随分と無理やりだな」

「本来なら《ロマノフⅠ世》で唱えた呪文は山札の一番下に行くけど、呪文の効果で移動先が置き換えられたから、《髑髏月》優先ってことで。ふふん、一転攻勢ね。一騎くーん、見ってるー?」

「むぅ、うぅぅぅ……!」

「できればこの変な状況は直視したくないんだけど」

「一応言っとくけど、一騎君がすべての元凶よ」

「なんでっ!?」

「残念ながらそれは間違ってないですよ、イツキ先輩」

「長良川さんも!? 俺、なにかしたっけなぁ……」

「なにもしないからこそ、ってことがあることも忘れずにね。それじゃ、私はこれでターンエンドよ」

 

 

 

ターン5

 

 

小鈴

場:なし

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:9

山札:20

 

 

沙弓

場:《ロマノフⅡ世》《ロマノフⅠ世》

盾:3

マナ:6

手札4

墓地:10

山札:22

 

 

 

 

 状況は芳しくない。

 シールドは割られなかったけど、代わりにクリーチャー全滅、手札もゼロ。そして相手には、切り札であろうクリーチャーが二体。

 このままじゃ、ジリジリと攻め入られてしまう。早くなんとかしないと……

 

「ご、5マナで《狂気と凶器の墓場》! 山札から二枚を墓地に置いて……《マッド・デーモン閣下》を復活! 能力で《グレンモルト》を手札に!」

 

 とりあえず、手札に《グレンモルト》を保持。クリーチャーを出しておいて、次のターンに《ガイギンガ》に繋げられる準備をしておく。

 今は、これくらいしかできない。

 

「健気ねぇ。良心が痛んじゃうわ」

「なにをほざいてんだこいつ」

「まあカイったら。まるで私が非道な悪役みたいに扱って、酷いわ」

「違うっていうのかよ」

「否定はしておくわ。あ、6マナで《強襲する髑髏月》、手札を捨てなさいな」

「手加減しろとは言わんが、やっぱ性格悪いなこいつ」

「続けて《ロマノフⅡ世》でシールドをWブレイク!」

 

 遂に卯月さんがわたしのシールドを攻めてくる。

 デュエマにおいて、シールドブレイクはチャンスだ。S・トリガーで状況をひっくり返せる可能性があるし、手札が増えて反撃の機会も生まれる。

 けれど今回に限って言えば、逆転の機会は半分だ。

 S・トリガーで、《ロマノフⅠ世》をなんとかしないといけない。けれど、

 

「と、トリガー……そんなぁ」

「ノートリね。それじゃあ《ロマノフⅠ世》で攻撃よ、墓地から《強襲する髑髏月》を唱えて二枚ハンデス! 攻撃中の《ロマノフ》を破壊して手札に戻すわ。そしてターンエンド」

 

 

 

ターン6

 

 

小鈴

場:《デーモン閣下》

盾:3

マナ:6

手札:0

墓地:13

山札:17

 

 

沙弓

場:《ロマノフⅡ世》

盾:3

マナ:7

手札4

墓地:11

山札:14

 

 

 

 シールドをブレイクされても、ブレイクされたシールドが即座に叩き落とされてしまい、手札が増えない。

 数で囲んで袋叩き、ということは確かにないけど。

 これはこれで、じわりじわりと嬲られているみたいだ

 きっと卯月さんは、毎ターンこれを繰り返してくるはず。逆転するには、S・トリガーに頼るか、山札の一番上を信じるしかない。

 

「わたしのターン、ドロー……あっ」

 

 どうしようもなく、ただ信じるしかない山札の一番上。

 ここで引けたのは、この状況を覆しうるかもしれない一枚だった。

 

「これなら……6マナで《龍装艦 チェンジザ》を召喚!」

「おっと? なにそれ? そんなカード入ってるの? なんかヤバそうね?」

「《チェンジザ》の登場時、カードを二枚ドロー、そして手札を一枚捨てます。さらに各ターンはじめてコスト5以下の呪文を捨てた時、その呪文をタダで唱えられます! 呪文《法と契約の秤》!」

「……あぁ、成程。マジでヤバいわね」

 

 はい。これは、とってもヤバいと思いますよ。

 引きは最高。流れはこちらに来ている。

 

「墓地から《偉大なる魔術師 コギリーザ》を出します! 《チェンジザ》からNEO進化!」

「ハンデス耐性にもなる《チェンジザ》に重ねて《コギリーザ》を出すか……小鈴は決めに行くつもりみたいだ」

「もう我慢ならないって感じだねぇ」

 

 攻撃可能な《コギリーザ》、墓地にはクリーチャーを復活させる呪文。そして……

 下準備はとっくに終わっている。第二波、今度こそ決めてみせる。

 

「《コギリーザ》で攻撃する時、キズナコンプ! 《狂気と凶器の墓場》を唱えて、墓地から《グレンモルト》を復活して、《ガイハート》を装備! シールドをWブレイクです!」

「やっば……トリガーなし」

「《グレンモルト》で最後のシールドをブレイク!」

 

 これで卯月さんのシールドはゼロ。

 たとえ《グレンモルト》がやられても、まだ《マッド・デーモン閣下》がいる。

 このターンで、決着――

 

「……あ、やったわ。S・トリガー! 《テック団の波壊Go!》」

「そ、そんな……!」

 

 ――には、ならなかった。

 寸でのところで、S・トリガーを踏んでしまう。しかも、よりにもよって《波壊Go!》なんて……

 

「モード選択は当然バウンス。コスト5以下のカードをすべて手札に戻すわ。《デーモン閣下》と《ガイハート》を手札へ!」

「あぅ……」

 

 追撃のための《マッド・デーモン閣下》は手札に戻り、《ガイハート》も攻撃後というタイミングが来る前に消えてしまったから、龍解できない。

 たった一枚のカードで、必要なところをすべて抑え込まれてしまった。

 

「あっぶなー。《ロマノフ》で唱えられないからって抜かなくて良かったわ……で、どうする?」

「……た、ターン終了、です」

「はい。じゃあ私のターンよ。2マナで《ローレンツ・タイフーン》。二枚ドローして、手札の《ロマノフⅠ世》を捨てるわ。そして6マナ、《煉獄と魔弾の印》で墓地の《ロマノフⅠ世》を復活。そして能力で《強襲する髑髏月》を墓地に落としましょうか」

 

 流れるような動きで墓地にカードを溜めつつ、《ロマノフ》が再登場。呪文を放つ――わたしの手札を奪う――準備を整える。

 けれど卯月さんはすぐには動かず、思案するように盤面を見つめている。

 

(さーて、ここよね……殺しに行くか、一旦溜めるか。正直もう後がないし、SA一体で即死だから、乾坤一擲でプレイヤーに行ってもいいけど……)

 

 ちらり、と卯月さんの視線がこちらに向けられる。

 な、なんだろう……ちょっと、ぶ、不気味というか、なんというか……なにを考えているのか、わからない。ちょっとだけ怖いです……

 

(あの一騎君が気にする子だものねぇ。もうちょっと遊びたいところよね……えーっと? 《法と契約の秤》はマナ、墓地、ボトムで三枚、《狂気と凶器の墓場》は墓地とボトムで二枚かしら? 見えてる《グレンモルト》も三枚……ふぅーん?)

 

 卯月さんはすぐに視線をわたしから外して、色んなところに散らす。

 そして、顔を上げた。

 

「……決めた。《ロマノフⅠ世》で《コギリーザ》を攻撃! 能力で《煉獄と魔弾の印》を唱えるわ。効果で《ロマノフⅠ世》を復活! そして山札に戻った《煉獄と魔弾の印》を再装填!」

「クリーチャーが……!」

 

 当然、パワーで劣る《コギリーザ》は《ロマノフ》にやられてしまう。

 卯月さんは決めに行かずに、バトルゾーンを制圧することを選んだようだ。このまま抑え込まれてしまえば、また厳しい戦いを強いられる。

 けど、卯月さんもシールドはゼロ。あと一撃さえ叩き込めば、勝てるんだから……!

 

「次の《ロマノフⅠ世》で攻撃! 《煉獄と魔弾の印》で《ロマノフⅠ世》を復活! 《煉獄と魔弾の印》を墓地に戻して、《グレンモルト》とバトル!」

 

 卯月さんは二体目の《ロマノフ》で《グレンモルト》を撃ち抜きつつ、さらに《ロマノフ》を並べ……え? あれ?

 《ロマノフ》が三体……?

 

「……おい部長」

「なにかしら副部長」

「さっき狙撃手は一体でいいとかなんとか言ってなかったか?」

「言ったわね」

「なんで《ロマノフ》を並べてるんだ?」

「それはそれ、これはこれ。私は楽しく勝ちたいけど、負けたくはないもの。勝つために手段は選ばないわ」

「勝手な奴だな……」

「沙弓ちゃんらしいけどね」

「その“らしさ”がな……いや、もうどうでもいい。勝手にやれ」

 

 霧島さんは半ば投げやりになったように言い捨てた。

 卯月さんは自分で言ったことと反することをしているけど、でも確かに、できること、やってもいいことは咎められない。

 わたしが恐れていたことが、ここに来て現実になっただけなんだ。

 

「ま、別に並べるのが嫌なんじゃなくて、《髑髏月》で詰めていこうとすると、自然とあんまり並ばないってだけなんだけどね。私だって、必要とあらばワンショットプランも取るわよ」

「あんたはでまかせで適当に言い過ぎだ」

「盛り上がるならいいじゃない?」

「ヘイトを稼いで盛り上げるな、ルーニー女」

「ルーニーって言ってくれるあたりに優しさを感じるわね。ま、盛り上がってるならヘイトでも煽りでもなんでもいいのよ。炎上商法上等よ。あ、三体目の《ロマノフⅠ世》で攻撃するわね。墓地から唱えるのは《強襲する髑髏月》! 手札を二枚ハンデス、さらに攻撃中の《ロマノフⅠ世》を破壊して呪文回収、攻撃もキャンセル!」

「また……!」

 

 バトルゾーンは再び全滅。《チェンジザ》で辛うじて増やせた手札も根こそぎ。

 クリーチャーも手札もない。また、さっきと同じ状況だ。

 

 

 

ターン7

 

 

小鈴

場:なし

盾:3

マナ:6

手札:0

墓地:18

山札:17

 

 

沙弓

場:《ロマノフⅠ世》×2《ロマノフⅡ世》

盾:0

マナ:8

手札6

墓地:13

山札:10

 

 

 

 状況は振り出しに戻る。いや、相手にクリーチャーがたくさん並んでいるし、むしろ悪化しているかもしれない。

 でも、すべてが悪いわけじゃない。ここでスピードアタッカーとか……たとえば、《グレンモルト》でも引ければ、そのままとどめが刺せる。

 あと一回攻撃を通すだけで勝てるんだ。わたしが縋れるのは、その一点のみ。

 

「わたしのターン! ドローして……むぅ。でも使うよ! 3マナで《KAMASE-BURN!》! GR召喚を一回行います!」

「まーた変なカードを使ってくるわね。というかそのGR、飾りとか相手の呪文利用のためじゃなかったのね」

 

 うん。実はちょっとだけGR召喚する呪文も入れてるんです。あんまりGR召喚するカード持ってないから、積極的に使うつもりはないんだけど……

 《KAMASE-BURN!》の効果でGR召喚。そして、出て来たクリーチャーと相手クリーチャーでバトルできる。GRクリーチャーは全体的にパワーが低めだから、バトルには期待できないけど、なにが出るかな……?

 

「出て来たのは……あ、《P.R.D.(パラダイス) クラッケンバイン》! わたしの墓地に呪文は九枚あるので、パワー11000です! 呪文の効果で《ロマノフⅠ世》とバトル!」

「あっちゃぁ。いいとこ引いたわね、微妙に痛いかもしれないわ」

「ターン終了です!」

「私のターンよ。打点は揃ってるけど、トリガー一枚で返される可能性も十分あるのよね。となれば……2マナで《ブラッディ・タイフーン》! 山札から三枚を捲って、二枚を墓地へ、一枚を手札に!」

 

 卯月さんはここに来て、残り少ない山札を、さらに掘り進んでいく。

 な、なにをするつもりなのかな……?

 

「よしよし、ギリギリだけど引けたわね。じゃあ6マナで《煉獄と魔弾の印》! 効果で《ロマノフⅡ世》を復活して、能力発動!」

「えっ? 卯月さんの山札って、残り何枚ですか……?」

「六枚よ」

 

 《ロマノフⅡ世》の能力は、いわゆる強制効果。発動できるなら、絶対に発動しなきゃいけない能力だ。

 たった六枚の山札から、五枚を墓地に送り込むって……ギリギリ一枚は残るけど、かなり危ないんじゃ……

 

「じゃあ《ロマノフⅡ世》の能力を解決よ。山札六枚のうち五枚を削るから、6分の5……90%で当たりを引くわね」

「脊髄で確率計算すんな」

「山札を極限まで削って突撃……残り枚数は流石に考慮してるけど、まあたぶん当たるよね」

「外したら外したで楽しいけどね? 当然あたるけど! 唱えるのは《煉獄と魔弾の印》! 《ロマノフⅠ世》をバトルゾーンに復活! 能力は勿論使わないわ」

「使ったらLOだしな」

「山札は残り一枚……けど、攻撃可能な《Ⅰ世》と《Ⅱ世》が二体ずつ……!」

 

 わたしのシールドは残り三枚。二体のクリーチャーを止めることができれば、見かけの上では生き残れる。

 けれど、実際には二体じゃ済まない。なぜなら……

 

「じゃ、今度こそ殺しに行くわ。《ロマノフⅠ世》で攻撃する時、墓地から《煉獄と魔弾の印》! 三体目の《ロマノフⅠ世》を復活!」

 

 《ロマノフ》が、新たな援軍を呼ぶから。

 攻撃するたびに墓地から追撃のためのクリーチャーが現れる。そのたびに、止めなければいけないクリーチャーの数が増えてしまう。

 ど、どうしよう……な、なんとかなる、のかな……?

 《クロック》とか、入れてたっけ……?

 

「シールドをWブレイク!」

「っ……し、S・トリガー、《インフェルノ・サイン》! 能力で墓地から《龍装艦 チェンジザ》を復活! 二枚ドローして、手札を一枚捨てます!」

「耐えるわね……いいわ、ぞくぞくしちゃう」

 

 妖しく微笑む卯月さん。卯月さんとしてもギリギリな状況だと思うんだけど、すごく余裕のある笑みだ。

 いや、余裕があるというより……このギリギリの状況を、楽しんでいるみたいだ。

 けれどこっちとしてはまったく余裕がない。どうすれば生き延びられるのかを考えるだけで必死だ。

 引いてきたカードを見て、考えて、選択する。

 わたしは一枚のカードを捨てた。

 

「わたしが捨てるのは《水面護り ハコフ》……呪文面は《蓄積された魔力の縛り》! 各ターンはじめてコスト5以下の呪文を捨てたので、その呪文を唱えます! 《ロマノフⅠ世》二体を拘束!」

「うーん、また初めて見えるカードね」

 

 これで、墓地から後続を呼ぶ《ロマノフⅠ世》二体は封じた。

 残っているのは《ロマノフⅡ世》が二体。

 あと一体、クリーチャーを止められれば……!

 まだ、勝機は残ってる……!

 

「でも、これでもまだ希望に縋れるのね。いいわ、もっと頑張って頂戴。私も、どんどんあなたを絶望の底に突き落としてあげるから。《ロマノフⅡ世》で攻撃――」

 

 二体の《ロマノフⅡ世》のうち片方が横に倒れる。

 それは、このターン中、二回目の攻撃。

 卯月さんは、手札を一枚切った。

 

 

 

「――《龍装者 バルチュリス》を宣言」

 

 

 

 そのカードに、わたしは思わず息を呑んだ。

 

「《バルチュリス》……!?」

「……部長め、なんであんなカード入れてるんだ?」

「ごめん、俺の変な癖が移ったかもしれない……」

 

 《バルチュリス》……あれは確か、攻撃後に手札から現れるクリーチャー。しかもスピードアタッカーだ。

 この上なく最悪な追撃だ。これじゃあ、もう片方の《ロマノフⅡ》を止めても耐えられないし、そもそもバトルゾーンにいないから、ほとんどのカードが効かない。

 このタイミングで放たれる追い打ちとしては、あまりにも絶妙で、巧妙な妙手だ。

 

「さぁ、《バルチュリス》の後出しじゃんけん。対処できるというのなら、やってご覧なさいな。《ロマノフⅡ世》で最後のシールドをブレイク!」

 

 わたしの最後のシールドが砕かれる。

 まず、S・トリガーがあるかどうか。

 

「……S・トリガー」

 

 次に、S・トリガーがあったとして、それで《バルチュリス》まで止められるのか。 

 このデッキにあるカード……わたしの選んだカードすべてを用いて、この状況を切り抜ける。

 そのための一手は――

 

 

 

「《知識と流転と時空の決断(パーフェクト・ウォーター)》!」

 

 

 

 状況は絶望的。だけど、その絶望の淵にはまだ、希望が残されている。

 卯月さんはぱちくりと、驚きを隠しきれないと言うように、半ば呆れ、諦めたように息を吐いた。

 

「……ほんっと、次から次へと変なカードが見えるわね。一騎君の影響かしら?」

「いや、俺じゃないよ。俺は小鈴ちゃんとデュエマしたこともないし……そもそも俺がデュエマしてるところを見せたこともないんじゃないかな」

「あらそうなの? ちょっと意外ね。じゃあ我流で一騎君みたいになっちゃったのね。デッキの特性もあるんでしょうけど……あはは、面白いわね。お似合いじゃない」

「お、お似合いって……!」

「ふふふ。ま、イジるのは後にしましょう。呪文の効果の解決ね。さて、なにをどうするのかしら? 《バルチュリス》はまだバウンスできないけど?」

「…………」

 

 そんなことはわかっている。まだ、これで生き残れると確信できたわけじゃない。その可能性が生まれただけだ。

 《知識と流転と時空の決断》は「一枚ドローする」「クリーチャーを手札に戻す」「GR召喚する」という三つの効果を、二回選択する呪文だ。

 《ロマノフⅡ世》は、手札に戻せば攻撃を止められる。だから問題は、戻せない《バルチュリス》だ。

 後から出てくるあのクリーチャーを止めるためには、ブロッカーのようなクリーチャーが必要だ。となると……

 

「《手札に戻す効果と、GR召喚をします」

「《ランジェス》とか《バツトラ》とか、いるのかしら?」

「……とりあえず《ロマノフⅡ世》を手札に戻します。そして、GR召喚!」

 

 既に《クラッケンバイン》が場に出ていて、残りのGRは十一枚。

 その中に、あのカードは二枚。11分の2の確率……に、20%くらい? いや、それよりも低いかな。

 微かな可能性だ。希望は僅か。

 けど……だとしても、わたしにも譲りたくないものが、諦めたくないものがある。

 たった2割以下の確率でも、わたしはただ、その運命を信じて、従うだけ。

 真っ白なカードを、めくり上げる――

 

 

 

「――《バツトラの父》!」

 

 

 

 ――引けた。

 《バツトラの父》は、相手の攻撃時にタップすれば、その攻撃を中止できる。擬似的なブロッカーのようなもの。

 これなら、後から現れる《バルチュリス》の攻撃も、防ぐことができる。

 

「……能力解決よ。《バルチュリス》を出すわ」

 

 卯月さんは静かに、手札から《バルチュリス》を解き放つ。

 しかしその攻撃を阻む《バツトラの父》。後出しでも、その奇襲を許さない。

 

「いやー……やるじゃない。素直に感心したわ」

「え? あ、ありがとうございます……?」

「サクッと倒しちゃったらどうしよう、とか、虐めみたいな展開になったら私のイメージ下がっちゃう、とか色々懸念してたけど、杞憂だったわね」

「おい部長。いいからさっさと終わらせろ。いつまで遊んでいるつもりだ」

「はいはい。ま、勝ち確だとしても、最後までやりましょう。エンディングを飛ばす真似は無粋だもの。《バルチュリス》で攻撃よ」

 

 卯月さんは、攻撃が止められるとわかっていても、攻撃をやめない。そこでできる、最大限のことを行う。

 中途半端に終わらせず、勝とうが負けようが、ゲームという枠組みで定められたルールに従い、最後まで殉じる。

 とても奔放な人って感じだけど、少なくともこの人は、遊ぶことに関しては、とても真摯なんだ。

 だからきっと、この対戦も、とても真剣にやっていたのだろう。

 ……それを考えると、わたしが二人の仲を引き離してしまうみたいで、ちょっと気が引けるけど……

 遊びに真摯だからこそ、手を抜いてしまうのは、それこそ失礼なのかもしれない。

 わたしも、最後まで全力でやらなきゃ。

 向かってくる《バルチュリス》を、食い止める。

 

「は、はい。じゃあ《バツトラの父》で――」

「革命チェンジ」

「……え?」

 

 わたしが《バツトラの父》に手を掛けようとした刹那。

 嘲るような声が、わたしの耳元で囁く。

 

 

 

「《悪革の怨草士 デモンカヅラ》!」

 

 

 

 《バルチュリス》が手札に戻す。

 同時に、手札から別のクリーチャーが現れる。

 食虫植物のような龍。確か、あのクリーチャーは……

 

「《デモンカヅラ》の能力発動! 手札のクリーチャー、《バルチュリス》を捨てて、《バツトラの父》を破壊よ」

「……!」

 

 思わず、目を見開く。

 わたしが引き込んで運命は、一瞬で燃え尽きてしまう。

 止めたと思った攻撃が、止められない。

 

「私は勝ち確って言ったのよ。“負け確”とは言ってないわ」

 

 それはつまり、最初からこの展開を、彼女は予想していたということ。

 攻撃を始めてから、卯月さんはカードを引いていないし、最初から《バツトラの父》やブロッカーが来ても、対処できるような手を整えていたんだ。

 これは……もう、無理だ。

 相手の方が上手だった。卯月さんの方が、わたしよりもずっと周到で、強かった。

 これは、その結果だ。

 

「まあ、まだシノビの可能性はあるんだけども? どう?」

「……な、なにもありません……」

「あら残念。じゃあ、私の勝ちってことで」

 

 口ではそう言いつつも、とても楽しそうに、卯月さんは宣言した。

 自身の勝利を。そして、わたしの敗北を。

 

 

 

「――ダイレクトアタック」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「はい、私の勝ち! というわけで一騎君の午後の時間も私のものね!」

「そ、そんなぁ……!」

 

 ま、負けちゃいました……

 うぅ、勝てたと思ったのに……く、悔しい……

 

「うーん、これでよかったのかなぁ……」

「まあいいじゃないの。午後も楽しく文化祭巡りしましょう」

 

 勝てそうな対戦で、ギリギリのところで勝てなかったこともそうだけど、この対戦はただの対戦とは違う。いつきくんが、かかっていた対戦だったんだ。

 その勝負で、負けてしまった……

 

「あうぅ……うぅぅ……」

「小鈴さん、元気出してください」

「うん、まあ、なんというか……ドンマイ! 元から彼女持ちなら、どのみちキツかったって」

「……そもそも、一騎先輩って、本当に……」

 

 みんなが慰めてくれる。嬉しいけど、やっぱり辛いものは辛いです。

 楽しい文化祭だったはずなのに……まだなにも始まってないのに、なんでこんなことに……

 

「あの……俺、正直まったく状況がわからないんだけど……どういうこと? 彼女ってなに?」

「一騎さんは、あのおねーさんが好きなんですよね?」

「え? うんまあ、そりゃあ沙弓ちゃんのことは悪しからず思ってるけど」

「あー、うん。やっぱそうですよね。そんな感じの答えですよね、イツキ先輩なら」

「?」

 

 ……うん?

 あれ? なに、どういうこと?

 いつきくんが首を傾げている。わたしもその反応に首を傾げる。

 な、なんだか、話が噛み合っていないような気がする。

 謡さんは、なにかわかっているようだけど……

 

「……剣埼先輩は、卯月さんと恋仲ではないのですか?」

「ぷはっ! あっはははははははははは!」

 

 ローザさんが尋ねると、卯月さんは急に吹き出して、お腹を抱えて笑い出した。

 

「いきなり大笑いするな。気持ち悪い」

「あははっ、ごめんなさい。まさか本当の本当ににそう思ってくれてたなんて。演技に付き合ってくれてただけだと思ったんだけど、本気でガチだったのね」

「な、なに? え……?」

 

 え、演技……?

 それって、どういう……?

 

「誤解のないようにハッキリ言っておくけど、私と一騎君は友達よ。ただの仲良しこよしではないけど、少なくともあなたの思ってるような関係じゃないわ」

「? まあ確かに友達だけど、え? 今更……?」

「一騎君って本当、そういうところよねぇ。昔なにがあったか知らないけど、感覚ぶれぶれじゃない」

「え? ご、ごめん……?」

「うん、やっぱそうだよね。そこの背ぇ高い人、なんかちらちらこっち見てたし。わざとやってるな、って気はしてた」

「あら、あなたは気付いてたのね」

「妹ちゃん、可愛いから。おちょくりたくなる気持ちはよくわかりますからね」

「そ、そんな理由ですかっ!?」

「まあね。でも、ちょっとやりすぎちゃったかもしれないわ。ごめんなさいね?」

「まったくだ。クソみたいな思いつきで計画を乱すな馬鹿野郎」

 

 ……えぇっと、それって、つまり……

 わたしはずっと、卯月さんに弄ばれてたってこと……!?

 卯月さんは、わたしの耳元でそっと囁いた。

 

「まあそういうわけだから、安心しなさい。私と一騎君は“そういう仲”じゃないから」

「あ、えっと……じゃ、じゃあ……!」

「まあデート権は貰うけどね!」

「そんなぁ!?」

「そりゃあね私だってお友達と遊びたいもの。勝者の権利は譲らないわ」

 

 うぅ……結局、その権利は手に入らないんだ……

 ちょっぴり安心はしたけど、なんていうか、なんというか……!

 絶妙に腑に落ちない結果に、なにか微妙な気持ちになっていると、ふと卯月さんが携帯を手に言った。

 

「あら? 柚ちゃんからメールが来てる。デュエマに夢中で気付かなかったわ」

「俺のところにもミシェルたちからメールだ。もうすぐこっちに着くってさ」

「うん、こっちもそんな感じね。クラスの方が一段落したし、時間だからこっちに向かうって。数分前に来たメールだから、たぶん暁と一緒にすぐ来るわ」

 

 あきら……暁さん。

 そういえば、恋ちゃんはずっとその人に会いたがっていたっけ。

 いつきくんと卯月さんの間には、わたしたちの勘違いしたようなことはなかったけど。

 恋ちゃんは暁さんについて、明確に「好きな人」と言った。

 その人が、遂に現れる……?

 

「遂に日向さんの彼氏さんのご登場かー。何気にこっちも凄い気になるよね」

「……彼氏?」

「ん? 違うのか?」

「最高にイケメンな男の子って話じゃなかったっけ? 暁さん」

「あぁ、いや。暁さんはね……」

 

 と、いつきくんが言いかけたところで、バタバタバタ! と慌ただしい足音が響き渡る。

 そして、直後。

 スパーン! と勢いよく部室の扉が開け放たれた。

 

「ぶっちょーう! お待たせしましたー!」

「あきらちゃん……は、はやいです……」

 

 部室に入ってきたのは、二人の生徒だった。

 一人は、大人しそうな雰囲気の、小柄な女子生徒。全力で走った後なのか、ぜいぜいと汗だくで息を切らしている。

 そして、もう一人。その生徒は、教室の中のわたしたちの姿を見て、大仰に驚く仕草を見せた。

 

「って、うわっ、なんか部室に私の知らない人がいっぱいいる!?」

「お……お……」

 

 体操服のようなショートパンツに、シンプルなTシャツ。軽く息が上がっていて、額には汗が浮かんでいるけれども、その姿さえも涼やかで、むしろその人物の溌剌さを醸し出していた。

 その人は腕で荒々しく額の汗を拭う。ショートカットの黒髪が揺れる。

 細いけど健康的で、大きくはないけど精力的。あどけなさの残る顔立ちは、どことなく少年的。

 少年のそれとは違う。あくまでも、少年“的”。

 そう。小柄な少女の傍らに立つ「あきらちゃん」と呼ばれた、その生徒は。

 恋ちゃんの好きな人だという、暁さんは――

 

 

 

『女の子!?』

 

 

 

 ――でした。




 あとがきで補足するのもなんだかなぁ、と思いつつ、まあ大したことでもないので軽く付け足すんですが。作中で「一騎のせい」「一騎の影響」みたいに言ってるのは、一騎はデッキ構築の際、銀の弾丸……いわゆるピン刺しのピンポイントメタを好むところからです。今作ではちょっと意味を拡大解釈してて、状況ぬ応じて使い分けるピン刺しのカード、くらいの意味で使ってますけど。
 一騎の対戦シーンがなさすぎて誰もピンと来ないと思いますけどね……いつか彼の対戦シーンがある時は、たぶんそういうところを見せてくれるでしょう。
 今時はあんまり銀の弾丸って言わないような気もしますけどね。若干、死語になってるような気がする。個人的には好きなんですけどね。イエスマンの戦略とか。《シヴィル・バインド》、格好良くない?
 サーチがない小鈴のデッキでシルバーバレットはちょっと微妙ですけど、沙弓のデッキはロマノフサインをややコントロールに傾けたようなものなので、《ロマノフ》の性質上、《ロマノフ》で唱えられる範囲であれば、呪文のピン刺しはまあまあアリだと思います。本当は《ロマノフ・ストライク》とかぶっ放したかったけど、結局《髑髏月》を連打してしまった……
 というところで、今回はここまで。誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。
 次回は恋の大好きな暁が本格参戦です。あと文化祭も本格始動です。お楽しみに。


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41話「文化祭だよ ~東鷲宮編・PM~」

 今回ちょっと人によっては胸糞展開で苦手と思うかもしれないので注意です。視点が小鈴から別の人に切り替わったあたりで覚悟しておいてください。
 ……この時のために、作品タグにR15や残酷な表現ありを追加しておいてよかった……よかった?
 あと対戦パートはかなりおまけです。本当は対戦パートとドラマパート分けたかったけど、一話一戦のノルマをこなすにはこうするしかなかった……やむなし。


 こ、こんにちは、伊勢小鈴、です。

 えぇっと、どこから話せばいいのかな……

 いつきくんや恋ちゃんの誘いで訪れた、東鷲宮中学校の文化祭。

 そこでは、わたしの知らない二人の顔があった。

 いつきくんは卯月さんと文化祭を回って、仲良く、すごく楽しそうに、笑っていた。

 そして恋ちゃんは、この学校に「好きな人」がいると言う。

 かくしてその人――「あきら」なる人との邂逅を、わたしたちも果たした。わけ、なのですが……

 

「お、女の子……!?」

 

 ショートカットの黒髪。細く、しなやかで、健康的な手足。

 容姿も挙動もなんとなく少年的ではあるものの、その姿はどう見ても少女のもの。

 つまり、これって……恋ちゃんの好きな人って……

 

「あきら……っ」

「うわっと!? 恋! 久しぶりだね!」

「うん……あいたかった……」

「私も私もー。あはは、恋は相変わらずちっちゃ可愛いいなぁ」

 

 あきらさん……? を見るや否や、恋ちゃんは一目散に彼女に駆け寄った。そして、小走りの勢いのまま、抱きつく。

 小さな身体を受け止めるあきらさん。恋ちゃんは嬉しそうに彼女の胸に顔を埋め、すり寄っている。

 いつもクールで冷ややかな恋ちゃんとは思えないほど、愛くるしい表情だ。

 そんな恋ちゃんは可愛いし、いいんだけれど……

 

「あー……そーゆー感じ?」

「成程な。あの時、恋がボクを叱咤できたのは、こういうことか……」

 

 みのりちゃんや霜ちゃんは、なにかを察したように頷いていた。

 ……まあでも、あんまり突っ込んだことは考えないようにしよう……

 

「ところで、なんか知らない人がいっぱいいるんだけど? どちら様?」

「こすず……私の、ともだち……」

「うえぇっ!? 恋って友達いたの!?」

「いる……」

「前に言わなかったかしら? 私も今日はじめて見たけど」

「聞いてないよー。知らないよー。ビックリしたよー」

「とりあえず挨拶くらいはしなさい」

「あ、それもそうだね」

 

 うっかりうっかり、と笑いながら、その子はわたしの方に歩み寄ってくる。

 すると突然、彼女はグワッと目を見開いた。

 

「な……う、っわ……すご……!?」

 

 見開かれた眼は、驚愕に満ちていた。けれどそれは、興奮と歓喜も溢れているようで……その、なんというか……

 明らかに、わたしに目を合わせていない。視線が、わたしの顔の下の方に向いている。

 

「でっか……! わたしより背ぇ低いのに……! え、なにこれ、感動した……!」

「あ、あの……?」

「はっ! み、見てないよ? おっぱいなんて見てないよ!」

 

 …………

 ……いつものことだよ。

 

「こら、暁。お客さんにあんまり失礼なことしちゃダメよ?」

「あんたが言うな」

「はーい。ごめんごめん」

 

 卯月さんに諫められ、改めて彼女は、わたしに向き直る。

 

「私は暁。空城暁(そらしろあきら)! あなたは?」

「い、伊勢小鈴、です……よ、よろしくお願いします……」

「うん、よろしく!」

 

 空城さんは、満面の笑みで応える。

 見た目に違わず、とても快活で、明るい子だ。

 

「あ、同学年だよね? 実は年上とかないよね?」

「中学一年生……ですけど」

「よかった、やっぱタメかー。同い年なのに凄いおっきぃなぁ。柚よりあるし、このみさんと張り合えそう」

「暁、あなたもうちょっと健全なことを言いなさいよ」

「あんたが言えることでもないが、俺も時と場所と状況を考えろとは思う」

「あはは……でも、あきらちゃんは、こういうところがすてきな人ですから」

「それは美点なのか?」

 

 ――これで、遊戯部? の人たちは揃った、のかな。

 となると、あと来ていないのは……

 

「あ、あの……」

「あっ、代海ちゃん」

 

 教室の入口で、ひょっこりと亀のように首を出して中を覗き込む人影がひとつ。

 フードを目深に被って、控えめに視線をちらつかせているのは、代海ちゃんだった。

 代海ちゃんは、わたしの姿を見るや否や、安心したように胸を撫で下ろす。

 

「小鈴さん……よ、よかった。こ、ここで、合ってた、のですね……遅くなって、ごめんなさい……帽子屋さんとの、よ、用事が、あって……」

「うぅん。大丈夫だよ」

「れんちゃんのお友達は集まった? じゃあ、これで役者は揃ったかしらね?」

「ミシェルや夕陽さんたちは、会場で集合になるかな」

「そうね。じゃあ、皆で行きましょうか。あ、暁と柚ちゃんは着替えてから来なさい」

「は、はひ。わかりました」

「えぇー? なんで?」

「自分のクラスの出し物と、こっちの部の出し物とで衣装を変えるのは普通でしょう? それにあなた汗だくじゃないの。というかなんでそんなに汗かいてるのよ」

「あきらちゃん、すっごく動いてましたからね……」

「無駄な動きが多い奴だからな」

「面倒だなぁ。この上から着ちゃえばいいか」

「話聞いてた? 着替えなさい」

「むぅ、まあ部長が言うならいいや」

「よろしい。じゃ、私たちは先に会場入りしてるわね」

 

 卯月さんは誰よりも先に教室の扉を開け放って、外に出る。

 そして、楽しそうに、上機嫌に、興奮が先走ったように、宣言した。

 

 

 

「さぁ、第一回、東鷲宮CS。はじめましょうか――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 CSとは、チャンピオンシップのことで、デュエマとかカードゲームでは、大きな大会のことをこう呼ぶそうです。衛星通信じゃないんだね。

 わたしの友達、いつきくんを含めた学援部の人たち、遊戯部の人たち。それから、普通に在学生や、遊戯部のOBだっていう人や、どういう関わりがあるのかわからないけど、高校生の人たちも来ていた。

 ……ちょっと驚いたのは、このみさんがいたことだった。夏に会ったっきりでずっと会うことがなかったから、少しびっくりしました。どうやらこの学校のOGらしいです。幼馴染みの人とか、お友達とか、後輩さんも一緒にいました。

 なんというか、話を聞いてみると、当然だけどみんなこの学校やその生徒――というより、遊戯部の人たち?――に関係ある人ばかりで、まるで親戚の集まりのような感覚があった。そのせいかな、主催である遊戯部さんとは、恋ちゃんやいつきくんを通した間接的な繋がりしかないから、わたしにとってはちょっぴりアウェーです。ワンダーランドでやる大会も、そういう雰囲気がちょっと苦手で敬遠しちゃうんだよね……

 だから、できれば最初の方は知ってる人とやりたいなー、そういえばいつきくんとデュエマってしたことないなー、なんて、そんなことを思っていたら……

 

「おっ、やっほ。さっきぶり!」

 

 知っている人、というか。ついさっき知り合ったばかりの人が、初戦の相手でした。

 

「そ、空城さん……」

「暁でいいよ。私も小鈴って呼ぶから」

「えっと、じゃ、じゃあ、暁ちゃんで……」

「うん、いいね。恋の友達なら私の友達みたいなもんだし、気ぃ遣うことないよ」

 

 友達の知り合いにも気後れしちゃうわたしとは違って、空城さん……暁ちゃんは、ついさっき顔を合わせたばかりのわたしにも、近い距離感で接してくる。

 すごいぐいぐい来るんだけど、なんだろう、あんまり嫌じゃない……戸惑いはするけど、これが嫌だとは思わなかった。

 対戦の直前。暁ちゃんは八枚のカードを晒した。

 

「じゃあまずは超次元ゾーン! 私のはこれね!」

 

 

 

暁:超次元ゾーン

《爆銀王剣 バトガイ刃斗》

《闘将銀河城 ハートバーン》

《覇闘将龍剣 ガイオウバーン》

《将龍剣 ガイアール》

《爆熱剣 バトライ刃》

《最前戦 XX幕府》

《無敵剣 プロト・ギガハート》

《熱血剣 グリージー・ホーン》

 

 

 

「すごい真っ赤っかだ……」

 

 わたしもドラグハートは火文明が中心だけど、基本的に《ガイハート》しか使わないし、サイキックとかも入れるから、ここまで赤く染まることはない。

 見たこともないカードもあるし、どんなデッキかもよく分からないけど……火文明が中心なんだろう、ということだけはわかる。

 暁ちゃんに対して、わたしも、自分の超次元ゾーンを公開する。

 

「わ、わたしのは、これだよ」

 

 

 

小鈴:超次元ゾーン

《銀河大剣 ガイハート》

《神光の龍槍 ウルオヴェリア》

《勝利のガイアール・カイザー》

《勝利のリュウセイ・カイザー》

《勝利のプリンプリン》

《時空の凶兵ブラック・ガンヴィート》

《時空の踊り子マティーニ》

《時空の英雄アンタッチャブル》

 

 

 

 ドラグハートにサイキックも盛り込んだ、八枚の次元。中身は卯月さんと対戦した時とちょっと変えました。

 

「それから、これも使うよ」

 

 裏面が白い十二枚のカード――超GR。

 ドラグハートにサイキックが合わせて八枚。GRが十二枚。それに四十枚のデッキを加えて六十枚。

 最大限にカードを詰め込んだ、わたしの中では、たぶん最高の出来のデッキ。

 卯月さんには負けちゃったけど、今度こそ……!

 

「それじゃ、デュエマスタート、だね!」

 

 第一回戦、開始の合図が聞こえる。

 暁ちゃんとの対戦は、わたしの先攻で始まった。

 お互いに1ターン目はマナチャージのみ。そして、2マナが溜まってから、共に動き始める。

 

「《熱湯グレンニャー》を召喚! 一枚ドロー!」

「私のターンだよ! 2マナで《メンデルスゾーン》! 山札から二枚をめくって、ドラゴンをすべてマナゾーンに置く!」

 

 に、2マナ使って、最大2マナも増やせるんだ……す、すごいね……

 だけどめくれたのは、《熱血龍 バトクロス・バトル》と《メンデルスゾーン》だった。片方はドラゴンだけど、もう片方は呪文だ。

 

「うーん、ちょい微妙! まあいっか! 《バトクロス》だけマナに置いて、残りは墓地に行くよ。ターンエンド!」

 

 

 

ターン2

 

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

場:なし

盾:5

マナ:3

手札4

墓地:2

山札:26

 

 

 

 

「3マナで《リロード・チャージャー》! 《エヴォル・ドギラゴン》を捨てて一枚ドロー。ターン終了!」

「こっちも3マナで《決闘者(デュエリスト)・チャージャー》! 山札から三枚めくって、《ボルシャック》を手札に加えるよ!」

 

 空城さん……暁ちゃんは、マナ加速を続ける。それと同時に、なにかを探しているようだった。

 ここでめくれたのは《無双竜鬼ミツルギブースト》《熱血龍 バトクロス・バトル》《怒英雄 ガイムソウ》。名前に《ボルシャック》とつくクリーチャーはいない。

 

「うへー、全部はずれ……まあ当たりの方が少ないし、いっか。ターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

場:なし

盾:5

マナ:5

手札3

墓地:2

山札:25

 

 

 

 

 暁ちゃんは、まだなにかをしてくる様子はないけど……ひたすらマナを伸ばしていって、ちょっと怖い。

 こっちも、できるだけ早く動きたいところだけど……

 

「3マナで《ボーンおどり・チャージャー》! 山札から二枚を墓地に送るよ。さらに3マナで《リロード・チャージャー》。手札の《コギリーザ》を捨てて一枚ドロー。ターン終了」

 

 手札にチャージャー呪文がたくさん来てしまって、なかなかメインの動きに繋がらない。

 墓地は増えるから、悪いことではないんだけど……

 

「うっわー、私よりマナ多いじゃん。どうしよっかな、ドローしてー……うーん、とりあえず《メンデルスゾーン》を唱えるよ。山札から二枚めくるね」

 

 暁ちゃんはひらすらマナを伸ばし続ける。その加速さえも不調っぽいけど……どれだけ大型の切り札を持っているんだろう。

 

「げっ、また《メンデルスゾーン》めくっちゃった……《ボルシャック・ドギラゴン》だけマナに置くよ。ターンエンド」

 

 またマナ加速が上手くいかなかったようで、暁ちゃんはがっくりと肩を落とすけど、すぐにケロッとした顔に戻る。

 切り替えが早いというか、なんというか……さっぱりした子だなぁ……

 

 

 

ターン4

 

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:7

手札:1

墓地:4

山札:22

 

 

場:なし

盾:5

マナ:7

手札2

墓地:4

山札:22

 

 

 

 お互いにマナは7。きっと暁ちゃんも、そろそろ切り札が出る頃だろうし、こちらも攻めていきたい。

 というところで、ちょうどいいカードが引けた。墓地はまだ不十分だけど、ここは動くべきかな。

 

「5マナで《狂気と凶器の墓場》! 山札から二枚を墓地に置いて、墓地の《龍装艦 チェンジザ》をバトルゾーンに復活だよ!」

「げ、あれヤバい奴だ……」

 

 なんだか卯月さんと同じような反応だ。たまたまパックから手に入れて、なんとなく強そうだし、わたしのデッキとも方向性が合うから入れてみたけど……そんなにすごいカードだったのかな。

 

「《チェンジザ》の能力で二枚ドロー! さらに手札を一枚捨てるよ! 《法と契約の秤》を捨てて、墓地から《コギリーザ》を復活! 《チェンジザ》からNEO進化!」

 

 ……とりあえず《コギリーザ》までは辿り着いたけど、実はまだキーカードは足りない。

 《コギリーザ》自体も強いから、単体で攻め込んでもいいけど、ここはやっぱり、アレを出したい。

 そのために、もう少し掘り進む。

 

「さらに3マナで《ボーンおどり・チャージャー》! 山札から二枚を墓地へ!」

 

 墓地に送られたのは、《グレンニャー》と《KAMASE-BURN!》。うぅん、これじゃない……

 マナがないから、もう手札のカードは使えない。となれば、このターン呪文が使えるのは、あとは《コギリーザ》の能力でのみ。チャンスはあと一回。

 

「《コギリーザ》で攻撃! その時、キズナコンプ発動! 墓地からコスト7以下の呪文、《狂気と凶器の墓場》を唱えるよ! 山札から二枚を墓地に送って、墓地のコスト6以下のクリーチャーを復活させる!」

 

 さらに二枚、墓地に送り込む。

 ここで来れば……お願い……!

 

「――来た!」

 

 やっと来てくれた。

 いつもと同じことだけど、ここ一番では、いつも助けてくれる。わたしの、切り札。

 

「墓地から《龍覇 グレンモルト》をバトルゾーンへ!」

 

 そして、これが、いつきくんから貰った、本当の切り札。

 “今”のわたしと、いつきくんとの、繋がりだ。

 

「《グレンモルト》に、《銀河大剣 ガイハート》を装備!」

 

 よし。これで準備は整ったよっ。

 あとはただ、前に出るだけだ。

 

「んー……? 最初は部長っぽいって思ったけど、なんかちょっと、一騎さんみがある……?」

 

 暁ちゃんはしげしげと首を傾げていた。

 ……卯月さんもちょっと言ってたけど、わたしのデュエマってそんなにいつきくんと似ているの……?

 いつきくんとデュエマしたことないし、いつきくんのデュエマも見たことないから、よくわからないや。

 それよりも今は、暁ちゃんとの対戦中だ。《グレンモルト》は出せたし、《コギリーザ》の攻撃から、繋いでいく。

 

「《コギリーザ》でWブレイク!」

「トリガーは……ないよ」

「続けて《グレンモルト》でシールドをブレイク!」

「う、これもノートリガー……」

「なら……これで二回攻撃したから、龍解条件成立!」

 

 トリガーはなし。運が良かった。

 それなら、このまま――決めてしまえる。

 わたしは《ガイハート》を捲り、ひっくり返して、その本当の姿を晒す。

 

 

 

「龍解――《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 ここまで来れば、もう力押しだ。

 わたしの場には《グレンニャー》もいる。暁ちゃんのシールドは二枚だから、このままトリガーがなければ、一気にダイレクトアタックまで届く。

 

「行くよっ! 《ガイギンガ》でWブレイク!」

 

 駆け抜ける《ガイギンガ》が、二枚のシールドを打ち砕く。

 そして……

 

「来ったぁ! S・トリガー! 《爆裂遺跡シシオー・カイザー》!」

 

 ……出ちゃった。

 あと一歩というところで、わたしの攻撃は、届かない。

 

「《シシオー・カイザー》の能力で、まずは山札から一枚マナチャージ! そして私のマナに火のドラゴンが三体以上いれば、パワー3000以下のクリーチャーを破壊するよ! 《グレンニャー》を破壊!」

「っ、ターン終了……!」

 

 キラキラしてるわりには、意外と地味な効果……でも、攻撃が止まった事実は変わらない。

 シールドはゼロにまで追い詰めたけど、その窮地を、脱却されてしまった。

 

「ふぃー、冷や冷やしたぁ。でも、こっから逆転だね!」

 

 暁ちゃんは安堵の溜息をつく。そして、明るく、輝くような、勝ち気な笑顔を見せた。

 

「《シシオー・カイザー》のお陰でマナは足りる! マナチャージして9マナタップ! 《王・龍覇 グレンモルト「刃」》を召喚!」

「《グレンモルト》……! それに、刃……?」

 

 前に《グレンモルト「覇」》っていうクリーチャーなら見たことあるけど、刃……?

 まだ、別の形態の《グレンモルト》がいるんだ……しかもコスト9と、《グレンモルト「覇」》よりも大型。ということは、あれ以上に強力な能力を持っているに違いない。

 

「《グレンモルト「刃」》の能力で、コスト5以下の火のドラグハートを呼べる! よーし、今日はなににしよっかなー?」

 

 と、暁ちゃんは、まるで今日のランチでも決めるかのように、超次元ゾーンのカードを眺める。

 とても、明朗で、楽しそうに。

 彼女は一枚のカードを、手に取った。

 

「よし、相手が《ガイギンガ》ならこれだ! 《爆銀王剣 バトガイ刃斗(ハート)》を装備!」

 

 ばと……《ガイハート》?

 いや、それは《ガイハート》ではない。それよりも、さらに大きく、強い大剣だ。

 それに、きっとあれには、《ガイハート》とまったく違う性質の力がある。

 

「《グレンモルト「刃」》で《グレンモルト》を攻撃! その時、《バトガイ刃斗》の効果発動! 山札をめくって、それがドラゴンならそのままま出せるよ!」

「山札から、ドラゴンを……?」

 

 山札を一枚だけめくって出すというのは、とても不確実に思える。

 けれど、暁ちゃんのデッキはそのほとんどすべてがドラゴン。ドラゴンじゃないカードは、《メンデルスゾーン》しか見えていない。そしてその《メンデルスゾーン》も、四枚すべてが墓地にある。

 もし、暁ちゃんのデッキにあるドラゴンでないカードが《メンデルスゾーン》だけなのだとすれば、この先、暁ちゃんは山札から、必ずドラゴンをめくり続ける……?

 焦りが、全身を迸る。熱い感覚が、煽るように、心臓を早鐘のように打ち付ける。

 

「よっし、二枚目の《グレンモルト「刃」》だよ! この《グレンモルト「刃」》の能力で、《爆熱天守 バトライ閣》をバトルゾーンに!」

 

 超次元ゾーンでウエポンだったカードが、フォートレスの姿に変形して、バトルゾーンに現れる。

 あれは……3D龍解? のカードだっけ。ウエポン、フォートレス、クリーチャーと、三段階に変形するドラグハート。

 それをウエポンの状態で直接出す……それはつまり、なにかひとつのきっかけで、すぐにクリーチャーに変化するということ。

 焦燥がさらに高まる。肌を焼く熱光のような、ひりつく空気が突き刺さる。

 

「さらに! このターン、二体目以上のドラゴンが場に出たから、《バトガイ刃斗》の龍解条件成立!」

「っ!」

 

 二体目以上のドラゴン……《グレンモルト「刃」》が二体出たから、それで龍解するんだ……!

 暁ちゃんは銀河と龍の大剣を掴み取る。そしてそれを、ひっくり返した。

 

 

 

「龍解! 《爆熱王DX バトガイ銀河》!」

 

 

 

 それもまた、《ガイギンガ》のようで、《ガイギンガ》とはまるで違うクリーチャー。

 《ガイギンガ》よりも堅牢な鎧を纏い、数多の剣を携える、鎧武者のような龍だ。

 

「さぁ、バトルだよ! 私の《グレンモルト》のパワーは9000!」

「わ、わたしの《グレンモルト》は、バトル中は7000……」

「知ってる! だから私の勝ち!」

 

 ここまでやって、ようやく一撃目の攻撃が終わる。

 そう、これはまだ、はじまりなんだ。

 言うなればこれは、雛鳥が孵化したに過ぎない。

 ここからだ。

 ここから、雛が成長し、鳳となり、そして――太陽に向けて、羽ばたくのだ。

 

「《バトガイ銀河》で《コギリーザ》を攻撃! まずは《バトライ閣》の効果で山札をめくるよ! それがドラゴンかヒューマノイドならそのままバトルゾーンに出せる! 《ボルシャック・ドラゴン》をバトルゾーンに!」

 

 山札から一切合切のノイズが排除された今、暁ちゃんに「不発」はあり得ない。

 純度100%の活火山から、絶え間なく、無数の龍が押し寄せる。

 

「次に《バトガイ銀河》の能力でドロー! そして手札からドラゴンをバトルゾーンに出すよ! 《永遠のリュウセイ・カイザー》をバトルゾーンに! さーらーにー! このターン二体目以上のドラゴンを出したから、《バトライ閣》の龍解条件を達成!」

「まだ龍解するの!?」

「当然!」

 

 武器を介することなく現れた城塞が、瞬く間に変形する。

 長大に広がったそれは、天高くそびえる城のようであり、太陽まで届きそうなほど、巨大だった。

 

 

 

「暁の先に――3D龍解! 《爆熱DX バトライ武神》!」

 

 

 

 《バトガイ銀河》とよく似た鎧に刀剣で武装した、城のような、武者のような、龍。

 見るからに強そうな切り札だ。これ一枚だけでも、わたしのシールドを容易く切り裂いて、とどめを刺せるだけの力あるだろうことがわかる。

 だけど、暁ちゃんは、このくらいでは止まらなかった。

 太陽が膨張を続けるように、暁ちゃんも、仲間を呼ぶことをやめない。

 

「行っけぇ! 《バトライ武神》で攻撃! 能力発動! 山札を三枚めくって、その中のドラゴンをすべて出す!」

「三枚!? し、しかもドラゴンを、全部……!?」

 

 暁ちゃんは、山札を三枚、一陣の風を吹かせるかのように、盛大にめくり返す。

 そして、現れたのは――

 

「《勝利のレジェンド ガイアール》! 《勝利宣言(ビクトリー・ラッシュ) 鬼丸「(ヘッド)」》! 《リュウセイ・天下五剣(ファイブソード)カイザー》!」

 

 ――すべて、ドラゴン。

 しかも、一枚一枚が必殺級のパワーがありそうな、凄烈な力を感じるドラゴンだ。

 次々と集まる龍。彼らは、天衣無縫にして縦横無尽に、戦場を、大空を、太陽の下、翔け回る。

 

「全部ドラゴンだから、私のクリーチャーはこのターンスピードアタッカーになる! 《バトライ武神》でTブレイク!」

「し、S・トリガー……! ない……!?」

「この調子で《ガイギンガ》も倒す! 《天下五剣カイザー》で《ガイギンガ》を攻撃! パワーは14000!」

「《ガイギンガ》はバトル中、パワーがプラス4000されるけど、それでも13000……ギリギリ、パワーが足りない……」

「よしバトルだ! 《ガイギンガ》を破壊!」

 

 ち、力ずくで、破壊された……

 暁ちゃんの呼ぶドラゴンは、あまりにも数が多い。なのに、一体一体が、凄まじく強い。

 パワーだけでも、わたしの《ガイギンガ》を一方的に叩き潰してしまうほどに、強靱で強大だ。

 しかも、それだけでは終わらない。ただ強いだけじゃない。

 

「《天下五剣カイザー》がバトルに勝ったから、私は次のターン負けないよ! あと《バトガイ銀河》の能力でドラゴン以外も攻撃できないから!」

「え!? バトルに負けなくて……攻撃もできない……!?」

 

 強くて、大きくて、その上、堅い。

 このターン生き残れるかどうかもわからないのに、次のターンに反撃する目を摘まれてしまった。

 

「次は……こっちかな! 《鬼丸「覇」》で攻撃! さぁ、ガチンコ・ジャッジだ! 私が勝ったら追加ターンを貰うよ!」

「つ、追加ターン……!」

 

 どんどん、わたしの逃げ場がなくなっていく。

 ここで追加のターンなんて取られたら、本当に、万に一つの勝ちの目もなくなってしまう。

 

「ガチンコ――ジャッジ!」

「じゃ、ジャッジ……!」

 

 私がめくったのは……《遣宮艦 タマテガメ》。コストは7。わたしのデッキの中では、最もコストが高いカードだ。

 でも、空城さんのデッキには、コストの高いドラゴンがたくさん入っている。コスト7じゃ、負けちゃうかも……

 

「……ちぇ。残念、勝てないや」

 

 しかしここでめくられたのは、コスト6の《爆裂遺跡シシオー・カイザー》だった。

 ぎ、ギリギリ……! 追加ターンはなかった。よかった……

 

「でもま、このままぶっちぎるから関係ないね! 《鬼丸「覇」》で残りのシールドをブレイク!」

「S・トリガー《デーモン・ハンド》! 《永遠のリュウセイ・カイザー》を破壊!」

「それじゃあ止まんないよ!」

「それだけじゃない! もう一枚S・トリガー! 《目的不明の作戦》! 」

「うぇっ? それ、確か浬が使ってたよーな……」

 

 《目的不明の作戦》の効果で、わたしは墓地からコスト7以下の呪文を唱えられる。《コギリーザ》の能力を呪文にしたみたいな効果だ。

 そして、ここで唱えるのは、

 

「墓地から《六奇怪の四~土を割る逆瀧~》を唱えるよ! 次のわたしのターンまで、相手は一度しか攻撃できない!」

「もう三回くらい攻撃してるんだけどなー……それを唱えたら、私もう攻撃できないってこと?」

「そ、そうなるんじゃないかな……?」

「そっかー。残念。んじゃターンエンド!」

 

 あ、あっけらかんとしてるなぁ……

 いやでも、暁ちゃんが余裕なのは当然だ。

 お互いにシールドゼロ。だけど、暁ちゃんは、次のターンには負けないのだから。

 

 

 

ターン5

 

 

小鈴

場:なし

盾:0

マナ:9

手札:4

墓地:12

山札:15

 

 

場:《グレンモルト「刃」》×2《シシオー》《ボルシャック・ドラゴン》《勝利のレジェンド》《鬼丸「覇」》《天下五剣カイザー》《バトガイ銀河》《バトライ武神》

盾:0

マナ:9

手札5

墓地:5

山札:14

 

 

 

 《天下五剣カイザー》による敗北回避。そして、ダメ押しのようにわたしを縛る《バトガイ銀河》の能力。

 すごく攻撃的なのに、幾重にも重ねられた防御網。どう足掻いたって、わたしはあと1ターン、暁ちゃんに渡さないといけない。

 つまりわたしが勝つためには、次のターンにどうやって生き残るかを考える必要がある。

 暁ちゃんの場には、九体のドラゴン。しかも、その半分以上は、パワー10000を余裕で越えた超大型のドラゴンだ。

 それらすべてを倒す? そんなこと――

 

「……よし」

 

 ――できる。

 暁ちゃんほど、切り札が何種類もいて、それらを何体も出すことはできないけど。

 《コギリーザ》や《グレンモルト》、《ガイギンガ》以外にも、わたしにはまだ、切り札が残っているのだから。

 

「呪文《超次元リバイヴ・ホール》! 墓地から《光牙忍ハヤブサマル》を手札に戻すよ! そして《勝利のガイアール・カイザー》をバトルゾーンに!」

「スピードアタッカー……でも! 《天下五剣カイザー》の能力で、私はこのターン負けないよ!」

「わかってる……だから」

 

 続けてわたしは、もう一枚、手札を引き抜く。

 

「呪文《法と契約の秤》! 墓地からコスト7以下のクリーチャーを復活させる!」

 

 《コギリーザ》と《グレンモルト》だけなら、《狂気と凶器の墓場》だけでよかった。

 だけど、このデッキには、これがある。

 復活できる範囲が7コストまでというのもあるけど、なによりこの呪文は“進化クリーチャーも出せる”のだ。

 本来なら、《コギリーザ》や《グレンモルト》こそが、第二、第三の切り札。

 そう。これが、わたしの最初の切り札――

 

 

 

「お願い――《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 ――これで、活路を見出す。

 

「《勝利のガイアール・カイザー》を、《エヴォル・ドギラゴン》に進化!」

「パワー14000……! つっよ! でも、それくらいなら問題ないね!」

「そうかな? とりあえず行くよ! 《エヴォル・ドギラゴン》はドラゴンだから、《バトガイ銀河》の能力を受けず攻撃できる! まずは《バトガイ銀河》を攻撃!」

「《バトガイ銀河》、パワー12000しかないんだよね……勝てないや」

「バトルに勝ったから、《エヴォル・ドギラゴン》をアンタップ! 次に《バトライ武神》を攻撃!」

「《バトライ武神》もパワー12000……! だけど! 《バトライ武神》は龍回避で《バトライ閣》に戻るよ!」

 

 龍回避があるんだ……倒したと思ったけど、ドラゴンが二体出るだけで、また龍解してしまう。

 でも、綱渡りなのはわかってたこと。ギリギリであることに変わりはない。このまま行くよ!

 

「次! 《レジェンド ガイアール》を攻撃!」

「えっ、いや、《ガイアール》はアンタップしてる……」

「《エヴォル・ドギラゴン》は《勝利のガイアール・カイザー》の能力を引き継いでるよ! だから、このターン、アンタップしてるクリーチャーでも攻撃できる!」

「うわっ、そうなんだ……え? ってことは、まさか私のクリーチャーは……!」

 

 《レジェンド ガイアール》のパワーは13000、当然、《エヴォル・ドギラゴン》が一方的に勝つ。

 そしてアンタップしていても関係なく攻撃できるということは、パワー14000未満のクリーチャーはすべて、《エヴォル・ドギラゴン》が叩き潰してしまう。

 《グレンモルト「刃」》も、《シシオー・カイザー》も、《ボルシャック・ドラゴン》も、《鬼丸「覇」》も、すべて《エヴォル・ドギラゴン》が、一方的に蹂躙する。

 そして、

 

「これで最後! 《天下五剣カイザー》を攻撃!」

 

 最後に残った《天下五剣カイザー》。

 《エヴォル・ドギラゴン》のパワーは14000。そして、《天下五剣カイザー》のパワーも14000。

 両者のパワーは同じ。つまり、

 

「……相打ち、だね」

「ターン、終了……!」

 

 わたしは《エヴォル・ドギラゴン》と引き換えに、暁ちゃんのすべてのクリーチャーを破壊した。

 これでお互いにクリーチャーがゼロ。シールドもゼロ。

 両者共になにもない状態で、暁ちゃんにターンを渡してしまうのは怖いけど……それでもまだ、生路は途絶えていない。

 たとえスピードアタッカーを引かれても、《ハヤブサマル》で一回だけなら防げる。

 だから怖いのは、《バトライ閣》がまた龍解してしまうことだけど、それにはドラゴンを二体出さなくちゃいけない。

 暁ちゃんのマナは次のターンで10マナ。あれだけ強いドラゴンを出すには、10マナで一体が限界のはず。そうでなくても、10マナでドラゴン二体は、あのデッキのカードを見る限り、大変そう。

 勝つ算段はある。だけど同時に、負ける予想もついてしまう。

 5マナの《ミツルギブースト》を二体出すとか、《シシオー・カイザー》でマナを増やしてから《ミツルギブースト》を出すとか、三枚目の《グレンモルト「刃」》を出すとか……もしかしたら、わたしが見えていない他の可能性もあるかもしれない。

 暁ちゃんは、どう攻めてくるんだろう……?

 

「私のターン。マナチャージして、これで10マナ……どうしよ。あれ出すか、これ出すか。あ、でも《ハヤブサマル》があるのか。じゃあ、これをこうして、こうすれば行けそう? いやでも失敗したら……ならこれであれ引き込んで……でも、めくれるかなぁ……」

 

 手札のカードとにらめっこしながら、ああでもない、こうでもないと、唸る暁ちゃん。

 しばらくそうしていると、なにか吹っ切れたように、バッと顔を上げた。

 

「あぁもう面倒くさい! 考えるのやめた!」

 

 シールドブレイクで、暁ちゃんの手札はたくさん増えている。その多様な選択肢から、最適解を導くプロセスを、その思考を、彼女は放棄した。

 どうすればいいのかわからない。そのために考える、ということを投げ捨て、彼女はただ、自分の信じるものを、選び取る。

 

「悩んだ時は、一番強いの!」

 

 そうして彼女は、一枚のカードを叩き付けた。

 彼女が信じる、一番強い切り札を。

 

 

 

「頼んだよ――《龍世界 ドラゴ大王》!」

 

 

 

 赤黒い、巨大な龍。

 大王の名に恥じない威風を感じるドラゴンだ。

 見たところ、スピードアタッカーとかではないみたいだけど……?

 

「ターンエンド!」

「え……もう終わり?」

「うん。《ドラゴ大王》がいるからね、これで勝てる」

 

 すごい自信だ……いや、暁ちゃんは最初から自信満々ではあったけど

 だからこれは、どちらかと言えば、信頼かもしれない。

 まるで本当に、そこにクリーチャーがいるみたいな……

 

 

 

ターン6

 

 

小鈴

場:なし

盾:0

マナ:10

手札:4

墓地:15

山札:11

 

 

場:《ドラゴ大王》

盾:0

マナ:10

手札4

墓地:12

山札:13

 

 

 

「わたしのターン!」

 

 暁ちゃんの新しい切り札が出たけど、わたしにターンが返ってきた。

 それだけで十分。わたしには、シールドがない暁ちゃんを仕留めるだけの力があるから。

 

「スピードアタッカー一枚で通る……! 6マナで《龍覇 グレンモルト》を召か――」

「おっといいのかな? 《ドラゴ大王》がいる時、ドラゴン以外のクリーチャーを召喚しても墓地送りだよ!」

「え……っ!?」

 

 ドラゴン以外は……墓地送り……!?

 それじゃあ、《グレンモルト》も、《コギリーザ》も出せない……暁ちゃんのシールドはゼロなのに、攻撃が、通せない……!

 

「……いや、まだ! 呪文《リバイヴ・ホール》! 効果で《エヴォル・ドギラゴン》を手札に戻して、《勝利のガイアール・カイザー》をバトルゾーンに!」

「うわ、また来た……!」

「そして、6マナで《勝利のガイアール・カイザー》を進化! 《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 まだ、まだ戦える。

 《グレンモルト》も、《コギリーザ》も出せないけど、まだ《ドギラゴン》がいてくれる。

 

「《エヴォル・ドギラゴン》で攻撃! まずは《ドラゴ大王》! 《勝利のガイアール・カイザー》の能力で、アンタップしているクリーチャーも攻撃できるよ!」

 

 さぁ、バトルだよ。

 《エヴォル・ドギラゴン》のパワーは14000。対する《ドラゴ大王》のパワーは13000。

 わたしの、《エヴォル・ドギラゴン》の、勝ち……!

 

「《ドラゴ大王》! なんもしてないじゃん!」

「そのまま攻撃! ダイレクトアタック!」

「くぅ、革命0トリガー! 《ボルシャック・ドギラゴン》! うぅー、パワーが足りないよ……!」

 

 《ボルシャック・ドギラゴン》のパワーは12000。バトルに勝てなきゃ、《エヴォル・ドギラゴン》の攻撃は止まらない。

 これで、わたしの、勝ち――

 

「……いや、まだだ! 《王・龍覇 グレンモルト「刃」》!」

「!」

 

 《グレンモルト「刃」》……!

 クリーチャーの革命0トリガーは、山札の一番上のクリーチャーを進化元にする。そして、その進化元となったクリーチャーは、一度場に出るから、場に出た時の能力が使える。

 ここでめくられて、進化元になるのは《グレンモルト「刃」》。つまり、ドラグハートが、出て来る……!

 

「パワーを上げる系のは……これだ! 《覇闘将龍剣 ガイオウバーン》! これを《ボルシャック・ドギラゴン》に装備! バトル中のパワーが3000上がる!」

 

 バトル中にプラス3000。元のパワーが12000だから、合計15000。

 《エヴォル・ドギラゴン》のパワーを、上回った……

 

「よーし! 撃破! さらにわたしの火のドラゴンがバトルに勝ったから、手札から《爆竜勝利 バトライオウ》を出すよ!」

「た、ターン、終了……」

 

 ……まずいです。

 これは、もう……

 

「私のターン! えぇっと、まあどうでもいいや! 《ボルメテウス・サファイア・ドラゴン》を召喚! 《ボルシャック・ドギラゴン》で攻撃! 《バトライ閣》の能力で山札をめくって……《ボルシャック・ドギラゴン》……不発したけどそれはそれ! ダイレクトアタック!」

「は、《ハヤブサマル》……ブロック……!」

 

 けど、ダメだ。

 これだけじゃあ、止めきれない。

 

「《バトライオウ》で攻撃! 《バトライ閣》でめくって《無双龍幻バルガ・ド・ライバー》をバトルゾーンに! 二体目のドラゴンが出たから、《バトライ武神》に3D龍解!」

「…………」

 

 この数、この大きさ、この強さ。

 流石にもう、どうにもなりません。

 わたしの手札にはもう、シノビも、革命0もない。

 この攻撃は、防げない。

 

「あははっ、楽しかったよ小鈴。またデュエマしよう!」

 

 暁ちゃんは、爽やかにそう笑った。

 その笑顔は、太陽のように眩しい。あたたかくもあり、熱くもあり、からっとした晴天のような、気持ちのいい笑みだった。

 ……恋ちゃんがこの人のことを好きになるのも、少し、わかるかも。

 負けたのに、むしろ気持ちがいい対戦。そういうのも、今までなかったわけじゃないけど。

 暁ちゃんとの対戦は、なぜだか、今までの中で一番、すっきりしていたから。

 

 

 

「《爆竜勝利 バトライオウ》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ……はい、負けちゃいました。

 今回の大会はトーナメント形式。一度負けちゃったら、もうおしまい。つまりわたしの出番はもうありません。

 呆気なくわたしの大会は終わってしまったけれど、みんなはどうだろう?

 誰か、勝ち残ってるかな?

 

「ユーちゃん、負けちゃいました……」

「私も負けてしまいましたが、得るものは少なくありませんでした。良い経験でしたよ」

「普通に負けた」

「右に同じく」

「あ、アタシも……」

 

 敗戦報告が続々上がってきました。

 みのりちゃんや霜ちゃんまで負けちゃうなんて、実はすごくレベルの高い大会だったのかな……?

 

「皆負けちゃったんだねぇ」

「そういう先輩はどうなんです?」

「れんちゃんみたいなちっこ可愛いクールビューティー美少女にフルボッコにされた。気付いたら場と手札とマナ(リソース)全部吹っ飛んだんだけど」

「なんだ、結局負けてるじゃん」

「……ところで、その日向さんは……?」

 

 そういえばいないね?

 キョロキョロとあたりを見回してみると……いた。

 暁ちゃんとお話ししている……というか、腕に抱きついてる……?

 

「あきら……私、勝った……次、あきらと……」

「恋とデュエマかー。ぶっちゃけキツいなぁ。勝てるかなぁ」

「私は……あきらと、デュエマ、できるだけで……うれしい」

「そりゃ私も嬉しいけど、やっぱ勝ちたいしなー。恋には全然勝てないんだよねぇ。なんであの時勝てたんだろ?」

「二回戦……たのしみ……」

「楽しみだねぇ。恋は全力を出し切っても倒しきれないから、なんか、ずっと楽しいんだよね。勝てないけど」

「私が、いくら、止めても……進み、続けるの……あきら、だけ……ずっと、たのしい……ずっと、ずっと……」

 

 なんだか、今日の恋ちゃんはとても楽しそうだ。……楽しそう?

 ちょっと会話が不穏な気もするけど、邪魔しちゃ悪い気がする。恋ちゃんは今日という日を、すごく楽しみにしていたみたいだし。

 

「恋は二回戦進出か。なら、ボクはそちらの観戦でもしようかな」

「なら私もー。ちょっとお話ししたい人もいるし。妹ちゃんたちは?」

 

 霜ちゃんと謡さんは会場に残るらしい。

 わたしは……どうしようかな。

 今の恋ちゃんのところにはあまりいない方がいいような気がする。もうすぐ十二時、お昼だし、ご飯を食べに行ったりするのがいいのかな?

 

「じゃあ、わたしはお昼を食べに……みのりちゃんたちも来ない?」

「うぇっ! 魅力的なのに破滅的に聞こえる悪魔の囁きだ」

「えっ? ど、どういうこと……?」

「夏祭りに見た悪夢がちょっとね」

 

 夏祭り? みんなで仲良くご飯を食べたりしてたと思うけど……悪夢?

 ちょっとよくわからない。

 

「んー……よし! ユーリアさん、君に決めた!」

「ユーちゃんです? わかりました!」

「いいのか実子。飯だぞ」

「吐いたら元も子もないからね! いくら私でもゲロインはごめんだよ」

「ユーちゃんが行くのでしたら私も行きます。ハメを外しすぎないよう、ちゃんと見ておかないと」

「うわ面倒くさいのもついてきた……」

「それはどういう意味ですか? 香取さん?」

「喧嘩するなよ、こんなところで」

「そーくんには言われたくないと思うけどなぁ、それ」

 

 みのりちゃんの言ってることはよくわからなかったけど、とりあえず、あちらはみのりちゃん、ユーちゃん、ローザさんの三人で動くみたい。

 霜ちゃんと謡さんはここに残って恋ちゃんの応援だから、となると……

 

「代海ちゃん、一緒にいこ」

「は、はい……」

 

 わたしは、代海ちゃんと一緒に、文化祭を回ることになりました。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 時間もお昼近くだし、とりあえず外に出て来ました。

 卯月さんを追いかけていた時はあんまり気にしていなかったけれど、知らない場所で、知らない人たちが形成する祭りというのは、なんだかとても不思議な気分だ。

 言葉は通じる。けれど、目に映る風景、建物、自然、人々、全部が未知のもので、新鮮だ。それはちょっと怖くもあるけれど……みんなと一緒に来たわけだし、今は代海ちゃんもいる。

 そういえば、代海ちゃんとこうして遊ぶのも、ちょっぴりご無沙汰だ。

 

「最近あんまり代海ちゃんと会えなかったから、ちょっと嬉しいね」

「あ、は、はい。そ、その、あ、アタシも……最近は、ぼ、帽子屋さんに、頼まれ事を……」

「帽子屋さん……」

 

 今日も遅れて来ていたけど、それも帽子屋さんとの用事と言っていた。

 帽子屋さん……かぁ。

 わたしが黙ってしまったのを見て、代海ちゃんは、不安そうに瞳を潤ませる。

 

「こ、小鈴さんは、帽子屋さんの、こと……お、お嫌い、ですか……?」

「うーん……」

 

 難しい質問だ。

 帽子屋さんとは……代海ちゃんも含む【不思議の国の住人】の人たちとは、確かに色々あった。

 一方的に付け狙われたこともある。色んな人を傷つけられたこともある。けれど同時に、手を取り合ったことも、一緒に笑ったこともある。

 帽子屋さんという人について、わたしはよくわからない。【不思議の国の住人】という総体が、ひとつの思想で構築されているわけではないことも知った。

 好きか、嫌いか。彼らを、そんな単純な言葉で言い表すことは、とても難しい。わたしは、上手く答えが出せなかった。

 だから、逆に聞いてみた。

 

「代海ちゃんは、帽子屋さんのこと、どう思ってるの?」

「あ、アタシ、ですか……?」

 

 代海ちゃんはびっくりしたように目を丸くして、ぎゅっとフードを深く被り直し、考え込む。

 追想するように、ゆっくりと、じっくりと、代海ちゃんは静かに目を閉じていた。

 やがて、代海ちゃんは、揺るぎない瞳で、言った。

 

「……帽子屋さんは、恩人、です……」

 

 確かに、はっきりと、震えを押し殺した確固とした声で、宣言する。

 

「雛鳥は、生まれてはじめて見るものを、親とする……って、聞いたことが、あ、あるんですけど……アタシは、“最初の首を落とされた時”に、一度……新しく、生まれたようなもの……です」

 

 最初の首……

 代海ちゃんが、今の代海ちゃんである前にあったという、頭。今の代海ちゃんは、その頭がなくなった代わりとして、自分の頭を生み出した……らしい。

 首を落とす、斬首という行為は、最も有名な処刑の方法のひとつだと思う。

 つまり、それは単純明快で誰にとっても通ずる“死”だ。

 代海ちゃんが一度死んでいるとするのなら、今の代海ちゃんは、生まれ変わったとか、生き返ったとか……あるいは、新しい命が生まれた、と考えることもできるのかもしれない。

 ……怖い、話だけども……

 代海ちゃんはまっすぐにわたしを見つめて、続ける。

 

「そ、その時……はじめて、アタシに、手を差し伸べて、くれたのは……アタシに『代用ウミガメ』の、名前をくれて……【不思議の国の住人】っていう、居場所をくれて……アタシの、生きる道を、示してくれたのは……帽子屋さん、です……」

 

 自分という意志を得て、最初に目にした者が、帽子屋さん。

 とすると、帽子屋さんは、代海ちゃんにとっては、親鳥のようなものなのかもしれない。

 ……それだけじゃ言い表せないほど、二人の……うぅん、【不思議の国の住人】という関係は、単純ではないのかもしれないけれど。

 

「……正直な、ところ……帽子屋さんは、こわい、です。なに考えてるか、わからないし……たまに、む、むちゃくちゃなこと、言いますし……頭、おかしい、ですし……たぶん、あの人は……こ、心が、ありません……」

 

 なんだか思っていた以上に酷い物言いだったけど、それは帽子屋さんへの嫌悪とは、違うように思えた。

 むしろそれは、信頼の裏返し、みたいな。

 未知なるものでも、自分の理解の及ばないものでも――人ならば敬遠し、恐怖するような存在でも、寄り添えるだけの、ある種の諦念であり受容のようなものに思える。

 

「帽子屋さんは、なにか、大切なものがなくなっちゃった、みたいな人ですけど……でも、あの人が、なにを考えて……なにを思っていようとも。アタシは、帽子屋さんに救われた……その事実だけは、変わらない、です……」

「…………」

「だから、帽子屋さんも……帽子屋さんが作り上げた【不思議の国の住人】も……アタシにとっては、大事、です……帽子屋さんのいない、【不思議の国の住人】なんて……帽子屋さんがいない、アタシの“生”なんて……あり得ない、です……」

「……そっか」

 

 色々、複雑な事情が絡んではいるみたい。単純に、いいとか、悪いとか、好きとか、嫌いとか、そういうことは言えない。

 けれど、いいも悪いも、好きも嫌いも、すべて別として――大切、ではある。

 それなら、わたしの答えも決まったね。

 

「わたしは帽子屋さんのことは代海ちゃん以上に知らないけど……代海ちゃんが信じる人なら、わたしも信じたいな」

「でも、アタシたちは……」

「……うん」

 

 代海ちゃんが、本当のところでは人間でないことは知っている。

 帽子屋さんの掲げる野望も。そのために、わたしや、あるいは人間という種に牙を剥くかもしれないということも、わかってる。

 

「でも、こうしてわたしたちと一緒にいる代海ちゃんは、人間と……わたしたちと、同じだよ」

 

 それに、なにより。

 

「代海ちゃんは、わたしの友達だから」

 

 それは、変わらない。

 ずっと同じだ。わたしがそうと決めた時から、その事実は揺るがない。

 

「大変なことも色々あると思うし、相容れないのかもしれないけど……少なくとも、わたしは、代海ちゃんのことは大事な友達だと思ってるよ。だから、ずっと一緒に遊んでいたいし、一緒にいたい。おいしいものも一緒に食べたいな」

「小鈴さん……」

「あはは……今のはちょっと、ユーちゃんっぽかったかな」

 

 組織、思想、種族。色んなしがらみはあるのだと思う。

 わたしの知らないところで、わたしの知らない物語が綴られている。それはとても気になることだけど、わたしはそれに関与できない。

 それが普通で、それが自然なのだ。

 代海ちゃんには代海ちゃんの物語がある。けれど同時に、わたしにはわたしの物語がある。

 そして、わたしと代海ちゃん、二人の物語もある。

 それがあるだけで、わたしにとっては十分。

 わたしはただ、友達と一緒にいたいだけだから。ずっと、ずっと、これからも。

 今それが果たされているのなら、それ以上の喜びはない。

 わたしは、代海ちゃんの手を取った。

 

 

 

「いこっ、代海ちゃん。お祭りだよ。おいしいものをいっぱい食べよう!」

 

 

 

 そして、彼女の小さく細い手を引く。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――アタシは、ここにいてもいいのだろうか?

 

 それは、アタシが……いいや、きっと、他の【不思議の国の住人】の皆も、大なり小なり考えたことだと思う。

 野に、海に、空に、沼に、山に、森に、あらゆる生き物が満ちているこの世界。彼らは各々、独自の秩序を構築し、生きている。

 じゃあ、アタシたちは?

 アタシは、アタシたちの詳しい起源を知らない。帽子屋さんや、バタつきパンチョウさんは知っているようだけど……でも、アタシたちも、この世界に産み落とされた命であることに違いはない。

 つまりアタシたちは、この世界で生きる権利がある。外来の侵略者でも、外宇宙からの簒奪者でもない。

 でも、この世界で生きる権利があっても、他者の社会で生きることは、赦されるのか。誰かの輪の中にひっそりと潜り込んで生きることは、正しいのか。

 それはアタシたちにとって永遠の命題。そして帽子屋さんは、それを否とした。

 だからアタシたちは、いつか、アタシたちによる、アタシたちだけの社会を作らなければならない。

 そうしなければ、訪れるのは滅亡。存在の定義すらされない、アタシたちという異形の種の絶滅だ。

 アタシたちが人の姿をしているのは、それが、生きるために都合がよかったから。人の社会に寄生する在り方は、惰弱なアタシたちが生き延びるための、か細い命綱だ。

 人の社会は、アタシたちにとっては手本であり、同時に、アタシたちが生きるための、苗床だ。

 アタシたちは、人に寄生しながら生きている。美味しい汁を啜り、旨みを掠め取って、死にそうになりながら、自己中心的に生きている。

 だからこれは、負い目、なんだと思う。

 アタシたちは人間を利用している。今も、昔も、そしてこれからも。利用して、吸い尽くして、絞り尽くして、刈り尽くす対象。アタシたちが繁栄できた結果、滅んだとしても、構わないと思っている。

 人間とはアタシたちにとって、最大の障害であり、最高に利用価値のあるもの……だったはずだ。帽子屋さんも、そう言っていた。同意しているかはさておき、それは【不思議の国の住人】皆が共有している考えだ。

 けれどあの人は……そういう感じじゃない。

 アタシたちの悪辣で、醜悪で、穢悪な一面を知っても、太陽みたいに輝いている。

 薄汚れた命で這いつくばるアタシに、手を差し伸べてくれる。

 それはきっと、嬉しいんだと思う。助けられる喜びは、確かに感じる。

 けれど同時に、アタシたちの狡猾さが、恥ずかしくて、申し訳なくて、いたたまれなくなる。

 人を食い物としか思っていないような存在が、こんな綺麗で、純真で、光輝な人の側に、こんな優しい人が作る集団に、いてもいいのだろうか。

 見てくれだけ人の姿を繕っているだけで、中身は未知の怪物と変わりないような、アタシが、いてもいいのだろうか。

 あの人はきっと赦すと思う。受け入れてくれるし、認めてくれる。それだけの受容が、彼女にはある。

 アタシは、そのあたたかさに惹かれた。その柔らかさに救われた。

 アタシを生かしてくれたのは紛れもなく帽子屋さんだけれど、アタシに喜びや楽しさをくれたのは、間違いなくあの人なんだ。

 どん詰まりになって、邪悪を貪るように生きるアタシたちでも受け入れてしまう、優しいあの人。

 けれどアタシたちはどうしようもなく、人間にとっての悪だ。やはり、その事実も変わらない。

 アタシは、アタシたちという悪逆を、あの人に受け止めさせてしまっている。

 二律背反。善意と悪行がない交ぜになって、混沌を生み出している。

 嬉しいけど、恐ろしくて

 楽しいけど、悲しくて。

 幸せだけど、苦しくて。

 それでもアタシは、帽子屋さんに生かされながら、あの人にすり寄っている。

 でも……それでいいのだろうか?

 あの人と会っていない理由。それは、帽子屋さんに頼まれた“産卵”も理由だけれど、それだけじゃない。

 今のアタシは、人の生み出す和に入っていいのだろうか。そんな不安が、ずっと渦巻いている。

 だって、今のアタシは……

 

「卯月さんが言ってたんだけど、調理部? っていうところで、美味しいパンを焼いてるんだって。行こうよ!」

 

 ドクンッ、と心臓が跳ね上がる。それが本当に心臓なのかどうかはわからないけれど、わたしの焦燥と悪寒が、熱を持って、冷たく身体を這い回る。

 あの人は、アタシの手を引く。いつもよりも無邪気に。純粋で完全な善意で。

 あぁ、でも、ダメだ。

 だって、だって、だって、今の、アタシは……

 

「わぁ、いい匂い……これ手作りなんだ。すごいね!」

「あ、あ……は、はい……」

 

 焼け焦げた臭気が鼻を突く。肺のようなものに満たされたそれは、内側から、アタシの身体を焼くように甚振る。

 身体の中にあるものを絞り出して、締め出して、抉り出すように、全身がキュゥッと痛む。

 腐乱死体でも目にしたかのように、気持ち悪い。腐臭を吸い込んだかのように、不愉快だ。

 

(前より……すごい、酷く……っ)

 

 日に日に増していく嫌悪感。重くのし掛かる吐き気。

 臭いだけでこれだ。だとすると、実際に口にしてしまったら、耐えられる気がしなかった。

 

「すいませーん! これとこれ、二つください!」

 

 彼女が注文する。判決を下されたような衝撃が、稲妻のように身体を貫く。

 

「はい。代海ちゃん、メロンパン好きだったよね?」

「あ……は……は、はい……」

 

 好きだった。そうかもしれない。好き、だった。

 かつては、あるいは、本来は、そうかもしれない。

 けど、今は……いや、ひょっとすると、これが、本来の……

 

「…………」

 

 手渡されたそれは、猛毒を放つ宝石のようだった。

 吐き気を催すほどの生理的嫌悪感。口に入れるまでもなく、身体が拒絶している。

 それは、口にしたくない、と。

 アタシではない誰かが叫ぶように、この身体が拒んでいる。

 

「どうしたの? 代海ちゃん。食べないの? パンはあつあつのうちがおいしいんだよ?」

「あ、い、え……その……」

 

 ――食べなくちゃ。

 彼女の期待は、裏切れない。

 理解しがたい善性。実感の湧かない優しさ。彼女の真意を、本心を、本当の意味で知ることはできない。

 でも、それは帽子屋さんと同じだ。

 彼女がどう思っていても、それが弱者への憐憫だとしても、結果として自分は救われたのだ。

 彼女といて、心が安らいだ。和やかで、あたたか気持ちを得た。その心地よさは嘘ではない。

 帽子屋さんが、狂っていながらも、結果としてアタシに居場所をくれたように……この人も、アタシに大切なものをくれた人だ。

 その気持ちを、無碍にはできない。

 この人が一番大切にしている日常を、歪ませるようなことは、できない。

 

(アタシが……ガマン、すれば……いい、だけ……)

 

 手にした熱いそれを、口元に近づける。

 香ばしいはずの臭気は、この世のものとは思えない濁ったものとして、鼻孔を蹂躙する。

 身体の奥から込み上がってくるものを抑えつけようと、その不快な臭いを掻き消すために息を吸うが、結局その不浄の如き臭気がさらなる嫌悪を湧かせるだけだった。

 手が止まる。それはやめておけと、なにかが囁く。そんなものは喰うものじゃないと。もっと他に、口にするべきものがあるだろうと。

 

(食べなきゃ……小鈴さんに、心配、かけたくない……小鈴さんの、優しい世界に……アタシが、亀裂を、入れる、わけには……)

 

 胸のあたりが澱んでいる。息苦しくて、胸がつっかえて、辛くて、鼓動がどんどん早くなる。

 全身が熱を帯びているように、熱く、痛い。なのに怖気が止まらない。悪寒が走って、脳を揺さぶり、不快感を波紋のように広げていく。

 一瞬、この胸のあたりの堰をすべて吐き出してしまえば、楽になるのではないかと考えた。

 けれどそれはダメなのだ。それは、彼女の迷惑になってしまう。耐えなくては。

 汚穢なるものを口にすることを。全身を駆け巡る痛みと、気持ち悪さを。

 震えながらも、それを、噛み切る。

 味なんてわからなかった。それはただ熱を持ち、吐き気を促進させるだけ。

 今すぐ、この異物を、口腔から排除したい。身体は、それを求めていた。

 けれど、それは、嫌だった。

 

(吐いちゃダメ、吐いちゃダメ、吐いちゃダメ……! 飲み込むだけ。飲み込めば、おしまいだから……だから、耐えて、アタシ……!)

 

 ぐちゃぐちゃに咀嚼されたそれを、飲み込む。

 喉も嚥下を拒絶する。嫌だ嫌だと、認めない。

 しかし嫌なのは、身体も、意志も、同じだ。

 この身体が食べるのを嫌がっている。けれどここにいる自分という意志は、彼女に差し出されたものを食べないことが――それによる、彼女への不義が、心底嫌だ。

 いつもなら安全で、安心で、安楽な道を選んでいたかもしれない。辛いのも、苦しいのも、痛いのも、嫌だから。

 けれど今はそれ以上に、彼女への義理を果たせないことの方が、嫌だった。

 ただその一心だけで、身体が受けつけないそれを、嚥下する。

 

「どう? おいしい?」

「……は、はい……」

 

 視界がぼぅっと霞んでいる。

 けれど、心なしか、心が弾んでいる。

 自分に勝った。彼女への義理を果たせた。それだけで、十分すぎるほどの歓喜が湧く。

 一度飲み込んでしまえば、どうということはない。

 相変わらず目の前のそれは、おぞましい異物にしか見えないが、しかし先ほどよりも矮小なものに見える。

 よかった。本当に、よかった。

 これで、彼女の世界を、守ることができる。

 優しく、あたたかな、ひだまりのような和睦の世界を。

 身体は辛いが、心に余裕は持てた。だから、精一杯の笑顔で、彼女に応える。

 

「とても、おいし――」

 

 

 

 ――世界が、歪んだ。

 

 

 

 神は、禁じられた物事に対して、神罰を下す。神罰は禁を犯したもののすべてを奪う。

 この身体は、受け入れられないものを、認められないものを、取り込んだ。

 無理やり、個人的な意志によって、再三に渡る忠告さえも無視して、禁を破った。

 しからば罰が与えられるのは、道理だ。

 

 ごきゅっ、ごちゅ、ぐちゃ、ごろごろ、ぐるぐる、べちゃべちゃ。

 

「あ……っ」

 

 異音が、身体の内側から響く。

 視界が、ぐちゃぐちゃに歪む。

 身体が、痺れたように震える。

 

(だ、ダメ……ダメ、ダメ……! 出て来ちゃ……戻ってきちゃ、ダメ――)

 

 思わず口元を抑える。が、もう、止まらない。

 腹の奥底から、全身の熱を奪って、汚濁が込み上げてくる。身体に力は入らず、膝が折れる。

 やはり、やはり、そうなのだとこの身体が訴えかける。

 自分は本当に、人の道を外れた、人ならざるものなのだと。

 薄弱な少女の意志程度で、その理を覆せるはずもない。無理を通した結果、待つのは暴力的なまでの道理だ。

 悪しきと断じられたものは、排さなければならない。

 

 

 

 ――ごめんなさい……小鈴さん――

 

 

 

 代用ウミガメと名付けられた少女の、儚き意志は脆く砕かれた。

 もう、人の食するものは口にできない身体になってしまったのだと、我が身が告げた。

 彼女にとって最大の幸福である行為も、物も、この身には害悪でしかない。

 それはまるで、彼女が創り、掲げる、幸せな思想と共同体から、弾き出されたかのようだった。

 

 

 

 『代用ウミガメ』は、惰弱も、悔恨も、羞恥も、彼女の大切なものも、すべて――吐き出した。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「代海ちゃん!?」

 

 あまりにも唐突だった。

 ちょっと顔色が悪いな、とは思ってた。でも、お腹が空いて気持ち悪くなっちゃってるとか、人混みで酔っちゃったとか、そのくらいにしか考えていなかった。だから、外よりも人が少ない室内で、おいしいものを食べようと、そう思ったんだ。

 なのに……わたしは、ただそう思ってただけ、なのに。

 代海ちゃんは、メロンパンを一口頬張っただけで、蹲って、それで……

 

「げほっ、がほっ! ぁ、ぅ……ぉ、え、ほっ、かふ……っ」

「しろ……み、ちゃん……」

 

 ぴちゃぴちゃと、嫌な水の音がいつまでも続いている。

 周りの人たちも騒然としていて、パニックで、なにが起ってるのかも、どうすればいいのかも、わからない。

 わたしはただ立ち尽くして、嗚咽を漏らしてえずく代海ちゃんを、見つめていることしか、できなかった。

 

「ゆーくん、姫ちゃん! 今年もここのおいしい焼きたてパンが食べられ――って、うわなに!? なんか人がすっごいわちゃわちゃしてる!?」

「え……えっ? あ、あの、あそこ、人が、倒れ、て……?」

「……ちょっとこれはヤバいな」

 

 誰かが教室に入ってくる。三人組の男女。どこかで見覚えが……あの小柄な人は、このみさん……?

 

「このみ! 保健室から先生呼んでこい! 急げ!」

「あ、う、うん!」

「光ヶ丘は、悪いけど一緒に来てくれ。たぶん女子がいてくれた方がいい」

「う、うん。わかった」

 

 ……思い出した。確か、大会の会場にいた高校生の人たち……この学校の卒業生だっていう人たちだ。

 男の人は暁ちゃんのお兄さんだとか聞いたような気がする。

 頭の中が、変に冷めている。雪原のように、真っ白で、冷え切っていて、動かない。

 どうでもいいことばかりが浮かんでくる。今は、そんなことを考えている場合じゃないのに。

 

「おい! なにがあった?」

「……あっ、え、えっと……」

 

 声をかけられて、我に返る。声が上手く出せない。

 でも、伝えなきゃいけない。なにも考えられない頭で、言葉を絞り出す。

 

「あっ、あ、あ、あの……と、友達が、急に……」

「……うん。とりあえず仰向けにしないように。吐瀉物が喉に詰まって窒息する」

 

 と、男の人は、ぐったりとしている代海ちゃんの頭を、下に向ける。

 そして、わたしじゃなくて、他の人――たぶん、調理部の部員さん――に声をかけた。

 

「なにがあったの?」

「それが、私たちにもなにがなんだか……その人がパンを口にしたら急に……」

「急に? 食中毒とかじゃないのか……? この子、アレルギーとか、ある?」

「さ、さぁ……でも、前にもメロンパンは食べてたから、ないと、思います……」

「調理部。ここのパン、なにか変なの入れてない?」

「へ、変なものなんて入ってません! アレルギー表示だってちゃんとしてますよ。卵とか、牛乳とか、小麦とか……」

「見た感じ、普通にパンで使われてるものっぽいよ。空城くん」

「じゃあ純粋な体調不良なのか? 流石に今のままじゃなにもわからないな……君、意識はある?」

 

 男の人は代海ちゃんに呼びかける。

 すると代海ちゃんは、嗚咽を漏らしながら、ぴちゃぴちゃと水音を滴らせながら、涙を浮かべて、ひゅーひゅーと掠れた声を絞り出した。

 

「お、ぇ……く、あぅ、……ず、ん……こす……さ、い……」

「とりあえず休ませた方がいいな。今は文化祭中で人も多いし、あんまり人目について大事にすると面倒だな……もう手遅れかもしれないけど」

「どうするの?」

「人目につかないところとなると……通気性がよくないけど、トイレあたりが無難か。女子トイレは僕は入れないから、悪いけど、光ヶ丘。頼んでいい?」

「うん、任せて」

「僕は水を持ってくる。で、この教室だけど……調理部連中には悪いけど、床の処理は頼む。というか、今日はもう店仕舞いか」

「とんだハプニングですけど、仕方ないですよね……」

 

 代海ちゃんは女の人に連れて行かれ、男の人は水を取りに教室から出る。調理部の人たちは床を拭き、ざわめく他の人たちを宥めたり、追い返している。

 

「…………」

 

 その間、わたしは立ち尽くしていた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「代用ウミガメは生きてるか?」

 

 開口一番、アヤハさん――『ヤングオイスターズ』の長女さんはそう言って、保健室のベッドで寝ている代海ちゃんを見下ろす。

 保健室には、わたしと、このみさん、それから夕陽さん――暁ちゃんのお兄さんらしいです――に、光ヶ丘さんっていう二人のご友人。それから、たまたま近くにいた恋ちゃんもいた。

 

「だいぶやつれてんな。ま、当然か」

「あ、アヤハ、さん……」

「立てるか?」

「は、はい……なん、とか……」

 

 代海ちゃんは、ゆっくりと身体を起こす。

 ……あの後、教室は片付き、保健の先生がやって来て、代海ちゃんをここまで運んだ。

 代海ちゃんは顔が真っ青で、辛そうではあったけど、症状はすぐに落ち着いた。保健の先生が言うには、疲労や体調不良、食べ物の匂い、人酔いなんかが重なった結果じゃないか、と言っていたけど……実際のところ、原因はよくわからないらしい。

 それで一度、救急車を呼ばれそうになったけれど……それはわたしがなんとか止めた。身体の色んなところが人間として異常のある代海ちゃんだ、もし病院で検査を受けて、人間じゃないことが知られてしまったら……とんでもないことになりかねない。

 だから保護者代わりとして、急いでアヤハさんに連絡して来てもらったんだけど……

 

「ふん。まあとりあえずこいつは回収していくぞ。ったく、なんでワタシがこんなことを……バイト中だったってのに……」

「すみません……先生とか、葉子さんにも連絡したんですけど……どっちも繋がらなくて……」

「で、繋がっちまったワタシが割を喰う羽目になった、と。まあ、ハエのにーさんは無視するだろうし、チョウの姉御はまた携帯ぶっ壊しててもおかしくねーし、しゃーねーか。ネズ公やらユニ子やら、ガキ共呼ぶわけにもいかねーしな」

 

 アヤハさんは代海ちゃんを担ぎ上げておぶる。

 そして、かつかつとすぐさま保健室から出て行く。

 

「じゃあな。うちのガキんちょが世話になった」

 

 ぴしゃり、と扉が閉められる。

 しばらくの沈黙。最初に口を開いたのは、保健の先生だった。

 

「まあ、なにかの病気とかでもなさそうだし、安静にしていれば大丈夫だと思いますよ。空城君が色々対応もしてくれましたし……それにしても、君は昔からこういうことに慣れていたけれど、どうしてですか? 先生は興味から気になります」

このみ(こいつ)の暴走の副産物です。夏の炎天下で走り回ってバテて吐くとかしょっちゅうだったので」

「あたし? そんなことー……あったー、ようなー?」

「あぁ成程。理解と納得しました。ついでに君の功績も褒めておきます」

「いや別に……」

「ゆーにぃ……おてがら……すごい、ほめる」

「君はどういう視点で僕のことを見てるんだよ……暁の奴、よくこんなのと付き合えるな……」

「きらちゃんは誰とでも仲良くできるからね!」

「……まあ、僕もこんなのと十年以上付き合ってるわけだし、同じようなものか……」

 

 …………

 わたしは、代海ちゃんの後を追うように、保健室の扉を開いた。

 けれど恋ちゃんが、こちらを向いて、首を傾げる。

 

「こすず……? どこに……?」

「……ごめん。ちょっと、わたし……」

 

 そして、音もなく、扉を閉めた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 人気のない場所を彷徨い歩いていたら、どこかよくわからない場所――たぶん、校舎裏とだと思う――に来てしまっていた。

 ここがどこかはわからないけど、人がいないなら、それでいい。なんとなく、一人になりたかった。

 建物の陰に腰を下ろして、空を見上げる。

 わたしの気持ちなんかと関係なく、この空は青く、広く、快く、輝くように晴れている。太陽は冷たい秋風を掻き消すように、等しく光を降り注ぐ。

 

「はぁ……」

 

 溜息が漏れる。疲れたし、それに、なんだか色々と、胸の中で渦巻いている。

 ぐちゃぐちゃしてて、気持ち悪い。暗く、濁っていて、不愉快だ。

 それに、なにより……

 

「……代海ちゃん」

 

 ぽつり、と言葉が漏れた、その時。

 声を、かけられた。

 

「あ、小鈴ちゃん。こんなところにいたんだ」

「!? い、いつきくん……!?」

 

 振り返ると、そこにいたのは、いつきくんだった。

 な、なんでいつきくんが……!? 午後は、卯月さんと一緒に……あ、ってことは、卯月さんもここに……!?

 と思ってきょろきょろと視線をあちこちに向けるけど、卯月さんの姿はなかった。

 

「沙弓ちゃんならここにはいないよ」

「そ、そうなん、ですか……えっと、卯月さんと、一緒に回ってたんじゃ……?」

「うん、そうだったんだけど……」

 

 

 

 ――いい感じの時間になったところで、私から一騎君にサービスよ。残りの時間はあの子のところに行ってあげなさい。理由は聞かなくていいわ。私もあなたの事情をほんのちょびっとくらいなら汲み取ってあげる優しさがあるんだから。ほら、お互いに色々話したいこととかあるじゃない? 私なりの気遣いよ、気遣い。あ、お礼は今度ご飯を奢ってくれるだけでいいわよ。手料理でも可。美味しい方を頼むわね。

 

 

 

「って」

「ど、どういう、ことですか……?」

「俺にもさっぱりわからない」

 

 なんというか、最後までよくわからない人だったな、卯月さん……なにを考えているんだろう? もしかしたら、なにも考えていないのかもしれない。

 いつきくんは静かにわたしの横に腰を下ろして、二人で快晴の空を見上げていた。

 やがて、いつきくんはわたしに問う。

 

「……亀船さんのこと?」

「うん……あっ。は、はい」

「そんな畏まらなくてもいいよ。自然体で話してくれればいいから」

「う、うん……」

 

 な、なんか、変な感じ、する……先輩なのに、年上なのに、敬語じゃないって……

 今までずっと敬語だったから、友達みたいに話すの、むずむずしちゃう……

 

「いつきくんは、知ってるの……?」

「あぁ、うん。というか結構な話題になってるよ」

「……そっかぁ」

「彼女のことが心配?」

「それは、そうなんだけど、そうじゃなくて……」

「倒れた原因は問題じゃない。なら、君のこと?」

「……うん」

 

 ……鋭いなぁ。

 いや、わたしがわかりやすいのかな。

 いつきくんはなにも言わなかったけど、わたしは思わず、吐露してしまった。

 

「代海ちゃんが倒れた時、わたし、なにもできなくて……頭、真っ白になっちゃって……」

 

 友達が大変な時に、なにもできなかった。

 代海ちゃんの不調にも気づけなかった。

 それが……悔しくて、悲しくて、情けなくて。

 あんなことを言った手前、こんなことになってしまって……自分の鈍感さも、無力さも、色々、嫌になって……

 色んなものが、ごちゃごちゃと、わたしの中で渦巻き、暴れているみたいになって、苦しくなったんだ。

 

「……小鈴ちゃん」

 

 いつきくんは、わたしに顔を向ける。

 そして、淡々と、告げた。

 

「君ができなかったことは、君にできないことなんだよ」

「っ……だ、だけど……!」

「でも、それは恥じゃない」

 

 いつきくんは優しい表情で言う。

 

「君の力は、君一人の力じゃない。誰かが君を助けてくれるのも、君の力だ」

「誰かの助けが、わたしの、力……?」

「君だって、誰かを助けたいって思うだろう? それと同じさ」

 

 なんだか、前にも似たようなことを言われたような……

 

「でも、いつきくんは、一人でなんでもできちゃうよね……やっぱり、自分で動けないと……」

「……皆、俺を買い被りすぎだよ。俺は、一人でなんでもやろうとしてしまうだけで、結局、俺にできることは、俺にできることでしかないんだ」

 

 ふぅ、といつきくんは嘆息した。

 そして一度、大きな秋空を仰ぐ。

 

「俺は色んなものを取りこぼしてきた。大切な人を失いかけたし、親友と決裂もした。でも同時に、俺がこぼしたものを拾ってくれた人もいる。俺が抱えるものをこぼさないように支えてくれる人もいる。部の皆、暁さん、沙弓ちゃん、浬君……色んな人に迷惑かけながら、俺は無様に生きているんだよ」

「無様なんて、そんなこと……」

「周りからどう思われているかはともかく、俺の自己評価はそんなものさ。俺は、本当は一人じゃなにもできないんだ。なのに一人でなんでもやろうとして……昔からの悪い癖だ。いつだって、いつだって、気骨を砕かれそうになりながら、自分の無力さを思い知らされながら、地を這うように前に進むしかないんだ」

 

 ちょっと、意外だった。

 謙虚な人だとは思っていた。けれど、やっぱりいつきくんは、わたしたちが思う以上に……普通の、男の子みたいなことを言う。

 

「わたしは、いつきくんは、なんでもできるんだと……部長さん、だし」

「部長ってのは関係ないでしょ……なんだかよく勘違いされているみたいだけど、俺は部長になるべくしてなったわけじゃないんだよ。他になれる人がいなかったから、消去法的に部長になっただけなんだ」

「えっ? そ、そうなの?」

「そうだよ。前任の部長からも「ツッキーを部長にするのは嫌だなぁ。いやまあ、二年生や新入部員にやらせるわけにもいかないし、しゃーないか」なんて言われちゃったもん」

「ツッキー!?」

 

 そんな愛称があったの!?

 じゃなくて!

 

「いつきくん、そんなに部長になるの渋られてたの……? どうして……?」

「人を使うっていうのが、致命的に苦手でね。前任の部長には、よくそういうところを指摘されたものだよ。なんでも一人でやってしまうのは、人の上に立つ者としては三流。人を上手く動かせてこその部の長……うん。だから俺は、軍師じゃなくて、兵士の気質なんだろうね」

 

 なんでも一人でやってしまう……ちょっと、お姉ちゃんみたい……

 あぁ、でも、納得はしたかもしれない。

 確かに、いつきくんはなにかあると、自分から動きそうな気がする。

 それはいいところだと思うんだけど、必ずしもいいことばかりではないようだ。

 

「一騎当千は国士無双ならず。名将は名師にあらず。千人の首を取る力と、千人の兵を操る力は別物だ。その役割が同じ人物が務まるとは限らないし、それぞれ別の資質が必要になる。俺は本来、駒として動かされる側の人間だ。だけど今の俺は、軍師としての役割を求められている……ままならないね。誰かのためになりたいと思っても、自分で動かず、誰かを動かすことを要求されるだなんて」

 

 渇いた笑いを零すいつきくん。

 それは諦めのように、悔やんでいるようにも、受け入れているように、奮起しているようにも見えた。

 不思議な、決意だ。

 

「……うん。まあ俺の話はいいんだよ。君には、俺のような“縛り”がないしね」

 

 我に返ったかのように、いつきくんは話をわたしのことに戻す。

 再び、わたしを見た。

 

「君には、君の力がある。他の誰かを動かすような、周りの人を君の色に染めるかのような、ある種の魅力みたいなものが」

「み、魅力……? そんなの、わたしには……ないよ……?」

「そんなことないと思うけどなぁ。たとえば……そう、恋。あいつ、復学してからも暁さんにしかなびかないどころか、周りに噛みついてばっかりだったのに、伊勢さんと関わるようになってから、凄く丸くなったんだ」

「え……そ、そうなの? 恋ちゃんって、昔からあぁなんだとばかり……」

「表面上はあんまり変わってないかもしれないけどね。でも、なんていうか、今の恋は確実に……“優しくなってる”。小鈴ちゃん、君のように」

 

 わたし、みたいに……?

 恋ちゃんの優しさは、苛烈ながらも何度も目にしている。

 けど、その優しさが、わたしの影響……?

 そんなことが、あるの……?

 

「わたしは……一人じゃ、なにもできないし、今日だって全然なんにも力になれなかったのに……」

「自覚的になにかを為すことだけが力でも強さでもないんだよ。自分の力ではどうにもならなくても、力を合わせたり、他の誰かの助けで、物事が解決できる。それが人の輪、人の社会のいいところだ。たとえ小さなコミュニティだとしても、その根本は変わらない。そして、そうなるように人が動く、そういう“空気”を作るのもまた、ある種の魅力であり、力であり、強さだ。それが君だよ」

 

 空気を作るのが、強さ……?

 みんなが助けてくれるのが? みんなが側にいてくれるのが?

 それはむしろ、申し訳ないと、思うんじゃなくて……?

 

「あぁ、そうさ。情けないさ。申し訳ないさ。自分の力でどうにもできないから、誰かに支えられてばっかりなのは、辛いさ。俺だってそうだ。でも、その苦しみは、正しい苦しみだ」

「正しい……? 苦しさに、正しさがあるの?」

「あるよ。むしろ、その苦しさをまったく感じない方が、どうかと思う。自分の至らなさを悔やんで、苦しくて、辛くて、だからこそ、その悔恨を糧に、俺たちは前に進むことができる。それはとても素晴らしく、尊いことだ」

 

 いつきくんは、立ち上がった。

 わたしからすれば、大きな身体。細いのに、力強くて、けれど優しい。

 わたしを見下ろしながら、彼は言った。

 

「自分の弱さを飲み込んで、弱い自分を支えてくれた人への感謝と、その喜びを噛み締める。それらを糧に、未来へと歩を進める。それが人の輪であり、和の力。誰かに助けられるということは、自分の無力さの証明じゃない。仲間という力、そして、将来への展望の証だよ」

「……む、難しいよ……わたしには……」

「ははは、抽象的だったかな。流石姉妹、やっぱり似てる、あいつと同じだ。身近な言葉で置き換えた方がわかりやすいか。そうだな……君になら、こう言った方がいいかな」

 

 いつきくんは少し考えてから、柔和な笑みで、わたしに教えてくれた。

 

 

 

「誰かが助けてくれたら「ごめんなさい」じゃなくて「ありがとう」って言うんだよ」

 

 

 

「……あ、ありがとう、って……?」

「まあ、受け売りだけどね。俺が、最初に“部長”から言われた言葉だ」

 

 少しバツが悪そうにしているいつきくん。

 けれどこの言葉は、とても、とても、あたたかく、柔らかく、優しく、染みるように、溶け込んでくる。

 

「俺が知っている小鈴ちゃんは、泣いている女の子だったけど……君はきっと、笑っている方が可愛い」

「かわっ……!? ふぇ、ぅ、ぁぅ、そ、それは……」

「だから俺は、申し訳なさから俯いているよりも、友の支えに感謝できる君でいて欲しい。責任感じゃなくて思いやりで、思い詰めずに朗らかに。そうしていつか、君も誰かを支える力になる。その方がきっと、明るくて、優しくて、君らしいから」

 

 慌てふためくわたしをよそに、いつきくんは、沈み行く太陽を背に、毅然と告げた。

 

「恥じることはない。自分の弱さも受け入れて、頼もしい仲間を持てたことを、誇ればいい」

 

 ――その方が、素敵だと思う。

 そう言って、いつきくんは微笑んでいた。

 

「い、いつきくん……」

 

 なんと、言葉を返せばいいのだろう。

 でも、なんだろう。なんとなく、わかる気がしてきた。

 たぶん今わたしは、いつきくんに感謝している。ありがとうって、思ってる。そう思うと、立ち上がる気力が湧いてくる、ような気がする。

 それに、胸の内側が熱い。自然と、気分は悪くない。むしろ心地いいくらいだ。

 ……あぁ、やっぱり

 いつきくんは、いつきくんだ。わたしの知っているいつきくんも、知らないいつきくんもいるけど。彼は彼なんだ。

 感謝。それは、わたしが彼に抱いた最初の気持ち。それが高じたのが今……だったと、思うけど。

 それだけじゃないんだ。仮にそうであったとしても、わたしは、やっぱり、いつきくんのことが――

 

「あ、あの!」

「うん? どうしたの?」

「いつきくん……そ、その……あのね!」

 

 熱に浮かされているようだった。

 上手く自分が制御できていない気がする。でも、いいや。悪くない気分だ。これでいいと思えてくる。

 感情の揺さぶりのせいか呂律が回らない。けれど精一杯、言葉を、絞り出す。

 

「わ、わたし、わたしね。わたし、いつきくんの――」

 

 と、その時だ。

 

 

 

「小鈴さーん!」

 

 

 

 とても明るくて可愛らしい声が聞こえてきた。

 その声で、一気に現実に戻る。

 

「ゆ、ユーちゃん……!? みんなも……!」

「……迎えが来たみたいだね」

 

 振り返れば、そこにはユーちゃんに、恋ちゃんに、霜ちゃんにみのりちゃんに、ローザさんに謡さん――みんながいた。

 な、なんか、気勢が削がれちゃったというか……わたし、なにしようとしてたんだっけ……?

 

「せっかくのお祭りだ。つまらない話なんてしてないで、残りの時間を楽しもう。皆して暗くなっていたら、世界は真っ暗になっちゃうよ」

「う、うん……その。あ、ありがとう。いつきくん」

 

 わたしの言葉に対して、いつきくんは、にっこりと笑った。

 そして彼は、わたしの背中を優しく押す。

 

「……君は俺にとっても大事な存在だからね。やっぱり、放っておけないんだよ」

「それって、やっぱり恋ちゃんの……?」

「ん? あぁ、まあ。確かに君は、俺の妹の友達で、俺の友達の妹だけれど……それと同時に、小鈴ちゃんは小鈴ちゃんだから。あの時、道に迷って泣いていた、笑顔にしてあげたくなるような女の子だよ」

 

 むぅ、それは子供扱いされてるみたいで、ちょっと不満……わたしだって、少しは大人になってるのに……

 

「それよりも、早く行ってあげたら? 皆、待ってるよ」

「う、うん。本当にありがとう、いつきくん」

 

 そう言い残して、わたしはみんなの元へと駆けていく。

 代海ちゃんのことは心配だけど……代海ちゃんとは、またいつか、改めてちゃんとお話ししよう。

 いつきくんのお陰で、少しだけ、前向きになれた。

 わたしはいつきくんの言葉を胸の中で反芻する……その時、なにか引っかかった。

 

「ん……? そういえばさっき、なにか言ってたような……友達の、妹……?」

「小鈴さーん! Beeile dich(早く早く)!」

「あ……うんっ!」

 

 ユーちゃんに急かされて、わたしは思い出しかけたことも忘れて、みんなの元に駆けていった。

 後ろの方で、なにか、聞こえたような気もするけれど。

 

 

 

「……妹になにを期待してるんだ、俺は。俺が向き合わなきゃいけないのは、こっちじゃないだろうに。自分が情けないったら。なぁ――」

 

 その声は、わたしには聞こえない。

 

 

 

「――五十鈴」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「あ……アヤハ、さん……」

 

 『ヤングオイスターズ』の長女に乗せられたタクシーの中で、嗚咽混じりに彼女に問う。

 ヤングオイスターズは、面倒くさそうに頬杖を突きながら窓の外を眺めていたが、声をかけると、やっぱり面倒くさそうに視線だけこちらに向けた。

 彼女の刺すような視線が痛い。痛くて痛くてたまらない。けれど、今はそれ以上に、この変質した身体の中身が、そしてその変化によって軋む心が、酷く痛む。

 若牡蠣の冷ややかな視線なんて、気にもならなかった。

 

「あ、アタシ……アタシの、身体……どう、しちゃったん、ですか……」

 

 ヤングオイスターズは鼻を鳴らす。面倒そうに、厄介そうに、つまらなさそうに。

 

「……あくまで推論だがな」

 

 冷淡に、けれども真摯に、彼女はそう前置きして、答えた。

 

「お前の身体は、変わり始めている。人ならざるものへとな」

「なんで……なんで、アタシ、こんな……」

「理由か。そうさな、思い当たる節と言えばあれか」

「あれ……?」

「“産卵”だ。お前、ここのところずっと、帽子屋のダンナに言われてしてたんだろ?」

 

 若い運転手が、産卵、という言葉を聞いて驚いたように眉根を寄せた。

 なにを想像したのかは知らないが、この力、あの現象はそう表現するしかない。代用品を想像するウミガメが、仮初めであれなんであれ、新たな命を産み落とす――それを産卵と言わずして、なんと呼ぶのか。

 そして、確かに自分は、帽子屋の命で、ここ最近ずっと“産卵”を繰り返してきた。

 きたるべき時に必要だからと。優しいあの人と会えなかったのも、そのせいだった。

 

「恐らくそれが原因だ。お前は今、人間よりも、本来の“ワタシたち側”に寄ってるんだ」

「……?」

「まず、お前もわかってるとは思うが、ワタシたちの人としての姿ってのは、人の社会に紛れるための、奴らを欺くための、単なる外装に過ぎない。本質のところでは、ワタシたちはどうしようもなく人外なんだよ」

「そ、それは……はい……」

「だから、その人外としての性質をずっと押し出していれば、そっちに染まるってことも、まあ、あるかもしれねーな」

「で、でも……アヤハさんも、バタつきパンチョウさんも、ネズミくんも、他の、みんなも……そんな、ことは……」

「あぁそうだ。そんな事例は今まで一度もない。性質の問題、密度の問題。比較した際の異なる要素はいくらでもあるから、厳密はことはなに一つとして言えねぇ。だが、逆に言えば、それはあらゆる可能性を内包しているって意味でもある」

 

 結局のところ、ハッキリした理由はわからない、と遠回しに言っている。

 けれど可能性を示そうとするのは、彼女の優しさなのだろう。もっとも、今の自分にとって、その優しさは気休めにもならない。

 人外の力を行使しすぎた故に、人の皮が擦り切れてしまった……そういうことも、あるのだろうか。

 わからない。自分たち【不思議の国の住人】は、定義されていない存在。研究も、実験も、観察も、測量もされていない。

 バタつきパンチョウの観測によって、強引に種として定義づけようとはしているが、実態はあまりにもあやふやな存在なのだ。

 だから、自分の身に起こった不調も、体系的なことはなにひとつとしてわからない。それだけの積み重ねがないのだから。

 

「まあこんなもん、パンチョウの姉御に聞けば大体わかりそうなもんだが……お前の場合、事情が事情だからな……」

「アタシの、事情……? それ、って……?」

「お前の出生についてだ」

 

 きっぱりと、ヤングオイスターズは言った。

 自分の出生。

 それは、自分にとってのブラックボックス。絶対にあるはずの領域、なのに、なにもわからない、知らない、黒く塗り潰された部分。

 昔の自分、死んでしまった自分、『代用ウミガメ』としての名を与えられる前の自分――この頭を除いた、身体の持ち主。

 自分がずっと考えないようにしていた、逃げていたモノ。

 それが、今の自分の変調に、関係しているのだろうか。

 

「お前は、ワタシたちとはちぃっとばかし違う、生き物としては酷く歪な生誕を迎えている。一度産み落とされてから、一度死んだ……が、お前は、自分の首を――自分の命さえをも“代用品”を創り、延命した」

「……はい」

「お前は一度死んで生き返ったとも、死なないままに第二の生を受けたとも言える。再生、って言い方がもっともらしいのかもしれないが……生命として、その生き方は道理に反する。無理やり繋げた、歪な命だ」

 

 それは、否定できない。

 死者は生き返らない。それは生命の大原則だ。世界の理であり、絶対的なルールだ。

 しかし自分は、あまりの生への渇望から、無意識的に、その理から外れた行いを為してしまった。

 失われた首から、新たな頭を生やし、命を繋げる。そして今も、のうのうと生きている。

 生者、あるいは死者への冒涜と言われても、反論はできない。明らかに異常で異端なことをしているのだから。

 ならばこれは、そのツケが回ってきたのかもしれない。

 つまり、罪に対する、罰である。

 

「道理から外れた歪み。その歪さが、お前に影響を及ぼした……いや、なにも喰えないんだったな。ならむしろ、お前の場合は回帰した、っつーべきなのか?」

「か、回帰……? ど、どういう、こと、なんですか……?」

「ワタシも帽子屋のダンナから断片的に聞いただけだがな。お前は元々、人を……」

 

 と、言いかけたところで、ヤングオイスターズはハッと思い出したような素振りを見せる。

 

「……いや。言わない方がいいな、今は」

 

 そして、彼女は口を噤んだ。

 

「な……なんで……なんで、言ってくれないんですか……?」

「耐えられないだろうからな。今のお前じゃな」

 

 ヤングオイスターズは、またきっぱりと言った。

 壊れないように気遣ってはいる。が、容赦はしない。

 強い語調で、彼女は続ける。

 

「自覚してるか? 今のお前は、身体も心も、酷く不安定な状態なんだよ。身体は人外に近づいているのに、精神は擬態しているだけの人間に寄りすぎている。そんな心身共にごちゃごちゃでズタボロの状態で、デカい衝撃を受け止めきれるか? 無理だろ。そもそもお前は、弱いからな」

「……アタシは、そんなに……酷い、生まれ、だったんですか……?」

「さぁな。それを判断するのはお前だ。ワタシからすりゃ、ふざけんな、って話だが。お前が本来のお前に戻ったなら、あの人でなしの集まる屋敷から叩き出してるところだ。できるかは別にしてな」

 

 彼女は正直だった。個人的でありながらも、どこか他人事のように、突き放すように言う。

 自分の出自、出生。自分が生まれた時のこと。

 気にならないと言えば、嘘になる。

 この頭が記録しているのは、激痛と共に新たな頭が生えたという事実。そして、その時に見た死体と血溜まりで満たされた凄惨な光景。そして、その中で一人立つ、イカレた『帽子屋』の姿。

 それ以上のことは、自分でもわからない。恐らく知っているのは、あの狂った男だけだ。

 自分の生まれを、この頭が生える前の自分を知れば、なにかが変わるのかもしれない。

 けれどそれは、今の自分が幸運も手にした人の営みを――愛しい鈴の少女の和を、壊してしまうような気がした。

 怖い。真実を知ることが。

 恐ろしい。過去を顧みることが。

 その事実に直面すると、なにもかもを失ってしまいそうで。

 ヤングオイスターズはなにか察したのか、あるいはただ自分が思ったことを言っているだけなのか、どことなく独り言のように言う。

 

「……ワタシらは、自分の出生なんてあんま知らねー方がいいぜ。ワタシは、『ハートの女王』を見て後悔した。ワタシは、こんなものから生まれちまったのか、ってな」

「ハートの女王様……は、話にしか、聞いたこと、ない、ですけど……そ、それって……」

「あぁ。【不思議の国の住人】の始祖。言うなれば、ワタシたちの――“母親”だ」

 

 彼女は少しだけ言い淀んだ。それを親と呼ぶことへの抵抗感か、忌避感か、嫌悪感か。なんにせよ、その事実を認めたくないかのような、澱みがあった。

 ハートの女王……自分も見たことはない。むしろ、見たことのある者の方が少ないだろう。存在を知らない者もいるかもしれない。

 帽子屋が「我らが父なる母」と呼ぶ、【不思議の国の住人】の一員――とは、違う存在、らしい。

 かの存在は、意図的に秘されている。いやさ、屋敷の地下の奥深くにいるということだけは知っているが、基本的に、その領域は立ち入りが禁止されている。バタつきパンチョウは“観測”のために、定期的に出入りしているようだが、それ以外だと、帽子屋や公爵夫人、あるいは三月ウサギなどの、重鎮しか立ち入りが赦されない神域だ。

 しかしヤングオイスターズがその姿を見たことがある、と言うように、頼めば謁見が叶う存在はある……らしい。自分は、あまりその必要性を感じなかったし、その機会もなかった。なにより、ハートの女王と相見えることの意味もよくわかっていなかったので、結果としてハートの女王の姿を見たことはないのだが……

 

「認めたくはねーが、チョウの姉御が言ってるなら、まあ正しいんだろうよ。あれは正真正銘、ワタシらの生みの親。『代用ウミガメ』という存在は歪んだ誕生を為たのかもしれねーが、少なくともそれ以前のお前、お前の肉体にあたる部分は、あの化物から生まれたってことなんだろう」

「ば、化物……?」

「あぁ化物だ、ありゃ。思い出したくもねぇ。あのバタつきパンチョウですら、奴と謁見するたびにトイレで吐いてるくらいだ。だからお前が相見えるのは、あんまり推奨できねーな。あまりに意志薄弱だと、最悪、発狂するぞ」

「そ……そんなに、ですか……?」

「そんなにだ。誇張は一切ないぜ。正直、化物だとか怪物だとか、そんな言葉にすら収まらない気さえする。バンダースナッチよりも、ジャバウォックよりも、あの存在は人外で狂気的だ。気色悪すぎて、弟妹の何人かは取り乱しちまったよ」

 

 それは脅しのつもりではなく、忠告ではあっても、本当に事実そのままなのだろう。

 しかしやはり、今の自分の精神状態では、それは恐怖をかき立てるもの以外のなにもでもない。

 無情で残酷な現実は、重く、鋭く、切り裂くようにのし掛かってくる。

 俯いていると、不意にヤングオイスターズが言った。

 

「だが、いい頃合いではあるのかもしれないな」

「え……頃合い、ですか……?」

「女王に会いに行くかはさておき、お前の身体の変調は、お前に決断を迫っているのかもしれねぇ……はんっ。ワタシらしくもない物言いだがな。しかしタイミング的にはそういうこった」

 

 ヤングオイスターズは迫るように、道を示す。

 それは生き残るための道でもなく、喜びに溢れた道でもない。

 自分が――アタシが、どのように生きるかという選択だ。

 

「覚悟を決めろ、代用ウミガメ。お前が人の世に染まることを、ワタシは否定しない。だが、ワタシたちは、人間社会という宿主と決別し、人でなしとしての生を育むことになる。そしてお前の身体は、確実に人間のそれから乖離し、人ならざるものへと向かっている」

 

 自分はどうしようもなく人外で、【不思議の国の住人】という生き方があって、帽子屋さんには恩義もある。そしてなにより、この身体は、人間の世界で生きられるものではなくなっている……のかもしれない。

 けれど、人間の世界で知った、人間のあたたかさも、優しさも、楽しさも、嬉しさも、切り捨てたくない。こんな自分を、友達だと言って受け入れてくれた彼女に報いたいし、彼女を裏切るようなことも、したくない。

 二者択一、なのだろうか。

 帽子屋(こちら)を選ぶか、伊勢小鈴(あちら)を選ぶか。

 心はあちらに傾き、身体はこちらに傾いている。

 その歪みが、さらなる苦悩となり、責め苦となる。

 

「自分の出生を知るのもいい。ハートの女王に謁見するのもいい。そうして考えて、お前がどんな答えを出しても、ワタシは構わん。帽子屋の傀儡になろうが、人間に尻尾を振ろうが、あらゆる苦楽は、その選択はお前だけのものだ。ワタシは、ワタシたちへの害悪とならないのなら、お前の自由を咎めない」

 

 だが、とヤングオイスターズは言う。

 脅迫めいた諦観。警告するように、あるいは諭すように。

 彼女は、突き刺すような言の葉を放つ。

 

「ワタシたちと人間の決定的なターニングポイントは、すぐそこまで迫ってきている。あんま時間は残されてねぇ……いや、時間なんて関係なく、すべてはなるようになるのかもしれねぇな」

 

 ……そうだ。

 時間は僅か。彼女にあだなすことはしたくない。が、それでも、来たる時(イベント)からは逃れられない。

 日陰身の存在が太陽を求めひた走る競争。

 欺瞞に嘘に虚飾をちりばめ、奇跡の光を手にする計画。

 帽子屋が名付けた作戦名『コーカス・レース』。

 その開始の合図は、近い。

 自分の望む望まないに関わらず、自分たちは――太陽を、飲み込むのだろう。




 文化祭・東鷲宮中学編はこれにて終了です。たぶん烏ヶ森学園編は次回やります。本当は雀宮高校編もやりたかったけど、流石に話が進まなさすぎるので、そっちは番外編とかブログとかになると思います。いい加減、みんなも話進めて欲しいでしょ。たぶん。キャラ同士ずっといちゃいちゃしてて欲しいと言うのなら、まあそれなりに考えますが。
 あ、今回の暁のデッキですけど、先に言っておくとあれは赤緑の連ドラです。バルガ龍幻郷から白を抜いたようなもの。マナカーブ的に無理がないかと言われるとめっちゃ無理あるんですけど、まあ、なんというか。すべての人間、すべてのキャラが、理想的な形のデッキを組んでいるわけじゃない、ってことです。小鈴なんてグレンモルトビート使ってるのに、ずっと《ガイアール》なしでやってますしね!
 そんな感じで、今回はここまで。誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。


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42話「文化祭だよ ~烏ヶ森編~」

 正直、最後の場面がやりたかっただけのお話。文化祭なんてそのためのダシですよ。とりあえず最後だけでも読めば大丈夫(大丈夫じゃない)。
 でもスーツはいいぞ。


 白いシャツのボタンを、ひとつひとつ、ゆっくりと留めていく。

 スラックスに脚を入れ、ベルトを巻き付ける。

 勧められた赤いネクタイを、不器用に締めて。

 黒いジャケットに、袖を通した。

 ……よし。

 

「き、着れたよー……」

「おっと、終わったみたいだね。待ってたよ」

「やっとか。ボクは待ちくたびれたよ」

「Beeile dich! もう始まっちゃいますよ!」

「……これで、終わり……?」

「そうですね。皆さんのところに行きましょうか」

 

 

 

 ――こんにちは、伊勢小鈴です。

 今日は文化祭。それも、この前のように他校の文化祭ではありません。わたしたちの学校、烏ヶ森学園の文化祭――鴉羽祭です。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 今日は待ちに待った文化祭です。わたしたちのクラスの出し物は喫茶店……なのですが。

 クラスのみんなの装いは、一様に黒い。

 どういう経緯でこうなったのかはもう覚えてないのだけれど、ただ普通にお茶やお菓子を出すだけじゃつまらない、なにかアクセントを加えよう、ということで、みんながスーツを着込むことになりました。

 ……まあ、わたしは事あるごとにコスプレみたいな恥ずかしい格好してるから、ちょっとやそっとの衣装には動じないよ……

 

「しっかし、衣装合わせでシャツのボタンが弾け飛んだ時は凄かったねぇ。私リアルでははじめて見たよ、感動した」

「その話はやめて……恥ずかしいから……」

「でも、霜さんが直してくれたんですよね!」

「水早さんは手先が器用なのですね」

「まあ、あれくらいならね……というか小鈴は肥えすぎだ。君は牛や豚どころかカバじゃないのか? なんなんだ94cmって」

「わー! わー! ちょっと霜ちゃんそれ以上は!」

 

 なんだか最近、霜ちゃんがちょっと辛辣です……わたしだって、好きで大きくなってるわけじゃないんだから……背も伸ばしたいんだよ……

 

「……伊勢さんはさておき、このような出で立ちは、水早さんや香取さんには似合いますね」

「そ、そうだよね! 霜ちゃんもみのりちゃんも、すごくカッコイイよ!」

「なんか露骨に話題を逸らしてきたな。こういう格好はむしろ男性的だとは思うが、そう言われて悪い気はしない。たまにはこういうのも悪くないね」

「小鈴さん! ユーちゃん! ユーちゃんは! ユーちゃんはどうですか!?」

「ユーちゃんもかわいいよ」

「[[rb:Juhu! Ich bin froh! Danke! >わーい! 嬉しいです! ありがとうございます!]]」

 

 元々男の子っぽい霜ちゃんや、スラッとしてるみのりちゃんには、黒いパンツスーツはとてもよく似合っている。

 ユーちゃんや恋ちゃんたちも、ちっちゃい子が目一杯おめかししてるみたいで、ちょっと微笑ましい感じだ。

 不安もあるけど、それ以上に気持ちが跳ねる。

 なにせ今日は、この学校ではじめての文化祭なのだから。

 

「さて、文化祭が始まってから少し経ったし、そろそろ誰か客が来てもおかしくないが……」

 

 と、霜ちゃんに連れられて教室の入口に視線を向けると、ちょうど、ガラガラと扉が開け放たれた。

 

「やっほー! 恋! 小鈴! 来たよー!」

「暁ちゃん!」

「あきら……!」

 

 やって来たお客さんは、空城暁ちゃん――この前、別の学校の文化祭で出会った、恋ちゃんのお友達――だった。

 恋ちゃんは暁ちゃんを見るや否や、彼女の胸へとまっしぐらに駆けていく。

 ……恋ちゃんちっちゃいから、お腹に突撃するみたいになってるけど。

 

「おうっふ! 恋は情熱的だなぁ……」

「きてくれた……うれしい……」

「そりゃまあ、恋がうちに来てくれたんだし、こっちだって行くよ。一騎さんや、小鈴もいるしね! 小鈴もやっほー、元気?」

「あ、うん」

「小鈴は相変わらずおっきいなぁ、凄いなぁ」

「えっと……」

 

 暁ちゃんの視線に、ちょっと戸惑います。こっちを見ているようで見ていないようで……

 なんてわたしが困惑していると、暁ちゃんの後ろから、さらに三人の人が続く。

 あの人たちは、確か、暁ちゃんと同じ部活の……遊戯部の人たちだ。

 

「あらあらまあまあ馬子にも衣装ね。おめかししちゃってまあ」

「おい部長。言っておくがその諺は褒め言葉にはならんぞ」

「でもみなさん、なんだかカッコいいですね。わたしの家の人たちみたいです」

「いや、極道と同列に並べて考えるのもどうなんだ……?」

「今の柚ちゃんの発言で、このクラスの全員が殺し屋に見えてきたわ、私」

「そんな、おおげさですよ……」

「ま、でもどうでもいいわ」

 

 遊戯部の部長さん……卯月さんは、適当な席にドカッと座り込む。 

 

「さて、それじゃあ、私たちはお客様なのだし? 注文させてもらいましょうか?」

「態度デカいなあんた」

「とりあえず美少女を一人お願いするわ」

「メニューから注文しろ」

「はーい。美少女一丁!」

「なんで今のオーダーが通るんだよ!」

「用意があるからね」

 

 あるの!?

 って、わたしまで反応しちゃった……みのりちゃん、また適当なことを言ってるんじゃないよね……?

 なんて不安に思ってたら……

 

「はいどうぞ、ご注文された美少女をお連れ致しました」

「…………」

 

 ちょこん、と卯月さんの前の席に、座らせた。

 

「ユーちゃんです!」

 

 ……ユーちゃんを。

 

「…………」

「Ich bin Julia! Bitte nenn mich U-chan! Wie ist Ihr Name?」

「ごめんなさい。私、英会話はちょっと……」

「いいえドイツ語です」

 

 ……なに、これ?

 

「あきら……いこ……」

「え? 恋のクラスはいいの?」

「私……あと、だから……」

「あ、そうなんだ。じゃあ案内してよ。ゆずも行こ」

「わたしも、ご一緒していいんですか……? こいちゃん?」

「ん……いい……ゆずも……」

「ありがとうございます。じゃあ、お邪魔させていただきますね」

 

 あ……恋ちゃん、行っちゃった……わたしも暁ちゃんと少しお話ししたかったけど、まあいいや。

 あんなに楽しそうな恋ちゃんに水を差すのも悪いしね。

 視線を移すと、霜ちゃんが眼鏡の男の人――霧島さん? 霧島くん? 確か一年生って聞いたような気がする――へと声を掛けていた。

 

「やぁ、浬。君も来たんだね」

「霜か」

「君はこういう場所は苦手だと思っていたのだけれど」

「正直好かない。だが部長に無理やり連れ出された。そして今、来たことを猛烈に後悔しているところだ」

「そうかい。まあ仕方ないね。」

「霜。お前のクラスは、なんというか……」

「君から衣装の感想を聞くつもりはないよ。言いたいというのなら止めないけどね」

「……そうだな。やめておこう。だがひとつだけ、いいか?」

「なんだい?」

「お前の学校おかしくないか?」

「質問を質問で返すようでわるいけど、ボクからもひとつ」

「なんだ?」

「君の部活も大概狂ってなかったかい?」

「…………」

「…………」

「……注文、いいか?」

「ご自由に。気が狂う間の微かな安息だとでも思って、ゆっくりしていってくれ」

「そうさせてもらう」

 

 ……なんだか、霜ちゃんもちょっと楽しそうだなぁ……

 さて、わたしも、やることやらないと。

 

「それじゃあみのりちゃん、ローザさん。わたしは行ってくるね」

「伊勢さんは、なにをなさるんですか?」

「外で宣伝だよ。なんか、霜ちゃんが「場合によっては店の回転が著しく落ちかねないから、中での接客は控えてくれ」って……」

「あー、まあ、スーツはぴっちりしてるもんねぇ。いつもよりも目立つもんねぇ」

「どこ見てるの……」

「あんまり客に居座られてもウザいし、見た目がいいなら外に出して広告塔に使うのが丸いか。水早君はよく考えるなぁ」

「なにを言ってるのかよくわからにけど、わたしは行ってくるよ」

「はいはーい。まあ看板持って色んなとこ歩き回ってくれれば、後は適当に遊んでていいよ」

 

 と、みのりちゃんは裏へと回っていく。ローザさんも、入り始めてきたお客さんの対応をする。

 わたしも、自分のするべきことをしなきゃね。

 渡された看板を手に、わたしは、教室を後にした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 正直、宣伝というのはなにをすればいいのかよくわからなかったから、とりあえず言われたとおり、看板を持ちながらぐるぐると校内を回っていた。

 見慣れたいつもの学校も、今はちょっとした異世界だ。制服姿ではない色んな格好をした人たち、老若男女を問わず学外から来た人たち、後頭部の生徒……普段なら見ない光景が、そこには広がっていた。

 そんな中、わたしは見慣れたものを目にする。

 目深に被ったフードの女の子。流石に大きなリュックサックはないけれど、その馴染み深い人影に、その安堵のような嬉しさが込み上げる。

 わたしは少し弾んだ声で、彼女を呼んだ。

 

「代海ちゃん!」

「こ、小鈴さん……」

 

 その子――代海ちゃんは、ビクッと体を震わせる。

 ……この前、色々あったし、もしかしたら、その時のことを引きずってるのかな……

 もしそうなら、わたしも気をつけないと。

 

「えっと……大丈夫?」

「……はい」

 

 代海ちゃんは、ゆっくりと頷いた。

 少し気にはなるけど、代海ちゃんがそう言うなら……わたしも、引き下がるしかない。

 ちょっと空気が重い。せっかくの文化祭なんだし、この前の二の舞はイヤ、だよね。

 一応、宣伝を任されてはいるけど、みのりちゃんはちょっとくらい遊んでてもいい、って言ってたし……

 

「代海ちゃんは、これからどこに行くの?」

「え、えぇと、……あ、アタシのクラス、展示、なので……やること、あんまり、なくて……ほ、ほとんど、自由、なんですけど……」

 

 代海ちゃんのクラスは展示なんだ。

 展示は事前になにかを作ったりして、それを教室に置いておくだけ。交代で何人かが教室にいればいいだけだから、負担が少ない、ってお姉ちゃんは言ってたなぁ。

 地味で人気もないから、文化祭なんてどうでもいいっていうやる気のない連中がよく取る手段、とも言ってたけど……代海ちゃんのクラスは、文化祭にはあまり積極的じゃないのかな……

 だったら代海ちゃんも、実はあんまり文化祭を楽しめていないのかもしれない。元々、彼女たちはわたしたちとは違う存在だし、目立つようなことはできないみたいだし……

 だから今も、手持ち無沙汰で、行くアテもないのかもしれない、なんて思っていたけど、どうもそういうわけではないようです。

 

「アタシは……こ、これから、ネズミくんたちを、迎えに……」

「ネズミくん? え、あの子が来るの?」

「はい……たぶんもう、校門まで来てると、お、思うので……それと、ユニちゃんと、ライくん……って、名前だけじゃ、わかりませんよね……えと、ユニコーンちゃんとライオンくんっていう……いわゆる、アタシたちの“同胞”の子が、遊びに、来たいって……」

 

 ……すっごい遊ぶ気満々でした。いや、代海ちゃんがというよりは、代海ちゃんの仲間が、だけど。

 ネズミくん……『眠りネズミ』と呼ばれていた、あの男の子。

 色々と独特で、わたしはちょっぴり苦手なんだけど……

 

「……一緒に、ついていってもいいかな?」

「え……」

「わたし、見ての通り宣伝で、色んなところ回らなきゃ行けないんだけど、あんまり行くアテとかもないし……」

「は、はぁ……か、構いません、けど……」

「……それに、代海ちゃんとも、一緒に文化祭を回りたいから」

「小鈴さん……」

 

 本当に、ただそれだけ。

 今は代海ちゃんと一緒にいたい。

 ……他にも友達が来るみたいだから、邪魔になるようなら引っ込むけど、少しの間くらいなら、いいよね?

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 途中で妙に視線が気になった気がするけど、代海ちゃんと一緒に、大きなアーチの掛かった正門まで辿り着きました。

 すると、

 

「おねーさん!」

 

 唐突に、小さな女の子が、突撃してきた。

 ……いや、実際には抱きついてきたんだけど、その勢いは頭に角でもつけた動物が突進するかのようでした。

 女の子は代海ちゃんを、ガシッと捕まえる。

 

「おねーさん! おねーさん! ウミガメおねーさん!」

「ゆ、ユニちゃん……? ど、どうしたの……?」

 

 ユニちゃんと呼ばれた女の子は、顔を上げる。

 すごくきれいな子だ。真っ白できめ細やかな肌、ぴょこんと角のように跳ねた真っ白な髪、潤んでいるけれど透き通るような瞳。

 ちょっとユーちゃんっぽい感じのかわいい女の子は、代海ちゃんに向かって叫ぶように言った。

 

「ネズミおにーさんがいなくなりました!」

「え……? い、いなくなった、って……?」

「なんか気付いたら、どっか行っちまったんだよ、ネズミのアニキ」

 

 と、今度は男の子がのっしのっしとやって来る。

 小学生くらいに見えるけど、女の子に比べると、わりと大柄な子だ。たてがみのような茶髪が、妙な存在感を放っている。

 

「本当にネズミのおにーさんはチョロチョロしています……ユニは困ってしまいますよ」

「う、うん……それは、困ったね……ネズミくんが単独行動、かぁ……」

「ところでウミガメおねーさん。このお化けみたいな胸の人は誰ですか?」

「お化け!?」

 

 女の子はわたしを指さして言う。

 いや、その……確かに色々言われることはあるけど、そんな直球に……しかも、年下の女の子に言われるなんて……

 

「こ、この人は、小鈴さん……あ、ユニちゃんたちには、マジカル・ベルって言った方が、通じる、かな……」

「あぁ、お話には聞いています。どんくさそうな女の人と聞いていましたけど、お話の通りの方なんですね。ユニは合点がいきました」

「どんくさい!?」

 

 さっきから言葉が刺々しくない、この子!?

 

「この子、なんなの……」

「ご、ごめんなさい……ユニちゃんはその……ちょ、ちょっと、攻撃的、というか……なんというか……こういう子、なので……」

「そ、そうなんだ……」

 

 代海ちゃんの仲間……【不思議の国の住人】の人たちって、なんだか変わった人が多いよね……

 

「元はと言えば、ライオンくんがちゃんとネズミのおにーさんに付いていかないからだよ。なんでライオンなのにチョロチョロしてるのよ」

「はぁ? ぼくのせいだってか? アニキを見てなかったのはユニだって同じじゃねーか!」

「ライオンくんがしっかりしてないからだよ! ライオンくんがしっかりしてれば、ユニだってライオンくんを見張る必要はないんだから!」

「ぼくを言い訳にするんじゃねー! いつもいつもなんでもかんでもぼくのせいにしやがって!」

「だってそうじゃない! ウミガメおねーさんの言うこともちっとも聞かないし!」

「ぼくはネズミのアニキの方を尊敬してるからな!」

「だったらちゃんと見ておいてよ!」

「祭りがあったらそっちに目が行くのは当然だろ!?」

「むぅ、このぉ……!」

「こんにゃろぅ……!」

 

 なんて思っていたら、なんだか急に、二人が剣呑な空気になって、そのまま言い争い、果ては取っ組み合いになる。

 

「け、ケンカ……!? と、止めなくていいの!?」

「い、いつものことなので……『ライオンとユニコーン』……争うことを定められた二人、なので……止めても、止まりませんし……そ、それに、ユニちゃんも、ライくんも、本当は、とっても仲良し、なので……」

「そ、そうなんだ……」

「そ、それより、ネズミくんが、心配、です……どこかで寝ちゃってるかも、しれないし……あ、あるいは……」

 

 一瞬、陰るように考え込む素振りを見せた代海ちゃんは、くるりと踵を返した。

 

「……あ、アタシ……ネズミくんを、探しに行きます……!」

「あ、ならわたしも行くよ。一緒に探した方がいいはずだし」

「小鈴さん……で、でも、これは、アタシの問題で……」

「友達なんだから。そんなこと気にしなくていいよ。それに、わたしも心配だもん」

 

 あのファンキーな子が、文化祭というお祭りの場にいる……考えたらちょっと怖い。

 下手に騒ぎになっても大変だし、それを見過ごすこともできないよね。

 

「あ……ありがとう、ございます……」

「ところで、あの子たちはいいの……?」

「基本的に、自分たちだけ完結した争いしかしない、ので……あ、あとで、回収しましょう……」

「……なんだかこなれてるね、代海ちゃん」

「いつも送り迎えとか……してるので……下の子たちは、あ、アタシの受け持ち、ですから……」

「受け持ちとかあるんだ」

「ヤングオイスターズの三女さん、とかが手伝ってくれたら、た、助かるんですけど……性格的に、難しい、ですし……」

 

 なんだかよくわからないけど、代海ちゃんたちにも、色々あるようです。

 

「と、とにかく探しましょう。外……よりは、まずは、な、中を……」

「うん。そうだね」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ネズミくん、どこに行っちゃったのかな……」

「校内全域……とは言わないまでも、文化祭の出し物がある場所だけでも広いからね……」

 

 校舎内に入ってから、それなりに走り回って探してるけど、一向にそれらしい姿は見えない。

 小さな子だけど、見た目はとにかく派手だから、見つけやすいとは思うんだけどなぁ……

 とはいえ、校内は広い。まだまだ探せていない場所はたくさんある。もし高等部の方にまで行っていたら、さらに探すのが大変になる。

 

「闇雲に探しても見つけられなさそうかな……代海ちゃん。ネズミくんは、どういうところに行きそう?」

「え、えぇっと……ど、どうでしょう……ネズミくんはいつもいつも、あ、新しいものが好き、なところがある、ので……」

「新しいもの、っていっても……」

「そ、そうですよね……」

「うーん、なにかあればちょっとした事件になってそうだし、そういう話が聞こえてこないってことは、実は大丈夫なのかなぁ」

「そうだと、いいんですけど……ね、ネズミくんですから……安心、できません……」

「……そうだよね」

「こんな時期に、お、お布団の外で寝ちゃったら……か、風邪、ひいちゃいます……」

「あ、そっち?」

 

 確かにそれはそれで大変だけれども。

 どうしようか、と歩いていると、ふとたくさんの人の集団を見つけた。

 いや、それは集団と言えるほど整合性の取れたものではなくて、たくさんの人が烏合の衆として集まっているだけだ。

 たくさんの人、というのは文化祭では珍しくないけど、それにしても多い。

 

「あれ、なんだろう。すごい人だかりができてるけど。なにかイベントでもやってるのかな?」

「えぇと……『軽音部(ロック) ライブ会場』……って、か、書かれてます……」

「軽音部……」

「ロック……」

「…………」

 

 たぶん今、わたしとみのりちゃんは同じことを考えてる。

 わたしたちは顔を見合わせて、頷く。入口に密集している人たちを掻き分けて、無理やり、中へと入った。

 中は暗くて、派手で眩しい照明が、ステージを照らすだけだった。

 

「ヒィィィィィィィヒャァァァァァァァッ、ハァァァァァッッッ!」

 

 絶叫が、爆音が、歓声が、耳をつんざくほどに響き渡る。

 慣れない轟音と、暗いのに眩い場所に困惑するけれど、わたしたちはステージに釘付けになっていた。

 なぜなら、そこには――

 

 

 

「こいつは最高バッドにロック! てめーら見てろバッドドッグ! ここは天国バッドな特区! ダラッシャァァァァッ!」

 

 

 

 ――『眠りネズミ』くんが、いたのだから。

 

「ね、ネズミくん……!? なんでステージに……!?」

 

 喫驚する代海ちゃん。本当になんでだろうね。

 本来、学外の人は、こういうステージイベントに主催側として参加できないはずなんだけど……っていうか、本来の部の人たちはどうしてるんだろう? 

 

「す、すげぇ……なんなんだ、あの少年は! いきなり俺たちのライブを乗っ取ったかと思えば、観客が一気に湧くなんて……!」

「技術も楽譜も滅茶苦茶なのに、なんだこの心を揺さぶるメロディは! 魂を燃え上がらせるシャウトは!?」

「わからねぇ。わからねぇが、オレのハートは最高に昂ぶっている……! すげぇ、すげーぜ少年!」

 

 ……感動してる……

 どういう経緯でこうなったのかはわからないけど、部の人たちは、ネズミくんがステージに上がっていることに異論はないようです。いや、ダメなんだけどね、本当は。

 ネズミくんはステージでしっちゃかめっちゃかにギターを引き鳴らし、わけのわからない音量で叫び散らし、もうなにがなにやらわからない。

 しかも、急に手にしたギターを高く掲げた。

 そしてそれを――振り下ろす。

 

「見てろてめーら! これが! 僕の! ロックだぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!」

 

 ガッシャーン! と、スピーカーから放たれる爆音に比べればなんてことのない、けれどもあまりにも衝撃的な破壊音が轟く。

 床に叩き付けられたギターは、真っ二つに折られ、辛うじて弦で繋がっているだけのスクラップと化した。

 ……え? ギター壊れたよ? 壊れたっていうか壊したよ!? これはいいの!? 大丈夫なの!?

 

「オレが兄ちゃんから譲り受けた古ぼけたギターを木っ端微塵に……これが、これが真のロックだっていうのか!?」

「きっとそうに違いねぇ。この胸の高鳴り、オレがはじめてロックに触れた、あの時と同じだ……!」

「部長がそこまで言うなんて……ってことは、やっぱあれが、オレたちの求めていた真のロック……!?」

 

 部の人たちはどういうわけか感嘆している。もう混沌過ぎてわけがわかりません。

 

「おまけだギフト! 烈火に燃えろエクスプロード! こいつで一気にバックドラフト!」

 

 ネズミくんは、両手を大きく広げるようなポーズを取る。その瞬間、なにか光るものが見えた気がするけど……と、思った瞬間。

 バチバチバチッ! と、破裂するような音が轟いた。

 こ、今度はなに!? 爆発!?

 っていうか、なんか少し焦げ臭い?

 よくわからないけど、なんだかすごく危険な気がする。なにが起こっているのかさっぱりわからないけど、直感的にそう思う。

 止めなきゃ、と思ったところで、急に背後から光が射し込む。

 それと同時に、怒号が飛び込んできた。

 

 

 

「くぉらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 

 こ、この怒りに任せた叫び声は……聞き覚えしかない声は……!

 

「ロッ研! あんたら文化祭でなにしてんのよ!」

「お、お姉ちゃん!?」

 

 扉を蹴り開けて突入してきたのは、『生徒会巡回中』と書かれた腕章を付けた、わたしのお姉ちゃんだった。さらにその後に、何人かの知らない人――お姉ちゃんと同じ腕章を付けてる。生徒会の人かな?――が続く。

 それらを見るや否や、湧き上がっていた観客や部の人たちは、一様にギョッとした表情を見せる。

 

「やっべ、生徒会だ! 見つかったぞ!」

「外部の少年をステージに上げたなんてバレたら、廃部一直線だぞ! 部長! どうしましょう!?」

「少年を逃がせ! この逸材をここで失うわけにはいかない! ロックバンド研究部がなくなろうとも、ロックの希望を絶やすな!」

「部長! 流石っす! その自己犠牲精神、めっちゃロックっす!」

「というわけで逃げろ少年! ここはオレたちが引き受ける!」

「なんかよくわかんねーけど、バッドな状況なのは理解した! 任せたぜ、にーちゃんたち! また一緒に遊ぼうぜ!」

「あぁ! 今度は共にステージに上がろう!」

「あんたらに次なんてないわよ! 大人しく牢屋にぶち込まれなさい!」

「牢屋ってなに!?」

 

 なんだか物騒な単語が聞こえたよ!?

 この学校には変な部活動が多いって、話には聞いてたけど……こういうことなの?

 わたしは既に遊泳部を見ているけれど、あの人たちとは違う方向で、なんていうか、すごい。

 部屋の中が喧噪で覆われる。生徒会の取り締まりという危機を察知してか、観客だった人たちまで、逃げ出すくらいの混乱だ。

 部の人たちは、生徒会の人たちの道を塞ぐように立ちはだかっているけれど。その隙に、ネズミくんの姿も見失ってしまった。

 

「関係者以外によるステージ利用、20点。危険物の所持及び使用、80点。度を超した危険行為、迷惑行為等々、合わせて200点超……軽音部、もとい、自分たちを軽音部だと思い込んでいる精神異常者集団『ロックバンド研究会』は、以前から練習音がうるさいなどの理由でブラックリスト入りしていましたが……今回の加点でオーバーフローしましたね。廃部確定ラインを余裕で超えました」

「ルールなんざ守ってロックができるかってんだ! あの少年は、オレたちにそれを教えてくれたんだ!」

「意味不明なこと言ってんじゃないわよ。ほら、このうるさいの早く連れてって。中の人は全部外に出して! 会場もすぐに閉鎖! 急いで! さっきの部外者も早く見つけなさい!」

「それだけはさせんぞ! あの少年は我らが希望だ! 生徒会の毒牙から絶対に守ってみせる!」

「なーにが毒牙よ! あんたらの方がよほどヤバい集団じゃない! ほら、大人しくしなさい!」

 

 ……なんだか、とても剣呑な状況になってきたなぁ。

 なんて他人事のように言ってる場合じゃないかも。ネズミくんが追われているみたいだし、わたしたちも決して無関係じゃない。

 

「ど、どうしよう、代海ちゃん……」

 

 そう代海ちゃんに呼びかける。けれど、返事は返ってこなかった。

 それもそのはず。首を回しても、振り向いても、どこにも代海ちゃんの姿はなかったのだから。

 

「あ、あれ? 代海ちゃん……? どこ行っちゃったの……?」

 

 さっきの逃げ惑う人々に流されてしまったのかと思って、一度部屋から出るけど、代海ちゃんの姿は見えなかった。

 となると。

 ひょっとして、代海ちゃんは……

 

「一人で、ネズミくんを探しに……?」

 

 いつもならそこまで心配はしないけど、今は状況が状況だ。お姉ちゃん、すごい怒ってるし……ネズミくんだけじゃなくて、彼の関係者である代海ちゃんにも、火の粉が降りかからないとも限らない。

 

「わたしも、行かないと……だよね」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「よっちゃんやめて! それはあまりにも残酷だよ!」

 

 代海ちゃんとネズミくん、二人を探して校内を彷徨っていると、また聞き覚えのある声が耳に届いた。

 視線を向けるとそこには、一人の女子生徒の足に、懇願するように縋りつく小柄な生徒の姿があった。

 ……っていうか、あれ、謡さんと……えぇっと、あの縋りついている人は、遊泳部の部長さんの……十九渕さん? だったっけ。

 

 

「残酷でもなんでも、ダメなものはダメ! これはルール違反だよ、らぶちー!」

「なにが!? どうして!? あたしらの活動記録を文化祭で披露することのなにが悪いっていうの!?」

「こんないかがわしい写真が許されるわけないでしょ! 公序良俗に反するモノは全部禁止!」

「みんなの記念写真じゃん! ちょっとローアングルだったり水着だったり脱ぎかけだったりするだけじゃん!」

「それがダメって言ってんの! 問答無用! すべて没収!」

「うわぁーん! おーぼーだぁ!」

 

 十九渕さんが謡さんに泣きついているように見える。そして謡さんの手には、大量の写真の束?

 な、なんだろう? なにか揉めてる? みたいだけど……

 

「えーっと……これは、な、なにをやってるの……?」

「検閲じゃないかしら?」

「わっ!?」

 

 いきなり声を掛けられてビックリした。

 振り返ると、そこには背の高い女の人……っていうか、この人……

 

「あ、えぇっと……卯月、さん? お一人ですか?」

「そうよ。暁と柚ちゃんはれんちゃんに取られ、弟分のカイは女装少年に取られ、部員たちにフラれちゃったのよ、私」

「はぁ……」

「ならせっかくだし、友達と回ろうかなって思ってふらふらしてたら、こんな状況に、って感じね」

「友達……? あ、いつ……先輩のことですか?」

「んー、一騎君もアリだけど、今回は別かしらね。っていうかそこにいるわ」

「そこ?」

 

 卯月さんが指さした方向に、わたしも目を向ける。

 するとちょうど、十九渕さんを引き剥がし、大量の写真を手にした謡さんが戻ってきた。

 

「まったく、らぶちーも遊泳部も、油断も隙もないんだから……ごめんねー。お待たせ、ゆみちゃん!」

「ゆみちゃん?」

「思ったより掛かったわね。あなたも色々大変なのね、謡」

「あれ、妹ちゃんじゃーん! こんなとこで会うなんて奇遇だね!」

「あ、はい……えっと……」

「ん? どしたの?」

「……謡さんと卯月さんって、仲が良かったんですね?」

 

 友達って、謡さんのことだったんだ。

 霜ちゃんも霧島くんと仲良くなってたし、結構みんな、あの時の文化祭で遊戯部の人たちと仲良くなってたんだね。

 

「あぁ。まあねー」

「なんか色々話してたら意気投合したのよね。学年も同じだし、馬が合うっていうか」

「学年? あれ、卯月さんって、三年生じゃ……?」

「私? 私は二年よ」

「そうだったんですか!?」

 

 ちょっとビックリした。

 部長だし、いつきくんともタメだったし、てっきり三年生かと思ってたけど……まだ二年生だったんだ……

 

「ところで妹ちゃんはどうしてこんなところに? このへんは危ないよ? 色んなセキュリティを抜けて学祭の出し物申請を通り抜けた生き汚い変な部が押し込められた空間だから」

「え、えーっと、わたしは……その、代海ちゃんを探してて……」

「白身ちゃん? 美味しそうな名前ね」

「いやいやゆみちゃん。ゆみちゃも見てるはずだよ。そっちの文化祭の時にも来てたじゃん。後から来た、フードの子」

「あぁー……あの子、ね」

 

 卯月さんは、どこか含んだように言う。

 

「その子なら、そういえばさっき見た気がするわね」

「! 本当ですか?」

「えぇ。確か、あっちの方に行ったはずよ」

「地味系部活が押し込められた静寂ゾーンじゃん。あっちって全然人が来ないんだよねー」

「……ありがとうございます!」

 

 わたしは、卯月さんからその話を聞いて、すぐに駆け出した。

 代海ちゃん……待っててね……!

 

 

 

「あらら、行っちゃった」

「なんか慌ててる感じだったね、妹ちゃん。大丈夫かなぁ?」

「それにしてもあの子……凄いわねぇ」

「だよねぇ」

「私はあのレベルとなると、春永先輩くらいしか思い当たらないわ」

「たまに話題に出るけど、私その春永先輩ってよく知らないんだよね。そっちの文化祭の時もまともに話してないし」

「わりと信憑性のある噂だけど、三桁はあるって話よ」

「はぇー、高校生って凄いなぁ。私の姉ちゃんも高校生だけど。姉ちゃん私と大して変わんないけど」

「ちなみに私が入学する前からその噂はあるわ」

「……魔境だねぇ」

「そうね」

「ゆみちゃん、次はどこ行く?」

「どこでも。なんかいい感じのところに案内して頂戴」

「うわー、ゆみちゃんそういうところだよ。さて、どうしたものかなぁ」

「ふふふ、あなたのチョイス。楽しみにしてるわよ、謡」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ネズミくんっ!」

「あん?」

 

 室内ということなどまるで意に介さず、ローラースケートで追っ手を撒いた眠りネズミの背に、呼びかける声。

 眠りネズミが振り向くと、そこにいたのは、軽く息を切らした代用ウミガメだった。

 

「お、カメ子じゃねーか! どーした?」

「どうしたじゃないよっ! ネズミくん、な、なにをやって……」

「あー……? あー……お前、もしかして僕のステージ見てたか? 超バッドでエキサイトだったろ!」

 

 喜々として語る眠りネズミ。

 しかし代用ウミガメは、不安そうに顔を歪ませるだけだ。

 

「あ、あぁいうの、よくないよ……! いろんな人に、め、迷惑とか、かかるし……アヤハさんだって、そういう目立つことは、危険、だって……」

「あー、うっせーうっせー。僕が僕のやりたいことやってなにが悪いんだっての」

「悪くは、ない、けど……で、でも、やりすぎ、っていうか……危ない、っていうか……」

「知ったこっちゃねーなぁ。あそこのにーちゃんたちだって、客だって激アツで、僕もヒートアップ。ギンギンに盛り上がって、Win-Winな関係。なーにも悪いこったねーよ!」

「でも……ネズミくんがやったことで、大変な目に遭った人も、いる、し……」

「知るかバーカ。誰だよそいつ。そんなら今すぐ連れてこいっての」

「え、えと……そ、それは……」

 

 気の弱い代用ウミガメの言葉は、強気な眠りネズミにすべて打ち砕かれてしまう。

 論理も理論もないが、ただ気勢だけで、代用ウミガメは押し負けていた。

 

「せっかくの祭りだ、頭空っぽにして楽しもうぜカメ子!」

 

 ニカッと、満面の笑みを浮かべる眠りネズミ。

 なにも考えない。しがらみもなにも感じさせない、屈託のない笑顔。

 苦悩も葛藤も、それを呼び起こす知性と理性さえをも投げ捨てたような生き様。

 それは危険でありながらも、代用ウミガメにとっては、ほんの少し……羨まさすら感じる。

 けれど。

 

「……だ、ダメ、だよ……ネズミくん」

「あん?」

「あ、アタシは……ネズミくんたちに、あ、危ないことは、させられない……」

 

 それに、

 

「あの人の……こ、小鈴さんの、居場所で……混乱を、起こすわけにも、いかない、から……!」

「……中途半端なこと言いやがって」

 

 眠りネズミは、つまらなさそうに鼻を鳴らす。

 しかしそれも一瞬。彼はすぐさま、ニィっと表情を笑顔に歪ませた。

 

「まー知ったこっちゃねーけどな! おいカメ子! 僕に言うこと聞かせてーなら、どうすっかわかってんだろ!? なぁ!?」

「む……ね、ネズミくんは、いつも、そうだね……」

「ったりめーだ! 楽しくなけりゃ生きてる意味はねぇ! 一分一秒一瞬が惜しい! やんなら早くしようぜ! 眠くなっちまう!」

 

 火の手が迫るように急かす眠りネズミ。

 聞き分けのない子供のようではあるが、実のところ、彼を操る方法は、存外単純なのだ。

 歓楽に向けてひた走る彼に、目の前の楽しみをお預けして動かすには、別の楽しみを与えてやればいい。

 彼は、彼が「楽しい」と思った結果には忠実なのだ。たとえそれで、自分が不利益を被ったり、本来の目的から逸れようと、その瞬間の楽しみが享受されれば、彼は思うように動くだろう。

 手っ取り早く彼に楽しみを与える方法。彼が求める、スリルや混沌という熱は、すぐそこにある。

 代用ウミガメは、パーカーのポケットに手を入れる。そして、それを握り締めた。

 

「ネズミくん……お、おねーちゃんの言うことは、聞かなきゃダメ、だよ……!」

「ハッ! バタつきパンチョウみてーなこと言っても、カメ子にゃ似合わねーぜ!」

 

 あちらは既に準備万端。いやさ、準備などというものはないのだろう。生きている限り常在戦場。目が覚めている限り、彼は準備などなく全力全開だ。

 代用ウミガメは小さく息を吐くと、ポケットから取り出したデッキを、突きつける。

 

「あ、アタシが勝ったら……ちゃんと、言うこと、聞いてね……!」

「おう考えてやんよ。んな御託はいいから、とっととおっぱじめようや!」

 

 今にも爆ぜてしまいそうなほどの意気を見せる眠りネズミ。

 代用ウミガメは、それに応える他ない。

 荒ぶる火鼠を押し止めるべく、代用品の海亀は、かの大火へと立ち向かう――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 代用ウミガメと、眠りネズミによる対戦。

 互いに互いを知る者同士。代用ウミガメは、相手が眠りネズミということを踏まえ、最初に《奇石 ミクセル》で牽制する。

 一方で眠りネズミは、相手が誰だろうと関係ない、とでも言わんばかりに、《一番隊 チュチュリス》で、自らの動きを加速させようとしていた。

 

 

ターン2

 

代用ウミガメ

場:《ミクセル》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:0

山札:29

 

 

眠りネズミ

場:《チュチュリス》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

 

 とはいえ、《ミクセル》の存在が、眠りネズミにとって大きな障害となることは確かだ。

 眠りネズミは、大きく舌打ちをする。

 

「クッソ、カメ子の奴。《ミクセル》なんて鬱陶しいモン出しやがって……!」

「ネズミくんには、これが効くもんね……《一番隊 クリスタ》を、に、二体、召喚……ターン、終了、だよ」

「んならとっととぶっ飛ばす! キャストスペル! 《KAMASE(カマセ)-BURN(バーン)!!》! GR召喚だ!」

 

 眠りネズミが呪文を詠唱する。刹那、爆ぜるように白いカードが舞い上がり、その姿を現す。

 

「《ホッピーホップ》! 《ミクセル》とバトルだ!」

「っ、《ミクセル》が……」

 

 

 

ターン3

 

代用ウミガメ

場:《クリスタ》×2

盾:5

マナ:3

手札:1

墓地:1

山札:28

 

 

眠りネズミ

場:《チュチュリス》《ホッピーホップ》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:1

山札:27

 

 

 

 

「あ、アタシの、ターン……《クリスタ》二体で、2軽減。2マナで、《龍装者 バーナイン》を、し、召喚……! 《バーナイン》の、能力で、ドロー……さ、さらに1マナで、《音奏 ハープララ》も、召喚、だよ……あ、アタシも、GR召喚……!」

 

 《ミクセル》こそやられたものの、《クリスタ》を二体確保した代用ウミガメの動きは早い。

 《バーナイン》で補給路を確保し、さらに《ハープララ》でクリーチャーを展開し続ける。

 穏やかな竪琴の音色が、超GRから一枚のカードを呼び寄せ、それを顕現させる。

 

「《発起の意志 ラパエロ》……! め、メタリカが、二体、出たから……《バーナイン》の、能力で、二枚ドロー……1マナで《ミクセル》を、召喚……ターン、終了」

「クッソ、また出やがった! ガッデム!」

 

 せっかく破壊したメタカードが、再び現れた。

 眠りネズミにとっては、厄介なことこの上ないだろう。

 

「ちっくしょう。だが、こいつはしゃーねぇ、行くっきゃねぇ! 《チュチュリス》で1軽減、1マナで《ダチッコ・チュリス》召喚!」

 

 《ミクセル》がいるため、コスト軽減による大型クリーチャーの早出しは悪手となりかねない。

 それでも眠りネズミは、その逆風に自ら向かっていく。

 

「《ダチッコ》で3軽減、《チュチュリス》で1軽減、B・A・D1で1軽減! 5コスト軽減し、1マナで《“末法(マッポ)”チュリス》を召喚!」

「こ、コスト6のクリーチャー……《ミクセル》の能力で、や、山札の一番、下に……!」

「の前にこっちだ! 《“末法”チュリス》がバトルゾーンに出た時、僕の山札を三枚めくる。んで、そん中のビートジョッキーがゴートゥヘル! ロックンロール!」

「う……で、でも、ネズミくんは4マナ、だし……踏み倒しされても、だ、大丈夫、だよね……?」

「あぁん? おいおいカメ子、あんま僕を舐めてんじゃねーぞ!」

 

 眠りネズミは山札から三枚を捲り上げ、その中の一枚を弾き飛ばした。

 装甲がひび割れ、今にも崩れそうな破砕戦車が発進する。

 

「おらぁ! 《ゴリガン砕車 ゴルドーザ》!」

「っ! コスト4……《ミクセル》で止められない……で、でも、《“末法”チュリス》は、山札の下に……!」

「知ったこっちゃねーなぁ! こいつの仕事はとっくにフィニッシュ! こっから僕のメインディッシュ! 《ゴルドーザ》でアタック! ブレイク!」

「っ……!」

「そぅらもう一発だ! 《ホッピーホップ》もブレイク!」

「あぅ……と、トリガーは、ないよ……」

 

 《ミクセル》をすり抜け、代用ウミガメに連撃を叩き込む眠りネズミ。

 ターン終了時、《“末法”チュリス》で無理やり動かした《ゴルドーザ》の機体は稼働限界を迎え、爆発し、木っ端微塵の鉄屑と化す。

 

「《“末法”チュリス》で出したクリーチャーは、エンド時にぶっ壊れちまう……が!」

 

 《ゴルドーザ》はタダでは死なない。

 爆散した機体は手榴弾だ。仕込んでいた火薬と共に、砕けた機体そのものが鉄片となり、代用ウミガメのクリーチャーへと降り注ぐ。

 

「クラッシュ&スマッシュ! 《ゴルドーザ》のラスト・バースト発動! 呪文《ダイナマウス・スクラッパー》だ!」

「あ……」

「相手クリーチャーのパワーが6000以下になるように破壊する! 《ミクセル》《クリスタ》二体を破壊!」

 

 

 

ターン4

 

代用ウミガメ

場:《バーナイン》《ハープララ》《ラパエロ》

盾:2

マナ:4

手札:5

墓地:4

山札:23

 

 

眠りネズミ

場:《チュチュリス》《ダチッコ》《ホッピーホップ》

盾:5

マナ:4

手札:1

墓地:2

山札:26

 

 

 

(ネズミくん……やっぱり、強いよ……!)

 

 自身の体質のせいで、活動時間が常人の半分しかない眠りネズミだが、それだけ彼は、短い時間に注ぎ込むリソースが強大なのだ。

 瞬間に放たれる爆発ですべてを薙ぎ倒すように、速く、強い。

 たった一瞬という時に限定し、費やされる力。それは、己の限界を超えてでも、総力をその瞬間に集約し、解放される。

 ごく短い瞬間に限れば、彼の早さという強さは、公爵夫人や帽子屋すらをも凌駕するかもしれない。

 

「こういうの、ネズミくんには、悪いけど……に、2マナで、《黙示賢者ソルハバキ》を召喚……!」

 

 短期決戦に持ち込まれると、彼には敵わない。

 ならば、その時を引き延ばすまでだ。

 

「そ、《ソルハバキ》の能力で、アタシのマナと、手札のカードを、一枚ずつ、入れ替えるよ……そ、そして、4マナで《Dの牢閣 メメント守神宮》を、展開……!」

 

 戦場は、巨大な錫杖を奉納した、煌びやかな楼閣へと浸蝕される。その加護を受けるのは、代用ウミガメ。

 眠りネズミの力はごく短い時間にしか集中しない。それなら、話は簡単だ。

 守る。ただひたすら防御に徹し、時間を稼ぐ。眠りネズミの速攻を、防御を固めてはね除けるのだ。

 

「僕のターン!」

「で、Dスイッチを使うよ……! 《メメント守神宮》をひっくり返して、ネズミくんのクリーチャーは、全部、タップ……!」

「……うっぜぇなぁ」

 

 眠そうに眼をこする、眠りネズミ。

 今が5ターン目。このあたりで、眠りネズミが力を発揮する領域から脱するはず。

 ここを乗り切れば、彼の集中も途切れ、戦況も代用ウミガメへと傾くことだろう。

 

「ねみぃ……おら、こいつだ! 5マナで《“乱振(ランブル)舞神(マシーン) G・W・D》! まずは《バーナイン》とバトル! ぶっ壊せ!」

 

 自身の眠気を飛ばそうとするかのように、咆える眠りネズミ。

 《G・W・D》が走り、代用ウミガメの場を蹂躙していった。

 

「さらに攻撃だ! 《ラパエロ》とバトル! 破壊だ!」

「……! S・トリガー《メメント守神宮》、フィールドを張り替える……!」

「ターンエンド!」

 

 

 

ターン5

 

代用ウミガメ

場:《ソルハバキ》《ハープララ》《メメント》

盾:1

マナ:5

手札:3

墓地:6

山札:22

 

 

眠りネズミ

場:《チュチュリス》《ダチッコ》《G・W・D》《ホッピーホップ》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:2

山札:23

 

 

 

「あ、アタシのターン……2マナで《クリスタ》を召喚……2マナで《ハープララ》を召喚……の、能力で、《純白の意志 ヴィンチ》を、GR召喚、するよ」

 

 こちらのクリーチャーも殲滅されてしまっているが、時間稼ぎはできている。

 とはいえ代用ウミガメも、眠りネズミの激しい爆撃により、リソースがかなり削られている。

 眠りネズミはクリーチャーも展開しているため、このままでは数に物を言わせて押し込まれかねない。

 敵の攻撃を防ぐための壁。それを並べるためにも、補給路が必要だ。

 《バーナイン》は破壊されてしまったが、代用ウミガメのデッキには、《バーナイン》以外にも、戦力を補給する手段がある。

 

「……こ、これで、アタシの光の、コスト3以下のクリーチャーが、五体……シンパシーで、5マナ、軽減して……2マナで、《共鳴の精霊龍 サザン・ルネッサンス》を、召喚……!」

 

 低コストのクリーチャーたちの協奏に導かれ、一体の龍が降り立った。

 《サザン・ルネッサンス》。その龍は、小さな光が奏でる音に共鳴し、さらなる旋律を奏でるための知識を授ける。

 

「能力で五枚ドロー……ターン、終了、だよ……!」

「僕のターンだ!」

「《メメント守神宮》の、Dスイッチ……! クリーチャーを、タップ……!」

「ガッデム! マージでうぜぇ!」

 

 横にクリーチャーを並べても、並べた端から寝かされてしまう。眠りネズミは苛立ちも隠さず吐き捨てる。

 それでも彼は、止まるということを知らない。起きている限り、目が覚めている限り、彼は動き続ける。瞼が落ちないのならば、それは進めという意味なのだから。

 

「5マナをタップ! 呪文《“必駆”蛮触礼亞(ビッグバンフレア)》!」

「! そ、そんなカードも……!?」

「二体目だ! 《G・W・D》をバトルゾーンへ! 呪文の効果で《クリスタ》とバトル!」

 

 “まずは”呪文の効果で、《G・W・D》が《クリスタ》を轢き潰す。

 さらにそのまま、《G・W・D》は代用ウミガメへと突貫する。

 

「まだまだぁ! 《G・W・D》の能力で《ヴィンチ》とバトル! さらにアタック! 《ソルハバキ》とバトルだ!」

「く、クリーチャーが……《サザン・ルネッサンス》でブロック……!」

「ターンエンド!」

 

 《サザン・ルネッサンス》に阻まれ、《G・W・D》は大破する。

 しかし代用ウミガメが展開したクリーチャーも片っ端から破壊され、しかも眠りネズミは《G・W・D》の能力で後続を引き込んでいる。

 今頃、猛烈な眠気が彼を襲い、集中も切れてきている頃だろうが……それでも彼は、まだ止まらない。

 重い瞼を押し上げて、爆音で己を奮い立たせて、燃え尽きない火鼠となり、猛進し続ける。

 

 

 

ターン6

 

代用ウミガメ

場:《ハープララ》×2《サザン》《メメント》

盾:1

マナ:6

手札:5

墓地:8

山札:17

 

 

眠りネズミ

場:《チュチュリス》《ダチッコ》《G・W・D》《ホッピーホップ》

盾:5

マナ:6

手札:3

墓地:4

山札:19

 

 

 

(ネズミくんが、こんなに粘るなんて……で、でも、流石に、そろそろ限界なはず……!)

 

 ごしごしと瞼をこする眠りネズミ。少し足下もふらついている。

 彼は、一度始めた対戦(あそび)の途中で眠ることを、なによりも嫌う。だからこの対戦中も、眠らないようにするために、彼は無理をしている。

 無理をすればするほど、体に負担がかかり、集中力も切れる。

 あと1ターンか2ターンでも耐え凌げば、眠りネズミの勢いも止まるはず。

 眠りネズミは、己に灯した炎が鎮火するまでに代用ウミガメを倒しきれるか。代用ウミガメは、眠りネズミの火が落ちるまで耐えられるか。根比べの競争だった。

 

「あ、アタシの、ターン……! 《クリスタ》を召喚……さらに、《ハープララ》を、召喚……能力で、GR召喚するよ……!」

 

 竪琴の戦慄が、ソラに輝く。

 その光を受け降り立つは、銀河の煌めき。

 

「《煌銀河(ギラクシー) サヴァクティス》……!」

 

 正義の具現とも言うべき、輝ける龍だ。

 《煌銀河 サヴァクティス》。フィニッシャーに成り得るほどの力を持つクリーチャーだが、今の代用ウミガメにとっては、それすらも前座に過ぎない。

 縦横無尽に戦場を駆け巡る鼠花火を掻き消す一手は、他にある。

 

「《クリスタ》でコストを1軽減して、1マナ……も、もう一体、《ハープララ》を、召喚……! 《破邪の意志 ティツィ》を、GR召喚……!」

「並べやがるなぁ、カメ子! だがよ、それで足りんのかぁ!?」

「……大丈夫、だよ。あ、アタシは、数で守る、わけじゃない……これは、準備、だから……」

「あん?」

「アタシのクリーチャーの数だけ、し、シンパシーでコストを軽減……1マナタップ」

 

 代用ウミガメのクリーチャーは、《ハープララ》が四体、《サザン・ルネッサンス》《クリスタ》《サヴァクティス》《ティツィ》が一体ずつの、計八体。

 八体分のクリーチャーによるシンパシーに加え、《クリスタ》のコスト軽減を合わせ、1までコストが下げられたクリーチャー。

 本来であれば10マナもの超大型クリーチャーが、今ここに、顕現する。

 

 

 

「“おいた”は、もう、ダメ、だよ……! 《大神絆官(だいしんぱんかん) イマムーグ》……!」

 

 

 

 それは、火鼠の凶行を止めるべく顕現した、正義の使者。

 これにより、代用ウミガメの布陣は、これまでと比較にならないほど、頑強となる。

 

「こ、これで、ターン終了、だよ……!

「僕のターン! ようやっと殴れるぜ!」

「……いいや」

 

 《メメント守神宮》で攻撃を止められ続けた眠りネズミだが、ここにきてようやく、その束縛から逃れることができた。

 しかし、眠りネズミはまだ自由にはならない。

 あらたな枷が。彼には課せられるのだから。

 

「させないよ、ネズミくん……! あ、アタシには、《イマムーグ》が、いるから……!」

 

 《メメント守神宮》の加護を受け、立ちはだかる《イマムーグ》。

 ただ巨大なブロッカーというわけではない。五体以上のクリーチャーがいるため、破壊以外の除去を受けつけないが、それが本懐でもない。

 今の《イマムーグ》は、あらゆる攻撃を受け、防ぎ、いなし、流す、鉄壁の守護神だ。

 

「《イマムーグ》は、自分のクリーチャーをアンタップすれば、攻撃先を曲げられる……そして、アタシのクリーチャーは、みんな……《メメント守神宮》で、ブロッカー、だよ……!」

 

 眠りネズミの攻撃は、《メメント守神宮》の効果を受けたクリーチャーによってブロックされる。数で攻めようとも、《イマムーグ》がタップしたクリーチャーを起き上がらせ、攻撃を曲げる。そして起き上がったクリーチャーは、再びブロック可能となる。

 パワー12500の《イマムーグ》と、ブロッカーを与える《メメント守神宮》が場に存在する限り続く、鉄壁の無限回廊。

 眠りネズミは今まさに、楼閣の中の迷宮に囚われたのだった。

 

「ネズミくんはの攻撃は、もう、アタシには、届かない……この意味、ネズミくんでも、わかるよね……?」

「いやわかんねーわ」

「えぇ!?」

「眠すぎて頭が動かねーんだよ」

 

 元々、大して動く頭ではないが。

 

「でもまぁ、つまりあれだろ?」

 

 しかし、彼は今を生きる火鼠だ。

 考えこそしなくとも、目の前の障害くらいは、認知する。

 そして障害があると認知できたのならば、やることはひとつだ。

 

 

 

「そのデカブツ、ぶっ壊せばいいんだろ?」

 

 

 

「え……?」

「ようやくこいつの出番が来たなぁ! ハンドトラッシュ! 3マナタップ!」

 

 眠りネズミは、手札を一枚投げ捨てる。

 その捨てた手札を燃料に、手札から唱える呪文の詠唱を、加速させる。 

 

「B・A・D・S2! 《“必駆”蛮触礼亞》! 手札からビートジョッキーを出すぜ!」

 

 爆発的な炎が噴き上がり、軋むような駆動音が鳴り響く。

 一切合切を粉砕するかの如き爆炎を突き破り、現れたのは――

 

 

 

「超えろ時間(スキップ)! 砕けろ装甲(トラッシュ)――《勝利龍装 クラッシュ“覇道(ヘッド)”!》」

 

 

 

 ――巨大な、戦車だった。

 爆発の中を突き進んだせいだろうか、機体は焦げ付き、ひび割れていて、今にも崩れてしまいそうだが、その軌道は迷いなく力強い。

 騎乗する猿人の指揮により戦車は、まっすぐ代用ウミガメの戦場へと進軍する。

 

「《“必駆”蛮触礼亞》の効果だ! 《イマムーグ》とバトル!」

「《イマムーグ》のパワーは12500、だけど……」

「《クラッシュ“覇道”》は9000! だが、バトル中のパワーはプラス5000!」

 

 突撃する《クラッシュ“覇道”》。そのキャタピラが、《イマムーグ》を巻き込み、押し潰した。

 巨大な《イマムーグ》でも、より高いパワーには対抗できない。破壊には無力であり、そのまま、粉砕されてしまう。

 

「い、《イマムーグ》が……!」

 

 あっという間だった。

 迷宮に閉じ込めたはずが、その迷宮ごと、破壊されてしまった。

 無限に続く防御は木っ端微塵。代用ウミガメの敷いた布陣に穴が空き、隙を晒してしまう。

 

「おまけだ、《FASORASI(ファソラシ)・ドッカン》を召喚! んで、《G・W・D》で攻撃! 《ティツィ》とバトル! そのままブレイク!」

「《サザン・ルネッサンス》でブロック……!」

「んなら《FASORASI・ドッカン》の能力で、《グッドルッキン・ブラボー》をGR召喚! 次だ! 《クラッシュ“覇道”》!」

「し、S・トリガー……! 《メロディアス・メロディ》で、《ダチッコ・チュリス》と《ホッピーホップ》を、た、タップ……!」

「うっし、ならターンエンド……だが!」

 

 眠りネズミはそれ以上は殴らず、攻撃を止める。

 しかし、その瞬間、《クラッシュ“覇道”》が炸裂。爆発するように、巨大な戦車が木っ端微塵に粉砕された。

 

「ヒャァッハァーッ! これこそロック! ダイナミックにクラッシュ&トラッシュ! これが僕のタクティクス! どいつもこいつもぶっ壊れちまいな!」

 

 叫び散らす眠りネズミ。感情の昂ぶるまま、情動の乱れるがままに、彼は激しく荒ぶる。

 大火を抱いた火鼠は、戦場を焼き払うほどに、早く、強く、駆け巡る。

 

「《“必駆”蛮触礼亞》の効果で《クラッシュ“覇道”》がクラッシュ! 僕のクリーチャーがぶっ壊れたから、《FASORASI・ドッカン》の能力でGR召喚! 《ドドド・ドーピードープ》! んーで、《クラッシュ“覇道”》の能力発動!」

「あ……ぅ……」

 

 砕け散った《クラッシュ“覇道”》の残骸。とある龍の化石で組み上げられたそれは、砕けた瞬間に、かつての記憶を再現する。

 勝利を求めた奇跡の所業。今という歓楽のために求める、理の破壊。

 即ち――

 

 

 

「もう一度――僕のターン!」

 

 

 

 ――時の超越(エクストラターン)だ。

 

 

 

 

ターン6(眠りネズミEXターン)

 

代用ウミガメ

場:《ハープララ》×4《サザン》《クリスタ》《サヴァクティス》《メメント》

盾:0

マナ:7

手札:1

墓地:10

山札:15

 

 

眠りネズミ

場:《チュチュリス》《ダチッコ》《FASORASI》《ホッピーホップ》《グッドルッキン》《ドーピードープ》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:8

山札:17

 

 

 

 代用ウミガメに残されたブロッカーは、たった二体。

 時の理を打ち砕き、超克した眠りネズミの火は、最大まで燃え上がっている。

 それを消し去ることは、もはや叶わない。

 

「おらおらおらぁ! いくらでも行くぜぇ! 《“末法”チュリス》召喚! 能力で《クラッシュ“覇道”》! 手札が一枚になったから、マスター・GGG(ゴゴゴ ガンガン ギャラクシー)! 《“轟轟轟(ゴゴゴ)”ブランド》!」

「あ、あぅ、うぅ……」

 

 ――代用ウミガメに落ち度があるとすれば、それは、眠りネズミを“過去”で見ていたこと。

 眠りネズミが短期決戦で強いのも、長期戦に弱いのも確かな事実だが、それを一面的に受け取ってしまったのが敗因と言えるだろう。

 

「これだ。これだこれこれ! 大切に積み上げたものを一瞬でぶち壊す! デカくて強ぇ切り札を使い捨てる! これがロック! さいっこうにドープでバッドだなぁ!」

 

 運悪く“今”の眠りネズミは、代用ウミガメの想定から、ほんの少し外れていた。持ち得るリソースを一瞬に注ぎ込むということ自体は、そう変わっていないが、そのタイミングがずれていた。

 言うなれば彼は、爆弾を抱えているようなもの。花火は点火した瞬間に爆ぜたりしない。ほんの少しの猶予を持ち、一気に爆発するものだ。

 その“待ち”の時間を考慮しなかったが故に、彼も最大の歓楽のために待つことができるということを見落としていたが故に、彼女は読み間違えた。

 そして、身を守る術を失った代用ウミガメに、爆発的な火力を伴った鼠花火が襲いかかる。

 

「《クラッシュ“覇道”》! 《“轟轟轟”ブランド》! アタック!」

「さ、《サヴァクティス》と、《クリスタ》で、ブロック……!」

 

 残ったブロッカーで攻撃を防ぐ。

 しかし当然ながら、その程度では、防ぎきれない。

 隙間を縫うようにして駆け寄る火鼠が、代用ウミガメに食い掛かる。

 

 

 

「《ダチッコ・チュリス》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……なぁ、カメ子」

 

 対戦が終わった直後、眠りネズミは代用ウミガメに呼びかける。

 勝利の勢いのまま、自分の衝動に従って走り去っていくと思っていた代用ウミガメは、眠りネズミのどこか気遣うような呼びかけに面食らう。

 

「お前さぁ、なにがしたいんだ?」

「な、なにって……?」

「なーんかふらふらしてるっつーか、決めあぐねてるっつーか。どっちつかずって感じだ。悩みでもあんのか?」

「…………」

 

 眠りネズミが他者を心配するという珍しい行為に、一瞬の驚き。

 そして直後、自分の内心を見抜かれたことに対する、喫驚と、後ろめたさ。

 代用ウミガメは口を噤むが、ほんの一時の翳りから、眠りネズミはなにかを察したように、続けた。

 

「なにに悩んでんのか知らねーけど、なんかあんなら言えよな」

「そ、れは……で、でも……」

「カメ子はうじうじしてうっぜーけど、僕のマイメン。ねーちゃんでダチだろ? なんかあるなら頼れって」

「ネズミくん……」

 

 年下――自分たちの年齢というものは曖昧であまりハッキリしないが――に励まされる自分に若干の情けなさを感じるものの、彼の気遣いは、純粋に嬉しかった。

 同時に、思う。

 

 ――あぁ、アタシは、やっぱり、“こっち側”、なんだね――

 

 あちら側なのか、こちら側なのか。どちらにいられるのか、どちらにいてもいいのか、どちらにいるべきなのか。

 定まらず、揺れ動く。

 

「……ネズミくんは、いつでも、一直線、だね……ちょっと、うらやましい、よ」

「あー? ったりめーだ。気付いたら寝ちまってるからな。今を楽しむ以外になんもできねーし、それが最高にバッドだからな、僕にとっちゃ」

 

 未来を考える余裕がない。けれど彼は、それを微塵も悲観していない。

 先のことが考えられないなら、今を生きればいい。覚醒しているこの瞬間を謳歌すればいい。

 そんな、単純ながらも至難なことを、彼は平然とやってのける。

 姉のように接してはいても、そういった、個体としての強靭さは、やはり敵わない。

 

「カメ子もよぉ、あんま気負うなよ。うじうじ考えてっから、てめーはカメ子なんだよ!」

「え、えぇ……? でも……」

「でも、あんだよ?」

「……あ、アタシは……もしかしたら……みんなとも、違う、かも、しれないし……」

 

 以前、ヤングオイスターズが言っていた。自分の出生は特殊だと。

 それは代用ウミガメ自身、うっすらと感じている。

 だからこそ、自分の立ち位置がわからない。

 人に寄るべきか、彼らに寄るべきか。

 本当に自分のいるべき場所とは、どこなのか。

 

「……よくわかんね。わけわかんねーことで悩んでんのな、お前」

「だ、だよね……」

「けどよ」

 

 眠りネズミは続けた。

 考えもせず、情感をそのまま吐き出したように。

 思慮が浅い。だからこそ、彼の思うまま、心のままの言葉が、紡ぎ出される。

 

「僕なら、自分の好きにする。僕は行きてーとこに行くし、やりてーことをする。カメ子も、自分のやりてーようにやればいいんじゃね?」

 

 したいように、やりたいように。

 彼の勝手気ままな行いも、そんな子供のような理由なのだろう。眠りネズミとは、そういう人物だ。

 わかりきったことだ。しかしそれを改めて言葉にされると、その言葉を向けられると、どこか、特別なものに感じる。

 

「あ、アタシの、したいように……?」

「おう。カメ子はなんかそういうのがダメだしな。うだうだ考えるより、てめーの心に聞けよ。てめーがやりてーことが、てめーの動力だ。そうすりゃ勝手に、やりてーようになってるさ」

 

 なんとも乱雑で、論理もなにもない言葉だ。

 しかしそれ故に、彼は信頼できた。嘘も偽りもない。そんな謀略を巡らせる余裕のない生を謳歌する彼の言葉は、自由かつ純真だ。

 そしてそれは、純朴な代用ウミガメの中に、染みるように入り込んでくる。

 

「あ、アタシの、したいこと……」

 

 可能でも、許容でも、義務でもなく。

 願望で進めと、彼は言う。

 その結果が、希望か、絶望かは、わからないが。

 歩き出すための後押しには、なったのかもしれない。

 

「……え、えっと、ありがとう、ネズミく――」

 

 そう、礼を言おうと思った瞬間。

 ぽすん、と小さな頭が代用ウミガメの胸に落ちた。

 すぅすぅと、小さな寝息が聞こえてくる。

 やはり無理をしていたのだろう。眠りネズミは、その名の通り、完全に寝入っていた。

 

「もう……しかたないなぁ、ネズミくんは……」

 

 いつものように、眠りに落ちた彼を背負う。

 そう。自分の“こちら側”としての、使命のようなものだ。

 やはり自分は、中途半端で、どっちつかずだ。

 とその時、誰かが呼ぶ声が聞こえる。

 

「おーい! 代海ちゃーん!」

「こ、小鈴さん……」

 

 そういえば、彼女を置いてきてしまったことを思い出す。

 衝動的に、思ったまま、やりたいことを……既に、実践できていたではないか。

 

「あれ、ネズミくん……寝ちゃってる……?」

「は、はい。まあ、こ、これも、いつものこと、ですけど……あ、でも、生徒会の人に、な、なんて、伝えれば……」

「……お姉ちゃんには、わたしの方から言っておこうか?」

「え……? い、いいん、ですか……?」

「うん。あんまり大事になると、代海ちゃんたちも困るだろうし……あんまりよくないことだとは思うけど、代海ちゃんのためだもん」

「……あ、ありがとう、ございます……小鈴さん」

「ところで、ネズミくんはどうするの?」

「このままにしておくわけにも、いきませんし……一度、連れて帰り、ましょうか……」

「大丈夫なの? クラスの出し物もあるのに……」

「展示なので、一言言えば、なんとか……」

 

 何時間か待てば勝手に起きるが、起きたらまた勝手に動き出してしまうので、連れて帰るべきだろう。

 ユニコーンとライオンに任せてもいいが、年少の彼らに押しつけるのも忍びない。

 

(それに……ネズミくんのお陰で、勇気、出たから……)

 

 迷い惑い、恐れ戦いていたが、決心した。

 やはり自分は向き合うべきなのだろう。自分の立ち位置を確立させるためにも。自分が、どうあるものなのか、どうありたいかを決めるためにも。

 

 

 

 ――『ハートの女王』に、謁見するべきだろう。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 コツ、コツ、と暗い螺旋階段を降りる。

 【不思議の国の住人】たちが集う館の地下。女王は、そこに座しているらしい。

 

「しかし、珍しいことも、あるものだ。まさか貴様が、女王の拝謁を望むとは」

「それは……」

「『コーカス・レース』も間近だ。本来であれば、アレと相見えることを許可すべきではないのだろう。だが、貴様の蛮勇と面妖さに免じるとしよう」

「あ、ありがとう、ございます……」

 

 角灯の明かりだけが、暗闇を仄かに照らす。

 微かに湿った、粘つくような冷たい空気。吸い込んだ息が、肺に張り付くようで、気持ちが悪い。

 

「しかしどういう風の吹き回しだ? 確かヤングオイスターズが、貴様の身に異変……否、先祖返りが起きているようなことを話していたが」

「あ……はい。あ、アタシ、今……なにも、食べられない、身体、で……」

「ふむ……食事ができない、か」

 

 帽子屋は、思い返すように首を捻る。

 

「……本当に、なにも喰えないのか?」

「え……? は、はい、恐らく……お水、くらいなら、飲めますけど……な、なぜ、ですか……?」

「なぜもなにもない。あらゆる生物は、なにかしらの食を貪り生きている。しかし種が違えば、食するものも違う。草を食む獣がいれば、肉を喰らう獣もいる。木の根を囓る蟲がいれば、同じ蟲を噛み砕く蟲もいる。その種が食らえるものは、別の種と異なるものである」

「はぁ……?」

「人は雑食にして、粗食にして、悪食だ。如何なるものでも喰らうが、そんな人でも喰らうことを忌避するものはある。我々はあらゆる感覚を人に身に寄せている故に、美味も忌避も人のそれと同じだ……ヤングオイスターズの誰だったかは、人の手で作られた、緑色の飲料を特に好んでいたな。眠りネズミやバタつきパンチョウも人の世の食物を好む。オレ様とて茶も飲む……それが、人の世における食というものだろう」

「帽子屋さん……?」

 

 彼は、なにを言っているのだろうか。

 狂った帽子屋の言葉が意味不明なことは、珍しいことではない。

 しかし彼は、いつもなにかを知ったように、見通しているかのように、追想しているかのように語る。

 それは狂人の妄言なのか。指導者としての諫言なのか。

 代用ウミガメにはわからない。それなりに付き合いの長い相手だが、帽子屋には謎が多い。バタつきパンチョウや三月ウサギ、公爵夫人らは、帽子屋のことを自分たちよりも深く知っているらしいが……

 帽子屋は代用ウミガメの疑問に答えるわけもなく、ただ一方的に語るだけだ。

 

「では、貴様はどうだ。今の貴様は、人の世の食を受け入れない。であるならば、貴様はなんだ?」

「な、なんだ、って……」

 

 帽子屋は淡々と枯れた言葉を紡ぐ。

 だというのにその言葉には、まるで詰問されているかのような、不思議な圧があった。

 

「貴様の舌は、口は、身体は――如何なる種のものとなったのだろうな? なぁ、代用ウミガメ」

「そ、れは……」

 

 冷淡な口調のまま、帽子屋は踏み込んでくる。

 帽子屋の言葉の信用は薄いが、しかしここまで執拗なのは、違和感がある。

 彼はなにかを伝えようとしているのか。あるいは、ただの歓楽か、享楽か、酔狂か。

 代用ウミガメは、意を決して、言葉を返す。

 

「……ぼ、帽子屋さんは、アタシの“生前”を……『代用ウミガメ』の名前を得る前の、アタシのこと……知って、いるのですか……?」

「知っている」

「!」

「が、オレ様は語るつもりはない」

 

 即答だったが、切り返しも瞬時だった。

 

「オレ様は、貴様を『代用ウミガメ』と名付けた。故にオレ様は、貴様を『代用ウミガメ』として扱う。綿津見の如きであった貴様など、知らん。アレはとうの昔に死に果てた。狂い死に損ないのオレ様とて、死者と対話するほど愉快ではない。狂乱していようと、我が同胞は我が同胞としてそこにある」

「あ……アタシが、それを望んでも……ですか?」

「そうだな。貴様がどのように変質しようと、貴様は生者。オレ様にとっての同胞だ。オレ様は、オレ様が招き入れた者を、そのように扱う」

「…………」

「まあ、貴様が本当に先祖返りをしているというのなら、嫌でも自身の存在と向き合うことになるだろう。手っ取り早く知りたければ、バタつきパンチョウにでも頼むといい。推奨はしないがな」

 

 今の言葉は、狂気なのか、正気なのか。

 わからないが……たとえ狂っていようと、そうでなかろうと、彼の言葉が無意味だとは思えなかった。

 

「さて、着いたぞ。ここが、女王の居城だ」

 

 しばらく螺旋階段を下り、広い空間似にる。 

 この世の闇を凝縮したような暗黒。

 その奥にいる――ナにカ。

 

「……!」

 

 暗闇の中に存在する、黒。

 星なき宇宙(ソラ)の如き、光の失われた世界に鎮座する存在。

 角灯の明かりが、微かに、けれども克明に、ソれの姿を示す。

 

「こ、これが……あ、あ、アタシ、たちの――」

 

 代用ウミガメは、思わず息を呑んだ。

 それの在り方を認めたくない。けれども確かな事実としてそコにあるものを、否定したいという願望が、口から漏れ出る。

 

 

 

「――“お母さん”……なん、ですか……?」

 

 

 

 母親。自分たちという命を生み出した存在を、そう呼称する以外に、なんと呼ぶのか。代用ウミガメは、あらゆる代用品を創造する個性()を持つが、それでもなお、代わりの言葉は持ち合わせていなかった。

 今だけは、それを酷く後悔する。こレを、コんナもノを、母親と称しなければならない事実に、悍ましさが湧き上がる。

 だからせめても、その事実を否定したかった。しかして、希うように絞り出した声は、帽子屋によって、すぐさま頷かれ、彼女の希望は否定される。

 

「そうだ。これこそが、我ら千の仔をこの世に産み落とした豊穣神。邪悪なる恐怖と淫蕩を撒き散らす狂気の具現。我らが父なる母――」

 

 あァ、アぁ、やはり、やハリ。そウなのか。

 あまりにも想像の外にあった。怪物だの、化物だの、そう呼ばれる同胞はいた。『ハンプティ・ダンプティ』『バンダースナッチ』『ジャバウォック』――人から外れた異形、人の心を持たぬ異物。そういった“出来損ない”のようなモノはいた。

 けレど、コレハ、これは、そンなモのではナい。

 今ほどこの謁見を後悔したことはないだろう。こレが、こノよウナもノでなければ、こンナこトはしなかった。

 しかし同時に、理解できた。生きている理性と知性が答えを導き出した。

 “彼女”が、こンな闇の奥底に幽閉されている意味が。

 【不思議の国の住人】を統べる君主。

 帽子屋はその名を呼び、代用ウミガメは“そレ”を見上げる。

 

 

 

「――『ハートの女王』」

 

 

 

 ソれは、黒雲の如き巨大な肉塊。表面はなんの疑いもなく泡立ち、醜く爛れている。

 樹木のようにそびえ立ち、ドロドロした粘液が溢れ、流れ、だらんと黒い触手を垂らしていた。

 根のような部位から伸びているのは、捻れた黒い蹄のような足。

 そコには、細く小さな針が二本、突き刺さっていた。

 辛うじて名状できるような部位から、そレは山羊を連想する。

 なぜこノよウな異端なる存在から、そンなモのを想像できたのかはわからない。ソんナ、この星の生命を冒涜するような空想など、あっていいはずがないのに。

 なノニ、かノ女王からは、生命の息吹を感じる。ドんな命も、種も、取り込み、孕むような威圧。

 吐きそうなほどの魅惑が、身体の奥底が熱く疼くような、気持ちの悪い(良い)感覚。

 こレガ、自分たちの……自分の、起源(ルーツ)

 信じたくない、信じられない。認められない、認めたくない。

 自分の母親が、コんナニも悍ましい怪物だなんて。

 自分が、こンな化物から、産まれた、だなんて。

 ソんナこトは、嫌だ、イヤだ、いやだ、イやダ――

 

「あまり見るな、正気(Sanity)を持って行かれるぞ」

「っ!」

 

 帽子屋はグイッと抱き寄せるように、強引に代用ウミガメの視線を逸らす。

 ハッと、意識が覚醒するかのように、曇るような纏わり付く感覚が薄らいだ。

 自分は今まで、なにをして、なにを思っていた?

 ついさっきのことが、自分のことだというのに、わからない。

 恐ろしい。目の前にいるのは、自分たちの創造主のような存在。真の意味で【不思議の国の住人】の頂天に君臨する女王であり、我らの親だというのに。

 怖い。彼女が。狂ってしまいそうな恐怖が、込み上がってくる。

 代用ウミガメは、ギュゥッと帽子屋の身体を強く抱く。

 

「ぼ……帽子屋さん……これ、は……」

「案ずるな。女王は目覚めんよ」

「め、目覚め、ない……? そ、それ、って……?」

「元々、ハートの女王は休眠状態にある。ずっと長い間な。加えてオレ様の“時計針”を二本使い、時間を止めている」

「え……ぼ、帽子屋さんの針を……に、二本も……?」

「あぁ。短針と長針、オレ様の生命線となる針を大盤振る舞いだ。それでもなお、完全に抑え込んでいるとは言い難いがな。だが、その甲斐はある。奴の狂気は薄れ、短い間であれば、直視しても正気を失い、狂気に果てることはないだろう」

 

 しかし、と帽子屋は続ける。

 

「こいつはただそこにいるだけで狂気の塊だ。それも、自分勝手に狂っているオレ様とは違う。こいつは明確に、狂気を振りまく邪悪そのもの。時が止まっていようと、あまり見ていたら、あっという間に気が狂うぞ……オレ様のようにな」

「……狂気を、振りまく……?」

「おっと、三月ウサギや公爵夫人の比ではないぞ? もっと原始的で、根源的で、破滅的な、人格の喪失(ロスト)へと通ずる狂気だ。たとえバンダースナッチやジャバウォックであろうと、その異質さ、邪悪さは、女王の足下にも及ばんさ」

 

 ジャバウォックよりも怪奇にして、バンダースナッチよりも邪悪。公爵夫人よりも惨烈であり、三月ウサギよりも淫蕩。

 そして、帽子屋を超えるほどの、狂気。

 そのすべてが、ハートの女王に、込められている。

 なんとも、恐ろしく、悍ましいものか。

 こんなものが、ハートの女王として――自分たちの君主にして産みの親であることに、耐えられない。

 

「なんだ代用ウミガメ。貴様から謁見を望んだわけだが、まさか希望があると思っていたのか?」

「っ……そ、れは……」

「落胆したか? 絶望したか? 貴様は、まさか自分たちが真なる人間になれるとでも、お伽噺のような結末があると願っていたわけでもあるまい?」

 

 狂気に犯された帽子屋は、抉るように言の葉を紡ぐ。

 

「我々はどう足掻こうと、人間には成り得ない。表層を偽り、寄生し、巣喰うのみ」

 

 わかっている、わかっている、わかっている。

 そんなことは、わかっている、ことだ。

 人間になろうだなんて思っていない。ただ、ただ、自分は――あそこに、いたいと思った、だけなのだ。

 帽子屋は狂ったように、ただ己の言葉を垂れ流し続ける。

 

「我らは弱い。故にこそ、我らは、我らのための世界が必要なのだ……女王の束縛から、逃れるためにもな」

 

 帽子屋は女王を見上げる。

 彼女を視認するということは、狂気に身投げすることを意味する。たとえ、彼女の本質が抑え込まれ、果てなき悍ましさが軽くなっているとしても、狂気の残滓は確実に精神を蝕む。

 いや、しかしてここにいるのは、【不思議の国の住人】で最も狂った男だ。

 彼の正気は零地点。最初から、失われる正気など持ち合わせていないのかもしれない。

 

「千の仔を孕む黒き深淵の森の山羊。狂気を産む淫蕩にして万物の母。最果ての邪悪なる豊穣の神話――偉大なる我らが女王よ」

 

 帽子屋は女王に語りかける。

 楽しそうに、それでいて嫌悪感を剥き出しに。

 敵愾心と敬意を込め、称えるように、蔑むように。

 屈服と叛逆を同時に秘めた言の葉で、彼は白旗を掲げるように宣戦布告する。

 

「貴様を殺すことは敵わん。何人であろうとも、貴様を殺せるものなど、この星には存在しないだろう。あるいは、この宇宙にも、存在しないのやもしれん」

 

 だが、

 

「我々は、この世界で生きる。あらゆる枷を、鎖を、束縛を、食い破る。貴様というしがらみから、脱却してみせよう」

 

 それは狂い果てた結果としての妄言か。

 それとも、狂気を飲み込んだモノとしての、宣誓か。

 

「貴様などいなくとも、我々という種は繁栄できる。我々は、我らの力で生きることができる。それを今から、証明してやろう」

 

 一方的に言い放ち、帽子屋は踵を返す。

 

「行くぞ、代用ウミガメ」

「は……はい……」

 

 代用ウミガメは、絶望のような己の起源と向き合い。

 帽子屋は、女王へと破棄の誓いを立て。

 二人は、女王の座する地下を、後にしたのだった。

 

「……さぁ、いよいよだ」

 

 地上へと戻る傍ら、帽子屋は笑みを零す。

 ハートの女王との決別。その契機となるであろう時が来たる。

 時計を確認するまでもない。その時は迫っている。

 幾星霜と待ち続けた悲願が果たされる。永劫に望み続けた嘆願が叶えられる。

 

「いよいよ、我らは太陽を手にする……!」

 

 定めの時は来た。

 主の封印は解かれることなく、目覚めることもない。

 天を仰げ。空高く、太陽は昇っている。

 至上の運命はそこに。至高の恐怖は打ち捨てよ。

 狂気も、恐怖も、苦痛も、悲嘆も、飲み下す。

 無知なる人から、陽を奪い取る。

 主が来たることは永劫なく、女王の支配する暗黒の旧世界に、輝ける光を。

 

 

 

「『コーカス・レース』の、幕開けだ――!」




 スーツっていいですよね。格好いいキャラが着ればより格好良さが引き立つし、格好良いって感じじゃないキャラも格好良く見えたりするし、綺麗系のキャラならその美しさが際立つし、可愛い系のキャラでもギャップでさらに可愛く見えたりもするし。凄いグッとくる上に、そう珍しい衣装でもないというのもポイントが高い。
 実はもっと文化祭らしいことを色々書きたかったけど、本筋から外れまくってしまいそうなので、諦めてそのへんはほとんどカット、前回に続いて、代用ウミガメのメイン回としました。ちらちら名前は挙がってたユニコーンちゃんやライオンくんも出せてまあまあ自己満足。もう彼らが本編で出ることはなさそうですが。
 次回はクライマックス、4章も大詰めということで、ずっと話には出ていた『コーカス・レース』の開催です。別にマジのレースじゃなくて、作戦名が『コーカス・レース』ってことです。今まではなあなあになっていた不思議の国の住人が、小鈴に牙を剥く……のでしょうかね。そのへんは次回以降をお楽しみに、です。
 というわけで今回はここまで。誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。


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43話「太陽を求めて -前篇・朝集-」

 以前から作中でずっと言っていた、不思議の国の住人による、プラン『コーカス・レース』、遂に始動です。
 頭の中身がパッパラ・パーリ騎士な連中の考えたお粗末な作戦をどうぞ見届けてくださいまし。


 こんにちは、伊勢小鈴です。今、パン屋さんにいます。お昼ご飯です。

 今日は、お姉ちゃんが生徒会のお仕事で学校、お父さんはお出かけ、お母さんも「ちょっと実家行ってくるついでに平坂さんと遊んでくるわー」とふらーっと家を出て行ってしまったので、今日のお昼は一人なのです。

 でも、一人で家でご飯を食べるのも寂しいので、近所のパン屋さんにやって来ました。

 あ、一人じゃないですよ?

 

「はい、あーん」

「むぐむぐ」

「……なんだか雛鳥みたいだね」

「実際、今の僕はだいぶ力を失ってるから、雛鳥みたいなものさ。そんなことより甘いね、これ」

「フレンチトーストだからね。おいしいでしょ?」

「それは確かに。こっちに来て、君に色んな食べ物を貰っているけれど、こっちの食べ物はどれも美味い。戦う力にはならないけど、元気が出るね」

「ふふ、気に入ってくれたみたいで、わたしも嬉しいよ」

 

 今日のお昼は鳥さんと一緒です。

 隠れて飼ってる? から、いつもはわたしのパンをこっそり分けているんだけれど、今日は家族の目がないから、一緒にご飯です。

 もっとも、店員さんに見つかるわけにもいかないから、テーブルの下で隠れてこっそり、なんだけれども。

 

「鳥さんはよく食べるよね」

「君ほどじゃないさ。でも、僕は常に空腹というか、満ち足りていないからね。力がなさすぎる」

「力……」

 

 そういえば、鳥さんはクリーチャーで、【不思議の国の住人】の人たちが“聖獣”と呼ぶ、特別な存在……なんだよね。とてもそうは見えないけど。

 でも、林間学校で見た嵐の中を飛ぶ鳥さんは、格好良くって、あれは確かに聖獣と呼ぶに相応しい鳳のように思えた。

 鳥さんの力。それは、今わたしが戦うために行使している力でもある。

 なんていうか、鳥さんはクリーチャーだけど、他のクリーチャーと違うのかな……?

 

「違うと言えば違う。なにせ僕は語り手の片翼だからね」

「……? かたりて……? かたよく……?」

「とはいえ、今はそんな肩書きはなんの意味もない。相棒もいないし、なにより奇跡を起こし得るだけの力がない。本当は、こんなにゆったりしている場合じゃないんだろうけど……」

「あ、えっと、ごめんね……?」

「いいさ、これはこれで楽しいからね。僕の太陽探しは五里霧中。だからこそ、流れのまま、僕の思うがままにやるさ」

「なんだか鳥さんって、あんまり緊張感ないね」

「これでも焦ってはいるんだけどね」

「全然そうは見えないよ……」

 

 マイペースというか、脳天気というか。

 でも、わたしも他人事と思ってはいられない。

 わたしは、鳥さんのお願いを聞き入れた。わたしには、鳥さんの力を取り戻す義務が、責任がある。

 それに、帽子屋さん――【不思議の国の住人】も、鳥さんの力を求めている。

 最近は表立ってなにかが起こっているわけではないけれど、本来この両者は対立している……けれど。

 

(なんか……やだなぁ)

 

 それが素直な気持ちだった。

 葉子さん、先生、お兄さん、アヤハさん、アギリさん、ネズミくん、それに、代海ちゃん。

 【不思議の国の住人】の人たちは、決して悪い人ではない。人間ではないのかもしれないけれど、それでも、この世界で確かに生きている。わたしたちと、一緒に笑い合える人たちだ。

 それなのに争うのは……イヤ、だった。

 今は大事にはなっていない。争う様子はない。

 だったら、このまま、ずっと――

 

「小鈴」

「あっ、ご、ごめんね。まだパンは残って……」

「いや、そうじゃなくて」

 

 ふっと、影が差す。

 顔を上げると、そこには、

 

「よぉ、マジカル・ベル」

「あ、アヤハ、さん……?」

 

 そこには、アヤハさん――【不思議の国の住人】の一人、『ヤングオイスターズ』の長女である、若い女の人が、立っていた。

 アヤハさんはどっかりとわたしの正面の席に、無遠慮に座る。その動きはどことなく疲れているようで、服もちょっと汚れていて、傷ついている感じだ。

 な、なにがあったんだろう……?

 

「アヤハさん……そ、その、わたしになにか……?」

「あー……その、なんだ。説明かったるいな。まあ、あれだ。身内のゴタゴタっつーか、なんつーか」

「?」

 

 なんだろう、いまいち要領の得ないし、歯切れが悪い。

 アヤハさんは曖昧に言葉を濁しながら、匙を投げるように言った。

 

「まあ、外に出たらわかるわ」

「外?」

「あぁ外だ。小鈴」

 

 鳥さんがカバンから頭を出して言う。

 ……鳥さんがこう言うってことは、それは、

 

 

 

「クリーチャーだ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――わざわざ悪いね、こんなところまで来てもらって」

 

 『Walrus & Carpenter』という名前の、とある喫茶店。若垣朧は、にこやかに笑う。

 正面に座するは水早霜。彼は微かな懐疑と気怠さのこもった眼差しを朧に向けつつ、カップの中の飲み物に口を付ける。

 

「いえ……まあ、知らない仲ではないですし、取材くらいなら受けますよ。ボクも手芸部には世話になっているので、少しでも役に立てるのなら」

 

 霜は朧に呼び出された。その理由は、取材だ。

 朧は新聞部――正式には、烏ヶ森学園中等部・広報部新聞社、というらしい――その活動の一環として、霜を取材したいのだという。

 個人的な事情で霜は手芸部と縁があり、正式な部員ではないが、仮入部のような形で半ば在籍している。

 朧曰く、この時期は記事にできるネタが少なく困っているようだ。朧だけでなく、新聞部全体が、新聞のネタ探しに奔走しているらしい。

 そこで朧が目を付けたのが、部活動の広報。

 部活の広報はネタにしやすく、読者からのウケもいい。加えて他団体に恩も売れて、割のいい仕事、だそうだ。

 霜は、部長などもっと部のことをよく理解している者を取材した方がいいのではないかと進言したが、朧が言うには、新参者の生の言葉の方が、今後新たに入る部員にとっては共感性が高くていいとのこと。

 成程確かにそうかもしれないと、霜も納得した。言われて思い出したが、霜の友人であり朧と同じ新聞部の若宮も、そんなことを言っていたような気がする。

 

「それで、インタビューというのは、なにをすれば? お恥ずかしながら、ボクはこういうことに経験がないので、あまり勝手がわからないのですが」

「まあまあ、そんなに堅くならないで。気負わなくてもいいよ、お茶でも飲んでリラックスして」

「はぁ……」

「せっかくこんな遠い喫茶店まで来てくれたわけだしね。取材だけじゃ味気ない。お茶を楽しむ余裕くらいあってもいいだろう」

「言うほど遠くはないですけどね」

「まあね。でも、水早君がこのお店を知っててよかったよ。わりと穴場だと思うんだけれどね」

「……以前、ちょっと来たことがありましてね」

 

 ブラックバイト、謎の食中毒、バンダースナッチの脱走。そんな事件があった時、ヤングオイスターズの長女に呼び出されたのが、この喫茶店だった。彼女はここでバイトをしているようだが、姿は見えない。今日は非番なのだろう。

 

「そういえば水早君、若宮君と同じクラスなんだってね」

「若ですか? えぇ、まあ、そうですけど」

「ちょっとひねてるけど、真面目だよね、彼」

「そうですね。斜に構えたような態度を取ろうとしてても、根っこはまともというか、普通というか……いい奴ですよ」

「今回、本当は彼も呼びたかったんだ。オレも目を付けてる後輩だからね。残念ながら予定が合わなかったんだけど」

「あいつ、わりと最近暇そうにしてた気もしますけど……いや、でも流石に休日に呼び出すのも悪いか」

「そうだね。その点は君にも悪いと思ってる。こっちで上手く予定を調整できなくて、休日に学外の喫茶店に呼び出してまで取材をすることになってしまった。申し訳ないね」

「……まあ、放課後は放課後で、それなりのメリット、デメリットがありますから、休日に呼び出されることが悪いとは思ってませんよ。それに、手芸部のことは、小鈴たちには知られたくありませんから……」

「へぇ、そうなんだ」

「もうすぐクリスマスですからね。彼女……たちにも、凄い、世話になっていますから。なにかちゃんと、形あるものを残したくて」

「いいね、そういうのも」

「小鈴達には黙っていてくださいよ。喋ったら新聞部の悪評を、ボクの知るすべての人間に流します」

「……その脅しは真面目に怖いからやめて欲しいな。部ぐるみで巻き込まれるとまずい」

「ならここでの話は内密にお願いします。あぁ、ボクの名前も出さないでくださいね。写真もNGです。身バレしたくないので」

「わかってる、わかってる。最近はそういう人も多いからね。ちゃんと配慮するよ」

 

 そんな、とりとめのない会話が続く。

 霜はまた、カップの中の飲み物に口を付ける。

 温かった飲み物は、ほんの少しだけ、冷めつつあった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「それじゃあ、全員集まったし、休日だけど今月の学援部の定例会を始めたいと思う……んだけど……」

 

 学園生活支援部、通称学援部の部室に集う部員達。

 彼らを取り纏める部の長、剣埼一騎は、困惑していた。

 彼だけではなく、この場に集った部員達も、程度差はあれども同様に戸惑っていることだろう。

 学援部員一同の視線は、扉の近くで腕を組み直立している、一人の男に注がれる。男は興味も関心もなくその視線を無視していたが、やがてなにかに気付いたように、口を開く。

 

「……なにか?」

「い、いえ、別に……お構いなく……」

「別に、じゃないだろうが」

「いくらなんでもこれは構いますよー」

「うん……そうだよね」

 

 あまりにも当然のようにそこにいたので、思わずスルーしてしまいそうになったが、流石に部長として看過してはいけないだろうと考え直し、一騎は意を決して男に問う。

 

「陸奥国先生……どうしてここに?」

 

 ――そこに立っていた男は、陸奥国縄太。烏ヶ森学園中等部に臨時で勤めている、生物担当の教員だ。

 真の名を『木馬バエ』といい、【不思議の国の住人】の一人であるのだが……そのことを知る者は、ここには一人しかいない。

 しかしその一人、日向恋は、彼にはあまり興味なさそうに、虚空を見つめている。

 陸奥国――木馬バエは、一騎の問に首を傾げる。

 

「どうして? ……どういう理由にしましょうか」

「どういうことだよ」

「そうですね、まあ私も教師ということになっているので、生徒の部活動? を見るのもいいんじゃないでしょうか? 知りませんけど」

「おい一騎。こいつなにを言ってんのかさっぱり意味不明なんだが」

「先生をこいつ呼ばわりはやめなよ……」

「先生もうちの部に興味があるっすか?」

「いえまったく」

「なら出てけよ」

「そういうわけにもいかないんですよ。こっちにも事情があるので」

「事情……? 職員会議の議題にでも挙がるのかしら」

「別に見られて困るものがあるわけではないですけど、部外の人がいるってやりにくいですねー」

「…………」

 

 あらゆる意味で困った表情を見せる一騎。

 本当なら、今日は部内だけで行うべきことをするはずだったが……教師がいては不都合があった。

 

(仕方ない。今日は通常運転に切り替えよう……恋は嫌がりそうだけど)

 

 唐突に現れた教師、陸奥国。普段の言動から、他者への興味はないと思っていたが――今も興味があってここにいるようには見えないが――なにゆえ、学援部に現れたのか。一騎にたちには、まったく理解ができず、そしてそれは彼らの与り知るところではない。

 その真相に辿り着けるはずの、たった一人の少女は、今もぼんやりと、窓の外を眺めているだけだった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「やっぱり!」

「時代は!」

「「妹だよね(なのよ)!」」

 

 烏ヶ森学園中等部部室棟。

 その隅の方、他の部から隔離されるようにしてひっそりと居を構える、遊泳部。

 部室の中では、朗らかで快活な声が明るく響いていた。

 

「いやー! 購買のお姉さんわかってるなー! これはもうマイフレンド! マブダチ! ソウルメイト!」

「なのよー、なのよー! いくちゃんとは気が合うのよー! 今度一緒にお茶するのよ! とっておきの茶葉を用意するのよ!」

「いいねいいね! あたしもとっておきのプールの水を持っていくよ!」

「塩素水はやめろ」

「なにおう! ユーちゃんが入ったとっておきの水だよ! 永久保存版だよ!」

「そんなもの保存してるんですか? 気持ち悪いことしてますね部長」

「まあ、イクちゃんだから」

「よくわかりませんが、ぶちょーさんはprimaですね!」

「いや……そんなことはないと思うよ、ユーちゃん……」

 

 品性も理性も投げ捨てた遊泳部の部室には、普段ならいるはずもない珍客がいた。

 陸奥国葉子――真の名を『バタつきパンチョウ』。烏ヶ森学園では購買部の店員をしている。

 本来であれば、生徒でも教師でもない、購買部の店員が部室棟に訪れるなどあり得ないと言っても過言ではないくらいの珍事なのだが、狂人の集いである遊泳部の部員は誰一人としてそのことに疑問を抱かない。

 部長である十九渕育水は、バタつきパンチョウと意気投合し、疑問など微塵も抱くことはない。

 他の部員も、仮に疑問を抱いたとしても、そんなことなどどうでもよい、と考えているかもしれない。

 

(胸でけぇなぁ……あの姉さんいいな……)

(顔がやや童顔で言動も子供っぽいところがややネックだが、スタイル抜群で姉属性、なんだかんだお姉さんらしい立ち居振る舞いはポイントが高い。部長とはしゃいでるところも姉妹っぽさがあって、これはこれでアリだな。惜しむべくは相手が残念な部長というところだけれど、まあそのくらいは許容するとして……)

(イクちゃん楽しそうねぇ……丸刈り君も司君も銀髪ちゃんズもお姉さんに夢中だし、ちょっとつまんないわ)

 

 そんな遊泳部の面々のことはさておき。

 育水とバタつきパンチョウが盛り上がっているところに混ざるユーリア。彼女たちをジィッと見つめている男子部員二人、つまらなさそうに眺める女子部員一人。

 そして、なぜかユーリアと共にこの場に連行されたローザは一人取り残されたように、呆れて溜息を吐く。

 

(なんでこの人達は、部外者が部室に来ていることに、なんの疑問も抱かないんだろう……?)

 

 ローザもバタつきパンチョウのことは知っている。直接的に関係したことはないが、彼女の友人らから話は聞いているし、共に行動したこともないわけではない。

 だからこそ、よりいっそう、この奇妙な空間に不安を覚えてしまう。

 

(まあ、この人はいい人のようだし、あんまり疑うのも悪いかな……)

 

 それでも疑問は残る。

 どうしてこの人は、急にこの場所に現れたのか。

 今はとりとめのない雑談をしているが、なにが目的なのか。

 考えても、答えは出ない。しかし彼女らの会話に割って入ったところで、彼女らの勢いに飲まれてしまうのがオチだ。それは以前の経験で既に学んだ。

 気になる……気になるが、大したことではないのかもしれない。

 

(……なんだか、胸がざわざわするなぁ)

 

 向こうは気にしていないのだろうが、以前に争ったことがある相手なので、やはりローザとしては、少々居心地が悪い。

 ――このざわめきは、本当にただの居心地の悪さなのだろうか。

 理屈が通じない、理論が存在しない。そんな混沌で不条理で意味不明なことは、この世に溢れている。

 ただの勢いだけで進む物語。嫌というほど味わった理不尽。

 これも、そういった類のものなのだろうか。

 ローザはもう一度、深く溜息を吐いた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 香取実子は商店街を闊歩していた。

 何と言うことはない。ただ彼女は、いつも通りの、普段の生活サイクルとして、買い物をしているだけである。

 特筆すべき点など、特別なところなど、なにひとつとしてない、はずだ。

 

「……お、なんか見ない店がある」

 

 ふと足を止めると、華々しく装飾され、出入口でチラシを配る従業員の姿が見える。

 貼られたポスターには「新装開店」の文字列。そしてここまで香るのは、香ばしく焼けた匂い。

 

「へー、新しくできたパン屋さんかぁ。小鈴ちゃんが喜びそうだなぁ」

 

 と、実子は足を止める。

 しかしそれは一瞬のことだった。

 

「……ま、私には関係ないか」

 

 今は、一人だ。

 今日は恋やユーが部活動、霜はなにか用事があるとかで、偶然にも皆の予定が多重バッティングしてしまい、彼女らとの集まりはない。

 実子としても、今日は商店街でセールがある日だったので、こちらを優先したいところだった。

 もっとも、そこまでして全員で集まりたい理由があるわけでもないが。

 友人だからと言って、別段、いつでも一緒というわけではない。こうしてバラバラになることだってある。それぞれに、それぞれの生活があるのだ。

 今は一人だ。ここにいても、この先に進んでも、家に帰っても、自分一人。

 気取る必要も、見せかける理由も、どこにもない。

 

「……ん?」

 

 なにかざわついている。胸の内が、だけではない。

 周囲の人混み、その喧噪が、いつもと違うざわめきを発している。

 ぼんやりと無意識に物思いに耽っていた実子は、一瞬、感知が遅れた。

 そして不幸にも、その遅れはダイレクトに実子自身に降りかかるのだった。

 

「う、おわぁっ!?」

 

 ビュンッ! と鋭い疾風が、凄まじい勢いで実子を掠める。

 不意のことだったため、態勢を崩してしまう。

 一体何事だと、顔を上げると、

 

「! 君は……」

「んだよ。怖い目ぇして祟り目ってかぁ?」

 

 脱色し、染髪し、刺青を入れ。耳に、腕に、指に、腰に、首に、眼に、あらゆる装飾を施した少年。

 この奇天烈すぎる派手な少年を、実子は知っている。『眠りネズミ』と呼ばれる、【不思議の国の住人】の一人。

 彼とは深くはないが浅からぬ因縁もある。

 彼は欠伸をしながら言う。

 

「ふあぁ……あー、めんどくせ。本当なら今日はカザミたちとプレイリプレイラフプレイってるってのによー。帽子屋の野郎、いっつもいつもダルいタイミングでゴーイングマイウェイなんだからよぉ」

「なに? 頭ぶっ飛んだ鼠小僧が、私になんの用事?」

「知るかボケ。僕だって意味不明、今すぐ寝てーよ意識不明。なーにがコーカス・レースだよわけわかんねぇ。なにやってんだあいつら。カメ子もいねーし、帽子屋はわけわからんことしか言わねーし、ヤングオイスターズは死にそうな顔してんし、なにが起こってんのか僕もさっぱりだっつーの。んだよこれ、ポリコレか?」

「……?」

 

 元々、少し話が通じなさそうなところのある眠りネズミではあった。

 しかし今日は、いつにも増して言ってることが理解できない。彼自身も、なにか理解に苦しんでいる様子でもある。

 

「計画通りかプランビッグバンか、まーどっちでもいーんだけどよ僕は。ただ一応、帽子屋のクソ野郎に頼まれちまったしなぁ。あんなイカレポンチ野郎でもマイメンだからよ。乗らねーなりに楽しませてもらうっきゃねーよなぁ……あー、だる」

「なんなのさ君、本当に……」

「知らねーよどうでもいいっつーの。んなことより、戦利品チェックだ。ドロップ&ゲッティングのタイムだぜ」

「……戦利品?」

 

 と、そこで実子はハッと気付く。

 自分の鞄が、手元にないことに。

 そしてそれは、彼の――眠りネズミの手の内にあることに。

 さらに、実子が次の言葉を発するより先に、眠りネズミは鞄を逆さまにする。

 

「ちょ……っ!?」

 

 当然、重力に逆らい、鞄の中身は地面にぶちまけられる。

 呆然とする実子など意にも介さず、眠りネズミは地面に散らばったものを拾い上げる。

 

「とりあえず財布と……お、いいスマホ持ってんなー。僕なんてキッズ用のダッセーのにされたってのによぉ」

 

 などと言いつつ、財布の中身を確認する眠りネズミ。今度は苦い顔で舌打ちする。

 

「チッ、こっちはしけてんな。貧乏なんだな、お前」

「うっさい! 余計なお世話……っていうか返せ! 私の財布と携帯!」

「はんっ。返して欲しけりゃ力ずく! 強引ゴーイングが僕らのルール! フリースタイルでサイファーでもすりゃ考えてやんよ」

 

 と言いつつ、眠りネズミは踵を返す。

 そして、彼は路面を滑るように――靴裏のローラーブレードを使って――逃走する。

 

「義賊じゃないけどリアル鼠小僧……っていうかただのひったくり! ふざけんな!」

 

 急いで立ち上がり、慌ててぶちまけられた荷物を回収して、眠りネズミの後を追いかける実子。

 相手は滑走しているが、所詮はローラースケート。人間の速力とそこまで大差はないはず。

 こうして、実子と眠りネズミによる、どこか子供じみたチェイスが始まった。

 ――その最中、眠りネズミは、眠そうに欠伸をしながら、言葉を漏らす。

 

「ふわぁ……これでいいんかね、マジで」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「謡。お父さんは?」

「ん?」

 

 長良川宅。

 長良川謡が自宅のリビングで休日らしくゴロゴロしているところに、姉の詠が声を掛ける。

 謡は起き上がりもせずに返事した。

 

「お父さんはさっき出かけたよ。友達と飲みに行くとかって」

「昼間から?」

「飲むのは夜らしいけど……なんか、結構遠出するっぽい。帰りは遅くなるって」

「……あ、友達ってあの人か」

「私は会ったことないけど、よく話してる小説家さんじゃない? ……なんか妹ちゃんのお母さんっぽい人」

「小鈴ちゃんのお母さんって、小説家なんだっけ」

「らしいね……っていうかさー」

 

 ようやく身体を起こして、謡は詠に問う。

 

「姉ちゃん、今日バイトって言ってなかったっけ?」

「あぁ、そのこと。バイトは休みになったの」

「ありゃ、そうなんだ」

「そう。急に連絡が来て「店長の意向で今日は臨時休業だから」って」

「そんなことある?」

「普通はない。けど、まあ、店長ちょっと頭おかしい人だから……いや、そんな理由で納得はできないのだけれど、休みになったのは仕方ないよ」

「ふぅん。なら勉強でもしてれば? 受験生」

「他人事だと思って……さっきまでしてたの、受験勉強。だから息抜きでもしようと思って」

「それならちょっと付き合ってよ。ちょっとデッキを大々的に改造してるんだけど、なんか上手くいってない気がして」

「えぇ……デュエマは頭使うじゃない。疲れてるから勘弁したいな。スキンブルはいる? あの子もふもふしたい」

「スキンブル? 呼べば来るんじゃない? おーい、スキンブルー!」

 

 と、謡が呼びかける。

 しかし、なにも反応はない。

 

「……いないみたい。残念だったね、姉ちゃん」

「本当にね。仕方ない、軽くお昼寝でもしましょうか」

「あーい、おやすみー」

 

 と、詠がリビングから出て、謡が再びソファに寝転がった、ちょうどその時。

 謡の顔に、黒い塊が落ちてきた。

 

「うわっぷ!?」

 

 慌ててその塊を払い除ける。そして、払い除けた方に視線を移すと、そこには一匹の黒猫がいた。

 

「なんだスキンブルか。タイミング悪いなー、さっき姉ちゃんが君を求めて――」

 

 謡が言い切るよりも先に、スキンブルが謡に飛びかかる。

 前脚の肉球でぽふぽふと叩き、やかましいほどに鳴き声を上げている。

 

「な、なに? ちょっと待ってって! ちゃんと聞くから!」

 

 少し慌てているようだが、スキンブルはなにかを伝えようとしている。

 謡はそんなスキンブルの声に、耳を傾ける。

 猫の言葉など理解できないが、スキンブルは厳密には猫ではない。

 『チェシャ猫』、それがスキンブルシャンクスの、元々の名前。【不思議の国の住人】に属していた者の名だ。

 猫のように鳴くが、その知性は人間とそう変わりない。そして不思議なことに、彼の泣き声は、なんとなく、その意味が伝わるのだ。

 相手の言葉が理解できるわけではないが、なにを伝えようとしているのかは、ぼんやりと伝わってくる。そんな不思議な感覚。

 謡はスキンブルの声を深く聞き入れる。

 

「……クリーチャー?」

 

 謡が尋ねると、スキンブルは鳴いた。恐らく、肯定。

 

「妹ちゃんが、一人?」

 

 もう一度、鳴く。これも、きっと肯定。

 

「…………」

 

 伊勢小鈴。謡にとっての、物語の中の主人公であり、ヒーローともヒロインとも呼べる存在。

 憧れでもあり、目標でもある、小さな少女。

 そしてなにより、自分の、大切な後輩だ。

 

「……後輩を一人で戦わせるわけにはいかない。私は出るよ。スキンブル、一緒に来てくれる?」

 

 にゃぁ、と鳴く。これも、肯定なのだろう。

 上着を羽織り、デッキケースを握り締め、謡は駆け出すように家の扉を開け放つ。

 

「待ってて、小鈴ちゃん――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

『《ガメッシュ》で攻撃――《ガメッシュ》がタップしたため、ターンを強制終了』

「え、えぇ……?」

 

 

 

ターン5

 

 

小鈴

場:《グレンニャー》×2《ノロン⤴》《デーモン閣下》

盾:5

マナ:7

手札:2

墓地:6

山札:16

 

 

ガメッシュ

場:《エスカルデン》《ガメッシュ》《メメント》

盾:5

マナ:8

手札3

墓地:3

山札:18

 

 

 

 ――唐突に始まった、クリーチャーとの対戦。

 相手は海亀のようなクリーチャー――《万年の甲 ガメッシュ》というらしいです――で、既に場に出ている。

 どんなクリーチャーだろう、と警戒していたら、攻撃の瞬間、その攻撃が届くことなくターンが飛んでしまった。

 

「不思議だけど……ブロッカーがタップした……!」

 

 《メメント守神宮》があるから、パワー7000のブロッカーになっててちょっと厄介だったけど、これで安心して攻撃が通るよ。

 

「2マナで《ノロン⤴》を召喚! そして5マナ、《法と契約の秤》! 墓地から復活――《ノロン⤴》をNEO進化! 《偉大なる魔術師 コギリーザ》!」

 

 墓地の状態はそこまでいいわけじゃないけど、このままずるずる引き延ばしても不利になっちゃいそうだし、ちょっと強引だけどここで攻めるよ!

 

「《コギリーザ》で攻撃する時、キズナコンプ発動! 墓地から呪文《GYORAI-CANNON!》を唱えるよ! 《P.R.D.(パラダイス) クラッケンバイン》をGR召喚! そして、《コギリーザ》でWブレイク――」

 

 と、その時。

 カメさんの手札から、カードが一枚、飛び出した。

 

『ニンジャ・ストライク。《光牙忍ソニックマル》を召喚』

「シノビ……!」

 

 一瞬、《ハヤブサマル》が出て来たのかと思ったけど、ちょっと違う。《ソニックマル》……?

 そのクリーチャーが出た瞬間、《ガメッシュ》が起き上がる。クリーチャーをアンタップするシノビ、なのかな。

 《ガメッシュ》でブロックされたら、《コギリーザ》が破壊されちゃう……でも、相打ちなら悪くないのかな。こっちは墓地から復活させる手段もあるし。

 と、思った直後。

 わたしのシールドが二枚、砕け散った。

 

「!? シールドが、ブレイクされた……!?」

 

 間欠泉のように、シールドの真下から亀の甲羅が吹き上がり、わたしのシールドを二枚、吹き飛ばす。

 な、なに、どういうこと……!?

 不可解な状況だけど、今はわたしの攻撃中。《コギリーザ》が相手のシールドを割ろうとするけれど、その前にブロッカーが立ち塞がる。

 

「ブロックした……って、え?」

 

 ブロックされることは想定している。けれど、そのブロックの仕方が、奇妙だった。

 最初に起き上がった《ガメッシュ》が前に出て、相打ちを狙うのかと思ったら、その間に《ソニックマル》が割り込んだのだ。

 二体でブロックして、しかも、最終的に攻撃を防いだのは《ソニックマル》。

 とてもおかしな挙動だった。

 

(ブロッカーは複数でブロックできて、最後にブロックしたクリーチャーがバトルする、って聞いたけど……ルール上できるだけで、無意味だって……)

 

 普通はそんなことをする意味はない。バトルできるのは一体だけだし、ブロックするためにタップしちゃったら、隙を晒すだけなのだから。

 

「く、《クラッケンバイン》で攻撃! 私の墓地に呪文は五枚、パワーは7000、パワード・ブレイカーで二枚ブレイクできるよ!」

 

 そんな奇妙さに面食らいながらも、わたしは攻撃を続行する。

 パワーアップした《クラッケンバイン》で、今度こそシールドをブレイクする、けど。

 

『S・トリガー発動。《ジョバート・デ・ルーノ》』

 

 うぅ、S・トリガー……それに、あれは確か、謡さんも使ってたクリーチャー……

 

『《デーモン閣下》をタップ、《ガメッシュ》をアンタップ』

 

 相手クリーチャーをタップ、自分のクリーチャーをアンタップする能力。

 これでまたブロッカーが……と思った、直後。

 亀の甲羅が噴出し、私のシールドが二枚、叩き割られた。

 

「っ、またわたしのシールドが……!」

 

 どうして、と考える。なんでわたしの攻撃で、わたしのシールドが失われるのか。

 そして、答えは出た。

 ……さっき《ガメッシュ》は、バトルに参加せず、一見すると無意味な二重ブロックでタップした。

 けれどあれは、本当は意味があったのだ。わざわざタップした《ガメッシュ》を、今度はアンタップする。

 つまりあのクリーチャーは“アンタップするたびにシールドをブレイクする”という、すごく特殊な攻撃方法を取っているんだ。

 タップしたらターンが終了してしまうのに、攻撃した理由にもなる。

 答えが出れば簡単な話だけど、攻撃方法があまりに珍妙で、流石にちょっと困惑してしまう。

 

「た、ターン終了……」

 

 それにしても、困ってしまった。

 自分のターンなのに、攻撃は通らず、むしろわたしのシールドが一枚まで削られるなんて。

 防御しながらも、それを攻撃に転換する能力。

 攻撃と防御の両立と転換。

 それはなんだか、ちょっとだけ代海ちゃんを思い出す。

 

『《ドンドン吸い込むナウ》。《ドンドン水撒く(シャワー)ナウ》を手札に加え、《デーモン閣下》を手札へ。続けて《ドンドン水撒くナウ》。マナゾーンの《喜望》を回収し、《クラッケンバイン》を手札へ』

「クリーチャーが……!」

『《ジョバート・デ・ルーノ》でシールドをブレイク』

「し、S・トリガー! 《蓄積された魔力の縛り》! 《エスカルデン》と《ガメッシュ》は、攻撃できないよ!」

『ターン終了』

 

 

 

ターン5

 

 

小鈴

場:《グレンニャー》×2《ノロン⤴》《コギリーザ》

盾:0

マナ:7

手札:6

墓地:8

山札:15

 

 

ガメッシュ

場:《エスカルデン》《ガメッシュ》《ジョバート》《メメント》

盾:3

マナ:10

手札3

墓地:6

山札:14

 

 

 

「わたしのターン……」

『Dスイッチ。《メメント守神宮》の効果で、相手クリーチャーをすべてタップ』

 

 う、クリーチャーが動けなくなっちゃった……

 かなり追い詰められている。シールドはないし、クリーチャーは寝ている。

 相手クリーチャーはすべてブロッカーだし、パワーも高いし……どうしよう。

 

「2マナで《ノロン⤴》! 二枚ドローして……二枚捨てる!」

 

 ……よし、いいカードが引けた。

 都合のいいことに、《コギリーザ》は手札に戻されなかった。これなら、まだ戦える……!

 

「6マナで《ノロン⤴》を《コギリーザ》にNEO進化! 攻撃して、キズナコンプ発動!」

 

 わたしの場の、二体の《コギリーザ》が共鳴する。

 キズナコンプによって、二体の《コギリーザ》のキズナ能力が発動する。つまり、《コギリーザ》の能力が、一度に二回も使える。

 もう後はないし……ここで、攻める!

 

「まずは一回目! 《蓄積された魔力の縛り》! 《ガメッシュ》と《エスカルデン》の動きを止めるよ!」

 

 これでブロッカーの動きは止めた。

 次は、攻撃だ。

 

「次に二体目! 《法と契約の秤》! 墓地から《龍覇 グレンモルト》をバトルゾーンに! 来て――《銀河大剣 ガイハート》を装備!」

 

 これで、布陣は揃った。

 後は、相手がどう出るか……

 

『《ジョバート・デ・ルーノ》でブロック』

「ブロックした……それなら、《グレンモルト》で攻撃!」

 

 攻撃は通った。これでなにもなければ……!

 

『S・トリガー《ドンドン水撒くナウ》』

「っ、またトリガー……!」

『2マナ加速、《喜望》を回収。《グレンモルト》を手札に』

「ターン終了」

 

 攻めきれなかった……でも、《蓄積された魔力の縛り》で、動きは止めてる。

 このターンにやられることはない、けど……

 

『《龍罠(ドラップ) エスカルデン》を召喚。《ウル》《エスカルデン》の二枚をマナへ。4マナで《電脳鎧冑アナリス》を二体召喚』

 

 次々と並べられるクリーチャー。

 なんだか……嫌な予感がする……

 

『シンパシー。自分のクリーチャーが五体。5マナ軽減し、5マナタップ――《審絆の彩り 喜望》を召喚』

 

 場のクリーチャーの力を借りて現れたのは、コスト10の超大型クリーチャー。

 コストのわりにパワーは低そうだけど……コストが大きいからには、それ相応の能力がある。

 

『《喜望》の能力発動。《ガメッシュ》以外のクリーチャーをタップ。タップしたクリーチャー一体につき、一回GR召喚』

 

 え……タップしたのは、《アナリス》と《エスカルデン》が二体ずつ、《喜望》が一体で、合計五体だから……五回もGR召喚……!?

 

『GR召喚――《マシンガン・トーク》《浄界の意志 ダリファント》《天啓(エナジー) CX-20》《マリゴルドⅢ》《続召の意志 マーチス》』

 

 い、いっぱい出て来た……!

 一体一体は小粒だけれども、純粋な数の暴力が押し寄せる。

 それだけなく、それぞれの能力も、発動する。

 

『《マシンガン・トーク》の能力で《喜望》をアンタップ。マナドライブ。《ダリファント》の能力で《グレンニャー》をシールドへ。《天啓 CX-20》の能力で三枚ドロー。《マリゴルド》の能力で《エスカルデン》をマナからバトルゾーンに。《マーチス》の能力でGR召喚』

 

 次々と発動するクリーチャーの能力。

 クリーチャーがクリーチャーを呼び、除去したり、手札を増やして、自分の優位性を高めていく。

 そして、わたしにとって決定的な一打が、放たれた。

 

『《ポクタマたま》をGR召喚。相手の墓地をすべて山札に戻す』

「っ……!?」

 

 わ、わたしの墓地が……これじゃあ《コギリーザ》が使えない……!

 

『《エスカルデン》の能力発動。山札から二枚を公開。すべてマナへ。シンパシー、《喜望》を1マナで召喚』

「二体目……!」

『《マシンガン・トーク》《ダリファント》《天啓 CX-20》《マーチス》《ガメッシュ》の五体をタップ。五回GR召喚――《マーチス》《マリゴルド》《ダリファント》《マシンガン・トーク》《ポクタマたま》』

 

 変則的な攻撃の後に襲いかかる、波濤の如きクリーチャーの群れ。

 波は形を変えながら、絶えず襲いかかってくる。

 

『《マーチス》で《天啓 CX-20》をGR召喚。《マリゴルド》で《ソニックマル》をバトルゾーンに。《ダリファント》で《ノロン⤴》をシールドへ。《マシンガ・トーク》で《ガメッシュ》を、《ソニックマル》で《ダリファント》をアンタップ』

 

 《ガメッシュ》がアンタップした。

 その瞬間、わたしのシールドは一瞬で散り、そして、

 

『《ガメッシュ》がタップしたため、ターン終了』

 

 

 

ターン6

 

 

小鈴

場:《コギリーザ》×2《グレンニャー》

盾:0

マナ:8

手札:6

墓地:0

山札:21

 

 

ガメッシュ

場:《エスカルデン》×3《アナリス》×2《喜望》×2《マシンガン・トーク》×2《ダリファント》×2《天啓》×2《マリゴルド》×2《マーチス》×2《ポクタマたま》×2《ガメッシュ》《ソニックマル》《メメント》

盾:2

マナ:15

手札:2

墓地:7

山札:4

 

 

 

 相手には、十体以上のクリーチャー。

 加えてそれらのクリーチャーは、《メメント》によってブロッカーを得ている。

 ここまで数が多いと、《ガイギンガ》でもどうしようもない。

 どうしよう……

 

「とりあえず……2マナで《ノロン⤴》を召喚! 二枚引いて……」

 

 ……これは……

 

「……二枚捨てるよ。さらに3マナ、《リロード・チャージャー》! 手札を捨てて一枚ドロー!」

 

 うん……十分ではないかもしれないけれど、これなら……

 

「残り4マナで、呪文! 《六奇怪の四~土を割る逆瀧~》!」

 

 こういう使い方をすることって、あんまりなかったけど。

 この一枚で、突破口を切り開く。

 

「次のわたしのターンまで、あなたは一度しか、攻撃も、“ブロック”もできないよ!」

 

 大量のブロッカーが並んでいても関係ない。

 ブロックの回数に制限をつけてしまえば、大量のブロッカーも、意味がない。

 

「《コギリーザ》で攻撃する時、キズナコンプ! 墓地から《狂気と凶器の墓場》と《知識と流転と時空の決断》を唱えるよ! 山札から二枚を墓地に送って、《グレンモルト》を復活! 《ガイハート》を装備!」

 

 さらに《知識と流転と時空の決断》の能力で、GR召喚を二回。

 カメさんほど多くはないけど、これだけでも十分。

 

「《シェイク・シャーク》《バツトラの父》をGR召喚だよ! 《ガメッシュ》を行動不能にして、《コギリーザ》でWブレイク!」

『S・トリガー《清浄の精霊ウル》。《コギリーザ》をタップ』

「《グレンニャー》でダイレクトアタック!」

『《ダリファント》でブロック』

 

 攻撃は通らなかった。

 けれど、これで相手はたった一回のブロックの権利を消費した。

 そしてわたしは、二回の攻撃を行った。

 

 

 

「龍解――《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 やっと出て来てくれた、《ガイギンガ》……これでおしまいっ! 

 

 

 

「《ガイギンガ》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「か、勝てたぁ……」

「おう。お疲れさん」

 

 かなり 冷や冷やした。クリーチャーとの戦いは、余裕がある時も少なくないけど、たまにこうやってすごく肝が冷えることがあるから、大変だ。

 特に今回のクリーチャーは、いつも以上に強かったような気がする。

 ……それに、いつもと、なんかちょっと違ってたような……無機質というか、なんというか……

 

「む、むむむ?」

「どうしたの鳥さん?」

 

 いつものように、倒されたクリーチャーから放出される(マナ)をついばんでいる鳥さん。

 これが鳥さんが求めているもの。鳥さんが力を取り戻すために必要なエネルギー、らしい。

 鳥さんはクリーチャーを倒すたびにそれを食べているのだけれど、なにか変な反応だ。

 

「なんだこれ、味がないというか、マナがスカスカじゃないか」

「スカスカ?」

「変な感じだ。っていうか前にもこんなことあった気がするなぁ。食べた気にならない変なクリーチャー……」

 

 うーん、言われてみれば、前にもそんなことを言っていたことがあった気もする。

 あの時は、いきなり町中にクリーチャーが一挙に現れて、みんなと一緒に協力して倒して……その後に、ネズミくんが現れたんだっけ。

 

「なんだこれ、まるで偽物だ。マナを使いきったというより、もっとカラクリで動いてるみたいな……あぁ、“あいつ”よりマシとはいえ、僕は頭を使うのは苦手なんだけどな。これはどういうことなんだい?」

「鳥さんにわからないことが、わたしにわかるわけないでしょ……」

 

 クリーチャーのこととか、わたしの方が知らないことが多いんだから。

 と思っていると、アヤハさんが横から口を添える。

 

「まあ……これはあれだな。うちの奴だ」

「うちのやつ?」

「身内の話をするのは好きじゃないが、仕方ねぇ。このクリーチャーは、ワタシらの同胞の一人が産み落とした、落し子だ」

「お、落し子……?」

「ざっくり言っちまえば、クリーチャー“もどき”を産む力だな。なんでクリーチャーを産めるのかは知らんが、まあ、女王サマの権能の欠片を受け継いだ結果なんだろうな」

 

 女王様……?

 半ば独り言のように言っているアヤハさん。なにを言っているのか、いまいちよくわからないけど……

 

「このクリーチャーは……人為的に発生してる、ってことですか?」

「……そういうこった」

「それって、すごく大変なことなんじゃ……」

「そらそうだ。しかも、これをワタシらの同胞がやってるってなると、ワタシも見過ごせねぇ。ワタシらの凶行が公になるのは、ワタシの望むところじゃない」

「そ、そうですよね。本物じゃないって言っても、クリーチャーはクリーチャーですもんね……」

 

 アヤハさんは、手を組んで協力を持ちかけているんだと思う。

 理由はちょっと違うけど、大事にしたくないという目的は合致している。

 それなら、わたしには断る理由がない。

 アヤハさんはこれまでも、なっちゃんの時とかに、お世話になってるし、信用できる人だ。

 

「わかりました。わたしも、アヤハさんを手伝います」

「話が早くて助かるぜ。あいつの居場所に検討は着いてるが、如何せんワタシだけじゃ手が足りなくてな」

「……他の人たちは、どうしてるんですか……? 葉子さんとか……」

「あ? あー……あいつらは外聞とか気にしない勝手な連中だからな。ワタシが要請したって動かねーよ」

 

 ……そう、なのかな……?

 葉子さんなら、お願いすれば、喜んで手伝いそうだけど……アヤハさんとも、仲が良さそうだったし……

 

「そ、それなら、わたしもみんなに連絡しておいた方がいいですよね。今日はみんな用事があるみたいで、来てくれるかわからないですけど――」

 

 と、わたしが携帯を取り出そうとしたところで、轟音。

 顔を上げると、悪魔のような、獣のような、凶悪な面相の怪物が、こちらを見据えていた。

 

「おっと、あんまゆったりしてる暇はないぜマジカル・ベル。お仲間を呼ぶ暇があったら足を動かせ。あいつが産んだ卵はとんでもない数だからな。殲滅はほぼ不可能、ほとんど無限湧きするぜ」

「で、でも……」

「なにも考えるな。ただ目の前の障害を切り払って、進め。それだけだ」

 

 アヤハさんは、わたしにそう言い聞かせる。

 みんなにこのことは知らせるべきだと思う。けれど……

 

「わ、わかりました……」

 

 今はとりあえず、アヤハさんに従っておこう。

 わたしは改めて、前方のクリーチャーに視線を向け、立ち向かう。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「本当、ムカつくわね」

 

 薄暗い一室で、『三月ウサギ』の声が艶やかに響く。

 その声に反応し、『代用ウミガメ』はビクッと身体を震わせた。

 

「な、なにが……ですか……?」

「なんでもよ。たとえば、あんたと一緒に行動しなければいけないこと、とか」

「そ、それは……すみません……で、でも、帽子屋さんが……」

「帽子屋さんは悪くないわ。えぇ、この配役の意味は、僕にもわかる。それはそれとしてムカつくのよ」

「うぅ、そ、そんな、理不尽な……」

「だから? そもそも僕はあんたのこと嫌いだし。うじうじしててなにもできなくて、のろまで意志薄弱、いい子ちゃんぶって保守的なくせに、意地汚く生き延びることに必死。半端も半端でみっともないったら。それに加えて――」

 

 これでもかというほどに暴言を吐き続ける三月ウサギ。しかしそのすべてが、代用ウミガメとしては真実である、と受け取らざるを得ないため、反論できない。

 

「――それになにより、僕がお母様から受け継いだ権能と、あんたが受け継いだ権能が、似通ってるっていうのが一番ムカつく」

「っ!」

 

 お母様。

 その言葉に、より大きく、代用ウミガメは震えた。

 

「代用ウミガメ……必要なものの代わり、自身の代替品の創造主。お母様のことを考えれば、本来は化身や奉仕者を産み落として、贅沢するものよねぇ……まあ、それは今やってることだけれども」

 

 などと言いながら、三月ウサギはカードを一枚、窓の外に投げ捨てる。

 

「僕が受け継いだ権能――いいえ、“狂気”は、淫蕩。聖も邪も、善も悪も、清濁関係なく交わり絶頂する悦楽。他の連中は僕のことを、ビッチだとか毒婦だとか散々言うけれど、僕は好きよ、お母様から授かったこの狂気。だってほら、気持ちいいもの?」

「…………」

 

 思わず顔を背ける代用ウミガメ。

 その手の下世話な話には疎く、どうしても気恥ずかしくなってしまう。

 だがそれだけではない。

 そうやって語る三月ウサギの蕩けた表情が、怪しく、卑しく、不気味で、恐ろしいのだ。

 

「僕は自分の抱く狂気が好き。快楽を得るのも与えるのも大好き。でも、だからこそ、その結果として生まれるものを権能として受け継いだあんたが気に喰わないのよ」

「……そ、そんな、こと、言われても……」

「理不尽だって? えぇそうでしょう。別に理屈で納得したり行動を決める気はないもの、僕。言いたいことを言って、やりたいことをやるだけよ」

 

 いっそ清々しいほどに自分勝手な三月ウサギだが、彼女はこれでも、帽子屋や公爵夫人と並ぶくらいには古株だ。

 狂気に陥った帽子屋の無聊を、唯一慰められるのが彼女だ。厳密には、慰めようとしているだけだが……

 しかし狂った帽子屋と添い遂げられるだけの狂気を抱いているという意味では、やはり彼女の存在は大きい。

 狂気の三柱のひとつ、淫蕩の狂気を抱く(ケダモノ)、三月ウサギ。

 彼女はいつだって、その狂気に身を投じることを厭わない。

 

「それにしても、あんたも、なんでこんなちんちくりんになってるのかしらねぇ。あんたに本来の力があれば、僕もこんなにイライラしないのに」

「え……? ど、どういう、ことですか……?」

「ん? 帽子屋さんから聞いてないの?」

「……そ、それって、もしかして……」

 

 代用ウミガメの、“生前”のことだろうか。

 帽子屋が「死んだ存在」として語ることを拒否した、今の自分になる前の自分。

 三月ウサギは、それを知っているのか。

 

「知ってるわ。まあ、帽子屋さんやパンチョウの奴から聞いただけだけど……なかなか、あっちの方が愉快じゃない。僕はああいうエゴの塊みたいなの好きよ。僕自身がそうだからね。同族嫌悪で殺し合うかもしれないけど」

 

 淫靡に微笑む三月ウサギ。

 対して、唇を噛み締める代用ウミガメ。

 どうするべきか。かつての自分を知りたいという気持ちはある。しかし同時に、生前の自分への恐怖もある。

 そっと首筋をなぞる。分からないように隠しているが、そこにあるのは、首を切り落とされた切断痕。

 知りたくても恐怖が邪魔をする。あと一歩を踏み出す勇気がない。

 しかし、

 

「あぁ、なんか暇だし、ガラじゃないけど昔話でもしましょうか」

 

 あっけらかんと、三月ウサギは言った。

 

「あんたと陰気なトークなんて死んでもごめんだし、それならあんたの昔話でもして、あんたの反応を見てる方がマシだわ」

「え、あ……で、でも……」

「それじゃあ、話しましょうかね」

 

 心の準備なんて待ってくれない。

 ゆらゆら揺らめき、ぐらぐらぐらつき、あっちこっちにどっちつかずで、中途半端に半端者。

 立ち位置も、心も、なにもが定まらないまま、代用ウミガメは三月ウサギから聞かされる。

 

「僕的に一番笑えるエピソードというか要素は……やっぱりあれかしらね。そう、最高に笑えることに、今じゃクソ陰キャだけど、本来のあんたはね――」

 

 代用ウミガメが、亀船代海という名前も、『代用ウミガメ』という名も得る前の――ただの異なる存在だった頃の話を。

 残酷で、残虐な過去を。

 

 

 

「――人を喰ってたのよ」




 もっとガメッシュ戦はサラッと流すつもりだったのに、なぜか無駄に力が入ってしまった。なんでこんな時にガメッシュのデッキがわりとちゃんと形になるんだ……
 ちなみに霜の手芸部云々については、本当は番外編で先に出したかったけど、ちょっとタイミングが上手く合わなかった……どこかで機会を見て書きたいところ。
 今回、かなり久々に大人数の多重視点で書きましたが、前篇、中篇、後編の三篇構成のつもりで書いているので、ご安心ください。
 というわけで今回はここまで。誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。


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43話「太陽を求めて -中篇・昼光-」

 とある裁定変更によって大打撃を喰らったものの、なんとか書き上げることができました。危うい裁定だということはわかっていましたが、やはり裁定変更と殿堂発表は辛いですね。あまりそのへんに依存しない作品ではあるのですが、今回は久々にかなり困りました。
 まあ、更新が一ヶ月ほど空いたのは、それが理由ではないのですけれど。


「《コギリーザ》でダイレクトアタック――!」

 

 また一体、クリーチャーを倒す。

 どれだけのクリーチャーと戦い、倒しただろう。

 もう両手の指を使っても数え切れないくらい倒した……ような気がする。

 実際にどれくらい戦ったのか、倒したのかは、もう、覚えていない。

 ぐるぐると同じ場所を回っているような疲労感。実際はそんなことはないけれど、絶え間なく襲い来るクリーチャー、進んでも進んでもいまいち目的地のハッキリしない行軍に、そんな感覚を覚える。

 

「はぁ、はぁ……あ、アヤハさん……」

「どうした?」

「その……このクリーチャーを放ってる人のところまで、どのくらい、ですか? ちょっと疲れました……」

「どのくらい、か」

 

 アヤハさんは少し口ごもる。

 そして考える仕草を見せてから、ゆっくりと口を開いた。

 

「まあ……距離だけなら、そうでもないかもな」

「距離だけ、なら……?」

「障害物が多いんだよ」

 

 と、言った直後。

 また、咆哮が耳に届く。

 次のクリーチャーがやって来たんだ。

 鳥さんの力があれば、普段よりもずっと長く動いていられるけど……それでも、こんなに連戦ともなると、少し堪える。

 

(……でも)

 

 このまま放置できることでもないし、頑張らないと――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「こっちでいいの? スキンブル!」

 

 謡は黒猫の後を追い、駆ける。

 彼が言うには、小鈴は今は一人――正確には、ヤングオイスターズと共に行動しており、クリーチャーと戦っている。

 クリーチャーと、一人で戦う。たった一人で、孤軍奮闘する。

 それがどういうことか、どれだけ辛く、苦しいことか。謡は知っている。

 長良川謡でも、スキンブルシャンクスでも、あるいは長良川詠でもない――『チェシャ猫レディ』としての自分も、そうだった。

 ヒーローに酔っていたあの時は、辛さも苦しさも忘れていたが、こんな重荷を、一人の女の子に背負わせていいはずがない。

 そのために、自分たちがいるのだから。

 

「……そうだ。皆にも伝えておいた方がいいよね。スキンブル、ちょっとストップ!」

 

 スキンブルを呼び止め、謡も立ち止まる。

 携帯を取り出して、後輩達に自分の知る情報を伝える。

 

「緊急だけど……そーくんあたりにはちゃんと伝えてあげた方がいいよね。えーっと、『妹ちゃんがヤングオイスターズのお姉さんと一緒にいて、一人でクリーチャーと戦ってるから』――」

 

 そう、文章を打っている、最中。

 ぞっと、背筋になにかが這う感覚。

 振り返るだけでも怖気が走る。回す首が重い。

 それでも、謡は振り返った。

 そして、そこには――

 

 

 

「――僥倖、というものか」

 

 

 

 悠然と、在るがままに。

 威風堂々と、為すがままに。

 刃のような瞳を向ける、豪奢な出で立ちの女。

 

 『公爵夫人』と呼ばれる者が、そこにいた。

 

 謡は思わず息を呑む。

 一方の公爵夫人は睨むように謡を見据えていたが、彼女はおもむろに口を開いた。

 

「帽子屋の奴を殺してやりたいと思索した。よもやこの儂を、たかが哨戒、露払いに使おうなどと、不遜に過ぎる。儂という力の用法として、あまりに遺憾だ」

 

 だが、と公爵夫人は続ける。

 

「結果、貴様と相見えることとなるのであれば――悪くない。采配の不満はあれど、意図的でないにせよ、最終的に儂の目的が果たされるのであれば、文句は言うまい」

「……あ、あなた、は……また、スキンブルを……?」

「然り」

 

 毅然と答える公爵夫人。対する謡の声は、震えていた。

 以前、容赦なく打ちのめされた記憶が蘇る。

 この時のために、強くなろうと、そう思っていた、はずなのに。

 いざ目の前にすると、彼女の佇まいに、気圧されてしまう。

 

「小娘。無知な貴様に勧告しよう。そこを退け。貴様には用向きも興味もない」

 

 公爵夫人の目的は、チェシャ猫――スキンブルだ。

 スキンブルの本来の飼い主は公爵夫人だ。だから公爵夫人は、逃げ出した飼い猫を引き戻しに来て、以前は代海の力を借りてその難を逃れることができた。

 しかし今はどうか。

 今ここにいるのは、謡一人。

 以前、公爵夫人に敗北を喫した、少女だけ。

 

「どうした小娘。足が竦んで動けぬというのであれば、立ち尽くすだけで構わん。チェシャ猫はここで回収する――」

「させるか!」

 

 突如として謡は叫ぶ。

 身体に纏わり付く怖気を吹き飛ばすかのように。

 震える恐怖を打ち払い、自身を奮い立たせるかのように。

 声を、張り上げる。

 

「スキンブルは渡さない! もう、あなたにも――負けない」

「……愚か者め」

 

 侮蔑の眼差しを向け、公爵夫人は溜息を吐く。

 

 

 

「無謀にして蛮勇。それが今の貴様だ。その代償は、支払って貰うぞ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――まあそんなわけで、オレも個人的に手芸部には恩とかあってね……」

「はぁ……」

 

 と、何杯目かの紅茶を啜りながら、相槌を打つ霜。

 しかしその相槌も、やや雑なものだった。

 それもそのはず、なぜなら。

 

(……話が長い)

 

 正直なところ、霜は朧の話に飽きていた。

 彼とは知らない仲でもないし、インタビュー前に軽い談笑を絡めて取材相手の緊張を解く、という手法は友人から聞いて知っている。だから多少の雑談は、そういうものだと思っていた。

 しかし、流石に長い。まだ本題のインタビューのことなど、ほとんどなにもしていないようなものだ。

 

「……すみません。少しお手洗いに」

「あぁ、どうぞ。場所はわかる?」

「大丈夫です」

 

 席から立つ霜。

 さて、どうしたものだろうか。霜は朧から離れ、思案する。

 彼の目的がわからない。

 こんなにも冗長なインタビューをするほど、彼は無能ではないだろう。変人で胡散臭くはあるが、彼が有能な人間であることは認めるところではある。

 霜も友人――若宮から、朧のことは多少なりとも聞いている。彼の目が節穴でなければ、新聞部としての技量が低いわけがない。むしろ高いはずなのだ。

 ということは、彼はあえてインタビューを停滞させている、と考えられる。

 一体なにが目的なのか。なにか聞き出したいことがある……というには、雑談の内容はあまりにもとりとめがない。

 ただお喋りしたいはずもない。となれば、霜と話すこと、それそのものが目的だとでもいうのか。

 

「……相変わらず不気味というか、喰えないというか、底の見えない人だ」

 

 手を洗いながら、嘆息する。

 その時、不意にそれが目に入った。

 なんてことはない。そこにあって当然のものなので、それを視認したのは本当にただの偶然だったのだが。

 その偶然が、思考を微かに刺激する。

 それは清掃表だった。入口付近にひっそりと張られたそれには、その日の当番の名前と、押印がある。

 ただそれだけであれば、霜はなにも気にしなかったかもしれない。

 しかしそこに書かれたひとつの名前が目に映った瞬間、思考が巡る。

 清掃表に書かれた名前のひとつ――『若垣綾波』という名前。

 

「若垣……若垣?」

 

 その苗字は知っている。今まさに、霜が頭を抱えている新聞部の彼こそ、若垣という姓だ。

 しかしそう変わった苗字でもない。ただの偶然の一致の可能性は十分にある。

 とその時、霜の携帯が震える。

 開くと通知が一件。珍しいことに、謡からだった。

 

 

 

[クリーチャーが出た。小鈴ちゃんがアヤハって人と一緒。一人で戦ってる]

 

 

 

 余裕のなさが、文面からでも伝わる。今、友人が危機に瀕しているのだろうことがわかる。

 しかしそれよりも、霜の中で、なにかが繋がりそうだった。

 

「アヤハ……」

 

 先ほど清掃表にあった名前。若垣綾波。

 これは有名な船の名前でもある。あやなみ、と読むのが普通だ。

 そして、ヤングオイスターズの長女、アヤハと名乗る彼女。

 若くも哀れな牡蠣たち。十二人の兄弟姉妹の集合体。

 そして、このタイミングで送られてきた、謡からの連絡。

 ただの偶然という可能性が高い。霜の理論はそう告げている。

 しかし、だ。

 どれだけ確率を計算しようと、サイコロは振らなければ結果はわからないのだ。

 霜はトイレから出る。ちょうどいいところに、以前来た時に応対してくれた店員がいた。確かこの店員は、彼女のことを知っていたはず。

 

「あぁ、あなたは、前に来てくれた子たちの……」

「すみません。聞きたいことがあります」

「? なんでしょう?」

「ここに、若垣という人が勤めていませんか?」

 

 ただの確認作業だ。偶然が偶然であることの証明だ。

 世の中はそう奇異なことばかりではない。

 が、しかし――

 

 

 

「若垣? アヤハちゃんのこと?」

 

 

 

 ――奇縁もまた、この世の理だ。

 大当たり、であった。

 

「あれ? でも君たちってアヤハちゃんの知り合いじゃなかったっけ?」

「ありがとうございます。それでは」

「え? あ、うん……?」

 

 疑問符を浮かべる店員をよそに、霜は席に戻る。

 しかし席には着かず、立ったまま朧を見下ろしていた。

 

「やぁ、お帰り。ささ、座りなよ。君にはまだ聞きたいことが――」

「ヤングオイスターズ」

 

 一言。

 たった一言で、朧は口を閉ざした。

 そして、

 

「あれ? なんでバレたの?」

 

 キョトンとした顔で、首を傾げる。

 純粋な疑問を呈するように、目を丸くしていた。

 

「君たちには、オレらの繋がりを特定されるような発言はしていないはず……だったんだけどなぁ。どこかでなにかミスったのかな。まあ、そういうこともあるか」

 

 一人で分析し、一人で納得している朧。

 思った以上に、彼は冷静だった。

 

「ボクらを騙していた?」

「騙すなんてとんでもない。わざわざ身分を明かさなかっただけさ。大体、君らを騙す理由がない……今以外はね」

「なにが目的なんだ?」

「奇跡……あるいは太陽、かな。帽子屋さん曰くね」

「……答えるつもりはないのか」

 

 そう判断した瞬間、霜は踵を返して駆け出した。

 

「えっ? あの、お客さん!?」

「会計はそこの彼にお願いします! 急用ができたので!」

 

 さっきの店員が驚きに目を剥いているが、無視して店を出る。

 いまいち相手の目的はハッキリしないが、しかし朧が霜をここに呼び出したことの裏に、【不思議の国の住人】が絡んでいるとなれば、ろくなことではないのだろう。

 あの冗漫な喋り口は、情報を引き出すというよりも、むしろ足止めなのかもしれない。

 ならば急いで小鈴の下に向かうべきだろう。しかし、彼女は今、どこにいるのか。

 店を出て、路地に着いたところで、携帯を取り出そうとする――そこで。

 

「――っ!」

 

 頭に、衝撃が走る。

 しかし軽い。多少の痛みはあるが、傷にはならない。

 直後、コロン、と軽い音が響く。そこに転がっているのは、空のペットボトル。

 それが飛来した方に目を向けると――

 

「寒いところでメロンソーダ飲みながら待つとか、拷問もいいところだけど……まあ、お兄ちゃんの言うこと聞いておいた甲斐はあったかも」

 

 ――そこにいたのは、ボーイッシュな身なりの少女。若垣狭霧。

 霜らのクラスメイトで、若垣朧の妹――だが。

 朧の妹ということは、つまり彼女も、ヤングオイスターズの一人。

 

「うちとしては、どーでもいいんだけど。でもお姉ちゃんは必死だし、しょうがないよね」

「そうそう。これは好機、お姉さんとしても見逃せないチャンスだ。オレたちは正しく一心同体の兄弟姉妹なんだから、その意は汲まないと」

 

 後ろから声。

 振り返ると、朧がいた。

 

「ボク一人に、二人がかりで足止めか」

「オレたちは一人だよ。ヤングオイスターズだからね。けれど、足止めというのは間違ってない」

 

 正面には狭霧。

 後ろからは朧。

 霜は二人に挟まれる形になってしまった。

 

「伊勢さん……マジカル・ベルの困ったところは、人を惹きつける縁、仲間との結びつきだからね。そんな厄介な彼女を無力化しなければ、太陽に手は届かない。コーカス・レースは終わりを迎えられないのさ」

「コーカス……? なにを言っているのかわからないけれど、ボクがここにいるのも、小鈴が今、あなたたちの姉と一緒にいるのも……ひょっとすると、恋や実子やユーや、他の皆のところで起こっているかもしれない出来事も、仕組まれていた、ってことなのか?」

「ま、そんなところかな。苦労したよ。君たちの予定をすべて調べ上げて、上手いこと理由を付けて接触して、各人の日程調整して……この日のために、あらゆる人の行動と配置をすべて計算してセッティング。本当に大変だったさ。加えて当日も駆り出されて、オレの負担だけ半端なくない? 別にいいんだけどさ」

 

 言葉とは裏腹に事も無げに言う朧だが、それがどれだけ労力のかかることかは察するにあまりある。

 しかしそしてそれをこなしてしまうだけの技量と情報が、彼にはある。

 とぼけたようで、ふざけているようで、底の知れない人物だと思っていたが。

 改めて、こうして敵対する立場になって、彼の手腕には驚嘆する。

 

「とはいえオレも完璧にはできなかったみたいだけどね。少なくも、オレが直接抑えている君に関しては、感知されないと思ったんだけどなぁ。どこから情報が漏れたのやら……取材場所にお姉さんのバイト先を選んだのが失敗だったのかな。オレも詰めが甘いや」

「でも、その保険のためにうちがいるんでしょ。お兄ちゃん」

「そうなんだけどね」

「そこまでしてボクを抑えたいのか」

「君は君自身の力量以上に、マジカル・ベルに“気付き”を与えてしまう存在だから、個人的には一級警戒対象なんだよ。だから、不思議の国から最も離れたこの場所で、隔離するつもりだったんだ。仮に気付かれて突破されても、間に合わないように」

「それは光栄なことだけれど、随分とペラペラ喋ってくれるんだな」

「当然じゃないか。だって、オレが情報を流せば、君は黙って聞いてくれるだろう? 疑問があれば質問してくれるだろう? 足を止めて、ね」

「っ!」

 

 そうだ。相手の目的が足止めなら、立ち話に付き合う必要などない。

 霜は踵を返そうとするが、

 

「いやまあ、別に無視して行ってくれても全然構わないんだけどね?」

「……なんだって?」

「無視したいなら無視すればいい。その場合、君は真実を知らないまま現場に赴くことになる。好きに選ぶといいよ、オレたちの話をじっくり聞いてから行くか、無知なまま慌てて駆け出すか。思う存分悩めばいい、そうしている間にも、時間は無慈悲に流れ続ける」

「っ……!」

 

 状況はよくわからないが、小鈴が狙われているという事実は、ほぼ確定だ。

 しかしなにが起こっているのかわからない以上、その対処法も、どう動くべきかの方針も、不明瞭だ。

 なにもわからないまま、情報が不足しているまま駆けつけて、どうなるか。

 “とりあえず”で動いて、いいのだろうか。

 しかしこうしているうちにも、彼女に危険が迫っているかもしれない。だが無知なままでは、その危険を退けることは叶わないかもしれない。

 朧の話を聞けば、なにかはわかるのだろうが、しかしそれは彼らの「足止め」という目的を果たさせてしまうことでもある。

 葛藤。嫌な二択を、突きつけられた。

 

「お兄ちゃんってば、相変わらずいやらしい」

「酷いなぁ、狭霧ちゃん。オレは自分の役割を果たしているだけなのに」

 

 嘘偽りなく、けれども白々しく、朧は微笑む。

 

「さて、どうする水早君? 焦らずゆっくり悩んでくれ。その方が、オレたちにとっても有益だ。Win-Winの関係といこうじゃないか。なに、安心して欲しい。記者は信用第一、嘘は吐かないよ」

 

 朧は嗤う。

 選択肢がない中で最善を模索するのとは違う。選択権がありながら、どちらが最善なのかを考える。

 本質的には同じ。しかし選択の余地があるだけで、その処理にかかる負担も、時間も、跳ね上がる。

 いつも通りの、しかしいつも以上に不気味な朧の笑み。どうする、どうすればいい、なにが最良の行動なのか。

 なにもわからない。なにが起きているのかも、彼らがなにを企んでいるのかも。それを知らないままにはしておけない。

 けれど、けれども――

 

「……退け」

「うん?」

「そこを退け、と言ったんだ」

 

 霜は朧に背を向け、彼ではない彼に、彼の妹であって彼に、狭霧に吐き捨てる。

 無知は恐ろしい。なにも知らないままに行動するのは、あまりにも危険だ。情報がないまま五里霧中の中を進むことなどしたくはない。

 しかし、それでも。

 友を危険に晒し続ける方が、耐え難い。

 それが霜の選択だった。

 

「まあ、君がそうするのなら、それでもいいんじゃない? というわけで荒事は狭霧ちゃんに任せるよ。オレがやってもいいけど、ここまで呼び出して棒立ちは可哀想だしね」

「余計なお世話。でも暇なのは確かだし、いいよ。うちが相手する。どうせ、前にボコした雑魚だし、変わんないでしょ」

「けれど、男子、三日会わざれば刮目して見よ、というじゃないか」

「知らないし。三日じゃないし。それに女装野郎じゃん」

「それでも男の子は男の子さ」

「くだらないコントはいい加減やめろ」

 

 鋭く冷たい声が、ぴしゃりと二人の会話を断ち切る。

 朧は深く溜息を吐くと、諦めたように首を振る。

 

「ま、言葉を弄するのはここらが限界かな。頼んだよ、狭霧ちゃん」

「はいはい。サクッと終わらせるから」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「日向さん、トイレに行ったっきり遅いっすねぇ」

 

 唐突な教師の闖入によって、妙に居たたまれない空気の漂う学援部。

 急遽、本日行うはずだったことを中止し、本来の学援部としての活動――突発的だが、報告を兼ねた諸々の案件に関する小会議――をする方針に切り替えたものの、議題として取り上げることも尽きかけていた。そのため、半ば雑談する場になりかけている。

 

「……あ。今気付いた。恋から通知来てる」

「なんだって?」

「『先帰る』……だって」

「は? やる気あんのかあいつ……いや、ないのか」

「日向さんですしねー」

「でも、彼女こういう時って堂々とサボる子だと思っていたけれど……」

「確かにな。らしくないと言えばらしくない」

 

 一騎が半ば無理やり入部させたのだが、恋は学援部の本来の活動には、一切の興味を示さない。性格上そうなることは、わかっていたことだが。

 だから恋が活動をサボること自体はなにもおかしくないし、それはいつも通りなのだが、彼女は怠惰を隠さない性分だ。

 サボるなら堂々と。わざわざ連絡なんて寄越さない。だからこの連絡は少々、奇妙なものではあったが、学援部の面々はあまり気に留めていなかった。

 ただし、

 

「……あぁ、成程。そういうことか。理解した」

「先生?」

 

 一人の羽虫だけは、感付いた。

 やる気がないということであれば彼も相当なものだが、しかし気まぐれに動かした頭で、すぐに気付く。

 

「もうここには用がなくなったので、私は去ります。それでは」

 

 陸奥国縄太はそう言うと、さっさと学援部を後にする。

 残された部員たちは、呆然とその後ろ姿を眺めていた。

 

「……あいつはなんだったんだよ、結局」

「さぁ……?」

 

 そんな風に呆れられていることなどどこ吹く風。陸奥国――木馬バエは、歩みを早める。

 不意に、窓の外、階下を見遣る。

 部室棟の出口に見える人影。そこに、小さく、細く、白い、少女がいた。

 躊躇いなく窓を開け放ち、窓枠に手を掛け、足を乗せ――飛ぶ。

 翅はなくともそれなりに丈夫な肉体だ。浮遊感も落下も気にすることはない。

 どうでもいいからこそ、機械的に、事務的に、淡々と。

 木馬バエは、日向恋の前に立ちはだかった。

 

「……っ」

 

 突如、目の前に落下してきた男に、恋は足を止める。

 無感動な眼差しだが、しかし多少なりとも、驚きの色が見える。

 

「携帯電話とは、面倒なものですね。ヤングオイスターズも警戒していましたが、あんな小さな絡繰で、お粗末ながらも大掛かりな作戦が崩壊しかねないとは。どうでもいいことですけど」

「…………」

「コーカス・レースだか聖獣だかなんだかよくわかりませんし、正直そういうのに興味ないんですよね、私。ただ一応、帽子屋さんは私たちのボスですし、姉さんも兄さんも引き受けちゃったし、私もやるしかないってだけで、本当、それだけなんですよ」

 

 無気力な木馬バエ。しかし己の意志がないからこそ、どうでもいいからこそ、彼はその選択を曲げることはない。

 最初に設定された道を逸れる方が、面倒だと感じる限り。

 

「やっぱり、そういう……」

「そういう感じです。あなたにはここにいてもらわないと。それが私に与えられた、しょぼい役目です」

「……無理やり、押し通る、なら……?」

「どうぞご自由に。ただしその場合」

 

 ほんの僅かに、木馬バエの目つきが鋭く、悪魔の如く邪悪に歪む。

 

「私の歯牙が、あなたを貪ってしまうかもしれません。周りが見れない性分なので、私」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「そう、つまり答えは――私自身が妹になることだったんだよ!」

「なのよー、なのよー! いくちゃんも私の妹なのよ! 家族が増えたのよ!」

「わっほー! おねーちゃん大好きー!」

「私もいくちゃん大好きー!」

 

「「いぇーい!」」

 

「ユーちゃんも皆さんが大好きです!」

「ならユーちゃんも家族だ!」

「なのよ!」

「ですです!」

 

「「「いぇーい!」」」

 

「なんだこれ」

「知らないわ」

 

 いつものように、あるいはいつも以上の賑わいを見せる遊泳部。

 部員たちは部長の奇行も愚考も知り尽くしており、今更なにをしたところでなにも感じないが。

 しかし部員ではない者からすれば、彼女の自由奔放さは目に余ると感じるもの。特に、正義感や責任感の強い者なら、尚のこと彼女に諫言せずにはいられないことだろう。

 ローザがまさしくその手の人物なのだが、しかし彼女は、携帯の画面を険しい表情で見つめるだけで、部長らの奇々怪々な行動など眼中にない。

 

「あれ? どうしたのローちゃん? 怖い顔しないで、ユーちゃんはローちゃんも大好きだよ」

「それは嬉しいけど、そうじゃなくて……ユーちゃん、これ」

 

 ローザはユーリアに携帯を差し出す。

 画面を見たユーリアの表情が、一変した。

 

「……! 小鈴さん……!」

 

 そして、ガタッと勢いよく立ち上がると、一目散に部室の外へと駆け出していった。

 

「ぶちょーさん! Es tut mir leid(ごめんなさい)! ユーちゃん、用事が出来ちゃいました!」

「わ、私も……! 待ってユーちゃん!」

 

 流れ星のような素早さで部室を飛び出していくユーリアに、その後を追うローザ。

 瞬く間に、二人の姿は見えなくなった。

 

「ありゃりゃ、ユーちゃんたち行っちゃった……まあいっか! 今日は珍しくおねーちゃんの日だし!」

「イクちゃんのそういうさっぱりしたところ、私は好きだけどちょっと残酷よね」

「こいつはその刹那のノリだけで生きてるからな」

「楽しそうですよね部長。頭と気持ちが悪いですけど」

「知りませーん聞こえませーん! そんなことよりおねーちゃんだ! おーい、おねーちゃん! あれ、聞こえてる? なんで急にスルーなの? 無視しないで! おねーちゃん! 妹だよ! 可愛い妹が呼んでるよ!」

「自分で可愛いとか言うのか」

「まあでもイクちゃんは可愛いわよ。顔だけは」

「でも頭の中身が気持ち悪いです。頭が気持ち悪いので、つまり顔も気持ち悪いです」

「超理論が辛辣すぎる」

 

 などと、遊泳部がいつもの如く頓痴気に騒いでいる傍ら、陸奥国葉子――バタつきパンチョウは、まるで遠くの別世界でも見ているかのように、虚空を見つめていた。

 そしてやがて、彼女はゆっくりと、瞼を降ろす。

 

「……そろそろ、なのよ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ふわぁ……謡ー、ちょっと――」

 

 眠そうな眼を擦りながら、リビングへと戻ってきた詠。

 しかしそこには、妹の姿はなかった。

 

「あれ、謡、いないの? 出かけたのかな……?」

 

 妹はいない。

 しかし代わりに、別のものがいた。

 

「ん? あれ……え? な、なに、どうしたの……?」

 

 思ってもみないそれに、驚いてしまった。

 それが、それであることを即座に理解できたことにも。それが、その姿であることにも。

 必死に言葉が紡がれる。冷静な振りをしても、焦っていることがわかる。

 そして、その、理由も。

 

「ふんふん。いまいち要領を得ないけど、ぴんちは伝わった。君がそんなに必死な感じなのは、ちょっと珍しいね」

 

 危機的だということは理解できた。けれど、相手があまりに必死だと、かえって冷静になってしまう。

 心配していないわけではない。不安がないわけではない。

 けれど――

 

「そう……大事な時なんだ。そっか、それなら、ちょっと待ってて」

 

 ――それ以上に、詠は信じていた。

 

「はい。これを、あの子に……お願いね」

 

 

 

「――承りました」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「…………」

 

 呆然と、空を見上げていた。

 身体が痛い。心は、なにも感じない。

 気付いた時には終わっていた。抵抗する間もなく、轢き潰されていた。

 

「呆気ないものだ。以前よりもなお薄弱となっているのではないか、貴様」

 

 嘲るような、それでいて関心のない声が聞こえる。

 

「よもや、以前の儂と同等だと思うたか。ならば貴様は、儂の想像を遥かに超えた愚か者である」

 

 ――負けた。

 また負けた。完膚なきまでに、徹底的に、言い訳もできないほど、完全に。

 敗北を喫した。

 

「貴様が今までなにをしていたかなど知らんし、知るつもりもないが……少なくとも儂は、儂が生きる時の中で、力の渇望を止めたことはない。今のなお、儂は飢えている」

「力……」

「然り。力だ。儂には力が必要なのだ。絶対的で、圧倒的な――奴を殺す力が」

 

 確固たる意志。明確なる殺意。絶対的に強固な渇望。

 彼女はもはや謡には目も向けていない。

 

 

「『ハートの女王』……忌まわしき我らが呪縛よ。奴を殺さねば、我らに栄光はない。故に儂は女王を殺す。我が身の自由のためにも」

 

 公爵夫人はどこでもない、遠くの(ソラ)を見つめていた。

 

「……口が滑った。貴様に用向きなどない。儂が用があるのは、遁走だけが取り柄のかの黒猫だけだ」

 

 と、彼女はぐるりと周囲を一瞥する。

 

「奴の追跡……否、今はコーカス・レースの最中。儂の役割は哨戒。与えられた役割なぞを遵守する儂ではないが、この稚拙極まりないが価値ある策の利益を考えるに、役割放棄こそ愚策か」

 

 不服そうに溜息を吐いてから、公爵夫人は謡へと視線を戻した。

 殺意の込められた眼差しを。

 

「となれば先に貴様を始末してくれようか。二度と、儂の目の前に立てぬように」

 

 身体が重い。今の自分では、軽く縊られてしまうことは明白だった。

 公爵夫人は吐き捨てる。弱者を蔑み、貧者を嘲り、凶手を翳す。

 

「身の程を弁えていれば、喪うものもなかったろうに。貴様は本当に、愚かだ――」

 

 それが謡を縊る――前に。

 

 

 

「――それはどうございましょうか、元ご主人」

 

 

 

 それは“姿”を現した。

 同時に、落ち着いた声が響く。

 

「確かに力及ばずの蛮勇やもしれませんが、俺はそれが、愚かだとは思いません」

 

 謡の視界に微かに映る、若い青年。いやさ、少年とも言えそうなほど、幼さも感じさせる風貌だ。

 どこか軽薄そうだが、妙にきっちりと着こなしたスーツ姿。首元には、鈴のついたチョーカーがつけられている。

 

「き、み……は……?」

「……この姿で対面するのは、少々、気恥ずかしいですね。謡」

 

 はじめて見たはずの少年。しかしそう感じさせない、どこか懐かしいような、安心するような言の葉。

 少年はほんのりと赤面しながら、謡に微笑みかける。

 

 

 

「不肖、スキンブルシャンクス。“現”ご主人のために馳せ参じました」

 

 

 

 姿の見えない黒猫は、そこにはなく。

 そこにいるのは、人の姿を取った、笑い猫だった。

 

「貴様……チェシャ猫か!」

 

 少年――スキンブルシャンクス(チェシャ猫)に噛みつく公爵夫人。

 彼女は忌々しげに、彼を睨み付ける。

 

「よもや人間体を獲得したとはな……儂の個性()を以て、我々が長い月日を経て得た擬態能力を、生まれたばかりの貴様が、こんなにも早急に会得するとは、どういう仕掛けだ?」

「きっかけがあったのですよ。彼女の中に――『チェシャ猫レディ』として取り込まれた時から、人間としての要素は既に獲得していたわけでございます」

「……まあいい。何しに来た。儂の下に帰還する気になったか?」

「まさか。あなたのような醜悪なご主人は御免被りますよ。俺は美しく可憐な女性が好みですので」

 

 くすくすと、軽口を叩きながら笑うスキンブル。

 彼は公爵夫人から視線を外すと、地に伏す謡に向き直った。

 

「謡、俺の真なるご主人。立ち上がってくださいませ」

 

 そして、手を差し出す。

 彼女を引き上げるための手――ではない。

 それは彼女を立ち上がらせるため。

 彼の手には、ひとつの箱が乗せられていた。

 どこか見覚えのある、デッキケースを。

 

「あなたの姉から――詠からの、届け物です」

「姉ちゃんから……?」

「彼女にあなたの危機を伝えたら、これを託されました。つまり、そういうことなのでしょう」

 

 デッキを受け取る。

 すべてを確認する暇などないが、見覚えがあるような、ないような、しかし確かに手に馴染むような、不思議なデッキだ。

 

「一度敗れ、二度敗れ、しかして三度目も敗北を喫する道理がありましょうか? いいえ、物語の主人公とは、幾度打ちのめされようとも、最後には悪逆を滅ぼすもの。そうでしょう?」

 

 ――主人公。

 それは、自分の憧れたもの。

 物語の中で、口伝の中で、夢想が膨らみ、憧憬を抱いた存在。

 そうなりたいと、願った理想像。

 あぁ、そうだ。

 理想を、理想のままにはできない。

 その悲願がこの手に届くのなら、今、伸ばさなくては。

 

「……そうだね」

 

 そして、謡は、立ち上がった。

 一度、二度と敗れたが。

 まだ、終わったわけではない。

 自分が理想とする自分は、ヒーローとは、ここで折れるものではないのだから。

 

「悪……とな。儂が悪逆なる者と宣うか」

「俺たちの情を引き裂く醜女は悪ですとも。えぇ、あなたの理想がどれだけ気高くとも、俺たちはあなたを討たなければならないのです。少なくとも、今は」

「儂には儂の、あるいは我らの正当性もある。客観的に見れば、悪など、視点の問題でしかない」

「えぇそうでしょうとも。ですが関係ありませんね。我々の絆を断とうとするあなた様は、紛れもなく悪役(ヴィラン)。少なくとも、今、この場では。俺たちからすれば、そのように定められるのでございますよ」

「……やはり儂の下に戻る気はないのか、チェシャ猫」

「申し訳ございません。先ほども申し上げたとおり、俺は美女が好きであり、醜女に興味はありません」

 

 それに、とスキンブルシャンクスは続ける。

 

「なにより、俺は今が楽しく、満ち足りていて、たまらないのです。我が名は『チェシャ猫』ならず、スキンブルシャンクス。あなたの一部であった俺は、もうどこにもいないのですよ」

 

 誰かに縛られることなく。

 気ままに、思うままに、地を駆け跳ねる。

 自分の欲望と願望に忠実に、ひたすらに邁進する日々。

 【不思議の国の住人】の中では味わえない、人の世の温もり。

 スキンブルシャンクスとなったチェシャ猫は、もはや、チェシャ猫ではない。

 

「そう、俺は――“自由”を手に入れたのですよ、元ご主人」

「……そうか」

 

 公爵夫人の声が、吐息が、小さく、細く――冷徹に、凍える。

 

「貴様は、儂が、我らが得ることのできない自由を得たと宣うか……『ハートの女王』が居てなお、そのような痴れ言を吐くかッ!」

 

 凍てつく声は業火の言葉に変わり、公爵夫人は顔が歪むほど、憤怒の形相で彼らを睨み付ける。

 

「そうか、そうか、そうか! そういうことだな! 貴様はそれほどに望むのだな! 儂が! 悪意に――狂気に満ちることを!」

 

 咆えるように、怒りと、憎しみと、嘆きに満ちた慟哭を振りまく公爵夫人。

 諸手を広げ、彼女は(ソラ)へと叫ぶ。

 

「なればこそ望むままに! 討ち滅ぼしてみるがいい! 儂という悪を打破し、貴様らの理想を貫いて見せろ! 貴様が自由などと世迷い言をほざくのであれば、儂程度の試練、超克してみせるがいい!」

 

 宣戦布告のように、公爵夫人の慟哭が響き渡り。

 彼女は飽くなき野望と殺意に燃える、貫くような瞳を、ギラつかせる。

 

「我が名は『公爵夫人』! 狂気に歪んだ醜女の魔獣なれば!」

 

 美女は野獣へ。美声は咆哮へ。口吻(くちづけ)は裂牙へ。

 公爵夫人は、その内に秘めたる獣性を、解き放つ。

 

化粧(けわい)を剥いでやろう。醜き我が顔を覆う美を取り払ってやろう。反転した醜悪を正しき位相に戻してやろう!」

 

 醜くあることが、『公爵夫人』に定義された言の葉。

 その文言を拡大し、反転し、美醜を司る力となり得たそれは、彼女を包む鎧であり、殻であり、皮であり、仮面。

 そしてなにより――隠蓑である。

 

「刮目し、絶望し、そして“恐怖”せよ! これなるは我が狂気にして、我ら【不思議の国の住人】の真の姿である!」

 

 

 

 ――ドロリ、と。

 

 

 

 公爵夫人の顔が黒く溶ける。

 しわくちゃに歪み、肌は爛れ、肉が盛り上がる。

 手が、足が、指先から髪の毛まで、先端が蹄のような触手のような塊と化す。胴体に、腕に、足に、いくつもの巨大な口腔が穴を空け、歯牙を屹立し、緑色の涎を垂らす。

 辛うじて人の姿を保っているが、しかしのたうつそれは、まるで樹木のようであり、同時に、この世のものとは思えない怪物になり果てる。

 どのような伝説にも、伝承にも、神話にも、これほど醜い怪物は存在しないであろう。それほどに、彼女の姿は悍ましい。

 

「恐れよ、怖れよ、畏れよ! 我らは深き漆黒の森にて密やかに息づく暗黒の仔山羊――ハートの女王の落し子(Dark Young)!」

 

 多重の大口から、反響するように重なり聞こえる、未知なる慟哭。

 醜悪に歪んだ公爵夫人は、ただひとつの樹木でありながらも鬱蒼とする黒き森を象徴し、牙を剥き、阿鼻叫喚の如く咆哮する。

 

「そして我が醜悪さこそが、儂が女王より受け継ぎし権能! 狂気の三柱が一柱なりし“恐怖”である!」

 

 人が狂い落ちる三つの理。その一つが、恐怖。

 公爵夫人の姿は正しく、恐怖そのものだった。

 

「あ、あ、う、ぅぁ、ああああ、あああぁぁぁぁぁ……!」

 

 パクパクと、空気が口から漏れる。

 言葉が出ないどころか、まともに声すら出せない。

 喉の奥から、掠れた音が、壊れた機械のように競り上がるだけだ。

 全身が打ち震える。立ち上がったはずの足は、根が生えたように動かない。戦うために振り上げた腕も、石のように重い。

 心臓が弾け飛びそうだった。頭の中が真っ黒に染まり、なにも見えなくなる。なにも考えられなくなる。自分の意志という意志が放り出され、ただひとつ、恐怖のみが反響する。

 無理だ。怖い、勝てない。恐い。こわい。恐ろしい。どうしようもない。こわい。怖い。太刀打ちできない。勝ち目がない。対抗できない。こわい。立ち向かえない。立ち向かいたくない。怖い。恐い。こわい――

 

 

 

「謡」

 

 

 

 頭を揺さぶるような、声。

 カタカタと歯を震わせながら首を回す。

 そこにいたのは、スキンブルシャンクス。

 矮小な笑い猫の少年だ。

 彼は、頼りない、せせら笑うような、けれども穏やかな笑みを浮かべる。

 

「落ち着いてください。あなたには、俺がいます」

「ぅ……」

「それに、家に帰れば詠がいます。教室にはフーロ様が、生徒会室には五十鈴様がいます。そしてあなたの周りには、小鈴様が、恋様が、ユーリア様が、霜様が、実子様がいます」

 

 彼は語りかける。

 探るように、解きほぐすように。

 なごやかに、静かに、言葉を紡ぐ。

 

「醜女の魔獣と化した公爵夫人は、恐ろしい。醜い容姿だけではございません。その力も、より凄烈で、凶悪になっていることでしょう。しかしその脅威に立ち向かわなければ、あなたはすべてを喪ってしまう。あなたという、存在(キャラクター)そのものが、消えてしまう」

「私が……消える……?」

「肉体的な死ではありません。精神的な終焉。意志も、目的も、正義も、すべてを喪失したヒーローなど、死んだも同然。モブキャラと同じでございます。無色透明な、何物でもないなにか……それは、嫌でしょう?」

「……い、やだ……」

「俺も、そんなご主人は嫌でございます。それでは、手を取ってください、ご主人。今まで逃げ惑い、怖じ気づくだけだった俺が言うのも心苦しいですが……また、共に戦いましょう」

 

 手が差し出される。

 今度は、託すための手ではなく。

 狂気から逃れるために――繋がるためにある、猫の手だ。

 

「……うん!」

 

 心臓を突き破るような動悸は、徐々に鎮まっていく。

 黒く塗り潰された頭も少しずつクリアに。

 なにかが振り切れて、変わり果ててしまう前に、踏みとどまることができた。

 

「……発狂寸前で留まったか。だが、理性は苦痛を味わうだけの劇薬にしかならん。人の身で怪物に立ち向かう愚かさ知れ、小娘」

「それは違うな。怪物を倒すのは、人間の――主人公(ヒーロー)の役目だよ!」

 

 ただ一人で黒き森を体現する、暗黒の魔物、公爵夫人。

 蠢動する触腕、慟哭する大口、泡立つ表皮。

 恐怖に驚怖を重ねる狂気を以て、彼女は立ちはだかる。

 しかし、

 

(私には、姉ちゃんから託されたデッキがある。スキンブルもいる……!)

 

 叶えたい願いがある。辿り着きたい場所がある。

 挫けそうになった心は、もう、揺るがない。

 そして、

 

(私たち三人の力が、ここにはある――!)

 

 故にこそ負けはしないと。

 謡は、戦場へと足を踏み入れる――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「《天災(ディザスター) デドダム》を召喚! 山札から三枚を捲り、手札、マナ、墓地へと振り分ける」

 

 怪物と化した公爵夫人は、デッキの中身さえも変質していた。

 《悪魔妖精ベラドンナ》でマナ加速をした後に、さらに《デドダム》でリソースを拡大する。

 手札に、マナに、墓地に、樹脈を張り巡らせる。

 

「っ、私のターン! 《メイプル超もみ人》を召喚! マナを加速して、《タイク・タイソンズ》で攻撃!」

 

 姿も、戦い方も変わった公爵夫人に不気味さを感じながら、謡も、詠から託されたデッキを操る。

 《タイク・タイソンズ》が公爵夫人に突撃していくが、その時。

 

「Jチェンジ発動! マナゾーンの《ガチャダマン》とチェンジ! 《タイク・タイソンズ》の能力で1マナ加速、《ガチャダマン》の能力で、GR召喚!」

 

 マナゾーンのジョーカーズと、入れ替わる。

 《ガチャダマン》がバトルゾーンへと飛び出し、さらにその体躯が二つに割れ、中から新たにクリーチャーが飛び出す。

 

「《ゴッド・ガヨンダム》! マナドライブ発動! 手札のジョーカーズを捨てて、二枚ドローするよ! そのままシールドブレイク!」

「……ふん」

「ターンエンド!」

 

 

 

ターン3

 

公爵夫人(Dark Young)

場:《デドダム》

盾:4

マナ:5

手札:4

墓地:2

山札:24

 

 

場:《メイプル》《ガチャダマン》《ガヨンダム》

盾:5

マナ:5

手札:4

墓地:0

山札:24

 

 

 

 出だしは上々。場も、マナも、手札も、順調に揃っている。

 しかし相手は、異形の醜女、公爵夫人。

 彼女は災厄の如く、荒れ狂う。

 

「3マナで《デドダム》を召喚。そして4マナをタップ。マナから出でよ、《虹速 ザ・ヴェルデ》!」

 

 手札を切らず、マナゾーンから召喚される《ザ・ヴェルデ》。

 姿形は変われども、その苛烈さは変わらない。

 動き出した暴威は止まることなく、そのまますべてを滅ぼすべく突き進む。

 

「《ザ・ヴェルデ》はマッハファイター。《メイプル超もみ人》を攻撃――する時に」

「っ、侵略……!」

「然り。しかし、ただの侵略ではない。儂が母君から授かった、この忌まわしき恐怖の狂気……その身で味わえ」

 

 公爵夫人の墓地から、暴風が吹き荒れた。

 汚泥、黒水、邪悪を孕んだそれは、天からの災いとなる。

 

 

 

SSS(トリプルエス)級侵略[天災(ディザスター)]!」

 

 

 

 《ザ・ヴェルデ》が暴風雨に飲み込まれ、邪悪なる災いに侵蝕される。

 

「原始の世界、宇宙より舞い降りる、不死なる邪神が眷属よ来たれ」

 

 三種の恐怖が交わった時、天災の化身が、現れ。

 星が、侵略される。

 

 

 

「恐怖に満ちた狂気の三重奏を(うた)え――《SSS級天災 デッドダムド》!」

 

 

 

 侵略のその先に至った、S級侵略。

 さらにその限界すらも超えた、SSS級侵略。

 その暴威は、情けも容赦なく、謡を蹂躙する。

 

「《デッドダムド》の能力で、相手クリーチャー一体を除去する。《ゴッド・ガヨンダム》を破壊!」

「ぐ……!」

「そのまま散れ。《メイプル超もみ人》を破壊!」

 

 能力で《ゴッド・ガヨンダム》を、バトルで《メイプル超もみ人》を、轢き潰す。

 しかしそれだけでは終わらない。

 

「続けて《デドダム》で攻撃する時、まずは侵略発動! 《復讐 ブラックサイコ》!」

 

 標的を《ガチャダマン》に据え、《デドダム》が動き出す。

 天災の信奉者は復讐の権化と化し、そして――

 

 

 

「――SSS級侵略[天災]!」

 

 

 

 “バトルゾーンの”《デッドダムド》が、剥がれ落ち、新たな苗床に侵蝕し、侵略する。

 

「バトルゾーンの《デッドダムド》を《ザ・ヴェルデ》から引き剥がし、《ブラックサイコ》に重ねて侵略!」

「っ、バトルゾーンから侵略だなんて……!」

 

 異様ではあるが、しかしそれこそが、SSS級侵略の恐ろしいところだ。

 手札から、墓地から、マナゾーンから、そしてバトルゾーンから。あらゆる場所から、恐怖は這い寄る。

 天災の暴威は衰えることなく、いつまでも留まり、絶え間なく破壊を巻き起こし、すべてを滅ぼすのだ。

 

「《ガチャダマン》を破壊! さらに《ブラックサイコ》の能力で、貴様の手札を二枚破棄だ!」

「くっ、は……ぁっ……!」

 

 バトルゾーンは全滅。手札も削ぎ落とされた。

 順調だと勢いづいたのも束の間。一瞬で謡の盤面は貪られてしまった。

 

「ま……まだ、終わってない! 《ウォッシャ幾三》を召喚! 能力でGR召喚できる!」

 

 姉に託されたこのデッキ。中身は判然としないが、謡が今まで扱ってきたジョーカーズとそう大きく変わらないことはわかった。

 それならば、未知なるGRの中に、逆転の一手があってもおかしくない、が。

 

「っ……! 《パッパラ・パーリ騎士》……!」

 

 その一手が導かれるとは限らない。存在するのかもわからない。

 なにが眠っているのハッキリしない。その“未知”は、少しずつ、恐怖として謡を蝕む。

 

「墓地の《ガチャダマン》をマナに……《天体かんそ君》を召喚、山札から三枚、マナ、トップ、ボトムにセットして、ターンエンド……!」

 

 

 

ターン4

 

公爵夫人(Dark Young)

場:《ヴェルデ》《デドダム》《デッドダムド》

盾:4

マナ:6

手札:4

墓地:2

山札:20

 

 

場:《幾三》《天体かんそ君》《パッパラ》

盾:5

マナ:8

手札:0

墓地:4

山札:21

 

 

 

「儂のターン。2マナで《悪魔妖精ベラドンナ》を召喚、破壊してマナ加速。さらに4マナタップ。《ベラドンナ》を進化元に、墓地進化《不死 デッド55》! 登場時、山札から二枚を墓地へ!」

 

 命を捧げた《ベラドンナ》が、新たな命を紡ぎ、そして屍が死者への糧となる。

 《ベラドンナ》の遺骸を取り込み、醜悪な殺意が向けられた。

 

「さぁ、殺すか」

 

 触腕は謡を嘲るように蠢動し、爛れた黒い皮膚は怒るように脈動する。

 醜く口角を釣り上げる。全身の至る所から真っ黒な歯牙を剥き、恐怖という名の狂気に満ちた眼光を放つ。

 

「《デドダム》で攻撃! SSS級侵略[天災]! 手札、マナゾーン、バトルゾーンから侵略――《SSS級天災 デッドダムド》!」

 

 天高くから、地の底から、あるいはすぐそこから――あらゆる場所から、それは這い寄り、侵略する。

 

「消えろ。有象無象の塵芥共」

 

 三重に侵略した《デッドダムド》によって、謡のクリーチャーがすべて、一瞬で消滅する。

 原型も残らぬほど身体を砕かれ、頭を潰され、存在が無に帰す。

 そして、その災禍は、そのまま謡へと向けられた。

 

「Wブレイク」

「っ! う、ぁ……!」

 

 痛い。砕かれた盾が、掠めた侵略者の猛撃が。

 だが、それ以上に、怖い。

 異形の怪物が。向けられた殺意が。彼女の――覇道が。

 理解の及ばないほどの熾烈な意志に、その強靭さに、恐れを感じる。

 身が竦み、痛みを忘れそうなほどの、恐怖。

 全身を蝕むそれに、気が狂いそうだった。

 このまま、負けてしまったら――

 一瞬、そんな思索が巡るが、頭が真っ白になって、なにも考えられない。

 

「《デッド55》で攻撃! さらに墓地から、S級侵略[不死]!」

 

 追撃の魔手が伸びる。

 黒煙を吐き出し駆動する機体は、朽ち、爛れ、腐り落ちていく。

 しかしその身は錆びることも、劣化することもない。腐食した鋼鉄の身体は紫炎を散らして、醜悪に歪んだ姿を晒しながらも、地獄の底より這い上がる。

 公爵夫人の全身が、嘲弄するように叫喚し、憤怒するように躍動する。

 ただ一人、黒い森が、仔山羊のように暴れるかの如く。

 

 

 

「我が狂気は振り払えん。尽きることなく恐怖は蘇る――《S級不死 デッドゾーン》!」

 

 

 

 禍々しい瘴気を放つ暴走車。

 制御を喪ったかのようにそれは、己が身が砕け、歪み、朽ちることも厭わず、爆進する。

 

「Tブレイク!」

「…………」

 

 言葉が出て来ない。

 また身体が震えてしまい、思考も止まった。

 まだ逆転ができるとか、勝機があるとか、そういうことではない。

 目の前の存在が、ただただ、怖い。

 怪物に成り果ててでも、力を求める執念。

 どれだけ醜くなろうとも、悍ましい姿を晒そうとも、曲がることのない意志。

 狂気的とさえ言える妄執。人のそれを超えたなにか。

 幾度立ち上がろうと、心を繋ごうとも、そのたびに正気を破壊する狂気の波動。

 逃れたと思っても、それは、いつだって傍にある。きっかけひとつで、胸の底から無限に湧き続ける。

 恐れは狂気。人を狂わす恐怖。それを司る、公爵夫人。

 理解が及ばない。彼女の黒金の意志に比べて、自分の存在がどれだけ矮小か、思い知らされる。

 格の違い。あるいは、次元が違う。

 そんな圧倒的な威風の前に、絶望し、恐怖し――狂いそうになる。

 その時。

 ギュッと、あたたかいものが、手を握った。

 

「怖いですよね、俺の元主人」

「す……きん、ぶる……」

「恥じることはありません。何度挫けそうになっても、それは自然なこと。あれはそれほどに、恐ろしい。そしてそういうものです」

 

 いつの間にか、彼がいた。

 獣の姿ではない。見慣れない、人の姿をした、彼が。

 

「俺も怖いと思います。いやはや、本当にあの姿のご主人は、おっかない。仔山羊などと言ってますが、そんな可愛いものではございません。醜悪で、不細工で、強欲で、罪深い。救いようがない醜女です」

 

 やれやれ、と言わんばかりに肩を竦める彼は、しかし、ほんの少し震えていた。

 それでもぬくもりのある手で、力強く手を握り続ける。

 

「それでも、俺が元ご主人について認めざるを得ない点があるとすれば、帽子屋をも凌駕する強烈な意志でしょう。よもや俺を手にするために、ここまでするとは思いませんでした。そのせいで、あなたに怖い思いをさせてしまったことは、謝罪するべきですね。こんな醜悪な怪物、可憐で平凡な少女に見せるものではございません」

「可憐で平凡って……私は……」

「えぇ、そうです。平凡、それはあなたが嫌うものでしたね。それにあなたは可憐でもありませんし。では可憐で平凡な少女、我々が知るそれは、はて、誰でしたか」

「っ!」

 

 気付かされるように、思い出す。

 自分の原点。自分が憧れ、目指したもの。

 自分にとって、大切なものは、なにか。

 

「恐れながら進言しましょう。あなたが、彼女のように――いいえ、あなただけの主人公になるのならば、ここが分岐点です。ポイントを切り替え逃げますか? それとも、このまま前進致しますか? 車掌はオレです。お客様の希望に沿って、進路を決めようではありませんか」

 

 夜汽車の車掌、鉄道猫は不敵に笑う。

 選択を、決断を、迫られる。

 真っ暗闇に覆われた黒い空の世界。暗夜の中、如何なる道を進むのか。

 答えは――決まった。

 

「……やだ」

「…………」

「逃げるのは……嫌だ!」

 

 ここで逃げるわけにも、朽ち果てるわけにも、いかない。

 お伽話のような、一人の女の子の物語。それに夢想した自分。憧憬を抱いた、ちっぽけな私。

 それは護らなくてはいけない。自分が憧れた女の子も、自分自身が願った夢も。

 主人公(ヒーロー)に、なるために。

 

「その答えが聞きとうございました。それではここで討ち滅ぼしてしまいましょう。私のご主人(マスター)

「うん!」

 

 恐怖は霧散した。

 彼女と、自分の夢を守らなければいけない意志。そして、その夢想に添い遂げてくれる、相棒。

 彼から伝わる震えも消えていた。これでなにも迷うことなく、狂気に侵されることもなく、前に進むことができる。

 

「なにやらくだらん戯言を弄していたようだが、遺言は終わったか?」

「いいや、終わってない! こんなところで、終わるもんか!」

 

 《デッドゾーン》に粉砕された三枚のシールド。

 一枚は手札に。しかし残り二枚は、輝きを放つ。

 

「S・トリガー! 《松苔ラックス》! 《りんご娘はさんにんっ娘》!」

 

 その輝きはクリーチャーの姿を形作り、バトルゾーンに顕現する。

 

「呪文の効果で、《スゴ腕プロジューサー》をバトルゾーンに! そして、能力でGR召喚! 出るのは《バイナラシャッター》! マナドライブで、コスト7以下のクリーチャーを山札の下に押し戻す! 《ザ・ヴェルデ》を山札の一番下へ!」

「ぬ……!」

「それだけじゃないよ! 《松苔ラックス》の能力で、《デドダム》を拘束! これで、もう攻撃はできない!」

 

 除去、そして拘束によってクリーチャーの動きを止める。

 攻撃すらできないのであれば、《デッドダムド》が侵略することもできない。

 公爵夫人の攻撃は、たった一瞬だけ、しかし確実に、停止した。 

 

「まだ抗うか……!」

「当然! 私は決めたんだ! 私は……私のなりたい私になる! 私の抱いた理想を守れるような、ヒーローに!」

「儂の醜き姿を見ても尚、そのような虚言を吐くか。貴様は無知蒙昧なだけだ。そこな黒猫も、儂と同じだ!」

「同じじゃない! スキンブルとあなたは、全然違うよ!」

「否!」

 

 力強く、確固たる意志を持って、公爵夫人は否定する。

 それが絶対的な理であるかのように、それだけは、覆りようのない事実であると言うかのように。

 

「再三告げよう。貴様は無知なだけだ。儂も、チェシャ猫も、同じものであるということを、知らないだけだ」

「……どういうこと?」

「儂がなぜ、そこな黒猫を追うか。考えたことがなかったか?」

「…………」

「意志薄弱なる獣を得ることに、如何なる意義があるか。塵や霞を喰らいて得る力はない。それが、本当に塵芥であるのならばな」

 

 逆に言えば、それが価値あるものならば、公爵夫人は喰らう。

 それが自身の血肉となり、力を得るものならば。

 

「儂が信じるのは、自分自身だけだ。我が力のみが至高であり、絶対だ。我が手に力なくて、望みは果たされぬ。それ以外の有象無象など、利用こそすれども、我が身に宿す価値などない」

 

 しかし公爵夫人は、チェシャ猫を、スキンブルシャンクスを、手に入れようと躍起になっている。

 臆病で、強がりで、卑しく、矮小な、ただの黒猫を、渇望している。

 自分自身への盲信。外界への不信。矛盾する動向。

 

「儂は、儂以外の力なぞ認めん。我が身を繋ぐものに、儂以外が混在することなど許さん。母君……ハートの女王であろうとだ。だがしかし、それが“儂のもの”であるのなら、儂自身であるのなら、儂はその力を認めよう。受容しよう。否、その力を、喰らわねばならぬ。他でもない、儂自身の力のために」

「……それって」

「あぁそうだ」

 

 けれどその矛盾が、本当に、矛盾ではないのだとすれば。

 それは――

 

 

 

「チェシャ猫は――儂自身だ」

 

 

 

「……スキンブルが、あなた……?」

「厳密には、儂の力の一部を切り分けた存在。「醜くある」儂の力の逆位相は「美しくなる」。そしてその言葉の裏に潜む意味の欠片は、“自分自身の消失”――「姿を消す」」

「姿を消す……それって……」

「然り。そこな猫の力は、元々は儂の力。言葉の意味に内包された裏の性質。その具現だ」

 

 自身の姿を消し、隠密するチェシャ猫。

 それは本来、彼自身のものではなく、公爵夫人の個性()から分離した、一欠片に過ぎない。

 だからこそ、彼は貧弱だが。

 だからこそ、公爵夫人は、貧弱な彼を求める。

 それは、他ならぬ自分自身なのだから。

 完全なる自分自身を取り戻す。そんな、単純な願望だ。

 

「なんで……そんな、ことを……? そんなことが、できるの……?」

「初めは、ただの空想だ。思いつきだ。母君を殺す手段を模索していた中、理屈も論理も思案せずに打った愚かな一手だ。意義を熟考せずに試行したら、偶然か必然か、分離できてしまった。一時の試みは成功に終わった。それだけだ」

「それなら……!」

「だが真実は失敗だ。自我を得たまではともかく、儂の下を離れ、人間につくなど言語道断。ましてや、それを自由などと宣うなど、あまりに欠陥が過ぎる。なればこそ、儂はそれを回収せねばなるまい。貴様は儂なのだから。儂の責務を以てして、貴様を儂に再統合し、儂はハートの女王を殺す力を得る!」

 

 再び、公爵夫人の大口が牙を剥く。

 無数の触腕は蠢き、根のような蹄は大地を震わせ、醜悪な狂気と恐怖を振り撒く。

 

「故に再三勧告する。邪魔をするな、と――」

 

 

 

「ふざけんな!」

 

 

 

 謡は、叫ぶ。

 恐怖を打ち払うほどの怒りでもって、醜き公爵夫人を睨み付けた。

 

「勝手に生み出して、失敗だとかなんとか言って、自分の都合で無理やり戻れって……何様のつもりだ!」

「謡……」

「昔がどうだとか、そんなこと知ったこっちゃない! 今のスキンブルはスキンブルだ! あなたじゃない! 責任とかなんとか、よくわかんないけど、そんな自分のエゴで、スキンブルを……私の相棒を、その自由を、奪わせはしない!」

 

 ただひたすらに怒りを、願いを喚く謡。

 公爵夫人は触腕を振るわせ、無数の大口を噛み締める。

 

「自由、か……あまりほざくなよ、小娘」

 

 ギロリと、公爵夫人も睨み返す。

 

「それは我々から最も縁遠い言葉だ。故にこそ我らはそれを渇望する。女王に縛られ、行き場を堰き止められた我らが世界の進展を願う。他の連中は諦めているようだが、儂は奴の存在という束縛が、我慢ならない。それだけだ」

「なら……!」

「だが! 貴様らのぬるい和平などに応じるつもりはない。我らは所詮、邪神の塵より産み落とされた獣! 人を、命を、世界を! 総て貪り、喰らい尽くす他、道はない!」

 

 全身の大口が、絶叫する。悲しげな、哀しみに満ちた慟哭を響かせる。

 その存在すら明確に定義されず、曖昧模糊なまま、世界に生まれた者たち――【不思議の国の住人】。

 痛みに耐えながら隠遁する者がいた。諦念に駆られ惰性で生き延びる者がいた。

 底抜けに明るく笑う者がいた。自分の欲望にひたすら忠実な者がいた。

 どれが彼らの総体としての姿というわけでもないのだろうが、しかし、彼らがどん詰まりの中にいるということだけはわかる。

 情が湧くと言えば、その通り。いくら朗らかに笑おうとも、この世界に彼らの居場所はないのだから。

 そして、その先にある未来も――

 

「……でも」

 

 その憐憫は、違うのだ。

 憐れんでしまう気持ちはある。だが、だからといって、すべてを差し出すなど――大切なものを奪われることを許すなど、認められなかった。

 

「だって、スキンブルは、私の――私たちの、仲間だから!」

 

 胸の痛みを堪え、謡はカードに手を掛ける。

 白く輝く、未来への希望に溢れた場所に。

 

「ターン終了時、《スゴ腕プロジューサー》の能力発動! 自身をマナゾーンに送り、バトルゾーンを離れたことで能力発動!」

「謡……お願いします」

「うん、任せて!」

 

 獣と呼ぶには、彼女はあまりにも悍ましい。

 けれど獣なら、こちらにもいる。

 臆病で、軟派者で、格好付けてばかりだけれど、まっすぐな彼が。

 

「この先続くは獣道。夜行は危険。しかして鋼の体躯を阻むものなし」

 

 快適ならずとも、その旅は、勝利を約束する。

 さぁ、今、汽笛が鳴る――

 

 

 

「出発進行――《鋼特Q(メタルトッキュー) ダンガスティック(ビースト)》!」

 

 

 

 疾風の駆動、超特急の英雄は今、獣と化した。

 魔獣の慟哭を打ち消すように、野獣の咆哮が轟く。

 

「私のターン!」

 

 蒼き装甲に、輝く紅の稲妻。

 黒き森を薙ぎ払い、駆け抜ける、獣の姿が、そこにはあった。

 懐かしくも新しい、()から託された、切り札。

 しかし、

 

(打点はある……だけど、あと一手。あともう一手が足りない……!)

 

 謡の場にいるクリーチャーは三体、公爵夫人のシールドは四枚。

 生き延びたものの、反撃するには、打点が足りていない。

 

「……引いた! 来て! 《ジョット・ガン・ジョラゴン》!」

 

 道化師の龍。

 無数の銃口を向け、仲間を助けに、それは戦場に降り立った。

 スピードアタッカーにしてWブレイカー。

 これで、打点は足りた。

 

(S・トリガーがなければ、だけど……でも、今はもう、進むしかない!)

 

 尻込みする理由などない。

 恐怖を振り払い、狂気を打ち払い、夜行列車はひたすら目的地に向けて邁進する。

 

「《ジョット・ガン・ジョラゴン》で攻撃! その時、能力発動! カードを一枚ドロー――」

 

 と、カードを引いた、その瞬間。

 

「――え?」

 

 謡は一瞬、呆けた顔をしてしまう。

 予想していなかった。あまりにも唐突に現れたそれに、頭がついてこなかった。

 

(……あぁ、そっか)

 

 しかし、すぐに理解できた。

 いや、心が、安らいだ。

 安心し、そして、根拠もなく勝利を確信できた。

 

「君は……戻ってきて、くれたんだね」

「俺は、詠から託されたデッキ、と言ったはずですよ」

「そうだったね。うん、これなら、勝てる」

 

 ピンッ、と謡はそのカードを弾き、跳ね上げた。

 

「線路を敷こう。私たちの勝利に終着するための、とびきりの道を」

 

 そして、弾かれたカードは銃弾として、《ジョラゴン》の中へと吸い込まれ、装填される。

 

再現銃弾(ジョーカーズ・バレット)装填(ロード)標準捕捉(ターゲットロック)――射出準備(ガンナーシークエンス)全完了(フルコンプリート)

 

 ガコン、と音が鳴り響く。

 

「ジョラゴン・ビッグ1、起動。発射――」

 

 醜き魔獣に銃口を向け、《ジョラゴン》は、引き金を引く。

 そして、放たれた弾丸(ダンガン)は――

 

 

 

「――《超特Q ダンガンオー》!」

 

 

 

「それは……!」

 

 いつしか謡が封印した、彼女の切り札。

 それが今、ここで――舞い戻ってきたのだ。

 

「これが、私のすべてだ!」

 

 自身の原初にして最大の切り札。その力を込めた弾丸が、放たれた。

 超特急のスピードで突き進み、仲間の力を得て強大な力となり、その弾丸は、公爵夫人へと一直線に向かっていく。

 

 

 

「ダンガン・インパクト――ッ!」

 

 

 

 幾重にも重なる盾。しかし何枚重なろうとも、その強靭な弾丸の前には無意味だ。

 仲間達の力を受けた巨大な弾丸は、たった一発で、公爵夫人のシールドをすべて粉砕する。

 たった一度、引き金を引くだけ。たった一発、銃弾を放つだけ。

 それだけで、目的地は目前だ。

 

「あまり、儂を、見くびるなよ……小娘ッ!」

 

 だが、黒き森は深い。森と共に在り、森自身である魔獣は抗う。

 夜行列車の進行など許さない。終着駅に着く前に、魔獣は、鋼の体躯を破壊せんと、牙を剥く。

 

「スーパー・S・トリガー! 《撃髄医 スパイナー》!」

「!」

「塵芥共が、死滅せよ! そこな雑魚共のパワーをマイナス3000!」

 

 バチバチバチ! と激しい電撃が弾け、黒煙を吹く。

 前のターン、S・トリガーから呼び出された謡のクリーチャーたちは、まとめて雷電の餌食となる。

 

「さらに墓地からコスト4以下のクリーチャーを蘇生! 雑魚が集まろうと、強きものには敵うものか! 我々が束になっても、ハートの女王が殺せんようにな……!」

 

 身体に穴を開ける大口たち。それは、あるものは歯牙を噛み締め、あるものは慟哭し、狂乱したかのように、絶叫と苦悶が混じり合い、渦巻いていた。

 

「なればこそ、自分自身に、儂自身に、女王を殺す力が必要だ! 儂自らに、絶対的な力が!」

「あぁもう! さっきから、女王とかなんとか、意味わかんないよ! あなたたちには、帽子屋さんっていうリーダーがいるんじゃないの!?」

「……帽子屋はもうダメだ。あれは、狂い過ぎた。狂気の三柱が一柱であれども、奴は壊れて初めて、その狂気を体現した者だ。狂気に晒され続け、帽子屋という存在は、奴の精神は、もはや擦り切れている。我らはそんな狂気という蜘蛛の糸で繋がっているに過ぎん」

 

 黒い塊が溶け落ち、膨張したような醜い顔だが、どこか物憂げに、公爵夫人は言う。

 しかし直後、彼女はまた、憤怒と哀愁が入り混じる混沌の眼光で、謡を睨み付ける。

 

「【不思議の国の住人】など、そのような総体などもはや儂には関係ない! どいつもこいつも、甘く、ぬるく、狂い、壊れている! 誰も女王に反逆しないのであれば、儂が奴を殺すしかあるまい! だからこそ、チェシャ猫を――儂の(モノ)を、返せ!」

「断る!」

 

 鉤爪のような触腕を伸ばす公爵夫人。しかし謡は、それを拒絶する。

 

「一人が強くなればいいとか、違う。そうじゃない! それは、間違ってる!」

「なに……?」

「私は一人で戦ってたよ……本当は一人じゃなかったけど、スキンブルや姉ちゃんがいたけど、それでも『チェシャ猫レディ』は一人だけだった。私の中にあるだけの孤独なヒーローだ」

 

 空想を具現化した自分。チェシャ猫の「姿を消す」個性()を曲解し産まれた、架空英雄。

 誰かに求められたわけではない、自分が求め、自分で想像し、創造した存在。

 その力は何者でもない少女にはあまりにも魅力的で、刺激的で、酔いしれていた。

 

「その幻想は打ち砕かれた。壊れちゃったよ。でもね、それでも、小鈴ちゃんたちと一緒にいて、わかったよ」

 

 自分が望んだヒーローでなくなった、また何者かもわからなくなった自分が、彼女と――最初に自分が夢見た、物語の主人公と共に在ることで、得たものがあった。

 

「自分一人で勝手背負って、孤高のヒーロー面してるようじゃ、いつまでたっても強くなんてなれない! 少なくとも、あの子はそうだった!」

 

 一人じゃなにもできない。誰かがいなければ、誰かのためでなければ、動き出すことさえできない。

 優しいけれど、甘すぎる彼女。けれど、それが、彼女の強さの根源でもあった。

 一人ではなく、みんなを、すべてを包み込むからこそ、彼女は強いのだと。

 謡は、知ったのだ。

 すべてを守りたいと願い、すべてを繋ぎ止める彼女。

 そこに、犠牲も、貪食も、あるはずがない。

 

「私は小鈴ちゃんの意志を汲むよ。私も、あの子が、あの子の取り巻く物語が好きだ。それを守りたいって思う。それは、あなただって同じじゃないの?」

「なに……?」

「女王を殺すとか、わけわかんないけど……それって結局、あなたの仲間を、【不思議の国の住人】を守りたいからじゃないの?」

「……なにを、馬鹿なことを……あんなものは、忌々しくも儂の同族というだけ、有象無象の弱者の集いだ。儂が唾棄すべきものだ!小娘風情が、知った口を利くな!」

「確かにわっかんないけどさ! でも、あなたもきっと同じだよ! そこはもう、私が通って失敗した道だから」

 

 刹那、黒煙が揺らめく。

 

「そしてその先は――私が、乗り越える道だ!」

「っ!?」

 

 その中から、列車のように、弾丸のように、一直線に進む影。

 

 

 

「行って――《ダンガスティックB》!」

 

 

 

 鋼の獣が、終着点へ向けて、疾駆する。

 

「此奴、まだ生きているのか……!?」

「ヒーローはそう簡単にやられたりしないんだよ! 仲間がいる限りね!」

 

 謡の場とマナには、合計八体以上のジョーカーズが存在している。

 よって《ダンガスティックB》のパワーはプラス6000され、パワー8000。

 《スパイナー》の電撃一撃程度では、倒れ伏しはしない。

 

「さぁ、終わらせようか。スキンブル!」

「……えぇ。お願いします、謡」

 

 鋼の獣は、両肩の二つの砲門を開く。

 黒き森のすべてに響き渡るほどの雄叫びを上げ、紅き砲撃が――放たれる。

 

 

 

「《鋼特Q ダンガスティックB》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――よもや儂が、小娘風情に後れを取るとはな」

 

 仰向けに倒れ伏した公爵夫人は、空虚に呟く。

 肌は黒く爛れたままだが、膨張した肉塊は普通の人間大きさまで収縮し、枝のように長くうねる触手も引っ込み、全身の大口はすべて閉口している。

 それは魔獣ではなく、もはや、美という美が欠落した、ただの醜女であった。

 スキンブルシャンクスは彼女の下へと歩み寄ると、ぽつりと、言葉を零す。

 

「……申し訳ございません、元ご主人。俺があなたであるように、俺もまたあなた自身。あなたの嘆きも、怒りも、痛いほどわかるのです。ですが……」

「皆まで言うな。喧しい」

 

 公爵夫人はスキンブルを睨み付ける。

 倒れたままだというのに、力強い瞳だ。

 

「貴様は儂だ。儂の一部だったものだ。それが、弱者のような振る舞いを見せるな。貴様が儂の一部である限り、弱者であることは許さんぞ」

「それはもう、当然でございます。俺には新たなご主人が――相棒がいますので。俺自身の弱さは、既に克服しているのでございます」

「……ふんっ、弱者の論理だな。だが、それに敗北を喫した儂もまた、弱者、か」

 

 公爵夫人はスキンブルから自然を外し、遠くの(ソラ)を見つめる。

 

「このような為体(ていたらく)では、女王を殺すなど、泡沫の夢、か」

「……ご主人(マスター)

「憐憫を向けるな。貴様らのそういうぬるいところが、堪らなく癪に障る。二度とそのような眼で儂を見るな、鉄道猫」

 

 顔をしかめる公爵夫人。

 スキンブルは、笑って応えた。その笑顔に、また公爵夫人の眼光が鋭くなる。

 

「……まあいい。そもそも、儂の敗北など、大勢からすれば些事だ。確かに儂は敗北を喫したが、此度の闘争は儂の力が及ばなかったまで。ただの、儂の個人的な敗北でしかない」

「どういうこと?」

「貴様が儂を打ち倒したとして、もう遅い。コーカス・レースは止まらない」

「コーカス・レース……って?」

「イカレ帽子屋の提唱した、くだらん催しだ」

 

 公爵夫人はつまらなさそうに吐き捨てる。

 

「堂々巡りで行き詰まった我らが、太陽を手にし救済を得る……そんな妄想を具現しようとは、儂も呆れる他ないが、その価値は認めよう。聖獣の力は未知数、しかし神話に近しき力は喰らう価値がある」

 

 そのように言って、公爵夫人は自ら口を噤む。

 

「ん……神話とは……いや、妄言か。儂も帽子屋のことは言えんな、遂に狂い堕ちて来たか」

「それより、聖獣って確か、あの鳥さんとかっていう……」

「俺は小鈴様がクリーチャーと孤軍奮闘している様を見ましたが、それはあなた方の差し金なのですか?」

「どうであろうな。儂はただの哨戒だ。つまらんことに、ヤングオイスターズ共のせいで情報が規制されているのだ。帽子屋の奴は、孵化した海亀の卵を使う、などと言っていたが……」

「海亀の卵……? シロちゃんのこと……?」

「もはや儂から語ることなど、なにもない。それほど事の顛末を知りたいと渇望するのなら、不思議の国へ行け。時計を持った白兎の導きなどないが、気違い兎が出迎えるであろうよ」

 

 公爵夫人の言葉に、謡とスキンブルは、顔を見合わせる。

 

「……わかったよ。スキンブル、先に行って。君の方が速いでしょ」

「獣と化せば、そうでしょうね。しかし俺一人では、なんの力にもなりませんよ」

「そんなことないよ。それに、少しは男の子らしいところを見せなよ」

「ふぅ……仕方ありませんね。あなたは一人で大丈夫ですか? 謡」

「私は大丈夫。それより早く。あの子の――小鈴ちゃんの、傍にいてあげて。あの子を、一人にしないで」

「……承りました。ご主人(マスター)

 

 その言葉を最後に、スキンブルの姿は消えていた。

 謡もまた、倒れ伏した公爵夫人の脇を通り抜け、駆け出す。

 二人の姿が見えなくなってから、公爵夫人は虚空に呟く。

 

「……愚かな。愚鈍で壊れているとはいえ、帽子屋の狂気は儂より巨大で、三月ウサギより根深い。恐怖も淫蕩も飲み込む虚無を、果たして奴らが止められるものか」

 

 その言の葉は、広大な(ソラ)へと、虚しく消えていく――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「人を……た、食べ、た……? あ、あた、アタシ、が……?」

「明確なのはあんたよね。まあ別にあんたに限った話でもないけれど」

 

 三月ウサギは、蕩けるような微笑みを浮かべる。

 

「そもそも僕たちは人間じゃない。お母様がこの星に産み落とした落し子よ。お母様は見たことある? なら話は早いわ。“アレ”、どう思った?」

「……こわい、と、言い、ますか……その……」

「まあそうよね。僕もお母様の威光を言葉にするのは難しいもの。醜悪なのに美しくて、恐ろしいのに神々しくて……ああいうのを、邪神、っていうのでしょうね。それはそれで、僕は素敵だと思うけれど」

「…………」

「パンチョウの奴が言うには、お母様は「その星の環境に染まる」性質があるらしいのよ。環境適応ってことね。そしてそれは、お母様の子供、子孫である僕たちも同じ。僕たちを形作る個性()は、そういうことなのよ」

 

 周囲の環境に適応するため。より単純に言い換えれば“生き残るため”に、獲得した性質。

 人の世に適応した結果、人ならざる力を得たというのは、なんとも皮肉な話だが。

 

「たとえば、そうねぇ……公爵夫人様の個性()。あれは、美醜の相克、偽装変化。お化粧は仮面、美を纏うことで、本性を偽装する……そう、本性。いい響きよね。内に秘めたる獣性。そういうのも素敵で、昂ぶっちゃいそう」

 

 ぶるりと、二人とも、身体を震わせる。ただし、畏怖で震えた代用ウミガメと、高揚で震えた三月ウサギ、という違いはあるが。

 

「僕たちが人に偽装できるのは、ひとえに公爵夫人様のお陰なのよね。あの人が僕たちに、偽りの殻を与えてくれた。醜悪な怪物の姿ではない、人の世で生きていける化粧を授けてくれたのよ。そういう意味で、僕はあの人には感謝しているわ。変な猫を追っかけてて、趣味は悪いと思うけど」

「で、でも、アタシは……最初から……みんなも……こ、この、姿で……」

「僕たちに意識が芽生えたのがいつかなんてわからない。僕たちは、存在を秘匿しているからこそ、誰からも定義されない存在なのだから。いつからどんな姿で、いつから自我があったかなんて、誰にも分からないのよ」

「…………」

「まあつまり、なにが言いたいかってね。結局のところあんたも、僕たちも、同じなのよ」

 

 三月ウサギは淫蕩の眼差しで、ジィッと、代用ウミガメを見つめる。

 吸い込まれそうなほど深く、引き込まれそうなほど暗く。

 

「僕たちは、お母様の子。ただ人に化けているだけで、人を狂気という混沌に陥れる怪物――人を喰らう化生よ」

 

 その言葉に、偽りはないのだろう。

 ただ、真実を語っているだけなのだろう。

 しかしその現実は、理想を打ち砕くほどに、重く、深く、代用ウミガメにのし掛かる。

 

「ぅ……ぁ……」

「まあ、怪物としての僕たちなんて、公爵夫人様が辛うじて自覚できてるくらいで、僕たちはその在り方を魂から忘れているのだけれど。人の姿になる前のことなんて覚えてないわ」

 

 だけど、と三月ウサギは続ける。

 

「あんたは、辺鄙な島に隔離されていたみたいだから、同調が遅かったのかしらね。化物としての在り方があった。それは確かよ」

「あ、アタシ、が……」

「そして化物だから、人を喰った。あぁ、()的な意味じゃないわよ? 真の意味で、喰いものにしてたらしいわ。人間をね」

 

 なにかが歪むような、溶け堕ちるような、感覚。

 代用ウミガメの中に、なにか、不快なものが渦巻いている。

 どうにかしたい。消し去りたい。けれども拭えない。そんな、汚濁のようなものが、付き纏う。

 

「わかる? あんたは根っからの人喰らい(マンイーター)。人間とは相容れない、怪物よ」

 

 三月ウサギは楽しげに言の葉を紡ぐ。

 その言葉が、次々と、代用ウミガメにどす黒いものを浴びせかけていく。

 

「ある意味では、バンダースナッチやジャバウォックよりも明確なモンスターかもね。今はなんか、当然のように人の姿を取り繕ってるけど、あんたは明確に、人間にとっての害悪という記録がある。絶対に言い訳できない、逃れられない、事実があるの」

「…………」

 

 なにも言えなかった。

 言葉を発することもできない。

 人に寄り添うことを願っても、本当の自分は、人を害する怪物。

 それは、とても、受け入れられなかった。

 けれどもその事実は否定できない。きっとそれは、偽りではないのだから。

 真実を覆すことはできない。真実は、理想を、真っ黒に塗り潰してしまう。

 

「さ、自分の立場ってものを理解したら、もう少し励みなさい。ほら、お客様がお見えよ」

 

 三月ウサギが立ち上がる。

 その時、キィ、と扉が開く音が聞こえた。

 

「僕たちが乗り越えるべき敵。文明ごと、その繁栄を貪るべき命」

 

 そして、その先に立つ、一人の少女。

 人類という概念を一身に背負う小さき者。

 宿敵でもなく、害敵でもなく、【不思議の国の住人】が乗り越えるべき、象徴。

 

 

 

「――人間(マジカル・ベル)が、来たわ」




 ハウクスバイクから、デッドダムドになった公爵夫人様。ダムドというか墓地ソですけど。構築済みをちょっと弄った程度。ハウクスによる運ゲー不条理押しつけも好きだったのですが、フレーバー的にはデッドダムドのしぶとい攻めも悪くないですね。原始、宇宙、不死の三つの要素が重なったとなれば、これ以上ないほどピッタリ嵌まる。
 一方で謡もやっと《ダンガンオー》が戻ってきました。本当は《ダンガスティックB》は出さずに別の方法で生かすつもりでしたが、まあ、これはこれで。《ダンガンオー》はなんやかんやGRと相性がいいので、わりと使いやすいカードプールになっているのではないでしょうか。
 というわけで今回はここまで。次回は遂に、コーカス・レースも終盤、後篇です。
 誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。


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43話「太陽を求めて -後篇・夕影-」

 後篇です。今回は……その、なんです。
 性的な表現というか、直接的なものはないんですけど、言動の節々からそういうのを想像するような表現とか台詞回しを多用しているので、苦手な人はお気を付けて。
 そういうわけで、コーカス・レースも終盤です。どうぞご覧くださいな。


「――だぁー! あのネズミ小僧! 逃げ足だけは達者だなぁ!」

 

 実子は眠りネズミを追いかけるあまり、学校の方まで来てしまった。

 相手は小学生とはいえ、フットワークは非常に軽い。加えて、人通りも多少はある町の中でローラースケート。

 姿を見失わないようにするだけで精一杯だ。

 息が切れ、そろそろ追いかけるのも辛くなってきたところで、眠りネズミは狭い路地へと入る。

 実子もその後を追おうと、路地に入ろうとするが、そこで背後から声を掛けられた。

 

「実子! ちょうどいいところに!」

 

 思わず、反射的に振り返る。

 中性的な、少女のような少年が、息を切らせながら、そこにいた。

 

「水早君? 悪いけど今、取り込み中で……」

「小鈴が危ない! すぐに向かうぞ!」

「いやでも、私の財布と携帯……」

「いいから行くぞ! 手遅れになるかもしれない!」

「…………」

 

 実子は億劫そうに顔をしかめるが、諦めたように溜息を吐く。

 

「……わかったわかった。なにがあったの?」

「先輩から連絡……あぁ、携帯がないのか。まあとにかく、早く小鈴の下へ行こう。今回は、いつも以上に手が込んでる――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……んだよ、もう終いかよ」

 

 逃げた先の建物の屋上から、踵を返してどこかへと走り去る実子と霜を見つめる眠りネズミ。

 彼は不服そうに溜息を漏らした。

 

「つっまんねー。なにもかもつまんねー。どっか行ったぜ楽しむ可能性。こりゃいよいよどうにもならんぜ」

 

 ――例によって眠りネズミも陽動の役割を命じられていたわけで、実子の目を引きつけることが目的だったが、その目論見が看破された以上、もはや彼女も眠りネズミの逃走劇に付き合いはしないだろう。

 逆に今から眠りネズミが追いかけるという手もあったが、そこまでする気にはなれなかった。

 元々乗り気ではなかった。帽子屋への恩義があるから仕方なくやっていたくらいで、彼にとってはコーカス・レースなどというものは、どうでもいいのだ。

 

「カメ子も駆り出されちまったしなー。あーあ、遊びてーぜ」

 

 眠りネズミは完全にやる気を失い、踵を返す。

 中途半端とはいえ、陽動という役割はそれなりに果たした。もういいだろうと、勝手に判断する。

 これ以上付き合うのも馬鹿馬鹿しいと、彼は与えられた役目を放棄した。

 

「……カメ子、早く戻って来いってーの」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「いやー……はっはっは。ボコボコにやられちゃったねぇ」

 

 ゆっくりと身体を起こして、朧は笑う。

 その声はどこか乾いているが、しかし同時に、無機質で、愉快そうで、悲哀を感じさせる。

 

「そもそもオレら、こういうの向いてないしね。ま、仕方ないさ」

 

 パンパンと服に付いた砂を払い落としながら、彼は妹の下へと歩み寄る。

 そして、手を差し伸べた。

 

「だからさ、そんな泣かないでよ、狭霧ちゃん。君もオレも正しく一心同体。君が悲しいと、オレも悲しくなっちゃうじゃないか」

「別に……泣いてないし。でも、お兄ちゃんこそ、なんでそんなヘラヘラしてんの」

「勝利が目的じゃないからね。ま、ちょっと危うい気もするけど、時間は稼げたんじゃない? 役割は果たしたし、これで十分さ」

「……うち、お兄ちゃんのことは尊敬してるし好きだけど、そういうところは嫌い」

「オレは狭霧ちゃんの自由なところが好きだよ。まあ、同時に嫌いだけどね」

「矛盾してない?」

「自分なんてそんなもんさ」

 

 なんでもないことのように流す朧。

 彼は、狭霧に指しだした手が払い除けられると、残念そうに手を引っ込め、視線を泳がせる。

 遠くを、あるいは、自分自身を見つめるように。

 

「後はお姉さんたちに任せよう。絶望の淵に立っているとしても、彼女は、オレたちの姉なのだからさ」

「……うん」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ローザは遊泳部を飛び出したユーリアを追いかけ、校門前まで来て、ようやく妹に追いついた。

 

「ユーちゃん待って!」

「ローちゃん! で、小鈴さんが……」

「わかってる! わかってるから。だから、一緒に行こう」

「……Ja! そうだね、ローちゃんと一緒なら、安心だね」

「それじゃあ二人で伊勢さんのところに……」

 

 と、二人が門へと足を踏み出そうとした。

 しかし。

 

 

 

「すまなんだ。この先は通せん」

 

 

 

 そこに立ちはだかる、一人の男。

 燃えるような眼差しを向ける大きな体躯。獲物を狩る牙が屹立する口は、真一文字に結ばれている。

 『燃えぶどうトンボ』。そう呼ばれる男が、番人の如く、門の前で仁王立ちをしていた。

 

「え、よーむいんのお兄さん……通せないって、ど、どうしてですか?」

「帽子屋殿の命でな。貴様らをこの領域から外に出すことはできん」

「どうしても、通してくれないんですか? 友人が、危機なんです……!」

「否。それこそ本懐。そのためにこそ、我らはここにいる。僕はここの番をしているのだ」

「……我ら?」

 

 と、その時。

 誰かの息遣いが、微かに耳に届く。

 

「くぅ……はぁっ、はぁ……っ」

 

 振り返る。

 そこにいたのは、真っ白な肌、色の抜けた髪、華奢で儚げな矮躯の少女。

 恋だった。

 彼女は息を切らしながら、無感動な、それでいて鬱陶しそうな、敵意ある視線を、背後に向けた。

 

「しつこい……!」

 

 彼女の背後から、ぬらり、ゆらりと姿を現すのは、『木馬バエ』だった。

 

「えぇまぁ、私、蠅ですので。腐肉があれば幾度潰されようと、無限に湧き出でる所存です」

「私……腐ってない……むしろ百合派……」

「恋さん!」

「ユー……ロー……」

「おっと、兄さんのところまで向かわせちゃったか。彼女、なかなか強くて……ごめんよ兄さん」

「なに、問題ない。これぞ前門に虎、後門に狼だ。我らは蜻蛉と蠅なる虫けらなれど、その歯牙は野獣の如し。華奢な娘の一人や二人、容易に食い千切って見せよう」

 

 理解は追いつかないが、状況は飲み込めた。

 つまりこの二人は、自分たちをこの場に繋ぎ止める役割。言うなれば足止めなのだと。

 小鈴の危機も、彼らが、【不思議の国の住人】が関わっているのかもしれない。

 となればよりいっそう、誰かが傍にいなければならないだろう。

 そして恋は、ユーリアとローザを庇うように、踏み出した。

 

「……しかたない。ここは、私が……二人、まとめて……その隙に、ユーとローは……」

「恋さん! でも!」

「だいじょうぶ……守るのは、得意、だから……」

「日向さん……」

 

 相手は二人だ。たとえ恋の実力が優れていようと、厳しい戦いを強いられることは想像に難くない。

 しかし確実に救援に向かわせるというのであれば、誰かが一人残るというのは、決して悪くはない作戦だ。

 だとしても、双子の姉妹が、それを許せるはずもないが。

 そこで、さらに声が聞こえる。

 

 

 

「そうはいかない! なのよ!」

 

 

 

 透き通るような、朗らかな言の葉。

 蝶のように可憐に、麗しく、羽ばたき現れる一人の女性。

 

「おぉ、来たか!」

「姉さん……」

 

 蟲の三姉妹が長女『バタつきパンチョウ』が、三人を囲むようにして。現れた。

 

「お姉さんまで……」

 

 このタイミングでの登場。弟たちが足止めとしてこの場にいることを考えれば、彼女も同じ役目を持っているだろうことは、容易に想像できる。

 二人の足止めでさえ厳しい中、長女が現れ、三人ともなると、いよいよ離脱は絶望的となる。

 

「……トンボ、ハエ」

 

 バタつきパンチョウは、弟たちに目配せする。

 そして、

 

 

 

「下がって」

 

 

 

 一言、言い放った。

 

「……なんだって?」

「下がるのよ。その子たちを、通してあげて」

「あ、姉上? しかし、それでは帽子屋殿に通達された使命が……」

「いいから! おねーちゃん命令なのよ!」

 

 どこか意固地になバタつきパンチョウ。

 駄々をこねる子供のように弟たちへと命令するが、あまりにも場違いなその振る舞いに、彼らも面食らい、困惑していた。

 

「む、むぅ……?」

「……まあ、姉さんがそう言うなら、別にいいけど。興味ないし」

「そうか……いやさそうだな。姉上の言葉が優先、では、あるな……」

 

 どこか腑に落ちない様子ではあったが、姉には逆らえない。いやさ、逆らわない。

 指示通り、彼らは道を空けた。

 

「さぁ、みんな。行ってらっしゃいなのよ」

「……えっと?」

「Danke! おねーさん! 行きましょう! ローちゃん! 恋さん!」

「ん……」

「わわっ、ま、待って! ユーちゃん!」

 

 道が空いた瞬間、ユーリアは飛ぶように走り去り、その後を、慌てたローザと、恋が追従する。

 学校の門の前に残されたのは、蟲の三姉弟たちのみ。

 三人の姿が見えなくなると、ぽつりと、木馬バエが姉に問う。

 

「……で、本当にいいの? 帽子屋さんの命令から背くことになるけど」

「いいのよ。足止めって目的なら、それなりに果たしているでしょうし……それに」

「それに?」

「なにか、遠く……ううん。近い未来に、嫌なものが、迫ってる気がするのよ」

「なにか見たのか、姉上?」

「ぼんやりと、だけどね。でも、近いうちに、凄い悪いことが起こる……と、思うのよ」

 

 バタつきパンチョウは、どこか遠く、遥か先の未来、あるいは、虚空という宙(ソラ)を視る。

 

「どういう道筋を辿ってそうなるのかはわからない。でも、この帽子屋さんの作戦が、コーカス・レースが、大事の契機になる。それは確か、なのよ」

 

 予言者ではなく観測者、選択者ではなく傍観者。

 彼女が行うのは、ただ“視る”だけであり、そのような役割を与えられたのであろうが。

 その役目の中で、やりたいように、望むままに、彼女は振る舞う。

 どうか、楽しい世界のままでありますようにと、願いながら。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ずっと、ずっと、ずっと、戦い続けて。

 日も傾いてきて、もうすぐ夕陽が見えそうな頃。

 ようやく、目的の場所まで辿り着いた。

 アヤハさんの言う、元凶、のいる場所。

 そこは――

 

「……え? こ、ここって……」

 

 

 

 ――『Wander Land』

 

 

 

 そう、看板が掲げられた、カードショップ。

 今まで何度も、わたしたちが集まった場所。

 今は『定休日』のプレートが掛かっているけれど……

 

「アヤハさん、本当に、ここに……?」

「あぁ。間違いない」

「でも、今日はお休みみたいですけど……」

「だからって中に誰もいない理由にはならないだろ」

「でも、鍵がかかってるんじゃ……」

 

 と思ってお店の扉に手を掛けると、普通に、押し開けた。

 

「……? 鍵が、掛かってない……? どうして?」

「入れば分かる。そこにあるものが事実だ」

「そ、そうですか……?」

 

 言われるがまま、わたしは扉を開け、鳥さんと一緒に、中に入る。

 変わらない。いつもと同じ、カードショップ。ただいつもは人で賑わっているのに、今は、とても静かで、異世界のようで、なんだか不思議な感じだった。

 そして、そんな静かな店内に見える人影。

 

「こ、こすず、さん……」

「代海ちゃん……! どうしてここに?」

 

 アヤハさんは、ここにクリーチャーを呼び出している元凶がいるって言っていたけれど……まさか、まさか、そんな……

 

「小鈴、さん……あ、ああぁ、ア、アタシ、アタシ……!」

「え……ど、どうしたの代海ちゃん? しっかりして!」

 

 代海ちゃんは、ガタガタと震えていて、目を見開いていて、なにかに怯えているような、明らかに正気ではない様子だ。

 と、とりあえず、落ち着かせないと。

 そう思って代海ちゃんに駆け寄ろうとした、その時だった。

 

 

 

「――「三月のウサギのように」」

 

 

 

 ガシッ、と頭を掴まれる。

 そして、耳元で囁かれる、呪詛のような言葉。

 なにかが、身体の中に流れ込んでくるような感覚。

 ぞわりと、ぞくぞくと、湧き出でるような、熱いものが、溢れてくる。

 

(なに、これ……身体が、熱い……!)

 

 前にもこんなことがあったような気がする。

 そう、確かあれは、新学期が始まったばかりの頃。

 唐突に現れた、野獣のような人が――

 

「うぅん、やっぱ効き目が薄いわね。ほんっと、どういうことなのかしら?」

 

 疑念を抱いた声がする。

 振り返れば、首を傾げている女の人。

 深い切れ込み(スリット)の入った、スリップみたいなドレス。季節も人目も、なにも気にする様子もなく、胸元も脚も曝け出している。

 ――『三月ウサギ』。そう呼ばれていた人だ。

 彼女は明るく派手な髪を艶やかに掻き上げながら、わたしを不思議そうに見つめている。

 

「しかも前は、マイルドとはいえトチ狂ってたのに、今回は耐えてるわね。耐性……? 男の味を覚えた? いやいや、ならむしろもっとがっつくわよね? そもそも僕のは性衝動への誘導と増長であって、厳密には毒とかじゃないし。んー……わかんないわ!」

「……あなたは……どういう、ことなの……? あ、アヤハさん……?」

 

 と声を掛けるが、返事はない。

 どころか、あたりを見回しても、店内にアヤハさんの姿はない。

 

「……? アヤハさん……?」

「小鈴、ひょっとして嵌められたんじゃないか?」

「え?」

「あら、鳥のわりには察しがいいわね。いや、ここまでのこのこ連れてこられてる時点で、あんたたちの頭の中身なんてお察しかしら」

 

 嘲るように笑う三月ウサギさん。

 出で立ちもそうだけど、なんだかその一挙一動が、妙に色っぽく見える。

 

「ようこそ不思議の国(ワンダーランド)へ……なんて、ウサギはウサギでも、僕は時計持ちの白ウサギじゃないのだけれど。僕は狂ったキチガイウサギ。性に惑い狂って、人を惑わし狂わす淫靡な獣よ」

「狂わす、って……もしかして、代海ちゃんは……」

「さーてどうかしら? 僕は暇だったからちょっとお話ししただけよ? そいつが勝手に嘆いてるだけ。大袈裟なのよ、いちいち」

 

 蔑むような視線。その先にいる代海ちゃんは、怯えたように嗚咽を漏らしている。

 

「あなたが、代海ちゃんを?」

「お話ししただけって言ったじゃない。まあでも、もし僕があの鈍臭い亀女を泣かせたって言ったら、どうするの?」

 

 三月ウサギさんは、蕩けた表情で、誘うように、煽るように言う。

 ここでなにがあったのか、わたしは知らない。

 状況も不明瞭。

 クリーチャーが現れた原因も、わかっていない。

 だけれど。

 

「……ごめん鳥さん。ちょっとだけ、寄り道するよ」

「いいさ。彼女からは、暴走した月光神話(アルテミス)に似た恐ろしさを感じる。どのみち放っておかない方がいいだろう」

「ふふ、やる気になっちゃったのね」

 

 三月兎さんは前に進み出る。その手には、カードの束がひとつ。

 この人が代海ちゃんになにかしたのなら、代海ちゃんが正気でない理由がこの人にあるのなら、それを無視することはできない。

 場合によっては――許すことも、できないかもしれない。

 なにもかもが謎のままだけれど、その謎をハッキリさせるためにも、代海ちゃんのためにも、わたしは戦う。

 

 

 

ようこそ不思議の国へ(Welcome to Wonder Land)。この僕『三月ウサギ』が、邪淫の狂気を、手取り足取り教えてあげる――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――小鈴は戦いに赴いてしまったか。僕は、どうしようか」

 

 彼女が戦う間、自分は無力で、なんでもないただの鳥同然だ。戦うことは出来ず、それだけの力がない。

 自分に出来るのは、彼女に力を貸し与え、それを調整し、制御するだけのことだけ。

 それはとても悔しく、遺憾なことではあった。

 

「あちらの彼女は……ダメそうだね」

 

 亀のように蹲る少女は、慟哭するように嗚咽を漏らし、うわごとのように不明瞭な言葉を流し嘆いているばかり。

 とても話ができるような状態ではなかった。

 

「つまり、いつも通りの待ちぼうけ、か」

「そんなことはない」

 

 と、その時。

 背後から声がする。

 振り向けば、そこには人影。

 目深に帽子を被った男だ。

 

「君は、確か……」

「『帽子屋』だ。まあ、名前なぞどうでもいいがな。三月ウサギがマジカル・ベルと乳繰り合っている間に、為すべき事を為さなくては」

「……あぁ、やはり罠か。いけないな、ここまで来てようやく罠と分かるだなんて。後手後手すぎる」

「まあそう言うな。確かにこのような粗末な策戦に引っかかる貴様らは間抜けだが、これでも時間をかけて下準備はしていたのだ。その恩恵くらいに思っておけ」

 

 と言いながら帽子屋は、懐から銀色に光る鉄塊を取り出す。

 L字型に曲がり、先端が筒のようなそれは、拳銃。

 現代日本では半ばファンタジー、しかしあまりにもリアリズム溢れる凶器を、彼はこちらへと突きつける。

 

「銃か。ドラグ……ドライゼの奴を思い出すな。あいつとはよく撃ち合ったものだけれど、まあ、当たらなかったよね。あんな玩具」

「ほぅ、オレ様は鷹狩りも鴉狩りも初めてで不安なのだが、その言葉でよりいっそう不安が増したよ。いいアイスブレイクだ。礼を言おう」

 

 左手で懐からもう一挺、拳銃を取り出す帽子屋。

 重ねて言うが、この身に戦う力はない。ただ待つことしかできない。

 彼女の戦が終わるまで、ただ、ジッと待つことしか、できないのだ。

 白羽を舞い散らせ、無様に生き延びるために、翼を羽ばたかせる。

 

「聖獣――否、《太陽の語り手》よ。貴様の奇跡、貰い受ける」

「断る。僕の奇跡は太陽神話(アポロン)から受け継いだもの。軽く使われるほど、安くないよ」

 

 刹那。

 

 

 

 不思議の国に、銃声が響き渡った――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「マジカル・ベルは誘導した。帽子屋のダンナも来た。コーカス・レースもじき終わり……もうワタシのやることもない、か」

 

 帽子屋を店内へと通した後、店の外で、ヤングオイスターズは天を仰ぐ。

 役目は終わった。マジカル・ベルを騙し、削り、誘い、堕とした。

 すべきことは、終わったのだ。

 

「……いんや、そうでもないな」

 

 しかしまだ、残業が残っていた。

 

四番目()五番目(狭霧)を通じてコーカス・レースの開催をいち早く察知したのは知ってる。場合によっては誰かを引き連れることも、可能性としては考慮していた。とはいえ、まさかマジでこの場所を探り当てるとは思わなかったぜ」

 

 どうやって嗅ぎつけたのか、現れたのは、男女の二人組だ。

 

「水早君は凄いねぇ。まさかクリーチャーの出現場所から、この場所を割り出すなんてさ」

「クリーチャーの複数同時出現なら、前にも似たようなことがあったからね。パターンを試しただけさ。もっとも、その試したパターンが一発目で当たったのは、完全に運が良かっただけだ。他のパターンを試す時間はなかっただろうさ」

 

 ここで現れ、この場にやって来るということは、そういうことなのだろう。

 予想の範疇ではある。とはいえそれは、できれば起こって欲しくない予想ではあったが。

 

「はぁ……マジで、あんただけは止めときたかったな。代用ウミガメが産んだクリーチャーはともかく、公爵夫人はなにやってんだよ」

 

 思わず溜息を吐く。

 少女の方はともかく、聡い少年の方は抑えておきたかった。彼の管轄は、自分の弟と妹。

 つまり、ヤングオイスターズ自身だ。

 

「しゃーねーよなぁ。弟妹の責任は、弟妹(ワタシ)の責任だもんなぁ。ワタシがケツ拭くしかねーんだよなぁ」

 

 億劫そうに、瞳の奥で濁った水を湛えながら。

 ヤングオイスターズは構える。

 

「ワタシたちだって後がねーんだ。動き出しちまった以上、もう、とことんやるしかねーんだよ……!」

 

 破滅へと進んでいるような気分だ。太陽を掴むための奔走が、我が身を燃やし尽くすための徒労に思えてならない。

 しかしそんな予感はただのノイズ。雑念を振り払い、ヤングオイスターズは、暗い水底のような眼差しを向ける。

 

「おら、二人纏めて掛かって来やがれ。ここは猫一匹通さねぇ――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 三月ウサギさんとの対戦。

 わたしは《ノロン⤴》で手札と墓地を調整しつつ下準備。ウサギさんは、マナ加速から始まった。

 今日はちょっと調子が良くて、既にわたしの墓地には《コギリーザ》と《グレンモルト》、連続攻撃のために必要なカードが揃っている。

 だから後は、墓地から《コギリーザ》を引き上げるカード――《法と契約の秤》か《インフェルノ・サイン》さえ引ければ……

 

「わたしのターン! 3マナで《リロード・チャージャー》! 手札を一枚捨てて、一枚ドローするよ!」

 

 ここで上手く繋ぐことができれば……!

 その一心でカードを引いて、そして、

 

(やった、引けた……! 《法と契約の秤》!)

 

 いい流れだ。次のターンには5マナ。最速の動きで、《グレンモルト》――《ガイギンガ》まで、辿り着けるかもしれない。

 

「あらあら? いいカードでも引けたかしら? 豚を見つけた雌犬みたいに、嬉しそうにはしゃいじゃって」

 

 けれど、そんなわたしの心中を見透かしたように、三月ウサギさんは妖艶に、そして邪悪に微笑む。

 

「愉しいことなら、僕も混ぜなさい。めちゃくちゃにしてあげるから……ほら、4マナで《拷問ロスト・マインド》!」

「え? あ……っ!」

 

 突如、わたしの手札がわたしの手元から離れ、露わになる。

 そして手札にあった二枚のカード、《法と契約の秤》と《GYORAI-CANNON!》が墓地へと落とされた。

 

「《拷問ロスト・マインド》は、相手の手札にある呪文をすべて叩き落とすカード……引きが良さそうに見えたけど、大当たりね。ターンエンドよ」

 

 

 

ターン3

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:4

手札:0

墓地:5

山札:25

 

 

三月ウサギ

場:なし

盾:5

マナ:4

手札3

墓地:2

山札:26

 

 

 

 

「わ、わたしのターン……」

 

 わたしの順調な滑り出しは、たった一枚の呪文で崩壊してしまった。

 手札はゼロ。これでは、ほとんどなにもできない。ただ引いたカードを使うことしかできなかった。

 

「ドロー……うぅ、でも、まだいいカード……《ボーンおどり・チャージャー》を唱えて、ターン終了……」

「ふふ、そんなにポンポン墓地を増やしちゃっていいのかしらね?」

「え……? ど、どういうこと?」

「今にわかるわ。僕のターン、2マナで《ダーク・ライフ》。山札から二枚を捲って、片方を墓地、もう片方をマナへ。さらに4マナで呪文《サイバー a.k.a. 獅子》を唱えるわ。カードを三枚ドロー、そして手札二枚を墓地へ。さらにGR召喚よ」

 

 手札を入れ替えながら出て来たのは、《マジカルイッサ》。呪文のコストを下げるクリーチャーだ。

 

 

 

ターン4

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:5

手札:0

墓地:7

山札:22

 

 

三月ウサギ

場:《マジカルイッサ》

盾:5

マナ:6

手札2

墓地:7

山札:20

 

 

 

 わたしの手札は相変わらずゼロ。マナも十分とは言えないし、1ターン1ターンの行動は、慎重にならなきゃ。

 マナチャージをするかしないか。引いたカードを使うか使わないか。思考を巡らせる。

 なんだか頭が少しぼぅっとするけど……

 

「……よし。4マナで呪文《知識と流転と時空の決断》!」

「あらら?」

「この呪文は、ドローか、GR召喚か、相手クリーチャーを手札に戻す効果のいずれかを、二回選んで使えるよ。まずは《マジカルイッサ》を手札に!」

「ふぅん。ま、いいけどね」

「次にカードを一枚ドロー! ターンエンドだよ」

 

 GR召喚しても良かったけど、わたしのデッキじゃあんまり強いGRクリーチャーはいないし、もしも《グレンモルト》や《コギリーザ》が引ければおいしいし、なによりも手札ゼロのまま動きが鈍るは不安だ。ここは手札を増やすよ。

 

「ふふっ、それ、いいカードね。僕のターンよ。2マナで《悪臭怪人ゴキーン》を召喚」

 

 出て来たのは……な、なんだか、黒光りする、嫌な風貌のクリーチャーだ。

 その油虫の如きクリーチャーは、カサカサと地面を這い回っている。

 

「《ゴキーン》の能力を使うわ。このクリーチャーは登場時、プレイヤー一人の墓地にあるカードを一枚、山札の一番上に戻せるの」

「墓地のカードを山札に……?」

 

 ってことは、今まで使ったカードをもう一度使えるということ。

 タイムラグはあるけど、手札を取り戻したところで、また手札破壊は受けるのは困る……いや、その前に決着をつければ……

 

「なにか生ぬるいことを考えてるわね」

「!」

 

 心中を見透かしたような鋭い言葉。

 三月ウサギさんは、艶やかに笑う。

 

「まあ、いいわ。穢れた身体は酷くにおうの。邪淫に塗れた悪意の香りを嗅ぎなさいな。あなたの墓地の《ルソー・モンテス》を戻しなさい」

「わ、わたしの?」

 

 地面を這い回る黒虫は、三月ウサギさんの墓地ではなく、わたしの墓地へと潜り込んで、その中からカードを一枚――《ルソー・モンテス》を――山札の上へと押し戻した。

 その予想外の行為に、面食らってしまう。わたしの墓地には、《コギリーザ》も《グレンモルト》もいる。ここで《ルソー・モンテス》……《法と契約の秤》をドローできるのはありがたいんだけど、どうしてわたしが有利になるようなことを……?

 

「あら、なにか勘違いしてない?」

「え……?」

「勘違い女は、間抜け面が醜ければ頭も馬鹿ね。あなたのために僕がしてあげることなんて、快楽をプレゼントすることくらいよ」

 

 そしてさらに、カードを切る。

 

「5マナをタップ。双極(ツインパクト)詠唱(キャスト)《法と契約の秤》」

「それは、わたしと同じ……!」

「連鎖リアニメイトが自分の専売特許だと思わないことね。憎らしいけど、今回は僕、あなた用に整えてきたから。デッキも、心も、身体も、ね」

 

 妖艶に、邪悪に、三月ウサギさんは嗤う。

 それはとても、とても、恐ろしく、狂っているような笑顔だった。

 

「さぁ、《法と契約の秤》の効果で、墓地からコスト7以下のクリーチャーを復活よ。《悪臭怪人ゴキーン》をNEO進化!」

 

 地の底から泡が立つ。

 くちゅくちゅと水音が小さく響き渡り、水泡はその姿を現した。

 

 

 

「快楽の夢を貪りなさい――《潜水兎 ウミラビット》!」

 

 

 

 悪虫を飲み込んで現れたのは、巨大な水色の兎のようなクリーチャー。

 尾びれがあったり、潜水艦のような装備を背負っていたりしていて、それは明らかに兎ではないのだけれど。

 水を滴らせ、それは浮かび上がる。

 

「さぁ、《ウミラビット》で攻撃よ。その時、《ウミラビット》の能力発動! 自分のNEOクリーチャーが攻撃する時、相手の山札の一番上を墓地に置かせる。それが呪文なら、僕はそれをタダで唱えられるわ!」

「山札の上の呪文、って……」

「えぇそうよ。あなたの雌のにおい、しっかり覚えたから」

 

 わたしの山札の一番上。

 それは、ついさっき、相手のクリーチャーの能力で固定された《ルソー・モンテス》――《法と契約の秤》がある。

 《ゴキーン》でわたしの墓地のカードを山札に戻したのは、このためだったんだ。

 

「男も女も大歓迎。桜桃の下男だって、無垢な生娘だって、みんな等しく魔法使い。さぁ、あなたの魔法を、僕に頂戴――!」

 

 悦に浸るような貌で、三月ウサギさんは舌なめずりする。

 

「使わせて貰うわ、あなたの大切な呪文……《法と契約の秤》!」

「わたしの呪文が……!」

「効果はさっきと一緒。よって墓地からコスト7以下のクリーチャーを呼び戻す。次はこの子よ……さぁ、そそり立つわ」

 

 うっとりと、蕩けるような表情で、宣う。

 大水が《ウミラビット》を飲み込み、遙か遠くの宙で、月が、狂ったように輝きはじめた。

 

「あぁ、あぁ、いあ、いあ……無限に広がる海の底、夢幻の狂気が眠り待つ……星の位相も、月の輝きも、最高よ……いあ、いあァ……!」

 

 賛美するような狂信の祝詞を唱え、そして。

 それは、浮上する。

 

 

 

「快楽の海に溺れなさい――《神羅カリビアン・ムーン》!」

 

 

 

 潮が引き、さらなる巨体が、その威容を晒す。

 タコのような頭部から伸びる、無数の触腕。それは全身に広がっており、その巨体を覆い尽くしている。

 鉤爪の生えた両腕からはヒトデのような、イソギンチャクのような、おぞましい触手が開かれている。ぐねぐねと、うねうねと、なにかを求めるように、それは蠢動していた。

 

「うぁ……う、ぅぁ……」

 

 心が押し潰されてしまいそうな感覚。

 ビリビリと激しく、グチャグチャと惨たらしく、身体の中身を引っかき回されているかのような不快感。

 なんとか堪えられたけど……すごく、嫌な感じだ……

 だけどその纏わり付くような嫌悪感は、終わらない。

 

「《カリビアン・ムーン》の能力発動! 《カリビアン・ムーン》は、自身の登場時に相手の墓地の呪文をタダで唱えることが出来るわ」

「またわたしの呪文を……!?」

「えぇ勿論。能力で、さっき《ウミラビット》で落とした《法と契約の秤》を唱えるわ。そして僕の墓地から《サイバー・K・ウォズレック》をリアニメイト!」

 

 わたしの呪文で、クリーチャーが進化して、さらに数まで増えた。

 それに、それだけじゃない。

 

「あぁそれから、《カリビアン・ムーン》で唱えた呪文は、山札の一番下に戻すわ。ばいばい」

「え、あ……っ、そ、そんな……!」

 

 墓地に溜めていた呪文が、山札に戻ってしまう。

 これじゃあ、《コギリーザ》で使うことも出来ないよ……

 

「まだへばらないでよね、これで終わりじゃないのだから。僕の夜は長いわよ。《ウォズレック》の能力で、両プレイヤーの墓地からコスト3以下の呪文を合計二枚までタダで唱えられる。僕の墓地から《ダーク・ライフ》を、あなたの墓地から《GYORAI-CANNON!》を、それぞれ唱えるわ! 勿論、唱え終わった呪文は山札の下よ」

 

 マナが増え、墓地が増え、場数が増える。

 GRゾーンから、新たなクリーチャーが、射出された。

 

「そーれ、《P.R.D. クラッケンバイン》をGR召喚! 僕の墓地の呪文は四枚だから、パワー6000、パワード・ブレイカーのレベルはⅡ! さらに《GYORAI-CANNON!》の効果でスピードアタッカー! さぁ、一緒に昇天しましょう! 死に果てるくらい、狂ってしまうくらい、天国みたいな! 快楽の楽園に連れていってあげる!」

 

 わたしの墓地が荒らされ、踏みにじられ、水底に沈んでいく。

 わたしの呪文で、相手の場が、肥大化していく。

 わたしが使うはずのカードは相手に使われ、わたしの手をすり抜けるように、山札へと還ってしまう。

 わたしのカードが、わたしの仲間が、離れていってしまうような、そんな感覚が、胸中に渦巻く。

 

「自分のカードで嬲られる気分はどう? 悔しい? 悲しい? 苦しい? でも、たまには新感覚で、そういうのも気持ちいいものよね?」

 

 蕩けるような笑みを浮かべる三月ウサギさん。

 そして目の前には、巨大な狂気の塊。

 足下から迫り上がってくる深淵の海水は、真っ暗な宙のよう。

 冷たく暗黒の大宙から、月の狂気を振り撒き、邪悪な神が咆哮する。

 

「それじゃあ、《カリビアン・ムーン》でWブレイク!」

 

 巨体は触手を伸ばして、絡め取るように、わたしのシールドを二枚、粉砕した。

 ……だけど。

 

「っ……S・トリガー!」

「あら?」

「《デーモン・ハンド》! 《クラッケンバイン》を破壊!」

 

 そのまま、ただやられるわけにはいかない……!

 代海ちゃんのこともあるし、ここは、負けられないんだ……!

 

「……まあいいわ。ターンエンド」

 

 

 

ターン5

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》

盾:3

マナ:5

手札:2

墓地:7

山札:22

 

 

三月ウサギ

場:《カリビアン》《ウォズレック》

盾:5

マナ:8

手札0

墓地:5

山札:18

 

 

 

 わたしが整えた墓地はもうしっちゃかめっちゃかだけど、手札は増えたし、バトルゾーンにクリーチャーも残ってる。

 これは反撃のチャンスだ。ここで、《グレンモルト》か《コギリーザ》……《法と契約の秤》でも、《狂気と凶器の墓場》でも、《インフェルノ・サイン》でも、なにか、来てくれれば、まだ巻き返せる。

 

「っ、ダメ……いや、でも、まだ……マナチャージして、6マナで《龍装艦 チェンジザ》を召喚! カードを二枚引いて一枚捨てるよ! そして各ターン、わたしがはじめて手札を捨てた時、それがコスト5以下の呪文ならタダで唱えられる!」

 

 さらにドロー。これで、呪文が来れば……!

 

「う……《世紀末ハンド》を捨てるよ。コスト5以下の呪文だから、《チェンジザ》の能力で唱えられる! 効果でアンタップしてる《ウォズレック》を破壊だよ!」

「必死ねぇ……僕のターン。ドロー」

 

 つまらなさそうに吐息を漏らす三月ウサギさん。

 彼女はさっきまでの揚々とした昂ぶりはどこへ行ったのか、どこか気怠げだ。

 

「今の手札じゃ大したことはできないわね。とりあえず4マナで《拷問ロスト・マインド》。手札を見せなさい」

 

 またわたしの手札が晒される。

 今の手札なら、呪文だけが墓地に落とされるくらいはそこまで痛手にはならないけれども。

 

「《グレンニャー》に《波壊Go!》……どうでもいいわね。《テック団の波壊Go!》を捨てなさい」

「…………」

「反応が薄いわねぇ、その身体でマグロでもないでしょうに。ま、焦らず急がず、いじらしく、ゆっくりじっくり焦らしましょうか。男の味も知らないような純真無垢な女の子に、いきなり激しくするのも可哀想だしね」

 

 躁鬱が激しい。高揚したと思えば沈み、死んだと思えばまた昂ぶったような笑みを浮かべる。

 

「《カリビアン・ムーン》で攻撃! 攻撃時にもあなたの呪文を使わせて貰うわ。《テック団の波壊Go!》で、コスト6以上の《チェンジザ》を破壊! そしてWブレイク!」

「っ、トリガー……ない……!」

「ふふっ、ターンエンドよ」

 

 

 

ターン6

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》

盾:1

マナ:6

手札:3

墓地:9

山札:20

 

 

三月ウサギ

場:《カリビアン》

盾:5

マナ:8

手札0

墓地:7

山札:17

 

 

 

「わ、わたしの、ターン……2マナで《熱湯グレンニャー》を召喚。一枚、ドロー」

 

 残りシールドは一枚。耐えるのも辛くなってきた。

 そろそろ、この状況を返したい。

 

「! 引けた……5マナで《狂気と凶器の墓場》! 山札の上から二枚を墓地に置いて、墓地からコスト6以下のクリーチャー、《コギリーザ》を復活!」

「あーらら?」

「《コギリーザ》で攻撃! その時、キズナコンプで墓地からもう一度《狂気と凶器の墓場》を唱えるよ! そして、墓地から復活――」

 

 ようやく、本来の動きができた。

 呪文は奪われたけど、クリーチャーはそのまま墓地で眠っている。

 クリーチャーさえ残っているのなら、まだ、やれる。

 

「――《龍覇 グレンモルト》! 《銀河大剣 ガイハート》を装備!」

 

 《コギリーザ》から《グレンモルト》、そして《ガイハート》。

 《ガイギンガ》まで、もう一歩だ。

 

「《コギリーザ》でWブレイク!」

「……トリガーなしよ」

「行ける……! 《グレンモルト》でシールドをブレイク!」

 

 S・トリガーさえなければ、このまま……!

 三枚目のシールドを切り裂き、そして。

 

「……ノートリガーね」

「! それなら! このターン二回攻撃したから、《ガイハート》の龍解条件成立!」

 

 真っ暗で冷たい宇宙に灯る、真っ赤な炎と、輝く星々。

 暗黒の海を断ち、空を覆う灼熱の銀河が、爆ぜる。

 

 

 

「龍解――《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 長かったけれど、ようやく辿り着いた。

 暗い世界を煌々と照らす巨星は、邪悪な海魔にだって、負けやしない。

 

「このまま終わらせる! 《ガイギンガ》の能力で、パワー7000以下のクリーチャー――《カリビアン・ムーン》を破壊!」

 

 《ガイギンガ》の大剣が、太陽のような灼熱の炎を以て、《カリビアン・ムーン》を灼き尽くし、断ち切る。

 じゅわぁっ、と肉が焼け焦げ、生臭い腐臭が立ち込める。不快感を伴う黒煙を吹き出しながら、この世のものとは思えない不気味な絶叫を上げながら、大海の怪物は蒸発していく。

 ドロドロと触手に覆われた身体は溶け落ち、その異形は、喪われていった。

 

「よし、行くよ! そのまま《ガイギンガ》で攻撃――」

「おっと待ちなさい。破壊したわね? 僕の《カリビアン・ムーン》を」

「えっ?」

 

 その時だ。

 ぐじゅぐじゅと、ぶくぶくと、焼け溶けたはずの海魔の肉が、泡立つ。

 

「ひょっとして知らなかった? 《カリビアン・ムーン》は、バトルゾーンを離れた時にも能力が発動するのよ?」

 

 怖気が走るような音を響かせながら、肉片はわたしの足下へ。

 そして、新たな触腕が伸びる。

 

「狂気の月は墜ちても輝く。邪悪な海神(わだつみ)は眠れど死なず。僕の肉欲は尽きることなく、夢見るままに待ち続け、精魂果てずに快楽を貪り続ける――さぁ、あなたの身体も、心も、()キ狂うまで堪能してあげる!」

 

 再生した触腕はわたしを囲むように蠢き、同時に、わたしの墓地を蹂躙する。

 無理やりこじ開けるように捻れ、大事なところを曝け出すようにうねり、わたしのカードを掘り起こす。

 

「あなたの大切なモノ、貰うわ。呪文《知識と流転と時空の決断》! 選ぶ効果はバウンスとGR召喚。《ノロン⤴》を手札に戻して、GR召喚よ」

 

 また、わたしのカードが使われる。

 わたしを助けてくれる力が、わたしに牙を剥く。

 

「《甲殻(シェル) TS-10》をGR召喚よ」

「っ、ブロッカー……でも、まだ攻撃できる! 《ガイギンガ》で攻撃!」

「あら、一直線。熱に浮かされてるのかしらね、《甲殻 TS-10》でブロック」

 

 攻撃は、届かない。

 べっとりと、へばりつくようだ。

 強いとか、てごわいとか、そういう感じじゃない。

 わたしよりも強い人、上手い人にやられるのとは違う。自分自身の戦略とカードで圧倒されるようなものじゃない。

 この人は、わたしのカードで――わたしの力で、わたしの仲間で、わたしを翻弄する。

 とても、嫌な感じだ。

 ……でも。

 

(……代海ちゃん)

 

 負けるわけには、いかないんだ。

 

「頑張るわねぇ。なにをそんなに必死なんだか」

「……友達のためだもん。当たり前だよ」

「友達ねぇ。あの亀女と友達だと。そんなあいつのために頑張ると。へぇ、ふぅん。なんともまあ、滑稽ね」

 

 嘲笑を浮かべる三月ウサギさん。

 彼女は侮蔑を込めた視線を向ける。

 

「まあ友達のために頑張るっていうのはいいでしょう。僕も愛に生きる女ですもの。それが博愛だろうと友愛だろうと、そこにある愛は認めるわ」

「じゃあ……なにが、滑稽なの」

「愛を向ける相手よ。だって、あなたが忌むべき怪物の創造主こそが、代用ウミガメなのだから」

「……どういう意味?」

 

 わたしが問い返すと、三月ウサギさんは、ニタァと卑しく嗤う。

 

「“産卵”、と僕たちは呼んでいるのだけれどね。あいつはどんなものでも、代用品であれば創造できる。戦力という概念でさえも、自分が戦う“代わり”に、兵隊を生み出せるのよ。小さな代理戦争ってわけね」

「兵隊……それって」

「そう。あいつがお母様から受け継いだ権能がそれ。千の子を産み落とす、多産の力。異形の怪物(クリーチャー)を創造する力よ。つーまーりー! 今、町中に蔓延ってるクリーチャーはぜーんぶ! 代用ウミガメの仕業ってわけね!」

 

 仰々しく、心底愉快そうに、三月ウサギさんは諸手を広げる。

 突如町に現れた、無数のクリーチャー。鳥さんは、いつものクリーチャーと違うと言っていたけれど。

 それは、鳥さんが言う、クリーチャーの世界から流れてきたはぐれのクリーチャーだからじゃなくて。

 人為的に生み出されたクリーチャーだから?

 そして、それを生み出したのが、代海ちゃん……?

 ぐるぐると、その言葉だけが、煮えたような熱い頭の中で巡っていく。

 

「な……んで、そんな、こと……!」

「なんでかしらね? まあ、あいつも結局はこっち側ってことよ。化け物を孕んで、それを産んで、野に放つ。淫欲の化身たる僕ですら得られなかった“繁殖”の権能を、部分的かつ劣化状態で保有してるってのは、ムカつくわよね?」

 

 代海ちゃんがクリーチャーを産み出した?

 それは……それは――

 

「まあそんなことはどうでもいいのよ。あいつといい、あんたといい、ちょっと踏み込んだ話をしたくらいでしおらしくならないでよね。すぐへばらないで。もっと、じっくり、ねっとり、すべて出し尽くすまで、愉しみましょうよ?」

 

 また、愉しそうに嗤う三月ウサギさん。

 切り札が倒されてもなお、彼女は悦び震えている。

 

「僕のターン。2マナで《ゴキーン》を召喚。あなたの墓地の《法と契約の秤》を山札の上に戻し、6マナでNEO進化! 《潜水兎 ウミラビット》!」

 

 再び、《ゴキーン》から《ウミラビット》へと進化。

 これは……まずいよ。

 わたしの山札には《法と契約の秤》がセットされた。そして、相手の墓地には……

 

「《ウミラビット》で攻撃! そしてどうなるかはわかるわよね?」

 

 わかる、わかっている、わかってしまう。

 山札に戻された呪文が、またすぐに、墓地へと戻り、相手の手によって行使される。

 

「あなたの力を頂くわ、《法と契約の秤》! 邪神は眠れど死なず、狂月は無限に輝き、何度でも蘇る――」

 

 そして、黒い潮が満ち、狂気の月が昇る。

 

 

 

「――《神羅カリビアン・ムーン》!」

 

 

 

 また、出て来てしまった。

 一度倒しても、わたしの魔力(呪文)を吸って、復活する、邪悪な海神。

 狂ったように暗い月を輝かせ、海魔の王は波濤の如く荒れ狂う。

 

「《カリビアン・ムーン》の登場時能力よ。あなたの墓地から《蓄積された魔力の縛り》を詠唱! 《グレンモルト》と《コギリーザ》には、大人しくしていてもらうわ!」

 

 黒い海水が、何度でもわたしの墓地を侵す。

 ぐじゅぐじゅと触手が不快な水音を立てて墓地を穿ち、掘り起こし、呪文を奪う。

 《グレンモルト》と《コギリーザ》は、触腕に絡め取られ、縛り付けられ、動きを封じられてしまった。

 そしてその触手は、そのまま、わたしへと向けられる。

 

「次はあなた。最後のシールドをブレイク!」

「ぅっ、ぁぐ……!」

「うふふ、もうシールドなくなっちゃったわね。やらしい身体が丸裸……!」

 

 

 

ターン7

 

 

小鈴

場:《コギリーザ》《グレンモルト》《ガイギンガ》

盾:0

マナ:7

手札:4

墓地:10

山札:16

 

 

三月ウサギ

場:《カリビアン》

盾:2

マナ:9

手札1

墓地:10

山札:15

 

 

 

 確かにシールドはゼロ。クリーチャーもほとんど動けない。

 だけど、まだ、負けてない。

 代海ちゃん……!

 

「わたしのターン! 2マナで《ノロン⤴》を召喚! そして5マナで《インフェルノ・サイン》! 《ノロン⤴》からNEO進化させて、墓地から《コギリーザ》を復活!」

 

 ようやくデッキが応えてくれた。

 必要なカードが、力が、この手に集まってくる。

 

「《コギリーザ》で攻撃! わたしの場には《コギリーザ》が二体いるから、二回分のキズナコンプが発動するよ!」

 

 前のターンに出した《コギリーザ》は触手に束縛されて動けないけど、能力は使える。たとえ攻撃できなくても、わたしの力になってくれる。

 たとえ墓地が踏みにじられて、ボロボロになっているとしても、それはとても心強い力だ。

 

「まずは一回目! わたしの墓地から《時を御するブレイン》を唱えるよ! 《カリビアン・ムーン》を拘束!」

 

 魔力が溢れた知識が、《カリビアン・ムーン》を拘束する。

 放置しても、破壊しても能力が発動してしまうなら、触れないように、動きを止めればいい。

 

「次に二回目……お返しだよっ! 《コギリーザ》!」

「! 僕の墓地が……」

 

 二体目の《コギリーザ》が、手中に魔力を集める。

 いつもはわたしの墓地から呪文を引き上げていたけれども、今回は違う。

 わたしの墓地にはろくな呪文が残っていない。だけれど“相手の墓地”なら、どうだろう。

 

「相手のカードが使えるのは、あなただけじゃない! 《コギリーザ》も相手の呪文が使えるんだよ! その能力で、あなたの墓地から《ウォズレックの審問》を唱える!」

 

 相手のカードを使うなんて、あんまりしたくないけれど、今回ばかりは、本当に負けられないから。

 《ウォズレックの審問》の効果で、相手の手札が晒される。

 《コギリーザ》と《ガイギンガ》がいれば、S・トリガーが出ても大抵は突破できるけれど、それだって止める手段はある。

 そして三月ウサギさんの手札には……

 

「それ! 《光牙忍ハヤブサマル》を墓地へ!」

「っ! こいつ……!」

 

 やっぱりあった、《ハヤブサマル》!

 ブロッカーを出されてしまえば、《ガイギンガ》と言えども止められてしまう。だけどこれで、その心配もなくなった。

 《カリビアン・ムーン》は動けない。手札にシノビもない。S・トリガーが出ても、《ガイギンガ》が選ばれればもう一度わたしのターンが来る。

 このまま、決める!

 

「《コギリーザ》で、Wブレイク!」

 

 これでシールドはゼロ。

 あとは、《ガイギンガ》でとどめ――

 

「……生意気」

 

 ――邪悪な瘴気が漏れる。

 不愉快そうな舌打ちと共に、三月ウサギさんの手中で、昏い光が収束した。

 

「肉だけの醜女(ぶおんな)の分際で、男も知らない処女(ガキ)のくせして、イキがってんじゃないわよ!」

 

 憤怒の叫びが木霊する。

 次の瞬間、シールドから、黒い瘴気が立ち込めた。

 

 

 

「S・トリガー発動! 《復活と激突の呪印》!」

 

 

 

 ギッと目を見開き、憤怒の形相で睨み付け、狂ったように咆える、(ケダモノ)

 三月ウサギさんの手の内から放たれた光は、呪いの印を結ぶ。

 

「S・トリガー……! でも、《ガイギンガ》を選んでも、わたしの勝ちだよ!」

「はぁ? なにあんた、僕のこと馬鹿にしてるわけ? そんくらい分かってるに決まってるでしょ」

 

 嘲るように、そして怒り狂いながら、三月ウサギさんは吐き捨てる。

 

「これでも僕は、帽子屋さんや公爵夫人様と並ぶ、狂気の三柱の一柱よ。そう、お母様から淫蕩の権能を引き継いだ僕の名は、『三月ウサギ』。狂ったように性を貪り、知性も理性もぶっ壊れた邪淫の獣!」

 

 血走った眼は、赤く光り。

 剥き出しの牙は、黒く煌めく。

 ぞわりと、悪寒が走る。そして、身体が、炎に包まれたように、熱く火照る。

 息苦しくて、ぞわぞわとなにかが込み上がってくるみたいで、気持ち悪くて、不快で、なのに、どこか心地よさを感じるような、なにかを求めるような、不思議で嫌な感覚。

 どうしたらいいのか、わからない。どうすればいいのか、わからない。

 今まで感じたことのない感覚だ。まったくわからない、どうすればいいのか、わからない。

 戸惑い、困惑し、混乱するまま、全身にぐるぐるとなにかが巡っている。

 

「……《復活と激突の呪印》は、二つの効果から一つを選択する呪文。墓地からコスト6以下のクリーチャーを復活させるか、自分のクリーチャーと相手クリーチャーとの強制バトル」

 

 スゥッと、急に、三月ウサギさんの狂乱の咆哮が止む。

 不気味なほど静か。けれども口元には、邪悪な笑みが浮かんでいる。

 

「……クリーチャーの復活……でも、あなたの墓地にはブロッカーもいないし、《ガイギンガ》を止めることなんて……」

「えぇそうね。だから僕が選ぶのは後者の効果。クリーチャー同士の強制バトルよ。激しく喘いで身体を軋ませましょう?」

「強制バトル……? それでも《ガイギンガ》を選んじゃうし、そもそも《カリビアン・ムーン》のパワーは……」

「僕の毒気が回ってきたのかしら。情動に翻弄されて、頭、回ってないんじゃない? そんなつまらないことはしないわよ。僕はいつだって、強くて大きな雄にむしゃぶりつくんだから」

 

 紅潮し、蕩けた顔。微笑む口元から涎が滴り落ちるのも厭わずに、髪を振り乱して、三月ウサギさんは獣のように乱れ狂う。

 口は嗤っているのに、目は血走ったまま見開かれ、野獣が獲物を貪るかの如く、狂気の声を上げる。

 

「男も女も関係ないわ。さぁ、淫らな(しとね)で、一夜と言わずに千夜を超えて! 身体を軋ませ精を吐き出し、快楽の海で溺れましょう!」

 

 結ばれた呪いの印に呼応するように、《カリビアン・ムーン》の触手が蠢く。

 伸張する触腕は、わたしのクリーチャー――《グレンモルト》へと、向かっていった。

 身体が熱くて、頭がぼぅっとするけれど、ようやく気付いた。

 いや、思い出した。

 そうだ、《カリビアン・ムーン》のパワーは6000。

 

「《グレンモルト》は4000……だけど、バトル中のパワーはプラス3000……」

 

 つまり、このバトルは、パワー7000の《グレンモルト》と、パワー6000の《カリビアン・ムーン》の対決。

 当然、パワーで劣る《カリビアン・ムーン》はバトルに負け、破壊されてしまう。

 《ガイハート》を手にしていなくても、《カリビアン・ムーン》の触手を素手で引き千切り、叩き伏せ、破壊する。

 そう、バトルで破壊した。

 破壊……してしまったのだ。

 

 

 

「あアあいあぁァぁァぁ……いい夜伽だわ。とても、とても、気持ちいィ……ッ!」

 

 

 

 うっとりとした表情で、獣のように嗤う。

 ビクビクと、痙攣したように身体を震わせる。

 わたしの足下に浸された黒水から泡が立ち、新たな触手が再生し、蠢動する。

 

「脳みそ焼き切れそうなほど気持ちイイわ、愛しい水が全部流れ出ちゃう……さァ、《カリビアン・ムーン》、能力発動!」

 

 だらだらと涎を垂らし、蕩けた顔で(ソラ)を見上げる。

 理性が蒸発した獣は、ニィっと牙を剥き、嗤う。

 何度も、何度も。またしても

 わたしの墓地が弄くり回され、穿られ、大事なものが、隅々まで蹂躙される。

 墓穴の奥底から、無理やり引きずり出された呪文が潮を吹く。

 

 

 

双極(ツインパクト)詠唱(キャスト)――《六奇怪の四~土を割る逆瀧~》!」

 

 

 

 大水が大海となり、場を満たす。

 火照った身体は冷え切り、わたしは、動けなくなってしまった。

 《土を割る逆瀧》は、唱えれば次の自分のターンまで、相手を各ターン一回しか攻撃とブロックができない状態にする呪文。

 唱えたのは後出しだけど……わたしはこのターン、《コギリーザ》で攻撃してしまっている。

 つまり……

 

「あんたの攻撃は終わりよ」

 

 冷淡な、打ち捨てるような言葉。

 わたしの力で、《ガイギンガ》の灯は消え、光は喪われてしまった。

 

「ふぅー……あぁ、いけない。ちょっとトんでたわ」

 

 ふらりとよろめきながら、彼女は涎を拭う。

 そして、嘲笑し、侮蔑の眼差しで、わたしを見つめている。

 

「帽子屋さんの頼みだから頑張ってみたけど、やっぱりこの小娘嫌いね、僕。今すぐ縊り殺してやりたいところだけれど、虐めるならもっと、僕らしく虐めて、女らしく狂わせましょう」

 

 感情の噴出が、あまりにも激しすぎる。

 なにかに憑かれていたかのように咆えたかと思えば冷静になる。そう思った直後には獣のような笑みを浮かべ、怒り狂い、すぐさま冷徹に、残虐に、淫蕩を語る。

 それは完全に、狂っている、と言うほかなかった。

 

「僕のターン。4マナで《サイバー a.k.a. 獅子》、三枚ドローして、二枚捨てるわ。そして《天啓(エナジー) CX-20》をGR召喚。マナドライブで三枚ドロー。そのまま6マナでNEO進化」

 

 《カリビアン・ムーン》は水底に沈んだ。

 けれども、淫蕩の波濤は止まらない。

 次から次へと、襲い来る。

 

 

 

「さぁ、絶頂の快楽でフィニッシュよ――《潜水兎 ウミラビット》!」

 

 

 

 あっさりと、流れるように、性愛を貪る獣が浮上した。

 わたしの盾はもうなくて。

 攻撃を止める手段も、守ってくれるものも、仲間も、なにもない。

 

「まあ、安心しなさい、痛い思いはさせないから。生娘の痛みだけはどうしようもないけど、終わりは気持ちよく……ね?」

 

 愛くるしい表情はどこか狂気的で、愛嬌は不気味に映る。

 

 

 

 ――ごめん、代海ちゃん、みんな――

 

 

 

 ぐぱぁ、と。

 邪淫の獣は、魔獣の如き大口を開く。

 その先に広がっているのは、果てしない闇と、深淵だった。

 

 

 

「《潜水兎 ウミラビット》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 どうして、こんなにも苦しまなくてはならないのか。

 彼らの世界が嫌だというわけではない。どこか壊れて、狂っているけれど、それでも彼らは、彼女らは、自分を同胞として、仲間として、生きる道を教えてくれたから。

 それでも、自分が人外ということを隠して、人の世で生きるのは、辛く、苦しいものであった。

 そんな暗い世界に射し込んだ太陽のような光が、彼女だった。

 人ならざる存在である自分でも受け入れてくれた。友達と言ってくれた。

 だから、自分もそれに応えようと思った。人でなしでも、少しでも人に近づいて、あの人の力になって、あの人みたいになれたらって……そう、思ってた。

 それは夢幻であり、泡沫のような想いでしかない。本当に、小さく、儚い願いだった。

 だけど、だけど、だけど!

 現実は残酷だ。事実は非情だ。

 知りたくなかった。

 自分が人ならざる存在だということは、思いたくなくても、わかっていた。それは、いい。それだけなら、耐えられたのに。

 なのに、他ならぬ人に加担しようとしていた自分自身が、人に害為す存在だったなんて!

 耐えられなかった。

 人間というのも悪くない、そちらの世界の光に惹かれたのは事実だ。

 けれど、アタシは、その世界に踏み入る権利も資格もなかった。

 アタシは、化け物。人を喰らう怪物。

 荒唐無稽な話かもしれない。三月ウサギさんの嘘かもしれない。

 でも、この“身体”は、否定しない。

 否定したいと願っているのは、アタシの“頭”だけ。

 旧い身体が受け入れ、新しく生えた代わりの頭が否定したがっている。その感覚が、彼女の話が真実であることを証明している。

 だからこそ、余計に、痛烈に、突き刺さる。

 自分が、人喰いである事実が。

 この身体は、もう人の食べ物を食せない。その意味が、やっとわかった。

 舌が、歯が、喉が、口腔が、それを受け入れないということは、この新しい頭も、人喰らい身体に馴染んでしまったということ。

 妄想かもしれない。ただの想像でしかない。

 けれどそれが真実なら。もし、そうなってしまったら。あの人が愛する行為を、禁忌に変え、踏み躙ってしまったら。

 他ならぬアタシ自身が、彼女に“餓えて”しまったら、きっと――

 想像するだけで吐き気がする。なのに、妙な飢餓感がある。

 その二律背反が、とても、苦しい。

 もし神様がいるのなら、アタシは呪うかもしれません。

 いや、神はいなくても、アタシたちには母親がいました。

 ならアタシは、お母さんに、恨み言を言うしかないのです。

 問いかけるしか、ないのです。

 

 どうして、こんなに苦しまなくてはいけないの、と。

 

 どうして、アタシは、産まれてきてしまったの、と。

 

 

 

 こんな過酷で残酷な世界は、必要なのですか――と。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 視界が真っ暗になった。

 次に光を取り戻した時、視界は霞んでいて、頭はぼぅっとしていて、身体は熱い。

 色んなことがぐるぐると頭の中で駆け巡っていて、なにがなんだかわからなかったけれど、それでもわかることはひとつある。

 ――負けちゃった。

 とても大事なところで、負けてしまった。ように思う。

 なにもわからない、なにも知らない。

 そして、負けてしまった。

 本当になにもわからず、なにも知らないまま、なにも守れなかった。

 そう、なにもかも。

 

「別に倒さなくてもいいってことだったけど……ムカつくからヤッちゃったわ。まあいいわよね? 帽子屋さん?」

「愚鈍なアリスを足止め、あるいは無力化さえしていれば、状態は問わん。つまり問題はない。貴様がそちらの相手をしたお陰で、こちらもなんとか撃ち落とすことができた。かなり手こずったがな」

 

 少し、焦げくさい……火薬の匂い?

 痛いというよりも疼く身体。重いわけではないけど、なぜか妙に動くことに抵抗感を覚えつつも、わたしはなんとか上体だけ起こす。

 

「鳥……さん……!」

 

 視界に飛び込んできたのは、地面に倒れ伏す白い雛鳥。

 鳥さんだ。

 目は閉じ、身体もぐったりとしており、動く気配はない。

 

「語り手、というのだったか。神話の権能を引き継ぐ者、か。本来の力を失っているようだが、それでも鉛弾なぞでは、そう易々とは死なんか。殺すつもりは毛頭ないが」

 

 そして、その脇に立ち、鳥さんを拾い上げるのは――帽子屋さん。

 彼は手にした鳥籠に、鳥さんを、乱暴に放り投げた。

 

「呆気ないな。だがまあ、こんなものだろう。後は帰宅するだけで、コーカス・レースも終幕だ」

「そうね……あぁでも、その前にちょっと遊んでいってもいいかしら?」

「……好きにしろ」

「じゃあ好きにさせてもわうわね。あ、これは浮気じゃないからね? 女は別腹だし、これただのイジメだから」

「案ずるな。オレ様はなにも心配などしていない」

「なら良かったわ」

 

 と弾むような声で、三月ウサギさんは、わたしへと見下すような視線を向ける。

 直後、彼女の脚が突き出され、胸に強い衝撃が叩き付けられた。

 

「っ、ぁぐ……っ!」

 

 その痛みと衝撃で、思わず後ろに倒れ込む。

 間髪入れずに、踏みつけられるような圧が、お腹に食い込む。

 

「僕ね、許せないことがあるのよね」

 

 ぐりぐりと、足先をねじ込み、そのたびに呻き声が口から漏れる。

 痛い、けれど。

 なぜだか、身体を走る熱が、ちょっとずつ迫り上がってくる感じがある。

 とても、とても、不思議で、未知な感覚だ。

 

「僕の“毒”を二度も受けて、それでも狂わないだなんて。どうかしてるわ。男が恋しくならない? 自分を慰めたくならない? 身体が熱くて疼いて堪らなくなって、我慢できなくなって、めちゃくちゃに掻き乱したいって気持ちにならない?」

「っ……?」

 

 確かに身体は熱いし、疼きはあるけれど……

 なにを言われているのか、いまいちに判然としない。頭が熱に浮かされたようで、上手く言葉が飲み込めない。

 

「僕の毒牙に掛けられても狂わないだなんて、僕のプライドが許さないわ。脳ミソが焼き切れるほどの快楽を、身が焦がれるほどの悦楽を、あんたに味わわせないと気が済まないの。僕の疼きが、収まらないの」

 

 わたしに馬乗りになり、屈み込む三月ウサギさん。

 動けない。はね除けられないし、振り払えない。

 いつもなら、鳥さんから力を借りている状態なら、わたしはずっと強い力が出せる。

 けれど今は、どうしてか、力が出ない。わたしの中にある力が、遠く、薄くなってしまっているような。

 わたしの中に燻る炎を、上手く、制御できないような。

 

「僕の力は愛の霊薬。自分の欲望が、奥底まですべて解放される衝動の毒。あなたも秘めた情動を全部曝け出しなさい。発狂するまで、僕の愛を注いであげるから」

 

 三月ウサギさんの手が、わたしに伸びる。

 瑞々しく艶やかな唇が、呪詛のような言葉を紡ぐ。

 

「淫らに狂いなさい。「三月のウサギのように」――」

 

 翳された手が、禍々しく、忌々しく見える。

 とても恐ろしいものが、彼女の言葉から、伸びる魔手から滲み出ているような。

 そこから溢れ出すものが、わたしを飲み込んでしまいそうに見える。

 だけど、その時。

 

「!」

 

 小さな影が、わたしと三月ウサギさんに間に割り込むように、飛びかかった。

 わたしを飲まんとしていた呪いのようななにかは、わたしには届かず、雲散霧消した、ように感じた。

 

「っ、僕の狂気が、弾かれた……!?」

 

 直後、ふんわりと、温かく、柔らかな感触が、顔に触れる。

 黒い毛並み。首元に見える、見覚えのある鈴のチョーカー。

 この子は……

 

「ほぅ、チェシャ猫か。窓から入り込んだか。戸締まりを忘れていたか? これはとんだ見落としだな。責任でも取っておくか」

 

 直後、爆ぜるような轟音が鳴り響く。

 焦げた匂い。そして吹き飛ばされるスキンブルくん。

 帽子屋さんの手には、銀色に光る拳銃が握られていた。

 

「……あぁ、そういうこと」

「どうした?」

「僕の放った狂気がどうして効かないのか、わかったわ」

 

 愉しそうに、口角を釣り上げて嗤う三月ウサギさん。

 彼女は壁際まで吹っ飛ばされたスキンブルくんに視線を向けた後、わたしにその視線を移す。

 いや……わたしじゃ、ない、ような……?

 わたしが伏している床……頭、髪を、見ている……?

 

「これね」

 

 そして手を伸ばす。

 けれどその手は、わたしではなくて、わたしの髪を――髪飾りへと、伸びていった。

 彼女はわたしの鈴の髪飾りを手に取る。

 

「僕の狂気に耐える奴はたまにいるわ。狂気に侵されても狂わずに飲み込む奴もいるわ。でも、弾かれたことなんて、一度もなかった」

 

 ギリッ、と歯を噛み締める。

 同時に、鈴を取る手に、力が込められる。

 

「最初はあんたの体質に問題があると思ってたけど、違うのね。あんたのこのダサい鈴……これで、僕の淫蕩という狂気の力を、堰き止めてたってわけね」

 

 狂気を堰き止める?

 どういう、こと……?

 これはお母さんから貰った髪飾りで……お母さんはお守りって言ってたけど……

 ……あぁ、でも、お母さんはちゃんと効果のあるって、おまじないをかけたお守りだって、言ってたような……

 なにをされたのかも、なにをされるのかも、よくわからなないけど……わたしは、お母さんのお陰で、守られた、ってこと……?

 

「チェシャ猫が割り込んで弾かれたってことは、一個じゃ効果は弱いのね。そもそも僕の狂気は、別に呪いとかじゃないのだけれど……でも二個揃ってれば、弾いちゃうくらい強い退魔の力がある。へぇ、ふぅーん。面白いわねぇ」

 

 ギリギリ、と鈴を摘まむ指の力が、さらに強まる。

 ドクンドクンと脈打つ心臓の音が、早くなる。

 

「つまり、これがなくなれば……あなたは本当の本当に、丸裸、ってことね」

「ぁ……っ」

 

 さらに、指に込められる力が、強くなる。

 ピキッ、と。

 嫌な音が、聞こえてくる。

 それは……それだけは、ダメだ……!

 

「だ、ダメ……! やだ、やめて……それは、お母さんから、もらった……たいせつな……!」

「あらそう。母親からの大事な贈り物ってことは、壊しちゃうのは可哀想ね」

 

 スッ、と。

 もう片方の手が、わたしの頭に伸びる。

 撫でるように、柔らかな掌が、額に触れる。

 

「……僕はお母様から中途半端な性欲しか貰わなかったわ。あなたは母親から愛されてて、いいわね(ムカつく)

 

 その言葉と共に、淫蕩という狂気を孕んだ呪詛が、唱えられた。

 そして――

 

「三月のウサギのように」

 

 

 

パキンッ

 

 

 

 ――わたしの大事なものは、すべて、壊れてしまった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「あ、ぁ、あ……」

 

 ドクン、ドクン、ドクン、と。

 身体の芯が、燃えるように熱い。

 沸騰したように煮えたぎる血が、心臓から、全身へ流れ、巡る。

 疼くような感覚。痺れるような悪寒。熱いのに、ぞわぞわし、ぞくぞくする。なにかが、よくわからない未知の感覚が、迫り上がってくる。

 頭は真っ白になって、ぐるぐるとしてて、わけがわからない。ショートしたみたいに、熱く、めちゃくちゃになっている。

 視界も明滅してて、バチバチと点滅を繰り返している。

 とても、不思議な感覚だった。苦しくて、渇いているようで、だけど……なぜか、イヤなのに、イヤじゃない。

 なにかを望むような、拒みたいのに拒みきれないみたいな。なにかを求めて、欲しがっているような。

 わからない、わからない、わからない。

 

(なに、この、感じ……!)

 

 その未知の感覚が、ただひらすらに、怖い。

 

「あァ……ようやく効いたわ。ようやくこのムカつく女を、色欲の奈落に突き堕とすことができたわ。達成感が半端ない、最高……!」

 

 恍惚の表情で、三月ウサギは蕩けた眼差しを小鈴に向ける。

 小鈴は未知なる衝動に惑わされる。

 熱く巡るような、這い回って突き抜けるような、恋しく切なくなるような。

 その収まらない激しさに、頭が、どうにかなってしまいそうだった。

 

「う、うぅ、ぁぁぁぁぁ……っ!」

「ふふっ、辛いでしょう? 苦しいでしょう? もどかしいでしょう? いいのよ、なにシても。なにヤッても。あなたの望むままに、求めるままに、情動に従いなさい。無知な生娘が翻弄されてるというのも、甘酸っぱくて美味しいもの」

 

 身悶える小鈴に、三月ウサギはそっと顔を近づける。

 

「まあ、今は僕の狂気を受け入れるだけでも大変でしょうね。このまますぐぶっ壊れても面白くないし、こうしましょうか」

「ぅ、ぁ……っ!」

 

 三月ウサギは、小鈴の首元に口付けする。

 鬱血したような噛痕(キスマーク)はとても奇妙で、三日月の形に歪んでいた。

 

「今は軽い疼きにしてあげる。代わりに、狂気の月が昇った時、獣のような衝動の波が襲ってくるわ。頑張って発散しなさい……あぁ、今夜はいい月夜になるわね」

 

 くすくすと、卑しく微笑む三月ウサギ。

 その笑みは、狂気に歪んでいた。

 

「もしも自分の慰みに満足できなかったり、男に満足できなかったら、僕のところにでも来なさいな。あぁ、安心なさい。あんたのことは嫌いだけど、快楽に溺れたヒトは好きだから。僕は男でも、女でも、どっちでもイケるクチだしね」

 

 そう言い残して、三月ウサギは帽子屋の下へと戻る。

 

「もういいのか?」

「うん。満足したわ。できることならあの小娘が逝キ狂うところも見てみたいけど、そのへんの男に喰われて捨てられるのも面白そうだしね?」

「成程。オレ様にはよくわからんがな」

「帽子屋さんってば枯れてるわねぇ」

「……そういうものだからな」

 

 とっとと帰還するぞ、と鳥籠を揺らしながら出口に歩を向けた瞬間。

 扉をぶち破って、ヤングオイスターズが飛び出してきた。いや、飛び出したというより、吹っ飛ばされた、と表現する方が正しいか。

 そしてそれとほぼ同時に、ふたつの人影が、駆け込んでくる。

 実子、そして霜の二人だった。

 

「小鈴ちゃん!」

「っ、これは……!」

「ヤングオイスターズが突破されたか」

「あぁそうだよ。悪るかったな、ダンナ」

「なに、もう終わったことだ。問題ない」

「そうかよ」

 

 口元の血を拭い、埃を払いつつ立ち上がるヤングオイスターズ。

 一方で霜と実子は、ぐるりと室内を見渡す。

 

「……どうなっているんだ?」

「まあ、見ての通りだな」

 

 部屋には、苦悶の、けれども蕩けたような表情で倒れ伏す小鈴。腹から血を流しているスキンブルシャンクス。

 そして、帽子屋、三月ウサギ、ヤングオイスターズ――代用ウミガメ。

 ほぼ敵に包囲されている、ということは理解できた。

 

「完全に秘匿するまでには至らなかったが、皆、よくやってくれたよ。特に代用ウミガメ。貴様の産卵がなければ、聖獣を動かせなかった」

「あ、アタシ……アタシ、は……ア、ぁ……」

 

 褒賞の言葉。しかし代用ウミガメは、昏く、今にも崩れ落ちてしまいそうな表情で、俯くだけ。

 霜はそんな彼女に、冷たく、鋭い眼を向ける。

 

「……君か。小鈴を陥れた一因なのか」

「アタシは……だって、でも……アタシ、そんな……!」

「おっと誤解するなよ、愛らしい少年。我らの目的は聖獣でな、マジカル・ベルの無力化はついででしかないのだ」

「小鈴ちゃんがついでって……は?」

「奴はそこに放っておくから、好きにすればいい。三月ウサギがなにかしていたが、まあ、オレ様の与り知るところではないな」

 

 乾いた声でそう言い残すと、帽子屋は今度こそ、不思議の国(Wander Land)の外へと、去って行く。

 その後に三月ウサギが、そしてヤングオイスターズも続く。

 

「……代用ウミガメ。お前も来な」

「ぁ……」

 

 ヤングオイスターズは。立ち尽くす代用ウミガメの手を引く。 

 彼女もまた、不思議の国から立ち去っていく。

 その去り際に、霜は彼女の背に語りかける。

 

「……ボクは悔しいよ。敵に惑わされたことも、心を許してしまったことも。そのせいで、友達を傷つけてしまったことも」

「て、敵……」

 

 冷淡な、凍えきった言葉。

 刺し貫き、切り刻むような、言の刃。

 

「今更こんなことを言っても泣き言でしかないけれど、でも、ボクらは君と関わるべきではなかった。やはりボクらの中に、君は――」

 

 首を落とすようなそれは、代用ウミガメに、執刀される。

 

 

 

「――いない方が、よかった」

 

 

 

 突き堕とされるような、切り落とされるような。

 身体が冷え切って、寒さに打ち震える。

 肉体の芯の芯まで、心の奥の奥まで。

 真っ暗な水底のように、暗黒の宙の果てのように。

 沈んで、放逐される。 

 

「行くぞ、代用ウミガメ」

 

 呆然とする代用ウミガメを、ヤングオイスターズはその腕を引っ張って、連れ出す。

 不思議の国の住人は、いなくなった。

 そうしてただの人間だけが、取り残される。

 

「あんま君らしくないね」

「……ボクだって感情的にもなる。悔やむし、怒るし、蔑むさ」

「そう。まあ、確かにあの子がいない方がよかったってのは同感」

「あぁ……それより、小鈴は――」

 

 二人が振り返る。

 すると、そこには、上体だけ起こした彼女がいた。

 魔法少女でもなんでもない。ただの平凡な、幼い少女。

 顔は紅潮し、吐息は荒く、小さな矮躯を小刻みに震わせている。

 しかしその眼差しは、鋭く、猛々しく、まっすぐ、二人を見つめていた。

 

「……なんで」

 

 静かに、けれども確かな熱がこもった声。

 駆け巡る衝動のまま、彼女は震える声を振り絞る。

 

「なんで……そんな、ひどいこと……言うの……」

「小鈴……?」

「代海ちゃんは、わたしの、ともだち、だよ……なにが、あっても……!」

 

 忌むように燃えた瞳を突き刺す。

 牙を剥く獣のように、小鈴は、熱に荒ぶる言の葉を吐き出す。

 

「いない方がいいなんて、そんなこと……絶対ない!」

「でも、結果として、小鈴ちゃんに被害が出てるじゃん!」

「そうだ。どうであれ、彼女との関わりで足下をすくわれたんだ。言い訳がましいが、ファーストコンタクトから失敗で……」

「違う! そうじゃない! そうじゃないよ……!」

 

 鈴もなにもない髪を振り乱して、否定する。

 友の諫言を、拒絶する。

 

「そんなこと……ないもん……」

 

 なにも考えられない。けれど、湧き上がってくる。

 それは違うと。それは間違いだと。そうではないのだと。

 否定を、否定する。

 本能に、逆らえず。衝動に、抗えず。

 

「友達に、そんなこと言う、二人の方が……霜ちゃんも、実ちゃんも……!」

 

 この意にそぐわないものは、自分の信じるものを悪し様にし、害為すというのなら。

 それこそ認められない。

 いらない、と心が騒ぐ。

 だから吐き出してしまう。思うがままに、刹那の心の刃(ことのは)を。

 縁を引き千切る、断絶の呪詛を。

 

 

 

「絶交だよ、二人とも――友達なんかじゃない!」

 

 

 

「っ!」

 

 その言葉を最後に。

 小鈴は身体をビクンッと震わせ、小さなうめき声を上げ、倒れ伏してしまった。

 霜も、実子も、言葉が出なかった。

 絶交、などと。

 およそ小鈴から聞くとは思わなかった言葉。幻聴なのではないか、夢なのではないか。そう、思うが。

 これは紛れもなく、現実だ。

 呆然とする実子。胸を押さえる霜。

 やがて霜は、踵を返す。

 

「実子、行こう」

「…………」

「行くぞ」

「……ん」

 

 迷いなく店の扉へと歩を進める霜。

 実子は戸惑った足取りで、彼の後を追う。

 霜が扉に手を掛けようとしたところで、勢いよく扉は開け放たれた。

 

「やっと追いついた! 小鈴ちゃん! スキンブル! 無事……って、わっ」

「先輩……」

 

 飛び込んできたのは、謡だった。

 滝のような汗を拭い、荒い呼気で肩を上下させる彼女は、視界に飛び込む霜と実子に、思わず足を止める。

 

「そ、そーくん? 実子ちゃん?」

「……連絡しようと思ってたので、いいところに来てくれました。後のこと、任せます」

「は? え? ちょっと二人とも! どこ行くの!?」

 

 謡の制止も聞かず、彼女伸ばした手も届かず、霜と実子、二人はなにも言わずに不思議の国から立ち去ってしまう。

 

「な、なにが……あ、いや、それより小鈴ちゃん! どうしたの? スキンブルも!」

 

 状況が飲み込めず、ただただ混乱するだけの謡だが、倒れている小鈴とスキンブルを見て、剣呑な空気は察する。

 あまり想像したくないが、恐らくこれは“敗北”なのだろう。負けた結果が、ここには広がっている。

 謡は慌てて小鈴へと駆け寄った。

 そして、彼女の肩を揺さぶると。

 

「小鈴ちゃん! しっかりして!」

「ん……ぁっ」

「えっ!?」

 

 触れた瞬間、跳ねるように耳に届く、艶やかな嬌声。

 およそ中学生とは思えない色香を滲ませた声に、心臓が跳ね上がる。

 

(な、なに、今の色っぽい声……!?)

 

 小鈴からはじめて聞くような声に、謡は同性ながら胸の鼓動の高鳴りを感じてしまう。

 戸惑いを孕む動悸に困惑していると、傍らでなにかが動く気配がする。

 のっそりと、彼が起き上がった。

 

「あー……今起きました。死にそうです」

「スキンブル! って、大丈夫!? ち、血が……!」

 

 いつの間にか人の姿を取っていた、スキンブルシャンクス。

 彼は腹から血を流しながら、ふらふらと揺れるような足取りでやって来る。

 

「帽子屋に撃たれました。急所は外れましたけど、痛すぎて喋るだけで意識飛びそうです」

「それってヤバいじゃん! ど、どうしたら……救急車! は、ダメなんだよね。えっと、えっと……」

「落ち着いてください、謡。確かに俺の容態はまずいですが、今のは誇張表現です。それより、小鈴様の方が危篤状態と言えるでしょう」

「そ、それもそう、なの……?」

「そうですとも」

 

 本気か冗談かわからない口振り。顔色はよくないし、足下もおぼつかないが、しかし意識があり、動けるということは、大丈夫なのだろう。

 意識がハッキリせず、動けないまま倒れている小鈴の方が緊急を要するというのは、その通りなのかもしれない。

 

「……な、なにがあったの?」

「俺も撃たれた後のことはわかりませんが……ふむ。あの状況から察するに――」

 

 とスキンブルが口を開こうとした、次の瞬間!

 バタバタバタ! と慌ただしい足音と共に、幾人もの人影が転がり込む。

 

「小鈴さーん! ここですか!?」

「ま、待ってよ、ユーちゃん……!」

「れんちゃんに……ユーリアちゃんとローザちゃん!」

 

 恋に、ユーリアとローザ。三人が、駆け込んでくる。

 いいタイミングなのか。いやさ、遅きに失したのか。

 恋はぐるりと室内を見回すと、謡に問う。

 

「よう……これは……」

「……ごめん。間に合わなかった」

「……そっか。こすず、は……?」

「よくわからないけど、なんだか苦しそうで……」

 

 顔は赤く、身体は熱い。

 ピクピクと痙攣するように、もじもじと疼くように、小さく震えていた。

 

「あまり下手に触らない方がいいです。恐らく、今の彼女の肌は鋭敏になっていますから」

「どういうこと?」

「彼女はきっと、三月ウサギの毒に犯されています」

「毒……?」

「えぇ。まあ毒というか、呪いというか、なんと言えばいいのか分かりかねますが、彼女の有する権能ですね」

 

 ひとまずこの場に留まるわけにもいかないと、謡はゆっくりと小鈴を抱きかかえ、外に出た。

 冬の冷たい風が肌を刺す。それでも、抱え上げた少女の身体の熱は引くことなく、激しくなるばかりだ。

 

「……なんか、前にも……そんなこと、あった、よーな……三月ウサギの、力が、どーこー、って……」

「三月ウサギの個性()は、欲望の解放です。あらゆる生命体が持つ、根源の願望を表層まで浮かび上がらせ、その衝動に支配されます。そしてあらゆる生物の根底にある欲望とは、種の繁栄、存続。ほとんどの場合、それを強制的に引き起こさせる結果となるでしょう」

「えっと……?」

「む、むずかしいです……」 

「言葉を選ばずに言いましょうか?」

「わかりやすさ……ゆうせんで……緊急、だから……」

「では単刀直入に。三月ウサギは対象を発情させます。それも、とびきり強烈に」

「はつ……っ!?」

 

 あまりにもストレートで、しかも強烈な言葉に、思わず謡は赤面してしまう。

 

「な、なに言ってんのさスキンブル!」

「俺は大真面目ですよ。彼女は、狂気の三柱の一柱、淫蕩の狂気を司る者。尽きない淫欲と快楽で、人を狂わし破滅させる、最悪の獣です」

「だけど! 待ってよ、つまり、それって……」

「あなたの想像通りでしょう。毒気を抜くには、湧き上がった欲望を発散させなければなりません。三月ウサギの与える欲求は単純明快にして原始的、性欲です。なので――」

「ふざっけんなッ!」

 

 ビリビリと、空気が痺れるほどの怒声を放つ謡。

 血が滲むほど歯を食い縛り、血走るほどの怒りを込めた眼差しで、スキンブルを睨み付ける。

 

「あまり叫ばないでください。傷に響きます、俺の」

「この子はまだ中学生なんだよ!? それなのに、そんなのって……!」

「……あなたの怒りは正しい。俺も憤慨しております。しかし、その怒りを、俺にぶつけても、小鈴様は助かりません」

「でも、でもさぁ……!」

「謡さん……」

「……ぅぅ」

 

 納得がいかないと言うように、悔恨を噛み締める謡。

 ユーリアらも、不安そうにふるふると瞳を揺らている。

 恋は俯き、小さく嗚咽を漏らしていた。

 

「こんなの、どうすればいいっていうのさ……!」

「兎にも角にも、このまま放っておけば、彼女を蝕む情動で、満たされない欲望という苦悶で、彼女は発狂してしまうでしょう。快楽を得たとて、その海に溺れて狂う可能性もありますが……」

 

 満たされない欲望に苦しむか、満たされた欲望に溺れるか。

 どちらにせよ、狂気が待ち受けることに変わりはない。

 淫欲を拒絶しようと、教授しようと、その先にあるのは快楽の地獄、そして狂気。

 十いくつの幼い少女がその身に受けるには、あまりにも残酷な仕打ちだ。

 

「……ひ、一人では、ダメなの……?」

「三月ウサギの毒が、一人で慰む程度で抜けるとも思えません。特に、この刻印(キスマーク)

 

 スキンブルが指し示す、小鈴の首筋に浮かんだ疵痕。

 それは三日月の形に歪んでおり、邪悪にその存在を主張している。

 

「これは彼女の力の結晶のようなもの。少しずつ彼女の肉体を蝕み、犯し、狂気の月が昇る時、効力が最大となります。時間がかかる代わりに、その効果も絶大……ひょっとすると、一人二人の男では足りないかもしれませんね」

「…………」

「おっと失礼。今のは軽口のつもりではなかったのですが、軽率でしたね。なんにせよ、彼女は――為さねばならない。さもなくば、ただ邪淫に狂うのみです」

「でも……あ、相手は、どうすんのさ……誰が、こんな……」

 

 仮に、仮にだ。

 彼女を救うために必要なことを為さなくてはならないとは言っても、ここにいるのは、四人の少女と一匹の猫だけ。

 女一人を満足させるには、この場にいる者たちは、あまりにも無垢すぎた。

 

「そうですね、とりあえず俺であれば、異種配合となるので孕むことはありえませんが」

「ふざけてるとぶっ殺すぞ!」

「……ご主人(マスター)が恐ろしい。しかし今のは俺が悪い。それに俺としても、恋しく思う人と、このような形で交わるなど御免です。というより俺は覗き見るほうが趣味です」

 

 ふいっ、と視線を逸らすスキンブルシャンクス。

 そして彼は不満げに続けた。

 

「まあ、そうですね。意識すら曖昧な彼女の合意を得るというのはほぼ不可能ですが、それでもあえて、彼女の意を汲むのであれば……彼を訪ねる他ないでしょう」

「か、彼って?」

「そんなものは決まっております。物語開始の第一話から判明している理です」

 

 スキンブルシャンクスはどこか遠くの虚空を見つめる。

 そして、告げた。

 

 

 

「――小鈴様の思い人でございますよ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……恋の奴、遅いな」

 

 剣崎一騎は、自宅で頭を悩ませていた。

 部活が終わってから、もう結構な時間が経った。

 先に帰るなどと言いながら、一騎が帰宅しても、恋の姿はなかった。

 しかし連絡は最後のあれっきり。それ以後は、なんの音沙汰もない。こちらからコールしても、返事もない。

 なにかがあったのは、間違いない。

 だがそれがなにかまでは、わからない。

 もしかすると、なにか事件に巻き込まれているのではないか、という思索が巡る。

 

(暁さんたちにも伝えるべきだろうか……いや、“あっち”のことならまだしも、こっちの出来事だし、普通に警察か……?)

 

 不安が募る。

 半年ほど前の彼女ならまだしも、今の彼女なら、それほど心配はないと思っているが。

 それでも、少し浮世離れしたところがある少女だ。そうでなくても、恋は見てくれだけならとても綺麗なのだ。

 誘拐でもされていたら、恋の世話を任せてくれた彼女の母親に申し訳が立たない。

 副部長から「お前は過保護すぎる!」とよく叱咤されてはいるものの、しかしこのまま放っておくのも怖い。

 そして一騎は意を決し、警察に伝えようと、携帯画面を切り替える。

 と、その時だ。

 

ピンポーン

 

「ん……誰だろう、こんな時間に」

 

 不意に鳴り響くインターホンの音。しかも、それは執拗に連打される。

 急かすように、焦るように、何度も、何度も、呼び鈴の音が響く。

 

「い、今出ますから……ちょっと待って!」

 

 扉の向こうの来訪者に聞こえるわけもないが、そう言って、一騎は慌てて扉を開ける。

 すると、ガシッ、脚になにかがしがみついた。

 

「つきにぃ……っ!」

「こ、恋っ? お前、こんな時間まで、どこ、で……」

 

 脚に染みるように伝わる、熱く、冷たい感触。

 その感覚に、一騎は驚かずにはいられなかった。 

 

(え……な、泣いてる……? 恋が、泣いてる……?)

 

 にわかに信じられなかった。

 感情がほとんど表層に現れず、いつでも無感動な瞳で、すましたような冷淡な態度で、喜びも、怒りも、哀しみも、決して顔には出さない恋が。

 顔をくしゃくしゃにして、声を震わせて、泣きじゃくっている。

 こんな感情的な彼女を見たのは、半年振りだ。

 それは稀少であり、それでいてただ事ではない事態でもあること、一騎は察する。

 

「つきにぃ、おねがい……こすずが、こすず、が……!」

「え? 小鈴ちゃん? 小鈴ちゃんが、どうしたって?」

「……イツキ先輩」

 

 声を荒げる小鈴とは対照的に、とても静かな――感情のすべてを押し殺したような、冷え切った静謐な声がした。

 来訪者という意味では、彼女、あるいは彼女らこそが、本当の尋ね人なのだろう。

 その声ではじめて、彼女らの存在に気付く。

 

「長良川さん……それに……」

 

 来訪者たる謡。その傍らに、従者のように佇む見知らぬスーツ姿の少年。

 そして、謡が抱きかかえた少女――小鈴の姿もあった。

 小鈴は吐息が荒く、顔は紅潮し、身体も小刻みに震えている。

 一見して正常な状態でないことはすぐにわかった。

 とはいえ、あまりにも唐突な出来事に、さしもの一騎も、理解が追いつかなかった。

 

「……どう、したの?」

 

 ようやく絞り出したのは、それだけの言葉。

 謡は唇を噛み締め、沈痛な面持ちで、小鈴と、そして一騎を、申し訳なさそうに、哀しそうに、悔いるように、見つめる。

 

「お願いします、先輩。私たちのこと、全部……全部、話しますから。だから――」

 

 やがて謡は口を開き、嘆願する。

 

 

 

「小鈴ちゃんを、助けてください――!」

 

 

 




 後篇とは言いました。全部で三話構成にする予定でした。でも無理だったよ。
 というより、四話目に持ってくる話を独立させるつもりだったんですけど、繋げることにしました。
 次回は少女の儚い一夜……まあ、流石に婉曲に婉曲を重ねた表現にします。とても危険な、けれども、大事な一夜となるはずなのです。
 それでは今回はこの辺で。誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。


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43話「太陽を求めて -終篇・夜伽-」

 タイトルはアレだけど、むしろ内容的には前回よりも健全だと思う。
 不健全な話はちゃんとR18モノとして投稿するのでご安心ください。というかそういう話はたぶんもう本作では書かん。


「――と、いうことなんです」

 

 すべて話してしまった。

 きっとこれは、彼女の意志に反する。無関係な人、大切な人を巻き込んでしまうことを、彼女は悲しむだろう。

 しかし彼女を救うためには、仕方なかった。

 なんの説明もなく、自分たちの隠し事も明かさないで、彼に“あんなこと”を求めることなんて、とてもできなかった。

 謡は沈痛な面持ちで、自分たちのすべて――クリーチャーや、【不思議の国の住人】に関するすべてを、剣埼一騎に話した。

 一騎は静かに、真剣に、その話を聞いていた。

 

「あの……こんな話、おかしすぎて信じて貰えないかも知れないんですけど、でも、ふざけてるとか、悪戯とかじゃなくて、その……」

「いや、信じるよ。俺も色々と合点がいったしね。恋がなにか隠してるとは思っていたけれど……そういうことだったのか」

「……ごめんなさい」

「もういいよ、怒ってないから。お前は、約束を果たそうとしただけなんだろ」

「……うん……こすずと、約束、したから……誰にも……つきにぃにも、話さない、って」

「なんで俺が名指しなのかわからないけれど、気持ちはわかる。俺も同じ立場だったらそうするし、そうしているからね」

 

 頷く一騎。謡としては、意外なほどすんなりと受け入れられてしまい、面食らうが、しかしそれはそれで好都合ではある。

 こちらの事情を説明する以上に、大きく、根深く、残酷な問題が、待ち構えているのだから。

 

「それで、件の小鈴ちゃん。今は愛さん――恋の母親だけど――の部屋に寝かせてるけれど、なにがあったの?」

「……それは」

「それにつきましては、俺の方から説明致しましょう」

 

 今まさに、謡に包帯を巻かれている青年が、声を上げる。

 

「あなたは……えっと」

「スキンブルシャンクスと申します。訳あって、今は謡の……なんでしょう? お目付役でしょうか? をさせて頂いております」

「覗きが趣味の居候です」

「事実故、否定はしないでおきましょう」

「……語り手、とかではないんだよね?」

「はて、なんのことかさっぱり分かりかねますね。どちらかと言えば、俺は物語の語り手ではなく、紡がれた物語を閲覧する読み手でございましょう」

 

 重い空気の中、スキンブルだけはいつもの調子で、語り出す。

 小鈴にかけられた、悲惨極まる呪いを。

 

「小鈴様は今、『三月ウサギ』の毒に犯されている状態なのです」

「毒……」

「厳密には毒ではないのですが。しかし人の身には過ぎた情動は、容易く牙を剥く。アレは、無理やり獣の本能を呼び覚まし、本能に干渉する邪悪そのもの。幼き身には酷な仕打ちでありましょうや」

「う、うん……? えぇっと、いまいちよくわからないのだけれど……」

「誤解を恐れず直球で言えば、凄まじい効果を持つ媚薬のようなものです。今の小鈴様は、絶大な淫欲を催していることでしょう。発情した兎にも勝る獣の如く、です」

「はぁ!?」

 

 一騎は素っ頓狂な声を上げた。

 そして一同の顔を窺い、恐る恐る、尋ねる。

 

「え、その……冗談、じゃ……?」

「…………」

「冗談だったら良かったのでしょう。しかし申し訳ない、大真面目なのです」

 

 沈痛な面持ちの謡、また泣き出してしまいそうな恋。

 スキンブルは平静を装っているものの、その内心は窺い知れない。

 彼は慇懃に、軽くも冷徹な言葉を吐き出す。

 

「一騎様。これは我々としても忌々しい選択なのです。しかしこのままでは、小鈴様は邪淫という狂気に飲まれ、狂い果ててしまうことでしょう。それはとても……哀しい。その結末は、誰も望みません」

 

 友が、後輩が、思い人が、狂ってしまう。元の彼女には戻らず、彼女という人柄が、人格が、存在が、失われてしまう。

 そんな未来は、誰も望まない。

 

「三月ウサギの淫欲は、純然たる人間の生態、性質、本能、あるいは生理現象です。それを肥大化させただけで、鎮める方法そのものは変わらない。だからこそ悪辣でもあるのですが」

 

 そして、とスキンブルは続ける。

 

「彼女の欲望を受け止めるのに、あなた様以外に適任はおりますまい。あなた様が拒むというのならば、我々は彼女を、慰みきれない狂気に放り出すことになってしまう。そうでなくとも、彼女という可憐な花を、どこぞも知らぬ馬の骨に差し出さなくてはなりません」

「ま、待ってよ! そんないきなり、そんなこと言われても……っていうかなんで俺!?」

「さて、それを語るのは我々ではございませんので。しかし安心してくださいませ、人選に狂いはございません。そこは確約致します」

「いや、いや、でもさ。だからって、突拍子がなさすぎるというか……だって、つまり、それって。俺に、小鈴ちゃんと……」

 

 その先は、言えなかった。

 口に出すのも気恥ずかしい。それに、それを言ってしまうと、彼女との夜を、本当に想像してしまいそうだった。

 小さく幼い、乱れた彼女を。

 

「……ごめんなさい、先輩」

 

 謡は、目を伏せて、震えた声で、頭を下げる。

 

「私もこんなこと言いたくないんです。あの子はまだ中学生で、先輩だって……こんな形で、こんなことさせるなんて、そんなの私だって嫌、ですけど……」

「……つきにぃ」

「恋……長良川さん……」

 

 そうだ。これは、一騎と小鈴、二人だけの問題とも言えない。

 誰かが狂ってしまう、誰かと誰かが交わってしまう。その絶大な変化は、彼ら彼女らの取り巻く環境、そこから湧き上がる物語さえをも変質させてしまう。

 それは前進や成長、変化や進化、向上や進展とは違う。

 破滅への道だ。

 あるいは、歪に歪んだ黄泉路となるかもしれない。

 それが見えているからこそ、誰も、この展開を望まず、否定したいと悔やむのだ。

 

「俺の言葉は非常に軽薄に聞こえてしまうのでしょうが、嘘偽りはございません。これは、苦渋の決断、なのです」

 

 改めて、スキンブルは一騎に向き直る。

 彼も、腹から血を流そうと、身体に風穴が開こうと、この道筋をよしとしなかった者。

 その言葉の装いの下は、他の誰にも劣らぬほどに、重い。

 

「たとえあなた様が小鈴様の情動を宥めようと、それで彼女の受けた狂気が洗い流せる保証はございません。人の欲望など、他人が測れるものではございませんからね。しかし、このまま放置すれば、発狂は免れない。ならば少しでも助かる可能性に賭ける。これは、そういうことなのです」

 

 交われば助かる、というのは楽観的思考、希望的観測だ。

 それはあくまで、可能性。

 希望はあっても、その隣には必ず絶望も座している。

 光の裏には影があり、太陽は必ず月という影を生む。

 助からない。ただ、純潔に傷を付けるだけで終わるかもしれない。誰も彼もが傷ついて、一人の少女が狂って果てる。ただそれだけかもしれない。

 その上で、誰も望まぬことを為せと、保身を捨てろと、迫るしかなかった。

 

「……三月ウサギの呪印は、月が昇るときに最高潮に達します。刻限までは、僅かとはいえ時間はございましょう」

 

 僅かに時間は残されている。

 逆に言えば、残された時間は僅かばかり。

 

「残酷なことです。しかしそれまでに、ご決断を。これは、天国か地獄(Dead or Alive)ですらないのです」

 

 よりよい選択など、そこには存在しない。良い道と、悪い道があるわけではない。

 あるのは、天国と地獄などではない。楽園など、どこにもなく。

 与えられた選択肢は、ただひとつ。

 

「小鈴様を、地獄のような邪淫の狂気に放り出すか、彼女と共に地獄の一夜を超えるか――お選びください、一騎様」

 

 

 

 ――どちらの地獄を選ぶかだ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……先輩、行っちゃったね」

「えぇ。もっとも答えは聞いていませんので、どうするかは分かりかねますが」

「…………」

「おっと失礼。言葉にするのも酷でしたね」

 

 相変わらずの軽口。彼なりの慰め……ではない。純粋に彼の癖、あるいは、この奇妙な脳天気さは【不思議の国の住人】の習性、ある種の国民性のようなものなのかもしれない。

 

「……スキンブルはさ」

「はい?」

「小鈴ちゃんのこと……好き、なんじゃなかったの?」

「あぁ……えぇ、まあ、確かに」

 

 謡とスキンブルが手を組んだ理由。その最たるものが、伊勢小鈴だった。

 彼女のために、彼女のように。

 一人の少女を中心とした動機によって、無色透明な少女と、剥離した獣は結びついた。

 謡は少しずつだが、未来を見出している。

 けれども彼は、スキンブルはどうだろうか。

 仕方のないこととは言え、彼女は思い人と夜を共にする。それは、彼女を愛するスキンブルにとって、苦痛なのではないか。

 

「君は、これでいいのかなって」

「良くはないですね。しかし……えぇっと、なんと言いましょうか」

 

 今更ではあるが、謡なりにスキンブルを気遣ったつもりだったが。

 当人は、あまりピンと来ていないというか、どこか他人事のようで、謡も面食らう。

 嫉妬とかしないのだろうかと思ったが、彼の口からは、そのようなことは微塵も語られない。

 

「俺の小鈴様に対する“好き”の感情は、きっと、恋ではなく、ましてや性愛でもないのです」

「そうなの?」

「えぇ。俺はあなたの相棒で、あなたは俺のご主人。つまりはそういうことです」

「え……?」

「推し、というものです」

「推し!?」

「俺は彼女のファンなのですよ」

「ファン!?」

 

 いきなりなんのカミングアウトだ、と思ったが。

 その意味は、すぐに納得できた。

 

「俺は、伊勢小鈴という少女を取り巻く環境が、彼女の紡ぐ物語が、なによりも好物なのです。その生き様に憧れ、喜び、人生を謳歌する。それが、とても楽しい」

 

 一人の人間を、人間としてではなく、キャラクターとして。

 その人の人生を、生き様を、生きた人間としてではなく、物語として。

 それはある意味では、惨い視点なのかもしれないが。

 他ならぬ人ならざるスキンブルシャンクスだ。人の世への進出を目論む【不思議の国の住人】の中でも異端の出生であり、そして離反した獣だ。

 そう考えれば、その奇妙な視座も、わからなくもなかった。

 それに。

 

「あなただって、彼女という物語に感化されたクチでしょう?」

「そう……だね」

 

 それは、謡も同じだから。

 彼女の姉から聞く、彼女の物語。

 それに憧憬を抱いた謡もまた、伊勢小鈴という物語の美しさに惚れていた。

 ある意味では、彼女のファンなのだ。

 つまるところ、目指すところは違えど、根っこの部分では謡もスキンブルシャンクスも、同じだ。

 伊勢小鈴が、彼女の紡ぎ出す世界が、好きなのだ。

 

「君の言葉が変だから、私ちょっと誤解してた……けど、聞いてよかったよ、安心した」

「まさか俺が寝込みを襲うとでもお思いで?」

「襲うとは思ってないけど、着替え覗いたり、下からスカート覗いてるんでしょ、どうせ」

「それは当然」

「堂々と答えるな! この変態!」

「……とても痛いです。しかしご安心ください、謡には女性としての興味はございませんので。詠ならまだしも」

「私も姉ちゃんも同じ体型だよ! 私が貧相みたいに言うな!」

「あの、腹は、腹はやめてくださいませ。銃創に響くのです……とても痛い……」

 

 余裕ぶっているものの、謡から距離を取り始めたあたりで、拳を振るうのをやめる。

 本当なら、これはもっと他の者に振るうべきなのだ。

 哀しみも、嘆きも、苦痛もある。

 しかしやはり、最も胸の内に込み上げてくるものは――

 

「謡」

「ん……なに、スキンブル」

 

 唐突に、彼が語りかけてくる。

 

「実は俺、三月ウサギが嫌いなのです」

「そっかぁ」

「今回の件で、より嫌いになりました」

 

 謡は相棒の言葉に頷く。

 

「ですので、次、彼女に会うことがありましたら」

「……うん」

 

 同感だった。

 やはり彼は相棒だ。道筋は違えど、スタートもゴールも同じなのだから。

 謡とスキンブルシャンクス。

 人と獣。

 ふたりの言葉が、重なった。

 

 

 

『――ぶん殴ってやりましょう(やろう)

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 身体が熱い。

 まったく知らない感覚が、身体を支配する。

 絶え間なく駆け巡る疼き。身体は渇いて、なにかを求め続けている。だけど、そのなにかは、わからない。

 手を伸ばしても満ち足りない。暗い闇の中では、自分の吐息しか聞こえない。

 頭の中は真っ白で、視界はずっと明滅してて。

 どうすればいいのか、わからなかった。

 息苦しくて、呼吸一つで灰の中が焼けるようで、溺れてしまいそう。

 指先ひとつで身体が跳ね、痺れる。

 助けて欲しいと願っても、声は届かない。

 ずっと一人で、孤独のまま、身体を震わせている。

 終わらない衝動が、ずっと続く。

 そう、思っていた、けれど。

 

「……小鈴ちゃん」

「いつき、くん……」

 

 あぁ、来てくれた。

 それはわたしが求めていたものなのかもしれない。

 未知な疼きを鎮めて欲しい。そう思った時に、頭の中に浮かんだ彼。

 

「いつきくん……わたし、わたし……!」

 

 はやる気持ちが抑えられない。身体も、心も、彼を求めている。

 ずっとずっと、好きだった。

 いつもは言えないそんな言葉も、今は、なにも躊躇うことなく口に出すことができる。

 回らない頭で思考は消えてしまい、勢いに任せて気持ちが伝えられる。

 やっと言えた。無意識の中に宿る意識で、わたしはそう思っていた。

 けれど。

 

「……君は、とても弱い子だ」

 

 彼は、なぜか憐れむように、わたしを見ている。

 力強い、だけど優しい腕に抱かれながら、諫めるような言葉が響く。

 

「内気で、臆病で、泣虫で、意志薄弱で、優柔不断で、情けないほどに、儚い」

 

 ……どうして?

 どうして、そんなことを言うの?

 語られる言葉は愛ではない。

 だけど彼は、とても真剣な眼で、わたしを見据えていた。

 

「でもね、その弱さも含めて、人は人なんだ。欠点も、弱点も、汚点も、それら全部をひっくるめた上で、その人は、その人らしくあり、魅力的なんだよ。そして、その弱さを乗り越えた時、人は輝くんだ――太陽みたいにね」

 

 太陽……

 彼がなにを言っているのか、よく、わからない。難しい。頭に、残らない。ぽわぽわする。

 

「まあ、君は太陽っていうには、あまりにも弱々しすぎるけれど……でも、ひだまりみたいな、ふわふわした輝きも、俺はいいと思う」

 

 弱いのが、いい……?

 わかんない。彼の言葉の意味が。

 わたしは、強く、なりたい。

 大人に、なりたいって、思う。

 せいいっぱい背伸びをして、高いところに手を伸ばして。

 そうやって、見せかけて。

 でも、わたしの、本音は……

 

「あぁ、そうさ。君の言葉は、君が言おうとすることは、本音なんだと思う。本当の気持ちなんだと思う」

 

 そう、そう。

 そうだよ。

 わたしはずっと、今までも、これからも、あなたが、いつきくんが……

 でも、恥ずかしいから、勇気が出ないから。

 だから、いつもは言葉にできなくても、口にできそうな今なら……!

 そう思うけれど、彼は、わたしの口を閉ざす。

 

「今は、君の言葉は、聞きたくない」

 

 言葉が紡げない。

 わたしの想いは、伝えられない。

 

「弱さを狂気で誤魔化した言葉に、価値はない。それは本当の意味で輝けるものではない、嘘偽りだから」

 

 うそ、いつわり。

 今のわたしは、わたしの言葉は、本物じゃ、ない……?

 だったらこの気持ちは、どうすればいいの?

 

「今の君の言葉は、君の告白は、受け取れない」

 

 踏み出せないまま、弱いまま。

 ずっと、胸の内に、秘めていなきゃいけないの?

 

「――だけど」

 

 彼の手が、温もりが、頬に触れる。

 ……あったかい。それに、優しい。

 あの時の、わたしの手を引いてくれたいつきくんが、やわらかな眼で、わたしを見つめる。

 

「君が、君自身の弱さを乗り越えた時、俺は必ず君と向き合うよ。そうやって成長し、進化した君は、紛れもなく本物で、素晴らしい、輝ける君だから」

 

 ……そっか。

 わたしは、確かに、弱かったんだ。

 苦しくて、辛くて、切なくて。

 その寂しさに、弱味に、甘えていた。

 焦っていたのかもしれない。怖かったのかもしれない。

 だけど、そんな心配はいらなかった。

 わたしが求めていたものは、この疼きを鎮めることなんかじゃなくて。

 わたしが不安だったのは、衝動でどうにかなってしまいそうな自分じゃなくて。

 あの人がかけてくれる、素朴な言葉だったんだ。

 

「約束だ。俺は絶対に、君を受け止める。その上で、君の気持ちに応えるよ」

 

 うん……約束

 わたしも、あなたにこの気持ちを伝えられるくらい、強くなるから。

 この夢から覚めて、泡沫のように忘れてしまっても。

 絶対に、必ず、あなたに追いつくから。

 

「だから、戻ってきて――」

 

 だから、待ってて――

 

 

 

 

 

「――小鈴ちゃん」

 ――いつきくん。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――で、僕を捕まえてどうしようっていうんだい?」

「まあそう焦るな。捕って食おうというわけではない」

 

 地下へと続く螺旋階段。

 鳥籠の中で、聖獣は不満げに鳴く。

 剣呑な空気に見えて、まるで緊張感がない一人と一話という構図は、酷く滑稽であった。

 

「我々は、遥かなる太古からこの世界に誕生した種だ。しかし種としてはあまりに貧弱でな、今や強き人の世に紛れ、隠遁の営みを送るばかりだ」

「なんだか聞いたことのある話だね。それで、僕にどうしろっていうんだい。まさか、奇跡の力で君たちの種を繁栄させろとでも? そんな力は残ってないし、その代償は計り知れないよ」

「それは残念。そういう意図があったことも認めるが、しかし実のところ、それよりも優先しなければならんことがあるのでな」

「優先?」

「我らが日陰に潜む理由。陽の下に出ることが叶わぬ呪縛。『ハートの女王』という、困った母親がいるのだ」

「母親だって? 意味が分からないよ。それともあれかい、小鈴から聞いたことがある。モンスターペアレントってやつかい?」

「モンスターペアレント……はっ! いいな、怪物の親(モンスターペアレント)とは! 言い得て妙だ。あぁ、正しく奴はモンスターよな」

 

 愉快そうに笑い飛ばす帽子屋。

 しかしその声は慟哭のようでもあり、酷く渇いている。

 

「そう、そうだ。我らは奴に虐げられていると言ってもいい。我らはその存在を無視することができず、奴という存在によってこの日陰に身を潜めなくてはならない。公爵夫人は奴を殺すと発奮しているが……奴を殺すことなど不可能だ。女王は、そのような次元にいる存在ではない」

 

 親に勝る子はいない。【不思議の国の住人】が束になっても、ハートの女王を殺すことなどできやしない。

 あれは完全に異次元の存在。生命としての……否、存在そのものの“格”が違う。

 少なくともこの星、あるいは銀河系を巡ったところで、アレに叶うものなどいやしない、と断じてしまうほどに。

 

「だが貴様なら、女王を殺す、とまでは言わずとも、この星から放逐する手段があると睨んでいる」

「……なんだって? なぜ僕が?」

「ふっ、なんたって貴様は奴と対峙したことがあるはずだからな。まあオレ様は、神話だのなんだのはよくわからんが、バタつきパンチョウはそう語っていたよ」

 

 神の視座を持つ蟲、バタつきパンチョウ。

 その託宣の如き言の葉は、ハートの女王の過去を語った。

 断片的で、妄言のようで、支離滅裂な法螺話にも思えたが。

 あまりにも荒唐無稽な夢物語。あれを、人は“神話”と呼んだのかもしれない。

 そして、その神話で語られる空想は、ハートの女王と、聖獣との、結びつきを物語っていた。

 

「……ちょっと待って。星から追い出す、殺せない存在……それって、まさか……」

 

 そしてそれは、彼の記憶の中でも、接合する。

 遠い遠い過去の話。しかし決して忘れることのない、憧憬と惨劇。

 聖獣と呼ばれる彼は、なぜこの星に舞い降りたのか。力を取り戻す意味とは。

 その根源を辿る“元凶”があるとすれば、それは――

 

「デッドスター、か?」

「名前なぞ知らん。あれは我らの母君であり暴君――『ハートの女王』だ。だが、星を喰らうもの、星を殺すもの、星の死、あるいは死した星そのもの(Dead Star)……その呼び名は悪くないな」

「……どうして」

 

 ――思わぬところに、行き着いた。

 太陽を求めて羽ばたいた雛鳥は、片翼となっても飛び続け、地に墜ちても、もがき続けた。

 そうして出逢ったのは、遙かな大空に浮かぶ太陽ではなく。

 

「どうして――“あいつ”がこの星にいるんだッ!」

 

 空を闇で覆い、地を黒く塗り潰す、邪神だった。

 聖獣は啼く。悲痛と、悔恨を、叫ぶ。

 

「そんなことオレ様に聞くな。母君の過去などオレ様は知らん」

「だってあいつは、十二神話が……アポロン様が、その身を捧げて追放したはずなのに……いや、まさか。追放して、その先が――この星だった……!?」

「そちらの事情は知らんが、オレ様と貴様、我らは仲良くできない種だろうが、お互いに女王が邪魔なのは確かだろう」

 

 聖獣の慟哭も、帽子屋には、届かない。

 螺旋の闇の中で、雛鳥の嘆きが虚しく響き渡る

 

「……無理だ。あれは、十二の神話が集い、自らの存在と引き換えにして、ようやく外の宇宙に放り出すことしかできなかった存在だ。語り手でしかない……しかも、片翼である僕だけじゃ、どうにもならないよ」

「ふむ、まあその言葉だけで十分だ。逆に言えば、その神話とやらだか、語り手とやらだかが集えば、どうにかなるのか」

「そんな簡単な話じゃない。あの星は遠すぎる。僕は運が悪すぎた。彼らが集うこともなければ、集ったところで太刀打ちできるとも限らないんだ」

「いいさ、希望があるということが重要なのだ。先が暗闇の世界で、人は生きられんからな」

 

 絶望に悲観する聖獣、希望に楽観する帽子屋。

 並行的なままに交わらぬまま、二人はカツ、カツ、と下へ下へと、暗い森の、闇の底へと降りていく。

 

「ひとまず女王陛下と謁見だ。貴様も思うところはあるだろうからな」

「できれば、あんな奴とは二度と会いたくはないけど……」

 

 いつもの狂った調子のまま、帽子屋は、意気消沈する鳥籠を揺らし、女王の玉座へと参じる。

 深い森の奥のような部屋。誰も立ち入らず、立ち入れない、禁忌の領域。

 ……の、はずだったのだが。

 

「む?」

 

 漆黒の闇の中、ぼぅっと浮かび上がるひとつの影。

 この暗黒の森の中では、あまりに矮小で、儚い、弱い存在。

 

「代用ウミガメ。そこでなにをしている」

 

 彼女は、応えない。

 帽子屋に背中を向けたまま、部屋の奥に鎮座する黒き森の巨木――『ハートの女王』と、向き合っている。

 

「……お母さん。アタシ……お母さんに、聞きたいことが、あるんです」

 

 本来ならば、ハートの女王はまともに向き合うだけで正気を削がれる存在。

 内気で、臆病で、泣虫で、意志薄弱で、優柔不断で、情けないほどに儚い。そんな代用ウミガメが、まともに立ち向かえるはずがない。

 しかし彼女は今、臆することなく女王と面会している。

 

「……お母さんに、聞きたいことが、あるんです」

「おい、代用ウミガメ。女王を見るな。貴様では、正気が……」

 

 否。

 正気を失われるのではない。正気を失われないのでもない。

 女王の狂気に当てられ、狂ってしまう、などということでは、なかった。

 

「お母さん……アタシ、とても、辛いんです」

 

 代用ウミガメは、告白する。

 

「アタシ、どうすればいいんですか……」

 

 そして、女王に問いかけた。

 

「すごく辛くて……友達、だって……大切な人、だって、思って……でも、アタシは、いない方が、よくって……大切な人も、友達も、傷つけて、失って……」

 

 それに、それに、とむせび泣く。

 すすり泣く声が、黒い森に木霊する。

 それでも、女王は応えない。

 

「アタシは……人、じゃない……わかってます、わかってた……でも、でも! 人を喰らう、怪物で、だから……いちゃ、いけなくて、みんな、傷つけて……なにも、食べられなくて……あの人みたいに、おいしくなくって……あの人が、おいしそうに、なっちゃい、そうで……!」

 

 支離滅裂で、滅茶苦茶な言葉の羅列。

 心の内を吐露しただけの、形にならない言葉の泥水。

 ぐちゃぐちゃで、むちゃくちゃな、有象無象。

 代用ウミガメは、母に問う。懺悔し、告白し、希う。

 しかし女王は、応えない。

 

「なんでアタシ……産まれて、きちゃったんですか……なんで、生きて、生き残って……こんなになってまで、生きなきゃ、いけないんですか……こんなに、辛くて、苦しいなら、生きていたくなかった……産まれたく、なかった、のに……」

 

 苦悩するくらいなら、悩みなど持ちたくない。

 苦痛を味わうくらいなら、痛みを受ける生などいらない。

 未来への絶望は、無へと回帰する願望となり、精神を蝕む。

 慟哭は森の中で儚く消える。

 そして、女王は、応えない。

 

「お母さん……応えてください、なにか、言ってください……お母さん!」

「おい、代用ウミガメ」

 

 帽子屋の問いかけにも、彼女は応えない。

 ずっと、狂ったように、女王に語りかける。

 それは女王の狂気に犯されたから――ではない。

 

「……寝てるんですか。だから、応えてくれないんですか……なら」

 

 彼女は既に、正気を捨てた。

 理性も、知性も。

 心まで、砕けていた。

 代用ウミガメは、一歩、進み出る。

 恐怖と、淫蕩と、狂気に支配された、大樹に手を伸ばす。

 キラリと煌めく二つの針。女王に刺さる時針に、指先が触れた。

 

「待て、代用ウミガメ!」

 

 帽子屋は声を荒げ、手を伸ばす。

 しかし、それはあまりにも遅く、遠い。

 のろまな亀の手は、狂った帽子屋よりも早く、女王を縛る時計針(くさり)を掴んだ。

 

「ねぇ、答えて……答えて、くださいよ――」

「それは、それはやめろ――」

 

 針を、引き抜く。

 そして。

 

 

 

「――お母さんッ!」

 

 

 

 呪縛が、解き放たれた。

 

 

 

「――え?」

 

 

 

 刹那。

 闇が溢れ出す。

 真っ黒な影が、縦横無尽に蠢く。

 天を覆い尽くし、地を塗り潰す、絶対なる闇。

 大いなる者が脈動し、鳴動し、鼓動する。

 この空間に満ちる“狂気”が、あらゆる恐怖と忌避を、生物の本能へと植え付ける。

 

「こ、これは、なんだ? なにが起こってるんだ?」

「非常に不味いことになった。女王が……動き出した」

 

 ずっと、ずっと、ずっと。永久とも言えるほどの長い歳月、女王を封じてきた――その時間を止めてきた帽子屋だったが。

 たった一度の狂行で、女王を眠らせる時計の針は抜け落ちてしまった。

 ちゃらん、ちゃりん、と、金色の時計針が音を立てる。

 代用ウミガメは、蠢動する女王の暗黒の威容に、呆然と立ち尽くしている。

 そんな彼女に、蠢く闇は、迫る。

 

「や……ぇ、な、なに、これ……っ!」

「眠りネズミではないが、Fuck、だ。おい代用ウミガメ! とっとと逃げろ薄鈍!」

 

 帽子屋の声は、彼女の届いたのか。

 そんなことはどうでもいい。届いていようが、届いていなかろうが。

 代用ウミガメは、足を止めたまま。樹枝のような蠢く闇に絡め取られ、取り込まれていく。

 喰らうように、啜るように、代用ウミガメは、女王に飲み込まれていく。

 

「や、ぁ……たすけ……ぼうし、や……さん……」

「こちらに気付いているならば応答が欲しかったところだな、同胞よ」

 

 帽子屋は足を一歩前に出すが、その先に進むことは叶わない。

 救出に向かおうにも、帽子屋の足を止めるように、槍の如き黒い枝葉が、彼の侵攻を阻む。

 

「ちぃ……!」

「大丈夫なのか!?」

「まったく大丈夫ではないな」

 

 ぐじゅぐじゅと、肉塊は泡立ち、うねる。

 ハートの女王は、捕らえた代用ウミガメを、少しずつ、少しずつ、ゆっくりと、ゆったりと、黒い(うろ)の中へと、押し込んでいく。

 

(……なぜ女王は、代用ウミガメを取り込んでいる……? 喰らっているわけではないようだが……)

 

 女王が子喰らいをしないとは言い切れないが、あのような矮小な命を食すようなことはしないはず。それは、砂糖の一粒を選別して舐めることと同義。

 ならば、なぜ。

 なぜ女王は、代用ウミガメを選び、我が身に取り込もうとするのか。

 食事ではない。それ以外に、理由があるとすれば……

 

「……依代、か?」

 

 帽子屋とて、女王のすべてを知っているわけではないが。

 これだけの大いなる邪神ならば、ただで顕現するはずもない。

 

「成程、成程、成程な! 代用ウミガメならば、成程、我が身の代替たる依代に相応しい!」

 

 思考が繋がっていく。萎んだ脳が、枯れた回路が、躍動する。

 そうして出た答え。帽子屋は、女王に問うた。

 

「そして女王陛下よ! 貴様、まだ寝ているな?」

 

 女王からの返答はない。

 しかし帽子屋は確信していた。女王は“完全ではない”と。

 

(女王がまだ寝ているのなら話は早い。依代を引き剥がし、機能不全に陥らせることができれば、まだオレ様の針で止まるやもしれん)

 

 とはいえ、代用ウミガメは遠い。手を伸ばして届くような距離ではない。

 そもそも相手は偉大なるハートの女王。仮に接近できたとしても、帽子屋では筋力(STR)で対抗はできないだろう。

 それならば、依代そのものを、無為にする他ない。

 

「殺すか。代用ウミガメ、世界のために死ね」

 

 懐から素早く銃を抜く。

 撃鉄を降ろし、照準を合わせ、引き金に指を掛ける。

 躊躇いなく、容赦なく、情もなく。

 機械のように同胞を射殺す――が。

 

キィンッ

 

 銃弾は、弾かれる。

 

(シールド)……」

 

 代用ウミガメと混ざり合おうとしているハートの女王の正面に展開された、五枚の盾。

 城壁にように並んだそれを見て、帽子屋は感嘆の息を吐く。

 

「はぁ、こうなってしまうか。女王陛下におかれましては、このような卑俗な帽子屋と決闘とは、一体どのような気の迷いだろうか。気でも狂ったとしか思えないな。あぁ、狂った頭はお互い様か」

 

 銃を仕舞い、代わりの凶器を手に取る。

 偉大な母なる神を、紙の束で倒せるとも思えないが、女王が覚醒していないのであれば、勝機はある……のかもしれない。

 実力は未知数。邪神の遊戯、そんなものはとうに人智を越えているのだから、当然だ。

 それでも帽子屋は、臆することなく立ち向かう。

 恐怖は、とうの昔に投げ捨てた。

 畏怖は、いつかどこかに廃棄した。

 信仰は、遙かな時の中で消え去った。

 最後に残ったのは、虚無という狂気と、堕落した願いだけ。

 

「狂気を振り撒く女王と、狂気で枯れたオレ様。決闘するには荷が勝ちすぎているが、光栄だな」

 

 切り札などはない。あるのは鬼札、手の内すべてが忌むべきジョーカー。

 女王との対面。

 お茶会と呼ぶにはあまりに悍ましいが。

 ここにいるのは、条理の外にいる邪神と、狂気に犯されたイカレ帽子屋(マッドハッター)

 どこもかしこも壊れて狂っている。

 さぁ、邪神を放逐する儀式の時間だ。

 紅茶のように血を啜り、遊戯の札を散らしながら。

 狂ったお茶会を、始めよう。

 

 

 

Get out of Wonderland(貴様は出禁だ)――『ハートの女王』(Ishnigarrab)

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「《ポセイドン・ザ・ゴールド》を召喚! 能力でGR召喚だ」

 

 人ならざる人でなしたちの館の地下で、世界の存亡を賭けた決闘が始まった。

 人外の身で人の星を守る側に立つ帽子屋の場には《ヤッタレマン》《ポセイドン・ザ・ゴールド》――人の夢が詰まった化身が並ぶ。

 代用ウミガメを黒雲の如き肉塊に押し込めたハートの女王。その周囲には、世界を破滅に導く四つの岩塊が浮かぶ。

 そして、女王から滴る黒い雫がマナを生み、帽子屋の知識をそぎ落とす。

 しかし精神が擦り切れた帽子屋に、喪われる正気は元よりない。口元に不敵な笑みを浮かべたまま、帽子屋は女王を嘲弄する。

 

「母君とはいえ、貴様なぞ空想の邪神よ。我が同胞を喰らうなど片腹痛い。来い、《ゴッド・ガヨンダム》。マナドライブ発動だ」

 

 手札を投げ捨て、帽子屋は失われた知識を取り戻す。

 造られた神。空想された神。

 帽子屋は自らの創造神さえもを、道化のように嗤う。 

 

 

 

ターン3

 

 

ハートの女王

場:《ジェニー》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:1

山札:23

 

《FORBIDDEN STER》

左上:封印

左下:封印

右上:封印

右下:封印

 

 

帽子屋

場:《ヤッタレマン》《ゴールド》《ガヨンダム》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:2

山札:25

 

 

 

「う、ぁ……《龍罠 エスカルデン》……!」

 

 ずるずると、女王の中に引きずり込まれる代用ウミガメ。

 嗚咽を漏らしながら現れる、化石となった龍。それが新たな豊穣を約束する。

 

「《ガヨウ神》を召喚だ。二枚ドローし、ディスカード。さらに二枚ドローだ。ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

 

ハートの女王

場:《ジェニー》《エスカルデン》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:1

山札:20

 

《FORBIDDEN STER》

左上:封印

左下:封印

右上:封印

右下:封印

 

 

帽子屋

場:《ヤッタレマン》《ゴールド》《ガヨウ神》《ガヨンダム》

盾:5

マナ:4

手札:5

墓地:3

山札:20

 

 

 

 豊穣のマナを伸ばしていくハートの女王に対し、弱者たる帽子屋は手札を増やし智慧を振り絞る。

 しかし強大で圧倒的な邪神の前には、叡智も取るに足らないささやかなものとして、毟り取られる。

 

「《悪魔龍 ダークマスターズ》……!」

「おっと?」

 

 増やした手札も闇へと消え去った。

 智は狂気に飲まれ、正気と共に葬られる。

 

「パーツが抜き取られたか。これは痛い。流石は女王、惰眠を貪っていようと強かだな」

 

 しかし帽子屋は正気を失わない。いやさ、既に正気を失ったことで張り付けた狂気の貌で、ただただ嗤うだけだ。

 

「オレ様のターンだ。2マナで《オケ狭間 寛兵衛》を召喚。能力で《バツトラの父》をGR召喚する。さらに追加だ、マナゾーンから《バングリッドX7(クロスセブン)》を召喚!」

 

 《バングリッドX7》。マナゾーン、あるいはバトルゾーンに合計六体以上のジョーカーズが存在すれば、マナから召喚できるジョーカーズ。

 攻撃時にマナを増やし、マナゾーンを手札のように扱える、小型ながらも強力な能力が詰め込まれたクリーチャー。

 手札を奪われようと、知識を削ぎ落とされようと、帽子屋は止まらない。

 それならば、(マナ)を削ってでも、力を捻り出すまでだ。

 

「ま、とはいえこれでターンエンドだ。殴るのはリスキーだからな」

 

 

 

ターン5

 

 

ハートの女王

場:《ジェニー》《エスカルデン》《ダークマスターズ》

盾:5

マナ:7

手札:1

墓地:2

山札:19

 

《FORBIDDEN STER》

左上:封印

左下:解放

右上:封印

右下:封印

 

 

帽子屋

場:《ヤッタレマン》《ゴールド》《ガヨウ神》《寛兵衛》《バングリッド》《ガヨンダム》《バツトラの父》

盾:5

マナ:4

手札:1

墓地:6

山札:19

 

 

 

 

「は、《ハンゾウ》……! 《ヤッタレマン》を、パワー、マイナス……封印解除で、《バツトラの父》を、破壊……!」

「ふむ。《バングリッド》ではなくそちらか。《バングリッド》は回数制限がある上に、マナも減るからな。あるいは、女王。貴様の思索も長い眠りで腐ったか?」

 

 などと軽口を叩きつつも、依然として帽子屋が厳しい立場であることに変わりはない。

 手札はほとんどない。マナも乏しい。クリーチャーは多いが、小型ジョーカーズばかりを並べて、女王の前で見栄を張っても虚しいだけ。

 女王に喰われたリソースを、どうにか取り戻さなくては、勝機は見出せない。

 その方法は、あるにはある、が。

 

「……まあ、仕方あるまいか」

 

 と、帽子屋は緩く決断を下した。

 リスキーな選択ではあるが、どのみち前に進まなくてはならないのだ。

 たとえ母君たるハートの女王が相手であろうとも。

 

「《バングリッド》の能力発動。マナゾーンから《スゴ腕プロジューサー》を召喚、《全能ゼンノー》をGR召喚」

 

 身を削り、クリーチャーを並べていく帽子屋。

 そして、嘶きが響き渡る。

 

「《ポセイドン・ザ・ゴールド》で攻撃、Jトルネードを発動!」

 

 飛沫を散らして駆ける海馬。その雫は螺旋し、渦巻き、帽子屋のクリーチャーを巻き込んでいく。

 

「《ガヨウ神》を手札に戻し、パワーをプラス2000、ついでにいらんがWブレイカーとなる」

 

 《ガヨウ神》を戻した大渦は、《ゴールド》の推進力となり、より速く、強く、蹄を鳴らして駆けていく。

 味方を手札に戻すことで力を得るJトルネード。しかし帽子屋としては、攻撃は余分に過ぎない。

 本当の目的は、クリーチャーを手札に戻すこと。登場時の能力を使い回し、失われたリソースを取り戻すことである。

 

「Wブレイク!」

 

 故に攻撃は余計であり、むしろ相手に手札を与えるような行動は控えたかった。

 そしてその懸念は、現実となってしまう。

 

「……S・トリガー!」

「あぁ……まあ、そうなるだろうな」

「《Dの牢閣 メメント守神宮》! 《月の死神ベル・ヘル・デ・スカル》!」

 

 予想していた、予感していたことではあった。

 とはいえ二枚ともがS・トリガーというのはついていない、と帽子屋は自嘲する。

 

「封印解除……《ベル・ヘル・デ・スカル》の能力で、《ガード・ホール》を、回収……!」

「そうか。ターンエンドだ」

 

 

 

ターン6

 

 

ハートの女王

場:《ジェニー》《エスカルデン》《ダークマスターズ》《ハンゾウ》《スカル》《メメント》

盾:3

マナ:7

手札:2

墓地:3

山札:18

 

《FORBIDDEN STER》

左上:解放

左下:解放

右上:解放

右下:封印

 

 

帽子屋

場:《ゴールド》《寛兵衛》《バングリッド》《プロジューサー》《ガヨンダム》《ゼンノー》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:7

山札:18

 

 

 

「呪文《超次元ガード・ホール》! 《ベル・ヘル・デ・スカル》をシールドに戻して……《時空の支配者ディアボロスΖ(ゼータ)》!」

 

 旧き世界の支配者――《ディアボロスΖ》。これはこれで、厄介なクリーチャーが出て来てしまった。

 だがそれ以上に問題なのは、女王を囲む城壁。

 帽子屋のクリーチャーを処理するよりも、自分のクリーチャーをシールドに送り、守りを増強したハートの女王。それも、シールドに埋められたのは《ベル・ヘル・デ・スカル》だ。

 最大の罠を仕込まれてしまった。あれを踏み抜けば、その瞬間、《FORBIDDEN STER》が禁断爆発し、帽子屋のクリーチャーはすべて封印される。

 リソースを取り戻すついでに殴りにいこうと思えば《メメント》で止められ、どうにか掻い潜る術を見出す前に、攻撃を牽制されてしまった。

 

「《ダークマスターズ》で、《ゴールド》を、攻撃……!」

「さてどうするか。守るか殺すか、《スゴ腕プロジューサー》でブロック。《スゴ腕プロジューサー》が場を離れたことでGR召喚だ、《ゴッド・ガヨンダム》」

「《ハンゾウ》も、攻撃……!」

「《寛兵衛》でブロック……か?」

 

 《ゴールド》を守ることにどれだけの意味があるのか、帽子屋自身にも疑問ではあったが、ブロッカーを残す意味も薄い。

 女王がその気になって攻めてくれば、ブロッカーなど有象無象の塵芥と同じ。能動的に攻撃できるアタッカーの方がまだ仕事する。

 とはいえ、岩塊がほとんど剥がれ墜ちた禁断が浮かんでいる限り、アタッカーも迂闊には動けない。

 

「はてさて、殴れば禁断爆発確定、手をこまねいていても爆発必至、か。どうしたものか」

 

 攻めに移れば禁断爆発、守りに入っても禁断爆発。

 帽子屋の動きは、ハートの女王に縛られてしまった。

 邪神の呪縛が、仔山羊たちを、雁字搦めに締め付ける。

 

「《ガヨウ神》を召喚。二枚ドロー、一枚ディスカード、二枚ドロー」

 

 手札を増やしていく帽子屋。しかし遅きに失している。

 いくら手札を増やそうと、禁断爆発は止められない。

 

「《ゴールド》で《ハンゾウ》を攻撃だ。Jトルネード、《ガヨウ神》を手札に戻す。これでこのターン、こいつはブロックされない。そのまま《ハンゾウ》を破壊する」

 

 《ポセイドン・ザ・ゴールド》が逆巻く水流と共に、《ハンゾウ》を踏み砕く。

 攻めれば終了、守れば終焉。

 逃げ場のない八方塞がりの状況では、帽子屋と言えどもほんの僅かに延命する可能性に縋るしかなかった。

 

「ターンエンド」

 

 

 

ターン7

 

 

ハートの女王

場:《ジェニー》《エスカルデン》《ダークマスターズ》《メメント》《ディアボロスΖ》

盾:4

マナ:8

手札:1

墓地:5

山札:17

 

《FORBIDDEN STER》

左上:解放

左下:解放

右上:解放

右下:封印

 

 

帽子屋

場:《ガヨンダム》×2《ゴールド》《バングリッド》《ゼンノー》

盾:5

マナ:5

手札:6

墓地:11

山札:11

 

 

 

「ターン、開始時に、《ディアボロスΖ》を……覚醒……!」

 

 バトルゾーンのカードか、あるいはマナを取り込み、《ディアボロスΖ》は覚醒する。

 しかし《ディアボロスΖ》が取り込まんとしているのは、《FORBIDDEN STER》。

 世界を終わらせる最終禁断は、如何に《ディアボロスΖ》と言えども、吸収することは叶わない。

 だが、《FORBIDDEN STER》から溢れ出る力は、確かに貪っていた。

 最終禁断の力を喰らい、旧世界の支配者は、覚醒する。

 

 

 

「《最凶の覚醒者デビル・ディアボロスΖ》……!」

 

 

 

 《ディアボロスΖ》が覚醒する……しかし、それだけでは、終わらない。

 覚醒した《デビル・ディアボロスΖ》が、炎に包まれる。

 

 

 

「超無限進化――《超時空ストーム(ゲンジ)XX(ダブルクロス)》!」

 

 

 

 それは、二振りの大剣を手にした、灼熱の龍。

 刀身を繋ぐ鎖は呪縛のようにうねり。

 交わる十字は二重に重なり、裏切りを示すかの如く燃える。

 

「さらに、Dスイッチ……! クリーチャーを、すべて、タップ……!」

「ここで使うのか。となれば、殲滅か」

 

 帽子屋が呟いた直後、熱戦が降り注ぐ。

 

「《超次元ガード・ホール》! 《全能ゼンノー》をシールド送りに……《時空の凶兵ブラック・ガンヴィート》を、バトルゾーンに! 《バングリッドX7》を破壊……!」

「ぬぅ……っ」

「《ストームG》で《ポセイドン・ザ・ゴールド》を、《ダークマスターズ》で《ゴッド・ガヨンダム》を、攻撃……! 破壊!」

 

 次々とクリーチャーが惨殺されていく。

 虫のように潰され、鼠のように縊られ、貝のように貪られ、怪物のように惨めに死ぬ。

 残ったのは、《ゴッド・ガヨンダム》一体。

 人造の薄弱な神。空想の産物でしかないそれは、もはや力もないただの紙切れ同然。

 邪悪な神の前では、それ一枚ではとても太刀打ちなど、できるはずもない。

 

「これはもう、無理だな」

 

 深く帽子を被り直す。

 そして、手札を見ているのかいないのか、それを放るように場に投げ込んだ。

 

「《ヤッタレマン》を召喚、続けて《ヤッタレマン》。コストを下げて《バングリッド》、追加で《寛兵衛》。GRから《ヤッタレロボ》だ」

 

 無造作に、乱雑に、ゴミのように並べられるクリーチャーたち。

 なんの価値もない捨て石。諦観した男がばら撒いた夢は、千の仔を孕む邪神にとっては、ただの塵でしかなかった。

 

 

 

ターン7

 

 

ハートの女王

場:《ジェニー》《エスカルデン》《ダークマスターズ》《メメント》《ストームG》《ガンヴィート》

盾:4

マナ:8

手札:1

墓地:6

山札:16

 

《FORBIDDEN STER》

左上:解放

左下:解放

右上:解放

右下:封印

 

 

帽子屋

場:《ヤッタレマン》×2《バングリッド》《寛兵衛》《ガヨンダム》《ヤッタレロボ》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:13

山札:10

 

 

 

「メテオバーン覚醒――《超覚醒ラスト・ストームXX》!」

 

 

 

 一度目の爆発。

 星が生まれるかの如き超新星の炎が爆ぜ、《ストームG》は、《ラスト・ストームXX》へと覚醒する。

 

「《ダークマスターズ》……召喚!」

 

 続けて、二度目の爆発。

 星が死ぬほどの大爆発。最後の封印が剥がれ墜ち、世界に滅亡と終焉をもたらす黒き炎が爆ぜる。

 

 

 

「禁断爆発――《終焉の禁断 ドルマゲドンX》!」

 

 

 

 《FORBIDDEN STER》は世界最後の日を迎える。

 灼熱の炉心を燃え上がらせ、その身を覆う楔を解き放ち、宇宙の果てまで届く邪悪を飲み込み、恐怖と狂気の具現として、顕現する。

 

「クリーチャーを、すべて……封印!」

 

 星が降り注ぐ。爆熱の隕石のような、悪意と害意の流星が。

 それらは帽子屋の投げ捨てた有象無象のクリーチャーをすべて飲み込み、二度と還らぬ岩塊へと、魂を封じてしまう。

 そして封印は、純粋な戦力の減衰だけに留まらない。

 

「ふぅ……山札がだいぶ薄くなってしまったな」

 

 帽子屋自身(プレイヤー)の魂までも、擦り切れていく。

 残り山札は四枚。

 帽子屋とて、クリーチャーが並べば、こうなる未来はわかっていたはず。

 けれどもそれは、遅かれ早かれだ。

 6時を指し示したまま止まった時計を抱く、イカレ帽子屋(マッドハッター)には、どうでもいいことだった。

 

「さてオレ様は、擦り切れて死ぬのか、それともひと思いに殺されるのか。どっちだ? なぁ、ハートの女王。貴様は我が子をどのように殺すのだ?」

 

 答えなんて期待していない。

 怪物の遙か先に在るような邪神に、慈悲も容赦もあるはずがないのだから。

 

「ぼ……し、や、さん……」

「む?」

 

 けれど微かな少女の声が木霊する。

 苦悶と悲愴を嘆きくように、絞り出した声が小さく響く。

 

「たす……け……」

「あぁ、代用ウミガメか。なんだまだ生きていたのか。とっくに女王に意識を剥奪されたと思っていたぞ。女王は微睡みでも深く寝入っているのか? いや、それとも、貴様の強い生への執着故か?」

 

 まあどちらでもいいがな、と帽子屋は淡々と答える。

 自我が残っていようがいまいが、最も死に近いのは帽子屋だ。

 この不条理は、覆らない。

 

「あ、あぁ、や……ら……《ラスト・ストーム》で……攻撃!」

「ほぅ、しっかり殺してくれるようだ。これはありがたい。感謝と感激は嵐の如く、母君の慈愛には涙が出る」

 

 揺れる意識の中で、《ラスト・ストーム》が昏い嵐を巻き起こす。

 時空が歪み、捻れ、裂け、新たな命が、仔が、クリーチャーが、溢れ出す。

 《ディアボロス》が再び君臨し、《シンカイヤヌス》は《ヤヌスグレンオー》裏返り《ギャラクシー》が加速する。勝利の名を冠する三体は重なり、繋がり、《ガイアール・オレドラゴン》と成った。

 その、直後。

 

 

 

「ワールド――ブレイク!」

 

 

 

 世界を滅ぼす一撃。

 下等な命を容易く焼き払う熾烈な大火は、一瞬で帽子屋を守るシールドを打ち砕いてみせた。

 灰すら残らず、破片は総て溶け落ちる。

 数多の悪魔、あるいは精霊、巨竜。

 邪神を奉ずる狂信の眷属は、一様に帽子屋への殺意と害意で満ちていた。

 

「……あぁ、成程な」

 

 だが、しかし。

 

「生きろ、とは残酷なことだ。死ね、と殺される方がまだ気持ちがいい。希望を餌に絶望の門を開くとは、なんと意地の悪い。まあ、オレ様はカードの結果に殉ずるのみだがな!」

 

 その手の内に、光が、収束した。

 

「S・トリガー発動!」

 

 その数は三枚。

 狂った三柱の光が、暗く黒い森の闇の中、立ち上る。

 

「一枚目、《バイナラドア》。《ダークマスターズ》には消えて貰おう!」

 

 虚空へと続く門扉が、悪魔龍を消し飛ばす。

 

「二枚目、《松苔ラックス》。《エスカルデン》を拘束する!」

 

 滴る雫が、繁茂する緑藻が、古の外殻を纏う蟲を縛り付ける。

 

「三枚目、《りんご娘はさんにんっ娘》。《スゴ腕プロジューサー》を出し、GR召喚だ!」

 

 新たな道化が戦場に生まれ、それがさらなる人造の命を吐き出す。

 

「そら、出たぞ。《全能ゼンノー》! これで貴様の《ギャラクシー》と《オレドラゴン》は攻撃できんな」

 

 現れたのは、《全能ゼンノー》。

 クリーチャーはバトルゾーンに出たターンに攻撃できない。そんな当たり前の規律を記しただけの、正しく道化のようなクリーチャー。

 しかし、歪んだ理を正すことで、ハートの女王の眷属は、少しずつ、勢いが衰えていく。

 

「あ、ぁぁ……が……ぁ、《ガンヴィート》!」

「《スゴ腕プロジューサー》でブロック。場を離れたからGR召喚だな」

 

 生き汚く耐え凌ぐ帽子屋だが、まだ足りない。

 女王の場にはまだ、《ジェニー》と《ドルマゲドン》が残っている。

 帽子屋にはシールドがなく、ブロッカーは《松苔ラックス》のみ。

 故に、ここで捲る天運がすべてだ。

 

「……はっ!」

 

 しかし、帽子屋は不敵に笑う。

 愉快そうに、皮肉のように嘲笑する。

 

「やはり貴様は死ね、ハートの女王」

 

 そう宣言し、一閃。

 光の筋が迸る。

 

「《バツトラの父》をGR召喚!」

 

 それは、とても小さな星の戦士。

 この星を守る、希望とも言うべき存在。

 

「《ドルマゲドン》――!」

させんよ(stop)

 

 矮小で、人の手で生み出された人造の命なれども。

 小さな身で、破滅の一撃を、止めてみせる。

 これで、すべて、止まった。

 女王の下した処刑も、帽子屋はなんのその。

 のらりくらりと、槍も鉈も断頭台も。

 すべて躱し、生き延びる。

 

「ふっ、はは、はははははははははっ! 笑わせてくれるな、ハートの女王! よもや代用ウミガメすらも飲み込めぬまま、オレ様を殺そうとしたのか? 笑止千万! 公爵夫人の思想は、存外、正しかったのかもしれん。三月ウサギの快楽も多少は理解できんでもない。女王殺すべし。そして、貴様をぶち抜けるのならば、それは最高の快感なのだろうからな!」

 

 高らかに、狂ったように嗤う帽子屋。

 銃口を女王に向ける。

 処刑されるべきは貴様だと告げ、手にした弾丸を込め、放つ。

 

 

 

「マスター必殺トルネード――《ジョルネード・グランドライン》!」

 

 

 

 銃弾は嵐の如く。大水と大風が渦巻き、逆巻き、吹き荒れる。

 戦場のなにもかもを飲み込み、子も親も、纏めて竜巻の中へと押し込められた。

 

「《全能ゼンノー》を戻し、呪文詠唱! 《ドルマゲドン》を巻き込んでやろう!」

「あ、あぁ、や……やだ、やだ、いやだ……《ドルマゲドン》は、死なない……生きて、る、生き残る……!」

「知っているさ。そら、GR召喚だ! 来い、《せんすいカンちゃん》!」

 

 コアを二つと、シールドを一枚。

 我が身を、命を削り、《ドルマゲドン》は生き残る。

 我が子と同じように、生き汚く、望むままに、生き続ける。

 

「オレ様のターン! さて、死刑判決だ、女王陛下?」

 

 しかし生きる意志があろうとも。

 それ以上に、帽子屋には、女王を殺す妄執があった。

 カチャリと、再び銃口を向ける。

 

「貴様の罪状は以下略! 刑罰は銃殺刑! さぁ死ね! 『ハートの女王』!」

 

 嘶きが轟く。

 機械のような、それでいて鋼の意志。

 それは、正義と呼ぶにはあまりにも邪悪で。

 善性と呼ぶにはあまりにも堕落している。

 それでも誰かは、彼を英雄と呼ぶのかもしれない。

 永久の如き遙かな妄執であっても、それが、誰かの願いに繋がるのならば。

 滅び行く世界を、救うのならば。

 

 

 

WANTED,Dead or Alive(生死を問わず撃ち殺せ)――《ジョリー・ザ・ジョニー》!」

 

 

 

 執行人が駆けつける。

 罪と罰を背負うには、あまりにも正しすぎる銃士(ガンマン)

 それでも彼は、狂信者ならざる、狂人たちの願いを一身に背負う。

 生死は問わず、女王を殺す。滅亡の淵に立った世界を救う。

 それは彼らの使命ではないが。

 彼らが生きるためには必要な行いであり。

 そして、その事実は、彼らの手に委ねられた。

 

「《せんすいカンちゃん》で攻撃するとき、Jトルネード! 《バイナラドア》を手札に戻し、その能力を再発動! 《ドルマゲドン》を夢の方に飛ばしてやろう!」

「残る……死なない、死なない、死なない……!」

 

 女王の代弁者の如く、代用ウミガメの口から零れ落ちる言の葉。

 しかし帽子屋も、彼に従う執行人も、そんなことは意に介さず、狂気と凶器を振りかざす。

 

「さぁさ! オレ様の山札は残り一枚! 貴様の破壊神は丸裸! 後がないなぁ! オレ様も! 貴様も!」

 

 我が身が擦り切れることも厭わず、暗雲に銃弾を撃ち込んでいく帽子屋。

 枯れた身体は崩壊寸前。しかし女王を守る暗雲も晴れた。

 邪神の心臓は、無防備に曝け出されている。

 

「神仏も三度目は正直だ。邪神と言えど、貴様とて神だろう? 故にこれが三度目だ、我が子と共に眠るがいいさ。『ハートの女王』」

 

 あの世で子守歌でも歌っていろ、と母に銃を向ける。

 思うがままに、殺意に従い、引き金を引く。

 自分を産んだ母親だとか、同胞を取り込んでいるとか、そんなことは関係ない。

 ただ己の使命感――否、この世に生を受けてから持ち続けている、本能に殉じるのみ。

 

「《ジョリー・ザ・ジョニー》で攻撃」

 

 死刑執行。弁護はスルー、判決はパス。

 ただただ、死に殺す、という結果のみが求められ、弾丸は放たれた。

 

 

 

「マスター――ブレイク!」

 

 

 

 ブロッカーをすり抜け、シールドを貫き、そのまま、銃弾は飛んでいく。

 まっすぐ、まっすぐに。

 女王の胸に、囚われた姫のような同胞へと、向かっていく。

 彼女らを守るものは、もはや存在しない。

 数多のブロッカーも、砕け散ったシールドも、なにも彼女を護らない。

 理を歪める道化の奇術と、邪神に秘められた絶望と滅亡が、世界に不条理を振り撒き、死滅する。

 

 

 

「《ドルマゲドン》を、破壊――!」

 

 

 

 その一発が胸を穿つことで、世界の滅亡は防がれる。

 かくして世界の存亡を賭けたちっぽけな大戦は、誰も知らない昏い森の下で、地の底で終焉を迎えるのだろう。

 

 

 

 ――ただ一つの、誤算がなければ。

 

 

 

(いや、いや、いやだ……)

 

 帽子屋はずっと、ハートの女王を見ていた。眠りにつき、微睡みの中にいる女王を。

 しかしその表層にいるのは他でもない、代用ウミガメだった。

 既に正気が飛んでいても、彼女は完全狂ってはいない。

 少なくとも、人並みの恐怖と、自己中心的な生への渇望を持つほどには。

 

(死んじゃう、死んじゃう……アタシ、死んじゃう……)

 

 向けられた銃口。身を守る術がない。

 このままでは、彼は、この身を、女王ごと撃ち殺すだろう。

 確かに、産まれてきたことを呪った。

 生きることは苦しくて、生き残ってしまった自分に絶望して、自分を産み落とした母を恨んだ。

 だが、しかし。

 生きることへの苦しみはあっても、誕生への怨嗟はあっても。

 自分なんて、産まれてこなければ良かったと、思っていても。

 

(まだ、まだ……アタシは、アタシは……!)

 

 

 

 ――死にたいわけでは、なかった。 

 

 

 

(死にたく、ない――!)

 

 

 

 あまりにも身勝手で、傲慢で、我儘な願い。

 それほどに、彼女の精神は崩壊し、微かな苦しみにも耐えられなくなっていた。

 生きるのが苦しい、けれど、死ぬことも忌避する。

 そんな矛盾が、影を射す。

 

「――なんだと?」

 

 確かに、《ジョニー》の弾丸は放たれた。

 女王に向かって放たれ、その心臓を、代用ウミガメ諸共、撃ち抜いたはず。

 そのはず、なのに。

 

「なぜ、貴様は生きている? ハートの女王」

 

 女王は、生きていた。

 代用ウミガメも、死んでいない。

 銃創はなく、傷一つない身のまま、彼女たちはそこにいる。

 さしもの帽子屋も、呆然と立ち尽くしている。喫驚か、絶望か、あるいは不理解か。

 その答えを示すように、影が落ちた。

 邪神と対峙するこの場には、あまりにも似つかわしくないコミカルなもの。

 それは木偶だった。真中に風穴を開けた、木偶人形。

 それが、ぼとり、と墓地へと落ちる。

 

 

 

 ――《身代わり人形トレント》。

 

 

 

「……はっ」

 

 思わず、笑みが零れた。

 嘲弄するよりも、自虐するように。

 糾弾するよりも、称賛するように。

 

「そうか、死にたくないか。それが、代用か、創造か、貴様の力の産物なのか、あるいは、女王の権能か、未来予知かは知らんが……オレ様を殺してでも、世界を滅ぼしてでも、死にたくないか。代用ウミガメ」

「ち、ちが……ア、アタシ、アタ、シ、は……ごめ、ちがって、そうじゃ、なくて……ご、ごめ、ごめん、なさ……!」

「まあいいさ。死にたくないと思うのは生物の本能。貴様がその嘆願で、今こうして生きていることを、オレ様は知っている。それは咎めんさ。その一手は実に貴様らしい。代用品、我が身、我が命の代わりとして、身代わりの木偶とはな。あぁ、いい、いい。それも一興というものだ。それはそれでいいだろう」

 

 淡々と、機械的に、無情に、帽子屋は言葉を紡ぐ。

 生きる苦しみを抱いたちっぽけな少女。

 その絶望のすべてが、そこには詰まっていた。

 

 

 

「ただ、貴様の生への渇望が、我々を――世界を滅ぼすというだけだ」

 

 

 

 もうなにも、届かない。

 狂人の手も、少女の嘆願も。

 

「あ、ぁ、ア……ァ……」

 

 すべてが終わった、終焉の刻。

 正気を失っても、知性も理性もなにもかも失っても。

 人格(キャラクター)だけは保っていた、代用ウミガメ。

 しかし、それも、もはや限界だった。

 神は求める。創造主は賽を振る。

 カランコロンという音は、崩壊の旋律。

 歪んだ心は精神を犯し、魂が砕け散る。

 発狂を超え、代用ウミガメは、遂に至ってしまった――

 

 

 

「ああぁぁぁぁぁァアぁアアアアアアアアァァァァァァぁぁぁァァァァァァっ――ッ!」

 

 

 

 ――永久の狂気(ロスト)へと。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――さて、なにが起こったのか。

 一瞬、あるいはとても長い時間、意識が飛んでいた。もしかしたら死んだのかもしれないと思ったが、死とは無。なにか感じるものがあれば、きっとそれは死ではないはず。

 記憶もある。女王が動き出し、同胞を取り込み、それを止めようとした。

 しかしそれは叶わなかった。冷静に考えれば当然だ。かの女王を、単身で制止するなど、それこそ神話のような偉業だ。

 とはいえその失敗で、死んだと思ったが、どうも生きているらしい。

 女王の姿はない。あぁそうだ、彼女は、飛び去ったのだった。

 我らが同胞の一人を――『代用ウミガメ』を、依代として。

 

「――おい! 帽子屋!」

 

 声が、聞こえる。

 酷く遠くから聞こえるような気もするが、振り向けば、彼女はすぐそこにいた。

 『公爵夫人』。麗しの美貌を、怒りで醜く歪ませ、彼女はこちらに怒声を飛ばす。

 

「いつまで呆けている! この惨状はなんだ!? なにがあった!」

 

 惨状? と、ぐるりとあたりを見回す。

 そして気付く。地下は荒れ果て、黒い森は瓦礫の山へと変貌していた。天井は穴が空き、真っ暗な夜の闇が広がっている。崩落寸前で、一刻も早く避難しなければならないような、危うい状態だ。

 にも関わらず、むしろ狂った同胞達は、こぞってこの場に集っていた。なんとも偏屈で頭のおかしな連中だと、胸中で嗤う。

 

「……女王が動き出した。天井をぶち抜いて、そのままどこかへ消えたのだろうさ」

 

 半ば投げやりに応える。

 公爵夫人は、目を見開いていた。

 それもそうだろう。アレを最も危険視し、殺害に躍起だったのは、他ならぬ公爵夫人なのだから。

 

「な……女王が……!?」

「あぁ」

「なんたること……女王が目覚めようという時に、貴様はなにをしていた! 帽子屋!」

「殺そうとしたが、無理だった。寝起きどころか未だ微睡みの中にいる女王も、その依代になった代用ウミガメさえもな」

 

 激昂する公爵夫人に、淡々と、機械的に還す帽子屋。

 死体のように冷めていく帽子屋だったが、それに対し、熱が籠もる。

 そして彼の言葉に、ピクリと反応する者がいた。

 

「おい、帽子屋」

 

 『眠りネズミ』だ。

 彼は、彼にしては不気味なほどの静けさで、帽子屋に問う。

 

「カメ子、どうしたって?」

「代用ウミガメなら、女王の依代として取り込まれ、共に去った。あれはもう無理だな。助からん。よしんば引きずり出したとして、自我は死んでいるだろうさ」

「違ぇよ馬鹿野郎!」

 

 眠りネズミは怒声を上げる。

 かつてないほどに瞳孔を見開き、喰い殺さんばかりの憤怒の形相を浮かべていた。

 

「てめーは! カメ子を、どうしようとしたつってんだよ!」

「殺そうとしたが、まあ、殺せなかったな」

「ざっけんな! てめーはカメ子を助けず、見殺しにしようとしたってのか!?」

「結果的にはそうなるのか? いや、そもそもその結果は失墜に終わった故、そうではないとも言えるな」

「この……!」

 

 拳を握り締め、眠りネズミは帽子屋を睨み付ける。

 そして、我慢ならないと、彼に噛みつく。

 

「ふざけんじゃねぇ! このイカレ野郎が!」

 

 寝入る鼠は火鼠に。

 苛烈な炎の如く燃え、帽子屋を糾弾する。

 

「てめーは! 僕らをなんだと思ってる! ダチじゃねーのかよ! 仲間じゃねーのかよ! 同胞って、同志って、てめーはそう言っていただろうがよ!」

「あぁ、言ったな。無論、その事実は変わらんし、そうだと思っている」

「だったらなんで、あいつを、カメ子を助けなかった!」

「元々その気はなかった。女王の対処で精一杯だったからな。生きていれば御の字、といったところか。そもそもオレ様は、代用ウミガメごと女王を殺すつもりだったが」

「てめぇ……ジョークじゃねーなら、ぶっ飛ばすぞ」

「それは残念だな、事実だ」

「ッ!」

 

 宣言通り。

 眠りネズミは怒りに任せ、動こうともしない帽子屋に拳を振るう、が。

 パシンッ、とその腕は絡め取られる。

 

「やめなさいドブネズミ。帽子屋さんに手はあげさせないわ」

「Fucking! クソがッ! 離しやがれクソビッチ! こいつは一発殴らねーと僕の気が済まねぇ!」

 

 眠りネズミの勢いはあまりにも熾烈だが、鼠の矮躯はあまりにも小さい。

 相手が三月ウサギであろうとも、捕まってしまえば、振りほどけない。

 ただ怒りのままに、叫び散らすだけだった。

 

「僕はてめーを許さねーぞ、帽子屋! てめーはイカレてるが、そんでもあいつは、てめーに縋ってた。てめーを頼りにしてた! それを、あいつごと殺そうとしただと? ふざけんじゃねぇバーカ! てめぇは! 僕たちを! なんだと思ってやがる!」

 

 媚びずに怒り、嘆きは憤怒へ、願いも激昂し、苦しみ激憤し、後悔の前に憤怒がある。

 火鼠は、烈火そのもの。衝動のすべてを熱に、炎に注ぎ込み、叫ぶ。

 裏切りへの、心からの、怒りを。

 

 

 

「僕は、僕らは――てめーのオモチャじゃねぇんだ!」

 

 

 

 火種は大きく燃え盛った。しかし、燃え続けるだけの薪はなかった。

 眠りネズミは、ありったけの憤怒を吐き出すと、荒い呼吸を繰り返す。

 

「あぁ、畜生……眠気もぶっ飛ぶほどムカつくぜ。クソッタレ」

 

 脱力した身体で、三月ウサギの腕を振り払う。

 帽子屋への、不信と怒りの火種は燻ったまま。

 眠りネズミは、諦めにも似た、侮蔑の眼差しを、帽子屋に向ける。

 

「……僕は降りる。もうてめーにゃ付き合ってらんねぇ」

 

 そして、彼に――彼らに、背を向けた。

 

「カメ子探して来るわ。じゃあな」

 

 と、言うが早いか。

 誰も彼を止める間もなく、眠りネズミは、瞬く間に地下から、暗い森から――不思議の国から、立ち去っていった。

 ハートの女王と――代用ウミガメと、同じように。

 

「ネズ公……」

「ネズミのおにーさん」

「なによあいつ。キレ散らかすだけキレ散らかして出て行くなんて、無作法にもほどがあるんじゃない?」

 

 怒りをぶちまけ、ありったけの火の粉をぶちまけて立ち去っていった、眠りネズミ。

 ほとんどの者は呆気にとられ、とある者は無関心、とある者は不安げに、とあるものは非難がましく、彼の背中を見つめていた。

 そして、

 

「……さっすが。ネズミ君には、先を越されちゃったのよ」

 

 彼に同調する者も、いた。

 

「帽子屋さん。(アタクシ)からも、蟲の三姉弟の長女として言わなければなりません」

 

 蟲の三姉弟が長女、『バタつきパンチョウ』は、朗らかで、煌々と照るような明るい笑みも消して、かつてないほど真剣で、真摯な眼差しで、帽子屋と向き合った。

 野性味ある佇まいは可憐に正し、礼節を以て粗野は抑えて、言葉は乱さず整え、制された衝動を宣う。

 

「あなたはなにも悪くはない。あなたの擦り切れた願いも、濁り切った思想も、そうなってしまうに至った悠久の時も、私は知っている。だから、たとえあなたがウミガメちゃんを殺すとしたとしても、私はあなたを許せる」

 

 けどね、とバタつきパンチョウは続けた。

 理解はできる。彼には同情する。

 だが、それと同じくらい、哀しく、痛ましいことだって、あるのだ。

 

「私だって、友達が食い物にされるのは耐えられない……哀しい、のよ」

 

 ほんの少しだけ、彼女の眼が揺れる。

 世界の真理でもなく、遠くの宙でもなく、女王に代わり不思議の国の頂点に座していた男を見つめて。

 あらゆる世界を見渡す蟲は、悲哀を謳う。けれども、確かな決意で、告げた。

 

「だから私も、私たち蟲の三姉弟も――あなたから手を引きます」

 

 背後に侍る弟たちは、なにも言わない。

 姉の言の葉を、ただただ、静聴している。

 けれども周囲の反応は、眠りネズミ以上に、どよめいた。

 困惑が渦巻き、騒然と混乱に包まれ、森の中でざわめく。

 しかしそれらのことは一切意に介さず、バタつきパンチョウは、別れの言葉を紡ぐ。

 

「あなたとのお茶会はとても楽しかった」

 

 笑顔は見せず。

 静かな虫のさざめきのように。

 

 

 

「ありがとう、そして、さようなら。イカレた帽子屋(マッドハッター)さん」

 

 

 

 帽子屋からの返事はなく。

 そのまま、彼女は踵を返す。

 

「ちょ、ちょっと、パンチョウ……!」

「……うさちゃんも、元気でね」

 

 らしくもなく躊躇いげに手を伸ばそうとする三月ウサギだが、その手は届かない。

 しかしバタつきパンチョウは、彼女には、柔らかな微笑みを見せた。

 

「行くのよ、トンボ、ハエ」

「……御意に」

「はいはい」

 

 しかしすぐに、弟たちを引き連れ、不思議の国より退散する。

 その道中、彼女は、弟たちに背を向けながら、懺悔のように、ぽつりと零した。

 

「……ワガママなお姉ちゃんでごめんね」

「いつものことだ。私は気にしないよ」

「案ずるな。姉上の決めた答えなら、ぼくらは信じて従うさ」

「……ありがと」

 

 それが、最後に残った言葉。

 『ハートの女王』と『代用ウミガメ』『眠りネズミ』に続き、蟲の三姉弟――長女『バタつきパンチョウ』、長男『燃えぶどうトンボ』、次男『木馬バエ』の三名も、【不思議の国の住人】から除名。自ら、この地を去った。

 代用ウミガメという兵站が、眠りネズミという戦士が、蟲の三姉弟という叡智が、不思議の国から失われた。

 女王の失墜、あるいは飛翔――覚醒を皮切りに、この小さな国は衰退していく。

 あまりにも急激な変化。見えてしまう破滅のビジョン。

 『ヤングオイスターズ』の長女は、問わずにはいられなかった。

 たとえ彼が、壊れていたとしても。

 

「ど……どうすんだよ、ダンナ……!」

「どうにもならんな。もはや女王は止まらんだろう。故に我らは、ただその時を待つだけだ。これは、定められた因果なのだ」

 

 こんなものは、茶番に過ぎない。

 帽子屋の中にあるものは、虚無。

 諦観で支配された虚空だけが、彼の中に広がっている。

 それもそのはず。

 彼は知っているから。女王の力を。

 彼は信じているから。女王の邪悪さを。

 不条理でも、これが摂理であり、真理。

 屋敷は崩れ、土地は荒廃した。

 信心は失墜し、民衆は去って行く。

 そんな国の行き着く未来は、ただひとつ。

 そしてそれは、この星すべてに、伝播する。

 

 

 

「ほどなく世界は――滅亡する」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――――」

 

 

 

 身体は熱く……ない。

 むしろ、冷たくて気持ちいいくらいだった。

 

「んん……っ」

 

 いや、そんなことはない。寒い、寒いよ。

 でもそこまでイヤじゃない。死にそうなほどの寒気とかではなくて、いつまでもぬくもりが欲しくなるような寒さだ。

 

「ふぇ……?」

 

 なんだか、眩しい。

 寒さの中に、微かな暖気を感じる。

 視界は真っ暗。ゆっくりと、少しずつ、その先の光に手を伸ばす。

 

「……朝?」

 

 あぁ、朝だ。

 朝かぁ。

 ……えっと、そう……そうだね。

 はい、おはようございます。

 

 

 

 

 

 

 ――伊勢小鈴です。




 書いているうちにマスター・ブレイカーの裁定がわからなくなったから、調べたらよりわからなくなりました。裁定って難しいね。結局、同時破壊なのか、順番破壊なのか……シールドが同時ブレイクだから、最初に対象を選んで、それから同時破壊だと思うんだけど。
 凄いクライマックス感あるけれど、まだ今章自体は終わりじゃないんですよね……もっとも、次章がマジカル☆ベルとしては最終章になるとは思います。
 それでは今回はこの辺で。誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。


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44話「入国、不思議の国へ -城門-」

 大変長らくお待たせ致しました。
 今章の最後になるだろう44話、完成しました。
 例によってまたしても三話完結の長い話になりますが、平にご容赦を。
 遂に不思議の国に通じる門が開かれ、様々な物事が詳らかになるかもしれません。
 それでは不思議の国の真実を、どうぞご覧あれ。


 おはようございます、伊勢小鈴です。

 ……寒い。

 気付けばそこは、見知らぬ部屋。

 妙に散らかっていて、空気がどんよりと濁った感じ。

 床にはゲームとかカードとかが散らばってる。デスクの上には大きなパソコンが一台、存在感を放っていた。

 ……本当にどこ?

 誰かの家、誰かの部屋みたいだけれど……

 混乱のあまり呆然としていると、ガチャリ、と扉が開いた。

 

「あ、妹ちゃん。起きた?」

「謡さん?」

 

 入って来たのは、謡さんだった。

 見知った人の登場に落ち着く。けれど、ここがどこなのか、どうして謡さんがいるのか、さっぱりだ。

 謡さんはわたしの傍に来て、しゃがみ込む。

 そして心配そうに、わたしの顔を覗き込んだ。

 

「身体は、大丈夫?」

「身体? えっと、別になんともないと思いますけど……?」

 

 強いて言えば寒いくらいだけど、今の時期は寒いものだし、布団の温もりがあるし、問題はない。

 なにがなんだかわたしにはよくわからないけれど、謡さんはほっとしたように胸をなで下ろした。

 

「ならよかったよ……本当に」

「あの、なにかあったんでしょうか?」

「あれ? ま、まさか、覚えてない? 昨晩のこと」

「昨晩?」

 

 ……なんのことでしょう?

 意識というか、記憶が混濁している。昨晩……夜のこと……

 うーん、思い出せない。

 なにか、とても大切なことを約束したような気がするんだけど……

 

「そ、そっか。覚えてないなら、いいや……むしろその方がいいのかも」

「?」

「そんなことより! はい服。布団の中とはいえ、暖房は切ってるし、流石にずっとそのままだと風邪引いちゃうからね」

「あ、ありがとうございます……え? 服?」

 

 と言われて、はじめて自分の身体を見下ろす。

 一糸纏わぬ見慣れた肌色が見えます。

 ……裸、ですね。

 

「どっ、どどどど、どうして、わたし、はだか……!?」

 

 どうりで寒いわけだよ! いくら布団の中とは言え、服を着てないんじゃ寒いに決まってるよ! 今何月だと思ってるの!?

 

「わ、わたしが寝てる間、なにがあったんですかー!?」

「えーっと……毒抜き?」

「毒抜き!?」

 

 そんな料理みたいな!

 

「や、まあ、だ、大丈夫だって。事はつつがなく終わったから。妹ちゃんもなんともなかったし」

 

 謡さんは宥めるように。

 そして、とても穏やかな目で、言った。

 

「……うん。妹ちゃんの身体は、綺麗なままだから。大丈夫」

「は、はぁ……?」

 

 よくわからないけれど、謡さんがそういうなら……と、わけがわからないなりに納得する。

 

「とりあえず、早く着替えなよ。」

「あ、はい。わかりました」

「服もちゃんと洗濯したからね。あ、洗ったの私だから安心して」

「はい……はい?」

 

 洗濯した? わたしの、服を?

 ……それって。

 

「っ……!」

 

 気付いて、しまった。

 その瞬間、カァッと、顔に熱が上っていくのがわかる。

 謡さんもなにか察したのか、視線を逸らして、憐れむような乾いた愛想笑いを見せる。

 

「いやぁ、流石にビックリしたなぁ。私より年下なのに、凄い中学生もいるもんだなぁ、って。体型的な問題なのかもだけど」

「っ、う、うぅー……」

 

 顔を真っ赤にして恥ずかしさに耐えるしかなかった。

 なんで、なんで今日に限って……! 休みの日だからって油断してたというか、なんというか……今日は“ダメ”な日なのに……でもこんなの考慮できないし……

 

「まあ、なに? 会長もわりと歳不相応っていうか、そういう感じだし……私は気にしないよ?」

「だ、誰にも言わないでくださいね!?」

「言わないよ……恥ずかしいなら、そんなの付けなきゃいいのに……」

「だって、だってぇ……」

「会長は堂々としてたもんだよ。むしろ見せつけるくらいの勢いで。かえって格好良いくらい」

「私とお姉ちゃんは違うんですー!」

「はいはい。ま、こんなの言いふらしたりしないよ。そんなことより、早く着替えて、皆で朝ご飯を食べよう。待ってるから」

「は、はぃ……」

 

 宥めるようにわたしをあしらって

 ……うん、まあ、謡さんでよかった。学年違うし、お姉さんだし。

 ずっと裸のままというのもいい加減寒い。もう半ば諦めて、わたしはいそいそと着替えるのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「お、おはようございます……」

「おはよ、妹ちゃん」

 

 部屋から出ると、リビングのようでした。そこは、やっぱり見知らぬ……いや?

 なんだか見覚えがあるような気がする。確か、前にもここに来たことあるような……

 

「こすず……」

 

 わたしがうんうんと思い出そうとしていると、小さく、か細い、けれどもハッキリと聞き取れる微かな声が聞こえてきた。

 

「恋ちゃん……」

 

 わたしよりずっと小さくて、華奢な矮躯。お人形さんみたいな真っ白な肌に髪。

 表情もお人形同然で、感情が全然読み取れないけれど、わたしを見た恋ちゃんを、ほんの僅かに、微笑んでくれた……ような気がする。

 

「……なんで恋ちゃんが?」

「だって……ここ、私の、家……」

「あ、そうなんだ……」

「ちなみに妹ちゃんが寝てたのはれんちゃんの部屋だよ」

 

 あれ恋ちゃんの部屋だったんだ……ななというか、すごく、きたな――

 い、いや、なんでもない。なんでもないよ。

 

「先輩がお米炊いといてくれたけど、妹ちゃんはご飯とパン、どっちがいい?」

「あ、それならパンでお願いします」

「うん。聞くまでもなかったね」

「そうでしょうとも。それは愚問というものです、謡」

「……誰!?」

 

 いつの間にか席に着いていた……お兄さん?

 なんとなく幼い感じがするけど、妙に爽やかな風貌の男の人。年上っぽいけど、年下にも思えて、なんだか不思議な感じの人だ。

 というか、なんだかこの人のこと、知っているような……?

 

「……えぇ。この姿では、初対面、でしたね」

「どうしたのさ、そんな変に畏まって」

「言わないでください、謡。俺でも焦がれる人に遭遇すると、気が逸り、動悸は激しく高鳴り、そして焦燥と不安の果てに呂律が回らなくなることもあるのです」

「つまり好きな人の前でキョドってるんだね」

「誤解を恐れぬ大胆な物言い痛み入ります」

「君がそんな繊細な奴だとは思わなかったよ、スキンブル」

「……え?」

 

 謡さんの呼んだ名前に、硬直する。

 そして思わず、反芻した。

 

「スキンブル……くん?」

「えぇ、まあ、はい。スキンブルシャンクスです」

「うそっ!? え、な、なんで? にゃんこじゃない……すっごいカッコよくなってる!」

「……どうも」

「うわ照れてる。なにこいつ、私が褒めても「ははは、謡の称賛はそよ風のように心地よいですが、些か飽きが来そうですね」とかほざくのに!」

「そのようなことを言った覚えはないのですが」

「でも言うでしょ」

「言いますね」

「この野郎!」

「理不尽な」

 

 そんな軽口を交えて謡さんに叩かれているスキンブル……くん?

 あの可愛い黒猫が、まさかこんな爽やかなお兄さんだったとは思いもしなくて、まだちょっと混乱してます。

 

「とまあ、驚いたとは思うけど。なんやかんやこんな感じで。よくわかんないけど、スキンブルは人になったのでした、と」

「はぁ……」

「まあこいつも【不思議の国の住人】の一人、みたいなもんだし、人の姿を取れるのは不思議ではないんじゃないかな」

「なるほど?」

 

 そういうことなのかな?

 言われてみればそんな気もするよ。

 

(んじゃ、ここは照れ屋な君に変わって私が受け持ってあげる)

(感謝します。あなたが主人で本当に良かった)

(はいはい。都合のいいときだけ調子いいことばっかり言うんだから)

(だとしても本音ですよ)

 

 ? なんだか二人で視線を合わせてるけど、どうしたんだろう。

 首を傾げていると、今度は玄関の方から、電子音。インターホンの音……?

 

「おや、誰か来訪なさったようですね」

「あー、たぶんあの子達だ。私出るよ」

「庇った直後に戦線離脱は無情ではございませんか? ご主人(マスター)?」

 

 表情は変えず、だけど瞳だけは非難の眼差しを向けるスキンブルくんを尻目に、謡さんは玄関へと向かっていく。

 でもここ、恋ちゃんの家なんだよね。恋ちゃんが応対しなくていいのかな……謡さんは、来客が誰か想像ついていたようだけど……

 誰だろう、と思っていたら、バタバタと慌ただしい足音が聞こえてきて――

 

「小鈴さーんっ!」

「わっ……!?」

 

 体当たりするような勢いで、小さな影が突っ込んで来た。

 ひしっ、としがみつくように抱きついてきたのは、さらさらな銀の髪――ユーちゃん、だった。

 ユーちゃんは泣きじゃくる子供みたいに、ぐりぐりとわたしの胸に顔を埋めていた。

 

Vos incolumes erant libenter(小鈴さんが無事でよかったですー)!」

「えっと……ゆ、ユーちゃん?」

「ユーちゃん。伊勢さんが困っていますよ。気持ちはわかるけど、ちょっと落ち着いて」

「あうぅぅ……」

 

 と、その後ろから、ユーちゃんと同じ顔、同じ髪、同じ声――ローザさんが、ユーちゃんをわたしから引っぺがす。

 ユーちゃんはまだ少しぐずっていたけど、喜んでもいて、顔がくしゃくしゃだ。

 一方でローザさんは落ち着いていて、ユーちゃんを宥めながら、わたしに向き合う。

 

「伊勢さん。ご無事でなによりです」

「ローザさん……えっと、これは?」

「昨日、私たちはこの家にあなたを届ける前に別れたので、実は詳細はわからないのですが……おおよその話は、長良川先輩等から聞き存じていますよ」

「?」

「って言っても、当事者の妹ちゃんがあんまり覚えてないみたいなんだよね……ま、朝ご飯でも食べながら、ゆっくり話そう」

 

 謡さんは玄関の鍵を閉めながら、リビングに戻っていく。

 その際に、少し悲しげに、目を細めた。

 

「私たちの今後を決める、大事な話になるだろうからね」

「わたしたち……? あ、そういえば、みのりちゃんと霜ちゃんは――」

 

 ドクン、と。

 痛みに、胸が鼓動する。

 思い、出した。

 そうだ、そうだ、そうだった。

 なんでこんなこと、思い出せなかったのか。意識していなかったのか。

 なにかを察したのか、謡さんは立ち止まる。

 

「そっちは私、よくわかんないんだけどさ。でもハッキリしてることはあって、そーくんとも実子ちゃんとも、連絡つかなくてね」

「私たちがあそこに到着する前に……なにか、ありましたか?」

「……それは」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 謡さんも、恋ちゃんも、スキンブルくんも、ユーちゃんもローザさんも、静かに話を聞いてくれた。

 あの店での、一部始終。

 すべてを失ってしまったあの時。

 大切なものを手放してしまったあの瞬間。

 胸から、痛みが、哀しみが、とめどなく、迫り上がってくる。

 

「……そっか。そんなことが、ね」

「慰めとなるかは分かりかねますが。あの時の小鈴様は、三月ウサギに毒されていました。本来ならば口にすることを躊躇い、噤むものでさえ、刹那の情感に流され言の葉に乗せてしまうでしょう」

「でも……でも!」

 

 思わず、声を荒げてしまう。

 

「わたし、思っちゃったんだ……あの時のみのりちゃんも、霜ちゃんも……いやだ、って、二人なんて、友達なんかじゃない、って……だから、本当の、本音で、本心から……言っちゃった、から――」

 

 後悔と自責が濁流のように流れ、氾濫する。

 どうして、なんで、と頭の中で反響する。

 それでもわたしは、あの時のわたしは、あの瞬間のわたしは、言ってしまったんだ。

 

 

 

「――絶交だ、って」

 

 

 

 たとえあの時のわたしが狂っていたとしても、そう思った。そう言った。その事実は変わらない。

 口にするとかしないとか、それ以前に、わたしはそう思ってしまったんだ。

 二人と友達であることを、拒絶したいって。繋がりを断ち切りたいって。

 それが言葉になってしまって、そして、現実になった。

 

「わたしが……わたしの、せいで……」

 

 友達を助けることもできず。

 友達は連れ去られてしまって。

 あまつさえ、友達を、自分から手放してしまった。

 わたしの、わたしにとって、なによりも大切なものだったのに。

 わたしが弱かったから、力も、心も。

 そのせいで、わたしのせいで、すべてが壊れ、崩れてしまった。

 目元の熱さを、堪えきれなかった。

 

「わたし、もう……なんにもなくなっちゃったよぅ……」

 

 力をくれた鳥さんは、もういない。

 助けてくれた友達も、自分から突き放した。

 守りたいと願った人も、守れなかった。

 わたしが今まで積み上げてきたものは、もう、なにも残っていない。

 ただただ、悔やんで、悲しくて、みっともなく泣きじゃくることしか、できなかった。

 だけど。

 

「……告解は終わりましたか?」

 

 ぴしゃり、と。

 鋭く、切り込むような、声。

 

「え……?」

「あなたの罪はそれですべてか、と問いました」

 

 ローザ、さん。

 彼女はまっすぐにわたしを見据えていた。

 そして、静かに語りかけてくる。

 

「泣くのはいいでしょう。悲しい時は涙するものです。悔やむのもいいでしょう。振り返ってしまう弱さは恥ずべきことではありません。卑下するのもいいでしょう。自分の弱さを受け入れることは大事なことです」

 

 ですが、とローザさんは続けた。

 

「立ち止まることだけは、許しません」

 

 ぴしゃり、と。

 彼女は言の葉を紡ぐ。

 

「それは、最もやってはいけない罪です。すべてを無駄にして、台無しにしてしまう、愚かな行為です。私は、そんな愚かな友人を持ちたくはありません」

 

 抉るような強い言葉。

 次々と、その衝撃が、わたしを打つ。

 

「あなたが本当に自らの行いを罪だと思うのなら、それを償いたいと願うのなら、そのように、するべきです」

「でも……わたし、二人に、ひどいこと、言っちゃって……」

「だからなんだというのですか。確かに、一時の感情に流されて吐き出した暴言は罪かもしれませんが、あなたはその罪を告解し、懺悔しました。私には牧師としての資格があるわけではありませんが……私は、あなたの罪の告白を聞き届けましたよ」

 

 ローザさんは、微笑んだ。

 柔らかく、温かな、笑みを浮かべている。

 

「なら、それで十分です。あとはそこから、立ち上がり、前に進んでください。その意志の発露さえあれば、あなたは赦されますし、誰がなんと言おうとも、この私だけは、あなたを赦します」

「ローザ……さん……」

「……まったく、しょうがない人です。ユーちゃんとは違う意味で、あなたも手の掛かる人のようですね」

 

 ローザさんはグッと腕を伸ばして、私の瞳から雫を拭い取った。

 

「そうやってうじうじ泣いて立ち止まってしまうのは、あなたの悪いところですね。ですがそれがわかれば、改善できます。前に進めます。さあ立ってください。そして、あなたがすべきことを為すのです。伊勢さん」

 

 わたしを、叱咤する言葉。

 厳しいけれど、それは、優しい言葉だった。

 誰かに叱られたことなんて、ほとんどないけれど。

 まだ蟠りが解けたわけではないえけれど。

 立ち上がることは、できた。

 そして。

 

「大丈夫、不安に思う必要はありません。あなたはなにもなくなったと仰いましたが、それは間違いなのですから」

「え……?」

「あなたにはまだ、残ってるものが、こんなにもあるではないですか。ほら」

 

 ローザさんが指さす先には、わたしを叱りはしないけど、一緒にいてくれる人たちがいた。

 

「そうですよ、小鈴さん! ユーちゃんたちがいます!」

「ん……私、も……」

「後輩が頑張ってるのに、先輩たる私が見てるだけってわけにもいかないしね」

「俺も人の姿を得たからには、為すべき事は為す所存です」

 

 ユーちゃんが、恋ちゃんが、謡さんが、スキンブルくんが。

 みんなが、寄り添ってくれる友達が、残っていた。

 ……そっか。そう、だよね。

 確かに、力も、友達も、願いも、色んなものを失ってしまったけれど。

 それでもまだ、わたしにも、残っているものがあったんだ。

 

「私たちの願いはいつだって、小鈴ちゃん、あなたの力になることなんだから。だからあとは、あなたが、どうしたいか、だよ」

「わたしの……したいこと……」

「うん。正直、酷い状況で、散々な結果だけど……過去を悔やむのはもう終わった。じゃあ次、あなたは、どうしたいのかな?」

「わたしは……」

 

 わたしのしたいこと。

 それはもちろん、決まっている。

 

「……みんなを……鳥さん、霜ちゃん、みのりちゃん、そして……代海ちゃん。みんなと、もう一度、会いたい……!」

「会うだけ?」

「ううん。仲直りして、ちゃんと謝って、もう一度……いつもみたいに、遊んで、笑って、一緒にいたい!」

 

 ただそれだけのこと、だけど

 わたしにとっては、それがなによりも大事なことだった。

 すべてを失ったわけではない、残った友達もいる、けれど。

 失われたものを、失われたままには、していたくない。

 取り戻したい。もう一度、欠けてしまったこの関係を、やり直して、元通りにしたい。

 “いつものわたしたち”を、もう一度……!

 

「……伊勢さんらしい答えですね。安心しました」

「Ja! そうですね……Hor mal Rosa(ねぇ、ローザ)

「? Was(なに)? Julia(ユーリア)?」

Verzeihung(ごめんね),Lass mich etwas Schlimmes tun(いやなことさせちゃって)

Verzeihen Sie(いいよ).|Das ist mein Rolle(これが私の役割で、) und Jemand sollte sagen(誰かが言わなくちゃいけないことだから)……unt(それに)

unt(それに)?」

「……Ich bin auch ein Freund(私だって、友達なんだから)

Sag es ihr(それ、小鈴さんに直接言ってあげたら?)

Verlegen(照れるから遠慮しとく)……」

Ja mei(まったくもう)!」

 

 ……わたしたちにはわからない言葉で、ユーちゃんとローザさんがなにか話してる……

 

「二人とも、なんのお話ししてるの?」

「むふふ、ローちゃんは実は照れ屋さんなのです」

「ユーちゃん!」

「? そ、そうなんだ……?」

「なんにせよ、方針は決まったね」

 

 謡さんが全員を見渡しながら、取り纏める。

 これから、わたしがすべきことを。

 

「まずは皆で仲直り! それと、鳥さんも助けに行く!」

「は、はい!」

「ん……」

「Ja!」

 

 やるべきことはたくさんあって、重大だけれど。

 みんながいるから、きっと……!

 

「それじゃあ、早速みんなのところに……」

「いやいや、妹ちゃんは、まずは家に帰った方がいいよ」

「え……あっ」

 

 そうでした。

 すっかり忘れていたけれど、わたし、なにも言わないまま、家に帰ってないんだった。

 

「一応、私の方から会長には一報入れておいたけど……若い娘さんが急に外泊とか、よくないでしょ」

「はい……」

「急く気持ちも分かるけど、あなたに心配する人がいるように、あなたを心配してる人もいるんだよ」

「……わかりました」

 

 そう謡さんに説かれて、わたしは一度、帰宅することになった。

 その間に、謡さんたちも準備をするから、と言って、みんなで一時解散。お昼過ぎに、再集合する手はずとなりました。

 外泊……修学旅行とか林間学校以外では、外泊なんてはじめてだ。

 お母さん……は、大丈夫として、お姉ちゃんやお父さんは、怒ってるだろうか……怒ってるだろうなぁ。

 ……どうしよう。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 怖々とした気持ちを抱えながら、帰ってきました、我が家に。

 玄関を潜るのが怖い。でも、帰らないわけにはいかない。

 ここだって、わたしの帰る場所なんだから。

 とはいえ無断外泊してしまったから、恐る恐る、玄関を潜る。

 

「た、ただいまー……」

「小鈴」

「ひぅっ」

 

 すると、鋭く突き刺さるような声が、わたしを出迎えてくれた。

 

「お、お父さん……」

 

 いつも以上に厳めしい顔をしたお父さんが、わたしの前に立ち塞がる。

 お父さんは、静かだけど、とても重々しく、口を開いた。

 

「遅かったな」

「えと、その……」

「おおよその事情は五十鈴から聞いている。が、少し気が緩んでいるんじゃないのか?」

 

 険しい睨むような視線。

 昔から、この視線が苦手だった。

 お父さんのことは家族として好きだし、尊敬もしている。厳しいけれど、それだけにまっすぐで、実直で、誠実な人だって知っている。

 だけど、そうだとわかっていても、わたしはお父さんのこの目が苦手だ。

 この目が嫌で、昔のわたしは、怒られないようにしていた。

 だから久しくこの目を見ることはなかったけど。

 今、わたしは、数年ぶりにお父さんのこの目に晒されている。

 

「まったく。お前ももう中学生なのだから、少しは落ち着きを持ちなさい」

「…………」

「半ば無断の外泊だなんて、そんな時間までなにをやっていたんだか」

「……ごめんなさい」

 

 そう、小さく呟くことしかできない。

 本当に、ごめんなさい。

 なにも言えない。事情は、話せない。 

 そんな後ろめたさが、ちくちくと、突き刺さる。

 

「小鈴。お前はまだ子供だが、いつまでも子供なわけではない。もう少し、大人になっていく、という自覚を持ちなさい」

「……うん」

「まったく。ただでさえお前は若い少女の身だ。もっと自立したようにだな……」

 

 お父さんのお説教が始まった。

 と、思ったら。

 

 

 

「うっせー!」

 

 

 

 ……リビングから怒声が響いてきた。

 いや、これ……お母さんだ。

 

「うるっさいよー、おとーさん! そんなグチグチネチネチ言わないの。イライラするでしょーが」

「みすず……」

 

 お父さんが、弱った顔をする。

 お母さんはずるずると寝転がった姿勢のまま、お父さんに叱り返す。

 

「そーゆーのは私の聞こえないところでやって! 執筆の邪魔邪魔。しっし!」

「……みすず。前々から思っていたが、お前もお前で娘の教育が適当すぎないか? 娘がほぼ無断で外泊だぞ。少しは言うべきことも、思うこともあるだろう」

「ぜーんぜん? あ、お泊まり会の話は聞きたいなー。私、学生の頃そーゆー経験無かったし」

「おい。しっかりしろ母親」

「小説家ですので」

「それ以前に母親だろう」

「残念だったね、どっちも私だ」

「なにを言ってるんだお前は?」

 

 あぁ……はじまった。

 夫婦喧嘩なのか、夫婦漫才なのか、よくわからない二人の口喧嘩? が。

 

「そもそもね? 規則通り規律通りなんてのは、大人になってから腐るほど味わうんだから。今くらい、自由にのびのびやってもいいと、私なんかは思うんだけども。違うかね?」

「その将来に向けて生育するのが今の時期だろう。五十鈴はあんなにも自立しているというのに、小鈴ときたら……」

「あー! そーゆーのよくないよお父さん。兄弟姉妹で比べるのは感心しないなー。月並みな言葉だけど、皆違って皆いいんだから。五十鈴には五十鈴のいいところと悪いところがあるし、小鈴には小鈴の悪いところといいところがあるんじゃない」

「悪いとこがあるのなら、それは正すべきだろう」

「いんや、私はいいところを伸ばすべきだと思うなー。あと、悪いところって言ったけど、良さも悪さもケースバイケースだし。悪い部分をいい感じに切り取ってみるのも一興でしょ」

「しかし悪いものは悪いのだ。健全でまっとうな生育のためには、自立した精神が必要で……」

「っていうかぁ、本人がそうしたいって思ってやってるなら、それも自立心じゃない? それを自分の思う通りに操ろうとするのは親のエゴっていうかぁー」

「しかしだな、年頃の娘が急に外泊というのは決して社会通念的にも褒められたことではなく、もしも事件に巻き込まれたり、変な男に絡まれていれば……」

「そん時はお祝いしてあげよう。父親の顔が見れなくても、私は幸せならオッケーです」

「お前には母親としての自覚がないのか!?」

 

 お父さんは、真面目で、実直で、誠実な、お堅いけれどまっすぐな人、だけれど。

 だからこそ、なのかな。

 ふんにゃりふわふわしているお母さんとは、致命的に相性が悪い……いや、いいのかな?

 お父さんの矛先は、だんだんとわたしから、お母さんへと向いていく。

 

「まったく、小鈴も子供だが、お前もお前だ、みすず。昔からいつもちゃらんぽらんで……そんなんだから家から追い出されるんだぞ!」

「出てったのは私からですー。はいざーんねーん!」

「なにが残念だ。身寄りを頼れない苦しさは、お前がよくわかっているだろうに」

「私は死んでも小鈴の味方ですしー。それにほら、なんやかんやでお父さん(あなた)は私を拾ってくれたし、意外と人生なんとかなるなる」

「そんな適当に生きているからお前は放っておけな……」

「ん? なになに? なんか言ったかな?」

「なにも言っていない! くっ、お前は相も変わらずやりにくい……!」

「お褒めにあずかり光栄のいたりー……チラッ、チラッ」

 

 ……?

 なんか、お母さんが目配せして、口をぱくぱくさせてる。

 いや、小声でなにか言ってる。えっと……?

 

(ここは 私に任せて 先に行け)

 

 ……!

 お母さん……!

 お父さんがお母さんと言い合っている間に、わたしは回れ右して、音を立てないよう、ゆっくりと玄関の扉を開く。

 

「い、いってきまーす……」

 

 心の中でもう一度、ごめんなさい、と謝ってから。

 本当は、もっとちゃんと謝って、訳も話して、後腐れ無く行きたかったけど。

 そんな未練を飲み込んで、わたしは、また、家を出た。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 お母さんに一報だけ入れて、外のパン屋さんで軽く食事を済ませてから、予定よりちょっと早い時間に、みんな集まった。

 わたしのすべきこと。わたしのしたいこと。

 絶交は撤回。みのりちゃんや霜ちゃんと、仲直りすること。

 攫われてしまった鳥さんを助け出すこと。

 そして、代海ちゃんと……もう一度、ちゃんと話したい。

 タスクは三つ。その中でまず、最も達成が近そうなのは、一番目。

 仲直り、だ。

 とはいえ二人とは連絡がつかない。どこにいるのかもわからない。

 けど、わたしが家に帰ったりパンを頬張っている間に、謡さんは糸口を見出していた。

 

「相変わらずそーくんも実子ちゃんも応答がないんだけど、そーくんの方はついさっきアテが見つかってね」

「アテ? それって……?」

「……つきにぃ」

「いつきくん?」

「……くん?」

「あ、いや、えっと……ちが……っ!」

 

 ついうっかり、癖でいつきくんって言っちゃった……! 先輩なのに!

 

「あの、あのあの、ち、ちがくって……え、と、それで! 霜ちゃんとの連絡はつきそうなんですか!?」

「メタリカもビックリするほど、強引に話を曲げましたね……」

「……そーくんのお兄さん、元学援部だからさ。イツキ先輩なら連絡先を知ってるんじゃないかって思って連絡したら、大当たりでね。ついさっき、水早先輩の連絡先を貰ったの」

「な、なるほど! その手は考えませんでした!」

「わざとらしい……」

 

 謡さんは携帯を操作して、わたしに投げ渡した。

 っていうか、これ。誰かに電話をかけてる。

 

「わたしが繋いでもいいけど、これは妹ちゃんの問題でしょ。なら、あなたが出た方がいいよ」

「は、はい……そう、ですね」

 

 その通りだ。

 わたしが捨てた縁は、わたしの問題だ。

 なら、それを再び結び直すのも、わたしだ。

 やがて、通話が繋がった。

 

「あ、あのっ! お久しぶりです、伊勢小鈴、です。えと、霜ちゃんのお兄さん……です、よね……?」

『あぁ。そうだが』

「その、わたしたち……実は……」

『待て』

 

 急に、向こうからストップがかかった。

 

『話は剣崎から聞いてるが、詳細は知らない。だが俺は、お前らの事情に首を突っ込む気もない。俺はただ、剣崎と先輩と後輩のよしみだけで、お前達と繋がる。オーケー?』

「え、は、はい……」

『よし、なら俺はまったく無関係な村人Aの立場でお前達と接するぞ。深入りも過度な協力もしない。それでいいか?』

「……はい。すみません」

『気にすんな。こういうのはきっちりやっとかんとな。で、要件は?』

「えっと、その、霜ちゃんのこと、なんですけど……」

『霜? あー……ちょっと待ってな』

 

 ドタドタと、電話越しに足音が聞こえる。

 しばらくして、ぼそり、と独り言のような声が届いた。

 

『……逃げられたな』

「逃げ……え?」

『昨日からなんか変な感じだなとは思ってた。が、どうも俺の話し声を聞いてなにを察したのか、窓から逃げたっぽい』

 

 窓から逃げた!?

 霜ちゃん、意外とワイルド……あ、でも、昔もそんなことしてたような。

 

「ど、どうしましょう……」

『……深入りはしないし、事情は聞かん。俺は無関係な村人Aだ。だがそれ以前に、あいつの、霜の兄貴だ』

 

 弟に悪態突かれるほど頼りないがな、と自嘲的に、けれども確固たる意志を持って、お兄さんは続ける。

 

『なにも知らない立場からなに言ってんだと思うかもしれない。キツイ言い方になっちまうかもしれない。それでもあえて、あいつの兄貴として言う。いや、頼む……あんま、あいつを追い詰めないでやってくれ』

 

 それは、懇願だった。

 哀しみと、憐れみと、思慮に籠もった、嘆願だ。

 

『あいつもあれで男だ。見栄を張ってはいるが……一度、大事なモンなくしてるんだ。もう二度と、同じ思いはゴメンだって、あいつも思ってる。そう思って、動いてるはずだ』

「…………」

『悪いな、身内贔屓で。そっちにもそっちの事情があるのにな』

「い、いえ……わたしこそ、ごめんなさい……」

『いやいい。あいつが逃げに回ってるのもわかる。悪手を打ってるのはたぶん霜だ。けど、心ってのは、理屈じゃどうにもならない歪みを起こすもんだからな』

 

 やれやれといった風に、お兄さんは電話越しでも分かるほど、溜息を吐いた。

 

『思えば、剣埼と伊勢もそうだったなぁ。俺の周りはこんな奴ばっかか。どういう因果だこりゃ』

「え? 先輩と……なんですか?」

『いやなんでもねぇ、こっちの話だ……あっぶねぇ、危うく口滑らすところだったぜ』

「……?」

『ま、ともかくだ。少しだけ待ってくれ。あいつも馬鹿じゃない、むしろ俺より頭いいくらいだ。だから、じきに気付くはずだ。どうすりゃ最善に至れるのかってのをな。でも意地っ張りだから、そっちから手を伸ばしても、きっと振り払っちまう』

 

 意地っ張り……確かに。

 霜ちゃんは、見た目は可愛いけれど、その内は、凜々しくて、キリッとしてて、鋭くて、格好良い。

 だからこそ意地を張ってしまうことも、あるのかもしれない。

 霜ちゃんがなにに、どうして意地を張っているのかなんて、わたしにはわからないけれど。

 霜ちゃんも霜ちゃんで、なにか考えがある……のだと思う。

 

『いやほんと悪いな、面倒くさい弟でよ。でも仕方ねーんだ。あいつもなんだかんだまだガキだから、そういう不器用なことしかできねーんだわ』

「……はい。お話、ありがとうございました」

『すまんな、なにも力になれなくて』

「いえ、そんなこと……霜ちゃんのこと、少しでもわかったので。良かった、です」

『そう言って貰えると助かる。俺は村人Aのスタンスは崩さないが、その範疇でならいくらでも協力するさ。霜が心配なのは俺も同じ……俺も、前のあいつは、見たくないしな』

「はい……よろしくお願いします」

『おう。じゃあな』

 

 ぷつり、と通話は切れた。

 

「ど、どうでした? 小鈴さん」

 

 ふるふるとした瞳で尋ねるユーちゃん。

 わたしは申し訳なく、首を横に振る。するとユーちゃんはがっくりと肩を落とした。

 

「そっか。ならこっちはひとまず、時間に委ねるしかないかな……次はどうする?」

「……みのりちゃんの家に、行きます」

「実子ちゃんの家、知ってるの?」

「はい。行ったこと、あるので……ちょっと遠いですけど」

 

 霜ちゃんは直接会っても、きっと逆効果になってしまう。お兄さんも、それを懸念している。

 だけどみのりちゃんなら……もしかしたら。

 そんな願いを胸に、今度は、みんなでみのりちゃんの家に、向かうのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……出ないね」

 

 みのりちゃんの家。

 一般的な一戸建ての家。普通にインターホンを鳴らしてみたけど、反応はない。

 カーテンも閉め切られていて、人の気配すらなかった。

 

「家宅の周囲、窓から覗ける範囲で内部も視察しました。が、人の気配はありませんね」

「家族とかもいないのかぁ。なんかちょっと不穏なんだけど」

「みのりちゃんは、一人暮らしですよ?」

「え、あ? そうなの? 中学生で……マジ?」

「はい。ご両親が仕事の都合で、海外を転々としているから、とかって聞きましたけど……」

「はー、すっごい。うちなんて専業主婦と家に籠もってるイラストレーターだよ」

「しかし香取さん自身の気配や姿もないとなると、外出中、なのでしょうか?」

「……ひきこもり?」

「その可能性は比較的薄いですが、否定もできませんね」

「……はっ! も、もしかして実子さんも、いつかのユーちゃんみたいにクリーチャーに……!」

「あったねぇ、そんなことも」

「クリーチャーの気配……鳥さんがいれば、わかるんだろうけど……」

 

 今ここに、鳥さんはいない。

 わたし一人では、あまりにも無力だ。友達が苦しんでいるのか、どう思っているのかすら、わからない。

 

「さて、そーくんも実子ちゃんもハズレだけど……外出中なら、いずれ戻ってくるよね」

「そうでしょう。ならばここで待機、帰宅を待つ、というのが最善やもしれません」

「ひきこもってたら……?」

「その時が問題だよねぇ」

「居留守を使われているのであれば、こちらと接触する気が無い、ということですからね」

「実子さんが……そんな……」

 

 どうしよう。

 とりあえず待ってみる、べきなのかな。

 ……なんだか、もどかしい。

 どうにかしようって、前に進もうって、決意したのに。

 待つしかない、なんて。

 そう思った時だった。

 

 

 

「あーもう! なんなのよー!」

 

 

 

 苛立ったような、女の人の声が、聞こえてきた。

 思わず振り返ると、道路を歩く三つの人影が、視界に映る。

 とても、見覚えのある、三人組だ。

 

「賃貸契約……正直、舐めていたよね」

「よもや入居に際し審査があるとはな。連帯保証、敷金礼金……むぅ、考えたこともなかった」

「あーゆーのは公爵夫人様とかが全部やってくれてたのよー。こういう時に夫人様のありがたみを痛感するのよー」

「そもそも私たちの所持金が足りなさすぎる。敷金礼金、仲介手数料に保険金、預かり金……自主退職した分、収入がないから、どうにもならないな」

「ぼくはまだあの学舎に席があるはずだが。用務員として」

「私もまだ購買のおねーちゃんなのよー」

「私はとっとと退職したい。が、三人で生きるには金が要る。ままならない世界だ……」

「これでは当分、寝床も高架下だな。見張りはぼくが受け持とう」

「いや、私がやるよ。姉さんと兄さんは寝てて」

「そんなこと言わないのー。見張りは交代制! 二人とも、寝る時はちゃんと寝るのよ!」

 

 ……っていうか、この人達は……

 思わず、声を掛けてしまった。

 

「よ、葉子さん!?」

「およ? わっ、すずちゃーん!」

 

 その声に向こうも気付いたようだった。

 葉子さん……『バタつきパンチョウ』のお姉さん。

 そして、その弟さん。お兄さんと先生、もとい『燃えぶどうトンボ』と『木馬バエ』のお兄さん。

 葉子さんは背が高く、スタイルの良い女の人。派手で鮮やかな衣服、長く煌めくような金髪……だけれども、服も髪も、土で汚れている。

 

「あの、葉子さん、髪に土が……」

「あらごめんなさい。でも、ありがとうなのよー」

 

 わたしの背じゃ葉子さんの頭に手が届かないから、屈んで貰って土を払う。

 先生の目がちょっと怖かったです。

 

「……よくもまあ、ぬけぬけと顔を出せたものだよね」

「牙剥き出しですね、飼い猫と飼い主さん。姉さんには爪を立てさせませんよ」

「うむ。我ら国籍を捨てようと、姉上の弟であることに変わりなく。故に姉上への忠義も不変なり」

「私は、あなたたちがこの子にしたことを忘れてない」

「無論、俺も謡と同意見ですよ。不思議の国の蟲たちよ」

 

 そして、謡さんとスキンブルくんの目も、怖い。

 敵意を露わにして、火花が散りそうなほどの鋭い眼光で、睨み合っている。

 けどそこで、ユーちゃんが、割って入った。

 

Warte(待ってください)! この人たちは、その……違うんです!」

「違う?」

「はい。その人達は、その、確かに足止めはしてたんですけど……」

「……途中で、とおして、くれた……」

「……本当に?」

「あぁ、そんなこともありましたかね。まあ姉さんの指示ですし」

「姉上の言葉は絶対だ。帽子屋殿の指令に勝る故な」

「そもそも私たちは、もう帽子屋さんとは関係ないですしね」

「我々は国籍を捨て、不思議の国を出国した身であるからな。いやさ亡命か?」

「追われてはいないけどね」

「……出国?」

 

 出国。国から、出て行った……?

 それって、どういう……?

 

「抜けたんですよ、【不思議の国の住人】から。これも、姉さんの意向ですがね」

「え……!?」

 

 思いもよらない真実に、一瞬、頭が追いつかなかった。

 抜けたって……葉子さんが……!?

 にわかに信じられないことだった。

 葉子さんはわたしたちにもよくしてくれたけど……だからって、【不思議の国の住人】としての立場を蔑ろにすることもなかった。

 どちらにも優しく、マイペースに微笑んでいた人、だったのに。

 それが、抜けた、って。

 

「……帽子屋さんには、悪いことをしたのよ。でも、流石の私でも、耐えられなかった」

 

 葉子さんの表情が陰りを見せる。

 今まで見たこともないような、沈痛な面持ちだった。

 

「ウミガメちゃんも、ネズミくんも、カキちゃんも、なっちゃんも、うさちゃんも、夫人様も帽子屋さんも……みんなみんな、私にとっては大切な友達。それは今も変わらないけれど、だからこそ、手を貸すのは、もうやめたのよ。お姉ちゃんのワガママ、なんだけどね」

 

 悲しんでいるというより、嘆いているというより。

 困ったように、葉子さんは肩を竦める。

 

「ちょっと……自己嫌悪、なのよ」

 

 はじめて見るかもしれない、葉子さんが、本当に弱った姿を。

 翅を濡らした蝶のように、羽ばたくのも億劫そうに、頼りない葉っぱにしがみつくように、葉子さんは吐露する。

 

「ダメなことをしそうなら、止めるべきだった。ダメになっちゃいそうなら、支えるべきだった。私は皆が大事で、どれも大事にしたくて、すべての思いを大切にしたかった。だけど、どれも中途半端で、手が届かなくて……全部、ダメになっちゃった」

 

 どこか遠くの(ソラ)を見ているような、虚な瞳を虚空に向けている。

 諦めとも違う。達観したような、超然とした眼。

 その静かな面持ちからは、葉子さんの内面は、まるで窺い知れない。

 

「私は気ままに生きることが好きだし、それをやめる気はないけれど、それでもちょっと、後悔はしちゃうのよ」

 

 悲しげにも見えて、無感動にも見えて、諦念にも見えて、虚無にも見える。

 だけど、

 

「だから、あとはなるように。弟たちと気ままに過ごすって、私は決めたのよ!」

 

 最後は、ひだまりみたいな笑顔で、笑う。

 葉子さんも、葉子さんで、悩んでいるんだ。

 そういった素振りはまったく見せなかったけど、この人でも、悩みも、迷いも、苦しみもある。

 そんな葉子さんに、わたしの都合を押し付けるのは、気が引けた、けど。

 

「よ、葉子さん。その、わたし……!」

「……うん。あなたは、とてもいい子なのよ。本当に、掛け値なしで、私たち姉弟の妹として迎えたいくらい、まっすぐで、素敵な子」

 

 わたしの言わんとしていることを汲み取って、葉子さんは、わたしを抱き締めて、見つめる。

 

「そんなあなたは、知る権利がある。あるいはあの子を“人に近づけた”あなたには、真相を知る義務があるのよ」

 

 柔らかくて、明るくて、優しい声。

 けれども、同時に、それは厳しくて、重くて、鋭くもあった。

 

「だからちゃんと、あなたの目で見ておきなさい。今の不思議の国の現状を、しっかりとね」

 

 まっすぐな目で見据え、そして、笑った。

 

「私はもう、【不思議の国の住人】じゃないけど、友達と、大好きな妹のためなら、お姉ちゃんはまだまだ頑張れちゃうのよ!」

「いえ、わたし……妹じゃないです……」

「えー、でも妹にしたいのよー……ちらっ、ちらっ」

「姉さん」

「むー、わかってるのよー。まったくジェラシーなんて可愛いんだから、ハエ太ってば」

「うぜぇ……それとハエ太はやめろ」

「ふふっ。あ、すずちゃん、紙とペン持ってるのよ?」

「え? 紙とペン、ですか? えーっと……」

「私のものでよければ、お貸ししますよ」

「ありがとなのよー、銀髪ちゃん! ……の、お姉ちゃんなのよ。同じお姉ちゃん属性? これはライバルなのよ?」

「違います。私の妹はユーちゃんだけです」

「そっかー。これは手強いのよー」

 

 先生やローザさんのじっとりとした視線なんてどこ吹く風。葉子さんは受け取った手帳に、ササッとなにかを書き始めた。

 

「はいこれ」

「これは……?」

「住所と地図なのよ!」

「地図? どこの……?」

「そんなの決まってるのよ!」

 

 それは、暗夜に灯る道行く光。

 輝く蝶の光は、深い霧と闇に包まれた世界を照らす。

 優しくも眩しい輝きと笑顔で、葉子さんは、告げた。

 

 

 

「――不思議の国、なのよ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 不思議の国の場所が記されたメモ。

 それが意外と遠くて、電車を使って移動して、駅を降りてから少し歩いて、わたしたちは私有地らしい山の前で、立ち止まった。

 

「ここ……の先、だと、思うけど……」

「地図……わかりにくい……」

「っていうかスキンブルに聞けば一発じゃん。スキンブル、ここで合ってる?」

「実は俺、不思議の国の外界で公爵夫人から剥離したのでございます。そしてその記憶は様々な部分が欠落、もとい共有できていないのです。仮に共有していたとして、剥がれ落ちた権能のひとつ。すべてが完全に共有されているはずもなく、曖昧模糊にもなりましょうや」

「使えないなぁ君も!」

「というのは本当ですが、真面目な話、ここだと思われます。俺の根幹を成す魂のようなものが、どこか騒がしいので」

「言い回しが厨二臭い……」

 

 うんまあ、なにはともあれ、この山の中に、不思議の国はある……ってことで、いいのかな。

 とはいえ山だ。しかも、見た感じ、結構深そう。

 下手に入ったら、遭難しないかな……?

 

「……あ、こっちですね!」

「ユーちゃん?」

「このあたり、人が出入りした跡がありますよ!」

「えっ?」

 

 ユーちゃんが指さすところを見る。

 確かに、微かに草が踏み分けられたような跡が見てとれるけど……言われなければ、気づけなかったくらいの跡だ。

 

「よく見つけたね、ユーちゃん」

「えへへ。ユーちゃん、こういうのは得意なんです!」

「ユーちゃんはお散歩好きですから。私も好きですが」

「でも、ユーちゃんのおさんぽって……」

「行軍……登山……」

「まあ、日本人の方の感性からすると、少々厳しいようですね。私も日本に来てから少し学びました」

 

 ドイツの人からすると、野山を何㎞と歩くほどのハイキングは、総じて散歩と言うらしいです。

 霜ちゃんは「二度とユーの散歩には付き合うものか」と、みのりちゃんは「自転車でなら付き合ってもいいや」と言ってたのを思い出す。ちなみに恋ちゃんは言葉を発しませんでした。

 

「むむむっ。やっぱりです。この山、いっぱい人が来てますよ!」

「中に入ってみれば一目瞭然ですね。山道こそない獣道ですが、明らかに人が頻繁に出入りしている痕跡があります」

「って言われても、よくわかんないんだけど……」

「人の足で踏まれ続けた結果、草の生育が悪い、道のような跡が続いているんです。わかりませんか?」

 

 言われてみれば、確かに草の生え方が薄いところがあって、それが続いている。

 それが、人が出入りした跡なのであれば、ここには多くの人が、多くの頻度で立ち入っているということ。

 つまりそれは、この奥に、不思議の国があることの裏付けでもあった。

 

「……行こう」

「ん……」

「ユーちゃん、先頭をお願い。私は最後尾につくから」

「Ja! Einverstanden(了解です)!」

「Schmetterling……ちょうちょを見て、「Fee(妖精さんだー)!」って言って脇道に逸れちゃダメだよ」

「そんなことしませんよ!? もうっ、ローちゃんはいじわるです」

「さっきのおかえしだよ」

 

 と言いつつ、先頭にユーちゃん、殿にローザさんがそれぞれ着いて、わたしたちは、山の中へと入っていく。

 その奥にある、不思議の国を目指して。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 生い茂る木々を掻き分けて進んだ先。

 鬱蒼とした山の中、急に、視界が開けた。

 奇妙で不自然なほど広い、山中の敷地。

 そこには、木々に覆い隠されるようにして、とても大きな邸宅があった。

 

「ここが……」

「不思議の国、だね」

 

 太陽の陰、陽光から逃れるようにして、ひっそりと佇む屋敷。

 そこは普通の家よりもよほど立派なお屋敷だけど。

 国と称するには、あまりにも小さかった。

 深山の奥に潜む日陰身の世界。

 わたしたちは今から、その門を叩く。

 のだけれど。

 

「思ったよりも早かったね。しかも、まさか君まで来るとは」

 

 屋敷の入口に、彼らはいた。

 不敵な微笑みを絶やさない少年と、なんの関心も無く緑色の飲料を傾ける少女。

 知ってる。わたしも、わたしたちも、知っている、人たちだ。

 

「お、朧さん……!? それに、狭霧さん……え? なんで、二人が……?」

「察しが悪いなぁ。いやまあ、そのくらいバレないように立ち回っていたのも事実だけどさ」

「面倒くさいから。お兄ちゃん、手っ取り早く」

「はいはい。ま、バタつきパンチョウのお姉さんが言うとしたら、もうオレたちの正体なんて隠すまでもなくバレバレなんだろうけど。それでもあえて、名乗ろうか」

 

 朧さんと狭霧さんは、予定調和のように、過ぎたことのように、口を揃えて、告げる。

 

「オレは兄弟姉妹の中でも四番目の次男――ヤングオイスターズ」

「同じく。五番目、三女」

 

 ヤングオイスターズ。

 それは、アヤハさんやアギリさんと同じ……つまり。

 この人達も、本当は【不思議の国の住人】、だったってこと……?

 

「……なーんか隠してるとは思ってたけど、思ったよりも邪悪だったね、朧君」

「いやいや、別にオレらはこの立場を利用して悪事を働いてなんていないさ。一度しかね」

「一度?」

「昨日のコーカス・レースだけだよ、明確に騙す意志があったのは。バンダースナッチの一件についてはオレらも後から話を聞いただけで、騙されていたのはお互い様。ま、そういった信用を積み重ねた結果が昨日だから、なんとも言えない部分はあるけどね」

 

 いつもの調子で、底の知れない微笑みを浮かべる朧さん。

 だけどもその微笑みは複雑怪奇。

 諦念にも、虚無にも、絶望にも、楽観にも、懇願にも、祈祷にも見える。

 なにを思っているのか、その思想はいくつもの願いが絡み合い、混ざり合い、混沌と渦巻いていて、まるで窺い知れない。

 

「とまあ、恨み辛みはあるだろうけど、残念。ここにはなにもないよ」

「なにもない?」

「すべてが終わったのさ。女王様は動き出してしまったし、館は見てくれを繕ってるだけでボロボロ。王は魂が抜け、民も離反し始めた。もう不思議の国は亡国だよ」

 

 亡国……

 葉子さんたちも【不思議の国の住人】から抜けたと言っていた。

 その理由や事情については、深くは話してくれなかったけれど。

 なにかがあったのは、間違いないんだ。

 

「そういうわけで、ここは兵どもが夢の跡、ってことさ。観光地はないし活気もない。衰退必至な滅亡の国、一足早い遺跡だね。入館料とかもないから、好きにするといいさ」

「……ひとつ、聞いてもいいですか?」

「オレはガイドでもないんだけどなぁ。まあいいよ、なにかな?」

「代海ちゃんはどうしてるんですか?」

「…………」

 

 一瞬、朧さんは口を閉ざした。

 表情のない顔で、わたしを見つめている。

 やがて、はぐらかすように、口を開いた。

 

「さて、それはオレの口から語っていいのかな。どう思う? 狭霧ちゃん」

「知らないしどうでもいい。終わったことじゃん。こっからどうにかなるの?」

「どうだろうねぇ。ま、オレは下っ端も下っ端だし、あえて語らないことにしよう」

「…………」

「どうしても知りたければ、この先に進みなよ。オレらは門番でもなんでもない。君たちを食い止める義務も意志もない。ただなにもできず、アテもなく海を漂う、哀れな牡蠣達(ヤングオイスターズ)さ」

 

 自虐的に言って、朧さんは道を空ける。

 これ以上、語ることもない。

 わたしは、黙って開けられた道を行く。

 重厚な木製の扉に手を掛けた時、背後から声が掛かった。

 

「あぁそうだ、伊勢さん」

「……なんですか?」

「三月ウサギの狂気を乗り越えて、この館に辿り着いた君を称えて、ちょっとだけ教えてあげるよ」

 

 朧さんは、なにかを期待するような口振りで、館を指さす。

 

「帽子屋さんは玄関を抜けた先だ。まっすぐ食堂を突っ切った先のお茶会場。そこに、彼はいるよ」

「……ありがとうございます」

 

 振り返らないまま、重い扉を押し開けた。

 そしてわたしたちには、不思議の国に、入国する――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 マジカル・ベルたちが館に入って行くのを見届けてから、朧はぽつりと漏らした。

 

「……もう、なにをしたって無意味なのさ。なんたって、もうなにをしても無駄、どう足掻いても無理。ヤングオイスターズの半数以上はそんな結論を出しているからね」

アギリお兄ちゃん(二番目)だけは、そうは思ってないけどね」

「あぁ、まあ、あのお兄さんはね。でも、お姉さん(一番目)がアレじゃあ、オレたちも厳しいよ。なんたって、こうして息をしているだけで悲哀で肺を焼かれる気分なんだ。生きるのが辛いとは正にこのことか」

「うちは……悲しいよ」

 

 狭霧は飲み終えたペットボトルを、力なく歪ませる。

 朧はなにも言わなかった。なにも問わなかった。なにも聞かなかった。

 言葉を介さずとも、その悲しみは伝わってくる。朧もまた、狭霧である。同じ存在として共有された群集個体なのだから。

 

「……ねぇ、お兄ちゃん。アギリお兄ちゃんから、招集かかってるけど」

「オレはパスかな。アギリお兄さんには悪いけど、今回は静観させてもらう」

「……珍しい。なんで?」

「狭霧ちゃんは、スクープでなにが大事か、わかる?」

「知んないし」

「答えは意外性。誰も知らない出来事、誰も予想できない真実。そういうのが好まれるんだよ、スクープ記事っていうのは」

「ふぅん」

「そりゃあ、事実を積み重ねて論理的に解決するってのも大事だけどさ。でも、オレたちは今、どん詰まりの崖っぷちにいる。もう助からないってレベルで、絶望の淵に立たされてる。なにせ相手はあの女王様だ、小細工もその場凌ぎも、纏めて押し潰されるがオチさ」

 

 ヤングオイスターズの感情はない交ぜだ。十二人の兄弟姉妹の思い、願い、絶望、嘆願、すべてが詰まり、混ざり合っている。

 ほとんどがどす黒い、悲観的な感情だが、その中に微かな光が、二筋灯る。

 ひとつは長男、アギリ。心折れた長女に代わり、立ち上がった次世代筆頭。

 そしてもうひとつ。長男よりもなお弱いが、それでも確かに灯る光が、朧の中にはあった。

 

「すべてが絶望の中、一発逆転になるのは、誰も想像できないような一手。利益を細かく小さく積み上げた論理じゃ、強大すぎる脅威には太刀打ちできない」

「……だから、あいつの味方するの?」

「味方はしない。オレはヤングオイスターズだ、兄弟姉妹の妨害なんて絶対にやらない」

 

 だけど、と朧は続け。

 

「彼女らの邪魔もしない。オレはヤングオイスターズであると同時に、オレ自身だ。オレは、オレが結論づけた未来も信じたい」

 

 姉の絶望も、兄の奮起も、弟妹の悲嘆も、すべて理解できるし、受け入れざるを得ない。

 ヤングオイスターズは個人でありながら群集。しかし群集であっても、個人は個人。自分という存在、自分の意志は、自分のものなのだ。

 普段であれば共有される自我に執着しない朧だが。

 今だけは、あるいは今だからこそ、自分が考えて導き出した答えを、捨てなかった。

 

「決断できなかった妥協と嗤えばいいさ。あるいは諦めの言い訳と蔑んでも構わないよ。結局オレは、答えを導き出しただけ。行動は、起こさないのだから。ほら、ダサいだろう?」

「……いや」

 

 朧の自虐に、狭霧は首を横に振る。

 

「はじめて、オボロお兄ちゃんが格好良く見えた」

 

 まっすぐで、屈託ない言葉。

 同じ存在だからこそ、その言葉に嘘偽りがなく、心からの言葉であると、わかってしまう。

 ここまで純粋な称賛を受けるとも思わず、さしもの朧も、面はゆさで面食らう。

 

「……それはどうも。じゃ、動かずただ待つだけのオレの暇潰しに付き合ってくれるかい?」

「メロンソーダ」

「言うと思った。今回はなんと、ここに既に用意があるのさ。何箱欲しいんだい? 三箱だろうと四箱だろうと開封してあげよう。さぁ、好きなだけ求めたまえよ」

「二本」

「え?」

 

 指を二つ、突き出す狭霧。

 それに朧は、目を丸くする。

 

「二本? たった二本でいいの? 二箱の間違いじゃなくて?」

「うん、二本」

「本当にそれっぽっちでいいの? 狭霧ちゃん。らしくもない」

「そんなことない。うちはうちだけど、うちだってヤングオイスターズの一端。うちはうち自身であると同時に、お兄ちゃん(あなた)であり、お姉ちゃんたち(あなたたち)なんだから」

 

 朧がふたつのペットボトルを狭霧に投げ渡す。

 しかしそのうちの一本が、投げ返された。

 そして、狭霧は妹として、微笑む。

 

 

 

「一緒に飲もう、お兄ちゃん」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 屋敷の中は、趣ある邸宅そのものだった。

 赤いカーペットが敷かれた床。天井は高く、小さな明かりが浮かび、薄暗く屋敷を照らしている。

 玄関から一直線、カーペットが道標のように、まっすぐ伸びている。

 その奥へと視線を向け、小鈴は、皆に向き直る。

 

「……あの、謡さん、みんな……」

「どうしたの?」

「わたし……帽子屋さんのところに、行きます」

「……」

「だから、その、ごめん。みんなは、鳥さんを、お願いしたい、んだけど……い、いいかな……?」

「大丈夫?」

「わたしは……平気、です」

「……そういうことなら。請け負うよ」

「ありがとうございます……」

 

 ぺこりと頭を下げて。

 小鈴は一人、不思議の国の奥へと、走り去ってしまった。

 

「さて、私たちも動かなきゃだけど……鳥さんか。どこにいるんだろうね」

「広いお屋敷ですからね。闇雲に探すのは得策ではありません」

「……そういえば」

「どしたのれんちゃん?」

「たしか……牢屋が……ある、って」

「牢屋?」

「……思い出しました。確かに、あのちょっと粗暴な感じのお姉さんが、言っていましたね。あの白髪の女の子を繋いでたって」

「ユーちゃんがお腹痛くなっちゃった時ですね!」

「牢屋かぁ……」

 

 確かに、攫った人物を閉じ込めておくには、おあつらえ向きな場所だ。

 もっとも、攫われたのは人ではなく鳥だが。しかし閉じ込める、という意味では同じこと。

 

「ひとまず、そういう方針で探してみようか。妹ちゃんは一人で行っちゃったけど、ここは敵地のど真ん中。分散すると危ないから、固まって動くよ」

「異論はありません。それがよいと思います」

「さて、それじゃあどこから探すかだけど」

「そこは大丈夫だと思います。さ、ユーちゃん。頼んだよ」

Ueaberlass es mir(任せて)!」

「え、なに?」

「ユーちゃん、秘密の抜け穴とか、隠し扉とか探すの、得意なんです。勝手に教会を探検して歩き回ったりしてたので……」

「へ、へぇ……そうなんだ」

「うっかり魔女狩り時代の名残らしい拷問部屋を見つけた時は、流石の私も戦慄しましたよ」

「それは……怖いね」

 

 異国の双子にささやかな驚異を感じつつ、ぴょこぴょこと跳ね回るユーリアを先頭に、一同は不思議の国の捜索に乗り出すのだった――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――四番目()五番目(狭霧)から報告、もとい情報共有を確認。侵入者を感知。対応のため、召集発令……しかし」

 

 アギリはぐるりと見回す。

 見慣れた弟妹(じぶん)の姿。しかし、欠けがある。

 

「招集に応じなかったのは、門番にもならぬ四番目と五番目、そして一番目と、その付き添いの三番目、か」

 

 十二人いる兄弟姉妹。うち四人が、この場にいない。

 全員で集合していることの方が珍しいが、招集に拒否することはそうない。特に、今のような非常事態には。

 否、非常事態だからこそ、今の不思議の国の滅亡と衰退があるからこそ、三分の一のヤングオイスターズが欠けているのだろう。

 

「長女は仕方あるまい。その介護も理解できる。しかしあの二人は……否。彼らには、彼らの思考があり、意志があり、自我がある。それもまた自分自身、無闇に否定するべきではないな。むしろ、どう転んでも誰かの思惑が叶う、と考えるべきか」

 

 状況は壊滅的。本来なら、小さな侵入者にかかずらっている余裕などない。

 しかしこちらの数少ない資源、資産を失うわけにもいかない。

 亡国と言えども国は国。腐っていようと民は民。

 不法入国者を、ただ見ているわけにもいかない。

 

「あなたも、いつまで腐っているつもりだ」

「……なによ」

 

 アギリの声に、棘のような鋭い声が返される。

 ボサボサになった髪、荒れて黒ずんだ肌、澱んだ瞳。

 華やかさも、美しさも、艶やかさも、そこにはない。

 ただの落し子に堕ちかけた淫欲の獣――三月ウサギが、虚ろにアギリを睨み返す。

 

「邪淫を振りまくあなたは邪悪だが、まだ活力があった。しかし今のあなたは抜け殻同然。姉と同じだ」

「…………」

「女王の覚醒を恐れているのか、代用ウミガメの失態に怒りを覚えているのか、友との離別で悲嘆に暮れているのか、はたまた帽子屋の機能停止に絶望しているのか……」

「全部よ、全部」

 

 三月ウサギは吐き捨てる。

 アギリのことが鬱陶しそうに。けれども振り払うほどの気力もなく。

 覇気のなくなった三月ウサギを、アギリは無感動に見下ろす。

 

「……あなたには、思うところもなくはない。情はある、合理もある。故に手を差し伸べることも吝かではないが」

「あんたが僕を勧誘するだなんて、珍しいこともあるのね。嫌われてると思ってたわ」

「同族嫌悪もあろう。姉はあなたを疎んでいたが、個人的にはあなたに同情している」

「同情ですって?」

「女王の落し子として、だ」

 

 ぴくり、と三月ウサギの眉根が動く。

 

「多産の権能を受け継いだのは代用ウミガメ、落し子の異形を受け継いだのは公爵夫人。しかし、多産の“結果”の具現、数多の仔としての性質を受け継いだのは……『ヤングオイスターズ(我々)』だ」

 

 数多の仔を産み落とすという所作ではなく、産み落とされた落し子という怪物そのものでなく、数多に産み落とされた仔という概念。

 その権能、性質を女王から受け継いだのが、ヤングオイスターズだった。

 

「兄弟姉妹ですべての精神性を共有するというのは、確かに有益だ。しかし数多の仔の精神の集合とは、心が、歪む」

 

 姉のようにな、とアギリは続け、三月ウサギを見遣る。

 

「あなたも同じだろう。邪淫という性質のみが存在し、情欲のみが発露し、だというのにその淫欲が導く先にはなにもない。虚無だ」

「…………」

「矛盾し、破綻した生態。概念の再現だけの、欠陥の落し子として、我々はある意味、似たもの同士なのかもしれんな」

 

 澱んだ眼でアギリを見上げる三月ウサギ。しかしアギリは、もう彼女に背を向けていた。

 けれども肩越しに、アギリは三月ウサギを見る。

 

「我々は、マジカル・ベルらの迎撃にあたる。我らに聖獣を扱うだけの力はないが、しかしむざむざあれを手放す理由もない」

「……だから?」

「死屍累々の不思議の国といえど、民はまだ、生きている。生きているのなら、できることもあろう。宿した情感を沈殿させるのは、あなたらしくない」

「僕に手伝えって?」

「合理性を考慮すれば、手はいくらあっても足りないほどだ。しかし情の上では、あなたは、なにもせずに腐っているべきではないと考える」

「あんた……そんなに僕に情念があったわけ?」

「姉が不機嫌になるから、あまりあなたと直接言葉を交わす機会がなかった。それに、平時にこのようなことを言ったところで、あなたには届くまい」

「そういう知った風な口振り、ムカつくわね」

「ほぅ、少しは調子がでてきたようだ」

「……やっぱムカつくわ、あんたも」

 

 その言葉を背に、アギリは他の弟妹たちを引き連れ、この場から去って行く。

 一人残された三月ウサギは、天を仰いだ。

 天上に楽園などあるはずもないが。

 それでも夢見てしまうような未来に、手を伸ばすように。

 

「……つまんな」

 

 ならば、どうするか。

 どうにもならない。だから、どうしようか。

 問題を解決する力はない。頭領は壊れ、友は去り、持ち得る力はほとんど無になった。

 残ったのは、自分自身。

 淫蕩に塗れた獣の情動。

 三月ウサギの手の中に残ったのは、たったそれだけだ。

 

「はぁ……口車に乗せられたみたいで、癪だけど」

 

 三月ウサギは、立ち上がる。

 

「自分の感情を押し殺したまま果てるっていうのは……もっと、ムカつくわね?」

 

 自分自身に、言い聞かせ。

 そして、歩み始めた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ほーんとすぐ見つけたねぇ」

「ふふん。数々の教会を冒険したユーちゃんに、シカクなし! です!」

「お願いだから、教会ではもう少しおとなしくしてね……怒られちゃうから」

 

 食堂のような広間から脇に逸れ、キッチンらしき場所を通り、食料庫と思われる一室の死角に隠された隠し通路。

 その先を進むと、暗い、微かな明かりが灯された、正に牢獄と言うべき狭い空間が、縮こまるように広がっていた。

 土が剥き出しの地面。岩肌が露わになった壁。冷たい空気。鉄格子の嵌まった檻。

 小さな白い雛鳥が、一羽。鳥籠の中に、力なく横たわっている。

 

「! トリさ――」

「待った!」

 

 しかし、それだけではない。

 暗闇の中に、ぼんやりと浮かぶ、無数の影。

 深淵からの眼差しが、こちらを静かに覗き込んでいた。

 

「……想定した時間よりも、かなり早い到着だな」

 

 深淵から這い出る、一人の男。

 アギリ――ヤングオイスターズの一人にして、次世代の“長男”を名乗る男。

 

「しかも、マジカル・ベルもいない、か。予測から外れた結果だ。だからといって、なにが変るわけでもなかろうが」

「……今度こそ、番人、かな」

「理解しているのなら話は早い」

 

 アギリは静かに、けれども確かな交戦の意志を瞳に宿している。

 玄関で通した弟妹のように、タダで通してくれる、などというぬるい展開はあり得ない。

 

「聖獣は渡さん。今この時において、それは無用の長物と成り下がり、それを欲した我らの王も堕落したが、我らはまだ、希望を諦めたわけではない。ここにいる、弟妹(じぶん)のためにも」

 

 闇の向こう側。蠢く小さな影。

 そのほとんどは、小学生くらいの、子供だった。未就学児と思えるような幼児も、兄や姉に抱えられるようにして、そこにいる。

 不安げに瞳を揺らし、恐れるように痩せ細り憔悴した身体を震わせ、見栄を張るかのようにキッとこちらを睨んでいる。

 綾波(アヤハ)天霧(アギリ)(オボロ)狭霧(サギリ)

 今まで触れ合ってきたヤングオイスターズたちよりも、ずっと幼い、子供たち。

 それも当然のことだ。ヤングオイスターズとは、哀れな若牡蠣たち。若くなくては、ヤングオイスターズ成り得ない。

 最年長のアヤハが、成人前後。長男のアギリが、高校生。四番目、五番目の朧や狭霧が、中学生。

 ならば末子がどれほどのものか、考えればわかることだ。十二人の兄妹の半数は、自分たちよりもずっと幼いはず。

 そしてこうして対面して、理解する。

 彼らは、彼女らは、弱い。

 力のない、弱者だ。

 巨悪にも、恐怖にも。立ち向かうことも、抗うこともできないような、非力な子供。

 ただ粗暴に力を振るうだけで、たちどころに彼らは喰われてしまうだろう。

 これが、今の不思議の国。

 いや、今まで表層に浮上しなかっただけで、不思議の国の暗部は、最初からこうだったのかもしれない。

 弱者達の巣窟であり、温床。

 人の世から外れ、日陰身で生きることを強いられた弱者達の寄り合い。

 暗く陰鬱な弱き者たちが棲まう隠れ家。

 どうすることもできない、どうしようもない、どん詰まりの世界。

 それが、不思議の国の実態、なのかもしれない。

 

「見ての通り。我々に戦力はほとんどない。民は去り、魂が腐った者だけが残った……弟の言葉を借りれば、亡国、だ」

「だから、見逃せ、って?」

「……無血で事が済むなら、それに超したことはない。個人的にも、幼い弟妹を戦地に送り出す真似はしたくない」

 

 目を伏せるアギリ。

 その言葉が偽りだとは思えない。そして、幼子を戦いに出すことの残酷さは、十分に理解できる。

 しかし同時に、それが都合の良い言い分だということも、わかってしまう。

 

「私としても、あまり戦いたくはないよ。あの子は、きっとそれを望んでないから」

 

 けれど。

 いやさ、だから、

 

「落とし所は、こうかな――スキンブル!」

「!」

 

 謡の呼びかけと共に、暗闇に、姿が浮かぶ。

 礼服を纏い、猫のように笑う青年――スキンブルシャンクス。

 その手には、鳥籠が、抱えられていた。

 

「いつの間に……いや、チェシャ猫……!」

「姿を消すことが、俺の取り柄です。情に訴えかけるのは結構ですが、俺はわりと自分の都合良く生きていますので。ほら、婦女子への覗きとかしますしね?」

「それは犯罪だからやめろ」

 

 しかしこれで、立ち塞がるヤングオイスターズたちの壁は、逆転した。

 

「力を無くした人と戦うのは忍びない。だけど私にも、後輩との約束があるんだ。だから血は流さない、だけどこの子は返して貰う」

「というわけですので、退路も確保致しました。この黴臭い牢獄から迅速に立ち去りましょう」

 

 あとはただ、背を向けて全力で逃げるだけ。

 小鈴のこともあるが……ひとまずは、鳥籠の中で眠っている彼の安全を確保しなければならない。

 

「防衛戦になると構えていたはずが、追跡(チェイス)になるとは……詰めが甘い。いや、この逆境で詰めもなにもないが、なんにせよ付け入る隙が大きすぎる。自省せねばならん、が」

 

 アギリもまた、すんなりと逃がすつもりはない。

 

「姉も、妹も、弟も、剣を捨てた。しかし(ボク)は、必要とあらば牙を研ごう。哀れな若牡蠣と言えども、哀れなまま、終わるものか」

 

 幼い弟妹たちを差し置き、アギリは進み出る。

 ヤングオイスターズの長男、次世代の頭目筆頭。だが、それでも、彼しか戦えないのであれば、頭数では圧倒的な差がある。

 それでも不屈の闘志と覇気を滲ませ、アギリが躙り寄る。

 

(これは、簡単に逃がしてはくれなさそうかな……仕方ないか)

 

 ポケットに手を突っ込む謡。

 そして、前に進み出て、

 

「なら一応先輩として、私が――」

 

 ――と、殿を務めて皆を逃がそうと思ったが。

 そんな謡よりも前に立つ少女がいた。

 

「れんちゃん……?」

「……私に、まかせて」

 

 色の抜けた髪をたなびかせ、恋はか細い腕と身体で、盾となる。

 

「しんがりは……まかせて」

「恋さん……!」

「だいじょうぶ……守るのは、得意、だから……」

 

 無感動な瞳を緩やかに開き、口元を柔らかく綻ばせる。

 その身はすぐに壊れてしまいそうなほど頼りないけれど。

 眼に宿る意志は、折れも曲がりもせず、確かな炎を灯していた。

 

「……スキンブル、皆。行くよ!」

 

 謡の先導の下に、一同は地下より這い出でる。

 ただ一人、殿を担う恋を残して。

 

「既に保険はかけた。役に立つかはわからんが……そうでなくとも、お前を即座に突破し、聖獣を奪還する」

「させない……ここは、私が……とめる」

 

 恋は、たった一人で。

 アギリは、弟妹を下がらせ。

 互いに向き合い――無意味な争いが、始まった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 恋は《ケンザン・チャージャー》を使ったのみで、場にはなにもない。

 一方でアギリの場には、《重圧(プレッシャー) CS-40》に、《チュパカル》が二枚、《サンドロニア》が一枚、《ガニメ・デ》が一枚と、既に四枚ものオーラが蓄積している。

 

「4マナ……《トライガード・チャージャー》……シールドを一枚、手札に……手札を一枚、シールドに……エンド」

 

 恋の動きは静かだ。クリーチャーも出さず、僅かな呪文を唱えるのみ。

 たった五枚の盾。しかしそれは、高く、堅く、アギリの前にそびえ立つ。

 

「仕込んだか。だが、この期に及んで退却はない。前進の意志なくして、希望の未来はあり得ない」

「…………」

「1マナで《*/零幻チュパカル/*》を起動。《ワイラビ(フォース)》をGR召喚し、《チュパカル》をインストール」

 

 三体目の《シュパカル》が、具現化する。

 これでアギリのオーラの使用コストは3軽減。加えて、アギリには十分な手札があり、それをさらに増やす手段もある。

 

「コストを3軽減し、1マナで起動! 《ガニメ・デ》の情報を更新! アップデート!」

 

 《ガニメ・デ》の異形が、ジジジ、と綻ぶ。

 拡張するように、拡大し、拡散するように、それは大翼を広げた。

 

「智は空に――《極幻空 ザハ・エルハ》!」

 

 単眼はギョロリと多数の眼球に。

 それはさらなる智を求め、空へと羽ばたく。

 

「《ザハ・エルハ》の能力でまずは一枚ドロー。さらに2マナで、新たなオーラを起動!」

 

 今度は《ザハ・エルハ》が、電子音と共に綻び始めた。

 ぐにゃりと翼が歪み、尾は渦巻き、細く、しなやかに変貌する。

 

「空は夢へ――《極幻夢 ギャ・ザール》!」

 

 管のような身体をしならせる、夢の猿。

 智を得て、一度は地に降り立つ。

 が、しかし。

 

「《ザハ・エルハ》を《ギャ・ザール》へアップデート! 一枚ドロー。そして攻撃だ! 《ギャ・ザール》の攻撃時に能力発動! 一枚ドローし、手札からコスト6以下のオーラを使用する!」

 

 続けて、《ギャ・ザール》の身体が綻ぶ。

 細身の身体は膨張し、分離し、変形し、硬化する。

 

「夢は星に――《極幻星 ジュデ・ルーカ》!」

 

 人の形、同時に、星の姿を象った電影。

 地に降りたそれは、再び宙へと浮かび上がった。

 

「《ギャ・ザール》を《ジュデ・ルーカ》にアップデート! 《ザハ・エルハ》の能力でドロー……さぁ、シールドブレイクだ」

「パワード・ブレイカー……」

「その通りだ。《重圧 CS-40》の基礎パワーは4000。《サンドロニア》《ガニメ・デ》《ギャ・ザール》がぞれぞれ2000加算。《ザハ・エルハ》と《ジュデ・ルーガ》がパワーを4000加算する――合計パワーは18000!」

 

 パワー6000ごとにブレイク数が一枚追加。そして、《ジュデ・ルーカ》の今のパワーは18000。

 即ち、

 

「パワード・ブレイカー・レベルⅣ――パワード()・ブレイク!」

 

 一撃で、四枚のシールドが吹き飛んだ。

 

「っ……」

 

 まだ二枚のシールドが残っているが、それでも半分以上が一度に叩き割られたのだ。軽い攻撃なはずがない。

 しかし、ただやられる恋でもなかった。

 

「S・トリガー……発動」

 

 恋の本領は、ここからだ。

 友の歩みに合わせる必要は、もうない。

 彼女たちを守るためなら、本当の自分を曝け出すことも厭わない。

 全力を出してもいいと思うくらいに、彼女は強くなった。それと同時に、全力で戦わなくてはならないと感じるほどに、脅威は迫っていた。

 ――あの時は、あまりにも遅きに失した。

 いくら力があろうと、意志があろうと、手が届かなかった。

 だからこれは、共に捧げる償いだ。

 そして、宣誓だ。

 もう失わせないと、傷つかせないと。

 守り抜くと――救い出すと。

 

「……私の、太陽は……ここにある」

 

 二つの月ならぬ、二つの太陽。

 おかしな話だが、それもまた、煌めいていて、いいのだと。

 

「絶望を閉ざせ。希望を開け。この先は、私の――世界」

 

 雲を裂き、天上より、それは現れた。

 

 

 

「私の楽園(せかい)は、ここにある――《ヘブンズ・ゲート》」

 

 

 

 天国へと続く楽園の扉が、開かれる。

 絶望を閉ざすために、希望を紡ぐために。

 世界の守護者が、降臨する。

 

「《歴戦の精霊龍 カイザルバーラ》……二体、バトルゾーンに……」

 

 舞い降りたのは《カイザルバーラ》二体。

 つまり、まだ終わらない。守護者にして執行者は、まだ、続く。

 

「ドロー……《真・龍覇 ヘブンズロージア》……《不滅槍 パーフェクト》を、装備……次……ドロー……《エンペラー土偶郎》」

 

 《カイザルバーラ》に導かれ、《パーフェクト》を携えた《ヘブンズロージア》、そして《土偶郎》も顕現。

 続けて《土偶郎》も、新たな尖兵を呼び寄せる。

 

「《土偶郎》の、能力、で……私の、ブロッカーの数だけ……GR召喚」

 

 ブロッカーは《カイザルバーラ》二体、《土偶郎》。合計三体。

 三回のGR召喚が行われる。

 

「《白皇角の意志 ルーベライノ》《続召の意志 マーチス》……《マーチス》二体……マナドライブ、さらに、二回」

 

 天上の調べは次々と使者を招く。

 龍を、天使を、断罪者を。

 

「GR召喚……《白皇鎧の意志 ベアスケス》……二体」

 

 数多の使者が軍となり、一瞬で恋の場を埋め尽くす。

 たった一枚のトリガーから、展開されたクリーチャーは九体。

 すぐにでも返しにアギリを圧殺してしまうほどの軍勢、だが。

 

「カウンターか。しかしクリーチャーを展開しすぎたな。それは愚策だ」

 

 立ち並ぶ光の軍団に怯まない

 正義の執行者がどれほど神々しい光を放とうとも臆しない。

 アギリもまた天を目指す者。

 (ソラ)を仰ぎ、遙かな空の先にある楽園に、星が輝く。

 

「《ジュデ・ルーカ》の能力起動! 攻撃後、ブレイクしたシールドの数だけ山札を閲覧。コスト6以下のオーラを強制起動する!」

 

 アギリの山札が次々と捲られ、ジジジ、と電子音を鳴らしながら、次々と現実へと浮上していく。

 

「《*/零幻チュパカル/*》《*/弐幻サンドロニア/*》《*/肆幻ウナバレズ/*》、そして――」

 

 データとは情報。情報とは、ある種の精神であり、命、魂そのもの。

 星の輝きは、哀れな若牡蠣の意志を、魂を、形にする。

 

「仇為す正義をも修正し、世界は今、楽園へ至る」

 

 形ある魂は今、満天の星空へと、高く、高く、飛翔する。

 天国を――目指して。

 

 

 

「星は天へ――《ア・ストラ・ゼーレ》!」

 

 

 

 儚く、哀れで、けれども強かな魂は、飛翔し、星となり、天国という楽園へ到達する。

 不確かで不安定な身体。実体のない電子の身なれど、もはや彼らの肉体は要らない。

 気高い精神だけで、七色の大翼は、神秘的に煌めき、羽ばたく。

 

「《ジュデ・ルーカ》の情報を更新する。アップデート、《ウナバレズ》及び――《ア・ストラ・ゼーレ》!」

 

 電子音の混じる怪鳥の凶声。

 切り裂く剣すらも捨て、星を超えた《ア・ストラ・ゼーレ》は、天を舞う。

 

「さぁ、ゴミ箱(ジャンクデータ)空に(消去)する時だ」

 

 アギリの眼は猛禽の如く。

 暗い宇宙の中にあっても、澱んだ電子の海の中でも、星と命の瞬きが灯る。

 

「《ア・ストラ・ゼーレ》の能力により、これよりパワーの低い相手クリーチャーをすべて手札に戻す。《ア・ストラ・ゼーレ》をインストールした時点で、こいつのパワーは28000!」

「……っ」

 

 大量のオーラを取り込んだ《ア・ストラ・ゼーレ》は、膨張に膨張を重ね、恋を守る番兵たちを圧倒するほどの巨躯となった。

 今一度、凶声を轟かせ、怪鳥は大波となり、光の軍勢に迫る。

 

「電子の海に沈め。お前のクリーチャーを――すべて初期化(オールデリート)!」

 

 波に呑まれたクリーチャーは、一瞬で肉体を失い、精神が崩壊する。

 存在そのものが、最初からなにもなかったかの如く、削除された。

 天国のもんから現れた光の軍団が、たったの一瞬で、すべて消滅したのだ。

 ただの一体を除き。

 

「《パーフェクト》を装備、した……《ヘブンズロージア》は、破壊以外じゃ、離れない……っ」

 

 不滅の槍の加護を受けた《ヘブンズロージア》だけが、《ア・ストラ・ゼーレ》の暴威から逃れることができた。

 しかし、この電子の巨鳥を前では、たった一体のクリーチャーでは、あまりにも矮小に過ぎる。

 

「さらに……《ベアスケス》の、能力……マナドライブ……シールド、追加、二枚……さらに、

「だからなんだという。《チュパカル》と《サンドロニア》に、新たなGRクリーチャーを構築、インストール――」

 

 再三の凶声。

 それは、更なる恐怖と、絶望を、叫ぶ。 

 

「――《マシンガン・トーク》! 《ア・ストラ・ゼーレ》をアンタップする!」

 

 バサッ――と。

 《ア・ストラ・ゼーレ》が、再び飛翔する。

 

「シールドを増やそうとも、《ジュデ・ルーカ》の餌が増えただけに過ぎない。再起動、攻撃開始!」

「《ヘブンズロージア》……ごめん」

 

 《ア・ストラ・ゼーレ》が星の輝きを放ち、大翼を羽ばたかせ、恋のシールドを突き破る。

 しかしそこに、《ヘブンズロージア》が、命を捧げる。

 

「マナ武装……シールド・セイバー……私のシールドは、一枚だけ、守られる……」

 

 我が身を擲つ殉教の意志。

 《ヘブンズロージア》はその身を犠牲に、恋のシールドを死守する。

 

「ブレイク枚数は二枚か。だが、それでもプログラムは起動する。《ジュデ・ルーカ》!」

 

 《ア・ストラ・ゼーレ》に取り込まれた《ジュデ・ルーカ》が光を放つ。

 その瞬間、再び、アギリの山札が舞い上がる。

 

「オレガ・オーラ起動。《*/弐幻ピンドメタル/*》《*/弐幻ケルベロック/*》!」

「…………」

 

 捲られたカードに、ほんの少し、恋は眉根を寄せる。

 

「《ワイラビⅣ》をGR召喚、《ピンドメタル》をインストール。さらに《ケルベロック》を《ア・ストラ・ゼーレ》にインストール! 能力でアンタップだ!」

 

 またしても、《ア・ストラ・ゼーレ》が飛翔した。

 その翼は疲れを知らず。その風は止むことなく。

 縦横無尽に(ソラ)を舞い、羽ばたき続ける。

 楽園へと、至るまで。

 

「攻撃続行! 最後のシールドをブレイク!」

 

 《ヘブンズロージア》の殉教も虚しく、恋のシールドはすべて打ち砕かれる、が。

 

「……S・トリガー、《ライブラ・シールド》……どっちも、一枚ずつ、シールド追加……」

 

 恋は、耐え続ける。

 新たにシールドを展開し、電子の怪鳥を相手に、一歩も引かず、ただひたすらに立ち続ける。

 細く白い膝は折れることなく、端正な双眸が恐怖や痛苦に歪むこともなく。

 華奢な矮躯で大地を踏みしめ、静かな瞳で天を仰ぎ見る。

 

「堪えたか。だが、お前のターンは二度と来ない。耐えきれると思うな」

 

 寸でのところで耐えたところで、やはり彼女は風前の灯火。

 何重にも巡らせた勝利への道筋は強固であり、そう易々と耐えきれるものではない。

 暴風暴雨の前に、彼女が立ち続けていることができるのか。

 アギリの導き出す答えは――否。

 この圧倒的な暴威によって、蹂躙する。

 

「プログラムの書き換えを行う。理を歪め、規律をねじ曲げろ――《ア・ストラ・ゼーレ》!」

 

 幾度にも渡る、凶声、羽ばたき。

 逆巻く水流が空間を歪ませる。渦巻く竜巻で時間が捻れる。

 それらを我が物とし、流れを引き寄せ、時空を支配する。

 泡沫の夢、未完の絶技なれども、それは絶対的支配権の行使。それは即ち――楽園の理。

 

 

 

「エクストラターン、続行!」

 

 

 

ターン5(アギリ:追加ターン)

 

 

場:なし

盾:1

マナ:6

手札:9

墓地:3

山札:21

 

 

アギリ

場:《重圧[チュパカル×2/サンドロニア/ガニメ・デ/ザハ・エルエ/ギャ・ザール/ジュデ・ルーカ/ウナバレズ/ア・ストラ・ゼーレ/ケルベロック]》《ワイラビ[チュパカル]》《接続[チュパカル]》《マシンガン・トーク[サンドロニア]》《ワイラビ[ピンドメタル]》

盾:6

マナ:4

手札:4

墓地:1

山札:12

 

 

 

「ターン開始! 四体の《チュパカル》によりコストを4軽減、1マナで《サンドロニア》を起動、《ピンドメタル》の情報を更新。三枚ドローし、手札を二枚、デッキボトムへ。さらに2マナで《ジュデ・ルーカ》、これを二枚起動! 《ア・ストラ・ゼーレ》に追加ダウンロード!」

 

 二枚目、三枚目の《ジュデ・ルーカ》が現れ、三連星が輝く。

 そして、電子の怪鳥が、劈く咆哮を轟かせ、翼を大きく広げた。

 

「攻撃開始! 《ギャ・ザール》で四枚目の《ジュデ・ルーカ》を起動! 《サンドロニア》に重ね、アップデート!」

 

 すべての《ジュデ・ルーカ》が現れ、満天の星空が宇宙を支配する。

 その(ソラ)を翔けるは魂の巨鳥。楽園を守り、天国へ至るための神の鳥。

 神鳥はその威容を以て、天翔る。

 

「飛翔せよ、《ア・ストラ・ゼーレ》! 我らが楽園のため、安息に至れる天国のため! 女王に仇為すため――偽りの太陽を、飲み込め!」

 

 暴風が、吹き荒れる。

 荒波のような暴雨が全身を貫くように叩き付け、身体が軋む。

 ピキピキ、と盾が悲鳴を上げている。

 

「楽園……天国……」

 

 けれども、細い足で大地にしがみつき、恋は小さな身体で大風に抗う。

 超然と、悠然と、強かな眼の光を湛えて。

 

「……あなたには、あなたの守りたい世界がある、とおもう……けど」

 

 吹き荒ぶ嵐の中、舞い散るカードを一枚、掴み取る。

 

「私にも……私の、だいじな世界が、ある、から……」

 

 ――“ふたつ”の世界、どっちも、だいじだから――

 

 天上の光が射す。

 静かに、世界を守るための門が、開かれる。

 

「だから……私はただ、私の守りたいものを……守る」

 

 ただ一人の少女の願い。友との楽園を死守するために。

 天使の羽が、空を舞う。

 

 

 

「《ヘブンズ・ゲート》」

 

 

 

 友のために禁じた天国の門。それを今、友のために開く。

 そこから現れ出づるは、幾度と肩を並べた仲間。

 今も、昔も、そしてきっと、これからも。

 光り輝く守り手となる者たちだ。

 

「《歴戦の精霊龍 カイザルバーラ》……それと」

 

 天国、それは楽園。

 静かなる魂の安息地。

 荒ぶる龍の本能も、正義に燃ゆる志も。

 その(せかい)において、勇士たちは死を超えた眠りにつく。

 

 

 

「やすらかな時間(とき)を――《封印の精霊龍 ヴァルハラ・パラディン》」

 

 

 

 彼女が求める安息としては、あまりにも静かすぎるが。

 この一時でも、争いのない平穏がありますようにと、祈りを捧げる。

 

「《カイザルバーラ》の能力で……《蒼華の精霊龍 ラ・ローゼ・ブルエ》を、バトルゾーンに」

 

 平穏のために戦うという矛盾。しかしその矛盾は、自分が受け止める。

 無血などと高尚なものではないが。

 友がその矛盾に苦悩するというのなら、葛藤を抱えるというのなら。

 その苦しみくらいは引き受けよう。

 矛盾していたっていいと証明しよう。

 傷つけたくない、戦わなくてはならない。

 その二律背反を、光の鎖で、繋ぎ止める。

 ――それが、私と、みんなの、(つながり)だから。

 

「《ヴァルハラ・パラディン》の、能力……シールド、追加……そして、私のシールドが、増えた……クリーチャーを、フリーズ」

 

 ジャラジャラと金属音を響かせ、オーラを多数取り込んだ《ワイラビ》が、ギリギリと輝く鎖に拘束される。

 

「まずは……一体」

 

 たった一枚の薄い盾で、恋は悠然と鎖を手繰る。

 アギリはそんな少女の意図に、瞳を揺らす。

 

「こちらの攻撃を、受けきるつもりか」

「……うん」

「愚策だ。こちらは、数も、質量も、計略もある。受動的な防衛機能で、防ぎきれるものか」

「ううん……護るよ」

 

 無貌でも、捨て鉢でもなく、確固たる意志を宿した眼で、恋は見つめ返す。

 

「私、頭、悪いから……効率よく、耐久、とか……できない、から……だから、こうやって、殴られて、受け止めるしか、できない、けど……でも、やる。やって、みせるから」

「…………」

「こすずは、耐えた……くるしくても、はずかしくても、こわくても……だったら、私も……このくらい、耐えてみせる」

 

 やることは、変わらない。いつも同じだ。

 不器用で、頭が悪くて、要領の悪い自分にできることなど、たかが知れている。

 愚直に受けて、喰らって、耐え続ける。ただ、それだけだ。

 

「……《ジュデ・ルーカ》!」

 

 アギリの一声で、星が瞬く。

 その瞬きと共に、山札から三枚が公開される。

 捲れたのは、《ア・ストラ・センサー》《ガニメ・デ》《ケルベロック》。

 

「GR召喚! 《ガニメ・デ》を《接続(アダプタ) CS-20》に、《ケルベロック》を《ア・ストラ・ゼーレ》にインストール! 《ア・ストラ・ゼーレ》をアンタップ!」

 

 三つ首の猟犬が怪鳥の中へと取り込まれ、怪鳥は再び、飛翔する。

 

「《ア・ストラ・ゼーレ》で攻撃! 《ギャ・ザール》の能力でドロー、《*/弐幻ニャミバウン/*》を起動! 《マシンガン・トーク》をGR召喚し、インストール! 《ア・ストラ・ゼーレ》をアンタップし、《ラ・ローゼ・ブルエ》をバウンス!」

「通す……S・トリガー《ライブラ・シールド》……おたがいに、シールド追加……」

「くっ……!」

 

 アギリの額に焦りが浮かぶ。

 ただ攻撃を防ぐだけなら問題はない。純然たる物量を、純粋なる打点に変換して殴り続ければ、押し切る見込みはある。

 ただしそれは、こちらの資源が無限であるならば、という前提に基づく。

 

(このままでは、こちらの山札が切れるか……)

 

 展開するためにドローを繰り返した結果だ。過剰なドローと展開は、己の寿命を縮めかねない。普段ならさほど気にすることではないが、相手が耐久戦に持ち込むというのなら話は別だ。

 加えて、《ジュデ・ルーカ》も《ギャ・ザール》も《ガニメ・デ》も、能力はすべて強制発動。そしてそれらの能力を使うたびに、山札が消費されていく。

 アギリの山札は残り三枚。これでは、下手に《ギャ・ザール》や《ジュデ・ルーカ》の能力を使えば逆に敗北してしまう。

 攻撃の順序を、考え直す必要が出て来た。

 

「……こちらから行くか。《チュパカル》で攻撃!」

「ん……《カイザルバーラ》でブロック」

「二体目の《チュパカル》で攻撃!」

「それも……《ヴァルハラ・パラディン》で、ブロック……」

「《サンドロニア》で攻撃だ! そのシールドを打ち砕く!」

「……S・トリガー……《ヘブンズ・ゲート》」

 

 シールドを砕いた端から、そのシールドから新たなカードが飛び出す。

 それはまるで、主の覚悟に堪えるように、その願いを具現とするように。

 

「《ラ・ローゼ・ブルエ》《カイザルバーラ》……《カイザルバーラ》の、能力で……《龍覇 セイントローズ》……《不滅槍 パーフェクト》を……装備」

 

 消え去っても、盾を打ち砕かれても。

 果てることなく、恋は立ち続ける。

 すべてを、守り切る、その時まで。

 

「……まだ終わっていない」

 

 押し切ろうとしても、攻めきれない。

 半歩踏み出した時点で負けていたというのだろうか。最初から全力前傾で行くべきだったのだろうか。

 思考にノイズが走る。兄弟姉妹の怨嗟と叫喚が響く。

 自分の判断を呪いたくなるが、弱者の愚考は切り捨てる。

 アギリには、守りたい、などと己の意志によるものなど“今は”ないが。

 守るべきだと断ずるものはある。

 

「《ア・ストラ・ゼーレ》で攻撃! 《ギャ・ザール》の能力で、一枚ドロー!」

 

 思いではなく理屈で。

 意志ではなく合理で。

 望むべき楽園という世界のため、今あるこの国を守る。

 電子の羽が、宙を舞う。

 

 

 

「初期化開始――《ア・ストラ・ゼーレ》!」

 

 

 

 無限に膨張し、増幅する、神にも等しい巨鳥。

 パワーが46000にまで膨れ上がった《ア・ストラ・ゼーレ》の大波に耐えられるクリーチャーなど、まず存在しない。

 しかし、

 

「《パーフェクト》……私を、守って……」

 

 天命の加護を受けた《セイントローズ》は、荒ぶる波濤をも耐え抜く。

 そして、そのまま《ア・ストラ・ゼーレ》が大翼を広げて襲いかかるが、

 

「ダイレクトアタック!」

「《セイントローズ》で……ブロック」

 

 その身を人柱として捧げ、主を守り通す。

 恋の膝は折れることなく、華奢な少女の身体は傷はあれども死に絶えはせず。

 悠然と、立ち続けていた。

 

「……耐えた」

「あぁ……そうだな」

 

 

 

ターン5

 

 

場:なし

盾:0

マナ:6

手札:10

墓地:7

山札:17

 

 

アギリ

場:《重圧[ジュデ・ルーカ×3/チュパカル×2/ケルベロック×2/ア・ストラ・ゼーレ×2/サンドロニア/ガニメ・デ/ザハ・エルエ/ギャ・ザール/ウナバレズ]》《マシンガン・トーク[サンドロニア]》《ワイラビ[ピンドメタル/サンドロニア/ジュデ・ルーカ]》《接続[ガニメ・デ]》《マシンガン・トーク[ニャミバウン]》

盾:7

マナ:5

手札:3

墓地:3

山札:2

 

 

 

 夥しいほどに並び、重なった電子生命体の軍勢。

 しかしその代償に、アギリの回路(ライブラリ)は、ほとんど焼き切れ、断絶寸前。

 もう間もなく、ショート(LO)するだろうことは明白だった。

 

「……こういうの……好きじゃ、ないけど……」

 

 争わない。それは友の望むところなのかもしれないが。

 ことこの争いに限って、争うことなく勝つという手段を取ることに、抵抗はあったが。

 その無念だけは、飲み込む。

 

「《オリオティス》を、召喚……さらに、5マナ……《スターゲイズ・ゲート》」

 

 天国の門ならぬ、星の門。

 そこから、新たな門番が姿を現す。

 

「《星門の精霊 アケルナル》……ターン終了……能力で、《カイザルバーラ》を、バトルゾーンに……ドロー」

 

 戻されたブロッカーを、再び展開。

 そして、

 

「……《龍装の調べ 初不》……タップしてるクリーチャーは……起きない」

「あぁ」

 

 アギリのクリーチャーのほとんどは、機能停止した。

 枯渇寸前の水源を前にして、足踏みしている余裕などないが。

 恋によって幾重にも張り巡らされた鎖によって、身動きが取れない。

 

「2マナで《接続 CS-20》に《*/弐幻ピンドメタル/*》をインストール、《アケルナル》を拘束。、3マナで《サンドロニア》を《*/弐幻ケルベロック/*》にアップデート、アンタップ」

 

 それでも微かな抜け穴を模索し、微に入り細を穿つかの如く、現状において可能な限りの手札を切る。

 しかし、

 

「……一手、足りないか」

 

 用意できたアギリのアタッカーは三体。しかし、恋のブロッカーも三体。

 あと一点。たった一点だが、届かない。

 

「……ごめん」

「なぜ謝る。同情のつもりか」

「同情は……ある。争っても、敵になっても……わりきれないことって、ある、から……こすずも、わたしも」

 

 敵愾心はない。しかし悲しいかな、争う理由はある。

 割り切れないし、開き直れない。

 その上で、選択し、決断し、決意した。

 自分は友のために。

 その友が取り巻く繋がり(くさり)――(せかい)を守ると。

 そしてできることなら、その意も汲もう。

 

「……ターンエンド」

 

 恋かアギリか、誰が言ったか。誰が言おうとも、同じことだが。

 終わりの時が来た。

 慈愛に満ちた光の鎖は解け、水源は涸れ、あらゆる回路は焼き切れ、失われた。

 哀れな若牡蠣は力尽き。

 小さな少女は、守り抜いた。

 無意味極まりない諍いの結末は、ただ、それだけで終わったのだ。

 亡国の住民はなにも守れず、

 慈愛の少女は友への義理を果たした。

 ただ――それだけだ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 微睡みから覚める。

 あれから、正気を保つという意識的な行為を放棄しがちだった故に、夢と現の境界が曖昧だ。

 現実のすべてが夢幻に見える。

 いや、そんなことは、もはやどうでもいいことだ。

 そもそもこの命こそ、幻のようなもの。ひび割れ干涸らびた肉体、混濁した蒙昧なる魂。己という存在の土台は、どこにあるのかもわからない。

 そんな生ける屍のような自分に、夢も、幻も、現もなにもない。

 故にこのまま、当然の如き眠りを貪り尽くしていたかったが、彼女はそれを許さなかった。

 覚醒してしまったのは仕方ない。重い瞼を微かに開き、瞳が潰れそうなほどの眩い、薄暗い灯を帽子の鍔で遮り、隠す。

 口元にスカーフを当てたまま、枯れた声を出すこともなく、亡国への来客をぼんやりと見遣る。

 彼女は、恐らく自分の眼と違い、確かな火を灯した眼で、名を呼ぶ。

 とうに死に果てているはずの、狂ったほどに生きすぎた、人でなしの狂人の名を。

 

 

 

「――帽子屋さん」




 正直、この話の構想練って、対戦パートとか書いたの結構前なので、ちょっとカードプールが古いです。まあ青単のオーラなんて大体こんな感じですけども。
 今回はここまで。誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。


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44話「入国、不思議の国へ -回廊-」

 不思議の国へ進行シリーズ第2弾。
 今回は、三月ウサギのお話です。
 色々と奇妙な変遷を辿った彼女に対して、作者なりに出した答え、みたいな。


「……帽子屋さん」

「マジカル・ベルか。よもやこんな寂れた屋敷にまで足を伸ばすとは。暇なのか?」

 

 帽子の陰に隠しながら、帽子屋は胡乱げに眠り眼をうっすらと開き、目の前の少女を見遣る。

 

「しかし、三月ウサギの狂気に当てられて、素面でいられるとはな。なんだ貴様、男がいたのか? 幼い身で実は遊女だったのか? 兎の快楽を貪った感想はどうだ?」

「代海ちゃんはどこにいるの?」

 

 帽子屋の煽りには一切耳を貸さず、小鈴は、単刀直入に帽子屋に切り込む。

 帽子屋は深く椅子に座り直し、荒く嘆息する。

 

「代用ウミガメ、か。さてな。オレ様も知らん。奴は女王と共に在る。その女王がどこかに飛んで行ってしまったからな。どこにいるのかなど、誰にもわからんさ」

「女王……?」

「あぁ、ハートの女王だ……貴様らは、知らないのだったか」

 

 語るのも億劫そうに、帽子屋は天上を仰いだ。

 

「別段、知ったところでなにが変わるわけでもない。しかし狂ったウサギに狂わされなかった褒賞くらいは、あってもいいだろう」

 

 本当にどうでもいいことのように。

 投げやりな冥土の土産。手土産としてはこれ以上無いほど粗雑に、帽子屋は吐き捨てる。

 

「まずは、名か。我々はハートの女王と呼ぶが、奴には様々な呼称がある。聖獣は確か、そう。こう呼んでいたな――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――《害宇宙(コズミックホラー) イシュニガラブ》」

 

 

 

 ぽつりと、鳥籠から囁く声が聞こえた。

 

「ヘルメスの奴は、そう名付けたっけな」

「……鳥さん。起きたんだ」

「あいつの話をしているんだろう?」

「あぁ……うん。ハートの女王だっけ。話にはよく聞くけど、正直それがなんなのか、よく知らないんだよね」

 

 時々、彼らの話の中に出て来る、女王。

 公爵夫人はこれを殺すと殺気立っていた。これが目覚めることで世界は滅ぶとヤングオイスターズは告げた。

 断片的に、女王なる暴君を彼らが畏れていることは感じ取れた。しかしそれは、一口に言い切れるほど単純なものでもないということもわかる。

 

「ハートの女王ってさ、結局なんなの? 公爵夫人は、自分たちを産んだ母とか言ってたけど……」

「難しいところですね」

 

 スキンブルシャンクスが首を捻る。

 

「夫人の言う通り、女王は我らの母です。我らをこの世に産み落とした、万物の母。黒き仔山羊を孕む豊穣の女神。そしてその落し子こそが、『不思議の国の住人』です」

 

 ま、オレはその子から分離した存在なので、どちらかと言えば孫ですが、などとどうでもいい補足をする。

 それは、いいのだ。

 女王なる存在が、あの醜悪にして、狂気にして、強靭なる命を生み出したということは、いい。

 だがそれが、どう滅びに繋がるというのか。

 自分たちの祖たる母に敵意を向けるのは、なぜなのか。

 

「……強大だからこその畏怖、でしょうかね。如何に母君と言えども、強すぎる力にはいつだって、恐怖が付きまとうのです」

「そんな生優しいものじゃない。あいつは邪悪の具現そのものだよ」

 

 籠の中の鳥は、悔しそうに、恨めしそうに、そして憎々しげに、吐き捨てる。

 

「あいつが……僕らの世界から、神話を奪ったんだ」

「え……どういうこと?」

「……そういえば、小鈴にも、あんまり詳しくは話していないんだっけ。僕らの世界のこと」

 

 隠していたわけじゃないんだけど、と前置きして、彼は言葉を紡ぐ。

 

「僕らの世界は、神話と呼ばれる最上の存在がいる。そしてその中から選出された、十二の神々によって、世界の調和は保たれていたんだ」

「神話? 神様が、十二も……?」

「神ではなく、神話なんだけれど、そこはいい。僕らの世界はその神話たちの調定により、平和だった……だけどある時、マナの枯渇で世界は衰弱していった。理由も分からず、神話同士は少ないマナと枯渇のその原因を求めて争ったよ」

「内紛、ですか」

「それで、その原因が……」

「あいつ……星喰いの怪物。君らが『ハートの女王』と呼ぶ、邪神だよ」

 

 歯を喰い縛るように嘴を噤み鳴らす。

 自分の世界、自分の星、自分の故郷を喰い荒らした元凶に対する、暗く思い情念は察するに余りある。

 

「あいつのせいで、すべての神話が世界から消えてしまった。あいつを外の世界に追放するために、アポロン様も……」

「トリさん……」

「僕がこの世界に来たのは、失われた神話を探すため。クリーチャーがこの世界に現れるのも、僕らの世界が荒廃し、新たな安住の地を探すためだろうさ。あいつは、諸悪の根源だよ」

「ハートの女王は不思議の国を滅ぼす以前から、既に別の国を滅ぼしていた、と。あるいはあなた様の星に降り立つ前から、他の星も食い荒らしていたのやもしれませんね」

「どこぞの変態学者曰く、あいつは星喰い(プラネットイーター)だからね。きっと、行く先々の星を潰してきたんだろうさ」

 

 憎々しく悪態をつく。

 星を滅ぼす邪神。それほど強大な存在が目覚めるとなれば、民が意気消沈し、恐れ戦くのも、理解できるというもの。

 

「……ん、待って。鳥さんの世界って、クリーチャーの世界だよね。それって、ずっと遠くの宇宙にあるんじゃない?」

「あぁ、そうかもしれないね。あの怪物を追放した時も、十二神話が世界から去ったのも、遥か遠くの宇宙に向けてだから」

「ってことはさ、他の宇宙から来た女王様の子であるスキンブル達って……宇宙人?」

「なるほど。その発想はありませんでしたね」

 

 流石は謡、著しくどうでもいい発想力をお持ちだ、と。

 スキンブルが口にする前に。

 

 

 

「なにが、なるほど、よ」

 

 

 

 亡国となった不思議の国に響く、刺々しい女の声。

 

「言うに事欠いて、僕たちを宇宙人扱い? 虚仮にするのも大概にしておきなさい」

 

 謡たちは、顔を上げる。

 

「あなたは……!」

「三月ウサギ。よもやここでお出でになるとは」

 

 邪淫と淫蕩の獣。しかし淫靡に歪んだ顔はそこになく、荒れた髪と肌、光を灯さない薄暗い眼。

 そこにいたのは、情欲ではなく虚無となった獣だった。

 彼女は、ふらふらとおぼつかない足取りで、生気も覇気もない怒声を発する。

 

「そりゃあ、お母様は遥か宇宙の果てから来た邪神よ。けどね、僕たちは紛れもなくこの世界に、この星に産み落とされた命なの。だから帽子屋さんも、この世界に根付くことを望んで……いたのよ」

「いた?」

「……もう、壊れちゃったわよ」

 

 悔恨と、憎悪と、諦観。

 三月ウサギは唇を強く、強く、血が滲むほど噛み締める。

 

「お母様が動き出した。星を喰らい尽くす邪神が目覚めたら、どうなると思う? 矮小な命なんて、オードブルどころかスナックよ。一瞬で蹂躙されて、お腹の中。そんな抗えない末路がわかるからこそ、錆び付いていた帽子屋さんも、ほんとの本当に、動かなくなっちゃった。パ他の奴らも腑抜けたわ」

「では、あなたはどうなのです? 三月ウサギ」

「……どうかしらね」

 

 三月ウサギは天上を仰ぐ。

 

「こんな時に限って、ノロマな亀女はいない。汚らしいドブネズミもいない。ウザい虫けら共もいない。僕、どうしたらいいの?」

 

 誰に問うでもない。自問自答ですらない。

 虚空という(ソラ)を、矮小な仔として、ただ見上げる。

 

「マジカル・ベルは壊れなかったのに、帽子屋さんは壊れちゃって、もう、どうにかなっちゃいそう。どうにかなっちゃってるの。楽しみがなくなっちゃったのよ」

 

 唇から鮮血が滴り、濁りきった眼から雫が流れる。

 

「どうしてこうなっちゃったのかしら。それを教えてくれるパンチョウの奴もいないし、もうわけがわからない。どうしたらいいってのよ」

 

 それは悲痛の叫び。どん詰まりになった不思議の国における、民の嘆きだ。

 どう足掻いても最悪の結末(バッドエンド)しか見えない未来への絶望。

 志を同じくした同胞たちとの離別、困窮、衰退。

 八方塞がりで、自分たちを取り巻く環境も、仲間も、心も、すべてが崩れ、壊れてしまった。

 一人の少女の心と身体を壊そうとした獣だが、皮肉にも、心身共に崩壊に導かれたのは、彼女の方だった。

 なんたる理不尽。しかしてその身に降りかかった災厄の不条理は、容易く拭えるものでもない。

 

「だからさ……八つ当たり、させなさいよ」

 

 荒れ果てた髪を振り乱し、どす黒い不条理の情念で、獣は謡たちを睨み付け、そして、

 

 

 

「なんでもいいから、嬲って逝かせて壊して犯して――狂わせてよ!」

 

 

 

 吼える。

 情欲に駆られた兎は小さな獣なれども、逆しまの怨恨を噛み締め、理不尽と不条理に燃え、牙を剥く。

 肌も、髪も、滴る血も涎も涙も黒く染み渡り、溶け落ちる。

 そこには一人の女であり、獣であり、忌まわしき女王の仔が、哭いていた。

 

「謡」

「……うん」

 

 後輩達を下がらせ、彼女は一歩、前に出る。

 黒く染まり行く異形。怪物へと変貌し、還りゆく姿。

 公爵夫人の時と同じだ。彼女よりも異形化は薄く、人の形を保っている。

 しかしそれでも、彼女が黒き仔山羊の姿に変わりゆくということは、それは彼女の怒り、憂い、嘆きに他ならない。

 

「あなたたちにも、悩みとか、大変なことがあるのはわかるよ。小鈴ちゃんも、きっとそんなあなたたちを尊重したいと思う。誰にも、譲れないものと、それに縋る理由があるはずだから」

 

 今までずっと、傍で見てきたのだ。

 自分自身を無理やり作り替えてまで、戦ってきたのだ。

 理想と幻想が崩壊しても、前に進み続けたのだ。

 そして傍らには、彼女たちの同胞にして、相棒がいるのだ。

 だから彼女たちの慟哭は、理解できる。その悲しみも、哀しみも、感じられる。受け入れられる。飲み込める。

 進むべき道を見失い、怒り狂ってしまうのも、仕方ないだろう。

 ――けれど。

 

「それは私だって同じだ!」

 

 謡もまた、咆える。

 怒りを抱えるのはお前だけではないと、食い掛かる。

 

「私は小鈴ちゃんが……あの子が築き上げてきた(つながり)を傷つけたあなたが許せない。それに私はあの子と違って、ここまで挑発されて、それをそのままなあなあにして済ませようなんて思えるほど温厚じゃないよ」

「はん、なら話は早いわね」

 

 黒く溶けつつある眼を光らせ、三月ウサギは謡を嘲笑する。

 

「子供でも嬌声はあげられる。身も心も快楽の情熱に浮かされ、軋む欲望を貪らせてあげる。でも、気をつけないよ? それか、覚悟しなさい」

 

 だらり、とだらしなく口を歪ませ、哭くように獣は嗤った。

 

 

 

「あなたの“めしべ”――毟り取っちゃうから!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ギガ・オレガ・オーラ、起動」

 

 ブォン、と電子音が響き、三月ウサギの手中に電影が集う。

 

「《γγ(ギガント) モンキュウタ》。さぁ、子種を吐いて、馬乗りになって、もう一度子を産みなさいな」

 

 ボトリ、ボトリ、と奇妙にして奇怪な被造物が産み落とされた。

 そして産まれた命のひとつに、電影は跨がる。

 

「GR召喚《スカップⅢ》《ウォルナⅣ》。《モンキュウタ》は《ウォルナⅣ》に騎乗(ライドオン)……ターンエンド」

「……なんか、さっきのノリから一転して、静かで不気味なんだけど、あのエロいお姉さん」

「躁鬱の激しい御仁ではありますが、どちらかと言えば鬱も淫らに飲み込んで踊り狂うタイプだったはず。自我が崩壊した影響でしょうか」

「君も大概酷い物言いだよね」

「ふむ。謡は彼女に同情しておられるので?」

「まあ、ね。他人じゃないんだ。思うところはあるよ」

「それで?」

「でも、私にだって譲れないものも、許せないこともある。月並みで凡庸だけど、それが、あの子の守ってきた世界だから。私の夢だったもの、そのものだから」

 

 伝聞に空想が混じり合った英雄視だが。

 泡沫に消えてしまったが。

 それでも、彼女は自分が夢想した主人公に他ならない。

 そして、自分が抱いた理想が傷つけられたとなれば、黙っていられるはずもない。

 

「だから、私はあの子を傷つけたあなたをぶん殴る! 《ガチャダマン》を召喚! その能力でGR召喚!」

 

 謡の手中から、一球が投げ込まれる。

 それは半分に割れ、中からさらなる仲間が吐き出された。

 

「《ヤッタレロボ》か……悪くないけど、マッハファイターはできないや。ターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

 

三月ウサギ

場:《スカップⅢ》《ウォルナⅣ[モンキュウタ]》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:1

山札:27

 

場:《ガチャダマン》《ヤッタレロボ》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

 

「《龍罠(ドラップ) エスカルデン》を召喚。2枚捲って、両方マナへ。ターンエンド」

「私のターン……スキンブル

「えぇ。決めてしまいなさい。謡」

「うん。このターンで終わらせてやる」

 

 三月ウサギの動きは、醜悪な容貌に反して穏やかで、鈍い。

 しかしそんな遅滞を待っていようはずがない。

 最大出力の最高速度で、化生のはらわたを打ち抜く。

 

「1マナで《ヤッタレマン》を召喚! そして、《ヤッタレマン》と《ヤッタレロボ》で、私のジョーカーズの召喚コストは2下がってる。2マナ下がって、4マナタップ!」

 

 機械だろうと、肉の身体だろうと、そこに込められた気持ちは変わらない。2体による応援歌が、彼を導く。

 仲間たちに囃され、超特急の行進(パレード)が催された。

 不思議の亡国に、凱旋の汽笛が、鳴り響く。

 

 

 

「出発進行――《超特Q ダンガンオー》!」

 

 

 

 城門を貫き、走り抜ける一筋の白金。

 弾丸の如き一陣の風は、さらに、奔る。

 

「私の場にジョーカーズは3体! よって《ダンガンオー》のブレイク数はプラス3……この一撃で、打ち砕く!」

 

 魂の抜けた亡き者の国に、道化の光を。

 押しつけがましくても、気休めだとしても、救済にならずとも。

 彼女はただ仲間のためにと、拳を振るう。

 

 

 

「ぶち抜け! 《ダンガンオー》――ダンガンインパクト!」

 

 

 

 滅亡の亡国にその爆進を止める者はいない。

 番兵も力をなくし、無気力に、無防備に、振るわれた拳を甘んじて受け入れる。

 

「……S・トリガー」

 

 だが、しかし。

 

「《ドンドン吸い込むナウ》……山札から五枚捲って、一枚手札に。《サイゾウミスト》を回収よ」

「げ……」

「自然のカードを加えたから、《ヤッタレロボ》。消えなさい」

 

 壊れた国を荒らされることは黙認しても。

 身も心もすべてを許したつもりはない。

 怪物へと成り下がった民は、意気消沈に狂いながら、噛み痕を残す。

 

「《サイゾウミスト》で止められるし、《ガチャダマン》も殴り返されちゃうか。攻めきれないなら……ここはターンエンド!」

 

 

ターン4

 

 

三月ウサギ

場:《スカップⅢ》《ウォルナⅣ[モンキュウタ]》《エスカルデン》

盾:0

マナ:7

手札:6

墓地:2

山札:23

 

 

場:《ガチャダマン》《ヤッタレマン》《ダンガンオー》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:1

山札:25

 

 

 

 

「はぁ……くっさ」

 

 カードを引きつつ、三月ウサギは嘆息する。

 黒く溶け落ちつつある身体には亀裂が走り、今にも口開きそうに、蠢動し、軋んでいる。

 しかしそんな異状を気にも留めず、気怠そうに謡を睨む。

 

「青臭くて乳臭い……そのガキっぽさ、不愉快よ」

 

 ぽとり、とマナゾーンにカードを落とす。

 

「8マナタップ」

 

 そしてそれらのマナを踏み躙るように、すべて、押し倒した。

 

「虫って実はとっても本能的なのよね。自分のことしか考えない。交わることが最終目標。自分が生きるため、種の存続のためだけに動く、自我のない純粋なる我欲。本能の傀儡ってところがね、実は結構好きなのよ、僕」

 

 淫らに、ではなく。

 醜悪に、獣は嗤う。

 

 

 

「高貴に、淫らに、本能を貪りなさい――《グレート・グラスパー》!」

 

 

 

 《エスカルデン》の骨(から)が割れ、中から、蝗が食い破り、這い出でる。

 しかしそれだけでは物足りない。蟲はさらなる食い物を求め、飛行する。

 

「《グレート・グラスパー》がバトルゾーンに出たことで、《ガチャダマン》をマナゾーンへ。そして《グラスパー》で《ダンガンオー》を攻撃する時にも、能力発動よ」

 

 《ガチャダマン》を喰らう。まだ足りない。

 まだまだ足りない、物足りない。

 腹は満たされない。情欲を解き放つ糧にもならない。もっともっと、必要なのだ。

 偉大なる母に捧げる、命が。

 

「自分のNEOクリーチャーよりパワーの低いクリーチャーを、マナから引きずり出す。進化も非進化も関係なく、ね」

 

 たとえそれが我が身だとしても、構わない。

 だってすべて、滅びてしまうのだから。

 喰われてしまうのだから。

 邪悪なる、母君に。

 

「……僕の名前は『三月ウサギ』。淫欲に狂う獣。ただ、それだけの、下卑た娼婦」

 

 蝗の身体が崩壊する。

 三月ウサギが言葉を紡ぐたびに、脚が、翅が、身体が、崩れていく。

 否、戻っていく。母の、(なか)に。

 

「気持ちよく、心地よくて、そんな淫蕩を与えてくださったお母様に感謝したわ……最初はね」

 

 快楽に溺れ狂う獣、三月ウサギ。

 しかし彼女には、幸か不幸か、知性があった。理性もあった。

 同胞と触れ合った影響か、人間の姿を得た代償か。その真意は、虫けらの同胞に聞かなければわからないが。

 とにかく、彼女は、思考も思慮も思案もあった。

 だからこそ、気付いてしまった。

 

「僕はどこまで行ってもそれまで。どれだけ気持ちよくても、快楽に溺れても、その先には進めない。最初から、どん詰まりなのよ」

「……?」

「これほどまでにお母様を呪ったことはないわ。お気に入りの玩具(ともだち)も、愛すべき子種(おとこ)も奪われて、結果として僕には、邪淫しか残らなかった」

「なに? なにを言ってるの……? どういう、こと……?」

 

 邪淫、肉欲、淫蕩。

 それこそが三月ウサギを構成する核。母から受け継いだ権能にして個性()

 その凄絶さのあまり、帽子屋、公爵夫人と並ぶ、狂気の三柱と称されるほどの、人を破滅に導く絶大なる狂気。

 

「ただ気持ちいいだけじゃ飽き足らない、愛が欲しい。この快楽の証明が、結果が欲しい。そうすれば、帽子屋さんだって、こんなに苦しむ必要はなかった。僕たちの果てない野望は、もっとすぐ近くにあったはずなのに。僕の、僕たちの望みは、僕自身の手で朽ち果てたわ。僕はただ、当然のことを願っただけなのに」

 

 しかしそれは、ただの呪いでしかなかった。

 吐き出すのは子種でも、落し子でもない。

 三月ウサギは――呪詛を、吐き出す。

 

 

 

「子供が欲しかった」

 

 

 

 ただ、それだけのこと。

 あまりのも平凡な願い、だが。

 それは淫蕩の獣の誕生によって、打ち止めになった。

 

「イイコト教えてあげる。僕たちにはね、各々の獲得した性質が伝播する、という性質があるの。あるいは共有かしら」

「……公爵夫人がちょっと言ってたっけ。あなたたちが人間の姿を取れるのは、あの人の力が要因だって」

「えぇ。醜い貌の公爵夫人様が美を知り、人間という肉体を得たことで、僕たちは今の姿を成せるようになった。子々孫々、そうやって僕たちは、進化してきた。いえ、それがあまりにも脆弱で小勢な僕たちが生き残る手段だった」

 

 しかし、進化とは、必ずしも良くなるばかりではない。

 発展の裏には後退もあれば、代償もある

 

「僕は快楽の化身、三月ウサギ。僕の交わりはすべて快楽に帰結する。たとえそれが、新たな世代に繋ぐ尊い行いでも、僕はそれを、堕落させる」

 

 雄と雌の交わり。それは新たな命を繋ぎ、繁栄するための手段だ。

 多くの生命が必要とする本能であり、この世界を構築する命のパーツ。

 それに伴う快楽は、そんな命の歯車を回すための潤滑油でしかなかった。

 その、はずなのに。

 

「僕が生まれてしまったのが運の尽きね。僕の淫蕩は、種の存続ではなく、ただの気持ちいいコトに成り下がった」

 

 彼女は快楽に狂う獣だが。

 その裏側には、快楽による呪詛が蝕んでいた。

 自分たちの繁栄の道を断った元凶。しかしそれでも彼女は快楽を、邪淫を求める。

 それが、母から授かった権能(呪い)だ。

 

「もうほんと、お笑いよね。僕自身が、帽子屋さんの望みを断ち切ってしまうだなんて。そして、その望みを繋ぐ可能性、多産の権能を受け継いだのが、この国を破滅させた代用ウミガメだなんて」

 

 渇いた嗤い。ドロリと黒く溶けた肌は引き裂かれ、不格好な歯を覗かせる。

 髪の一束は枝の如き触腕として集い、脚は根のような蹄として大地を踏みしめる。

 心が歪むにつれ、彼女の身も、仔山羊(クリーチャー)へと堕落していく。

 

「だから僕は、あいつが嫌いなのよ。僕自身の咎を、僕以外が洗うなんて……僕が要らない子みたいじゃない」

「……それは」

「あぁ、同情なんていらないから。これはただの愚痴よ。あなたはただ、犯されて、壊されてくれれば、それでいいの。それ以上のことは、求めてないから」

 

 突き放すように言って、三月ウサギはぐらりと揺らめき、俯く。

 

「僕たちはお母様には逆らえない。だからあんたを壊して八つ当たりする。不格好で、醜くて、無意味なことだけど……もう、それでいいから」

 

 もはや理屈も理由も、合理も条理も必要ない。

 そこにあるのは、ただの理不尽。

 森羅万象の外宇宙から押し寄せる、狂気なる恐怖だ。

 

「あなたを苗床にはしない。あなたはただの肉塊として、僕の性欲(暴力)の捌け口になりなさい――ッ!」

 

 羊水に飲まれた命は、その母となり、現れる。

 

 

 

「我らが忌み子を堕ろせ――《真実の神羅(トゥルー・シンラ) プレミアム・キリコ・ムーン》!」

 

 

 

 狂気の月が黒く輝く。

 幻影と電影が交じり、幻想なる命が、産み落とされる。

 ここに座するは偽りの母。母になれない獣の、泡沫の夢だ。

 

「無意味に子種を吐き出しなさい。鬼子でも忌子でも、妄想でも空想でも、僕の仔をここに産み落としなさい! 決して届かない抜け殻の落し子を!」

 

 慟哭する仔山羊は、どれほど黒く染まろうと、母にはなれない。

 一生、仔山羊のまま、母の姿を幻視して、叶わぬ妄想の仔を孕み続ける。

 

「《スカップⅢ》と《モンキュウタ》を喰らい――生まれなさい! 《龍罠 エスカルデン》! 《審絆の彩り 喜望》!」

 

 《キリコ・ムーン》は被造物を飲み込み、それを新たな命、幻想の仔として、産み落とす。

 ぼとり、ぼとり、と。

 

「《エスカルデン》の能力で山札を捲り、二枚ともマナへ。《喜望》の能力で、僕のアンタップクリーチャー2体をタップ! その数だけGR召喚よ!」

 

 新たに出て来た《エスカルデン》、そして《喜望》自身がタップされ、2体分の命が新たに吐き出される。

 否。

 

「《スカップⅢ》《マリゴルドⅢ》! 《マリゴルド》の能力で、マナゾーンから《モンキュウタ》をバトルゾーンへ……2回、GR召喚!」

 

 2回で終わる、はずもない。

 そんなささやかな願いでは、三月ウサギの情欲は収まりきらない。

 彼女は憎いほど願った理想は、夢は、その程度では満足できない。

 

「《マリゴルドⅢ》《イイネⅣ》! 《マリゴルド》の上に《モンキュウタ》が跨がり、新たに産まれた《マリゴルド》が、もう一枚《モンキュウタ》をバトルゾーンへ! ギガ・オレガ・オーラによって《クリスマⅢ》と《王子》をGR召喚! 《クリスマⅢ》に《モンキュウタ》を騎乗(ライドオン)!」

 

 産み落とされた人造の仔が、新たな命の呼び水となり、次々と子種が撒き散らされ、命が芽生える。

 しかしそれらはすべて、偽りの生命。幻想の産物だ。

 あまりに虚しい現実。しかし黒の仔山羊と成り果てた狂気の兎は、その現実に目を向けず、怒り狂う。

 

「な、なんか、いっぱい出て来た……!」

「……仔を孕めず、子を産めぬ、ウサギの妄執、ですか。いやはや、恐ろしい。そしてなにより、凄まじい」

 

 《グレート・グラスパー》1枚から、盤面を一気に広げてきた。この超展開には、流石に吃驚を禁じ得ない。

 

「《キリコ・ムーン》で《ダンガンオー》を破壊……愛も性も、ましてや生誕の望みがない苦しみも知らない生娘が、粋がってんじゃないわよ」

「っ、《ダンガンオー》……!」

 

 偉大にして邪悪、虚無にして虚偽の母の前に、一人の少女が祈った英雄は、いとも容易く蹂躙される。

 機体は粉々。腕はもげ、脚は折れ、胴に穴が空き、頭は潰れた。

 無惨な英雄の末路が、そこに転がっていた。

 

「《スカップⅢ》はマナドライブでマッハファイター、《ヤッタレマン》を破壊! ターンエンド」

「この数は……流石に、まずいね」

 

 前のターンに仕留めきれなかったことが、あまりにも痛く響いている。

 完全に盤面を制圧され、主導権を握られた。ここは閨の中であれば、彼女の思うがままだろう。

 

「2マナで《ジョラゴン・オーバーロード》! マナ加速して、私のマナゾーンに7枚以上のジョーカーズがあるから、GR召喚! 来て、《バイナラシャッター》!」

 

 しかしここは寝台ではなく戦場。敵地であっても滅亡の国。

 数多の怪物に囲まれようと、拳を降ろしはしない。

 

「マナドライブ発動! コスト6以下の《エスカルデン》を山札の下へ! さらに私の場に合計6枚以上のジョーカーズがあれば、《バングリッドX7》はマナゾーンから召喚できる! しかも1ターンに一度、マナゾーンから召喚可能になる権利も得る! その能力で、マナから《ヤッタレマン》を召喚!」

 

 クリーチャー除去、さらにマナからの召喚。

 道化らしい連携、尽きることのない展開、だが。

 

「……これが限界か」

 

 それが現状できるベストだとしても、その力はちっぽけだ。

 三月ウサギの場には、10体近くのクリーチャーが並んでいる。加えて、《キリコ・ムーン》という強大な母君も君臨している。

 宇宙的恐怖の前では、人の力は、あまりにも小さすぎる。

 

「でも、やるだけのことはやるよ! 《バングリッド》で《王子》を攻撃! マナ加速して、マッハファイター!」

「ふぅん……で?」

「……ターンエンド」

 

 

 

ターン5

 

 

三月ウサギ

場:《キリコ・ムーン》《喜望》《スカップ》《マリゴルド》《イイネ》《マリゴルド[モンキュウタ]》《クリスマ[モンキュウタ]》

盾:0

マナ:7

手札:5

墓地:2

山札:20

 

 

場:《バイナラシャッター》《バングリッド》《ヤッタレマン》

盾:5

マナ:7

手札:0

墓地:4

山札:22

 

 

 

「僕ね、妄想は過剰なタイプなの」

 

 淑やかに、醜く歪んだ口で、彼女は囀る。

 腕の口は、怒りに燃え、歯をガチガチと鳴らす。

 脚の口は、悲哀に嘆き、延々と溜息を吐き続ける。

 胴の口は、未来を諦め、狂ったように虚無と共に嗤う。

 

「一人で想って慰める時も、あり得ないほど激しく、思い煩うのよ」

 

 胸に手を当てる。

 しかしその手は蠢動する暗黒の触腕になり。

 その胸は憤怒と、悲嘆と、諦念が渦巻く奈落の大口となり裂けている。

 

「だから叶わぬ夢だって……過剰に過大に、空想するの」

 

 それでも彼女は、幻想に向かって、ひた走る。

 

「8マナで――《プレミアム・キリコ・ムーン》に、究極進化!」

「な……っ!?」

 

 《キリコ・ムーン》の上に重ねられた、2枚目の《キリコ・ムーン》。

 大量の落し子が散らばる国で、母は、またしても我が子を抱く。

 

「羊水に還りなさい、僕の可愛い妄想の落し子たち。そして新たに産み落とされなさい、幻想の水子たち!」

 

 我が子を喰らい、我が子を吐き出す。果てない幻想が、流転し、輪廻する。

 6体のクリーチャーを吸収した《キリコ・ムーン》は、新たにその数の命を吐き出した。

 

「《イチゴッチ・タンク》が三体。そして《喜望》に、《エスカルデン》。《エスカルデン》の上に《グレート・グラスパー》!」

「《喜望》に《グラスパー》……! まずい……!」

「《エスカルデン》の能力で二枚ともマナへ。《グラスパー》の能力で《バイナラシャッター》をマナへ。《喜望》の能力で、《グラスパー》以外をタップ、GR召喚!」

 

 ありったけのクリーチャーを寝かせ、閨へと押し込み、無理やり人造の仔を孕む。

 そこには愛も快楽も、もはや消え失せた。

 ただの機能(システム)であり、暴威にも等しい執念だ。

 

「《ウォルナⅣ》《イイネⅣ》《クリスマⅢ》《スカップⅢ》《王子》……《クリスマⅢ》の上に《王子》を重ねるわ、NEO進化よ」

 

 わらわらと、ぐちゃぐちゃと。

 冒涜的に、命が氾濫する。

 

「さぁ、もう一度、あの生娘の純潔を貪ってやりなさい。《スカップⅢ》で《ヤッタレマン》を攻撃! 《グレート・グラスパー》で《バングリッド》を攻撃……能力発動!」

 

 ドロリと巨蟲は溶融する。

 すべて、母に還り、母となり、母と一体となる。

 狂気の月に、導かれて。

 

「《真実の神羅 プレミアム・キリコ・ムーン》! 《王子》から究極進化!」

「今度は……9体……!」

 

 攻撃中の《グレート・グラスパー》さえをも飲み込み、《キリコ・ムーン》は幻想を産み落とし続ける。

 三月ウサギの妄執、妄想、嘆願を、叶えるために。

 

「男の子は何人かしら? 女の子は何人かしら? あぁ、泡沫の想像でも、(むな)しいわね――!」

 

 笑い、嗤う、三月ウサギ。

 黒く溶けた貌はに楽しさも愉しさも、喜びも悦びもなく、あるのはただの怒り狂える虚しさだけ。

 

「《龍罠 エスカルデン》2体、《怒流牙 サイゾウミスト》2体、《グレート・グラスパー》2体、《エスカルデン》に重ねて両方NEO進化!」

 

 ぼと、ぼと、ぼとり、ぼとり、ごぽっ、ごぽごぽっ。

 獣は狂う。月が狂う。母も狂う。

 壊れた機械のように、それは、野獣の願いのために、仔を生み続ける。

 

「残りは《黒豆だんしゃく》《審絆の彩り 喜望》、そして――」

 

 延々と現世と羊水を流転を続けた幻想の命たち。

 しかしその輪廻転生に、終止符が打たれる。

 

 

 

「――《気高き魂 不動》!」

 

 

 

 輝ける高貴が、楔となる。

 狂っていようと、その光が、偽りの仔たちを繋ぎ止める。

 もう、母の胎内には還らない。

 

「《不動》を《喜望》に重ねてNEO進化よ。そして《エスカルデン》出たから、4マナ加速! 《サイゾウミスト》が出たから、シールドを2枚追加! 《グラスパー》が出たから、あんたのクリーチャーはマナ送り!」

 

 数多の大口が慟哭する。

 公爵夫人と、同じだ。

 暴走した機械のように、猛る情念に突き動かされ、彼女は暴れている。

 

「《喜望》の能力で、《サイゾウミスト》二体と《黒豆だんしゃく》をタップ! 3回GR召喚!」

 

 仔共たちが縫い止められただけではない。

 一度は母の胎へと還った命が、巡りに巡って、遂に戻ってくる。

 

「《ウォルナⅣ》《王子》《マリゴルドⅢ》! 《ウォルナⅣ》の上に《王子》を重ねてNEO進化!」

「GRゾーンが、一周した……!」

 

 しかも戻ってきたのは、《マリゴルド》。

 これが出て来たということは、当然、マナゾーンから引っ張り出されるのは、

 

「《マリゴルド》の能力で、マナゾーンから《モンキュウタ》! さらに2回GR召喚! 《スカップⅢ》《マリゴルドⅢ》! 《マリゴルド》が出たから、さらに《モンキュウタ》! 《イイネⅣ》《クリスマⅢ》!」

 

 《マリゴルド》から《モンキュウタ》が連鎖する。山札に戻った《モンキュウタ》も、《エスカルデン》でマナへと押し込められ、幻想の命を孕む機構の一部と化す。

 

「まだ、まだ、まだまだまだまだまだ! 終わらない、終われない! まだまだ、気持ちよく、なり切ってない……! 僕の夢は、こんなもんじゃ、終わらないッ!」

 

 《キリコ・ムーン》の降臨により、強引に攻撃が止まったが。

 もう、その心配は無い。

 命は母に戻らない。ならばあとは、子種を吐くだけだ。

 精魂が尽き果て、枯れ落ちるまで。

 

「《グラスパー》で攻撃! 2体の《グラスパー》の能力で、マナゾーンから2体、《キリコ》が出る!」

「は……っ!?」

 

 今の三月ウサギの場には、《キリコ・ムーン》を除き12体のクリーチャーがいる。

 そして《不動》の能力で、三月ウサギのクリーチャーは破壊でないと場を離れない。

 つまり、

 

「山札から24体のクリーチャーをバトルゾーンへ!」

「そんなにいるわけないだろ! ちょっと待って! そんなことしたら、あなたのデッキが……!」

「知らない知らない知らない知らない知ったことか! いいから、黙って喘ぎなさい! 気持ちよくなってなさい! 僕を、気持ちよくさせなさいよ!」

 

 合計で24体。実際は一度目の《キリコ・ムーン》の効果を解決した後に、第二波の効果が発生するので、もっと多くの仔が産み落とされるだろう。

 しかし三月ウサギの山札は残り少ない。いくら大量のクリーチャーを出せても、デッキの枚数には限界がある。そんな過剰な要求に応えることなどできない。

 幻想は過剰。無理を通そうとも道理は不動。

 三月ウサギの情欲も望みも果てはないが、それに応えられるほど、世界は寛容ではない。

 すぐに、命は枯れてしまう。

 

「ほら、ほらほらほら! 出せよ、出しなさいよ! もっと出るでしょ孕めるでしょ! 堕ろしても堕としても、僕の子供……産んでみなさいよッ!」

 

 三月ウサギは絶叫し、咆哮し、慟哭する

 限界まで山札からクリーチャーを絞り出し、《エスカルデン》で残り少ない山札が削り取られ、《喜望》が新たなクリーチャーを呼び出す。

 

「山札残り2枚……しかも、が、GRクリーチャーまで、出し尽くした……!?」

「獣の情欲恐るべし、でございますね」

 

 もはや彼女の精魂(リソース)はほぼすべて、吐き出された命と、母なるマナに宿っている。

 手札(ちしき)は要らず、墓地(ししゃ)は無用、山札(みらい)はない。

 暴走した幻想で、輝ける狂った月は、牙を剥く。

 

「《喜望》を《不動》にNEO進化」

 

 これで、輪廻する妄執は区切られる。

 滅亡と創世のサイクルの支配は失われ、生誕の未来もない。

 それでもまだ終わらないが、終わりを見る。

 立ち並ぶ数々の尖兵。巨大な忌み子たち。

 これだけの数がいれば、小さな娘一人を縊り殺すなど、造作もない。

 

「無垢な乙女の艶花を散らしなさい――Tブレイクッ!」

 

 巨大な蝗が、本能のまま、餌を求めて喰らいつく。

 黙示にも等しい大災厄。いやさそれは、人の想像を超越した、遙かなる邪神の害意だ。

 

「っ、ぐうぅぅ……っ!」

 

 ビリビリと、身体が震える。

 強大な一撃に、爆ぜるような痛みが全身を走る。

 だが、それでも、恐怖はない。

 

「私は、私達は、一度あの公爵夫人を乗り越えたんだ……! だったらこのくらい……!」

 

 謡は、砕け散ったシールドの一欠片を、掴んだ。

 

「恐れるもんか! S・トリガー! 《SMAPON》!」

 

 握り込まれた破片は刃。しかし我が身に降りかかる諸刃ではない。

 ここから切り返すための、反撃の剣だ。

 

「とはいえ、《SMAPON》……ここでかぁ……!」

「タイミングが悪うございますね」

 

 《SUMAPON》は1ターンを確実に耐え凌ぐクリーチャー。今のような、圧倒的な数の暴力で踏みとどまるにはこれ以上ない適役なのだが、それはスーパー・S・トリガーで出た場合。

 シールドが他に残っている状態で出ても、その力を十全には発揮できない。当然、怒濤の勢いで押し寄せる、獣の水子たちを押し返すことなど不可能だ。

 

「でも無意味じゃない! 登場時、パワー2000以下のクリーチャーを破壊するよ! これで《王子》は倒せる!」

「知ったことじゃないわ! 《黒豆だんしゃく》の能力でマナ送りよ!」

 

 《SMAPON》は現れた直後、即座に地中へと引きずり込まれる。

 これでは反撃の芽も残らない。謡のバトルゾーンは空のままだ。

 

「2体目の《グラスパー》で攻撃! マナゾーンから《黒豆だんしゃく》をバトルゾーンに! そして、残りのシールドをブレイク!」

 

 群れなす蟲が、謡のシールドをすべて、食い荒らす。

 ガリガリと、グチャグチャと。

 影も形も残らぬほど、食い潰す。

 本能のまま、邪悪に染まった意志で、貪り尽くす。

 

「……ごめん、スキンブル。やっぱり、怖いや」

「おや? 怖じ気づきましたか?」

「いや。狂ってしまった人の末路が、だよ」

 

 公爵夫人もそうだったかもしれない。怒り、妬み、女王への殺意のあまりに狂った醜女。

 望まない怪物の姿に成り下がった彼女は、あまりにも悲惨だった。

 そしてそれは、今の三月ウサギも同じこと。

 狂気をもたらす側の獣さえも、狂気に飲まれるとこうも壊れてしまうという姿をまざまざと見せつけられると、やはり、恐ろしい。

 傍らで笑っている相棒がいなければ、自分もこんな狂気に飲まれてしまったのかと思うと、それを想像してしまうと、恐れが迫り上がる。

 再び、謡は散りゆくシールドの破片を、掴み取る。

 

「私はこんな末路が許せない。だから、私を狂気の淵から引きずり出してくれた君には感謝してるよ、スキンブル」

「素直な感謝は心地よくもあり面映ゆくもありますね。聞き流しつつ胸に仕舞っておきましょうか」

「それと、よりいっそう、許せなくなった」

 

 手の内で、それは、光となり収束する。

 

「こんなおぞましいものに、あの子を堕とそうとしたことにね!」

 

 絶望と虚無から来る怒りで狂う獣がいる。

 怒りに燃えるのは、謡も同じ。

 しかし彼女が抱く怒りは、仲間への希望に燃える怒りだ。

 

「S・トリガー! 《灰になるほどヒート》!」

 

 握り込んだ掌が開かれ、炎が燃え盛る。

 手札からコスト6以下のジョーカーズを呼び出し、強制バトルする呪文。

 謡は得意げに微笑んだ。

 

「うちの獣はね、ちょっと小狡くて、抜け目なくて、とっても強かなんだよね!」

 

 炎が晴れるより早く、それは、爆炎の中より飛び出した。

 

「ほら、行っておいて――《ジャガライガーV7(バイオレンスセブン)》!」

 

 鋼の駆体が青く煌めく。

 白銀の牙を剥き、紅の爪を振り上げ、《イイネⅣ》へと飛びかかる。

 

「《イイネⅣ》とバトル! そのままバトルで破壊!」

「なに? そんなんで、僕が止まってると思ってるの?」

「当然! あなたにはもう、止まってもらうよ! 見てて危なっかしいしね! 《ジャガライガー》がバトルに勝った時、GR召喚する!」

 

 《イイネⅣ》を引き裂き、粉砕し、蹂躙した後。

 《ジャガライガー》は、咆哮する。

 それは先導する頭目の呼び声だ。先陣を切り込む者の後へと、仲間が続く。

 謡がGRゾーンからカードを捲り上げる。そして、

 

「そら来た! 《全能ゼンノー》!」

「あ……っ!?」

 

 ピタリと、三月ウサギは硬直する。

 三月ウサギだけではない。激怒し、嘆息し、諦観し、慟哭する数多の大口も。

 彼女が妄想の果てに産み落とした水子たちも皆、一様に、止まった。

 

「《ゼンノー》がいる限り、あなたはクリーチャーを出したターン、そのクリーチャーで攻撃できない」

 

 あまりのも当然のことが書かれたテキスト。捻れた法則を、当然となった歪んだ摂理を、基本原則へと引き戻す力。

 しかしそれは、当たり前のようでいて、本来の定理さえをも歪ませる。

 いきり立った落し子たち、その中でも特に殺意を露わにする巨大なクリーチャーたちはすべて、NEO進化クリーチャー。

 

「そしてそれは全部、このターンに出たクリーチャーだ!」

 

 よって、《全能ゼンノー》の力で、動けるはずの身体は動かない。

 進化クリーチャーという特権さえ、剥奪されてしまった。

 

「この、こいつ……!」

 

 《キリコ・ムーン》でクリーチャーを出し入れしたことが、仇となった。

 前のターンから継続して場にいるクリーチャーはおらず、《全能ゼンノー》はマッハファイターによる除去も受けつけない。

 どう足掻いても、三月ウサギと、その幻想の仔らは、動くことができない。

 そして、

 

「さぁ……私のターンだ!」

 

 謡のターンが、訪れる。

 シールドはゼロ。クリーチャーは2体いるが、相手もシールドが増えており、手札には確実に《サイゾウミスト》が1枚はある。

 つまり最低でも、即時1打点分は捻り出さなくてはならない。

 S・トリガーや2枚目の《サイゾウミスト》を考慮すれば、もっと欲しいところ。

 謡は一呼吸の後、手札を切る。

 

「《ガチャダマン》を召喚! 能力で《ゴッド・ガヨンダム》をGR召喚! マナドライブで手札を捨ててドロー!」

「《黒豆》!」

 

 場数を増やして手札も増やす、が。

 直後、2体とも母なる地の底へと、引きずり込まれてしまう。

 ジョーカーズは仲間の数だけ強くなる。仲間がさらなる仲間を呼び、それらが集って大きな力となる。

 それは、帽子屋を信奉する三月ウサギも、よく知っていること。

 だからこそ、謡の場のクリーチャーを蹴散らす。反逆の隙も反抗の機会も奪う。

 すべて、根絶やしにする。

 

「やっぱクリーチャーは残させてくれないか。なら、残るまでチャレンジだ! 2マナで呪文《ジョラゴン・オーバーロード》! マナ加速してGR召喚!」

 

 黒い森の守護者が、芽生える小さな命を踏み潰すというのなら。

 潰しきれないほど多く、何度でも、解き放つまで。

 

「《バツトラの父》! 今度は残った!」

「ちぃ……!」

「さぁ次だ! 《超GR・チャージャー》! 発動後にマナに行って、GR召喚!」

 

 マナにカードを充填しつつ、さらに展開。

 ガチャガチャと荒々しく、GRゾーンを、捲る。

 

 

 

「さぁ、次は君の出番だ――《The ジョラゴン・ガンマスター》!」

 

 

 

 GRの力を得た、《ジョラゴン》。龍より英雄へと転じた者。

 

「……でも、どうせあなたの牙は僕には届かないわ。そんなちっぽけなものを並べるのに、マナも使ってるでしょ?」

「まあね。でも、これだけあれば十分! 《ジャガライガー》!」

 

 謡の声に応えるように、《ジャガライガー》は、再び咆える。

 大地全土に轟くような、力強く雄大な咆哮を。

 

「《ジャガライガー》の能力発動! 私のGRクリーチャーが3体以上いれば、マナの数字を倍にできる!」

 

 謡のマナは残り3マナ。それが倍になり、実質6マナ。

 並んだクリーチャーは決して無意味ではない。傍らに寄り添うだけで、仲間は、力になる。

 

「3マナタップして、呪文《灰になるほどヒート》! 《バーンメア・ザ・シルバー》をバトルゾーンへ! 呪文の効果で、《イイネⅣ》と強制バトル!」

「その程度……!」

「さらに《バーンメア》の能力で、2回GR召喚だ! 一体目、《ヤッタレロボ》! 続けて二体目!」

 

 炎の戦馬が激しく嘶く。

 その嘶きが木霊し、さらに、さらに、仲間を呼ぶ。

 とっておきの、最高の、切り札を。

 

 

 

「走れ! 私の相棒――《鋼特Q ダンガスティックB》!」

 

 

 

 GRの力で変成した《ダンガンオー》。

 英雄は獣へ、その姿を昇華させた。

 理性と理性を捨てたのではない。荒々しくも強大な獣性、力を秘めたのだ。

 

「《ヤッタレロボ》も《ダンガスティックB》も、登場時の能力はない。《黒豆》でもやられない!」

「こいつ……でも、そいつは《黒豆》でマナ送りよ!」

 

 《バーンメア・ザ・シルバー》は《黒豆だんしゃく》の能力で、地中深くへと埋没していく。

 仲間を惜しみ、悔やみ、哀しむ気持ちこそあれども、それはブレーキにならない。

 燃え滾る燃料となり、さらに、加速する。

 

「アクセル全開! 《バーンメア》が呼んだGRクリーチャーは、すべてスピードアタッカーになる! 行って、《ダンガスティックB》!」

 

 《バーンメア》から支援を受けた《ダンガスティックB》が咆え、駆ける。

 鋼の駆動が大地を踏みしめ、長大な爪と牙で、狂った月に照らされた、黒き森の子山羊へと飛びかかる。

 

「ニンジャ・ストライク! 《サイゾウミスト》! 墓地を山札に戻してシャッフル、シールドを追加!」

「このタイミングでシノビ……いや、どのみち突っ切る! Wブレイク!」

 

 2枚から3枚に増えた盾。《ダンガスティックB》はそれらを食い千切る。

 

「S・トリガー《ドンドン吸い込むナウ》! 山札を見て、《モンキュウタ》を回収。《ガンマスター》をバウンスよ!」

「…………」

 

 やはりS・トリガーはあった。そして同時に、今の一歩早いタイミングで繰り出された《サイゾウミスト》の意味も理解できた。

 

(さっきの《サイゾウ》は山札回復のためか。でも、墓地も山札も残り少ないから、トリガーがあったら《サイゾウ》で高い確率で盾に入る……いや、だとしても、残り山札が1枚なら、もう《吸い込むナウ》は使えない。《サイゾウ》もあって残り1枚。ならあとは、トリガー勝負だ)

 

 なにをどう考えようと、謡が進める道は、目の前の直線だけ。

 振り返ることもなく、脇目も振らず、ただひたすらに、弾丸の如く、疾駆する。

 

「《全能ゼンノー》で最後のシールドをブレイク!」

「…………」

 

 これで、シールドはなくなった。

 S・トリガーもない。

 

「《ジャガライガー》でダイレクトアタック!」

「ニンジャ・ストライク、《サイゾウミスト》よ!」

 

 ここが勝負所だ。

 《吸い込むナウ》なら問題なし。残り山札1枚、未知のカード。

 それがなにかによって、勝敗が決する。

 

「……あぁ、まったく」

 

 じゅくじゅくと溶けていく黒い肌。

 人の形を失った三月ウサギは、一身に破片を浴びて、忌々しげに漏らす。

 

「気持ちよすぎて、破滅したわ」

 

 はらりと、三月ウサギの手札から、カードが零れ落ちる。

 《ドンドン吸い込むナウ》。

 残り一枚の山札が、ふわりと舞い上がった。

 三月ウサギはそれを、手札に加える。

 

 ――《フェアリー・ライフ》

 

 彼女が最後に摘み取った命の欠片。

 

「僕の一人遊びに付き合ってくれてどうもありがとう。でも、僕、あなたみたいなガキんちょは嫌いだから、こう言ってやるわ」

 

 謡に残されたアタッカーはすべて消えたが。

 三月ウサギに残された山札は、残り1枚。

 彼女はそのたった1枚に、手を掛け――

 

 

 

「あなたが勝ったんじゃない、僕が負けたの、ってね」

 

 

 

 ――引き切った。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 あぁ、やられた。

 まったく、ムカつくったらありゃしない。

 本当に、腹立たしい。

 あの青臭い餓鬼も。その傍らでにやけてる猫畜生も。

 そしてなにより、そんなムカつく奴ら敗北を喫する自分に、腹が立つ。

 なにもかもがイライラする。この国から出て行った奴らも、この国に魂が抜けたまま居残った奴らも。

 帽子屋さんを壊した亀女も、亀女を連れ去った母親も、なにもかも、なにもかもが。

 イラつく、ムカつく、欲求が、不満が、怒りが、情欲が、溢れ出して、混ざり合って、滅茶苦茶になって、気持ち悪い。

 だけど、

 

「あぁ――スッキリしたわ」

 

 異能の苦悩も、出自の自縛も、偽りはない。己の呪い憎しだが、それは究極的には、きっかけにすぎない。

 自分はそんな複雑に生きていない。もっと単純で、下劣で、故にこそ強かだ。

 自分の中に蟠る邪淫は、悪ではない。自己中心的で、嗜虐的で、破滅的だとしても、これは自分のアイデンティティ。自分を自分たらしめる要素。

 子を繋ぐ願い。帽子屋が願った、泡沫の夢なのだから。

 それならば、この邪淫は、誰かのための愛。

 誰かを思う気持ちが、どんなに歪んでいようと、悪と断罪できようか。否、そんなことは、させない。許さない。

 気持ち悪かったのは、ただ、塞ぎ込んでいたから、母親も、亡国も、関係ない。

 ただの八つ当たりで、しかも返り討ちにされるという結末だが。

 溜まっていた鬱憤は、すべて吐き出せた。

 苛立ちはずっと残ったままだし、出て行った虫けら女には怒りしかない。

 それでただ暴れただけだが。

 

 

 

 ――気持ちよかった。

 

 

 

 それだけで僕は、明日も生きていける。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――とまあ、女王とは超常の存在だ。我々とは格が違う。神話を喰らいかねない奴自身も、邪悪なる神話と言えるだろうな」

 

 星を滅ぼすほどの力を持った邪悪な神格。

 そのスケールの大きさには実感が湧かないが、それを文字通り受け取るのならば、女王は、人類に手の届くような存在ではない。

 正しく別格。規格外だ。

 

「そんな危険なものが……今まで、ずっとあったの?」

「そうだな。ずっと、オレ様が、押しとどめていた」

「押し、とどめて……?」

「ふむ。いい機会だ、見せてやろう。オレ様が悠久の時を経た、歩みの“指針”を」

 

 帽子屋はゆらりと立ち上がると、ぷち、ぷち、とシャツのボタンをひとつずつ外していく。

 土気色の肌。表面はカサつき、命の躍動など微塵も感じさせず、枯木のように乾いている。

 そして、なによりも異形なのは、彼の胸。

 そこには、三本の針が、突き刺さっていた。

 

「『時計の針はⅥを指し示す』――これこそが、オレ様に定義された、呪いの文言。オレ様の、個性()。その具現だ」

 

 墓標のように屹立する三柱の金色。錆び付き、朽ち果てようとしているが、しかしそれは深々と帽子屋の身体に埋没し、互いが互いを繋ぎ止める楔のようになって、そこにあった。

 

「見ての通りの時計針。短針長針秒針の三本セット。刻む時間が長い針ほど、込められた呪詛が強大でな。秒針で我が身を抑え込むのは些か骨が折れた。もっとも、女王を抑えるには、短針と長針を使うほか無かったが……まあ昔話だ。今ではこのように、針も気ままに有り余っていてな。いるか?」

「…………」

「黙殺。まあ、いいだろう。この針は、オレ様の茶会の時間を示すものでな。即ち、6時という時間に縛り付ける概念的拘束だ」

 

 イカレ帽子屋(マッドハッター)は女王から罰を受けている。それは壊れた時間、6時という微かな時間に束縛された茶会。

 彼は己の時間を自由に操ることが叶わず、彼の時計は時間を示すことができない。常に、6時のまま。

 即ち逆説的に、壊れた時計が支配する時流――帽子屋に流れる時間は、6時という止まった時間で堰き止められているということ。

 

「この針と共に在る限り、オレ様の茶会の時間に付き合って貰うことになる。それはオレ様自身も例外ではない。永遠なる6時に囚われる、時間の止まった眠り姫(アリス)さ」

 

 時間が止まっている。

 それが、帽子屋の抱く、狂気の一端。

 そう、これは、彼の狂気の、ほんの一欠片なのだ。

 

「扱いは厄介だが、これはこれで、なかなかどうして優れものでな。短針と長針、ふたつの針で女王は長い眠りについた。永劫輪廻なるオレ様の茶会に座し、時間の進まぬ、決して目覚めることのない微睡みに囚われた。結果、オレ様は秒針だけで自身の崩壊を押しとどめる羽目になったが、女王の機嫌を損ねぬ対価としては安いものだ」

 

 帽子屋は、笑い飛ばす。

 さも当然のように。

 それが最善だと言わんばかりに。

 それしか、方法がなかったと、嗤うように。

 しかし小鈴は、憂いの面持ちで、彼を見つめていた。

 悲しみと、憐れみの瞳を、揺らして。

 

「……時間を止める、時計針」

「そうだ」

「あなたはそれを……“自分にも”刺していたの?」

「……そうだ」

 

 時間を止め、邪悪なる神の眠りすらも覚まさせない、強烈な呪縛の込められた呪具(アーティファクト)。

 その呪詛が邪神にすらも通用するというのなら。

 神話の時間すらをも止めるというのなら。

 それを己に刺す。

 その意味とは。

 

「あなたは、どれだけの間……そうしていたの?」

「覚えているわけなかろう。と、言いたいところだが。しかしてその通りであり、答えを知るバタつきパンチョウも口を噤んでしまったが。存外、それを知る手段は人間の世界にあったりするものだ」

 

 呻くような奇妙な笑い声を上げる帽子屋。

 しかし笑っていても、彼の声も、仕草も、眼も。

 なにもかも、枯れきっている。

 

「過去の出来事記録し、時として想像し書き記す。図鑑、教本。木馬バエやヤングオイスターズらの持っている書物は、なんとも愉快だな。記録ならともかく、遥か過去の情景を妄想し、書き記すとは滑稽にして驚嘆の極みよ。あまりにも過去の出来事だったが、おぼろげながらも思い出したよ。あぁ、こんな風景もあった気がする、とな」

 

 それもそのはず。

 彼は正しく、枯れた存在なのだから。

 

「女王は一度、この星の命のほとんどを滅ぼしている。女王の力ではなく、女王の出現による結果として、そうなっただけだがな」

「え……?」

「遥か遠くの宙より飛来した邪神が降り立つのだ。相応の力が発生するのは自然だろう。その結果、獣たちが死滅するのも、また道理だ」

「この星の……地球の生き物が滅びた時って……それって……」

「あぁ、そうだな。率直に言うのなら――」

 

 事も無げに、狂人は、告げる。

 

「――隕石衝突」

 

 想像できずとも、空想できる。幻想なれども、妄想にある。

 誰もそれを目にした者はいない。しかしその現象は、わかる。

 知識として、小鈴もそれはわかる。しかし、しかしだ。

 それは、あり得ない。あまりにも、信じがたい。

 

「遥か宇宙より飛来し、邪神が降り立つ。そこは数多の命が死滅し、灰によって太陽が失われた黒き星。女王が支配するには相応しい世界だろう? まあ、女王に支配なぞさせんがな」

 

 多くの種が絶滅した。

 この星を照らす命の源たる太陽が消えた日。

 ほんの僅かな、暗闇の世界。

 

「そしてオレ様は、その暗黒の星で一番最初に産み落とされた、原初の落し子。一番目の、黒い仔山羊(Dark Young)

 

 その称号を、帽子屋は嗤う。

 穢れた勲章だと。ただの汚名だと嘲笑う。

 

「オレ様が生きてきた年月? そんなもの数えているわけが、覚えているわけがなかろう。オレ様は歴史には興味がない。だが、算数くらいならできる。ひーふーみーよと指折り数え、バタつきパンチョウの憐憫を頭で理解した気になったさ」

 

 ボタンを止め直す。胸元から鈍く煌めく時計針は、彼の時間を止めると同時に、彼の“止まり続けた時間”を、刻んできたのだ。

 どれだけの間、彼の時が止まっていたのか。

 彼の生きた(とまった)時間は――

 

「女王を眠らせ、秒針ひとつでオレ様は生きてきた。女王に頼ることなく、我が種を繁栄させるという本能で以て生きてきた。もはや感慨などないが、きっと長かったのだろうな――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――1億5000万年は」




 三月ウサギの話、と言いつつ、最後に持っていくのは帽子屋。
 まあそもそも、この不思議の国でのお話は、帽子屋を中心に、彼らの出生や内情を描く話なので、最終的にその首魁たる帽子屋に帰結するのは道理でしょう。
 それでは次回、4章最後のお話です。
 誤字脱字や感想等ありましたら、遠慮なくどうぞ。


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44話「入国、不思議の国へ -王座-」

 これはデュエル・マスターズなのだろうか? と書き上がってから少しばかり自問自答しましたが、そもそもこの作品はデュエマの二次創作である以前に作者の創作だということを思い出しました。
 つまり、作者のやりたいようにやる。たとえそれが、本家本来のデュエル・マスターズであろうと、知ったことではないのです。
 デュエマである以前に小説であり、これはデュエマが存在するというだけの物語なのだと。
 なんて言うと開き直ってるだけな気がします。
 だとしても、今回にありったけの熱量を込めて執筆したことに変わりなく。
 暴力的な文字数も、緻密で精巧な描写も保証はしかねますが。
 構想を練ってから何ヶ月か何年か忘れましたが、そこから今現在に至るまでの持ちうる力を吐き出して書いた一話。
 どうぞ、お楽しみくださいませ。


 1億5000万年。

 隕石の衝突は、本当は『ハートの女王』の到来であり。

 その時から、彼は、この地球上に存在していた。

 悠久とも言えるほどの、気が遠くなるような長い時間、ずっと、ずっと。

 生き続け、世界を見続けていた。

 だからこそ、狂っている。狂ってしまった。

 それが、『帽子屋』の、真実。

 

「実のところ、こうして自我を保っていられるだけでも奇跡でな? 身体も精神も軋んで歪んで崩壊寸前。今まではどうにか気合いと本能で生きながらえてきたのだが、女王が動き出してから、もうどうでもよくなって、気が抜けてしまったよ」

 

 やれやれと肩を竦める帽子屋。

 ひょうきんだが、その手にも、声にも、まるで力は無い。

 抜け殻のようだった。

 

「とはいえ女王を抑えるために使用していた短針と長針が戻ってきた故、肉体の方はすこぶる絶好調と来た。魂以外は見事に生きながらえた健康的な死体だ」

 

 今の帽子屋は、壊れた時計を無理やり動かしているようなもの。

 それは正しく、生ける死体だ。

 そうなってまで、彼は女王を抑え、監視し、そして【不思議の国の住人】なる同胞達を集めた。

 壊れても、狂っても。

 そんな悲惨な結末が、見えていたにも関わらず。

 最初から、狂っていたのか。

 

「ま、そんなところだ。くだらん昔話だよ。そうして積み上げてきた塵の山は、代用ウミガメと女王の接触で、一瞬にして吹き飛んだがな」

「代海ちゃんは……どうして?」

「知ったことか。女王になにやら訴えかけていたようだがな、その結果、女王の覚醒を進め取り込まれては世話ない。遅かれ早かれ時間の問題だったろうがな」

 

 第一の落し子とはいえ、帽子屋はあくまでも女王の眷属。

 単身で女王を完全に封じ込めるなど、本来は不可能だ。

 様々な偶然、幸運が重なり、億万の時間、女王を封印していたものの、それがいつまでも続くとは思っていなかった。

 だからこそ、焦りもあった。

 早急に解決しなければならない急務だという自覚はあった。

 だから、代用ウミガメの責任とは言わない。あれが引き金であったにせよ、帽子屋は、それを咎めない。

 すべては結果だ。破滅への道筋が確定したのだから、そうなった瞬間、それ以外のすべては取るに足らない些事となる。

 彼女が女王と接触するにあたった経緯も、なにもかも。

 もはや無駄なことで、関係ないことだ。

 

「代海ちゃんは、きっと……苦しんでたんだと、思う」

「ほぅ、そうなのか」

「あなたたちのことを知れば知るほど、あなたたちは、わたしたちとは全然違うものだって、わかったから」

「だろうな。我々は貴様ら人間の猿真似をしているに過ぎん。うわべだけを取り繕った、仔山羊の剥製だ」

 

 1億5000万年。

 その間、人の進化の過程を見て、地球最強の種に倣い、弱いながらも生き長らえてきた。

 人に近づき、取り入る化物。

 人のようで、人でない、なにかになった、黒い仔山羊。

 女王の権威から逃げるクリーチャー(プレイヤー)

 それはもはや、人なのか、怪物なのか。

 本人達でさえ、その在り方は定かではない。

 

「だから代海ちゃんが、わたしたちとあなたたちの間で、板挟みになってたかもしれないって、今更ながら気付いたよ。葉子さんが言ってたのも、きっと、そういうことなんだと思う」

「成程な。その視点はなかった。それで?」

「……わたし、友達なのに、気付いてあげられなかったよ。助けて、あげられなかった」

 

 小鈴は、ギリッ、と歯を喰い縛る。

 

「……悔しいよ」

「そうか。なら勝手に悔やんでいろ」

「あなたは、どうなの?」

「は?」

 

 小鈴の問いに、帽子屋は素っ頓狂な声を上げる。

 

「代海ちゃんは、あなたのことを大事に思ってた。自分が生きているのは帽子屋さんのお陰だって、そう思うくらい信じてた」

「まあ同胞だからな。奴には利用価値も十二分にあった。志を同じくする仲間の扶養くらいはするさ……が、どういうことだ? まさか恩義を感じられているのだから、その恩義に報いろとでも言いたいのか? なんだ貴様、オレ様に説教しにきたのか? その手の話ならば帰れ。十といくつも生きていない餓鬼に説教されるなど、気持ち悪いほど愉快すぎて吐き気がする」

 

 茶化すように手を払う帽子屋。

 けれども小鈴は、まっすぐに、真摯な面持ちで、帽子屋を見据えている。

 

「あなたは自分の仲間を、助けに行かないの?」

「話が通じん。さては貴様も頭がおかしくなったか? まったく三月ウサギめ、狂わせるのは身体だけにしておけ。会話ができないのではオレ様ではないか。頭も身体と言って洒落でも決め込む気か、奴は」

「代海ちゃんが……大事じゃないの?」

 

 小鈴は、問を重ねる。

 帽子屋は一瞬、口を噤んだ。

 

「……女王に連れて行かれた以上、もうどうにもなるまい。二重の意味でな。個人も世界も終わりだ。奴は世界をひとつ滅ぼすほどの力があるのだから」

「質問に、答えてよ」

「貴様に言われたくはない」

「代海ちゃんのこと、なんとも思わないの? 帽子屋さん」

「惜しい奴を失くしたとは思う」

 

 だが、と帽子屋は続けた。

 

「それ以上に、女王が動き出してすべてが終わりだ。それで思考も人生もすべて終焉。結末が確定したバッドエンドだ。そんな物語の続きなど、どうでもよかろう」

「……まだ、終わってないよ。人のお話を、勝手に終わらせないで」

「終わりさ。すべて終わるのさ。奴の非力で愚鈍な一手で、女王は覚醒する。その瞬間、太陽は堕ち、世界は暗黒に包まれる。この星に記された、億万の物語と共にな」

 

 それが、ハートの女王。

 黒い森でひっそりと産まれ落ち、生き長らえた、仔山羊たちを統べる母。

 抗おうという考えは、根本から間違っているのだ。

 なの、だが。

 

「そんなの……あきらめ、ないでよ」

 

 震えた声で、小鈴は声を絞り出す。

 恐れも、怒りも、あらゆる感情をない交ぜにして、吐き出す。

 

「友達が、仲間が、大切な人が苦しんでいるのに……そんな簡単に、あきらめないで!」

 

 心からの叫び。

 ずっと共に生きてきた仲間を見限るという行為への、怒り。

 他人事などではない。それを許せるはずもない、が。

 

「簡単に? これは異な事を言う」

 

 どこか棘を滲ませた言葉が、突き返される。

 

「億万と生きているオレ様が、容易く諦念に走ったと思うのか? 皆無に等しい手を尽くし、狂いながらも抗い、壊れてもなお稼働を続けたオレ様が、簡単に、諦めるなどと」

 

 ハンッ、と口先で嗤う帽子屋。

 自分を、そして小鈴を、嘲笑い、吐き捨てる。

 

「笑止千万。あまりオレ様を愚弄するなよ、小娘」

 

 簡単に諦めるなど、そんな過程はとうの昔に通過した。その選択を是とするのなら、帽子屋という男は今、ここに立っていない。

 1億5000万年の妄執。その強靭なる意志は、今ここに、人のような何某かの姿として顕在しているのだ。

 

「億万の時を女王と沿い続け、その威容をこの目で見てきたからこそ導き出された結論だ。無知なアリスに諭される謂われはない」

「……あなたは、本当に……」

「なんだ? まだ言いたいことがあるのか?」

 

 なにかを言いかけて、飲み込んで。

 小鈴は、改めて帽子屋に向き直る。

 

「……友達が、言ってくれたんだ。立ち止まることだけは、許さないって。あきらめてしまうことが、一番の罪だって」

 

 それが、自分の悪いところだと。

 厳しく、辛辣に、そして優しく、穏やかに。

 

「そう叱ってくれた。みんな、一緒にいてくれた。だからわたしはここまで来れた。みんながいたから、わたしは未来を信じられるし、信じたいって思う」

「そうか。くだらん」

 

 つまらなさそうに、帽子屋は切り捨てる。

 

「貴様らの友情でオレ様が絆されるとでも思ったか。自分のことをさも当然のようにオレ様に語るな。いい加減、オレ様も眠っても良かろうよ」

「でも……!」

「あぁ、わかったわかった」

 

 羽虫を払うかのように、帽子屋は億劫そうに、そして鬱陶しそうに、気怠げに、殺意を露わにする。

 

「もういい、消えろ。貴様の囀りは、どうも頭に響く。不愉快だ」

「……なんで、わからないの……!」

 

 帽子屋の瞳に宿る光は昏く、混沌に渦巻く。

 それでも小鈴は必死に言葉を紡ぐが、その言葉は、彼には届かない。

 

「あなたを頼りにしている人がいるのに。あなただって――」

黙れ(shout up)。貴様は既に、この亡き者の国の安眠を脅かす害敵に他ならない。疾く失せよ。去らぬならば死ね。いやさ殺す」

 

 1億5000万年もの間、不思議の国を統べた王。

 原初にして偉大なる黒い仔山羊。

 『帽子屋』――真の名を『イカレ帽子屋(マッドハッター)』が、立ち上がった。

 

「民が滅べば国は滅び、我が野望も失墜の一途を辿るのみ。ならばならばと我が同胞よ、亡き者達よ。我らの繁栄も栄光も、この国諸共に捨て去り、母君の濁った羊水の底で眠るのが定めだろう。故に皆の衆、安心しろ。勝手決めたる暴君のお触れを発令してやろう。なに、狂った王に賛美は不要。我が行くは絶望の彼方。最悪な結末(Bad End)を超え、死線の最期(Dead End)のその先へ、狂気の終焉(Cathulu End)へ導かん!」

 

 王は亡国への手向けの言葉を、吐き捨てる。

 それが、戦火の導だった。

 

 

 

さらば、不思議の国よ(Gone to the Wonderland)――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「呪文《ボーンおどり・チャージャー》! 山札の上から2枚を墓地へ!」

「1マナで《ジョジョジョ・ジョーカーズ》! 《バングリッドX7》を手札に加え、《シューズッキュン》を召喚!」

 

 《ノロン》《ボーンおどり・チャージャー》と、小鈴は墓地にカードを積み重ねる。

 帽子屋は《ヤッタレマン》から、さらなる同胞へと繋げていく。

 

「マッハファイターで《ノロン⤴》を攻撃、《ガチャダマン》とJチェンジ! 能力でGR召喚だ」

 

 入れ替わり、立ち替わり。

 剛速球が放たれ、割れ、新たなクリーチャーが呼び寄せられる。

 枯れた大地に命が芽吹く。偽りで虚な、儚い命が。

 

「おっと? これはいい、《ポクタマたま》だ。能力で貴様の墓地をすべて山札の下に戻す」

「!」

「貴様の積み重ねてきたものも、偉大なる狂気の前では虚無に還る。オレ様と同じようにな」

 

 相手の墓地をすべて山札に戻す《ポクタマたま》。

 その力で、小鈴が溜めていた墓地が、消失した。

 少しずつ積み上げてきたものが、一瞬で無に還る。

 

「さて、それではそいつには死んで貰おうか。バトルだ、《ガチャダマン》のパワーは3000、破壊する」

「っ!」

 

 弾丸のように放たれる鉛玉に、小鈴のクリーチャーは押し潰される。

 

 

 

ターン3

 

 

小鈴

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:1

山札:28

 

 

帽子屋

場:《ヤッタレマン》《ガチャダマン》《ポクタマ》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:2

山札:25

 

 

 

「わたしのターン! 2マナで《ノロン⤴》を召喚!」

 

 墓地を消され、小鈴の動きは鈍るが、鈍った程度では、止まらない。

 多数の道化に囲まれながらも、また新たに墓地にカードを溜め込む。

 

「……わたしの手札がこれ一枚だから、コストを支払わずに使うよ。GGG!」

「ほぅ」

「呪文《“閃忍勝(シャイニング)威斬斗(ウィザード)》! パワー3000以下のクリーチャーをすべて破壊!」

 

 墓地から仲間を引き上げる小鈴の未来を、たった一手で潰した帽子屋。

 同胞を並べ数で以て優位を取る帽子屋の盤面もまた、小鈴のカード1枚で壊滅した。

 

「一瞬、か。儚い命だ」

「さらにわたしのマナゾーンに火のカードがあるから一枚ドロー! 《熱湯グレンニャー》を召喚してターン終了!」

「オレ様のターン。《バングリッドX7》を召喚。マッハファイター、《グレンニャー》を攻撃だ。攻撃時にマナ加速、そのまま《グレンニャー》を破壊……ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

 

小鈴

場:《ノロン⤴》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:5

山札:23

 

 

帽子屋

場:《バングリッド》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:4

山札:24

 

 

 

「わたしのターン! 《ノロン⤴》を《偉大なる魔術師 コギリーザ》にNEO進化!」

 

 生き残った小さな命は、新たな姿に進化する。

 魔法、魔術。そんな、奇跡のような、夢のような、不思議な力。

 曖昧に願い、縋ったもの。今まで幾度もその力を借りてきた。

 

「攻撃する時、キズナコンプ! 《デーモン・ハンド》で《バングリッド》を破壊! そして、Wブレイクだよ!」

 

 黒い魔手が帽子屋のクリーチャーを握り潰し、水流の余波がシールドを叩き割る。

 飛沫のように散る破片をものともせず、涼やかに、虚無的に、帽子屋は佇んでいた。

 

「……攻め急いでいるな。あるいは、死に急いでいるのか? なにを急いているのやら。貴様らの進む道などはない。生路は断たれ、暗黒の世界史か広がっていないというのにな」

「そんなこと、ない……! わたしは、そんな世界は、イヤだ……!」

「喚こうが騒ごうが、どうにもならんよ。それは邪神に定められた決定事項だ。2マナで《ヤッタレマン》を召喚、コストを下げ4マナで《スゴ腕プロジューサー》を召喚。《バツトラの父》をGR召喚し、ターンエンド」

 

 互いに、クリーチャーを破壊しては破壊され、破壊されては出し直し、また破壊し潰し、破壊と展開を繰り返す。

 複数のクリーチャーを繋ぎ合わせ、連鎖させる小鈴。多数のクリーチャーをばら撒き、暴発させる帽子屋。

 双方その性質を理解してか、あるいは知らずに思うままにか。

 削がれた手足で、擦り切れた魂で、撃ち合い、殴り合う。

 

 

 

ターン5

 

 

小鈴

場:《コギリーザ》

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:4

山札:23

 

 

帽子屋

場:《ヤッタレマン》《プロジューサー》《バツトラの父》

盾:3

マナ:6

手札:2

墓地:5

山札:22

 

 

 

「2マナで《グレンニャー》を召喚! 一枚ドローして、さらに4マナ! 《知識と流転と時空の決断(パーフェクト・ウォーター)》! 二回GR召喚するよ!」

 

 不浄の命が立ち並ぶ漆黒の森に、鮮やかな清流が舞う。

 三筋の水流は、ひとつは手中に。残りふたつは戦場へと流れ落ちた。

 

「《ダラク 丙-二式》と《甲殻 TS-10》をGR召喚! 《ダラク》の能力で山札の一番上を墓地へ! そして、《コギリーザ》で攻撃する時にキズナコンプ発動! 《“閃忍勝”威斬斗》!」

「またしても盤面壊滅……まあ、今回は同じようにはいかんがな」

 

 再び盤面を戦果で焼き払われた帽子屋だが。

 伊達に狂いながらも、願望と本能だけで不思議の国を治めてきたわけではない。

 イカレ帽子屋は、二度も、同じ手に屈する男ではないのだ。

 

「《スゴ腕プロジューサー》の能力発動! こいつはバトルゾーンを離れた際にもGR召喚を行う! 《ゴッド・ガヨンダム》をGR召喚! マナドライブ、手札のジョーカーズを捨て二枚ドロー」

「でも、攻撃はそのまま通るよ! 《コギリーザ》でWブレイク!」

 

 燃ゆる切れ味も、銀河に届く熱も、雛鳥から授かった力さえも、ここにはない。

 それでも、祈りがある。

 魔法のような奇跡と、奇跡のような魔法。そして、それを信じる仲間と、自分の意志だけは捨てていない。

 その願いがあるのなら、それだけでいい。

 たったそれだけでも、わたしは、戦える――!

 

「虚無、だな」

 

 舞い散る水飛沫と、シールドの破片に晒されながら、帽子屋は手を伸ばす。

 

「我らの国興しは無駄に終わるが、貴様の尽力もまた無為だ」

 

 そして伸ばした手で、破片を一掴み、握り潰す。

 

「S・トリガー、《松苔ラックス》を召喚」

 

 ぼとりと落ちた、一塊。

 《松苔ラックス》。ブロッカーで、相手のクリーチャーを1ターン行動不能にするS・トリガー。

 トリガーとしては強力な一枚、なのだが。

 

「あぁなんということだ。マジカル・ベルの攻撃はもう終わっている。なんと無駄なトリガーであろうか。防御札が防御の役割を果たさず無駄撃ちとは、これではただの紙屑も同然ではないか」

 

 攻撃クリーチャーがいなくなったところでS・トリガー。そんなことは、よくあることだ。

 無駄になってしまったトリガー能力に歯軋りし、悔やむこともある。そんなものは茶飯事だ。

 この世界には、無駄なものも、無駄なことも、溢れている。

 ゴミにしかならない物質。非効率的な行いという概念。果ては、命さえも。

 

「故に……その無駄を有効活用してやろう」

 

 波濤が、押し寄せる。

 激流が渦巻き、逆巻く。

 

 

 

「マスターJトルネード」

 

 

 

 大波はうねり、捻れ、大渦となる。。

 巨大な高波、苛烈な渦潮、荒々しい激流。

 それらが帽子屋のクリーチャーを飲み込んでいく

 

「《ゴッド・ガヨンダム》《松苔ラックス》。合計コスト10以上になるようジョーカーズを手札に戻すことで発動。来たれ、無駄と無為と無意味を積み上げた、無価値な地獄に座する死海の槍兵よ」

 

 無意味で、無駄で、無為な命が取り込まれ、母の元へと還っていく。

 暗い、暗い、水底のような、黒い森へと。

 

「狂乱にして狂瀾。踊り狂え、狂って踊れ。荒れ狂う嵐にて、死と狂気を振り撒け! 黒き海は今、異形なりし化生が屹立する黒い森と化す!」

 

 真っ黒な水飛沫を叩き上げ。

 遙かなる(ソラ)へと、一本の槍が突き上げられた。

 水面に映るは深遠なる宇宙。暗黒の星々の群れ。

 暗夜の森の如く、火のない松明を手に、彼は闇の中を進んでいく。

 

 

 

「His name is――《ジョリー・ザ・ジョルネード》!」

 

 

 

 《ジョリー》、しかしてそれはジョニーではない。

 海馬を走らせ海面を疾駆するのは、海神にもなれぬ、邪神に遣わされただけの操り人形。

 《ジョリー・ザ・ジョルネード》。《ジョリー・ザ・ジョニー》の兄。そんな、あまりにも無意味で無価値な設定だけが残る、空虚な存在。

 地獄の中で生きる彼らにはおあつらえ向きな、虚無なる道化だ。

 

「《ジョルネード》の能力は単純明快。登場時、三度のGR召喚を行う。ただ、それだけだ」

 

 大海原に、水柱が三本、屹立する。

 黒い森の大樹の如く、仔山羊の如く、新たな命が、無為に産み落とされる。

 

「蟲のように這い、鼠のように啼け。若牡蠣の如く哀れに、化生の如く燻り怒れ。そして、海亀と同じ末路を夢見よう」

 

 ひとつ――ぼとり。

 

「死に行く塵芥こそが我ら。母に産み落とされ、見捨てられ、切り捨てられる惰弱な命」

 

 ふたつ――ぼとり。

 

(ゴミ)が集まったところでただの(ゴミ)。さぁ、マジカル・ベル。我らの骸に埋もれて死ね! 腐った地の底で、短く、幼く、儚い命を埋葬するがいい!」

 

 みっつ――ぼとり。

 

「――《バツトラの父》! 《ポクタマたま》! 《クリスマⅢ》!」

 

 《ジョルネード》が噴き上げた水柱は三柱の大樹となり、果実のような命が腐り落ちる。

 

「屑は屑らしく死に、苗床となり、糧となるべし。《クリスマⅢ》を自壊、マナ加速し、マナゾーンからカードを回収する」

「ターンの終わりに、三体も……!」

「さぁ、オレ様のターンだ。マナチャージし、すべてのマナを使い切る」

 

 捻り出されたマナは、7。

 無色透明な、極限まで絞り尽くされた、極薄なる出涸らしマナ。

 嘶きが聞こえる。蹄の音が響き渡る。

 其は誰か。祖は何か。

 原初とは、原始とは、起源とはなにか。

 無から生まれし混沌が形を成したものこそが、それだ。

 落し子(Thousand Youngs)の起源、道化(jokers)の起源。

 そのふたつが重なり交じり、狂気と化す。

 

 

 

「You're name is――《ジョリー・ザ・ジョニー》!」

 

 

 

 死の風が吹く。

 潮風よりも渇いた、荒涼とした疾風。

 朽ちた腐敗の大地を踏み締め、それは死神の如く、終焉を告げるべく、駆けつけた。

 我が親の、最大の眷属。

 

「さぁ、オレ様の鬼札(Wild Card)の登場だ。しかし残念なことに、劇的だがつまらんよ。どうせ虚無に終わる。こんなものは無意味な消化試合にもならん、無効試合も甚だしいのだから」

 

 《ジョニー》《ジョルネード》、そしてその他のジョーカーズ。

 見た目の上では、小鈴を殺しきるだけの打点はキッチリ揃っている。

 6発の弾丸を余すことなく使い切り、彼女の命を撃ち抜けることだろう。

 

「オレ様のマナは7、バトルゾーンには4体のクリーチャー。そのすべてがジョーカーズだ」

 

 だが、綺麗に数を揃えて、などと。

 そのような礼儀も、上品さも、イカレた帽子屋は持ち合わせてはいない。

 討ち滅ぼすならば無惨に、踏み躙るなら残虐に。

 狂いに狂って時計の針はくるくる回る。

 永すぎる長命は、あらゆるものを狂わせる。

 心も、体も、理も。

 狂って壊れて歪んで捻れて――暴走する。

 

 

 

「G・ゼロ――《ジョジョジョ・マキシマム》」

 

 

 

 号砲が、轟いた。

 それはもはや拳に収まる銃に非ず。

 世界滅亡、などとはとても言えまいが。

 ただ一人の少女を灰と化すには、十分すぎる凶器だ。

 

「《ジョリー・ザ・ジョニー》を選択。このターン、この一撃に限り、オレ様のクリーチャーの数だけブレイク数が追加され、ついでに貴様は呪文が使えん」

 

 帽子屋は歩を進める。からん、からんと薬莢を落とし、弾倉に一発一発、弾を込めていく。

 

「《ジョニー》は元がWブレイカー、そこに4点乗って6点……装弾数は6発だ。《ジョニー》と《ジョルネード》の能力で、ブロックもできんぞ」

 

 カチリ、と弾倉を嵌め。

 カチャリ、と狂気を持ち上げる。

 銃口の先、標準を合わせた場所(ポイント)には、幼い少女。

 

「一発にすべてを賭けるなんてことはしないさ。貴様が苦しみに悶え、死に果てるまで、何度でも弾を撃ち込んでやろう」

 

 彼は口角を上げる。

 首巻きから覗かせる、落し子の歯牙を剥き、慟哭するように、世を、人を、神を、己を嗤う。

 

「さすれば多少は、狂い堕ちたこの気も、晴れるやもしれんからなぁ!」

 

 引き金にかかった指に、力が込められる。

 一瞬。

 ほんの、短い瞬きのうちに。

 

 死が――放たれた。

 

 

 

「マスター――ブレイク!」

 

 

 

 まずは、一発。

 少女のシールドが、一枚、吹き飛んだ。

 

「くぁ……っ!」

「一発目、《コギリーザ》を破壊」

 

 続けて二発目。

 容赦の無い殺意が襲いかかる。

 

「二発目、《グレンニャー》を破壊」

「く、あぁ……!」

 

 続けて三発、四発。

 弾倉は軋んだ叫び声を上げながら回り、撃鉄はイカレたように頭を上下に振り続けている。

 銃声の戦慄と、銃弾の舞踊で催される、狂気の宴。

 歌姫は、少女の苦悶と嗚咽。

 血で赤く、死で黒く、この狂宴を彩っていく。

 

「っ……S・トリガー……《次元波導魔法HAL》――」

No good(通らんな)

 

 辛うじて手繰った一枚を持ち上げるも、それさえも撃ち抜かれ、地に墜ちる。

 

「使えんと言っただろう。貴様の魔法とやらは、既に失墜している。ここにはもはや、奇跡は存在しない」

 

 故に絶望せよ、マジカル・ベル。

 奇跡に縋った力など、なんの役にも立たないのだと。

 

「さぁ、五発目だ」

 

 パァン、と空虚な砲が轟く。

 シールドを貫通し、打ち砕き、弾丸はまっすぐに、少女の胸を撃つ。

 

「ぁ――」

 

 呼気が途絶える。

 衝撃で後ろに吹き飛び、少女は斃れた。

 

「まぁ……こんなものだろう。特になんの感慨も湧かんな」

 

 硝煙の匂いも、煙も構うことなく。

 帽子屋はまっすぐに、少女へと歩む。

 人間の識別、知覚、分別。

 特異な少女の発見、関心、執着。

 一歩、一歩。狂いながらも足掻いた道筋、彼女に歩み寄った道程を想起しながら、帽子屋の言の葉は虚空に木霊する。

 

「……貴様がいなければ、奴らと決別することもなかったのかもしれんな」

 

 惜しい、のだろうか。

 悔しい、のだろうか。

 哀しい、のだろうか。

 魂が擦り切れた億万年の精神では、もはやそれすらも自覚できない。感覚が覚束ない。

 それでもなにか、湧いてくるようだ。

 湧水、などと清らかなものではない。

 濁り穢れた、汚泥のようなものが、湧いてくる。

 

「合縁奇縁。あぁそうだ、奇縁だな。貴様という縁がなければ、こうはならなかったのかもしれない。故にこれは、それを見極められなかったオレ様の落ち度であり、その責任であり、清算であり、ただの憂さ晴らしだ」

 

 縁を結ぶ。その結んだ縁の結果がこれならば。

 帽子屋は、八つ当たりでも、筋違いでも、冤罪でも、ひとまずは怒りと憎しみをぶつけるべきだと。

 なにもわからない、虚な心で、そう結論づけた。

 

「終わりだ、マジカル・ベル。オレ様でもハートの女王でも運命でも、好きに呪え。忌まわしく怨嗟を吐き散らしてろ」

 

 6発目。

 銃口を、小鈴の胸に埋めるように、押し付ける。心の臓の、真上に。

 最後の弾丸、終焉の引き金。

 倒れ伏した、無防備で、無力な、魔法すらも纏わぬただの少女に。

 『イカレ帽子屋』は、死を贈る。

 

Good bye(死ね)――Magical Bell(伊勢小鈴)

 

 ぐっ、と。

 引き金が――

 

 

 

「っ!?」

 

 

 

 ――引けない。

 

(撃鉄が、上がらない――)

 

 なにかが、引っかかっている。

 なにかに遮れられ、阻まれ、撃鉄が上がらない。

 引き金が引けない。弾が出ない。

 こいつを――殺せない。

 

「……やっぱり、あなたは優しいよ」

 

 頬に一筋の星光を流して。

 彼女は、震える手を伸ばしていた。

 銃身と、撃鉄の隙間。

 そこに、そっと一枚のカードを添えて。

 伊勢小鈴は、赤く濡れた瞳で、帽子屋をまっすぐに睨み、見据える。

 

「わたしに怒りを感じるくらい、あなたは仲間思いだ」

「怒りだと? オレ様がか? なにを言っている? わからん、貴様は、なにを……」

「でも!」

 

 小鈴は、声を張り上げた。

 沸々と湧き上がる、後悔のような怒り。

 諦念に駆られた者へと捧げる、叱責を叫ぶ。

 

「だからこそ、わたしは許せない。あなたが、自分が大事にしているものを、大事にしない。あきらめてしまう絶望も。そこに至ってしまう、その“狂い”も!」

 

 人でもなく、行いでも、動機でも、道行きでもなく。

 狂気に対する怒り。

 それを告げた瞬間、カチリ、と。

 止まった時が、流れ出す――

 

 

 

「――S・トリガー! 《終末の時計(ラグナロク) ザ・クロック》!」

 

 

 

ターン6

 

 

小鈴

場:《クロック》

盾:なし

マナ:6

手札:4

墓地:3

山札:26

 

 

帽子屋

場:《ジョルネード》《バツトラの父》《ポクタマたま》《ジョニー》

盾:1

マナ:7

手札:3

墓地:9

山札:19

 

 

 時は巻き戻る。

 帽子屋は所定の位置に。小鈴も立ち上がった。

 壊れた時計は、元の時間に調律される。

 それでも以前、壊れたままだが。

 狂った針は、今この瞬間だけは、正しい時を示している。

 イカレ帽子屋の狂気が、たった一時、たった一瞬だが――祓われた。

 

「……はっ! はははははははははははははは! くク、クハはははhaははHAはははははハハハはハはははハッ!」

 

 帽子屋は、高らかに嗤う。

 狂った声で、全身の大口を共鳴させ、叫喚させる。

 悍ましい怪物の雄叫びが、亡き者たちの不思議の国に、響き渡る。

 

「HA……ハハっ、はぁッ……! ククク、そうか、そうかそうか! オレ様相手に、時を止めるか! 悠久の時を経て、時の輪廻に繋ぎ止められたオレ様を止めるのは、やはりその針か!」

 

 愉快そうに、恨めしそうに、激憤に駆られたように、混沌の形相で帽子屋は嗤う。

 指先は黒く染まり、脚は根の如く大地を掴む。

 しかしそれは異形の巨木などとはとても言えない。

 黒い肌には泡は立たず、カサカサと干涸らび、枯れ堕ちていた。

 化けの皮が剥がれ、女王の眷属としての性質が浮上してきている。

 しかし心身共に摩耗しきっている。無数の大口のほとんどは閉ざされ、肉塊は枯れ木と化している。

 もはや黒い仔山羊(Dark Young)としての力も衰え、老体どころか死骸同然だ。

 それでも、自分は人ならざる人でなしの怪物だ。

 懐かしい感覚だ。

 最後にこの異形の身に堕ちていったのは、いつだったか。何百、何千、何万年前か。

 己が身が黒い落し子に堕ちていく感覚に浸りながら、彼女はこの腐敗し、朽ち果て、枯れ堕ちた怪物になにを思うのか。どんな眼でこの化物と相対するのか、興味本位に顔を上げる。

 すると。

 

「む……おい、マジカル・ベル」

 

 それは腐った感覚でも、朽ちた第六感でもわかるほどに、異常だった。

 ゆらりと、彼女の体が揺れる。

 陽炎のように、揺らめく。

 直感的にわかった。

 ――こいつは、違う。

 

「……わたしのターン」

 

 カードを、引く。

 ただの少女でしかない、平凡な、“人間”。

 ――否。

 

「おい、貴様……なんだ? それは。いや、貴様、聖獣の力をがないというのに、それは……」

「……《龍覇 グレンモルト》を召喚。来て――《銀河大剣 ガイハート》」

 

 銀河の彼方より飛来する大剣。

 彼はそれを掴み取る、が。

 

 

 

「――剣を貸して、グレンモルト」

 

 

 

 小鈴は、一歩。

 前に出た。

 そして、進む。

 

「!」

 

 ほとんど反射的に、帽子屋は叫ぶ。

 

 

 

「銃を寄越せ、ジョニー――!」

 

 

 

 全身の叫喚と同時に、《ジョニー》は帽子屋へと、自身の銃を投げ渡す。

 それを受け取りつつ、狙いを定める。定めるまでもなく、照準を、銃口を、彼女に向ける。

 

「こいつ、オレ様を――」

 

 

 この気配。鬼気迫る勢い、覇気。

 彼女は剣を手に、こちらに疾駆してきた。

 重い身体を引きずって。動かぬ四肢を唸らせて。

 そして、俄に信じ難いことではあるが、彼女は。

 

 

 

「――殺す気か?」

 

 

 

 多重の銃声が咆哮のように轟く。

 撃てる限り撃ち尽くした弾丸。そのすべてが、疾駆する少女を撃つ。

 胴体を、胸を、目玉を、額を、下腹を。

 余すところなく、急所を撃ち貫いた。

 

(全弾命中(オールヒット)! これで止まれ――)

 

 ――はずだった。

 

 

 

 ザクリ、と。

 刃が肉を斬った。

 

「……は?」

 

 グシャリ、と。

 剣は腑を抉った。 

 

「…………」

 

 振り下ろされ、引き抜かれる。

 ぼとり、ぼとりと。禍々しい肉塊が、臓腑から零れ落ちる。ぽたぽたと、黒血が僅かに滴る。

 

「……暴力女め」

 

 憎々しげに、帽子屋は嗤う。

 内側から崩れ落ちる臓物と肉塊と共に、体の構造、物理的な仕掛け、理に従って、膝を折る。

 枯死した老木を削り取るようにして振るわれた剣の切っ先。それを握る、少女。

 

「肩から腹にかけて、思い切りぶった切ったな。こちらも急所に撃ち込んでやったはずなのだが……」

 

 帽子屋は彼女を見上げる。

 二の太刀を構えることもなく、彼女も、こちらを見下ろしていた。

 

「随分と元気そうだ」

「帽子屋さんも。よく喋れるね。血も、ぜんぜん出てない」

「長生きだからな。身体は干涸らび、痛覚、いやさ触覚そのものが鈍いのだ。味覚も薄い。嗅覚はほぼ死んでいる。視覚と聴覚が残っていれば十分だが、いずれにせよお陰で痛みを感じずに身体が動かん。まるでゾンビだな。おっと、最初からオレ様は死体のようなものだったな」

 

 軽口を叩きながら、ゆるりとふらつきながら、帽子屋は立ち上がる。

 切り開かれた傷は、異形の大口と同化するかのように、大きく裂かれていた。

 今一度、彼女を見遣る。

 剣を取った瞬間に感じた違和感。

 魔法を失い、奇跡の力が失墜した、ただの平凡な人間。

 人間――の、はずなのだが。

 

「……あぁ、そうか。そうだったのか。成程、後天的ではあるが、貴様もオレ様たちと同類か。いやむしろ、貴様の方が、本来のそれに近い。近いものに、なってしまったか」

 

 奇妙な違和感。その正体が、わかった。

 撃ち込まれた銃創がほんとどない身体。僅かな傷はあれども痛打にはほど遠い頑強さ。

 そしてなにより、剣を取った。それこそが、彼女が平凡ならざる非凡。人間ならざる人でなしの証左。

 即ち。

 

 

 

「貴様、クリーチャーだな?」

 

 

 

 厳密にはクリーチャーのなり損ない、あるいはなりかけ、といったところか。

 姿形こそ、なにも変わっていない。ただの人間だが。

 それは【不思議の国の住人(我々)】と同じ。

 見かけを、そう見せかけているだけのこと。

 怪物から後天的に人間の姿を得た不思議の国とは違う。彼女の場合は、内側から、変わっていったのだろう。

 

「あの聖獣の力だな。貴様が如何なる力を得ていたのか謎ではあったが、クリーチャーの力をその身に取り込んでいたというのであれば理解はしやすい。クリーチャーを喰らうのはクリーチャーだからな。非力な人間を手っ取り早く同じ土俵に乗せる手段としては、シンプルかつストレートだ。手法は悪くない。なぜそれが今になって、自力で発現しおおせたのかは不可解だが……いや」

 

 彼が与えた奇跡というのは、成程、合理的だ。理に適っている。考え方としては悪くないどころか、彼の境遇や経緯を鑑みれば、ベストを尽くしたと言えるだろう。

 だがしかし、その一方で。

 かの聖獣は、無視できない禍根を、無垢な生娘に刻み込んでいった。

 

「むしろ聖獣はコントローラー、制御する側、か。魔法の支配から外れたことで、侵蝕されたな、貴様。迂遠(マイルド)に言えば、貴様はクリーチャーとしての性質を行使するだけの力を得ただろう。しかし率直(ハード)に言えば――」

 

 中途半端、混じり合った混沌(カオス)こそ、邪悪で、忌み嫌われるもの。

 完全ではなく、完全ではないからこそ、異端で、異形。

 即ち。

 

 

 

「――化物(同類)だぞ、マジカル・ベル」

「そんなの関係ないよ」

 

 

 

 ぶんっ、と大剣を振り。

 小鈴は帽子屋の言葉を、即座に切り捨てた。

 

「わたしがクリーチャーになろうと、あなたたちが地球の生き物じゃなかろうと、そんなことは関係ない。代海ちゃんも、みんなも、わたしの友達だ」

「恐怖は、ないのか? 異形と向き合うことに」

「友達をこわがる理由がどこにあるの?」

「……狂っているぞ、貴様」

「あなたほどじゃないよ」

 

 億万の時を経て狂った怪物と。

 中身が怪物に成って行く少女。

 果たして、狂気はどちらにあるのか。

 それを論ずる意味は、きっとない。

 答えなど、問答する以前に出ている。

 どちらも、狂気に触れているのだから。

 

「でも……あなたは、本当は優しい人なはず」

「はぁ?」

 

 大剣を携えた少女は、訴えかける。

 しかし帽子屋は怪訝な視線を向けるばかりだ。

 ちぐはぐで、なにひとつ、歯車が噛み合わない。

 

「なんだ、貴様そこまでイカれていたのか。優しい? オレ様が? そんなつもりはなかったのだがな」

「だって……そんなに生きて、狂うほど苦しんでまで、仲間のことを思って、戦ってきたんだから……!」

「仮にも同胞、使える配下、手足は必要だからな。腐らせるわけにもいくまいて」

「だとしても! それを続けるあなたの意志はすごいもの。1億年なんて、わたしには想像もつかない……それが、どれだけ大変かも、辛いかも、ぜんぜんわかんない。でも!」

 

 グッと、剣を握る手に力がこもる。

 瞳に溜めた雫を流して、少女は狂った枯れ木に言葉を投げる。

 

「それだけ、あなたが自分たちを、その仲間のことを思ってきたことだけは、わかるよ」

 

 だから――

 

「――だから、わたしはあなたが許せない」

 

 少女は、切っ先を帽子屋へと突きつける。

 熱意と、怒りを、乗せて。

 

「その優しさがあるのに、ここであきらめてしまうあなたが。1億年も積み上げてきたものを捨ててしまう、あなたが!」

「……女王が動くのならば、仕方あるまいて」

「それがなんだって言うの! それはあなたが今まで築いてきたものをあきらめる理由になるの?」

「オレ様の妄執も、我が尽力も、なけなしの誇りも……ハートの女王の前では埃の如く、一瞬で吹かれるだけだからな。我々は、オレ様は、あまりにも弱い」

「そんなことない!」

 

 口を閉ざした、落し子の大口。

 魔法も奇跡も、大切なお守りさえも失った、なにも持たない平凡な少女は、ただひたすらに叫ぶ。

 

「あなたの強さを、最後まで貫いてよ! そうじゃないと、葉子さんや、先生、お兄さん、代海ちゃん……あなたを信じた人たちは、どうなるの?」

「…………」

「わたしも、あきらめちゃいそうになった。でも、あきらめられなかったよ。友達が……大好きで、大切なみんながいたから」

 

 なにもかもを失っても、残ったものがある。

 傍で支えてくれる、共。

 一緒に苦難の道を歩んでくれる、仲間。

 絶望の渦中でも希望を失わずにいるのは、彼女たちのお陰。

 そしてそれは、自分だけではない、はずなのだ。

 

「あなたは……そうじゃないの?」

「……戯言を」

 

 崩れ落ちた体内が、黒く蠢く。乾いた枯れ木のような肉は、再生機能も修復機能も劣化しすぎている。それはただ蠢動するだけで、なにも為さない。

 この身が限界を告げている。回避し得ない未来を予感している。

 そんなことなどは、わかりきっていたのだ。

 心など、とうの昔に擦り切れた。

 魂など、遙かなる時に霧散した。

 そう思っていなければ、狂いでもしなければ、1億年は長すぎる。

 正気を保つ苦しみに苛まれるくらいなら、狂っていたかったというのに。

 奴はこんな自分に「狂うな」と命じるというのか。

 この化物に、そんな残酷なことを、言い放つのか。

 この老木に、まだ、生きろと鞭打つのか。

 なんと非道な女だ。

 ……なぜだろうか。

 ――腹が立つ。

 

「オレ様が、否、我々が。ここまで言葉を尽くしてもわからんのか。この国の惨状を見ろ。憔悴した民達を見ろ。それだけでも、女王の惨憺たる力の一欠片くらいはわかるだろうに」

 

 どろり、ぼとり

 どす黒い粘液と肉塊を腹から吐き出しながら、帽子屋は諸手を広げる。

 見てくれこそは修繕されているものの、人の生きた痕跡が踏み躙られた国。

 民の多くは立ち去った。残った民は絶望した。

 その怨嗟が、世界に渦巻いている。

 それすらも理解できないのかと、玉座に座する狂人は、怪物に堕ちた少女に説く。

 

「バタつきパンチョウは生存を諦め、余生を快楽に走った。眠りネズミは怒りに任せ、路頭に迷うだろう。バンダースナッチは自我が曖昧なまま、闇夜に消えた。ヤングオイスターズは分離し、頭目が腐り堕ちた。そして代用ウミガメは、女王の依代だ」

 

 あんなにも陽気で希望に満ちた蟲でさえ、破滅の運命を受け入れた。女王が為す滅亡の不可逆性を真に理解しているが故に。

 同胞を失った怒りに燃える鼠は、衝動のままに走り、やがて燃え尽きる。火鼠一匹の命は、あまりにも儚く、短いのだ。

 燻り怒れる怪物は、ついぞその正体を掴めないまま。何者なのかも、なにが為したいのかも、その命の意味もわからないまま、じき果てる。

 生存と発展に尽力した若牡蠣たちは、哀れな結末を迎える他ない。首魁は絶望に苛まれ、魂は狂気に蝕まれ、それがすべての兄弟姉妹へと伝播する。

 そして――それらの絶望を引き起こした発端。最も人間に近づき、人間に憧れ、人間も怪物も分け隔て無く滅ぼすことになる、依代の少女。

 

「貴様の信じた者どもがこの惨状だ。どいつもこいつも狂って終わり。終末へ邁進している。公爵夫人も、三月ウサギも、ジャバウォックも、ハンプティ・ダンプティも、皆々全てがだ」

 

 希望を持つな、などとは言わない。

 しかそこれほどの絶望を見てなお、その希望を押し付けるのは、傲慢に他ならない。

 

「……誰も彼もが、そうなってしまう。それが、女王だ。落し子たる我々がそうなのだ。ただの人が、女王の威容に、狂わずにはいられないだろう。その理解が多少でもあるのなら、抵抗は苦しみを増すだけだ。もはや、潮時なのだよ、我らは」

 

 最初から、無茶な話だった。

 まともな繁殖のできない、異形の怪物が、ただの生き物のように生き、繁栄するなど。

 それは願望であり、夢幻。

 成し遂げられたのならば、大偉業となろうが。

 これは神話ではない。弱者たちの当たり前の生だ。

 劇的でも、なんでもない。

 何も成せず、無意味に終わる、無価値な物語に成り下がるのが、オチというもの。

 

 

 

「だからもう……放っておけ」

「この――分からず屋ッ!」

 

 

 

 グンッ、と小柄な矮躯には大きな剣を振りかぶる。

 一歩、踏み込んで。

 怒りに任せ、振り下ろす。

 それだけで彼は息絶える、が。

 

「二度目は……読めているぞ!」

 

 ババババババ! と、閃光(マズルフラッシュ)が瞬く。

 少女の身を鉛弾が激しく打つ。

 小鈴が踏み込むより先に、帽子屋が、踏み出した。

 そして握り込んだ鉄塊を、彼女の顎に目掛けて、打ち上げる。

 

「分からぬのは、貴様の方だ! マジカル・ベルッ!」 

 

 続けて踏み込んだ前脚を軸に、後ろ脚を振り抜き、腹を貫く勢いで蹴り飛ばす。

 華奢な少女は、容易く吹っ飛んでいった。

 

「邪神の前では人も仔も有象無象の塵芥だ。運命は定められた。バタつきパンチョウですら、その未来を視たのだ。オレ様が信じる同胞の予言、それを信じられぬオレ様ではない!」

「それは、希望から目を背ける理由にはならない!」

 

 砂煙が立ち込める中から、流星の如く飛び出してくる。

 相も変わらず一直線。大剣を振りかぶり、振り下ろすだけの単純な所作。

 だが、速い。

 臓腑が溢れた帽子屋では、まともに躱せない。二挺の銃で、受け止めるのが精一杯だった。

 

「バッドエンドが見えたからって! それが、仲間を見捨てる理由になるはずがない!」

「ほざけ! 糞餓鬼! 先刻より支離滅裂なことばかり言いおってからに!」

 

 華奢な身のわりに、斬撃が重い。

 枯れた身体が軋む。辛うじて残った骨が圧迫され、粉砕されそうだった。

 

「貴様になにがわかる! 1億5000万年抱いてきた、恐怖と妄執! そして、日々肥大化していく狂気! 我々が辿ってきた修羅の道が、どれほど狂っていたことか!」

「わかんない! わかんないよ! わたしはまだ12歳だ! 1億年なんて、そんなのわかるもんか!」

 

 押し返すことはできない。

 ならばと帽子屋は、力を横に逃がし、少女の脚を払う。

 転倒した刹那、頭蓋を脚で踏み砕く――が、転がって逃げられた。

 少女は立ち上がり、何度でも、突っ込んでくる。

 

「でも、伝わってくるんだ! あなたから、あなたたちから、その怖さも、狂気も! 女王様がどれだけ途方もない存在なのか……だから!」

 

 人間を超えた力で、彼女は跳躍し、振り下ろす。そして、叫ぶ。

 

 

 

「だから諦めろと言っている! どう足掻いたところで、女王には無駄なこと! すべては滅び、邪神に喰われる運命だ!」

「だからわたしはあきらめない! そんな恐ろしいものに、大事な友達を傷つけさせない! それは、わたしが許さない!」

 

 

 

 帽子屋は、狂乱する少女から離れ、引き金を引く。避けない、当たる。当たっても、止まらない。

 目玉を撃ち抜いても、零距離で胸を穿っても、少女は暴れ狂う。

 怒りに任せて、譲れない意志を爆発させて、剣を振るう。

 

「あなたにだって、後悔があるんじゃないの? まだ、やり残したことが、やりきれないことが! 仲間のために、やりたいことが!」

「どうだかな、忘れたよ! 奴らはいい同胞だったが、結局のところ、我らは女王には逆らえん。どいつもこいつも屑で塵の落し子だよ!」

「わたしの友達を悪く言うな!」

 

 ビュンッ、と空を貫く音。

 次の瞬間、帽子屋の肩に、小さな銀河が生えていた。

 

「がッ……ハッ! 理想ばかりを掲げたロマンチストめ。現実を視ろ。貴様に足りないのは、思慮と受容だ。それを見失った以上、貴様も同じ狂人だな」

「まともなことを言うね、帽子屋さん。でも、わたしにとって大事なのは、仲間なんだ。だから、狂わないで大切なものを失うっていうのなら、わたしは、狂ってでも友達を助けるよ」

 

 突き刺さった銀河を投げ捨てる。それを拾いに来る彼女を撃つ。効かない。

 いや、効いていないはずなどないのだ。

 何度も急所を撃っている。顔も、腹も、腹も、打ち据えている。

 現に彼女はボロボロだ。息は上がっている、出血も少なくない、痣と傷だからけの矮躯。

 頑丈ではあっても、痛みがないわけではない。彼女は狂っていたとしても、壊れていたとしても、歪んでいたとしても、まだ若い身なのだから。

 魂までは、擦り切れていないのだから。

 それでも、立ち向かってくる。

 下手をすれば死ぬというのに、その恐怖すらも超越している。

 死をも恐れぬ蛮勇。

 本当の、化物(クリーチャー)

 

「しかし、随分とオレ様に執着するな。そんなにオレ様の言動が癪に障ったか?」

「もちろん。すごく……ムカってくる」

「奇遇だな。オレ様もだ!」

 

 閃光、硝煙、轟音。

 空気を張り裂き、貫き、放たれる弾丸。

 少女は相変わらず、それを避けない。すべてを、受け止め、受け入れ、その上で向かってくる。

 

「自己中心的で綺麗事な理想を押し付ける貴様が、心底鬱陶しい! いい加減死ね!」

「あなたの気持ちはわかるよ。安らかにあるのも、悪いことじゃないと思う。だけど、それで助かるかもしれない仲間を見捨てることを、わたしは見過ごせない!」

「それを押しつけがましいと言っている。話を聞け!」

 

 近づいてきた彼女を、撃ち、殴り、蹴り飛ばす。

 激しく動くたびに、中身が飛び出す。しなる枝葉は折れ、根は崩れる。

 

「わかってよ! もう少し頑張ろうよ! 帽子屋さん! あなたを信じてる人が、まだ、いるはずだから!」

「うるさい! 黙れ! 口を開くな! 貴様の声は、耳障りだ!」

 

 小鈴の言葉を掻き消すように、銃声が轟く。

 銃弾の暴風雨に晒されながら、小鈴は疾駆する。

 クリーチャーの力を宿しているとはいえ、彼女の身体も限界に近い。痛みは怒りで忘れ、傷は見ないふりをして、辛うじて戦っているだけ。

 吹き荒れる鉛弾。腕も、脚も、頭も、胸も、鋭い衝撃が突き抜け、崩れ落ちそうになる。

 

(もう、少し……!)

 

 時計針のような一突きは、防がれる。

 熱意を込めた斬撃も、阻まれる。

 それが分かっていても、小鈴は、諦めない。

 

(届け、届け、届け――!)

 

 弾丸の嵐の中、少女はひた走る。魔法も、奇跡も、お守りも、すべてを失くしたまま。

 あるのは、ただ友を思う気持ち。友に祈る心。

 その意志だけで、少女は駆ける。

 

 

 

 銀河大剣が、最後の一枚の盾を――『イカレ帽子屋』を、貫いた。

 

 

 

「……おい、聞かせろ」

「……なに?」

「女王が導く結末の不可逆性を感じていてなお、なぜ貴様はそうも足掻ける? 臆病な貴様の拠所はなんだ。その希望は、どこから湧くのだ?」

「そんなの……ずっと言ってるじゃない。みんながいるからだよ」

 

 自分を支え、助け、見守ってくれる、大切な仲間。

 学校の友達。カードショップの人たち。年上の大人たち。

 

 そして――【不思議の国の住人】たち。

 

 みんな、伊勢小鈴という少女が繋いだ縁。彼女が信じる仲間に他ならない。

 

「ケンカしたって、友達だもん。あきらめたく、ないよ」

「……そうか」

「わたしはまた、みんなと遊びたい。仲直りして、友達と、代海ちゃんと、ずっとずっと、一緒にいたい」

「それが、貴様の拠所か」

「うん……それに」

 

 おぼろげな記憶。暗く、熱く、けれども明るく、温かな世界。

 よく覚えていないが、とても大切なことを言われた気がする夜。

 ひっそりと脳裏に焼きつく、忘れてはいけない、なにか。

 

「待ってくれてる人が、いるから」

 

 とても大切な人がいる。

 

「約束が、あるから」

 

 果たさなければいけない契りがある。

 

「わたしのこの気持ちを全部吐き出すまで、わたしはあきらめない。あきらめられないし、あきらめたくない」

 

 彼女が絶望に立ち向かう理由は、たったそれだけ。

 それだけで、十分だ。

 ただの平凡な少女なのだから。前に進む理由など、凡庸でいいのだ。

 それが伊勢小鈴なのだから。

 

「わたしの大好きなみんながいるこの世界を、滅ぼさせない。わたしが望む結末は、みんな誰もが望む未来(ハッピーエンド)だけ。だから――」

 

 たくさんの仲間が苦しみ、絶望の坩堝に堕とされていることは、わかる。

 その上で、それでも、ほんの少しでも大仰に、高望みをするのなら。

 最も優しい彼が、狂い果てて枯死してしまったと言うのなら。

 身勝手で、傲慢な、天高くまで昇るほどの願望を告げるのなら。

 少女は宣う。

 

「――わたしが、みんな助ける」

 

 魔法少女でもない。奇跡も失った。怪物に堕ちたただの少女が告げる。

 大言壮語と言われようと、荒唐無稽と誹りを受けようと。

 彼女は、吐露する。

 

「霜ちゃんも、みのりちゃんも、代海ちゃんも……【不思議の国の住人】(あなたたち)も、みんな」

 

 胸中に秘めた願いを、祈り。

 伊勢小鈴の、決意を。

 

 

 

 

 

 

 

「みんな――わたしが救ってみせる」

 

 

 

 

 

 

 『イカレ帽子屋』は嗤う。

 『ハートの女王』を相手に同じことが言えるのかと。アレと相対してもなお、そのような希望に満ちた言葉が紡げるのかと。

 あまりに夢見がちな言の葉に、顔が綻ぶ。

 

「化け物に成り果てた小娘がなにを言うかと思えば、笑わせる」

「わたしは、本気だよ」

「だろうな。ハッタリでそんなことが言える奴ではなかろうよ。だからこそ笑えるというのだ。臆病な平和主義の導く答えが、我らの辿った修羅の道とは」

 

 女王との戦い。それは、他ならぬ帽子屋が、1億5000万年、経てきたことだ。

 だからこそ、そのような行いは無謀だと理解している。抑え込むだけで精一杯だった女王から、食い物を奪い、その依代を奪うなどと。

 あまりにも、愉快すぎる。

 

「だから、帽子屋さん。一緒に行こうよ。代海ちゃんを……わたしたちにとっての、大事な仲間を、助けに。あなたがいてくれたら、わたしも心強いもの」

 

 盾ごと、狂人の身を貫く大剣に込められた力が、僅かに緩む。

 あぁ――甘い。

 そういうところが、(ぬる)い。

 腹が立つ。面白い。怒りのあまり笑いが堪えられない。

 

「状況が変われば魅力的な提案だったな。だが悪いな、貴様に手を貸すなぞ死んでも御免だ。そろそろ眠気が限界になってきたところだしな」

「……あなたは、それでいいの?」

「むしろ貴様はどうなのだ? 勢いだけで喋っていないか? オレ様と手を組もうなどと、正気の沙汰ではない」

「そんなことないよ。これがわたしだもん。それに、わたし(ベル)にも言われたから」

 

 それは誰かのための行いだが。

 他ならぬ、自分自身の祈り。

 まったく別の世界、別の未来、別の自分。

 本来なら交わることのない彼女から託された願い。

 

「わたしは、自分で決めた道に進む。誰かに押し付けられた運命には、流されない」

「……そうか。ならばもう後は、野となれ山となれ。それほどまでに足掻くというのなら、貴様にすべて押し付けてやろう。そこまで宣うのだ、言葉の責任くらいは取れ。その債務に、オレ様は付き合わんぞ」

 

 そこで、帽子屋は諦めた。

 女王への抵抗を、ではない。

 この頑固な少女を、説き伏せることをだ。

 

(1億5000万年……永かったな。退屈だったが、仲間には恵まれたな。こんな阿呆を最後に拝むこともできた。狂い果てた価値は、あっただろうか)

 

 どうせ女王に敵うなどということはないだろうが。

 万が一、億が一、兆が一。

 ほんの微かな(クリティカルの)可能性。

 そのような極小の夢、縋る気も、賭ける気も、信じる気もないが。

 どうでもいいものであるが故に、興味も関心もない凡庸な餓鬼の理想故に。

 そのくらいならば、あってもいいだろうと思う。

 

「……では、な。もう、流石に限界だ。眠気も、身体も。だが心は不思議と晴れやかだ」

 

 干涸らび、枯れ堕ち、腐敗した老木の仔山羊は、腹の中身のほとんどを吐き出し、触腕も根の蹄も朽ちている。

 派手に暴れすぎた。何度も切り裂かれ、貫かれ、穿たれたのだ。物理的に、身体が保てない。

 あと一押しで、この身は完全に崩壊するだろう。

 

「わたし、は……」

「貴様の煌めく理想は不愉快だが、手を下すことを気に病むことはない。これも遅かれ早かれ、だ」

 

 どうせ、いつ朽ち果ててもおかしくない身だったのだ。

 いつ何時、終わりが来るか。その覚悟は、忘れてしまった過去のうちに済ませていたはずだ。

 なにも託さない。なにも遺さない。

 永い永い1億5000万年の輝き。

 そろそろ、終わってもいい頃合いだ。

 【不思議の国の住人】の仮初めの王たる『イカレ帽子屋』。

 ひっそりと、ただの少女に看取られながら、物語から退場しよう。

 

「さらばだ、マジカル☆ベル。もう二度と会うことはなかろうさ、故に後は好きにしろ。オレ様は眠りにつくとするよ」

「……帽子屋さん……ごめんなさい」

 

 枯れた堕ちた仔山羊を貫く刃が、躍動する。

 銀河大剣を握る力が、秘めたる炎が、熱を帯びる。

 熱く、熱く、熱く。

 (ソラ)の向こう側、銀河の果て、暗闇の世界をも超えていくような、熱い血の意志。

 邪神たる『ハートの女王(Shub-Niggurath)』に抗うことを決意した少女は。

 その眷属の王たる『イカレ帽子屋(Dark Young)』を超克する。

 

 

 

 

 

 

 

「龍解」

 

 

 

 

 

 

 今、この瞬間。

 大いなる邪悪なる神話に立ち向かう物語――否。

 

 

 

 

 

 

 人による、神話の一頁が、刻み込まれた。




 これにて4章は終了にございます。
 次章、第5章は恐らく、本作品のクライマックス……最終章か、その前座となるでしょう。
 そちらの構想も概ね完成はしているのですが、十王編の収録カードが凄く魅力的だったので、上手く取り込めないか精査するために、更新はしばし間を置くこととなると思います。
 その間、世界観を共有する別作品や、マジカル☆ベルも書き損じた番外編などを上げていこうかと考えています。
 あと、デュエプレ要素を取り込んだ作品もちょっと思いついたので、単発であげるかもしれませんね……こちらは未定ですが。
 とまあ、そんなところでしょうか。
 それではまたいずれ、お会いしましょう。


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「神話創世:滅亡と建国/王国にして教団」

 今章のエピローグ、そして次章のプロローグ、というやつです。


 三月ウサギは、王の座する玉座へと赴いた。

 出すもの出して、心はスッキリした。身体も、人の姿に戻った――怪物であるはずの自分達が“人の姿に戻った”など、おかしな話だ――故に、心身共にすこぶる好調だ。

 とはいえ、女王による脅威が去ったわけではない。最大の絶望は、なにも解決していない。

 我らが母君をどうにかできるなどとはとても思えないが、それでも自分が信じる狂王に、すべてを委ねようと思う。

 生きるにせよ、滅びるにせよ。

 抗うにせよ、受け入れるにせよ。

 彼がいてくれれば、それでいい。

 彼がいるその場所が、彼が苦心してきた意志の所在こそが、自分達の国なのだから。

 ただそこにいてほしい。

 どんな運命であろうと、道標とあって欲しい。

 狂い果て、枯れ堕ちた老木の仔山羊であろうとも。

 それが、今まで我々を導いてきた王の責務であり、偉大なる威光なのだから。

 諦念でも、居直りでもなく、晴れやかな絶望でもって、三月ウサギは扉を開く。

 閨を共にする、王との謁見だ。

 

「どうもごきげんよう帽子屋さん。クソガキどもが荒らして回って大変だったわね? 僕もスッキリはしたけど疲れちゃったわ」

 

 と、立ち入った玉座の間は。

 三月ウサギが想像するよりも、遥かに荒れていた。

 

「……随分とやんちゃしたのね、帽子屋さん。僕との夜も、このくらい激しければいいのに」

 

 妬いちゃうわ、と頬を膨らませながら、三月ウサギはぐるりと見回す。

 壁や床に撃ち込まれた、無数の弾痕。亀裂、罅、斬り傷。

 地面は砕け、黒々とした粘液と、乾いた血の痕がこびり付いている。

 薬莢が散らばり、それらを埋もれさせるように濁った肉塊がぼとり、ぼとりと落ちていた。

 

「で、どこかしら? 帽子屋さん? 1億歳のおじいちゃんが、かくれんぼなんて歳じゃないでしょう?」

 

 返事はない。

 三月ウサギの声は虚しく木霊するだけ。

 やがて彼女は、“それ”を見つける。

 

「これ……帽子屋さんの……」

 

 赤く鍔の広い帽子。

 彼の、愛用の品だった。

 

「……あはっ」

 

 三月ウサギは、嗤う。

 渇いた、狂った、笑みを、零す。

 

「帽子屋さん……そう、そう! いなくなっちゃったのね! 遂に、遂に、遂に! 耐えられなくなっちゃったのね!」

 

 天を仰ぐ。(ソラ)を見上げる。

 そして、虚に、狂乱の声を響かせる。

 

「あははははははっ! どうしよう、どうしましょう! 帽子屋さん! 僕たちどうしたらいいのかしらね! ねぇ、ねぇ! どうしたらいいと思う!? 僕たちの帽子屋さん(王さま)!」

 

 落し子の姿に還りそうになる。

 全身の口が裂き開かれそうになる。

 怒りではなく、情動でもなく。

 純粋な、純然たる悲哀によって。

 すべての民を代表して。

 三月ウサギは――慟哭する。

 

 

 

「あなたがいなくなったら、不思議の国(僕たち)は、どうしたらいいのよ……っ!?」

 

 

 

 不思議の国から、王が消えた。

 それは不思議の国が、真なる亡国になったことを意味する。

 故に【不思議の国の住人】はもやは民ではなく、ただの有象無象の落し子に――成り下がった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 くらくて、あたたかくて、きもちわるくて、あんしんする。

 ここはどこ? アタシはだれ?

 くるしい。つらい。いたい。

 なのに、すごく、いいきぶんだ。

 おかしい、おかしい、おかしい。

 こんなのは、くるってる。

 

 ともだちを、きずつけたのに。

 

 なかまを、すてたのに。

 

 いばしょが、なくなったのに。

 

 なんで、アタシはいきてるの?

 いきているしかくなんて、ないのに。

 いきるりゆうなんて、ないのに。

 いなくなって、しまいたいのに。

 どうして。どうして?

 おかあさんは、こたえてくれない。

 ぐじゅぐじゅと、うごめくだけ。

 ずっと、ずっと、ねむっている。

 

 アァ、はやく、らくになりたい。

 もう、こんなにつらいおもいは、いやだ。

 だれもきずつけたくなかったのに。

 きずつきたくも、なかったのに。

 やすからに、ありたかっただけなのに。

 すべて、すべて、うしなってしまった。

 たいせつなものを、すべて。

 なにもかもを、こわしてしまった。

 アタシの、じぶんの、てで。

 

 もう――いやだ。

 

「安心しなさい」

 

 ……だれ?

 こえが、きこえる。

 

「あなたの気持ち、自分本位な本性、自己防衛本能。どんなエゴだって、我儘だって、わたしたちは受け入れる」

 

 うけ、いれる?

 アタシの、みにくい、きたない、このきもちを?

 ばけものの、すがたでも?

 ひとでなしでも?

 

「勿論。あなたが、そう願ったのだから」

 

 アタシが……ねがった?

 

「わたしは、あなたの祈り。苦しみから解き放たれたいあなたの、願望そのもの。母と共に在るあなたを導く者。大いなる、あなたの意志」

 

 ……こわい。

 おかあさんの、けはいがする。

 だけど。

 これは、たしかに、アタシだ。

 からっぽなアタシのかわりに、アタシのこころになった、アタシではないアタシ。

 アタシのなかでうまれた、あたらしい、アタシ……?

 

「六甲の凶星を刻みましょう。あなたの願い、母の願い。重ね合わせて、命を吹き込みましょう」

 

 てが、ふれる。

 アタシのなかに、なにかが、めぶく。

 

「あなたの信じた世界が終焉を迎えるか、希望の芽が育つか。わたしは見定めましょう」

 

 むくむくと、すくすくと、ぶくぶくと、ぐじゅぐじゅと。

 まざりあったいろんなきもちが、わかれて、はなれて、とけだしていく。

 

「選定の種を蒔きましょう。これは終焉に至るまでの、創世の神話」

 

 アァ、あぁ、アぁ。

 うまれる、うみおとされる。

 おかあさんみたいに、アタシたちみたいに。

 あたらしい、いのちが。

 あたらしい――アタシが。

 

「白い種は、正義と防護。あなたに牙剥く愚か者を、裁きましょう」

 

 それは、しろの、しゅごしゃ。アタシのじひは、かれのもとへ。

 

「青い種は、観察と進歩。あなたが知らない世界を、切り開きましょう」

 

 それは、あおの、けんじゃ。アタシのむちは、かのじょのもとへ。

 

「黒い種は、反逆と自我。あなたの願いを思うままに、振る舞いましょう」

 

 それは、くろの、はんぎゃくしゃ。アタシのはんこつは、かれのもとへ。

 

「赤い種は、自由と情熱。あなたがやり残したことを、託しましょう」

 

 それは、あかの、ほうろうしゃ。アタシのいしは、かれのもとへ。

 

「緑の種は、受容と傍観。あなたが諦めた運命を、見届けましょう」

 

 それは、みどりの、ぼうかんしゃ。アタシのあきらめは、かのじょのもとへ。

 

 すべてのたねが、まかれた。

 めぶくのは、すぐだ。

 そして、さいごにのこされたのは、たったひとつの、ささやかなひかり。

 

「わたしは災厄の箱。この物語は、とても熾烈で、恐ろしい絶望が(ひし)めいているけれど」

 

 さいごには、きぼうがねむっている。

 それがアタシへのきぼうなのか。

 おかあさんへのきぼうなのか。

 

 それは、ひらいてみるまで、わからない。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――種が、芽吹いた。

 

「お待たせ致しました、姫。我ら六甲の凶星(まがつぼし)。必ずや、貴女様の守護を約束します」

 

「任せてください。いっぱい、いっぱい、あなたが目を背けたこの世界を視てくるのです」

 

「まあ、やることはやってやるさ。誰のためでもねぇ、他ならぬ自分のためにな」

 

「あれ? 浮かない顔だね? どうして君は笑わないんだい? 哀しいのかい?」

 

「……あなたに語るべきことはないわ。定められた運命に、言葉は不要だもの」

 

 それは、女王の後悔だったのかもしれない。

 喰らい損ねた十二の神話の“代用品”。

 邪神の依代と、怨恨の代用。

 それはなんとも皮肉で、自分に相応しいのだろうか。

 新世界の可能性を喰い潰し、この星に死を。

 我らは、不思議の国が滅びた後に生まれた、女王の仔――姫君の歪んだ祈りの集い。

 滅びに瞬く銀河。

 それこそが、我らの新たな王国。

 

 

 

 【死星団(シェッベ=ミグ)

 

 

 

 世界を終わらせる教団が、産み落とされた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

あいたいです――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

            ――小鈴さん




 語ることがない。


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断章 かつてを追想する者達の噺
番外編「スカウトだ」


 胸糞展開とか残酷な描写はあるけど、ここまで読んで耐えられた読者なら、この程度なんでもないと思います。


 海、だった。

 曇天の暗く重い空。荒波とは言わずとも穏やかでもない、寒々しい冬の海原を進む一隻の小船。

 乗船しているのは、たった2人。

 如何にも船乗りらしい出で立ちの初老の男性。

 そして、目深に帽子を被り、スカーフで口元を覆った男。

 初老の男性は怪訝そうに男に問うた。

 

「しかし、あんちゃんも物好きだよなぁ」

「む?」

「おでみてぇななんでもない船乗り捕まえて、あんな辺鄙な島に行きたいなんてよぉ……なんだってあんな島に行きたいんだ?」

「我らが同胞がそこにいるから、だが」

「あの島にお友達がいるたぁ、あんちゃんあの島の出身か?」

「地殻変動が起こってから、流石にこの星の地形の変化等を細やかに記憶しているわけではないが、違うだろうな」

「あんちゃんは難しいことを喋るなぁ。学者さんか?」

「ただの狂人だ、気にするな」

 

 なんということもなく、男は流す。

 男性は不安そうに首を傾げるが、それ以上は突っ込まなかった。

 

「して、その島がなんだという? 辺境にして絶海の孤島とは聞いているが」

「まぁ、滅多に人が出入りするとこじゃねぇなぁ。ここらへんは潮の流れが速いし複雑なんだ。あの島自体も、変なことしてるって噂だよ」

「閉鎖的空間によって特殊な文化が芽生えたか。あり得ぬ話ではないな」

「少なくともおでぁここ数十年、あの島に行くってやからは見たことねぇなぁ。ほんとにあんちゃんの友達がいんのか?」

「彼女が“視た”と言うのだから、当然いるのだろう。奴は能天気な虫けらだが、非常に稀少で貴重な才覚がある。もしも奴の眼が間違っていたとしたら……腹いせに抉り取ってやるか。はは、弟に殺されそうだな!」

「……あんちゃん、なんかこえぇなぁ……」

 

 半ば呆れたような船乗りは、それっきり、島に着くまで口を閉ざしてしまった。

 

「おう、着いたぞあんちゃん」

「助かる、船乗り。船旅の駄賃は金一封、猫と戯れる夫人が支払うだろうさ」

「まあそれはいいんだけどよ……あんま長居しねぇで戻ってくんだぞ。おでぁここで待ってっからよ」

「おうとも。大船に乗って待っているがいい。その船、小さくもここまで我らを運んだ方舟なれば、神々の怒りさえも乗り越えるだろうさ」

「神なぁ……そう、かみさんだ」

 

 神。

 信仰と、崇拝によって産まれる、神秘と幻想の産物。

 

「ただの噂なんだがなぁ、この島――」

 

 船乗りは、おもむろに告げた。

 

 

 

「――神様が治めてるってぇ話だ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 整備されているわけではない。だがそれでも、人が通った痕跡のある獣道を進む。

 しかしやがて、その歩を止めた。

 

「……殺気立っているな。閉鎖的な島だと言うから警戒して然るべきだろうが、先に言っておこう。こちらに争う意志はない」

 

 言葉を発すると、茂みから人影が現れる。

 銛を持った、男だった。

 帽子の男とも、船乗りとも違う。原始的な、けれどもどこか奇妙な意匠の衣服を纏っている。

 まず間違いなく、この島の島民だ。

 島民の男は、帽子の男に問う。

 

「あんた、なにしに来たんだ?」

「同胞に会いに来ただけだが」

「同胞……? あんたみたいなよそ者の仲間が、この島にいるはずがない」

「まあそうだな。ならばただの観光客ということでもいいさ。孤島の文化調査でもいい。ただ人と話し、島を見て、見定めたいだけだ」

「……怪しい奴だな」

 

 露骨に警戒心を上げる島民。

 しかし帽子の男は気にする風でもなく、悠然としていた。

 

「ところでこの島には神がいるそうだな」

「シロガミ様のことか?」

「シロガミ、というのか。どんな神なのだ? 邪神か?」

「……邪神っちゃ邪神かもしれねぇ」

 

 島民は重く口を開いた。

 

「アレは、人を喰う神様だからな」

人喰い(マンイーター)と来たか。穏やかではないな。そんな恐ろしいものをよくもまあ、放置できるものだ」

「……仕方ねぇんだ」

 

 拳を握り締め、憎々しげに言った。

 

「枯れちまったこの土地で生きるには、シロガミ様の力を借りるしかねぇ。シロガミ様は、どんなものでも産み出す」

「なんでも、か。それはそれは」

「人も働けば腹が減る。シロガミ様の力を借りるには、生贄を、捧げるしか……」

 

 神の恩恵を得るために供物を捧げる。

 人の世にはよくある人身御供の文化だ。

 神秘の信仰が失墜したこの時代において、そのような文化がまだ根付いているというのは、明らかな歪みだが。

 逆に言えば、それだけこの島は閉鎖的だということなのだろう。

 

「こいつはなんとも摩訶不思議(ファンタスティック)なことだ。しかし有益な情報感謝する。してそのシロガミとやらはどこだ?」

「……あんた、まさかシロガミ様に会いに行くつもりか?」

「そのつもりだが」

「やめとけ。シロガミ様に会いに行った奴は、みんな狂っちまうんだ。毎日毎夜、悪夢にうなされて、そのまま死んじまう……人が近づいていいもんじゃねぇよ」

「その点に関しては問題ない。人でなしだからな」

「悪いことは言わねぇから、もう帰った方がいいぞあんた。こんなところに来ても、なんにもならねぇ」

「このまま無為に生きる方が無意味でな。死んだのならその時はその時、なにかを為さねば滅びるだけの生なのだ。前に進むしかあるまいて」

「…………」

 

 島民は男を怪訝そうに見つめる。

 不信や疑念ではなく、まるで珍妙な生き物でも見るような、理解不能な存在を目の当たりにしたような、不可解な視線だ。

 

「……村を突っ切った先、黒い森の奥にいるけどよ……」

「黒い森とな! ははは、これはいい。確定事項か」

「なに笑ってんだよ……あんた、本当に意味わかんねぇな……」

「安心しろ、不理解は慣れている」

 

 なにか諦めたように、島民は肩を落とした。

 そして男は島民に指示された道程を行く。

 親近感と嫌悪感を覚える、黒い森を目指して。

 

[newpage]

 

 黒い森に行く途中には、小さな村があったので、軽く立ち寄った。

 村の様子は、ハッキリ言って異様だった。

 一見すると小さな漁村といった具合で、木造の家屋が目立つ。なんてことのない普通の小さな村、だが。

 家を覗くと、明るいし、暖かい。

 電気ではない。こんな孤島に電気など通っていない。ガスも同じだ。

 謎の光、謎の熱。

 明らかに、人為的に作られたモノではない。

 言葉では説明できない現象だ。名状し難い事象である。

 アレこそが“どんなものでも産み出す”力の現れ、なのだろうか。

 

「これはこれは。ますます期待が高まるな」

 

 村人たちの不信の眼差しを軽く吹き流し、黒い森へと進んでいく。

 邪神が座する場所、と言うのなら、成程、それらしい。

 その森は確かに黒い。木々が、花々が、あらゆる葉緑体、花弁、木の幹に根が黒く染まっている。

 まるで死の世界だ。

 ただの人間であれば、このような不気味な場所、一秒とて居座りたくはないだろうが。

 男は人ならざる人でなし。確かにこの森の黒さには嫌悪感を抱くが、それは人間が抱く恐怖とはまったく違う性質の忌避感だ。

 同時に感じるのは共感、親近感。あるいは、懐かしさ。

 

「総ての同胞が産まれ落ちた原初の黒い森……思いのほか、早くに見つかったものだ。重畳重畳」

 

 暗く、昏く、黒くなっていく。

 闇が広がり、闇に染まり、闇へ堕ちていく。

 もはやどれだけ歩いたかもわからない。迷宮のような森。狂った感覚が異常を示す頃。

 闇の中で、視界が開けた。

 

「――――」

 

 息を呑む。

 肉塊のような樹木に囲まれた真中に、ソレはいた。

 小さな痩躯の少女の身。

 しかしその顔は闇のように黒く、肉は溶け落ちていて、悪魔のような大口を開いている。

 辛うじて人の身を保っている。いや、違う。

 人の身に、なりかけているのだ。

 人の姿になる途中。身体はほとんど人間のそれ。仔山羊としての頭だけが、まだそのままでいる。

 ――確定だな。

 

「……嘆願でも供物でもないな。何用だ、汝」

 

 彼女はゆるりと大口を開く。

 全身から同じような大口が牙を剥いて叫喚する、などという悪夢もない。

 それを確認し、男はスカーフの下で微笑む。

 

「いい具合ではないか。邪神などと言うから大樹の姿やと思ったが、思いの外、人間のそれだ。夫人殿の力の影響は、存外遠くまで届くものだな」

「なんの話だ?」

宗教勧誘(スカウト)だ」

「は?」

 

 意味不明だと言わんばかりの反応。

 仕草までも、妙に人間味がある。

 島民からの扱いに反して、想像以上に、人間らしい。

 

「話せば長くなるのだが、そうだな。まず、念のために最後の確認をしよう。貴様に自覚はあるか? 自分はヒトではないと。この世に生まれるべきではなかった怪物であると」

「……汝も(アタシ)と同じ存在だと?」

「おっと理解が早い。そうだその通りだ、その回答で百点満点(Good)だ」

 

 存在の同調具合が近いだけでなく、知性も近いときた。

 この閉鎖された島で、恐らく特異な環境で生きてきたとは思えないほど聡明で、人に染まっている。

 交渉がスムーズに進みそうで、男としては好都合だった。

 

「確認はこのくらいでいいだろう。では本題だ。単調直入に言うとだな、我々は共に手を取り合えると思うのだよ」

「汝はこの島の者ではないのか」

「おっとそちらの確認がまだだったか。その通り、島の外からの来訪者だ」

客人(まれびと)、ということか。それも、(アタシ)と同じ種の……まさか存在するとはな」

「その感想はこちらも同じだ。よもやこんなところで生き残っているとはおもわなんだ。だからこそ勧誘しに来たのだが」

「なんのために?」

「利用し合い、力を合わせて我らという種の王国を構築する。即ち、我らが種族の繁栄のためさ」

 

 自分達は人ではない。人でなしの、怪物だ。

 この星にほんの僅かしか残されていない、人の陰に隠れ、ひっそりと息づく者。

 日陰身の生を余儀なくされている。だからこそ反旗を翻すのだ。

 この星に。この星を支配する人に。

 そして、自分達を縛り付ける存在に。

 

「星、人、母。我々には、様々な呪縛がある……それを共に覆してみる気はないか? 同胞よ」

「話にならぬ」

 

 返事は、一瞬だった。

 

「汝の理想に興味は無い。星の転覆も、人への反逆も、(アタシ)は知らぬ。(アタシ)が知る世界はこの島だけだ。覆すものなど、なにひとつとして存在しない」

「猿山の大将がなにをほざくか。貴様は所詮、井の中の蛙よ」

 

 断られた瞬間、悪し様に罵る男。

 だが、すぐにその言葉は萎む。

 

「……と、強気に出てみたものの、それは真なれども、本気で貴様を求めている。脳天を地に擦りつけてでも、足先を赤子のようにしゃぶり尽くしてでも、貴様が、欲しい」

 

 声色はまったく変えないまま、先ほど罵倒した口と同じところから言葉が発せられてるとは思えないほど下手に出る。

 

(アタシ)の力、か」

「あぁ。民家を見たがな。あの奇っ怪な光や熱は、貴様がもたらしたものだな?」

「そうだが」

「道理も人智も飛び越えた、名状しがたい概念的エネルギーの発現。これは、貴様の有する個性の塊、力の結果なのだろう」

 

 結果しか見ていない以上、その力の本質、詳細まで語ることはできない。あくまでも予測に基づく概要しかわからないが。

 それでも、確かに言えることはある。

 あれは自分達が持つ、人ならざる超常の力の一端である、と。

 即ち、やはり彼女は同胞で同族で、迎え入れたいと願う仲間である、と。

 

「万物創造、何者をも生み出し、産み落とす力。それは紛れもなく母上から授かった権能の片鱗。絶対的に人を超越したその力が、どうしても、欲しい」

 

 キチガイウサギは妬みそうだがな、と男は笑う。

 

「これは懇願だ。どうか、我らの下に来るつもりはないだろうか?」

「……そこには、汝の他にも、同族がいるのよな」

「勿論だ。先日、3人の虫けらを引き入れたところだ。脳ミソに花粉が詰まった長女、自ら燃え尽きる長男、暴食の次男と、どいつもこいつも愉快さ極まっている。他にも、兄弟姉妹が多すぎて哀れな若い牡蠣共、情欲に駆られた気の違っているウサギ、醜悪すぎて美しい夫人殿――まあ、様々だ」

「…………」

「興味が出て来たか? こちらの世界は地獄だぞ。一度踏み込めば、我らがあまりにも矮小で惰弱であると思い知らされる。しかしてだからこそ、母上に反旗を翻したくなるというものよ」

 

 彼女は黙りこくる。

 思案、しているのだ。

 その仕草も、人間らしい。

 

「もう1つ、問おう」

 

 やがて面を上げ、彼女は男に問うた。

 

「汝は、どれだけの時を生きた?」

「逆に問おう」

 

 しかし男は、その問を、問で返した。

 

「貴様は、どうなのだ?」

「忘れたに決まっているであろう」

 

 さも当然、と言わんばかりに、彼女は言う。

 

「何度命を“産んで”“接ぎ木”したか、もう数えとらん」

 

 ――あぁ、やはり、か。

 なんとなく予感していたことが、的中した。

 

「では、この島に根付いたのは? 島民の話によると、人が住み着く以前にはいなかったと思うのだが」

「しばらく海にいたのでな」

「あぁ、貴様、哀れな牡蠣共と同じか。森の仔山羊(Dark Young)ではなく、水底の海藻(Dark Sargasso)であったか。これは失敬、勝手に陸のものだと思い込んでいたよ。海出身の同胞は比較的少ないのでな、いやはや面目次第もない」

 

 などと、謝罪なぞは形だけ、そんな気は露程もない笑みを浮かべながら、男は向き直る。

 

「まあ、そうだな。では貴様の質問に答えよう」

「汝の問いかけに意味はあったのか?」

「純然たる興味と歓楽だよ。意味は、ない」

「汝は(アタシ)をからかっているつもりか?」

「同胞との出会いに嬉しくて、つい」

 

 興が乗ってしまったのだ、許せ。と男は笑う。

 

「だが貴様の生きた年数はおおよそ見当が付いた。数万から数百といったところだろう」

「それは絞り切れているのか?」

「計算が大雑把なのは許せ。教養が足りていないのだ、義務教育を受けていないからな」

「……義務教育とはなんだ?」

「どうも軽口を叩きすぎて話が進まないきらいがあるな」

 

 しかしその停滞を嫌うのではなく、男はむしろ楽しそうに頬を緩める。

 

「真面目に回答するとしよう。少なくとも貴様よりも、遥かなる過去より生きていると断言はできる。いや、できないが?」

「どちらだ」

「貴様と同じくカウンティングなど忘却の彼方だからな。自分の歳などわかるものか。しかし母上をこの目で見続けた者であるが故に、古参の自信はある」

「母、か」

「母上だ。女王、と呼ぶこともある」

「ふむ……」

 

 彼女は、思案している。

 恐らく永い間、この島に居続ける彼女にとっては、男の来訪も、同族の存在の知覚も、母の存在の発覚も、大きなことだろう。

 神のように振る舞う邪神の眷属なれども、それは上っ面だけのこと。

 中身は、まるでなにも知らない無垢な少女のようだ。

 一度に流れ込んだ超重量にして大質量の情報を、彼女は小さな身で飲み込んでいる。

 男はその様子を、卑しく笑って見つめていた。

 

「存外、揺れているのだな」

「この島にも思うところはある」

「己の植民地は手放したくないと? 支配領域は手元に置いておきたいということか?」

「支配とは異な事を。(アタシ)は求められているから与えているだけだ。そして与えるということは、相応の糧が必要だ。(アタシ)は、神ではないのでな」

「そうだな。島民は、そうは思っていないだろうが」

「そうなのか?」

「そうだろうとも」

「そうか」

 

 神ではない。

 なんと言うことなく言い捨てたが、それはつまり、彼女は島民と隔絶していることの表れだった。

 首から下が少女とはいえ、肝心の首が化生なのだ。そのような異様を目にすれば発狂タイムアタックが始まるのも無理はないが、それはつまるところ、神と民との間に致命的な齟齬があることを意味する。

 繋がりの薄い信仰。畏怖による妄想。

 なんと脆い共存だろうか。脆い以上に、危うい。

 それはひょんな切っ掛けで、容易く崩壊し、牙を剥く関係だ。

 

「糧は人間でなくてはならないのか?」

「力となるのならばなんでもいい。だが、人は美味い。そこを否定する気はない」

素直(シンプル)だな。この舌はもう味覚が死んでいるが、その感性は尊いものだ。嫌いではない」

 

 曖昧な神の在り方。

 本来、神とは存在しないもの。民の祈りと信仰によって、空想が大衆の中に根付いた幻想。

 それが実態を持っているというだけで歪な神なのだが、その上で、この神ということになっている怪物と島民は、決定的にずれている。

 ただそこに在るだけの神もどき。神もどきに縋って空想の恐怖を膨らませる狂った民。

 合致しているのは、この小さな島がお互いにとっての小さな世界だということくらいか。

 ――まあ、どうでもいいことだがな。

 

「それで、どうするのだ? 貴様はここで人を貪り続けるか? それとも、我が手を取るか? 好きに選ぶといい。しかしここに貴様が居座る意味は、少しは考えるべきだと思うがね」

「……この島の民が絶望の渦中で生きていることは承知の上だ。この小さな世界は、閉ざされ、停滞し、時が止まっているも同然。死の島だ」

「そうだな」

「そして恐らく、その死に導いたのは、(アタシ)だ。(アタシ)がこの地に降り立ったからこそ、奴らは我()に縋る選択肢を得てしまった。故に奴らは、この島に、(アタシ)に囚われてしまった」

「だろうな」

 

 神という存在は、邪神だろうが守護神だろうが、崇拝されるものだろうが畏怖されるものだろうが、とにかく大きな影響力を持つ。

 信心とは厄介な代物だ。それがそこに在るだけで、人々の目を曇らせ、選択という枝葉を剪定しかねない。強い信仰があればなおさらだ。

 この島では、信仰ではなく畏怖と恐怖なのだろうが、どちらにせよそれは「そうしなければならない」という強迫観念、ある種の信心に他ならない。

 思い込みも、信じることも、この場合は大差ないのだ。

 故に彼女は本人が意図しないうちに、島民を束縛していた。

 

「その罪科は、多少は感じるところではある」

「存外、人間味があるのだな」

「故に、だ。切っ掛けがあるのならば、この地を去ることも吝かではない」

「ふむ」

「しかし同時に、(アタシ)がこの島から消え去ることで苦しむ民の姿も想像がつく。それを無視するわけにもいかぬ。それが(アタシ)の責だ」

 

 恐怖であれ、畏怖であれ、狂気であれ。

 この怪物が拠所、この島の在り方を支える基盤であることは確かだろう。

 それが消え去ればどうなるか。確実なことはなにも言えないが、人々は戸惑うだろう。それまで当然のようにあったものが、失われるのだから。

 

「どちらの選択も(アタシ)に責がある。しかしそれを我が手で選択するのは、傲慢であり、正しくはない、のだろう」

「成程、建前が多い。つまり、そういうことか」

 

 億劫そうに、なのに楽しそうに、男は息を吐いた。

 微笑みっぱなしの緩んだ頬が戻ることはなく、愉快そうに笑ったまま、彼は告げる。

 

 

 

「無理やり引きずり出せ、と」

 

 

 

 ――やれやれ、面倒なお姫様だ。

 だが、楽しくなってきたのもまた、事実。

 

「貴様の根っこは随分と頑固者だ。ならばそれを、引っこ抜いてやろうではないか。これでも数々の呪木を引き込んだ敏腕プロデューサー、貴様を狂気の果てまでプロデュースしてやろう」

「意味がわからん。が、良かろう。(アタシ)も容赦はせぬ」

「いいさ。貴様の全霊、とくと見定めさせて貰う。そして同時に、我らが国の民を代表し、我が国をプレゼンテーションをしてやろう」

 

 黒い森で密やかに行われる、化物どうしの戦い。

 殺意も害意もない、ただの決断のためだけの儀式。

 傍から見れば、それはただのカルトにしか見えないだろうが。

 これは無意味でも無価値でもない。人ならざる人でなしが、前に進むための一歩。

 故にこそ男は、諸手を広げ、彼女を歓待する。

 

 

 

ようこそ、不思議の国へ(Welcome to Wonderland)――同胞よ、我が国をどうかご笑覧あれ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 黒い森の中。

 同族どうし、2人の黒い影が相争う。

 

「――《零星(ゼロスター)セブホール》! 《ギラミリオン・ギラクシー》よ、その身に(まがつ)の星を降ろせ!」

 

 銀河の化身に、黒い星々の暗雲が翳る。

 黒雲が吹き出す霧のような闇。

 

「《ギラミリオン》を依代に、《セブホール》を憑霊! 《セブホール》、供物を積み上げろ!」

 

 それが、死骸を積み重ね、そして骸をひとつ、運んでくる。

 

「《コブ・シディア》を我が手に」

「ではこちらのターンだな。4マナで《ライフプラン・チャージャー》、山札から5枚を捲り探索……ふむ、ここは《エスカルデン》を手札に加えようか」

 

 

 

ターン3

 

 

シロガミ

場:《ギラミリオン[セブホール]》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:5

山札:22

 

 

狂人

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:4

墓地:1

山札:25

 

 

 

「《κβ(カパベッタ) バライフ》! 《続召の意志 マーチス》へと憑霊! そして《マーチス》よ、さらなる依代を呼べ!」

 

 名状し難き神の遣いが、知覚できないような奇音を放つ。

 それは救いを求める声か、それとも、絶望を呼ぶ凶声か。

 そして、その呼び声に応じたのは――

 

「――《防羅の意志 ベンリーニ》!」

 

 世界を背負う、白い亀。

 しかしそれはまるで意味が無い。ただそこにあるだけの、置物だ。

 

「マナドライブは未達、か」

「関係あるまい。さらに《悪魔妖精ベラドンナ》! 汝も贄となるがいい! 大地を育む糧となれ!」

「ではこちらは《エスカルデン》を召喚。2枚ともマナに送ってしまおう。ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

 

シロガミ

場:《ギラミリオン[セブホール]》《マーチス[バライフ]》《ベンリーニ》

盾:5

マナ:7

手札:1

墓地:6

山札:19

 

 

狂人

場:《エスカルデン》

盾:5

マナ:8

手札:3

墓地:1

山札:22

 

 

 

「《重罪(ジュウシン) マンダ()ム》! 《救命の意志 テュラー》を依代に憑霊!」

 

 白き意志に邪神の分霊が降りた。

 その瞬間、墓場に光が灯り、それが彼女の手元に宿る。

 

「《マンダ堕ム》は失われた神器をもたらす。それを汝に託そう、《ギラミリオン》」

 

 宿した光は《ギラミリオン》へ。

 百に千に(よろず)の輝きを宿した依代は、新たな剣として、託された神器を取る。

 

 

 

「闇に巡る迷いを断て――《グロダルマチア・ヘブンズアーム》!」

 

 

 

 それは、遙かなる過去の遺産。

 喪われたはずの魔導具の再現。

 闇の(ソラ)に浮かぶ星々の如く、迷いの中にある者を導く標として、その刃は煌々と輝く。

 

「迷宮に立ち込める闇を祓い、己が心に巣喰う迷いを斬る光……それが貴様の心境か」

 

 目深に被った帽子をほんの少しだけずらし、その奥底から昏い眼光で彼女を見遣る。

 

「決断できぬだけで、貴様はこの島に広がる堕落の道も、我らと征く修羅の道も、受け入れているのだな」

 

 ならば、とカードを引く。

 

「それを潰すのは野暮天(ナンセンス)というものか。貴様の歩みを見届けようではないか。《マクスカルゴ・トラップ》を唱えるのはやめだ、《エスカルデン》を召喚。山札を2枚捲る」

 

 あえて《グロダルマチア・ヘブンズアーム》や《ギラミリオン》は処理しない。

 どのように切り込むのか、かの虫けらではなくともその未来は見えるが、それを止めようとは思わない。

 運命は流れるままに。

 本来ならばそのような思考はくそくらえだが。

 たまにはいいだろうと、気まぐれに流れ行く。

 

「《フェアリー・ライフ》と《ジャスミン》……手札に入れる価値はないな、そのままマナへ。続けて《超機動(トラップ) デンジャデオン》を召喚。攻撃はしない。ターンエンド」

 

 

 

ターン5

 

 

シロガミ

場:《ギラミリオン[セブホール/グロダルマチア]》《マーチス[バライフ]》《ベンリーニ》《テュラー[マンダ]》

盾:5

マナ:7

手札:1

墓地:5

山札:18

 

 

狂人

場:《エスカルデン》×2《デンジャデオン》

盾:5

マナ:11

手札:1

墓地:1

山札:19

 

 

 

 さて。

 刻は訪れただろう。

 一手待った。その一手で、彼女も準備ができたはず。

 邪神の眷属が神降ろしなどと、笑い話もいいところだが。

 (sin)に降ろすは神ならざる罪。

 彼女の背負った、罪科の十字架である。

 

「《ギラミリオン》! その身に我が()を降ろせ!」

 

 7つのマナが湧き上がり、《ギラミリオン》に宿る。

 

「これは(アタシ)の迷いを晴らす償いなれど、此なる闇は汝の目を曇らせるものとならん。故に」

 

 銀河にも等しい星々の光。それと共にある罪なる闇。

 迷いの先にある煌めきは、そこにある。

 

 

 

「相済まぬ、迷宮入りだ――《牙滅罪(ガメッシン)(ジャ)ンブルグ》!」

 

 

 

 何者も逃がさぬ頑強なる壁は、正しく迷いの(みち)。来たる者を滅ぼす迷宮を背負った、玄き亀。

 虚なる孔は異次元へと続く鏡面(レンズ)となり、存在しない無の月を守護する、聖なる神となる。

 

「迷いの黒亀、月のレンズの守護獣、なんともまあ、神々の闇鍋となった混沌よな。だがいい、貴様のその欲望、我らが栄光を進むのに相応しい貪欲さだ」

(アタシ)は欲などに囚われるつもちはない」

「だが、“生きたい”だろう? 無為に過ごすのではない、己が命の在り方を感じ、魂を脈動させたいと願うだろう? 生憎そのような感性は忘れてしまったが、こちらに来れば、その熱を与えてやろう。我らが同胞の誰かか、あるいは魔法使いかなにかがな」

「巫山戯たことばかり抜かす男だな」

「頭がイカレているのでな。多少は許せ」

 

 ククク、とスカーフの奥で笑いながら、闇と光、罪に迷い、あらゆる()を背負った守護者を見上げる。

 彼女が降ろした(シン)。同時にそれは(sin)

 この迷宮を抜けた先は、果たして贖罪か、罪科か。

 

「……(アタシ)がどのような世界に座するとも、その結末は、迷宮を抜けた先にあるだけのこと。さぁ行け! 我が闇の中を、光の剣で切り開け!」

 

 《ゲ邪ンブルグ》を降ろした《ギラミリオン》が、《グロダルマチア》を振り上げ、咆哮する。

 その瞬間、《デンジャデオン》が錆び付き、崩れ落ちた。

 

「攻撃のたびにパワー低下、か。これは虫けら共から託された、そこそこ大切なカードだったのだが、まあ破壊されてはゴミも同じ、どうでもいいことだ」

 

 《ゲ邪ンブルグ》は登場時と、攻撃のたび、墓地のカードの枚数だけパワー低下を放つ。

 それによって防衛の要となる《デンジャデオン》のパワーがマイナス圏に突入、強度が自重に耐えきれず、崩壊した。

 しかも、それだけでは終わらない。

 

「立て、《ギラミリオン》。《ベンリーニ》の生を、《ギラミリオン》へ!」

 

 不動だった《ベンリーニ》が脚を折り、祈るように座する。

 同時に、《ギラミリオン》が再び立ち上がった。

 

「それだけではない。 さらに《グロダルマチア》の力により、我(アタシ)を守る結界はより強固なものとなる!」 

 

 彼女のシールドが1枚、増えた。

 メタリカをタップするたびに起き上がる《ギラミリオン》。攻撃するたびにパワー低下を放つ《ゲ邪ンブルグ》、シールドを追加する《グロダルマチア・ヘブンズアーム》。

 闇の迷宮を打ち払い進む光の星。

 それはなんと禍々しく神々しいものか。

 邪悪なる神の眷属だというのに、光を灯す様は、矛盾であり混沌。

 なにもかもが滅茶苦茶で、無茶苦茶で、不条理で、狂っている。

 だからこそ、惹かれるのだ。

 同族として、迎え入れたいと願うのだ。

 スカーフで隠してはいるが、ずっとずっと、微笑みが止まらない。

 

「ふっ、S・トリガー《フェアリー・シャワー》だ。マナと手札を増やす」

「だが、それでは(アタシ)は止まらぬ! 《ギラミリオン》! 《マーチス》の力を吸い上げ、神器を振るえ!」

 

 再び刃が振るわれ、2枚のシールドが切り裂かれる。

 

「こちらのクリーチャーを破壊しつつ、シールドを追加し連続攻撃……いやはや困った困った。おっと《フェアリー・ライフ》を唱えておこう」

 

 このような同胞がいる事実に、歓喜が込み上げる。

 自分と同じとは言わずとも、近いだけの永い時を刻んできた、女王の兵隊。

 相反する矛盾と混沌を抱えた狂気の産物。それでいて、不確かで揺れ動くものの、腐り堕ちていない意志がある。

 成程、此奴は人間からすれば邪悪なる神なのだろうが。

 自分にとっては、もしかしたら、我が国を照らす光と成り得るのかもしれない。

 イカレた頭でそんな期待をしてしまうほどには、彼女は非常に、魅力的だった。

 

「これで終いだ! 外界へと続く門扉を砕け――《ギラミリオン》!」

 

 《デンジャデオン》《エスカルデン》。クリーチャーはすべて破壊された。

 シールドはすべて切り捨てられ、相手のシールドは8枚。

 戦況は絶望的なのだろう。しかし、この素晴らしい同胞との出会いに、震えが止まらない。

 擦り切れたはずの精神が躍動している。腐り落ちたはずの魂が脈動している。

 そんな錯覚を覚えるほどに、希望に満ちあふれていた。

 

「迷宮踏破、おめでとう」

 

 パチパチ、と手を叩く。

 皮肉ではない。純粋な称賛。

 そして、感謝を込めた拍手を打つ。

 

「その先は希望に満ちた極楽浄土だ。いまだ未完の新世界だが、案ずるな。貴様の多産の力を借り受け、必ずや我らの世界を築いてみせようではないか」

「まるで己が勝者のような口振りだな、狂人。我が刃を受ければ、同族の身とて死ぬぞ」

「おっとそれは困るな。こんなにも劇的で運命的な出会いを果たしたのだ。なにも為せずに死ぬなどあり得ないな。そうだ、まだ、死ねないのだ――」

 

 迷宮を脱した《ギラミリオン》が、《ゲ邪ンブルグ》の罪を背負い、《グロダルマチア》の煌めく刃を振りかざす。

 

「――女王の呪縛から解放されるまではな」

 

 その切っ先が、男の身体を切り裂かんとする。

 二律背反の混沌が、破滅を伴い、押し寄せる。

 だが、しかし。

 

 

 

「S・トリガー――《地獄極楽トラップ黙示録》」

 

 

 

 矛盾と相克による混沌ならば、負けていない。

 地獄を進んで極楽の世界を目指す。

 それは創世の神話に等しい所業であり、語られることのない黙示の一頁。

 そのたった一欠片を、落とす。

 

「《ギラミリオン》をマナに送る。破壊ではないから、《テュラー》の能力も使えんな」

 

 ぐしゃり、と。

 《ギラミリオン》《ゲ邪ンブルグ》《グロダルマチア》――3枚のカードはマナへと沈んでいった。

 

「生き存えたか。だがそれも当座凌ぎよ」

「どうかな?」

 

 首の皮一枚で繋がった状態。相手は強固な壁で、何者にも攻略されない絶対的な迷宮を構築している。

 正攻法で突破するのは不可能だろう。

 しかし、ここにいるのは、悠久を生きる狂人だ

 正攻法で勝ちに行くわけがない。

 

「醜き夫人殿よ、貴様が扱えなかった禁忌には、オレ様が触れてやろう」

 

 ぐおんぐおんと、機械的な音が響く。

 《デンジャデオン》ではない。あれはもう、完全に壊れてしまった。

 ではこの駆動音はなにか。

 その答えは、即座に具現する。

 

 

 

「禁断起動――《禁断機関 VV-8》!」

 

 

 

 車輪、排気孔、原動機。

 世界を疾駆するための絡繰りを埋め込み、その上で、それは胸に鍵を突き刺した。

 男は、そっと自分の胸に手を当てる。

 

「登場時、山札から5枚を捲り、その中から2枚を手札に。残り3枚で《VV-8》を封印!」

「なんだ、動けぬ木偶か。そのまま眠っていても(アタシ)には届かんぞ」

「あぁそうだな。永久に眠っていれば、それが最高なのだがな」

 

 男は忌々しく(ソラ)を仰ぐ。

 しかしすぐに、微笑みを湛えた眼で向き直る。

 

「まあしかし、案ずることはない。ことこの眠り姫に関しては、即座に叩き起こしてやろう。残り8マナを使い切る!」

「!」

 

 《マクスカルゴ・トラップ》を差し置いて繰り出された《エスカルデン》、ブレイクされたシールドから飛び出たS・トリガー。

 それらの過剰なマナ加速によって溜まりに溜まったマナをすべて解放する。

 

 

 

双極・詠唱(ツインパクト・キャスト)――《ギガタック・ハイパー・トラップ》!」

 

 

 

 大地が、揺れ動く。

 黒い森が、鳴動する。

 あらゆる命が、森に飲まれていく。

 

「バトルゾーンのカードをすべてマナゾーンに送る! 大地に還るがいい、神どもよ!」

「すべて、だと……!?」

「《VV-8》は封印されているが故に、還元拒否だがな。しかしこいつに架せられた封印は、剥がれ落ちる」

「な……!」

 

 封印されている《VV-8》自体は、バトルゾーンに存在していない扱いとなる。故に《ギガタック・ハイパー・トラップ》の影響を受けない。

 だが封印自体はバトルゾーンに存在するカードに他ならないため、マナに送られる。

 結果、残ったのは、封印がすべて外れた《VV-8》のみ。

 そして禁断の封印がすべて解かれたということは。

 

 

 

「禁断機動――《禁断機関 VV-8》!」

 

 

 

 《VV-8》が、駆動する。

 車輪は廻り、排気孔は息吹き、原動機が暴れ回る。

 その鋼鉄の駆動は、時間さえも操り、理を歪め、書き換える。

 

「オレ様の時間はまだ終わらん! 追加(エクストラ)ターンだ!」

 

 男は更に強く、胸を掻き毟る。

 胸中の疼きなどおくびにも出さず、ただただ、愉快に笑う。

 

「10マナをタップ」

 

 歪めた僅かな時間は、刹那。

 瞬きのうちに、終わりを告げた。

 同胞を殺しはしない。それは望むところではない。

 故にこれは、ただ勝つためだけの一手。

 無血ならずとも、不殺で彼女をこの島から連れ出す道標。

 

 自由の弾丸を――放つ。

 

 

 

「《ジョリー・ザ・ジョニー Joe》――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「わけがわからぬまま終わったのだが……今のはなんだ」

「気にするな。原初の男(アダム)として共感性があるだけの鬼札(ジョーカー)だよ」

 

 無血も不殺も為して終わった小さな大戦。

 結果として、男は少女が島に張り巡らせた禍根を、文字通り根こそぎ焼き切った。

 

「結果は出た。だが決断は貴様が下せ。どうする?」

「……疑念も懸念もあるが、ひとまずは汝に付いて行こう。我が同族らの群集、興味がないでもないしな」

 

 それは重畳、と男は笑う。ずっと笑っている。笑い通しだ。

 これで男の目的は達せられた。

 同胞を探し、仲間に引き込む。そのために、遠路遙々この船路を渡ったのだ。

 その甲斐はあったというもの。想定以上の成果に、笑顔が更に破顔してしまいそうだ。

 

「だが、少し待て。仮にもこの島に住まう者であったのだ。狼藉も畏怖もあったとて、民に」

「いいだろう。浜辺の小船で待っていよう。あぁ、船賃はこちらで払うから気にするな」

 

 クククと笑い声を零しながら踵を返す――寸でで、留まった。

 

「おっと……待て。そういえば貴様、その要望では民らが狂い果てるだけだぞ」

「む……そうか」

 

 島民は、彼女の威容を目にすると狂い果てるのだと言っていた。

 この島の民たちと別れを告げる気概は買うが、そのまま村に降りれば、阿鼻叫喚にしかならないことは火を見るより明らか。

 感傷的な離別を怪物の様相で台無しにするなどあまりに無粋。そう思って男は、自身の被る帽子に手を掛ける。

 

「これを持っていけ」

 

 そしてそれを、彼女に投げ渡した。

 

「完全ではなくとも、それで顔を隠しておけ。少なくとも、まともな会話くらいはできるだろう」

「助かる」

 

 少女は男に倣って、鍔の大きな帽子を目深に被る。

 黒々とした化物の双眸は、完全ではないものの、狂気に満ちた威容を覆い隠す。

 

「では、後で落ち合うとしよう」

「あぁ。ではな」

 

 その言葉を最後に。

 2人は、黒い森の中で、道を別った。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 黒い森から村へと降りる。

 村人の何人が男のことを気に留めていたかは定かではないが、閉鎖的で小さな島であれば、島の外からの来訪者というだけで目立ち印象に残る想像に難くない。

 故にあの男の帽子を被った子供が降りてくるということに、村人たちは騒然とする。

 吃驚に駆られ、怪訝で奇異な視線を向けてくる村人たちに、彼女はどこまでも響く声で告げる。

 

「聞け! 皆の衆!」

 

 ビリビリと、空気が弾ける。

 帽子だけでは隠しきれない狂気と、神の眷属として微かな神威で以て、島民たちの口を噤ませる。

 

(アタシ)は、汝らがシロガミと呼ぶ者だ」

「シロガミ様……!?」

「な、なんでシロガミ様が村に!?」

「まずいじゃないのか……?」

「なんだってんだよ、い、生贄を直接攫いに来たってのか!?」

 

 村人たちが(どよ)めく。

 自分達が神として畏れていた者がここにいる。少女の姿で、存在している。

 動揺しないはずがなかった。

 しかしその響めきを鎮める時間も惜しい。彼女は、そのまま続けた。

 

「畏まるな。(アタシ)は神ではない。そして案ずるな。(アタシ)は今この時より、この島を去る」

「なんだって……!?」

 

 動揺と響めきはさらに大きくなる。

 この島の文化、信仰の基盤の破壊。

 それは覚悟の上だ。その上で、それを為すことで、贖わなくてはいけない罪がある。

 今こそ、それを清算するときだ。

 

(アタシ)は、(アタシ)を探し、誘い、招いた同胞と共に征くと決めた。故に、この島を去るのだが、その前に、(アタシ)は、汝らに告白しなければならぬ罪がある。それを、ここで告げよう」

「罪……?」

(アタシ)としてはその気はなかったのだが、結果的にこの島を枯らし、汝らをこの島に縛り付けてしまったこと。我が力で汝らに万物を与え、この島に繋ぎ止めてしまったこと。結果、この島を、汝らの未来、希望を閉ざし、闇の渦中へと沈めてしまったこと。これらの咎を、(アタシ)は告げ、償おう」

 

 彼女は高らかに宣言した。

 どこか、誇らしい気分だ。

 意識していなかっただけで、本当は、ずっと悔やんでいたのかもしれない。

 人の生活も、文化も、興味は無かったはずだが。

 自分が与えていた影響を、案じてはいたのかもしれない。

 今となっては、すべて過ぎることではあるが。

 

(アタシ)がこの島を去れば、汝らに授けた万物万象も消え去るだろう。さすれば汝らは自由の身だ」

 

 シロガミなどという幻想の神は消え去り、その痕跡もすべて消える。

 神に支配され、繋がれた民の呪縛は消滅する。

 この島は、解き放たれたのだ。

 

「もう、(アタシ)にも、島にも、縛られることはない。好きに生きればいい」

 

 騒然とする島民たち。無理もない。これも、わかっていたことだ。

 厳格な支配体制を敷いていれば、もっと他にやりようがあったかもしれない。あるいは互いに干渉し合わない関係であれば、なにを告げる必要もなかったのだろう。

 しかし空想の神は人への関心がなく、人は神を畏怖するものとして縋りついているだけだった。

 中途半端でどっちつかずの支配。それが、歪で脆い世界を構築してしまった。

 だからこそ、その世界を正そう。

 迷いを断ち、正しき道へと進路を定めよう。

 それが神として在った、自分にできる最後の責務として。

 

「あぁ……それと、最後にひとつ」

 

 言うべきことは言い切った。

 最後に、意味不明な軽口ばかりを叩く彼に倣おうと。

 確かな事実であり感謝の言葉を、微笑みに乗せて、彼らに届けた。

 

 

 

「汝らの捧げた供物は――美味かったぞ」

 

 

 

 そして。

 

 

 

 衝撃が――頭蓋を割った。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……遅いな」

 

 潮風に吹かれながら、男は少女を待つ。

 しかし待てども待てども、彼女は来ない。

 船から船乗りが顔を出し、不安げに男に問う。

 

「なぁ、あんちゃん。そろそろ船を出さねぇと……」

「待て。まだ、奴が戻ってない」

「あんちゃんの友達ってぇかぁ? つってもよぉ、もうじき日が暮れるし、お日さんがねぇと船も出せねぇ。おでぁこんな島で一晩過ごすのは御免だ」

「そう、だな」

 

 答えながら、男は思案する。

 宴でもやっているのだろうか。その可能性は否定できないが……

 

「……あの虫けら女ならば、なにが起こるのかを予見したのやもしれんがな」

 

 神の視座も、未来視も持たぬ自分では、予知も預言もできようはずがない。

 故にただの推測と妄想で語り、歩み出す。

 

「船乗り。しばし待て。帰りが遅ければ、貴様はそのまま帰るといい」

「あんちゃん? お、おい!」

 

 後方から聞こえてくる船乗りの制止を聞き流し、男は歩を進める。

 村へと向かって。

 

「嫌な予感などと、今更言っても遅きに失しているのだろうが。しかしてさすれば、行くしかあるまいて」

 

[newpage]

 

 頭蓋が、割られた。

 手足が、踏み潰された。

 胴を、臓腑を抑え込まれ、息が詰まる。

 痛い、いたい、イタイ。

 全身を稲妻のように走る、激痛。

 絶え間なく振り下ろされる、鉄塊。

 動けない。

 民たちは周囲を囲み、憤怒の形相で、ひたすら暴威を振るい続けている。

 それを撥ね除けるだけの膂力はこの身にはない。

 此なる暴力を鎮めるだけの創造を為すという思考も、気力も、不可解が巡る混乱によって消し飛んでしまった。

 

「な、ぜ……何故だ! 何故、汝らは……!」

「なんでだって!? そんなこともわからないのか!」

 

 民が叫ぶ。怒りのままに、衝動のままに。

 数々の島の人々が、慟哭している。

 

「仲間を喰われて、黙ってられるかってんだよ!」

「お前のせいで! お前の、せいで……!」

「お前のせいで、母ちゃんがいなくなった! 父ちゃんもいなくなった! 兄貴がいなくなった! 次は俺か!? 息子か!? それとも女房か!?」

「しかも、俺たちに与えたものがなくなるだって!? なら、俺たちが捧げた人たちも返せ! 返せよぉ……!」

「これから私達は、どうやって生きていけばいいって言うんだ!」

「もう、うんざりだ! お前が……お前がいなければ……お前のせいで……!」

 

 口々に語られる怨嗟。

 あぁ、そうか。

 どうやら逆鱗に触れてしまったようだ。

 それに、なにより。

 自分は彼らのことをなにも理解していなかった。勝手に妄想して、わかったつもりになっていただけだ。それが無意識で、前提になっていた。

 妄想で自分を神に仕立て上げた島民と同じだ。勝手な思い込みが、破滅へと繋がっていた。

 人を喰らうということが、どれだけの禁忌で、それだけ恐ろしいことで、どれだけの怒りを生んでいたのか。

 それが、わからなかった。

 自分もやはり人でなし。

 ただ、それだけだ。

 ――だけど。

 

「シロガミ様……いや、お前なんて、ただのバケモノだ!」

「や、やめ……!」

 

 地に伏す空想の神に向けて。

 鉈が振り上げられ、落とされた。

 

「死ね、バケモノ――!」

 

 

 

 

 

 ――死にたくない。

 

 

 

 

 

 “アタシ”は、そう願っていた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「おぉ……なんということだ」

 

 男が村に到着した時、そこは地獄のようだった。

 多くの村人が、少女の矮躯を抑え付け、乱暴しているではないか。

 それどころか、ごろり、と黒く溶け落ちた怪物の首が転がってくる。

 

「よもやこうなるとは、予想していなかった」

「あんた……」

 

 島民のひとりが、男に気付く。最初に男が出逢った島人だ。

 男は足下に転がってきた首を拾い上げ、その帽子を被り直す。

 

「其奴は、死んだ、のか?」

「あぁ……シロガミ様は死んだ。殺したんだ、俺たちが、神様を、殺したんだ……!」

 

 島民はわなわなと震えている。

 神殺しの恐怖、戦慄。あるいは歓喜、悦楽。

 様々な情感が激流の如く渦巻いている。

 ――人を狂わせる狂気には、三種類ある。

 ひとつは、恐怖。

 ひとつは、快楽。

 そして――虚無。

 狂気の三柱のうちの2つを飲み込み、その上でこの小さな島は、信仰が失墜したことで、虚無に包まれる。

 すべての狂気が立ち並んだ世界は、絶望と破滅が待つだけだ。

 それを頭で理解しているわけではなかろうが、そのどうしようもないどん詰まりを幻視したのだろう。

 島民は、笑っていた。

 

「は、ははは……」

 

 怪物を、神を殺した。

 その事実に、畏るべき異形に、彼らは、打ち震えている。

 

 

 

「ははは……はーっははははははははは! なんだこいつは! ざまぁみろ――」

 

 

 

パァン!

 

 

 

 島民の頭が、爆ぜた。

 

「まあ、なんだ。貴様らには貴様らの生活があり、感情があり、危ういバランスでそれらが成立し、それがこの一手で崩れたと、そういうことなのだろう」

 

 男はつまらなさそうに溜息を吐く。

 ずっと笑みを湛えていた彼の表情は、虚無そのもの。

 なにも感じない。なにも存在しない。

 無、だった。

 

「ひ……あ、あんた……!?」

「それまでの生活が一変するのだ。無慈悲な現実を突きつけられるのだ。それまでの人生、犠牲を無為にされるのだ。貴様らの悲嘆も、絶望も、激憤も、理解はできぬがわからんでもない。個人の感情の爆発、集団への誘爆、そういうのもあるのだろう。それを否定したりはせんさ」

 

 ぼとりと、手にした頭を堕とす。

 怯える島民たちのことなど気にも留めず。

 カチャカチャとひとりの頭を撃ち抜いた銃に弾を込め直しながら、男は告げる。

 

「ならばオレ様が、同族を殺され、この希望に満ちた船旅を徒労に終わらされた憂さ晴らしをしたとしても、文句は言えまいな?」

 

 引き金を、引く。

 空を射貫く音。そして、頭が爆ぜる音。

 またひとり、死んだ。

 これは本来ならば、怒りなのだろう。

 しかし彼にはもはや、怒りを覚えるだけの魂が、欠落していた。

 故にこれはなんの意味も無い。

 ただの、虚無なる虐殺だ。

 

 

 

「なぁに安心しろ。老若男女の区別なく、誰一人として残して帰る気はない――一人残らず撃ち殺してやる」

 

 

 

 あぁ。

 せっかく楽しかった旅行が、台無しだ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 殺した。殺して殺して殺して殺し尽くした。

 愚かな人間をひらすた殺した。

 男の眉間を撃ち抜いた。

 女の脳天を射貫いた。

 弾が切れた。

 少年の頭蓋を踏み潰した。

 少女の臓を抉り取った。

 閉ざされた小さな世界で、人を蹂躙する快楽に溺れながら、怯え逃げる者どもを殺した。

 怒りとか、憎しみとか。

 そんな感情があったのかどうかもわからぬほど、無我夢中に、無心に殺し廻った。

 家々の隅から隅まで。森の奥底まで辿った。

 気付けば、夜が更けていた。

 船乗りは、もういないだろう。

 村に戻ると、そこは血の池が溜まった地獄。

 腐臭と死臭が支配する、虚無の世界。

 全身を真っ赤に染めた男は、首が落ちた仲間の下へと、歩み寄る。

 

「……死んでしまったか、我が同胞よ」

 

 浸る感傷も擦り切れているが。

 せめて言葉は遺すべきだろうと、首のない少女に向けて、男は語る。

 

「すまんな。涙などとうに枯れてしまった。しかしきっと、この微かに湧き上がる情念は、悲哀。同胞を喪い、オレ様は哀しい、のだろう」

 

 なぜこうなってしまったのか、などとは思わない。

 狂気の渦中にある人とは、そういうものだ。

 最初からこの島は狂っていたのだ。そしてその狂いを、破滅に導いたきっかけは――恐らく、自分なのだろう。

 結果論でしかないが、きっと、そうなのだ。

 自責に駆られるなどあり得ないが、かといって彼女の責でもなく、では島民たちが悪なのかと言えばそうでもない。

 弱きは罪ではないのだ。愚かさは咎にはならないのだ。

 それを認めてしまえば、愚鈍で薄弱な我らは、どうしようもない罪悪の塊となってしまう。

 故にこれは、ただの悲劇だ。

 狂った運命が導いた最期(Dead End)

 なんと、つまらないのだろうか。

 

「……ではな」

 

 男は踵を返して帰ろうとする。

 日は落ち、船はきっと行ってしまった。

 この後どうすればいいのかなんて、まるで考えていない。

 だが、

 

「む……?」

 

 なにかが、蠢いた。

 そして、気付く。

 ――頭がない。

 切り落とされた首が、どこにもない。

 消滅している。

 それだけではない。

 首のない少女の首、その断面が、黒く泡立っている。

 ぐじゅぐじゅと、ぐちゃぐちゃと。

 形を、作っていく。

 

 

 

「ぁ……」

 

 

 

「……!」

 

 さしもの男も、目を剥いた。

 首が――“生えた”。

 幼い、人間の少女の、首が。

 切り落とされたはずの怪物の首が、人の首として――再生した。

 

「や……ぁ……こ、こは……?」

 

 少女は寝ぼけ眼で、しかしどこか怯えたように、視線を彷徨わせる。

 ――いや、違う。

 再生ではない。これは、接ぎ木だ。

 この頭は、確かに人間の少女のそれ。

 しかし彼女の身体は、人の姿を模しているだけで、本質的には我々と同じ、怪物のもの。

 怪物の身体に、人間の首を、代わりに繋いだのだ。

 万物創造の権能。

 あらゆるものを産み出す力は。

 自分の命――首さえも、産み落としたのだ。

 

「あなたは……だ、だれ……です、か……?」

「…………」

 

 ――――

 

「ふっ」

 

 男は、笑った。

 

「ふっ、ふはははははははは!」

「え……え、ぇ、えぇ……!?」

 

 笑いが止まらない。

 ここまでとは、思わなかった。

 

「そうか、そうか、そうか! 貴様、そんなにも生き汚かったのか! これは、余りにも愉快極まる誤算だ! ははははははははは!」

 

 ただ命を産み出すだけに留まらず。

 死するはずの命さえも、代替のものを産み出すことで、繋ぎ止めるとは。

 

「万物創造の多産の権能。それで、死さえも超越し、新たな命を生み出したか!」

「え? えと、え、えぇっと……?」

「あぁ、すまん。貴様の生への執着が、あまりにも嬉しかったのだ。許せ、同族」

「あの、あ、あのあの……アタシ、なにが、なんだか……あなたは……だれ……あ、アタシは、なに……?」

 

 記憶が混濁している。いや、恐らく、記憶が無いのだ。

 頭、つまり記録のある脳が失われたのだ。

 故に彼女は今、産まれたばかりの赤子同然。真っ白な状態。

 

「オレ様は……まあ、『帽子屋』と呼べ。そして貴様は……そうだな。哀れな若牡蠣と同類(Dark Sargasso)ならば、海に関するものがいい。そして、代わり命さえも産み出す、依代の身体……命の、代わり……代用品……ふむ」

 

 ならば彼女の新たな生を祝して、その存在を定義してやらねばいけないだろう。

 少しばかり考え込み、彼女を新たな住人として、定める。

 

「では【不思議の国の住人】となる証として、貴様に名を授けよう」

 

 絶海に閉ざされた島に生きた、かつて神だった怪物。

 代用の首で、己の命を繋ぎ止める、生き汚い、自分勝手なエゴの塊。

 

「万物を創造し、命さえも代用し生き存える、不思議の国の亀神(Wander Turtle)。貴様の名は――」

 

 そんな素晴らしい同胞に授ける名。

 それは――

 

 

 

 

 

「――『代用ウミガメ』だ」




 という、帽子屋と代海……代用ウミガメとの出会いの話でした、というオチ。前々から書きたかったんですよね、この話は。タイミングとしてはここが最善かと思って一気に書いちゃいました。
 今回は登場人物の名前の明言をとにかく避けてましたが、どうだったでしょうか。帽子屋はすぐにわかったと思いますが、シロガミ様の正体がどのタイミングでわかったのかは、ちょっと気になるところ。一応、伏線はそこそこ仕込んでいます。対戦パートは特に。


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番外編「ストライキよ」

 勢いだけで書いた番外編です。不思議の国がわちゃわちゃしてます。それだけです。


 ここは不思議の国。誰がそう呼び始めたか定かではないが、密やかにそう呼ばれている場所。

 その奥地の館にて、帽子を目深に被り、安楽椅子に座した男と、その傍らに立つ美女がいた。

 帽子の男は、『帽子屋』と呼ばれる、不思議の国の王と定められた男。

 美女は『公爵夫人』。狂気の三柱の一柱とされる、女王に最も近い住人の1人。

 2人は、なにか話している様子だった。

 

「――とまあ、コーカス・レースの配置はそんな感じでいこうと思うのだが、どうだ?」

「儂が哨戒というのが気に食わんな。この儂を露払いに使うとは豪胆なことだ」

「そうだろうそうだろう。銃に弾を込めて決めた配役だが、貴様に関しては適役だと自負している」

「貴様の頭が狂っていることは周知の事実だが、それはそれとして腹が立つな。壊さぬよう加減に難儀しなければ、その頭蓋、打ち砕いていたぞ」

「それは無理だな。オレ様の自慢の帽子が必ずや守ってくれるだろうからな」

「戯言を……あぁ、そうだ。この位置はヤングオイスターズの何某か、こちらは三月ウサギがバタつきパンチョウを配置しろ。それとバンダースナッチは出禁にしておけ」

「成程、承った。では三月ウサギにするか、発情期だからな」

「今は12月だ」

 

 などと、なにかの相談をしている。

 その時だ。

 部屋の扉が、勢いよく開け放たれる。

 

「帽子屋さーん! たーのもー! なのよー!」

「ごきげんよう。お邪魔するわね、帽子屋さん?」

「バタつきパンチョウに、三月ウサギ……何用だ、貴様ら」

「虫けらが集う花と、媚薬の如き毒花か。両手に加えて咥えた花だな。公爵夫人は刺々しくて口が痛い」

「帽子屋、その減らず口を閉じろ。自慢の帽子ごと頭蓋を割るぞ」

「ノンノン、帽子屋さん」

「私たちだけじゃないのよ!」

 

 彼女たちの後ろに続いて、さらに影が4つ、飛び出した。

 

「帽子屋ぁ! カチコミだぁ! 覚悟決めろやぁ!」

「やー」

「ど、どうも……こ、こんにちは、帽子屋さん……?」

「おうダンナ、バタバタしてて悪いな」

「バタつきパンチョウに三月ウサギ、眠りネズミ、バンダースナッチ、代用ウミガメと、ヤングオイスターズ……なんだ貴様らこぞってオレ様の茶会に押し寄せおってからに」

 

 面子そのものに希少性があるというわけではないが、彼らが一堂に会するというは、なかなかに物珍しい光景だった。

 特に、嫌われ者の三月ウサギと、危険人物バンダースナッチが同行しているというのは、かなりレアだ。

 そんな彼ら彼女らが、なぜこうして集い、帽子屋の前に現れたのか。

 その理由とは……

 

「ストライクなのよ!」

打突(ストライク)とな。オレ様と組み手するのか? ガン=カタでいいなら付き合おう。徒手空拳だとオレ様の肉体が先に灰と化す。老人だからな」

「ガン=カタ!? それこの前テレビで見たのよ! え? 帽子屋さん格好いいのよ!」

「そうよ、こう見てて帽子屋さんは格好良いところもあるのよ? 今更そんなことに気付いたの?」

「くっそぅ、帽子屋の野郎、ガンとかクール過ぎる……バッドだな!」

「あんたらいいから話進めろや」

 

 ……その理由とは!

 

「ストライクじゃなくてストライキな」

 

 ボリボリと後ろ頭を掻きながら、ヤングオイスターズ(長女)は告げる。

 ストライキ。つまり彼らは、労働環境改善の嘆願をするために、結託したということなのだろうか。

 明らかな未成年が半数ほどいるが、そこは目を瞑る。要するに、帽子屋の為政に不満があるということなのだろう。

 

「はぁ、面倒だな。仕方ないから一人ずつ聞いてやる」

「なら私から言うのよ!」

 

 最初に前に進み出たのは、バタつきパンチョウだった。

 彼女は恐る恐る、帽子屋に尋ねる。

 

「あのね帽子屋さん……私、最近知ったのだけれど」

「なんだ」

「私たち姉弟のお給料の9割をピンハネしてるって本当(マジ)!?」

本当(マジ)だが?」

 

 あっさりと言ってのける帽子屋に、ガーン! とそれらしい擬音でも聞こえてきそうなショックを受けるバタつきパンチョウ。

 

「ひ、酷い! 酷すぎるのよ! 私達が学校のみんなと遊びながらあくせく働いて得たお金を横取りするなんて!」

「遊んでんじゃねーよ姉御」

「なんでこんな酷いことするのよ! 帽子屋さん!」

「貴様らの家賃だ」

「今までそんなの請求してなかったのに!? 今更そんなの払えなんて話が違うのよ!」

「今と昔では状況が違うということだ」

「帽子屋なぞに同調するのは癪だが、そういうことだ」

 

 バタつきパンチョウと帽子屋の問答に、公爵夫人が口を添えた。

 

「今でこそ同族の人数は落ち着いてきたが、今後、新たな仲間を引き入れないとも限らない。その時、戸籍の偽造や非合法な入学手続きのために掛かる費用、その後の学費や備品費、生活費等の諸経費、なにより、今ここで生きる我々の生活のため、貯蓄が必要だ。貴様ら虫けらどもの散財は、儂の許容範囲を超えた。それだけのことだ」

「だからって私達のお金をそんなにふんだくるなんてひっどーい! これは流石の私も激おこなのよ! ぷんぷん!」

「わかったわかった。で、三月ウサギ、貴様はなんだ?」

 

 本気なのか冗談なのか(恐らく本気だが)、子供っぽく憤慨するバタつきパンチョウを放置し、帽子屋は次の相手、三月ウサギに問うた。

 最も帽子屋に心酔している彼女が、帽子屋に不満を抱くなど、そうあることではない。

 一体、彼女はどんな不満を抱いているのか。

 それは、

 

「帽子屋さん。最近、夜に付き合ってくれないから……僕、寂しいの……」

 

 身体の不満だった。

 

「なぁ三月ウサギよ、ここにゃガキもいるから、もう少し控えねーか?」

「知ったこっちゃないわね。そんなことより、帽子屋さんが相手してくれないから……僕、拗ねちゃうわよ?」

「そうか。次」

「素っ気ないわね!? ちょっと興奮しちゃうじゃない!」

「……此奴も面倒な女だな、帽子屋」

「いい加減慣れたよ。こいつとオレ様、一体何年の付き合いだと思っている?」

「知らぬ。どれくらいの付き合いなのだ?」

「忘れたな」

「帽子屋さん!」

「ははは、案ずるな。真実(マジ)だ」

「帽子屋さん!?」

 

 新たな抗議が生まれそうなところで、三月ウサギから視線を外す帽子屋。

 次は、ヤングオイスターズの長女――アヤハを見遣る。

 

「次はワタシか」

「ヤングオイスターズ。貴様には、それほど負担を強いていないと思うのだが」

「どの口が言ってるんだよ……金稼ぐだけが負担だと思ったか」

 

 はぁ、とアヤハは嘆息する。

 そして、語り始めた。

 いや、怒鳴った。

 

「現【不思議の国の住人】数十余名、そいつら全員の飯の準備……掃除洗濯炊事をすべてワタシに押し付けやがって! いい加減にしろ!」

「まさかそこを叱責されるとは……」

「なんで意外そうなんだよ!? 普通に考えておかしいだろこの振り分け! ワタシはハウスキーパーじゃねーんだぞ!」

「しかし貴様らは数が多い。ならばそれほど問題ないのでは?」

「各々の兄弟姉妹が持ってる技能は違うんだよ!」

「そうか。まあ、知らん」

「おい!」

「部屋の掃除など勝手にさせておけ。飯など岩でなければ喰える。泥の付いたボロ布でもそれはそれで味があるというものだ」

「馬鹿じゃねぇの!? 頭イカレてやがるなあんた!」

「そうだが?」

 

 それがなにか? と言わんばかりの態度。

 帽子屋の興味は消え失せ、視線が眠りネズミに移る。

 

「眠りネズミ、貴様はなんだ? まあくだらんことだと思うが」

「まあ、くだらねーかもな」

「ならば聞く必要はないな」

「おう、だから勝手に言うぜ」

 

 と、どこかあっさりと眠りネズミは話し始めた。

 

「今日な、先公から言われたんだよ」

「ほぅ」

「給食費が払われてねーんだとよ」

「意外と深刻な話だった!」

「僕からはそんだけだ。まあメシの時間なんてしょっちゅう寝てっからどうでもいいんだけどよー、でも一緒に喰わねーとカザミたちがうっせーんだ」

 

 眠りネズミ本人はさして気にしていない様子だが、公爵夫人の中で、後で振り込みのために銀行に赴く予定が追加された。

 諸経費の支払いが滞ると、隠遁する自分達の身が露呈しかねない。それは公爵夫人としても望むところではない。

 そもそも、そのような事態が起こらぬよう、事前に書類や振り込みの処理はしっかりやれと苦言を呈したいところだが、相手は頭が壊れた狂人なので、説法は無駄だと黙殺する。

 

「あの……あ、アタシも……そ、その……」

「あぁ、代用ウミガメ。いたのか」

「い、いますよ!?」

「で、なんだ? 早く言え」

「えぇ、あ、あぁ、は、はい……えっと……」

 

 代用ウミガメは、おずおずと帽子屋に進言する。

 

「さ、最近、成績がちょっと、お、落ちちゃって……勉強、のために……さ、参考書、とか、欲しい、んですけど……お金、足りなくて……」

「デッキでも売れ」

「ひでぇ!」

 

 あまりにも無情な回答だった。

 

「で、バンダースナッチはどうした? 貴様がオレ様に物申すなど、珍妙なこともあるものだ」

「ぼーしやー」

「なんだ?」

「……なんか……うざくない……?」

「喧嘩の訪問販売か?」

「?」

「うむ、わからん」

 

 赤子のような精神性の化物と、狂い果てた末のトップ・オブ・狂人が会話しているのだ。まともな意思疎通など、宇宙が百度変性してもあり得ない。まだ鳥と蛇が猫語で会話する方が通じるだろう。

 お互いに真顔で首を傾げ合っており、微塵も会話が進まなかった。

 

「とまあ、そういうわけなのよ! 私たち、不満が爆発しちゃってるのよ!」

「おい公爵夫人、このクレーマー共をなんとかしろ」

「クレーマー!?」

「儂は貴様の秘書ではない。自分でなんとかせよ」

 

 自分にとって必要な処理はするが、帽子屋に向けられた不平不満にまで手を出すつもりは、公爵夫人にはなかった。

 帽子屋はやれやれと、気怠げに息を吐く。

 

「まったく、優雅な茶の時間を邪魔するとは、無粋な連中め」

「儂は作戦会議だと呼ばれたのだが」

「致し方あるまい。面倒だからまとめて掛かってこい。容赦はしないぞ」

「それはこっちの台詞なのよ! ウサちゃん、みんな! 行っくのよー!」

「なんであんたがリーダー気取ってるのよ」

「頭なんて誰でもいいけどな。どうせワタシら烏合の衆だし」

「よっしゃ! よくわかんねーけど燃えてきた! TEENがBURNでDOONだ!」

「あうぅ、あ、アタシは、も、もっと穏便に、い、いきたかった、のに……」

「わー」

 

 とまあ。

 今日も今日とて、不思議の国は平和です。

 ストライキが起きようと、平和なんです。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 帽子屋と、帽子屋に反旗を翻した、不思議の国の精鋭(?)による連合軍との、労働環境改善とその他諸々の嘆願を賭けた対戦。

 帽子屋はそんな同胞達を相手に、億劫そうにカードを操る。

 

「はぁ……《メイプル超もみ人》を召喚。さらに《ジョラゴン・オーバーロード》を詠唱、マナ加速し、これでオレ様のジョーカーズが合計7枚。GR召喚だ、《ゴッド・ガヨンダム》。マナドライブにより、手札を捨て2枚ドロー。ターンエンド」

「帽子屋さん、なんかやる気ないのよ!」

「もうちょいやる気出せや帽子屋ァ!」

「アンニュイな帽子屋さんもいいわよね……」

「うるせーよあんたら! ワタシのターン、3マナタップ! 双極・詠唱! 《エナジー・ライト》! 2枚ドローする! ターンエンド!」

 

 

 

ターン3

 

 

帽子屋

場:《もみ人》《ガヨンダム》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:3

山札:23

 

 

連合国軍

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:6

墓地:3

山札:23

 

 

 

「3マナで《オラオラ・ジョーカーズ》。1マナ加速し、それがジョーカーズなので1枚ドロー。さらに5マナで《たすけてレスきゅん》、《パッパラパーリ騎士》をGR召喚し、オレ様のGRクリーチャーの数だけマナ加速だ」

「おいおい。なんかダンナ、やたらめったらマナ伸ばしてるが、大丈夫か?」

「関係ねぇ! 省みねぇ! 容赦しねぇ! 突っ込む以外の選択肢は却下だぜ! 《ラッシュ“ATK(アタック)”ワイルド》召喚だ!」

 

 ひたすらマナを伸ばす帽子屋に対して、眠りネズミが出張る。

 一体だけぽつりと浮いた《ラッシュ“ATK”ワイルド》。

 堪えきれず飛び出した火鼠は、戦場で戦火を燻らせている。

 

 

 

ターン4

 

 

帽子屋

場:《もみ人》《ガヨンダム》《パッパラ》

盾:5

マナ:11

手札:1

墓地:4

山札:18

 

 

連合国軍

場:《ラッシュ“ATK”ワイルド》

盾:5

マナ:4

手札:5

墓地:3

山札:22

 

 

 

「さて……どうしたものか」

 

 ふわぁ、と欠伸をしながら、帽子屋はカードを切る。

 

「4マナで《水筒の術》、GR召喚2回だ。《マジカルイッサ》と《オレちんレンジ》をGR召喚。さらにマナゾーンから《バングリッドX7》を召喚……ターンエンドだな」

「帽子屋さん、なんだかゆったりしてるのよー」

「してるねー」

 

 いつものようにクリーチャーを展開しつつリソースを拡大させているが、どうも攻める気配が感じられない。

 気分屋で狂人故に、気を抜いたらいつ殺されるかわかったものではないが、動きに滞りがあるのは確かだ。

 

「《エマジェンシー・タイフーン》……それから、《ナスロスチャ》」

 

 その隙に、バンダースナッチは抜け目なく墓地にカードを落としていく。

 

「……ん、おしまい」

 

 

 

ターン5

 

 

帽子屋

場:《もみ人》《ガヨンダム》《パッパラ》《マジカルイッサ》《レンジ》《バングリッド》

盾:5

マナ:10

手札:1

墓地:5

山札:17

 

 

連合国軍

場:《ラッシュ“ATK”ワイルド》《ナスロスチャ》

盾:5

マナ:5

手札:4

墓地:6

山札:18

 

 

 

「《メイプル超もみ人》を召喚。《バングリッド》の能力でマナから《スゴ腕プロジューサー》を召喚、GR召喚だ。出たのは……《ガヨンダム》か。まあいいだろう。《フェニクジャーラ》を捨てて2枚ドロー」

「……《フェニクジャーラ》?」

「ダンナの奴、なんか企んでやがるな……!」

「《マジカルイッサ》でコスト軽減、3マナで《水筒の術》。《マジカルイッサ》と《パッパラパーリ騎士》をGR召喚」

 

 ゆったりと、ゆっくりと。

 しかしその緩やかさに胡座をかいて処理をしていないせいで、際限なくジョーカーズが湧き上がる。

 

「あ、あの……そ、そろそろ……数が、大変なことに……」

「怖じ気づくことなんてないじゃない。もうこっちも、準備できてるもの。カラダもココロも、ね」

「なのよ!」

 

 ヤングオイスターズは手札を、バンダースナッチが墓地を、それぞれ整えた。

 これで、準備万端。

 

「よーしみんなー! いっくのよー!」

『おー!』

 

 あとは、ありったけの獣性を解き放つだけだ。

 

「5マナ……《狂気と凶器の墓場》」

 

 最後の仕上げ。バンダースナッチが、呪詛を唱える。

 

「やまふだ、2まい、ぼちへ……ぼちから、ふっかつ」

「ウサちゃん!」

「えぇ、任せなさいな!」

 

 代用ウミガメ()ヤングオイスターズ()バンダースナッチ()眠りネズミ()バタつきパンチョウ()

 それらを束ねる狂った月が、すべての色を飲み込む。

 

「月まで届け、僕の想い!」

「労働環境改善のために!」

「私と弟たちのお給料を乗せて!」

「給食費と」

「さ、参考書も……」

「しねー、ぼーしやー」

 

 連合軍すべての色を混ぜ合わせた混沌の色彩が――飛び立つ。

 

 

 

『《ギガントウサギロボ・フューチャーX》!』

 

 

 

 それは、一言で言えばロボットだ。

 やたらと丸っこい、デフォルメされたような鋼鉄のウサギ型ロボット。

 三月ウサギの狂気をベースに、白、青、黒、赤、緑。五色すべてを混ぜ合わせた、彼らの最終兵器。

 

「ほぅ……それが貴様らのボイコットの成果か」

「なのよなのよー! 帽子屋さんだからって容赦はしないんだからね! けちょんけちょんにしてやるのよ!」

「そういうわけだから、ちょーっと覚悟してよね、帽子屋さん。大丈夫、痛いのも苦しいのも、僕からの愛だから……!」

「このウサギちょっと病んでないか?」

「さ、さぁ……?」

 

 三月ウサギの精神性はさておき。

 《ナスロスチャ》から、《ウサギロボ》へとNEO進化する。

 NEO進化ということは、即座に攻撃できるということ。

 そして《ギガントウサギロボ》が発進したということは、それは全力砲火の合図だ。

 

「一番槍はもらったぁ! 《ラッシュ“ATK”ワイルド》でアタック! ブレイク! ラッシュ! キズナコンプ!」

「これで《ウサギロボ》はこのターン、2回攻撃ができるってわけだ」

「ほぅ、ほほぅ?」

「さぁ、僕の情愛を受け取って貰うわよ、帽子屋さん? 《ウサギロボ》で攻撃――能力発動!」

 

 《ウサギロボ》が飛び立つ。

 その瞬間、《ウサギロボ》に呼応するように、山札(カタパルト)にカードがセットされる。

 

「《ウサギロボ》が攻撃する時、山札から3枚を捲る。その中のNEOクリーチャーをすべてバトルゾーンに出すわ!」

 

 そしてセットされたカード3枚。

 それらがすべて――射出される。

 

 

 

「お、お願いします、《気高き魂 不動》……!」

 

 

 

「来い! 《叡智の聖騎士 スクアーロ》!」

 

 

 

「《グレート・グラスパー》! なのよ!」

 

 

 

 白、青、緑(トリーヴァ)の煌めきが、三本の矢となり地上に降り注いだ。

 

「《スクアーロ》の能力でブロッカーをすべてバウンスだ!」

「《グラスパー》の能力で《バングリッド》をマナ送りなのよ!」

「ふむ……《スゴ腕プロジューサー》の能力でGR召喚、《Mt.(マウント)富士山ックスMAX》だ。パワーが最も小さなクリーチャーを破壊するが」

「《ラッシュ“ATK”ワイルド》がやられる……が! もう遅いぜ! 帽子屋よぉ!」

「そうね。《ウサギロボ》でTブレイク!」

 

 一度に3体も増えるだけでなく、《ウサギロボ》の一撃も重い。

 一瞬で帽子屋のシールドが3枚、砕け散った。残るは1枚。

 

「S・トリガー《バリスイトーヨー》……焼け石に水だな」

「さぁさぁ《ラッシュ“ATK”ワイルド》の能力で、《ウサギロボ》は再発進! まだまだ果てないわよ! 攻撃!」

「ふ、《不動》の能力で、シールドを追加、です……っ!」

「《グラスパー》の能力も使うのよ! マナゾーンからクリーチャーが出るのよ!」

「おらよ! 《ガンザン戦車 スパイク7K》! 僕たちのクリーチャーのパワーを2000パンプ! パンクにアップでアンタップもアタックだ!」

 

 《ウサギロボ》はNEOクリーチャーであり、NEOクリーチャーを呼び出す力を持つ。

 そしてNEOクリーチャーは、NEOクリーチャーの攻撃に反応して、能力を発揮するものもいる。

 各々の力が重なり、連鎖し、膨らみ、肥大化していく。

 

「で、ここから《ウサギロボ》の能力よ! 3枚捲るわ!」

「《崇高なる知略 オクトーパ》!」

「《マキャベリ・シュバルツ》」

「そーしーてー?」

 

 《ウサギロボ》に導かれ、次々と着陸するNEOクリーチャーたち。これで《ウサギロボ》は2回目の攻撃を果たしたが。

 月を目指す兎が、一匹だけだと、誰が決めただろうか。

 それは、即ち。

 

 

 

「《ギガントウサギロボ・フューチャーX》!」

 

 

 

 2体目の《ウサギロボ》は、発着した。

 即時打点。加えて、さらにNEOクリーチャーが増殖する未来が見えた。

 しかしそれは確定された未来ではなく、万華鏡の如く、如何様にも変化し、彩られる未来。

 正しく、未来(フューチャー)未知数()である。

 

「どうなのよ帽子屋さん! これが、私たちの友情パワー! 私たちの結束なのよ!」

「ストライキという名の友情か。なんとも麗しい」

 

 帽子屋は軽口を叩くが、この状況は、凄まじいの一言だ。

 ただ大きく、数が多いのではない。それらの繋がりが、あまりにも強固なのだ。

 《ウサギロボ》が攻撃するたびにNEOクリーチャーが増殖、《グラスパー》でマナからもクリーチャーが現れ、《不動》でシールド追加、《シュバルツ》でハンデス、おまけに《スパイク7K》でアンタップキラーを付与されているため、攻撃先には困らない。

 そしてこれらのクリーチャーは、場を離れない。NEO進化していれば、他のクリーチャーを身代わりにすることで破壊さえも免れる。

 ちぐはぐで狂った目的意識で繋がった愉快な連中だが、その結果として産まれた力は、強大の一言。

 ストライキ連合国の軍事力の恐ろしさたるや。その片鱗を見た。

 

「そうだな……ブロックするのも馬鹿らしい。そのまま通そう」

 

 どうせブロックしたところで、後続にとんでもない数のクリーチャーが押し寄せてくるのだ。ちょっとやそっとのS・トリガーでは止めようがない。

 

「スーパー・S・トリガー《SMAPON》だ。これでオレ様は負けん」

「うそー!?」

 

 と言いつつ、ちゃっかり止めるのだが。

 

「い、いやでも! 負けないだけでクリーチャーは攻撃できるのよ! ウサちゃんパワーでゴリ押しちゃうんだから! 逆転なんてさせないのよー!」

「おい待てチョウの姉御! ここから下手に展開してみろ! 山札なくなるぞ!」

「そ、それと……2体目の《ウサギロボ》は、《スパイク7K》が出た後に出たので……その、アンタップキラーじゃ、ありません……ネズミ君が、さ、先走っちゃったから……」

「あ? だってトロトロしたクソウサギなんて待ってらんねーし」

「僕がトロトロですって? 確かに敏感な方だけれど、僕レベルになるとその辺の制御は気分によって自由自在なのよ、ドブネズミ」

「あきた」

「仲が良いな貴様ら」

 

 しかし仲は良くとも結束は崩れ始めてきた。

 

「えぇい! 知らないもん知らないもん! もうやるだけやっちゃうのよー! 総員突撃ー!」

「自棄になってやがる……」

「とはいえ、普通に痛手だな」

 

 《不動》《スクアーロ》《グラスパー》で《マジカルイッサ》2体と《SMAPON》を殴り倒し、2体目の《ウサギロボ》もゲームには勝てないもののダイレクトアタックで能力だけ使用。能力は強制ではないので、必要な数だけ射出する。

 結果、帽子屋は盤面の制圧権をほとんど握られてしまった。

 

「シールドの枚数はこれくらいでいいのよ?」

「これ以上増やすとマジでLOするからな?」

「10枚もあれば……さ、流石に、帽子屋さん、でも……無理かなって……」

「手札も毟り取ってやったしな!」

 

 

 

ターン6

 

 

帽子屋

場:《もみ人》×2《ガヨンダム》×2《パッパラ》×2《レンジ》《富士山ックスMAX》

盾:0

マナ:11

手札:1

墓地:13

山札:13

 

 

連合国軍

場:《ウサギロボ》×2《不動》×2《スクアーロ》《グラスパー》《スパイク7K》《シュバルツ》

盾:10

マナ:5

手札:3

墓地:9

山札:3

 

 

 

「ふむ……そうだな。ドローは最高だ。故に、ここでやらねばならぬ、か」

 

 マナは大量にある。クリーチャーもまだ十分。微かに残された手札も、セルフハンデス故にキーパーツだけは生きている。

 仕掛けるタイミングは、ここしかない。

 

「8マナをタップ。《無限杖 フェニクジャーラ》を召喚!」

 

 既に1枚だけ見えていた、恐らく今回の帽子屋の切り札でありキーカード。

 不死鳥の如き翼を広げ、叡智を湛えた杖を掲げる。

 

「能力で《全能ゼンノー》をGR召喚だ。一手遅い。もっと早くに来るべきだろう貴様」

 

 前のターンに来ていれば、《ウサギロボ》を止められただろうに。

 と、そんな愚痴を垂れつつ、帽子屋は場のジョーカーズを数える。

 

「《フェニクジャーラ》の能力で、オレ様が唱える呪文のコストは、オレ様の場のジョーカーズの数だけ軽減される」

「帽子屋さんのジョーカーズは……10体!?」

「なによ、そんなに軽減する呪文なんて……いや?」

 

 普通は10マナもコストを軽減して使うようなカードなど使わないが。

 それだけのコスト軽減をしてまで、唱える価値のある呪文は、存在する。

 

「……《インビンシブル・フォートレス》」

 

 13マナの超弩級呪文、《インビンシブル》呪文。

 その中でも、単純明快かつ強力無比な1枚。それが、《インビンシブル・フォートレス》。

 一撃で守りが半壊。《フェニクジャーラ》がいるので、能力でそれが2倍。

 つまり、6枚のシールドが一瞬で消し炭になる。

 普通ならそれだけで負け確だが。

 

「でもだいじょーぶ! なのよ!」

 

 バタつきパンチョウは、笑っていた。

 

「帽子屋さんには3マナしか残ってないし! 手札もたった1枚! こっちはシールドが10枚もあるのよ! 6枚焼かれたからってどうなるのよ?」

「あの……ふ、普通に……殴り殺されます」

「全員のカードぶっ込んだせいで、トリガー薄いからなこのデッキ……ワタシの《オクトーパ》くらいだろ」

 

 《不動》によってシールドが10枚まで増えており、6枚消し飛ばされても、まだ半分近く、初期状態から1枚しか削れていない状態となる。

 もっとも、帽子屋の場のクリーチャー数が純粋に多いため、6枚も削られたら代用ウミガメの言うように、そのまま数で圧殺される可能性が高いが。

 しかし、それでも可能性は残っている。

 数少ないS・トリガーが、呪文で焼かれないまま盾に埋まっている可能性が。

 誰もが忘れているだけで、実は《クロック》がデッキに入っていた可能性が。 

 なんらかの奇跡が起きて、盾に超絶最強な防御トリガーが埋没する可能性が。

 ないとは、言い切れない。

 魔法や奇跡があるというのなら、そのくらいあってもいいはずだと、信じて疑わない。

 

「トリガーに期待か。それも、いいだろう。希望を持つのは悪いことではない。抱いた希望が成就するとは限らんがな」

 

 しかしここにいるのは、イカレ帽子屋。

 魔法も奇跡も撃ち殺す、狂気の眷属だ。

 幼き少女の光すらも踏み躙るような狂人が、果たしてそのような微かな希望を野放しにするだろうか。

 答えは、否。

 

「《フェニクジャーラ》の能力でコストを10軽減。3マナをタップし、呪文。《インビンシブル ――」

 

 そして、それを――唱えた。

 

 

 

「―― ナーフ》」

 

 

 

『は?』

 

 

 

 ただしそれは、彼らが想像する呪文ではなかったが。

 

「《インビンシブル・ナーフ》だ。これを唱える」

 

 帽子屋が唱えたのは、予想通り《インビンシブル》の名を冠する13マナの超重量呪文。

 しかし《インビンシブル・フォートレス》ではない。それと同じ色をした焼却の呪文だが、決定的に違う。

 帽子屋は銃を抜き、弾を込め始める。

 

「ちょ、え? それって確か……」

「五発の弾丸でシールドを撃ち抜けばいいのだろう? 《フェニクジャーラ》がいるから、装弾数は十発だ」

「いやあの、そ、それ本当は、おもちゃの銃でやる、もので……」

「オレ様の愛銃は回転式(リボルバー)なのだが、たまには自動式(オートマ)も良かろう。楽だからな。引き金(トリガー)を引くのも、撃ち殺すのも」

「待て帽子屋のダンナ! そいつはガチめに洒落にならんぞ!」

「はは、ならば血化粧でお洒落させてやろう。ドレスアップと洒落込もうではないか」

「ガッデム! こいつはクレイジーだ!」

 

 チャキッ、と銃口を同胞へと向ける。

 そしてそのまま、なんの躊躇いもなく、引き金を引いた。

 

パァンッ!

 

 空気が爆ぜ、貫かれ、炸裂する音が、不思議の国中に響き渡る。

 それが二度、三度、四度――幾度と乱射される。乱れ撃ちだ。

 やがてそれは、ババババババ! と閃光(マズルフラッシュ)となり、瞬く。

 

「さぁ避けろ避けろ! 当たったら痛いぞ! 脳天にでも触れればザクロ頭の完成だ! そうなれば、貴様らの血でブラッディメアリーの如きロシアンティーにでもしてやろう!」

「きゃー!? きゃー!? なのよー!?」

「あわわわわわ……!」

「やめろってダンナ! マジやめろって! マジで死ぬだろうが畜生が!」

 

 当然、連合軍は逃げ惑う。デタラメに狙っているようで、正確無比な銃撃はシールドと同時に、プレイヤーさえをも追跡する。

 本物の拳銃を持ち出してぶっ放すなんて誰も予想していない。いや、帽子屋ならやりかねないと理解はできるが、そこまですると想像が至らなかった。

 結果、ここは悲鳴と怒号が飛び交う叫喚地獄。

 愉快な殺意渦巻く不思議の国だ。

 

「ちょっと帽子屋さん!? 流石にそういう危ないモノ持ち出すのは良くないんじゃないかしら!? 首絞めプレイくらいで我慢できない!?」

「そいつもどうかと思うけどなクソウサギ!」

「聞こえんなぁ! 知らんなぁ! ふははははははは!」

 

 高笑いしながら、帽子屋の引き金を引く指は、止まらない。

 弾倉(マグ)を抜く。刹那のうちに、予備のカートリッジを装填。

 再び、銃撃を開始する。

 

「帽子屋てめー! それぜってー10発以上撃ってんだろ!」

「はんそくー」

「そのような戯言はオレ様に勝ってから言うのだな。見ろ、シールドがすべて焼けたぞ!」

 

 もはや何発撃ったのか、誰も数えていないが。

 少なくとも、連合軍のシールドはすべて撃ち砕かれ、焼け落ちていた。

 

「貴様らもわかっただろう? 年長者の言うことは聞けということだ。この国は年功序列でな」

「1億歳で年功序列を主張するなんて、大人げないのよー!」

「知ったことか」

 

 なんにせよ。

 ボイコットもストライキも、無為に終わったのだ。

 だから、何度でも言おう。

 

 

 

「そぅら――ダイレクトアタックだ!」

 

 

 

 

 

 

 今日も不思議の国は平和です、と。




 女王が動き出したとか、亡国になったとか、代用ウミガメの出生だとかで鬱々としてたので、不思議の国の明るい話です。
 恐らくもう二度と、彼らはこんな馬鹿騒ぎはできないでしょうが。


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5章 初冬-千の仔の王国-
45話「仲違い……だよ」


 もうしばらく様子見で待機するつもりだったけど、思った以上に十王編と新章の噛み合わせが良さそうな感じだったので、投稿しちゃうことにしました。
 今回は喧嘩別れしたままの霜と実子の話。というか、しばらく小鈴主体の描写はほとんどないかもしれません。


「――とまあそんな感じで、今学期もこれで終わりだ。来学期、年明けにまた元気に登校してくれ。そんじゃあ解散! 最近また物騒な事件が起きてるから、気をつけて帰れよ」

 

 冬休みが、始まりました。

 始まって、しまいました。

 先生の一声で教室内が響めき、クラスメイトたちはみんな、各々が向かう先へと散っていく。

 

「恋ちゃん、ローちゃん、ローザさん。3人は、どうする?」

「ごめん……ぶかつ……」

「ユーちゃんもです」

「私もユーちゃんが色んな意味で心配なのでついていくつもりですが……大丈夫ですか? 伊勢さん」

「……うん。わたしは大丈夫だよ」

 

 いつもよりも少しだけ静かに感じる教室。

 寒々しくて、味気なくて、淡泊だ。

 ……霜ちゃんと、みのりちゃんが、いないから。

 

「水早さんに香取さん、終業式に来ませんでしたね」

「うん……」

 

 学校に来ない。

 それはつまり、2人は、わたしたちに会おうとしないということ。

 わたしが断ち切ってしまった縁の糸は、いまだ、切れたまま。

 

「だ、だいじょーぶです! 小鈴さん! きっと、2人とも……」

「……ありがと、ユーちゃん」

「うゅ……」

 

 わかってる、わかってるんだ。

 落ち込んでばかりはいられないって。立ち止まってちゃいけないって。

 それでも、ずっと一緒だった友達と会えないというのは、やっぱり、辛いよ。

 あんな別れ方をしてしまったことに、後悔と自責が押し寄せて、胸が苦しい。

 早く、早く、なんとかしたい。そんな焦燥感に駆られ、追い回されるような感覚がずっと蝕んでいる。

 

「私としても、お二方には恩義も義理もあります。このまま放置しておく訳にはいきません。休みに入って私たちも動きやすくなったので、もう少し力を入れて探してみましょう」

「……しろみ、も」

「そう、だね」

 

 いまだ手掛かりはなにひとつとしてないけれど。

 みんながいるんだ。

 わたしはあきらめない。あきらめてしまった人の分まで、前に進む。

 そう――決めたんだ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 とは言ったものの、終業式というのは、色んなコミュニティにおける区切りでもあるわけで。

 わたしはどの部活にも入ってないから関係ないんだけど、恋ちゃんは学援部、ユーちゃんは遊泳部と、それぞれ向かいました。ローザさんはユーちゃんの付き添い……監視? 護衛? なんと表現すれば良いのか迷いのだけれども、とにかくユーちゃんと一緒。

 というわけで、今日の帰りは1人です。

 ……いつもなら、誰かしらはいるんだけどね。みのりちゃんか、霜ちゃんか、誰かが。

 そんなことを嘆いても、仕方ないのだけれど。

 …………

 ……お昼ご飯、どうしようかな。

 

「今日はお姉ちゃんは生徒会、お母さんも編集さんと打ち合わせで外食……お昼、どうしようかなぁ」

 

 家に帰って1人で食べる? いやいや。

 こういう事態は前からよくあった。そしてこういう時、わたしは決まって行く場所があるのです。

 

「……今日はここのパン屋さんにしようかな」

 

 ふらりと気の向くままに足が伸びたパン屋さん。伊達にこの町の――場合によっては隣町まで――パン屋巡りをしてはいないよ。

 まあ、今日のパン屋さんは家の近くにある、よく通い詰めたところなんだけどね。通いすぎて顔も覚えられちゃった。

 パンが焼ける匂いに惹かれるように、ふらふらー、と店へと歩を進めていく。

 すると店頭で、店員さんが一欠片のパンを配っている姿が見えた。

 

「試食……」

 

 新作のパンかな……おいしそう……

 

「こ、こんにちはー」

「あら、こんにちは小鈴ちゃん。今日は随分と早いのね」

「今日は終業式だったので……」

「そうなの。あ、新作のパンができたのだけれど、食べていかない?」

「それじゃあ、いただきます」

 

 むぐむぐ……これは……

 試食用に小さくカットされていたからよくわからなかったけど、パン生地とクッキー生地の合わさった食感に、この甘さは、メロンパンなのかな。

 中にナッツが入ってて、メロンパン独特の食感にさらにアクセントが付いて、良い感じだ。ポリポリと口内で響く音が小気味よい。

 それに、ナッツの風味がメロンパンの甘さに負けないように、メロンパン自体の甘さを少し抑えてるみたい。くどくない味付けで、飽きさせない工夫がされている。

 

「……おいしい」

「それはよかった。今セール中だから、よかったらどうぞ」

「はい。それじゃあ……」

 

 ……メロンパンかぁ。

 そういえば“あの子”は、メロンパン好きだったっけ。

 もし一緒だったら……そんなことを考えながら入店した、直後。

 

 

 

「だからさー! 別にいいじゃないか! 鬼じゃあるまいし!」

 

 

 

 店内に轟くほどの怒声で、そんな思考は一瞬で吹き飛んだ。

 

「な、何事……っ?」

 

 お店に入ると、なにやら店員さんと男の人が揉めているみたいだった。必死に弁舌する男の人に対して、店員さんは困った表情をしている。

 これはもしかして、クレーマー、というやつでしょうか……?

 

「さっきはなにもなく食べさせてくれたじゃないか! どうしていきなりダメなんだい!?」

「いえ、店先のものは無料の試食で、商品となるときちんとお金をお支払い頂かなければ……」

「こんなにも素晴らしい食べ物を、食べずにそのまま置いて腐らせるなんてどうかしてるよ! こんなにも美味しいのに! 君は鬼か!?」

「それはその……お褒め頂き光栄ですが……」

「いいからこれ頂戴よ! 食べさせたい人がいるんだ!」

「いえですから、代金を……」

「くぅ! さっきからわけのわからないことをつらつらと……!」

「貨幣経済ってそんなにわからないことでしょうか……?」

 

 ……お金がないのかな?

 話を聞く限り、文句という感じでもないし……それに、ここのパンをおいしいって絶賛してるし、悪い人ではなさそう。

 うーん……

 

「あ……あのっ!」

「うん? なんだい君は?」

「その、あんまり状況、よくわかんないんですけど……」

 

 悩みに悩んだ末、わたしは横入りする。

 でも、やっぱり放っておけなかったんだ。

 だからつい、言ってしまった。

 

「わ、わたしが払いましょうか……?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「いやぁ、ありがとう! 君はとても親切だ! 渡る世間に鬼はいないって本当だったんだね!」

「いえ、そんな……」

 

 男の人がほしがっていたナッツ入りメロンパンの分の代金をわたしが払い、ついでにわたしの分も買って、店内の飲食スペースへ。

 男の人は快活な笑顔で、とてもおいしそうに、そのメロンパンにかぶりついていた。

 

「うん、やっぱり美味しい! これなら彼女も元気になるに違いない!」

 

 すごくおいしそうに食べるなぁ。

 この人も、パン好きなのかな?

 

「そういえば、食べさせたい人がいるって聞こえましたけど……」

「あぁ! とても、とても大切な人がいるんだ。僕に自由と、この滾る情熱を与えてくれた、母のような大事な人が」

「はぁ……」

「でも彼女は、一度も僕に笑顔を見せてくれない。いっつも俯いてて、哀しそうで、苦しそうなんだ」

「病気なんでしょうか……? それは、その……大変、ですね」

「そうだろう? この世界はこんなにも素晴らしいのに! こんなにも楽しくて、自由に溢れてて、君のように親切で可愛い子もいるというのに! 暗い顔をしてジッとしているだなんて、もったいないじゃないか!」

 

 身振り手振りで大仰に、大袈裟に、彼は熱弁を振るう。

 とても真剣な眼だ。

 嘘や偽りではない。誇張でも誇大妄想でもない。

 それが思うままの真実であると言わんばかりだ。

 

「僕は彼女への恩義……いいや! 彼女の笑顔が見たいんだ! 哀しい顔ばかりなんて、そんなのはもうたくさんだ!」

 

 それは理論とか理屈なんかじゃない。

 純粋で、単純な、情熱だ。

 とにかく滾る熱意で、彼は語り続ける。

 

「でも僕にはどうすれば彼女が笑顔になるのかわからない。だからその方法を探すために歩き回ってたんだ。そして見つけたよ。きっとこの最高に美味しいものを食べれば、笑顔になるはずさ!」

 

 それは……どうなんだろう。

 病気しているのなら、それ相応の治療というものがあるのだと思う。彼の言葉にはなんの根拠もない。

 でも、彼の信じる情熱は、否定できなかったし、否定したくなかった。

 こんなにもまっすぐな心意気を、無粋な言葉で台無しにしたくはない。

 不思議と、応援したくなっていた。

 

「……そうだと、いいですね」

「だから君には感謝しているよ! ありがとう! えーっと……名前はなんと言ったっけ?」

「小鈴です。伊勢小鈴」

「小鈴か! いい名前だ! それじゃあ僕も名乗らないとね」

 

 彼は滾るほどの赤髪を揺らして、揺らめく炎のような瞳で、力強く名乗りを上げた。

 

「僕はヘリオス。ヘリオス・マヴォルス! よろしく!」

「よ、よろしくお願いします……ヘリオス、さん?」

 

 変わった名前……外国の人なのかな。

 外国人なら、神様とか聖人の名前とかにちなんで名付けることもあるらしいし、ヘリオスさんの名前もそんな感じなのかなぁ。

 ヘリオスさんは残ったメロンパンを口に放り込むと、満面の笑顔で席を立った。

 

「うん! 食べた食べた! 美味しかったよ!」

「いえ……その、元気になるといいですね」

「そうだね。今からこれを彼女に食べさせに戻るとするよ。もし彼女が元気になったら、3人一緒にどこか遊びに行こう!」

「えっと、き、機会があれば……はい」

「決まりだね! それじゃあありがとう小鈴! また会おう!」

 

 行動を起こしたら一直線な人だ。

 嵐のように出逢い、そのまま疾風の如く立ち去ってしまった・

 

「……大切な人、かぁ」

 

 彼との話の中で、ふっと、湧き上がった。

 このメロンパンを食べさせたい人なら、わたしにも、いるから。

 

「わたしも……会いたいなぁ」

 

 霜ちゃん、みのりちゃん。それに――

 

 

 

 

 

 ――代海ちゃん。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

『めるめる~! みんなー、またいっぱいイロイロ教えてねー! チャンネル登録はこちら――』

 

 暗い部屋の中に、パソコンの光が煌々と、あるいは暗鬱と、やつれた顔を照らす。

 

「あー……海原メルちゃん、可愛いなぁ」

 

 お世辞にも顔色が良いとは言えず、髪はボサボサ、肌も荒れ、瞳も濁りきった廃人のような少女の双眸。けれどその顔は、笑っていた。

 あまりも寒々しく、虚無的な、渇いた笑みだった。

 それでも彼女は――香取実子は、笑っている。

 

「ぽっと出Vチューバーなのにもうこの人気……あぁ、可愛い。とにかく可愛い、完璧に可愛いのツボを抑えてる」

 

 どことなく狂信者のような雰囲気を醸し出しながら、実子は画面を切り替える。

 別の動画。今度は(恐らく不正に)ネットに上げられた、アイドルの動画。画面内では、実子とそう変わらないような年の少女が、歌い、踊っている。

 

「でも、リアルアイドルも捨てがたいよねぇ。那珂川亜夢ちゃん……ライブ行ったらデュエマができる、直に触れ合える……夢だよなぁ」

 

 ぶつぶつとそんなことを呟きながら、動画が終わる。

 弾むようなメロディは消え、華やかなステップも止み、パソコンの明かりだけが光る空白の時間。

 実子は、後ろに倒れ込んだ。

 

「……なにやってんだ私」

 

 急に、意識が現実に引き戻される。

 実子はコーカス・レース以降、家に引きこもっていた。たまに食料を買いに出かけたりはしたが、ほとんど動かない。

 惰眠を貪り、微かな糧を食い潰し、遙か彼方にある虚構の偶像を崇拝し続けていた。

 

「おなか空いた……あー、ご飯作るの面倒くさい……」

 

 ふらふらと這うように冷蔵庫まで行き、扉を開ける。

 

「うっわ、冷蔵庫に虚無しかない……乾麺も、カップ麺も、全滅かぁ。なんか買ってくるしか……お金あったっけ……」

 

 棚を漁っても、なにも出てこない。買ってきた食料はすべて食い尽くしてしまったようだ。

 ならばと財布を確認するが、非常に軽い。

 振っても小銭の音すらしない。

 

「うーん、カードに金かけすぎたかなぁ。でも楽しくなっちゃうんだよねぇ……楽しかった、な」

 

 手元を探ると、指先に触れる、固い感触。

 何度も、何度も握って、開いて、触れてきた。

 たかが紙。しかしただの紙以上の歓楽と、興奮と、安心が、そこにはあった。

 

「デュエマ……」

 

 実子は床に放り出されていたそれを手に取る。

 生活費を削るほどに大枚はたき、長い時間をかけて育て上げた紙束。

 自分が多くのリソースを割いたモノが、ここにある。

 いや。それは、今はもう、失われてしまったけれど。

 それを失われたままにしてしまうのは、あまりにも損失が過ぎる。

 これを売れば僅かな食い扶持くらいは稼げるのだろうかと、一瞬だけ考えた。

 ほんの、一瞬だけ。

 

「……やっぱわたしには、あの子しかいないなぁ」

 

 手放すなんて、できなかった。

 がらんどうな心を埋めるために、ネットアイドルやらに手を出したが、この大きな穴はそれでは埋まらない。

 やはり、どうしても捨てきれない。不利益があり、未練がある。

 自分が好きになる人は、どうしても彼女しかないようだ。

 

 

 

「――小鈴ちゃん」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 気付けば実子は家を出ていた。

 空腹も知らず、ずるずると引きずるように人のいない、中天の町を徘徊する。

 彼女に、会うために。

 ずっと、ずっと、歩いた。

 自転車を使えば良かったと思ったが、今から引き返すのも面倒だ。

 なので、ひたすら歩を進めた。

 どこにあるのかもわからない誘蛾灯に誘われるかのように。

 甘い、甘い、蜜を求めるかのように。

 その最中。

 “彼”と、出逢った。

 

「ん?」

「…………」

 

 バッタリ出逢った、とはこのことだろう。

 気付けば目の前に、彼はいた。

 背が低く、痩躯で、女よりも女らしい整った顔立ち。

 少女のような、それでいて少年のようでもある出で立ち。

 実子は、なぜか口元が歪む。

 

「おやぁ? 水早君、これはこれは奇遇だねぇ」

「実子……」

 

 彼は――水早霜は、怪訝そうに実子を見遣る。

 幼さを残した女顔にそぐわない鋭い目つきで、実子を睨んでいる。

 

「この時間は学校じゃないの?」

「今日は終業式だ、冬休みだ」

「あーそっか。午前で終わりなんだね。で、私服で学校帰り?」

「学校には行ってない」

「こっちも奇遇。私もだよ」

「見れば分かる」

 

 あくまでも陽気に語りかける実子に対して、霜の態度はどこか冷ややかだった。

 

「それでで、君はこっちの町まで来てなにをしている?」

「ん? 小鈴ちゃんのとこに行こうかなって。どこにいるか知ってる?」

「知らない。彼女たちとはあれ以来会ってないし、会うつもりはない」

「ふーん。じゃあさ、じゃあ携帯貸してよ」

「携帯?」

「実は携帯なくしちゃったんだよね。というか盗まれた、クソガキに。あ、ヤバ。こういうのってなんか解約手続き的なのしなきゃいけないんだっけ? 個人情報保護みたいなのさぁ」

「ボクが知るか」

「まあいいや。とにかく貸してよ。あの子に電話するから。流石に連絡先はそらで覚えてなくてさぁ。家の電話も使えないんだよね」

「……会って、どうする気だ?」

「どうって? 決まってるじゃん、仲直りするんだよ」

 

 あっけらかんと、実子は言い放った。

 その瞬間、霜のほんの少し歪む。

 そして、ゆっくりと、けれども重く、口を開いた。

 

「やめとけ。ボクたちは彼女に見限られた。ボクたちのやり方、考え方、在り方は……彼女の意向には沿わない」

「んー……まあそうかもしれないけど、でもほら、あの子は優しいから。仲直りしようって言えば、きっと仲直りしてくれるって」

「そういう問題じゃない」

「じゃあなにが問題なんですかー?」

 

 対極的な2人だった。

 冷たく、冷ややかに、冷淡に。氷のように言葉を紡ぐ霜。

 実子はそんな霜の態度を知ってか知らないでか、飄々と、どこかあっけらかんと流していく。

 けれど2人に共通するのは。

 その言葉の裏に、刃のような鋭さを隠しているということだった。

 ただの会話のようで、息が詰まるような、間合の測り合いをしている。

 物理的な間合だけではなく、それは相手の心理的なものにさえも、躙り寄る。

 

「彼女に突き放された以上、ボクらはもう、彼女と関わるべきではない。ボクらから彼女に接触するのは、彼女のためにならない」

「は? 理屈が意味不明なんだけど。いやまあ、水早君が小鈴ちゃんに近づかないのは別にいいけどね? 私には関係ないことだし」

 

 実子は笑っている。けれども明確に、ほんの微かだが、その視線に“敵意”を滲ませた。

 

「でもさ、君が私の自由を縛る謂われはないよね?」

「君を小鈴と引き合わせたくない」

「なんで?」

「君といると、小鈴が腐る」

「私、別に腐女子とかじゃないんだけどなー。どっちかっていうと百合派?」

「茶化すな。ボクが気付いてないとでも思ったか」

 

 迂遠に攻めても、実子はそれを躱してしまう。歪曲した言葉では、彼女に透かされる。

 こうするしかないと、霜は彼女をまっすぐに見据える。

 実子が滲ませた敵意よりも、より大きな眼差しで。

 彼女の真実を、暴き出す。

 

 

 

「君は――小鈴が好きなわけじゃないだろ」

 

 

 

「…………」

 

 実子は口を閉ざした。

 その表情からは、一切の笑みが消えていた。意外そうに、驚いたように、目を丸くして、しかし瞳の奥底は汚泥の如く濁っている。

 霜はさらに、畳みかけた。

 追撃するように。

 彼女の邪悪の根源を、白日の下に曝け出すように。

 その真実を、確かめるように。

 

「君が好きなのは自分自身だ。君は、自分の快楽のために彼女に取り入っているだけだ。君の根源にあるのは、彼女への好意や愛なんかじゃない。すべては、君のどうしようもない利己欲だろう」

 

 本当はずっと前から気付いていた。

 香取実子は、伊勢小鈴が好きなわけではないのだと。

 小鈴が好きな自分が好き。

 歪んだ愛にして、自己愛。

 小鈴を好くのは、その愛を振りまく行為によって、自分が悦に浸るため。

 友を玩具にするような、醜い利己的な慰めだ。

 彼女の前ではこんなことは絶対に言えなかったが。

 今この場には、2人きり。大切な彼女はいないし、もう、会うこともない。

 故に霜は、実子の抱えた“邪悪”を暴く。

 それを、彼女に突きつける。

 

 

 

「……あはっ」

 

 

 

 すると、実子は笑った。

 満面の笑み、だった。

 しかし彼女の目は、変わらず濁ったままだ。

 

「バレないと思ったんだけどなぁ。本当に聡いよ、君。あったまいぃー」

「恋はどうだかわからないが、ローも君のことは、おちゃらけた女くらいにしか思っていなかっただろうが……ボクの目は誤魔化せない。彼女に這い寄る悪意は、見逃さない」

「悪意なんて酷いなぁ。立派な好意だよ。これも愛だよ、愛」

「自分のための愛か。そいつは確かに立派だね。立派な邪悪だ」

「…………」

 

 実子は、昏い眼で笑いながら、霜をジッと見つめている。

 霜も、実子のことは見ていた。あまりにも無防備で、儚く、脆い友人を守るために、彼女が友と認めた仲間達すらも、霜は監視し()ていた。

 歓楽で共に歩むユーリア。正しさを互いに認め合うローザ。憧れで繋がった謡。恋は、なにかを隠しているようで、いまひとつ掴みきれなかったが、しかし恋も小鈴の生み出す和、彼女の世界を大事にしようとしているのは理解できた。

 だが、実子が小鈴と共に在る理由は、彼女ら3人とは決定的に違う。

 喜びを分かち合うためではなく、正道に添うからなんてことはあり得るはずもなく、憧憬も最初から存在しない。

 彼女は小鈴を見ているようで、その実、ずっと見続けていたのは、自分自身。

 自分のために、小鈴に取り入っている。

 伊勢小鈴という優しさの塊から、甘い蜜を吸い上げるために。

 

「小鈴は、今時珍しいくらい、いい子だ。優しくて、甘くて、ぬるい。その温床に浸っているのは、さぞ気持ちが良いのだろうね」

「なにが言いたいのかな?」

「優しさはいいさ、それは彼女の魅力だから。甘さも認める、それが彼女の美徳だから。ぬるさも許そう、それも彼女の寛容さだから」

 

 どれもこれも、彼女の未熟な面であるが、同時にそれは彼女の美点でもある。

 危うさはあるけれど、その危うさも含めた彼女の柔らかさ、何者も認める包容力が小鈴の力だ。

 表裏一体の彼女の色、それそのものは善でも悪でもない。

 しかし、

 

「それを利己的に吸い出すことは、見過ごせない」

 

 そんな彼女の甘さに付け入るような行いは、許せなかった。

 その小狡さも。そして、そんな甘さに浸り続けることをよしとする精神性も。

 

「彼女の甘さは、根本的には“弱さ”なんだ。あらゆる弱みを、甘えで包んでいるだけだ。それはボクらのようなはぐれ者にとっては救済かも知れないけれど、同時に諸刃の剣でもある。彼女から提供される甘さは、自らを律しなければ、その甘さで心が腐る。やがては彼女自身の強さ、展望、未来さえも、堕落させてしまう。ボクは……そんな彼女にはしたくない。なってほしくない」

 

 甘い蜜は、その蜜を吸う者も、その蜜を湧き出す者も、律しなければ等しく腐らせる。

 小鈴は色んな人を救い、そしてこらからも救うだろう。

 しかしそんな彼女の甘さに、いつまでも甘えてるべきではない。

 そして彼女自身も、自分の甘さで腐るべきではない。

 少なくとも霜は、そう信じている。

 

「君がいると、彼女はなにもかも甘え、甘やかすままだ。彼女は君を甘やかして腐らせる。彼女も君を甘やかして、腐っていく」

「甘いの上等じゃん。私、優しい世界って大好き」

「だけど、それじゃあ……」

「あのね? 誰もが向上心を持って生きていると思ったら大間違いなんだよ」

 

 実子は、吐き捨てるように言った。

 

「楽して生きたいじゃん。楽しくありたいじゃん。苦しいのは嫌じゃん。そんな簡単なこともわからないの?」

 

 それはいっそ清々しいほどに開き直った、欲望の発露だった。

 根源的欲求。しかしそれはある種の真理でもある。

 

「なんのために人って進歩するの? お湯を注ぐだけで食べられるものはどうしてできたの? なんで機械が作られたり、携帯がこんなに小さくなったりしてるの? 全部全部ぜーんぶ! 楽をするためじゃないの?」

「それは人類が努力の末に掴み取った利便性であって、君がやっているのはただの堕落だ。甘ったれた精神と、人類史の進歩を同列に語るな。図々しいぞ」

「図々しくなけりゃこんな人格してないっつーの。そもそもさぁ」

 

 実子は、蔑むような視線で、霜を見下す。

 

「私が小鈴ちゃんに会いに行くのは、私と小鈴ちゃんの問題なんですけど。部外者は黙っててもらえます?」

「ボクは……」

「君はもう小鈴ちゃんと縁切ったんでしょ? 友達やめたんでしょ? 私はそのつもりはないから。勝手に一緒くたにしないで」

 

 実子はそう言って、歩を進めようとする。

 しかしそれは、霜が許さない。

 

「……確かにボクはもう、小鈴とは友達じゃない」

 

 それは霜の中では確固たる真実として確立した。

 自分はもう彼女と接する資格がない。彼女との縁を断ち切られた。

 それは哀しいことだけれども、自分と彼女の決定的な見解の相違だと、甘んじて受け入れよう。

 

「だけど、彼女がボクの大切な人であることは、変わらない」

 

 たとえ縁が切れても、繋がりが失われても。

 彼女に拒絶されようと、嫌われようと。

 ……友だと言えなくなったとしても。

 自分が彼女を思う気持ちは、喪われない。

 だって。

 

「ボクだって……小鈴に、救われたんだから……!」

 

 そう。確かに、水早霜という少年は、伊勢小鈴に救われたのだ。

 誤った道筋を正してくれたのは、別の少女だった。あの小さな少女のお陰で、間違った自分を追い出すことができた。

 しかし道を間違えたことで背負うことになった咎は消えない。

 罪を犯した。アブノーマルでマイノリティな嗜好を持っていた。男か女かも覚束ないような下等な人間だった。

 誰も彼もに忌避されるような存在。それはこの社会において、陽光の下を歩めぬ日陰者の身。

 しかし、それでも手を差し伸べてくれたのが、彼女だった。

 彼女のお陰で、水早霜は今、ここにいる。こうして自分を確立できている。

 修正された自分自身が、正しい道を歩むことができているのだ。

 自分が、違わず、誤らず、自分の望む未来に進めるのは、他でもない、かつての友のお陰。

 その恩義は決して忘れない。たとえ、彼女との繋がりが断たれていようとも。

 だから。

 

 

 

「たとえ拒まれたとしても、友達じゃなかろうとも! ボクは大事な人を守るんだ!」

 

 

 

 もう二度と、失いたくないから。

 二度目は、絶対に、嫌だから。

 彼女の正しく清らかな未来を護るために、水早霜は、香取実子の前に立ち塞がる。

 そして、実子は。

 

「……うっざ」

 

 もはや、笑っていなかった。

 苛立ちに顔を歪め、瞳に侮蔑を湛え、唾棄すべきものを嘲るように吐き捨てる。

 

「邪魔するなよモヤシ。いいからそこ退けって」

「いいや、ここは通さない。お前のような堕落しきった裏切りの権化を、彼女に引き合わせるわけにはいかない」

「……裏切り、ねぇ」

「違うのか?」

「さーね」

 

 うっすらと霜も感じている。

 今の実子は、どこかおかしい。いや、不安定だと。

 いつもはひた隠しにしている邪悪さが、目に見えてわかるほど、滲み出ている。

 こんな危険な状態の実子を、小鈴と会わせたくはない。きっとその堕落も、彼女なら許してしまうから。

 しかし小鈴が許しても霜は許さない。

 実子がいくら堕落しようと、そんなものは、もう知ったことではないが。

 その邪悪さのせいで、小鈴までもが腐り堕ちてしまうようなことだけは、万が一にでも、あってはいけない。

 清純で、純朴で、ひだまりのような彼女の明るさ、清らかさを、穢すわけにはいかない。

 ゆらり、ゆらりと、実子は揺らめくように一歩、また一歩と霜に近づいていく。

 

 

 

 ――頃合いですね――

 

 

 

 

 どこからか、声が聞こえた気がした。

 刹那。

 

 

 

ぐにゃり

 

 

 

 世界が、歪む。

 

 暗転。

 

 覚醒。

 

 気がつけばそこは、見慣れた町などではなかった。

 広い、けれども雑多に散乱した物のせいで狭くなっている、一室。

 散らばっているのは紙。どれもこれも、わけのわからない文字の羅列がびっしりと書き込まれた、意味不明な白紙。本。

 他にも、動物の毛、皮、骨。どこかで見たような花、葉、根。用途不明な機械の螺子(ネジ)撥条(バネ)歯車(ギア)

 壁際には試験管、フラスコ、ビーカー、薬瓶。数々の実験器具。

 そして、如何なる言語で書かれているのかも定かではない書物が、びっしりと並んでいた。

 天井からは角灯がひとつだけ吊り下がっており、煌々と室内を照らしている。

 その真下には巨大な鍋――いや、釜だ。白くも見え、青くも見え、黒くも見え、赤くも見え、あるいは緑色にも見えるような、極彩色にして混濁の液体がぐつぐつと煮え滾り、謎の煙を噴き上げている。

 その様相は、まるで実験室であり、図書館だ。

 

「な、なんだよ、ここ……!?」

 

 あまりにも突然の出来事に、理解が追いつかない。

 クリーチャーと戦う際に、周囲の景色が変わるというのはいつものことだが、しかしこんな景色は今までなかった。

 明らかに、異常だ。

 

「あーもう、わっけわかんないなぁ……わかんないけどさぁ」

 

 そして異常と言うのならば。

 彼女もまた、異常であった。

 

「君、ムカつくからさぁ。ボコしていいよね?」

「……蛮族め」

 

 そんなことをしている場合ではないだろうと言ったところで、今の彼女に届くとは思えなかった。

 それに力ずくで彼女を止めると言うのならば、これ以上の舞台もない。霜の腕力では彼女には敵わないのだから。

 霜と実子。“敵同士”である2人は、互いにデッキを取った。

 

 

 

 ――彼らはなぜ、争うのだろう。

 友のためか。自分のためか。

 狂っているからか。信念があるからか。

 それが運命だからか。何者かの策謀だからか。

 それらはきっと、すべて正しく、すべては誤り。

 しかし賽は投げられた。

 神は賽を振らない。神話は賽では揺らがない。

 賽に翻弄されるのは、人なのだ。

 これはその最初の一幕。

 楽劇の序夜は、仲違い(PvP)

 人は愚かであるが故に。

 人と人は、争うのだ――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「《怒流牙(どるげ) 佐助の超人(サルトビ・ジャイアント)》を召喚! 1枚ドロー、1枚ディスカード、墓地のカードをマナへ!」

「んー、じゃあ私はぁ、《DROROOON(ドロローン)・バックラスター》召喚! 能力でGR召喚!」

 

 実子の一手に、霜は小さく舌打ちする。

 天井をぶち破って現れた爆撃機は、増援を降下。さらには、そのまま空中から空襲を開始する。

 

「《ゴルドンゴルドー》! こいつはそのままで、GRクリーチャーが出たから《バックラスター》の能力で強制バトル!」

「たかだか《佐助》程度に、随分と慎重だな」

「それ《プラズマ》の種でしょ? そんなら潰すに限るよね」

「……こいつに手を見透かされるとは、癪な話だな」

「イライラしてる? いいよ、私はもっとムカついてるからさ!」

 

 爆風が止み、黒煙が晴れた。

 派手に爆撃されたが、こんなものは序の口。

 実子の抱える“モノ”は、いまだ炸裂していない。

 

 

 

ターン3

 

 

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:2

山札:26

 

 

実子

場:《バックラスター》《ゴルドー》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

 

「ボクのターン。《龍覇 M・A・S(メタルアベンジャーソリッド)》を召喚! 《ゴルドンゴルドー》をバウンス! そして《龍波動空母 エビデゴラス》を設置だ!」

「させないっての! 《バンオク・ロック》! 《サザン・エー》をGR召喚! GRクリーチャーが出たから、《バックラスター》で《M・A・S》を破壊!」

「く……っ!」

「さらにマナドライブ!《サザン・エー》を破壊して2枚ドロー!」

 

 まるでクリーチャーを残せず、霜は歯噛みする。

 目の前の惨状こそ派手だが、実子は執拗に、ねちっこく、嫌らしく、霜のクリーチャーを撃墜していく。

 どうすれば彼が嫌がるのか。彼の顔が嫌悪に歪むのか。彼を苛立たせるにはどうすればいいのか。

 それを知っているかのように、実子はカードを切っていく。

 

 

 

ターン4

 

 

場:《エビデゴラス》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:3

山札:25

 

 

実子

場:《バックラスター》

盾:5

マナ:6

手札:4

墓地:1

山札:23

 

 

 

 

「ボクのターンだ! 《エビデゴラス》の効果で追加ドロー!」

 

 クリーチャーこそ残せないが、霜には《エビデゴラス》がある。これでドローが加速し、手札が増える。

 手札の多さは選択肢の広さ。そして選択肢の広さは、切り開く未来にある、可能性の大きさだ。

 

「ここは……6マナ! 《*/弐幻キューギョドリ/*》!」

「ギガ・オレガ・オーラ……」

「《全能ゼンノー》と《天啓(エナジー) CX-20》をGR召喚! 《キューギョドリ》は《ゼンノー》に付ける! 《天啓》で3枚ドローだ!」

 

 霜はさらにドローを加速。そして、

 

「これで5枚以上引いた! 《エビデゴラス》を《Q.E.D.+》に龍解だ!」

「わぉ、まぐれで龍解なんてやるじゃん!」

 

 パワー4000まで強化した《全能ゼンノー》。そして手札を補充し続ける攻撃機《Q.E.D.+》。

 着々と霜も盛り返してはいる、が。

 

「でもさぁ、そんなんで私を止められると思ってるのかな!?」

 

 実子は、猛禽のように狂った目と牙を剥く。

 

「3マナで《“極限駆雷(クライマックス)”ブランド》! 《マリゴルドⅢ》をGR召喚! GRクリーチャーが出たから、《ゼンノー》とバトル!」

「これは、連鎖するな……!」

「その通り! 《マリゴルド》の能力で《バンオク・ロック》をバトルゾーンへ! もう一度GR召喚! 《ダダダチッコ・ダッチー》! 《天啓》もバトルで破壊するよ!」

 

 連続爆撃。いくらオーラで強化しても、《バックラスター》のパワーはバトル中は6000だ。《キューギョドリ》ごと《ゼンノー》は爆破され、その余波で《天啓》も木っ端微塵に吹き飛んだ。

 

「まったく雑な基盤だな。有り物で誤魔化してるのが丸わかりだ。美しくない、醜い造型だよ」

「有り物結構! 弱けりゃ綺麗でも価値はないね! そら、《ダチッコ》のマナドライブで《スゴ腕プロジューサー》をバトルゾーンへ! 《天啓 CX-20》をGR召喚! 3枚ドロー!」

 

 流石に、危機感を覚えざるを得ない。

 ただクリーチャーが撃墜されるだけなら、まだいい。

 だがこれは、ただの殲滅ではない。増援による殲滅領域の拡大だ。

 霜のクリーチャーが破壊されるたびに、実子はクリーチャーを増やしていく。打点だけなら、余裕で霜をぶち抜けるだけの数が揃っている。

 マナも、手札も、場も、なにもかもが潤沢に揃った盤面。

 それでも実子は、貪欲に手を伸ばし続ける。

 自らの欲望に従って。

 

「まだまだぁ! 《“極限駆雷”ブランド》の能力で、GRクリーチャーが出るたびに、私が次に使う火のカードのコストが1下がる! 2マナで《“極限駆雷”ブランド》を召喚!」

「まだ出るのか……!」

「《クリスマⅢ》をGR召喚! 破壊して、マナ加速! 《“極限駆雷”ブランド》を回収! 2体の《“極限駆雷”ブランド》の能力で、1マナで3枚目の《“極限駆雷”ブランド》を召喚! 《サザン・エー》をGR召喚、破壊して2枚ドロー!」

 

 《“極限駆雷”ブランド》から《“極限駆雷”ブランド》が連鎖する悪夢のような隊列。

 大きくはない。有象無象だ。しかし、あまりにも数が多い。

 途切れることのない怒濤の火力。

 これでもまだ、実子は本命を投入していないのだ。

 後に控えているであろう、巨大な裏切りの権化を。

 

 

 

ターン5

 

 

場:《Q.E.D.+》

盾:5

マナ:7

手札:5

墓地:4

山札:19

 

 

実子

場:《極限駆雷》×3《バックラスター》《バンオク》《プロジューサー》《マリゴルド》《ダッチー》《天啓》

盾:5

マナ:6

手札:7

墓地:1

山札:15

 

 

「ボクのターン……《Q.E.D.+》の能力でトップを固定、追加ドローだ」

「あっれれー? なんかしょぼい野郎がしょぼいことしてる。あんなに息巻いてたのにすっかり大人しくなっちゃって。ねぇ、今どんな気持ち?」

「下品なアドの取り方だと思ってるよ」

「は? 意味不明なんですけど。アド取りに品もクソもないでしょ」

「君のそれはカードパワーの暴力でゴリ押しているだけ。シナジーもなにもない。脳ミソが腐ったゴミのような戦い方だ」

「うんうん、そっかぁ。いいよ、私優しいから。負けた時の言い訳くらい許してあげる」

 

 にっこりと満面の笑みを見せた、直後。

 

「次のターン覚えてろよ」

 

 唸るような引く声で、言い放つ。

 威嚇だ。こんなものは、ただ咆えているだけだ。

 今更、その程度で臆する霜ではない。状況は危機的だが、だからといって怯んだりはしない。

 

「《キューギョドリ》を使用する。《天啓 CX-20》と《静止(クワイエット) TB-30》をGR召喚! 《キューギョドリ》は《天啓》につける。そして《天啓》のマナドライブで3枚ドロー、《静止 TB-30》は破壊、《バンオク・ロック》《“極限駆雷”ブランド》《スゴ腕プロジューサー》を拘束!」

「ちっ、でも、そんなの当座凌ぎだよ。いや、凌ぐことすらできないかもね?」

「《アナリス》を召喚。ターンエンドだ」

「ガン無視かよ。コミュニケーション取ろうよー、一方的にボコボコにするだけだけど、負け惜しみと遺言くらいは聞き流してあげるからさ」

 

 と、軽口を叩きながら。

 実子は引いたカードを放る。

 

「3マナで《“極限駆雷”ブランド》!」

「4枚目……!」

「《クリスマⅢ》をGR召喚! 破壊してマナゾーンから《リュウセイ・ジ・アース》を回収!」

「! 来るか……!」

 

 実子が回収したカードを見て、霜は構える。

 アレをわざわざ回収したということは、彼女は既に切り札を握っている。

 《静止》などでは止めきれない、最大の爆弾を。

 

「4体の《“極限駆雷”ブランド》の能力で4マナ軽減! 2マナで《リュウセイ・ジ・アース》を召喚!」

 

 地に降り立つ流星の龍。赤緑の煌めきは、どこか皮肉っぽく輝いている。

 

「残りのマナで《アナリス》召喚! さぁ、《ジ・アース》で攻撃――する時に!」

「来るか……!」

 

 《ジ・アース》が地を発つ。

 空を飛び、角灯という小さな陽光を浴びて、そのうちに秘めたる悪辣のすべてを解放する。

 

 

 

「侵略発動!」

 

 

 

 メキ、メキ、と。

 《ジ・アース》の身体が、ひび割れ、崩壊し、飲み込まれていく。

 そして、ふっ、と実子の表情が翳る。

 

「これは裏切りじゃない……私は、裏切ってなんか、いないんだ……!」

 

 胸を掻き毟る。

 歯を喰い縛り、濁った瞳から、流れ落ちる。

 微笑も嘲笑も、義憤も憤怒も、正道も邪道も、すべてをない交ぜにして飲み込む。

 御しきれない感情は、ただその身を狂わせるだけだというのに。

 実子は、すぅっと、霜を指さした。

 

「裏切り者は――お前だ」

 

ぐぱぁっ

 

 大口が、開いた。

 

 

 

 

 

「あのクソ野郎を喰い潰せ――《裏革命目 ギョギョラス》!」

 

 

 

 

 

 《ジ・アース》は飲み込まれ、赤き輝きを喪った。

 そこにいたのは、反転した革命の龍、《ギョギョラス》。

 邪悪な笑みを浮かべて、歯牙の並ぶ大口を、霜に向けている。

 だが、しかし。

 

「翻れ《ギョギョラス》! たとえ腐っていようと! 悪し様であろうと! 私のあの子を思う自己愛は、裏切りじゃないと証明してみせろ!」

 

 侵略だけでは、終わらない。

 次に霜が見たのは、《ギョギョラス》ではなかった。

 始祖の怪鳥は翻る。

 革命は侵略に、侵略は革命に。

 反転し、成り代わる。

 

「革命チェンジ!」

 

 赤く、緑で、けれどもその鎧は蒼。

 大口には、既に長大な一振りの剣が、咥え込まれていた。

 

 

 

 

 

「ぶった切れ! 《蒼き団長 ドギラゴン剣》!」

 

 

 

 

 

 基盤がすげ替えられても、彼女の戦い方は変わらなかった。

 《リュウセイ・ジ・アース》を出発点とした、《ギョギョラス》《ドギラゴン剣》の連続踏み倒し。

 相手のクリーチャーを貪り、それを糧に、自分はクリーチャーを展開する、攻撃的で一方的なアクション。

 あまりにも乱暴で、だからこそ破壊的な暴威だ。

 

「ファイナル革命! 手札からコスト6以下の多色クリーチャー――《リュウセイ・ジ・アース》をバトルゾーンへ!」

 

 実子は、全開だ。

 《静止》でクリーチャーの動きを止められていることなどお構いなし。単純な物量で、霜を叩き伏せようとしている。

 単純で愚直だが、それを為せるだけの力が、今の彼女にはある。

 

「《ギョギョラス》で《天啓》をマナ送り! そしてマナから《バックラスター》! 《天啓 CX-20》をGR召喚して、《アナリス》とバトル!」

 

 霜のクリーチャーを破壊しながら、逆に実子は数を増やしていく。

 喰らったものを糧として、それを自分の力とする。

 性格が悪いとは思う。

 しかし、一瞬でも気を緩めれば、食い破られ、両断されてしまう。

 それだけは、霜も認めるほどには、脅威的だ。

 

「Tブレイク!」

「ぐぅ……!」

 

 一瞬で3枚もシールドが食い破られる。

 まだ実子には大量のクリーチャーがいるというのに、霜に残されたシールドは、たった2枚。

 耐えられるのだろうか。

 いいや、耐え凌ぐしかない。

 奴を、この先に、進ませてはならないから。

 この欲望と利己の権化を、彼女に近づけさせては、いけないから。

 

「そうら次いこうか! 《ジ・アース》で攻撃、《ギョギョラス》に侵略! 《Q.E.D.+》を喰らえ、そして《ジ・アース》をバトルゾーンに!」

「そいつは通さない! 《佐助の超人》! 1枚ドロー、1枚捨てる――来い、《バイケン》! 《ジ・アース》をバウンスだ!」

「だけどこの数だ! もう止まるものか! 《アナリス》でブレイク!」

「S・トリガー《キューギョドリ》! 《静止 TB-30》! 《パス・オクタン》! 《キューギョドリ》を《パス・オクタン》に付けて、1枚ドロー! 《静止 TB-30》を破壊! 《“極限駆雷”ブランド》2体と《ジ・アース》を拘束する!」

「それでもまだ足りてないよ! 《ダチッコ・ダッチー》で攻撃! 最後のシールドをブレイク!」

 

 実子の残りアタッカーは、3体。

 霜にはもうシールドはない。

 実子が押し勝つか、それとも霜が耐え切るか。

 たった一瞬、矛と盾が競合する。

 

「《マリゴルド》で攻撃! これでとどめだ!」

「《佐助》! 《バイケン》の能力とあわせて2枚ドローして、《バイケン》! 《マリゴルド》をバウンス!」

「まだまだ! 《バックラスター》でダイレクトアタック!」

「ニンジャ・ストライク、《ハヤブサマル》!」

「《バックラスター》!」

「《サイゾウミスト》!」

 

 結果は、このターンを制したのは、霜だった。

 前のターン、そしてS・トリガーから出て来た《静止》が効いた。大量展開したとはいえ、合計で6体ものクリーチャーを止めたが故に、膨大な物量を押さえ込めた。

 しかし《静止》の拘束は1ターン限り。

 もはや、次はない。

 それは霜のことではない。

 

「ちぇ……届かなかったか。よく耐えたね」

「あぁ、そしてここで決められなかった以上、君の負けだ」

 

 実子に対して、霜は、そう告げるのだった。

 

「《バイケン》の能力でドロー……そしてこのドローで、ボクはこのターン、カードを5枚引いた」

「ん? ……うわ」

 

 《キューギョドリ》と《バイケン》により、霜は相手ターン中だが、合計で5枚ものカードを引いた。

 つまり、それは、

 

 

 

「龍解――《最終龍理 Q.E.D.+》!」

 

 

 

 《Q.E.D.+》が再起動するということ。

 誰のターンかなど、関係ない。

 ただ引けばいい。それだけで、《Q.E.D.+》は動き出す。

 そしてこれが、反撃への布石だ。

 

 

 

ターン6

 

 

場:《バイケン》×2《Q.E.D.+》《オクタン[キューギョドリ]》

盾:0

マナ:11

手札:11

墓地:0

山札:15

 

 

実子

場:《極限駆雷》×4《バックラスター》×2《天啓》×2《バンオク》《プロジューサー》《ダッチー》《アナリス》《ドギラゴン剣》《ジ・アース》

盾:5

マナ:8

手札:8

墓地:1

山札:7

 

 

 

「ボクのターン! 《Q.E.D.+》の能力で山札から5枚を捲り、その中の1枚をトップに固定、その上で追加ドローだ!」

 

 霜は、山札を掘り進める。

 《Q.E.D.+》は《エビデゴラス》と違い、ただドローを加速するだけではない。

 より深くまで山の奥まで掘り起こし、本当に必要なものを探してきてくれる。

 たった1枚しかないような稀少なものさえも、これだけ掘り返せば――

 

「……引いたぞ」

 

 引いて、引いて、引いて。

 そして、彼は掴み取った。

 邪悪を滅する、切り札を。

 

「まずは、《Dの牢閣 メメント守神宮》を展開!」

「…………」

「さらに7マナをタップ!」

 

 これは本命ではない。ただの保険、おまけだ。

 本番は、ここからだ。

 《パス・オクタン》の上に、《キューギョドリ》の間に差し込むように、重ね合わせる。

 

「進化!」

 

 《キューギョドリ》に覆われた《パス・オクタン》が、水晶に包まれる。

 それは滑らかに鋭角を形作り、氷像の如く無駄を削ぎ落としていく。

 

パキンッ

 

 結晶が、砕けた。

 

 

 

 

 

「邪悪を閉ざせ――《革命龍程式 プラズマ》!」

 

 

 

 

 

 真なる革命の証を掲げた、水晶龍。

 今は電影(オーラ)を浮かべる姿なれど、その本質は変わらない。

 青き大翼を煌めかせ、かの龍は友ならざる大切な人を守るために、冷たい水晶の鎧を纏う。。

 

「これで、終わりだ! 《バイケン》で攻撃する時に!」

 

 しかし今この瞬間だけは、彼は氷の刃として、その力を握る。

 すべてを凍てつかせ、縛り付ける、楔として、それを振るう。

 

「革命チェンジ!」

 

 大切な人を守りたい。その人だけではない。その人が、清らかに生きる未来も一緒に。

 そのために、彼女に這い寄る一切の邪悪を絶つのだ。

 

 

 

「目障りなあいつを黙らせろ! 《時の法皇 ミラダンテⅩⅡ》!」

 

 

 

 嘶き時を刻む調べ。

 正しき未来を示す時針を背負った龍。

 ドローにドローを重ね、すべてのパーツは揃った。

 力任せに資源を食い潰すような、乱暴な攻勢などとはまるで違う。

 互いの干渉力、影響力、繋ぎ合わせたシナジー、それらすべてを計算して組み上げた、一撃必殺のフォーメーション。

 それが、起動する。

 

「う……っ」

 

 実子は膝を折る。

 身体が酷く重い。腕を持ち上げることはおろか、立っていることすら困難なほどの超重力が押し寄せる。

 

「ファイナル革命――お前は、コスト7以下のクリーチャーを召喚できない」

 

 実子のクリーチャーは、縛られた。

 反撃の牙も、反抗の爪も、折られる。

 

「逆転なんて許さない。指一本動かせないまま、くたばれ」

 

 コスト7以下ともなれば、ほとんどのクリーチャーは召喚不能。GR召喚すら、封じられてしまう。

 それでも実子は、全身を蝕む重力に耐えながら、笑い飛ばす。

 

「……はっ! キッツ。ブロックできないし、あとはもう盾にお祈り。いい感じの呪文、来ないかな――」

 

 ズンッ、と。

 実子の身体が、崩れ落ちる。

 上から、なにかに押し潰されているような感覚。より強い、重力

 顔面が床に押し付けられ、言葉すら、発することができない。

 

「おい、聞こえなかったのか?」

 

 そこに、霜の冷たい声が響く。

 冷淡で、冷酷な声だ。

 

「ボクは、逆転なんて許さない、と言ったんだ」

 

 霜はハラリと1枚のカードを宙空に流す。 

 

「《ファイナル・ストップ》」

「……!」

 

 放たれた呪文に、口すら開けぬ実子は、憎々しげにそれを睨み付けるだけだった。

 クリーチャーの召喚、呪文の詠唱。

 両方を封じられてしまえば、実子にできることはなにひとつとして存在しない。

 全身を雁字搦めに束縛され、無抵抗のまま、霜のクリーチャーに蹂躙されるのを待つだけだ。

 

「呪文なんて使わせるわけないだろう。そのまま一生這いつくばってろ、寄生虫」

 

 霜はそう吐き捨てる。

 次の瞬間、《ミラダンテ》が、実子のシールドを3枚、叩き割った。

 ハラリと実子の傍に3枚のカードが舞い落ちる。

 

「……ぁ……ま……」

「お前は優しいらしいけど、ボクはお前にだけは優しくしない。負け惜しみも、遺言も、聞いてやらない。このまま消え失せろ」

 

 そして、霜は次の攻撃指令を下す。

 しかし。

 

「……あんま……舐めんなよ」

 

 実子が、口を開く。

 怒りを込めて、憎悪を曝け出して。

 叫ぶ。

 

 

 

「お前なんかに――私のなにがわかるって言うんだッ!」

 

 

 

 そして、起き上がった。

 

「シールド……トリガー!」

「な……っ!?」

 

 《ミラダンテ》と《ファイナル・ストップ》の二重拘束を受けてなお、立ち上がるだけの力があるはずがない。

 ――否。

 ある。《ミラダンテ》の拘束は、強固だが、万能でも全能でもないのだ。

 

「私の切り札、忘れたとは言わせない」

 

 実子はその1枚を、握り込む。

 灼熱の炎で手が焼け付くことも厭わず、その炎を、解き放った。

 

 

 

「《メガ・ブレード・ドラゴン》!」

 

 

 

 刹那。

 霜の盤上が、燃え上がった。

 

「っ、コスト8の、トリガークリーチャー、だと……!」

「ほら早く死ねよ。相手のブロッカーを、すべて破壊!」

 

 《ミラダンテ》も、《プラズマ》も、《Q.E.D.+》も。

 霜のクリーチャーがすべて、燃え尽きてしまった。

 

(しまった、《メメント》が仇になるなんて……!)

 

 保険にと設置した《メメント守神宮》の効果によって、霜のクリーチャーすべてがブロッカーと化していた。

 しかし、それ故に、それらのクリーチャーすべてが、焼き払われてしまった。

 安全策だと思ったが、それが自らの首を絞めただけ。

 守るための力だったのに、それが自分に牙を剥く。この身をズタズタに引き裂く。

 なんという悪手。なんという裏目。なんという愚行。

 考えて、考えに考え抜いて導き出した結論が、ただ自分を、誰かを傷つけただけだなんて。

 そんなのは。

 

 ――あの時と、同じじゃないか。

 

「く……そがッ!」

「さぁ、私のターンだッ!」

 

 慟哭しようと、悔恨に咆えようと、今は勝負の真っ最中。

 動き出した流れは止められず、どちらかが果てるまで、戦いは終わらない。

 

「ドロー!」

「Dスイッチ! クリーチャーをすべてタップだ!」

「はんっ、そんなやっすい保険で止めたと思ってんなよ!」

 

 《メガ・ブレード》は召喚されてしまったが、実子は今も、《ミラダンテ》と《ファイナル・ストップ》の二重拘束を受けている最中。

 おおよそのクリーチャーは出せないし、呪文も使えない。クリーチャーはすべてタップし、まともに動ける状態ではないのだ。

 しかし、それでも。《メガ・ブレード》が《ミラダンテ》のロックを抜けたように。

 コスト8以上のクリーチャーなら、召喚できる。

 そして実子には、まだ出していない手があるのだ。

 それは、昏い、太陽のような、金色の輝きを、掲げる。

 

 

 

「私には、あの子が必要なんだ――《龍の極限 ドギラゴールデン》!」

 

 

 

 豊富なマナから無理やり捻り出された、コスト8の大型クリーチャー、《ドギラゴールデン》。

 革命チェンジも、極限ファイナル革命も、なにもかもを捨て去り、ただの一振りの刃として、それは在る。

 この《ドギラゴールデン》は、《ドギラゴン剣》の能力でスピードアタッカー。

 《ドギラゴン剣》よりも長大な剣が、霜に振りかぶられた。

 

「《ドギラゴールデン》で、ダイレクトアタック!」

「ニンジャ・ストライク! 《サイゾウミスト》!」

 

 しかし、単騎突撃程度であれば、防ぐのは容易い。

 霜は今、大量の手札を蓄えているのだ。それだけシノビも握っているのだから。

 実子は、ギラギラと殺意の眼光を光らせ、霜を睨み付けていた。

 

「次のターン……ぶち殺す!」

 

 

 

ターン6

 

 

場:《エビデゴラス》《メメント》

盾:0

マナ:12

手札:10

墓地:0

山札:17

 

 

実子

場:《極限駆雷》×4《バックラスター》×2《天啓》×2《バンオク》《プロジューサー》《ダッチー》《アナリス》《ドギラゴン剣》《メガ・ブレード》《ドギラゴールデン》

盾:2

マナ:8

手札:9

墓地:1

山札:7

 

 

 

 ターンが、返ってきた。

 このターンは来ない、来させないと思って、全力を注ぎ込んだ一撃が潰され、それでもなお、返ってきた。

 実子には無数の軍勢。手札には大量のシノビ。とはいえ、それで何ターン耐えられるというのか。

 耐えるばかりではダメだ。ただ防ぐだけでは、本当に大事なものを守れない。

 根源から、根絶しなければ。

 

「ボクのターン! 4マナで《κβ バライフ》、《全能ゼンノー》をGR召喚! そして《アナリス》を召喚!」

「今更、そんな雑魚でなにを……」

「お前を潰すために決まってるだろう。3マナで《母なる星域》! 《ゼンノー》をマナに送り、《アナリス》を《プラズマ》に進化だ!」

 

 潤沢な手札で、次の一手を考える。

 どうやって耐えるか、ではない。

 どうやって、目の前の敵を滅ぼすかを。

 

「4枚ドローして、《Q.E.D.+》に龍解! 2マナでさらに《アナリス》、そして《幻緑の双月(ドリーミング・ムーンナイフ)》を召喚、手札を1枚マナに置き、3マナで2枚目の《母なる星域》だ! 《幻緑の双月》をマナに送り、《アナリス》を《プラズマ》に進化!」

 

 大量の手札を吐き出し、そこからさらに身を削る凄まじい枚数のドロー。

 その結果、霜は一瞬で3体のアタッカーが生まれ、には新たな選択肢が発生した。

 さっきは《メガ・ブレード》で《ミラダンテ》のロックを抜け出された。

 縛り付けても抑えきれないのなら、次の手を打つまで。

 

「同じ轍は踏まない! 《プラズマ》で攻撃する時に革命チェンジ!」

 

 鐘の音が聞こえる。

 小さな鈴の音が響く。

 すべての色を包み込む、淡い色彩の音色。

 それは、霜の内に秘めたるモノを、呼び覚ます。

 

「ボクはもう……喪いたくないんだ……! 後悔するのは、もうたくさんだ……!」

 

 霜は拳を握り締める。歯を喰い縛る。

 自分を受け入れてくれた最初の少女は、いなくなった。

 あんな思いは御免だった。だから二度目は、許さない。

 きっと、耐えきれなくなってしまうから。

 居場所がなくなってしまったとしても、自分が拠所とした標だけは失いたくない。

 その一身で、霜は、鐘の音を鳴らす。

 

 

 

「ボクが、彼女を守ってみせる――《大音卿 カラフルベル》!」

 

 

 

 鮮やかな色彩が、清らかな音色を奏でる。

 安らかな旋律が、霜のクリーチャーを包み込む。

 まるで、甘くて優しい、彼女のように。

 

「壊させない……! ボクが願った未来を、ボクが守りたい明日を、お前なんかに穢させてたまるものか!」

 

 霜の叫びと共に、《カラフルベル》も奔る。

 実子に残された2枚のシールドが、砕け散った。

 《カラフルベル》の能力で、霜のクリーチャーは破壊されない。《メガ・ブレード》がトリガーしたとしても、次は焼き払うことは不可能。

 霜による第二撃を防ぐことは困難だ。

 しかし、実子は不敵に笑っていた。

 

「バーカ」

 

 そして、霜を嘲笑する。

 

「いくら侵略元になるからって、《メガ・ブレード》なんて汎用性ひっくいカードを何枚も入れてるわけないじゃん。引けなかったのかなんなのか知らないけど、《ミラダンテ》じゃなくて助かったよ」

 

 ピンッ、と実子は砕かれたシールドの1枚を弾く。

 直後、霜の足下目掛けて、時計針が深々と突き刺さった。

 

「S・トリガー《終末の時計 ザ・クロック》!」

「……止められた、か」

 

 また、選択を誤ったのかもしれない。

 なにをムキになって《カラフルベル》を出してしまったのか。冷静な判断だったのか、自分でもわからない。

 霜の手札には、《ミラダンテ》もあった。《クロック》は、止められたトリガーだったのだ。

 それを許してしまったというのは、自分もまだ甘さが残っていた、ということなのだろうか。

 彼女に絆された影響か……いや。

 彼女のせいにするべきではない。

 それはきっと、純粋な己の未熟さだ。

 

「私のターン……さて、流石に終わりかな」

「まだ終わってないよ」

「この数を捌き切れるとでも? 《プラズマ》がいても、流石に厳しいと思うけどね……というかいい加減、諦めればいいのに。なにを好きでもない子のために、無理して身体張ってるんだか」

「……なんだって?」

「いやだって君さ、小鈴ちゃんのこと、好きじゃないでしょ?」

 

 意趣返しのような言葉だった。

 しかし実子も、ハッタリや戯言でそんなことを言っているわけではなかった。

 

「私もさ、結構わかるんだよね。周囲の機微とか、この人はなにを求めてるんだろうなー、とか、どういう距離感が求められてるのかなー、とかさ。そういうの」

 

 実子が自分勝手で利己的なのはわかり切ったこと。

 しかし彼女は、馬鹿でも考えなしでもない。

 利己的であるが故に、周囲を観察している。

 そしてそれは、身近な人物――霜も、その目からは免れない。

 

「君は小鈴ちゃんに恩義を感じているのかも知れないけれど、それとあの子が好きかどうか、あの子の“思想”に同調できるかどうかは、また別じゃない?」

「っ、それは……」

「やっぱり」

 

 どこか呆れたように、そして嘲るように、実子は続ける。

 

「あの子の優しさが魅力とか言っても、君自身はあの子の甘さを受け入れられてないじゃん。それに救われたとか言っても、君自身はその居場所に甘んじる気はないじゃん。その温床は、君が嫌うものじゃん」

 

 霜は小鈴の甘さに救われた。それは事実だ。しかしその甘えは許せないと言う。

 矛盾だった。

 あるいは、それこそ自分勝手で、自己中だ。

 自分を救ったものを、自分を救ったことを良しとしても、他者がそれに縋ることは許さないなどと。

 あまりにも、傲慢が過ぎる。

 

「味方のふりして、理解者ぶって、仲間面して、結局あの子の意向に一番賛同できていないのは君じゃん。あの子に拒まれた? 違うよ。先にあの子の気持ちを拒んだのは、君なんだよ、水早君」

「っ……!」

 

 実子の言葉は、深く、深く、霜に突き刺さる。

 本当に小鈴を拒絶したのは、自分なのかと。

 否定は……できなかった。

 彼女の甘さを許しがたいと思ったことは幾度もある。そのぬるさが、彼女の進歩を阻害していると、彼女が脆いのは、彼女の優しさのせいだと、何度も思った。

 無防備なところも、隙だらけなところも、子供っぽいところも、儚いところも、すべて、すべて、すべて。

 すべてが――見てられなかった。

 

「君は今の小鈴ちゃんが嫌いで、自分の理想のあの子を勝手に当て嵌めて考えてるだけなんじゃない? だからさ、君は小鈴ちゃんを守るとか言ってるけど、本当は――」

 

 だから、だから、だから――

 

 

 

 

 

「あの子を、自分の思い通りに“歪めたい”だけでしょ?」

 

 

 

 

 

 ――――

 見透かされた。

 言い当てられた。

 言葉にしなかった、自分の、醜悪な願いを。

 そうあって欲しいという、自分勝手な未来を。

 自覚のなかった傲慢さ。

 彼女の弱さを許せないが故に抱いてしまった、自己中心的な欲望。

 誰かを、意のままに、思い通りに、変えたいなどと。

 知られてしまった。

 

 ――よりにもよって、こんな奴に。

 

「それは……ボクは、ボクは……!」

「まあどうでもいいんだけどね。君のことなんて」

 

 ただムカつくから言っただけ、と興味なさげな実子。

 霜は言葉に詰まる。

 なにも、言い返せなかった。

 

「でもま、人のことを邪悪だとか堕落だとか、散々罵ってくれちゃってさ。流石にちょーっと頭にくるよねぇ」

 

 へらへらと、口で笑い、目は殺意で渦巻いている。

 混濁した狂気に包まれた、不安定な顔に、昏く翳りが差す。

 

「……私のことなんて、なにも知らない癖に」

 

 その翳りも、ほんの一瞬。

 躁鬱は激しく流転し、憤怒と、悲嘆と、激情と、慟哭は、どす黒い色に煮詰まっている。

 そんな混沌を内包したまま、実子は牙を剥く。

 

「このまま押し潰してあげる。《リュウセイ・ジ・アース》召喚! そしてそのまま攻撃――侵略発動!」

 

 怪鳥の声が轟く。

 鐘の音を掻き消し、劈くほどの凶声が。

 

 

 

「さぁ、そこの裏切り者を喰い潰せ! 《ギョギョラス》!」

 

 

 

 《ジ・アース》の身体を喰い破り、《ギョギョラス》が顔を覗かせる。

 悪辣な裏切り者の形相。

 しかしその悪も、裏切りも、他人を見ているとは思えない。

 まるで鏡のように、《ギョギョラス》の瞳が、霜を映す。

 

「《Q.E.D.+》を喰らい、《ウマキン☆プロジェクト》をバトルゾーンに! そのまま、ダイレクトアタックだ――!」

 

 《ギョギョラス》の大口が開かれた。

 肉を引き千切り、骨を噛み砕き、命を飲み込まんとするために。

 

「とっとと失せろ、偽善者!」

 

 偽善者。

 そうだ、そうかもしれない。

 彼女のためと謳いながら、その実、彼女を思い通りにしようとしていた、エゴ。

 実子は、邪悪であれ、堕落であれ、利己的であれ、小鈴の強さも、弱さも、認めた上で受け入れている。

 だけど(ボク)はどうだ?

 小鈴の表裏一体の、優しさという良さを理解した風なことを言いながら、嫌っている、拒んでいるではないか。

 彼女の魅力を、受け入れられず、変えたいと思っていた。思ってしまっていた。

 それが、彼女の本質を歪めることになると、知りながら。

 そんな願いを抱いていた。

 それこそ、邪悪ではないか。

 彼女への裏切り、ではないのか。

 

「あ……あ、あぁ……違う、ボクは……ボクは、ただ……!」

 

 よりよい彼女の姿を、願っていただけだ。

 けれどそれは、進歩のない現状に苛立ち、甘すぎる優しさに顔をしかめ、停滞した在り方に不満を抱いた結果だ。

 今のままでは、この状態がずっと続くのでは、ダメなのだと。

 もっと上に、よりよくなれるはずなのだと。

 そう思っていた、はずなんだ。

 けれど。

 

(それは、小鈴のためには、ならない、のか……?)

 

 向上心のある人間ばかりではない。実子の、言う通りなのだろうか。

 どうすることが、彼女にとっての最善なのか。

 自分は、どうあるべきなのか。

 進歩のない、子供っぽいままの、弱い彼女を、認められるのか。認めていいのか。認めなくてはいけないのか。

 それを変えたいというのは、変えてほしいというのは、間違っているのか。

 その思想は彼女に根ざした源をねじ曲げてしまうというのか。

 ぐるぐると、まとまらない思考が巡り続け、揺らいでいく。

 わからない、わからない、わからない。

 

「ぁ、ぐ……く、うぅ……!」

 

 答えは、出ない。

 時間が足りない。この命題について思考し、答えを導き出すための、時間が。

 怪鳥の大口は目の前まで迫っている。考えている暇はない。

 

「……仮に、ボクが彼女を、認められていなくても……だとしても……!」

 

 それでも、ただひとつ、ハッキリしていることはある。

 霜は、キッと実子を睨み付けた。

 

「ここで! お前を通すわけには、いかないんだ!」

 

 ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた頭で、思考も覚束ないほどの混濁の中で、霜は縋るように《プラズマ》を見上げる。

 

「《プラズマ》の革命2発動! 手札からS・トリガーを発動する!」

 

 ぐらぐらと、ぐらつく頭の中で、不愉快な声が反響する。

 

 ――君こそ、小鈴ちゃんが嫌いなんでしょ――

 

 雑音のような声だ。あまりに醜く、酷い。

 

 ――君は自分の理想をあの子に押し付けて、歪めたいんだ――

 

 ……うるさい。

 

 ――本当に傲慢なのは、君なんだ――

 

 うるさい、うるさい、うるさい。

 

 ――最初にあの子を拒んだのは、君だ――

 

 うるさい!

 

「うるさいうるさいうるさい! 耳障りだ! その口を閉じろ! もうなにも喋るな! 全部、全部、消えてしまえ――」

 

 霜は、慟哭し、震える手で、それを叩き付ける。

 纏わり付く雑音を振り払うために。

 目の前の邪悪を撃ち砕くために。

 この迷いを、忘れたいがために。

 

 

 

 

 

「――《アポカリプス・デイ》!」

 

 

 

 

 

 終焉が――訪れた。

 

 

 

「ぁ……!?」

 

 永い瞬きの末、その刻が訪れた。

 それは邪悪を滅ぼす光。

 なんと昏く、哀しい光だったことだろうか。

 

「……《アポカリプス・デイ》は、バトルゾーンに6体以上のクリーチャーが存在する時、それらすべてを破壊する……が」

 

 本来なら、そこには無の世界が待っている。

 なにもかもが消え去った、荒野が広がっているはずだった。

 しかし。

 

「《カラフルベル》が……鈴の音が、ボクを守ってくれる」

 

 即ち。

 

 

 

「ボクのクリーチャーは――破壊されない!」

 

 

 

 滅亡の光は、平等ではない。

 すべてを破壊し尽くすが、それは、霜が邪悪と定めた者だけを破滅に導く。

 霜は《カラフルベル》の加護により、一切の被害を受けない。

 鈴の音が、霜を守ってくれる。

 しかしその音色すら、後ろめたい。

 呪縛のように、纏わり付く。

 

 

 

ターン7

 

 

場:《エビデゴラス》《プラズマ》《カラフルベル》《メメント》

盾:0

マナ:15

手札:10

墓地:2

山札:9

 

 

実子

場:《クリスマ》

盾:0

マナ:11

手札:10

墓地:16

山札:3

 

 

 

「……今度こそ終わりだ。実子」

 

 声は聞こえない。ノイズは掻き消したから。

 姿は見えない。彼女は見たくないし、自分の顔も見られたくないから。

 胸中で呪いのように渦巻く昏迷を抱きながら、霜は命を下す。

 

 ――これで、良かったのだろうか。

 

 

 

「《革命龍程式 プラズマ》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

 迷いは、断ち切れないままだ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……終わった、のか」

 

 気がつけば、実験室のような異空間は消えていて。

 道路の真中で、実子は倒れ伏している。

 

「くそっ……まさか、ボクがこんな奴に、惑わされるなんて……」

 

 憎たらしい。苛立つ。

 けれども彼女の言葉は真理だ。

 自分でさえも意識しないようにしていた真意を引きずり出された。

 なんとも腹立たしいことか。

 こいつも、自分も。

 

「……ボクが小鈴のことを嫌っていたとしても、こいつは、こいつだけは……!」

 

 許すわけにはいかない。

 それはもはや、正義なのか、倫理なのか、私情なのかすら、判然としない感情だった。

 ここで、この邪悪の権化を――

 

「――――」

 

 また罪を犯すのか?

 今度は、誰も許してくれないぞ。

 もう、後戻りはできないぞ。

 それでもやるのか?

 好きでもない、友であった少女のために。

 そんな、自分の盲信に、従うのか?

 自問自答を繰り返しながら、ふらり、ふらりと、伏した彼女に歩み寄る。

 意識はない様子。腕力では敵わないとはいえ、無抵抗というのならばその限りではない。

 霜の細腕でも、息の根を止めるくらいは、できる。

 もう、彼女は目の前だ。

 その首に、手を伸ばす、だけだ。

 あと一歩、あと一歩で。

 許し難い邪悪を、絶つことができる。

 

「……っ!」

 

 不意に、気配を感じた。

 振り返れば、それは、そこにいた。

 

「あ、あなたは……」

 

 意外な来訪者に、霜は硬直する。

 なぜ、ここにいるのか。

 

「……そいつを、どうするつもり?」

「…………」

「助けるっていうのか? そんな奴を……」

 

 なぜそんなことを問うているのか、自分でもわからない。

 しばし睨み合った末、霜は踵を返した。

 

「……いいさ。ボクは、もう、いいんだ……自分でも、わけがわからないんだ……」

 

 顔を覆い、背を向ける。背中から撃たれることも考えていない、無防備で隙だらけな背中だった。

 しかしそれが、彼の迷いと、回答不能な命題の大きさなのだろう。

 その苦悩を抱え込んだまま、水早霜は、その場を去った。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――失敗しちゃいましたー!」

 

 青髪の少女は、虚空に映る電影(モニター)の前で両手を広げ、後ろ向きに倒れ込んだ。

 その傍らで、白髪の男が息を吐く。

 

「いやー、まさか最後の最後であんな闖入者が来るなんて思いもよりませんでした! あたしもまだまだ、詰めが甘いですね。反省なのです!」

「しかし仕方あるまい。君の予想を超えた行動を起こす以上、それは我々の中で誰も予想できないということだ」

「でもやっぱり悔しいのです。上手いこと同士討ちしてくれたら良かったんですけど、まさかどちらも仕留められないまま終わってしまうとは……大失敗なのです」

「あるがままに事を為さないから裏目になるのよ。貴女の策謀は運命に塗り潰されてしまうのだから」

「む」

 

 青髪の少女は、簡素な服を羽織った緑髪の女をムッとした視線で睨む。

 

「あたしは効率よくお仕事しようとしてるだけなのです」

「それであなたは、捕らえるはずだった獲物を逃したのでしょう」

「リズちゃんは意地悪なのです」

「事実よ。そしてそれが真実であり真理。それを感じなさい」

「ほほぅ、興味深いのです。それは具体的に、どのような理論と原理で成り立っているのですか?」

「答えは既にあなたの内に出ているはずよ。それを感じ取ればいいだけ」

「いやそういうことではなくてですね」

 

 などとどこか噛み合わない問答を繰り返す2人。

 それを白髪の男が仲裁する。

 

「メル、リズ、静粛に。姫が眠っている」

「おっとそうでした、これは失敬。お姫さまのお眠りを邪魔しちゃうわけにはいきませんものね。メルちゃんともあろう者が、不覚にも熱くなってしまったのです。これも反省なのです」

「そして、メル。私の見立てでは、君はよくやっている。君がいなければ、我々はこれほど迅速に居を構え纏まることはなかっただろう。感謝している」

「そんな照れちゃいますよミーナさん。あたしなんて、思考能力が備わってるだけでまだまだ全然、不完全なのですから。ま、たとえ不完全でも、あたしの演算能力は誰にも負けるつもりはないのです」

「そうね。あなたは、そういう風に作られ、産み落とされたのだもの。それが、あなたの役割」

「…………」

 

 その言葉に、どこか不服そうに、青髪の少女は顔をしかめた。

 しかし先ほど叱責された手前、特になにも言い返すことはない。

 

「なんにせよだ。たとえ敵であろうと無秩序に粛正するべきではない。水早霜と香取実子の件は、このまま君に一任しよう」

「はーい! ありがとうございます、ミーナさん! 次はちゃんと仕留めましょう! あ、でも新しい作戦を練り直さないといけないので、一旦こっちの計画は進行ストップするのです。次はなにを試しましょうかねぇ? 王国の遠隔展開実験は成功しましたし、これを応用してなにができるでしょうか……?」

「私も兎狩りと虫取り、そして館の殲滅作戦がある。メル、リズ。君たちにも協力して貰う」

「勿論! きっちり準備して事に望むのです!」

「それが定められたことであるなら、私に抗う意志はないわ」

「なら俺は、しばらくゆったりしてるかね」

 

 そこに。

 3人の会話に、黒髪の男が割り込んだ。

 

「ディジーさんはなんかやることなくて暇そうですね」

「楽できて悪かないがな」

 

 と、どこか気怠げに言うと、白髪の視線が刺さる。

 やれやれ、と黒髪は肩を竦めた。

 

「怖い顔すんなよ。俺はやることはやるぜ。あいつとは違う。お前だってわかってるだろ?」

「……そうか。しかし、そうだな。奴は一体どこへ――」

 

 と、その時、

 何者かが弾丸の如き勢いで飛び込んできた。

 赤い髪の、青年だった。

 

「たっだいまー!」

 

 明朗軽快で快活な声が響き渡る。

 それはまるで、燦々と輝く太陽のような、明るく、熱意に満ちた声。

 しかしその朗らかさに対して、返ってきた言葉は、険しいものだった。

 

「ヘリオス!」

「ん? やあミーナ。どうしたんだい? そんなに血相変えて。鬼気迫る鬼の形相だね」

「どうしたではない! 貴様、今までどこに行っていた? 貴様には、我らが居城の守護を命じていたはずだ!」

「……あれ? まさかミーナ、怒ってる?」

「問うているのだ。答えよ、ヘリオス・マヴォルス」

 

 ヘリオスは問い詰められる。しかし彼は、あっけらかんとしていた。

 

「まあまあ、そんな怒らないでよ。僕はただ、姫のためにちょっと出かけてただけなんだから」

「なに?」

「というわけでさ! ひーめー!」

「おい! ヘリオス!」

 

 ヘリオスは制止を振り切って、部屋の奥の暗幕を剥ぎ取った。

 

「ほら姫、これを食べてみなよ。美味しいよ、ここに来る途中で冷めちゃったけど! でもきっと美味しいはずさ!」

「待てヘリオス! それはなんだ? どこでそんなものを……」

「どこって、貰ったのさ。なんと言ったかな。パンヤ? っていうところでね! 凄く美味しいんだ!」

「はいはーい、ちょーっと見させてもらいますねー」

「あ、ちょっと! メル!」

 

 虚空からアームが伸びる。それが、ヘリオスの持つパンを摘まみ上げた。

 そして、それに謎の光を当てる。

 しかしヘリオスは即座にそれを奪い返した。

 

「ねぇメル! それは僕が姫のために持ってきたものだよ! 横取りはやめてくれないか?」

「検査ですよー、検査。これがお姫様にとって有害なものだったらいけないじゃないですかー。当然の確認事項なのです」

「そんなはずないさ! こんなに美味しいんだから! もぐもぐ」

「なぁヘリオス。一個聞きたいんだが」

「ん? なんだいディジー」

「お前、姫さんのために持ってきたって言ってたが、それは自分で喰っていいものなのか?」

「はっ! しまった!」

「アホだなこいつ……」

「……分析完了。毒とかではなさそうですねー。一般的な人間の食物です。通常環境において害はないかと」

「だから言ったじゃないか。もぐもぐ」

「でもリオ君、お言葉ですが、お姫様はきっと食べられませんよ?」

「なんだって? なんでだい?」

「姫は人間ではない。人間の食性を受けつける身体ではない。故にそれがどれだけ美味であろうと、姫にとっては苦痛を生む毒にしかならない……そういうことだろう? メル」

「ミーナさんの言う通りなのです」

 

 その言葉にヘリオスは言葉を詰まらせる。

 

「む、むぅ……でもこれを食べたいかどうかは、姫自身が決めることなんじゃないかな!?」

「我々は、姫の身の安全を守る責務がある。外敵からの護衛は当然ながら、それは体調管理という意味も含まれる」

「お姫様はお世辞にも知識というものが豊かとは言い難いのです。変なもの食べないように、あたしたちが管理しないと」

「そんなの、そんなの……なんか違うじゃないか!」

「もう少しまともな反論はないのか?」

「ぐぬぬ……! ねぇリズ! 君からもなにか言ってやってよ!」

 

 困ったヘリオスは、リズと呼ぶ緑髪の女に助けを求める。

 彼女は、ゆるりと彼らの方を向いた。

 

「作為的な管理というものは、唾棄すべきことね。獣は支配されていないわ、生きるということは、ただそう在るだけでいいの」

「あぁそうだとも! そうだろうさ! 流石、君はわかってるね! リズ!」

「けれど、その生物が本来食するべきでないものは、食するべきではないのよ。すべての生き物には、その生き物が食べるべき糧があるのだから。ライオンは草を食べないし、ウサギは肉を貪らないものよ」

「うん? つまり?」

「人ならざる彼女は人の物を口にするべきではないということよ」

「君は誰の味方なんだい!?」

「私は世界に渦巻く大きな流れに身を委ねるだけよ」

「そっか。君らしいと思うよ」

「なにを納得してるんだこいつは……?」

「まあでも、僕は姫にこの美味しいものを届けるんだ! 誰にも邪魔はさせないよ!」

「ヘリオス!」

「食べかけを喰わせるのかよ……もういいだろ、アホはほっとけ」

 

 ヘリオスは今度こそ、あらゆる制止を振り切って食べかけのパンを持って暗幕へと突撃する。

 暗幕の先は、寝台だった。

 黒い樹木の脚、溶けたゴムのような蔦で編まれた天蓋。

 大樹に包まれたような寝台の隅に、小さな少女が、蹲っていた。

 

「やっほー姫ー! お土産だよー!」

 

 ヘリオスは無遠慮に寝台に上がる。

 そしてぐいぐいと押し付けるように、食べかけのメロンパンを、少女に押し付ける。

 

「……この、におい、は……?」

「まあまあ、食べてみてよ! きっと気に入るから!」

「……メロンパン……」

 

 少女は、ぼんやりとした瞳でジッとそれを見つめると、震える手で、ゆっくりと、それを口元に運んだ。

 唾棄するように咀嚼し、拒絶しながら嚥下する。

 すると少女は咳き込んで、嘔吐いてしまった。

 

「げほっ、ごほっ……!」

「うわぁ姫! ご、ごめん! 僕の食べかけはそんなに嫌だったのかい!?」

「そりゃ野郎の食いかけの飯なんて嫌に決まってるだろ」

「いい加減にしろヘリオス! これ以上は姫への攻撃と見做し、貴様も粛正するぞ!」

 

 剣を抜き、その切っ先がヘリオスの首元に突きつけられる。

 その鋭い視線で、ヘリオスは彼が本気で怒っていると理解した。そうでなくとも、大事な“姫”に、悪意はないとはいえ危害を与えてしまったのだ。

 さしものヘリオスも、申し訳なさそうに顔を歪める。

 

「わ、わかったよ。僕が悪かった……ごめんよ姫。次はちゃんと、美味しいものを持ってくるから」

「貴様、まったく懲りていないな!」

「というかリオ君は学習しないのです。それと、もう少し先のことを予測しながら動くべきなのです」

「なにを言ってるんだいメル。明日のことを言うと、鬼が笑うんだよ」

「え? それは、あたしの主張の補強ですか?」

「違うよ。未来は分からないからこそ、笑えるくらい面白いんじゃないか」

「言葉の意味が違うのです」

「バカだからな」

 

 などと言いながら、とぼとぼと寝台から這い出てくるヘリオス。

 その後ろで、少女は吐き出した食べ物の残骸を、口惜しそうに眺めていた。

 

「おいし……ぃ……」

 

 そう、思いたかった。

 そう、思えるはずだった。

 ほんの一時でも、受け入れられないものだとしても、それは懐かしい味。

 少女は(ソラ)を見上げ、小さく、嗚咽を漏らす。

 

 

 

「こすず……さん……」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「まったく、ボクはなにをしているんだ……!」

 

 霜は憎々しげに吐き捨てた。

 先ほどの対戦のダメージか、それとも胸中でうねりをあげるこの不可解な情念のせいか、足下がふらつく。

 あの邂逅は偶然だった。

 霜は霜で、彼女らに出逢わぬよう外出時間やルートを計算しながら、独自に動いていただけだった。

 彼女に害為す連中の所在を突き止めようと、動いていただけだった。

 そう、彼女のために。

 大切な人の、ために……

 

 ――本当に小鈴のためなのか?

 

 本当は自分の理想を押し付けているだけではないのか。自分を好いてくれた彼女の在り方を否定していた自分こそ、邪悪なのではないか。

 実子の言葉が、いつまでも胸に焼き付く。振り払おうとも、振り払えない。いつまでも纏わり付いている。

 実子が利己的で、ただ小鈴から甘い蜜を吸い上げるだけの寄生虫で、どうしようもない邪悪の権化だというのは事実だ。彼女の自己中心性は、彼女自身も認めていたのだから。

 だが彼女に、その邪悪を突き返されるとは思わなかった。

 気付かされ、自覚させられてしまった。

 自分もまた、彼女と同列なのだと。

 小鈴のことが好きなのではなく、小鈴が好きな自分が好きな実子。

 今の小鈴の在り方が嫌いで、だから自分の好きな小鈴にしたい霜。

 原点もアプローチも目指すところもまったく違うが、どちらにせよ自分も、彼女も、真に小鈴のことを好いていなかった。

 だから、拒絶されるのも、縁を断ち切られるのも、必然だ。

 いや、むしろ。

 小鈴の存在そのものを受け入れられない自分こそが、彼女にとっての、悪なのではないか。

 ありのままを受け入れる小鈴、そのありのままの彼女を受け入れられない自分。

 実子は、ただの自己愛、利己欲で、彼女を利用していた。けれどそれは、ありのままの彼女の肯定に他ならない。邪悪でもなんでも、小鈴の原質そのものを受け入れ、認めている。

 けれど自分は、彼女の優しさを、理解はしても、認められてはいなかった。

 その優しさの裏にある弱さを、変えたかった。変えて欲しかった。

 たとえ、その結果、彼女の本質が捻れてしまったとしても。

 

「それは……悪いこと、なのか……?」

 

 そんなはずはない。そうじゃない。ただ、彼女によりよくあって欲しいと、そう願っていただけだ。

 翻ればそれは、ただのエゴ。人のあるべき姿を、無理やりねじ曲げようとする傲慢さ。

 そんなつもりでは、なかったのに。

 それが、現実なのだろうか。

 裏切り者は、利己的に友を搾取する実子ではなく。

 友という面で、彼女の在り方を変えたいと願っていた、自分なのか。

 

「……わかんないよ。なにが正しいんだよ……ボクは、間違っていたのかよ……!?」

 

 よりよい未来、よりよい明日、よりよい自分のために、今を否定する。

 それは悪なのか?

 それは間違いなのか?

 それは望まれるべきではないのか?

 友達の在り方を変えようとするこの考えは、邪悪、なのだろうか。

 彼女は、それを許してくれるのだろうか。

 いや、仮に許してくれたとして、それが正しい行いであるかどうかは、わからない。

 許してくれるから、笑ってくれるから正しいだなんて、それこそ押しつけだ。

 堂々巡りだ。

 まるで答えは出てこない。

 いくら考えても、自分の信じる正しさが、揺らぐだけだった。

 

「なんなんだよぉ……! どういうこと、なんだよ……!」

 

 今にも倒れてしまいそうなほど、霜の心は消耗していた。

 どれだけ理屈を組み上げても、それは脆く崩れてしまう。

 自分を正当化することさえも、自分の中の無意識の悪意が露呈し、それが膿のように苛む。

 苦悩は慟哭へ、葛藤は叫喚へ、昏迷は悲嘆へ。

 涙と共に、嗚咽を漏らす。

 

「わからない、わからないよ。お願いだ、ボクを助けてよ……昔にみたいに、君の声が恋しいよ……リンちゃん……」

 

 もうこの世にはいない、一番最初の、大切な人に手を伸ばす。

 彼女はいないと、わかっているはずなのに。

 亡霊に縋るなんて、らしくないのに。

 それでも求めてしまうほどに、霜は傷だらけだった。

 霜が伸ばす手は虚空を掴むだけ。

 なにも、触れることはない。

 

「……っ! ぁ、ぐ……」

 

 遂に、躓いて、転んでしまった。

 しかし起き上がろうというところで、気付く。

 

「ん……? え、あ……?」

 

 一瞬、理解が追いつかなかった。

 まず第一に、なぜこんなところに? という一般常識からの疑問。

 次ぐ第二に、なぜこんなところに? という経験則に基づく疑問。

 蛇足的に第三に、なにがあったのか、という状況に起因する疑問。

 頭の中がぐちゃぐちゃになっているせいで、それらの問題をすぐには飲み込めなかった。

 しかし答えの出ない混沌を抱えるあまり、この単純明快すぎる疑問は、霜にとっては一時でも苦悩を忘れることのできるものとなる。

 状況を、整理する。

 現状を、認識する。

 そうだ。人が、倒れている。

 幼い、恐らく自分より年下の、少年。

 そしてその少年は、見覚えがある。知っている人物だ。

 染めたり脱色した髪。無数のアクセサリーにチェーン。全身を走る刺青。

 意識はない。眠っているようだ。

 そしてその眠り姿は、妙に様になっており、それが在るべき姿だと思わせるようだった。

 それもそのはず。なぜなら、彼の名は――

 

 

 

 

 

「――『眠りネズミ』」




 なんかドロドロした話になってきましたが、こんなにドロついた話はたぶん今回まで……だと思いたいです。


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46話「配信されたよ -前篇-」

 十王編が今章に登場するキャラクターやそれらの構図と相性良さそうなものの、各チームや王国が出るタイミングとかで色々難儀しそうだなと思い始める今日この頃。
 今回は、わりと意味不明なまま意味不明な奴らが意味不明なことしてるお話。


 みなさんこんにちは、伊勢小鈴で――

 

「う゛」

「どうしたんだい小鈴? ビーストフォークがデーモン・ハンドに握り潰されたような声を出して」

「ホック、はずれた……いや、壊れたかも……」

 

 家に帰るなり、ひどい不幸に見舞われました……これ、高かったのに……先月買ったばかりなのに……

 

「そんなことより小鈴、お腹が空いたよ」

「そんなことって……いや、うん。そうだね、お昼にしようか」

 

 さっきのパン屋さんで買ってきたパンの袋を机の上に置く。中から適当なパン――プレッツェルにしよう――をひとつ取り出して、包装を剥く。それを鳥さんに差し出すと、鳥さんはくちばしでついばむように、それをつっつく。

 わたしもちょっと食べ足りないから、袋の中に手を伸ばしてベーグルを手に取り、口を付けながら、鳥さんを見遣る。

 ――今、鳥さんの体には、包帯が巻かれている。

 それだけじゃない。全体的に、弱々しい。見て分かるほど今の鳥さんは衰えている。わたしから急かすようにお昼ご飯をたかるくらいに、余裕がない感じだ。

 あの時の傷がまだ残っているというのもあるけど、どうもそれだけじゃなさそう。なんだか鳥さんは、意気消沈しているというか、精神的なところで参っている様子でもあった。

 しばらく、無言が続く。

 パンを咀嚼する音だけが、無音に響く。

 やがてわたしは、食べ終えたパンの包装を置き、鳥さんに向き直った。

 

「……鳥さん、あのね」

「なんだい」

「わたしの、身体のことなんだけど」

「あぁ……」

 

 鳥さんは、どこか観念したように頷く。

 あるいはそれは、頭を垂れた謝罪だったのかもしれない。

 

「それは……すまないと思っている。本当は、君をそこまで“人でなし”にするつもりは、なかったんだ」

「……やっぱり、帽子屋さんの言ってたことって、本当なんだね」

 

 それはわたしも、薄々感じていた。

 身体の感覚が、なんとなく違う気がしていたのだ。

 それをハッキリと自覚できたのが、この前の帽子屋さんとの一戦でのこと。

 彼に言われて、わたし自身も認識して、ようやく自覚した。

 わたしは、もう――“人じゃない”って。

 

「僕の限られた力で、君に十分な力を与えるには、そうするしかなかったんだ。君の、人としての性質を引き換えに、クリーチャーとしての性質を付与するしか」

 

 鳥さんは、申し訳なさそうに目を伏せる。

 

「僕は太陽神話の権能……彼の奇跡を一部、受け継いでいるから。奇跡のような恩恵を与えるけれど、それは無償の施しじゃない。必ず、なにかが犠牲になる。そして僕は君に、クリーチャーと戦えるだけの力を、クリーチャーとしての力を与えた。君の、人間性を犠牲にね」

「人間性……」

「少しずつ、君の身体はクリーチャーの性質に蝕まれていっている。人としてあるべき当然の在り方、人としての常識としての在り様、そういったものが失われていっている。クリーチャーとしての力と、引き換えに」

 

 それは、身体能力、身体機能が人間離れしていくというだけじゃない。

 思考、意識、感覚。そういった目に見えないもの、概念的、観念的なものまでも、クリーチャーのそれへと塗り変わっていく。

 今はまだ、人らしさを残しているようだけれど。

 いずれわたしは、本当に、存在として人じゃなくなる。

 

「……そっかぁ」

「すまない。本当は、こうなるはずじゃなかったんだ。僕がずっと君に付き添っていれば、ここまで急速に進行することもなかった」

 

 大ケガを負って、帽子屋さんに連れ去られて。そうしてわたしの内に秘められたクリーチャーとしての性質は、鳥さんによる制御を失った。

 今も、きっと上手く御せてはいないんだと思う。ケガしたままで、力も戻っていない、今の鳥さんでは。

 だから今この瞬間も、わたしはどんどん、クリーチャーになっていってしまっているんだろう。

 それを、鳥さんは哭くように悔やみ、謝る。

 

「んー……」

 

 けれど。

 

「いいよ、気にしないで」

 

 そんなに、気にならなかった。

 自分がクリーチャーだということの自覚がないわけでも、実感がないわけでもない。

 その上で、わたしはそれが、そこまで重大なこととは、思えない。

 

「……わかっているのかい? 小鈴」

 

 そんなわたしに対し、鳥さんはより重苦しい声をあげる。

 忠告するように、鋭い眼差しを向けて。

 

「気にしないというのは、君の寛容さによるもの……だけじゃない。君のその思考そのものが、クリーチャーに毒されている証左だよ」

「…………」

「これでも君とずっといたんだ、僕にだってわかる。昔の君なら、絶対にそんなことは言わなかった。自分達の仲間とはまったく違う道へと突き放されることを受け入れるだなんて、そんな非道を許しはしなかっただろう」

 

 どこか諭すような、力強い言葉。

 慌てて引き留めるような、必死な声。

 

「小鈴。君は、人間から、自分の仲間から乖離するのが、恐ろしくないのかい?」

「こわくなんてないよ」

 

 鳥さんの言いたいことは、わかる。

 わたしの意識が既にクリーチャーのものに染まってしまっているから、自分の身が変わってしまうことへの恐怖が湧かない……そうかもしれない。

 でも、それだけじゃない。確かなわたしの気持ちとして、それを受け入れられることだって、あるんだ。

 

「わかってるよ。わたしは昔と変わったと思うし、昔なら、自分が人間じゃなくなるなんて、耐えられなかったかもしれないけど……」

 

 今は、そうじゃない。

 今のわたしは、昔のわたしとは違う。

 

「……人間だとか、そうじゃないとか、そんなの、関係ないから」

 

 わたしの意識や感覚が人とは違ってしまったとしても、わたしが今まで経てきた思い出や、人とのつながりは、ここにあるから。

 

「わたしの友達は、たとえ人間じゃなくても、わたしにとっては大事な友達なんだ。だったら、わたしが人間じゃなくなったとしても……なにも変わらないよ」

 

 人間であるかどうか。そんなことは関係ない。わたしの友達が人でなくったって友達であるように、わたしが人間じゃなくなって、クリーチャーになってしまったとしても、わたしはわたしだから。

 だったら、それをこわがる理由なんて、どこにもない。

 お母さんたちには、ちょっと、悪い気がするけど……でも。

 

「それにほら、鳥さんだって、わたしの友達なんだから。友達と一緒で、イヤな気持ちになんてならないよ」

「小鈴……」

 

 たとえわたしの意識がクリーチャーのものに塗り潰されてしまったとしても。

 この気持ちだけは、絶対だと信じられる。

 代海ちゃんも、鳥さんも、もちろん学校のみんなも……全員、わたしの友達。大切な人たちだ。

 たとえ、人間とは違う存在だとしても、ね。

 そんなつながりを経てきたから、わたしはわたし自身に対しても、そう思えるんだ。

 

「そうか……君がそこまで言うなら、いいさ。君に流し込んだ力の制御には、できるだけ務める。思いの外肥大化してきていて、なかなか難しいのだけれど……君の願望の成長性は、存外、大きかったんだな」

「成長……ねぇ、鳥さん、ところでなんだけど」

 

 ふいに、思ったことを問うてみる。

 ちょっと気になっていたことを。

 

「わたしの身体の成長も、もしかして、鳥さんの影響……?」

「ん? あぁ、そうかもね。僕の与えた力には、ある程度の指向性があってね。基本的に、誰かの願望を叶える力なんだ」

「願望……」

「君の場合、君が“そうなりたい”と思った方向性で、力が発現する。だから君の身体に変化が訪れたのなら、それは君が望んだものだ」

 

 そういえば前にもそんなことを言ってたような……えーっと、つまり。

 

「わたしの今の身体の成長は、わたしが望んだ形、ってこと……?」

「そうなるね。今は僕の制御が上手くいってないから、より顕著な形で現れていると思う」

「えぇ……もうちょっと、身長は欲しいんだけど……背だけ伸びないのは、なんというか……どうにかならない? ちょっと、その、色々困ることが出て来てるんだけど……」

「まあ僕の力は不完全だからね。願望を叶えるといっても、恐らく完全には叶わない。どこかしら半端になってしまっているかもしれない」

「そのせいだよ! 絶対にそのせいだよ! おかしいと思ったよ! 中学上がる前は80くらいだったのに、1年足らずで20cmも大きくなるなんて!」

「なんの話だい?」

「鳥さんにはわからないことだよ!」

「君から振ってきたんじゃないか……なんだい、これがヒステリーってやつなのかい? アルテミス嬢じゃないんだから……」

「わたしこれでも色々大変なんだからね! 着れる服もぜんぜんないし!」

「そうなのか」

 

 まるで実感も共感も感じないような鳥さんに、ほんのちょっとの怒りと不満をぶつけていると。

 携帯が鳴った。

 

「……謡さん?」

 

 開いてみると、着信相手は謡さんだった。

 今日は生徒会のお仕事があるはずだけど……それはそれとして、電話なんて珍しい。

 とりあえず、通話を繋げる。

 

「もしもし? 謡さ――」

『小鈴ちゃん! さっきの見た!?』

「え? な、なに、なんですか?」

『さっきURL送ったんだけど……あぁもういいや! とにかく大変だよ!』

 

 電話越しの謡さんは、すごく慌てている。

 切羽詰まったまま、ノイズっぽい声で、まくし立てるように言った。

 

 

 

『双子ちゃんたち――ネットに晒されてるよ!』

 

 

 

「……え?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「さてはて、どーしましょー」

 

 青の少女は、座したまま天を仰ぐ。太陽の届かない、暗い一室の天上を。

 すると白の男が、彼女に向いた。

 

「どうする、とは?」

「水早霜くん、香取実子ちゃん。お二方への“粛正”は失敗しちゃったじゃないですか」

「そうだな。結果は振るわなかったが、私は君の努力を正しく評価しているつもりだ。気負う必要はない、機会はまだ十分にあるのだから」

「それはどうもありがとうございます。しかしそれはそれとして、あたしも失態は取り返さなければならないのです……いえ、違いますね」

 

 身体を起こして、少女は顔を綻ばせる。

 屈託のない、無邪気な子供のように、微笑んだ。

 

「このままでは“興味が尽きない”のです」

「…………」

「えへへ、これはお姫さまの影響なのですかね? 【不思議の国の住人】よりも、あたしは、彼女たち(マジカル☆ベル)の周辺が気になっちゃって気になっちゃって」

 

 疼くように身体を震わせて、彼女は指先を走らせる。

 それが描く紋様は、虚空に水面を生み、波紋が広がり、電影(モニター)の形を成す。

 

「彼女たちはどういう人間なのか。なにが好きでなにが嫌いなのか。普段はなにをしているのか。日々の食事、生活サイクル。バイタル、メンタル。どこに住んでいるのか、家族は誰なのか……知りたい、知りたい、とにかく知りたい」

 

 指先が降りる。滝のように流れ落ちる小さな手は無の空間を叩く。虚無は固まり電子(パネル)となり、それは海原を漂流する板(キーボード)のようだった。

 モニターに表示される、無数の情報。少女はそれを、にこやかで、楽しげな表情で眺めている。

 しかし白の男は、少し不服そうだった。

 

「……メル。君の働きは評価している。だが、君の、そして我々の本分は、ゆめゆめ忘れるなよ」

「もっちろん! わかっているのです! でもほら、やっぱりお姫さまの記録(データベース)の薄い部分を見てみたいのですよ、あたしは」

 

 もはや彼女は、他のものなど眼中になかった。いや、あるいは、世界のすべてが彼女の眼中なのであった。

 役割だとか、使命だとか、そんな問答はとうの昔に通過した。

 今、重要で優先すべきことは、他にある。過去の問いかけは終わったことであり、既知としたものなのだ。

 今更、振り返ることでも、蒸し返すことでもない。

 それになにより。

 

「あたしはお姫さまの“眼”、お姫さまが目を背けた世界を見るためにいるのです」

 

 それが、自分に課せられた役目。

 広い世界を見る。数多の情報の海から、新たな叡智を吸い上げ、貪り、愚行を以て賢者となる。

 己が名の現すままに在る、【死星団(シュッベ=ミグ)】としての姿だ。

 

「……なーんて! 本当はあたしがそうしたいってだけなのです! でもそれが結果的に皆さんのためになるのなら、それはとても合理的なのですね!」

 

 少女はにこやかに笑っている。心の底から楽しんでいるかのように、笑っている。

 緑の女は、それを無言で見つめていた。

 

「…………」

「なんですかリズちゃん。あたしに言いたいことでもあるのです?」

「いいえ。あなたは、あなたの役割を忠実にこなしている。それなら、私から告げる言の葉はないわ」

「むぅ……ま、いいですけど! ではでは、そろそろあたしは配信のお時間なのです!」

「配信?」

「Yes!」

 

 少女は清流のような指運でパネルを操作する。

 するとモニターに、世界的に広く使われている動画共有サービスの画面が開く。

 男は怪訝そうにそれを覗き込み、首を傾げて疑問符を浮かべている。

 

「配信とは、なんだ? なにを配り伝えるのだ?」

「あれ? ミーナさん知りません? 最近の流行りなのですよー」

「すまない。私の主な役割は、居城と姫の守護。俗世のことには疎いのだ」

「真面目ですねぇ。ま、見ててくださいよ。今日は突発ゲリラ生配信! まあ不測の事態とか、まずい部分はリアルタイム編集でナチュラルにカット&チェンジするのですが」

「そういえば君は、我々が産み落とされてすぐ、なにかの映像記録を管理していたな。それと関係あるのか?」

「はい! 動画を撮影して、それを全世界にアップロード! 落し子(コズミック)系Vチューバー、海原メルちゃんのデビューなのです! 目指せフォロワー1兆人!」

「……メル、君の言っていることは、たまに理解ができない。だがこれだけは言える」

 

 少女に向き直り、男は真剣な眼差しで、口を開いた。

 

「この星の総人口は約80億人だ。1兆という数字は、現実としてあり得ない」

「そのくらい知ってますぅー! 今のはメルちゃん流ジョークです! この前、視聴者さんが教えてくれました!」

「そう、か……視聴者?」

「まあ、お母さんが起きれば人口なんてポコポコ増えるのですし、1兆人というのはそういった将来的な視野も見てのことでですね」

「そうか……そうなのか。よくわからないが……」

「ちなみに今のフォロワー数は4999万8605人なのです! えへん、もうすぐで5000万フォロワー達成なので、なにか企画がしたいのですね! これでも米国の大統領の半分くらいなので、まだまだ全然なのですが!」

 

 少女の言葉に、男はずっと疑問符を浮かべながら、画面を覗いていた。

 理解できないのも無理はない。彼ら彼女らは、この世界に産み落とされたばかりの、赤子同然の存在。

 この世界の“今”を急速に吸収する彼女は、そのような存在であるが故に、世界の現在の姿を取り込んだが、彼にはそこまでの役割も、力も、権能もない。

 

「まあまあ、そう難しく考えなくてもいいですよ。これは娯楽、全世界の皆さんを楽しませて、その愛と人気をあたしが得る行為。そして、その反応を通して、あたしがこの世界を知り、数々の驚きを知識として得るための手段(ツール)なのです」

 

 そう、これは手段なのだ。目的ではない。

 あらゆる情報を見るための手段。この世界を観察するための道具。。知識を集積するための実験。

 この世界の外観を、概念を、人を、その思考を、思想を、在り方を、生き様を。ありとあらゆるすべての情報を、閲覧し、記録する。

 これは、そんな己が役割のための、手段のひとつに過ぎない。

 

「よし! 準備完了なのです! スタジオのセッティングよし! 撮影機能の調整よし! 対戦相手(ターゲット)の捕捉――よし!」

 

 画面越しに映るふたつの銀髪。

 再生数を伸ばすためのサプライズ。TCGという方向性でキャラを付け、その主題に沿ったテーマを用いる。演出、編集、トーク、投稿頻度、すべてOK。

 そして、これをただの趣味にしないために、きちんとすべきことも盛り込む。

 Vチューバーとしての仕事(趣味)、ゲリラ生配信。それは同時に、【死星団(シュッベ=ミグ)】としての仕事(役割)の始まりである。

 そして彼女は、配信(粛正)を開始する。

 

 

 

「遠隔王国展開! さぁさぁ今日も楽しく愉快に興味深く、この世界を観察すると致しましょう――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ユーリアとローザは、部活を終え、帰路についていた。

 部活と言っても、ローザは部活動に所属していないので、ユーリアの方――即ち、遊泳部。

 ローザもそれに付き合って、本日の短い活動時間を彼女らと共にしたのだが、

 

「……疲れた」

「? ローちゃん? だいじょうぶ?」

「うん、大丈夫……でも、あの部は、相変わらず凄まじいね……」

「楽しいよ?」

「ユーちゃんが楽しいならいいんだけど……少し、はちゃめちゃに過ぎます……」

 

 ローザはぐったりしていた。

 わかっていたことだ。遊泳部の面々が、破天荒で非常識なことなんて。

 倫理も道理もぶっ飛んだ連中だ。まともに付き合えば馬鹿を見る。そんなことは、わかっていた、はずなのだが。

 

「ユーちゃんのことも、心配だから」

「もー、ローちゃんはシンパイショーですね!」

「真面目に言ってるんだよ?」

 

 遊泳部のタガが外れた倫理観もそうだが。

 それだけではない。

 

「……冬休みになっちゃったね、ユーちゃん」

「……うん」

 

 たった2人の下校路。

 遊泳部での活動は、確かにはちゃめちゃで、楽しかったが。

 物足りない。

 あるはずの賑わいが、存在しない。

 爛漫なユーリアの顔も、どこか陰りを見せていた。

 ユーリアだけではない。

 ローザもまた、憂いを帯びている。

 

「大変なことになっちゃったね」

「……うん」

「ドイツにいた頃も、たくさん、たくさん大変なことはあったけど……こっちに来てからの大変なことは、もっと凄い」

「……うん」

「大丈夫?」

「……うん。大丈夫」

「浮かない顔、してるよ」

「ローちゃんだって同じだよ」

「うん、そうだね。私もユーちゃんと、皆さんと同じ気持ちだから」

 

 たとえ、共に過ごした時間は短くても。

 彼女たちの繋がりの大きさ。共であることの繋がり。

 それがどれだけ大きなことであるのかは、理解していた。

 理屈だけじゃない。その大切さ、それを失いたくないという気持ちは、同じなのだ。

 

「……正直、ちょっと落ち込む」

「ローちゃん?」

「私は、非力で無力だなって。デュエマも弱いし」

「そんなことないよ! いっぱいユーちゃんと練習したでしょ?」

「それでもだよ。友達が苦しんでいる時に、私はなにもできない」

 

 どうすればいいのか。どうしたら解決するのか。

 解法がない。正解の道筋も、打開の策も、わからない。

 暗闇の世界に放り出されたように、先が見えない。

 

「どうしたら、いいんだろうね」

「……ユーちゃんにも、わからないよ」

「そっか……そうだよね」

Aber(でもね)!」

 

 突如、ユーリアは声を張り上げる。

 姉を覆う暗雲を、吹き飛ばすように。

 

「きっと、大丈夫!」

「大丈夫って……」

「だって日本の冬は、ドイツよりも厳しくないから」

「……?」

「ほら見て、ローザ」

 

 ユーリアは、空を指さす。

 真冬の空。空気が澄み渡り、どこまでも、どこまでも蒼く、透明で、高い空。

 その遙かな空には、赤いひだまりが、悠々と、煌々と、照っている。

 

 

 

「ちゃんと――太陽が昇ってる」

 

 

 

 日ノ本の国。

 そこは天に陽の照る大いなる国。

 この空は、ここに在る限り明るく、そして温かい。

 それは人にとって、なによりも尊い救いなのだ。

 

「……ドイツの冬は、暗いもんね」

「Ja! あっちに比べたら、こっちの冬なんてへっちゃらですよ!」

 

 なんだってできちゃいます! と、ユーリアは笑顔を見せる。

 どこか彼女に似た、彼女よりも少しだけ眩しい、ひだまりのような笑顔を。

 

「ユーリアは前向きだね」

「それが私の取り柄だからね!」

 

 まったく根拠も計画性もない、ただの根性論。

 普段なら呆れつつも窘めるところかもしれないが。

 その能天気なまでの明るさは、とても眩しくて、優しくて。

 見ている方も、少しだけ前向きになれそうだった。

 

「ふふ……じゃあ、私はユーリアが先走りすぎないように、しっかり見てなきゃ」

「うん! よろしくね! ローザ!」

 

 なにも解決していない。打開策も方針も、なにも決まっていない。

 それでも気持ちだけは、軽くなった。

 どうするべきかを考えるのは、きっと自分の役目だ。ローザはそう感じている。

 彼がいないのなら、代わりに自分が頭脳になろう。

 妹のお陰で、ほんの少し、暗雲は晴れたのだから。

 俯きがちな顔を上げる。

 すると

 

 

 

 ――ザザ……ザ、ザザザ――

 

 

 

 ――(ポン)

 

 ――(ポン)

 

 ――(ポン)

 

 

 

 ――スタート(ピー)

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

『メルクリー――チャンネルー!』

 

 

 

「!?」

 

 ノイズが鼓膜の奥、脳髄に走った瞬間、視界が暗転する。

 剥離した意識が再浮上した瞬間、そこはまるで見知らぬ場所だった。

 青く透き通る、透明なドーム状の空間。清流が重力を無視して滝のように流れ落ち、海嘯のように逆流し、池のように水溜まり、そして騙し絵のように循環する。

 本の匂いと、薬品と、それらに混じった汐の香り。

 上下左右、四方八方、天上天下、縦横無尽に敷き詰められた、数多の書架。

 そしてそれらを覆い隠さんばかりのモニターと、無数のカメラ。天上から鳴り響く軽快な楽曲。

 中央には、近未来的なデザインの台が、浮かんでいる。

 

「なに、ここ……どこ? 図書館……カメラ?」

「め、メル? ネル……?」

 

 あまりにも突然の出来事に、双子は困惑するばかりだった。

 この場所はなんなのか。そして高らかに響く、この少女の声は誰なのか。

 一瞬の間に、あらゆる疑問が湧き出て通過する。

 それを即座に既知にするための知識は、彼女たちにはない。

 

「メルメル~! 『メルクリチャンネル』! 始まり始まりー、なのです!」

 

 てってってー、てーれてれてててー、と謎のBGMや合いの手が聞こえてくる。

 それらを背に現れた――否。いつの間にかそこにいたのは、青い髪の、小柄な少女。

 幼い華奢な矮躯にスクール水着のようなインナーを纏い、その上からだぼだぼの白衣を羽織っている。

 彼女は銀縁の眼鏡をクイッと上げると、即座にそれを折りたたみ、胸ポケットにしまった。

 

「――はい! タイトルコール終了なのです!」

 

 少女は軽快な声と笑顔で、カメラに向いていた。

 あどけない、けれども愛らしい無邪気な笑顔を見せている。

 

「やっほー、賢者(ファン)のみんなー! 今日も今日とて地球でお勉強中、海原メルなのです! 脱愚者! 賢者目指して今日も頑張るのですよ!」

「ファン……? 賢者、愚者……?」

「海原メルって……あの子のこと?」

「今回は突発ゲリラ生配信! 前にアンケートを取って選ばれたカードたちや、賢者のみんなからのコメントを参考にデッキを組んでみたよ! そしてー、対戦相手はこちら!」

 

 と、次の瞬間。

 水を通した光が、スポットライトのようにローザを照らし出す。

 

「仮名ロサちゃん! 編集でちょっと顔隠してますけど、すっごい可愛い女の子なのです!」

「え? え?」

「ローちゃん……ど、どういうこと?」

「私にもさっぱり……」

 

 まるで状況が飲み込めない。

 物理法則も常識もねじ曲がった摩訶不思議な謎の空間。

 そこで少女が1人、芝居のようななにかを始めたかと思えば、何事かローザを指名してきた。

 なにひとつとして理解できない。

 

「む……ちょっと映像と時空間をカットしますね」

 

 ブツッ、とBGMが途切れる。

 そして少女は、双子達に向いた。

 

「まずは、ようこそあたしの王国(アトリエ)へ。まあ今回はアトリエというより撮影現場(スタジオ)なのですが!」

「えっ……っと」

「流石にしどろもどになりながら動画撮影というのも締まらないので、ちょっとばかり説明をするのです」

 

 返答を待つことなく、少女は一方的に言葉をぶつけてくる。

 

「今回のメルクリチャンネルでは、デュエル・マスターズの対戦動画を投稿するのですよ。その対戦相手として選ばれたのが、あなたなのです! ローザ・ルナチャスキーさん」

「私が……っていうか、なんで私の名前を……?」

「そりゃあ知っていますとも! お姫さまのお友達だった人、なのですから!」

Prinzessin(おひめさま)……?」

 

 説明はすると言ったが、それはほとんど説明になっておらず。

 ただ、ローザが対戦相手に指名された、ということしかわからなかった。

 あまりにも不条理、あまりにも理不尽。

 【不思議の国の住人】も、荒唐無稽で理解不能な事件に巻き込んでくれたが。

 これは、彼らの行いを遥かに超えている。

 

「ま、それが同時にあなた方への粛正でもあるわけなのですが、それはそれとして!」

 

 一瞬、少女は冷たい視線を向けた。かと思えば、朗らかに笑っている。

 それはどことなく悪戯っぽく、冷徹で、そして楽しそうな、悪意ある微笑だった。

 

「時空間カット解除。こっから先はノー編集の生放送なのです! ま、適宜必要なところでリアルタイム編集しますけども。個人情報とかプライベートには気をつけるのですよ」

 

 再び、軽快なBGMが鳴り始める。

 少女の手にはデッキがひとつ。目の前の台は、どう見ても、そういうことなのだろう。

 

「……どうしても、立ち向かわないといけない、ということですか」

「ローちゃん……」

「大丈夫だよ、ユーちゃん。私は、大丈夫」

 

 妹を安心させるように。そして自分自身に言い聞かせるように。

 ローザは、台に――少女に向かう。

 少女は満足そうに口元を綻ばせた。

 

 

 

「それではそれでは! 対戦、よろしくお願いするのです!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 自動でかき混ぜられる山札。目の前に並ぶ5枚の盾。手元に引き寄せられる5枚の手札。

 そこで起こる現象は、クリーチャーと相対する時の、あの不思議な空間と変わらない。

 ただ、あれよりも明らかに異質で異常だ。

 海原メルと名乗る謎の少女。

 あまりにも唐突で突飛だが、恐らく彼女は、クリーチャーか、あるいは【不思議の国の住人】に類する何者か。

 情報が欠落しているが、少なくとも彼女が、こちらになにかしらの害意のようなものを秘めていることだけは、感じられた。

 敵……なのかどうかも不明だが。

 少なくとも、今この場においては、この苦難を乗り越えなくてはならない。

 ローザは意を決して、手札を取る。

 

(《憤怒》《転生》《集結》《絶十》……いい手札です)

 

 ローザは手札を見遣る。

 かなりいい手札だ。最速3ターン目に《絶十》を着地させる流れが既に見えている。

 無論、最速で出しても1ターン棒立ちになってしまうので、一度《集結》を噛ませる方が現実的な動きだろう。

 

「先攻、頂きます。《剣参ノ裁キ》をマナチャージ、ende」

「あたしのターンもらいまーす。青マナチャージ! そして1マナ!」

 

 1マナから動くだなんて、動きが早い。しかし速攻デッキでも、それを抑え込むだけの防御力はあるとローザは自負している。

 しかし、彼女の動きは、ローザの刹那の想定を超えていた。

 

 

 

「《「流星の雫(シューティング・ドロップ)」》――ギャラクシールド、Standby!」

 

 

 

 手札を1枚切る。

 それはクリーチャーのカード。しかし、バトルゾーンには現れない。

 

「え……?」

 

 氷が迫り上がる。その中でクリーチャーが眠り、壁のようにそびえ立つ。

 それは、正しくシールドそのものであった。

 

「手札が、表向きのシールドに……?」

 

 表向きでシールドを増やす、ということ自体は驚かない。それはローザ自身が主軸にしている戦略そのものだから。

 しかし手札から直接、クリーチャーがシールドゾーンに置かれるというのは、見たことのない挙動だった。

 

「ギャラクシールド。シールドを経由することで、より軽くクリーチャーを呼び出す手段なのです。無論、それだけで終わるようなメルちゃんではないのですが!」

 

 氷壁に呼応するかのように、彼女の手札が光る。

 そして彼女は、続けざまに手札を2枚、バトルゾーンに放った。

 

「あたしのシールドゾーンにカードが置かれたので、2体の《赤攻銀 イザヤック》を手札からバトルゾーンへ出すのです!」

「あ、え……!?」

 

 銀の鎧と翼。光雷の剣。

 自軍の守りを()認した鋼鉄の尖兵が、手札から飛び出した。

 《イザヤック》はシールドゾーンにカードが置かれると、手札から踏み倒せるクリーチャー。

 それが、軽量ギャラクシールドによって、超高速で出撃する。

 

(クリーチャーが一気に2体も……まだ1ターン目なのに……!)

 

 そう。バトルゾーンに出れば、《イザヤック》はパワー4000のバニラ。単体では決して強力ではない。

 しかし今は、1ターン目。ほとんどの対戦において、誰も、なにもせず、なにもできないような順目だ。

 その時点で2体のクリーチャー。これは特異かつ明確なアドバンテージである。

 多少の速攻デッキなら抑え込む自信はあるものの、相手の不可解かつ奇異な挙動に、ローザは不安が隠しきれない。

 

 

 

ターン1

 

 

ローザ

場:なし

盾:5

マナ:1

手札:4

墓地:0

山札:30

 

メル

場:《イザヤック》×2

盾:5+(《「流星の雫」》)

マナ:1

手札:2

墓地:0

山札:29

 

 

 

「わ、私のターンです! 《憤怒スル破面ノ裁キ》をチャージして、2マナで《憤怒スル破面ノ裁キ》! 1枚ドローし、裁きの紋章を表向きでシールドへ!」

 

 ローザの手札は順調そのもの。《破面ノ裁キ》で手札を整えつつ、表向きのシールドを展開。

 しかしどれだけ手札がよくても、2ターン目にできることは、2ターン目にできることでしかない。どれほど運が良くても、それ以上のことはできないのだ。

 嫌な予感がする。相手の超高速展開の意図は不明だが、即座になにかを起こすことは確実だと断言できる。

 しかし、これだけ早いターン数では、対策を立てることもできない。

 

「え、ende……」

「ローちゃん……」

 

 後ろに控えるユーリアの不安も伝わってくる。

 ミスはしない。間違えない、違えない。

 完全完璧に、このデッキを操りきってみせる。

 しかしその上で――果たして、勝てるのだろうか。

 

「あたしのターン! 《「流星の雫」》――浮上(Galaxy)出撃(Go)!」

 

 相手にターンが回る。

 その瞬間、氷壁は砕け散り、中で眠るクリーチャーが目覚め、起動する。

 シールドはクリーチャーとなり、バトルゾーンへと浮上した。

 

「今度はシールドがクリーチャーに……!?」

「あれれー、まさか本当に知りません? 最先端のカード知識がないのは、情報的にディスアドですよ? っていうかさっきも言ったじゃないですかぁ」

 

 くすくすと彼女は笑う。

 そういえば、そんなことを言っていた。

 シールドを経由してより軽くクリーチャーを出す能力――ギャラクシールド。

 実際の動きを見せつけられたら、成程、よくわかる。

 

「ではでは、《「自由のクルト」》をチャージし、2マナで《「流星の雫」》を進化なのです! 《アストラル・リーフ》!」

 

 《「流星の雫」》は、大水に飲み込まれる。

 それはさながら巨大な岩礁の如く、それそのものが大海にして世界であるかのように。

 海より深い貪欲さで、知識を貪る。

 

「《リーフ》の能力で3枚ドロー! そして《イザヤック》で攻撃! 革命チェンジ!」

 

 手札を蓄え、そのまま流れるように攻撃。

 大海は収縮し、少女の手元へと還っていく。

 同時に海が広がる場所には、星がき煌めいていた。

 

「《ミラクル1 ドレミ24》! 能力で手札から、コスト3以下の光または水の呪文をタダで唱えちゃうのです! そして唱えるのはこれなのですよ、《ヘブンズ・フォース》! その効果で、手札からコスト4以下になるように、クリーチャーを好きなように出せるのです!」

 

 《ドレミ24》が振るうステッキから、光が瞬く。

 そこから、新たなクリーチャーが、ステージに上がる。

 

「出すのは《「流星の雫」》と《パラディソ・シエル》! 《パラディソ・シエル》は《「流星の雫」》に重ねてNEO進化なのです!」

「また、クリーチャーが増えた……!」

「大丈夫、ご安心ください! 増えたら減りますので! 《パラディソ・シエル》がバトルゾーンに出た時の能力で、あたしは場のクリーチャーを2体、手札に戻さなくてはならないのです。戻すのは《アストラル・リーフ》と攻撃中の《ドレミ24》。これで攻撃は中止なのです」

 

 《パラディソ・シエル》は低コストながらも強大なパワーと打点、そしてドロー能力を備えているが、代わりに自分のクリーチャーを2体手札に戻す強烈なデメリットがある。

 それが攻撃の最中(コンバット・トリック)で現れたことで、《ドレミ24》の攻撃が中止された。

 

「自分で攻撃を止めた……?」

「ローちゃん! 油断しちゃダメ! 途中で攻撃を止めたってことは、なにかあるよ!」

「その通りなのです! さぁ次なのですよ! 《パラディソ・シエル》で攻撃! 能力で3枚ドローし、手札から《「流星の雫」》を墓地へ! そして同時に革命チェンジ宣言! 《ドレミ24》!」

 

 手札に戻ってきた《ドレミ24》が、《パラディソ・シエル》と入れ替わり、再びステージに上がる。

 そして同じように、光瞬くステッキを振るうのだ。

 

「《ドレミ24》の能力で、手札から《ヘブンズ・フォース》! 今度は《マリン・フラワー》《T・アナーゴ》を添えて《パラディソ・シエル》をバトルゾーンへ! 《T・アナーゴ》に重ねてNEO進化なのです! 《パラディソ・シエル》の能力で、《マリン・フラワー》と《ドレミ24》を手札に! さぁ、また攻撃中止なのです」

「え、あれ、これって……」

 

 攻撃する《パラディソ・シエル》が、革命チェンジで手札に戻る。

 攻撃中の《ドレミ24》は、《ヘブンズ・フォース》から出た《パラディソ・シエル》によって手札に戻される。

 ぐるぐるぐるぐると、循環するように、《パラディソ・シエル》と《ドレミ24》が、めまぐるしくバトルゾーンを巡っている。

 

「《パラディソ・シエル》で攻撃! 3枚ドローして《ドレミ24》を墓地へ! そして当然、手札に戻った《ドレミ24》と革命チェンジなのです!」

 

 手札に《ヘブンズ・フォース》がある限り、何度でも、何度でも、これらのクリーチャーは巡り巡る。

 そしてその《ヘブンズ・フォース》も、《パラディソ・シエル》のアタックトリガーで、無理やりに手札に引き込まれていく。

 

「お次はこれ! 《♪銀河の裁きに勝てるもの無し》! 効果で《超Ω(メガ)級 ダルタニック(ビヨンド)》をGR召喚! そして手札から2枚目の《♪銀河の裁きに勝てるもの無し》! 《パス・オクタン》をGR召喚し、《ヘブンズ・フォース》! 《マリン・フラワー》《T・アナーゴ》《パラディソ・シエル》!」

「う……」

 

 呪文を経由してさらに呪文。ついでにGRゾーンからクリーチャーも湧いてくる。

 潤沢な手札を贅沢に使い、寸止めで巡る攻撃から、新たな命をすくいあげ、アドバンテージを得ていく。

 

「《T・アナーゴ》から《パラディソ・シエル》をNEO進化! 当然、戻すのは《T・アナーゴ》と《ドレミ24》! そのまま《パラディソ・シエル》で攻撃! 3枚ドローして《「自由なクルト」》を墓地へ! そして手札から《♪銀河の裁きに勝てるもの無し》! 《予知 TE-20》をGR召喚し、もう一度《♪銀河の裁きに勝てるもの無し》! GR召喚!」

「あ……う、く……」

「ローちゃん……!」

 

 なにもできない。

 目の前で大海原が渦巻き、拡大する様を、指を咥えてみていることしかできない。

 

(……3ターン目が、遠い……!)

 

 延々と1人でカードを回し続ける少女。その回転の中、渦は広がり、巨大化していく。

 まだ、2ターン目だというのに。

 3ターン目は遥か水平線の先。手が届かないほど遠くにあるように幻視してしまう。

 

「さぁ、ご覧くださいませ、お姫さま。これが、あなたが目を逸らした世界の真実なのです――」

 

 ノイズがかった言の葉を口ずさみ、少女はその1枚を手繰り寄せる。

 

 

 

「――《煌銀河(ギラクシー) サヴァクティス》!」

 

 

 

 暗い(ソラ)に流るる一筋の流星のような、大いなる銀河のような、眩い光の龍。

 その光は神々しくもあり、同時に不安を煽る異教の輝きでもあった。

 ローザの背筋に、怖気が走る。

 彼女の裏側に、なにか恐ろしいものがいる気がしてならない。

 自分達が信じる神も、常識も、倫理も、すべてを塗り潰しかねないような、漆黒の闇が垣間見えたような。

 

(この感じ……通り魔のあの子みたいな……)

 

 バンダースナッチと相対した時と、似た感覚。

 未知なる恐怖。超越したような不快感。邪悪の権化。

 これは人の手では遠く及ばないなにか。人の力では太刀打ちできない、別次元の存在。

 脳裏に警鐘の音が焼きつく。本能が、直感が、啓示のように、稲妻のように、貫き降りる。

 

「そして最後に《ヘブンズ・フォース》! 《マリン・フラワー》《T・アナーゴ》《パラディソ・シエル》を出して、《パラディソ・シエル》は《T・アナーゴ》からNEO進化! 《マリン・フラワー》と《ドレミ24》を手札に!」

 

 4枚目の《ヘブンズ・フォース》が切られた。

 延々と一人遊びのようにカードを回していても、それは無限ループではない。《ヘブンズ・フォース》が撃てなければ終了する、不確定かつ有限のループ。

 このターンだけで、《アストラル・リーフ》と、《パラディソ・シエル》の攻撃4回。ターン開始時のドローも合わせれば、合計で16枚もドローしているのだ。

 デッキの大半は掘り尽くし、クリーチャーも展開した。

 これが、2ターン目の行動の結果だ。

 

「うーん……」

 

 しかし少女は不満げに首を捻っている。

 これだけのことをしてなお、物足りないと。

 少女は貪欲に求めていた。

 

「これでターンエンドするしかないっていうのが、ちょっと残念なところですよね。まあ、仕方ないことですけど。ターンエンドなのです」

 

 

 

ターン2

 

 

ローザ

場:なし

盾:5(《破面》)

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

メル

場:《イザヤック》《ダルタニック》《オクタン》《予知》《サヴァクティス》《パラディソ》

盾:5

マナ:2

手札:3

墓地:11

山札:16

 

 

 

「わ、私の、ターン……」

「ローちゃん……」

 

 指先が、声が、震える。

 妹を不安にさせないように気丈に振る舞う余裕すらない。

 返ってきた3ターン目。それは地獄を味わう時間でしかない。

 暗い海で、孤独に座礁した小舟のように、不安と、恐怖と、苦痛が、冷たく突き刺さる。

 

「……いいえ」

 

 世界は黒く暗い。明かりのないこの海で、帰路を求めるのは、きっと絶望的なのだろう。

 しかし、可能性の灯火が消えたわけではない。

 暗くても、なにも見えなくても、希望が閉ざされたわけではないのだから。

 

「苦しんでも、悩んでも、挫けそうでも! 私は、諦めませんよ……! 弱い私が足を止めてしまえば、それこそ弱者のまま終わってしまう!」

 

 そんなのは、嫌だ。

 友が苦しんでいるのだ。辛苦に打ちひしがれて、それでも立ち上がって、前に進んでいるのだ。

 ならば自分が膝を折る道理など、ありはしない。

 彼女が前に進むというのなら。

 その後ろを追って、そして並び立って支えよう。

 友達、なのだから。

 

「《ダイヤモン将》をチャージ、3マナで《転生ノ正裁Z》! 《憤怒スル破面ノ裁キ》を置いたシールドを手札に戻します! そして、サバキZ!」

 

 少女のカードは、大海に立ち込める雨雲の如く循環していた。

 しかしカードが巡るのは、彼女だけではない。

 まだ準備はまるで整っていないが、せめてその一欠片でも、見せつけてやろう。

 《転生ノ正裁Z》により、ローザのシールドが、手札に戻る。

 そして、加えられた2枚を、彼女は捨て去った。

 

「《憤怒スル破面ノ裁キ》と《超煌ノ裁キ ダイヤモン将》をそれぞれ捨てて、サバキZを発動! 《集結ノ正裁Z》! 《集結ノ正裁Z》と《魂穿ツ煌世ノ正裁Z》を手札に!」

「手札に《穿ツ》がなかったのかなんなのか。ま、なんにせよ英断だと思うのです。《パス・オクタン》も《イザヤック》もいるのですからね」

 

 わかっている、わかっている。そんなことは、口に出されなくたって分っている。

 知らないことはまだ多い。けれど、知ったことだってたくさんある。

 相手のクリーチャーのことも、知っている、覚えている。

 だって、

 

「たくさん、たくさん練習したから……弱くても、みなさんに、少しでも並び立つために……!」

 

 皆ほどカードに対する経験も知識もない。熱意もかける思いもない。

 けれど、人に対する情はある。義理もある。

 妹を守りたい願いがあり、使命があり、正義がある。

 ならば、自分がカード1枚に打ち込む理由は、それで十分だ。

 難解で、複雑で、瞬時の判断ができず、頭がパンクしそうになっても、妹と回し続けた。

 それはなんのためか。

 今、この受難を、乗り越えるためではないのか。

 

「2枚目も《集結ノ正裁Z》! 山札を捲り、《転生ノ正裁Z》と《革命聖龍ウルトラスター》を手札に!」

「エンジン掛かってきたのです。これは怖いのですね」

 

 しかし、 

 

「あと1ターン……もちますかね?」

 

 答えは――否

 

「《T・アナーゴ》をチャージして、1マナで《マリン・フラワー》。2マナで《アストラル・リーフ》に進化なのです! 3枚ドロー!」

 

 追加打点を用意して、準備万端。

 3ターン目。速攻デッキにおける、最速のキルターンの基準。

 彼女は、仕掛けてくる。

 

「攻撃開始なのです! 《サヴァクティス》で攻撃する時、革命チェンジ宣言!」

 

 少女の並べる駒は、どれもこれもが個性的。統一感のないバラバラなユニット。

 しかし彼女は、それらを手札という糸で繋ぎ合わせる。

 能力のすべてが無意味な《サヴァクティス》は、そのカードに記された数字と、色と、種族(タグ)によって意味を成す。

 

「もう《ドレミ》なんて可愛らしいカードではないのですよ。ここで呼ぶのは当然、これなのです!」

 

 コスト5、光、ドラゴン。

 そして、際限なく掘り進めた山札、引き寄せた手札。

 数々の叡智を吸収した少女が導き出す答えは、平凡かつ強力無比な一手。

 

 

 

「《時の法皇 ミラダンテⅩⅡ》!」

 

 

 

 面白みはないのですが、と囁く。

 少女は1枚カードを引く。そして――

 

「――Tブレイク!」

 

 ローザのシールドが3枚、砕け散った。

 

「っ、サバキ……Z!」

 

 あまりの衝撃に一歩、後ずさるが。

 退いたのは一歩だけ。

 反撃の手は、それ以上。

 

「《剣参ノ裁キ》《ダイヤモン将》を捨てて発動! まずは《集結ノ正裁Z》で、《魂穿ツ煌世ノ正裁Z》と《煌龍 サッヴァーク》を手札に!」

 

 裁きの紋章が、新たな裁きの紋章を刻む動因となる。

 ローザの手元に紋章が集い、光り輝き、彼女の正義を執行する。

 

「次に《魂穿ツ煌世ノ正裁Z》! 《ダルタニックB》を磔に!」

「一瞬だけシールドにカードが置かれたので、一応、手札から《イザヤック》を場に補充しておくのです。そして《パラディソ・シエル》で攻撃です! 3枚ドローして《T・アナーゴ》を墓地へ。最後のシールドをブレイク!」

「サバキZ……! 《集結ノ正裁Z》と《憤怒スル破面ノ裁キ》を捨てて、《魂穿ツ煌世ノ正裁Z》を3枚! 《パス・オクタン》《予知 TE-20》と《イザヤック》を磔に!」

 

 紋章が打ち捨てられ、新たな紋章が刻まれる。

 一度刻まれた紋章が、再びシールドに刻まれる。

 刻まれた紋章が正義の聖光を放ち、少女のクリーチャーを磔にする。

 一体、また一体と。

 カードが循環する最中に湧き出た余剰分のクリーチャーが、立ち消えていく。

 

「えーっと、またクリーチャーがシールドに置かれたので、手札から新しい《イザヤック》補充しておきますねー……まあ」

 

 ……しかし。

 

「あと一手、守るには足りませんけど」

「…………」

 

 少女の場には、《アストラル・リーフ》が残っている。

 《魂穿ツ煌世ノ正裁Z》をいくら連射しようとも、その大いなる叡智の海には、届かない。 

 

「そもそも《パラディソ・シエル》も《アストラル・リーフ》も進化クリーチャー。《穿ツ》では対処できないのです」

 

 ちょっぴり有利対面なのでした、と少女はどこか満足げだ。

 2ターン目が終わった時点で、ローザは既に負けていた。

 対処不能な叡智の海に、飲まれる定めだったのだ。

 

「それではこれにておしまいなのです! 対戦ありがとうございました!」

 

 海鳴りのようなノイズが響き渡り、波濤の如き海原が大口を開ける。

 深海の奥底に眠る闇の眷属が貌を覗かせ、うねる。

 闇に、引きずり込まれていく――

 

 

 

「《アストラル・リーフ》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ディジー。ヘリオスを見なかったか?」

 

 白の男は、黒の男に問う。

 黒の男は、億劫そうに首を捻った。

 

「ヘリオス? いや、見てねぇな」

「そうか……奴め、どこへ行った。日も跨がないうちに居城の守護という大任を二度も投げ捨てるとは……!」

「ま、あいつのしたいようにさせればいいだろ。お前は少し頭が固すぎるんだよ」

「この居城の守護は、姫の身の安全のためにも重要なことだ。奴にはそれがわからないというのか」

「わかってなさそうだよな、あいつは」

 

 こめかみに手を当てる白の男。黒の男は、どこか他人事だった。

 

「リズも、ヘリオスの暴走をなぜ引き留めないのか……彼女ならばヘリオスの動向も感知しているだろうに。彼女が王国を閉じれば、それだけいいのだが……」

「俺が知るかよ。だが手前の事情で押しつけがましくも他人をガチガチに縛るのもどうかと思うぜ、俺はな」

「これは私情ではない、大義だ。そして母君より定められた役割である」

「はぁん。俺にゃ母ちゃんを理由に責任逃れしてるように聞こえるがね」

「ディジー、貴様……!」

 

 キッと鋭い視線で睨み付ける。腰に携えた剣の柄に手を掛け、今にも斬りかからんばかりの殺気を放っている。

 それに対し黒の男は、どこか慌てたように、同時におどけたように、片手を突き出す。

 

「おっと怒るなよ、このくらいの軽口聞き流せ。お前の言い分も、わからんでもない。俺だって姫さん、ひいては女王様から産み落とされたんだ。お前の言う役割ってのも理解はしているさ」

「…………」

「で、ヘリオスだったか? ま、あいつのことだ。町に繰り出してるんじゃないか? どうも外のように興味津々だったみたいだしな」

「……そうか。ならば仕方あるまい。私はここを離れるわけにはいかないからな」

「あいつらに頼めばいいんじゃないか?」

「メルもリズも別件だ」

「別件って……あいつがやってることって、動画配信だろ? それはお前の言う役割から逸脱してるんじゃないのか?」

「それは……正直、わからない。だが彼女の役割は外の世界を知ること。ありとあらゆる叡智の集積であり、それは彼女にだけ与えられた役割である以上、その手段について、私から口を出すことはできない。私としても、道楽染みたあの行いに思うところはあるが……リズが口を閉ざしている以上、彼女に与えられた役割から外れてはいないのだろう」

「はぁん。そんなもんかよ」

 

 黒の男は興味なさげだ。

 しかし白の男は、変わらず深刻そうに、同時に苛立ちながら、柄を掴んだ手を離す。

 

「なんにせよ、ヘリオスには後で相応の処分を下さねばなるまいな」

「あいつがまともに処分を受けるとも思えないけどな」

 

 

 

 玉蜀黍畑の香りが吹き通る、暗く閉ざされた黒い森。

 腐食した蔦のような天蓋に覆われた、寝台の上。

 彼女は力なく寝そべっていた。

 悲しい、寂しい、苦しい。

 そして。

 

「――あい、たい……です……」

 

 譫言(うわごと)のように、彼女は虚空の(ソラ)に、手を伸ばす。

 微かな希望の先にいる、彼女へと。




 後書きで書くことがない。強いて言うなら、未発売のカードを出すのは主義に反するってことくらいだけれど……まあ些事です。


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46話「配信されたよ -後篇-」

 今の展開だと、色んな場面での話が同時に展開されるせいで、一話一戦の形式にしづらいなと感じています。とはいえ分割して細切れにするにしても、一場面の長さにもムラがあるため、区切りがなかなか難しい。


 これでも小学生の頃は良い子だったのだ。

 決められたことをきっちりこなし、言われたことはしっかり守り、すべきこと、やるべきこと、すべてをそつなくやってのける。

 私はそんな子供だった。

 傍から見れば、私は優等生に見えたのだろう。実際、私も“そうあるべき”ということをやってきた。それが正しいことだと、無意識に信じていた。

 父と母が家を出る時も、私に家を任せた時も、私はそれがいつも通り私がすべきことで、そうあるべきことだと疑わなかったし、子供心ながらその大役が誇らしくもあった。

 父も母も、私を信じてくれている。私にはそれだけの力がある。それが私の役目である。

 

 だけど、すぐにその誇りは、綻んだ。

 

 いくら優等生でも、褒めそやされようと、私はただの子供だった。

 私は秀才かもしれないけど、天才じゃない。優れた人間かもしれないけど、神でも英雄でもない。

 他の子よりもちょっと成長が早いだけの、凡庸な子供だ。

 私にできることは、結局のところ、誰でもできること。私は、他の子供より、それがちょっと早く上手くできただけ。

 誰かにできないことができるわけじゃない。

 両親が家を出てから、すぐに理解した。

 

 料理はできる。しかし面倒くさい。

 

 掃除もできる。けれど面倒くさい。

 

 洗濯もできる。だけど面倒くさい。

 

 それは、その怠惰は、自我を得た瞬間だったかもしれない。

 私は気付いた。私は、ただ、言われたことをやっていただけの傀儡だったんだと。

 他人の期待という名の役割に、唯々諾々と、意志なく従っていただけなのだと。

 それが悪いことだとは思わない。その生き方は、楽だから。

 誰かと一緒にいる。誰かのためになる。誰かを拠所にできる。

 そんな、楽で楽しい、幸福な生き方は他にない。

 だから、一人は嫌だ。

 一人になると、私は私の自我で潰されてしまう。

 その寂寥に、孤独の重責に私は耐えられない。

 どうすればいいのかわからず、生き方を見失ってしまう。

 だから、だから、誰か私を頼って欲しい。

 私はその頼りを頼って、生きていくから。

 だから、お願いだから、誰か私の傍にいて。

 私を一人にしないで。

 戻ってきて――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ママ……パパ……」

「すまんがオレ様は貴様のパパでもママでもないぞ」

「ぶはっ!?」

 

 夢うつつの意識が、一瞬で覚醒し、飛び跳ねるように起きた。

 焦りに駆られながら、首を回す。聞こえるはずのない声の主が、そこにいた。

 

「う、え!? え、あなたは、なんで……!? い、いや……」

 

 なぜここに? という言葉を飲み込んで。

 香取実子は、彼に問う。

 

「……まさか、ぼ、帽子屋、さん……!?」

「そうだが?」

 

 男は――帽子屋は、あっけらかんと答えた。

 実子は、その姿に思わず閉口する。

 

「…………」

「どうした黙りこくって。あぁ、そうか。今は頭を曝け出しているからな。この有様は見せたことはなかったか」

「いや……まあ、いいや」

「ところで貴様はオレ様に父性を求めているのか? これでも一国の王だったが、しかし父と呼ばれるのは些か荷が重い。母性などはより知らぬ、我らが母は畜生ならざる怪物だからな」

「その話は忘れろ!」

「しかし今後、厄介になる以上は貴様の期待には応えてやろうという気がないでもないのでな。参考までに聞いておこうと思った次第だ」

「……厄介になる?」

「おう」

 

 このイカレた男はなにを言っているのか、と考えながら、記憶を辿る。

 そもそも、なんで自分は、こんなけったいな男の横で寝ていたのか。

 

「……そういえば私、水早君と……」

「そうだな。道端で倒れていたので、拾ってきたぞ」

「助けてくれたってこと?」

「解釈は自由だ。オレ様にはオレ様の目的意識がある。それ以上でも以下でもない」

「目的ぃ……?」

 

 顔が曝け出されているにも拘わらず、考えが読めない。底が知れない男だった。

 恐らく、嘘を吐いていたり、騙していたりするわけではない、ように思うが。

 真意が読み取れない。あるいは、表も裏もないのだろうか。

 渇いた砂地のように張り付いた虚無の表情が、彼の思考を覆い隠してしまっている。

 そのあまりの虚ろさを見ていることができず、ふと視線を降ろし、目を剥いた。

 思わず口元に手を添える。見なければよかったと後悔した。

 彼の腹は、黒く抉られていた。

 乾燥した礫岩のような臓物が覗き、砂礫のような血が溜まっている、破損した肉体。

 いや、もはやそれは肉と称することすら憚られる、乾ききった骸だ。

 

「ぉぇ……帽子屋さん、怪我してるけど……病院行ったら?」

「不要だ。そもそも、我々のような怪物を診察できる病院など存在しないだろう」

「いやでも、なんかヤバいよ……ちょっと、気分悪くなるくらい、傷口がエグいんだけど……どうしたの、それ」

「マジカル・ベルにやられた」

「え? 小鈴ちゃん?」

 

 思ってもみない名前に、実子は目を丸くした。

 

「なにそのジョーク。あの虫も殺せないような子が、そんな傷をつけられるとは思えないんだけど」

「いや、奴は覚悟を決めたら凄まじいぞ。神すら畏れぬ人でなしだ。まったく、オレ様はあそこまで傲慢で自分本位な畜生女は初めてだ」

 

 やれやれ、と帽子屋は肩を竦める。

 しかしその一瞬だけ、見えた気がした。

 彼の中の、憤慨が。

 

「本当は死ぬつもりだったのだがな。マジカル・ベルめ……自分勝手にも、オレ様の眠りを妨げおってからに」

「……ほんと、なにがあったの?」

「なにが、とな。ふむ」

 

 実子が再び問うと、帽子屋は顎に手を添えて黙考する。

 過去を、思い返すように。

 

「そうさな――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――やっぱり、できないよ」

 

 

 

 小鈴は、剣を引き抜いた。

 砂のような血、枝のような管、枯れ葉のような臓が、零れ落ちる。

 しかし帽子屋は、立っていた。

 燃え尽きることも、切り捨てられることもなく。

 その命は、まだ、稼働していた。

 

「わたしには、できない……あなたは、代海ちゃんにとって大事な人だから……あなたがいなくなったら、代海ちゃんは、悲しい顔をするから……」

 

 彼女は涙を流していた。悲しい顔をしていた。

 震える手で、握った剣を取り落としそうになりながら、帽子屋に希う。

 

「お願い……生きて、帽子屋さん」

「人をズタズタに切り刻んでおいてどの口がほざくか。流石のオレ様も憎まれ口の百や二百も叩きたくなる」

「代海ちゃんは、あなたのことを大事に思ってた。あなたがいるから、活きていけたって。だから……」

「オレ様のお気持ちは無視か。綺麗事ばかり並べても、結局は手前の都合というわけだな」

「それでもいい。いや、そうだと思う。これはわたしのワガママだ。その上で、わたしは、あなたにいてほしい」

「開き直ったな。あぁ、綺羅星のような少女と思ったが、その実、隕石のような女だったというわけか。神秘的だが、厄介極まりない」

 

 帽子屋は溜息を吐く。同時に、ぼとり、ぼとりと、ざらつく音を立てながら臓物が零れ落ちる。

 それを意にも介さず、彼は天を仰いだ。

 

「自殺願望などとうに擦り切れていたが、死ねないというのは、存外、辛いものだな」

「……ごめんなさい。でも……」

「もういい喋るな。気持ちなど、心など、遙か彼方に枯れ果てたが、今し方貴様に対する嫌悪だけは湧いて出た。オレ様は、貴様の理想のようにだけは絶対に動かん」

 

 帽子屋は虚無と、諦観と、侮蔑の混ざった眼で小鈴を睨みつける。

 

「だが自死を選ぶなど論外だ。拾った命は最後まで使い潰してやる」

 

 彼は被っていた帽子を取り、重い足取りを進める。

 

「あぁ、どいつもこいつもろくでもないな。貴様も、女王も。纏めて死んでしまえばいいのに」

「帽子屋さん……」

「なんだ?」

「なんだか、随分と感情的になったね」

「そうか?」

「うん」

「……わからんな。元々、あらゆる機能が壊れた身。オレ様の中で、なにかがバグを起こしているのやもしれんな」

「大丈夫なの?」

「貴様に死ぬほど切り刻まれて無事なわけがあるか戯け。見ろ、破れた砂袋の如く臓物が零落している」

「ごめん……」

「まあ、そんなものはどうでもいい。貴様がすべてを救うと宣うなら、オレ様はオレ様の民すべての死に場所を探そう」

「…………」

 

 それは小鈴が望むような、誰もが幸せになれるような結末に向かうものではないが。

 

「代用ウミガメも、他の不思議の国の民たちも、一様に眠る墓標を立てに征くさ」

 

 諦念に駆られた不思議の国の王は、後ろ向きながらも、前に進んだのかもしれない。

 イカレ帽子屋は個人(帽子)を捨て、一国の王として、為すべきだと思う最期の責務を果たしに行かん。

 

「ではな、マジカル・ベル――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――まあ、取るに足らんことだ」

「なにその妙に長い間」

「バタつきパンチョウに倣って言うならば、回想シーン、だ」

「はぁ?」

 

 なにそれ? と実子は訝しげに首を傾げる。

 神妙に考え込んだかと思えば、結局なにも話さない帽子屋に僅かな苛立ちを覚えながらも、彼から無理に言葉を引き出す自信もなければ、引き出された言葉が真実とも思えないので、諦める。

 

「わっけわかんないなぁ、帽子屋さん……最初に会った時からそうだったけど」

「しかしオレ様としては、貴様には多少なりとも親近感はあるのだぞ。使いっ走りの白ウサギ」

「ふぅん。ところで帽子、どうしたの?」

「帽子は国に捨ててきた。オレ様はイカレ帽子屋としての個を捨て、不思議の国の王として、我らの眠る墓場を見つけに行くことにしたからな。ふむ、不死(しなず)の大木たる落し子が、死に場所を探して彷徨うというのも、愉快な話だが。そのために、去って行った連中を掻き集めなければならん。とりあえずは、眠りネズミ、蟲の三姉弟あたりか。ヤングオイスターズの長姉がくたばる前に、なにより女王が目覚める前に、事を為さんとな」

「うーん、よくわかんないんだけど」

「こちらの話だ。そして当面の間、国から出て行った者共を回収するための拠点が必要でな。しばらく居候させて貰うぞ」

「……マジ?」

「マジだ」

 

 至極真面目な顔で答える帽子屋。

 彼は真顔で冗談を言うようなタイプだろうと実子は察するが、逆に、ふざけたようなことを真面目に宣うような大胆さも持っている。

 はじめて彼が接触してきた、あの時だってそうだった。

 友を襲うなどと、冗談にしても笑えないことを、大真面目に言い放ち、実行させた。

 だからこれは、冗談であってほしい、真の言葉なのだろう。

 

「えー……女子中学生が一人で住んでる家に居座る中年男って、構図がヤバくない? 犯罪じゃん」

「オレ様は1億5000万歳だぞ、貴様に性欲など湧かん。三月ウサギでもあるまいに」

「なにそのジョーク」

「真実なのだが」

 

 流石に今のは嘘だろう。桁が冗談でしかない。

 それはそれとして、彼の荒唐無稽な要求をどうするべきか。

 ここ最近は不登校だったが、今は冬休み。この家に他に人はいない。親も、親類も、足を踏み入れることはない。

 条件は整っている。

 あとは、実子が彼を受け入れられるかどうか、だ。

 恩はある。実子としても、彼個人が決して憎くはない。

 だから、受容という点では、なにも問題はなかった。

 

「まあ……いいけど。助けてくれたみたいだし、それに……」

 

 心の奥底で燻るものがある。

 

「……や。やっぱなんでもないや」

 

 思わず口から零れそうになった言の葉を押しとどめる、が、

 

「オレ様に依存しようというのならやめておけ」

「!」

 

 帽子屋はそんな実子を見透かしたように、言い放つ。

 

「貴様の生き様はわかる。他者に寄生し、蜜を吸い、楽に生きる生き方だ。いや、貴様の場合は寄生というより共生か? 相手の利益や期待に依るところもあるのだろう。その方が穏便だからな」

「…………」

「我々も似たような生き方をしてきたからな。そもそも貴様に声を掛けたのも、貴様の生き様が我々に通ずるものがあったから、というのもある」

 

 共感性(シンパシー)というやつだ、と帽子屋は言う。そして、

 

「その上で言おう。オレ様に取り入るのはやめておけ」

 

 実子に忠言を呈する。

 

「マジカル・ベルは良い蜜壷となったのやもしれんがな。オレ様は黒ずんだ枯れ木だ。オレ様に寄生しても、吸えるのは乾いた汚泥だけ。そんなものを吸っていたら、あっという間に腐り落ちるぞ」

「でも、私は……」

「意識を保て、思考を止めるな。あくまでオレ様と貴様は、互いの利益と目的のために寝食を共にするだけ。互いを目的とするべきではないし、そこに私情を侵蝕させるべきではない」

 

 彼らしからぬ、論理的で、倫理的で、合理的な、諫言だった。

 さらに帽子屋は念押しするように、実子の顔を覗き込む。

 

「いいな?」

「……はい」

 

 有無を言わさない、覇気無き威圧に、実子は首肯するしかなかった。

 結局、まだ自分は一人のままなのだと、突き放される。

 

「ま、多少の情が湧くくらいは許容するがな。しかしオレ様を拠所にするのはやめておけ。老婆心というやつだ」

「……帽子屋さん、男の人じゃん」

「ふむ、確かに。とはいえ我らに本来は性別などないのだがな。長く生きすぎたせいで、今や男性機能も息していない。三月ウサギも無駄なことばかりしていたものだ。オレ様は文字通りの枯れ木だと言うのに」

 

 裂けた腹を押さえながら、帽子屋は虚空に語る。

 そして実子へと視線を向けた。

 

「とりあえず、おい白ウサギ」

「……実子だよ。香取実子。最初にそう名乗らなかったっけ?」

「不思議の国流の呼び名を与えてやったのだが、不服か」

「ウサギっていうと、あのエッチなお姉さんが思い浮かぶから嫌なんだけど」

「そうか。では実子」

 

 改めて名前を呼び。

 王のように、傲慢に命じる。

 

 

 

「腹が減った。食い物はないか?」

 

 

 

「…………」

 

 一瞬、沈黙。

 実子は見たくもない彼の腹を見て、一言。

 

「そのお腹で、食べ物入るの……?」

「腹から出ていくな、物理的に」

 

 などと言いながら。

 実子は、買い出しに出た。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ローザ!」

「ごめん……ユーリア……」

 

 ローザは膝を折った。

 軽快な勝利のファンファーレが、耳障りなほどけたたましく鳴り響いている。

 

「一戦目しゅーりょー、なのです。はい、一旦撮影中断(カット)なのです」

 

 ぷつり、とファンファーレが止む。

 そして少女は、ユーリアに視線を向けた。

 

「それで、あなたはどうするのです? ユーリア・ルナチャスキーさん?」

 

 目の前で姉が負けた。

 なにもわからない。けれど彼女が感じていたことと同じことを、ユーリアも感じている。

 この少女は、危険だ。

 にこやかな笑顔の裏に隠された、敵意、害意。

 あるいはそれ以上の、なにかもっとおぞましいものが、潜んでいる。

 恐怖は、ある。

 逃げたい気持ちはある。

 けれど。

 

「ローザは立ち向かった……それなら、私が臆病風に吹かれるわけにはいかない」

 

 それ以上に、彼女の勇気を無碍にはできない。

 己が心の内から湧き上がる、この熱を無視して、踵を返すことなんてできない。

 たとえ選択肢を与えられても、ユーリアは逃避を選べなかった。

 

「それに、あなたがローザにひどいことをするのなら、私は戦うよ」

「酷いことなんてとんでもない! ちょっと大人しくしてもらったり、居住地を変えてもらったりはするのですが、丁重におもてなし致すのですよ!」

 

 少女は笑う。明るく、朗らかな顔で微笑む。

 しかしそれは、鈴の音色のように笑う、ひだまりのような彼女とは、まったく違う。

 あたたかみではなく、冷徹さを秘めるための笑み。

 本性を見せないための、隠匿の微笑だ。

 

「えぇ! ちゃんと腐らないよう、メルちゃん特性ホルマリンに頭まで漬けて、大事な検体として記録、保存してあげるのです!」

「…………」

 

 そして同時に、無邪気な残虐性の発露でもあった。

 彼女は、決定的になにかが欠けている。

 あるいは、最初から存在していない。

 人間としての、なにかが。

 

「実はちゃんとデッキも複数用意してきたのですよ? おかげさまでアンケートは好評、集計した「使って欲しいカード」は目移りしてしまうくらい多種多様でしたので、ひとつのデッキには収まらず。結果として、いくらか準備してきたのです。メルちゃんに抜かりはないのですよ」

 

 白衣の内側を晒すと、無数のデッキケースが収められていた。

 彼女は先ほどのデッキを収め、新たなデッキを取り出す。

 

「ユーリア……」

「大丈夫だよ、ローちゃん」

 

 スッと、ユーリアはローザの前に立つ。

 姉と入れ替わり、少女と相対する。

 

 

 

「準備はよろしいようで。それでは第二戦、開始なのです!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ヘリオスは予想通り、町に繰り出していた。

 長閑な日差しを一身に浴び、欠伸をしながら、悠々と歩を進める。

 

「やっぱミーナの小言はうるさいよなぁ。なんとか抜け出してきたし、鬼の居ぬ間に洗濯と行こう」

 

 この世界には、楽しさが溢れている。

 右を向けば、美味しそうな匂い。

 左を向けば、興味深い景観。

 目を閉じれば、楽しげな声。

 これほどの興味を惹かれるものがあってなお、じっと待っているなんてできない。悩む時間さえも勿体ない。

 

「さーて、さっきはパンヤ? ってとこで美味しいもの食べたけど、次はどこに行こう……お?」

 

 キョロキョロと辺りを見回しながら歩いていると、ふいに彼は足を止めた。

 視線の先には、なにもない。

 いや、それは、なにも知らぬ者からすれば、だ。

 彼にはわかる。目の前の空間。そこが、歪んでいることに。

 

「これ、メルの王国じゃん。なんでこんなところに?」

 

 それは彼らが女王より与えられた“王国”へと続く門。

 本来ならば国主がいなければ、王国は顕現しない。

 彼女がここにいるのか。それとも、なにか別の要因が働いているのか。

 思考は、刹那。

 

「……面白そうな予感!」

 

 衝動も、刹那。

 その瞬きのうちに、彼は決断した。

 面白そうなこと。自由を得た身ですべきこと。

 己が役割を果たすべく、次に選ぶ行動は、これだと。

 

「僕を除け者にして楽しいことをしようたってそうはいかないよ!」

 

 そして、ヘリオス・マヴォルスは――彼女の王国へと、飛び込んだ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ユーリアとメルの対戦。

 互いに《ダーク・ライフ》《フェアリー・ライフ》と繋いだ、3ターン目。

 

「《不死妖精ベラドアネ》を召喚(フォーラドゥング)です! 山札から1枚をマナへ、1枚を墓地(フリートホーフ)へ! Ende!」

「それでは、こちらは《フェアリー・シャワー》を唱えるのですよ。1枚をマナへ、1枚を手札へ。ターンエンドなのです!」

 

 

 

ターン3

 

 

ユー

場:《ベラドアネ》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:3

山札:24

 

メル

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:4

墓地:2

山札:24

 

 

 

 ユーリアのターン。

 彼女はカードを引き、マナを溜め、そして、

 

「……手札を1枚、墓地へ」

「お?」

 

 手札を、捨てた。

 

 

 

「マスターG・O・D・S(ゴッドオーバーダイナマイトスペル)――《“魔神轟怒(マジゴッド)万軍投(マグナ)》!」

 

 

 

 捨てた手札が起爆剤となり、爆ぜる。

 爆炎は燃え広がり、炎上し、焼け落ちていく。

 

「3回GR召喚です! 《ダラク 丙-二式》! 《グッドルッキン・ブラボー》! 《バルバルバルチュー》!」

 

 魔神の怒りが轟き咆える。

 同時に、3体のクリーチャーが、炎の中より生まれ出でる。

 彼女の義憤に、応えるかのように。

 

「《ダラク》で山札の1番上を墓地へ! 《バルバルバルチュー》の能力で、シールドを手札に加えます! Ende!」

「おぉぅ、なかなか攻めっけあるムーブメント! いいですね!」

 

 《“魔神轟怒”万軍投》。3回GR召喚をするという、単純明快、それ故に強力無比な呪文。

 加えて、自身の効果で手札を捨てることができ、そのターン中に捨てた手札の枚数1枚につき2コストが下がるため、低コストで放って盤面を揃えることも可能。

 もっともユーリアは、《“魔神轟怒”万軍投》の効果で1枚しか手札を捨てていないので、下がるコストは2だけ。

 ユーリアは捨てた手札に視線を落とし、ターンを終える。

 

「ではこちらも! 6マナで《ドルツヴァイ・アステリオ》召喚!」

「!」

「マッハファイターなのです! 《グッドルッキン・ブラボー》を攻撃!」

 

 《ドルツヴァイ・アステリオ》のパワーは1000。しかしマナゾーンにあるカードの枚数だけ、パワーが1000加算されていく。

 現在のパワーは7000。決して高いという数値ではないが、低パワーのGRクリーチャーを踏み潰す程度ならば、造作も無い。

 そして、《ドルツヴァイ》の突撃は、敵を貫く矛なだけではない。

 その角は、大地を鋤く鍬でもあるのだ。

 

「《ドルツヴァイ》がバトルに勝ったので、あたしのマナが2倍に!」

「う……」

 

 6マナが、一瞬で12マナへ。

 マナの多さは、できることの大きさだ。

 12マナもの大量のマナで、彼女は一体、なにを為すというのか。

 

 

 

ターン4

 

 

ユー

場:《ベラドアネ》《ダラク》《バルチュー》

盾:4

マナ:6

手札:1

墓地:6

山札:22

 

メル

場:《ドルツヴァイ》

盾:5

マナ:12

手札:3

墓地:2

山札:17

 

 

 

「私のターン……2マナで呪文《ダーク・ライフ》です」

 

 次のターン、彼女はきっと仕掛けてくる。12マナものマナを使った、大掛かりな一手を打ってくるに違いない。

 もはや悠長に準備している時間は無い。

 だから、

 

「……準備完了です!」

 

 ここで――終わらせる。

 

「5マナで《魔光蟲ヴィルジニア卿》を召喚!」

 

 それは神の蟲。地底を漁り、屍肉を貪り、増長する忌まわしき外道の怪物。

 

「墓地のクリーチャーを1体、手札に戻します……そして、このクリーチャーは《ヴィルジニア卿》と同じナイトの種族を持っているんですよ!」

 

 《ヴィルジニア卿》は騎士にあるまじき穢れた行いを以て、力を得る。

 墓を荒らし、汚らしく骸を掘り起こし、それを貪食する。

 その骸が、我が身と同じ騎士ならば。

 

「闇と火。《ヴィルジニア卿》と《バルバルバルチュー》を――進化(エヴォルツィオン)!」

 

 低俗なる蟲の身が、膨れ上がる。

 墓地に眠る屍を喰らい、変貌する。

 零落した邪眼が――覚醒する。

 

 

 

「小鈴さん、Ich bitte dir(力を貸してください)――《暗黒邪眼皇 ロマノフ・シーザー》!」

 

 

 

 それは、友から借り受けた切札。

 赤き情熱に、黒き意志を重ね、銃を構える。

 

攻撃(アングリフ)! 《ロマノフ・シーザー》で攻撃する時、メテオバーン発動です! 《ヴィルジニア卿》を墓地へ送って――発射(フォイア)!」

 

 糧となった獣を弾として込め、撃ち放つ。

 その弾丸は、魔法の如く、揺らめき燃え上がる。

 

 

「唱えるのは《CLIMAX(クライマックス)-ARMOR(アーマー)!》! 2回、GR召喚です!」

 

 その弾は、《“魔神轟怒”万軍投》で予め装填していた呪文。

 《“魔神轟怒”万軍投》ほどの大火ではないが、その火は瞬く間に延焼する。

 

「来ましたよ! 《ヨミジ 丁-二式》《ダラク 丙-二式》! 《ヨミジ》のマナドライブを発動します! 《ヨミジ》を破壊して、《バーンメア・ザ・シルバー》をバトルゾーンに! 《バーンメア》の能力で、《グッドルッキン・ブラボー》と《マシンガン・トーク》をGR召喚! この子たちみんな、スピードアタッカーです!」

「わぁ! いっぱい出て来たのです!」

 

 《ロマノフ・シーザー》が引き金を引き、《CLIMAX-ARMOR!》から射出されたGRクリーチャーが新たなクリーチャーを呼ぶ。そしてそのクリーチャーが嘶き、更なるGRクリーチャーが呼び寄せられる。

 本来の持ち主である彼女よりも、その弾は苛烈に燃えていた。

 

「そして、《マシンガン・トーク》の能力で、《ロマノフ・シーザー》をアンタップです! Tブレイク!」

「んー……残念! ノートリガーなのです! ひょっとしてメルちゃんピンチなのです?」

「Ja! このまま勝たせてもらいますよ! もう一度《ロマノフ・シーザー》で攻撃! そして墓地から、《ダーク・ライフ》と《法と契約の秤》を唱えます!」

 

 ユーリアの猛進は、止まらない。

 友の力を借りて爆走し、姉のために心を燃焼し、彼女はひた走る。

 

「さぁ、来てください! 《ダラク》を――進化!」

 

 ただ一直線に、自分の大切なもののために。

 立ち止まらずに、走り続ける。

 

 

 

Die Boeseauge der Dunkelheit werden dich toeten(闇の邪眼があなたを射貫く)――Ich bitte dir(お願いします)! 《悪魔龍王 キラー・ザ・キル》!」

 

 

 

 姉は最後まで戦った。

 ならばその姉のために戦う自分が、立ち止まる道理はない。

 愚直に邁進し、駆け抜ける。

 

「《キラー・ザ・キル》の能力で、《ドルツヴァイ・アステリオ》を破壊します! そして、《ロマノフ・シーザー》で残りのシールドをブレイク!」

「うーん、またノートリガー。受けはそこそこ厚めにしたはずなのですが、上手くいかないのです」

 

 これでシールドはなくなった。

 ユーリアの場には、《キラー・ザ・キル》に、大量に並んだGRクリーチャー。しかもそのすべてにスピードアタッカーが付与されている。

 このまま、押し切る。

 

「《グッドルッキン・ブラボー》でダイレクトアタックです! 《グッドルッキン・ブラボー》はマナドライブで、2回攻撃ができるんです!」

「あたしのシノビを見越しての大量展開……うーん、これはメルちゃん大ピンチなのです! 助けてください《サイゾウミスト》! 墓地を戻してシールドを追加するのです!」

 

 当然のように現れる《サイゾウミスト》が、霧の壁を作る。

 攻撃は、通らない。

 だがこの一撃だけじゃない。

 まだ、まだ、仲間はいる。

 彼女を倒すための、力がある。

 それがある限り、ユーリアは、止まらない。

 

「今度こそとどめです! 《キラー・ザ・キル》で、ダイレクト――」

「ちょーっと待つのです! こっちの処理、終わってないのですよー?」

 

 続けざまに攻撃しようとしたところで、制止される。

 彼女の手に、青い光が、渦巻き収束していく。

 

「いいタイミングで引いたのです、S・トリガー発動! 《深海の伝道師 アトランティス》!」

 

 ズンッ、と。

 大陸の如き巨躯が、戦場に浮上する。

 海洋を占領する信心深き怪物は、海を溢れさせんばかりの大波を、解き放つ。

 

「《アトランティス》の能力発動なのです! お互い場のクリーチャーが1体になるように、クリーチャーをすべてバウンスなのです!」

「え……っ!?」

 

 すべてを飲み込み、海神(わだつみ)の怒り。

 地を揺るがし、海の底の大水を巻き上げ、波濤となりて命を飲み込む暴威。

 神話に語られるが如き天災を、引き起こす。

 

「あたしは《アトランティス》を残して、残りのクリーチャーを手札に戻すのです! あなたはどうするのです?」

「き……《キラー・ザ・キル》を、残します……」

 

 大波一過。

 後に残るものは、なにもない。

 汚泥も、自然も、営みも、命も、すべて、すべて。

 押し流されてしまった。

 残ったのは、《キラー・ザ・キル》ただ1体。

 そして、彼女の手には、

 

「《キラー・ザ・キル》で……ダイレクト、アタック……」

「ニンジャ・ストライク! 《怒流牙 サイゾウミスト》!」

 

 《アトランティス》で戻された、《サイゾウミスト》が再び握られている。

 

「墓地を山札に混ぜてシールドを追加! これで攻撃は止めました!」

「……Ende」

 

 どれほどの大軍を率いようとも、自然の災禍には敵わない。

 諦めない、進むことを止めない、と息巻いても。

 広大な海洋、神に遣われし怒りの前では、人のちっぽけな意志など、有象無象に過ぎない。

 

「あたしのターンもらいまーす! これでフィニッシュなのですよ!」

 

 マナの大きさは、できることの大きさ。

 手札の多さは、できることの多さ。

 豊潤な大地から、母なる海へと流れ込むマナ。

 蓄えられた手札から、最善最高の一手を導き出す知識。

 

「9マナをタップ。さらに追加で3マナの支払い――バズレンダ!」

 

 ライトが明滅する。

 己の存在を誇示するかの如く、ポップでファンキーな音を掻き鳴らし、警鐘を鳴らす。

 それは、すべてを押し潰す災禍ではなく、有象無象を束ねて力とする先導者。

 

賢者(ファン)の皆! いっぱい、いーっぱい! メルちゃんのこと、見てくださいね!」

 

 数多の手札から選ばれ、大量に注ぎ込まれたマナを以て、それは咆える。

 有象無象の衆生の声を聞き、その凡庸さと、共鳴するように。

 彼らを手本に、智を学ぶために。

 

 

 

「あたしにいっぱい、色んなこと、教えてくださいね――はいどうぞ、《ロールモデルタイガー》!」

 

 

 

 地を駆け、海を奔る。

 波濤に乗り、原野を超え、疾走する。

 人々の声を聞き、それらを束ねた検体。有象無象の思考が反映された、標本の獣。

 それは記録という牙を剥き、遠吠える。

 

「バズレンダは召喚する際、追加でコストを支払うことで、効果を複製する能力……って、賢者(ファン)の皆さんには解説するまでもありませんでしたね! これは失敬! でもまあ、一応なのです」

 

 と、カメラの前でポーズを取って。

 くるりと、ユーリアに向き直る。

 満面の、死神のような笑顔で。

 

「ともあれ《ロールモデルタイガー》の能力発動なのです! あたしはマナゾーンから、マナゾーンの枚数以下のコストを持つクリーチャーを呼べるのです。そしてそれは、バズレンダで二連打なのですよ!」

 

 《ロールモデルタイガー》が咆哮する。その吠え声は大地を割り、海を裂き、奥底より新たな命を引きずり起こす。

 

「出すのはこれ! 《黒神龍エンド・オブ・ザ・ワールド》と《水上第九院 シャコガイル》!」

 

 地の底より這い出るのは、世界を終焉に導く漆黒の龍。

 海の底より湧き上がるは、世界の理をねじ曲げる海魔。

 ただ手本をなぞるだけの一手。しかしそれは、先駆者たちが積み上げてきた叡智の発露。

 即ち、事実上の終了宣言(ゲームセット)だ。

 

「まずは《シャコガイル》の能力で、墓地をリセット! まあ元々ありませんけどね! でも順番が大事なのです」

 

 《シャコガイル》が渦巻く。無意味に大渦を放つ。

 これは、ただそこにいるだけで意味がある。それ以上の意味は無い。

 

「お次は《エンド・オブ・ザ・ワールド》! 山札を3枚残して、それ以外をすべて墓地へ! まあなんでもいいのでてきとーに」

 

 山札をガシッと掴み、乱雑に3枚だけ残して、それ以外を投げ捨てる。

 精細を欠くような所作に見える。実際その通り。だがしかし。

 それで十分すぎるほどに、ユーリアは終わっていた。

 

「さて……おわかりなのです? あたしの場には、LOを勝利に変換する《シャコガイル》。そしてたった今、あたしの山札は3枚まで減ったのです」

「……ぅ」

「つまり――ターンエンドなのです」

 

 

 

ターン5

 

 

ユー

場:《キラー・ザ・キル》

盾:3

マナ:8

手札:4

墓地:3

山札:21

 

メル

場:《アトランティス》《ロールモデルタイガー》《エンド・オブ・ザ・ワールド》《シャコガイル》

盾:0

マナ:11

手札:5

墓地:17

山札:3

 

 

 

 なにも、できない。

 ターンが返ってきた。震える手でカードを引く。

 しかし、

 

「ゆ、ユーちゃんの、ター――」

「はい《シャコガイル》の能力発動なのでーす! 5枚ドローするのです!」

 

 最後にデッキに触れることさえできず。

 自分がカードを引くより先に、相手の手札にカードが入る。

 当然、山札が残り3枚、5枚もドローする資源は残っていない、が。

 

「山札を引き切ったので、これにて終了なのです!」

 

 今この世界は、理がねじ曲がっている。

 彼女にとっての敗北は、敗北にはならない。

 ローザが大事にしている、規律も、秩序も、なにもかもが、ぐちゃぐちゃに歪んでいる。

 そこでは、ユーリアの声は届かない。

 なにを言うこともなく、不屈の意志も、歩みを止めないバイタルも、すべてが無為となり。

 ――終了した。

 

 

 

「対戦、ありがとうございました! なのです!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 耳障りなファンファーレが、軽快に、甲高く、響き渡る。

 それは海原メルを称えるための凱歌。

 

「いやー、さっすがあたし、連勝なのです! メルちゃんはやはり天才なのですね!」

 

 そして。

 

「……さて」

 

 それは、双子にとっての敗戦の鎮魂歌だった。

 

「放送カット。残りは時空の巻き戻し編集で後付けリアルタイム付け足しするとして、お仕事お仕事。推し事ではないのですよ?」

 

 冗談めいて、少女は双子に視線を向ける。

 笑っているのに、その奥にあるのは底知れない暗闇。

 人間ではなく、獣が笑っているような。否、獣以上の、神ですらない、邪悪ななにかがほくそ笑んでいるような。

 そんな、おぞましい眼をしていた。

 だからこそ、それが神をも恐れぬ、神すら畏れるほどの邪悪を宿していると直感したからこそ。

 ローザは、身体を起こしてユーリアを庇うように立つ。

 

「待って! ユーリアは……この子だけは……!」

「ローザ……!」

「んー、これはいわゆる、麗しき姉妹愛というものなのです? 姉妹丼……成程、そういうのもあるのですね。あたしの妹はリズちゃん? 弟がリオ君? じゃあディジーさんはお父さんで、ミーナさんはお母さんなのですね!」

 

 あ、お母さんは別にいたのです、などと言いながら。

 彼女の意識も、興味も、既に別の遠いところに飛んでしまっているような。

 もはや目の前の矮小な人の子など、取るに足らないものであると言わんばかりに。

 彼女は、双子を見ていながら、彼女たちなど眼中になかった。

 

「まあでも、メルちゃん優しいので! 双子というアイデンティティはきっちり保持したまま、二人纏めて直葬なのです! 大丈夫、安心するのですよ。このあたしが手ずから処理するので、傷ひとつない、永久保存版の綺麗な標本にするのです!」

 

 彼女は、朗らかに言ってのけた。

 嘘偽りのない、冷徹で、晴れ晴れとした笑顔で。

 

「……狂ってます」

 

 ローザの口から零れたのは、そんな言葉だった。

 人の身、人の心、人の感覚から遥かに逸脱した精神。

 狂っていると称することすら生ぬるい。それは狂気そのもの、その権化。

 彼女が狂っているのではなく。

 彼女自身が、狂気なのだと。

 

「なんで……」

 

 ユーリアは、震えた声を絞り出す。

 姉の手を握り締め、彼女に寄り添うように、前に出て。

 自分よりも幼い少女に恐れを抱きながらも、言の葉を紡ぐ。

 

「こんなこと、するんですか……?」

「ん?」

「ユーちゃんには、あなたのしたいことは全然、わかりません……!」

 

 それは、理不尽への抵抗だった。

 疑問をぶつける。なぜ、と問いかける。

 それで状況が好転するわけでも、現実が変わるわけでもないが。

 自分自身の納得のために、ユーリアは少女に問う。

 

「えー、あたしのしたいことなのです? そりゃまあ、いっぱいあるのですよ? いっぱい配信して、ファンの皆さんからたくさんの知識を頂くことがあたしの使命なのですけどー」

 

 少女はどこかおどけたように、飄々と答えた。

 しかし、ふっと、声が冷める。

 

「それとは別に、あなた方を粛正する必要があるのです」

「粛正……?」

「ミーナさん風に言うなら、なのですけどね。でもあたしからすれば、これは採集なのです」

 

 だって、と少女は続ける。

 

「お姫さまはあなた方の殺害を望んでいないのですから」

 

 面白そうとも、つまらないとも、なんともならざる無感動な声。

 ただ淡々と、不気味なほど冷淡に、彼女は説明する。

 

「あの方は優しすぎる。怒りも、憎しみも、自虐に巻き込んですべてを飲み込もうとしてしまうのです」

 

 憤怒がある。憎悪がある。それでも、怒れない、憎めない。

 ただただ、寂しい。惜しい。

 かつて、傍にあったものが――恋しい。

 

「そんなぶきっちょで寂しがり屋なお姫さまのために、過去の遺産を拾い集めて、それを永久に保存するのです。それがあたしたち【死星団(シュッベ=ミグ)】に課せられたお仕事のひとつなのです」

 

 恋しいから、掻き集める。

 己への憐憫と、内から湧き出でる激情。反発するそれらを、我が子に託す。

 だから青の彼女は、ここにいる。

 彼女は怒りでも、憎しみでも、正義感でもなく。

 ただそこにある機能という役割で以て、蒐集を為す。

 

「そういう意味では良かったのですね。だってあなたたち、お友達とずっと一緒にいられるのですよ? 意識も脳領域における思考くらいは残しておけば、お互いに寂しいこともない……うーん、流石メルちゃん! 優しさに溢れているのです!」

 

 冷めた声に熱が戻る。躁のアップダウンが激しい。しかしどこにも欺瞞はなく、すべてが本音であり、本気。

 彼女はきっと、本気でそれが優しさなどだと思っている。

 友達のためだと、宣って。

 

「お友達……」

「……そのお姫さまって、もしかして……」

「おっといけないのです! ついつい話し込んじゃったのですね。いけないけない、きっちりお仕事はこなさないと、ミーナさんに注意されちゃうのです」

 

 少女はは指先を走らせる。

 虚空という水面には、海洋の如くモニターが広がっていく。

 雫のように人差し指が虚空のモニターに触れると、双子達の上空、その空間が歪む。

 歪な空間は捻れ、曲がり、別の形を成していく。

 名状しがたい鋼鉄のような塊が、大口を開け、その奥底に潜む深淵にてこちらを覗いている。

 古い教会の奥底で見た鉄塊の乙女の如き、忌むべきもの。

 理解はできない。形容もできない。しかし、それが忌避すべき恐ろしいなにかであることだけは、理解できた。

 

「捕獲装置ってこんな感じでいいのですかね? 培養槽の準備はバッチリなのですが、こっちの方はもっと改良が必要そうなのです。まあ、とりあえず捕縛できればよしということで、ひとつどうぞなのです」

 

 ピッ、と少女は人差し指を立てる。

 そしてそれを、振り下ろした。

 

 

 

「降下」

 

 

 

 鉄塊が――降りてくる。

 大口が、迫り来る。

 

「っ……!」

「ローザ……!」

 

 双子達は身を寄せ合う。

 逃げることは叶わず。身を守ることも能わず。

 祈祷と、懺悔と。

 後悔と、謝罪を。

 それぞれ胸に秘めたまま。

 深淵がに、飲まれ――

 

 

 

「あぶなーい――!」

 

 

 

 ――なかった。

 轟音。

 爆弾でも爆発させたのかと思うような、耳を劈く破砕音が轟く。

 ぱらぱらと降り注ぐ、鉄塊の残骸。

 そして双子たちを守るように、彼女らの前に立つのは、燃えるように赤い髪の、一人の青年だった。

 

「いやー、危なかったね君たち。大丈夫かい?」

「えっと……」

「た、助けてくれた……のですか?」

「可愛い女の子がピンチのようだったからね。ま、当然さ」

 

 彼は爽やかに答えると、少女の方を向く。

 そして、にこやかに片手を上げた。

 

「おや、メルじゃないか! やぁ」

「やぁ、じゃないのでーす!」

 

 真に屈託のない青年の笑みに、少女は吃驚と怒りが混じった声で絶叫する。

 

「っていうかリオ君!? なんであたしのスタジオもとい王国(アトリエ)にいるのです!?」

「なんか面白そうだから、入ってみた」

「うわ本当なのです!? 真正面からの侵入履歴にしっかり記録されてるのです! なんで気付かないのですかあたし!」

 

 これがあたしのキャパの限界なのですかー! と、青い長髪を掻き毟り、頭を抱え、悶える少女。

 青年はそんな少女に、優しく語りかける。

 

「どうしたんだいメル? 鬼のような形相を浮かべて。悩みでもあるのかい?」

「えぇ! 目の前に最大級の悩みの種にしてでっかい火種が転がってるのですよ!」

「マジか。どこだい?」

「てめーは鏡を見るのです!」

 

 ウィンウィン、と機械音を鳴らしながら、天上から水晶のような鏡が降りてくる。

 青年はそこに映る自分を眺め、一言。

 

「ふむ……今日も僕はキマってるね」

「うっせーばーかなのです! そんなことは言ってないのですよ!」

「いいね。メル、君は怒っている時の方が活き活きしてて魅力的だよ。気取ってないで、いつもそうしてればいいのに」

「こんな時におねーちゃんを口説くんじゃないのです!」

「メルは姉さんって感じしないな……確かに僕の方が後の生まれだけどさ」

「ローちゃん……これ、なに?」

「さぁ……?」

 

 助かった、のだろうが。

 あまりにも状況が意味不明だった。

 なにやら助けてくれた青年は、少女と知り合いのようだが……

 

「あーもう、色々めちゃくちゃなのです! リオ君が絡むとろくなことがないのですね!」

「僕のせいなのかい?」

「ったりめーなのです! とにかくそこ退いてくれないです?」

「え? やだよ」

「なにゆえなのです!?」

「また危ない隕石が落ちてきたら、彼女らが危ないだろう?」

「あーもう、ほんっとなにもわかってないのですね、リオ君は……! 思慮がなくて思考をしないどころか、記録領域すらめちゃくちゃなのです!」

 

 見るからに苛々している様子の少女に、青年はきょとんとしている。

 少女は頭を抱えながらも、ぶつぶつと、自分に言い聞かせるように呟く。

 

「……クールダウンなのです、あたし。外的要因により、計画が狂い、破綻。味方がエネミーの状況は最悪なのです。状況を軌道修正するより、ここは一旦退いて立て直すべきなのです。総合的に見て、その方が効果的、効率的、合理的……な、はずなのです。仕留め損ねた場合の保険もあるのですし……」

「どうしたんだいメル? そんな独り言をぶつぶつしちゃってさ」

「リオ君は黙ってるのです! もういいから、今日のところは帰るのですよ!」

「えー……ミーナがうるさいから、帰るの嫌なんだけど」

「いいから来るのです! 強制送還なのです!」

「え、ちょっ、うわ、やめ――」

 

 ブツンッ

 と、通信が切れたように、青年と少女の姿は消えていた。

 それどころか、あの摩訶不思議なスタジオも、綺麗さっぱり消え失せ。

 ローザとユーリアは、いつもの町、いつもの世界へと、戻されていたのだった。

 

 

 

「今のは、一体……」

「なんだったのでしょう……?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「もー! リオ君のバカバカバカバカバカー!」

 

 青の少女は、赤の青年をポコポコと駄々っ子のように殴りつける。

 青年は特に痛そうな素振りは見せないが、困ったような、それでいて鬱陶しそうにその拳を受けていた。

 

「せっかくいいところまで進んでたのに! リオ君のせいで全部台無しなのですよー! バカー!」

「まあまあ、でも聞いてくれよ、メル」

「む、なんなのです?」

 

 少女は青年を殴る手を止めて、彼の言葉に耳を傾ける。

 そして青年は、決め顔で少女に言った。

 

「女の子のピンチに颯爽と駆けつけて助ける僕さ、最高にカッコよくなかった?」

「アホ抜かせなのでーす!」

 

 力強く、一発の殴打。

 青年は「うっ」と若干仰け反ったが、しかし特別、痛痒というほどでもない。

 

「もうリオ君なんて知らないのです! とっとと出てけなのでーす!」

「うーん、どうも今日はメルの機嫌が悪いみたいだ」

「どう考えてもお前のせいだけどな」

「僕が悪いのかい?」

「お前以外に悪い奴はいない」

「その通りだ。ヘリオス、貴様はまた勝手に居城を抜け出した挙げ句、仲間の厳正たる行いを妨害した。その罪、重いぞ」

「えー……なんで僕が悪役みたいになってるんだ? 女の子助けたのに……」

「状況をよく見てからそういうのはやるのです! どう考えてもあそこは、あたしの魅せ場だったのでしょーが!」

 

 牙を剥き出しにして、青年に噛みつく少女。

 その怒りの理由がよくわかっていない様子の青年だが、とりあえず自分の具合が悪いことだけは察した。

 

「うーん、仕方ない。ディジー、今日は君の部屋に邪魔させてくれないかい?」

「あいつが荒れる火種を放置して、こっちにまで飛び火しても困るしな。仕方ねぇな、だが邪魔はすんなよ。言っても効かねぇだろうが」

「まったくね、鬼の目にも涙とはこのことか」

「全然意味違うけどな」

 

 赤の青年は、黒の男に連れられて、その場から消える。

 残った青の少女は、怒り心頭のまま、手足をバタバタとバタつかせていた。

 

「むむむぅー、リオ君のやつー! いくら温厚なあたしでも、怒りが超超超天フィーバーなのですよー!」

「落ち着けメル。それほど興奮するなど、君らしくもない」

 

 それを、白の男が宥める。

 しばらくそうしているうちに、少女は落ち着いたようで、大人しく座する。

 

「まったくもう……まあ、双子ちゃんたちに関しては、手を打ってるので大丈夫なのですが。次に誰をどうするか、なのですよねぇ」

「なにか問題が?」

「問題っていうか悩んでいるのです」

 

 少女が虚空を指でなぞると、モニターが浮かぶ。

 そこに映る、3人の少女の姿。

 いずれも、姫と関わりのある友であった者。

 即ち、粛正であり、蒐集の対象だ。

 

「まず伊勢小鈴ちゃん。彼女はお姫さまがご執心の子なので、あたしでも軽々に手が出せないのです」

「そうだな。私も彼女に関しては慎重になるべきだと考える」

「ここは保留で、次に長良川謡ちゃん。こちらは単独ではそこまでなのですが、傍らに不思議の国の残滓、チェシャ猫……今はスキンブルシャンクスでしたか? 彼がいるのです」

「ふむ。君はマジカル☆ベル周辺が担当だからな。確かにこの組み合わせは、対応に悩むところだ。私が手を下すのも吝かではないが……」

「ミーナさんはあんまりここから動けないのですからね。ディジーさんは……まあ、やってくれるとは思うのですが。どうも役割がハッキリしないお方なのですからね」

「あぁ……とはいえ我らが同胞であることに変わりはない」

「まあ、とりあえずここも問題を先送りなのです。そしなにより、て一番の問題は彼女、日向恋ちゃん」

 

 モニターに映る、無感動な瞳の少女。

 日向恋。青の少女が最大のイレギュラーと断ずる存在。

 

「姫は彼女に関して、他よりも高い感応があったはずだな」

「はい。でも問題はそこじゃなくてですね……」

「?」

「彼女……反応がちょいちょいロストするのです」

 

 少女の言葉に、白の男は首を傾げる。

 

「ロスト? 存在を確認できないということか?」

「まー、そうなのですね。一応、普段は捕捉できているのですが、たまにふっと反応が完全消失しちゃうのです」

「……そんなこと、あり得るのか?」

「普通ならあり得ないのです。あたしの走査はこの星全域と、周辺宇宙空間――人間が認識できる宇宙の範囲すべてに及ぶのです。その中のどこにも反応がないということは、あたしたちが感知できない外宇宙まで移動していることになるのです。しかも、一瞬で」

「…………」

「流石のミーナさんも絶句しちゃうほどなのですね。で、今この星の生命体の文明レベルで、当人らが認知していない領域へ一瞬で移動するなんて所業は不可能なのです」

「それは……つまり、どういうことなのだ?」

「あたしの走査が不十分……というのも、ないと思うのです。だからきっと、彼女はなんらかの手段で、あたしの走査を妨害(ジャミング)している、と考えるのが普通かと」

「それは可能なことなのか?」

「うーん、どうでしょ。彼女たちにそこまでの設備や技術があるとは思えないのですが……でも、最も現実味のある可能性が、これくらいなのです」

 

 だから実は総合的に動きにくいのです、と彼女は言う。

 相手に未知なる部分がある以上は、軽々しく動けない。

 対応が不十分なうちは、どんな反撃や抵抗があるかわかったものではない。

 故に少女は、手をこまねいていた。

 

「今回は試験的に、双子ちゃんに仕掛けてみたのですが、あっちも機を窺っているのですかね? どうも尻尾を見せてくれなくて」

「なるほど。しかし日向恋……危険だな」

「はい。ちょっとこれはメルちゃんでも予想しがたいブラックボックスなのです。だから彼女に関しては、調べつつ一旦“見”に入るのですよ」

「となると……先に私が動くべきか」

「およ? ミーナさん出動なのです?」

「あぁ」

 

 白の男は、剣の柄を握り締め、天を仰ぐ。

 遥か高い、漆黒の(ソラ)を。

 

「不思議の国を叩く。メル、君にも手伝ってもらう」

「まっかせてくださいなのです! そういうことならお供致すのですよ、ミーナさん」

「私とメル、そしてリズの3人。すぐに出るぞ。準備は怠るな」

「りょーかいなのです! リズちゃんもがんばるのですよ!」

 

 と、青の少女が呼びかける。

 しかし、反応はなかった。

 

「……あれ? いない? ミーナさん、リズちゃんはどこに行ったのです? あの子がいないなんて珍しいのですね?」

「リズなら、彼女を迎えに行った」

「彼女? ……あぁ」

「“あれ”は我らの手にあるべきもの。母君が覚醒に向かっている今、必要なものではないが……あるべきもは、あるべき場所に収まるべきだ」

「ミーナさんもリズちゃんみたいなこと言うのですねぇ。ま、リズちゃんが最もおかーさんに近いのですし、お姫さまを通じておかーさんから生まれたあたしたちは、言ってしまえばリズちゃんの性質を起点にしているとも言えなくもないわけなのですが」

「末子とはいえ、彼女の役割は大きい。無論、全員が各々の役割、役目があり、力があり、必要な存在だがな」

「まー……そうですねぇ」

 

 青の少女も天を仰ぐ。

 真っ暗な闇。この森に、光は差さず、ただひたすらに暗い闇が広がるばかり。

 当然そこには、月も無かった。

 

 ――今は。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 暗い町。

 闇が息づく路地。

 『バンダースナッチ』は刃物を手に、夜闇を練り歩く。

 帽子屋に唆されて惨殺を為した記憶。釣り人の語り手に騙られて刃を振るった経験。

 それらを経て、バンダースナッチは今、己の意志で、ただの自我のみで、隠匿の町を歩む。

 女王が動き出し、不思議の国が崩壊すると悟り、すぐに亡命したバンダースナッチは、小さな命を刈っていた。

 植物を、動物を、切り裂き、刻む。

 無論、こんなもので足りるはずがない。その程度ではなにも見えないし、なにも満たされない。

 きらきらした輝きは、いずこへ。

 それを探すべく、彼女はただ歩む。

 ただし、大事にはしない。

 影に隠れ、息を潜ませ、密やかに凶刃を振るう。

 

 ――そろそろ、ひとを、きりたいなぁ。

 

 そうすれば、光り輝くなにかが見えるかもしれない。

 そんな希望を抱きながら、彼女は歩き続ける。

 そして、

 

 

 

「ここにいたのね」

 

 

 

 夜風が吹く。それに乗ってやってくる、玉蜀黍畑の香。

 素朴で、どこか野性的な出で立ちの、けれども超然とした、まるで精霊のような女が、立っていた。

 伸ばしっぱなしで手をまったく加えていない、緑の髪。

 冬の時分にも関わらず、 一枚布を引っかけただけのような、あまりにも原始的な衣のみを纏い、足下も裸足。

 野性的というよりは、超越的に。

 始原の象徴の如く。

 寒さで震えることもなく、彼女はそこにいた。

 

「? おねーさん、だれ?」

「今のあなたなら、わかるわ。感じなさい。自分が何者なのか。そうすれば、自然と理解できるわ」

「……?」

 

 バンダースナッチは、後ろ手で刃物を隠しつつ、小首を傾げる。

 しばし考え込み、一言。

 

「ぼーしやさんと、おなじ?」

「あなたが、あなたとしての自覚を持てば、すべてわかることよ」

「うーん……」

 

 熟考するバンダースナッチ。

 考え、考え、考え、考え込む。

 思考し、思案し――歩を、進める。

 女に、躙り寄る。

 

「……わかんないや」

 

 そして――隠していた刃を、突き出した。

 

 ――ちょうどいいところに、きてくれた。

 

 そんなことを思いながら、女の腹を容赦なく、刺し貫く。

 ――はずだった。

 刃物は確かに肉を貫いた。

 しかし女の腹は、刃物の先端が僅かにめり込むのみ。

 女の掌が、刃を受け止めていた。勿論、鋭利な刃はその肉を切り裂き、刺し、貫通していたが。

 女がその刃を握り込むと、ミシッ、と。

 小さな音を立てて、金属の刃は砕け散り、崩れ落ちた

 血は出ず、黒い粘液のようなものが、ぐじゅぐじゅと蠢き、再生する。

 

「……おねーさん、なに?」

 

 バンダースナッチは問う。女は、表情の無い顔で、少女を見下ろしていた。

 

「私も、あなたも、根源は同じ。千の仔を孕む母から生まれ落ちた、新たな落し子たちの末」

 

 黒き森の奥底。黒い霧に包まれ、闇が支配する地上の世界。

 深淵、暗闇。虚なる暗黒が、彼女の瞳の中に広がっている。

 女は、静かに言の葉を紡ぐ。

 ただそうあるべきと、己が役割に従って。

 

 

 

Ⅴ等星(クィンクステラ)――名は、シリーズ・コレー」

 

 

 

 ――――

 バンダースナッチは、己が身に、なにかを感じていた。

 なにかが疼く。なにかを自覚した。

 その正体はまだ掴めない。しかし、そうだ。

 自分は――“『バンダースナッチ』などではない”。

 

「あなたは私たちが奉るべき祭具。あなたがいるべき場所は黒き森を抜けた狂気の廃村。月無き夜に座して、遙かなる宙を見上げる鏡」

 

 女は――シリーズは、黒い肉が蠢動する手を差し伸べる。

 

「さぁ、こっちよ。『バンダースナッチ』なんて、輪廻に逆らう枯木に押し付けられた偽物の皮を剥ぎ取りなさい――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ムーン=レンズ」




 前後編にしたけれど、ぶっちゃけ双子で分けただけで、内容的にはあまり前後編感ない。挿入したいシーンも次回に回したりなんだりで、うん、やはり上手くいかないですね。ひょっとしてスランプという奴なのかもしれない。
 まあ、もっと区切りを意識して投稿すれば解消されそうな気もするけれど……できるだけ、一話一戦の形式は保持したい保守的思考が……


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47話「帰郷します Ⅰ」

 試験的に分割投稿。
 一話の分量がクソ多い本作ですが、読者の負担を減らそうとか更新速度を保とうとか色々考えた結果、本来ならワンエピソードワンデュエマシーンを書き切ってから投稿するところを、細かく分けて投稿してみることにします。形式的には、前篇後篇とかをさらに細分化した感じ。
 ウケが悪かったり、作者がやりにくいなと感じたら戻します。


 海原(うなばら)メル。

 今年の12月頭あたりから世に出始めたネット配信者、いわゆるVチューバー。

 外宇宙の神様が、地球に産み落とした仔であり、生まれたての自分を愚者と称し、世界中の様々な知識を吸収することで賢者を目指している、という設定。

 ファンのことを、知識が豊富な賢者と呼び、ファンから寄せられる様々な質問、要望、その他投稿を吸収し、学習している、らしい。

 その設定は彼女の配信スタイルそのものである。TCGを題材とした配信が主であるものの、常に視聴者からの投稿ポストを持ち、そこに投稿される題材のほぼすべてを拾い上げ、動画のネタとしている。。

 なお海原メルのSNSアカウントのフォロワーは、12月半ば現在で、5000万人超。

 リスナーから寄せられる投稿の数の膨大さは、予想に難くない。

 しかし、彼女は、寄せられた投稿内容を公開した上で、それらすべてをほとんど消化し続けている。

 1日に何本もの動画を投稿するなど当たり前。ゲリラ配信も当然の如く。なにより、編集クオリティも非常に高い。

 「人間にできることを遥かに超えている」と称されるほどに、彼女は凄まじい技量を以て、莫大な人気を得ている。

 V界隈の麒麟児、Vの世界の革命家、あるいは独裁者。

 新進気鋭だとか、天才だとか、そんな陳腐な言葉では収まらない。

 彼女だけでひとつのサブカルチャージャンルを転覆させかねないほどに、その活動は凄まじい。

 なお彼女は、現時点ではどこかの事務所に所属しているわけではなく、本人曰く「お仕事だけど趣味」とのこと。

 これだけの人気がある故、多方面から声は掛かっているらしいが、それらすべてを蹴り倒し、ソロ活動を続けているのも、彼女の人気のひとつなのかもしれない。

 

 

 

 

「ね? すごいっしょ? 海原メルちゃん」

 

 よこでお母さんが無意味なドヤ顔を披露している中、わたしは呆然としていた。

 お母さんからパソコンを借りて、海原メルという子について調べてみたんだ。

 検索結果はすぐに出た、けれど……なにこれ。

 

(ユーちゃんとローザさんは、この子に襲われたらしいけど……)

 

 昨日、ネットで配信されていた動画。

 そこに映っていたのは、編集で容姿が弄られていたけれど、確かにユーちゃんとローザさんだった。

 動画配信という体だったけど、あそこで行われたことは、もしかしたらクリーチャーや、あるいは不思議の国と関わる事件なのかもしれない。

 確かめたいけれど、2人とは連絡が取れないし、なにより……

 

「…………」

 

 画面を切り替える。

 掲示板サイト? 裏サイトっていうの? よくわからないけれど、あまり治安がよくなさそうな言葉が飛び交う、ブラックな気配漂うインターネットサイト。

 そこに載せられているのは――ユーちゃんやローザさんの“個人情報”だ。

 

「しかしこれ、酷いよね。特定班なんてどこにでもいるものだけれど、ここまで執拗に晒し上げるなんてさ。Twitterのバズり具合というか、炎上もヤバかったし。しかもこれ、小鈴の友達でしょ? あの、前に泊まりに来た銀髪の子」

「……うん」

 

 顔写真、住所、電話番号、メールアドレス、出身地、家族構成。身長や体重、ドイツでの暮らし、学校での行いに至るまで。

 どうやったらここまで事細かに調べられるのか、というほどに、あらゆる個人情報のすべてが、晒されていた。

 個人の尊厳も、プライベートも、なにもあったものではない。

 

「しっかし、どこでこんなに情報が漏れるのかねぇ。学校とか会社とかのセキュリティが、そんなザルだとも思えないけど。国際的ハッカーでもいるのかっての」

 

 お母さんの言うことを聞き流しながら、晒された個人情報の、最初の投稿日時を確認する。

 およそ4時間前。けれど、これより前にいくつも投稿が削除されているから、実際にはもっと前。

 例の動画が配信されたのが、昨日のお昼頃。つい昨日の出来事だ。

 1日。たった1日で、これほどの情報が漏れ出た……そう考えるのは、流石に疑いすぎなのだろうか。

 けれどこの2つの減少が、無関係だとは思えない。

 わたしの知らないところで、なにかが起こっているんだ。

 

「ん? 小鈴、携帯鳴ってるよ」

「え、あ、うん。ちょっとごめんね」

 

 誰だろう、謡さんかな?

 と、携帯を見てみると、知らない番号だった。

 なんだろう? このへんの市外局番でもないし……

 恐る恐る、通話を繋げてみる。

 

「も、もしもし……?」

『あ、繋がりましたか。よかった』

「この声……ローザさん!?」

『はい、ローザです。ユーちゃんもいますよ。ちょっとだけ、代わりますね』

「うん……っ」

 

 よかった、無事だったんだ。

 ほっと胸をなで下ろす。とりあえず、その声が聞けてよか――

 

『Was denn!? Mein Got! Ich habe Angst! Es ist schwierig! Was sollte ich tun!?』

「え!? な、なに? なんて!?」

 

 ユーちゃんの声……の、はずだけど。

 一言もわかりません……

 まるで聞き取れないし理解もできない言葉がだんだんと遠のいて、やがて聞こえなくなる。

 

『お電話代わりました、ローザです』

「あ、うん」

『実は今、とても大変なことになっていまして……』

「大変なこと?」

 

 とりあえず、ユーちゃんがすごいパニックになってることはわかった。

 それが、ローザさんの語る大変なことの大きさを物語っている、けれど。

 

『はい。家を、その……“包囲されています”』

「えっ!?」

 

 それは、わたしが思うより、ずっとずっと、大事だった。

 

『カメラを持った人がたくさん、家の周りを取り囲んでいて……家を出ることはおろか、カーテンを開けることすらできない状態です』

「だ、大丈夫なの? それ……」

『まったく大丈夫ではありません。悪戯電話がひっきりなしに鳴り響くので、電話線はすべて切りましたし、携帯の電源も、もう付けられません。パソコンの類はすべてウイルスでハッキングされて使い物にならなくなりました。今、我が家はほとんど外界から途絶されたオフライン状態なんです。そのせいで、警察に届けることすらできずじまいで……』

「…………」

 

 絶句するしかなかった。

 わたしが想像するよりも、遥かに悲惨な状況。

 ネット上で個人情報が流出すると、大変だということはわかっていたけれど、具体的にどうなるのかなんて想像もしなかった。

 いや、でも、それにしたって。

 その状況は、あまりにも惨すぎるように思えた。

 たった一晩で、そこまでになってしまうだなんて。

 人の悪意に晒され、囲まれて、外界から断絶してしまう、なんて……

 ……あれ? でも、それだとおかしくない?

 電話線は切ったって言ってたし、じゃあ、今わたしがローザさんと話しているのは、どうして?

 そう尋ねると、ローザさんは、

 

『衛星電話です』

 

 と、サラッと答えた。

 ……衛星電話って、なに?

 こっそり隣にいたお母さんに聞いてみると「宇宙からの交信」って言われました。それでおおよそ察しました。

 そんなものが家にあるなんて、ローザさんの家ってすごいなぁ……

 

『父がその手の仕事をしていて、たまたま家にあったのです。まあ、家の外の倉庫に行くまでに、たくさん写真やらなんやらを撮られてしまいましたが……』

「だ、大丈夫だったの? それって……」

『気分は最悪ですが、暴力などを受けたわけではないので平気ですよ。とりあえず、こちらの近況を報告しておこうと思って、お電話させて頂いた次第です』

「うん……大変そうだけど、無事でよかった。わたしからも、なにかできることとかないかな? 次に会えた時に、必要なものとか……」

『…………』

「ローザさん?」

『……ごめんなさい。もう一つ、伝えることがあります』

「?」

 

 どうしたんだろう、改まって。

 電話越しから聞こえてくる声は、とても重くて、沈痛だった。

 ローザさんは、懺悔するように、言った。

 

 

 

『私たち……日本にいられなくなりました』

 

 

 

 ……え?

 どういう……こと?

 

『今晩、警察が自宅周辺の方々を抑えてくれるようで、その隙に空港まで行って、日本から出国します』

 

 わたしがなにも言えないでいることを察してか、ローザさんは務めて淡々と言う。

 それでも言葉の端々から、痛ましいほどの悔いの情念が零れ落ちているような気がした。

 

『私たちの個人情報が流出したのは知っています。そのせいで、父や母に迷惑をかけてしまいましたし、その関係者も同じくです。両親はこのまま日本に居続けるのは無理だと、早々に見切りを付けました』

「で、でも、それって……な、なんで! 警察の人には、届けたんだよね? それなら……」

『今この瞬間は大丈夫でも、今後も大丈夫とは言い切れません。それに、私たちを通じて、伊勢さんたちにも迷惑がかかってしまう可能性もあります。私たちがこの国にいるだけで色んな人に、迷惑が、かかるんです……』

「そんなの、そんなのって……」

 

 ……あんまりだよ。

 ローザさんも、ユーちゃんも、なにも、なにも悪くないのに。

 わたしたちの迷惑、だなんて、そんなの……

 

『当然、身の安全、という理由が一番ではありますが……なんにせよ、私たちはすぐにこの国を出ます。次に帰れるのは、いつになるか……2年後、3年後、もしかしたら、もっと後かもしれません』

「そんな……」

『それに、父の仕事の都合もあるんです。私にはよくわからないことなのですが、急に異動になって、本国に帰らなくてはならないとか』

 

 様々な要因が重なった結果、日本には残れず、ドイツに帰る理由ができてしまった。

 そういうこと、なのだろう。

 もちろん、わたしは2人の無事が一番で、そのために帰国するというのはわかるんだけど……

 なんだろう……こんなのは、なにか違うような気がする。

 それは、その気持ちは、ローザさんも同じのようだった。

 

『……私としても、悔しいです。伊勢さんの力になろうって、決めた矢先に、こんなことになって……』

「ローザさん……」

『伊勢さん。これだけは伝えておきます。私たちのこの状況は、“彼女”が引き起こしたものなのかは定かではありませんが、それでも確実に言えることがあります』

 

 改まって。

 ローザさんは、真剣な声色で、わたしに伝えてくれる。

 

『海原メル。そして、【死星団(シュッベ=ミグ)】。彼女は危険です。気をつけてください』

「シュッベ……ミグ?」

 

 聞き慣れない言葉だった。どこか、耳がざらつくような、嫌な響き。

 だけど、やっぱりあの女の子……海原メルって子が、鍵を握っているんだ。

 

『それから、亀船さんは、もしかしたら彼女たちと関係があるかもしれません』

「! 代海ちゃんが……それって、どういう……」

『申し訳ないですが、私も詳しくはわからないんです……それに、話が長くなってしまいました。そろそろ、終わりです』

「ま、待ってローザさん! もう少し……」

Es tut uns leid(ごめんなさい).衛星通信と言えど、まったくハッキングの可能性がないわけではありません。もしこの通話が傍受されていたら、あなたにも危害が及んでしまいます。それは、私も、ユーリアも、望みません』

 

 引き留めたい。けれど、もう、止められない。

 友達が、また、遠くに行ってしまう。

 それは、それだけは――

 

『安心してください』

 

 ――優しい声が聞こえた。

 

『この大変な時に、私たちはあなたの力になれない。それは、とても悔しいことです。ですが』

 

 わたしが伸ばした手を、掴み返してくれる。

 わたしの不安を、抱きしめて、寄り添ってくれる。

 そして、

 

『私もユーリアも、あなたの友達です。遠い異国の地にいようと、あなたとの繋がりだけは消えません。それだけはどうか、忘れないでください』

 

 わたしが、最も欲しかった言葉を、言ってくれる。

 大事な、友達の声。

 

 

 

『私たちは必ず――あなたの下へ、戻りますから』

 

 

 

 最後にそれだけが耳に残って。

 通話は、切れた。




 とりあえず一話分、このくらいの分量でそこそこのペースで書いてみて、感触を確かめます。流石に毎日更新とはいかないまでも、数日おきくらいに更新できたらいいなーと思ってます(願望)。


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47話「帰郷します Ⅱ」

 47話パート2。


「――とまあ、そんな感じなのです。これで双子ちゃんは退場なのですね!」

「えげつねぇなお前」

 

 青の少女は、自慢げに胸を張る。黒の男は、半ば呆れつつも、彼女の手腕を彼なりに称えていた。

 あらゆる叡智を集積するために存在する彼女は、【死星団】の頭脳を担っている。

 知識の保管庫、偉大なる果ての図書館。

 いまだ白紙の頁も多いが、しかし彼女が抱えている“情報”は、他のどの落し子よりも多いだろうし、それが揺らぐこともないだろう。

 そしてその情報を生かす手段も、彼女は既に“知っていた”。

 

「しっかしよくもまあ、そんな詳細な情報まで掴んだな」

「それは当然! だってメルちゃんには、ファンの皆さんがいるのですから!」

 

 その情報の源泉は、彼女を信奉する賢者(ファン)

 言い換えれば、信者。あるいは、狂信者。

 もっと言えば――この世界そのものだ。

 彼女はその叡智の海に浸り、泳ぎ、沈み。

 それらすべてを、支配する。

 青の少女は嗤う。朗らかでも、にこやかでもない。

 自分以外のすべてを掌握することに満たされた、邪悪な笑みだ。

 

「そう、彼らはいいファンなのですよ。あたしが直接手を下さなくったって、ちょいっと情報を流せば勝手に特定して晒して吊し上げてくれる、とっても都合のいい愚者(ファン)なのです!」

「やっぱエグいわお前。俺よりよほど性格悪ぃよ」

 

 勝とうが、負けようが、それはひとつの結果に過ぎない。

 最終的に自分の目的を果たすために取れる手段は、無数に存在する。

 これはただそのひとつであり、別の手段が失敗した時の保険だ。

 完璧な対応ではないという点が不満ではあるが、次善の策ではある。

 しかし白の男は、不服そうだった。

 

「あまり、そのような手段は感心しないな」

「そうか? 確かにエグいが、目的を果たせればそれでいいだろ」

「彼女らは隔絶されただけで、姫のために隔離されたわけではない。本来の目的は果たせていない」

「だが孤立したなら放置しても問題ねえだろうさ。今のうちに内からぶっ壊して最終的に全部取り込めば、それで終いだ。結果は同じだろ」

「なのです! ディジーさんの言う通りなのです。とりあえず今は、双子ちゃんの動きを封じて戦力を削いでおくのですよ。なにせ、そこがあの子の弱点なのですから!」

「そうね」

 

 緑の女が、静かに話に加わった。

 

「マジカル☆ベルは、群れとテリトリーそのものが力の根源……いいえ、彼女を彼女としているもの。その性質が一際強い、王の資質を持つ者よ」

「リズちゃんの言ってることは相変わらずよくわからないのですが、戦力分散が痛打であることはご理解頂けたようでなによりなのです」

「……外道だな」

「外道でも勝てば官軍なのですよ、ミーナさん。結果のために必要な道なのです」

「だな」

 

 青の少女に、黒の男が同意する。

 その様子を見て、白の男は渋い顔をしていた。緑の女は無感動な瞳で、一言。

 

「私たちは、彼女から力を得た大いなる種。迂遠な手段を使う必要はないのだけれど」

「むむ、なんなのです? あたしのやり方にケチをつけているのです? リズちゃん」

「私から言わせてみれば、あなたのそれは不要な道よ。私たちに与えられた、大きな力を正しく使う。ただそれだけでいいの」

「与えられたなんてとんでもないのです。あたしは、あたしの力を正しく使っているのですよ?」

「あなたに与えられた使命は世界の観測。叡智の使用ではないわ」

「リズちゃんにそこまで口出されたくないのでーす。あたしが得た力を、あたしがどう使おうがあたしの勝手なのです」

「あなたには、自覚がないのね。彼女が私たちに与えた原質は――」

「リズ、もういい」

 

 緑の女の言葉を遮る。

 ふるふると諦めたように首を振り、彼女たちを交互に見遣る。

 

「メルの力が我々の役に立っていることは事実だ」

「そうなのですよ、メルちゃん大貢献なのです!」

「ま、メルとリズが今んとこ一番働いてるよな。おっと、まとめ役のお前を蔑ろにしてるわけじゃないぜ、ミーナ。ただ俺たちの足場的な問題でだな」

「わかっている。無論、貴様の残党狩りも私は評価している、ディジー」

「そいつはよかった。俺の働きが無視されたらどうかと思ってたところだぜ」

「そもそもあたしたちの中で、お仕事してないのって……」

「……おい」

「どうしたミーナ」

「ヘリオスはどこだ?」

 

 一同は顔を見合わせる。

 白の男は、緑の女に視線を向けた。

 

「リズ?」

「数刻ほど前に、ここから出て行ったわ」

「リズ!」

「彼はそういうものよ」

「ヘリオス!」

 

 白の男は叫ぶ。

 しかしその叫びは黒い森に虚しく木霊するだけ。

 彼は手で顔を覆い、怒気を滲ませて嘆息する。

 

「あいつめ……! また勝手に居城から抜け出すとは……!」

「どうすんだ? お前らが出撃するなら、俺も動けないぜ。流石に姫さん一人置いてくわけにはいかないからな」

「わかっている、わかっているさ。あぁ、まったく、仕方あるまい……!」

 

 不承不承といった風に、白の男は苛立ちの籠もった面を上げる。

 

「メル、リズ、行こう。切り離されたとしても、病巣は絶たねばならない」

「はーい、なのです! 準備はバッチリなのですよ!」

「いいわ。彼の地は、導かれるままに、赴くべきと私の足も告げているもの」

「んじゃ俺は留守番だな。まあ、お前ら3人もいりゃ楽勝だろうが、気ぃつけてな」

 

 そう、声を掛けた時には。

 既に3つの影は、闇の中に溶け落ちていた。

 

「……さて、一人か。厳密にゃ、他にもいるわけだが……ま、あいつは今はどうでもいいだろ」

 

 黒の男は、ズカズカと寝台に向かって歩む。闇のような暗幕を乱暴に引き払い、痩せ衰えた、母なる少女と謁見する。

 彼女は男を見ていない。どこかもわからない、虚空を見つめ続けている。

 

「よう姫さん。機嫌はどうだ……って、よくはないだろうな。だからこそ、俺はあんたに言いたいことがある」

 

 少女に、反応はない。

 しかし男は意に介さず、続ける。

 

「ヘリオスが帰ってきても面倒くせぇし、時間も限られてる、単刀直入に言うぜ。なぁ姫さん、あんた、会いたい奴がいるんじゃねーの?」

「…………」

 

 ほんの僅かに、視線がこちらに向く。

 彼女に興味が向いた。

 

「今すぐってわけにはいかねぇが……あんたが望むなら、俺が会わせてやらんでもないぜ。仕掛けが必要だからな、ちっとばかし時間はかかるがな」

「…………」

「俺はミーナやメル、ヘリオスやリズとは違う。あんたが本当に望むことをしてやれる」

 

 微かな視線を感じる。あと、もう一押しだろう。

 彼女の背を押すキーワード。

 それはとても単純で、明確だ。

 

「あんたはただ、ヘリオスのように自分の気持ちに正直であればいい。そうすりゃ、会いたい奴に会えるぜ――」

 

 彼女が焦がれて止まない、ひとつの名を、言うだけでいい。

 

 

 

 

「――伊勢小鈴にな」




 自分で書いててメルちゃんやってることエグいなって思うのです。


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47話「帰郷します Ⅲ」

 今回はネズミ君のお話です。


「うめぇ! かーちゃん! おかわり!」

「おう、俺がよそってやる」

「悪ぃなにーちゃん! 頼むぜ!」

 

 そこは、水早家の食卓。

 父と、母と、上の兄と、下の兄。そして自分――水早霜。

 そしてそして、そこにもう一人の、少年。

 赤く染めたり、脱色したりした髪。目にはカラコン、身体には刺青。ギラギラと主張するアクセサリーに、じゃらじゃらと音を掻き鳴らす鎖。

 低い背丈に、幼い双眸。

 恐らく小学生だろう少年に、父母や上の兄は、困惑の眼差しを向けている。

 しかし問いかけは、霜に向けられた。

 

「……ねぇ、霜」

「ごめん母さん、なにも聞かないでくれ」

 

 とはいえ霜も、答えるに答えられない。自分でもよくわからないのだ。

 彼の名は『眠りネズミ』。そう呼ばれていた少年。

 道端で倒れていたのを発見し、思わず家に上げてしまったが……

 

「しかしだな、この子は一体……」

「何度も言ってるだろ……友達の、弟、みたいなものだよ」

 

 とりあえず家族には、そうやって押し通している。

 間違ったことは言っていない。嘘、とは言い切れない、と思う。

 しかしそれが曖昧模糊とした浅い理由付けであり、家族が納得できるようなものではないことも、同時にわかっている。

 両親に続いて、今度は上の兄が、霜を追求する。

 

「歯切れが悪いな、霜」

「兄さん……」

「後ろめたいことでもあるか?」

「それは……」

「責めているつもりはない。だが、なにせお前は揺れやすいからな」

「その通りだ。霜、父さん達はお前が心配でだな……」

「まーまー、お袋も親父も兄貴も、いいじゃねーの」

 

 霜が言葉に詰まっていると、下の兄が、眠りネズミに茶碗を渡しつつ、割って入る。

 

「霜がメシに顔出して来たってだけで十分だろ。ダチの弟くらいなんだよ、こいつがちゃんと人間関係育めてる証拠じゃねーか」

「でもここ最近、学校に通っている様子がなかったじゃない。学校の先生からも電話が掛かってきたし……」

「机向いてお勉強するだけが人生じゃないだろ? 心配なのはわかるけどよ、あんま寄って集って言葉責めにすんのもよくないぜ。整理する時間だって必要だ」

「兄貴……」

 

 下の兄が、弟を慮っているということは、わかっている。

 かつて塞ぎ込んでしまった時も、真っ先に行動を起こしたのは、この兄だ。

 なにも聞いてこない癖に、なにもかもを知ったように、なにも知らないで、知ったかぶりで、気を遣う。

 兄のそういうところが霜は好かなかったが、しかしこの瞬間においては、それが助け船となっていることも、また事実だった。

 

「うめぇうめぇ! ヤングオイスターズのメシよりもうめぇ!」

「おう上手いかファンキー小学生。もっと食え食え、俺が塩を振ったこのフライドポテトとかお勧めだ」

「サンキューにーちゃん! 確かにこいつはバッドでドープなソルティ加減だな!」

「だろ?」

 

 眠りネズミは、兄と意気投合して盛り上がっている。屈託のない笑顔で、笑っている。欠伸しながら、快活に笑っている。

 薄汚れて、本当にドブネズミのような姿で路傍に倒れ伏していたのに。

 よほどのことがあったのだろうと、思われるのに。

 彼はなにもかもを忘れて、今この瞬間だけを楽しんでいるように見える。

 憂いも、嘆きも、苦悩も、なかったかのように。

 

「……ごちそうさま」

「霜……!」

「……大丈夫」

 

 母親の声を、静かに制する。

 そう、大丈夫。大丈夫なはずなんだ。

 

「ボクは、大丈夫、だから」

 

 だから、今は、今だけは。

 もう少し、時間が欲しい。

 あと少し、待って欲しい。

 

「……君も来てくれ」

「ん? おう! そろそろ眠くなってきたしな! 美味かったぜかーちゃん、にーちゃん! ごちそーさん!」

 

 眠りネズミは大量の飯をかき込むと、素直に霜の後に付いていく。

 自室に戻る。そこで、彼に問う。

 これまで聞けず仕舞いだったことを。

 

「君は……どうしてあんなところで倒れていたんだ?」

「んぁ?」

 

 欠伸しながら、眠りネズミは気の抜けた声で答える。

 

「眠いから、だな」

「……聞き方を変えよう」

 

 眠気で思考回路が鈍っているのか、ギャグなのか、それとも本気で言っているのか……判断はつかないが、いまいち会話が面倒くさそうだと思いつつも、霜は問い直す。

 

「君は一人でなにをしていた?」

「カメ子探してんだよ」

「カメ子? ……あぁ、彼女か」

 

 亀船代海。『代用ウミガメ』。

 彼の仲間でもある少女。

 それを探している……とは、どういうことなのか。

 

「いなくなっちまったんだよなー、カメ子」

「いなくなった? それは、どういうことだい?」

「僕が知るかっての。僕にもよくわかんねーけど、かーちゃんがどうこうとか……」

「母親? 君たちの、母親かい?」

「おう」

「…………」

 

 まるで意味はわからないが、代海が彼らの下を去った、ということだけは辛うじて推察できる。

 そして彼は、彼女を追って来たが、その途中で体力と気力が限界を迎え、道端で倒れていた、と。

 

「しっかしバットに助かった! もう何日もなんも喰ってねーから腹減ってたんだ! お前のかーちゃん、マジでメシウマだな!」

「……それはどうも」

「まあなんかちっとばかし空気がスパイキーでクランキーだったが、いい場所じゃねーの。あの国みたいにジメっとしてねーし、あったけーぜ」

 

 眠りネズミは快活に笑う。

 本当に、心の底から、そうだと信じているような。

 他人の家庭なのに、それを自分のことのように喜んでいるような。

 ――なんなんだ、彼は。

 

「マジサンキューな! えーっと……名前、なんつったか?」

「……霜だよ。水早霜」

「おう! サンキュー、ソウ!」

「まあ拾ったのはいいよ。流石に道端に倒れている人を放置するのも座りが悪いし、それに打算がないわけじゃない」

「んー? つまり、どういうことだ?」

「なんでもない。それより、君はこれからどうするんだい?」

「あ? 決まってんだろ、カメ子探すんだよ」

「どこにいるか、見当はついているのかい?」

「アテなんざねぇよ」

「……呆れた。なにがあったかわからないが、そんなことで見つかると思ってるのか?」

「見つかるか、じゃねぇよ。見つけるんだよ」

 

 眠りネズミは断言した。

 真剣で、真摯な眼差しに、爆ぜるほどの炎を灯して。

 

「カメ子は僕のダチだ、マイメンだ。ほっとけるかよ」

「…………」

 

 その、あまりの剣幕、そして確かな信念の籠もった言葉の圧に、思わず言葉が詰まる。

 なんとも言い返せず、言葉を呑むが、代わりに霜は思案する。

 ここで彼と出会った意味。それを、どう使うべきか。

 

(亀船代海……思えば、ボクと小鈴の決裂の契機となった人物、とも言える)

 

 すべての発端は、あのカードショップでの出来事。

 そして選択を違えたがために、彼女と決裂した。

 しかし、しかしだ。

 縁が切られようとも、繋がりが断たれようとも、思う情念だけは、消えていない。

 

(ボクが小鈴のためにできること……彼女に迫る脅威があるのなら、その芽を事前に摘み取る。あるいは、その情報を……)

 

 今までも、なにか異変がないか、彼女の危機になりそうなことはないか、細々と身を隠しながら探っていたが。

 ここに来て、大きな切っ掛けとなり得る情報が、現れた。

 

(なんにせよ、目下最大の特異点となりそうな不思議の国と接触できたのは僥倖だ。その使者が彼っていうのが、またなんとも言えないが……贅沢は言えまい)

 

 どうするかは、考えている。

 意味があるのかはわからない。もしかしたら、徒労で、無意味で、なんの収穫もない無駄な行いにしかならないかもしれない。

 しかし今は、とにかく手札が足りない。手札がなければ、情報が無ければ、知識がなければ、なにもできやしない。

 だかた今は、少しでも多くの、無駄になるものでもいいから、情報が欲しい。

 そのためには、踏み出さなくてはいけない。

 

「なぁ、君」

「あん? んだよ」

「ボクを、君らの家に連れて行ってくれないか?」

「はぁー!?」

 

 霜の要求に、眠りネズミは、驚きとか怒りとかいうよりも、不快そうな顔をする。

 眠りネズミの家、即ち【不思議の国の住人】たちの拠点に、案内しろと言うのだ。

 総合的には明確なものではないとはいえ、敵対関係である相手を案内しろというのも、随分な話だ。

 とはいえ彼の性格を加味すれば、恩を売るような形になるが、なにか近い形で探れるという打算はあった。

 拠点に乗り込むまでは無理でも、なにか、それらしい情報でもあれば……

 そう、思っていたのだが。

 

「えぇ、(ウチ)に帰んのかよ……あそこにゃ二度と行きたくねーんだが……」

 

 なにか、様子が思っていたのと違う。

 眠りネズミはバツの悪そうな、ただ気分が乗らないだけ、とでも言うかのような、げんなりした表情を見せる。

 なんというか、家出した手前、帰るに帰りにくいかのような……

 そんな雰囲気を醸し出していたが、眠りネズミは一息吐くと、即座にスイッチを切り替えた。

 

「ま、ダチの頼みってならしゃーねぇ! メシの礼もあるしな! 任しときな!」

「あ、あぁ……」

 

 ――ダチってボクのことか?

 いつ、友達になったのだろうか。

 それを問い返そうという頃には、彼はもう、瞼を落としていた。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 翌日、眠りネズミの案内によって、不思議の国の本国へと向かうこととなった霜。

 眠りネズミによると、不思議の国は電車で数駅ほど行った隣町、その小さな山の中に屋敷があり、そこに全員が集まっているらしい。

 ……別に、地下に広がる秘密基地なんかを想像していたわけではないが。

 なんというか、妙に俗っぽいというか、思ったより身近にあったというか。

 そもそも、彼らも学校に通っていたりして、同じ町で遭遇することが多いのだから、それほど遠くに住んでいるわけではない、というのは分かりきっていたのだが……

 

「……まあ、どうでもいいことだな」

 

 むしろ近くにいるのならば好都合。時間もコストも削減できたと、前向きに考える。

 トコトコと、小柄でファンキーな少年と並ぶ、少女のような少年。

 傍から見れば異様な組み合わせなのかもしれない。

 人通りは少ないが、時折すれ違う人から奇異の視線を感じる。

 ……気にならないことはないが、気にすることでもない。

 この姿も、この行動も、自分のしたいことなのだから。

 だから……いいのだ。

 

「そういやよー」

 

 眠りネズミが唐突に話を振る。

 

「マジカルベルはどうしたんだ? お前らいつも一緒だったけどよ」

「……そのことか」

 

 あまり触れられたくない話題ではあるが。

 だからって不満や不快感を剥き出すのはお門違いだし、彼をあまり邪険にして案内を放棄されても困る。

 霜は少し逡巡してから、濁して言う。

 

「彼女とは、色々あってね。別行動だ」

「はぁん。ケンカでもしたか?」

「……そんなところかな」

「いいなぁ、ケンカ」

「なにがいいんだ? いいことなんてなにもないだろう」

「そうでもねーよ。殴り合って、罵り合って、言いたいこと全部吐き出せるのが一番だ」

 

 眠りネズミは、どこか心残りがあるように言った。

 

「言い残したこととかあるのが、一番モヤモヤすんだよなー。あー……」

「なにか懸念でもあるのか?」

「んー……んにゃ、もういいや。どうせ寝たら忘れちまう、んなことより次のことだよ次! いや、今だ今!」

 

 目元を擦り、欠伸をしながら、眠りネズミは駆ける。

 

「なんでソウがウチ行きてーのかは知んねーけど、メシとベッドの恩は返すぜ!」

「そうかい。助かるよ」

 

 ベッドと言っても、彼は寝落ちしたので床で寝ていたのだが。

 今朝からずっと欠伸しているというのに、妙に精力的に駆け回る眠りネズミ。眠いのか元気なのか、ハッキリしないな、と霜が半ば呆れつつ彼の後ろを付いていると。

 

 

 

「ご機嫌だな、眠りネズミ」

 

 

 

 それは、現れた。

 

「てめぇは……!」

 

 それは、枯木のようにそこにあった。

 乾ききった黒い汚濁の塊が、人を為すかのように。

 貌を隠すこともなく、虚ろに足っていた。

 そう、それは――

 

「――帽子屋ぁ!」

 

 『帽子屋』だった。

 眠りネズミは目を見開き、憤怒の形相で睨み付け、叫ぶ。

 

「てめぇ! どの面下げて来やがった!」

「まあ落ち着け眠りネズミ」

「ざっけんな! てめぇの腐ったやり方にゃうんざりなんだよ! もう顔も見たくねぇ!」

「成程な、これは帽子を捨てて来たことは失敗だったか、なにせ顔が隠せない」

 

 怒り心頭の眠りネズミに対して、帽子屋は軽口を並べ立てるばかり。

 だがその様子は、以前とは違う。

 飄々としているというよりは、諦観に駆られているような。

 余裕のある態度ではなく、どこか達観したような、虚無感溢れるような。

 そんな空気を纏っていた。

 

「まあ今のオレ様は、帽子屋という個人ではなく、不思議の国の王としてここに在る。王は民に御身を晒すものだ、許せ」

「許さねーよボケ! なにしに来やがったんだクソ野郎が!」

「貴様を迎えに来た」

「迎えだぁ……?」

「おうさ」

(ウチ)に帰れってか。はっ、てめーの口車に乗る気はねーよ。だが、ダチとの約束だ、今から戻るっちゃぁ戻る――」

「あぁ、違う、そうではない」

「あん?」

「貴様の帰郷は求めていない。帰るべき国などもはや存在しない。貴様が……否、我らが還るべきは、土だ」

「土……?」

「貴様にもわかりやすく言ってやろう」

 

 もはや帽子で隠すこともなく。

 虚空を見据える瞳は、まっすぐに眠りネズミを指し示す。

 

 

 

「貴様を殺しに来た、眠りネズミ」

 

 

 

 殺意という、時計の針で。

 終わりの刻限を、突きつける。

 

「……僕とやろうってのか?」

「貴様の過眠症を解消してやろうと思ってな。オレ様が統べる民はすべて、安らかに終わらせてやろう」

「てめーの言い分は気にくわないが、いいぜ。殴り合いなら上等だ! てめーは一発ぶん殴ってやりてーと思ってたんだよなぁ!」

 

 帽子屋の真意は読めない。しかし眠りネズミは、怒りと闘志に燃え滾っている。

 しかし、しかしだ。

 相手は帽子屋だ。不思議の国の、王。

 それを相手取って、無事で済むものか。

 

「…………」

「悪ぃ、ソウ。ちっとばかし野暮用だ。けど心配すんな、速攻でカタつけてくっからよ!」

 

 どう言葉をかけるかわからず、飲み込む霜に、眠りネズミは欠伸をしながら笑う。

 なにも懸念も心配もないような、最悪の結末も絶望の未来もあり得ないと笑い飛ばすように。

 眠りネズミは、帽子屋へと立ち向かう。

 

「眠気は飛ばねーが、火ぃ点いたぜ、帽子屋ぁ……もう、止まんねーからよ!」

「いいだろう。ならば、貴様が燃え尽きるまで付き合ってやろう。この、忌まわし力でな」

 

 ドロリと。

 帽子屋の指先が黒く溶ける。

 泡立つように黒い肉塊が膨れるが、それはすぐに収縮し、砂礫のように渇いていく。

 霜の背筋に悪寒が走った。あの奇妙で、おぞましいものはなんだと、本能が警鐘を掻き鳴らす。

 

「……帽子屋。てめー、そっち側かよ」

「いいや、女王に与する気はないさ。故にこそ貴様を、落し子ではなく民として、葬るのだ。そのために、王としての権威は行使させてもらおう」

「はんっ、好きにしやがれ! てめーの腐った根性、焼き切ってやらぁ!」

 

 眼を熾すように、眠りネズミは瞼を擦る。

 そして、不思議の国の戦場が、開かれた――




 帽子屋とネズミ君の会話、噛み合ってるようであんまり噛み合ってないですね。


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47話「帰郷します Ⅳ」

 眠りネズミvs帽子屋。
 カードが十王編っぽくなってきた。


 眠りネズミと帽子屋の対戦。

 眠りネズミの闘志は、稲妻の如く弾け、爆ぜるように燃える。

 一方で帽子屋は、道化の帽子を捨て、死神の如くそこに居た。

 火の点いた鼠のように駆け抜ける眠りネズミに対し、ゆるりと根を張り構える帽子屋。

 

「3マナをタップ、《不死妖精ベラドアネ》を召喚。山札を捲り、片方を墓地へ、片方をマナへ」

 

 もはや彼は道化を演じない。王として、死に行く民を導くためにそこにいる。

 故に、彼は墓所に手を入れる。いずれ埋葬されるべき場所を、整える。

 仲間達を、安らぎの地へ迎え入れるために。

 

「僕の、ターンッ!」

 

 無論、眠りネズミはそんなものは望まない。

 短い生であろうと、すぐに燃え尽きる身であろうと。

 今できることを捨てて、用意された墓に入るなど、論外だ。

 

Fly(飛べ)! Cry(叫べ)! Slay(殺せ)! 《DROOON・バックラスター》! 能力でGR召喚! 《ドドド・ドーピードープ》!」

 

 《バックラスター》が呼び出され、《バックラスター》がさらに戦力(クリーチャー)を投下する。

 そして戦力の投入は、空襲と同義。

 そのまま、帽子屋の支配域は爆撃される。

 

「おらぁ! ぶっ飛びやがれ! 《バックラスター》で《ベラドアネ》とバトル!」

 

 

 

ターン3

 

 

帽子屋

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:4

山札:24

 

眠りネズミ

場:《チュチュリス》《バックラスター》《ドーピードープ》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:27

 

 

 

「流石に速いな」

 

 あっという間にバトルゾーンを制圧され、3体ものクリーチャーを並べる眠りネズミ。

 こうして面と向かって戦ったことなど、ほとんどないが。

 もし彼に眠気という“呪縛”がなければ、朽木となった帽子屋など、一瞬で消し炭になっていたかもしれない。

 それほどに彼は、強かで、苛烈であった。

 

「オレ様のターン、3マナで再び《ベラドアネ》を召喚だ」

 

 そんな幻想を抱きながら、帽子屋は淡々とカードを繰る。

 マナを、墓地を、溜めていく。

 肥やしを、屍を、積み上げていく。

 

「ふむ、ちょうどいいな」

 

 帽子屋は墓地に落ちたカードに目を落とす。

 そして、出したばかりの《ベラドアネ》に、手を掛けた。

 

「今し方召喚した《ベラドアネ》をマナゾーンへ」

「んぁ!?」

 

 いきなりクリーチャーがマナゾーンへと送られる。腐敗した大地に、《ベラドアネ》が飲み込まれていく。

 突然の奇異な現象に、眠りネズミは目を剥いていた。

 

「枯れ果てた身とはいえ、オレ様は最初の落し子、不思議の国の王だ。道化としての帽子(ガワ)を剥げば、これこの通り。これが本来のオレ様なのだよ、眠りネズミ」

 

 母の持つ豊穣と、邪神としての不死性。

 仔山羊は母からそれを引き継いだ。

 本来あるべき力の根源が、これだ。

 

 

 

「不思議の国に、命の根を降ろせ――フシギバース」

 

 

 

 《ベラドアネ》の命を貪り、吸い上げ、養分として。

 新たなクリーチャーが、芽吹いた。

 

「《ベラドアネ》を苗床とし、3マナ軽減。墓地の《ライマー・ドルイド》を4マナで召喚だ」

「てめぇ……自分のクリーチャーを、喰いやがったな」

「そうだとも。腐肉も腐葉土、立派な糧だ」

 

 フシギバース――バトルゾーンにある自分のクリーチャーをマナに送ることで、そのクリーチャーのコスト分コストを軽減し、墓地から蘇る能力。

 他者の命を踏み台に、己の生を謳歌する外法。

 しかし帽子屋は笑わない。無情に、無慈悲に、無為に、無機質に、無感に。

 虚なまま、機械のように、あるは屍のように、生者を蹴落とす。

 

「《ライマー・ドルイド》の能力により、山札から4枚を公開。1枚をマナゾーンへ、残りを墓地へ。ターンエンド」

「……てめーがなにしようと、知ったこっちゃねーんだよ」

 

 その醜悪さに、眠りネズミは顔をしかめる。

 眼を擦って、帽子屋を睨み付ける。

 

「もう僕は、かーちゃんにも……てめーにも縛られねぇ!」

 

 火の点いた鼠は、一直線だ。

 ただ寸前にあるものに、ひたすら駆けていく。

 

「《チュチュリス》で1軽減! 1マナで《ダチッコ・チュリス》! そんで《ダチッコ》で3軽減、《チュチュリス》で1軽減! 3マナをタップ!」

 

 《チュチュリス》が進路を示す。《ダチッコ》がさらに火を付ける。

 先は明瞭、速力は絶好。

 爆ぜるほどの轟音と、弾けるほどの火花(スパーク)を散らして、それは駆ける。

 

 

 

「手繰れ未来、捲れ火雷! 《DOOOPLLER(ドーップラー)・マクーレ》!」

 

 

 

 燃える駆体が、雷光と共に走り抜ける。

 眠りを妨げるほどの爆音を掻き鳴らし、夢の世界を轢き潰し。

 欠伸を噛み殺し、未来に向かって、今を走り続ける。

 

「さらに! 僕の手札はこれ1枚! マスターGGG! 《“轟轟轟”ブランド》!」

「ほぅ……」

 

 一瞬で大型クリーチャーが2体。Wブレイカー3体に、シングルブレイカー2体。現状でも、帽子屋を殺しきるには十分な打点だが。

 しかしそこにいるのは、眠ぼけ眼を開眼させた眠りネズミ。

 この一瞬の爆発、閃光。

 彼の者が放つ刹那の煌めきと輝きほど、恐ろしいものは、他にない。

 

「死ねや帽子屋ぁ! 《DOOOPLLER・マクーレ》でアタック! パンク! マジック――」

 

 今この瞬間が、本気で、全力だ。

 一寸先の未来が、爆発する。

 

 

 

「――マジボンバー!」

 

 

 

 眠りネズミの山札の頂上が、爆ぜた。

 弾け飛んだカードを掴み取り、それはすぐさま、戦場へと叩き付けられる。

 

「ヒット! 《DORRRIN(ドリリリン)・ヴォルケノン》!」

 

 それは活火山(コンデンサ)を背負った破砕機。

 キャタピラを、ドリルを、高速回転させて爆走し、、目の前の障害すべてを粉砕する。

 火鼠もまた、爆走する。ひたすらに、早く、速く、疾く。

 《ヴォルケノン》が到達するよりも先に、《マクーレ》がシールドを2枚、叩き割る。

 

「《ヴォルケノン》でアタック! マジボンバー!」

 

 そして《ヴォルケノン》が動き出す瞬間には、既に新たな怒りが爆ぜている。

 極頂が爆発する。怒りが連鎖する。

 

「《“極限駆雷”ブランド》! 能力で《グッドルッキン・ブラボー》をGR召喚だ!」

 

 ひとつの爆発から、誘爆して出現する憤怒の権化たち。

 《ヴォルケノン》から放電される熱き雷が、小さき者共に火を付け、駆り立たせる。

 即ち、これらすべて、スピードアタッカー。さらに2つの打点。

 生半可な防御では、炎上した鼠は止まらない。

 敵か、自分か。どちらかが燃え尽きるまで、猛進する。

 

「Wブレイクだおらぁ!」

「流石に凄烈だな。しかし、オレ様にも凶運というものがあるらしいな」

 

 砕かれた2枚のシールド。

 渇いた死体(カラダ)に突き刺さる破片を引き抜き、帽子屋はそれを放る。

 

「S・トリガー発動、《凶殺皇デス・ハンズ》《罠の超人(トラップ・ジャイアント)》。《“轟轟轟”ブランド》を破壊し、《ドーピードープ》をマナゾーンへ」

「っ……! BAD(最悪だ)! But(だが)! 僕はまだ、止まんねーぞッ!」

 

 そのために、これだけのクリーチャーがいるのだ。

 1体や2体クリーチャーが除去された程度で、火鼠が止まれるはずもない。

 

「《グッドルッキン》で最後のシールドをブレイク!」

 

 マナドライブで起き上がり、二の打ちを構える《グッドルッキン》。

 その後に続こうとする鼠たち。

 しかし、

 

「……今日はよくよく運が良い、S・トリガーだ」

 

 火の点いた鼠が携えるのは、篝火の如きもの。

 屍肉も、黒血も、枯木も、腐葉土も、すべてを燃やし尽くすほどの大火に非ず。

 

「《死滅の大地ヴァイストン》。タップして場に出す。こいつがいる限り、攻撃目標はこいつに固定されるぞ」

「知るかバーカ! そいつもぶっ飛ばして終いだボケ! 《バックラスター》でアタック! クラッシュ――」

「とは、ならないのだな。これが」

 

 激しくとも一瞬の煌めきなれば、汚泥に飲まれ、消えてしまう。

 帽子屋はピッと、手札を1枚放る。

 

「ニンジャ・ストライク、《光牙忍ハヤブサマル》。《バックラスター》の攻撃はブロックだ」

「な……!」

 

 《ヴァイストン》のパワーは4000。そして眠りネズミの場にはもう、これを超えるクリーチャーは存在しない。

 眠りネズミの爆進は、止められてしまったのだ。

 

「クソが……! ターンエンド!」

 

 

 

ターン4

 

 

帽子屋

場:《ドルイド》《デス・ハンズ》《罠の超人》《ヴァイストン》

盾:0

マナ:9

手札:2

墓地:9

山札:17

 

眠りネズミ

場:《チュチュリス》《バックラスター》《ダチッコ》《マクーレ》《ヴォルケノン》《“極限駆雷”ブランド》《グッドルッキン》

盾:5

マナ:4

手札:1

墓地:1

山札:23

 

 

 

 

「オレ様のターン……フシギバース」

 

 腐った屍が養分となる。

 マナは十分。苗床も生えてきた。

 ならば後は、輪廻するだけだ。

 

「《罠の超人》を苗床に、9コスト軽減。2マナで墓地より《ダクライ龍樹(ドランジュ)》を召喚」

 

 ミシ、ミシ、と巨躯が軋む。

 腹を裂き、胸を割り、頭を喰らい、臓腑より這い出でる、古木を超えた枯木の龍。

 毒々しい(イバラ)の歯牙が、屹立する。

 

「フシギバース、《デス・ハンズ》を苗床に、7コスト軽減。4マナで2体目の《ダクライ龍樹》を召喚」

 

 もう1体。

 どろりと溶け堕ちる黒肉を流しながら、帽子屋は異形を呼び起こす。

 

「さらに4マナで《死罠の杖(デッドリー・キーパー)》を召喚。《マクーレ》をマナゾーンへ」

「ぐ……!」

「そしてマナに送ったクリーチャーのコストと同じ数のカードを、山札から墓地へ」

 

 生が死が、流転する。

 生者は土に還り、死者は蘇る。

 生きることも、死ぬことも。

 生者も、死者も。

 行き着き先は、同じ果て。

 

「《ライマー・ドルイド》で《ヴォルケノン》を攻撃。相打ちだ。さらに《ダクライ龍樹》で《“極限駆雷”ブランド》を攻撃。能力発動、山札から3枚をマナへ。その後、マナゾーンから1枚墓地へ」

 

 ぼとり、ぼとりと。

 数多の命が無造作に捨てられる。どうせすべて、同じ場所に帰結するのだから。

 墓場も戦場も、生も死も、同じこと。

 生きることを諦めようと、死ぬことを目指そうと。

 どちらも大した差は無いのだと、不思議(死木の国の王は、無言で告げる。

 

「2体目の《ダクライ龍樹》で《バックラスター》を攻撃、破壊する。そして《ヴァイストン》でシールドをブレイク、ターンエンドだ」

「クソ……! 僕のターン!」

 

 眠りネズミの盤面が崩されつつある。

 帽子屋のシールドはゼロ、ブロッカーもいない。

 しかし、《ヴァイストン》の壁が高い。

 眠りネズミの場に残された小型クリーチャーでは、あれを突破することは叶わない。

 駆ければ速く強い。我が身に炎を宿す、疾風の爆炎であるが。

 一度止まってしまえば、尻尾に点いた火は、身を焦がす諸刃の剣だ。

 

「畜生が……! 《龍装の調べ 初不》を召喚! てめーのクリーチャーも止まってろ!」

 

 このターン、眠りネズミは帽子屋を突破できない。

 ジリジリと、不死の古木を焼き払うはずの炎が、我が身を焼いていく。

 それでも眠りネズミの闘志が消えたわけではない。

 彼はまだ足っている。足を止める気はまるでない。

 走って、走って、走り続けようとする。

 己の身体が燃え上がろうとも、その痛苦を噛み締めて。

 眠りネズミは、寝ぼけ眼を見開いて、進み続ける。

 帽子屋はそんな彼を見て、問いかける。

 

「なにが貴様をそこまで駆り立てる?」

「あ?」

「不思議だな、と思った。それほどの痛苦の中、なんの保証もない未来――否、絶望の闇で覆われた未来しかないと知ってなお、そこまで這いずり回るのは、なぜだ? 眠りネズミ」

 

 なぜ諦めないのか。

 確か、そんなことを、あの腹の立つ少女にも聞いた気がする。

 友のため。自分の信じる仲間のため。

 彼女はそんなことを言っていた。

 ならば、彼は?

 自分にとっての、まごうことなき仲間であり、同胞たる眠りネズミ。

 彼が絶望に打ちひしがれない理由。

 

「決まってんだろうが!」

 

 虚無にしかならない未来に、縋る理由。

 

「僕はなぁ、帽子屋!」

 

 それは――

 

 

 

「――遊び足りねーんだよ!」

 

 

 

 とても、ちっぽけで。

 自己満足で、自分勝手、自己中心的で。

 卑俗で、低俗で、子供っぽくて。

 力強い、理由だった。

 

「あぁ、あぁそうだ! ぜんっぜん遊び足りねぇ! 満足できねぇ! 眠い、眠すぎる! 僕の人生は、クソッタレなほど――“眠い”!」

 

 ゴシゴシと、目を擦る眠りネズミ。

 その顔は怒りに歪んでいるというのに、目元だけは、どこかとろんと、蕩けそうでいる。

 “眠そう”に、見える。 

 

「あぁクソ! いっつも眠くてなんも集中できねぇ! 頭ん中がぐらぐらして歩くのもダリィ! 今すぐぶっ倒れそうなまま生きてる! それが僕ってやつだ!」

「そうだな、オレ様も知っている。なによりも過酷な生を押し付けられた種、それが貴様だからな。眠りネズミ……封印(眠り)の性質を受け継いでしまった、哀れな獣よ」

 

 神とは、眠るものだ。邪神とあらば、長い眠りについているものだ。

 女王がそうであったように。

 そしてその認知を、彼は引き継いでしまった。

 共同体であることを強いられたヤングオイスターズのように、醜悪な貌を刻まれた公爵夫人のように、発散できぬ性欲を植え付けられた三月ウサギのように

 眠りネズミは、尽きることの無い“睡眠欲”を、母親から押し付けられた。

 ずっと眠い。寝ても覚めても眠い。起きている間も、頭は半分寝ているまま。

 起きている間、ずっと、ずっとだ。

 生を感じている時間すべて、彼は常に眠気と戦いながら、そこに足っている。

 いつ意識が途切れてもおかしくない。常に気を張り続けなければ倒れてしまう。

 そんな、生物としての欠陥を、与えられてしまったのだ。

 それはあるいは、生きながらにして、死んでいるようなものである。

 

「貴様は夢見る小鼠。生きている身でありながら、夢の世界での生存という“死”を強いられている畜生だ。生きながらに死に、現世にありながらその世界から切り離されようとしている。なんとも難儀で残酷な呪いよな。しかし、ならばむしろ、その過酷な生き様から逃れるべきではないのか?」

「違いねぇ! But(だが)! 違うね!」

 

 眠りネズミは叫ぶ。眠気を飛ばすために、眠らないようにするために。

 起きているために、生きているために、死なないために。

 自分はここにいて、ここに生きているのだと、今を主張するために。

 叫ぶ。

 

「こんなクソ眠ぃ生き方なんざクソくらえだ! だがな、死んで終わって眠気覚ましなんて逃げはしねぇ!」

 

 叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ!

 それが自分が生きている証だと、声高に証明する。

 

「ずっとずっと、生まれてこの方一生眠くて仕方ねぇ! 一生の半分、僕は寝て過ごしてるだろうさ! だがよ、そんな人生、もったいねぇだろうが!」

 

 今さえ楽しければいい。未来のことなんて考えない。

 嘘だ。

 未来がどうでもいいなんて、そんなわけはない。

 打算はなくても、計画ができなくても。

 望みくらいは、あるのだ。

 

「まだまだ遊び足りねーんだ! もっともっと楽しみてーんだ! それを、かーちゃんが起きただかなんだかみてーなくだらねー理由で、僕の楽しみを止めるんじゃねぇよクソッタレ!」

 

 楽しい今は、眠気で邪魔される。

 ならせめて、明日の今を楽しみたい。

 目が覚めたら、また楽しい遊びが待っている。

 そんな未来(いま)が欲しい。ただ、それだけなのだ。

 それを邪魔されるのは、我慢ならない。

 

「貴様の()は理解した。それで貴様は、その楽しみとやらのために、代用ウミガメを探しているのか?」

「ったりめーだ! 僕はダチと一緒に楽しみてーんだ! 僕が寝てても起こしてくれる奴……カメ子がそばにいなきゃなんねーんだよ!」

「奴が望んでいないとしても、か?」

「知るかんなもん!」

 

 眠りネズミは、叫ぶ。

 自分の主張を、我を、貫くために。

 小さな身で、咆える。

 

「僕が! この僕が! そうしたいからだ!」

 

 ただ自分の欲望と衝動のためだと。

 正義のためだとか、世界のためだとか、誰かのためだとか。

 そんなややこしい話はいらない。

 眠りネズミの思いは、もっと、単純(シンプル)純粋(ストレート)だ。 

 

 

 

「ダチと一緒にいたい! 誰よりもこの僕がそう望んでる! それ以上の理由があるかってんだ!」

 

 

 

 ただ“自分”がそうありたいという望みが、心の中にあるだけ。

 理屈や、合理や、道徳や、義務。

 そんなものには、縛られない。

 ただ自分が為したいから為す。

 自分に正直にある。

 ただ、それだけなのだ。

 

「…………」

 

 ――自分が望むこと。

 自分に正直であること。

 なにかが、霜の胸の内で燻っていたものが、弾けていく。

 最初からあったものが、気付いていなかったものが、発露していく。

 

「……そうか」

 

 眠りネズミの、慟哭にも似た魂の叫びを聞き入れ。

 帽子屋は、深く頷いた。

 

「どうやら貴様を少し軽んじていたようだ。謝罪しよう、眠りネズミ。貴様の苦楽ない交ぜの生き様、オレ様には理解しがたい代物だが、貴様がそこまでの信念を持って生きているとは思わなんだ。貴様を侮っていた、見くびっていた、軽んじていた。そこは謝罪しよう、そして称えよう、その一筋気で、豪気で、愚直に過ぎる生き様を」

 

 冗談でも、世辞でも、挑発でもない。

 心の底からの言葉を吐き出して。

 誇り高き民の冥福を祈る(呪う)

 

「これは至上なる敬意だ。それを以て(わたし)は貴様を、王として不思議の国の墳墓へ迎え入れる」

 

 帽子屋は、憐憫に殺意を滲ませる。

 称え、敬い、憐れみ、そして殺す。

 すべての民を同じ墓へと葬るために。

 

「フシギバース、起動。《ダクライ龍樹》を苗床に、新たな《ダクライ龍樹》を召喚」

 

 《ダクライ龍樹》の(カラダ)が張り裂け、新たな《ダクライ龍樹》が芽吹く。

 枯木の屍を貪り、死者を食い物として、新たな生を得る。

 だがその屍肉は、糧であると同時に、毒だ。

 

「そして、《ダクライ龍樹》が場を離れたことで、貴様のクリーチャーも道連れだ。《グッドルッキン》をマナゾーンへ」

「ぐ……っ!」

「2体目の《ダクライ龍樹》をマナゾーンへ、4体目の《ダクライ龍樹》をフシギバースで召喚。《チュチュリス》をマナゾーンへ」

 

 輪廻する。巡り巡り、廻って廻って、黄泉還()る。

 命が循環している。死した者が生者を喰らい、生者が死者に、死者が生者に。

 ぐるぐるぐるぐる、流転する。

 行き着く先は、同じ果て。

 死ぬも生きるも同じこと。

 

「《ヴァイストン》をマナゾーンへ。この贄により、8マナ軽減……6マナをタップ」

 

 フシギバース。

 守りの要たる《ヴァイストン》を葬り、その巨大な苗床を以てしても、さらに6マナを搾り取り、吸い上げる。

 

「此なるは女王の縛鎖。大いなる呪われし王こそ我。しかして奴は今も我らを監視()ている。女王ならざる王として、化身は我と共に並び立てり」

 

 祝詞を諳んじる。呪言を唱える。

 母の権能を、宿命を、呪禁を、一身に受ける。

 

不思議(不死樹)の国を、ここに」

 

 枯れた身体を励起させ、彼は監視者と共に、王として君臨する。

 

 

 

 

 

「《大樹王 ギガンディダノス》」




 不思議の国、不死樹王国。底辺の生活、黒い仔山羊の邪神、その眷属。
 不思議の国と不思議王国、ひいては黒緑カラーとの性質の合致があまりにも嵌まりすぎて吐きそうな作者です。偶然の一致、気持ちいい。
 帽子屋に不死樹王国を使わせたいという理由だけで、十王編が進むのを待って、他キャラクター(主に死星団)のデッキを変更したまである。


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47話「帰郷します Ⅴ」

 眠りネズミvs帽子屋、決着。


 《大樹王 ギガンディダノス》

 それは、落し子たちの監視者。

 不思議の国の王と並び立つ、不死樹の国の王。

 枯れ堕ちて、腐り堕ちた太古の巨木を躯とし、それはそびえ立つ。

 巨人よりも大きく、巨竜よりも雄大に。

 邪神のように忌まわしく、そして屍人のように儚く。

 大樹の王は、王座に君臨する。

 

「で、でけぇ……!」

「王だからな、当然だ。そして無論、巨大なだけの木偶でもない」

 

 《ギガンディダノス》が咆哮する。

 大地に響くような、沈み込むような、重く、悲しい絶叫を轟かせる。

 

「《ギガンディダノス》の登場時、貴様の手札をすべてマナゾーンへ堕とす」

「んな……!?」

 

 眠りネズミの手札が、纏めてマナゾーンへと封じ込められる。

 追撃の手が、根こそぎ削がれてしまった。

 無論それは、手札だけではない。

 

「2体の《ダクライ龍樹》で《初不》《ダチッコ・チュリス》を攻撃」

 

 盤面も、喰い破られる。

 命が毟り取られ、眠りネズミの攻め手が消え失せる。

 

「ターンエンド」

 

 手札も、盤面も、なにもかもがボロボロになる眠りネズミ。

 帽子屋は悠々と、生ける屍の如く、そこに在る。

 

「僕の、ターン……!」

 

 クリーチャーはおらず、手札もなく、信じられるのは山札の一番上のみ。

 たった1枚にしか頼れない、絶望の淵。

 しかして眠りネズミに、諦めはない。

 まだ、燃え尽きていない。

 残り僅かな我が身を燃やし尽くしてでも、火鼠は、駆ける。

 

「――引いたぞ、馬鹿野郎が!」

 

 閃光が瞬き、火花が爆ぜる。

 残り火すべてを燃え上がらせ、眠りネズミは、引いたそれを叩き付ける。

 

「《DOOOPLLER・マクーレ》!」

 

 帽子屋のシールドはゼロ。ブロッカーはいない。邪魔な《ヴァイストン》も消えた。

 あと一歩。その一歩を踏み込むだけで、この拳は奴に届く。

 

「とどめだ帽子屋ぁッ! 《DOOOPLLER・マクーレ》で、ダイレクトアタック――」

 

 たった一歩。それで、終わる。

 ……終わる、のだが。

 

 

 

止まれ、愚民(Stop the fool)

 

 

 

 その一歩は、止められる。

 

「その先へは進ませんぞ」

「あ……?」

 

 その言葉通り、歩みが、止まる。

 身体が重い。動かない。

 進まなければいけないのに。早く先に行かなければ、この身が燃え尽きてしまう。

 眠気に抗えなくなってしまう。

 未来が、掴めなくなってしまう。

 そう、いくら願えども。

 眠りネズミの足は、一歩も先には進まない。

 

「《ギガンディダノス》は、女王より遣わされた眷属の王。オレ様を縛り付ける縛鎖にして監視者。我が得た権能の具現。即ち、女王のくだらん威光そのもの。下等な有象無象は、強大なる狂気を超えることも能わず」

「なに、わけわかんねーこと言ってんだ、クソ野郎が……!」

「ならば貴様にも、わかるように言ってやろう。《ギガンディダノス》は、此より小さき者では立ち向かうことさえ敵わない。つまり、だ」

 

 地鳴りが響き、地揺れが起こる。

 砂粒のように小さき鼠の前に、天を突き抜けるほどの巨躯が、立ち塞がる。

 その有様は呪いであり、狂気そのもの。

 王を、守(縛)るための、呪縛。

 

 

 

「《ギガンディダノス》よりパワーの低いクリーチャーは、オレ様を攻撃できない」

 

 

 

「……ッ!」

 

 あと一歩。もう一歩だったのだ。

 一寸先には、殴るべき相手がいるというのに。

 その一歩が、あまりにも遠い。

 一寸先に進むために立ち塞がる壁が、あまりにも高く、大きい。

 燃ゆる火鼠が乗り越えるには、その壁は高すぎる。

 よじ登ろうとするだけで、その身は燃え尽き果ててしまう。

 

「見ての通り、《ギガンディダノス》のパワーは50000。これを、女王に連なるDark Youngの果てない狂気、貴様に超えられるか?」

 

 答えなど、言うまでもない。

 パワー50000なんて巨体を燃やし尽くすだけの火力が、小さな火鼠にあるはずがない。

 身を焦す炎は、巨木を焼き払うことは叶わず。

 我が身を焼き尽くすだけに終わるのだ。

 

「クソ……クソクソクソクソがッ!」

 

 悔恨が溢れる。ただひたすらに、無念が募り、爆ぜる。

 目と鼻の先に掴み取れる願いがあるのに、その微かな距離すらも、届かないなんて。

 

「なんでだよ……なんでなんだよ! 帽子屋! てめーは、なにがしたいんだよ!」

「なんのことだ?」

「とぼけてんじゃねぇよボケが!」

 

 《ギガンディダノス》に手足を削がれ、歩みすらも封じられた眠りネズミは、ただ慟哭することしかできなかった。

 怒りを叫び、無念を嘆く。ただ宣うだけで前に進まないなど、眠りネズミには到底許せるものではなかったが、そうすることしかできない。

 せめてこの身が燃え尽きるまでに、無駄な抵抗でも、窮鼠は咆える。

 

「てめーが目指してたのは、こんなことじゃねーだろうが……寝ぼけた僕の頭だって覚えてるぞ。てめーのアホみてーな夢は、すげーBAD(最高)だったってな!」

「夢……?」

 

 そんなもの、あっただろうか。

 掠れた記憶はノイズがかっている。思考はあやふやで、溶けている。

 

「今のてめーにゃ、昔みてーな野望も希望もねぇ。クソつまんねーんだよ! なんっも面白くねぇ!」

 

 眠りネズミの怒声が轟く。

 身を焼かれても、その歯牙が届かなくても、みっともなくても泥臭くても、抗い、食い下がる。

 

「こんなつまんねーままで、つまんねー終わり方で、それでいいってのかよ! 帽子屋!」

「…………」

 

 その慟哭を、静聴し。

 帽子屋は、なにも答えなかった。

 

「……《ギガンディダノス》で、ワールド・ブレイク」

 

 ――一瞬だった。

 巨木の龍が放つ咆哮、地響き。

 刹那のうちに、眠りネズミを守る盾は、すべて撃ち砕かれてしまった。

 そして。

 黒き森の眷属が、牙を剥く。

 

 

 

「《ダクライ龍樹》で、ダイレクトアタック――」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 眠りネズミは倒れ伏した。

 気力と体力の限界を迎え、身を焼く炎も鎮火し、眠りに堕ちる。

 帽子屋はなんの感慨もなく、眠りネズミを見下ろし、一歩、進み出る。

 

「さて……連れて帰るか」

 

 しかし。

 眠りネズミと彼の間に、ひとつの影が割り込んだ。

 

「待て、待ってくれ!」

「……なんだ、小僧」

 

 霜だった。

 眠りネズミを庇うように、帽子屋の前に、立ち塞がる。

 

「彼を……殺さないでくれ。頼む」

「貴様の頼みを聞いてやる義理はない。失せろ」

「だけどボクには!」

「眠りネズミを助ける義理があるとでも? つまらんことをほざくか?」

 

 帽子屋は霜を、威圧的に見下ろす。

 しかし霜は退かない。

 無情で、無慈悲で、虚無なる眼に臆することなく。

 震えそうな身体を鼓舞させて、目の前の絶望に立ち向かう。

 

「……義理じゃない。情でもない」

 

 眠りネズミ。【不思議の国の住人】。敵かどうかもあやふやな、けれども確かに敵意を持っていたこともあり、争い合った者共だ。

 本来ならば手を取り合うことはないのかもしれない。そのリスクと道理は、通すことはできなかったはず。

 しかしこと彼個人として見た場合、霜は、異なる回答を得た。

 

「ボクには彼が“必要だから”だ」

 

 集団としての一部ではなく、眠りネズミという個人としての観測結果。

 彼が持つ性質への、興味、関心。

 そして、そこから予測される、彼の持つ熱意。

 それは霜の求めるもの……なのかもしれない。

 霜は、その可能性を、彼の中に見た。

 これは自分の勝手だ。無謀な向上心であり、愚かな探究心であり、都合のいい利己心だ。

 だけど、それが自分の進みたい道だから。

 そう、彼が叫んでくれたから。

 

「彼の在り方、生き様。一筋気で、馬鹿みたいに愚直で、目の前しか向かない心。ボクには必要なんだ」

 

 ――ボクの中で燻る命題の回答を得るためにも。彼のまっすぐな情熱が、きっと。

 彼と共にいれば、辿り着けそうなんだ。ボクが先へ進むための、答えに。

 

「……くだらんな。オレ様には関係のないことだ」

 

 帽子屋は懐から拳銃(リボルバー)を取り出す。

 カツ、カツ、と躙り寄りながら、弾倉に弾を込めていく。

 もう一挺取り出し、それにも弾を込める。

 弾倉を勢いよく回しながら、カシャリと、銃に収める。

 

「そら、死にたくなければ退け、小僧」

「……っ!」

 

 右手の銃口を、霜の目先に突きつける。

 トリガーに指を掛け、いつでも、一瞬で、彼の脳天を貫くことができる。

 しかし霜は動かない。眠りネズミを庇ったまま、キッと帽子屋を睨み付ける。

 

「……蛮勇は身を滅ぼすだけだ。ただ無謀なだけでは、思考を失えば、なにもかもを取り零すぞ。オレ様のようにな」

 

 そう言って。

 左手の銃口を、霜の後ろで眠る、鎮火した火鼠に向けた。

 

「! 待って――」

「纏めて死ね」

 

 

 

 ――パンパンッ!

 

 

 

 二回の銃声が、冬の空に轟いた。




 結果なんて、わかりきったこと。


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47話「帰郷します Ⅵ」

 47話をここで一旦区切って終えるかどうか悩むお話。区切りは区切りと言える。きっと、恐らく、maybe.


 ――――

 …………

 ……?

 痛みは、なかった。

 生きている……?

 血生臭い匂いもない。

 恐る恐る、霜は目を開く。

 

「……空、砲……?」

 

 銃口は、眼前に。

 しかし撃鉄は、上がっている。

 確かに銃声は聞こえた。しかし、弾は一発も飛んでいない。

 

Fumble(ピンゾロ)か、運が悪いな。貴様らからすればCritical(ロクゾロ)幸運(ラッキー)だったな」

 

 帽子屋が放った銃撃。

 装弾数6発の弾倉に込められた弾は、各々5発ずつ。

 その両方が、空砲。

 ロシアンルーレット(2D6)の結果、霜も眠りネズミも、生きていた。

 

「これが運命という奴か。愚かな選択も、一概に馬鹿にできんな」

 

 帽子屋はふたつの銃を、そのまま懐に収めつつ、霜と眠りネズミに視線を向ける。

 

「オレ様とて民を無碍にしたいわけではない。これほどの結果を出し、なお抗う運命を手繰り寄せたとなれば、相応の裁定は下してやる。貴様の埋葬は先送りにしてやろう、眠りネズミ」

「……ありがとう」

「貴様に礼を言われる筋合いはない」

 

 くるりと踵を返し、背を向ける帽子屋。

 その背中に、霜は言葉を投げかける。

 

「……実子は、どうしてる?」

「む? 実子か。奴なら今頃、オレ様の夕餉を拵えているところだろう。まあいくら喰っても、全部腹から出てしまうのだが」

「実子のこと、頼みます」

「頼む、とは?」

「あいつとはまだ問答(ケリ)がついてない。答えが出ないまま逃げ終わるなんて、ボクは許さない」

「保証はしかねるが、俺も一宿一飯の義理、もとい寄生のための苗床が必要だからな。まあ、そう伝えておこう」

 

 なんの感慨もなく、虚空と話すように言って。

 帽子屋は姿を消した。

 後に残されたのは、霜と、眠りに堕ちた鼠。

 霜は寝息を立てて眠りにつく少年を静かに見下ろす。

 

「……ボクらしくもなかったな」

 

 だけど。

 これはきっと、自分(ボク)らしくあるために必要なこと。

 彼のように即決できるような勢いも、決断力もない。

 きっと、時間はかかる。回答を導き出すために、思考を重ねなくてはならない。

 それでも。

 

「見えてきたな――」

 

 ――ボクが導きたい、結末が。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「あー……」

 

 三月ウサギは、率直に言ってふて腐れていた。

 いや、もっと直接的に形容べきだろう。

 腐っていた。文字通り、魂も、身体も。

 屋敷の外、不思議の国の門の手前、山の麓で、冬空を見上げる。

 黒々と溶け出す皮膚、肉、骨。そんなものなど意にも介さず、彼女は空虚な虚空の空を見つめるだけだった。

 

「ヤりたい……」

 

 と呟いて、首を振る。

 

「……うぅん。でも、ダルいわね。相手を探す気も失せるわ……」

 

 王が消えた不思議の国は、完全に崩壊していた。

 公爵夫人が残った者共を纏めているものの、もはや民に覇気はない。

 多くの住人は国を出た。残った者たちは、ただ自我を失っただけだ。気力を喪失し、なにもできない抜け殻となっただけだ。

 蟲の三姉弟、眠りネズミ、バンダースナッチ、ジャバウォック……皆、皆、いなくなった。

 ヤングオイスターズも長女がほとんど腐敗している。ユニコーンやライオンのような弱小な民は無力でしかない。ハンプティ・ダンプティや公爵夫人だけでは、どうしようもない。

 もはや、国も民も、詰んでいる。

 かくゆう三月ウサギ自身も、そうだ。

 愛すべき帽子屋()が消えてしまったことで、最後の糸が切れた。

 自死しようという気すらない。諦める、という感慨すら湧かない。

 ただ自分の内から溢れる欲望に苛まれながら、しかしてその欲望に支配されてもなお動かない身体を持て余すばかり。

 情動が燻ったままだ。しかしこれを爆発させるような状況はない。

 ただひたすらに、虚無。

 きっと、女王が完全に目覚め、世界を終わらせる時まで、このまま、なのだろう――

 

 

 

「――それは異である」

 

 

 

 声が、聞こえた。

 

「貴様らは、母の覚醒に立ち会う以前の話である」

 

 男の声。

 一瞬の期待。

 しかしそれはすぐ、落胆に変わる。

 

「……なにあんた。妙にイケメンだけど……」

 

 真っ白な総髪を流した、精悍な顔立ちの男。

 腰に一振りの剣を携え、後ろには青い少女と緑の女を1人ずつ侍らせている。

 ――わかる。

 白い姿をしているが、その本質にある“黒”が見える。

 女王の性質を色濃く受け継いでいるが故なのか。

 本能が告げていた。

 

「あんた……いや、あんたたち、なに? 僕らのお仲間?」

「流石にわかるか。『三月ウサギ』。貴様は母の愛を多く授かっているのだな」

「は?」

 

 それはきっと何気ない言葉だったのだろう。

 しかし、たったそれだけのことでも、三月ウサギの胸中で燻っていた火種が、爆ぜた。

 それは彼女にとっての逆鱗だ。

 

「なッにが愛よ! こんな中途半端な身体だけ寄越して投げ捨てて! それが愛ですって? ざけんじゃないわよ!」

「……愚かな」

「そうね。鳥が羽ばたくことを嘆くことがあるかしら。魚が回遊することへ怒りはしない。獣は獣としての生き様があるのよ」

「メルちゃん的にはわからなくもないのです。でもリズちゃんの言ってることはよくわからないのです」

「はぁ……?」

 

 あまりに奇妙な3人組に、三月ウサギの頭も冷える。

 なにか奇妙で、不気味だ。

 自分達と同じようで、なにかが違う。

 

「……なによあんたら。なんなの? 言っとくけど、今この国は亡国よ。王様もいなくなっちゃったわ」

「知ってるのです。ちゃーんとリサーチ済みなのですよ!」

「? じゃあなんの用なワケ? そもそも、あんたたち、何者?」

「あぁ、そうだな。貴様らは愚かしく、浅ましく、邪悪にして罪深き異端者。しかして同じ母から産み落とされたという事実は変わらない。なればこその儀礼として、私が名乗りを上げるべきだろう」

 

 毅然に、そして冷酷に。

 これが自分の正道だと、正義だと、正統だと、信じて疑わない潔白さで。

 高らかに、己のあるべき姿を示す。

 

 

 

「【死星団】がⅠ等星(モノステラ)、新生なる落し子らの長子。我が名は――ミネルヴァ・ウェヌス!」

 

 

 

 白の男――ミネルヴァは、剣を抜く。

 切っ先を三月ウサギに突きつけ、そして。

 光が、翳る。

 

「姫を傷つけた罪深き淫欲の獣よ。貴様と、そして貴様ら反逆の落し子共の、粛正の時間だ」

「ッ……!?」

 

 淡い月の光が輝く世界。けれども重く昏い。

 三月ウサギの本能が、告げている。

 不思議の国が、侵蝕されている。

 ――否。

 あるべき原初の森に、戻されつつある。

 塗り潰されているのではなく、巻き戻されているのだ。

 見たこともない世界に、落し子としての帰巣本能が刺激される。

 ありもしない懐かしさを感じてしまう。

 そこが自分の帰るべき場所であると、誘われているような――

 

「――ざっけんじゃないわよ」

 

 ぶちり。

 三月ウサギは、黒く溶け出し膨れ上がった己の肉塊を一掴み、引き千切る。

 落し子としての身を投げ捨て、踏み躙る。

 それは忌むべきもので、唾棄すべきものだと、母の恩寵を受けた者共に見せつける。

 

「ここは帽子屋さん治める国、そして僕たちの家よ。お母様と言えど、建て替えなんて許さないから!」

 

 彼らは同族。しかし自分達の居場所を蹂躙する害敵だということも、理解できた。

 ならばここにいる獣は、らしくもなく門番となるしかあるまい。

 溢れる情欲で牙を研ぐ。燻った情熱を動力に、三月ウサギは起爆する。

 母からの迎えだか、使者だか、簒奪者だか知らないが。

 すべて喰い潰すまで。

 

「……主命を執行する。此なるは傷心の姫の鉄槌(守護)。そして、母の悲嘆(慈愛)。己が罪に罰せられよ、堕落した落し子たちよ」

 

 男は祈る。母へと、神へと、黙祷を捧げる。

 守るべき律に従い、信奉する彼女たちの慈悲の代行者として、断罪の剣を振るう。

 

 

 

「姫なりし母に代わり、私が貴様を、月の光も届かぬ神殿の底へ閉ざさん――」




 前書きの通り47話、ここでひと区切りに、できるのですけど、どうしようか悩んでいます。
 次話もこれの続きみたいな話(の予定)なので、このまま47話として続けてもいいと思う反面、一話の枠にするならこれが収まりが良さそうにも思える。
 普段ならこれを前篇、次を後篇とかにしたのかもしれませんが……分割投稿の思わぬ罠ですね。
 まあそんな区切りで悶々とするのは作者だけなので、読者の皆様はお気になさらず。タイトルがどうなるのかってことしか影響しませんので。


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48話「国盗りです Ⅰ」

 分けるかどうするか悩んだ結果、一応、一話一戦の縛りのために分けることにしました。対戦箇所、どうするかちょっと悩んでるんですけど。


 揺れている。揺り籠のように、地を踏みしめる行進が緩やかな鼓動(ビート)を刻む。

 退屈すぎて欠伸が出そうな韻律(ライム)だが、不思議と心地よ(チル)い。

 そうだ、これは人の背だ。矮小なこの身を受け止めてくれる、硬くもこの優しい背は、もしかしたら――

 

「――カメ子」

「起きたか」

 

 返ってきた言葉は、思っていた少女のものではなかった。

 その齟齬に、眠りネズミは覚醒する。

 

「……ソウ?」

「ボクだよ。具合はどうだい?」

「……BAD(最悪)だな」

 

 霜の背中で、眠りネズミは小さく舌打ちする。

 

「ワックだぜ。あんな腐れ帽子屋なんかに、気持ちで負けちまうなんてよ……!」

「気にするな、とは言わないけど、あまり思い詰めない方がいい。勝負は時の運でもあるし、なにより冷静さを欠いた方が負けるものだ」

「けどよ!」

「だけど、今、君は生きている。次があるなら、まだ未来がある。チャンスがある」

 

 霜の言葉に、眠りネズミは押し黙る。

 それは霜の語気に気圧されたというより、ふと湧き上がった疑問に首を傾げているようだった。

 

「……なぁ、ソウ。僕、生きてるな」

「そうだね」

「ソウが助けてくれたのか?」

「…………」

 

 霜は答えなかった。

 助けた。結果から見れば、そうなのかもしれない。

 しかしあの行動は、自分でも理解に苦しむような、非合理的な蛮勇だった。

 生きているなら、未来があるなら、次がある、などと。

 命を投げ出そうとした奴が言えることではない。

 この矛盾しそうな回路、まるでバグのようだ。一貫性がない、統一性がない。

 人とはおしなべてそういうものではあるが、そうあるまじと霜自身が律してきたことのはずなのに。

 しかしどういうわけか、この不条理に嫌悪感はない。

 むしろ、彼を守り切れた達成感すらある。

 

「あんがとよ、ソウ」

「……別に。君に死んでもらっても、困るからね」

 

 彼からの屈託のない礼がむずがゆい。

 これは打算であり、合理であり、狡知だ。

 そう、なのだが。

 …………

 

「……そうだ。ねぇ、君、名前は?」

 

 言葉に詰まる。いまだ、自分の中で燻る命題への回答は、形にならない。

 まだ、思考のための時間が必要だった。

 それを押し隠しながら、霜は眠りネズミに問う。彼はキョトンとしていた。

 

「名前ぇ? 眠りネズミだが」

「そうじゃなくて。ほら、君の友達の……代用ウミガメだっけ。彼女みたいに、君にも人としての名前があるのだろう」

 

 そういえば小鈴は、彼女をひとりの人間として、名を尋ねていた。

 それに、倣ってみよう。

 自分が戻りたいと願う場所を、真似てみよう。

 そうしたら、なにか、わかるだろうかと。

 あるいは、自分が、そうしたいからと。

 

「ヤマネ」

 

 彼は、即座に答えた。

 

利根弥真祢(とねやまね)ってんだ。確か公爵夫人だったかが、そういう名前にしたってよ」

「ヤマネ、か。ならこれから君のことはそう呼ぼうか」

「……あ! そういやソウ、今まで僕のこといっぺんも名前で呼んでねーな!?」

「今更か」

 

 少し呆れながら、ヤマネを背負い直す。

 彼は大人しく、霜の背中で身体を丸めている。

 そこが落ち着くと言わんばかりに。

 その場所が気に入ったかのように。

 信頼できる穴蔵であるかのように。

 彼らしからぬ、眠そうな蕩けた眼で、霜の背にしがみついていた。

 

「駅までもう少しだが、眠いなら寝ててもいいよ。後で起こすから」

「おう……頼むぜ」

 

 そう言って。

 小さな吐息が、霜の耳をくすぐった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……嘘でしょ?」

 

 三月ウサギは膝をつく。

 信じられなかった。手も足も出なかった。

 これは、なんだ?

 同じ種族であるはずなのに、自分達とは、まるで違う。

 

「当然の理だ」

 

 裁きの神殿にて、白の男――ミネルヴァは剣を天高く掲げる。

 遥か彼方の神へ、武勇を誇るように。

 信奉の証明を示すかのように。

 

「女王の恩寵を忌み、本来あるべき姿から逸脱した貴様らに、純粋な母君の力を賜った我らが屈する道理などない。貴様らはどう足掻こうと、闇の眷属。そこから乖離を試みたところで、それは存在そのものを歪ませ、劣悪な汚物に成り下がるまで」

 

 剣の切っ先が三月ウサギに向けられる。

 否定したい。しかし、それはただの敗者の戯言である。

 圧倒的に、負けた。

 その現実が、重くのし掛かる。

 

「母君の恩寵は絶対だ。それから逃れることなどできぬ。だからこそ、進化などという無為な逃避を繰り返した貴様らは、呪いに蝕まれる」

「く……っ!」

「最初から母に奉ずれば良かったものを、下らぬ野心を抱いた末路である。そして、その堕落によって、貴様は姫を傷つけた。この罪は、果てなく重い」

 

 眼前に突きつけられる白き切っ先。

 ほんの僅かに動かすだけで、眼球は裂かれ、頭蓋は割られ、首は落ちる。

 しかしミネルヴァは、静かに剣を引いた。

 

「しかし姫は、貴様らの喪失を望んでいない。姫からの慈愛、深く受け止めるがいい」

「……なによ姫って。まさか、ここまでボコボコにして、赦してくれるなんて甘いことがあるわけ?」

「然り、恩赦である。本来であれば、母の従属より外れた落し子は切り捨てる定め。しかし姫の深い慈悲により、貴様は我が神殿に投獄する」

「投……獄……?」

 

 次の瞬間。

 三月ウサギの背後で、なにかが開く。

 

「っ!」

 

 反射的に振り返ろうとするが、身体が動かない。

 全身を、光の鎖で束縛され、なにひとつ身動きができない。

 これはまずいと本能が叫ぶ。しかし、もう、どうしようもない。

 無力なまま、邪淫の獣は。

 月の光も届かぬ牢獄に――堕とされた。

 

「…………」

「お疲れ様なのです、ミーナさん!」

「あぁ」

 

 ミネルヴァは剣を収める。

 門番とも言えぬ門番を制した。

 眼前には、不思議の国へ続く獣道。

 

「あたしの走査によると、まあまあの数の住人は残ってるっぽいのです。数は20、ヤングオイスターズを含めるとカウントが変化するのです」

「そうか。それでは、私とメルで切り込む。リズは領域支配を頼む」

「わかったわ」

 

 2人と1人に分かれ、彼らはゆるりと歩み出す。

 少しずつ、少しずつ、森を陰気に黒く染めながら。

 反逆者たる眷属達を罰するために。

 そして、同胞である者共を治めるために。

 新たな落し子たちは、不思議の国へ、征く――




 ネズミ×霜という需要以前に誰も想像できなさそうな組み合わせ。
 別にNLが嫌いなわけでも避けてるわけでもないのですが、気付いたら同性同士のカップリングになってる気がします。まあ異性同士より、同性同士の方が気兼ねせず突っ込んでいけるというのもあると思います。


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48話「国盗りです Ⅱ」

 前書きでなにを書けばいいんでしょう。ネタが尽きました。


 電車で数駅。電車を降りて細い路地を抜けた道の先。

 私有地らしい山の前まで、霜とヤマネは来た。

 

「……こんなところにあったのか」

「おう。けっこーダルいんだよな、こっからガッコ行くの」

「山降りて電車も使うくらいだもんね。こんなことするくらいなら、普通に学区内の学校に通う方がよほど合理的だ」

 

 というかどうしてわざわざ遠くの学校に通っているのか。彼らは教師や用務員や購買部の面々と違い、自分達と出会う前から今の学校に通っていたはず。スパイというわけでもないだろうに。

 そんなことを彼に言っても恐らくまともな回答は返ってこないので、霜は疑問を黙殺しながら、ヤマネの後に続いて山道を登る。

 険しいというほどではないが、山は山だ。道も踏み分けられている程度で、きちんと整備されているわけではない獣道。歩き慣れていなければ少し苦労する。

 ヤマネはひょいひょいっと軽快な足取りで駆けていくが、霜はそれを追いかけるだけで精一杯だった。

 ――彼に気を遣ってスカートを履かないで来たが、正解だったな。

 比較的、男っぽいファッションで来たことが幸いした。木々の生い茂る山の中でも、まだ動きやすい。

 だとしても、やはり登山は楽なものではないが。

 

「ユーあたりなら、楽しんで登るんだろうな」

 

 彼女たちは今、なにをしているのだろう。

 自分を探しているだろうか。実子と接触しているかもしれない。あるいはヤマネのように、代海を探しているのだろうか。

 ……自分は、なにをしているのだろう。

 彼女のために動くと決めた。彼女に危険が及ばないようにしたいと願った。

 では、そのために自分ができることとは。

 彼女を避けながら、彼女から逃げながら、できることとは。

 ――どこか、ずれている気がする。

 正しい道を進んでいるつもりが、道を踏み外しているような気がする。

 それは、実子が言ったような、自己中心的な邪悪さ、というだけではない。

 合理性も打算も筋を違えたような。

 小さな計算ミスによって、問題の前提すべてが崩れて行っているような。

 いや、そんなことは、とっくに気付いていた。

 ただ余裕ができただけだ。自分の間違い、齟齬について思案し、修正しようと思えるだけの、心の余裕が。

 

「……彼のお陰、なのかな」

 

 愚直で情熱的な彼の勇姿に感化された、のだろうか。

 らしくない。けれど彼の勇猛さと、激しい正道は、あまりにも眩しかった。

 それは、事実だ。

 そしてその輝きに影響される可能性も、否定できない。

 今まで、水早霜という少年を救ったのは、様々な光、輝き――太陽、なのだから。

 

「まあ君は太陽と呼ぶには、小さいけれど、苛烈すぎるような気がするけど」

「あ? あんだって?」

「なんでもないよ。それより、急に立ち止まってどうしたんだい」

 

 霜はヤマネに追いついた。というのも、途中で彼が足を止めたからだ。

 ヤマネはキョロキョロと視線をあちらこちらに向けている。どこを向いても、鬱蒼と茂る樹木だというのに。

 

「いや、なんかよぉ……聞こえた気がしてな」

「聞こえたって、なにが?」

「なんか」

「なんかって……」

 

 酷く曖昧だった。

 しかしなにか物音が聞こえた、という事実は検討するべきだろうと、霜も耳を澄ませてみる。

 鳥の鳴き声すら聞こえない。聞こえるのは、木々のざわめきだけ。

 特に足を止めるような音などない、と思ったが、

 

(……? なんだ、この匂い……甘い……)

 

 聴覚情報の代わりに、霜の嗅覚がなにかを捉えた。

 微かに鼻孔をくすぐる、土や青さの混じった、仄かに甘い香。

 植物、のようだが、これは……

 

(玉蜀黍(とうもろこし)の、匂い……?)

 

 それも、焼いたり蒸したような調理の匂いではない。素のままの玉蜀黍畑の匂いが、微かに漂ってくる。

 あり得ない。ここは山だ、玉蜀黍を育てられるような環境ではない。それ以前に、今は真冬、夏の植物が生育できるはずがない。

 霜がその異常を認識した瞬間、ヤマネが駆けた。

 

「聞こえた! こっちだ!」

「ヤマネ! 待て!」

 

 しかし霜の制止も聞かず、ヤマネは道から外れて駆け出してしまう。

 止めようとしても聞かないのは明らか。霜はヤマネの後を追う。

 手入れされてない不安定な足場で、必死に彼を追いかける。見失いそうになる小さな背中を逃さず、ひた走る。

 やがて、霜の目にも見えた。

 少女だ。小柄で、美しいほどに真っ白い髪の少女。

 ――確か文化祭で少し姿を見た気がする。彼女も、【不思議の国の住人】なのか?

 少女は涙目で、震えていた。その視線の先には、女。

 伸ばしっぱなしの緑髪。一枚布を引っかけただけのような簡素なワンピース1枚。そして驚くことに、小さな山とはいえ、彼女は裸足だった。

 この真冬の季節でおよそあり得ない格好の女は、超然とした眼で小さな少女を見つめ、躙り寄っている。

 

「や、やだ……こないで……!」

 

 少女は怯えた目で、女から後ずさっている。

 女は悠然と、自然な足取りで彼女へと歩み寄る。

 ――襲われているのか?

 雰囲気的には、そう見える。しかし情報があまりにも欠落している。現状では即決するだけの判断材料はない、が。

 

「ユニ子!」

 

 そこに、弾丸のように飛び出す、火鼠が一匹。

 ヤマネだった。

 彼はこぶしを握り締め、女目掛けて一直線に、それを振りかぶる。

 

「てめぇ! 人のマイメンになにしてんだおらぁ!」

 

 そして、少年の拳は振り下ろされる。

 容赦なく女の顔面にめり込む。小さな拳と言えど、全力疾走の速度のまま、全体重が乗った鉄拳だ。女はそのまま後ろに倒れ込む――

 

「っ!?」

 

 ――ことは、なかった。

 女は、ガシッ、とヤマネの手首を掴む。

 そしてそのまま、力任せに彼を地面へと叩き付けた。

 

「がっ、は……ぁっ!?」

 

 肺の空気がすべて押し出される。潰された鼠のような嗚咽が漏れる。

 続けざまに、ヤマネは蹴り飛ばされる。

 裸足の女とは思えないほどの蹴撃。ヤマネは簡単に吹っ飛ばされてしまう。

 幸か不幸か、追いかけてきた霜の方へと蹴り出されたので、尻餅をつきながらも、受け止めることができた。

 

「っ、んだよあの女、クソ馬鹿力かよ……!」

「大丈夫かい?」

「あぁ、大丈夫だ。サンキュー、ソウ。それよりユニ子が……!」

 

 状況はよくわからないが、あの少女はヤマネの仲間で、襲われている、のだろうか。

 女の方は、口では表現しがたいが、危険な空気を感じる。

 真冬の山中で原始人のような格好をしていながら、一切寒さを感じさせない立ち振る舞いもそうだが、そんな表面的なこと以前に、もっと根本的なおかしさを感じる。

 たとえば、帽子屋に近いような、恐ろしいなにかを。

 

「『眠りネズミ』……それに、そっちの彼は……」

 

 女の視線がこちらに向く。

 動きはゆったりしているが、超然とした眼が恐怖心を煽る。

 ……怖い?

 ただ、向かい合っているだけで、怖いだなんて。

 何者なのか。疑念と、焦燥と、恐怖が、霜の中で募っていく。

 

「……それは私に課せられた役目ではないのだけれど、でも、私の縄張り(テリトリー)に入ってしまったのだもの。仕方のないことよ」

「なにがしかたねーだゴリラ女! いいからとっととユニ子から離れやがれ!」

 

 また、ヤマネが突貫する。

 小さな拳を振り回す。

 女は避けない。

 真正面から、彼の拳を受ける。

 

「あぁ、弱いわ。あなた、自分が鼠である自覚は無いのかしら」

「あん!?」

「鼠が獅子に勝てる道理はないもの。弁えなさい」

 

 ひゅんっ、と空を切る音。

 次の瞬間には、ヤマネの腹に、女の拳がめり込んでいた。

 

「が……っ!?」

「大きな力を正しく使う。強さというのは、ただそれだけのこと」

 

 そのまま、ヤマネは地面に叩き付けられ、転がっていく。

 

「あなたの力は正しいわ。その滾る情熱の使い方は、あなたの生き様そのもの。けれど、その小さな力の使い方としては間違い。鼠は鼠として生きなさい。それがあなたのあるべき姿」

「なに、わけわかんねぇ、ことを……! 僕の人生(スタイル)を、てめーが語ってんじゃねーよタコ!」

 

 ふらふらと、ヤマネは立ち上がる。

 子供のわりに存外に頑丈だが、流石に無茶だ。

 彼の性格からして、こうなることはわかっていた。無茶なことも通すだろうと予想もできた。

 だから、だから。

 霜も、動いていた。

 

「ヤマネ! こっちだ!」

 

 少女を抱き上げる。そして、ヤマネに呼びかける。

 彼が振り返ったと同時に、霜は踵を返して駆け出そうとする。

 

「ソウ……!」

「君も走れ! あれはまずい!」

「けどよ!」

「ここで誰ともわからない奴を殴ることが君の目的じゃないだろ!」

 

 あの女が何者かはわからないが、今ここで戦う理由があるのか。

 彼にとって大事なことは、そうではないはずだ。

 

「会いたい人がいるんだろ! なら、君が目指すべき道はそっちだ! ここじゃない!」

「ぐ……!」

「この子はボクが運ぶ! だから君も来い!」

「……クソ! わーったよ!」

 

 ヤマネは女を流し目で睨みながら、少女を抱きかかえる霜の後を追った。

 女はその場から動かなかった。

 ジッと、走り去る少年達の後ろ姿を見つめている。

 

「……逃げられてしまったわ。いいけど。本来、私は狩人ではないから」

 

 彼女は、近くの木に触れる。そっと、手を添えるように。

 

「それに、あちらにはミネルヴァがいる。私は私の役割をこなすだけ。今は、自分の王国を築きましょう」

 

 ぐじゅぐじゅと。

 触れた木が黒く染まっていく。

 そこはもう、不思議の国ではなく。

 黒い仔山羊が跋扈する、漆黒の森(ゴーツウッド)

 

「縄張りを移すだなんて、よほどのことだけれど、こちらの方が彼女にとって都合がいいのも事実。故にここが、この星の祭祀場」

 

 女は黒く塗り潰された樹木から手を離すと、霜たちが走り去っていった方角とは、逆方向へと足を向けた。

 そこに、玉蜀黍畑の香を、残して。




 あとがきってなにを書けばいいんでしょう。ネタが尽きました。


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48話「国盗りです Ⅲ」

 残り3つの王国の情報が欲しいと思う作者です。


 慣れない野山をひた走る。木の根に足を取られそうになりながら、斜面に転げそうになりながら。木の枝に服を引っかけられることも厭わず、霜は少女を抱えて疾走する。知らない場所、右も左もわからずデタラメに駆け、あの緑の女から逃げる。

 ――追いつかれていない?

 後ろを振り返る余裕などないが、追われている感覚もない。足音は、自分のものと、ヤマネのもの。恐らく2つだけ。

 上手く撒けたのなら、それでいい。

 しかし霜には嫌な予感があった。

 もし彼女があえて追っていないのだとすれば?

 彼女が追いかけていない理由があるとすれば、それは、追う必要がないから。

 つまり、

 

 

 

「足を止めよ、衆愚共」

 

 

 

 その声に、霜は思わず足を止めてしまう。いや、止めざるを得ない。

 待ち構えるようにして霜の進行方向に立ち塞がるのは、真っ白な総髪を流した、美麗な面持ちの男。手には細身の刀剣を携えており、現世から浮いたような歪さがあった。

 銃刀法をものともしない威風堂々とした佇まい。男は険しい眼差しで、霜たちを睨み付けている。

 

(……やっぱり、仲間がいたか)

 

 連中の目的は不明だが、確かな敵意は感じられる。

 クリーチャーの類か。しかし、明確に個人として敵意を向けられるというのは、些か腑に落ちないが……

 

「水早霜、眠りネズミ、そしてユニコーン」

 

 男は剣の切っ先で、2人を順番に指し示す。

 

「酷く難儀な組み合わせだ。片やメルの獲物、片や姫の寵愛を受けし者。貴様らに私の刃を向けることは、義理と主命に反する行いであろう」

「……んだよ、てめーは」

「母君の意志により、貴様らを裁く者。名をミネルヴァ・ウェヌス。【死星団(シュッベ=ミグ)】の長子、Ⅰ等星(モノステラ)である」

 

 ――【死星団】? ミネルヴァ?

 不思議の国、ではない。しかしクリーチャーとも違うのだろうか。

 それに、自分達を裁く、とは。

 

「眠りネズミ、ユニコーン、貴様らはともかくだ。水早霜」

「っ! ……なんだ」

「貴様は姫の御心を、凍てつく刃で切りつけた大罪人。貴様が背負う罪は、重い」

「どういう……ことだ?」

「自覚もないか。愚かなり。ますますもって度し難い」

 

 ミネルヴァの視線がどんどん険しくなる。

 今にも手元の白刃を突き込んでくるのではないか、というほどに殺気を放っている。

 ……まずい。

 先の女が追いかけてきていないにせよ、今度はこの男から逃げなければならない。しかし、そう易々と逃がしてくれるようにも思えない。

 少女を抱えたまま、慣れない地で少年2人。そもそも相手は、人間ではないかもしれない。

 逃げ切れるのだろうか。

 逃げられないならどうするべきなのか。

 自分が囮になる……いや、こんなところで終われない。まだやるべきことがある。果たすべき義理と義務がある。導くべき回答がある。

 かといって、ヤマネや少女を囮とするなんてのも、論外だ。彼らを見捨ててこの場を切り抜けたとして、それでどうなる。

 他者を蹴落としてまで得た自由に、どれほどの価値があろうか。

 答えが決まらない。その間にも、少しずつ、男は距離を詰めていく。

 

「あー……よくわかんねーけど、なんかムカつくなてめぇ」

 

 霜は動けないでいると。

 ヤマネが、前に出た。

 

「いきなり現れてなんだてめーは。人のダチにぐちゃぐちゃ文句言ってんじゃねーぞ!」

「退け、眠りネズミ。貴様に刃を向けることを、姫は望んでいない。できることなら、貴様とは穏便に事を為したいところだ」

「うっせーボケ! 僕はてめーのことなんざ知らねーんだよタコ!」

「……姫の温情を拒むというのであれば、母君の意志に従い、貴様も我らが元へ還すことになるが」

「わっかんねーことをごちゃごちゃとよぉ。要するにてめーは僕らの敵だろ? なら話は簡単だ」

 

 コキコキと指を鳴らしながら、眠りネズミは眠そうな瞼を無理やり押し上げ、キッとミネルヴァを睨み付ける。

 

「ここでぶっ飛ばして押し通ってやんよ! かかって来やがれ白髪野郎!」

「ヤマネ……!」

 

 即断即決。その決断力は評価に値する、が。

 それはあまりにも短絡的すぎる。

 ここで未知なる男に挑んで、どうなるともわからないというのに。

 霜の制止も振り切って、ヤマネは男に飛びかかる。

 男も握った剣を振り切り、迎え撃つ。

 ――が、その時だ。

 

 大木が、2人の間に落ちてくる。

 

「うぉ!?」

「っ!」

 

 2人は咄嗟に跳び退る。

 そして大木が倒れた方を見遣る。

 

「我らが国土を土足で踏み荒らし、民への狼藉……これは宣戦布告か? 王のいない国へ戦争とは、矜持もない滑稽なことよな」

「貴様は……」

「公爵夫人!? てめーなんでこんなところに!?」

「儂が居残っていることが不思議か? 眠りネズミ」

「いや……そうじゃなくて、なんつーかよ。おめーが僕らに手を貸すマネとか珍しくね?」

「手を貸す? 勘違いするな」

 

 ふんっ、と鼻を鳴らして、公爵夫人は蔑むような視線でヤマネを見下ろす。

 

「貴様らでは此奴を相手取ることはできん。雑魚が群がっても邪魔だ、とっとと失せよ」

「あぁん!? んだとゴラ!」

「眠気を抑えてふらついているような腑抜けが咆えよる。いいから消えよ。その足で歩けぬというのなら」

 

 スッ、と。

 公爵夫人は一瞬でヤマネとの距離を詰める。

 そして、トンッ、と彼の額を押し、さらに足を払った。

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!? 公爵夫人てめぇぇぇぇぇぇぇ!」

 

 容易く重心を崩され、足払いまで受けたヤマネは、ゴロゴロゴロと山の斜面を転がっていく。

 

「あぁっ! ヤマネ!」

「貴様も邪魔だ人間。ユニコーンを連れ、疾く失せよ」

「……わかってる! ヤマネ!」

 

 霜は転がり落ちていくヤマネを追いかけようと、踵を返す。

 その時。

 無言のまま、ミネルヴァの剣が霜に迫る。

 しかし公爵夫人が割り込み、黒く膨れた肉塊で白刃を受ける。

 ドクドクと、黒い粘性のある液体が零れ落ちる。

 

「っ……!」

 

 人間ではない者の、人ならざる姿の発露。

 その片鱗を垣間見た。ぞわりと、霜の背筋に怖気が走る。

 その醜い肉塊に、正気を疑いそうになる。

 

「女子供から刃を向けるか。儂は相手にできんと?」

「逃亡は許さん。たとえ小さき者だとしてもだ」

「ふん。残党狩りか。つまらんことをする」

 

 ぐじゅぐじゅと、公爵夫人の腕が黒く膨らみ、触腕となりミネルヴァを弾き飛ばす。

 そして公爵夫人は、後ろ手で霜に向けてなにかを投げた。

 霜は少女を抱えて両腕が塞がっているので、それは少女の胸へとぽとりと落ちる。

 

「これは……」

「何度も言わせるな、失せろ人間。ここは我らの国だ。貴様のような者が軽々しく足を踏み入れていい場所ではない」

「……あぁ。ごめん」

「わかったら消えろ。目障りだ」

 

 その言葉を最後に、霜は公爵夫人にこの場を任せて、転がり落ちたヤマネの後を追い山を下りていく。

 

「……この場を逃れたとて、意味はない。我らは貴様らの所在を見通している。逃げられると思うな」

「味のある負け惜しみだな。感嘆するほどに弱者の遺言だ」

 

 ミネルヴァは公爵夫人の挑発に一瞬、眉を動かすも、静かに息を吐いて剣を収める。

 そして、まっすぐに彼女と向き合った。

 

「我が身を呈する貴様の献身は評価する。公爵夫人、貴様の行い、無意味とはいえ賛美してもいい」

「ほざけ。儂は奴らを庇った覚えもなければ、献身でもない。儂は女王を殺す、そのためならば手段は選ばん。それだけのことだ」

「そうか。反逆の徒、公爵夫人。その一点において、貴様はこの上ない咎を背負っている。なればやはり、裁く他あるまい」

「……貴様、なにが目的だ? 我らの国を襲い、民を襲い、なにがしたい? 我らの同胞のようだが、貴様からは帽子屋と同じ匂いがする」

 

 一目見た瞬間から理解した。この男は、自分達の同胞であると。

 しかし、純度が違う。女王の落し子として、性質が薄まってきている公爵夫人や、他の者とは違う、高純度の権能()

 公爵夫人の見立てでは、男の存在は帽子屋のそれに近い。原初の男、一番最初に産み落とされた落し子、帽子屋に。彼とも、またなにかが違うようだが。

 つまり、国を統べるだけの力を持つ、純粋な眷属にして、王の資質を持つ者。

 そんなものが今になって姿を現す意味とは。彼らの目的とは。

 ヤングオイスターズから、ここ最近、逃亡した住人達が狩られているという情報は得ている。それと関係することなのか。

 

「そこまで見破るか、公爵夫人。やはり貴様は、違うな」

「世辞など要らぬ。答えろ下郎」

「……我々は母君の意志、そして姫の願いによって動いている」

「姫君……?」

 

 母君とは、女王のことだろう。

 しかし姫とは。その願いというのは、一体……

 

「……代用ウミガメか」

 

 女王の封印を解き、女王と共に消えた住人、代用ウミガメ。

 今も彼女が女王と共にあることは予想に難くない。だとすれば……

 

「そうか……これは、代用ウミガメの意志か」

 

 公爵夫人は、嘆息する。

 

「厳密には、女王の意志が混じった、混沌なる願いなのだろうがな。合点が行った。残った住人や、かの人間なぞに執着する理由、そして貴様らの“混ざり物”の原因もな。そうか、代用ウミガメの意志がまだ生きているのであれば、そういうこともあろうな」

「理解したとて意味はない。姫の慈悲だ、殺しはしない。だが、母の元へと還って貰おうか、公爵夫人」

「断る。儂は女王を殺す者。女王の呪縛から逃れ、自由を得るために、醜き我が身を削り取る醜女の徒だ。女王の元に帰ることがあるとするなら、その腹を食い破る時だ」

 

 公爵夫人の肌が、黒く溶けていく。

 人の姿を放棄し、殺意と害意に塗れた、醜い姿を曝け出す。

 

「無論、女王に与する貴様も殺す。貴様の仲間も殺す。儂の身を縛る愚鈍で悪辣なすべてを殺し尽そうぞ」

「私は貴様を殺さない。貴様の仲間も殺さない。ただ貴様らを、月の光も届かぬ我が牢獄へと閉ざそう」

 

 ミネルヴァは、再び剣を抜く。

 しかしそれは公爵夫人に向けられることなく、天高く掲げられる。

 

「これは母君への奉仕。そして姫の慈愛だ――受け取れ、公爵夫人」

 

 そして。

 公爵夫人は、光の王国へと、閉ざされていく。




 不思議の国に突入すると思ったら下山してる。


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48話「国盗りです Ⅳ」

 めっちゃ短い。


 青の少女は、単身で屋敷に乗り込んでいた。

 既に不思議の国の領土すべては掌握している。山の構造も、屋敷の間取りも、誰がどこにいるのかも、すべて認知している。

 ほとんどの住人は蒐集した。屋敷から逃げ出した者共はミネルヴァとシリーズが狩っている。それでも何人か逃してしまったが、それは大きな問題ではない。

 この不思議の国という領土そのものが重要なのだ。今、シリーズがこの国を、母の、女王のための王国に作り替えている最中。それが完了すれば、あとは必要なものを引っ越すだけ。

 母を覚醒させるために必要な土壌を作り、土台さえ固めてしまえば、散った残党を刈り尽くす程度は造作もない。片手間の仕事でできることだ。

 とはいえ、少女からすれば、それは少々物足りない。

 単調な作業で目的を為せるのなら、効率の面でそれは悪くないのだが、もっと効果的で刺激的なものはないか。

 そんなことを頭の片隅で浮かべながら、彼女は見つけた。

 

「おや? おやおやおやぁ?」

 

 廃棄されたゴミのように、打ち捨てられた残骸のように、見捨てられた亡者のように、それはベッドの上に横たわっていた。

 辛うじて人の形はしているが、それはおよそ人の姿をしていなかった。

 肌は黒く溶け、気泡のように膨らんでいる。腕も脚も海藻のように広がり、伸びきっており、だらんと垂れている。

 身体はふやけ、そわくちゃになり、纏うはドロドロの黒泥そのもの。

 辛うじて人間としての貌だけを残し、“彼女”は苦悶の呻きをあげる。

 

「ァ……ゥ、ァァ……」

「これは、ヤングオイスターズの長女さんなのです。これはまあ随分と、ご立派になったものなのです」

 

 若垣綾波(アヤハ)、真の名を『ヤングオイスターズ』、その長女。

 その姿は、ほとんど人間としての性質が剥げ落ち、落し子(Dark Sargasso)のそれへと戻っていた。

 重病人のようにベッドに寝かされているところを見るに、ヤングオイスターズたちはギリギリまで彼女の看護をしていたのだろう。自分自身でもある長女に生きていて欲しいと願い、最後まで救おうと努力していたのだろう。

 しかしここまで先祖返りが進行しているということは、恐らくその看護は無駄だった。精神的にギリギリだったヤングオイスターズの長女は、女王の起動と帽子屋の失踪、不思議の国の滅亡によって遂に精神が崩壊し、人間としての姿を保てなくなった――いや、それだけではない。

 

(それ以前に寿命だった、と考えるべきなのですね。ヤングオイスターズとは若牡蠣、一定の若さを超えたら存在を保てないということだったはずなのです)

 

 寿命が迫ったことによる存在そのものの限界、そこに精神的な強い衝撃が重なり、心身共に潰れてしまった結果が、これなのだろう。

 展望のない未来。希望のない国。耐えられない苦痛。救いのない生。

 それを味わった瞬間、ヤングオイスターズは寿命と重なり潰れた。若さを失った。

 若いとはなにか、ということはなにか。年齢で区切りをつけるのは簡単で確実だが、実際のところ、それは曖昧な線引きをわかりやすく簡略化したにすぎない。若さなどというものは、どう定義しようが、曖昧なものである。それが事実だ。

 指標として“未来への希望”が、若さの根源のひとつなのだと仮定しよう。老い先短い、という言葉の逆相として、若いとは遥か長き未来を考えること。

 その未来を考えることができない。考えるべき未来が黒く塗り潰された。そう感じた瞬間、そうだと信じた瞬間、若さという概念は喪失する。

 未来がないということの絶望が、どれほどのものか。それは、寿命を迎え、存在自体が消えかかっている目の前の若牡蠣――若さは喪っているが――を見れば、一目瞭然だ。

 

「回収するまでもなく壊れちゃったのですか。これはこれは、残念なのです。流石にこんなゴミ拾っても、お姫さまとしても困っちゃうの――」

 

 と、言いかけたところで。

 少女は閃いた。

 

「――うふふっ。メルちゃん、ピコーンと来ちゃったのです!」

 

 少女はヤングオイスターズへと顔を近づける。ヤングオイスターズからは、化生のような呻き声が聞こえるだけで、こちらを認識しているのかすら怪しい。

 しかしそんなものはどうでもいいのだ。消えていないのなら、それで十分。

 十分――“利用価値がある”。

 

「未来がないなんてとんでもないのです。あなたにはまだ、先があるのですよ、ヤングオイスターズさん」

 

 少女の顔が、笑に歪む。

 子供が大好きな玩具を見つけたような貌で、笑う。

 

「安心するのです。あなたはあたしが、しっかりと“再利用”してあげるのです――」




 メルちゃんがまた邪悪です。


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48話「国盗りです Ⅴ」

 実子と帽子屋の問答。絵面だけ見ると犯罪。


「帰ったぞ、実子」

「おかえりー、帽子屋さん」

 

 香取家の門扉が開かれ、帽子屋が敷居を跨ぐ。

 最初は帽子屋の同居に顔をしかめた実子だったが、深く気にしないことにした。

 いや、気にしない、なんて不可能なことだが。

 しかし帽子屋を追い出すのも、どうかと思う自分がいる。

 彼が嫌いなわけではない。因縁はあるが、決して悪いものなだけではなかった。

 小鈴たちと敵対していた。彼が引いた引き金で、小鈴と自分は決別したようなものでもある。

 だが……なんだろうか。

 彼個人を嫌いになるというのは、なにかが違う。

 好きになるというほど積極的ではないが、なにか思うところがある。

 それは彼が言う、自分と彼らの、寄生虫のような生き様が似ているからなのか。

 

「……うーん」

「考え事か?」

「まあ……そうだねぇ。これからどうしようかなぁ、って」

 

 小鈴に会いに行こうかと思っていたが、帽子屋という不思議な同居人の登場で意識が逸らされてしまった。

 小鈴との縁を取り戻したいのも事実だが、この男をどうしたものか。

 どうにも方向性が定まらない。理路整然とせず、ぐちゃぐちゃと混沌としている。

 ――水早君なら、こういう時でも合理的に物事を進めるのかな。

 ふとそんな考えがよぎるが、すぐに振り払う。彼のことはあまり思い出したくなかった。

 

「ところで実子、飯はまだか?」

「ご飯は昨日食べたでしょおじいちゃん」

「毎日喰わせないのか」

「食べてもお腹から出て来るじゃん。私は昨日で学んだよ。中学生に介護は早い」

「ならば仕方あるまい。風呂だな」

「お風呂もやめてよ。帽子屋さんが入った後、なんか明らかにヤバそうな黒いの浮いてるんだもん。あれ下水に流していいものなの? 浄水場で処理できるもの?」

「まあオレ様の身体の一部というか、黒い仔山羊の肉片だからな。最悪、並の人類なら発狂ものだろう」

「私もう帽子屋さんの後にお風呂入りたくないんだけど」

「バタつきパンチョウだか三月ウサギだかから聞いたことがある。父親(パパ)の後に風呂に入りたくない、という奴か。思春期の娘特有の感性だと聞くぞ」

「そりゃ私は思春期真っ盛りの娘だけど、それ以前に普通にキモいよ。湯船に黒い肉片が浮いてるとか。お風呂掃除とかも帽子屋さんがやってよ」

「仮にも一国の王であったこのオレ様を顎で使うとは……不思議の国でも、そんなことができたのは、公爵夫人やヤングオイスターズ、ハンプティ・ダンプティ、虫けら共に三月ウサギ、眠りネズミにバンダースナッチに……」

「結構多いね! 帽子屋さん、舐められてない?」

「そんなことより実子」

「なに?」

「タワシはどこだ?」

「そんなにお風呂掃除やる気なの!?」

「とりあえず適当なものを使っていいか」

「ダメだよ! ナイロンのやつだと傷がつくから、アクリルのやつ使って。棚にあるから」

「心得た」

 

 帽子屋は立ち上がり、風呂場へと向かっていく。本当に風呂掃除に行くつもりなのか。王を自称する男が、女子中学生の不満一つで本当に風呂掃除をするのか。正気か? いや、狂気だ。

 そんな狂った背中を、実子は引き留める。

 

「……帽子屋さん」

「なんだ」

「なんか悩んでる?」

「その回答はいつだって、わからない、だ」

 

 帽子屋は実子の問いかけをぬるりと躱す。鬱陶しそうに、億劫そうに、言葉を紡いで口を噤む。

 

「オレ様に自己分析を求めるな。1億5000万の長命で、なにもかもが擦り切れているのだぞ。自分のことを思考できるだけの正気など、あるはずがない。そんなものはとうに消え失せた。悩みと言うのならば、それが悩みかもしれんがな」

 

 身体は動く。自我もある。しかしそれは、悠久の時を経て劣化し、擦り切れた枯木の魂だ。

 帽子屋は、もはや自分自身のことさえわからない。誰も、今の彼の精神状態を理解することなど不可能。

 そう、帽子屋は、突き放す。が、

 

「それ、自分でものを考えたくない言い訳じゃない?」

 

 実子は臆さず切り返す。

 どことなく苛立ちを含んだ語調で、現実を暴き出す。

 

「帽子屋さんって責任感強いわりには、無責任になりたがるよね。そうやって煙に巻いてさ」

「矛盾だな」

「矛盾だよ。帽子屋さん、そういう人でしょ」

「否定はできんな」

「まあ別に、言いたくないことを無理に聞きだそうってつもりはないんだけどさ」

 

 などと言いつつも、実子は帽子屋を煽るように、告げる。

 

「自分が馬鹿であることを隠れ蓑にしてシラを切り続けるのは、流石に無理があるよ。ボケた振りの下手なおじいちゃん」

「……よく見ている」

「これでも人を見る目はあるつもりだよ。ずっと周りを見ながら生きてきたからね」

 

 それは帽子屋の生きた年数と比べれば、一瞬の時間だろうが。

 幼い若子の積み重ねた時間としては、ひたすらに濃密な、蓄積された経験だ。

 他者に依存し、他者を拠所にし、他者に寄生して生きることを望んだ実子には、【不思議の国の住人】のような狂信の曇りもない。

 その眼は、帽子屋のあるがままを映し出す。

 

「楽して生きていきたいのは私もわかる。私だって、自分で考えるのが嫌で、今まで誰かに寄りかかってきたんだ。それが悪いとは言わないけどさ、そうやって言い訳して誤魔化すのは、見苦しいよ」

「見苦しいのはお互い様だと思うがな。とはいえ、オレ様自身、自分自身のことがわからないというのは事実だ」

 

 帽子屋は、観念したように目を伏せる。

 その虚無な、しかし悲哀と悲嘆に満ちた瞳を隠す帽子は、ここにはない。

 他の誰にも見せない、イカレ帽子屋の“弱さ”を、曝け出す。

 

「民を導くという使命は女王の目覚めにより潰えた。ならば苦しまぬ終わりを迎えようと思ったが、それも拒まれた。オレ様がすべきことはなんだ、どのようなマニュフェストを掲げればいい? なにが民のためになる? オレ様は、王として、不思議の国で生きた1人の落し子として、どうすればいいのだ?」

 

 帽子屋は、誰にも答えられない問いかけを氾濫させる。

 自分自身が、わからない。

 どうすればいいのかが、わからない。

 それは王として致命的だ。

 故に帽子屋は、慟哭する。

 

 

 

「オレ様には、民の気持ちがわからんよ。実子」

 

 

 

 それは心からの嘆き。

 今にも崩れ落ちそうな心と身体で、帽子屋は己が弱さをすべて曝け出す。

 

「……帽子屋さんでも、泣き言って言うんだね」

「貴様がどう誘導したのだろうが」

「いや……泣かすつもりはなかったよ。別に泣いてないけど。帽子屋さんって、いつだって飄々としてるし、体裁とか保つ方だと思ってたし……」

「いつだって泣きたくなるような生を送ってきたよ、オレ様は。だが民の前ではこんな情けない姿は晒さん、王だからな。しかし貴様は同盟相手、このくらいは許せ」

「同盟なんて結んだっけ?」

「まあそういうことにしておけ。形など、どうでもいいことだ」

「同盟って言ったら、【不思議の国の住人】だっけ? あなたたちのグループの方がそれっぽくない?」

「あれはオレ様の国だ。たとえば、眠りネズミやバタつきパンチョウはオレ様を友として見ていたようだがな、しかし不思議の国の王たるオレ様にとって、奴らはすべてオレ様が支配する臣民に他ならない。オレ様が上に立ち、奴らはその配下。統べるべき対象を相手に無様を晒すのも下策というもの」

 

 だから、弱音は漏らさないし、弱みも見せない。それが王として君臨するものの矜持であり、責務だから。

 

「だが貴様は、オレ様に宿と飯を提供し、共闘関係を結び、互いに利用し合う同盟。いいや、盟友ということにしよう。そう、友だ」

「帽子屋さんと友達……ぜんっぜん感慨も実感も湧かないんだけど」

「奇遇だな、オレ様もだ。民ではない者であり、敵対者でもなく、それでいて友好的な関係を結ぶ相手など、今までいなかったからな。貴様のような存在をどう定義すればいいのかわからんが、しかし、恐らくは」

 

 一呼吸置いて、帽子屋は実子を見据える。

 貌を覆う帽子はなく、なにも隠さず、真正面から、まっすぐに。

 

「こういうものを、友、と呼ぶのだろう?」

 

 照れもせずに言い放つ。

 気恥ずかしいというより、唖然とする。彼がこのようなことを、自分に向けて言うだなんて、と。

 

「友ならば、弱音も愚痴も吐き出すというもの。あぁそうだ、白状するとも。どうすればいいのかてんでわからぬ。民の心も、この先の未来も、なにもかも。泣き崩れそうなほどにな」

 

 涙なぞ、とうの昔に枯れ果てた。

 しかしもし、その身が枯木ならざる大木であるのなら。

 一雫くらいは、流れ落ちていたのかもしれない。

 

「なぁ、実子」

 

 帽子屋は、実子に問いかける。

 自分にとっては、ほんの一瞬の煌めき程度しか生きていないような、年端もいかぬ小娘に、泣きつく。

 

「オレ様は、どうすればいいのだ?」

 

 恥も外聞もなく、縋るように声を絞り出す。

 しかし、

 

「私に聞かないでよ。知らないよ、そんなの。むしろ、私が聞きたいよ、帽子屋さん」

 

 実子は縋る帽子屋の手を取らない。

 しかし彼女もまた、帽子屋に手を伸ばす。

 

「私は、どうすればいいの?」

 

 不安げな、震える幼い少女として。

 しかし、

 

「そんなもの、オレ様の知ったことではない」

 

 帽子屋もまた、その手を振り払う。

 互いに弱音を吐き出し、助けを乞うてなお、手を取り合わない。

 2人は互いに、睨むように見合わせる。

 

「…………」

「…………」

「……不毛だ」

「不毛だな」

 

 なにをしているのだろうと、我に返る。

 協力関係かもしれない、相互利用する関係かもしれない。しかし、共生関係ではないのだ。

 弱音を吐いたところで、すくい上げてくれるような仲ではない。

 

「しかし貴様はすべきことが決まっているのではないのか? マジカル・ベルと復縁するのだろう?」

「んー、そうなんだけどさ」

 

 実子のしたいことは、単純明快。

 自分が楽に生きるための、苦しまずに生きるための、拠所。

 それを取り戻すこと、なのだが。

 

「別に私だって、小鈴ちゃんを傷つけたいわけじゃない。小鈴ちゃんを悪いようにしたいわけじゃないし、そんなつもりはなかった」

 

 しかし、言われてしまった。

 彼に。自分の在り方の邪悪さを、暴かれてしまった。

 

「だけど水早君にあんなこと言われちゃってさ。思うところがない、わけじゃあないんだよね」

「そうなのか? 怒りこそすれ傷心するような精神性など持ち合わせていないと思っていたが」

「そりゃあね。これでも小学生の頃は優等生だったし、小鈴ちゃんと喧嘩するまではそうだった。キャラ作ってから、あの子に依存しちゃってたけれど、私はそんな自己中心的なつもりはないよ。こんなんでも、人の社会に生きてるんだもん。倫理も道徳もあるよ」

「そんな社会秩序の部品のために、貴様は利己性を晒すことに足踏みしているというわけか。人でなしのオレ様にはよくわからん感覚だ」

「誰だって悪い人になりたいわけじゃない。世間様は悪人には厳しいからね」

「合理性も兼ねているわけだな」

「うん、だからかなぁ」

 

 実子は、ぼぅっと遠くを見遣る。

 ここにはいない彼女を想いながら。

 

「もし私が小鈴ちゃんをダメにしちゃったら、それは私の望むところじゃない。私は、腐った身体に寄生したいとは思わない。どうせ甘い蜜を吸うなら、綺麗な宿主がいい。至極当然の道理だよ」

「……そうさな」

 

 歓楽ばかりではない。衝動だけではない。

 理屈も、合理も、彼女にはある。

 

「ふむ……オレ様を(ダチ)と呼んだ民ならば、きっとこう言うのだろうな」

 

 帽子屋は思い出すように言った。

 怒りを爆発させ、最後までこの枯木に噛みついてきた、民の言葉。

 

手前(てめー)のしたいようにすればいいんだ、と」

「簡単に言ってくれるなぁ」

「言うのは簡単だからな。行動を起こすのはどうしたって当人だ。そこまでは責任は持てんさ」

「まあ、そうだけど」

「加えて言うのであれば」

 

 さらに、帽子屋。

 

「貴様の表層に現れる意志と、深層に沈む意志、どちらを旗印として掲げるか、ということでもある」

「……なにそれ?」

「オレ様が不思議の国で掲げた旗は『種の繁栄』。その裏に隠れた意味は『女王の無力化』であり『現人種への優越』であり『自種の生育』である」

「?」

 

 こいつはなにを言っているのだろう、と首を傾げる実子。

 そんなことなど構うことなく、帽子屋は自分勝手に続ける。

 

「何事も、表の意味と裏の意味がある。それらは表裏一体であり二律背反。矛盾しつつも同時顕現し、共存する歪なものだ。貴様の利己性と倫理観……いや、根幹的な指針そのものが、そうであろう」

「そう、なの?」

「誰かに依存して自我を持ちたくない、という自我がある」

「なにそれ、屁理屈みたいなんだけど」

「まあ聞け。善悪二元論で切り分けるなど愚かしいとしか思えんが、しかし実際のところ、そうやって個の中の性質を切り分けるからこそ善悪という区別ができるのであろう?」

「いや聞かれてもわからない……そんなこと、考えたこともない、けど」

 

 実子は考える。

 自分の中の善悪。そんなもの、考えたこともないが。

 ――水早君には散々、邪悪だのなんだのと言われたしなぁ。

 自律性のない生き様、他人に寄りかかる生き方。

 それが悪などと、言われてしまった。

 自覚はないが、それがそういうものなのだとすれば……

 

「……私の中に、善い心と悪い心が両方あるってこと?」

「それが社会的善性なのか、生物的悪性なのか、までは知らんがな」

 

 さて、と帽子屋は話を引き戻す。

 

「話が逸れたが、事を為したいのならば、なにを旗印にするかというのは重要だ。それにより、周囲の認知も変わるというもの」

「印象操作みたいな話だね」

「悪意的な捉え方だな、構わんが、オレ様は女王が心底鬱陶しいと思っていた。貴様ら人間も邪魔だと感じていた。劣勢な我らが種を呪ってもいた」

 

 だがな、と帽子屋は言う。

 強か意志を感じた。

 どれだけ弱音を吐こうとも、境遇を厭おうとも。

 そこに、確かな“力”があった。

 

「オレ様が掲げていた旗は、いつだって『種の繁栄』だ。一国の王として、民の幸福のみを目指していた。それは、事実だ」

 

 過去の話だがな、と帽子屋は肩を竦めた。

 

「この旗印をどのように解釈するかは自由だ。だが、女王への殺意や憎悪を秘めても、それを掲げなかった意味もあるだろう。公爵夫人にはぬるいと叱咤されていたが」

 

 それが、帽子屋が願っていた、起源。

 日陰身の存在だった。だからこそ、光を見ていた。

 生きながらにして絶望の淵。しかし彼らはいつだって、太陽が昇る空を、見上げていたのだろう。

 

「……帽子屋さんってさ」

 

 ふいに、口を突くように、実子は言葉を漏らす。

 

「そんな前向きな人だった?」

「……はて、どうだったかな」

「なんか小鈴ちゃんみたいなんだけど」

「黙れ。あの女と同じにするな。殺すぞ」

「うわ地雷だった!? っていうか、やっぱ前とちょっと雰囲気変わったよね帽子屋さん!」

 

 いきなり銃口を突きつける帽子屋に、実子は慌てて諸手を上げる。

 情緒が激しい。飄々とした空気だけではない、苛烈さ――言い換えれば、人間らしい激情が、目に見えて浮き上がっているような。

 

「やっぱ、なんだかんだで帽子屋さんって人のこと考えてるよね。王とか民とか小難しいこと言ってるけど、仲間思いだし」

「……そうか?」

「これは自覚ないのか照れてるだけなのか」

「む……」

「なによりもさ」

 

 突きつけられた銃を払い除ける。大人しく銃は退く。

 

「自分のためじゃなくて、仲間のために未来を作ろうとしてるんだもん。私には、そんなこと絶対できない」

 

 ――本当、小鈴ちゃんみたいだ。

 

 そう言ったら今度は本当に撃たれそうだから、言わないけど。

 

「帽子屋さんは、やり方が変に見えるけど、あなたの意志は間違ってないと思うよ」

 

 自分を利用して小鈴に近づいたこと、刺客を送り込んできたこと、罠に嵌めたこと、仲間を殺しに行ったこと。

 あらゆる行いが、失敗したり、裏目になったりしたのかもしれないが。

 最初にあった根本原理、原初の理想は、なにも間違っちゃいない。

 少なくとも実子は、そう想う。

 

「あなたが目指した根源そのものは、きっと正しい。ただ、どこかで歪んじゃっただけなんだよ」

「貴様もマジカル・ベルのようなことを……」

「あ、やっば。これも地雷だった?」

「構わん。貴様は許す」

 

 拳銃を懐に仕舞い込む。

 そして、長話を無言で切り上げ、風呂場へと向かう。

 本当にお風呂掃除するんだ……という実子の呆れた声を背に、独りごちる。

 

「……根源、か」

 

 自分が産まれた時。1億5000千万の過去。

 そんな昔のことは、ほとんど忘れてしまった。

 かつての精神性も、心も、既になくしている。

 

「だが、まあ……」

 

 少しくらい、振り返ってみるのも悪くない。

 それが不思議の国の礎になるのなら――




 シーンがブツ切りでちまちま入れやすいのが、細かく区切る更新のいいところですが、シーンがブツ切り過ぎて読者がついていきづらいのではないかという懸念が浮上。一話を長くするより区切った方が読みやすいかと思ったのに、あちらを立てればこちらが立たず。難しいもんです。
 とか言いつつ、次回は霜とヤマネのシーンに戻すと思います。


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48話「国盗りです Ⅵ」

 公爵夫人vsミネルヴァ。本当は描写するつもりはなかったけど、筆が乗ったので書きました。


 そこは荘厳で神聖な神殿であった。

 眩い白き光に包まれ、清廉さに満ちた潔白な世界。

 そこで行われる公爵夫人とミネルヴァの対戦は、静かだが、熾烈であった。

 互いに互いの動きを牽制しつつ、相手の隙を窺う、一触即発の空気。

 公爵夫人は《音奏 プーンギ》を、ミネルヴァは《奇石 ミクセル》をそれぞれ立て、間合を測り続けている。

 如何にして相手の懐に入り、斬り殺せるか、轢き殺せるか。

 息の詰まるような睨み合いだ。

 

「……暗天の(ソラ)に、星が輝けり」

 

 ミネルヴァは1枚のカードを翳す。

 輝ける宙に、暗き世界に、それを掲げる。

 

「此なるは我らを導く道標。月の海に描け、星なる海図を。宇宙の航路を示せ、黒く輝ける星図よ」

 

 それは一筋の光となり、軌跡を描き、星となりて戦場の空に点描される。

 

「ギャラクシールド起動――astrolabe(星を描け)

 

 シールドに、新たなカードが刻まれた。

 白く、紅く、昏く、輝ける星の光。

 

「我が正義は燃ゆる。《「純愛の紅(ピュアラブ・クリムゾン)」》。その能力で、《プーンギ》をタップ。フリーズだ、アンタップ不可とする」

「ふん、小賢しいことを。儂のターン。こちらも《ミクセル》を召喚する」

 

 攻撃を封じた返しに、公爵夫人も《ミクセル》を召喚。

 ギャラクシールドは時間差で大型クリーチャーを早期に呼び出す能力。その性質上、マナコストを参照する踏み倒しメタには滅法弱い。

 メタを張り、メタを張られ、さらにカウンターでメタを張り返す。

 互いに場を制し合う、ひりついた空気で満ちていた。

 

 

 

ターン3

 

 

ミネルヴァ

場:《ミクセル》

盾:6(《「純愛の紅」》)

マナ:3

手札:2

墓地:0

山札:28

 

公爵夫人

場:《プーンギ》《ミクセル》

盾:5

マナ:3

手札:2

墓地:0

山札:22

禁断:6

 

 

 

「私のターン。ギャラクシールド起動、《「純愛の紅」》をシールドより召喚する。そして再び能力起動、《ミクセル》をタップする」

「だが其奴には消えて貰う。《ミクセル》の能力で山札送りだ」

 

 早出しされた《「純愛の紅」》はコスト6。3マナしかないミネルヴァでは、場に残すことはできない。

 公爵夫人の攻勢を一時のみ止めるという最低限の役割だけこなし、退場した。

 しかしミネルヴァはまるで意に介さない。粛々と、公爵夫人の手を、足を、止め続ける。

 

「暗夜の宙に、海図を抱き、船を漕ぎ出せ。ギャラクシールド起動! astrolabe(星を描け)――《「流水の大楯(イージス・オブ・ストリーム)」》!」

 

 宙にて流氷渦巻き星となる。戦場の宙に、盾としてそれは刻まれた。

 そして、その凍える冷気が、クリーチャーの動きさえも鈍らせる。

 

「《「流水の大楯」》能力起動。《プーンギ》を拘束する」

 

 ――鬱陶しい。

 公爵夫人は粘り着くような感触に嫌悪感を露わにする。

 守るデッキとは得てしてそういうものではあるが、こちらの行動がいちいち邪魔される。

 メタを張ってもそれをすり抜け、ひたすらに思い通りにいかない。動けない。

 いつまでも纏わり付いてくる、気持ち悪さと煩わしさ。

 長引けばどちらが不利かは一目瞭然。

 故に公爵夫人は、強引であろうとも、この拮抗を崩すべく轟音を掻き立てる。

 

「儂のターン! 《GOOOSOKU・ザボンバ》を召喚!」

 

 それは怨敵を殺す牙。エンジン音は咆哮、震動は憤怒の武者震い、回る車輪は轢き潰すために。

 彼の女王を亡き者とするためならば、邪悪に身を堕とし、光すらも飲み込まん。

 混沌とした破裂音が、暗天の宙に轟く。

 

「禁断の封印を解放。そして《ザボンバ》で攻撃! その時、マジボンバーを発動!」

 

 《ザボンバ》のマジボンバーは3。山札を捲り、コスト3以下であればそのまま場に。山札が外れても、手札から踏み倒せる。

 大型侵略が狙えないのならば、小型を並べて攻めていく。相手に黙々と準備などさせない。

 相手のメタをすり抜け、公爵夫人は別の道筋を辿り、殺しに掛かる。

 

「捲れたのは……《U・S・A・BRELLA》か、悪くない。そのままバトルゾーンへ。そして、侵略発動!」

 

 《ザボンバ》は音速を超え、光速に至る。

 その中で、姿を変えていく。

 

「《超音速 レッドゾーンNeo》! 封印をひとつ剥がし、《「流水の大楯」》のシールドをブレイク!」

 

 本来の《レッドゾーン》では《ミクセル》に消されてしまう。

 しかし小型改良化した《レッドゾーンNeo》であれば、その影響を受けずに攻め込むことができる。

 馬力は足りないが、高速機動を以て、ミネルヴァの盾を打ち砕く。

 

「《レッドゾーンNeo》は攻撃後にアンタップする。さらにシールドをブレイクだ! ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

 

ミネルヴァ

場:《ミクセル》

盾:4

マナ:4

手札:4

墓地:0

山札:27

 

公爵夫人

場:《プーンギ》《ミクセル》《レッドゾーンNeo》《BRELLA》

盾:5

マナ:4

手札:1

墓地:2

山札:19

禁断:4

 

 

 

「私のターン……4マナで呪文《ケンザン・チャージャー》。山札の一番上を捲り、《ジャミング・チャフ》を手札に。そして2マナ、ギャラクシールド起動。宙の海に浮かび、astrolabe(星を描け)――《「流水の大楯」》! 再び出航せよ! 能力で《レッドゾーンNeo》を拘束する!」

 

 ミネルヴァの動きが、鈍りはじめた。

 クリーチャーを捌くための手が足りていないのか。一瞬、纏わり付く不快感が薄らぐ。

 

「そして、《ミクセル》で《ミクセル》を攻撃する」

「む……!」

 

 しかし不快感が薄れても、手は緩めない。

 両者の《ミクセル》が、同時に爆散した。

 

(相打ち……儂の手札が少ないと見て、捨てたか)

 

 確かに手札が1枚のこの状況では侵略は見込みづらい。今引きされても侵略元の《レッドゾーンNeo》は拘束状態。手札に新しい《ミクセル》も補充している。

 ならばここで頭数を減らしておくのは、合理的なのかもしれない。

 

「小賢しい真似だけは一級品だな。だが、儂がいつまでも燻っていると思うなよ」

 

 手札が少なく、動きづらいのは事実。

 しかしだからこそ、そのための備えはしている。

 

「マナチャージ。そして5マナで《U・S・A BRELLA》を進化! 《超音速 ターボ3》!」

 

 メタカードとして役割の薄い《U・S・A BRELLA》を捨て、侵略せず、そのまま進化。

 侵略を用いずとも、ソニック・コマンドの緩い進化条件で発揮するには、十分すぎるカードパワーだ。

 

「封印をひとつ解放し攻撃! Wブレイク!」

 

 《「流水の大楯」》ごとシールドを叩き割る公爵夫人。ミネルヴァにトリガーはない。

 そして《ターボ3》が攻撃したということは、

 

「攻撃後、手札をすべて捨て、3枚ドロー! 当然、儂に手札はない。そのまま3枚補充する」

 

 瞬時に失った手札が戻ってくる。

 次のターンから6マナに到達し、《ミクセル》の妨害も受けづらくなる。

 ジリジリと、公爵夫人がミネルヴァの防戦を打ち破りつつあった。

 

「《プーンギ》もシールドをブレイク! ターンエンドだ」

 

 

 

ターン5

 

 

ミネルヴァ

場:なし

盾:2

マナ:6

手札:6

墓地:1

山札:25

 

公爵夫人

場:《プーンギ》《レッドゾーンNeo》《ターボ3》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:4

山札:15

禁断:3

 

 

 

 シールドの数も減り、ミネルヴァも段々と後がなくなってくる。

 しかし彼は冷徹な面持ちを崩さない。

 焦りも怯みもなく。

 使命感、正義感、そして狂信に駆られた眼で、公爵夫人を射殺すように見遣る。

 

「母の祖、偉大なりし父よ。貴方の楽団をお借りします――《音奏 ハイオリーダ》を召喚!」

 

 白痴を慰める楽劇の音色が、暗澹の宙に撹拌する。

 冒涜的な調べが脳を揺さぶり、吐き気を催す。

 しかしてミネルヴァは毅然と立つ。楽団を従え、剣を振るい、指揮をする。

 

「《ハイオリーダ》の能力起動。登場時シールドを追加。そしてシールドが追加されるたびにGR召喚する!」

 

 邪悪な旋律は反響し、宇宙に満ちていく。

 混沌が爆ぜ、新たな命が産み落とされる。

 

「《破邪の意志 ティツィ》! さらに2マナ、ギャラクシールド起動、astrolabe(星を描け)――《「流水の大楯」》!」

「懲りんな。三度も同じ芸か」

「これは姫、そして彼女より私に与えられた力。侮ることは断じて許されない。それに、三度が同じと思うな」

 

 戦場の宙に、盾として渦巻く星が点描される。

 

「《「流水の大楯」》の能力により、《ターボ3》を拘束! そしてシールドが追加されたことで、《ハイオリーダ》の能力も起動!」

 

 その輝きに呼応し、楽団はより強く音楽を掻き鳴らす。

 また、混沌が爆ぜ、命が放り捨てられた。

 

「《防羅の意志 ベンリーニ》をGR召喚! そして《ベンリーニ》のマナドライブ起動! 自身を破壊し、1枚ドロー。そして手札を1枚シールドへ! シールドが追加されたことで《ハイオリーダ》の能力も起動! GR召喚だ、《超衛の意志 エイキャ》!」

「是が非であろうと、無限に足掻き、儂の手足を封じ続けようというのか」

 

 公爵夫人の爆走に詰め寄られたミネルヴァだが、瞬時に切り返し、押し返す。

 シールドは5枚まで回復。ブロッカーにシールド・セイバー、そして手札を供給する《ターボ3》も止めた。

 盤面も多い。手札も、マナも、リソースはある。

 しかし、

 

「笑止。貴様はここで殺す」

 

 公爵夫人の身体が、黒く膨れ上がる。

 憤怒が、憎悪が、怨恨が、敵意が、溢れ出す。

 女王を殺さんとする殺戮の牙が、狂ったように屹立する。

 

「《GOOOSOKU・ザボンバ》を召喚! 封印をひとつ解放!」

 

 禁断の封印は、残り2つ。

 たった、2つだ。

 

「纏めて薙ぎ払ってくれる。《ザボンバ》で攻撃! マジボンバーを発動し、山札より《反反-ロッカー》をバトルゾーンへ! そして、侵略発動!」

 

 《ターボ3》で引き込んだ手札。

 それらをすべて、放出する。

 全開(フルスロットル)で、殺意を曝け出す。

 

「《熱き侵略 レッドゾーンZ》! そして――《轟く侵略 レッドゾーン》!」

 

 二重侵略。《ザボンバ》は《レッドゾーンZ》へ、そして《レッドゾーンZ》は回帰し、《レッドゾーン》へ。

 叛逆のため、侵略する。

 

「貴様はこのまま轢き潰す! 2体のコマンドが現れたことで、封印を2つ解放! これで《禁断》の封印はすべて解かれた!」

 

 巨石から封印が2つ、剥がれ落ちる。

 禁断に課せられた鎖はすべて失われた。

 

 

 

「禁 断 解 放 !」

 

 

 

 覆われた岩石が崩壊し、邪槍が抜け、その裏側。真なる姿を現す――

 

 

 

 

 

「《伝説の禁断 ドキンダムX》!」




 恐らく3話ほどで書き終わる。逆に言えばこの対戦は3話ほどかかる。


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48話「国盗りです Ⅶ」

 この時点でミネルヴァのデッキがわかった人は凄いと思う。


「禁断解放――《伝説の禁断 ドキンダムX》!」

 

 憎しみ、恨み、怒り。昏き情念に燃える、禁忌の巨神が顕現する。

 しかして所詮は群体であり、主から剥がれ落ちた眷属(コケラ)に過ぎない、皮肉な魔神。

 彼は二振りの邪槍を握り締め、咆轟する。

 それに呼応するように、公爵夫人の肉体に開かれた大口も、絶叫する。

 

「これこそは我が憤怒! 我が憎悪! 我らを呪縛(しば)る女王への叛逆の意志! まずはそこな眷属から討ち滅ぼさん! 《レッドゾーン》! 《ドキンダム》!」

 

 《レッドゾーン》が疾駆する。その轟音と、《ドキンダム》の慟哭が重奏(ユニゾン)する。

 

「《レッドゾーンZ》の能力で、小癪にも仕込んだシールドを焼却する! 続く《レッドゾーン》の能力で、《ハイオリーダ》と《ティツィ》、共に破壊だ!」

 

 先行する《レッドゾーン》が戦場を蹂躙する。空まで炎上し、大地が焦げ付き、命が散らされる。

 無論それだけでは終わらない。背後でそびえ立つ《ドキンダム》が、邪槍を投げ放つ。

 邪槍は拡散し、枝分かれ、無数の雨となりて、殺戮の限りを尽くす。完膚なきまで、何者も生きれぬ破滅の世界を創る(壊す)。

 

「《ドキンダム》の能力で《エイキャ》を封印! 《レッドゾーン》で――Tブレイク!」

 

 ミネルヴァのバトルゾーンは更地と化した。楽団は蒸発し、残ったものは悉くが石化する。

 塵のように命が舞う。骸は無惨に打ち棄てられ、煙る炎は苛烈に揺らめく。

 地を砕き空を裂く。神聖なる光の神殿は炎上し、罅割れる。荘厳さも清廉さも秩序も、なにもかもが陵辱され、貶められ、崩れていく。

 なにもない虚無の道を駆け、刹那。

 《レッドゾーン》は3枚のシールドを、一瞬で吹き飛ばした。

 

「《プーンギ》でシールドをブレイク!」

 

 残った1枚のシールドも打ち砕かれる。

 ミネルヴァにシールドはない。しかして背後には、《反反-ロッカー》《レッドゾーンNeo》《ドキンダム》が控えている。

 怨敵を噛み潰さんと牙を剥き、眼を血走らせ、脈打つ鼓動に合わせて低い唸り声を上げている。

 

「貴様を守る盾はすべて砕いた。あとは貴様の胸に邪槍を穿ち、終いだ」

「……我が領土、我が居城、我が神殿。私の王国を踏み荒らして尚その暴言。怒りすら果て、憐憫を覚えずにはいられないな」

「なんだと?」

「慎むがいい。如何に貴様が叫ぼうとも、威を示そうとも、それは彼女の産み落とした力の一欠片、彼女の威光の断片に過ぎない。貴様の振るう力、それ即ち、貴様が忌み嫌う彼女の権能の一片であるのだから」

 

 ミネルヴァの言葉に、公爵夫人の顔は醜く歪む。怒り、苦しみ、嘆き、それらが混沌を為す絶望の慟哭に、黒い肉塊は膨れ上がり、触腕はのたうち回り、大口は絶叫する。

 

「黙れ! 女王の狗が儂を騙るな!」

「貴様とてわかっているはずだ。彼女は、我らが母は、殺せない。少なくとも、弱き人間には不可能だ。そして、彼女の仔である我らにも。であれば、弱き人を模した、彼女の落し子である貴様らに、彼女が殺せる道理など微塵もない。シリーズの言の葉を借りるのならば、そう、運命か。根源的因果律からして、貴様の願望は破綻しているのだ」

「ほざけ! それでも、我らは、儂は……ッ! 殺す! 女王を! 貴様らも! 我らを呪い縛るすべてのものを!」

「……蔑む気すら失せるほど憐れなり、公爵夫人。しかし、貴様の歯牙は私にすら届かない。私は貴様らとは違う。この身は姫の願いを、母の望みを、主命を受諾した(まがつ)の星なれば」

 

 一身に受けるシールドの破片に手を伸ばす。

 (カラ)の宙にて虚無を掴むように、なにもない黒い宇宙に掌を向け、握り込む。

 

「私は【死星団(シュッベ=ミグ)】の長子として、果たすべき天命がある。故にこそ、貴様らへの断罪を執行する」

 

 暗夜の宙。握り締めたミネルヴァの手中に、光が溢れる。

 

「S・トリガー! 《「光魔の鎧(メイジ・オブ・カースブレイカー)」》! 手札を1枚、表向きでシールドゾーンへ追加する!」

 

 呪詛にすら成り得る公爵夫人の憎悪を受けてなお、その呪いを打ち砕く光。

 それは狂信者にとっては絶大な希望に繋がる一筋の明光。しかして常人には、それは狂乱と絶望がもたらす混沌の暗光に他ならない。

 ミネルヴァは手札を1枚、虚空へ添える。

 

「《ヘブンズ・ゲート》を――シールドへ!」

 

 宙に顕現した、門。

 今はまだ閉じているが、触れればその瞬間に開くことは免れない。

 公爵夫人は、歯噛みする。

 

(《ヘブンズ・ゲート》……厄介なものを)

 

 ブロッカーの1体2体程度、貫いて押し通せないこともない。

 しかし問題は、なにが現れるか。

 ここで現れるブロッカー次第では、攻撃を止められる。どころか反撃の準備を整えられる可能性もある。

 これまで見えている光のブロッカーは、《ハイオリーダ》のみ。そもそも対象となるブロッカーの数が少ないのか。あるいは偶々見えていないだけか。

 

「憐れで、愚かしく、許し難き反逆者であるが、貴様とて母の胎より産み落とされた同胞(はらから)。その(よしみ)で忠告する。勇むな、退け。その先は蛮勇、貴様の愚考を愚行に変えるだけである。母へと向ける牙を抜き、恭順するならばそれで良し。我らにも、また新たに同胞を迎える準備がある。叛逆するならば、私の剣が貴様の首を刎ねるまでだ」

 

 剣を抜き、切っ先を突きつけるミネルヴァ。

 これが最後の通告だと、彼の刃は告げている。

 押すか引くか。その一歩を踏み出しあぐねていた公爵夫人は、渇いた笑みを零した。

 

「……巫山戯たことを。帽子屋でも、もう少しマシな冗句(ジョーク)を言う」

 

 それは嘲笑だった。高慢で不遜で居丈高。ミネルヴァを嘲り、見下す芽。その程度の者だったのかと幻滅する眼差しだった。

 

「1億と5000万の妄執。帽子屋の悲願に比べれば、儂の中の憎悪が膿んだ時間はごく短いだろうよ。念の大きさ、重さ。それは誰にも奴には敵わん。重ねた年月で見れば、儂なんぞの害意ですら平々凡々だ」

 

 らしくもない自嘲と自虐。自身への低評価。

 そして、帽子屋への敬意。まがりなりにも彼が不思議の国の長であるとことへの承認。

 巨大さで言えば彼が筆頭。その他すべての住人は、枝分かれ末端であり、一粒の礫でしかない。

 だが、しかし。

 

「儂は腑抜けた奴らに代わり引き受けてきた。女王を殺すという執念を溜め続けてきた! そうだ、儂は醜き醜女の『公爵夫人』!」

 

 あらゆる醜悪を背負う者。

 背負ったものの大きさも、それを積み重ねた重さも、帽子屋の足下にも及ばない。

 しかしすべての住人には、役割がある。

 あらゆる視座を持つ蟲の三姉弟は、眼。現の境界線を行き来する眠りネズミは、夢。個体でありながら群体であるヤングオイスターズは、仔。情欲に掻き立てられる三月ウサギは、淫蕩。あらゆる概念を産み落とす代用ウミガメは、多産。

 母が持つ権能、性質は、一極として個人に委ねられた。

 公爵夫人が引き継いだものは、醜悪。

 見る者を狂気に陥れるほどの醜き双眸――だけではない。

 誰かを害するという、負の念もまた、醜悪極まりない怪物のそれである。

 公爵夫人はその害意という“醜悪”すべてを引き受けた。

 即ち、【不思議の国の住人】すべての醜悪さ――憎悪、憤怒、害意は、公爵夫人の下にある。

 

「儂がただの1人でひた走る暴徒だと思うたか、うつけ。たかが“小僧”に説法された程度で、我らの義憤が晴れるものか! その程度で屈する意志であるならば、我らはとうの昔に、女王に傅いておるわ!」

 

 女王に与する気など毛頭ない。

 女王への恩讐を忘れてしまえば、公爵夫人は自分の存在意義そのものを見失う。

 それは【不思議の国の住人】が抱くべき叛逆の意志の喪失に他ならない。彼らを縛り付ける呪縛への従属の証左となってしまう。

 ただ1人で叛逆そのものを背負う者として、膝を折るわけにはいかない。

 他の誰をも信じているわけではない。誰かになにかを託そうなどというつもりは微塵もない。

 しかしここで屈してしまえば、それは自分達という“総体”すべての絶望に他ならないのだから。

 非常に腹立たしいことだ。自意識が怒りの雄叫びを上げている。自分が、自分自身だけでなく、群れとしての不思議の国について考えるなど、苛立ちしか生まないが。

 

「儂が抱くただ1つの憎悪こそが希望と成り得るのなら、それを手放す気はない。それは決定的な敗北――惨めであろうと、我らは総てが死滅する最後の刻まで、敗北を認めることはなかろうよ」

 

 愚かな選択なのだろうと、理性は告げる。

 だが、それがどうした。

 愚か者でなければ、絶対的な母神に叛逆など、できるはずもない。

 

「我が愚考、牙となれ! 我が愚行、彼方の宙へ突き立て! 頂天へ奔れ、《レッドゾーンNeo》!」

 

 正しく超音速。《レッドゾーンNeo》は瞬間のうちに、シールドを叩き割った。

 そしてそれは、天国の門扉を叩く一打。

 門が――開く。

 

「S・トリガー発動《ヘブンズ・ゲート》! 《音奏 ハイオリーダ》と《「絶対の楯騎士(アブソリュート・シールドナイト)」》をバトルゾーンへ!」

 

 通じた先の宇宙。遙かな天上の宙より、祖なる父に付き添う楽団と騎士が呼び寄せられた。

 

「呪文を唱えたな? 《プーンギ》の能力発動! 《マシンガン・トーク》をGR召喚! 能力で《レッドゾーン》をアンタップする!」

 

 《レッドゾーン》、再起動。

 赤き鋼鉄は、再びエンジンを熱し、炉心を燃やす。

 

「次はこちらだ。《ハイオリーダ》の能力でシールドを追加、《「絶対の楯騎士」》の能力でシールドと手札をそれぞれ1枚ずつ追加。シールドに置かれた《「蒼刀の輝将(アズール・ライジングジェネラル)」》の能力で1枚ドローする。そして、シールドが2枚追加された。《ハイオリーダ》の能力で2回GR召喚を行う! 《超衛の意志 エイキャ》《白皇鎧の意志 ベアスケス》!」

 

 ミネルヴァの防戦も負けていない。1枚のトリガーからブロッカーを2体展開、シールドを2枚追加した上で、シールド・セイバー持ちのクリーチャーまで並べる。

 しかしそれでも、公爵夫人は走り続ける。

 醜い執念でも、邪悪な怨念でも、彼が願った国の未来とは違うとしても、この殺意は間違いなく民のためであり、自分のためであり、総体による悲願なのだから。

 

「攻撃後、《レッドゾーンNeo》をアンタップ! 止まるな、進め! 再攻撃、そしてS級侵略[轟速]!」

 

 大地が割れる。槍が2本、競上がり、突き上がる。

 邪槍に貫かれ、《レッドゾーンNeo》は禁忌に侵される。

 その身を醜悪に染めてでも、滾る灼熱の暴威が、彼らを奔らせる。

 

「墓地より《禁断の轟速 レッドゾーンX》に侵略! 《「絶対の楯騎士」》を封印!」

 

 宙を飛ぶ邪槍。空気が爆ぜ、真空を貫き、巨兵を穿つ。

 

「Wブレイク!」

「《エイキャ》のシールド・セイバー発動! 裏向きのシールドを守り、《「蒼刀の輝将」》はブレイクされる」

「まだだ! 《レッドゾーン》で攻撃! S級侵略[轟速]を発動!」

 

 しかし墓地には、もう《レッドゾーンX》はない。

 それでも侵略はできる。なぜなら、バトルゾーンに、それがいるから。

 

「バトルゾーンの《レッドゾーンX》を、《レッドゾーン》に侵略!」

 

 S級侵略[轟速]は、手札、墓地、そしてバトルゾーンから侵略可能なS級侵略。

 しかしてバトルゾーンからの侵略は、リスクが大きい。なぜなら、[轟速]のS級侵略は、進化元ごと侵略してしまうから。

 《レッドゾーンX》の下敷きになっていたクリーチャーはすべて、《レッドゾーン》と統合され、そして《レッドゾーンX》となる。クリーチャーの数を減らしてまで、生贄を捧げてまで、公爵夫人は攻める。

 このターンで、殺し切るために。

 手を赤く染める。身を黒く浸らせる。

 非道な行いでも、それで貫ける意志があるのなら。

 彼女は、止まらない。

 

「《ハイオリーダ》を封印! シールドをブレイクだ!」

「《「光魔の鎧」》でブロック!」

「《反反-ロッカー》! 最後のシールドをブレイク!」

 

 門が開き、壁が現出し。

 塵のように揺蕩う欠片を振り払い、宇宙の如き荒廃した極地を駆けて幾星霜の刹那。

 再び、白き彼を捉えた。

 

「疾く失せよ、正義を騙る邪黒の眷属よ」

 

 禁忌の邪槍が迫る。同胞にして仇敵を射殺すために。

 邪念、悪念、そのすべてを切っ先に纏わせて――

 

「S・トリガー発動」

 

 ――しかし。

 ミネルヴァは静かに指先を虚空に滑らせる。

 冒涜的な呪文を唱える。それを鍵とし、天上の扉を開く。

 

「《ヘブンズ・ゲート》。手札から光のブロッカーを2体までバトルゾーンへ出すが……《「絶対の楯騎士」》のみだ。これをバトルゾーンへ」

「どう足掻いても凌がれる……が、反撃の手となるよりは幾分マシであるか」

 

 殺しきれず、息を切らせながら舌打ちする公爵夫人。

 これが公爵夫人の全力全開。力は出し尽くした。もう手はない。

 だが、走りきってはいない。ここで殺せなくとも、生きて返すつもりはない。

 

「貴様が呪文を唱えたことで《プーンギ》の能力発動だ。《ポッポーポップコー》をGR召喚! マナドライブで、貴様のブロッカー、《「絶対の楯騎士」》を破壊!」

「だが、《「絶対の楯騎士」》の能力でシールドと手札を追加する。こちらを手札に、《「蒼刀の輝将」》をシールドに」

「それも粉砕する! 《ドキンダムX》でシールドをブレイク!」

 

 動き出した《ドキンダム》は止まることなく。

 そのまま、ミネルヴァの場を蹂躙していった。

 

 

 

ターン6

 

 

ミネルヴァ

場:《ベアスケス》《エイキャ(封印)》《「絶対の楯騎士」(封印)》《ハイオリーダ(封印)》

盾:0

マナ:8

手札:8

墓地:7

山札:12

 

公爵夫人

場:《プーンギ》《ターボ3》《ロッカー》《レッドゾーンX》《ドキンダムX》《マシンガン・トーク》《ポップコー》

盾:5

マナ:6

手札:0

墓地:6

山札:13

禁断解放

 

 

 

 公爵夫人の狂気的なまでの暴動により、すべてはボロボロだった。

 連続で繰り出した《ヘブンズ・ゲート》により、ミネルヴァも想像以上に手札を消費した。シールドもない。バトルゾーンに現れたクリーチャーも、ほとんど立ち消えてしまっている。

 それに、この戦場自体、崩壊寸前だった。

 地面は割れ砕かれ、柱は折れ、瓦礫が崩れ落ち、砂礫がサラサラと舞い落ち、天井も抜けて――

 

「――!」

「あぁ、気付いたようだな」

 

 荘厳な神殿など偽り。神聖さも清廉さも虚に消えた。

 遙かな宙は黒々と、混沌の凶星が輝いている。

 ここにある崇高な崇拝は、篤き信心は、狂っている。

 神殿は神殿でも、ここは祭壇である。崇める神がいて、それは邪神である。

 分かりきったことではあった。しかしてその本性を、本来の姿を見せつける。

 黒く溶けていく公爵夫人でさえ、戦慄を覚える。

 

「私の神殿をここまで荒らしたのは、貴様がはじめてだ。公爵夫人」

 

 目が離せない。神殿の外、天上の先、闇の渦巻く宇宙にて爆ぜる暗澹の坩堝。

 常人では、気が狂うほどの異様。

 

「……儂が言えることでもないがな。貴様も相当に醜悪で邪悪だ。光だの、輝きだの、正義だのでひた隠しにしているが、その裏に黒く悍ましきものが、これか」

「隠しているわけではない。そしてこれは、悍ましくもなく、醜悪で邪悪でもない。これこそは、私が姫君より授かった、彼女の権能」

 

 ミネルヴァは、剣を抜く。

 白刃を突きつけ、天へと掲げる。

 

「私は正義を執行する。彼女らに代わり、月光の代行者として、執刀の刃を振るうのだ」

 

 夜空に舞う星々など、有象無象の塵芥。星そのものに意味はなく、それは本来の在り方を隠す翳り。

 その星は銀河のために非ず。凶つ星など、生まれた順を示すための言葉遊びに過ぎない。

 星々の描く軌跡が魔方陣となり、その先の黒天にこそ求める道がある。

 彼の本来の在り方。慈愛と守護を纏った、真の姿。

 彼女と繋がった存在である証左。

 それは――月。

 輝く満月(フルムーン)であり、暗き新月(クレセント)であり、月夜(ミッドナイト)照る(翳る)月影(ムーンライト)

 

「夜天の奥底より出づる光――頂天の月を見上げろ」

 

 天を仰げ。今宵の宙は黒く満ちている。

 星を除け。その先に真実が座している。

 光を消せ。闇を払え。そこが終着点だ。

 

「此処なる神殿は我が王国にて。さぁ、儀式の時だ。化身なれども彼女を降ろす門を開け! 7マナで《ヘブンズ・ゲート》! 光のブロッカーを2体バトルゾーンへ! 出づるは《奇跡の精霊ネオ・ミルザム》! そして――」

 

 光の門に剣を挿し込む。それは鍵、遙かな遠くの宙へと狂信を届けるための呪い。

 冒涜的な呪詛を吐く。しかしてそれは、暗夜に浮かぶ月への祝詞。狂気に駆られた忌むべき神話的現象。

 

「此なるは、我が王国に満ちる光と影。輝ける満天の宙、闇夜の奥底まで届く無明の光。月光は、暗き世界にまで満ちている。嗚呼、姫よ、母よ。麗しき天使よ、破滅の魔王よ。私に昏き月の光をお与えください」

 

 彼は詠う。冒涜的に、狂信的に、詩を詠み上げる。

 それは崇拝すべき神への賛美。彼方の月へと捧げる信仰の供物。

 

「貴女の為に月は輝き、闇夜に影は堕ちるのです――」

 

 あぁ、アァ、嗚呼。

 宇宙より闇の帳が降りてくる。

 天上より光の音が降りてくる。

 光と共にある闇、即ち影。

 月の影――月光が、降臨する。

 

 

 

 

 

「《月と破壊と魔王(サタン)天使(エンジェル)》」




 ミネルヴァ。彼は銀河に非ず、月光である。


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48話「国盗りです Ⅷ」

 公爵夫人vsミネルヴァ、決着。


《月と破壊と魔王(サタン)天使(エンジェル)

 

 

 

 

 

 天上の宇宙より舞い降りる、魔王にして天使。

 星々を押し退け、月の化身として、それは降臨した。

 それは宇宙に聳える鉄塔。狂った月の光を照射する装置の如し。

 貌のない異形。機械的なのに神秘的。無機質な魔性を纏い、狂気の輝きを放つ。

 

「封印解放。《ハイオリーダ》と《「絶対の楯騎士」》、再起動開始」

 

 コマンドが2体。それにより、封印が2つ、剥がれ落ちる。

 

「そして我が至高の女王、《月と破壊と魔王と天使》。その能力により、シールドを2枚追加する!」

 

 それは闇の誘惑か。光の加護か。

 どちらにせよ、狂気の産物。

 新たな盾が、彼を守護する。

 

「《ネオ・ミルザム》の能力発動。スーパー・シールド・プラスにより、この2枚にさらにシールドを追加!」

 

 その盾は厚く重ねられる。慈愛に満ちた無貌が、硬質に、柔らかく、包み込む。

 

「これで4枚のシールドが追加された。《ハイオリーダ》の能力起動! 4回GR召喚を行う!」

 

 暗き照光の下、楽団は歌い踊る。

 命が爆ぜる。混沌の中で生が飛ぶ。

 跳ね散った塊はぐじゅぐじゅと膿みながら、新たな形を作る。

 

「《浄界の意志 ダリファント》《救命の意志 テュラー》《破邪の意志 ティツィ》《防羅の意志 ベンリーニ》……《ダリファント》の能力で《プーンギ》をシールドへ。《ベンリーニ》を破壊し、シールドを追加。そして《白皇鎧の意志 ベアスケス》をGR召喚!」

「ぐ、此奴……!」

 

 一瞬でシールドが回復した。クリーチャーも並んだ。

 いや、だが、しかし。

 公爵夫人の盤面には、フィニッシャー級のクリーチャーがまだ存在している。トリガーもほとんど見えない。

 ならば、

 

「まだ勝てる、などと温い希望は持たない方がいい」

「なんだと……?」

「貴様はここで必ず裁く。貴様達は、必ず我が刃で断罪する。それが姫の慟哭故に」

 

 ミネルヴァは切っ先を突きつける。しかし天上からは砲口。

 凶器も狂気もちぐはぐで、表と裏に齟齬がある。光と闇はブレながら、曖昧模糊な陰影を描き出す。

 

「《「絶対の楯騎士」》で《レッドゾーンX》を攻撃! 攻撃時、シールドと手札をそれぞれ追加! そしてシールドゾーンに置かれた《「流水の大楯」》の能力で、《ターボ3》を拘束!」

「っ……!」

「シールドゾーンにカードが追加されたことで、《ハイオリーダ》の能力起動。《浄界の意志 ダリファント》をGR召喚! マナドライブ起動、《ポッポーポップコー》をシールドへ! 《ハイオリーダ》で《反反-ロッカー》を攻撃、破壊する!」

 

 シールドが増え、動きを止められ、クリーチャーが粉砕されていく。

 しかしこれは前座。真なる神が戯れる前の余興に過ぎない。

 

「さぁ、星々は正しき位置に並び揃った。天球に月光の光陰が照り付けている。門は開かれ、道は通じ、月の光は黒き森の奥底まで届かん」

 

 抜けた天井の外は、闇夜の宇宙が星々の牙を屹立させる。黒く束ねられた筒状の塊がふたつ、歯のない口を開いている。

 微動だにしない。しかして鳴動の時はすぐそこだ。

 

「今こそ断罪の時。《白皇鎧の意志 ベアスケス》で攻撃――革命チェンジ、起動。《ミラクル1 ドレミ24》!」

 

 白き鎧の騎士は、小さな星の龍へと転ずる。

 奇跡の具現。化身と言えども神が降臨したのであれば、確かにそれは奇跡と言っても過言ではない。

 その奇跡が、希望となるか絶望となるかは。

 彼女への信心、あるいは狂信に依るのだろう。

 

「まずは《ベアスケス》の能力、マナドライブによりシールドを追加。そして《救命の意志 テュラー》をGR召喚。最後に《ドレミ24》の能力発動。手札からコスト3以下の光の呪文を詠唱する」

 

 そしてこの場合、狂信的な信心を有するものなど、一人しかいない。

 白き断罪者は剣を掲げる。その頭上で、神は砲身を地上へと降ろす。

 噛み合わない表裏のブレた裁きが、執行される。

 

 

 

「断罪の()を、ここに――《ヴァリアブル・ポーカー》」

 

 

 

 それが、彼が粛正を為し、断罪するための()

 喪失、再生。失われても取り戻し、光と闇は循環し、流転する。

 

「私のシールドゾーンのカードは、スシールド・プラスで加算したものも含め7枚。この7枚すべてを山札へ戻し、山札から7枚、シールドを追加」

「7枚シールドを追加……! 《ハイオリーダ》でGRクリーチャーを出し切ろうと言うのか……!」

「そんなものは余分に過ぎない。私はここで、貴様を裁く。姫に代わり、母に代わり――」

 

 彼は代行者である。

 神への信奉を測る裁決も。その結果による断罪も。

 神として顕現するための化身――存在そのものも。

 主の代わりに、彼はすべてを為す。

 主のために剣を振るい、主のためにここに在る。

 主とは即ち、天上に浮かぶ彼女。光り輝く月の化身。

 故に、彼は、ミネルヴァ・ウェヌスは―― 

 

「――月に代わり、貴様を裁く」

 

 慈悲を以て、主命に殉じる。

 それは神の意志である。

 神のため、神による、断罪の裁き。

 月が――揺らめいた。

 

 

 

「神罰執行――オシオキムーン」

 

 

 

 次の瞬間。

 公爵夫人のシールドが――爆ぜた。

 

「な……っ!?」

 

 幾重にも束ねられた筒状の漆黒。虚無の穴から閃光が瞬き、金色の羽が舞う。

 微塵の情緒も、仄かな感慨も、なにもない無の貌で。

 粛々と、公爵夫人を見下ろしている。

 

「《月と破壊と魔王と天使》――我が奉ずる誇り高き神よ。私の()となれ、愚か者共の首を刎ねる()となれ。姫の、母の、月の代行者として、彼の者を断罪せよ」

 

 月が翳り、光が瞬く。

 2枚目が、吹き飛んだ。

 

「がっ、くぅ……!」

「私のシールドが1枚離れるたびに、オシオキムーンが発動する。《月と破壊と魔王と天使》は、貴様のシールド1枚ずつ、刎ねる」

 

 漆黒の宙に月が輝く。輝き続ける限り、影がある。翳りがあれば、必ず光がある。

 故に、明光は途絶えず、死を放ち続ける。

 3枚目のシールドが、砕けた。

 

「私はシールドを7枚入れ替えた。即ち7枚、貴様のシールドを断つ」

「ぐ、ぬぅ……!」

 

 ――奴を直接引きずり落とさない限り、止まらんか。

 黒天に浮かぶ月の化身。あれを墜とさなければ、この空襲は終わらない。

 7枚ものシールドブレイクなど、どうしようもない。ブロッカーもなにもかもをすり抜けて直接撃たれてしまえば、防ぎようがない。

 もしもこれを止めようと思うのなら、あの天上の怪物を殺すしかないが、あれを直接除去できるようなトリガーはないし、破壊では《テュラー》が邪魔だ。

 それでも、諦めないのならば。

 

「S・トリガー! 《閃光の守護者ホーリー》!」

 

 微かな希望の中に、生路を見出す。

 アタッカーもブロッカーもすべて縛り付け、なおかつブロッカー。

 最低限、《ドレミ24》の攻撃だけは、止められる。

 

「耐え凌ぐか……だが、貴様の運命は変わらぬ。貴様の断罪は、終わっていない」

 

 しかしクリーチャーがタップされようと、オシオキムーンは止まらない。

 1枚、また1枚と、シールドが砕け散っていく。

 そして最後のシールドが、粉砕された。

 

「《ドレミ24》でダイレクトアタック」

「《ホーリー》でブロック!」

「ターンエンドだ」

「……儂の、ターン……」

 

 死ななかった。しかしそれは、切っ先が急所を外しただけに過ぎない。

 かの狂刃は確実に公爵夫人の肉を切り裂き、抉った。もう一時も保たない。

 瞬きのうちに事切れてしまいそうなほどに、黒く歪んだ肉塊は消耗し、摩耗し、崩れ落ちそうだが。

 

「……まだ儂は死んでいない」

 

 生きている。

 そして、研がれた牙は、抜けていない。

 

「女王に牙を突き立て殺す。まだそれは為していない……! 朽ちていなければ、我が憎悪は躍動し続ける!」

 

 活路はある。死線を潜り、目の前のものを放逐するための力がある。

 歪みきった肉体を蠢動させ、公爵夫人は咆える。

 殺意の咆哮。全霊を以て、彼女は神へと抗う。

 

「2マナで《ヘブンズ・フォース》! 効果で《暴走獣斗(ジェット) ブランキー》をバトルゾーンへ!」

 

 天上への門など不要。ただ力があればいい。

 強引に引き寄せる。狂気を無理やり引きずり出す。拒否権はなく、反抗は認めない。

 今この時、死しても吶喊する糧となれ。

 

「3マナで《反反-ロッカー》、2マナで《プーンギ》を召喚!」

 

 続けて2体。マナは使い切った。手札も残り1枚。

 しかし、1枚で十分。否。

 1枚だからこそ、意味がある。

 

「マスターG・G・G! 《“轟轟轟”ブランド》を召喚!」

 

 これで公爵夫人の場には、アタッカーが4体。

 《ブランキー》《反反-ロッカー》《“轟轟轟”ブランド》そして《ドキンダム》。墓地には《レッドゾーンX》

 7枚のシールドを削り切るだけの打点は揃った。

 乾坤一擲。これが本当に、最後の一撃だ。

 

「《ブランキー》で攻撃! 手札からの侵略はない。が、S級侵略[轟速]! 《禁断の轟速 レッドゾーンX》に侵略!」

 

 轟速で走り抜ける《レッドゾーンX》。邪槍を穿ち、邪魔なクリーチャーを封ずる。

 

「《エイキャ》を封印! そして、シールドを砕かれるか、儂に手札を与えるか、選べ」

「私の王国をまだ荒らすか。彼女から賜った慈愛と守護、軽々に触れることは許さぬ!」

 

 《ブランキー》の効果により、放たれた邪槍は弾かれる。代わりに公爵夫人は手札を補充するが、めぼしいカードはない。

 あとはただ、愚直に走るだけだ。

 

「《“轟轟轟”ブランド》! Wブレイク!」

「っ……トリガーなし」

 

 絶望の渦中であろうとも、それはまだ終焉ではない。

 叛逆を続ける。母への反抗は止まらない。

 

「《ドキンダム》! Tブレイクだ!」

 

 投げ放たれる巨大な邪槍。

 宙が爆ぜる。赤熱を帯び、邪気を噴き出して、禁忌の槍は飛ぶ。

 投げ落とされたそれは、黒天の海に浮かぶ神殿だったものに深く突き刺さり、地を砕き、王国の城壁を粉砕する。

 7枚まで回復したシールドすべてが、一瞬で消え去った。

 

「『公爵夫人』……成程、貴様は最も愚かだ。愚かしくも母に叛逆し、牙を剥く。しかして、真に強き落し子だった。貴様の行いも、思想も、侮蔑に値するほど愚昧であれど、その強さだけは本物であると、認めよう」

 

 ミネルヴァは天を仰ぐ。その先に広がるのは、銀河を押し退け宙に座す月。

 ここは月光の王国。星の海に投げ出された祭壇。しかしそれも、陥落間際。たった1人の反逆者の手で、崩壊寸前だ。

 どれだけ攻め手を削いでも潰えぬ意志。どれほど耐えても尽きぬ闘志。どれほど脅威なる狂気をぶつけても屈さぬ正気。どれほど腐ろうと朽ちぬ覇道。

 進むべき方向性はミネルヴァが到底認められるものではない。しかし、そこへと邁進する熱量、力は、本物だ。

 それは、この神殿の有様が示している。7枚ものシールドを一瞬で奪われたミネルヴァの今が、なによりの証左である。

 

「貴様に讃辞を送ろう。敬意を表そう。そして、眠れ。我が月光の下で、安らかに」

 

 月が、光り、輝く。

 暗い闇、煌めく光。

 二律背反の原理を伴い、狂気的な暴威が彼女を照らし出す。

 

「S・トリガー《「光魔の鎧」》。手札から《「純愛の紅」》をシールドへ……《反反-ロッカー》をフリーズ」

「……ここまで、か……!」

 

 公爵夫人の決死の牙は、果たして、届かない。

 あと一歩は、果てしなく遠い。

 彼女の叛逆の志は、確かに力強かった。

 しかし、足りない。たった1人では、足りなかった。

 絶対的に、力が及ばなかった。

 ただ、それだけのこと。

 

「月光照射。討て――《月と破壊と魔王と天使》」

 

 命の輝きは翳る。それが、その手中に収める故に。

 闇が覆い、光を飲み込む。

 光を以て、闇を打ち払う。

 月光が、彼女を照らし出す。

 

 

 

「――ダイレクトアタック」




 今更感あるけど、主義を曲げて月光を使った対戦パート。ただこれがしたかった。


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48話「国盗りです Ⅸ」

 どこで48話を区切るか悩んだので、ちょうど良いタイミングということで、ここで48話を切ります。次回は49話からです。もうすぐ50話ですね。


 不思議の国の森に開かれた神殿が閉じる。ミネルヴァの背に、牢獄へと繋がる戸口だけが開いたまま。

 ミネルヴァは剣の切っ先を、公爵夫人へと突きつけている。公爵夫人は、黒い肉塊が力なく脈打つだけで、ぴくりとも動けないでいる。その肉塊は囚人のように鎖に繋がり、ゆるりと牢獄へと引きずられていく。

 しかし醜悪に歪んだ口からは、言の葉だけは紡ぎ続けた。

 

「……はっ。そうか、合点がいった」

 

 倒れ伏したまま、公爵夫人は、無力に吐き捨てる。

 

「貴様は我らと同じ落し子だと思っていたが……根本的にその認識がずれていたのだな」

 

 同じハートの女王の胎から生まれた、千匹の黒い仔山羊の一匹。

 そう思っていたが、それは違う。

 

「いやさ、確かに落し子と言えばそうなのだろう。だが貴様らを生んだのは、厳密には――女王ではないな?」

「…………」

「大方、代用ウミガメの力が女王の権能と交わった結果だろう。成程、貴様らは我らのような落し子ではなく、あの海亀によってもたらされた……そうさな、化身に近いものなのだろうな」

 

 それがわかったところで、なにが変わるわけでもないが。

 悪足掻きにもならない反骨心だけで、口を開く。

 

「貴様らは女王だけでなく、代用ウミガメも信奉しているようだが……ひとつ、忠告してやろう」

「……なに?」

「奴は弱いが強かだ。脆いが生き汚い。善人の癖に悪を背負っている。だから奴は延々と迷い続ける。迷宮に彷徨う愚鈍な海亀。優柔不断で、どっちつかず。不安定で自我が二律背反。弱い癖に、光と闇の狭間で苛まれている。はんっ、なんともハッキリしない奴よな」

「姫を愚弄するか? 貴様!」

「いいや、逆だ。奴をあまり、侮るなよ」

 

 公爵夫人からすれば、代用ウミガメはどうしようもなく弱い同胞だが。

 しかしその弱さが、強さに転じる可能性を、見出した。

 

「奴が惑うのは、奴がこの世界で生を得たからこそ。女王に与えられた役割から逸脱した、純粋な奴の個性。女王に傅く貴様らでは到底測れぬ秘奥の宝。迷うことは弱者の特権、弱者の証左だが、その昏迷は、貴様らのような異様の猛毒にはいい薬になるだろうさ」

 

 肉塊は半分以上が、牢獄へと堕ちていく。抵抗する力は既に無く、這い上がるなどもってのほか。

 光の中の闇に閉ざされる間際、公爵夫人は最後まで、叛逆の貌で、彼らを嘲笑う。

 

 

 

「【死星団】とやら。『代用ウミガメの』“人”生に――奴の“迷い”に、足下をすくわれぬようにな」

 

 

 

 ――バタン

 そして、牢獄の扉は閉じた。

 開かれた空間も、閉ざされた。

 

「…………」

「浮かない顔ですねぇ、ミーナさん?」

「メルか」

 

 公爵夫人の捕縛を終え、ミネルヴァは振り返る。

 そこには青い髪を流した少女。

 

「そちらはどうだ?」

「99%制圧完了なのです。まあちょろっと取りこぼしは出ちゃったのですが、それはいつものように狩って潰せる範囲内なのですね。少なくとも、この山にはもう、残存する落し子はいないのです」

「そうか。ならば後はリズに任せよう。彼女が眠り続けたこの地を、早急に黒い森へと変じなくてはならない。一刻も早く、彼女には目覚めて頂きたい」

「大賛成なのです。リズちゃんが王国建国、それが終わり次第、リオくんとディジーさんもお引っ越し。そしてその間に残党狩り……お姫さまのためにお仲間の保存、なのですね」

「あぁ。間違っても殺すなよ」

「わかっているのです。でも、どうしようもないものっていうのも、あるのですね」

「……メル?」

「やだなぁ、怖い顔しないで欲しいのです、ミーナさん。だってほら、彼ら? 彼女ら? まあどっちでもいいですが、あれらはそろそろ限界なのですよ、寿命なのです」

「? ……あぁ、ヤングオイスターズか」

「ビンゴなのです! 流石はミーナさんなのですね」

「あれの長姉は、確かにそろそろ末期だと聞いた」

「なのです。もうズタボロで今にも死にそうって感じだったのですけど、それを回収してきたのです」

「……それで?」

「ふふっ。まあお楽しみは後に回すのです、サプライズは後だしがいいものなのですよ。ただちょっと、このままダメにするのも勿体ないので、先祖返りしてもらう程度なのです」

 

 無邪気そうに笑う。しかしその笑みの裏側には、なにが渦巻いているか。

 ミネルヴァは、あえて踏み込まなかった。

 少女はそんなミネルヴァに、上目遣いで覗き込む。

 

「それで、なのですね。ミーナさん」

「なにかね」

「公爵夫人様……あたしにくれないです?」

「……なんだと?」

 

 怪訝そうに眉根を寄せるミネルヴァ。

 少女はまるで予想通りの反応だと言わんばかりに、笑いながら続けた。

 

「いえいえ、別に壊そうっていうつもりはないのです。ただの実験なのです、実験」

「実験、だと?」

「なのです。若牡蠣のお姉さんっていういいサンプルが手に入ったのです、これを利用しない手はないのですよ。それに公爵夫人様、肉体的には最も落し子に近い彼女であれば、最高の素体になると思うのです」

「なにをするつもりだ?」

「戦力増強、とかなのですかね? まあ利用用途は追々なのです」

「……メル。君の叡智も技術も評価しているが、少々、自分勝手に過ぎないか?」

「おっと? メルちゃんひょっとして、咎められてるのです?」

「ひょっとしなくてもそうだ。どれほどの罪科を重ねようと、姫が重んじる者。みだりに狂わすことは許されるべきではない」

「おー、そう来たのですね。ミーナさんらしいのです」

 

 ミネルヴァの反発に、また楽しそうに微笑む少女。

 しかしその返しも想定済みだと言わんばかりに、少女も言葉を返す。

 

「でもミーナさん、やっぱり女王様の落し子として、あるべき本来の姿というのは大事だと思わないです?」

「む……それは……」

「リズちゃんもきっと同じように言うと思うのですよ? 今の彼らは本来の役割を忘れて人の形に歪んでしまったのよ……なーんて言うと思うのですよ」

「……確かに。シリーズならば、憂いげにそう言ういいそうなものではあるな……誰よりも、彼女の本質に近く、それを重んじるのが彼女だ」

「なのです。女王様は絶対なのです。なら指向性もそちらに合わせるのが道理というものではないのでしょうか?」

「そう……だな」

「本来の形を取り戻して、本来の役割に着き直せば、それはミーナさんとしてもいいことなのです。あたしはただ、人為的に元のあるべき姿に戻そうとしているだけなのですよ。それは許されないどころか、推奨してもいいくらいなのでは?」

「…………」

 

 ミネルヴァは沈痛に顔をしかめる。

 返す言葉はない。その理屈であれば、反論する材料はひとつもなかった。

 彼女の実験とやらには、そこはかとない不安に駆られるが、こう言われてしまえば拒むことはできない。

 結局、ミネルヴァは彼女の言いくるめに屈してしまう。

 

「……わかった、後ほど、公爵夫人は君の王国へと引き渡そう」

「わーい! ありがとなのですミーナさん!」

「だが、公爵夫人だけだ。行き過ぎた実験は許可しない」

「わかっているのです。これは既に壊れかけのヤングオイスターズさんと、原点回帰への親和性が高そうな公爵夫人様だからできることなのです。それ以外の人を無理やり弄っちゃうと、本格的に壊れちゃいそうなのですしね」

「…………」

 

 この好奇心が彼女の役割ではあるが、やはりその自我について、ミネルヴァは思うところがないわけではなかった。

 本来の姿を取り戻す以前に、戦力増強など不要だとは思うが、常に万全に備えるというのも重要な軍略ではある。

 ただ、残る狩るべき者達については、純粋な力さえあればいい、というものでもないのだが。

 

「そういえばミーナさん」

「どうした」

「マジカルベルちゃん、ずっと放置しているのですけど、いいのです?」

「あぁ……あれは、難しいのだ。殲滅も捕縛も、姫の望むものではない。どのように接触するべきか、いまだ不明瞭だ」

「ふーん。面倒なのですねぇ」

「姫はまだ心が不安定だ。拠点を移すのも、姫の精神の安定も目的だからな。姫の正気が安定次第、迅速に行動するべきだろう」

「成程。合理的なのです。まあ、まだまだやることたくさんですし、じっくりタスクはひとつずつ、なのですね!」

「そうだな」

 

 とはいえ、いつまでも放置していられる問題でもない。デリケートだからこそ、早めに手を打つ必要があるだろう。

 

(そういえば、先ほども出逢ったな。水早霜……我々の存在を感知されたか)

 

 彼は今、マジカルベルから孤立しているはず。情報がそちらに拡散するとは思えないが、しかし『眠りネズミ』と共に行動するのは誤算だった。

 思えば公爵夫人に妨害されて、彼らを逃してしまったのだ。

 矮小な人間と、小鼠程度にできることなど、気にするまでもなかろうが――

 

「――まあ、いいだろう」

 

 ミネルヴァは切り替える。

 ――そちらはメルの担当だ。繊細さで言えば、彼女以上の適任はいないだろう。

 自分は姫の望みに応え、彼女の目覚めを、ただ待つだけ。

 己に与えられた主命を、果たせばいい。

 それに従い続ける限り、彼の正義は、為されるのだから――




 めちゃくちゃ今更ですけど、小分けにして投稿すると、特定の過去の話を遡る時、どこになにあったかわかりにくいですね。皆さんはどうですか? 今の小分けにする形式と、一話分を纏めて投稿する形式、どっちがいいでしょうか?


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49話「隠れ家だよ Ⅰ」

 久更新。あまりにも久々すぎるということもあり、ここから数話かけて、状況整理みたいな話になると思います。実際、作中でも色々二転三転してごっちゃりしてるので、あまり積極的にやりたい話ではないものの、まあ必要だろう、と。
 前回はー、霜が眠りネズミと一緒に不思議の国に乗り込んだら、死星団の面遭遇遭遇。危機に陥るも、その場は公爵夫人の介入で戦線を離脱した……みたいな状況だったはず。
 久し振りの更新なのに、ここからしばらく主人公の小鈴じゃなくて、霜がメインで動くことになるのは笑っちゃうな。


 公爵夫人がミネルヴァと激戦を繰り広げている頃。

 一方で、霜はユニコーンを抱えたまま、ゴロゴロと斜面を転げ落ちていくヤマネを追いかける。

 しばらく走ると、ほとんど麓まで至った大樹の根元で、彼はひっくり返っていた。

 ひとまずユニコーンを降ろして、霜はヤマネに手を差し出して引っ張り上げる。

 

「ぐおぉ……! いてぇ……つーか公爵夫人ンンンッ! 舐めたマネしやがってクソ野郎! ファックファックファックッ!」

「ヤマネ! 大丈夫か?」

「プライド以外は無問題(もうまんたい)、僕のハートはそう憤慨! クッソあのババア! 相も変わらずムカつくぜ! ぶっ飛ばしてやる!」

「いやいや! 待てって! 頼むから待ってくれ!」

 

 完全に頭に血が上っている。立ち上がり、即断で山を駆け上がろうとする彼を、霜は引き留める。

 

「言葉は辛辣だったけど、彼女は身を挺してボクらを逃がしてくれたんだ。あのままだと、恐らく全滅してたよ」

「あぁ? んなこと……」

「ヤマネ」

「……まあ、確かにあいつぁヤバかったな。ゴリラ女も白髪野郎も、そんな空気はビリビリ感じたわ」

 

 なんでもないただの一般人である霜でさえ、そう直感できたのだ。

 人ならざる化生であり、感覚の鋭い彼が、連中の異常性に気付かないはずがない。

 

「けどよ、だからってこのまま尻尾巻いて逃げるってか?」

「そうだ」

「逃げてどうすんだよ! 公爵夫人に限って負けるなんてねーだろうけど、今だって他の連中が襲われてるかもしれないだろ!」

「……そうだ。でも、逃げるんだよ」

「んなことできっかよ!」

「じゃあ君は、この子も巻き込みながら突っ込む気なのか?」

 

 霜は、隣で震えているユニコーンに視線を向けた。

 するとヤマネは、ハッとしたように目を見開き、バツの悪そうな顔で目を逸らす。

 

「っ、ユニ子……けどよぉ」

「君が悔しいのもわかる。憤るのも理解できる。でも今は耐えてくれ。ボクらは今、なにもわからない。情報が無いし、後手後手だ。圧倒的に不利な状況なんだ。そんな状態で闇雲に突っ込んでも、被害が大きくなるだけなんだ」

「だからってなぁ……!」

「ボクは、君だって大事なんだ。この子にとっても、そうなんじゃないのか?」

「……ネズミの、おにーさん……」

「ぐ……」

 

 ユニコーンは、ふるふると潤んだ瞳で、不安そうにヤマネを見つめている。

 弱々しい少女が一人。数少ない生存者。唯一助けられた仲間。

 それを蔑ろにしてでも、自分の衝動を、怒りを優先するのか。

 狡猾で、卑怯なことだと分かっていても、霜はその悪性を飲み込んで、ヤマネに詰問する。

 今この場で、奇跡的に助けられた一握りの仲間を、見捨てるべきではないと。

 

「ちっ……わーったよ! ここは僕が折れてやる!」

「……すまない。」

「謝んなよ、お前が間違ってるわけじゃねーだろ。つっても、逃げるってどこに逃げんだ? お前んち?」

「流石に女児を連れ込んだら、今度こそ家族会議ものだな……」

 

 ヤマネを拾ってきた段階でも、かなり怪しまれたのだ。元々、霜は水早家では難しい立場にいる。その状態をいたずらに崩すようなことは、霜自身も望むところではない。

 それに、このような厄介事を、家に持ち込むようなこともしたくない。事態は霜が想像していた以上に深刻で、悪化していた。家族まで巻き込むわけにはいかない。

 だからユニコーンを家に連れ帰ることは難しい、が。

 

「アテはあるんだ」

「マジ?」

「あぁ」

 

 霜は公爵夫人との別れ際に、投げ渡されたものを掲げる。

 それは、パスケースのようだった。中には免許証や定期券、会社の通行証、身分証、キャッシュカードやクレジットカードなんかも入っていた。

 

「個人情報の塊だな、これ。君たちに、人間としての個人情報がどこまで重要なのかはわからないけども」

 

 しかし少なくとも、人間一人の資産の多くが詰まっていることは確かだ。

 パスケースを漁っていると、さらに別のカードが見つかった。

 

「これは……カードキーか?」

 

 部屋番号らしき数字が印字され、磁性体の黒いラインがあるカードだ。

 どこのカードキーだろうか。

 

「裏に書いてあるな。これは、ホテル……いや、マンションか?」

 

 『クレストプライムタワー Duchess』と、ご丁寧に名前がしっかり書いてあったので、それをネットで検索してみると、すぐに出て来た。

 それはこの町にある超高級マンションのカードキーのようだ。駅近くだが、ここからだとそれなりに歩く必要がある。

 

「わざわざこれを渡してきたってことは、行け、ってことなのか」

 

 公爵夫人はなにも言わなかったが、敵と相対している最中に、逃げ場所を暴露するわけにもいくまい。

 無言でこれを投げ渡したということは、つまり、そういうことなのだろう。

 

「……行こう、ヤマネ。きっとここに、なにかがあるはずだ」

「ん、りょーかい。お前が言うならそうするぜ。ユニ子もそれでいいよな?」

「は、はい。ユニはだいじょうぶ、です……」

「よし。じゃあ走ろう。いつ奴らが追いかけてくるかもわからないし、距離もある。あまりもたもたはしていられない」

 

 そうして、霜とヤマネ、そしてユニコーンの3人は、駆けだしていった。

 その先に、迫り来る絶望から逃れられるような、希望があると願いながら。




 さて、皆さんお久しぶりです。前回の更新が昨年の9月なので、半年と3ヶ月振りですね。
 忙しかった用事が片付いたとか、執筆ストックが溜まったとか、別にそういう理由で更新再開したわけではなく、純粋に「書こうかな」という気持ちになったから書いただけです。6月は別に予定がガッツリ入ってるので、正直この気持ちが単発性になる可能性は否めませんが、筆を折る気は今のところさらさらないので、できる限りゆったりちまちま頑張ります。


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49話「隠れ家だよ Ⅱ」

 高級マンション、最近のセキュリティとかどこまでしっかりしてるのか。少しだけ興味ある。とりあえず高層マンションだとゴキブリとか虫は出ないらしい。凄いセキュリティだ。


「ここか……」

 

 『クレストプライムタワー Duchess』。事前に調べた通り、見るからに高級感溢れる荘厳で長大なタワーマンションだった。

 ロビーに足を踏み入れれば、とんでもなく広い空間と、豪奢な装飾、煌びやかに彩られた壁に天井、タイルの床が出迎える。

 

「すっげぇな。うちの屋敷とは違う感じだが、でけぇ、なげぇ、やべぇ。とにかく縦がバッドだな」

「駅近とはいえ、こんな片田舎の町にこれほど大きな建造物があるなんて驚きを隠せないな」

 

 都心部でもないのにこんな大きなマンションに需要などあるのだろうか、と考えてしまうが、今はそんなことはどうでもいい。

 3人は足早にエレベーターへと乗り込む。当然、部屋番号を要求するなどのセキュリティがあったがカードキーそのものは手元にあるため、ここは問題ない。

 追跡されている様子はなかったが、できる限りの隙はなくしたい。行き先のボタンを押して、すぐさま扉を閉める。

 そして3人はそのまま、無振動のエレベーターで上へ上へと上っていく。

 

(しかしこの部屋番号、5005号室……地上50階? とんでもない高さだな……)

 

 タワーマンションというのはそういうものだが、実際に入ってみると、やはり驚きはある。数分エレベーターに乗っていてもまるで止まることなく上昇を続けるというのは、奇妙な感覚だった。

 やがて50階へと到着する。人の気配はない。住人の姿も見えない。そのまま早足で、目的の部屋の前まで辿り着く。

 

「ここ……だな」

「で、ここになにがあんだ?」

「それはわからない……が」

 

 試しにドアノブをガチャガチャと引いてみるが、当然、鍵が掛かっている。

 同時に扉に耳を当ててみるが、なにも聞こえない。誰もいないのか、あるいは防音設備はしっかりしているのか。

 今度はインターホンを押してから、同じこと。やはりなにも聞こえない。

 

「なにやってんだ?」

「まあ、一応試しにね。無駄だったけど」

「だ、誰かいる……んでしょうか……?」

「かもしれないと思ったんだけど、出て来る気配はないね」

 

 仕方ないので、カードキーを挿し込む。これで解錠された。

 ドアノブを引く。なんの抵抗もなく、重厚な扉はそのまま開かれる――

 

「! ソウ!」

「え? うわっ」

 

 ――その瞬間、霜の態勢が崩れる。

 後ろから足を払われるように、重心を崩された。

 身体が宙を浮く一瞬。

 後ろ向きに倒れ行く眼前に、煌めく刃が通り、霜の前髪を掠めていった。

 

「っ……!?」

 

 あまりのことに、声も出ない。

 霜はそのまま尻餅をつくように倒れてしまう。そして空を切った刃は、霜を追いかけるように、そのまま振り下ろされるが、

 

「させっかよ!」

 

 パシンッ! と、ヤマネがその刃を振るう腕を掴んだ。

 ギリギリと。幼くとも男の、怪物の力で、締め上げるようにその凶刃を打ち止める。

 

「……おい、こりゃあどういうつもりだ? なぁ」

 

 彼はその刃を振るう人物を睨み付ける。

 霜も、眼前に突きつけられたまま停止した刃を隔てて、彼女へと、視線を上げた。

 

「君は……」

「……っ!」

 

 吃驚や、侮蔑や、憤怒。あらゆる情念が混沌の如くない交ぜになった、激情の眼が、言葉なく霜を見下ろしている。

 彼女は、ふーっ、ふーっ、と呼気荒く、興奮した様子で、ギリギリとヤマネと拮抗していた。

 そして、その直後。

 

「狭霧ちゃん!」

 

 部屋の奥から、男の声がした。

 ドタドタと騒がしく足音を立てて、声の主はやって来る。

 

「なにをやってるんだ、こんな時に」

「でも! お兄ちゃん……!」

 

 彼は、彼女から刃――包丁を取り上げる。

 そして次に、霜たちを順番に見遣る。

 

「……水早君に、ネズミ君。それにユニコーンちゃんか。意外なほど意外な組み合わせだ。だけど、まだ生き残りがいて、オレは嬉しいよ」

「若垣、朧……いや、ヤングオイスターズ、って言うべきなのか?」

「どっちでもいいよ。とはいえ今のオレはヤングオイスターズとしてではあるけどね。しばらく学校には行ってないし」

 

 若垣朧。そしてその妹、若垣狭霧。ヤングオイスターズの末端たち。

 朧は落ち着いているが、いつもの不敵で軽薄な雰囲気が鳴りを潜め、狭霧もいきなり刃物を向けるなど、かなり興奮している様子だった。

 一体、なにがどうなっているのか、まったくもって不明だが。

 少なくとも、話くらいは聞けそうだった。

 

「狭霧ちゃんは……少し、落ち着きなさい」

「…………」

 

 朧に窘められると、狭霧は逃げるように黙って部屋の奥へと引っ込んでいってしまった。

 

「色々とすまないね。とりあえず入ってくれ。聞きたいことも言いたいことも、たくさんあるだろうから、お互いにね」

 

 こうして霜たちは、朧に招き入れられた。




 なんだかんだでよく出る朧。書きやすいし扱いやすい。
 TRPGをやっていると、癖が強めなキャラクターの方がやってて楽しいけれど、やはり小説を書くってなると、こういう真っ当なキャラの方が安定して手綱を握りやすい部分があるなぁ、としみじみ思う。


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49話「隠れ家だよ Ⅲ」

 そろそろ現状を一旦整理しようか。


 高級マンションというだけあり、中も広かった。物は少ないが、設備はしっかりしている。

 とはいえ家具や荷物の類は本当に最低限度であり、生活感はないが、そこには確かに、人がいる。

 人間では、ないのだとしても。

 霜はリビングに入る。ヤマネは眠気が限界に達したようで、夢の世界へと旅立ってしまったため、寝室に放り込む。

 

「さっきは狭霧ちゃんがごめんね。連日の国の不景気とか、姉の不調とか、先の襲撃とか、パニックになることが立て続けで、心身共に参ってるんだ。今のオレたちには、お客さんをもてなす余裕もなくてね」

 

 リビングのテーブルについて、開口一番、朧はそう言った。

 

「実を言うとオレらも、ついさっきここに逃げ込んだばかりでね。正直まだ混乱してるよ」

「逃げ込んだ……ということは、やはりここは……」

「うん。ここは公爵夫人様が用意してくれた隠れ家(セーフハウス)。不思議の国の最後の(コロニー)さ」

 

 逃げ伸びた住人が行き着いた場所が、このマンションの一室、ということなのだろう。

 朧の口振りからして、朧や狭霧の他にも、他にも生き残りはいるようだ。

 朧は霜、ユニコーン、そしてヤマネが寝ている寝室に順番に目を向ける。。

 

「しかし驚いた。救助の間に合わなかったユニコーンちゃんに、国から飛び出したネズミ君に加え、2人と一緒にいるのが水早君だなんて。これは一体、どういうことかな?」

「まあ……色々あったんだよ」

「ユニもおどろきました。ネズミのお兄さんが、この人たちといっしょにいたのは……」

「ってことは、水早君とネズミ君でラインができたってことなのかな。彼が家出してる間に、なにかあったんだね」

「……行き倒れてる彼を拾っただけだよ。流石に、目の前で倒れられてたら、無視するわけにもいかないだろ」

「そうか、それは彼の同胞として礼を言わせて貰わないといけないね。思いも寄らない奇縁だね。ユニコーンちゃんも助けてくれたようだし、君らの奇縁には感謝しかない。僥倖だね」

 

 どこか嬉しそうな朧。平静を保っているが、安堵の吐息までは、隠しきれていない。

 彼の狡猾さも、策謀も、霜は知っている。本質を秘して裏から動く行動力を知っている。本心を悟られない隠蔽技術を知っている。

 そんな彼が、内心を隠しきれていないということは、それだけ今彼らが置かれている状況というのは、過酷なものなのだろうと、察してしまう。

 朧は安堵感を一度飲み込むと、再び霜に視線を向け、さて、と切り出す。

 

「状況を一度整理しようか。君の様子からして、オレたちの現状を知らないのだろう?」

「あぁ、うん。ボクはボクで、小鈴のためにと動いてて、その目的であなたたちの総本山まで乗り込んだんだけど、そこであの騒動があって、慌てて逃げてきたから。正直、なにがなんだかさっぱりなんだ」

「成程。まあオレたちも連中のことをちゃんと理解しているわけではないけれど、ある程度の予想はつく。憶測交じりで正確性には欠けるが、ここまできたら一蓮托生……いや連帯責任かな? どっちかっていうと説明責任という感じだが、とにかく君も無関係じゃない。オレが話せる限りのことはすべて話そうじゃないか」

 

 だんだんと調子を取り戻してきた様子で、朧はまず、これまでの不思議の国の来歴を語る。

 

「君と最後に接触したのはコーカス・レースだったね。じゃあそれ以後の話をしよう」

「……ボクはそのコーカスなんたらについても、よく知らないのだけれど」

「それはもう終わったし無意味になったことだから、気にしなくていいよ。あれがきっかけだったのも確かだろうけどね」

「……?」

「奇跡を呼び起こす者、太陽の神獣、君たちが「鳥さん」と呼ぶ彼を捕える作戦、コーカス・レースってのはそのコードネームだよ。そこでオレたちは、マジカル・ベルを心身共に傷つけた。その所業に、『代用ウミガメ』は耐えきれなかった。君は現場にいたはずだから、ある程度察しはついてるんじゃないのかい?」

「それは……」

 

 霜にも思い当たる節はあった。「君はいない方が良かった」と、そう、残酷極まりない言葉を吐き捨てた。

 それが彼女の心を抉ったというのであれば、申し開きもない。

 

「前々からウミガメちゃんは、精神的に不安定だったんだ。それがコーカス・レースでの一件で遂に限界を迎えたみたいでね。精神が犯された知性体がなにをしでかすか、わかるかい?」

「…………」

「わからないんだ。なにをするか、わからない。それが答え。特にオレたちは人ならざる人でなし、病む以上に、壊れるよりも、狂ってしまう。狂気に浸された思春期の仔山羊が抱く破滅願望を、誰が予期できるだろうか」

 

 途中からいまいち言いたいことの要領は得ないが、要するに彼女は、精神崩壊を起こした、ということらしい。

 心が限界まで追い詰められ、どうしようもないどん詰まりに追い込まれ、発狂した。

 破滅か、暴走か、自暴自棄か、あるいはそのすべて。

 『代用ウミガメ』、亀船代海は、そうなってしまった、ということらしい。

 

「そして狂気に飲まれてしまった彼女が具体的になにをしたのかというと、女王の覚醒だ」

「女王?」

「名前くらいは聞いたことないかな? 『ハートの女王』。不思議の国の根源たるグレートマザー……要するにオレたちの母親だよ」

 

 そう口にすると、君たちにとっての母親とは毛色が違うけどね、と朧は自嘲気味に嗤った。

 

「知っての通りオレたちは人間じゃない、君たちの知るようなクリーチャーとも違う。あり得ざるはずの異形の怪物……邪神とでも言うべき“母”から産み落とされた落し子、の子孫だ」

「頭が痛くなってきたな。その口振り、まるで何億年も前に、そのハートの女王やらがこの世にいて、あなたたちの先祖を産んでから、今でもまだ生きているみたいに聞こえる」

「まったくもってその通りだからね、百点満点の理解度だよ。ちなみにそのご先祖様――たくさんいるうちの1人だけど――っていうのは帽子屋さんのことだったりするから、結構このへんの事情は込み入ってるんだ」

「……改めて、あなたたちが人外だと思い知らされる。常識がひっくり返って飲み込むのも一苦労だ」

 

 あまりに荒唐無稽にして規格外。信じられないような話だ。

 しかしこの世には、そんな信じられないような出来事が、いくらでもある。霜が“彼女”と出逢ってから歩んできた道程とは、そういうものだった。

 だからこれも、受け入れなくてはならない真実なのだろう。

 

「話が逸れたね。とにかく、ウミガメちゃんは、ずっと眠っていた女王を目覚めさせてしまった。結果、女王様はウミガメちゃんを連れてどっか行っちゃって、オレたちが住んでいた屋敷は半壊した。おまけにネズミくんや虫けら姉弟たちが離反して、不思議の国そのものも衰退していったのさ」

「どういう理屈でそうなったんだ……」

「このへんは不明な情報が多くてねぇ。元々、オレたちは女王様のことを良く思ってなかったから、帽子屋さんが封印しててくれたんだけど、ウミガメちゃんが狂気のあまりそれを解いちゃったみたいでね。ウミガメちゃんを連れて行ったのは……たぶん依代にするためかな」

「依代、とは?」

「さっきは少し誤魔化して言ったけれど、『ハートの女王』という存在は、邪神。正しく神様なんだよ」

「……神?」

 

 怪訝に眉根を寄せる霜。

 わかっていたと言うように、朧は続ける。

 

「神という存在の証明、定義は困難だからね。一口で神様なんて言ってもピンとはこないだろうさ。だから端的に言うと、ハートの女王は、世界を滅ぼせる力を持った悪性の存在だ」

「世界を、滅ぼす……?」

 

 また途方もなさすぎる話だった。フィクションの話でもしているかのようだ。

 しかし朧は至って真剣だった。

 

「そういう反応になるのもわかる。けれど事実だ。人間も有象無象にしてしまうほど強大なんだよ、彼女は。そんな彼女という概念を理解することは叶わない。あれはそういう存在だ。彼女の大きさに、人間はあまりにもちっぽけすぎる。路傍の蟻が、巨象の輪郭を完全に把握できるはずもない。彼女と君たちの規格は、それよりもずっとかけ離れているんだ」

「……とにかく、途方もない話ということだけはわかった」

 

 理解しようとして理解できるものではない、ということは理解できた。

 それこそ、神話で語られるような神に近いもの、なのだろうか。とにかく絶大で、すべてが及ばない遙かなる存在。

 こうなると世界を滅ぼす、という話は、あまりにも端的すぎて、かえってわかりやすいのかもしれない。

 それが明確な脅威である、ということを示す上では。

 

「オレたちにとって、ハートの女王は、悪い意味で重大な存在だった。この星に生きる者として、あれを解き放つことなく封じるつもりだった。あるいは公爵夫人様なんかは、女王を殺害しようと企ててたほどだ。オレたちにとっても、女王は厄介事、大きな悩みの種だったのさ」

「だけどそれが、あなたたちの手から逃れ、野放しになった、と」

「あぁ。不思議の国内の色んなバランスが崩壊したよ。というより、ゲームオーバーだよね。終末兵器が世に放たれたんだ、本当に、世界滅亡は秒読みなんだよ」

 

 軽い口で零す朧だが、目はまったく笑っておらず、冷め切っている。

 そんな彼の表情が、彼の言葉が冗談などではないと雄弁に語っていた。世界滅亡、それは真実であると。

 

「だから、ほとんどの住人は諦めた。もう終わりだってね。抵抗なんてできやしないと。抗う、と考えること自体が愚かで無意味で無価値であると。そして、真っ先にそれを体現したのが――帽子屋さんだった」

 

 国のトップが、いの一番に諦めた。生存も、繁栄も。

 それは不思議の国全体にとって、非常に大きな影響力となったことは、想像に難くない。

 

「大抵の住人は、無力さと絶望感に打ちひしがれて、すべてを諦めてしまったよ。帽子屋さん、虫けら姉弟、それにヤングオイスターズの長姉……ネズミ君や夫人様のように、抗った人もいたけどね」

「ヤマネが……」

 

 不思議の国の名だたる傑物が諦念に駆られた中、それでも抗うことをやめなかった彼は、ただ馬鹿だったのか。それとも――

 

「まあここで重要なのは、諦めたか否かではない。そういう者達が現れて、国そのものが統治を失って、バラバラになってしまったことだ。率直に言って、国が崩壊した」

「国のトップがそうなったのなら、当然の帰結か」

「とはいえとどめを刺したのは、マジカル・ベルなんだけどね」

「え?」

 

 小鈴が、不思議の国にとどめを刺した?

 衝撃の事実に、霜は息を呑んだ。

 

「ウミガメちゃんが女王様に連れて行かれてから少し経って、オレたちの国がバラバラになった直後くらいかな。まだうちの姉がギリギリ理性を保てていた頃、彼女たちが不思議の国にやってきた」

「それは、どうして?」

「どうしてだろうね。まあ聖獣……鳥さんを助けに来たのだろう。伊勢さんの性格を考えると、ウミガメちゃんのことも慮ったのかもしれない」

「小鈴なら……確かに、そうするかもしれないな」

「ただ、彼女に悪意がなかったにせよ、不思議の国はそこで完全にとどめを刺された。彼女の来訪後、玉座に座するだけの道化の王様が――帽子屋さんが、国から姿を消したからね」

「姿を……消した……?」

「うん。帽子だけ残して、跡形もなくなった。文字通りね。殺されちゃったのかなぁ、って」

 

 朧はあっさりと言うが、あの小鈴が誰かを手に掛けるなんて、そうあることじゃない。

 と、いうより。

 

「……いや待て。ボクたちは帽子屋と出逢ってるぞ」

「え? 嘘!? 水早君、帽子屋さんとも会ったの!?」

「う、うん。なんだか実子を拾って行ったけれど……あれ大丈夫なのか?」

「香取さんを? うーん、これは……意図がまったくわからないな。元々狂って壊れてわけわからないことばっかりする人だけれど……いや」

 

 でも、と朧は息を吐く。

 それは、安堵の溜息だった。

 

「よかったよ。帽子屋さん、生きていたんだ。それなら、まだもう少しだけ、頑張れるな」

 

 朧の表情に、微かに明るさが差す。

 ほとんどの住人は諦めた。女王に屈した。彼はそう言った。

 しかしそれを口にする朧こそは、この現状に、諦めていなかった。

 

「思わぬ事実が発覚したところで話を続けようか。そんなわけでオレたちは、女王覚醒、マジカル・ベルの襲撃、2つの事件によって国がどんどん崩壊していくわけだが……そこでついさっき起こった、新たな勢力の介入によって、安らかな終末さえも踏み躙られることとなった」

 

 コーカス・レースを発端に、代海の凶行とハートの女王の始動、それによって廃れた国に切り込んできた小鈴たち、そして事件は今に至る。

 伊勢小鈴を中心とする自分達と、【不思議の国の住人】の双方へと牙を向けた、第三勢力の登場。

 

「彼らは自身のことを【死星団(シュッベ=ミグ)】と名乗っていた。そしてオレが見たのは、ミネルヴァと名乗る帯剣した白髪の男、シリーズと名乗る豪腕の女。あと、名前は聞かなかったが青髪の女の子。この3人だ」

「前者の2人とはボクも遭遇しました。女の方はなんとか振り切って、男の方は公爵夫人が……」

「あの人に限ってそう易々とやられるとは思えないけれど、疲弊しているとはいえ、相手は少数で屋敷に残った【不思議の国の住人】のほとんどを討ち倒した猛者だからな……」

 

 とても勝利して帰還するだろう、などと楽観的には考えられなかった。

 

「連中は何者なんでしょうか。どうも異様な雰囲気というか、およそ一般人らしくない感じだったけれど……目的もわからないし。どうしてあなたたちを襲ったんだろう」

「……これは本当に、完全なる憶測なんだけどね。確証もない。だけど確信だけはある」

 

 それは彼らにしかわからない感覚。いや、本能と呼ぶべき第六感。

 潜在的な直感が示す、回答とは。

 

「あれはオレたちの同類だよ」

「同類? 同じ種族、ということか」

「そうだね。とはいえ、犬と狼、鯨と鯱みたいな関係なのだろうが。彼らの方が、より女王に近い。女王の力の加護を受けて産まれてるんだろうね。女王様に逆らって生きるオレたちとは出来が違う」

「同類なのに、差があるのか」

「オレたちは人の世に適応するために、ご先祖様の有していた能力のほとんどを手放してしまったからね。オレたちは限りなく、人に近づいた。だから純度の高い邪神の眷属とは対等には渡り合えないのさ」

 

 暗に自分達は弱くなったと自嘲するが、それを悔やみはしないがね、と朧は言う。

 あくまでも今の自分達が至上なのだと。

 

「さて、彼らの登場タイミングから推測するに、十中八九、【死星団】は『ハートの女王』の尖兵だ。女王様は、自分に逆らう落し仔に憤慨しているんだよ。不出来な子供なんていらない、邪魔になるなら消してしまおう、ってね」

「それは随分と、乱暴な考えだな」

「けれど筋は通ってる。そう、筋が通っているんだよねぇ」

「それがなにか?」

「女王様は人智の及ばない、理解の遙か向こう側にいる邪神だ。人が推し量れるような“筋”を通した理屈で活動するとは思えない。だから、これはきっと、女王そのものの意志というより、女王に取り込まれたあの子の……」

 

 と、途中まで口にしたところで、朧は首を横に振った。

 

「……いや、よそう。とにかく問題なのは、彼らはオレたちに対して明確な敵意がある、ということだ。実際問題、国を離れなかった住人の大半は、彼らによって鏖殺――いや捕縛かな?――されてしまった。そしてきっと、その活動は今も続いている。国を離れた面々を探し出し、炙り出し、襲撃を仕掛けているはずだ」

 

 仲間の身を案じる朧だが、しかし奴らの矛先は彼自身にも向く。今はこのマンションを隠れ家にしているが、ここもいつ暴かれるかわからない。

 しかし、それでも。

 

「長女は壊れ、長男は失踪、次女は奴らの手に掛かってしまった。『ヤングオイスターズ』に残された最年長はオレだけ。だけどオレは、生存を諦めてはいない。お姉さん(長女)の願望であった、生きることを。せめて、生き残ったオレだけでも、諦めちゃいけないんだ」

「…………」

「だから、まずは生き残っている仲間を集める。蟲の三姉弟や帽子屋さん、可能そうならバンダースナッチも……とにかく残存戦力を少しでも掻き集める。現実的ではないだろうが、せめて蟲のお姉さんか、帽子屋さんが戻ってきてくれれば……!」

 

 いつも飄々としている彼が、真摯に、切実に、拳を握り締める。

 事の大きさも、彼の決意も、その重責も。ひしひしと伝わってくる。

 

「水早君。君たちがどうするかは、君たち次第だ。だけどね、脅すわけではないが、君も無関係ではないよ」

「……それはなんとなく察していますよ。理由はどうにも見当がつかないけれど」

 

 【死星団】が『ハートの女王』の手下であり、女王に逆らう【不思議の国の住人】に誅伐を下しに来た。その朧の推理が正しいのだとすれば、霜にまで敵意を向ける必要はない。ヤマネに手を貸している、敵の味方をしているから纏めて敵という認識をされているだけという可能性もあるが、それにしたって彼の態度はあまりにも敵対的に過ぎた。それに、

 

「なんとなく、ボク“たち”もターゲットにされているな」

 

 それは霜だけではなく、恐らく、霜と関わりのある人間。

 ひょっとすると、小鈴たちも、既に――

 

「…………」

「お互い歯痒いね。すぐにでも会いたいのに、大切な仲間が遙か遠い。なかなか手が届かないなんて」

「……ボクはあなたとは事情が違う」

「そうかい。まあなんにせよ、オレたちはもう一蓮托生だ。ここは力を合わせようじゃないか」

「それは……確かに」

「とりあえず今は休もう、色んなことが立て続けで、流石に参ってる。あぁ、そうだ。ネズミ君やユニコーンちゃんを連れてきてくれた恩もある。君の持っているカードキーは合鍵の一つだが、それは君が預かっていてくれ」

 

 それはこの隠れ家を自由に使っていい、ということだが。

 隠れ家を利用しなくてはならないかもしれない、という今の状況が、望まざるものである。

 その事実に嘆息する。

 なんのために、なにをすればいいのか。

 五里霧中、暗中模索。自分の道が、わからなくなってきた。

 ――ボクは、どうすればいいのだろうか?




 説明回と言うとアレなのだが。しかし状況が色々込み入ってきたし、作中の登場人物はその状況を俯瞰して見ているわけではないから、ここいらでその意識を植え付ける必要があるっていうね。
 更新休止してた間ずっとTRPGをやってたからついついTRPGを引き合いに出してしまうけれど、プレイヤーが知っている情報と、プレイヤーの操るキャラクターが知っている情報は違う、という問題。小説でも厄介ですね、これ。
 正直早く対戦パートの描写がしたくて溜まらないけれど、お話として描くために今は地固めの時期。切った張ったの展開はもう少しお待ちください。


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49話「隠れ家だよ Ⅳ」

 過去の栄光や過去作の人気キャラに縋った新作は堕落と思うタチで、そういう意味では最近のデュエマにはちょっとコンテンツ的な危うさを感じているのですが、それはそれとしてディスペクターのコンセプトは凄い好き。あの冒涜的に陵辱的な設定が、とても、いい……


 霜はその晩、朧たちのマンションに宿泊することにした。

 公爵夫人は、最初から不思議の国から離反するつもりだったのか、それとも今回のような敵襲に備えていたのか、このマンションには食糧等の備蓄がある。今、下手に外に出るといつ襲われるかもわからない以上、ひとまずこの場所に潜むのが得策と思われた。

 

(もっとも、地上50階なんて高層マンションなんて、この場所を突き止められたら、かえって逃げ場がなくなりそうでもあるが……)

 

 しかし家に帰って、なにも知らない家族を巻き込みけたくもない。

 一応、メールで兄に「今日は帰らない」と伝えた。不登校再発に、ヤマネを家に招き入れたり、急な外泊。既に家族の不信感は募っているだろうが……

 罪悪感が積み重なっていく。近しい人に真実を告白できず、本来あるべき日常が削られ、少しずつ精神を蝕んでいく。

 これではまるで、

 

「昔に戻ったみたいだな……」

 

 小鈴と出会う前の、自分。

 大切な人を失って、その人への微かな思いに縋って、振り回されて、空回っていた頃の自分。

 今と、まるで同じだ。

 

「みたい、じゃなくて。戻ってしまったのか。退行してしまったんだな、ボクは」

 

 それが自覚できただけ、まだマシか。

 前に進むために、よりよくなるために動いていたはずが。実際はその逆を進んでいただなんて、滑稽でしかない。皮肉極まる裏目だ。

 その事実に、ただただ、霜は自嘲するしかなかった。

 

「起きてたんだ、水早君」

「朧……さん」

「別に無理して敬語使わなくていいよ。今は一蓮托生だけど、元々オレらは仲間ってほどでもないんだからさ。というか、こっちとしては半ば君らを巻き込んでるような形だから、むしろ申し訳ないくらいだ」

「まあ……そこは気にしてないですよ。ボクにも、ボクの責任がある」

「そうかい。寝ないの?」

「ちょっと考え事してて」

「この場所だっていつまで凌げるかわからない。休める時に休んだ方がいいよ」

「それはわかってるんですけどね」

 

 それでも、考えてしまうのだ。

 自分のこと。自分がすべきこと。今までのこと、これからのことを。

 

「対外的な干渉より、まず自分の内面を、か。それはそれで大事なことなんだろうね」

 

 月に向かってそう零すと、朧はおもむろに霜のソファの隣に腰掛ける。

 

「隣、座るよ」

「……どうぞ」

 

 月明かり差し込むソファに、2人の少年が座する。

 しばし黙した後、朧が口を開いた。

 

「しかし、ほんっとうちの妹分や母親が迷惑掛けるね。ウミガメちゃんはともかくとしても、女王様は正真正銘、文字通りのモンペだから」

「スケールが大きすぎて、もはやそれは迷惑なんてレベルではないのでは?」

「それもそうだ。けれどスケールの小さなところにまで、歪みを与えているのも事実だろうさ」

「? どういうことですか?」

「君、友達と喧嘩してるだろう?」

 

 急に、切り込んできた。

 のらりくらりとしている朧らしくもない物言い、霜は言葉に詰まる。

 

「……だったら、なんだっていうんだ?」

「地雷かなとは思ったけど、怒らないでくれよ」

「あなたには関係ないことだ」

「いやあるでしょ。直接ではないとはいえ、それってオレらがちょっかいかけたことがきっかけだろう?」

「…………」

「まあ関係ないと思うなら関係ないでいいと思うけど、関係ないからこそ吐き出せることもあるんじゃない? 君なら特にね」

「……なんだか、らしくないですね。そんなお悩み相談とかするタチだったんですか?」

「今夜はそういう気分なのさ」

 

 薄雲のかかる半月を見上げる朧。

 霜は訝しげにそんな彼を見つめる。

 

「……そんな目で見ないでくれ。仕方ない、素直に言おう。ひとつは責任を感じてるから。少しは申し訳ないと思っているんだよ、オレも」

「本当に?」

「嘘ではないさ。言うほど本音でもないがね。どちらかというと、恩を売りたいという打算の方が強い」

「むしろそういう理由の方が安心するな」

「悲しいな。何度も言うようにオレたちは一蓮托生、運命共同体だ。共通の脅威が存在するのだから、今は共に手を取り合って協力するのが吉。なら、君の不安や問題を少しでも取り除く方が、連携もスムーズになると思わないかい?」

「筋は通ってますね」

「これはまごうことなく本心だよ。今は君たちの力も借りないとやっていけない。一時の間とはいえども、仲間の力になろうとするのは、おかしいことじゃないだろう? だから怪しむのはやめておくれよ」

 

 などと、朧は必死に弁解するものの。

 霜は以前、正に霜が抱えている問題が発生した時、この朧に騙されていたわけなのだが。

 

(まあ……今とあの時とじゃ、状況がまったく違う。この人も、本当に必死なんだろうな)

 

 生きることに。仲間を守ることに。そして、取り戻すことに。

 ただの子供でしかない霜に縋りたくなるほどに、追い込まれているのだろう。

 とはいえ霜も、あの時のことを、それによって生まれた自分の今の感情を、そのまま言葉にするのは難しい。

 また、しばらく静寂が続いた。薄雲が月から離れるまで、2人は黙していた。

 今度は、霜から口を開く。

 

「……絶交、って言われたっけな」

「それは伊勢さんと? いや、香取さんかな」

「実子とは最初から友達のつもりはない」

「ふぅん。まあ、でも、伊勢さんは大丈夫でしょ。彼女の性格からして、君にその気があれば、すぐ仲直りできるさ」

「その気、か。果たしてボクにその資格があるか、だと思いますけど」

「資格か。ま、いいけどね。それこそ君にその気があるか、だ。それよりも……香取さんとの喧嘩の方が深刻かもね」

「……どういうことです?」

「いやぁ、香取さんの名前を出すたびに君、随分とイライラしてるように見えるからさ。そんなに彼女のことが嫌いかい?」

「嫌いですよ。速やかに死ねばいいと思う」

「うわぁ辛辣」

 

 あまりにも直球すぎる言葉だった。以前の霜ならもっと言葉を濁していただろうに、そのオブラートさえ剥がれている。

 それほどに、霜の中で変化があった。それは確かだ。

 霜はストレートな罵詈雑言を吐いた後、務めて冷静に戻る。

 

「ただ……あいつの言い分もわからないわけじゃない。結局のところ、誰しも自分の利を求めて社会は回っていて、そのために誰かを利用したりするのは自然なこと。それは合理的で、当たり前のことなんだ、って」

「ちょっと邪悪な感じはあるけど、それもまた人の世の真理だね」

「それは分かっている。わかってるんだが……」

「肝心要の伊勢さんは、善性の塊みたいな子だからねぇ。それを利用するというのは、友であることの欺瞞のようで、つまり――」

 

 ――裏切り。

 その一言に他ならない。

 

「君は彼女に裏切られて怒っているのかい?」

「まさか。あいつの邪悪さにはずっと気付いていましたよ」

「でもなんやかんや一緒にいたよね? なんで?」

「なんでって……そりゃあ、小鈴の手前、大っぴらに喧嘩なんてできないでしょう」

「いや、君ら結構、公衆の面前とか関係なくギスギスしてた気がするけど……まあいいや。伊勢さんが君らのストッパーになってたんだろうねぇ」

「……なんです? その顔。ちょっと不愉快なんですが」

「別に? ただ、君は君らしくあればいいだけだと思ってね」

「ボク……らしく?」

 

 懐かしいような、くすぐったいような響き。

 その言葉に、胸の奥がざわつく。

 

「知性と理性。合理と功利。効率と能率。君の目的を果たすための最良と最善の探求。君は、理知的であればいい。そうすれば、きっと上手く行くよ」

「……意味がよくわからないのですけれど。具体性に欠けるのでは?」

「闇は悪ではないし、光も善ではない。潔白だからって良き未来に繋がるわけではない。邪悪だからって破滅的とは限らない。正義感や責任感や善意、利己的も功利主義も性悪説も、絶対的なものではないのさ」

「それは哲学かなにかで?」

「お節介な先輩のアドバイスと思ってくれ。これでも多くの弟妹の面倒を見てるんだ、後輩に言葉の一つや二つを残すくらいするさ」

 

 こう見えて新聞部では頼れる記者なんだよ? と朧は微笑む。

 なんとなく、そこに、兄の姿がダブった。

 

「君は自分の道に悩んでいるようだが、オレたちも君らも、きっとすべきことは変わらないよ」

 

 今、自分達がすべきこと。

 大いなる脅威に立ち向かうための、必要条件。

 それは、

 

 

 

「離れ離れになった仲間を取り戻そう。話はそれからだ」

 

 

 

 縁を断った友人も、統治を喪った民も。

 また、同じところへ。

 よりを戻し、元々の居場所へと集合する。

 バラバラなまま、女王に敵うはずもない。惰弱であるが故に、知恵と勇気と仲間の力で乗り切るしか、生路はないのだから。

 

「そのためにも、君の場合、ちゃんと話をしてきなさい、ってところかな。言葉は君たちの武器だからね」

「ご忠告どうも。兄貴よりも役に立つご助言でしたよ」

「あまり自分のお兄さんを貶めるもんじゃないよ」

「……感謝はしてますよ。あなたにも、兄貴にも」

 

 胡散臭い、詐欺師のような人だと思っていたが。

 いざ味方になると、思いのほか、頼もしい。

 力は弱いが、いやさ、弱いからこそ。

 弱者の戦い方を、生き延び方を、彼は知っている。

 朧の助言を反芻する。自分の為したいこと、為すべきこととはなにか、考える。

 

(ボクの目的……したいこと、すべきこと、か)

 

 それは当然、彼女を、小鈴を守ることだが。

 自分の力では、非力で、そして彼女の意にそぐわない。

 彼女の求める理想を壊さず、その箱庭のような美しさを守るには、どうすればいいのか。

 霜の求める欠けのない完璧な回答は、いずこに。

 あと一歩のところまで、来ている気がする。

 けれどそれを見つけ出すのは、もう少しだけ――




 彼らの方針は定まった。


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49話「隠れ家だよ Ⅴ」

 リズの口調がようやく自分で納得のいく感じになって、作者は一人で満足しています。死星団の口調や性格にはおおよそモデルがいるのですが、リズは難しくて、なかなか上手く書けなかった。


「せーあつかんりょー! なのです!」

 

 【不思議の国の住人】の旧住居。山中の広大な屋敷に、三つの人影。

 小柄な青い少女が、溌剌に片腕を振り上げた。

 

「ふふん。あたしたちに掛かれば、出来損ないを追っ払って新居獲得くらいお茶の子さいさいなのですね!」

「然り。確実にこの地を手にするために、戦力の60%をも駆り出したのだ。占拠できなければ困る」

「ミーナさんは堅実なのです。なんにせよ、後はお姫さまを護送するだけなのですね」

「あぁ。これで最後、気を緩めるなよ」

「なのです。でも、あっちのお家にいるのって、リオくんとディジーさんですよね? 大丈夫なのです?」

「ディジーはともかく、ヘリオスは……どうだろうな」

「彼なら平気よ」

 

 白い男に、緑の女が静かに語りかける。

 

「彼は、彼の思うままに動くだけ。それが彼に与えられた役割なのだから」

「私が奴に下した命を、奴がまともに全うした覚えはとんとないのだがな」

「役目ではなく、私が言っているのは役割よ」

「持って生まれた資質というものか。君のその主張は、いまいち飲み込みきれないな、リズ」

「いいのよ、それで。あなたの役割は、森を見ることではないもの。理解する必要はないわ」

「…………」

 

 女の不透明な物言いに、男は黙殺する。

 同じ母の胎から生まれた者同士だが、彼女の思考はいまいち掴みきれないところがある。

 【死星団】の末子。五番目に輝く最低等級の星でありながらも、特権的な力――否、哲学を有する落し子。

 最も母に近く、超越的な視座を持つ彼女にはなにが見えているのか。

 それは【死星団】を取り仕切るリーダーであるミネルヴァにも、計り知れない。

 

「……まあいい。ひとまず、整地を進める。リズ、頼めるか?」

「えぇ、そのために私はここにいるのだから。この地を黒い森(ゴーツウッド)に変えればいいのね」

「然り。地脈的にも風水的にも、この地は母、そして姫との親和性が高い」

「女王さまもお姫さまも、効率的に育めるというわけなのですね。環境整備は大事なのです」

「リズ。聖地完成まで、どのくらい時間が掛かる?」

「獣の縄張りが奪われるのは一瞬よ。けれど、植物の縄張り争いは獣とは違う。水を求めて張り巡らされた根は深いわ」

「は? リズちゃんなんなのです? なぜそんなに、いちいち意味不明なのです?」

「……時間が掛かる、と言いたいのだろう」

「回りくどいのでーす」

 

 ぐちぐちと文句を言うのを、リズと呼ばれた女は一切に介さず、木に一本一本触れて、黒く染めていく。

 

「これまーじでだらだら時間掛かるやつなのです。ただ待ってるのは時間の無駄なのですね。ミーナさん、どうするのです?」

「具体的な時間はわからないか?」

「あなたは苗木の一つから森が繁茂するまでの時間を答えられるかしら」

「……ひとまず、リズの応答を待つとしよう。その間、我々は本来の使命に準じ反逆者共を狩る」

「らじゃーなのです! 次のお相手はお決まりなのです?」

「当然、目星は付けている。狙うべきは厄介な力を持ち、捕縛の優先度の高い民」

 

 それは、即ち――

 

 

 

「――蟲を、獲りに行くぞ」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ふぁーぁ……よく寝たぜ……」

「おはよう、今は夜中の11時、つまり23時だよ。子の刻だね」

「お、いい時間じゃねーの」

「寝て起きてくる時間ではないけどね」

 

 霜が公爵夫人のマンションに退避してから、2日目の夜。物思いに耽っていると、ヤマネが起き出してきた。

 昨日から今夜まで、比喩でも誇張でもなく1日中眠りこけていたので、このマンションに来てから言葉を交すのはこれが初めてだった。

 

「腹減ったな……なんかねーの?」

「カップ麺、缶詰、レトルト食品、野戦食(レーション)、どれがいい?」

「しょぼくれてんな。かーちゃんのメシが恋しいぜ」

「母親? ハートの女王?」

「おめーのかーちゃんだよ」

「あぁ……」

 

 納得しつつ、霜は戸棚からいくつか食糧を並べる。

 このマンションが隠れ家という表現は正しく、保存食に保存水と、籠城戦でもするのかと言わんばかりに、長期的な視点で選ばれたであろう品々ばかりが備蓄されていた。

 

「状況が状況だから、流石に外に買いに行くってわけにもいかなくてね。ボクは裁縫はできても料理はできないし」

「しゃーねーかー。カップ麺食うわ」

「はいどうぞ」

 

 適当にカップ麺をひとつ手渡して、電気ケトルに水を入れる。

 深夜のカップ麺……酷く背徳的だが、彼は昨日からなにも食べていないので、霜はなにも言わないことにした。

 

「そういや、ヤングオイスターズの兄ちゃんたちはどこ行ったんだ?」

「あぁ……仲間を探しに行ったよ」

「仲間ぁ?」

「国を去った住人、だっけ? えっと……」

 

 そういえば霜が朧と話している時、彼は寝ていたのだった。狭霧には朧から話を通しているはずだが、ヤマネは今後の自分達の方針を知らない。

 霜はこれまでの経緯を、カップ麺が出来上がるまでの間に、掻い摘まんで話す。

 

「――というわけで、ボクらはそのハートの女王とやらに抗うために活動することにした。もはやレジスタンスだね」

「レジスタンス……カッケェな。バッドだ」

「そこか?」

 

 あまり笑える状況ではないんだけどね、と言いながら霜はカップ麺にお湯を注いでやる。

 そう、まるで笑える状況ではない。

 いつ襲撃されるか分からない脅威が常に付きまとう。そのため、下手な外出もできない。食糧だっていつまでもつかわからない。行動が大きく制限されるストレスに、圧倒的情報不足、戦力不足。これが乱世の世なら敗戦は決まったも同然だ。

 しかし、そんな絶望的状況でもなお、諦めずに抗うからこそ、レジスタンスなのだ。

 不利でも困難でも、今できることからひとつずつ、着実に。

 弱い種が、大いなる脅威に立ち向かうには、その小さな一手を積み重ねなくてはならないのだ。

 それが、弱者の意地と定めだ。

 

「だからまず、不思議の国を去ってしまった仲間の中から、有力な人材から順に探し出してレジスタンスに引き込むつもりなんだ」

「……クサレ帽子野郎を連れ戻したって、また腐るだけだっつーのにな」

「それについては、ボクからはノーコメントだ。まあ朧さんは「帽子屋さんならしばらく放っておいても大丈夫だろう。もっと緊急性と有用性の高い人を呼び集めないと」と言っていたけどね。君らのリーダー、なんだか頭目というわりには扱いが良くないよね」

「はんっ、帽子屋だからな。たりめーだ」

 

 カップ麺の蓋を勢いよく開けて放り投げるヤマネ。それを拾い上げてゴミ箱に捨てる霜。

 中心的人物なのに、随分な扱いだった。忠誠心とかないのだろうか。ないのだろう。

 

「……しかし、頭目よりも緊急性と有用性の高い人物って、誰だ?」

「ずるずる……そりゃぁ、決まってんだろ。虫けらどもだろうよ」

「虫けらって……あの人たちか」

 

 教師や購買店員や用務員として学校に現れた、蟲の三姉弟。

 特殊な“眼”を持つ彼女たちを、朧は探しに行ったのだろうか。

 

「重要人物っぽいわりに、虫けらとか結構酷い物言いだよね。こっちもこっちで」

「虫なんだから虫けらっつっても間違いねぇだろ。みんな言ってる。僕も言ってる。本人も言ってる。So tell!」

 

 本人らが自称してるのなら、いいのだろうか。尊敬の念とかはなさそうだ。親しみはありそうだったが。

 ずるずるとカップ麺を啜るヤマネをよそに、霜は月を見上げる。

 

「朧さんは大丈夫だろうか……」

 

 僅かに歪む半分の月が、煌々と宙に輝いていた。




 リハビリ兼ねてここまでゆるりと話を進めていたけれど、次回くらいからそろそろ話を動かしていくよ。


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50話「再活です Ⅰ」

 50話。区切りはいいけれど、主人公も一切登場しない半端な感じに……まあいいか。
 リハビリと状況整理をこのへんにして、そろそろ本格的に話を動かしていきますよ。


 そこは河川敷であった。

 12月の凍てつく風が吹き荒ぶ冬の夜の、河川敷。

 そこに、見るからに怪しい人影が、ひとつ、ふたつ、みっつ。

 

「ハエ太ー。この草、食べられるのよ?」

「まあ大抵の雑草なら、茹でれば食べられるんじゃない? あとハエ太はやめろ」

「おーい姉上。拾ったガスコンロが動かなくなったぞ。今日からまたしばらく手動火起こしである」

「むー、あれ時間が掛かるから嫌なのよー」

 

 バタつきパンチョウ、燃えぶどうトンボ、木馬バエ。

 蟲の三姉弟は不思議の国から出た後、住居を探していたが、連帯保証人がおらず敷金も入れられず、不動産屋で物件を借りることもできなかった。その結果として、住処のないその日暮らし――率直に言うと、ホームレス生活を満喫していた。

 道端の草を食み、虫を喰らい、時々小動物を狩り、泥のような水を啜る。原始時代さながら、木片をこすり合わせて摩擦で火を起こし、雨や川の水でそれらを煮る、という生活であった。

 もはや質素だとか清貧だなんて言葉では語れないほどに惨めで落ちぶれた様相だが、しかし彼女たちはそんな境遇に対し、顔色に翳りのひとつも見せなかった。

 

「今が冬で助かったのよー。死ぬほど寒いけど、乾燥してるから火が起こしやすいのなんの」

「であるな。しかし時折、警官が我々の生活の妨害をしてくるのは感心できぬことよ」

「火はまずいんだろうね、この社会だと。私らの知ったことではないけれど」

「あ、この草甘め。生でも結構いけるのよ」

「そういえば先ほど雀を数羽ほど狩ってきたぞ」

「雀って条例とかで獲るの禁止だったような……まあ関係ないか」

「今夜はごちそうなのよ! パーティー! おっにくーおっにくー!」

 

 どころか、むしろ今の原始人のような生活を楽しんでいる節すらある。

 女王の覚醒も、それによる世界滅亡へのカウントダウンも知っているはずの彼らだが、それを忘れているかのような気楽っぷり。

 あるいは、それは、狂気か。

 

「……随分と愉快な食事ですね、皆々様方」

 

 そんな蟲たちの団欒に、声が掛かる。

 

「うわ、なにこれあり得ない……よくこんな生活できるね、うち、流石にこれは無理……」

「正直オレもドン引きだが、堪えて狭霧ちゃん」

 

 軽薄そうな少年と、蟲たちの生活に引いている少女。

 『ヤングオイスターズ』の兄妹、朧と狭霧だった。

 

「む、貴様らは」

「珍しい客がいたものだね。えーっと……」

「カキちゃんの弟君と妹ちゃん! えーっと、何番目なのよ? 3番目くらい?」

「惜しい、4番目(次男)です。若垣朧ですよ。こっちは5番目(三女)の狭霧ちゃん」

「うち一応、先生の授業受けてたんだけど」

「そうでしたか。そんなどうでもいい記憶は持ってても無駄なので、とっくに捨てました」

「しかして珍客だな。ヤングオイスターズの端末が、我々に何用だ?」

「兄さんの言う通り。私たちは既に不思議の国から去った身。あなた方とは関係ありませんよ。とっとと帰ってください」

「まーまー、ハエ太。そんなカリカリしないのよー。知らない仲でもないし、せっかくのお客さんなんだから、ちょっとお喋りするのよー」

「姉さんがそう言うなら……けどハエ太はやめろ」

「……ご厚意、痛み入ります」

 

 恭しく頭を下げると、朧は逡巡する。

 兄姉以外にはとにかく冷淡な木馬バエ。豪快だが同時に矜持と我の強い燃えぶどうトンボ。そして、朗らかだが、超越的視座を持つバタつきパンチョウ。

 彼らを相手に、どのように説得するか。

 一瞬のうちに思考を巡らせ、そして、

 

「……不思議の国に、戻ってきてくれませんか?」

 

 率直に、言った。

 のらりくらりと騙しても意味はない。今はただ、切実である。

 だから、朧はまっすぐ、そのままの言葉を口にする。

 

「オレたちは女王への反乱を決意しました。もう手遅れかもしれないけれど、遅きに失したのだろうけれど。公爵夫人様の意志を汲み取るには、あまりにも遅すぎたとわかっているけれども。こんな最悪の状況になってはじめて抗うことを覚えるだなんて、愚かの極みであると承知はしている。その上で、オレは決起しました」

「…………」

「これは生存を望んだ長女の志でもあります。ヤングオイスターズはもう、オレと狭霧ちゃんしか残っていない。ほとんど崩壊した種だけれども、せめて喪った姉兄妹弟の遺志は継ぎたい。それが今のオレにできる数少ない贖いであり、責任だから」

 

 飄々と、のらりくらりと、その場凌ぎで騙くらかして生き延びてきたが。

 あまりにも漫然と、惰性で生きすぎた。

 長女は必死に、死なないように生きていた。不思議の国としてもそうだったが、それは違う。

 生きるとは、死なないことではないのだと、思い知らされた。数多くの仲間を喪い、居城を剥奪され、絶望の淵に立たされて、ようやく理解できた。

 

「一方的で身勝手なのは承知の上。正直、まともな策も公算もない。あなた方へのメリットもなにもない。だからただのお願い、懇願です。オレたちを助けて欲しい。力に、なってください……!」

「う、うちからも、お願いします……」

「……だってさ姉さん」

「さてどうしたものか、姉上」

「えー?」

 

 若牡蠣たちの必死な懇願に、バタつきパンチョウは能天気なほど気の抜けた声で、

 

 

 

「いーんじゃない?」

 

 

 

 承諾した。

 

「え? あ、えっと……あっさりですね?」

「だってカキちゃんの弟君たち、困ってるのよ? だったらお助けするのはやぶさかではないっていうかー、当然みたいな?」

「……国から出て行った以上、オレたちに力を貸すことはもうないのとばかり思ってましたよ。女王を倒す算段だってないのに」

「そりゃそうなのよ。お母さまは絶対倒せないのよ。無理無理、みんな死んじゃうのよ」

「え……」

 

 朧は言葉に詰まる。

 さっきまでの朗らかさはなんだったのか。いや、その明るさのまま、まるでトーンを変えず、彼女の気は地続きであった。

 

「あなたたちの力にはなる。できる限り助ける。でも、私の考え……じゃないか。世界の真理は変わらないのよ」

 

 ゆるく、どこか諭すように、バタつきパンチョウは言う。

 

「ハートの女王、お母さまは“絶対”なの。あれは存在そのものが、この星の規格と不釣り合いなほど超絶大なのよ。格が違う、次元が違う、それが言葉そのままの意味。理屈も論理も常識も意識も、なにもかもが別格。同じ土俵にいないのよー」

「えっと……それは、わかってますけど――」

「わかってないのよ」

 

 スパッと、彼女は言い切った。

 一瞬だけ、彼女の声が凍える。

 それは真冬の川風よりも、冷たく突き刺さる。

 

「私には、ちょっとだけ“視える”のよ。そして同時に、今まで何度も“視てきた”のよ。お母さまが如何なるものか。言葉では言い表せない脅威、恐怖、狂気。邪悪と闇の権化であって、言の葉では語り尽くせないほどの混沌。倒すとか、殺すとか、そういうのは埒外なのよ。奇跡が起こっても渡り合うなんて無理。だってマジモンの神様だもん」

 

 朗らかに、能天気に、気楽に。

 バタつきパンチョウは、誰よりも現実を、絶望を受け入れていた。

 

「私はそれを理解しているのよ、だから余生を静かに暮らそうと、弟たちと国を出た」

「…………」

「姉上……」

「まあ帽子屋さんにカチンときたのもあるけどね。とにかく、お母さまはもうどうしようもない。残った時間をどう使うかでしかないのよ」

 

 あまりにも残酷すぎるが、しかしてそれは事実。

 淡い希望など幻想。朧はそれを、叩き付けられた。

 反論の余地などない。自分が、淡いという言葉ではぬるすぎるほどの、蜘蛛の糸よりもか細い、理論上ですら可能とは言えないような、奇跡を求める以上の強欲で、無に等しい可能性にしがみついているだけ。

 それに比べて、誰よりも「世界が詰んでいる」ことを理解し、実感し、開悟した彼女の言葉は、なによりも重い。

 

「でも、だから、あなたたちがその残り時間をどう使うかも自由だと思うのよ。私は絶対無理だと思うけど、無理だから諦めろなんて言わない。国を離れたって仲間だもの、助けがいるなら力を貸すのよ」

「……はい。ありがとう、ございます……」

 

 素直に喜べなかった。

 それはつまり「どうせ最後にはみんな死ぬ。手を貸そうが貸すまいが同じだから、手伝ってもいい」という意味だ。

 一歩前進したはずなのに、気持ちは沈む一方だった。

 楽観を叩き割られた朧に反して、バタつきパンチョウはコロコロと表情を変える。もはや達観しすぎて、狂気を感じるほどのにこやかに笑っていた。

 

「んー、じゃあとりあえず、一旦お屋敷に帰るのよー。ウサちゃんと久し振りに遊ぼうかな」

「あの害獣の遊びって、ほとんど淫婦の夜遊びじゃないか。なにするんだ?」

「ハエ太の言ったままのことだけど?」

「え?」

「あ、いや……えーっと、その、今『三月ウサギ』さんは……」

「ウサちゃんがどうかしたの?」

 

 そういえば、彼らは屋敷が襲撃されたことを知らないのだった。

 手短に、朧は今までの経緯を話す。

 

「現在、不思議の国は少数の生き残りがいるだけで、ほとんどの民は討たれてしまいました。その中には、『ヤングオイスターズ』の長女に、三月ウサギさんや、公爵夫人様も……」

「うそっ!? ウサちゃんに、夫人様まで……」

「夫人殿を打破するとは、相当な手練れだな。して相手は何者だ?」

「ここまでの話から察するに、女王様と無関係じゃなさそうだけれど」

「はい。オレたちもそう予想しています。そしてその敵の名は――」

 

 と、朧が続けようとした、刹那。

 

 

 

「――【死星団(シュッベ=ミグ)】」

 

 

 

 月夜の宙に、男の声が響く。

 一同が振り返ると、そこには、白い総髪をなびかせ、白刃の剣を帯びた影がひとつ。

 微かな月光に照らされた凶星(まがつぼし)が、妖しく輝いていた。

 

「我が名はミネルヴァ・ウェヌス。【死星団】がⅠ等星(モノステラ)、始まりに輝く者。貴様らを処断すべく馳せ参じた」

「2番! メルちゃんもいるのですよー。ゆるーく深夜配信しながらまったり残党狩りなのです」

 

 ミネルヴァと名乗る男の背後から、ひょっこりと青髪の少女が顔を出す。

 その2人を見るや否や、朧と狭霧の顔色が変わり、血の気が引くように青冷めていく。

 

「お前、たちは……!」

「あ……ぅ、あぁ……」

 

 恐怖がフラッシュバックする。数々の仲間、兄弟姉妹を喪った事実が、槌で殴られたような衝撃を叩き付ける。

 体が硬直する。思考が纏まらず、震える感覚だけが全身を支配する。

 

「そこな小僧と小娘、ヤングオイスターズの兄妹だな。あの時は3番目の次女に邪魔され取り逃がしたが、今宵は逃さぬ」

「えー、ミーナさーん。今回そっちはあたしにくださーい。なのです」

「む。メル?」

「実はちょうどいいのを持ってきてるです。今回はちょっとー、実験というか試験運転も兼ねようかなーと、思ってるのですよ。で、やっぱ“コレ”おお相手なら、彼らが適任そうなのです」

 

 メルと呼ばれた少女は、虚空に指を滑らせる。星をなぞるように、奇妙な図面を引くように、指先でなにかを描く。

 すると彼女の背後の空間が捻れ、穴が空く。空間に穴が空くというだけでも奇天烈だが、さらに奇妙なことに、その奥にはさらに空間が広がっている。培養槽のようなものが立ち並んだ、薄暗い実験室のような場所。そこから、ゆらり、ゆらりと、なにかがゆっくりと這い出てくる。

 

「……!」

「え……うそ……?」

「これは……!」

 

 蟲の三姉弟らは、吃驚を見せる。

 しかしそれ以上に、ヤングオイスターズらは、平静を崩し、あまりの衝撃に目を見開く。

 落ち着いてきた思考が再びフリーズする。体の震えは新たな恐怖と激情に上塗りされる。

 それは黒々とした肉の塊。腕も足も、爛れたように膨れ上がり、ふやけたように皺だらけ。それらは海藻のように広がり、海を漂うように長い触手として枝分かれし、伸びている。もはや、どこまでが腕で、どこまでが足なのかさえわからない。

 どこか落ち着かない様子で、ぐじゅぐじゅと肉塊の表面を泡立たせている。それはまるで、溺れ死なないよう必死に水面に顔を出す土左衛門か、あるいは死の間際になにかを訴える屍のようだった。

 わかる。これはハートの女王の落し子、黒い森の子山羊、即ち自分達の本性そのもの。

 しかしそこには決定的な歪みがあった。黒藻に絡め取られるように、真中に据えられた顔。歪んでいても、虚ろでも、それだけは、見間違えようがなかった。

 

「そん、な……あ、あなたは……!」

「くふふっ、よかったのです。これは感動のご対面、なのですよ?」

 

 悪戯っぽく微笑む少女。

 声にならない声をあげる兄妹たち。そうしてなんとか、朧は絞り出した声で、“彼女”を呼ぶ。

 いるはずもない。生きているはずもない。命脈が尽き、活動限界が訪れたはず。見限って、見捨てて、切り捨てたはずの、彼女を。

 

 

 

「――お姉ちゃんっ……!?」

 

 

 

 『ヤングオイスターズ』の長女、若垣綾波(アヤハ)

 年老いた若牡蠣は、変わり果てた姿で、舞い戻ってきたのだった。




 黒い仔山羊は有名だけど、ほぼ同じ存在であるダーク・サルガッソーは非常にマイナー。まあ探索者が水中に潜ることなんてほぼないしな……


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50話「再活です Ⅱ」

 メルちゃんは今日も邪悪。


「お姉さん……!」

「カキちゃん……!? でも、その姿……」

 

 『ヤングオイスターズ』長女、人間の名としては若垣綾波。

 しかしその姿は変わり果てていた。腕も足も、黒い海藻のような触腕となり、爛れたような黒い肉がぐじゅぐじゅと体表で蠢いている。

 これは、特に公爵夫人が激昂した時など、一部の【不思議の国の住人】が“制御不能”に陥った際に起こり得る、先祖返りの現象。

 黒い仔山羊(Dark Young)としての姿。ヤングオイスターズの場合は、水中適応型(Dark Sargasso)と呼ばれるが、どちらにせよ普通のことではない。本来ならそれは発露したくはないもの。なぜなら、落し子としての姿を晒すということは、女王の眷属であることの表れなのだから。

 それに今の彼女は、眼が虚ろ、なのに激しく、昏く、ギラついている。狂ったように、瞳が渦巻いていた。とても正気ではなく、異常そのものである。

 

「おい若牡蠣の。これはどういうことだ?」

「……わかりません。お姉さんは、少し前から心身共に限界で、ほとんど寝たきり状態だったんです。時期的には、活動限界――つまり寿命で、そこに色んな事件が追い打ちになったのだろうと」

「あなたは最期まで彼女を看取ったのですか?」

「いえ……そのつもりではあったんですけど、途中で奴らが国を襲撃してきたので、逃げ延びるために、お姉さんはやむを得ず、屋敷に残して……」

「お姉ちゃん……まさか見捨てたうちらの復讐に……?」

「いやーそんなまさかなのですね!」

 

 狭霧の言葉に、青髪の少女は首を横に振った。

 

「復讐心に燃えているのは彼女ではなくお姫さまの方なのです。あたしがこの人を連れてきたのはただ、性能実験したかっただけなのですよ」

「性能実験?」

「えぇ、使える“手駒”が欲しいと思っていたので!」

 

 にこやかに、少女は笑う。

 狂気さえも感じさせるほどの、純粋さを張り付けて。

 

「あなた方は非常に興味深いを進化をしたのです。リズちゃんあたりはその変化を嫌ってるようなのですが、あたしは嫌いじゃないのですよ? そういう環境適応は。理想の自分になりたーい! って気持ちはよくわかるのです。でもでも、あなた方が落し子としての形から逸脱すればするほど、女王様の支配下には置きづらいのですよ。わかります? これってとっても面倒なことなのですよ。効率的な研究、邁進には、円滑な環境が必要なわけでして、そのためには障害となるものはできるだけ取り除くか、性質の転化が必要なのです」

「……? 君は、なにを言ってるんだ……?」

「下手なお芝居なのです、あなたにこの論理がわからないはずないのですけどねー。要するに、ヘットハンティング。将棋なのですよ。討ち取った敗残兵はあたしのもの! なのです。まあ彼女は拾い物なのですが、どっちにせよ言うこと聞くように調教しないといけないのは変わらないから、どっちもどっちなのですね」

 

 くすくすと笑う少女。

 低コストだが良質な手駒が欲しい。強力で、従順で、手頃なユニットが。

 そんな我儘な希望を叶える手段。それは、既にある強力な人材を作り替えてしまおう、というもの。

 しかし自我の強く残ったものをそのまま作り替えるのは骨が折れる。だから、

 

「既に“壊れている”素材を使えば、効率的にユニット作成完了! というわけなのです。どうせ寿命でお亡くなりになる寸前のガラクタなのです、あたしがリサイクルしてあげたのですよー」

「嘘……あんた、お姉ちゃんの体を、弄って……?」

「まあ手は加えないと死んじゃいますしぃ。上手いことコントロールするためには、そりゃあ壊れていても、もう少し“壊す”必要はあるでしょう。だからあたしにとって都合のいい駒にするために、そりゃあアレコレ改良したのですよ」

「……外道だな」

 

 あまりの醜悪さに、燃えぶどうトンボは吐き捨てる。

 それは死者への、なによりも同胞への冒涜であり、尊厳の陵辱。

 少女の行いは、唾棄すべき邪悪そのものであった。

 

「……彼女の倫理観については私も頭が痛いが、元より女王に仇為す志こそが愚か。生存を許すだけでも温情と知れ」

 

 嘆息しつつも、ミネルヴァも険しい目つきで蟲の三姉弟らを、睨め付ける。

 

「メルがヤングオイスターズを断ずるならば、私は貴様らを切り伏せよう、虫けら共」

「やれるもんならやってみろ、なのよ。私が相手になるのよ!」

「姉さん……大丈夫か?」

「今回ばかりは、あまり楽観できるものではないが……」

「だいじょーぶ! お姉ちゃんは無敵なのよー」

「楽観的だな。誰よりも、女王の威光を理解しているだろうに」

「えぇ、わかってるのよ。でも、お母さまに敵わないからって、あなたにまで負ける道理はないのよ? それにー……」

 

 能天気なバタつきパンチョウの表情から、笑みが消えた。

 

「カキちゃんのこと、私も怒ってるから」

 

 そして、冷淡に憤りの眼差しで返した。

 その義憤に、ミネルヴァは一瞬の沈黙。

 

「……良かろう。ならば、その決起に敬意を表し、貴様らとは我が王国で相手をしよう」

「お? ミーナさん、やっちゃうのです? ならあたしも、舞台を用意するのですよ」

 

 ミネルヴァは、抜いた剣を天高く掲げる。月にその証を示すように。

 それに続き少女も虚空に指を滑らせる。無音のまま歌い踊るように。

 

 

 

『異聞神話空間展開――』

 

 

 

 彼らは、己が王国の門を開く。

 

 

 

「――憐れな羽蟲共よ。貴様らは、我が月光の差す祭壇へと導いてやろう」

「――こちら麗しいご兄妹の面々は、メルちゃん劇場へとご案内なのです!」

 

 

 

                    ☆ ☆ ☆

 

 

 

 そこは、清廉な神殿だった。

 四方八方天上天下、潔白な壁で囲まれた、白亜の祭壇。

 仄明るく、仄昏い。神聖にしておぞましき祭祀場。

 蟲の三姉弟は、そこでミネルヴァ・ウェヌスと相対する。

 ミネルヴァは天を仰ぎ、誓いを立てるように黙祷を捧げていた。

 

「……ここは、大いなる母を称え、神を賛美し、奉る祭壇。彼女より与えられた、月光照る我が王国――」

 

 黙祷を終えると、ミネルヴァは告げる。

 己が国の支配者としての責務、矜持を示すように。

 

「――『光の神殿・愛護の契(ルークス・アモール)』」

 

 それが、この異様なほど清らかで、奇妙なほど狂おしい王国(せかい)の名。

 

「……凄い臭いだな。女王の傲慢な腐臭がここまで満ちた場所があるなんて、思わなかった」

「明かりはあれども世界は昏い。国としての良し悪しなど、測るまでもなく、醜い世界だ。なぁ姉上」

「なーのよ。見てくれだけは綺麗だけど、中身の悪逆を隠し切れていないのよ」

 

 並の精神であれば、この国に足を踏み入れるだけで、奇異なる清廉さに飲まれてしまうところだが。

 この神話の一幕のような異次元空間においてもなお、蟲たちは平静さを保っている。蟲故の知性(INT)の惰弱さか、あるいは精神(POW)の強靭さか、または純粋なる正気(SAN)の異質さか。

 いずれにせよ、少なくとも“今”、“精神”は、蟲たちは国主たるミネルヴァには負けていなかった。

 

「で、こんな辛気くさい場所に連れ込んでなんなのよ?」

「国には法がある。軍にも、戦にも、信仰にも、法規がなくてはならない」

「法……?」

「貴様らの国は無法の悪国だったようだが、我々には女王に奉じるため、信徒としての規律がある。そしてそれは、我らが賜った王国も然り」

 

 王国の空気が重くなる。狂気が肌を突き刺し、言の葉のひとつひとつから重圧を受けるほど。

 ミネルヴァの圧が、強くなっていく。

 

「異聞神話空間により開かれる我らの王国には、ただの国に非ず。この国全土には、絶対の法則(ルール)が敷かれている。この王国にいる限り、我が法からは誰も逃れられない」

「ルールだって? どんなルールがあるっていうのさ」

「無論、それも各【死星団】ごとに異なる。私の王国に敷かれた法規は<誓約(ゲッシュ)>。絶対の契約と、宣誓による加護である」

「誓約……誓いを立てれば強くなる、ということか。だが、わざわざ法などとぬかすのだ。それは単に、誓いが精神的支柱になる、という意味ではなかろう」

「然り。貴様らは空想したことがあるか? 己の意志と繋がる何某かが賽を振る様を。有為転変なる世界を裁定する支配者の姿を」

 

 世界は遊戯盤。盤上の存在はすべて空想された空虚なもの。

 法とは、その遊戯盤に裁定を下すものである。それは人か、あるいはそれを神と呼ぶのか。

 真偽は定かではないが、重要なのは真偽ではなく、裁定者の下す真実に、力が宿るという事実。

 

「強き意志には加護が宿る。不退転の契りは誓いとなり、神より賜りし力となる。私はこの国を与えられたその(とき)より、己がすべてを捧げ宣誓した。王国。母への信奉、姫への大義、そして不敗の誓いを」

 

 不敗の誓い。

 即ち、ミネルヴァは既に、誓ったのだ。

 己は決して負けないと。何者にも屈しないと。

 その宣誓は裁定者()に届き、それは己を制縛する呪いとなり、同時に加護となる。

 

「揺るぎなき正義。信念すらをも越えた信心。神への信奉が絶対であることが、私が最強の凶星であることの証明となる」

 

 Ⅰ等星(モノステラ)のミネルヴァ・ウェヌス。【死星団】にて最も輝ける星。

 一番目に生まれた長子であり、最上の力を受け継いだ彼が、【死星団】最強の戦士。

 それを裏付けるものが、女王への絶対的な狂信。そしてその信心を力に変える王国の法だった。

 しかしそれを聞き、バタつきパンチョウは、

 

「……よーするに、お母さまに忠誠を誓ってるから、見返りに力を貰ってるってことなのよ。そんなのママンにオギャってバブバブして威張ってるおじさんと大して変わらないのよ」

 

 まるで怖じることなく、平然と軽口を叩く。

 忠誠心が力となる。しかしそれは、女王より授かったというこの世界のルールがあってこそ。

 それは本当に、己の力と言えるのだろうか。

 それはあくまで、与えられただけの力に過ぎないのではないか。

 そう思うと、バタつきパンチョウは、堂々と与えられた力を誇示するミネルヴァに、憐憫すら感じてしまい、笑いそうになる。

 しかしそんな、嘲りと憐れみの混じった笑みに、ミネルヴァは憤慨する。

 

「この王国は母より下賜された宝。それを愚弄することは許されない。女王の愚弄も大罪。故に貴様ら全員、ここで撫で切りにしてやろう」

「それはさせないのよ」

 

 スッと、バタつきパンチョウの声から、瞳から、熱気が消える。

 抑えきれない本能(なかみ)に仄かに黒ずむ。

 しかしそれでも、自分の使命(やくめ)だけは、変わらない。

 

「私がどうなろうとこの際どうでもいいけれど、弟たちに手は出させないよ」

「姉上!」

「姉さん……!」

 

 一瞬。

 振り返った姉は、弟たちにはにかんだ。

 そして、

 

 

 

「私は姉として、弟たちを守るのよ。我が身に変えてでも」

 

 

 

 彼女は、口にした。

 自分の、誓い(ねがい)を。

 その、刹那。

 

 

 

「っ――!?」

 

 

 

 奇妙な感覚が身体を襲う。

 気持ち悪いほどの嫌悪。反吐が出るような怖気。のたうち回る狂気。

 しかし、そんな不快感とは対極にある、溢れ出す力。

 何かが入り込んできたように。奇妙な気力が満ちていく。

 

「私は確かに告げた。この王国にいる限り、我が方からは逃れられない、と」

「え……ま、まさか……?」

「然り。契約を口にしたということは、この国の法規に従うということに他ならない。歓喜せよ、貴様の嘆願(ちかい)は聞き届けられ、裁定された。即ち、貴様には大いなる母の加護が宿った。貴様がその宣誓に準じる限り、その誓いは絶対となる」

 

 誓いを立てれば力となる。その力が今、バタつきパンチョウに流れ込んでいる。

 しかし、

 

「さすれど忘れるな。誓約を破れば、応報がある。肝に銘じよ」

 

 誓いが力になるというのであれば、その誓いが破られれば、それが反転し牙を剥くのも道理。

 この国において、契約に反した者の罪は重い。

 

「うわぁ……勝手に言質取られて、勝手に契約させられたのよ。これが詐欺ってやつなのよ」

 

 力は得たが、望まない力を押し付けられたバタつきパンチョウとしては、理不尽しか感じない。

 女王の力。母の力。与えられた力。

 どれもこれも反吐が出る。今すぐ身を引き裂きたくなるような不浄に、気が狂いそうになる。

 こんなものは強化(バフ)に見せかけた呪い(デバフ)だ。清廉潔白に見えて汚い男だと悪態のひとつでもつきたくなる。

 が、今はそれらすべてを飲み込んだ。

 

「やってやろうじゃない。お母さまに全部根絶やしにされる前に、仲間たちの清算はきっちりやってやるのよ。そんで、みんなと、弟たちと、ゆっくり余生を過ごすのよ」

「……今の貴様に、それができればな」

 

 望む望まないに拘わらず、互いに誓約を交した。

 ならば後は、ルールに基づく契約の履行を為すだけ。

 

 ――即ち、開戦である。

 

 

 

                    ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ようこそいらっしゃいました! あたしの劇場へ!」

 

 高らかに宣言されたその場所は、舞台の上だった。

 薄暗い室内には照明が煌々と輝き、真っ赤な幕は既に上がっている。

 

「ここは『空想錬金工房 愚者の海(ストゥルトゥス・マレ)』。あたし専用の舞台であり、アトリエであり、そして与えられた王国なのです!」

工房(アトリエ)だって? ここが……?」

 

 どう見ても劇場だ。現に、客席にだって人が――

 

「っ……」

 

 客席の気配にそちらを向いて、朧は後悔した。

 そこにいたのは、“なにか”だった。

 言葉にできない、しようもない。目を逸らしたくなる黒く蠢く無形で異形の存在。

 

「お兄ちゃん……」

「……あぁ、大丈夫。オレは大丈夫だよ、狭霧ちゃん」

 

 客席のことは、一旦忘れる。

 それより大事なのは、舞台上で相対している、黒々とした落し子。

 若垣綾波――自分達(ヤングオイスターズ)自分達の、姉だ。

 

「ァ、ゥ……ウァ……ァ……」

「お姉さん……」

 

 嗚咽のような、悲鳴のような、慟哭のような、声を漏らす姉。

 無理やり先祖返りさせられ、死を免れた代わりにその身を支配されてしまった、若牡蠣たちの長女。

 朧たちは、そんな彼女と、戦わされることとなるのだ。【死星団】の少女の用意した、この舞台で。

 

「まったく悪趣味だな。オレも同期や後輩を口先で騙したり誑かしたり、色々やったけどさ。こんな醜悪な真似は流石にできなかったな。魂が根っこまで腐ってないとこんなことできないよ」

「えぇー? それってメルちゃんへの誹謗中傷なのです? ひっどーい! メルちゃん、お姉さんがいなくなって寂しそうにしてる弟妹たちのためも思って、お姉さんを連れてきてあげたのですよ?」

「オレたちのため“も”、か。そうは言っても結局、自分の思惑が第一なんだろう?」

「それはまあ、あたしもボランティアじゃないのですからね。効率的に、効果的に、なのですよ。物理も、精神も」

 

 ケタケタと少女は嗤う。

 幼く可憐な風貌に反して、あまりにも邪悪だった。

 内に秘めた悪意を隠し切れていない。滲み出した非道が見え透いている。

 

「あのミネルヴァとかいう人も、正義に狂信してるみたいで、自分にある醜さというものを露程も認識していないようだったけれど、君はそれ以上だな。【死星団】って、こんなに性格悪い人ばっかりなの?」

「ふっふっふー、口が達者なのですね。でも、なにを言っても価値が見出されなければ弱者の妄言なのですよ」

「なに? 怒った? ごめんね? 君はわりと大物みたいだし、オレみたいな端役の戯言なんて気にしないと思ってた。器の大きさを読み違えてたよ」

「……あんまり調子に乗るんじゃねぇ、なのです」

 

 一瞬、少女の眼が冷淡に開かれた。

 ぞくりと悪寒が背筋を走る。全身を恐怖が縦横無尽に駆け巡る。

 けれど同時に、朧は少し気持ちが良かった。相手の底が、ほんの僅かだが、透けたのだから。

 

(オレの挑発で苛立つ程度の精神年齢(メンタル)……女王直属の眷属だからもっと超然としてるのかと思ったけれど、この子はそうでもなさそうだ)

 

 だからってなにも解決などしていないが。

 話が通じる。理解が及ぶ。言の葉が効く。

 超越的な存在相手に、人としての武器が有効であるのなら、それは勝機だ。

 か細く、とても自分では通せないようなささやかな目だとしても。

 その僅かな機は、きっと、誰かが――

 

「もうお喋りはいいです。早くしないとお客さんも飽き飽きしちゃうのですよ。能書き十分、御託も不要。幕は上がっているのです、いい加減にしてあたしの劇をとくとご覧じろなのです」

 

 少女は、彼女のためだけにある特等席へと移動し、舞台上に残されたのはヤングオイスターズ(3人)だけ。

 

「楽しく実りのある舞台にしてくださいね。それがあたしの、さらなる“発展”に繋がるのですから!」

 

 少女はそう言って、開演の合図を出す。

 すると蠢く無貌の観客達が、不気味に沸き上がる。

 主演はヤングオイスターズ。若垣朧と、その姉、若垣綾波。 

 これは姉弟同士のめくるめく悲哀と憐憫の戦いの一幕。憐れなに相応しい筋書き。

 しかし演者は誰も、それを望まない。観客を沸かせることも、姉弟同士で戦うことも、この舞台に立つことさえも。なにもかも、望まない物語。

 

 ――それでも劇は、始まった。




 随分と懐かしい設定をこねくり回して引っ張り出してきたものだ、と勝手にしみじみする作者。なんとなくピンと来た人は、相当古参のモノクロファンです。まあ神話空間の設定なんて知らなくても大丈夫、本作ではマジカルベル用にチューンを加えてるし、なにより「王国」という言葉と合わせたかったというのが大きいので。固有結界みたいなものだと思って、本作は本作として楽しんで頂ければと。


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50話「再活です Ⅲ」

 筆が乗ってきた。


 朧とアヤハの対戦は、まだ立ち上がりの段階。

 アヤハは既に《海郷翔天マイギア》を展開。ムートピア主軸のデッキというのはいつも通りだが、水文明の単色ではなく、火文明が混じっていた。

 一方で朧はまだ動いていない。じっくりとマナの色を増やしている。

 多色マナを連続で置いた、3ターン目。

 

「そろそろ、少し動いておこうかな。《天災(ディザスター) デドダム》を召喚。山札から3枚を捲り、それぞれ手札、墓地、マナへと振り分ける。ターンエンドだよ」

「…………」

「お姉さん? あなたのターンだ」

 

 黒藻に埋もれた生気のない貌が、虚ろに反応を示す。

 

「ゥ……ワタシ、の、ターン……?」

「……そうだよ」

 

 なんとか発音はできているが、喋るのも覚束ない様子。

 やはりほとんど壊れている。リサイクルなどとのたまっていたが、これは修理や治療、延命などではなく、遺骸を弄くり回して無理やり動かしているに過ぎない。

 とても、醜悪だ。今の彼女も、姉をこんな醜い姿のまま生かしている、あの少女も。

 

「ワタシ……ターン……ドロー……」

 

 

 

バチバチッ

 

 

 

「? 今、なにか……」

 

 小さな火花が散ったような、火種が弾けるような、そんな破裂音が耳に届いた気がした。

 

「……《海郷翔天 マイギア》の、能力で、1マナ……《一番隊 ザエッサ》……もう1マナ、《ザエッサ》……1マナ――」

 

 いつものように、順当に《ザエッサ》を並べていくアヤハ。

 そして、

 

 

 

バチバチバチッ!

 

 

 

「! 今、引いたカードが……っ」

 

 聞き間違いではなかった。

 さっき引いたカードが、熱く、激しく、艶やかに、鮮やかに、炸裂している。

 彼女は残った赤いマナをひとつ、捻り出すと、爆弾の如きそれを、放り投げる。

 

 

 

「――ビビッドロー!」

 

 

 

 カードが爆ぜた。

 そして、硝煙の中から、クリーチャーが這い出てくる。

 

「《絶対悪役 ヴィランヒ()ル》!」

「っ、ドローターンのみのコスト変動か……!」

「登場時、バトル……《デドダム》、破壊!」

 

 《ヴィランヒヰル》は《デドダム》に組み付くと、そのまま組み伏せ、手足を逆向きにへし折った。

 

(今まで使ってこなかった文明、能力、カード……これは本格的に中身を弄られてるな。ムートピア軸である以上、切り札はきっと“アレ”だろうが……)

 

 

 

ターン3

 

 

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:2

山札:25

 

アヤハ

場:《ザエッサ》×2《マイギア》《ヴィランヒヰル》

盾:5

マナ:2

手札:4

墓地:0

山札:28

 

 

 

 

「オレのターン」

 

 相手の場には、既にムートピアが4体。手札は4枚、《ザエッサ》2体に《マイギア》と、コスト軽減のクリーチャーも揃っている。

 

(《Iam》が出るなら、そろそろだ。隙は大きいが一撃で全部持って行かれかねない、注意しないと)

 

 相手はあと一手でエースまで漕ぎ着けると判断する朧。

 妙な改造を施されてしまったが、あれが自分のよく知る姉である以上、次に打つ手は読める。

 手札は揃っている。相手に仕掛けられる前に、こちらが仕掛ける。

 

「こういうの、ガラじゃないんだけど、そうも言ってられない。生き残った弟として、あなたを討つ」

 

 そして、せめてその身と、魂を、解き放つ。

 

「2マナで《月光電人オボロカゲロウ》を召喚! オレのマナゾーンには5つの文明が揃ってるから、5枚ドローして、5枚手札を入れ替える!」

 

 たった2マナで5枚のカードを一気に入れ替える朧。

 手札の総数はまったく増えていないが、ここで重要なのは、“カードを引いた”という事実のみ。

 

「行くぞ、お姉さん。オレがこのターンにドローしたカードは6枚、よってコストを6軽減し、1マナで《絶海の虎将 ティガウォック》を召喚!」

 

 そのターンに引いたカードの枚数だけ召喚コストが軽減される《ティガウォック》。

 姉の切り札、《Iam》のようなわかりやすい爆発力や突破力はないが、それは朧らしく、柔軟で応用が利く。

 1体の《ティガウォック》を呼び水に、さらなる手札を引き込んでいく。

 

「《ティガウォック》の登場時、オレはカードを3枚ドローする。続けて2体目の《ティガウォック》を召喚! ターンエンド!」

 

 5文明をすべて備えた基盤に、《ティガウォック》を起点にした盤面展開。

 純粋な手数の多さでは敵わないが、代わりに朧は、多様な色を取り込んだ応用力と質の高さがあった。

 

(お姉さんの切り札――《Iam》は強力だけど、ブロッカーを立てるだけで破壊力は抑えられる。《ティガウォック》で抑えながら時間を稼いで、反撃に転じられる時を待つ……!)

 

 手札は十分。質も悪くない。《Iam》による単騎突撃にせよ、小型ムートピアを展開するにせよ、しばらく持ちこたえられるはずだ。

 そう。朧の想定通りに、進むのなら。

 

「……ビビッドロー」

「! またか……!」

「《ヴィランヒヰル》……《オボロカゲロウ》とバトル!」

 

 今度は《オボロカゲロウ》が、地面に叩き付けられ全壊する。

 しかし《ティガウォック》の呼び水となった時点で《オボロカゲロウ》の仕事は終わっている。小型クリーチャーの1体や2体を破壊されたところで、まだ大勢に影響はない。

 

「さらに、ドロー……《空中南極 ペングィーナ》を、召喚!」

「ここで《ペングィーナ》……!? 嫌な予感がしたきたな……!」

 

 《空中南極 ペングィーナ》は、自分の他のムートピアの数だけドローできるクリーチャー。

 アヤハの場には《マイギア》に、《ザエッサ》と《ヴィランヒヰル》が2体ずつ。5体のムートピア。

 たった1体のクリーチャーから、彼女は一気に5枚もドローしてしまった。朧のような、見かけだけのドローではない。実のある潤沢な手札を、彼女は貪り尽くす。

 そして、

 

 

 

バチバチバチッ!

 

 

 

 爆ぜるような音が、響き渡る。

 それは呵責のない爆熱。炸裂し続ける焦熱。堕落するほどの情熱。

 暗く黒い深海の底で冷め切った熱愛に支配された彼女は、我を失い暴徒と化す。

 

 

 

「ビビッドロー――《傾国美女 ファムファタァル》!」

 

 

 

 そして、国をひとつ傾けるほどに、彼女の狂気は滾っていた。

 

「《ファムファタァル》の登場時、自分のクリーチャー……すべて……パワー+6000、パワード・ブレイカー、スピードアタッカー……ッ!」

「っ……!? フィニッシャー……《Iam》じゃないだって!?」

 

 彼女は、《Iam(ワタシ)》を捨てた。それは、つまり。

 

「お姉さん、あなたの自我は、もう――」

 

 

 

 ――どこにも、ないのか?

 

 

 

 死者を再び動かしたのではなく。

 骸になったものを、ただ都合よく利用しているだけ。

 本人の意志は、縛るどころか。

 最初から、立ち消えていた。

 

「《ヴィランヒヰル》でTブレイク……ッ!」

「くっ、まずいか……!」

 

 絶望に打ちひしがれてる場合ではない。悲壮に浸っている状況ではない。

 姉の姿をした虚ろな骸を相手に、自分は正に、殺されてもおかしくないような事態なのだ。

 

(ここはブロックするべきなのか? Tブレイカー2体を防いだところで、Wブレイカーが5体も控えてる。打点をひとつ分ずらして、どれだけ効果がある……? クリーチャーを失ったら、オレには反撃手段もなくなるぞ……!)

 

 ハッキリ言って自分は強くない。このデッキも半ば持て余している。だから最善手なんて、すぐにはわからない。

 それでも必死に頭を回す。脳が焼き千切れるほどに、一瞬のうちに試行を巡らせる。彼女の凶手が届く前に、答えを出す。

 

「ブロックしても、焼け石に水……! なら血肉を捧げてでもあなたを倒してみせるさ。ブロックはしない、受けるよ!」

 

 《ティガウォック》を失えば反撃の手はない。相手の手数も打点も多すぎる。

 天運に委ねる。そんな神頼みが、最も合理的な一手だった。

 神なんて、邪神しか知らないというのに。

 

「ぐぅ……!」

「《ザエッサ》で……W、ブレイクッ!」

「ぐ、がはっ! 痛いな。後方支援員のオレには、キツすぎるな……!」

 

 一瞬で朧のシールドは消し飛んだ。

 大型単騎なら耐え切れた。小型展開なら打ち払えた。

 しかし、すべてが強大な力を持つ異形(クリーチャー)に変貌して襲いかかってきては、弱小な少年ではとてもじゃないが手に余る。

 

「だけど、この痛みの対価くらいは、貰えたかな」

 

 ある程度の打算はあった。なにがあるだろうと、予想は立てていた。

 しかしながら、これも皮肉か。叛逆を選んだこの手で、支配の具現を唱えるというのは。

 

「まあでも、使えるものはなんでも使うよ。こっちもなりふり構ってられないんでね! S・トリガー《支配のオラクルジュエル》!」

「ッ……!」

 

 その瞬間、アヤハのクリーチャーに、重圧が掛かる。

 

「アンタップ状態の《一番隊 ザエッサ》を破壊! 残りのクリーチャーはすべてタップだ! ここで攻撃は打ち止めだよ、お姉さん」

 

 

 

ターン4

 

 

場:《ティガウォック》×2

盾:0

マナ:5

手札:11

墓地:4

山札:18

 

アヤハ

場:《ヴィランヒヰル》×2《マイギア》《ザエッサ》《ペングィーナ》《ファムファタァル》

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:1

山札:20

 

 

 

「間一髪……ってところか」

 

 しかし次はない。いくら手札があってもマナがない。朧にあの数のクリーチャーを捌ききれるはずがなく、仮に殲滅できたとしてもスピードアタッカーで首を狩られる可能性も高い。

 つまり今ここで考えるべきは、守りではない。もう粘って隙を窺う、などという段階はとっくに消滅している。

 今上げるべきは、反撃の狼煙だ。

 

「呪文《超次元ガロウズ・ホール》! 《海郷翔天 マイギア》を手札に戻し、超次元ゾーンから《勝利のガイアール・カイザー》をバトルゾーンへ!」

 

 朧の場には《ティガウォック》が2体。そこに《勝利のガイアール・カイザー》を加えて合計5打点。

 もう一押し。あと一手。

 届かない残りの一歩は、《ティガウォック》が引き込んでくれた。

 

「《勝利のガイアール・カイザー》で攻撃する時、侵略発動! 《革命類侵略目 パラスキング》!」

 

 溜め込んだ手札を即座に破壊力に変換。

 数はギリギリだが、際どくとも致死圏内(キリングレンジ)

 ここで決めなければ後がない。後がなければ退くに退けない。相手の出方を見誤ったツケだ、愚直でも付け焼き刃でも、ただ攻める。

 

「行け……! 《パラスキング》でTブレイク!」

 

 《勝利のガイアール・カイザー》の身体を乗っ取り、巨獣の豪腕が3枚の盾を纏めて叩き潰す。

 

「続け! 《ティガウォック》でWブレイク!」

 

 追撃に2枚。これで相手も、シールドはゼロ。

 

(あと、一撃……!)

 

 それで終わる。

 果ててなお、突き動かされる憐れな姉を、支配の軛(くびき)から解き放つことができる。

 寿命で終わるわけでもなく。最期を看取ることもできず。この手で生ける死体の如き姉に引導を渡すなど、およそ残酷な話だが。

 最悪に最悪を、劣悪に劣悪を重ねて、醜悪極まったどん底なのだ。

 そんな地獄の中で、ほんの僅かでも、救いがあれば。

 朧は、そう願う。

 

「最後に《ティガウォック》で――」

「……ぼ……ろ……」

「! お姉さん……?」

 

 微かに姉の声が聞こえる。呻きでも唸りでも嘆きでもない、彼女自身の声。

 

「お……ろ……ハ……はや、ヤ……はや、く……」

「お姉さん……」

 

 この土壇場で、自我が戻ったというのだろうか。まだ彼女は完全には壊れていない。完全には死んでいない。

 ――救いはあった。希望は見えた。取るに足らない微弱な光明だが、それでも、朧にとってはかけがえのないものだった。

 

「……お姉さん。待っていてくれ。今すぐ、あなたを悪逆なる女王の支配から解放するよ」

 

 最後に残った《ティガウォック》。これで、とどめ。

 解放と、決別と、清算と、家族愛(自己愛)

 

「あ……あ、ァ、アァ……はやく、は、やく――」

 

 ヤングオイスターズとしての、離別を込めて――

 

 

 

「――はやく、死ね」

 

「え――?」

 

 

 

 ――その離別は、望まぬ形にねじ曲げられる。

 

 

 

「S・トリガー――《選伐!美孔麗MAX》!」

 

 

 

 刹那。

 《ティガウォック》が、爆散した。

 

「っ……そ、んな……!?」

 

 最後の一手は届かない。

 見出した希望は、刹那のうちに絶望に反転し、失墜する。

 

「くっふっふー、物語は起承転結。特に“転”が大事、なのですよ?」

 

 舞台の外、天幕の特等席から、青い少女が嘲り嗤う。

 

「どん底から転じて這い上がる。絶望の渦中に希望を見出し。追放されたら才能開花! 状況転換こそ舞台の醍醐味! なーのーでーすーがー」

 

 ざわめく黒い観客たち。その喝采の中、少女は続ける。

 とても、楽しそうに。邪気のたっぷり籠もった、爛漫で愉悦に満ちた貌で。

 

「今の流行りはズバリ“鬱展開”! 闇の性癖こそニーズ! 無惨に、残酷に、退廃に! 零落させて堕落させて、不幸という奈落に突き堕としちゃう! そうして見られる貌が、最高のエンタメなのですよ」

「…………」

「ほらその眼! その貌なのです! 観客の皆さんも大盛り上がり! 光を喪った瞳の需要は計り知れないのですよ!」

 

 少女は満面の笑みを浮かべている。

 しかしすぐに、彼女は軽蔑するような冷たい眼に変わる。

 

「っていうかぁー、まさかメルちゃんの改造が、思いの力とかそんなふわっふわしたものでどうにかなると思ったのです? そう思うなら、その脳ミソは役に立たない機械なのです。あんまりあたしを舐めんじゃねーですよ」

 

 それは、その通りだ。

 相手は女王の権能を強く受け集いだ眷属。女王から離反し、女王の恩恵を自ら断った不思議の国との力の差は歴然。

 そんなことは、わかっていたはずなのに。

 甘い考えだと、わかるはずだったのに。

 それでも目の前の希望に縋らずには、いられなかった。

 

「ま、でも安心するのです。その人、あなた方がどう足掻こうと、もうどうにもならないほどに“壊した”ので! 無駄な努力とか、悪足掻きとか、そーゆー非効率的なこと、本当に意味ないのでしなくていいのですよ?」

 

 冷淡になったかと思えば、彼女はまた笑った。コロコロと表情が変わる。なんと喜怒が激しいことだろうか。

 水のような冷血も、炎のような情熱も、歪みに歪んでまぜこぜに。

 それはやはり、女王の落し子らしく、狂気であった。

 

「いやー、いい劇なのでした。“試作品”はもうちょっと強めに壊してもいいかなって感じなのですが、見世物としては悪くなかったですよ、あなた」

「さっきから黙って聞いてれば! 人のお姉ちゃんをなんだと……!」

「あ、そういえば妹さんもいたのですね。雑魚すぎて見逃してたのです。これは失敬」

「こいつ……!」

「まあまあ。どうどう、狭霧ちゃん」

「でも、お兄ちゃん!」

 

 朧は、落ち着き払っていた。

 先ほどまでの必死さも、決意も消え失せて、悟ったように平静でいつもの調子。

 しかしそれは、絶望からじゃない。

 

「……ひとつだけ、聞かせてくれないか?」

「なのです?」

「君たちは今まで、どれだけオレたち仲間を屠った?」

「えぇー、屠るなんてとんでもない! ちゃーんと回収して保管しているのですよ。それがお姫さまの望みなのですし」

「……やっぱりか」

「で、なんでしたか。えーっと、どれだけと聞かれるとデータベースを参照しないといけないのですけど、まあほとんど回収は終わっているのです。後はあなた方の長男さんと、鼠の彼と、帽子屋さんと……あ、マジカルベルと愉快な面々もきっちり収めないとですね。扱いが面倒で後回しにしてたのですが、そろそろ頃合いなのです!」

「ふぅん……」

「……なんなのです? その知ったか顔。ちょっとムカつくのですよ」

「別に。無様に敗れた端役の戯言だよ。どうせオレたちのやってることは無意味なんだろう? 舞台監督様なら聞き流しておくれよ」

「はぁー、生意気なのです。サクッと殺してやりたい気分になったのですが、メルちゃんは賢いので主命は違えないのですよ。死なない程度に、とっとと潰すのです」

 

 それは明瞭で、明確な、指示だった。

 

「ぅ、u,og,オ、ォォ、あ、gァ、ァァァ――《ファムファタァル》!」

 

 姉だったものは、この世のものとは思えない咆哮を上げ、朧に牙を剥く。

 その最中、朧は、顔だけ妹へと振り返った。

 

「狭霧ちゃん。3つだけ、お願いを聞いてくれ」

「お兄ちゃん……?」

 

 迫り来る暴威を避けようともせず――逃げられるはずもなく――朧はひとつひとつ、妹に托していく。

 

「1つ。生きろ」

 

 それが姉の願いだった。自分達もそれを信じて生きてきた。泥水啜りながら必死になって、それでも楽しかった頃の目的は、そうだった。

 その裏側にある温もり共々、かつての営みを、忘れないで欲しい。

 

「2つ。諦めるな」

 

 それは残酷で、冷酷な嘆願だった。妹に重責を背負わせるなど、兄失格だ。

 しかしそれでもどうかと希う。諦めないで、最後まで戦って欲しいと望む。自分に、霜に、眠りネズミ。短い間のささやかな足掻きでしかないが、自分や彼らの紡いだものを、本当の意味で無意味にしないためにも」

 

「3つ。水早君に伝えてくれ。「早く香取さんと仲直りしろ」ってね」

「え? な、なにそれ……」

「いいから。やはりマジカルベル、彼女の手がなければどうにもならなさそうでね。後輩の女の子に縋るなんて業腹だが、手段は選んでられない。オレたちが彼女と繋がる点はそこだけだ。頼んだよ」

 

 伝えるべき事は伝えた。託せるものは託した。

 と思ったところで、ふと、朧は思い出したように付け加えた。

 

「そうだそうだ。おまけでもう一つだけ」

 

 くるりと、朧は身体を翻して、狭霧と向き合った。

 

 すぐ後ろには、姉だった何かの凶手が迫る。

 それでも“兄”は、笑っていた。

 

 

 

「ごめんね。最後まで一緒にいてあげられなくて」

 

 

 

 

 

 ――こうして【不思議の国の住人】が、また一人消えたのだった。




 わりと今回は好きなデッキ。手数や対応札の選択肢が広いデッキって好きなんですけど、ミラクルとか使う5Cコンはパワーの塊すぎてちょっとソリが合わないんですが、オボロティガのコンボ性は好み。まあ5色使う時点でデッキパワーは高いんですけどね。実際の好みはコントロール型のオボロティガじゃなくて、オボロセカンドinティガウォックみたいなビートダウン寄りですし。
 それと青赤ムートピア、アリだと思います。ザエッサでコスト軽減しつつ、ペングィーナで一気に引いて、展開した小型をファムファタァルで纏めてフィニッシャーに変換。わりと楽しく遊べると思う。でも気付くわけですよ。「これ基盤がメタリカサザンとあんま変わらなくね?」と。メタカードの質が高くほぼ白単で完結するメタリカの方が強くて使いやすいまである。ムートピアで強いメタカードなんてカマスくらいだし。ドローと小型展開は、わりと水文明の十八番みたいなところあったのに、なんかもう自信なくしちゃいますね。やはりムートピアは新章の敗北者じゃけぇ。


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50話「再活です Ⅳ」

 今回は月光王国のためだけに、フォントとか、文字をちょっと弄ってみた。どうかな? それっぽくなったかな。初めての試みだから、ちょっと意見を聞きたいところ。


 狂信と慈愛の渦巻く、昏くも清廉な祭祀場にて、バタつきパンチョウとミネルヴァ・ウェヌスが相対する。

 厳かな空気はいまだ破られず、互いにゆっくりと、されども鋭利に、牙と刃を研ぎ澄ます。

 

「私のターン! 呪文、《ジャンボ・ラパダイス》なのよ! 山札から4枚を捲って、《デデカブラ》と《ヴァム・ウィングダム》《ゼノゼミツ》2体を手札に、残りは山札に下に。そして1マナで《デデカブラ》を召喚!」

「ならばこちらはシールドから唱えよう、《十・二・神・騎》! 山札から4枚を捲り、そのうちの1枚を手札へ。そして3マナで《ケンザン・チャージャー》だ。山札の一番上を公開し《ヘブンズ・ゲート》を手札に」

 

 

 

ターン3

 

 

バタつきパンチョウ

場:《ジュラノキル》《デスマッチ》《デデカブラ》

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:1

山札:24

 

ミネルヴァ

場:なし

盾:5

マナ:4

手札:5

墓地:1

山札:25

 

 

 

 

「《ヘブンズ・ゲート》……」

 

 まだお互いに手札補充をして準備を整える段階。バタつきパンチョウは、相手の手札に加わったカードを見て、思索を巡らせる。

 

(《デスマッチ・ビートル》がいるから相手ターンは問題ないけど、攻撃するとカウンターされちゃいそう……でも、私のデッキなら、シールドを割らずに勝つ手段がある……!)

 

 踏み倒しに大きな圧力を掛けられる《デスマッチ・ビートル》だが、過信は禁物。出て来たクリーチャーに《デスマッチ・ビートル》を除去されたり、そもそも《デスマッチ・ビートル》のパワーを上回るクリーチャーを出される可能性もあるので、あまりもたもたしていられない。

 迅速に、必要な仲間を呼び寄せる。

 

「もう一度、《ジャンボ・ラパダイス》! 山札から4枚を捲って、《デスマッチ・ビートル》《ヴァム・ウィングダム》《ゼノゼミツ》《ジ・エンド・オブ・ユニバース》の3枚を手札に! そして2マナで《ヴァム・ウィングダム》を召喚なのよ!」

「私のターン、5マナをタップし、《音奏 ハイオリーダ》を召喚」

「? 《ハイオリーダ》……?」

「シールドを1枚追加。そしてシールドが増えたことでGR召喚を行う。《サザン・エー》。マナドライブにより自壊、2枚ドローする」

 

 ぼちゃんっ、と黒い雫が滴り落ち、新たな命が産み落とされる。

 かと思えばその命はすぐさま溶け落ちていった。

 

 

 

ターン4

 

 

バタつきパンチョウ

場:《ジュラノキル》《デスマッチ》《デデカブラ》《ウィングダム》

盾:5

マナ:4

手札:6

墓地:2

山札:18

 

ミネルヴァ

場:《ハイオリーダ》

盾:6

マナ:5

手札:6

墓地:1

山札:21

 

 

 

 ただの天門ではない。相手のマナゾーンに見える文明は光、闇、水。

 なにか狙いがありそうな動きだ。

 

「一筋縄ではいかなそうなのよー……私のターン!」

 

 カードを引くパンチョウ。彼女は引いたカードに目を輝かせる。

 

(! 《ゲイル・ヴェスパー》を引けた……残りは《ナハトファルター》!)

 

 キーパーツの片割れは引けた。あとはもう一枚、《ジーク・ナハトファルター》さえ引き込めば、勝ちの流れを強引に引き寄せられる。

 

「《ユニバース》をチャージして、2マナで《デスマッチ・ビートル》と《ヴァム・ウィングダム》を召喚! ターン終了なのよ!」

 

 そしてそれまでの間、なんとか耐えきらなくてはならない。

 今はまだ場固め。パンチョウはジッと待って耐え凌ぐ。

 虫のように、羽化し、羽ばたく時まで。艱難辛苦を乗り越え、飛翔する時まで、待つ。

 

「動かないな」

 

 そこに、ミネルヴァは切り込むような一声を発する。

 

「神に畏れをなしたか」

「むむ、煽られてるのよ?」

「否。神たる女王を畏敬するのは至極当然の摂理。そこに咎などあるはずもない」

「なんだか誤解されてるのよ。お母さまのすごさはわかってるけど、私は別にビビってはないのよ。そのあたり勘違いされると、ちょっとイラッとくるのよー」

「そうか。ならば改めて、貴様には母の偉大さを刻みつけなければならないな。我が神罰を以て」

 

 ミネルヴァは、剣を抜く。

 そしてそれを、宙高く掲げた。

 

「悪行を秘するのならば暴こう。密やかに逃れるのならば捉えよう。触れなけば安らかであるなどと、浅はかな幻想は打ち砕こう。その手段は簡潔である。ただ、そこにあればいい。疑似あれ、化身であれ、神の御姿を示すだけで事足りる」

 

 詞のように祝詞を諳んじる。

 抜いた剣は鍵となり。

 虚空に浮かぶ門を開く。

 

「6マナをタップ。開け、神の道――《ヘブンズ・ゲート》!」

 

 天国へと続く門扉が開かれる。本来であれば、清浄と光明に溢れるはずの扉だが、今この瞬間において、それは異様な暗黒を滲ませている。

 明るさを損なっているわけではなく、光を灯してなお暗く、黒い。

 

「光の裏に影在り。我が王国に闇潜み、我が宙に月昇る。暗夜の頂天まで届く無明。月光は世界に満たされ、信奉者に恵みをもたらさん。嗚呼、姫よ、母よ、麗しの天使よ、悍ましき魔王よ。女王の導きに応えよ、我が正義に殉じよ。昏き月の光を、我が王国に与え給う」

 

 彼は詠う。冒涜の詩を、狂信の詞を。

 崇拝者として神を賛美するために。遙かなる月へと、信仰という供物を捧げるために。

 

「出づるは《から来た科学のウラガワ》、そして――」

 

 隠しきれない闇。闇と共に共存する光。

 表裏一体にして二律背反。矛盾しながら共生する神格が、現れる。

 

 

 

「月も闇も、夜も光も、貴女が為に――《と破壊と魔王と天使》!」

 

 

 

 ――月光(ムーンレンズ)鉄塔()が、舞い降りた。

 

 

 

「っ、お母、さま……!?」

 

 目を見開くバタつきパンチョウ。

 機械的ながらも神秘的な偉容に目を奪われる。果てしない神々しさに、本物の女王の姿を幻視してしまう。

 

「い、いいえ! これは化身ですらない、虚像の現し身……! 畏れは、しないのよ!」

 

 狂気を抑え込み、飲まれそうになる自我を手放さず、なんとか踏みとどまる。

 相手も仕掛けてきた。しかしこちらも対策はしてある。

 女王の刺客といえども、簡単に屈指はしない。

 

「踏み倒しは許さない! 《デスマッチ・ビートル》の能力でバトル――」

「不許可だ」

 

 ザクリ、とパンチョウの手に待ったを掛けるように、ミネルヴァの刃が振り下ろされる。

 

「我が儀式が完了するまで、貴様は待機だ。動くことを禁じる」

「むぅ……!」

「処理開始。まずは《魔王と天使》の能力で、シールドを2枚追加する」

 

 これでシールドが8枚、普通に割り切るにはかなり厳しい枚数だ。

 《ジ・エンド・オブ・ユニバース》でのエクストラウィンを狙うパンチョウとしては、シールドが何枚あろうと関係ないことだが……

 

「続けて《科学のウラガワ》の能力起動。手札からコスト4以下の呪文を唱える。唱える呪文は《ヴァリアブル・ポーカー》! 呪文の効果で、私はシールドを閲覧。そしてこの8枚のシールドすべてを入れ替える!」

「8枚全部を……!?」

 

 8枚もあれば、一枚や二枚くらいはS・トリガーもあるはず、それさえも山札に戻すというのか。いや、パンチョウがエクストラウィン狙いと見て、トリガーは不要という考えか。

 否、否である。違う。そもそもシールドの“質”など、彼にとってはどうでもいいのだ。

 重要なのは、数。シールドを移動させる、それそのものが、狙いだ。

 

「私のシールドが離れた。よって、オシオキムーン発動!」

 

 昏き月が、輝く。

 神の名で、罰を下せと囁きかける。

 その主命に従い、ミネルヴァ・ウェヌスは神罰の剣を振り上げる。

 

「月下制裁。月の御名の下、背信者に裁きを。まずは《科学のウラガワ》のオシオキムーン! 墓地の呪文を回収する!」

 

 離れたシールドは8枚、8回分のオシオキムーンが発動するが、墓地には8枚も呪文は落ちていない。しかし墓地の呪文をすべて取り戻した。

 大きな手札リソース。しかし、こんなものはまだ序の口だ。

 彼の裁きは、より大きく、拡大していく。

 

「さらに《魔王と天使》、《ヴァリアブル・ポーカー》により、私のシールドが合計10枚追加された! 《ハイオリーダ》の能力で10回GR召喚を行う!」

「じゅ、10回!?」

 

 目を剥くバタつきパンチョウ。GRゾーンをすべて絞り尽くす勢いで、次々とカードが捲れ上がっていく。

 

「《サザン・エー》《超衛の意志 エイキャ》《救命の意志 テュラー》《防羅の意志 ベンリーニ》《続召の意志 マーチス》《浄界の意志 ダリファント》! 《サザン・エー》は自壊し2枚ドロー! 《ダリファント》の能力で《デスマッチ・ビートル》をシールド送りだ!」

「う、で、でも、そのために2体用意してるのよ! だから1体なら……!」

「1体? なにを言っている。《続召の意志 マーチス》の能力で、追加で2回GR召喚だ! 《サザン・エー》! 《ダリファント》!」

「っ……!」

「こちらもその程度は想定済み。そのために2体用意している」

 

 完全に手が読まれている。対策を対策されている。

 《ダリファント》が2体目の《デスマッチ・ビートル》をシールドに送り込み、メタカードが排除されてしまった。

 強制バトルで踏み倒しを制する弱点を突かれた。もう、ミネルヴァの招来の儀式は止められない。

 

「最後の裁定を下してやろう。月に代わり、貴様を裁く――神罰執行(オシオキムーン)

 

 シールドを増やし、手札を増やし、盤面を増やす。

 そして最後は、光が反転し、闇へと堕ちる。

 加護をもたらす光が翻り、それは害為す闇となり、命を削る。

 

「《と破壊と魔王と天使》のオシオキムーン、起動! 貴様のシールドをブレイクだ!」

 

 砲塔が向けられる。マズルフラッシュが瞬く。

 無数の砲弾が、バタつきパンチョウに降り注ぐ。

 

「っ……!」

 

 轟音が響き渡る。目の前で、数多の盾が炸裂する。

 1枚、2枚、3枚と、順番にシールドが撃ち抜かれ、粉々に砕けていく。

 そして気がつけば、バタつきパンチョウを守る5枚のシールドは、すべて粉砕されていた。

 

「い、一瞬で、シールドが……!?」

 

 身を守るシールドも、次の手を打つための手札も、立ち並ぶクリーチャーも、副次的な“おまけ”でしかない。

 ミネルヴァの真意、彼の神罰の本懐は、《月と破壊と魔王と天使》による瞬間砲撃――ワンショットキル。

 凄烈にして清廉な暴力が、無慈悲に降り注ぎ、すべてを薙ぎ払うのだった。

 

「終わりだ。《ハイオリーダ》でダイレクト――」

「ま、待った! S・トリガーなのよ! 《輪廻暴聖》!」

 

 撃たれた最後の1枚、シールドが光を放つ。

 

「《ハイオリーダ》と《魔王と天使》をタップするのよ!」

「……逃れたか」

 

 大量殺戮兵器のような砲撃だったが、このターンに限っては、攻撃可能なクリーチャー自体は少ない。《ハイオリーダ》を止めるだけで、この場は難を逃れた。

 

「ターン終了時、《と破壊と魔王と天使》の能力で、私のシールドが1枚、供物となる」

 

 

 

ターン5

 

 

バタつきパンチョウ

場:《ウィングダム》×2《デデカブラ》《ジュラノキル》

盾:0

マナ:5

手札:11

墓地:3

山札:17

 

ミネルヴァ

場:《ハイオリーダ》《魔王と天使》《科学のウラガワ》《エイキャ》×2《テュラー》×2《ベンリーニ》×2《マーチス》×2《ダリファント》×2

盾:7

マナ:6

手札:10

墓地:0

山札:14

 

 

 

「…………」

 

 ギリギリ、首の皮一枚で繋がった。しかし、ターンが返ってきたからと言って、希望が見えたわけではない。

 むしろ、絶望しかない。

 

(けっこー山札掘り進んだはずなんだけど、《ナハトファルター》は来ない。シールドにもないし、手札にあるのは《ゲイル・ヴェスパー》だけ……)

 

 これほど盤面に差があると、ターンを返すことはできないだろう。必要なパーツは足りず、しかしこのターンで終わらせなければ、負ける。

 およそ活路など見出せそうにない絶望的状況だが、

 

「……やるしか、ないのよ」

 

 勝ちの目が、まったくないわけではない。

 バタつきパンチョウは、か細い糸を手繰り寄せる。

 

「Wシンパシー発動! 2マナで《天風のゲイル・ヴェスパー》を召喚!」

 

 競り合うように天を舞うのは《ゲイル・ヴェスパー》。しかし相方の《ナハトファルター》はいない。

 半永久的にクリーチャーを産み落とし続ける、という真似はできないが、しかしその蜂のもたらす甘露な蜜には、永久でなくとも大きな価値がある。

 

「《ゲイル・ヴェスパー》の効果で、私のクリーチャーはすべてWシンパシーでコストが軽くなる! 1マナで《デデカブラ》を――超無限進化!」

 

 地より伸びる巨木。それは暗天を覆い尽くさんばかりに成長し、枝を広げ、無限に膨張する宇宙となる。

 

「お母さま、あなたの宙は私が貰うのよ。来て――《無限銀河ジ・エンド・オブ・ユニバース》!」

 

 本来であれば、《ゲイル・ヴェスパー》と《ジーク・ナハトファルター》の力を借りて、大量の生贄を捧げて呼び出されるはずの切り札。

 だが今回の生贄は、たったひとつ。メガメテオバーン10の発動には、まるで足りない。

 しかし、逆に言えば。《ジ・エンド・オブ・ユニバース》を降臨させるだけならば、供物はひとつでいい。

 そしてたったひとつの贄で呼ばれる《ジ・エンド・オブ・ユニバース》の意味とは。

 

「……この布陣を前に、殴りきるつもりか。よもやその戦力で」

「なのよ。それしかないもの」

 

 答えは単純明快。エクストラウィンを狙うための戦力が足りないのなら、力ずくで殴りきるまで。

 地を這ってでも、空に浮かぶ邪神を、引きずり下ろす。

 矮小な身の丈に見合わない野心を背負い、バタつきパンチョウは暗夜に座する支配者に牙を剥く。

 

「1マナでもう一体、《ジュラノキル》を《ユニバース》に進化! 《ゼノゼミツ》を召喚! 《科学のウラガワ》とバトル!」

 

 これでTブレイカーが4体。7枚のシールドをすべて打ち破ってとどめを刺すだけの打点は、揃った。

 

「もうブロッカーもいないのよ。行って、《ユニバース》でシールドをTブレイク!」

 

 宇宙の闇に、無限の銀河がぶつかる。

 力任せに、暴力的に、愚直に。

 眷属は、母なる邪神に反抗する。

 まずは、3枚。

 

「2体目の《ユニバース》でTブレイク!」

 

 続けて、3枚。

 残り、1枚。

 

「パワー12000以上のクリーチャーが攻撃したから、《ヴァム・ウィングダム》も攻撃できるようになったのよ! 《ヴァム・ウィングダム》で攻撃する時に、スマッシュ・バースト! 《ソニック・ダンス》! パワー7000以下の《エイキャ》をマナゾーンに送って、Tブレイク! これでシールドゼロなのよ!」

 

 暴風が巻き起こる。クリーチャーも纏めて巻き込み、邪神を守る盾を切り裂き打ち壊す。

 シールドはすべてなくなった。故にあと一撃。それだけで、母に届く。

 眷属でも、虫けらでも、この牙を突き立てられる――!

 

「……公爵夫人と同じだな。惰弱な牙と分かっていて尚、その矮小な牙を向けるとは、愚かなり。その愚考にして愚行、もはや憐憫を感じずにはいられない。」

 

 ミネルヴァは、嘆息する。

 バタつきパンチョウは、決死の輝きを以て、黒き空に飛翔して見せた。

 しかし彼女が暗中に見出した希望よりも、宙に渦巻く闇は、圧倒的に深淵だった。

 

 

 

「S・トリガー――《ヘブンズ・ゲート》」

 

 

 

 闇の中に、昏い光が漏れる。

 遙か彼方の宇宙に続く門が創造された。

 絶望と無慈悲が詰め込まれた、非道の門扉だ。

 

「手札から《冥界を統べる新のハーデス》と《音奏 ハイオリーダ》をバトルゾーンへ」

「あ……」

 

 ブロッカー。それも2体。畳みかけるようにシールドも増えた。

 《ヴァム・ウィングダム》1体では突破しようがない。この瞬間においてそれは、どうしようもないほどに鉄壁だった。

 バタつきパンチョウは、天を仰ぐ。

 女王が君臨すべき宙。そこにはまだなにもいないが、いずれ彼女が座するだろう場所。

 

「……高い支払いさせられたのに、全然効果ないじゃないのよ。なにが加護、なにが誓約なのよ。お母さまの嘘つき」

 

 いや、嘘つきなのは自分の方だ。

 自分はどうなってもいいから弟を、だなんて。本音じゃなかった癖に。

 弟は大事だ。彼らのために命を張れる自信だってある。だけど、

 

「やっぱり、最後まで一緒に生きたかったなぁ」

 

 生まれた時から3人一緒。

 気付いた時には三位一体。

 誰も欠けて欲しくなかった。自分自身だって。

 かけがえのない“3人”で、共に在りたかった。

 その心の揺らぎが、誓約を崩してしまった。

 まったくもって、女王は無慈悲だ。姉弟愛すら、見逃してくれないなんて。

 

「神罰再開。貴様の一切合切を討ち滅ぼさん」

 

 運命は決まった。ミネルヴァ・ウェヌスは手を緩めることなく、処断を再開する。

 魔王にして天使。(くろがね)の邪神像が、冷たい魔手を伸ばす。

 背信者へと、罰を下すために。

 

 

 

「《と破壊と魔王と天使》――執行(ダイレクトアタック)




 死星団で作者が一番気に入ってるのが、ミネルヴァの月光王国だったりします。ややデザイナーズ感がありますが、天門から科学のウラガワと魔王と天使を出してポーカー撃てばサクッとコンボ完成。ドレミ24とか面倒なことしなくても良くなったのがいい。しかも、ここにハイオリーダを噛ませればGRから大量展開とかできたり、さらにコンボに幅を持たせられるのも面白い。ヴァリアブル・ポーカーがたった3マナかつ1枚でシールドを大量に動かせるので、オシオキムーンとの相性がいいのは語るに及ばずですが、シールド動かした後に科学のウラガワで自主回収できるので、科学のウラガワがいれば3コスト支払い続ければ何度でも撃てるっていうのも凄い。なんやかんやカスタマイズし甲斐があると思います。


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50話「再活です Ⅴ」

 かなり抑えていますが、今回はわりと真面目に残酷描写注意です。前半最初の方。


「――姉……さん……?」

 

 目の前で、姉が膝から崩れ落ちる。

 麗しの蝶は失墜し、その翅をもがれたのだ。

 

「あはは……ごめんね。トンボ、ハエ」

 

 彼女は力なく、笑っていた。 

 

「私、負けちゃった」

 

 それはきっと、彼女の精一杯の、姉としての強がりだった。

 しかしいくら強がっても、結末は同じ。

 

「然り」

 

 冷たい声が響き渡る。

 

「勝敗は決し、判決は下された。敗者は我が王国の法規に従い、囚縛する。女王を奉るべく建国された我が国にて投獄される誉れを享受せよ、羽虫」

 

 突如として、ミネルヴァの足下から、咎人を囚えるための黒い鎖が伸びる。

 否、それは鎖ではない。黒い落し子の成す、触手だ。悍ましく泡立ち、肉塊の収縮するそれは、バタつきパンチョウに絡みつく。

 それとほぼ同時に、彼は駆け出した。

 

「っ! させ、る、かぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 それはさながら、黒い弾丸の如く。

 一匹の小さな羽虫――木馬バエは、姉に害なす者へと、牙を剥く。

 

「! 待って、ハエ! トンボ! ハエを止めて――!」

 

 姉の言葉は届かず、兄の制止も間に合わず。

 木馬バエは、憤怒と憎悪を滾らせ、害意に害意を以て、ミネルヴァ・ウェヌスへと殺意の腕を伸ばす。

 

「姉さんを、連れて行かせるか――!」

 

 その言葉と、ほぼ同時だった。

 

「――違法なり」

 

 

 

しゃりん

 

 

 

 金物の擦れ合う音が、小さく響いた。

 ミネルヴァが白刃を抜く。木馬バエの腕を躱し、その間際に、抜いた勢いのまま剣を振り上げる。

 鮮血が、吹き散らされる。

 羽虫なれど、人を模した人外なれど、そこには確かに赤い血が通っていた。

 蛇口を捻るように溢れ出す赤い液体。

 

 そして、神殿の床に転がる――一本の、腕。

 

 蠅の片翅は、毟り取られたのだった。

 

「っ、あ、ぐ……!」

 

 躱された勢いと、片腕の喪失により体幹がぶれ、木馬バエは倒れ込んでしまう。

 

「契りを破ることは、許されざる大罪。汝、その罪贖うべし」

 

 ミネルヴァは白刃にこびり付く血を振るい落とし、鞘に収める。

 瞬く間に起こった所業に、バタつきパンチョウは震える声で叫ぶ。

 

「な、なんで!? 弟には手を出さないでって……!」

「先に義を違えたのはそちらである」

「私はそんな契約はしてないのよ!」

「否だ。契約ではない、義だ。契約内容は「自分の身の担保の放棄、その代償として弟の身の保証」である」

 

 バタつきパンチョウの宣誓は「私はどうなってもいい。けれど弟には手を出させない」そして「我が身に変えてでも弟たちを守る」であった。

 即ち、弟へと及ぶはずの被害はすべて、姉たるバタつきパンチョウが代わりに引き受ける、という契約が成されたわけだが、

 

「そ、そうなのよ! だから弟には……」

「しかして契約には必ず裏があり、正義とは法規に優先される。額面通りのままであれば、貴様の身を犠牲に、弟君は保証を盾に暴威を振るうことも可能だろう」

「は、はぁ!? 私たちは、契約の穴を突いたって言いたいの!? そんなの言いがかりなのよ! あの子はただ、私やトンボと同じで、家族思いだからで……」

「貴様らの意志を汲み取らない。重要なことは意識ではなく結果である。法と契約を盾とした不義は許されない。貴様の弟は、目論見がどうあれ結果として、契約による保証を盾に私へと牙を向けた。そのように判断される事を為した。ならば私はその不義に対し、剣を抜く権利を得るのも必然である」

「でも、そんなの、だって……!」

「言葉の意味がわからぬようだな。ならば簡潔に言ってやろう。これは“正当防衛”だ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

 彼がそう宣言するのならば、それはそういうことになる。

 この国における法は、女王そのもの。そして女王が管理を任せているミネルヴァ・ウェヌスこそ、司法そのものに他ならない。

 

「あまり囀るなよ、羽虫。女王陛下の威光輝く我が国において、貴様らに義はない。発言を許可するだけでも温情と知れ」

 

 ミネルヴァは昏き正義を振り翳し、酷く冷徹に、そして傲慢に、蟲たちを侮蔑の眼で見下ろす。

 

「しかし情状酌量の余地はある。落とすのは腕ひとつ、翅の一枚を毟るだけだ。私刑であれば妥当なところであると判断する。私の法も義も、姫の願いより優先されることはない。姫は、貴様らの死滅を望んでいない。どれほどの大罪を重ねようと、命の保証だけはしよう」

「姫……? それってまさか、ウミガメちゃん……?」

 

 ならばこれは彼女が望んだことなのか。

 どこかで歪みが生じているような気はするが、だとすると――

 

「御託は終いだ。己が罪人であることを忘れるなよ、羽虫。投獄の時間だ」

「あっ、う、く……!」

 

 黒い触手が、鎖の代わりに四肢を拘束する。

 そのまま、ずるずると、神殿の地下へと、引きずり込まれていく。

 

「姉上!」

「来ちゃダメ、トンボ! あなたはハエを連れて逃げて!」

「しかし……!」

「このままじゃあの子も死んじゃう! 私は大丈夫だから、お願い……!」

「ぬぅ……ぐぅ……むぅぅぅ……っ!」

 

 迷いはあった。逡巡もする。

 ここで姉を置いて去るのは、蟲の三姉弟としての矜持が許さない。燃えぶどうトンボ自身としても、姉も弟も、どちらも見捨てられるはずがない。

 しかし彼は、ほんの僅かだが、意図せず視てしまった。

 複眼。二人称の眼。貴女自身の視点に重なる眼で、姉の気持ちを、思いを、この眼で覗いてしまった。

 姉の不安も、悲哀も、慟哭も、痛苦も、渇望も。

 弟への――愛情も、すべて。

 我が身のものとして、視たのだった。

 

「……わかった」

 

 視てしまったからには、無碍にはできなかった。

 燃えぶどうトンボは、倒れた木馬バエを抱えて走る。

 

「ありがと……私たちの弟をお願いね、トンボ」

 

 ――そうして。

 バタつきパンチョウは、黒い触手に飲み込まれた。

 堕ち行く先は、祭祀場の最下層。地下監獄。

 何人も脱獄の叶わない獄中に、彼女もまた、囚人として迎えられたのだった。

 

「……不義への誅伐は為すが、契約は違えない。この場では、私は貴様だけを収監する。バタつきパンチョウ」

 

 しかし、である。

 

「審議が必要である。弟君の国外流出を許可することは義を為すが、ここで奴らを取り逃がすことは姫の願いに背く行いなのではないか。姫の意向は、私では推し測ることはできない。よって審議が必要である」

 

 この神殿に足を踏み入れたが最後。ミネルヴァの許可なくして、国外への逃亡は許されない。

 そのミネルヴァが、姫と称する者の意志を理由に、蟲たちの解放を渋る。

 審議の間に片方が死しても、それは身から出た錆であり、こちらが関知する問題ではないと言わんばかりの傲慢で冷徹な態度。

 で、あるのだが、

 

「……む?」

 

 燃えぶどうトンボと、木馬バエの姿が消えている。

 あり得ない。この月光の王国の門扉は固く閉ざされたまま、国主の許可なくして出ることは叶わず、そして許可を出した覚えもない。

 

「なんだ? なにが起こって……っ?」

 

 異常が、あった。

 穴だ。王国の外壁を成す空間に、穴が空いている。

 なぜ今まで気付かなかったのだと思うような、大穴が穿たれていた。

 

「王国の壁に、穴。侵入者か? いや、奴らが国の外に出るために、何者かが手を貸したと考えるべきか。しかし誰が……」

 

 ミネルヴァが施策を巡らせようとする。その時だった。

 少女の呼ぶ声が聞こえてくる。

 

『ミーナさん! ミーナさーん! 招待コード送るので大至急来てくださーい!』

「メルか……あちらでも異常があったようだな。この手の推測と対応は彼女が適任だろう。急行する」

 

 この状況で王国を留守にするのはやや不安だが、致し方ない

 送られてきた(パス)を以て、ミネルヴァは招かれた王国『空想錬金工房 愚者の海(ストゥルトゥス・マレ)』へと、足を踏み入れた。

 

 

 

                    ☆ ☆ ☆

 

 

 

「おにい……ちゃん……」

 

 目の前で、兄が飲まれていく。

 姉だったものの、黒い触腕に抱かれて、ぐじゅぐじゅと、その身が埋もれていく。

 兄は黒い塊と共に、どことも知らない昏い海の底へと、沈んでいった。

 

「いやはや、悪くない結果なのでした」

 

 パチパチと、幕が下り、観客が揃って失せた暗い劇場で、青い少女はひとり愉快そうに手を叩く。

 

「もうちょっと自意識は壊れてると思ったのですが、意外とちょっと残ってたことだけが想定外。でもそれ以外は概ね予想通りの性能なのですね。これはいい感じに使えそうなのです……で」

 

 虚空に浮かべた電影に指を滑らせ、データを記録し、集積する。

 その傍らで、視線を、狭霧に向けた。

 

「そちらの雑魚の方は、どうするのです?」

「……っ!」

「え? まさか「生きろ」とか「諦めるな」とか感動的な言葉を投げかけられたからって逃げられると思ったのですか? ここ、あたしの王国なのですよ? アウェーなのですよ、あなた。そもそもあたしはあなた方を狩りに来たのですから、逃がす気はないですし。気合とか根性とか感動とか、そんなくっさいものでどうにかなるわけないでしょう」

 

 そう。ここは敵地、兄が討たれた戦場だ。

 次は自分の番。感傷に耽ってる場合でも、悲嘆に暮れている場合でも、慟哭に咽び泣く場合でもない。

 今度は自分が、武器を取らねばならぬのだ。

 

「まあ? このあたしと戦いたくないと、どうしてもと仰るなら、そこのお姉さんモドキをぶっ壊してからどうぞなのです。爆発四散すれば、流石に耐久性の問題点から駒としての継続使用は困難になるので、どうぞそのように。実のお姉さんを、バラバラに、めちゃくちゃに、ぶっ壊しちゃってくださいな! そうすれば修理か回収か、あるいはゴミ捨てのため、瞬きの間くらいは隙を見せてあげるのですよ?」

「こ、こいつ……!」

「ま、あなたには無理でしょうけど! 三女さんでしたか、そこまで下っ端だと、あたしらでは歯牙にも掛けないのですよ。次男のお兄さんですらこのザマなのですしぃ」

 

 いちいち、人の神経を逆撫でしてくる。

 安い挑発だとわかっていても、姉や兄を引き合いに出されてしまえば、激情を抑えきれない。

 しかし、しかしだ。

 心が熱く駆られても、身体は先の恐怖と狂気を覚えている。

 姉が壊され、兄が飲まれ、その他大勢のヤングオイスターズ(兄弟姉妹)が喰われた。

 怒りはある。しかし自分では太刀打ちできないことも、わかっている。

 

「ほら、あたしが憎いでしょう? 許せないのですよね? なら立ち向かっていいのですよ? あなたも一緒に飲まれるのでしょうけれど」

 

 ジリジリと狂気が迫る。

 早く決意を固めて立ち向かわなければ。なにもせず、なにもできずに、絶える前に。

 わかっていても身体が動かない。狭霧は、迫り来る脅威から、逃げたいと思い、微かに後ずさりし、逃れていると錯覚し自分を誤魔化すことしかできない。

 ここは相手の王国の内。どこにも逃げ場などないし、誰も、ここには来られないのだから――

 

「ま、あなたには無理なのですよ。あたしの傑作を越えるなら、せめて長男さんくらいは連れてこないと、釣り合いは取れないのです」

 

 彼女は、冗談めかしてそう宣った。

 その時だった。

 

 

 

「ならば、お望み通り、出向いてやるとしよう」

 

 

 

 ――兄の声が、聞こえた。

 

「アギリ……お兄ちゃん……?」

 

 混沌なる劇場。青い少女が占有し、支配する国に、彼はいた。

 若垣天霧(アギリ)。人としてそのように名乗る彼は、確かに、そこにいたのだ。

 夢でも幻でもない。確かな実を結んだ、兄だ。

 

「良かった……無事、だったんだ……」

「すまない、待たせてしまったな。手遅れになる前に、と思っていたが……遅すぎたか」

 

 ぐじゅぐじゅと、不本意な先祖返りを果たしたおぞましき姉を見て、アギリは目を伏せる。

 そしてそんな光景を、少女は訝しげに、そして苛ついた様子で見ていた。

 

「そーんな感動の再会とかどうでもいいのです。なに? なんですか? あなた、どうやって入ったのです?」

「穴を空けて無理やり押し入らせてもらったぞ。無作法だとは思うが、そちらの不躾な態度でチャラとさせてくれ」

「はぁ? 穴を空けて……? ……うわっなんですかこれ!? あたしの王国の城壁が時空断裂起こしてる!? いつの間に!? え、ええっ?」

 

 少女は仰天し、目を丸くしている。

 アギリの後方の空間。そこは確かに、不自然に、歪に、穴が空いていた。そしてそれは、少女にとって“あり得ない”こと。想定外の事態だ。

 

「どーやったんですかこれ、こんなのリオくんがめちゃくちゃに暴れでもしない限りできないような……えぇ? やばやばのやばなのですけどー!? 早く修繕しないと……!」

「狭霧、今のうちに脱出するぞ」

「う、うん……」

 

 少女がパニックを起こしている今が、明確な隙だった。

 アギリは狭霧の手を引き、急いで断裂した空間へと飛び込む。

 

「あ、ちょっと……いや先にこっちを……それとも報告が先? ならこの姉モドキに追わせて……ってダメなのです! コイツ色々弄った弊害にめっちゃ鈍いのですよね! 改造すると強みだけじゃなくて弱みもセットでついてくるとかノーセンキューなのですよ! どうにかして踏み倒せない者なのですかねぇ。ってそんなこと考えてる場合でもなく! あんな雑魚共いくらでも掃討できるので、ここは異常事態への対処が先決のはずなのです!」

 

 パニックになりつつ、少女は急いで仲間へと連絡を取る。

 

「ミーナさん! ミーナさーん! 招待コード送るので大至急来てくださーい!」

 

 相手の話を聞かない一方的な伝達だったが、彼――ミネルヴァは嫌な顔ひとつせず、むしろそれが当然のことであるかのように、即座に現れた。

 

「メル、どうした」

「さっきヤングオイスターズの長男があたしの王国に侵入したのです! 国壁に穴を空けられたのです!」

「……私も今し方確認した。“こちらも”だ」

「えぇ? ミーナさんの『光の神殿・愛護の契(ルークス・アモール)』も?」

「あぁ。あの男、なにをした? 不敬不遜である以上に、不可解だ」

 

 それは、まったく未知の力だった。

 ヤングオイスターズは存在そのものが特異で奇異。集団が個人であり、個が群であるという、独特な形態で存在している。

 しかし、それだけだ。存在が特殊、生き様が特殊、個性が特殊。それ以上でも、それ以下でもなく、それ以外など存在しない。

 つまり、彼には国の壁を破壊する、などという力は存在しないはずなのだ。

 

「女王から授かった異聞神話空間。神話と称されたクリーチャーたちの領域の疑似たる我らの王国は、原典より神話級の防護壁を備えている。少なくとも、たかが落し子が、純粋な力で破壊できる代物ではない。それは我々も同じだ」

「なのですね。流石のあたしも、壁を破壊して他人の国に侵入するなんて真似、不可能ではないにしろ困難なのです」

「王国の壁を、単純な物理的破壊力で崩す可能性を持つ者といえば、爆熱のヘリオスか、豪腕のシリーズくらいなものだろう。【不思議の国の住人】で、それほどの剛力を持つものなどは存在しない」

「……分析結果、出たのです。これ、力ずくってより、切り抜かれた感じなのです。ややアナログですが、特殊な力、あるいは特殊な力が付与された道具を用いた可能性が高いと判断するのです」

「ふむ、ヤングオイスターズは特殊な生き方をしているが、奴自身が特別とは考えにくい。となると何者かの支援があるのか……? なんにせよ、なにかカラクリがあるな」

「被害は軽微なのですけど、国を直接破壊されるとか想定してなかったのです……修繕のために時間を……あぁでも、逃げたあの人たちも追わないとなのです。っていうか修繕なんて後回しにして、彼を捕まえて尋問しちゃえば済む話なのですね! メルちゃんうっかりなのです!」

「然り。国壁の破壊は大罪でもある。迅速に追跡を開始する。メル、奴らの探査を――」

 

 

 

「――ちょっと待ちな、おふたりさん」

 

 

 

 逃走したヤングオイスターズらの追跡を始めようとするふたりを、制する黒い影がひとつ。

 黒い、男だった。

 

「ディジーさん! どうしてここに?」

「まあ色々あってな」

「ディジー。貴様には姫の警護を任せていたはずだ。なぜここにいる」

「同じことを聞くなよミネルヴァ。俺は理由もなく任を投げ出したりしねーよ、ヘリオスと同じにするな。今から訳を話すから、とりあえず聞けって」

 

 ディジーと呼ばれた男は、ふたりを宥めつつ、神妙に切り出した。

 

「あんま余裕なさそうだから、単刀直入に言うぞ。姫さんの調子が悪い」

「なに? どういうことだ」

「そのまんまの意味だよ。姫さんが呻いて唸って叫んで、ちっとばかし俺の手に余る。たぶん、女王サマの覚醒が近づいてるんだ」

「あー、思ったより早いのですね。介護係のリズちゃんは新しいアジトの建設真っ最中だから……」

「俺はこの手の対応は専門外、ヘリオスも役に立たねぇ、つーかいねぇ」

「くっ、ヘリオスめ、まったくあいつは……!」

「だからせめてメルを寄越してくれ。できればアンタもいてくれる方が安心できるけどな、ミネルヴァ」

「……わかった。急行する。メル、ここは撤退するぞ。姫の御身が最優先だ」

「むぅ、仕方ないのですね。成果自体は悪くないのですし、ここはてっしゅーなのです」

「頼む。こういう時ヘリオスはてんで役に立たないからよ」

「リオくんにそーゆーの求めちゃいけないのです。リズちゃんは今手が離せないし、ここはあたしにお任せなのですよ!」

「助かるぜ」

 

 ミネルヴァらは、追跡を取りやめ、即座に旧拠点へと帰還する。

 最後に残された男は、彼らが逃走した方に目を遣り、小さく息を吐いた。

 

「……本当に、助かった」

 

 くるりと踵を返して、ただひとり、暗夜に言葉を零す。

 

 

 

「お前らはまだ役に立つ。もう少し踏ん張ってくれよ」

 

 

 

 ――そして、彼も闇の中に、消えていった。




 メルちゃんの邪悪さの陰に隠れてる感あるけど、ミネルヴァも高潔ぶってるだけで大概クソ野郎。


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51話「復元しよう Ⅰ」

 今回はちょっと長いよ


 恥ずかしい話だが、ボクは小鈴が好きだ。

 当然、女としてじゃない。彼女を女として見たら、鈍臭い芋臭い小麦臭いの三拍子が鼻について願い下げだ。友達として贔屓目見なければ、とてもじゃないが可愛いと素直に言えない。自分でも厳しい判定だと思うが、純粋な顔の良さなら、恋やユーの方がよほど整った顔立ちをしているし、服飾センスもある。体型は……この際置いておこう。その一点については、彼女は少々測りかねる規模だ。

 だからボクは、友達として、彼女が好きだし、尊敬もしている。彼女の善性は、とても稀少で、守らなければならないものだと思う。

 とても清らかで、澄み切っていて、尊い。だからこそ、脆く、儚く、壊れやすい。

 彼女には、恩がある。義理がある。縁がある。彼女に寄り添う最初の理由はそうだったが、彼女について知るにつれ、だんだんと彼女の善なる価値に惹かれていった。天然記念物や文化遺産を守るかのような気分だよ。それがだんだんと、どんどんと、使命感へと塗り替えられていく。

 ……いや、それも正確じゃないな。稀少だから、価値があるから守りたい。それは間違っていない、けれど。

 本当のところは、壊れてしまいそうだから、穢れてしまいそうだから、守りたいと思ったんだ。

 彼女は純朴すぎる。小さな悪意でも傷つくし、この世の澱みに蝕まれやすい。真っ白な布に、すぐに汚れが滲んでしまうように。

 その脆さが不安で、儚さが怖くて――喪いたくないから、守りたかった。

 ボクは一度、大切な人を喪っているから。だから、余計に、今度こそ、と思ったのかもしれない。

 そして、言ってしまえば、過保護だったのかもしれない。本当の意味で、彼女を対等な友人として、見ていなかったのかもしれない。

 彼女の潔白さを守りたいがために、それを神聖視し過ぎていた。

 その結果、齟齬があった。彼女の気持ちを知りながら、彼女の本質を知りながら、自分のエゴを優先させ、押し付けてしまった。

 だから、壊れた。ボクと彼女の間にあった縁は、砕け散った。

 自業自得にもほどがある。皮肉とは正にこのことだ。裏目しかない。壊したくないからと思ったことすべてが、逆に彼女を壊す要因になっただなんて。

 反省はした。原因もわかった。自分の非は認められた。

 ならば、解決策は?

 理解はできても、実行に移すプランが見えない。彼女と復縁できたとして、ボクは今後、どのようなスタンスで彼女と向き合えばいい?

 ボクにもボクの意地がある。自分の行為が裏目だと理解はしても、その思惑そのものが間違いだとは思わない。

 しかし、だとしても、ボクはやはり間違ったのだ。暴走してたのだ。周りが見えていなかったのだ。

 自分で思うほど、ボクはボクを律せていない。強引でも乱暴でも、ボクにはボクを制するものが必要なのだ。

 せめて、そういうものがあれば、ボクはまた、彼女と向き合える……のかもしれない。

 暗中模索。自分の中ではなく、外に力を求めることになるとは。

 ……誰かを、いや……“あいつ”を止める、という話なら、ボクは喜んで抑制剤となるのだけれど。

 いやいや、喜びはしないな。それはあまりにもボクにとって得がない。できればおとなしく死んで欲しいくらいだが、しかしあいつはどうしたってボクの邪魔に――

 

 

 

「――ん? んん? なんだ? なんか、引っかかるな。邪魔、邪魔、邪魔。そうだ、あいつは凄く邪魔で目障りで、鬱陶しくて今すぐ死んで然るべきと思えるくらい邪悪なエゴの塊だけれど、うーん? しかし、なんだ? 凄く、凄く、物凄く、不本意ながらも、なにかボクの求める回答に近いような不愉快な感じが……」

「なに物騒に唸ってんだ?」

「あ、ヤマネ。おはよう」

 

 隠れ家のマンション、3日目。明朝。

 外に出るのは危険なため、ずっとこの家の中に引きこもっている霜だが、この家には生活をするための、ほぼ必要最低限の機能しか備わっておらず、当然ながら娯楽などない。

 なので日中は暇潰しに眠りネズミやユニコーンとカードゲーム、ひとりの時は思索に耽る、ということを繰り返していた。

 

「ちょっと、考え事だよ」

「つまんねーな」

「今は外出自粛中でつまらないことしかできないからね、仕方ない」

 

 けれど、無意味でもない、と霜は思う。

 眠りネズミ――ヤマネと出会うまでの、荒んでいた時とは違う心だ。実質的な軟禁状態だというのに、今は心が落ち着いていて、以前より思考がクリアだ。

 ほとんど逃亡生活と変わらないのだが、それでも、霜はどこか安心しているのだ。朧や、眠りネズミが、ここにいることに。

 

(ちょっと前までは、切った張ったでドンパチギスギスしてたっていうのに、不思議なものだね)

 

 一蓮托生とは言った――いや言ってない。言われただけだ――ここまで気を許すことになるとは、と思いのほか自分が単純だったことに呆れてしまう。

 勿論、精神が荒れてろくなことができなかった時と比べれば、マシと言えばマシ、だと思うが。

 

「ねぇ、ヤマネ」

「あんだよ」

「君には、どんな友達がいる?」

「は? マジそれ藪から棒。すげぇ謎、どういう意図? それとも僕と友達希望?」

「君なら「僕たちとっくにダチンコだろ?」とか言うかと思った」

「今のはノリだよわかれよknow!」

「まあ、うん、わかるよ」

「おう。んで、ダチ? まあそりゃ、お前みてーなのとか?」

「それは……うん、他には?」

「待ってろ、多い。カメ子だろ? ユニ子だろ? ライ男だろ? カザミに、それから……」

 

 指折り数える眠りネズミ。なんだかんだ、友達は多いらしい。

 その中に【不思議の国の住人】がどれほど含まれているのかはわからないが、しかし彼はやはり、それらの仲間を「友達」という言葉で括っている。

 おおよそ、対等な相手として、肩を並べている、つもりなのだ。

 

「……君は、友達に負けるつもりは、ある?」

「負けるって、デュエマか? ねーよ、僕つぇーし」

「確かに、実際に何度も対戦して、君の技量には驚かされたな……眠気でプレミ率が異常に多いが、調子がいい時のプレイングの鮮やかさには目を剥いたよ」

「おう、サンキュ」

「君はムラが大きいが、強い。だけれど、あるいは、だからこそ、君は君の友達にも負けることもあるだろうけど、それは、どう?」

「どうって、まあふつーはチクショー! って感じだろ。帽子屋ん時はクソッタレ! だったけどよ」

「どういう違いがあるんだ……?」

 

 清々しさとか?

 

「……まあ、ボクもあいつに負けたなら、たぶん後者だな。悪態をつきたくなる」

 

 畜生も原義的には悪態なのだが、それはさておき。

 

「少し、話を聞かせて欲しいな。君と、君が友達だと思う人と、どういう関係で結ばれていたのか」

「お、いいぜ。つっても大したことしてねーけどな! 僕すぐ眠くなっちまうから、たいていのことは瞬間で忘れるんだ!」

「それでもいいよ。まずは、そう、亀船代海……君らは代用ウミガメって言うんだっけ。彼女との関係から」

「カメ子か。カメ子はなー、まあ、ねーちゃんみてーな奴だよ。毎度毎度、僕に世話焼いてくんだ。僕が眠ったら、担いで背負って運んでくれる。身体は貧相だけどよ、カメ子の背中はいいぜ。なにせ安心して寝ていられる。あいつの背中以上のベッドは世界にゃどこにもねーよ」

「へぇ……」

 

 思った以上に、彼女を買っているのだな。霜はそう思った。

 信頼しているし、信用している。

 小鈴以上に鈍臭くて、めそめそしていて、面倒くさい女という印象があったが。

 彼からは、彼女はそのように見えていたのか。

 

「ちっと口うるせーけどな! 「ダメだよ、危ないよ、ネズミくん……」つって! よーく僕のやることなすこと邪魔すんだよなー。たまにウゼェ」

「君はわりと破天荒だからね。正直、今ここで、このマンションでおとなしくしていてくれてるのが奇跡だと思ってる」

「……ユニ子がいるからなぁ。流石に妹分の手前、あんま悪手を打つのもダセェだろ」

「…………」

 

 急に殊勝なことを言い出した。どうやら今日は、かなり眠気が飛んでいるらしい。

 自由奔放にして思慮深く、身勝手に見えて仲間思い。眠りネズミ、利根ヤマネという人物の人となりが、霜もわかってきた。

 “眠気”によってかなりそのバランスにムラがあるのだが、それでも彼は、彼のスタンスで仲間と接している。

 時に制縛されながら、時に我を通し、危うくも信頼ある調律で成り立っている。

 

(そういう在り方も“アリ”か。ボクを縛るもの。ウザいと思いつつも、信頼できるもの……)

 

 ――あぁ、嫌だ、嫌だ。本当に嫌だ。

 苛つくほどの人物像が結ばれそうになる。反射的に拒絶しそうになるが、しかしこれは確実に、限りなく、答えに近い。

 100点満点の90点はある。残りの10点は、奴に信頼など微塵もないこと。

 信頼……あるいは信用。あいつのどこにも、そんな要素はない。

 ない――はず、だが。

 

(仮に、ないと思い込んでいるだけで、なにか信頼できる要素があるのだとすれば……それは絶対に、ボクと直接的なラインでは繋がっていないもの。間接的に繋がっているもの。ボクと、あいつを結ぶもの――)

 

 それは、それは、それは。

 

(――それは)

 

 

 

ガタンッ

 

 

 

「えっ、なに?」

 

 霜の思考が途切れる。

 ただならぬ気配感じる物音が響く。ガチャガチャと音が鳴り響き、ドタドタと騒がしい足音が聞こえる。

 

「玄関の方……敵襲か!?」

 

 だったらまずい。ここは地上50階、どこにも逃げ場なんてない。

 完全に袋の鼠、と思ったが、駆け込んできたのは、良いか悪いかはさておき、とても見覚えのある人物だった。

 ――訂正。悪い状況ではあった。

 

 

 

「急患だ! 無作法は許せ!」

 

 

 

 大柄な男が、青年をひとり背負って、駆け込んできた。

 この男は見覚えがある、どころではない。知っている。毎日のように見てきた……

 

「学校の用務員の……それに、先生? え? 血、っていうか……」

 

 ぼたぼたと、肩口から赤い液体が溢れ、床を塗らす。

 応急手当だろう、布で縛られているが、それでも止まらない。とめどなく、赤い血は流れ出している。

 いや、それよりも――

 

「先生……その、腕が……!?」

「吃驚はもっともだが今は一刻を争う! 如何に我らと言えど人に近づいた身、失血死の可能性がないとも言い切れなく!」

「驚くのは後にして、とっとと救急箱持って来なさいっての!」

 

 駆け込んだ燃えぶどうトンボ、片腕を失っている木馬バエ、そしてその後ろから出て来た狭霧。

 あまりの出来事に、さしもの霜も混乱する。

 

「あ、君……朧さんは?」

「……いいから早くしろ!」

「わかったよ! なにがどうなってるんだ……?」

 

 わけがわからなくなりながらも、霜は大慌てで救急箱を探しに行くのだった。

 

 

 

                    ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ようやく血が止まったな」

「ボク、医学とか詳しくないけど、これ絶対正しい手当じゃないよね。そもそも、これだけの血がなくなったら人って死ぬんじゃないか……?」

「我々は人に擬しただけであり、本質的には人ではない故な」

「さっきと言ってること違くない?」

「“どちらもあり得る”ということだ。なにせ医者に掛かったことなどないのでな。どこまで“人と成った”か、我らにもわからん。姉上ならあるいは、視抜けたやもしれぬが」

 

 結果としては。

 専門的な知識を持つ者がいるわけでもなく。応急手当の作法どころか、AEDの扱いすら覚束なさそうな面々は、ただひたすらに“腕を縛る”という、あまりにも強引すぎる手段“だけ”で止血を完了させたのだった。

 あまりにも乱雑。どう考えてもこれでいいわけがないが、しかしこうする以外、できることはなかった。救急箱なぞ微塵の役にも立たなかった。

 一応、包帯は巻いたが……なにが適切な処置なのかもわからず、ほとんど雰囲気だけでやっているが、本当にこれでいいのか、不安しかない。

 

「……それで、これは一体、どういうことなんだ? 用務員の人と、先生が増えて、代わりに朧さんの姿は見えないけれど……」

「それは……」

「そこから先は(ボク)が話そう」

 

 そういえば鍵を閉めていなかった。そう思われつつ、彼は部屋に入って来た。

 

「あなたは……アギリ、さん。でしたっけ」

「そうだ。ヤングオイスターズが長男(二番目)、人としての名は若垣天霧(アギリ)。妹と弟が世話になったようだな、水早霜」

 

 新しい、3人目。

 一気にこれだけの人数が増えたのは、きっと、喜ばしいことなのだが。

 しかし、いなくなった者、欠けている者の存在は、それ以上に大きい。

 

「どうして、あなたは?」

「早朝とはいえ、流血した人間らしきものを運ぶ集団は怪しまれる。これほど巨大な高層マンションであれば管理の眼も相応だ。つまるところ、フロントの事情聴取を一手に引き受け遅れた次第である。しかし、口先だけで場を制するというのは、思いのほか難解なものだな。上手く誤魔化せたとは思わない、むしろ苦しい言い訳だった。確実に怪しまれたな。この隠れ家(セーフハウス)も、いつまで使えるものか……」

「長々語って申し訳ないんですけど、遅れた理由を聞いたわけではなく」

「わかっている。今のはアイスブレイクだ。事の顛末を一から話そう」

 

 アギリは全体を見回して、おもむろに口を開く。

 

「まずヤングオイスターズの次男三女、朧と狭霧は、レジスタンスの仲間を増やすため、蟲の三姉弟とコンタクトを取った」

「それは知ってる。こうしてふたりが来たということは、接触できたのかな。でも、先生はこの大怪我に、お姉さんがいないようだけれど」

「……姉上は」

「燃えぶどうトンボ、それはこちらで話す。あなたも休むべきだ。身体はともかく、心の辛苦は大きいだろう」

「それは貴様も同じだろう。貴様にとっても、いやさ貴様だからこそ、半身を引き裂かれたに等しい痛みのはずだ」

「確かに。だが、今のヤングオイスターズ(我々)は、いまいち個性()が機能していなくてな。他の兄弟姉妹と、ほとんど同調できていない。故に普段より、傷は浅い」

「しかしだな……」

「あの……悪いんですけど、ボクら置いて話を進めないでくれません? ヤマネ寝ちゃったし……」

「すまない」

 

 寝てしまった眠りネズミは寝室に放り込み、あまりの騒ぎで起きてきたユニコーンには刺激が強すぎるためこちらも寝室に押し戻す。

 そして、コホンと咳払いして、アギリは話を戻す。

 

「朧と狭霧は首尾良く、路上生活をしていた蟲の三姉弟と接触を果たし、レジスタンスの仲間として引き入れることに成功した。彼らのスタンスはやや独特だが、それでも手を取り合えるものと考えていいだろう」

「独特って……?」

「業腹だがな。姉上は“女王には敵わない”と結論づけた。それを前提とし、それでも“旧知の仲なれば助力する”という意志はあった、ということだ」

「我々の抵抗を無駄と思いつつも、彼女は仲間思いだ。故に見知った仲だからこそ、手は貸す、という話だった」

「でも、そのお姉さんは、ここにはいませんよね」

「そうだ。その協定を結んだ直後、【死星団】に補足された」

「! ってことは……」

「察する通り、朧とバタつきパンチョウは、敵の手に掛かった。木馬バエも、その最中に腕を切り落とされた」

 

 淡々と語るが、壮絶な闘争があったことは、想像に難くない。

 あの朗らかなバタつきパンチョウ。そして、なんだかんだと世話を焼いてくれた朧。

 そのふたりがいなくなったという事実に、霜も、思うところはあった。

 

「……あれ? 今の話の中にアギリさんは出なかったよね? あなたは、一体どこで?」

「うちらが絶体絶命って時に助けてくれたのが、アギリお兄ちゃんだったの」

「なぜか敵地の世界に穴が空いていてな。そこを抜けて逃げ出したわけだが、あの穴を穿ったのはヤングオイスターズの長兄だと言うではないか。あれは如何なる妖術か」

「……まあ、あれは外法の類だろう。少しばかり協力者がいたというだけの話だ」

「協力者?」

「気にするな。結果として(ボク)は所在不明の弟妹を発見できたし、3人を救ったが、2人を喪った。いまだ(ボク)は、あれを信用はしていない」

 

 苦々しげに、アギリは歯噛みする。

 

「……とまあ、瞬くような短い一夜の間だが、そのような紆余曲折があったのだ」

「なるほど……事情は、理解しました」

 

 アギリ、燃えぶどうトンボ、木馬バエ。

 ひとりは大怪我で動けないが、それでも心強い戦力がふたり増えたのは良いことだ。代わりに、朧がいなくなり、バタつきパンチョウが敵に囚われてしまったのは、非常に痛手だが……

 

「弟の任を引き継ぎ、ひとまず(ボク)がこの場を仕切ろう。燃えぶどうトンボ、それで構わないか?」

「うむ。我ら蟲の三姉弟は自由第一、統率や指揮というものとは無縁故。適材適所、役割分担、大いに結構」

「ではそういうことで。よろしく頼む、皆」

「よ、よろしくお願いします……」

 

 ふらっとしていた朧と違い、メリハリついた声でキリッとしたアギリに、少しだけ萎縮する。が、その毅然とした態度は、同時に安心もできた。

 

「とはいえ、我々にできることはそう多くない。敵の出方が不明な以上、水面下で活動し、仲間を増やすことしかできないが……」

「それで喪った仲間もいるわけだし、それが簡単にできれば苦労はない、ですか」

「そうだな。ひとまず、木馬バエは療養に専念して貰う。木馬バエ、あなたも弟君に付き添って欲しい」

「無論だ。弟だからな、ぼくが寄り添わなければ、姉上に顔向けできん」

「木馬バエの回復を待ちつつ、戦力の充足と情報収集だな。正直な話、いくら人員を集めたところで、決定的な“なにか”がない我々では、奴らに太刀打ちできるとは思えんが……」

「それは……確かに……」

 

 相手の出現場所も時間も不明。どこに潜伏しているかも不明。総合的な戦力も不明。なにもかもわからないのに、こちらの情報はほぼ筒抜けで遊撃され、戦力は削り落とされ、決定打もない。

 ほとんど場当たり的なことしかできない。具体的な解決策は、一向に見えてこない。

 

「初手から手詰まりとは、わかっていたが参るな……だからといってあの男をアテにするのは、気が進まないのだが……」

「……さっきもなんか言ってましたけど、あの男って……?」

「奴の詳細も正体もなにも知らない。ただこちらに弟妹の居場所を教え、これを渡してきた」

 

 カラン、とアギリが放ったのは、ナイフだった。

 どこにでも売ってそうなチープな果物ナイフ。ただそれだけだが、なぜか、妙に怖気がする。

 

「……なんです? これ」

「呪われたナイフだ」

「は?」

 

 本気で言ってるんですか? と言いそうになった。

 

「本気ではないが、本物だ。呪いかどうかはさておき、それにはなにかしらの超常的な力が働いているようではある。原理もなにもかも不明だが、効果だけは実証済みだ」

「まさか、あの世界に穴を空けたのって」

「これだ」

「……なんか物凄いアーティファクトが出て来たな」

 

 ひょっとすると、これは【死星団】に立ち向かう力になるのではないか、と微かな希望を抱きたくなるが、

 

「そこまでの効果は見込めないだろう。今回は敵に隙があった。“それはあり得ないだろう”という先入観に付け込むことができた。既に手を見せた以上、二度目はない。あまりこれに期待するな」

「それは……そうか、そうですね」

「でもその人、うちらの居場所知ってたんだ……なんで?」

「というかそもそも、あなたたちはお互いの情報を共有し合ってるって話じゃなかったっけ?」

「そのことか。今はそうではない。これは我々だけの話ではないようなのだが、どうも近頃【不思議の国の住人】が有する個性()が、上手く機能しなくなっているようだ」

「それはぼくも感じている。あまり自由に“眼”を覗き見ることができなくなっているとは思っていたのだ。女王が目覚めた影響だと思うのだが……」

「十中八九そうであろう。なんにせよ、今、我々は兄弟姉妹の間で上手く同調ができていない。故に同じヤングオイスターズの居場所も、現状も、ずっと不明だったのだ」

「そうだったのか……」

 

 【不思議の国の住人】が有する特殊な能力が弱まっているということは、つまり彼らそのものも弱体化しているということ。

 良いことも悪いこともあったが、総合的に悪いニュースが多くて、へこみそうになる。

 

「……ねぇ、そろそろ、いい?」

 

 そこで、狭霧が切り出した。

 

「お兄ちゃんから、伝言があるんだけど。あんたに」

「ボクに? 朧さんから……?」

「そう」

「なに?」

 

 伝言ということは、きっと、彼は最後に自分へとなにかを残すべきだと思ったのだろう。

 含蓄ある言葉かなにか。心構えを説くようななにか。この先に繋がっていく、精神的支柱になるような、なにか。

 あるいは、なにかのヒント、切っ掛けになるような、言葉を――

 

「『早く香取さんと仲直りしろ』」

「……は?」

「二度も言わせないで、お兄ちゃんの言葉、そのまま読み上げただけだから」

「…………」

 

 絶句する。呆れた……わけではない。

 繋がった、のだ。

 

「……は、はは。そうか、そういうことか、そうだよな」

「え、なに。なに笑ってるの? こわ……」

「まったく、君のお兄さんは思った以上に世話焼きだな。最後に残す言葉が、妹やお兄さんにあてたものじゃなくて、ボクへのアドバイスなんて、どんだ酔狂だよ」

「それはうちも思うけど……どうしたのあんた? 頭おかしくなった?」

「かもしれない。正気じゃこんなのやってられないよ」

 

 馬鹿みたいな結論だと思った。けれど、馬鹿馬鹿しいほど理に適ってる。

 傲慢も身勝手も飲み込んで、邪悪も高潔もない交ぜにして、そうやって生まれる混沌を抱いて届く。

 なんとも阿呆らしく、気持ち悪く、不愉快だが、それでも、それはとても“らしい”。

 それはきっと、自分たちが望むも望まず、それでいて彼女も望まずも望む、そんな矛盾した在り方なのだろう。

 だけどそれは、間違いなく“ボクたちの日常”だ。

 

「……ごめん。今後の方針っていうか、次の行動について、お願いがあります」

「現状、我々の行動方針は曖昧模糊だからな。お前の願いが契機になる可能性はある。言ってみろ」

 

 とても、個人的で、身勝手で、自己中心的だ。本来なら、口に出すのも烏滸がましく、憚られる。

 けれどそれは、大事なことだと思った。彼もやけに口酸っぱく言っていたのだから、という担保も込みで。

 これが決め手になるとも思えないし、現状を打破できるとも思えないが、少なくとも、清算はできる。

 こんな時に私事なんて、と恥を忍んで。

 水早霜は、希う――

 

 

 

「――ボクを、実子と会わせてください」




 書いてて気付く、こっちサイドは外出自粛。こっちはもっぱらパンデミック。
 ……韻を踏んでみただけで、作中世界は別にパンデミックではない。


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51話「復元しよう Ⅱ」

 ヘリオスとメルちゃんがわちゃわちゃしてるだけの回。


 【死星団】が根城とする、とある森の中。

 寝台に寝かされた少女。それを診察する、青い少女。彼女らを見守る、白と黒の男たち。

 

「メル、姫の容態はどうだ?」

「うーん、なんか妙な感じはあるのですが、ひとまず落ち着いたのです。だけどやっぱり、“馴染み”が悪いのです。どうも地脈が良くなさそうなのですね」

「となると、やはり迅速に拠点を移す理由があるな。リズからの進捗報告はどうなっている?」

「リズちゃんがあたしに報告してくれるわけないじゃないですかー、不明なのでーす」

「そうか。致し方ない、我々だけで姫を護送しよう」

「ヘリオスはどうするよ?」

「ヘリオスか。奴は……」

「呼んだかい?」

 

 と、そこで。

 ひょっこりと、赤い青年が顔を出した。

 

「なんだいなんだい、みんな辛気くさい顔しちゃってさ。そうだ、今日はお土産においしいパンを買ってきたよ」

「買ってきたってお前……金なんてねぇだろ」

「まさかリオくんが、この前あたしにせびった駄賃を残しておくなんて思えないのです」

「それは当然! だから、えーっと、なに? バイト? してたんだよ」

「……ヘリオス、貴様は……」

 

 もはや怒りを越えて呆れ、あるいは諦めの様相を見せるミネルヴァ。彼は額に手を当てて、大きく嘆息する。

 

「お前バイトなんてしてるのか。自由すぎだろ」

「自由なのが僕だよ、知ってるだろう? リズだってそれが僕の役割だって太鼓判を押してくれた」

「だからって限度があるのです」

「ないよ。僕を縛るものなんてなにもない。限界も限度も知ったことか。僕は鬼が居たって洗濯するさ」

「そりゃ知ってるが、お前みたいなのにできる仕事なんてあるのかよ」

「うん。ヤクザ? っていうの? よくわかんないけど、ナントカって人間をテキトーに何人か殺してたらお金くれたよ。カスミとかなんとか、まあわりといい人たちだったな」

「あぁ、なるほど。お前なんか面倒くさいのに顔突っ込んだのな……」

「変に飛び火しても嫌なので、そっちはあたしがちょちょいとフォローしとくのです」

「世話を掛けるな、メル……」

「そんなことよりこれ食べてよこれ! 僕の友達も絶賛のパン! マジうまいから食べてみなって!」

「お、おう……」

「で、みんなはなにやってるの? ってかリズは?」

「お前そこからかよ。本当になんにも知らないのな」

「?」

 

 首を傾げるヘリオス。演技でもなんでもなく、本当になにも知らないらしい。

 

「リオくん圧倒的情報弱者なのです。草生えるのです」

「え? なに? ひょっとして今、バカにされた? ケンカ売られたってなら買うけど? とりあえず一発殴っとく?」

「あーやだやだ、ほんっとリオくんは血の気が多くて嫌になっちゃうのです。スマートじゃないのはクールとは言えないのです」

「クール……なるほど、格好良さは確かに大事だね。でも、自分の気持ちや衝動に逆らうのは、格好良いとは思わないなぁ」

「激情も冷徹もコントロールしてこそのクールなのですよ。粋ってやつなのです」

「感情をコントロールしちゃったら、それはもう本来の気持ちからかけ離れちゃうんじゃない? それって本物の感情って言えないんじゃないかなぁ」

「……バカの癖に変なとこ鋭いのですね。でもあたしはその論には真っ向から反対するのですよ。ちゃんと論拠もあるのです。そもそも感情というものを定義するにあたってですね――」

「いいよ喋らなくて。メルの御託に興味ないし。それより姫ー!」

「聞けよ! なのです!」

 

 青い少女は声を荒げる。しかし青年はまるで意にも介さず、どころか無視して、寝台に横たわる彼女の下へと駆けていく。

 

「あれ? 姫、もしかして体調悪い? じゃあ元気になるお土産が――」

「あーもう! 勝手にお姫さまに餌付けするなのです!」

「それはどっちだ」

「お姫さまのステータスは、あたしが秒単位で計測して管理してるのです。介護係リズちゃんや、親衛隊長ミーナさんならまだしも、リオくんが下手に触るとなにが起こるかわからないのです!」

「なにが起こるかわからないだって? いいね! わくわくするよ!」

「こいつ話聞かねーのです! お姫さまは今、危ういバランスで生きてて、それをこっちできっちり管理してるんだから、あなたの気まぐれで乱すなつってるのですよ! わかれー!」

「いや言いたいことはわかるけどね? でもそれって、なにも楽しくないし。なにより自分の身体を他人に管理されるなんて、よくそんな恐ろしいことを平然と言えるね、メル。君、頭おかしいんじゃない?」

「うわ、リオくんに頭おかしいとか言われた……宇宙最大の屈辱なのです……!」

 

 お前が言うな、と言いいたげな少女。

 さらに彼女は、キッとヘリオスを睨む。

 

「っていうか、なんかお姫さまのこの違和感、外部からの干渉の形跡が僅かに見てとれるのですけど、まさかリオくん!?」

「え? なに? そりゃあ僕は毎朝姫に挨拶してたまに遊びに誘ったりお話したりしてるけど、それが?」

「うわーこのバカバカバカ! 精密機械に泥遊びした手で触ってんじゃねーのですよ!」

「泥遊びか、前に公園で僕も混ぜてもらったよ。楽しかったね」

「あなた幼児なのです!? もー! ディジーさーん! ミーナさーん! このバカどうにかして欲しいのです!」

「……ヘリオス、いいか? 姫は今、母上を取り込んだことで非常に不安定な状態だ。それを、メルの正確無比な分析と、リズの感応による介護で、なんとか安定させている。この均衡を崩すと、最悪、姫に危害が及びかねない。それは貴様も望むところではないだろう?」

「そうだねぇ。でもま、大丈夫じゃない? 死にはしないでしょ!」

「くっ、こいつは……!」

「能天気が過ぎるのです……問答の意義を問いたくなってくるのですよ」

「第一、安定してるから大丈夫、なんて決めつけだよ。ずっと姫は寝たきりで、一度も笑っちゃいない! それはいいことだっていうのか?」

「少なくとも、下手に刺激して調和を乱すよりはよほどいい。わからないか?」

「わからないね! 僕は、今の姫がいい状態だなんて微塵も思わない! 現状維持に甘んじてる君らなんかより、僕の方がよほど姫を思ったことをしているさ!」

 

 ヒートアップしていくヘリオス。ミネルヴァでも抑えが利かなくなってきたところで、ぬっと黒い彼が割り込んでくる。

 

「まあ落ち着けヘリオス。いや、落ち着かなくていいからちょっと聞け」

「ディジーさん!」

「なんだいディジー。君もメルやミーナの味方をするってのかい? ケンカなら受けて立つよ。殴り合いならなお良いね!」

「お前なんかと殴り合ってられるかよ。俺は別に誰の味方でもねぇ、味方は自分だけだ。んなことより」

 

 拳を振り上げるヘリオスを宥めつつ、彼は続ける。

 

「お前が姫さんのことをどんだけ思ってるかはわかったが、姫さんの性格は知ってるだろ。姫さんは気が弱くてビビリだ。それに今は病床で臥せってるようなモン……あんまドタドタ騒ぐのは良くねぇ」

「そうかい? お祭りとかバカ騒ぎすると、元気にならないかな?」

「それも一理ある。お前の時間を無駄にしない、一瞬一秒を惜しんで行動する迅速さは、素直にすげぇよ。だが姫さんのことを考えねぇでなんでもかんでもガンガン押し付けていくのは、姫さん的にはどうなんかね?」

「ん、んんんー?」

「相手のことを思うなればこそ、相手の声を聞きな。議論なんてお前は御免だろうが、言葉を交わすのは望むところだろ? 安定とか良し悪しじゃねぇ、相手の願いを聞いてみな」

「……それもそうだね」

 

 ヘリオスの熱が、下がっていく。振り上げられた拳が降ろされた。

 

「そうだね。姫にも好き嫌いがあるかもしれないしね。まずは姫と話をしてみよう」

「おう、刺激しすぎない程度にな。姫さんは病み上がりどころか病床みたいなモンだからな」

「ディジー……」

「メルとミーナも、パンのひとつやふたつでカッカすんなよ。そりゃヘリオスの奴は刺激が強すぎるがよ、姫さんは元々、人間の中で生活していた。今は女王サマの神体が馴染みつつあるが、それでもまだ“人としての在り方”が多少は残ってるはずだろ。それを加味すりゃ、人の食い物を与えても問題はないんじゃねーか?」

「……まあそれはディジーさんの言う通りなのです。成分的にも毒物の類は感知されてないので、害はないのです」

「ほらー! 君はそういう情報を隠して僕を説き伏せようとしたんだね。まったく意地の悪い小娘だよ。性根も身体もガキンチョだ」

「はぁー!? あたしの流線ボディは完全無欠の機能を備えた肉体美なのですけどー!? 今後の発展の余地、即ち可能性まで内包した非の打ち所がない完璧ボディなのですけどー!? リオくんあたしのアバター人気知らないのですね!? どんだけあたしのアバター姿のイラストやグッズが世に出回ってると思うのです!?」

「知らないよ。僕はもっと肉感的な方がいいと思う。そう、僕の友達にすっごい胸の大きな子がいてね、僕の手でも掴みきれないくらいありそうなんだけど……」

「下世話な話はよせ、ヘリオス。もういい」

 

 ミネルヴァは、諦めたように首を横に振る。

 ヘリオスはそれを見て、楽しげに寝台を覗き込む。寝台から、やかましくも楽しげな声が、うるさいくらいに響く。

 自由にして混沌、ヘリオス・マヴォルス。奔放な彼が周囲に与える影響は予測も測定もできないが、しかし、悪意はない。

 ひとまずそれで、ミネルヴァは妥協した。

 

「しかし、よもやディジーに仲裁されるとはな……」

「気にすんな。ヘリオスの扱いが面倒くさいのは承知してる。こいつの手綱を握れるのはシリーズくらいだろ……いや、あいつも手綱を握ってるとは言い難いが」

「リズちゃんとリオくんはウマは合うのですが、仲良いわけじゃないですしね」

「で、結局どうすんだこの暴れ馬」

「奴も我らの仲間だ。無論、姫の護送の任につける」

「はぁん。ま、言うだけ無駄な気がするがな」

 

 どうせ護送中にどっか行くだろ、と彼は言う。そうあっては困るのだがな、とミネルヴァは肩を落とす。

 ヘリオスには期待できない。シリーズは別の任についている。

 しかしそれでも、ミネルヴァの他にふたりいれば――

 

「あ、言い忘れてたのです。あたしはちょっと別件で護送は不参加なのでーす」

 

 ――ふたりいれば、と思ったのだが。

 

「メル?」

 

 さらにひとり、護送の任から降りようとしていた。

 

「君は、私の与える任を降りると言うのか?」

「やだなー、怖い顔しないでください。効率的に考えてるだけなのですよ、あたしは。ミーナさんにディジーさんがいれば、お姫さまの送り迎えなんて余裕なのです。そちらにあたしまで加えて3人もリソースを割くのは、些か非合理的……というわけなのですよ」

「確実性よりも効率を以て、君は君の我を為さんというわけか」

「なのです。総合的にはきっちり役目は果たすつもりなのです」

「……いいだろう。君がそう言うのであれば、考えがあるのだろう。言ってみろ」

「どうもなのでーす。ま、リズちゃん風に言うなら、かつて撒いた種が芽生えた頃なのです。新芽は摘んで潰さないと、なのですよ?」

「芽?」

「あれだろ。こいつが最初に目ぇつけてた奴ら。メルから分析データ見せて貰ったが、俺もそろそろ仕掛け時だと思うぜ。良くも悪くもな」

「なのです! ディジーさんからのお墨付きも貰ったので、あたしは“狩って”くるのです」

 

 青い少女は、朗らかに、子供っぽく、しかし邪悪に、冷酷に、嘲嗤う。

 最初に目を付けた、彼らへと。

 

 

 

「水早霜、香取実子――しっかりと、相食んでくださいね?」




 死星団どうしの掛け合い、もっと増やしたいけど挿入する場所が難しくて悩ましい。いっそ短編でも書こうかと思うけど、短編にするほどのネタもないんだよねぇ。


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51話「復元しよう Ⅲ」

 タイトルを変更。色々練ってたら、それなりにしっくりくるタイトルが浮かんでしまった。まあ以前のタイトルは類似サブタイがあったからややこしいしね。


 実は私が優等生という話は、既にしたと思う。

 私は小学生までは周りの――両親の望む私を演じていた。

 ここで誤解しないで欲しいのは、それは、少なくともその時の私にとっては、不本意なことではなかったということ。自分の気持ちを押しとどめてたとか、嫌々周りに合わせてたとか、そういうわけではないんだ。

 単純に、純粋に、お父さんやお母さんの喜ぶ顔が見たかった。

 ただ、それだけだ。

 その期待に応えたい一心だけで、私は頑張った。優等生だったというのは、その結果に過ぎない。

 なにもおかしなことはない。誰かの期待に応えたいと思うのは、とても自然なことだと思う。どこかの誰かさんは私のことを利己的だと言ったけど、私にだって人並みの善性はある。同時に人並みの悪性だって理解しているけどね。そういう意味では、私はなによりも“普通”な存在だと思う。

 話が少し逸れた。ともかく私の幼少期を形成していたのは、そんな両親からの期待と、それに応えようと奮迅する子供心だったわけだ。

 私は要領が良くて飲み込みも早くて、井の中の蛙ではあるけど優秀な子供だったから、その期待には余すことなく応えられた。両親には喜んで貰えて、幸せにできて、私も幸せだった。

 だけど、その器量の良さが、仇になったんだ。

 それは私が中学生に上がる直前のこと。

 

 ――両親が海外に発ってしまった。

 

 まあ、これは、仕方のないことだ。私の両親は、ジャーナリスト? 詳しくは知らないけど、世界中を飛び回ってその情勢を報道するような仕事をしている。私が小学生の頃までは、子育てに集中するために日本に居を構えていたらしいけど、仕事柄、定住地がない方が動きやすいんだとかなんとか。

 両親の仕事の詳細はさておき、私の小学校卒業が、転換点だったということ。両親は私を置いて、海外に飛び立ってしまった。

 なんて言うと、やれ育児放棄だネグレクトだ、なんて思われそうだけど。それは事実と反する意見だから、私の大好きなお父さんやお母さんのためにも訂正させてもらうよ。あの人たちはギリギリまで悩んでたし、私だって相談の上に合意して、ひとり日本に残ったんだ。だから、お父さんもお母さんも、なにも悪くない。

 悪い奴がいるなら、そうだね。本当は離れたくなかったのに、ワガママが言えなかった私が悪い。自業自得ってヤツ。

 両親は、結構危ないところにも頻繁に足を運ぶらしくて、子供の私と一緒に海外に発つことを嫌ってた。色んな国を飛び回るから、学校にも行けなくなることも危ぶんでた。かといってこれ以上、日本にも留まれない。だからこれは、仕方のないことだったんだ。そんな仕事のせいで親しい友人もいなくて、親戚とかもなかったようだから、私をひとり残すしかなかった。

 ただ普通の感性を持つ人ならわかると思うんだけど、小学校上がったばかりの中学生がひとり暮らしというのは異様だ。滅多にあることじゃない。だって、中学生なんてまだまだ子供なんだから。

 だけど私は――期待に応える子供だったから。

 優秀で、手際も器量も要領も良い優等生。

 ひとりだって生きていける。ひとりで生活できるだけの力がある。両親はそう思って、私を信じて、日本に残してくれた。

 最初はちょっとだけ嬉しかった。これは両親から与えられた大きなミッションだってテンションが上がった。これを完遂すれば、またお父さんやお母さんは褒めてくれるって。

 

 ――だけど、褒めてくれる人は、海の向こう側だ。

 

 それに、完遂すればって、この状況はいつ終わるっていうの?

 本当に馬鹿だった。褒めてくれる人はもう傍にはいない。「期待に応えた報酬」という期待に応えてくれる人は、ここにはいないんだ。

 報酬のない無期限のミッション。それはただただ、苦痛で、虚無だった。

 ただ私は聡明だから、すぐにそれに気付いたし、そこからの切り替えも早かった。

 まあつまり、そこから今の自堕落生活実子ちゃんが生まれた、というわけで。

 期待をかけて見てくれる人がいなかったら、メシすらろくに食べないダメ人間が生まれるという好例……いや悪例だったのさ。

 とはいえそんな今の私は、実子歴の中ではもうちょい後で。

 両親の期待に応える小学生時代の私と、自堕落極めた今の私、その中間となる期間があった。

 それがちょうど、小鈴ちゃんと出逢ったばかりの頃。

 そして、あの子と初めて、大喧嘩するまでの期間だ。

 私にとっては“見”の期間だ。周りを観察して、どう動くべきかを考える期間。この時の私が、最も“普通(モブ)”な私だったと思う。

 そこで私は、あの子と、小鈴ちゃんと、出逢ったんだ。

 ある意味、あの出逢いは運命だったね。そんな運命的なものは感じなかったけど、ふわふわしてた私の方針を決めたのは――私が寄りかかる寄辺を定めたのが、そこだ。

 初めてあの子を見た時は、悪いけど「取り入りやすそうな子だな」って思った。

 実際その通りで、すぐに仲良くなって、友達になれた。

 あの子は私に期待を掛けてくれるわけではないけれど、それでもまあ、ほどほどに心地よかった。

 少なくとも、自分ひとりでは生きていけない私にとっての、大切な支えだった。

 誰かの期待なくては何者にもなれない私を、私にもわからないありのままの私を、あの子は認めて、肯定して、受け入れてくれる。

 実はそれは、凄く嬉しかったんだ。

 そんなあの子の優しさが、なによりも尊かった。

 私が私であるために、私自身を支えて私たらしめるために。

 私には、小鈴ちゃんが必要だ。変わることのないあの優しさと、甘さが、必要なんだ。

 ……勿論、それだけじゃないけれど。

 もっとシンプルな話だ。ただ私は、あの子がいなくなったら、本当に誰もいなくなってしまう。

 それは、とても、とても――

 

 

 

                    ☆ ☆ ☆

 

 

 

「帽子屋さん、ありがとね」

「なんだ藪から棒に」

 

 今日も今日とて、香取実子は帽子屋と共に、なんでもない日々を過ごしていた。

 朝起きて、飯を食べて、掃除して、洗濯して、買い物して、一緒にゲームして、夜眠る。

 外の騒ぎなど知る由もなく、そんな、まるで家族のような他愛ない日常の時間の中、彼女らは生きていた。

 そして今日もそのほのぼのした中、実子はなにか感じ入るように、帽子屋に感謝を告げた。

 

「や、なんやかんや帽子屋さんとこうして一緒に暮らすのも楽しいなって思ってさ」

「らしくもないな。貴様そんな殊勝なことを言うタチだったか?」

「そうなんだけどさ。帽子屋さんには、少しは甘えてもいいかなって」

「前も言ったが、オレ様に寄りかかるのだけはやめておけ。腐るのは貴様の方だ」

「……わかってるよ。でも、そういう意味じゃないよ。たぶん」

 

 自分でも自信はないが、これは“彼女”への依存とは、恐らく違う感覚だ。

 彼になら、吐き出してもいい。友に言えないことでも言えることがある。立場の違い……だろうか。

 

「ところでさ、帽子屋さんの両親ってどんな人? というか人? そもそも親とかいるの?」

「また難儀な愚問だな。そうさな、ハートの女王は母と言える存在ではある。オレ様は確実に、あれによって直接産み落とされた落し子だ。他の不思議の国の連中にとってはただの祖先であるからして、事情がやや異なるがな」

「父親は?」

「女王の夫か、知らんな。バタつきパンチョウがなんぞ言っていた気もするが覚えていない。ヨーグルトソースだかハスっぱだか、よくわからん文字の羅列としておぼろげに記憶してるのみだ。1億5000万年も生きていると物覚えも悪くてな」

「それなんの料理さ」

「で、それがどうかしたか?」

「いや、帽子屋さんって、両親のことどう思ってるのかなって」

「最悪だ。ネグレクト必至の超級モンスターペアレントである。この世に生まれたことさえも不快だ。憎いとは思っていないがな」

 

 淡々と言うが、その中に嫌悪が滲んでいることを隠そうともしない。

 よほど母親が嫌いなのか。いや、そもそも彼にとっての“親”とは、人間とは違う性質のものであって、同じ尺度では測れない、のだろう。

 

「……私はさ」

 

 それでも。

 あるいは、だからこそ。

 

「お母さんもお父さんも、好きなんだよ。大好き」

 

 自分にとっての“親”を告げる。

 

「だから私は“いい子”であった。優等生として振る舞って、周りを窺って、波風立てず、自然に溶け込むようにしてた」

「振る舞っていた、か」

「あ、誤解しないでよ。私が無理してたとか、自分を殺してた、みたいに思われるかもしれないけどさ。違うんだ。お父さんやお母さんのために頑張る。それが、子供だった私の、一番の目的だったんだ」

 

 少なくとも、当時の実子にとってはそれが生き甲斐だった。

 誰かの笑顔のために。誰かの期待に応える。

 子供らしからず、ある意味では子供らしい、純朴な動機と努力だ。

 

「だって、嬉しいじゃん。喜んでくれるのは。笑ってくれるのは。だから、人って頑張ろうって思えるじゃん」

「1億5000万歳のオレ様にはよくわからんが、そういうものを一般感性と呼ぶのかもしれんな。善なるべきは善哉とな」

「まあ、それって結局、裏目になったんだけどね。つっても、そんな悪いことがあったわけでもなく」

 

 実子は、自分を振り返る。

 つい先刻まで渦巻いていた思考を、形にして、言葉にする。

 

「私はすっごいいい子だったから、お母さんもお父さんも、安心しちゃってさ。海外に発ったわけよ。けっこー危ないとこにも行くらしくて、私を連れて行きたくなかったんだって」

「立派な親だな。オレ様の母親にも、爪を煎じて贄にしたいほどだ」

「子供を危険に晒したくない一心での決断は私も尊重されるべきだと思うけど、これはこれで別の問題があってね。帽子屋さんにはピンとこないかもしれないけど、中学生の娘をひとり置いてくって、かなり異様だよ。普通じゃない。それでも私がここにひとり残ったのは、私がそれまでの間、ふたりに「しっかり者の実子」の姿を見せてたから」

 

 考えてみれば、これもこれで異様だったのかもしれない。

 中学生の娘をひとり置き去りにする選択を取るほどに、実子は、しっかり者で大人びた子供として振る舞った。

 頑張りすぎた。頑張りすぎて、異常事態を招いた。とさえ言えるかもしれない、と。

 

「香取実子はひとりでも生きていける。みんなそう思ってた。そう思われるくらい、お母さんとお父さんのために、私は頑張ってきた」

 

 なぜなら、それほどに両親が好きだったから。家族として、愛していたから。

 

「でもその結果が、ひとりでも大丈夫だから置いていく、ってのはね。なんともまあ、滑稽で裏目な話だよね。私の人生、いっつも裏目と裏切りで溢れてるなぁ。まだ12年やそこらだけどね」

「1億5000万歳のオレ様からすれば、カスみたいな年齢だな」

「帽子屋さんちょくちょくそのクソデカ年齢マウント取ってくるのなに?」

「で、なんだ? 貴様は両親への愛を語って、どうしたいという?」

「いやまあ……だからその、ね。そういう愛があったからこそ、でね」

 

 少し照れくさそうに。実子は帽子屋を見遣る。

 

「……私、帽子屋さんが来てくれて、嬉しかったんだよ」

 

 嘘偽りのない。ただの一般的で普遍的な凡人の、心からの言葉だった。

 

「ひとりでご飯作るのって、意外とつまらなくてね。誰かと食卓を囲むのって、思ったより楽しくてね。意識してなかったけど、やっぱり“誰か”ってのは、凄く大事みたいでね」

 

 自分ではない誰か。かつては親だった。少し前までは友だった。

 そして今は、狂人だ。狂っていても、そこにいるというだけで、この空間は穏やかだった。

 

「いっつも家に帰ってもひとりだから。昨日はひとりでご飯を食べる、今日はひとりで夜眠る、明日はひとりで朝を迎える。ずっと、ずっとひとりだと、思ってたから」

 

 だから――寂しかった。

 たったひとりは、辛くて、悲しくて、物足りなくて。

 だから私は、誰かを求めていたんだろう。父が、母が、遠くに行ってしまった、喪失感を埋めるために。

 だから、あなたがいて良かった。

 だから――

 

「――だから、あの子と出逢って……小鈴ちゃんがいてくれて、私は嬉しかった。いや、嬉しいどころじゃないな。満足して、安心できて――寄りかかってた、よね」

 

 人は、ひとりでは生きていけない。物理的にではなく、精神的な話として。心の問題として、他者を必要とする。

 香取実子はそれを嫌というほど実感した。だからこそ、誰かを求めた。

 なによりそれが、必要だった。寄り添って、心の穴を埋めてくれる、優しい人が。

 一度は手放してしまった。二度も手放してしまった。今は、これはこれで無二の代わりがいるが、それでも彼女の優しさは、忘れられない。

 心地の良い温床が、酷く恋しい。

 

「貴様がマジカルベルに固執する理由は、それか」

「そだね。両親の代わりって言うと、アレだけどさ。かけがえのない友達で、絶対に手放したくない相手だったのは、確かだよ」

 

 とても甘く、温かな世界だった。

 儚く脆いが、それでも、彼女の作る和は、実子にとっては甘い汁。永遠に啜っていたい甘美なる蜜なのだ。

 

「あの子は、本当にいい子だから。ひとりの私に温もりをくれる。安心感をくれる。孤独を祓って楽しさをくれる。無二の存在だ」

 

 しかしそんな彼女は、今はいない。

 この手からするりと離れてしまった。

 またひとり。だがひとりでは、生きていけない。錆びて壊れて廃れてしまう。

 だからこそ、帽子屋には感謝している。

 偶然でもなんでも、ひとりぼっちの私の、傍にいてくれることに。

 

「……ま、そんなとこだろうとは思っていた。健全な距離とはいえ、あまりオレ様に寄生するのはお勧めはしないのだがな。三月ウサギほど尻軽でもないが、無節操な女だ」

「…………」

「生憎オレ様は枯木だ。死に絶え絶えで栄養などカスほども残っていない。こんな死んだ奴に寄生しても、温もりも安心も楽しさもなかろうよ」

「そんなことないって言いたいけどね。まあ、あなたがそう言うなら否定は、しないよ。あなたは小鈴ちゃんとは違う意味で、儚げで壊れてしまいそうな脆さがあったから。いつ霧散するかわからないような恐怖はあったし、長く続かないんだなぁっていう予感もあった。でも、それでも、いてくれてよかったとは思う」

 

 それとこれとは話が別なのだ。

 枯木にも山の賑わい。如何に帽子屋が老衰しきった存在であれ、個人としてそこにいることに変わりはない。

 冷たくても熱がある。乾いていても肉がある。掠れていても言葉を交わす。

 退廃的な侘しさを漂わせても、一時の胡蝶の夢くらいは見せてくれる。

 錯覚でも限葬でも、そこから受け取って生み出す実子自身の熱は、本物だ。

 

「ちょっとだけ、お父さんがいる気分、味わえたからね。この私の気持ちは、本物だよ」

「……オレ様が父とな。確かに出生的には、【不思議の国の住人】の原初の父(アダム)と言えなくもないが。ふぅむ、しかしてオレ様が父親か。よもや、貴様の」

「や、そこはスルーしてよ。ハズいじゃん」

「オレ様に人の心の機微を求めるな。まあ貴様の内心は理解した。それを吐露した意図は読めんがな」

「いちおー、あなたには感謝してるんだよ? らしくないとは思うけどさ、こういうのずっとずるずる引きずったままはダメだと思ってね」

「ふむ?」

「だって帽子屋さん、いつ死んじゃうかわからないような空気出してるんだもん」

「否定はせんさ。むしろその通りだ。いつ死ぬかオレ様にもわからん、というより、既に9割以上死んでいるようなものだ」

 

 帽子屋は、自分の服を開く。

 カサカサに乾ききった肌、干涸らびた肉。胸の中心には、3本の時計針が突き刺さっている。

 

「前にも話したか? 『時計の針はⅥを指す』……これが、今現在オレ様の命を繋ぐ3つの楔だ」

「秒針、長針、短針、だっけ?」

「そうだ。これらはすべて「時間を固定する」力を有しているが、それぞれ刻む時間の密度が大きいほど――時間、分、秒の順で強い効力を発揮する」

「それを3本刺してるから、帽子屋さんは不老不死なんだっけ」

「女王の封印のために短針を使っていた時期もあったがな。まあ実は一本だけでもだいたいなんとかなる。3本戻った今はむしろ身体が安定しているくらいだ」

「わざわざそんな説明を今更してなに?」

「オレ様はこうして延命……いや、己の肉体時間を停止させて、寿命を誤魔化しているに過ぎん。しかし寿命は来ずとも形ある肉体は摩耗し、劣化する。ほとんど亡骸の身体だよ、これは」

 

 触れれば崩れてしまいそうな、砂の城のような身体を、帽子屋は自嘲する。

 

「だから、オレ様は既に死んでいるのだ。今は生者ということにして、現世の理を欺いているに過ぎない。死人になにを言おうが弄そうが無意味だよ」

「でも、あなたはここにいるよ」

「生者のルールを逸脱して、退場していないだけだ」

「それでもあなたは、自死も選べたはず。その3本の針がなくなれば、あなたは死んじゃう……んでしょう?」

「…………」

「あなたは今、ここにいる。紛れもないあなたの意志で。それに違いはないでしょ」

「……さぁな。気が狂ってるからな。自分の意志などわからんよ」

 

 はぐらかされた。

 あるいは、本当に、自覚していないのか。自覚できないのか。

 狂人故に。

 

「死者を自称する生者に謝辞を述べるなど、酔狂も酔狂だ。いや、オレ様が目を付けた人材なのだから、狂っていて当たり前、か。なぁ白ウサギ」

「ちょっとそこを同じにされるのは不服だなー。あとその呼び方はやめてね」

「そんなにも三月ウサギが嫌いか。エゴイストでありながらも、他者がいなくては自己が成り立たないあたりとか、非常に類似性が高いと思うのだがな」

「似てるからって、あのえっちなお姉さんと一緒にされるのは流石に心外だって。それに、私は同族嫌悪強いタイプなの」

「だろうな。あの小僧とは、随分と諍い合ったようではないか」

「…………」

 

 実子は顔をしかめる。

 あの小僧――十中八九、霜のことだろう。

 

「オレ様の見立てであれば、奴もまた我らと同類よ。ヤングオイスターズに連なる生存思考に近いものを感じる。効率と能率にエゴを発露させるタイプであろう」

「まあ……だろうねぇ」

「貴様にとっては蛇蝎の如く、不思議の国の虫けら共より、芋虫(キャタピラー)よりも嫌悪する者なのだろうがな。しかしオレ様としては、奴も貴様も同じだよ」

「そういうのマジで腹立つからやめて」

 

 露骨に、というより、心の底から嫌悪感を露わにした表情を見せる実子。

 

「あいつマジで嫌な奴だから。邪魔だし、目障りだし、鬱陶しい。遺伝子レベルでソリが合わないよ。とにかく消えて欲しい。後にも先にも世界で一番嫌いな奴」

「これは辛辣。確かに貴様は同族嫌悪が強いらしい」

「そうやって括られるのが嫌なんですけどー。まだ帽子屋さんのお仲間判定の方がマシだよ。あんな偽善罵倒野郎と一緒くたにされるのは我慢ならないね」

「元不思議の国の王としては、どちらもどちらでとんとんなのだがな。ま、個人の器量裁量なぞ知る由もない。炎と光が互いの輝きで争うように、水と草木も、世界の領地を二分するだろうさ」

「帽子屋さんの例え話はいまいちよくわかんないね」

「しかし貴様らは冷戦もかくやという水面下の熾烈さだな。それが表沙汰になった時、どれほど苛烈に爆ぜるのかは想像に難くないが、よくもまあ今こうしてのうのうとしているものだ」

「……よく言う。仲裁したの帽子屋さんじゃん」

「そうだったか? 忘れたよ」

「まあ私も推測だけどさ」

 

 霜に敗し、気付けば彼に家に運ばれていた。その事実から、安直に結びつけただけだが、正解からはそう遠くないだろう。

 そして事実、概ねその通りなのだが。

 

「ま、ぶっちゃけ今までは、小鈴ちゃんの手前、いい子ちゃんぶってただけだよね。あの子がいなけりゃ毎日が殴り合いのバイオレンス・ヘヴンだよ。」

「奴の名前を出すな。神経が苛立つ」

「私の嫌いな奴の話はするのに自分の嫌いな奴の話はするなってちょっとワガママが過ぎない? っていうか神経通ってるの? 帽子屋さん」

「おおよそ擦り切れたが?」

「だよね。ってか……」

「なんだ?」

「……いや、なんでもない」

 

 あの子の名前を出すと話の腰が折れるからね。と、実子は口を噤んだ。

 なにか引っかかるものがある。小鈴の前だから、霜とは暗黙の了解として休戦、もとい冷戦程度の仲となっていたわけだが。

 その事実は、つまり――

 

「おい実子」

「なにさ帽子屋さん」

「愉快な狂騒曲(ラプソディ)だ。何者かが貴様を呼んでいるぞ」

「あぁ、着メロ……帽子屋さんって直接ものを言わないからわかりにくいよ」

「1億5000万歳なんだ、現代社会のことはよくわからない」

「その1億歳アピール、免罪符にはならないからね?」

 

 と窘めつつ、実子は携帯を手に取ろうとするが、そういえば携帯電話をどこぞの鼠にスられたことを思い出して、家の電話に手を伸ばす。

 

「はーいもしもし香取です……あ?」

「む?」

「え、は? 君なんでうちの番号を……いやいや、ちょっと待ってよ。なにさいきなり、ってかどのツラ下げて……切れたし。キレそう」

「不機嫌そうだな実子。如何なる問答があったのだ?」

「問答なんてないよ。一方的に言いたいこと言われて切られた。なんなのあいつ」

「ふむ、その様子から察するに、奴か」

「あぁそうだよ」

 

 実子はげんなりした様子で、同時に憤慨と、悲嘆と、困惑交じりに、吐き捨てる。

 

 

 

「――水早君から。今から(うち)に来るってさ」




 ガッツリ実子回。
 ある意味では、この作品で最も“普通”なのは、彼女なのかもしれない。


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51話「復元しよう Ⅳ」

 なんだかんだと御託を並べても、結局は計画性が皆無である。
 しかしそれでも、やらねばならぬのだ。


 霜は、耳から携帯を離した。

 

「――よし、アポは取れたな」

「アポイントメントと呼ぶには些か一方的な押し問答に聞こえたが」

「あいつはすぐに話を逸らすし、誤魔化すし、まともに取り合おうとしない。一方的に押し付けるくらいがちょうどいいんですよ」

「そうか。この場で最も彼女を理解するお前がそう言うのであればそうなのだろう」

「理解者っていうか……まあ嫌いだからこそ分かることってのはありますけど」

 

 そしてそのままポケットに仕舞い込む。

 電話の相手は、香取実子。

 これから会いに行く。その宣言のための通話だった。ただ宣言をするだけなので、問答の必要はない。

 

「しかしヤマネが実子の携帯を持ってたとは……変な縁があるものだね」

「捨てたと思ったんだけどな。ま、役に立って良かったぜ」

 

 まず彼女と会うために、場をセッティングするために、事前にこちらの意図を伝えておくべきだと思ったのだが、肝心の実子との連絡手段がなかったのだ。なぜなら、彼女は今、携帯を所持していないから。

 しかし、そんな彼女の携帯をスったのが、眠りネズミ本人であった。そのため、勝手ながら実子の携帯を開き(良心は特に痛まなかった)ロックを解除して(アギリが2時間粘った)電話帳から、彼女の家番を特定したというわけである。

 

「さて、紆余曲折なりし奮闘もあったが、作戦開始といこう」

 

 アギリはぐるりと見回す。

 この場に集ったのは、アギリを中心に、眠りネズミ、狭霧、ユニコーン、そして霜。

 燃えぶどうトンボは、片腕を失った木馬バエの看病のため、別室にいた。

 

「まず今回の作戦の目的を明瞭にする。水早霜と香取実子の接触。以上だ」

 

 シンプルで簡潔。簡素すぎるとも言えるほどだ。

 しかしアギリは、あえてそれ以上は言わなかった。

 接触し、その後、どうするか。それは霜次第なのだから。

 

「……自分で言っといてなんだけど、本当に良かったんですか?」

「なにがだ」

「いや、ボクの個人的事情に付き合って貰うとかさ……」

 

 自分から願い出たこととはいえ、霜としては少々気が咎めるのも確かだった。

 霜と実子の確執は、完全に2人の揉め事であり、小鈴らならともかく、不思議の国の面々には一切関係のない話。

 状況が状況なだけに、それが理由でもあるとはいえ、このような個人的なことに巻き込んでしまうというのは、やはり申し訳ない気持ちにはなる。

 

「問題がない、とは言わない。この状況での外出は、敵にこちらの居所を察知される恐れがあるからな」

「それはそう。超リスキー。うちでもわかる」

「だが、ずっと手をこまねいているわけにもいくまい。明瞭な目的があるのならば、リスクを背負ったとしても行動を起こす意義はある」

 

 現状、レジスタンスと自称するこの面々は、完全に後手に回されている。どころか、暗中模索もいいところだ。

 外に出れば索敵され、殲滅される勢い。かといって【死星団】()の情報もほとんどない。どのように動いてくるのか、どこに潜伏しているのか、どのような力があるのか、そもそも何名の集団なのか。まるで判然としない。

 だからこそ、不動の選択肢は状況を動かさない。なんのアテもなく、劣勢時に待ちの姿勢であっては緩やかに破滅していくだけ。

 同じ破滅なら、少しでも希望のある道を。寿命を先延ばしにすることは、生きるとは呼ばない。

 それが、アギリの下した選択だった。

 

「それに、()は貴様と香取実子との不和を気にしていたと聞く。あいつがそれを解消すべきと判断したのであれば、兄としてその意義を否定はしない。対話や決別を経て、己が心情を清算することも、時として必要になろうさ。それが明瞭でなくとも、論理的でなくとも、精神論であろうともな」

「…………」

「案ずるな。なにも空想だけで語っているわけではない。(ボク)が見ているのは、希望的観測ではなく、希望だ。打算もある」

 

 見えない暗闇に光を見出しているのではない。微かでも光が存在するからこそ、アギリはそこを目指している。

 そこには、海底と天上もの差がある。

 

「まず我々に足りていないのは、圧倒的に数だ。人員が足りない。というより、欠落と言ってもいい」

「不足じゃなくて欠けている、ですか。それはどういう意味で?」

「我々が本気で女王に立ち向かうのであれば、分裂した組織を元に戻す必要がある、ということだ」

 

 それは【不思議の国の住人】と、烏ヶ森学園の面々、即ち小鈴を中心としたグループ。

 この2つの集団が修復しないことには始まらない。レジスタンスと自称してはいるが、形として理想型なのは元の原形。故に、アギリは欠落と呼ぶ。

 

「そしてこれらの組織の復旧において重要な存在は、帽子屋とマジカルベルの二名だ」

「……帽子屋のヤローを国に返すってか? マジかよふざけてんじゃねぇのか?」

「貴様にとっては不服だろうがな、我慢しろ。腐っても枯れても不思議の国の王だ。我々にとっては“ただそこにいる”だけで、彼の影響力は絶大だ。良くも悪くもな」

「まあ……確かに、帽子屋さんはそういう人、ですね……」

「話を戻すぞ。我々が優先すべき目標は、帽子屋とマジカルベル。そして香取実子の下に帽子屋がいるのであれば、彼女との友好が帽子屋との交渉に役立つ可能性がある。迂遠だが、マジカルベルに関しても同様だ。お前達の不和が解消され、それがマジカルベルとの復縁に繋がるのであれば、そこから我々は手を組める」

「……小鈴については、あまり期待しないでください。正直ボクは、そこまでは考えてない」

 

 いや、そもそも、そんな資格はないと思っている。

 彼女と、またよりを戻そうなんて。そこまで虫のいい話はないと。

 だからそこまで考えていない、どころか。そこまでするつもりはない。

 アギリには悪いが、小鈴との接触まで、積極的に手を貸すつもりは、霜にはなかった。

 

「……まあいいだろう。以上が(ボク)がお前に協力する理由だ。納得はできたか」

「はい……ありがとうございます」

「礼はいい。それより、上手くいくか、の方が問題だ。なんだかんだと言葉を並べたが、それでも破れかぶれが前提となっていることに違いはない。それが次に繋がる見込みがある、という公算は欲しいものだ」

「それは……保証はできない。なにせ、相手はあいつだから」

 

 利己的で、エゴイストで、自分勝手で。

 怒りっぽく、気分屋で、気まぐれ。

 理屈が通じても、その理屈を必ずしも利だけで是とする相手ではないのだ。

 無論、霜としても言い負かす算段がないわけではない。しかしそれが、実際に通用するかは、出たとこ勝負ではある。

 これで失敗すれば、帽子屋や小鈴との復縁どころか、さらに敵が増えるだけ、なんて可能性さえもある。

 

「ま、いーだろ別に」

 

 しかしそんな憂慮を、眠りネズミは笑い飛ばす。

 

「破れかぶれで結構、敗れて枯れても抵抗。それしかねぇんだ、やってやるぜ決行。道は一本、やるか、やらないか、そんだけのシンプルな話だぜ」

「ヤマネ……」

「ここに来て今更やらねぇなんてこたぁねーだろ。んなら覚悟決めちまえ。僕はキマったぜ」

 

 眠りネズミは、自信満々に胸を張る。

 さらにその後ろから、少女達も続いた。

 

「ダチのためだ。僕はそれに力貸すだけだ」

「お兄ちゃんが託したんだもん……ちゃんと果たさないと許さないから」

「お兄さんは軟弱そうですけど、でも、。ユニは助けられましたから。お手伝いします」

「……まあ、ヤマネと、狭霧まではともかくとして……君も?」

「は、はい」

「無理すんなよユニ子」

「無理なんて……し、してないわけじゃ、ないですけど……」

 

 ギュッと、ユニコーンは拳を握り締める。

 

「でも、ユニだって、助けられた恩をそのままにしているのは、嫌です……!」

「……そうか。なら僕は止めねぇ」

「ユニコーンを戦力にするのは些か気が引けるが、今回は水早霜を香取実子の元に送り届けるのが最大の目的。最悪、弾除けにはなる、か」

「おいアギリてめぇ!」

「わかっている。彼女も仲間であることに違いはない、使い捨ての盾にするような展開は避けたいが、相手が相手であり、これはリスクを背負った行動である。いくらでも最悪は想定できる。その時、各人がどれだけ身体を張れるか――“魂を賭けられるか”ということは、重要なことだ」

「つってもよ……」

「現に木馬バエは、姉のために片腕を賭した。自己を省みないほどの気概において、奴は悪鬼羅刹にも劣らぬ気迫がある。魂を燃やし、我が身を捧げてでも、すべきことのために為し得ようとする覚悟がある。総員、そのことは胸に刻め」

 

 姉のために神をも恐れぬ所業に手を伸ばし、その腕を切り落とされた彼。

 しかしそれは、腕だけで済んだ、のだろう。本当ならば命を刈られてもおかしくはなく、木馬バエ自身も、それを擲つことを厭わなかったのだろう。

 それほどの覚悟を問われるのは、ただの中学生にはあまりにも重い、が。

 

「……命を賭けろなんて、とても気軽に首肯はできないけれど、ボクはこのまま終わりたくはない」

 

 答えを見つけたのに、回答権を放棄するなんてできない。

 なにもかもが不完全燃焼なのだ。こんなあやふやなまま、なにもせず諦めるなんてことは、したくなかった。

 

「ボクにだって、自分へのケジメってものがある。自分が納得できる道を歩まなければ、気が済まない自己がある。今のところは、それだけでいい」

「いいなそれ。それでこそだぜ、ソウ!」

「もう、御託ばっか。いいから早く行こ。ユニちゃんはできる限りうちらが守るし、あんたにあんたの目的があるように、うちにもうちの最終目標があるんだから。今更、そんな意志確認、必要ないでしょ。みんな決まり切ったことをやるだけなんだから」

「……それもそうか。妹も、同胞も、盟友も、(ボク)は少々見くびっていたやもしれないな」

 

 覚悟はさておきすべきことは決まっている。

 であれば迷いを振り払い、邁進するしかない。

 きっとこの道は艱難辛苦であるけれど。

 あらゆる困難を、苦しみを、背負って、乗り越えて、打ち破っていかなければならない。

 彼らは戸を開く。一縷の希望に縋り、一握りの輝ける未来を夢見て。

 

 

 

「――行くぞ」




 アギリは本来、滅多に一人称を使わないキャラにするつもりだったのに、なんか思ったより頻出する。やはり一人称なしで進めるのは辛いな。


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51話「復元しよう Ⅴ」

 今度の視点はメルちゃんに。メルちゃんは今日も邪悪。


「――来たのです来たのです! ターゲットロックオン、なのです! 招待券もないのによくもまあ愚かしくも出て来てくれたものですね! メルちゃん嬉しいのですよ」

 

 少女は自室(アトリエ)にて、虚空に浮かぶ電磁の画面(モニター)より、彼らの存在を察知する。

 彼らの潜伏場所はいまいち掴みきれないが、こうして外に出てしまえば、星を覆い尽くすほどの“眼の天幕”から逃れることはできない。

 

「水早霜はスルーとして、ひーふーみー……4人ですかー、まあほとんど雑魚なのですが」

 

 指折り数えて、人数を把握。

 水早霜。大本命。メインディッシュなので、とりあえず放置。

 『眠りネズミ』。次善の獲物A。現状、楽しむなら彼が筆頭候補だ。

 『ヤングオイスターズ』、若垣天霧。次善の獲物B。眠りネズミと並び、現段階で手を出したい相手。兄弟姉妹を利用すれば、さらに刺激的になると予想される。

 『ヤングオイスターズ』、若垣狭霧。格落ちの獲物。上の三人の比べて格段にランクは落ちるが、こちらも兄弟姉妹を使ってピンポイントで狙い撃ちすれば、そこそこ楽しめそうだ。

 『ユニコーン』。ほとんど無価値。取るに足らない存在で、片手間の手慰み程度にしかならないような雑魚。しかし眠りネズミとは比較的結びつきが強いので、そこを利用すれば多少は、と言ったところ。

 

「ま、とりあえずは眠りネズミさん、ヤングオイスターズの長男さん。このふたりの処遇をどうしたものか考えるのですよ。どうするのが最高にエキサイティングでアメイジングな結末になるでしょうか!」

 

 少女はにこやかで、朗らかで、されども邪悪に満ちた笑みを浮かべる。

 

「うふふ、楽しみで楽しいのですね! 彼らはどのような貌をするのでしょう! 憎悪に歪むのか、憤怒に軋むのか、慟哭に潰れるのか、絶望に塗れるのか! あたしにどんなエンタメを見せてくれるのでしょう? もーメルちゃん、今からワクワクが止まらないのです!」

 

 ミネルヴァであれば、淡々と、粛々と、正義と使命に則って彼らを捕えるのだろう。

 しかしそれは、あまりにも単調で、単純で、つまらない。

 勿体ない。彼らには無限の利用価値があるのに。捕縛という一工程でさえ、感情を発露させ、必死に悪足掻き、無駄な抵抗に奮起し、有終の美を飾ってくれる。情けなくて、みっともなくて、無惨で残酷で、とても愉快な喜劇を催してくれる。それは刹那の燦めきでしかないが、そのたった一瞬は、爆ぜるように心地よい。

 虐殺をドラマティックに。殲滅さえワンダフルに。掃討だってマッドネスに。悲劇も喜劇に変えて、驚喜を狂気に混ぜて、この一幕を楽しもう。

 そのために知恵をつける。そのために知識を蓄える。

 今まで溜め込んできた森羅万象。有象無象さえも糧となり、知略を張り巡らせる。

 ――のだが。

 

 

 

「策謀する必要はないわ。結末は既に定められているのだから」

 

 

 

 思考にノイズが混じった。

 あり得ざる来訪者。歓喜の謀略を否定し、土足でこの賢者の工房に踏み入るものは、およそふたりしかいない。

 赤い彼なら最悪だと思いつつ振り返り、ある意味では、そこにいたのはより面倒くさく鬱陶しいと思える相手だった。

 

「ん!? え、えぇ!? リズちゃん!?」

 

 緑の女――シリーズ・コレー。

 彼女は、当たり前のようにそこにいた。

 

「ど、どうしてここに……って、あなたが他の人の国に顔パスで入れるのは知ってるのですけど、それでもあたしの王国はロック掛けてるはずなのですが……リオ君は殴り壊したのですけど」

「あるべきでないものは破壊する。道理ね。それはただ雨風によって錆び付き風化していくものだけれど、緩やかな生育を害するものであるならば、世界の道行きに抗うものであれば、拳を振りかざすこともやむなしね」

「……うーわー、リズちゃんも大概リオ君と同種なのです。あたしのロックを物理的に壊して突破するのやめて欲しいのです。ってか華奢なのに馬鹿力なの、キャラ狙いすぎじゃないのです?」

「私からすれば、あなたたちが非力すぎるのよ。人としてのガワを成しているとはいえ、私達は彼女の力を継ぐ者。矮小な人類を遥かに凌駕するべきではなくて?」

「腕力で解決するのは愚者なのです。でもあたしは賢者なので! パワーゲームなんてダッサい真似はしないのですよ。知恵と勇気で戦うのです」

「そう、まあいいわ。あなたは運命というものを信じないものね。けれどそれでいいわ、あなたにはあなたの役割が、定めが、運命がある。決定づけられ、備えられた性質がある。私が狩人として、獣を狩るために狩場に立つように」

「あいっかわらず意味不明なのですねー。というか拠点作りはいいのです? それとも、もう終わったのです」

「仕上げは彼女に任せたわ」

「……あぁ、そういうことなのです」

 

 少女は視線を少しだけ泳がせた。

 

「いやはや、しかしふたりも寄越すなんて、リズちゃん、大盤振る舞いなのです。実は本気モード?」

「獅子は兎を狩るにも全力で、と人は言うけれど、獣の在り方を人が測るのは愚かよ。獣の生き様はそれそのものが全身全霊。余力を残すのも、力を使い切るのも、そのように生きる構造というだけであり、私にとってそこに差はないわ」

「うーんやっぱこいつと話してるとめんどくせーのです。まだ受け答えできるリオくんの方がマシだと思えてくるのですね」

 

 圧倒的にあっちの方が鬱陶しいですけどね、と少女は毒づく。

 

「そんでリズちゃんはガチでなにをしに? あたしの獲物の横取りは許さないのですよ」

「水早霜、香取実子……彼らは運命に抗おうとする者。けれど、定められた道を歩み戻り、緑の地に立つ者でもある。彼らが最後に立つ場所には、私の異存はないわ」

「はぁー? どういうことなのです? 説明とか微塵も期待できないのですけど、一応聞いておいてやるのですよ」

 

 と、意味もない挑発を交えて、少女は煽る。

 いくら押しても叩いても、手応えがないのがシリーズだ。だからこれも、本気で理解や説明を求めているわけではなく、ただの売り言葉に買い言葉。正しく意味のない問答。

 またよくわからない説法だかお経だかが垂れ流されるのです、などと心中で思っていると、

 

「彼らはあなたの思い通りにはならないわ」

 

 彼女は、即答した。

 それも、この上なく明瞭な言葉で。

 

「……へぇ?」

 

 その意味がわからない少女ではなかった。

 それはつまり、自分の思惑は外れると。想定したルートは辿らず、知略も謀略も潰えると。

 彼女は、そう言ったのだ。

 

「リズちゃんの分際で言いやがるのです。特権階級でもあなたはしょせんは第五位(最下級)。ミーナさんに次ぐあたしに物申すのです?」

「私はあるべき世界の在り方を言祝ぐだけ。あなた個人に申すことなんてないわ」

「そういうのむっかつくぅー! やっぱリズちゃんとも仲良くできる気しねーのです」

 

 彼女がここまでハッキリと言ったのだ。それを無視することはできないが。

 かといって自分の計画が壊れるなどと、そんな未来を信じることはできない。それは、自分自身のプライドが許さない。

 

「……ま、今のは忠告として聞いといてやるのです。でも、計画に変更はないのですよ。あたしってば天才なので」

「そう」

「そんなことより、リズちゃんはどうあたしの邪魔をするつもりなのです? 実はそっちのが重要なのです。計画変更とまでは言わずとも、場当たり的に方針変更……具体的には手分けをする必要があると思うのです」

「私は私の役割に従い、狩るだけよ」

「誰なのです?」

「鼠と若牡蠣」

「小さい方なのです?」

「歪な在り方は、根本を叩き潰して正す。弱肉強食、適者生存の理よ。私にも許せないものはある。生が呪そのものの畜生は、あるべき意志の形から外れているもの」

「あー、はいはい。どうせデカい獲物は全部横取りって寸法なのですね。ちぇ、それだとあたしは文字通りの雑魚ばっか、露払いみたいなもんなのです」

 

 遠慮というものを知らないのか、と文句のひとつでも言いたくなるが、彼女にそんな問答をしたところで意味がない。口で言っても勝手に横取りしてくるに決まっている。仲間割れなんて、最高に頭悪くて非合理的だ。そんなダサい真似は絶対にできない。

 だからここは、譲歩することにした。

 

「わかったのです。海のようにひろーい心を持つメルちゃんは妥協してあげるのです。メインディッシュは別にあるのですからね。でもせめて、数だけは半分こなのですよ。大きい方のオイスターさんとネズミさんは、リズちゃん担当ってことで」

「それでいいわ。亡骸ではあるけれども、頭目はあなたが取り込んでしまったもの。なら今の頭を潰せば事足りるわ」

「なのです。雑魚はあたしが貰うのです。あと、登場演出や脚本はこっちで用意する、でいいのです? つーか全体構成はあたしがやるのです。それが獲物を分ける絶対条件なのですよ」

「構わないわ。あなたがどれほど虚飾で満たそうとも、私の導きとは関係ないもの」

「……あームカつく! いきなりしゃしゃり出て獲物横取り宣言した挙げ句、譲ってあげてるのにそれをさも当然みたいに言いやがるこのふてぶてしさ! いい加減にしないとガチで殺しちゃうそうなのです! ……ま、リオ君でもあるいまい、そんな無駄で非合理的なことはしないのですけど」

 

 火のように熱くなったり、水のように冷めたり。

 少女は千変万化の喜怒哀楽に揺れ動く。

 

「まあ、無駄というならリズちゃんにお気持ち表明するのが一番の無駄と言えば無駄なので、バッドコミュニケーションはこのくらいにしておくのですが」

「言の葉の紡ぎが、それほど悪しきものだったかしら」

「自覚ねーのですかよ!? リズちゃんが天然なのは知ってたのですけど、思った以上に自覚症状なし……」

「自覚症状もなにも、私は健康体よ。強靭で瑕疵のない肉体でなければ、自然界では生きられないもの」

「そういう意味じゃ……いやもういいのです。めんどくさい」

 

 少女は肩を竦めて嘆息する。

 

「今のクソ問答の間に、演出は考えたのです。さして捻りもないシンプルなのですが、リズちゃんという超級ゲストもいるわけですし、もといキャストの良さをそのまま使うことにするのですよ」

「そのままの良さ、いいわね」

「急に乗り気になった……リズちゃん、素材の味を楽しむとか言っちゃうタイプなのです?」

「万物は自然のあるがままの姿であるべきよ」

「あーはいはいなのです。とりま、タイミングはこっちで決めるので、時が来たら向かうのですよ」

「そう。それが導きであるのなら、私はそのようにするわ」

「……マジこいつ不安しかないのです……」

 

 うなだれつつも、内心では期待が渦巻いていた。

 確かにシリーズは、ミネルヴァよりも頑固で意固地で融通が利かなくて、まともに会話もできない面倒くさい女だが。

 彼女は【死星団】において、最も無情で、最も残酷で、最も暴虐な、狂信者だ。

 舞台に乗せさえすれば、彼女の暴威は奇想天外なエンターテイメントになることは間違いない。

 彼らのどんな貌が見られるだろうか。そんな期待で、胸がいっぱいだ。

 

「――くふふっ」

 

 青い少女は、意地悪く嗤う。

 その貌は――狂気そのものだった。




 メルリズ。二人だけの女カプだけど、普通に仲悪くて草生える。


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51話「復元しよう Ⅵ」

 作戦開始。


 【死星団】は、自分たちの行動を監視している。

 それが、霜たちにとっての前提であった。隠れ家が見つかっていない以上、完全にお見通しというわけではないようだが、こちらの動きのほとんどは悟られている。

 視覚的なものなのか、それとも先読みの能力なのか、あるいは別のもっと超常的な力なのかはわからないが、いずれにせよ隠れ家から出た以上、相手に発見、対応される前に、迅速に行動しなければならない。

 こちらの隠密能力では、恐らく相手の索敵能力には勝てない。となれば、なによりも必要なのは、確実性よりも、速さ。

 リスクを背負ってでも一縷の希望に賭けるギャンブルだ。博打でもしなければ、希望さえも掴めないのだから、仕方のないことである。

 即ち、彼らが香取家を目指すべく取った行動とは。

 

「うぉぉぉぉぉぉ! はえぇぇぇぇぇぇ! 最高にバッドじゃねーの!」

「アギリさん! 法定速度って言葉知ってますか!?」

「残念ながらそんなことを気にしている場合ではないのでな!」

 

 相手に発見される前に、いやさ、発見されてもそれを振り切る勢いで、爆速で駆け抜けることだった。

 公爵夫人は自家用車も所持していたので、それを拝借し、公道を当たり前のようにスピード違反して爆走し、一行は香取家を目指す。

 早朝の片田舎の町故に、人が少ないのが幸いだった。少なくとも人身事故は起きづらく、警察も呼ばれない。メーター回して待機されていたらそれも振り切るしかない。

 

「というかアギリさんって免許持ってたんですね!?」

「あまり認知されていないが、(ボク)は表向きは18歳だ」

「な、なるほど。免許が取れる年齢だったんですね」

「あぁ。高校があるから教習所に通ってはいないがな」

「やっぱり無免許じゃないですか!」

 

 スピード違反に危険運転、無免許運転、公爵夫人の車を無断で運転しているので、場合によっては窃盗罪。もし発覚すれば社会的ダメージ絶大なコンボが組まれていた。

 もっとも、今この瞬間に限っては、そんなことも言ってられないわけだが。

 

「あぁ、人に見つからないことを祈るばかりだ……! いやそもそも事故らないでくれよ……」

「はぇーのはいいことだぜ! お前も楽しめよ、ソウ!」

「無免許運転の暴走車なんて同乗者としても恐怖しかないに決まってるだろ!」

「こちらとしては、とにかく【死星団】に捕捉されなければよいのだがな」

 

 速度を一切落とさずカーブを曲がる。隣でユニコーンや狭霧の小さな悲鳴を聞きつつ、霜はふたり諸共ぶっ飛んできた眠りネズミを受け止める。

 どちらかというと潰されたような形だが。

 

「こ、公道の走り方じゃない……!」

「ほどよく田舎の町で助かったな。道が広い」

「無免許なのによくもまあそんな無茶苦茶な運転ができますね……いや無免許だから無茶苦茶なのか?」

「教習を受けていないだけで知識はある。初めての操縦だが、マニュアル通りに行えば最低限、走らせることは可能だ」

「くっ……危険極まりないが、仕方ないよな……」

 

 香取家は、霜たちの住む町とは離れており、隣町にある。普段なら電車で移動するところだが、閉鎖的で時間に縛られ、かつ一般人も多い公共交通機関を利用するのは憚られた。こうしてアギリに無免許運転させている理由のひとつだ。

 

「目的地まで、あとどのくらいなんですか? このままじゃ車酔いで先にダウンしそうだ……」

「この速度を維持できれば、20……いや、15分といったところか。何事もなければな」

 

 そう、何事もなければ。

 相手がどのような手段でこちらを見ているのかはわからないが。

 発見されても振り切る、という割り切りは、逆に言えば発見されてしまう危険の高さを孕んだ行動の裏返しでもある。

 もし神が空から世界を見ているのだとすれば、法律ガン無視で公道を危険運転で爆走する暴走自動車がいれば、すぐに発見することだろう。

 出発から10分ほど経過した頃。目的地までもう半分ほどまで来た。

 その時だ。

 

「――っ!」

 

 車体に、凄まじい衝撃が走り抜けた。

 

「ぉ……!」

 

 エアバッグが作動して、まともに声も出せなかった。

 前から後ろにかけて突き抜ける衝撃。慣性の法則で前へ飛び出そうとする身体。

 なにかと衝突したとしか思えない。人を撥ねた……いや、人ひとりを轢いたくらいで、この暴走車が止まるとは思えない。

 壁にぶつかったのか。障害物か、と霜はエアバッグの隙間からなんとか車窓を覗き込む。

 

「な……っ!?」

 

 結果として、人を轢いた、というのは半分は正解であった。同時に、障害物とぶつかった、も正しい。

 しかしまさか“人が車を押しとどめる”などという、冗談のような現象が現実に起こり得るとは、思いもしなかったが。

 

「あ、あれは……!」

 

 華奢な人影が、真正面から、片腕で、車の進行を押しとどめている。

 そしてその姿には見覚えがあった。

 

「全員、早く降りろ! 引っ繰り返されるぞ!」

 

 アギリの怒号が聞こえる。理解よりも本能で、霜は逃げ場を求め、車のドアを蹴り飛ばすように開け放ち、外に出る。

 それとほぼ同時に、車体が持ち上げられ、ぐるんと上下逆さまになって、後方へと投げ飛ばされたのだった。

 ぐしゃり、と車体は潰れ、恐らく高級車であろう公爵夫人の車は一瞬でスクラップに。しかし咄嗟に脱出できたので、全員、無事のようだった。

 

「そろそろだと思っていたが……来たか」

 

 車を押しとどめ、それを持ち上げて引っ繰り返す何某か。そんな異常な力を発揮し、こちらへの害意を示すような存在は、【死星団】に他ならない。

 そして、それほどの豪腕を持つ者は、

 

「! てめぇ、あん時のゴリラ女!」

 

 無造作に伸びた、長い髪。

 冬にはあり得ない、簡素なワンピースのような布を一枚纏っただけ身に素足。

 光を灯さない、けれど淀みなく、濁りのない、無感動な瞳。

 それは、不思議の国の山で出逢った――屋敷を襲撃した女だった。

 

「遂に捕捉されたか……やむを得まい。ここからは作戦を切り替えるぞ」

「…………」

 

 作戦。と呼ぶには、それは稚拙で単純なものだ。

 まず、今回の目的は、霜と実子を接触させること。それが最低条件だ。

 つまり、霜を実子の元まで辿り着かせることが目標と考えていい。

 そこだけ目標を絞れば、ハードルはふたつ。

 ひとつは物理的な距離。香取家は遠い。だから、車を爆走させてできる限り距離を稼ぐつもりでいた。

 しかしもうひとつのハードル、【死星団】からの妨害も考慮すると、車移動だけでは限界があると察していた。現にこのように、もはや足は潰されたも同然だ。

 そこで事前に取り決めていた、妨害があった時の対応が、

 

(誰かひとりが残って足止めする……!)

 

 単純だが合理的ではある。目的としては、最悪、霜ひとりが実子の元へ辿り着けばいいわけで、他の面々はそのための捨て石にできる。

 無論、今回の作戦の後のことも考えれば、可能な限り戦力は保持しておきたいので、むやみやたらに捨てるわけにもいかないが。

 それ以前に、誰かを見捨てる前提だということに、忌避感もある。

 同時に、そうでもしなければ乗り切れない、という現実が、重くのし掛かってくる。

 

(相手はひとり。誰が相手をするか……)

 

 ちらりと、横の眠りネズミを見遣る。

 因縁ある相手でもある。当然だが、彼は闘志を燃やし、正に飛びかからんばかりの意気で牙を剥きだしていた。

 

「クソゴリラ女……あん時はなあなあで終わっちまったが、今度こそぶっ飛ばしてやる!」

「…………」

「なんとか言いやがれクソッタレ!」

「落ち着け眠りネズミ。今、お前が激昂すべき時ではない」

「けどよ!」

「いやいやまあまあ、その人の言う通りなのです」

 

 と。

 さも当然のように、彼女はそこにいて、会話に割り込んでくる。

 

「! お前は……」

「どーもどーもなのです! メルちゃん登場なのです! こっちは今回の特別ゲストのリズちゃん! よろしくなのです!」

 

 青い髪をなびかせ、少女は満面の笑みを浮かべる。

 ひとり、ではなかった。相手はふたり。

 まだ香取家まで遠い。ここでふたりも相手取るのは、かなり厳しい状況だった。

 

「おっと、なにやら色々考えているようなのですが、あなた方にあたしの舞台設定を選択する自由はないのですよ」

「なに? どういうことだ」

「くふふっ。これから始まるのは、笑いあり涙あり絶望ありのメルちゃん劇場。あなた方は、あたしのセッティングした舞台の役者演者。シナリオ台本、演出、その他諸々すべてあたしのこの劇で、あなた方の意志が介入する余地などないのです。あなた方はただ、シナリオに沿って進むだけなのですよ」

 

 少女は意地悪そうに笑う。最初から話など聞く気がない、話などする気がないと言わんばかりに。

 一方的に、陶酔的に、語り流れる。

 

「あたしはいわゆる座長であり監督なので、切った張ったの演出は役者の皆さんにお任せなのです。こちらで用意しましたのはビッグゲスト! ■■■■■■からお越しいただいたリズちゃんこと、シリーズ・コレーさんなのです! さ、リズちゃん。自己紹介どぞ!」

「【死星団】、Ⅴ等星(クィンクステラ)。闇の豊穣、黒き森の萌芽。名はシリーズ・コレー……これでいいのかしら」

「ばっちりなのです!」

 

 緑の女――シリーズ・コレーは、淡々と名乗りを上げる。

 対照的に、青い少女は明るく溌剌と続けた。

 

「あなた方の目的地はばっちり把握済みなのです! 香取実子さんのお家に行きたいのでしょう?」

「!」

「お? なんでそれを? って顔なのです。いいのです、驚いてくれるとこっちも仕掛け甲斐があるというもの! まあとはいえ、その目的自体は邪魔する気はないのですよ」

「なんだって? なら、貴様はなんのために我々の前に立ちはだかる?」

「あたしは、水早霜さんと香取実子さんの接触を止める気がないだけで、それとは別に、あなた方のことは普通に捕縛対象なのですよ」

 

 少女は、アギリ、眠りネズミ、狭霧、ユニコーンを順番に指さす。

 

「でもふっつーに捕えてもつまらないので、面白おかしくゲーム仕立てで演出を盛り込んで、シンプルながらもそこそこいい感じに、楽しくやりましょう、って。つまりはそういうことなのです」

「どういうことなのよ。あんたの言ってること、ひとつもわかんない」

「むふふ。まあ能なしバカは放っておくとして。あなた方はきっと、この先も進むのでしょう。我が身を削って、無駄な道を邁進するのでしょう。そんな無為な愚行を、あたしたちが敵として立ちはだかることで、華々しく演出してあげようというのですよ」

 

 少女は今度は、シリーズを指した。

 

「まず最初の関門は、ここにいるリズちゃん! 先に進みたくばこの子を倒すのですよ。まあお急ぎなら誰かに任せて進んでもいいのですけど? その場合、やられた方の無事は保証できないのですねぇ」

「……けっ。なーんかこのガキもムカつくぜ」

 

 それは暗に、速さを優先するなら仲間を見捨てろ、と言っているようなものだ。

 しかし、

 

「貴様らがなにを言おうと作戦は変わらない。行け、水早霜」

「アギリさん……でも」

「奴の言葉は信用ならない。それに、敵の言葉を鵜呑みにするということは、場の支配権を譲るということ。我々は抗う者(レジスタンス)。支配に屈さず、恭順せず、我が道を行く者だ。であれば、我が思うように進むべきであろう」

「その通りだぜ、ソウ。あんなクソガキの言うこと聞くこたねーよ!」

「甘言と戯言に惑わされるな。我々は、一貫して最初に設定した行動を貫く」

 

 少女の言の葉で惑うことなかれ。

 捨て石にする方針は、最初から決まっていたこと。ただ、それを押し通すだけだ。

 

「くふふ、まあなんでもいいのですけど。あたしは高みの見物、次のステージでお待ちしているのですよ。ではではー」

 

 少女は、まるでテレビの電源が切れるように、ぷつりとその姿を消した。

 残ったのは、霜たちと、シリーズ・コレー。

 

「……彼女は行ってしまったようね。喋るなと言われたから黙していたけれど、特段あなたたちと言葉を交す必要もないかしら」

「無論。女王の手下と交す言葉など持ち合わせていない。(ボク)が手を下すだけで十分だ」

「あ! ずりぃぞ! そいつは僕の獲物――」

「眠りネズミ。貴様は水早霜といろ。まだ、ここでは出る幕ではない……道中あいつを支えてやれ」

「お、おう……」

「アギリ、お兄ちゃん……」

「……心配するな、狭霧。まだ、ここでやられるつもりはない。お前は自分の身を大事にしろ」

 

 仲間達を背に、アギリはシリーズ・コレーに立ち向かう。

 そして、背にした彼らに告げる。

 

「行け。(さきがけ)は任された。お前達はただ――辿り着け」

 

 そこに、一縷の望みがあると信じて。

 

「……行こう。まだ道程は長い。一秒たりとも無駄にはできない」

 

 アギリをその場に残し、霜たちは駆ける。長い長い、縁を結ぶための道をひた走る。

 

「……本当に、おとなしく進ませるのだな」

「一人一殺。私はあなたを狩る。それが役目。他の役割は、“彼女”の役目よ」

「あの小娘は手を出す気がないようだったがな。しかし敵がひとりひとりやって来るのであれば都合がいい。戦いやすい状況だ」

「敵地でも、そう言えるのかしらね」

「? 敵地……?」

 

 なんのことだ? と言おうと思った瞬間。

 足下の感覚に違和感を覚えた。

 アスファルトの地面。ではない。

 柔らかい、土と、草の感触。

 波紋を広げるように、彼女を中心として、緑が大地に広がっていく。

 

「……これは」

「ここは闇より生まれし神の降りる地、■■■■■■。三柱の化身が根付く祭壇が一角――『■■■■■■の■■平原(■■■=■■■・スブ・テラ)』」

 

 彼女はなにかを告げた。しかしその言葉は、なぜか、聞き取れない。

 その部分だけ認知することを拒絶するかのように、ほとんど、理解されなかった。

 

「私の異聞神話空間。私の世界。私の理。私の――王国」

 

 自然は広がっていく。黒い土に緑の草を覆い被せ、我が領土と主張せんばかりだ。

 

(なんだこれは、以前に遭遇したものと、明らかに毛色が違う……!)

 

 異聞神話空間。それは彼らの有する“王国”であり、別次元、別時空、別位相の世界。

 しかしこれはどういうことか。見える景色は確かに現実の町並み。しかしその町並みが、彼女を中心に、緑に侵蝕されている。

 

「くっ……!」

 

 奇怪で、未知数で、恐ろしい。

 だがそれでも、やるしかない。

 むしろこの異様な相手が自分で良かった。これほど不可解な相手、眠りネズミや妹には荷が重い。

 相手が未知であるならば、それを既知へと暴き出して貶めるまで。

 ここで終わるわけにはいかない。まだ、果たすべきことが残っている。

 そう、自分に言い聞かせて、アギリはシリーズへと立ち向かう。

 

「――行くぞ」

 




 良い子のみんなは無免許運転しちゃダメだぞ。道路交通法はちゃんと守ろうな。


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51話「復元しよう Ⅶ」

 以前と比べて更新頻度落ちてるなぁ、と今更ながら実感。せめて週一くらいのペースは維持したいところ。


 息を切らして、四人はひた走る。

 もうどれだけ走っただろうか。かなり疲れてきたが、目的地までかなり近づいてきたはず。

 

「ユニコーンちゃん、大丈夫?」

「は、はい……ワガママ言ってついてきたんです。弱音は、吐きません……!」

「よく言ったユニ子。僕も死ぬほど眠ぃが、気合いいれねーとな」

 

 家まで、概算して30分程度といったところ。

 休みなく走り続けるこの行軍は、幼い彼らには過酷なものだが、その意気は衰えていない。

 敵の枢要を相手に残ったアギリのためにもと、霜も改めて覚悟を決め、気力を振り絞り、駆けていく。

 しかしそんな彼らを、謀智と運命は嘲笑う。

 

 

 

「愚かで安易なマラソンランナーの皆々様! 28分51秒ぶりなのです! メルちゃんなのですよ!」

 

 

 

 満面の悪意の笑みを浮かべながら、少女は突如として現れる。

 狙ったような再登場。意気を挫くように、明白な脅威が襲いかかる。

 

「さぁさぁ第2ステージなのですよ! テンションあげていきましょう!」

「……ひとり盛り上がってるとこ悪いけど、ボクは君」

「うーわー、空気読めねーのですね。せっかくテンションアゲアゲなのですから、そこはノるでしょ常識的に!」

「敵の御託に付き合うのはあまり常識的とは思えないけどね」

「冷めてますねぇ。この自分の主張は絶対譲らない感じ、リズちゃんっぽくてむっかつくぅ」

 

 声を上げて笑っているが、少女のその眼は笑っていない。

 仄かに、減らず口の霜への殺意が滲んでいたが、彼女はそれを務めて抑え込む。

 

「ま、しかし前口上ばかりでは興醒めというのは同意なのですよ。早速、今回のパーソナリティの紹介と参るのです!」

 

 少女が虚空をなぞると、その空間がバグったように歪み始める。その崩れたような空間の奥から、何者かの影が、揺らめき、歩み寄ってくる。

 ――先ほどは、恐らく少女と同格だと思われる【死星団】の枢要、シリーズを放ってきた。

 となれば今度もそれと同等の者――たとえば剣を帯びた白い男、ミネルヴァ。

 ミネルヴァは蟲の三姉弟の長女、バタつきパンチョウを下した手練れであり、木馬バエの片腕を切り落とした冷酷な男だ。

 人数の差など気休めにもならない。彼と戦うというのであれば、相応以上の覚悟を以て迎え撃たなくてはならないだろう。

 しかし、だ。順当に考えたら、そうであっても。

 そんな月並みでありきたりで意外性のない予想を、少女は好まない。

 奇をてらい、吃驚させ、期待を裏切り、面白おかしく演出することこそ、彼女にとっての愉しみ、悦び。

 虚空から現れるのは、彼らでは予想し得ない人物――

 

 

 

「【死星団】、Ⅴ等星、シリーズ・コレー――同じ事を繰り返すことに異論はないけれど、この名を名乗る必要性はやはり感じないわね」

 

 

 

 ――シリーズだった。

 ここにいるはずのない存在に、さしもの霜たちも、愕然とする。

 

「な……!? 嘘、だろ……?」

「ゴリラ女! てめぇ! アギリの野郎とやりあってんじゃ……!?」

「まさか、お兄ちゃん……!」

「くふふっ。ま、色々思うことはあるのでしょうけれど、あたしたちはあなた方からすれば埒外というものですので! 続けてワンモアお変わりなくおかわりというこで、リズちゃん再登場なのです!」

 

 今まさに、アギリと戦っている最中のはずの、シリーズ・コレーが、ここにいる。

 考えたくはないが、アギリがやられた、ということは考えられるケース。

 それにしたって、こんなにも早く追いつくなどとは……否、彼女たちは自ら言っている。埒外の存在である、と。

 人間の時間も法則も常識も概念も、通用しなくても、おかしなことなどない。

 

「というわけで、第2ステージにしてラストステージ! こっから先は誰も通さないつもりなのですけど、あなたはどうするのです? 水早霜さん?」

「…………」

「最初に言ったですけど、あなただけは通すつもりなのですよ? これはただの遊びですし、そこの邪魔な雑魚どもをあしらうついでの手慰みのようなものなのです。だから、あなただけは、何事もなく通してあげるのです」

「……しつこいな、君は。同じ手を二度も。芸がない」

 

 敵の言うことを鵜呑みにするのも危険だが、本当に相手がそのつもりだと仮定すると、相手の手に乗るというのは、今回の作戦の目的を考えれば合理的ではある。

 霜ひとりでも辿り着ければ、作戦は果たされる。それは何度も確認し、そのための盾として、アギリや眠りネズミはいるのだから。

 だから、霜ひとりだけでこの場を抜けるというのは、本来の目的からすればなにも問題はない。

 しかし同時に、また同じ問題を突きつけられることとなる。

 

「ボクに、彼らを見捨てろって言うんだろ」

「……くふふっ」

 

 さっきのアギリの時と同じ手口だ。自分の手で選ばせて、仲間を見捨てさせるか、目的を潰えさせるか。

 しつこい。意地が悪い。ねちっこい。まったく同じ手口で甘言を囁く、性悪の魔性だ。

 何度も同じ選択を繰り返させて、揺さぶりをかけようという魂胆なのだろうが、

 

「行けよ、ソウ」

「ヤマネ……」

「さっきはアギリの野郎に譲ったが、僕もあのゴリラ女にゃちっとばかしの借りがある。ここでぶっ飛ばせるならチャンスってもんだ」

 

 拳を握り締め、意気揚々と進み出る眠りネズミ。

 ただ一度、叩き伏せられたことが相当彼の癇に障ったらしい。

 だがことこの場においては、それだけではない。

 眠りネズミは、霜の背中をバシンと叩く。

 

「いった! な、なんだよ?」

「僕が、アギリの奴が、身体張ってうだうだ言っても、お前が最後に全部決めないと話になんねーんだ……じゃねぇ。眠くて頭回んねーや。まあつまりだ」

 

 言の葉を選ぶだけの頭がない。故に眠りネズミは、心で、思考を介さない情動だけで紡ぎ出す。

 思索も思惑もない、ただの感情だけの言葉は、まっすぐに、霜を打つ。

 

「漢見せてこい、ソウ。ダチとケリつけるんだろ?」

「…………」

 

 単純で、まっすぐで、熱くて。

 あまりにも純粋だった。まともに受け止めるのも、躊躇うほどに。

 

「……あんな奴、友達じゃないよ。世界で最も友達になりたくないクソ野郎だ」

 

 だからだろうか。霜は思わずそんな風に吐き出してしまう。忌憚のない本音を零す。

 

「だが、君の言う通りだ。ボクはあいつとの関係を糾し、決着(ケリ)をつける。そのためにここにいる、先に進むんだ」

 

 彼がこうして激励し、背中を押してくれているのだ。悪意だけなく、すべての本音を、曝け出す。

 

「……ありがとう、ヤマネ。君と出会ったのは偶然だし、拾ったのは気の迷いだったけど……君と会えて、ここまで君がいてくれて、良かったよ」

「おう」

 

 短い返事。それだけで、十全に伝わってくる彼の心意気。

 友と呼ぶのであれば、これから会いに行くあいつより、彼の方がよほど友として出会えて嬉しい相手だ。

 

「……なーんか、うちら置いてけぼりで友情バリバリなんですけど。この蚊帳の外感、ちょっと不快」

「でも、ネズミのお兄さんが楽しそうで、ユニはちょっと嬉しいですよ」

「小学生組コミュのことはさっぱり。ま、やる気あるなら文句はないけど」

 

 眠りネズミの意気に触発されたわけでもないだろうが、狭霧もまた、一歩前に出る。

 

「ここから先は、その女装野郎以外は進ませない……んだっけ? ってことは、そこの出戻り女だけじゃないんでしょ」

「お、さっすが。腐ってもヤングオイスターズの一角なのですね、お鋭い!」

 

 少女が再び虚空をなぞると、電磁のような閃光が小さく瞬く。

 すると背後で、ぐちゃり、と不愉快な音が響いた。

 嫌な予感を覚えながら振り返ると、そこにあったのはおぞましいほどの黒い肉塊。

 海藻のように触手が纏わり付いたそれは、一見すると生物かどうかさえわからない怪物だが。

 狭霧だけは、その姿を忘れていなかった。忘れるはずもなかった。

 なぜなら、それは、

 

「お、お姉ちゃん……!」

 

 ――若垣綾波。『ヤングオイスターズ』の長女、だったものだから。

 

「……あれが君の姉だって? 話には聞いていたけれど、これは……」

「うぅ、怖い、です……」

 

 同胞を飲み込み、もはや完全に【死星団】の手先へと成り下がってしまった、若牡蠣の長。

 虚な瞳は狂気に満ち、弟に次ぎ、今度は妹だった少女へと牙を剥く。

 

「お兄ちゃんのデッキもない……正直、うちの力だけで、お姉ちゃんに勝てる気はしないけど……」

 

 兄でさえ敵わなかったのだ。理屈で考えれば、より格下の自分が勝る道理はない。

 しかし相手は、姉だ。姉だったものだ。肉体も、精神も、魂も、尊厳も、なにもかもが犯された、狂気のなれの果てになってしまったものだ。

 それを相手にして、同じ『ヤングオイスターズ』である者として、黙っていられるはずもない。

 

「ほんっと、あのガキってば嫌な奴。お兄ちゃんの時もそうだった。うちが情に絆されるってわかってて、お姉ちゃんを連れてきたんだ」

「くっふっふー。さぁて、どうでしょう?」

「わかりきってるものをすっとぼけるのもムカつく。でも、こんなの、やるしかないじゃん」

 

 元より逃がすつもりなどないのだろうが、逃げ道の塞ぎ方がとことん嫌らしい。

 “逃げられない”ではなく、“逃げたくない”状況を作らせて、自分の手で選択させて、破滅に向かわせる。

 自分自身では手を出さず、舞台を整え選択肢だけを投げつけ、踊らせる。なんと悪辣で狡猾なのだろうか。

 

「…………」

「おっと、敵がふたりだからって、ふたり残ればいいというのは浅はかな考えなのです。そこのおチビさんも逃がすつもりはないのですよ。あなたは矮小で惰弱で有象無象の末端なので、観客として眺めていて貰いましょうか」

「あ……あぅ……」

 

 様子を窺っていたユニコーンを制する。やはり本当に、霜以外を通す気はないようだ。

 

「はっ! 能書きはもう十分だろ。てめぇのステージに乗ってやる! それでお互い満足だろうが!」

「別に満足じゃないし、不本意だけど、仕方ないわね。ユニコーンちゃんは下がってて」

「は、はい……」

「ソウ! てめぇもとっとと行けや!」

「あ、あぁ……」

 

 また背を叩かれる。眠りネズミは小柄なので、それほど力が強いわけではないが、少し痛い。

 しかし彼らが身体を張ってこの場に残る以上、それがたとえ繋がりのないことになったとしても、霜は彼らの意を汲むために走らねばならない。

 今度こそ、霜は止めた足を踏み出し、駆け出す。

 

「……本当に、ありがとう」

 

 眠りネズミに一瞥し、水早霜は、駆け抜けていった。

 

「……さーて、そんじゃあ始めっか! 覚悟しやがれゴリラ女! この前の借りと、アギリの野郎の仇討ちもセットにしてやんぜ!」

「なんのことかしら」

「すっとぼけてんじゃねーぞ! あん時、山でぶっ飛ばされたのも忘れてねぇからな!」

「……“彼女”に叩き伏せられたのね。矮小な火鼠であれば、猛き大きな獣に踏み潰されるのは、当然の摂理よ」

「なに他人事みてーに……相変わらずわけわかんねー女だな!」

 

 しかし、すべきことは明白だ。お互いに、なにをするかはハッキリしている。

 それは狭霧の方も同じこと。ただ愚直に、当然のように、決まり切ったルールに従わされるのみ。

 

「いやぁ、ここも楽しくなってきたのです! でもこの場はリズちゃんに任せて、あたしはメインディッシュを特等席で観劇させて貰うとするのですよ」

 

 そして、ここまで引っかき回して舞台を作った本人は、霜の後を追うかのように姿を消した。

 

「分神ひとつも置いていかない。ダーク・サルガッソーだけを置いていったわね……気を遣ったつもりかしら」

「あん? なに言ってんだてめぇ」

「種は蒔かれた。萌芽の時が来た。私の世界が――開かれた」

 

 答える言葉は詩のように。

 事実は言の葉より雄弁に。

 世界は、理と共に、塗り変わっていく。

 

 

 

「此なるは邪悪と邪淫に冒された、獣の演奏響く暗闇の森――『■■■■■■の黒い森(■■・シルウァ)』」

 

 

 

 ハッと、彼らは気付いた。

 ――暗い。

 まだ早朝にも拘わらず、空が木々や暗雲で覆われたように、暗く感じる。

 それだけではない。足下には鬱蒼と草が茂りつつあり、樹木が伸びる。

 コンクリートで舗装されたはずの道が、徐々に、森へと侵蝕され、変わっていく。

 異様な光景が、広がっていた。そして、広がっていく。

 

「……んだこりゃ。三月ウサギみてーなくせぇ臭いだ。甘ったるくて、澱んでて、気色悪ぃ。ヘドが出るぜ」

 

 理屈も理由もわからないが、とにかく今が異常であることだけは察する眠りネズミ。

 しかしだからといって、やることが変わるわけでもなく。そして、その異常を気にするような性格でもなく。

 世界の異常性なんぞよりも、目の前にぶん殴りたい相手がいる。眠りネズミにとっては、それだけで十分だった。

 

(つってもアギリの野郎を倒してるんだよなコイツ……マジでやられたのか? あいつ)

 

 長女が健在だった頃はあまり目立つ存在ではなかったが、彼は『ヤングオイスターズ』の二番目、長男だ。ある意味では姉以上に冷静で、切れ者で、情に厚い。純粋な強さも、姉に引けを取らない。眠りネズミもそれは察していた。

 そんな彼が、相手がどれだけ驚異的な存在とはいえ、これほど短い間に倒されるなどとは信じられなかった。

 

(なーんかある気がするんだよなぁ、コイツ。いや、んなもん関係ねぇな。とにかくぶっ飛ばせば同じだ!)

 

 奇妙な違和感を覚えながらも、そんな憂慮は吹き飛ばす。

 黒い森に包囲された彼らもまた、狂気の渦中にありながらも、戦い、抗わされるのだった。




 昔のような一話完結形式の方が良かったかと思いつつも、今章の展開的に、毎話対戦を一回分挿入する、といった決めごとの枠内に収められる気もしないので、今の形が現状書きやすいのも確か。


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51話「復元しよう Ⅷ」

 本来交わるはずのない、元来の自然なデュエマと、電脳のデュエマでも、架空の世界であれば許される……よね?


「1マナで呪文《ア・ストラ・センサー》だ。山札から3枚を閲覧し……《*/零幻ルタチノ/*》を手札に加える」

 

 アギリとシリーズの対戦。

 シリーズはマナゾーンが一面、緑一色。そのほぼすべてがスノーフェアリー。マナ加速から繋いで行く展開。

 

「《チュパカル》の能力でコストを軽減、1マナで先ほど手札に加えた《*/零幻ルタチノ/*》を使用する。《離脱(エスケープ) DL-20》をGR召喚し、《ルタチノ》をインストール! 《ルタチノ》の能力で1枚ドロー、手札から《極幻夢 ギャ・ザール》を捨て、ターンエンド」

 

 一方でアギリも、既に《*/零幻チュパカル/*》を展開しており、出だしは順調だが。

 

(……手札が悪い。いまいちデッキが回らんな)

 

 《チュパカル》を出したスタートダッシュこそ良かったものの、《チュパカル》はあくまで次に繋げるためのカード。しかしその次に繋げたいオーラが手札になく、テンポが悪い。

 あまりもたもたしてもいられない。ただでさえアギリのデッキは始動が遅めなのだ。相手が動き出す前に、場を固めなければ。

 

「私のターン。4マナで呪文《カラフル・ダンス》。山札から4枚をマナゾーンへ。そしてマナゾーンから《霞み妖精ジャスミン》《恋愛妖精アジサイ》《雪精 ジャーベル》《雪精 ホルデガンス》《カラフル・ナスオ》を墓地へ」

 

 そう思っていたら、相手も動き出した。

 《カラフル・ダンス》、一気に墓地を増やし、マナを入れ替える呪文。使えるマナを減らさず、これだけ大量のカードを動かすともなれば、じきに仕掛けてくるはず。やはり出遅れている暇はない、相手の出方に注意しなければ。

 

「2マナで《ステップル》を召喚。山札の上から1枚をマナゾーンへ。そして3マナで《ステップル》を進化」

 

 ――否。

 

 

 

「萌芽の蕾は潰え、死の凍土より豊穣目覚める――《ダイヤモンド・ブリザード》」

 

 

 

 じきに仕掛けるのではない。注意すべき時に次はない。

 ここが、この瞬間が、最大の脅威なのだ。

 

「《ダイヤモンド・ブリザード》の能力発動」

 

 それも、常識の埒外の理で押し寄せる狂気。

 常軌を逸する外宇宙の真理。

 それは理不尽であり、規格外の暴威。

 

 

 

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 彼らの世界では誰も知らない、異界の能力(ルール)が、不条理に行使される。

 

「な……っ!?」

「そして、こうして手札に戻ったスノーフェアリーの数だけ、マナを追加」

 

 知っているカードだと思った。しかし知らない力が働いた。

 マナゾーンからクリーチャーを回収する。知っている。墓地から回収はしない。知らない。減ったぶんのマナが補填される。それも知らない。

 見えているものと、知っている知識が、合致しない。噛み合わない。狂ったように、ズレている。

 

「な、なんだ、その能力は……!?」

 

 ここではないどこかで生まれたかのような、異質な力。猛吹雪は雪解け水の如くシリーズの手札を潤し、冷たい大地に新たな芽吹きを与える。

 

「3マナで《ホルデガンス》を召喚。1マナ加速し、進化。《ダイヤモンド・ブリザード》」

「連鎖する……このリソースの取り方は、まずい……!」

「そうね。冬の到来に備えられなかった者に待つのは死、のみよ。3マナで《雪精 ジャーベル》を召喚。マナ武装3、山札の上から4枚を見て、《ステージュラ》を手札に。G・ゼロで《武家類武士目 ステージュラ》を召喚。その能力で、マナゾーンからスノーフェアリーを回収するわ。手札に戻すのは《ダイヤモンド・クレバス》」

 

 春と冬を繰り返し、手札を大量に蓄え、その上でマナゾーンは減らないまま。

 盤面もクリーチャーが並びつつあるが、それだけでは終わらない。

 

「手札のスノーフェアリーを5体捨て、呪文」

 

 集った命は生贄に。

 スケープゴート。仔羊たちは供物であり、犠牲となり、豊穣神への祈りとして捧げられる。

 春が来る。冬が来る。厳しい冬の寒波が、すべてを凍らせる。

 

 

 

「《エンドレス・フローズン・カーニバル》」

 

 

 

 ピシッ

 

 大地が一面、凍てついた。

 すべての命を終わらせる、冷たい世界。しかしそれは、次なる春への兆しでもある。

 故にここは死の世界ではなく、自然の条理。歪で、不自然な、あるべきではないものを排斥する、世界の機能となる。

 

「まずはあなたのクリーチャーではない表向きのカードをすべて破壊するわ」

「っ! オーラが……!」

 

 仮初めの命、命でない偽物、生命への冒涜物。

 この自然の理は、命に見せかけた、生命ならざる電影の存在を許さない。その一切合切を、無に返し、破壊する。

 さらに、

 

「あなたのクリーチャー、マナをすべて凍結」

 

 これは自然の摂理。自然ならざる物を粉砕するのは当然として。

 それ以前に、冬なのだ。険しい険しい、冬である。

 命なき物は砕け、命ある者も、その絶大なる寒波の前には、活動を停止させる。

 アギリのクリーチャーも、マナも、すべてが凍り付き、動かなくなってしまった。

 

「3マナで、《ジャーベル》を進化。《ダイヤモンド・ブリザード》。再びマナゾーンのスノーフェリーを回収、その数のマナを追加」

「山札を磨り潰す勢いで……なんだ、これは……!」

「4マナをタップ。墓地の7体のスノーフェアリーを進化元に、超無限進化・Ω」

 

 積み上がった妖精の遺骸を飲み込んで。

 凍てつく冬の龍は、永久凍土に舞い降りる。

 

 

 

「《氷結龍 ダイヤモンド・クレバス》」

 

 

 

 凍土の裂け目から、それは迫り上がる。

 永遠の氷結のもたらす凍てつく龍。凍土と雪解けの化身。

 数多の妖精の生を死を喰らい、それは現れた。

 

「《ダイヤモンド・クレバス》で攻撃。《ダイヤモンド・クレバス》のパワーは、下に重ねているクリーチャーの数1体につき3000増加する――さぁ、狩りなさい」

 

 大量のスノーフェアリーの遺骸を取り込んだ《ダイヤモンド・クレバス》の進化元は7枚。つまりパワーは21000も跳ね上がり、現在のパワーは24000。パワード・ブレイカーにより、ちょうど5枚のシールドを粉砕する巨大な災厄と成り果てた。

 凍土の奈落(クレバス)は氷の牙を剥き、狩人の如く、アギリの喉笛に食い掛かる。

 それは雪渓そのものが雪崩れ込んでくるかのような、怒濤の一撃であった。

 食われた妖精たちの命が、重く、冷たく、呪いのように、突き刺さる。

 

「くぅ……S・トリガーだ! 《*/弐幻ケルベロック/*》! 《*/弐幻キューギョドリ/*》! それと……」

 

 凍てつく暴威に晒されながらも、しかしただ黙って豪雪の激流に飲まれるわけにもいかない。

 後に控えた猛吹雪(ブリザード)を凌ぐためにも、アギリは豪雪と大寒波の中、必死にS・トリガーへと手を伸ばす。

 

「バンダースナッチと一戦交えた経験が生きたか……《(シン)・獄・殺》だ!」

 

 シールドは一瞬でゼロに。しかし、運がいい。S・トリガーは3枚もあった。

 

(僥倖だ。これはかなり幸運だが、しかし凌ぎきれるのか……?)

 

 相手の残るアタッカーは《ダイヤモンド・ブリザード》が3体。《ケルベロック》と《罪・獄・殺》で2体止められるとしても、残り1体を止められるかは《キューギョドリ》次第。

 しかし、一番の問題は、

 

(ここでただ攻撃を止めるだけでは、撃の手はないな)

 

 現在アギリは、《エンドレス・フローズン・カーニバル》で、クリーチャーもマナもフリーズさせられている。攻撃はおろか、返しにカードを使うことすら覚束ない状態だ。

 これではたとえこの場を耐えたところで当座凌ぎ。なにもできずターンを渡してしまい、結局はやられるだけ。僅かに延命するだけの悪足掻きにしかならない。

 ――本来の目的を考えれば、ほんの僅かでも時を稼ぎ、水早霜のために我が身を擲つことが最善なのだろう。敗北が確定しても、時間を引き延ばし、シリーズを足止めする方が、有用だと思われる。

 しかし、しかしだ。

 

(欲が出て来てしまうな……水早霜には悪いが、(ボク)には(ボク)のやりたいことが……目的がある)

 

 そのためには、まだここで倒れるわけにはいかない。

 果たすべき責任を果たすまで、終われないのだ。

 

(となれば……こうする他あるまい)

 

 すべきことは結局変わらない。しかし考え方を変えた。

 呪文の詠唱は後回し。まずアギリは、オーラを発動させる。

 

「《キューギョドリ》はギガ・オレガ・オーラ。2回GR召喚を行い、自由にオーラを装着できる! 来い!」

 

 単一のクリーチャーを強化するためにあるオーラとしては異質にして異端である、横への展開を為すギガ・オレガ・オーラ。

 水球が渦巻き、逆巻く水流の中から人造の命がふたつ、弾き出される。

 

「《シェイク・シャーク》と、《甲殻 TS-10》……《シェイク・シャーク》に《キューギョドリ》をインストールする。さらに《ケルベロック》を出す際にもGR召喚だ! 《モック・ザメシュ》に《ケルベロック》をインストール! 《シェイク・シャーク》マナドライブにより、《ダイヤモンド・ブリザード》を拘束する!」

 

 引きは最高だった。クリーチャーを1体止め、ブロッカーが2体。既に3体分のクリーチャーを止められた。

 

「憂慮は失せた。存分にやらせてもらうぞ。呪文《罪・獄・殺》!」

 

 生存が確定した以上、余ったパーツは守るためではなく、攻めるために使うことができる。

 殺意の塊のような存在から学習した呪文であるからして、複雑な心境ではあるが、理には適っているし、やむを得ない。

 その凶暴性の片鱗だけでも、目の前の異常存在へとぶつける。

 

「《ステージュラ》を破壊し、破壊したクリーチャーのコスト以下のオーラを墓地から呼び戻す!」

「……既に仕込みは終わっていたのね」

「狙っていたわけではないのだがな。今日は本当に巡り会わせがいい……死を生に、夢を現に。出でよ《極幻夢 ギャ・ザール》! 《接続 CS-20》をGR召喚し、インストール!」

 

 《ルタチノ》で偶然捨てただけのカードだが、今この状況で、カウンターとして呼び出せるのであれば、この上ないカードだ。

 

「《ダイヤモンド・ブリザード》で攻撃よ」

「当然ブロックだ! 《甲殻 TS-10》! 《ケルベロック》! 《モック・ザメシュ》の能力で、バトルに負けたこのクリーチャーとバトルをしたクリーチャーはバウンスされる! 《ダイヤモンド・ブリザード》を手札へ!」

「ターン終了」

 

 

 

ターン3

 

ヤングオイスターズ(アギリ)

場:《予知》《離脱》《シャーク[キューギョドリ]》《接続[ギャ・ザール]》

盾:0

マナ:3

手札:8

墓地:4

山札:23

 

 

シリーズ

場:《ダイヤモンド・ブリザード》×2《ダイヤモンド・クレバス》

盾:5

マナ:6

手札:7

墓地:6

山札:3

 

 

 

 ――アギリの、4ターン目。

 先の攻防は、僅か3ターン目の出来事。

 仕掛け準備だとか、出方を窺うだとか、そんな思惑をすべて粉砕する雪の妖精たちの暴威。

 速く、強く、恐ろしい。一瞬で、自分も相手も、すべての命を飲み込む死の奔流だった。

 しかしアギリはそれを乗り切った。迫り来る冷たい死の囁きを、すべて撥ね除け、今ここにいる。

 

「反撃開始だ! 行くぞ、《ギャ・ザール》で攻撃する時、能力起動。1枚ドローし、コスト6以下の呪文またはオーラを使用する!」

 

 使えるマナはほとんどない。カードを使うこともなく、使うまでもなく、今動かせる最低限のカードだけで、凍り付いた現状を打破する。

 《ギャ・ザール》が映し出す夢幻を、現実に。魂なき電影に、命を吹き込む。

 妖精たちが祀る王は、最強の生き物――即ち、(ドラゴン)

 それが最強の形であるならば、それを真似ようではないか。

 その姿が強きものであると証明されたならば、その根拠を元に、この手にある情報から構築できる。

 

「オレガ・オーラ起動。対象は《極幻夢 ギャ・ザール》。その情報を上書きする。更新開始――アップデート!」

 

 あちらが、自然から、眠れる龍を呼び起こすのならば。

 こちらは、不自然であろうと、龍というものを創り出してみせよう。

 

「世界の理、生命の理、力の理、神の理。すべての理論(コード)を繋げ、楽園に今、最強を創造する!」

 

 夢から覚める。夢想の理は、魂の海にて結実し、現実へと顕現する。

 

 

 

「吼け――《Code(コード)1059(ヘブン)》!」

 

 

 

 人為的に創造された、最強の概念。力の形。

 それはあらゆる人の夢と叡智。夢見る夢想が現実に染み出した、結晶そのもの。

 

 ドラゴン・コード。

 

 龍の理が再現され、構築された、楽園へと至る人造の(ドラゴン)

 シリーズはそれを一瞥し、静かに吐き捨てる。

 

「……あぁ、とても、醜いわね。人の手でこんなものを生み出してしまうだなんて、とても、冒涜的よ」

「貴様ら女王の眷属に言われたくないな」

「けれどあなたも、同じなのよ。根源的に、私たちとあなたたちは同類。わかるでしょう?」

「だとしてもだ。我々は人の、人間の営みを、社会を、世界を見てきた。その上で(ボク)は、女王や貴様らのような神の在り方より、愚鈍で夢見がちな人の在り方を選ぶ」

「その生き方は反自然的……あらゆる大地、生命への不敬に他ならないわ。自らが立つ寄る辺を、その尊厳を、踏み躙ろうというのかしら」

「かもしれないな。だが魂を尊いと思うからこそ、この生に執着するからこそ、神の領域へと手を伸ばそうとするのが人間というものだ。それは愚かなのだろう。大事だからこそ穢し、求めるからこそ踏み躙り、希うからこそ冒涜する。矛盾もあろう、裏目もあろう、愚かしいだろう。だが、だからといって、神に縋る気はない」

「どうしてかしら。それはあらゆる根源。尊く神聖で清廉なる存在なのに」

「それは“自ら生きる生”ではないからだ。神といえども、崇拝し、従属し、なにかを見殺しにして寵愛を受けるような生き方など反吐が出る。(ボク)は、狂信者なぞには成り下がらない」

 

 人造の命。人為的な魂。それは確かに不格好で、冒涜的で、不遜なのかもしれない。

 しかしこの技術は、叡智は、夢想は、それほどに必死に生きている証左でもある。

 清廉潔白であることが、絶対的に良い生き方だなんて思わない。賢者を気取ることなく、愚かさも飲み込み、愚者であっても信念に依ってひた走る見苦しさも、否定したくない。

 

「我々は抗う者(レジスタンス)……みっともなく足掻かせて貰うぞ。神殺しなぞ夢のまた夢だろうが、夢見るからこそ人はその夢想を現実に引きずり下ろすんだ!」

 

 願わなくては、願いは結実しない。

 夢見なくては、夢が叶うことはない。

 だからこそ、彼は荒唐無稽にも、抗うのだった。

 

「我が夢、現実へと塗り替えろ! 《Code:1059》で《ダイヤモンド・ブリザード》を攻撃!」

 

 《Code:1059》の光線が、《ダイヤモンド・ブリザード》を射貫く。

 とはいえこれだけでは、シリーズのクリーチャーを1体破壊しただけだが、

 

「女王なんぞに従う理由はない。むしろ、貴様らに牙を突き立てるため、その神秘、貶めてやろう。攻撃後に《Code:1059》の能力が発動!」

 

 ジジジ、と《Code:1059》の姿が、ブレていく。

 人為的な命の創造とはいえ、《Code:1059》は完成された生命体ではない。依代がなければ姿を保てない、不安定で曖昧な生き物だ。

 しかしだからこそ、それを利用する手がある。

 脆さを強さに。これも、人の世から学び取った強かさ。

 《Code:1059》は雲散霧消する。それと同時に、空気中に散った《Code:1059》の残滓が、シリーズの領土に拡散していく。

 

 

 

DL-Sys(ディーループシステム)――起動!!」

 

 

 

 《Code:1059》は、強欲な人の叡智により生み出された龍。人の夢想が詰まった存在故に、その我欲も計り知れない。

 人造の龍はあらゆる知識を喰らう。失われた英知を貪り、飲み込み、己の力へと変える。

 

 ――学習(ラーニング)解析(アナライズ)実行(オペレーション)

 

「《Code:1059》は攻撃後、相手の墓地の呪文を唱えることができる。冒涜的だろうと知ったことか。神の力だろうと利用させて貰うぞ――《エンドレス・フローズン・カーニバル》!」

 

 学習し、解析し、実行する。

 氷結龍のために捧げられた永遠なる祭典は、人の手で冒涜され、貶められる。

 霧散した電影の残滓が、シリーズの領土を侵していく。

 凍てつく大地を再び凍らせることはできない。しかし世界の理そのものを書き換えれば、話は別。

 永久凍土を凍らせ、シリーズの盤面をすべて、封じ込めた。

 

「そして《Code:1059》は別のGRクリーチャーへと移る。再び《ダイヤモンド・ブリザード》を攻撃!」

「…………」

「ターン終了時、《Code:1059》の能力により《甲殻 TS-10》をGR召喚だ!」

 

 ひたすらに、自然への冒涜であった。

 一時的とはいえ、世界の理を書き換え、大地を侵し、命を吐き出す愚行。

 しかしそれが、人であることを選んだアギリの意地。神に与しない者の抵抗だ。

 強烈な効果を与える《エンドレス・フローズン・カーニバル》だが、それをカウンターで逆利用し、チャンスに変える。

 

「貴様の《エンドレス・フローズン・カーニバル》は痛烈だった。我が身で受けたからこそ、その恐ろしさがわかる。さしもの貴様も、マナがなくては動けないだろう」

「そうかしら。あなたは、私の永久凍土を乗り越えたわ」

 

 であるならば。

 

「私のターン、手札を5枚捨てるわ」

「な……っ!」

 

 シリーズが、その冬の時節を乗り越えられない道理はない。

 

 

 

「呪文――《エンドレス・フローズン・カーニバル》」

 

 

 

 放たれる、二度目の大寒波。

 歪な命は朽ち果て、すべてのオーラは消滅。

 命あるものは凍り付き、休眠する。すべてのクリーチャーも、マナも、凍結。

 アギリはまたしても、すべてを封じられてしまった。

 

 

 

ターン4

 

ヤングオイスターズ(アギリ)

場:《予知》《離脱》《シャーク》《接続》《甲殻》

盾:0

マナ:4

手札:6

墓地:9

山札:21

 

 

シリーズ

場:《ダイヤモンド・クレバス》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:15

山札:3

 

 

 

(これは……まずいな)

 

 次のターンで、シリーズにかかった《エンドレス・フローズン・カーニバル》の効果は解ける。

 そしてこちらは、《エンドレス・フローズン・カーニバル》の効果を受けている状態。しかも、二度目の《エンドレス・フローズン・カーニバル》により、またオーラがすべて剥がされてしまった。

 シールドもない。二度目を耐えるための壁は、もう残されていない。

 

「くっ、これを逆転するカードは……?」

 

 使えるマナは、このターンにチャージしても1マナだけ。《接続 CS-20》はあるが、それでも2コストのオーラが限界。

 相手に残ったクリーチャーも《ダイヤモンド・クレバス》だけとはいえ、たった2コストぶんのカードで、この状況を覆すことなんて――

 

「…………」

 

 アギリは、引いたカードを見て、息を呑む。

 そして静かに、手札を切った。

 

「……《罪・獄・殺》をチャージ、1マナをタップ」

 

 生み出された、黒い1マナ。

 そのたった1マナが、決まり手だった。

 

 

 

「呪文《ブラッディ・クロス》」

 

 

 

 オーラではない、呪文だ。

 《接続》の能力も使われず、素の1マナだけで行使される、最軽量呪文。

 

「《罪・獄・殺》《Code:1059》との相性、闇マナ確保、山札圧縮……その程度の意味合いで入れた効力の薄いカードだったが……役に、立ったな」

 

 その効果は、多少の希少性こそあれども、シンプルだ。

 

「呪文の効果で、互いの山札の上から2枚を墓地へ」

 

 アギリの山札から2枚。

 シリーズの山札から2枚。

 それぞれ、削り落とされる。

 

「…………」

 

 シリーズは《ダイヤモンド・ブリザード》で、過剰なほど山札を磨り潰していた。

 現在の山札は、残り3枚。ここで2枚削られ、残り1枚。つまり。

 

「……そう」

 

 彼女は静かに瞳を閉じ、手を下ろす。

 次のターン、シリーズは山札を引き切る。

 それで、終わりだ。

 

「運命とやらがあるのだとすれば……お前は、これを予見していたか?」

「私は立場上、巫女には近いけれど、占術師や星見ではないのよ。未来を視るだなんて、蟲のようなこと、できるわけないじゃない」

「……お前は、何者なんだ?」

 

 敗北が確定してもなお、焦りが一切ない。非情なほどに落ち着いているシリーズ。

 やはり彼女は、どこかおかしい。不自然というなら、彼女こそ不自然だ。

 故にアギリは問う。

 

(ボク)は弟妹らほどお前達と直で対面していない。しかし接触したことはある。そしてこうして相対すれば、わかることもある」

 

 【死星団】。女王の眷属。『代用ウミガメ』の側近。

 代用ウミガメと、女王のため。相反しながらもそれらを束ね、役割を遂行する者たち。

 非情に、冷酷に、女王に叛逆する者を制裁、収集し、女王の復活を願う狂信者。

 というところまでは、わかる。しかし。

 

「お前は明らかに“違う”。あまりにも異質だ」

 

 このシリーズ・コレーは、違う。

 感覚的で上手く言語化できないところがもどかしいが、彼女だけはなにか他の【死星団】と一線を画すように感じる。特権階級、などとも呼ばれていたが……

 

「お前は……何者だ?」

 

 アギリは問う。曖昧に、されども確信を持って。

 

「私はシリーズ・コレー。季節うつろう豊穣神の遣いよ」

 

 シリーズは答える。淡々と、無機質に。

 

「三柱の化身の、さらに疑似」

「三柱の……化身? 疑似だと?」

「ミネルヴァは【死星団】だなんて、大仰に言うけれど。私たちも贄と変わらない。“本物”のための、ただの繋ぎ」

 

 誰に向けて言っているのかもわからないような、虚空へ話しかけているのを余所で見ているような、奇妙な感覚。

 彼女の見ているものが、アギリにはまるでわからない。

 

「そして至るのは、彼女が降臨する暗黒の天。太陽を喰らう漆黒の宙。信仰の果てに叶う、小さな願いよ」

「願い……それはお前達のか? 女王の復活が叶うのなら、確かに世界は破滅するだろう。お前達は、本当にそれを望んでいるのか? それを、小さな願いだと言うのか?」

「ミネルヴァはそうかもしれないわね。ヘリオスはどうかしら。思惑は各々あるのでしょう。私には、意志はないのだけれど」

「自分はただの機能だとでも言うつもりか? 自然信仰だと思っていたが、お前の方がよほど機械らしい」

「機能という言葉は悪くないわ。言葉遊びだけれどね。逆に問うけれど、あなたも、愚かしくも運命に抗って、彼女の目覚めを阻もうというのかしら。私たちを、止められると思うのかしら? その矮小な野望、本当に叶うとでも?」

「……止める、止めない、という話ではないな」

 

 シリーズの問いに、今度はアギリが応える。

 願い、望み。無論、アギリにもそう言えるものがある。だからこそ抗う。

 しかし女王の復活阻止は、アギリにとってはそれそのものが目的ではない。

 

「我々はここに生きている命だ。結果を見て生きる傀儡でも、結果だけを求める機械でもない。過程を経て進む生者なのだ。今も未来も、投げ出さずに駆け抜ける。必死に抗い喰らいつき、脳が焼き切れるほど愚考し、少しでもより良い未来へと至るために邁進する。その“生き様”そのものが、我々の生きる価値だ」

 

 それが、人のように生きる、ということだと。

 それこそが、その価値だと。

 アギリは、信じている。

 

「ハッキリ言おう。(ボク)は女王に刃向かったとて、我々の牙を突き立てることさえ叶わないと思っている。女王とは、そういうものだ」

「愚かなのに賢明ね、あなたは」

「さっきも聞いたな。だが、それがなんだという」

 

 夢を現実に引きずり下ろすためにも、夢は諦めない。しかしその思想そのものが夢物語で、途方もないことであるという現実も見えている。

 だからこれは現実的な考えなどではなく精神論。自分がどう生きたいかというだけの話だ。

 

「無駄なことはしない、無意味なことは愚かだ。しかし、価値のあることに、意義はある」

「意義と価値。あなたにとって、それは?」

(ボク)は、この小さな抵抗には意義があると思っている。弟妹に、姉。多くの仲間を失っても……否、失ったからこそ、己が最も大事なものを、誇りを取り戻すことには、何物にも代えがたい価値がある」

 

 結果が伴うかが重要なのではない。結果はあくまでも結果。それは、世界になにを及ぼすか、というだけの話。

 自分の生き様は、自分だけが語り、証明できるものだ。

 

「最終的に無に帰すから無駄なのではない。結果だけで“人”の生は測れない。」

「……あなたは、自分が本当に人と同じく生きられるとでも?」

「世界が許さぬというのなら、それでもいい。しかしその生き様が良いと思ったから、そうしている」

「自己満足というのよ、それは」

「その通りだ。だが、己が満足する以上の価値が、どこにある?」

「随分と自我が強いわね」

「正直、自分でも驚いている。少し前まで自己も他者も曖昧だったというのに、それが急に自己認識だけが強くなったものだからな……これも一時の気の迷い。ただ混乱しているだけなのかもしれないが……」

 

 その混乱は、きっと良いものだと思う。

 なぜならその自己認識によって、アギリは決められたのだから。

 自分の、歩みたい道を。

 

「やはり、(ボク)は、自分の最も大事な家族のために、愚考も愚行も重ねることとしよう」

「身の程知らずなのね、あなた。自分がどういう存在か、理解していないのよ」

「わかっているさ。わかった上で、逆境も運命もクソ喰らえだと吐き捨てて、みっともなく足掻くんだ」

 

 それが、その愚かしさが、人として生きるということだから。

 

「それが、(ボク)の考える“生きる”ってことだから。(ボク)は、(アヤハ)とは違う」

「……まあいいでしょう。私の言葉以上に、運命はすべてを雄弁に物語る。それに、敗者がものを語るのも歪よね」

 

 シリーズはそう言うと、残された山札、最後の一枚を引いた。

 そして。

 

「あなたを壊すことができなかったのは残念だけれど、鼠の方はじきに狩るでしょう。後は“彼女”に任せて、私は退散するわね」

 

 

 

 シリーズの身体が――溶けた。

 

 

 

「!」

 

 ぐちゃり、と。

 水のように崩れ、スライムのように地面に飛び散る。

 草原のような地面に、黒い粘液のような染みだけが、広がっていた。

 

「……危なかった」

 

 敵の気配が完全に消えたのを感じて、アギリは脱力して、大きく息を吐く。

 先ほどまでは気丈に振る舞っていたが、しかし内心、かなり焦っていた部分もあった。

 

「運が良かった……都合のいい有効トリガー、GRゾーンの配置、カード選択……ほとんどご都合主義だな。あと少しでも運が向かなければ、死んでいたな」

 

 終わったからこそ、凌ぎきったからこそ、冷静に分析できるが、本当に危なかった。

 運が良かった。これに尽きる。巡り合わせの良さ――シリーズのように言うのであれば、運命とやらが悪ければ、アギリはあっさり終わっていただろう。

 

「しかし奴は、本当に何者なのだ?」

 

 彼女が開いた『異聞神話空間』。その残滓とでも言うべきか。

 草花が、まだ残っている。コンクリートの道を侵蝕し、自然が息づいている。

 作り物でも、幻想でもない。確かな命の芽吹きが、ここにあった。

 

「以前見たものとは明らかに違う……不気味な手合いだな、シリーズ・コレー」

 

 強い弱いだけでは語れない、底知れない恐ろしさがある。

 相手にしたくないが、しかしこのような相手だからこそ、よく知る必要があるだろう。

 だが、今は、より優先すべきことがある。

 

「……考察は後だ。あの口振り、眠りネズミも襲撃を受けていると考えるべきか」

 

 アギリは、先行した彼らの後を追いかける。

 その後ろには、いまだ草原の如き草花の大地が、不気味に広がっていた――




 致命的なミスが発覚して急遽書き直したりしてました。エンドレス・フローズン・カーニバルの非クリーチャー以外のカードを破壊する効果を完全に忘れてた……めちゃめちゃオーラにぶっ刺さってて頭抱えました。こんなんアギリの天敵やん、だからこそこのシリーズが来たのはかえっていい効果になりましたが。


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51話「復元しよう Ⅸ」

 ネズミーマウスvsキングゴリラ
 ちなみにゴリラって、昔はUMA扱いされていたようです。ウマ娘でも赤兎馬でもなくUMAです。


「僕のターンだ! 《爆衆聖者トップアイト》の能力で1マナ軽いぜ、《一番隊 チュチュリス》! さらに続け! 2マナで《U・S・A(ウサ)BRELLA(ブレラ)》!」

 

 眠りネズミとシリーズ・コレーの対戦。

 眠りネズミはいつもの調子で、コスト軽減から次々と軽量クリーチャーを展開、速攻を仕掛ける準備を整える。

 3ターン目にしてクリーチャーが3体。コスト軽減クリーチャーに加え、踏み倒しを牽制し場持ちも良い《U・S・A・BRELLA》。

 一気に畳みかける準備はできている、が。

 

「……私のターン」

 

 シリーズの場には《増刀(ブースト)の鎖 シノブ》が1体。

 

「3マナで《圧破(アッパー)の鎖 ナグルキツネ》を召喚。《チュチュリス》をタップ」

「ち……っ! 相打ち狙いか?」

「いいえ、狩人は、狩るために狩場に立つ。鼠一匹と言えど、狩猟は狩猟よ。《シノブ》で《チュチュリス》を攻撃――」

 

 《シノブ》が疾風のように駆ける。

 姿が見えず、木葉を舞わせ、風だけが過ぎ去る中。

 

 

 

「――アバレチェーン」

 

 

 鎖の音だけが、響き渡る。

 じゃらじゃらと鎖が激しい音を立てて轟き、蠢き、うねり、連なる。

 それはさながら、闇の種族の、生きる触手。

 

「《シノブ》の能力で1マナ追加。《ナグルキツネ》の能力で、《シノブ》のパワーを3000増加」

 

 各ターン最初の攻撃に限り発生する能力、アバレチェーン。それにより《シノブ》と《ナグルキツネ》の能力が、同時に発動する。

 《シノブ》の鎖と、《ナグルキツネ》の鎖は絡み合い、触手のように束ねられると、シリーズの領土を耕し、《チュチュリス》を飲み込んでいく。

 

「ガッデム! 一方的に殴り倒されたか……!」

 

 

 

ターン3

 

 

眠りネズミ

場:《トップアイト》《U・S・A・BRELLA》

盾:5

マナ:3

手札:1

墓地:1

山札:28

 

シリーズ

場:《シノブ》《ナグルキツネ》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:0

山札:26

 

 

 

「ちっ、手札がねぇ……4マナで呪文! 《閃勇!ボンバーMAX》! 」

 

 序盤の大量展開のツケが回ってきた。《チュチュリス》がやられて、さらなる展開の出鼻も挫かれた。

 しかしこれは、チャンスでもある。

 

「まずはてめーのクリーチャーをタップだ! さらに! 僕には火と光のクリーチャーがいるから、もいっこの効果も使うぜ。手札を捨てて3枚ドロー……手札はねぇからそのまま3枚ドローだ!」

 

 テンポはよくないが大量の手札補充。

 加えて、シリーズのクリーチャーも隙だらけだ。

 

「ぶっ飛べ! 《トップアイト》で《シノブ》を攻撃! 《U・S・A・BRELLA》で《ナグルキツネ》を攻撃だ!」

 

 早く勝負を決めたい。とっととあの女をぶん殴りたい。

 そんな逸る気持ちはあるが、それ以上にこれは、友のための戦いでもある。

 時間を稼ぐなどとガラではないし得意でもないが、あいつならこうするだろうと考え“最善”を尽くす。

 

(冷静に、とか、合理的に、とか、マジ苦手なんだけどな……眠くなる)

 

 とはいえ、相手クリーチャーを殲滅できたのは大きい。アバレチェーン――その性質上、クリーチャーが展開できなければ効果が薄い。

 欠伸を噛み殺しながら、眠りネズミはターンを終える。

 

「……2マナで《フェアリー・Re:ライフ》。3マナで《拿繰(ナックル)の鎖 パンチフォックス》を召喚よ」

 

 返すターンのシリーズは、明らかに鈍った動きでターンを終える。やはりクリーチャーを殲滅されたことが効いているようだ。

 

 

 

ターン4

 

 

眠りネズミ

場:《トップアイト》《BRELLA》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:2

山札:24

 

シリーズ

場:《パンチフォックス》

盾:5

マナ:6

手札:1

墓地:3

山札:24

 

 

 

(手ぇ止まったな……仕掛けるならここだ!)

 

 一瞬の我慢が悠久のように感じられたが。

 僅かな一時でも、耐えた甲斐はあった。

 

「1マナで《チュチュリス》を召喚! そんで3マナで、《チュチュリス》を――」

 

 速く、速く、ひたすらに速く。

 そして熱く、眩く、星のように燦めき、爆ぜるような一瞬の輝きを魅せる。

 その焔は――閃光である。

 

 

 

「――スター進化!」

 

 

 

 星々の燦めきは、魂の光輝。

 その力を一身に纏い、昇華される。

 

「《チュチュリス》を、《CAPTEEEN(キャプティーン)<ヘビポ.Star(スター)>》にスター進化だぜ!」

「……朽ちた者の魂を纏う。祖霊信仰も降霊も望むところだけれど、それは少し、見苦しいわね」

「言ってろクソアマ。まだこんなもんじゃねーぜ、僕の手札はこれしかない! つまりだ!」

 

 ピンッ、と眠りネズミはたった1枚の手札を跳ね上げる。

 

行け(Go)往け(Go)逝け(Go)――征け(Gone)!」

 

 それは中空で、爆ぜた。

 

 

 

「そぅら――《“轟轟轟(ゴゴゴ)”ブランド》! 発進だぁ!」

 

 

 

 空気を貫き、音を裂き、速さという速さをブチ切って、それは現れた。

 巨大なジェットエンジン、各種ブースター、スラスター。

 死の足音よりも速く、時空さえも飛び越えて。

 轟音を撒き散らす爆速の化身が、発進する。

 

「行くぞッ! 《ヘビポ.Star》で攻撃する時、マジボンバーだッ!」

 

 攻め手は整った。相手の動きは鈍く、ここが仕掛け時。

 まずは《ヘビポ.Star》が拳を振り抜く。同時に、その衝撃が眠りネズミの山札を捲り上げる。

 

「トップは置いとくぜ、ここは手札から《“極限駆雷(クライマックス)”ブランド》をバトルゾーンに! 能力でGR召喚だ!」

「あぁ……作られた命。油の臭い、彼よりはマシだけど、少し不愉快ね」

「うっせーよ! 意味不明なくれー爆速爆熱で終わらせてやっから、覚悟しやがれ!」

 

 2体目のブランド――《“極限駆雷”ブランド》が現れたことで、さらに眠りネズミは展開する。

 しかも、ここで捲るのは、

 

「ハッ! 悪魔的にマジで神引きだぜぇ!」

 

 空を駆け、制した後は。

 大地を砕くほどの豪力を、叩き付ける。

 

 

 

「そぅら――《“魔神轟怒(マジゴッド)”ブランド》の進撃だぁ!」

 

 

 

 巨大な重機を背負い、纏い、あらゆる障害の一切合切を粉砕する機構。

 道がなければ作ればいい。なにが壁になろうと壊せばいい。力と力、そして力だけで押し通る、火事場の豪傑。

 天を衝き、地を砕く。ブランドは、幾重にもその姿を分け、進軍する。

 

「出し惜しみはなしだ、もったいねぇなんて言わねぇ! ガンガン行くぞ! このターン火のクリーチャーを3体以上出してれば《“魔神轟怒”ブランド》はスピードアタッカーだ! 攻撃する時に、能力発動だッ!」

 

 もっと溜めれば、最後に動けば。そんな甘い囁きがある。

 しかしメインディッシュを待っていられるほど、忍耐強くない。攻撃の順番を思考できるほど理知的でも計画的でもない。

 そんな理性は、スピードとパワーが置き去りにした。あるのは衝動だけ。

 この滾る熱は、地を越え、天を超える――爆発する。

 

 

 

「爆ぜろ! 超天フィーバー!」

 

 

 

 道を均す、道を作る、道を拓く。

 《“魔神轟怒”ブランド》の後ろに立てば、足を止めた者も、再び立ち上がる。

 鼠はひとたび火が点けば、もう、止まらないのだ。

 

「このターン5体以上火のクリーチャーを出してれば、こいつの初めての攻撃時、僕のクリーチャーはすべてアンタップする!」

 

 アンタップするのは《ヘビポ.Star》だけではあるが。

 しかし、既に眠りネズミには多くの攻撃可能なクリーチャーが存在し、シリーズを圧倒するほどの超打点が揃っている。それに《ヘビポ.Star》も、攻撃時にマジボンバーで援軍を呼ぶことが可能であるため、さらなる展開すらできる。

 過剰なほど怒濤の勢い。鼠の軍勢は火を点けられ、燃え尽きるまで、爆進する。

 

「……S・トリガーね」

 

 しかし。

 いくら怒濤の勢いでも、燃え盛っていても。

 それは所詮、鼠なのだ。

 

「呪文《イメンズ・サイン》」

 

 シリーズ・コレーの目は、静かで、冷たくて、昏い。

 しかしその奥底に湛えた眼光は、狩人であり。

 猛獣そのものでもあった。

 

「手札からコスト7以下のビーストフォークを場に――《龍覇 イメン=ブーゴ》をバトルゾーンへ出すわ。呪文の効果で《U・S・A・BRELLA》とバトルよ」

 

 その名が示す通り、獣人の印によって現れた《イメン=ブーゴ》。

 《イメン=ブーゴ》は鋭い爪を振るい、《U・S・A・BRELLA》を引き裂く。

 

「ファッキン……! が! たった1体、所詮は単体。それじゃあ止まらねーぞ!」

「どうかしら。《イメン=ブーゴ》の能力で、《邪帝斧(イビルトマホーク) ボアロアックス》をここに――装備」

 

 そう、《イメンズ・サイン》による儀式は、まだ完遂されていない。

 《イメン=ブーゴ》は地面を割り砕き、己の得物を――邪悪な意匠の戦斧、《ボアロアックス》を掴み取る。

 

「《ボアロアックス》の効果により、マナゾーンから《ナグルキツネ》をバトルゾーンへ。《ヘビポ.Star》をタップ」

「ウゼェな……だが、だが、だが! そんでもまだ、僕は止まらねぇ! 《トップアイト》で最後のシールドをブレイクだ!」

 

 1枚のS・トリガーから、クリーチャーの展開に加え、アタッカーを2体封じたシリーズ。

 厄介ではあったが、しかしそれでもまだ、眠りネズミの猛攻は止めきれない。 

 愚直に、まっすぐに、シリーズの喉笛を噛み切るように、眠りネズミはその牙を突き立てる。

 しかしやはり、鼠とは矮小な小動物。

 急所を噛み切り、肉を喰らうという点において、より大きな猛獣に敵う道理はない。

 大地の恩恵、頑強な肉体。強き信仰、神の恩寵。

 どれに置いても、シリーズは、眠りネズミに勝る。

 

「S・トリガー発動。《Dの牢閣 メメント守神宮》」

「んだと!?」

 

 世界に上塗りされる、死を悼む楼閣。

 これで、シリーズのクリーチャーはすべてブロッカーとなった。

 つまりもう、眠りネズミの攻撃は、届かない。

 

「クソがよ……! けどよ、それでも僕は止まれねーんだよ! 《“轟轟轟”ブランド》でダイレクトアタックだ!」

「《ナグルキツネ》でブロックよ」

「《“魔神轟怒”ブランド》も行け!」

「《パンチフォックス》でブロック」

「……ターンエンド!」

 

 押し切れなかった。その反動のように、眠気が襲いかかって来る。

 フィニッシャー級のクリーチャーを何体も展開したのだ。シールドを削りきり、まだクリーチャーが残っているが、《メメント守神宮》で1ターンは確実に無力化される。それに相手には《ボアロアックス》を握った《イメン=ブーゴ》もいる。

 思考力など地の底まで落ちているが、考えるまでもなく分かる。こうなってしまえば簡単には押し通せない。

 直感できる。眠くなるような、鬱陶しく煩雑な攻防戦をしなければならないと。

 

「私のターン。6マナで《荒舞(アライブ)の鎖 ナマケイラ》を召喚。《イメン=ブーゴ》で《ヘビポ.Star》を攻撃――アバレチェーン」

 

 寝そべった《ナマケイラ》の鎖が、伸張する。

 それは大地を鋤く鍬であり、同時に侵攻を阻む壁となった。

 

「《ナマケイラ》のアバレチェーン。山札から2枚を捲り、それぞれシールドとマナへ」

「シールドを増やしやがったこいつ……! クソッタレがよ!」

「《ボアロアックス》の効果により、マナゾーンからコスト5以下のクリーチャーをバトルゾーンへ」

 

 マナを伸ばし、防御を固める。

 《イメン=ブーゴ》が《ボアロアックス》を振り上げ、その戦斧は怪しく輝く。その輝きに共鳴するように、シリーズのクリーチャーがさらに増えていく。

 攻撃と同時に、シリーズの防備は再び固まっていく――だけではない。

 

「っ!? あんだぁ!?」

 

 咆哮が轟く。

 大地は揺さぶられ、(ソラ)が震える。

 

草原(サバンナ)に萌芽を、密林(ジャングル)に豊穣を。狂った都市、昏き地底、黒い森。三つの柱は神の標にして闇の楔。狂信を捧げなさい、生贄を供えなさい。それが、あるべき信仰の姿」

 

 黒い森へと侵蝕されていくこの世界。奥地から、地響きを鳴らし、雄叫びを上げる森の主――否、王が進行する。

 

「目覚めなさい。あなたこそ、大神(かみ)の定めし自然の不条理(ワイルドルール)

「……!」

 

 狂気に汚染された、漆黒の樹林より。

 王か神か。条理を逸脱した存在が、星の枠外にある真理が、邪悪と共に這い上がる。

 ――闇の眷属、神の巫女、化身の疑似。【死星団】Ⅴ等星、シリーズ・コレーは、小さく宙へと向けて、冒涜的な呪文を言祝ぐ。

 

 

 

 ふんぐるい むるうなふ

 

 ■■■・■■■■ ごーつうっど

 

 んがあ・ぐあ なふるたぐん

 

 

 

「いあ、いあ――《剛力羅(ごりら)王 ゴリオ・ブゴリ》」

 

 

 

 剛力の肉体に、綺羅の如き鎖を纏う、野性の王。

 人ではなく、獣でもなく。どちらでもあり、どちらでもない。

 かつては未知なる脅威として、恐怖と畏怖を撒き散らした大猩猩。

 知られざる神秘を剥がされ、ただの獣に貶められた野獣は怒りに吼え、存在し得ないはずの力を以て大地に立つ。

 

「ご、ゴリラ……腕っ節がゴリラなら、切札までゴリラかよ!」

「深山幽谷に息づく剛力の獣を、理解の枠内に陥れようとするのは人類の悪癖ね。猩猩と称することさえぬるい。この星に貶められた力でしかないとはいえ、彼の狂気は真に迫るわ」

 

 地面を叩き割る勢いで拳を振り下ろし、宙を貫きそうなほど咆哮する《ゴリオ・ブゴリ》。

 この鬼気迫る気迫を前にしては、さしもの眠りネズミも、圧倒されてしまう。

 

「っ……つっても、たかがコスト4だろ! Wブレイカーにもならねぇ奴が調子こいてんじゃねぇ!」

「そう。なら、あなたに身の程を教えてあげましょう。所詮あなたは火鼠、自然の理において、偉大なる獣の種には敵わないということを」

 

 今は《イメン=ブーゴ》の攻撃中。《イメン=ブーゴ》は、振り上げた《ボアロアックス》を振り下ろす。

 

「《イメン=ブーゴ》で《ヘビポ.Star》を破壊よ」

「させっかよ! スター進化は進化元は生きる! 《チュチュリス》が場に残るぜ!」

 

 スター進化は通常の進化クリーチャーと異なり、バトルゾーンを離れる際、一番上のカードのみが場を離れる。《ヘビポ.Star》は破壊されるが、進化元となった《チュチュリス》は生き残り、次に繋がる。

 数が減らず、《チュチュリス》が残ったことにより眠りネズミの展開力が維持されたまま。

 しかしシリーズは、それでも落ち着いており、静かに両断する。

 

「そう。それも、意味の無いことだけれども。《ゴリオ・ブゴリ》で《“轟轟轟”ブランド》を攻撃――」

 

 マッハファイターにより、《ゴリオ・ブゴリ》は即座にクリーチャーへの攻撃が可能。

 しかしパワー5000の《ゴリオ・ブゴリ》では、パワー9000の《“轟轟轟”ブランド》には敵わないが、

 

 

 

「――アバレチェーン」

 

 

 

 黒ずんだ鎖がうねり、渦巻き、絡み合い、触腕の如く連なり勢いを増していく。

 しかし、それ以上に、

 

「二度目、だと……!?」

 

 アバレチェーンは本来、一度目の攻撃にしか発動しない。しかしこのアバレチェーンは、二度目。

 《ゴリオ・ブゴリ》の力は、本来あるべき(ルール)さえもねじ曲げる。常識は通じず、人の認知は歪められる。

 二重螺旋の縛鎖が、眠りネズミへと襲いかかる。

 

「《ナマケイラ》のアバレチェーンにより、シールドとマナを追加。そして《ゴリオ・ブゴリ》は自身の強化を得てパワーが2倍となり、パワー10000……叩き潰しなさい」

 

 大地を駆け《“轟轟轟”ブランド》を付け狙う《ゴリオ・ブゴリ》。《“轟轟轟”ブランド》は空へと逃げようとするも、その豪腕を振り切ることができず、地面に引きずり降ろされ、叩き伏せられてしまう。

 

「クソッ、やりやがったなてめぇ……!」

 

 ジリジリと巻き返されていく。追い込んだはずなのに、知らず知らずのうちに、逆に追い込まれていく。

 果てのない狂気が、波濤のように押し寄せてくる。

 

 

 

ターン5

 

 

眠りネズミ

場:《トップアイト》《チュチュリス》《極限駆雷》《魔神轟怒》

盾:5

マナ:5

手札:0

墓地:5

山札:22

 

シリーズ

場:《イメン=ブーゴ+ボアロアックス》《ナマケイラ》《ゴリオ・ブゴリ》《メメント守神宮》

盾:2

マナ:7

手札:2

墓地:6

山札:19

 

 

 

「僕のターン――」

「《メメント守神宮》のDスイッチ起動。あなたのクリーチャーはすべてタップされるわ」

「……ちっくしょう」

 

 《“轟轟轟”ブランド》でラッシュを掛けた代償か。

 眠りネズミには、手札がない。

 

「ターン……エンドだ」

 

 なにもできない。

 クリーチャーを止められ、手札もない。悪足掻きすら、ただただ叩き伏せられるだけ。

 圧倒的な力が眠りネズミを抑圧する。

 火の点いた鼠は止まらないが。

 ひとたび止まれば、燃え尽きるのみ。

 

「獅子は兎を狩りさえも命懸け。あなたが鼠でも、私が大猩々でも、それは変わらない。それが理であり運命。そうあるべしと定められたもの」

 

 シリーズは静かに眠りネズミを見据える。

 超然とした、光の灯されない瞳は、どこか憐憫さえも感じられる。

 

「けれど、呪われた子、眠りネズミ。あなたは不完全で、淘汰されるべき忌み子。生まれるべきではない姿で生まれた鬼子。歪んだ生は、あるべきではない形。ここであなたの命運、ねじ伏せましょう」

「てめぇ、なにを……!」

「《明日(アース)の鎖 ハヤブサツイン》を召喚」

 

 眠りネズミの言葉など聞く耳も持たず。

 シリーズはただひたすらに、暴威を叩き付ける。

 

「《イメン=ブーゴ》で《“極限駆雷”ブランド》を攻撃する時、《ボアロアックス》の効果。そして、アバレチェーン」

 

 まずは、一回目。触腕のように、鎖がうねり蠢き、のたうち回る。

 

「《ボアロアックス》の効果でコスト5以下のクリーチャー、《未謎(マナゾーン)の鎖 ブリタネッコ》を。《ハヤブサツイン》のアバレチェーンで攻撃クリーチャーよりコストの低いクリーチャー、《兵繰凄(ヘラクレス)の鎖 サイノ・ブサイ》を。それぞれバトルゾーンへ」

「ぐっ……!」

「《ナマケイラ》によりシールドとマナを追加し、《ゴリオ・ブゴリ》でパワーを2倍に」

 

 アバレチェーンだけでも、文字通り、暴れるほどに効果が積み重なっていく。

 しかし、連鎖するのは、黒き触手と同化した鎖だけではない。

 

「《ブリタネッコ》の能力で互いのクリーチャーをマナゾーンへ。私は《ブリタネッコ》を」

「……クソが。殴られる《“極限駆雷”ブランド》をそのままマナに送る!」

「《サイノ・ブサイ》の能力で《イメン=ブーゴ》をアンタップ、《サイノ・ブサイ》をタップするわ。攻撃は止まるけれど、そのまま《イメン=ブーゴ》で《“魔神轟怒”ブランド》を攻撃――アバレチェーン」

 

 《ゴリオ・ブゴリ》がルールを歪ませる。この星の条理をねじ曲げる。

 二度目のアバレチェーン。さらに《イメン=ブーゴ》が攻撃したということは、

 

「《ボアロアックス》と《ハヤブサツイン》の能力で、それぞれ《ブリタネッコ》と《サイノ・ブサイ》をバトルゾーンへ。《ブリタネッコ》をマナへ」

「《“魔神轟怒”ブランド》を、GRゾーンに戻す……!」

「《サイノ・ブサイ》の能力で《イメン=ブーゴ》をアンタップ。《ナマケイラ》によりシールドとマナを追加。さらに《サイノ・ブサイ》により、《イメン=ブーゴ》は破壊されない」

 

 なんだ、これは。

 次々と産み落とされていく、猛獣たち。

 攻撃と同時にクリーチャーが増える。《ブリタネッコ》が出て来ると、マナに戻り、再び登場する機会となる。《サイノ・ブサイ》が現れると、クリーチャーがアンタップし、攻撃の機会が増え、さらにクリーチャーも増える。

 殴れば殴るほど、クリーチャーが増えていく。

 シールドは増え続け、マナも潤い、彼女らは繁栄する。

 それはさながら、豊穣の母神の寵愛を受けるかの如し。

 

「《ハヤブサツイン》で《チュチュリス》を攻撃、マッハファイターよ」

「クソッ!」

 

 攻撃が止まらない。展開も抑えられない。

 シリーズ・コレーの暴威は、もう、収まらない。

 

「《イメン=ブーゴ》で攻撃。その時、《ボアロアックス》の能力で《ブリタネッコ》をバトルゾーンへ。そして、そのままマナへ戻るわ」

「《トップアイト》を、マナゾーンに送る……!」

 

 これで、眠りネズミのクリーチャーは全滅。

 きっちり綺麗にひとつ残らず余すことなく。

 すべての命を、狩り取られた。

 

「《イメン=ブーゴ》はアバレチェーンにより、《ゴリオ・ブゴリ》の能力を二回受けた。パワーは4倍、28000のパワード・ブレイカーよ」

 

 乱雑に見えて緻密に。妄信的に見えて計画的に。

 過不足なく、反撃の余地もなく、詰め切られる。

 

「すべて薙ぎ払いなさい。パワード・ブレイク」

 

 5枚のシールドを纏めて引き裂く、大地を割るほどの一撃。

 もはやS・トリガーも関係ない。ここを耐え抜こうと、火中の鼠に逃げ場などないのだから。

 

「クソ、が……! 《ビリボー・チュリス》、《トツゲキ戦車 バクゲットー》、《閃勇!ボンバーMAX》!」

「無駄よ、あなたの命運は決しているのだから。ターン終了時に、《ボアロアックス》の龍解条件を満たした――《ボアロパゴス》へと龍解よ」

 

 ウエポンからフォートレスへと成る《ボアロパゴス》。

 シリーズにはシールドが4枚、大量のクリーチャーに、それらすべてをブロッカーと化す《メメント守神宮》。

 さらに一度に限り、攻撃を引きつける《サイノ・ブサイ》までおり、およそまともに攻撃が通るような盤面ではない。

 

 

 

ターン6

 

 

眠りネズミ

場:なし

盾:0

マナ:7

手札:5

墓地:9

山札:19

 

 

シリーズ

場:《サイノ・ブサイ》×2《イメン=ブーゴ》《ナマケイラ》《ゴリオ・ブゴリ》《ハヤブサツイン》《メメント守神宮》《ボアロパゴス》

盾:4

マナ:8

手札:1

墓地:6

山札:14

 

 

 

「諦めねぇ……まだ僕は諦めねぇぞ!」

「夢想に縋るというのね。眠りネズミ、あなたが信ずるも夢の中、かしら」

「なにが夢だ! てめぇのクリーチャーは全部寝てる! 僕のマナは増えて、手札もある! まだぶっ込める!」

 

 3枚のS・トリガーにより、眠りネズミにはクリーチャーが増え、逆にシリーズのクリーチャーはすべてタップ状態。《ブリタネッコ》の能力で除去を連打されたが、代わりにマナは増えている。

 まだ、まだ、まだ。

 諦めるほど、絶望的ではない。

 

「《チュチュリス》召喚! 《ダチッコ・チュリス》召喚! コストを4減らし、《バクゲットー》を《ゴルドーザ<ドラギリア.Star>》にスター進化だッ!」

 

 再び、眠りネズミに火が点く。

 終わりかけの蝋燭が、猛り燃えるように。

 爆発的に、クリーチャーを展開させる。

 

「さらに《ダチッコ》をスター進化! 《CAPTEEEN<ヘビポ.Star>》! これで3体は殴れる!」

 

 コスト軽減からの、連続でスター進化。これで眠りネズミのアタッカーは、《ビリボー・チュリス》《ドラギリア.Star》《ヘビポ.Star》。

 

「まずは《ヘビポ.Star》で攻撃だ!」

「初撃ね。その攻撃は《サイノ・ブサイ》へ」

「知ったことかよ! 《ヘビポ.Star》のマジボンバー発動だッ! 山札を捲り、コスト4以下のクリーチャーならそのまま場に出せる!」

 

 眠りネズミの手札はもうないので、完全にトップ勝負。

 

「……《ヘビポ.Star》だ! 《チュチュリス》からスター進化!」

 

 《ヘビポ.Star》から、さらに《ヘビポ.Star》を捲る眠りネズミ。

 そしてここで、

 

「《ヘビポ.Star》で《ゴリオ・ブゴリ》を攻撃!」

 

 クリーチャーへと、殴りかかった。

 一刻も早くとどめを刺したいこの状況では、悠長な一手に見えるが、しかし。

 眠りネズミはここで、最後の手札を切る。

 

「どうせトリガーで止めてくるんだろ。ならドカンと捲って焼き切ってやんよ!」

 

 ここで《ヘビポ.Star》が捲れたからこそ賭けた、博打の一手。

 それは、

 

「マジボンバー! 《“極限駆雷”ブランド》だ!」

 

 《ヘビポ.Star》のマジンボンバーで、手札から出て来たのは《“極限駆雷”ブランド》。

 ここからさらに、GR召喚。

 こうなれば運任せだが。

 運命を決定づけられるだなんて、御免被る。そんな窮屈で面白みのない世界は願い下げだ。

 だからこそ、眠りネズミは己の手でたぐり寄せる。

 自分が納得できる未来を。

 

「もう一度――来やがれ! 何度だって燃え上がれ!」

 

 稲妻が迸る。熱気が滾り、噴火の如く膨大なエネルギーが溢れ出す。

 シリーズが神の巫女だろうと、邪神の眷属だろうと、関係ない。

 相手の奉ずる神に従属するなど認めない。こちらにはこちらの神がいるのだ。

 たとえそれが、魔神だとしても。

 

 

 

「再燃しろ! 《“魔神轟怒”ブランド》――!」

 

 

 

 再び君臨する《“魔神轟怒”ブランド》。

 まだ、まだ燃え尽きない。

 命が、魂が残っている限り、それを燃料に、まだ走り続けられる。

 

「押し込むぞ! 《“魔神轟怒”ブランド》で攻撃!」

 

 またしても、今度こそ。

 まだ燃やせ、もっと燃やせ。

 命尽きるまで魂燃やせ。

 自分自身を焼き尽くしたとしても。

 無意味に眠るより、よほどマシだ。

 

「呪いだなんだって関係ねぇ! あるべきでないだとか、歪だとか、それがなんだってんだ! いつだって眠すぎる、()()()()()()()()()()()()()()、これは僕の人生なんだ!」

 

 常に睡魔に襲われる身体。一瞬でも気を抜けば眠りに堕ち、戻って来れない呪われた生。

 冗談みたいな話だが、しかし冗句でも笑い話でもない。

 これは真に死活問題。眠りネズミにとって、死ぬか生きるかの話。

 なぜならば、もし睡魔に完全に屈し、目覚めるための意気を失ってしまえば、彼はもう、現の世界に戻ってこられないから。

 眠りから、醒めないから。

 それが『眠りネズミ』の本質。

 睡魔に誘われ、真の眠りに堕ちればおしまい。二度と目覚めることが叶わない、字義通りに永眠する個性()

 それは即ち、死と同義。

 彼は、気を抜けば即死する呪いに冒された命。睡魔という冷たい炎に全身を焼かれ続ける火鼠なのだ。

 

「それは、強大すぎる才の代償。母たる彼女でさえ認めなかった、眷属の枠を超越しかねない素質。故に忌み子であり鬼子。存在すべきではない例外中の例外。だから、私はあなたを粉砕しなければならない。これは母の命よ」

「うっせぇな! 僕がどうしようが僕の勝手だ! 顔も見せねー母ちゃんに指図される筋合いはねーっての! なにもかも燃え尽きて眠っちまう前に、僕にゃやりてーことが色々あんだよ!」

 

 襲いかかる死の気配(睡魔)を吹き飛ばし、滾る血潮で大地を叩く。

 平原だろうと密林だろうと、その地を抉り壊し悪路とする。ささやかな抵抗かもしれないが、これも母への小さな冒涜。

 悪戯でも罵詈雑言でも、なんでも喰らえと吐き捨てる。

 ――このターン、眠りネズミは5体以上、火のクリーチャーを呼び出している。

 つまり、

 

 

 

「さぁ、もう一度、宇宙の彼方まで燃え上がれ――超天フィーバー!」

 

 

 

 超天フィーバーが再び発動する。

 眠りネズミのクリーチャーが、アンタップ。起き上がるのは《ヘビポ.Star》と《“魔神轟怒”ブランド》だけだが、マジボンバーを持つクリーチャーが再攻撃可能となるのは、この状況では強力だ。

 

「喰らいやがれ! Wブレイクだ!」

「…………」

「さらに《ドラギリア.Star》で攻撃! この時、《ドラギリア.Star》の能力でパワーをプラス7000! パワー13000になったから、パワード・ブレイカー・レベルⅢ! 残り全部纏めて叩き割ってやらぁ!」

 

 《ドラギリア.Star》は攻撃時、任意で自身を強化できる。跳ね上がったパワーと、それに付随するパワード・ブレイカーにより、シリーズのシールドは一瞬でゼロとなった。

 この時点で、まだ眠りネズミには、《ビリボー・チュリス》に《ヘビポ.Star》、《“魔神轟怒”ブランド》。さらに備えの追撃もある。

 生半可なS・トリガーでは、凌がせない。

 ここで、完全に焼き尽くす。

 

「S・トリガーよ。《殴厳!暴拳MAX》……呪文の効果で、まずはパワー2000以下のクリーチャーをすべてマナゾーンへ」

「ハッ! そんなんじゃなんも変わらねーぞ!」

「私の場に光と自然のクリーチャーが存在するため、もうひとつの効果も発動。進化でないクリーチャー……《ビリボー・チュリス》をシールドへ」

 

 1体消された。しかし、1体削られる程度であれば、まだ問題ない。

 

「もう1枚S・トリガー、《最終(ファイナル)龍覇 ロージア》を召喚」

「ブロッカーかよ、だがそんでもまだ止まんねぇ!」

「どうかしら。《最終龍覇 ロージア》は登場時、自分のマナゾーンにある文明と同じ文明を持つコスト4以下のウエポンを装備できるわ」

 

 眠りネズミの一撃によって、炎上する黒い森。

 しかし。

 その燃ゆる炎から、《ロージア》は、一振りの剣を掴み取る。

 

 

 

()()()() ()()()()()()()()()()

 

 

 

 装備されたのは、火の、ドラグハート・ウエポンだった。

 

「あぁ!? てめぇのマナにゃ光と自然しかねーだろうがよ!」

「忘れたのかしら。私の場には《イメン=ブーゴ》がいるのよ」

「……っ!」

 

 そう。《イメン=ブーゴ》は場にいるだけで、マナゾーンをすべての文明に染め上げる能力がある。

 染色されたシリーズのマナは、5文明がすべて揃っている状態。つまりマナの文明を参照する《ロージア》の能力も、その制限が大きく解放される。

 

「《ガイアール》の効果発動。《ロージア》と《“魔神轟怒”ブランド》でバトルよ」

「チ……ッ!」

 

 《“魔神轟怒”ブランド》は、攻撃中のパワーこそパワーアタッカーで跳ね上がるが、素の状態だとたったの3000しかない。

 パワー3500の《ロージア》に、一方的に破壊されてしまう。

 これで残るは《ヘビポ.Star》のみ。そしてシリーズには、ブロッカーの《ロージア》。

 

「……だが、まだだッ!」

 

 まだ眠りネズミには止まる気はなかった。

 《ヘビポ.Star》でスピードアタッカーを捲る可能性もある。それに、

 

「《ドラギリア.Star》は攻撃後に自爆する! だが、こいつがぶっ壊れた時、進化元のクリーチャーはアンタップして場に残る!」

 

 そうだ。

 眠りネズミが、攻撃できる《バクゲットー》を進化元にしたのは、相手の除去から守るため。攻撃が終わったタイミングで、攻撃できるクリーチャーを呼び出すことで、S・トリガーによる干渉を遮断するため。

 つまり眠りネズミには、まだアタッカーが2体残っている。《ヘビポ.Star》に頼らずとも、攻撃を押し通せる。

 ――かに、見えたが。

 

「知っているわ」

 

 それさえも、シリーズには見抜かれている。

 

「まだ終わりじゃないわ。私の場には《ボアロパゴス》がある」

「な……ッ!」

「私が手札からクリーチャーを召喚したことで、《邪帝遺跡 ボアロパゴス》の効果発動。マナゾーンからコスト5以下の自然のクリーチャーをバトルゾーンに」

「ぐ……だが、ブロッカーが増えても、《ヘビポ.Star》でスピードアタッカーを捲ってやる……!」

「希望を持って生きるのはいいでしょう。けれどあなたに生路はないわ。《圧破の鎖 ナグルキツネ》をバトルゾーンへ、能力で《ヘビポ.Star》をタップ」

 

 ――終わった。

 直後、《ドラギリア.Star》が爆散する。中から《バクゲットー》が現れ、追撃の手が生まれる。

 しかし、もう、届かない。

 《ロージア》と《ナグルキツネ》。ブロッカーが2体。

 眠りネズミに残されているのは、《バクゲットー》のみ。

 

「……ターン、エンドだ」

「私のターン。私のクリーチャーのコスト合計は30以上、龍解条件を満たしたことで、《邪帝遺跡 ボアロパゴス》を《我臥牙 ヴェロキボアロス》に龍解」

 

 シールドの中身は既に見えている。たった1枚のシールド、1枚のS・トリガーでは、どう足掻こうともシリーズの攻撃を耐えることは不可能。

 

「クソ……クソクソクソクソクソッ! クソッタレが!」

 

 もう、悪態をつくことしかできない。

 無力な小動物に襲いかかる、無慈悲で理不尽な暴威の嵐。

 自然の理の恐ろしさ。不条理な狂気の怖ろしさ。

 ただあるべしと、蟻でも踏み潰すように、ただ滅されるのみ。

 

 

 

「――ダイレクトアタック」




 王来編でこんなこと言うのもなんですが、実はキングマスターの情報が出る前から、シリーズに暴拳王国を使わせるのは決まってて、暴拳王国の名前や印象から「パワー系っぽいなぁ~」と思っていたので、眠りネズミには彼女を「ゴリラ」呼ばわりさせていたんですが、まさか本当に切り札がゴリラになるとは思いませんでしたよね。
 でもゴリラというわりには、ボアロやイメンを使ってわりとテクニカルに動いてたりするんですよね。テクニカルゴリラ。テクノゴリラの方が語感がいいけど、意味が変わる。


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51話「復元しよう Ⅹ」

 外宇宙の大いなる存在を前にした時、矮小な生き物はなんの価値もなく消えていくもの。ドラマもなにもなく消えるのは一瞬。


「がっ、は……っ!?」

 

 およそこの世の常軌を逸脱した豪腕が、眠りネズミを吹き飛ばす。

 黒い森の中、小さき獣の火は、消えようとしていた。

 

「“あちら”は捕え損ねたようだけれど、“こちら”は遂行できたようね。とはいえ、あなたの全身を蝕む呪いがなければ、私に勝機はなかったでしょう」

 

 静かに眠りネズミを見下ろす、シリーズ・コレー。

 濁りのないほどに純粋に狂った眼差しは、とても、冷徹だった。

 

「もっとも、あなたに呪いを宿すほどの脅威的な力がなければ、私が自ら手を下すこともなかったのだけれど。女王を脅かすほどではないにせよ、あなたの持って生まれた力は、眷属としては規格外。行き過ぎた力は、排斥しなければならないわ」

 

 シリーズ・コレーは拳を握り締める。その細腕からは考えられない剛力を発揮する、純然たる“力”のみが集積された、破砕の豪腕。

 それを振り上げる。

 ただ叩き付けるだけでいい。力任せに振り下ろすだけでいい。それだけで、小さな火鼠は塵も残らず、鎮火する。

 

「あなたが死ねば“彼女”はきっと泣くでしょう。けれど、私は神の巫女。母の勅命が、私のすべて」

「く……そ、が……!」

 

 身体が動かない。対戦中は振り払っていた睡魔が、纏めて襲いかかってきた。

 それをまた振り切る気力も、抑え込む胆力も、もう眠りネズミには残っていない。

 恐怖より、悔しかった。捨て石になることが前提の作戦と言えども、彼にその気などなかったのだから。

 友が――姉のような友を、この手で救えなかったことが。もう一度会うこともできず、果てることが。

 自分の力が及ばないせいで、大切な人に手が届かないことが。

 ただ、悔しい。

 

「さようなら、『眠りネズミ』」

 

 その悔しさも、彼女の前では有象無象。

 無慈悲に、眠りネズミへと、純粋な死が振り下ろされる――

 

「――あら」

 

 彼女の手が、ピタリと止まる。

 それは妨害とも、阻止とも言えない、小さな力。

 ただ気になったから。気が逸れたから。目についたから。そんな取るに足らない微かな理由で動きを止めたにすぎない。

 シリーズは、自分の腰にしがみつく何者かを睥睨する。

 

「退きなさい。今、あなたに用はないわ」

「ど、退きません……っ!」

 

 シリーズの動きを止めたのは、ユニコーンだった。

 もっとも、動きを止めたと称するには、彼女はあまりに非力で、あまりにお粗末ではあるが。

 

「ユニ子……」

「ゆ、ユニだって【不思議の国の住人】なんです! 仲間が目の前で消されていくところを、黙って見てるなんて……そんなの……!」

「や、やめろユニ子! そいつはてめぇがどうにかできる奴じゃねぇ……!」

 

 今にも泣き出しそうで、崩れ落ちそうで。

 逃げ出したい気持ちもあるだろう、震えた身体で。

 けれども小さな身を精一杯に奮起させ、ユニコーンは恐怖心に苛まれながらも、シリーズに立ち向かっていた。

 それは、勇気と呼ぶべきなのか。

 あるいは、愚行か、蛮勇か。

 

「……愚昧。とはいえあなたは正しい。仲間を守るのは群れの掟。けれど、逆ね。子は守られるべきものなのよ」

「だと思います……でも、その大人は、みんな、みんな! あなたたちが!」

「そうね。私は狩りやすい獲物を狩るべきだと思うのだけれど、ミネルヴァたちは賛同しなかったわ」

「だからユニが……ちっちゃくてよわっちいユニでも、“捨て石”くらいには、なれるんです……!」

「ゆ、ユニ子……」

 

 それは、自己犠牲だった。

 彼女なりの責任、だったのかもしれない。

 庇護されるばかりの小さな少女の、微かな責務。いなくなっていく仲間達への、贖罪のような務め。

 

「馬鹿野郎……んなもん、てめーが考えることじゃねーだろ! 捨て石なんて、そんな、んなのよぉ!」

「でも、ユニができるのはこのくらいなんです! こんなことでしか、皆さんのお役には立てない……!」

 

 【死星団】を倒す力なんてない。渡り合うこともできなければ、逃げたり、隠れたりする計略もない。

 なにもできない子供だ。

 けれど逆に言えば、捨て石でもなんでも、使い捨ての盾であろうと、役割があるのなら。

 少しくらいは、報えるから。

 だから彼女は、我が身を擲つと、決めたのだ。

 

「群体としては正しいのに、幼生としては間違い。まったく歪んだ思想ね。まあ、子供なら稀にある変異でしょう」

 

 スッ、と。

 シリーズはユニコーンの頭に触れる。

 愛撫するように、母のように優しく、しなやかな手で包み込む。

 

「教育だなんて柄ではないのだけれど。必要であるのなら、あなたもあるべき姿に戻してあげましょう」

「っ……!」

 

 ぐじゅり

 

 シリーズの腕から湧き上がる、黒い泡。

 それは触手のように広がると、瞬く間に、ユニコーンを飲み込んでいった。

 声すらあげる間もなく。

 呆気なく、無慈悲に。

 【不思議の国の住人】がまたひとり、消え去った。

 

「私の町は収容所ではないのだけれど、いいわ。ゴーツウッドの田舎町を堪能なさい」

「あ……あ、ぁ……!」

 

 嗚咽が漏れる。慟哭すらも枯れる。

 眠りネズミは悔恨、倒れ伏したまま、血が滲むほどに拳を握り締める。

 

「クソ……クソクソクソクソクソ! チクショウ! ユニ子、ユニ子……! すまねぇ……!」

 

 自分のために、仲間がひとり、消えた。

 その事実が、彼の心を、押し潰す。

 

「……自己犠牲のつもりだったのでしょうけれど、あなた、動けるのかしら?」

 

 無論、動けるはずもない。

 必死に身体を起き上がらせようとしても、激痛と睡魔が同時に襲いかかり、まともに身体が動かせない。そもそも身体に力が入らない。

 ユニコーンが我が身を挺して守ったと言えど、眠りネズミはこの場から逃げることもできない。

 

「そうよね。彼女の犠牲は無意味だった。悲しいことだけれど、自然とは不条理だから」

 

 シリーズは再び腕を振り上げる。今度こそ、その豪腕に打ち砕かれることだろう。

 後悔ばかりが募る。死力を尽くしても及ばなかったこと。妹分に身体を張らせてしまったこと。だというのに、身体が動かせないこと。

 なにもできないのは、むしろ自分だと。

 結局、口だけで、なにも為せないと。

 己の無力さが――悔しい。

 

「瞬きのような延命。あなたにとっては悠久かもしれないけれど、結果は同じ――さようなら」

 

 再び、彼女の腕が振るわれる。

 容易く命を散らす無慈悲で不条理な剛力が、災禍の如く、眠りネズミへと降りかかる――

 

 

 

「――眠りネズミッ!」

 

 

 

 しかしなんということだろうか。

 一度救われた命。ほんの僅かな延命でしかなかったが。

 その僅かな時間の間に、“彼”が、追いついた。

 

「あ……あ、あ……」

 

 気付けば彼の腕の中にいた眠りネズミ。助かった、以上にその顔に吃驚を禁じ得ない。

 

「アギリ!?」

 

 それは、アギリだった。

 シリーズがここに来た以上、既にやられたものかと思っていたが、眠りネズミの想像とは裏腹に、疲弊はしているようだが負傷している様子はない。

 ――いや、こいつが簡単にくたばるとも思っちゃいなかったけどよ。

 それにしたって敗戦してここまで来たような風体ではないのが少々疑問ではあるが。

 

「てめぇ、生きてやがったのか!?」

「? 無論だが。なぜ死んだことに――む」

 

 アギリは眠りネズミを抱きかかえたまま、シリーズを見遣る。

 

「シリーズ・コレー……貴様、なぜここに。いや……」

 

 彼女はジッと、静かにふたりを睥睨しているだけだった。

 

「こちらで倒した個体が転移したのか? 瞬間移動……女王の眷属ならば、やってのけても不思議はないが……」

「なんの話かしら。あなたは彼女を倒した。私は彼を倒した。これは、それだけの話よ」

「……まあいい。今はこの場を離脱する。貴様に取り合うつもりはない」

 

 眠りネズミを抱え直し、アギリは退路を確認。

 そして脱兎の如く、駆け出した。

 しかし眠りネズミは叫ぶ。

 

「おい待てよ! ユニ子が……!」

「……一部始終は見ていた。ユニコーンはやられた。奴は捨て石としての役割を十全に果たした……己が使命を遂げたのだ」

「んだと! てめぇアギリ、見損なったぞ!」

 

 静かに告げるアギリに、眠りネズミの頭は茹だるように熱くなった。

 捨て石だなんて冗談じゃない。そんな簡単に言い捨てられるようなことじゃない。

 自分よりも幼い身で、恐怖と狂気に苛まれて、壊れそうなほど身体を震わせながらも、彼女は勇敢に脅威へと立ち向かったのだ。

 ただの役割や駒じゃない。ユニコーンという少女は、我らが仲間は、分不相応な責務を背負って散っていった。

 それに、それ以前に。

 目の前で、仲間がひとり、消えたのだ。

 

「仲間がやられたってのに、てめぇはなんでそんな平気でいられるんだ!」

 

 眠りネズミは叫ぶ。

 燃えるような熱を込めて、冷ややかなアギリを責め立てる。

 

「平気なわけないだろッ!」

「っ!」

 

 しかしアギリから、即座に鋭い言葉が返された。

 彼の声にも、眠りネズミには負けないほどの、熱が籠もっていた。

 アギリは一呼吸置いて、静かに口を開いた。

 

「……問おう、眠りネズミ。狭霧は、(ボク)の妹はどこへ行った?」

「あ? ……あ」

 

 そう言われて、思い返す。

 シリーズとの戦いにばかり執着していたが、あそこでは狭霧も、ヤングオイスターズの数少ない生き残りも、共に戦っていたはず。

 しかしその姿は、影も形もない。つまり、

 

「だろうと思った。姿は見えなかったが、以前見た姉の痕跡が微かに残っていた……妹の末路は、想像に難くない」

 

 冷ややかに告げるアギリの眼には悲哀が滲んでいた。どこか苦しそうで、必死に苦しみを堪えているようで、痛ましかった。

 

「貴様やユニコーンのように、劇的な終わりさえも迎えられない。何者に語られることもなく、妹は幕の裏側で惨めに消えたのだ。仲間である以上に兄妹が、それ以前に己自身が消えた。今や『ヤングオイスターズ』は俺(ボク)ひとりだけ、この身も心も、八つ裂きにされているようだ……!」

「……悪ぃ」

「構わん……とは言わん。狭霧とユニコーン、我々は2名の仲間をここで失った。その意味を、重く受け止めなくてはならない」

 

 数少ない生き残りのレジスタンス。

 それが、さらに減ったのだ。

 この手から次々と零れ落ちていく。

 

「彼女らの犠牲を無為にはしない。必ずや、奴を討つ」

「……あぁ」

「だから、今は撤退する。水早霜が目的地に辿り着けたかは不明だが……今はこちらに脅威が迫っている状況。彼のことは信じ、こちらは帰還する他ない」

「あぁ……わかったよ。クソ……ッ!」

 

 微かな希望の裏で、多くの犠牲が絶望の渦に沈んでいく。

 深い傷痕を残しながら、ふたりはひた走る。

 水早霜――彼にすべての希望を託して。

 

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「脱兎の如く。兎狩りね」

 

 シリーズは逃避するふたりの背中を見つめる。

 しかしただ見ているだけではない。その眼は狩人の眼差し。獣の眼光として輝く。

 

「逃した獲物もやって来たのであれば好都合。纏めて粉砕しましょう」

 

 追跡、などと生易しいものではなく。

 まるで嵐の如き暴威が、彼らをその牙で捕えるべく、追従する――

 

「――あら。ミネルヴァ? どうしたのかしら」

 

 裸足を一歩、踏み出そうとしたところで、彼女の動きが止まった。

 シリーズはなにもないはずの虚空へ、そこにいないはずの誰かへと語りかける。

 

「……そう、彼女が」

 

 多くは紡がず、僅かな言葉だけを残して、彼女は踵を返す。

 

「“彼”も動き出したのかしらね。それは別に構わないのだけれど」

 

 ほんの僅かに、シリーズは逃げ行くアギリと眠りネズミを流し目で見遣る。

 

「目の前の獲物を逃すのは業腹だけれども……いいえ、彼らは刈り取るべき異物であって、食い物ではない。であるならば、群れを守ることが群集として正しい」

 

 自然の理に従うのであればそれが正しい判断。事実自分はそのように口にした。

 この場に赴いたのも、タイミングの都合が良かったからに過ぎない。ここで躍起になって彼らを叩く必要はない。

 それ以上に大事なものは、母体の保護。己に課せられた役割はそちらなのだから。その役目を優先するのは道理。

 ――シリーズ・コレーは溶けていく。

 ぐじゅぐじゅと、爛れた腐肉のように融解し、撹拌していく。

 大地に黒い染みがつき、しかし黒い森はそのままに。

 世界は異常に侵されたまま、この場の幕劇は終えたのだった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 呼び出された公園に、香取実子はひとり立ち尽くす。

 しばし物思いに耽っていた彼女だが、ひとつの足音に振り返った。

 待ち人来たり。歓迎などはしない。

 ほんの少しの気まぐれと、奥底にこびり付いた残り滓のような責任感と、ありもしないと割り切った期待を抱いて。

 彼を迎える。

 

 

 

「――来たね、水早君」

 

「あぁ――実子」




 シリーズがなにやらミネルヴァと独り言で会話していますが、これは後々の話で関係してくるはずなのに適度に忘れていいタイミングで思い出してください。


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51話「復元しよう ⅩⅠ」

 喧嘩するほど、仲が悪い。されども――


 香取実子は、ひとりで待っていた。

 家で彼を待っていたら、追加で場所指定を受けた。

 やけに切羽詰まった様子に気圧されて、とりあえず“あの時”の公園へと赴いた。ここが指定された場所。

 一番大事な友達と喧嘩して、仲直りした場所。思い出の場所、なんて言うほど感傷的なタチではないが。

 思うところはある。

 ぼんやりと、思い出す。

 彼女が離れていってしまうと思って、焦り、妬み、憤り、狂った時のこと。

 あの時と同じ。今も同じ。なにも変わっていない。

 抑えることをやめたという差異はあれども、自分のスタンスはなにも変わっちゃいない。

 甘えたいほどに、縋りたいほどに、占めたいほどに、大好きな女の子がいる。

 その子のために――その子に寄生する自分のために。

 

「……腐ってるのはわかってるんだよなぁ」

 

 外道で、非道で、自分勝手で、自己中心的。利己的なのが人間の社会で、それが真理だと思う。

 けれど同時に、社会性、倫理観、善性……そういうきらきらしたことも、この世にはある。

 彼女がそのきらきらした存在だからこそ、自分は彼女に依存しているのだから。

 まっすぐに生きるべき、模範的であるべき。生き方を縛られるなんてクソ喰らえだが、そういう規範が社会性であることもまた事実。

 そして、そういった善なるものの方が、好まれるというのも事実だ。

 悪性を認めている自分は腐っている。

 だが――それだけだ。

 自分は性根の腐った女だ。悪性を受容し、怠惰を甘受し、自己中心的に生きる悪い奴だ。

 ただ、それだけだ。

 

「……ん」

 

 足音がひとつ。

 実子はその音に、振り返った。

 

「――来たね、水早君」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「っていうか……今更、なんの用さ。こんなとこに呼び出して」

「はっ……はぁ、はぁ……」

「あんだけバチバチにやりあって、まだ対話の余地があると思ってるのかな。私と君はわかり合えないって理解できると思うんだよねぇ」

「はぁ……はぁ、はっ、はぁ……」

「それよか君から呼び出してくるとは思わなかったよ。私とは口聞きたくないんじゃないの?」

「はぁ、はぁ……っ、はぁ……っ」

「それとも私を無理やり止めに来た? まあほっとけば私はそのうち小鈴ちゃんとこ行くもんね。でも体格的に私有利だしなー、力ずくは難しいんじゃない?」

「はぁ、はぁ、はあ……!」

「いや呼気荒すぎない!? なに、ここまでマラソンでもしてきたの?」

「はぁ……まあ、そんな、とこ……だ……」

「馬鹿じゃない? 電車使えばいいのに」

「こっちにも……色々、事情が……はぁ、あるんだ……よ……っ」

 

 キッと睨みつける霜。縁起でもなんでもなく、本当に疲労困憊のようだ。足が少し震えている。

 

「はー、気ぃ抜けるや。いいから早く息整えなよ、そんなんじゃ話にもなんない」

「……話す気には、なったのか?」

「マラソンしてまでこんなとこ来る馬鹿の話はちょっと気になるかな」

 

 実際、もうなにも話すことなどないと思っていた。

 彼のことは嫌いだし微塵も同調できないし愚かだとも思うが、彼が馬鹿ではないことは知っている。

 無意味な説得なんてしようはずもない。なにかしらの目的があり、意図があり、策があるはず。

 どういうつもりでなにを仕掛けてくるのかは、ほんの少し興味があった。

 まともに取り合う気などないが、言うなれば気まぐれだ。

 

「……実子。君は、現状をどのくらい理解しているんだ?」

 

 呼吸を整え、ひとまず落ち着いた霜は、まずそのように切り出した。

 が、実子は突拍子のない、しかも具体性のない質問に、首を傾げる。

 

「現状? なにそれ。なんのこと?」

「帽子屋からなにも聞いてないのか?」

「帽子屋さん? いやぁ、最近お風呂掃除頑張ったり、料理しようとしたりしてるけど……別になにも」

「そうか……そっちには、手を出していないのか」

「なんの話してるの?」

「いや……まあ今は関係ない。後で話すよ」

「そういうの気になるんですけどー。黙ってないでいいから言えよ」

「黙りはしないさ、結局のところ、そこまで話をする必要はあるだろうからね。だって――」

 

 霜のことはどうでもいい。

 けれど実子にも、決して無視できない存在がいる。

 

「――小鈴にも関わることだ」

「…………」

 

 そう言われてしまえば、引き下がれない。

 実子は諦めたように肩を竦める。

 

「そ。やっぱそういう話なんだ」

「あぁ」

「じゃあご足労頂いたけどごめんね? 私が折れるとでも思ってたら大間違い。私はもう、こういう生き方しかできないから。あの子を取り戻す気でいるよ」

「別にいいよ。でも、傲慢で自堕落で、成長も進歩もないお前と違って、ボクは君の在り方の有用性もある程度は認めてもいいと思っている」

「は? なにその煽り腹立つ。自分は相手のことも尊重しますよー、良い子ですよー、なんてアピールとか反吐が出るんですけど」

「まあ聞け。馬鹿にも分かるように話してやるから」

「それは人に話を聞かせる前振りじゃないんだよなぁ。まあ私は人を見下してる君と違って優しいから話を聞いてあげるよ」

「…………」

「…………」

 

 やっぱこいつムカつく、という敵意剥き出しの視線をお互いにぶつけ合う、霜と実子。

 しかしこのやりとりさえも、どこか懐かしい。

 軽口も罵倒も、やけに流暢に出て来る。

 

「まず大前提だ。確認するまでもないことだが……ボクたちは、相容れない」

「あったり前じゃん。ほんとに確認するまでもないね」

「ボクは小鈴には、より良く進歩して欲しいと願っている。弱い部分、脆い部分、儚い部分、甘い部分。そういった諸々は彼女の美点だが、同時に欠点だ。その綻びはいずれ彼女を傷つける……だから、その穴を埋めたい」

「でもそれに救われてる人もいるんだよ? 私がそう。あの子が甘いから、優しいから、私はその蜜を吸って生きられる。依存でも寄生でも、私は私という自我を保っていられるんだ。君だって元々はそうだったはずだよ、水早君」

「……否定はしないさ。どん底だったボクを救い上げたのは、紛れもなく、彼女の弱さへの歩み寄りだ。だから否定はしない。けれどボクの憂慮も同じく、否定はできない。弱さに縋ると必ず腐る。その美点さえも劣化させる」

 

 霜にとって、実子の在り方は許せない。友を喰いものにして、あまつさえ腐らせるような生き方は邪悪そのもの。そんな邪悪も受容するのが小鈴の美点だとしても、その邪悪で穢されて欲しくはない。

 

「ボクは彼女に傷ついて欲しくない。貶めたくはない。美しくあって欲しい。友達だから、当然だ」

「だからってあの子の在り方を歪めようって? そんな友達、嫌じゃない? 君は矛盾してるよ。結局、美点と認めてるものを歪めて壊そうとしている。君のロジックは最初から破綻してるんだよ」

 

 しかしそのように指摘する霜の理論は矛盾だと、実子は反証する。霜は小鈴の在り方を肯定しているようで、ただ自分の理想を押し付けて、歪めようとしているに過ぎないと、糾弾する。

 

「それは……そうだろう。けれど人は変わっていく生き物だ。前に進んで、成長し、進歩する。そうやってより良くなっていくべきだ。努力で弱さは転化できる。性質をただ消すだけではなく、研磨させることだってできるはずだ」

「なっていくべき、とか何様だよ。前も言ったけど、みんなそんな意識高い奴ばっかじゃないから。今のままで満足してる奴の現状を、勝手な理想の押しつけで壊さないで欲しいんですけど」

 

 熱くなる。相手の言葉が深々刺さり、その痛みで怒りが沸く。

 その怒りを言葉に乗せて殴り返す。そんな不毛な応酬だった。

 しかし、そうしてしばらく言葉で殴り合っていると、不意に霜が打ち切った。

 

「……ま、こんなところか」

「なにさ」

「ボクらのスタンスはハッキリしたってことだ」

「は?」

 

 ここまではただの確認作業。そう言うかのように、霜は話題を切り替えた。

 いや、同じことだ。同じことだが、視点を変える。

 

「……ボクは、正直、彼女に憧れのようなものがあった。純粋で、無垢で、澄み渡る青空のような存在。あれほどの善性を、悪意で穢したくはない」

「悪意って、私のこと?」

「まあ君も含む諸々だ」

「ひっど」

「実子、君はどうなんだ?」

「ん?」

「君はなんでそんなに小鈴に執着するんだ?」

 

 その質問に、実子は言葉に詰まる。

 それは香取実子という人物の根幹を成す話。帽子屋には打ち明けたが、小鈴本人さえ知らない過去と結びつく事柄だ。

 軽々と他人に、しかも世界一ムカつく少年に話すのは嫌であるとか以前に不愉快極まりないが。

 彼は多少なりとも己の心の内を打ち明けた。だからといってこちらが同じことをする義理などない。

 ない、が。

 

「……ま、これでも私は寂しがり屋なのさ」

 

 実子は続けた。

 ほんの僅かだが、胸の内を吐露する。

 彼に絆されたわけではない。ただ対等でなければ決着がつかないと思っただけだ。対等でないことで結末を有耶無耶にされるのは、あまり好ましくない。

 相手に借りを作ったりイニシアチブを握られるのは御免だった。それだけだ。

 

「ちょっと話したと思うけど、私、一人暮らしなんだよね」

「あぁ……両親がいないんだったか」

「うん。どっちも仕事で海外にいるからね。それはそれで仕方ないことだし、ちゃんと家族会議で話し合って、みんな納得した上でのこと。けどさ、心ってのはなかなかきかん坊でね」

 

 胸に手を当てる。

 少しだけ痛いような気はする。孤独感。それには、それなりに慣れたはずだが。

 慣れたとしても、辛いことには辛いのだ。

 

「やっぱ……独りってのはキツイんだわ。だから私にはあの子が必要なの。私が私でいるために、孤独という狂気に飲まれないようにするためには、あの子が……!」

「本当は誰でもいいのによく言うね」

「あ? ……それ、地雷だよ? 次言ったらガチで殴るからな女装野郎。毛の処理くらいもうちょっとちゃんとやれ、毛根見えてるよ」

「っ……仕方ないだろ! 今は生活が特殊で……クソッ、こいつに見抜かれているのは癪だ……!」

 

 お互いに地雷を踏み抜く。怒りが募って冷静さを失いそうになる。

 

「……ふん、とにかくだ。やっぱりボクらは相容れない」

「そうだね。だったらどうするよ、ここでまたケリつける?」

「そうだな」

 

 それはただの相槌なのか。それとも肯定なのか。

 曖昧に濁しながら、しかし答えは決まっている。

 

「なぁ、実子」

「なにさ」

「君、小鈴は好き?」

「なにを今更。大好きだよ。じゃなきゃこんなに執着しない」

「だろうな。ボクも、同じだ」

「……? なにが言いたいの?」

「ボクたちは、小鈴が好きなんだよ」

 

 当たり前のことだ。分かりきっていることの再確認でしかない。

 しかし、自分がではない。

 この気持ちは自分だけのものではなく。

 自分たちが、なのだ。

 

「ボクたちは小鈴が、友達が好きだ。だから、こうして醜くいがみ合ってる」

「…………」

「ボクらはお互いに小鈴が好きだ。けれど、その好意の在り方はまるで違う。共存なんてとてもじゃない。相反するどころじゃない。相性最悪で猛反発さ」

 

 善性で歪曲させてしまう霜。

 悪性で縋りつき貶める実子。

 その有様は二律背反だ。

 

「……ま、分かりきったことだよね。知ってる。私らには、仲直りなんて無理。絶対に不可能。断言できる。賭けてもいい」

「同感だ。だから、ボクらがするべきは、仲直りじゃない。仲を直すのではなく、ボクらのバランスを元に戻すのさ」

 

 そもそも仲直りという言葉は、どう足掻いても不適切だ。

 最初から仲良くなんてない。元から違っているのだから、直るものなんてない。

 だからその言葉は正しくない。適切な言葉を選定するのならば、元に戻す――即ち、復元だ。

 今まで自分たちはなにをしてきたのか。どう在ったのか。伊勢小鈴という友人を通じて、どのような関係を構築していたのか。

 それが、すべてだ。

 

「……あぁ。そういうこと」

 

 腑に落ちたように頷く実子。 

 どこか侮蔑が滲んだ、呆れたような、しかしそれでいて愉快そうな、珍奇な動物でも見るような眼差しを霜へと向ける。

 

「君そんな……儀式めいたことするために、走ってここまで来たの? ほんと馬鹿じゃない?」

「お前にはこのくらいしないとわからなさそうだったからな。仕方ない」

「ムカつくなぁ。でも確かに、君から言われなきゃ、ちょっと思い至らないわ、こんなの」

 

 馬鹿馬鹿しすぎてね、と彼女は言う。

 荒唐無稽だが納得できた。

 業腹だが彼の言う通りだ。こればっかりは、なにも否定できない。

 

「やっぱり、結局のところ、ボクらには小鈴が必要だし、彼女のために尽力するんだよ」

「そこはまあ、同意かな」

 

 改めて、霜と実子は向き直る。互いに互いの眼を見据える。

 牙を剥くように見上げる霜。蔑むように見下ろす実子。

 互いに信念は違えども、彼らは対等である。そこに上下も優劣も貴賤もない。

 だからこそ、争える。

 

「私は、寂しかったから。自分の孤独を埋めるために、小鈴ちゃんを守りたい」

「ボクは、憧れたから。彼女の比類ない善性を壊さないために、小鈴を守りたい」

 

 それぞれ、彼女を求める理由は違えども。

 

「私の小鈴ちゃんへの依存が、私のエゴだって言うなら」

「ボクが彼女をより良くしたいと思うのも、ボクのエゴだ」

 

 その在り方が相反しようとも。

 

「つまり、これって」

「そうだ。非常に腹立たしいことだけど」

 

 霜と実子。彼ら彼女らは――

 

 

 

『――(ボク)たちは似たもの同士だ』

 

 

 

 それは、非常に腹立たしいことであったが。

 紛うことなき真理。

 同族嫌悪極まれり。同じだからこそ排斥し合う。とても醜悪な関係だ。

 

「どころか、ボクらはお互い、根本的には同じエゴイストと来た」

「私らで争ってるけど、これそもそも、小鈴ちゃんの問題でもあるもんね」

 

 自分勝手で愚かしい。盲目で馬鹿馬鹿しい。

 二律背反だが、表裏一体。だからこそ相容れない、霜と実子。

 

「ボクらは相反する。君にとって大事なのは、自分に都合のいい伊勢小鈴。そしてボクにとって大事なのは、ボクが理想とする伊勢小鈴だ」

「……ひっでぇや。冷静になるとどっちも歪みに歪んでるね。手前(てめぇ)にとって都合のいい在り様を、あの子に押し付けてるだけだ」

「そう。しかし幸か不幸か、ボクらの理想は正反対だ。君が、彼女の根幹にある、彼女の甘さやぬるさを求めるように」

「水早君は、小鈴ちゃんのまっすぐさ、正しさを大事にしたい、と。変なの、根っこが同じなはずなのに、全然違うや」

「ボクは君のやり方を認められない」

「私は水早君のやり方が気にくわない」

 

 もはや、口にせずとも伝わってしまう。

 自分たちがどうあればいいのか。

 しかし霜は、楔のようにそれを言葉にする。

 それが確固たる証明であるかのように。

 

 

 

「ボクは今後、君の小鈴への干渉を徹底的に邪魔する」

 

 

 

 ――だから

 

 

 

「私に、君の小鈴ちゃんへの干渉を徹底的に邪魔しろ、ってか」

 

 

 

 霜は、深く頷く。

 理想を押し付ければ小鈴は歪む。しかしあるがままでいれば堕落する。

 霜の理想も、実子の甘受も、ただそれだけでは友を害することになる。

 であれば話は単純化できる。

 “お互いにお互いが行き過ぎないようストッパーとなればいい”。

 元より、無意識ではあるが、自分たちはそうして来たのだから。

 そのように、元に戻し、復元すればいいだけだ。

 

「ぷっ」

 

 遂に堪えきれなくなったと言わんばかりに、実子は噴き出した。

 

「あっはははははははっ! なにそれ!? バカじゃないの?」

 

 実子は大きく笑う。嘲笑も称賛も、呆然も痛快もない交ぜにして、ただ笑う。

 

「『ボクは君の邪魔をするから君もボクの邪魔をしろ?』だって? あははははは! マジでバカでしょ! なにをどうしたらそんな結論に辿り着くのさ! 頭おかしいんじゃない?」

「あぁ、我ながら狂った結論だと思う。でも――」

 

 お互いにお互いを邪魔しあって均衡を保つだなんて、ストレスフルで危うすぎる。

 けれど、

 

「――ボクらの日常って、そうだっただろう?」

「なーるほど。そりゃそうだ。一理ある」

 

 今までそうだったのだ。

 それに、この“関係”まで壊すことは、小鈴もきっと望まないから。

 

「私は君のこと大嫌いだし」

「ボクはお前のことが嫌いだ。だけど」

「それって今まで通りなんだよね。ある意味それが、あるべき姿で」

「ボクらの本来の姿だ。仲良くしてる方が気持ち悪い」

「違いないね」

「ボクたちは決して互いを良しとしない。手を取り合えばその手を握り潰すだろうさ」

「だけど手を取り合えないわけじゃない。道は交わってるんだね――小鈴ちゃんを通じてさ」

 

 変わることなんてない。仲直りなんて必要ない。

 ただ今までと同じことを続ける。それを、元に戻すだけでいい。

 それこそが、小鈴が最も望む、あるべき“日常”の形なのだから。

 

「小鈴が大事。小鈴を守りたい。小鈴を取り巻く世界が愛おしい。彼女を通じてなら、ボクらの利害は一致する」

「それが、本来の“あの子の世界”の形であって、あの子の“日常”の一風景。変わるんじゃなくて、元に戻す」

「そう。最初から仲良くなんてないんだ。これは仲直りとは言わない。再契約でさえない。再認識――復元だ」

「いいねそういうの。我慢して嫌な奴に媚びへつらってヘラヘラするのは嫌いだし、ちょうどいいや」

 

 互いに監視し、妨害し、拮抗させる。

 少しでもバランスが崩れれば瓦解するような関係だが。

 お互いに、相手がそんな潔い奴だと思っていない。出し抜こうとも抵抗するし、意地でも足を引っ張ることは目に見えている。

 だからこそ、信用できる。

 こいつなら絶対に自分の暴走を止めるだろうと。

 

「そんじゃあまた殴り合いをしようか、水早君。小鈴ちゃんは渡さないから」

「野蛮人め、一度黙らせないと理解できないと見える。小鈴は穢させないよ」

 

 牙を剥くように笑う実子。侮蔑を込めた眼差しで射貫く霜。

 ――不本意ながら、調子が出て来た。

 許せない、認められない。そんな存在(こいつ)を相手にしている時は、業腹だか気が落ち着く。

 思う存分攻撃してやれる。

 

「…………」

「…………」

 

 が、しかし。

 

「……まあ、とりあえず、真っ先にするべきは」

「小鈴ちゃんに謝らないと、だよね」

 

 今はそれよりも優先すべきことがある。

 大前提として、この醜い諍いは小鈴への好意から来ているのだ。

 その小鈴という楔を失ったからこそ歪んでしまったわけだが、その肝心要の小鈴との関係はまだ修復されていない。

 いや、修復とか以前に、友達として、謝らないといけない。

 

「ボクらの争いの渦中にいるのは間違いなく小鈴だが、それで彼女を傷つけてしまっては本末転倒だ。許してくれるかはともかく、謝罪はキッチリしよう」

「まあそこだけは同意してあげるよ。友達にヤなことしちゃったら流石に私もバツが悪いしね。あの子ならたぶん許してくれるとは思うけどー」

「そういうとこだぞ実子。お前はもう少し謙虚を知れ」

「いやー世間はお上品さだけじゃ生きていけないからなー。私これでも今を生きるのに必死なんで」

 

 と、なにひとつとして相容れないふたりだが。

 ひとまず小鈴に謝ろう、という部分では同調できたのだった。

 

「……喧嘩は後にしよう」

「だね。流石に私も、あの子には悪いって思ってるし、ちゃんと謝ろう。一緒にね」

「あぁ」

 

 それが友としてのケジメであり、礼儀であり、友情だ。

 たとえ赦されないとしても。

 彼女が、小鈴が大事だから。好きだから。

 友のためなら、こんな歪な関係でも――

 

 

 

「まったく――とんだ茶番なのです」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――それは唐突に現れた。

 ふたりの間を引き裂くような、幼くも冷ややかな声。

 霜と実子は、思わず声の方へ振り返る。

 

「あぁ、本当、クッソ茶番なのでしたね。なんですこれ? せっかく不和の種を蒔いて、いい具合に食い合ってくれると思ったのに、とんだ誤算なのですよ。こんなのつまんなすぎて草も生えないのですけど」

「え? ……え?」

「そういう友情の仲直りエンド的なの、寒いのです。今時そんなありきたりな展開は流行らないのですよ。言葉を換えれば捻りが出るとでもお思いで? 言葉遊びで仲直りとかニッチすぎて伝わんないのですよ。なんなんですか、復元って。クソクソのクソなのです。短絡的で浅慮、安直にして陳腐。今の流行りは鬱と退廃とダークビターエンドなのですよ」

「お前……!」

 

 そこにいたのは、青い少女。

 少女はとてもつまらなさそうに、侮蔑と幻滅が籠もった冷徹な眼で、霜と実子ふたりを睨みつけていた。

 

「ほんと、こんなつまらない茶番劇見せられるくらいなら、とっととぶっ殺せば良かったのです。まあお姫さまの手前殺すのはダメなのですけどー、そうしたいくらい、あたしのテンションだだ下がりなのですよ。わかります? 今のあたしの気持ち?」

 

 はぁ、と少女は嘆息する。

 そんな少女に、実子はただただ、困惑していた。

 

「いや、え、ウソ……海原メルちゃん? ……いや、の、コスプレ? 声真似めっちゃ上手いじゃん……」

 

 霜は深く知っているわけではなかったが、実子からすれば、芸能人が目の前に現れたようなものだ。海原メルと名乗っているはずの、電子の海に生きる少女が現実に在る。

 しかしそれは、現実であっても真実ではない。

 実子の言葉に、少女は人が変わったような満面の笑みを張り付け、朗らかに否定する。

 

「そーんなわけないのです。あたしは見ての通り、1/1スケール、等身大の海原メルその人なのですよ!」

「え? ほ、本人? いやでも……」

「……なーんてのも、嘘なのです」

 

 だが、さらに、彼女はそれを否定する。

 

「じゃあやっぱそっくりさん……」

「いえいえ、嘘偽りという意味ではなく、真実ではない。今のあたしは海原メルとしてここにいるわけではないのです」

「……?」

「気をつけろ実子、こいつは……」

「おーっと水早少年。あまり無粋で野暮なことしないでくださいよ。あんまり舐めたことしてると、抑えが利かなくてぶっ殺しちゃうので」

「っ……!」

 

 射貫くような眼光で霜を制する少女。

 少女はコホンと一度咳払いをすると、悪戯っぽく、わざとらしく、仰々しく、その場でくるりと回ってみせる。

 

「海原メルは、世を忍ぶ仮の姿。バーチャルな配信者の実態は、背信者ならぬ狂信者。今のあたし、本当のあたし、海原メルの真の顔は――」

 

 右手で顔を覆い、指の隙間から、可憐な眼を覗かせる。

 しかしその瞳の奥には、氾濫するような狂気が、深く、深く、渦巻いている。

 海原メル。彼女の、真の名は。

 

 

 

「――メルクリウス」

 

 

 

 宙を裂くように冷たく。

 朗らかで溌剌な熱は冷め切って、そこにあるのは脅威、恐怖、狂気。

 

「【死星団】がⅡ等星(ディステラ)、メルクリウス・エノシガイオス――あたしの名前、この際なので名乗ってあげるのですよ」

 

 そう、少女は――メルクリウス・エノシガイオスは、邪悪に彼らを嘲笑する。

 

「メルクリウス……?」

「それがお前の名前か。勿体ぶったわりにはあんまり捻りがないな」

「言ってろなのです。正直マジでテンション下がりすぎて、有象無象のゴミにかかずらってる心の余裕ないのですよねー。多少は演出してないと、ここまでのあたしの用意した舞台まで三流以下になっちゃいそうで、もうやってらんねーのです」

「……なに言ってるの、この子?」

「詳しくは後で言うが、あれは今ボクらに迫ってる脅威そのものだ」

 

 理解不能と言わんばかりに、引き気味の実子が霜を見遣る。

 正直な話、霜にもあまりメルクリウスのことは理解できていないが、彼女が明確な脅威であり敵であることだけは確実だ。

 メルクリウスは塵(ゴミ)を見るような目でふたりを眺めると、また大きく嘆息した。

 

「あーなんでこうなっちゃうのでしょうね。不和のふたりが仲良く同士討ちして、痛快な喜劇になるはずだったのに。ずっと目を付けて観劇してたのが時間の無駄なのですよ」

「……君、ボクらのことをずっと見てたのか?」

「ん? えぇまあ、だいたいは。お二方の喧嘩にちょっかい出したのもあたしですし」

「あー……まさか、あの不自然に出て来た謎空間って」

「あたしなのです! ま、ちょっとしたお手伝いなのですよ。なのに、恩を仇で返された気分なのです。嫌いなら互いに殺し合ってくれって話なのです。はーほんとこいつら意味不明なのです」

「まあ、ボクらの関係が歪んでるのは否定しないけど……それ以前に、君さ、結構馬鹿なんだな」

「は?」

 

 ストレートな罵倒に、メルクリウスも露骨に怒りを露わにする。

 それを見て怯むこともなく、霜は畳みかける。

 

「だってボクらのこと、見てたんだろ? 思考まで読まれてるとは思えないけどさ。その上でこうしてボクらが出逢って同士討ちを狙ってたって……ちょっと、いくらなんでも“わかってなさすぎ”じゃないか?」

「…………」

「人の心がわかってないよ、君。能力はありそうなのに、頭は悪そうだ――」

 

 刹那、霜の足下で爆音が炸裂する。

 土煙が舞い上がり、すぐそこの地面が、大きく抉り取られていた。

 

「あんま調子に乗るんじゃねぇのです。お姫さまの言いつけで殺さないでおいてあげてるだけで、あなた方みたいな惰弱な生き物、(HP)(SAN)も一瞬で直葬させられるのですよ?」

「……っ」

「あーあー、やる気なくしたし帰ろうと思ったのですけど、あなたが挑発するから、もう見逃せなくなっちゃったのです。殺さないので、手足と首と胴体だけ千切って繋げて素材にされるくらいは覚悟して欲しいのです」

「はは……煽り耐性もゼロとは恐れ入るね。そのへんは実子の方がマシそうだ」

「そこで私を引き合いに出さないで欲しいんですけどー」

「言ってろなのです三流大根役者。すぐ口聞けない身体にして差し上げるので」

 

 またもメルクリウスは、大きく嘆息する。嘆き、怒り、呆れ、あらゆる感情を吐き出すように、大きく溜息をつく。

 

「まったくもう、自分で手を下すとか、脳筋リオくんみたいで気が進まないのですけどね。でもま、あたし自身もたまには舞台に立つも一興というものでしょう」

 

 少しは自分の力も示さないとですからね、と。

 メルクリウスは己に言い聞かせるように、彼らを睥睨する。

 

「【死星団】で誰が頂点かってのを教えてやるのです。そりゃあ、あたしはⅡ等星なのですけどね。でも、あたしは二番目なんて序列に甘えるつもりはないのですよ。リズちゃんも、リオくんも、ディジーさんも、あたしの踏み台。あたしは、一番目のミーナさんよりも――“強くなれる”」

 

 ぐじゅぐじゅと。

 彼女の手の中で、黒いなにかが蠢いている。

 

「完全無欠最強無敵。天上天下唯我独尊。才色兼備天衣無縫。綻びなく、非の打ち所がなく、最強にして最優にして最高の存在に“なれる”あたしの、本当の力をお見せするのです」

 

 それは形を変え、空気を侵し、世界を覆い、塗り替えていく。

 

「あたし主演の公演とか、競争率断トツで割高なのですよ? あなた方程度じゃ払いきれない価値なのですが、今回は特別席をご用意して差し上げるのです。あぁ、お代は結構。見てのお帰りなんてぬるい話ではなく、身体で払って貰うので!」

 

 

 

 ――ぐにゃり

 世界が、変わる。

 歪曲し。

 暗転し。

 覚醒する。

 

 

 

「異聞神話空間展開――どうぞいらっしゃいまし、あたしの劇場(アトリエ)へ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ここは」

 

 そこは、なんとも摩訶不思議な世界だった。

 そこは氷河のようで、自分たちは氷の上に立っているが、四方は見渡す限りの水面。

 しかし滝が流れ落ちている。その滝はどこから来ているのか――河などはない。

 そう、それは、宙から落ちる水流。遙か彼方、昏き星々の輝く天上より滴る涙だ。

 天幕の如く、漆黒の宙にはオーロラがたなびき、神秘的な様相を醸し出している。

 

 

 

「ここは『空想錬金工房 愚者の海(ストゥルトゥス・マレ)』」

 

 この世界の主、メルクリウスは、どこか楽しげに、意気揚々と、語り出す。

 

「あたしの知識の保管庫。あたしの経験の舞台裏。あらゆる知識を喰らい、具現化した、あたしの理想の王国……あなた方に干渉した時は蓄積された知識量が不十分だったのでいまいちな出来でしたが、今回はいい感じに模様替えできたのですよ? 綺麗でしょう? あたしの国は?」

 

 確かに景色だけなら、美麗かもしれない。幻想的で、神秘的だ。

 しかしここにはなにもない。冷たく寒い宙だけがある世界。

 残酷で、過酷で、虚無だ。

 なによりここには、天上より落ちてきそうなほどの狂気が、恐怖が渦巻いている。

 1秒だってここにいたくはない。霜も実子も、直感的にそう感じていた。

 

「……手は出さないとか言ってたわりには、こうなるんだな」

「前言撤回とかマジでダサいので、あたしだってこんなことしたくないのです。でも仕方ないのですよ。あなた方が思い通りに自滅してくれないから。もうほんと、そんな歪んだ友情とかクソクソのクソなので、やめて欲しいのです。どうせあなた方なんてゴミクズ同然なんですから、クズはクズらしく味方同士で醜く争って無様に死ねばいいのです。同士討ちなら多少はドラマティックになって面白かったのに……仕方ないからあたしが特別公演して盛り上げてやってるってのを分かって欲しいのです。むしろ感謝して欲しいのですね」

「えー……メルちゃんキャラ変わりすぎっしょ……こんな口悪かったの? ファンやめるわー……」

「あぁ、やめておけ。こいつはろくでもない」

「というか私、なんか水早君のいざこざに巻き込まれた感があるんだけど」

「……まあ確かに厄ネタを持ち込んだのはボクってことになるのか」

「あーやっぱり! まったくとんだ迷惑だ。もう今すぐさっきの話ナシにして絶交したくなってきた!」

「元から不仲なんだから絶交もなにもないだろ。それに恐らく、遅かれ早かれだ。いずれこいつは君にも向かっていたぞ。ともすれば――」

 

 きっと、奴は。

 

「――小鈴にも毒牙を掛けかねない」

「そうかー。じゃ、見過ごせないね」

 

 迷いも逡巡も葛藤もなく。

 刹那のうちに決する切り替えの速さ。こういうところだけは、信用できるのだが。

 実子はそれならばと自身のポケットに手を伸ばすが、

 

「……やっべ。私、デッキ忘れた」

「おい」

「仕方なくない? 正直こんな展開になるとは思わなかったんだしさ!」

「ボクと殴り合うことは想定してなかったのか?」

「そん時は……物理で殴り合おう」

「野蛮人め。ゴリラというより君は猿だな」

「なにその微妙に君らしくないたとえ……」

「もういいさ、ここはボクがやる。あれは今ボクらに迫ってる脅威そのもの。倒せるかは正直不安だが……とにかくこの場を凌ぐぞ!」

 

 メルクリウスに相対するは霜。

 暗く凍てつく世界にて、凶の星が輝けり。

 

「倒すとか凌ぐとか、随分と楽観的なのですね」

「なんだと?」

「あなた方はあたしが配置した演者(キャスト)。そしてこの舞台はあたしが用意した遊戯盤(ゲーム)。こんなものはただの遊びなのです。あなた方では戦いにすらならないのですよ」

 

 星々を背に、邪悪に微笑むメルクリウス。

 その姿は希望を摘み取る氷樹のようで。

 小さな矮躯は、恐ろしいほど大きく見えた。

 

 

 

「さぁ、この物語(終末)に祝福あれ。舞台の幕開けなのです――!」




 ――仲が悪いからこそ、築ける関係がそこにある。


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51話「復元しよう ⅩⅡ」

 遂に本気を出したメルちゃんことメルクリウス。
 天真爛漫な皮は剥がれ落ち、幼い身に邪悪と狂気が満ち満ちる。


 霜とメルクリウスの対戦。

 霜は2ターン目に《珊瑚妖精キユリ》を召喚。一方でメルクリウスは、いまだ動きがないが、

 

「あたしのターン! 2マナで呪文《選伐!美孔麗MAX》なのです! 山札から2枚見て、片方をボトムに。そしてドローなのです」

「……3ターン目に2マナの手札調整か。これは、事故ってるな」

 

 2ターン目に動かず、3ターン目に2マナのカードで、やることが手札も盤面も増えないただの調整。

 およそスムーズな動きとは言えず、手札事故を起こしているように感じる。

 

「大仰な口上のわりには拍子抜けだな。そっちが鈍いなら、先んじさせて貰おう。《キユリ》の能力で、各ターン最初に召喚するクリーチャーのコストは1軽減される。3マナで《怒流牙 佐助の超人》を召喚だ! 1枚ドローし、1枚捨てて、そのまま墓地に落ちた《ドンドン水撒く(シャワー)ナウ》をマナに戻す。ターンエンド」

 

 

 

ターン3

 

 

メルクリウス

場:なし

盾:5

マナ:3

手札:4

墓地:1

山札:27

 

 

場:《キユリ》《佐助の超人》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:0

山札:26

 

 

 

「あたしのターン! お、いいカード引いたのです。4マナで《奇天烈 シャッフ》を召喚なのです!」

「《シャッフ》か……」

「指定する数字はぁー、うーん、あなたのマナは次で5マナ。なら5を選ぶのです!」

 

 《シャッフ》は、登場時と攻撃時、指定したコストのクリーチャーの攻撃や呪文を止められる。即効性があるだけでなく、継続的に相手の動きを縛ることができる。

 確かに強力なクリーチャーだが、その能力が活用されるかどうかは、相手と、状況にも左右される。

 

(安直な数字選択。特に刺さるわけでもない状況。強力なカードでも、使い方が悪ければ痛くも痒くもない)

 

 場合によってはコスト5の呪文を止められるのは厳しかったかもしれないが、今の霜の場には《キユリ》がいる。

 呪文よりも、クリーチャーで攻めていく場面。《シャッフ》のことなど気にならない。

 

「ボクのターン。《キユリ》でコスト軽減し、5マナで《龍覇 メタルアベンジャー》を召喚! 超次元ゾーンから《龍波動空母 エビデゴラス》をバトルゾーンへ!」

 

 淀みない動き。理想的な流れでクリーチャーを展開し、もう《エビデゴラス》まで辿り着けた。

 

(しかし《M・A・S》の方が引けてれば、《シャッフ》を戻せたが……いや、それも一長一短か。今は、この引きで良かったと言える状況に持ち込むべきだ)

 

 《メタルアベンジャー》には、呪文に対する耐性(アンタッチャブル)がある。《キユリ》もカードタイプに縛られず目標に選ばれない。

 クリーチャーも3体も展開できているため、ここは押して行き早期決着を目指したいところだ。

 

「ターンエンド」

 

 

 

ターン4

 

 

メルクリウス

場:《シャッフ》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

場:《キユリ》《佐助の超人》《メタルアベンジャー》《エビデゴラス》

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:0

山札:25

 

 

 

「あたしのターン! 4マナで《結晶龍 プロタゴニスト》を召喚!」

 

 宙の彼方から、水晶で覆われた龍が飛来する。

 しかしそれは霜が操るような論理と計算で構成されたものではなく、美麗であるか、という一点を追求した、おぞましくも美しき結晶龍。

 鳳の如き翼をはためかせ、自我と狂気に満ちた燃えるような眼を煌めかせ、それは氷河の上に降り立った。

 

「それでは《シャッフ》で攻撃なのです! 選ぶ数字は5!」

「ここで攻撃だって? しかも指定が5……? ……《佐助の超人》をニンジャ・ストライクで召喚。ドローして墓地の《クロック》をマナへ……攻撃は通す」

 

 その奇妙な攻撃に、霜は念のために保険を掛ける。

 そして1枚、霜のシールドが打ち砕かれた。

 

(トリガー……でも《ドンドン水撒くナウ》、コスト5だから使えない。まさかこれを見越して?)

 

 いや、まさかそんなはずはない。こちらのシールドの内容を読んでいるなんて、そんなことはあり得るはずがない。

 偶然だ。しかし彼女が、どのクリーチャーにも引っかからないコスト5を指定して《シャッフ》で攻撃した意味とは――?

 

「……ボクのターン。《エビデゴラス》で追加ドローする」

 

 不気味だ。陽気に笑っている姿はただ邪悪なだけではなく、底の知れない不安を煽る。

 ジリジリと肌を刺すように迫り来る狂気。しかし今は、それに飲まれてはいけない。

 必死で恐怖も狂気も振り払う。ただの凡人でも、凡人なりに足掻き、神の如き化生へと立ち向かう。

 

「《キユリ》でコスト軽減、し6マナをタップ! 《佐助の超人》を進化!」

 

 最速で、最高効率で、結実した理想の流れ。

 悪しき眷属に立ち向かうための力を。

 凡夫の知恵と勇気で絞り出す。

 

 

 

「邪悪を閉ざせ! 《革命龍程式 プラズマ》!」

 

 

 

 水晶が浮上し、崩壊し、破裂し、飛散する。

 透き通るような、異物のない純粋な水晶を纏う、叛逆の龍。

 それは脅威に抗うレジスタンスの力。

 ここまで、この身に代わって置いてきた仲間たちの希望も込めて。

 霜は、引く。

 

「《プラズマ》の能力発動! 山札から4枚ドローする! そして、これでターン中にカードを5枚以上引いたから、《エビデゴラス》が龍解する! 《最終龍理 Q.E.D.+》!」

 

 一度手はずが整えば、後は連鎖的に、すべてが繋がっていく。

 きっかけは《プラズマ》が作る。それを契機に《Q.E.D.+》が起動する。そして引き込んだ大量の手札に、《ミラダンテ》が――

 

(……やられた)

 

 ――ある。あるが、しかし。

 霜はここで、ようやくメルクリウスの意図を理解することになる。

 少し、気付くのが遅かった。考えることでしか脅威に立ち向かえないのが凡人だというのに、その武器は、鈍っていた。

 

(手札に《ミラダンテ》も《ジャミング・チャフ》も揃った……が、止められてる。《ファイナル・ストップ》から変えてしまったからな……)

 

 霜の必殺パターン。《プラズマ》を呼び出し、《Q.E.D.+》を龍解させ、大量に引き込んだ手札から《ミラダンテⅩⅡ》と《ジャミング・チャフ》を放ち、あらゆる防御手段、反撃手段を封殺して押し切る。

 盤面にはクリーチャーも多い。一気呵成と攻め込み、攻め落とすだけの戦力は揃っている。

 しかし、相手に先んじられていた。

 

「くふふ」

 

 メルクリウスは、邪悪に微笑む。

 前のターンの《ジャッフ》の攻撃が、ここで効いてくる。

 《シャッフ》が指定した数字は5。その数字は、今の霜のクリーチャーには関係ないが、コスト5の呪文が止められているということは、《ジャミング・チャフ》が撃てないということ。

 それはつまり、霜の必殺の動きに、綻びが生まれた、ということだ。

 

(どうする? 打点は足りてるし、こっちには選ばれない《キユリ》と《メタルアベンジャー》がいる。呪文が止められなくても、押し切れそうには見えるが……)

 

 チラリと、盤面を見る。

 幸いにも今の霜の場には、耐性持ち(アンタッチャブル)が多い。仮に呪文を撃たれても、通じない可能性は十分ある。

 しかしあの場面でわざわざ5を選択して《ジャミング・チャフ》を止めたのだ。それはつまり、この打点を防ぐだけの呪文のトリガーが搭載されている……と、考えられる。

 メルクリウスがそこまで考えて5を宣言していれば、の話だが。

 

「あれれー? お兄さん、ひょっとしてビビってるのです?」

 

 彼女に視線を向けるとなにか察したのか、メルクリウスは愉快そうに笑っている。

 

「相手を雁字搦めにしないと、こーんなちっちゃな女の子ひとり襲えないようなクソ雑魚なのです?」

 

 安い挑発だ。暗に殴ってこいと誘導しているつもりだろうか。

 

(見えてるトリガーは……墓地に《美孔麗MAX》、マナに《バンビシカット》、G・ストライクが《Re・ライフ》と《とこしえ》……)

 

 防御札はほとんど呪文で、対象を取るカード。《メタルアベンジャー》や《キユリ》ならほぼ遮断できそうに見える。

 無論、まだ見えていない防御札が隠れている可能性も高いが、メルクリウスは山札からサーチなどは行っていない。彼女にも、自分のシールドの中身はわからないはず。

 それなら、なにが合理的で、勝率が高いか。

 退くか攻めるか、逡巡し。

 答えを、導き出す。

 

「……《プラズマ》でプレイヤーを攻撃」

 

 その答えは――攻め。

 これだけ攻めるための盤面が揃っているのなら、その好機を逃す手はない。

 相手はまだろくに動けていない状態なのだ。本格的に力を発揮する前に、攻め落とす。

 

「革命チェンジ!」

 

 攻撃中の《プラズマ》は水晶に覆われる。

 迫り上がった大氷山の中に封じ込まれ、そして、

 

 

 

「あの邪悪を征する。来い――《時の法皇 ミラダンテⅩⅡ》!」

 

 

 

 氷山を突き破り、時を超えて、それは顕現した。

 負も悪も邪も律し、理想の未来を辿る標。

 不完全ではあれども、その力は、頼もしい。

 

「能力発動だ。呪文は唱え……ない。1枚ドローするだけだが、こっちは発動する。ファイナル革命!」

 

 《ミラダンテ》の時計盤が輝きを放つ。時は定められ、その流れはすべて《ミラダンテ》が掌握する。

 

「おっと……!」

 

 グンッ、と。

 メルクリウスに重圧が掛かった。

 

「君は次のターンが終わるまで、コスト7以下のクリーチャーを召喚できない!」

 

 クリーチャーの召喚制限。呪文こそ止められなかったが、これだけでも強力無比だ。

 そしてそのまま、綺羅星の如く《ミラダンテ》は突貫する。

 

「《ミラダンテⅩⅡ》でTブレイク!」

「くふふっ、残念なのですね。ほら、S・トリガーなのですよ!」

 

 砕け散ったシールドの破片。

 その中にS・トリガーはない。そう、S・トリガーは。

 メルクリウスは、散っていくシールドの中から1枚を、スッと手に取る。

 

「《「我が力、しかと見よ!」》! パワー12000以下の《Q.E.D.+》を破壊なのです! さらにガチンコ・ジャッジ!」

 

 霜が捲ったのは、コスト2の《珊瑚妖精キユリ》。

 メルクリウスが捲ったのも、コスト2の《選伐!美孔麗MAX》。

 同コストのため、メルクリウスが勝利し、彼女は1枚ドローする。

 これで、とどめを刺すまでの打点は削られてしまった。

 しかしそれは想定内。次善の策は、既に織り込み済みだ。

 

「《メタルアベンジャー》で《シャッフ》を攻撃!」

「おぉう、ノータイムで相打ちなのです。思い切りがいいのですね」

 

 このターンで決めきれなくても、《ミラダンテⅩⅡ》でクリーチャーの召喚はほとんど遮断している。

 一撃で仕留められないなら、相手の反撃を封殺し、次のターンで攻めきるまで。霜はそう考えていた。

 

(《プラズマ》のお陰で手札は十分。次のターンにも《ジャミング・チャフ》は撃てる)

 

 手札が多ければ、そのぶん防御札も多く抱えられる。攻めも守りも充足している。

 している……が。

 

 

 

ターン5

 

 

メルクリウス

場:《プロタゴニスト》

盾:2

マナ:5

手札:5

墓地:3

山札:24

 

 

場:《キユリ》《メタルアベンジャー》《ミラダンテⅩⅡ》《Q.E.D.+》

盾:5

マナ:7

手札:8

墓地:1

山札:16

 

 

 

 霜は少しばかり、メルクリウスを侮っていた。

 確かに脅威ではあると認識していた。しかし少女の姿。怒りっぽく子供っぽい性格。どこか人間くさいような挙動。妙に人心を理解できていない欠陥。

 そんな節々から、メルクリウス・エノシガイオスという存在を舐めていた。

 しかし彼女は【死星団】にて2番目に生まれたⅡ等星。ミネルヴァに続く序列2位。

 今はまだ発展途上の幼生でも、外宇宙の神秘と狂気を孕んだ闇の眷属であることに違いはない。

 それを、彼は理解していなかった。

 否。

 理解、できなかった。

 無理もない。

 それはただの人が認知できるようなものではないのだから。

 

「あたしのターン! まずは《プロタゴニスト》の能力発動!」

 

 《プロタゴニスト》が咆哮する。結晶が仄かに赤く輝き、熱を、帯びている。

 メルクリウスは自身の手札をすべて、宙に放る。

 

「あたしの手札をすべて山札の下に戻すのです。そしてそれと同じ枚数だけ引いて、ターン開始時のドローなのです!」

 

 放られた手札は宙の彼方へと吸い込まれていき、代わりに新たな手札が充填される。

 そして――

 

 

 

「――ビビッドロー!」

 

 

 

 バチバチバチッ!

 

 

 

 手にしたカードが、赤く稲光るように、青く凍てつくように、弾け、爆ぜ、炸裂する。

 

「っ! ビビッドローか……!」

 

 ドロー時に公開することで、コストを軽減して使うことのできるカードたち。主にクリーチャーを早出しすることで速攻を仕掛けていくための力。

 タイミングの関係上、発動は不安定だが、それを《プロタゴニスト》の能力で、多くの手札を入れ替えることで強引に為し得た。しかし、

 

「《ミラダンテⅩⅡ》のファイナル革命で、コスト7以下は召喚できない。ビビッドローはコストを軽減するだけで、あくまでも召喚によって登場する能力だ。お前の好きにはさせない」

「あらら、残念なのです」

 

 しょんぼり、と表情を作り。

 嘲笑うかのように、肩を竦めるメルクリウス。

 彼女は邪悪な眼差しで、霜を射貫く。

 

「まさかそんなゆるーいロックがあたしに通じるとでも?」

「なに……っ?」

「召喚を止めたくらいでいい気になるんじゃねーのですよ。止めるなら徹底的に呪文も止めないと。ま、もっとも、その“止めるための呪文”は、あたしが先に止めたのですけど。先見の明ってやつなのです」

 

 そう。

 ビビッドローはなにもクリーチャーを早出しするためだけの能力じゃない。クリーチャー以外のビビッドローも、存在する。

 そしてメルクリウスの行動の真の意味はここにある。

 《ジャミング・チャフ》を止めたのは防御のためではない。ロックを破り、攻撃を凌ぐための手段ではなく。

 

「《プロタゴニスト》の能力で、あたしのビビッドローで使うカードのコストは2軽減、2マナで呪文――」

 

 霜を、蹂躙するための一手だ。

 

 

 

「――《「祝え!この物語の終幕を!」》」

 

 

 

 また、爆ぜる。

 暗闇の宙に、熱気が、冷気が、火が、水が、迸り、炸裂する。

 

「呪文の効果で1枚ドローして、手札から水か火のコスト7以下のクリーチャーを、スピードアタッカーをつけてバトルゾーンに出すのです。これは召喚じゃないから、《ミラダンテⅩⅡ》では止められないのですね」

「くっ、《ジャミング・チャフ》が撃てていれば……!」

 

 いや、相手はこれを見越して、あのタイミングで《シャッフ》は攻撃したのだ。

 きっとそれだけではない。《プロタゴニスト》の存在から、攻撃して手札を与えてしまったのも、裏目になった。

 盤面を見れば攻撃したくなるような状況。ロックを破りつつも、攻撃は誘う。

 すべてはここで、霜を叩き伏せるための布石。

 筋書きはすべて、彼女が握っていた。

 

「そのターンしかものを考えられない奴はド三流なのですよ。呪文の効果で出すのは《龍素記号Sr スペルサイクリカ》! 《スペルサイクリカ》の能力で、墓地に落ちた《「祝え!この物語の終幕を!」》を回収し、もう一度唱えるのです!」

 

 

 

バチバチバチッ!

 

 

 

 火と水が混ざり合い、プラズマとなり弾け飛ぶ。

 メルクリウスは、その激しく弾ける力の奔流を、握り潰す。

 

「本日は月並みなタイミングでのご登場なのですね。サプライズも大事ですが、しかし時としてお約束も悪くないアクセント。初日は普遍的に、幕引きのお時間なのです」

 

 メルクリウスはその1枚を天高く掲げ、宙の彼方へと――放った。

 

「異次元の色彩はラジカルに。宇宙からの色はサイケデリックに。遙かなる極彩色はオブザーバーのイマジネーションを現実に降ろす。それは異世界にして遥かなる彼方。更なる悠久を求めたる外宇宙、天涯から来たる狂気の色!」

 

 暗闇の宙に、色が滲む。

 赤く、青く、黄色く、紫、緑、白み灰色がかって黒く染まる。

 

「好きな色に染めるのです! 思いつく限りの混濁で塗り潰せ! あらゆる色を掛け合わせた無秩序が、暗闇に帳を降ろす!」

 

 オーロラが極彩色に陵辱される。宙の暗幕は宇宙からの色に蹂躙される。

 混沌という色が具現化し。

 自我というエゴが形を成し。

 あらゆる光を飲み込んで、あらゆる羨望を吸い上げて。

 あらゆる狂気を、吐き出した。

 

「さぁ、降ろした幕を再び上げるのです! この舞台はあなたのためだけに! あなたの降臨のためだけの世界であれ! この一瞬、この刹那、この瞬間だけのために、この世界は彩られる!」

 

 長い口上も終わりの時。

 たった僅かな時のために、万物を犠牲にして、彼女は君臨する。

 瞬きの悦楽のため。閃きの快楽のため。燦めきの道楽のため。

 それは艶やかなオーロラ、煌びやかな流星の如く。

 そうあったものは、邪神の手により、狂気に歪む。

 

「艶やかな星々が降り注ぎ、極彩色の幕が天へと上がる!」

 

 

 

 開演。

 

 

 

宇宙(ソラ)の彼方より来たれ――《メテヲシャワァ・ヲヲロラシアタァ》!」

 

 

 

 絢爛豪華な幕開けと共に現れた、大舞台の主()

 一目それを目にしただけで、全身が震え上がり、怖気が走り、狂気も恐怖もなにもかもが迫り上がる。

 

「ぅお、ぇぁ……っ!」

 

 思わず嘔吐く。まともに見ていられない。

 ある意味、それは神々しい。邪悪なほどに、神々しく、忌々しい。

 その不快極まる輝きに、眼が焼けそうだった。

 それは人には過ぎた美麗。人間の価値観では測れない絢爛。

 エキセントリックでサイケデリックな、貌。ただそれだけの、自己顕示欲の塊。

 毒蛇がのたうち、舌が這いずり、煌びやかな装飾が舞い踊る。

 あまりにも冒涜的で、邪悪な双眸。一目見るだけで、気が狂いそうなほどだった。

 

「かは……っ! な、なんだ、これ……!?」

「それはもう、メルちゃんとっておきの最終兵器、とでも言うのですかね? 彼女の姿が見られるだけ幸せ者なのですよ、あなた」

 

 メルクリウスは、その巨大な顔を愛おしそうに見上げる。

 

「《メテヲシャワァ・ヲヲロラシアタァ》がバトルゾーンに出たことで、3枚ドロー――」

 

 吐き出された新たな知識。より面白く、楽しく、残虐で凄惨にするための筋書き(思いつき)が、彼女の手に渡る。

 

「――さぁさぁさぁ! やって参りましたよビビッドロー! 《プロタゴニスト》でコストを軽減、2マナで呪文! 《「祝え!この物語の終幕を!」》!」

 

 《メテヲシャワァ》が求めたのは、追加の役者。自分を引き立てるための役割を要求する。

 

「1枚ドローして、まずは《スペルサイクリカ》でワンクッション! 墓地の《「祝え!この物語の終幕を!」》を回収して再詠唱! 1枚ドローして、《傾国美女 ファムファタァル》をバトルゾーンへ!」

(嘘だろ……《ミラダンテⅩⅡ》のロックを貫通して、ここまで展開するのか……!?)

 

 いや、違う。彼女は“そうなるよう”に、自分の望む展開にするために、場を支配していたというだけだ。

 《ジャミング・チャフ》を止められた。その時点で、この場面は決定づけられたことなのだ。

 

「《ファムファタァル》の能力で、あたしのクリーチャーはすべてパワーが6000上昇! さらにパワード・ブレイカーとなるのです! さらに残った2マナで《二刀流・Re:トレーニング》! 対象は《メテヲシャワァ・ヲヲロラシアタァ》!」

「これは……!」

 

 一瞬でフィニッシャーサイズのクリーチャーが4体に増えた。

 いや、しかし、まだ耐えられる。

 霜のデッキは、一度《プラズマ》まで繋げれば、大量に増えた手札を防御にも転用できる。

 ――そう、まだ耐えられるはずだ。ボクの手札には――

 

「シノビがあるから大丈夫、なのです?」

「!」

「浅はかにもほどがあって、あまりにも愚かなのですね。頭悪すぎて草生えるのです」

 

 霜は手札に大量のシノビを抱えていた。S・トリガーはやや薄めだが、その分、手札に確保したコンバットトリックで確実に凌ぐ算段だ。

 《プラズマ》が出てからが本領。盾に祈るより、引き込んだ手札に価値を見出した構築。より確実に、堅実に、攻防一体の構えを取る。

 はず、だったのだ。

 

「そんなの許すわけないでしょド三下。あなたはやられ役、あたしが華麗に可憐に輝くために惨めに散ればいいのです。それを教えてあげるのですよ」

 

 今この瞬間、舞台は最高潮。

 最高に《メテヲシャワァ》が燦めき、輝き、賛美される場。

 誰も彼もが主演の活躍を望んで(まされて)いる。

 背信者は焼き払い、狂信者には忘れられない時間をもたらす。

 脳裏にこびり付き、決して消えることのない不定の狂気を、流星の如く撒き散らす。

 

「ではではどうぞご覧くださいませ。《メテヲシャワァ・ヲヲロラシアタァ》で、シールドを攻撃なのです!」

 

 宙に浮かぶ《メテヲシャワァ》は、ギョロリとした眼で霜を睥睨する。

 それだけで息が詰まる。気が狂って、恐怖に竦んで、この場からいなくなりたいと希うような怖気が迫り上がってくる。

 けれど、まだ、まだだ。

 霜を奮い立たせる微かな理性。友への義理と、情。そしてなにより自分自身への責務。

 それが彼を駆り立たせ、狂気を打ち払う力となる。

 

「させるか! ニンジャ・ストライク! 《怒流牙 佐助の超人》――」

 

 ――身体が、動かない。

 恐怖か、狂気か? 否、もっと悍ましい、理解できないような、なにかだ。

 理不尽で、不条理で、未知数で、不可解な、この世ならざる力が、霜を、縛り付けている。

 

「そんな低レベルなもの、許さないって言ったと思うのですけど。あたしの話、通じてるのです?」

 

 不可思議な力の奔流に縛り付けられ、霜は手札を切れない。そんな霜に、メルクリウスは小馬鹿にするように笑う。

 

「《メテヲシャワァ・ヲヲロラシアタァ》の能力なのですよ。《メテヲシャワァ》の攻撃中、あなたはあたしの手札の枚数以下のクリーチャーを出せないのです」

「っ、君の手札は……」

 

 バッ、と。

 メルクリウスは扇のように、自身の手札を広げて見せつける。

 

「あたしの手札はなんと7枚もあるのです! コスト7以下のクリーチャーは全部遮断なのですよ。あなたみたいな半端なロックと違って、召喚だろうとなかろうと、全部ストップなのですよ」

 

 コスト7以下まで封殺。つまり、《ハヤブサマル》も《佐助の超人》も《サイゾウミスト》も《バジリスク》も使えない。

 手札に溜め込んだ大量の防御札は、1枚たりとも出演を許可されなかった。

 

「今この舞台はあたしのもの。あたし以外に登壇する権利はないのですよ。端役はすっこんでろなのです」

 

 《メテヲシャワァ》の奇怪なる威光が舞台を、世界を支配する。彼女らの許可なく舞台に上がることは許されない。

 それがこの王国における設定(ルール)

 凡愚でしかない霜は、その支配に対抗する術も、力もない。ただの惰弱な人として、神の如き偉容に飲まれるのみ。

 燃え上がる《メテヲシャワァ・ヲヲロラシアタァ》。遥か彼方の宙で漂う彼女は、霜を凝視し、見据えて、狙いを定め――

 

 ――降下する。

 

「っ……!」

 

 空気が爆ぜる音。加速度的に増す重圧。さらに燃え上がる炎。渦巻く乱気流。弾ける雷撃。

 なにもかもを生み出しては飲み込む混沌の渦を身に纏い、それはひとつの弾丸――否、そんな生易しいものではない。

 メテオシャワー――それは一筋の流星の如く。星ひとつを粉砕しかねない、隕石のように、それは星となって地上へ舞い降りる。

 その速度は秒速1000Km、2000km、3000km……まだ加速する。

 温度は摂氏10000℃、20000℃、30000℃……より熱される。

 あらゆる生命を焼き払い、滅ぼす終末の一撃。

 ただの少年少女を討ち倒すためだけに放たれた、外宇宙からの脅威は、今。

 彼の元へ、舞い降りる――

 

 

 

「――着弾!」

 

 

 

 ――――

 

 爆音。明滅。

 

 その瞬間、世界のなにもかもを知覚することはできなかった。

 閃光によって白んだ世界はなにも見えず、あまりの炸裂音に耳は機能を失った。

 自分の身がどうなったのかすらも認知できない。

 ただ漠然と、意識だけがある。

 思考は吹き飛んだが、生きている、ということだけは感じられる。

 そんな死にも等しい、あるいは死を予感させるような、虚無の時間が過ぎ去って。

 水早霜は――死に体であった。

 

「くっ……はぁ、は……っ!」

 

 あまりの衝撃で吹っ飛んだ感覚が、少しずつ戻ってくる。ひとまず理解できたことは、ひとつ。

 《シャッフ》で攻撃されて、ちょうど残った4枚。

 そのすべてが、一瞬で粉砕されたということだ。

 そして思考が戻って、もうひとつ。

 

(……ここまで読んでいたのか。完全に、踊らされてたな)

 

 《シャッフ》の攻撃がすべてを決定づけていた。あれは呪文を封じるだけでなく、霜の残りシールド枚数も調節していたのだ。

 ピッタリ4枚を、纏めて打ち砕けるように。

 

「だけど、ボクだって、こんなところで……!」

 

 ここまでの道程は、自分ひとりだけのものではない。

 アギリに狭霧、ユニコーン、帰りを待つ木馬バエと燃えぶどうトンボ――そして眠りネズミ。

 皆から託された希望を背負っている。とても微かで小さな希望だとしても、それは、なによりも重い。

 それにこの道の先には、小鈴がいる。

 果たさなくてはならない義理があり、責任があり、友情がある。

 だから――

 

「――負けられないんだよっ!」

 

 すべてを吐き出す。気力も熱意も理性も衝動も、なにもかもを酷使して。

 水早霜は、外なる狂気に、抗い続ける。

 

「S・トリガー! 《Dの牢閣 メメント守神宮》を展開!」

 

 『空想錬金工房 愚者の海』に拮抗する、新たな世界が上塗りされる。

 警句を刻んだ社が、幻想の舞台に抗う。死を超越した存在に、聖なる言辞を言祝ぐ。

 まだメルクリウスの支配には屈しない。狂気にも飲まれない。

 まだ、戦える。

 

「これでボクのクリーチャーはすべてブロッカーだ……!」

「ふぅん。強いトリガーなのですけど、それ、無意味なのですよ。もうあたしの勝ち確なのです。ぶいっ」

 

 メルクリウスは悪戯っぽく、指を二本突き立てる。

 そしてその指を、ひとつずつ折っていく。

 

「ひとつ。《メテヲシャワァ・ヲヲロラシアタァ》はブロックされないのです。当然なのですが、塵芥(ゴミクズ)以下の端役が、主演の攻撃(演技)を妨げようだなんて、身の程を知れという話なのです。そんな愚かな大逆、シナリオにはないので許可できないのです」

「だけどそれはそのクリーチャーのみ……自分良かれと思うばかり、周りを抑え込むことしかできず、連携も協力もできないだなんて、それこそ愚かだ」

「……なのですか」

 

 メルクリウスは静かに目を閉じて、残った人差し指を、ゆっくりと霜へと向ける。

 

「じゃあお前、もう失せるのです」

 

 その眼が開かれた時、彼女の瞳は、殺意という狂気に満ち溢れていた。

 そしてメルクリウスは、ふたつめの指を折る。

 刹那――

 

 

 

 ――背後から、爆撃された。

 

 

 

「あ――が――ッ!?」

 

 

 

 いや、違う。爆撃などと、生易しい威力ではない。

 なにが起こったのか知覚できないような衝撃。流星のような、比類ない破壊力の権化。

 これは――

 

 

 

「ふたつ――《メテヲシャワァ・ヲヲロラシアタァ》は、《二刀流・Re:トレーニング》の効果でこのターン2回攻撃できるのです」

 

 

 いつの間にか、追撃のために浮上していた、《メテヲシャワァ・ヲヲロラシアタァ》。

 その、2度目の攻撃を、受けた。

 今度はシールドが守ってくれるはずもなく。

 生身のまま、霜は為す術もなく。

 呆気なく――狩り取られた。

 

「連携協力、大いに結構。あたし好きですよ? そういうの。あたしが輝けるためならば!」

 

 連携なんて必要ない。協力なんて無意味だ。

 ただひとり、最強の主役がいれば、劇はそれでいい。

 それだけで盛り上がるし、愉快で、愉悦で、悦楽だ。

 ブロック不能。カウンター不能。

 何者にも阻害されない主演の登場は即ち、幕引きと同義。

 《メテヲシャワァ・ヲヲロラシアタァ》が現れたと同時に、この結末は定まっていた。

 神が降りれば運命は覆らない。シナリオは必ずデッドエンドへ。恐怖と狂気に飲み込まれ、終演する。

 

「まさしく、祝え! この物語の終幕を! なのです。最高に美しかったでしょう? 《メテヲシャワァ・ヲヲロラシアタァ》と、あたしによる幕引きは!」

 

 反応はない。火と水の弾ける音だけが、歓声の如く静かに響くだけ。

 

「まあ、答えなど聞いていないのです。事実は明確なのですからね。それになにより――もう喋れないでしょう」

 

 《メテヲシャワァ》の直撃を受けた霜は、うつ伏せで倒れ込み、起き上がらない。

 固い決意であろうと、人は脆い。

 一突きだけで、容易く壊れて崩れ去る。

 儚い生き物だ。

 

「み……水早、君……」

「大丈夫、殺してないので! 減らず口すぎてマジでぶっ殺そうかと思ったのですが、あたしはリオくんと違って理性的なのですからね。お姫さまのご意向には逆らいませんとも!」

 

 くるりと、メルクリウスはひとり残された実子に振り返る。

 幼い少女の眼は狂気に溢れたまま。

 その溢れ出した狂気は、実子の身も精神も、蝕んでいく。

 

「で、あなたはどうするのです?」

「どうするって……」

「やるのですか? やらないのですか?」

 

 その笑顔はこの世のものではない。そう見えるというだけで、本当に笑っているのか、それとも怒っているのか、嘲っているのか、あるいは蔑んでいるのか、悦んでいるのかさえ、わからない。

 どうしようもなく理解してしまう。これは、およそ人類が太刀打ちできるような存在ではないと。

 人智という枠組みから逸脱した、未知にして脅威なるものであると。

 理性とか、意気とか、論理とか、根性とか、理屈とか、気合とか、そんな些細なものは一切合切粉砕されてしまう。

 ただただ、認識できるのは。

 己が無力である、という現実だけ。

 その真理を突きつけられた以上。

 実子は、抵抗することも、できなかった。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――任務かんりょー! なのです!」

 

 誰もいない。たったひとりだけの公園で、メルクリウスは朗らかに笑う。

 ただの少女のように無邪気を装って。すべての公演が終わったかのように清々しく。

 

「イライラしたこともあったけど、ま、あたしの手に掛かればこのくらいはちょちょいのちょいなのですね! あとは途中でリズちゃんズを回収して、そのまま帰って動画編集でも――」

 

 と、そこで。ピタリと、メルクリウスの動きが止まる。

 

「え? なに? ミーナさん? お姫さまの護送の途中じゃ……ん? え、えぇ!? そんなことあるのです!? そんなまさか――」

 

 なにもないはずの虚空に耳を傾けるメルクリウスに、驚愕の色が浮かぶ。

 そして、信じられない、と言わんばかりに、それを否定したいかのように、彼女は叫んでしまう。

 

 

 

「――お姫さまが逃げ出したなんて!」




 クトゥルフ神話TRPGルールブックの(6版)によると、巨大な頭が空から落ちてくるのを目撃すると、成功で2、失敗で2D10+1のの正気度ロールらしいですよ。霜はギリギリ減少量4くらいで踏みとどまったのかもしれませんね。結局は、大顔で押し潰されてしまいましたが。


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52話「脱獄しましょう Ⅰ」

 暗躍のディジー。


「それでは参るとしようか。ディジー、準備はいいか?」

「そりゃ当然」

 

 白と黒の男がふたり。

 小さな少女を連れて出立する。

 目的は少女を守ること。より正確に言えば、護衛だ。

 旧不思議の国。シリーズの手で、【死星団】の新たな拠点に作り替えられている最中の場所へと、彼女を護送することが、このふたりの目的。

 少女はなにを言うでもなく、黙したままふたりについていく。

 町へと降りる時、黒い方が制止をかけた。

 

「待て」

「どうした、ディジー」

「念のためだ。俺が偵察に行こう。町にゃ不思議の国の残党やら、マジカル・ベルの仲間やらがいるだろ? そいつらと下手に相対すると面倒だ。今は姫さんもいることだしな」

「成程。もっともな意見だ。ならば斥候を任せよう」

「あいよ。んじゃ、ちっと待ってくれな」

 

 黒い影は、溶け込むように姿を消す。

 そして残されたのは、ミネルヴァと、姫と呼ばれる少女。

 

「姫。お加減のほどは如何でしょうか?」

「…………」

「気分が優れないようでしたら、直ちにお知らせください。至急、シリーズかメルクリウスを呼び戻します故」

「…………」

 

 少女は口を閉ざす。

 悲しそうに、悔やむように、どこでもないどこかを見つめている。

 

(覇気がない。それ自体は彼女と謁見してから変わらないことだが、どこか、浮ついているというか……いつもと雰囲気が違うような……)

 

 シリーズであれば、彼女の微細な変化も捉えるのかもしれない。もっとも、その変化を知覚したところで、彼女の口から語られる言葉を解釈することが難解だが。

 しかし、もしなにか異常ががあれば大事だ。大神の依代たる彼女を傷つけるわけにはいかない。

 

(メルクリウスには困ったものだ。しかし彼女の機嫌を損ねても厄介……本当に、困ったものだ……)

 

 あまつさえシリーズもメルクリウスに付いていってしまったようだ。

 どう考えても、姫の安全を保証する方が大事で優先するべきだろうに、個人的な事情を優先させてしまうのは如何なものか。

 ミネルヴァは大きく溜息を吐く。

 

(ヘリオスよりはマシとはいえ……いや、奴と比較するのは酷だな)

 

 今頃、ヘリオスはなにをしているのだろうか。町に出て遊び呆けているのだろうか。そうなのだろう。

 シリーズ曰く、それがヘリオスに与えられた役割だそうだが、個人の役割をまっとうすることが、総体としての役割を放棄することの正当性になるとは思えない。

 姫を守護し、女王を目覚めさせる。それが【死星団】のあるべき姿のはずだというのに。

 

(やはり一度、ヘリオスには灸を据える必要があるだろうか。他の仲間達の手前、殺傷沙汰にはしたくなかったが、奴ならばそのくらいでなければ認識を改めないだろう)

 

 内心でそんなことを考えつつ、周囲への警戒は怠らない。

 しかし、外へと意識を向けすぎていたかもしれない。だからこそ、だろうか。

 気付くのが――遅れた。

 

「……?」

 

 猛烈な違和感。悪寒のようなものが駆ける。なにか、大事なものが流出していくような不快感がある。

 これは、これは――

 

「……姫。ほんの僅かな時ではありますが、あなたをひとりにすることをお許しください。少々……我が国でトラブルが起こったようです。すぐさま戻ります故、ここでお待ちください。」

 

 ミネルヴァは少女にそう言い残すと、歪んだ空間に消えていく。

 ひとり残された少女は、恋しそうに町を見下ろす。

 

「こす……さん……」

 

 掠れた声で、誰かの名を呼ぶ。

 それはすぐに霧散してしまう。自分にさえ届かない。響かない。

 太陽が高く、眩しい。そこにできる影は黒く、濃い。

 そんな漆黒の中から、影が、伸びる。

 

 

 

「さぁて――ミネルヴァの野郎は消えたな」

 

 

 

 先ほど、斥候に向かったはずの彼は、なぜかそこにいた。

 さも当然のように、最初からそうであったかのように。

 彼は少女へと歩み寄る。

 

「仕込みは上々。あとはあいつらが、どれだけ粘れるかだな」

 

 そして、少女へと、向き直る。

 少女は微かな希望の光を宿して、彼を見つめていた。

 

「そんじゃ姫さんよ。ほんの僅かな時ではありますが、だ」

 

 ミネルヴァの言葉を借りて、男は笑みを浮かべる。

 優しい、とはとても言えない。けれど邪悪、とも言えない。

 黒い、けれどもなにか強い決意、信念、野望を湛えた眼で、彼は告げる。

 

 

 

「――あんたを逃がしてやるよ。マジカル・ベルのとこまで行ってきな」




 ちらちらと裏で動いていたディジーが、遂に本格始動。
 ――の前に、ミネルヴァの王国内部の話が挟まります。


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52話「脱獄しましょう Ⅱ」

 久々に彼女らが登場。


 ミネルヴァの異聞神話空間――『光の神殿・愛護の契(ルークス・アモール)

 この王国(世界)は、広大なる外宇宙に漂う、神を崇める神殿であり祀る祭壇。

 しかしこの王国には、まだ見えぬ空間がある。

 広大な暗夜の宙が広がる外層。その中心にある神殿、内層。

 そして内層には、上層と下層が存在し、上層は主に、神への信仰を捧げる場にして、敵対者を罰する法廷にして処刑場だ。

 であれば下層は――牢獄だ。

 罰せられた者達が投獄される場所。そこには月の光さえも届かない。

 輝かしい上層から反転した、濁るような冒涜と汚れの世界だ。

 

「ん……んん……?」

 

 そんな闇の世界で、バタつきパンチョウは目覚めた。

 

「あれれ、眠っちゃってたのよ……えーっと、なんだっけ?」

 

 記憶が少し混濁している。

 まずここはどこか。わからない

 自分は誰か。わからない。

 好きな食べ物はなにか。わからない。

 昨日の晩ごはんはなにか。雑草とダンゴムシの水煮だった気がする。

 

「うーん、全然覚えてないのよー」

「いやもうちょっとわかることあるでしょ。そのクソみたいな飯より自分の名前を覚えてなさいよ」

「あ! ウサちゃんなのよ! わーい!」

「なんで僕のことは覚えてるのよあんた……」

 

 彼女は呆れたように肩を竦める。

 ――それは、三月ウサギ。

 バタつきパンチョウの、仲間だった。

 

「……あんたもここに来たのね、パンチョウ」

「なのよー。ウサちゃんもいたのよ?」

「まあ、あのキザ男に見事ボコボコにされたわ」

「ボコボコ……はっ! そうだ! ハエ! トンボ! ふたりは無事なのよ!?」

「僕が知るわけないじゃない……ここにいないってことは、無事なんじゃない? 他の牢のことまでは知らないけどね」

「ろう?」

「牢屋よ牢屋。ここ、牢獄なの」

 

 バタつきパンチョウはぐるりと見回す。

 真っ暗な世界、明かりのない場所だというのに、ぼんやりとではあるが、なぜか視覚は機能する。

 確かにここは牢屋のようだった。鉄格子の嵌まった檻に、自分たちは閉じ込められている。

 

「出られないのよ?」

「まあ無理でしょうね。少なくとも力でどうこうできるものじゃないわ。硬いっていうか、ルール上無理、みたいな感じよ」

「ルール……そういえば白髪の人も、そんなことを言ってたような言ってなかったような……」

「誓約とかそういうのね。まあつまりこの世界は、本来の世界みたいな法則は通じないんでしょ」

「むむむ、困ったのよ。でもウサちゃんがいて良かったのよ」

「なにがよ」

「だって、やっぱりひとりだと心細いし。ウサちゃんも私が来たからもう寂しくないのよ。死ななくて済むのよ」

「ウサギが寂しいと死ぬのは迷信よ。っていうかひとりならひとりでも慰めようはあるから。馬鹿にしないでくれる?」

 

 と、言いつつも。

 時間の感覚すら失われるこの世界で、孤独なまま収監され続けるというのは、精神的に苦痛であったのは事実。

 仲間が囚われたことを喜ぶつもりはないが、バタつきパンチョウが来たことで、三月ウサギはいつもより少し饒舌だった。

 

「うーん、でもどうしよ」

「どうするって、なにがよ」

「どうやって出ようかなって」

「無理じゃない? ってか出たいの? あんたが?」

「なのよ」

「僕は普通にこんなジメジメしたところ嫌だし相手もいないから出たいって気になるけど、なにもかも放り投げて自然の行くままにー、って出て行ったあんたが自由を求めるのは意外ね」

「んー、まあそれもそうなんだけどー」

 

 暗くてよく見えなかったが。

 少し、バタつきパンチョウが悲しげに瞳を揺らした気がした。

 

「……弟たちを、残してきちゃったから」

「……そ。あんたらしいわね」

 

 弟たちのため。とても単純で強固な理由。

 ただそれだけで、彼女が動く理由としては十分だし、納得できた。

 

「とはいえどうしようもないのよね。知ってると思うけど、ここはミネルヴァとかいう奴が生み出した、異世界みたいなものよ。外の世界からの干渉は無理でしょうし、そもそもあいつ自体が馬鹿みたいに強い。あんただって負けたんでしょ」

「えへへー」

「照れるな馬鹿。なんにせよ脱出経路なんてないに等しいの。ここから出て行くにせよ出口がない、救援だって期待できないわ――」

 

 と、三月ウサギがバッサリ切り捨てる。

 その言葉を、否定する者がいた。

 

 

 

「――ところがあるんだよなぁ、救援ってやつがよ」

 

 

 

 牢の外から、聞き慣れない声。

 

「!? 誰!」

「おっと、あんまデカい声出すなよ。お忍びで来てんだ、ミネルヴァに見つかったら色々まずい」

 

 牢屋の外。そこには黒い影のように揺らめく――恐らく、男。

 あまりにも存在感が薄い。気配が希薄で、闇に紛れており、存在を認識しづらいが、確かにそこには、誰かがいた。

 

「誰よあんた」

「俺の名前か? 別に教えてもいいんだが、うっかり口を滑らされると困るからな。あんたらは俺を信用できないだろうし、俺もそのへんの信用はできないから、まだ伏せさせて貰うぜ」

「……胡散臭いわね」

「だろうな。だが、少なくとも今は味方になってやるよ。具体的には、そうだな、お前らをここから出してやる」

「! ほんと!?」

「ちょっと待ちなさいよパンチョウ! 素性も知れない奴に飛びつくとか、罠かもしれないってのに……」

「その警戒はもっともだがな、既に敵に捕縛されて、いつでも殺せる奴を罠に掛ける意味があるか?」

「それは、あんたもあのミネルヴァって奴の仲間って言いたいわけ?」

「鋭いな。だが、仲間かと言われると、どうだろうな。だが俺とあいつとは目的が違う。そういう意味じゃ、仲間ではないな」

 

 男からは敵意は感じない。しかし明らかに、なにかを企んでいる。

 この異常な世界で、自分たちに手を貸すという第三者。その存在自体が、証左である。

 

「……あんたの目的ってなによ」

「なんだろうな。ま、わかりやすく言うなら……『公爵夫人』。奴の志と似通ってるさ」

「夫人様……?」

「なんにせよ、だ。俺はお前らをここから出す手助けをしてやる、って話だ。断る理由はあるか?」

「ないのよ!」

「あーもうこの馬鹿は……」

「俺が怪しいのは事実だし、警戒するのも当然だが、怪しさだけで拒否するのは理性的とは言えないぜ。冷静に考えて、この状況で救いの手があるってのは、希望だと考えていいだろうさ」

「……まあ、話くらいは聞いてやるわよ」

 

 言いくるめられたようで不服ではあったが。

 確かに、男の言うことは筋が通っている。

 ミネルヴァの仲間で、自分たちの敵であれば、わざわざ罠に嵌める必要はない。リスクはあっても損失はない、この上ない提案だ。

 そのため三月ウサギも、不承不承、非常に業腹で納得はいかないが、仕方なく男の提案を飲むことにした。

 

「とりあえずそれでいいさ。とはいえあんま時間がない。手早く済ませるぞ」

 

 と言って、男は鉄格子に触れる。

 すると、鈍い音が鳴り、格子が外れた。

 

「これでとりあえず出られるだろ」

「それだけだと胸がつっかえるのだけれど」

「……もう何本か外しておくか。あんまり弄るとミネルヴァに見つかりそうで怖いんだが……」

 

 面倒くさそうに、男はとさらに鉄格子を数本外した。

 

「これで十分か? この牢獄は一本道だから、ひたすらこの道を走れ。走り抜けたら、祭祀場がある。そんで祭祀場の壁に、穴があるはずだ」

「穴?」

「ヤングオイスターズの兄貴のお手柄だぜ。今この王国は、外界との境界線が少し曖昧になってる。言い換えると“外に出られる”状態なんだ」

「! マジなのよ?」

「あぁ、マジだ。その穴に飛び込ば、この世界から脱獄し、外に出られる」

 

 この世界において、脱獄するための最大の障害となるのは、ここが通常の世界ではないこと。

 ここはミネルヴァが形成する異世界。完全に、空間からして閉ざされた場所で、どう足掻いても脱出など不可能なはずだった。

 しかしこの男が言うには、今は外の世界と繋がっている状態らしい。

 これは、非常に大きな情報だ。

 

「ミネルヴァの忠誠心に感謝だな。手前(てめぇ)の国の修繕より、姫さんの護送を優先してくれたお陰で、こうして隙ができたんだ。逆に言うと、ここを逃せば、奴は国壁を修復するろうさ。そうなればお前らは一生外に出れなくなる」

「なによそれ、半ば脅しじゃない。でも、今がチャンスっていうなら、やるしかないのかしら……? ねぇ、あんたはどう思う?」

「…………」

「パンチョウ?」

「……うん。いい手だと思うのよ。チャンスは逃しちゃダメ、なのよ!」

 

 少し呆けていたのか、やや遅れて、バタつきパンチョウは首肯する。

 どうやら彼女は、脱獄には乗り気のようだ。

 

「話は纏まったか」

「なのよ! ……あ、そうなのよ。ここって私たちだけじゃないんだよね。他の皆は?」

「他の不思議の国の連中か。流石に無理だな。ミネルヴァが捕縛した奴らをひとりひとり解放していったら、流石にどっかでバレる。あいつ見つかると脱獄何度は跳ね上がるし、それは俺としても避けたいからな。だから、脱獄できるのはお前らふたりだけだ」

「むぅ……」

「どうしても他の奴らも助けたいなら、お前らがその手でミネルヴァを倒すんだな」

 

 しかしここにいるふたりは、そのミネルヴァに真正面から討ち倒されたのだ。事実上それは不可能である。

 

「……外に出れば、トンボやハエ、それにカキちゃんの弟くんたちや、ネズミくん、すずちゃんだっている。誰かに助けを求められるのよ」

「助け、ねぇ……不思議の国はもう滅茶苦茶のバラバラだし、僕らなんかを助けてくれる奴、いるのかしらね?」

「もー、ウサちゃんったら卑屈なのよ。ウサちゃんが思うほど、みんな薄情じゃないのよ。カキちゃんの弟くんなんて、あの人たちに立ち向かうために、頑張ってるんだから」

「ふぅん。正直あまり興味はないのだけれど、ま、このままやられっぱなしなのも癪だしね。この燻った情動くらいは解消させてくれないと」

「なら決まりなのよ!」

 

 バタつきパンチョウと三月ウサギ。ふたりは狂気に満ちた牢から抜け出て、この国からの逃亡を図る。

 神聖なる世界にて、恐れ知らずな脱獄劇。邪神の手中にいてなお、正気を投げ出さない蛮勇。

 虫けらと獣は、諦め悪くも希望に縋り、光を目指す。

 たとえその先に、犠牲が見えていたとしても――

 

 

 

 

 

 ふたりが見えなくなって、闇の中。

 誰にも聞こえない声が、虚空に響き、消えていく。

 

「さて、仕込みは完了。後は上手いこと姫さんを送り出さないとな――」




 なんだかんだ書いていると楽しいウサチョウ。いや、力関係的にはチョウサ? 字面の収まりはいいけど声に出すとウサチョウの方が口触りはいい。


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52話「脱獄しましょう Ⅲ」

 久し振りに投稿した気分なので、前書きになにを書くのか忘れました。


「ねぇ、ずっと気になってたんだけど」

 

 『光の神殿(ルークス)愛護の契(アモール)』の下層、牢獄の世界をひたすらに進む三月ウサギとバタつきパンチョウ。

 その道中、不意に三月ウサギはバタつきパンチョウに問いかける。

 

「あんた、なんで国から出てったの?」

「え? ひょっとしてウサちゃん、私がいなくて寂しかったのよ? もー! そうならそうと言ってくれれば週一で会いに行ったのに!」

「んなこと言ってないでしょ! 金づるのジジィみたいなことすんじゃないわよ!」

 

 バタつきパンチョウは「耐えられない」と「哀しい」と告げて、弟と共に不思議の国を去った。

 三月ウサギはその理由がいまいち納得できなかった。

 

「あんたとはまあまあ付き合い長いけど、いまだあんたの考えてることはよくわからないのよね。でも、帽子屋さんに嫌気が差したからって、他の連中全員を置き捨てていなくなるなんて、能天気なあんたらしくないっていうか」

「んー……確かに皆のことは大切なお友達だと思っているのだけれど、あれはなんというか、色々吹っ切れちゃったというかー……」

 

 妙に歯切れの悪いバタつきパンチョウ。これも彼女らしくなかった。

 

「まあ……なんていうか、私は色々あきらめちゃってるから」

「諦めてる? あんたが?」

「うん。これでも私は、誰よりもお母さまについて知っている自信があるのよ。帽子屋さんより詳しいんだから」

「あぁ……そういえばあんた、女王様を“視て”たんだっけ」

「なのよ。帽子屋さん、テキトーな癖に意外と勉強熱心で慎重だったのよ。お母さまのことは、ずっと、気に掛けていた。時間を止めて、動きを止めて、命を止めるだけで満足せず、ずっと監視してた」

 

 その監視者の役割を与えられていたのが、バタつきパンチョウだった。

 

「そういえばあんたをスカウトしたのも監視役が欲しいからって理由だったわね……なんか懐かしいわね。その後にどっかの島まで流されて、ひょっこり帰ってきたと思ったら『代用ウミガメ』拾ってきたりして……不思議の国が活気づいてきた頃だったわね、あの頃は」

「だからこそ、しっかりお母さまを視ておきたかったのかもね。でもあれ、めっちゃしんどいのよ」

 

 バタつきパンチョウは苦い顔で言う。それは彼女にとって、いいや、誰にとっても思い出したくもないようなことだから。

 

「ウサちゃんには言うまでもないことだと思うけど、お母さまは人知を超えた、遙か遠い宇宙の超越的存在なのよ。本来であれば、認識するということ自体、不可能な存在。常識も条理も異次元過ぎて、理解できない。理解しようとしても、彼女という概念はこの星の生命体には規格外過ぎて、受け入れられない」

 

 ある意味では、この世ならざる存在。

 人智を超えた神の領域にほんの僅かでも触れるということは、それは人の身を逸脱したということに他ならない。

 本来、収まるべき枠組みから外れるということは、その規格を超えた負荷が掛かる。言い換えれば、理解できないものが、狂気という形で、流れ込んでくるのだ。

 

「私は神の眼を持つ虫けらだけど、この星の生命体という規格に収まってしまっているから……やっぱり、それは死ぬほどしんどかったのよ」

「…………」

 

 三月ウサギは閉口する。

 深く考えたことはなかった。バタつきパンチョウもおどけた調子で言っているが、死ぬほどというのは比喩ではない。むしろ、生きている方が不思議なくらいだ。

 帽子屋は、一度深淵を覗くだけでも発狂するような狂気の塊を、何度も、何度も、彼女に見せていた。

 それがどれほど残酷なことか。想像できない三月ウサギではなかった。

 

 

「……帽子屋さんのこと、恨んでた?」

「否定はしないけど……それが理由ではないかなぁ。あの人のお陰で楽しい思いできてたのも事実だし」

 

 ただ、それはそれ。

 鬼畜帽子屋への恨みも、不思議の国での楽しい思い出も、それぞれ別のこと。

 国から立ち去った理由はそんな個々の話ではない。もっと根本的な理由だ。

 

「私は、誰よりもお母さまの神威を知っている。あれがどうしようもないほど神聖で、どうにもできないほど冒涜的で、どうにもならない超絶の存在であると、この眼に焼き付いている」

 

 だからこそ、バタつきパンチョウは誰よりも、この世界に輝きなど存在しないと。

 明るい世界など、夢幻でしかないと、知っている。

 

「私にはすべてが視えてる。希望なんてどこにもないのよ」

 

 だとしても、あの国は楽しかったから。

 失墜した希望を忘れるくらいには、気持ちの良い夢だったから。

 

「うん、だから私は、楽しくなくなったから、国を出て行ったのよ」

 

 楽しい夢が見られるから、不思議の国にいた。

 であれば、その楽しさが損なわれる以上、そこに留まる理由はない。

 単純明快な理由だった。だとしても、らしくないと、三月ウサギは思うが。

 

「……納得いかない?」

「あんまね」

「こういう私を見せることなんてないものね。こんな状況じゃなきゃ……ウサちゃんくらいにしか見せないのよ、こんな私」

「あっそ」

「まあでも、ネズミくんと似たり寄ったりではあるかなぁ。みんながいるから楽しい、傷の舐め合いでも、寄り合いでも、烏合の衆でも。あの国に来て、仲間っていいものだな、って感じたから」

 

 けれど帽子屋は、諦めてしまった。

 女王に抗い、仲間を――『代用ウミガメ』を、取り戻すことを。

 

「仲間を失っても、悔しさもなければ怒りもない。取り戻そうとも思わなければ悼みもしない。そんな場所は、楽しくないのよ」

「…………」

「それに、その気がないなら私も降りるのよ。みんなが頑張るなら応援するし協力もするけど、私には……自分からお母さまに立ち向かうだけの気概なんてないの」

 

 バタつきパンチョウに根付いた“諦観”。

 女王が動き出した今、誰も彼もが女王の存在を軸として動いている。

 であるならば、バタつきパンチョウの行動指針も、その諦めに依るのは道理であった。

 

「ふふ、私の闇を見ちゃって、幻滅しちゃったのよ?」

 

 バタつきパンチョウは、悪戯っぽく言う。その表情はどこか乾いており、翳りが見える。

 三月ウサギはそんな彼女をジッと見て、

 

「したわ。あんたってばだいぶクソね」

 

 最大限の侮蔑を込めて言い放った。

 

「えぇ!? 予想以上の剛速球! ストレートで酷いのよ!」

「うっさいわね。でもそうじゃない。「誰かがやるならやります、でも自分からはなにもしません」なんて意識低すぎ! 殊勝であればいいってもんじゃないけど、そんな他人依存の行動指針はちょっとダメじゃない?」

「うぅ、ウサちゃんが正論を……らしくないのはそっちもなのよ」

「ま、あんたに勝手に“善性”みたいなのを抱いてたのは否定しないけどね……あぁ、あのハエ野郎ってこんな感じだったのね。ちょっと反吐が出るわ」

「ハエ太がどうかしたのよ?」

「なんでもないわ。あんたがクソなのはそこだけじゃないけど」

「まだ続くのよ!?」

「あったりまえ。最初から人生詰んでると思いながら生きてるなんてクソ以外の何者でもないわよ。あんたそんな終わった考え持ちながら今まで僕とつるんでたわけ?」

「まあそれは……そうなんだけどぉ」

 

 気まずそうに視線を泳がせるバタつきパンチョウ。言い訳を考える子供のように口ごもりつつ、目線だけをきょろきょろさせて、

 

「……ごめんね?」

 

 最終的に、素直に謝った。

 しかし三月ウサギは非情である。

 

「謝ったら許してもらえるとでも思ってるの?」

「えーん、ウサちゃんがイジワルなのよー!」

「えぇい! ほんとうっさいわねあんた! 敵に見つかるでしょーが!」

 

 などと言う三月ウサギも声を荒げているが、彼女は、自分のことなど棚上げにして、まくし立てるように、続ける。 

 

「そもそもねぇ、希望なんて、誰も持っちゃいないわよ!」

「ん……」

 

 その言葉に、バタつきパンチョウは一瞬、硬直する。

 

「あんたヤングオイスターズの一番上の末路知ってる? 希望を捨てなかった奴は、身も心も腐って“おしゃか”になったわ。必死に生き延びようとした結末が、デッドエンドと呼ぶにも無惨で無様な結末よ」

「うん……この目で見たけど、やっぱり、あんな風にされる前から、もうダメだったんだ」

「えぇ。あんたの言う通り、僕らはスタート地点で既に詰んでる。全員、多少なりともそれは理解していたわ。楽しそうに生きてる奴がいたら、それはにも考えてないバカだけよ。どうせ終わってんのよ、僕らは」

「……それがわかってるなら、ウサちゃん、なんで怒ってるのよ」

()()()()()()()()

 

 女王に対する認識も、理解も、そう変わらないふたり。

 しかしそれは、バタつきパンチョウと三月ウサギの、たったひとつの明確な違いだった。

 

「癪だけどひとまず認めましょう。お母さまはヤバすぎる。太刀打ちできないし勝てやしない、反逆も反抗もきっと無意味でしょう。んなこと、あんたに言われるまでもなくわかり切ってんのよ」

 

 それは大前提。決して否定できない世界の理。

 ハートの女王に逆らっても、こちらの牙は届かない。それは、承知しているが。

 

「だけどね、そんなものは、諦める理由にならない。いいえ、そんなくっだらないことを、自分の意志を曲げる理由にしたくないのよ」

「く、くだらないって……お母さまになんてことを」

「うっさいわね、くだらないものはくだらないのよ。たとえお母さまでもね、誰かに隷属して、誰かの言いなりになって、誰かの影響下で自分が縛られるなんてまっぴらごめんなんだから」

「それは……」

「現実的に無理、なんてド正論ぶつけられて引き下がれるほど僕らはお利口じゃないのよ。死ぬ気で藻掻いて意地張って、頭おかしくなって狂いながらでも、たとえ呆気なく死に絶えたとしても、我を通すの。じゃなきゃ――」 

 

 三月ウサギの眼差しは、どこか寂しげで、哀しく、けれども力強い。

 希望はないが絶望を払い除け。清さなどなく、濁りばかりの混沌でも。黒い闇の中で足掻くのは、確かな熱。

 そして彼女は告げる。

 

 

 

「――僕たちは、自分の力で、自分の意志で生きてるって、胸を張れないじゃない」

 

 

 

 女王から産み落とされた自分たちは、生かされているのではない。生きているのだ。

 女王の眷属として生まれたとしても、今はその軛から解き放たれている。女王の奴隷ではない、ひとつの命としてここにある。

 きっと、公爵夫人も同じ気持ちだったのだろう。彼女の信念は、我は、こうあったのだろう。

 だからといって、三月ウサギには彼女のように、女王を殺してしまおう、だなんて凄烈な意志は持てないが。

 それでも女王なんぞに自分の中にある熱を冷まさせてやるつもりもない。

 希望はないが諦念もない。絶望は理解しているが諦めはしない。終わっていると受け入れるが止まる気はない。

 

「……強いね、ウサちゃんは」

「当たり前でしょ。夫人様と帽子屋さんを入れて、僕も狂気の三柱の一角なのよ。誰よりも狂ってる自信はあるわ。だから現実とか知らないの。あんたなんかより、よっぽど夢見がちな乙女よ、僕は」

「ウサちゃん可愛いけど、乙女かって言われると……」

「なによ文句ある!?」

「乙女って言うと、すずちゃんとかの方がらしい気がするのよー」

「僕の前で他の女の話しないでくれる? しかもよりにもよってマジカル・ベルとか気分が悪くなるわ」

「ジェラシーなのよ?」

「そんなんじゃないわよ! あぁもう、無駄口ばっか叩いてないで、いい加減さっさとこの辛気くさいとこから出るわよ!」

「怒らないで欲しいのよー。ウサちゃーん、待ってー!」

 

 不機嫌そうに怒声を張り上げながら、三月ウサギはズカズカと先に進んで行く。

 バタつきパンチョウは慌ててその後を追いかける。

 

「……でも、良かった。ウサちゃんになら、任せられるかも」

 

 誰にも聞こえない声で、バタつきパンチョウは小さくこぼす。

 そしてふたりが急ぎ足で暗い世界を進んで行くと、やがて、光が見えてきた。

 

「ようやくこのジメジメしたとこから抜けられそうなのよ」

「後は、穴とやらから抜け出すだけね」

 

 ふたりは光の中へと飛び込む。

 するとそこは、見覚えのある広間。

 白い世界で囲われた、邪悪なる神のための祭祀場。

 『光の神殿・愛護の契』の上層部まで来たのだ。

 そして奥には、確かに、空間が歪んだような、不自然な穴のようなものがある。

 しかし、

 

 

 

「――貴様らの野望は叶わず」

 

 

 

 同時に、いて欲しくない者も、いた。

 

「我が国から脱獄などと。断じて赦されるべきではない」

「あなたは……!」

「ミネルヴァ、とか言ったかしら」

「然り。我が名はミネルヴァ・ウェヌス。貴様らを処断した凶の星のひとつである」

 

 ミネルヴァは真っ白な総髪をなびかせ、鋭い眼差しを光らせる。

 最も出逢いたくない手合いと、ここに来て遭遇してしまった。

 

「……しかし、よもや我が牢から脱するとは。正直、まるで予想だにしなかった。如何なる奇術を用いた?」

「さぁ? なにかしらね」

「ふむ……神の眼、か?」

 

 ミネルヴァはバタつきパンチョウに視線を向ける。

 

「“視る”だけでは、方法が理解できても手段がないと思ったが……いや、まさかな」

「どうかな? 世の中、理解さえできれば結構なんとでもなっちゃうことはいっぱいあるのよ?」

「戯言を、と一笑に付すのは簡単だが、現にこうして、貴様らは脱獄を果たさんとしている」

 

 ミネルヴァは、ゆっくりと腰に帯びた剣を抜いた。

 

「姫を待たせている。ディジーがいる以上は問題なかろうが、手早く済ませるぞ」

「…………」

 

 三月ウサギとバタつきパンチョウは、互いに顔を見合わせる。

 

(どーすんのよこれ。あと少しなのに、とんでもない邪魔が入っちゃったじゃない)

(うーん。ウサちゃんもたぶん、この人に負けたんだよね?)

(……まあ、そうだけど)

(私も。つまり、どうしようもないのよ)

(ちょっと!)

(まあまあ。正攻法じゃあの人には勝てないなら、奇をてらうしかないのよ)

(は? ……なにする気?)

(ウサちゃんは私に続いてくれればいいのよ)

 

 バタつきパンチョウがなにかを企んでいる。彼女がこういう機転を利かせるのは珍しい。いや、本当に機転が利くのかは甚だ疑問だが。

 しかし三月ウサギになにか手があるわけでもなし、ここはバタつきパンチョウに従うことにした。

 

「密談は終いか?」

「うん。ところで、ずっと気になっていたんだけれど……姫って、どちら様なのよ?」

「……貴様らに語ることはない」

「と、とりつく島もないのよ……」

「御託を並べる時間も惜しい。迅速に、貴様らに脱獄の罪を贖わせ、再び牢へと繋ごう」

「待って待って! その、えーっと……!」

「待たん」

「――だったら、こっちから行ってあげる!」

 

 ミネルヴァが踏み出すより、半歩早く。

 バタつきパンチョウは、飛び出していた。

 

「!」

 

 ミネルヴァは剣を振ろうとするが、刹那の間に迷いが生じる。

 ――バタつきパンチョウが飛び出すと同時に、三月ウサギも動いている。ふたりとも、穴を目指して疾駆する。

 どちらを止めるか。ミネルヴァの中で一瞬の逡巡があった。

 しかしどちらも通す気はない。ならば、どちらを斬ろうと同じこと。

 ほんの僅かに間合が近かった。理由はただそれだけ。

 ミネルヴァの白刃は、三月ウサギへと向かって行く――

 

「っ!」

 

 ――作戦と呼ぶにもお粗末な、行き当たりばったりで捻りもなにもない突撃。こいつに期待した僕がバカだった、と自分を省みたくなる。

 もっともこんな状況で、頭お花畑の相方に、捻りの利いた打開策を期待するだけ無駄というのも事実。自分がバカだったということは飲み込んで、三月ウサギは走り出した。

 こんな子供騙しにもならないような行いが通用するとも思えないが、ひとりでもミネルヴァの領域から抜け出せれば御の字。そもそもこうして脱獄しようとしていること自体が奇跡のようなものなのだ。こんなものは宝くじを買う気分でいい。

 強いて言うなら、身体に傷が入るの嫌だなぁ、とか、痛い思いはできればしたくないなぁ、とか。そのくらいのことは思うが、その程度のことでしかない。

 千載一遇のチャンスではあるが、そんな風に、三月ウサギはどこか気の抜いた博打のような感覚で、駆けていったのだが。

 ミネルヴァの白刃が迫り来る、刹那。

 

「っ!?」

 

 赤い、鮮血が飛び散った。

 なぜかそこに、やたらデカい女がいる。バタつきパンチョウだった。

 自分を庇って? いや、少し、違う。

 彼女は、ミネルヴァの剣の刀身を掴んでいた。

 

「くっ、ぬぅ……!」

 

 ミネルヴァは慌てた様子で、強引にバタつきパンチョウの手を振り払い、振り下ろそうとしていた剣を無理やり引っ込める。

 バタつきパンチョウの手指からはドクドクと血が流れていたが、彼女は一切、気にした様子はなかった。

 

「あんた……まさか、最初からこのつもりで……?」

「……えへへ」

 

 ミネルヴァの動きは止まった。しかし、バタつきパンチョウの足も止まっている。

 そしてミネルヴァと三月ウサギの間に、壁になるようにバタつきパンチョウがいる。

 つまり、これは、三月ウサギにとっては絶好の好機だった。

 今ならミネルヴァを振り切って、穴に飛び込むことができるかもしれない。

 しかしバタつきパンチョウによって、彼女の犠牲によって作られた好機ということだけが、気に入らないが。

 穴に飛び込む。その直前、刹那の間に、バタつきパンチョウは言った。

 

「行って、ウサちゃん」

「パンチョウ……」

「言ったよね、私はもう全部あきらめちゃってるから。そんなクソったれな私なんかより、あなたが外に出て頑張る方がずっといいのよ」

「でも、あんた……!」

「私はもうおしまい。だから、後のことは、ウサちゃんに託すのよ」

 

 バタつきパンチョウは、こんな時に似つかわしくないほど、彼女らしい柔らかな笑顔で、三月ウサギを見送った。

 

 

 

「弟たちを、よろしくね」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――成程、神の眼とは。このような局所的、刹那的状況でも行使可能であるか。私の動きを読んでいたな」

 

 三月ウサギは逃した。しかしバタつきパンチョウは、即座にミネルヴァによって無力化されてしまった。

 地に伏した虫けらは、もはや神の遣いに抗うこともできない。

 しかし、してやられた。ミネルヴァが()()()()()()()()()()()()()()()ということを理解した上で、自ら殺されに行くような行動を取るとは。

 殺せない。殺してはならない。その天命があるが故に、ミネルヴァは剣を振り切れなかった。そして、故にこその今がある。

 それらすべてを、彼女は、その眼で見通していたのだろう。

 

「脱獄を許したことは、私の最大の失態。しかし些事だ。三月ウサギ程度であれば、ひとり増えようと支障はない」

「……かもね。でも、私は友達を助けられて、ちょっぴり自己満足なのよ」

「そうか。もっとも、ここは神殿の内層。穴を通ったということは、外層へと放出されたことを意味する……奴は果たして、生きて抜けられるかどうか」

「え? それって、どういう……」

「貴様が知る必要はない。かくゆう私も、外層に広がる闇の宇宙は把握しきれない領域だ。“彼女”の思念渦巻く世界で、奴はなにを見るのか……」

「ウサちゃん……」

「……話が逸れた。ひとまず貴様の処遇を決めなくてはな。脱獄は大罪、女王への反逆罪に上乗せし、極刑も辞さないが……」

 

 ミネルヴァは剣の切っ先を、バタつきパンチョウに向ける。

 押しても、振り下ろしても、容易く彼女を断ち切る白い刃。それでバタつきパンチョウを処断するのは簡単だ。

 

「しかし彼女はそれを望まない。だが同時に、私は貴様の眼の脅威を知った」

「っ……」

 

 切っ先が僅かに動き、バタつきパンチョウの瞳へと、突きつけられる。

 

「その眼は厄介だ。神の眼、とはよく言う。王国の壁の修繕をしたとして、またぞろその眼で悪事を働かれては堪らん」

「あらら。別に私、悪いことなんてしないのよ。そっちの勝手な善悪観を押し付けないでほしいな」

「私にとっての悪は、女王にとっての悪性。それがすべてだ。闇の母神すらも捉える神眼は悪の温床であり不敬と冒涜の証左。さてその眼、どうしてくれよう。彼女はどれほどまでなら許されるだろうか。どこまで“潰してもよい”だろうか」

「…………」

 

 剣先を突きつけられてもなお、バタつきパンチョウは気丈に、臆さず、まっすぐにミネルヴァを睨み返す。

 

「……貴様の処遇は決定した。裁定を下す」

 

 そして。

 ミネルヴァの刃が――振り下ろされた。




 久し振りに投稿した気分なので、後書きでなにを書くのか忘れました。


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52話「脱獄しましょう Ⅳ」

 ウサギにさぁ、キーパーソンというかさぁ、こういうある種の主人公めいたムーブさせるのはさぁ、正直さぁ、不本意なんだよねぇ!
 でもなんか筆が乗っちゃったから仕方ないんだ。ウサギの一人歩き……一人遊び? ウサギで一人遊びは意味深だ。


「――穴に飛び込んだはいいものの」

 

 ここはどこだ?

 上下左右天地に至るすべてが漆黒。しかし、明かりがない、というのとも異なる。

 闇が広がっているが、暗いわけではない。自分の姿は見えている。

 バタつきパンチョウがここにいれば、この謎の世界のことも見通せるのかもしれないが……

 

「……ったく、なにやってんだか、あのバカは」

 

 ――弟たちを、よろしくね。

 

「頼む相手間違えてるでしょ。よりによって僕に、微塵も興味ない虫けらどもを任せるとか。頭お花畑にもほどがあるんじゃない?」

 

 女王に抗うというのであれば、バタつきパンチョウの神の視座は、大いに役に立つ力であるはずだった。少なくとも、情欲の権化たる三月ウサギよりは、よほど女王に牙を突き立てる手立てになる。

 しかし彼女は、その身を捨てて三月ウサギを送り出した。彼女の性格的に、そうすることに不思議はない、のだが。

 

「ほんっと……なにもかも諦めてるのね。変なとこで意固地なんだから」

 

 諦めてるくせに、泥臭い。終わってるくせに、往生際が悪い。

 己の終末を受け入れながらも、誰かの希望は、友の熱意は、否定せず、背中を押す。

 自分も、だなんて言わない。反吐が出るような自己犠牲だった。

 

「あぁ……むしゃくしゃするわね」

 

 この苛立ちは本人に文句のひとつやふたつ……いいや、もっと手痛い仕返しでもしなければ収まらない。

 

「待ってなさいよパンチョウ。次の夜、ベッドの上で獣みたいに泣かせてやるんだから」

 

 それまでに死ぬことは許さないと、一方的に決めつけて。

 再び三月ウサギは面を上げる。

 

「……しっかし、黒いわね」

 

 とりあえず歩を進めてはいるが、景色が一向に変わらない。進んでいる気がしない。ただひたすらに暗黒が続くばかり。

 穴に飛び込めば出られる、というのは男の嘘だったのだろうか。あるいはこれも、ミネルヴァの王国の罠かなにかだろうか。

 

 

 

――ごめんなさい――

 

 

 

「!? え、な、なに?」

 

 不意に、声が聞こえた。

 同時に闇の世界に明かりが灯る。しかしこの世界を照らすようなものではなく、今にも消えそうな微かな光の粒だ。

 さながらそれは、広大な宇宙に浮かぶささやかな星のようだった。

 

 

 

――こんなつもりじゃ さびしい アタシはわるく もういやだ かなしい もういい すいません いやだ どうでもいい まだ もっと せめて なら でも ダメなんだ どうにもならない――

 

 

 

 声は反響するように何度も何度も続く。そのたびに、闇の世界に星の光が浮かんでいく。

 

「このしみったれた声……まさか、代用ウミガメ?」

 

 頭に直接響いてくるような、この泣き言に、覚えがある。

 懺悔のように、自戒のように、言訳のように、未練のように、何度も何度も、纏わり付くような声。

 妙に三月ウサギの神経を逆撫でする、ひ弱で弱気な声は、間違いない。代用ウミガメだ。

 

「……あぁ、そういうこと。なんか、合点がいったわ」

 

 ミネルヴァが“姫”と呼ぶ人物についていまいちハッキリしなかったし、消えた代用ウミガメの所在もわからなかったが。

 思った以上に、面倒なことになっているのだと、三月ウサギは怒り混じりに嘆息する。

 ただ女王のエサにされているわけではなく、呆気なく死んでいるわけでもなく、【死星団】などというものまで生まれて、緩慢な死と終末の装置に成り下がっている。

 なんともまあ、憐れで面倒くさく、厄介なことか。

 

「しかしなんだってこんな時に……そもそもここはなんなの?」

 

 暗黒に浮かぶ無数の光明。本当に宇宙のような様相になってきたが、それだけだ。

 歩いても歩いても進んだ気がしないし、光に近づいている気配すらない。自分が動いている感覚すらなくなりそうだ。

 そんな時だった。

 

 

 

「ここは女神の世界。星の生まれる場所。故に、彼女の意志が渦巻き、撹拌する闇の海」

 

 

 

 誰かが、いた。

 

「え……な、なに。誰よ!」

 

 それは、誰なのだろう。何者なのだろう。

 なにもわからない。人なのか、同族なのか、クリーチャーなのか、神なのか、邪神なのか、はたまた別種の異形なのか。

 その存在が知覚できない。ただそこにいる、誰かがいる。そしてなにかを発してている。それだけがわかる。

 

「わたしは光なき星、零の仔。箱に閉じこもり、災禍の奥底で希望を待つ者」

「はぁ?」

「理解しなくてもいいの。わたしそのものは、世界の趨勢には影響しない。そこにあるだけの、バックボーンですらない、ただの待ち人」

「待ち人……? あんた、なに言って……」

「今のわたしは壁。聞こえるでしょう? 彼女の苦しみが、嘆きが、悲しみが、憤りが。悔恨は海の果てまで、諦念は宙の底まで。慈悲を以て足掻き、救済と自己防衛に振りまく狂気の残響が、ここにある」

 

 なにを言っているのか、まるでわからない。その言葉はまるで届かないが、なぜか、妙に響く。

 

「あなたが憎い。みんなが憎い。世界が憎い。自分が憎い。悪いのはあなた。悪いのはみんな。悪いのは世界。悪いのは自分。だから、みんなを殺したい、害したい。だから、みんなは殺せない、害せない。だから、みんなを守ろう。この手に収めて、せめて、自分の中に。彼女の中に」

「っ……な、によ、あんた……!」

 

 

 ぞわぞわと、怖気が走る。身体の内側から、嫌悪感が湧水の如く湧き上がり、這い上がる。

 本能的で、根源的な恐怖と狂気。決して抗えない権威の威圧で、胸が苦しい。

 これは、この感覚は、

 

「お母……さま……?」

 

 絶対なる母の気配が、色濃く、そこにあった。

 闇が広がっていく。返事はない。これは対話ではないのだから。

 ただ、なにかしらの意志が、無作為に、無目的に、言の葉のようなものを紡いでいるだけ。

 意味も、意義も、そこにはない。

 

「ここはⅠ等星に貸し与えた世界、信奉と狂信の国、最も神に近い頂。懺悔、崇拝、叛逆、神に示す形は様々」

 

 闇は星々を纏い、三月ウサギらを飲み込んでいく。

 

「わたしは壁、世界の境、宇宙の扉。力があるなら打ち壊せ、意志があるなら越えて行け、恐れなければ押し開け。屈したならば膝を着け、臆したならば翻せ、恐れをなせば目を瞑れ。この箱には、いまだ災厄に満ちている」

 

 ――これは、道だ。それは、門だ。

 あの牢獄が冥府ならば、ここは黄泉比良坂。現世へ続く坂道。

 代用ウミガメの泣き言は騒がしく、目の前のなにかは意味不明。身体の奥底から這い上がる母の気配は悍ましく、動悸が止まらない、が。

 

「……立ち止まってらんないのよ、今は。泣かせたい奴がいくらでもいるんだから」

 

 ひとり勝手に自己犠牲に走った虫けらも、姿を消しても泣き言ばかりのノロマも、とにかくムカつく。腹が立つ。

 寝台の上で征服して、屈服させて、泣かせてやりたいと、身体が疼く。そう、母から貰った狂おしい才覚が嬌声をあげている。

 心はズタズタだが身体は正直なのだ。怖気と情欲がない交ぜになって、傷痕を埋めるように心まで蝕む。恐怖も狂気も、憤怒も邪淫も、なにもかも混沌に渦巻いている。

 だから、三月ウサギは折れない。誰よりも原始的な欲望が強く、母の本質に近いからこそ、その狂気に――同調できる。

 

「ほんと、癪なんだけどね。最近イライラすることばっかり。やりたいことも、やりたくないことも、全部変なものに横槍入れられて濁るのよ。異物ぶち込むのはケツだけにしときなさいっての」

 

 合理的に、対外的に、本意でないことをやらされる。

 やりたいことは、誰かの意志が介入する。

 まるで気持ちよくなれない。スッキリしない。自分が自分でないような、誰かに縛られているような、軛に繋がれているような、気持ち悪さ。

 きっとこれは解消できない。女王を殺すことなんてできっこないのだから。

 けれど、

 

「殺そうとするくらいは、試してもいいわよね」

 

 どうせ無理だろうが、だからといってこの気持ち悪さを受け入れるのは無理だった。不思議の国がある間は我慢できたのだろうが、もう限界だ。

 邪で醜い情動が、三月ウサギを突き動かす。狂気を撥ね除けて、あるいはそれ自体が狂気として。

 とりあえず、目の前の壁とやらを粉砕する。そして外の世界に戻る。考えるのは、それからだ。

 

「覚悟しなさい。あんたが代用ウミガメのなんであろうと、ミネルヴァとかいう奴の仲間であろうと、お母さまの眷属であろうと、どれでも僕にとってはムカつく要素しかないから。最高に気持ち良くしてからぶち破ってあげる!」

 

 そして、始まった。

 冥界下りも折り返し。あとは坂路を駆け上がるだけ。

 案ずることはなにもない。彼女は気が違っていても、兎なのだ。

 上り坂を駆け抜けられない道理など、どこにもない。

 

 

 

「――――」

 

 

 

 それはなにかを発したような気がした。しかしそれは言葉として認識できない。

 ただ、彼女に呼応するかのように、ただ、始まった――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「《龍魂珠(アントマ・タン・ゲンド)》を召喚」

 

 

 

ターン3

 

 

三月ウサギ

場:《デドダム》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:2

山札:24

 

 

???

場:《龍魂珠》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:1

山札:25

 

 

 

 三月ウサギがミネルヴァの世界から抜け出すための、最後にして異様なる関門。

 序盤は互いにマナを伸ばしてリソースを広げる展開。しかし足は、三月ウサギの方が早い。とにかく早く多く山札を掘り進んで行く。

 

「僕のターン。5マナで、墓地から《凶鬼09号 ギャリベータ》を召喚! エンド時、《ギャリベータ》の能力で山札から2枚を墓地に送ってドロー!」

「3マナで《不死妖精 ベラドアネ》を召喚。4マナで呪文《ライフプラン・Re:チャージャー》。《龍魂珠》を手札へ」

 

 

 

ターン4

 

 

三月ウサギ

場:《デドダム》《ギャリベータ》

盾:5

マナ:6

手札:4

墓地:3

山札:20

 

 

???

場:《龍魂珠》《ベラドアネ》

盾:5

マナ:8

手札:2

墓地:2

山札:21

 

 

 

 数が多いのは三月ウサギだが、相手は深く広く掘り進んでいる。なにかを探しているのだろうか。

 三月ウサギのターン。チラリと、墓地に視線を落とす。

 

(まだ全然足りないわね。もっと掘らないと……)

 

 まだ仕掛けられない。タイミングが大事だ。焦らしすぎて好機を見失うも、尚早すぎて燃焼しきれないのも、どちらも御免だ。

 相手がなにをしてくるのかはよくわからないが、もう少し、本番前に戯れる必要がある。

 

「2体目は少し怖いけど……3マナで《デドダム》を召喚! さらに4マナで《スクリーム・チャージャー》! 山札から4枚を墓地に送って、墓地の《スクリーム・チャージャー》を回収よ。さらにエンド時に《ギャリベータ》の能力で2枚落として1ドロー!」

 

 《デドダム》で3枚、《スクリーム・チャージャー》で4枚、《ギャリベータ》で3枚。

 1ターンで10枚もの山札を掘り進む三月ウサギ。身体を酷使し、破滅へと向かいながらも、その破滅的な悦楽を夢見る。

 

「これでおしまい。あんたのターンよ」

「4マナで《ライフプラン・Re:チャージャー》。《歪悪接続 ヨー・バルディ》を手札に」

 

 遂に、それらしいカードが見えた。

 しかし、切り札ではない。

 

「6マナで《歪悪接続 ヨー・バルディ》を召喚。マナゾーンの《霊宝 ヒャクメ-4》をバトルゾーンへ」

 

 

 

ターン5

 

 

三月ウサギ

場:《デドダム》×2《ギャリベータ》

盾:5

マナ:9

手札:4

墓地:10

山札:9

 

 

???

場:《龍魂珠》《ベラドアネ》《ヨー・バルディ》《ヒャクメ-4》

盾:6

マナ:10

手札:1

墓地:2

山札:17

 

 

 

「必要そうなものだけ探してるって感じ……面倒くさいわね」

 

 今度は、相手の盤面に視線を向ける。

 《龍魂珠》《ヒャクメ-4》。どちらも場に残しておくと面倒なクリーチャーだ。

 

「《デドダム》を場に残しておくのも怖いし、ここは……《デドダム》をマナに送って、フシギバースよ! 7マナで《ビバラ龍樹》を墓地から召喚!」

 

 青く燃え猛る骸に、《デドダム》は取り込まれる。

 それを火種として、屍は再び燃え上がる。

 

「雑魚は消えなさい! あんたのクリーチャーすべてのパワーをマイナス4000! 《龍魂珠》《ベラドアネ》《ヒャクメ-4》を纏めて破壊よ!」

 

 暗き炎は弱者を、生者を許さない。苦痛を越えた快楽に耐えられぬものはすべて、灰燼へと帰する。

 ひとまず、クリーチャーはほとんど燃え尽きた。ディスタスを一掃できたのは大きい。

 しかし、三月ウサギは忘れている。

 いくらディスタスが並んでいようと、それ以前に相手は、何度もマナ加速を繰り返している。

 眷属は、産み落とされた時点で既に仕事を果たしている。母体にとって、しもべが生き残っている必要など、どこにもないのだ。

 それが――神というもの。

 

「11マナをタップ」

 

 “無情”にも、告げられる。

 “邪眼”が、見開かれる。

 ここは地の底で煉られた“獄”。闇の広がる生のなき無にして“零”の空間。

 狂気は渦巻き、無感情なる矛盾した虚無の意志へ。

 邪悪な存在理由は、数多の子種となる弾丸へ。

 異教の神など冒涜してしまえ。騎士の誉れなど陵辱するべし。

 誇り高き強欲と、邪淫に満ちた愛憎を繋げる部品は、ゴーツウッドの鉄塔から拝借しよう。

 まるで双子のようだと瞬きの悦びを噛み締めて、接続する。

 女王が選り好んだ、王として。

 

 

 

「女王命令・王位接続――《零獄接続王 ロマノグリラ0世》」

 

 

 

 どこかで見たような、しかしまるで知らない異形の怪物が、産み落とされた。

 あぁ、どこまで命というものを冒涜すれば気が済むのだろうか。

 矛盾なれども和睦の神は、竜頭だけが切り離された。

 残虐なれども高貴なる騎士は、得物も誇りも弄くり回される。

 あまつさえ、それらは邪神の標の一部たる鉄鋲で接続され、女王の悦楽のためだけに用意された、存在しないはずの作り物の王。

 己の快楽のことしか頭にない、邪悪が生んだ悲しみの命が、ふたつ。

 

「あぁ気持ち悪い。でも、こうやって尊厳を踏み躙るのって気持ちいいものね。お腹の下が疼いちゃう。気持ちだけなら、よく分かるわ」

 

 冒涜的に蹂躙するのは最高の快楽だ。嫌でもそれはわかる。母の仔なのだ、趣味が合うのは当然。

 しかし、だからこそ反吐が出る。気持ちいいからこそ気持ち悪い。母親と同じ趣味だなんて、怖気が止まらない。

 

「……矛盾、ってより、葛藤かしらね。身体が正直で困っちゃうわ」

 

 気持ち良さそう、と、気持ち悪い、が同時に押し寄せて吐きそうだ。吐き気を催すと同時に下腹部が熱い。頭だけでなく、下半身もキチガイになってしまったのかもしれない。

 

「まあ……いいわ。どっちにせよ、その趣味の合う悪趣味なのぶっ壊せば、それが一番気持ちよさそうだもの」

 

 なにかを冒涜し、蹂躙するのは楽しいし、気持ちいい。母のそれは最高に気持ちよさそうで、最高に気色悪いが。

 誰かが気持ちよくなっているものを踏み躙って、ぶち壊すのなら、さらに気持ちいいことだろう。

 そうなれば母に対する気色悪さも気にならない。冴えたアイデアだ。

 

「《ロマノグリラ0世》の登場時、山札の上3枚から1枚を墓地へ、残りをマナゾーンへ。マッハファイター起動。《ロマノグリラ0世》で《ギャリベータ》を攻撃」

 

 とは言うものの。

 実際のところ、非常にまずい。気持ち良さそうとか気持ち悪いとか、そんなことを言っている場合ではないのだ。

 《ロマノグリラ0世》の暴威が襲いかかる。

 竜頭の雄叫びが悲鳴の如く轟き、銃声は慟哭の如く響き渡る。

 それは存在しないはずの天地を揺るがす鳴動。大地は割れ、冥府は震撼する。

 王位接続。腐っても、女王の使徒。

 であるならば、さらなる眷属を生み出すことなど、造作もない。

 

「コスト合計が自分のマナゾーンのカードの枚数以下になるように、マナゾーンと墓地からクリーチャーをバトルゾーンへ」

「なっ!?、あいつのマナって……!」

 

 ――13枚。

 つまり、コスト合計13まで、出て来る。

 

「墓地から《滅将連結 パギャラダイダ》。マナから《闇鎧亜 クイーン・アルカディアス》。《パギャラダイダ》を進化元にし、進化」

「っ……!」

 

 闇の女王が、君臨する。

 関係ない。関係ない。関係ない。

 あれは、お母さまとは、関係ない……!

 

「はっ、はぁ……く、くぅ、ぅぅぅ……!」

 

 動悸が速くなる。

 自分にいくら言い聞かせても、心臓の鼓動が、疼きが、止まらない。溢れてくる。

 呂律が、回らない。クリーチャーの能力か? きっと、そうだ。そのはず、なのだ。

 

「《パギャラダイダ》のEXライフ発動。山札から1枚目をシールド化。墓地から《龍魂珠》を蘇生」

 

 次々とクリーチャーが湧き上がり、そして、三月ウサギのクリーチャーは撃ち抜かれる。

 

 

 

ターン6

 

 

三月ウサギ

場:《デドダム》《ビバラ》

盾:5

マナ:11

手札:4

墓地:10

山札:8

 

 

???

場:《ヨー・バルディ》《ロマノグリラ》《龍魂珠》《闇鎧亜クイーン・アルカディアス》

盾:8

マナ:13

手札:0

墓地:4

山札:10

 

 

 

 タイミングを見誤った。

 ほんのひとつの見落としで、一手出遅れた。その一手は、あまりにも致命的だった。

 

「……正直、突破できるか微妙だけれど、やるしかないわね」

 

 もうやるしかない。破れかぶれでやけっぱちだが、これしかない。

 先行き不安で無計画。自慢ではないが眠りネズミより勉強なんてできないのだ、計画性なんていつも行き当たりばったりだ。

 本当に、後手後手で、ダメダメだ。けれど、後悔はするが反省はしない。後悔だって一瞬で文句に変えてみせる。

 最後に笑えば勝ち馬だ。もっとも、不思議の国に馬などいないが。

 一か八かで三月ウサギは、異教にして異境の一手を、叩き付ける。

 

「10マナをタップ! 呪文! 《大地と悪魔の神域》!」

 

 神には悪魔。強欲で冒涜的な女王には、異端の魔性をぶつけてやる。

 

「僕のクリーチャーをすべてマナゾーンに! そしてマナゾーンから、進化と非進化のデーモン・コマンドをそれぞれバトルゾーンへ! 1体目は《ビバラ龍樹》! そして、こいつから進化!」

 

 ここは冥界、根之堅洲國(ねのかたすくに)。妻でも恋人でもないが、振り返るまでもなく友は地の底に置いてきた。

 黄泉比良坂の上り坂。黄泉醜女を討ち倒し、石榴の果実もなんのその、七つの門を押し開く。

 神を蔑むは異端の悪魔。生命溢るる多産の邪神には、死を司る冥府の神、異教を以て冒涜せん。

 

「大言壮語、大いに結構! 言うだけならタダなんだから! お母さま、あなたも犯してあげる!」

 

 神秘も、神性も、神威も、神格も。

 なにもかも冒涜し、陵辱し、蹂躙する。

 神には魔を、生には死を、それらを体現するは、冥府の魔神。

 即ち。

 

 

 

「神を犯すは悪魔の特権! 貶めろ、《悪魔神バロムハデス》!」

 

 

 

 その腕は血塗られ、肉体は黄泉を登り切れず腐り落ちた。

 零落した冥府の神は、悪魔を統べる者として君臨する。

 生者を許さず、死者を尊ぶ。多産の女王への反骨の如く、闇の魔神は悪意を振りまく。

 

「まずは片っ端からぶっ壊すわ! 《バロムハデス》の登場時、闇以外のクリーチャーをすべて破壊よ!」

 

 冥府は生者を許さない。死の国の規律に従い、《バロムハデス》はあらゆる命を奪い去る。

 

「《ヨー・バルディ》の能力起動。EXライフシールドを消費」

 

 しかしディスペクターには、魂がふたつある。

 命をひとつ、奪われようと。

 もうひとつの命が、宛がわれるだけ。

 

「《バロムハデス》で攻撃よ!」

「《ロマノグリラ0世》の能力起動。《ロマノグリラ0世》がタップしている間、攻撃されない」

「だったらそいつを殴ってやるわよ! 《バロムハデス》で《ロマノグリラ》を攻撃する時、能力発動! 僕の墓地から闇のクリーチャーを復活させる!」

 

 《バロムハデス》はパワー13000、《ロマノグリラ》は17000。さしもの《バロムハデス》でも太刀打ちできない差があり、《ロマノグリラ》にはまだEXライフが残っている。

 しかし、冥界下りはまだ終わっていない。ここにあるのは闇の意志、悪意であり殺意であり害意であるが、狂気ではない。

 気の違った三月ウサギが秘めたる、狂おしいほどの性への情愛の災禍が、冥府の底から、引っ張り上げられる。

 

「究極進化!」

 

 ――《バロムハデス》が、飲み込まれる。

 悪魔との契約は満了だ。残りは三月ウサギ自身の手で、己の欲望と、愛欲と、狂騒で、ケリをつける。

 

「ハッキリ言って、冥界下りなんてごめん被るわ。性も快楽も、生きているから愉しいのよ! 死んで成せる仔はない。男と女のまぐわいは、生者の特権にして本領! 気持ちよくなれない死も終わりも、僕はまっぴらごめんよ!」

 

 生への執着に哭き、性への渇望を叫ぶ。

 生死の端境を乗り越えて、黄泉路の坂路を駆け上がり、地獄の門扉を叩き壊す。

 そして溢れる、狂った兎の見上げる――輝ける月。

 

 

 

「すべての子種を、呼び戻せ――《神羅ヘルゲート・ムーン》!」

 

 

 

 それは悪夢のような舞踏会。死者すら生者に成り代わり、夜通し騒いで狂い果てる。

 会場は地獄。その門を開くは、月の使者。災厄の化身が、現世と隔世を、接続する。

 

「《ヘルゲート・ムーン》がバトルゾーンに出た時、お互いの墓地のクリーチャーをすべて蘇生させる!」

 

 さぁ、宴は始まった。不思議の国らしく、意味もなく狂ったように馬鹿騒ぎだ。

 三月ウサギの墓地から、わらわらと無駄打された子種が形を成す。巨人も、蟲も、妖精も、悪魔も、鬼も、龍も、神も。すべてが等しく、蘇る。

 

「《アナリス》に《ベラドンナ》、《バフォロメア》に《ギャリベータ》、《とこしえ》《ビバラ》《デドダム》《ドケイダイモス》――締めに《バロムハデス》! 《ギャリベータ》から進化よ!」

 

 三月ウサギの場に、夥しい数のクリーチャーが並ぶ。

 しかしこの地獄門は、相手にも開く。《ロマノグリラ》によってもたされた墓場から、命が、舞い戻――

 

「悪いけどあんたは寸止めよ! 気持ちよくなんてさせないんだから。《とこしえ》の能力で、あんたが手札以外から出すカードは、全部マナ送り!」

 

 破壊されたクリーチャーたちは、こぞって墓地からマナへ叩き伏せられる。芽生えなかった種のように、枯死して、儚く消える。生まれもしない、命。

 

「《バフォロメア》と《ビバラ龍樹》の能力で、アンタのクリーチャーのパワーはすべてマイナス7000! これで《ヘルゲート・ムーン》は《ロマノグリラ》のパワーを上回ったわ! そのまま破壊よ!」

「EXライフ起動。破壊される代わりに、シールドを消費」

「だったら《バロムハデス》で攻撃! 今度こそ破壊よ!」

 

 今の煮え滾った頭と心では、小細工なんてできない。できることと言えば、真正面から、力ずくで嫌がらせして、叩き潰すことだけだ。

 《バロムハデス》の赤い腕が、崩壊しつつある《ロマノグリラ》の身体を粉砕する。騎士の鎧は砕け散り、竜の頭は潰れ、繋げられた鉄鋲が弾け飛ぶ。

 

「――ターンエンド!」

 

 完全ではないが、相手の切り札を潰した。クリーチャーもこれでもかというほどに展開した。

 物量では完全に勝っている。支配も屈服も不完全だが、戦況は確実に三月ウサギに傾いた。

 そう、三月ウサギの優勢なのだ。

 なのだが。

 

「12マナをタップ」

 

 零獄王など前座。

 否。女王にとっては、邪神にとっては、外なる者にとっては。

 どれもこれも、等しくただの駒。眷属のひとつ。

 少し変わった玩具が壊れた程度で、なにが変わるはずもなし。

 ただ次の仔を、産み落とすだけだ。

 

 

 

「女王命令・王国監視――《大樹王 ギガンディダノス》」

 

 

 

 そうして――最悪の監視者が、投げ落とされた。

 

「――は?」

 

 手札から、さも当然のように投げつけられる、新たな王。

 《大樹王 ギガンディダノス》。それは、彼が――『イカレ帽子屋』が繋がれている、忌まわしき呪い。女王のしがらみの形であり、罰則のような堕落の軛。

 不思議の国を見張る者。不思議の国にこびり付いた癌のような悪性。

 それが、今、三月ウサギの目の前に――

 

 

 

ターン7

 

 

三月ウサギ

場:《ヘルゲート・ムーン》《ベラドンナ》《デドダム》《バフォロメア》《ドケイダイモス》《ビバラ龍樹》《悪魔神バロムハデス》

盾:5

マナ:17

手札:0

墓地:4

山札:4

 

 

???

場:《ヨー・バルディ》《闇鎧亜クイーン・アルカディアス》《ギガンディダノス》

盾:6

マナ:17

手札:0

墓地:4

山札:9

 

 

「こいつ、まだこんな……!」

 

 完全に想定外、予想外、規格外。

 《ギガンディダノス》のせいで、すべての手札が失われた。大量に並んだクリーチャーも動けなくなった。

 女王の神威に、屈服、させられたのだ。

 

「……いや。そんなの、認めないわ」

 

 身体は正直だが、心は反抗的だ。

 女王に、しかも母そのものではなく、その気配があるというだけのよくわからないなにかに、その化身だか疑似だかよくわからないものに、眷属やらしもべやらに屈するだなんて、そんなこと、認められない。許されない。受け入れたくない。

 心が抗えば、身体も反骨する。三月ウサギは折れ曲がった気骨を、逆側に折り直す。

 心身の歪みに、身体も心も軋み、悲鳴を上げる。二律背反の葛藤が、混濁して気が触れそうになる。

 そんなもの知ったことか。脳みそを焼き切るほど熱く、身も心も、ただ“今”だけを見て。この刹那のためだけに、この魂を震わせて。

 後先など考えず、正気(SAN)を投げ捨てて、挫けず愚直に進み続ける。

 

「頭いい反撃とか、捻りの利いた切り札とか、ここぞという時の作戦とか、僕にはそんなものなんにもないのよ。だから、ただ引くか引けるか。真正面からそいつを叩き潰せるかどうか。ただ、それだけよ」

 

 山札は残り少ない。耐え凌いでも終わる。無闇にカードを探すようなことはできず、できる動きは限られる。後先考えず掘り進むからこうなる。しかし後悔はない、リソースを広げるのは気持ちがいいから。

 そしてこれだけのクリーチャーを解き放ったのも、最高に気持ちがいい。

 だからこそ、それらすべてをおじゃんにする《ギガンディダノス》は、気持ち悪い。許せない。

 許せない、だから、それを握り潰せる、手があれば――

 

「――引いてやったわよ! 双極(ツインパクト)詠唱(キャスト)! 《デーモン・ハンド》!」

 

 単純で強引で、なんの捻りもない明快な解決策。

 山札から引いたものを、そのまま投げつけるだけの、力技。けれどそれでいい。運だけだろうとなんだろうと、どうでもいい。最終的に気持ち良ければ、過程など二の次だ。

 なにせ彼女は、邪淫の獣なのだから。

 

「《ギガンディダノス》を――破壊!」

 

 悪魔の手が、《ギガンディダノス》を握り潰す。

《クイーン・アルカディアス》の存在下であっても、その詠唱には重圧がかかるだけ。唱えられないわけではない。重い唇を無理やり動かして放たれた魔手は、活路を切り開いた。

 

「もう夜明けよ、太陽が昇ったら夜伽はおしまい。そのくらいの風情は僕にだってあるの。だから、いい加減、眠りなさい! 《バロムハデス》で攻撃! Tブレイク!」

 

 

 

――くるしい つらい もっとじゆうに しらない わからない しりたい しりたくない ただへいわに たのしければ それでよかったのに――

 

 

 

 砕け散ったシールドから、声が響く。泣き言のように木魂する、癇に障る少女の声。

 

「今更なによ……こんな時に鬱陶しい! あんたに同情なんかしないわよ! いいから、ここから、出しなさい――!」

 

 纏わり付く言の葉を振り切って、三月ウサギは駆ける。黄泉比良坂を駆け上がるように、隔世から現世を、目指して。

 

「G・ストライク、《フェアリー・Re:ライフ》。対象は《ヘルゲート・ムーン》。S・トリガー、《霊宝 ヒャクメ-4》を召喚」

「あぁもう、うざったい! 《ドケイダイモス》でWブレイク!」

「《ヒャクメ-4》でブロック」

「だったら《バフォロメア》でWブレイクよ!」

 

 残り1枚。しかし。

 

 

 

――まもりたい しなせたくない うしないたくない のこしたい アタシたちの ばしょ おもいで なかま どうせ おわりだから でも それでも――

 

 

 

「G・ストライク、《ライフプラン・Re:チャージャー》。対象は《デドダム》」

 

 亡者の如く声が追いかけてくる。壁は常世からの逃亡を許さない。

 しかし、三月ウサギは走り続ける。彼女の声は振り切って、目の前の壁は突っ切って、駆け抜ける。

 

「《ベラドンナ》で最後のシールドをブレイクよ!」

 

 

 

――いたい もうやだ しんで しにたい しんじゃえ ころして ころしたい おわって おわらせたい しゅうまつ もう おわり――

 

 

 

 もう鬱陶しい泣き言は聞こえないフリをして無視した。

 後は、この世界の端境。希望を待つという、何某かが、道を譲るかどうか。

 すべてのシールドは消え去った。障害はすべて取り払った。

 あと一手。あと一歩。あと一瞬。

 少しでも掛け違えば三月ウサギの足は止まり、奈落の底まで真っ逆さま。

 けれどもし、なにもなければ。このまま、走り抜けられるのであれば。

 それを見遣る。S・トリガーか、G・ストライクか、ニンジャ・ストライクか。

 なんでもいい。なんでもないならそれでいい。

 三月ウサギは駆け抜ける刹那、それと、目が合った。

 

「…………」

 

 沈黙。

 なにも、なかった。

 

「……《ビバラ龍樹》で、ダイレクトアタック」

 

 終わりだ。

 かくして『光の神殿・愛護の契』の外層に広がる宇宙の果てに辿り着いた三月ウサギは。

 冥界の坂路を登り切り、隔世より現世へ。

 脱獄を果たし、元の世界へと、帰還してみせたのだった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――わたしは零の星。最後まで、待ってるから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ここは――」

 

 三月ウサギが気付いたそこは、森……いや、山か。

 山の麓。とても覚えがある場所にいた。

 そう、ここは、不思議の国が居を構えている山の麓であり、国の入口とも言える場所。公爵夫人が山ひとつを買い取って私有地にしてしまった、自分たちの国土。

 確かミネルヴァに襲われ、敗北したのも、ここだった。彼に囚われ、彼の世界に幽閉され、その彼の世界から抜け出したのだから、元の場所に戻った、ということだろうか。

 

「リスポーンってやつかしら……まあいいわ。とにかく戻って来られたみたいだけど、これからどうしましょう」

 

 正直、まったくアテはない。いや、あるにはある。バタつきパンチョウがほんの少しだけ話した、彼女の弟たちや、ヤングオイスターズの生き残り、眠りネズミ。彼らと合流できれば、あるいは。

 

「問題はどうやって会うか、ね。せめて捜索の間、拠点くらいはどうにかしたいのだけれど、僕たちの家はまだ使えるかしら?」

 

 他の仲間と合流するまでの間の拠点として、恐らくもはや滅びているであろう不思議の国の屋敷をアテにする三月ウサギは、山を登っていく。

 使えれば御の字。最悪、雨風凌げればそれでいい。それすらもできないほど朽ちているのであれば、仕方ない。適当な男を捕まえるしかないだろう。

 しかしそんな折、ふと三月ウサギは、違和感を覚えた。

 道がおかしい。いつも通る不思議の国の道とは違う感触だ。

 草が、木が、土が、空気が。なにもかもが違う。異質で、異様な、なにかに変わっている。

 おかしさを理解しながらも三月ウサギは登る。山ではなく森のような異界を進み、そして。

 

「え……な、なに。なによ、これ……!?」

 

 信じがたい光景だった。

 あり得ない、あり得ない、あり得ない!

 同じ言葉が何度もリフレインする。その不可解さに、異常に、思わず踵を返して走り出した。

 ――気がついた時には、もう、麓まで戻っていた。

 

「そん、な……僕たちの家が、土地が、国が……あんな……!」

 

 山中で見た光景に、気が狂いそうになる。最初から狂っているのだが、もっと嫌悪感溢れる蹂躙が、そこにはあった。

 思い出が穢され、陵辱されるような。あぁ、それは気持ちいいことだと理解は示していたが、これは、流石に、度が過ぎている。共感なんて、できるはずもない。前言撤回したい。

 

「……くそったれ。これはもう、なりふり構ってられないわ」

 

 力なく吐き捨てて、それっきり、三月ウサギは山に背を向ける。

 兎が一羽、死に損なって。

 重い足取りで、いずこかへと、去って行くのだった。




 月光の世界からの脱獄、終了。
 次回は遂に! 皆さんお待ちかね! 恐らく1年以上振りに主人公が出て来るよ!



 ――たぶん。


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53話「出逢えました Ⅰ」

 およそ1年半ぶりくらいに主人公の登場だよ。いやほんと、随分と長いこと出てなかったな……


「――小鈴!」

 

 

 

 はい。こんにちは。おひさしぶりです。伊勢小鈴です……おひさしぶり?

 なんでそう思ったのかは、わからないけれど。なんとなくそんな気がしました。

 えぇと、それはそれとして……町中で、声を掛けられました。

 冬休み。霜ちゃんやみのりちゃんたちと喧嘩別れして、ユーちゃんやローザさんたちもドイツに帰っちゃって、いなくなった代海ちゃんも見つからなくて。

 恋ちゃんもなんだか忙しそうで、謡さんやスキンブルくんも手伝ってはくれるけど、足取りは掴めない。

 もちろん、わたしも手掛かりひとつ掴めていない。そんな自分の無力さに、じわじわと参ってしまって、お腹が空いたからパンでも買いに行こうと、パン屋さんに向かっている時だった。

 とても元気な声で呼び止められた。この溌剌な声は……

 

「ヘリオスさん……」

 

 燃えるような赤毛の男の人。ヘリオスさんは、とても元気に、明朗軽快な笑顔でぶんぶんと手を振りこちらに駆け寄ってきた。 

 

「やぁやぁやぁ! 会いたかったよ小鈴!」

「わ、わたしに……? どうして……?」

「前に世話になったからね。ほら見てくれよ!」

 

 と、ヘリオスさんは屈託のない笑顔でポケットからなにかをじゃらじゃらと取り出す。

 それは、金銀銅とキラキラ光るコインの数々……お金、だった。貨幣、小銭と呼ぶべきなのかな。

 お財布じゃなくてポケットにそのまま入れてるなんて、随分とずさん……っていうか世話になったからってお金を取り出すって、まさか……

 

「え、あの、もらえませんよ……!? いくらなんでもお金なんて――」

「また一緒にパンを食べに行こう! これで僕もパンを手に入れられるようになったからね! 銭ある時は鬼をも使う、だ!」

「あ、はい」

 

 なんだ、そういうことか……ビックリした。

 無邪気に笑うヘリオスさんに、安堵したような、むしろ困惑するような……

 でも、わたしもちょうどパン屋さんに向かってる途中だったし、ちょうどいいかも。

 とても唐突で、どこか奇妙な感じだったけれど、わたしはヘリオスさんとふたりで、近くのパン屋さんを訪れるのでした。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「うまい! うまい! うまい!」

「…………」

 

 ヘリオスさんは、手にしたカレーパン、ホットドッグ、焼きそばパン、その他諸々のパンを次々と口に押し込んでいく。

 すごい豪快な食べっぷり……ボロボロこぼしてて、あまりお行儀はよくないけど、とても嬉しそうで、幸せそうで、おいしそうに食べてるから、そんな無粋なことも言えなくなる。

 

「ここのパンも美味しいね!」

「あ、はい……このお店は隣の軽食屋さんと合併してて、惣菜パンがおいしいんです。カレーも、ソーセージも、焼きそばも、コロッケとかカツとかも出来たてを食べられるので、お昼ご飯にするならオススメです」

「そうなんだ、君は物知りだね! メルより頭いいんじゃないか?」

「あはは……どうでしょう」

 

 誰だろう、メルって……その名前、あんまりいい感じしないんだけど、ヘリオスさんの知り合い?

 

「……ヘリオスさんって、普段なにをしてるんですか? 学生さん?」

「んー? ふらふらしてる」

「ニート!?」

「あとは……ミーナ風に言うなら護衛? 狩り? みたいな?」

 

 ……警備員さん? それとも狩人さん?

 謎が多い人だ……悪い人じゃなさそうだけど。

 

「あ、そういえば、前に言ってた人、元気になったんですか?」

 

 前にヘリオスさんと出逢ったのも、パン屋さんだった。

 大切な人の元気がないから、おいしいパンを届けて元気づかせようとしていると言っていたけれど、どうなったんだろう。

 

「あぁ、吐いた」

「えぇ!? く、口に合わなかったとか、アレルギーとか……?」

「さぁ? 確かに美味しそうにはしてたんだけど、なんか吐いちゃった。メルはなんか言ってたけど忘れたなぁ」

「アレルギーなら大変なので、ちゃんと調べないとダメですよ……?」

「そうだね。次はもっと美味しいものを持って行くことにするよ」

 

 うーん話が通じない。

 思いが先走ってて、周りがあんまり見えていない。危うい感じの人だけど……どこまでも純粋で、まっすぐで、不思議と応援したくなる。

 その様子はまるで子供みたいで、申し訳ないんだけど、年上の人とは思えない。

 でも、優しい人だ。それは間違いない。

 

「まあ今日は君にお礼が言いたかったんだけどね。ありがとう、小鈴!」

「は、はい、どういたしまして……」

「この前は代わりにお金? も払って貰ったしね。感謝と詫びの印だよ」

「あはは……」

 

 まあ今日も足りない分はわたしが出してるんだけどね……ヘリオスさん、いっぱい食べるから……わたしも人のこと言えないけど。

 だけどパンを頬張るヘリオスさんはとても幸せそうで、そんなことは気にならなくなっちゃった。

 

「うーん、しかし本当に美味い。鬼に金棒だな。ディジーやリズにもちょっと差し入れてあげようかなぁ」

「お友達ですか?」

「友達? んー、同族、同僚、同類、家族……まあ、仲間かな!」

 

 ざっくりした返事だった。

 まあ、いいのかな?

 

「えと、持ち帰りもできますよ? ここ」

「へぇ、じゃあそうしよう! ところで」

「はい?」

「なんかさっきから硬くない?」

「え? そう……ですか?」

「うん。もっと気楽に砕けていいんだよ。僕らの仲じゃないか」

「はぁ……」

 

 まだ出逢って数日くらいの仲だけど……でも、パンが好きで同じ窯のパンを食べた仲ではあるんだよね……

 危なっかしくて、不思議で、謎が多い人だけど、いい人ではあるようだし。

 

「でも、年上の人にタメ口はちょっと……」

「ふーん。年齢の話なら僕の方が年下だろうけどなぁ」

「え!? い、いやまさか……」

 

 随分と突拍子もない冗談(ジョーク)です。帽子屋さんでもそんなこと言わないよ。

 

「まあ友人恋人愛人、どれも年齢なんて関係ないじゃないか!」

「恋人って……まあ、確かにそう、なのかな……」

「そうだよ!」

「じゃあ……そ、そうするね? ヘリオス……くん?」

 

 ……なんだかいとこのお兄さんと話してるみたいな気持ちになってきた。わたし、そういう親戚付き合いはほとんどないからよくわからないけど……

 

「…………」

「ヘリオスくん?」

「いや、小鈴、君さ」

「?」

「可愛いな」

「へっ!?」

 

 いきなりなに!?

 

「鬼も十八、番茶も出花、鬼瓦にも化粧。地味な子だと思っていたけど、君は優しいし気が利く。それによく見ると結構可愛いし胸も大きい。ちんまいところも悪くない」

「ちんまくないです! な、ないもん、ちんまくないもん……!」

 

 ちょっと前からユーちゃんの背がぐいぐい伸び始めてきてちょっと焦ってるけど!

 

「んー、これはあれだな。惚れたな、僕」

「な、なんですか? どういうこと!?」

「泣かせたくなる」

「ほんとにどういうこと!? 泣かせたくなるってなに!?」

「ははは。まあ君のことがますます好きになったってことだよ」

「あぅ……」

 

 真正面からそういうことを言われると……なんというか、困るよ……

 ユーちゃんやみのりちゃんもそういうことを言うけど、お、男の人から、だなんて……

 照れる、というか……はずかしい。

 

「あぁ、色んな君を見てみたいな」

「え、あの、ちょっと、ヘリオスくん……?」

 

 ヘリオスくんは、こちらに手を伸ばしてくる。

 ゆっくり、ゆるりと。

 その指先が、わたしに触れる――

 

「ん」

 

 ――直前に、ピタリと止まった。

 

「……ミーナ?」

 

 ガタッ、とヘリオスくんは立ち上がった。

 ど、どうしたんだろう?

 

「姫が……いなくなった? ディジーもいたのに? バカか? なにやってんの?」

「え? え?」

「ごめん小鈴、急用だ。僕は今すぐ探さなければいけない人がいる。そしてついでに、どうやらミーナがこの近くまで来ているようだ。だから僕はミーナから逃げないといけない。あいつに見つかるとうるさいからね」

「……? う、うん……?」

 

 なにを言っているのかよくわからないけど、なにか急な用事ができたということだけは理解できた。

 ……本当に急というか、特に連絡を取り合ったような素振りもなかったのが奇妙だけど……

 

「あぁせっかくの楽しい時間だったのに、惜しいな。まあ君とはまた出会えるだろう。その時はもっと良い場所でデートでもしよう! じゃあね!」

 

 そう言い残して、ヘリオスさんは颯爽と店から出て行ってしまった。

 なんだったんだろう。嵐みたいな人だったなぁ。

 

「……わたしも帰ろう。鳥さん、置いて来ちゃったし」

 

 お土産にチキンカツサンドでも買っていってあげよう……鳥さんにチキンを食べさせるのはやめた方がいいのかな? それともクリーチャーだから関係ない?

 2秒くらい悩んでからメンチカツサンドを買って、店を出る。

 何気ない時間だった。この時ばかりは、忘れていた。意識の外だった。

 だから最初、それを認識することさえもできなかった。

 声をかけられて、はじめて、気付いた。

 

 

 

「こすず……さん」

 

 

 

 それが、わたしが探していた相手。

 ――代海ちゃん、だったことに。

 

「っ……!?」

 

 名前が出てこない。誰とわかっていても、声にならない。

 吃驚と、安堵と、疑問と……色んな気持ちが渦巻く。

 代海ちゃんは、酷くやつれていた。冬だというのに裸足で、服はボロボロ、髪は真っ白になっていて、ボサボサ。

 肌も荒れてて、骨が浮き出るほど痩せ細って、生気がないほど白い。

 今にも事切れてしまいそうな出で立ち。代海ちゃんは濁った瞳で、わたしを見つめている。

 そんな姿に胸が苦しくなるけど、でも、でも……!

 

「し、代海ちゃん……ようやく、会えた……!」

 

 ずっと、ずっと会いたかった。今は、その喜びでいっぱいだ。

 どうしてここに? とか。今までなにを? とか、気になることはいっぱいあるけど。

 とにかく、今は、もっと他にかけるべき言葉がある。

 

「あ、あの、代海ちゃ――」

「こすずさん」

 

 わたしの言葉を遮って。

 代海ちゃんは、冷たい、けれども切実に、言祝ぐ。

 泣きそうな瞳は干涸らびて。懇願するような指先は尽き果てて。

 それでも一縷の望みを託すように。追い詰められながらも、そこに希望があると言わんばかりに。

 代海ちゃんは、わたしに向けて、こう、告げた。

 

 

 

 

「アタシを――殺してください」




 霜と実子の話をじっくりやってたら1年以上も主人公を放置していた件。というか2021年の更新回数が30回くらいしかないのが少なすぎ……しかも話があんまり進んでいない事実。
 でもご安心を、今話でグイッと進めます故。今までは、今回に至るまでの下地作りみたいなもの。ここからの主人公の快進撃にどうぞご期待ください。

 ……快進撃はないかも。


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53話「出逢えました Ⅱ」

 破滅の懇願、降臨の予兆、悪魔の囁き。
 賽を振り、選択し、切り開いた末の未来はいずこへ向くか。


「……え?」

 

 耳を疑った。今、代海ちゃんは、なんて言ったの?

 ころ……して? あなたを、わたし、が?

 

「な、なにを言ってるの、代海ちゃん……冗談、だよね……?」

「…………」

「代海ちゃん……?」

「……うそ、じゃ、ないです……」

 

 ふらふらと、代海ちゃんは今にも崩れ落ちそうな足で立って。

 苦しそうに、なにかに耐えるように、必死に声を絞り出している。

 

「こんなこと、あなたにしか、頼めない……あなたにしか、できない……こすずさん、にしか……!」

 

 代海ちゃんは、お腹の下の方を抑えながら、訴えかけるように語りかける。

 

「アタシの中に、今……お母さま、が、いるんです……」

「お母さん……?」

「……不思議の国の……女王さま。アタシ、たちの、産みの母……」

 

 そういえば、帽子屋さんも言っていた。

 世界を滅ぼす存在だって。それが、代海ちゃんの中に……?

 

「お母さまは、まだ、アタシの中で、寝て、います……でも、もうすぐ、目覚め、ちゃう……だ、から、だから、その、前に……! お母さまが、目覚めで、ぜんぶ、ぜんぶ! ダメに、しちゃう、前に……!」

 

 その懇願は、切実だった。

 心の底から、そう願っている。

 切迫してて、思い詰めてて、真摯で。

 破滅的なのに平和的。そんな矛盾を孕んだ慟哭が、悲願となって、紡がれる。

 

 

 

「アタシ、を……殺して、ください……!」

 

 

 

 それはつまり、代海ちゃんごと、代海ちゃんの中にいるという、女王さまとやらを殺して欲しい、ということ。

 そうすれば女王さまが倒されて、めでたしめでたし?

 理屈も原理もわたしにはわからない。女王さまのことはまったく知らない。

 けれど、それも、ひとつだけ確かなことがある。

 それは――

 

 

 

「ふざけないで!」

 

 

 

 ――たとえそれが最善策だったとしても、それはハッピーエンドにはならない。

 そんなものは、わたしが認めない。

 

「ずっと、ずっと探してた。会いたかった! それで、ようやく会えたと思ったのに……最初に言うことがそれってなんなの!?」

 

 最初は嬉しかったはずなのに、だんだんと怒りが先立って、腹が立ってきた。

 

「友達に、そんなことできるわけないでしょ! わたしにそんなことさせないで! そんなこと――言わないで!」

「こすずさん……」

「友達にそんなことできない、したくない! わたしはただ、友達と一緒にいたいだけなんだから!」

 

 そのために、わたしはあなたを探してた。

 そのために、わたしは戦うんだから。

 殺すなんて論外。わたしは、あなたを連れて帰る!

 

「……うれしい。でも、ダメ。ダメ、なんです……」

 

 代海ちゃんは涙を流しながら、自分の身体を抱きしめる。

 悍ましく、震えながら、悲哀に満ちた面持ちで。

 

「女王さまは、もう、とまらない……むっつの、星が……みっつの、楔が……! だれにも、とめられない、から……いっぱい、いっぱい……アタシは、罪を、犯して……ひどい、ことも、たくさん……もう、無理、生きて、られない、から……!」

「……代海ちゃん?」

 

 様子が、おかしい。

 ガタガタと震えている。狂ったように頭を掻き毟って、声を荒げている。

 

「いあ、いあ……あぁ、声が、お母さまの、声が、響く……! 早く、早く! いそがないと、もう、すぐ、そこまで……!」

 

 真っ白な肌が、所々、黒く変色し、爛れていく。

 これは……帽子屋さんにも、確か、こんなことが……

 

「殺して、くれない、なら……アタシ、が、場所を……異聞の、神話の、世界……は、欠片でも、残滓でも……必要、なら、むりやり、でもッ!」

「っ!?」

 

 代海ちゃんの足下から、黒い染みが溢れるように流れ出て、広がっていく。

 この場が、空間が、世界が、黒く歪んでいく。

 

「な、なに……!?」

 

 流出した黒い染みから、樹木のようなものが屹立する。幾本も並び立ち、まるで森のような地を形成する。

 漆黒は重なって、闇となり、太陽さえも飲み込む暗い世界。

 

「此なるは、夢の国、黒い森、邪神の町、暗き地底、妖精の巣……あらがって、ください、こすず、さん……!」

 

 濁った昏い眼差しで、代海ちゃんは、わたしを見つめる。

 こんなにも、弱っているのに。こんなにも、混濁しているのに。

 昏くて萎んでて、弱々しくて崩れてしまいそうなのに、鬼気迫るような圧がある。

 あまりにも残酷で真摯な嘆願に、わたしの怒りも、急速に冷えていく。

 気圧されてしまう。

 

「おねがい、だから、はやく、おわらせて、ください……あなたが、人として、あらがってくれるなら……狂気に、屈しない、なら……! アタシという、邪神を、討って……! それが、アタシ、の、希望、だから……!」

「代海ちゃん……」

 

 ……本当は、戦いたくなんてない。

 目の前で友達が苦しんでいるのに、戦わないと救えないなんて、戦っても助けられないなんて、そんな酷い話。そんなのってないよ。

 だけどここでわたしが屈しても、なにも変わらない。きっと女王さまというのは、わたしが想像できないくらいに、すごい力を持っているんだと思う。帽子屋さんの言う通り、世界を滅ぼしちゃうような、とんでもない力を。

 それを放置するわけにもいかないけど、それは代海ちゃんの中にある。代海ちゃんを殺すなんて、わたしにはできない。

 戦いたくない。戦えない。殺したくない。殺せない。

 それでも、やらなくちゃ、いけない?

 世界を守るために友達を殺せって?

 残酷だ。あまりにも酷い話だ。

 なによりも惨いのは、代海ちゃんが、友達自身が、それを願っているということ。

 もう、なにもわからない。迷って、悩んで、わけがわからないまま、わたしは剣を取らなくちゃいけない。

 

 

 

 わたしは――どうすればいいの? 

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 はじまって、しまった。

 わたしと、代海ちゃんの、対戦(デュエマ)

 わたしの場には《グレンニャー》が1体。さらに《リロード・チャージャー》を1回唱えている状態。

 代海ちゃんは、いつものように《一番隊 クリスタ》がいる。

 

「アタシの、ターン……《一番隊 クリスタ》を、召、喚……」

 

 3ターン目。さらに《クリスタ》が追加されて、

 

「2体の《クリスタ》でコストを2下げて……1マナで《奇石 マクーロ》、召喚……《マクーロ》の能力で山札から3枚を見て、《マクーロ》を手札に……さらに2体目の《マクーロ》を召喚。《龍装者 バーナイン》を手札に……」

「この流れは……」

 

 《クリスタ》が2体いるから、メタリカの召喚コストは2も下がってる。

 そしてメタリカは、手札補充も得意で展開力がすごく高い。《クリスタ》でコストが大きく下げられているのなら、その展開力はさらに跳ね上がる。

 どうにか手を打たないと、あっという間に圧倒される。

 

 

 

ターン3

 

 

小鈴

場:《グレンニャー》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:1

山札:27

 

 

代用ウミガメ

場:《クリスタ》×2《マクーロ》×2

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:0

山札:25

 

 

 

「……なんとか、しなきゃ」

 

 なんとかする。この場を解決する。

 それはつまり、代海ちゃんに勝つということ。勝とうとするという意味。

 それでいいの? わたしが勝ったら、あの子は死んでしまうかもしれない。わたしが、殺しちゃうかもしれないのに。

 

「《グレンニャー》を、召喚。1枚ドローして……3マナで《KAMASE-BURN!》を唱えるよ。《P.R.D. クラッケンバイン》をGR召喚して、《クリスタ》と、バトル……」

 

 わたしの墓地に呪文は2枚だから、《クラッケンバイン》のパワーは4000。 とりあえず《クリスタ》は破壊できた、けど。

 

「アタシのターン……3マナで《龍装者 バーナイン》を召喚して……ターンエンドです」

 

 

 

ターン4

 

 

小鈴

場:《グレンニャー》×2《クラッケンバイン》

盾:5

マナ:5

手札:1

墓地:2

山札:25

 

 

代用ウミガメ

場:《マクーロ》×2《クリスタ》《バーナイン》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:0

山札:23

 

 

 

 今度は《バーナイン》。展開と同時に、継続的に手札を補給する、メタリカの生命線。

 《クリスタ》と合わさることで、コスト軽減しながらどんどんクリーチャーが並んでいく。

 これも放置はできない。対処しないと。

 ……対処して、いいの?

 それで、いいの?

 

「……マナチャージして、手札が、1枚。GGG」

 

 わたしの迷いとは裏腹に、手札はすこぶるいい。

 ちょうどこの場を根こそぎにするカードが、手札にあった。

 

「呪文《“閃忍勝(シャイニング)威斬斗(ウィザード)》……パワー3000以下のクリーチャーをすべて破壊するよ。代海ちゃんのクリーチャーは全部パワー3000以下だから……」

「……全滅、しちゃいました、ね」

 

 パワーの低いクリーチャーばかりなら、この呪文がよく効く。

 効いてしまう。一気に、わたしが優勢になって、勝ってしまいそうな勢いだ。

 

「さらに1枚ドローして、4マナで《ガチャマジョ・チャージャー》。山札から3枚を墓地に送って、《天啓 CX-20》をGR召喚。マナドライブで3枚ドロー……」

 

 驚くほど引きがいい。なくなった手札があっという間に補充された。

 次に打つべき手がわかる。それを為すだけの手段が手札にはある。

 だけどわたしは、惑ったままだ。

 

「アタシのターン……5マナで双極・詠唱……《スーパー・エターナル・スパーク》……《クラッケンバイン》を、シールドへ、送ります……ターンエンド」

 

 

 

ターン5

 

 

小鈴

場:《グレンニャー》×2《天啓》

盾:5

マナ:7

手札:3

墓地:6

山札:17

 

 

代用ウミガメ

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:2

墓地:6

山札:22

 

 

 

 

「……こすず、さん、もう、限界、です。これが、これ、が……ほんとうに、最後の、通告……です」

 

 耐えかねて、代海ちゃんはわたしに訴えかける。

 肌がぐじゅぐじゅと、悲鳴を上げるように黒く蠢いている。苦しそうに吐く吐息は艶っぽい。けれども目は血走って、浮き上がった骨は慟哭に軋んでいる。

 

「アタシを……殺してください」

「……や、やだよ。そんなの……できないよ……」

「ダメ、です……じゃないと、アタシ、が……お母さまが! みんなを、ころして……あなたを、殺して……ぜんぶ、ぜんぶ! 全部ダメにして、終わらせて、しまう、から……!」

「でも、だからって……」

「アタシには、もう、どうにもできない……あなたしか、頼れない……おねがい、おねがい、です、から……!」

 

 泣きながら懇願する代海ちゃんの涙は、黒かった。

 もう、どうしようもないほどに、得体の知れないものに飲まれている。

 理性があるのが信じられないほどに。自我が生きているのがあり得ないくらいに。

 きっと、最後の力を振り絞って、痛み、苦しみ、悲しみ、そして恐怖に狂気。あらゆる重圧に耐えて、必死の思いで、あの子は今ここにいる。

 それに、応えるべき、なのかもしれないけど。

 だからって……だからって……!

 

「……《【問2】 ノロン⤴》を召喚! そして6マナで、《偉大なる魔術師 コギリーザ》にNEO進化!」

 

 もう、わたしにも、どうしたらいいのかわからないよ。

 

「《コギリーザ》で攻撃する時、キズナコンプ発動、墓地から《法と契約の秤》を唱えて、コスト7以下のクリーチャーをバトルゾーンへ!」

 

 悩んでも答えは出ないまま。迷っても躓いたまま。惑っても堂々巡りするまま。

 いつも通り、解決になるかもわからない、根拠のない力を振りかざす。

 

 

「出て来て――《龍覇 グレンモルト》!」

 

 そして、

 

「《銀河大剣 ガイハート》を装備!」

 

 握る剣はいつものより重そうで。

 その切っ先はいつもより鈍そうで。

 刀身の輝きはいつものより昏そうで。

 自分の正しさを、見失っていた。

 

「《コギリーザ》でWブレイク!」

「…………」

「……《グレンモルト》でシールドをブレイク!」

 

 1回、2回。

 攻撃に、成功。

 

「龍解――」

 

 《ガイハート》は、天高く打ち上げられる。

 闇の世界に走る一筋の灯。それは正しく、宇宙に輝く銀河のよう。

 

 

 

「――《熱血星龍 ガイギンガ》!」

 

 

 

 だけど、その熱は、どこか冷めているような気がした。

 それでも、やるしかない。やりたくない。

 

「……《グレンニャー》でシールドをブレイク!」

 

 代海ちゃんのシールドは、残り2枚。

 《ガイギンガ》はほとんど選ばれないから、先に残ってるクリーチャーで攻撃すれば……

 

「……ごめんなさい、でも。アタシ、もう」

 

 砕けた破片に身を裂かれることも厭わず。

 その程度の痛みも苦しみも、ものともせず。

 

「お母さま、に、逆らえ、ない……!」

 

 闇の中に昏く煌めく光を、握り潰す。

 

「S・トリガー……《青守銀 ルヴォワ》!」

「!」

「自分をタップして、《天啓 CX-20》をタップ!」

「っ……《ガイギンガで》ダイレクトアタック!」

「《ルヴォワ》、で、攻撃、を曲げ、ます……!」

「……ターン、終了だよ」

 

 止められた……

 ダイレクトアタックまで、届かない。なのに、安堵してる自分がいる。

 これは良かったことなの? 悪かったことなの?

 なにも……わからないよ。

 

「く、う、ァ……あ、あァ! も、もう、ダメ、ダメなんです……!」

 

 耐えかねたように、代海ちゃんは慟哭する。

 痛ましく叫び、黒く泡だった肌を掻き毟り、山羊のように宙へと吼える。

 

「《一番隊 クリスタ》を召喚ッ! 1マナで、もう1体《クリスタ》……! 1マナで《マクーロ》! 山札から3枚めくって、《奇石 ケイヴ》を手札に!」

 

 星が爆ぜるように闇が煌めき、次々とクリーチャーが展開される。

 場はゼロ。だけど、《クリスタ》が2体。シールドをブレイクされて、手札も多い。

 

「2マナで《奇石 ケイヴ》を召喚……これで、アタシのクリーチャーは、4体……!」

 

 マナを根こそぎ吸い出して、それでもまだ足りないと、場のクリーチャーから贄を絞り出す。

 

「4体の、光、のクリーチャーを、タップ! 呪文! 《エメスレム・ルミナリエ》! 手札からコスト8以下のメタリカをバトルゾーンに!」

「っ……!」

 

 これは、代海ちゃんのいつもの勝ちパターン。

 小型のメタリカを並べて、《エメスレム・ルミナリエ》で一気に大型に繋げる流れ。

 《ワンダー・タートル》ではないはず……だとすると、なにが……?

 

「あぁ、冒涜的な言辞が聞こえる……お祖父さまを賛美する、混沌の讃辞が、爆発的な劇団が! 下劣で狂おしき連打、呪われたか細き鼓笛! 餓えた白痴を慰撫する音色が、宙に、宙に、宙に!」

 

 真っ暗な黒宙を見上げて、代海ちゃんは祈るように泣き叫ぶ。

 どこからともなく響き渡る、怖気の走る旋律。

 纏わり付くような狂気が、宙から、降りてくる――!

 

「聴こえない、聴こえない、聴こえないッ! 聴きたくない――《二重音奏 サクスメロディ》!」

 

 悍ましい音色を奏でるそれは、奇妙なクリーチャーだった。

 楽器……ドラゴン?

 それに、コスト6? 《エメスレム・ルミナリエ》は、コスト8まで出せる。なのに、なんだか中途半端なコストような……?

 

「《サクスメロディ》がバトルゾーンに、出た時、アタシ、の光、のクリーチャーの、数、だけ……GR召喚!」

「!」

 

 コストは6だけど、その能力は侮れなかった。

 《エメスレム・ルミナリエ》が代替コストで唱えられた以上、既に代海ちゃんの場には4体のメタリカがいる。それに《サクスメロディ》に含めて、合計5体。

 《サクスメロディ》は単独ではない。数多の従者を引き連れた、楽団として顕現する。

 

「《ギラミリオン・ギラクシー》《超衛の意志 エイキャ》《救命の意志 テュラー》《マシンガントーク》――《煌銀河(ギラクシー) サヴァクティス》!」

 

 宇宙を駆ける、銀河の煌めき。

 わたしの、《ガイギンガ》の熱意を掻き消してしまいそうなほどの、暗澹とした輝きが、暴威となって、吹き荒ぶ。

 だけど、クリーチャーはみんなタップしている。これじゃあ攻撃もブロックもできない。

 数が一瞬で2倍になったのはすごいけど、代海ちゃんは、一体なにを……?

 

「《奇石 ケイヴ》の能力です」

「え?」

「《ケイヴ》は、アタシが呪文を唱えた時、その呪文以下の、コスト、の光のクリーチャーを呼び出す、こと、が、できる……んです。そして、《エメスレム・ルミナリエ》の、コストは……7」

 

 次の瞬間。

 代海ちゃんのクリーチャーが、吸われていく。

 渦巻く星々。暗雲に飲まれ、星雲の内側で輝き、それは大いなる奔流となって、逆巻いて、流出して、大河となって。

 無限に膨張し続ける、終末をもたらす、破滅の銀河と化す。

 

 

 

 

「母神星誕――《無限銀河 ジ・エンド・オブ・ユニバース》!」

 

 

 

 それはなんと、広大で偉大な煌めきだろうか。

 この星から観測できる銀河なんてごく僅かで、ちっぽけなものでしかないと思わされる。

 わたしの知らない星々が――そこにある。

 未知の領域より顕現する星団。10体のクリーチャーを取り込んで現れた、巨大という言葉さえも生ぬるいほどに超大な、暗黒の星々の塊。《ガイギンガ》でさえも、その規格外の存在に比べれば、矮小な星屑に見えてしまうほどだ。

 《ジ・エンド・オブ・ユニバース》。幾度か見たことのあるクリーチャー、なはずなのに、なんだろう、この嫌な感じは。

 そこにあるのは、クリーチャーとも言えないような、まったく別の、悍ましいなんかに思えてならない。

 

「孕んだ千の、仔を吸い上げて……超無限進化!」

 

 ……確か《ジ・エンド・オブ・ユニバース》は、10体のクリーチャーを進化元にすれば、メテオバーン能力で特殊勝利できるクリーチャーだったはずだけど……

 《エメスレム・ルミナリエ》でコストにしたメタリカや、《サクスメロディ》で出て来たGRクリーチャーはタップしている。進化元の数こそ10体確保してるけど、タップしてるクリーチャーを進化元にしてるから、《ジ・エンド・オブ・ユニバース》もタップして場に出る――

 

「《マシンガントーク》……の、能力を、ここで解決、します。《ジ・エンド・オブ・ユニバース》を……アンタップ!」

「あ……」

 

 ――終わった。

 無意識のうちに、頭の中でそんな結論が下された。

 

「ごめんなさい……こすず、さん。も、もう、お母、さまは、とめられない……!」

 

 起き上がった銀河が、わたしに迫ってくる。

 太陽を飲み込む暗澹が、ゆっくりと、降りてくる。

 

「これで……おしまい、です。《ジ・エンド・オブ・ユニバース》で攻撃する、時に」

 

 終末が産み落とされる。銀河は胎、星々は仔。

 生誕する命の輝きの一粒一粒が、絶望。それが集い、狂気の奔流となって、滑り落ちてくる。

 

 

 

「メガメテオバーン――」

 

 

 

 

 理解を越えた終焉が訪れようとしている。

 終わりを告げる言の葉。その祈りのような呪いの祝詞が紡ぎ終わる――

 

 

「――あ、が……っ!?」

 

 

 ――ことはなく。

 代海ちゃんは、苦しそうに嘔吐き、崩れ落ちた。

 

「!? 代海ちゃん!?」

「あ、ァ、アア……お、かあさま……う、うぅぅ……! ぐ、かはっ、あぐ、げほっ、ごぼ、かふ……っ!」

 

 血走るほどに目を見開いて、黒いものを吐き出して、黒ずんだ肌はぶくぶくと泡立ち、膨れ上がり、破裂し、また膨らんで、壊れて、膨張と収縮を繰り返している。

 明らかな異常。けれどなにが起こっているのか、なにをすればいいのかは、やっぱり、わたしにはわからなかった。

 

「くる、くる、くる……お母さまが、また、アタシに、ち、近づいて……来てる……! お、起きちゃう、目が、さ、めちゃう……ダメ、でちゃ、でちゃう、ダメ……!」

「し、代海ちゃん……だいじょ――」

 

 自分自身を抱きしめて、ガタガタと身体を震わせて、けれども耐え切れなくなって、すべてをぶちまけてしまう。

 とても苦しそうで、痛ましくて、見ていられないほどに狂気的。

 なにもできないとわかっていても、思わず手を伸ばさずにはいられなかった、けれど。

 

 

 

「姫!」

 

 

 

 

 誰かが、間に割って入った。

 白い髪をたなびかせた、男の人。彼は黒ずんでいく代海ちゃんを、大事そうに抱える。

 さらにどこでもない、どこかの虚空へと叫んだ。

 

「メルクリウス! シリーズ!」

「なのでーす! メルちゃんとうちゃーく!」

「来たわ」

「え……っ!?」

 

 どこからともなく、またふたり、現れた。

 片方は……見覚えがある。青い髪の、小さな女の子。確かあの子は、ユーちゃんたちを……

 もう片方の女の人は、はじめて見る。超然とした佇まいで、とても、不思議な雰囲気の人だ。

 この人たちは、一体……?

 

「残りふたりに応答は?」

「リオくんは相変わらずなのです。ディジーさんは現在地がちょい遠いのでしょうかね」

「了解した。シリーズ、姫の容態は?」

「女王の覚醒が進んでいるだけよ。器が脆いだけ。刺激しなければ問題ないわ」

「ならば迅速に姫を連れて帰還する。メルクリウス、シリーズ。頼んだぞ」

「了解なのです! メルちゃん特急便、安心安全面白おかしくお姫さまをお連れするのです!」

「私が運ぶわ」

 

 女の人が、代海ちゃんを抱え上げる。

 

「あ、待って……!」

 

 彼女はこちらを一瞥して、けれどもなにも言わずに女の子と共に去って行ってしまう。

 行ってしまう。代海ちゃんが。ようやく、会えたのに。

 思わず、手を伸ばす。

 

「代海ちゃんを、連れて行かないで――!」

 

 けれどその手は届くはずもなく。

 虚空を掴んで、無為に消えていく。

 

「マジカル・ベル――伊勢小鈴」

 

 残った男の人は、わたしの行く手を阻むように、立ち塞がった。

 けれど務めて穏やかに、彼はどこか恭しく語りかける。

 

「私は【死星団】、Ⅰ等星のミネルヴァ・ウェヌス」

「シュッベ……ミグ? それ…………」

「姫は貴様に剣を向けることを望んでいない。故に、我らも今、貴様と事を構える気はない」

 

 な、なに? どういうこと?

 この人は何者? なにを言っているの……?

 

「貴様を()()するのは最後だ。女王が目覚める終わりの時。貴様は最後の賓客として迎え入れよう」

「保護……賓客……? あなたは、なにを……」

「これ以上は語るに及ばず。私も姫の傍に付かねばならない」

 

 ミネルヴァと名乗った男の人は背を向ける。

 呆然と、立ち尽くす。

 ……行っちゃった。

 せっかく、会えたのに。また、ふりだしだ。

 代海ちゃんは、自分を殺してと懇願した。

 そんなこと、できるわけないんだけど、でも、あんな苦しそうで、辛そうで、悲しそうな代海ちゃんは見てられない。

 だけど代海ちゃんに、わたしの声は届かない。わたしの手も届かないところにいる。

 光が閉ざされたようだった。暗い闇の宙に放り込まれたみたいに、標を失って、どうしたらいいのかわからない。

 『ハートの女王』……だっけ。帽子屋さんも言っていた。世界を滅ぼすなんて全然ピンとこないけど、代海ちゃんの様子からして、それがデタラメとも思えない。たとえ誇張だったとしても、絶対に悪いことが起きるという確信がある。

 だからといって、もう今のわたしに、それを止める手立てはない。代海ちゃんは行っちゃったし、それだけの力も、わたしには――

 

 

 

「――しょぼくれてんなぁ、マジカル・ベル」

 

 

 

 不意に、声を掛けられた。

 男の人の声。だけど、まったく聞き覚えがない。

 振り返るとそこには、黒い影のように佇む、男の人が、ひとり。

 

「だ、誰……!?」

「そう身構えるな、つっても無理な話か。まあ警戒するのは勝手だが、話くらいは聞いてけよ」

 

 男の人は自然な足取りでこちらに歩み寄ってくる。

 な、なんだろう。不気味な感じはするし、ちょっと怖い、けど。

 この人はなにか知っている。そしてそれはきっと、わたしが知りたいことで、わたしがやるべきこと、やりたいことに、強く結びついている。

 そう思えた。

 

「まずは名前でも名乗っておくか。俺の名はディースパテル。【死星団】がⅢ等星(トリステラ)、ディースパテル・セレーネだ」

「【死星団】って……さっきの人の、仲間……?」

「ふん、仲間、か。同じ母ちゃんの腹から生まれたって意味ならそうだが、目的が同じ連中ってわけじゃねぇ。少なくとも俺は、あいつらと血を分けたつもりはあっても、仲間と思ったことは一度もねぇ」

「……?」

「細かい話は後回しだ。姫さんに掛かりきりでメルクリウスの監視が外れた今が、お前と接触できる絶好のチャンスだからな」

 

 ここだけは逃せねぇ、とディースパテルさん? は呟いて、わたしの目の前で足を止める。

 

「とりあえず単刀直入に、俺から提案だ。マジカル・ベル」

 

 吸い込まれそうなほどの黒い瞳で見下ろされる。

 その黒々とした眼差しはとても深くて、まるで底が知れない。底があるのかもわからないほどに。

 なにを宿しているのかも不確か。野望も意志も、隠蔽するように塗り潰されて、零に至ったような深淵が、こちらを覗き込む。

 

 

 

 

 

「――俺と手を組まねぇか?」




 代海の使用したデッキは、作者が超天篇の頃にわりと愛用して遊んでたメタリカユニバース。白単那暮の基盤を流用して、メタリカ4体揃えてエメスレム・ルミナリエ、サクスメロディ出せば5体GR召喚してちょうど10体、ケイヴがいればそのままユニバース、マシンガントーク捲ればアンタップしてそのままドーン! ってデッキ。
 今時のメタリカなんて鬼羅Starって感じでクリスタバーナインの基盤は時代遅れ感ありますが、遊ぶ分には楽しいです。ケイヴ、エメスレム・ルミナリエ、サクスメロディ、マシンガントークと、カード同士の噛み合いが凄く綺麗でとても良いです。でもユニバースがマクーロで回収できないので、マナ置きやハンドキープが意外と面倒くさかったり。バーナインは手札が溢れる印象あるけど、減らさないだけで別に増やしてないからねあいつ。ユニバース狙えそうになかったら、サヴァクティスと物量で殴り倒すとかよくします。というかぶっちゃけそっちの方が強いまである。


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53話「出逢えました Ⅲ」

 ディースパテルから同盟の申し出。彼の目的とは――


「マジカル・ベル。俺と手を組まねぇか?」

 

 ディースパテルと名乗る男の人は、そう言った。

 手を組む……わたしと協力する、ってこと?

 

「えと、そ、その……ど、どういうこと? そもそも、あなたたちは、いったい何者……?」

「あぁ、そうか、お前はなんにも知らないんだな」

「う……それは、その……」

「いいさ。時間がないとは言えこの機会は見過ごせねぇ、この一時のために色々仕込んでたわけだし、必要なことは全部話してやる」

 

 この人の立場はよくわからないけど……確かに【死星団】と名乗った。

 その名前は、前にローザさんがわたしに教え、忠告してくれたものだ。

 わたしはなにも知らなすぎる。そんなことはわかってる。

 ミネルヴァって人も同じように名乗ってたし、今、わたしたちの周りで……代海ちゃんになにが起こっているのかは、知りたかった。

 

「まず、俺たちは【死星団】。ついこの間“発生した”ばかりの、女王の眷属の集まりだ」

「は、発生……? 組織した、とかじゃなくて?」

「あぁ。そもそも俺たちは、女王そのものから生まれたわけじゃねぇ。『代用ウミガメ』の「代わりを創造する」力によって生まれた、言っちまえば代用ウミガメの尖兵だ。ただ厳密には「女王を宿した代用ウミガメ」によって生まれたから、そこに女王の目論見が介入するってわけでな、完全に代用ウミガメの意志そのまんまってわけでもない。まあそのへんは曖昧というか、個人差があるが」

「はぁ……?」

 

 いきなりよくわからない話だった。

 代海ちゃんの手で、生まれた? 代海ちゃんがなにかを創造することができる、特異な力を持っていることは知ってるけど、それは時間制限つきだったはずだし、生き物まで生み出すことはできなかったはずだけど……

 今は時間の制限もなければ、生命の創造もできる。

 それはまるで、本当に神様みたいで。

 それに……

 

「……代海ちゃんは、なんで、そんなことを」

「そりゃあ女王に飲まれたからな。今の姫さんは、邪神の依代、降誕の巫女、母神の母体だ。否が応でも女王の意向に従わざるを得ない」

「仲間を増やすことが、女王様の目的なんですか?」

「いいや、【死星団】が生み出されたのは、あくまでも目的を果たす手足にするためだ。女王の目的は……俺はシリーズと違って女王の声なんざ聞けないから、ハッキリしたことはわからないが、まあ、ずっとイカレ帽子屋に封じられてたようだし、覚醒、復活、この世への顕現。そういうのが目的なんだろうさ」

「帽子屋さんが……」

「だがそれだけじゃねぇ。あくまで【死星団】は代用ウミガメから生まれた、女王は代用ウミガメに宿って自分の意志を介入させてるだけにすぎない。つまり」

「……代海ちゃんの目的もある?」

 

 あぁ、とディースパテルさんは首肯した。

 

「俺たち【死星団】は、女王の呪縛を一身に受けた代用ウミガメの諦観、欲求、願望、未練、情念……そういった様々な思想や葛藤といった要素を抽出し、それを基盤に組成され、生まれた存在だ」

「代海ちゃんの色んな気持ちから……あなたたちが、生まれたの?」

「そうだ。女王に従う意志はシリーズに、正しく生きたかった道徳はミネルヴァに……俺たちは、代用ウミガメの様々な願いの代行者ってわけだ。それが、俺たちに与えられた役割、ってやつだな」

「…………」

「しけた顔するなよ。代用ウミガメの心は折れているし、ほとんど女王に飲まれ支配されているが、抵抗しなかったわけじゃねぇ。ほんの微かだが、女王への反抗の意志があった」

 

 反抗の意志?

 諦めじゃなくて、代海ちゃんにはまだ、抗う気持ちがあった?

 それって……

 

「それが俺だ。俺の役割、いわば俺の目的は、()()()()()()()

「殺す……」

 

 公爵夫人って人も、確か、同じことを言っていたらしい。

 【不思議の国の住人】も、わたしたちも、代海ちゃんも……みんなが苦しんでいる、事態の元凶。

 『ハートの女王』。その存在は神様だ、って話だったけど。

 それを、殺すって?

 

「代用ウミガメが残した最後の抵抗が俺だ。代用ウミガメが抱いた、女王への反感の志、そのすべてが俺に託されている。俺の意志は代用ウミガメの意志でもあり、それは女王を打ち破ること。姫さん助けたいお前とは協力できると思わないか?」

 

 ようやく話が見えてきた。

 女王っていう存在が、代海ちゃんを束縛している。女王がいるから、苦しむ人が、悲しむ人がいる。

 そしてその果ては、世界が滅びる。

 流石にそこまでいくと、実感がわかないけど。

 倒すべき敵がいる、ということはわかった。

 そしてこの人とは、それが共通している。だから、こうして手を差し伸べているんだ。

 だけど、わたしの目的は倒すことじゃない。

 助ける――あるべき日常に、帰ることなんだ。

 

「ここまでつらつらと喋ってきたが、俺が信用できないってのは重々承知だ。だが、お前を仕留めるだけならこんな回りくどいことしなくても、俺たちが束になればいいし、なんなら女王復活を待つだけで終わる。そこんところは理解してくれな」

「……あなたと、力を合わせれば。代海ちゃんを、助けられるんですか?」

「さあな。女王は絶対的だ、生半可な力じゃ太刀打ちできないが、それを理由にお前は諦めるか? 勝てない相手だと察して、挑むことをやめて、可能性すら放棄して、代用ウミガメの残した僅かな希望さえも払い除けるか?」

 

 それは……

 確かに心が折れそうになった。殺して欲しいと懇願されて、そうしないとすべてが終わってしまうと告げられて、どうしようもないと思って挫けそうになった。

 だけど代海ちゃんが、まだ生きたいって思っているなら。まだ希望を捨ててないなら。

 その輝きは、無駄にしたくない。

 

「……それは、いや、だよ。代海ちゃんが諦めてないなら、わたしだって、諦めたくない……!」

「なら話は決まりだな」

「は、はい……」

 

 まだわからないことは多いし、この人のことも本当に信じていいのかわからないけど。

 希望が生まれた。霧が晴れたように、目指す場所が見えて、迷いが薄らいだ。

 ……待ってて、代海ちゃん。

 

「それじゃあ、よろしくお願いします。えっと……ディースパテル、さん?」

「こちらこそだ。俺のことは、呼びにくければ好きに呼べ……あぁ、だがディジーと呼ぶのだけはやめておけ。色々面倒くさい」

「? はぁ……じゃあ、とりあずディースさんと……」

「まあ呼び名なんぞどうでもいい。とりあえず今は、お前とコンタクトが取れただけで十分……詳細を話してる暇はないが、ひとまず俺たちが目指すのは、【死星団】の解体だ」

「解体?」

「お前にとって、俺と組む最大のアドバンテージは、俺が【死星団】であることだ。そして、俺の目的はまだ【死星団】の誰にも知られていない。スパイってやつだな」

「スパイってことは、ディースさんが【死星団】の情報を探ってきてくれる……?」

「情報だけじゃねぇさ。俺が内側から細工をする。そこにお前の、お前らの力を加えれば、突き崩すことも不可能じゃねぇ」

 

 つまり内部工作。

 相手は神様を有するほどの組織だけど、それでも、内側から突けば……

 

「【死星団】をバラすことは、目的達成の準必須条件だ。連中は女王の、姫さんの親衛隊でもある。奴らを倒さないことには、まずそこに辿り着けない」

「解体っていうのは、そういうことなんですね」

「そうだ。防備はシリーズとミネルヴァでガチガチ。その上、不思議の国の連中もほとんど狩り尽くした。残党を仕留めれば、すぐお前たちに牙を剥く。そうなったら女王を討つ戦力が足りなくなってお手上げだ。機を窺うにせよ、女王が目覚めてもゲームセット。正直、お前との接触も、もっと早いタイミングにたかったんだが……タイミングが難しくてな」

「ご、ごめんなさい……?」

「今のは愚痴だ、気にするな。なんにせよ、俺たちは圧倒的に戦力不足。勝っているのは俺という情報だけ。このアドバンテージをどれだけ有効活用できるかに掛かってる。お前も他の連中に俺のことバラすなよ?」

「し、しませんよ!」

「ならいい。戦力不足はどうしようもねぇが、アテはある。そこらへんは俺がなんとかするから、お前は俺の指示があるまで待機だ。俺と接触したからって変な動きはするなよ、あいつにバレるからな」

「あいつ?」

「あぁ。最初に崩す牙城の基底、さしあたっての目的にして、俺にとっても、そしてお前にとっても最優先目だ」

 

 最優先……わたしにも?

 それって……?

 

「お前もさっきも見ただろう。いっとうやかましくて、邪悪で、高飛車でお調子者で気位が高いが、なによりも厄介で放置できない手合い――」

 

 その名前は。

 そして、わたしがそれを優先する理由は。

 

 

 

「――メルクリウス・エノシガイオス。まずはこの、水早霜と香取実子を蒐集したクソガキを叩き潰す」




 同盟締結。第一目標は、打倒メルクリウス。


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54話「討滅・星の賢者 Ⅰ」

 今話から、VS【死星団】開始と相成ります。


「――ってことがあったんです」

「えぇ……怪しすぎない?」

「率直な感想を申しまして、俺も怪しいと思います」

 

 ディースさんと協力を結んだ後日。わたしはそのことを、謡さんに話した。

 すると案の定というか、謡さんとスキンブルくんは、とても苦い顔をする。

 

「そのディースパテルという男、出生も立場も特殊なようですが、しかし“女王の性質を含む”という点は決して見逃してはいけません。邪悪な因子を宿している以上、どこで牙を剥くか油断ならないでしょう……もっとも、その女王の落とし仔の欠片から生まれた俺が言うのも、どうかと思いますが」

「まあでも用心するに越したことはないよ。できればこれ以上の接触も避けて欲しいくらいだけど……」

「ごめんなさい……それは、できません」

「……ま、だよね」

 

 そう、いくら怪しくても、危険でも、これ以上は立ち止まれない。

 だって、ディースさんは、確かに言ったんだ――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

「海洋の賢者、メルクリウス・エノシガイオス。まずはコイツを潰す」

「メルクリウス……って、さっきの、女の子……」

 

 あの子は、ユーちゃんやローザさんを襲った子だ。

 それに、それだけじゃなかった。

 

「あいつはお前にとっても見逃せない存在だろう。なにせあいつは、水早霜と香取実子を取り込んだ」

「!? 霜ちゃんに、みのりちゃんが……!?」

「そうだ。姫さんの勅命がある以上、下手な手出しはしないはずだが……ミネルヴァやシリーズならまだ安心できたものの、よりにもよってメルクリウスに目を付けられるとは、ついてないな、あいつら」

「ど、どういうことですか?」

 

 ディースさんは、一拍おいて。メルクリウスという女の子について、語り始めた。

 

「メルクリウスは「この世界をもっと知りたかった」「認めて欲しかった」……そんな代用ウミガメの悔恨、自尊心、探究心、承認欲求によって生まれた【死星団】だ。とにかく好奇心旺盛なんだよ、あいつは。自分の知的好奇心を満たすため、そして、自分の実力を誇示するためなら、なんでもやる。姫さんの意志も、無視するとまでは言わないが、かなりギリギリなラインを攻めやがる。たとえば、既に“終わっている”と屁理屈こねて、ヤングオイスターズの長女を弄くり回して壊しちまってる。次は公爵夫人……そのうち、他の連中に手を出さないとも限らない。殺しこそしないが、早く救出しねぇと、とんだバケモノになって戻って来るかも知れねぇぞ」

「そん……な……」

 

 わたしの知らないところで、そんなことが……

 霜ちゃん……みのりちゃん……

 

「そういうわけで、メルクリウスは放置できない。俺としてもこいつが残ってると色々不都合でな。とにかく奴を、これ以上成長させるわけにはいかない」

「成長……? 確かにまだ子供だったけど……」

「あぁ、そうじゃねぇ。言ったろ、あいつは代用ウミガメの好奇心を抽出し、凝縮し、結晶化したようなもんだ。だからあいつは、ひたすらにこの世界のあらゆるものを“視て”“学ぶ”。森羅万象の情報を知識として吸収する怪物なんだよ。その手段として、あいつはこの星のすべてを監視する“眼”を有している。そうだな……常に全世界を一望できる監視カメラで監視されていると思えばいい」

「全世界!? そ、そんな広い範囲、ひとりで網羅できるわけが……」

「あぁ、勿論ひとりでそんな情報処理、できるわけがない。実際できてないしな。監視と言っても今のところは視覚情報が精々だし、かなり範囲を絞ってる。海外やら僻地までは、そこまで詳細に見られてねぇよ」

「え、えぇ……?」

「見ての通り、あいつは子供だ。幼体として生まれている。だが、俺やミネルヴァ、シリーズ……他の【死星団】はこの通り、成熟した姿で生まれている」

 

 そ、そういえば……

 なんであの子だけ、子供なんだろう。いや、生まれたばかりだというなら、むしろ大人の姿で生まれてくる方が変だと思うけど……

 それはそれとして、違いがある、差があるということは、そこに理由がある、ということだよね。

 

「メルクリウスはⅡ等星(ディステラ)、つまり2番目に生まれた【死星団】であり、№2だ。だが純粋な力量で言うと、あいつは今は一番弱い」

「?」

「なぜならあいつは“成長する”からだ。周囲の情報を吸収し、それを糧に自身の能力を上昇させていく性質がある。今はガキなもんで単独の処理能力は大したことないが、これが強化されていくとなると……」

「え、えっと、あの子って全世界を監視してるんですよね? それで、情報を吸収するごとに強くなって、能力が上がっていくってことは……」

 

 能力が向上すれば、より広い範囲をひとりで網羅できるようになって、より多くの情報を吸収できる。

 そうすればさらに能力が向上していって……

 

「どんどん累乗していくわけだ。少しはあいつが放置できない理由が理解できたか? このままあいつの能力が上がれば、こうした密会も一瞬で露見する。それ以前に、純粋に勝てなくなる」

「…………」

「まあこれは戦略的な話だ、お前はダチのことを優先して考えればいい。俺としても、そいつら弄くり回されて兵器転用されると、戦力的に困るんでな。メルクリウスを優先して撃破する利害は一致している」

「……はい」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――霜ちゃんとみのりちゃんが、待ってるんだ。だから、わたし……!」

「うん。危険だからって止めるのは簡単だけど、立ち止まってもなにも解決しないもんね。せっかく手に入れた、ようやくの手掛かりを無駄にもしたくないし」

「それにつきましては俺から謝罪をば。最近、調子が悪いのかなんなのか、どうにも上手いこと姿を消せなくて、情報収集が捗らないのです。猫の姿にもなれやしません」

「あ、だからずっとその姿なんだね……」

 

 最近、珍しく男の子の姿のままでいることが多いと思ってたけど、そういう理由だったんだ。

 もしかしてそれも、女王様のことが、関係しているのかな……?

 

「小鈴ちゃんはちょっと危なっかしいけど、後輩たちのためだもんね。お目付役も兼ねて、私も手を貸すよ」

「ありがとうございます……謡さん」

「無論、俺も微力ながらお手伝い致しましょう。しかし情報収集というアイデンティティが消失したとなれば、なにか他の手を考えなければなりませんね……」

「ディースさんには、とにかく仲間を集めろって言われたんだけど……そういえば、恋ちゃんは今日は来てないんですね」

「あー……れんちゃんねぇ」

 

 今日集まってるのは、わたしと、謡さん。そしてスキンブルくんだけ。

 そのことを言うと、謡さんは渋い顔をする。

 

「なんか忙しいっぽいよ、最近。この頃、学援部いっつもバタバタしてるし、小鈴ちゃん会う前にも部室覗いてきたけど、ほむくんも、みこちゃんも、なーんか慌ただしい感じだったしなぁ。しばらくはこっちに顔出せないかも」

「そうですか……」

 

 残念だけど、しょうがないよね。

 いつきくんにも迷惑かけられないし……

 

「で、私たちはなにをすればいいわけ?」

「えっと、ディースさんも自由に動けるわけじゃないらしいんだけど、準備ができたらまた来るって……」

「……なーんか隠されてる気がするなぁ。やっぱこの子の人の良さに付け込んでるんじゃない?」

「で、でも、代海ちゃんを助ける目的は同じなので……」

「だといいけどねぇ」

「小鈴様は既に、不思議の国に騙られた前科がおありですからね」

「そ、それは……」

 

 確かにそれがそもそものきっかけだったわけだけど……

 でもディースさんの言葉がすべて嘘だなんて、わたしには思えない。なにより、ずっとなんの手掛かりもなく迷っていたわたしたちに、明確な目的を、道を示してくれたんだ。

 たとえ騙されていたとしても、それは事実。あのままなにも知らない、わからないままでいるよりは、よっぽどいい。

 とにかく今は、霜ちゃんとみのりちゃんを……わたしの友達を、取り返すんだ。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――話は理解できた。つまり我々も、マジカル・ベルに合流しろ、ということだな」

「そうだ。とにかく人手がいるんでな。場所はこっちで指定するから、合わせてくれればいい」

「…………」

「どうした?」

「どうもこうもない。こちらの現状は理解しているのか?」

「当然。その上で、この話を持って来たんだ」

「であればなかなか性格が悪い。局所的に見れば貴様の手引きは確かに功を奏した。しかし今、我々の作戦は失敗し、仲間を失った」

「それは俺の責任じゃねぇな。てめぇらの失態を俺に擦るのはお門違いだぜ。それに、だからこそ、お前たちには必要だろ? 新しい仲間が」

「……違いない。このままでは手をこまねくばかり。眠りネズミの火も消えてしまう」

「お前らが危機的なのはわかってるさ、別に足下見てるわけじゃねぇよ。こっちだってギリギリなんだ、お互い危ない橋渡ってるもんどうし、協力しようぜってだけでな」

「わかっている、今、頼れるのは貴様だけであると。しかし貴様はどうにも信用できない。貴様の殺意は公爵夫人のそれと違い、澱を纏っている」

「慎重なのは結構なことだ、疑念を向けられても有能な奴なら文句はねぇ。どうか英断を頼むぜ? ヤングオイスターズ」

「……俺はもう行く。眠りネズミの面倒を、虫共に任せっきりにはしておけない」

「おう……さて」

 

 指折り人数を数えてみる。

 

「この感じだと、日向恋は不参加、か。メルクリウスでも感知できない奴は、いい鬼札になると思ったんだがな。しかしそうなるとマジカル・ベル側からは2人……チェシャ猫を含めても3人か。あいつらから徴兵できても、よくて3人、まあたぶん2人ってところだろう。現地で2人調達したとしても、6人……全然足りないな。あと2人、欲を言えば3人欲しいところだが、どうしたもんか」

 

 思案し、そしてひとつ、可能性を発見する。

 急ごしらえの戦力としては、些か不安だが。

 

 

 

「……兎狩り、してみるか」




 死星団戦とは言う物の、まだ準備期間。


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54話「討滅・星の賢者 Ⅱ」

 ヘリオスってこんなアホだったっけ?


「姫の容態はどうだ? シリーズ」

「落ち着いているわね。ひとまずは大丈夫でしょう」

 

 森の寝台、泥のように眠る代用ウミガメ。

 シリーズによると、先のマジカル・ベルとの交戦で、体力、気力ともに消耗してしまい、ちょうどそのタイミングで女王の“脈動”があったのだという。

 それは即ち、女王の目覚めが近づいている証左であった。

 

「であれば良いのだが、よもや外、しかも我々の目を離した隙に覚醒が進んでしまうとはな……とんだ失態だ」

「まったくだ。しかも兎も一匹逃がしたんだろ?」

「そうだ……返す言葉もない」

 

 ディースパテルの指摘に、ミネルヴァは苦々しく顔をしかめる。

 

「まあそれに関しちゃ、俺も外への警戒ばかりで、姫さんの単独行動ってのは考えてなかったからな。お互い様だ」

「でもさー、ほーんと、バッカみたいだよねぇ。いっつも僕にぐちぐち言うわりには君だってなにもできてないじゃないかミーナ」

「……ディースパテルの諫言ならばいいだろう。しかしヘリオス、貴様に苦言を呈される覚えはないぞ」

「そう?」

 

 キョトンと首を傾げるヘリオスに、ミネルヴァは声を荒げる。

 

「そうだヘリオス! 貴様こそ、当時どこぞへふらりと消え去っていたではないか! 招集はかけたはずだ、どこへ行っていた!?」

「わぉ、鬼の形相。それだよそれ、ミーナってば、いっつも僕を怒鳴りつけるじゃん。うるさくて耳が痛いんだ」

「誰が原因だと思っている! まったく貴様という奴は……!」

「まあ落ち着けよミネルヴァ」

 

 今にも剣を抜きそうなミネルヴァに、ディースパテルが仲裁に入った。

 

「こいつはこういう奴だ。構うだけ馬鹿を見る」

「そうだよ、ミーナも馬鹿になるよ」

「安心しろ。貴様より馬鹿になることはない」

「ならいいんだけどさ」

「なぁヘリオス、せめて自分が罵倒されていることくらいは非難したらどうだ?」

「?」

「ほんとお前は……まあいい。んなことよりミネルヴァ、件の逃がした兎だが」

「あぁ、そうだったな。本来ならば、私がけじめをつけるべきことだが……」

「わかってる、俺が引き受けてやるよ」

「すまない」

「え? なに? なんのこと?」

「……なんでもない。貴様は黙っていろ」

「そんなこと言わないで教えてよー、僕らの仲じゃないか。ねー、ミーナー!」

「えぇい鬱陶しい! 離れろヘリオス!」

 

 ベタベタと寄りついてくるヘリオスを、ミネルヴァは押し返す。

 ――以前、ミネルヴァの異聞神話空間『光の神殿・愛護の契』にて、脱獄者が現れた。

 ふたりの脱獄者のうち、片方は捕えたが、もう片方、三月ウサギは逃してしまったのだ。

 流石にこの事態を重く見て、ミネルヴァは先延ばしにしていた穿たれた国壁の修復を開始。そして脱獄を果たした三月ウサギの再捕縛も考えていたのだが、国壁の修復中に外に出て交戦するわけにもいかない。

 加えてディースパテルから「自陣防衛であればお前の方が適任だろうさ。俺の異聞神話空間は、あんま守りに向いたタチじゃねぇしな」との言もあり、ミネルヴァは三月ウサギの追補をディースパテルに委ねたのであった。

 

「……ところで」

 

 ヘリオスの頭蓋を剣の鞘で叩き伏せつつ。

 この場にいる面々――シリーズ、ヘリオス、ディースパテルらを見回す。

 

「メルクリウスはどうした?」

「メルならさっき部屋に籠もってたけど」

「お呼びなのです?」

「あ、出て来た」

 

 どこからともなくひょっこり顔を出す青い少女。

 その表情はどこか楽しげであった。そして彼女が楽しそうということは、なにか企んでいるということだ。

 

「メル、君はなにを?」

「なにって、準備なのです!」

「準備?」

「なのです。ほら、いよいよあたしたちのこと、マジカル・ベルちゃんたちにバレちゃったじゃないですか」

「そうだな……彼女は姫にとっても大きな存在。できれば直接の接触を避け、ギリギリまで隠蔽するつもりだったが……」

「まあ色々イレギュラーだったわな。しゃーねぇ」

「なのです。まあやっちまったことはどうしようもないので、ここはその後の対処法を確立させるのが建設的というものなのです」

「へー、そうなんだ」

「きっとあちらさんのお目当てはお姫さまなのです。そして、それがこちら側にあると知ってしまった。こうなったら向こうも必死になると思うのですよね」

「だろうな」

「なので! そろそろこちらも仕掛けるべきだと思うのです!」

「……マジカル・ベルを、狩る、か」

 

 ミネルヴァは神妙な面持ちで、メルクリウスを見遣る。

 彼自身はメルクリウスを否定しない。けれど、乗り気ではない様子。

 それに、なにより。

 

「姫は、それを望まない」

 

 代用ウミガメの苦悩、葛藤、二律背反。

 それは同胞を、仲間を、友人を、許せないと、報復したいと思う反面、彼ら彼女らを傷つけたくない、守りたい、一緒にいたいという矛盾も孕んでいる。

 その中でも、『イカレ帽子屋』と伊勢小鈴への葛藤は、一際強い。故に【死星団】では、その結論を自分たちが下すことはできないと、暗黙の了解が敷かれていた。

 しかしそれを、メルクリウスは遂に打ち破る。

 

「確かにお姫さまのお気持ちを踏み躙ることになっちゃうのですが、しかし同時にあの子を迎え入れたいとも思っているのです。保守だって“選択”なのですよ、ミーナさん。究極的に、論理的に、なにかを“選ばない”ことは不可能なのです。選ばないという選択を選んでいるのですから。そしてなにかを選択するということは、なにかを蔑ろにすること。マジカル・ベルちゃんに不干渉でいるということは、彼女を迎え入れないということでもあって、それもまたお姫さまの意向に反することなのです」

「…………」

「ま、そうだな。結局、世界は取捨選択。先延ばしにしたって結論は同じだ。そうすることと、そうしないことは、表裏一体だな」

「なのです! それに、お姫さまのお気持ちとして、その矛盾論理を読解するのは困難なのです。なぜなら、どちらの欲望を優先すべきか、判断基準が欠落しているから。であればそこは、合理性で決めるべきなのです」

 

 代用ウミガメの意を汲む、という第一基準が判断を下せないのであれば。

 第二基準。自分たちにとってそれが有益か、有効か、という判断を下す。

 理路整然としていて、合理的だ。ミネルヴァは、その論理を否定できない。

 

「どうせみんな蒐集するのです。なら邪魔されないうちに、安心安全確実なうちに、そうしておくのが最善ってもではないのですか?」

「……一理ある」

「それは認めてくれるってことで、おっけーなのです?」

「あぁ……そうだな。確かに姫が決定できぬことなら、他の誰かが決断せねばなるまい。ならばその役目は、我々が負うほかないのも事実。いいだろう、マジカル・ベルの捕縛は君に任せる、メルクリウス」

「いぇーい! 言質取ったのです!」

 

 メルクリウスの進言を、ミネルヴァは認める。と、いうよりも、屈してしまう。

 彼女の性質、滲み出る、隠しきれない邪悪さ。笑顔の裏側で考えている策謀、悪巧みは理解しているが、ミネルヴァにはそれを止められない。

 メルクリウスの言っていることは正しい。秩序を重んじるミネルヴァでは、“正しさ”には抗えない。

 それをわかってやっているあたり、メルクリウスは賢しく、悪辣であった。

 

「まああんま心配するなよミネルヴァ。流石にデカいヤマだからな、今回は俺も付いてる」

「なのです! ほどほどに頼りにしてるのですよ、ディジーさん」

「あぁ、まあ、ほとんどお前ひとりで全部やっちまいそうだけどな」

「……ディースパテルもいるのなら、そうだな。その件は全面的に君たちに任せよう」

 

 メルクリウスに不安こそあるが、ディースパテルが目付役となるのであればと、ミネルヴァは大きく頷いた。

 

「くふふ、これでいい感じにチーム分けできたのですね」

「そうだな。俺とメルクリウスでマジカル・ベルをはじめとした残党を狩り尽くす。その間の守備はお前とシリーズの役目ってこった」

「異論はない。シリーズ、いいな?」

「えぇ」

「……あれ? 僕は?」

「お前はひとつのポジションに留まれないだろ。好きにしろよ」

「そっか。オッケー!」

「こいつは本当に、扱いづらいのか扱いにくいのか」

 

 恐らくなにもわかっていないヘリオス。なぜか妙に楽しそうだった。恐らく、無意味に感情が昂ぶっているのだろう。

 こういう状態のヘリオスこそ、動きが読めないため、敵味方関係なく厄介なのだが……と、ディースパテルは嘆息する。

 

「それじゃーディジーさん、かるーく打ち合わせでもするのです。あたしのアトリエへどうぞ!」

「ん、あぁ。そうだな。んじゃそういうわけで、なんかあったら呼んでくれ」

「任せたぞ」

「じゃーねー。お土産よろしくー」

「遊びに行くんじゃねーんだぞ。てめぇと同じにすんな」

 

 ヘリオスを軽く流しながら、ディースパテルはメルクリウスの異聞神話空間――“模様替え”された『空想錬金工房 愚者の海』へと足を踏み入れる。

 

 

 

(さて――仕込んどくか)




 ヘリオスには強気なのに、メルクリウスには逆らえないミネルヴァ氏。


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54話「討滅・星の賢者 Ⅲ」

 打倒メルクリウス。ゲーム開始。


 寒空の下、閑散とした自然公園の中。

 謡さんに、スキンブルくん、そしてわたし。わたしたち3人は、時が来るのを待っていた。

 

「僕もいるよ」

「鳥さんは戦力にならないでしょ……ほら、あんドーナツあげるからおとなしくしててね」

「むぐむぐ、甘い」

 

 鳥さんはさておくとして、わたしたちは、3人しかいないんだ。

 霜ちゃんにみのりちゃんに、ユーちゃん、ローザさん。それに、

 

「やっぱれんちゃんは来れなかったか……大丈夫かな」

 

 恋ちゃんも、ここにはいなかった。

 

「代わりに俺がいますよ。恋様と比べれば力不足でしょうがね」

「そ、そんなことは……」

「それより本当にここでいいの? 変な罠とか、ないよね?」

「大丈夫……だと、思いますけど」

 

 ディースさんに指定された場所と時間。そして“作戦”。

 ここで待っていれば、メルクリウス――わたしたちが戦うべき人が来る、という話だった。

 

「なんか相手を待つって、決闘みたいだなぁ。巌流島じゃあるまいに」

「タイマンなら、よりらしくなっていたことでしょう」

「……あ、誰か来ますよ」

 

 足音が聞こえる。それもひとつじゃない。

 

「ふたり……かな。ひとりではないと思う」

「足音なんてよく聞こえるね、しかも人数まで……スキンブル?」

「気配察知しました。小鈴様の言う通り、ふたりです。しかも、人間じゃありません。これは――」

 

 ザッ、と。

 “彼ら”は、現れた。

 

「あん? マジカル・ベル?」

「えっ、君は……ネズミくん? それに……」

「……よもや奴が先に接触していたとはな。俺たちの苦労はなんだったのか……」

「うーわー、あなた確か、朧君の……」

 

 姿を現したのは、男性ふたり。というより、少年と青年。

 刺青ピアスに赤く染めた髪、ファンキーな出で立ちの『眠りネズミ』くんに。

 『ヤングオイスターズ』の長男、アギリさん。ふたりとも、不思議の国の人たち、だけど。

 

「ふたりとも、ど、どうしてここに?」

「情報統制が敷かれているようだな。いや、この場合は秘匿されていた、と考えるべきか。恐らくはメルクリウスなる餓鬼の監視を警戒してのことだろうが……」

「まさかまた私たちとドンパチやろうってわけじゃないよね? 今、それどころじゃないんだけど」

「それこそこちらから願い下げだ。我々は今、争っている場合ではない。いや、それよりも――」

「――小鈴様!」

 

 アギリさんが言葉を続けようとした刹那。

 ネズミくんが、目にも止まらない速さで、突っ込んで来た。

 そのままわたし目掛けて手を伸ばそうとするけど――その手は、スキンブルくんに振り払われる。

 

「敵対意志はないのでは?」

「ない。が、彼は少々感情的になっていてな……少し話を聞いてやってくれ」

 

 アギリさんはネズミくんの首根っこを掴む。

 見ればネズミくんは、すごく興奮しているようだった。息が荒く、目は血走っていて、鬼気迫る形相だけど……どこか焦っているような、危ういようにも見える。

 ネズミくんはそのまま、わたしに向けて、ほとんど怒鳴るように叫んだ。

 

「おい! マジカル・ベル!」

「は、はい。なにかな……?」

「ソウは……ソウはどうした!?」

「そう……? 霜ちゃんのこと?」

「それ以外あるかってんだ! あいつはどうした!?」

 

 どうした、と聞かれても……

 

「……霜ちゃんは、敵の……メルクリウスって女の子に、捕まっちゃったって……」

「やはりな。眠りネズミ、認めるしかあるまい。我々は失敗したのだ」

「っ……クソッ! クソがよ……!」

「えっと……?」

 

 なにがあったんだろう。ネズミくんが霜ちゃんを心配してる……? どういうこと?

 

「そっちでもなんかあったっぽいね」

「そうだな。そちらがどれだけ情報を得ているかは知らないが、我々は【死星団】によって狩られている。レジスタンスとして細々と仲間を探しながら生き延び抗い、水早霜とはその半ばで手を取り合った同志だ。しかし少し前から連絡が取れなくてな。他の仲間たちもほとんど狩られ、今や確認できる生き残りは4人だけ……組織としては瓦解同然、死に体だな」

「そ、そんな……」

 

 【不思議の国の住人】の人たちが、今はたった4人。

 目の前にいるアギリさんとネズミくんでふたり。それに加えて、さらにふたりしかいないなんて……

 

「我々の間に因縁はあるだろうが、今は目を瞑って欲しい。【死星団】の脅威は絶大だ、このままだとお前達も狩られるぞ」

「……まあ確かに、争ってる場合じゃなさそうだね。それはそれとして、なんでここに?」

「とある男の手引きだ。こうしてお前達もこの場にいるということは、きっとそちらも接触してきたのだろう」

「え、それって……」

 

 わたしたちと、彼らを引き合わせた存在。

 それはきっと、この場所をセッティングした――

 

 

 

「くっふっふー、皆々様、お集まりいただけているようなのですね!」

 

 

 

 ――声が高らかに響き渡る。

 幼くて、どこか怖気の走る、明朗な声。

 

「いやー、流石はディジーさん! 必要な人材を纏めて一ヶ所に集めてくれて楽ちんなのです! 効率的ぃ!」

「! あ、あなたは……!」

 

 長く流れる水のように青い、幼く小さな少女。

 深海のように暗く深い青々とした双眸が、嘲笑うようにわたしたちを見つめている。

 

「お初の方もいらっしゃるので、ご挨拶をば。あたしはメルクリウス! Ⅱ等星(ディステラ)のメルクリウス・エノシガイオスなのです!」

 

 慇懃無礼に、彼女はお辞儀をする。

 とても可愛らしくて、明るい子供にしか見えないのに。

 邪悪な気配が隠し切れていない。笑顔の裏にある嘲笑が、侮蔑が、瞳の奥底から溢れている。

 そのあまりのギャップに、怖気が走る。

 

「おいてめぇ!」

 

 けれどネズミくんは彼女のおぞましさに臆することなく、食い掛かる。

 

「ソウは……ソウをどこへやりやがった!」

「あー、あのクソ生意気で女の子みたいな男の子なのです?」

「そうだ! てめぇ知ってんだろ!? 僕のダチどこへやったか吐きやがれクソガキ!」

「とりあえず優しいメルちゃんは、その不遜で不敬で乱暴な口は見逃してあげるのです。で、えーっと、あの子でしたか」

 

 くすくすと、彼女は楽しそうに笑う。

 

「あんまりうるさいので、仲良しな女の子と一緒に溶液に沈めちゃったのです☆」

「えっ!?」

「てめぇ!」

「なーんて! マジマジ! 嘘じゃなくてマジなのです。沈めたのはホントなのですよ? お姫さまからのリクエストがあるので、死んではいないですけど……死んでは、ね」

 

 彼女は不穏な言葉を並べ立てる。

 わたしたちをからかっているんだと思うけど、その言葉が本当なのか、嘘なのか、実際にどうしたのか、それを確かめる術はわたしたちにはない。

 それにこの子なら、本当に、一線を越えてしまいそうな怖ろしさがある。

 不安を煽られ、胸が締め付けられるみたいだ。

 

「……外道な餓鬼もいたものだ」

「くふふっ。まあ実際、あんまり手が出せないのはあるのですよ、弄りすぎるとミーナさんがうるさいので! だからほどほどに素材を使わせてもらったくらいなのですよ」

「るせぇ! いいからダチを返しやがれクソガキ!」

「いいですよ?」

「あん!?」

「これからゲームをしましょう。無限と夢幻の世界で、あなた方は望むままに動き、各々の望みを叶えればいいのです。返して欲しいものがあるのなら、自分で掴み取ってくださーい」

 

 あっさりとそう言い放つと、一瞬、視界が暗転する。

 刹那の明滅のうちに、世界が、切り替わった。

 いや、違う。そうじゃない。

 これはディースさんから聞いた、異聞神話空間――世界が変わったんじゃない。わたしたちが、別の世界に取り込まれたんだ。

 やがて、新たな世界へと招かれる。

 

「こ、ここは……!」

 

 そして、目を疑った。

 別の世界、なんてファンタジーなイメージはふんわりあったけれど。

 これはあまりも想定外で、けれどもありふれてて、だからこそ想像もしなかった。

 

『これこそあたしの異聞神話空間、『空想錬金工房 愚者の海(ストゥルトゥス・マレ)』! うつろにうつろうあたしの王国において、あたしが現状構築できる最高最大の世界!』

 

 不気味に反響する幼い声。彼女の姿はないけれど、その音だけは、やけに大きく響く。

 本来であればあり得ないはずの現象に困惑する。いつもならそうあることであるはずなのに、混乱する。

 自分の呼吸を確認する。視界を疑う。そして再び、この透明な世界を、見渡した。

 

 

 

『即ち此なるは――『幻想海洋都市ティマイオス(Timaeus)』!』

 

 

 

 そう、ここは――海だ。

 海の中。あるいは、海の底。

 近未来的な超高層ビル群が立ち並ぶ大都心。それがまるっと水没している。

 水没した世界なんてファンタジー、わたしだって一度くらいは夢見たことがある。しかもここにいるわたしたちには、確かに息がある。呼吸ができる。あまりにも、都合のいいファンタジーだ。

 乱立したビル群が明るい未来を示し、天まで水に満たされた水没した現状が退廃した未来を示す。繁栄をこの水で塗り潰すような、そんな二律背反の世界だった。

 

「海の中、水没した都市……呼吸はできる。動きは地上とさほど変わらない。見かけ倒しか」

『おやおや? ひょっとしてエラ呼吸の方ですか? ごめんなさーい、肺呼吸の生き物に配慮した造りにしてあげたのですけど、今から再調整して、纏めて溺死させちゃうのです?』

「生殺与奪は貴様が握っているとでも言いたげだな。気に入らない」

『くふふ、まー態度が気に入らないのはお互い様ということで!』 

 

 アギリさんと言い合う声が、どこかから聞こえてくる。

 なんとなく、上の方から聞こえてくる気がするけど……よくわからない。

 空も水で満たされているから、水流と水の揺らめきで光は曲がりくねり、太陽も見えない。そもそも太陽があるのかもわからないけど、視界は明瞭だから、光源はハッキリしてる。

 だけど、あの子は一体どこに……?

 

『まあ御託はこのへんで。お宝探しのはじまりなのですよ。あたしは王座でゆっくり高みの見物させてもらうのです』

「宝探しだぁ? ふざけてんのか!」

『いえいえまさか! この世界のどこかにあたしはいるのです。ひょっとすると、あなた方のお友達やご家族の方もいらっしゃるかもしれないのですよ?』

「! 霜ちゃんやみのりちゃんが……」

「……家族、か」

 

 この水没した街のどこかに、霜ちゃんやみのりちゃんがいるなら、早く助けないと……!

 

『あぁ、そうそう。大事なことを言い忘れていたのでした』

「大事なこと?」

「どうせろくでもないことな気がするけどね」

「なにを仰いますか、とっても大事なことなのですよ」

「えっ!?」

 

 唐突に、目の前にあの子が現れた。

 

「い、いつの間に……?」

「っていうかいきなりご本人が登場? どういう風の吹き回し?」

『あー、いえいえ、それはあたしなのですが、あたしではないのです』

「ん? あれ……?」

 

 また、空から声が聞こえてきた……?

 っていうか、目の前のこの子……

 

「おい、なんかこいつ増えてるぞ!?」

 

 気付けばその子は、2人、3人、4人と、数が増えている。

 いや、違う。そんな手で数えられるような数じゃない。

 もっといる。彼女たちの背後に、見上げた満天の海に、数多の、彼女が。

 

『これめっちゃ大事なお知らせなのですよ? そうビッグニュース! 本日より、海原メルちゃんのアバター大量配布! 言うなれば、そう! 量産型メルちゃんなのです!』

 

 同じ顔の女の子が、四方八方天地に至るまで、水の中を無数に浮かんでいる。

 これは、色んな意味で恐ろしい……!

 

「アバター……配布だと? ふざけているのか」

『ふざけてないのでーす!』

 

 などと言いながらも、くすくすと彼女は笑っている。

 

『そこにいるのは紛うことなき1分の1スケールの海原メルご本人! 思考も嗜好も指向もすべてがあたしとおんなじ超クオリティなのです! ま、神格までは流石に完コピできなかったのですけどー。でも性能はお墨付きなのです!』

「……それって」

「こいつら全員、(エネミー)だ」

 

 その時だ。

 にやにやと笑みを浮かべている、同じ顔をした幼い女の子の大群。

 それらが一斉に、飛びかかってくる。

 

「鳥さん!」

「お腹いっぱいで力もほどほど、いけるよ!」

 

 一歩、前に踏み出す。

 そして、渾身の力で、剣を振り抜く。

 そのひと薙ぎで、襲いかかってきた軍勢は振り払えた。

 

『あー! メルちゃんアバターになんてことを! それプレミアなのですよ!? まあいくらでも量産できるのですけど』

 

 手応えは……微妙。

 彼女たちはむくりと起き上がって、またこちらを嘲笑するような目で見つめてくる。

 鳥さんに力を借りて、この姿になっても物理的には倒しきれない。となると、ひとりひとり確実に倒していかないと、いけない……?

 

『ま、ゲーム開始時のインフォメーションはこんなところなのです。そういうことですので! 皆々様、ご健闘をお祈り申し上げるのです。ではでは~メルメル~』

 

 お気楽な声は、それっきり聞こえなくなった。

 残っているのはそれと同じ声を発する、無数の同じ顔の女の子の群れ。

 

「これひょっとして、あのちっこい女の子の大群を蹴散らしていけって? デュエマで?」

「弾切れはなさそうだな。だいぶ不利な消耗戦だ」

「上等じゃねぇか。ムカつくツラならいくら殴っても殴り足りねぇってことはねぇ!」

「敵の幹部の同等の力を持つ存在が群れをなしているのです。現実的に考えて、押し切ることは不可能でしょうが」

「……わたしはやるよ」

「まあ妹ちゃんがそう言うなら仕方ない。一応、そういう作戦だしね。君も腹括りなよ、スキンブル」

「御意に。あまり俺のことは戦力として期待しないで欲しいのですがね」

 

 聞いていないこと……思ったよりも、想定外の驚きが多いけれど。

 わたしたちのやるべきことは、なにも変わっていない。

 

「状況はほぼ四面楚歌。増援の期待もない以上、固まっていても仕方ない。散るぞ」

「あぁ、待ってろよソウ……! 今行くからな!」

「俺は謡と一緒に。その方が色々と都合がいいので」

「うん。じゃあ妹ちゃん、気をつけて」

「……はい」

 

 アギリさん、ネズミくん、謡さんにスキンブルくん。そして、鳥さんとわたし。

 たった5人で、悪意と暴威の渦巻く、この海洋都市探索が、始まりを告げる。

 

 

 

「……待っててね。霜ちゃん、みのりちゃん」

 

 

 

 そして――代海ちゃん。




 量産型メルちゃん。
 誰か作ってくれねーかな。作られても活用方皆無だけど。


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54話「討滅・星の賢者 Ⅳ」

 押し付けられるのは、無理ゲーである。


 メルクリウス・エノシガイオスの異聞神話空間――『空想錬金工房 愚者の海』

 最初は十数メートル四方の小さな実験室でしかなかった世界は、メルクリウスが外界から様々な意識を吸収することで、大きく、強く、成長していく。

 そしてメルクリウスは、吸収した知識を使って、自分の世界を思うがままに作り替えることができる。

 実験室にもなれば、スタジオにもなる。観測基地にもなれば、冒険の舞台にだって。

 どんなファンタジーでも、スチームパンクでも、サイエンスフィクションでも、思うがまま。

 空想を錬成する工房。それがメルクリウスの異聞神話空間の性質。

 そう、ここは彼女の箱庭なのだ。如何なる世界をも創造できる、理想の王国。

 この世界の中心。即ち管理室にて、メルクリウスはにまにまとモニターを眺めていた。

 虚空に浮かぶ電影。画面に映るのは、メルクリウスが創り出した水没した海底都市群――『幻想海洋都市ティマイオス』

 そこで量産型メル・アバターと交戦しながら、必死に仲間達を探すマジカル・ベルとその他大勢の姿だった。

 

 

「くっふっふー、うーん、これは神枠。マジカル・ベルちゃんとその他大勢の捕縛放送なんて激レアコラボは見逃せないのですね。ちゃーんと今回の枠はアーカイブ取ってアップするのですよ! ちょっぴり編集しつつも生のまま完全再現版でお送りするのです!」

「それ再現版って言うかぁ? どう考えても天然物じゃなくて加工してるだろ」

「おやおやディジーさんなのです。どうなのです? あたしの傑作は!」

「お前の趣味はさておき、戦略的には上々じゃね? 俺の出る幕ないかもな」

「もっちろん、ディジーさんのお手を煩わせるまでもないじゃないですかー。ま、ヤバい時はお手伝いしてもらうのですけど」

「楽できるならそれに越したことはねぇな。俺にゃそんくらいがちょうどいい」

 

 ディースパテルは『ティマイオス』の様子をモニターで眺めつつ、視線を“外”に向ける。

 

「しっかし、お前も性格悪いよな」

「なにがなのです?」

「そのやり方だよ。お前がやってんのは対戦ゲームじゃねぇ、無双ゲーだ。どう足掻いても勝てない無理ゲー押し付けてるようなもんじゃねぇか」

「……くふふっ。そうですね」

 

 メルクリウスは、一切悪びれず、さも当然であるかのように言う。

 

「そう、海中都市にいる限り、彼らはどんな望みも叶えられない。あたしの元には辿り着けない。絶対に、この――」

 

 メルクリウスは画面を切り替える。

 そこに映るのは、広大な海。

 しかし透明感ある蒼い海ではない。

 無数の光が点在する、漆黒の暗闇が支配する、深海よりも過酷で冷たい、恐怖と狂気の世界。

 即ち――宇宙。

 

 

 

「――『現創星間都市クリティアス(Critias)』には」

 

 

 

 そこは、海中都市から遠く離れた場所。

 海から抜け、大空を越え、成層圏を抜け、その先――遥か彼方の宇宙に浮かぶ、巨大人工衛星群。

 それこそが、メルクリウスが座する本拠地『現創星間都市クリティアス』だった。

 『幻想海洋都市ティマイオス』は、その名の通り幻想でしかない都市。そこには、現実のメルクリウスはいない。

 そこはメルクリウスが、マジカル・ベルらを殲滅する遊びするための箱庭。

 『空想錬金工房』内に創り出したのは、海中都市などではない。果てこそあるが、メルクリウスが吸収した膨大な知識を総集結させて生成された小宇宙。

 そこに地球のモデルケースを生成し、擬似的な文明を発生させ、海水で満たした。それが『幻想海洋都市ティマイオス』。

 つまりこの異世界は、海中都市だけでは終わらない。その“外”がある。

 それこそが、海の星を内包する小宇宙。そしてそこに浮かぶ『現創星間都市クリティアス』。

 本物のメルクリウスは、遥か高みの星間都市から、それを眺めるだけ。

 決して届かない安全圏から、彼らの抵抗を弄び、嘲り、蔑む王者の席だ。

 

「あたしの箱庭は完璧なのですよ。『ティマイオス』から『クリティアス』に行きたいなら、大気圏突破して、宇宙空間で活動できる身体じゃないと。そこまでやってくれないと、あたしの元へは辿り着けない……うーん、我ながら完璧なのです!」

「……お前、俺なんぞよりよほど邪悪だよな」

「褒め言葉として受け取っておくのですよ。ま、これは喧嘩じゃなくて戦争なのですし? 正々堂々なんてクソ喰らえ、万全に備えた方が勝つのは当然なのですよ。策略で負けてる奴は全員負けなのです」

「お前の性格の悪さには舌を巻くが、その考え方は実に俺好みだ。確かに正々堂々同じ土俵で戦ってやる義理はねぇし、備えた奴が有利を取れるってのも事実。戦いにすらさせないってのが、戦いの攻略法ってな」

「さっすがディジーさん、わかってるぅー!」

「それはそれとしてお前の悪辣さは普通に引く」

「えぇー? ちょっとくらい闇と病みがあるくらいが、女の子は魅力的ってもんなのですよ? 二面性、それ即ちギャップなのです! キャラ人気のコツなのですよ? JK?」

「お前のはただ性格悪いだけなんだよなぁ」

 

 もっとも、相手の土俵で戦う以上、アウェーの不利はあって当然。地の利を生かすのもまた当然だ。

 性格そのものは末期なまでに最悪だが、戦術としては正しい。付け入る隙の無い、完璧な布陣。

 だからこそディースパテルは安心して見ていることができる。

 準備万端であるほど、自分の身が安全であるほど、メルクリウスの自尊心は高まっていく。

 自分の策略は完璧だと驕る。

 実際、海中都市にいる彼女たちでは、メルクリウスを倒すどころか、本体に手が届くことすらないのだから、その高慢は正しい。

 しかし正しすぎるからこそ、突き崩す価値があるのだ。

 どこで仕掛けるべきかと、ディースパテルはメルクリウスの背後で、彼女を睥睨する。

 そんなディースパテルのことなど露知らず、メルクリウスはモニターに齧り付き、邪悪に楽しそうに、目を輝かせていた。

 

「くふふっ。さてはて、皆々様、頑張ってるようでなにより。存在しないあたしを探して、なんの意味もないのに必死に戦って、バッカみたい! 一生無意味なことして、朽ち果てるまで無駄なことして、ゴミのように消えていくのですね! 愉快愉快なのです」

「いやこいつほんと性格悪いな……人をドン引きさせる天才かよ……」

「なにか言ったのです?」

「いやなんも」

 

 メルクリウスのことなので聞こえているだろうが。聞こえていなくても、その気になれば音声ログを辿って再生できるだろうが。

 しかし今の彼女はよほど上機嫌なようで、ディースパテルが多少毒づいた程度では気にも留めない。

 

(ここにヘリオスでもいれば、すべて滅茶苦茶にして楽なんだがなぁ)

 

 メルクリウスと、ついでにミネルヴァを激怒させるなら奴が適任だが、さしものディースパテルでも、気まぐれの権化であるヘリオスを操るのは困難を極める。今日もバイトだか買い食いだかでどこかへふらっと消えてしまった。

 

「ところでディジーさんは誰が最後まで生き残ると思うのです? せっかくなので賭けしないです?」

「あ? おいおい、これはてめぇのゲーム盤だろうが。出来レースになったら賭けが成立しねぇよ」

「まあまあ。お喋りのネタくらにはしてもいいでしょう。ちなみにあたしは、王道のマジカル・ベルちゃんなのです!」

「お前にしてはまっとうだな。もっと大穴狙っていくと思ったが」

「ゲームも舞台も、外しすぎると寒いってもんなのですよ。王道のメインディッシュ、主役格という認知は汲まなければならないのです。」

 

 パネルを操作し、画面をマジカル・ベル一色に切り替える。

 ちょうど、量産型メルクリウスの一機と交戦しているところだった。

 

「それになんかおっぱい大きくてムカつくし、最後まで嬲って辱めて犯して、狂わせてから溶液に漬け込んでみたら、最高にいい声で泣いてくれそうなのですし。そういう意味でも一番のホープなのですね」

「それ姫さん的にはどうなんだろうな……」

「殺してないのでオッケーなのでーす!」

「そうかぁ? そういう問題かぁ? 倫理って難しいなぁ」

「でも一番頑張りそうで、だからこそ虐め甲斐あると思うのですよね」

「まあ姫さんにとってもデカい存在だからな。お前の悪趣味はさておき、注目株と言えばその通りだ」

「なのです! だからちゃーんとチェックして……ん」

「どうした?」

「……いえ、なんでも! こんなの誤差なのですよ!」

 

 ディースパテルとの会話を打ち切って、メルクリウスはモニターに意識を戻す。

 

「……なんなのです? こいつら?」

 

 交戦中の量産型メルクリウス。既に数機、撃破されている。

 それ自体はなんの問題もない、想定内のことだ。しかし、その撃破状況に、僅かな違和感があった。

 

「これはまさか……確認確認、なのです。ちょいとアングル調整、っと」

 

 射角を下向きに調整。いわゆるローアングル。ほとんどスカートの中を覗いているようなものだが、当然ながらメルクリウスの目的はそれだけではない。

 

「わぉ、お子様のくせにエグいの履いてる……じゃなくて。えぇ、なにこの人。こっちも、この人も、みんな……? なんで?」

 

 他の人物も並列して確認。やはり、そうだった。

 ほんの僅かな想定外。それが与える影響なんて、無にも等しい微々たるものだが。

 予想できなかったという時点で、メルクリウスの自意識を、微かに曇らせる。

 疑念と不満を込めた眼差しで、メルクリウスはマジカル・ベルの脚を凝視する。

 そこに巻き付けられたホルスターにセットされた、いくつもの箱を。

 

 

 

「あなた方、なんでそんなに――たくさんデッキ持ってるのです?」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「6マナでNEO進化!」

 

 こんな戦いを、いつものように、なんて思いたくはないのだけれど。

 それでもやっぱり、今までそうしてきた、という積み重ねがあるわけで。

 それはわたしの中で少しずつ積み上げてきた力で、わたしを象徴するシンボルだ。

 これを標に、わたしは力を振るう。

 みんなもだいたい同じだと思う。そういう自分の中の基準や、嗜好や癖があって、それを基盤としている。

 だからこそ、経験に基づく強さがあるのだけれど、だからこそ、その手が読まれるとあの人は言った。

 なので、少しだけ時間を巻き戻してみましょう。

 少し前のわたしを、もっと前のわたしを、最初の頃のわたしを、思い出して。

 デッキを、組み替えてみよう――

 

「――《魔法特区 クジルマギカ》!」

 

 普段なら、《コギリーザ》を出すような状況。

 だけど今ここにあるのは、随分長いこと使っていなかった、かつての切札――《クジルマギカ》。

 使い方が《コギリーザ》とちょっと違うから、少しだけこの子のための調整をして、久し振りにその力を借りた。

 久し振りでちょっと慣れないけど、やっぱり頼もしいね。

 

「ふぅ……次は、これ」

 

 目の前のひとりを倒して、またすぐに次の子が来る。

 すぐにデッキを仕舞って、別のデッキを取り出す。

 あの人の言う通りなら、たぶんもう気付いているはず。だから隠さない。

 墓地は使わず、マナを伸ばして、青、赤、緑。

 

「《ハムカツマン》を進化! 《超電磁コスモ・セブΛ》!」

「なんだか懐かしい顔だね」

「うん。そういう作戦だからね」

 

 いつもと違うデッキ。そして、昔の切札を動員した、複数のデッキ。

 これらは全部、ディースさんから伝えられた作戦だ――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――処理落ちさせろ。メルクリウスを潰すにはこれしかない」

「処理、落ち……?」

 

 どういうことなのかさっぱりわかりません。

 ディースさんは、咳払いして、改めて説明してくれる。

 

「前にも話したが、メルクリウスは外界からあらゆる情報を吸収し、それを自分の力にする。この成長が進めば、Ⅰ等星のミネルヴァさえも凌駕する力になるだろう。成長が進めば、な」

「え、えーっと、逆に言えば、まだ成長していない段階ならそこまで強くない……?」

「その通り。加えて奴は、非常に高慢だ。すぐ調子に乗るし、自分が最強だと信じて疑わない高飛車女だよ」

 

 なんかえらく酷い物言いだった。

 わたしはメルクリウスって子とちゃんと会ったことはないけれど、ディースさん曰く、すごくプライドの高い子みたい。

 

「奴は自分の力を過信している。だから奴は、なんでもかんでも自力で解決しようとする悪癖がある。突くならそこだ」

「えぇっと……慢心した隙を突くってことですか?」

「そうなるな。もっとも奴の性格上、大事な時こそ安全圏で引きこもるだろうから、崩壊の一手は俺の方で用意する」

「その隙を作るのがわたしたちの役目、ってことですか。でも、どうすれば?」

「メルクリウスの厄介なところは、滅多に真っ向勝負をしないこと。自信過剰なくせに舞台に立ちたがらない監督気取りでな。とにかくあの手この手で自分の代わりの奴を差し向ける。今回は、そんなあいつの癖を逆手に取る」

「というと?」

「人海戦術で奴の差し向ける刺客を各個撃破しろ。奴のことだ、量産可能な雑兵を配置しているだろう。それらすべてを完全手動で動かしているってことはないだろうが、常に雑兵の動きもリークして微調整をするはずだ」

「微調整というのは?」

「相手のデッキや、状況、その時の仕草、心理状態、その他諸々を考慮して行動を選択するってことだ。ある程度は自律させて動かすだろうが、的確に相手を追い詰めるためには、オートパイロットに頼りっきりにはできないだろ。だからその部分の負荷を蓄積させろ。そうして奴の意識を、集中力を、お前達に向けさせ続け、疲弊させるんだ」

 

 言いたいことはなんとなくわかった。直接的ではないけれど、わたしたちであのメルクリウスって子を引きつけろ、っていうことだね。

 

「でも、わたしたちの人数もそんなに多くないし、うまくいくかな……」

「人数は俺の方で可能な限り補填しよう。あとは……そうだな、お前達はデッキを複数組め。コンセプトを絞って、フィニッシャーをバラして、できるだけ多くデッキを持って来い。そして戦うたびにスイッチするんだ」

「対戦のたびに、デッキを変えるんですか?」

「そうだ。アナログだが、だからこそデジタルな挙動に強い。とにかく相手をオート化させないようにしろ」

 

 相手が処理すべき情報をとにかく増やして、負荷をかける。負荷を掛け続ければ、いずれ処理が追いつかなくなって、機能がダウンする。

 

「付け焼き刃だが、お前達にできる最善がこれだろう」

「な、なんだかシンプルというか、そんな作戦で大丈夫なのかなぁ……?」

「奇策こそ即興は危険だ。変に奇を衒うようなことしても、メルクリウスにはすぐ看破される。こういうのは単純でいいんだよ。根比べならメルクリウスほどの雑魚はいねぇ」

「は、はぁ……」

「地味かもしれないが、お前達の努力がそのまま作戦の成否に直結する。しっかり頼んだぞ」

「は、はい……」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

(――って話だったから、懐かしいカード引っ張り出していっぱいデッキ作ってきたけど)

 

 コンセプトになる部分をガラッと変えたことも少なくないけど、ひとつのデッキをずっと組み替えてきたから、一度に複数のデッキを別々に持つなんて、変な感じだったけれど、どうにか数は用意することができた。

 とりあえず、わたしの今までの切札たちを軸にして、それぞれのデッキを作った。ひとつのデッキに纏めていた《コギリーザ》《グレンモルト》《ドギラゴン》なんかも、バラバラにしてそれぞれ違うデッキに入れている。

 

「《サイバー・G・ホーガン》を召喚! 激流連鎖! 《飛散する斧 プロメテウス》と《爆竜GENJI・XX》をバトルゾーンに! スピードアタッカーでそのままWブレイク!」

「メルル~!」

 

 妙に愛嬌のある、気の抜けた声で吹っ飛んでいく。

 この鳴き声、毒気が抜かれる……

 でも、気を抜いてはいられない。こっちは使い慣れないデッキで、相手だって弱いわけじゃない。

 むしろ強い。相手に負担をかけるどころか、一戦一戦、こっちが凄い勢いで消耗するくらいだ。

 

「でもまだ……!」

 

 こんなところで挫けていられない。

 もっと奥へ、もっと先へ。

 歩み続けるんだ。

 みんなのところへ――!

 

「次は……あそこ」

 

 立ち並ぶ巨大ビル群のひとつへと、視線を向けて。

 襲い来る幼子達を振り払って、ひた走る。




 ティマイオスとかクリティアスとか、別に名もなき竜でもカッコいいBGMでもなく、プラトンのあれです。


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54話「討滅・星の賢者 Ⅴ」

 遣わされた刺客に、悪意が宿る。


「《勝災電融王 ギュカウツ・マグル》をバトルゾーンへ!」

 

 ――酷いことになった。

 踏んでしまったトリガーにげんなりしつつも、謡は自分の肝が冷えるのを感じる。

 順調にジョーカーズを展開し、4ターン目で《ダンガンオー》を走らせ殴りきれるかと思ったが、勿論そんな甘いことなんてない。

 叩き割った5枚のシールドから1枚、《俺たちの夢は終わらねぇ!》がトリガーし、コスト8以下のアウトレイジが登場。そして出て来たのが、

 

「《ギュカウツ・マグル》の能力発動! 山札から4枚を捲って、その中からコスト合計9以下になるよう多色クリーチャーを踏み倒すのです! 《DISノメノン》と《仙祖電融 テラスネスク》をバトルゾーンへ! 《テラスネスク》の能力で、手札から《ウマキン☆プロジェクト》をプレイ! 2回分のEXライフに1回分のバズレンダ! シールドを2枚追加、山札から2枚見て、それぞれ手札とマナへ! さらに《ギュカウツ・マグル》と《テラスネスク》のEXライフでシールドも回復なのですよ!」

 

 これである。

 

「うわぁ、酷いカウンター……流石に《ダンガンオー》一本で殴りきるのは辛いなぁ」

 

 そんなことはずっと昔からわかっていた。速度と安定性はあるが、トリガーケアもできない単調なワンショットキルでしかない。

 だからこの結果は仕方ないものではあるのだが、

 

「それではこちらのターン! 《妖精 アジサイ-2》と《DISノメノン》を召喚なのです! 《ウマキン》でパワード・ブレイク・レベルⅡ! 2枚ブレイク! 前のターンに出て来た《DISノメノン》で1枚ブレイク! 《テラスネスク》でWブレイク!」

「ヤバイヤバイ……! えぇっと、純無色ジョーカーズの受け札は……」

 

 速度と安定重視で速攻気味に組んだので、受け札なんてほとんどない。

 どうこのデッキを組んだか思い出しつつ、吹き飛ばされていくシールドを捲っていき、

 

「……あった! スーパー・S・トリガー! 《タイム・ストップン》! 《テラスネスク》のEXライフを消費させて、このターンの攻撃は中止!」

「早いデッキへの対策として差していて良かったですね」

「まったくね。じゃあ、盤面処理も疎かにされたし、殴りきるよ。2体目の《ダンガンオー》を召喚! 《ヤッタレマン》で《ギュカウツ・マグル》のEXライフシールドをブレイク!」

 

 ここでまたトリガーを踏んで《ギュカウツ・マグル》から展開されたどうしようかとも思ったが、何度も同じことが起こることもなく。

 

「《ダンガンオー》でダイレクトアタック!」

「メルル~!」

 

 気の抜けるような声で少女は吹っ飛ばされ、水泡のように消えていった。

 そこで謡は、大きく息を吐く。

 

「くっ、はぁ、はぁ……! キッツ!」

 

 謡とスキンブルシャンクスが向かったのは、『幻想海洋都市ティマイオス』の北部。超高層ビルの一角にあるオフィス。

 受付から、階段から、会議室から、エレベーターから、あらゆるところから、量産型メルクリウスが湧いてくる。

 片っ端からそれらを撃退しているのだが、とにかく数が多い。まだ作戦は始まったばかりだと言うのに、かなり疲弊してきた。

 

「しかもカード資産を複数のデッキに分散してるから、デッキひとつひとつの完成度がいつもよりも落ちてるし、そうでなくてもこの強さのプレイヤー相手に連戦って、下手な大型大会とかよりキツいんですけど……! 店舗大会くらいしか出たことないけど!」

「とはいえ俺たちは二人組、休憩しながら継戦可能な上、その間にサイドボードの入れ替えも可能。他の方よりかなり楽な道です」

「デュエマにサイドボードなんてないけどね!」

「むしろ俺たちが頑張らなくてどうするのです、謡」

「君に正論言われるとなんか腹立つんだけど」

「俺はそんなに屁理屈こねるキャラではないはずですが。もっとも、我々の個性()は屁理屈や言葉遊びのようなものですが」

 

 軽口を叩きながらオフィスの階段を駆け上がる。

 そして、恐らく最上階。やけにデカデカと強調された「社長室」のプレートが掛かった重厚な扉。

 それを蹴破るように押し開けると、中は樫の木のデスクがひとつ。赤いカーペットにガラス張りの部屋だった。

 

「うわぁ、これ漫画とかでよく見る場所だ」

 

 ガラス張りの壁から地上を見下ろす。もっともここは海底、下界を地上と呼ぶことが正しいのかは疑問だが。

 ここにも量産型メルクリウスが配置されているのかと思ったが、誰もいない。デスクを漁ってみるが、天板にも引き出しにもなにもない。

 

「うーん、ここはハズレかな」

「そのようで」

「また別の場所を探さなきゃね。はぁ、敵を蹴散らすだけでも意味があるとはいえ、大都市のビル群をひとつひとつ虱潰しで調べて探し人を見つけるなんて、非効率的を通り超して非現実的だと思うんだけど……なにかギミックでも隠されているのかな。あの子、曲者っぽそうだし」

「そうですね。しかし俺としては、あの量産型メルクリウスとやら、どうも弱すぎるような気がするのですが。あれが霜様や実子様が討たれるほどの相手なのでしょうか?」

「コピー品らしいし、本家より劣化してるとかはあるんじゃない? 正直私たちだってギリギリだから、決して雑魚じゃないよ」

「それもそうなのですけど、仮にも女王の眷属がこの程度ですか……」

「倒せる分には好都合だよ。さ、ここにはもう用はないし、次のとこ行こ」

 

 海洋都市はあまりにも広大だ。少しでも早く、探索を進めなければならない。

 踵を返し、謡は社長室を後にしようとする。

 

「! 謡!」

「へ?」

 

 謡はスキンブルに引っ張られ、抱き寄せられる。

 直後、謡が踏み出そうとしていた床が、爆散した。

 

「無事ですか? 謡」

「っ、スキンブル……あ、ありがと」

「いいえ。しかしまったく油断も隙もない。ダイレクトアタックは対戦中だけにして頂きたい……おや」

「げっ、なにあれ!?」

 

 濛々と立ち込める砂煙から、小さな腕が現れた。

 見るからにホラーなそれは、断面が放電しており、まるでなにかに吸い寄せられるように高い天井まで昇っていく。

 

「ロケットパンチ!? はじめてリアルで見た……」

「などと言っている場合ではございませんよ」

 

 天井に張り付くようにして、それはいた。

 こちらに発見されると、それはドサッと落下するように降りてくる。

 そしてそれは、謡たちの知る人物、のようなものだった。

 

「これはこれは公爵夫人様……の、偽物でございましょうか?」

「なんか、様子違うね。というか、な、なに、この姿……?」

 

 半分くらいは、公爵夫人と言えよう。しかしもう半分は、量産型メルクリウスだった。

 公爵夫人は長身でスタイルの良い女性だったが、片腕や片足だけが女児のように不自然に短く、乳房も片方は豊かなのに、片方は真っ平ら。目の色まで左右で違う。

 まるで公爵夫人のパーツをすげ替えて、そこに量産型メルクリウスのパーツを継ぎ接ぎしたような、奇怪な異形だった。

 接合部は放電しており、撃ち出された腕は彼女の右腕へと収まる。

 

「き、気持ちわるっ……! あ、あの人、なにされちゃったの……!?」

「……腐っても元ご主人。俺の同族であり、真なる産みの親のようなものです。あまり、このようなことをされるのは気分がよくありませんね」

 

 公爵夫人のようなものは、顔の右半分で少女のように微笑み、左半分で憎悪と憤怒に塗れた貌を作る。そのあまりにも歪な在り様に、謡は正気を失いそうになる。

 

「選手交代です、謡。次は俺の番でしょう」

「……大丈夫?」

「腕に自信はありませんが、ここは多少の意地を通すということで」

 

 謡を下がらせ、前に出るスキンブル。

 相手は公爵夫人のようなもの。もし実力が公爵夫人と同等であるなら、とても敵う気もしないが、それ以上に。

 

「しかしこのような、フランケンシュタインも仰天するような怪物を生み出していたとは。メルクリウス・エノシガイオス、想像以上に悪趣味な娘だ。ここに配置された守護者ならともかく、俺たちに対して、あえて公爵夫人様をあてがったのだとすれば……」

 

 気持ちが掻き乱される。縁のある相手の、異形の姿を見せられ、心が揺さぶられる。

 元主人と決別し、そのようにあると覚悟を決めたチェシャ猫でさえ、まったく動揺がないわけじゃないのだ。

 そして恐らく、これと同じようなことを、メルクリウスはやる。自分以外にも。

 

「……他の方は、大丈夫でしょうか」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ヤングオイスターズ、アギリが向かったのは海洋都市西部。

 他にビルとは趣の異なる建造物に侵入し、量産型メルクリウスを討ち倒しながら、奥へと進んで行く。

 しばらく歩くと、だだっ広い空間に出た。

 天井は高く、半球のドーム状となっている。

 部屋の中央に投射機のような機械が設置され、それを取り囲むようにいくつもの座席。

 

「ここは……プラネタリウムか」

 

 アギリを観客と認識したのか、投射機が動き始めた。

 室内に映し出される宇宙空間と、満天の星々。それらを繋ぐ星座たちが、移り変わり投射されていく。

 

「宇宙……星の海、か」

 

 そういえば、と思い出す。女王は遥か遠くの宇宙から飛来した存在であると。

 この星にあるべきものではない存在。ここに映し出されている宇宙は虚像でしかないが、本来なら女王は、そこにあるべきなのである。

 あるべきものはあるべき場所に、などとは言えない。それは自分たちも同じだからだ。

 女王がいなければ、【不思議の国の住人】は存在し得なかった。そうあるべし、という型から外れたが故に、今の自分の生がある。

 

「だから俺たちは、あるべき姿、という自然主義には同意できない。それは今の俺たちを否定することになるから……だが、あるいは、だから」

 

 アギリは振り返る。そして、見つけた。

 広いプラネタリウムの最後方に、それはいた。

 

「今のあなたを肯定することはできない。その原理的な在り方も、人為的な変革も、俺は認められない……なぁ、姉さん」

 

 それは黒々とした肉塊だった。

 辛うじて人のような造型はあるが、膨張した黒い肉は絶えず溶け出し、泡立ち、爛れている。

 ――ヤングオイスターズ、長女。あるいは、アヤハと呼ばれていた誰か。

 寿命を迎え、それでも死ぬことを許されず、無理な先祖返りによって生ける屍(リビングデッド)の如く操られることとなった、哀れな若牡蠣のなれの果て。

 そして、アギリの探し人でもあった。

 

「また会えたな、姉さん」

 

 アギリの呼びかけに、肉塊はなにも答えない。いや、なにか声を発そうとする素振りは見せるが、もはや声帯すら潰れている。

 ただゴポゴポと、溶け出した肉が不快に泡立つ音を響かせるだけだ。

 だとしてもこれは、確かに自分の姉だったものだ。こうして向き合えば、わかる。

 アギリが今まで諦めなかった理由。諦められなかった訳。絶望的であっても、仲間を集め、反逆と反抗の志を失わず、苦境でも足掻くことができた――目的。

 それはすべて、ヤングオイスターズの長女たる彼女と出逢う、この瞬間のためだった。

 

「この前は慌ただしくて相手をする余裕もなかったが、今回は違う。悲しいが好都合なことに、ふたりきりだ」

 

 兄弟姉妹の声も聞こえない。

 本当に、姉と弟。たったふたりの世界。

 投射された宇宙は深海のように暗く、淡い光も立ち消えそうなほど深い。

 

「あの餓鬼が狙って差し向けたのかはわからないが、この采配には感謝しよう」

 

 不愉快ではあるがな、とアギリは姉だった肉塊へと近づいていく。

 肉塊も、ぐちゃぐちゃと音を鳴らしながら、アギリへと向かっていく。

 

「もう喋ることもままならないか。そんな姿になってしまえば、救うなんて言葉を掛けるのも残酷だな。介錯するにも遅すぎる……すまない」

 

 謝罪を述べる。しかし肉塊からの反応はない。

 理性すら消失し、すべてが壊れた、黒い仔山羊の果ての果て。

 なにもかもが手遅れだが、せめて家族としての情と、弟としての義務で以て、彼女を討つ。

 そしてアギリは、己の“目的”を果たすのだ。

 

 

 

「行くぞ、姉さん。俺は今から、あなたを――引きずり下ろす」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「おらぁ!」

「メルメル~!?」

 

 眠りネズミが担当するのは、海洋都市南部。

 なんとなく騒がしそうなビルへと突撃したら、そこは大型複合アミューズメント施設。簡略化して換言すれば、ゲームセンターだった。

 大量の量産型メルクリウスが、奇声を発しながらゲームをしている様は悪夢のようだったが、そんなものは気にも留めず、眠りネズミは量産型メルクリウスたちを一網打尽にしていった。

 

「今日は調子が良い、あんま眠くねーんだ。三下どもは引っ込んでな!」

「流石だね、ヤマネ」

「あん?」

 

 量産型メルクリウスたちをすべて蹴散らしたところで「関係者以外立入禁止」の張り紙がされた扉から、誰かが出て来る。

 眠りネズミのことを、人間としての名で呼ぶ者はほとんどいない。それに、この声は――

 

「ソウ……!」

 

 少年のようでありながらも、少女のようにも見える端正な顔立ち。華奢な矮躯。それは。

 ――水早霜。

 

「……じゃ、ねーな。誰だよてめぇ」 

 

 では、なかった。

 確かにそれは、水早霜のようであった。少年のようでもあり、少女のようでもあり、端正な顔立ちで、体つきも華奢だった。それもそのはず。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから、両方の性質を有していて当然だ。

 しかしその結果、全体的なバランスはあまりにも歪であり、不自然な出来となっている。

 極めつけは、接合部から漏れ出しているモザイク状の光。如何にも、適当に混ぜましたと言わんばかりの造型だった。

 

「誰って、ボクはボクだよ」

「パチモンがぬかすんじゃねーぞ。僕のマイメンはそんなキモくねぇ」

「酷い暴言だな。まあいいよ。せっかくこんな場所だしね、一緒に遊ぼうじゃないか、ヤマネ」

「遊びだぁ?」

 

 ふざけんな! と切り返しそうになるのを、眠りネズミは寸でで押し留まる。

 

「……いいぜ、乗ってやんよ」

「流石、ノリがいいね。デュエマでいいよね? ボクらのゲームっていったらさ」

「おう」

 

 両者ともにデッキを取り出して、向かい合った。

 

「さて、覚悟しろよ。パチモン野郎」

「覚悟? なにをだい?」

「んなもん決まってんだろ」

 

 眠りネズミは、中指立てて、憤怒の形相で、霜らしき誰かをにらみつける。

 

 

 

「人の大事なダチのツラ弄くり回してごちゃごちゃほざくんだ。死ぬまでぶん殴られる覚悟しろつってんだよ――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ここは……図書館?」

 

 みんなと違う方に走って、目に付いた建物を片っ端から調べている最中。

 次に辿り着いたのは、たくさんの本が収められた場所。わたしにとっても馴染み深い、図書館だった。

 人は誰もいない。試しに、適当に本棚に収められている本を抜いてみる。

 

「……ふつうの本、かな?」

 

 水の中なのに読める本っていう時点でふつうじゃない気がするけど、それはそれとして。

 やけに薄い漫画本? とか、ライトノベルみたいな小説が多いけど、本自体に変わったものはあまりない。

 だけど、たまにまったく読めない本がある。まるでこの世界とは別の文字で書かれてるみたいな……装丁も変だし、気分が悪いからすぐに戻したけど。

 

「静かだね」

「うん。ここにはあの子たちはいないのかな」

 

 量産型メルちゃん、だっけ? どこからでも湧いてくるから油断はできないけど、今のところ気配はない。

 

「……入り組んでるなぁ」

 

 しばらく図書館内を歩いてるけど、本棚の配置が適当で、むしろ本棚そのものが壁みたいなってるから、すごく歩きづらい。

 

「本を抜いて、本棚の隙間から通り抜けてみるのは?」

「わたしの体型じゃ無理かな……みのりちゃんくらいスラッとしてたらできたかもしれないけど」

 

 というかそもそも、この本棚は奥行きが空いているタイプじゃなさそうです。

 うーん、図書館というか、これじゃあまるで迷路だよ。

 

「……あ、そうだ」

「なにか思いついた?」

「うん。今なら、ガイハートくらいなら自由に出し入れできるから……」

 

 わたしがクリーチャーに近づいた影響? かなんなのか、最近、デュエマ中じゃなくても、ちょっとだけカードを実体化させられるようになりました。

 と言ってもクリーチャーを実体化させるようなことはできないんだけど、武器であるガイハートなら、ギリギリどうにか。

 ぶんっ、とガイハートを呼び出す。すごいギザギザしてるけど、これでも剣。これで……

 

「やっ!」

 

 本棚を、斬り倒す。

 

「よしっ、斬れた!」

「なるほど、壁を壊して迷宮を踏破するというわけか。実に火文明(僕たちらしい」

「これで進んで行くよ!」

 

 とにかく手当たり次第に、バッタバッタと本棚を斬っては捨て、斬っては捨てていきます。移動が制限されないから、すごく進みやすい。

 そうやって進んで行くと、奇妙な本棚を見つけた。

 

「……? なんだろ、これ。四方を囲んでる……?」

 

 その本棚は、ロの字に配置されていて、少し変な置き方だった。

 いや、既に本棚を壁にして迷路にした配置ってだけで変だから、今更なんだけど……

 

「まるでなにかを隠してるみたいな置き方だね」

「そうだね……斬ってみようか」

 

 本当は、本を斬るなんて気が進まないんだけど、水没してるし、紙もびちゃびちゃだし、現実とは違うだろうし……ごめんなさいと思いつつ、斬り倒す。

 本棚の扉をこじ開けると、中には、蹲った女の子が、ひとり。

 この子は……!

 

「! みのりちゃん!」

 

 蹲ってて顔はよく見えないけど、あのポニーテールの感じは、みのりちゃんだ。こんなところに閉じ込められていたなんて……!

 いてもたっても居られず、思わず駆け寄る。そして、その顔を覗き込む。

 

「……待ってたよ、小鈴ちゃん」

「みのりちゃ――」

 

 彼女は顔を上げ、手を伸ばす。

 そして、

 

「――っ、誰!」 

 

 その手を、思わず切り落としてしまった。

 

「……いったいなぁ。いきなり斬るなんてバイオレンスだよ。まあくっつくからいいんだけどさ」

 

 バチバチと、切り落とされた腕の断面が、放電している。

 それは浮かび上がり、引き寄せられるように、元の場所へと、接合された。

 

「みのりちゃんじゃ……ない? あなた、誰……?」

「いやぁ、私は香取実子なんだけどねぇ。だいたいあってるでしょ? 見た目的に?」

 

 だいたいあってる。本当に?

 確かに全体的にみのりちゃんっぽい、スラッとした体型の女の子、だけど。

 明らかに、胴の長さに対して手足の長さが不自然だった。まるで、もっと小さな女の子――量産型メルちゃんみたいな……

 

「……うっ、くぅ」

 

 そのおぞましさに、吐き気を催す。

 よく見れば、肌の色も微妙に違う。それはみのりちゃんのようであって、違うものだ。

 みのりちゃんに、別の女の子の、量産型メルちゃんの身体が、接合されている。

 その接合部からは電気が迸り、歯を噛み合わせた留め具で繋げられ、異質さを強調していた。

 

「みのり、ちゃん……!」

「そんなに何度も呼ばないでよ、ハズいじゃん」

 

 その声は、みのりちゃんだけども。

 歪に変じられた姿は、とても、見ていられるものじゃなかった。

 

「……本物のみのりちゃんは、どこ?」

「んー? どこもなにも、私は私だよ?」

「ふざけないで! あなたは、なんなの!?」

「あはは、なんだろうね。哲学的な問だなぁ」

 

 いくら声を掛けても、まともな回答が返ってくることはない。

 ……まさか、本当のみのりちゃんが……

 ディースさんの話によると、囚われた人たちに手を出すことはないって話だから、そんなはずはない、と思うけど……

 

「…………」

「浮かない顔だね。あ、そうだ。デュエマしようよデュエマ。気分が沈んでる時は遊ぼうよ、そうすれば多少は気も晴れるって」

 

 遊ぶ、か。

 そんな気分でも、そんな状況でもない。

 こんな姿のみのりちゃんと遊びたいと思えるような神経はしてない。

 ……でも、これは。

 

「わかった、やろう」

「お、食い付いた。結構ノリ気じゃーん」

「うん……わたしだって、怒るんだから」

「ん? 怒る?」

「そうだよ」

 

 握り締めた剣を手放して、カードに戻す。

 そして、デッキをひとつ、手に取った。

 よく、おとなしい子だとか、自己主張が乏しいとか、言われてきたけど。

 

 

 

「そんな風に友達を侮辱されて、黙っていられるわけがない!」

 

 

 

 ちょっとだけ――暴れてやりたい気分だよ。




 スキンブルと公爵夫人(らしきもの)、アギリとアヤハ(だったもの)、ネズミくんと霜(みたいなもの)、小鈴と実子(のようなもの)。
 マッチングにメルクリウスの悪意が透ける。


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54話「討滅・星の賢者 Ⅵ」

 禁断を支配した女傑は、しかして蒼と繋げど竜王に至らず。


 スキンブルの場には、《電脳鎧冑アカシック・オリジナル》と、《天啓 CX-20》に乗った《*/弐幻サンドロニア/*》。

 相手は立ち上がりが鈍く、《無頼 ブロンズ-1》のみ。

 

「とはいえこちらも少々失速しております。この隙間時間に盤面は処理していきましょうか。3マナで《モモスター ケントナーク》を召喚。マッハファイターで《ブロンズ-1》を破壊!」

 

 スキンブルのデッキに見えるジョーカーズ。しかし謡とは違い、他種族、他文明のカードもふんだんに使用した混ざり物。

 メルクリウスのような吸収力も成長性もないが、それでもスキンブルシャンクスは今までずっと“見てきた”のだ。

 憧憬も、敬服も、信頼も、すべて間近で見てきた。

 ただ“見てきた”という積み重ねだけで、彼の力は組み上げられている。

 故に腕に自信はないが、心強い仲間、強大な難敵、そんな者達の力を選りすぐったものが、弱いはずがない。

 そんな信頼で、彼は公爵夫人のようなものと、相対する。

 相手のデッキは、見えるカードすべてがディスタス、あるいはディスペクター。《賢樹 エルフィ-1》から、《妖精 アジサイ-2》に繋げリソースを増やし、さらにマナに落ちた赤マナで《月砂 フロッガ-1》まで展開する。

 

 

 

ターン3

 

スキンブルシャンクス

場:《アカシック》《天啓[サンドロニア]》《ケントナーク》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:0

山札:25

 

 

公爵夫人[電融]

場:《エルフィ-1》《アジサイ-2》《フロッガ-1》

盾:5

マナ:6

手札:2

墓地:1

山札:23

 

 

 

「……嫌なカードが続々と。前のターンに出されなくて良かったと考えましょうか」

 

 高パワーのガードマンにコスト軽減、スピードアタッカーやマッハファイター封じ。先手後手で《ケントナーク》を出すタイミングがずれていたかもしれない。

 

「さてさて、これにてようやく5マナ。ここから参りましょう」

 

 静かにマナを置き、5枚のマナを数える。

 マナ加速が1枚も引けず、かなり出遅れたが、ここからだ。

 

「俺はチェシャ猫、姿なき透明な猫。故に我が身は千変万化、姿なきが故、如何様にもその姿が在る百貌の獣」

 

 敵も味方もないまぜに。過去も今も、ありとあらゆる者達を見て真似たものが、ここにある。

 姿を消す故に、姿がなく、あらゆる姿がある。己の定義を曲解し、一度は失墜したものを、再び取り戻した力。

 相棒とも、道化の狂人とも、違う道。けれども確実に、彼らの影響を受けて生まれたもの。

 

 

 

「これが俺の切札(ジョーカーズ)です――《王来英雄(オーライヒーロー) モモキングRX》を召喚!」

 

 

 

 二振りの刀を携えた、和装の龍人、《モモキング》。

 謡の元へ移り、不思議の国にはない経験を経て、新たな色に染まったチェシャ猫の、ワイルドカード。

 色なきジョーカーズではない、有色のドラゴンではあるが、しかしこの姿は仮初めに過ぎない。

 

「まずは手札を捨て、2枚ドロー。そしてこのクリーチャーから進化可能な、コスト7以下の進化クリーチャーへと変じましょう」

 

 千変万化。あらゆる姿になるが故に、姿のない存在。

 《モモキングRX》は、数多のクリーチャーへと変じる。チェシャ猫レディのように、とはいかないものの。

 あの時の、ヒーローであった自分たちを思い返し、その力を呼び戻す。

 そしてそこに、ほんの少しの、憧れを混ぜ込んだ。

 

「……小鈴様。まずはあなた様のお力をお借りいたします」

 

 ――わたしのも、もらったものだけどね。

 

 聞こえるはずのない声を受け、《モモキングRX》は変じる。

 まずは憧れの力を、熱に変え、銀河のように、広く、大きく、強く。

 彼女のように、それで自分として、星になる。

 

 

 

「スター進化――《熱血英雄 モモギンガ》!」

 

 

 

 右腕に星の輝きを湛えた灼熱の盾、左腕に銀河を断ち切る熱血の大剣。

 それは小鈴の切札《熱血星龍 ガイギンガ》の力を纏った《モモキング》――《モモギンガ》だ。

 無理な解釈が祟って失われたチェシャ猫レディの力を、少しずつ取り戻して得た、スキンブルシャンクスの新たな力。

 それは誰かの力を借りつつも、彼ひとりが戦うための力だった。

 

「《フロッガ-1》は進化クリーチャーでなければ効果は及びません。このまま攻め入りますよ、《モモギンガ》で攻撃、その時、パワー7000以下の《アジサイ-2》を破壊! Wブレイク!」

 

 《ガイギンガ》の熱血の意志を宿した大剣で、シールドを2枚、断ち切った。

 しかし砕かれた2枚のシールドは、片や光り輝き収束し、片や電磁の閃光を迸らせる。

 

「S・トリガーに……G・ストライクですか」

 

 《無頼 ミランダ-2》、そして《電磁 アクアン-2》。

 《ケントナーク》はマナに送られ、《サンドロニア》も行動不能にされてしまった。

 《アカシック・オリジナル》は攻撃可能だが……

 

「ここはターンエンドです。受け方が厄介そうなデッキだ、無理に攻めるのはやめましょう。トリガーでクリーチャーを猛展開されて謡の二の舞になるのは御免ですからね」

「さりげなく私への当てつけはやめてくれないかな?」

「これも学習ですよ。反面教師です」

「いちいち癇に障るなぁ君! それに相手の受けはG・ストライクも多そうだし、ここで削っておくのはありじゃない? シールド2枚なら、次のターンにはWブレイカーと1打点でジャスキルだし」

「《フロッガ-1》が少々厄介ですがね。それに殴り返しも……」

「そんなこと言うなら《モモギンガ》で《フロッガ-1》処理すれば良かったじゃん」

「減少値の大きなササゲール持ちを処理する方が良いと思いまして……やはりメタクリーチャーの対処が先決だったしょうか?」

「それは君の手札とデッキ次第なんだけど……まあ《フロッガ-1》で殴り返されても、リスク承知でこっちも殴り返せるし、なんなら次のターンも《モモギンガ》の火力は撃てるし、それでも処理はできるんじゃないかな」

「なるほど、そういう手もあるのですね。流石に知識も経験も、あなたが上手のようだ、謡」

「まあ君よりはね」

「では学ばせて頂きましょう。ここはトリガーケアでターンエンドです」

「それを蒸し返さないでよ!」

「――くだらん。茶番だ。耳障りに、過ぎる」

 

 スキンブルと謡の言い合いに、彼女は、継ぎ接ぎだらけの公爵夫人もどきは、歪に、不格好に、重く口を開いた。

 

「おや、喋れたのですね、あなた」

「……会話をする、必要、が、ない。だけだ」

「ぎこちないですねぇ。ひょっとして人とのお喋りは初めての方でございましょうか?」

「…………」

 

 黙殺。しかしスキンブルの言う通り、彼女の紡ぐ言葉は、滑らかとは言えなかった。その身体のように、上手く噛み合っていない。

 その話しぶりはどことなく、代用ウミガメを思わせたが、スキンブルはその感想を飲み込んだ。

 

「それと俺の知る元ご主人……公爵夫人は、存外、饒舌な方でしたよ」

「え? そうなの?」

「そうですとも。彼女は不思議の国で最も怪物を厭い、疎み、恨み、怒り、憎んだ御仁。嫌悪のあまりに自身の美醜すら反転させる怪物でしたので」

 

 神を冒涜し、その眷属も、魔性も、化生も、憎悪の対象だ。

 人であることを強く望んだわけではなかったが、怪物に成り下がることだけは、誰よりも嫌っていた公爵夫人。

 だからこそ、本来の彼女は化物から遠ざかり、逆説的に人に近づいた存在であった。

 

「獣と怪物、人と化物とを隔てる決定的なターニングポイントは言語。あるいは会話、意思疎通、コミュニケーションです。物言わぬ怪物は、ただの獣と同じ。相互理解の権利すら持たない暴威の塊につける薬はありません」

「ちなみに、喋る系のモンスターは?」

「それは紛うことなき脅威ならざる恐怖でございますね。人の領域に踏み込んだ人外ほど恐ろしいものはそういないでしょう」

「それって君じゃん」

「おっとこれは一本取られました」

「……道化の猿芝居は終い、か? 戯言に付き合うつもりは、ない」

 

 ふたりの言葉を切り捨て、彼女は動き出す。

 身体を繋ぐ電磁の稲妻が、バチバチと音を立てて、強く、弾ける。

 

「《電磁 アクアン-2》、召喚。山札の上、4枚を表向き、に――自然の《ダイチ-3》、火の《テラスネスク》、水の《N・EXT(エヌ・エクストリーム)》を手札に」

「む……」

「ササゲール起動。《ミランダ-2》、《アクアン-2》、破壊。4マナ軽減。3マナをタップ」

 

 ディスタスが、その命を捧げる。我が身を贄とする。

 供物は力となり、強きものを降誕させる標となる。

 

「魔性生体電流結合完了。竜機及び電脳世界の融合完了。素体の存在融解開始、冒涜性再構築終了。供物の命を雷に変え疾駆せよ、次なる世界は過去にあり」

 

 時空が歪む。

 歴史に弾圧され、過去の栄華となり果てた概念が、ひとつの形を得て、激流と共に暴走する。

 

 

 

「Ia,Ia,Next ν world――《竜界電融 N・EXT》!」

 

 

 

 《ボルバルザーク・エクス》《サイバー・N・ワールド》

 世界を震撼させるほどの力を持つ両者を融合させた、ディスペクター。しかしその姿は、あまりにも変容しすぎていた。

 《サイバー・N・ワールド》の機体は完全に原型を失い、巨大な車体に。

 そこに《ボルバルザーク・エクス》が、埋め込まれている。青白い稲妻を轟かせながら、反発するように、新世界に引きずり込まれている。

 竜の頭は咆哮する。それが慟哭なのか、憤怒なのか、痛苦なのか、悲哀なのか、それは誰にもわからない。

 

「……なんか、惨いね。いざこうして見るとさ」

「えぇ……そうですね」

 

 《N・EXT》の雄叫びに、ふたりは竦むでも奮うでもなく、ただ静かに、目を伏せる。

 

「EXライフ……さらに《N・EXT》がバトルゾーンに、出たことで。マナゾーンのディスタス、ディスペクターすべて、アンタップ!」

 

 世界を塗り替える力は、あらゆる資源を再生させる豊穣の力。

 荒れ果てた大地が、再び、芽吹く。

 

「4マナで、《猛菌 キューティ-2》、を召喚! 《モモギンガ》拘束! さらに《エルフィ-1》《キューティ-2》、ササゲールで破壊し、3マナ軽減。3マナで《仙祖電融 テラスネスク》召喚! EXライフが起動、手札から《無頼 ダイチ-3》、召喚だ!」

「おっとこれは……」

「《N・EXT》で攻撃、能力を、起動! 自身の墓地、手札、すべて山札に戻しシャッフル! 5枚ドロー!」

 

 再構築されるのは大地だけではない。知識もまた、リセットされる。

 失ったリソースの大量回復。さらにスキンブルは盤面も押され始めた。

 

 

 

ターン4

 

スキンブルシャンクス

場:《アカシック》《天啓[サンドロニア]》《モモギンガ》

盾:3

マナ:6

手札:4

墓地:1

山札:23

 

 

公爵夫人[電融]

場:《フロッガ-1》《N・EXT》《テラスネスク》《ダイチ-3》

盾:5

マナ:7

手札:5

墓地:0

山札:19

 

 

 

 

「……拘束されては強みも生かせません。やはり俺では、小鈴様のようには使いこなせませんか」

 

 動きを封じられた《モモギンガ》を見下ろし、スキンブルシャンクスは嘆息する。

 

「であればもっと馴染んだ、別の手を打つまで。3マナで《モモダチ モンキッド》を召喚、マナを1枚追加。さらに5マナで、マナゾーンから唱えましょう。《生命と大地と轟破の決断(パーフェクト・ネイチャー)》!」

 

 3つの選択肢から2つを決断する呪文《生命と大地と轟破の決断》。

 スキンブルは自身のマナゾーンを見下ろす。可能なら強力な踏み倒し効果を連打したいところだったが

 

「実は出したいカードがマナにないのですよね」

「なのに唱えたのそれ!?」

「手札もあまりよくないのです。まあハッキリ言ってピンチなので、賭けですね。マナ加速と踏み倒しを選択。まずは山札の一番上をマナへ」

「博打に頼ったプレイングしてるようじゃ先が思いやられるよ……」

「今更ですね。しかし俺は幸運です、続けてマナからコスト5以下のクリーチャーをバトルゾーンへ。今し方捲れてくれた彼を再び、《モモキングRX》!」

 

 博打ではあったが、都合のいいことに目当てのクリーチャーはマナに落ちてくれた。

 もうひとつの効果で踏み倒し、再び《モモキングRX》が現れ、その能力で姿を変える。

 

「それではどうぞ、スター進化です。《ボルシャック・モモキングNEX》!」

 

 今度は両腕の装甲に翼と、《ボルシャック・NEX》の力を身に纏った姿へと変貌した。

 単騎で敵陣を蹴散らしながら切り込む《ガイギンガ》と違い、《ボルシャック・NEX》は仲間を並べて攻め込むクリーチャー。

 

「能力で山札を捲り、レクスターズか火のクリーチャーならばバトルゾーンへ、しかし問題は、このデッキだとハズレが多いことですが……」

 

 その言葉通り、捲られたのは《幻緑の双月》。レクスターズでも火のクリーチャーでもないため、墓地に送られる。

 

「やはり外しましたね」

「君デッキの組み方下手じゃない?」

「歯に衣着せぬ物言いどうも。まあここはいいでしょう、《ボルシャック・モモキングNEX》で《N・EXT》を攻撃する時にも、能力が発動です」

 

 《モモキングNEX》が咆哮する。その呼び声に応じるものの声が、聞こえてくる。

 

「《モモキング -旅丸-》、今度はアタリですよ。そのままバトルゾーンへ」

 

 援軍の《モモキング》が現れたが、スキンブルの目的はそこではない。

 

「ここからが本番ですよ、元ご主人の偽物(パチモン)さん。俺のコスト4以上の火のレクスターズが攻撃したことで――」

 

 スキンブルシャンクス。かつての名を『チェシャ猫』。

 秀美なる『公爵夫人』の分御霊。彼女の力の一部を切り落とし、自我を得た異端なる命。

 公爵夫人は美しく、それでいて熾烈。禁断の力を用い、禁忌を振り払い、圧倒的な破壊と速度で戦場を爆走する、苛烈なる女傑である。

 断片であっても、末端であれども、その力を部分的に有するチェシャ猫が、同様の力を使えないはずがなかった。

 これまでは、あえて彼女の力を放棄してきたが。

 今この時の彼は、自分のものとして、かつての主の苛烈さを、身に纏う。

 

 

 

「――侵略発動!」

 

 

 

 エンジン音が轟く。

 音すら貫くスピードで、闇夜を切り裂く獣が、奔る。

 

 

 

「禁忌を穿ち、駆け抜けろ――《キャンベロ<レッゾ.Star>》!」

 

 

 

 それは一匹の小さな獣。臆病で、矮小で、およそ戦場に立つこともできないような小動物であった。

 しかしそれは、かつての話。今は、赤い機神の力を纏い、その苛烈さをほんの少しだけ受け継ぎ、疾駆する。

 

「公爵夫人様であれば蹴散らすところでしょうが、俺はそんな暴力的ではないのです。卑しかろうと小賢しかろうと、俺はあくまでも俺らしく、です。展開に対しては、一掃ではなく封殺しましょう。《キャンベロ<レッゾ.Star>》がバトルゾーンに出たことで、次のあなたのターン、あなたは1体しかクリーチャーを出せませんよ」

 

 軍勢への対抗策。趣向は同じでも、性質はまるで違う。

 今の盤面にこそ干渉できないが、《N・EXT》で溜め込んだ手札から大量展開する算段を突き崩す一手だ。

 公爵夫人ほどの爆発的で暴力的なことはできないが、これが今の自分らしさ。

 『チェシャ猫』ではなく、スキンブルシャンクスとしての、在り方だ。

 

「そのまま《キャンベロ<レッゾ.Star>》で《N・EXT》を破壊!」

「EXライフ、で《N・EXT》は生き、残る!」

「いいえ、死んで貰いましょう」

 

 ディスペクターには命がふたつある。ひとつを摘み取っても、生き返る。

 しかしスキンブルは、それを許さなかった。

 

「《モモキングRX》のシンカパワーです。このターン、バトルに勝つたびにアンタップしますよ。もう一度攻撃、今度こそ破壊します!」

 

 《キャンベロ》が《N・EXT》のエンジンをひとつ粉砕する。続けて回り込み、もうひとつ。

 ふたつの動力を停止させられた《N・EXT》は、沈黙し、崩壊していく。

 

「まだまだ! ここは攻めますよ、《キャンベロ》でシールドをWブレイク!」

「S・トリガー《ミランダ-2》! 《サンドロニア》、をマナゾーンへ!」

「またですか、トリガーの引きが強いですね。ターンエンドです」

 

 相手の切札は潰えた。しかし、まだ安心はできない。

 《N・EXT》はあくまでも、世界を塗り替えるだけの存在。大量のリソースを確保するが、デュエル・マスターズとはリソースを蓄えたから勝てるわけではない。

 大事なのは、増えたリソースでどうするか。まだ相手には、大量の手札と、マナがある。

 もっと決定的なフィニッシャーが、現れないとも限らない。

 

「8マナタップ、《呪帝電融 カーペラー・キリテム》、召喚! マッハファイター、だ! 《カーペラー・キリテム》、《モモキング -旅丸-》を撃破! 《カーペラー・キリテム》がバトルに、勝った時。コスト7以下の、クリーチャーをマナゾーンから呼べる。が……」

「《キャンベロ<レッゾ.Star>》の効果は残留しております。出させませんよ……しかし」

「ならば。そのまま、叩く、《フロッガ-1》でシールドをブレイク!」

 

 スキンブルにとっても、相手の反撃は厳しい。

 S・トリガーでアタッカーも増えたため、打点が足りる。どうにか凌がなくてはならない。

 

「《テラスネスク》でWブレイク!」

「……おや、おやおやおや。遂に引けました、S・トリガー。双極・詠唱。《灰になるほどヒート》!」

「それは……」

「手札から《王来英雄 モモキングRX》をバトルゾーンへ、まずは《ダイチ-3》と強制バトルです」

 

 ひとまず1体。さらに、

 

「《モモキングRX》の能力で手札を捨て、2枚ドロー。そして進化です、《ボルシャック・ドギラゴン》! 次は《ミランダ-2》とバトルです」

 

 進化し、さらにもう1体を殴り倒す。

 今度は過去の英傑の力を身に纏うスター進化ではなく、その英傑そのもの。名高き《ボルシャック》と《ドギラゴン》、ふたつの名を有する革命の化身、《ボルシャック・ドギラゴン》。

 

「このデッキだと攻めに使う方が強いのですが、守りにおいても頼りになりますね。攻撃は凌ぎました、俺のターン! 《モンキッド》と《旅丸》を召喚。さらに3マナで《母なる星域》! 《モンキッド》をマナゾーンに送り、マナゾーンから《アルカディアス・モモキング》を、《旅丸》に重ねて進化!」

 

 恐らく相手のデッキはフルクリーチャーだが、封殺も追撃も、手が多いに越したことはない。

 千変万化に姿を変え、数多と立ち並んだ《モモキング》らを従え、スキンブルは一気呵成に出る。

 

「《アルカディアス・モモキング》で《カーペラー・キリテム》を攻撃!」

「《カーペラー・キリテム》は、EXライフで場に、残る……!」

「構いません、シールドを削ることが目的なので。《ボルシャック・ドギラゴン》で攻撃です。《テラスネスク》と強制バトルし、残りのシールドをブレイクです!」

「……G・ストライク《ダイチ-3》、《モモギンガ》、拘束。S・トリガー、《ミランダ-2》、《アカシック・オリジナル》を、マナゾーン、へ!」

「なんてシールドですか。しかし耐えさせませんよ」

 

 割ったシールドすべてに受け札がある酷いシールドだったが、それも乗り越えた。

 進撃と反撃。爆炎に煙硝、亡骸や残骸に溢れる戦場にて、赤い影が疾駆する。

 数々の防御陣を潜り抜け、唯一辿り着いた紅の獣。

 最後の一噛みを為すべく、主人らしきものに、その牙を突き立てる。

 

 

 

「《キャンベロ<レッゾ.Star>》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 公爵夫人と、量産型メルクリウスが融合したおぞましい存在は、打ち砕かれ、粉砕し、木っ端微塵になって消滅した。

 残骸も残らない虚空を、スキンブルはジッと見つめている。

 

「…………」

「お疲れ、スキンブル」

「あぁ、はい。どうも」

「なにそれ、反応薄くない?」

「いえ。少々気がかりがありまして」

「気がかり?」

「えぇ」

 

 スキンブルは高層ビルから、水底を見下ろす。

 

「神威が……感じられないなと」

「しんい?」

「脅威、狂気、恐怖……まあ、恐ろしくなかった、と言いますか。凄みに欠けていたなと」

「そうなの?」

「あなたもいちいち俺に茶々入れたり軽口叩いていたでしょう? もしこれが真なる神の眷属であるとしたら、そんな余裕はありません。公爵夫人の本性と相対した時、あなたは狂気に飲まれかけたでしょう?」

「それは……そうだったね。でも、それがどうかしたの?」

「此度の相手は女王の眷属。それも、恐らく【不思議の国の住人】よりも純度の高い神性を持つ者達です。劣化コピーであれ、混ぜ物であれ、その創造物がこの程度とは、拍子抜けしたものです」

「まあ確かに、思ったより戦えてるけどさ。それが罠だって?」

「うーん、どうでしょう。強弱以前に俺としては“神らしさ”の欠如に違和感があるのですが……考えすぎですかね」

「どうだろう。でも今はあんまり考え込んでる暇はないよ。ほら」

 

 謡が部屋の外を指し示す。

 するとそこには、ちぐはぐに身体を繋ぎ止めた、公爵夫人なのか量産型メルクリウスなのか、わからない存在が大量に溢れていた。

 

「なんかたくさん湧いてきたし。気味悪いね、これ」

「そのようで。それでは謡、選手交代です。次はお願いしますね」

「私もあの気味悪いの相手するのかー……嫌だけど、やるしかないか」

 

 つぎはぎされた人型なんて、見るだけでも気持ち悪い。その相手をするなんて御免だが、この場を切り抜けるためにもそうは言っていられない。

 謡とバトンタッチし、スキンブルは小休止。その時、ふと物思いに耽る。

 

(しかしメルクリウス・エノシガイオス。2番目の星の称号を示すほどの御仁なのか、少々疑問ですね。彼女は一体……?)




 スキンブルシャンクス単体としては初めてのデュエマ。色々混ぜ物が多いですが、デッキはモモキングRXになりました。まあ混ぜ物多すぎて《モモキングNEX》はいらない気がするというか、どっちかっていうとダーウィンみたいなデッキ。好きなんですよね、ダーウィン。色んな進化重ねられて。《メガ・イノポンド》とかもあるし、また組んでみようかな。


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54話「討滅・星の賢者 Ⅶ」

 小休止。


「……なんだ? あのキメェキメラ」

 

 モニターに映る、量産型メルクリウスと混ぜられた者共の異形の姿を見て、ディースパテルは怪訝に目を細める。

 

「なんだって、あたしの作品なのですよ。さーくーひーん」

「作品だぁ?」

「ほらぁ、お姫さまのせいで素体そのものを弄るとミーナさんに怒られるじゃないですか。なので、仕方なく肉体データをコピーして混ぜることにしたのですよ」

「はぁん。成程な」

「まあこれはあくまで習作、プロトタイプなのです。素体そのままを使う許可が降りたら、その時は傑作を創り上げるのですよ」

「許可出るかぁ? しかしあのキメェラ共……」

「その呼び方やめてくれないです?」

「呼び方はさておき、あいつらなんか弱くねぇか?」

「まあ習作なので。素体が弱い以上は、出来上がりもまあ貧弱なのですよ。人間って貧弱ぅ。あたしのコピーを混ぜてようやく実戦レベルなのですからね」

「水早霜や香取実子はともかく、公爵夫人は素体としては強力そうだけどな」

「彼女の意志が協力的ではないので。コピーなのに頑として力を貸してくれないのですよねぇ、あの人。無理やり繋げて強制的に力を徴収して、ようやく出力が2割ってところなのです。まともに実用させるには、もうちょっと壊さなきゃ……出力も伸びないし」

「ふむ……出力っていうなら炉心の問題かもな。それに公爵夫人は、恐らく女王サマとの相性が悪い。肉体的には近くとも、公爵夫人“らしさ”が色濃く残るほど、女王への反逆性で反発するだろうさ」

「なるほどぉー。そもそもの相性がダメってことなのですね。だったらこっちも廃棄……でもそれはちょっともったいないのです。そのへん込みで調整できないかなぁ……」

 

 と、メルクリウスはモニターに向き直る。

 その背中を見つつ、ディースパテルは思う。

 

(……まあ根本的な問題はそこじゃねぇだろうがな) 

 

 原因となる素体はそちらではないと思いつつ、メルクリウスの表情を窺う。

 楽しそうだ。それに、まだ余裕綽々である。

 

(少しまずいか……? 想定よりメルクリウスの負荷が小さい。もっと処理に掛かりきりになってなきゃ、“あいつ”を呼び込めないな)

 

 消耗戦になったら、マジカル・ベルたちが圧倒的に不利なのは明白だ。『ティマイオス』で戦う者共にはもっと頑張ってもらわなければならないが、メルクリウスを処理落ちさせるには、如何せん数が足りない。

 せめてあとひとりは頭数が欲しかった。あるいは『ティマイオス』で、もっと想定外のこと、あるいはメルクリウスの興味を引くような出来事でも起こればいいのだが。

 

「とりま量産型メルちゃん折衷版公爵夫人様の調整はこんなもんにして、あとはあのクソ生意気だったお子様ふたりの調整も今のうちに……」

「ヤングオイスターズの方はいいのか?」

「あー、あれなのです? あれはもう廃棄なのです」

「廃棄?」

「えぇ、ちょっと弄りすぎて“壊れて”しまったので」

 

 事も無げにメルクリウスは宣う。そのついでと言わんばかりに、モニターを新しく表示させた。

 そこに映し出されているのは、ふたりのヤングオイスターズ。ヤングオイスターズ唯一の生き残りであるアギリと、かつてアヤハと呼ばれていた黒い肉塊が対峙しているところだった。

 

「わりとよく運用してたようだが、壊しちまったのか」

「まあ元から潰れかけだったものを回収してリサイクルしただけのゴミですし、どうでもいいのですけどね。そのまま処分するのも勿体ないし面倒くさいので、せっかくだから弟さんに処理してもらおうかなって。ほらやっぱり、家族なら自分の手で引導を渡したいものでしょう?」

「さてな、俺にはそういう感覚はわからねぇよ」

「くふふっ、同感なのです。それに今は、他の製造もしているところ。ダメになったお姉さんなんてただの前座なのですよ」

「そうかよ。前座ねぇ」

 

 モニターに映るヤングオイスターズ――長男であり、二番目の彼。

 沈着冷静で意志堅固。しかして何者にも成りきれていない青年。

 貶められた姉の姿を前にしても、冷ややかさを崩さない彼であったが、しかし今この時に限っては、彼はどこか必死だった。

 それはメルクリウスを討とうという気概でもなければ、囚われた仲間を救おうという慈悲でもなく、賊軍の責任感でもない。

 なにか別の目的を持って、この戦いの渦中に身を置いている――彼にしか理解できないような、なにかがそこにあるかのように。

 

「……まあ当人にとってどうなのかは、外野の俺たちが預かり知る話じゃねぇな」

「なにか言ったのです?」

「いや、なんにも。関係ねぇさ、俺たちにはな」

 

 そう、関係ないのだ。

 自分たちに関わるのは、あくまでも勝敗の結果のみ。そこになにを見出すかなど、どうでもいいことだ。

 

「……おっと? でもなんだか、いい雰囲気なのですね?」

「あん?」

「ヤングオイスターズのお兄さん。彼はとっても気丈で、冷静沈着。反乱分子を纏め上げて、あたしの眼から逃れて、絶望の中でも戦い続けられる逸材なのですよ」

「まあ、そうだな」

「だからこそ、ここでぎゃふんと言わせたいのです」

「ぎゃふん」

「てってーてきぶちのめしたいのですよね。心も気骨も滅茶苦茶に、情緒もプライドもハチャメチャに。一番大事なところを、削って削いで磨り潰す……そうやって暗い海の底にねじ伏せてやるのですよ。哀れな若牡蠣たちにはお似合いの場所なのです」

「……そうかよ」

 

 どうもメルクリウスとしては、アギリのことが気に入らないらしい。

 心を乱さず、メルクリウスの世界への監視の目を掻い潜り、仲間を失いつつも諦めることなく戦ってきた男。

 確かにそれは、メルクリウスの気位を揺さぶることだろう。彼女の底意地の悪い逆鱗に掠ってしまったようだ。

 

「壊したとはいえお姉さんはあたしのコントロール下……調整はいくらでも利くのです。くふふふ!」

 

 邪悪に微笑むメルクリウス。

 彼女が見つめる先で相対するのは、ふたりのヤングオイスターズたち。長女と長男。一番目と二番目。

 遥か遠くの悪意など露知らず。そこに立つ彼は、ただひとつの目的のために、戦い続けていた――




 次回、アギリvsアヤハ。
 サイドストーリー的にちまちま描写してたアギリの物語に、決着がつく。


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54話「討滅・星の賢者 Ⅷ」

 姉との決着をつけるアギリ。彼がこの戦いに臨む理由とは――


 

 ――【不思議の国の住人】に未来などない。

 女王という存在をより深く理解するにつれ、そんな思いが募っていったし、レジスタンスを纏めた今でも、帽子屋が抜かす栄華も栄光もあるだなんて思っちゃいない。

 自分たちは最初から詰んでいる。女王という縛りがそこにある故に、どう足掻いても希望なんてない。

 女王を倒すなんて夢物語だ。仲間を全員助けるなんて現実的じゃない。眠りネズミや水早霜を煽動したものの、本気で彼らの望みが達成されるとは思っていない。

 それほどに、現状は最悪なのだ。そして、それより以前から、嫌というほどその“空気”は、不思議の国にはあった。

 だから、姉の絶望は、理解しているつもりだ。

 死なないために生きる。リスクを避けて生きる。生存のために生きる。

 勝ち気な癖にネガティブで、粗野なわりには後ろ向きで。

 ひたすらにマイナスな未来を視ていた彼女。

 必死だったと思う。余裕なんてなかったと思う。弟として同情もするし、尊敬する姉ではあった。

 しかしそのどうしようもなさは、ずっと許せなかった。破滅へ向かう生存戦略。その矛盾が、ずっと気に入らなかった。

 相手が姉だから、長女だから、これまではずっと甘んじていた。

 だがそれも、ここまでだ。

 帽子屋の野望も、公爵夫人の殺意も、三月ウサギの慟哭も、代用ウミガメの絶望も、それらに寄り添ってきたこれまでは、ただの建前。

 己が成すべきと定めたことを成し遂げる。

 

 俺自身の手で――彼女を殺すために。

 

 そのために俺は、ここにいる。

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 アギリの場には《*/零幻チュパカル/*》。相手の場には《Wave All(ウェイボール) ウェイボール》。

 

「《ウェイボール》……」

 

 アギリは無機質に回転する球体型クリーチャーを見遣る。

 もはやムートピアですらない。マナに見えているのも呪文ばかり。

 無機質で、生命力を失った虚無なる魂たち。

 自我も自己も喪失した姉のなれの果てを改めて直視すると、虚しさが込み上げてくる。

 

「……《極幻空ザハ・エルハ》! 《接続 CS-20》をGR召喚し、《ザハ・エルハ》をインストール! 1枚ドローする」

 

 《チュパカル》から始まり、ドローソースも確保。滑り出しは順調。

 しかし3ターン目。最速は見逃されたが、恐らく、そろそろだ。

 

「ァ」

 

 肉塊から、彼女の呻きが聞こえる。

 

「ァ ァ ァァ ァァアァアアア――」

 

 じゅくじゅくと泡立つ音に混じり、慟哭のような雄叫びは徐々に大きく、明瞭になっていく。

 啜り泣くような声が、絶叫に。そして、劈くほどの悲鳴に変わった瞬間、世界が一変した。

 

 

 

「――《卍 新世壊(グランドゼーロ) 卍》!」

 

 

 

 やはり――出て来てしまった。

 《卍 新世壊 卍》。魔導具呪文を吸収し、大儀式を成す無月の世界。

 4枚の魔導具が装填された時、恐らくアギリはあらゆる時を失い、終わる。

 

「ァ――ひ、とつ」

 

 彼女の手から、呪文が1枚、零れ落ちる

 

「《堕呪 ゾメンザン》……!」

 

 なんの効果のない、虚無の言霊が残響する。

 しかしその言の葉が、詠唱が、世界に取り込まれていく。

 早速1枚、魔導具が吸収されてしまった。

 さらに《ウェイボール》が呪文に反応し、《全能ゼンノー》を吐き出す。

 

 

 

ターン3

 

 

アギリ

場:《離脱[チュパカル]》《接続[ザハ・エルハ]》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

アヤハ

場:《ウェイボール》《ゼンノー》《新世壊(1)》

盾:5

マナ:3

手札:3

墓地:1

山札:25

 

 

 

 

「《新世壊》、水の魔導具……早めに決着をつけたいが」

 

 アギリのデッキは、水文明単色のオレガ・オーラ。どちらかといえばコントロール寄りで、速度のあるデッキではない。

 猶予は恐らく、2ターン。

 あと2ターン以内にとどめを刺すほどのビートダウンを仕掛けるのは非現実的だが、

 

「縦に伸ばすより、横に並べるべきか。4マナをタップ……そして《パス・オクタン》をGR召喚」

 

 すべきことは、固まった。

 

「世界の理、生命の理、力の理、神の理。すべての論理(コード)を繋げ、楽園に今、最強を創造する」

 

 偽りでも、気高く。

 仮初めでも、強く。

 人造の命は、神の領域を脅かす。人の手で、人を陵辱する神を、冒涜する。

 

 

 

「吼け――《Code:1059》」

 

 

 

 龍。それが、人の空想した、神ならざる最強の象徴。

 目の前の肉塊は、神の眷属ですらない。神にさえ見捨てられた廃棄物だが、腐っても邪神の末端。

 秘めたる暴威に抗うには、人なるものの力を。

 その不遜で以て、アギリは姉なる者へと牙を剥く。

 

「ターン終了時、《Code:1059》の能力で《接続 CS-20》をGR召喚!」

 

 ビートダウンを仕掛ける場合、必要なのは打点と手数。

 《Code:1059》は、ただそこにいるだけでGRクリーチャーを生み出し続ける。恒久的な戦線拡大、駒の補給を行える。

 もっとも、1体ずつ出撃させる以上、大量に展開するには、時間がかかるのだが。

 それに。

 

「《堕呪 カージグリ》!」

「《Code:1059》が戻されたか……」

 

 直後、《Code:1059》は手札に押し返される。

 手札に戻されただけなので、出し直すことはできるが、確実に時間を稼がれている。

 これで、2枚目。

 

「――《卍獄ブレイン》……!」

 

 

 

ターン4

 

 

アギリ

場:《離脱[チュパカル]》《接続[ザハ・エルハ]》《接続》

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:1

山札:24

 

 

アヤハ

場:《ゼンノー》×2《ウェイボール》《新世壊(2)》

盾:5

マナ:4

手札:3

墓地:2

山札:22

 

 

 

(魔導具、ドルスザク……バンダースナッチを思い出すな)

 

 呪文が主体であるため、バンダースナッチとはまるで趣向は違うが、堕落した彼女の姿はまるで腐乱死体。

 燻り狂える様は、あまりにも悲しい怒りだ。

 

「…………」

 

 ――奴は今、なにをしているのだろう。奴も【死星団】に捕えられたのか……?

 

 そういえば姉も、バンダースナッチのよく駆り出されていた。その責務を彼女に背負わせていた。

 思考にノイズが混じる。決断が鈍る。意志決定が濁る。

 アギリは雑念を振り払い、今は目の前の、姉なる者へ相対する。

 

「《*/零幻チュパカル/*》! 《離脱(エスケープ) DL-20》をGR召喚し、インストール! さらに《*/弐幻サンドロニア/*》! 《シェイク・シャーク》をGR召喚してインストール! 《ゼンノー》を拘束!」

 

 ともすれば悪足掻きにしかならないような展開。ひたすら横に横に、アギリは数多のクリーチャーを並べていく。

 

「3マナで《Code:1059》! 《甲殻 TS-10》をGR召喚! 《Code:1059》をインストール! ターン終了時、《シェイク・シャーク》をGR召喚し、マナドライブで2体目の《ゼンノー》を拘束だ!」

 

 とにかくGR召喚を連打し、オーラも取り付けたが、しかし最初に想定されたリミットが訪れた。

 《卍 新世壊 卍》が展開されてから2ターンが経過した。

 ここが5ターン目。むしろ、長かったくらいだ。

 しかし世壊は無情だ。努力も抵抗も、結実しない結果をすべて否定する。

 

(《Code:1059》で墓地の《卍獄ブレイン》を潰しておくべきだったか……? 手札は決して多くない、《ギ・ルーギリン》だけなら問題ない。直接のフィニッシャーを握られていなければ、ワンチャンスといったところだが)

 

 そんな希望が通じるほど、姉だったなにかは、甘くなかった。

 冷酷で、残酷だ。

 

「《堕呪 ウキドゥ》! 《堕呪 カージグリ》!」

 

 3枚目、4枚目。

 4枚の魔導具が、《卍 新世壊 卍》の下に装填される。

 これで最低限の下準備は完了。

 あとは、適切な呪文の詠唱が成功するか。

 そしてその呼び声に、“彼ら”が応えるかどうか。

 どう考えても確定的だというのに、言葉にされない限り希望に縋りたくなる。あり得ないはずの、ほんの少しでもあり得る可能性に祈りたくなる。

 そんな祈りなど、なんの意味もないのに。その言葉が現実に降ろされる時、人の弱さを思い知らされる。

 黒々とした肉塊は、確かな人の声で、彼女の言葉で、告げる――

 

 

 

「無月の門99(ザイン)

 

 

 

 ――と。

 

 

 

「ァ ァ ア ァ ア」

 

 ぼごぼごと、鈍く肉塊が泡立つ音が響く。

 中からなにかが、這い上がってくる。黒い肉を押し退けて、迫り上がってくる。

 

「ァァァァァァアァァアアアァァァアアアアアアアアアアアァッ!」

 

 悲痛な絶叫が、辛苦の悲鳴が、作り物の宙に響き渡る。

 無理やり引きずり出されたかのように、それは、顔を出す。

 

「……姉さん」

「ァァ、ァァァ、アァ……あ……ァ、ギリ……!」

 

 肉塊から絞り出されてきたのは、女の身体――体色は黒く染まり、目は虚ろで、ボロボロに痩せ細ってはいるが、それは紛うことなく、アギリの姉。

 ヤングオイスターズの長女だった者。アヤハと呼称された彼女だった。

 

「出て来てくれた、か。いや……無理やり引きずり出されたのか。あの餓鬼の仕業だな」

 

 意地の悪いメルクリウスのことだ。恐らくここで、実の姉に言葉を紡がせ、アギリの動揺を誘おうとでも思っているのだろう。

 悪辣で小賢しい。本当に性格が悪い。

 アギリは表情を変えず、涼やかではあるが。

 ここで本当の姉の言葉は、確かに、効く。

 そっと、アギリは自分の胸を掻き毟るように、爪を立てる。

 

「……その姿は、苦しかろう。我が姉よ」

「苦しい……? 苦しい……あぁ、苦しいさ。だけど、それはいつだって、そうだ。ワタシは、いつも、苦しかった!」

 

 彼女はアヤハの声で、姉の顔で、泣き叫ぶ。

 みっともなく涙を流しながら、悲しみに慟哭する。

 

「人の世との壁があった! 決定的に踏み越えられない隔絶があった! 女王の鎖があって、仲間の軛があって、己の呪縛があった! ワタシの! お前達の! 呪いが! 縛りが!」

 

 十二人の群体が個。個にして群、群にして個。それぞれの意志はひとつの総体としてある。

 ひとつの肉体に十二人の意志、魂がある、歪な生。それが『ヤングオイスターズ』だ。

 混線する意識、自我。振り回される情緒、感覚。自分が苦しい時、誰かは悲しい。自分が辛い時、誰かの喜びがノイズになる。

 歓喜は誰かの悲嘆に打ち消され、己の辛苦は誰かの悦楽によって歪められる。

 自分が何者かであるかも忘れてしまいそうな喪失の恐怖を抱えながら、彼らは、我々は、混沌とした生を授かったのだ。

 その苦しみを今、彼女は、吐き出している。

 

「はっ、いっそこのままでもいいくらいだ。女王は恐ろしい。けど、今、この時、ワタシはワタシでいる。他の弟妹なんて雑味のない、個としてのワタシでいられる! イカれた奴らに振り回されることもない、自分を見失うことも、自我が混濁することもない! 不思議の国よりは、いくらかマシな場所だ」

「……そんなにバンダースナッチのお守りは嫌だったか。公爵夫人の殺意は理解できなかったか? 帽子屋の狂行も、三月ウサギの淫行も、行眠りネズミの蛮行も、あなたはそれほど受け入れられなかったというのか?」

「言わなくてもわかってるだろうが、お前はワタシでもあったんだ。ワタシたちみたいな“人でなし”が、人の世で生きるってことを、あいつらはなんもわかっちゃいない。肝が冷える毎日だった! 意味のないリスクばかりを負って、計画も展望もない栄華を打ち立てて、ろくにそこを目指しちゃいない! 生まれながらに狂ってんだよ! あいつらは! ワタシは、ワタシは……!」

「そんなに死にたくないか」

「ッ!」

 

 ピシャリと、アギリは言い放つ。

 

「知っているさ、俺はあなただった。あなたは俺だった。ヤングオイスターズの皆、誰だってあなたの苦しみは知っていた。あなたは誰よりも、死を恐れていた、と」

 

 死にたくない。失われたくない。

 短命なヤングオイスターズの、ささやかにして根源的な願い。

 危険を排除したい。降りかかる災厄はすべて抹消したい。生きたい、生き延びたい。死にたくない。

 ヤングオイスターズの長女であった彼女を突き動かしていたのは、そんな原始的な欲求だった。

 

「……哀れだな」

「んだと……? 死にたくないのは生物の本能だ! それに、誰も不思議の国の惨状を正しく理解しちゃいねぇ! 人の世に、ワタシら人外の入り込む余地なんてねぇ! いずれ淘汰されて、惨めに消えていくだけって未来が見えちゃいねぇんだ!」

「だから生存を望んだと? あまり生者を馬鹿にするなよ、()()()()()

「てめぇ……!」

「確かに不思議の国の連中は揃って馬鹿だ。どいつもこいつも頭がおかしい。なぜ今の今まで生きているのか不思議なくらいに愚かでどうしようもない狂った奴らだ」

 

 だが、しかし。

 

「……奴らは、生を謳歌している」

「は?」

「楽しんでいる、と言っているんだ」

 

 アギリの言葉に、彼女はぽかんとしている。

 しかしやがて、ギリギリと、歯を軋ませる。

 

「楽し、んで……ふざけてんのか?」

「ふざけられる余裕もない生になんの意義がある? 生存のためにリスクを避けるのは正しいだろうさ。だが、死なないために悲観的になるのは、生きているとは言わない。そんな生き様は、なんの価値もない。快楽に溺れるでもなく、しかし悦楽を切り捨てるでもなく、歓楽と寄り添い駆け抜けるからこそ、生物の命とは輝くものになる」

 

 アギリは捲し立てるように言葉を紡ぐ。

 これまで冷静に、沈着に保っていた彼が、ありったけの熱を込める。

 

「最期に笑えば愚者でもいいなどとは言わん。だが、我が姉よ! 貴様には一言、ハッキリ言わなければ気が済まないことがある!」

 

 波濤のように押し寄せる、アギリの激情。

 自分は長男だが、長ではない。一番目である長女の下にいる、二番目でしかない。

 今まではその顔を立てていた。序列に従い、姉への敬意で目していたが。

 その軛は、もはや捨て去った。アギリはすべてを曝け出し、吐き出す。

 

「あなたの考えは間違っている! 長女としての責務を背負った姿には敬意を表するし、俺はその姿に憧れた……だがそれ以外は全部クソったれだ! 無能な愚姉が!」

「なっ、あぁ!? てめぇそんな口汚ぇ奴だったのかよ! つーか人が黙って聞いてりゃ言いたい放題言いやがって!」

「それはこちらの台詞だ! 二番目(ボク)が黙っているからと言って、いつまでもウジウジとネガティブに! それでも長女か! 朧や狭霧が……弟や妹が、どんな気持ちで沈んだあなたを見ていたと思っている!」

「あ……!?」

 

 一番目と二番目、姉と弟、アヤハとアギリ。

 アヤハは、自分のことで精一杯だったかもしれない。

 けれど『ヤングオイスターズ』は、個にして群、群にして個。

 これは、ふたりだけの問題ではない。

 だが、

 

「……馬鹿にしてんじゃねぇ」

 

 ぐじゅぐじゅと、沸騰するかのように、彼女を覆う黒い肉塊が泡立つ。

 怒り、憎しみ、妬み、嫉み。

 あらゆる負の感情が、黒い仔山羊の身体を溶かし、膨張させる。

 

「てめぇに、ワタシの――『ヤングオイスターズ』の長が抱える苦悩の、なにがわかるかってんだッ!」

 

 ――『ヤングオイスターズ』の長。一番目と称される存在。

 ただ、長兄長姉として弟妹たちを導く、だなんて簡単な話ではない。

 彼らは“次に死ぬべき存在”として、余命残り僅かな者として、死の宣告を受けたことと同義なのである。

 『ヤングオイスターズ』、哀れな若牡蠣たち。その名の通り、若い間しか生きられない、哀れな命だ。

 

「長女を継いで、僅かな時間を与えられ、その中で長としての責務を果たせってか? そんなクソったれたシステム、ワタシは、継ぎたくなかった! 自由でいられるなら、楽しく笑えるような生き方ができるなら、とっくにそうしてた!」

 

 だけど、できない。

 どうしようもなくわかっているから。この世は艱難辛苦、絶望しかなく、自分たちに未来も栄華もないと、理解しているから。辛酸を舐め、這いつくばって生きることしか、できないのだ。

 だからもう、彼女は戻って来れない。

 未来を黒く塗り潰され、諦念で押し潰され、重責も、思考も、生存も、呪縛も、すべてが失われた傀儡だからこそ、苦しみのない今。

 このどす黒いぬるま湯から、這い出ることは、できなかった。

 現実を受け止められず、心は摩耗しきった。今まで容易く流れなかっただけでも奇跡的だ。

 逆説的に、彼女はもう、その奇跡を喪ってしまった。

 

「水面の月よ、黒き影にてすべて飲み込め! 妥協と受容と諦観が、苦しみから解放する標となる!」

 

 漆黒の宙を映す水面の門扉が開かれる。

 暗夜に沈む無月から聞こえてくるのは――呪詛。

 この世すべてを呪い尽くす、災禍の調べ。

 詠唱を続けた大儀式の果てに、彼女は災厄を呼び起こす門を創造する。

 

 

 

「《月下卍壊 ガ・リュミーズ 卍》ッッッッッッッッッ!」

 

 

 

 門が開き、異形が溢れ出す。

 鈍く地を鳴らす(くろがね)の機神。

 そして、それらを引き連れた、揺蕩う水の如き神獣。

 魂まで腐り落ちた今の彼女に世界を終わらせるような役割は分不相応ではあろうが。

 目の前の愚弟を葬り去る程度の力はあった。

 

「《凶鬼卍号 メラヴォルガル》を3体! さらに《卍 ギ・ルーギリン 卍》!」

「来るか……!」

 

 アギリは身構える。

 同時に、3体の《メラヴォルガル》が、砲身を『ヤングオイスターズ』へと向けた。

 

「《メラヴォルガル》の能力で、互いのシールドを2枚ブレイク!」

 

 ズンッ、と。

 重い衝撃が走る。自分も相手も諸共に、命を削り取る。

 2枚のシールドが失われるが、まだ終わりではない。

 

「S・トリガー! 《堕呪 カージグリ》! 《Code:1059》を手札に戻す! 2撃目!」

「ぐ……っ!」

「3撃目ェ!」

 

 《メラヴォルガル》が3体、自分と相手、最大でそれぞれ6枚のシールドを叩き割る豪快な攻撃。

 自分のシールドも失うが、《ガ・リュミーズ》の効果で彼女はエクストラターンが確約されている。そのためアギリは、シールドが存在しない状態でターンを渡さなければいけなくなる。

 無防備なところに、ブロックされないドルスザクが4体。その他多数のウィニー。

 このパターンに持ち込まれてしまったら、返すのは困難を極める。S・トリガーはほとんど引けず、アギリのデッキにはニンジャ・ストライクもない。盤面に並んだアタッカーを1体も処理できない。

 もうこのまま、押し通される。

 そう思える状況だが、しかし。

 

「……ここだ! S・トリガー!」

 

 《メラヴォルガル》に砕かれた最後のシールドが、光り輝き、収束する。

 

「ギガ・オレガ・オーラ起動! 《*/弐幻キューギョドリ/*》! 《パス・オクタン》をGR召喚! さらにギガ・オレガ・オーラは、もう1体追加でGR召喚できる!」

 

 《ギ・ルーギリン》がいるのでブロッカーは無意味。《シェイク・シャーク》は出し切った。それ以前に、相手には動けるアタッカーが多い。

 GRクリーチャーの出力では、これだけ並んだクリーチャーを処理することは不可能だが、

 

「……姉さん。俺はあなたを否定する」

 

 アギリは、姉だった者に、正面から立ち向かう。

 

「生存に焦るあまり、生きる意味を見失ったあなたは間違っている。だけど、それでも、あなたは確かに俺の……俺たちの、姉だった」

 

 既に死した屍で、それが無理やり動かされ、尊厳が歪められ、操られているのだとしても、あれは確かに姉だ。

 そんな彼女を殺すために、自分はここにいる。

 しかしそれは、介錯ではない。

 

「一度は腐り落ちた。死んだんだ、あなたは。あなたは『ヤングオイスターズ』としての使命を果たしている」

「知らねぇ! うるせぇ! 使命がなんだ! 宿命がなんだ! 勝手に押し付けられた呪いで、てめぇの生を否定されていいわけがねぇ! ワタシは、もっと――生きたい!」

「いいや! あなたは殺す。()()()()の時だ―『ヤングオイスターズ』!」

 

 長女の彼女へ向けて。

 長男の彼が告げる。

 

「一番目、長女アヤハ。あなたの生存への執着は忘れない。あなたという過去があるから、今という俺たちがあり、そして未来に繋がっていく」

 

 これは儀式だ。本来の形からは逸脱してしまったが。

 『ヤングオイスターズ』たる自分たちに必要な通過儀礼なのだ。

 二番目、長男、アギリ。

 彼は告げる。

 彼女に、弟妹たちに。

 

「だから、次は、俺が――」

 

 そしてなにより、自分に。

 自分の在り方を、継承すべきものを、宣言する。

 

 

 

「――(キャプテン)だ!」

 

 

 

 アヤハは、長の座に居座りすぎた。

 そこから引きずり下ろし、次なる長として、アギリが座する。

 そのために、彼女からその座を引き継ぐためだけに、アギリはここまで諦めなかった。

 どんな絶望にも抗い、喪失も耐え、あらゆる言葉を建前として進んできた。

 すべては、兄として――長兄に至る者としての、義務だから。

 その意志が、責任が、具現化する。

 

「歓喜の宙へと思いを馳せ、我らは今、楽園へ至る」

 

 水球が命を生み出す。

 偽りでも、作り物でも、確かな魂の波紋が広がっていく。

 

「GR召喚!」

 

 漆黒の水面を突き破って。

 暗黒の宇宙を突き進んで。

 アギリは長として、その名を呼ぶ。

 

 

 

「翔べ――《C.A.P. アアルカイト》!」

 

 

 

 

ターン5(アヤハEXターン)

 

 

アギリ

場:《離脱[チュパカル]》×2《接続[ザハ・エルハ]》《サンドロニア[シャーク]》《キューギョドリ[オクタン]》《接続》《シャーク》《アアルカイト》

盾:1

マナ:5

手札:10

墓地:1

山札:19

 

 

アヤハ

場:《メラヴォルガル》×3《ゼンノー》×2《ウェイボール》《ギ・ルーギリン》《ドゥザイコ》《新世壊(4)》

盾:1

マナ:5

手札:3

墓地:3

山札:18

 

 

 

 

 それは、空想の海を渡り、幻想の空を航行する、生きた艦。

 アギリが導き出した、『ヤングオイスターズ』を統べる長としての在り方。その証明にして具現。

 それが――《C.A.P.(キャプテン) アアルカイト》だった。

 

「ごちゃごちゃ……うるせぇ!」

 

 《ガ・リュミーズ》の効果により、時空が歪む。。

 時間は不規則に波打ち、虚空はひび割れて、世界の崩壊が始まった。

 アギリに身を守る盾はない。姉だった者の殺意は、彼を容易く貫くだろう。

 

「てめぇがいくら吼えようと、今は、ワタシのターンだッ! 《堕呪 ゴンパドゥ》! さらに《堕呪 ザフィヴォ》! 《ザフィヴォ》の効果で《カージグリ》! 《アアルカイト》をバウンス!」

「させるものか! 《パス・オクタン》の能力で身代わりに!」

「だったらそのまま消し飛ばす! 《ギ・ルーギリン》で、ダイレクトアタック――!」

「いいや、あなたの時代は終わる。ここからは引き継ぎだ。あなたが背負ってきた時間、今度は俺が背負わせて貰う」

 

 《アアルカイト》が啼く。絶望に打ちひしがれた絶叫でもない。苦悶に満ちた嗚咽でもない。

 それは、諦めたくないと願う、未来への咆哮。

 歓楽に満ちた明光を信じる楽観。そして、そこに至るための希望。

 

「俺の水のGRクリーチャーを4体戻し、この歪んだ世界を修正する。さぁ翔べ、《アアルカイト》! 歪められた時を超え、正しき位相へと舞い戻れ!」

 

 《アアルカイト》は希望を乗せて、虚の海を渡る。幻の宙を飛ぶ。

 それは果てしない航行。しかしそれを成し遂げた先にある、楽園を目指して――

 

 

 

「――超天フィーバー!」

 

 

 

ターン6

 

 

アギリ

場:《離脱[チュパカル]》×2《アアルカイト》

盾:0

マナ:5

手札:12

墓地:2

山札:18

 

 

アヤハ

場:《ゼンノー》×2《ドゥザイコ》×2《ギ・ルーギリン》×2《メラヴォルガル》×2《ウェイボール》《新世壊(4)》

盾:1

マナ:6

手札:3

墓地:5

山札:15

 

 

 

「――あ?」

 

 なにが起こったのか、彼女は理解できなかった。

 《卍 新世壊 卍》が無限にも近しい無月の門を開き、大儀式《ガ・リュミーズ》が唱えられ、数多のドルスザクが顕現し、このアギリは世界の崩落に飲み込まれて消えたはず。

 そうなる、はずだったのに。

 彼は、弟は――『ヤングオイスターズ』の長になった奴は、生きている。

 

「《アアルカイト》の超天フィーバー――相手のターンを強制終了する」

「な……に……? んな、馬鹿な……」

「なにを驚いている、ねじ曲げられた世界があるべき姿に戻っただけだ。この世界も、あなたの魂も。無理やり引き延ばされた生は、俺がここで断つ」

 

 《ガ・リュミーズ》のエクストラターンは、《アアルカイト》によって相殺される。

 《メラヴォルガル》の力は諸刃の剣。アギリを追い詰めた邪神の力は、今、呪文の担い手であった彼女へ向けられる。

 残りシールドゼロ。まだ、ブロッカーはいるが、

 

「終わらせるぞ。1マナで《*/零幻チュパカル/*》! 2マナで《Code:1059》! 《C.A.P.アアルカイト》にインストール!」

 

 アギリは超天フィーバーのため、場に残っているのは《チュパカル》2体と《アアルカイト》のみ。

 《メラヴォルガル》3体に《ギ・ルーギリン》の壁は決して低くはないが、アギリは先の攻防で、既に手に入れていた。

 

「3マナでさらに――《C.A.P. アアルカイト(Code:1059)》をアップデート!」

 

 求めていた切札が、今、この手にある。

 

「害為す邪悪を修正し、世界は今、楽園へ至る」

 

 《アアルカイト》が、希望を運んでくれた。

 楽園へと到達し、届けてくれた。

 なればあとは、執行するだけ。

 苦しみの中でも、楽しいと思う感覚は捨てたくない。自分の生を感じるために、楽しさは手放さない。

 今と、未来への歓楽を、力に変えて。

 それが“生きる”ということだと、証明するために。

 

 

 

「飛べ――《ア・ストラ・ゼーレ》!」

 

 

 

 龍の論理(コード)を纏った《アアルカイト》は、その魂をさらに昇華させる。

 どちらも人造なれど、楽園という未来のために尽力する存在。

 それらが引き合わされ、《アアルカイト》はより高く、先へ、飛んでいく。

 

「《Code:1059》で4000、《ア・ストラ・ゼーレ》で6000、そして《アアルカイト》のパワーは、水のGRクリーチャーが4体以上いれば9000となる! 合計パワー19000!」

 

 場には《チュパカル》がインストールされたGRクリーチャー3体に、《アアルカイト》。すべて水文明だ。

 

「《ア・ストラ・ゼーレ》の効果により、パワー19000未満のクリーチャーをすべて手札へ!」

「が、ァ、アァ……!」

 

 《Code:1059》が、《ア・ストラ・ゼーレ》が、《アアルカイト》が、吼える。

 その魂の叫びが、あらゆる邪悪を浄化する。《メラヴォルガル》も《ギ・ルーギリン》も、すべて、消滅した。

 

「こうして6体以上のクリーチャーが手札に戻されたことで、今度は俺が追加ターンを得る……もっとも、これ以上あなたを生かしはしない」

「いや、だ……嫌だ! ワタシは、死にたく、ねぇ……! まだ、生きたいんだ! 生きたい……!」

「……その慟哭は、流石に、胸にくる。しかし妄執に取り憑かれたあなたを、生きていると認めるわけにはいかない。これ以上、自分の尊厳を踏み躙らないでくれ。これ以上、俺の敬愛する姉を、貶めないでくれ――姉さん!」

 

 如何に長といえど、弱音くらいは吐くだろう。心折れてしまいそうなこともあるだろう。それを責めることなんて、本当はできないはずなのに。

 それを支えてやれなかった悔恨が募る。しかし今更、過去には戻れない。誰だって、今と未来にしか生きられないのだから。

 だからせめて、この後悔は未来に持って行く。

 女王の打倒も、仲間の救出も、建前で。

 ただこの無念を晴らし、贖罪を成し遂げ、長の位を継承する――そんな自分本意な理由で、アギリはここにいる。

 後ろめたく、後ろ暗い。

 そんな罪と、偉大なる先代達の怨嗟を背負って。

 アギリは、姉と――決別する。

 

「さぁ、終わらせよう。これが(ボク)の、長としての、長男としての初仕事だ」

 

 先代の死を以て、『ヤングオイスターズ』は代替わりとなる。一番目が死に、二番目がその座につき、序列が動く。

 哀れな若牡蠣の姉よ、苦しみに満ちた生だったかもしれないが、せめてこの一瞬だけでも、安らかであれ。

 目元を拭い、ぽつりと、こぼす。

 

 

 

 ――最後まで助けてやれなくてごめんなさい、姉さん――

 

 

 

「《C.A.P. アアルカイト(ア・ストラ・ゼーレ)》で、ダイレクトアタック――!」




 裏でちまちま描写していたアギリのサイドストーリーは、ここで一時完結です。
 無事、アギリはアヤハを討ち、長男と相成りました……しかし過程があまりにも歪んでしまったあたり、やはり彼らはどうしたって、哀れな若牡蠣なのでしょう。
 しかしその悲哀を背負いつつも、アギリならば、希望を失ことはないのでしょうけれど。


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54話「討滅・星の賢者 Ⅸ」

 終末は終わらず、禁忌は時空をねじ曲げる。
 賢愚の少女の遊戯は、未だ終わらず。


 

「あ……ぁ、あぁ……」

 

 崩壊していく。

 辛うじて繋ぎ止められていた彼女の肉体が、精神が、解きほぐされ、バラバラに、崩れていく。

 だがそれは、喪失ではない。

 還るのだ。元の、本来の、あるべき姿に。

 

「さようなら……姉さん」

「あ……ぎり……あ、あぁぁ……!」

 

 悲痛な慟哭が止まない。きっとまだ、彼女は死にたくないと願うのだろう。

 しかし、

 

 

 

「ぁ……とは……たの……む――」

 

 

 

 彼女は微かに、希望を絞り出した。

 死に行く中で見出した、後継への、希望を。

 

「……あぁ、任せろ。俺はもう、長男だからな」

「――――」

 

 もう声もない。

 黒い肉塊に埋もれた姉の顔は、見えなかったが。

 きっと、最期くらいは、安らかであったと願いたい。

 

「……さて、終わった、か」

 

 アギリがここにいる理由。長の座を、姉から簒奪し、継承すること。

 『ヤングオイスターズ』としての儀式の履行。彼はそのためだけに、ここに来た。

 それが為された以上、もはや女王討伐に付き合う必要はない。元より、そんなものは夢物語だと思っている。達成できるはずのない難関だと理解している。

 だが、しかし。

 

「長となってすぐに役割を放棄しては、座を継承したとは言わんな。女王討伐の無理難題、もうしばし付き合おう。俺は長男だからな」

 

 踵を返し、振り返る。

 いつの間にか、それはいた。

 人の姿ではない。かといって、黒い仔山羊でもない。

 明らかにそれは、クリーチャーだ。

 龍のような、獅子のような、異形。長く伸びた四つの首、胴体に埋め込まれた二つの頭。

 クリーチャーの姿をした――人。

 

「……悪趣味が過ぎる、と。なんど苦言を呈したことか。この邪悪さ、底が知れないな」

 

 それぞれ四つの首と、二つの頭には、獣でも化物でもなく、人の顔が縫い合わされていた。

 しかもすべて、見覚えがある。

 男も女も、少年も少女も。アギリのよく知る顔だった。

 

薄雲(はくも)、朧、狭霧、小波(こなみ)(ひびき)(らい)……全員は、いないか」

 

 縫合された顔はすべて、『ヤングオイスターズ』の兄弟姉妹のもの。

 それらの顔は、悍ましい声で、言葉にならない唸りを上げている。

 

「これも宿命か。俺は長男になったから耐えられたものの、覚悟ができていなければ怒り狂っていたぞ」

 

 もっとも、その怒りは表層に出していないというだけの話。

 この“仕掛け”を用意したメルクリウスの邪悪さには、その限りではない。

 

(感情を揺さぶるような敵の配置。やはり悪辣だ。俺でさえも、気を抜けば心を乱されてしまいそうだ)

 

 マジカル・ベルなど、この手の精神攻撃には滅法弱そうだ。

 彼女だけではない。アギリとしては、最も心配なのは、やはり彼。

 怒りっぽく、直情的で、誰よりも情に厚い、仲間思いな熱血の獣――

 

 

 

「――眠りネズミは、大丈夫だろうか」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 眠りネズミと、混成された偽物の霜との対戦。

 眠りネズミの場には《Re:奪取(リスタート・ダッシュ) トップギア》。一方で混成霜の場には《天翼 クリティブ-1》。

 《クリティブ-1》がマナゾーンより大きなクリーチャーの登場を阻害するため、眠りネズミはせっかく召喚した《トップギア》の能力を生かせないでいる。

 

「僕のターン……あいつは邪魔だが、ここはこいつだな」

 

 マナに置かれる、青いカード。

 この時、眠りネズミが持ち出したのは火文明単色のビートジョッキーでも、光・火のマジボンバーでもない。

 

「早速てめーの貸してくれたモン借りるぜ、アギリ! 《トップギア》をスター進化!」

 

 アギリと共同製作した。水と火のビートダウン。

 そしてその中には、アギリから託された、彼がいずれ手にする予定だった力がある。

 

「《ウェイボール<バイロン.Star>》!」

 

 本来であれば、『ヤングオイスターズ』の長が受け継いでいくはずのマスターの力。

 それを同族の仲間に託すことで、性質を変化させ、同調させた姿。

 過去の栄光を振り返り、未来への栄華を夢見て、巨獣の力を纏った水球は激しく回転する。

 

「《バイロン.Star》で攻撃! こいつは攻撃時に2枚ドローできるが、手札が6枚以下だと攻撃が止まっちまう。ドローだけしてターンエンドだ」

 

 

 

ターン3

 

 

混成霜

場:《クリティブ-1》

盾:5

マナ:4

手札:2

墓地:0

山札:28

 

眠りネズミ

場:《バイロン.Star》

盾:5

マナ:3

手札:5

墓地:0

山札:25

 

 

 

「攻めてくると思ったのに、手札補充か。君らしくもない」

「るせぇ! パチモンが僕を語ってんじゃねーぞ。知ったかぶりすんな!」

「知ったかぶりじゃない、知ってるんだよ。確かに君の知ってる水早霜とはちょっと違うかもしれないけど、ボクもほら、この通り、水早霜だからね」

 

 少女と混成された霜。少年でありながらも、少女そのものの端正な顔立ち。

 愛らしいスカートをはためかせ、細くたおやかな手足が流動する。

 男も女も、ないまぜに。

 どこまで行っても少年であった彼は、少女と混ざることで、より可憐に、より凜と、華やかに、その姿を成している。

 あるいはそれは、彼の理想的な姿だったのかもしれない。

 

「さて、“らしさ”はさておき。直接的な打点にならなくても、手札を供給され続けるのは面倒だ。だからこうしよう、《猛菌 キューティ-2》を召喚。《バイロン.Star》を拘束するよ。ターンエンドだ」

「しゃらくせぇ! 4マナで《ゴリガン砕車 ゴルドーザ》召喚だ! こいつは1ターンに2回殴れる! シールドブレイク!」

「おっと、ここで攻めるのか。強気だね」

「おらもう一発だ!」

 

 止まっていると思えば、すぐさま何度も殴りつける。激しい緩急をつけた連続攻撃が、霜らしき彼を攻撃する。

 《ゴルドーザ》による連続攻撃でシールドが2枚、吹き飛ばされるが、

 

「S・トリガーだ、《超次元ジェイシーエイ・ホール》! まずはカードを2枚ドロー、そして1枚を山札の下へ。さらに水のコスト7以下のサイキック・クリーチャーを呼び出すよ。ここは……こいつだ。《時空の戦猫シンカイヤヌス》!」

 

 

 

 

 

ターン4

 

 混成霜

場:《クリティブ-1》《キューティ-2》《シンカイヤヌス》

盾:3

マナ:5

手札:3

墓地:1

山札:26

 

眠りネズミ

場:《バイロン.Star》《ゴルドーザ》

盾:5

マナ:4

手札:4

墓地:0

山札:24

 

 

 

「6マナで《仙祖電融 テラスネスク》を召喚、EX発動。山札から1枚をシールド化だ! そしてここで《シンカイヤヌス》を《ヤヌスグレンオー》へループ覚醒、《テラスネスク》にスピードアタッカーを与えよう」

 

 《テラスネスク》の登場により、《シンカイヤヌス》は姿を変え、飛沫は火の粉へ、《ヤヌスグレンオー》へと翻る。

 

「まだ終わっていないよ、《テラスネスク》の能力で、ボクは手札からコスト4以下のカードを使用できる。呪文《T・T・T(ザ・トリプル・スリー)》! カードを3枚ドローする!」

「んだよ、殴ってくんのか?」

「確かに《ゴルドーザ》は厄介だけれど、ここで破壊してしまうとラスト・バーストが発動してしまうからね。せっかくのスピードアタッカーは無駄撃ちだが、ターンエンドだ」

「ハッ、舐めやがって」

 

 つまらなさそうに鼻を鳴らす眠りネズミ。

 相手が除去を恐れて殴り返してこないなら、こちらも押し通すまで。

 

「1マナで《ブンブン・チュリス》を召喚! そのまま4マナで、スター進化!」

 

 1マナのレクスターズから、即座に重ねて進化速攻。

 初速は遅れても、潤沢な手札で安定性と瞬発力を求めた。眠りネズミのスピードにアギリの策略を添えた進化速攻。

 

「こいつもアギリからの借り物だ! 《マニフェスト<マルコ.Star>》!」

 

 それは海中も陸地も関係なく駆け抜ける王。

 電脳の力を身に纏い、此度は眠りネズミの傍に侍り、疾駆する。

 

「《マルコ.Star》の登場時、クリーチャー1体をバウンスする! 《テラスネスク》を――」

「おっと、《テラスネスク》はジャストダイバーで選ぶことはできないよ」

「……しゃーねぇ。なら目標変更だ、《ヤヌス》をバウンス! そのまま《マルコ.Star》で攻撃! 3枚ドローして1枚捨て、Wブレイクだ!」

「《テラスネスク》でブロックだ。パワーでは負けてしまうが、《テラスネスク》はEXのシールドを消費して生き残るよ」

「突っ込め《ゴルドーザ》! ここでてめーのシールド全部叩き壊してやる!」

 

 《ゴルドーザ》が走ると同時に、眠りネズミは《マルコ.Star》によって補充された手札から1枚を、弾き飛ばす。

 

「来い! 《龍装者 バルチュリス》!」

「ここで《バルチュリス》か」

「《ゴルドーザ》で2回目のブレイク! 《バルチュリス》でもブレイクだッ!」

 

 ブロッカーがいようとお構いなしと言わんばかりの、怒濤の連続攻撃。アギリの支援を受けた眠りネズミは息切れしない。止まらない。

 激しく攻め立て、シールドをゼロにまで追い込むが、

 

「……S・トリガーだ、《猛菌 キューティ-2》。それはまだ攻撃していなかったね、これなら無駄にならない。《バイロン.Star》を拘束」

「チッ……ターンエンド」

 

 

 

ターン5

 

混成霜

場:《キューティ-2》×2《クリティブ-1》《テラスネスク》

盾:0

マナ:6

手札:6

墓地:3

山札:21

 

眠りネズミ

場:《バイロン.Star》《ゴルドーザ》《マルコ.Star》《バルチュリス》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:2

山札:19

 

 

 

「さて、なんとか耐え切れたな、ボク。そして攻めきれなかったようだね、ヤマネ」

「るっせぇ。そのツラで僕の名前を呼ぶんじゃねぇ」

「つれないな。ボクと君の仲だろうに」

「僕のダチはソウだ。てめーじゃねーよ、勘違い野郎は引っ込め」

「やれやれ、とりつく島もない。まあいいんだけどね。君がいくら喚いて叫ぼうと、この一手はすべてを黙らせる」

 

 直後、相手の場が、爆散する。

 

「《クリティブ-1》と《キューティ-2》2体を破壊し、ササゲールを発動!」

 

 3体のディスタスが、献身によってその身を奉じる。供物として、捧げる。

 捧げられた命は生贄だ。その命の重さだけ、マナが充填される。

 

「《クリティブ-1》で1コスト、《キューティ-2》2体で4コスト。コストを5軽減し、4マナをタップ!」

 

 タップしたのは4マナ。5コスト軽減されているため、合計9マナ。

 重量級のディスペクターと言えども、9マナともなれば超弩級。

 薄ら笑いを浮かべる。

 憎悪でも、憤怒でも、苦悩でも、葛藤でもない。

 眠りネズミの知る彼でも、あるいは彼女でもない、それは邪悪な少女の嘲笑そのもの。

 

「禁忌に時針を穿つ――邪悪を黙せ」

 

 どこか聞き覚えのある言の葉が紡がれ。

 大陸が、屹立する。

 

 

 

「《禁時混成王 ドキンダンテⅩⅩⅡ》!」

 

 

 

 大地が鳴動し、岩盤が迫り上がる。

 巨大な要塞の如き石柱が、邪槍を時針に神聖な時盤を背負い、邪悪なる禁忌の化身を取り込んでいる。

 それは苦悶の表情を浮かべ、慟哭し、石柱と混ざりつつありながらも、憎悪と憤怒の絶叫を轟かせる。

 《禁断》と《ミラダンテ》。反発し、相反するはずの力が混ぜ合わされた、混成体――《ドキンダンテⅩⅩⅡ(トゥエンティツー)》。あまりにもちぐはぐで、異形のそれは、モザイク状に繋げられており、酷く不安定に見えた。

 それだけではない。

 

「こいつは……公爵夫人に、霜の……!」

 

 その姿は、眠りネズミの目には、公爵夫人の憎しみと怒り、霜の悩みと迷いも、それぞれダブって見えたのだった。

 いつ野垂れ死ぬかもわからない自分を、ここまで生かし、逃がし、導き、そして寄り添ってくれた仲間たち。

 その切札たるクリーチャーが、無理やり接合され、貶められている。

 

「……クソ野郎がよ。とことん人のダチをコケにしやがって……!」

 

 怒りのあまり、眠気が飛ぶ勢いだ。

 自分を直接叩くならいい。馬鹿にされるなら黙らせるだけだ。眠ってしまえばそんなものは聞こえないし、どうでもいい。

 けれど、仲間を侮辱され、尊厳を踏み躙られるのは、我慢ならなかった。

 

「どこまでも舐めやがってよぉ! そんなに人をおちょくって楽しいか? あぁ!?」

「別に? ボクは人をイジる趣味はないけど、あの子はどうだろうね? ボクはほら、ただ自分の力を使ってるだけだから」

「意味わかんねぇことを……!」

「理解する必要はないよ。まあ、あえて言うなら、そんなに頭に血を上らせてもいいことないよ? 怒りは疲れるだろ?」

「てめーが怒らせてんだろうが! いい加減にしとけよてめぇ、ぶん殴るだけじゃ収まらなくなるぞ……!」

「はは、怖いなぁ。まあ囀れる時に囀れるのが幸せか……EXライフ発動。さらに」

 

 風を切る音が聞こえる。空気に穴を空けるような奔流が、天から、地上に向けて降ってくる。

 

「!?」

 

 それは、邪悪な形状をした、槍のような時計針。

 無数の針が天から降り注ぎ、眠りネズミのクリーチャーたちに突き刺さる。

 

「《ドキンダンテ》がバトルゾーンに出た時、次のボクのターンまで、君のクリーチャーのすべての能力は無視される。君のクリーチャーはもう、抜けがらさ」

「クソがっ! 今度は帽子屋みてーなことしやがって……!」

「さらに3マナで《T・T・T》。《ヤヌス》がいなくなってしまったからね、《ドキンダンテ》をスピードアタッカーにするよ」

 

 《ドキンダンテ》の巨躯が駆動する。

 鈍い苦悶の雄叫びを上げ、それに呼応するかのように、時針槍が、時盤の上でぐるぐると狂喜乱舞する。

 

「鏖殺の時間だ。《ドキンダンテ》で《マルコ.Star》を攻撃――アタック・チャンス!」

 

 視界が歪む。知覚が崩れる。

 夢に堕ちるような、夢に囚われるような、世界の常識が、認知が、理がねじ曲がる感覚。

 しかしこれは、眠りネズミが常日頃感じているような、眠り行く感覚とは違う。

 これは夢ではなく、現実だ。時空が歪曲し、世界の輪郭は崩壊し、宇宙の真理は書き換えられる。

 

 

 

「《禁時王秘伝エンドオブランド》!」

 

 

 

 それは平行世界に接続し、あらゆる“滅び”の概念を引きずり出す奇跡と禁忌の術。

 発展も変化も、否定される。時盤が指し示す12の時間から、それぞれの“滅亡”が形成されていく。

 

「まずはコスト8以下のクリーチャーを破壊する、対象は《ゴルドーザ》!」

「クソッ! だが、ラストバーストで……」

「できると思うかい? 《エンドオブランド》の効果で、コスト5以下の呪文は唱えられないよ」

「っ、ぐ……っ!」

 

 口が、動かない。

 身体が重い。

 いつもの眠気によるものじゃない。

 《ドキンダンテ》の“封殺”の力で、眠りネズミの一挙手一投足が、じわじわと封じられている。

 スッ、と。

 相手の顔から、表情が消える。

 

「逆転なんて許さないよ。指一本動かせないまま、ここでくたばれ」

 

 霜の顔で、霜の言葉で、彼は、彼女は、冷たく告げる。

 誰かに向けたはずの敵意が、眠りネズミに向けて、放たれる。

 

「さぁバトルだ。こちらはパワー99999! 比べ合いにすらならないな」

 

 《マルコ.Star》が、一瞬で踏み潰される。

 本来であればスター進化の耐性で進化元だけは残るはずが、《ドキンダンテ》いよって能力を封殺されているため、進化元諸共、踏み砕かれる。

 

「っ……!」

「《テラスネスク》も《バルチュリス》を攻撃だ! ターンエンド」

 

 場は殲滅された。呪文は使えない。僅かに残ったクリーチャーも、能力を失った抜け殻だ。

 ――しかし。

 

「僕の、ターン……!」

 

 眠りネズミの火は、消えていない。

 折れず、曲がらず、屈しない。燃え尽きるまで、彼は魂を燃やし続ける。

 いくらクリーチャーが木偶の坊でも、殴り倒すだけなら、そこにいるだけで十分。

 

「……能力消えてんなら、《バイロン.Star》は殴れるってことだ。ここでぶっちぎってやるぜ! 5マナで《バルチュリス》をそのまま召喚――」

 

 《ドキンダンテ》の封殺能力も完璧ではない。能力が消えることでデメリットを解消できる《バイロン.Star》のようなクリーチャーもいるし。

 その場にいるクリーチャーの能力を封じても、後続のクリーチャーの能力まで消えるわけではない。

 アギリの補給が効いている。彼から託されたカードのお陰で、眠りネズミはまだ、援軍を呼ぶだけの手札がある。

 強力な切札が出たとはいえ、相手のシールドは残り1枚。とにかく数で殴りきる。

 そう、思っていた、のだが。

 

「――あ?」

 

 気がついたときには、繰り出したはずの《バルチュリス》が、消滅していた。

 

「《禁時混成王 ドキンダンテⅩⅩⅡ》の最後の能力」

 

 《ドキンダンテ》が、眠りネズミらを睥睨する。

 憎しみと、怒りと、苦しみと、迷いを、殺意に乗せて。

 

「相手がコスト9以下のカードを使うたびに、ボクはコスト9の呪文で反撃できる」

 

 そう言って彼が見せたのは、《スーパー・エターナル・スパーク》。

 眠りネズミの《バルチュリス》は失せ、シールドは1枚増えていた。

 

「もう君に勝ち目はない。ここから殴りきる算段でも立ててるんだろうけど、無駄さ。苦し紛れの戦略なんて、全部抑え込んでしまうよ」

「……《ブンブン・チュリス》を召喚!」

「無駄だって言ってるだろう? 呪文《超次元ジェイシーエイ・ホール》! 《時空の戦猫シンカイヤヌス》を再びバトルゾーンへ!」

 

 今回は除去ではない。見逃された……と考えるのはあまりにも楽観的すぎる。

 相手も手札を入れ替えて、反撃の呪文を手札に溜めているのだ。それだけではない、《ヤヌス》が出たということは、攻勢に転じるタイミングも測っている。

 

「だがこれで、僕の手札は1枚だ! こいつが出て来る!」

 

 眠りネズミはその1枚を、跳ね上げる。

 宇宙まで打ち上げるように、高く、高く――

 

 

 

「――《“轟轟轟”ブランド》ッ!」

 

 

 

 どこまでも高く飛び立とうかというほどに、それは激しく轟く。

 たった1枚の手札を燃料に、僅かなリソースを絞り尽くして、《“轟轟轟”ブランド》は、発進するが。

 

「わかんないかなぁ、無駄だってことがさぁ! 《ドキンダンテ》の能力でドロー、そして呪文《S・S・S(スクラッパー・スパイラル・スパーク)》!」

 

 《ドキンダンテ》が吼える。

 ありとあらゆる理を蹂躙し、我が手に収めて、ねじ曲げる。

 大火が、激流が、雷撃が、眠りネズミの場に滅びをもたらす。

 

「《S・S・S》には3つの効果がある。まずは相手のパワーが最も低いクリーチャー、《ブンブン・チュリス》を破壊! 次にパワーが最も大きいクリーチャー、《バイロン.Star》をバウンス! 最後にクリーチャーをすべてタップする!」

「クソ……ッ! だが《“轟轟轟”ブランド》の能力が消えたわけじゃねぇ! 手札を捨てて《テラスネスク》も破壊だ!」

 

 なんとか難を逃れた《“轟轟轟”ブランド》は、辛うじて《テラスネスク》を粉砕するが、自軍の被害はあまりのも大きい。

 《ドキンダンテ》が存在する限り、眠りネズミはあらゆる行動を制限される。

 走ることも、飛ぶことも。あらゆる自由が剥奪される。

 

 

 

ターン6

 

混成霜

場:《ドキンダンテ》《シンカイヤヌス》

盾:1

マナ:7

手札:5

墓地:11

山札:15

 

眠りネズミ

場:《“轟轟轟”ブランド》

盾:6

マナ:6

手札:2

墓地:8

山札:17

 

 

 

「詰めていこうか。《天翼 クリティブ-1》と《龍装の調べ 初不》を召喚」

「《初不》……!」

「そうさ。これでボクが《スパーク》と名の付く呪文を唱えるたびに、君のクリーチャーはフリーズ状態となる」

 

 相手の場には、《ドキンダンテ》がいる。眠りネズミが行動するたびに、呪文を放ち迎撃する禁断の要塞がある。

 眠りネズミがクリーチャーを召喚しても、《ドキンダンテ》が《スパーク》呪文を放てば、眠りネズミのクリーチャーはすべて休眠してしまう。

 手足が冷えていくようだった。感覚を失って、壊死してしまいそうだ。

 動きを封じられていく。満足に立つことすら、許されない。

 彼は酷く冷たい目で、嘲るように、侮蔑を込めて、眠りネズミを見下す。

 

「そのまま一生、這いつくばってろ、ドブネズミ。《ドキンダンテ》で《“轟轟轟”ブランド》を攻撃!」

 

 先ほどは運良く生き延びたが、それはほんの僅かな猶予。最初から、生路などなかった。

 《ドキンダンテ》の放つ邪槍が、《“轟轟轟”ブランド》に降り注ぐ。宙を駆ける《“轟轟轟”ブランド》はそれを躱していくが、禁忌の槍は絶え間なく彼を追い回す。

 やがて《ドキンダンテ》の巨躯が壁となり、逃げ場を失った《“轟轟轟”ブランド》は、邪槍に貫かれ、塵も残らず消し飛んだ。

 

「クソ……ッ! 《ネ申(カリスマ)マニフェスト》を召喚!」

 

 盤面はほぼ制圧されている。後続もまともに機能しない。

 それでも眠りネズミは、抗う。

 意識が刈り取られる前に、ほとんど動かない指を無理やり駆動させ、舌の回らない口で詠唱も暴言も吐き散らす。

 

「《ネ申マニフェスト》の能力で3枚ドロー! 2枚捨てる!」

「《ドキンダンテ》、制圧準備! 呪文《スパーク・チャージャー》! 1枚ドローし、《ネ申マニフェスト》をタップする。さらに《初不》の能力でフリーズだ」

「《トップギア》を召喚!」

「足掻くねぇ! けど無意味さ! 呪文《ジェイシーエイ・ホール》! 手札を入れ替え、《変幻の覚醒者アンタッチャブル・パワード》をバトルゾーンへ!」

「まだだ! 《Re:奪取(リスタート・ダッシュ) マイパッド》を召喚!」

「……呪文《パシフィック・スパーク》! 《トップギア》も《マイパッド》もタップ、《初不》の能力でそのままフリーズだ!」

 

 

 

 

ターン7

 

混成霜

場:《ドキンダンテ》《シンカイヤヌス》《クリティブ-1》《初不》《アンタッチャブル・パワード》

盾:1

マナ:8

手札:4

墓地:14

山札:9

 

眠りネズミ

場:《ネ申マニフェスト》《トップギア》《マイパッド》

盾:6

マナ:7

手札:0

墓地:11

山札:13

 

 

 

 眠りネズミが次々と繰り出すクリーチャーは、片っ端から《ドキンダンテ》によって封殺されていく。

 まともに立ち上がれず、動くこともままならない。殴りきり、攻めきるなど、夢のまた夢。

 だというのに、眠りネズミは止まらない。動かないはずなのに、止まらない。

 矛盾を孕みながら、突き進んでいる。

 不可解極まりなかった。

 

「……よくもまあ、ここまで無駄なことができるよね、君も」

「無駄じゃねーよ。僕は勝つ。そのつもりでてめぇに拳振ってんだ!」

「豪気どころか健気だよ、むしろ憐憫かな? なんでそんなに頑張れるの? 辛くない?」

「んなもん、ダチのためだからに決まってんだろうが」

「代用ウミガメか。それもボクかな?」

「てめーじゃねーよ、ソウだよ。いつまでも自惚れてんじゃねぇパチモンがよ!」

 

 友達(ダチ)のため。仲間のため。

 眠りネズミが、己の睡魔を抑え込んでここまで走り続けている訳。

 単純明快で、だからこそ強い意志となり得る理由だ。

 しかし霜の顔をした彼はやはり、不可解だった。

 

「理屈はわかるんだけど、やっぱり腑に落ちないよね。ボク、君にそんな大それたことしたかな? 行き倒れてたから、介抱してあげただけだし。その後は成り行きで一緒にいただけじゃないか」

「パチモンが知ったような口利くんじゃねぇよ」

「いいや知ってるさ、ボクはボクだ。この脳に、ちゃんと記録されている。君との出逢い、思い出、全部ね」

「…………」

「ボクは知識としてその経験を得ている。だからその感性もわかるさ。ボク自身、特別なことなんてなにもない。ただの一般人としての感性で、人並みの情で、君に付き合っただけだよ。それなのに、そんな気合い入れちゃって、張り切って、死のもの狂いで戦って! 意味がわからない。なんでそんなに戦えるの? ちょっとばかり、ボクなんかに入れ込みすぎじゃない?」

 

 確かに、ファーストコンタクトこそ何ヶ月も前の話だが、霜と眠りネズミがまともに言葉を交して交友を持ったのは、ほんの数日。一週間もない。

 その数日の間に様々なことはあったが、それが眠りネズミにとっての“特別”となり得たかは、疑問だった。保護も共闘も、彼は不思議の国で経験しているはず。

 我が身を磨り減らしてまで、なぜ眠りネズミは、水早霜に固執するのか。

 

「わかんねーかよ、ならやっぱてめーはパチモンだ」

 

 眠りネズミは、言い放つ。

 しかし眠りネズミにとっての霜は、彼が思うものではなかった。

 

「特別だから大事なんじゃねぇ。“特別じゃない”からこそ、大事なんだよ」

「……?」

 

 怪訝そうに眉をひそめる。

 特別ではないから、大事。

 どこか矛盾したような言動に、理解が追いつかない。

 

「僕らに必要なのは、特別なモンなんかじゃねぇ。大事なのは、帽子屋のクソ野郎が語るような夢物語でも、栄光とやらでもねぇ――“日常”だ」

「日常だって?」

「バカみたいに笑えてよぉ、ムカつく奴がいたらぶん殴って、たまに宴でバカ騒ぎできる。変な夢も見ねぇ、寝て起きても死んじゃいねぇ、眠ることに恐怖がねぇ。なにもおかしくない、狂っていない“普通”が、僕らにゃ必要なんだよ」

 

 誰も彼もが狂っている【不思議の国の住人】だからこそ、普遍的な存在は、なによりの標となる。

 “眠る”という、あらゆる生物にとって当たり前の行動が死に直結する呪いを有する眠りネズミなら、その普遍性はなおのこと、特別になる。

 

「ソウは……そんな、僕にとって大事な“普通”だからよ。なんも特別な存在じゃねーけど、あいつがいると安心するんだ。眠った後も、また起きて口利くことが当たり前。だから僕は、永遠の眠りに堕ちずに済む。カメ子も同じだ。あいつらは、ただそこにいるだけでいい。特別なことしてくれなくても、特別な存在じゃなくても、ただダチってだけでいい。そこにいるだけで、僕が安心して眠れる、また目覚めることができる。眠ったままじゃいられないと、気合いを入れることができる」

 

 女王によって架せられた呪い(ペナルティ)だが、普通の日常があるからこそ、その重圧を忘れられる。その辛苦を乗り越えられる。

 少なくとも眠りネズミにとって、それはかけがえのないものだった。

 共にいた時間も、なにをしたかも、関係ない。

 彼となら、安心して眠れる。彼がいるから、また目覚められる。

 ただその安心感があるだけでいい。

 

「僕は母ちゃんに虐められてるからな。気ぃ抜いたら一生起きられないからよぉ。なんか、そーゆーのが要るんだわ。ま、このへんは打算ってやつなんだが、不思議の国の奴らも似たようなもんだ」

 

 もっとも、【不思議の国の住人】とはそういうものだ。

 各々には、各々にしかわからない苦悩がある。

 自己が分散し自我が喪失しかねない『ヤングオイスターズ』も、情欲ばかりで子を孕むことができない『三月ウサギ』も、女王の醜悪さを色濃く受け継いだ『公爵夫人』も。

 皆一様に、自分にしか理解できない苦悩を抱えて生きている。

 

「いつ死ぬかわからねぇ命だからよ、僕は刺激は大好物だ。だが、だからこそ、なんてことのねぇ日常も大事だ。楽しいし、安心できるからな。パチモンには理解できねーだろうけどよ」

「……あぁ、まったくだ。君の論理はまったくもって意味不明すぎる」

 

 眠りネズミの言葉に、彼は、理解を拒絶した。

 彼にしかわからない苦悩も、恐怖も、狂気も、すべて否定し、受け入れない。

 

「理解しようと思うことが愚かだったよ。不要な好奇心だった。君への理解は至らなかったが、それでいいや。君はここで、鏖殺する」

 

 冷たい眼が見開かれる。情けも容赦も失せた霜の眼差しは、公爵夫人の如き殺意を以て、眠りネズミに牙を剥く。

 

「6マナで《テラスネスク》を召喚! 火のクリーチャーが出たから、《シンカイヤヌス》を《ヤヌスグレンオー》にループ覚醒! 覚醒時の能力で《テラスネスク》にスピードアタッカーを与える!」

 

 《ヤヌス》が翻り、《ヤヌスグレンオー》へ。

 再び《テラスネスク》にスピードアタッカーを与えるが、今度は無駄撃ちではない。

 次はない。今回こそ、殺しに来る。

 

「《テラスネスク》の能力で、手札からコスト4以下のカード、《アクア・三兄弟》を召喚! 水のクリーチャーだ、今度は《シンカイヤヌス》の方にループ覚醒! 1枚ドローし、3マナで《勇騎 オニモエル-2》を召喚。《マイパッド》を破壊して、もう一度ループ覚醒! 《ヤヌスグレンオー》になったから、《オニモエル》にスピードアタッカーを与える!」

 

 クリーチャーが連続で繰り出され、それに合わせて《ヤヌス》がぐるぐると回転し、攻撃の布陣を形成していく。

 

「《オニモエル》で《トップギア》を攻撃! 《ヤヌスグレンオー》で《ネ申マニフェスト》を攻撃!」

 

 フリーズさせるだけでは飽き足らず、念入りにクリーチャーを潰してくる。

 無論、潰すのはクリーチャーだけではない。

 滅亡の力は、プレイヤー本人にも向けられる。

 

「《初不》でWブレイク!」

「ぐ……ッ!」

「続けて《ドキンダンテ》でTブレイク!」

 

 時盤を廻る邪槍が放たれ、大地諸共に眠りネズミのシールドを抉り取る。

 

「《アンタッチャブル・パワード》で最後のシールドをブレイク! S・トリガーがあろうと、ジャストダイバーにEXライフ、二重の耐性を持つ《テラスネスク》は突破できないだろう?」

 

 スピードアタッカーを付与された《テラスネスク》は、次のターンまでジャストダイバーにより潜水状態。即ち選ばれない。

 よしんば選択せず除去できるカードがあったとしても、EXライフで一度までなら復活してしまう。

 そもそもとして、《テラスネスク》の二重耐性を突破して除去できる受け札など、彼のデッキには存在していないわけだが。

 

「けどよ、んなもん知るかってんだ」

 

 除去は不可能。業腹だが、その事実は認めなければならない。

 だがしかし、除去できないからといって。

 攻撃が止められない、というわけではない。

 

「アギリの野郎からしこたま説教(指導)喰らって組んだデッキだ、その程度でくだばると思ってんじゃねぇぞ! S・トリガー! 《終末の時計 ザ・クロック》!」

 

 時空の潮流が乱れ、滅亡をもたらす光の中。

 時の乱気流を強引に堰き止め、へし折る無法の力。

 正に問答無用。《ザ・クロック》は、規律も理も無視して、この瞬間を弾き飛ばした。

 水入りならば、ありふれた防御手段だ。強引だが、ある意味では正道で、ありきたり。

 そのカードに彼は、少し不服そうに、蔑んだ眼で眠りネズミを見遣る。

 

「……安直、安易、雑な防御札だ。綺麗じゃないな」

「僕はドブネズミらしいからな。こちとら綺麗だとか汚いだとか、そんなレベルで生きてねぇっつーの」

 

 元より意地汚く生きているのが【不思議の国の住人】だ。中には気高く生きる者もいるだろうが、眠りネズミは違う。

 美学なぞ、夢の中に置いてきた。

 自我はそのままに、けれども自分本位な意地は、それこそドブの中に投げ捨てた。

 誰かの、仲間の力を借りて、自分に足りないものを貸してもらって、眠りネズミは今、ここにいる。

 

「僕のターン」

 

 アギリの教えは確かに力になっている。けれど、まだ、それだけでは足りない。

 眠りネズミがさらにもう一歩先に進むには、彼が必要だ。

 だからここで、その偽物は、打ち砕く。

 

「1マナで《ブンブン・チュリス》を召喚!」

「無意味だよ、《ドキンダンテ》の能力起動! 呪文《パシフィック・スパーク》! 君のクリーチャーをすべてタップし、さらに《初不》でフリーズを掛ける」

「まだまだ! 2マナで《トップギア》を召喚!」

「……《スパーク・チャージャー》だ。《トップギア》をタップ」

 

 ほんの少し、相手の表情に翳りが見えた。

 対戦を長引かせたことで、眠りネズミのマナは7マナまで伸びている。そして手札は豊富。しかしそれに対して、相手の山札は残り僅か。

 このままカウンターで呪文を撃ち続けるにしても、ドローしていれば山札が尽きる、という懸念が生じ始めていたのだ。

 しかし手札に呪文を確保するためには、ドローするしかない。残り山札は3枚しかないため、引けてもあと1枚。

 

「2マナで《“罰星怒(バスタード)”ブランド》を召喚だッ!」

「くっ……《ドキンダンテ》の能力でドロー、そして呪文! 《ホーリー・スパーク》! 《初不》の能力とあわせてフリーズする……!」

 

 最後の1枚を引き、呪文を放つ。

 これで眠りネズミのクリーチャーはすべて沈黙した。もはやなにもできないはずだ。

 

(流石にそろそろ種切れだろ……いくらクリーチャーを並べても、これだけタップすれば――)

 

 残りシールドが少ないとはいえ、《テラスネスク》は生きている。1体や2体のアタッカーでは、とても殴りきれないはず。

 そう、そのはず、なのだが。

 

「その顔、さて呪文を撃ち尽くしたか?」

「!」

 

 なぜ彼は、眠りネズミは、こんなにも勝ち気なのか。

 ただの鼠と侮っていたのか。しかし彼の背後に燃ゆる影は、もっと大きな、怪物のようで――

 

「待ってたぜ……てめぇが弾切れ起こす、この瞬間を!」

 

 眠りネズミの闘志が、燃え上がる。

 消えない火種が、激しく炎上する。とっくに尽き果てていてもおかしくないはずの、小さな灯のはずなのに、それはまだ、消えない。

 眠ることを拒むように、燃え続ける。

 

「まずはコストを3軽減! さらにこのターン火のクリーチャーを召喚したから追加で3軽減! 2マナをタップ!」

 

 残ったマナをすべて捻り出し、

 

「《“罰星怒”ブランド》を――スター進化!」

 

 クリーチャーの眠りさえも、妨げる。

 

 

 

「そぅら――《我我我ガイアール・ブランド》の襲名だぁ!」

 

 

 

 それは眠りネズミの新たな切札、新たな《ブランド》――《我我我(ガガガ)ガイアール・ブランド》。

 ボードを勝利の龍に変え、大いなる宙にて自在に乗り回す竜騎兵(ドラゴンライダー)

 《ガイアール・カイザー》の力を継承し、その名を受け継いだ、王にしてマスター。

 龍の力をその身に纏い、彼らは漆黒の宙を駆け抜ける。

 しかし、その勇猛なエースの姿に、彼は気圧されない。

 むしろ嘲笑の笑みを浮かべ、そして堪えきれなくなったように、噴き出した。

 

「……く、くはっ、あははははは! なにかと思ったら進化クリーチャーか! 警戒して損したよ」

「あぁん? なに笑ってんだよ」

「凄んでも無意味だよ、だって、君のクリーチャーはすべてタップしてる。追加でなにが出るのかと肝を冷やしたが、進化クリーチャーなら問題ない。どうせそいつは殴れないのだから!」

「言ってろボケ。《“罰星怒”ブランド》のシンカパワー発動! 進化した《ガイアール・ブランド》よりコストの低いクリーチャーを破壊する! 《クリティブ-1》を破壊!」

 

 《ガイアール・ブランド》の咆哮が、《クリティブ-1》を吹き飛ばすが、それだけだ。

 相手の言う通り、《ガイアール・ブランド》はタップしていた《“罰星怒”ブランド》から進化しているため、タップ状態で場に出ている。

 タップしているクリーチャーは攻撃できない。子供でもわかる単純にして不変のルールだ。

 

「まったく君って奴は。どうせ勝てないというのに、往生際だけは悪いね」

「ネズミだからな、意地汚ぇのは標準装備だ!」

「まあ君が頑固なのも、考えなしなのも知ってるけどさ。いくらがむしゃらやっても、無理はものは無理なんだ。もう諦めろと言うのも面倒くさい。ただただ、現実の無情さに押し潰されるといいよ」

「誰が考えなしだよ、ほざけカス。僕は眠くてなんも考えられねーだけで、なんも考えてないわけじゃねぇ。潰されんのはてめーだよ」

「……ほんっと強がりだな」

「違ぇぜ。《我我我ガイアール・ブランド》はコストを軽くして召喚した時、必ず攻撃しなきゃなんねぇ。しかもその攻撃後には破壊される」

 

 だが、と眠りネズミは続ける。

 

「《ガイアール・ブランド》がバトルゾーンを離れると、僕のクリーチャーはすべて起き上がりスピードアタッカーを得る。てめぇの顔面叩き潰してやれるってわけだ」

「そいつは恐ろしいが、それはそいつが破壊されたら、だろう? 攻撃できなきゃ自爆できないんじゃ、そもそも攻撃できない現状、その能力は無意味だよ。《ドキンダンテ》に任せるまでもなく、真っ白なテキストと変わらないさ」

「そうだな……で、僕はさっきなにを破壊したんだったか」

「は? なにをとぼけたことを……? 眠気で頭が回らないのかい? 君が破壊したのは《クリティブ-1》だね。ウィニー主体の君ならすり抜ける手段もあったろうに、馬鹿正直に突っ込んじゃって。今更こんなの破壊したって――」

 

 と、そこで。

 彼は、ハッと気付く。

 

「――嘘だろ?」

「気付いたな。馬鹿はどっちだってんだクソ野郎」

「あ……あ、あぁ、そんな……! まさか……」

 

 恐る恐る、視線を向ける。眠りネズミの場でもない、シールドでもない、その奥――彼自身でもなく、彼の、マナゾーン。

 ひとつ、ふたつと指折り数え、そしてその戦慄は、確かなものになった。

 眠りネズミのマナゾーンにあるカードの枚数は、7枚。7マナだ。

 しかし、《我我我ガイアール・ブランド》のマナコストは――

 

 

 

「――は、8マナ……!」

 

 

 

 《天翼 クリティブ-1》は、相手が自分のマナゾーンのカードの枚数よりコストの大きなクリーチャーを出した時、そのクリーチャーを山札の下に送り戻す、いわゆるコスト踏み倒しメタのクリーチャー。

 そしてそのメタ能力は、強制的に発動する。

 

「こいつ……まさか、だからこのターン、マナチャージしないで……!?」

 

 ただがむしゃらに、《ドキンダンテ》の弾切れを狙ってクリーチャーを並べていただけではなかった。

 呪文を撃ち尽くすタイミングを狙いながらも、こちらのクリーチャーの能力まで利用することを、計算して――!?

 

「こんな寝惚けた頭で計算なんてできるかボケ! アギリにゃくどくど言われたがなぁ、僕の頭なんざ、全部“なんとなく”だよッ!」

「そ、そんなふざけた戦略が、あってたまるか……! さっきと言ってることが違う……!」

「眠いんだからしゃーねーだろうが! デュエマも! ダチも! 僕らの生き様も! 理屈じゃねーんだッ!」

 

 《我我我ガイアール・ブランド》は、相手の《クリティブ-1》の能力によって――場を離れる。

 《ガイアール・ブランド》が、ボードから飛び去る。そして《“罰星怒”ブランド》が残るが、《ガイアール》の意志は、まだこの戦場に残っている。

 

「おらぁ! てめぇら起きやがれ! 寝てる場合じゃねぇぞッ!」

 

 その瞬間。

 眠りネズミのクリーチャーに――火が点いた。

 

「そ、んな……っ!」

 

 ――余計な一手だった。詰めて反撃を阻害するはずが、ただメタカードを1枚出しただけで、逆転の大火へと変じてしまった。

 

「総攻撃だッ! 《トップギア》《ブンブン・チュリス》でシールドブレイク!」

「《トップギア》は《テラスネスク》でブロック……! もう山札の中身は把握済み、非公開ゾーンのカードもわかってる! トリガーがあるから、まだ……!」

「んなもんじゃ止まんねぇぞ! 《バルチュリス》、Go! 《クロック》で最後のシールドをブレイク!」

「《スーパー・エターナル・スパーク》……《バルチュリス》をシールドへ……!」

 

 宣言通りS・トリガーこそ埋まっていたが、それでは止めきれない。

 シールドも、ブロッカーも、《ドキンダンテ》の災厄も。あらゆる障害をものともせずに振り切って。

 燃え滾る火鼠が、流星の如く駆け抜ける――

 

 

 

「――《“罰星怒”ブランド》で、ダイレクトアタックだッ!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 霜の顔をした混ぜ物の肉体は、モザイク状の接合部から綻びが生じ、輪郭から霧散していく。

 

「――――」

 

 それは最期の声を上げることもできないまま。

 じきに、肉体を保てなくなり――消滅した。

 

「……ケッ。つまらねぇミスしやがって」

 

 眠りネズミはつまらなさそうに吐き捨て、大きく欠伸をする。

 

「ふあぁ……ねみぃ」

 

 この欠伸は気が抜けたから――ではない。

 むしろ、逆。

 戦闘と警戒のあまり、消耗しているからこそ、が近づいてきたのだ。

 

(……勝ちはしたが、ギリギリだったな。絶好調でも睡魔がくる寸前かよ)

 

 正直、ムカつくツラではあったものの、大したことのない相手だと高を括ってたところはある。

 その結果が、辛勝だ。相手の詰めの甘さでようやくもぎ取った勝利だ。

 こんなことでは、この海中都市の攻略なんてできっこない。ましてや――

 

(――あのゴリラ女にゃ勝てねぇ……!)

 

 眠りネズミの胸中に渦巻く屈辱。あの敗北が、いまだ忘れられない。

 そしてそれが、彼がここに立つ理由のひとつでもある。

 友を救う。そこへと辿り着く。

 それと同時に。

 

「もっと――強く」

 

 たおやかなる剛力の化身。

 シリーズ・コレーを、討ち倒すために。




 やっぱり白青赤で9コストのクリーチャー出すのは無理があると思う。本来このカラーなら、アクターシャくらいの性能が一番色の強みを生かせるんじゃないかなぁ。
 と思いつつも、霜のパチモンなら変に色を混ぜないで、この三色がらしいという気もした。ササゲールもあるので、やってやれないことはないけれど、やっぱり盤面取れる強い呪文は黒混じりが好ましい。ドルマゲドン・ビッグバンとかね。
 眠りネズミの対戦も終わったので、次は小鈴の出番になると思われます。もっとも、殿堂発表で大打撃を受けてしまったので、対戦譜面が今大変なことになっていますが……間に合わなかったら、お茶を濁すために、メルとディジーでコントをやってもらうかもしれない。


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54話「討滅・星の賢者 Ⅹ」

 龍を越えた龍は零落し、銀河の熱は冷め切った。
 そこにあるのは、出来損ないと、なり損ない。
 贋作紛いが真を喰らい、牙を剥く。


 相手はみのりちゃん。いや、みのりちゃんじゃ、ないんだけど。

 みのりちゃんのような顔で、みのりちゃんの声で、だけどまったく違う、誰か。

 胸の内側から、沸々と、めらめらと、なにかが込み上がってくる感覚を御しながら、盤面に向かう。

 

「3マナで《リロード・チャージャー》! 手札を捨てて、1枚ドロー! さらに2マナで《灼熱の闘志 テスタ・ロッサ》を召喚! 2枚ドローして、引いた2枚をそのまま墓地へ」

 

 わたしの場には《灼熱の闘志(バーン・ザ・ハート) テスタ・ロッサ》が2体。《ボーンおどり・チャージャー》と《リロード・チャージャー》も唱えて、墓地も増えてきた。

 ……あんまり引きがよくなくて、墓地の状態もそこまでいいわけじゃないけど。

 手札がもうあんまりないけど、もう少し、墓地を増やしておかないとかな……?

 

「墓地肥やし、好きだねぇ。でも準備が遅いよ」

「!」

「こっちはもう仕込み万端だから。見せたげる」

 

 彼女はみのりちゃんのように、口角を上げて嗤う。

 場には《予知 TE-20》が1体。GRゾーンのカードを触ってたけど、あとはマナ加速くらいしかしていない。

 仕込みって言ってたけど、ここからなにを……?

 

「3マナで呪文《ストンピング・ウィード》! 山札の上から1枚目をマナゾーンに置いて、マナゾーンのカードを山札の一番上に戻すよ」

「山札の一番上を、入れ替えた……?」

 

 マナ加速じゃなくて、山札操作のための呪文? 山札の一番上に戻したから、次のターンにそれを引くつもりなのかな。

 だけどマナから手札に戻さず、わざわざ山札の上に置くのは、ちょっと回りくどい。

 っていうことは……

 

「さらに2マナ! 呪文《TOKKO-BOON!》だ! 効果でGR召喚を行う! 《予知 TE-20》でトップは確認済み、出て来るのは――こいつだ!」

 

 《予知 TE-20》で既にGRゾーンのカードを見ている。つまり、なにが出て来るのか、わかってる。

 その上で、現れたのは、

 

 

 

「《煌銀河 サヴァクティス》!」

 

 

 

 煌々と、光り輝く銀河の龍。

 この、煌めくドラゴンは……

 

「これって、代海ちゃんの……!」

「今は私のだよ。《TOKKO-BOON!》の効果で出て来たGRクリーチャーはスピードアタッカーを得る! そのまま攻撃――する時に!」

「まさか……」

「そのまさかなんだよねぇ! 侵略発動!」

 

 ――みのりちゃんが、攻撃する時にすることと言えば、侵略か革命チェンジ。

 《サヴァクティス》はコスト5以上で、ドラゴンだ。多くの条件に引っかかる。

 だけど、いつもと文明も種族も違う。一体、なにが出て来るの……?

 

「私は、小鈴ちゃんのこと、大好きだからさ」

「え……?」

「小鈴ちゃんと私のお揃い(おそろ))の切札、持って来たんだよね。ほら、見せてあげるよ」

 

 光り輝く銀河の龍は、闇の宙を駆け抜けて、轟々と滾る炎に包まれる。

 それはある意味では、確かにわたしとみのりちゃんに通ずる1枚だ。

 輝くような日常も、燃えるような友情も――後ろ暗い、反発も。

 全部、ぜんぶ、内包して、侵蝕されていく。

 

 

 

「これが、私と君の、友情の交点――《燃える侵略 レッドギラゴン》!」

 

 

 

 《サヴァクティス》が変じた姿を見て、わたしは、思わず目を剥いた。

 

「っ……! ど、《ドギラゴン》……!?」

 

 見間違えるわけがない。聞き逃すはずがない。

 確かにこれは、《ドギラゴン》だ。彼女も、確かにそう名を呼んだ。

 だけどこれは、わたしの《エヴォル・ドギラゴン》とも、みのりちゃんの《ドギラゴン剣》とも違う。

 蒼い鎧も、大剣もない。真っ赤な外装はくすみ、機械的な鎧となり、ふたつの脚で立っている。

 そしてなにより、革命的な拳の紋章が反転し、侵略者のシンボルを象っていた。

 革命軍ではない、侵略者。禍々しく燃える――《ドギラゴン》。

 

「いいや、違うよ」

 

 彼女は否定する。

 そうだ、これは、《ドギラゴン》じゃない。

 

「《レッドギラゴン》! 赤く、紅く、朱く燃え盛れ! Wブレイク!」

「っ……!」

「攻撃後、《レッドギラゴン》は山札の一番上のクリーチャーを吸収する」

 

 山札の一番上のカードが、《レッドギラゴン》の中へと取り込まれていく。

 

「さらに! 《TOKKO-BOON!》はGRクリーチャーにスピードアタッカーを与える代償として、攻撃の終わりにそのクリーチャーを破壊する! 《レッドギラゴン》を割り砕き、現れろ!」

 

 ミシミシと、機械の装甲が軋み、ひび割れる。

 内側からの圧力に、負荷に、耐えきれず、崩壊して、爆散する。

 自爆した……!?

 

「勿論、自爆だよ。けど自滅じゃあない。《レッドギラゴン》が破壊された時、《レッドギラゴン》は取り込んだドラゴンをすべて吐き出す!」

 

 取り込んだドラゴン……そういえば、山札の上にカードを仕込んでいた。

 その仕込んだカードが、出て来る……!

 

「星の果て、銀河の果て、宇宙の果て。暗黒の奥底にて、神に連なれ、縁を結べ――連結せよ」

 

 《レッドギラゴン》が、その身を犠牲にして吐き出したクリーチャー。

 それは蝕まれた《ドギラゴン》より悍ましくて。

 とても――こわかった。

 

 

 

「銀河の果てより繋がれ、外なる神々――《熱核連結 ガイアトム・シックス》!」

 

 

 

 轟音。爆熱。

 世界が消し飛ぶような衝撃と、熱波。身体が蒸発しそうなくらい熱いのに、悪寒が止まらない。その熱は、とても、冷たく感じられた。

 あまりの熱量に星が生まれる、銀河が渦巻く。なのにそこにあるのは、暗くて、寂しい、死の気配。

 その中で、佇むのは――

 

「――が、《ガイギンガ》……!?」

 

 《ドギラゴン》に続いて――《ガイギンガ》。

 だけどわたしの知ってる《ガイギンガ》とは、見た目がかなり違う。腕が、脚が、恐ろしい形相の龍のような頭と、繋げられている。

 異形だけど、ただ異形なんじゃない。異様なんだ。

 四肢を削ぎ落とされた《ガイギンガ》に、ジッパーで繋げられた多頭。人為的で、それでいて悪意的で、すごく、すごく……

 …………

 この、気持ちは……

 

「《ガイアトム・シックス》をバトルゾーンへ! まずはディスペクターの共通能力、EXライフ起動! シールドを追加し、さらにパワー9000以下の《テスタ・ロッサ》を1体破壊するよ!」

 

 《ガイギンガ》が……いいや、《ガイアトム・シックス》が吼える。荒々しく、禍々しく、凶悪な雄叫びだ。

 苦しそう、に、見える。《ガイギンガ》も、その両手足に結ばれた頭も。

 神威の欠片もない。熱血の兆しもない。暴虐の化身に貶められたその姿は、とても、見るに堪えなくて。

 

「《ガイアトム・シックス》でWブレイク!」

「っ、S・トリガー! 《最終決戦だ! 鬼丸ボーイ》を召喚! コスト4以下の《予知 TE-20》を破壊!」

 

 

 

ターン4

 

小鈴

場:《テスタ》《鬼丸ボーイ》

盾:1

マナ:6

手札:3

墓地:8

山札:20

 

電結実子

場:《ガイアトム》

盾:6

マナ:5

手札:0

墓地:5

山札:23

 

 

 

「わたしのターン……ここは、6マナで《龍装艦 チェンジザ》を召喚! 2枚ドローして、手札を1枚墓地へ。そして各ターンはじめて呪文を捨てた時、それがコスト5以下ならタダで唱えられる! 《法と契約の秤》!」

 

 ――まだ墓地の状況はあんまりよくないけど。

 ここは、攻めていく。

 

「墓地からコスト7以下のクリーチャーを復活させる――《テスタ・ロッサ》を、《偉大なる魔術師 コギリーザ》にNEO進化! そのまま《コギリーザ》で攻撃! キズナコンプ発動だよ! 墓地から《知識と流転と時空の決断を》唱えて、2回GR召喚!」

 

 今、相手のクリーチャーは《ガイアトム・シックス》だけ。手札もない。クリーチャーを横に並べて、押し込む。

 

「出て来たのは《ダラク 丙-二式》と《マジカルイッサ》! 山札の上はそのままにして、《コギリーザ》でWブレイク!」

「このデッキ盾薄いんだよねぇ。トリガーはナシ、っと」

「《鬼丸ボーイ》でシールドブレイク!」

「おっとトリガーだ、下面を使うよ。《地獄スクラッパー》! 《マジカルイッサ》と《ダラク》を破壊!」

「っ、ターン終了!」

「色々やってくれてるけど、あんまり意味ないんだよねぇ。もう終わらせるからさ。4マナで呪文《MANGANO-CASTLE!》、2回GR召喚するよ」

 

 横に並べて押し込もうというのは、お互いに同じ考えだったみたい。わたしのシールドはもう1枚だから、仕掛けは向こうが早い。

 わたしと同じように、GR召喚が2回行われる。

 

「《続召の意志 マーチス》と、《The ジョラゴン。ガンマスター》をGR召喚!」

「それは謡さんの……」

「だから今は私のだって。《マーチス》のマナドライブ発動、もう一度GR召喚だ。《予知 TE-20》! 今回はぁ、GRゾーンじゃなくてデッキの方を見ようかなぁ」

 

 直接的な仕込みじゃないけど、山札の一番上の確認。ひょっとして……

 

「お、これはそのままにしておこう。さぁ、やろうか! 《MANGANO-CASTLE!》で出て来たGRクリーチャーはすべてスピードアタッカー! 《The ジョラゴン・ガンマスター》で攻撃する時――侵略発動!」

 

 《ジョラゴン・ガンマスター》は、コマンドじゃないし、文明もないけど、ドラゴン。そしてコスト5以上。

 ただそれだけで、条件は満たされる。

 

「侵略進化! 《燃える侵略 レッドギラゴン》! 最後のシールドをブレイク!」

 

 《ジョラゴン・ガンマスター》は呻き、叫び、荒ぶるまま、《レッドギラゴン》に蝕まれて、侵略を果たす。

 ――――

 

「……《ドギラゴン》も、《ガイギンガ》も」

「ん?」

 

 ――やっぱり、どうしても、湧き上がるこの気持ちは止められない。

 

「いつきくんからの、大事な贈物。わたしのデッキは、わたしの切札は、みんなと一緒に歩んできた歴史そのもの。わたしのカードも、みんなの切札も、わたしの大切な思い出だ」

 

 思えば、最初にわたしを後押ししてくれたのも、みのりちゃんだった。

 みのりちゃんが声を掛けてくれて、背中を押してくれたから、わたしは恋ちゃんとの縁が結ばれて、いつきくんと再開できた。

 そこではじめて、《ドギラゴン》を手にして、デュエマした。みんなと一緒に遊んで、歩んで、戦って、そしていつきくんから、《ガイギンガ》を貰った。

 色んな人とデュエマして、色んなカードを、切札を目の当たりにして、その中で自分のカードを、切札を信じて、かけがえのない仲間として一緒に戦ってきた。

 遊びでも、戦いでも、楽しい時でも、辛い時でも。

 過去にあったすべての出来事は、わたしの中で息づいている。わたしを、形作っている。

 だから、みのりちゃんの顔で、みのりちゃんの声で。

 《ドギラゴン》を、《ガイギンガ》を、踏み躙って。

 代海ちゃんや謡さん――わたしと、わたしの大切な友達を、

 

「みんなを馬鹿にするのも、いい加減にして! G・ストライク!」

 

 最後のシールドを、翻す。

 暗く冷たい銀河に、わたしは、わたしの輝きで、照り返す。

 

 

 

「《熱血星龍 ガイギンガGS》!」

 

 

 

 これが、わたしの輝き、わたしの熱、わたしの銀河。

 新しい――《ガイギンガ》。

 

 

「《ガイギンガGS》のG・ストライクで、《ガイアトム・シックス》を行動不能に!」

「それでも私にはまだアタッカーがいる、止まらないよ! 《レッドギラゴン》の能力で、山札の一番上にセットされたドラゴンを吸収! 《龍世界 ドラゴ大王》だ!」

 

 あれは、《予知 TE-20》で操作した山札……《ドラゴ大王》は確か、ドラゴン以外の召喚を封じる強力なクリーチャーだ。

 

「《MANGANO-CASTLE!》で出て来たGRクリーチャーは、ターンの終わりに破壊される。その時、《ドラゴ大王》で小鈴ちゃんのクリーチャーは封殺だよ……もっとも、次のターンなんて来ないけどね」

 

 彼女は邪悪に微笑む。みのりちゃんはたまに、意地悪く笑うけど、それとは似ても似つかない嘲笑だ。

 その顔で、その声で……そんなこと、しないで欲しい。言わないで欲しい。

 けれど彼女はきっと“だからこそ”、こうしてるんだ。

 そしてこれからすることも、わたしへの“嫌がらせ”。わたしの心を折る――いや、そうじゃない。

 もっと原始的で幼稚な、いたぶるための、暴虐だ。

 

「その大事な《ガイギンガ》も叩き落としてあげるよ! 《ガイアトム・シックス》の能力発動!」

 

 《ガイギンガGS》の銀河の渦に止められた《ガイアトム・シックス》は、咆哮する。

 その叫びは寒波のように押し寄せて、身体を震わせる。

 意識が、飛びそうになる……!

 

「《ガイアトム・シックス》が選ばれた時、相手の手札をすべて捨てさせる!」

「……!」

 

 あまりの衝撃に、すべてを忘れそうになってしまう。

 切札が叩き落とされた。後続の攻撃も防げない。

 忘却が、絶望を塗り込もうと、するけれど。

 

「……もう忘れてる」

「え?」

 

 わたしは諦めないし、忘れない。

 あの子は忘れてたみたいだけど、わたしは、忘れなかった。

 

「わたしが各ターン初めて呪文を捨てた時」

「あ……」

 

 バラバラと、こぼれ落ちる手札。喪われていく知識。

 だけどその喪失が、逆転の一手になる。

 

「《龍装艦 チェンジザ》の能力発動! 捨てられた呪文がコスト5以下なら、タダで唱えられる――呪文《法と契約の秤》!」

「な……2枚目も握ってた……!?」

「さぁ、戻ってきて――!」

 

 《ガイアトム・シックス》の冷たい熱と血に、失墜したけれど。

 あなたはいつだって、わたしのところに戻ってくる。

 いつきくんは、ここにはいないけど。彼のような人も、今はいないけれど。

 直接でもいい、会いに来て――呼びに行くから。

 

 

 

「お願い――《熱血星龍 ガイギンガGS》!」

 

 

 

 《熱血星龍 ガイギンガ》――ただし、ドラグハートを経由しない《ガイギンガ》だ。

 《グレンモルト》による2回攻撃の条件を無視して、直接、バトルゾーンへと降り立つ、わたしの切札。

 ドラグハートじゃなくなっても、その力はなにも変わらない。

 

「《ガイギンガGS》がバトルゾーンに出た時、パワー7000以下のクリーチャーを1体破壊するよ! 《マーチス》を破壊! これでダイレクトアタックはできないよ!」

「しくじったぁ……! だけど! ターンの終わりに《レッドギラゴン》は破壊される! 《レッドギラゴン》が破壊されたら、吸収していたドラゴンが現れる! 出て来るのは《ドラゴ大王》! これで《コギリーザ》と強制バトル! さらに、小鈴ちゃんはもう、ドラゴン以外を出すことはできない! お得意のキズナコンプと呪文はもう使わせないよ!」

 

 

 

ターン5

 

小鈴

場:《鬼丸ボーイ》《チェンジザ》《ダラク》《イッサ》《ガイギンガGS》

盾:0

マナ:7

手札:0

墓地:12

山札:18

 

電結実子

場:《ガイアトム》《ドラゴ大王》《予知》

盾:3

マナ:5

手札:0

墓地:9

山札:21

 

 

 

 《コギリーザ》が踏み潰される。《ドラゴ大王》が、この世界の実権を握る。

 わたしのデッキには、ドラゴンはたったの3種類。1種類めは、《チェンジザ》。2種類めは、この《ガイギンガ》。

 

「まだ《ガイアトム・シックス》のEXライフは生きてる……! 打点を一個ずらせば殴りきれない。小鈴ちゃんはハンドレスだし、スピードアタッカーは《ドラゴ大王》でだいたい封殺できるはず、ここを凌げば勝ちだ……!」

「ううん、ここで終わりにするよ」

 

 そして、3種類めは、

 

「わたしのターン! 《鬼丸ボーイ》を進化!」

 

 わたしの――はじまり!

 

 

 

「《エヴォル・ドギラゴン》!」

 

 

 

 最初の切札。最初の一歩。歴史の始まり。

 呼び方なんて、なんでもいいけれど。なんにせよ、これはわたしの大切な思い出の1枚。

 自爆なんてさせるものか。これは、道を切り拓くためにあるんだから。

 

「残りシールドは3枚、まとめて行くよ! 《エヴォル・ドギラゴン》でTブレイク!」

「《ガイアトム・シックス》の火力は、EXライフシールドが離れた時にも発動する! 《チェンジザ》を破壊!」

 

 分けられた命を燃やして、《ガイアトム・シックス》の熱量は《チェンジザ》を焼き尽くす。

 

「……それだけ?」

「ま、まだだ……! 革命2でS・トリガーになった! 《カツキング ~熱血の物語~》を召喚! 山札から5枚を見て、《レッドギラゴン》を回収! 火のカードを手札に加えたから追加効果だ! 《ガイギンガGS》を手札に戻――」

「――選んだね」

「っ……!」

 

 ブロッカーとかなら、危なかったけど。

 選んで、除去するなら、わたしは抗うよ。

 

「わたしは、選ばれても手札を捨てたりしない。力を削ぎ落とすようなことはできない」

 

 だけど――だから!

 

 

 

「突き進むことは、できる! もう一度わたしのターン!」

 

 

 

 《ガイギンガGS》の力は、《ガイギンガ》とほぼ遜色ない。

 当然、選ばれた時の能力も、そのままだよ。

 

「7マナで《ガイギンガGS》を召喚! 《予知 TE-20》を破壊!」

「あ……ぐ、この……!」

 

 ブロッカーはいない。シールドもない。

 あぁ……やっとだ。

 

「……すごく、ムカってきた」

「は……?」

「わたしだって怒るんだから! あなたのやること全部、すごくイヤだし、不愉快だった! もう、その顔を見せないで。その声を発しないで。そのカードを、わたしの友達を、侮辱しないで!」

 

 ようやく、吐き出せた。

 ちゃんと、言えた。

 ううん、まだちょっと足りない。

 怒りを込めて、わたしは叫ぶ。

 

 

 

「あなたは絶対に、許さないんだから――!」

 

 

 

 今度こそ――終わりだよ!

 

 

 

「《熱血星龍 ガイギンガGS》で、ダイレクトアタック――!」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――――」

 

 声も音もなく、彼女はパチパチと電気を弾きながら、崩壊していった。

 ボロボロと、ドロドロと。

 違うってわかってるけど、みのりちゃんの顔で、身体で、こういうのは、やっぱり、ちょっと。

 ……本当に、あの女の子は、意地悪だ。

 

「小鈴、大丈夫かい? 随分と険しい顔をしてるけど」

「鳥さん……大丈夫だよ、ちょっと疲れただけ。でも、まだ立ち止まっていられないよね」

 

 ディースさんの作戦では、とにかく戦うことが大事だと言われた。

 相手に、この世界に、そしてどこかにいるメルクリウス(あの子)に、負荷を掛けるために。釘付けにするために。

 これは根比べだ。どっちが先に尽き果てるかの我慢比べ。競争だ。

 ……けど、そうやって相手を疲弊させて、どうするのかは、ディースさんから聞かされてはいない。

 中からこじ開けて中枢を破壊する、みたいなことは言ってたけど、具体的にはどうするんだろう……?

 ディースさんはなにかを隠しているような気はする。言っていないことがある感じがする。わたしを罠に嵌めようとか、そういうことを考えているようには思えないけど……底が知れない。

 不安は、ある。

 

「だけど、疑って立ち止まるくらいなら、信じて転ぶ方が、ずっとマシだよね」

 

 こういう考え方、きっと霜ちゃんに怒られると思うけど。ローザさんも反対するかな。みのりちゃんも嫌な顔をして、ユーちゃんは悲しそうな顔をして。恋ちゃんは無表情だけど、辛そうについてくるのかな。

 ……みんな。

 

「小鈴……」

「ううん、ほんと、大丈夫だから。立ち止まる気は、ないよ」

「そう……そうか」

「うん。悩みも迷いもあるけど、歩き続けることだけは、やめない。やめたくない」

 

 友達が、そうやって叱ってくれたからね。良いことも悪いことも、全部が積み重なって、今のわたしがあるんだから。

 それを忘れたりなんてしない。今までの出逢いがなかったら、わたしには、なんにもなくなっちゃうんだから。

 

「小鈴!」

「だから大丈夫だって、鳥さん。ちょっと心配性だよ」

「違う! そうじゃない!」

「え?」

「異質なマナの奔流だ。太陽神話に近いような、でも決定的に違う。これは……なんだ……!?」

 

 鳥さんが、酷く取り乱してる。

 い、一体何事……!?

 

「なにか……来るぞ!」

 

 その時だった。

 海底に沈んだ都市に光が差す。

 遥か遠くの太陽が、屈折も歪曲もせず、一直線に――降り立った。

 

「っ……! なんなの……!?」

 

 まばゆい光は、陽光のよう。

 神々しく、偉大で、神聖で。

 天を照らし尽くしてもまだ足りない、目が眩むような極光。

 誰かが、降りてくる。

 誰かが、やって来る。

 人の、影。人の、姿。

 そして、それは――

 

 

 

「――わたし?」

 

 

 

 赤紅と純白を羽織る、伊勢小鈴――つまり、わたしだった。




 ガイギンガGSの登場により遂に完成してしまった、グレンモルト抜きグレンモルトビート。作者はマジカルモルトと呼んでいますが、それはそれとして。
 グレンモルトデッキって、いわゆる「客が欲しいのはドリルではなく穴」みたいなもので。実際に欲しいのはガイギンガであってグレンモルトではないんですよね。
 なので、狂気墓場を採用していた頃ならまだしも、モンテスケールやインフェルノ・サインで釣るとなると、結局コスト7まで範囲が広がってるので、その射程内のガイギンガGSをそのまま釣る方が早いという結論に。
 ギャグみたいな話だけど、こうしてグレンモルトを抜いた状態でグレンモルトビー が成り立ってしまった次第です。
 まあ、グレンモルトにもグレンモルトの利点は一応あるんですけどね。


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54話「討滅・星の賢者 Ⅺ」

 シリアスです。
 作者はシリアスのつもりで書いています。


「わ、わたし……!?」

 

 既視感がある、というか。前にもこんなことがあったっけ、と思い返す。

 ベルと初めて出会った時のこと。こことは違う、平行世界での出来事。

 でもここは、平行世界ではない。ある意味では異世界らしいけど……あれも、あの子の意地悪な刺客ってこと?

 それにしては雰囲気がさっきまでと違いすぎる。なにかを混ぜたり繋げたような痕跡はない。

 というか、白装束に緋袴……って。

 

「巫女さん……?」

 

 いわゆる、巫女服。あまりにも場違いすぎる出で立ちだった。今は12月、お正月には早いし。

 み、巫女鈴……ってこと? そんなダジャレみたいな嫌がらせ、ある? 嫌がらせとも言えないし。

 なんか変だ。このわたしのそっくりさんだけど、明らかに異質だ。決定的になにかが違う。

 

「小鈴がふたり? でもあっちの白と赤の小鈴は、小鈴に見えるだけで、全然君じゃないな」

「どういう意味?」

「なんと言ったらいいのか……生まれたての赤子みたいな感じがするんだ。背景、歴史、積み重ね。そういったものが感じられないっていうか」

「生まれたばかり……」

 

 生命を創造する。そんな神様みたいなことが……できない、とは言えないのかな。

 つぎはぎされたみんなも、ある意味では新生児みたいなものっぽいけど、でもやっぱりそれとは違う。あれは本当に、わたしだけの姿をしている。

 

「今までのと違う感じだけど、あれもきっと、敵……なんだよね」

 

 状況的には、そうとしか考えられない。

 敵意は感じられない。喋らない。いきなり襲いかかってもこない。ただ一歩、また一歩、ゆるりと近づいてくる。

 

「っ……!」

 

 その超然とした立ち振る舞いに、気圧される。

 ベルとは全然違う。わたしなのに、わたしのまったく知らないなにかしか、感じられなくて、少し怖かった。

 でも、ここで立ち止まるわけには……

 

 

 

「――なによここ。ムカつく顔ばっかじゃない」

 

 

 

 え……?

 この、声は――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「なんだぁ? こいつ。マジカルベル、なのか?」

 

 ディスプレイに映った伊勢小鈴――のようなものを見て、ディースパテルは訝しげに首を捻る。

 伊勢小鈴に瓜二つな、巫女装束の伊勢小鈴。まず間違いなく、メルクリウスの仕業であることは確かなのだが。

 

「一体なんだってこんなもんを」

「なんでって、あたしにそれ聞いちゃうのです? この世界への探究心から生まれた、あたしに?」

「愚問ってか。で、あれはなんだよ。混成体じゃないようだが」

「混ぜるのも考えたのですが、とりまプレーンからなのです。まっさらな才能だけを抽出した形も見ておきたかったですし」

「才能? いつもの、個体のコピー、ってやつとは違うのか?」

「ただコピるだけなのも芸がないのです。なので趣向を変えたアプローチを試してみたのですが……彼女、思ったより、“変”なのです」

「へぇ、お前の趣味より?」

「あの奇っ怪なお胸には負けるのです」

「ヘリオスの性癖とどっちがやべーかな」

「うーん、リオ君の方がやべーかもなのです……」

 

 閑話休題。

 メルクリウスは、自分の異聞神話空間内部の存在を解析することで、その個体情報を複製(コピー)することができる。それは自分自身も例外ではない。

 さらにそれらの複製品どうしを掛け合わせ、混ぜ合わせ、繋ぎ合わせ、別の存在を生み出す。

 しかし今回は、そういった技術とはまったく別のアプローチで、伊勢小鈴の複製を生み出したようだ。

 

「まず、人は生育に関して、環境や経験の影響を受けやすいものなのです。加えて伊勢小鈴ではなく、マジカルベルという存在は、太陽神話の片翼の力に依る部分が大きいのです」

「身体がほとんどクリーチャー化しちまってるんだったな。確かに、それなら奴の存在は後天的性質によるものが大部分を占めていそうだ」

「だけど、だからこそ、なのです。あたしはあの子の、原始的な領域、基底部分、先天的性質を抽出したのです」

「つまり、クリーチャー化してないマジカル・ベル……いや、太陽神話の力を借り受けていない部分なら、伊勢小鈴そのものの、か」

「なのです。だからあれはマジカルベルというより、純度100%の伊勢小鈴ちゃんの原液みたいなものなのです」

 

 言うなれば、伊勢小鈴という存在の生まれ持った「才能」だけを抽出して具現化したもの。

 それがあの、巫女服姿の、伊勢小鈴。

 

「……で? それが?」

「わからないのです?」

「画面越しじゃあなぁ」

「ディジーさんならわかるでしょうに。呪いとか得意なはずなのです」

「言うほど得意でもねぇよ。んー……」

 

 ジッと、ディースパテルは画面の向こうの伊勢小鈴ではない伊勢小鈴を見つめる。

 

「……異教の呪術か。辺境の特殊な魔術体系と見た。いやまあ、太陽系的に異教で特殊で異端なのは、俺らなんだがな」

「まーでも、こういうのあたしらの得意分野なのですし、わかるのですよね。あの子――魔術師なのです」

「この国だと、道士とか法師って言うんじゃないか? 陰陽師なんてのもあったか?」

 

 魔術師、道士、陰陽師――呼び名はさておき、それが、伊勢小鈴に眠る“才能”――

 

「――では、ないのですよねぇ」

「違うのかよ! 俺わかってねーじゃん!」

「まー違うっていうか、正確じゃないのです。ほら、なんであたしが巫女服を着せたと思っているのです?」

「お前の趣味だろ」

「8割せいかーい、なのです」

「ほとんど正解じゃねぇか……」

「残りの2割が肝要なのですよ。あれは魔術師(ウィザード)じゃなくて、聖職者(プリースト)……あるいは霊能者(シャーマン)なのです」

「あぁ、精霊使いか。確かにそんな感じするな」

「なのです。だからあれは、マナを力に変換するってよりも、超越的存在そのものを降ろして交信する者。つまり巫女さんなのです」

「巫女の才能、ねぇ」

 

 それが伊勢小鈴の起源(オリジン)。神格と繋がる、巫術の才覚。

 ディースパテルはその現物を見て納得した。しかし、突飛な話だ。

 マジカル・ベルは今まで、巫女の力――降霊も、祈祷も、祓魔も、そんな力を見せたことはなかったはず。

 

「そうなのですよね。これ、リズちゃん的にはあり得ない育ち方なのですよ。本来持ってる才能を全部潰してのほほんと生きて、あまつさえ異星の力で暴龍事変……要は体侵蝕を起こしているのですから。育成方針がぜんっぜん合理的じゃない、アホアホのアホなのです。この子を育てた親、だいぶ育成ゲーム下手くそなのですね」

「あるいは、元々その才能を伸ばす気がなかったか、だな」

 

 才能や起源。それは純然たる生まれ持ったセンスであることもあれば、血筋による継承であることもある。

 “伊勢”――小鈴。

 天運か血統か。人ならざる我々には知る由もないことだが、それを堰き止めた者がいたのだとすれば――

 

「まーそーゆー風になりたいって思うのは勝手なのですけどね。わざわざ持てる力を捨てるのは非合理的だと思うのですけど」

「生まれる時代が時代なら、トップランカーの術士になってそうだな」

「メルちゃん的には巫女さん推しなのですけど、可愛いし。あ、お正月になったらメルちゃんの季節限定衣装とかでどうなのです? 巫女メルちゃん。小鈴ちゃん0号の服飾データを調整して、ありきたりだとインパクトに欠けるから、あたしらしく改造してー」

「まあいいんじゃね? しかし、そうか。これはいわゆる原始神道……辺境の魔術体系、異教の神に、神話、か」

 

 巫女の才とは、つまり神を降ろす才。

 【死星団】の目的も、女王を――邪神を降ろすこと。

 もっとも、巫女として見た伊勢小鈴はあまりにも完成されすぎている。異教の邪神を降ろす余地などないだろうが。

 仮に彼女が神を降ろすのだとすれば、一体、なにを降ろすのだろうか。

 

「とまぁ、色々語ったのですけど、余興なのですよ、よきょー。量産が貯めるちゃん混成体にも飽きてきた頃、新しい変化が欲しいとこなのです」

「飽きっぽいなお前は」

「でも、面白そうなのですよ? そりゃあ確かに、戦略的には決して有効ってほどでもないのですけど、こんなの“ゲーム”なのですから、遊び心がなきゃ、なのです。ほら、演出も東洋っぽく神々しい感じで!」

「光と一緒に降りてくるのは、どっちかっつーとエイリアンっぽくないか?」

 

 などと言葉を交しながらも、ディースパテルはまったく別のことを考えていた。

 

(ミスが目立ってきたな……)

 

 ここまでの対戦。小さいレベルではあるが、ちらほらと量産型メルクリウスの混成体のプレイングにミスが見られるようになってきた。

 それはつまり、メルクリウスの処理能力が限界値に達してきているということ。

 

(もっとも、現状だと忙しないってよりは、気ぃ抜いてる感じだろうが……)

 

 だとしても結果としてミスが発生するということは、注意散漫であるということ。気を抜いているということは、相手を侮っているということ。

 それこそディースパテルが狙っていた、メルクリウスに付け入る隙だ。

 故にこそ、もっと押してメルクリウスを釘付けにし、負担をかけたいところ。

 

(ちっと早いが、あいつを投げるか)

 

 ディースパテルは門を開く。誰にも気取られないように、小さく、静かに。

 

「――ん? あれ、この反応……」

 

 兎を、野に放つ――

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――さ、三月ウサギ、さん……?」

 

 蠱惑的な身体に、妖艶さと、獣のような荒々しさを備えた、【不思議の国の住人】。

 ……みのりちゃん、霜ちゃん、そして代海ちゃん。みんなと離れ離れになってしまった発端の……ひとり、だ。

 でもなんだが今は、ちょっと疲れてるっていうか、やつれてる……? 髪もボサボサだし、少し汚れていた。

 

「なにぼけっとしてんのよ、あんた。相変わらずムカつく顔してるわね」

「え、えぇ……!?」

「しかも、あっちにもあんたの顔があってダブルでムカつく。ここ最近、腹立つことばっかりよ、まったく」

「あ、あの、三月ウサギさん……ですよね?」

「だったらなに? 見ればわかるでしょ? それとも僕の顔、忘れたわけ?」

「わ、忘れてないです……」

「ならよし。絶対忘れるんじゃないわよ。僕の狂気も、淫欲も、全部あんたの身体に刻み込んでやったんだから」

 

 ……? わたし、なにかされたっけ?

 そういえば前に、この人に負けて……どうなったんだっけ? 記憶がふわっとしてる……

 

「……のはずなんだけど、なんであんたそんなピンピンしてるわけ?」

「えっと……?」

「僕の呪いを受けて正気保ってる女なんて、僕レベルに性欲持て余してるビッチか、パンチョウ並のアホしかいないと思ってたのに……それとも慰めてくれる男でもいたの?」

「……?」

「イラッ」

 

 なにか管が切れるような音が聞こえた気がする。

 三月ウサギさんは、ピクピクと青筋立てながら、わたしのほっぺを摘まんで、引っ張る。

 

「あぁもう! ハッキリしなさいよ、この……!」

「いひゃい、いひゃい! わ、わたひには、なんのことはわはりまひぇん!」

「……まさか本気で覚えてないわけ?」

 

 ようやく解放される。うぅ、ほっぺがひりひりする……

 

「気持ちよすぎて記憶でも飛んだ? 確かに相性いいとヤバすぎてトぶことはあるけど、僕でも記憶まで飛ばさないわよ……ガキの癖にませてるわね。清純ぶってド淫乱なのが一番腹立つわ」

「な、な、な……なんなんですか、いきなり現れて!」

「僕だって好きでこんなとこにいるわけじゃないのよ! あぁもう、思い出すだけでもムカムカする……! なんだって僕はこんなとこに連れてこられなきゃならないのよ!」

 

 知らないよ!

 ……と、口に出すとまたほっぺを引っ張られそうだったので、言わないでおきます。

 わたしが口を出さなくても、なんだか、すごい怒ってるし……

 

「あの口先三寸のクソ野郎も、自分勝手なクソ虫も、ダブルでクソにいいように動かされてる自分も! ついでに僕よりデカいあんたも! ムカつくムカつく、全部ムカつく! お母さまの淫欲担当なのに怒りの方が勝るってキャラ崩壊もいいところよ! もっと気持ちよく快楽に浸らせなさいよ! 僕のアイデンティティどこに行ったのよ!」

「小鈴、彼女はなにを言っているんだい?」

「さぁ……?」

「えぇいうるさい!」

「いひゃいいひゃいいひゃいでふ!」

 

 結局ほっぺ引っ張られる。理不尽だよ!

 

「……ったく。めちゃくちゃ遺憾、というか腹立たしいんだけど、無理やり交されたとはいえ契約は契約なのよね。今はあんたを苛めるのはやめたげるわ」

「だったらほっぺを引っ張らないでよ……」

「うっさい。普段ならもっと敏感なとこを引っ張るところをほっぺで我慢してあげてるのよ。むしろ感謝しなさい」

「えぇー……横暴……」

「ほんとはあんたのこともめちゃくちゃムカつくから、獣みたいにあんあん鳴かせて泣かせてやりたところだけど、契約上はそういうわけにもいかないから、代わりに――」

 

 ちらりと、三月ウサギさんは、向こうのわたしを、見遣る。

 

「あっちのあんたに似た奴。あれなら玩具にしてもいいわよね」

「…………」

 

 わたしの姿をした彼女は、やっぱり喋らない。超然と、虚な眼で、わたしたちか、あるいは遠くのどこかを見つめている。

 よくわからないけど、三月ウサギさんは味方……なのかな?

 

「がきんちょは下がってなさい。今ちょっと僕、欲求不満が爆発しそうだから、ストレス発散しなきゃいけないの」

「は、はぁ……」

「あんたが代わりになるならそれでもいいけど」

「それは遠慮しておきます……」

「じゃ、あれは僕がボコボコにするわね。どうせこの世界で作られた複製とかいうものでしょうし、いくら苛めて泣かせてもいいのよね。想像すると、ちょっと興奮してきたわ」

 

 ……確かに、あれはわたしじゃなくて、きっと敵なんだろうけど。

 仮にもわたしの姿をしているから……なんか、複雑……

 

「――信託。受諾」

「!」

「喋った……!」

 

 今まで一切、言葉を発しなかった彼女は、遂に言葉を発した。

 その声もどこか機械的で、生気というか、自我を感じない冷たいものだったけど。

 戦う意志があることは、見てとれた。

 

「ふぅん、反抗的ね。まあいいわ、そういうのを屈服させる方が昂ぶるってもんよ。生意気もマグロも、まとめて鳴かせてあげる」

 

 彼女は、妖艶に微笑んだ。

 その魔性の笑みに、思わず、ぞくりと来る。

 

「三月のウサギのように、ね」

 

 

 

                     ☆ ☆ ☆

 

 

 

 三月ウサギさんと、わたしのようなわたじじゃないわたしの――呼びにくいから、巫女鈴って呼ぶね。

 ふたりの対戦は、どちらもマナ加速から動き出したけど、三月ウサギさんがちょっと出遅れてる……?

 

(かし)こみ(かし)こみ(まを)しますが。伊弉諾(イザナギ)の大神に奉る」

 

 巫女鈴の番。

 彼女は、祝詞を言祝ぐ。呪文のように、祈りを捧げるように、誰かにその言の葉を伝えている。

 

天浮橋(アマノウキハシ)より、天沼矛(アメノヌボコ)を掻き回せ。雫は島に、天には柱、結びに社。回りて誓い、命じて神へ」

 

 今まで感じたことのない凄みがある。

 なのに、なんでだろう。

 まったく未知の力なのに、どこか、懐かしいような……?

 

 

 

「国産み、勅命――《蒼狼の大王 イザナギテラス》」

 

 

 

 水飛沫を撒き散らし、大海嘯のような海竜を引き連れ現れた、大王様。

 これもはじめて見るクリーチャーなのに、なんでだろう。知らないはずなのに知ってるような。

 身体の奥底でなにかが疼くみたいな、変な感じがする。

 

「《イザナギテラス》がバトルゾーンに出た時、山札の上から5枚を閲覧。その中の1枚を手札に加え、手札からコスト3以下の呪文を唱える」

 

 混沌の坩堝を掻き回す。

 巫女鈴の山札から5枚が捲り上げられ、そのうちの一枚が、高く、打ち上げられて、

 

「呪術式・起動、《神秘の宝剣》」

 

 そのまま、剣となって落ちてくる。

 

「山札から自然ではないカードを1枚、マナゾーンへ」

 

 落ちた剣はそのまま大地に吸収され、マナとなる。

 結果的には、ただマナ加速をしただけなんだけど、なに、この妙な威圧感は……

 

 

 

ターン3

 

 

三月ウサギ

場:なし

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:1

山札:26

 

 

巫女鈴

場:《イザナギテラス》

盾:5

マナ:5

手札:3

墓地:1

山札:25

 

 

 

「僕のターン。呪文《ドンドン水撒くナウ》! 山札から2枚をマナへ」

 

 三月ウサギさんも、形はちょっと違うけど、マナと手札を同時に増やしていく。けど。

 

「……微妙すぎる。《喜望》を回収。《イザナギテラス》をバウンスよ。ターンエンド」

 

 顔をしかめて、小さく舌打ちする。あんまり引きがよくないみたい。

 

「2マナをタップ。呪文《地龍神の魔陣》、山札から3枚を閲覧。1枚をマナへ。4マナをタップ。《イザナギテラス》を召喚。山札の上から5枚を閲覧。1枚を手札へ。その後、呪文を詠唱。呪文《海龍神の魔風》。手札をすべて山札の下へ。そして戻した枚数と同じ枚数ドロー。唱えた呪文は手札に戻る」

 

 一方で巫女鈴は、なんか、すごい動いてる。

 マナを増やして、クリーチャーを増やして、手札を入れ替えて……着々と準備を整えている。

 

 

 

ターン4

 

 

三月ウサギ

場:なし

盾:5

マナ:6

手札:4

墓地:2

山札:23

 

 

巫女鈴

場:《イザナギテラス》×2

盾:5

マナ:7

手札:3

墓地:3

山札:21

 

 

 

 

「僕のターン、2マナで《フェアリー・Re:ライフ》よ。マナ加速してから、双極・詠唱(ツインパクト・キャスト)! 《キーボード・アクセス》! さらにマナ加速、そしてマナ回収……ターンエンド」

 

 三月ウサギさんも、マナを伸ばしながら、マナからカードを拾って、準備しているんだけど。

 

(これは……完全に遅きに失したわね)

 

 明らかに、遅すぎる。

 これじゃあ間に合わない。

 もう彼女は、大儀式の準備を、終えているのだから。

 

「畏こみ畏こみ申しますが。伊弉冉(イザナミ)の大神に奉る」

 

 畏れ多くも、申し上げる。

 大いなる神様に、祈りを奉り、嘆願する。

 

「焔の神にて根堅州国(ネノカタスクニ)の戸を叩け。黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)の末に道反(チガエシ)あり。月は夜食国(ヨルノオスクニ)滄海原(アオノウナバラ)に櫛を梳け」

 

 海を作り、島を作り、国を作ったのが、大王。

 であれば次に作るのは――命。

 

 

 

「神産み、勅命――《蒼狼の王妃 イザナミテラス》」

 

 

 

 作られるは神であり、作るのは王妃様。

 海から地から、生命の奔流を支配して、あらゆる身体の欠片が散り散りになる。

 

「山札から1枚目を手札に。その後、マナゾーンから、その総数以下のクリーチャーを、《イザナギテラス》から進化」

 

 ぶくぶくと、泡立って。

 千切られた肉片から、神が、産まれる。

 

「畏こみ畏こみ申しますが。天照坐皇大御神(アマテラシマススメオオミカミ)に奉る」

 

 ぞくりと、ぞわりと。

 恐怖ではなく畏怖。狂気ではなく畏敬。

 怖くはない。ただ畏れ多い神威が、わたしの身体に、本能に、訴えかけてくる。

 

「宴の声は岩戸まで、遊芸の歌は彼方まで。彼の願い、彼の祈り、秘めることなく降ろし賜え」

 

 眩いばかりの陽の光。

 それは彼女の歌に乗せられて、高く、遠く、遥かに、響き渡る。

 

 

 

高天原(タカマガハラ)に、天照らす――《神歌の歌姫 アマテラス・キリコ》」

 

 

 

 大王様が繋ぎ、王妃様が産み落とす。ならばそれは、姫君だ。

 産声は神の歌。だけど、それは姫と呼ぶにはあまりにも高尚で、力強くて、神々しくて。

 直視できないほどに――眩しい。

 

「《アマテラス・キリコ》で攻撃――能力、起動」

 

 その神威を感じる暇もないほどに、彼女はすぐに動き出した。

 

「他のクリーチャーをすべて山札に戻し、山札から10枚を閲覧。その中からコスト10以上のクリーチャーをすべてバトルゾーンへ」

「ここが勝負ね。捲りが弱ければラッキーなんだけど」

 

 10マナ以上のクリーチャーなんて、そんなにいっぱいデッキに入っているとは思えないけど、10枚も山札を捲るなら、ハズレだって少なくなる。

 神の歌が、神々を呼ぶ。引きこもるのではなく、誘う声を放つ。

 荒々しい神も、荒ぶる怪物も、みんなまとめて、引きずり出す。

 

「生体式・起動《八頭竜 ACE(エース)-Yamata(ヤマタ)》。招来《暴嵐竜 Susano(スサノ)-O(オウ)-Dragon(ドラゴン)》」

 

 10枚捲って、出て来たのはたった2枚。

 だけどその2枚だけでも、十分な破壊力を持っている。

 

「《アマテラス・キリコ》でTブレイク」

「ぐ……っ!」

「《Susano-O-Dragon》の能力により、すべてのクリーチャーはスピードアタッカー。《ACE-Yamata》でTブレイク」

 

 立て続けに、神々の暴威が三月ウサギさんに襲いかかる。

 一瞬でシールドがゼロに。

 

「やっばいわね、《Susano-O-Dragon》は呪文じゃ選べない……《水撒くナウ》どころか、《Re:ライフ》も効かないじゃない……!」

「《Susano-O-Dragon》でダイレクトアタック――」

「だったらこれよ! ニンジャ・ストライク《怒流牙 サイゾウミスト》!」

 

 呪文が効かない。止められないなら、無理やり受ける。

 間一髪。三月ウサギさんは、一命を取り留めることが、できた。

 

 

 

三月ウサギ

場:なし

盾:0

マナ:9

手札:8

墓地:0

山札:23

 

 

巫女鈴

場:《アマテラス・キリコ》《Susano-O-Dragon》《ACE-Yamata》

盾:5

マナ:8

手札:2

墓地:3

山札:19

 

 

 

「……正直、驚いたわ」

 

 巫女鈴の猛攻を凌いだ三月ウサギさんは、とても冷静だった。

 クリーチャーはいない。だけど、手札とマナは潤沢。

 それさえあれば十分とでも言うのか。

 いや、事実、十分なのだと思う。巫女鈴が、そうであったように。

 地固めが完了しているのなら、1枚あれば十分。巫女鈴のように。そう、三月ウサギさんも――

 

「――奇しくも同じ構えね」

 

 6マナをタップする。

 

 

 

「《イザナミテラス》を召喚!」

 

 

 

 彼女と、まったく同じ、カード。

 

「あんたの歌は聴いてやったわ。じゃあ次は、僕の嬌声(うた)を聴きなさい。そして、あんたの喘ぎ声(うた)も、聴かせなさい――!」

 

 そして、まったく同じ、進化。

 

 

 

「《神歌の歌姫 アマテラス・キリコ》!」

 

 

 

 巫女鈴と同じ切札、《アマテラス・キリコ》。

 あっちのとは違って、この《アマテラス・キリコ》は、縛り付けられるような恐れ多さは感じないけれど……

 【不思議の国の住人】と関わってきて感じるようになった、狂気が、滲み出ている。

 

「《アマテラス・キリコ》で《ACE-Yamata》を攻撃! その時、能力発動! 山札から10枚を表向きに!」

 

 進化方法は同じ。そこから大型クリーチャーを乱打するのも、きっと同じ。

 

「《八頭竜 ACE-Yamata》! そして――」

 

 だけれど、出て来るクリーチャーまでが、まったく同じとは限らない。

 これは三月ウサギさんのデッキだ。ってことは……

 

「――《アマテラス・キリコ》を、究極進化!」

 

 神の歌はおぞましい雄叫びに。

 歌姫の姿は、狂気に塗り潰される。

 

 

 

「万雷の喝采は獣の声に。快楽は稲妻の如く、雷鳴のように喘ぎなさい――《神羅サンダー・ムーン》!」

 

 

 

 雷撃轟く、金色の姿。

 太陽すら喰らいそうなほど獰猛な、月の雷霆。

 神々しさと同時に、邪悪さすら感じるけれど、その黒々とした魔性が、巫女鈴から感じられる神威を、押し潰す。

 

「ふふふ、ようやくノってきたわね。さぁ、痺れるような快楽をくれてあげるわ! 《サンダー・ムーン》がバトルゾーンに出た時、マナゾーンから呪文を1枚、タダで唱える!」

 

 どんな重量級呪文でも、ノーコストで放つことができる、超大技。

 コスト10も掛かるだけあって、派手で大胆だ。

 

「全席満員。だけどベッドはひとつでいいわ。何人いようが、邪淫の獣には関係ない。ひとり残らず出て来なさい!」

 

 神の歌は、狂気の雷鳴に塗り替えられ、神の国は異質な劇場へ、産み落とされた神々の居場所にも、新たな命が席巻する。

 そう、彼女の、落し子が。

 

 

 

「全員まとめて抱いてやるわ――《煌銀河最終形態(ギラクシーファイナルモード) ギラングレイル》!」

 

 

 

 宙の彼方から――降ってくる。

 

「《ギラングレイル》の効果で、12回GR召喚!」

 

 ……12回!?

 GRゾーンのカードは最大12枚。つまり、GRゾーンのGRクリーチャーを、すべて引っ張り出す、ってこと……!?

 大宇宙から次々と射出され、地上へと産み落とされていく落し子たち。

 邪神の手で、在来の神は、追いやられていく。

 

「さぁここからはノンストップのイキ地獄! 嫌と言っても手は緩めない快楽責め! 休みなしでドンドン処理していくわよ! 《マシンガン・トーク》の能力で、僕の《サンダー・ムーン》とあんたの《Susano-O-Dragon》をアンタップ! 《クリスマⅢ》を自爆してマナ加速! 《ヘルエグリゴリ-零式》の能力で、《ロッキーロック》と《マーチス》を破壊! 《ロッキーロック》が破壊されたことで《クリスマⅢ》が戻ってきて、《マーチス》のマナドライブで《ロッキーロック》も戻ってくる! もう一度《クリスマⅢ》を爆散! 2体目の《マーチス》のマナドライブで《クリスマⅢ》が戻ってくる!」

 

 な、なんかすごいことになってる……

 12体も一気に出て来たものだから、能力の発動、処理も多い……ど、どうなってるのか、よくわからない……

 

「まだまだ! このターン僕は5体以上火のクリーチャーを出しているから、《“魔神轟怒”ブランド》は超天フィーバーまで発動! 男女のまぐわいで、僕に勝てると思わないことね。何度だって起き上がるわ」

「…………」

「そろそろ攻めて行くわ。《サンダー・ムーン》で《ACE-Yamata》を破壊! さらに僕の《ACE-Yamata》であんたの《アマテラス・キリコ》を攻撃!」

 

 《サンダー・ムーン》の雷撃が巫女鈴の《ACE-Yamata》を、そして三月ウサギさんの《ACE-Yamata》が巫女鈴のクリーチャーを食い千切り、飲み込んだ。

 

「《ACE-Yamata》がバトルに勝ったことで、マナゾーンから《イザナミテラス》をバトルゾーンへ! 《アマテラス・キリコ》へ進化!」

 

 しかもそのまま、2体目の《アマテラス・キリコ》……!

 まったく止まらない。三月ウサギさんは狂ったように、がむしゃらに暴れ回り、命を生み出し続けている。

 

「《Susano-O-Dragon》は勃たせてあげたから攻撃誘導はできない。《マシンガン・トーク》で起き上がった《サンダー・ムーン》で、今度はTブレイクよ!」

「S・トリガー《ドンドン火噴く(ボルかニッ)ナウ》。山札から3枚を閲覧。1枚を手札、1枚をマナ、1枚を墓地へ。《ドンドン水撒くナウ》を墓地に送り、《“魔神轟怒”ブランド》を破壊。G・ストライク《フェアリー・Re:ライフ》。2体目の《“魔神轟怒”ブランド》を拘束」

「その程度じゃ止まんないわよ! 《アマテラス・キリコ》で攻撃! さぁ、もう一発ヤるわよ!」

 

 大量に展開したクリーチャーを、まとめて山札に戻してしまう。

 場がまっさらになったけど、また、混沌が形成される。

 

「《八頭竜 ACE-Yamata》! 《古代楽園 モアイランド》! 《審絆の彩り 喜望》! 《喜望》の能力で、出て来た3体をすべてタップ!」

 

「出て来るGRクリーチャーは当然、既に操作済み! 《続召の意志 マーチス》! 《“魔神轟怒”ブランド》! 《マーチス》のマナドライブで《“魔神轟怒”ブランド》と《マシンガン・トーク》を追加! 《アマテラス・キリコ》をアンタップ! ついでに《ロッキーロック》の能力で、《ヘルエグリゴリ-零式》と《ロッキーロック》をバトルゾーンに! 《ヘルエグリゴリ》の能力で《ロッキーロック》を破壊して、《ロッキーロック》が出て来るわ!」

 

 止まらない。一度場が更地になったのに、どんどんクリーチャーが溢れてくる。

 

「なにが国産みよ。神産みがなによ! 僕たちのお母さまは、千匹の仔を孕むクソビッチよ! 僕たちはその子供! 神に至るなんて大それたことはできないけれど、闇の眷属ならこれこのように、いくらでも産み落としてやるわ!」

 

 怒濤の勢いで産まれるクリーチャーたち。何度も歌うような嬌声を轟かせる《アマテラス・キリコ》。

 獣の咆哮のような喘ぎが、次々とシールドを叩き割っていく。

 

「残りのシールドもブレイク! 《モアイランド》で呪文は使わせないから!」

「……G・ストライク《地龍神の魔陣》。《“魔神轟怒”ブランド》を拘束」

「止まらないつってんのよ! 《アマテラス・キリコ》で攻撃! 何度だって、僕のを聴かせてやるから、あんたも啼きなさい! 喚きなさい! 艶やかに、獣のように、水音と共に喘ぎなさい!」

 

 また、場がまっさらになって。

 山札が捲られて、色んなゾーンがかき混ぜられて、クリーチャーが増えて。

 なにが起こっているのか、わけがわからないままに。

 雷鳴が、神の怒りの如く、轟いた。

 

 

 

「《神羅サンダー・ムーン》で、ダイレクトアタック――!」




 そろそろウサギは色んなクリーチャーやそのファンに謝った方がいい。ごめんなさい。


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54話「討滅・星の賢者 Ⅻ」

 前半戦終了


 

「三月ウサギぃ?」

 

 メルクリウスは、その存在を認知するや否や、困惑と、吃驚と、侮蔑と、嫌悪がぐちゃぐちゃにかき混ぜられた表情を見せ、瞬きの間にそれを視線として――ディースパテルに向けた。

 

「ディジーさん。なんなのです? これ?」

 

 冷たく、突き刺すような声と眼差し。

 詰問、されているのだ。あるいは、彼女は尋問のつもりかもしれない。

 ディースパテルは務めて冷静に、淡々と問答を返す。

 

「お前なら見たらわかるはずだ。俺が呼び込んだ」

「そんなこと聞いてんじゃねーのですよ」

 

 メルクリウスは目に見えてわかるほどに、苛立っていた。

 不快感を隠しもせず、声を荒げてディースパテルを問い詰める。

 

「あれ、あなたの管轄でしょう? それをあたしの王国に呼び込むとか、どういうつもりなのです? まさか裏切りなんて言わないのですよね?」

「言うわけないだろ、そんなこと」

 

 事実ではあるがな、とは言わない。当然ながら。

 

「まあ黙ってたのは悪かった。お前に倣ってサプライズ、ってやつだよ」

「ふーん、ディジーさんがサプライズ、ねぇ。らしくもないことなのです」

「確かに俺は、ミネルヴァの王国から脱走した三月ウサギの捕縛の任を引き継いだ。それで実際、あいつのとこまでは辿り着いた」

「じゃあ、なんで彼女はここにいるのです? そのままあなたの王国で預かるなり、ミーナさんに引き渡すなりすればいいものを」

「こっちの方が確実だと思ったからだよ」

「むむ」

 

 ディースパテルの言葉に、メルクリウスが反応を示す。

 

「どんな手を使ったか知らんが、三月ウサギはミネルヴァの鉄壁無双の監獄『光の神殿・愛護の契』から脱出した。本来ならあり得ねぇことだ。これだけで逸話たり得る異形ってレベルでな」

「それもそうなのですね。それが?」

「運が良かったのかもしれない。奥の手があったのかもしれない。どうしたにせよ、あいつはミネルヴァの王国から脱走を果たした。その能力は認めなくてはならない」

「…………」

「で、だ。そもそも俺の王国は、あんま捕縛とか戦闘とか向いてねーからな。俺の世界は生かしどころが限定的に過ぎる。だがお前の王国はどうだ」

 

 ディースパテルは、黒い海、闇の宙に浮かぶ衛星都市――『現創星間都市クリティアス』の中枢部を、ぐるりと見回す。

 時空間を超越する監視カメラ、それらをリアルタイムで繋ぐディスプレイ。あらゆる事象を観測し、数値化する無数の計器。そしてそれらを防護する鉄壁無双の居城にして、無尽蔵の兵士を供給する工場でもある宇宙ステーション。

 この場所は、およそ現人類の手では到達できない。感覚以上に理屈が、すべてを物語っている。

 

「現人類を圧倒する科学力。空想を現実に落とし込む非実在性への反逆。それらをひとりで管理、運営、処理するマスター。俺の王国より、よほど設備がいい。地球なんて枠組みで暮らしてた連中じゃ、この圧倒的な技術の粋を集めた要塞は、絶対に崩せないだろうよ」

「……ディジーさんにべた褒めされると、むしろ怖いのですけど。なにか言いくるめようとしているのです?」

「俺は事実を述べただけだ。実際、お前の王国は拡張性が段違いだ。故に対応力も飛び抜けて高い」

 

 外界のあらゆる情報を吸収し、それを蓄積、反映させることができるメルクリウスの性質は、この異聞神話空間と最高に相性がいい。

 無限の知識を糧に、無限に広がる可能性を模索し、対応する。想像力が尽きぬ限り、彼女にできないことはなにもない。

 

「三月ウサギに限った話じゃないが、俺は種を保存するなら、ミネルヴァの堅いだけの牢獄より、お前の変幻自在の世界で幽閉する方が効果的だと思っている」

「じゃあ捕まえてから引き渡せばいいのです。なーんでわざわざ五体満足で連れてくるのですかねぇ」

「俺のボロい王国じゃ、簡単に脱走されそうで怖いってのが本音だが……それ以上に」

「それ以上に? なんなのです?」

「お前ならできるだろ、メルクリウス・エノシガイオス」

 

 ディースパテルは、値踏みするように、それでいて讃辞の如く、彼女を見据える。

 

「お前は無尽の探究心と、不朽の叡智を授かった――星の賢者だ」

「…………」

「そんなお前なら、中途半端なことせず、徹底的に事態を収束させられる力がある。俺はお前をそう評価している」

「へぇ。挑発のつもりなのです?」

「正当な評価だ。俺はお前を結構買ってるんだぜ? なんだって、お前がいるから俺たちは世界のすべてを監視し、現人類へ優位に立てる。お前のこの星への理解と、それを活用する技術が、俺たち【死星団】を支えている。生意気だが、これは事実だ」

「……くふふっ」

 

 メルクリウスは、笑う。

 屈託のない笑顔で。嬉しそうに、笑う。

 その一瞬だけは、本当に、ただの少女のようだったが。

 すぐ彼女の顔色は、傲慢に満ちたものに塗り替えられる。

 

「おっかしー! なにその台詞! ディジーさん、ガラにもなさすぎなのです!」

「わざわざ言うことでもないからな」

「でもそういうの嬉しいのですよ。褒められるとメルちゃん、やる気出るタイプなのです」

「そいつは重畳」

「なんか試されてるみたいなところ、ハッキリ言ってかなりムカついたのですけど。まあでも?」

 

 メルクリウスはディースパテルに背を向け、ディスプレイに齧り付く。

 

「サプライズもドッキリも、全部こなしてこそのメルちゃんなのです。あたしは誰よりも強い。無限の伸び代が確約された、未来の大賢者――メルクリウス」

 

 シリーズも、ヘリオスも、ディースパテルも、ミネルヴァも。

 【死星団】の誰もが、産まれながらにして完成形。しかし。

 メルクリウスだけは、違う。

 彼女だけは未完成のままの幼体として産まれた。未だ発展途上の未熟な姿だが、外界からあらゆる情報を取り込むことで、彼女は、無限に成長する。無尽蔵に強くなる。

 序列二位なんて飾りだ。彼女の野心は、すぐにでも一位のミネルヴァを喰らわんとしている。

 

「その安い挑発、乗ってやるのです。三月ウサギさん一匹、ちょちょいと遊んで狩ってやるのですよ。あなたはそこで見ててください、ディジーさん」

「そうさせてもらう」

 

 ――乗り切った。

 ディースパテルは内心、胸をなで下ろす。

 正直、冷や汗ものだった。ここはメルクリウスの支配領域。本気で尋問されてたら、流石に危なかった。

 

(疑念が膨らんで精神干渉までされてたら、言い訳も苦しかったな。スパイってのも楽じゃねぇな)

 

 三月ウサギは、ディースパテルにとって切札に等しかった。

 総戦力に不安があるマジカル・ベルたちの後押しをするための追加戦力。

 

(ミネルヴァの神殿から脱獄させたり、無理やり契約させたり、こっそり連れ込んだり……これまでの労力に対する能力は圧倒的にわりに合わないが)

 

 メルクリウスを処理落ちさせる。

 そのために追加できる最後の戦力が彼女だ。そもそもの人員が少ない以上、手間を惜しんではいられない。

 

(とはいえ、ここまでやって五分五分だな。最悪、メルクリウスに気取られるのは覚悟の上で、俺が王国の構成理論を断ち切りに行くっきゃ――)

 

 

 ――突如。

 低く唸るような音が、響き渡る。

 

『!』

 

 これは緊急時の警報。即ちサイレンだ。

 予期せぬ異常事態が発生した証である。

 

「おい、メルクリウス」

「……正体不明の生体反応が、『クリティアス』に侵入したのです。これもディジーさんのサプライズなのです?」

「いや、知らねぇな」

 

 これは本当に知らない。ここでイレギュラーなど、ディースパテルも想定していない。

 メルクリウスの王国に侵入できるような力を持つ者は、ほとんどいないだろう。しかも海底都市ではなく、星間都市まで侵入するなど。

 

「早急に対応するのです。緊急ナンバー0002発令――」

「待て、メルクリウス」

「なのです?」

「俺が出る。こういう予測不能の事態に対応するために、俺がいるんだろ」

「あー、そういえばそういう役割分担なのでしたねぇ、当初は」

 

 メルクリウスは露骨に渋い顔をする。おだてられて気持ちよくなっていたところに、自分の仕事を横取りされそうなのだから、当たり前である。自尊心が高いメルクリウスなら余計にだ。

 すべて自分の手で管理するからこそ満たされていたメルクリウスが、ディースパテルにその権利の一部でも譲るのは、気位が許さないだろう。ディースパテルも、そんな、メルクリウスの性格に付け込んで今回の策があるのだから、あべこべもいいところだ。

 しかし、 メルクリウスにとってのイレギュラーは、ディースパテルにとってもイレギュラーだ。

 この状況でメルクリウスの王国に侵入できるような存在を無視するわけにはいかない。たとえそれが、メルクリウスにとっての敵であろうと、ディースパテルの味方である確証もない。

 故にそれを、確かめに行く。できれば、メルクリウスに感知されないうちに。

 メルクリウスはしばし考え込む。

 

「……まあここはディジーさんの顔を立ててあげるのです。本来の役割を遂行する方が、合理的なのですしね」

 

 などと言っているが、内心では正体不明の存在に特攻させてデータを得るための生贄にする気なのだろう。ディースパテルが同じ立場ならそうする。

 信頼は利用と同じだ。とはいえ今回はその狡猾さがありがたいが。

 

「任せろ。国の構造ではお前には敵わないが、個人の対応力なら自信がある」

「あたしもモニターしてるんで、深追い厳禁なのですよ。最悪、都市の一部を切り離して宇宙に放り出すだけなのですし」

「最悪の手段に頼らないよう努力はするさ」

 

 メルクリウスが“その気”になれば、この箱庭での小さな闘争は一瞬で終わる。

 そうならないように、その気になる前に、ディースパテルは手を尽くす。

 ディースパテルが管制室から消え、残ったメルクリウスは、モニターを通じて『ティマイオス』の様子を確認する。

 

「さて、と」

 

 長良川謡、チェシャ猫、ヤングオイスターズ、眠りネズミ、伊勢小鈴。それぞれに送り込んだ専用の刺客は退けられた。

 しかしその程度では、メルクリウスの手札は尽きない。彼らを討滅するための駒も、策も、無数にあるし、いくらでも生み出せる。

 

「懸念事項が増えてしまったわけなのですが――こっちの“遊び”も、そろそろ本腰入れないと、なのです」

 

 ユニットを編成して眺めるだけの戦争は終わりだ。

 やはりゲームは自らの手で。自ら思考し、動かす操作感が快楽の根源。

 不意に発生したイレギュラーに意識を留めつつも、メルクリウスは。操縦桿を握る。

 

「レイドバトルも面白そうなのですが、ここはリズちゃんに倣ってタイマンと行くのです。古き良き決闘、ロートルなのですが、これはこれでアツいというものなのですよ」

 

 前半戦は終了した。

 ここからは、後半戦だ。

 

 

 

                    ☆ ☆ ☆

 

 

 

 『クリティアス』に突如発生したイレギュラーな生体反応を追いかけて、ディースパテルは星間都市第十二区画へと赴く。

 しかしまったく奇妙な出来事だ。異聞神話空間は、邪神と異形の力により、無理やり神話的特権に接続することで授かった権能。言わば、擬似的な神の領域。【死星団】でもない者が、異聞神話空間内に侵入するなど、本来は不可能なのだ。

 

「【死星団】なら、多少は強引に侵入することも可能だが、そんなことする奴は……」

 

 ……いないこともなかった。

 

「まさか、ヘリオスだったりしてな……」

 

 だとしたら、それはそれで最悪だ。メルクリウスに頼んでしばらく宇宙に放り出して貰う他ない。

 いや、彼であれば宇宙に放り出されたとしても、無呼吸状態のまま、身体を爆散させながら泳いで戻ってきそうだが。

 兎にも角にも、その存在は確認しなくてはならない。どう転んでも、ディースパテルにとって手放しに喜べるような来訪者ではなさそうだが。

 

「ヘリオスの言葉を借りるなら、そうだな。鬼が出るか蛇が出るか、ってところか」

 

 などと言いながら――当該領域に到達した。

 空間の乱れが酷い。無理やり国壁をぶち破ったようだ。

 

「メルクリウスの国壁を突破するとは、ヘリオスっぽさ全開だな。だが……」

 

 違う。とディースパテルは直感する。

 国壁を突破した形跡。残留したマナの質。確かにヘリオスに近いものは感じるが、確実に別の者の仕業だ。

 彼のように狂っていて粗暴さを感じるが、もっと重く、沈んだような、乾いているのに粘り着くような感覚。

 ディースパテルは歩を進める。

 奥へ、奥へ。

 その先に、誰かが、いる。

 

「っ……お前は」

 

 思わず息を呑んだ。

 それは、ゆるりと立ち上がる。

 

「言われるがままに来てみれば――息苦しいところだ。だがしかし、風呂場で塩素が云々と書かれた洗剤を混ぜた時よりはマシだな。あの時は死ぬかと思った。まあ、もうほとんど死んでいるようなものだが」

 

 そして、こちらに、振り向いた。

 

「さて、そこの貴様。尋ねたいことがある」

 

 彼はディースパテルに問いかける。

 イレギュラーもイレギュラーだ。この来訪はまったく予想していなかった。

 しかし、彼がここにいることに、なぜか納得してしまう自分もいた。

 これならばある意味では、ヘリオスの方がまだ良かったかもしれない。

 どちらが御しがたいかなど、考える意味もない。狂気の程度など天秤にかけるだけ無駄というもの。

 だがそれでも、ただ狂っている、ということにおいて、彼以上のものはいない。

 なぜなら、彼は――

 

 

 

「実子はどこだ?」

 

 

 

 ――『イカレ帽子屋』、なのだから。




 帽子屋、参戦。


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55話「破滅・星の愚者 Ⅰ」

 後半戦開始


「そういえば、三月ウサギさんは、どうしてここに?」

 

 ふと気になって、聞いてみた。

 このおかしな世界は、わたしたちの世界とは決定的に異なるルールで存在している、らしい。だから本来、わたしたちから干渉することはできず、侵入もこの世界の主の許可を得るか、あるいはディースさんの力を借りないとできないって聞いたんだけど……

 訊ねると、三月ウサギさんはムスッとした顔をする。

 

「…………」

「どうしたんですか?」

「うるさいわね、なんでもないわよ!」

「いひゃいいひゃい! いひゃいでふって!」

 

 突然、ほっぺを摘ままれて引き伸ばされる。痛い!

 

「うぅ、なんでほっぺ引っ張るの……聞いただけなのに」

「色々言えない事情があんのよ」

「事情って?」

「だから言えないっての。あいつ、無理やり妙な契約結ばせて……詐欺どころかこんなの呪いよ、呪い」

「?」

 

 よくわからなかったけど、言えない事情があるのかな。

 

「ほんっとここ最近、僕の周りはムカつく女と胡散臭い男ばっかりでやんなっちゃうわ。あぁ、帽子屋さんが恋しい……」

「帽子屋さんも相当に胡散臭いと思うよ……」

「ガキンチョにはわかんないわよ、あの人のことは。ましてや人間のガキなら尚更」

「わたし今、身体はほとんど人間じゃないらしいけどね」

「……そういうこと、サラッと対抗して言い返してくるのも異常よ。あんたもなんか、感性歪んでない?」

「? そうかな?」

「しかも自覚ないし。まあ僕からしたら、あんたのことなんてどうでもいいんだけど――」

 

 三月ウサギさんは呆れたように嘆息する。わたし、なにか変なこと言ったかな?

 鳥さんを見てみると、ちょっと悲しそうな顔をしていた。

 なんでみんなそんな反応なの? と聞き返そうとすると、

 

 

 

 ――アップデートのお知らせなのです。

 

 

 

 突如、この世界に、声が響き渡る。

 幼い、女の子の、声。

 

「!」

「え、なに? アップデート?」

 

 わたしたちの混乱などお構いなしに、声は続く。

 

 

 

 ――本邦『ティマイオス』にお越しの皆様方、此度のご来国まことにありがとうなのです。皆様の奮戦(笑)に敬意を表して、量産型メルクリウス及びその他エネミーの出現率、AI及び使用デッキを改修するのです。どうぞ引き続き、『海洋都市ティマイオス』をお楽しみくださいなのです――

 

 

 

 AI? デッキ改修?

 なにを言っているの……?

 

「ど、どういうこと?」

「知らないわよ、僕だってさっき来たばっかりなんだから!」

 

 わからない。わからないけど、なにか重要なサインであることだけは直感できる。 

 今のアナウンスに合わせるように、あの子の姿が――量産型メルクリウスが、やって来る。

 

「来た、あの子だ……でも」

「ふたりしかいないわね。こんなもんなの?」

「いや、さっきまではもっとたくさん……」

「メルル? メルメル?」

「言語能力低いわねこいつら。やる気かしら?」

「いきなり襲ってくるから、気をつけてください」

「誰にもの言ってんのよ。僕は泣く子も鳴かす三月ウサギよ。ガキは趣味じゃないけど、全員纏めて抱いてやろうじゃない」

 

 この人とは、代海ちゃんのこととか、鳥さんのこととか、前に色々あったけれど……

 今は、一緒に戦ってくれるみたい。ちょっと、心強い。

 

「……ムカつくことに、そういう契約だしね」

「どうしたんですか?」

「うるさい、なんでもないわよ!」

「だからなんでほっぺを!? いひゃい!」

 

 

 

                    ☆ ☆ ☆

 

 

 

「――《キング・マニフェスト》をバトルゾーンに!」

 

 

 

 姉を看取った直後、弟妹の顔がついた化物が襲いかかってきたと思ったら、妙なアナウンスが流れ、そのまま対戦へ。

 冷静沈着を旨とするアギリといえども、状況が飲み込みきれない。多少の困惑を抱えつつ、冒涜と侮辱の過ぎる敵性体と相対するも、それは姉との戦い以上に凄烈なものとなる。

 

「まずは、《キング・マニフェスト》の能力で山札をシャッフル!」

「山札を捲って1枚目を使用する! それがクリーチャーなら“召喚”することができる」

「捲れた、出て来た、終わった! 《終末縫合王 ミカドレオ》! 山札から4枚を捲って、クリーチャーをすべてバトルゾーンへ!」

「《超絶奇跡 鬼羅丸》《完全不明》《黒豆だんしゃく》! 勝った勝った、残りはマナへ!」

「コスト8以上のクリーチャーが4体……次のターンを迎えれば、オレたちの勝ち」

「《完全不明》がいればお兄ちゃんのターンもすぐスキップされるよ」

 

 6つの顔から、それぞれ弟妹の声がする。

 見るのも堪えず、聞くにも堪えない。

 怒りの沸点などとうに振り切れており、憎しみすら覚えるほど。

 しかしアギリはそれらの激情を抑え、現状を分析する。

 

「つい先ほど、アップデートがどうとかアナウンスがされたが」

 

 なるほど確かに、強さが一段違う。

 マナゾーンにも見えている《ミステリー・キューブ》、そして《キング・マニフェスト》。大型クリーチャーを捲り、《キング・マニフェスト》によって召喚扱いで現れた《ミカドレオ》でさらに捲り、並べ、場を制する。

 運任せと言えばそれまでだが、アタリは多い。今回は一等賞を当てられてしまったようだが、二等賞でも三等賞でも十分な出力が出るように構築されているあたり、今までの量産型や壊れてしまった姉とは一線を画する力量だ。つまり、

 

「強いな……」

 

 異形の冒涜ではなく、ただ純粋に、この盤面に対してのみ、思う。

 アギリの表情には、苦しさが滲んでいた。

 

 

 

                    ☆ ☆ ☆

 

 

 

「《霊峰 メテオザ-1》を召喚! 続けて《我我我ガイアール・ブランド》を2マナで召喚! 《メテオザ-1》からスター進化!」

 

 押し寄せる量産型メルクリウス。眠りネズミはそれらを一体一体、持ち前のスピードと火力で爆速で蹴散らしていた。

 耐久も、防御も、すべてぶち抜いていった。

 しかしアナウンスが入ってから、質が変わった。

 相手の防御を打ち破る戦いから――

 

 

 

「手札が1枚になったので、召喚なのです――《“逆悪襲(ギャラクシー)”ブランド》!」

 

 

 

 ――速度勝負へと。

 

「この僕相手に速攻かよ……とことんバカにしやがって」

 

 お互いに速攻デッキ。しかもキーカードまで同じ。完全なミラーマッチの時さえある。

 一瞬でも失速したら負け。ひたすらに最高速度で競り合う。ビビった奴からコースアウトのチキンレース。

 それを、10戦、20戦、30戦――どれだけ戦わされるのか。とにかく何戦も、連戦で、走らされる。

 体力も、精神も、磨り減っていく。一戦一戦が身を削り、大きく消耗するようなスピード合戦なのだ。綱渡りでマラソンをさせられるような緊張状態が、延々と続く。

 

「クッソ、ねみぃけど、一瞬でも寝惚けたら死ぬな、こりゃあ……!」

 

 少しでも睡魔を受け入れた瞬間、焼き切れてしまう。

 心身共に擦り切れていく極限状態の中、眠りネズミは、終点の見えないコースを走り続け、戦い続ける。

 

 

 

                    ☆ ☆ ☆

 

 

 

「《全能ゼンノー》をGR召喚! これでちょっとは抑えが効くかな……」

「除去耐性なしのメタクリーチャー。マッハファイター相手ならともかくですが、少々心許ないですね」

 

 謡とスキンブルシャンクスの耳にも、例のアナウンスは届いていた。

 その瞬間から、敵が強くなる気配。世界も、相手も、すべての質が変わる感覚は、感じていたのだが、

 

「5マナで呪文《轟壊!切札MAX》! 《全能ゼンノー》を破壊なのです!」

「あ、やば……」

「さらに! 自分の場に火と自然のクリーチャーがいるので、マナゾーンから《未来王龍 モモキングJO》をバトルゾーンへ! 《モモキングJO》で攻撃する時、《ボルシャック・モモキングNEX》にスター進化! 《モモキングNEX》の能力で山札を捲って、《キャンベロ<レッゾ.Star>》をバトルゾーンに! 《ボルシャック・栄光・ルピア》からスター進化なのです! 次のターン、あなたは1体しかクリーチャーが出せないのですよ?」

「やばいってこれ! アプデ入ってからの相手のデッキがガチすぎる!」

「もはや休憩とか分担とか言っている場合でもございませんね。一戦一戦、全力で当たらなければ死にますよ」

「わかってるよ!」

 

 こちらを小馬鹿にするような舐め腐った同系同種同型デッキを扱いつつも、中身はガチガチ。あらゆる集合知を積み上げ、研鑽され尽くした、強いデッキ。

 メタカードは容易く突破され、強烈な攻撃が襲いかかる。

 

「《モモキングNEX》でWブレイク! 攻撃後、《モモキングJO》のシンカパワーで、《モモキングNEX》を剥がしてアンタップ、さらにドローなのです!」

「スキンブルの《モモキング》の百億倍強い! やばい負けそう……!」

「頑張ってください、謡。俺では彼女に勝てる気がしません」

「そんなこと言われてもさぁ……!」

 

 こちらはデッキの種類を確保するめ、様々なカードを散らして複数のデッキに分けている。

 ひとつのデッキパワーが下がっている状況で、この相手は、非常に厳しい。

 

「……舐めてたのはこっちってことなのかな」

 

 小鈴からの伝聞だが、ディースパテルとやらはこれを予見していたのだろうか。

 ――それも、考えている暇はない。

 

「続けて《モモキングJO》で攻撃!」

 

 とにかく今は、目の前の脅威に、必死に抗わなければ。

 

 

 

                    ☆ ☆ ☆

 

 

 

「4マナで《爆龍覇 ヒビキ》を召喚! そして《ヒビキ》に《爆熱剣 バトライ刃》を装備! スピードアタッカーでそのまま攻撃する時に、革命チェンジ! 《勇者の1号 ハムカツマン蒼》!」

 

 革命チェンジで……《ハムカツマン》?

 せっかくドラグハートを装備したのに、そのクリーチャーも手札に戻しちゃった。

 

「《ハムカツマン蒼》の能力で山札から5枚を捲って、多色クリーチャーをトップに固定。そのまま《バトライ刃》の効果でトップを捲って、ドラゴンかヒューマノイドならタダ出しなのです」

「……ってことは」

「そう! 固定した《ニコル・ボーラス》が、即座にバトルゾーンへ! 手札を7枚捨てるのです!」

「!? そんな……!」

 

 ま、まだ3ターン目なのに……手札が、なくなっちゃった……

 この子、強い。今まで戦ってきた子たちも、弱くはなかったけど、明らかに強さが段違いだ。

 なんていうか、ただ強いんじゃない。カードの1枚1枚が、すごく研ぎ澄まされているような……それらが詰まったデッキはとてつもなく大きくて、積み上げたような重みがある。

 

「なんだかカードショップの大会に出た時みたいな感覚になるよ……」

 

 こんな状況で、そんなことを思うのも、変な感じだ。

 でも、なんでだろう。

 確かにこの子は強い。正直、勝てる気がしない。とてつもなく大きくて、高くて、越えられない壁のようなものを感じるんだけど。

 

 

 

 ――怖くない。

 

 

 

 恐怖だけは、まったく感じないんだ。

 

 

 

                    ☆ ☆ ☆

 

 

 

「《蒼狼の王妃 イザナミテラス》を召喚! 山札の1枚目をマナに置いて、マナから進化! 《エンペラー・キリコ》! 他のクリーチャーをすべて山札に戻して、山札からクリーチャーを3体バトルゾーンへ!」

 

 小鈴の横で、三月ウサギが相対する量産型メルクリウスが繰り出してきたのは、《キリコ》。それも《アマテラス・キリコ》ではなく、その原初――《エンペラー・キリコ》だった。

 《アマテラス・キリコ》の源流ともなる、呼び出された3体のクリーチャーは――

 

「――《緑神龍ザールベルグ》《シェル・フォートレス》2体をバトルゾーンに!」

 

 大地を貪る、龍と蟲たち。

 それらは、本能のまま、強欲に、三月ウサギのマナに喰らいつく。

 

「さぁ、たくさんお食べ! 6マナ破壊なのです!」

「っ、このガキ……!」

 

 一瞬でマナゾーンを荒れ地にされてしまった。バトルゾーンを更地にされるならまだしも、マナを喰われては、動きようがない。

 その陰湿な蛮行に、三月ウサギは歯軋りする。

 最初から、この少女のことは気に入らなかった。今でも嫌いだし、きっとその後もずっと苛立つだろう。

 可憐な容姿も、溌剌とした声も、この蛮族のような戦略も、デッキも。

 そしてなにより、

 

「なんで僕だけこんな化石みたいなデッキの相手しなきゃなんないのよ!」

 

 なにもかもが怒りのツボを刺激し、イライラする。

 メルクリウスとはそういう奴なのだと、事前に多少は聞いていたが、実際に相手すると想像以上に腹が立つ。

 こんな奴の相手をさせた、あの男にも、不満が募って仕方ない。

 

「ボイコットしてやりたいけど、契約を結ばれた以上、逆らえない……あぁ、こんなクソみたいな契約結ばされた自分にも苛立つ! この欲求不満を解消できる予定もないし、もうぶん殴って気持ち良くなるしかないじゃない! 首は締めるより締められる方が気持ちいいってのに」

「……このお姉さん、こわー。えっちのし過ぎで性癖歪んでるのです……」

「なにか言った?」

「いいえなんでも」

 

 さておき、イライラしてばかりもいられない。

 陰湿でも、蛮族でも、化石であろうと、現状は芳しくない。

 なんとか盛り返して、そして、

 

「この生意気なガキ、わからせてやらないといけないわね……!」

 

 

 

                    ☆ ☆ ☆

 

 

 

「くふふ、良い具合なのですね。これは正しく神アプデ!」

 

 『ティマイオス』(下界)の様子をモニタリングし、メルクリウスは悦に浸るように笑う。

 突如アナウンスされた、量産型メルクリウスその他の使用デッキの改修。それはありていに言えば、強さの上方修正だ。

 なぜ唐突にメルクリウスがそのようなことを行ったのか。それは彼女のきまぐれであり、

 

「デッキを複数持ってこっちに対処されづらくするなんて猪口才な真似、あたしに通用すると思っているのでしょうか? そんなの何度かやり合えば、データベース化していくらでも対応可能になるというのに」

 

 同時に、プライドでもあった。

 使用デッキを複数に分けて対応させないようにする。その作戦そのものは、正直、予想していなかったことだ。マジカルベルらが、そのような対策を事前に施すほど、【死星団】について深く認識しているとは思っていなかった。

 しかしその認識は、どうやら誤りであった。実際にその盲点を突かれて、メルクリウスはこうして対処に負われる結果となっている。

 とはいえ、だ。

 そんなものは小細工に過ぎない。

 これまでは余裕を見せて軽く遊んでいたが、そろそろその遊びも、難易度を上げる頃合い。

 ここはメルクリウスの王国、『空想錬金工房 愚者の海』。すべてを見渡し、見通し、あらゆる知識を集積する世界。

 いくらデッキを切り替えようと、何戦も続けていれば、それらすべての内容は読み取れる。読み取れれば、それらを集めて記録にできる。記録が生まれれば、思考が介在する。思考すれば、それは対抗手段となり得る。

 最初から彼女たちに安定択などないのだ。

 

「星の賢者の知識と対応力、舐めないで欲しいのです。もっとも、そんな当たり前な対策はナンセンスなので、ここはもっと過激に、苛烈に、暴力的に! どかーんと対応させて頂いたのですが!」

 

 世界のすべてを記録する王国にて、力となるのは集積された知識そのもの。

 しかしメルクリウスはあえて、直接的な対策は施さない。

 分析はした。集積し、出力した。しかしそれは、マジカルベルたちのカウンターとして在ったものではない。

 

「この世界のすべてを知るあたしなのですよ? 全世界の集合知があたし、そしてこの国に集められているのです。すべてのプレイヤーが研鑽し、研磨した、過去と現在に至るまでの多種多様な“知識”――それらを集積し、引用するだけ」

 

 メルクリウスが行使したのは、この瞬間の対応ではない。いわば彼女が引き出しているのは、この星の歴史そのもの。

 古今東西に至るすべての人類が磨き上げてきた技術の蓄積。現在まで積み重ねてきた叡智の結晶。

 言うなればマジカルベルらが今相手にしているのは、人類史そのもの。

 

「自分たちと同じ人類の手で撃墜される気分はどうなのでしょう? くふふ、ちょっと刺激が強すぎるかもなのですが、それもまた人類の愚かさということで」

 

 普段ならその場のノリで即応し、対処するところだが、今日はどうにも興が乗る。

 しかし確実に、こちらの方が面白い。過去を掘り返すというのも、一興というものだった。

 いつもはしないことに、楽しみを見出す。そう思えるのは、そんな行動に出たのは、いつもは隣にいないディースパテルの影響だろうか。

 

「……そういえば、ディジーさん遅いのですね。流石にとっくに現場には到着しているはず、なのに連絡のひとつもないとは、どういうことなのです?」

 

 盲点と言えば、『クリティアス』(上界)に入り込んだ侵入者の存在だ。

 ディースパテルが調査に向かったはずだが、あれから通信がない。

 

「あのディジーさんがそんなサクッとやられるとは思えないのですけど、一応、あたしの方でも確認しておくのです。空間照合、映像を出力して、バックログも開放、っと」

 

 手元のデバイスを操作し、侵入者の反応があった区画を映し出す。同時に、ディースパテルが通ったはずの経路すべての記録も出力する。

 

「……え?」

 

 その瞬間、メルクリウスは一瞬、思考が停止した。

 目を丸くして、愕然とする。あり得ないと、思考を放棄しそうになる。

 

「ログが残ってない……? ディジーさんの反応も消失してるのです!? こんなのあり得ない……な、なにがあったのです!?」

 

 しかしそこはメルクリウス、思考の流れが止まったのは、ほんの一瞬だけ。

 混乱は消えないものの、次の瞬間には頭をフル回転させ、解決策を模索する。

 ディースパテルに反応はない。ログも消えている。ならば、侵入者の反応があったエリアそのものに走査を掛ける。

 

「あ、良かった。侵入者の痕跡は残ってるのです。ここから予測演算、各区画に残存する微量因果を辿って、第二次予測演算開始。分岐可能性の集約、剪定。候補を絞って……出力!」

 

 モニターに齧り付き、必死に痕跡を辿るメルクリウス。

 あらゆる可能性を見据え、あり得ない可能性は切り捨て、答えを絞り込み、侵入者の現在値へと辿り着く。

 

「出た、区画MΔ-51に反応……んん!? これって、まさか、帽子屋さん!?」

 

 出力された結果を照合し、その場所の映像を出すと、飛び込んできたのは、『イカレ帽子屋』の姿。

 まさかまさかの闖入者だ。彼はほとんど消息不明だったはす――誰かと交戦していたのか、時々、強い反応を示すことがあったが、メルクリウスでも完全に所在を把握しきれななかった――それが、今、ここに?

 どうして、と思ったが、まっとうに考えれば仲間の救出だろうか。しかし狂気に冒された彼が、そんなまっとうな思考で動くだろうか。

 狂人にホワイダニットを問うのは愚かだ。それに、メルクリウスが気に掛かるのは、そこではない。

 

「どーやって入って来たんですかこの人……いや、それより、ここって保管エリアだから……!」

 

 同エリア内の状況を確認。どうやって、という部分が気になっていたが、それを考えている余裕はなさそうだ。

 仲間を助けに来たなんて、およそイカレた帽子屋らしくはないが、今この現状がすべてを表している。

 

「っ、やられた……! あぁもう、ディジーさんはどこでなにやってるのです!? これ、早く排除しないとダメな奴なのです!」

 

 『ティマイオス』なんて遊びにかかずらっている場合ではない。今は『クリティアス』の防護が最優先。

 しかし、まさかこの星間都市に直接侵入してくる者がいるとは思わなかった――それを許すような設計ではなかった――ため、この対処には大きな問題がある。

 

「えーっと、えーっと、どうしよう。量産型のあたしは完全に『ティマイオス』での運用前提になってるから、『クリティアス』で運用できる戦力が……」

 

 そもそも外部から直接侵入されることを想定していない、侵入されない構造なため、防衛ラインは相当手薄だ。監視はできるが撃退はできない。戦力リソースはほぼすべて『ティマイオス』に回しているため、番兵のひとりすらいない。

 こういう時のためのディースパテルでもあるのだが、肝心の彼はどこかへ消えてしまった。大事な時に役に立たない。

 

「……あ、そうだ。別の保管エリアから使える奴を引っ張ってきて……うぅん、それより、改造区画の彼女を使うのです! まだ完全体じゃないけど、8割以上完了してるから平気なはずなのです! とりあえずこれで時間稼ぎして、その間に憲兵さんの量産体制を確保すれば……!」

 

 ガチャガチャと、思考も挙動も忙しない。良い気分になっていたというのに、予想外のことが起こりすぎている。

 メルクリウスは天を見上げ、嘆息した。

 

「あー……忙しくなってきたのです」




 三月ウサギも丸くなったなぁ。


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