ルイズと無重力巫女さん (1-UP-code)
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第一話

 青い青い地球にある島国、日本―――

 そこは他とは少し違う、『幻想郷』という一つの世界があった。

 『外の世界』にはない力、結界で覆われ既に過去の遺物となったモノ達でひしめいている。

 そこには青く茂る木々と、悠々とした山々、キラキラと光る清流、雲ひとつ無い澄み渡る青空。

 伐採やダム建設の影響で残酷にも失われた日本の原風景が見渡す限りに広がっていた。

 その他にも既に絶滅してしまった朱鷺やリョコウバト、ニホンオオカミなどの動物たちも暮らしている。

 

 幻想郷には人間達も住んでいる、元からここに住んでいる者達や外の世界からの流れ者もいる。

 しかし、外の世界の人間達は大抵人が住んでいる所へたどり着く前にのたれ死ぬか…あるいは『妖怪』に食べられてしまう。

 

 妖怪――彼らもまた外の世界からこの幻想郷へ転がり込んできたモノ達…。

 

 大抵は獣や異形の姿をしているが、中には人の姿をしたモノまで種類は数多くいる。

 彼らには普通の人が持ち得ない力を生まれながら――あるいは後天的に備え付けている。

 その力を奮い、幾度と無く人々をなぎ倒し、喰らい、その名を人々の歴史に刻ませた。

 

 だが――そんな種族でも、『時代』という名に勝てはしなかった。

 妖怪達は基本的に長寿であり、軽く数百年は生きることが出来る。

 だからこそ彼らは人々の目覚ましい発展の速度を見ることとなった。

 

 ――――――鎖国と明治維新、第一次世界大戦と第二次世界大戦、冷戦と日本のバブル崩壊。

 

 時代が進むごとに迷信やおとぎは幻想へと消え、人々は科学と物理を求め始めたのである。

 それに伴い妖怪達は日に日に迷信や幻想の存在へとなっていった。

 やがて彼らは外の世界から自ら、あるいは無理矢理ここ幻想郷へ入っていった。

 

 幻想の中でしか生きていけない者達を匿う世界…

 ―そんな優しくて残酷な幻想郷を守る結界を張っているのは、境界を操る人外と『博麗』の巫女であった――――

 

 

 

 ―――博麗神社

 ここは幻想郷と外の世界との入り口を兼ねている神社である。

 代々博麗の巫女達が結界を張り、日々幻想郷の様子を見守る場所でもあるのだ。

 時たま外の世界から迷い込んでくる人間を何事もなく元の世界へ送り返す事もしている。

 

 

 

 そんな神社の主である巫女は神社の境内を掃除していた。

 紅色を基調とした巫女装束を着用しているが何故か袖がついておらず、白色の袖を別途腕に括りつけ、肩と腋の部分を露出させた特徴的な格好をしている。

 艶やかな黒い髪を腰の所まで伸ばし、頭には白いフリルの付いた赤いリボンを付けている。

 

 名前は博麗 霊夢、紛う事なき博麗の巫女である。

 

 

「ふー…これ位で良いかな?」

 霊夢は持っていた箒を背後にある大きな赤い鳥居の傍に置くと空を見渡した。

 

 

 

 

 すでに日は半分沈みかけており、人の時間から妖怪の時間になろうとしている。

 鴉が何羽か纏まってカーカーと鳴いており、それに紛れて何故か鴉天狗も飛んでいた。

「さてと、そろそろ夕食の準備でもしましょうかね…。」

 霊夢はひとりそう呟くと箒を手に取り小屋の方に帰ろうとした時…それは何の前触れもなく現れた。

 

 突如地面からニュニュッ!と鏡の様なモノが飛び出てきた。

 ソレは眩しいほど光り輝いており、下手すれば直視できない程である。

 霊夢は突然のことに即座に足を止め、目を鋭くしその鏡を見た。

「何かしら、これ…?」

 霊夢は掃除道具をその場に置くと警戒しながらも鏡へと近づいていく。

 鏡からは微妙な力が放出しており、それがピリピリと霊夢の白い肌を撫でていく。

 

 何処ぞのスキマ妖怪の悪戯かと思ったが霊夢は即座に『違う』と感じた。

 

(紫と同じ能力?といっても根本的に違うような…)

「あらあら、神社から妙な力が出てくると思ったら…これは綺麗な鏡ね」

 

 突如上から声を掛けられ顔を上げると空中で『隙間』に座っている金髪の女性がいた。

 全体的に白と紫を基調にしたドレスを着ており、頭には白い布を被っていて赤い紐でそれを止めている。

 

 ここ幻想郷を作り、多くの妖怪達に尊敬と畏怖の念を与えた「八雲 紫」であった。

 

 

 

 

「ふふ、あの時の肝試し以来ね霊夢」

 紫はスキマに腰掛けながら胡散臭そうな笑みで霊夢に話しかけてきた。

「なんだアンタか…たまには普通に入ってきたらどうよ?」

 それを霊夢は鬱陶しそうながらも、何処か苦笑いの様にも見える表情で返事をする。

 霊夢のそんな言葉には顔色一つ代えず紫は返事を返した。

「あら?私にとってはこれが普通ですわ」

 軽く話した後、紫は地面にゆっくり着地すると霊夢の横に立ち、光の鏡を見つめる。

 紫とは前の「永夜事変」という異変で一緒に行動し無事解決した仲でもあった。

 それ以前に何回か紫が神社に遊びに来ることもあったのだが…。

 

 

 

「………う~ん、見ただけではなんとも言えないわね」

「あら?アンタらしくないわね」

 霊夢は紫の口から出た言葉に目を少しだけ丸くする。

「これは魔法だけど…今までに見たこと無い術式のうえ構造が複雑すぎてわからないのよ」

 紫は肩を竦めてそう言った後軽い足取りで鏡に近づいていった。

「あんまり近づくと何が起こるか分からないわよ?」

 そう言っているものの霊夢は大して心配しているそぶりも見せず後をついていくように鏡へと近づく。

 まぁどうせコイツなら鏡に触れて何か起こっても大丈夫だろうと霊夢はそんな酷い事を思っていた。

 間近で見てみるとどうやら鏡には薄く魔法陣のようなものが描かれていた。

 

 

「全く、一体誰がこんな悪戯をしたのかしら?というより何時消えるのよ…?」

 そう言って霊夢は大きく腕を広げたときに左手が鏡に触れ、瞬間――――

 

 

 ニュッ

 

「えっ…!?」

「あら?」

 突如鏡が間抜けな効果音を出して霊夢の手を物凄い勢いで飲み込んでしまった。

「ちょっ…!何よコレ…!?」

 流石の霊夢も慌てて手を引き抜こうとするが藻掻けば藻掻くほどズブズブと飲み込まれていく。

 そのまま見た紫が素早く動き、霊夢の飲み込まれていない右肩を左手で掴む。

 接近戦を得意とせず、いつも家でのんびりと過ごしている彼女だがそこは妖怪である。

 見た目とは裏腹に物凄い力を持っている、だが…

 

「ちょっと!アンタちゃんと掴んでるの?なんかどんどん飲み込まれてるんだけど!」

 霊夢は少し焦った風にそう叫んだ。

 

 なんとか霊夢を引っ張り上げようとしているがそれとは関係なしに霊夢の体は段々と鏡に引き込まれている。

 さらには紫の靴底が地面をズルズルと擦っている音までもが聞こえ始めている。

 鏡は容赦なく霊夢の体を取り込んでゆき、ついには顔の半分が鏡の中に入ってしまっている。

  もう体半分までが鏡に取り込まれてしまった時、不意打ちを掛けるかのように突如飲み込むスピードが速くなった。

 霊夢は鏡に完全に飲み込まれ、紫はさっと手を素早く引っ込めた。

 

 鏡はそれで満足したのか霧のように消えていった。

 神社にはもう博麗の巫女は存在していない、いるのは八雲 紫ただ一人であった。

 彼女の顔はしばし呆然としていたが、やがてそれは笑みへと変わっていく。

「やれやれ…随分と面倒なことになったわね」

 まさかこの八雲 紫の目の前で博麗の巫女を連れ去っていくとは、大胆ここに極まれりである。

 目的やその意図は全く持って分からないがただ今分かることは一つ…。

 

 博麗の巫女が消えた幻想郷は時が経てば崩壊するという事だけである。

 

 

 

 

 

 その世界―もとい大陸――は「ハルケギニア」と呼ばれていた。

 トリステイン、ガリア、帝政ゲルマニア、ロマリア、そして浮遊大陸のアルビオンの五つで構成されている。

 かつて世界の全てを作ったという始祖ブリミルが3人の子供達に国を作らせたのが始まりだという。

 このハルケギニアではそうした伝説などが各地にちりばめられ、正に「ファンタジー」というジャンルを詰め込んだ様な大陸でもある。

 ここに住む人々の一部には「魔法」を扱える者達が存在し、彼らは『貴族』という存在として暮らしていた。

 魔法を使える者を貴族、そして使えぬ者は平民。そういう風に区別していた。

 

 そんな御伽世界の一角にあるトリステイン魔法学院。

 ここは後にトリステイン王国に忠誠を捧げるであろう貴族の子弟達が寮塔で暮らし、学んでいた。

 トリステイン魔法学院は大陸中にある魔法学院でも特に群を抜いて優秀な卒業生達を出している。

 特に魔法関係―――実技や座学――にはかなりの力を注いでいる。

 『メイジでなければ貴族であらず』…それをモットーとしている国である為、当然と言えば当然だが…。

 

 さてはて、その魔法学院の一角では今正に大事な使い魔召喚の儀が行われている最中であった。

 生徒達は得意げに呪文を唱え、墓場に骨を埋めるまで傍にいてくれるであろうモノ達を次々に呼び出していく。

 

 

 

 儀式は順調に成功すすみ、遂に最後の一人となった。

 桃色の髪が特徴なルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが前に出ると周りにいた生徒達が笑い始めた。

「おいおい!皆下がってろ、大爆発が起きるぞ!?」

「ゼロのルイズ、せめてネズミくらいは召喚しろよ!」

 

 彼女、ルイズは魔法が出来ない

 いや、正確には爆発しか起こせないの方が正しい。

 初歩的な攻撃と補助呪文や練金はおろか、基本中の基本であるレビテーションすら爆発魔法になってしまうのである。

 故に今回のサモン・サーヴァントも失敗するだろうと多くの生徒は思っていた。

 

 

 皆がはやし立てる中、ルイズはコホン、と咳払いすると杖を上に上げ、呪文を唱えた。

「五つの力を司るペンタゴン…我の運命に従いし、使い魔を召喚せよ!」

 唱え終わり杖を思いっきり振ると、今までに起こした爆発など比ではない程の爆発が起こった。

 

 爆発で生まれた煙がしばらく辺りを覆い、全員が目を開けられない状態であった。

 しばらくして煙が薄くなり、ルイズは自分が何を召喚したのか目をこらしてみた。

 

 ルイズが召喚したのは平民?の少女であった。

 紅白の服は見たことがないデザインで本来あるはずの袖が無く。

 頭に大きな赤いリボンを付けている。

 

 顔立ちはハルケギニアに住む者達のものではなく、この学院でメイドをしている一人の平民と少し似ていた。

 髪が黒い所もそっくりである。

 そして肌は誰よりも白く、新品の石けんのようだ。

 仰向けに寝そべっていて試しに杖で2、3回つついてみたが反応がない。

 息をしているからおそらく気絶だろう。

                                        

 とりあえずどうしようかと悩んでいると煙は緩くて涼しい風に煽られ何処(イズコ)へと飛んでいった。

 そして他の生徒達はルイズの召喚した平民?を見てドッと笑い始めた。

 

 

 

 ――見てみろよ?あの服袖がないぞ!

 ―――よっぽど貧乏な平民なんだな

 ――――どんだけ貧乏なんだよ!

 

 

 

 皆が堪えずに笑い、罵っていると気絶していた平民?が目を開けてガバッと起きあがった。

「あ、アアアンタ誰よ!?」

 いきなり起きあがってびっくりしたルイズはどもりながらも聞いてみた。

 平民はルイズの声に気づき、顔を向けた。

「…?………!?あ、アンタこそ誰よ!」

 鬼気迫る顔で叫んだ平民にルイズは驚きながらも貴族として威厳を振る舞いこう言った。

「へ…平民のくせに失礼ね!私は使い魔としてあなたを召喚しただけよ」

 平民は『使い魔』という言葉を聞いて少々顔に苛立ちの色を作ると素早く立ち上がった。

 

 身長は丁度ルイズの頭が彼女の胸に当たるほどの大きさであった。

 ルイズが平民を見上げていると突然平民の体がフワッと浮き、そのまま上昇して空中で停止した。

 その光景を見た生徒達はオオッ!と驚愕の声を上げた。

 彼らは今まで平民だと思っていた少女がメイジ(正確には能力だが)だったからである。

 

 

「め…メイジだったのあなた!?」

 一番驚いているルイズは平民を指さしながら叫んだ。

 平民は なによそれ? みたいな顔をした。

「いっとくけど私は魔法使いでも魔女でもないわよ」

 ルイズはその言葉に ハァ? と顔をしかめた。

「じゃあアンタ一体何なのよ?というか…」

 降りてきなさい!とルイズは言おうとしたが平民は一呼吸置くとこう言った。

 

「私は博麗霊夢、夢と伝統を保守する巫女よ。」

 平民、霊夢はそう言うと一拍おいて喋り始めた。

 

「んで、ここはどこよ?結界もないし…別の世界…?」

「けっかい…?何だか良く分からないけど、…とりあえずここはハルケギニアのトリステイン魔法学院よ」

 霊夢は怪訝な表情を浮かべながら「ハルケギニア…トリステイン?」と呟いて顔をルイズの方に向けた

「なんかいまいち良く分からない所ね…ここに溢れてる魔力もなんか変だし」

 霊夢は腕を組んでう~ん、と頭を捻った。

 

 

 とりあえずルイズは使い魔として霊夢を召喚したという事を彼女に軽く説明した。

「つまり私は使い魔としてここに召喚されたってわけ?」

 ルイズがそれを聞いて首を縦に振った。

 彼女は人を召喚した自分を不甲斐なく思いながらも一刻も早く霊夢と契約したい気持ちだった。

 平民だと思った少女が実は何の独唱も無しに空を飛んだのだ、契約しても損はない。

 

 これがもし霊夢ではなく普通の魔法使いや病弱魔女、7色の人形遣いなどの魔法に詳しい者達ならある程度の興味は示していたと思うだろう。

 幻想郷でも外の世界でもない、全く別の異世界の者に召喚で呼び出されるなど、彼女たちにとっては良い研究対象になるかもしれない。

 

 しかし、霊夢は違った。

 彼女、博麗霊夢は幻想郷の外には迂闊に出られないのだ。

 その理由は、彼女が張った外の世界と幻想郷の出入り口を封鎖している結界が崩壊するからである。

 結界が崩壊すれば外の世界から多くの人間達や幻想郷の妖怪達などが出たり入ったりすることになるのだ。

 故に少女は一刻も早く帰らなければ行けない、だから…

「悪いけど、使い魔になる気は無いわ。これでも色々と忙しいから」

 あっさりと、少女は言い切った。

 

 

 それを聞いたルイズが「でも…!」と言うと彼女の肩に教師であるミスタ・コルベールの手が置かれ、一拍おいてコルベールが霊夢に話しかけた。

「ハクレイレイム…といったかな?この儀式は大変神聖なものでやり直すわけにもいかないのだよ」

「冗談じゃない、そもそも私は人間よ?短い人生は有意義に、自由に……あれ?」

「確かに人間を召喚した前例はないが…………ん?」

 霊夢がルイズを不思議そうな目でルイズを見てるのでコルベールも振り向いた瞬間

 独唱を終えたルイズが霊夢目掛けて杖を思いっきり振った。

 

 

 すると空中にいる霊夢の1メートル横で大爆発が起こったのだ。

 「な……!?」

 何もない空間で爆発が起こり驚愕した霊夢は爆発を起こした張本人のルイズを睨む。

(なんとか帰る方法を安全に聞き出そうと思ったけど…あっちがその気なら)

 

 実際ルイズはレビテーションを唱えて無理矢理霊夢を地面に下ろし、素早く契約をしようと考えていたのだが案の定失敗。

 対して霊夢はこれを宣戦布告と受け取ったらしく、常に常備している符と針を手に取った。

 「ま、待ってくれ!双方落ち着い…」

 コルベールが止める暇も無く、霊夢はルイズの足下目掛けて針を投げた。

 

 

 投げた針は丁度ルイズの足下に刺さった。

 それを見た生徒達や他の使い魔達が怯え始めたのだ。

「お、おいなんだ!?あいつ針を物凄い早さで投げたぞ!」

「なんかやばいんじゃね!?」

 

(…?……ッ!は、針…!?まさか私目がけて…)

 数秒遅れてルイズは足下の針に驚き、数歩下がった。

 そして今まで空中に浮いていた霊夢はふわふわしながら地面に降りると針を構えた。

 

「単刀直入に言うわ、私を元いたところに送り返しなさい」

 これは「警告」だ…! そう感知し、危険と判断したコルベールはこれ以上の交渉は無理だと判断し、ルイズの前に立った。

「ミス・ヴァリエールは他の生徒達と一緒に避難を、あの子は私がなんとかする」

 その言葉を聞いたルイズは顔を二、三回振ると、杖を再び霊夢に向けて「ファイアー・ボール」の独唱をし始めた。

(また独唱…させるか!)

 それを見た霊夢は一気に距離を詰めるがルイズの詠唱が早かった。

 

 「……ファイアー・ボール!!」

 「くっ…!!」

 間に合わないと判断した霊夢は咄嗟に簡易の結界を張る。

 ルイズが杖を思いっきり振ると、先ほどとは比べものにならないレベルの爆発が起きた。

「ッ゙!!!?」

 予想外の爆発の前に簡易な結界は呆気なく破壊され、爆発の衝撃が霊夢を吹き飛ばし城壁に叩きつけた。

(やば……意識が………)

 夕食を食べていなかった所為か、壁に叩きつけられた彼女は空腹と痛みであっさりと意識を手放してしまった。

 

 爆発の煙と衝撃は庭全体に広がり、周りにいた生徒達もゴホゴホと咳をしている。

 「酷い爆発ね、ルイズは大丈夫かしら…ゴホゴホ!」

 ルイズと同級生である燃える炎の如き紅い髪の女子生徒は咳をしながら必死に目を瞑って呟いた。

 煙は物凄く濃く、目に入ったらそれこそしばらくは目が開けられなくなるくらいである。

 

 

 やがて煙が晴れ、そこにいたのは左部分の頭髪がドリフ爆発後ヘアーになったコルベールと服がボロボロになってしまったルイズ

 そして彼女が召喚した少女はというと壁にもたれ掛かって気絶していた。

 



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第二話

 ここは何処だろうか?真っ暗だ…

 何にもわからないし、考えたくても頭が痛い。

 確かなんだっけ?使い魔がなんたら神聖な儀式がこうだらで呼ばれて…

 

 とりあえず一刻も早く幻想郷に帰らないと焦って…なんか一人で暴れてた様な気がするわね。

 でも苦労して手に入れたお茶も飲みたいし、なにより私がいなくなった代わりにあの八雲紫が頑張っているだろう。

 急いで帰らないと何を要求されるかわからない。

 良くて酒宴、悪くて家の食べ物だ…

 今家にはあまり食べ物がない、これ以上減らされたらお茶と水で生活しなければならない。

 

 あぁでも、ここは何処だろう。

 せめて光があればわかるのに。

 

 

 

「うくっ……ひくっ……………ひくっ……」

 

 ふと、何処からかすすり泣く声が聞こえてきて、前から光がさした。

 私…博麗霊夢がこのハルケギニアで心を落ち着かせて見たものは、顔を埋めて寝ているボロボロの服を着た桃色の髪の女の子だった。

 

 

 

 

 数時間前…

「五つの力を司るペンタゴン、この者に祝福を与え…我の使い魔となせ」

 あの後、ルイズは自身が召喚した気絶した少女に口づけをした後、少女の左手にルーンが刻まれて儀式は終了した。

 これを静かに見届けていたコルベールはルイズを哀れんだ。

 

 彼女は呪文はおろか練金も出来ない生徒であった。しかもあの名門ヴァリエール家の娘である、そこから来る精神的負担は多いだろう。

 出来るかわからなかったサモン・サーヴァントで出てきたのは少女、しかもはっきりと契約を断っていた。

 

 本当なら召喚が出来たなら契約をしなくても二年生に進級出来るのだが彼女はそれを断り、あの少女と契約した。

 おそらく汚れている家名をさらに汚くしたくなかったのだろう…

 あぁ始祖ブリミルよ、何故彼女はこうも報われないのか、彼女が何をした?

 

 

 

 とりあえず後ろにいる生徒達が興味深そうに見ていたため私は彼らの方に向き直り解散の合図を告げた。

「さぁ皆さん!儀式が終わりましたので寮に戻りますよ!」

 私がそういうと生徒達は『フライ』を唱え、寮の方へと戻っていった。

 皆が行き去ったのを確認すると未だに気絶した少女の傍らで顔を埋めて泣いているルイズの傍へと向かった。

 おそらく自分が召喚した少女が詠唱も無しに空を飛んだうえ、契約を断られたのが原因であろう。

 

 先ほど彼女が行った契約は召喚した者の合意無しで契約したのだ、余程それがこたえたのだろう。

(しかし見たこともないルーンが刻まれているな…後で調べてみよう)

 私は少女の左手に刻まれて見たこともないルーンを素早くメモ帳にスケッチするとメモをしまった。

 その後私はミス・ヴァリエールに声を掛けようと思ったが、後ろの方にいる生徒達に呼ばれたので私はその場を後にした。

 

 

 

 その数時間後、起きあがった霊夢は泣き疲れて寝てしまったルイズを見ることになる。

「寝てるのかしら…?」

 

 

 やがて日が沈んだ広場には寝ているルイズと先ほど起きあがったばかりの霊夢だけがいた。

(あんまり記憶にないけど、なんかこの子に悪いことしたかも…?)

 霊夢はいきなり辺鄙なところに使い魔として呼び出されて混乱してしまい、早く幻想郷に戻りたいが故にあのような脅迫を行ってしまった事を思い出した。

(でもだからってあんな攻撃をしなくていいのに…アイテテ)

 霊夢は軋む体をパキポキ鳴らしながら空を仰ぎ見た。

 いつも見ていた星座は見えず、空には二つの月が煌々と輝いていた。

「なんか変な場所に呼び出されたわね、私…」

 月が二つある時点で彼女はここが幻想郷とは全く別の世界であることを確信した。

 とりあえずどうしようかと考えながら霊夢がグルグル歩き回っているとうっかり寝ているルイズの体を蹴ってしまった。

「…い、イッタイじゃないのぉぉぉ!………ってアレ?アンタ…」

 蹴られたショックで怒鳴りながら起きあがったルイズと霊夢の目線がピッタリと合った。

「あ、こんばんは………」

 とりあえず霊夢は挨拶をした後、ルイズの出方を待った。

 

 

「……よ、よ、よ、……良かったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 いきなり目から大粒の涙を出してルイズは霊夢に抱きついた。

「え、えぇ!?」

 いきなり抱きつかれて驚いた霊夢はとりあえず離そうするがなかなか離れようとしない。

 ルイズは泣きながらも霊夢にしっかりと抱きつきながら叫んだ。

「良かった良かったぁぁぁ!!死んだかと思ったけど生きていたのね!!」

 とりあえず霊夢は自分を勝手に死なせたルイズの頭に拳を叩きつけた。

 

 

「イッタ!!何するのよ!!!」

 頭を押さえながら転んだルイズは起きあがった物凄い剣幕で霊夢に怒鳴った。

「人を勝手に死なせたバツよ」

 霊夢はジト目でルイズの方を見た。

 

 

 霊夢はもう一度空を見上げると目を瞑り、この世界で結界の力を感じられるか調べてみたが反応はなかった。

(これはもう自分の力でなんとか帰らないといけわね…)

 結界の力を感じられればなんとか帰れるのだがそれがなければ自力で帰る方法を探すしかないのだ。

 霊夢は憂鬱になりながらも目を開けるともう一度ルイズの方を見てみた。ピンク色の髪と白い肌がなんとも似合っている。

「アンタの住んでる所は何処よ?そこまで送っていってあげるから」

 霊夢は左手をルイズの方に差し向け、顔を逸らした。

 ルイズは頭を左手で押さえて呻きながらも右手で霊夢の手をつかんだ瞬間、二人の体がフワッと宙に浮いた。

「うっ…うわぁっ!わ、私が飛んでる!?」

 ルイズは思わず手を離しそうになるが霊夢がその手を掴んだ。

 

 

「手を離さないで、離すと落ちるわよ」

 そのままふわふわと上昇し、ついには学院全体の光を眺められる高さにまで上昇した。

 綺麗ね、と霊夢は思ったがルイズは歯をガチガチ鳴らしながら必死に霊夢の手を掴んでいた。

「アンタの住んでるところを指さして」

「と、ととととととととりあえずあそそこに…」

 霊夢がそっけなく言った後、ルイズは震える指を女子学生寮の方に向けた。

 それを見た霊夢はルイズと一緒にふわふわとそこに降下していった。

 

 

 とりあえずルイズは自分の部屋の窓の所まで来ると鍵を閉め忘れた窓を開けて自分の部屋に流れ込んだ。

 足はガクガクしていて乱れた呼吸を直そうと深く息を吐いた。

 ルイズをここまで運んた霊夢は空中をふわふわと浮きながらルイズの事を見ていた。

 なんとか呼吸を整えたルイズは部屋に入らずふわふわと浮いている霊夢を入って良いと手招きした。

「部屋に入っても良いの?それじゃあ…」

 霊夢は窓からルイズの部屋に入ると部屋をグルリと見回した、部屋の作りは紅魔館とほとんど同じである。

 とりあえずルイズはこのボロボロの服を変えようとタンスを開けて替えの服を出した。

 ふと霊夢がいるという事に気が付いたルイズは隠れようともせず平然とボロボロの服を脱いだ。

 とりあえず霊夢は開けっ放しの窓から二つの月を見ることにした。

 

 あまりにも霊夢が珍しいものを見るような目で月を見ていたため素早く着替えを終えたルイズが声を掛けた。

「…そんなに月が珍しいの?……えーっと名前なんだっけ?」

「なんでこの世界は月が二つあるのよ…?……確か名前はなんてったっけ?」

 二人同時に名前を聞いてしまったためかなり複雑な空気になっていた。

「…………コホン、私の名前はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、ルイズで良いわ」

「………私の名前は博麗霊夢よ。というかこのトリステイン魔法学院ってどんな所なのよ?」

「あんた、この魔法学院を知らないの?」

 霊夢の言葉を聞いたルイズは目を丸くした。この魔法学院はあちこちに知れ渡ってるほど有名だからである。

「アンタの常識と私の常識を一緒にしないでよ…」

「まぁいいわ、この際説明しておくわ…ここはハルケギニア大陸にあるトリステイン国立魔法学院というところよ」

 その後ルイズは一気に説明し始めた。

 ここは貴族達が一人前のメイジになるための学校の様な所であり、貴族のほぼ全員がメイジだという。

「でもメイジってただの魔法使いのことでしょう?」

「魔法使いじゃないわ、メイジよ」

 どうやらこだわりがあるようだ、と霊夢は思った。

「というかアンタはどこから来たのよ?見たことも無い服装ね…それに黒い髪なんてここでは珍しいわよ?」

 この世界の説明を聞き終えた霊夢はルイズに分かり易く自分がいた世界の説明をし始めた。

 

 

 

 

「つまり、アンタはこの世界とは違う「ゲンソーキョー」っていう月が一つしかない別の世界から来たって言うの?」

 あの後霊夢はルイズに自分が別の世界から来たという事を話し、ルイズはそれを信じられないという目つきで見ていた。

「あたしだって信じられないわよ、こんな異世界」

 霊夢は大きくため息を吐きいた。

 その後自分がいないとその世界が大変なことになるのを教えた後、ルイズに送り返して欲しいと言ったがルイズは無理と言った。

「別に良いじゃない。今日からあなたは私の使い魔としてここで生活することに……って痛っ!?」

 この日、ルイズは霊夢から二度目の鉄拳制裁を喰らった。

「最初に会ったときに言ったでしょ、あたしは使い魔になる気はないわよ。それにアンタにとってはどうでもいいけど私はそうもいかないの」

 霊夢はそう言って開けっ放しの窓から飛んでいこうとしたのでルイズが足を掴んで止めた。

 

 

「ちょっとぉ!何処に行く気よ!?」

「何って?今から帰る方法を探しに行くのよ」

「馬鹿言わないでよ!それにアンタの左手にルーンが刻まれてるでしょ?それが使い魔の証拠…―――」

「そんなの何処にも無いけど?」

「―――…え?嘘、なんで!?」

 ルイズは我が目を疑った。霊夢の左手に刻まれている筈のルーンが消えていたのだ。

 おそらく代々巨大な結界を張ってきた博麗の血がルーンの文字をいつの間にか消していたのであろう

 

「ルーンが無いから私はアンタの使い魔じゃないんでしょ?それじゃあねぇ~」

 霊夢は今度こそ飛んでいこうとするがさっきよりも凄い力で足を掴まれた。

「なによ、まだ何かあるの?」

 霊夢は呆れた目で鬼気迫る顔で霊夢の足を掴んでいるルイズに聞いてみた。

「じゃあひとつ聞くわよ、アンタはこの世界の文字を知ってるのかしら!?」

 ルイズの言葉に霊夢は今になって気づいた。

 この世界には知り合い(正確に言えば妖怪や亡霊だが)が一人もいないうえ、文字もわからない。

 それに食べ物だって何があるか分からないと思った時、霊夢のお腹がぐーっと鳴った。

 とりあえず霊夢は部屋の中にもう一度はいると後ろ手で窓を閉めた。

「…とりあえず話だけでも聞くから何か食べるものない?あと、出来たらお茶も」

 

 その後、二人は遅めの夕食と紅茶をたまたま部屋の外を通りかかったメイドに部屋まで持ってこさせて食べていた。

 ルイズはビーフシチューを食べながら霊夢に使い魔が何をするか教えていた。

「つまり、使い魔は主人の目となり耳となったりするって言ってるけど、なんか見える?」

 霊夢は体を別の方に向けてティーカップに入っている紅茶を飲みながらルイズに聞いてみた。

 ルイズは首を横に振ると説明を続けた。

「次に秘薬の材料を集める事……でもそれはいいわ…アンタ材料とかわからないでしょ?」

「そういうのは魔理沙が好んでやりそうね」

「マリサ?」

 ルイズは霊夢の口から出た聞いたことも無い名前(?)に首を傾げた後、使い魔として一番重要な事を話した。

「んで一番重要なのは主人を守る事と雑務……といってもアンタに出来そうなのは雑務くらいね」

 それを聞いた霊夢は一気に紅茶を飲みルイズの方に顔を向けた。

「………う~ん、今から言う私の約束を守ってくれればそれは聞いてあげるけど…」

 ルイズの話しを聞き終わった霊夢はティーカップを置くとルイズの目の前に指を三本出した。

 とりあえずルイズは首を縦に振った後、霊夢はルイズに三つの約束事を言った。

 

 一緒に元の世界に帰る方法を探すこと

 ちゃんとお茶と食事は摂らせて欲しいこと、後ちゃんとした寝床

 私の迎えが来るか元の世界に帰る方法を見つけたらすぐに帰らせて欲しいこと

 

 「この三つを守ってくれたらアンタの護衛や雑務くらいはしてあげるけど…どうかしら?」

 言い終わった霊夢はポットに入っている紅茶をティーカップに入れると味わいながら飲んでいる。

 ルイズはこれを聞いて頭の中で考えた。

 

 

 一つめはかなり難しいが二つめは認めよう。

 身長は私より少し大きいが女の子を床で寝かせたり貧しい食事を取らせる趣味はない。

 もしもただの平民の男だったら遠慮無く床で寝かせたり貧しい食事を取らせていたが…

 三つ目は…もし彼女がここからいなくなれば再び召喚が可能になる…かもしれない。

 二回目のサモン・サーヴァントを行う条件は使い魔や呼び出したものが死ぬ、または行方不明になることである。

 彼女はルーンがいつの間にか消えていたから使い魔ではないが私の召喚で呼ばれた為、二度目の召喚は出来ない。

 もし彼女が元の世界へ帰ってくれれば、私ルイズ・フランソワーズは二回目のサモン・サーヴァントが正式に出来るという事になる。

 

 

「わかったわ。その約束、ヴァリエールの名にかけて守ることを誓うわ」

 そのとき霊夢の左手が薄く光っているのに二人は気づかなかった。

 



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第三話

「ふぅむ…つまり君はミス・ヴァリエールが召喚したのは伝説の『ガンダールヴ』だと言いたいのかな?」

 双月が濃くなり始める時間に学院長のオールド・オスマンはコルベールとある話し合いをしていた。

「はい。何回も何回も調べ直しましたが、あれは間違いなくガンダールヴのルーンです!」

 興奮したコルベールがつまりそうな早口で言った。

 『ガンダールヴ』とは…伝説の系統である『虚無』の使い魔で、ありとあらゆる兵器や武器を使いこなせるという。

 コルベールや長寿のオールド・オスマンでさえ見たこともない伝説の使い魔が召喚されたのだ。

 探求心豊富なコルベールが興奮するのは仕方がない。

「まぁまぁ落ち着きたまえミスタ・コルベール。興奮するのは仕方がないがちと声が大きすぎるぞ?」

 オールド・オスマンは人差し指で口を押さえてコルベールに静かにするように合図をした。

 

 

「とりあえずしばらくは様子見じゃ。どこに耳や目があるかわかんからのう…」

 そう言うとコルベールはハイ、と返事をし。軽く頭を下げて退室した。

 彼が退室した後、オールドオスマンは口にくわえていたパイプを机の引き出しの中に入れると右手を地面に置き、足下にいたハツカネズミを手の上に乗せた。

「ふぅむ、今日はこんな時間にまで起きておいて良かったのかも知れんのぉ」

 そういってオスマンはハツカネズミを机の上に置くと軽く頭を撫でた。

「モートソグニル、今夜はどうじゃったか?……ふむ、今日のミス・ロングビルは白だったか…いやはや、見るのをすっかり忘れるところじゃったわい」

 そう言ってオスマンは仕事をこなしてきた自らの使い魔にナッツを五つ食べさせた後、寝巻きに着替えて寝ることにした。

 

 

 

 夕食を食べ終えたルイズはネグリジェに着替え、霊夢には予備に持ってきていた少々大きめのパジャマを貸してあげた。

 一緒にベッドに寝るかとルイズは聞いてヒラヒラが多く付いたパジャマを着終わった霊夢はそれに甘えることにした。

「寝床なら明後日くらいにはなんとかするわ。それじゃあ先におやすみ…」

 そういってルイズはベッドにダイブして目を瞑ろうと思ったがふと目を開けて椅子に座って紅茶を飲んでいる霊夢の方に顔を向けた。

「そういえばアンタは使い魔って呼ばれるのがいやなのでしょう?だったらなんて呼べばいいの?」

 それを聞いた霊夢はティーカップを机に置くと少し頭をウンウン捻った後こういった。

「それじゃあ名前でお願いするわ」

 その言葉を聞いたルイズはわかったわ…。と言って目を瞑った後すぐに寝息が聞こえてきた。余程疲れ切っていたのであろう。

 その数分後に霊夢もポットの中に入っていた紅茶を全て飲み終えたので寝ることにした。

 

 

 

「……さい、ルイズ」

 安眠していたルイズは目の前から聞こえてきた声と手で体を揺すぶられる感覚で目を開けた。

「いつまで寝てるのよ。もうすぐ朝食の時間でしょ?」

 その言葉遣いにルイズはエレオノール姉さんかと思ったがそれはルイズが召喚した少女、霊夢だった。

 既に紅白の袖無し服―――本人が言うには動きやすさを重視した為らしい――を身にまとっており、準場万端である。

「んぅ…?あれ、アンタ誰?」

「アンタの召喚の儀式とやらに巻き込まれて、こんな異世界にまで連れてこられた博麗霊夢よ?」

 ――忘れたの?自分の顔を忘れている彼女に不満そうな表情を浮かべる霊夢を見て、ルイズもようやく思い出す。

「あぁ、そぉだったわねぇ…。ふぁぁぁ…」

 ルイズはまだまだ寝たいという体に鞭打ち、大きなあくびをしてベッドから飛び降りた。

 目を擦ってベッドの横に置かれた椅子を見てみると椅子の上に綺麗に洗濯されて畳まれた制服が置いてあった。

 恐らく霊夢が朝イチにやってくれたのだろう。その霊夢はというと鏡を見ながら頭につけてるリボンを整えている。

 ルイズは霊夢に自分の服を着せようと思ったが彼女は『使い魔』ではなく『霊夢』のため、自分で着ることにした。

 

 

 ルイズの着替えが終わり、少しずれていたリボンを整え直した霊夢と一緒に部屋を出ると同時に隣の部屋のドアが開いた。

 その部屋の中から出てきたのは『微熱』の二つ名をもつキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーであった。

「あらおはようルイズ。夕食の時に食堂にはいなかったけどちゃんと夕食は食べたのかしら?」

 キュルケはルイズを小馬鹿にするような目で話しかけてきた。

「大丈夫よキュルケ、夕食は部屋で食べたから。」

 ルイズはキュルケの小馬鹿にするような目と言葉に耐えて返事をする。

 そのあとキュルケはそう、と興味無さそうに言ってから彼女の隣りにいた霊夢の方へと視線を向けた。

「へぇ~昨日は離れたところから見てたけど、こう間近で見てみると随分変わった服を着てるわねぇ~」

 興味深そうな目でこっちをジロジロと見てくるキュルケに対して、霊夢もまたジト目で見つめ返す。

 褐色肌に赤い髪など、少なくとも幻想郷では見た事の無い組み合わせであった。

 そのせいかついつい霊夢の目も、キュルケを物珍しそうに見つめてしまう。

「何よ?何か私の顔に付いてるの?」

「いやね、こんなかわいい顔なのになんか目が冷たいなーって思っただけよ。」

 だが、そんな霊夢の目もキュルケの遠慮の無い一言でサッと嫌悪感を露わにしてしまった。

 そりゃそうだ。誰だって初対面の相手にそんな事を言われれば、自ずと不快感を露わにするだろう。

 

 

「余計なお世話ね。初対面のアンタに色々言われる筋合いは無いわ」

 その言葉を聞いたキュルケは途端に腹を抱えて笑い出した。

 

「あははははは!『ゼロ』のルイズと無愛想な『使い魔』!なんかいけるわねこれ!ははは……ッウ!」

 しかし、人の神経を苛立たせるような彼女の軽やかな笑い声は、彼女の高い鼻を容赦なく押してきた人差し指によって止められた。

 キュルケの『使い魔』という言葉に反応した霊夢は人差し指でキュルケの鼻先をつついたのである。

「勘違いしないで、私はルイズの『使い魔』じゃない。あくまでルイズの部屋の『同居人』よ」

「……同居…人…。―――何それ?どういう事?」

 『同居人』という言葉にキュルケは顔を怪訝にすると彼女の後ろから火を吐くトカゲ、サラマンダーがヒョコッと出てきた。

 体の大きさは虎ほどもあるだろうか、尻尾の先に火が灯っていて口からチロチロと真っ赤な火炎を出している。

「うわ…っ!何よコイツ…」

 キュルケの鼻を指で押していた霊夢はその火蜥蜴を見て慌てて後ずさると、彼女の後ろにいたルイズがその火トカゲが使い魔だと理解した。

「そのサラマンダーってもしかして…アンタの呼び出した使い魔?」

 ルイズが欲しそうな目でそのサラマンダーを見ていた。

「そう、名前はフレイムよ。貴女の使い魔さんとは違って私のいう事を聞いてくれるお利口さんなのよ?…それじゃあ、私はそろそろ行くわねぇ~…」

 キュルケはフレイムの頭を2、3回撫でた後、ルイズと霊夢に手を振ってフレイムと一緒に食堂へと向かっていった。

 そんな彼女の背中に向けて霊夢が「だから使い魔じゃないって言ってるでしょうに!」と言い返す中、ルイズの小さな怒りが爆発する。

 

 

「モォッ!!何なのよキュルケのやつぅぅ!自慢してくれちゃって!!!」

 ルイズは先程のキュルケの態度を思い出して苛立ち、歯ぎしりしながら食堂へ向かっていた。

 一方の霊夢はと言うと、そんなルイズの様子を冷たい目で見つめながらついて行っている。

「あんなトカゲの何処がいいの?」

「召喚した使い魔はそのメイジの器量と強さを表してるのよ。いわばそのメイジのステータスってコトよ!」

 ルイズはさらに歯ぎしりを強くし、火花が出そうになるくらいにしている。実際には出ないだろうが。

 霊夢はそれを聞いてふわっと浮かび上がり、そのままぷかぷかとルイズの前まで顔を合わせてこう言った。

 

 

「ならアンタの方が強いじゃない」

「――――…へ?」

 突然そんな事を言ってきた霊夢に、ルイズは思わずその目を丸くしてしまう。

「私ならあんなドラゴンの出来損ないぐらい、左手一つで簡単に捻り倒せるわよ?」

 ルイズがその時見た霊夢の顔は、どこか無愛想漂うがその中に小さな微笑みも混じっていた。気のせいだと思うが。

 その後霊夢は浮くのをやめ地面に降りるとツカツカと食堂へ向かって歩き出し、ルイズは首を傾げながらその後を付いていった。

 

 

 

 

 

「さぁついたわ、ここがアルヴィーズの食堂よ」

 ルイズはそういって食堂の方を指さした。

 そこは正に大聖堂と言って良いほどの大きさで、大きな入り口を通って多数の生徒が中に入ってゆく。

 ルイズと同じ黒いマントを付けている生徒もいれば、茶色や紫色のマントを付けている生徒達もいる。

(まさかこれが全員魔法使い…メイジってコト?魔理沙やアリスはともかく、パチュリーが見たらどんな反応する事やら…)

 あまりの数の多さに霊夢が唖然としている中、そんな事を知らずにルイズは食堂についての説明を続けていく。

「ここには有名なシェフ達が働いているからいつもバランスと栄養が整っている食事が取れるの」

「へぇ…そ、そうなのね…っていうか…食堂にしてはでかすぎないかしらココ?」

 無い胸を反らして自慢しているルイズに相槌を打ちつつ、霊夢は食堂を見上げながら言った。

 

 

 太陽が後ろでサンサンと光っているため誰も言わなければ何処かの大聖堂と間違えてしまうくらいに立派である。

 ルイズは霊夢の言葉など無視してさらに説明を続けていた。

「………その外装にさることながら中もすごく、料理人は全て超一流よ!!!」

 食堂の入り口で熱弁をふるうルイズに視線を戻した霊夢を含めそれを聞いていた数人の生徒は拍手を送った。

 

「ねぇギーシュ、あれは何かしら?」

「おおかた、ゼロのルイズが自身の使い魔に熱弁を振るってんだろ?気にするなよ」

 

 食堂の内部は思ったより大きく、数百人の生徒達が椅子に座って雑談をしている。

 そして長いテーブルの上には純白のテーブルクロスがしかれ、その上には綺麗に彩られた料理が置かれている。

 ルイズは真ん中のテーブルに行き、椅子を自分で引くと座った。

 その後をついてきた霊夢はルイズの足下に置かれている野菜と鶏肉が均等に入ったスープと、湯気を立てているパンと空のティーカップがあることに気づいた。

「料理の方は結構良くしたけど…流石にテーブルの上では食べる事は許されないから床で食べてくれない?」

「まぁ別に良いわよ。元の世界でも椅子に座って食べるとかそんなのはあまり無かったから」

 霊夢は別段何も感じられない瞳でルイズの顔を一瞥してから床に座った。

 

『………大いなる始祖ブリミルと女王陛下よ、今朝もささやかな糧を我に与えたもうたことに感謝致します』

(食堂の中も結構凄いけど、食事の味も結構良いわねぇ…)

 霊夢は生徒達が呟く祈りをBGMにして朝食を摂っていた。

 生徒達の祈りが終わった後、奥からメイドが二、三人。ポットを持ってこちらへとやってきくるのが見えた。

 どうやら生徒達に紅茶入れているらしい、トクトクトク…という音が聞こえてくる。

 やがて一人のメイドがルイズの所にまでやってきて紅茶を入れると地面に座って朝食を食べている霊夢と目が合った。

 自分と同じ黒髪をボブカットにしており、顔にはそばかすができているものの顔立ちそのものはしっかり整っている。

 最初その黒髪のメイドは霊夢を見て不思議そうな顔をしたが、すぐに何かを思い出したのか彼女に向かって笑顔を振りまく。

「あ…おはようございます。あなたも紅茶が欲しいんですか?」

「うん、入れてくれる?」

 そう言って霊夢は空のティーカップをメイドに渡すとメイドは慣れた手つきで紅茶を入れ、紅茶が入ったティーカップを霊夢に渡した。

 紅茶は綺麗な色をしており、見ただけで満足してしまう。一口飲んでみたらこれがまた美味しい。

「ありがとう。あなたの入れた紅茶、とってもおいしいわ」

「そうですか、それはどうも…では私はこれで…」

 メイドは礼をするとルイズの隣にいる生徒のティーカップに、お茶を入れる作業を始めた。

 

 

 朝食が終わり、霊夢とルイズの二人ははとある広場へと来ていた。

 そこには二年生になったばかりの生徒達と使い魔がおり、今日は召喚した使い魔とコミュニケーションを取る日である。

「いつもなら午前の授業があるんだけどね、今日は使い魔との交流会があるから」

「ふーん…」

 霊夢は素っ気なく返事をすると紅茶を飲みながら辺りを見回した。

 周りは全て哺乳類や爬虫類、鳥類だらけで、その中には目玉の化け物やドラゴン等がいた。

(妖怪…?はたまた悪魔か何かかしら?なんかよくわからないのがいるわね。)

 自分やあの目玉と竜以外は蛇や蛙、フクロウといったよく見かける生物がいたがなぜか一匹だけ違和感のある生物が視界に入った。

「………モグラよね?」

 霊夢は自身の視線の先にある巨大なモグラを見て思わず呟いてしまった。

 それを聞いたルイズは霊夢の視線を追い、そのモグラを見た。

「え?ああ、あれはギーシュの使い魔よ。確か種類は…ジャイアントモールだったかしら?」

 ジャイアントモール…―――。アレに名前を付けた学者なり偉い人は、もう少し捻った名前を考えるべきじゃないだろうか?

 どうでもいい疑問が頭の中を一瞬過ってから、ふとルイズが口にした聞き慣れぬ人名に霊夢は首を傾げる。

「ギーシュ?誰よそれ」

「ほら、あのモグラの近くにいる派手な服装の」

 大きさが小熊くらいあるモグラの主人と思われるギーシュは薔薇の造花を片手に持ち、金髪ロールの女子生徒と話しをしていた。

 

 

「どうだいモンモランシー、僕の使い魔ヴェルダンデはなかなか可愛いだろう」

 ギーシュはヴェルダンデの頭を膝に乗せて頭を撫でながら言った。

「かわいいけど…今度からわたしと一緒にいるときは出さないでね」

 金髪ロールのモンモランシーは少し引いているような感じでギーシュに言った。

 当然である、あんなでかいモグラをかわいいとか言ってる人は普通の人が見れば相当引く。

 愛嬌はあるが体の大きさがそれをはね除けていた。普通のモグラサイズだったら万人受けしていただろう。

 

 

 それからしばらくの間、幻想郷が今どうなっているのか…台所の戸棚に隠してある茶葉が紫に見つかってないか。

 恐らく周りにいる人間の中で最も大きい悩みと小さい悩みを同時に抱えている霊夢が、ルイズと一緒に紅茶を飲んで空を眺めていた時であった。

 なにやらギーシュという名の生徒がいる方から、二人の少女の黄色い騒ぎ声が聞こえてきたのは。

「ギーシュ様、はっきりしてくださいよ!!どうして嘘などつくのですか!」

「待ってくれよ、君たちの名誉のために…」

「そんなのはどうでも良いのよ!今大事なのは一年生に手を出していたのかしていないかの事よ!!」

 

 振り返ってみるとギーシュはモンモランシーと茶色のマントを着た女の子に何か言い詰められている。

「君たちは勘違いしてるよケティ…それにモンモランシー。薔薇は女の子を泣かせないからね」

「ギーシュ様!それ答えになってません!」

(面白いやつねぇ、自分を薔薇と思ってるのかしら…―――…ん?)

 他人事ではあるが流石の霊夢もギーシュの言葉に半ば呆れていると、ふと彼の背中から手紙の束が落ちるのが見えた。

 おおよそ十通ほどの封筒を紐で一括りにしたそれは、いかにも大事そうな雰囲気を放っている。

「……あれ?何かしら…手紙?」

 最初に気付いた霊夢を含め、ルイズや比較的ギーシュの近くにいた生徒達もそれら気づき始める。

 どうやら彼の前にいる二人はともかく、落とした本人も手紙の事には気が付いていないらしい。

 ここは声を掛けるか手紙を拾ってやるべきなのだろうか、それとも大人しく黙っておいて関わらない様にするべきなのか…。

 二つの選択肢を迫られた者達の大半は、敢えて空気を読んで後者を選ぼうとしていた。

 

 しかし、ここに来て博麗霊夢自身の好奇心が彼女の腰を上げさせる。

 単純に紅茶だけ飲んでて、空をボーっと見つめているだけで退屈だったという理由もあるだろう。

 ギーシュの足元に転がっている手紙の束を見つめながら席を立った彼女を見て、慌てて止めようとした。

「ちょ…!アンタ何を…!」

 言うが遅いか、制止するよりも先にギーシュの許へと歩き出した彼女の足を止めることは出来ず、

 スタスタと軽い足取りでギーシュたちの近くまで来た霊夢は、何の躊躇も無く手紙の束を拾い上げるとギーシュの背中に声を掛けた。

 

「ちょっとアンタ、落し物よ?」

「…えっ…うわっ!?…た、確か君は昨日ルイズが召喚した…」

 すぐ後ろから見慣れぬ少女に声を掛けられては、流石のギーシュも驚かざるを得ない。

 軽く身を竦ませた後、奇妙な紅白服と黒髪を見て少女がルイズと契約した使い魔だと思い出す事が出来た。

 モンモランシーとケティも一瞬怒るのを忘れて、自分たちの近くにまでやってきた得体の知れない少女に何か用かと言いたそうな顔をしている。

「え~と…コホン。すまないが何の用かね?悪いが、今僕は二人のレディの間に生まれた誤解を解こうとしていて…」

「そんな事はどうだっていいのよ。…それよりコレ、アンタの背中から落ちてきたけど、何て書いてあるのよ?」

 ギーシュの言葉を途中で遮り、手に持った手紙の束を目の前に突き出した瞬間、彼の顔色がサッと真っ青に変化した。

 まるで頭から青いペンキを被ったかのような変色っぷりに気付いたモンモランシーが、すかさず霊夢の手から手紙の束を奪い取る。

 ひったくるかのような取り方に霊夢は一瞬ムスッとした表情を浮かべるも、そんな事お構いなしにモンモランシーは手紙を纏めている紐を解いていく。

 

「あ…!ちょ…モンモランシー…!その手紙は違うんだ、その……――――…!?」

 時すでに遅し、とは正に今の様な状況で使うべき言葉であろうか。

 慌てて弁明しようとしたギーシュは、紐を解き終えて宛名を確認したモンモランシーの顔を見て、言葉が止まってしまう。

 自分とケティ、それに他の女の子の宛名が書かれた封筒を両手の握力で潰しながら、青筋が浮かび上がる顔に満面の笑みを作っていた。

「…ギーシュぅ?この手紙全てに一年や二年なんかの女子生徒の名前が書いてるんだけどこれってイッタイどういう事かしらぁ?」

 モンモランシーの口から出たその言葉で隣にいたケティも涙目となり、キッと手紙を落としたギーシュを睨み付けた。

「そ、そんなまさか…酷いですギーシュ様!!二股では飽きたらず十股していたなんて…!」

「え――――あ、あのぉ…だからこれは…」

 もはや言い逃れはできず、待つのは二人の乙女からの容赦なき制裁。

 周りにいた男子生徒たちはひっそりと後ろに下がり、女子生徒たちはこれから起こる浮気者への制裁に色めき立つ。

 

「このウソツキ、!!」

「乙女の敵!!!」

 ギーシュが咄嗟に腕でガードする前に二人の平手打ちが炸裂し、無残にも彼は地に伏した。

 

 二人の少女が怒りながら広場から姿を消すと他の生徒達がドッと爆笑した。

「ギーシュ!おまえ見事に振られちまったな!?」

 太った少年がギーシュに向かって言うとギーシュは立ち上がり服に付いたホコリを払うと一回転した。

「は……ははは………僕にとってはもう慣れっこさ!」

 このギーシュという男、たいそうな女たらしであった。ちなみに過去の最高記録は十五股である。

 

 それを遠くから見ていたルイズは、ギーシュ・ド・グラモンの相変わらずな性格に溜め息をついてしまう。

 一年生の時から彼はこうであった。入学する前からモンモランシーと付き合っているにも関わらず、何度も浮気をしているのだ。

 おかげでモンモランシーからは二十もの別れを告げられているが、気付いた時にはまたよりを戻し…そして浮気と別れ…を繰り返している。

 周りの生徒たちにとっては見慣れた光景であるが、多分今回も気づいた時にはモンモランシーと仲直りしているのだろうなぁ…とルイズは思っていた。

「全く…相変わらず懲りないんだから。―――って、そうじゃなかった…レイム!」

 毎度毎度なギーシュの浮気発覚に呆れていたルイズは、慌てて席を立って霊夢の元へ走り出す。

 興味本位で拾った手紙をモンモランシー達に渡した彼女を連れて、一刻も速くこの広場から逃げ出すために。

 

(いやはや、モグラ撫でてる時点で面白い奴だとは思ってたけど…それ以上にスゴイやつねぇ)

 一方の霊夢は、そんなルイズの気持ちなど知らず盛大に引っ叩かれながらもジョークを言えるギーシュに呆れていた。

 本人は平気な風を装っているのだろうが、傍から見れば滑稽以外の何者でもない。

 二股どころか十股もした挙句に女の子に一方的にやられて、その上すぐに謝りにいかず自分の面子を優先する有様。

 よっぽどのナルシストでなければ、この状況で前向きになろうなんて思えないはずである。

「まぁどっちにしろ、私には関係の無いことだけど…ん?」

「レイム!アンタもぉ…何やってるのよ!?」

 

 そんな時であった、怒鳴り声を上げて後ろからやってきたルイズに左手の袖を掴まれたのは。

 何かと思って振り返ってみると、その顔にほんの少しの怒りと焦燥感を混ぜたルイズがいたのである。

「どうしたのよ?そんなに慌てて…」

「慌てるも何も…!アンタこそなにしでかしちゃってんのよ…!?」

「何って…あぁ~、確かに何か不味いことしちゃったのかしら」

 彼女の言葉にふと周囲を見回してみると、生徒やケーキの配膳をしていたメイドたちがジッと自分を凝視しているのに気が付いた。

 貴族も平民も皆唖然とした表情で霊夢を見つめており、そしてルイズも含めてこれから起こる事を皆何となく察知している。

 周りの空気を流石に読み取ったのか、霊夢は気まずそうに頬を人差し指で掻きながら「どうする?」と何となくルイズへ聞いてみた。

「どうするもこうするも…とりあえずここは離れて―――」

「待ちなよルイズ―――…そして使い魔君」

 言い切る前に、二人へ背中を向けていたギーシュがこの場を去ろうとした二人へ声を掛けた。

 それはまるで閉めようとしたドアを足で止められた時の様な、嫌な予感を感じさせる制止の呼びかけ。

 思わず足を止めてしまったルイズと何となく今の自分がマズイ立場にいると理解した霊夢がギーシュの方へと視線を向ける。

 二人が動きを止めたのが背中で分かったのか、クルリと彼女たちの方へ振り向いたギーシュは手に持っている薔薇の造花を霊夢へと突きつけた。

 

「全く、君はこの僕にとんでも仕打ちをしてくれたものだね…二人の乙女を泣かせた上にこの僕に恥をかかせるとは…」

「使い魔って私の事?言っとくけど私はコイツの使い魔になった覚えはないし、アンタの言う仕打ちとやらも覚えがないわ」

「ちょっ…!アンタ、そんな事皆の前で言わないでよ!!」

 先ほど軽口を飛ばしていたとは思えぬ雰囲気を出すギーシュに、霊夢はルイズを指さしながら軽い感じで言葉を返す。

 彼女の言葉にルイズが反論するのを余所に、ギーシュもまた覚えが無いと言い張る巫女にやれやれと肩をすくめて見せた。

 

 

 「即刻僕に謝りたまえ。」

 いきなり大声で叫んだギーシュに霊夢は少し驚きながらも答えた。

 「貴族だかなんだか知らないけど私は誰にでも公平に……ってイタ!」

 喋っている最中にいつの間にか彼女の後ろにいたルイズに頭を叩かれ、霊夢は頭を押さえた。

 「あんた何してんのよ!?さっさと謝りなさい!」

 「貴族がなによ?あいつも魔法を使わないとただの人間でしょ?それに二股してた方が悪いし。」

 霊夢はこの世界で貴族が上級特権をもっているとも知らずギーシュを馬鹿にするような目で見ている。

 「…………どうやら魔法の才能が無い『ゼロ』のルイズに召喚された君は、貴族に対する接待の仕方を知らないようだ。」

 ギーシュがそんなことを言った直後、霊夢の左手が闇夜でしか認識できないくらいの薄さで光った後、霊夢が目を鋭くしてギーシュにこういった。

 「…………お生憎様、私はあんたみたいな『孤立無援な女の敵』に持ち合わせる態度はないわ。」

 

 

 

 

 「!?………君に決闘を申し込む!」

 完璧に吹っ切れたギーシュは高らかに宣言した。

 「別にいいわよ。ティータイムの後には丁度良いわ。」

 「ヴェストリの広場で待っているよ!」

 ギーシュはそう言うとマントを翻し颯爽と去っていった。

 その後霊夢はハッとするとふと左手の甲を見ようとしたがルイズが後ろから激しく肩を揺すった。

 「あんたなんて事したのよ!?貴族に決闘を申し込まれるなんて…!」

 「わわわわわ……あんた馬鹿にされてたのによく怒らないわね…というか目がまわるぅ~…」

 「あんたもしかして私のために……あんなのいいのよ!貴族はあんなことで怒るなってお母様に言われたのよ!」

 必死な顔で霊夢をみているルイズは尚も肩を揺する。

 とりあえず霊夢はルイズの手を肩から外すと、太っている少年に声を掛けた。

 「はぁはぁ………ねぇ、ヴェストリ広場って何処かしら?」

 「こっちだ、着いてこい。」

 ルイズはほほえんでいる太った少年、マリコルヌに着いていこうとした霊夢の手を引っ張った。

 霊夢が苛立ってルイズの方に顔を向けた。ルイズの顔にはうっすらと恐怖の色がにじみ出ていた。

 「ねぇ、お願いだからやめて!グラモン家を怒らせたらただじゃすまないわよ!?下手に勝ってしまったら何をされるか…」

 

 

 

 霊夢は静かにルイズの手を振り払い少し先にいるマリコルヌの後を着いていった。

 「もう………バカァ!!」

 



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第四話

 「失礼しますオールドオスマン、大変なことが起こりました。」

 オスマンがパイプを吸っているとドアをノックして秘書のミス・ロングビルが入ってきた。

 「何なんじゃミス・ロングビル。その大変なこととは?」

 「決闘です。」

 その言葉を聞いたオールド・オスマンは口にくわえていたパイプを口から出し、大きくため息を吐いた。

 「ふぅむ、どうしてこう最近の若者は血気盛んなのかのぉ…?して一体誰が?」

 「はい、あのグラモン元帥の息子ギーシュ・ド・グラモンが……ミス・ヴァリエールの召喚した変わった服を着た少女に…。」

 「何?」

 【ミス・ヴァリエールの召喚した変わった服を着た少女】という言葉を聞いたオスマンは目を丸くした。

 「ヴェストリの広場で決闘が行われるようですがどうします?」

 「……わかった。とりあえずミス・ロングビルは広場の方に向かってくれ……それとここにミスタ・コルベールを呼んでくれんか。」

 

 ミス・ロングビルがこの部屋を出てから数分後に、ミスタ・コルベールがドアをノックせずに慌ただしく部屋に入ってきた。

 「オールド・オスマン。ミス・ロングビルから聞きましたが決闘とは本当ですか!?」

 そのまま口づけしてしまうような距離まで迫ったコルベールを両手で押しとどめながら持っていたパイプを机に置いた。

 「まぁまぁ落ち着けミスタ・コルベール。今から『遠見の鏡』で見るところじゃ。」

 そういってオールド・オスマンは小さい置き鏡を机に置くと杖を振った。

 その鏡に今のヴェストリの広場が映し出された。二年生が円を作り、ギーシュを囲んでいる。

 「しかし大丈夫ですかねぇ…」

 不意にコルベールが呟いたので。オスマンはコルベールの顔を見た。

 「君はあの子の事を言っているのか…?それともグラモン家の息子?」

 その言葉を聞いたコルベールは窓の外に目をやった後オスマンの方に顔を向けた。

 「あの少女が果たしてうまく加減してくれるか心配ですよ。」

 最初にあったとき、ルイズの足下目掛けて投げられた針を見てコルベールは「戦いに慣れている」と判断していた。

 そんな者と二年生の中ではなかなかの実力者であるが戦い慣れしていない生徒が戦うのだ。

 オールド・オスマンは不安がっているコルベールに顔を向け「大丈夫じゃ。」と言った。

 「心配には及ばんじゃろうて。……では早速あの少女が本物の『ガンダールヴ』なのかどうか見せて貰おうじゃないか。」

 オールド・オスマンはそう言い鏡の方に向き直った。

 

 

 「諸君、決闘だ!!!!」

 先にヴェストリの広場に着いていたギーシュは手を高らかに上げるとそう叫んだ。

 それにつられその場にいた二年生達は歓声を上げた。

 それから数秒後に上空から霊夢が降りてきてギーシュの目の前に立った。

 「随分とまぁ…。こんなに野次がいると決闘というよりまるで見せ物ね。」

 周りの異様な熱気に霊夢は嫌な目で辺りを見回す。

 

 

 

 「舞台は整った。皆の者、静粛に!」

 ギーシュが左手を高々に上げてそう言うと歓声を上げていた生徒達は一気に静まりかえった。

 彼は左手を下ろすと右手に持っている薔薇の造花を振った。

 するとどうだろう、地面から体が青銅で出来た一体の戦乙女、ワルキューレが現れた。

 

 

 

 「君が負けと言ったら僕の勝ち。逆に君が僕の手に持っている造花を取ったら君の勝ちだ。」

 霊夢は針を取り出して両手に持ち、ワルキューレとギーシュを見据えた。

 「ちなみに僕の二つ名は「青銅」、「青銅」のギーシュ・ド・グラモン。」

 大袈裟に右手を掲げながら名乗るギーシュに霊夢はつまらない物を見るかのような目で見つめていた。

 「僕はメイジであるが故肉弾戦には自身がない、だからこの青銅で出来たワルキューレを操り君と戦う…異議は無いかね?」

 「無いわよ。」

 「それは結構………そうだそうだ、勝者は敗者に一回だけどんな命令でも下せるというサービスも追加しておこうか。」

 ギーシュは薔薇の造花を持った右手を空高く掲げて――――

 

 「グラモン家の息子。ギーシュ・ド・グラモンの力を見せてあげよう!」

 振り下ろし、それを合図にワルキューレが霊夢目掛けて突撃した。

 

 

 (来る…!)

 ワルキューレは攻撃範囲に入ると右手で握り拳を作り、殴りかかるがそれに対し霊夢は地面から少し足を浮かせ――ホバリング移動というものである――で後ろに下がった。

 (力はあるけど攻撃パターンは単純ね。)

 隙が出来たワルキューレ目掛けて左手に持った針を全て投げた。

 針はワルキューレの胸と肩の部分に命中したがワルキューレは二、三歩後退っただけに終わった。

 霊夢はホバリング移動を止め着地すると今度は右手に針を持つ。

 

 

 

 

 周りの観衆が霊夢の素早い攻撃と無駄の無い回避動作に オオッ! とざわめく。

 「ん?なかなかやるようだね…。ならこちらは武器を出そう。」

 そういってギーシュはワルキューレを自分の所にまで下がらせると薔薇の造花を振り、地面から出した青銅の短槍をワルキューレに持たせて再び突撃をさせた。

 ワルキューレは素早い動作で突いてきたが霊夢はそれをジャンプして避けると右手に持った針をワルキューレの頭上から全て投げた。これは頭部に当たった。

 

 

 

 頭部に針を喰らったワルキューレは持っていた槍を手放して大きくよろめき、地面に片膝を下ろした。

 (よし、まずは一体!)

 霊夢はワルキューレの動きが止まるのを確認するとギーシュの方に体を向ける。

 ギーシュは新しく三体のワルキューレを生み出しており、三体とも手に青銅の大きな盾を両手に持っている。

 (周りを固める気ね…!なr…)

 瞬間、背中から物凄い衝撃と痛みが襲い、霊夢は地面に激突した。

 

 

 

 

 「どうやら君を見くびっていたようだ。少し本気でいかせて貰う。」

 ギーシュは薔薇の造花を霊夢に向けて言った。

 霊夢は地面に寝そべったまま背後を見てみると倒したはずのワルキューレが前進ハリネズミ状態で立っていた。

 (油断した…!相手はゴーレム=動く石像…つまりあれは一時的な停止か…!)

 なんとか痛みを堪え立ち上がった瞬間、ワルキューレが青銅の体とは思えない軽快な動きで飛びかかった。

 

 

 

 

 「今から本気…?……私はてっきり…今までのが本気だと思ってたんだけどっ……。」

 霊夢は痛みに堪えながらも皮肉たっぷりに言い返すと足を浮かせて距離を取って攻撃をかわし、針を再び両手に持ち一斉に投げた。今度の目標はワルキューレではなくギーシュである。

 針は数十本。ギーシュは針だらけのワルキューレを急いで自身の元に駆け寄らせ盾を持たせているワルキューレを前面に出し、持たせていた盾で防ぐ。

 ギーシュは反撃しようとしたが息づく暇もなく再び襲い掛かる針が数十本、盾でまた防がせる。

 3回目の針の弾幕は先ほどよりも広範囲で迫ってきたため。思わず全てのワルキューレを前面に出して防いだ。

 

 

 

 

 針が止み、ワルキューレを自分の側面に配置させた後にギーシュは気づいた。

 霊夢が自分の目の前からいなくなっていたことに。

 そして何が起こったのかわからなくうろたえているギャラリー達。

 

 

 

 「………一体何処に…「ギーシュ後ろだ!!」何?……っ!?」

 外野から聞こえたマリコルヌの声と同時に、ギーシュの背中に霊夢の飛び蹴りが炸裂した。

 吹き飛ばされたギーシュは地面とキスし、体中土まみれになりながらもなんとか立ち上がり口の中に入った土を ペッペッ と吐いた。

 (い、いつの間に…!)

 少なくとも彼にはあの少女が素早く自分の背後に移動できたとは思えなかった。

 蹴りを食らうまで全く気配がつかめなかったのだ。

 

 

 

 「さっき殴られたお返しよ。」

 霊夢は地面に降り立ちそう言い、頭に付けている大きな赤リボンの中から札を数十枚取り出して勢いよく投げた。

 投げられた札は一瞬にして空色の半透明状の薄い板になった後、扇状に広がった。目標はギーシュと周りのワルキューレである。

 「くぅっ!ワルキューレ!!」

 ギーシュは急いで全てのワルキューレ達に前面を固めさせるがここで驚くべき事がおこった。

 

 

 

 先ほどまで針に耐えていたワルキューレ達と青銅の盾は半透明状の薄い板にあっさりと粉砕されたのだ。

 

 

 

 誰もがその光景に驚く前に、ギーシュは咄嗟に身をかがめ。そのまま通り去った板はギーシュの後ろにある城壁と激突した。

 城壁は大爆発を上げて粉砕した。ルイズよりもすごい爆発である。

 (な、なんだよあれは…!あんな攻撃聞いてなi……痛っ!?)

 杖を持っている右手に鋭い痛みが走った。

 ふと上を見てみると自分の杖である薔薇の造花は目の前に立っている霊夢が右手に持っていた。

 

 

 

 「チェックメイト、と言ったところかしら。」

 

 

 

 

 ギーシュは顔を俯かせると「負けだ…。」と小さく呟いた。

 それを聞いた霊夢は小さく息を吐くと薔薇の造花を空高く放り上げた。

 放り上げた薔薇の造花は空中で四回転をし、ギーシュの座っている横の地面に突き刺さった。

 「確か勝者は敗者に一回だけ命令を下せるんだっけ?ならねぇ…。」

 霊夢は顔に少し笑みを浮かべて頭を捻った。

 「あぁ…。(あんなこと言うんじゃなかった。)」

 ギーシュはどんな事を言われるのか恐怖してガタガタと震えていた。

 そして霊夢はギーシュと目を合わせて命令を言った。

 

 

 

 「アンタが馬鹿にしたルイズと今まで付き合ってた女の子達に謝ってきなさい。」

 

 

 

 「…………は?それだけ?」

 あまりにも予想外な命令にギーシュは口をポカンと開けた。

 「それだけよ。なに?満足いかないの?なら顔面一発殴らせろっていう命令にするけど?」

 霊夢は悪魔の様な笑みを浮かべ握り拳を作る。

 「いえいえいえ!是非謝らせてください!いや本当におねがい!」

 ギーシュは首を横に振りながら大急ぎで広場を抜け出していった。

 

 

 

 その後霊夢はワルキューレに殴られたところを手でさすりながら広場を後にした。

 広場から少し離れた通路の柱の影で決闘を見ていたオールド・オスマンの秘書であるミス・ロングビルはその場から離れ明かりが灯っていない通路の奥へと消えていった。

 

 

 

 「ふぅむ…。」

 オールド・オスマンは杖を振り『遠見の鏡』をしまうと横にいるコルベールに顔を向けた。

 「ミスタ・コルベール。さきほどの少女が出したアレ…どう思う?わしには未知の魔法に思えたのだが。」

 「私もです。オールド・オスマン…しかし詠唱無しで出すとは…さらには瞬間移動まで…。」

 二人は先ほどの攻撃魔法に驚かされていた。

 杖はおろか詠唱無しであのような破壊力を持つ魔法を出した少女に。

 「のぉ…ミスタ・コルベール。わしはアレを失われし『虚無』の魔法と思うのだが?」

 「えっ!あの失われし系統の魔法…しかし唯一それについて書かれている本にはあのようなことなど…。」

 「『書を捨てよ、町に出よう』と言うことわざがある。字で知るより実際に見て知る方がいいのじゃ。」

 

 

 

 それを言ったオスマンは机で寝ているモートソグニルの体を静かに撫でながら心の中でぽつりと呟いた。

 

 

 

 (先ほどの瞬間移動…あの少女何者じゃ。そしてそれを召喚したミス・ヴァリエールも…)

 

 

 

 ふとコルベールの声がオスマンの耳に入った。

 

 

 

 「しかし、『ガンダールヴ』の特徴は見れなかったものの、もしあれが本当に『虚無』の魔法ならばミス・ヴァリエールは……早速王室にこのk」

 コルベールが言い終わる前にオスマンはコルベールの口を自らの手の甲で塞いで言った。

 「いや、それはよせ。今の王室の貴族どもは戦争をしたがっておる。そんなことを報告したら奴らはなにをしでかすか…。」

 と、そのとき部屋のドアからノックの音が聞こえてきた。

 

 

 

 そっとオスマンは手をどかすと机からパイプを取り出し口に入れた。

 「………この件はわしと君だけの秘密じゃ?いいな。」

 「は、はい。では失礼しますオールド・オスマン。」

 そういってコルベールは部屋を退室し、代わりにミス・ロングビルが入ってきた。

 「オールド・オスマン。先ほどの決闘で粉砕された城壁は如何いたします?」

 次にオスマンは修理代の事で頭を抱えることになった。

 

 

 

 

 「いやぁ~、それにしてもさっきの決闘はいいものを見れたわね。久々に興奮したわ。」

 そういってキュルケはドア付近からベッドで本を読んでいる青い髪の女子生徒の側に寄った。

 今キュルケがいる場所はタバサという同級生の部屋であちこちに本が積み重ねられており全て彼女が読破した物だ。

 たまにキュルケはこうして暇になればタバサの部屋に来て本を読んだりタバサとお話ししている。

 「さっきの瞬間移動。」

 タバサは微かに聞き取れる程度の声でそう言うと読んでいた本を閉じ窓の外を見ながら先ほどの光景を思い出していた。

 針を数十本投げた後突如彼女の姿が掻き消え、数秒後にはギーシュの背後から蹴りを食らわしていた。

 今まで様々な魔法を見てきたがあのような瞬間移動は生まれて初めて見た。

 部屋に帰ってきてからありとあらゆる魔法関連の書物を読みあさり。先、魔法について書かれている本も読んだが瞬間移動については書かれていなかった。

 「あぁ、あれは凄かったわね。あれであの紅白ちゃんがあの子の言うことを良く聞ける子だったらルイズも満足してたかしら?」

 「………紅白、ちゃん?」

 タバサは初めて聞いたその言葉に首を傾げた。

 

 

 

 「あぁ、さっき私が決めたのよ。良いあだ名でしょ?」

 「私にとってはナンセンス。」

 

 

 

 そういってタバサはベッドから降りるとドアの方へと歩いていく。

 

 

 

 「そろそろ夕食の時間。」

 「あぁそうだったわね。今日は何かしらね~♪」

 

 

 

 キュルケはスキップしながらタバサと共に食堂へと向かっていった。

 

 

 

 

 「なぁモンモランシー許してくれよ!もうこれからは君一筋で…ごふっ!!」

 「あんたみたいな女たらし信用できるわけ無いでしょ!?」

 「だからって鳩尾蹴りはないよモンモランシー…。」

 

 

 

 

 

 

 霊夢がルイズの部屋に帰ってきたのは夕食間近になってからであった。

 決闘の後霊夢は暇なので空中散歩をしていたという。

 一方のルイズは霊夢に手を振りほどかれてから部屋に戻って不貞寝していたらしく、数十分前位に起きたと言った。

 「……ギーシュが謝りに来たわ。」

 ベッドに座っているルイズは窓から二つの月を見ている霊夢に話しかけた。

 「なんて?」

 「「君に魔法の才能が無い「ゼロ」のルイズ…って言ってすまない。」って……。」

 「そう、良かったじゃない。」

 

 

 

 ルイズは一度顔を俯かせると顔を上げて霊夢にもう一度話しかけた。

 「あんた、どこか怪我してない?」

 「別に…何処も怪我してなんか無いけど。」

 霊夢は素っ気なく答えた。

 それを聞いたルイズはベッドから立ち上がり霊夢の傍によると袖首を引っ張った。

 「うわっ!何するのよ!?」

 「いいからちょっと背中見せなさい!」

 霊夢はルイズにされるがまま服とその下に付けていたサラシの背中部分を取られた。

 彼女の背中には大きくとも小さいとも言えない大きさの痣が出来ていた。それはワルキューレに殴られた時に出来た傷である。

 「全く…キュルケが言ってたのは本当だったのね…。」

 ルイズは大きくため息を吐くとタンスから小さい缶を取り出すと中から独特な香りのする薬を指ですくい、霊夢の背中に出来た痣にすりこんだ。

 

 

 

 背中に薬を塗られている霊夢は背中から急に発した痛みに目を瞑った。

 「いたっ!!なによこれ…。」

 「我慢しなさい、痣を早く直せる秘薬だから。その代わり凄く痛いけど…」

 「ならもうちょっとゆっくりしなさいよ…テテ。」

 霊夢は小さく唸りながらもルイズに秘薬を塗って貰った。

 

 

 

 

 

 

 

 「ハイ終わり……。でもあんた良く耐えたわね?大の大人でももうちょっと大きい声出すけど。」

 ルイズは薬がはいった缶をタンスに戻しながらベッドに座ってサラシを付け直している霊夢に聞いた。

 「これくらいの痛みなら……少しくらいは耐えれるわ……いてて。」

 「もう…大事な片割れに心配をさせてどうすんのよアンタ。」

 ルイズが頬をふくらませながらベッドに座っている霊夢の顔を見た。

 霊夢はジト目でルイズに言った。

 「……アンタは自分のこと馬鹿にされて痛くも痒くもなかったの?」

 それを聞いたルイズはムッとしたような顔をしてこう言った。

 

 

 

 「そりゃ確かに腹立たしかったけど…。あんなのもう慣れたわ。」

 ルイズはそう言うと椅子の背もたれに掛けておいたマントを手に取って背中に付けると指をパチンと鳴らして蝋燭を消し。

 ドアを開けて霊夢に顔を向けた。

 「そろそろ夕食の時間よ。というかアンタ歩ける?」

 霊夢は「大丈夫」と言うとそのままスクッと立ち上がり

 ドアを開けて外に出たルイズの後を付いていった。

 

 

 

 

 食堂へと行く途中。ふとルイズが霊夢に話しかけた。

 「アンタって…元いた世界で巫女をやってたんだっけ?」

 「そうだけど?」

 「その巫女さんの仕事って何だったの?」

 その質問に霊夢は頭を掻きながら答えた。

 「そうねぇ~、一日一日をのんびりと有意義に過ごして…なにか異変が起こったときはそれを解決しにいく事かしら。後結界を張る仕事ね。」

 「その異変とやらを解決する時はいつも一人で解決してたの?」

 

 

 

 「いや、いつも一人くらいはついてくる奴がいて。つい最近二人がかりでとある異変を解決した事もあったわ。」

 「へぇ…。」

 それで会話が終わると思ったがルイズが一呼吸置いて口を開いた。

 

 

 

 「あんた。なんであの時ギーシュに話しかけたの?」

 「あの時?あぁ、あいつが女の子二人に振られた時ね。」

 霊夢もルイズと同じく一呼吸置いてこう言った。

 「うーん…「厄介事に首を突っ込んでしまう性格」ってやつかしら?そういうものよ。」

 ルイズは小さくため息を吐いて呆れた風に言った。

 「あんたよくそれで長生きできるわね。」

 「こう見えても体力と素早さには自身があるわよ。」

 

 

 

 既に食堂の入り口は目の前であり二人は軽く笑いながらも中へと入っていった。

 



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第五話

 一週間後――

       虚無の曜日の朝。

 

 

 ほんの少し開けられた窓の外から小鳥の声が聞こえてくる。

 朝日が窓の側に設置されているベッドを照らし、そこで寝ている少女の自慢であるピンクブロンドを輝かせる。

 そして後一人、色々とワケがありこの部屋で一緒に暮らしている黒髪の少女は椅子に座り頭に付けた大きな赤いリボンを両手で弄くっていた。

 「うぅーん…これで良いか。」

 黒髪の少女――霊夢はリボンの上部を掴んでいた両手を離してそう言った。

 綺麗に整えられたソレを見て満足そうに頷くと『この世界』に自分を呼んだピンクブロンドの少女、ルイズの方を見る。

 相変わらずルイズは気持ちよさそうに寝ている、多分昨日飲み過ぎたワインが原因だろう。

 

 自分が起きるのはもう少し遅くても良かったかしら? と霊夢がそんな事を考えているとふとルイズが眠りながら何かブツブツと言っている。

 「う~ん、私のクックベリーパイがぁ…。」

 ルイズの頭の中で何が起こってる全然わからないがどうやら夢の中でパイを食べてるらしい。

 

 「見た目に反して案外大食いなのかしら。」

 

 

 とりあえずそろそろ起こしてあげようと思い霊夢はルイズの隣に立つと彼女の体を揺すった。

 

 

 

 「朝よ、起きなさい。」

 軽く揺するが起きない。こんどはさっきより大きく揺らす。まだ起きない。

 

 

 

 「さっさと起きなさいよ…。」

 今度は激しく揺すると、ルイズがもそもそと起きた。

 「うぅぅん、このかぜっぴきめぇ…。」

 ルイズは何かぶつぶつと寝言を言い、棚の上に置いている杖を手に取った。

 杖の先は窓の前に立っている霊夢である

 

 「ちょっと、あんた寝ぼけ…」

 「よくもこのあたしの服にクリームを…『ファイアー・ボー……」

 

 ルイズが呪文を唱えているのだと知った霊夢は僅か三秒でそれを阻止した。

 一秒目、霊夢は針を一本取り出すと杖目掛けて投げた。

 二秒目、針が刺さった杖はルイズの手を離れ、物凄い早さで壁に刺さった。

 三秒目、刺さった部分から亀裂が生まれ、ポキッと杖の先が二つに分かれた。

 その間、わずか三秒。

 

 「んぅ?……ああ、おはよう…。」

 杖を壊されたルイズはまるで何事もなかったかのように目を覚ますと霊夢に朝の挨拶をした。

 一方の霊夢はそんなルイズにただ呆れることしかできなかった。

 

 

 

 

 コルベールは学院の本塔と火の塔の間に建てられている掘っ立て小屋である箱をいじくっていた。

 

 

 

 「うむ、ふいごを踏んで点火すれば…。」

 

 

 

 そう言ってコルベールはしゅごっ しゅごっ とふいごを足で踏み。次に箱についている円筒の横に開いた小さな穴に、杖の先端を差し込んだ。

 そして呪文を唱えると、断続的な発火音が聞こえた。しかし、ただ発火音が聞こえるだけで何も起こらない。

 

 

 

 「………ふぅむ、まだだな。まだなにか足りないぞこれは。」

 そういってコルベールは小さな穴に差し込んでいた杖を抜くと窓の外を見た。

 既に日が顔を出しており、コルベールの視界を遮る。

 コルベールは研究家である。そして彼が行っているのは「魔法をもっと人の役に立たせる」研究である。

 水や土などは補助呪文が多く人の役に立っているが火や風はどちらかというと攻撃的な呪文が多い。

 そこでコルベールはそんな魔法をさらに人の役に立てようと頑張っているのだ。

 

 

 

 たとえば今彼が夢中になっている装置は火の呪文を使ったある種のカラクリである。

 小さい穴に杖を差し込み、発火させるとカラクリが作動し箱に付いた扉から小さいヘビが出てくるのである。(さっきは出てこなかったが…)

 さらにこれが発展すればいずれ風石が無くとも船は飛べ、馬がいなくとも馬車が走るだろうとコルベールは推測している。

 しかし、現実は非情である。

 

 

 

 今コルベールには研究費が不足している、研究費がなければ満足な研究が出来ないのだ。

 オールド・オスマンにも掛け合っているのだが金のことになるといつもドロンと何処かへ行ってしまう。

 「外の空気でも吸いに行くとするか…。」

 コルベールは一人呟くとドアを開けて外に出て行った。

 

 

 

 

 外に出たコルベールは大きく息を吸い込むとゆっくりと息を吐いた。

 「あぁ、朝日と空気が気持ちいい…。」

 研究に没頭していて、コルベールは昨日の夕食後から一度も寝ていないし、外にも出ていない。

 しかしこれも一度だけではない。もう彼には慣れっこであった。

 ふとコルベールは研究材料の残りが少なくなってきたことを思い出した。

 「さてと、そろそろ研究材料もなくなってきたし…朝食の後にあの森へ取りに行くとするか。」

 本来なら既に加工済みの物が欲しいが材料費を出してくれるオールド・オスマンは渋ってるいるし自費では少々きつい。

 

 

 

 (あれが完成したら次に作るのは金貨製造機かな…ハハハ。)

 コルベールは心の中で冗談をぼやくと外出の準備をしに自分の部屋へと向かった。

 

 

 

 ルイズは先が二つに分かれた杖をじっと見ながら霊夢と一緒に廊下を歩いていた。

 「まぁ仕方ないじゃない…。正当防衛というものよ。」

 「…これの何処が正当防衛よ!過剰防衛だわ!貴族にとって命と誇りの次に大事な杖を壊すなんて!」

 大声で霊夢に叫ぶと周りを歩いていた数人かの生徒達が視線を向けた。

 「いいじゃないのルイズ。どうせあなた魔法は全部失敗するんだし、杖が無くても同じじゃない?」

 ふと後ろから『微熱』のキュルケがそんな事を言いながらルイズの右肩に手を置いた。

 「同じじゃないわよ!!杖がなければ貴族じゃないわ!」

 

 ルイズは物凄い剣幕で怒鳴るとキュルケの手を振り払った。

 「うふふ、怒ると美容に悪いわよルイズ。じゃあね♪」

 その様子に薄い笑みを浮かべたキュルケはそう言うと手を振って使い魔のフレイムと共に食堂へと進んでいった。

 ルイズはその場で地団駄を踏むと後ろにいる霊夢に愚痴の一つでもこぼしてやろうと振り返ったがそこにあの紅白娘はいない。

 「なにしてんのよ?置いていくわよ。」

 前から声がしたので見てみると霊夢がいつの間にか自分の前方にいたのだ。

 ルイズはムッとしながらも先に進む霊夢に食堂に着いたら愚痴を思いっきりこぼしてやろうと思った。

 

 

 

 朝食の時ルイズが積もった愚痴を床で紅茶を飲んでいる相方にこぼしながらクックベリーパイを食べていた。

 愚痴を言うときはちゃんと口に入れている物を胃に流し込んでから言うのは流石貴族と言ったところだ。

 霊夢はそんな愚痴を素っ気なく答えながら左手の甲をボーッと見つめていた。

 あの時ギーシュとか言う奴に内心腹を立てたら、微かに左手が暖かくなった。

 そして次にあいつを挑発した。今になって思い返せば不思議である。

 

 

 今霊夢の左手の甲には何も刻まれていない。至って普通である。

 

 

 

 今日は虚無の曜日で授業が無く、生徒達の休日である。

 学院の近くにある森に探検と洒落込む男子生徒達がいれば、街へアクセサリーや秘薬の材料を買いに行く女子生徒達がいる。

 そんな中自室で本を静かに読んでいる青い髪の女子生徒がいた。

 彼女にとっての休日は読書に利用するのに限る。

 本は良い。様々なことを文字で教えてくれる。

 

 タバサはずれた眼鏡を指で元の位置に戻すと読み終わったページを捲りあたらしいページを読む。これの繰り返しである。

 やがて読み始めた本が終盤になりかけた頃、誰かがノックもせずに入ってきた。

 チラッとだけ見て、相手がキュルケだと分かるとすぐに手元に置いていた杖を取り、『サイレント』の呪文を唱える。

 「――――――…、――――!?」

 部屋に入ってきたキュルケが魔法に気づいたのかタバサの肩を掴んで捲し立てている。

 このままだと安心して読書が出来ないため、仕方なしにもう一度杖を振り、呪文を解除した。

 「―――ゃんと私の話を聞いてよタバサ!」

 キュルケが耳元で叫んだため、驚いたタバサの目が少しだけ丸くなった。

 

 「今解除した。」

 素っ気なくタバサはそう言うとキュルケは安心したような顔になり肩を離す。

 今日の彼女はいつにも増してウキウキとしている。多分これが青春というものだろう。

 「どうしたの?」

 タバサは顔を向けずキュルケに用件を尋ねた。

 大抵こういう時は無理矢理何処かへ連れて行かされることが多い。

 以前はこういう事は一度もなかったが、最近多くなってきた。

 「あのねタバサ……あなた今新しい本とかいる?」

 キュルケが少し嬉しそうになりながら彼女に聞いてきた。

 彼女がそんな事を言ってくる時は、絶対に何か面倒ごとに巻き込まれるのだ。

 

 

 しかし、陰では「本の虫」とか呼ばれている程の本好きなタバサ。

 「……いる。」

 思わずそう言ってしまい、それを聞いたキュルケは自分の両手を叩いた。

 「良かったわ!実は今日街に行きたいんだけど買いたい物をリストに書いたら予想外の数になって…。」

 キュルケはそう良いながら懐に入れていたメモ帳を取り出しタバサに差し出す。

 タバサはソレを手に取り、ペラペラと捲っていく。そこには約5ページ分に渡るほどの書物や日用品の名前が書かれていた。

 

 一体これだけ買って何に使うのだろうか?唯一の友人の考えはあまり理解できない。

 

 と、タバサがそんな事を考えていると。キュルケが再び口を開いた。

 「だからね、あなたを誘う事にしたのよ!ホラ、あなたが呼び出した風龍の名前、だっけ?し…シェフィールド…だったかしら?」

 「シルフィード。それにこれなら馬車で事足りるはず。」

 タバサは自身の使い魔の名前を教えるのと同時にその提案を出した。

 「イヤよ!だって私馬を扱うのは結構上手いけど、馬車は苦手なのよ!御願いタバサ!」

 キュルケはそう叫び、タバサに抱きついてきた。

 息苦しい感じと、何やら胸の柔らかい感触が同時にタバサに襲いかかってきた。

 多分自分が頷くまで彼女はずっとこうしているだろう。

 

 

 「…わかった。」

 それは流石に困るので、少し嫌々ながらも了承した。

 

 

 

 一方のルイズも霊夢に壊された杖を直しに行くため、街に行こうと考えていた。

 ルイズは読んでいた本にしおりを入れテーブルに置くとベッドに腰掛けていた霊夢に話しかける。

 「レイム、今から街に行くわよ。」

 突然のことに霊夢がキョトンとした顔で口を開いた。

 「…別にいいけど、どうしたのよいきなり?」

 まるで朝の出来事は自分が悪くないかのような言い方である。

 「どうしたもこうしたも…今からアンタに壊された杖の修理に行くからよ。」

 ルイズはそう言いながら小さな鞄を取り出し、財布やら壊れた杖を鞄の中に入れていく。

 「はぁ、だからアレは正当防衛だって言ってるでしょ?まだそれを根に持ってるわけ?」

 霊夢はため息を吐くと呆れた目でルイズを見ながらそう言った。

 ルイズはそんな彼女の悪気が一切ない態度にイラッと来てしまい、声を荒げて叫ぶ。

 

 「大体なんで杖を壊すのよ!他のやり方があったでしょう!?」

 「他のやり方を見つけるほどの時間なんてなかったのよ。」

 

 やがて準備をし終えたルイズは霊夢と共に街へと続く街道を移動していた。

 ルイズは馬に乗っており、霊夢はいつものようにスイスイと空を飛んでルイズの前を先行している。

 それどころか段々と距離が開き始めているのにルイズは気が付いた。

 「ちょ、ちょっと…もう少しスピードをあわせてよ!」

 「むしろ馬の方が遅いんじゃないの?」

 前を飛んでいる霊夢に向けて、ルイズはそう言ったが霊夢にそう言い返されてしまった。

 だったらとルイズは鞭を叩き馬の速度上げて追いつこうとするがただただ霊夢の後ろを付いていくだけである。

 

 おかげで街には割と早く着くことが出来たのだが。

 

 

 乗ってきた馬を街の門の側に設けられた駅に預けると、ある事に気が付いた。

 「あれ…?レイムの奴は何処へ行ったのかしら?」

 先程まで自分の先頭を飛んでいて、一足先に街の入り口で待っていた筈の霊夢の姿が見えなかったのだ。

 自分が馬を駅に預けている間に何処かへ行ってしまったのだろうか?

 ふとそんな事ほ考えていると鼻に嗅いだことのない匂いが入り込んできた。

 「これって…。」

 

 

 それは何処かお茶の匂いに似てはいるが似て非なるモノだった。

 ルイズはその匂いに頭を傾げながらながら街の中にはいると、すぐ目の前に広がる露天市場の中でかなりの人だかりが出来ているのに気が付いた。

 同時に、漂ってくる匂いもそこから出てくるのと言うのに気づいた。

 (これは何かしら…紅茶とはまた違って独特ね…。)

 そのときルイズは、見覚えがある人物一が番後ろに立っていた事に気が付いた。

 それは列の一番後ろに立っており、黒い髪に付けられた紅い大きなリボンがよく目立つ少女であった。

 服もまた特徴的で袖がない紅白の服であり、通りゆく人々からは珍しそうな目で見られている。

 つぶらな瞳からは『喜』の感情が出ており、顔は年齢に似合った笑顔である。

 (れ、霊夢じゃないの…一体どうしたのかしら?……笑顔も結構似合ってるじゃない。)

 ルイズはそんなこと考えながら霊夢に声を掛けようとしたが彼女の横にある看板にふと目をとめた。

 

 

 

 『東方の地。ロバ・アル・カリイエから持ってきた『緑茶』。『紅茶』とはまた違った味と香りは斬新!』

 

 



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第六話

 「無礼な!私の足を踏んだのは貴君であろう!」

 「なにを…!?罪を着せるのはやめていただきたい!」

 大量の人が行き来する狭い道の真ん中で二人の貴族が喧嘩をしている。

 そのせいでまわりにいる平民達や他のメイジ達が足止めを喰らっていた。

 貴族は平民とは違いプライドも高く、止めさせようにも二人より格下のメイジや平民ではどうしようもない。

 とばっちりをくらうだけだ。

 

 

 

 二人が言い争い始めてから数分が経過した時、杖を持ったピンクヘアーの少女と小瓶をたくさん持っている黒髪の少女が前から歩いてきた。

 右側にいる大量の小瓶を両手で大事そうに持っている少女が無垢な笑顔を当たりに振りまきながら。

 「そもそも貴君がそうやって堂々と道の真ん中を歩いているから……ん?……ぉぁ!?」

 「なにをいうか!貴君が私の横を通ったから……はん?……ぬぉっ!?」

 それに気づいた二人が少女達を見るとサッと右端に引いた。少女達はそのまま人混みの中へと消えていった。

 そのあと周りで喧嘩を見ていた者達も道を行き来し始め喧嘩が起こる前の状態に戻った。

 「……………。」

 「………。」

 右端に移動した二人の貴族は互いを見合うと握手をした。歓喜の表情を浮かべて。

 ((かわいかった…。))

 

 

 

 数分前―――

 

 

 「緑茶」という東方から来た品を売っていた屋台の前で嬉しそうな表情を浮かべて立っていた霊夢を見つけ、問いただしたところ。

 この緑茶は霊夢が元いた世界にあった大好きな物らしい。

 それを聞いたルイズは…

 

 「へぇー…、ちょっと私も飲んでみたいわねぇ?…少し約束してくれる。」

 

 「いいけど、服を着せろとか四六時中私の側にいなさい。とかは抜きよ?」

 霊夢にそう言われ、ルイズは「あぁ、それでも良かったかなぁー?」と薄々思っていた。

 

 「違うわよ、帰りの際もしも荷物が多くなったら少しだけ持ってよ。そしたらこの『緑茶』を買うわ。」

 

 と言った 。

 杖を修理した後、おやつや紅茶の茶葉とか書物等を買おうと思っていたのだ。

 霊夢はそれを聞き、あっさり承諾してくれたのだが…茶葉が入った小瓶を十個くらい買うのは予想外だった。

 しかも値段が普通の紅茶より少し高かったので財布のダメージも大きい。

 まぁ実際ルイズも少し飲んでみたいという気持ちはあったので 損にはならないだろう。と思うしかなかった。

 

 

 ルイズは横でにやついている霊夢と共に、まず最初の店に到達した。

 ここは杖を売ったり買い取り、修理などをしている店で他とは違い看板にデカデカと綺麗な文字が書かれている。

 さらにここはその中でも最高良質の杖を売っていたり杖を修理する者達は超一流などと。いわゆるセレブ専用の店なのだ。

 

 

 

 「これがその店?なんか周りの店と比べてかなり派手ね。」

 「まぁ貴族とかメイジしか来ないしね。とりあえずあんたは入れないから近くにいて。」

 それを聞き、霊夢が怪訝な顔をして首を傾げる。

 「なんで?」

 「ここは従者とか使い魔の出入りは禁止なの。それにその服装じゃ芸人か貧民に間違われるわよ?」

 「何よそれ、まぁ興味ないから別に良いけど。じゃあここら辺の近くを適当にぶらついてるわ。」

 霊夢はそう言うと踵を返し人混みの中へ行くのを見たルイズは店の中へと入っていった。

 

 

 

 ここブルドンネ街は時間が経つごとに人が増えていく。

 王宮やあちこちの店で働く人たちが通りに並ぶ色んな飲食店へと足を運ぶ。

 子供達はおもちゃの剣や鉄砲を手に持ち嬉しそうに噴水の周りを走っている。

 若いカップルがショーケースに並べられた服を欲物しそうに見ていた。

 

 そんな様子を、霊夢は落書きがある塀の上に腰掛け眺めていた。

 ふと空を見上げてみると太陽が丁度十二時の方角にまで上っていた。

 「もうお昼か…。」

 霊夢はポツリとぼやくと勢いよく塀から飛び降り、着地した後何事もなかったかのように歩き始める。

 ルイズが店に入ってからもう一時間を超えている。一体あの棒きれ一本にどれくらいの時間を掛けるのだろうか?

 そんな事を思いながら霊夢は次は何処をほっつき歩こうかと考えていた時である。

 

 「おぉ、ひょっとして君は…ミス・レイムではないか?」

 

 誰かが自分の名前を呼んできた。

 振り返るとそこにいたのは金銭的な問題と頭髪の少なさで苦しんでいるミスタ・コルベールであった。

 「確か…コルベールでしたっけ?」

 霊夢も最初この世界へ来たときに言っていた彼の名前を思い出して言った。

 「いやぁ、奇遇だね、こんな所で会うなんて。」

 コルベールはそう言うと背負っていた革袋を地面に置くと霊夢の方へと近づいた。

 「実は森の方で研究材料を探していて、丁度今から昼食を食べに行こうとした矢先だったのさ。」

 そういってコルベールは先程足下に置いた革袋を嬉しそうに指さした。

 袋の形状からして恐らく石の様な物が入っているのだろう。

 「ふーん、研究材料ねぇ…。」

 霊夢は興味なさそうな目で革袋を見た。

 

 

  「待たせてゴメン、ちょっと直すのに時間が掛かったわ…!料金も必要以上に取られちゃったし!」

 そんな時、後ろから誰かが霊夢に声を掛けながら走ってきた。

 振り返ると新品同然になった杖を腰に差したルイズがピンクのブロンドを揺らしながらこちらへやってきた。

 「随分と時間が掛かったわね。お陰で随分と暇をもてあましたわ。」

 霊夢はやっと来たルイズに少々うんざりしながらも声を掛けた。

 「うぅ、だって店の人が新しい杖に買い換えろって言って来るのがしつこくって……あら?」

 ふとルイズは霊夢の横に見知った顔の人物が居ることに気が付いた。

 「やぁミス・ヴァリエール。君は杖の修理に来ていたのかい?」

 「ミスタ・コルベールじゃないですか!こんな所で逢えるとは奇遇ですね。」

 ルイズはそれが教師だと知るや頭を下げ挨拶をした。

 

 「ホラホラ、挨拶はそれくらいでいいからそろそろ何処かで昼食でも食いに行きましょう。」

 後ろにいた霊夢はそう言うと頭を下げていたルイズの肩を掴みズルズルと引きずり始めた。

 「ちょっ…!あんた何してるのよ!?」

 それに気づいたルイズは霊夢の手を振り解くと少し怒った顔で怒鳴った。

 「アンタ今何時だと思ってるの?もうお昼の時間よ。」

 まるでどちらが主人なのかわからない強気な口調で霊夢はそう言った。

 そんな風に二人がいがみ合っているのを見てすかさずコルベールが臨時の仲介となった。

 「まぁまぁ二人とも、お昼がまだなのなら私と共に食べに行きませんか?まだ私は食べていないので。」

 

 コルベールはそう言って軽く一呼吸すると――だけど、と言い足した。

 

 「食費は自費で頼むよ?なんせ私の財布のそこは結構浅くてね。」

 

 

 

 

 

 それなりに美味しい店で昼食を食べた後。

 そこに連れてってくれたコルベールと別れ、ルイズは次に霊夢を連れ、街ではかなりの大きさを誇っている書店へと足を運んだ。

 中に入ってみると端から端まで本棚だらけでその本棚には様々な書物が入っている。

 「へぇー…結構たくさんあるのね。」

 「でしょ、ここは魔法学院の教科書の原本もあるのよ。」

 そういってルイズが天井からつり下げられた沢山の看板から「初心者魔法講座」―勿論霊夢には読めなかったが―の真下にあるエリアへと歩を進めた。

 霊夢もルイズの後に続いた。 辿りついたそこは本棚と天井の隙間が数十センチ程しか無く、棚にはビッシリと様々な色の書物が置かれている。

 紅魔館の魔法図書館程ではないが、本屋というより図書館を思わせた。

 「そこで少し待ってて…。さてと、まずは右端の一番下から…。」

 そういってルイズは屈み、本棚の一番下の列に置かれている本のタイトルを見始めた。

 興味がない霊夢は完璧に置いていかれ、ただルイズの行動を見ているだけしかできなかった。

 

 

 

 「あら、ルイズと紅白少女じゃない?」

 そんなとき、後ろから声が掛けられたので振り返るとそこには赤い髪と大きな胸が特徴の『微熱』のキュルケと、

 青い髪と透き通るほどの白い肌が特徴の『雪風』のタバサがそこにいた。

 「誰が紅白少女だ、というかなんであんた達がこんな所にいんのよ?」

 霊夢はキュルケを嫌な目で見るとキュルケを指さして言った。

 「あら、いたら悪いのかしら?タバサと一に本を買いに来ただけよ。」

 そう言ってキュルケは顔をタバサの方に向けた。

 「いっつも男の事しか考えていないあんたが本を買いに来るなんて珍しいわね?」

 続いてルイズが嫌みたっぷりに言った。

 「ふふ、もてる女は辛いわ…。こんな小さい娘に嫉妬されるなんてね。」

 

 

 

 

 それにカチンと来たルイズが思わず杖をキュルケに向けた。

 「よしなさいルイズ。今あなたの財布の中身少ないんでしょ?今ここで爆発を起こせば弁償代が凄いわよ?」

 キュルケはそれを鼻で笑う、タバサはそんなこと気にせずずれたメガネを手でクイッと直した。

 霊夢は大きくため息を吐くと安全そうなタバサの側に寄った。

 「あ、あらーらららららぁ?こここ香すすす水の買いすすすぎぎで財布が底につつきそうなあなたも人のこと言えないんじゃないかししら?」

 ルイズは杖をしまうと顔をピクピクさせながら所々噛みながらそう言った。

 

 「ルイズ…そんなに噛んでたら何を言ってるかわからないわ。」

 キュルケは微笑み混じりのあきれ顔で言った。

 そんなルイズに思わず霊夢は額に手を当て盛大にため息を吐いたとき、外から声が聞こえてきた。

 タバサ以外の3人が外の方を見てみると一人の給士が貴族に手を掴まれていた。

 「あれ?あの子、何処かで見た気が…。」

 

 霊夢にはその給士にほんわりと見覚えがあった。

 それは以前、ギーシュとの決闘があった日に紅茶を入れてくれた女性であった。



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第七話

 「ヴァリエール家やトリステインの貴族様ってのはどうしてこう見栄を張るのかしらねぇ~?」

 「あ、アアンタたちとは違ってこちらには貴族として、てのプププププライドドドドがあ、あるのよ!!」

 安易な挑発に乗りまくってどもりまくっているルイズに対しキュルケは顔に微笑を浮かべながら挑発している。

 置いてけぼりにされたタバサは活字に目を通しながらもちらちらとその光景を眺めていた。

 詳しいことは知らないが代々ツェルプストー家とヴァリエール家は犬猿の仲らしい。

 お互い戦争の時には殺し殺され、ヴァリエール家はツェルプストー家に愛人を寝取られまくったりと、色々と凄まじい。

 ふとタバサは肩を振るわせ顔を真っ赤にして怒鳴っているルイズを見て、彼女が召喚した変わった服を着た少女の事を思い出した。

 あの時自分はキュルケと一緒にギーシュとの決闘を見に行ったが序盤から度肝を抜かされた。

 使い魔召喚の儀式で見た針投げと、先住魔法と思われる空中浮遊。

 

 そして一瞬でギーシュの背後に移動した正体不明の魔法、それに青銅のゴーレムを一撃で粉砕した謎の紙。

 どういう仕組みか少し分からないが彼女はあの少女が持っている力をもっと知りたくなってきた。

 そんなことを考えつつもタバサは活字から隣にいる紅白の少女へと視線を変えた。

 ―――隣には誰もいなかった、見えるのは棚にたくさん詰められた分厚い辞典だけ。

 「?」

 何処に行ったのかと思い、顔を動かすといつの間にかあの少女は書店の出入り口へと足を運んでいた。

 ふと視線を動かすと表通りで一人の貴族―確かモット伯とかいう名前だったはず―が給士の手を掴んでいるのが見えた。

 

 

 

 「いい加減見栄張るのはどうかと思うわよ~?」

 「アンタなんかに張ってないわよ!!」

 一方ルイズとキュルケの二人の口げんかはそろそろキュルケの勝利で終わりそうであった。

 ルイズは大声で叫んでいるため、息切れしそうなのだが…それにもかかわらず更に声を上げて叫んでいる。

 店の者達が止めればいいのだがここを経営しているのは全て平民であるため。下手に声を掛けられないでいた。

 「だいたいアンタたちゲルマニアの貴族は不躾なのよ!聞けば金さえ出せば平民でも貴族になれるらしいわね!!なんて非道い国!」

 「毎年伝統やしきたりに拘りすぎてどんどん国力を減らしてる国が言える言葉?」

 「うっ!!そ…それは。」

 弱いところを突いたと思っていたら逆に突かれてしまい一瞬怯んだルイズだが再び口を開いた。

 

 

 「と、トリステインの貴族達はアンタたちとは違って皆上品よ!!それだけは他の国に負けはしないわ!」

 「じゃあ表で痴漢行為を働いている貴族は何処の国から来たのかしらね?」

 そう言ってキュルケが外の方を指さし見てみると王宮勅使であるジュール・ド・モット伯爵が真っ昼間から女性の手を無理矢理掴んでいる光景があった。

 一瞬ルイズは目を見開き口をポカンと開けていた。キュルケはそれを見てクスクスと笑うと追い打ちを掛けかの如くこう言った。

 「あれじゃあ貴族の数が減るのは当たり前ねぇ。上品の『じょ』の字も無いわ。」

 次の瞬間ルイズは荒ぶる獅子の如く猛ダッシュで入り口へと向かい突っ立っていた霊夢を突き飛ばし外へと出た。

 キュルケと事がよくわからないタバサは口をポカンと開けただただ見つめていた。

 

 「ルイズっ…!全くあの子…。」

 さっきまでルイズをおちょくっていたキュルケが苦笑混じりにそう言い、床に倒れている霊夢に目を向けた。

 「突き飛ばされたそこの紅白ちゃんは…大丈夫?」

 「だから紅白紅白言うなって…あいてて。」

 霊夢はズキズキと痛む頭を抱えてゆっくり立ち上がった。

 突き飛ばされた霊夢はそのまま後頭部を本棚で強く打ってしまっていた。

 

 

 

 「何かあった?」

 事を理解していないタバサが少し目を丸くしてキュルケに話しかけた。

 「あぁ…いやね?あの子をおちょくってたら外から声が聞こえて見たらトリステインの貴族さんが痴漢紛いの行為をしてるのを見て…。」

 「それで止めに行ったって訳?イテテ…。」

 霊夢は後頭部を手でさすりながらも外の方へと目をやった。

 

 

 その頃、数時間ほど前にルイズが入った杖専門の店から出てきた男が騒ぎに気が付いていた。

 「何かあったのか……?」

 男は被っていた羽帽子を上にずらし音のする方へ目を向けた。

 そこでは数人の人だかりが出来ており、新たに二、三人来るとほかの数人が追い出されるように去ってゆく。

 それだけならただ一瞥するだけに終わり他の所へ行くつもりだったが人だかりの真ん中に貴族と話し合っている少女の姿が見えた。

 その少女は綺麗な桃色のブランドヘアーで、まだまだ小さい身長。

 それは親同士が決めた婚約者であり。小さな小さな彼の恋人であった。

 「あれは…ルイズ、ルイズなのか?」

 彼はそう呟くと少女の元へと歩を進めた。

 

 

 

 

 「あ~らら、何か大変なことになってるわね?」

 「なにがあ~らら、よ。」

 とりあえず外へ出たキュルケ、タバサ。それに霊夢は随分と面倒なことになってきたと思っていた。

 あの後猛ダッシュでモット伯の所へ接近したルイズがモット伯の手を掴み。素早く給士を自分の後ろへ下がらせた。

 突如出現した貴族の子供に怒ったモット伯は今にもルイズに掴みかからん勢いだったがルイズも負けじとモット伯を睨む。

 どうやら彼は相手があのヴァリエール家の三女だと知らないらしい。知っていたらこの様な事は恐らくはしないだろう。

 「あなたの御主人様が大変な事してるわよ。止めに行かなくて良いの。」

 「なんか目がすごいギラついてるんだけど…?」

 行ってこいといわんばかりな風に言うキュルケはいかにも面白いものが見れるという目で霊夢を見ていた。

 

 

 3人は離れた位置からただただその光景を眺めていた。

 ふとその時、一人の男が人混みの中から現れ、ルイズ達の方へと向かっていく。

 「ん、誰かしらアレ?」

 霊夢は足を止め、その男を見て首を傾げる。

 そのとき横からタバサが丁寧にも説明してくれた。

 「恐らく、王宮の魔法衛士隊の一つ、グリフォン隊。」

 

 「あれ、あんたも外に出てきたの?影が薄いからわからなかったわ。」

 「………酷い。」

 タバサのその言葉に霊夢は気まずそうな顔をして頭をかいた。

 先ほど打った後頭部を掻いたため、再び頭を押さえることになったが…。

 「すまない、モット伯とお見受けしたが。」

 「あ……貴様、衛士隊の者か?」

 ピンク髪の少女もといルイズと睨み合っていたモット伯は最中突如声を掛けてきた男に視線を向ける。

 羽帽子を深く被っていて顔がよく分からないが付けているマントでその者が魔法衛士隊とわかった。

 「左様。私は魔法衛士隊の内一つ、グリフォン隊の隊長です。」

 男は帽子を取るとその場でモット伯に頭を下げた。

 顔から見て年齢は20代後半といったところで。もう少し若ければ「美男子」と呼ばれるほどである。

 ルイズはその顔に見覚えがあり思わずその男の名前を言ってしまった。

 

 

 

 「し、子爵!ワルド子爵ですか!?」

 

 

 

 ワルドという名前にモット伯は驚いた。

 「なに!あの「閃光」の!?」

 最近モット伯は「閃光」の二つ名を持つ魔法衛士隊隊長が活躍しているという話を聞いていた。

 その仕事ぶりは熱心で、常に自身の魔法もしっかりと磨いているらしい。

 「いかにも。」

 そう言ってワルド子爵は笑顔でそう言った。

 モット伯は数歩後退すると服装を正し、口を開いた。

 「して、そのワルド子爵が何用でここに?」

 最近街では悪徳役人、徴税官がいるらしいのでそれを取り調べるため街のあちこちに調査員や衛士隊が送られている。

 モット伯自身はそのような事はしない。するといえば街での美少女さがしなものだ。

 しかし万一と言うこともある、モット伯は冷静に対処することにした。

 「いやなに、今日は非番でして。それを機に少し調子が悪かった杖の修繕をして帰るところでしたのだが…。」

 ワルドはそう言い後ろにいるルイズへと視線を移した。

 

 

 

 「何分そこにいるヴァリエール家の三女とあなた様が喧嘩をしていたので…。止めようとついつい。」

 「ヴァ…!?ヴァリエール家の三女…まさか!」

 モット伯は先ほどまで睨み合っていた少女があの名家の三女だと信じられない顔つきでルイズの方を見て、すぐに なるほど… と呟いた。

 「…目元はあの「烈風カリン」にそっくりだ。」

 「でしょ?だから今正に起ころうとしていた荒事を止めに来たのです。」

 そう言ってワルド子爵はモット伯の傍によるとポンポンと肩を叩き、あることをモット伯の耳に直接吹き込んだ。

 「それにミス・ヴァリエールはあのアンリエッタ王女と幼少の頃遊び相手として付き合っていて、私とは親同士が決めた婚約者

 もしここで厄介事を起こしてしまい彼女が怪我をしてしまったら王女様に何を言われるかわかりませんよ。まぁそれ以前にこの私が許しはしませんが。」

 ボソボソ声だったので周りには聞こえていないが遠目から見たらモット伯は体を小刻みに震わせていた。

 「もしあなたがここで下がってくれるなら今回のことは目をつむっておきましょう。」

 「あ…ああ。」

 モット伯はコクリ、と頷くと後ろで待っていたお供の傭兵達を連れ急いで町の中へと消えていった。

 そのあとルイズは大きくため息を吐くとそのままペタンと地面にだらしなく座った。

 「やぁ、久しぶりだね。大丈夫だったかい?」

 ワルドは凛とした声で地面に座ったルイズに手を差し出すとルイズはワルドの手を取り再び立ち上がった。

 「あ…?えぇ、子爵様も…」

 その時ルイズの後ろから出遅れてしまったキュルケ、タバサ、霊夢の3人がやってきた。

 「あら?いい男じゃない。」

 「全く…。」

 「………。」

 ワルドはやってきた3人の内、特に変わった服装をした霊夢を見て、興味深そうに言った。

 

 

 

 「ほぉ、後ろの3人は君の友達かい?」

 「いえ、友達とかそういうのでは…というかレイムは私が召喚の儀式で呼んだというか…呼んでしまった…とか。」

 ルイズはワルドの顔を見てしどろもどろに言った。

 ワルドはそんなルイズに軽く微笑むと霊夢の方に顔を向けて話しかけた。

 「と、いうことは君は彼女の使い魔かな?」

 ワルドの発した「使い魔」という言葉に霊夢はムッとしながらも返事をした。

 

 「失礼ね、私は使い魔なんかじゃないわよ。」

 

 霊夢は鋭い睨みでワルドを見つめてそう言った。

 ワルドはそれに両手を前に出し苦笑いしながら答えた。

 「あ…気を悪くしたなら、謝るよ。ということは、君はルイズの友人?」

 「友人でもないわ。」

 いっそう強まる霊夢の睨みにワルドはただただ苦笑いするしかなかった。

 

 

 

 

 その夜―――

 トリステイン魔法学院のとある一角――

 

 

 

 そこはとある塔の頂上にあり、ドアを開ければ目の前には大きな門がそびえ立っている。

 その門の前にフードを被った一人の女性がいた。懐から杖を取り出し短い詠唱の後、門の鍵を閉めている錠前目掛けて杖を振る。

 杖から出た緑色の霧はしかし、あっさりと拡散してしまい。『解錠』の呪文を無効化してしまった。

 女性は小さく舌打ちすると腹いせに門を一蹴りしてやろうと思ったが先ほど入ってきた出入り口から人の声が聞こえてくることに気が付き、慌てて柱の影に隠れる。

 「ここが宝物庫か…赴任してから初めて見るな。」

 「ま、ここの警備は退屈だからいつもよりかは昼寝できると思うぜ。」

 その言葉遣いからして学院の警備をしている衛士達であろう。着込んでいる鎧のギシギシとした音も聞こえる。

 「そういえばこの前コルベールっていう教師がここについて詳しく教えてくれたんだよ。」

 「なになに?」

 「『この門は多数のスクウェアメイジ達があらゆる呪文に対抗するために設計したのだ。』って言ってたんだよ。」

 「へぇー…それじゃあ俺たち平民どころか並大抵のメイジでも開けれそうにないな。」

 そこまで聞き、女は忍び足でここから出ようとしたが次に出た言葉で思わず足を止めた。

 「でもその代わり塔の外壁は滅茶苦茶でかいゴーレムが物理攻撃をくわえれば簡単に壊れるらしいぜ?」

 

 

 

 その言葉を聞き、女はフッと小さく鼻で笑い、静かにその場を去った。

 

 

 

 翌日…

 ルイズと朝食を食べ終えた後、霊夢は厨房の方へと足を向けた。

 霊夢が足を止め、目の前にある大きな建物を見上げていると中へ入る前にこちらに気づいた一人のシェフが霊夢に近づいてきた。

 「お、誰かと思えばレイムじゃねえか。どうしたんだ?」

 彼の名前はマルトー、この厨房を取り仕切る料理長である。

 

 

 

 何故マルトーが霊夢のことを知っているかといえば…それはギーシュとの決闘から翌日の夜である。

 夕食を食べ終えた後、今更ながら風呂に入っていないことに気づいた霊夢はルイズに風呂がないかと聞いてみた。

 どうやら貴族専用と平民専用の風呂が二つあるらしくそれを聞いた霊夢はとりあえず貴族専用の風呂に足を運んだ。

 そこは水面に色とりどりの花が浮いており、空間を香水の匂いで満たしていた。どうやら香水風呂だったらしい。

 こんな風呂に入りたくない霊夢は諦め平民専用の風呂にも寄ってみたがそこも駄目であった。

 霊夢にとってそれは『サウナ風呂』であり、まともなお風呂がないことに霊夢は思わず舌打ちをし辺りを見回した。

 ふと一人のコックが大きな建物の入り口の横に大人三人くらいが入れそうな大鍋を置いているところを見た。

 そして近くに置かれている大量の赤レンガ。ふと霊夢の頭にある考えが浮かぶ。

 

 

 

 『お風呂が無ければ自分で作ればいいのだ。』

 

 

 

 すぐさま行動に移すべく霊夢は早歩きで建物の入り口で休憩している男の近くに寄った。

 「ねぇねぇちょっと。」

 「ん?おめぇは昨日魔法を使ってた…貴族様が何のようですかい?」

 男は明らかに嫌な目と言い方で霊夢に言った。

 マルトーは貴族が大嫌いな平民であり、理由は魔法を使えると言うだけでいばり、食事を提供しているのにお礼の一つもしないからそりゃ嫌いになる。

 どうやらこの男、貴族嫌いの平民らしい。霊夢は察知し、ため息を吐くと口を開いた。

 「失礼ね。私は貴族とかそういうのじゃないわよ、それに貴族も平民も同じじゃないの?」

 「ほぉ、何処が違うんだい?」

 その後数分くらい話しが続き「魔法さえ使わなければ同じ人間。要は公平に見ればいいだけのことよ。」という言葉で終了した。

 男は最初こそは嫌な目で見ていたが段々と目の色が変わっていき、話が終わった後は笑顔で霊夢の背中を軽く叩いた。

 「公平に見ろ、か………貴族様々の世間にまだそんな考え方をする奴がいたとはな。気に入った、お前さん名前は?」

 「博麗霊夢。霊夢って呼び捨てにしても構わないわ。」

 「レイムか…変わってるが悪い名前じゃねぇ。俺はマルトーだ。」

 そういってお互い握手した後霊夢はマルトーに事の用件を話した。

 「成る程、まともな風呂がないからこの大鍋とレンガを使って自作するのか…お前一人で運べるか?」

 マルトーがペチペチと大鍋を叩きながらそう言い、今日と昨日の疲れがまだ少し残っていた霊夢は思わず首を横に振った。

 それを見たマルトーが「なら運ぶのを手伝ってやるよ。なに、仕事ならもう終わったしな。」と言い鍋を人が余り来ない草むらへと運んでくれた。

 次に霊夢は持ってきた大量の赤レンガを暖炉のように積み重ね、その上に鍋を置いた。

 

 

 

 「で、後は鍋の底に木の板を敷いて…中に水を入れて暖炉に薪をくべたら…あとは燃やすだけ。」

 それを見ていたマルトーは思わず手を叩き、満面の笑みで霊夢の側に寄った。

 「おめーさん結構風呂が好きなのか?こんな面倒くさいこと、魔法使う連中はやりそうにねぇぜ。」

 その後霊夢はマルトーにお礼を言った後、服を脱いで風呂に入ろうかと思ったがマルトーが「一杯飲んでいかないか?」という誘いで風呂にはいるのは明日にすることにした。

 

 

 

 そして再び今の時間に戻る…

 

 

 

 「ほぉー…ティーセットを一つ貸して貰いたいと。」

 「昨日町でルイズにお茶を買って貰ったから飲んでみようと思って。」

 「そんな事ならおやすい御用さ。ちと待ってろ。」

 そう言うとマルトーは厨房の奥へと消えていった。

 数分入り口で立ち往生しているとマルトーが一人で戻ってきた。そしてその後に黒い髪と黒目の給士がティーセットを持ってついてきた。

 「あれ!あなたはあの時ミス・ヴァリエールの後ろにいた…。」

 「ん、シエスタ。レイムと昨日何処かで会ったのか?」

 「この子町で何処かの変態貴族に手を無理矢理掴まれていたところを見かけてね…まぁ助けたのは別の奴だったけど。」

 「あの時は本当に助かりました。なんとお礼を言えばよいか…。」

 「いやぁ~私が助けた訳じゃないからそんなお礼されても…。するならあの羽帽子を被ってた男の方に…」

 

 

 

 

 そんなとき、何処からか物凄い爆発音が聞こえてきた。



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第八話

 先ほどの授業でシャツがボロボロになったルイズは自分の部屋を目指しとぼとぼ歩いていた。

 

 事は数十分前…。

 今回行われる「練金」の授業では霊夢が一緒にいなかったので先生にそれを聞かれ少し恥ずかしかった。

 最初の時は霊夢もほかの使い魔たちとともに教室の後ろで聞いていたのだが…。

 もしかするとおさらいとしてそのとき授業を担当していた教師が言っていた属性のこととかメイジにもクラスはあるとか…そんなのを知りたかっただけなのかも。

 それともただ単に飽きただけとか、そんな風に考えていると当然授業が頭に入らず、ルイズは先生に注意された。

 

 

 「ミス・ヴァリエール。罰としてこの石くれを真鍮に変えてください。」

 そういって担当教師のミセス・シュヴルーズが教壇の上にあいてある石くれを指さすと、ほかの生徒たちがいつもの様に机の下に隠れだした。

 キュルケが先生に中止を呼びかけるがシュヴルーズ先生は一年生の時のルイズを知らないためかいっこうに彼女の言葉を聞き入れなかった。

 ルイズは毎度の事だと我慢し、ため息をはくと教壇へと近づき、置かれている石くれに杖を向けると呪文を唱え始めた。

 彼女は今このときだけ僅かばかりの自信を持っていた。あの召喚の儀式の時にはちゃんとやれたのであるから。

 出てきた奴がこっちの言うことをあまり聞いてくれなくても一応は成功したからこれから魔法がどんどん使えていくのかな…と浅はかな心で思っていたが。

 

 現実は非情である…誰が言ったのか知らないがまさにその通りであった。

 

 そんなこんなで巨大戦艦の主砲が放つ砲弾も裸足で逃げ出す程の爆発で教室は滅茶苦茶になり、ミセス・シュヴルーズは奇跡的に気を失うだけですんだ。

 それと一部の生徒たちも巻き添えを食らって気絶してしまった事により授業は中止となった。

 廊下へ出たときにルイズと同じボロボロになりながらも無事だった生徒たちの怨嗟の声を軽くスルーし、今こうして自分の部屋へと向かっているところであった。

 ようやくたどり着き、小さくため息をはいてからドアを開けた先にいた人物を見てまたため息をはいた。

 「おかえりなさい、その格好を見ると外で見た爆発はアンタの所ね。」

 彼女がこの世界に呼び出した異邦人、博麗 霊夢がイスに座っていた。

 テーブルの上には食堂で使っているティーセットが置かれており、ポットからは小さな湯気が立っている。

 大方給士にでも頼んで借りたのだろう。

 ルイズの部屋にもティーセットはあったのが不運にも二日前に壊してしまったのだ。

 「えぇそうよ…。」

 ルイズは顔に多少疲れを浮かべながらそう言った。

 ドアを閉めるとクローゼットを開け中から着替えのブラウスを取り出した。

 

 霊夢の方をちらりと横目で見るとこの街で行われていたバーゲンで買ってあげた東の大陸から来た。という『お茶』を入れている。

 ボロボロになったブラウスを脱いでベッドの横にある棚の上に置き新しいブラウスを着た。

 

 いつまでもボロボロのブラウスを着ても仕方がない。

 先ほどのことで次の授業開始時間は延長されたがいつまでもこんなススだらけの服など着ていられない。

 そんな時、ふと目の前に湯気を立ち上らせているティーカップが スッ と横から出てきた。

 そのティーカップを持っていたのは霊夢であった。

 「え、あたしに…?」

 「お茶の一杯くらいは飲んで行きなさい、案外気持ちがやすらぐわよ。」

 「ん、…ありがとう。」

 ルイズはお礼の言葉を言ってから霊夢の持っているティーカップを受け取るとイスに座り、湯気を立たせている薄緑の液体に慎重に口を付けた。

 お茶を飲んだルイズの第一感想は「渋くて素朴だわ。」第二感想は「だけど、これはこれでおいしいわね。」

 「でしょ?これはこれでおいしいものよ。」

 その答えを聞いて満足したのか霊夢は柔らかい笑顔でそう言うとティーカップを手に取るとゆっくりとお茶を飲んでいく。

 

 午前の柔らかい日差しが窓から入る中、霊夢とルイズは静かにお茶を飲んでいた。

 

 

 先にお茶を飲み終えたルイズが口を開いた。

 「ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。」

 「なに?」

 「今更なうえ唐突だけどね、アンタが空を飛ぶのに杖も詠唱も無しに行うなんてどうやってするの?やっぱり先住魔法?」

 「本当に今更ね…しかも唐突すぎるわ。まぁいいけど。」

 霊夢は少し面倒くさそうな顔をした。

 「アレは私の能力よ。空を飛ぶ程度の能力。誰にも縛られない能力でもあるけど。」

 誰にも縛られない、ということはやっぱりあの使い魔のルーンもそれで消えてしまったのだろうか。

 しかしそれよりもルイズはあの先住魔法と見間違えるような行為が能力だと言うことにまず驚いた。

 「の、能力…?魔法で飛んでるんじゃなくて?」

 「えぇ、…まぁ魔法使って空を飛んでる奴もいるけどね。」

 そう言った彼女の目は一瞬だけ何処か懐かしむような目をしていた。

 きっともといた世界に魔法使いなんかの親戚がいたのだろうか。

 霊夢は手に持っていたカップをテーブルに置くとイスから立ち上がり、座り心地のいいベッドに腰を下ろした。

 一方のルイズは少し落胆したような顔を浮かべた。

 「そう…別にそれは魔法とかじゃなくて最初から備わっていたものなのね……。」

 

 つまりは生まれたときからそのような力を持っていたのだ。

 ルイズは思った…まるで私と正反対だなぁ。 と。

 そんなことを思い、ちいさな憂鬱の波がやってくる。

 どこか妙な寂しい雰囲気を醸し出しながらルイズは力なく項垂れた。

 「どうしたの?」

 それに気づいたのか霊夢はルイズに声をかける。

 「…あのね、ちょっと話聞いてくれる。」

 「え?…まぁちょっとだけなら。」

 そう言ってルイズは語り始めた。

 自分がさる公爵家の末女として生まれたのだが物心付いたときからまともな魔法が行えず、常に失敗し続けてきたこと。

 父はその事についてあまり触れなかったが母と姉がそれをもの凄く気にしていること。

 いつまでたっても魔法は使えず、無駄に失敗したときの爆発が強くなるだけ。

 「それがほかの生徒達に『ゼロ』って呼ばれている理由よ。」

 一通り語り終えたルイズは一度間をおいて言った。その鳶色の瞳は何処か悲しみを湛えていた。

 霊夢はお茶すすりながら黙って話を聞いていたがそんなルイズに気にする風もなくこう言った。

 「つまり何?アンタより強い私が羨ましいって事なのね。人に長ったらしい愚痴を聞かせておいて。」

 少々呆れた言い方と突き刺すような視線で霊夢はそう言った。

 ルイズは霊夢の視線に少々たじろぐが力弱く首を振った。

 いつにもまして珍しく今のルイズは少し弱気であった。

 そりゃいつもは気の強い女子生徒だが霊夢の方が気の強さは勝っている。

 

 「べ、別にそんなんじゃ…。」

 「それにたぶん、そんなのは失敗の内に入らないわよ。」

 その言葉にハッとした顔になった。

 「え?それって、どういう意味なの?」

 「例えどんな形式でも杖から出ているんでしょう?ならそれはアンタたちが言う魔法なんじゃないの。」

 少々無理がありそうな解釈である。

 「幻想郷にもアンタみたいに馬鹿みたいに威力を持った魔法を使う奴だっていたわよ。それと同じなんじゃない?」

 そう言うと残っていたお茶をクイっと飲み干すと続けた。

 「それに魔法なんて勝手に新しいのホイホイと作れるような物なんだしこの際それを新しい魔法だと思えばいいのよ。」

 言いたいことを言い終えて満足したのだろうか霊夢はカップをテーブルに置くと最後にこう言った。

 「それに、アンタはちゃんと召喚に成功したんだから。」

 そう言って霊夢はゴロンとルイズのベッドに寝転がった。

 

 一方のルイズは先ほどの言葉に少ない希望を見いだしていた。

 同級生達には茶化され、家族に冷たくあしらわれてきた彼女にはとても影響力のある言葉だった。

 そして、霊夢の言うとおり、結果はどうアレ形式的にはちゃんと召喚の儀式は成功しているのだ。

 授業時の爆発も、きっと未知の魔法に違いない。

 (それに…よくよく思い出せば…。)

 今まで、ルイズの失敗魔法を至近距離で受けて無事だったものはいなかった。

 絶対割れないと言われていた家の壺を爆砕させたり。

 家で練習していたときにたまたま母が魔法を喰らってしまい、髪がアフロになってしまったり。

 学院では授業の時に実践をしろといわれた時には必ず何かが彼女の魔法で壊れる。

 一年生の冬に部屋で『ロック』の呪文をドアに向けて唱え、結果丸一日雪風に震えながら一夜を過ごした。

 今まではそれを全て『失敗魔法』と一括りしてきたがどれにも共通点はある。

 

 そう、『いかなる物でも爆発』するということだ。

 それを全く未知の新しい魔法と考えればかなり強い魔法ではないのだろうか。しかし…

 「どんな呪文を唱えても爆発しか起こらないって…やっぱりそれってどうなのかしら。」

 ルイズはそんなことを考えながら空になった自分のカップに新しいお茶を入れた。

 

 「と、いうよりアンタはいつから私のベッドを好き勝手に使ってるのよ?」

 「いいじゃない減るもんじゃないんだから。」

 

 

 場所変わって学院長の部屋。

 普段はここの最高責任者のオスマンと秘書が常に待機している部屋だが今日に限って秘書はお暇を頂きこの場におらず。

 部屋にはオスマンと教師の二人だけであった。

 「ミスタ・コルベール。今日は何の話かね?」

 「実は、見ていただきたい物があるのです。」

 コルベールと呼ばれた教師はそう言うと手に持っていた細長い包みを机の上に置いた。

 そして包みを結んでいる黒い紐をとくと鹿の皮で包まれていた太刀が姿を見せる。

 「太刀…じゃのぉ。ミスタ、これは一体?」

 コルベールが答える前に突如太刀がブルブルと震えだしたかと思うと鎬(刃の根本)の金具がひとりでに出てきて…

 『おいおい、やっと暑苦しい動物の皮から出してくれたと思ったら何処だよここは!?』

 金具部分をカチカチ動かし荒っぽい口調でしゃべった。

 それを見たオスマンは目を細め、それがただの剣ではないということを悟った。

 「ふぅむ、インテリジェンスソード…か。」

 

 「インテリジェンス」。要は意志を持つ武器のことである。

 価値はそれほどでもないが歴史は古く、中には作られてから数千年の時が経つ物も存在する。

 「えぇ、ブルドンネ街で購入いたしました。それと、この本の六十ページを…。」

 叫び続けているインテリジェンスソードを無視し、コルベールは一冊の古い本を剣の横に置いた。

 「ん?『始祖の使い魔達』か。随分とまた古い物を…。」

 そう言いオスマンは六十ページまで一気にめくるとそこに描かれていた『ガンダールヴ』の押し絵を見て体が硬直した。

 白銀の鎧をまとった騎士が両の手に持っている二つの武器の内一つは太刀であった。

 しかしその太刀と今机の上に置かれているインテリジェンスソードと余りにも似ている。

 一度交互に目を配らせ見比べてみるがやっぱり似ているのだ。

 

 「もしもこのインテリジェンスソードがガンダールヴが使用していた物ならば…。」

 コルベールは喋り続けていたインテリジェンスソードを鞘に戻した。

 「あの少女に持たせ、どうなるかを見てみたいと思いまして。」

 その言葉にオスマンは顎髭をいじり神妙な面持ちになった。

 「だがのぉ、あの娘は聞いてくれるだろうか。個人的には少々我を通しすぎだと思うのだが。」

 「でも我が儘という程強くはありません。この程度の願いなら聞いてくれるかと。」

 二人の間に少し静寂が訪れるがオスマンが口を開いた。

 「しかし彼女がガンダールヴというのを知ってるのは君とわしぐらいじゃ。召喚した本人も承諾を取らねばいかん。

   まぁ近日中にでもここへミス・ヴァリエールとあの娘を呼んで話を聞かせよう。あ、あぁ後そのインテリジェンスソードはここに置いていってくれんか?」

 

 それで話し合いが終わり、コルベールは頭を下げインテリジェンスソードを机に置いたまま部屋を出た。

 オスマンは引き出しからパイプを取ると口にくわえ一服をした。

 

 

 

 時間は進み昼食の時間、食堂前は生徒達によりごった返していた。

 

 一度に大量の生徒達がここへ来るのだからそれはまぁ仕方のないことだが。

 そんな人混みの外にルイズはいた。

 「これじゃあしばらくは入れそうにないわね…。アイツは先に入って行っちゃったし。」

 ルイズはそう言い頭を掻いた。

 先ほどまで霊夢もいたが目を離してる隙に一人で勝手に空へと飛び上がり開けっ放しにされていた窓から食堂の中へ入っていった。

 主人と共に人生を生きてゆく事を義務づけられた使い魔が取るとは思えない行動である。

 しかし実際には彼女の左手にはルーンが無いため、使い魔ではないと思うのだが。

 ルイズは軽いため息を吐くと後ろから誰かに肩をたたかれた。

 後ろを振り返ると、この前霊夢に叩きのめされたというギーシュが手に花束を持って突っ立ていた。

 「なによ。」

 突き放すようにルイズは言うと彼は少し躊躇いながらも口を開いた。

 「い、いや実は…あの使い魔君に、これを渡してくれないか?」

 そういってギーシュはルイズに花束を突きつけた。

 赤と白のバラが一緒くたになって入っている。

 「どうして私なのよ?アンタの手で直接渡せばいいじゃない。」

 こういうのは本当に自分の手で渡した方が良いのである。

 「い、いやぁ…もしも君の使い魔が男だったのなら直接僕の手で渡していたけど女の子だと…ね?」

 そう言ってギーシュは目だけを右方向に動かした。そこにいたのはほかの女子達と談笑しながら食堂中へと入っていくモンモランシーがいた。

 この前彼は浮気がばれてしまい、その後に霊夢と決闘をして負けたらしい。

 女の子達の間では当時少し低めであった彼の評価は見も知らずの少女に負けてしまったせいで地に落ちた。

 しかしモンモランシーただ一人だけが今も彼とつきあっているのだ。

 なんと健気なことだろうか。まぁでも皆はこの二人のことを「バカップル」とか呼んでいるらしい。

 特にキュルケあたりが。

 

 

 「うーん…、でもレイムだと薔薇の花束なんて貰っても喜びそうにないわよ。」

 今までの彼女を見てきたルイズはキッパリとそう言った。

 それに霊夢はギーシュのことを毛嫌いしていたし初めてあったときにも「女の敵」とか言っていたのをよく覚えている。

 しかしそんなギーシュは尚もこちらに花束を突きつけてくる。

 「でもねぇ、このままじゃなんというか…レディに優しい僕としては申し訳が立たなくて。頼むよ。」

 そう言うとギーシュは一方的にルイズの手に花束を預けるとそのままそさくさと食堂の中へと入っていった。

 取り残されたルイズはギーシュ本人の性格を丸写しにしたようなこの薔薇の花束をどうしようかと悩むだけであった。



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第九話

 今まで大地を照らしてきた太陽は傾きはじめ、待っていたと言わんばかりに二つの月が天へと登り始めてから約数時間。

 漆黒と月明かりが、そして一部の世界では人外が支配する様な時間、人っ子一人おらず冷たい風が吹いている中庭の片隅で灰色のローブを纏った女性が息を潜めていた。

 スクッと立ち上がると辺りを見回し、ここら辺を巡回しにくる守衛がいないことを確認した。

 そして次に懐から魔法を使役するメイジの証しでもあり貴族の命でもある杖を取り出すと軽くルーンを唱え宙に浮き、すぐ後ろの城壁の上に降り立った。

 日中にはここに何人かの守衛が背中に弓と鉄製の槍を背負い警備に就いている夕方になれば全員が学院内の見回りをする。

 それが済めば学院長や各教師、男子寮塔と女子寮塔に各四人ずつ交代制で警備を行う。後に残った教室や食堂には一人だけ。

 昼は常時警備、夜には交代制ということである。

 警備についていない守衛達は自分たちの寄宿舎でポーカーに興じたり、食事をとっている。

 彼女は怖れもせずに堂々と歩く。

 やがて学院の中でも一番大きい本塔との距離が近い場所にまで来ると再び辺りを見回した後、フライの呪文を唱えた。

 

 足の踏み場がなさそうな本塔の外壁だが実は大きくせり出ている壁があり、それを足場にした。

 ローブを纏った女性はゆっくりと外壁の周りを歩き、一定の場所に来ると足を止めた。

 「……ここか。」

 そう言うと足で外壁を二、三回小突いた。

 もちろんそんなもので外壁が崩れてしまえばいいのだが所詮そんなことが起こるはずもなく、小さな舌打ちをする。

 そろそろ仕事に入りたいのだがここであと一時間弱は突っ立ていなければいけない。

 ローブの女は少し緊張した顔でその場に待機した。

 

 

 魔法学院にある女子寮塔の一室。

 本来生徒一人だけ。それと二、三年生だと使い魔が一体いるがそこには二人いた。

 二人の内ピンクのブロンドヘアーが特徴的な女子生徒がテーブルに積まれた様々な本を読んでは床に置き、テーブルにある新しいのを取っていく。

 そしてもう一人は派手なピンクブロンドと正反対の黒いロングヘアーと腕部分の露出が若干多い紅白の服を着た少女が向かい合って座りのんびりとお茶を啜っている。

 ゆっくりと過ごしている黒髪の少女。――霊夢―を見てピンクのブロンドヘアーの少女。――ルイズ―が口を開いた。

 「お茶。」

 「ん。」

 霊夢はポットの中に入っている『緑茶』をもう一つのカップに差し出した。

 そのカップを受け取ったルイズは中身を見て霊夢に突き返す。

 「これじゃなくて、紅茶が欲しいのよ。」

 「自分で入れなさいよ。」

 すかさず霊夢にそう言われルイズは不満そうな顔をするが霊夢は気にもとめない。

 

 「あんたって本当ノンビリしてるわね…うらやましいわ。」

 ルイズにそう言われ、霊夢はカップを口から離し口を開く。

 「そうかしら。…それよりもあの薔薇、どうしたの?」

 彼女が指さしたタンスの上には昼にギーシュがルイズに渡した薔薇が置かれていた。

 「あぁあれね。ギーシュがこの前ゴーレムでアンタを殴ったからってその謝罪に…って。」

 「ギーシュ…?」

 それを聞いて霊夢は首を傾げる。まさか忘れてしまったのだろうか?

 しかし、すぐに思い出したかのような顔をして掌をポンと叩いた。

 「あぁ、自分のことを薔薇って呼んでてモグラを連れてたあのキザ男の事ね。」

 「えぇ、でも今私の部屋に余っている花瓶がないのよね。どうしようかしら?」

 「庭に植えてあげればいいんじゃない?私には薔薇を一日中眺めるなんて趣味はないし。」

 どうやら彼が純粋な善意で渡した薔薇はルイズの予想通り、お気に召さなかったようだ。

 

 「どっちかって言うと花を貰うのも悪くはないけど、個人的には金一封や菓子折りとかの方が良かったわ。」

 「アンタ…すっごい厚かましいわね。」

 とりあえず薔薇のことは明日考えるとして再び調べ始めたのだが結局見つからず。

 気づけばすでに消灯時間―といっても一部の生徒はまだ起きているが――であるためとりあえずこれもまた明日となった。

 

 

 

 場所は変わり再び本塔の外壁。ふたつの月明かりが薄くぼんやりと世界を照らしている。

 そんな暗い時間に塔のぼったローブの女は手にナイフを持ち何か作業をしていた。

 レンガ造りの外壁にずっと昔に出来た大きな隙間に刃の部分を差し込み上下に動かしている。しばらくするとポコッとレンガが一個外れた。

 外れたレンガは地面に向かって落ちていき、下から何かが砕ける音が聞こえた。

 本塔とその中にある宝物庫の扉にはセキュリティが敷かれていてスクウェアクラスでさえ突破は難しい。

 しかしそれは中だけの話である。

 セキュリティも扉などにしかされておらず外壁はほぼ何の施しもされていない普通のレンガ造りである。

 だからこそこうして丈夫なナイフを使い、テコの原理を利用して実行に及んだのだ。

 

 そうしていく内にレンガに出来た穴が大の大人一人分にまで大きくなると彼女は宝物庫の中へと侵入した。

 宝物庫の中には明かりをともしたカンテラが均等に天井からぶら下がり辺りを照らしている。

 彼女はその光だけを頼りに宝物庫を急いで探索し始める。なんせ外とは違いかなり蒸し暑い。

 翌朝までこんな蒸し風呂部屋みたいなところにいると蒸しパンみたいになってしまう。

 

 様々な貴重品や宝石、書物、金品には彼女は目にもくれず奥にあるガンメタリックカラーの箱を手に取る。

 ズッシリとした重み、中身は相当の重量である。獲物の重量感じれば感じるほど達成感が沸々と沸いてくるのだ。

 しばらく感傷に浸りたいがそれはこの学院を出てからにしよう。

 学院から出た後もしばらくはここの関係者として生活しなければならないのだ。

 それにこの箱を何処に保管しておくか…時間的余裕はほぼ無いのである。

 箱を両手に持ち、そのまま元来た道を辿って帰ろうとするが一つやり残したことを思い出した。

 「おっとと…忘れるところだったわ。」

 その場で箱を冷たいレンガ造りの床に置くと腰に差していた杖を取り出し先ほど箱が置かれていた床にルーンを唱えた。

 

 杖をしまい再び箱を持つと穴をくぐり外へと出た。

 外のすずしい風が顔全体をなで、肌にべっとりとまとわりつく汗を払おうとしてくれる。

 そんな自然の息吹に包まれながらもルーンを唱え地上へ降りていった。

 ローブを被った女は小さな声で笑い、あっさりと仕事が終わったことに少し安心感を覚えた。

 地面に足をつけたとき、ふと空を見てみると人影が見える。彼女は箱を背中に担ぐと急いで何処へと走り去っていった。

 

 「ふぅ~…やっぱり夜中に空を飛ぶってのも良い物だわ。」

 霊夢は月明かりが照らすトリステインを一人ブラブラと飛んでいた。

 先ほどまでルイズと同じベッドで寝ていたのだがちょっとした悪夢にうなされ無理矢理叩き起こされたのだ。

 当分饅頭とかの御菓子は食えそうにない。

 夜中にはあまり散歩したことはないがやはり夜は昼とは違う一面を見せてくれる。

 昔から草木も眠る丑三つ時とか…深夜三時から五時の間、霊が――しかし偶に午前から神社に来てる半霊や亡霊もいるが――――彷徨ったり。

 人よりも賢く、長寿である妖怪達が活発な時間帯である。特に吸血鬼や悪魔などが。

 そんな時間帯を彼女は周りを気にせず飛んでいる。画家が見ればすぐさまそれを絵に写そうとするほど優雅であった。

 このまま森に行こうとしたがふと学院の隅っこにある倉庫みたいな建物に目を止めた。

 何故か興味を惹かれた霊夢はそこへと降り立った。

 

 ポツンと寂しく木造の大きな掘っ立て小屋が経っており。

 食堂や他の建物と比べればえらく貧相である。

 そして入り口らしき場所からは大量の物が乱雑に出ている。

 霊夢から見てみればどうみてもそれはゴミ捨て場であった。

 (ただのゴミ捨て場か…。)

 あっという間に興を削がれた霊夢は踵を返し今度こそ森に行こうとするが入り口からまた新たに物が一つ転がり落ちてきた。

 それはコロコロと転がり霊夢の靴にコツンと当たって動きを止めた。

 足下に転がった筒の装飾を見て彼女は少し驚いた。

 

 それはやけに長い黒筒であった。

 長さは丁度霊夢の身長と彼女の頭一つ分を足した程度の長さである。

 筒の上部分と下部分はベルトでつながっており、体に巻き付けて背負う物らしい。

 建築士が建造物の設計図を入れるときに使う筒に似てはいるがそれにしてはやけに美しく作られていた。

 それが気になったのか霊夢は筒を手に取り、真ん中に線が入っていることに気づく。

 どうやらこれは中に何か入っているらしい。そう思った彼女はゆっくりと筒の上部分をはずした。

 

 そして中に入っていた「杖」に似た物が入っていることに気づき。霊夢の体は硬直した。

 それは霊夢が知っている物で、この世界に持ってきてなかった物である。



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第十話

 

 「……良いですかな皆さん?この様に炎は色が薄くなればなるほど高温になっていくのです。」

 ミスタ・コルベールは手にした炎で鉄の棒をあぶりながらそう言った。

 そして数十秒くらいあぶると鉄の棒から炎を離し、棒の両端を手で掴むと一気にそれを折り曲げた。

 あぶられていた鉄の棒は抵抗することなくあっさりとくの字形になってしまった。

 「と、この様に火の魔法は魔力の調節によって温度が変わります。その温度をうまく操ることが出来れば様々な金属を加工するときに役立ちます。」

 生徒達は彼の言葉を聞きながらも机に置いているノートにメモしていく。

 今日の二限目は「火」の魔法の授業である。担当教師はコルベールだ。

 火属性の便利さや加工技術などを学ぶ。

 

 しかし本来この属性は攻撃などが主体であり普通ならそれを学ぶための授業だ。

 でもコルベールが担任をしているときはいつも加工といったものになってしまう。何故なのかは誰も知らない。

 まぁだが他の教師の時は攻撃魔法を学ぶためバランス的に考えれば丁度良いのである。

 それ故「火」属性の魔法が得意な生徒達からは時折不満が出ることもある。

 「では…もうしている生徒達もいるが黒板に書かれている事をノートにまとめてください。」

 コルベールが黒板を杖で指しながら言うと、メモをしていない生徒達もノートに書き始めた。

 そんなのんびりとした授業の最中、教室のドアからノックの音が聞こえた。

 「はいはい、どなたですか?」とコルベールが言いながらドアの方に近寄り、音を立てて開けるとそこにいたのはミセス・シュヴルーズであった。

 それからすぐにシュヴルーズがコルベールの耳元で何か言うと彼の顔色がサッと青くなっていくのが遠くに座っている生徒達からも一目瞭然であった。

 話を聞いたコルベールはシュヴルーズに軽く頷くと急いで教壇の方に戻った。

 「えーすまない諸君、今日予定されていた授業は全て中止。指示があるまで自室か同級生の部屋で待機しておくように!」

 そう言うとコルベールはササッ!と教室から出て行った。

 いきなりの事にポカーンと口を開けていた生徒達だが段々と理解し始める者達が現れる。

 「つまり…一日自由って事かな?」

 ギーシュは不安げにそう言うとノートを閉じて席を立った。

 それに続き何人かの生徒達もメモをし終えると席を立ち教室を出て行く。

 普通こういう事があれば誰もが喜ぶことだが先ほどのコルベールの様子を見ていると何かあったのだろう。よくは知らないが。

 「一体何が起こったのかしら?」

 ルイズが席に座ったまま不安そうに呟いた。

 まぁいつまでも教室にいたって授業が再開するはずもないのだから彼女も席を立ち他の生徒達と一緒に教室を出た。

 

 教室の出入り口に来たとき、突然誰かに肩を掴まれた。

 驚いて後ろを振り返ってみるとそこにいたのは学院でも実家でもお隣同士のキュルケがルイズの肩を掴んでいた。それもやけにうれしそうな顔つきで。

 「なによツェルプストー、何か私に用があるの?」

 「あるわよ、今大いにね。」

 キュルケはそう言うと肩を掴んだままグイグイとルイズを近くにいるタバサの方にまで連れて行った。

 詳しいことを聞いていないルイズは嫌そうなめ目でキュルケに質問した。

 「キュルケ、私まだ何も聞いてないのよ。説明くらいしなさいよ。」

 「まぁまぁ、これからお茶会をするんだしそんなにツンツンしない。」

 キュルケの言葉にルイズはポカーンとした。

 「なに阿呆みたいな顔してるのよ?」

 それからキュルケは話し始めた。

 どうせ今日の授業は全て中止になったのだから何かしようとキュルケは考えていたらしい。

 それでお茶会をしようと思いつき、隣にいたタバサをまず最初に誘った。

 「…で、2番目に私を見かけて誘った、ねぇ…。」

 「そうよ。何か文句あるわけ?」

 「いや、別に文句ないわよ。丁度何をしようかと悩んでいたところだし。」

 「なら問題ないわね。」

 そう言ってキュルケは次のことを話し始めた。

 お茶会は部屋でしたいとの事。そのためにジャンケンで決めるとの事であった。

 負けた者後の二人を部屋に招待するのである。

 ルイズは最初それにとまどったが…

 「もしかして…私に負けるのが怖いのかしら?」

 と、キュルケの安い挑発で絶対勝ってアンタの部屋でお茶を飲むわよ!と豪語したルイズはジャンケンすることにした。

 

 

 その時に限って、どうやら始祖は何処かの誰かを相手にチェスに興じていたのだろう。

 

 

 

 ルイズの部屋。

 

 「ふぅっ…これくらいで充分ね。」

 部屋の掃除をしていた霊夢はバケツと箒を部屋の隅に置くと満足げに言った。

 掃除というのはやっぱりきつい物だが終わらせると確かな満足感を得られる物である。

 それに本音を言えばルイズの部屋は小さい分神社の境内の掃除よりかは楽である。

 さて掃除も終わり次は何をしようかと考えている時、突然ドアが大きな音を立てて開いた。

 「だからなんであたしの所に来るのよ!!タバサの部屋もあるでしょうに!」

 もの凄い剣幕でルイズが部屋に入ってきた。その次にキュルケが入ってくる。

 「あら?ジャンケンで負けた奴の部屋に行くって最初に言ったじゃないの。」

 キュルケはそう言って入り口で立ち止まり本を読んでいたタバサを部屋に入れる。

 あっという間に物静かだった部屋は喧噪に包まれてしまった。

 「ちょっとルイズ、なんなのよこの二人は。」

 いきなりの客に少し目を丸くさせ、霊夢はルイズに話しかけた。

 

 

 どうやら授業中、何かトラブルでも起こったのか全生徒が自室での待機になったらしい。

 当然授業は中止となり、今日予定されていたものも全て取り消し。

 そのため暇をもてあますこととなったキュルケはタバサとルイズを誘いこんな事を言った。

 

 「…ジャンケンして負けた奴が他の二人を部屋に招待してお茶会をする。ねぇ…」

 霊夢はそこまで聞くと手に持っているカップに入った緑茶を口に運んだ。

 一回目はタバサがチョキで勝ち、後の二人は同じパーだったらしい。

 その後も何回かおあいこ合戦が続いたのだが、遂にキュルケの方に軍配が上がったという。

 ルイズは負けたことを悔しがり色々と言ったそうだがキュルケは気にしなかったらしい。

 「まぁ私も別にこういうのは嫌いじゃないし、丁度暇をもてあましていた所よ。」

 「話がわかるじゃない。やっぱりお茶会をするときは皆こんな気分じゃないとね~。」

 霊夢の言葉を聞きうれしそうにキュルケがそう言うと皿に盛られたクッキーを一個つまみ口の中に放り込んだ。

 それを見ていたルイズが嫌そうな目でキュルケを一瞥して紅茶を啜る。

 多分この場にいる三人の中では最年少のタバサは一人静かに霊夢と同じ緑茶を飲んでいる。

 飲み終えたタバサはカップを口から離してテーブルに置くと霊夢の肩を チョンチョン と叩いた。

 「ねぇ。」

 「ん?何かしら。」

 「このお茶、何処で売ってたの?」

 「あんた、もしかして気に入った?」

 タバサはそれに対しただコクリ、と頷いただけであった。

 

 

 一方場所は変わって学院長の部屋。

 そこでは会議用の大きなソファが二つ向かい合うように置かれ、教師達が何人か座り口論となっていた。

 今回の問題は今年の給料だとか授業料の滞納だとか…そういうものではない。

 『泥棒』が忍び入り、宝物庫の財宝を盗んだのである。それも平民出や元貴族で構成されている組織の仕業ではない。

 最近トリステイン中の貴族達が夜、枕を高くして眠れる事が出来ないほどの腕を持つ泥棒の仕業である。

 

 その名も『土くれのフーケ』である。

 

 二つなの通り土属性を得意とする元貴族と思われる泥棒。

 時に大胆、時に静かに獲物を掠め取り、気づいたときには無くなっている。

 トリステインで名高い王宮の貴族達でさえ欺く業は正にプロである。

 そして今回この魔法学院が不幸にもフーケの毒牙に刺さってしまったのだ。

 

 最初の報告は朝一の巡回をしていた教師であった。

 ふと本塔の方を見てみると宝物庫がある階層の外壁に丁度大人一人分の穴が空いているのを発見した。

 急いで学院長にこの事を報告し、オスマンや数人の教師達は慌てて宝物庫の中へと入った。

 しかし時既に遅く、恐らく夜中に実行したのであろう…そこにはフーケからのメッセージもとい、領収書が書かれていた。

 『破壊の杖、確かに領収いたしました。 土くれのフーケより。』

 学院側にしてみれば正に巫山戯ているの一言に尽きる。

 その場にいた者達だけで一度話し合ったが全員の意見が無いとどうすればいいかわからなくなり。やむを得ず授業を中止して緊急会議となった。

 急いできてくれたコルベールもコレには顔を真っ青にし会議に参加している。

 いつもは冷静を装っているミスター・ギトーも顔を真っ赤にして叫んでいる。

 

 今このことを王宮に報告するか否かで論議していた。

 王宮に報告をすれば魔法衛士隊から選抜された捜索隊をよこしてくれるだろうがそうすると別の問題が出てくる。

 要はここ魔法学院の名折れになるということ。つまりはトリステインで随一のセキュリティを誇るここをあっさりと忍び入られたと言うことになる。

 そうすれば警備の怠慢や教師達の注意不足が指摘され、最悪人事異動というものが待ちかまえている。

 だから一部の教師達はそれを怖れ自分たちでなんとかしようと言っている。

 そんな泥沼会議にオスマンはただ一人自分の椅子にもたれ掛かりため息を吐く。

 (やれやれ…今日は本当についていないのぅ。)

 いつも朝一に行うミス・ロングビルの下着確認を自分の使い魔に探らせたものの彼女は外出していた。

 挙げ句の果てに泥棒騒ぎで生徒達の学びの時間を一日分つぶしてしまったのだ。

 全く、人生何が起こるかわからないものである。特に長生きしてると本当に。

 (現に盗まれたあの破壊の杖も思い出深い品じゃったが…。)

 このままだと自分が生きている内にはもう拝めないかも知れないと。心の中で呟いた。

 

 そうこう議論している内にドアからノックの音が聞こえ、ミス・ロングビルがドアを開けて入室した。

 会議に没頭していた教師達も一斉に彼女に視線を注いだせいかロングビルの顔が少し引きつる。

 「おお!ミス・ロングビル。今まで何処におったのじゃ?」

 そんな中オスマンは椅子から立ち上がり老人とは思えぬしっかりとして歩みでロングビルの傍に寄った。

 「すいません、オールド・オスマン。少し調べ物をしていました。」

 オスマンの言葉にハッとなりまたいつものエリートの顔つきに戻った。

 「調べ物とは?」

 その言葉に殆どの者達が首を傾げた。

 「はい、あの土くれのフーケについてです。」

 この場にいた教師達が予想もしていなかった言葉に驚愕した。

 ロングビルは懐から一枚のメモ用紙を取り出し説明し始めた。

 

 「今日の未明、散歩をしていたときに大きな箱を抱えたフードを被った不審者をヴェストリの広場で見かけました。

 怪しいと感じた私はそれを追跡、不審者は数日前の決闘騒ぎから放置されたままの壁の穴から森の中に入りました。

 ますます怪しいと感じた私は悟られないように尾行しました。犯人はここから三時間ほどの所にある廃屋にその箱を置いて姿をくらましました。」

 

 その報告を聞き終えたオスマンはあることを思いつく。

 恐らくその廃屋というのもフーケの隠れ家であろう。そして一時的に姿をくらまし時が経てばまた戻ってくる。

 それよりも先に教師達を何人か送り込み破壊の杖を取り戻し、フーケが戻ってきたところを一斉に攻撃する。

 捕まえるか、あるいは仕留めるか…答えは二つあるのだ。

 多少引っかかるところもあるが今の雰囲気でそれを言うと無駄に時間を喰ってしまう恐れがある。

 オスマンは改めて表情をきつくすると教師達の方に向き直った。

 「さて、奴の居所がミス・ロングビルのお陰でわかった。」

 そう言うとオスマンは再び自分の机の方に戻り椅子に座った。

 「それじゃあ、次は誰が代表としてミス・ロングビルの案内の元フーケの隠れ家へ行くという事じゃ。

 我こそは…と思う者は杖を掲げその決意を示してくれい。」

 オスマンがそう言ったものの……誰も杖を上げようとはしなかった。

 いかに強い教師達でさえも王宮の貴族を退かせる程の実力を持つフーケとは闘いを交えたくないのだろう。

 オスマンもその事がわかっているためかそれを見て神妙な面持ちで頭をポリポリと掻いた。

 

 「まぁそりゃぁ…怖いのはわかる。誰でも命は惜しいもの、けど0人ってのはないじゃろうが…。」

 「ならオールド・オスマン。なんであなたが先に杖を掲げないのですか?」

 思わず言ってしまった事をロングビルに突っ込まれオスマンはハッとした顔になり慌てて言い訳をした。

 「え?いやぁだってワシは学院長。この学院を守る立場なのじゃ。」

 「それはこの場にいる全ての教師達にも言えることなのですが。」

 たかが秘書に更に痛いところを突かれ、追いつめられたオスマンは両手で机を思いっきり叩いてこう叫んだ。

 

 「いいじゃん、いいじゃん!だって学院長なんだもん!!」

 (((本当この人、偶に考えてることがわからなくなる…。)))

 この日から大半の教師達がオスマンにカリスマ性を疑うこととなった。

 

 さて場所は戻り女子寮塔ルイズの部屋。

 キュルケが紅茶を飲み干し一息つくとカップをテーブルに置き口を開いた。

 「ねぇねぇ。少し聞いて良いかしら?」

 「何?」

 その言葉にルイズが顔を向ける。

 「今更だけど、なんで急に部屋に待機って事になったのかしらね?」

 キュルケは不思議そうに言いながら皿に盛られたクッキーを手に取る。

 ルイズはしばらく唸った後口を開いた。

 「う~ん…何かしら?」

 「わからなければいいわよ。どうせ私もあまり考えてないから。」

 キュルケはあっけらかんにそう言うとクッキーをヒョイッと口の中に入れた。

 そんな二人のやり取りをよそに霊夢は視線だけをルイズに向けながら静かに茶を飲んでいて、タバサは持ってきた本を読んでいる。

 

 「……ねぇ。」

 ふと霊夢がルイズに声を掛ける。

 「ん、何よ?」

 「アンタ等って仲が良いの?それとも悪いの?」

 その質問にキュルケとルイズが二人同時に人差し指をお互いの顔に向けた。

 「失礼ね、ヴァリエールとは代々敵同士なの。」

 「ツェルプストーと一緒にしないでよ!」

 言い終えてから二人とも指の動きがほぼ同時だったことに気づき顔を見合わせる。

 その様子を見て霊夢は思わず苦笑する。

 「言ってることは違うけどそれだけ動きが同じだとどうなのかしらねぇ。」

 霊夢の言葉を聞いてルイズが少しだけ顔を赤くし立ち上がる。

 「偶々よ!偶々!」

 必死に反論するルイズではあるが隣に座っているキュルケは怪しい笑みを顔に浮かべている。

 

 「そういえば…喧嘩する程仲が良いって言うじゃないの?」

 彼女の言葉にルイズは多少動揺しながらもキュルケに返事をする。

 「だ、だれがアンタみたいな…!」

 沸々と込み上がる小さな怒りのせいで勢い余って机を叩いてしまう。

 それを察知したのか素早い反射神経でキュルケがティーポットを二つ、霊夢がタバサの持ってきていた本2冊を手に取った。

 木を叩く音と共にカップとクッキーが皿と一緒に空中に乱舞し、天井あたりまで来ると一気に床めがけて落ちていく。

 天井から降ってくる菓子と皿にあたふたするルイズだが皿が顔に当たる直前で霊夢が皿をキャッチした。

 地面やタバサの頭に落ちたクッキーは空しい音を立て、内何個かが破片をまき散らして粉砕した。

 カップの方も鋭い音を立てて砕けてしまった。カップ1個につきエキュー金貨で3、新金貨で5のお値段である。

 キュルケは何もなくなったテーブルの上に持っていたティーポットをテーブルに置いた。

 

 「全く、癇癪起こすなら余所でしなさいよ。」

 霊夢がため息交じりにそう言った後キュルケがよけいなことを言った。

 「まったくだわ…。あなた、それのせいで男にもてないのよ。」

 

 「っ…!?あ、アンタたちねぇ…!!」

 そこでルイズの脳内の何かが切れてしまい、近くにあった本棚から2冊の分厚い辞典を取り出すと勢いよくそれを二人に投げつけた。

 「おっと。」

 「よっと!」

 霊夢は迫ってきた本に対し顔を横にそらしてかわし、本はそのままベッドに着地した。

 キュルケの方はというと上手いこと白刃取りのように受け止めた。

 それを見たルイズが悔しそうな顔をしながらもう2冊取り出そうとしたがキュルケがタバサに目配せをすると杖をルイズの方に向け呪文を唱えた。

 すると風の力でルイズの体に空気が絡み付くと、まるで操るかのようにタバサが杖をヒョイッと動かすとルイズは椅子にピョコンと座った。

 怒り心頭のルイズは何とか立ち上がろうとするが人が自然の力に勝てるはずが無くただ風の中で藻掻くだけであった。

 椅子に座るのを見届けたキュルケはフッと小さなため息を漏らすとタバサの方に向き直りお礼を言った。

 「ありがとねタバサ。」

 「ここは室内。」

 そう言って丁度読み終えた本をパタンと閉じ、頭の上に乗ったクッキーを1個手に取って口の中に入れた。

 霊夢はようやく抵抗するのをやめ、ゼェゼェと肩で呼吸しているルイズを少々呆れた目で見る。

 「…アンタが暴れたせいでお茶会が台無しね。全く…。」

 ルイズはハッとした顔になり自分の部屋を見回した。

 床にはバラバラに散らばったクッキーやカップの破片がある。

 爆発したときよりかはひどくはないがこれはこれで十分な有様である。

 ルイズは冷や汗を浮かべながらも霊夢の方に顔向くと顔を少しゆがませ怒鳴った。

 「う…うっさいわね!大体レイム、アンタが余計なこと言うからよ!?仲が良いとか悪いとか…。」

 霊夢はというとそんなルイズに呆れながらも返事をした。

 「…それって責任転嫁なんじゃないの?」

 「あなたも悪いと思う。」

 霊夢とルイズのやり取りにタバサが静かに呟いた。

 二人は同時にタバサの顔を見、何事もなくクッキーをほおばるタバサを見て霊夢は苦笑した。

 

 そんな中、キュルケが二人の間に割って入ってきた。

 「でもどうする?クッキーは駄目になっちゃったしポットの中身もホラ、スッカラカンよ。」

 そう言ってテーブルの上にあったポットを手に取り軽く振った。中からは何の音も聞こえない。

 「丁度良いじゃない、これでお開きにしたら。」

 すかさず霊夢がキュルケにそう言ったが彼女は納得していない様子である。

 「う~ん、まだ昼食の時間じゃないから暇なのよね。」

 「そもそも先生が自室で待機って言ってるのにお茶会を企画したアンタってどうなのよ。」

 何を今更、ルイズがそんな事を言った。

 一方のキュルケはウンウン唸りながら何かを考えている。

 「キュルケ…?」

 タバサが席を立ち上がり心配そうに声を掛けると…

 「そうだ、外に行きましょう!!」

 突然キュルケが大声でそう言い、他の3人が目を白黒させた。

 

 「外よ外!部屋でのんびりするより遙かに有意義じゃない!」

 「う~ん…とりあえず落ち着きなさい。」

 捲し立てるキュルケにルイズは冷静に彼女の額を杖でペチッと叩いた。

 まともに喰らったキュルケはそのままベッドへと倒れたが何事もなかったかのように起きあがった。

 「…とりあえず一度聞くわツェルプストー。外へ行くってどういう意味?」

 ルイズはキュルケの顔を指さしたながらそう言った。

 どうしてあんなに考え込んでたあげくその結論に至ったのだろうか。

 

 「そのままの意味よルイズ、散歩に行きましょ?」

 その言葉を聞きルイズはため息を吐くと、口を開いた。

 「あのねキュルケ?今は休み時間じゃないのよ。自室か同級生の部屋で待機する時間なの。」

 「それはわかってるわよ、けど私としてはこのままお開きにして部屋で篭もるのは嫌なの。3人ともわかる?」

 キュルケがそういったものの帰ってくる返事は案外冷たいのであった。

 「残念だけど私は部屋でゆっくりくつろぐ方が好きなの。」

 ルイズがそう言うとタバサも続いていった

 「私も同じ。」

 「まぁ私は…どっちでもいいわね。」

 続いて霊夢が曖昧な返事をした。

 どうやらトリステイン人とガリア人、そして日本人にはゲルマニア人の気持ちは理解されないようである

 「意外と冷たいのねあなた達。…でもあれを見たらきっと考えも変わるわね。」

 そう言うとキュルケはマントを翻し部屋を出て行った。

 彼女の突然の行動にルイズはただただ頭を捻るが、隣りにあるキュルケの自室から物音が聞こえてきた。

 しばらく戸棚を開ける音と、物をひっ掴んでは投げるような音が聞こえ、それが止むと右手に紙を握りしめたキュルケが部屋に戻ってきた。

 

 キュルケは自信たっぷりの笑みで紙を広げ、そこに描かれている地図を3人に見せた。

 それを見てルイズが胡散臭そうな目でその地図を見ながらそれを持ってきたキュルケに質問する。

 「何よそれ。」

 「うふふふ…これは宝の地図よ。宝の地図。」

 それを聞いてルイズが呆れたような顔をする。

 「キュルケ…あなたまさかこんな趣味があったなんて…!」

 この様な宝の地図は街に行けばいくらでも売っているが大抵はまがい物で構成されている。

 手を出したら十人の内九人が破産したり死んだりとロクな目にあわないのだ。

 ルイズはキュルケを嫌な奴だと心から思っているが同時に実家のこともあってかライバルでもあるのだ。

 しかし自分の好敵手がこんな物が趣味だったのは少しショックであった。

 

 「へぇ~?宝の地図ねぇ…。」

 そんなルイズとは反面に霊夢はキュルケが持っている地図に目をやる。

 隅っこなどに書かれている文字は全然わからないが多分宝のことについて書いているのだろう。

 「うふふふふふ…興味あるの?場所はこの学院から馬で三時間くらい離れた所よ。」

 そんな二人を見て不安になってきたルイズが霊夢の服を掴んだ。

 「ちょ…ちょっとレイム!あんたまさか着いていく気じゃないでしょうね!?」

 「まだ行くって決まったわけじゃないわよ。後服がのびるから掴むのやめてよね。」

 そう言いながらルイズの手を掴んで離すとキュルケの方に顔を向ける。

 ルイズはそんな霊夢の態度に少々頬を膨らましてう~、う~唸るが今になって始まったことではないため怒鳴るようなことはしなかった。

 

 しかしそんなルイズにお構いなく微笑みキュルケが口を開く。

 「まぁまぁ落ち着きなさいよ。そこに眠っている宝の名前は…名前は…っと。」

 地図をひとさし指で辿りながら宝の名前を探す。

 そして見つけたのか、指でスッと撫でながらその名前を口にする。

 

 「『境界繋ぎの縄』。」

 

 そう言った後、ルイズの方に顔を向けていた霊夢が驚いた表情でキュルケの方を向く。

 「境界?」

 「そうよ、なんでもこれを決まった方法で使うと自分が願う場所へ行けるらしいわ。」

 ま、本当かどうか判らないけど。 とキュルケが言うと霊夢は彼女が手に持っていた地図をもの凄い勢いでひったくった。

 「ちょっと!貸して欲しいならちゃんと言ってからにしてよ。」

 そんなキュルケの言葉が耳に入っていないのか霊夢は目をあちこちに走らせ地図の内容を把握していく。

 しばらくすると霊夢は地図をテーブルに置き、笑みを浮かべた顔をキュルケに向けた。

 

 「いいわ、行きましょう。」

 その思わぬ言葉にキュルケは少し驚いたがすぐに笑顔になり、ポンと両手を叩いた。

 「やっと乗り気になってくれたのね、嬉しいわ。」

 一方霊夢がこの話に乗るとは思わなかったルイズは慌てた様子で霊夢に話しかけた。

 「ちょっと!いきなりどうしたのよ!?」

 「帰れる方法が見つかるかも知れないから探しに行くだけよ。」

 「は?…………えぇ!?」

 随分とあっさり言ったため一瞬何のことだかわからず反応するのに遅れたルイズであった。

 まさかこんなに早く帰る方法が見つかるとは彼女は夢にも思わなかったのである。

 「え?なんなのルイズ、一体どういう事?」

 「う~ん、行きながら話すからとりあえず早く行きましょう。」

 霊夢の事をあまり知らないキュルケはルイズの驚きようにキョトンとする。

 状況を理解していないキュルケを促している霊夢を尻目にルイズは混乱しつつも再度話しかけた。

 

 「つ、つまり何…もう帰るって事?」

 霊夢はその言葉にええ、と頷く。

 「まさかアンタ…今更になって私に帰るな。とか言う気?」

 それに対し、ルイズはムッとしながらも答える。

 「別にそんなんじゃないわよ!帰るならさっさと帰りなさいよ。」

 ルイズの態度に霊夢は肩をすくめた。

 

 

 

 

 

 ルイズは霊夢と出会った最初の日にした、約束事を思い出していた。

 

 一緒に元の世界に帰る方法を探すこと

 ちゃんとお茶と食事は摂らせて欲しいこと、後ちゃんとした寝床

 

 いや、二つめまでは今はどうでもいいとして今直面している事は三つ目だ。

 

 ―――――――私の迎えが来るか元の世界に帰る方法を見つけたらすぐに帰らせて欲しいこと

 

 霊夢がここから元の世界に帰れば自分は再召喚が可能となる。

 そのときに使い魔は何処に行った聞かれるはずだが……まぁそのときはその時だ。

 もしキュルケが持ってる宝の地図が本当ならば霊夢はその宝を使って無事ゲンソウキョーに帰る

 自分は問題を色々処理してから再召喚して、このまま大円団。

 

 …ならば自分がすべき事はなんだろうか、とルイズは考えた。

 このまま部屋で待っているだけなのか、それとも…。

 『貴族という者はどんな者であれ、助けて貰ったら礼をしろ。』

 ふと、頭の中で父がかつて小さい頃の自分に言っていた言葉を思い出した。

 助けて貰った…とは言わないがちゃんと部屋の掃除や洗濯もしてくれたレイムには礼をするべきだ。

 このまえ買ったお茶はまぁ…レイムの事だと持って帰りそうな…。

 

 後はまぁ…何もない。

 一応宝石という手もあるが残念ながら今は手元にない。

 

 さて、どうしようか…とルイズは一人心の中で考え込み、決めた。

 「…でもアンタには色々助けて貰ったこともあるし、別れの挨拶くらいには付き合ってあげる。」

 そうポツリと、霊夢に向かって彼女は呟いた。

 今のルイズにはこれぐらいしか思い浮かばなかったのだ。

 

 このとき、宝の地図は「十人中九人がハズレ」だという事を霊夢は知らなかった。

 



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第十一話

 午前11時

 

 ――学院長室

 普段ここは午前の時間帯なら学院長と秘書だけしかおらず非常に静かな場所だ。

 しかし今はここの学院で勤めている教師達が全員部屋に集まっていた。

 それぞれの手にはメイジとしての証とプライドである杖ではなく、ただの紙切れが握られていた。

 それは椅子にドッシリと構えている学院長が前に出している右手で握っている紙の束である。

 少し頭の髪が死にかけている中年の男性教師が前に出、老いているとはとても思えないガッシリとした学院長の手が握っている紙の束から一枚だけ引き抜く。

 それを終えると彼は一歩下がり手に取った紙を確認する。紙の先端には赤いインクで「アタリ」と書かれていた。

 

 それはいわゆる「くじ引き」というものである。

 縁日やお祭りの時、一回三百円程度で箱の中に手を入れて紙を一枚取って確かめる。

 紙に書かれた一等賞や三等賞で区別された大小様々な景品が貰えるのだ。

 誰もがこれに挑戦し、望みの物が手に入らなくて泣いたり悔しがったりしただろう。

 

 しかし…。

 

 当たり紙を引いた男性教師は少し顔色が悪い。

 そう、この赤マークの紙は正確には「当たり」ではない、むしろ「ハズレ」の部類だ。

 手にはいるのは景品ではなく任務である。それもかなり危険な。

 学院長はそんな彼を見ると重い腰を上げ、しっかりとした歩みで彼の傍の寄った。

 そして動かない肩をぽんぽんと手で叩くとなんとも言えない笑顔でこういった。

 

 「ミスタ・コルベール。わるいがミス・ロングビルと共にフーケ捜索へと向かってくれ。」

 コルベールは学院長のオスマンの言葉にただただ頷く事だけしかできなかった。

 

 

 

 学院を囲っている外壁を抜けた先にあるのは広大な自然。何百年も人が触れていない森だ。

 大きい木が何本もそびえ立っている。ライカ欅では無いため伐採を免れているので樹齢は相当なものである。

 学院が完成した後外壁に沿って散歩道が作られ生徒達は勉強などで疲れたときにはいつもお世話になっている。

 

 

 ――午後一時を少し過ぎた頃。

 太陽が少し真上の時間帯。

 地上にある巨大な木々が陽の光を受け更に成長を続けていく。

 そんな森の上空を飛ぶ一匹と一人がいた。

 

 一匹の方は蒼い鱗に大きい翼と巨大な体躯は立派である。

 それはハルケギニアの幻獣でもトップクラスを誇る風竜であった。

 この風竜もなかなかの大きさだがこれでもまだ小さい方。これからグングンと大きくなっていく。

 そしてその背には三人の少女が乗っていた。三人とも首元に五芒星のエンブレムを付け貴族見習いであることを示す。

 

 ピンクブロンドの少女の名はルイズ・F・ヴァリエール。

 素直ではなく、ついつい手足が先に出てしまう。

 得意な物は乗馬と編み物、しかし編み物だけは恐ろしいほどに駄目。

 

 次に、紅い髪と黒い肌を持つ少女――というより女性はキュルケ。

 他国からの留学であるためか入学当初は他の生徒達に嫌われていた。

 実力は折り紙付き、実家はルイズとお隣同士。だけどいつもいがみ合っている。

 

 最後に、三人の中でも特に身長が低くこの風竜の主であるタバサ。

 まだ子供と見間違えてしまいそうなスタイルのうえ、サファイア色の髪は短めに切られており、それが一層彼女を子供っぽく見せている。

 何事に対してもあまり動じず学校内の小さなハプニングには無関心。何を考えているのかよく判らない。

 

 

 

 一人の方はというと風竜より少し先行して飛んでいた。

 まだ少女とも呼べる小さい体、腰まで届く滑らかな黒髪と同じ色の瞳。

 そして腋部分を大胆に露出している紅白の服はこういう年齢が好みの者なら堪らないだろう。

 肌は少し黄色が掛かった白だが余程目をこらさなければ石けんのような白い肌に見えてしまう程綺麗だ。

 そして背中には丁度彼女の身長と同じくらいある黒一色の筒を背負っていた。

 

 

 彼女の名は博麗 霊夢

 科学と文明により忘れ去られた幻想の世界から遙々魔法文明が闊歩する世界に召喚された博麗の巫女。

 実力は恐らく前述の三人より遙か上であろう。多少他人に対して冷たいところもある。

 今彼女は自分が本来居るべき場所へと帰る為、ある場所を目指していた。

 

 

 事の始まりは4時間前に遡る。

 キュルケが暇つぶしにと、持ってきた宝の地図をもとに宝を探しへ行こう。というのが発端だった。

 そこに記されていた財宝―もといマジックアイテム――の名前とその詳細を聞いた霊夢はそれに大きな興味を持った。

 もしかしたらそれを使って自分は元の世界に帰れるかも…。と思いこの宝探しに乗る事となった。

 そして霊夢を召喚したルイズも見送りという形で付き添うこととなった。

 タバサはというと最初拒否したもののキュルケに色々と頼み込まれ結果、自分の使い魔と共にこれに参加した。

 そんな事をしている内にもうすぐ十二時を示すところであった。

 どうせなら昼食を食べてから行こう、とキュルケが提案した。

 

 霊夢はいつものように一人で飛んで行きたかったのだが…

 まぁお腹も空いているので昼食の後、宝探しに行くこととなった。

 

 そんでもって昼食の後、今に至る。

 シルフィードの乗り心地は中々良いもので普通に乗っていればまず落ちることはない。

 ふとルイズが霊夢に話しかけた。

 「ねぇレイム、さっきから気になってたけどその背負ってる物は何なの?」

 「え?あぁこれの事、土産として持って帰るのよ。」

 「中身はいいとして…それ、何処で拾ったの?」

 「学院の端っこにあったゴミ捨て場みたいな所よ。」

 「ゴミ捨て場ぁ…?」

 ルイズは一瞬ポカンとなるが、すぐに納得したような顔になる。

 「あぁ、あの物置ね。」

 物置という言葉を聞いて霊夢が怪訝な顔をする。

 「あそこって物置なの?どうりで綺麗な物ばかりだと思ったけど、置き方が乱雑だったわね。」

 「……まぁあそこは誰も手を出さないからほぼゴミ捨て場よね~。」

 ルイズは苦笑しつつそう言った。

 その数分後、一行はようやく目的地である小屋を見つけることとなった。

 

 一方、森の中では一台の馬車が小屋を目指して走っていた。

 手綱を握っている緑髪の女性は後ろを向き、荷台の方でため息をついている男性教師の方へと顔を向けた。

 「ふぅ~…まさかこの私がフーケを捕まえに行くなんて。」

 彼、コルベールは不安そうな顔で呟き、自分の足下に置いている杖の方へと目を向ける。

 「大丈夫ですよミスタ・コルベール。もしもの時は私がなんとかしますから。」

 彼女、学院長の秘書であるミス・ロングビルは男として少し情けない彼を励ましていた。

 

 

 

 不運にもくじ引きによって選ばれたコルベールは秘書のロングビルと共にフーケ捕獲に向かっていた。

 場所は既に彼女が特定してくれているので後はそこへ行き、盗まれた『破壊の杖』の確保と盗賊「土くれのフーケ」の捕獲を済ますだけだ。

 それで済めばいいのだが最悪フーケとの戦闘になる。その為「火」系統のメイジであるコルベールは非常に頼もしい―――筈だった。

 しかし、コルベールは客観的に見れば、とてもじゃないが「火」系統のメイジには見えない。

 よく皆がイメージする、火の使い手は情熱的だったりやけに前向きだったりただの放火魔だったりetc…

 つまり今目の前でため息ついて不安がっている彼のような性格の持ち主は少なく、どちらかというと荒々しい性格の奴らばかりである。

 彼は決してメイジ、平民など関係なく魔法を使って攻撃することはしない、大抵は話し合いへと持ち込んでいく。

 

 ――彼には一つの夢があった。

 ――――それは系統魔法をもっと日用的にすることである。

 

 

 火や風系統の強力なスペルは学院の生徒達には憧れの目で見られるほど恐ろしい力を持っている一方、その万能性は乏しいのだ。

 風系統などは若干日用的なスペルがあるのはあるが火の系統は大半が攻撃スペルで占められている

 それを嘆いたコルベールはもっと戦闘向きの系統魔法を一般の生活に役立てようと日夜研究している。

 オスマンはそれを理解し、わざわざ彼専用の掘っ立て小屋を作ってくれたのだ。

 一見変わり者のコルベールだが、生徒達には非常に人気で教師としても非常に優秀な部類に入る。

 だからこそ彼は人を自らの魔法で傷つける事などはしない。それが祟って今のような柔らかい性格になってしまった。

 

 なら何故こんな危険な任務についたのかだって?

 コルベールは臆病に見えるが心は強い、武器なんかで脅されなければ決してその心を曲げない。

 だからあの時もし強く反対していたらオスマンもそれを了承してくれただろう。

 しかし…

 

 ――これ以上、グダグダ話していても埒があきません。

 ――――どうです?これからくじ引きをして、赤色のマークが付いた紙を引いた者が行くことに…――

 

 なんせ、あのくじ引きを提案したのがコルベール自身なのだから。

 自分でやったことは、自分で責任を持つしかないのだ。

 

 

 

 「ミスタ・コルベール、そろそろ準備をしていてください。目的地に到着します。」

 「あ、あぁ…。」

 時間は午後の一時過ぎ、もうそろそろたどり着く頃合いである。

 近づきすぎるのはかえって危険なのでここからは馬車を降り、徒歩で行くことになる。

 コルベールは傍らに置いていた杖を手に取り、馬車の荷台から降りる。

 あと二メイルくらい進めばひらけた場所へと出る、そこにポツンとたてられた小屋がある。

 そこにフーケが潜伏していると…ロングビルは言っているのだが。

 (まだここからだとよく見えないな…。)

 馬車から降りたコルベールはその場から目をこらしてみるがよくわからない。

 大木のせいでまるでその先にも森林が続いているように錯覚する。

 

 「ここからじゃよく見えませんね。」

 ふと同じく馬車から降り、いつの間にかコルベールの横にいたロングビルが呟く。

 「どうやら少し接近するしかないようですね…。」

 コルベールは口の中に溜まっていた唾をゴクリと音を出して飲み込むと杖を突き出し前進し始め、ロングビルもそれに続く。

 時に近くの木に身を隠し、亀の歩みにも負けるような足でそれでもゆっくりと目指す。

 そしてようやく小屋を見れる位置に来るとコルベールはサッと身を伏せると小屋の近くを見回し、目を丸くする。

 小屋の出入り口に蒼い風竜がいるのだ、それもただの風竜ではない。

 

 春の使い魔召喚の儀式。

 コルベールどころかハルケギニアでは前例がほぼないハプニングのあった日。

 そのとき一番物静かなミス・タバサが召喚した使い魔は彼の視線の先にいる風竜であった。

 

 ロングビルもそれに気づき驚いた。

 「あれはミス・タバサの使い魔じゃありませんこと?どうしてこんなところに…。」

 「私にもわかりませんよ…多分、あそこで休んでいるのでしょう。」

 コルベールはその他に思いついた嫌な考えを拒絶し、そういう事にしておいた。

 よもや「生徒達が学院を抜け出して森の中をほっつき歩いている」という事は考えたくもない。

 「とりあえずミス・ロングビルはそこで見張っていてください。私が小屋の中に…。」

 ロングビルは冷や汗を流しながらもコクリ、と頷き。コルベールは茂みから出た。

 ひらけた場所だけ妙に地面の土が乾燥していて、堅い感触が靴を通して足の裏に突き刺さる。

 先ほどの森林地帯とは違いここは荒野といってもよく、隠れる場所は何処にも居ない。

 やがて小屋まで後二メイルの所で休んでいた風竜がこちらに気づき、キュイ?…とその体からは想像できない可愛らしい鳴き声を上げてコルベールの方に顔を向けた。

 とりあえずコルベールは今はその風竜を無視すると気配を殺し、更に近づこうとする。

 

 

 

 「あら、アンタも宝探しに来たの?」

 

 

 

 右から鈴のような澄んだ少女の暢気な声が聞こえた。コルベールはその声に聞き覚えがあった。

 コルベールは足を止め、小屋の右側に付いているガラスが外された窓に視線を向けた。そこには忘れたくても忘れられない姿が在った。

 

 黒いロングヘアーに赤いリボン、紅白の服。ミス・ヴァリエールがあの召喚儀式の日に呼び出した博麗霊夢だ。窓から身を乗り出してこちらを見つめている。

 良く見ると背中になにやら長い筒を背負っていたが今はその事は置いておこう。

 コルベールは見知った相手であった事に安堵したのか今まで固まっていた顔の筋肉が緩み、なんとも情けない表情になった。

 「……はぁ、あなたでしたかぁ。」

 コルベールの言葉を聞き、霊夢は少し嫌な顔をする。

 「何よその態度は…まぁ別に良いけど。」

 少なくとも彼女は小屋の中にいる。これでフーケが小屋の中にいるという可能性はゼロになった。

 敵がいないと言うことに余裕が出てきた彼は先ほどの言葉が霊夢の気に障ってしまったと思い、首を横に振った。

 「いやいや、安心しただけですよ…。」

 そう言いコルベールは小屋の方へと軽い足取りで近づいていく。

 小屋まで後5サントという所でふとコルベールは足を止め、霊夢に質問をなげかけた。

 「一つだけ聞いて良いですか?あなたは一人でここに…」

 言い終える前に、今彼が最も想定したくない事態が起こった。。

 

 「誰かいたのレイム?外から男の声が聞こえたんだけ―――ど?」

 そう言いながら霊夢の後ろから姿を現したのは彼女を召喚した生徒、ルイズ・フランソワーズであった。

 途端にコルベールの顔がサッと青を通り越して白くなった。そしてルイズの方も教師の姿を見てその場で体が硬直してしまった。

 「?……どうしたのよ二人とも。」

 何がなんだかよくわからない霊夢は振り返って愕然とした顔で硬直しているルイズを小突いた。

 まるで氷の彫像のように固まったルイズからは何の反応も返ってこない。

 「あら、あら…。ミスタ・コルベールじゃあ、ありませんこと…。」

 続いて小屋の出入り口からキュルケが冷や汗を浮かべながら出てきた。

 そしてその後を子猫のようにトテトテと付いてくるタバサも少しだけ目が丸くなっている。

 

 

 その後、馬車の近くに待機していたミス・ロングビルが突然小屋の方から聞こえてきた怒声にビクッと体を震わていた。



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第十二話

 「貴方達!無断で学院を抜け出すなどして!!駄目ではありませんか!」

 

 

 

 ハルケギニア大陸のトリステイン王国。

 その一角にある森の真ん中に出来た空き地でコルベールが正座しているルイズ達に説教していた。

 右から順にルイズ、キュルケ、タバサと並び顔を地面の方に向けてジッとこらえている。

 先ほどコルベールが怒り出して説教を初めてから五分くらい経過していた。

 親からの折檻をまともに受けたことがない貴族の師弟達にはかなり辛い物である。

 

 

 

 その様子を霊夢とシルフィードは小屋の傍でじっと見ていた。

 霊夢は学院の生徒ではないため折檻されることは免れている。タバサの使い魔でもあるシルフィードも同じだ。

 彼女は隣にいるシルフィードを背もたれ代わりにし、じっと説教に耐えるルイズ達を見ていた。

 やがてコルベールの説教は開始から六分経過というところで終了に至った。

 

 

 

 やっと解放された三人は大きく深呼吸をし、肩の力を抜いた。

 「さてと…次にあなたに質問ですが…一体ここで何をしていたのですか?」

 コルベールは霊夢の方に顔を向けると質問を投げかけてきた。

 「私が幻想郷に帰れる手かがりを探しに来たのよ。あぁ、情報を持ってきたのはそこのキュルケだから。」

 霊夢はキュルケを指さしながらそう言うとコルベールはキョトンとした顔になった。

 

 

 「ほぉ~、つまりレイムは情報探しで…で、あなた達は宝探しと?」

 「そ、そうですミスタ・コルベール…」

 小屋の入り口でルイズから詳しい話を聞き、コルベールは暗い小屋の中を見渡す。

 確かにこの様な暗い場所ならちょっとやそっとの場所に隠したら並大抵には見つからないだろう。

 「しかしあなた達の宝探しは見逃せませんな。どうして無断でこんな事をしたのです?」

 「そ、その…この地図に書かれている宝はなんでも凄い力を持っているそうで…。」

 キュルケはそう言うと懐にしまっていた地図を取り出しコルベールに見せた。

 コルベールは地図を受け取るとそれを広げ、詳細を確認する。

 

 

 

 「……ふむぅ、その者が望んだ場所へ行けるマジックアイテムとな。私も少し見てみたい気もする。

 確かに小さい頃にこういう事をしていれば将来のためになるかもしれない。だが、そういうのは休みの日などにしなさい。わかりましたか?」

 

 

 

 

 ルイズ達は「ハイ」と呟き項垂れてしまった。コルベールはそれを見た後小屋の中へと入っていった。

 霊夢はとりあえずもう一度小屋の中に入ろうとしたとき、中からコルベールの叫び声が上がった。

 叫び声を聞いたルイズ達は小屋の中に入った。するとそこには腰を抜かし尻もちをついているコルベールがそこにいた。

 「どうしたの、足に古釘が刺さった?」

 本当なら冗談ではすまない事を霊夢が言うとコルベールは机に置かれているモノを指さした。

 「あ…あ、あ、あなた達…これを何処で?」

 机の上には黒光りする箱が置かれており、言いようのない重厚感を醸し出していた。

 

 

 

 箱を見た霊夢はあぁ、これ?と言い、説明した。

 「さっき床下からそれを見つけたのよ。早速開けようと思った矢先アンタが来て…。」

 霊夢の言葉を聞きコルベールは大きなため息をついた。

 「い、いや…開けていないのですね…良かったぁ~。」

 「一体この中に何が入っているのよ?よっぽど大事そうな物に見えるけど。」

 

 

 

 霊夢が興味深そうにそう言うと机の方に近づき、箱のフタを思いっきり開けた。

 中に入っていたのはこれまた霊夢やルイズ達が見たことのない奇妙な代物であった。

 それは緑色の円柱であった。材質は金属類に見える。

 幻想郷には時折外の世界から流れてくる物もある、以前には白黒のボールなんかもあった。

 しかし今目の前にある筒は霊夢が生まれてこの方見たことがない物である。

 

 

 

 

 「これは一体何なの?」

 霊夢の質問にコルベールは破壊の杖をあちこち調べながら答えた。

 「マジックアイテムの一種で、『破壊の杖』と呼ばれる物です…。でも、まさか私の生徒がとっくに見つけていたなんて…。」

 コルベールはそう言うと安堵の表所を浮かべた。

 それに異常がないことを確認すると、すぐさま蓋を閉め、コルベールは『破壊の杖』が入った箱を腋に抱えた。

 大事そうに抱えているコルベールを見て、入り口の方でジッとしていたキュルケが口を開いた。

 「ミスタ・コルベールはどうしてそんな物を探していたんですか?」

 「これは仕事ですよ?決してサボりではありません。というかまだあなた達はいたんですか?早く帰りなさい!」

 タバサはともかくとしてキュルケとルイズはそれに不満なのか、あう~と呻き、コルベールに食い下がった。

 「あう~、でもレイムが―――イタッ!?。」

 駄々をこねる傍に寄ってきた霊夢がルイズの頭を引っぱたいた。

 「先生が言ってるんだからアンタたちは帰りなさい。後は私一人でやるから地図は置いていってよね。」

 「あ…アンタ、部屋を貸してあげてるのによく私の頭を――――」

 

 

 

 

  ド ゴ ォ ォ ォ ン ! ! ! ! !

 

 

 

 

 突如外の方からもの凄い音が聞こえてきた。

 小屋の外近くにいたルイズ達は思わず声を上げ、コルベールに声を掛けた。

 「み、ミスタ・コルベール!外に巨大な…ゴーレムが!?」

 それを聞いたコルベールは窓から外の様子を見た。

 外には30メイルもの大きさを誇るゴーレムが馬車の荷車部分をまるで玩具のように片手で掴んでいた。

 「なんだと…いかん、あそこはミス・ロングビルがいた場所じゃないか!!」

 コルベールがそう叫ぶとゴーレムがこちらの方に顔を向け、手に持った荷車を投げつけてきた。

 

 

 

 咄嗟に霊夢は近くにいたルイズの腰を掴み、小屋の外へと勢いよく飛び出した。

 コルベールもタバサとキュルケに急いで出るように指示し、自身もマジックアイテムが入った箱を抱え、急いで小屋から出た。

 投げられた荷車は見事小屋に激突、勢いもあってか凄まじい音を立てて小屋は倒壊した。

 咄嗟に身を伏せたコルベール、キュルケ、タバサ達は体の上に材木や泥土が降り積もるだけで済んだ。

 最も悲惨な目にあったのは霊夢に掴まれていたルイズだった。

 空中へと逃げた霊夢はルイズを掴んだまま飛んでくる障害物を華麗にかわした。

 霊夢は平気であったがしかしルイズはそうもいかなかった。

 「ちょっ…!?落ちるっ……てうわぁ!!」

 ルイズがもう少し年をとってれば後日、腰痛と関節痛で悩んでいただろう。それほど激しい動きであった。

 

 

 

 障害物の波が終わった後、霊夢は腰を掴んでいた両手をパッと離した。

 解放されたルイズは地面に横たわった。

 「もう、二度とこんなのは御免だわ…。」

 その後立ち上がったコルベール達が心配そうな顔で二人の方へと近づいた。

 「二人とも、大丈夫か!?」

 「えぇ、全然余裕よ。けど…あっちのデカ物は逃がしてくれそうにないわね。」

 霊夢はそう言うと背負っていた筒を地面に下ろし、左手で懐に入っている札を取りだして後ろを振り返る。

 後ろではあの荷車を投げたゴーレムが大きな地響きをたててこちらに近づいてきていた。

 先程の攻撃から考えればあのゴーレムのパワーは凄まじいであろう。

 

 

 

 「全く…一体誰があんなのを作ったのよ?」

 「あれは恐らく、土くれのフーケの仕業に違いない。」

 霊夢の言葉にコルベールが即座に答えた。

 「フーケぇ…誰それ?」

 聞いた事のない名前を聞き、霊夢はコルベールの方へ顔を向けた。

 「トリステインを騒がせている盗賊さ。風の噂ではかなりの土の使い手だと聞いたが…噂通りとはこういうのを言うのだろうな。」

 「要は物盗りって事?それならあの大きさはどうなのかしらねぇ?」

 霊夢が暢気そうに呟くとコルベールも今まで下げていた杖をゴーレムの方へと向け、手の中に汗が溜まるのを感じた。

 キュルケとタバサも杖を取り出しゴーレムの方へと向けようとするが前にいるコルベールに制止される。

 

 

 

 「ミス・タバサ。君の使い魔でミス・ツェルプストーを連れて学院へ戻りなさい。そしてすぐに学院長に救援をよこしてもらうよう、頼んでくれ。」

 

 

 

 その言葉を聞き、タバサは数秒間考えた後、コクリと頷くと口笛を吹いた。

 口笛を聞き、上空に避難していたシルフィードが鳴き声を上げタバサ達の許へと降りてきた。

 素早く背に跨ったタバサを見て、キュルケはゴーレムとシルフィード両方を見比べ、結果シルフィードの背に跨ることを選んだ。

 それを見たコルベールは頷くと、ゴーレムを鋭い目で凝視している逃げるようにも言った。

 「レイム、君もミス・ヴァリエールと一緒に逃げてください。ゴーレムは私が引きつける。」

 しかし霊夢は首を横に振ると一歩前へと歩み出た。

 「そうしたい所だけど今回はそうもいかないわ、だってそのフーケとやらが…」

 そう呟くと霊夢は絵師路にある潰れてしまっている小屋を頭の中で思い浮かべる。

 

 「折角の手がかりを潰してくれたのよ。」

 霊夢はそう言うとコルベールが制止する前に飛び上がり、ゴーレムの方へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 突如前に出てきた霊夢を敵と認識したゴーレムは右の拳を素早く振り下ろした。

 「単純な攻撃だわ、性能はあのギーシュとかいうのが出してたのと大差変わらないわね。」

 その攻撃を横へ飛んで避けた霊夢は余裕満々にそう言うと持っていた札を空振りしたゴーレムの右手へと投げた。

 一直線に飛んでいく札はゴーレムの腕に着弾したと同時に大きく爆ぜ、それが一気に連続して続いた。

 攻撃をまともに食らった右腕はしかし、大したダメージはなかったがまだ霊夢の攻撃は終わっていない。

 次に左手に持った札を扇状に飛ばし、ゴーレムの胴体に直撃させる、がこれもまた大した効果は得られていなかった。

 「でも防御力は並じゃないかぁ……よし。」

 ならばと霊夢はゴーレムの顔付近にまで一気に飛んでいくと一枚のカードを懐から取り出した。

 

 

 

 それは『スペルカード』と呼ばれる物で、幻想郷での決闘ルール「スペルカードルール」に用いる技や契約書の総称である。

 主に『弾幕ごっこ』という人妖同士の決闘で使われる物だ。ちなみに霊夢自身もこのスペルカードには一枚噛んでいる。

 だがそれはあくまで幻想郷の中でのルール、ここハルケギニアではスペルカードは必要のない物だ。

 しかし霊夢は、あくまでスペルカードルールに従いフーケのゴーレムを倒すと心の中で決めた。

 最も霊夢自身、まさかこんな異世界で使う羽目になるとは思ってもいなかったが…。

 

 

 

 ―霊符―

     ―――『夢想妙珠』―

 

 

 

 それを発動したと同時に霊夢の周りに赤、青、緑、黄色といった様々な色をした大きな光弾が現れた。

 地上にいた二人はその光景に目を丸くした。

 「み、ミスタ・コルベール…!あれは一体なんですか!?」

 ルイズは色とりどりの光弾に釘付けになりながらもコルベールに聞いてみた。

 「わからん、あんなのは今まで見たことがない!あれは先住魔法とでも…?」

 コルベール自身もこの様な魔法は見たことが無く、適当にそう答えることしかできなかった。

 そして、今まさに飛ばんとしているシルフィードの背に跨ったタバサとキュルケも目を丸くしていた。

 「た、タバサ…アレ見てみなさいよ。」

 タバサはずれた眼鏡を直すことも忘れ、未知の力に驚愕していた。

 今まで多くの強敵と裏で戦ってきたタバサではあるがあのような力は見たことがなかった。

 

 出現した夢想妙球はふわっとした感じで浮きつつも、素早くゴーレムの所へ突っ込んでいった。

 避ける暇もなく、一発二発と色鮮やかな光弾がゴーレムに直撃し、ものスゴイ砂塵を巻き起こした。

 その砂塵は全てゴーレムの体を構成している岩が光弾によって砕けて出来たモノである。

 霊夢が手に持っていたスペルカードを懐にしまい直した後、砂塵が風に吹かれて空へと舞い上がっていく。しかし――

 

 「ん…――――――っ!?」

 

 突如ボロボロの巨大な右腕が霊夢を掴んだのだ。

 砂塵が完全になくなった後にあったのは、体中がボロボロになったゴーレムが健全として立っている。

 少し足りなかったと霊夢が思っていると、ゴーレムの体が盛り上がり傷つけられた部分が直っていく。

 (コイツ…自己再生とはまた…。)

 自己再生自体は基本珍しくもない、それなりに力のある妖怪なら造作もないことである。

 やがて数秒も経たぬうちにゴーレムの体は無想妙珠を喰らう前の状態になり、霊夢を掴んでいる右手を思いっきり振り上げる。

 その次にこの無機物の塊が何をするのかすぐに断定した霊夢は少しだけ目を丸くする。

 「あちゃ~、ここから思いっきり叩きつけられたら流石にやばいわね。」

 暢気そうにそう呟いた直後、霊夢を掴んでいたゴーレムの右手の甲を巨大な氷の矢が切り裂いた。

 突然の攻撃にゴーレムは咄嗟に右手の力を緩めてしまい、霊夢はすぐに脱出した。

 

 どうやら先程氷の矢を放ったのは、目の前にいるシルフィードの背に乗ったタバサであった。

 彼女は霊夢が脱出したのを確認すると此方の方へ近づいてくるゴーレムの右手に遠慮のない弾幕を浴びせる。

 弾幕と言ってもただ単に氷の矢――ウィンディ・アイシクルを多数出現させて飛ばすだけである。

 ただそれでも効果があり、ゴーレムの右手は氷の矢に切り裂かれ、あっという間にボロボロになってしまった。

 

 だがそれもつかの間であり、ゴーレムの右手はまたもや再生をし始めている。それを見たタバサは顔を微妙に顰めた。

 それを横で見ていた霊夢も同時に顔を顰めている。

 「キリがない…。あの光の弾よりも更に威力の高い攻撃が必要…あなた、もう一度打てる?」

 ふと、タバサがそう呟き霊夢の方へと顔を向けた。

 さしずめ先程のスペルカードよりも威力の高いものを期待しているのだろう。

 「そうねぇ…、確かにまだ強力なのがまだあるけど使うのは少し勿体ないし…ちょっとアレを試しに使ってみようかしら?」

 霊夢が苦笑しつつもそうぼやくと地上に置いてきた黒筒を思い浮かべる。

 

 

 

 

 どうして「アレ」がこんな異世界にあるのかはよく知らないが丁度良い。

 今すぐにでも使えるし、何より神社に置きっぱなしにしているのよりずっと良い物なので持ってきた甲斐があった。

 「ちょっと置いてきた自分の武器を取ってくるから、アンタ達はあれを足止めしてくれない?」

 霊夢はキュルケ達の方へと顔を向け、ゴーレムを指さしながら言った。

 キュルケはあの巨体を見て一瞬だけ嫌そうな顔をするが杖をゴーレムの方に向けた。

 「う~ん、しょうがないわね。一分だけよ?」

 「もう魔力の残りがない、なるべく急いで。」

 続いてタバサも下ろしていた杖をゴーレムの方に向け詠唱を開始する。

 そんな二人に霊夢は軽く手を振ると急いでコルベールとルイズが居る場所へとすっ飛んでいった。

 

 

 

 

 「おぉレイム、良く無事だった!」

 地上へと降りてきた霊夢を見て少し安心しているコルベールを無視し、

 彼女は先程の黒筒の中に入っている「アレ」を取り出そうとして、いまこの場に残っている後一人がいないことに気が付いた。

 「あれ?ルイズは何処言ったの?」

 コルベールも霊夢の言葉でそれに気づき、辺りを見回した。

 そして自分の足下にあった箱の中身が消えているのに気が付き、更にルイズが今どこにいるのか知った。

 「え…?…おぉっ!?大変だ、ミス・ヴァリエールがあんな所に!」

 

 

 

 「ハァー…ちょっとアイツ、何やってるのよ?」

 「何をしているんですか、ミス・ヴァリエール!こっちへ戻ってきなさい!!」

 阿呆としか思えないその行動に霊夢は戦いの場にも拘わらずため息をついて呆れた。

 一方のコルベールは暢気な霊夢とは反対に声を荒げ叫ぶ。

 コルベールが指さした先にいたのは、ゴーレムの足下で学院の財宝である『破壊の杖』をブンブンと振り回しているルイズがいた。

 

 

 

 一方のルイズは、いつ踏みつぶされるかも知れない恐怖をこらえて一生懸命『破壊の杖』を振り回していた。

 「この…この!名前に杖が付いているならちゃんと魔法を出しなさいよコレ!」

 ルイズは先程の霊夢のスペルやタバサ達の戦いを見て、自分も杖を手に戦おうとした。

 しかし、さきほど小屋から脱出した際に何処かへ吹っ飛んでしまったのかルイズの手元には無かった。

 仕方なく、先程コルベールが言っていた『破壊の杖』を無断で拝借し、危険を承知でゴーレムの足下までやってきたのである。

 

 

 

 

 いつもなら魔法の代わりに爆発したりするのだが、今回はそれすら起こらない。

 だがルイズは諦めず、壊れたように詠唱を続け破壊の杖を振り回す。

 「なんで…なんで何も起こらないのよぉ!!」

 やがて堪忍袋の緒が切れたのか、ルイズは涙目になりながら破壊の杖を荒々しく足下に投げ捨てた。

 ルイズは嗚咽を漏らしながら、その場にペタリと座り込んでしまった。

 (結局、私はゼロのルイズなの…?結局は……。)

 

 

 

 

 「もう駄目…魔力が無い。」

 「こっちもそろそろ終わりそうね…たくっ!あの紅白は何やってるの…?」

 タバサとキュルケの力もほぼ無いに等しく、ゴーレムは殆ど無傷であった。

 二人の攻撃は凄まじかったがゴーレムの再生能力はそれらを全て凌駕している。

 当然空中で戦っている為、今ルイズが何処にいるのか知らない。

 魔力が切れるのを待っていたのか、ゴーレムはシルフィードをその手で執拗につかみ取ろうとし始めた。

 「シルフィード、離脱して。」

 主の命令にシルフィードは素直に従い、素早くその場から離脱した。

 やっと安全になったと思い、杖を戻したキュルケは地上にいるゴーレムの足下を見て驚いた。

 なんとそこにあのルイズが杖みたいな物を足下に置いて蹲っていたのだから。

 

 

 

 上空にいる二人もそれに気づいた時、ゴーレムもやっとこさ足下にいたルイズに気づいたのか、片足をゆっくりとあげ始めた。

 だれがどう見てもゴーレムがルイズを踏みつぶそうとしているのは明確である。

 コルベールは杖を向け詠唱しようとする。が、間に合いそうにもない。

 キュルケも残り僅かの魔力を振り絞りなんとかルイズが逃げれる時間を作ろうとしているがゴーレムの動きは速かった。

 ブォン!と風の切る音と共に上げられていた大きな足を地面にいるルイズ目がけて勢いよく下ろした。

 轟音、衝撃と共に大きな土埃が辺りに飛び散り、土埃の所為でコルベールは詠唱を中止し、ローブで己の身をかばった。

 

 

 

 間に合わなかった!!――――彼が強くそう思ったとき、ふと何かが落ちてきた。

 コルベールの頭に直撃したソレは、先程横にいた少女が持っていた『黒筒』だったらしい。

 大した痛みがなかったのはその『筒』に『中身』が入っていなかったからだ。というよりその中身も大して重くはないが。

 そして、その筒を背負っていた少女も何処へと消えていた。

 

 

 

 

 ルイズは、ゴーレムに踏みつぶされる瞬間に閉じていた目をゆっくりと開けた。

 顔を伏せていた所為かまず最初に見えたのは粗い土であった。

 ゴーレムが右の足を上げた時、ルイズはやろうと思えば逃げられていたのではあるが腰が抜けてしまっていた。

 蛇に睨まれた蛙の如く動けなかった彼女は踏みつぶされる直前に目をつぶり、天国に逝けるよう始祖に祈った。

 しかし、自分は生きているようだ。なんせ体は重いし、それに妙に暑いのでどうやら死に神の鎌からは逃げられたらしい。

 ルイズはゆっくりと顔を上げ、自分に背中を見せていた相手を見て驚いた。

 

 

 

 滑らかな黒のロングヘアー、一見すると大きな蝶にも見えてしまう赤リボン。

 脇部分を露出させた大胆な紅白色の異国風の服を着た少女…。それは間違いなく博麗霊夢その人であった。

 

 

 

 「全く、アンタが一番役に立たないんだから先に逃げなさいよ…。おかげで余計なことをする羽目になったわ。」

 前にいる霊夢は面倒くさそうにそう言った。

 ルイズは立ち上がり、辺りを見回してみると青い障壁がゴーレムの足を食い止めていた。

 「あ、有り難う…ってあら?」

 霊夢にお礼を言おうとしたルイズは彼女が左手に何かを持っている事に気が付いた。

 「それって……杖なの?」

 そう、霊夢は左手に「杖」を持っていた。

 しかし、それはルイズが見たこともない一風変わった「杖」だった。

 

 

 

 霊夢の身長よりも長く、細い「杖」は黒一色に塗られ、綺麗な光沢を放っている。そして一番の特徴とも言えるのがその杖の先端部分だった。

 先端には薄い純銀の板の装飾が施されており、太陽の光に反射してキラキラと光り輝いていた。

 それは、このハルケギニアには無い装飾で、「紙垂」と呼ばれる物であった。

 

 

 

 

 ルイズは何故かは知らないが思わずそれに目を奪われてしまった。どこか神聖な雰囲気を漂わせるそれに。

 そんなルイズに気づいた霊夢がその「杖」の柄で彼女の額をトンッ!と勢いよく小突いた。

 「イタッ!」

 脊椎反射でルイズは額を抑えながら後ずさった。

 「何ぼーっとしてるのよ。さっさと逃げてくれない?じゃないとアンタも巻き込むわよ?」

 霊夢は左手に持った杖…否。「御幣」をゴーレムの方に突きつけると、未だに痛がっているルイズにそう言った。



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第十三話

 

 ――何ぼーっとしてるのよ。さっさと逃げてくれない?じゃないとアンタも巻き込むわよ?」

 

 霊夢のその言葉を聞き、逃げようとしたルイズはふと顔を上げ、思わず目を見開いて叫んだ。

 「え?…あ…レイム!う、上、上!?」

 

 

 「だからさっさと逃げろって―――わぁ…。」

 一体何事かと思い頭上を見上げた霊夢も思わず唖然とした。

 何故ならゴーレムの足裏がゆっくりとした速度でルイズと霊夢を踏みつぶそうと迫っていた。

 

 

 霊夢は本日二度目になるルイズの腕を掴むと『破壊の杖』をその場に放置し、ゴーレムが足を振り下ろす前に素早く後ろへと下がった。

 振り下ろされた足は砂塵を巻き上げながら地面をえぐるだけで終わった。

 攻撃を避けた霊夢はコルベールの所まで下がるとルイズを掴んでいた手を離し、コルベールの方へ顔を向けた。

 

 「あんた教師でしょ?自分の生徒にはちゃんと目をやりなさいよ。」

 相変わらずの主人を守る者とは思えない冷たい台詞にコルベールは顔を顰める。

 が、今はそんな事で言い争っている状況ではないためあえて何も言わないことにした。

 

 「じゃ、そいつのことは任せたわよ。」

 霊夢はそう言うと返事を待たず、懐から一枚のカードを取り出し、再度ゴーレムの方へと飛んでいった。

 そしてある程度の距離に近づいた時、スペルカードを発動させた。

 

 

 

 「神霊「夢想封印 瞬」!」

 霊夢がそう宣言した直後、ゴーレムが彼女ごとその空間を薙ぎ払うかのように腕を勢いよく横へ薙いだ。

 

 

 だが、それよりも速く彼女は飛び、素早くゴーレムの背後へと回った。

 がら空きになっている背後にお札の弾幕をばらまいたのを皮切りに、霊夢の攻撃が始まった。

 札だけではなく左手に持っている御幣からも四角形の弾幕を大量にばらまきゴーレムを攻撃する。

 ゴーレムは霊夢を目で追いかけようとするがそうしている間にも弾幕の嵐に晒され朽ちていく。

 

 遠くから見ていたタバサとキュルケは霊夢の高速移動と突然ゴーレムの目の前に現れた大量の弾幕に驚いていた。

 キュルケは先程の光弾より凄い!と興奮し、捲し立てながらその弾幕に見とれていた。

 

 

 

 「………凄い。」

 そして、いつもは無口なタバサも顔こそはいつものままだが心の中では色々と考えていた。

 訳あって今までありとあらゆる「敵」と戦ってきたタバサにとって霊夢の様な攻撃を見たのは初めてだった。

 あの攻撃も、やはり今までタバサが見たことのないモノだ。一体どうやって出しているのだろうか?

 そんな事を考えていると、ふとシルフィードが主人のタバサに呼びかけてきた。

 

 「後にして。」

 

 タバサはシルフィードの顔を見てそう言った。

 主人が自分の方へ顔を向けたことを知ったシルフィードはきゅいきゅいと鳴き、鼻先を地面の方へと向けた。

 タバサも続いて下の方を見てみた。すると離れたところから戦いを観戦しているルイズとミスタ・コルベールの後ろから誰かがやってきた。

 

 タバサ自身は数回しか顔を見て事はないが、記憶が正しければあの姿は学院長の秘書だ。

 その秘書はゆっくりと二人の背中へと近づいていく。その足の動きを、タバサは知っていた。

 まるで狩人が自分に背中を見せている獲物に気づかれないような歩き方。正にソレであった。

 それは暗殺者が後ろからナイフで突き刺そうと忍び足で近づいているとも解釈が出来る。

 

 どうして普通に歩かない?何かワケでもあるのだろうか?

 

 そんな事をタバサが考えていたとき。

 杖を持っていないルイズの背後へと近づいたロングビルがもの凄い勢いで彼女の肩に掴み掛かった。

 

 

 

 

 「どういう事なのかしら…?」

 霊夢はそうぼやき、地面の方へと視線を向けた。

 そこにはあのゴーレムの姿はなく、ただ大量の土くれがあるだけだった。

 つい先程まで丁度良く巡ってきた良い手掛かりをつぶしてくれた巨体と戦っていた最中だった。

 しかし突然ゴーレムの右腕がポロポロとただの土くれになったのだ。

 それを皮切りにゴーレムの体のあちこちが高く積み上げられた積み木を一気に崩すかの様にボロボロと土になって崩れていった。

 

 霊夢はその事に疑問を感じたが、

 あのデカ物が消え、少しスッキリしたので今となってはどうでも良かった。

 「さてと、小屋は無くなったけど…どうしようかしら。」

 手に持った御幣を肩に担ぎ、そう呟くと地面の方へと視線を向けた。

 ゴーレムによって壊された小屋は跡形も残っておらず、周囲には木片しか転がっていない。

 ルイズの部屋にいたときキュルケに見せて貰った地図では小屋があった場所に×マークが記されていたのを覚えている。

 

 (あんなんじゃあ探しても意味無さそうね………ん?)

 そんな事を考えていると、ふと下からコルベールの声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 ルイズは突然の出来事に何がなんだかわからず自分を羽交い締めにしている学院長の秘書に声を掛けた。

 

 

 「み…ミス・ロングビル?これはいったい何の真似で…!」

 絞り出すように出された彼女の声は酷く小さく、それはロングビルにしか聞こえていなかった。

 声を聞いたロングビルは眼光を鋭く光らせ、冷たい口調で言った。

 「ミス・ヴァリエール。静かにしていてください…。すれば命までは奪いませんわ。」

 ゴーレムと戦っている霊夢を遠くから見ていたルイズは後ろから近づいてきたロングビルに羽交い締めにされてしまった。

 それを間近で見ているコルベールはてっきり死んだと思っていた秘書の思いがけない行動に顔が青くなっていた。

 「ミス・ロングビル…?一体これは…!」

 「どうもこうも…今は私が言う質問を聞いてくださればいいんですの。わかる?」

 慌てた風に言ったコルベールの言葉にロングビルは嘲笑と共にそう言った。

 

 「じゃあ最初に―――ミスタ・コルベールは『破壊の杖』の使い方をご存じで?

        んぅー…でも、ゴーレムが踏んでしまったから使い物にならなくなってるかも知れないけど。。」

 

 ロングビルの口から発せられた『破壊の杖』という言葉を聞き、コルベールはハッとした顔になる。

 

 

 

 「破壊の……?…まさか!まさか君が…『土くれのフーケ』か!?」

 

 

 

 コルベールの言葉を聞き、ロングビル――もとい土くれのフーケはフフフ…と笑った。

 それを見たコルベールは今まで地面を向いていた杖を上げ、慣れた手つきでフーケの顔へと向けた。

 「およしなさいな…まさか自分の生徒まで焼くことは無いでしょう?」

 待っていましたと言わんばかりにフーケはルイズを前に出した。

 コルベールは何がなんだかわからず未だに困惑した表情を浮かべているルイズの顔を見て動揺しかける。

 しかしフーケは動揺させる暇など与えぬかのように再び最初の質問を彼に投げかけた。

 

 「さて、まだ最初の質問ですよミスタ・コルベール。――貴方は『破壊の杖』の使い方をご存じで?」

 

 繰り返し言ったフーケの言葉を聞き、コルベールは置きっぱなしにされていた『破壊の杖』がある場所へと視線を向けた。

 黒光りする『破壊の杖』はゴーレムに踏みつぶされているにもかかわらず、何処にもキズは見受けられない。きっと『固定化』の呪文をかけられているのだろう。

 しかし、その前に彼は正確な使い方を未だに把握していない。

 

 

 「もし私が使い方を知っているのなら、それを使って生徒達を守っていただろうな…。」

 コルベールがフーケの質問にそう答えたとき、彼女は数瞬だけ目を丸くしたがすぐに目を細くさせ、笑った。

 「ハハハハハ!学院の腑抜け達と比べたらあなたの方がよっぽど教師の鏡だわ!」

 そう言うとフーケは数秒間笑い続けた後、ルイズの首を絞めている方の腕の力を少し強めた。

 ただただその光景を苦しそうに見ているコルベールにはどうすることも出来ない。

 

 「さて、少し笑ったところで次の質問よ?――あの紅白服の少女は一体何者なの?

  あのミスタ・グラモンの決闘の時と同じ、見たこともない魔法で私のゴーレムを壊してくれたわ。お陰で計画はオジ――――

 

 

 「なるほど、アンタが土くれのフーケなのね?」

 

 

 言い終わる前にふと頭上から声が聞こえ、フーケは空を見上げる。

 そこには人影どころか小鳥や雲もなく、青い空と清々しい太陽があるだけであった。

 「おーい、こっちよ、こっち。」

 「えっ?…ってうわぁ!」

 ふと横から誰かに肩を叩かれ、そちらの方を向いてみると御幣を肩に担いだ霊夢がすました顔でフーケの隣に立っていた。

 何時の間に、とフーケは思ったがすぐに彼女は素早くルイズを掴んだまま距離を空け、霊夢に杖を向ける。

 「二人とも武器を下ろしなさい!じゃないとミス・ヴァリエールは死ぬことになるわよ?」

 そう叫ぶとフーケはルイズの首を絞めている腕の力をより一層強める。

 「うぅ…ぐぅっ!…あぅ…!」

 首を絞められているルイズは段々と呼吸がし難くなるのを感じ、苦しそうな呻き声を漏らす。

 それを見たコルベールは杖を仕方なく地面にそっと置いた。

 

 しかし、そんな状況になっても武器を下ろさない者が一人だけいた。

 

 「目の前に人質、ねぇ…。こんな体験は初めてだわ。」

 

 霊夢は御幣はおろか、何もせずにまるで他人事のように突っ立っていた。

 しかし目からは若干の怒りと鋭い光を放っており、まるで「殺れるものなら殺ってみろ!」と言っているようだ。

 

 「くぅ…!早く武器を捨てないとご主人様の命は無くなるよ!?」

 

 そんな霊夢を見てフーケは言葉を荒げながらも叫ぶ。

 これを言えばどんな存在であろうとも『使い魔』ならば主人を守るためおとなしくなってしまう。

 今までの経験上、フーケはそれを痛いほど知っている。

 

 

 

 

 「ご主人様?…ご主人様って誰の事よ?」

 

 「え?」

 

 「ふぇ?」

 

 「何?」

 

 その言葉に霊夢以外の3人が間抜けな声を上げる。

 「まさかルイズの事じゃないでしょうね?冗談じゃないわ。」

 霊夢はそう言うと右手で札を取り出しフーケとルイズの方へ向けた。

 それ見てフーケは杖を強く握りしめた。あの威力はグラモンとの決闘や、先程のゴーレム戦で充分に知っている。

 

 「ただコイツの部屋に同居させて貰ってるだけよ?洗濯とか掃除とかしてあげてるけど…。

  それよりも、よくもあの小屋を滅茶苦茶にしてくれたわね…?」

 

 それを言い終えたと同時に霊夢から何やらもの凄い気配が漂ってきた。

 顔には多少の怒りが混じっており、喋りながらも手に持った札に力を込めている。

 

 「お陰で折角の手がかりが台無しだわ、どう責任つけてくれるの…?」

 喋りながらも雰囲気的に次に何をしてくるのかわかった3人は慌て始める。特にルイズが。

 「ちょっ…ちょっとレイム!!アンタ私を巻き添えに…!」

 「ちょっ!ちょっ!アンタ、まさかこのままこのお嬢ちゃん共々…」

 「ま、待てレイム!フーケが狙っている物は…!」

 

 

 コルベールはそう叫ぶと霊夢に駆け寄ろうとするが、遅かった。

 

 霊夢の手から放たれた一枚の札は流れるようにルイズとフーケの方へと飛んでいく。

 

 それは風や重力にとらわれず、ある一転を目指していく。

 

 札はルイズの頬を切ることなく横を通り過ぎ――フーケの額へと飛んでいき…。

 

 

 ポン!

 

 軽い爆発音と共にフーケの額に当たったお札が小さく爆ぜた。

 小さな爆発とはいえ――大の大人一人分を気絶させるのには十分な威力だった。

 額から煙を上げながら倒れたフーケはルイズを離し、地面へと倒れた。

 「はぁっ…はぁっ……!!死ぬかと思ったわ…。」

 当たらなかったものの、一瞬走馬燈が頭の中で駆けめぐったルイズの呼吸は荒かった。

 それから数秒遅れてコルベールがルイズの傍へと走りよってきた。

 「ミス・ヴァリエール、大丈夫ですか!?」

 コルベールからそんな言葉を貰い、ルイズはこう言った。

 「ハァ…一瞬頭の中で子供の頃の思い出が駆けめぐっていきましたが大丈夫です。」

 

 一方の霊夢は今まで肩に担いでいた御幣の柄を地面に刺すと目を回して気を失っているフーケへと恨めしい視線を向けていた。

 「もっと痛めつけてやりたいけど…まぁすっきりしたし、これでいいか。」

 「なにが…まぁこれでいいか。ですか!」

 

 霊夢の言葉を聞いたコルベールがすかさず突っ込んだ。

 それを聞いた霊夢は「何か文句あるの?」と言いたいような顔をコルベールに向けた。

 「下手したらミス・ヴァリエールが死んでたのですぞ!?」

 「大丈夫よ、さっき投げたお札には殺傷力なんて全然無い―――」

 「だからそれじゃなくて!!追いつめられたフーケがあの時に…」

 霊夢はうんざりした様子でコルベールの言葉を聞き流しながらも大きく欠伸をし、地面に刺していた御幣を引っこ抜いた。

 

 そんなやりとりをボンヤリと見ていたルイズは顔を伏せ、プルプルと体を震わせた。

 

 地面にへたり込んでいたルイズはヨロヨロと立ち上がると背中を向けてコルベールに叱られている霊夢に視線を向ける。

 「…聞いてますか!ちゃんと人の話を聞きなさい!!」

 「はぁ…少し静かにしなさいよ。」

 叱られている霊夢はうんざりとしており、背後のルイズへと一切注意を向けない。

 そして獣のように低いうなり声を上げているルイズは思いっきり霊夢の右太ももを蹴ろうとする。

 

 「ん?」

 

 が、霊夢はぎりぎりで右足を横にずらし、ルイズの攻撃をかわすと顔だけを後ろに向ける。

 そこには、綺麗なピンクのブロンドヘアーを若干逆立たせ全身から恐ろしい量の魔力を放出しているルイズがいた。

 目を鋭く光らせていて、さながら怒りに我を忘れた吸血鬼や妖怪のそれであった。

 「…この、この、こっこの…。」

 怒りのせいでかキョドりながらもルイズはブツブツと呟き、

 

 「この…バカ巫女ォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」

 

 そう叫ぶともの凄い勢いで霊夢に飛びかかった。

 霊夢はスッと横に移動して避けたが一息つかせる暇もなくルイズはもう一度飛びかかってくる。

 「どうしたのよいきなり。何か不味い毒キノコでも喰った?」

 「うっさい!今度という今度は堪忍袋の緒が切れたわ!!おかげで死にかけたじゃないの!?」

 そう言いながらもルイズは素早く避ける霊夢を捕まえようとするが一向に捕まらない。

 

 「ミス・ヴァリエール、貴族の子弟がそんな事をしてはいけませんぞ!」

 一方のコルベールは野獣のように駆け回っているルイズに叫んだ。

 

 その横で気絶していたフーケは頭を霊夢に踏まれたが気にすることなく気を失っていた。

 

 

 

 「ホラ、案外平気だったじゃないの?」

 「…。」

 そんな様子を上空からタバサとキュルケ、それにシルフィードが見ていた。

 最初羽交い締めにされたルイズを助けに行こうかと思ったがそんな矢先にあの霊夢がフーケを倒してしまったのだ。

 フーケが倒れた後、ルイズ達の方へと行こうとしたがあの様子だとどうやら余計な心配だったようだ。

 

 「で、どうするタバサ?このまま戻る?」

 「もう戻る。」

 キュルケの問いに即答で答えたタバサはシルフィードに命令しようとした時、下の森の中からキラッと何かが光るのが見えた。

 それだけなら何もしないが少し気になったタバサは高度を下げろとシルフィードに命令した。

 段々と高度を下げていき、やがて光の正体が何なのかハッキリとしてきた。

 小屋の破片と一緒に森の中にまで吹き飛ばされたソレは所々に固定化の魔法が施された銀の装飾を施された小箱であった。

 シルフィードをとりあえず近くに着地させるとタバサは降り、箱を持って再びシルフィードに跨った。

 「あら、いったい何だと思ったら…綺麗な箱ね。」

 綺麗物が好きなキュルケはそれを見てうっとりとした目を輝かせている。

 一方のタバサは年相応らしくない無表情で手に持ったソレを凝視していたがポツリと、

 

 「これはきっとあの地図に載ってたマジックアイテムが入ってる。」

 

 そう、呟いた。

 

 「…え?」

 予想外の言葉にキュルケは思わず間抜けな声を上げ目を丸くする。

 タバサの言うことが正しければこの中身は地図に書かれていた『境界繋ぎの縄』という物が入っているというのだ。

 実際の所、キュルケはそれをあんまり信じていなかった。所詮はお遊びなのだと思っていた。

 しかしまさかただのお遊びがフーケ逮捕、その上宝の地図が本物。彼女が唖然するのは仕方がない。

 

 「勿論、これは推測。開けてみないと分からない。」

 呆然としていた微熱を消し飛ばすかのように呟かれた雪風の言葉にキュルケはハッとした顔になる。

 「じゃ、じゃあ…今此所で開けてみない!?」

 我に返り、急に興奮しだしたキュルケに物怖じ一つさせずタバサは小さく頷き、フタに手を掛ける。

 

 『境界繋ぎの縄』。

 地図に書かれているとおりなら自分が願う場所へ行ける夢のようなマジックアイテム。

 

 一体どんな形なのかとキュルケは期待を膨らまし、

 それほど期待していないタバサは勢いよくフタを持ち上げた。



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第十四話

骨董品クラスの壺や小さな額縁に飾られた自作の肖像画や勲章。

本棚には小型の金庫やチェス盤、数々のマジックアイテム。

部屋の隅にはトリステイン王国の国旗を持った国軍騎士の鎧。

丁度真ん中には大きな縦長机にそれに寄り添うかのように二つのソファが置かれている。

 

そして、傾いている太陽から発せられる緋色の光が窓から差し込みこの学院長室を更に古く見せていた。

 

「さてと、では今からおさらいをしてみるとしようかのぅ。」

 

嗄れてはいるが、威厳のある声でそう言ったのは窓側に置かれたデスクに膝をついているオールド・オスマンであった。

いまこの場にいるのはオスマンを含めたルイズ・ド・ラ・ヴァリエール、教師のミスタ・コルベール、キュルケ・ツェルプストー、タバサ…そして博麗 霊夢の6人である。

オスマンは学院長机の椅子に座り、後の5人は全員ソファに腰掛けていた。

「えーっと…ミス・ロングビルは土くれのフーケであり、それをミス・レイムが倒したという事じゃな?」

「ハイ。ミス・ヴァリエールを人質に取られても動じる事はありませんでした。」

コルベールはそう言うと霊夢の方へ視線を向けた。

フーケを自分の勘違いで見事倒し、ルイズを人質に取られても何処吹く風の巫女は先程出された紅茶を飲んでいる。

オスマンは立派な顎髭を手で扱きながら霊夢をじっと見つめていた。

以前『遠見の鏡』でギーシュとの決闘を見たとき、ある程度のやり手だと見ていた。

(しかし、この様な少女が30メイルのゴーレムと土くれのフーケを倒すとはな…。)

 

観察するようなその視線に気が付いたのか、霊夢がオスマンの方に顔を向ける。

「何ジロジロ見てるのよアンタ?」

「ば、バカ!アンタ学院長になんて言い方を…。」

年上に対する言葉だとは思えないその言い方にルイズが見逃すはずもなかった。

立ち上がろうとしたルイズはしかし、それよりも先にオスマンが宥めた。

「よいよいミス・ヴァリエール。怒り過ぎてはミスタ・ギトーの様な大人になってしまうぞ。」

学院長の優しい慈悲の言葉にルイズは思わず反論しようとしたがその眼光から溢れ出る気配に思わず竦んでしまい、

平然と紅茶を飲んでいる霊夢をただただ睨むだけとなった。

 

大体一息ついたところでオスマンは再び口を開いた。

 

「さてと、フーケの件に関しては良くやってくれた。と、言いたいところじゃが…?

 いくらなんでも学院を無断で抜け出すのはいかんよ?3人とも。」

 

オスマンはそう言うとコルベールから聞かされたルイズ達が無断で学院を抜け出した事を話題にし始めた。

タバサがビクッと一回だけ体を小さく震わせ、他の二人も額に小さな冷や汗を浮かべる。

そもそも霊夢を除いた生徒3人が抜け出した理由は「宝探し」という名目の為なのだ。当然許されるわけがない。

この学院は、生徒に対する処罰は甘い方であるがそれでもお金持ちの子供にはきつい物だ。

例に出せば課題や親の呼び出し、説教、謹慎などがある。だが貴族の子弟達が苦手なのが「掃除」なのだ。

以前ルイズがさせられていた教室掃除や廊下、トイレの掃除、一番きついのが各広場の草むしりである。

たかが掃除など、貴族なら魔法を使えばいい。と言いたいところだが魔法などは一切禁止。全て自力でこなさいと駄目なのだ。

 

ルイズ達も処罰には掃除関係が来るだろうと腹を括っていたがそれは無駄足に終わることとなった。

 

「本来なら、ヴェストリの広場の草むしり――と言いたいところじゃが…。聞けば破壊の杖を最初に見つけてくれたのはお主等らしいのぅ?

 盗まれた学院の財宝を確保してくれた代わりに厳重な処罰として、王宮に今回の事を報告するだけにしておこう。」

 

優しい口調でオスマンはそう言うとホッホッと嗄れた喉で笑った。

その言葉を聞いた3人はお互い顔を見合わせ小さく微笑んだ。

生徒達の喜ぶ様を水を差すようにオスマンはゴホン、と大きく咳をすると再びルイズ達の方へと体を向けた。

 

「喜ぶのはいいが、そろそろ自室に戻って今夜の準備でもしていなさい。

 なんせ今夜はフリッグの舞踏会じゃ。女の子はちゃんと時間を掛けて準備せんとな。」

 

そう言いオスマンは壁に立てかけていた杖を手に取り、短いスペルを唱え扉に向けて振った。

『風』の魔法によって扉はひとりでに開き、五人の退室を促していた。

コルベールとルイズ達生徒の四人は頭を下げ霊夢それに伴い席を立ち、部屋から出ようとしたが、

 

「あぁ、ミスタ・コルベールとミス・ヴァリエール。それにミス・レイムには話したい事があるから残っていてくれ。」

 

咄嗟にオスマンが思い出したかのようにその言葉を投げかけた。

指名されなかった後の二人の内キュルケが顔だけをヒョコッと出した。

 

「ルイズ、ちゃんとしたドレスを着てきなさいよ?」

挑発とも取れるキュルケの言葉に喧嘩っ早いルイズはすぐに食い付いた。

「わかってるわよ!あんたの際どいドレスより素晴らしいのがあるんだから!」

案の定いつもの調子のライバルを見てキュルケは軽く微笑むと駆け足で女子寮塔の方へと戻っていった。

 

やがて足音も聞こえなくなり、扉の傍にいたコルベールがドアを閉める。

そしてオスマンの方へと体を向けて不安と期待が入り交じったような顔で学院長に話しかけた。

「オールド・オスマン。話とはまさかアレの事を…?」

コルベールの言葉にオスマンは重々しく頷くとルイズと霊夢の方に視線を向け、口を開いた。

 

「さてと、話したいと言うことは…ミス・ヴァリエール。君が召喚した少女のことについてじゃ。」

「え?レイムの事についてですか?」

ルイズはその言葉にビクッと反応した。

 

今まで霊夢には学院長と会わせた事は無い。いったい何なのだろうか?

「コイツ、何かやらかしましたか?」

ルイズはそう言って霊夢を指で指した。

「なんか私が前科者みたいな言い方ね…。」

 

ルイズの言葉に霊夢は素早くそれに突っ込んだ。

しかしルイズの質問に対しオスマンは首を横に振り否定の意を示す。

「いんや、彼女は別に何もしておらんぞ。ただ―――」

「ただ?なんです?」

途中で言葉を詰まらせたオスマンを待つかのようにルイズが首を傾げて問う。

オスマンは軽くため息を吐くと霊夢の左手の甲を指さしてこう言った。

 

 

「――彼女の手にある筈の使い魔のルーンは何処じゃ?」

 

 

 

「―――えッ…!?」

その言葉を聞き、数秒の間を置いて驚愕したのはコルベールであった。

何せ彼は直接霊夢の左手の甲に伝説の使い魔『ガンダールヴ』のルーンが刻まれていたのを目にしたからだ。

「そんな馬鹿なっ…し、失礼!……」

コルベールは言いながら霊夢の左手の甲をチェックし、驚いた。

契約したとき彼女の手の甲に焼き付いていたガンダールヴの刻印は跡形もなく消え失せている。

「ほ、本当に無い…一体コレは…?」

「ちょっと、いつまで掴んでるのよ。そんなにアタシの手が珍しいの?」

霊夢はそう言うとコルベールの手を振り解き、オスマンの方へ刺すような視線を向けて口を開いた。

「アンタ、何か知ってるでしょう?使い魔のルーンが何たらといい…ルイズも同じようなことを言ってたわよ。」

その言葉を聞き、唖然していたコルベールは真剣な顔でルイズの方へ向き口を開く。

「ミス・ヴァリエール。君はこの事を前から…?」

あまりにも真剣な態度で聞かれたため、ルイズは少し堅くなりながらも話す。

「は、ハイ。私がコイツを最初に部屋へ連れてきたときに確認しました…。でも、契約はちゃんとしました。」

ルイズの言葉に、オスマンとコルベールは頭を捻るとため息をつき、霊夢に話しかけた。

 

 

「では、まず君に話すとするか。まずは…君の左手の甲についている筈のルーンから教えなければいけない。」

 

そこからオスマンの説明が始まった。

使い魔は主人との契約の際、体の何処かに刻印を付けられるということ。

コルベールの話では霊夢にはその刻印が左手の甲についていたという……

 

「しかし、君の左手の甲に付いていたと思われるルーンは別格じゃ。根本的には変わらないがのぅ?」

オスマンの「別格」という言葉を聞き、霊夢は首を傾げた。

「根本的にって…何がどう違うのよ?」

「まぁ待ちなさい、今からその事について話すのじゃ。ミスタ・コルベール、その棚にある本を。」

「あ、ハイただいま。」

そう言いながら棚から一冊の分厚い本を取り出したコルベールはそれを学院長机に置き、ページをパラパラと捲り始めた。

断片的ではあるがルイズが見たところ、どうやら始祖ブリミルについて書かれた古い書物らしい。

所々シミや欠けた所もあり、保存状態はすこぶる悪いものである。

やがてページを捲っていたオスマンの手は、『始祖の使い魔達』という項目で止まった。

右から順に『ガンダールヴ』、『ヴィンダールヴ』、『ミョズニトニルン』の名前と軽い説明文が記されている。

オスマンは『ガンダールヴ』の項目を指さすと二人に説明し始めた。

「君に記されていたというルーンはこの神の左手と言われた『ガンダールヴ』のルーンじゃ。」

それを聞き霊夢もページを覗き見るがちんぷんかんぷんで全然読めない。

ルイズも最初は何が何なのか全然分からなかったが、段々と理解し始めた。

 

「ガンダー…ルヴ?…えぇ、ウソ?」

 

「そのガンダールヴとか言うのは…どういう効果があるの?」

とのあえず霊夢がオスマンにそう質問すると彼は口を開いた。

 

「このルーンを持つ物は、例えドが付くほどの素人でもいかなる兵器と武器が使えるらしいのじゃが…」

 

その言葉を聞き、ルイズがもの凄い勢いでオスマンに近寄った。

「……っ!?、ということはオールド・オスマン…私の使い魔は…私の使い魔はもしかすると…!?」

ルイズのそんな反応を待っていたかのようなオスマンはカッ!と目を見開くと叫ぶ――

 

「そう…『虚無』の使い魔であり、ありとあらゆる武器を使いこなす伝説のガンダールヴ!!

 

 

 

 

 ……の筈だが。」

 

が、最後はまるでしぼんだ風船のような感じの声で呟いた。

 

二人は霊夢の方へと一斉に視線を向け、ため息をついた。

一方のルイズは、その事に安堵して良いのか落ち込んだら良いのかわからなかった。

突然投げかけられた二人分のため息と視線に霊夢はキョトンとした顔になる。

「なによ?その残念そうな顔は。私が何かした?」

 

オスマンは二、三度顔を横に振ると再び席を立ち、棚に置かれていた一本の太刀を手に取った。

「……まぁ、とりあえずは確認せんとな?ルーンが無いだけ…という事もあるかも知れんし。」

そう言うとオスマンは霊夢の近くに来ると、彼女の前に両手に持った太刀を差し出した。

「この太刀を手に取ってくれ。それだけでいい。」

霊夢はそんな事を言うオスマンを怪訝な顔で見たがとりあえず見た感じ大丈夫そうだったのでその太刀を手に取った。

そして鞘から抜いた刀身を見て苦虫を踏んだような顔をして呟く。

 

「……随分と酷いわねぇ。」

彼女は剣に関しては余り詳しくはないが素人の目でも見て分かるくらいにソレは刃こぼれと錆びに覆われていた。

かつては白銀色に輝いていた刀身は見る影もなく焦げ茶色になっていて、下手に振るとあっさりと折れそうなくらい、弱々しく見えた。

太刀を手に持った霊夢に何も起こらないのを確認したオスマンは再び大きなため息をついた。

 

「ふぅむ…やはり何も起こらな――

                    『おいコラ!誰が酷いだって!?』

 

突如オスマンの声を遮り、男の怒声が学院長室に響いた。

ルイズは突然のことに辺りをキョロキョロとしていたが霊夢の方はジッと手に持っている太刀の鎬を見た。

 

「……まさかこの剣が喋った?」

 

霊夢がポツリとそう呟くと、ひとりでに太刀の根本部分がカチカチと動き、再びあの声が聞こえてきた。

『おうよ、何せ俺はインテリジェンスソードだからな!』

若干怒り気味だが、何やら嬉しそうな太刀の言葉に霊夢は目を丸くしていた。

「インテリジェンス…?何よソレ。」

「つまりは喋る武器の事よ。価値はそれほどでもないけど昔からある武器なの。」

声の主が誰だかわかったルイズは霊夢にアドバイスをした。

幻想郷には変わったマジックアイテムや道具などたくさんあるがそんな場所に住んでいる霊夢でもこんなのは見たことがなかった。

 

『おぅ、よく知ってるじゃねぇか!』

大声で喋るインテリジェンスソードの持っている霊夢は鬱陶しそうな顔をする。

生意気なこの剣をどうやったら黙らせることが出来るのか考えているとふとコルベールが視界に入った。

「ねぇコルベール。」

「なんですか?」

「コイツ、どうやったら黙らせれるの?」

 

その質問を聞き、コルベールはインテリジェンスソードを指さした。

「えーっと、それを売っていた武器屋の店主の言葉では…鞘に入れたら黙るとか…。」

彼がそう言い終えた直後、再びあのインテリジェンスソードが喋り出した。

『聞いて驚くな?俺はインテリジェンスソードの中でも一際輝くデルフリン――

 

チン!

 

綺麗な金属音と共に、お喋りな太刀は鞘に納められ何も言わなくなった。

それを見て霊夢は満足そうな顔をするとインテリジェンスソードを乱暴に学院長机の上へと置いた。

「コレを買った奴は相当な物好きね。何の目的でこんなのを―『オイオイオイオイ!!名前は最後まで聞けって!』

やっと黙ったと思っていたインテリジェンスソードはしかし、勝手に鎬部分だけが鞘から出てきて再び喋り始めた。

 

『俺はデルフリンガー。お前ら人間達よりも遙かに長く生きてるインテリジェンスソードの一つさ。

 だが人間とは違って動けない俺たちにとっては人との会話は唯一の娯楽なんだ。だからさ、鞘に収めるのはやめ―

更に喋ろうとしたデルフリンガーを、霊夢は素早く手に取り…

 

チン!

 

鎬の部分が鞘に納められ、デルフリンガーは博麗の巫女によって再び黙らされた。

「うっさいわね。あんたの声は大きすぎるのよ。」

霊夢はそう言うとデルフリンガーをコルベールに突き返した。

コルベールがそれを受け取ったのを確認すると霊夢はオスマンの方へと顔を向けた

「確かめたかった事ってこれだけ?」

オスマンは軽く頷くと口を開いた。

「あぁ、そうじゃ。」

「ならもうルイズの部屋に帰るわね。色々あって疲れたから…。」

霊夢はそう言うとルイズを置いて踵を返しドアを開けて出ようとした。

しかし、そんな霊夢をオスマンが思い出したかのように止めた。

「あぁ、待ってくれ。一つだけ質問させてくれんか?」

オスマンの言葉に霊夢は手を止め、まだ何かあるのかと言いたそうな表情をオスマンに向けた。

「…何よ?」

 

「君は…これから先、ミス・ヴァリエールをありとあらゆる危機から守ってくれるか?」

 

オスマンの質問に、霊夢は考えるそぶりも見せずこう即答した。

 

「そうねぇ、一応私の見える範囲なら守ってあげるわ。…それじゃ、先に帰ってるわよ。」

 

霊夢は最後の一言をルイズに向けて言うと退室した。

 

 

霊夢が退室した後、残された3人はただただ沈黙するだけだった。

コルベールは霊夢の冷たい態度に唖然としており、オスマンは気まずい顔を…そしてルイズは、今更ではあるが嫌な顔で溜め息をついた。

「ま、まぁミス・ヴァリエール…世の中は限りなく広い、ああいう人格の人間もいるんじゃ…。」

オスマンはそんな慰め言葉をルイズに投げかけたがいかんせん反応がない。

多分召喚して以来、あの性格に悩まされているのだろう。

「…失礼します。」

ルイズはそう呟くと、そさくさと退室した。

 

 

ルイズもいなくなり、学院長室には二人だけとなった。

「オールド・オスマン。心配だとは思いませんか?」

「心配…とは?」

コルベールの言葉にオスマンは首を傾げる。

「ミス・レイムの事ですよ。見たところミス・ヴァリエールとは少々険悪な雰囲気が出ていると私は思います。」

その言葉を聞き、オスマンは顎髭を数回扱くと口を開いた。

 

「君はまだまだ若いのぅ…髪は無いのに若いのぅ。」

「!?っ…と、突然何を言い出すかと思えば…無礼ですぞ!」

突然頭の事を言われたコルベールは頭を押さえて叫んだ、

「そういう意味ではなく、まだまだ人を見る目が若いという事じゃ。さっきのは冗談さ。」

それはウソだ。と、思いつつコルベールはオスマンの言葉に耳を傾けた。

 

 

「確かに見た感じ、相性が悪いとは思うが…別にかなり酷い。というレベルじゃあない。

 もしもの時には、あの子―ミス・レイムはミス・ヴァリエールをきっとあらゆる危機から救ってくれるだろう。

 別に彼女がその気じゃなくとも、結果的にはそうなるかも知れん。

   何より、不思議とあの瞳からは嘘を言っている様には思えんのじゃよ…」

 

オスマンはそういうと右手を地面に下ろし、足下にいた自身の使い魔を手のひらに乗せた。

「だけどワシは、そういうタイプよりモートソグニルのようなモノが好みじゃが。

 …さてと、君も退室して構わないぞ。今日は君もパーッと飲みたまえ!何せ年に一度の舞踏会じゃからのぅ。」

 

「はぁ…では、失礼いたします。」

 

コルベールはオスマンに頭を下げると、デルフリンガーを持ったまま部屋を出た。

オスマンは彼が去ったのを見届けると使い魔の顔に耳を近づける。

それからすぐに相づちを二、三回うつと不満そうな顔をしてナッツを2個モートソグニルに与えた。

 

「う~む…ドロワーズを履いていたとはな…。だからあんな平気で空を飛んでいたのじゃな。いやはや…」

 

オールド・オスマン学院長――

彼はやはり、れっきとしたカリスマを持つ素晴らしき変態であった。

 

 

 

「あぁーもぉ…。とんだ骨折り損だったわ。」

霊夢は大きく欠伸をしながらルイズの部屋目指して女子寮塔の廊下を歩いていた。

せっかく舞い込んできた美味しい情報はあっさりと乱入してきた盗賊に潰れてしまい、

その盗賊をボコボコにしてスッキリしたのでまぁ良かったがその分かなりの疲れが体に溜まっていた。

 

何やら先程、今日は舞踏会だとか言っていたのだがどうしようか霊夢は今悩んでいた。

飲み会などは嫌いではない、むしろ好きな方ではあるが、疲れている今は柔らかいベッドで一寝りして疲れを取り除きたい。

しかし寝る前に一杯飲んでから寝るのも良いと考えており、

霊夢はどちらにしようか考えながら薄暗い廊下を歩いていると奥からふとボソボソと話し声が耳に入ってきた。

(…よ、私は…知っ…。)

(でも、キ……が持ち込んで…)

声からして女性ではあるが何を言っているのかわからない。

こんな所で良からぬ事を企んでいるのか。と霊夢は思いながら声の方へと近づいていく。

 

やがて声の発信源がルイズの部屋の入り口だという事に気が付いたと同時に、誰が喋っているのか理解した。

その正体は、霊夢に背を向け声を小さくして口論していたキュルケとタバサであった。

一体何事かと思い霊夢はすぐに声を掛けようとしたがその前に口を開いたのはキュルケだった。

「それにこうやってこっそり置いてた方が誰が送ったか分からないじゃない……?」

両手に銀細工の箱を抱えたキュルケがそう言ったがタバサは首を振る。

「彼女は見たところ勘が鋭いと見る。素直に差し出した方が良い。」

タバサの言葉にしかし、キュルケは首を振った。

 

「でもでも…あの子すごく怒りそうじゃない…?」

そろそろもう良いかと思った霊夢は、こちらに背を向けて話していた二人に声を掛ける。

「ちょっと、誰が怒りっぽいですって?」

「えっ…?うひゃっ!!」

キュルケは素っ頓狂な叫び声を上げると、手に持っていた箱を落としてしまい、

コロコロと床を転がる羽目になった箱は丁度霊夢の足下で止まった。

 

「?…何よコレ。」

「あっ…それは…。」

霊夢の問いにキュルケは箱に手を伸ばしたが素早く霊夢がその箱を取った。

それを見たキュルケは数歩下がってタバサの傍に寄ろうとしたがタバサもまた後ろに下がる。

「中に何か入っているけど…。」

中身が何故か気になる霊夢は怠そうな目でキュルケに尋ねた。

それに対しキュルケは少し悩んだそぶりを見せた後、口を開いた。

「実はそれね…今日迷惑かけたお礼として渡そうかと思って。」

箱を軽く振りながらそう呟く霊夢に、少し落ち着いたような感じでキュルケはそう言った。

 

「お礼…?まさかびっくり箱とかじゃないでしょうね。」

霊夢は怪訝な顔をしながらもその箱の蓋に手を掛けた。

「違うわよ…なんていうか、そのぉ…。」

キュルケはそんな霊夢の顔を見て悩んでいたとき――

 

「その中には地図に書かれていたマジックアイテムが入っている。」

 

ポツリと、タバサがそう呟いた。

同時に、霊夢も蓋を開けて箱の中身に入っていた『縄』を見た。

その瞬間、ギクリと体を震わせたキュルケは踵を返してそさくさと自室へと帰っていった。

タバサはそんな友人と箱の中身を見たまま固まっている霊夢を一瞥し、自室へと戻った。

一方の霊夢は箱の中に入っていた『お宝』を見て硬直していたがバッと顔を上げると箱をその場に叩き捨て、目を鋭く光らせた。

 

 

急いで自室に戻ってきたキュルケは鍵を『ロック』の呪文で閉めると椅子に座って頭を抱えていた。

キュルケは最初から、『境界繋ぎの縄』というマジックアイテムなど信じていなかった。

大抵の宝の地図に書かれている名前は大げさな物であるがご丁寧にもあの地図には大層な説明まで書いていた。

しかも埋まっている場所も近く、あの時こそチャンスだと思いルイズ達を誘ったのだ。

思いの外あの霊夢もそれに乗ってくれた。

 

だけど、どうやら霊夢はアレが紛い物だと知らなかったに違いない。

じゃなければ廊下から漂ってくる良からぬ気配など感じないのだろう。

使い魔のフレイムも不安そうに部屋をグルグルと歩き回っている。

(どうする…今回ばかりは素直に謝ろうかしら?じゃないとやばそうだし。)

いつものキュルケならそんな事を思いはしないが、フーケとの戦いを見て流石にアレは怒らせたら不味いと感じていた。

そんな風に悩んでいると突如扉から小さな破裂音が響いてきた。

咄嗟に杖に手に持ち扉の方へと向けた瞬間、ドアがゆっくりと開いた。

 

 

 

部屋の出入り口に立っていたのは、御幣を左手に、お札を右手に持ち、体から何やら嫌な気配を出している霊夢であった。

彼女から出てくる気配に圧倒されたのか普通主人の前に出て威嚇するはずの使い魔は情けなくもベッドの下に隠れている。

キュルケもイスに座ったまま口をあんぐり開け硬直していた。

 

 

(キャ~、ツェルプストー大ピンチー!…なんて言ってる場合じゃないわn―――

 

キュルケがどうしようかと頭の中で考えようとしている時には既に遅く――

――霊夢の素早い蹴りがキュルケの額に直撃していた。

 

――――――

 

ルイズの部屋に入り口に投げ捨てられている一つの箱―――

その中からは一本の縄が出ていた。両端には小さな持ち手があり、十歳ぐらいの子供には丁度良いサイズの物であった――

遊び道具としても、運動器具としても役立つそれは――

 

「境界繋ぎの縄」でなく、「なわとび」と呼ばれている。

 

 

今夜行われるフリッグの舞踏会は食堂の上の階にある大きなホールで行われる。

テーブルクロスの上に並べられた数々の山海珍味、高級なワイン。

生徒や教師達は皆華やかな衣装に身を包み、今宵の宴を楽しむ。

舞踏会ということだけあって、皆ダンスに夢中であるが中には例外もいる。タバサが正にそれである。

 

「あなたって本当に良く喰うわね…。」

 

額に包帯を巻いたキュルケが小皿に盛られた肉料理をフォークを突っつきながら横でサラダを食ってる友人を見て呟く。

幸いあの蹴りは気絶だけで済んだがさっきからジンジンと痛む、もし機会があるならあの紅白に一矢報いてやろう。

そんな事を思いながらキュルケはタバサが食べているサラダへと視線を向ける。

「ハシバミ草」と呼ばれる植物をメインにしたそれは、タバサ以外に指で数える程の者しか食べていない。

そのハシバミ草を食べようなんて考えるのは変わり者だけ。と豪語する程不味いらしいので当たり前と言えば当たり前だろう。

自分の友人がそんな物を美味しそう(?)に食べているのを見てついついこんな事を聞いてしまった。

「ねぇタバサ、それって美味しい?」

「普通に美味しい。」

キュルケの質問にタバサは手の動きを止めてポツリとそう呟き、再びハシバミ草を口の中に入れ始めた。

本当なのかどうかわからないその様子にキュルケはただただ苦笑いをするだけとなった。

 

「やけに不機嫌そうだけど、どうしたのかしらツェルプストー?」

 

そんな時、ふと後ろから声を掛けられ、聞き覚えがあったキュルケはすぐに振り返った。

予想通りそこにいたのは、綺麗な純白のドレスに身を包んだルイズが腰に手を当て突っ立っていた。

振り返ったキュルケの顔を見たルイズは、顔をキョトンとさせた。

「あれ…、その額の包帯はどうしたのよキュルケ?」

「どうしたもこうしたも無いわよ。あの紅白に蹴られたのよ…全く。」

キュルケは嫌みっぽくそう言うとそっぽを向いた。

 

「大体、10の内9がハズレの地図なんか信じる方が悪いのよ。それなのにアイツったら…問答無用で私の額を蹴ったのよ。」

「…そういう事は先に言っておいた方が良かったんじゃないの?あぁ、そういえば聞きたいことがあるんだけど…。」

キュルケにそう突っ込んだルイズは、キュルケに質問を投げかけた。

「何よ?」

「レイムの奴が何処にいるか知らない?あいつ、部屋にいなかったし。」

その質問に、キュルケは首を傾げて答えた。

「さぁ…知らないわね…タバサは?」

「さっきバルコニーにいるのを見た。」

タバサはそれにスラッとそれに答え、顔をバルコニーの方に向けた。

 

一方、場所は変わってバルコニー

ホールと比べここには人はおらず、寒い夜風が吹きすさんでいる。

そんな場所で霊夢はただ一人ベンチに腰掛け、ホールから勝手に拝借したワインを飲んでいた。

酒の肴は無く、ただボンヤリと双つの月を眺めグラスに入ったワインを口に入れる。

そんな時、後ろから誰かが声を掛けてきた。

 

「こんな所で何辛気くさそうに飲んでるのよ?」

 

振り返ると、そこにいたのは立派なドレスで着飾ったルイズがいた。

「何って…寝る前に一杯飲んでおこうと思ってね。」

霊夢は顔を向けずルイズに素っ気なくそう言うとクイッとワインを飲んだ。

空になったグラスを口から離し、一息入れると視線だけをルイズに向けた。

「で、何の用よ?」

「別に、ただ何処にいるのか探してただけよ。」

ルイズはそう言うと霊夢の横に座ると、手に持っていたグラスにワインを入れ、飲み始める。

しかし、ルイズはお酒には余り強くなく、むしろ弱い方なのでチビチビとしか飲めない。それを見て霊夢が口を開く。

 

「なにチビチビ飲んでるのよ。もうちょっとガバッと飲んだら?」

「私はお酒に弱い方なのよ。ほっといて頂戴。」

 

ルイズの言葉に霊夢は軽く笑うと手に持っていたグラスにワインを注ぎながら喋り始めた。

「今回は踏んだり蹴ったりだったわ…まさかただの縄一本の為にあんな苦労したなんて…。」

そんな霊夢の愚痴を聞き、ルイズはグラスを口から話すと口を開いた。

「でも丁度良い運動にはなったんじゃないの?フーケも倒して国の治安維持にも貢献出来たし。」

しかし霊夢は不満そうな顔で首を横に振るとこう言った。

「私はそんなのに興味は無いわよ。ただ幻想郷に帰れるかも知れない情報が都合良く舞い込んだから行っただけ。

 もしも最初からあの地図がデタラメだと知ってたら疲れることは無かったのに…。」

 

ルイズはその言葉に微笑むとこう言った。

「フフッ、丁度良いじゃない。この世界の詐欺商法の一つをしっかりとキュルケが教えてくれたんだから。」

「そんなのを学ぶ暇とアイツを叩く暇があるなら、アタシはお茶でも飲んでた方がずっと有意義だわ。」

霊夢はそう言うとグラスに入っていた残りのワインをグイッと口の中に流し込んだ。

 

 

「まぁとりあえず今はお茶よりお酒ね。」

 

 

―何せ今日は舞踏会なんだから。

ルイズはそう言うと再びグラスに口を付けてチビチビと飲み始めた。

それを見た霊夢はフッと微笑むともう一度グラスにワインをつぎ足した。

 

 

―酒一杯にして人、酒を呑み。

 

   酒二杯にして酒、酒を呑み。

 

    酒三杯にして酒、人を呑む。

 

 

こんな月の綺麗な日は酒を呑むのには丁度良いけど、

 

 呑みすぎると翌日には悪夢を見ることになるので程々にしましょう。

 

「モンモランシィ~~…もういっぱぁ~…イ゛ィ゛ッ!!?」

 

「アンタは飲み過ぎよ!!」

 

「だ…だからって空のワインボトルで殴らないでくれぇ~…。」  



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第十五話

トリステイン魔法学院で行われたフリッグの舞踏会から約一週間が過ぎた。

勉強もこれからだという時期なのに魔法学院の生徒達はあの時が忘れられず、この教室でも何人かがそのときの思い出を話していた。

 

ある者は恋人が出来たとか、とても美味しい酒やご馳走を楽しめた等々色々だった。

そんなホンワカとした雰囲気の中、ただ一人ルイズだけが何かを考えているような表情でイスに座っていた。

フリッグの舞踏会があったその日からルイズの頭の中には学院長のある言葉が残っていた。

それは春の使い魔召喚の儀式で喚んでしまい、今では使い魔ではなく居候と化している霊夢へ放たれた言葉であった。

 

――――君に記されていたというルーンはこの神の左手と言われた『ガンダールヴ』のルーンじゃ。

    ―――そう…『虚無』の使い魔であり、ありとあらゆる武器を使いこなす伝説のガンダールヴ!!

 

学院長はハッキリとそう言った。ガンダールヴなら私でも知っている。

大昔にかの始祖ブリミルと共に東にある『聖地』へ赴いたという始祖の使い魔の内一人。

ありとあらゆる武器と兵器を使いこなしブリミルの盾となった。

そしてそのルーンが、霊夢についている『筈』らしいが…

 

 

   ―――馬鹿言わないでよ!それにアンタの左手にルーンが刻まれてるでしょ?それが使い魔の証拠…

 

―――そんなの何処にも無いけど?

 

               ――…え?嘘、なんで!?

 

最初に自室へ連れて行ったときにはちゃんとキスしたはずなのにルーンが左手の甲から消え失せていた。

だからそのときにきっとガンダールヴのルーンとやらも消えてしまったのだろう。

ミスタ・コルベールはそのルーンをスケッチしたそうだが…今となってはもう関係ない。

(というよりも…私が伝説の『虚無』の担い手のわけがないし…。)

そう、ガンダールヴを召喚できるのは『虚無』の系統を操れる者と言われている。

『虚無』事態は既に歴史の彼方に消え去り、本当にあったのかさえ良くわからない。

 

 

 

ルイズがそんな事を考えていると、一人の教師が突然ドアを開けて入ってきた。

と同時に、今まで喋っていた生徒達も黙ってしまい全員緊張した顔で教壇に注目する。

 

入ってきた教師はミスター・ギトー。

黒い長髪に漆黒のマントと、いかにも絵本で悪役として出てきそうな姿をしている。

 

体に纏っている雰囲気は冷たく、生徒達どころか給士や衛士、教師達からもあまり人気が無い。

現にルイズ達の学年を初めて見たときにも「今年は不作だな。」と馬鹿にしていた。

ギトーは教壇に立つとゴホンと咳払いをし、生徒達を見回す。

そして一通り確認し終えると、満足そうに頷き口を開いた。

「…では授業を始める。皆が知っての通り、私の二つ名は『疾風』。疾風のギトーだ。」

ギトーは軽く自己紹介をすると、怠そうな顔で教壇の方を見つめているキュルケへと視線を向けた。

教師の視線に気づいたキュルケはハッとした顔になると先程の態度を誤魔化すかのように軽く咳払いをする。

「ふむ…突然だがミス・ツェルプストー。この世で最も最強の系統を君は知ってるかね?」

「え?」

突然の質問に、一瞬だけ言葉に詰まってしまったがすぐにいつもの得意げな顔になるとキュルケはその質問に答えた。

「簡単ですわミスター・ギトー。伝説と豪語されている『虚無』とやらじゃないんでしょうか?」

いつものように小馬鹿にした感じでキュルケはそう言ったが、ギトーはそれを首を横に振って否定した。

「君はいつからミスタ・コルベールの様な学者になったのだ?私は現実的な答えを求めているのだよ。」

馬鹿にするつもりが、逆に馬鹿にされてしまったキュルケは少しだけカチンときた。

「それはすいません…なら答えは『火』ですわ。全てを燃やし尽くせる威力とその情熱は如何なる存在にも匹敵します。」

 

『微熱』の二つ名を持つ彼女らしい答えに、ギトーは唸ったが…すぐに口を開いた。

 

「確かに、『威力』だけを考えればあながち間違ってはいないが。残念ながらそれは違う。」

 

ギトーはそう言うと腰に差していた杖を勢いよく引き抜き、キュルケの方へ顔を向けた。

「試しに、この私に『火』の魔法で攻撃してみたまえ。」

その思いがけない言葉に、キュルケどころか他の生徒達もギョッとした。

「どうしたミス・ツェルプストー?君は『火』系統が得意では?」

もはや挑発ともとれるその言葉に、キュルケが黙っていられるはずが無かった。

「火傷どころか、退職騒ぎになるような状態になっても知りませんわよ?」

キュルケはそう言うと胸の谷間から杖を引き抜き、ギトーの方へと向ける。

しかしギトーはそれには動じず、鼻で笑うと更に言葉を続けた。

「面白い、今まで私に挑んできた『火』系統の生徒達も君と同じようなことを言っていた。」

それを聞いたキュルケは目を細め、いつもの小馬鹿にしたような笑みを消し詠唱を開始した。

ある程度詠唱をすると杖を軽く振った。すると目の前に差し出していた右手の上に小さな火の玉が現れた。

次いで更に詠唱をしていくとそれに伴い火の玉も大きくなっていき直径1メイルほどの大きさとなった。

 

 

 

他の生徒達はそれを見て慌てて机の下へと隠れた。

あの大きさともなると爆発したときの範囲はルイズの失敗魔法並である。

キュルケは深く深呼吸をすると右手首を回転させ、胸元にひきよせると思いっきり火の玉を押し出した。

唸りを上げて飛んでくるソレをギトーは避ける動作すら見せず杖の先を火の玉に向けると剣を振るようにして薙ぎ払う。

直後、烈風が舞い上がり火の玉がかき消えた。と同時にギトーは疾風の如くキュルケの元へと駆け寄る。

キュルケが気づいたときには既に遅く、ギトーの足払いにより体勢を崩し、そのまま地面へと仰向けに倒れた。

 

ギトーは杖を戻し、軽く呼吸をすると頭だけを出して様子を見ていた生徒達の方へと体を向けた。

そして舞台の上に立った大役者のようにおおげさに腕を上げ、何か言おうと口を開こうとした時――――

 

 

 

「 あ や や や や ! 失礼いたしますぞ!」

 

 

 

突然ミスター・コルベールがもの凄い勢いでドアを開けて教室に入ってきた。

その体に纏っているローブにはレースの飾りや刺繍が躍っており、頭には馬鹿でかいカツラをのっけていた。

コルベールは早足で教壇の所にまで来ると軽く咳払いをし、辺りを見回した。

突然の乱入者に活躍の場を奪われ唖然としていたギトーはハッとした顔になるとコルベールへと詰め寄った。

「どういうおつもりですかミスタ・コルベール?今は授業中です。」

詰め寄ってきたギトーに対しコルベールは陽気な口調で返事をした。

「おぉミスター・ギトー!すいませんが今日の授業は全て中止ですぞ!」

コルベールの口から放たれた言葉は周りの生徒達にも伝わり、ざわ…ざわ…と辺りが少しだけ騒がしくなる。

それから数秒おいてからコルベールはウンウンと頷くと怪訝な顔をしているギトーを放って説明をし始めた。

「えー皆さんに嬉しいお知らせがありますよ。」

もったいぶった調子でそう言うとエッヘンとのけぞった、しかしその拍子に頭からカツラが取れてしまった。

「なんと今日はトリステインの花であるアンリエッタ姫殿下がこの魔法学院の視察に――」

だがそれに気づいていないのかコルベールは両腕を振り上げながら説明を続けた。

 

それを見て今までざわついていた生徒達の間からクスクスと小さな笑い声が聞こえてきた。

やがてそれは他の生徒達へと伝わり、大きな笑い声となっていく。

「―その為今日は各自歓迎のための準備…え?ホアァ!?」

笑い声に気づいたコルベールはふと足下を見てみると自分が頭に乗せていたカツラがあるのに気が付いた。

思いの他驚いているコルベールへ向けて、タバサがポツリとこう呟いた。

 

「――滑りやすい。」

 

その瞬間、タバサの顔に咄嗟にコルベールが投げたカツラが直撃した。

 

 

 

 

場所は変わり、トリステイン国内のとある山奥。

太陽が出ているのに空を覆うように生えた大木の所為で森全体がとても薄暗く、不気味な雰囲気を出している。

こういう場所は狼や野犬、そしてある程度の知能を持った恐ろしい人外にとっては快適な場所なのだ。

そんな危険な場所を大きな篭を持った女の子が自分の腰ほどの高さもある雑草だらけの山道を歩いていた。

 

この地方を管轄している領主もこんな山奥に道を作ろうとはしないので荒れ放題である。

篭には少女の好物である蛙苺と呼ばれる野苺が沢山入っていた。

家を出るとき、両親からは森の奥には入ってはいけないときつく言われていたが、以前に内緒でココヘ来たことがあったので気にしなかった。

…村の近くに生えているのは酸っぱかったが、きっとこの山奥に生えているコレはおいしいに違いない。

少女はそんな事を思いながら自分の家がある村を目指し歩いていた。

 

 

その姿を、草むらで身を隠しじっくり観察している人外達がいる。『オーク鬼』である。

 

オーク鬼の姿は二本足で立っている豚―――という例えがピッタリと当てはまっている。

でっぷりと太った大きな体には狼や鹿から剥いだ皮を纏っていて、首には荒縄で人の頭骨で作った首飾りを下げていた。

身の丈は2メイル、体重は人間の優に5倍とかなり厳つく、手には大きな棍棒を握りしめている。

このオーク鬼達は自分たちの巣へ帰ろうと、ふと人間の匂いがしたため近づいてみたら丁度良い餌が目に入ったのだ。

主に鹿、兎などの草食動物や人間すら食べるオーク鬼達は、小さな子供が大好物という困った嗜好を持っている。

オーク鬼達は全部4匹おりその内一匹がフゴフゴ…と鼻を鳴らすと後ろにいた残りの3匹は頷き、ゆっくりと草むらをかき分け、少女に接近し始めた。

流石は厳しい大自然で生きる者達、一匹たりと音を出す者はおらず気配を殺し、獲物へと近づく。

篭を両手で持っている少女はそれに気づかず、鼻歌を口ずさみ始めた。

今頃彼女の頭には家で美味しい美味しい蛙苺を食べている自分姿を思い浮かべているに違いない。

オーク鬼達は尚もゆっくりと近づき、後2メイルという所にまで差し掛かった直後―――

 

 

―――― ボ ン ッ !

 

 

 

突如空からもの凄い速度で飛んできた「紙」が草むらに隠れていた一匹のオーク鬼の体に直撃し、爆ぜた。

少女は足を止めてキョトンとした顔になり後ろから聞こえてきた爆発音に何事かと後ろを振り返った。

「キャアッ!お、オーク鬼!!」

今まで気づかず自分の後ろにいた恐るべき人食い鬼がいたことに悲鳴を上げた。

攻撃を受け、地面に突っ伏しているオーク鬼の頭は見事真っ黒に焦げており、ピクリとも動かない。

少女はそのオーク鬼が死んでいることに気づかず早くここから逃げなければと思い、篭をその場に投げ捨てると脱兎の如く村の方へと逃げていった。

そんな少女を逃がすまいと一匹のオーク鬼が立ち上がる。

 

「プギィ!……ギャッ!?」

しかしその直後、今度は空から飛んできた一本の針が立ち上がったオーク鬼の右目を刺した。

オーク鬼は甲高い悲鳴を上げながらもその針を抜こうとするが、あの紙が目をやられたオーク鬼に目がけて飛んでくる。

ただ今度は照準が狂ったのか、それは直撃はせず地面に当たり、直後爆発を起す。

爆発の衝撃で近くにいたそいつは吹き飛ばされ、そのまま道の外れにできた急斜面を転がり落ちていった。

 

残り2匹となったオーク鬼達は素早く立ち上がると目標を上空にいると思われる敵に視線を向けた。

直後、空から一人の少女がオーク鬼達目がけて飛んできた。オーク鬼達は怒りの叫び声を上げて棍棒を振り上げ迎え撃とうとする。

少女は地面まで後5メイルというところで、両手に持っていた紙を勢いよく二匹に投げつけた。

投げつけられた紙は地上にいた残り二匹へと飛んでいってその内一匹だけ直撃し、そのオーク鬼もまた最初の奴と同じく黒こげとなった。

最後の一匹はその紙を運良く棍棒で薙ぎ払う事に成功した。

代わりに棍棒が爆砕したが接近戦で人間に負けたことがない彼にとっては何の問題にもならない。

オーク鬼は綺麗に着地した少女に駆け寄ろうとしたが、直後に少女は左手に持っている「杖」をオーク鬼へと向けた。

今更杖を抜いても詠唱する暇など無い。メイジとも何度も戦闘経験がある彼はそんな事を思いその大きな拳を振り上げた。

 

「―――夢想封印。」

 

少女がポツリと呟いた瞬間、目の前にあの紙が大量に現れ、

オーク鬼は自慢の拳で攻撃することも出来ずその紙の弾幕によって削り殺される事となった。

 

 

 

「ふぅ…こんな所かしらね。」

オーク鬼を倒した少女、霊夢は一人そう呟いた。

「それにしても、何処にでもこんなのはいるものね…ホント、イヤになるわ。」

霊夢はそう言うと黒こげになったオーク鬼の死体を一瞥する。

暇つぶしにと空中を散歩をしていた彼女は豚によく似た妖怪が棍棒持って今にも人を襲おうとしていたので退治した。

勿論オーク鬼達は妖怪という分類には入らないかも知れないが、霊夢から見ればこういう連中は全て妖怪に当てはまる。

それにこれが初めてということもなく、以前にも外へ出たときに何度か遭遇し撃退している。

ある時はこの様に襲われそうになっている人を助けたり、森の中で休んでいる時などには野犬なんかが襲いかかってきた。

野犬や狼等動物の類は軽傷程度の攻撃で済ましているが、こういうオーク鬼のような人外は完膚無きまでに叩きのめしている。

とりあえず散歩に戻ろうと霊夢は踵を返し空へ飛び上がろうとしたとき、ふと何かが目に入った。

それは先程襲われそうになった少女が持っていた蛙苺の入った篭だった。

食欲をそそる赤色の小さめのソレが篭から零れるほど入っていた。

「篭…の中に入ってるのは苺かしら?」

霊夢は篭の中から外へこぼれ出ている蛙苺を1個を手に取るとパクッと口の中に入れ…

 

「……酸っぱい。」

途端、言いようの無い酸味が口の中いっぱいに広り、顔を顰めた。

どうやらまだ熟していなかったらしい。

 

クウゥ~~…

 

しかも食べ物を口に入れたせいか小腹まで空いてきた。

可愛く鳴る腹の音に霊夢はやれやれ、と肩を竦めた。

 

 

――再び場所はトリステイン魔法学院へと変わる。

その学院の正門の周りでは学院中の生徒達が整列していた。

この時間帯は皆授業中だというのに誰一人それをとがめる者はいない。

どうして生徒や教師達がこんな事をしているのか――答えは今正門をくぐって学院に入ってきた馬車にあった。

無垢なる乙女しか乗せないと呼ばれるユニコーンにひかれた馬車が入ってきた途端、生徒達は手に持っていた杖を一斉に掲げた。

小気味の良い杖の音を出しながら皆が皆その馬車に尊敬と憧れの念が混じった瞳で見つめている。

馬車はオスマンが佇んでいる本塔の玄関先の近くで止まると召使い達が素早くじゅうたんを敷き詰めた。

傍にいた衛士は大きく息を吸うと、大声でこう言った。

 

「トリステイン王国王女!アンリエッタ姫殿下のおなーりー!!」

 

その言葉を待っていたかのように馬車の扉が開き中から誰かが姿を現した。

 

 

 

しかし――生徒達はその「王女」という言葉に似つかわしくない姿を見てポカンとする。

 

それは坊主が被るような丸い帽子をかぶり、灰色のローブに身を包んだ年老いた男だった。

髪もひげに既に白く、指は鳥の骨にそっくりであった。その男はマザリーニ、という名前を持っている。

彼はまだ四十代であるが、枢機卿としての長い長い激務や他人を蹴落とし合う国の政事が彼をこの様な姿にした。

その様なエピソードを持つマザリーニに対し、生徒達の内何人かが馬鹿にするように鼻で笑う。

平民の血が混じっているという噂があり、その為貴族は愚か平民達にすら支持されていないのである。

 

 

マザリーニの登場により、辺りは気まずい雰囲気になったが…馬車の中から今度は綺麗なドレスを身に纏った少女が出てきた。

年は17。すらりとした顔立ちと薄いブルーの瞳と高い鼻が目を引く美少女であった。

その姿を見た生徒達はその場の雰囲気を一気に変え、辺りを歓声が包む。

少女は軽く微笑むと生徒達に向かって小さく手を振り、更にそれが歓声を激しくさせた。

 

そう、その少女こそがトリステイン国王王女、アンリエッタなのであった――

 

生徒達が王女の登場により気分が高揚している中、たった一人だけが白けた目でそれを見ていた。

「あれがトリステインの王女?まだまだ子供じゃない。」

そう言ったのは後頭部に小さなたんこぶが出来ているキュルケであった。

授業でミスター・ギトーにやられたのがよっぽと応えたのか、気分が高揚しないまま参加したのだ。

そして隣では騒ぎなど気にも留めず、立つどころか座って本を読んでいるタバサがいる。

「……本当、あなたって周りの事はどうでもいいというか、相も変わらずね。」

キュルケはそんなタバサを見てポツリとそう呟くと目だけをキュルケの方へ向け…直ぐに本へと視線を戻した。

そんな友人を見てキュルケは怠そうなため息を吐くと隣にいるルイズへと視線を移す。

「ねぇヴァリエール、あなた程でも無いけどあの王女様はまだまだ子供―――ってあら?」

 

ルイズの顔には僅かに赤みが入っており、いつもの彼女の顔ではないことに気が付き少し言葉を詰まらせた。

キュルケは急いでルイズの視線を追うと、そこには羽帽子を被った立派なグリフォンに跨っている衛士がいたのだ。

ぼんやりとした表情のルイズとその衛士を交互に見比べると、今まで喜怠そうだったキュルケの顔から笑みが戻り始める。

そして口元を大きく三日月形に歪ませ、手で口元を隠し含み笑いをするとボソッと心の中でこう呟いた。

 

(もしかしたら私、ヴァリエールの一目惚れ…ひょっとしたら初恋の瞬間に立ち会っちゃったかも。)

 

そんな歓迎ムードな学院で一つの激闘が繰り広げられている場所があった。

「おい、クロステーブルはちゃんと敷けたか!?」

「ティーポットの替えって何処にしまってあったっけ?」

厨房ではシェフや給士達が鍋や皿を相手に大格闘していた。

今回アンリエッタ王女はここで昼食と夕食を取る。その為厨房の者達はセッティング等で忙しいのである。

学院お抱えの料理人達は日頃鍛えている腕を奮って料理を作り、給士達はそれを盛りつける皿を準備する。

 

給士の一人であるシエスタは、純白のテーブルクロスを両手に抱え食堂の中を走っていた。

ここで働いてから月日はかなり経っていたため、しっかりとして足取りで走っていた。

ただテーブルクロスの所為で足下が見えなくなっており、その為に地面に転がっていた石ころに気づかなかった。

「ふぅっ…ふぅっ……あぁっ!」

案の定石ころにつまずいたシエスタはテーブルクロスを咄嗟に放り投げ、大理石とキスすることになった。

数秒おいてから、シエスタは小さなうめき声を上げ鼻を右手で押さえながら立ち上がる。

そしてよく考えればせっかくの綺麗になったのが台無しになってしまったと思い、ため息をついた。

「あぁ~…やっちゃったなぁ…ってあれぇ?」

そんな事をぼやきながら瞑っていた両目を開け、地面に落ちている筈のテーブルクロスが無いことに気が付いた。

一体何処かと思い、辺りを見回しているとふと後ろから声を掛けられた。

「あんたの探してる物って…これかしら?」

振り返ると、そこには頭からテーブルクロスを被った誰かがいた。

背はシエスタよりも少しだけ低めで頭から白い布を被っているとお化けのようだ。

声はまだ幼さが残っており、「少女」と言う言葉がピッタリと当てはまる。

 

「あっ!すいません、私ったら…。」

誰だか分からないが失礼だと思い、急いでテーブルクロスを取った。

「前を見るのは良いけど、ちゃんと足下見て走りなさいよ。」

そして…頭から被っていたのがヴァリエールに召喚された霊夢だと知った。

嫌そうな表情になっていたが、すぐにいつもの表情に戻ると彼女は辺りを見回した。

つい先程まで森の上空を飛び回っていたのだが、少し小腹がすいたため何かつまむ物は無いかと学院に戻ってきたらこの騒ぎようである。

「随分と忙しそうね、また宴会か何かでもする気?」

「あぁ、実は今日アンリエッタ王女が視察をかねてここでお食事をするんです。だから準備に追われていて…」

「アンリエッタ王女…?誰よソレ。」

シエスタの口から発せられた聞いたことのない名前に霊夢はキョトンとした顔になる。

 

「え、知らないんですか?この国の王女様で、とっても綺麗なお方なんです。

 もし顔を見たいのなら今は学院本塔の中を見学中の筈ですから行ってみたらどうです?」

 

では、私はこれで。と最後に言い、シエスタはテーブルクロスを抱え廊下の奥へと走り去っていった。

(王女、ねぇ…まあどうでもいいか。別に会っても何か起こるわけでも無いし。)

それより今は何か食べるものはないかと王女に全くの興味を示さない霊夢は厨房へ足を進めた。



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第十六話

昼頃から始まったアンリエッタ王女によるトリステイン魔法学院の視察は予定通りというか、順調に進んだ。

宝物庫や中庭、食堂や生徒達が暮らす寮塔等を見回っている内に、すっかり日も沈んでしまった。

今回アンリエッタ王女は一晩泊まってから翌日王宮に帰るので、今夜は魔法学院で夜を明かすことになったのである。

その為、警備もかなり強化されている。前に土くれのフーケに忍び入られたので尚更だ。

 

今夜の衛士達の警備はいつにも増してかなり厳しいがそれは本塔や生徒達が暮らす寮塔――そして城壁部分だけである。

逆に給士やコックとして働いている平民達の宿舎の警備はほぼゼロである。

 

金で雇われている学院の衛士達はこんな事を言っていた。

「平民をさらう者が居るとすれば、それは単なる人さらいか、ただの変わり者さ。」

 

 

その為今日の仕事を全て終え、明日の仕込みも済ませた彼らは酒を飲み交わしたり外にあるサウナ風呂に行ったりと、割と自由にしていた。

そんな場所から少し離れた草むらの中に、「五右衛門風呂の様な物」が置かれていた。

以前霊夢がマルトーから貰った大釜を使ってこしらえた物である。

 

その辺りには誰もいなかったがふと上空から霊夢が数枚のタオルと水が入った小さな桶、それと火種と洗濯道具を持ってやってきた。

勿論これらの道具は全てルイズの部屋から拝借してきた物である。

いつもは何か文句を言ってくるのだが、何故か今日のルイズはベッドに座ってボッーとしていた。

まぁその分取るのが楽だったので良しとしよう。

霊夢は着地すると鍋の下に敷いてあるレンガで作ったかまどに最初から入っていた枯れ木に火を付けた。

枯れ木が丁度良い位に乾いていたのか、どんどんと火が勢いを増していく。

やがて火が大きくなるのを見て霊夢は辺りをキョロキョロと見回し、誰もいないのを確認した。

 

「さてと…。」

 

確認をし終えると霊夢は首に巻いている黄色いリボンを解き、ソレを足下に置いた。

次に上着に手をかけると思いっきり上へ捲り、真っ白な下着が―――

 

 

 

― ― 少女脱衣中だぜ。覗き見なんかするなよ? ― ―

 

チャポ…

 

「ふぅ、気持ち良いわねぇ~♪」

服を全て脱ぎ終え、タオルを体に巻いた霊夢は丁度良い湯加減になった自作のお風呂に入っていた。

脱いだ衣類は一度洗濯した後、かまどの近くで乾かしている。

 

―洗濯している最中は素肌にタオル一枚といういけない姿であったが…まぁそれは置いておこう ―

 

「~♪、~♪。」

霊夢はお湯で体を清めながらも段々と気分が良くなっていき、鼻歌も口ずさみ始めた。

片手でお湯をすくうとそれを肩にかけ、そこを軽く擦る。

次に顔、次に背中、と体のあちこちにお湯掛けているとふと左手の甲が視界に入った。

その瞬間、霊夢の脳裏に何日か前に言っていたオスマンという老人の言葉を思い出す。

「ガンダールヴ、伝説の使い魔ねぇ…。」

そうポツリと呟くと目を細め、左手の甲をじっと見つめた。そこにあるのは白い素肌だけだ。

オスマンが言っていた様なルーンなど何処にもない、というよりあったら不愉快だ。

今は幻想郷に帰れる証拠を掴むまでルイズの部屋に居るがあれはあくまでも利害の一致のうえである。

 

使い魔のルーンがないものの、召喚の儀式で霊夢が現れた限り、余程のことがなければルイズは再召喚が出来ない。

だが霊夢が無事に幻想郷へ帰ればルイズは使い魔を再召喚ができる。

今の扱いも使い魔というより客人に近い扱いであろう。霊夢自身もそれに甘んじている。

満足な食事とちゃんとした寝床。だけど一緒のベッドで寝るというのは癪だが。

……だけど、もしもルーンなんかがあれば今頃は使い魔扱いにされていたに違いない。

 

霊夢はそれを考え、お湯につかっているというのに体に寒気が走った。

ルイズはこんな魔法の世界だけではなく幻想郷でもやっていける様な性格の持ち主である。

一体どんな環境で育ってきたのか気になるところだがそこはまぁ別に良いだろう。

素直じゃないうえにかなりのサディスト、しかし以前喧嘩をふっかけてきたギーシュや気軽な性格のキュルケよりかは清楚ではあるが同時にプライドも高い。

もしも使い魔扱いされていたら、今頃霊夢はぶち切れるどころかルイズを懲らしめていただろう。

 

 

そして何よりも恐ろしいのが…彼女の放つ魔法 ―つまりは何もない空間を爆発させるモノ― である。

 

霊夢は一度だけしか喰らっていないがあの爆発は自分が作り出した結界を打ち破ったのだ。

多少の自負はあり、即席ではあったがそれでも博麗の結界は他よりも強力である。

ルーミアやチルノといったクラスの相手の弾幕や攻撃なら十分に耐えうる性能を持っていた…それが一発の爆発で粉砕した。

 

一体あの力が何なのか良くわからないが…とりあえずは幻想郷へと帰る方法を探し出さなければいけない。

このハルケギニアとかいう世界は貴族やら平民やら色々とゴチャゴチャしたモノが多くて住みにくい。

 ―それが幻想郷からこの魔法の世界へ連れてこられた霊夢の第一感想である。

 

……最も、そんな事を考えている霊夢本人はお風呂にのんびりと浸かっているのだが。

 

「早いとこ幻想郷に戻りたいわね…。」

ふと霊夢は一人そう呟いた。

気づけばこのハルケギニアに来てから既に一ヶ月くらいは経過していた。

今頃魔理沙辺りが異変だとか何やら騒いで幻想郷中を飛び回っているに違いない。

そしてまず第一に疑われるのはあのスキマ妖怪―八雲 紫―だと思うがまあそれは仕方のないことだろう。

まぁでも、紫ならば今回のことを説明しつつも結界を維持しながら自分を探しに来てくれるかも知れない…

そんな楽観的な考えも持っていた霊夢ではあるが同時にその後も事も考えていた―

 

(だが紫の助けで幻想郷に戻ってきた後、きっと色々と持って行かれそうね。主に食料やお酒なんかを……って、ん?)

 

と、そんな事を考えていると鼻の辺りをむずむずとした感覚が襲ってきた。

何かと思い鼻の下を軽く指で擦ると、指にベットリと赤い血が付いている。

 

「あ…鼻血でてる…。」

霊夢はまるで他人事のように、ポツリと呟いた。

 

 

 

「はぁ…。」

さて、そんなルイズは自室のベッドに腰掛けため息をついていた。

先程霊夢が幾つかの道具を持って部屋を出て行ったがそれすら彼女は気にしていない。

今ルイズの心の中には羽帽子を被った男―ワルド子爵―の姿が映し出されていた。

すらりと伸びた体、顔には立派な髭、鷹のように鋭い目、マントにはグリフォンの刺繍が施されている。

かつてルイズが子供の頃に知り合い、それからしばらくは会う暇がなかったが今日は久しぶりに会えた。

あの時よりも大分年を取ったかのように見えたがそれでもワルド子爵は美しかった。

 

同時に、もう一つその子爵に関してのある記憶をルイズは思い出した。

「そうだ…昔私とワルド子爵の父親が…。」

昔、ルイズの父とワルドの父がもっと大きくなったら結婚させようと約束をしていたのだ。

当時のルイズには、結婚というモノは考える暇がなかった。

厳しい母親や長女に追いかけられる日々…それが何時解放されるのかいつも考えていた。

自分の家の筈なのにあの頃の自分は何故か体の良い牢獄のように見えた。

それを今にも時々夢に見てしまい、起きたときには体中が汗まみれだった事もあった。

 

――しかし、時には良い夢も見る。

忌まわしい牢獄から、自分を助け出してくれるナイトが現れるのだ。

 

その夢で自分を牢獄から救い出してくれるのは…当時、十六歳だったワルド子爵である。

 

ルイズはその時の夢を思い出すかのように、ゆっくりとベッドに倒れ込むと目を閉じた。

 

―――イズ!ルイズ!お説教はまだ終わっていませんよ!!」

屋内だというのに、声を荒げて自分の名を叫ぶのはルイズの母。だれよりも規律を重んじる人。

ルイズでも頭が上がらない長女ですらも縮こまってしまう程である。

そんな厳しい母親は廊下を歩きながらルイズの姿を捜していた。

 

「はぁっ…!はぁっ…!」

そして夢の中では六歳であるルイズは今にも泣きそうな表情でとある場所へと向かっていた。

其所は中庭にある池であった。ほとりには小さなボートがあり、それを使って池の真ん中の島にある東屋へ行くのだ。

昔は良く家族でその東屋へ行ったのだが、今となってはそこへ赴く者は居ない。

軍を退役した父は近隣との付き合いと狩猟に夢中で、母は娘達の教育に必死である。

自然とその池には誰も近づかなくなり、ほぼ風景と化していた。

だからこそ隠れるのには最適で、夢の中の彼女は何かから逃げたいときにはいつも此所へ来ていた、

 

ルイズはあらかじめ小舟の中にしまいこんでいた毛布を頭から被り、そんな風にしていると…

 

 

「泣いているのかい?ルイズ。」

 

 

毛布越しから誰かが声を掛けてきた。

ルイズは被っていた毛布をどけると、自分の目の前には十六歳ぐらいのワルドがいた。

今と比べるとこの頃はまだまだ未熟だったがそれでも幼いルイズにとってはナイトも同然であった。

そう、自分をいつかこの牢獄のような家から救い出してくれる騎士。

「子爵さま、いらしていたのですね。」

幼いルイズは慌てて顔を隠した。みっともない姿をあこがれの人に見せるわけにはいかない。

ワルドはそんな彼女を見て天使のような微笑みを顔を隠したままのルイズに向けた。

「ああ、今日はきみのお父上に呼ばれたのさ。君との婚約に関することでね…。」

ルイズはあこがれの人の口から「婚約」という言葉を聞いて顔を赤くした。

「い…いけない人ですわね、子爵さまは…。」

「ルイズ、ぼくの小さなルイズ。君は、僕の事が嫌いかい?」

ワルドが、おどけた調子でそう言った。ルイズはそれに対し首を振る。

「ち、ちがいますわ。ただ単に良くわからないだけです。」

ルイズは顔を上げ、ワルドに笑顔を見せてそう言った。

ワルドはにっこりと笑みを浮かべると、そっと手をルイズの目の前に差し伸べた。

 

「ミ・レディ。手を貸してあげるよ。ほら、つかまって。もうじき晩餐会だ。」

だがしかし…差し伸べられた手を、ルイズは掴むことを躊躇った。

その様子に気づき、ワルドはルイズに優しく呟く。

「また怒られたのかい?大丈夫、僕からお父上に取り直してあげよう。」

ワルドの言葉を聞き、ルイズはコクリと小さく頷き、その手を取ろうとした。

その時、突如強い風が吹き、ルイズは思わず目を瞑ってしまった。

やがて数秒して風は止み、ルイズは再び目を開け―――

 

 

「……ここ、何処?」

――驚愕した。

 

 

 

目を開けた先には子爵の姿は無く、それどころか自分の家ですらなかった。

白いタイルに白い壁、おざなり程度に観葉植物を隅っこに置いている何処かの部屋。

ルイズはそんな所にいつの間にかそんな所にいた、我が家にはこんな部屋はない。

天井を見上げると明かりを灯すような物はないのに天井から光が差し込んでいた。

そして気づいたら、ルイズの体も六歳から十六歳―つまりは現在の姿――になっていた。

「一体何処なの?ここは…」

ルイズは今までワルド子爵の夢は時折見たりすることはあった。

そして色々なパターンがあった――晩餐会でワルド子爵とダンスしたり等々―がこんなのは全くの初体験であった。

ルイズは全くの初めての展開に目を白黒させていると、ふと誰かに声を掛けられた。

 

「あら?ちゃんと此所へ来てくれたのね。」

声を掛けられたルイズはそちらの方へと目を向けた。

そこには ――不条理なことがいくらでも通る夢の中だからか―― 白いイスに腰掛け、こちらを見つめている金髪の女性がいた。

作り物の様な綺麗な顔には笑みが浮かんでいて、それは先程ワルドが見せたものよりも更に優しいものに見える。

頭には変な形の白い帽子を被っており、白い導師服を身に纏っていた。

とりあえず声を掛けられたからにはちゃんと応えなければと思い、ルイズは口を開いた。

 

「ねぇ、そこの貴方。少し聞きたいんだけどここが何処だか―――」

 

しかし、ルイズの言葉は目の前に出された女性の手に制止され、言い切ることが出来なかった。

何も言わなくなったことを確認した女性はスッと手を下ろすと口を開いた。

 

「その前に、いくつか聞きたいことがあるのだけれど…よろしくて?」

女性のその透き通るような声にルイズは思わず頷いた。

まぁ夢の中なので…という考えも働き、ルイズは無意識の内にしていたのだ。

「じゃあまず一つめ…貴方は自分が特別な存在だと思ってる?」

その質問に、ルイズは首を横に振り、口を開いた。

「特別どころか蔑まれているわ…だって私は魔法が使えないし…。」

ルイズの卑屈な言葉に女性は肩をすくめた。

「ふ~ん…じゃあ二つめ、貴方は『虚無』という伝説の系統を信じてる?」

ルイズはその質問に言葉を詰まらせ、悩んだ後、半信半疑な様子で応えた。

「…私自身よくわからないわ。」

「そう…。まぁいいわ、信じなくても信じていても事実は一つだけだから。じゃあ最後の質問ね?」

妙に意味ありげに聞こえる風に女性は言うとルイズの方に少しだけ近寄ると中腰になった。

そして、不意にルイズの肩を掴むと口を開いた。

 

 

「あなた…使い魔を召喚した際、人間の少女を呼び出したでしょう。」

 

 

 

その直後、女性の目が優しそうな物から一気に鋭い物へと変貌し、ルイズを睨んだ。

それに伴い先程まで体中から発せられていた雰囲気もあっという間に緊迫した空気へと早変わりする。

自分を射抜かんばかりの鋭い視線に思わずルイズはビクッと体を大きく震わせる。

 

肩を掴まれたルイズは内心自分の夢のあまりの不条理と理不尽さに憤っていた。

なんだって夢の中だというのに痛い思いをしなければならないのだ!

折角の子爵様との甘い甘い夢を見ていたのにこれじゃあ台無しじゃない…!

と、ルイズがそんな事を思っていると、もの凄い激痛が肩から脳髄へと伝わって来た。

 

どうやら段々と掴む力が強くなっていくのが肩から伝わる痛みでルイズはそれを知った。

このままだとその内腕をもぎ取られるのでは?というありもしない事を思い浮かべ、ルイズはゾッとした。

しかしそのとき、急に女性がルイズの肩を掴んでいた手を離すと立ち上がり、後ろを振り向いた。

「ちょっ…いきなりどうしたのよ?」

解放されたルイズは息を少しだけ荒くして立ち上がると女性の後ろにもう一人誰か居ることに気づいた。

 

その姿は光り輝いていて明確な正体がハッキリと掴めない。

ただ分かることは、ルイズと比べれば大分身長が高い。ただされだけである。

手には大きくて長い太刀を持っており、熟練の戦士特有の鋭い殺気を目と思われる二つの赤い光点から放っている。

ただ、その視線の先にいるのはルイズではなく、そのルイズの前に佇む女性であるが。

「あらあら、もう感づかれたみたい。残念、『夢の中』なら大丈夫だと思ってたのに。」

 

そんな視線で睨み付けられている女性はと言うとそれに対し小馬鹿にする様な態度で人影に話しかけた。

それが合図となったのか―――突如人影が太刀の切っ先を女性に向け、素早い突きを繰り出した。

女性はそれに対し、身構えもせっず突っ立ているとフッ…と半透明の壁が女性の前に現れた。

人影の突きはその壁によってあっさりと防がれたが、すぐに体勢を立て直し後ろへと下がる。

 

突然の戦闘にルイズは棒立ち状態になっていたがそれに気づいた女性が声を掛ける。

「あぁ、今回はもうこれくらいでお開きね。貴方はもう目を覚ましても構わなくてよ。」

その声にハッとした顔になったルイズは人影の方を指さし、声を荒げて叫んだ。

「何よあれ!?というかなんで闘う羽目になってるのよ!?というかこれ私の夢よね!」

「静かにしなさい――これは夢。そう思えば何も気にすることはないわ。」

先程肩を掴んでいた時とは打って変わって捲し立てるルイズを子供をあやすかのような感じで女性はそう言った。

ルイズはそんな態度に更にイラッと来てしまったがそれよりも先にふと急に眠気が襲ってきた。

 

 

「それじゃ、また会いましょうね?今度は二人だけでね…。」

 

 プ ツ ッ ! 

 

まるでピンと張った糸を切った時に出る様な音を立ててルイズが意識を手放す直前、それを見た。

 

人影がダーツの要領で投げた太刀が女性の胸部を刺し貫いた瞬間を…。

 

だがしかし――女性はその攻撃に対して、顔に笑みを浮かべていた。

見る者を凍り付かせるような笑みを。

 

――その直後、人影は頭上に現れた『裂け目』から出てきた『何か』に潰され、一瞬にして即席ミンチと化した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――… ア ァ ア ァ ア ッ ! ! ! 」 

 

夢から現実へと戻ってきたルイズはみっともない叫び声を上げると上半身を勢いよく起こした。

だが勢い余ってか、そのままベッドから吹っ飛ぶような体勢になってしまい、見事床とキスする羽目になった。

ルイズはスクッと立ち上がるとジンジンと痛む鼻を押さえ、涙目になりながらも先程の夢の中の出来事を思い出そうとした。

「イタタタ…何なのよあの女…は…おんなは…あれぇ~?」

なんとか思い出そうとするが――何故か肝心の部分―あの金髪の女性が刺された直後の事―だけは何故か思い出せなかった。

おかしいなぁ…と思いつつルイズは先程の事を思い返していたが、一向に夢を思い出すことが出来ない。

 

ただ、その女性と会ったことだけしかルイズは覚えていなかった。

された筈の質問や、最後に現れた太刀を持った謎の人影の事は一向に思い出せない。

 

(一体なんなのよこれ?でももしかすると…疲れてるのかしら、私?

 …きっと日頃の苦労や過労なんかが祟ってあんな夢を見たのね。)

 

だからといって…あんな衝撃的な最後 ― 人影がミンチになる瞬間 ―― すら忘れてしまうのはどうかと思うが。

まぁそれを忘れていれば、当分肉料理が食えなくなるという事にはならないだろう。

(レイムの奴が帰ってきたら、とりあえずこの事を愚痴として話してやるわ。うん、そうしよう…!)

最も、そんな時霊夢は聞いている振りをしている事を幸か不幸かルイズは知らなかった。

ノックの音に気が付いたルイズはドアの方へと目を向ける。

(レイム…?いや、アイツならそのまま入ってくるだろうし…。)

こんな時間帯に誰かと思い、怪訝な表情をしているとそのノックが規則正しいことに気づく。

初めに長く『二回』、今度は短く『三回』とリズムを奏でるかのように聞こえてくる。

ルイズは規則正しいそのノックに、何か思い出したような…ハッとした表情になる。

「……あれ?これって確か…。」

数十秒置いてから再び初めに長く二回、次に短く三回とノックの音が聞こえた。

 

ルイズはそれで何かを思い出したのか、目に堪っていた涙を拭き取ると急いでドアを開けた。

そこに立っていたのは、真っ黒な頭巾をスッポリと被った、少女であった。

辺りをうかがうように首を回すと、そさくさと部屋に入り、勝手に扉を閉めた。

「あ、あなたは…?」

突然の訪問者にルイズは少し驚いたが、少女はシッと言わんばかりに口元に指を立てた。

それから。漆黒のマントの隙間から水晶の飾りが付いた杖を取り出すと軽くルーンを唱えて杖を振った。

光の粉が部屋を舞うのを見て、ルイズは一人呟いた。

「ディティクトマジック…。」

ポツリと呪文の名を呟いたルイズを見て、頭巾の少女は口を開いた。

「何処に目や耳があるかわからないものですからね。」

光の粉は静かに消え、部屋を覗く者がいないのを確認した後、少女は頭巾を取った。

そこから現れたのは、ルイズが良く知る相手で、幼い頃には遊び相手として付き合った存在。

いまではこの国のトップに近い少女として、民衆から支持されている。

 

ルイズは昔より美しくなったその顔を見て、急いで膝をつく。

 

「あ…アンリエッタ姫殿下…!?姫殿下じゃありませんか!」

 

無二の親友に名前を呼ばれ、若き麗しい王女は優しく微笑んだ。

 

「……お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ。」

ルイズの目の前に突如として現れたのは―――アンリエッタ王女であった。



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第十七話

ルイズは今、もの凄く混乱していた。

嫌な夢から覚め、起きたばっかりに鼻を打ち付けた直後アンリエッタ王女が部屋を尋ねてきたのだ。

この国の者じゃなくても国の頂点に立つ者が自分の部屋を尋ねてきたら誰しもルイズみたいに目を白黒させる。

急いで膝をついたルイズを見たアンリエッタ、申し訳なさそうに口を開いた。

 

「あぁルイズ、あなたならば私の前で膝をつかなくとも…」

「ひ…姫殿下!こ、今夜は如何なる御用で下賤なる私の部屋へといらしたのですか?」

ルイズのかしこまったような感じの声を聞き、アンリエッタは寂しそうな顔をする。

「顔を上げてルイズ!そんなにかしこまらないで頂戴!私たち二人の仲じゃないの!?」

アンリエッタは悲痛な声でそう言うとルイズを無理矢理立たせた。

ルイズも流石に昔の幼なじみということで観念したのか、緊張していた顔を綻ばせた。

「お久しぶりですね、姫さま。」

「えぇ本当にお久しぶりねルイズ。お互いこんなに成長して…昔のように泥だらけになって遊ぶことも出来なくなったわ。」

そう言ってアンリエッタとルイズは思い出していた―――

幼い頃中庭を飛び回っていた蝶を捕まえようと走り回り、お召し物が泥だらけになってまで追っかけ回した……

そしてその後、従徒のラ・ポルトに叱られ、二人共おやつ抜きにされた事も―

 

「あは…本当に懐かしいですね。」

「えぇ、本当に…懐かしいわね、ルイズ・フランソワーズ。」

昔のことを思い出したルイズはそう言って微笑んだ。

子供の頃は二人とも、将来の道とか考えず無邪気に遊んでいた。

ふわふわのクリーム菓子を取り合って喧嘩したり、ドレスの奪い合いの際アンリエッタのパンチがルイズを気絶させたこと。

それ等は全て、ルイズとアンリエッタの中では思い出と化し、二人をあの頃へと逆戻りさせた。

やがて大きくなって行くにつれ、ルイズは魔法学院へ―アンリエッタは王宮へお互い別の道を歩み始めた。

離れていた時間の分だけ、ルイズは昔のことを思い出し、どんどん微笑んでいく。

一方で微笑んでいるルイズとは真逆にアンリエッタの顔は憂鬱な物となっていた。

まるで後数日であの世へと旅立ってしまうような…そんな感じを醸し出している。

「ホント…あの頃は何の悩みもなく、毎日が楽しかったわ…。」

「姫さま…?どうかしたのですか。」

ルイズはアンリエッタの顔をのぞき込んだ。

そんなルイズを気遣ってか、アンリエッタは精一杯顔を明るくしようとするが…逆にもっと暗くなってしまった。

だがしかしそれに気づくこともなく、彼女は幼馴染みにこれからの事に関する事を伝えた。

 

「実は私…近い内にゲルマニアの皇帝と結婚することになったのよ。」

 

ルイズはアンリエッタの口から出てきた言葉に即座に反応し、驚愕した。

「えぇ!あ、あのゲルマニアのこ、皇帝とけけけけ、結婚ですか!」

ゲルマニアと聞き、隣にいるキュルケを思い浮かべ、ルイズは信じられないという風な顔をする。

「あんな実力主義者と利害の一致で出来た野蛮な国に姫様が嫁ぐなんて…。」

少々言い過ぎかも知れないが間違ってはいないので誰も咎めることは出来無い。

 

 

 

ここで少し説明を入れてみよう。

 

ゲルマニアは長きにわたるハルケギニアの歴史の途中で生まれた国である。

ガリア、ロマリア、アルビオン、そしてトリステインと比べればその歴史は余りにも浅い。

そして特徴的なのが「力か金があれば平民でも領地が持て、貴族になれる。」という事である。

常に新しい道を進んで歩むゲルマニアはそれで国力を蓄え気づけばガリアと肩を並べるほどの大国となっていた。

だがそんな実力主義をトリステイン等の貴族達は「メイジでなければ貴族であらず」と、厳しく批判した。

まぁ最も、それが原因でトリステインは国力を上げれず小国として収まっているのであるが…。

 

では、ここら辺でこの話は置いておくとしようか。

 

 

 

「しょうがないのです…何せ今はとんでもない事になっているのですから…。」

アンリエッタはそう言い、ベッドに腰を下ろしてため息をついた。

今回のゲルマニア皇帝との婚姻は、とある事情で決定が下されたのである。

「とんでもない事…?一体それは…何なのですか?」

ルイズはがアンリエッタに問うと、彼女は口を開き、事情を説明しだした。

 

―――ガリア、トリステイン、アルビオン。

三つある王権の内一つであるアルビオンでどうやら貴族達による内乱が起こったらしい。

王党派の者達は死にものぐるいで抵抗しているらしいが多勢に無勢で、近いうちに滅ぶと王宮の者達は言っているようだ。

そして王党派が倒れればアルビオンの貴族派の者達は間違いなくこの小国へ攻め込んで来るに違いないと予見したらしい。

アンリエッタはそれを聞き、仕方なく枢機卿やその他の者達の薦めでゲルマニアの皇帝へ嫁ぐ代わりに同盟を結ぶことになった。

 

「なるほど…その様な理由で婚姻を結んだのですか…。」

ルイズは納得したようにそう言うとイスに腰掛け、大きなため息をついた。

かつて自分と共に遊んだ少女は、政治の道具と化していたのだから。

最初の時とは打って変わって沈痛な雰囲気の部屋でアンリエッタがふと口を開いた。

「でもその同盟が、もしかしたら私のたった一つの過ちで潰えるかもしれないの。」

「なっ…!?」

彼女の口からでた言葉にルイズはイスから素早く立ち上がった。

一体アンリエッタはどんな過ちをしたのだろうか…?

ルイズはアンリエッタの傍によると彼女の横に座り、肩を掴んで顔をのぞき込んだ。

「それは一体どんな過ちなのですか?教えてくださりませんか…姫様。」

彼女の言葉にアンリエッタはハッとした顔になると両手で顔を覆ったた。

 

「あぁ今私はとても危険なことを言おうとしたわ…私にはもう信用できる人物があなたを入れて数人しかいないというのになんて事を!!」

 

アンリエッタはそう叫ぶとそのまま床に崩れ落ちた。

そんな幼馴染みを見たルイズはアンリエッタを優しく抱きしめた。

 

「姫さま、どうかこの私めに聞かせてください。私たち友達でしょう?その絆を今確かめずに何と致します!?」

 

取り乱すアンリエッタに、ルイズも半ば叫び声のような感じでそう言った。

幸い部屋の壁はちゃんとした防音仕様のため、聞こえることは無い。

それを聞いたアンリエッタは少しおとなしくなるとルイズの手を借りて立ち上がり、再びベッドに座り込んだ。

ルイズも一息つき椅子に座ると、アンリエッタは喋り始めた。

 

「正直、これは私自身が片づけるべき問題…そんな事の為に他人を使いたくは無いと思ってるの。

 けど…もう今の私にはどうしようも出来なくなってしまって他の誰かに頼まざる得なくなったわ。

  …先程話していたアルビオンとの内乱、その二つの派閥の内王党派に属するプリンス・オブ・ウェールズ。 

    その彼に、ある「手紙」を送ったことがあるのよ…。使いようによっては、ゲルマニアを憤慨させるほどの力を持った。」

 

ルイズはそれを聞き、目を見開いた。

ウェールズ…その人物は現アルビオン王、ジェームズ一世の息子。

アンリエッタとは血縁上、従姉妹に当たる人物でもある。

ルイズも一度、ラグドリアンの湖で行われたパーティーで顔を見たことがあった。

パーティー自体は三年前の事ではあるが当時のルイズも美しいとさえ思った程の美男子だった。

そんな華麗な皇太子にしたためた、「ゲルマニアを怒らせるような手紙」とは一体どんな内容が書かれているのだろうか。

 

ルイズはそれが少し気になったが、アンリエッタの表情を見ているとどうもそれが聞き難い。

「そして、貴族派の者達の手にその手紙が渡るよりも早く…誰かがその手紙をウェールズ皇太子から受け取らなくてはならないの…。

 戦場と化している白の国に単身乗り込み、尚かつ私を裏切るという行為をしない忠誠心を持った者を…。」

 

そこまで聞き、ルイズは全てを悟った。

もしかすると…アンリエッタがこの部屋に来た理由、それはもしかして…。

 

「では、この重要機密を聞いた私は…アルビオンへと行き、手紙を取ってくるのですね?」

ルイズの言葉を聞いたアンリエッタは一瞬ポカンと口を開けたが、すぐに気を取り直すように頭を横に振るとスクッと立ち上がった。

自然とルイズも席を立ち、地面に膝をつくと頭を下げた。

アンリエッタは一度目を瞑り、決心したかのように開けると口を開いた。

 

「ルイズ・フランソワーズ…、この私アンリエッタ・ド・トリステインからの仕事を引き受けてくれないかしら?」

ルイズは今この瞬間、幼馴染みとしてではなく、王女としてのアンリエッタから重大な任務を言い渡された。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

「はい、どうぞ。」

シエスタは、丁度良く冷えたタオルをジーッと天井を見つめている霊夢の前に差し出す。

それを霊夢は手探りで受け取るとタオルを鼻の上にかぶせるとシエスタにお礼を言った。

「有り難う、助かったわ…。」

霊夢は軽く鼻を押さえ、なるべく鼻血が出ないように四苦八苦している。

先程までお風呂に入っていた霊夢は色々頭の中で考えていたせいか、いつの間にか鼻血を出してしまっていた。

とりあえずルイズの部屋へ帰るよりも、まずは鼻血を止めようと乾いた服を急いで着て近くにあった厨房へと寄ったのだ。

 

「ハッハァッ!レイム、お前ボーッとし過ぎてのぼせちまったんじゃないのか?」

「アンタにはそう見えても、私も結構色々考えてるんだけどね…。」

霊夢の近くにいたマルトーが頭に被っていた帽子を机に置いてそんな事を言った。

それに対し霊夢は少し苦虫を潰したような顔をして返事をする。

だがそんな顔も厨房の灯りを消し、暗くなった厨房の奥へと入っていくマルトーの目には届かなかった。

「でも凄いですよね、自分でお風呂を作るなんて…というかあんなに簡単に作れるとは思いませんでした。」

霊夢の横に座っているシエスタが感心したように呟いた。

シエスタ達学院で働く平民や衛士達のお風呂といえば、ほぼサウナと言って良い代物である。

 

それから少しして、霊夢の鼻血も大分引いてきた時。

厨房の奥に入っていたマルトーが一本のワインボトルとコップを両手で大事そうに抱えて戻ってきた。

「さてと…明日の仕込みも全て終わったし…酒を嗜む時間とするか!」

そう言ってマルトーは机に置いていた自分の帽子の横にそのボトルを置きイスに座った。

やっと頭を下げれるようになった霊夢がそのボトルの中身を見て目を細める。

「就寝前に一杯とはね…伊達に料理長とかやってないわけね?」

霊夢のその言葉にマルトーはガハハと笑うと口を開いた。

「当たり前だ!それに、風や水の魔法が使えるメイジ共はいつでもワインが飲めるよう部屋に置いてんだ。

 それに比べ俺達給士なんかは夜中にこっそりバレないよう飲んでるんだぜ?」

 

「ふ~ん…じゃあ私も一杯頂こうかしら。丁度何か飲みたかったところだしね。」

「おぅよ、じゃあ待ってろ。コップをもう一つ持ってくるぜ。」

マルトーはそう言うともう一度厨房の奥へと消えていった。

シエスタはそれを見て呆れたようにため息をついてそのボトルを見つめた。

 

「全く、マルトーさんたら…夕食用のワインを飲んでるのがバレたら言及どころじゃ……って、あれ…?これってまさか……ウソォ!!」

ボトルの銘柄が目に入ったとき、シエスタは驚きの余り大声を上げて立ち上がってしまった。

そして厨房の奥から戻ってきたマルトーを見て、ボルトを指さしながらシエスタはマルトーに言った。

「マルトーさん、一体何処からゴーニュの古酒なんか持ってきたんですか!?うちの学院にはなかったはずでしたけど!」

「ハハハ!なぁに、この前貯めていた給料持って街に出かけたらよぉ…丁度市場でそいつが売られていたから買ったワケよ!」

「ごーにゅ…?なんか変な名前の古酒ねぇ。」

「まぁ名前はともかくとして結構美味だ!さぁさぁ今夜は飲むぞ!」

 

 

◆◇◆

 

 

「では…、明朝にでも出発し、アルビオンのウェールズ皇太子にこの手紙を渡す。

      そして次に姫さまが皇太子へと宛てられた手紙を受け取って欲しいということですね?姫さま。」

 

ルイズは先程アンリエッタが急いで書いた手紙を手に持ったまま向かい合ってイスに座るアンリエッタへ問う。

アンリエッタは小さく頷くと、真剣な表情でルイズに言った。

「えぇ、旅のお供には私自身で選抜した者を一人だけ付けます。その者ならばちゃんとあなたを守りきることが出来るでしょう。」

ルイズはそれを聞き頷くと、席を立ち部屋のドアをなるべく音を立てず、少しだけ開けた。

それから廊下に誰もいないのを確認するとドアを一度閉め、此方を見つめているアンリエッタに頷いた。

 

「では、そろそろ私も自分の部屋に戻ることにします。此度の任務の成功祈っているわ。ちなみに、この話は他言無用で御願いします。

 例え親しい者であろうとも絶対にこの事を言ってはなりません。よろしいですね?」

 

アンリエッタは念を押してそう言い席を立つと、部屋を出ようとする。が、ふと足を止めた。

「姫さま…?」

「忘れていたわルイズ、これをあなたに託しましょう。」

アンリエッタルイズの方へ顔を向けると右手の薬指に嵌めていた指輪を引き抜き、ルイズに手渡した。

台座部分には綺麗な水色のルビーが入っており、美しく輝いている。

「母から貰った「水のルビー」です。道中、路銀の事で悩むならば遠慮無くこれを売り払っても構いません。」

「う…売り払うだなんてそんな事、出来ませんよ。」

「いいのよルイズ、私からせめてもの贈り物として受け取って。」

ルイズはそれを聞いてとんでもないと指輪を返そうとするがアンリエッタその手を受け止め押し戻した。

渋々ルイズは受け取ると表情を引き締め、直立した。同時にアンリエッタも真剣な面持ちで口を開く。

 

「今回あなたに託した任務にはこの国の未来が掛かっています。是非ともそれを忘れず取り組んでください。

 ルイズ・フランソワーズ。先程渡した水のルビーが、あなたをアルビオンの猛き風から身を守ってくれるでしょう。」

 

ルイズはその言葉に腰に差していた杖を抜き、それを掲げてこう呟いた。

「姫殿下に変わらぬ忠誠を、ヴィヴラ・アンリエッタ。」

アンリエッタは満足したように頷くと踵を返し、ドアノブを掴もうとしたが、ふとその手が止まった。

「そういえばルイズ、貴方はもう二年生なのよね?」

「え…?まぁ、はいそうですがそれが何か…。」

「今まで気にならなかったけど、貴方の使い魔は何処にいるのかしら。」

「いっ…!?」

ルイズはその言葉にギョッとすると冷や汗が出そうになった。

 

「二年生に進級するには使い魔を召喚しなければいけないのでしょう?なら貴方が二年生になったということは貴方は使い魔を…

 貴方、昔良く失敗魔法ばかり出してお母様に怒られていましたね。やはり人間成長するというもの…」

 

そんなルイズとは裏腹に、アンリエッタの口からはどんどんと言葉が飛び出してくる。

今ルイズが召喚した霊夢は入浴してくるといって部屋から出たままだ。

だが、今この部屋にいなかったのはある意味良かっただろう。

もし部屋にいたら、きっと遠慮の無い発言をアンリエッタに投げかけていたに違いない。

あるいは無視を決め込んでいたかも知れない…

「い、今私の使い魔はそ…外に…。」

ルイズは必死に作り笑顔をしながら言った。

運良くアンリエッタはその作り笑顔には気づくことはなかった。

「あら、そうだったの?この目で見たかったけど…残念だわ。じゃ、また逢える日を…。」

「……はい、この任務。必ず成功させて見せます。」

アリンエッタがそう言い、ルイズがそれに答えるとアンリエッタは部屋を出て行った。

 

 

 

 

やがて時間も過ぎ、太陽がいよいよ顔を出そうとしている時間帯。

学院の正門近くに植えられている草むらに一匹のジャイアントモールがひょっこりと土の中から顔を出していた。

このジャイアントモールの名はヴェルダンデ。れっきとした使い魔である。

そのヴェルダンデが土から顔を出してから数分が経った後、草むらをかき分け自分のご主人様がやってきた。

明らかに可笑しいデザインのシャツを着込み、ナルシスト的な雰囲気をこれでもかと放つ金髪の男子生徒である。

彼は両手になにやらモゴモゴと蠢く革袋を抱えており、ヴェルダンデがそれを見て目を輝かせた。

「やぁヴェルダンデ。今日もお腹を空かせているね。待ってろよ、今すぐ腹一杯喰わせてやるよ。」

ヴェルダンデの主人、ギーシュ・ド・グラモンはそう言うと袋の口を閉めていた紐を解き中身を地面にぶちまけた。

そこからやけに大きめなミミズがどばどばと地面に落ち、クネクネと地面を這い回っている。

ミミズの大群を見たヴェルダンデはヒクヒクと鼻を動かすと口を開きミミズの群れにかぶりついた。

 

ギーシュはそんなヴェルダンデの姿を見てウンウンと満足そうに頷くと、ヴェルダンデの傍に何やら光り輝く物を見つけた。

それは色とりどりな宝石や鉱石であった、ギーシュは何十個もあるそれの内一つの鉱石を手に取った。

『土』系統のメイジである彼にはこれら全て上質な素材であり、ヴェルダンデは良き協力者である。

「これは中々良い代物じゃないか、良くやってくれたねヴェルダンデ!」

ギーシュはそう言うとヴェルダンデに抱きついた、ヴェルダンデ自身もそれを悪く思わずヒクヒクと鼻を動かしている。

そんな風にヴェルダンテとギーシュが抱き合っていると、ふとヴェルダンテが顔を別の方へと向けた。

「ん?どうしたんだいヴェルダンデ…。」

ギーシュがそんな風に尋ねるとヴェルダンデは鼻を正門がある方向へと動かしている。

何かと思い、ギーシュは草むらをかき分け、顔だけ出して何があるのか見てみることにした。

 

ギーシュの目には、大きな旅行用鞄を手に持ったルイズが正門前に佇んでいた。

彼女の傍には、本来居るはずの自分を負かした霊夢がいない事に気が付く。

「あれはルイズの奴じゃないか…一体どうしたんだ?旅行用の鞄なんか持って。」

まさか退学?かと思ったが思い当たる節はあるものの…それ程酷くは無いはずだ。

それに霊夢が近くにいないのは一体どういう事なのだろうか…?

ギーシュがそんな風に考えていると、ふと朝靄がかかった空から一匹のグリフォンが舞い降りてきた。

よく見るとその背中には羽帽子を被った貴族を一人乗せており、グリフォンが着地したと同時に乗っていた貴族もグリフォンの背から降りた。

スラリと伸びた体に無駄のないプロポーション、そして羽織っているマントにはグリフォンを形取った刺繍。

それは間違いなく魔法衛士のグリフォン隊が愛用するマントだ、ギーシュは思わず声を上げそうになった。

(グリフォン隊の衛士がこの学院…というよりルイズにいったい何の用があるんだ?)

途端にギーシュは興味津々になり、今まで以上に気配を殺しながらその様子を観察し始めた。

 

ルイズと向き合うように地面に降りたグリフォン隊衛士は何か言いながら頭に被っていた羽帽子を取った。

そこから現れたのは、長い口ひげが凛々しい精悍な顔立ちの若者であった。

ギーシュははその顔を見て、今度は立ち上がりそうになったがそれをなんとかして堪えた。

ルイズはその顔を見て頬を僅かに赤く染めると嬉しそうに話しを始めた。

彼にはとても信じられなかった、あのルイズが…まさかあんな出世街道まっしぐらの男と親しいだなんて…

その後二人が何か話し合った後、グリフォン隊衛士はグリフォンに跨ると旅行鞄を手に持ったルイズへ手を差し伸べた。

ルイズはその手を恥ずかしそうに掴み、グリフォンの背中に乗ると、グリフォンはあっという間に学院とは反対方向の、朝靄が漂う森の中へと消えていった。

 

やがて辺りは呆然としているギーシュと嬉しそうにミミズを食べている自分の使い魔しかいない。

まるでルイズとあの男が最初からただの幻想だったようにさえ思えて。

だがギーシュはちゃんと見ていた、あの男の顔を…素晴らしい才能を持ったあのグリフォン隊隊長を。

 

「ま、まさかあのルイズが…ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド殿と親しい間柄だったなんて…。」

 

ギーシュは目を丸くし、信じられないといった風に呟いた。

 

 

 

 

今朝、博麗 霊夢は起きて直ぐに隣で寝てるはずのルイズがいないことに気が付いた。

昨晩はマルトーと一杯…のつもりが何杯も飲んでしまい結局ほろ酔い気分で寝巻きに着替えてベットに入った。

その時のルイズはベッドの中で寝息を立てて寝ていたのはちゃんと記憶の中にある。

「一体あいつ何処に行ったのかしら…。」

霊夢はそんな事をぼやき、ベッドから出て窓を開けた。

今日は朝靄が掛かっているためか、窓越しに見える朝日の輪郭も曖昧でハッキリと分からない。

とりあえず霊夢は以前掃除の際クローゼットの中から見つけた余計なフリルがない寝巻き―ルイズは「なんで買ったのかわからない」と言っていた。――を脱いだ。

下着姿になると丁寧にたたんでテーブルの上に置いていた自分の服を手に取り、それに着替える。

いつもはあるはずの洗濯物は今日に限って無く霊夢はとりあえず顔を洗おうと水汲み場に行こうとした時、ある事に気が付いた。

「鏡台の近くにあったあの大きな鞄…あった筈よね?」

いつもルイズが旅行用にと買い、鏡台の近くに置いていたあの鞄が無くなっているのに気が付いた。

霊夢はそれに疑問を感じたが、まぁ何処か別の場所に置いたのだろうと思う事にし窓から身を乗り出すとそのまま水汲み場の方へと飛んでいった。

 

 

 

その頃、学院長室にはオールド・オスマンとコルベール…そしてアンリエッタ王女がいた。

オスマンとコルベールの二人は朝早くアンリエッタに起こされ、ルイズが受けた任務の事を聞いてからずっと沈黙していた。

だが、ふとオスマンが大きなため息をつくとアンリエッタの方へ顔を向け口を開く。

「ふぅむ…まさか我が校の生徒がそんな危険な任務に就くなどとは…この老いぼれは思いもしませんでしたわ。」

 

「ですがあの娘には古き良きヴァリエールの血と、私への深い友情があります。

 それに、ワルド子爵は王宮での唯一の信頼できる者であり彼女の婚約相手です。私に出来ることは成功を祈ることだけです。」

 

アンリエッタが申し訳なさそうに言うと、次いでコルベールが喋り始めた。

「それ程言うからには王宮内では相当な事になっているでしょうか?噂では色々と不穏分子がいると聞きましたが…」

 

「えぇ…今回のアルビオンに現れた反乱分子『レコン・キスタ』は貴族だけで国を支配しようと言う者達の集まり。

   忠誠よりお金を愛する者どもには丁度良い拠り所でしょう。」

 

 

アンリエッタはそう言い終えると傍らに置いていた白い包みをテーブルの上に置いた。

「それとこの本を…学院に寄贈しようと思いまして。」

それに興味を示したコルベールはその包みを解き、その本を手に取り、怪訝な表情をした。

「この本はいったい何なのですか?見たところ、文字のようなモノが書かれていますが…。」

本の表紙にはこのハルケギニアに住む者にとっては見たことのない『文字』が書かれているのだ。

「以前私が幼い頃にアルビオンへ赴いた時に記念にと取ってきた物です。この通り表も中も見たことのない異国の文字で書かれておりまして…」

ペラペラとページを捲るコルベールにアンリエッタは説明を入れた。

やがて最後のページまでくるとコルベールはパタンと本を閉じ、再びテーブルの上へと置いた。

「それと何やら悪魔に似た形の者や異形の絵も描かれているのです。特に大した思い出もないので、好きにしても構いませんよ。」

 

 

そう言い終えた直後、ドアの外から見張りをしている衛兵の怒鳴り声が聞こえてきた。

(…だから無理だと言ったら無理だ!この部屋に入るにはちゃんとした許可が…グエッ!)

何かを強く叩いた様な音が聞こえた後、霊夢が御幣片手にノックはおろか挨拶すら無しにドアを開けて部屋に入ってきた。

アンリエッタは部屋へ入ってきた霊夢がメイジが一見すれば細長い杖の様な形をした御幣を持っているのに気づき、急いで水晶の付いた杖を向ける。

「何者!?この王女の目の前で無礼な真似働くことは……」

「はぁ?何言ってるのよ…役者にでもなりたいわけ?まぁそれよりも…」

霊夢はまるで狂言者を見るような目でそう言い。アンリエッタはその言いぐさに心底驚愕した。

今までそんな言葉で話しかけられたことが無かったからだ。

一方でオスマンとコルベールはというと霊夢の姿を見て「なんでここにいるの?」と、言いたげな目をしている。

霊夢はそんなオスマンの方へと顔を向け目を鋭くさせると口を開いた。

 

「ちょっと、ルイズの朝食どころかなんで私の朝食もないのよ?

 給士から聞いたら「学院長の命令でして…」って言われたからわざわざこんな所まで来る羽目になるし…。」

 

霊夢に警戒していたアンリエッタはふと少女の口から出た親友の名前にハッとした顔になり、少女に話しかけた。

「ルイズの名前を知ってるのね貴方?ということはルイズの友達か親友のお方かしら…?」

「イヤ、あんな奴の友達になった覚えは微塵もないわ。」

霊夢はそう言うとアンリエッタの方へと鋭く光る瞳を向けた。

アンリエッタはその瞳を見て、口の中に溜まっていた唾液を思わず飲み込んでしまった。

先程の王女に対するものとは思えない言動と言い、今まで見たことのない気配を発する瞳を見てうら若き王女は目を丸くする。

「貴方は一体…」

アンリエッタは平静をなんとか保ちつつも霊夢に自己紹介を促した。

「私は博麗 霊夢。何の因果かルイズに召喚の儀式とやらで否応無しでこんな所に呼び寄せられた被害者よ。」

「ハクレイ…レイム?…ひょっとしてあなたがルイズの使い魔……キャッ!」

「使い魔にもなった覚えも無いわ。どいつもこいつも私を見たら使い魔使い魔って…。」

迂闊にもアンリエッタがそう言うと、霊夢は愚痴をこぼしながら遠慮無く自分の身長より少し高めの御幣の先でアンリエッタの頭を叩いた。

それを見た他のコルベールはこれ以上ないと言うほど驚くと、急いで霊夢の御幣を持ってる方の手を掴んだ。

「いけませんミス・レイム!この御方は先王の形見であるアンリエッタ姫殿下ですぞ!そんな無礼なことをしたら…」

「あんりえったぁ…?あぁ、ひょっとしてコイツが昨日シエスタの言っていた…」

 

一人納得した霊夢は御幣を下ろし呟くとアンリエッタは叩かれた場所さすりながら口を開いた。

「どうやら私を見るのは初めてのようですね。私はアンリエッタ・ド・トリステイン、この国の姫殿下であり、ルイズ・フランソワーズの幼馴染みよ。どうかお見知りおきを…」

アンリエッタはそう言うと優雅にお礼をしたが、霊夢はそれを白けた目で見ていた。

「な、何をしているのです!ホラ、あなたも頭を下げてください!」

「何で私がそんな事するのよ?あっちが勝手にしただけじゃない。」

コルベールはそんな霊夢を見て更に目を丸くすると急いで霊夢へ耳打ちをする。

だが霊夢は自分が悪くない風にそう言うとアンリエッタは頭を上げて二人へ話しかけた。

「いえいえ気にしなくても良いですよ。そもそも人間が使い魔になるという事が可笑しいものですよね。とても酷いことを言ってご免なさい。」

「あっそう。…全く、ルイズの奴もとんだ変わり者の幼馴染みを持ってるわね…って、ん…!?」

アンリエッタの言葉に霊夢はうんざりしたようにそう言うとテーブルに置かれていた本に気が付き、驚愕した。

 

 

霊夢はその表紙に書かれていた『文字』を見て急いで本を手に取った。

アンリエッタとオスマンはその時、霊夢が真剣な目つきで本のページをどんどん捲っていく。

ページが捲っていく度に霊夢の顔はどんどん険しくなり始め、そしてバタン! と大きな音を立てて本を閉じると再びテーブルに置き、アンリエッタの方へ顔を向けた。

「この本って、何処で手に入れたの?」

「………あなたには、その本に書かれた文字が読めているのですか?」

「まぁね……で、私はこの本を何処で手に入れたのか聞いてるんだけど?」

「何ですって!?」

「何と…!」

霊夢の質問にアンリエッタは質問で返すが。霊夢はそれにあっさり答えた。

その答えに、オスマンとコルベールは驚いたが霊夢は一度同じ質問をアンリエッタに投げかける。

アンリエッタは一瞬躊躇うような表情になるが首を振ると霊夢の質問に答えた。

「この本は子供の頃に、アルビオンの…確か、ニューカッスル城で手に取ったような記憶が…。」

「そう、アルビオン…ね。」

霊夢はそう言うとさっさと部屋を出て行ってしまった。

 

 

机に置かれた異国の文字で書かれた本――それは今のところ霊夢にしか読めないだろう。

転生を繰り返す家系の者によって作られた幻想の存在や神秘の秘境を明確に記した本。

――それは、霊夢のいた場所では「幻想郷緑起」と呼ばれる物である。



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第十八話

王都トリスタニアから丁度馬で二日くらい掛かる距離に、ラ・ロシェールという『港町』がある。

港町でありながら辺りを頑丈な岩山に囲まれ、既に枯れてしまった世界樹の木が生えているだけの寂しいところだ。

何処にも海や川と言ったモノはないが、それでも世間では『白の国』と呼ばれるアルビオンへの入り口の役目も果たしている。

人口三百人と規模は小さい街ではあるがそれでもアルビオンと行き来する人々で常に街は賑わっているのだ。

建物は木造ではなく全て岩から削り出され、それ等は全て『土』系統のスクウェアメイジ達が作り出した努力の結晶なのである。

 

今の時間は深夜であるがラ・ロシェールの町は賑わっており、特に酒場などでは今も尚灯りがついている。

鎧を着こなし、槍や剣を背負った傭兵達が安そうな酒瓶片手に酔っぱらいながら道の真ん中を堂々と歩いていた。

彼らは全員アルビオンの王族派に雇われ、形勢不利と見てここへ逃げてきた者達である。

傭兵達にとっては雇い主を見捨てて逃げるということは別に恥じることではない、彼らは名誉より金と命が大事なのであるから。

共和制万歳!と叫びながら酒をあおる彼らを、空から見つめている黒髪の少女がいた。

 

「学院からここまで大分時間が掛かったけど…大分暗くなったわね。」

黒髪の少女、霊夢はそういうと真下にあった建物の屋根へ降り立った。

別に町の各所にある休憩所のような場所でも別に良かったが、

道にはあのように女なら小さくても良い、とか言いそうな奴らがうじゃうじゃいるのでこうして屋根伝いに移動しているのだ。

それに宿屋に泊まろうにも、霊夢はお金とかそういうものは一切持ってきていない。

 

では霊夢が何故この様な学院からかなり離れたこんな場所に来ているのかというと、それにはわけがあった。

「それにしても、なんでこんな異世界に幻想郷緑起があったのかしら?」

霊夢はポツリと呟き、今日の朝方に起こった出来事を思い返していた……。

ちょっとした事情で学院長室に来たところ、アンリエッタというルイズの幼馴染みと出会った。

その時、彼女がアルビオンという国で手に入れたという本が霊夢の言う『幻想郷緑起』だったのである。

 

 

 

『幻想郷緑起』とは……死んでは生まれ、死んでは生まれを繰り返す稗田の者によって書かれた幻想郷に関する本である。

妖怪、そしてそれを退治する者達、幻想郷の土地などが詳しく書かれている。

その歴史は古く、今では「現代向け」―霊夢はその言葉の意味が理解できていない――という名目で誰でも読めるような本になっている。

最も霊夢自身は少し読んでいる程度でそれ程興味を示していなかった。

だが、流石にこんな月が二つあるような異世界でお目に掛かるとは思っていなかったのだ。

そういうわけで、今霊夢は幻想郷緑起があったというアルビオンという国を目指しているのである。

ちなみにそこへどうやって行けば良いのかは聞いていないが…まぁなんとかなるだろう。という考えでここまで来たのである。

 

 

 

 

「それにしてもこの町はやたらと騒がしいわね。」

ラ・ロシェールの町は深夜になってもあちこちの建物から灯りは絶えない。

特に今はアルビオンから逃げてきた傭兵達が酒場で騒いでいるため尚更それに拍車を掛ける。

しかもそいつら全員が血気盛んなため時折罵声、怒声に混じって銃声なんかも聞こえてくるのだ。

幻想郷の人里にも此所と似たような場所はいくらかあるがこの町よりかは危険ではない。

「それに随分と物騒だし。早く出て行きたいわ…。」

霊夢はため息まじりにそう言って辺りを見回すと、ふと西の方に巨大な何かがあるのを見つけた。

それは暗闇の所為でハッキリとはしないが、まるで『木』のように見えた。それもかなりの大きさの。

 

その巨大の木の枝には木の実の様な物体がぶら下がっている。

だけどよく見てみると、どうにも「ぶら下がっている」というより「浮いている」様に見える。

「何か怪しいわね、あの木は。」

霊夢がそう言うと、下の方から何やら男の達の声が聞こえてきた。

「よぉ、お前さんもアルビオンからここまで逃げてきたのか。」

「おぉジャックか、あんな土から離れた大陸で死ぬのはまっぴら御免だからな。」

どうやら店の外で話しているらしく、『アルビオン』という単語が霊夢の興味に触れた。

何かと思い、霊夢は屋根の上から少し顔を出し、ひっそりと耳を傾けた。

 

「全く王族派の連中め、安く見やがって。俺たちは兵器じゃねぇんだぞ。」

「その気持ちはわかるぜジャック、いくら対メイジに強い俺たちでも限界はあるからな。」

「そういえば、アルビオンへ行く前はここから見える港を、『金を呼ぶ大きな豆の木』ってよんでたよな俺たち…。」

「だけどいざアルビオンへ行けばそこへ待ってたのは俺たちの棺桶ときた。全く冗談じゃないぜ?」

 

そこまで二人の話を聞いた霊夢は顔を上げて再び遠くに見える木を見つめた。

先程の話から個人的に推察してみるに、どうやらアレは『港』らしい。

霊夢が知っている港とは似てもにつかない形だが…先程男が言っていた「金を呼ぶ大きな豆の木」という言葉。

豆の木かどうかはわからないが少なくとも「大きな木」といえばあれくらいしか思いつかないのである…

「まぁでも、怪しいとは思っていたし。丁度良いから行ってみようっと。」

そう暢気に言うと霊夢はフワッと空中に浮かび上がり、大木の方へと飛んでいった。

 

 

先程彼女が佇んでいた屋根の上に二人の男女が現れ、のんびりと「港」を目指して飛んでいく霊夢を見つめていた。

一人は黒いマントを着込み、顔には白い仮面を被っている男であった。手には黒塗りの長い杖を持っている。

「あいつか?お前を難なく倒したという者というのは。」

「えぇ、あいつのお陰で額が今も尚痛くて堪らないわ。」

仮面の男に聞かれ、隣にいた暗緑色のローブを羽織った女は額を抑えながら悔しそうにそう言った。

「ハハ、どうやら大分手痛い目に合わせられたようだな。」

それを見て仮面の男は女を嘲笑うかのように体を小さく揺らすとそう言った。

女はそんな男の言葉を聞き、少し怒ったような口調で話しかけた。

「お前さんはアイツの強さは半端じゃないって事を知らないのさ。」

「ふぅん…つまりは、やってみなくては分からないと言うことか…?」

男は冷ややかにそう言うと踵を返し、何処かへ行こうとする。

「…どこへ行くつもり?」

「俺はちょっとお上からの命令であの娘を倒す手筈となっている。」

女はその言葉に、怪訝な顔をする。

「お上から…?それに倒すってどういう意味よ。」

「俺に聞くな、ただお前さんを倒したという少女の話を聞き、更にその少女がアルビオンへ来ると聞いた幹部共が俺にそう命令したのさ。」

男は心底ウンザリしたようにそう言うと女も呆れた様な顔になる。

「何よソレ?怪談話を信じて魔除けの聖水を部屋にばらまく子供と一緒じゃないの。」

「まぁ今は内の組織もピリピリしてるからな。さてと、では俺はあの少女を追う。お前さんは予定通り明後日の襲撃に備えておけ。」

男はそれだけ言うとバッと屋根から身を乗り出し、町の中へと素早く消えていった。

 

 

 

―――場所は変わり、霊夢が居る場所から大分離れた所にある宿屋「女神の杵亭」。

数ある宿屋の中でもここだけは一際豪華な造りであり、当然泊まる客も貴族ばかりである。

その一室には、ルイズが天蓋突きベッドに腰を下ろしカップに入ったお茶飲んでいた。

ヘッドの傍にある鏡台の上にはアンリエッタ王女からアルビオンのウェールズ皇太子への手紙が入った封筒が置かれていた。

ルイズは今一度ソレを見て、ため息をつくと音を立てずにお茶を啜り口の中に入れた。

今ルイズは悩んでいた。別にこの任務を何故受けてしまったか、ということではない。

それは何かというと、学院に置いてきてしまった霊夢のことであった。

 

アンリエッタからは、いかなる者にこの事を話してはいけないときつく命令されていた。

だからルイズも余り親密な関係ではない霊夢には話すつもりは無かった。

それからワルド子爵と共にグリフォンに跨り、たった一日でこのラ・ロシェールに来てからあることを思い出した。

(霊夢の奴は多分私が居なくても別に平気だと思うけど…。そういえばとっておいたあの御菓子、棚の中に入れたままだったわ!)

ルイズは霊夢を召喚する前、部屋の彼方此方に何かおめでたい事があった時にと取っ手置いた高級菓子を置いているのだ。

こちらがまともな食事と寝言のを提供する代わりに、霊夢は部屋の掃除をしてくれている。

ただ、そのときに保存している御菓子が見つかってしまうのは少しまずいのだ。

霊夢のことだ…きっと「丁度良いお茶菓子を見つけた。」とか言って食べてしまうに違いない。

 

ルイズは今にしてもっと別の所に隠しておけば良かった…と後悔していた。

勿論ルイズは霊夢が今この町にいるという事は当然知らない。

 

そんな風に一人悩んでいると、ふとドアからノックの音が聞こえてきた。

誰かと思い立ち上がりドアを開けるとそこには同伴者であるワルド子爵が立っていた。

手には二つのグラスと一本のワインボトルを乗せたトレイを持っている。

「やぁルイズ、ちょっと下へ行ってワインを貰ってきたよ。これから一杯どうだい?」

微笑みながらそう言うあこがれの人にルイズは思わず頷いた。

ワルドが部屋にはいるとルイズはドアを閉め部屋の左側にあるソファへと腰掛けた。

次いでワルドもトレイをテーブルに置き、ボトルの蓋を開けて中身をグラスに入れる。

 

 

 

血のように赤い色をしたワインは艶めかしく輝いている。

「ルイズ、君はこの少ない方のグラスを飲みなさい。」

ワルドはそう言い、少ししかワインが入っていない方のグラスをルイズに手渡した。

「子爵様、私昔のようにお酒に弱くなくなったのですよ。」

ルイズの言葉にワルドはチッチッと指を振った。

「ウソは良くないよミ・レィディ?君は今でもお酒に蜂蜜や果汁を垂らしていると聞いているんだ。」

「ヒドイですわ子爵さま、乙女の秘密を探るなんて。」

「それは誤解だよルイズ、君のことを愛しているからこそ…より一層君のことを調べたくなってしまうのさ。」

霊夢のような貴族社会とは全く縁がない人間が聞けば我が耳を疑ってしまうような言葉をワルドはさらりと言ってのけた。

しかし、貴族社会の中で生きてきたルイズは蜂蜜よりも甘い口説き文句に頬を真っ赤にさせてしまう。

 

 

それからしばらくの間ワルドとルイズは甘い甘い時間を楽しんでいたが、ふとワルドがある話題を出してきた。

「ねぇルイズ、あの時の事を覚えているかい?」

「…あの時の、事ですか…?」

ワルドの言葉にルイズはワインを飲みながら首を傾げた。

「そうさ、君がまだ小さかった頃に親同士が決めた婚約の事を…。」

ルイズは突然のことに口に含んでいたワインを吹きそうになったがなんとかそれを堪えてうまく飲み込むと返事をした。

「ゴホッ…は、はい。勿論今でもしっかり覚えていますわ。」

その応えを聞き、ワルドは頷くとまるで昔の事を思い出すかのように天井を仰ぎ見た。

「そうか、今までずっと覚えていてくれたんだね。…嬉しいよ。」

ワルドはそう言うとルイズの体を軽く抱きしめながらも言葉を続ける。

 

「僕は父が死んだ後、困難な仕事をこなしてグリフォン隊の隊長という位にまで出世できた。

 なにせ、家を出るときに決めたのだからね…。」

 

「決めたって…何をですか?」

最後の言葉にルイズは首を傾げた。

ワルドはルイズの華奢な体を抱き留めている腕の力を少し緩めると一言、こう呟いた。

「――――立派な貴族となって、君を僕の花嫁として迎えに行くってね。」

 

 

 

 

 

霊夢は飛び立ってから数分して、『大樹』もとい『港』へとたどり着いた。

ひとまず根本の方へ着地した彼女の目の前には完成してから何百年も経っているかのような木造の階段が幾つもある。

後ろを振り返ると吹き抜けホールのような造りの空洞になっており、他にも人が座るためのベンチやイスなどが設置されていた。

「野槌辺りが気まぐれで造った…とかじゃないわね。」

天井からつり下げられ、自身には読めない文字が幾つも記されている鉄製のプレート見て霊夢は冗談まじりに呟く。

「どうやらここへ来たのは正解ね。もしかしたら何か良い情報が見つかるかも…。」

霊夢はそう呟くととりあえず目の前にある見た目からして一番新しそうな階段を上っていった。

だけどやはり見た目だけだったらしい。階段がギシギシと軋む音を立てている。

途中でボキッと折れて吃驚するのはイヤなので、仕方なく飛んでいくことにした。

 

どんどんと上へ飛んでいくと、霊夢は枝にぶら下がってプカプカと空中に浮いている木の実――否、『船』を目にした。

ただそれは霊夢が知っている船とは違い、側面には翼が取り付けられている。

それに興味を引かれた彼女はひとまずその階で降り立つと遠くからその船を見上げた。

彼女の傍にある鉄製のプレートにはこの世界の文字で『アルビオン大陸行き』と書かれている。

「ふ~ん、船に翼ねぇ…。」

霊夢は関心があるのか無いのか良くわからない感じにそう言った直後…

 

 

「悪いがお前はそのアルビオン行きの船に乗ることは一生無い。」

 

 

後ろから男の声が聞こえ、霊夢は何かと思い振り返った。

だが彼女の背後にあるのは大小様々な木箱が無造作に積み重ねられているだけ。

そこには人の姿は見えない、いるのは精々ネズミぐらいだろう。

 

「…?何かしら今の声…それにアルビオンというとやっぱり―――――――   ―!?」

 

不思議そうに霊夢が首を傾げた瞬間、横からもの凄い殺気が伝わってきた。

霊夢は背負っていた御幣を手に持つとひとまず上の階目指して飛び立った直後…

 

 ド ン ッ !

「……グゥッ!!」

突如殴るかの様に風の塊が体に直撃し、空中にいた霊夢はなすすべ無く地面に叩きつけられた。

それは『風』系統では代表的な攻撃魔法であり訓練次第で人を殺す事すら出来る『エア・ハンマー』であった。

だがこれでくたばる博麗の巫女ではなかった。霊夢は痛みを堪えて立ち上がると『エア・ハンマー』が飛んできた方へと視線を向ける。

灯りがついておらず真っ暗なホールから黒いマントを羽織り、顔に白い仮面をつけている男が現れた。

「ほう、大分威力を押さえて放ったが…貴様を気絶させるには少し威力が無さ過ぎたか?」

男は右手に持っている杖を弄くりながら余裕たっぷりにそう言った。

 

「アンタ誰よ。ここで人を後ろから攻撃するような奴と知り合った覚えはないけど?」

霊夢は御幣を左手から右手に持ち替えると空いた左手で懐から針を取り出し、勢いよく投げた。

仮面の男は自分目がけて飛んでくる針へ向けて杖を向けた。

すると今度は男の目の前で小さな竜巻が生まれ、まっすぐ飛んでいた針は案の定その竜巻に突っ込んでいった。

 

次に男は杖を勢いよく振ると竜巻がフッと消え失せ、あとには勢いをなくし地面に転がっている針だけが残った。

「なるほどな…この対応の速さ、それなりに戦いの経験はあるようだな。」

仮面の男は何故か満足げにそう言うと霊夢に向かって走り出すと、手に持っている杖が青白く輝き始めた。

 

『エア・ニードル』――杖自体を魔法の渦で細かく震動させてその力で相手を刺す魔法。

 

霊夢は正面から正々堂々突っ込んでくる相手に対し、容赦なくお札と針で構成された小さな弾幕を飛ばした。

仮面の男はその弾幕をジャンプすることで回避すると、そのまま霊夢の背後へと降り立った。

そのまま背中越しから霊夢の胸を貫こうとしたが瞬間、男の目の前から彼女の姿がフッ…とかき消えた。

 

「なっ…!?」

「こっちよ、突撃馬鹿。―――『夢想妙珠』」

仮面の男が突然のことに驚くと上の方から霊夢の声が聞こえてきた。

男が上を向くと、そこにはいつの間にか空中に浮遊していた霊夢がスペルカードを右手に持っていた。

攻撃させる暇すら与えず霊夢は上空からスペルカード宣言をし、多数の光弾を放った。

大小様々な光弾が此方へ向かってくるのを見た仮面の男は舌打ちすると咄嗟に横っ飛びで避けようとしたが……

多数の光弾は、まるで男が横へ飛んだ所を見たかのように滑らかな動きで男の方へ迫ってきた。

(何!た…弾が俺の後ろをついてくるだとっ!?)

 

霊夢の放つ弾幕の特徴である『追尾』はある程度の回避行動などではそうやすやすとは振り切れない。

回避行動をし終えたばかりの男の側面に全ての光弾が直撃した。

その衝撃で吹っ飛んだ男は木箱が無造作に置かれていたスペースへと落ちていき、何箱か壊してようやく男はノックダウンした。

戦いが終わったと感じた霊夢は念のためにと持っていた針をしまうと、地面へ降り立った。

先程大量の木箱があった場所には――箱の中に入っていたのだろうか…―割れたボトルの中に入っていたエールにまみれた仮面の男が倒れていた。

 

「知ってる?弾幕ごっこで最初から弾幕の中に突っ込むような奴は、余程自分に自信があるか…ただの『馬鹿』だって事を。」

 

 

 

 

 

霊夢は倒れている男に冷たくそう言うと足下にあった杖に気づき、それを思いっきり踏みつぶした。

哀れにも悲痛な音と共にも真ん中から折れてしまった黒塗りのソレを、霊夢は軽く蹴飛ばし男への方へやる。

「アンタ一体だれよ?最初に言ったけど私はアンタみたいな奴は知らないわよ?」

霊夢は手に持った御幣の先で男の額を小突きながらそう言った。

「俺もお前と会うのは初めて…イヤ、一度会った気がするな―――」

額を小突かれながらも男はそう言った瞬間…突如男の体がフッとその場から消え失せた。

突然のことに少し驚きながらも霊夢は辺りを見回すと、西側の大きな窓からあの男の声が聞こえてきた。

 

「おい小娘、貴様が何の目的で西方のアルビオンへ行くか知らないがやめておけ。

 どうやら私よりも更に上にいる者達は貴様を敵視しているらしい。奴らはかなり本気になっている。

  もしこの警告を無視してアルビオンへたどり着いたとき、我ら「レコン・キスタ」が貴様の身を滅ぼすだろう!」

 

その声を最後に辺りは再び静かになり、後に残ったのは霊夢と木箱の破片だけであった。

一人の残された彼女は数秒の間を置いてから、大きなため息をついた。

「ハァァ~……どうしてこう、私の周りに厄介事が幾つも出てくるのかしら。」

霊夢はうんざりしたような感じでそう言うと御幣を背中に背負い先程男の声が聞こえてきた窓の方へと顔を向ける。

この町へ来てからずっと気になっていたのだが…西の方角辺りから何やら嫌な気配が僅かながら漂ってきているのだ。

 

―――それも人間には出すことが出来ない「人外」特有のおぞましい気配が…。

 

妖怪達が多く暮らしている幻想郷に住んでいる霊夢はその気配を何度も感じ取ったことはあった。

ロクな知能を持ち合わせていない下等妖怪の巣や、幻想郷の奥地にある「ひまわり畑」…。

(あぁでも、今感じているのはあの向日葵畑よりかは大分マシね…。)

霊夢は一人心の中でつぶやくと西の方角をジッと見つめた。

「先程の男の言葉といい、この気配といい…どうやらアルビオンとやらは西の方角にありそうね。」

そう言うと霊夢は飛び立とうと――せず、近くにあったベンチへ横になった。

今の今まで意識してはいなかったが、今になってあの空気の塊を喰らったときのダメージがやってきたのだ。

まるで全身筋肉痛のような痛みは霊夢の顔を少し苦しそうなものに変えている。

「服の下に羽織っている結界用のお札…変えておいた方が良さそうね。イタタタ…」

 

霊夢は常に、とは言わないが服の下に巻いているサラシには結界符を貼っている。

これによりもしも弾幕ごっこの際に胴体に被弾しても多少のことならば致命傷にはならない。

先程の『エア・ハンマー』もこれのおかげで威力を半減できたのだ。

ただ、攻撃を喰らうたびに結界符もどんどんとその威力を弱めていき、終いには消滅してしまう。

いつもならばすぐに新しい結界符に貼り替えいるのだが――

「そう言えば、ここに来てからそんな事をした記憶がないわね…。」

霊夢は一人そう呟くとゆっくりと目を閉じ、少ししてから小さな寝息をたてて眠りについた。

 

今すぐにでもアルビオンに飛んでいきたいのは山々だったのだが、生憎彼女の体には疲労とダメージがたまりにたまっていた。

人間誰しもそういう時は案外あっさり眠れるもので、れっきとした人間である彼女もまたその例に漏れないのである―――――

 



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第十九話

―――幻想郷、霧の湖の真ん中に建てられている紅魔館。

妖怪の山の麓にあるこの湖は深い霧に包まれ、その霧に紛れて妖精なんかが飛び回っている。

そして、その湖の真ん中にはとてつもなく大きな洋館があった。

まるで人を寄せ付けぬかのような場所に立てられたその館は紅く染まっている。

ようやく顔を出した太陽の明かりがが、逆にその洋館を不気味にさせていた。

 

 

そして、その紅魔館のとある一室では…。

四人の少女達が椅子に座り、何やら話をしていた。

一見すれば、何のたわいもない談笑かと思うが、部屋の雰囲気はとても重苦しいものであった。

「――――で、霊夢が何処に行ったのか特定出来たという事?」

少し青みがかかった銀髪の吸血鬼――― レミリア・スカーレット ―が向かい側に座っている金髪の女性が話した内容に興味を示していた。

背中には蝙蝠のような大きな翼が生えており、カーテン越しの太陽の光がその翼を照らしている。

「そうよ。まぁその時は思わぬ妨害が入って逃げる羽目になってしまったけど。」

金髪の女性 ――― 八雲 紫 ― の方も、一見すれば白い導師服を着た普通の『人間』に見える。

だが、その体からにじみ出る言いようのない不快感と恐怖が彼女が人外だと証拠づけていた。

 

「意外ねぇー、まさか貴方の口から逃げるっていう言葉が出るなんて。」

部屋の重苦しい雰囲気に柔らかそうに言ったのは金髪の女性の隣にいた『亡霊』 ――― 西行寺 幽々子 ― であった。

青い着物を纏い、被っている青い帽子の上に重ねるかのように『@』という印が描かれた白い三角頭巾をつけている。

「余程手痛い目に合わせられたか…それとも油断して一太刀浴びせられたとか?」

幽々子は桜色の髪を死人のように白い手で撫でつけながら、笑顔で紫にそう言った。

その言葉に紫は顔を僅かに曇らせると、右の人差し指で頬をカリカリと掻きながらポツリ呟いた。

「まぁ、ね。確かに一太刀浴びせられたわ…というよりも刺されたっていう表現が正しいけど。」

「とりあえずそんなお喋りは後にして、次の話題を進めて頂戴。」

そんな二人の会話を見ていた幽々子の横に座っていた女性が口を開いた。

腰まで伸びた銀髪は月明かりでキラキラと輝いている。

服は青と赤という変わった色の基調をしたナース服を着ていた。

彼女は先の幻想郷で起こった『永夜異変』の主犯である ――― 八意 永琳 ― である。

永琳の言葉に紫はつまらなそうに肩をすくめると再び話し始めた。

「それから私は何度か様々な方法を使ってその世界へ侵入しようと試みたけどどれもコレも駄目だったわ。

   後一歩と言うところでいつも誰かが私に襲いかかってくるのよ。本当、困るわ。」

 

あっけらかんにそう言った紫に永琳はため息をつくと紫に話しかけた。

「良くそんなに暢気にしていられるわね?幻想郷の創造主である貴方がそんなんだと心配になってくるわ…。」

「あら?これでも私には色々と苦手なモノは結構あるのよ。私はそんなものとは極力付き合わないようにしているだけ。」

紫は呆れている永琳に笑顔で軽く言うと再び話を戻した。

「まぁとりあえず今のところ、攫われてしまった博麗の巫女は未だ取り戻せていないという事よ。」

 

 

時を遡り数週間前、ここ幻想郷で博麗の巫女である霊夢が神隠しに遭うという、未曾有の異変が発生した。

それを妖怪の山に住む天狗達はあっという間に嗅ぎつけ、幻想郷中に話は広まった。

霊夢が神隠しに遇ったという話を聞いた彼女と親しい間柄の者達はすぐに異変解決の為に行動し始めた。

ただ…特にアテがないので各々が好きなところへ赴いては何の成果も無しに帰ってくる。

 

見つからないのは仕方がないといえるだろう。

何せ霊夢は本当にこの幻想郷から消えてしまっていたのだから。

突如神社の境内に現れた光り輝く鏡の様なモノに取り込まれて…。

その真実を知っているのは目撃者である八雲紫と、今日になって彼女から教えて貰ったレミリア、永琳、幽々子の3人だけである。

 

 

紫の言葉にレミリアはまるで相手を睨み殺すかのような目で紫を睨み付けながらこう言った。

「………まぁそこまで期待はしていなかったけど。まさかこれ程とはね?」

レミリアの冷たい言葉と視線に対し、紫は顔色一つ変えない。

幽々子はそんな光景を見て口元を扇子で隠しこそこそと笑っていた。

一方の永琳はというと…目を瞑り何が考えた振りをした後、紫に話しかけた。

「じゃあ、このままあの巫女が帰ってこなかったら結界が破れるのは時間の問題という事じゃない…?」

その一言に、紫は永琳の方へ顔を向けると顔色を変えた。

「結界ねぇ…確かに、『普通なら』後数日もすれば結界は跡形もなく崩壊するでしょうね。」

永琳はその言葉に残念そうな顔になったがそれは一瞬のことで、すぐにある事に気がつき真剣な顔になる。

「普通なら…?それは一体どういう意味なの。」

彼女の質問に、紫は被っていた帽子を脱ぐと気まずそうに頭を掻いた。

 

「う~ん、ぶっちゃけて言うとね…結界の様子がおかしいのよ。」

その言葉を皮切りに、今現在の結界の状況についての説明が始まった。

霊夢が消えてしまった後、紫はマヨヒガへ戻り博麗の巫女無しに結界がどれくらい持つか分析したらしい。

最初こそ予定では僅か二週間ぐらいで結界は崩壊してしまうという結果が出たが。それは大きく外れた。

二週間経っても結界にはひびひとつ入っておらず、何一つ問題なく結界は正常に働いていたのである。

 

「それじゃあ、今は霊夢がいなくても結界は大丈夫なわけ?」

話を聞いていたレミリアが横槍を入れるかのようにそう呟いた。

確かに、別に霊夢がいなくても結界が正常に動いていれば焦ることはない。

そう考えたレミリアは話の途中なのにも拘わらず安心したかのように大きなため息をついた。

「はぁ~、心配して損した………ってイタッ!?」

言い終わる前に、突如レミリアの頭上にスキマが現れ、そこから出てきた扇子に頭を叩かれた。

「何勝手に安心してるのよ吸血鬼、話の本題はここからよ。」

勝手に安心しているレミリアにスキマを通じて扇子で叩いた紫は話を再開した。

 

博麗の巫女無しに正常に動いている結界を訝しんだ紫はすぐに自分の式である九尾狐の藍に調査するように言った。

その間に紫は霊夢が何処へ行ったのか探るために、スキマを通ってあらゆる世界を行き来していた。

数日後…今日も何の成果も無しにマヨヒガへ帰ってきた紫に藍がある報告を入れてきた。

「紫様、少し結界の異常についてご報告を…。」

「どうしたの藍?ここ数週間前からずっと異常なんだけど。」

「いえ、今日はそれとはまた違い、見たことのない異常事態でして…。」

次に己の式の口から出た言葉に、紫は手に持っていた傘をうっかり取り落としてしまった。

それは、境界を操りありとあらゆる知識を持つ八雲紫ですら予想だにしていなかった事…。

 

―――結界が、どんどん変異していってる。

 

紫の口からでたその言葉に、レミリアが目を丸くした。

「日を追うごとにどんどんと、まるで蝕むかのように結界は変異しているのよ。なんとかしようとしたけど既に手遅れだわ。」

「変異って…一体どういう風に?」

レミリアは威厳を保とうとしながらも、恐る恐る紫に質問した。

「そうねぇ、白紙に描かれた絵の上に更に絵を描いた、と例えればいいかしら。」

そういう風に例えた紫は一息ついてから喋り始めた。

「更に私がその事で心配しているのはその結界が完璧に元あった結界を取り込んだ際にどんな事が起こるか予想がつかないという事よ。

 良くて何も起こらない、悪ければ…恐らく今まで起きた異変よりも相当悪い事になるわ。」

 

彼女の口から出たその結論に、レミリアは息を呑んだ。

結界が崩壊するならまだしもまさか突然変異するとは夢にも思わなかっただろう。

だが、驚かせる暇を与えないかのように紫は更に喋り続けた。

「ただ、その結界を調べていく内にある事がわかったのよ。

 今の結界を構成している術式が…霊夢を攫っていったあの鏡を構成していた術式と似ているのよ。」

 

「「……!!」」

それを聞き、永琳を覗く二人が驚愕した。

永琳はと言うとそれを聞き、少し考えるような素振りを見せた後口を開いた。

「ということは、その術式をうまく利用すれば…」

「さすが月の頭脳ね?私の台詞を盗もうとするなんて。」

言い終わる前に紫はそう言うとその跡を継ぐかのように言った。

 

「近い内に、あの月面戦争と同じ方法を使って霊夢を攫った世界へ乗り込むわよ。」

 

 

 

アルビオン王国はラ・ロシェールの町から丁度西の方角に存在している。

まず唯一の特徴は大陸そのものが『浮遊』している事だ。

その為、定期的にハルケギニア大陸の上空に進出することがある。

他にも「白の国」と呼ばれ、それは大陸の下部はいつも白い霧に覆われている事から由来が来ている。

アルビオン大陸の内側からこぼれ落ちてきた水が白い霧はいずれ雲となり、いずれはハルケギニア大陸へと運ばれ雨となるのだ。

 

他にもハルケギニア各国の中でもでエール を特に大量生産している国だったり、

 「アルビオンで良い料理が食いたいならトリステイン産の食材を持ってこい」、等と呼ばれている国である。

 

また大昔にかの始祖ブリミルの3人の子供達に作らせた王国の1つであり、その歴史も古い。

サウスゴータの街は人口4万を数えるアルビオン有数の大都市で、円形状の城壁と内面に作られた五芒星形の大通りはユニークである。

他にも王都ロンディニウムや軍港ロサイス、ハヴィランド宮殿など、観光地としてもベスト10に入っている場所も随分多い。

ただ…この時期は観光客はおろか大陸に住む人々さえ外にも出ず、家の片隅でガタガタと震えている。

それは『レコン・キスタ』という組織のクーデターが原因であった。

彼らは今のアルビオン政府の現状を憂い、「共和制」という言葉の元に集まった。

最初の戦いこそ、王族派の勝利が連続で続きレコン・キスタはあっという間に鎮圧するかと思った。

 

だがしかし、レコン・キスタの軍団に突如としてかの「亜人」たちも参戦してからというものの、形勢は逆転してしまった。

 

名高いアルビオン空軍の象徴でもあった『ロイヤル・ソヴリン号』と王都ロンディニウムも奪われてしまい。

遂にはニューカッスルの城に立て篭もるほか無くなってしまったのである。

逃げ延びた王族派の者達は覚悟を決めたと同時に、1つの疑問が頭の中に浮かび上がった。

 

『どうして人を襲う亜人達がレコン・キスタの仲間として戦っているのか。』

 

基本亜人というのは人間を襲う者であると子供の頃から教え込まれていた。

事実上間違っている事ではなく、前例をあげていけばそれこそ辞典が数冊出来るほど沢山ある。

それ程亜人達は恐ろしい存在であり、同時に人間に協力する様な存在ではないはずだ。

では何故彼らは人間―それも貴族の集まりであるレコン・キスタと協力関係にあるのか。

ニューカッスルの城に立て篭もった彼らは頭を捻りながらこれまで何週間も考えてきたがもうあまりその時間はなかった――――

 

 

 

一方、此所がどこかも分からない空の上…

まるで密林の様に密集した雲の中を霊夢が一人、フラフラと飛んでいた。

「周囲には雲ばかり…遙か下には海があって、上には颯爽とした青空…ハァ。」

霊夢は右も左もわからない雲だらけの空を飛びながら少し疲れたようにそう呟く。

ラ・ロシェールの町にあった大樹から飛び立って既に四時間ほど経過していた。

ベンチの上で目を覚ましたときには、丁度火が顔を出し始めたところである。

とりあえず近くには水飲み場があったため、そこで水を飲んだ後に顔も洗った。

その後は何も食べずに西の方を目指して飛びたった事に、霊夢は今になって後悔してた。

 

(どうせ一時間も飛んでればつくと思っていたけど…ふぅ、何か食べとけば良かったわ。)

だが実際は一時間どころか…四時間も飛んでいて尚雲以外のモノは一切目にしていない。

更にこの雲はまるで霊夢を取り囲むように空に浮いており、下手に移動すれば空の上で迷子になってしまう。

常人ならその状態から一刻も逃げだそうと西だけではなく東や北へと足を伸ばすところだが霊夢は違った。

彼女は四時間もずっと、西の方角だけを飛んでいるのだ。己の勘だけを信じて。

 

以前にも永夜事変の際に「迷いの竹林」と呼ばれる場所に訪れたことがあるため、既にこういう事には慣れているのだ。

その時にも、しっかりと己の勘を信じ、途中弾幕ごっこを挑んできた魔法使いをコテンパンにして無事に永遠亭へとたどり着けたのだ。

故に霊夢は今回も、昨日の夜に感じ取った嫌な気配を元に、こうして西の方角だけを飛んでいる。

 

「とりあえず…後一時間も飛んでいれば辿り着くかしらねぇ?」

霊夢は何も入っていない腹をさすりながら暢気に呟き、速度を少しだけ上げた。

 

 

 

 

「なんだか、さっきから嫌な臭いがするけど。そろそろって所かしら。」

それから約一時間半が経過しただろうか…霊夢は今雲の中を突っ切っていた。

あの気配も段々と近づいてきており、それに伴い彼女の鼻を異様につく異臭が雲に紛れて漂ってくる。

恐らく、それは戦争や戦、そして科学とはほぼ無縁になってしまった幻想郷では嗅ぐことは殆ど無い火薬の臭いである。

そして数十分が経った頃、霊夢はブレーキを掛けるかのようにその場で動きを止めると上を向いた。

(あの気配が、私の頭上から感じるわ。)

霊夢は心の中でそう呟くと頭上目がけて高度を上げ、雲の中から飛び出した。

雲から出てみると――――頭上は真っ暗『闇』であった。それも一寸先すら見る事もかなわない程の…

周りには白い雲が辺りにフヨフヨと浮かんでおり、そしてすぐ上には黒い『闇』。

まるでこのこの世のものとは思えない奇妙な風景であった。

 

「一体此所はどこなのかしら?もう夜…ってわけじゃなさそうだし。」

気配だけはすぐ頭上から漂ってくるが、どうみても上へと続く入り口らしいものは見つからない。

首を傾げて不思議そうに呟いた直後、ふと右の方で何かが光り輝いているのを霊夢は見逃さなかった。

何かと思い、光の方へ近づいてみるとそれの正体があっという間に分かった。

その正体は発光する真っ白い特殊なコケであり、それが群生して発光していたのである。

「ふ~ん、光るコケねぇ。聞いたことはあったけど……ん?」

そして…そのコケの光のお陰で丁度頭上に大きな穴がある事に霊夢は気がついた。

自然に出来たモノかどうかは分からないが、どうやら船が丸々一隻はいるほどの大きさである。

「こんな所に穴…?っていうか、コレは岩だったのね。」

同時に、頭上にあるのが、『闇』ではなく岩だという事が判明した。

つまり今霊夢の目の前にあるのは『空に浮かんでいる大きな岩の塊』、だと言うことだ。

「全く…ここは幻想郷と同じで色んなモノが飛んでるわね…。」

そんな事をぼやき、これ以上此所にいても仕方ないと判断した霊夢は穴の中へと入っていった。

 

発光性のコケが生えていたのは出入り口部分だけで穴の中はとても暗く、霊夢は手探りで障害物を確認しつつ飛ばざるを得なかった。

もしも船なんかがこの穴に入るのならば…余程の腕利きの者達でなければすぐさま船は座礁してしまうだろう。

「このまま上へ行けば何かあるのかしら……ってまた光ってるところがあるわ。」

穴に入って数分も経った頃だろうか、霊夢は再びコケが光っている場所を見つけた。

光を頼りに近づいていくと、そこには人一人が通れるサイズの横穴があった。

この横穴にはあの光る苔が多数生えており、穴が小さいためかだいぶ明るい。

「このまま手探りで上へ上へ行くのも面倒だし…横穴の方へ行ってみようかしら。」

霊夢は暢気に言うとその横穴へと入り、奥へ奥へと進んでいった。

 

―――アルビオン大陸 ウエストウッド周辺。

 

その森の中にある泉から流れる水は大きな水道を通史でアルビオン各地へと届いている。

泉のほとりには木の蓋で塞がられている古い井戸があった。

井戸と言っても既に水がくみ取れなくなっているが、それでもその井戸を封じている蓋の上は小動物達の休憩場となっている。

今日もまた、数匹のリスたちが仲良く体を寄せ合って眠っていた。

だがその時…。

 

 

ガタガタッ…

 

突如、蓋が音を立てながら大きく揺れ始めた。

たまらずリスたちは跳ね起きるとすばやく蓋の上から飛び降り、森の中へ逃げ去っていった。

リスだけではなく、突然の物音に小鳥は歌を止め、兎はいつでも逃げられるよう身構えている。

数秒してから、ふと物音と揺れが止まり―――次の瞬間、

 

バァンッ!!

 

と、大きな音を立てて蓋が遙か空の彼方へと勢いよく吹っ飛んでいった。

周囲にいた森の小さな住民達はたちはそれに驚きササッと森の奥へと引っ込んでいった。

そして辺りには誰もいなくなった直後、長い黒髪の少女が井戸の中からフワフワと浮かびながら外へ飛び出てきた。

「ふう、ようやく薄暗くてじめじめした場所から出られたわ。」

黒髪の少女――霊夢は地面に降り立つと上空にある太陽を見て嬉しそうに呟いた。

 

横穴へと入った霊夢はあの後ジメジメとした穴の中を通り、苦労の甲斐あってようやく地上へと出てこれたのである。

そして道なりに進んでいくとこの井戸の底へと通じていたということである。

「それにしても、どうして空の上にあった岩穴からこんな森の中へたどり着くのかしら…。」

霊夢は不思議そうにそう呟いた後、直ぐ側から水の流れる音が聞こえてくることに気がついた。

そちらへ振り向くと、そこには太陽の光でキラキラと綺麗に輝く泉があった。

ちなみに、水の流れる音というのは人工的に造られた溝へと流れていく音である。

濁り一つ見あたらないその綺麗な泉の水を見て、霊夢は先程からずっと喉が渇いていたのを思い出した。

霊夢は素早く泉の側へ近づくと、両手で水を掬い一気にそれを口の中へ入れ、飲み込んだ。

「あーおいしい!なんだか生き返った感じだわ。」

喉が乾きに乾いていた霊夢は満足そうに言うと、もう一度水を手で掬い口の中に入れる。

そして最後に顔に水を軽く洗った後、ふと空を見上げた。

木々の間から漏れだし太陽の光は、体を温めるのに丁度良かった。

 

喉を渇きを潤し。ついでに体も暖まった霊夢は未だここが何処なのかわからなかった。

だが、昨日から感じていたイヤな気配が今までとは比べものにならないほど近くから漂ってくる。

「もしかしたら、ここがそのアルビオンって所かしら…。」

霊夢がそう呟いた瞬間、

 

ガサッ…

 

後ろから何か物音が聞こえてきた。

何だと思い振り返ると…すぐ後ろにあった木の後ろに誰かが隠れていた。

多分相手は隠れているつもりなのだろうが、腰まで伸びた金色の髪が風に煽られ揺れている所為でバレバレである。

だが、その髪の細さが普通の人間の半分ほどしかない事に気づき霊夢は少しだけ目を丸くした。

シャララ…シャララ、と風に揺られる度に髪が空気をかき乱す音を奏でている。

 

とりあえずこのままでは何の進展もないので、仕方なしに霊夢は木の後ろに隠れているであろう者に声を掛けた。

「……そこの木に隠れている奴、出てきなさいよ。」

霊夢の言葉に相手は驚いたのだろうか?バッと木の後ろから飛び出したかと思うと森の奥へと逃げようとした。

しかしそれを見逃す博麗の巫女ではなかった、霊夢は咄嗟に相手の肩を掴んだ。

その時になって初めて、こちらをこそこそ見ていた相手が自分とはそれほど年が離れていない少女だと判明した。

粗末で丈の短い草色のワンピースに身を包み、頭には耳元まで隠している白い帽子を被っていた。

手には木の実をいっぱい入れた篭を持っている。

目は怯えているせいか少し潤んでおり、顔も若干ふにゃっと崩れていて、今にも泣きそうな表情をしている。

普通の男がその目と顔を見れば、間違いなくその少女に一目惚れしてしまうだろう。

 

だが霊夢は生憎女である為、そのような誘惑(?)は効かず職務質問のように少女に話しかけた。

「ちょっと、何も逃げることはないじゃないの?」

空腹だったためか、霊夢の言葉は少し苛ついたものとなっていた。

「ご、ごめんなさい…、木の実を摘んでいる最中に大きな音がしたから…。」

霊夢に疑いの目で見られ少女は更に表情を崩し、今にも泣きそうな声で弱々しく言った。

その様子を見た霊夢は相手が何の害もないと確認し、パッと肩を離した。

やっと解放された少女は緊張の糸が切れたのか、その場にヘニャヘニャと座り込み、ついで頭に被っていた帽子が落ちてしまった。

 

―――――――帽子に隠れていて見えなかった耳は、普通の人間のソレと違い尖っていた。



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第二十話

―その時の事は今も尚覚えていて、時には眠っているときにさえあの光景が夢としてよみがえる。

 

銀の降臨祭の前日、その日私と母はとある事情で父の友人宅で過ごしていた。

薪をくべられた暖炉の中で炎がまるで生きているかのように動き、部屋の中を暖めてくれる。

窓から外を見れば空から降ってくる白い雪が地面や木の上に積もり、辺り一面は銀世界であった。

まだ小さかった私はイスに座ってくつろいでいた母の横に座り、古ぼけた壊れたオルゴールで遊んでいた。

 

最初このオルゴールを見つけ、試しに開けてみたがウンともスンともいわなかった。

その後、秘宝と呼ばれていた指輪を嵌めて遊んでいたある日のこと…

ちょっとした弾みで間違ってオルゴールの蓋を開いたところ、鮮やかな音楽がオルゴールから聞こえてきた。

少しギョッとしたものの、その音色を聞くと何故か懐かしい感じがして安心するのである。

 

そして今日もオルゴールが奏でてくれる音楽は私の耳を癒し、心地よい気分にさせてくれる。

母はそんな私を突然抱き上げると膝の上に自分を乗せ、頭を優しく撫でてくれた。

私のよりも少し大きく、細くて…そしてとても暖かい母の手の感触は今も忘れていない。

自分が顔を向けると、母が優しく微笑んでくれた。

 

 

―――――それが、最後に見た母の笑顔であった。

          今思えば…きっと母は自分の末路を予想していたのだろう。

 

   「―――!――――――?」

 

 「――――――!?―――――――!!!」

 

「―――――!!」

 

突然、ホールの方から何やら騒ぎ声が聞こえてきた。

何事かと思い、私がホールへと続くドアの方へ顔を向けた直後―――――

今まで背中を丸めて昼寝をしている猫の様に静かだった母が自分を乱暴に抱き上げたのだ。

突然のことに私はビクッと体を震わせ涙目になってしまう。

「い…イタイ!お母さん何するのっ!?」

私の悲痛な声に母は何も言わず、部屋に隅に設置されていたクローゼットを開け、その中に私を押し込んだ。

いきなりの豹変ぶりに私は思わず泣きそうになったがその前に母が私の口を手で押さえつけ、言った。

 

「いい『   』?貴方はまだ小さい、だからまだもっとこの世界の素晴らしさを知らなければ行けない…。

 私はその全てを貴方に教えてあげることはもう出来ないけど――――」

その時、部屋の外から何やら叫び声に混じって魔法が飛び交う音まで聞こえてきた。

 

魔法の音に交じり、何かが倒れる音も聞こえてきた。

母はハッとした顔になると私の額にキスをし、クローゼットを閉めてしまった。

そしてその瞬間、ドアが開く音と共に足音が私の耳に入ってくる。

この時は何か急ぎの伝言でもあったのだろうかと訝しんだけど、それは違った。

私はクローゼットの外から聞こえてきた男の声を聞いて震え上がった。

 

「間違いない―――エルフだ。」

 

それは私が生まれてこの方初めて聞いた、憎しみが篭もった声であった。

まるで憎しみの念を凝縮し、それを体に無理矢理押し込まれたような者が発しているような声…。

男の声に恐怖した私は、肌身離さず持ち歩いていた父の杖を両手で持つとギュッと握りしめた。

それから数秒してから、華麗で清楚な母の声が直ぐ傍から聞こえてきた。

聖職者のように杖を握りしめて震えている私を励ますかのように…

「なんの抵抗も致しませぬ、私たちエルフは争いは望ま…」

だが、母の言葉を遮るかのように男の怒声が私の耳を突いた。

「ほざくな化け物め!やってしまえ!」

次いで聞こえてきたのは母を襲う激しい魔法の音。

薄いクローゼットのドア越しに聞こえてくるのは詠唱する男達の声と何かを切り裂く音。

死ぬまで私を気遣ってくれたのか、母は泣き叫ぶようなことはしなかった。

 

それから数十分…もしかするとたったの数十秒かも知れない。

魔法の音がふと途切れ、誰かがクローゼットの方へと近づいてきた。

足音に混じって鎧が擦れる音も聞こえるから、きっと母を殺した連中の者だろう。

 

やがて足音はすぐ私の目の前まで来ると聞こえなくなり、――――――――そこで目の前が真っ暗になった。

 

 

 

 

「ん…、うぅん…。」

夢から覚めた私は目を開き、二、三回瞬きをするとゆっくりと上半身を起こし、ため息をついた。

(あの時の事を夢見るなんて…。)

私はうんざりしたように心の中で呟くと、ふと辺りを見回す。

どうやら、うっそうと生い茂る森の中で寝ていたようだ。

足元を見てみると篭が転がっており、その周りには色鮮やかな木の実が転がっている。

ソレを見た私はある事をすぐに思い出すことが出来た。

 

自分が木の実拾いの帰りにもの凄い音を聞いてそちらの方に近づいていった事。

そこで見知らぬ人間に見つかってしまい、その際に帽子が頭から取れて…それで耳を見られて―――――

 

 

 

「どうやら起きたようね。」

 

ふと声を掛けられた私は後ろを振り向き、そこにいた人物を見て目を丸くした。

後ろにいたのは黒い髪に見たことのない紅白服を着た少女であった。

その年相応な少女の顔と、それに対立するかのような年齢的に不相応な白けた瞳を見た途端、私は思い出した。

 

 

帽子を落ちた事に気がついた私はとりあえず帽子を手に取り立ち上がろうとした。

だけど、石か何かに躓いてしまい体勢を崩して後ろに倒れて目の前が真っ暗になって―――

 

全てを思い出した私は『耳を見られてしまった』という事に焦りを感じた。

母から受け継がれたこの耳はこのアルビオン大陸だけではなく、その下にある世界で暮らす人々に畏怖の対象として見られている。

力なき者なら恐れおののいて逃げてしまうが、力を持つ者なら間近いなくその耳の持ち主を『殺す』であろう。

 

よく見ると杖を右手に持っているメイジには違いない。

私の母もこの耳の所為でメイジ、というより貴族達に殺されてしまい、私はそうなるのを怖れてこの森の中で暮らしている。

これから起こるであろう結末に私は恐怖の余り動くことも出来ず、少女の方へと顔を向けた。

彼女は先程と同じように白けた目で此方をジッと見つめており、私はその目を見て少しだけ驚いた。

その瞳には私の『耳』に対する怒りや殺意、そして怖れの色は一切見えない。

 

(まさか…この人は私の耳を見て何も感じていないの…?)

「ねぇ、少し聞きたいことがあるんだけど。」

少女が口を開き、鈴のように綺麗で、だけど何処か冷たい響きを持った声で私に話しかけてきた。

「あ、はっ…はい!?…こ、ここはアルビオンのウエストウッドっていうところだけど…?」

突然話しかけられた私はビクッと体を震わせ、過剰に反応してしまった。

一方の少女も、『アルビオン』という言葉を聞いて納得したように頷いている。

「成る程、ここがアルビオンってわけだったのね…。」

彼女は一人そう呟くと、すぐに私の方に顔を向け、話しかけてきた。

 

「でも――――なんでそんなにビックリしてるのよ?」

 

私はその言葉を聞いて、今確信した。

 

―――――ああ、この人は私を全然怖れてはいないのだと。

 

「……だ、だって貴方みたいに私を怖れない人は初めて見るから…。」

それでも、まだ油断は出来ないと思った私は恐る恐るそう言った。すると彼女は…

 

「なんで何もしてこないアンタを怖がらなきゃいけないのよ。」

 

と、めんどくさそうに言った。直後―――

 

ぐぅ~…

 

彼女の腹部から何処か悲しげな音が聞こえてきた。

それを聞いた私は少しだけ唖然し、数秒おいてから口を開いた。

「あの…お腹が空いてるなら、何か食べるものをあげるけど…?」

 

 

 

幻想郷

     迷いの竹林―――――

 

そこは人里から見て、妖怪の山から反対側に位置に広がっている。

一度入れば地面の僅かな傾斜の所為で斜めに生長している竹の所為で常人ならすぐに平衡感覚を狂わせる。

妖獣なども好んで住み着いている危険な竹林の中に、『永遠亭』という大きな屋敷が存在している。

見た目は伝統的な日本家屋ではあるが、築数ヶ月くらいしか経過していないかと錯覚するほど古びた様子を見せない。

そんな奇妙な屋敷に住んでいるのが、人里との交流を殆ど持たない者達と多数の兎達である。

永遠亭は外見と同じく、屋敷の内装も正に歴史ある日本家屋の造りである。

しかし、とある一室だけは雰囲気がまるで違っていた。

床、天井、壁は全て白色に統一されており、置かれているデスクには多数のビーカーやフラスコが置かれている。

他にも外の世界で言う顕微鏡みたいな物もあり、部屋を見ればそこの主がどんな人物なのか大体見当は付きそうだ。

その部屋の主人である八意永琳は椅子に腰掛け、背もたれに身を任せ何やら考え事をしていた。

 

だいぶ前に、文々。新聞で『博麗の巫女が幻想郷から失踪!』という記事がデカデカと載ってあった。

その記事を見たときはまさか捏造か?とは思ったがすぐにその考えは人里での薬売りから帰ってきた優曇華の報告で否定されてしまった。

どうやら白黒やあの紅魔館の瀟洒なメイドといったあの巫女と関わりがある者達がせわしなくあちこちを飛び回っているらしい。

話を聞いた永琳は輝夜にこの事を報告したところ――――

 

「その事なら今知ったばかりよ。」

 

――――文々。新聞に目を通しながらそんな返事を返してきた。

適当な返事ではあるが、輝夜が今回の異変に心の中で冷や汗を流している事を知っている永琳は何も言わなかった。

博麗の巫女が幻想郷から失踪、つまりは『博麗大結界』の崩壊を意味している。

もし幻想郷が消えれば、幻想にしか住めない者達には破滅の一択しかあるまい。

それに永琳や輝夜にとって此所は、『月』の追っ手から隠れるのに最適な場所でもある。

その後、優曇華や竹林に古くから住んでいるてゐに情報を収集するよう命令を下した。

 

だが、先に行動している者達同様、有力な情報は何一つ掴めなかった。

 

それから何日か後、今日の朝早くに八雲紫の式から紅魔館で話があるから来いと言われた。

本来なら永遠亭の主である輝夜が行くべきなのだがその事を輝夜に伝えたところ――

 

「面倒くさいから代わりに行ってこい。」

 

――とあっけなくそう言い返してきたので、とりあえずは代わりに行くことにした。

しかし、外では未曾有の異変が現在進行形で進んでいるというのに輝夜はと言うと外のことなど知らんぷりである。

だけど――恐らくはもう理解しているのだろう。

 

「このまま無駄なことをやっても幻想郷崩壊は時間の問題」だと言うことに。

 

…と、まぁそんなこんなで永琳が代わりに行ったものの、その時に八雲紫の言った言葉は強烈であった。

 

博麗の巫女が何処へ行ってしまったのか特定できたこと――

幻想郷を覆う結界が全く別のモノになってきているということ―――

そして、時が来れば巫女がいるその世界へ乗り込むということ―――

 

流石幻想郷の創造主であり、境界を操る妖怪だとこの時ばかりは思った。

他の者達より遙かに格上の情報を持っていて、更にはもう解決の目処も立っている。

正に賢者というのはああいう者の事を言うのである。いささか胡散臭いのは唯一のキズであるが。

それからすぐに永遠亭へと戻り、この事を輝夜に報告したところ――――

 

「あの巫女を救うのはいいけど、アイツの事だからその世界をついでに滅茶苦茶にするかもね。」

 

という、何やら物騒な事を言ってきた。

まぁ確かに、八雲紫は幻想郷を愛しているというし腹いせぐらいにそんな事はするかもしれない。

巫女を攫ったという『ソコ』がどんな場所かは知らないが、間違いなくある程度は地獄絵図となるだろう。

 

 

と、そんな事を思いながら自分の研究室へと戻ってきた永琳はふとある考えが頭の中をよぎった。

(それにしても、幻想郷の住人を連れ去るなんてねぇ…。)

以前永夜異変の後に八雲紫からここにいれば月の追っ手から隠れる必要は無いと言われていた。

それ以降は永遠亭の住人達もやけに外へ飛び出していくことが多くなっている。

最近は輝夜が何やら博覧会を行う気でいるらしい。とか等々…

まぁその話は置いておくとして。問題は「幻想郷の一角を担う博麗の巫女を連れ去った者の力」である。

連れ去られた博麗の巫女とは一戦交えたこともあり。弾幕ごっこではあったが、ある程度しか歯がたたなかった。

まぁ一応とある事情で自分の力はある程度セーブはしていたが、もし全力で言ったとしても後一歩と言うところで負けてしまうかも知れない。

それ程にも彼女は強力無比、どんな存在にも縛られず、必要とならば今日の味方を撃つ無慈悲さ。

故に最強であり、故にどんなものも彼女に干渉できない。

 

(そんな博麗の巫女を攫う程の力を持つ者なんているのかしら…。)

何に考えなければ答えは自ずと出てくる、無論―――それは否だ。

だがしかし、普通に考えるのではなく【逆】に考えるともうひとつの答えが浮かび上がってくる。

「博麗の能力すら凌駕する力を持った者がいるとでも…。」

その答えを否定することは簡単なようでそうもいかないのである。

 

(その答えだと結界の事もある程度納得が付きそうね。)

今回八雲紫が話した結界の変異も恐らくは博麗の巫女を攫った者の仕業なのだろう。

紫がこう言っていた「霊夢を攫っていった鏡と同じ術式を感じる」と。

一体何処の誰かは知らないが優しいことをしてくれる―と思った。

その優しさが仇となったとは思ってもいないのだろう。

 

ただ、永琳には一つだけ気になることがあった。

博麗の巫女を連れ戻すためにそこへ乗り込むのは良い、しかしもしそこでもめ事があった時――

(巫女をいとも簡単に連れ去るような強力な力の持ち主相手に勝てるのかしらねぇ?)

少なくともあのスキマ妖怪がそう簡単にやられるという事はなさそうだが…

 

そこまで考えた永琳は一息つくと目を瞑り、数分してから彼女の口から寝息が聞こえ始めてきた。

 

 

 

アルビオン大陸にあるレコン・キスタの本陣―――

丁度陣の真ん中に設置されている大きなテントの中で、二人の男女が話をしていた。

「では、奴はもう既にこの大陸に侵入していると言うことですか?」

男の方は年齢三十代半ば。丸い球帽をかぶり、緑色のローブとマントを身につけている。

一見すると聖職者の身なりではあるが、坊さんにしては妙に物腰が軽い。

高い鷲鼻に、理知的な色をたたえた碧眼の男の名前は、オリヴァー・クロムウェル。

このレコン・キスタの指揮官ではあるが、元は一介の司教にすぎなかった。

その彼が敬語で話しかけている女性は軽そうなクロムウェルとは反対に、どこか重々しい雰囲気を纏っていた。

 

腰まで伸びた髪の色は黒く、肌の色は妙に白すぎるという感じがする。

黒いローブを身に纏っているこの女性の名はシェフィールド。クロムウェルの秘書である。

しかし、腕を組んで偉そうに指揮官から話を聞く秘書など恐らくはいないだろう。

指揮官であるクロムウェルはそれを咎めようとはしなかった。

「ええ、大陸の真下にある王族派が使っている隠し穴を通ってね。」

「あ、あの抜け穴を…ではやはりその者は王族派の味方…?」

シェフィールドの言葉にクロムウェルは恐る恐る質問した。

「いいえ、穴の中に待機させておいたコイツが追跡したけどそんな感じじゃあなかったわ。もっとも、追跡の途中で見失ってしまったけど。」

彼女は歯痒そうにそう言うと懐から一体の小さな人形を取り出し、テーブルに置いた。

 

この人形は「アルヴィー」という種類のモノで、自立して動くことが出来る魔法人形である。

大抵は人形劇やオモチャ、家の飾り付けに使うモノではあるが。彼女はどうやら変わった使い方をしているようだ。

「恐らくは個人の目的でこの大陸へやってきたと思うけど…そうとも言い切れない。」

テーブルに置かれたアルヴィーはカタカタとひとりでに動き出すと、ヒョコッと立ち上がり、そのまま何処かへと走り去って行った。

しかしシェフィールドはそれを気にすることなく再びクロムウェルとの会話を再開した。

「このアルビオン大陸にいるのは間違いないことだからとりあえずは私がアルヴィーと亜人を使って虱潰しに捜していくほかあるまいわ。」

シェフィールドはそう言うとドカッと指揮官用の椅子に腰を下ろし、大きな欠伸をした。

「ではでは、私は何をすればよいのでしょうか?」

一方のクロムウェルはと言うと無礼な態度をとっている秘書に怒ることなく、むしろもみ手をせんばかりの勢いで寄ってきた。

「お前は今まで通り指揮官をしていなさい。用があるなら此方から話しかけるわ。」

シェフィールドはそんな彼を鬱陶しそうな目で睨み付けながらクロムウェルに言った。

それを聞いたクロムウェルは何度も彼女に頭を下げそさくさとテントから出て行ってしまった。

 

クロムウェルがいなくなった後、一人っきりになれたシェフィールドは椅子の背もたれに身を任せた。

トリステインにあるブランド会社に特注で造らせたこの椅子の座り心地を試そうとしたその時、

今まで疲れていた感じがあったシェフイールドの顔が突然喜びに満ちあふれた。

「おぉジョゼフ様!」

シェフィールドはそう言うと椅子から勢いよく腰を上げ、その場で直立をした。

まるで目の前に、彼女にしか見えない『誰かが』と話しているような感じがし、妙な不気味さを醸し出している。

恋する乙女のような顔をしていたシェフィールドであったが、途端に泣きそうな表情になった。

「申し訳ございません、件の『巫女』は見失ってしまいました。ですが、このアルビオンに来ていることは間違いありません。」

独り言にしては、やけに現実味のある感じでそう言ったシェフィールドは、しばらくしてからまた嬉しそうな表情に戻った。

 

「わかっております!必ずやこのシェフィールド、【出来損ないのガンダールヴ】を捕らえて見せましょう!」

 

シェフィールドは右腕を空高く上げ力強くそう叫ぶと、ササッとテントから出て行ってしまった。

外へ出る瞬間、彼女の額に刻まれた『ルーン』が力強く輝いていた事に気づいた者はいなかった。

 

 

 

誰かの噂話の対象になっている時にくしゃみがでるという言い伝えがある。

一回の時は良い噂、二回の時は悪い噂、そして三回だと惚れられているという。

 

「くしゅっ、くしゅっ!」

金髪長耳の少女の横を浮遊していた霊夢はふと、クシャミをした。

突然のことに霊夢は少し目を丸くし、咄嗟に手で口を押さえてしまう。

「…?どうしたの。」

そのくしゃみを横から聞いた金髪の長耳少女は怪訝な顔になった。

「何でもないわ、ただのクシャミよ。」

霊夢は少女の方へ顔を向けると大丈夫と言いたげに手を横に振ってそう言った。

少女は肩をすくめると再び歩き始め、霊夢もそれに続く。

 

 

事は数分前――――霊夢が腹の虫を鳴かせた直後へと遡る。

自分の腹が鳴る音を聞いた霊夢はふと昨日から食事にありついていない事を思い出した。

しかし時既に遅く、言いようのない空腹感が彼女の体を襲い始めていた。そんな時…

「あの…お腹が空いてるなら、村で何か食べるものをあげるけど…?」

狭い穴の中をくぐり抜け、こんな森の中へと出てきて初めて出会った人間(?)である長耳の少女がポツリとそう言ったのを霊夢は見逃さなかった。

「本当?」

霊夢の言葉に少女は小さく頷いてもう一度口を開いた。

「うん。けど、一つだけ約束して欲しいことがあるの。」

少女はそう言うと自分の長い耳を指さすと恐る恐るこう言った。

「…?、その耳がどうしたのよ。」

「この耳の事だけど、他の人に言わないでくれないかしら?」

少女はそこまで言うと口を閉じ、霊夢の返事を待ったがそれは直ぐに帰ってきた。

 

「大丈夫よ、どうせ私の言う事なんて誰も信じないから。」

 

―――――その言葉を聞いて安心した少女は霊夢を連れて行くことにし、今に至る。

かれこれ歩き始めてから十分、目の前に森を切り開いて造られた小さな村が見えてきた。

藁葺きで造られた小さな家が数十件ばかり建っており、いかにも世間から忘れ去られたといった感じが伺える。

「ここはウエストウッド村っていうの。最も、村というよりは孤児院に近いけど…」

少女が苦笑しつつそう言った直後、村の入り口から大勢の子供達がこちらに向かってきた。

大小取り混ぜて、色んな顔があった。金色の髪、赤毛の子など髪の色もさまざまである。

「おかえりおねぇちゃん!」

「怪我はなかった?」

「おいしそうな木の実は採れた?」

子供達は小走りで霊夢――の横にいる少女の方へ一斉に寄ってきた。

皆元気旺盛で、隣にいる霊夢のことなどお構いなしでった。

(成る程、孤児院って言っても案外間違いでもなさそうね。)

霊夢は先程の言葉を思い返し、一人納得すると少女が群がる子供達を制止した。

「あ、あなた達…食事の準備をしてくれない?今日はお客さんが来ているから。」

『お客さん』という言葉を聞いた子供達は今になって霊夢の存在に気づき、一斉に彼女の方へ顔を向ける。

 

「ロシュツキョウだぁー!」

 

「はぁ?」

突然十歳ぐらいの男の子が霊夢を指さして叫んだ。

流石に霊夢も突然の事に素っ頓狂な声を上げてしまった。

「…こ、こ、こらジムッ!何失礼な事を言っているの!?」

「だってティファ姉ちゃん…あんなに堂々とワキをさらけ出してる服を着てるなんて可笑しいだろう!」

少女は顔を赤くし、ジムと呼ばれた男の子の頭を軽く叩いた。

一方のジムも叩かれた頭をさすりながら少女に言い返す。

「全くもうこの子は……あ、そういえば自己紹介がまだだったわ。ご免なさい。」

少女は思い出しかのようにそう言うと霊夢の方へ体を向きなおった。

 

「私の名前はティファニア。皆からはテファお姉ちゃんって呼ばれてるのよ。」

少女――――――ティファニアは絹のように繊細な金髪を揺らしながらそう名乗った。

 



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第二十一話

「みんなー、昼食よぉ!」

のどかな昼食時を迎えようとしているウエストウッド村に、ティファニアの声が響いた。

その声を聞き、彼女の自宅の周りに建てられている他の小屋から子供達が何人もやってくる。

子供達は森との境界が曖昧なティファニアの家の庭へ、ゾロゾロと吸い寄せられるように集まってきた。

設置されている椅子に子供達が全員座るとティファニアはテーブルの上に料理を並べ始めた。

どうやら今日の献立は鶏肉のクリームシチューと白パンのようだ。

料理を並べ終えたティファニアは席に着き、子供達と軽い食前のお祈りをした後、食事を始めた。

お腹が空いていた子供達はスプーンを手に取ると目の前にある皿に盛られたシチューをガツガツと食べていく。

ティファニアはそんな子供達を見て軽く微笑むと、自分の向かい側に座っている霊夢に視線を向けた。

 

霊夢は周りにいる子供達の声に顔を顰めることなく、シチューを口の中に運んでいく。

子供達はそんな霊夢を見て何が面白いのか、何人かが笑っていた。

やがて数十分経った頃には子供達は昼食をペロリと平らげ、途端にティファニアにじゃれつき始めた。

「おねーちゃん!遊んで遊んでぇ!」

「こ、こらあなた達…今日はお客様が来てるのに…。」

ティファニアが困った風にそう言うと、白パンを食べようとしていた霊夢がティファニアに言った。

「あぁ、私のことは気にしなくても良いわよ。」

霊夢はそう言うと手に持ったパンを千切ることなくそのままかぶりつき、一気に噛み千切った。

もしもこの食卓に貴族がいたとしたら、霊夢に『食事のマナーがなっていない!』と怒鳴っていただろう。

 

「でも…まだ私は食事中だし、せめて私が食べ終わってからね?」

ティファニアは申し訳なさそうに子供達にそう言った直後―――

 

 ズ ボ ッ ! 

 

いきなり誰かがティファニアの胸に顔を埋めた。

 

その人物は、霊夢をロシュツキョウ呼ばわりした少年、ジムであった。

突然の彼の行為に周りにいた子供達は驚き、ついで霊夢も目を丸くしてしまった。

「うわぁ~…テファお姉ちゃん、ママみたいだぁ…。」

胸に顔を埋めていたジムは満足そうに呟き、ティファニアの顔が真っ赤になった。

「何を言うのよジム!!変な事はやめなさいっ!」

そう怒鳴るものの、ジムは一向に胸の間から顔を出さなかった。

正午だというのにこんなショッキングな光景を見せられた子供達はゲンナリとし、うち何人か「いつもの事だよな…」と呟いた。

「…?いつもの事って、毎日あんな事してるの?」

その言葉を聞いた霊夢はジムを指さしながらその子供へ話しかけた。

 

「えっ…?う、うんいつもの事なんだよ。ジム兄ちゃん、もう十歳なのに…。」

話しかけられた子供はウンザリしたようにそう呟くと大きなため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

幻想郷にある大きな湖のほぼ中央にある離れ小島の上に紅魔館という大きな洋館がある。

まるで侵入者を拒むかのような場所に建てられたこの館には世にも恐ろしい悪魔の眷属、『吸血鬼』がいる。

かつては幻想郷を舞台に縦横無尽に暴れ回ったこともあり、今では妖怪達との契約で当時より大分おとなしくなってしまった。

それでも、以前に幻想郷を紅い霧でつつむという『紅霧異変』を起こしたことで再びその驚異を知らしめる事となったのである。

 

 

 

紅魔館の廊下は無駄に大きい。

掃除するにも大人数でしなければいけなく、多数の妖精メイド達が掃除用具片手に廊下を飛び回っている。

そんな廊下の真ん中を、威風堂々と歩く一体の吸血鬼と一人の人間がいた。

 

「全く、霊夢がいなくなってからどうもそわそわして落ち着かないわね。」

 

紅魔館の廊下を、メイド長を連れて歩きつつ、そう呟く者はここの主であり運命を操る程度の能力を持つ吸血鬼、レミリア・スカーレットであった。

かつては幻想郷で暴れ回り、さらには異変すら起こし博麗の巫女と戦った彼女は一見すればただの少女である。

だがしかし、その背中には自身の身長よりも大きい蝙蝠のような翼が生えている。

 

「そう言うお嬢様は、いつもと変わりないように見えるのですが。」

 

レミリアの後ろにいた銀髪の少女がさらりと言った。

彼女の名前は十六夜 咲夜。この紅魔館の瀟洒なメイド長で、この紅魔館に住み込みで働いている唯一の人間だ。

時間を操る程度の能力を持っており、更には空間をも操ることが可能である。

一応ナイフ投げと手品が得意で、ナイフ投げだと二十間離れた場所に居る頭上に林檎を載せた妖精メイドの額に当てることなど造作もない。

 

「あなたにはいつもと変わりなく見えても、今の私は本当に今の幻想郷の現状が不安なのよ。

 今日の昼食や夕食が喉を通りそうにないぐらいにね?」

 

レミリアは咲夜の方へ顔を向けるとそう言った。

そう言われた咲夜は、その通りなのかも知れないと思った。

今朝早くにあの八雲紫がここ紅魔館でレミリアを含めた何人かで話し合いをしていた。

それが終わり、話し合いをしていた部屋から出てきたレミリアの顔は何処か青ざめていた事を思い出した。

ついでに、朝食を食べた後に落ち着きがなさそうに羽をパタパタと動かしてグルグルと部屋の中を回っていた事も思い出した。

 

まぁその事は置いておくとして、要は今のレミリアは本当に落ち着いていないという事だ。

そう考えた咲夜は、一度だけ頷くと口を開いた。

 

「そうですか、では今日のおやつのブラッドソース入りのティラミスと紅茶は出さないでおきますね。」

その言葉にレミリアはぴたりと足を止める、後ろにいる咲夜に顔を向けた。

「…咲夜、今日のおやつは図書館の方に三人分持ってきてね。あの白黒もいると思うから。」

相変わらず、前言撤回を良くするお嬢様ねぇー…と咲夜は心の中で思った。

 

紅魔館の地下には大図書館が存在している。

そこには古今東西ありとあらゆる書物が保管されているのだ。

誰にでも読める普通の本から、一部の者にしか読めない魔法や妖術、錬金術について書かれている本、ページを捲ったら呪われる曰く付きの本まで幅広くある。

何よりも一番の特徴は、その図書館があまりにも『大きすぎる』という事だ。

例え、人生を幾万回繰り返そうがここにある全ての本を読破することは不可能に近い。

そんな図書館の一角で、一人の『人間』の少女と一人の『魔女』が椅子に腰掛け黙々と本を読んでいた。

 

テーブルには読み終えた数々の書物が二つの小さな塔を築いており、その中に紛れて魔法使いが被るような黒い帽子があった。

その帽子の持ち主である少女は、まるでファンタジー小説の中に出てくる魔女みたいな黒白の服を着ており、その上に白いエプロンをつけている。

彼女の名前は『霧雨 魔理沙』。魔法使いが職業の普通の人間である。

魔女の方はというと、見た目からして人間の少女よりかは少し年上に見える。

紫色のリボンと太陽と月を模した飾りをつけた白いナイトキャップを頭に被っており、ゆったりとしたワンピースの上に前の開いたローブを身に纏っていた。

藤色の髪は腰まで伸びており、アメジストの様な色の瞳を持っていこの魔女の名前は『パチュリー・ノーレッジ』という。

魔理沙とは違い人間ではなく、魔女という一つの種族に属している。

パチュリーの一日は読書と魔法の開発に費やされている。

新しい魔法が生まれると魔導書に書き込み、本を増やしていく。

ただ体力が非常に弱く、身体能力は普通の人間にすら劣る。

また喘息持ちであるということもあるためか余程の急用でなければ館の外へ出るということはない。

一方の魔理沙は年相応の活発敵でやんちゃな性格の少女である。

彼女の家は魔法の森にあり、その事もあってか魔法に使う材料の化け物茸があちこちに生えている。

良く森を散策しては地道に茸を摘み取ったり、幻想郷では見かけることがない物―――例えば道路標識など――を家に持って帰っている。

また良く他人の本や物を「借りてくぜ。」の一言で許可無く持っていくこともあるが本人はあまり罪悪感を覚えていない。特に本類に関しては。

 

魔理沙は良く紅魔館に来ては本を読み、気に入った本があれば家に持って帰る。

今日もまたこの二人は向かい合って座り読書をしていた。

パチュリーはいつものように眠たそうな表情で本を読んでいる。

魔理沙の方はというと、いつもとは違いどこか気むずかしそうな顔をしていた。

 

そんな彼女が気になったのだろうか、ふとパチュリーが声を掛けた。

「どうやらもの凄く疲れが溜まってるようね。…まぁ大体察しは付くけど。」

話しかけられた魔理沙は本から目を離し、パチュリーの方へ顔を向け口を開く。

「…数週間ぐらい人捜しでずっと外飛び回ってたら誰でもこうなるぜ。」

疲れた風にそう言った魔理沙は本を閉じて机に置くと盛大なため息をついて椅子にもたれ掛かった。

 

 

紫を除き、霊夢がいなくなったのを最初に確認したのは魔理沙であった。

霊夢が光る鏡(召喚ゲート)に飲み込まれてから翌日、博麗神社へと立ち寄った彼女は霊夢がいない事に気が付いた。

この時間帯ならいつも縁側に座ってお茶飲んでいる彼女の姿はなく、一応神社の中も捜したがその姿は見えなかった。

買い物にでも行っているのかな、と思った魔理沙は一度神社を後にし夕方になってからもう一度神社を訪ねた。

ところが、夕方になっても霊夢は神社の何処にもおらず、流石の魔理沙も何かあったと悟った。

(こりゃタダ事じゃないな…。ひょっとするとまた何か異変でも起こったのか…?)

 

だとしたら霊夢が一日中神社にいないのも理解できる。

ならばこうしちゃいられないと思った魔理沙は箒に跨り幻想郷中を飛び回った。

だけども、何処にも異変と思えるモノは無く霊夢の姿も見つからない。

夜中の丑三つ時を過ぎたときには流石の魔理沙も眠くなってしまい、一度自宅へ帰る事にした。

 

その翌日、玄関に置かれていた文々。新聞に書かれていた記事を見た、魔理沙は無意識にこう呟いた。

「おいおい、エイプリルフールはとっくに過ぎてるぜ…。」

何せ【博麗の巫女神隠しに遭う!】というタイトルがデカデカと書かれていたら幻想郷の住人なら誰だって驚くに違いない。

更に巫女が居なければ幻想郷が潰れてしまうと言う事を知っている者なら尚更驚く。

その記事を見た魔理沙は「神隠し」という言葉を聞いて即座にあの胡散臭いスキマ妖怪を思い出した。

 

(まさかあいつの仕業か…?だとしてもどういう風の吹き回しだ?)

あれ程幻想郷を愛して止まない妖怪がどうしてここを維持するのに必要な博麗の巫女などを攫うのだろうか?

そんな疑問が頭の中に渦巻いていたがとりあえず善は急げと言うことで、魔理沙は急いで八雲紫の住んでいる場所へと向かった。

しかし、あの紫は住んでいる場所はそうカンタンにたどり着ける場所ではない。

その為魔理沙は、何か手がかりは無いかとこの図書館へと足を運び――今へ至る。

 

 

 

「全く、手も足も出ないとはこういうことだな…。」

魔理沙が一人呟いた時、後ろから足音が聞こえてきた。

誰かと思い二人が後ろを振り向くと、そこにはレミリアがいた。

「あらレミィ、珍しいわね。ここ数週間は見ていなかったわ。」

パチュリーが挨拶代わりにそう言うと、レミリアはそれに手を軽く振って応えた。

「確かに、ここに足を運んだのは大分久しぶりといったところかしら。まぁ今日はちょっとした事を話そうかと思ってね。」

レミリアは一つあったイスを手元に寄せてそれに腰掛け、パチュリーも再び本に視線を戻す。

魔理沙も軽く手を振ってレミリアに挨拶をした時、突然後ろから声を掛けられた。

 

「あらあら、随分お疲れの様子ね。」

その声に多少驚いた魔理沙は思わず後ろを振り向くと、トレイを持った咲夜がそこに佇んでいた。

「なんだ咲夜か。お前のお陰で寿命が二、三年縮みそうだぜ。」

「あらそう、ならこれから貴方が来るたびにこういうドッキリをしてみようかしら?」

咲夜が冗談かどうかわからない風にそう言うと瞬間、テーブルの上にあった大量の本がパッと消えてしまった。

しかしこの場にいる誰もがそれに驚くことはなく、咲夜はテーブルの上に本日のデザートを並べ始めた。

 

 

 

 

 

昼食が終わったウエストウッド村の広場では子供達が追いかけっこをしていた。

その様子をティファニアは窓から見つめており、霊夢はイスに座って食後のお茶を飲んでいる。

先程までティファニアにまとわりついていたジムは満足したのか今は男の達と一緒に木登りをしていた。

笑いながら遊ぶ子供達は、まるで森の中を嬉しそうに飛び回っている妖精のように見えた。

 

「身寄りのない子供達を集めてね、みんなで暮らしてるのよ…」

ティファニアは元気に駆け回る子供達を眺めながら、ポツリと呟いた。

「で、あんたが身の回りの世話と食事を作っている分けね?」

丁度お茶を飲み終えた霊夢はティーカップをテーブルに置くとそう言った。

霊夢の言葉にティファニアはコクリと頷くと話を続けた。

「それでね、昔の知り合いが生活に必要なお金を送ってくれるの。ついでに時々そのティーカップのような豪華な品も付けてね。」

ティファニアの言葉に霊夢は今更ながら、テーブルに置いたティーカップが売ればかなり高値で売れそうな物だと分かった。

他にもちゃんとしたレンガ造りの暖炉やしっかりと取り付けられているドアを見るに、その『知り合い』というのはかなりの金持ちのようだ。

だがそれ以上の事には霊夢は興味を持たなかった。 ―――――――その時。

 

 

「キャァー!」             「出たぁっ!!」

         「ウワッ!!」

                  「化け物だっ!!」

 

突如外から子供達の叫び声が聞こえティファニアは思わず席を立ち、霊夢は目を細めた。

一体何事かと思っていると、ドアを開けて外で遊んでいた子供達が家の中になだれ込んできた。

「どうしたのあなた達!?」

ティファニアは床にへたり込んでいる子供達に近づき何があったのか聞いた。

「も、森の中にとても大きな牛の化け物がいたの…後、手には巨大な斧を持ってた。」

金髪の女の子が目に涙をためながら肩で呼吸しながらティファニアにそう言った直後、外から子供達の悲鳴が聞こえた。

ティファニアが慌てて窓の外から様子を見てみると、木に登っていた男の子達が木の上で固まりガタガタと震えていた。

その中にはティファニアにかなりの好意を寄せていた少年のジムもいる。

 

 

どうみても冗談には見えないその様子に、ティファニアは不安を感じた。

「あぁ大変…!すぐに助けないと!」

彼女はそう言うとすぐさまドアを開けて外へ出て行った。

彼女に取り残された子供達は、唯一この場で年齢の近い霊夢に近寄った。

「ちょ、ちょっと…。」

当の本人は少し困惑しながらも、子供達を追い払うということはしなかった。

そんな事をするよりも、今は村の外にちらほらと現れている異様な気配を察知するのに集中していた。

ついでテーブルの方へふと目をやると、一本の杖が置かれているのに気が付いた。

 

 

外へ出たティファニアは一目散にジム達がいる木の下へと向かった。

「テファお姉ちゃん!」

木の上で泣いていたジムは木の下へやってきたティファニアを見て安心した顔を見せた。

「もう大丈夫よ。さぁすぐに降りてきて。」

その言葉に男の子達はノロノロと木の上から降りてきてはティファニアに抱きついていく。

最後にジムが木から降りたのを確認するとティファニアはもう一度辺りを見回した。

村の中には子供達が言っていた『牛の化け物』はおらず、鬱蒼とした大木が群生している村の外はよく見えない。

とりあえずはこの男の子達に何を見たのか聞いてみることにしたティファニアは一番近くにいたジムに話しかけた。

「一体何があったのジム?みんなは化け物がどうとk――」

 

 

ウ ル ゥ オ ォ ォ オ ォ オ ォ ォ オ ォ ォ … ! !

 

 

その瞬間、もの凄い叫び声と共に木が倒れる音が聞こえてきた。

ハッとした顔になったティファニアは後ろを振り向き、そこにいた化け物を見て驚愕した。

 

身長は約2.5メイルもあり、見る者を圧倒させる程の立派な筋肉が体中に盛り上がっている。

右手には今丁度この場にいるジムと同じ大きさの手斧を持っており、その斧で足下に転がっている大木を切り倒したのだろう。

何よりその化け物の頭部は正に『牛』そのものであった。比喩や冗談では無く、正真正銘の牛頭の人間である。

縮こまっているティファニア達に槍のように真っ直ぐ向けている角はニスでも塗ったかのように黒く光り輝いている。

ハルケギニアに生息している亜人達の中でも吸血鬼と翼人を抜き、エルフの次に危険視されている怪物。

ある程度の知能と恐ろしい程の体力を持つ『ミノタウロス』と呼ばれている亜人が、今ティファニア達の目の前にいた。

 

「な…何あれ…?」

ティファニアは斧を片手にこちらを睨み付けている牛頭の化け物を見て唖然としていた。

彼女はミノタウロスについては全く知らないが、あの化け物からとんでもない殺気を感じていた。

ミノタウロスはその大きな足で村と外の境界線である柵を蹴り飛ばし、村の中へ入ってきた。

荒い息音を口からだし、ティファニア達を凝視しているミノタウロスの目は何処か違和感があった。

水色に薄く発光している瞳は、『まるで誰かに操られている』ような虚ろな印象を見る者に与える。

 

村の敷居へ入ってきたミノタウロスを見て子供達が悲鳴を上げると同時に、ミノタウロスが叫び声を上げて歩き始める。

ティファニアは咄嗟に腰の方へ手を伸ばすがいつもならある筈の『杖』の感触がないことに目を見開いた。

(しまった…!杖は何処かに置いたままだったんだわ…)

そんな後悔も既に遅く、ミノタウロスはもう間近に迫っており、叫び声を上げつつ斧を振り回して周りの物全てを破壊しながら近づいてくる。

せめて子供達でも逃がしたいが、その子供達は全員腰を抜かしておりとてもではないが逃げてもすぐに追いつかれてしまうだろう。

ならばとティファニアは怯えている子供達の前に立ちはだかった。

ミノタウロスは彼女の直ぐ傍でその足を止めると、人間とは比べものにならないほどの巨大な左拳を振り上げた。

 

もうここまで。と感じたティファニアは瞳を閉じようとしたが、体が思い通り動かず逆に思いっきり見開いていた。

人間いざという時には死の恐怖に怯えつつも両目はキッチリと開いているときもあり。今のティファニアこそ正にそれだ。

拳を思いっきり振り上げたミノタウロスは叫び声を上げて拳を振り下ろそうとした直後―――その拳が突如爆発した。

ティファニアやその後ろにいた子供達には、最初何が起こったのか分からなかった。

ただミノタウロスが黒煙に包まれた左手を押さえ悲鳴を上げているのはすぐに理解した。

そんなとき、ティファニア達の後ろから誰かの声が聞こえてきた。

 

「本当、私がいる時だけに限ってこういうタチの悪そうな奴が出てくるのよね。」

 

余裕を含み、されど目の前の化け物に対して油断をしていない響きの声。

聞き覚えのある声にティファニアは後ろを振り向き、そこにいる少女を見て驚いた。

「あ、貴方は…。」

ティファニアはそう呟き、最初に出会ったときとは違う雰囲気を発している少女に驚きを隠せなかった。

緑一色に染まっている森に覆われた村の中では非常に目立つ紅白の変わった服を着こなし、赤色の大きなリボンを頭に付けている。

その手にはある程度の装飾を施された細長い杖を握りしめており、しっかりとした足取りで此方の方へやってくる。

しかし、ティファニアが驚いたところは…赤みがかかった黒色の瞳から発せられる気配であった。

今まで感じたことのない――あの母を殺した騎士達を怯ましてしまうかもしれない程の凄みを、目の前にいる霊夢は発していた。

 

「ま、そういうのは退治すればすむ話だけどね。」

 

霊夢はそう言い捨てると右手で懐からお札を取り出し、それをミノタウロスへ向けて投げ放った。

 

 

 

――――とまぁ、私と一部の連中は紫が作った隙間をくぐって無事その世界へ乗り込み、霊夢を連れて帰って…ハイお終いってわけよ。」

レミリアはその一言で話を終えるとティーカップの中に入っている紅茶(稀少品入り)をゆっくりと飲んでいく。

 

数分前――――デザートタイムの始まりに伴いレミリアはこの場にいる全員に今朝紫達と話し合った事を喋っていた。

次々と吸血鬼の口から出てくるこの異変の真実に、この場にいる三人はまさか…と思い。様々な反応を見せてくれた。

咲夜の場合は、「それなら見つかるはずありませんね。」と心配していないような感じでそう言った。

パチュリーの場合は、「異世界ねぇ…。とすると私がまだ読んだことのない本があるのかしら。」と霊夢のことなどどうでもいいという感じである。

そして魔理沙はというと…

 

「出来れば私が行きたかったぜ。だってさ?幻想郷やその外の世界とかいう場所とは違う世界があるって知ったら誰でもワクワクするだろ?」

 

と、みんな大して危機感を感じているという事はなく、レミリアも『予想通りの返事』を聞けて満足していた。

 

 

 

まぁ霊夢の事だからその異世界とやらでも暢気に過ごしながらかつ幻想郷へ帰る方法を探している最中だろう。

今回の異変の真実がまだわからなかった時は誰もが不安になっていたが一度真実を知れば、霊夢のことを知っている人間は安堵してしまう。

途中、レミリアが話していた「幻想郷を覆う結界がおかしくなっている」という事も、霊夢が帰ってくればあっという間に解決してしまうだろう。

やけに明るい雰囲気に包まれた図書館の中で、ふと魔理沙が冗談交じりでレミリアにこう言った。

 

「それにしても、紫とお前がその世界へ乗り込んで霊夢を連れて帰るのはいいがお前が行くと大変な事になりそうだな。

  もしかしたらお前さんの事だ、向こう百年は草木が生えない大地を幾つも作るかもな?」

 

そう言った魔理沙は何が可笑しいのかクスクスと笑い始め、それにつられてレミリアと咲夜も微笑んだ。

まるで無邪気な子供の様に微笑んでいるレミリアは、まだ笑っている魔理沙にこう言った。

 

 

「スゴイわね魔理沙、今私の考えている事をズバリ言い当てるなんて。」

 

 

レミリアの言葉に魔理沙は笑い飛ばしたが、その表情は変わらない。

やがて笑い声も段々と小さくなり魔理沙はレミリアの血の色にも似た瞳を見つめ、彼女が冗談を言っていないことに気が付いた。

「れ、レミリア…?」

「幻想郷に居を構えている私にとって、幻想郷は私の庭同然なのよ。」

流石に魔理沙も雰囲気から察してレミリアの言葉に冗談が混じってないことに気が付いた。

パチュリーは再び本のページに目を戻し、咲夜に至っては顔に浮かべた微笑みが何処か異常なモノに見えてくる。

レミリアはイスから腰を上げるとゆっくりと、だけどしっかりとした歩みで魔理沙の傍へ近寄り、耳打ちした。

 

「あなたは許せるかしら?他人に自分の庭を飾るのに一番大切な物を勝手に奪われ、尚かつその庭を守るレンガに落書きをするような下衆共を。」

そう言い放つ吸血鬼の瞳のは先程よりも紅く、そして禍々しく輝いている。

まるで幾千万もの人々の血を搾り取ってそれらを全てゴチャ混ぜにしたような色をしていた。

 

 

 

一方そのころ、ウエストウッドの森では一つの戦いが起こっていた。

人を襲う異形の者達を狩る霊夢と迷宮に潜む怪物ミノタウロスとの戦いが――

 

「ハッ!」

宣戦布告として霊夢が投げつけたお札は何の迷いもなくミノタウロスの方へ飛んでいく。

ミノタウロスの方はそのお札を右手に持っていた斧で切り払った。

切られたお札は爆発を起こしたが、驚くことにその斧には傷一つ付いていなかった。

今こそ反撃といわんばかりにミノタウロスは叫び声を上げ、霊夢とその後ろにいるティファニア達の方へ突進を始めた。

 

 

「み、みんなはやくこっちへ…!」

化け物がこっちへ来ることに気が付いたティファニアはハッとした表情になるとすぐに子供達を連れてその場から逃げ出した。

ティファニア達が逃げた事を確認した霊夢は、すぐさま飛び上がりミノタウロスの突進をかわした。

かわされてしまったミノタウロスはそのまま霊夢の後ろにあった藁葺きの家に激突した。

今度は御幣を振り回し大量の菱形弾幕と左手に持ったお札をミノタウロスに向けて放った。

結果、お札と弾幕同士が反応して大爆発を起こしてしまい辺り一帯は爆煙に包まれた。

 

流石にやりすぎたのか、煙が晴れた後には地面に生えていた草が綺麗サッパリ無くなっていた。

ミノタウロスによって壊された藁葺きの家も木っ端微塵に吹き飛んだが、肝心のミノタウロスはムクリしその体を起こした。

霊夢が軽く舌打ちすると、その舌打ちを聞いたミノタウロスがうめき声を上げて上空にいる敵へと顔を向けた。

その顔―――もといミノタウロスの瞳を見た霊夢はすぐに目の前の牛頭の様子がおかしい事に気が付いた。

(あのボーッとした瞳…どうみても誰かに操られてるわね。)

一体誰があんな馬鹿みたいに頑丈な化け物を操っているのかはどうでもいいが、非常に面倒である。

術によってはあまり痛覚を感じさせないようにも出来るからどんなに攻撃を仕掛けても操られている相手に大ダメージを与えるのは難しい。

 

(まぁいいわ。どっちにしろこの一撃で…)

霊夢は一旦素早く着地するとスペルカードを出そうと懐をまさぐっていた時、

 

 

――――ナウシド・イサ・エイワーズ…

 

 

ふと、緩やかに歌うような声が後ろから聞こえてきた。

その声を聞いた霊夢はまるで憑きものが落ちたかのようにハッとした顔になると後ろを振り返る。

 

 

―――――ハガラズ・ユル・ベオグ…

 

 

うしろにいたのは、細い杖を握っているティファニアがいた。

一体どうしたのかと聞きたかった霊夢だが、なぜかこの『詠唱』を邪魔する気は起こらなかった。

 

 

――――ニード・イス・アルジーズ…

 

 

(なんだかわからないけど、段々と気分が良くなっていくわ。)

先程まであった戦意をすっかり無くしてしまった霊夢は、自然とティファニアの口から出てくる言葉に耳を傾けていた。

それと同時に、彼女の左手の甲がボンヤリと鈍く光り文字のようなモノが浮かび上がってくる。

 

 

―――――――ベルカナ・マン・ラグー…

 

 

その言葉と同時に、ミノタウロスは振り上げていた拳を二人目がけて振り下ろそうとし、

ティファニアもまた勢いよくミノタウロスに向けて杖を振り下ろした。

 

 

 

 

ラ・ロシェールの街から少し離れたところにある桟橋―――

 

日は大分前に沈んでおり、夜空には一つとなった月が浮かんでいる。

『スヴェルの夜』と呼ばれる今宵はいつもより騒々しく――――そして物騒であった。

 

「こっちだルイズ、ついてこい!」

 

杖の先を周囲に向けて誰もいないことを確認したワルドは後ろにいるルイズを連れて階段を上り始める。

枯れてしまった古代樹から作られた『桟橋』は夜のためか人影一つ無かった。

ルイズは肩で呼吸をしながら一生懸命走ってワルドの後を追って階段を上っている。

老朽化を始めている木の階段は体重を掛けるたびにギシギシと軋み、壊れるかも知れないという不安感を募らせている。

やがて途中にある踊り場まで来た二人は一度足を止め、辺りを確認した後ルイズはワルドに話しかけた。

 

「まさかレコン・キスタの刺客があんなに沢山来るなんて…流石に予想もしていませんでしたわ。」

 

――事は数十分前に上る。

「出航は予定通り明日の早朝だ。今の内に荷造りをしておこうか。」

「わかりました子爵様。」

明日はアルビオン行きの船が来るということで、ルイズとワルド子爵は泊まっていた宿で荷造りをしていた。

ルイズがアリンエッタから預かったアルビオン王族派のウェールズ皇太子へ送る手紙を懐へしまったとき、それは起こった。

ふとワルドが開けっ放しにしていた窓へ目をやった直後、窓の外から一本の矢が飛んできた。

飛んできた矢はそのままテーブルに刺さったが、瞬時に二人はある程度予想していた事を思った。

 

「レコン・キスタの刺客がやってきた!」

 

一体どうやってこの任務を知られたのかはわからないが、ばれてしまっては仕方がない。

二人は荷造り途中の荷物を放棄すると、必要最低限のモノを持って宿の裏口から出ようとした。

しかし、下りた先の一階には…いつの間にか物騒な獲物を持った傭兵達が何人もいた。

まさかとルイズは思ったが、その傭兵達が二人の姿を見てきた瞬間攻撃してきたのだからあれは全員レコン・キスタの刺客だったのだろう。

なんとかワルド子爵が強力な魔法で全員を撃退することに成功し、裏口から外へ出たのだがそれから桟橋につくまでの間に何度も襲撃された。

一体どれだけの金額を払ったら、あれ程大量の傭兵達を雇えるのだろうか想像しにくい。

 

そうしている内に刺客の数も減っていき、桟橋に着く頃には誰にも会うことはなかった。

 

 

「よし、あと一息だルイズ。もう少し上ればアルビオン行きの船がある筈だ。」

ワルドの言葉にルイズは頷いて再び階段を上ろうとした瞬間、後ろから足音が聞こえてきた。

誰かと思いワルドが後ろを振り向くと、黒い影がさっと翻りワルドの頭上を飛び越えてルイズの背後に立った。

その正体は、白い仮面を顔に被っている男だった。

「後ろだルイズ!」

ワルドがそう叫んだ瞬間、仮面の男は一瞬にしてルイズを抱え上げた。

「えっ…?キャア!」

ルイズが叫んだのを合図に、男が軽業師のようにそのまま地面へ落下するようにジャンプした。

すぐワルドは、すぐに杖を引き抜きルイズを攫ってそのまま逃げようとする男へ向けて振り下ろした。

既に唱えていた『エア・ハンマー』が男に直撃し、その衝撃で掴んでいたルイズを手から離してそのまま地面へと落下していった。

間髪入れずにワルドがさっとジャンプし、ルイズをキャッチすると素早く呪文を唱えた。

すると風の塊が二人を包み、踊り場の方へと押し戻してくれた。

 

「あ、あ…ワルド子爵。」

一体何が起こったのかわからなかったルイズは少し唖然としながら目の前にいる男の名を呼んだ。

ワルドはそんなルイズを安心させようと彼女のピンク色の綺麗な髪を軽く撫でた。

「安心しろよルイズ、僕のルイズ。悪い賊は僕が全て退治してやったさ。」

その言葉でルイズはハッとした顔になり、安心したのか大きくため息をついた。

ついで、今自分がワルド子爵に俗に言う「お姫様だっこ」をされているのに気づき、顔を赤らめた。

「あ、あの…助けてくれたことは感謝しますけど、一人で歩けます。」

「本当に大丈夫かい?まぁ君が言うならそうだろうけどね。ところで、手紙の方は大丈夫かい。」

ワルドはそう言いつつルイズを地面へ下ろし、ルイズはすぐに手紙がちゃんとあるか確認した。

やがて一通り調べた後、手紙が無事だとわかりワルドの方へ顔を向けコクリと頷いた。

 

 

「よし、じゃあ急ごう。ここももう安全じゃあないみたいだ。」

「は、はい…!」

ワルドはそう言うと先頭をきって階段を上り始め、ルイズもそれに続いた。

幼馴染みの後をついて行く彼女の頬は林檎のように赤く、正に恋する乙女そのものだった。



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第二十二話

太陽が沈み、代わりに赤と青の双月がゆっくりと顔を出した。

しかし今日の双月は重なってしまっているため、大地に住む者達から見れば一つの月に見えてしまう。

今夜は二つの月が重なる晩。とても神秘的で、遙か空の上にある天の河の不思議の一つに触れることが出来る日。

そんな夜を迎えたウエストウッドの村は、昼にやってきた怪物の所為で滅茶苦茶になっていた。

柵はなぎ倒されていたり藁葺きの家が何軒か叩き壊されていたり、なかには吹き飛んでしまっているものもある。

 

そんな村の中でも一番無傷であった家の中で、霊夢が自身の左手の甲に浮かんでいた『文字のようなモノ』を見つめていた。

 

「これって、なんなのかしら…?」

霊夢はなかなか高そうなテーブルに肘を突き、左手の甲をマジマジと見つめながらぼそりと呟く。

左手の甲には文字だか紋章だかよくわからない記号がボンヤリと、幽霊のように浮かんでいる。

本当にボンヤリと浮かんでいるため、何が書いてあるのかいまいちハッキリしない。

だがしっかりと浮かんでいても霊夢はハルケギニアの文字は読めないため、関係ないのだが。

 

霊夢は一度手の甲から目を離すとテーブルの中央に置かれていたランタンへと目を移す。

新品同様のランタンの中では赤色が少しかかったオレンジ色の炎が小さく、それでも爛々と輝いている。

その日を見つめていると、今日の昼頃に起こったことを思い出した。

 

 

森の中で知り合ったティファニアという少女の家で昼食を食べた後、牛頭の化け物がやってきたのだ。

とりあえず人を襲うような素振りを見せたので退治しようと戦ったのだが、如何せんソイツは思ったよりも随分と硬かった。

なら一気に片を付けるかと思い、スペルカードを取り出そうとしたとき―――こちらに戻ってきたティファニアが『詠唱』を始めたのだ。

このハルケギニアという世界に来てからだが、色々な魔法の詠唱を聴いてきたがあんなのは初めて聞いた。

しかし――何故か心の奥底ではその詠唱に何処か『懐かしさ』を感じていて、自然と気持ちが良くなっていく気がした。

まるで、母親の子守歌を聴いて安らかに眠る赤ん坊のような。そんな例えが丁度合うような感じだった。

 

その後のことは、正に奇妙であった。

 

詠唱を終えたティファニアがあの牛頭に向けて杖を振り下ろすと、牛頭の周りの空気が直視できるくらいに歪んだ。

すぐに空気のゆがみが戻ったとき、牛頭の妖怪はまるで呆けたように立ちつくしていた。

目に浮かんでいた妖しげな水色の光も消え失せていて、太陽のように赤い瞳が見えていた。

牛頭の化け物がジーッと立ちつくしているのを見たティファニアは大声で牛頭に言った。

 

「貴方は人のいる所へ来ちゃ駄目なの、だから何処か人が全く来ないところへ行きなさい。」

 

ティファニアの言葉に、牛頭は「わかった。」とでも言うようにうめき声を上げ、踵を返して森の方へと戻っていった。

牛頭の姿が木に隠れて見えなくなった頃になった時、ティファニアは安心したかのようにため息をつくと、その場にぺたんと座り込んでしまった。

しばらくして、ティファニアの家に隠れていた子供達が外へ出て泣きじゃくりながらティファニアの所へやってきた。

私は何が何だかわからなかったが、まぁあの牛頭が自分で去ってくれたから結果オーライと考えてたとき、ふた左手の甲の異変に気が付いた。

 

そこへ目を向けると、ボンヤリとだが光り輝いている記号があったがすぐに光は消え――代わりにこの文字のようなモノが浮かんできた。

 

「一体全体、良くわからないわねぇ~。」

霊夢はそう言うとぐて~っと腕を伸ばしてテーブルに突っ伏した。

ふとそんな時、ある言葉が彼女の頭の中を縦横無尽に駆け回った。

 

―――――――――アンタの左手にルーンが刻まれてるでしょ?それが使い魔の証拠…

 

「確かアイツ、使い魔のなんとかかんとかって…言ってたような。」

そこまで考えたとき、後ろから男の子の声が掛かった。

「?…ツカイマがなんとかかんとかって、何言ってんの?」

振り向いてみると、そこには寝巻きに着替えたジムが怪訝な表情で佇んでいた。

「なんだアンタか…で?どうしたの。」

霊夢の素っ気ない言葉にジムはムッとしながらも、ティファニアからの伝言を霊夢に言った。

「テファおねえちゃんが、お風呂に入っても良いってよ。あと寝巻きも後でテーブルに置いておくって…。」

 

あの後、ティファニアは流石に子供達だけで一夜を過ごさせるのは危険と判断し、今夜だけは子供達全員がティファニアと一緒に寝ることになった。

一方の霊夢はというと、ここで一晩明かす気はなかったのだが何故だか疲労が無駄に溜まっていたのだ。

きっと四時間くらい飛び続けたうえに戦闘までこなした反動でも来てしまったのだろう。

事実、ティファニアの誘いを二つ返事で断りそのまま飛び上がろうとして、クルリと一回転して地面に寝転がってしまった。

 

後ティファニアの家のお風呂についてだが、実はティファニアの言っていた『知り合い』が作ってくれたお風呂らしい。

なんでもその『知り合い』は「土」系統の魔法が得意らしくて、お湯をひいたり土台を作ってくれたという。

「…あぁ、ありがとう。」

霊夢はジムにお礼の一言を言う席を立とうとした時、モジモジしつつもジムは口を開いた。

「テファおねえちゃんと俺たちをあの時化け物から助けてくれて、その…アリガトウ。」

本心かどうかわからないそのお礼の言葉に霊夢はふと足を止め、ジムの方へと顔を向けた。

霊夢と目があったジムは、彼女の赤みがかかった黒い瞳をモジモジと見つめつつ、更にお礼の言葉を言う。

 

「なんというかな…その、最初はただの腋さらけ出してるアレが弱いオカシイ女かと思ってたけど…結構良い奴――――イタッ!?」

しかし、ジムのお礼の言葉は、霊夢の唐突なデコピンによって中断されてしまった。

「アンタ、私を馬鹿にしたいのか礼を言いたいのかどっちかにしなさいよ。」

霊夢は額を抑えているジムにそう言い捨てるとさっさと風呂場の方へと行ってしまった。

 

 

そんな会話が行われているウエストウッド村の外の森。

今夜は月が出ているのだが、枝や葉が月光を遮っている所為で森の中はとても暗い。

普通ならこんな時間帯にくる人間は居ないのだが、今夜に限って例外が一人だけいた。

その人物は自分の体のラインがくっきり見える黒色のローブを纏っており、それで女性だと一目で分かる。

女性は地上より上にある木の枝に腰掛け、ジーッと何もない空間を見つめていた。

 

ふと女性は地面へ顔を向けると、それが合図かのように小さな人形がヒョコヒョコと木を登ってやってくる。

人形は女性の足下まで来るとピタリと動きを止め、女性はその人形を掴んで懐に入れた。

「全く、『ハクレイ』の【ガンダールヴ】を探したと思ったら、新たな『担い手』も見つけてしまうとはねぇ…。」

開口一番、女性はまるで予想もしていなかったという風に呟いた。

 

(この森に放ったミノタウロスはいつの間にか指輪の洗脳から解除されていた。

 先住の力がこめられているあの指輪の力を解除するには『解除』の呪文か…もしくは『忘却』の呪文。

  ミノタウロスの様子を見たところ、後者だと思うけど断定は出来ないわね。少なくともジョゼフ様の意見を聞かなくては――――)

 

――――――ミューズよ、聞こえるか。余の女神よ。

 

そこまで考えていたとき、ふと誰かが自分の頭の中に直接語りかけてきた。

女性はハッとした顔になると、急いで懐を漁って少し大きめの人形を取り出した。

そして人形の顔部分を自分の耳元にあてて、二、三回頷くと申し訳なさそうな顔になり、こう言った。

「ジョゼフ様!、なにもわざわざそちらから連絡してこなくても、私から……」

女性の言葉を遮るか様に、手に持っている人形が頭の中に語りかけてきた。

 

―――――なぁに、余は君が疲れていると思ってね。余の方から連絡をしたのさ。

 

その言葉を聞いた女性は、パァッと表情が嬉しそうなモノに変化した。

「い…その労り感謝します!あ…ジョゼフ様、頼まれていたガンダールヴの調査ですが…。」

女性は人形を通して話してくる誰かに、今まで調べていた事を一気に報告していた。

その報告の言葉の中には『虚無の系統』や【ガンダールヴ】、といったもはやハルケギニアの伝説に関連する言葉が幾つも出てきていた。

なかには『ハクレイ』といった、何を意味するのかわからない言葉も出てきた。

更に報告する相手が一見何の変哲もない人形だという事もあり、まるで人形に話しかける幼い子供そのものである。

 

 

―――――……流石だ余のミューズ!!まさか期待以上の成果を持ってくるとはな!

 

「あなたに喜ばれることをする私にとって、その言葉は有り難き幸せでございます。して、二人とも捕まえますか?」

 

――――――う~む、今すぐ手札に加えたいところだが…すぐにその事が坊主共の耳に入るだろう。

 

「ならしばらくは放置、ということですね?」

 

―――そうだ余のミューズ。『宗教庁』すら知らない二枚のカードは、最後まで残しておく必要がある。

 

「わかりました。それでは筋書き通りの事を続けます。」

 

―――――では、引き続き頼んだぞ。余のミューズ、【ミョズニトニルン】のシェフィールドよ。

 

 

その言葉を聞き終えた女性――シェフィールドは人形を懐にしまうと木の枝から飛び降り、あっという間に闇夜の中に紛れてしまった。

 

 

―――やがて夜が明けて朝になり、一番最初に起きたのは霊夢であった。

「うぅん…、ふあぁ…。」

 

目を開けて天井を見た時、自分のいる場所が博麗神社ではないと思い出す。

「ふぅ、やっぱり現実と夢は違うわね。」

もう霊夢がハルケギニアに来てから大分経つが、それでも時折これが夢なのではないかと思ってしまう時がある。

望郷というものだろうか、時々幻想郷に帰る夢を見てしまう事があるのだ。

ベッド代わりに使っていたソファから出てティファニアが貸してくれた寝巻きを脱ぐと、自分の服に着替えて外の空気を吸いに外へ出た。

 

ドアを開けた先にあった外の風景は、最初に見たのどかな雰囲気な村とは無縁の場所がそこにあった。

昨日、いきなり襲撃してきた牛頭の妖怪に壊された家や柵が何処か廃墟的な雰囲気を醸し出している。

そんな光景を見た霊夢は朝っぱらから憂鬱な気分になってしまい、もう一度家の中へと戻った。

居間へ行くとイスに腰掛け、テーブルに肘を突いて窓から外を眺めているとふと誰かが居間へ入ってきた。

「おはよう…もう起きてたんだぁ。随分と早起きなのねぇ…。」

そこにいたのは、この家の主人であるティファニアであった。

目の下には隈が出来ており、眠たそうに目を擦っている。

「おはよう。随分とお疲れのようね、どうしたの?」

「あぁ、子供達が昨日何かお話ししてーってせがんでそのまま流れに乗って色々話してたら…」

最後に言おうとした言葉を、霊夢が引き継いでこう言った。

「寝不足になったってワケね?」

「うん、そういう事。…ふぁぁぁぁああぁぁ…そろそろ朝ご飯作らないと…。」

ティファニアは大きな欠伸をするとテクテクとキッチンの方へ歩いていった。

 

――――やがて子供達を全員起こしてみんなで朝食を食べた後、霊夢はティファニア達と一緒に村の出入り口にいた。

朝食を食べた後、霊夢はもうそろそろ村を出ると言ったところ、こうして村の住人達が見送りしてくれると言ったのだ。

霊夢はそんな気遣いは別に良いと言ったが、それでもティファニアは昨日ジム達を助けてくれた事への感謝もついでにしたいらしい。

結局ティファニアと子供達は村の出入り口まで付いていくことになり――――今に至る。

一通りお礼の言葉を子供達に言われた霊夢はティファニアの方へ顔を向け、口を開く。

「それにしても…見送りだけじゃなくてこんなものまでくれるなんてね。」

霊夢はそう言って先程ティファニアに渡された小包を見つめる。

先程ティファニアがくれたこの小包の中にはサンドイッチが入っており、ティファニアが「お昼ご飯にでも」と渡してくれたのだ。

「いいっていいって、どうせ今日のお昼ご飯もそれだしね。」

ティファニアはそう軽く言うと後ろの方へと顔を向け、自分たちが住む村の光景を見た。

昨日の騒動であちこち滅茶苦茶になっており、元に戻していくにもそれなりに時間は掛かるはずだろう。

それも女子供達の小さな手だけで、きっと数ヶ月…へたすれば半年の時間を費すに違いない。

「本当、凄惨たる光景っていうのはああいうものね。」

霊夢がポツリ、とそう呟くとティファニアが再び霊夢の方へと顔を向け、こう言った。

 

「今はもういない母さんが事ある度にいつも言っていたわ。

 豊かな感情を持つ者全ては凄惨たる現実の光景を見てしまえば心が折れてしまい、次第に理想の光景へ走ってしまう。

  …だけど、心が折れると同時に理想へ走らず現実を受け入れ、その現実の光景をより良い物に直していこうという意思さえあれば…直していけるって。

    その意思を持たず、理想へ走る者はいずれ現実と理想に殺される―――って。」

 

 

「また来て赤い服のおねえちゃーん!」

                         「助けてくれてありがとー!」

 

   「ミノタウロスとの戦いはとてもかっこよかったよー!」

 

子供達の声援を背中に浴びつつ、霊夢はウエストウッド村を飛び去っていった。

ティファニアとジムは霊夢に手を振りつつ見送ると後ろを振り向き、ジムが口を開く。

「さて、これからみんなで村を修復するぞ!なーに、俺たちがちゃんとやればすぐに元通りになるって。」

他の子供達は、彼の言葉にウンウンと頷くとみんな村の方へと戻っていくが、ティファニアだけがずっと入り口に佇んでいた

その瞳は、既に遠くへ行ってしまった霊夢を映していた。村の皆を助けてくれたあの巫女を―――

 

「ハクレイ…レイムかぁ。」

ポツリと、ティファニアは霊夢の名前を呟くとジム達の後ろを付いていくように村の方へと戻っていった。

 

 

――――何処までも続いている白い雲が漂う空中を、一隻の船が飛んでいた。

側面に付いた大きな二枚の翼と巨大な帆で風を切り、安定したバランスを保っている。

外装も内装も立派な装飾を施されているこの船の名前は「マリー・ガラント号」。トリステインではかなり大きさ部類に入る輸送船である。

そのマリー・ガラント号の甲板に置かれている木箱の上に、一人の少女が座っていた。

黒色のマント、グレーのプリーツスカートに白いブラウスといった学生の標準的な服装。

マントを見ればその少女がそれ相応の名家の娘であることは一目瞭然である。

そして、何より一番特徴的なのは彼女の髪の色が明るいピンクのブロンドであるということだ。

 

そのブロンドヘアーの持ち主、ルイズは木箱に腰掛け段々と近づきつつあるアルビオン大陸を見つめていた。

この船に乗る前に護衛であるワルド子爵と共にレコン・キスタの刺客から逃げ切り、なんとかアルビオン行きの船に乗る事が出来た。

ワルド子爵はというとこの船の動力源である「風石」を風の魔法で補助している最中であった。

船長から貸し与えられた船室にいたルイズはとりあえず暇つぶしにと甲板に出て外の空気を吸っている最中であった。

「んぅー…輸送船にしては大分いい船室だったわ。」

ルイズはそう呟くと大きく体を伸ばすと、昨晩の襲撃の事を思い出していた。

あの時、ラ・ロシェールの桟橋に入った後突然やってきた謎の刺客に攫われそうになった時のことを――

瞬時に状況判断をしたワルド子爵はとても格好良く、正におとぎ話に出てくる騎士そのものであった。

助けられた後に、お姫様だっこされている事に気づいた時は流石に恥ずかしかったが同時にとても嬉しかった。

 

「やぁルイズ、そんな所にいたのかい。」

「え…?うひゃあ!」

 

頬を紅く染めていたルイズの耳にふとワルドの声が飛び込んできた。

驚いた彼女は飛び上がってしまい、その拍子に腰掛けていた木箱から落ちてしまった。

だが、床とキスするまであと1サントという所でワルドが出した風でフワッとルイズの体が浮かび上がる。

ワルドはそのまま器用に風を使ってルイズの体を操り、自分と向かい合うようにして彼女を立たせた。

床とキスすることを免れたルイズはもう一度頬を赤く染めるとモジモジしながらもワルドに話しかけた。

「し、子爵様…突然声を掛けないでください。」

その言葉を聞いたワルドは軽く笑いながらも口を開いた。

「すまない、何やら夢中で何かを考えている君が可愛かったからついつい悪戯でもしようかと…。」

ワルドの言葉を聞いたルイズは頬を膨らませるとそっぽを向いた。

その顔を見たワルドは途端に苦虫を踏んでしまったような顔になってしまい、途端に言い訳を始めた。

 

「いや、あの、その、ほら?人間というのは時に誰かを相手に悪戯をしたくなる生物なんだ。

 それは貴族も平民も関係なく平等に持つ生物的本能で、だからこそ道化師という職業があるもので…」

 

必死にそんな事を言ってくる自分より年上の男を見て、ルイズは内心クスクスと笑っていた。

そんな暖かいラブストーリーが輸送船の甲板で行われていたそんな時、鐘楼に上った船員が大声をあげた。

「右舷方向の雲中より、船が接近してきます!」

突然の声に二人は右舷の方へ顔を向けると、雲の中から一隻の巨大な船が現れた。

黒塗りの船体はまさに戦艦を思わせる雰囲気を持っており、舷側に開いた穴からは大砲が出ている。

「まさかレコン・キスタの戦艦なんじゃ…。」

その船を見たルイズは眉をひそめ、ポツリと呟いた。

 

「レコン・キスタの戦艦か?お前さん達のためにわざわざ荷物を運んできたと伝えろ。」

後甲板で副長と一緒に操船の指揮をしていた船長は船員にそう言った。

船員はすぐさま指示通りに手旗を振り回すが、黒い船からは何の返信もない。

その事に船員と船長は怪訝な顔をすると、青ざめた顔の副長が船長に告げた。

「船長、あの船…よく見れば旗を掲げておりません!」

「な、何!?」

副長の言葉に、船長は目を見開くとこう言った。

 

「す、するとあれは…空賊か!」

 

突如現れた黒塗りの船が空賊船だと判明した船長は即座に逃げるよう指示をした。

しかしそれよりも早く空賊の船が脅しと言わんばかりに舷側の穴から顔を出していた大砲を撃った。

空気を切り裂かんばかりのもの凄い音が辺りに響き、マリー・ガラント号に乗っていた者達はたちまち腰を抜かしてしまった。

その後、空賊船のマストに四色の旗流信号がするすると登ったのを船長は見逃さなかった。

四色の旗流信号―――つまりは停戦命令である。その旗を見て船長は苦渋の決断を強いられた。

ふと頭の中にトリステインの使いだからと今すぐこの船を動かせと命令した貴族の顔を浮かべた。

あの男ならきっと何とかしてくれると思ったが、正直言って船長はあまり乗り気ではなかった。

無理矢理起こされたとき、夢の中でイオニア会の神官並のブルジョワ生活をしていたというのに…あの男の所為で現実に引き戻されてしまった。

今更その事を思い出してもこの男は今は傍におらず、愛玩動物のような愛くるしい瞳をしても助けてはくれないだろう。

それに、相手が短気だとしたら貴族を呼び出す時間より、あの空賊達とうまく交渉する時間の方が大切である。

「…裏帆を打て。停船だ。」

そう判断した船長は副長に即座にそう伝えると「これで破産だ。」と小さな声で呟いた。

 

 

「それにしても、この穴の上は何処に繋がっているのかしら。」

少し大きめの穴の入り口に転がっている岩に腰掛けている霊夢はそんな事を呟いた。

発光性の苔のお陰で穴の中は結構明るいが、ジメジメとしており長居はしたくはない場所である。

上は闇で下も闇。今霊夢がいる場所は、彼女がアルビオンに来て最初に入ったあの大穴であった。

 

―――事はティファニア達に見送られて村を去ったところまで戻る。

ウエストウッド村を飛び立った霊夢はしばらく森林地帯の上を飛んでいた。

生い茂っている木はどれも大きく、下手すれば樹齢が数千年のものもあるかも知れない

そんな事を考えている時、ふと辺りの視界がどんどん曇ってきた。

どうやら霧のようだ。突如出てきた霧はあっという間に濃くなっていき数分経ったときには既に1メートル先の光景すら見えなかった。

更に衣服が霧の中にくまれている水分を吸ってしまうせいか、妙にジメジメとしてくる。

流石の霊夢も飛ぶのを止め、浮遊状態になると辺りを見回した。

ふと下を見てみるとボゥッとした明かりが見えるのに気が付き、そちらの方へ近づいてみることにした。

何があるかわからないが明かりがあるという事は何かの目印か…それとも得体の知れない『何か』が自分を誘っているのか。

結局、明かりの正体は一本の太い棒にくくりつけられたカンテラに灯っていたものであった。

それよりも霊夢の気を引いたのはカンテラの近くにあった大きな古井戸だった。

井戸の近くには人工的に造られた道があるところ、どうやらこの何処かに住んでいた人々の井戸だったのだろう。

 

霊夢は地面に降り立つとその井戸を覗き、水が枯れている事に気が付いた。

「ここの井戸…水が枯れてるわね。」

しかし、よく見てみると井戸の底には怪しげな横穴があった。

井戸は比較的に深くないためすぐに底へ降りることも出来る。その時、ふと霊夢は昨日のことを思い出していた。

(そういえば、あの森へ来たときも大陸の下に出来た大穴から井戸を通じて出てきたんだっけ。

  と、いうことはもしかしたらこの井戸もあの大穴の中へ繋がってるかもね。)

 

そう思った霊夢の行動は早く、と彼女は井戸の中へ飛び降りた。

別にそこを通らなくても良かったのだが、外は濃霧の所為で何も見えないし、それに服も湿ってしまう。

穴の方もジメジメとしているが濃霧と比べればまだ耐えられるレベルで、何より少しひんやりとしている。

体を瞬間的に浮かせて難なく着地した霊夢はすぐに何処かへと繋がっている穴を潜った。

歩いたり飛んだりと穴の中を移動しつつ、道なりに進んで数十分後には最初にやってきたあの大穴の所へ戻ってきていた。

 

ようやくたどり着いた霊夢は穴の入り口に転がっていた岩に腰掛け――今に至る。

 

 

一方、ルイズ達が乗っている「マリー・ガラント号」はというと――

アルビオンへ向かって飛んでいるこの船の右舷には空賊達の船が見張るようにして隣を飛んでいる。

甲板には空賊達が剣やマスケット銃を手にうろついており、中には杖を持っている空賊も居た。

船員達は一部抵抗の意を示した者達だけを船倉に押し込め、それ以外の者達には操船を任していた。

そして、この船に乗り込んでいたルイズとワルドはというと、船長室へと続いている廊下を歩かされていた。

後ろにはマスケット銃を構えた空賊が数人ついてきておりもし抵抗をすれば即射殺されるだろう。

最も、この二人は杖を没収されてしまっているため抵抗する気はない。

 

ワルドは落ち着いた表情で黙々と船長室を目指して歩いていたが、ルイズはというとその顔から空賊達への嫌悪感が出ていた。

本当なら二人は船倉に閉じこめられる筈なのだが、どうしたことか急遽船長室に行くことになったのだ。

やがて船長室へと通じるドアの前まで来ると、後ろにいた空賊の一人がドアを軽くノックした。

ノックしてからすぐに船長と思われる音の声がドア越しに聞こえてきた。

「誰だ?」

「ウェズパーです、甲板でトリステインからの使者だと喚いていた貴族の小娘とその護衛を連れてきました。」

「よし、入れ。」

船長の了承を得たウェズパーと呼ばれた空賊はドアを開けると、ルイズ達を部屋に入れた。

豪華なディナーテーブルがあり、その上座には空賊達の頭と思われる男がイスに腰掛けていた。

汗とグリース油で汚れたシャツを着ており、そこから逞しい胸を見せている。

大きな水晶のついた杖をいじっている。どうやら空賊の頭もメイジのようだ。

頭は杖を手元に置くとドアの前に突っ立っているルイズ達を睨み付けた。

その瞳を見たルイズは思わず身震いをしてしまった。まるでドラゴンに睨み付けられたようであった。

「さてと、アンタたちをここに呼んだのはそこのおチビさんが言ってた事についてだ。」

頭はそう言って席を立つとルイズ達の傍へ寄り、ルイズの顔を見つめこう言った。。

 

「仲間から聞いたよ。そこのおチビちゃん――いや、あんたらがトリステインから来た王族派への使者だってな。」

その言葉を聞き、ワルドとルイズは顔を真っ青にした。火車がその顔を見たら死体と見間違えるほどに。

 

数十分前――――

 

マリー・ガラント号が停船した後、それを待っていたかのように空賊の船からかぎ爪のついたロープが放たれた。

それらを全てルイズ達が待っている船の舷縁に引っかかり、斧や剣を持った屈強な男達が器用にロープを伝ってやってくる。

やがて数分もしないうちに何十人もの空賊達がマリー・ガラント号に乗り込み船員達を甲板の真ん中に集め始めた。

当然その中には船長や副長もおり、ルイズやワルドも例に漏れない。

最も、ルイズだけは始終空賊達に文句を言っていた。それこそその文句を記録しただけで五ページくらいの冊子が出来るだろう。

それを読むのはきっと罵られたい何処かのマゾヒストか、もっと色んな罵り言葉を知りたいサディスティックぐらいに違いない。

まぁとりあえず彼女は貴族相手に無礼を働く空賊達を罵っていたのだが、その時に言った言葉は隣にいたワルドの顔を青くさせた。

 

「この空賊め!私たちはトリステイン王国から王族派への使いよ!それを何だと思ってるの!?」

 

流石にこの時ばかりはルイズも相手を罵るのに夢中になりすぎていた。だからこその失態である。

隣で大人しくしていたワルドは咄嗟にルイズの小さな口を大きな手で塞いだ。

ルイズに罵られていた空賊は怪訝な顔をしたが、それ以上追求する気はなくただ肩をすくめただけだった。

 

まぁその空賊はちゃんとその事を頭に報告したわけで、ルイズ達はその頭に尋問されているのだ。

 

 

 

 

「アンタらトリステインの貴族が何の目的でわざわざ王族派の所へ行くかわからん。」

頭はそう言いつつ室内を歩き回るとテーブルに置いてあったクッキーを1個手に取って口に入れた。

何回か咀嚼した後、ゴクリと飲み込むとイスに腰掛け口を開いた。

「そんな仕事なんかやめて、どうせならレコン・キスタの一員になって聖地奪還を目指してみないか?」

その言葉を聞いてこの部屋に入ってきたときから不快感を露わにしていたルイズは憤慨した。

「良い?私たちトリステインの貴族は、アンタのような金と娼婦の尻を追っかけてるような奴の言葉には絶対従わないのよ!!」

彼女の横にいたワルドはその様子を心配そうに見ていたが、空族に向かって怒鳴ってたルイズの瞳には絶対的な『何か』が宿っていた。

由緒正しき血統と親や年上の者達から大事な事を教えられてきた者が持つ光を彼女の鳶色の瞳は持っていた。

 

頭はルイズの言葉に一瞬だけ口をポカンと開けていたが、またすぐに口を開く。

最初のようにルイズを睨み掛けたが、今度は逆に年下の少女ににらみ返されている。

「いいか、次で最後の質問だ。これだけは素直に答えてくれないか?…お前達はどうして王族派の所へ行く?」

ルイズはその質問にハッとした顔になると、すぐにその質問に答えた。

「…私とワルド子爵は王族派のウェールズ皇太子に用があるの…これで充分?」

少し挑発するような感じでルイズがそう言った後、頭は目を丸くした。

「…………………フフフ、アッハハハハハハハハハハ!」

一体どうしたのかと怪訝な顔をした直後、頭が突然笑い始めた。

 

 

「アハハハハハ!あーおかしい…。――――――――そんな事なら素直にそう言ってくれよな。」

 

 

頭は笑いながらも突然意味不明な事を言うと縮れている黒髪を掴み、思いっきりそれを引っ張った。

さしものワルドとルイズも突然の事に驚いてしまったが、頭が引きちぎった黒髪の下にあったのが金髪であったことに更に驚いた。

ついで眼帯と髭も素早くもぎ取ると先程むしり取った黒髪の『カツラ』ごと床に投げ捨てた。

今まで付けていた小道具を取った頭の顔を見て……ルイズは驚きの余り口から心臓どころか内蔵の出そうになった。

凛々しい顔立ちに輝かんばかりの金髪、それはまさしくアルビオン王国の皇太子――――ウェールズ・テューダーであった。



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第二十三話

「一時停止しろ。」

「一時停止!アイ・サー!」

甲板に出たウェールズの命令を挙帆手が復唱し、マリー・ガラント号がアルビオン大陸の丁度『真下』で動きを止めた。

この美しいアルビオン王国の皇太子の傍にいたルイズは頭上にある大きな穴を見て目を丸くした。

以前姉たちと旅行でこの大陸へ赴いたことはあるがこんな穴は観光名所のカタログには載っていなかった。

隣で唖然としているルイズを見て、ウェールズがさりげなく説明を入れた。

 

「驚いたかい?今頭上にある穴は自然に出来た物なんだ。恐らくこの大陸が浮遊したときからあったに違いない。

 僕たち王軍はこれを秘密の出入り口として用いている。中はもの凄く暗いが…なに、我々には造作もないことさ。」

 

「こんな大きな穴が自然に出来たなんて…とても信じられません。」

ウェールズの説明を聞き、信じられないという顔になったルイズを見て更にウェールズは説明する。 

「更にもしもの際の避難用として大陸のあちこちに井戸に偽装した抜け穴を―――おっと説明はここまでだ。」

得意げに話していたウェールズがふと口を閉ざし、後ろからやってきたワルド子爵の方へ顔を向けた。

「部屋の中で休んでいたら窓の外が暗くなったものだから…成る程、こんな場所があったとは。」

ワルドは感心した風に呟くと暗闇の中でテキパキと帆をたたんでいる空賊――もといアルビオン軍の水兵達を見つめ目ながら言った。

「秘密の出入り口を使って城に戻るとは…まさに空賊そのものですなですな。殿下?」

ウェールズがその言葉に少し顔を顰めたのに気が付いたルイズは少し焦ったが、すぐに元の表情に戻るとワルドにこう言った。

「あぁ、何せ貴族派の連中は僕達用の手形を作ってくれなくてね。仕方なくこんな所を使ってるんだ――仮装パーティをしながらね?」

 

その言葉にワルドはキョトンとした顔になり、しばらくして彼の口から小さな笑い声が聞こえてきた。

ついでウェールズも笑顔になると、マリー・ガラント号がどんどんと穴の入り口に向かって上昇していく。

「さてと、立ち話もなんだから一等客室でも借りてお茶でも飲みながら話そうじゃないか。」

爽やかな笑顔でそう言われると二人はなんだか首を横に振ることが出来なかった。

川の流れに乗るようにルイズ達は頷くと、ウェールズの後を追った。

 

イーグル号を先頭に二席の大型船が穴の中に入り、どんどんと上を目指して上昇していく。

船の甲板に立っている水兵達は松明や杖の先に明かりを灯し、見張りをしている。

ごつごつとした外壁に紛れ人が入れそうな横穴がポツポツとある。

船はどんどんと上昇していく時、既に通り過ぎた場所から人影が飛んできた。

死角の所為で船から見えなかったその人影は船の後に付いていくように上を目指して飛び始めた。

 

 

 

天蓋付きではないがそれなりの装飾が施されたベッドに大きなクローゼット。

部屋の中央に配置されているテーブルの上には篭に入った色とりどりの果物達。

少し小さめのシャンデリアは眩しいくらいに輝いており、一等客室を照らしていた。

そしてテーブルを囲むように置かれているソファーに腰掛けているウェールズが向かい合って座っている二人に話しかけた。

「さてと、何か聞きたいことがあったらプライベートな事を除いて、質問してくれよ。」

ウェールズの言葉にルイズがゆっくりと口を開いた。

「あ、あの…こんな事を聞くのは何ですけど、本当にウェールズ皇子なのですか?」

ルイズの質問にウェールズは少しだけキョトンとするとクスクスと笑った。

 

「フフフ…まぁ無理もないかな?何せ最初に顔を合わせたのは仮装パーティー真っ最中の時だったからね。」

冗談っぽくそう言うとウェールズは立ち上がり、ポケットの中に入っていた指輪をスッと薬指に嵌めた。

「どうだい?これは代々アルビオン王国の家宝の代表として君臨している『風のルビー』さ。」

ウェールズの言葉を聞き、ルイズは急いで頭を下げた。

「失礼を致しました。何分私は疑り深い性格なもので…」

「なに、気にすることではないさ。人間には様々な性格の持ち主がいるからな。」

ウェールズは笑顔でそう言うと指輪を外し、再びポケットの中に入れた。

 

 

それからしばらくして、マリー・ガラント号と黒塗りの船『イーグル号』が穴に入ってから既に数分が経過していた。

ワルド子爵はマリー・ガラント号の船長と話す事があると言って部屋を出て行った。

窓の外から見える苔が生えた岩肌を背にルイズはウェールズにアンリエッタからの任務の事について説明をしていた。

アンリエッタが以前彼に送った手紙を返して欲しいと言われたウェールズは少しだけ目を丸くしていた。

「そうか、あのアンリエッタもとうとうそんな年になったのか。」

嬉しそうに――だけど若干哀しさを含んだ口調でそう呟き、ウェールズはルイズの方へ向き直った。

その時ルイズは見た、ウェールズの皇子の顔には言いようのない哀しさが滲んでいた。

しかしその哀しさはすぐに顔から消え失せ、先程のような眩しい笑顔に戻っていた。

「貴君らの任務についてはわかったよ。しかし、アンリエッタから貰った手紙はこの船には――――――っ!?」

 

ルイズの方に向かって喋っていたウェールズは突然目を見開くと杖を取り出した。

一方のルイズは血相を変えて杖を取り出した皇子に驚き、思わず窓の傍から離れた。

そしてそれを見計らってウェールズが瞬時に詠唱したエア・ハンマーが窓を叩き破る。

 

耳に残る嫌な音と共にガラスが外に飛び散り、冷たくも何処かジメジメとした風が部屋に入ってきた。

立ち上がったルイズはオロオロとしながらもウェールズに話しかけた。

「ど、どうしたんですか!?」

彼女の言葉にウェールズは杖を下げると口を開いた。

「今窓の外に人影が――」

 

「ちょっとちょっと、何もいきなり攻撃するのはないんじゃないかしら?」

 

ふと窓の外から聞こえてきた少女の声に、二人は驚愕した。

ウェールズは急いで杖を構え直しルイズを連れていつでも部屋から出れるようドアの方へと下がる。

一方のルイズはと言うと、生まれてこのかた感じたことのない程の驚愕を今まさに感じていた。

それは謎の声に対する恐怖ではない、むしろその声は彼女にとって聞き慣れたものである。二年生になってから。

では一体何なんだというと、それは「どうしてここにいるんだ?」という感じの驚愕であった。

「誰だ!素直に出てくるのなら攻撃はしない!」

ウェールズは声だけの相手に勇気を振る舞ってそう叫んだ。

その言葉を聞いて、声の主である少女はスッと窓の外から部屋の中へ飛んで入ってきた。

ルイズは相手の姿を見て限界点まで両目を見開き、心臓が喉の方までせり上がりそうになった。

紅白の特徴的な服を着た黒髪の少女の方も赤みがかかった黒い瞳でルイズの姿を捉え、キョトンとした顔になった。

 

「……なんか知らないけど、これもサモンなんとかの影響かしらね。全くどうなってるのよ?」

霊夢がうんざりしたかのように呟いた言葉に、ルイズは思いっきり叫んだ。

「それはこっちの台詞よ!」

 

何でこんなところにいるのかが一番の疑問であったが、その時ルイズが一番気にしていたのはそれではなかった。

(とりあえずは皇太子様にこいつがどれほど無礼な奴なのか先に言っておかないと。下手したら打ち首だわ!)

自分が召喚したこの少女がどんな相手に対しても頭を下げないという事を知っているルイズは後ろにいる皇太子にすかさず説明を入れた。

 

「…この少女と君は知り合いなのかい?」

「うぇ…ウェールズ皇太子!この者はですね…えっと、その、なんて言ったらいいか…そう、ちょっとしたワケありで一緒にいるんです!」

急いで喋ったせいか彼女自身何を言ったのか把握していなかったが、ウェールズはそれである程度理解したようだ。

とりあえず大丈夫だと確認したウェールズはホットしたかのように一息ついて杖を下ろした後、霊夢の方へ顔を向ける。

少し黄色が入っているがほぼ純白に近い肌、艶やかに光っている長い黒髪、少々赤みがかかっている黒い瞳。

そしてなによりも彼の目に入ったのはあまりにも特徴的な霊夢の服装と手に持っていた杖であった。

頭につけた赤いリボン、服とは別になっている袖。そして見たことのない装飾を施されている杖を手に持っている。

貴族かと思ったがマントを着けていないようだ。

一通り彼女に嫌な感じを持たされる前にウェールズはそこまで確認すると霊夢に先程の攻撃に対する謝罪の言葉を掛けた。

 

「先程の無礼は許して欲しい。何分戦時下のため、下手に緊張していt――」

「別に謝らなくてもいいわよ。どうせ当たらなかったんだから。」

「ちょっとアンタ!相手を見なさいよ相手を!?」

ウェールズの謝罪の言葉を遮り言い放った霊夢の何気ない一言にルイズは怒鳴った。

一国の皇太子直々の謝罪を遮って喋るなどルイズにとってあってはならない事である。

 

「うっさいわね、というよりなんでアンタがここにいるのよ。」

霊夢が鬱陶しそうに言い返すと、途端にルイズも大きな声で言い返した。

「それはこっちが聞きたいわ、大体どうやったらこんな所にたどり着くのよ!」

「森の中を飛び回って枯れた井戸の底にあった穴に入れば誰でもたどり着けるわ。」

「い、井戸?というより良く入れたわね、アンタの他に誰が好きこのんで井戸の中にはいるのよ。」

「う~ん…井戸神様かしらね。」

「なによそのイドガミさまってのは?どうせ架空の存在でしょう。」

「嘘だと思うのなら井戸の上に戸板をのせて歩いたらどうかしら?本当にいるってその身で実感できるわよ。」

霊夢がそう言った直後、ふと窓の外から眩しいくらいの明かりが入ってきた。

光に気づいたウェールズはポケットに入れていた懐中時計を取り出し、時刻を確認した後、呟いた。

「おや、ようやく港に着いたようだね。」

何だと思い二人が窓の外を除いてみると、マリー・ガラント号は何処か広い空間に出てきていた。

そこは巨大な港であった、大きな詰め所があり奥の出入り口から多数の水兵達が出てくる。

ルイズはその港を見て息を呑み、霊夢の方もジーッと港を見つめている。

そんな二人を見てか、ウェールズは得意げそうに口を開いた。

 

「どうだい?ニューカッスル城が誇る、地下の巨大港は。」

 

 

冥界 白玉楼――――――

 

生きとし生けるものは必ず何かを食べなければ行けない。

それが神から与えられた使命なのか、それとも生物として本能なのかは誰も知らない。

ただ、食べるという行動自体は別に生きてはいないモノ達でも行うことがある。

例えば、今テーブルの上に置かれている大福餅を食べている西行寺幽々子などがその一例である。

 

「はむっ♪」

幽々子は満足そうな表情で大福餅にかぶりついていた。

既に死んでいる存在の彼女がこうして何かを食べているのを見れば、別に亡霊が何かを食べていても不思議ではない。

最も、幽々子は冥界に存在する幽霊、亡霊、生霊、悪霊達よりも更に格上の存在ではあるが『霊』という種のグループに入っているのは間違いない。

そして早くも一個目を平らげた幽々子は二個目へと手を伸ばそうとしたとき、ふと後ろから声を掛けられた。

「幽々子様、そろそろ夕飯も近いですしそこまでにしておいては…。」

まるで鍛え抜かれた刀のように鋭く、しかし何処か子供っぽさが残っている声の持ち主は幽々子の従者兼庭師の魂魄妖夢であった。

小柄な体ではあるが接近戦においては随一であり、楼観剣と白楼剣という二本の刀を所持している。

妖夢の傍には他の幽霊と比べればあまりにも大きすぎる幽霊が漂っており、彼女が普通の人間ではないということを示している。

 

「大丈夫よ妖夢、2個だけならあと六分目くらいお腹にはいるから。」

妖夢の言葉に幽々子はからかうようにそう言うと二個目の大福をすぐに口の中に入れた。

モグモグと口を動かし幸せそうに食べている主の顔を見ていると妖夢も次第に怒る気がなくなり、ため息だけをついた。

そろそろ夕食の仕上げに掛かろうと思い台所の方へ足を進めつつ妖夢は口を開く。

「もう、まぁほどほどにしておいてくださいね。」

 

「は~い♪」

 

「本当、あなたってのんびりとしてるわねぇ。むぐむぐ…」

 

「ふぅ…ん?」

主の返事を聞き、妖夢は一人頷くと台所の方へ行こうとしたが、咄嗟に後ろを振り向いた。

そして幽々子の隣に座って大福を頂いている八雲紫がいつの間にかいたのである。

いつの間にかちゃっかり座っているスキマ妖怪を見て、思わず妖夢は驚いてしまった。

「あっ!紫様ではござりませんか、一体いつの間に?」

「本当だわ、気づいたら人の大福に手を出してる妖怪がいるわね。」

「まぁいいじゃないの、それより今晩は二人とも。今宵は良い月だわね。」

紫はすぐに大福を食べ終わると、あらためて幽々子に挨拶をした。

 

「こちらこそ今晩は、こんなにも良い月だから夕食前に大福を二個も食べちゃったわ。」

幽々子の方はまんざらでもないという顔になっており、妖夢の方は紫に頭を下げ、挨拶をした。

 

 

紫はそれを見て妖夢に微笑むと幽々子に話しかけた。

「ふふっ、貴方の庭師さんは顔を合わせる度に良い子になっていくじゃない。」

「でしょ?私が手塩にかけて色々と教えてるんだから。」

幽々子がそう言ったとき、妖夢が少し慌てたように幽々子にこう言った。

「あのー…幽々子様が塩を握ったら成仏してしまうのでは?」

妖夢の言葉に二人は黙ってしまったが、すぐにクスクスと笑い始めた。

それにつられて妖夢も笑いそうになるがふと思い出したかのように紫に話しかけた。

「そろそろ夕飯の時間ですが…紫様、もし良ければ今晩はここで食べていきますか?」

「えぇ、もともとそのつもりだったから頂くわ。…あぁ後話しておきたいことも一つあるわ。」

「?…話したい事って何かしら。」

幽々子にそう問われ、紫は一息つくと口を開いた。

 

「実は少しだけ頼み事があるのよ。」

 

 

マリー・ガラント号とイーグル号が無事港に停泊した後、

ルイズ、ワルド、そして霊夢の三人はとりあえずウェールズに連れられて城の中へと入った。

ニューカッスル城には大勢の貴族やその妻子達が住んでいた。

常に敵軍とその旗艦『レキシントン号』の砲火に脅かされているにもかかわらず、何処か明るい雰囲気があった。

普通なら隣り合わせの死に怯えているはずだというのにそんな感じは微塵もない。

ルイズがそんな風に思いつつ、一同はウェールズの居室へとたどり着いた。

しかし、天守の一角にあるその部屋はとても粗末なモノであった。

木製のベッドにイスとテーブルがセットで一組、壁には戦の模様を描いたタペストリーが飾られている。

一国の皇太子がここで寝ているとはとても思えないような部屋を見てルイズは目を丸くした。

「随分と粗末ですまない、何分売りに出せるモノは全て売ってしまったのでね。」

イスに座ったウェールズはそう言うと机の引き出しを開けた。

 

そこにあったのは、綺麗な装飾が施されている小箱が入っており、それを手に取りテーブルの上に置く。

次に首からネックレスを外す。その先には小さな鍵が開いていた。

その鍵を小箱の鍵穴に差し込み、鍵を開けて蓋を開ける。

蓋の内側に小さなアンリエッタの肖像が描かれていた。

それに気づいたルイズがその箱を覗こうとしたことに気が付いたウェールズははにかんでこう言った。

「宝箱でね、この箱の中身は多分僕の生涯の中でも最高の財宝さ。」

ウェールズは中に入っていた一通の手紙を取り出し、色褪せた封筒を開いてゆっくりと読み始めた。

何度も読まれボロボロ一歩手前のソレは何処か哀しさを漂わせていた。

やがて手紙を読み終えたウェールズは手紙を丁寧にたたみ封筒に戻すとルイズに手渡した。

「では、アンリエッタ姫殿下からの手紙、確かに返却したぞ。」

「ありがとうございます。これで祖国の危機も去る事でしょう。」

ルイズは深々と頭を下げ、その手紙を受け取った。

受け取った手紙をちゃんと懐にしまったのを確認すると、ウェールズは再度口を開いた。

「明日の朝に非戦闘員を乗せたイーグル号とマリーガラント号がここを出発する。それに乗って帰りなさい。」

 

その言葉を聞いたワルドはコクリと頷いたが、ルイズだけは歯痒そうにこう言った。

「あの、殿下…殿下は明日の朝にはレコン・キスタと戦うのでしょうか?」

「その通りだ。私は先陣に立って真っ先に死ぬつもりでいる。」

ウェールズの言葉にルイズは少し驚いたが、他の二人はそれ程驚きもしなかった。

ワルドは軍人であるため皇太子の言葉にはある程度同感はしているが、霊夢の場合は単純に興味が無いだけである。

その後ルイズはアンリエッタから預かっていた手紙をウェールズに渡した。

手紙を受け取ったウェールズはゆっくりと読み、懐にそっとしまった。

それを見計らってルイズがおそるおそるウェールズ皇太子に話しかけた。

「殿下…私は使者である故その手紙を見ることは適いませんが、なんと書かれていましたか?」

 

ルイズの言葉にウェールズは微笑むとからかうようにこう言った。

「そんな事では使者は勤まらないがまぁ特別に教えよう、…ただ手紙を返して欲しい事と武運をお祈りします。とだけ書かれていたよ。」

ウェールズの言葉にルイズは有り得ないと言いたげな顔になった。

「そんな…、私は幼少期にあなた様と姫殿下がどれ程仲が良かったのかハッキリと覚えています。だから…」

「そこまでにしよう。私は王族だ、王族が嘘をつくときは世界の終わりが来た時だけだ。」

ルイズの言葉を途中で遮ったウェールズは一息つくとイスに座り直し、ため息をついた。

気まずい空気が流れそうになったとき、ウェールズはルイズにこう言った。

 

「ミス・ヴァリエール、君は本当に正直で真っ直ぐな子だ。ここにいる誰よりもね…。」

 

 

場所は変わって、白玉楼―――

そこの主である西行寺幽々子は八雲紫と共に夕食をとっていた。

 

「成る程…あの紅魔館のお嬢さまがねぇ~…はむっ。」

幽々子はのんびりとそうに呟き、カマボコを口の中に入れる。

「そうよ、どうやらかなり殺る気まんまんらしいわ。」

「まぁ霊夢がいなくなって聞いてからあの吸血鬼、かなりピリピリしてたからねぇ~。」

ゆっくりと口の中のカマボコを咀嚼している幽々子を相手に紫はどんどんと話していく。

どうやら夕食だというのに何やら話し合いをしているようだ。一体その話し合いとは何なのか?

 

夕食の前に、紫は幽々子に頼み事があると言った。

それは先程彼女が言っていたレミリア・スカーレットへの警戒である。

「私は霊夢がいる異世界へ乗り込んだら、すぐに霊夢を連れて帰るって計画だったけど…あの吸血鬼は余計な事を考えてるのよ。」

まだ夕食に手を付けていない紫は苦虫を踏んでしまったような顔でそう言い、話し始めた。

何でも式の報告によると最近紅魔館内部の図書館で司書している小悪魔とメイド長の十六夜咲夜が何やら目立った動きをしているという。

咲夜は紅魔館にいる妖精メイド達を何十匹か集め、誰が一番強いのか弾幕ごっこを行わせている。

小悪魔の方は魔法の森や妖怪の山の近くにある樹海へと足を伸ばし、何かを集めているというのだ。

それが気になった紫の式である藍は小悪魔の後を追おうとしたが、何故だか小悪魔の身体にもの凄い『厄』がまとわりついていて、近づくのは無理であった。

最も、小悪魔自身も紅魔館にたどり着いた時には厄に耐えきれなくなり中庭に墜落したのだが。当然誰も知らない。

 

「もしも異変も何もなかったらただの児戯だろうと思って無視するけど、今の状況を考えるに放っておけないのよ。」

紫の言葉に、幽々子はまるで珍しい物を見るかのような目つきで紫の顔を見ていた。

「貴方、何処か頭でも打ったの?幻想郷を常に愛している貴方なら喜び勇んでその世界を焦土に変えそうだけど…。」

幽々子の言葉に妖夢はハッとした顔になり幽々子の方へ顔を向けた。

紫はしばらく無言で幽々子の顔をジッと見つめていたが、ふと口を開いた。

「幻想郷を愛しているからこそ過激な干渉はせず、なるべく穏便に済ませたいの。」

彼女はそれを皮切りに、幽々子とその隣にいる妖夢にある話を始めた。

 

「今回霊夢が飛ばされた世界は、幻想郷の次に私たちが住むのに適した場所なの。

 機械や科学などといったモノが殆ど進化しておらず、魔法が高度に発達した夢のようなところ。

 霊夢を喚んだ少女の記憶を辿ってそれを知った私はまさかと思ったわよ。

 だからこそ大規模な破壊や大虐殺といった干渉は避け、霊夢を連れ戻した後にその行く末を観察したいの。

 もしかしたら幻想郷に住む妖怪達の生活基準を向上できるかも知れないのよ。」

 

滅多に見れない八雲紫の熱弁に、幽々子は思わず面食らってしまったが無理もない。

幻想郷の要である博麗の巫女を何も言わずに攫った挙げ句に結界に細工をするようなのを相手にそんな事を言うとは思ってもいなかった。

まぁ多分それを言う理由は彼女の言う「外の世界」のような場所ではないからだろう。要は興味深いからその世界を壊したくないという事だ。

もしも紫の興味が沸いてこなければ、霊夢を攫った仕返しにと目を瞑るような酷い事をしていたに違いない。

 

幽々子は一息置いてから、返答を出した。

「わかったわ。貴方がそこまで言うのなら協力してあげる。」

「…ありがとう幽々子♪貴方のおかげ頭の中に残る悩みの種がなくなったわ。」

幽々子の答えを聞き満足そうに紫はそう言うと、手元に置かれた箸に手を伸ばした。

既に夕食を食べていた幽々子はそんな友を見て可愛いと思った。

幻想郷の創造主であり大妖怪として怖れられている紫は他の者達が思っている性格はしていない。

胡散臭いがその分長く生きている者特有の嫌みはなく、割と多くの者を引き寄せる。

 

だが、紫とは旧知の仲である幽々子は冥界に住む者である。

今更言うのも何ではあるが本来は顕界やそこで起こる事情は無闇に首を突っ込んではならない。

幽々子自身、幻想郷で何かあった場合妖夢や代理の幽霊達に任せており、彼女自身が幻想郷へ行くことは滅多にない。

 

しかし――冥界でもまた今現在幻想郷で継続している異変とほぼ同等の異変が起きていた。

一度は何が起こったのかもわからず大混乱を起こしたほどであった。

それが収まった後に幻想郷の結界が変異し始めたのを以前の会合で知った幽々子のもとに閻魔の使いがやってきた。

 

その内容はこうであった…。

「もし八雲紫が協力の申し出をしてくるのならばそれを受け入れなさい。今回の異変は幻想郷の異変と関連しています。」

 

霊夢が失踪した後に起こった冥界での異変、恐らく紫も知っていたうえでこの協力を申し込んできたのだろうか。

多分、というより確実にそうであろう。妖怪も人間も年を取れば自然と耳に色々な事が入ってくる。

今、冥界にも幻想郷にも、未曾有かつ大規模な異変が起こっているのである。

 

 

一方、こちらはニューカッスル城のホール。

今やここは王族派貴族達のパーティー会場と化していた。

辺りは楽しそうな声と華やかな演奏によって彩られ、この世に二つとない盛大な宴である。

ウェールズに手紙を渡した後、ルイズ達三人はパーティーにゲスト出演することとなった。

しかし、明日には外で陣取っている敵に殺される者達が楽しそうに振る舞っているのを見て、ルイズは途方もない悲しみを覚えた。

死を前に楽しく振る舞う者達は、勇ましいというより何処か悲しいというのだろうか…遂にルイズはそれに耐えきれずすぐに会場を出て行った。

 

霊夢はそんなルイズを見てまぁ無理もないかと思った。最も、一体何に耐えきれなくて出て行ったのかわからないが。

最も、ルイズがもし今の霊夢が見ているモノと同じモノを見ていたらパニックに陥っていただろう。

(全員が喜び勇んで死ぬ気だから、ついでに連れて行こうっていう奴等がうようよいるわね…。)

決して常人には見えないタチの悪い亡霊の類やらが大量にホールを漂っている事に気が付いているのは霊夢だけであった。

大方、ここで起こっている戦かなにかで死んだ者達のなれの果てであろうが、霊夢にとってはあまりいいものではない。

 

一方のワルドは何やらウェールズと話し合いをしていたようだ。

「では皇太子殿、明日の朝に式を頼みます…。」

「あぁ、私も朝早くに起きて準備をしておこう。それよりもまずはこのパーティを楽しみたまえ!」

ウェールズは最後にそう言うと後ろにいた貴婦人達の方へと戻っていった。

話を終えたワルドは後ろを振り向くといつの間にかルイズがいなくなっている事に気が付いた。

どこに行ったのかと辺りを見回しているとふと前から声が聞こえてきた。

 

「あの子なら耐えきれなくなって出て行ったわよ。」

そちらの方へ顔を向けると扉の傍にある椅子に座ってサンドイッチを食べている霊夢がいた。

一体何処からサンドイッチを持ってきたのかわからないがワルドはすぐに霊夢の傍へよると話しかける。

「やぁ使いm――失礼、えっと名前はハクレイレイム…とか言ったね。すまない、ルイズは一体何処に…?」

「たぶんウェールズから借りた部屋じゃない?」

霊夢はワルドの顔を若干嫌悪感を混ぜたような表情で見つめ、言った。

「そうか、感謝する。」

ワルドは礼を言うとすぐに大きなドアを開けてパーティー会場を出て行った。

 

それからしばらくした後、霊夢もティファニアから貰ったサンドイッチ(昼に食べるつもりだったもの)を食べ終え食後のお茶を飲んでいた。

すると、パーティーとアルコールの摂取で多少ハイテンションになりつつも人々の間からウェールズ皇太子が霊夢のもとへやってきた。

 

先程ウェールズの部屋で話が終わった後、霊夢だけ話があると言って残ったのだ。

その後、霊夢は何故アルビオンへ来たのかをウェールズに話したのである。

アンリエッタというお姫様から聞いたというその話に、ウェールズはあっさりと霊夢を信用してしまった。

しかしもうすぐパーティーが始まるのでその後でも、と言われ霊夢は一人待っていたのだ。

「いやぁーすまない、家臣達がもっと酒を飲めと言うモノだからついつい遅れてしまって。」

「別に良いわよ、どうせ急ぎの用でもないしね。」

霊夢はそう言うと腰を上げ、ウェールズと共に騒々しいパーティーホールから出た。

 

 

霊夢を部屋に入れ、ドアを閉めたウェールズはすぐに壁に飾られたタペストリーを勢いよく捲った。

捲った先には壁に取り付けられた小さなドアがあり、それを開いて中にある数十冊の本を一気に取り出した。

 

「この数々の本は、アルビオン王国が出来た頃には既に存在していた物さ。

 発見された当時は多くの学者達が競って解読したらしい。だけど結局誰にも解読できなかった。

       僕が生まれた時には誰も興味を示さなくなっていた。だから僕がこっそり盗んでやったのさ。」

 

ウェールズはそう言いながら一冊を手に持ちパラパラとページを捲った。

霊夢も興味本位に覗いてみたところ、どうやら妖精について調べた書物のようだ。

書いた本人の趣味だろうか、背中に生えてる羽の事まで丁寧に書かれている。

覗かれている事に気が付いたウェールズは霊夢の方へ顔を向け話し掛けた。

「どうだい、中々可愛い妖精の絵だろ?僕はこれが一番気に入ってるんだ。」

 

ウェールズはそう言うととある妖精の絵を指さした。

(多分というより絶対これはチルノね。絵の中でも自信満々な顔だわ…)

そんな事を考えている霊夢をわきに、ウェールズは楽しそうにページを捲っていく、文字は読めないが妖精の絵を見ているのだろう。

しかし実際には妖精は確かに可愛いが残虐な心を持っているため、霊夢にとっては害虫以上の存在であった。

空を飛んでいるときには集団で寄ってきて下手な弾幕を放ってくるので鬱陶しいことこの上ない。

妖精の実態を知っている者なら霊夢と同じイメージを持つが、どうやらウェールズは違うようだ。まぁ教えなくてもいいだろう。

 

霊夢はため息をつくとテーブルに置かれた本の一冊一冊を調べていく。

大抵は山草や魚の専門書や最近幻想郷でも見るようになった「雑誌」という本ばかりであった。

しかし霊夢の気をそれほど引くものはなく、いよいよ最後に残った一冊を手に取った。

それは本というよりまるで日記のような感じで、表紙に書かれている日本語のタイトルを見て、霊夢は怪訝な顔になった。

 

「……ハルケギニアについて?」

ポツリと呟き、ページを捲ると一ページ目にはこの世界、つまり『ハルケギニア大陸』の全体図が載っていた。

 

本の内容は、この大陸に住む人間の格差社会や幻獣、亜人。魔法と先住魔法について詳しく書かれている。

といっても辞典のような感じではなく、これには気をつけろとか…どう対抗したらいいか、というような事が書かれていた。

一体誰が書いたのかは分からないが、少なくとも霊夢と同じ世界から来た者が書いたのには違いない。

霊夢は一通りページを捲り、まぁ何かの役に立つだろうと思いその本を懐にしまうとウェールズに話し掛けた。

「わざわざ出してくれて有り難う。手がかりになりそうな物も見つかったし。」

その言葉を聞いてウェールズは振り向き、霊夢の懐に一冊入っているのに気が付いてニヤニヤとした。

「おやおや?どうやらお気に入りの一冊を手に入れたようだね?」

霊夢はその笑顔を見て、必要もない新聞を玄関に置いていく鴉天狗を思い出した。

 

 

本を懐にしまいウェールズの部屋を出た霊夢は貸し与えてくれた部屋へ行こうとした。

霊夢自身何か手がかりになる物を見つけたらすぐ出て行くつもりだったがどうせなら泊まっていけとウェールズは言ったのだ。

最初はどうしようかと思ったが、すぐに身体が重いことに気が付いた霊夢は部屋を借りることになった。

(まぁいっか、明日は飛んで帰らずにすむし。)

ここに来て最初、ルイズ達とウェールズの部屋に来たとき明日の朝早くに船が出ると言っていた。

勿論霊夢はそれに乗るつもりである、わざわざ数時間もかかる飛行はしたくない。

ただでさえ飛んだり戦ったりしたのだから今の霊夢はかなりの疲労を体内に蓄積していた。

 

部屋へと向かう途中、ふと月明かりが彼女の身体を照らした。

今霊夢が居る場所は丁度中央部分が中庭となっており、そこから夜風も吹いてくる。

「…折角だから夜風に当たっていこうかしら。」

その風があまりも冷たくて気持ちよかったのか、霊夢は誘われるように中庭へと出た。

芝生特有の柔らかい感覚が靴を通して足に伝わり、それがまた心地よかった。

空を見上げると無数に輝く星と双つの月が煌々と輝いており、暗い夜空を色鮮やかにしている。

すぐに近くには水路もあり、水の流れる音もまた耳を癒してくれる役割を果たしていた。

そんな風にして霊夢が心を落ち着かせていると、ふと後ろから足音が聞こえてきた。

 

誰かと思い後ろを振り返ると、そこには羽帽子を被ったワルドが立っていた。

霊夢はワルドの姿を見て、誰かと思ったが帽子の下にあったその顔を見てすぐに思い出した。

「アンタ、そう言えば…以前街で出会ったワドルって名前の男だったかしら。」

名前を呆気なく間違われ、ワルドは少しだけガッカリした表情になった。

「ワドルじゃなくてワルドなのだが…まぁ一回だけしか顔を合わせてないから無理もない。」

「…で、何の用?疲れてるから他人とはもう話し合いはしたくないんだけど。」

霊夢にそう言われ、ワルドはその場でこう言った。

 

「何、君には永遠の眠りをあげようと思ってね。」

 

その言葉が聞いた瞬間、霊夢は咄嗟に結界を自身の周りに張った。

しかし、簡単な結界であった為かワルドの魔法を防ぐ事は出来なかった。

 

 

バ   チ   ン   !   !

 

 

何かが弾けるような音が辺りに響き、ワルドの体から無数の稲妻が現れ霊夢に襲いかかった。

その場しのぎの結界では稲妻を完全に防ぐことは出来ず、残りの稲妻は服の中にある結界符が防いでくれた。

しかし、この世界に来てから取り替えていなかったボロボロの結界符では稲妻の威力をほぼ微力にすることしかできない。

微力といっても、その稲妻は疲れ切っていた霊夢を吹き飛ばすほどの威力を残していたのだが。

「――――――――ッ!!?」

吹き飛ばされた霊夢は悲鳴を上げる暇もなく、空中で体勢を戻せずそのまま芝生に叩きつけられた。

先程の稲妻を放ったワルドは予想よりも相手に攻撃が通じなかったことに驚いていた。

霊夢の体からは少し薄い煙が上がっているがただそれだけで、特に目立った外傷が無いのである。

あの稲妻―――ライトニング・クラウド――はほぼ一撃必殺の呪文なのである。致命傷でなければおかしいのだ。

そんな風に唖然としていたワルドを尻目に、霊夢はなんとか立ち上がろうと動いていた。

 

しかし体内に軽い電気が走ったことにより全身が震えており、生まれたての子鹿のようにうまく立つことが出来ないでいた。

唖然としていたワルドはその様子を見てハッとした顔になると素早く呪文を唱え、杖を震動させる。『エア・ニードル』だ。

「何故僕の『ライトニング・クラウド』を喰らってそれだけですむのか知らないが、とりあえずは死んで貰おう。」

見下した風にそう言い放つワルドを尻目に、震えながらも霊夢はなんとか立ち上がった。

呼吸は荒く、軽く小突けば倒れてしまうような状態だったがそれでも彼女は口を開いた。

 

「どうしてこう…この世界で出会う男は…私の背中を…狙うのかしら…ねぇ。」

霊夢の罵言にワルドは少し見下した風に応えた。

 

「好きに言えよ。どっちにしろ僕は君を殺し、ルイズを利用してレコン・キスタの一員として世界を手に入れるんだ。

     ルイズと形だけの愛を結び、あの娘の体内に秘めた力を使いレコン・キスタは世界をその手中に収めるのさ!!」

 

ワルドは自信満々にそう叫ぶと懐から真っ白な仮面を取り出して顔に付けた。

先日ラ・ロシェールの町で霊夢を不意打ちしたあの仮面の男こそ、ワルド子爵であった。

 

 

―――そう、ワルド子爵は王宮に不満を持つ貴族達の集まりである『レコン・キスタ』の一員だったのだ。

詳しい経緯は知らないが、一員となった後に彼はトリステインでの工作活動をしていた。

賄賂や脅迫によるレコン・キスタへの勧誘。アンリエッタに対しての媚売り。その他様々――

今回のルイズとの同行も、アンリエッタのお気に入りになったからこその結果である。

 

言いたいことを言えて満足したワルドはそのまま震動する杖を霊夢の胸に突き刺――

 

ド ゴ ォ ォ ン ! ! 

 

――そうとしたが、突如右の地面がもの凄い爆発音と共に吹き飛び咄嗟にワルドは後ろへ下がった。

まさかこいつが!と思った瞬間、霊夢は瞬時に懐から出したお札をワルドに投げつけた。

一直線に飛んでくるお札をワルドは地面に伏せる事でよけ、素早く辺りを見回し――とんでもないモノを見つけてしまった。

本来ならそこに居るはずのない青年と少女が二人、こちらを信じられないというよな目つきで見ていた。

風のメイジならばすぐにその気配に気づけていた。無論ワルドはそれなりの風の使い手である。

しかし、霊夢を仕留めようとしたり、自信満々に説明していた所為で気づかなかったのだ。

少女の隣でワルドを睨み付けていた青年――ウェールズは恐る恐る口を開いた。

「わ…ワルド子爵、まさか貴殿が敵だったとは…!」

そして次に、ウェールズの隣にいたルイズは杖をワルドに向けながらも涙目になって叫んだ。

 

 

「子爵様の…子爵様の…子爵様の ウ ソ ツ キ ィ ! 」 

 

 

純粋な乙女心を真っ向からへし折られたルイズの叫びは…

哀しくも未だにホールで飲んだくれている王族派達の耳には届きはしなかった。



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第二十四話

霊夢が部屋から出て行った後、ウェールズもしばらくしてパーティーに戻ろうと部屋を出て廊下を歩いていた。

こちらを空から睨み付けている「レキシントン号」の砲撃で壁のあちこちにヒビが入っている。

城の中ですらこのような凄惨たる状況なのによく今まで持ち堪えたな、とウェールズは一人思った。

やがてパーティーで騒いでいる者達の声が聞こえてきた時、ふとウェールズは懐にしまっていた手紙を取り出した。

それはつい数時間前にルイズから受け取ったアンリエッタの手紙であった。

ウェールズは白い封筒を暫く見つめ、誰もいないのを確認すると封筒を開けてもう一度読み始めた。

手紙の下の隅にはトリステイン王国の印である百合の花押があり、王家の者が直々に書いたことを証明している。

最初にこの手紙を自室で読んだとき、ウェールズは苦悩したのだ。

それ程にこの紙に書かれた内容は彼の心を揺さぶったのである。

 

手紙の内容はアンリエッタが持つウェールズへの恋心についてであった。

彼女はゲルマニア皇帝との結婚が間近に迫っていたが、正直に言うと嫌なのだという。

それでも彼女は自分がただの政治の道具だという事を自覚はしていたが、それでも不満はあった。

彼女は軽い挨拶文の次にそんな事を書いていた。

次にアンリエッタはウェールズに亡命を勧める言葉を書いていた。

愛する者を残し、一人過ごす女性の寂しさを知らないのかという事を…。

正直ウェールズはこの文を読んでいて不覚にも涙がこぼれそうになったのだがなんとか堪えた。

 

ウェールズは出来ればアンリエッタのもとへ行きたかった。そして共に笑いたかった。

しかしこの戦いが全てを引き裂こうとしているのだ。もうどうしようもない状況なのだ。

もしもこの手紙が今よりもっと早い時期に届いていれば、ウェールズもそれに従っていただろう。

トリステインへと行き、事の重大さを伝えればトリステインが援軍を送ってくれていたはずだ。

だがそれももう出来ない、もはやアルビオン王家とそれに付き従う者達は敵に追いつめられて背後の崖に転がり落ちるしかないのだ。

 

(それとも、敵に一太刀浴びせて死ぬか…だな。)

心の中でそう呟いたとき、ふと後ろから足音が聞こえてきた。

すぐに手紙を封筒に戻し懐にしまい直すとウェールズは後ろを振り返った。

そこにいたのはピンクのブロンドヘアーが真っ先に目に入る少女、ルイズだった。

「どうしたんだい、ミス・ヴァリエール?」

「実はその…レイムを捜していまして。」

ルイズが言った聞き慣れない名前にウェールズは一瞬だけ怪訝な顔をしたが、すぐに元に戻った。。

「レイム…?あぁあの少女のことか、仮眠室に泊まりなさいと言ったのだけど…帰ってきてないのか?」

仮眠室はルイズが今夜寝泊まりする部屋の隣にある、ウェールズの自室からもそれ程離れてはいない。

だからもうとっくに部屋に帰っているころだろうと思っていたが…。

「いえ、少し話したいことがあるから何処にいるのかと思って捜していたのですけど…。」

そう言うルイズの顔は段々と赤くなっていくのに気が付き、ウェールズはクスッと微笑んだ。

「フフ、どうやらワルド子爵のプロポーズを受け取っていたようだね。おめでとう。」

ウェールズの言葉に、ルイズの頬がポッと紅潮した。

「なっ…ななななな、何を言うんですかウェールズ様、そんな――――」

 

 

バ チ ン…!

 

その時、突如別の場所から変な音が聞こえてきた。

まるで空気を膨らまし、一気に弾けさせるようなその音にウェールズは目を鋭くした。

「うぇ…ウェールズ様、今の音は一体…?」

不安そうな表情でルイズがウェールズに話し掛けた。

「今の音はライトニング・クラウドだ…もしや敵の間諜か!」

ウェールズはそう言うと杖を抜き、音が聞こえてきた方向へと走り出した。

ルイズもハッとした顔になり急いでウェールズの後を追った。

 

二人がたどり着いた場所は中庭のすぐ近くであった。

ウェールズは後ろからついてきたルイズをすぐ隣に待機させると聞き耳を立てた。

ルイズは「誰かいたんですか?」と言おうとしたが、ウェールズがそれを手で制止した。

「静かに…誰かが喋っているようだ。…これはワルド子爵の声だ。」

その言葉にルイズは少しだけ驚いた、まさかワルド子爵は敵と戦っている…?

声が小さいのか良く聞き取れなかったが、そう思った瞬間…自信満々な声がルイズの耳に届いた。

 

それは、小さな小さな彼女の無垢な心を切り裂く威力を持っていた。

 

「好きに言えよ。どっちにしろ僕は君を殺し、ルイズを利用してレコン・キスタの一員として世界を手に入れるんだ。

     ルイズと形だけの愛を結び、あの娘の体内に秘めた力を使いレコン・キスタは世界をその手中に収めるのさ!!」

 

え? え?  え ?

 

ルイズを利用する、つまり私を利用するって事。

それに形だけの愛?あんな熱烈な言葉はただの台本のセリフだったわけ?

 

ルイズの行動は素早かった。

半ば突き飛ばすような形でウェールズより前へ出て中庭へと入り――そしてまたもや唖然とした。

体中から薄い煙があがり、足をガクガクと奮わせているがそれでも尚立っている。

赤みがかかった黒い瞳は尚も力強く、ワルドを睨み付けていた。

そんなボロボロの姿になってまで相手を睨み付ける霊夢へワルド子爵は震動している杖を彼女へ突き刺そうとした。

 

「――――――― ッ ッ ッ ッ ! ! ! ! 」

 

言葉にならない声と共にルイズは杖を振り下ろした。

何の呪文を唱えたかはわからないが、結果にしろそれは霊夢を助けることとなったのである。

 

 

 

そして時は現在に戻る――――

双月の光が照らす中庭で、ワルドは顔を真っ青にしていた。

(なんてことだ、よりにもよってルイズに見られてしまうなんて…。)

もしもウェールズやルイズ以外の連中なら問答無用で殺したのだがルイズは殺してはいけない。

 

数週間前…。

クロムウェルの秘書であるシェフイールドという女からとある任務を言い渡された。

 

『ルイズの体内には、本人さえ自覚していない未知の『力』を宿している

   絶対に殺してはならない、生け捕りにしてレコン・キスタに連れてこい

          恐らくアンリエッタがルイズに対し何かの任務を与えるようだ

            そこを狙って自身は護衛としてルイズに同伴し、うまくこちら側に引き込め。』   

 

当初自分はその言葉に半信半疑であったが、良く考えれば確かにそうかもしれないと今更ながら感じてしまう。

ルイズは確かに他のメイジとは違い、発動する魔法が全て爆発となってしまう。

自分がまだ若い頃にその魔法を見たときはたんなる失敗魔法かと思ったが、今考えれば…あれこそルイズの持つ『力』なのだ。

思いもしない場所が爆発するというのは人間や動物に対して有効な攻撃であり、精神的ダメージも狙える。

もしもあの爆発を意のままに操れるとしたら、それこそ並の魔法よりか遙かに凶悪である。

そしてワルドは最もレコン・キスタに近いこの宮殿でルイズを我がモノにし、レコン・キスタに献上しようと画策していたのだ。

 

しかし、いよいよ任務開始という時にさらなる指令がシェフィールドを通じて入ってきた。

 

『ルイズの傍には紅白の変わった服を着た黒髪の少女がいる。

そいつもまたルイズとは違うが未知の力を使い、お前が勧誘したフーケを倒している。

恐らく今回の作戦に関して確実にレコン・キスタの驚異となる可能性がある。

貴殿はもてる力を持って、その少女を排除するか生け捕りにし、レコン・キスタを守れ。

これはレコン・キスタ幹部一同からの重大な指令である、心して掛かるのだ。

尚、生け捕りにした場合は秘書官であるこの私に渡すように。』

 

その指令に、ワルドは少し大げさなのでは…と思っていた。

しかし、フーケとラ・ロシェールの町で合流し、紅白の少女「霊夢」についての話を聞いて目を丸くした。

話に寄ればその少女は『フライ』では真似出来ないような高度な飛行能力を持っているらしい。

更には巨大な光弾を出したり瞬間移動(当初ウソかと思っていた。)をしたりするというのだ。

とりあえず、自らの力に絶対的自信を持つワルドは自分の『遍在』に相手をさせることにした。

 

結果…ワルドは霊夢への評価を180度変えることとなった。

呆気なく『遍在』を倒した後、霊夢はシェフィールドの言ったとおりアルビオンへと向けて飛んでいった。

まさか船や風竜を使わずして簡単にたどり着けるわけがないと思ったワルドはまたしても驚くこととなった。

なんといつの間にか『イーグル号』の中に霊夢がいたのである。

(ま、まさか…あの時ブルドンネ街でルイズの傍にいた少女だったとは…。)

顔には出していなかったが、内心ワルドは驚愕していた。

 

そして完璧に油断してはいけない相手として霊夢を認識し、不意打ちをすることにしたのだ。

不意打ちならば一撃で葬れる可能性があり尚かつ自分は暗殺に長けている。

(僕は閃光のワルド、この世に僕ほど素早い者は存在しないのだ!)

しかしその過信はあっさりと崩れ、今のような状況に至る。

 

 

ウェールズはワルドの方へ杖を向けつつも霊夢の傍へと寄った。

「ミス・レイム、大丈夫か?」

「まぁなんとか…ってところかしら。」

先程ライトニング・クラウドを喰らった霊夢はと言うと、受けたダメージがほんの少しだけということもあって既に立ち直っていた。

それもこれもワルドが思い切り見開いた目でルイズを見つめていてくれたおかげである。

見つめられているルイズはと言うと、涙ぐんだ目で思いっきりワルドを見つめていた。

霊夢はその光景を見つつも暢気に肩を軽く回しながらウェールズに話し掛けた。

「ねぇ、一体何がどうなってるの。あの男にいきなり不意打ちを喰らっただけでアンタたちまで来るなんて。」

「え?まぁ詳しく説明している暇はないが、実はミス・ヴァリエールとワルド殿は明日結婚する予定で…。」

ウェールズのその言葉を聞き、霊夢は目を細めるとワルドの方へ顔を向けた。

そして頭の中で先程言っていたワルドの言葉を思い出し、嫌な気分になってしまった。

「要は自分の欲望のためだけに他人を利用しようとしてたわけね…。」

霊夢の口から出たその言葉に、ワルドが即座に反応した。

「いや、違う!僕は自分の夢が叶えられればその後にルイズを愛す――」

「アンタ、変な嘘をつく暇があるなら素直に逃げたらどう…?」

ワルドの言葉を遮り、霊夢が呆れながらもそう言った瞬間、ワルドの足下が突如爆発した。

爆発のショックで吹き飛ばされたワルドは地面に叩きつけられ、すぐに起きあがった。

起きあがったとき、目の前にはいたのはルイズであった…充血した目で強く睨み付けているルイズが。

 

「自分の夢が叶えられれば私を愛する…ですって?」

 

ルイズはポツリそう呟くと、一歩足を前に出す。

 

「ワルド子爵…貴方は鶏のように三歩歩いたらさっき言っていた事を忘れてしまうようですね。」

 

更にもう一言呟くと、ルイズの体がプルプルと震え始めた。

 

ワルドは本能的に身の危険を感じ、後ろへ下がろうとしたが背後には用水路がありこれ以上は無理だ。

逃げ場が無いことを知ったワルドはならば屋根に飛び上がろうと呪文を唱え始めるが、それより先にルイズが杖を振り下ろした。

 

「 形 だ け の 愛 な ん て 私 は い ら な い の よ ! 」

 

その叫びと共に閃光がほとばしり、ついでもの凄い爆発と共に中庭は煙に包まれた。

ルイズの放った爆発をまともに喰らったワルドは勢いよく用水路に突っ込んだ。

反射的に結界を張っていた霊夢は爆発を喰らうことはなかった。

ウェールズも結界の中に入っていたため、ただただ突然の爆発に目を丸くしていた。

煙が晴れた後、爆発を起こしたルイズは杖をしまい用水路の方をジーッと睨み付けていた。

 

そして、ホールで未だにパーティーを楽しんでいる貴族達はというと、

飲んだり食ったり踊ったりで忙しいのか、外からの爆発音に気づく者は誰一人いなかった。

 

 

 

一方、ニューカッスル城の前に布陣しているレコン・キスタの陣では…。

「一体どういう事なのですか?我々はそのような命令は承っていませぬが…。」

レコン・キスタ軍の将であるボーウッドは今目の前にいる先程シェフィールドの口から放たれた言葉に目を丸くしてそう言った。

対してシェフィールドはそんな彼に冷たいまなざしを向け、もう一度口を開く。

「とにもかくにも、これはクロムウェル殿からの命令よ。今すぐニューカッスル城を攻撃しなさい。」

繰り返し言われた秘書官からの言葉に、ボーウッドは眉を顰める。

 

――――事は時を遡り、ほんの少し前。

クロムウェルの秘書官がボーウッドに用があると言ってやって来た。

ボーウッドはその時、同僚であるホレイショや士官達と一緒に飲んでいたところである。

そんな時に用事とは何事かと思ったが、レコン・キスタ指揮官の秘書を追い出すのは失礼かと思い、彼女と会うことにしたのだ。

シェフィールドはボーウッドが顔を出したのを見て、早々に口を開いた。

「緊急命令よ、配備された新型の大砲でニューカッスル城を攻撃。その後全軍を動員して王族派を殲滅しなさい。」

そして時は今に戻る――――――

 

秘書官から伝えられた突然の指令に、ボーウッドは疑問に思っていた。

何故なら現在ニューカッスル付近で展開している部隊だけでもあの城はすぐに落とせる。

王族派に荷担する者達も残り僅かであるし、城壁は遠距離からの砲撃でボロボロなのだ。

そんな風前の灯火同然の城をなんでわざわざ今から攻撃を行う必要があるのか…

軍人ならば与えられた命令には素直に従うものだが、これはあまりにも突然すぎた。

しかし、命令は命令である。ボーウッドはそれに素直に従うことしか出来なかった。

 

「…了解しました。では暫しお待ちを、――――――伝令!」

ボーウッドはシェフイールドに敬礼をし、すぐさま伝令を呼び出した。

 

 

 

再び場所は変わってニューカッスル城。

裏切り者だったワルドをとりあえず吹き飛ばしたルイズは怒っていた。

二年生になってから、良いことなんて指で数えるほどしかない。

霊夢の所為で怒って痛い目に遭わしたくても逆にこちらが痛い目に遭うこともあった。

更には遠慮無く自分を人質としてとっていたフーケを攻撃したり、皇太子に礼儀を払わない。

そしてなによりも、今まで片思いだったワルド子爵に裏切られた事が何よりも屈辱であった。

人を平気で利用とした男の許に嫁ぐなんて事はまっぴら御免である。

 

今中庭には霊夢とルイズの二人だけであった。

ウェールズはというとこの事を知らせるべく詰め所の方へ行ったきり戻ってこない。

霊夢の方は何故だか知らないが先程からずっと空を見上げている。

もしも彼女がこの場に来ていなければ自分はあの男と結婚していただろう。

そう思った途端にルイズはお礼が言いたくなってしまった。

いざ口を開こうとしたとき、彼女の左手の甲に何かが刻まれているのに気が付いた。

それはボンヤリとしていてハッキリと見えない。

しかし、見る者が見ればそれは使い魔のルーンだとわかる。無論、ルイズは見る者の方である。

「ちょっとレイム、左手のソレって…!」

ルイズはそのルーンを見て驚いてしまった。

何せ今まで全然現れなかった使い魔のルーンが今にして出てきたのである。

コントラクト・サーヴァントから少し時間をおいてから使い魔のルーンが刻まれる…勿論そんな前例は聞いたことがない。

「いきなり何よ?少し驚いたじゃないの。」

自分の名を呼んだ少女を嫌な目で睨み付けながら霊夢はそう言った。

「こっちの方が驚いたわよ!左手のソレ…使い魔のルーンじゃないの!」

ルイズのその言葉に霊夢はハッとした顔になると自分の左手の甲を見やる。

「え…?あぁ、やっぱりこれってそういうモノだったのね。」

 

うんざりしたかのように霊夢がそう言ったとき…!

 

ド オ オ オ オ オ オ ォ ォ ン ! 

 

その直後、何処からかもの凄い音が聞こえた。

ついで中庭から見える城壁が砲弾によって木っ端微塵に吹き飛ばされた。

城壁の破片は勢いよく四方へ飛び散り、その内の何個がルイズ達の方へと飛んでくる。

霊夢は反射的にルイズのマントを掴み、勢いよく跳躍した。飛んできた破片は二人の後ろにあったベンチを砕く。

更には妖精が放つデタラメな弾幕のように幾つもの小さな破片が遠慮無しに飛んでくる。

霊夢は常識では考えられないような飛行テクニックでソレを避けていく。ルイズが付けているマントを手に掴んだまま。

しかし、勢いに耐えきれないのか、マントが嫌な音を立てて破れていく。

「ちょっ…!マント…マントがぁ!」

マントの異常に気づいたルイズは貴族の証を破られたくないとヒステリックな叫び声を上げた。

それに気づいたのか否や、ふと霊夢がマントを掴んでいる手の力を緩めた。

するり、とマントが霊夢の手から離れ、それを付けていたルイズは木から落ちる林檎のように地面へ落下していく。

しかし今のルイズには始祖からの祝福が送られていた為か、幸いにも比較的地面が柔らかい所に落ちることが出来た。

誰かが土でも耕していたのかは知らないが、怪我だけは免れたルイズは起きあがり口の中に入ってしまった土を吐き出した。

小さくて可愛い唇から出る黒い土を吐いている名家の三女をよそに彼女を落とした巫女が降りてきた。

ようやく全ての土を吐き出したルイズは霊夢の方をキッと睨み付けた。

「ちょっとレイム!!掴むならもっとマシなとこ…ろに…。」

先程の事に対する文句を言いつつ霊夢の方へ近づいたルイズは、彼女の『脇腹』を見て思わず言葉を失う。

 

―――博麗霊夢は疲れていた。今まで感じたことのない程の疲労感を体にため込んでいた。

だからこその結果かも知れないが、霊夢を知っている者達が今の彼女を見たら目を丸くするだろう。

『あの紅白がどうしてこんな事に…』と。それにまだ知り合って一ヶ月少しのルイズですら目を丸くしているのだ。

それ程にも博麗霊夢という人間のイメージは凝り固まっており、それが変わることは殆ど無い。

人間であるからこそ、体調不良というモノは厄介でもれなく体の動きも鈍らせてくれる。

そして…ルイズを掴んでいた事により、結果的に霊夢は『怪我』してしまう事になった。

 

「何よ…そんなに他人が怪我するところって…見ていて楽しいものかしら…?」

霊夢は『自分の脇腹に出来た切り傷』を右手で押さえながら、唖然としているルイズに向けてそう言った。

 

 

恐らく避け損なった破片が彼女の脇腹を切り裂いたのだろう。傷は深くはなく浅い方である。

しかし、流石に出血はしており傷口を押さえている右手の間から血が流れ落ちていることに霊夢は気が付いた。

仕方なくも頭に付けている赤いリボンをすぐにほどくと、細長い布になったリボンをササッと脇腹に巻いて包帯代わりにした。

 

とりあえず応急処置だけは何とか済ました直後、何処からか声が聞こえてきた。それも大勢の。

「レコン・キスタの攻撃だわ…!」

声を聞いて我に返ったルイズがそう叫ぶと、今度は魔法が飛び交う音や剣戟が聞こえてきた。

遠くなく、近くでもないその音にルイズはガタガタと震え始めた。

戦争や決闘、殺し合いとはほぼ無縁なところで生きてきたルイズには全く初めての体験であった。

フーケと戦った時には一対多数ということもあり、それ程恐怖は沸いてこなかった。

しかし今回はワケが違うのだ。今自分にすり寄ってくるのは本物の殺し合いなのだ。

そんなルイズを見てか、霊夢は少し緊張した面持ちで声を掛けた。

「何ボーッとしてるのよ?ここで震えてても意味無いわよ。」

 

霊夢がそう言った瞬間、背後の用水路から凄まじい音と共に水柱が立った。

何かと思い二人は振り返ったが、そこには何もいなかった。

その時、頭上にある屋根の上からもう聞きたくもない男の声が二人の耳に入ってきた。

 

「う~む、どうやらレコン・キスタは計画を大幅に変更したらしいな。」

 

ずぶ濡れになり水滴を垂らすマントと羽帽子そして被っている白い仮面をもぎ取り、男はその顔を二人に晒した。

その男は、先程ルイズが用水路に吹き飛ばしたワルド子爵であった。

なんとか溺死する前に水中から脱出した彼は顔に付いている水滴のお陰かいつもより輝いて見えている。

そのお陰で彼が元々持っている格好良さを更に引き立てていた。

正に「水も滴るいい男」という言葉は正に今のワルド為にあると言っても過言ではない。

 

突然現れたワルドに霊夢は半ば呆れながらも言葉を投げかけた。

「全く、程度が低い奴ほど倒してもすぐに沸いてくるわね。」

どんな人間でもカチンとしてしまうような辛辣な言葉を霊夢はサラリと言ってのけた。

しかし、ワルドの方はというと少しだけ眉をしかめるだけに終わり、霊夢に話し掛けた。

「これは酷い言いようだ。しかし怪我人はおとなしくしていなければ怪我は治らないよ。」

ワルドの言葉に霊夢はチラリと脇腹に巻いた包帯代わりのリボンを一瞥した後、ワルドの方へ視線を戻した。

「余計なお世話よ。それとも何?アンタが私の治療代を肩代わりしてくれるの。」

「いや、治療代は払えないが葬式代は僕が払うよ。二人分のね?」

ワルドはそう言うとバッと跳躍し、何処からともなくやってきたグリフォンの背中へと華麗に着陸した。

 

当然のように臨戦態勢を取ろうとした霊夢であったが突如、横にいたルイズが悲鳴を上げた。

思わずルイズの方へと顔を向けると、彼女の視線の先には鎧を着込んだ男達がいた。

彼らは皆一様に、銀の鎖や先端や柄に刃を付けた杖を持っており、霊夢達の方へと杖を向けている。

霊夢はそんな屈強なレコン・キスタの兵士達を見て「やれやれ…。」と呟き、背負っていた御幣を手に取った。

ルイズもいつの間にか足下に転がっていた自分の杖を手に取り敵に向かって呪文を唱えようとした。

しかし、詠唱が完了する前に霊夢がルイズの杖を取り上げると思いっきり放り投げてしまう。

 

突然の事にルイズは驚いたが、そんな彼女に遠慮無く霊夢が冷たい言葉を投げかけた。

「さっさと逃げなさいよ。あんたが呪文を唱えたらこっちにも被害が及ぶのよ。」

その言葉を聞いたルイズは怒りで顔を真っ赤にすると大きな声で言った。

「何よ!怪我人のくせに偉ぶっちゃって!私も貴族よ、杖を持って戦えるのよ!」

ルイズはそう言いながら中庭の出入り口まで飛んでいった杖を取ろうと走り出す。

それを見たレコン・キスタの兵士達はそうはさせんと火の玉や氷の矢を飛ばしてきた。

自分に降りかかろうとする魔法にルイズは足を止めてしまい頭を抱えてその場でしゃがんでしまう。

しかし、彼女の柔らかい肌に凶暴な魔法が直撃する前に霊夢はお札を飛ばし、それで魔法を一気に相殺した。

ついで左手に持っていた御幣を一振りし、大きな菱形の弾幕を敵兵の方へと飛ばす。

数々の戦地をくぐり抜けた彼らはこれまで見たことのない弾幕に驚き、怯んでしまうがそれが命取りであった。

その場に伏せるか横へ避けるかすればかわせていたその弾幕に直撃した兵士達は紙細工のように吹っ飛んだ。

 

ルイズは顔を上げ、霊夢が敵を倒してくれたことに気づくとお礼を言う前に杖を坂時に中庭から出て行った。

この場にいる敵をとりあえ倒したのを確認した霊夢は一息つこうとしたが、脇腹から鋭い痛みが走った。

痛みで顔を歪めつつも脇腹を見てみると、さっきもよりも出血が酷いものになっていた。

どうやらリボンでは包帯の真似事は出来なかったようだ。

 

「おっと、どうやら傷が痛むようだな?せっかくだから楽にしてあげよう。」

 

その時、頭上からワルドの声が聞こえ、霊夢は咄嗟に上空へと顔を向けた。

グリフォンの背に跨っていたワルドは杖を振り下ろし、杖の先端から電流が飛び出してきた。

霊夢は急いでスペルカードを取り出し、強力な弾幕を発動させた。

 

――――神霊「夢想封印」

 

物理法則を無視した光弾が霊夢の体から現れ、上空にいるワルドへと殺到する。

ワルドが発動した『ライトニング・クラウド』は夢想封印を発動した際に出来た衝撃波のようなものによってかき消されていた。

(何だと!?ライトニング・クラウドを消滅させるなんて…しかし!)

驚愕のあまり一瞬だけ怯んだワルドではあったが、すぐに気を取り直しグリフォンの手綱を握った。

自分の元へと飛んでくる光弾を睨み付けるとさっとグリフォンを横へ動かしその光弾を避けた。

避けられた光弾は物理の法則を無視して旋回すると今度はワルドの背中目がけて飛んでくる。

ワルドは軽く息を吐くと今度はグリフォンを上昇させ、またしても光弾を避けた。

二度も避けられた光弾は追尾することはなく、運悪く近くを飛んでいたレコン・キスタの竜騎士とその火竜に直撃した。

 

凄まじい閃光と何かがぶつかる音が聞こえた後、ボロ雑巾になった火竜『だったもの』がクルクルと回りながら地面へと落ちていった。

竜騎士の方はと言うと無事に脱出できたのかレビテーションの呪文を唱えゆっくりと降下している。

それを見たワルドは少しだけ冷や汗を流したとき、横から霊夢の声が聞こえてきた。

「何ボーッととしてるのよ。」

霊夢がすぐ近くにまで来ていたことに今気が付いたワルドは咄嗟に跳躍をした。

直後、空を飛んで(普通に飛んでたら傷は痛まない)ここまで来た霊夢の鋭い蹴りが空気を切った。

「むぅっ…。」

攻撃がかわされた事に霊夢が眉をしかめている一方、跳躍したワルドは彼女の背後へと降り立った。

霊夢の背後へと移動したワルドは気づかれる前にすぐさま『エア・ニードル』の呪文を唱えると杖を震動させ――――突いた。

 

疲労と怪我の所為で集中力がほんの少し鈍っていた霊夢はその攻撃を受けるハメになった。

「かはっ…――。」

 

 

霊夢は右胸を貫かれ、これまで感じたことのない激痛に目を見開いた。

ワルドはうまくやれた事に喜ぶと、霊夢に耳打ちする。

 

「如何なる強者でも疲れていれば必ず隙が生まれる。来世までこの言葉は取っておくと良い。」

 

そう言った後、ワルドは杖を一気に引き抜き、ついで右胸に開いた穴から赤黒い血が出た。

ほぼ瀕死の一撃を喰らった霊夢は背中の糸を切られた人形のように用水路目がけて落ちていく。

そして冷たい水の中へ落ちようとしていた瞬間、もう殆ど何も見えない瞳が捉えていた。

 

 

―――杖を片手に、落ちゆく霊夢をキョトンとした顔で見つめているルイズが。

 

 

空から落ちてきた少女が水面に叩きつけられた直後、杖を手に中庭へ戻ってきたルイズは悲鳴をあげた。



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第二十五話

レコン・キスタの奇襲にニューカッスル城は混乱の渦中に叩き落とされた。

容赦ない砲撃に城壁はおろかその周囲にいた者達が巻き込まれた。

破壊された城壁の下敷きになる者や吹き飛ばされ壁に叩き付けられた者までいる。

 

もはやニューカッスル城には安全な場所と無傷な場所は存在しない。

レコン・キスタからの砲撃はまるで積み木の城を一気に崩すかのようにニューカッスル城を破壊していく。

その内大砲から発射された砲弾の一つが掘っ立て小屋の火薬貯蔵庫に直撃し、貯め込んでいた黒色火薬が大爆発を起こした。

明日の決戦にと急ごしらえで作られた貯蔵庫は、皮肉にもその火薬を持っていた王族派の者達に牙をむいた。

たちまちニューカッスル城の各所から煙と炎が上がり、遠慮無くニューカッスル城を赤色に染め上げていく。

時を見計らって城内に入ってきたレコン・キスタ軍の武装したメイジ部隊と無数の傭兵達が城に篭もっていた王族派の貴族達を容赦なく殺す。

やがてその行為がエスカレートし、抵抗してこない女子供達すらその毒牙に掛かりあの世へと召されていく。

正にその光景を四文字熟語に当てはめるなら「阿鼻叫喚」や「死屍累々」というものが相応しいであろう。

 

そして今、燃えさかる城内を一人の青年が走っていた。

この城に立て篭もっているジェームズ一世の息子、ウェールズ皇太子である。

 

 

火の手から逃れつつもウェールズはルイズ達がいた中庭の方へと向かっていた。

本当なら詰め所の方に行き敵が潜り込んでいたことを伝えたかったのだがもはやそうもいかない。

この状況だと詰め所の中には誰もいそうにないし、何よりもう何もかも終わりだ。時間は残り少ないのだ。

しかし、アルビオンの外からやってきたあの二人の少女だけは何としても逃がさなければいけない。

ウェールズはそう思いつつ中庭まであともう少しの時、ふと前方から誰かが走ってくるのが見えた。

一瞬だけ敵かと思ったが、すぐに相手が自分が捜していた内の一人であるルイズだという事がすぐにわかった。

武装した敵ではなく見知ったブラウス姿の少女の姿を見てウェールズは内心ホッとした。

「ミス・ヴァリエール!丁度良かった、今君を捜して―――ウッ!」

その瞬間、ルイズのタックルが見事ウェールズの腹に直撃し二人仲良く地面に倒れてしまった。

一体何事かと思いウェールズがルイズの顔を見ると、瞬時に何かあったのだと悟った。

涙を流しすぎて充血してしまった鳶色の瞳を持つルイズは仰向けに倒れているウェールズの胸の中で泣きじゃくっていた。

更には小さくて可愛い口で「私が弱かったから…弱かったから。」しきりにそんな事を呟いている。

 

手には貴族の命とも言われる杖を持っておらず、それらしいモノを腰に差してもいない。

ルイズの言葉を何も言わずに聞いている時、ふとウェールズはもう一人の少女がいない事に気が付いた。

「ミス・ヴァリエール。すまないがミス・レイムは一体何処に―――」

「おぉ、今日の僕は始祖ブリミルに見守られているようだ」

忘れようもない男の声が後ろから聞こえ、ウェールズは咄嗟に後ろを振り返った。

そこには、ルイズの魔法で用水路に吹き飛んだと思われていたワルド子爵がいた。

「ワルド子爵!?確か貴様は用水路に吹き飛んだはずでは…」

「確かに私は吹き飛んだ。だが始祖ブリミルは僕を守ってくれてるんだ」

ワルドは楽しそうに言うと腰に差していた杖を手に持った。

「でも悲しいかな。生きているのは良いのだが、果たしてこの状況で任務を達成できるかどうか…」

「任務だと…?レコン・キスタからのか…!」

ウェールズがぽつりと呟いた言葉にワルドは「ああ」と頷き話し始めた。

「僕がレコン・キスタの幹部達から言われた任務は次の内四つ…一つ目はルイズを我がモノにすることなのだが…これはもう無理だな」

そこまで言ったとき、すぐ近くでもの凄い爆発音と共に地面が揺れる。

ウェールズは泣き続けているルイズを抱いたまま辺りを見回すが、ワルドは気にせず喋り続けた。

「二つ目、アンリエッタが姫殿下がウェールズ皇太子に送った手紙を奪うこと。…まぁこれはもうすぐ達成できる」

そこまで言ったワルドは気を取り直すように二、三度咳をすると話しを再開した。

「…それから三つ目だ。ルイズの傍にいたレイムとかいう少女を捕まえることなのだが…生憎私が殺してしまった」

「何だと…?するとミス・ヴァリエールの近くにあの子がいなかったのは…」

ワルドの言葉にウェールズは目の前にいる男を強く睨み付けた。

霊夢の名前を聞いたルイズはというと途端に体が震え始め、それを見たワルドが追い打ちを掛けるかのように口を開く。

 

 

「ルイズ、自分を責める事はないさ。今の君はあの娘を助けられるだけの力が無かった。ただそれだけさ?

 だから君はあの娘が僕にやられた後も、本能に従いここまで逃げてこられたのさ。」

 

その言葉にルイズはキッとワルドを睨み付けた。

ワルドは、その瞳から溢れる感情を感じ取り笑顔になる。

ワルドは両腕を大きく広げ、ルイズに話し掛けた。

「その瞳だルイズ、それが人を強くさせる。もっと僕を憎むと―――ム!」

言い終える前に、いつの間にか呪文を唱えていたウェールズが「エア・ハンマー」を発動させた。

空気で出来た鎚が当たる前にワルドは瞬時に呪文を唱えて杖を振り、風の障壁を展開する。

結果ウェールズのエア・ハンマーをワルドの魔法が相殺し、強い衝撃波が生まれた。

 

「キャアッ!」

 

その衝撃波は不運にもルイズの小さな体を吹き飛ばした。

ウェールズはハッとした顔になり吹き飛ばされたルイズの方へと視線を向けた。

「ミス・ヴァリエール―――」

「そして最後の四つ目は……貴様の首だウェールズ!」

瞬間、隙アリと言わんばかりにワルドが「エア・ニードル」を唱えウェールズの元へと走り寄った。

咄嗟に気が付いたウェールズはその場でしゃがみ、ワルドの攻撃を回避する。

逆に隙を見せてしまったワルドのアゴにキックをお見舞いし、それは見事直撃した。

アゴに強力な一撃を貰ったワルドは勢いよく吹き飛び、背後にあった部屋へと吹っ飛んだ

部屋の中は炎で真っ赤に染まっており、たちまちの内にワルドの体が火に包まれた。

壮絶な悲鳴を上げてワルドはジタバタと火の中で藻掻き、すぐにピクリとも動かなくなってしまった。

それを見届けたウェールズはフゥ…。と溜め息をつくと自分の後ろで気を失っているルイズの方へと体を向けた。

 

「ミス・ヴァリエール。大丈―――――ぶ?」

その言葉を言い終える前に突如左胸に鋭い痛みを感じたウェールズは言葉を詰まらせてしまう。

かろうじて後ろへ振り向くと、そこには先程焼死したばかりのワルドが無傷で立っていた。

どうして?と言ったが口からは言葉の代わりに赤い血が出てきた。

ウェールズを刺したワルドは思いっきり杖を引き抜き、人差し指でウェールズの背中を軽く小突いた。

たったそれだけで、まるで糸が切れた人形のようにウェールズが地面に倒れた。

自分が成すべき事の内一つを終えたワルドは満面の笑みを浮かべたとき、丁度ルイズが起きあがった。

そして目の前でウェールズが胸から血を流して倒れているのを見て悲鳴を上げた。

「ウェールズ皇子!!」

「おやおやルイズ、あのまま気絶していれば彼の死に直面しなかったものの…」

ワルドの言葉にルイズは更なる罪悪感を感じ、それを誤魔化すかのようにワルドに向かって叫んだ。

「うるさいうるさい!アンタさえいなければみんな死ななかったのよ!」

しかしワルドは何を言うのかという表情になり、ルイズに話し掛ける。

 

ただしそれはルイズと向き合っている方の『ワルド』からの声ではない。

「僕の所為だと…それはひどい。ルイズ、二人が死んだのは君の所為なんだ」

ハッとした顔になり後ろを振り向いたルイズは驚いて目を見開いた。

なんと自分の後ろにもう一人のワルドがいたのだ、今自分と向き合っていたあの男が。

つまり今この場には二人のワルドがいるという事になる。

「君の中にある力がそうさせる。どんな人間でも未知の力の前では勝手に死んでゆくのさ」

そして今度は左がわにある窓から四人目のワルドがルイズの前に現れた。

連続して起こる出来事にルイズの頭も混乱し始める。

「そういう場合は、力を持つ人間を飼い慣らすか―――殺すかの二択だ」

そして五人目は自分の前にいる一人目のワルドの後ろから歩いてやってきた。

五人目を確認したルイズは、混乱しつつある頭の中からある風系統の呪文を思い出した。

 

―――『風』は遍在する。風の吹くところ、何処となくさ迷い現れ、その距離は意思の力に比例する。

 

三年生の教科書に載っていた説明文を思い出し、ルイズは思わず後ずさってしまう。

風系統が最強と呼ばれる原因を作った内の一つである魔法を前にしていることに。

 

それは、『風のユビキタス(遍在)』。

簡単に言えば、一度に幾つもの自分を作り出すことができる魔法である。

 

 

うつぶせになって倒れていた霊夢が目を開けたとき、まず自分がどこだか分からない空間にいる事を知った。

そして一通り見回した後、霊夢はポツリと一人呟いた。

「白は嫌いじゃないけど、この空間の造り主はちょっとやりすぎてるわね」

辺り一面真っ白で、そして不気味なくらいに静かなところだ。

ふと頭上を見上げるてみると、ポッカリと穴が空いていることに気がついた。

その穴からは無数の星と双つの月が浮かぶ夜空が見えた。

「でもま、案外その造り主は近くにいるかもねっ…と!」

とりあえずそう呟いて立ち上がろうとしたが体が動かず、仕方なく霊夢は倒れたまま辺りを見回した。

だだっ広い白色の空間には自分以外の者は見あたらない。

 

もう一度立ち上がろうと霊夢は体に力を入れるが動く気配はない。

悲しいことに、両手両足だけがジタバタとむなしく動くだけであった。

どうしようもない事が分かると霊夢は力を一気に抜き、思い出したかのようにこう言った。

「そういえば私、ワルドとか言う奴に胸を刺されて用水路に落ちたのよね…」

そこまで呟くと少し傷がどうなってるのか見たくて堪らなくなったが、すぐにその気は失せた。

首だけは動くが体や手足が動かないので確認することが出来ないからだ。

「…にしても、ここって何処なのかしら。冥界…ってわけじゃなさそうだし」

そんな事を呟いた瞬間、ふと前方から下駄の音が聞こえてきた。

カッカッカッ…。耳の奥にまでハッキリと聞こえてくる下駄の音に霊夢はじっと前を見据える。

すると突然目の前から赤い着物を羽織った小さな黒髪の女の子が現れた。

その子は下駄で走っていたためかつまずいて転んでしまい、霊夢の直ぐ傍で倒れた。

 

少女は倒れたまましばらくはピクリとも動かなかったが、やがてその小さな体がプルプルと震え始めてきた。

そして口からはすすり泣くような声も聞こえてくる。霊夢は思わず声を掛けようとした。

しかし、霊夢の口から言葉が出る前に上の方から何者かが少女に声を掛けた。

 

――――ほらほら、何を泣いているのかしら?もうすぐで空にたどり着けるわよ

 

胡散臭いが何処か優しい響きを持っている。そんな声を聞いた霊夢は一瞬だけ目を丸くした。

偶に神社にやってきては談笑したり酒を呑んだり、別に必要も無さそうな事を教えてくれる存在。

博麗の巫女と共に幻想郷を守っている゛彼女゛の声を聞いた少女は、泣くのをやめた。

そしてゆっくりと立ち上がり、ゴシゴシと目を擦った後に顔を上げ、遙か上にある穴から見える夜空を仰ぎ見た。

 

――――さぁ、立ったのなら飛び立ちましょう。貴方は飛べるのよ!

 

再び頭上から響いてきたその声に、少女は意を決してその場で勢いよくジャンプした。

そして地面から離れた少女の体はそのまま浮き上がり、段々と空へ登っていく。

今までよちよちと歩いていたひな鳥が空へ飛び立つかのように少女は飛んでいってしまい、穴をくぐってこの空間から出て行った。

誰の助けもなく、励ましの言葉だけで飛んでいった少女は自由を手にすることが出来たのだ。

その光景をじっと見つめていた霊夢の耳に、あの声が聞こえてきた。

 

―――そこの貴方も、立ったらどう?それとも一度やられて、もうやる気が起きないのかしら

 

「うっさいわね…」

まるで自分をバカにするかのような言い方に、霊夢は眉をしかめて呟いた。

そしてその言葉に負けて堪るかと、再び体に力を入れていれると。スクッと霊夢は立ち上がれた。

多大な疲労と、脇腹と右胸に深い傷があるのにも拘わらず、霊夢は立つことが出来た。

霊夢は空を飛んでいった少女と同じように顔を上げ、頭上の穴から見える夜空を見上げた。

 

―――例え地面に何度たたき落とされても立ち上がり、そして空へ飛び立つ。貴方は昔からそうでしょうに。霊夢?

 

とうとう自分の名を呼んだ゛彼女゛の言葉を合図に、霊夢は飛び上がった。

先程の少女のものとは比較にならないほどの速度で一気に上昇し、真っ白な空間から抜け出した。

霊夢がいなくなり、人っ子一人いなくなったその空間に゛彼女゛の声が響いた。

 

――――頑張りなさい霊夢。今の貴方は二つの宿命を背負っているのだから

 

 

 

 

 

五人のワルドに囲まれて動けないルイズの背中をワルドが唱えた『エア・ハンマー』が襲いかかってきた。

為す術もないルイズは先程のように吹き飛び、壁に叩き付けられた。

凄い勢いで壁に叩き付けられたのにも拘わらずルイズは意識を保っていた。気を失っていればどれ程良かったことか。

何せ杖もない、何の妙案も浮かばない、助けもない。こんな状況でどう希望を持てというのか。

ならばせめて起きあがらずに目を瞑って死んでいるふりでもしてみようかと思ったが、そうもいかなかった。

今度は別のワルドが唱えた『エア・カッター』がルイズの傍にあったイスを切り裂き、ルイズは反射的に立ち上がりその場から離れた。

 

燃えさかっている城内とは真逆に冷たい壁の感触を背中で感じたルイズは辺りを見回した。

五人のワルドが自分の方へ杖を向けている。何も守れない自分を相手に。

ちゃんと元の世界に返してやると約束した霊夢を見殺しにし、更にはウェールズ皇太子も殺してしまった自分を。

ほんの数十分前に起こった二つの出来事を思い返し、ルイズは無意識的に呟いた。

「どうしたのよワルド。どうして五人がかりで無力な私を殺そうとするのよ…そんなに私が怖いのかしら?」

言った瞬間、一体何を考えているんだ。とルイズの顔が青くなった。

そんなルイズに対して、五人いる内の真ん中にいるワルドが肩を竦めてこう言った。

「僕は警戒しているのさ。もしかしたら土壇場で君が僕と遍在達の攻撃をスイスイと避けるような事があったらお手上げだ」

ほぼ冗談のように聞こえるワルドの言葉を、このような状況なのにも拘わらずルイズは鼻で笑った。

「頭沸いてるんじゃないのアンタ?そんな事が出来るのはレイムぐらいしか――――…うぷ」

そこまで言ったとき、ルイズの頭の中で数十分前の出来事が蘇ってしまい。吐き気が彼女を襲った。

喉まで来そうな胃液を出すまいとルイズは口を押さえ、その場に座り込んでしまう。

頭と胸の中に、何か黒い雨雲のようなモヤモヤとした何かがルイズの体をじわりじわりと浸食していく。

その様子を、まるで喜劇を見るかのような楽しそうな表情で見つめていた五人のワルドが呪文を唱え始めた。『ライトニング・クラウド』だ。

 

辺りの空気が冷え始め、ルイズの敏感な肌を刺激する。

ワルド達が一撃必殺の呪文を唱えていることに気がついたルイズの目は絶望に染まっていた。

もう希望など無い。この先の自分にあるのは『死』だけだ。途端に目から一筋の涙が零れ、体が震え始める。

 

「……けて。」

無意識的に、ルイズの口から言葉が出てきた。

それは彼女の口から滅多に出ることはない、他者を必要とする悲願の声である。

 

よく偉い将軍や元帥は「戦場での死こそは貴族にとって至高の殉職」というが、あんなのは嘘だ。

彼らは今の自分のように現実の『死』に直面していないから綺麗事を言える。

 

「…て。たす……て。」

しかし、その言葉はちゃんとした形を成していない。

途切れている言葉など、意味を持たないのだ。

 

きっとどんな色々な意味で『酷い』人間でなければ目前の死に恐怖するだろう。

それこそが人間であり、人間と人外との違いである。人外は人を狩るから人間の気持ちなど知ったことではない。

「お願い…。………けて。」

しかし、『死』に怯えない人間というのも、存在することは存在する。

性格は様々ではあるが。彼らは皆一様に普通の人間とは違う宿命や、人生を歩んできた。

だからこそ多少のことでは怯えず。だからこそ普通の人間達からは敬遠され、忘れ去られる。

彼らはそれを回避するために人に迷惑を掛けたり人外達から守ってあげたり、時には取り返しのつかいない事をする。

 

「誰か… 助 け て ! 」 

何度か呟いた後、ようやくその言葉がちゃんとした形を持てたとき。

それに応えるかのように彼女を守る『盾』が再び主の元へと馳せ参じた。

 

呪文を唱え終えたワルド達が一斉に杖を振り下ろそうとした瞬間。『少女』がガラスのない窓から侵入してきた。

突然のことに反応が出来ず、窓側にいた遍在は『少女』が持っていた剣で杖の先端と首を切り落とされた。

首を切り落とされた窓側のワルドはフッと消え去り、ついで消えた遍在の傍にいた遍在の喉を細長い刀身が貫いた。

無念の叫び声を上げることが出来ずに三人目も消え去り、『少女』は剣を手放し左手に持っていた御幣の先を真ん中のワルドに向けた。

真ん中にいた本物のワルドは有り得ない。と言いたげな顔で咄嗟に呪文を中断し、その場に伏せた。

残り二人の遍在達も、本物のワルドと同じく有り得ない。と言いたそうな顔のまま御幣の先端から出た無数の菱形の物体にその体を包まれた。

瞬間、その菱形の物体がピカッと光ったかと思うと大爆発を起こして二人のワルドを消し飛ばし、本物のワルドは吹き飛ばされる。

 

吹き飛ばされたワルドは受け身を取ると素早く立ち上がり、目の前にいる『少女』に杖を向けて叫んだ。

「馬鹿なっ!何故生きてるっ!?何故――――」

「うっさいわね。起きたばっかりの私の耳に気に障る声を入れないで欲しいわ」

お世辞にも綺麗とは言えない言葉遣いでワルドにそう言った『少女』はお札を取り出し、投げ放った。

目にもとまらぬ速さで投げられたお札はワルドの服に貼り付いた。

そしてワルドが気づく前に『少女』は素早く呪文のような言葉を唱えた。

「―――生きている…のだっ!」

瞬間、貼り付いたお札が先程の弾幕のようにピカッと光り――――そして爆発した。

ほぼ零距離の爆発を喰らったワルドは口から血を吐きながら吹き飛び、『少女』が入ってきた窓から地面へと落ちていった。

その後、城内から響く悲鳴や杖と剣が交わる音に混じって下から嫌な音が呆然としているルイズと『少女』の耳に入る。

わずか一分間の間に起こった突然の出来事に、ルイズは驚いていた。

今目の前にいるのは、自分とほぼ同い年の黒髪少女であり、ちょっと変わった服を着ている。

左手に持っている御幣も、先程ワルドを倒したあのお札も、全てがハルケギニアとは違う別の世界で生まれた物である。

異世界など有り得ないが、それでも今目の前にいる少女はルイズ自身が呼び寄せたのだ。

そしてルイズは、かつてもこの様な光景を見たなー。と思いつつ、自分の目の前に立っている少女の名を呟いた。

 

「…レイム。」

その名前を呟いたとき、ルイズの胸と頭の中にあった変な気持ちが消え去った。

まるで太陽と青空を隠していた黒い雨雲が消え失せるかのように。

 

一度はワルドに右胸を貫かれ、生死の境をさ迷った霊夢の左手には刻まれた使い魔のルーンが光り輝いていた。

始祖ブリミルが従えていた四の使い魔の内の左手であり、始祖の盾と呼ばれた『ガンダールヴ』のルーンが。

 



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第二十六話

平日ならば王宮で仕事をしている貴族や上流階級の商人をよく見かけるトリステインの王宮はいつもと違っていた。

王宮の門の前には当直の魔法衛士隊の隊員達が幻獣に跨り闊歩しており、いつもはこれ程厳重な警備ではない。

数日前からトリスタニアに住む人々の間ではこれは戦争の前兆かも知れないと囁き合っていた。

その話は三日前に隣国であるアルビオンを制圧した貴族派『レコン・キスタ』の存在もあって、現実味を帯びている。

王宮の上空を幻獣、船を問わず飛行禁止命令が出されたり、検問のチェックも激しくなったりすれば尚更である。

トリステイン軍のこの様な異常な行動に市民は恐怖し、いずれ来る戦火に今から怯えていた。

 

そんな状況であったから、王宮の上に立派な竜籠が現れたとき、警備の魔法衛士隊の隊員達は色めきたった。

 

三隊ある魔法衛士隊の内一隊であるマンティコア隊の隊長、ド・ゼッサールは部下を引き連れ王宮上空へと飛び上がった。

「全く、私の隊が警備をしてる時に限って厄介事が降ってくるな…」

苦労性の隊長は部下を率いつつ竜籠の方へ向かいながらふと愚痴を漏らした。

出来るならば何も起こらないでいて欲しかった。そうすればすぐに交代の時間がやってきて熱い紅茶とビスケットが食べられる。

まぁ過ぎた事と仕事にこれ以上愚痴を言っても仕方ない。と心の中で呟き、竜籠の方へ視線を移す。

立派な風竜に四隅を持ち上げられた巨大な籠の側面には見知った国旗が貼り付けられており、ゼッサールは目を丸くした。

縦長の赤地に3匹の竜が並んで横たわっているその意匠は、間違いなくアルビオン王国の国旗であった。

「アルビオン王国…だと?そんな馬鹿な」

ゼッサールのみならずその周りにいる隊員達も隊長と同じ事を思っていた。

滅び去った王家の印をつけた竜籠が堂々と空を飛ぶなど、あってはならない事だ。

だが、もしかするとうまく逃げ延びた王族達がトリステインへ亡命しに来たのかも知れない。

そう考えると目の前にある竜籠にも説明がつく。とりあえずゼッサールは竜籠の方へ近寄ろうとした、

しかし、ゼッサールが口を開く前に竜籠が急に高度を下げ、王宮の中庭へ降りようとした。

突然のことにマンティコア隊と中庭にいた衛視達が慌てふためき、一斉に槍や杖を竜籠に向ける。

籠を持ち上げていた風竜は武器を向けられているにもかかわらず平然と中庭の芝生に降り立った。

「ジャスティン、おまえはあの竜をなだめてくれ。俺がドアを開ける」

「了解しました」

マンティコア隊も地上に降り立ち、ゼッサールの指示でジャスティンと呼ばれた一人の隊員がマンティコアから降り、風竜にとりついた。

その間にゼッサールはいつでも呪文が唱えられるよう杖を構えつつ、籠のドアを思いっきり開けた。

 

そして、ゼッサールは籠の中にいた者達が自分の想像とは180℃違っていたことに、目を丸くした。

てっきりアルビオン王国の王族やその関係者(正妻や側室)が乗っていると思っていたばかりにその分反動が大きかった。

立派な風竜が持ち上げていた籠の中にいたのは、なんとうら若き美少女であった。それも二人。

「ふぁ…何よ、もう着いたの…?」

ゼッサールから見て左側のソファに寝転がっていた桃色がかったブロンドの少女が目を擦りつつそう呟いた。

 

そして右側のソファには珍妙な紅白の服(ゼッサールの個人的な感想)を着た黒色がかったロングヘアーの少女がその言葉に応えた。

「まぁ、降りたんだから着いたんだと思うけど…アンタ誰?」

黒髪の少女はそう言って、ドアを開けたゼッサールを指さした。

一方、指さされたゼッサールはそれに眉を顰めることも出来ず、呆然としながらも呟いた。

 

「まさかこんなに年の浅い少女二人が側室…なんてことは無いよな?」

 

 

 

三日前 ニューカッスル城

 

「レイム…」

既に城の6割が炎に飲み込まれている中、ルイズは自分を助けてくれた霊夢の名を呟いた。

脇腹に出来た切り傷と右胸に致命的なダメージがあるのにも係わらずルイズの危機に飛んできたのである。

一体どうして?とルイズは不思議に思っていると、ふと左手の甲が不自然に光輝いている事に気がついた。

(光…?左手が、光り輝いているわ。でも…何処かで見覚えのあるような)

左手だけが光り輝いている不思議な現象にルイズは既視感というものを感じ取る。

以前何処か…大きなイベントで見たような気がする光景。

しかし、思い出そうにも半ばパニック状態のルイズの頭の中では思い出すことが困難であった。

そんな時…ふっと光が消え、それと同時に糸の切れた人形のように霊夢の体が仰向けに倒れた。

アッと思いルイズはすぐさま霊夢の傍へ近寄り、そして驚きの余り目を見開いた。

自分の記憶通りならば、今倒れている霊夢は傷を負っている筈である。

脇腹に浅い切り傷、そして右胸にはワルドにつけられた致命的な刺し傷。

今ルイズの目に何も異常がなければ、その二つの傷は『見あたらなかった』

それどころか自分と同じくらいに汚れていた服も綺麗になっており、脇腹に巻いていたリボンもちゃんと頭に戻っていた。

何故?と思いつつルイズは目を瞑って倒れている霊夢に声をかけた。

「あんた、傷は……傷はどうしたのよ傷は!?っていうか大丈夫!?」

「ふぁ…?」

その一声で霊夢は目を開け、眠たそうな顔をルイズの方へ向けた。

顔色の方も健康と言っても差し支えなく、何処も異常はない。

まさかの事に、ルイズは呆然とするよりも先に怒りが沸々とわき始めてきていた。

一方の霊夢はというと、そんなルイズの態度を知らず、ボロボロになった彼女の姿を見て暢気そうに言った。

 

「どうしたのよルイズ…?雷にでも当たったかのような格好ねぇ」

 

何気無い一言により、ルイズの中の何かが再びプツンと切れた。

「こんの…バカッ!!!」

「イタァッ!!」

その瞬間、今のルイズに出せる力の約三分の二で霊夢の頭を叩いた。

寝ぼけている状態の霊夢に当然避けれる筈もなく、思いっきりルイズの攻撃を喰らってしまった。

ルイズにとって霊夢は使い魔(召喚しただけだが)であり命の恩人であるが、今の今までいつも召喚の儀式以降に堪っていくストレスの原因の大半も霊夢であった。

だから彼女が自分の目の前から去る前に一度だけその怒りをぶつけてやろと思ってはいたがいつもいつもその怒りを避けられていた。

そして今こんな危機的状況の中でやっと怒りをぶつけられた事にルイズは叩いた後に喜んで良いのか迷ってしまった。

一方の霊夢はと言うと、頭をさすりながら敵意むき出しの目でルイズを睨み付けながら口を開いた。

「何すんのよ。怪我人を虐めるのがアンタの趣味なの?」

霊夢のその冷たい一言にしかし、ルイズはムッとなり咄嗟に返事をした。

「アンタ自分の体見てみなさいよ。怪我なんて何処にもないじゃないの?」

「は?アンタ何言って…――――あ」

ルイズの言葉に霊夢はキョトンとした顔になり、自分の体を見て目を丸くした。

そんな霊夢を見てルイズはもう一言何か言ってやろうかと思ったが、その前に霊夢が口を開いた。

「やっぱりただの夢じゃなかったか…」

「夢じゃない?」

霊夢の口から出たその言葉に、ルイズは眉をひそめた。

一体どういう意味なの、と聞こうとしたとき。後ろから男のうめき声が聞こえてきた。

振り返ってみると、そこにはウェールズ皇子の死体があった。

ただの骸と成り果ててしまったアルビオンの若き皇太子を見て、霊夢が目を細める。

「…もしかして、ワルドに殺されたの?」

霊夢の言葉にルイズは何も言わず、ただコクリと頷いた。その瞬間―

 

「う…ウゥ…」

 

てっきり死んでいたと思っていたウェールズの指がピクリと動いた。

突然のことにルイズは驚愕し、霊夢は目を丸くした。

左胸を貫かれて死んだのにも拘わらず、突然口からうめき声を出して指をいきなり動かせば誰でも驚く。

霊夢にとっては死者が突然動き出すということは少し珍しいくらいである。

だからこそルイズのように驚かず目を丸くしただけに留まったのだ。

それからスクッと立ち上がると、指をピクピクと動かしているウェールズ皇子の元へと近づいた。

「ちょ…ちょっとレイム待ちなさい!」

ルイズの制止も振り切り、霊夢はウェールズ皇子の傍に近寄り、声をかけた

「ちょっと、まだ生きてる?」

霊夢の口から出た、その言葉に数秒遅れて返事が帰ってきた。

「う…君…大丈夫だったのか…」

「まぁね、ちょっと夢の中で知り合いに助けられたわ。知り合いって呼ぶのは少し嫌だけど」

死んでいたと思われたウェールズが顔を上げ、霊夢の方を見つめてそう言った。

生きていた皇太子を見て、すぐさまルイズはウェールズの傍へ近寄り、声をかけた。

「ウェールズ皇子、大丈夫ですか!?」

「ミス・ヴァリエール……ワルドの奴め…どうやらわざと心臓を狙わなかったようだ…うぐ!」

ウェールズはルイズに微笑みつつ冗談に交じりそう言ったが、すぐに痛みで顔を歪めた。

左胸に出来た小さな傷からはドクドクと少しずつ血を流れ続けている。

心臓に直撃しなかった分、地獄のような痛みと出血がウェールズに襲いかかっているのだ。

応急処置もせずに、このままにしておけばすぐにあの世へ逝ってしまうだろう。

だがそれでも、ウェールズは痛みを堪えてルイズとその横にいる霊夢に話しかけた。

 

「もうこの城はお終いだ…地下の港にある竜籠で…脱出を…」

「喋らないでくださいウェールズ皇子!今すぐ応急処置を…!」

なんとかしようとルイズは思ったが治療道具は無く、それどころか応急処置の仕方も分からない。

一応擦り傷や軽い怪我の治療法は知っているのだが、こんな命に関わる大怪我の治し方は流石に知らなかった。

咄嗟に横にいた霊夢の方へ顔を向けたが、彼女の方ももうお手上げと言いたそうな顔である。

そんな顔を見てルイズは目を細めたが、霊夢は文句交じりにこう言った。

「もう諦めなさいな。どうせ応急処置をしても血の出すぎで死ぬのは時間の問題よ」

確かに霊夢の言うとおりである。ウェールズの体から流れ出た血の量は半端ではない。

応急処置を施してもすぐに死んでしまう。要は遅すぎたという事である。

一方のルイズは目の前にある人の死をあっけなく許すような霊夢の言葉に従うことが出来なかった。

「そんな事言わないでよ!―――――姫殿下の…姫様の思い人をむざむざ見殺しにしたりなんか私には…」

小粒の涙を流ししつつも霊夢に反論するルイズを、ウェールズが制止した。

「もういい…ミス・ヴァリエール。…彼女の、言うとおりだ…僕はもう助からないさ」

ウェールズはそう言うと、ポケットの中から一つの指輪を取り出した。『風のルビー』だ。

「ミス・ヴァリエール。僕からアンリエッタへのプレゼントと言って…渡してくれ」

そう言いながらウェールズはルイズに『風のルビー』を手渡した。

アルビオン王家の秘宝を手渡されたルイズは悲痛な面持ちになり、悟った。

――――――――もう、これ以上の説得は無駄なんだと。

「ウェールズ皇子…。――――わかりました。必ず手紙と共にお渡しします」

指輪を手渡されたルイズはコクリと頷くと『風のルビー』を胸ポケットに入れた。

小さくもゴツゴツとした感覚がルイズの胸を刺激し、その存在をアピールしている。

ようやくわかってくれた目の前の少女の顔を見てウェールズは微笑んだ。ニッコリと…

「頼むミス・ヴァリエール…。地下にある港の右端に風竜と竜籠がある…あの竜ならトリステインへ真っ直ぐ行くだろう。それに乗って逃げなさい」

ウェールズの言葉を聞き、ルイズはしっかりと、力強く頷いた。

 

「そして…アンリエッタにはこう言ってくれ。『このウェールズ、例え死のうとも常に君の傍にいる』と…」

 

瞬間―――三人のすぐ近くで爆発が起こり、霊夢が咄嗟にルイズの腰を掴み後ろへ下がった。

次いで、倒れているウェールズの直ぐ傍に榴弾が落ち…

 

爆発した。

 

 

 

王の寝室というのはどこもかしこも豪華な造りをしている。

そしてその妻である王妃や王女の部屋も平民や低級貴族の居室とは比べたら失礼な程豪華な部屋である。

王宮の水系統メイジに怪我を治療してもらったルイズと霊夢の二人はアンリエッタ王女の部屋に招かれていた。

最初は中庭で衛士隊の者達と揉めてはいたが途中からやってきたアンリエッタのお陰でこの部屋へ来ることが出来た。

部屋に入った後、アンリエッタはルイズから手紙と――『風のルビー』を手渡され目を丸くした。

一体どうして…とアンリエッタが思ったとき、ルイズは任務の最中に起こった事の次第を説明した。

説明を聞き終えたアンリエッタは、顔を両手で隠し嘆いていた。

「そ…んな…ウェールズ…様。私が殺した…ようなものだわ」

泣きつつもそのような事を言うアンリエッタの気持ちは、ルイズにもある程度分かった。

愛する者を失い、更には自分が選んだ護衛が愛する者を殺したのだ。嘆くのは無理もない。

一方の霊夢は、まるで目の前で嘆いている王女の事など関係ない、と言いたいかのように紅茶を飲んでいた。

召喚の儀式以来の付き合いであるルイズは霊夢の態度に怒る事は無かった。目は細めたが。

 

アンリエッタはそれから数分くらい泣いていたがやがて手を下ろし、泣きはらした顔でルイズと霊夢の方へ顔を向けた。

「とりあえずは、ルイズ、そしてハクレイレイム…でしたね。無事に戻ってきてくれて何よりです」

その言葉にルイズは深く頭を下げ、霊夢はカラになったティーカップをテーブルの上に置き、軽く手を振った。

王女の言葉に手を振るだけという行為に流石のルイズもムッとし、立ち上がろうとしたがそれをアンリエッタが制止した。

「構いませんよミス・ヴァリエール。彼女のお陰で今こうして貴方がここにいるのですから」

ソレを言われルイズは固まってしまう。確かに霊夢がいてくれたから、こうして無事でいられるのだ。

(でもどうしてレイムの奴はアルビオンにいたのかしら…まぁそれも後で聞いてみようっと)

今回の無礼は姫殿下に免じて無かった事にしようとルイズが座り直したとき、改めてアンリエッタがこう言った。

 

「それに…彼女がアルビオンに行く原因を作ったのは私ですからね。多少の事は許さないと」

 

「あぁ、そうですか――――――――――って、えぇ…!?」

アンリエッタの口から出た一言に、ルイズは勢い余って立ち上がってしまった。

 

 

 

ポツポツ明かりが灯りつつあるトリスタニアの街を、ローブを羽織った一人の少女が駆け回っていた。

背丈から見て大体9歳か10歳ぐらいである。この時間帯だと子供の一人歩きは危ないのだが何故か親らしき同伴者はいない。

少女の横を通った街の住人はと危ないなー思いつつ、自宅や酒場へと進む足を止めはしなかった。

やがて少女は、トリスタニアでも比較的治安が悪いチクトンネ街へと入っていた。

トリスタニアの大通りにあるブルドンネ街とは違い、ここには裏カジノや表には出れない武器屋などが点在している。

当然そこに住む人間も普通ではなく、派手な格好をした女や酔っぱらいなどが通りをうろついている。

しかしそれがどうしたと言わんばかりに少女は悪戯気分で声をかけてくる人々を無視し、とある酒場の前で足を止めた。

頭上にある看板を見上げ、今自分『達』が宿泊している客室がある場所だと確認した後に、羽扉を開けて中へと入った。

 

「いらっしゃいませ~~~~!!」

 

入った途端、革の胴着を身に付けた背の高い男が出迎えにきた。

大声であった為思わず後ろに倒れそうになったがなんとかこらえる事が出来た。

「…って、あら!おかえりなさい!こんな遅くまでどこ行ってたのよぉ~♪」

男はその体には似合わない女言葉でそう言うと身をくねらせた。

その動作に流石に少女は引いた。多分『この世界』に来て自分と『主人』にとって最初の驚異は彼、スカロンであろう。

「丁度今さっきあなたの保護者さんが部屋へ帰ってきたところよ。心配してると思うから早く行ってあげなさい」

スカロンはそう言うと少女の背中を軽く叩いた。軽く咳き込みながらも少女は二階へと続く階段を上っていった。

ここ『魅惑の妖精亭』にある二階の客室は酔いつぶれて帰れない客や適当な宿が取れなかった観光客…そして諸事情で家を持たない従業員たちの為に作られている。

少女とその『主人』も『この世界』へ来た時期が悪かったのか、何処も宿にも空いている部屋がなかったのだ。

そんな時にようやく見つけたここは、ちょっとオカマっぽいスカロンを除けば比較的良い場所である。

やがて少女は一番右端にある部屋の前へたどり着くと、ドアを開けて部屋の中へと入った。

部屋の造りは近辺の宿屋と比べてみれば結構綺麗な方である。

窓際にベッドが二つ置かれており、それに挟まるようにして設置している小さな机の上にランタンが置かれている。

右端には安いクローゼットとタンスが置かれている。部屋に泊まる客が衣類等を入れるのに使っている。

そして、真ん中のテーブルに肘をついて窓の外を眺めていた金髪の女性が入ってきた少女の方へ顔を向けた。

国を傾ける程の美女。とは正に彼女の事を言うのであろう。それ程の美貌の持ち主であった。

少女はローブを上げて、嬉しそうな表情を目の前にいる女性に向ける。

ローブの中に隠れていた栗色の髪が静かに揺れた。

金髪の女性はというとそんな少女に優しい笑顔を見せた。

 

「ただいま戻ってきました。藍様!」

 

少女が大きな声でそう言った瞬間、ピョコンと栗色の髪の間から『猫耳』が飛び出した。

決してそれは作り物などではなく。少女、橙の持つ『耳』である。正真正銘の。

 

 



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第二十七話

 トリステイン魔法学院はあいかわらず平和であった。

王都では多くの人々が戦争が起こるとか言ってやいのやいのと騒いではいるがここでは大した騒ぎにはなっていない。

あるとすれば、何人かの男子生徒達が談笑のネタとして話してるぐらいだ。

戦争が起これば自分の父や兄達が手柄をあげるとか、軍には行って敵を倒しやるぞ。といったものである。

トリステインの貴族の男子達は大きくなったら軍に入り、数々の手柄をあげたいという夢を大抵の者が持っている。

そんな事を話している彼らを見て、そのガールフレンドや親しい関係を持っている女子生徒達は顔を曇らせるのだ。

 

と、まぁ…とりあえずは魔法学院の生徒達は今の状況を充分に楽しんでいるのである。

実際に戦争が起こるかもしれない。というのは別にして。

 

そして、魔法学院の女子寮塔の部屋で暮らしているルイズはベッドに腰掛け窓ガラス越しに空を眺めていた。

珍しく今日は上空に雲一つ無く、清々しいほどの青い空が鳶色の瞳に映り込んでくる。

昨日の夕方頃に学院へ帰ってきたルイズと霊夢は、生徒達から質問攻めにあってしまった。

ギーシュが以前ルイズが魔法衛士隊の者と一緒に何処かへ行った事を、他の生徒達に言いふらしていたのだ。

霊夢はともかくとしてルイズは予期せぬ質問攻めにあってしまい、何と言おうか焦ってしまった。

流石に真実を話すのは躊躇い、少し学院長に頼まれて王宮までおつかいに行っていたと話すことにした。

結果それを聞いた生徒達はがっかりしながらも解散した。彼らは一体何を期待していたのであろう。

その後の霊夢はというと「疲れた」と言って一足先にルイズの自室へと戻っていった。

霊夢と別れた後、学院長室に呼ばれオスマン学院長とコルベールから「良く無事に帰ってきてくれた」という言葉を貰った。

二人の言葉を聞いたルイズは素直に喜んだ。ワルドに殺されかけた後、生きている事自体が素晴らしく思えてきたのである。

その後、オスマンから今日と明日は十分に休みなさいと言われた。まさかの休暇である。

 

ルイズは少しだけ慌ただしかった昨日を思い出しつつ、頭の中である考え事をしていた。

(姫様から貰ったこの指輪…。本当に貰って良かったのかしら?)

視線をテーブルに移し、小さな指輪ケースに入っている『水のルビー』を見つめた。

昨日、アンリエッタに手紙と『風のルビー』を手渡したルイズは、アンリエッタからこれを受け取ったのだ。

ルイズはすぐに首を横に振った。例えヴァリエール家でも、王国の秘宝を受け取るなんてことは恐れ多い。

しかし、アンリエッタは忠誠には報いるところがなければいけない。と言い、その一言でルイズもコクリと頷いた。

一緒にいた霊夢の方に対しても何かお礼がしたいとアンリエッタは言ったが霊夢はそれをハッキリと拒否した。

 

「お礼?それなら別にいいわよ。だって私はアンタの命令で行ったわけじゃないんだし」

 

という事を一国の姫の目の前で言ってのけたのだ。相変わらず遠慮のない巫女である。

アンリエッタはその返事を聞き、焦った風にこう言い直した。

「ち、違います…。私の友人であるルイズを助けてくれたお礼をしたいのです。別に忠誠とかそういうものではありません」

それを聞き勘違いしていた霊夢は「あっそう」と呟き、アンリエッタにある品物を要求した。

 

「王女様に要求した品物がこれだなんて…物欲が少ないというか…むしろ金目の物には余り興味がないというか…」

ルイズは指輪ケースを注いでいた視線を、その隣に置かれた茶葉が入った大きめの瓶に移した。

あの瓶の中に入っている茶葉は王宮でしかお目にかかれない代物であり、並大抵の貴族では拝むことすら出来ない。

それ程の高級品をアンリエッタは道ばたの雑草をむしり取るかのように霊夢に差し出したのである。

この瓶の中に入っている量を全て換金すると一体どれくらいの値段になるのか想像すらつかない。無論売る気など無いが。

そんな高級なお茶を手に入れた霊夢はというと、今この場にはいない。

昼食を食べた後、コルベールに聞きたいことがあると言って部屋を出て行ったきりである。

部屋を出て行くときに「そのお茶、私のなんだから勝手に飲まないでよ」という言葉を残して。

ルイズはその言葉に従いこうしてベッドに腰掛けて待ってはいるがその間にも沸々と怒りが沸いて出てきていた。

その怒りの原因は、霊夢が部屋を出て行く前にルイズに言った言葉であった。

 

――――――――――そのお茶、私のなんだから勝手に飲まないでよね

 

要はこの部屋の主であるルイズが、居候(あえて使い魔とは言わない)である霊夢に命令されているのだ。

勿論その居候がアルビオンで自分の命を助けてくれたのは本当に有り難い。しかしそれとこれとは別である。

 

そんな風にイライラしてルイズが待っていると、ふと背後からカチャカチャという物音が聞こえてきた。

何かと思い後ろを振り向くと、突然大きめのカラスが開きっぱなしの窓から部屋の中へ入ってきたのである。

「うひゃっ!?か、カラス…!」

ルイズはそのカラスに驚き、ドアの方へと後ずさった。

カラスは二、三回羽ばたくと柔らかいシーツを敷いたベッドに降り、つぶらな赤い瞳でルイズの顔をジーッと見つめた。

その赤い瞳は透き通っており、まるで一種の工芸品かとルイズに思わせてしまう。

ルイズはと言うと外から飛んできたカラスが自分のベッドに居座っている事に気が気でなかった。

(折角洗濯に出して貰ったばかりのシーツに座るなんて…一体誰の使い魔よ!)

カラスを使い魔とする生徒は大変多く、自然とそういう考えに至ってしまう。

一方のカラスは鳴き声一つ出さずにジーッとルイズの顔を数秒間見つめた後、羽を広げて外へ飛んで行った。

突如部屋に入ってきた鳥がいなくなり、ルイズはおそるおそるベッドへ近づこうとした。

 

そんな時、ドアを開けてようやく霊夢が帰ってきた。

ルイズは霊夢の暢気そうな顔を見た途端、そちらの方へ顔を向け彼女を怒鳴りつけた。

「遅かったじゃない、一体何してたのよ?」

怒り心頭のルイズとは正反対にのんびりとしている霊夢は怠そうに言った。

「何って…?ちょっとコルベールと相談よ相談。…あと話し相手を貰ってきたわ」

そんな事を言った霊夢が右手に持っているのは、薄汚れた鞘に入った薄手の長剣であった。

話し相手?とルイズは首を傾げつつ何処かで見たことがあるような、と思ったとき…

 

『おうよ、その話し相手こそがこの俺デルフリンガーさ!』

 

突然その剣がブルブルと震えだしたかと思うと鎬の部分までがひとりでに出てきて自慢げにそう言った。

それを見てルイズは思い出した。以前フーケ退治の際に学院長が霊夢に手渡したあのインテリジェンスソードだ。

あの時は霊夢の手によって無理矢理鞘に押し込まれていたが、何故かその霊夢がデルフリンガー片手に部屋に戻ってきた。

一体どういう風の吹き回しだろうか、と思っているとデルフリンガーは嬉しそうに喋り始めた。

 

『いやーそれにしてもこりゃどういう風の吹き回しかねぇ?何せ俺を乱暴に扱ったコイツがまさか「ガンダールヴ」とはねぇ。

 伊達に数千年間は生きてるけどこれ程おでれーた事は…ってウォォ!?』

堪りに堪っていた鬱憤を晴らすかのように喋りまくっていたデルフリンガーの刀身部分を、ルイズが掴み掛かってきた。

恐らくこれは、六千年生きてきたデルフリンガーにとって二番目に驚いた出来事になるだろう。

幸い刀身の部分はまだ鞘に収まっているため怪我する事は無かったが、デルフリンガーは大いに驚いた。

「え…!?ちょっ、ちょっとアンタさっきのどういう事!」

『うぇ?伊達に数千年間生きてきたって…』

「違うわよこのバカ!さっきガンダールヴがどうとかって言ってたじゃない!?」

少々乱暴に揺すりながらもルイズはそう言った。

『あぁそっちかよ…。そうさ、いまアンタの目の前にいるお嬢ちゃんは紛れもなくガンダールヴだ。ってことさね』

デルフリンガーがそう言うと、霊夢は溜め息をつきつつ左手の甲をルイズの目の前に近づけてこう言った。

 

「良かったわね。私がアンタの使い魔になってて。私は全然嬉しくないけど」

 

イヤそうに言った霊夢の左手の甲には、のたくった蛇の様な文字が刻み込まれていた。

古の歴史に興味を持つ者が一目見たならば、それが何を意味するのかすぐにわかるであろう。

ルイズはそのルーンを見つめながら、つい三日ほどの前の事を思い出していた。

(そうよ…私はこれよりも前に見てたんだわ、あいつのルーンを…ニューカッスル城で)

心の中で呟きながらその時の会話を思い出した。

 

―――ちょっとレイム、左手のソレって…!

 

―――――いきなり何よ?少し驚いたじゃないの

 

―――こっちの方が驚いたわよ!左手のソレ…使い魔のルーンじゃない!

 

―――え…?あぁ、やっぱりこれってそういうモノだったのね

 

(あの時はワルドの事もあったけど…どうして今の今まで忘れてたのよ?)

ルイズは自分の不甲斐なさに落胆する事となった。

使い魔のルーンをちゃんと刻めたのは良かったが、よりにもよってこんな奴が使い魔なのである。

たとえ自分が主人になろうとも今の生活状況は変わらない。絶対に。

これからの事を想像し、ルイズは大きな溜め息をついた。

 

その日の夕方頃…

 

魔法学院の一角にあるアウストリ広場に、二人の少女が仲良くベンチに腰掛けていた。

一人は青髪の小柄少女で眼鏡の奥のこれまた青い瞳をきらめかせ、熱心に本を読んでいる。タバサであった。

「ねぇタバサ、少し聞きたいことがあるんだけど」

そしてタバサの隣にいるのは、赤い髪が眩しいキュルケであった。

彼女は己の系統の゛火゛を象徴するかのような赤い髪をかきあげ、自分の隣で読書に没頭するタバサに話し掛けた。

「あなた、少しおかしいとは思わない。あのヴァリエールが行きは魔法衛士隊の隊長と一緒で、帰りはいつの間にかいなくなってたあの娘と帰ってくるなんて。」

それはギーシュがベラベラと話しまくっていたルイズの事であった。キュルケの言う゛あの娘゛とは霊夢のことである。

ギーシュの言うことが正しければルイズは魔法衛士隊の隊長と一緒に何処かへ行ったことになる。

そして帰りは何故かいつの間にか学院からいなくなっていた霊夢と一緒に竜籠に乗って帰ってきたのだ。

ルイズならば帰りも魔法衛士隊に送ってもらう筈なのに、何故かあの霊夢と、それも泥だらけの服で帰ってきたのだ。

あの二人の姿を見たキュルケは、絶対ただ事ではない何かが起こったのだと予想した。

「考えすぎ」

しかし、タバサは短くそう言うと次のページを捲ろうとしたが、その前にキュルケにしなだれかかられた。

「もう、あなたって本当こういう話に釣られないわよね。偶にはバカになってこういうゴシップ話を考察するのも楽しいのに」

キュルケは楽しそうに言うと自分の頭の中で色々と考えた説を興味を示さないタバサに話し始めた。

 

その様子を、少し離れたところから見るモノ達が三゛匹゛ほどいた。

『相変わらずというかなんというか…ウチのご主人様は君のご主人様に夢中だね』

真っ赤な皮膚を持つサラマンダーが、人間には低いうなり声にしか聞こえない発音で、隣にいる青い竜に話し掛けた。

青い竜は背中から生えた翼を少しだけ上下に動かしながらサラマンダーに返事をする。

『そうなのね。でもおねえさまも少しだけ嬉しそうなのね』

嬉しそうに言いながら青い竜――シルフィードはタバサとキュルケの方へ視線を向けた。

あの二人は自分たちがここへ召喚される前に随分と仲が良く、おかげで隣にいるサラマンダーのフレイムとも仲良くなれたのだ。

『でもさ、彼女って随分無表情だよね。君はもうあの主人の心の内側が読めるようになったのかい?』

そんな二匹のうしろにいるジャイアントモールのヴェルダンデが鼻をヒクヒク動かしながらそう言った。

ヴェルダンデの言葉にシルフィードは低いうなり声でこう言った。

『わからないのね。でも…私と一緒にいるときよりかはおねえさまの雰囲気が少しだけ良い気がするの』

『確かにね。ウチのご主人様も楽しそうだよ』

フレイムはクルクルと喉を鳴らしながらシルフィードにそう言った。

 

 

そんな時、ふと三匹の後ろからガサゴソと物音が聞こえてきた。

物音に気づいたフレイムがゆっくりと頭を後ろへ向けると、後ろにある草むらから黒猫がヒョッコリと顔を出していた。

フレイムに続いて他の二匹も振り向き、此方に顔を向けている黒猫に興味本意でヴェルダンデが声をかけた。

『見ない顔だねぇ。もしかして迷い込んだ野良猫かな?』

黒猫は鼻をヒクヒクと動かすヴェルダンデの方を一瞥した後、バッと草むらから飛び出し一目散に本塔の方へ走っていった。

あっという間に目の前から姿を消した黒猫の゛尻尾゛を一瞬だけ見た三匹は驚きの余り目を見開いてしまう。

『なぁ…あいつの尻尾…』

怯えているようにも見えるフレイムの言葉にシルフィードも少しだけ身体を震わせながら頷いた。

『一体全体何であんなのが私達のところへ来るのね。なんだか不吉な事がおこりそうなのね』

シルフィードはそういってブルブルと身体を震わせた。ヴェルダンデも同様である。

 

「でねータバサ、私はこう思うのよ…」

一方のキュルケはというと、未だタバサに話し続けていた。

 

 

その夜、夕食や入浴も終わり、消灯時間も近くなった頃…

ルイズは自らの自室で霊夢とインテリジェンスソードのデルフリンガー(以後デルフ)と何やら話し合っていた。

「さっきも聞いたと思うけど。あんたそのルーンは本物なんでしょうねぇ?」

今霊夢の左手の甲に刻まれているルーンを見つめつつルイズは信じられないという風にそう言った。

「それならさっきも言ったでしょうに…。ちゃんとあのコルベールとかいう奴に調べて貰ったのよ?」

鬱陶しそうに霊夢はそう言うとティーカップの中に入った緑茶を口の中に入れた

「嘘ついてるなら今の内に吐きなさいよ。今なら拳骨ひとつですましてあげる」

ルイズはそんな霊夢を見て少し細めていた目を更に細めた。

最初にガンダールヴのルーンを見せて以来、ルイズは自分の目が信じられないようだ。

何せ今まで魔法が成功せず『ゼロのルイズ』と呼ばれた自分が、始祖ブリミルの使い魔であるガンダールヴを召喚していたのだ。

信じられないというのも無理はないし、別段ルイズがおかしいというわけではない。

一度フーケの事で学院長にその事を話されたときはまさかと思っていた。

その時には霊夢の左手にルーンがないものだから、てっきりコルベール先生の勘違いだと思っていたのだ。

 

デルフは話し合いを始めてから数分間はじっと黙っていたが、とうとう我慢できなくなったのかひとりでに鎬の部分が出てきて喋り始めた。

『おいおい娘っ子、疑っても始まらないぜ。そいつは正真正銘のガンダールヴのルーンだ』

突然割り込んできたデルフにルイズは顔を顰めるとズカズカと壁に立てかけられているデルフの横まで行き、持ち上げた。

持ち上げられたデルフは驚くこともせず、またもやチャカチャカと鎬の部分を鳴らして喋り始める。

『第一、使い魔のルーンには偽物なんて存在しねぇ事ぐらい、お前さんでも知ってるだろう?』

デルフの言葉にルイズは更に顔を顰める。

「わかってるわよそれぐらい。けどね…」

『けどね…?なんだよ?』

ルイズはそれを言う前に大きく深呼吸をすると、思いっきり叫んだ。

 

「 な ん で こ ん な 奴 が ガ ン ダ ー ル ヴ な の よ ォ ! ! 」

 

テーブルがフルフルと微かに震動するほどの叫び声に、さしものデルフもその刀身を揺らしてしまう。

霊夢はというといきなりの怒声に目を丸くし、思わず手に持ったティーカップを落としそうになった。

叫び終えたルイズはと言うと、ハッとした顔になりすぐに先程のしかめっ面に戻った。

どうやら部屋の壁がプライベート上の為か、全面防音性だという事を思い出したからであろう。

もしそうでなかったら、今頃寝間着の姿の隣人が鬼の様な形相で杖を片手にルイズの部屋へ入ってきたに違いない。

霊夢はやれやれと言う風に首を横に振るとティーカップをテーブルに置き、ルイズにこう言った。

「出来れば私もこんな薄気味悪いルーンなんか付けられたくなかったわよ」

嫌みたっぷりにそう言いはなった言葉に、ルイズはキッと霊夢の顔を睨み付けた。

霊夢も負けじとにらみ返し、そんな一触即発の状況を回避しようとしたか否か、デルフが口?を開いた。

 

『まぁそんなもんさ、始祖の使い魔だからといって根が真面目すぎる奴が召喚されるワケじゃないのさ

 例えば、誰かが竜を召喚したいと願っても絶対に竜が出てくるという保証は無い。そんなものさ』

 

デルフの言葉に流石のルイズも返す言葉を無くしてしまった。

「うぅ~…でも納得がいかないわ。大体、どうして今頃になってルーンがまた刻まれたのよ?」

まだ納得がいかないルイズは、一番疑問に思っていたことを口に出した。

最初に話をした際、霊夢の話ではアルビオンへ行った時に気づいたらいつのまにか刻まれていたという。

それが一番の謎であった、何故契約した直後に消えたルーンがまた刻まれたのだろうか?

ルイズの疑問に、すぐさまデルフリンガーが待っていましたと言わんばかりに答えた。

 

『詳しい事は俺は知らねぇが、恐らくは何かキッカケがあったんだろうよ。

 おいレイム、アルビオンに行った際に何か無かったか?自分の記憶に残る事とか』

 

「アルビオンで、ねぇ…」

デルフに呼び捨てで名前を呼ばれたが霊夢は気にすることなく、つい数日前の出来事を思い出し始めた。

お姫様が持ってた幻想郷緑起…ラ・ロシェールでの戦い…アルビオンの真下にあった大穴…

そんな風に記憶を掘り返している内に、二つほど思い出した。

「そうねぇ…二つほどあるわ。一つは森の中での事で…んで二つめは私がやられた時…」

霊夢はそう言って、その時の回想を頭の中に浮かべ始めた。

 

 

 

一つめの思い当たる節――それはウエストウッドの森で出会った少女ティファニアのことである。

アルビオンにやってきた際、初めて出会ったのに、私を小さな村に泊めてくれた。

本当は食事だけをもらうつもりだけだっのだが、ちょっとした事情で泊まる事にもなった。

その事情を作ったミノタウロスと戦っていた時、ティファニアが呪文を唱えたのだ。

彼女の呪文を聞いていると気持ちが和らいでいく気がした。戦っていた化け物もその呪文で戦意をなくしたのか、何処かへ行ってしまった。

そしてその夜、ふと気がつくと左手にぼんやりとこのルーンが浮かんでいたのだ。

今ほどハッキリとではないが、それでも自分の目で認識することが出来ていた。

 

 

そして二つめ、これは少し思い出したくはないが…

裏切り者だったとか言うワルドにやられて用水路に落ちた後である。

もしかしたら、私が弱っていた時にこのルーンが表に出てきたのかも知れない。

詳しい事は知らないが、そうでなければまともに剣を握ったことのない私があんな芸当できるワケがないし…

それに以前、ガンダールヴはありとあらゆる武器と兵器を使うことが出来るってオスマンとかいう奴が言ってたわね。

 

でも私は剣を振り回す趣味なんか無いし、

とりあえず、早くこのルーンを何とかしないと。呪われたりでもしたら厄介だし…

 

 

そんな風に霊夢があまり良くない思い出に浸りつつ考えごとをしていると、ドアの方からノックの音が聞こえた。

「ん?…一体誰かしらこんな時間に」

ルイズはイスから腰を上げるとつかつかと歩き、ドアを開けた。

しかしドアを開ければ、そこには誰もいなかった。ルイズがあれ?と思った時、足下に何か黒い物体がいる事に気がついた。

視線を足下に移してみると、、そこには小さな黒猫が頭を上げてルイズの顔をジッと見つめていた。

「うわぁ…可愛いわね。どこからやって来たのかしら?」

ルイズはそう言って屈むと猫の頭をゆっくり撫でた。

黒猫も満足なのか、頭を撫でられた気持ちよさそうに鳴いた。

霊夢も猫の鳴き声に気づきそちらの方へ目を向ける。

「どうしたの?化け猫でもいたの?」

その瞬間――――頭を撫でられていた猫がピクンと耳を立てるとルイズの横を通って部屋の中に入って来た。

あっという間に黒猫は霊夢の足下まで来ると、霊夢の靴を肉球のある手でペシペシと叩き始めた。

「何よコイ―――…!?」

霊夢は部屋に入ってきて自分の靴を叩いている黒猫の゛尻尾゛を見て、驚きの余り言葉を無くしてしまう。

一方、自分の部屋に入られたルイズはすぐさま振り返りった。

「ちょっと…部屋に入らな――――…霊夢?」

言い終える前に、霊夢が目を見開いて猫を凝視している事に気がついた。

黒猫は靴を叩くのを止めると、霊夢のジーッと見つめると、その口を開いた。

 

「やっぱり紫様の言う事は何でも当たるねぇ。すぐに紅白と【虚無】の少女を見つけちゃった」

黒猫は元気溢れる少女の声でそう言うと、『二本もある尻尾』を嬉しそうに振った。



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第二十八話

「やっぱり紫様の言う事は何でも当たるねぇ。すぐに紅白と【虚無】の少女を見つけちゃった」

 

 

ようやく捜していた二人を見つけ出した橙が嬉しそうに呟いた。

瞬間、霊夢は目の前にいる猫がいつぞやのマヨヒガで出会った八雲紫の式、八雲藍の式である橙だと気づいた。

それと同時に、ようやく迎えがやってきたのだと悟り、溜め息をついた。

「全く、いつかは来ると思ってたけど。まさか式の式をよこして来るなんてね」

聞き慣れない言葉を聞いたルイズは首を傾げた。

自分の横をかいくぐって部屋に入ってきた尻尾が二本もある黒猫に疑問の目を向ける。

「シキノシキ?…というよりその黒猫はなによ、知り合い?随分とアンタの事を知ってそうな感じだけど」

ルイズの声を聞いた橙はピクンと耳を動かすと彼女の方へと顔を向けた。

「どっちかというと、アタシの主人とその主人がこの紅白とはよく顔を合わせてるよ」

橙の説明を聞いたルイズは眉をしかめつつも霊夢に話し掛けた。

「ねぇレイム、私にはよくわからないから説明してよ。それも簡潔に」

ルイズにそう言われ、霊夢は面倒くさそうな顔をしつつもその質問に答えた。

「ん~…何でコイツが来たのかは私にも良くわからないけど…要するに、迎えかしらね」

「まぁそう言うことさ。後、コイツ呼ばわりはやめろよこの紅白」

霊夢の口から出たその言葉に、橙は文句を言いつつコクリと頷いた。

 

「ふ~ん、迎えねぇ…迎え…迎え…―――――って、えぇえぇえぇぇぇぇぇぇ!?」

 

数秒遅れて、ルイズは霊夢の口からあっさりと出たその言葉に、驚きの叫び声を上げた。

驚くのも無理は無い。何せいきなりの事である。

ロマリアの教皇聖下が突然「実践教義に鞍替えします」と全世界に発表する様なものだ。

 

 

突然の事に動揺を隠せないルイズは橙を指さしながら口を開いた。

「ちょっ…む、迎えって。まさかこんな黒猫が迎えだっていうの!?」

その時、今の今まで黙っていたデルフが突如話に割り込んできた。

『ただの黒猫だって?娘っ子、お前さんの目は節穴か?こいつは正真正銘の化け物だぜ』

橙が部屋に入ってきた所為でまだ途中だった話が中断されたことにより相当怒っていた。

勿論デルフをただの剣だと思っていた橙は苛立ちを露わにして喋る剣に驚いた。

しかし、すぐにデルフの言った事に反応し、ピンと両耳を尖らせた。

更に尻尾を大きく膨らませ、全身の毛を逆立てたら、剣を相手に威嚇している黒猫の完成である。

「私をただの化け物扱いするな!第一お前だってまともな剣じゃないだろう!」

その様子を見たデルフはまるで笑うかのようにぷるぷると刀身を奮わせながら言った。

『うっせぇ。第一、尻尾が二本あって、使い魔でもないのに人語を解す時点でまともな生物じゃねぇだろうが!

 それに俺様はお前のような得体の知れない存在とは……』

 

「…そこまでにしときなさいよ。全く、こっちだって聞きたいことがあるんだから」

お互い一歩も退かないその様子に、霊夢は呆れつつも口を開いた。

喧嘩になる前に霊夢が割り込んできたためか橙は何かを思い出したかの様に耳をピンと尖らせると霊夢に話しかけた。

「あ、そうそう。一つだけ言っておくことがあったのを忘れてたわ」

「…?何を言い忘れたのよ」

首を傾げた霊夢に、橙は尻尾を振りながら自慢気にこう言った。

 

「紫様からの伝言。『橙と一緒にその場でジッとしているだけで良いから』だって」

 

橙の言葉を聞いたルイズはキョトンとした顔になったが、橙の言う『紫様』をある程度知っている霊夢は瞬時にその言葉の意味を理解した。

一方のデルフは自分の話を遮った霊夢と橙に怒りをぶつけようと再び喋り始めた。

『おいレイム!お前さんまでもがその化け物の味方をするの…か…よ……!』

喋ってる途中に何かを感じたのか、デルフの刀身がブルブルと震え始めた。

先程怒っている橙を笑うかのようなそれとは違い、まるで何かを警戒しているかのような震え方であった。

ルイズはそんなデルフを見て一体どうしたのかと思ったが、そんな彼女の身にも異変がおこった。

「ねぇ…ちょっと部屋の中寒くないかしら?」

ふと自分の手で身体をさすりながらもルイズはそう言った。

まるで冷たい水を全身に浴びたかのような冷気が彼女の身体を包み、体温を少しずつ奪っていくような気がした。

窓も閉まっており、暖炉にはちゃんと火がついているというのに。

そんなルイズの様子を見て、霊夢は溜め息をつくと天井を見上げ、呟いた。

 

「やれやれ…待たせた分演出に凝ってみました…って所かしらねぇ?」

 

 

 

 

 

「ミス・ヴァリエール。夜食の方をお持ちしに来ましたが…」

学院のメイド服を見事に着こなしている金髪碧眼のおっとりとした目つきの少女がルイズの部屋のドアをノックしていた。

左手にはワインの入ったミニボトルと食パンに野菜やハムをはさんだ軽食を入れたバスケットを持っている。

生徒達の中には夕食だけで腹を満たせる者が少なく、時折こうして夜食を頼む生徒が後を絶たないのだ。

かくいうルイズも例外ではなく、時折こうして頼むことが何回かあるのだ。

その為、こうして一人のメイドが夜食とワインを持ってルイズの部屋の前に突っ立ってドアをノックし続けているのだ。

なぜ部屋の前で立ち往生しているのかというと。こうやって何回もノックしても部屋の主人が出てこないのだ。

普通この時間帯の生徒達は部屋を出ることを禁止されており。真面目な者ならば部屋から出ようとはしない。

「あのーすいませんミス・ヴァリエール。せめてお返事だけでもぉ…」

給士は困ったようにそう言うが、ドアの向こうからは一切の声が聞こえない。

相手の返事が無いことに給士は溜め息をつくと、スッと目つきを変え、廊下に誰もいないのを確認した。

おっとりとしたようなソレではなく、まるで獲物を捜す鷹の目のソレである。

廊下には誰もいないのを確認した後、バスケットをそっと地面に置くと懐から小さな杖を取り出した。

一見すればただの羽ペンに見えるソレを振るいながら『アンロック』の呪文を唱えた。

 

魔法学院の校則では『アンロック』の呪文は生徒達のプライベート上、禁止とされている。

しかし今目の前でその呪文を唱えたメイドはそんなの関係ないと言わんばかりに唱えていた。

メイドは杖を再び懐に戻すとゆっくりとドアノブを捻ってドアを開け、そして目を丸くした。

 

簡単に言えば『部屋の中には誰もいなかった』。そう、誰一人として。

 

この部屋の主人である少女、そして彼女が召喚した少女もこの部屋にやってきた黒猫もいなくなっていた。

壁に立てかけられていた御幣やインテリジェンスソードも無くなっていたがこのメイドにとってはそれはどうでも良いことである。

彼女にとって、『今この部屋に主人とその使い魔がいない』という事が一番の問題であった。

みるみると顔色が青ざめていくメイドは信じられないという風に首を横に振りつつドアを閉めた。

そして再びバスケットを手にもつと早足で食堂に戻っていった。

 

食堂を戻りつつも彼女は下唇をキュッと噛み締めながら首から下げた聖具をギュッと握りしめた。

 

 

「―――…ん、うぅ…。」

耳の中に入ってくる風の音で、ルイズはゆっくりと目を開けた。体の上には少しふんわりとした布団が掛けられている。

どうやらいつの間にか気を失っていたようだが、それよりも先にルイズはある事に気がついた。

もしも仰向けに倒れているのであればいつもの見知った天井が真っ先に視界に入る筈である。

しかし、今彼女の鳶色の瞳に映っているその天井は、彼女の見知らぬ天井であった。

見知らぬ天井を見てルイズは眉を顰めると、自分の身体の下に柔らかい布のような物が敷かれているのに気がついた。

いつも自分が愛用しているベッドじゃないということにすぐに気がつき、そして次に辺りを見回してアッと驚いた。

「ここ、どこよ…?」

掛け布団を蹴飛ばし、上半身を起こしたルイズはポツリと呟いた。

そう、そこは…少なくともルイズが今まで見たことのない感じの部屋であった。

 

床は見知った板作りではなく、全く見たことのない奇妙な物が敷かれている。

寝ているルイズの右側には木製の枠組みの両面に紙または布を張ったもの――つまりは襖があった。

ついで左側には足が短いテーブルがあり、その上には使い慣れた自分の杖が置かれていた。

ルイズは立ち上がると、ゆっくり深呼吸し右手でギュ~…っと頬を抓った。

「イタタタタ…!」

途端、激しい痛みが抓った頬に襲いかかり、すぐさま手を放した。

涙目になりながらもルイズはコレが夢ではないということを実感する事となった。

「一体どういう事なの…?私は霊夢と一緒に自分の部屋に居て…それからそれから黒猫が―――あれ?」

自ら口に出して自分が覚えていることを呟いていたとき、ふと言葉が途切れてしまった。

尻尾が二本もある黒猫が部屋に入ってきたまでの事は覚えているが、それから後の事は全く覚えていなかった。

まるでその時の記憶だけ抜き取られたかのように思い出せない。

(こんな事…前にもあったような…――イヤそんな事よりもここは一体何処なの?)

この部屋といい、記憶が無いといい…一体どういう事なの…?とルイズは不安になり、テーブルに置かれた杖を手に取ろうとした時…。

襖の開く音がし、その後聞き慣れた声がルイズの耳に入ってきた。

 

「何キョロキョロしてんのよ?そんなにこの部屋が珍しいのかしら」

 

その声にルイズはハッとした顔をしつつも振り返ると、急須と湯飲みを載せたお盆を持った霊夢がそこにいた。

「れ、霊夢…。ここは一体何処なのよ?私、ついさっきまで魔法学院の自室にいた筈だけど…」

「…まぁ気を失ってたアンタからしてみればついさっきの事かもね。」

いつもの気怠そうな巫女の顔を見て、ルイズは不安そうな表情でそう言った。

一方の霊夢はその言葉にふぅ…と溜め息をつきつつもそう言い、手に持っていたお盆をテーブルの上に置いた。

霊夢は既にお茶が入っている湯飲みを手にするとそれをルイズの前に差し出した。

 

「ほら、とりあえず飲みなさいな。詳しいことはその後に話すから」

「え?あ、あぁどうも…って、これ取っ手が無いんだけど?」

「何言ってんのよ?取っ手がないのは当たり前じゃない。ティーカップじゃないんだから」

「…アンタ、口の悪さだけはキュルケより上なんじゃないの?」

 

馬鹿にするかのような霊夢の言葉に愚痴をこぼししつつも、ルイズは湯飲みを手に取った。

湯飲みは不思議と熱くはなく人肌に丁度良いくらいに暖かく、冷たくなっていたルイズの指を温めた。

そして若干湯気が立つ緑色のお茶をクイッと湯飲みを少し傾け、ゆっくりと口の中に入れた。

街で買ってあげたお茶とよく似た渋味と少し熱めの温度が舌を刺激し、喉を通っていく。

傾けていた湯飲みを再び傾ける前の角度にまで戻すとふぅっ…と息をついた。

 

「いつもコレを飲むたびに思うけど。渋味があってこれはこれで美味しいお茶ね。」

「よね~。私も好きよ、霊夢の出すお茶は」

「まぁ確かに、一度レイムの煎れてくれた紅茶を飲んだ事があったけど…―――

 

 

 

                                             …――って、誰よアンタ!」

 

横から聞こえてきたその言葉に、ウンウンと頷きつつ一人呟きながらも声の聞こえた方向に顔を向けた瞬間、ルイズは驚いた。

驚くのは無理もない。何せ白い導師服を着た金髪の女性がいつの間にか自分の横にいたのであるから。

「まぁまぁ、年頃の美少女がそんな驚いた顔をしてたら婿が一人も来ないわよ。ウフフ♪」

金髪の女性は手に持っている扇子で口元を隠しつつ、驚いたルイズを見てカラカラと笑った。

いつの間にか横にいた謎の女性に驚きつつも自分が笑われている事に気づき、カッとなってしまう。

「アンタ、道化師か何かなの?人を驚かしてその様を見て笑うなんて失礼よ!」

出来る限り目を鋭くしてそう言い放ったルイズを見て、女性は更にニヤニヤとする。

「道化師…ねぇ。まぁ確かに、今まで歴史の中で行ってきた一大行事には多くの人間が驚いていたわねぇ。特に月面戦争の時には―――あら?」

楽しそうに喋る女性の言葉を遮ったのは、ルイズが素早く手に持った杖であった。

 

「ふざけてるのかしら?だったら相手を選びなさい!恐れ多くも、私は公爵家…ム」

静かな怒りを抱えた鳶色の瞳を女性に向けつつ、ルイズは自分が誰なのかを教えようとしたがそれは霊夢の右手によって止められた。

「ハイハイそこまでにしときなさい。コイツ相手にムキになっても意味ないわよ」

「あらあら霊夢、私の数少ない楽しみを取るなんて…育て方を間違えたのかしら?しくしく…」

「変な言い方しないでよ!下手に勘違いされたらどうするの!」

一方の女性は泣きマネをしつつそう言うと、今度は霊夢が怒鳴った。

ルイズは憤りながらもそんな二人のやり取りを見つめつつも、霊夢に話しかけた。

「ねぇレイム、コイツは一体だれよ!?アンタよりタチが悪いじゃないの!」

「あら失礼な子ねぇ…まぁそれは置いておくとして、自己紹介がまだだったわね。」

そう言うと女性は立ち上がり、自らの名を名乗った。

 

「私の名前は八雲 紫。ここ、幻想郷を創りし者…ついでに趣味はその日その日で変わりますの。今日の趣味は…人攫いかしらねぇ」

紫は名乗った後。手に持っていた扇子で何もない空間をスッと撫でた。

瞬間、何もないはずの空間に線が現れ、一瞬にして大きな裂け目が生まれた。

「そして…境界を操る程度の能力を持っていますの。どうか以後お見知りおきを」

付け加えるかのように紫がそう言うと、裂け目の中から見える巨大な目がギロリとルイズを睨んだ。

その目に睨まれたルイズは「ヒッ」と小さな悲鳴を上げると杖を取り落とし、その場で腰を抜かしてしまった。

 

ルイズの反応がお気に召したのか、元から笑顔だった紫は一層微笑んだ。

それは人を喜ばせるどころか…見た者を恐怖させる程の笑顔であった。



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第二十九話

ルイズ・フランソワーズにとって、今体験している不可思議な出来事は一生忘れられないだろう。

別の世界で巫女さんをしている霊夢を召喚してからというものの、色々な事があった。

ギーシュの決闘騒ぎやフーケ退治、挙げ句の果てには戦争中の他国にまで行く始末。

しかもその出来事の全てに霊夢も関わり、いつの間にか全部霊夢が片づけてくれた…気がする。

そして全てが終われば霊夢は学院の外へ飛んでいき、気が向けば自分の部屋にいてお茶を飲んでいる。

きっとそんな光景は、いずれ終わるだろうと。ルイズは思っていた。しかし…

 

(だからといって、これは不可思議を通り越して摩訶不思議ね…)

ルイズは心の中でそう呟き、大きな溜め息を盛大についた。

今彼女は霊夢の家――――つまりは博麗神社…の外れにある社務所の居間にいた。

先程寝かされていた部屋と同じような感じの造りをしており、初めて見る物である。

居間の丁度真ん中には大きな机が置かれており、その周りには座布団が三枚ほど敷かれている。

そしてその座布団に崩し正座で座っているルイズの他にはきちんと正座で座っている霊夢と、先程からルイズの顔を見てニヤついている紫がいた。

 

数分前―――

 

先程の自己紹介の後、まず紫はルイズに色々と話したいことと聞きたい事があると言った。

ルイズは紫の能力と不気味な笑顔をみた後では強気な態度は出せず、コクリと頷くことしかできなかった。

 

頷いたルイズを見た紫はウンウンとひとり頷くと二人を連れて居間へと移動した。

それほど長くもない廊下を歩いている最中に、窓から外の景色を見ることが出来た。

まず最初に目に入ったのが、見たことのない造りをした建物であった。

あんな形の建物はハルケギニア中何処を捜したって見つかりはしないだろう。

「アンタ、何を見てるのかと思えば私の神社を見てたのね」

ルイズの後ろにいた霊夢は、窓から自分の神社を見ているルイズに気づいたのか、さりげなくそう言った。

一方のルイズは、聞いたことのない単語にキョトンとした。

「ジンジャ…って何よ」

「う~ん、なんと言ったらいいか。とりあえずアンタたちで言う教会みたいな所かしら」

霊夢はそこまで言った後、何かを思い出したのだろうか。「そういえば、しばらく見てないわねぇ…」と呟いていた。

彼女の呟きが何なのか判らないルイズはとりあえず肩を竦めるともう一度窓から外の様子を見ることにした。

その時になって気づいたことは、まだ外は薄暗いがどう見ても夜中でなく明け方の時間帯であるという事だった。

(私が意識を失ったのは夜中だから…もしかしたら五、六時間ぐらい過ぎてるのかしら?)

そんな事を思っていると、今まで黙っていた紫が突然ルイズに話し掛けてきた。

 

「突然こんな所へ連れてきて申し訳なかったわね。本当ならもっと時間を掛けて接触しようと思ったのだけれど… 

 時間が無かったから少し予定を変更して、博麗の巫女と一緒に無理矢理連れてくることにしましたの。」

 

クスクスと笑いながらそう言う紫を見て、霊夢は呆れた表情になった。

「全く、それならそうともっと早く来れなかったの?アンタぐらいならすぐでしょうに」

「あら?随分と買いかぶられているようですね。所詮私の力は境界を操る゛程度゛なのよ」

「よく言うわねぇ…」

紫の言葉に霊夢は肩を竦めつつも移動し、居間に到着した。

この間わずか一分ぐらいであったが、ルイズにとってはその一分が少しだけ長く感じられた。

居間へついた三人の内一人(霊夢)は、最初から居間に座布団が敷かれている事に目を丸くした。

(おかしいわね…召喚される前には座布団を三枚敷いてた覚えは無いんだけど)

不思議そうに座布団を見つめる霊夢を見て、紫はテーブルの右側に敷かれた座布団に座りつつも霊夢に説明した。

「心配ご無用。藍に敷いておくよう言っておいたのよ。『向こうの世界』で随分のんびりしてたからね」

紫の言葉を聞いた霊夢は安心したのか「あっ、そう」とだけ呟き、左側の座布団に座った。

そして残った一枚は先に座った二人から見れば上座の位置に敷かれている。

ルイズは二人が座ったのを見て、崩し正座ながらも残った一枚に座る事にした。

 

そして時間は今に戻る―――

 

紫はルイズが座ったのを確認すると口を開いた。

「まずは、貴方に聞きたい事が一つあるのだけれど、よろしくて?」

そう問いかけた紫の言葉に、ルイズは不安そうな顔で頷いた。

「そう。じゃあ最初に聞くけど、貴方が霊夢を召喚したのね?」

うっすらと笑顔を浮かべつつ紫はそう言い、ルイズはその質問に対し、どう言おうか迷った。

先程の隙間――つまりは紫の能力――を見た限り、相手がタダ者では無いことは確かである。

そんな未知の相手を前に、下手なことを言えばどんな目に遭ってしまうのかわからない。

(それに…自己紹介の時に人攫いが趣味って言ってたし…)

どう答えようかと悩みつつも心の中でそう呟いた時、突然紫がクスクスと笑い、ルイズに向かってこう言った。

「フフフ…人攫いと言ってもそんな無闇に人を攫うような事は致しませんわよ?」

「―――!?」

その言葉にルイズは驚きを隠せず、目を見開くとビクッと体を震わせた。

一方の霊夢はそんな二人のやり取りを見て、何が何だかわからず首をかしげる。

「どうしたのよ突然驚いちゃって…?」

「別に何でもないわ霊夢。ただこの娘、考えることが全部表情に浮かんじゃうだけよ」

霊夢にそう言った後、驚くルイズに「で?質問の答えは…」と言った。

 

ルイズは目を見開いたまま先程の質問に答えた。

「ぇ…え、ぇ…そう、私よ。私がレイムを召喚したのよ。は…春の使い魔召喚の儀式でね」

「使い魔の召喚…ね。だとするとアレは不慮の事故って事かしら?」

思い切ってそう言った後、紫は真剣な顔つきになると手に持っていた扇子を机に置いた。

一方のルイズは「不慮の事故」という言葉を聞き、首をかしげる。

それを見た紫の口元に笑みが浮かび上がり、口を開いた。

「どうやら意味がわからないようね。まぁこれから色々と説明するから、その合間に話すことにするわ。」

紫はそう言い、ルイズにここは一体何処なのか、そして今どういう状況になっているのかを話しはじめた。

 

 

 

紫の丁寧な説明を聞きつつ、私は驚くことしかできなかった。

まず最初に伝えられたこと。それは、ここが「ハルケギニアとは全く違う異世界」だという事。

当然私は驚愕したのだが。驚く暇すら与えず紫はこの異世界について淡々と説明し始めた

ここは幻想郷と呼ばれているところで。人間…それに「妖怪」という聞いたこともない種族や「妖精」といった伝説上の存在が住んでいるらしい。

彼らはこの幻想郷でしか住むところが無く。回りから大妖怪と一目置かれる紫がこの世界を創ったというのだ

そして博麗の巫女である霊夢がその世界を結界(私も何度か見てきたあの光の壁みたいな物)で覆い、守っていると言うことも。

 

私はその説明を聞いたとき、自分の目の前にいる紫が人間ではなく「妖怪」と呼ばれる存在なのだと気づいた。

(でも…今になって思い出してみると。あの変な隙間とか不気味な笑顔で人間じゃないって気づけたんじゃないのかしら?)

そんな風に心の中であの裂け目の中の目や不気味な笑顔を思い出し、ブルッと体を震わせた。

しかもこの世界を創造したと言っているのだ。もはやそれは妖怪というより神に近い存在では無かろうか。

更に今まで私の部屋で一緒に過ごしてきた霊夢はその世界を維持する結界を張っているというのだ。

私の世界で例えれば、始祖ブリミルとロマリアの教皇に謁見しているのと同じ事である。

 

(イヤでも…この二人ってそれ程堅苦しい性格には見えないし…何より始祖ブリミルに失礼ね。

     どっちかというと名のある土地の領主様とそこの治安を守る腕利きのメイジとの会合ってところかしら?)

 

そんな風に考えている私の心を読んでか、紫はクスクスと笑いつつ、説明を再開した。

 

 

次に紫が話したことは、私の行った召喚の儀式で霊夢が私の世界に喚ばれてしまったという事。

結果、幻想郷全体を覆う「博麗大結界」が不安定な状態となり、幻想郷崩壊の危機に陥ったというのだ。

つまりは、今目の前にいる霊夢は、この世界の中枢と呼ばれる存在なのだ。

その話を聞いた私は、自分の顔色がどんどん悪くなっていくのを直に感じていた。

「もしかしたら私は、この世界の住民に…大変なことをしちゃいました。…ってところ?」

私は自分の顔が青くなっていくのを自覚しつつ、確認するかのように紫に向かってそう言った。

何せ今目の前にいるのはこの世界の中枢とも呼べる存在が二人もいる。霊夢はともかくきっと紫はかなりご立腹に違いない。

そんな風に思いつつ、私はどんどんと顔色を悪くしていく最中…紫は言った。

 

「別にあなたが悪いとは私は言ってないわよ?むしろ好都合だったわ」

「……えっ?―え―え、えぇ~…?」

てっきりキツい罵声が飛んでくると覚悟していたルイズは拍子抜けしてしまった。

拍子抜けするのも無理はない、何せこの世界の創造者は怒りもせず、更には好都合だと言ったのだ。

「好都合?ちょっとどういう事よ紫、私にはサッパリなんだけど」

ワケがわからないのは霊夢も同じだったようで、顔を顰めている。

「まぁそうよね~。私にとっても降って沸いた偶然なのだから。まぁ話しておいた方が良いかしら?」

そう言うと紫は良くわかっていない霊夢に説明をした。

 

 

少女説明中―――――

         寄せ鍋(ヨシェナヴェ)でも食べながら待っていてください。

 

 

 

「…ふーん。妖怪達の生活向上ねぇ」

紫からの説明を一通り聞いた霊夢は興味が無いと言いたげな表情でそう言った。

一方の紫は霊夢とは真逆に嬉しそうな顔である。

「えぇ…。あの世界を調べていく内にわかったのだけれど、向こうの技術は幻想郷と相性が良いのよ」

「だから今回の件は無かったことにするって事ね。私は別に良いけどレミリアとかはどうなのよ?」

霊夢の言うとおり、レミリアのようにプライドがあって尚かつ自らの住処を荒らされるのを良しとしない者が黙っているはずが無いのだ。

今回のことを許せば貴方達の生活はもっと良くなりますよ、と言って素直にはいそうですかと言うワケがない。

幻想郷に住む妖怪達にとって此処でしか住む所が無いのだ。

 

しかし、霊夢の質問に紫はその顔に微笑みを浮かべつつ言った。

「流石の私もあの娘の説得には骨が折れそうだったけど何とかなったわ。

 後のことはもう一度会ってみなければわからないけど…まぁ多分何とかなるわね。」

 

紫はその言葉でふぅ…と一息つくとルイズの方へと向いた。

何が何だかわからず、今まで置いてけぼりだったルイズは何故か身を強ばらせてしまう。

 

 

ガリア王国――

 

ハルケギニア大陸のほぼ中央に位置するその国は人口約1500万人を抱える魔法先進国である。

日々職人達が様々なマジックアイテムを作成しているのだ。

中でも人形作りに関しては特筆すべき所があり、各国から届く注文の手紙は絶えない。

平民達も満足した生活が出来ているその国の宮殿は首都リュティスから離れた所に建てられていた。

ヴェルサルテイルと呼ばれる宮殿の中に青いレンガで作られたグラン・トロワという宮殿がある。

そのグラン・トロワの一番奥の部屋には、この国の王がいた。

 

その男の名はジョゼフ。現ガリア王国の国王である。

青みがかかった髪と髭に彩られた顔は、見る者をハッとさせるような美貌に溢れていた。

均整のとれたがっしりとした長身が、そんな彫刻のような顔の下についている。

今年で四十五になるのだが、どうみても三十過ぎにしか見えない若々しさ。

そのような美髯の美丈夫は自らの寝室に一人の女を招き入れていた。

黒い艶やかな髪が特徴的なその女は、あのシェフィールドだった。

「あなた様の指示を受け、クロムウェルが神聖アルビオン共和国の初代皇帝となるようです」

シェフィールドは、クロムウェルやボーウッドの前でとった時とは180度違う態度でジョゼフにそう報告した。

その報告に満足したのか、ジョゼフはその美しい顔に微笑みを浮かべると口を開いた。

 

「どうやら、世界は俺の読み通りに動きつつあるな」

誰に言うとでも無くジョゼフはそう呟きつつ、部屋の真ん中に設置されたテーブルの上に置かれている一本の杖へと目を向けた。

騎士が使うようなレイピア型のそれには、どす黒く変色した゛血゛が大量にこびり付いている。

ジョゼフはその杖を手に取ると既に固形化している血液を指先でツンツンとつついた。

「確か、これをやってくれたのは…トリステインの元子爵、だったかな?」

「ハイ。今現在は重傷を負い寝たきりの状態ですが後一週間もすれば回復するとのことです」

シェフィールドは淡々と報告しながらも、ジョゼフの顔をジッと見つめていた。

 

その報告を聞いたジョゼフはウンウンと頷きつつ、手に持っていた杖をシェフィールドに手渡した。

「良し、その子爵には俺の財布で新しい杖を買い与えてやろう。これ程の偉業は無いからな」

「了解しました。して、この杖…もとい付着している血液は゛実験農場゛に送れば宜しいのですね」

言いたいことを先にシェフィールドに言われてしまったのか、ジョゼフは目を丸くした。

「さすがは余のミューズだ。もう心を読まれてしまったか!」

大げさに驚いているジョゼフを見て、シェフィールドは薄笑みをその顔に浮かべた。

「そうでなければ。貴方様の使い魔として生きてゆけませぬ」

「相変わらず可愛い奴だ!とにかく、それぐらいの量なら科学者共の力で充分作れるだろう」

ジョゼフはそう言うと窓の方へと近寄り、遙か空の上にある双月を仰ぎ見た。

 

「俺は作り出してやろう。埋もれた歴史の墓場に佇んでいた伝説の存在を…」

そう言った瞬間、ジョゼフはバッと両手を広げ大声で叫んだ。

 

「そして今の時代をその伝説で壊してやる!俺がこれから指してゆくゲーム盤の上に潜ませてな!!」

 

 

「さてと、次は貴方に聞きたいことがあるのだけれど…」

その言葉に、ルイズはとりあえず頷いた。

「まずはあなたがさっき言ってた春の使い魔召喚の儀式について質問だけど。それには一体何の意味があるのかしら?」

これが本題だと言わんばかりに興味津々な眼差しで紫はルイズに聞いた。

突然そんな事を言われたルイズは戸惑いつつもその質問に答えた。

「あれは、私たちが二年生になる為の必要な行事よ」

「成る程…進級行事というわけね。それで、使い魔を召喚したその後は?」

少し机から身を乗り出し、紫は更に詳しい説明を要求した。

 

「そのあとは…召喚した使い魔によって今後の属性を固定し…それぞれの専門課程へと進むのよ

グリフォンや風竜の子を召喚したら『風の属性』の専門課程へ。サラマンダーを召喚したら『火の属性』の専門課程。という風に」

 

そこまで聞いた紫は満足したかのようにウンウンと頷いた。その顔はまるで昔話を聞いて喜ぶ子供のようである。

「成る程、貴方の世界ではそういう行事があるのね。聞いてて飽きないわ」

更にその後、紫からの質問が何度か行われた。

 

貴方が住んでた世界は一体どんな所で、どんな国があるのか。

どんな種族がいて、どのようにして暮らしているのか。

マジックアイテムのような特殊な道具はあるのか。

製鉄や造船などの技術がどれくらい進んでいるのか。とか等々c…

 

座学においてはタバサと一、二を争うルイズは数々の質問に、とりあえず知っている限りの事を教えた。

そんなこんなで軽く一時間が過ぎ、(ルイズにとって)長い長い質問攻めは…突然腰を上げた霊夢によって終わりを告げた。

二人のやり取りの合間に淹れてきたお茶を眠たそうな顔で飲んでいた霊夢の表情は、真剣なものになっている。

紫の質問に答えていたルイズはどうしたのかと霊夢の方へと顔を向けた。

一方の紫も、ルイズの゛記憶゛の一部からでしか見れなかった異世界の話を楽しんでいたのだが、ふと霊夢と同じく表情を変えた。

しかしその表情は真剣な顔つきの巫女とは違う。面白い物が見れるといった感じである。

 

一体何なのかとルイズはキョトンとしたが、辺りを見回してもおかしい所は何もない。

ルイズは首をかしげつつも霊夢の方へと顔を向けたその瞬間――

 

「ハァッ!」

 

キ イ  ィ   ン ッ !  !

 

威勢の良い霊夢の声と共に金属特有の甲高い音が直ぐ傍から聞こえてきた。

突然のことにビクッと体を震わせつつルイズはその音の方へと視線を向ける。

そこには、いつの間にか青白い結界を張っている霊夢がいて――その結界にはナイフが刺さっていた。

ナイフと言ってもかなりの大きめの物である。刺さればかなりの深手を負う事間違いなしである。

ただ、その刃先はルイズ本人には向いてはいない。

霊夢が結界を張っていなければ丁度彼女の頬を掠って背後の壁に突き刺さっていただろう。

「ひっ…ひぇぇ……」

気づかぬ間に自分のすぐ傍に刃物があった事に気がついたルイズは気を失ってしまった。

「はぁ~…全く、相変わらず手の込んだ事をするわね。挨拶ならもうちょっと工夫しなさいよ」

霊夢は気絶したルイズを見て溜め息交じりにそういうと結界を解除し、そのナイフを手に取った。

そして部屋の中を見回し、いつの間にか開いていた窓に気づくとそちらの方へとナイフを投げ捨てた。

 

 

放射線を描きながらナイフはそのまま外へと飛んでいき、勢いよく地面に刺さった。

それから間もなくして、メイド服を着た銀髪の女性が突然現れ、地面に刺さったナイフを抜きそれを手に持っていた鞘に収めた。

鞘に収めたナイフを腰に差すと、メイド服の女性、咲夜は窓からこちらを睨み付けている霊夢に話しかけた。

「どうせ貴方が防ぐと思ってしたまでの事よ。それに直撃もしなかったと思うし」

平然と言う咲夜に霊夢は嫌悪感丸出しの態度で返事をした。

「だったら刃物なんか投げないで頂戴。壁に刺さってたらどうしてくれたのよ」

「それは面白そうね。当たったら何か景品でもくれるのかしら?」

「はいはいそこまでにしときなさいな。戦いたいのなら後にしなさい」

霊夢の横からちらりと顔を出した紫が突如二人の会話に割り込んだ。

 

咲夜は肩をすくめながらも今度は紫に話し掛ける。

「私は別に戦いたくはないわ。ただお嬢様から一足先に軽い挨拶をして来いって言われただけよ」

「成る程…やっと交渉が成立したと思ってたけどまだ根に持ってるようねあの我が侭お嬢様は」

「何なら今ここでお嬢様の開放できない怒りを貴方にぶつけても良くってよ?」

少し危なっかしい会話の最中、今度は霊夢が割り込んできた。

 

「ちょっと紫ー。ルイズが気絶してるんだけど」

霊夢はそう言うと気を失って倒れているルイズの頭を小突きながらそう言った。

咲夜も近づいて窓から覗き込み、本当に気を失っているのを見て「あらら、子供には刺激が強すぎたかしら」と呟いた。

 

 

 

 

 

あの後、霊夢は気絶したルイズを再び客間へと移し、寝かせることにした。

咲夜はレミリアが今夜にでもルイズへ挨拶しに来ることを伝え、そさくさと帰ってしまった。

「ホント、あっという間に帰っていったわね」

紅魔館へと飛んでいくメイドの後ろ姿を神社の境内から見ながら、霊夢はポツリと呟いた。

同意と言わんばかりに横にいる紫も頷き、口を開いた。

「そのようね…さてと、私も一旦帰ることに致しますわ」

紫はそう言うと隙間を開きその中へ入ろうとしたが、思い出しかのように突然こんな事を言ってきた。

 

「そうそう霊夢、結界の事について話したいことがあるから今夜辺りにもう一度来るからそれだけ覚えておいて頂戴」

それだけ言うと紫は隙間の中へとその身を入れ、その隙間もまた消滅した。

結果、一人神社の境内に取り残された霊夢は溜め息をつき、頭上にある空を仰ぎ見た。

薄暗いが、いつも見慣れている幻想郷の空を見て、霊夢は幻想郷へと帰ってきた直後の出来事を思い出していた。

 

 

ルイズと一緒に幻想郷へと戻ってきた直後

紫はすぐに霊夢へ結界の異変について一通りの事を話した。

霊夢がいなくなって暫くした後、まるで白紙に描かれた絵の上に更に絵を描いたように、結界の上に未知の力が覆い被さったという。

調べてみたところ、霊夢を連れ去った召喚ゲートとよく似た性質だったという。

その未知の力が、驚くべき事に幻想郷を覆う博麗大結界を浸食しているらしい。

「大結界を飲み込んでるって…それじゃあ全部飲み込んだらどうなるのよ」

紫と共に境内に佇みながら霊夢はそんな質問をした。

一方の紫は、いつになく真剣な表情で、こう答えた。

「こんな事は私にとっても今まで生きてきて初めての事だわ…つまり」

 

「つまり…?」

霊夢は首を傾げた。

「私にも予測がつかない、という事よ」

 

とりあえずは応急処置と言うことで浸食されていた部分を元通りにする作業が始まった。

結界に小さい穴が空いたり、結界が脆くなってしまうのは良くあることである。

そんな部分を見つけるたびに修復する紫(最近は藍に任せっきりだが)。そして結界を創り、補強する博麗の巫女の手に掛かれば…

浸食してしまった部分を元に戻す作業は、わずか四時間で済ますことが出来た。

紫だけでも結界を直す事は可能だが、下手にそんな事をすれば結界は崩壊していただろう。

 

こうして、たった四時間を費やしとりあえずは未知の力から博麗大結界を守ることに成功した。

 

 

「…まぁ応急処置だけだったから、ついでにあちこち補強するんでしょうねぇ」

あぁヤダヤダ、と呟きながら霊夢は大きな欠伸をした。

そういえば今日はまだ寝てなかったな~と思いつつ社務所へと戻り始めた。

「久しぶりの布団…あぁはやく横になりたいわ」

眠たそうに目を擦りながらそんな事を呟き、また一つ大きな欠伸をかました。

 

 

 

それから大体四時間が経過しただろうか。

太陽もようやく顔を出し、布団で横になっていた霊夢も起きて朝食(久しぶりの和食)を食べた後。

社務所の縁側で途中からやってきた二人の知り合いと一緒にお茶を飲んでいた。

未明頃に考えていた事など、すっかり記憶の片隅に追いやって談笑している。

 

「…そんなこんなで、今も寝てるというワケよ」

霊夢は横でお茶を飲んでいる二人に、今までの出来事もとい思い出話を丁度語り終えたところであった。

「ふ~ん。つまり、そのルイズとかいうのは異世界があるのを知ってビックリして気を失ったというワケか」

いつも被っている帽子を傍らに置いてある魔理沙はお茶を飲みつつもそう言った。

魔理沙の言葉に、隣にいたショートヘアの少女――アリス・マーガトロイド(以後アリス)―が突っ込んだ。

「あんた全然霊夢の話聞いてなかったでしょ?どう聞いてもメイドの挨拶が原因でしょうに」

 

 

 

霊夢が幻想郷に帰ってきたことは未だに多くの者が知らない。

知っているのは八雲紫やレミリア、それと紅魔館で話し合っていた者達だけである。

当然部外者であるアリスや魔理沙は霊夢が帰ってきた事等全く知らなかった。

それなのに何故、この二人が偶然にもこの神社へ一目散に来たのだろうか。それに対し魔理沙が勝手に答えてくれた。

 

「どうだアリス、霊夢はやっぱり帰ってきてたぜ。この賭は私の勝ちだ!」

霊夢を指さしながら嬉しそうに言う魔理沙とは正反対に、アリスは不機嫌であった。

「ふぅ…全く、お陰で昼食を奢る羽目になっちゃったわ。ま、とりあえずおかりなさい。とでも言っておこうかしら」

 

どうやら、魔理沙の運勢がただ良かっただけらしい。

結果、魔法の森に住む普通の魔法使いと人形遣いは紫と咲夜の次に霊夢と顔を合わせた。

 

 

アリスのさりげない突っ込みに、魔理沙はコロコロと笑った。

「確かにそれもあるが、ホラ何だっけか?確か外の世界から来た大抵の人間も幻想郷に来たらすぐに気絶するんだろ」

それと同じようなもんだぜ。と言った直後、ふと横の方から写真機のシャッター音が聞こえてきた。

外の世界では゛古物゛と呼ばれている写真機はある程度流通している幻想郷では少し珍しい音である。

更に、人里から充分離れたこの神社でシャッター音を鳴らす者を、三人は良く知っていた。

 

「いやはや、聞き慣れた声が耳に入ったので飛んできてみれば…これは正に一大ニュースですね」

 

元気そうな声の主はそう言いいつつ首からぶら下げていた写真機から手を放す。

白いブラウスに黒のショートスカートは、一見すれば魔法学院の制服とよく似ていた。

黒髪のショートヘアがよく似合う頭の上には小さな赤い帽子(いわゆる天狗帽子)を被っている。

何よりもまず目にはいるのが背中から生えている黒い翼であった。

幻想郷ではまずもってそんな翼を生やしているのは、「鴉天狗」と呼ばれる者達だけだ。

「よぉ文。相変わらずこういう事にはえらく速いんだな」

「あっ、魔理沙さんじゃないですか!それにアリスさんも…こんなところで出会えるなんていやはや、奇遇ですねぇ」

魔理沙は微笑みつつ片手を上げつつ、神社にやってきた鴉天狗に挨拶をする。

次いで文と呼ばれた鴉天狗も人を喜ばせれる笑顔で魔理沙とアリスに挨拶した。

「誰かと思ったらアンタか、一体何の用よ?」

一方の霊夢はというと、半ば呆れた感じで目の前にいる鴉天狗に声を掛けた。

「いえいえ、私はただ風の噂で貴女が゛異世界人゛と一緒に帰ってきたというのでつい…あぁ、後コレを」

丁寧な口調で鴉天狗――射命丸 文(以降 文 )――はそう言うと左手に持っていた新聞をポイッと霊夢の方へ放った。

 

ほぼ反射的にその新聞を受け取った霊夢はしかめっ面になった。

「ちょっと、何勝手に放り投げてるのよ」

「貴方がいなかった時の文々。新聞です。どうぞ読んでみてください」

嬉しそうに言う文に勧められ、霊夢は嫌々新聞を広げ最初に目についた記事のタイトルを読んだ。

「紅魔館一同、来るべき日に備えて戦闘訓練…―――って、何よコレ?」

デカデカと新聞の一面を飾るタイトルと槍を持った紅魔館の妖精メイド達の写真を見て霊夢は驚いた。

紫の話を聞き幻想郷が結構大変な事になってたと知っていたが、まさか自分がいない間にこんな事があったとは全く知らなかったのである。

(まさかレミリアの奴、本気で異世界にまで行くつもりだったのかしら?)

そんな事を思っている霊夢の隣から新聞を見ていた魔理沙はつい先々日のレミリアを思い出して目を細めていた。

「あぁ~そういえばこんな事もあったわね。あの時は本当に戦争が起きるのかと思ったわ」

一方のアリスはというとまるで他人事のようにそう言いお茶を啜っている。

「でしょでしょ?さてと、折角お会いしたことですし一つお話を聞かせて貰ってもよろしいでしょうか?」

 

その時、ふと誰かが霊夢に声を掛けてきた。

「あら?なんだか社務所の方が騒がしと思ったら…随分とおそろいの様ね」

 

その大人びた雰囲気の声に霊夢は顔を上げると、予想通り永遠亭の薬師である永琳がいた。

彼女の後ろには弟子の鈴仙・優曇華院・イナバ(以降 鈴仙)がおり、赤十字が目立つ白い薬箱を両手で抱えている。

「あら、お久しぶり。永夜異変の時以来じゃないのかしら?こうやって顔を合わすのは」

「久しぶり。…というのは貴女の物理的視点から見ればでしょう。私はもう何百回も貴女の顔を見てるわ」

永夜異変以来に見た永琳と鈴仙の姿に霊夢は素っ気ない挨拶を送った。

一方の永琳は良くわからないことを言い、ふと辺りを見回した後霊夢に話しかけた。

「ねぇ、貴女と一緒にやってきたという異世界の少女は何処にいるのかしら?周りには知ってる顔しかいないんだけど」

「ルイズの事…?それなら奥の客間にいるけど――まずは先に何をするのか聞かせて貰いたいわね」

そう言って疑いの眼差しで睨み付けてきた霊夢に、優曇華は後ずさったが一方の永琳は涼しげにこう答えた。

「疑ってるようね?私はあの吸血鬼と違って痛い目に遭わしてやろうなんて思っちゃいないわ。ただ八雲 紫から軽い検査をしておくよう頼まれただけよ」

霊夢は薬師の口から出た大妖怪の名前に目を細めた。

「紫が?なんか怪しいわね。…でもまぁ、特別変な事しなけりゃあ私は何も言わないけどね」

先程文が渡してくれた新聞を見た所為か霊夢は少し永琳を疑っていたが、それはただの勘繰りすぎだったようだ。

「ご理解感謝致ししますわ。じゃ優曇華、後の方はよろしく頼むわ」

「あ、はい。わかりました」

巫女の了承がとれ、永琳は自分の弟子である鈴仙に検査をしてくるよう指示した。

鈴仙は丁寧に縁側で靴を脱ぐと薬箱を抱えて客間の方へと歩いていった。

 

自分の弟子が行ったのを見届けた後、永琳は魔理沙の横に座り霊夢の顔を見た途端、大きな溜め息をついた。

 

「…全く。幻想郷は大変だったというのに朝からお茶を飲んで談笑しているなんて、暢気な巫女さんねぇ」

 

永琳の口から出たその言葉に、霊夢は一瞬だけ目を丸くしたのだが、すぐに反論した。

「私だってただ紅茶とか飲んでぐーたらしてたワケじゃないのよ。色々大変だったんだから」

霊夢はそう言いつつ、ハルケギニアでの出来事を思い出そうとしたが、突如魔理沙が割り込んできた。

「どうせその大変な事だって、お前はタダ見てただけなんだろ?」

ワルドやギーシュとの戦いを思い出そうとして妨害された霊夢はムッとした表情になった。

「何言ってるのよ魔理沙、むしろ見てたのはルイズの方よ。本当あっちの連中はそれなりに強かったんだから」

ま、もうこれで終わりだけどね、と呟いた後お茶を飲もうとしたが、今度は永琳が話し掛けてきた。

 

「貴女、もしかしてこれでめでたしめでたし。とか思ってるんじゃないでしょうね?」

 

「―――――――――――は?」

緑色の渋い味がする液体が後一歩で口にはいるという時に耳に入ってきたその言葉に、霊夢はキョトンとした。

そんな霊夢の表情を見て、永琳は呆れた表情をその綺麗な顔に浮かべると霊夢にこう言った。

 

 

「今夜にでも教えられると思うけど。多分もうしばらくは向こうの世界で過ごす事になるわよ」

カチャン!

永琳がそう言った後、ふと横から甲高い音が聞こえた。何かと思いそちらの方へ顔を向けると…

湯飲みを取り落として割ってしまったのにもかかわらず、キョトンした表情のまま硬直した霊夢がいた。



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第三十話

もうすぐ太陽が沈み、夜の帳が訪れようとしている時間帯の幻想郷

博麗神社の境内には霊夢とルイズ、それに幻想郷の住人もとい霊夢との面識がある者達がちらほらといた。

紅魔館からは館の主とその従者、永遠亭からは薬師とその弟子が境内に集まっていた。

従者と弟子を除いた薬師と主人の二人は、八雲紫から話があると言われ神社へやってきている。

鴉天狗と魔法の森に住む白黒魔法使いの二人もいるが、彼女らは話に興味があって残っただけで、所謂招かれざる客というものだ。

しかし招かれた客達は、その者達に対して何も言うことはなかった。

「いやぁ~、異世界人だからどんな姿をしてるかと思えば…普通の人間と変わりは無いんですね」

鴉天狗の文はひとり呟きながら写真機で霊夢とルイズの写真を撮っている。

 

パシャ、パシャ、という音と共にルイズの身体がビクリと震えている。どうやら少し怯えているようだが無理もない。

何せ気が付いた時には鈴仙や文…そして何よりレミリアといった、ルイズにとって見慣れない存在がこの神社へ来ていたからだ。

 

 

今から大体四十分前ぐらい…

 

ルイズが目を覚ましたとき、兎耳を生やした亜人の少女、鈴仙が枕元にいる事に気づいた。

白い肌に人工的な感じを漂わせる銀髪と真紅の瞳…そして何よりも目立つのがヒョロッとした兎の白い耳。

黒いブレザーと白いプリーツスカウトを身に付けており、ブレザーの左胸部分には白い三日月のバッジを付けている。

「あら、ようやく起きたんですね」

目を覚ましたものの、未だ起きあがっていないルイズに微笑みつつ、鈴仙は声を掛けたがルイズは安心出来なかった。

亜人の中には一部を除いて人とよく似た姿の種族はいるものの、基本的には人間の敵である。

すぐさまルイズは起きあがり杖を手に取ろうとしたのだが、それより先に鈴仙が彼女の肩を掴んだ。

「あぁちょっと待ってください。これから体温を測りますので」

「ちょっ……ちょっと何よこれ?」

そう言って鈴仙は肩を掴んでいない右手に持っている細長い物体の先端をルイズの額に向けた。

「大丈夫ですよ。ちょっと体温を測りたいだけです」

見たこともない物を見てルイズは軽く焦ったが、それを無視して鈴仙は手に持っている物体の真ん中にある小さなボタンを押した。

ルイズは思わず目を瞑ったが、痛みも何も感じないことを確認し恐る恐る目を開けた。

 

 

「う~ん、幻想郷の人間と比べたら若干体温が高いわね…」

 

 

目を開けると既に鈴仙はあの変な物体を持っておらず、何かメモをしている。

一体あれは何だったのかとルイズは首を傾げそうになったが、ハッとした顔になると枕元に置いてある杖に手を伸ばそうとした。その時…

 

「どうやら、もう目を覚ましていたようね」

静かな雰囲気を持つ声と共に知らない女性が入ってきたため、ルイズは思わずそちらの方へ視線を移してしまう。

「あ、お師匠様」

その声を聞いた鈴仙はパッと笑顔を浮かべて立ち上がった。

部屋に入ってきた女性の灰色がかった銀髪は、鈴仙のソレと比べれば大分自然的な美しさを持っていた。

それよりもまず最初にルイズの目に入ったのがその女性の着ている服であった。

良い言い方ならとてもユニーク、悪い言い方ならば酷く奇抜で理解しがたいデザインだ。

服の上半分の右側は赤で左側は青色、下半分はその逆であった。

服全体と、頭に被っている赤十字マークがある青帽子には星座のような刺繍もある。

(一体どうなってるのよレイムの世界のファッションセンスは…民族衣装にしては奇抜すぎるわ)

ハルケギニアにはないユニークな永琳の服を見てルイズは頭を抱えそうになった。

 

「…体温が少し高いというだけで異常は見受けられません」

「そう。ご苦労様…」

そんなルイズの気を知らず永琳は弟子である鈴仙から報告を聞き終え、ルイズの方へ視線を向ける。

これで今日の朝方、紫に頼まれていた「ルイズの身体に異常が無いか調べる」という仕事は何の問題もなく終わらせることが出来た。

といっても永琳達が神社に来たのはルイズが目を覚ます数時間前である為、事実上結構な時間が掛かったことになる。

鈴仙はともかく永琳としては思ったより時間を掛けたのだから何か面白い物でも見れたらいいなと思っていたが、結局何の異常も無く少しだけ落胆していた。

人間でも妖怪でもない―蓬莱人―の内一人である永琳にとって、外の世界とは違う異世界の人間を調べるという事はちょっとした楽しみなのである。

(後の楽しみといえば…この血液だけね)

永琳は心の中で呟きつつ、ポケットから小さなカプセルを取り出した。

 

カプセルの中身はルイズの血液サンプルで、弟子の鈴仙が直ぐに持ってきてくれたのだ。

ルイズが寝ている間に採血し、尚かつバレないよう止血処置を施したためルイズ本人も気が付いてはいない。

(帰って分析してみたら何が出るのやら…)

永琳はそう思いつつ手に持ったカプセルをポケットに突っ込み、ルイズの方へ身体を向けた。

ルイズはというと上半身だけを起こして鈴仙と永琳をじっと見つめていた。

ある程度の緊張感を孕んだ鳶色の瞳を見て、とりあえず永琳は自分の顔に笑みを浮かべてこう言った。

 

 

「そういえば自己紹介がまだでしたわね。私は永遠亭で薬剤師を勤めている八意永琳。そしてこの娘は弟子のウドンゲといいます」

 

 

そして時間は今に戻り…

 

 

「…そういえば、お前さん大分柔らかくなってないか?」

楽しそうに写真を撮っている文の後ろ姿を眺めつつ、魔理沙は横にいるレミリアに話し掛けた。

「失礼な。私はこう見えても自分の体には自信を持ってるんだけど?」

一方のレミリアは、魔理沙の言った゛柔らかい゛という言葉にムッとした。

妙に可愛い仕草をする吸血鬼を見て魔理沙は軽く笑いつつ言った。

「ハハ…違う違う、性格だよ、性格」

「……?性格ですって」

レミリアはというと魔理沙の言葉にいまいち判らなかったのか首を傾げてみせた。

 

 

「あぁ、いつものお前ならあの時の咲夜を止めたりなんかしないだろう?」

魔理沙はそう言いつつ、目を覚ましたルイズが霊夢の所にやってきた時の事を思い出した。

 

 

 

 

「おはようと言ったら言いのかしら…それとも今晩は?」

「うぅん…多分おはようよ。―――で、貴女は誰?」

「おぉ、こいつが噂の異世界人とやらか?まるで人形みたいじゃないか」

霊夢はようやく起きて自分の所へやってきたルイズの方へと近寄りつつ、冗談気味にそう言った。

一方のルイズはそんな冗談に真面目な答えを言いつつ、霊夢の近くにいた魔理沙へと視線を移した。

もうすぐ夕日が沈む時間帯だというのに未だ暢気にお茶飲んでいた魔理沙はルイズの姿を見て嬉しそうな表情を見せた。

 

 

ルイズは魔理沙の服装から一瞬メイジかと思ったが(マントがないので貴族ではないと一目瞭然)命の次に大事な杖すら手に持っていない。

もしかしたら何か特殊な――仕込み杖の類かも知れないと思い、すぐさま魔理沙が手に持っている箒の方へと視線が移った。

しかし、どこからどう見てもタダの箒にしか見えず、とりあえずルイズは詳しく聞いてみることにした。

「貴女、見たところメイジっぽい服装してるけど杖は持ってないし…とにかく名前を言ってくれないかしら?」

「まぁ自己紹介はするさ。でも先に名前を名乗ってくれないと困るぜ。うっかり先に名前を言って呪われたら大変だからな」

呪いなんて出来ないわよと思いつつ、ルイズは自らの名を名乗った。

「ルイズ――――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ」

彼女のフルネームを聞いた魔理沙は少しだけ目を丸くしたが、すぐに元の表情に戻った。

「………う~ん、わかった。とりあえずルイズって呼ばせて貰うぜ」

結局それかい!―――っと、突っ込む気にもならないほど疲れていたルイズはとりあえず魔理沙の言葉に頷いた。

それを了承と受け取った魔理沙もまた頷くと被っていた黒い帽子を取り、自己紹介をした。

「私の名は霧雨魔理沙。見ての通り人間で…普通の魔法使いさ」

うだつの上がらない表情で魔理沙の自己紹介を聞いていたルイズは゛魔法使い゛という言葉にキョトンとした。

 

 

「魔法使い?メイジじゃなくて?」

「あぁ、普通のメイジならぬ普通の魔法使いさ」

メイジも魔法使いも同じ意味なのに…と思いつつルイズは不思議そうな顔になって首を傾げた。

そんなルイズを余所に、霊夢はふとある事に気づき魔理沙に話し掛けた。

「そういえば魔理沙、アリスの姿が見あたらないんだけど?」

「え?…あぁそういえばアイツ、今日はパチュリーに聞きたいことがあるって言ってたな」

 

 

もったいない奴だぜと呟きつつ魔理沙は空を見上げるた。もうすぐ日が沈む時間帯である。

カーカーと鳴きながら飛んでいく鴉の群れを見つつ、ふと魔理沙は霊夢にこんな事を聞いてみた。

「そういえばさ霊夢…射命丸の奴は何処いったんだよ?」

「射命丸ならちょっと写真機の調整してくるとかいって戻っていったわ」

魔理沙と同じく沈み行く太陽を見つめつつ、霊夢はその質問に答えた。

「じゃあ永琳と鈴仙はどうした?あいつらなら社務所の中だろ」

その質問には霊夢ではなく、ルイスがご丁寧に答えてくれた。

「あの二人ならすぐ戻ってくるとか言って人里とかいう所に行ったわよ…」

というよりこんな辺鄙な所に人が住んでるのね…と呟きつつルイズもまた夕日を眺めた。

三人で幻想郷の夕日を眺めつつ、魔理沙がポツリと呟いた。

「なぁ霊夢、大丈夫なのか?文と永琳が来たんなら間違いなくアイツもお前の顔を見に来るぜ」

少し心配そうな魔理沙の言葉を聞きながらも、霊夢もまた魔理沙と同じ事を考えていた。

「…多分大丈夫でしょ?紫もなんとか出来たって言ってたし」

面倒くさそうに霊夢は言いつつ、お茶を啜ってたそんな時――彼女は訪れた。

 

 

―――今晩は霊夢に魔理沙。それと異世界人

 

 

ガラスで出来た鈴の様な綺麗な少女の声が何処からか聞こえてきた。

まずルイズがその声に素早く反応し、立ち上がると辺りを見回し始める。

魔理沙もまた何かを感じ取ってルイズと同じく立ち上がった。

一方の霊夢はというと縁側に座っているもののその眼は鋭くなっていた。

だが社務所から見える範囲にはその声の持ち主の姿は見あたらず、何処にいるのかさえ判らない。

 

 

――――随分警戒しているようね。貴方達が思っている程今の私は怒ってはいないわ

       それに今夜は色々と神社で話し合いがあるって。あのスキマ妖怪が言ってたでしょう?

 

 

再び何処からか声が聞こえ、ルイズの不安を益々募らせていく

(姿が見えない…一体何処から聞こえてくるというの?)

ルイズは姿の見えない相手に戸惑いつつ、杖を手に取りいつでも詠唱できるよう準備した。

ただ霊夢と魔理沙だけは、特定の部分――陽が当たらず影となっている場所――を凝視していた。

霊夢は目を鋭く光らせ、魔理沙もまた帽子のつばを上げて見つめている。

すると突然、何処からともなく三匹の黒い蝙蝠が飛んできて、境内の真ん中をグルグルと飛び回り始めた。

時間が経っていく内に次第に四匹、五匹、六匹、七匹…と増え始め、蝙蝠の群れが段々と黒い渦となっていく。

その光景を見てルイズはたじろぎながらも、杖を持つ手の力を緩めずいつでも蝙蝠の群れに魔法を放てるよう準備した。

蝙蝠の群れは暫く境内の真ん中で大きな黒い渦を作っていた。

しかし太陽が段々と沈んで行き、神社の境内が薄暗くなったとき――変化が起こった。

「あっ…蝙蝠が…」

ルイズはその光景に目を丸くし驚くが、無理もないであろう。

何せ先程まで大きな渦を作っていた蝙蝠の群れが影と共に瞬時に消え失せてしまったのだから。

一体何が起こったのかとルイズが思った瞬間――自分のすぐ近くから声が聞こえてきた。

 

 

「杖を使う魔法使いなんて久しぶりね―――粉々にしたらどれ程怒り狂うのかしら?」

 

 

随分と嬉しそうに言いつつ、その声の主である少女はルイズの杖の先端をつついた。

「…っ!?」

ルイズは咄嗟に後ろに下がるとその少女の姿を見て、これでもかと言うぐらいにカッと目を見開く。

そこにいたのは、まるで人形かと見紛うばかりの紅い瞳の可愛い少女がいた。

薄ピンクの可愛いドレスを身に付け、頭には紅いリボンがついたドレスの色と同じナイトキャップを被っている。

そこだけ見れば本当にただの少女であった。―――しかし、ルイズは咄嗟に少女の背中に何かが生えている事に気が付いた。

下手すればルイズの身体幅よりも大きい一対の黒い蝙蝠の羽が生えている。

ルイズはその翼を見て目を見開いたのだ―――この娘、人間じゃない!と。

驚くルイズを見てか、少女はまるで嘲笑うかのように自分の口を三日月の様に歪めた。

 

口の中には、一目でわかる程度の犬歯が生えていた。

ルイズはそれを見て、一瞬だけ自分の頭の中を閃光が走っていったのに気が付いた。

翼などは無いが、自分の中の知識が正しければあれ程大きい犬歯を持った亜人はたった一種しかいない。

 

 

「吸血――――――

 

 

目の前にいる亜人の名前を叫びつつ、ルイズは咄嗟に杖を少女の方に向けて自分の失敗魔法をぶつけようとした。

霊夢と比べれば多少劣るが、それなりにルイズは色々と鍛えている。

座学や簡単なポーションの作り方は勿論、乗馬や杖の早抜きといった事も一通りこなしていた。だというのに…

 

 

――――鬼ィ!………ッッ!」

気づけばルイズは―――――

「随分達者な運動神経ね?」

いつの間にか後ろにいた咲夜に杖を持っていた方の手を捻り上げられていた。

 

 

捻り上げられた手から伝わってくる鋭い痛みに耐えながらも、ルイズはなんとか後ろを振り向く事できた。

ルイズの手を掴んでいる咲夜は顔に人を小馬鹿にしたような薄い笑みを浮かべていた。

痛みに耐えながらも、ルイズはなんとか口を開いて咲夜を怒鳴りつける。

「なっ…、誰よ貴女は!?は…離し――」

「離したら、お嬢様を傷つけるつもりなんでしょ?全く、手癖の悪い子猫ね」

しかし、言い終わる前に咲夜はルイズの言葉を遮ると、ルイズの手を掴んでいない方の手で小さなナイフを取り出した。

今まで黙っていた魔理沙はナイフを使って何かしようとしている咲夜に、声を荒げた。

「おい、よせよ咲夜…!」

「別に傷ものにしようだなんて思ってないわ。ただ手癖が悪いようだから少しだけ動かなくさせるだけよ」

咲夜は軽い感じで魔理沙にそう言うと、ナイフを逆手に持ち替えた。

それを見た霊夢が今にも身体を動かそうとしたとき、何者かが咲夜を制止した。

「咲夜、そこまでにしておきなさい。どうせ放しても私に害を与えないわ」

 

その声の主は魔理沙や霊夢でもなく、ルイズの目の前にいた吸血鬼であった。

吸血鬼に制止された咲夜は一瞬だけ考えるような素振りを見せた後、「仰せのままに」と言ってルイズを解放する。

持っていたナイフも瞬時に消え、魔理沙は安堵したかのように溜め息をついた。

解放されて思わず杖を取り落としたルイズを横目で見つつも、霊夢がふと口を開いた。

「どうやら、紫の言ってた事は本当みたいね」

それはルイズに出はなく吸血鬼に対しての言葉であり、吸血鬼もまた言葉で返した。

「あいつの言葉に踊るのは癪だが、そうでもしないと本末転倒さ」

霊夢は吸血鬼の口から出た「そうでもしないと本末転倒」という言葉に眉をしかめた。

「……?どういう事よ、本末転倒って」

「庭を荒らす連中を怒りにまかせて消してしまえば。理不尽にも庭ごと消滅してしまうのよ」

吸血鬼はそう言うとルイズの方へと顔を向け、垂直の瞳孔を持つ紅い瞳がルイズの鳶色の瞳を見つめ始めた。

まるで何かを見定めているかのように、吸血鬼は全神経を自分の目に集結させている。

「……ふぅん?常人よりちょっと上の苦労を積み重ねてるようね…しかし、それでいて決して報われていない…」

自分の瞳を凝視しつつ何かブツブツ独り言を言っている吸血鬼を警戒しつつ、ルイズは取り落としてしまった杖を拾おうとした。

しかし、それよりも先に吸血鬼がその杖を拾い上げてしまい、その両手で弄くり始めた。

 

「この杖はお前の苦労を知っている。だからどんなに傷つこうがお前の手許にいるのさ」

吸血鬼はそんな事を呟きながら人差し指でルイズの杖をなぞった後、それをルイズの方へと放り投げた。

ルイズは咄嗟にその杖をキャッチしたが、先程と違って吸血鬼の方へと杖を向ける気は失せていた。

自分に顔に向けられている紅い瞳と、小さな身体には不似合いなほどの大きな蝙蝠の羽が威圧感を放っている。

ハルケギニア狡猾な亜人としてのイメージがある吸血鬼のイメージにはそぐわない、吸血鬼であった。

そんなルイズの様子を見て吸血はその顔に笑みを浮かべ、彼女に向かって話し掛けた。

 

 

 

「ようやくわかってくれた様ね?私は貴女に危害は加えないし、貴女は私に危害を加えない

 それは何故か――?…そうなるように運命が進んでいるからよ。まるで分刻みのスケジュールの如く…

   今この時だけは、だれも傷つかないように定められているの。…でも、それは決して誰にもわからない。 

   だけど―――私にはそれがわかるのよ。そしてわかるからこそ操ることも出来る―――

 

 

 

                                         ―――それがこのレミリア・スカーレットの能力よ」

 

 

吸血鬼、レミリアは自らの自己紹介を交えつつもそう言った。

ルイズは自己紹介にただただ呆然とするしか無かった。

レミリアは、自分の話を聞いて呆然としている少女に向けて、微笑みを浮かべる。

 

「ようこそルイズ・フランソワーズ、感謝するわ。わざわざ霊夢を連れて来てくれて。お陰で乗り込む手間が省けたわ」

 

 

 

 

レミリアが自己紹介をした後、霊夢はルイズにある程度の説明をする事となった。

「まぁ確かにコイツは吸血鬼だけど無闇に人を襲うような事はしないわよ。多分」

とりあえずはその言葉に安心したルイズは、それでも吸血鬼に近づきたくないのか霊夢の後ろにいた。

そして文と永琳達が戻ってくるまでレミリアは睨んでみたり腕を上げるといった何気ない動作でルイズを怖がらせていた。

「どうやら貴女の世界でも吸血鬼は随分と恐ろしい存在なのね」と笑い転げたところで、霊夢に叩かれた。

 

 

それから数十分後、まるで見計らっていたかのように戻ってきた文が記念写真にとルイズと霊夢を撮影し始めた。

それからすぐにして永琳達も神社の方へ戻ってきたのを見て、これは何かあるなと思った魔理沙は神社に残ることにした。

ついでに、どうせならと思って先程話し合いとか何とか言っていたレミリアに聞いてみたところ。

「話し合い?えぇ、あるわよ。霊夢とその側にいるルイズとかいう奴に言いたい事があるらしいわ」

「ふ~ん、じゃあ何で永琳やお前達までいるんだよ?」

魔理沙の質問に、レミリアは少し不満そうな表情を浮かべつつ、こう言った。

「知らないわよ。アイツはアイツで色々と秘密にしてるし」

レミリアからの返答を聞いた魔理沙は自然と肩を竦めた。

 

 

 

 

そして時間は今に戻り…

 

 

「ホント…ちょっとしたビックリと自己紹介だけで良く済ましたもんだな。この前まではカンカンだったのに」

数日前のレミリアを知っていた魔理沙はつい数十分前までの事を思い出しつつ、そう言った。

異世界に乗り込んでるわーと意気込んでいたレミリアを知っていた魔理沙は、あの時の彼女がどれ程怒っていたのかよく知っていた。

 

 

――――あなたは許せるかしら?他人に自分の庭を飾るのに一番大切な物を勝手に奪われ、

                             尚かつその庭を守るレンガに落書きをするような下衆共を

 

 

あの言葉を聞いて帰宅した魔理沙は、食事を取るのも忘れて寝てしまった。

しかし、目を瞑ってもあの時のレミリアの顔が瞼の裏に浮かび上がり寝るに寝れなかったのだ。

その時と比べれば大分柔らかくなったなぁ~と魔理沙は思っていた。

一方のレミリアは納得いかない、と言いたげな顔をしつつこんな事を言った。

「私は弱すぎる奴を徹底的に潰すのは好きじゃないの。やるならもっと大きい奴じゃないと気が済まないわ」

「大きい奴…?」

魔理沙はレミリアの言葉に首を傾げつつも、最近博麗神社に訪れるようになった鬼の事を思い浮かべた。

そんな時、ルイズ達のいる方から元気そうな声が聞こえてきた。

「ほらほらぁ~、ちゃんと笑顔になってくれないと良い写真になりませんよ?」

「っていうか何よその機械は…?さ、さっきから何か変な音が聞こえてくるんだけどぉ…」

見たこともない写真機に少し怖がっているルイズの姿を見つつ、文は楽しそうに撮影している。

人里から戻ってきていた永琳と鈴仙は社務所の縁側に座りつつ、その様子を眺めていた。

 

「客寄せパンダ…というのは彼女の事を示すんでしょうね」

写真機のフラッシュとシャッター音に怯えているルイズを見て、鈴仙はポツリと呟いた。

何の感情も伺えない瞳でルイズを見ていた永琳は、弟子の発言にこう答えた。

「どうかしらねぇ、私にはパンダというより猫みたいな感じがするわ。…アメリカンショートヘア、もしかするとアメリカンカールかしら?」

「種類まで言うんですか…まぁでも確かに、猫耳つけたら似合いそうですね」

真剣そうな永琳に鈴仙は冷や汗を流しつつも、猫という答えにはある程度納得していた。

そんな弟子の言葉に、永琳はその顔に妖しい笑みを浮かべるとこんな事を言った。

「猫耳ね…本人から許可が取れたら付けてみようかしら?」

永琳の言葉に、鈴仙は首を傾げた。

「…え、なんで許可を貰う必要があるんですか?猫耳といったらあの猫耳バンドでしょ?」

弟子の発言に、永琳は首を振ると自身満々に喋り始めた。

「そんな偽モノじゃあ駄目よ、ちゃんとした猫の耳を自分の耳として使えるように移植して…」

「えぇ!?まさか本物の猫耳をつけようと言うんですか!」

そんな風に各々が神社の境内で過ごしている内にどんどんと辺りは暗くなっていく。

そろそろかがり火でも焚こうかしらと霊夢が思った丁度その時、ふと上空から聞き慣れた女性の声が聞こえてきた。

 

 

「――――どうやら、呼んでいた者達は全員来ているようね」

 

 

最初に気が付いた鈴仙がすぐさま空を見上げてみると予想通り、八雲紫が隙間から顔を覗かせていた。

紫に気づいたレミリアは不満そうな表情を浮かべつつ、紫に話し掛ける。

「遅かったわね八雲紫。一体何処で油を売っていたのかしら?それに西行寺の亡霊も来てないわよ」

ついでレミリアは以前紅魔館での話し合いに来ていた幽々子が来てない事を紫に言った。

「幽々子は幽々子で色々とすることがあるのよ―…っと!」

喋りつつも空中に出来た隙間からぬるりと出てきた紫はゆっくりと境内に降り立った。

鈴仙に続いて気づいた他の者達も紫の方へと視線を向け、まず最初に魔理沙が声を掛けた。

「よぉ紫。何か面白そうな事になってるじゃないか?私も混ぜてくれよ」

黒白の魔法使いが愛嬌のある笑顔で手を振ってそう言うと、ルイズの傍にいた文も紫に声をかけた。

「これはこれは紫さん。神社の方で何やら面白そうな事があると聞きましたが…どうやら本当みたいですね」

「あら、魔理沙にカラスの文屋までいるじゃないの?こうなるなら、貴女たちも呼んでおくべきだったわね」

紫は肩を竦めながらそんな事を言うと、ルイズの傍で面倒くさそうな表情を浮かべている霊夢が話し掛けてきた。

「何だか…ちょっとした大事になってるんじゃないの?」

霊夢の言葉に、紫はすこし呆れたと言いたげな表情を浮かべつつこう答えた、

「それに今頃気づくなんてね…貴女はもう少し危機感を持った方がいいわよ?」

次に紫はルイズの方へと近寄り、彼女に話し掛ける。

 

「今晩はルイズ。幻想郷の空気には慣れたかしら?」

「うぅ…郷に入りて郷に従えって言葉は知ってるけど…実を言えば気絶直前だわ」

うだつの上がらないルイズの顔を見て、紫はコロコロと笑った。

「見慣れぬ郷に慣れるのには時間が掛かるものよ。まぁもうすぐ貴女は元の世界に帰るけど」

紫の口から出た「元の世界に帰れる」という言葉を聞き、ハッとした顔になる。

「え?もとの世界って…ハルケギニアに帰れるという事?」

「まぁその前に幾つか教えておきたい事があるわ」

そんなルイズを見て紫は微笑みつつも、こう言った。

 

 

「貴女と霊夢が…今後ハルケギニアでするべき事をね?」

 

 

 

 

トリステイン王国首都、トリスタニアのブルドンネ街。

 

狭い道に老若男女が行き来し、道の端では露店が出ていて商人達が今日も稼ごうと声を張り上げている。

比較的海に近い国のためか魚やムール貝などの海鮮食品が無加工状態で手に入るのだ。

更に塩などはロマリアの次に比較的安価で売られている為。街の人々は調味料に困ったりはしない。

酒場やレストラン、宿屋も街のあちこちにあり他国の名のある貴族達もブルドンネ街に観光目的だけで訪れる事も少なくはない。

そんな街の一角に、大きな噴水が設置された広場があり、この街では公共の場として市民達に愛されていた。

毎日毎日色んな人達がこの広場で休み、街の喧噪や何処からか流れてくるラッパや合唱を聞いて空を仰ぐ。

 

今日は珍しく人がいないものの、何処からか聞こえてくるバイオリンの繊細な音色に耳を傾けている少女が一人いた。

「あら、今日はバイオリンの音が聞こえてくるわ」

果物が二、三個入った茶色い袋を両手で抱えながら、シエスタは誰に言うとでもなく呟いた。

彼女は魔法学院で給士として働いている彼女であるが、着ている服はいつものメイド服ではない。

茶色のスカートに木の靴、そして草色の木綿のシャツ。シエスタが実家を出る際に持ってきた私服である。

 

今日は久々に休みが取れた為、こうして私服姿で街を歩いていた。

お使い以外に滅多に街へ来ることの無いシエスタにとっては、唯一の楽しみでもある。

生まれ故郷が首都から離れた村ということもあって、トリスタニアは娯楽に溢れていた。

それに、チクトンネ街には母方の叔父が店を開いており、袋に入っている果物もその叔父と店の人達にあげるためのものである。

シエスタは早くに店に着きたいなーという一心で広場を通ってチクトンネ街の方へ行こうとしたとき、ふと誰かが声を掛けてきた。

「よぉよぉお嬢ちゃん。なんだか嬉しそうだけどどうしたの?」

やけに軽い感じの声を耳に入れたシエスタが振り返ると、そこにはやけに軽い服装の男が三人もいた。

最近街で流行っている男性向けの黒いシャツを着こなし、真鍮のネックレスを首からぶら下げている。

後の二人も同じような服装ではあるが、誰一人としてマントをつけていない事から貴族ではないようだ。

「えっと…、あなた達はもしかして、私に声を掛けたんですか?」

今まで見たことがない感じの男達に、シエスタは怪訝な顔つきになった。

一方の男達もシエスタの言葉にウンウンと頷くと先頭の一人が口を開いた。

 

「そぉだよ。…いやぁー実はオレ達新しく出来たカッフェていう店に行こうと思ったんだけれど男三人だとどうにも、ね…?

 だからさー、偶然出会った美しい君と一緒にお茶を飲みたいと思って…あぁお代は勿論僕達が支払うから」

 

男は長々と喋りつつも流し目を送り、キョトンとしているシエスタの気をなんとか引こうとしている。

しかし、今まで出会ったことのないタイプであった為か、シエスタはその流し目に気づかなかった。

「すいません、ご厚意だけは受け取りますけど何分急いでますので…」

申し訳なくそう言いつつ、自分を口説こうとした男に向かってシエスタは頭を下げた。

ついこの間、モット伯に手を掴まれたシエスタは、見知らぬ異性に対してある程度の警戒心を抱いていた。

早くここから立ち去らなければいけないと思い、シエスタは早足でこの場を立ち去ろうとした。

しかしそんな彼女の手を、男達は突拍子もなくいきなり掴んだ。

「ちょっと待ってよぉ~。別に誘拐しようなんて気は無いんだってば」

「は、離してください…!」

いきなり手を掴まれたシエスタは襲いかかる不安をはね除けるために手を振り解こうとした。

しかし男は手の力を更に強め、後ろにいた二人がシエスタを周りを囲もうとした。その時―――!

 

ヒュン――――ガッ!

 

「イィ゛ィッ!」

突如どこからか勢いよく飛んできた小さな物体がシエスタの手を掴んでいた男の後頭部に直撃した。

男は頭を抑えつつその場にヘナヘナと尻もちをついた。

「おっ…オイ、どうしたんだよ!…って、何だコリャ?」

倒れた仲間に驚いた一人が傍へ近寄り、その近くに水色の小さな水晶玉が転がっているのに気がつく。

水晶玉といっても半分ガラス細工のような物であり、所謂゛ビー玉゛と呼ばれる代物である。

その時、彼らの後ろから快活だと思わせる元気な少女の声が耳に入ってきた。

 

「それが此処でのナンパか。ハッキリ言ってそれだと普通の女は引くぜ?少なくとも私は一発殴りたい気分になる」



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第三十一話

若干男っぽい口調のその声を聞き、男達とシエスタは振り返った。

そして一瞬だけ、目の前にいる金髪の少女は、絵本の中から出てきたメイジかと錯覚してしまった。

今だと四十代くらいになる世代のメイジが被っているような黒い帽子に、白と黒を基調としたドレスの上に純白のエプロン。

左手には少女の身長と比べればかなり長い箒を持っている。

そして右手の平にビー玉が数個ほど乗っているのに気づいた男(ビー玉をぶつけられた奴)は、キッと少女を睨んだ。

「おい、この俺にビー玉ぶつけたのは嬢ちゃんの仕業か!」

シエスタとは違い、少し汚い言葉遣いで少女に向かってそう叫んだ。

実はこの男、自分に危害を加える者なら老若男女関係なく平気で殴りかかる性格の持ち主であった。

つまりは、女子供もその気になれば平気で殴ることが出来るひどい人間である。

「あぁそうだぜ。自分に惚れていると思って女を口説く奴は好きじゃないんでね」

 

 

ドスのきいた男の言葉に意に介した風もなく少女はそう言った。

その言葉に男が憤り、勢いよく立ち上がり殴りかかろうとした。

 

「このガk―「ちょっとマリサァ!アンタこんな所にいたのね!」

そんな時、シエスタの背後から誰かの怒鳴り声が聞こえてきた。

今度は何だと思いつつ男達は振り返り、貴族の少女がこっちにもの凄い勢いでやってくる事に気づき驚いた。

一方のシエスタはその貴族とはある程度顔見知りであり、咄嗟に彼女の名前を呼んだ。

「ミス・ヴァリエール!」

「ゲ、やべぇよ…貴族だ!」

シエスタの近くにいた一人がそう言うと他の二人も焦り始めた。

「クソ…と、とりあえず逃げようぜ!」

ビー玉をぶつけられた男がそう言うと、彼の近くにいた仲間がそれに頷いた。

「あぁ。何せ最近の貴族連中はおっかないからな…」

その言葉を締めに、まず最初の一人が真っ先に広場から出て行った。

次いで残りの二人も唖然としているシエスタとの別れを惜しみつつ、先に逃げた仲間の後を追った。

後に残ったのはシエスタと突然やってきたルイズ、そしてマリサと呼ばれた金髪の少女だけであった。

途中からやってきたルイズはゼェゼェと息を切らせつつ、目の前にいる少女に怒鳴った。

「はぁはぁ…ちょっとマリサ!アンタ何かやらかしてたわね!?」

「何言ってるんだよルイズ。あいつらが先に何かやらかしてたのさ」

少女は先程と変わらぬ涼しい表情でそう言い、シエスタの方へと顔を向けた。

「えっ…?な、私の顔に何か付いてるんですか?」

シエスタは突然自分の顔を見知らぬ少女に見つめられ、キョトンとしてしまう。

そんなシエスタの表情を見てか、少女は微笑んだ。

「いや何、あんなチンピラ連中に絡まれて大丈夫だったかなーって思っただけさ」

少女はそう言ってカラカラと笑った。頭上で輝く太陽の様に眩しい笑顔を浮かべて。

「あ…、そうですか。あの、危ないところを、助けていただいてどうもありがとうございます…えっと―名前は?」

シエスタは頭を下げてお礼を述べると同時に名前を尋ねると、少女はグッと突き立てた指を自分の顔に向けて、言った。

 

「私は霧雨魔理沙。見ての通り、普通の魔法使いさ!」

少女―魔理沙がシエスタにそう名乗った時、今度は頭上から広場にいる三人が既に聞いた事のある声が聞こえてきた。

 

「あら、騒がしいと思って来てみれば魔理沙とルイズ、それにシエスタもいるじゃないの」

その声を聞いた三人が頭上を見上げると、霊夢が空の上から見つめていた。

 

 

午前十時のチクトンネ街は、トリスタニアの繁華街と言って良いほどの賑わいを見せていた。

今日が虚無の曜日と言うこともあり、他国からの観光客の姿も垣間見える

中央広場から少し離れたところにはいかがわしい酒場や賭博場などが密集しており、治安の悪さも伺える。

そんな地域の一角に、「魅惑の妖精亭」という可愛いらしい名前の店があった。

営業時間や客に出す酒や料理等は周りにある酒場とは同じだが、この店には長所が一つだけあった。

 

「ほっらほら~!見てよこのキャミソール。一ヶ月前に注文した特注品よぉ~!」

その体格に似合わない女言葉を使う店長のスカロンが、大きな手で白いキャミソールを手に取り、シエスタ達に見せた。

「わぁ、とっても綺麗ですね!…あ、このマークって店のロゴですよね」

確かに特注品とだけあってか、中々良いデザインのキャミソールだとシエスタは思った。

純白のそれは着る者の魅力を存分に引き出してくれるに違いない。

更によく見てみるとキャミソールの胸元部分には店の刺繍が小さくはいっている。

「良くわかったわねシエスタちゃん。そう、今夜から妖精ちゃん達に着せてみようと思うのよぉ」

スカロンの言うとおり、これ一着だけではなく彼の足下には色違いのキャミソールが何着も入っている箱があった。

ちなみに彼の言う妖精ちゃんとはここで働くウェイトレス――つまりは女の子達の事である。

 

そう、ここ魅惑の妖精亭の長所は「女の子達がいかがわしい格好で働いている」という事だ。

男なら誰もが目を奪われてしまう服装で可憐な少女がお酒や料理を運んで着てくれたら、まずチップを渡してしまうだろう。

一日たっぷりと働いてきた男達にとって、ここは目を休めるのに絶好の場所であった。

 

大きな手で白いキャミソールを振り回しているスカロン。

そんな彼の姿をルイズ、霊夢、魔理沙の三人は席に座って眺めていた。

 

 

数時間前…魔法学院にあるルイズの部屋。

幻想郷からこの世界へ帰ってきてからほんの一時間しか経ってない頃だった。

異世界の住人である魔理沙を連れて再びこの世界へ戻ってきたルイズと霊夢は早速魔理沙の事を学院長に紹介しようとした。

しかし教師の一人から聞いてみると、偶然にも学院長は急用で外出しており明日の朝まで帰ってこないのだという。

仕方なく魔理沙には今日一日おとなしく部屋にいてもらう事をルイズが言おうとした時、ふと一人の給士が伝言を携えてやってきた。

とりあえずルイズはドアから顔だけを出してその伝言を聞いた瞬間、彼女の脳内スケジュールに急な予定が組み込まれた。

 

 

「レイム、今から王宮に参内するから準備をして頂戴」

 

伝言を聞き終え、ドアを閉めたルイズは部屋にいた霊夢にそう言った。

突然のことに霊夢は何が何だかわからない顔になったが、それを気にせずルイズは乗馬用の鞭を手に取った。

その時、部屋の片隅で風呂敷に包んで幻想郷から持ってきた本のタイトルを確認していた魔理沙がルイズの方へと振り向いた。

「王宮だって?やっぱり魔法の世界は凄いぜ。本の中でしか見たことのない王宮があるとはな」

幻想郷ではあまり耳に入れない「王宮」という言葉とその存在に早速興味津々になった魔理沙を見た霊夢は彼女の方へ顔を向けた。

「魔理沙、代わりに行ってきてくれないかしら?私は留守番してるから」

霊夢の言葉に魔理沙はそちらの方へ顔を向けると、まず真っ先に霊夢の嫌そうな表情を見ることになった。

「ん…何だ霊夢?お前随分と嫌そうな顔をしてるな。まぁいつもの事だが…」

「私としちゃあ用事が無いしね。一緒に行くのならアンタの方が速く着くし」

「正にその通りだな。少なくともお前よりは速い」

「レイム!マリサはともかくアンタは絶対私についてきなさい」

魔理沙がそう言った直後、のんびりとイスに座ってお茶を飲んでいる霊夢に少し怒ったルイズが詰め寄ってきた。

「はぁ…?なんでよ」

目の前にいる桃色ブロンド少女の言葉を理解できていない霊夢は首を傾げた。

一方のルイズは、そんな紅白の巫女に溜め息をつき、仕方なく説明し始めた。

その瞳は自信満々に輝いている。もしかしたらルイズは他者に何かを説明する事を楽しんでいるのかも知れない。

 

「いい?今更だろうけど今の貴女はガンダールヴ。つまりは私の使い魔なのよ。

何であろうと使い魔は主人の命令を聞き、そして主人の顔を立てる役者的存在でもある。

それにユカリも言ってたでしょう?アンタと私は出来るだけ…

                                                     …って――何処行くのよ!?」

 

自信満々な表情を浮かべて説明しているルイズは、席を立って部屋を出ようとした霊夢に向かって叫んだ。

一方の霊夢はそんなルイズとは対照的に嫌悪感丸出しの表情でルイズにこう言った。

「くだらないわねぇ。そんなんだからアンタ、友達が一人もいないんじゃないの」

霊夢の心ないその一言に、ルイズは目を見開いて怒鳴った。

「な、何ですって…!」

「それに紫がなんと言おうと決めるのは私よ。…まぁ、アンタの身に何か起こったら助けに行くかもね」

「おいおい霊夢…」

霊夢はそう言うと魔理沙の制止を振り切り、ドアノブを捻って部屋を出ようとしたが…それは出来なかった。

突如ドアに一本の隙間が現れ、そこから白い手がニュッと出てきた。

それに気づくのが遅かった霊夢は、ドアノブを握っていた手を掴まれ捻り上げられた。

「くっ…!」

「いけないわねぇ霊夢。私は言ったはずよ―――」

捻り上げられた手から伝わってくる痛みに霊夢は軽く呻き、今度は女の声が聞こえてきた隙間を睨み付けた。

両端を赤いリボンで綺麗に装飾した隙間や、先程の声に覚えのあったルイズは、アッと声を上げて後ずさる。

隙間から出ていた手は、すぐに霊夢の手を離し隙間の中へと戻っていった。

しかし一息つく間も無く、今度は隙間から見る物に溜め息をつかせるほどの美貌を持った金髪の美女が出てきた。

知ってのとおり、その女性の名は八雲 紫。幻想郷を創り出した妖怪達の賢者である。

 

上半身だけ出していた紫は下半身も隙間の中から出し、床に降り立つ。

紫が出てきた隙間は主人の意思に従い消滅する。

「これからしばらくは使い魔として厄介になるんだからお互い仲良くしなさいって」

隙間から出てきた紫は子供を叱る親のような顔でそう言うも、霊夢は納得のいかない表情を浮かべている。

紫は溜め息をつくと次にルイズの方へ近寄り、落ち着き払った声で彼女にこう言った。

「貴女も貴女よ。ちょっとばかし覗いてみたら…全く、掛ける言葉を選びなさいな」

「で…でも」

「でももヘチマも桃もないわ。要はもっと他人に優しい言葉を掛けなさいと言ってるのよ」

反論する暇さえ見せずそう言った紫の表情は真剣であった。

「あ…あぅ…」

紫の真剣そうな表情にルイズは無意識のうちに反論する勇気を失ってしまい、あぅあぅと呻いた。

その姿はまるで、真夜中の路地裏で親とはぐれて寂しそうにうずくまる子猫のようであった。

(ふ~ん…紫の奴もあんな表情を浮かべられるんだな)

一人置いてけぼりにされていた魔理沙は本の整理に戻りつつ紫の真剣そうな表情を珍しそうに見ていた。

霊夢はというと肩をすくめつつ溜め息をつくとドアから離れ、先程自分が座っていたイスにもう一度座り直した。

ルイズのあぅあぅという声しか聞こえないこの部屋の空気は、段々と冷めていくかのように見えた…そんな時。

「ぷっ、くく…」

ふと頭上から押し殺すかのような笑い声が聞こえルイズは首を傾げた。

何だと思い頭を上げると、そこには笑いを必死に堪えている紫がいて―――――

 

「ふふ…うふふ…――――アッハハハハハ!!」

 

――――――案の定、彼女は笑い始めた。

 

「 !? 」

突然の事に一番近くにいたルイズは目を見開いて驚いた。

「うぷっ…!ゴホッ…!」

飲みかけであった自分のお茶を口に含んでいた霊夢は思わず吹き出しそうになりながらもなんとか堪えた。

「えっ…?……デッ!?」

魔理沙は手に持っていた本を思わず取り落としてしまい、不幸にもその本の角が右足の小指に直撃した。

他の二人はともかく一番酷い目にあった魔理沙は右足を押さえながらその場に蹲ってしまった。

「ゴホ…ちょっと紫、いきなり何なのよ?ビックリしたじゃない…ゴホ…」

霊夢は咽せながらも未だに笑い続けている紫を睨み付けた。

一方の紫は笑いを堪えながらも、霊夢の質問にそう答えた。

「あははは…イヤ何、ちょっとこの娘の反応があまりにも可愛かったからね…うふふ」

「な…何ですってぇ!」

その答えにルイズは憤ったが、ようやく笑いが収まってきた紫はルイズに言った。

「だって…アハ…私は別に怒ってないのに…フフフ…あんなにしょぼくれてるのを見てつい…ハァ」

「というかさぁっ…イテテ!お前の真剣な表情が…っ!般若に見えたんじゃないのかよ…って、イタタ!」

紫の言葉を聞いた魔理沙は、ジンジンと痛む小指を押さえつつ紫に突っ込んだ。

 

その後全員が落ち着いてから、紫はルイズに言った。

「まぁ…霊夢が貴女の使い魔になったとしても霊夢は霊夢のままよ。さっきみたいな上から目線の言葉は控えた方が良いわ」

面と向かってそう言われ、ルイズはハッとした顔になった。

今の霊夢は自分の使い魔ではあるがそれでも相手が相手だ、その様な事で自分に懐くわけでもない。

(もしかしたら私、自分がとんでもない存在だと知って自信を持ってたのかも?)

ルイズはそう心の中で呟くと幻想郷に来た際、吸血鬼のレミリアに言われた事を思い出した。

 

―――今霊夢の左手にはお前達が『伝説』と呼んで崇める使い魔のルーンが刻まれている。

      という事は、貴女にはそれ程の力があるという事じゃないかしら?貴女が気づいていないだけで

 

運命を操り、そして見る事の出来る彼女の言葉に、ルイズは知らず知らずのうちに自信がでてきたのである。

しかしその事実は結果として、霊夢を単なる使い魔として見てしまいそうになった原因にもなってしまったのだ。

(うぅ…自信過剰という言葉は、正にこういう時の事ね…)

「わ、わかったわ…」

ルイズは渋い顔をしつつも紫の言葉に納得して頷いた。

頷いたルイズを見て紫もまたコクリと頷き、今度は霊夢の方へと顔を向けた。

「貴女も些細な事で機嫌を損ねない事ね。もうちょっと寛容になってみなさい?」

紫の諭すような口調に、とりあえず霊夢は「考えとくわ」と言っておいた。

次に紫は魔理沙の方へ顔を向け、少々厳しい口調で言った。

「全く、人間の中で良く霊夢を知ってる貴女ならもっと早くに仲裁ぐらいは出来たんじゃないの?」

「私を信用しすぎてないか?それにお前が直接来たんだからもういいだろう」

笑顔で開き直った魔理沙に紫は溜め息をつくとフッと笑い、パンパンと手を叩いた。

「まぁいいわ。これで話は終わりよ…じゃ、次は貴方達の行きたいところへ行きなさい。何か用事があるんでしょう?」

紫がそう言うとルイズはハッとした顔になり、霊夢の方へと顔を向けた。

霊夢は面倒くさそうな表情を浮かべつつも頷くと、ルイズに言った。

「ま、部屋に閉じこもっててもなんだしね。…だけど命令とかは絶対に御免被るよ?」

彼女の口から出たその言葉に、紫は笑顔を浮かべた。

「ふふ…流石霊夢ね。物分かりが良くて私も助かるわ」

そしてその言葉を了承と受け取ったルイズもまた頷き、今度は魔理沙の方へ顔を向けた。

「ん?何だ、私も連れて行ってくれるのか」

ルイズの鳶色の瞳に見つめられている魔理沙はまだ痛みが残る足を押さえながらも彼女の言葉を持った。

そして、ルイズの口から出た言葉は魔理沙を知っている者なら「言うだけ無駄な気がする」と言わすものであった。

「ん~と……まぁアンタは残っててもいいわよ。別にアンタは使い魔とかじゃなくて居候みたいなもんだしね」

「おいおい、私には冷たいんだな」

てっきり、「一緒に付いてきて」と言われるかと半信半疑で思っていた魔理沙は驚いた振りをしつつ笑顔でこう言った。

 

「まぁいいや、なら私は一人で行くとするか。ちょっと観光にも行きたいしな」

 

自信満々にそう言った魔理沙に、ルイズは何を言うかという顔つきになった。

「面白い事言うわね、仮に一人で言っても門前払いが………ん?どうしたのユカリ」

一方の紫はというと、何処に行ってもいつもの白黒ねぇ、と呆れつつ溜め息をついていた。

そんな彼女に気づいたルイズは首を傾げたところ、紫はルイズに言った。

「ルイズ…魔理沙も連れて行ったらどうかしら?魔理沙ならそこら辺をぶらつかせるだけでもいいし」

大妖怪の口から出た言葉を耳に入れたルイズは、怪訝な顔つきになった。

「え?何でよユカリ。余計に一人付いていったって騒がしいだけだわ。それに行くのは王宮よ、粗相があっては困るわ」

ルイズの言葉に紫ではなく霊夢が溜め息をつくと、ルイズに話し掛けた。

 

「私は別に良いけど。魔理沙が一人で行くとなると粗相どころじゃないわよ」

「レイムまでそんな事言うの?どうせ一人で行ったって門前払いだっていってるに…」

ルイズがそこまで言ったとき、紫が楽しそうにこう呟いた。

 

「厳重に閉じられた扉を吹き飛ばし、借りていくと言って無断で本を盗むあの魔理沙が、門前払いで済むのかしらねぇ?」

突然そんな事を言ってきた紫にルイズはハァ?と言いたげな顔になった。

そんなルイズ達を見てか、魔理沙は得意気にこんな事を言ってきた。

 

「人聞き悪いぜ。私は盗んでるんじゃなくてちょっと借りてるだけさ」

魔理沙の口から出たその言葉に、ルイズの身体が一瞬だけ硬直した。

そしてすぐに硬直が解いた後、ゆっくりと首を霊夢の方に動かし「本当なの…?」と質問してみた。

 

「まぁ大体合ってるわね。あと吹き飛ばすのは門番の方かしら?」

霊夢はあっさりと答えてくれた。

 

 

結局、仕方なしにルイズは霊夢と魔理沙の二人を連れて王宮へ行くことにした。

紫もその後用事があるといってスキマを使って幻想郷へと帰って行った。

霊夢は自力で空を飛び、魔理沙は箒に乗って飛んで行く。

ハルケギニアでは『箒で空を飛ぶ』という事が無いので、ルイズは箒に乗って空を飛ぶ魔理沙の姿を見て驚いた。

まぁ最も、霊夢はそんなルイズに向けて「幻想郷でも箒で飛ぶのはコイツだけよ」と言っていたが。

 

幻想郷から来た二人の後ろ姿を、ルイズは馬に乗って追い掛けたらすぐに街へたどり着くことが出来た。

ルイズは霊夢と魔理沙の二人―――特に魔理沙には絶対自分たちの側から離れないよう言っていた。

「良い?街の中で目立つような事しないでね。特に変な技とか能力を使うなんて事は、絶対にやめて頂戴」

「変な、とは失礼だな。私は極々普通の魔法をいつも使ってるんだがな」

魔理沙とそんな会話を交えつつ、三人は王宮へ行くため街の大通りへと出た。

 

しかし結局はそれが失敗となり、魔理沙の姿を大通りで見失ってしまった。

ルイズとしてはそのまま王宮へ行きたかったのだが、下手に放っておいて騒ぎになるのは御免である。

仕方なく霊夢は空から、ルイズは市内を走り回って捜す羽目になってしまった。

 

結果、ルイズが魔理沙の姿を見つけた時には案の定、街のチンピラ三人に絡んでいた。

その場は貴族であるルイズが乱入したことにより事なきを得て、魔理沙が自己紹介をしていた直後…。

魔理沙の傍にいた黒髪の少女が一足遅く飛んできた霊夢の姿を見て嬉しそうにこう言ったのだ。

「あ、レイムさんじゃないですか!」

「やっぱりシエスタだったわね。もしかして魔理沙、アンタが助けたの?」

「あぁ、なんか今にも空を飛びそうな程の軽い連中が絡んでたからな」

霊夢にそう言われ、魔理沙は自信満々にそう答えた。

二人の傍にいたシエスタは、彼女らのやり取りを見てふと頭に浮かんできた疑問を口に出した。

「あの、つかぬ事をお聞きしますが…お二人はお知り合いなんですか?」

恐る恐る尋ねてきたシエスタに、霊夢はぶっきらぼうな表情を浮かべて答えた。

「別に友達ってほど仲良くはないけど…まぁ知り合いといえば知り合いね」

「相変わらず冷たい奴だなぁ。そう言っても何だかんだで一緒にいる癖に」

「何言ってるのよ?アンタの方から寄って来るくせに」

魔理沙の口から出た言葉で思わず喧嘩腰になりかけたものの、その場はルイズが慌てて抑えたことでどうにかなった。

 

その後、ルイズは二人を連れてその場から去ろうとしたが、ふとシエスタが三人に声を掛けた。

「あ、待ってくださいミス・ヴァリエール」

「ん?何かしら」

シエスタに呼び止められ、ルイズはシエスタの方へと顔を向けた。

「あの…今から私、チクトンネ街にある叔父の店に行くんです…」

突然何を言うのかと思い、ルイズは首を傾げた。

シエスタは指先をモジモジと弄くりながらも、一呼吸置いてこう言った。

 

「えっと…だから、そのお店で何かお礼が出来ると思いますので、だから…」

 

本当のところ、ルイズはすぐにでも王宮へ参内したかった。

しかし、心優しい少女の親切を踏みにじることも出来ず、なし崩し的にそのお店へ行くことになった。

 

 

だが…想像して欲しい。

今までこんな街で暮らした事のなさそうな清楚な田舎少女の叔父が経営する店というのを…

大抵の者は、八百屋、雑貨屋、地方の料理を出すリストランテ――

その他諸々と、殆どの者が想像するだろう。

 

だから、シエスタを少しだけ知っていた霊夢は目を丸くし、ルイズはえーっと少しだけ驚いた。

 

「紹介します。叔父のスカロンさんです」

自信満々な表情でそう言うシエスタの後ろで、スカロンと呼ばれた男はクネクネと腰を動かした。

「あっらぁ~、シエスタちゃんを助けてくれたのがこんな素敵な女の子達だなんてぇ~。…うぅん、トレビアーン♪」

清楚な田舎少女の叔父が女口調で喋っていて、如何わしい店の店長をしているなんて、誰が想像しようか。

 

 

「私は霧雨魔理沙。見ての通り普通の魔法使いをやってるぜ」

「魔法使い…メイジじゃなくて?」

「前半は正解だが、後半はハズレだぜ」

「あっらぁ~♪随分ユニークなお嬢ちゃんだこと!」

ただ、魔理沙だけは特に気にしてもいないようだ。

 

そして時間は今に戻り…

 

スカロンの様な男性に会った事が無い霊夢は嫌そうな目でずっと彼を見つめている。

一方の魔理沙は、霊夢とは逆にスカロンを「面白い人」と認識して面白そうに見つめていた。

二人に挟まれるようにして座っているルイズはそんな二人をじっと見ていた。

「本当、ハルケギニアって変なのが勢揃いね。あんな恥ずかしい服を着せられたら堪らないわ」

スカロンの持っているキャミソールを見つつそう言った紅白巫女に、魔理沙が反応した。

「でも年がら年中そんな恰好してるお前よりかは大分マシだと思うがな」

狙いが正確すぎて的を貫いた魔理沙の突っ込みに、流石のルイズも頷いた。

「そうねぇ。大体私から見てみたらアンタの方が随分おかし……ってイタッ!」

「おっと!」

ルイズは最後まで言いきることができずに霊夢に頭を叩かれた。

同時に魔理沙も攻撃したのだが、こちらに咄嗟に避けられてしまっていた。

「っさいわねぇ…。大体、腕は見せてないでしょうに」

そこまで霊夢が言ったとき、後ろから誰かの声が聞こえてきた。

「ハイ、当店自慢のサンドイッチを持ってきたよ」

元気そうな少女の声と共に、軽食を載せたお盆がテーブルの上に置かれた。

チーズ、ハム、そして新鮮なレタスを軽く焼いた食パンで挟んだそれを見て、霊夢は振り返った。

そこにいたのは、少しおとなしめの服を着た太眉の少女が顔に笑顔を浮かべて立っていた。

ストレートの黒髪が窓から差し込んでくる陽の光に当てられ眩しく輝いている。

「あぁ、お金はいらないよ。これはシエスタを助けてくれたお礼さ」

じゃ、ゆっくりしていってね。と最後にそう言って厨房へと戻っていった少女の名はジェシカ。

スカロンの娘であり、シエスタの従妹であった。

シエスタとは正反対の快活な性格で、店で働く他の女の子達のリーダー的存在でもある。

彼女が去った後、テーブルに置かれたサンドイッチを最初に手にしたのは魔理沙であった。

早速一口目を口に入れて咀嚼し飲み込んだ後、「中々美味いな」と言った。

その言葉に釣られてか霊夢もサンドイッチを一つ手に取り、モグモグと食べ始めた。

「うん、簡単だけど良い味してるわね」

霊夢も素直な感想を述べたところで、ようやくルイズもサンドイッチを手に取り一口食べた。

ゆっくりと咀嚼して飲み込んだ後、彼女もまた感想を述べた。

 

「あ、美味しい…」

 



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第三十二話

トリステイン魔法学院――――――――

 

太陽が沈み始め、ようやく赤と青の双月が空へ上ろうとしている時間帯。

もうすぐ夜になろとうしているが、夕食までまだ大分時間がある。

その間まで生徒達は各々の自室で授業で出された課題をしたりするのだが、そんな生徒は殆どいない。

例えば…キュルケは授業で出された課題を自分に惚れている男子生徒達に全て押しつけて化粧をしていたり、

モンモランシーはテーブルに課題ではなく香水などを作る道具を広げて新しい調合を試していて、

ギーシュは薔薇の造花を手で弄くり回しつつ彼女に送る詩を考え、

タバサに至っては使い魔である風竜のシルフィードに乗って何処かへ出かけていた。

 

このように、トリステイン魔法学院の生徒達は各々の時間を趣味に費やしているのだ。

最も、光あれば必ず影が存在するように、ちゃんと課題に取り組む生徒もいる。

将来この国を支える者になりたいと思う者達はどんどんと知識を取り込み賢くなって行く。

そして今、女子寮にある自室でルイズもまた課題と格闘していた。

他の生徒達と比べてみればその量は明らかに多かったが無理もないであろう。何故なら――

 

「す、数日分のツケがこんなにしんどいものだなんて…!」

―――――――学院にいなかった分、堪りに堪っていたのだから。

 

ルイズは苦しそうな独り言を言いつつ「クラスごとに違う、水系統の威力の違いについて」の課題に取り組んでいる。

これの他に暖炉の上には学院にいなかった間の課題がまだまだ残っている。

恐らく持ってきたのはキュルケ、又はあまり仲の良くない女子生徒達辺りであろう。

全く嫌みな事してくれるわね。と思いつつも基本真面目であるルイズには「課題を片づける」という選択しかない。

座学に関しては学年トップの座をタバサと共に独占している彼女にとって出されている課題のレベルならば大した驚異にはならない。

ただ問題は一つ、それは「出された課題が難しい」のではなく、「出された課題の量が多すぎる」という事であった。

今まで出されていた課題はほんの少しであったし、夕食前か就寝前に片づけていた彼女にとっては余りにも過酷すぎるものである。

誰かを頼ろうにも頼る人がおらず、居候することになった霊夢と魔理沙の二人も今はいない。

 

 

霊夢はともかくとして、魔理沙が学院の中をうろつくというのはあまり良くない事であった。

学院長が急用で不在となっている今は大人しくしていてとあれだけ言ったのに、いつの間にかその姿を消していた。

ルイズがトイレに、霊夢は以前ギーシュと決闘したヴェストリの広場で外の空気を吸っている合間であった。

黒白の魔法使いがいなくなった事に慌てたルイズとは対照的に、霊夢の方は「まぁアイツが大人しくしてるワケないわよね」と呟いていた。

 

その後魔理沙を探してくると言って霊夢も部屋を出て三十分経ったのだが―――魔理沙はおろか霊夢すら帰ってこないでいた。

 

 

正に孤軍奮闘状態のルイズは、ふと鏡台の上に置かれたボロボロの本を一瞥した。

 

「もう…、姫様から゛始祖の祈祷書゛を貰ったのに…これじゃあ詩を考える暇もないわね…」

ルイズは溜め息交じりにそう呟いた後、課題のことは一時忘れて今日の出来事を思い返すことにした。

そうする事で自分が今どれ程「責任重大な役目」を請け負っているのか改めて自覚するためである。

ならそれをするより課題を片づけた方が良いのでは?と思うが生憎今のルイズにはそれが考えられなかった。

ここ最近連続して身に起こる衝撃的な出来事の所為で頭がうまく回っていないのだ。

 

ルイズは手に持っていた羽ペンをひとまずは机の上に置き、目を瞑って頭の中に蓄積された記憶を映し始める。

最初の方こそは何も映らないが、数秒後には瞼の裏でボンヤリとイメージが浮かんできた。

 

 

 

 

事はお昼を過ぎた頃の時間帯にまで遡る。

 

妖精亭で軽食を貰ったルイズ達はそのまま真っ直ぐに王宮へと向かう事にした。

ただチクトンネ街から直接行くので、結構な時間が掛かってしまう。

更には、人混みの多い大通りで三人がバラバラになってしまったり。

魔理沙が通りに出された屋台や商店などに興味を示していたため更に時間が掛かってしまったのだ。

ようやく王宮への入り口にたどり着いたときには、既に午後二時を回っていた。

 

「…ようやくついたわ。ここが王宮への入り口よ」

ルイズは疲れた顔で王宮の衛士が数人ほどいる詰め所と目の前にそびえ立つ大きな門を指さした。

「…飛んできた方が早かったんじゃないの」

霊夢の口から出た賞賛とは程遠いその言葉には、僅かばかりの疲れが滲み出ていた。

そんな彼女とは対照的に、ルイズの指さしたそれらを見て喜んだのは魔理沙であった。

「おぉ、意外とでかいんだな!紅魔館よりデッカイ建物なんて初めて見たぜ!」

一方の魔理沙は紅魔館等とはレベルが違うサイズの建築物を見て、目を輝かせて喜んでいた。

幻想郷で生まれ、育ってきた魔理沙にはハルケギニアで見る物全てが珍しいのである。

それこそ正に、子供の頃に読んだ絵本に出てくる御伽の国そのものなのだ。

 

「「…………はぁ~」」

はしゃいでる魔理沙を見て、霊夢とルイズは二人同時に溜め息をついた。

 

詰め所の衛士にアンリエッタとの面会がある事を伝えた後、魔理沙の箒は詰め所で預けられる事となった。

魔理沙本人は「この世界じゃあ箒は危険な道具に入るのか?」と首を傾げていたが。

 

その後、3人はすぐに許可を貰い宮殿の中へと入った。

ルイズは霊夢と魔理沙を連れ、ただひたすらアンリエッタのいる寝室へと向かう。

その途中、魔理沙が辺りを見回して「意外と広いんだなぁ…」と呟いたのを見逃さなかったルイズはフフン♪、と自信満々に微笑んだ。

「凄いでしょ?ハルケギニア大陸においてもこれ程広くて素晴らしい宮殿は指を数えるくらいしかないのよ」

「へぇ~…そんなに広いのか」

頼んでもいないルイズの自慢が耳に入ってきた魔理沙は突然喋り始めたルイズにキョトンとしつつも、そう言った。

そんな魔理沙の様子を見てルイズの自信がドンドン急上昇していく。

ルイズは霊夢達に背を向け、まるで自分の家を紹介するかのように喋り始める。

 

「そうよ。…もしかしてアンタ、こんなに大きい廊下を渡るのとか初めてじゃ―――…ってアレ?」

この宮殿がどれ程素晴らしい者かを説明しつつルイズが再び振り返ったとき、魔理沙と霊夢が既に話を聞いていない事に気が付いた。

「外見は結構大きいが、廊下の大きさじゃあ紅魔館に負けてるよな」

魔理沙の言葉に霊夢は頷きつつ、口を開く。

「あっちはあっちで色々と危ないけどね」

「あぁ、確かに私も一度図書館で騒いでたら危うく猫にされかけたぜ」

「それって単なる自業自得なんじゃないの?」

そんな会話を少し離れた位置から見ていたルイズは、ムッとした表情をその顔に浮かべる。

自分の話を聞いていない事は勿論、最初から無視するのは流石に許したくは無かった。

ルイズの表情は段々と険しくなっていく、それに伴い怒りのボルテージも上がっていく。

その事に気が付いたのは魔理沙であった。なんでルイズが険しい表情をしているのかは知らないが。

魔理沙は霊夢との会話を中断し、ルイズもとへ近づき声を掛けた。

「おいおいどうしたんだよルイズ、そんなに怖い顔するなって」

「…別に、なんでもないわよ」

今更声を掛けてももう遅いと言わんばかりにルイズは呟いた。

 

 

そんなこんなで宮殿の廊下歩き続けて数分が経った頃だろうか…

ようやく三人はアンリエッタの居室のすぐ近くにまでたどり着いた。

綺麗な装飾が施された白い扉の側には華やかな装備の魔法衛士隊の隊員が立っていた。

恐らくここの警護を担当している者だろう、エメラルド色の目からは常に緊張感が漂っている。

隊員は此方に近づいてきたルイズや霊夢達を見ても、「学生が何用だ」とか、「貴族でない者達が何しに来た」という風な声を掛けようとはしなかった。

今日は魔法学院からのお客が一、二人来ると王女直々に伝えられていた彼は彼女たちの姿を見ても訝しむ事は無い。

(しかし一、二人はともかくとして、三人も来るとは)

隊員の視線は、一瞬だけ肌の露出が多い霊夢を一瞥した後魔理沙の方へと移った。

一見すれば貴族のような出で立ちをしているが、マントをしていないところを見ると没落貴族の子供か何かであろうと彼は思った。

事実隊員の目から見れば、物珍しそうに辺りを見回している魔理沙は正に「今まで田舎で暮らしていて初めて王宮に来たメイジ」という表現がピッタリと当てはまっている。

「おぉ~!いかにも御伽の国の御姫さまのお部屋に続くドアって感じだな!」

アンリエッタの部屋へと繋がるドアを見て、魔理沙が物珍しそうに言った。

宮殿内にも拘わらず大声で喋る魔理沙に、しかし隊員はどなる事無くすぐにその目を逸らした。

魔法衛士隊であるからして貴族ではあるが、どうやら彼には平民や没落貴族の子供を見下す趣味はないらしい。

 

 

ルイズはアンリエッタに用事があると隊員に言う前に、後ろにいる二人の方へ向き直った。

いきなり自分達の方へ向き直ったルイズを見て、霊夢は怪訝な表情を浮かべつつ声を掛ける。

「…どうしたのいきなり?」

「イヤ、部屋に入る前に一応約束だけは守って頂戴」

「おいおいどうしたんだよいきなり?…まぁ守れる約束なら最低限守るぜ」

魔理沙もまた騒ぐのをやめて、ルイズの口から出るであろう約束とやらに耳を傾けることにした。

ルイズは軽く咳払いをし、改まった感じで喋り始めた。

「良い?これからこの国の姫殿下に会うのだから出来るだけ優しく接してあげてちょうだい

 霊夢とは一度会ってるらしいからまぁ良しとして、一番の問題は――――」

ルイズは一旦言葉を句切り、魔理沙の方へと人差し指を向けて言った。

「―――――特にマリサ、アンタよ」

思いっきり御指名された魔理沙は少しだけムッとした表情を浮かべた。

「ちょ…、何で私に言うんだよ?」

「そりゃアンタの今日の街中での行動を見てたら。ルイズだって釘も刺したくなるわよ」

そんな魔理沙に、霊夢はここの来るまでの間にあった事を思い出しつつ言った。

霊夢の言葉にルイズはウンウンと頷きつつも、再び喋り始める。

「まぁそういう事よ。…まぁ姫殿下は優しいからちょっとやそっとの事じゃ怒らないけど…

もしもからかったり泣かせる様な事をしたら、この私がタダで済まさないから」

まるで自分をいじめっ子として見ているかのようなルイズの言葉に、

流石の魔理沙も何か言ってやろうかと思ったが、彼女の表情を見てその気が失せた。

今のルイズの表情は、自分の中で一番大切な存在を守ろうとしている時の顔だ。

そんな表情を真剣に出す今のルイズに抗議する性格を、魔理沙は持ち合わせてはいない。

 

 

「わぁーった、わぁーったって……要はおとなしくしてればいいんだろ?」

参った、と言わんばかりに両手を軽く上げて言う魔理沙に、ルイズは何故か拍子抜けしてしまった。

てっきり霊夢のように辛辣に言葉を一言二言投げかけてくるのかと思っていたのである。

 

「案外レイムより素直に聞けるのね…アンタ」

「……アンタ、もしかして私の事をちょっと冷たい人間としか見てないでしょう?」

そんな事を呟くルイズに霊夢が素早く突っ込んだが、一方の魔理沙はルイズの言葉に肯定するかのように言った。

 

「ハハッ、…でもそうだろ?お前さんは誰にもかかわらず同じような態度で接してるからな」

笑いの混じった魔理沙の言葉に、「余計なお世話よ」と霊夢は不機嫌そうな表情を浮かべて顔を横に逸らした。

 

……

………

 

 

………………

…………………

 

――つまで寝て――のよア――タは?さっ――と――起きなさい」

 

「ふぇっ…?」

目を瞑って記憶を掘り返していつの間にか眠っていたルイズは、間抜けそうな声と共に目を覚ました。

ほんの少しだけ思い瞼をゴシゴシとこすり、すぐさま自分の側に霊夢がいる事に気が付いた。

どうやら起こしてくれたのは霊夢らしく、両手を腰に当てて呆れたと言いたげな目でこちらを見ている。

「……あぁレイムぅ…起こしてくれたのねぇ…」

瞼をゴシゴシこすりながら眠たそうな声で喋るルイズに、霊夢はやれやれと言いたげに首を横に振った。

「全く、私としちゃあアンタの健康なんか気にもしないけど。いくらなんでも寝過ぎじゃないかしら?」

霊夢の言葉にルイズは「どういう意味よ?」と首を傾げつつも、立派な壁掛け式の振り子時計へと視線を向けた。

今二本あるなかで短い方の時計の針はちょうど「10」の所を指しており、長い方の針は丁度「0」の真下側にある「6」を指していた。

 

「あぁもうこんな時間なのね…本当に寝過ぎちゃったわね――――

 

ルイズは自分が寝過ぎたことを後悔しつつ、ブツブツと呟きながら席を立った瞬間―――

 

                                ――――って、ウソォッ!?夕食の時間とっくに過ぎてるじゃない!」

 

―――とっくに夕食の時間を過ぎている事にすぐ気が付き、驚愕した。

 

「なんでぇ…!なんでこんな事に!…夕食時に寝過ごすなんてぇ!」

もうこの時間帯に行っても食堂には誰もいないし、料理も出してはくれないだろう。

一応夜食があるのだが、それでも夕食程腹は膨れない。

それに、今日の夕食には大好物のクックベリーパイが出るとも聞いていた。

ルイズは自分の大好物を味わえなかったことに後悔しながらも、今更起こしてくれた霊夢を恨めしげに睨んだ。

「言っておくけど、私はちゃんと起こしたわよ。アンタはそれで起きなかったけど」

今にも蛙を襲わんとする蛇のような視線で睨まれても霊夢は全く動じず、ただ両肩を竦めて言った。

罪悪感を全く感じさせない紅白巫女の態度に、ルイズは悲しそうな顔で盛大な溜め息をつく。

霊夢の話から察すれば、要は夕食時に起きなかった自分が悪いのだ。

それでも、やはり夕食抜きとなると、ぐっすりと眠れないのは間違い無しである。

 

項垂れているルイズを霊夢は冷たい目で見つめていると、ふと誰かがドアを開けて部屋に入ってきた。

「よぉルイズ。今頃になって起きたのか」

「…あ、マリサ」

頭の中を空っぽにしたような脳天気そうな声で部屋に入ってきたのは魔理沙であった。

「一体どこほっつき歩いてきたのよ!」と怒鳴る前に、彼女の体が部屋にいた時と違うのに気が付く。

体からはうっすらと湯気が出ており、三つ編みを解いている金髪のロングヘアーは少し水気を帯びている。

まるで…というよりもその姿は正に「風呂上り」の姿であった。

 

ルイズに続いて風呂上り姿の魔理沙に気が付いた霊夢は、呆れた顔で睨みつつ軽い溜め息をついた。

「結局入ってきたのね…拷問道具だ何だ言ってた癖に」

少々の嫌悪が混じる霊夢の言葉に、魔理沙は悪気の無い笑顔でこう言った。

「試しに火をつけたらすぐに沸いたし星空がキレイだったからな。…五右衛門風呂は思ったより最高だったぜ」

二人の会話から察するに、どうやら魔理沙はお風呂に入ってきたらしい。

ただその話の中に出てきた「拷問道具」や「星空がキレイ」という言葉に、ルイズは怪訝な表情を浮かべた。

(拷問道具って…っていうかウチの学院には星空が見える風呂なんて無いはずだけど?)

どういうことなのよ…とルイズが訝しんだ時、今度は誰かがドアをノックする音が耳に入ってきた。

「あ、もう来てくれたのか。意外と早かったわね」

何かを知っている風に霊夢がそう言うと、魔理沙がドアを開け、廊下にいた人物を部屋の中に招き入れた。

部屋に入ってきたのはメイド服を着た学院の給士らしく、その手には料理が載ったお盆を持っている。

「…?あれって…」

ルイズは、自分の鼻腔をくすぐる料理の匂いにおもわず目を丸くする。

丁度夕食を食べ損なっていたルイズにとっては、この上ない匂いであった

次いで、メイドの髪の色が黒だと気づいたルイズはすぐにメイドの名前を思い出す。

 

「あっ…シエスタ」

「夜分遅くに失礼しますミス・ヴァリエール。ただいま夕食をお持ちしました」

ルイズに名前を呼ばれた彼女は軽く頭を下げて恭しく言うと、お盆に載った料理をテーブルの上に置き始めた。

湯気が立つクリームシチューに焼きたての白パン、それに小さな器に入ったサラダ。

貴族達からしてみればそれ等の数々は「賄い」であった。

一日三食と夜食を作ったコックやメイド達が寝る前に食べる、それ程豪華ではない食事。

しかし、今のルイズからしてみれば賄いであろうとも「腹がちゃんと膨れる夕食」であった。

シエスタが料理をテーブルの上に置いていく様子を見つめながらも、ルイズの横にいた霊夢が事の詳細をシエスタに聞こえぬよう説明した。

 

 

時間をさかのぼる事、今から数時間ほど前―――

 

部屋からいなくなった魔理沙を探していた霊夢は、ふと夕食の時間がやってきた事に気が付いた。

とりあえず魔理沙を探すのは一時中断して部屋に戻り、ルイズを起こそうとしたの寝つきが良くて起きなかった。

五分ほど粘っても起きる気配が無いので仕方なく食堂へ行くと、その裏手でシエスタと話していた魔理沙を見つけたのだという。

「ちょっと探したわよ魔理沙。あんた今まで何処に行ってたのよ?」

それに割り込むかのように二人の間に入ると、シエスタが突如こんな事を言ってきた。

 

「あ、レイムさん!私聞きましたよ、マリサさん今日から暫くの間レイムさんと一緒にミス・ヴァリエールの部屋で暮らすんですよね?」

満面の笑みを浮かべてそう聞いてきたシエスタから、霊夢は一体どういう事なのかと魔理沙に聞いた。

「いやなに、まさかシエスタがここで働いてるなんて聞いてなかったからな、思わず口が滑って…」

後頭部を掻きながら喋る魔理沙にこのバカと思った一方で、まぁ仕方ないかとも思った。

どうせ明日になればあの学院長に会わせるんだし、今教えたって大丈夫よねぇ。と。

「まぁそいつの言う通りよ。まだここの学院長に紹介してないけど…」

 

その後、魔理沙がここで厄介になる事を話したついでに彼女の夕食をどうにかできないかとシエスタに尋ねてみた。

霊夢の言う通り、今日厄介になるばかりでまだ学院長に紹介していない彼女が食堂に入るのはまずい事だ。

「じゃあ何か?今日は夕食抜きって事なのか」

魔理沙が残念そうな感じでそう言うと、何か閃いたのか両手をパンと叩いたシエスタがこんな提案を出した。

 

「あの、賄い程度ですが厨房でなら…食事は出せると思いますよ」

 

 

―――それでまあ、アタシと魔理沙に食事を出してくれたんだけど…その時にシエスタが今日私たちに助けられた事をマルトーに話したのよね」

 

今にも口の端からよだれが出そうなルイズはハッとした顔になると霊夢の方へと視線を向けた。

マルトーという人物が学院で料理長として働いている事を知っているルイズは目を丸くする。

あの料理長は大の貴族嫌いだと聞いていた事もあって、内心はかなり驚愕していた。

そんなルイズには気づかず、尚も霊夢は喋り続ける。

「そんでもって。マルトーが今日のお礼にとアンタが食べ忘れた夕食と、後ほんのちょっとしたお礼を私たちに出してくれたらしいのよ」

霊夢がそこまで話した時、料理を並べ終えたシエスタが部屋の入り口に置いていた大きめバスケットを手に持ってやってきた。

バスケットの中に何かが入っていることだけ確認できるが、上から被せられたナプキンの所為で良くわからない。

だがしかし、霊夢の話を聞いていたルイズには、例え見えなくともバスケットの中に何が入っているのかある程度わかっていた。

 

「そのバスケットの中身って…もしかすると」

「はい、夕食を食べ終えた後に皆で仲良く食べてくれってマルトーさんが言ってました!」

シエスタは明るい笑顔で言うと、バスケットを手に取って勢いよくナプキンを取った。

同時にナプキンの下で溜まっていた甘く、高貴な香りを放つお菓子がその姿を現す。

 

「……うわぁ…」

それを見たルイズの表情は驚愕に満ちていたが、それは段々と喜びのものへと変貌していく。

ナプキンの下にあった食べ物はテーブルに置かれた夕食を含め、今のルイズを喜ばせるのに充分すぎた。

それは彼女が幼年の頃から気に入り、今に至るまで好物として週に最低五切れは食べているもの。

決して自分から切り離していけない存在。ルイズはそう思っている。

例えればそれは霊夢にとっての緑茶、魔理沙にとっては蒐集、それと同等の価値をルイズはその食べ物に与えていた。

 

段々と表情を嬉しそうなものへと変えていくルイズを見て、シエスタは元気な声で言った。

「マルトー料理長特製のクックベリーパイが、私を助けてくれた皆さんへのお礼だそうです!」

 

 

 

深夜―――

 

ブルドンネ街の一角に、上流階級の貴族達が寝泊まりしているホテルがある。

比較的王宮から近いそこは、激務のあまり宮殿からなるべく離れられない者達が利用している。

彼らは皆それなりに名高い家の生まれで、金も自分の生活に困らない程持っていた。

 

その一室で、四十代後半の貴族の男が鞄の中から取りだした書類を流し読みしていた。

慣れた手つきで読んでいるそれは、トリステイン王国現在の財政や各地域で異なる税の額を事細かく記したものであった。

写し取りではあるものの、無論それは彼が扱える代物ではない。そしてそれと同じレベルの機密書類が大量にその鞄の中に入っている。

「フン…あの狸め、まさかこんな大事な書類をレコン・キスタに横流すってことか…」

彼は怪しい笑みを浮かべつつ「狂ってるな…」と呟き、自分に書類を渡した男の下卑た笑顔を思い出した。

同時に、明日にはこの書類の山をレコン・キスタからの使者に渡すのだという事も思い出す。

「そういえば明日だったな。…ようやく、俺もそれなりの地位と金が貰えるのか…!」

書類を渡してくれた男は言っていた「この書類をレコン・キスタの奴等に渡せば、いずれお前はそれ相応の褒美を貰える」と。

彼はこの高級ホテルに泊まっている土地持ちの貴族であるが、実を言うと土地から取れる収入に満足いかなくなってきたのだ。

初めて土地を貰った時は喜んだものの、一生遊んで暮らせる程の税をとる事ができなかった。

手に入れれば贅沢三昧が出来ると思っていた彼にとって、逆にその土地が足かせとなってしまったのである。

 

土地の経営や王宮での勤務が辛くなってきたそんな時、

自分と比べれば月とスッポン程の権力と金を持つ男が大量の機密書類の写し取りを持ってきたのだ。

「どうじゃ、この書類をワシの代わりとしてレコン・キスタからの使者に売ってはくれんかのう?」

男の言葉に、最初は「国を売るとは何事か!?」と激昂した彼であったが、結局は男の出した前払い金で屈した。

前払いだけでも平民の家族が丸々一年遊んで暮らせるその額を貰えれば無理もないだろう。

それに、今のトリステイン王国は事実上本当に危ない状況なのだ。

王になることを放棄してだんまりを決め込んでいる后と夢見気分の王女様は今のところ政務から目を背けている。

そんな彼女らの代わりに融通のきかない古参貴族達やお人好しの財務卿、…そしてあのマザリーニ枢機卿が身を粉にして働いていた。

王族が自ら動かず家臣達だけが空しく頑張っている、そんな国大陸の何処を捜したって見つかりはしないだろう。

「この書類がアルビオンに流れたら…トリステインはお終いだな…」

彼は書類を読みながら悲しそうに呟いた後、「ま、俺はそのおかげで幸せになれるがな」と嬉しそうに言った。

金と権力にしか目が眩まなくなった彼の心は、まだ見ぬ褒美を用意してくれているレコン・キスタの方へと惹かれていた。

 

…~♪~♪…♪

 

その時、ふと彼の後ろから音楽が聞こえてきた。

ギスギスした心をしずませ、冷やしてくれるかのようなそのメロディーに彼はハッとして顔になり、振り向いた。

そして、音の出所がすぐにわかったのか、彼の表情が安堵したものへと変わって行く。

「…なんだ、アレだったか」

彼の視線の先にあったモノ、それは天蓋つきの大きなベッドの真ん中に置かれた水晶玉であった。

マジックアイテムだがどういうギミックなのか、ふとこうして水晶玉の中から音楽が突然聞こえてくるのだ。

まぁ心地よいメロディーの曲だからとして彼も気に入っているだが、ふと気になっている事が一つだけあった。

実はこの水晶玉、つい最近になって貴族達の間で出回りはじめたのである。

一体何時、何処で、誰が流行らせたのかはわからない。だがそれは彼にとってはどうでも良い事であった。

 

「さてと…寝るまえにちょっと暇潰しに読んでおくか」

彼は背後の水晶玉から聞こえてくる音楽をBGMに、機密書類の写し取りを読むことにした。

 

 

 

 

彼の泊まっているホテルの廊下を、一人の青年給士が黙々とモップで清掃をしていた。

既に時間は丑三つ時を過ぎた辺りで、見開いている瞼もいよいよ重くなって来ている。

給料が良いという事で深夜の仕事を担当したものの、初日から後悔する羽目になっていた。

「やっぱり、夜中に仕事なんかするもんじゃねーよ、俺。……ふぁぁ~」

彼は夜勤を請け負った自分自身に愚痴りつつも、おおきな欠伸をひとつかました。

そして欠伸した後、ハッとした顔になり辺りを見回す。

周りに上司や宿泊客である貴族達がいない事を確認し、安堵の溜め息をつく。

もしも仕事中に欠伸したところを見られたら、大目玉を喰らっていたところだろう。

「ま、良く考えりゃあ夜中まで起きてる奴なんていないよな…?」

彼はひとり呟き、さっさとこんな仕事終わらせて仮眠室で眠ってやろう決意した瞬間――――

 

ドン…!ドスッ…!

「ギャッ…!」

突如、背後のドアを通じて激しい物音と誰かの悲鳴が彼の耳に入ってきた。

このホテルは客のプライベートを優先している為か、ドアや壁は全て防音仕様である。

しかし、耳の良さが自慢である青年は壁よりも若干防音効果が薄いドアを通じて悲鳴に気づき、驚いた。

 

 

「!?……。な、なんだ!」

まるで心臓をえぐり取られたかのような悲鳴を聞いた彼は、今すぐにもその場から逃げ出したかった。

しかし、悲鳴を聞いたまま何もせずに逃げるという事も、青年には出来なかった。

(もしも何かあったとしたら。このまま逃げることは出来ないし…)

何より、こういうのはスリルがあって最高さ。とぼやきつつも体中を震わせながら青年は、背後のドアへと近づく。

先程の悲鳴と物音が聞こえて以降、ドアを通じて何も聞こえてこない。

もしもの時を考え、青年は右手で持っているモップを手放さず、左手でドアを軽くノックした。

普通なら三回ノックした後に客からの返事がくるものだが、案の定返事は返ってこない。

返事が無いという事は熟睡しているのか、それとも何かあったに違いないと青年は確認し、今度はドア越しに声を掛けてみた。

「すいません、お客さま。…どうかなさいましたか?」

しかし声を掛けようとも、この部屋に泊まっている客からの返事は一切無い。

このドアは魔法の仕掛けが施された特殊なドアであり、ノックやドア越しからの声が良く聞こえるようになっている。

いよいよもっとコリャ何かあるなと思った青年は目を細めながら、ドアノブを掴む。

「お客さま。誠に失礼ですがドアを開けさせてもらいますよ…」

とりあえず何かあったのかと思って…と言い訳を考えつつ、青年はドアを開けて部屋の中に入った。

 

やはりというかなんというか、部屋の中には灯りひとつ無かった。

ベッドの側に置かれたカンテラも、天井に備え付けられたシャンデリアも、光を灯してはいない。

「うわぁ…今更ながら怖くなってきたよ」

小さな声でブツブツ言いつつ、部屋の中に一歩踏み出すと、まずは辺りを見回した。

この部屋は他と比べれば大分大きい方で、ワインや酒のつまみもクーラーボックスに常備されている。

いわゆるVIPルームと呼ばれるその部屋の空気は、窓から入ってくる風のせいでひんやりとしていた。

夏が近づいて来るというのに未だ肌を刺す程の冷たい空気は、青年の身を無意識的に震わせる。

「あのぉ~…お客さまぁ…?」

青年は震えた声で客をよびつつ、一歩一歩確実に部屋の中へと入っていく。

窓から入ってくる風がレースのカーテンを揺らし、青年の心の不安を刻ませていく。

やがて部屋の真ん中まで来たとき、ふと何か柔らかいモノが足先に触れた。

「なんだ…コレ?」

靴を通して足先に伝わってきた感触に、青年は怪訝な顔つきになった。

まるで中途半端に固くなった肉に触れるかのような柔らかそうで意外と固い微妙な感触。

何だと思いふと足下を見てみると、何か黒くて大きな物体が足下に転がっていた。

青年の体よりも大きい黒い物体が、地面に横たわっているのだ。

彼が目を見開き後退った瞬間、待っていたと言わんばかりにシャンデリアに光が灯った。

突然ついた天井からの明かりに一瞬だけ青年の視界を遮った後、足下にあった物体の正体を彼は目にした。

 

 

 

人気が無い深夜のブルドンネ街の一角で、青年の絶叫が響き渡った。



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第三十三話

――トリスタニア一の規模と伝統を誇る劇場、タニアリージュ・ロワイヤル座。

 

 

神殿を思わせるような豪華な石造りの立派な劇場に、今日も貴族平民問わず大勢の客が足を運んでいた。

劇場内にあるリストランテでは、フレンチトーストとホットミルクの匂いが漂い、

劇場のエントランスにある大きな売店ではポスターやアクセサリーといった、今月公演される劇のグッズが店頭で売り出されている。

更に劇のお供としてポップコーンやジュース、クッキーと言った軽い食べ物を出す準備も同時に始めていた。

チケット売り場の方ではどの劇を見ようかと、多くの客達が今日公演される劇の一覧表と睨めっこしている。

観賞一回分の料金は並の貴族達にとっては安い物だが、下級貴族や平民達にとっては月一の楽しみを提供してくれる魔法の紙である。

それに、今日最初の劇が始まるまで後数時間あるため、十分に選ぶ時間があった。

 

そんな客達の中でも、一際目立つ年老いた貴族がお供の騎士を連れてある場所を目指して歩いていた。

老貴族は立派な服にいくつもの勲章を着けており、一目見ただけでそれなりの地位を持つ者だと教えてくれる。

お供の騎士達もまたお揃いの黒いマントに黒い帽子、そして体から漂わせる雰囲気は見る者を圧倒させる。

そんな騎士達とは正反対に人の良さそうな顔つきの老貴族はすれ違い様に頭を下げてくる他の貴族達に対して丁寧に礼を返していく。

やがて老貴族とお供の騎士達は、人気の少ない、劇場の二階へときたところで足を止めた。

彼らの目の前には、国内でも有数の大貴族達しか利用できない鑑賞席へと続く大きな扉がある。

通称゛ボワット゛と呼ばれるその席の所為で、防犯上二階のスペースは狭く、リストランテや休憩場所といったエリアは全て一階に集中している。

老貴族は改まって自分の身なりを正すと、騎士達の方へ顔を向けて喋った。

「君たち、仮面はちゃんと持ってきているだろうね」

優しそうな雰囲気が漂ってくるその声に騎士達は全員頷くと、マントの中に隠していた仮面を取り出し、被った。

それを見て老貴族は満足そうに頷くと懐を探り騎士達と同じ仮面を取り出し、被る。

「いいかね?ここから先は失礼のないように頼むよ」

仮面を被った老貴族の声は、先程の優しそうな声は、まるでヘリウムガスを吸ったかのようなダミ声へと変化していた。

騎士達は老貴族の言葉に頷くと、彼の前にいた一人の騎士が゛ボワット゛へと続くドアを開け、中へと入っていった。

 

既に゛ボワット゛には幾人かの先客達と彼らのお供らしき騎士達がいたが、全員が全員同じデザインの仮面を被っていた。

そして彼らもまた、老貴族と同じように古くからこの国を支えてきた者達である。

老貴族は辺りを見回して自分のすぐ目の前に空いている席があるのに気づくと、そこへ腰を下ろした。

「なにをしていたのだ、あと一分遅ければ遅刻だったぞ?」

席に着いた瞬間、右の席に座っていた細身の貴族が怒ったようなダミ声で老貴族に言った。

「いやぁ~すまない。何分馬車がトラブルを起こしてしまい…」

一方の老貴族はすまなさそうに頭を掻きながらも今日最も不幸だと思う出来事を口にする。

そんな老貴族に細身の貴族はやれやれと首を横に振った瞬間、ふと彼らの後ろに設置された大型のカンテラに火が灯った。

普通のカンテラとは桁が違うサイズのカンテラが灯す火は大きく、今まで暗かった゛ボワット゛をあっという間に明るくした。

突然の事に仮面の貴族達は一瞬驚いたものの、今度は頭上から声が聞こえてきた。

 

―――やぁ皆様、お忙しいところを、このような会合に付き合わせる事を深くお詫び致します

 

頭上からの声に貴族達は席を立ち、頭上へと視線を向ける。

 

―――…さて、実は昨日…この国を捨てようとした無礼な内通者が一人、亡くなったそうです

 

声は悲しそうに、だけど嘲笑うかのような感じで喋り始めた。

 

―――彼は、天誅を受けたのです。天誅を。

    王族を侮辱し、あまつさえ欲に走ったのだから当然とも言いましょうか?

    きっとこれから先しばらく、レコン・キスタという王族に杖を向ける愚か者共の刺客がやってくるでしょう。

    そして、その刺客共をこの国に入れる鼠もまた増えるに違いありません

 

そこまで言ったとき、ふと先程の細身の貴族が声を荒げて言った。

「ならば我々がする事は……レコン・キスタの刺客共と内通者の鼠たちを駆除するのみ!」

勇気溢れるその言葉に、周りの貴族達は頷き「そうだ、駆除しなければいけない」と呟く。

そして、頭上からの聞こえてくる声の主もそんな彼らに同調するかのような言葉を口にする。

 

――そうです、国を売る内通者とレコン・キスタの輩どもは駆除しなければなりません。

    その汚れ仕事は王族ではなく、現役を退こうとしている我々が請け負うべきものです!

 

何ヶ月か前に始まったこの会合に集う貴族達は皆、この声の主と同じ考えを持っていた。

 

゛王家の目に入らぬ場所で平然と悪行を繰り返す他の貴族達を何とかしたい゛

 

そんな願望を持つ者達だけが集まれば、次第と結束力は高まっていく。

最初は若い貴族はどうだのアイツは横領しただので、単なる愚痴のこぼしあいであった。

しかし、いつの頃からか次第に愚痴の内容が過激なものになっていった。

そしていつしか、彼らは自らの権力を使ってこの国を綺麗にしようと決意したのだ。

 

゛この国を食い物にする不届き者たちを、我らの手で裁いて行こう゛

 

単なる愚痴のこぼしあいが、裏社会で暗躍する小規模な組織へと変貌するのにはそれほど時間は掛からなかった。

 

 

―――敵は多い。されど私たちの結束力は幾億万の軍勢にも匹敵する。

     さぁ行きましょう皆さん。この私…゛灰色卿゛と共に栄えあるトリステイン王国を綺麗にする為の闇の戦いへ!

      掃除するのです!この国、そのものを!

 

声の主がそう言った瞬間、貴族達がワッと声を上げた。

「「「「「「「「灰色卿!灰色卿!灰色卿!灰色卿!」」」」」」」」  

彼ら以外にまだ人がいない劇場を、熱狂した貴族達の声が響く。

 

まるでアンコールをする劇の観客達のように、右手を振り上げて叫ぶ。

自分たちの手で始まろうとしている劇の開幕を喜ぶ観客達の如く。

 

王族は勿論、枢機卿達ですら詳しく知らない、愛国心溢れる古参貴族達の集まり…

それは、今まさに活躍の時と言わんばかりに動き出そうとしていた。

 

 

―――る始祖ブリミルと女王陛下よ。今朝もささやかな糧を与えたもうことを感謝致します」

 

トリステイン魔法学院の大食堂では、朝食を摂る前の祈りが行われている。

それを耳に入れつつ、霊夢と魔理沙の二人は一足先に食堂入り口の右端に設けられている休憩場で朝食を食べていた。

本来ならそこで食事を摂ることは禁止されている。

しかし朝食へ行く前にルイズの部屋を訪ねてきたシエスタがニコニコと笑いながら、

「あの、床に座って食べるのなら是非とも食堂の休憩場を使ってくれって…料理長が言っていまして」と言ってきたのだ。

ルイズはそれに一時反対したものの、昨日の事もあってかすぐに了承した。

「まぁ二人も足下にいると鬱陶しいことこのうえないからね」

そっぽを向きながら言ったルイズに、シエスタは満面の笑みを顔に浮かべて頭を下げた。

その時、ルイズの言葉を聞いて今まで霊夢が何処で食事を取っていたのかを察した魔理沙は驚いていた。

「普通、大理石の床に座って食べるか?」

「立ったまま食べるのってなんか疲れるのよねぇ。それに座っても損することはないし」

 

こうして二人は床に座ることなく、朝食を食べる事が出来ていた。

メニュー自体は霊夢が食べていた物とほぼ同じボリュームの食事である。

キャベツや細切りのニンジン、薄切りベーコンが入ったコンソメスープに小さめのボールに入ったサラダ。

小皿の上には雑穀パンが二つと空のティーカップ。コップにはレモンの果汁が入った炭酸水。

シエスタ曰く「私たちが朝早くに食べる朝食と同じもの」らしい。

それと比べれば、生徒達が食べているメニューとでは雲泥の差があった。

 

「ささやか…ねぇ。じゃあ素晴らしい糧だとあれの倍くらい出るのか」

魔理沙はサッパリとしたドレッシングが掛かったサラダを食べながら、ようやく食べ始めた生徒や教師達の食卓を見つめていた。

仔牛のステーキに、鱒の形をした大きめのフィッシュパイや色とりどりの果物。

バスケットに溢れんばかりの白パン、そして極めつけは朝からボトル一本丸まるのワインである。

これは朝食ではなくディナーと言われたら、魔理沙は疑う事はしなかったであろう。

最も、魔理沙にとっては食事のことはどうでもよく、ワインボトルの方に目がいっていた。

「やれやれ…朝から酒とは、よっぽど飲兵衛が多いんだなこの世界って…――……――う…?」

一人呟きながらも魔理沙は出されていた水を一口飲み、顔を顰めた。

口の中に入れた瞬間、シュワシュワと音を立てて弾けていく感覚で口の中に入れたのが何なのか、すぐにわかった。

(この感じはラムネだ…でも、甘くない。しかも酸っぱい)

無糖の炭酸水を飲んだことが無い魔理沙にとって、それは甘くないラムネであった。

更にレモン果汁が入っているという事も気づかないでいた。

「どうしたのよ。腹でも壊した?」

雑穀パンに齧り付いていた霊夢が黙り込んでしまった魔理沙に気づき、声を掛けた。

魔理沙は霊夢の言葉に首を横に振りつつ、口の中に入れた炭酸水の感想を述べた。

「いや…てっきり普通の真水かと思ってたんだが…ラムネだったとは…しかも甘くないぜ…」

「え?ラムネェ…?」

数年前から幻想郷の人里で流行始めた変な甘い飲み物の名前が出た事に、霊夢は首を傾げた。

子供達の間で人気らしいが以前霊夢はチョビっとだけ飲んで、あの口の中で弾ける感触を味わって以来嫌になってしまった。

 

あの変な飲み物がこの世界にもあるのねぇ。と呟きつつ霊夢はコップに入った炭酸水を一瞥した。

 

 

やがて朝食の時間が終わり、腹を満たした生徒や教師達が食堂からぞろぞろと出てきた。

これから授業の準備をしなくてはいけない為、自室へと戻る最中なのである。

その光景は、正に蟻の行列と言っても差し支えはないであろう。

一足先に食べ終えて外に出ていた霊夢と魔理沙は食堂から少し離れた所でそれを眺めていた。

「いやはや、こんなに多いとある意味蟻の行列みたいだよな」

「あんだけ多いと食事を作る方も随分と大変ね」

大きなトンガリ帽子を人差し指で器用にクルクルと回している魔理沙の言葉に、霊夢も頷く。

今視界に映っている程の大行列は、幻想郷で暮らしていた魔理沙にとっては今まで見たことが無かったのである。

一方の霊夢は、人数分の料理を賄い含めて作れるマルトーやシエスタ達に改めて感心していた。

 

「―――…んなところにいたのね!二人とも!」

その時、ふと行列の中から聞き慣れた声と共に、生徒達の行列から一人の少女が出てきた。

 

行列を見つめていた二人はすぐさま、列から出てきて少女がこちらへ走ってくるのに気が付いた。

「…ん?あれって、ルイズの奴じゃないか。…おーい!」

速くもなく、また遅くもないスピードで走ってくる少女に魔理沙は手を振る。

魔理沙の言うとおり、その少女はピンクのブロンドが目立つルイズであった。

「確かに。あの髪の色は間違いなくルイズね」

霊夢もすぐさまルイズだとわかり、挨拶程度に手を軽く振った。

二年生の証である黒いマントをはためかせて走ってきたルイズは、すぐさま二人のもとへとたどり着いた。

走ってきたルイズは肩で息をしながら、霊夢と魔理沙に声を掛けた。

「…全く、いつの間にかいなくなったと思ったら…ハァ…こんなところで何してるのよ」

「蟻の行列を見てたぜ。でっかい蟻のな」

魔理沙の口から出たその言葉の意味を理解できず、ルイズは首を傾げた。

「…アリ?…そんなの見ていて楽しいの…?まぁそんな事より、ちょっとついてきて欲しいんだけど」

ついてきて欲しいという言葉に、霊夢はすぐさま次に「授業についてきて」という言葉を連想した。

以前この世界に来て最初の頃に断ったのにもう忘れたのかしらと思った霊夢は、溜め息をついた。

「授業なら私は行かないわよ。魔理沙でも連れて行けばいいんじゃない?」

「おぉ、魔法を学ぶ学校の授業か。それは興味あるな」

「授業」という単語に魔理沙はすぐに目を輝かせた。

しかし、霊夢の予想は珍しくも外れたようでルイズは首を横に振った。

 

「違うわよ。今から学院長室に行くのよ」

「学院長室?あぁ、魔理沙の事ね」

思い出したかのような霊夢の言葉に、「それもあるけど」と言いながらルイズは言葉を続ける。

「アンタのルーンの事で話したい事があるそうよ」

ルイズは霊夢の左手の甲に刻まれているガンダールヴのルーンを指さしながらそう言った。

 

 

 

 

ブルドンネ街の一角にある高級ホテルの付近には、朝から多くの野次馬達が見物しに来ていた。

最初の方こそ数人程度であったが、時間が経つごとに人が増えていき今ではその数は三十人ほど増えている。

そんなとき、ホテルの方で何やら人だかりができているという話を聞いた一人の男が興味本位でやってきた。

話どおりホテルの前には大勢の人達がたむろしていて、何やらボソボソと話し合っているようだ。

来たばかりの男はとりあえずどうしようかと悩み、近くにいた別の男性に詳しい話を聞いてみることにした。

「なぁ…こんなに人が集まってるが…何かあったのか?」

彼の横にいた大柄な男性は突如そんなことを聞かれて目を丸くしたが、すぐに返事をした。

「何だよ、知らねぇのか?あのホテルでな、貴族が一人殺されたんだよ」

「えぇ…ま、まさか殺人事件…!それは本当かい…?」

男の口から出た゛殺された゛という言葉に彼は目を見開いて驚愕した。

治安がある程度にまで整っているブルドンネ街ではスリや詐欺はともかくとして、強盗や殺人といった類の事件は滅多に起こらないのだ。

「嘘なもんかい。俺がいつも使ってる道には検問が張られてるし、出入り口で待機してる衛士隊の連中が何よりの証拠だろう」

半信半疑な彼に呆れるかのように男は肩をすくめて言うと、ホテルの入り口を指さした。

 

ホテルの出入り口では、平民のみで構成された市中警邏の衛士隊数人が武器を持って佇んでいた。

立派な造りの槍とその体から出る緊張した雰囲気は周りにいる市民者達を威圧し、ホテル付近で釘付けにしている。

数人一組で街をパトロールし、犯罪者を見つければ訓練された動きで即時逮捕する彼らは、犯罪者達にとっては身近に潜む危険そのものであった。

ただメイジの犯罪者ともなれば殆ど魔法衛士隊の出番となるが、それでも彼らは犯罪者と日夜戦っている。

ある意味畏怖される存在でもあるがそれと同時に、頼れる存在でもあるのだ。

 

衛士が出入り口にいるのを確認した彼の顔は、みるみる真っ青になっていく。

「ホントだ…世の中って、おっかねーのな」

 

 

一方ホテルの中では、多数の衛士隊の隊員達がホテル内をくまなく捜査していた。

その範囲は広く、客室や従業員の寝泊まりする仮眠室、厨房や浴場等ほぼ草の根を掻き分けるような状況であった。

殺されたのが王宮勤務の貴族だったからという理由もあるが、本当の理由は全く別のものであった。

 

 

そんなホテル内の一室、今回の事件の被害者である貴族が宿泊していた客室。

部屋の真ん中に放置された貴族の死体を一人の隊員がスケッチをしている。

スケッチは身体全体から両手両足、そして苦痛に歪ませた顔など、細部にまで至った。

一方、その部屋の片隅では二人の女性隊員と衛士隊の隊長と思わしき男が鞄の中に入っていた書類を調べていた。

二人ともかなりの美人ではあるが、体から発せられる無骨な剣のような重苦しい雰囲気がそれを台無しにしている。

「…隊長、やはり被害者はレコン・キスタの内通者と見て間違いは無いでしょう」

書類の内容を流し読みしていた金髪の女性隊員が、傍にいる隊長にそう言った。

彼女の名はアニエス。衛士隊に入ってから既に一年と五ヶ月程度の月日が経っている。

この職に就く前は街の一角にある粉ひき屋で働いていたという。

武器の扱いには長けており。敵対する者に対して容赦のない性格はこの仕事にうってつけであった。

結果、女性隊員だというのにもかかわらず僅か一年で市中警邏のリーダーとなったのである。

 

隊長は彼女の言葉に頷くと、鞄の中に入っていた一枚の書類を手に取り、流し読みをする。

「…レコン・キスタめ、これをもとに一揆の煽動でもするつもりだったのか?」

その書類に書かれていたのは、首都から離れた地域の納税率をまとめたものであった。

 

納税率の小さい地域に住む者達はとても貧しく、税を減らしてくれと頼みに土地を収める領主ではなくわざわざ王宮にまで来るのだ。

当然その村に住む者達は王宮に対しての反逆心を抱いており、隙あらば小規模な運動を起こすのである。

歴代の王もそのような者達の活動に頭を悩ましていたのだ。

 

書類を手に取った隊長についで、青髪の女性隊員も鞄から書類を一枚手に取り、目を通し始めた。

 

彼女の名はミシェル。アニエスとほぼ同時期に入隊した女性隊員だ。

彼女に負けず劣らずの堅苦しい性格の持ち主で、右腕的存在でもある。

生真面目で勇敢な性格のおかげで周囲の者達からも信頼され、今ではアニエスの補佐として働いている。

ただ唯一不思議なことは、衛士隊に入るまで彼女が何処で何をしていたのか――それを誰も知らないという事だ。

「この書類の数々…写し取りではありますが、とてもじゃないが被害者の権限では扱えぬ代物です」

ミシェルは手に取った書類を流し読んだ後に振り返り、背後で奇妙な死に方をしている被害者の姿をもう一度見た。

 

 

事の始まりは昨日の深夜にまで遡る…

 

衛士隊の詰め所に、ホテルの従業員と思われる青年が殺人事件だ!と叫びながら駆け込んできたのである。

突然の事にポーカーをしていた二人の隊員は驚きつつも、青年に連れられてとあるホテルの客室へと入った。

かなりの金持ちにしか入れないその部屋の真ん中に転がっていたのは、案の定貴族の死体であった。

とりあえずは未だに寝ているホテルのオーナーを起こしすよう青年に言った後、二人の内一人が王宮と市内に点在している詰め所に伝令を飛ばした。

伝書鳩の形をしたガリア製のガーゴイルを用いたお陰ですぐに伝令が伝わり、すぐさま市内中の詰め所から多数の隊員達が集まってきた。

集まってきた隊員達は宿泊していた他の客達を起こして理由を軽く説明して避難させた後、現場の判断ですぐさま緊急の検問が張られることになった。

思ったより貴族達の避難が遅く、検問を張り終えた頃には既に朝の八時頃になっていた。

 

本来なら殺人事件でここまでの事はしないのだが、これには理由がふたつほどある。

ひとつ、王宮で重要なポストにいる者達が何人かこの宿に泊まっているということ。

ふたつめ。これが今回の事件をかなり大きくさせる要因となっていた。

 

―――『殺された貴族が、機密性の高い書類を持っていた』ということ。

 

最初に現場へと来た隊員が偶然にも、機密性の高い書類の写し取りを見つけた事から被害者が内通者だとすぐに判明したのだ。

本来ならこの様な書類は写し取りはもちろん、持ち出す事すら禁止されているのである。

何時レコン・キスタとの戦争が始まってもおかしくない時期にそのような事をするなど、内通者でなければ命を捨てるという事と同義なのだ。

王宮では既に内通者が出ると前から予想していたのだが、最初に確認できた内通者は既に死んでしまっていたとは誰が予想できようか。

それが余計に緊急会議を長引かせ、朝になっても未だ王宮から魔法衛士隊が派遣されていないのだ。

 

「しかし隊長…今回の事件は、少し奇妙なところがありますね」

唐突なアニエスの言葉に隊長は頷き、振り返って床に転がっている死体の゛首筋゛の方へ視線を移す。

平均的な男性より少し細い首筋には…「虫に刺されたかのような人差し指程の大きさがある赤い斑点」がひとつあった。

 

 

これを見つけた当初は、寝ている最中かまたは殺された後に蚊にでもさされたのだと推測していた。

夏の訪れを感じるこの季節ならば、蚊にさされてもおかしくはないからである。

だが、スケッチ担当の隊員がこれを見た時、彼は驚いた表情を浮かべてこう言った。

「これが虫のさし傷だとすると…虫の形をした殺人鬼ですねぇ…」

苦笑交じりの言葉に、その場に居合わせた隊員達はまさかと思った。

 

だが驚くべき事に死体を調べてみると、首筋にある虫のさし傷しか目立った外傷が無かったのである。

そうなると、途端にスケッチ担当が言ったあの言葉に現実味が出てきた。

 

 

「虫の形をした…殺人鬼ねぇ…」

衛士隊随一の物知りであるスケッチ担当の言った言葉を呟き、隊長は手に持っていた書類を鞄の中にもどした。

それを見てアニエスとミシェルも持っていた書類をもどし、最後にミシェルが鞄の蓋を閉じた。

「ミシェル。とりあえずコレはロビーの方に持っていってくれ」

「了解しました」

隊長の命令にミシェルは敬礼をし、左手で鞄の取っ手を掴むと軽く腕に力を入れて持ち上げた。

この鞄、何も入っていなくとも相当重量のあるタイプではあるが、彼女は何とも思わず軽々と片手で持っている。

普通の男性隊員達と同じ訓練をしている所為か、その小さな体には今や素晴らしいほどの力が宿っていたのだ。

 

「――ふぁ…」

ミシェルが鞄を持って部屋を出た後、ふとアニエスの口から小さな欠伸が出た。

堅苦しい彼女には似合わない可愛らしいそれに、隊長は思わず微笑む。

「おいおい、そんなに寝たいのならロビーのソファで休んでもいいんだぞ?」

隊長の口から思わず労りの言葉が出たが無理もない。

実はアニエスの睡眠時間は、ほんの一時間程度程度だけであった。

夜中まで窃盗犯を追いかけて捕まえた挙げ句、取り調べと調書で大分時間が掛かってしまい、

ようやく一通りの作業を終えてベッドに潜り込んで一時間後に招集を掛けられたのだ。

隊長の言葉に、アニエスは一瞬だけ顔を赤くした後口を開いた。

「あ…い、いえ!お気遣い感謝致しますが、自分は平気です」

「だけどなぁアニエス、お前に倒れられちゃあコッチも困るしなぁ…」

強気のアニエスに隊長は苦笑しつつもなんとか彼女をすぐにでも休ませようと思っていた。

 

 

衛士隊に入隊してからの彼女は女性には少々辛い激務も幾度かこなしており、その身体には疲労が溜まっていた。

ミシェルは仕事がない合間にはいつも休んでいるのだが、それとは反対にアニエスは何かしらの仕事にいつも取り組んでいるのだ。

そんな彼女に隊長自身が一度長期休暇を取ってみたらどうだと言ったところ…

 

「私がしている数々の仕事は、自身を強くする為にしているのです」

彼女は強い信念の篭もった目でそう言った。

 

こういう目をした者には何を言っても聞かないというのは衛士隊の誰もが知っていた。

それに、彼女は非番の日にはちゃんと休んでいるのでそれ以上強く言うことも出来ないでいた。

 

 

「自分は大丈夫です。それよりも隊長の方こそ昨日はあんまり寝てないはz――「 う わ っ … ! ? 」

隊長の言葉にアニエスは首を振って立ち上がろうとしたその時、すぐ後ろから驚きに満ちた声が聞こえてきた。

声の主は被害者のスケッチをしていた隊員で、いつの間にかすぐ傍にまで寄ってきていた。

一体何なのかとアニエスが思ってふと被害者の方に視線を移した時、すぐにある事に気が付く。

(被害者の肌が…白くなっている)

そう、先程まで肌色だった被害者の肌がペンキで塗ったかのような白色に変わっていた。

死体は時間が経つことによって肌の色が変わるが、こんなに早く変色はしない。

では一体どうして、とアニエスが疑問に思った瞬間――――

 

…ュウ…シュゥ…シュウ…シュウ…シュウ…

 

ふと被害者の身体の真下から、耳に障る嫌な音が聞こえてきた。

「この音は…一体何だ?…何かが溶ける音にも聞こえるが」

その音にすぐさま気が付いた隊長は怪訝に表情を浮かべながら、被害者の傍へと近寄った。

「よ…こらっ…しょっとぉ!!」

隊長は耳を音のする方向へ傾けた後、被害者の身体に手を掛けると、勢いよく前へと転がした。

 

突然の行動に二人は目を丸くし、スケッチをしていた隊員は思わず声を上げた。

「なっ…!た、隊長…いったい何を…!?」

しかし、その声を無視して隊長はひとり呟くと、死体の真下に転がっていたある物体を手に掴んだ。

「成る程…。音の正体はこれだったってワケか」

何かを手に持った事に気が付いたアニエスはすぐさま隊長の傍に駆け寄った。

隊長が手に持っていたそれは、白煙を上げて溶けている青いガラス片のようなものであった

それは音をたてて゛内部から゛溶けていて、あと数十秒のすれば溶けて無くなってしまうであろう。

 

突如変色した内通者の死体…そしてこの溶けていく青いガラス片の物体。

今まで出会ってきた事件の中でも奇怪な事件だと、隊長は実感した。

「もしかするとこの事件…単なる殺人事件じゃあ無さそうだ」

 

ひとり呟く隊長の指先で、青いガラス片の物体は溶け続けていった。



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第三十四話

ベッドに身体を沈め、瞼を閉じて何も見えない夢の世界に入り込んだルイズを待っていたのは、女性の声であった。

 

――――まだ何も解決はしていないわ。むしろこれからってところね

 

ルイズはその声に聞き覚えがあった。八雲紫の声だ。

霊夢と魔理沙のいる幻想郷を創った大妖怪で、同時にこれからのルイズの生活を大きく変えるであろう存在。

彼女の声には妙なエコーが掛かっており、瞬時にこの言葉が三日前のもの――つまりは過去の事なのだと理解した。

四日前、幻想郷に霊夢と共に連れてこられ、一日の時を置いてから紫が何人か集めて小さな会合を開いた。

それは今後の霊夢が何をするべきかを的確に指示し、同時にルイズはその内容に驚愕したのである。

 

その時の事をふと思い出しそうになったが、その前に再び紫の声が夢の世界を漂うルイズの頭の中に入り込んできた。

 

――――――確かに貴女がゲートを開いた。でもそれを乗じて結界を侵食したのは、貴女よりも遥かに上の存在

    …つまり貴女は鍵だったのよ。貴女だけの力では貴女のいる世界と幻想郷をすぐに繋げることなんて至難の業よ?

    事実、わたしだっても見つけるのと繋げるのには相当苦労したしね

 

紫がそう言った後、今度は幼くも何処か危険な雰囲気を孕んでいる声が聞こえてきた。

 

―――つまり、「貴女を煮ようが焼こうが異変は解決しない」という事よ。むしろもっと悪化するかもね

 

その声にまたもや聞き覚えがあったルイズの身体を寒気が走り、無意識に自分の身体を軽く抱きしめた、

レミリア・スカーレット――――幻想郷で紅魔館という巨大な館の主をしているという吸血鬼。

最初に出会ったときは吸血鬼だということに驚きはしたが自己紹介の後、こんなことを言ってきた。

「安心しなさい。苛立ちはしているけれども、今の私は貴女にそれ程の殺意は抱いていないわ」

そんな事を言われる前に杖を向けてお付きのメイドに腕を捻り上げられたうえ、ナイフを向けられた後にこの言葉である。

絶対嘘でしょ。と思いつつも彼女の身体から溢れ出る威圧感にそのときのルイズはただただ頷くことしか出来なかった。

 

今度は、やけに落ち着いた感じの声が聞こえてきた。

―――要は、逆に貴女を私たち側に引き入れて霊夢の案内役を兼ねた仲間になって欲しいということよ

 

この声の主は八意永琳と名乗る薬師であったとルイズは覚えていた。

次に、紫の声が再び頭の中に響いてきた。

 

――――流石月の頭脳といったところかしら?こちらの考えは大体予想していたようね

苦笑しながらもそう言った紫に、永琳は肩をすくめながらもこたえる。

―――――ついさっき思いついた事を口にしたまでの事よ。頭のお堅い吸血鬼とはワケが違うわ

小馬鹿にするかのような永琳の言葉に、すぐさまレミリアが殺気の篭もった目つきで永琳の顔を睨み付けた。

――…おまえ。この私を怒らせたいの?

段々と恐ろしくなっていくその場の雰囲気を止めたのは、一人の亜人と人間の少女であった。

 

―――お嬢様。それくらいで怒っていては軽く見られてしまいますよ

ミニスカートのメイド服を着た銀髪の少女は、落ち着いた口調でレミリアを宥めた。

レミリアはメイドの言葉にすぐさまハッとした顔になると、軽く咳払いをした。

――いけないけない…あれだけ熱くなるなとパチェに言われてたわね…助かったわ咲夜

咲夜と呼ばれたメイドの少女はレミリアに頭を下げた。

 

 

――し、師匠…何もこんなところで挑発しなくても良いじゃないですか…?

一方、兎の耳を頭に生やした鈴仙は少し怯えた声で永琳にそう言った。

自分の弟子の言葉に永琳は笑顔を浮かべ、されど何も言わずに肩をすくめた。

 

そんな時、一触即発寸前だったというのに何も言わずにその様子を眺めていた霊夢が、ふと口を開いた。

――――つまり、私はこのルーンをつけたままあの世界にまた戻れっていうわけね

少し嫌悪感が混じった言葉を口から出しつつ、霊夢は左手の甲についた使い魔のルーンを紫に見せる。

それは、ハルケギニアでは神として崇められている始祖ブリミルの使い魔、ガンダールヴのルーンであった。

紫は霊夢の言葉に頷くと、ルイズの方へ顔を向けて喋り始めた。

 

―えぇそうよ。…キッカケとはいえ、幻想郷とハルケギニアを繋いだ力を持った彼女の力は凄まじい。

 恐らくは今後、そんな彼女を狙って色んな連中がやって来る。

 そしてその中に、今回の異変を起こした黒幕と深く関わっている連中が混じるのも間違いないわ。

 つまり彼女の傍にいれば、自ずと黒幕の方からにじり寄ってくるって寸法よ。

 

今度はレミリアの声がルイズの頭の中に響いてくる。

 

――貴女の運命は今正に急展開と言って良いほどの動きを見せている

 博麗の巫女を使い魔にする程の力を持っているのに、自分を卑下する事は無いわ

 それに…

 

そこまで言って一息ついた後、レミリアは次のような言葉を口にする。

それは、幻想郷の住人達を前にして多少なりとも狼狽えていたルイズに自信を付けさせる程度の威力を有していた。

 

――霊夢の左手には貴方達の種族が『伝説』と呼んで崇める存在が使役した使い魔のルーンが刻まれているんでしょう?

 という事は、貴女にはそいつと同等の力をもっているという事じゃないかしら。貴女がそれを自覚していないだけで…

 

 

 

パチンッ!

 

 

 

「ん…んぅう…」

耳の中から入ってきた強烈な音に、ルイズは夢の世界から無理矢理締め出されてしまう。

それは乾燥した小さな薪が火に炙られて弾ける音で、すぐに暖炉から発せられているのだとわかった。

妙に重たい瞼を無理矢理こじ開け、柔らかい手の甲で両目を擦りつつもルイズは上半身をゆっくりと起こそうとした。

 

しかし、ルイズの体は脳から伝わってくる命令に反して一向に起きあがろうとしない。

どうしたことかと思ったが、すぐにその原因が隣で寝ている魔理沙の腕が原因だと判明した。

長袖、長ズボンの青い寝間着を着ている彼女の頭を、ルイズは思わずどつきそうになる。

そうなる前に、軽く力を入れれば腕をどけれると知り、すぐさまそれを実行した。

ルイズの体に乗っかっていた魔理沙の腕はあっさりとどけられ、ルイズは上半身を起こす事が出来た。

 

上半身を起こしたルイズは枕元を探り、懐中時計を手に取った。

霊夢を召喚する前に街で買った物で、色々な細工が施されている。

まだ半分寝ぼけているルイズはとろんとした目で時計をトントンと軽く指で小突く。

すると懐中時計の中に仕込まれていたマジックアイテムが作動し、時計の針が光る。

暗いところでも時間がわかる時計で、裏にはメイドイン ガリアという文字が刻み込まれていた。

「午前4時50分。大分早起きしちゃったわね…」

時刻を確認し、大分早くに起きてしまったことにルイズは苦虫を踏んでしまったかのような気分になった。

きっと授業の最中に居眠りしてしまうだろうし、二度寝出来るほどの時間もない。

そんなルイズとは対照的に、彼女の隣で魔理沙はぐっすりと寝ており、更にはブツブツと寝言も呟いている。

「うふふふ…に勝ったぜ…うふ、うふ、うふふふふふふふ…」

まだ知り合って日が浅いが、少なくともうふふ…など彼女には似合わない笑い方であろう。

一体どんな夢を見てるんだと思ってたルイズは、ふとベッドから少し離れた所に置かれた大きなソファーへと視線を移した。

滅多に来ない来客用にと置いている大きなソファーで、毛布にくるまった霊夢が寝ていた。

 

 

一昨日の晩、シエスタが持ってきてくれた夕食を食べてからしばらくし、そろそろ就寝の時間帯となった頃。

入浴を済ませたルイズはネグリジェ姿に、後の二人は幻想郷から持ってきたそれぞれの寝間着(魔理沙はパジャマで霊夢は寝巻き)に着替えて寝ようとした。

 

そんな時、ふと霊夢がルイズと一緒に寝ていたベッドを見つめながら、こんなことを呟いた。

「流石に三人も入ると左右で寝る奴が危ないし、何よりすし詰めになるんじゃない?」

霊夢の言葉に、ルイズも同意するかのように頷いた。

ベッドはそれなりに大きく、やろうと思えば三人とも同じベッドで横になる事が出来る。

だがギュウギュウ詰めになってまでも同じベッドで寝る必要など三人には無い。

さてどうしようかとルイズ達が思ったとき、ふと霊夢が部屋の一角に置いていたソファーへと近寄った。

柔らかい素材で出来たソファーは触り心地も良く、ベッドの代わりとして使っても問題は無い。

 

 

そんなわけで霊夢がこのソファーで寝るようになってから早二日が経っている。

魔理沙はというとルイズの隣で寝ることとなったが本人は一切文句を言わなかった。

むしろ「こんな大きなベッドで寝られるなんて夢のようだぜ」と喜んでいた。

ルイズは最初だけそのことに難色を示したものの、異性ではなく同性ならば大丈夫だとすぐに納得した。

何よりそれを断ると魔理沙の寝る場所が無くなってしまうので、実際には納得しなければならないという表現が正しい。

まぁ距離を置いて寝てくれるので、ルイズも彼女の隣で寝ることに関してはある種の安心を感じていた。昨日までは…

「流石に体の上に腕とか足とか乗せられたら安眠も出来ないわねぇ…っと」

ルイズはそんなことを呟きながらベッドから出ると、暖炉の傍に置かれたイスに腰掛けた。

もうすぐ夏が到来するがトリステインの早朝は気温が寒く、暖炉の火が未だに欠かせないのである。

勿論昨日の夜からずっと火をともしているわけではなく、寝る前にちょっとした火種を暖炉の中に入れていたのだ。

それは石から出来た使い捨てのマジックアイテムで強い衝撃を与えた後、長い間空気に触れさせると自然発火を起こすのである。

つい最近になって街で流行始めた物で、トリステインの人々から重宝されているのだ。

 

大きさによって火力も違い、この魔法学院で支給されている物はかなり小さめの物だ。

小さい物だと発火するのに時間が掛かり、ついてもすぐに消えてしまうがその上に枯れ草や薪を置いていれば長持ちしてくれる。

「ホント…これって便利よねぇ…ふわぁ~」

ルイズは日々進化しつつあるマジックアイテムの恩恵に欠伸をしながら感謝しつつも、薪を一本手に取り暖炉に放り入れた。

暖炉の名かで何かが弾ける音を上げつつ燃え上がる炎を見つめていたルイズは、ふと先程の夢の内容を思い返す。

(何で今になって数日前の事を夢なんかで見たのかしら…)

もしかしたら昨日のアレが原因なのかも知れないと思ったルイズ、ふと昨日の事を思い出し始めた。

 

 

 

昨日の朝食後。ルイズと霊夢、そして魔理沙が学院長室へと赴いた時の事であった。

 

長い階段を上り終えて学院長室へとやってきたルイズたちを待っていたのは、ミスタ・コルベールと学院長であるオールド・オスマンであった。

というよりそれ以外の誰がいるのかとルイズは思いつつ部屋に入り、霊夢と魔理沙もそれに続いた。

霊夢はともかく、魔理沙の姿を見た二人は目を丸くし、ミスタ・コルベールがルイズに質問を投げかけてきた。

「ん?ミス・ヴァリエール、金髪の少女は誰なのですか?初めて見る顔ですが…」

ルイズがその質問に対して返事をする前に、魔理沙が頭に被っていたトンガリ帽子を取って二人に挨拶をした。

「私は霧雨 魔理沙。見ての通り普通の魔法使いだぜ」

年相応の少女の元気そうな声で形作られた言葉を耳にし、オールド・オスマンがある疑問を感じた。

その疑問はコルベールも感じており、ルイズもまた初めて魔理沙と出会ったときに感じたものと全く同じである。

「普通の魔法使い…とな?」

今まで見たことのない不思議なモノを見た後のような呟きに、魔理沙は思い出したかのように言った。

「あっ、そういえばこの世界ではメイジって言うんだっ…―――ムググッ!」

このバカ!と叫びつつ、ルイズは咄嗟に魔理沙の口を右手で無理矢理押さえつけた。

 

突然のことにコルベールはキョトンとしたものの、オールド・オスマンはそれを見てホッホッホッ…と笑い始めた。

 

「えぇよ、えぇよ、ミス・ヴァリエール。儂はもうある程度の事はわかっておる」

優しそうな微笑みを浮かべながらそう言ったオスマンに、霊夢が目を細めた。

「アンタ…もしかすると最初から気づいてたのかしら?―――私と魔理沙が何処から来たのか」

霊夢の口から出た言葉にルイズは思わず魔理沙の口を覆っていた手を離し、まさかそんなことが、と思った。

しかしそんなルイズとは逆に、霊夢は笑い続けているオスマンに鋭い視線を向けている。

そんな霊夢の視線の中にある質問に応えるかのように、オスマンは笑うのを一旦止めて言った。

「君の事は前々から調べておったが、これでようやく答えがわかったというものじゃ」

オスマンは杖を手に持ち、軽く呪文を詠唱すると戸棚に向けて杖を振る。

直後、戸棚がひとりでに開き中から古めかしい一冊の分厚い本が飛んできた。

「おぉ、やっぱり杖を使う魔法使いは中々様になってるなあ…。―――ん?それって、まさか…幻想郷録起じゃないか」

魔理沙はこの世界に来て何度目かになるハルケギニアの魔法に目を輝かせていたが、その視線が本の方へと移る。

年季が入り、色褪せてしまってはいるがその本のタイトルに見覚えがあった。

こんな所で目にしようとは思っていなかった魔理沙は、無意識的にその本のタイトルを口に出してしまう。

 

「…!あ、あなたにもこの文字が読めるのですか!?」

それを聞いたコルベールは驚愕を露わにし、一方のオスマンは予想的中と言わんばかりに顔に笑みを浮かべた。

「やはりお主も、彼女と同じくこことは違う場所の生まれの者のようじゃのう」

そこまで言われて観念したのか、霊夢はやれやれと言わんばかりに首を横に振る。

ルイズはというと、二人のことを何処まで話したら良いのか悩んでいた。

これに関して紫に「信用出来ない、又は口の軽い人間には絶対に話さないように」と厳しく言われている。

しかしルイズはこの二人を教師としてちゃんと信頼しているし、何よりちゃんと他言無用の誓いは守ってくれそうだ。

 

そこまで考えたルイズはまず最初に霊夢の方へ視線を向けた。

すぐに此方を見ていることに気が付いた霊夢はルイズの方へと顔を向け、コクリと頷いた。

どうやら彼女の方も、学院長にこれ以上の隠し事は不可能だと判断したようだ。

霊夢からのOKサインも貰い、ルイズは大きな溜め息をついた後に口を開く。

「…わかりました。とりあえず話せることだけは話しましょう。

  ただ、他言無用で御願いします。この二人の事をよく知っている者からの忠告ですので」

出来る限り事が重要なのだと思わせるためにルイズは少し強めの口調で言った。

オスマンとコルベールはお互いの顔を見合わせた後、頷いた。

「良いじゃろう。…そもそも人間を使い魔にする時点で何かしらあるとは思ってはいたが。どうやら事はそれ程軽くは無さそうじゃな」

先程の笑顔とは打って変わって真剣な表情でそう言ったオスマンに対し、コルベールもまた真剣な表情を浮かべて頷く。

 

「えぇ、何せ伝説と謳われる始祖の使い魔の゛ルーン゛が蘇ったのですからね…。確かに事は重要ですな」

 

 

まずはルイズの話から始めることとなった。

 

彼女は二人の教師に霊夢と魔理沙が幻想郷という、この世界とは全く別の世界の住人であることを最初に説明した。

その事を話している最中オスマンとコルベールは目を丸くして驚いていたが、まぁ無理もないだろう。

何せ異世界など普通は劇や小説に出てくるフィクションの存在なのだ。普通なら誰も信じないに違いない。

(私だってその事をユカリに聞かされた時に驚いてたしね)

あの時の事を思い出しながらも、ルイズは話を続けていった。

そしてアルビオンから戻ってきて翌日の夜、一度は迎えが来て霊夢と共にその世界へ赴いたのだが事情があってすぐに戻ってきたということも話した。

だが、幻想郷にほぼ丸一日いて゛すぐ゛という表現はおかしいのだがそれは致し方ない。

実は自分と霊夢がいない間、紫の式(使い魔と似て非なる存在らしい)達がルイズと霊夢の姿に化けて一日だけ代わりを務めていたのだという。

その事についてはあまり言わないで欲しいと紫に言われていたので、ルイズは全て話すといいながら少しだけ事実を歪めることになった。

 

「そして昨日の明け方に、レイムの知り合いであるマリサが幻想郷からやって来たのです」

ルイズが丁寧に説明した後、魔理沙は右手をヒラヒラと振った。

「まさか異世界に来れるとは思ってなかったが、まぁとりあえずよろしく。…ってところだ」

笑顔でそう言った魔理沙を見て、来なければ良かったのにと霊夢が心の中で呟いていた。

 

二人にはハルケギニアで『するべき事』があり、それが終わり次第元の世界に戻るという事を話してルイズの説明は終わった。

『するべき事』も含めて最後までルイズの話を真剣に聞いていたコルベールは未だに信じられないと言いたげな表情を浮かべている。

何せ教え子の召喚した人間が異世界人だったのである。驚くなと言う方が無理な話だ。

「しかし…ガンダールヴのルーンや異世界の住人といい、どうしてこう私は世紀の珍事にであえるのでしょうか?」

「それはお主がまだまだ未熟だからじゃ。もう少し年を取れば寛容にもなれる」

しかし、そんな彼とは対照的にオスマンは落ち着いた表情でコルベールに言った。

そんなオスマンの態度が気になって仕方なかったのか、ふとルイズはこんな事を聞いてみた。

「失礼なことをお聞きしますが…、オールド・オスマン。貴方は驚かれないのですか?」

その言葉に、オスマンは笑いながらこう言った。

「儂はこれでも随分と長生きしてきたからのぅ。思ったよりも世界が広いということぐらいとっくに知っておる」

オスマンのその言葉に、学院長は数百年近く生きているという噂があったことをルイズは思い出した。

(もしかしたら…あのユカリみたいな存在なのかも…)

溢れんばかりの笑顔でヒゲをしごいているオスマンを見て、ルイズはそんな事を思った。

 

 

ルイズの話が終わった後、今度はオスマンとコルベールの話す時間となった。

「さてと…次はワシ等の番じゃな。…此所はミスタ・コルベールに話して貰おう」

「わかりました。オールド・オスマン」

学院長に御指名されたコルベールは頷き、その時の事を丁寧に話し始める。

 

 

それは霊夢がルイズと共に幻想郷へ戻った日の事。

コルベールは研究室として使用している掘っ立て小屋で、ある作業に取り組んでいた。

それは今彼が発明した装置の欠点を隅の隅まで調べつくし、それを直すというものである。

気分も良いためか順調に進み、ここいらで少し休もうかなーと思っていた時、思わぬ客が来訪した。

 

コンコン、コンコン!

 

ふと誰かがドアからノックする音が聞こえ、コルベールはそちらの方へ顔を向ける。

この所にお客さまとは珍しいなと思いつつもドアを開けて、一体誰が来たのか確認した。

「この掘っ立て小屋に住んでるって聞いたけど…本当だったようね」

紅白の変わった服を着込んだ黒髪の少女を見て、すぐさま相手が霊夢だとわかった。

その後、アルビオンから良く無事に帰ってきてくれたと言ってからとりあえず用件は何なのかと聞いてみた。

コルベールにそんなことを聞かれ、霊夢は思い出したかのように、

「あぁ、そういえばコレ…アンタには何なのかわかるかしら?」

そう言って霊夢は自身の左手の甲をコルベールの眼前にまで持ってきた。

突然の事に最初は何が何だか、わからなかったが、すぐに彼女の手の甲に何かが刻まれていることがわかった。

 

それが何なのかすぐにわかり…

コルベールは手に持っていた薬品入りのフラスコを思わず取り落としそうになってしまった。

 

 

「そう、私が最初に見たガンダールヴのルーンが…彼女の手の甲にしっかりと刻まれていたのです!」

「お、落ち着いてくださいミスタ・コルベール…」

役者の様に両手を振り上げて叫ぶコルベールを落ち着けるかのようにルイズか宥めようとする。

しかし彼がハイテンションになるのも無理は無いであろう。何せガンダールヴである。

伝説と呼ばれ、本当に実在するのかどうかも胡散臭いと一部では言われているのだ。

「なんというか…お前って案外大変な事になってるんだな…」

「出来れば今すぐアンタにこのルーンを移植してやりたいわ」

半ば躁状態とも言えるコルベールを見つめつつ、魔理沙は同情するかのように霊夢に話し掛けた。

一方の霊夢はというと手の甲についたルーンを指でなぞりつつ、苦々しげに言った。

 

流石のオスマンも、段々ハイになっていく教師を見て、やれやれと言いたげな顔をしている。

「う~ん…まぁ落ち着きたまえミスタ・コルベール…少し聞きたい事があるのじゃが?」

「はい、何でしょうかオールド・オスマン!」

コルベールの過剰な反応にオスマンは苦笑しつつも、とりあえず聞いてみることにした。

「その、何だね?ガンダールヴの能力というのは…見ることが出来たのかのぅ」

オスマンの言葉を聞き、コルベールと魔理沙にそれなりの変化があった。

コルベールは笑顔のまま表情が固まり、魔理沙は゛能力゛という言葉に反応した。

「ん?…霊夢のルーンには何かスゴイ能力とかついてるのか」

興味津々な魔理沙を見てオスマンはコホンと咳払いした後、ガンダールヴの能力を軽く説明した。

 

「う~ん、つまり何だ?ただでさえ強いコイツが武器を持ったら更に強くなるということか」

「大体そういう事じゃのう。してミスタ・コルベール…武器は持たせてみたのかね?」

意外と理解力の早い魔理沙に感心しつつも、オスマンは話を続けるよう促す。

しかし、先程から表情が固まっているコルベールはなんとか口だけを動かして渋々と話し始めた。

 

「えー、あの…その…色々とミス・レイムから話を聞いた後、

学院長から貰ったあのインテリジェンスソードを持たせてみたのですが…」

 

 

「……お、あったあった」

鞘に収まった古めかしい太刀をチェストの中から取りだしたコルベールは、思わず声を上げた。

その声に霊夢もコルベールの側へと近寄り、彼の持っている物へと視線を移す。

霊夢が自分の傍へやってきたのを確認したコルベールは、まずゆっくりと鞘から太刀を引き抜いた。

錆が浮き出てとてもじゃないが質屋でも買い取ってくれなさそうなボロボロの刀身を見て、霊夢は目を丸くした。

以前何処かで…そう、確かここの学院長とか言う老人と初めて顔を合わせたときに…

「…?あれ、その鞘に入った太刀って…もしかして」

霊夢が何かを思い出したかのようにそう言った瞬間。

ひとりでに太刀の根本部分がカチカチと音を立てて動き出し―――

 

『お!なんでぇなんでぇ!今更外に出してくれたって礼は言わねぇぞ!』

―――耳に障る声でしゃべり出した。

その声を聞いた霊夢はすぐさま、この太刀の名前を思い出した。

「デルフリンガー…だっけ?アンタまだ捨てられてなかったの?」

錆びてる癖に口から出る言葉が生意気な喋る武器に、霊夢は呆れた風に言った。

それを見逃すデルフではなく、すぐさま霊夢に噛みついてきた。

『あぁ!テメェはあんときの生意気な小娘じゃねぇか!!どの面下げて俺の前に現れやがった!?』

以前喋っている途中に無理矢理鞘に収められた事もあってか、

人間ならばすぐさま殴りかかってきそうな雰囲気を刀身から発しながらデルフは怒鳴る。

「別にアンタに会う為に、こんな場所に来たわけじゃないんだけど?」

しかしそれをものともせず霊夢は冷たく言い返したところで、コルベールが仲介に入った。

「まぁまぁ、ここは落ち着いてください…」

「私は落ち着いてるわよ。むしろ怒ってるのはそっちの剣じゃないの」

『何だとこの野郎!!』

霊夢の何気ない言葉に、デルフはまたもや怒った。

彼女の言葉に一々突っかかるデルフに、コルベールは溜め息をつく。

これがインテリジェンスソードであって良かったと内心思っていると、霊夢が話し掛けてきた。

 

「ねぇコルベール…一体こんな剣なんか取り出して何だっていうの?」

「あぁ、まだその事を話していませんでしたね…」

霊夢の言葉にコルベールはそう言うと、突然デルフリンガーを霊夢の方へ差し出した。

 

突然の事に霊夢は何が何だかわからず、首を傾げるとコルベールが言った。

「以前学院長が言ってましたでしょう。ガンダールヴはそのルーンの力で、ありとあらゆる兵器と武器を扱えるという事を」

コルベールの説明を聞き、あぁそう言えばそんなことを言ってたわね。と霊夢は呟く。

そして自分の前に差し出されたやかましい武器を一瞥した後、コルベールの方へ視線を向ける。

「…まさかこの剣で試してみようってワケ?」

霊夢は嫌悪感丸出しの表情を浮かべて聞いてみるが、コルベールはウンウンと頷く。

一瞬どうしようかと迷った挙げ句、仕方なく霊夢はデルフリンガーを手にすることにした。

別に貰うワケじゃないし、ほんのちょっと手に取るだけなら構うまいと思ったのだ。

「まぁ…ちょっとだけよ―――…っと」

不満そうな声でそう言いつつ、コルベールからデルフリンガーを受け取る。

しっかりとした重さが手に伝わり、思わず取り落としそうになったが霊夢はなんとか堪えた。

 

「あの…どうですか?何か変化はありましたか…」

デルフリンガーを手に持った霊夢に、コルベールはそんな事を聞いてみた。

もし伝説通りならば、すぐさま武器の正しい使い方が分かり、一瞬のうちに超一流の使い手になるという。

 

しかし、霊夢の口から出た言葉はコルベールが全く予想していないものであった。

「…いや、別にこれといった事はないけど…」

気怠げな表情を浮かべてそう答えた霊夢に、コルベールは首を傾げた。

(おかしいな…一体どういうことだ?)

全く予知していなかった自体にコルベールが頭を悩ませている、デルフがまたもや怒鳴り始めた。

『おいテメェ!その手で俺に触るなっ………て―――――…ん?』

最初こそ大声で怒鳴ったデルフリンガーではあるが、すぐにしぼんでいく風船のように声が小さくなっていった。

一体どうしたのかと霊夢は思ったが、耳を澄ますと何やらブツブツと独り言を言っていることに気がついた。

『一体コイツは…左手から…いや、まさか…でも…ということぁ…』

「何よコイツ?…もうそろそろ寿命かしら」

ほぼ本気で霊夢がそんな事を言った瞬間、再びデルフが大声で怒鳴った。

 

『…おでれーたぁ!!まさかこんな小娘が…ガンダールヴだったとぁなぁ!!』

 

 

「…で。そのインテリジェンスソードが態度を変えて、彼女に懐いたというワケか…?」

話を聞き終えたオスマンは、盛大な溜め息をついた後コルベールにそう聞いた。

コルベールの方も申し訳ないと言いたげな表情を浮かべて頭を下げた後、口を開く。

「は、はい…結局、ガンダールヴの能力は見れませんでしたが…」

オスマンはそれを聞いてふむぅ…と唸った後、ルイズ達の方へと視線を向けた。

「ミス・ヴァリエール。お主はガンダールヴとしての彼女を見ておるか?」

学院長から出た質問に、ルイズはアルビオンのニューカッスル城で見た光景を思い出した。

あの時、殺されたと思っていた霊夢が剣を片手に裏切り者と化したワルドの遍在を倒してくれたのである。

その事を思い出しながらもルイズは恐る恐る答えた。

「は、はい…。ですけど、なぜルーンが光らなかったのは私にも…」

正直言って、ルイズ自身もコルベールから話を聞いて疑問に思ったのである。何故ルーンが発動しなかったのか。

 

彼女が裏切り者の遍在を倒した所を見ていたルイズにとって、それが唯一の謎であった。

だがその疑問に答えられる者は今この場におらず、三人の間に沈黙が漂っていく。

そしてガンダールヴであるのにも関わらずその能力が発動しなかった霊夢は何も言わず、ただボーっと窓から外の景色を眺めていた。

こうして部屋の中に冷たい空気が充満しようとした時、まるで場の空気を読めなかったのか魔理沙がその口を開いた。

「何だ。ルーンはついてるのにその能力が発動しないとは、思わぬ興ざめだぜ……ってイタッ!」

そんな言葉が口から出た瞬間、脊椎反射とも言える速度で魔理沙の方へと振り向いた霊夢が彼女の頭を叩いた。

景気の良い音ともに後頭部にキツイ一撃を貰った黒白の魔法使いはその場で頭を押さえて屈みこんでしまう。

「人を動物みたいに扱うなっての」

頭を叩いた張本人である霊夢の言葉と共に冷たい空気は何処へと消え去り、気を取り直したようにオスマンが口を開いた。

 

「…とりあえずガンダールヴとしては覚醒しておるのじゃろう?なら、もうしばらくは様子見せんとな」

老齢の学院長はそう言うと大きな咳払いをしてから、真剣な面持ちで喋り始める。

 

「とりあえずこれで話は終わりじゃが…良いか皆の者よ?今日の話は他言無用で頼むぞ。

  迂闊にも誰かに話せばたちどころに広がるからのぅ。そこらへんには気をつけるのじゃ

   ―――無論。ミス・ヴァリエールの後ろにいる二人もな」

 

オスマンとの約束に、オスマンを除く四人はコックリと頷いた。

「わかっておりますオールド・オスマン。他言無用ですね」

コルベールは真剣な面持ちでそう答え、

「はい。このことは誰にも伝えません」

ルイズもまた揺らがない程の真剣な瞳をその目に宿らせてそう答え、

「…わかったわ。まぁ下手に話して群がられるのもイヤだし」

霊夢はそんな二人とは対照的な気怠そうに言い、

 

「そうか、ここで人気者になりたいのならペラペラと喋ればいいのか!」

――ただ一人、魔理沙だけは冗談を大量に含めてそう答えた。

 

無論、空気を読めなかった発言をした魔理沙は、他の四人からキッと睨まれ、

「冗談だよ…そうカッカするなって?」と慌ててそう言った。

その後、オスマンは軽く咳払いをするとルイズに話し掛けた。

「あと、ミス・ヴァリエール。お主はこれからどうするかね?」

「…どういうことですか」

突然そんな事を聞かれて意味がわからない。と言いたげな表情を浮かべているルイズに、オスマンは説明を始めた。

「ミス・マリサはこの世界に来てまだそれ程時間も経っておらん、どうせならここにいる方が良いじゃろうて」

オスマンの言葉を聞いて、ルイズはここへ来る事になった理由を思い出した

「あ、はい!ですから学院長…何とかしてマリサをここへ置いてやれないでしょうか?」

ルイズの要求に、オスマンは長いあごひげを弄りながら考えた後、それに了承した。

 

「良いじゃろう。では昼食の際に彼女がここで暮らせる゛理由゛を作っておこう」

「えっ!ほ、本当ですか!?」

その言葉を聞き、まず最初に驚いたのがルイズであった。

一体どうして、顔を合わせてまだ数分しかたっていない相手を見てそんな事が決めれるのか。

そんなルイズの言いたいことがわかったのか、オスマンは笑いながら口を開く。

「ミス・ヴァリエール。お主は儂がそこまでする理由が何処にあるのかと言いたいのじゃな?」

そんな事を言われるとは思ってもいなかった彼女はその言葉に驚き、目を丸くしてしまう。

「えっ…?は、はい…一応」

「そうじゃろうな。今の若い者はそんな事を考えんじゃろう…」

ルイズの答えに、オスマンは何度も頷いてそう言うと、イスから腰を上げて背後にある窓の方へと振りむいた。

窓の外では青い空を下地に白い雲が流れ、小鳥たちが群れを成して空を飛んでいる。

そんな光景を話の途中に見て目を細めつつも、オスマンは口を開いて喋り始めた。

 

「しかし、だからといって他人を信じる事をやめ続けていれば。いずれ人の心は惨めになって行く。

 もはや今の時代でも嘘や策謀が大陸中に渦巻いておる。数百年すれば人は嘘しかつかなくなるじゃろうな…」

空を見つめているオスマンの言葉は何処か重々しく、部屋の中の雰囲気は段々と重くなっていく。

確かに今のハルケギニアは昔と比べれば詐欺商法等が増えたと言われる。

ずっと前に偽物の宝の地図に騙されていた霊夢もまた、その言葉に納得していた。

オスマンは部屋の雰囲気がどん底にまで落ちる前に、再び喋りだす。

 

「だから儂は決めたのじゃ…自分が信用できる人間だと信じた者は、とりあえず信じきってみよう。とな?」

見事言いきったオスマンの表情には、深い深い慈悲の色が滲み出ていた。

ルイズとコルベールは、この歳で学院長を勤める程の者だと。尊敬した。

 

 

その後、ルイズが霊夢と魔理沙を連れて学院長室を出ようとした時――

「ミス・ヴァリエールよ…部屋を出る前に一つだけ聞いて良いか?」

ドアノブに手を掛けようとしたルイズは、オスマンの方へと振り向いた。

そしてオスマンは、ルイズの返事を待たずして質問を投げかけてきた。

 

「今のお主は、既に普通の存在ではないと自覚しておるかな?」

 

その質問にルイズは一瞬だけ考える素振りを見せた後、こう答えた。

「自覚していますわ。これだけ不思議な現象に見舞われているんですもの」

ルイズの答えを聞き、オスマンは満足そうに笑った。

 

「さすがは…伝説の使い魔を持つうえに異世界の者と交流を持ってしまった者だわい。肝が据わっておる」

 

 

 

 

「伝説の使い魔…ねぇ」

学院長の言っていたその言葉を、ルイズは暖炉の炎を見つめながら復唱した。

確かに、自分はとある異世界にとっての中枢である巫女を始祖の使い魔といわれているガンダールヴとして召喚した。

そしてその巫女のいた世界の住人から、自分には何か潜在的な力を有しているとまで言われたのである。

生まれてこのかたこれ程褒められた事が無かったルイズが鼻を伸ばすには充分な理由であった。

最も、自分の体にあるはずのその゛潜在的な力゛は未だに自分の体の中で眠り続けているのだろう。

 

「確かに私は普通じゃないわ…魔法だっておかしいし。何よりこんなものまで託されるんだから」

自分に言い聞かせるかのように呟き、テーブルに置いていた古ぼけた本へと視線を移す。

それは以前、ルイズが尊敬するアンリエッタ姫殿下から受け取った『始祖の祈祷書』だ。

トリステイン王室では、伝統として王族の結婚式の際には貴族より選ばれし巫女が用意される。

そして巫女は、この始祖の祈祷書を手に式の詔を詠みあげる習わしがあるのだ。

本来なら学生の身分でこのような重役に就ける事自体、奇跡と言っても良い。

最初にこれを手渡されたとき、ルイズは目を輝かせ、自信に満ちあふれた表情で了承した。

 

そんなこんなで、自分の尊敬する姫殿下の結婚式で詠みあげる詔を考えることになったのだが…

不幸か否かルイズには詔、もとい詩を書く才能が無かった。

 

 

例えば、四大系統魔法の一つである゛火゛に関しての詩を書かせればこんな風になる。

「炎は熱いので、気をつけること」

まるで火を扱うマジックアイテムに付属している取り扱い説明書の如き注意書き。

そして゛風゛に関する詩は「風が吹いたら、樽屋が儲かる」。ことわざである。

このように、その発想は無かったと他人に言わせる詩をルイズは書くことが出来るのだ。

単に詩の神様に微笑まれることがなかったのか、それとも一種の才能なのか。

 

 

どちらにしろ、今のルイズは気むずかしい詔を考えられる程目は覚めていなかった。

ただ、今日の朝食は一体何が出るのかと考える事は出来たが。



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第三十五話

ルイズが目を覚ました頃、トリスタニアの各所にある衛士隊の詰め所の内一つでは、

一人の女性隊員が一枚の書類を握りしめてこの詰め所の隊長に詰め寄っていた。

 

「どうしてそうなったのですか!?」

女性とは思えないほどの力で自分の机を叩いたアニエスの顔には、悔しさが滲み出ていた。

普段の彼女ならば絶対他者に見せはしないその表情に周りにいた隊員達は目を丸くする。

怒りで震えている彼女の手の中には一枚の書類が握りしめられており、指の間からとある一文が垣間見えた。

 

『遺体、遺留品は一時王宮に保管し、以後許可があるまで事件の捜査をしないよう』

 

その一文は、彼女をここまで憤慨させるのにもってこいであった。

手紙全体の内容を、簡単に言えば『今後、この事件の捜査をするな』というものであった。

勿論それには、神聖アルビオン共和国との動向が気になる今の時期に騒ぐのは不味い。という理由がある。

しかしそのような返事をよこしてきた王宮に、アニエスは納得がいかなかった。

「ノロノロとした対応しか出来ない連中に横やりを入れられることなど、我慢できません!」

気迫迫る表情で詰め寄ってくるアニエスに、隊長は困った表情で何とか彼女を落ち着かせようとした。

「落ち着けアニエス。気持ちはわかるが王宮からの命令だ。逆らえばクビになってしまうぞ?」

落ち着いた表情の隊長にそう言われても、アニエスは尚も悔しそうな顔をしている。

 

 

それは昨日の真夜中にまで時は遡る。

事件のあったホテルでの現場検証は衛士隊の方で済ませ、遺留品と内通者の遺体を詰め所に搬送した後の事であった。

遺体を臨時的に作られた死体置き場へと運び終えて皆が一段落していた時、彼らはやって来た。

「何だ何だ?我々が急いで駆けつけて来たというのに貴様ら平民は仕事をサボって休んでいたのか」

厚かましい言葉と共に詰め所へ入ってきたのは魔法衛士隊の内一つ、ヒポグリフ隊の隊長であった。

本来なら宮廷と王族の警護を司る彼らが来たという事は、恐らく王宮が派遣してきた応援であろう。

(応援にしては遅すぎるうえに何の事前連絡もないとは…)

心の中でアニエスが訝しんでいるのを余所に、衛士隊の隊長はヒポグリフ隊の隊長に敬礼をした。

「わざわざ王宮からのご足労。大変感謝致します!」

並の貴族ならばその動きだけで満足するであろう敬礼に対して、ヒポグリフ隊隊長の返事は余りにも冷たかった。

「フン、本来ならば敬礼ではなく頭を下げるべきだが…まぁ事が事ゆえ、許してやろう」

あからさまな言動に周りにいた衛士隊隊員達は怪訝な表情を浮かべたが、隊長は眉一つ動かなかった。

既にここで働き始めてから数十年年ばかり経つためか、この様な相手とのやり取りなど慣れてしまったのである。

 

短い話し合いの後、死体置き場の遺体と遺留品は、ヒポグリフ隊の者達によって王宮に運ばれる事となった。

本来ならばアカデミーに運ばれる筈なのだが、ひとまずはここより安全な場所で保管するというとのことらしい。

ヒポグリフ隊とのやり取りを離れたところから聞いていたミシェルは、隣にいたアニエスに怪訝な表情を浮かべて言った。

「下手に動かすより、ここに置いておけばいいんじゃないでしょうか?」

「そういうなミシェル。王宮の連中はああいう面倒事が名誉と金とワインの次に大好きなんだよ」

ミシェルの言葉に対して、アニエスは皮肉という名のスパイスをタップリ込めてそう言った。

 

その後、王宮から追って連絡があるとだけ言い、ヒポグリフ隊は去っていった。

遺体と遺留品を、何の印も刻まれていない黒塗りの馬車へとつぎ込んで…

 

それから暫くして、今から一時間前――――

詰め所の入り口でビスケットをほおばっていたアニエスがその連絡を受け取った。

伝書鳩が持ってきたそれは、今の憤慨している彼女を作りだしたのである。

 

「―――…クソッ、納得いかん」

結局隊長に言いくるめられて退室し、二階の廊下へと出たアニエスの第一声がそれであった。

むしゃくしゃして傍にあったイスを蹴り飛ばすと髪をくしゃくしゃと掻きむしりながら、すぐ傍にあった窓を開けた。

窓から入ってくる肌寒いトリステインの空気が熱くなっていた彼女の心を冷まし、冷静にしてくれる。

外の風に当たってある程度気持ちが落ち着いたのか、ここから見える外の景色は中々良い物だと気が付いた。

太陽がまだほんの少ししか顔を出していない所為か、トリスタニアの町並みはうっすらとしかわからない。

まるで街全体が幻であるかのように、その正体を見せてはくれないのである。

 

その時、ふとアニエスは思った。

この時間帯のトリスタニアは何処か…別世界に存在しているのでは無いのか、と。

ハルケギニアとは何処か別の世界、…゛異世界゛に移転してるのかもしれないのでは…

「そんなわけないか…ハハっ」

そんな風にして一人笑っている彼女の耳に、可愛いらしい鳴き声が入ってきた。

 

何処からか聞こえてくる小鳥のさえずりに気が付いたアニエスは、ぽつりと呟く。

「小鳥の囀りと共に…朝が訪れ、人は新しい一日を謳歌する――か」

以前立ち寄った本屋で見つけた小説の一文を、彼女は口にしていた。

小説自体は特に思い入れは無かったが、その一文だけは彼女の頭の中に刻み込まれている。

それが何故なのかは彼女にも判らないし、それを知らない他人はもっと知らない。

ただ、その一文は正に…この街の今の時間帯を示しているのかも知れないと、アニエスは思った。

 

しかし――そんな彼女の頭の中に記憶という名の映像がノイズ交じりに映し出された。

それは今のアニエスを作りだしたとも言える程、衝撃的な内容であった。

忘れもしない二十年前の記憶を思い出し、アニエスの顔がすぐさま険しくなっていく。

 

「だが…二十年前のあの日からずっと、私の心の中に朝が来てはいない」

 

――そう、死ぬ前にすべきことを全てするまでは…私にとって本当の朝は訪れないのだ

 

その瞳に穏やかとも言える静かな殺気を浮かべながら、アニエスは心の中で呟いた…。

 

 

 

 

 

それから時間が経ち、午前9時45分―――トリステイン魔法学院。

 

朝食も終わり、生徒達は自らの使い魔を連れて授業が行われる場所へと足を運んでいる時間である。

猫や犬といった普通の生物、又は幻獣の子供は主である生徒達の後をついていく。

ここだけではなく、ハルケギニアのあちこちにある魔法学校でよく見られる光景の内一つである。

 

誰もいない女子寮塔にあるルイズの部屋で、掃除をしている一人の少女がいる。

この学院では割と珍しい黒髪に奇抜なデザインの紅白服を着ている霊夢であった。

 

「ふぅ…とりあえず掃除はこれぐらいで言いわね」

テーブルを拭いた雑巾を水を張ったバケツの中に入れた霊夢は一人呟いた。

そして手元にあったタオルで手を拭くとイスに腰掛けると一息つき、部屋を見回す。

しばらくご無沙汰だった為か、掃除をする前は部屋の隅に埃がうっすらと積もっていたのだ。

まぁアルビオンへ行ったり幻想郷に戻って掃除する暇もなかったので仕方ないが。

そして掃除をしてみれば部屋の中は小綺麗になり、何処かさっぱりとしていた雰囲気も取り戻した。

たった一点を除いて…。

 

「さてと、あれは本人にやらせた方が良いわね…」

霊夢は怠そうな目でそう言いながら、部屋の一角に放置された本の山へと視線を向けた。

ベッドに寄り添うかのように放置された数十冊の本は全てこの世界の文字ではなく、所謂英字である。

英語だけではなく、霊夢でも読める日本語や難しいヨーロッパ系の文字の本もあった。

実はこの本の山、全て魔理沙が幻想郷から持ってきたものなのだ。

魔理沙か愛読用にと持ってきたもので、きっとアリスやパチュリーから借りてきた本も入っているだろう。

まだ彼女の家と比べればマジではあるが、数十冊の本の山というのは掃除の時には邪魔な存在だ。

少なくとも霊夢はそう思っているし、出来るのであれば窓から全部放り捨てたいという気持ちもあった。

しかし、それを実行する程魔理沙とは犬猿の仲でもないし何より全部捨てるとなると骨が折れる。

 

どうしようかと思って考えた結果、出された結論は…本人に任せるということに至った。

 

「しかし、まさかあんな作り話でうまくいくとは思ってなかったわ…」

掃除道具を片づけた霊夢は再びイスに腰掛けると、ふと昨日の事を思い出し始めた。

 

 

霊夢の言う゛あんな作り話゛とは、昨日の昼食の際に学院長であるオスマンの話であった。

昼食の前に行われた話し合いの最後に、オスマンは魔理沙に対してここに長居できるようなんとかしてみると言っていた。

それが一体何なのか、魔理沙ですらわからぬまま時間が経ち、昼食の時間となった。

 

そして生徒達がいざ食べ始めんとした時、その前にオスマンの話があった。

「諸君、昼餐の前に少し紹介しておきたい人物がおる」

学院長の口から放たれたその言葉に、食堂の中がざわざわと少しだけやかましくなった。

喧騒に包まれる前にオスマンが声を大きくして「静かに」とだけ言うと、すぐさま誰も騒がなくなってしまう。

オスマンはそれを見て満足そうに頷くと、話を再開する。

 

「見とる者は昨日から見ておると思うが、この学院に白黒の服を着た金髪の少女がいるのを皆は知ってるかね?」

そう言いながらもあるオスマンはある一点を指さし、多くの生徒達が指さした方へと視線を向ける。

オスマンの指さした場所は食堂の出入り口付近に設けられた休憩場。

つまるところ、今食事を食べている霊夢と魔理沙に多くの視線が注がれる形となった。

「おい霊夢、なんであいつ等はあの爺さんが指さしたぐらいで私たちをジロジロ見るんだ?」

魔理沙は先程淹れてもらった紅茶を飲みつつ、隣にいる紅白巫女にそんな事を聞いてみた。

霊夢はこちらに向けられている視線に動じず、隣にいる白黒魔法使いにこう言った。

 

「きっと自分で考える力があまり無いんじゃないのかしら」

「お前、時々でも良いから自分の言葉に責任感を持ってみたらどうだ?」

ルイズに聞かれていたら間違いなく部屋から追い出されるであろう言葉を、霊夢は難なく言い放った。

 

その後、オスマンが魔理沙の名前を紹介した後、こんな事を説明し始めた。

なんとオスマンは、魔理沙がずっと以前にミス・ヴァリエールをとある窮地から救った旅人なのだと紹介した。

それを聞いてルイズは目を見開き、魔理沙は飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった。

他の生徒や教師達もそれを聞いて驚き、魔理沙に注がれる視線が段々と強くなっていく。

霊夢だけは作り話でくるとは…と内心で呟きつつも、オスマンの話を黙って聞いていた。

 

そしてつい先日、ルイズは彼女と街で再会を果たし、恩を返したい。…と言ったらしい。

そこで魔理沙は…しばらくこの国に長居したいのだが、不幸にも宿に泊まる程の金が無い。…と言ったらしい。

ルイズはそれを聞き、「じゃあ魔法学院にある私の部屋にご招待致しますわ」と言ったらしい。

 

「じゃから、これからしばらくはミス・マリサはこの学院に滞在することになる。

 末女とはいえ、彼女はヴァリエール家の客人じゃ。決して揉め事など起こさんように。以上」

 

オスマンの話が終わり、ようやく昼食が始まった。

一足先に食べていた魔理沙は、嬉しそうな表情を浮かべてこんな事を言った。

「嬉しいぜ。この世界だと私が良心的な人物に見えるんだな」

「私はアンタが善人になるこの世界に危機感を持つよ」

そんな魔理沙に対してさりげなく霊夢は言った。

 

昨日の事を思い出し終えた霊夢は腰を上げ、部屋を見回した。

 

 

「さてと、これからどうしようかしらね…時間もあるしお茶でも飲もうかしら」

部屋の中にあるポットの方へと目をやり、とりあえずはお茶の準備を始めることにした。

そして茶葉などが入っている棚を開けると、少し大きめの瓶を手に取った。

この前アルビオンに行った際、ルイズを助けたお礼にとやけに良心的なお姫様から貰った茶葉である。

「市内では出回らない物だって聞いたけど、本当なのかしらね…」

まるで自分のことのように自慢していたアンリエッタの顔を思い出し、霊夢は呟く。

先日ルイズや魔理沙と共に街を訪れたときにこれとよく似た形の瓶を見ていた今の霊夢には彼女の言葉が今一度信用できなくなっていた。

幻想郷の人里でもそういう商法があると聞いた事があるが、この世界と比べれば可愛い方であろう。

「幻想郷には縄跳びの在りかを示した地図なんて売ってないしね」

ふとずいぶん前の事を思い出し、苦虫を踏んだかのような表情を浮かべたその瞬間―――

 

 

―――ギャァアッ…!

 

 

開きっぱなしの窓の外から、小さな悲鳴が聞こえてきたのである。

「?…今の悲鳴は何かしら」

運良くそれを耳にした霊夢は何かと思って窓の方へと近づき、とりあえずは下の様子を窺った。

窓の外から見下ろす広場はいつもと変わらず、むしろ人がいない所為か静かな雰囲気が漂っている。

何処にもおかしなところは見受けられないし、悲鳴の主すら居ない。

貴族や平民に関係なく、常人ならばこの後は首を傾げて窓を閉めてしまうところだったであろう。

 

しかし、霊夢は感じていた―――初めて味わうタイプの気配を。

(何かしら、凄くイヤな…というよりもえげつないくらいの不快感は?)

今まで嫌な気配を放出する存在と幾多に渡り合ってきた霊夢ですら、それは初めて感じるものであった。

空間に例えるなら、そこはジメジメとしているうえに蒸し暑く、ナメクジやヒルといった軟体生物が活発に動き回っている。

男性でも近づくのを躊躇ってしまうような場所に例えられる程の不快感に対して、霊夢は大きな溜め息をついた。

 

「はぁ…どうしてこう、これからって時に良く邪魔が入るのかしらね」

 

ウンザリしたかのように言った後、手に持っていた茶瓶をテーブルに置いた。

そして久方ぶりに持つことになった御幣を左手に持つと、窓から勢いよく外へと飛び出す。

普通ならば重力に従って地面に真っ逆さまの筈だが、霊夢はそれに縛られず大空へと飛び上がった。

ひとまず霊夢は上昇し、学院中を見回せる程の高度に到着すると気配の元を探り始める。

目を鋭く光らせて精神集中し、すぐ真下にある学院から出てくる様々な気配の中から先程の不快感のみを探し出す。

妖怪退治と異変解決の専門家とも言える博麗の巫女にとって、それは呼吸と同じほど簡単なことであった。

 

「…… あっちの方からだわ」

そしてすぐさま何かを感じ、学院のすぐ外れにある庭園の方へと急行した。

 

 

そこは生徒達の散歩や風景画を描かせるために作られた比較的大きな庭園であった。

庭園の中央には池と噴水が設けられており池には小魚やカエル、サンショウウオといった水生生物が多数生息している。

時々庭の整備士が来るものの、この時間帯には人っ子一人此所を訪れない。

人前には決して出てこない野ウサギやリスたちは庭を駆け回り、噴水の水を飲む。

 

しかし、今日に限って彼らは姿を現さず、苦しそうな男の喘ぎ声が庭園の中に響いていた。

「はぁっ…!…はぁっ…!」

痩せた体を持つ男は自分の持っている力の全てを使って走っていた。

途中何度か転びそうになりながらも、焦点の合わない目で出入り口を必死に目指している。

しかし、完全に混乱した頭では庭園の中を無茶苦茶に走りまわる事しか出来なくなっていた。

いくら走っても出入り口にたどり着けず、男は噴水の近くでへたれ込むと、なりふり構わず大声を上げた。

「だ…誰か…誰かたすけてくれぇ…!」

張り裂けんばかりの怒声で叫んでも、この時間帯には誰もその叫び声に気づきはしない。

 

自分の怒声のみが空しく庭園に響くだけだと知った男は、地面を思いっきり叩いた。

そして頭を抱えて嗚咽にも聞こえるような呻き声を上げてブツブツと独り言を呟き始めた。

「畜生…ちくしょう!何なんだよありゃあ…!?あんなのがいるなんて聞いてなかったぞ…?」

男はそんな事を言いながら、自分のすぐ傍で起きた猟奇的なアクシデントを思い出した。

 

この男はアルビオン大陸からやって来た…所謂旅行者と呼ばれる者だ。

だが旅行者というのは仮初めの姿であり、現アルビオン政府から密命を受けてこの国へやってきたのだ。

その任務は至って単純明快。首都トリスタニアにいる複数の貴族達からある書類を受け取ることである。

最初、男は旅行者らしく軽くトリスタニアの観光をしつつ、書類を回収していこうと計画していた。

しかしつい一昨日にその内の一人が死んだとう事を知り、回収を早めることにした。

そして記念すべき一人目と人のいないこの庭園で出会い、金貨のつまった袋と交換に書類を手早く頂く―――筈であった。

だが、意外と広い庭園の中を彷徨ってようやくそれらしい貴族の男と出会い、いざ書類を受け取ろうとした時…

 

聞こえてきたのだ。異形の顎から聞こえてくる、虫のような金切り声を…

 

 

ギ リ ギ リ ギ リ ギ ギ ギ ギ リリ リ…――――

 

「―――――…ッ!?」

疲れた表情でその時のことを思い出していた男は、突如耳に入ってきたその音に目を見開いた。

そうだ、これが聞こえてきたのだ…あの恐ろしい虫の姿をした異形の声が。

男はスクッと立ち上がると同時に腰元へと手を伸ばし、杖を手に取ろうとした。

(……!つ、杖を落とした…!?)

腰にさしている筈の杖はそこに無く、男は驚愕のあまり腰の方へと視線を向けてしまう。

 

「ギリ…ギリギリ…ギギ…!」

 

その時であった…!

隙が出来るのを待っていたかのように、ソイツは草むらから飛び出してきたのである。

思わず男はそちらの方へ顔を向けてしまい、ソイツの全身を見る羽目になってしまった。

ソイツの姿は正に゛クワガタムシと人間の合成生物(キメラ)゛と言っても過言では無いだろう。

体は人間よりもクワガタに寄りだが、両手両脚は人間のそれとよく似ている。

そして頭はクワガタそのものであり、危なっかしい大きな顎をしきりに動かしている。

だが普通のクワガタと違い、顎の表面から水っぽい灰色の液体が絶えず流れ出ていた。

「ひ…、ヒィィィィィィ!!」

男は化け物の顎と、その顎から滴り落ちる液体を見て、悲鳴を上げた。

あの顎も武器であろうが、液体の方が男に恐怖を与えている。

男は頭の中で、この化け物を倒そうとして返り討ちにあった貴族の姿を思い出した。

(あの液体…あの液体を浴びたらあの貴族のように…)

そんな男の心の内を探ったのか否か、クワガタのキメラはクワッ!と顎を開こうとしたその時…

 

「ハァッ!」

ふと上空から少女の声が聞こえてきたのである。

男が生まれてこの方聞いたことがない程、美しい声であった。

その声が聞こえた後、ヒュッと小さい紙が上空から飛んできてキメラの背中に貼り付いた。

キメラが自分の背中に何かが貼り付いたのに気づいた瞬間、突如背中で小さな爆発が起こった。

「ギッ!?ギギィ…!」

突然の攻撃にキメラは金切り声を上げて、体を激しく震わせた。

その瞬間を見逃さなかった男は、すぐさま踵を返すと全速力で何処へと走り去っていった。

目の前にいて、もうすぐ狩れる筈だった獲物が逃げるのに気づいたキメラはしかし、痛みにもがくことしか出来なかった。

甲虫特有の硬い背中は酷く焼け爛れており、その威力がどれ程のものか物語っている。

 

「全く、何かいると思ったら…まさかこんな化け物がいたとはね」

 

痛みに震えるキメラを上空から見下ろしている少女、霊夢は意外といった感じでそう呟いた。

「やっぱり、…こいつからあの気配を感じるわね」

再度確認するかのように呟き、霊夢は目を細めた。

今、彼女はあのキメラから感じているのだ。部屋の中では決して感じることが出来なかったその気配を。

 

――――それは、恐ろしい程に無機質的な゛殺気゛

 

 

人を殺すことに対して歓喜や怒り、憎しみ、悲しみ。

それらを一切感じさせない殺気は不気味を通り越し、不快感となって霊夢に伝わっているのだ。

 

「どっちにしろ倒すけど。なんだか気色悪い奴ねぇ―――…っと!」

霊夢は気味悪そうに呟きつつも、右手に持っているお札をキメラに向かって勢いよく投げつけた。



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第三十六話

「…なんだか気色悪い奴ねぇ―――…っと!」

霊夢は気味悪そうに呟きつつも、右手に持っているお札をクワガタキメラに向かって勢いよく投げつけた。

投げられたお札は軌道を変えることなく一直線にキメラの方へと飛んでいく。

「ギ…ギィッ!」

キメラは痛みにもだえつつも再度行われる攻撃を視認すると両足に力を込め、勢いよく飛び上がった。

瞬間、先程までキメラが立っていた場所にお札が勢いよく突き刺さり、小さな爆発を起こした。

攻撃を避け、地面へと着地したキメラはもはや自身のダメージを気にすることなく上空にいる霊夢の方へとその頭を向ける。

そして自分の体を傷つけたのが彼女だと判断し、キメラは威嚇するかのように顎を動かしながら金切り声を上げた。

常人なら聞いただけで腰を抜かしそうな金切り声に、霊夢はうんざりするかのように溜め息をついた。

この手の鳴き声で威嚇する化け物など、博麗の巫女である霊夢にとっては見慣れた存在なのである。

 

(こいつ、以外と素早いわね…)

霊夢は先程の攻撃でこのキメラが小回りのきく奴だと知り、溜め息をついた後に面倒くさそうな表情を浮かべた。

動きののろい相手なら先程の札で通用するのだが、逆に素早い相手には通用しないのである。

さてどうしようかと霊夢が攻撃の手を休めた時、キメラは再び両足に力を込めて飛び上がった。

「お、…よっと!」

その跳躍力は目を見張るものであり、流石の霊夢も軽く驚きつつすぐに体を後ろへ下がらせる。

「ギィ!」

瞬間、先程霊夢がいた場所をキメラの手の甲から突き出た鋭い爪が引っ掻いた。

ビュオン!と空気を切り裂いたかのような音が霊夢に耳に入り、その威力を教えてくれる。

霊夢は舌打ちしつつもすかさずお札を二枚取り出し、地面に着地したキメラ目がけて投げつける。

両腕に狙いを定めたそれのスピードは速く、常人ならば避けることはまず出来ないだろう。

しかし人間ではないキメラは素早くその場で屈み込み、結果二枚のお札はキメラの頭上を空しく通り過ぎていった。

そしてお札は進路上にあった大きな植木に直撃し、人気のない庭園に小さな爆発音が響いた。

 

「ギギ…ギッギギギィ…!!」

すぐに立ち上がり、霊夢の方へと振り向いたキメラは笑い声のような金切り声を上げて体を震わせる。

一方の霊夢は赤みがかった黒い両目でキメラを睨み付け、次の攻撃に移ろうとしていた。

 

 

 

トリステイン魔法学院の二年生達は先生の話に耳を傾けていた。

科目は゛土゛系統の魔法で、担当教師はミセス・シュヴルーズである。

授業内容はというと「練金を使って石を様々な形に変える」というものであった。

ミセス・シュヴルーズは得意気に杖を振り回しながらも呪文を唱え、頑丈な丸い石を色んな形にしていく。

最初は四角形、次に杯や鳥等どんどん難易度を上げていく。

途中アドバイスとも言える説明を生徒達に伝え、生徒達はそれをノートに書き込んでいく。

 

丁度この時、恐ろしいキメラとの戦いをはじめていた霊夢とは対照的過ぎるほどの…゛平和な、いつも゛

 

生徒はおろか、教師ですら直ぐ傍で行われている戦いに気づいてはいなかった。

今日もこの学院で定められた規則に従って生徒は学ぶ者となり、教師は教える者として生きている。

それは今まで何百何千とも積み重ねられてきた゛習慣゛の行き着いた結果とも言えるであろう。

言うなれば、何回も何回もアップグレードをされてきた実績のあるプログラムだ。

 

 

そのプログラムの中に、今までみたことのない白黒の゛イレギュラー゛が紛れ込んでいた。

 

 

 

―――いいですか皆さん?何かを形作る時は、まず頭の中でイメージを作り上げるのです」

 

先程鳥の姿から犬へと変えた石を指さしつつ、ミセス・シュヴルーズは生徒達に説明している。

生徒達は彼女の話を聞きながらも羽ペンを使ってノートに書き記していく。

シュヴルーズの作った犬は可愛さがあるものの、何処か時代遅れを感じさせる様なデザインであった。

黒豆のようなまん丸お目々にずんぐりむっくりのそれは。まるでミセス・シュヴルーズそのものである。

それを見て心の中だけで嗤う生徒は何人かいたが、口の中に赤土を入れられそうなので声に出すことはない。

 

生徒達の大半がノートに書き記しているものの、その逆にいる者達は当然いた。

簡単に言えば、授業に対してあまり感心を抱いていない者たちの事である。

「馬鹿らしいわね…これで喜ぶなんて土系統の連中だけじゃない」

そんな者たちの中でかなりの異色を放っているキュルケはめんどくさそうに呟いた。

彼女は羽ペンとノートを机の隅に置いて持ってきていたクシで燃えさかる炎の様な色をした髪の手入れをしている。

その顔はあからさまに不満の色が浮かんでおり、周囲にいる生徒達はそんな彼女から距離を置いていた。

勿論、いつも他人を見下しているかのような笑みを浮かべているキュルケがそんな表情を浮かべているのにはそれ相応の事情があった。

キュルケはふと後ろの方へと顔を向け、使い魔達の中に紛れている一人の少女へと視線を注いだ。

 

犬、猫、鴉、蛇、狐、サラマンダー、バグベアー…etc

キュルケを含む一部の生徒達が連れてきた使い魔の中にいた少女は、あの霧雨魔理沙であった。

魔理沙は興味津々といった様子でおとなしい使い魔達に触りながらもシュヴルーズの話に耳を傾けている。

一見すれば授業そっちのけといった感じではあるが、キュルケには全てお見通しであった。

(他人に知られることなく努力するタイプの人間かしらね…まあ私の目から逃れられなかったけど)

キュルケは心の中でそう呟きつつ、今度はルイズの方へと視線を移した。

゛魔理沙に命を助けてもらった゛という彼女は、何処か落ち着きが無いように見えた。

先生の話をしっかりと聞いてノートに書いているが、時折魔理沙の方へと視線を向けている。

 

魔理沙とルイズ。キュルケは疑いの眼差しでその二人を交互に見つめる。

昨日の昼に学院長が話した内容。実のところキュルケはそれが事実なのかどうか疑っていた。

学院長のオールド・オスマンは意外と話し上手であり、並大抵の者ならその話しを信じてしまうであろう。

しかしキュルケは二人の様子を見て、学院長は作り話で大衆を騙したのかも知れないという考えが浮かんできたのである。

(あの馬鹿みたいに礼儀正しいヴァリエールが命の恩人をあんな目で見つめるのかしら…)

不安そうに魔理沙を見ているルイズを見て、キュルケは再び心の中で呟いた。

(いつものルイズならば、命を助けてくれた者に対してあんな不安そうな顔と目つきで見たりはしないわ…)

魔法は使えないが貴族としての礼儀正しさでは誰にも負けないルイズを常に見てきたキュルケにしか言えない言葉である。

 

 

そんな時、窓際にいた一人の男子生徒がふと窓の方へと視線を移した時、声を上げた。

「なんだあれ…?庭園の方から煙が見えるぞ」

 

 

 

数分前…

戦いが始まってからものの数分で、決着がつこうとしていた。

 

「キリキリキリキリ!!」

クワガタキメラは不快な金切り声を上げると、特徴的な大きな顎を開いた。

空中にいる霊夢は次に来るであろう攻撃に身構えつつ、今度は懐から三本の針を取り出した。

相手の動きを見て、先手必勝と言わんばかりにキメラが大きな両足に力を込める。

キメラが攻撃を仕掛けてくるのにすぐさま気がついた霊夢は、スッと右の方へと移動する。

瞬間、霊夢が先程までいた場所を目にもとまらぬ速さで飛びかかってきたクワガタキメラの大顎が挟み込んだ。

もし避けるのが少しだけ遅ければ、致命傷は避けられなかったであろう。

「ハッ!」

相手の攻撃を避けた霊夢はすれ違いざまに地上へと落ちていくキメラの脇腹に針を三本突き刺した。

 

「ギギィ!?」

自分の攻撃を避けられ、あまつさえ相手の攻撃を喰らったキメラは悲鳴にも聞こえるかのような奇声を発した。

そしてそのまま体勢を崩してしまい、勢いよく大理石の地面に頭をぶつけてしまう。

ガツン!と硬い物同士がぶつかりあうかのような音が霊夢の耳に入ってくる。

数秒後、頭を地面に打ち付けたキメラはヨロヨロと起きあがり、上空にいる霊夢へ再び金切り声を上げた。

しかし先程と比べればそれは少しだけ弱々しくなっているのがすぐにわかった。

恐らく弱点であろう脇腹への攻撃と、頭を固い地面にぶつけてしまった事が原因であろう。

酷いくらいにへこんでしまった頭部は、見る者にさえその痛々しさを鮮明に伝えてくれる。

しかし霊夢には、それを見て痛々しさを感じてしまう程、この化け物に情けをかけていない。

(そろそろ終わりそうね。何よ、案外大したことなかったじゃないの)

霊夢は心の中で呟きつつも、このキメラが意外と弱かったことに拍子抜けした。

あの素早さとジャンプはくせものであったが、慣れてしまえばどうという事はない。

だが今も尚あのキメラから漂う゛無機質な殺気゛を含めれば、初めて出会うタイプの敵と言えるだろう。

これまで様々な存在と戦ってきた霊夢にとって、喜怒哀楽の感情の無い殺気を放つ敵とは戦った事がなかった。

 

「ま、危険そうな奴だからここで退治しておいた方が良さそうね」

 

左手に持っていた御幣を背中に差すと、霊夢は懐から一枚のお札を取り出した。

それは今まで出してきたお札とは違ってサイズか大きく、発せられる雰囲気も桁違いである。

相手が次の攻撃を仕掛けてくるのに気がついたキメラは、再び飛び上がろうと両足に力を込め始める。

霊夢は再び飛びあがろうとしているキメラを見て溜め息をついた後、こう言った。

 

 

「せめて今度は、ちゃんとした五分の魂を持った生き物に生まれ変わりなさい。そっちの方が楽だから」

歪な生命に対して放たれた冷たい雰囲気の言葉は、何処か哀れみさえ感じられた。

 

「 ギ ギ ィ ィ ィ ! ! 」 

 

そしてキメラが金切り声を上げて飛びかかるのと、霊夢がお札を投げつけたのは…ほぼ同時であった。

 

 

数秒後…魔法学院にある中規模な庭園で、再び小さな爆発音が響いた。

それに気づいた者は魔法学院の中には誰もおらず、人々いつもの日常を謳歌していた。

 

 

「今日も天気は快晴、温度は少しずつ上昇。至って平和であります…っと」

「そんなことよりトランプしようぜ!」

衛兵達は仕事の合間にゲームをし――――

 

「新しいテーブルクロス、すぐに食堂へ持って行け!」

「今日の魚は活きがいいな。これはおいしい料理ができるぞ」

給士と食堂のコック達は昼食の準備を始め――――

 

「…このように、詠唱が正確であるほど呪文の威力は強まります」

「先生、これもメモしておくんですか?」

教師は生徒達に知識を与え、生徒達はその知識を飲み込み成長していく…

 

人々は自分たちの直ぐ傍で起きた゛非゛日常の出来事に気づかず、平和に過ごしている。

しかし人は気づかずとも、人ではないモノはその爆発に気がついていた。

「きゅい…?」

ヴェストリの広場で羽を休めていた風竜のシルフィードは爆発音に気づき、庭園の方へと視線を向けた。

視線を向けると庭園のある場所から一筋の黒い煙がもくもくと、遥か頭上にある青空を目指して昇り始めている。

 

「なんだあれ…?庭園の方から煙が見えるぞ」

 

その煙のお陰で、人々もようやく何かがあったのだと理解し始めた。

ただ…それが単なる爆煙なのか、それとも殺人マシーンとなった悲惨な生命体の魂なのか。

それは誰にもわからず、きっと知ろうともしないであろう。

 

目に見えぬ真実を知らずに生きていくということは、ある意味で最も幸せな事なのだから。

 

それから時間は経ち――――その日の夕方。

 

トリステイン王国の首都、トリスタニアにあるチクトンネ街。

カジノや酒場、宿などの建物が密集しているそこから少し離れたところに゛人の住まぬ゛地区が存在する。

いや、正確には゛数年前までは人が住んでいた゛という表現が正しいだろう。

時と共に大きくなっていくトリスタニアと引き替えに、この地区は過疎化が進んでいったのだ。

ハルケギニア各国にある大きな街では必ずといって言いほど、この様な小さいゴーストタウンが存在している。

トリスタニアにあるこのゴーストタウンも、今や家も職もない浮浪者や犯罪者達の巣窟となっていた。

例え人生を持てあましている暇人だろうが何だろうが、ここへ近づくことは殆ど無いだろう。

 

そして、その地区の下には小さな部屋が造られていた。

トリスタニアの地下に張り巡らされている下水道を利用してつくられた其所は、陰湿な雰囲気がある下水道のイメージとはかけ離れていた。

床には茶色の地味な絨毯が敷かれ、天井にはそれなりに部屋の中を照らしてくれていた。

部屋の真ん中には長机が設置されており、それを囲むようにして幾つもの長椅子も置かれている。

そして今日、その椅子に何十人もの仮面を付けた貴族達が腰掛けていた。

彼らは皆同じデザインの仮面を付けており、皆一様に上座にいる自分たちの仲間へと視線を向けている。

仮面越しといえども、何十人もの貴族達に見つめられている一人の貴族がいた。

その貴族はここにいる他の者達のリーダー格であり、仮面を付けているときは゛灰色卿゛と呼ばれている。

 

今日、彼らは突如舞い降りてきた゛問題゛にどう対処するのか話し合うため、此所へ来ていた。

 

 

「…さて皆さん、今日は突然こんな所に呼び出してしまい申し訳ございません」

ヘリウムガスを吸ったような声で、灰色卿は仲間の貴族達に謝罪を述べた。

それからすぐに、右端の席に座っていた貴族が立ち上がり、灰色卿に質問をする。

「それよりも灰色卿。緊急の話し合いだというのならば…何か問題でも?」

「えぇ。予想外の事が起きてしまいまして…とりあえずは見て貰った方がわかりやすいでしょう」

灰色卿は質問に対してそう答えつつ、手元に置いていた杖を持つと天井に向けて軽く振った。

 

するとどうだろう。灰色卿の動きに反応して天井からかなりの大きさを持つ水晶玉がフワフワと降りてきた。

水晶玉は空の手が届くところにまで降り、それを見計らって灰色卿が懐から赤い液体が入った小瓶を取り出した。

コルクを外して水晶玉の表面にその液体を落とすと、液体は一瞬にして水晶玉の中に染みこんでいった。

数秒後。突如水晶玉の表面が波打ち、何かが映りだした。

水晶玉に映っているのは、キチンと整備された庭園のような林であった。

「これは今日、新たな内通者とアルビオンからの御方を始末しに来ていた゛代理人゛の視界です」

灰色卿は説明しつつも、他の貴族達と同様に椅子に腰掛け、その映像を見始める。

 

 

灰色卿の言う゛代理人゛は、厳密に言うと゛人゛ではなく゛生物゛――否…゛キメラ゛である。

このような暗殺風の仕事にうってつけだと言い、何週間か前に灰色卿がガリアから買ってきたのだ。

何でも、今のガリアでは王であるジョゼフを良く思わない貴族達が色んなお宝をあちこちの国に売り飛ばしているという。

そこら辺にある銅貨から王家に古くから伝わる財宝まで見境無く売り飛ばし、資金を独占している。

一体何でそんなことをしているのか灰色卿達は知らないが、このキメラはまさしく自分たちが必要している存在であった。

闇夜では目立たない体で相手に近づき、そして相手が反撃する暇もなく息の根を止めてしまう。

身のこなしも素早く、仕事が済めばすぐさま現場から離れる。

 

それに人間ではないので金を用意する事もないし失敗して拷問を受けてこちらの居場所を知られてしまう心配もない。

学習知能もあり、貴族との戦い方も最初から教え込まれていた。

ともかく、このキメラならば自分たちの崇高な仕事を完遂してくれるかも知れない…

 

しかし、その気高き希望は水晶玉に映る『赤い何か』によって、呆気なく粉砕された。

 

 

「さて皆さん、この映像に映っていたあの赤い何か…アレは何だと思いますか」

映像が終わり、何も映さない水晶玉を擦りながら灰色卿は他の貴族達に質問をした。

先程映像の最後で耳鳴りがするほどの金切り声を上げたキメラと対峙していた『赤い何か』についての質問である。

内通者を殺そうとしたキメラを妨害した挙げ句、それを倒してのけたあの『赤い何か』。

映像の質が悪い所為かハッキリとした輪郭がわからなかった為、そのような名前が付けられていた。

「あの赤い何か…いえ、あれは単に赤い服を着た人間でしょう…」

落ち着いた口調で一人の仮面を付けた貴族がそう言い、灰色卿は頷く。

 

「人間…ならば、あれ程のキメラを倒したとなるとかなりの力を有していますが――――」

そこまで言うと一旦手元にある水差しに入った冷水をコップに入れ、それを手にする。

水系統と風系統を混ぜた魔法でヒンヤリと冷たい水は、手をゆっくりと冷やしてくれる。

その冷たさを手で直に感じつつ、灰色卿は言った。

 

「それならば我々の理想に反する敵か、単なる第三者か―――二つに一つですね」



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第三十七話

太陽が沈み、赤い月と青い月が空高く昇り始める時間帯。

朝と昼は活気で溢れていたブルドンネ街は驚くほど静かになっていた。

明るい時間を好んで外を出歩く人達に向いている店などは戸締まりをし、従業員たちは自宅へと帰っている。

街の住民たちもそれぞれの寝床へと足を進め、大通りから段々と人の姿が消えていく。

まるでこれからやってくる夜に恐れおののくかのように。

一方で、夜と共にやってくる闇を打ち払うかのようにチクトンネ街は活気に溢れている。

チクトンネ街は酒場やカジノ、ダンスクラブなど夜型の人間が客の大多数を含む店が密集しているのだ。

その為か朝や昼よりも夜中の方が活気があり、それは朝が来るまで終わりを見せてくれない。

 

古き伝統を持つトリステイン王国の首都は、朝の街と夜の街がある。

そして夜の街には、朝の街で決して戸を開きはしない店が無数にあるのだ。

 

 

今日も今日とて、チクトンネ街には華やかな雰囲気と喧騒が漂っていた。

仕事帰りの男達はその足で通りにある色んな酒場へと入り、今日の疲れを癒す。

またある者は一攫千金を狙おうと小さな賭博場へと赴き、自らの財産をすり減らしている。

その他にも観光者や浮浪者、警邏中の衛士などでチクトンネ街の通りは人で溢れかえっていた。

一方、殆どの建物の裏口などがある路地裏にはあまり人がいないが当然といえば当然であろう。

わざわざ不穏な空気が漂う路地裏など好んで歩くなんて犯罪者か強盗まがいの浮浪者だけである。

そんな連中とは関わりたくない、または出くわしたくない者達は進んでここへ入ろうとはしないであろう。

 

しかし今夜に限って、路地裏には綺麗ながらも棘のある二人の美女が路地裏を歩いていた。

彼女らは夏向けの薄い生地で出来たフードを被っており、顔もハッキリとはわからない。

しかし近くから見れば、そのフードの下に隠れている顔がとても美しいものだとすぐにわかる。

 

【貧しき者に数枚の金貨を】という言葉が書かれた看板を首からぶら下げた浮浪者やチンピラらしき男達がその二人を見て溜め息をつく。

その目には下卑た色があからさまに浮かんでおり、頭の中で何を考えているのか一目でわかる。

だが彼女らはそんな視線を無視しつつも体からとてつもない威圧感を放ちながら、ある場所を目指して足を進める。

もう辺りはすっかり暗くなっており、街灯の明かりも何処か頼りない物へと変わっていく。

大通りの喧騒も路地裏ではほんのわずかしか聞こえず、常人ならば既に心が恐怖一色に染まっているであろう。

辺りから漂う臭いも異臭から悪臭へと変化している。

「ここまで来たことはないが、どう見ても良識ある人間の住む場所じゃないな…」

二人いる美女の内一人がそう呟きつつ、フードをゆっくりと引き下ろした。

フードの下に隠れていたのは眩しい金髪を持つアニエスであった。

「確かに。…まるで街に存在する全ての影が光を逃れて寄ってきたかのような所だ」

アニエスの言葉に対しそんな言葉を返しながらも、もう一人もフードを引き下ろす。

その下に隠れていたのはアニエスの同僚で、サファイアのような綺麗な青い髪をもつミシェルであった。

 

今二人がいる場所はチクトンネ街から少し離れた所にある寂れた地区である。

中心部から大分離れにあるこのゴーストタウンでの明かりは、空から届く月明かりだけだ。

その月明かりも、夕方頃から風に乗ってやってきた黒い雲に遮られている。

よって明かりはなく、流石のアニエスとミシェルもその暗闇に対して多少のとまどいを見せた。

しかしそこは衛士隊の者。闇に紛れて逃げる犯人を正確に見定める程の目を持っている。

ここに来るまである程度目が暗闇に慣れていたので、とまどいはすぐになくなった。

 

「さてと、来たのは良いが…隊長は何処にいるんだろうな」

辺りを警戒しつつ呟いたアニエスの言葉に、ミシェルはさりげなく返事をする。

「私が知るか。お前なら何か知ってるんじゃないのか?」

「知らんよ。知ってたらカンテラの一つでも持ってきてるさ」

ミシェルの言葉にアニエスはそう返しつつも、つい数時間ほど前の事を思い出した。

 

 

太陽が昼の二時を示していた時間帯、アニエスは隊長のいる部屋へと訪れた。

同僚に隊長が呼んでいると言われた彼女は何だろうかと思い、ドアを開けて部屋の中へと入る。

しかし、部屋にはいつものようにイスに座って書類や本を読んでいる隊長の姿が、そこにはなかった。

あれ?…と思った矢先。ふと机の上に一枚のメモが置いてあることに気がついた。

何かと思いメモを手に取り、アニエスはメモの内容を素早く頭の中で読み上げた。

 

 

゛ アニエスへ

   今日の6時半に、ミシェルと一緒に外へ出ろ

    そして夜の9時丁度につくよう、この地図の示す場所へ行け

     ミシェルの以外の者には気づかれるな。もしかしたら良くない事に足を突っ込んでるかもしれん

      俺だってお前と同じくらいにこの街を愛している。ただ手段をもっと考えるんだ

       相手が公の権力を振るうなら、こっちはそれと正反対の力で対抗するまでのことさ ゛

 

 

そこまで思い出し、アニエスは懐にしまってある懐中時計を取り出す。

取り出した時計を人差し指で軽く突くと、ボゥッ…と時計の針がボンヤリと光った。

「あと五分くらいで…9時丁度だな」

アニエスはミシェルにそう言うと時計をしまい、何気なく辺りを見回した。

人の気配が感じられない此所では、何か不気味なモノを感じてしまいそうで仕方がない。

 

こんな時、誰かが…

 

゛見ろ!向こうに見える路地裏から人の形をした四足歩行の黒いナニかが出てくるぞ゛

 

…と言われたら信じてしまうかも知れない。

 

それくらいまでに辺りの雰囲気は静まりかえり、逆にその静けさが恐怖を醸し出している。

少し強めの風がビュウビュウと音を鳴らして吹きすさび、その音がまた恐怖を増幅させる役割をつとめている。

二人とも平気を装っているものの、その瞳に僅かながらの緊張の色を滲ませていた。

アニエスは軽く息を吐くとふと空を見上げ、あることに気がついた。

地上ではこんなに風が吹いているというのに…

空を覆う黒い雲は尚も双つの月を覆い隠していた。

 

まるで雲自体が意志を持っているかのように…

 

 

一方、場所は変わり―――トリステイン魔法学院

 

夕食も終わり、生徒や教師達は少しだけ膨らんだ自身の腹をさすりつつ各々が行くべき場所へと足を進める。

それは行列となり、それはまるで人並みにでかくなった蟻の行進と例えても違和感はないであろう。

大半の者達は自分たちのベッドがある部屋へ向かうが、中には図書館や離れにある掘っ立て小屋へ向かう者もいた。

勿論全体から見ればそれはさしもの少人数、十割の内一割にも満たない。

やがて生徒達は男子と女子に別れてそれぞれの寮塔へと入っていった。

 

 

 

それから時間が過ぎ、もうすぐ9時半にさしかかろうとしている時間帯。

明日もきっと良いことがありますようにと祈りながら、殆どの生徒達はベッドへと入って目を瞑る。

しかし、中には夜を楽しむ者達もいる。そんな者達は明日のことなどお構いなしにそれぞれの時間を楽しむのだ。

ある者はこっそりと秘蔵のワインを飲み、ある女子生徒は部屋に男子を呼び込んで夜を明かす。

本来規律正しい魔法学院も、夜中になればその規律から解かれる。

それはまるで、物音ひとつ立ててはいけないパーティーだ。

物音立てればすぐにお開き。教師達が鬼の形相でやってきてパーティーを滅茶苦茶にする。

そして生徒たちは長ったらしい説教を聞きながら、反省文を書かなければならないのだ。

夜を楽しむ生徒達はそれを無意識的に自覚しつつも、夜を目一杯楽しんでいた。

 

一方――――

.ルイズの部屋の明かりは既に消されていた。

元から規律を尊重しているルイズにとって、夜更かしは禁忌に近いものである。

ルイズにとっての夜は、夕食の後に授業で出た課題をこなした後に大浴場で汗を流す。

部屋にもどった後は軽く本を読み、ネグリジェに着替えて消灯。これが彼女の夜の時間なのだ。

そんなルイズの隣で寝ているのは幻想郷からやってきた魔理沙である。

魔理沙は自宅から持ってきたパジャマに着替えており、目を瞑って寝息を立てていた。

一限目の授業からずっとルイズにくっついていた彼女の寝顔は、何処か微笑んでいるような感じがする。

まぁ普通に考えれば『異世界に行ける』なんていうことは、滅多どころか人生を三回ほど繰り返しても無いような出来事である。

きっと魔理沙は一生巡り会えるかどうかわからない異世界への旅行を楽しんでいるのであろう。

 

そんな風にして二人が大きなベッドが寝ている中、霊夢ひとりだけが寝間着に着替えず起きていた。

明かり一つない暗い部屋の中でイスに座ってボーッと窓の外を眺めている。

いつもなら双つの月と一緒に無数の星が夜空に浮かび、綺麗な光景を見せてくれる。

幻想郷の星空と丁度良い勝負ではないか。霊夢はそう思っている。

しかし今日に限っては曇り空であり、その綺麗な夜空を見せてはくれなかった。

多少残念であるものの、霊夢はそれを表情に出すことなくただ静かに空を見ている。

今彼女の脳内にあるのは今日の空模様についてではなく、もっと別の事であった――

 

――それは、今日の昼前にまで時間は遡る。

 

「虫退治ってのも、なんだか凄く久々な気がするわね」

後ろで煙を上げて倒れている虫型キメラに背中を向けて、霊夢はひとり呟いた。

数分前、嫌な気配を察知して魔法学院の庭園へと赴いた彼女はこのキメラと戦い、そして勝利した。

一目でクワガタの化け物だとわかるこのキメラは素早く、最初は驚いた霊夢であったがそれは大した障害にならなかった。

結果、戦い始めてものの五分くらいで決着がつき、勝者である紅白巫女はこうして一息ついている。

戦いが終わった直後、キメラに襲われていた男がいつの間にか消えていたが気にすることはなかった。

記憶が正しければ逃げた先は魔法学院の方だったし、運が良ければ警備をしている衛士にでも保護して貰えるだろう。

その男がどんな仕事をしていたのかも知らず、霊夢は大きく深呼吸をした。

 

小さな庭園の空気は綺麗ではあるが、後ろから肉の焼ける臭いとよく似た異臭が漂ってくる。

霊夢はその臭いに顔を顰めると後ろを振り向き、ゴクリとも動かないキメラをジト目で睨みつつ、舌打ちをする。

その後、虫の化けものを倒したということがあってか霊夢は幻想郷に蟲を操る妖怪がいるのを思い出した。

その妖怪とは以前永夜異変の際に戦った為、容姿や顔、どんな弾幕を放ってきたのかも覚えている。

「アレは蟲を操ってくるうえに弾幕を放ってきたし、コイツよりかは面倒くさかったわね」

生理的に嫌な蟲をこれでもかこれでもかと自慢気な表情でけしかけてきた妖怪に対して、嫌悪感を込めて言った。

無論その妖怪は幻想郷にいるので、霊夢の言葉は独り言となった。

 

「…さてと、部屋に戻ってお茶でも飲むとしますか」

とりあえず自分がすべき事はした霊夢は、そう言って飛び上がろうとした。その時…

 

ギギ…――――

 

「っ!?」

自分の背後から嫌な気配と共にあのキメラの声が耳に入ってきたのだ。

 

咄嗟にお札を取り出しバッと振り返るが、そこにあるのは物言わぬ死体となったキメラである。

霊夢は辺りを警戒しつつもそのキメラの死体にまで近づき、御幣の先でチョンチョンと頭部を突っついた。

その瞬間、突如シュウシュウと何かが溶けるような音と共に死体から白い煙が上がり始めたのだ。

更に煙と共に嗅いだことのない様な悪臭が出始め、霊夢は鼻と口の辺りを袖で隠して後ろに下がった。

最初の方こそ単に煙と異臭が出ていただけであったが、今度は体の表面から何か白い柔らかそうな物体がブツブツと出てきた。

それを見ていた霊夢は、すぐさまその白い物体が泡だとわかった。

白い泡は体のあちこちから出始め、数十秒経った頃にはキメラの全体を白い泡が包んでいた。

泡の固まりとなってしまったキメラは、ゆっくりとではあるが段々と小さくなっていく。

まるで泡がキメラの体を喰らうかのように…

 

キメラの死体から煙が出てから一分。

たったその一分で、そこに転がっていたキメラの死体はこの地上から姿を消した。

辺りに漂う異臭と地面にへばりついた白い泡だけを残して…

 

霊夢はそれを最初から最後まで鋭い視線で見届けていた。

きっと今回と似たような事が、近いうち必ず訪れるだろうと思った。

そして、先程感じた嫌な気配があの死体から出ていたのではないと確信しながらも。

 

その後、夕食の時に何処かの誰かがあの庭園での話をしていた。

 

何でも、謎の煙が庭園から上がっているのが見えて学院の衛士が何事かと急いで確認しに行ったのだという。

しかしいざ到着してみるとそこには何もなく、霊夢が見た白い泡や異臭などは消えていたらしい。

庭園を調べてみたが被害の形跡は無く、結局は外から来た誰かのイタズラとして処理された………と。

 

そんな話を偶然にも耳にした霊夢はしかし、それを聞いて安心することは無かった。

 

 

あの時、庭園で感じた気配がどうしても気になってしまった彼女は、こうして今も起きているのだ。

もちろん杞憂に終わればいいのであるが、そうはならないと思っていた。

証拠はない。しかし自分の直感を否定することが出来ないでいる。

「どっちにしろ、何があろうと無かろうと寝不足にはなりそうね…」

霊夢はひとり呟くと、人差し指でトントンとテーブルを叩き始めた。

物音一つしなくなったルイズの部屋に一定のリズムを保つ音が響き始める。

その音を耳に入れつつも、霊夢は何も知らずにベッドで気持ちよさそうに寝ている二人へと視線を向けた。

ルイズと共に授業へ出ていた魔理沙は、早くもこのハルケギニアを楽しんでいるような表情で寝ている。

霊夢自身は、見たことのない魔法や文明相手には大した興味は沸いてこない。

しかし、魔理沙の方は常に自分の力の糧となる知識を求めている事は知っている。

森で新種のキノコが見つかればすぐさま家に帰って研究し、魔法やスペルカードの開発へと入る。

先天的な才能を持っていた霊夢とは違い、彼女は日々の積み重ねと努力で今の自分を作り上げている。

そんな彼女にとって、この世界は生涯に一度だけあるかないかの貴重な体験に違いない。

 

 

「人が苦労してるのにあんな気楽そうに寝て…叩き起こしてやろうかしら」

明日への希望が詰まったかのような笑顔を浮かべて寝る普通の魔法使いへ向けて、

紅白の巫女は本気とも取れる感じで呟いた。

 

 

その時の霊夢には知ることなど出来なかった。

黒い異形が音もなく、闇に染まった森の中を駆け抜けて魔法学院へやってくることに。



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第三十八話

トリステイン魔法学院の警備を務めている学院衛士隊には幾つかのグループが存在する。

夜間や授業中の時間帯に学院内の警備をするグループと宝物庫などを見張る精鋭グループ。

そして外部からの侵入者を見つけるために学院の出入り口や城壁の上で一日を過ごすグループ。

これらを全て合わせれば約七十人程の規模を持つ学院衛士隊の者達ではあるが、これらを大きく二つに分ける事が出来る。

それは、「朝から夜まで働く者達」と「夜から朝まで働く者達」だ。

魔法学院の一角には、小さな宿と同じ大きさ程度の二階建ての宿舎が二つ存在する。

一つはコックや給士たちが寝泊まりするための場所で、食堂の近くに建てられている。

そして二つめは学院の警備をする衛士の宿泊施設であり、夜中になっても未だに一階の明かりがついていた。

 

一階には待合室や食堂、不審者を入れる為の牢屋などがあり、そこにいは何十人もの衛士達がいる。

仲間同士酒を呑んだり自分たちの持ち金を賭けて博打をしたりと、夜の時間を満喫している。

彼らは皆夜間の仕事につく者達であり、既に昼夜逆転生活が身体に染みこんでいた。

一方、明かりのついていない二階には衛士達が寝る為の部屋がある。

そこでは明日の朝早くからの仕事に備えて何人かの衛士達が寝息をたてていた。

 

 

「おーい、お楽しみ中悪いがそろそろ交代の時間だぞー!」

ポーカーや酒を飲んでいた数人の衛士達の耳に、そんな言葉が入ってきた。

何人かがそちらの方へ目をやり、声の主が自分たちと同じ場所で寝泊まりしている同僚のものだと知って微笑む。

「もうそんな時間か…おいお前ら!交代の時間だ!さっさと準備しろよ」

隊長と思われる身体の大きい衛士は手に持っていた酒瓶をテーブルに置くと壁に立てかけていた槍を手に取りつつ大声で叫んだ。

それを聞いて他の隊員達も手に持っていた酒瓶やトランプカードを手近な場所へ置き、それぞれの獲物を持ち始める。

何人かは怠いだの面倒くさいだの、と愚痴を漏らすがそれでもテキパキと動いて外へ出る支度を済ませた。

 

「じゃ、まだ向こうにいる連中に返ってくるよう伝えといてくれよ!」

「わかってるって!」

そんな会話一言二言交えた後、宿舎にいた衛士達は皆武器を持ってそれぞれの仕事場へと行った。

後に残ったのは交代を伝えに来た衛士一人と、それ以外では二階で寝ている仲間達だけである。

二階で寝ている同僚達は朝の仕事があるから起きないので、実質この宿舎には警備の衛士が一人しかいない。

男は一人取り残されたような気分を味わいつつも、何か酒と美味しいつまみは無いかと辺りを見回した。

周りにあるテーブルの上には、同僚達が食い散らかしたチーズや白パン、ワインの空き瓶などが散乱している。

ここが給士やコック達の宿舎ならば散らかした者は大目玉を食らっているが、ここは衛士達の宿舎。

家事を知らぬ男達で溢れたこの建物では、何年も前から見慣れた光景と化していた。

衛士は空き瓶はあれど、手を付けていないワインが無いことに苛立って舌打ちをしてしまう。

そんな時、数日前ぐらいに給士達が差し入れにと持ってきてくれたワインの入った樽を思い出した。

「くっそ…あるとしたら裏口だな…」

男は一人呟きつつもテーブルに置かれていたコップを手に取り、裏口の方へと向かった。

 

裏口には衛士の言ったとおり、大の大人一人分ほどの大きさの樽が置かれていた。

樽のラベルには【タルブで作られた最高の赤ワイン】という文字が書かれている。

そのラベルの真下には小さなマジックアイテムが貼り付けられており、冷たくて白い霧が放出している。

これは戦争の際、将校や兵士達の食料や飲料水、ワインを保管する容器や袋の温度を保つ為に製作されたものだ。

簡単な魔法が扱えるメイジだけでもこのマジックアイテムを起動させる事ができ、大変便利な物である。

これと似たような物で少し広い空間を冷やすというマジックアイテムがあるが、性能を比べるとユニコーンとボルボックス程の違いがある。

 

それ程の高級品がこのような場所で見れるという事は即ち、この魔法学院がどれほど名高い所なのかを証明している。

「おっほ!あったあった!!」

衛士は飛び上がらんばかりに喜ぶとそさくさとワインの入った樽へと近寄る。

そしてコップを足下に置くと樽の上についた取っ手を手に持ち、勢いよく上へと引っ張った。

普段から鍛えられてい衛士の腕力によって子供一人を隠せる程の大きさを持つ樽の蓋が取れた。

衛士は手に持った蓋を裏向けにして地面においた後、再度コップを手に取り樽の中に入っている液体をくみ取る。

樽の中に入っていた赤ワインは宵闇の所為か、どす黒い色に見えたが衛士は気にもしない。

コップに入った赤ワインを見てゴクリと喉を鳴らし、衛士はそれを一気に口の中に入れ、飲み込んでいった。

 

「―――プッ…ハァ!!!…やっぱり仕事が終わった後の一杯ってのは、最高だなぁ!」

アルコールが一気に体内にまわったのか、衛士は頬を赤く染めながら嬉しそうに叫んだ。

やはり人間、苦労の末に飲めるお酒を相手には太刀打ちできないものだ。

 

 

だが彼は知らない。

仕事の後の一杯を、宿舎の屋根から見つめている黒い異形の姿に…

 

 

同時刻、トリスタニアの郊外の一地区―――――

 

ゴーストタウンと化したこの地区には深い深い闇が辺りを包んでいる。

唯一の明かりといえば浮浪者達が作った焚き火だけであり、貧弱なものであった。

この地区に住んでいる者達は社会から見放された者達である。

彼らはここに長く住みすぎたせいか夜行性の動物と思えてしまうほど夜目が利くようになってしまった。

そうなってしまえばかえって明かりなどは視界を遮る障害物となり、暗いところを好んで歩くようになってしまう。

そしてそんな連中ほど、常人では聞くことの出来ない恐ろしい情報を知っているものだ…。

 

 

「お恵みを…どうか。この目の見えぬ老いぼれに金貨の一枚でも…」

人が通りそうにないゴミが散乱した古びた路地裏の端で、一人の老人がボロボロのスープ皿を掲げてひとり呟いてる。

顔を隠すほどに生えた白い髯はボロ雑巾のように薄汚れており、漂ってくる臭いも普通ではない。

両目の色は言葉通り、病気か何かで失明してしまっているのか鈍い真鍮色となっている。

そんな生きているのか死んでいるのかもわからない老人が人気のない裏路地で一人寂しくスープ皿を掲げる。

普通の人間ならば近づくことはおろか、視線をそちらへ向けることすら躊躇うに違いない。

綺麗なところで育った人間は綺麗なところにしか行けず、仮初めの真実しか見る事が出来ないのだ。

「お恵みを…お恵みを…」

今夜もまた、誰も来ぬというのに老人は一人空しく皿を掲げるのであろうか?

 

否…今日に限ってその老人の前で、二人の美女と一人の男が立ち止まった。

3人とも同じフードを被っており、その顔を隠している。

最も、闇が深い今夜では被っていてもいなくても同じなのだがもしもの時に備えてのことだ。

3人の一番後ろにいた女性がツカツカと前に出てくると、懐から金貨を5、6枚取り出した。

「恵まれぬ老人よ、始祖に代わり申してこの私が祝福を授けましょう」

女性はそう言った後、老人が掲げるスープ皿の中に金貨を落とした。

チャリンチャリン、と景気の良い音を響きながら皿の中に入った金貨の音を聞き、老人の体は歓喜に震える。

「お、お、おぉ…何処の何方か存知はせぬが…あなた様は始祖よりも慈悲深い御方じゃ…」

ロマリアの神官や聖堂騎士が聞けば異教徒とわめき立てるであろう老人の言葉に、三人もある程度同意した。

清く正しく生きる者達が床をはいずり回って暮らし、逆に畜生の道を歩む者達が贅の限りを尽くして暮らしている。

前者の世界で暮らす者達はともかく、それよりも下の者達にとっては、神を崇めることに何の価値も見いだしてはいない。

唯一崇拝するものは、温かい服と食事とベッド――ただそれだけである。

 

「ならば老人よ、出来るのであらば私たちをある場所をへとご案内していただけないだろうか?」

フードを被った男性は、スープ皿から取り出した金貨を懐に入れている老人へ話し掛ける。

男の体はいかにも戦士という体格の持ち主で、コボルドを素手で殴り殺せそうな感じであった。

老人は男の言葉を聞いて体を一瞬だけ強ばらせたものの、落ち着いた口調でこう答えた。

「わたしは浮浪の身です…。今日の寝床さえまだ確保できておりませぬのに…」

その言葉に、今まで黙っていた二人目の女性が口を開いた。

 

「いいえ、貴方は知っている筈です。この世に忘れられた学者の居場所を…」

そこまで言った直後…ビュウッ!と強い風が吹き、三人の被っていたフードをはぎ取った。

フードの下に顔を隠していた三人の正体は…アニエスとミシェルであり、そして二人の上司である隊長であった。

 

 

トリステイン魔法学院の男子寮塔と女子寮塔には一つずつ事務室がある。

塔の一階に設けられたその部屋には学院で勤務する教師達が交代で部屋の中で寝泊まりをする。

二人の教師が部屋に入り、もしもの時に備えてここで待機しているのだ。

しかし部屋が一階に設けられている所為か、上階の部屋にいる生徒達が何をしているのかという事は全くわからない。

それでも、万が一の自体を想定しているためかこの部屋にはいつも教師が二人以上いた。

 

その日もまた、いつも通り二人の女性教師が部屋の中にいた。

最も、一人はベッドで横になって寝ておりもう一人は部屋の中で本を読んでいた。

部屋の明かりは仕事机の上に置かれたカンテラ一つだけであり、なんとも頼りない灯りであった。

「やれやれ…こうも暗い夜だと何かが出そうでイヤになるわね…」

読んでいた本を机の上に置き、ひとり呟きながら教師は窓から外の景色を見つめた。

彼女の言うとおり、月明かりがない所為か外はとても暗く、一メイル先の景色すら見えない。

その後、彼女は何日か前に読んだホラー小説の内容を思い出して身震いした。

「うぅ…こういう時に限って変な事が起こるのよね…」

冗談を交ぜつつそう呟いた瞬間、ふと手元から奇妙な音が聞こえてきた。

 

チリン…チリン…

 

鈴の音に聞こえるその音をに彼女は一瞬だけ体をビクリと震わせたが、

すぐにその音の正体が何なのかを思い出し、安堵の溜め息をついた。

それは仕事机の上に置かれた手のひら程のサイズしかない小さな小箱で、特に変わったところはない。

しかしこれでも立派なマジックアイテムの一つであり、センサーのようなものである。

使い方は簡単で、この小箱の中に入っているいる小さな緑色の玉を置いておきたい場所に置く。

それだけしていれば、玉を中心にかなりの広範囲で特殊な音波が出る。

その音波に何か人間ほどの物体が引っかかれば即座に小箱が反応して音を出す――といったものだ。

 

(もしかすると警備の人かしら?でも早すぎるような…)

これまでもずっと人間にだけ反応していたマジックアイテムに、教師はふと疑問を抱いた。

一応生徒達の寮塔にも警備の衛士達が巡回するようになっている。

その時は事務室にいる担当の教師に一声掛けた後、教師を一人連れて塔の各階の廊下やトイレを見て回る。

しかし、警備に来る時間はいつも深夜の1時頃だというのに、時計を見てみるとまだ夜の10時もまわっていない。

おかしいなと思ったとき、ふと彼女は上の階で寝ている゛筈゛の生徒達を思い浮かべた。

(まさか、生徒が夜中に抜け出そうとしてるのかしら…)

この魔法学院では基本、消灯時間後に部屋から出る事は禁止とされている。

しかしここの生徒達の中にはそんな規則知るもんかと言う風にこっそりと部屋を抜け出す者が多い。

大抵の生徒達はフライの魔法を駆使して部屋から出るのだが何割かの者達は律儀に塔の出入り口を使う者もいる。

当然事務室には教師達がいるのだが大抵は居眠りしているため生徒達に気づかないのだ。

そして今夜も又、教師達はとっくに寝てると思って誰かが堂々と一階へ下りてきたのであろう。

「もしそうだとするならば…ちょっとした大目玉を喰らわしてやらないとね…」

 

本来なら尊ぶべきである教師をバカにするような生徒達の行動に、彼女は怒りを露わにした。

席を立ち、テーブルに置いていたカンテラの持ち手を握り、ドアの方へと向かう。

まだ音が出始めて数十秒も経ってはいないので、最悪塔の出入り口で犯人の顔を拝むことは出来るはずだ。

規則に反する行為を行おうとした生徒の顔は一体どんなものかと想像しながら、彼女はドアを開けた。

驚いたことに、゛生徒と思われる゛黒い人間サイズの゛何かが゛ドアを背にして突っ立っている。

一瞬だけ目を丸くしたものの、すぐに目を細めてその陰に向かって大声をあげた。

 

「コラァ!!一体こんな真夜中に何処へ出歩こうと…」

そう叫びつつも彼女はカンテラを体の前に突きだした。瞬間―――――

 

ギィエェエエエッエェェェェッェェェエエエエッエェェェッ ! ! ! 

 

゛人間だと思っていた゛影は奇声を上げ、振り向き様に教師が突きだしていたカンテラを思いっきり叩き飛ばした。

 

 

一方、ルイズの部屋――――――

 

―――…エェェエエェェェ…!

 

「!?」

突如下の階から聞こえてきた人とは思えぬ奇声に、霊夢は勢いよく立ち上がった。

顔は真剣そのものであり、どう見ても寝ぼけているとは思えないような表情を浮かべている

先程まで睡魔に勝てずコクリコクリと頭が上下に動いていたのが嘘のようだ。

「予想はしてたけど、やっぱり人が一番迷惑するような時間帯に来るわよね。ホント」

自分の勘が的中したことと、これで明日は寝不足になること間違い無しという事に苛立ちを覚えつつ呟いた。

そして、先程の奇声が聞こえてから数秒後…小さいながらも今度は女性の悲鳴が聞こえてくる。

先程の奇声よりかは大分小さいものの、今の霊夢の耳にはその悲鳴がちゃんと聞こえていた。

霊夢は舌打ちをするとすぐさま壁に立てかけていた御幣を手に取り、次にテーブルに置いたお札を掴んだ。

次いで常に隠し持っている針もちゃんと数に余裕があるのかを確認した後、窓を開けて飛び立とうとした。

しかし、床を蹴っていざ窓の外へ飛び出そうとしたとき、霊夢の体がピクリと止まった。

 

誰かに見られている感じがする…――――。

 

ふと背後から誰かの視線を感じ、霊夢は咄嗟に後ろを振り返った。

霊夢の後ろにあるのは大きなベッド未だにグッスリと眠りこけているルイズと魔理沙がいる。

他には誰もおらず、部屋の中を暗闇が支配しているだけだ。

「気を張りすぎて勘違いでもしたのかしら…?」

霊夢は首を傾げつつそう呟いた後、今度こそ窓から身を乗り出してそのまま飛び上がった。

深い闇が鎮座する空中で霊夢は一体姿勢を整えた後、悲鳴が聞こえた場所へと一気に急降下していった。

 

霊夢がいなくなった後、部屋のドアから解錠するような音が聞こえてきた。

アンロックの魔法を掛けられたドアは音を立てつつもすんなり開き、そこにいた人物の姿が露わになる。

廊下に取り付けられた照明を背後から照らされたそのシルエットは、身長の低い少女であった。

右手には自分の身長よりも古めかしくて大きい杖を持っており、存在感をアピールしている。

しかしそれを見る者は誰もおらず、ルイズと魔理沙は部屋のドアを開けた無礼者の事など知らずに熟睡していた。

部屋のドアを開けた者は、霊夢が下へ降りていった事を確認した後、音を立てずにドアを閉めた。

ガチャリ、とドアの閉まる音が静かな部屋に響き、次いでひとりでに鍵が閉まった。

ドアを閉め、一人廊下に佇む少女はゆっくりと寮塔の出入り口へと歩き出した。

この階にいる生徒達は皆寝静まってしまったのか、それとも聞こえていなかったのか。

どちらかは知らないがその少女以外に、先程の奇声を聞いて廊下へと出ている者は一人としていない。

しかしそれは、今廊下をゆっくりとした歩調で歩く少女にとって好都合ともいえる。

 

何せこれから少女の行おうとしていることが他人に見られれば…

ここに居ることはおろか、自身や親、身の回りの人の命すべてが危険に晒される可能性があるのだから

 

少女―――タバサは空いた手の人差し指でクイッと眼鏡を持ち上げる。

眼鏡越しに見えるその瞳の色はいつもの彼女が浮かべているような色をしてはいなかった。



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第三十九話

 

夜の闇が段々と深くなってゆくトリステイン魔法学院…

その女子寮塔の上階にある部屋の窓から飛んで出てきた霊夢は、塔の出入り口へと降り立った。

持ってきた御幣は紙垂の付いている方を上にして担いでおり、体が動くたびに音を立てて揺れる。

(やっぱりというかなんというか。流石にこうまで暗いと見つけられるモノも見つけられないわね…)

地上へ降り立った霊夢は、外が余りにも暗いという事実に内心溜め息をつく。

既に辺りは闇に包まれており、少し離れたところにある城壁に置かれた燭台から出ている明かりがハッキリと見えている。

しかしそれはここを明るくするには至らず、仕方なく霊夢は自分の両目に神経を集中させて辺りの様子を探り始めた。

いかなる状況でも冷静に判断し、相手の攻撃や弾幕を避ける博麗の巫女にとってこれぐらい朝飯前の事である。

彼女の目はゆっくりと、しかし確実に夜の闇に慣れていく。

やがて数十秒もしないうちに辺りの風景が少しだけハッキリと見えたところで、霊夢は出入り口付近である物を見つけた。

朝と昼、それに夕方には多くの女子生徒達が出入りする女子寮塔の出入り口に、潰れたカンテラが放置されていたのである。

まるでハンマーで叩き付けられたかのようにカンテラ全体がひしゃげており、ガラスも粉々に割れて地面に散乱している。

 

これが霊夢が思っているほどの存在が起こした仕業でなくとも、確実にただ事でないのは確かだ。

「さてと、こんなことをした犯人は何処にいるのかしらね…」

一人呟くとそのまま足を一歩前に出して塔の出入り口からロビーへと入り、すぐ横にあるドアへと視線を向ける。

幸いドアの真上には壁に取り付けられた燭台があり、ドアとそのドアに取り付けられたプレートには【事務室】という文字が刻まれている。

霊夢にはその文字は当然読めないのではあるが、きっと学院の教師辺りが寝泊まりしているに違いないと直感した。

すぐさま霊夢は、そのドアへ近づこうとしたのだがその前にドアノブが回り、油の切れたような音をたててドアが開いた。

ドアが開いた先に佇んでいたのは…マントを外し、何も入っていない花瓶を右手に持ったミセス・シュヴルーズであった。

シュヴルーズは顔を真っ直ぐ地面を向けており、彼女の真正面にいる霊夢にその表情を見せはしない。

霊夢は一瞬誰かと疑問に思ったが、とりあえずここの教師だろうと判断して声を掛けた。

 

「ねぇ、アンタ学院の教師でしょう?さっきここからものすごい音が……!?」

言い終わる前に霊夢は、突如顔を上げた教師の゛顔゛を見て不覚にも言葉を失ってしまった。

しかし、今のミセス・シュヴルーズの゛顔゛を見れば誰もが驚愕するに違いないであろう。

 

いつも生徒達からは「優しいシュヴルーズ先生」と言われ、慕われているミセス・シュヴルーズ。

その彼女のふくよかな顔についている両目に覆い被さるかのように、アイマスクのような得体の知れない物体が貼り付いていた。

例えるならば「色鮮やかなはんぺん」というのがしっくり来るのであろうか。

はんぺん程の大きさもある薄い虹色の物体がミセス・シュヴルーズの目に貼り付いているのだ。

更にその物体はナメクジが地面を這うかのようにゆっくりと動いており、見る者に吐き気を催させる。

霊夢は吐き気とまではいかなかったものの、その場で体を硬直させてしまった。

 

それを隙ありと見てか、シュヴルーズ『らしきモノ』は右手に持っていた花瓶を振り上げた。

それに気づいた霊夢がしまったと言わんばかりの表情を浮かべた瞬間、無情にも花瓶は霊夢の頭に向けて振り下ろされる。

しかし黙ってやられる霊夢ではなく、持ち前の運動神経で振り下ろされた花瓶を両手で受け止めた。

あと一歩というところで止められたが、シュヴルーズ『らしきモノ』は振り下ろした花瓶をもう一度振り上げる。

霊夢はすかさず、シュヴルーズ『らしきモノ』の右手首を手刀で打った。

無駄のない動きで繰り出された手刀おかげで、シュヴルーズ『らしきモノ』の右手から花瓶を手放す事ができた。

床に落ちた花瓶は陶器が割れるかのような音と無数の破片を床一面にまき散らす。

武器を失ったシュヴルーズ『らしきモノ』は一瞬だけ動きが止めたが、それが命取りとなった。

「ハァッ!」

覇気のある声と共に、霊夢は鋭い回し蹴りをシュヴルーズ『らしきモノ』の顔…否。

正確にはシュヴルーズの『目にはり付いている物体』へお見舞いした。

 

グチャ!……ベチョン!

 

鋭い蹴りは見事その物体をシュヴルーズの顔から取り除く事が出来た。

無理矢理はぎ取られた物体は、生理的に嫌な音を立てて今度は地面に貼り付く。

そしてそれから数秒も経たないうちに、はんぺんを彷彿とさせる平べったくて丸い形から素早くその姿を変えていく。

グニョン…グニョン…と嫌な音を立てながら変貌したその姿は、ナメクジそのものである。

しかし、その見た目は見る者が恐怖を覚えるほどグロテスクなものであった。

赤から黒へ、黒から黄色へと…その体色は目まぐるしく変化していく。

ときにははんぺんの時と同じような虹色から数十色もの絵の具をバケツに入れてかき混ぜたような色まで…

そんな風に忙しく色を変えながら、ドクンドクンと体を震わせる。

常人ならばまず、その不気味さに全身の毛が逆立つほどであった。

 

しかし霊夢は、その生物に対し毛が逆立つどころか僅かな怒りを露わにして言った。

「気持ち悪いヤツね…さっさと死んでちょうだい」

 

すぐさま懐から一枚の小さなお札をとりだし、サイケデリックなナメクジに投げつける。

手を近づけたくない不気味なナメクジの体にそのお札が貼り付いた瞬間、ポッ…とお札に小さな火がついた。

だがそれも一瞬のことで、あっというまにその火は大きくなってナメクジの体を包み込んだ。

その身を炎に包まれたナメクジは体全体を無茶苦茶に振り回しつつ、消滅していった。

僅か数秒の出来事の後に残ったのは、元はお札だった小さな灰の山だけでナメクジがいた痕跡は全くない。

見ていて不愉快になる存在がいなくなったのを確認した霊夢は小さな溜め息をついた。

「ホント…この世界の生き物はよく私に絡んでくるわね。人間も含めて…」

イヤミにも聞こえるかのような事を呟いた後、床に倒れているシュヴルーズへと視線を向けた。

あの変なナメクジに寄生されていた彼女は何事も無かったのかの様に、幸せそうな表情を浮かべて寝ている。

それを見た霊夢は放っておいても大丈夫ね。と心の中で呟いてドアが開いたままの事務室へと入った。

 

 

夜の事務室には、生徒が寮塔を抜け出さないように二人の教師が部屋の中にいる。

しかし…今日に限ってその部屋には誰もおらず、代わりに凄惨な光景が広がっていた。

部屋に置いてある二つのベッドの内ひとつは、無惨にも切り裂かれている。

教師達が夜遅くに書類仕事をする為の机は横倒しになっていて、高そうな椅子は徹底的に破壊されていた。

そして綺麗なフローリングの床には、水とも血とも言えない不気味な液体が付着している。

霊夢は部屋の中を見て目を細めた後、一歩ずつ足を進めて部屋の奥へと進んでゆく。

(さっきの悲鳴が聞こえてすぐにここへ来たというのに…よほど気が立っていたのかしら?)

心の中でそんなことを思いつつ、霊夢は前方にある窓の方へと歩み寄っていく。

開きっぱなしの窓はキィキィと音を立てて風に揺られており、恐怖をあおり立てている。

だがありとあらゆる怪異に立ち向かう博麗の巫女には、そんなもの等こけおどしにすらならない。

それでも用心に用心を重ね、深い闇に覆われた外が見える窓の方へとゆっくり近づいていく。

段々と近づくたびに窓を通して入ってくる生ぬるいのか冷たいのかわからない風が、霊夢の顔と黒髪を撫でる。

この部屋全体を包む得体の知れない恐怖よりもその風に鬱陶しさを覚えつつも、霊夢はゆっくりと窓から顔を出して外の様子を探る。

 

今夜は月が隠れているということもあってか、一メイル先の視界は闇に閉ざされてしまっている。

窓から顔を出して外の様子を確認していた霊夢は一回だけ頷くと、勢いよく開きっぱなしの窓を出口にして外へと飛び出した。

ガサッ…と靴が芝生に触れる音を出して外に出た霊夢は、目を瞑ってこの付近一帯の気配を探り始める。

(思った通りね…今朝の化けものと同じような気配の持ち主がここの何処かにいる…!)

予想していた通りの気配を察知できた霊夢は、次にその気配の持ち主が何処にいるのか探り始める。

それから数十秒後。パッと目を開けると、スッとある方角へと顔を向けた。

顔を向けた先に何があるのかある程度知っていた霊夢は、目を細める。

(場所からして、明らかに誘ってるわね…。かといって放っておけば何をしでかすかわからないわ…)

全く面倒なことになったわね。と呟いた後、霊夢は大きな溜め息をついた。

 

「結局、何処にいても博麗霊夢のすることは同じってコトなのね…ハァ」

溜め息の後に呟いた皮肉めいた言葉に、霊夢はやれやれと言いたげ表情を浮かべてまたも溜め息をついた。

結局、どんな所にいても自分は人の命を脅かす化けものを退治するしかない宿命にあるのだ。

今更悩んでも仕方ないのだが、こうも頻繁にこういうコトがあると頭を痛ませる要因となってしまう。

しかしこのまま悩んでいても勝てる相手には勝てないと知っている霊夢はすぐにその気持ちを切り替える。

(でもすぐに済ませれば早く寝れるし、さっさと片づけますか…)

頭を軽く振った後、キッと目を細めると背中に担いでいた御幣を左手で勢いよく引き抜いた。

シャラララン、と御幣の先端に付いた薄い銀板で作られた紙垂がハンドベルとよく似た綺麗な音を鳴らす。

黒一色に塗られた御幣の本体は長く、もしもの時には槍のような武器としても役に立ってくれるであろう。

 

次に右手でお札を何枚か握った霊夢はフワッと体を浮かばせると、そのまま闇の中へと向かって飛んでいった。

飛んでいった先にあるのは、先程顔を向けた方角にある衛士の宿舎であった。

 

 

霊夢が暗闇の中へと消えていって一分くらいした後、一人の少女が事務室へと入ってきた。

少女は部屋の凄惨な光景に一瞬足を止めたものの、すぐに何事もなかったかのように歩いて窓の方へと近づく。

先程、霊夢が出入り口として使用した窓から外の様子を覗いた後、ずれていた眼鏡を右の人差し指でクイッと持ち上げた。

 

「……見失った」

少女――タバサはそれだけ言うと踵をかえし、事務室を後にした。

 

 

 

 

場所は変わって、ルイズの部屋――――

霊夢とタバサが部屋を出てから僅か数分後…

開きっぱなしの窓から入ってくる冷たい夜風で起きることなく、魔理沙とルイズは熟眠している。

いつもならば朝まで寝ているのだろうが、今夜に限ってそうはいかなかった。

突如、灯りのない暗い部屋の隅からボゥ…と黒い人影が現れたのだ。

そいつは自らが出てきた部屋の隅から音もなくルイズ達の寝ているベッドの傍へと移動する。

起きている者がいれば幽霊が出たと叫ぶであろうが、生憎そんな者はいない。

 

ベッドの傍へと近づいた人影は自身の懐をゴソゴソと漁り、小さな人形を取りだした。

次いで、手のひらサイズの人形の背中に付いているゼンマイをゆっくりと巻き始める。

キリキリキリ…キリキリキリ…と独特の音が静寂と闇に包まれた部屋の中に木霊する。

やがて十回近く回したところで人影は手を止め、人形をルイズの傍へと置いた。

人影の手から離れた直後、人形はルイズの方へトコトコと歩き始める。

既に深い眠りに落ちているルイズはそれに気づくこともなく、とうとう人形はルイズのすぐ目の前にまで来た。

そこで人形は急に動きを止めると、突然腕を上下に動かしながら人間でいう口の部分からこんな音声を発した。

『つるぺたって言うなぁー…!』

一体何処の誰から取った声かは知らないが、あまりにも悲惨な叫び声である。

そんなある種の女性に対して悲壮感を漂よわせる叫び声が、ルイズの耳に容赦なく入っていく。

「うぅ…ぅ…」

最初の方こそ悪夢にうなされるかのように悶えていたが、段々とその意識は覚醒していく。

何せ自分が今一番気にしている事を耳元で寝ている最中に呟かれているのだ、たまったものじゃない。

そして人形が動き始めてから数十秒が経った頃、遂にルイズは声の主に対して反逆を始めようとしていた…

 

「うぅ…だれが…だれが…――― 誰 が ツ ル ペ タ よ ぉ ! !」

思いっきり両目を見開いた大声でそう叫ぶと、枕元に置いていた杖を手にとった。

無論杖の先を向ける相手は自分の耳元で自分のコンプレックスの元を呟く相手である。

しかし、その相手があまりにも小さくしかも人間ではなかったということに気づいたのには、数秒ほどの時間を要した。

最初は部屋が暗くて良くわからなかったものの、目が部屋の暗さに慣れるとそれが人形だということに気が付いた。

「なによ…コレ。人形?」

意外な犯人の正体にルイズは何回か瞬きをした後、その人形を手にとってマジマジと見つめた。

その瞬間、ふと目の前でバッと何かが光り輝いてルイズの姿を照らし出す。

突然のことにルイズは呻き声を上げる暇もなく目を瞑ると、何処かで聞いたことのある声が聞こえてきた。

 

「こんばんはルイズ・フランソワーズ。良い夜をお楽しみかしら」

まるで世界の理を知り尽くした賢者ですら弄んでしまうかのような麗しき美少女の声。

ルイズはすぐにその声の主が誰なのか直感し、目を瞑りながらその名前を呼んだ。

 

「一体こんな時間に何の用なのよ…ヤクモユカリ!」

まるで彼女がその名を呼ぶのを待っていたかのように、光はフッと消える。

ルイズが恐る恐る目を開けてると案の定、目の前にはドア側の椅子に腰掛けている八雲紫がいた。

彼女は最初に会ったときに来ていた白い導師服ではなく、紫色のドレスを身につけている。

まるで自分のイメージカラーだとでも主張するかのように、そのドレスは彼女にとっても似合っていた。

しかし、寝ている最中に嫌な起こし方をされたルイズはドレスなど眼中になく、この無礼な相手に対してどう落とし前をつけようか考えていた。

「熟眠している貴族を無理矢理起こすなんて、無礼にも程があるわよ…」

「御免あそばせ。でも私たち妖怪にとって、夜というのは人間でいう朝を意味しますのよ?」

起きたばかりのルイズは今の自分に出せる少しだけドスの利いた声でそう言ったが、紫には全く効いていない。

それどころか必死に睨み付けてくるルイズを、まるで可愛い仕草をする子猫を見つめるかのような目で見ていた。

人を夜中に起こしてニヤニヤと笑みを向けてくる紫に、ルイズは前に霊夢が言っていた言葉を思い出した。

 

―――コイツ相手にムキになっても意味ないわよ

 

(霊夢の言う通りね…まるで笑顔を浮かべた人形相手に怒鳴ってる感じがするわ…)

「はぁ…で、人を夜中に起こすほどの用事って何なのかしら?」

生きている相手に対してどうかと思う例えを心の中で呟いた後、ルイズは溜め息をつきながら話し掛けた。

どうせなら話し掛ける前に爆発の一つでもお見舞いしてやりたいところだが、結局はしないことにした。

こんな夜中に爆発を起こしたら他の生徒から翌朝嫌な目で見られるし、第一人の皮を被ったこの化けもの相手に正攻法が通じるとは思えない。

つまりルイズは、無意識的に八雲紫という境界の妖怪に対してある種の恐怖心を抱いていたのである。

「…無断で借りていた物を返しに来たのと、ちょっとした話をしにきたわ」

無断で借りていた物ですって?ルイズはその言葉にピクンと体を震わせて反応した。

貴族とかそういう物を抜きにして、人の物を何も言わずに持っていくとは何事だろうか。

いくら人よりも上をいく存在だからといって、少し厚かましいのではないか。

ルイズは心の中でそう思ったが、それを口に出す前に紫が頭を下げた。

「まぁ借り物の件についてはちょっと忙しくて言うのを忘れていたのよ。ごめんなさいね」

「え…?あ、あぁ…まぁ謝る気があるのなら別にいいわよ…」

絶対他人に頭を下げることはしないような相手に頭を下げられて、流石のルイズもあっさりと許してしまう。

まぁ寝起きということもあってか、ルイズもそれ以上追求することはなかった。

 

「ふわぁ~…で、借りた物って何のよ?それが気になるんだけど」

欠伸をしつつもルイズは、そんなことを紫に聞いてみた。

ルイズの記憶では、自分が記憶している持ち物は大抵この部屋に今も置いている筈だ。

一体いつ紫は勝手に持っていったのであろうか。

そこが気になっていたものの、一方の紫はルイズの質問に対して紫は目を丸くした。

「あらら…その様子だとどうやら忘れちゃってるようね…」

よよよ…と紫は泣き真似をしつつも左手の甲で口元を隠して微笑んだ。

その態度にルイズはムッとしたのだが、またも霊夢の言葉を思い出して怒りを堪える。

「一体何を持っていったのよアンタは…?でも…とりあえずは返してくれるんでしょう」

「えぇ。…でもそれは後でも出来るからまずは話の方を済ませちゃいましょう?」

ルイズの言葉に紫はそう答えた後、パチン!…と指を景気よく鳴らした。その瞬間…

 

「さぁ、話を始めましょうか」

 

ベッドの上にいたルイズは一瞬にして――

 

「……!?」

 

――ベッド側の椅子に座らされていた。



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第四十話

夜の帳に包まれた魔法学院の中庭を飛び始めてから丁度二分ぐらい経つだろうか。

今夜の闇に目が慣れた霊夢は、目指していた建物の近くへとたどり着くことが出来た。

その建物には灯りがついていなかった為、常人ならばある程度近づかなければその建物に気づかなかったであろう。

二分ぶりに緑の芝生へと足をつけた霊夢は、手に持っていた御幣を使ってトントンと右肩を軽く叩き始めた。

 

 

今彼女の目の前にある建物は学院の警備をする衛士達の宿舎であり、ここでは宝物庫に次いでかなり厳重な所である。

最も、その゛厳重゛という意味は『警備が厳重な場所』というのではなく『衛士達が密集する厳重な場所』と言った方が正しいであろう。

朝、昼、夜、どの時間帯にも必ず何人かの衛士達がいるため、学院へ盗みにはいるような連中はならばまず避けるべき所である。

霊夢はその建物の中から、嫌な気配を感じていた。

(この無機質的な殺意…間違いないわね)

そう呟いた後、霊夢は今朝の庭園で戦ったクワガタの化けものを思い出した。

人を殺すことに対して歓喜や怒り、憎しみ、悲しみ。 つまりは殺意と付加する喜怒哀楽の感情。

それ等の全てが欠落してしまったかのような、何も生み出さない殺意。

理性が無さそうな虫の化けものという事を抜きにして、その殺意はあまりにも生物らしくない。

一体どんな事をある程度すれば、こんな殺意を芽生えさせる事が出来るのであろうか?

学者やある知識豊富な魔法使いならば調べたくなるような事であったが、生憎霊夢はそういう事に関して一切興味はなかった。

むしろ今彼女の頭の中にあるのは―『その殺意が目の前にある宿舎から漂ってくる』という事だけだ。

「元がクワガタムシだから夜行性なのか…それとも誘っているのか」

前者ならばまだ虫頭の化けものという事で済むが、後者ならば恐らく一筋縄ではいかないであろう。

もしも誘っている存在が今朝戦った化けものと同じならば、このような頭の良いことは出来ないはずである。

そこまで考えて、ふと頭の中で胡散臭いスキマ妖怪の言葉を思い出してしまった、

 

――――そうよ。…キッカケとはいえ、幻想郷とハルケギニアを繋いだ彼女の力は凄まじい

 

「…恐らくは今後、そんな彼女を狙って色んな連中がやって来る――」

ポツリ、と霊夢はスキマ妖怪の言っていた言葉をひとり復唱する。

 

――そしてその中に、今回の異変を起こした黒幕と深く関わっている連中が混じるのも間違いないわ

 

 

「つまり彼女の傍にいれば、自ずと黒幕の方からにじり寄ってくるって寸法よ……か」

再び呟いた後、霊夢は本日何度目になるかわからない溜め息をついた。

 

 

一方その頃…ルイズの部屋―――――

 

「――さぁ、話を始めましょうか」

「……」

胡散臭いスキマ妖怪こと八雲紫の言葉とは対照的に、今のルイズは僅かに動揺していた。

 

二人を離す壁と呼べる存在はテーブルのみで、いわゆる゛テーブルを挟んでの話゛というものである。

つい先程までベッドの上にいたルイズは驚きつつも、ついで自分たちを囲う周りの空間が闇に包まれているのに気が付く。

部屋の暗さとは明らかに違う、光すら通さない完璧な闇というのは正にこれであろうとルイズは思った。

次にルイズは自分と紫、テーブルと座っている椅子、そしてその回りを囲うように天井から光に当てられている事に気が付いた。

部屋に備え付けているシャンデリアとは違う、まるで劇場で使うサーチライトのような光にルイズは目を細めながら天井へと視線を向けるがそれらしいものは何処にもない。

(というか、ここって私の部屋よね…一体どうなってるのよ)

今使っているテーブルと椅子は間違いなく自分の部屋の物だと知っているルイズは、薄ら寒さを感じた。

そんなルイズを見てか、紫はその緊張をほぐすかのようにこう言った。

「ご心配なく。ちょっと明暗の境界を弄くって話しやすい環境を整えただけよ」

紫はそう言うと人差し指をルイズの背後へと向けると、円を描くようにグルグルと回し始めた。

するとどうだろうか、ルイズの背後にあった闇はまるでストローでかき混ぜるかのように回転しながら消えていくではないか。

そして闇が消えた先には、こちらに背を向けてベッドで熟眠している魔理沙がいた。

ルイズは背後の方へと視線を向け、ここは自分の部屋なのだと改めて確認することが出来た。

 

「ホイ!」

とりあえずこれで良いだろうと思ったのか、紫は回し続けていた人差し指をピン!と勢いよく止める。

それを合図に消えていた闇が再び元に戻り、魔理沙の姿は見えなくなってしまった。

ルイズは自分の部屋だとわかって安堵したのか、最初の時より大分表情が緩くなっている。

「さて、あなたも安心したことだし。話したいことをちゃっちゃと話すわね」

紫の言葉にルイズはゆっくりと頷き、真夜中の話が始まった。

 

 

首都トリスタニアの地下はその構造上、かなり複雑な造りとなっている。

下水道をはじめとして有事の際の避難通路として幾つもの場所へと繋がる地下道やシェルターがあるのだ。

今でもその工事は昔ほどではないが細々と進められており、時が進むと共にどんどんと拡大していく。

ここ二十年ほど前に作られたものなどはまだ王宮の監視下にあるが、更に昔のものとなると全くその目が行き届いていない。

王宮にある資料の通りならば作られてから数百年が経つものも存在し、その数は実に百もある。

しかもその当時はハルケギニア大陸が戦争のまっただ中ということもあってか、資料には載っていない秘密の場所も幾つか存在している。

ただ、その殆どが現在に至るまで残っているとは限らず、最近の調査で約六割の地下通路が塞がっていたという事実が判明した。

 

 

そして残りの四割の内1割には、表に出れぬ者達の住処として機能している。

所謂―――「地下生活」をせざるを得ない人々の家として…

 

その扉は、トリスタニアの郊外の更に外れにある。

度重なる開発によりゴーストタウンと化したそこは、かつて教会や町人達の集会場所だった所だ。

当時の人々はそこで談笑したり、今日も良い一日を過ごせるようにと始祖に手を合わせていた。

しかし、その場所もやがてトリスタニアの中央に寄せられてしまい、今ではすっかり過去の物となってしまっている。

そんな場所のとある一角に、まるで人目を避けるかのように分厚い鉄扉がある。

狭く入り組んだ路地の奥にあるそれは、地上からでも上空からでも見つけることは困難を極める。

更にその扉が設置されてから大分年月が経っている所為か、素手で触れるのを躊躇わせるほどに錆びていた。

まるで皮膚病患者の肌みたいにボロボロな扉の傍には、同じくらいに錆びてしまっている壊れた錠前とドアノブが放置されている。

 

そしてかすれてはいるものの、錆び付いた扉の表面には白いペンキでこんな文字が刻まれていた。

 

『我々の望む世界は、どんな事があろうと何時の日か必ず訪れる』―――と。

 

 

双月が姿を隠し闇が支配する今宵、そのドアへと近づく四つの人影があった。

一目で最下層の者だとわかるみすぼらしい身なりの老人と、その後ろには頭からフードを被った一人の男と二人の女性だ。

老人は別として、三人の男女が体から発している雰囲気は明らかに一般市民が出せないような刺々しいものである。

そんな三人を後ろに引き連れているおかげか、老人の歩みからは辺りを支配する闇に恐怖している感じはない。

やがて老人はドアの前にまで来ると足を止めると同時に、後ろにいた一人の女性が小さな声で傍にいる男へ話し掛けた。

 

「ここが隊長の言うある場所へと続く道…ですか?」

男に話し掛けた女性―――ミシェルは、前方にあるドアと老人を交互に見比べつつ怪訝な表情を浮かべている。

ミシェルの言葉にもう一人の女性――アニエスも少しだけ頷いてから言った。

「確かにこういう人気のない場所だとわからないが…それにしてはありきたりな…」

二人の言葉を聞きながらこの場所を知っていた隊長も否定する気にはなれなかった。

何故なら彼自身も来るのは初めてで、尚かつここの情報自体も風の噂程度でしかなかったのだから。

 

 

時を少し遡り、時間が夜の九時丁度になろうとしている時――――

隊長の残したメモを頼りに、ミシェルと共に人気のない郊外へと訪れていた。

役人の手が届かぬ所為ですっかり寂れてしまい、灯り一つ無い闇の中に二人は佇んでいる。

その眼光は鋭く、いつでも抜刀できるよう自然と身構えていた。

「もうそろそろ、九時丁度だな…」

暗闇越しに辺りの気配を探っていたミシェルが誰に言うとでもなくひとり呟き、アニエスは無意識的に頷く。

先程時刻を確認してみたら後五分といったところだったので、もうそろそろ九時になるだろう。

せっかくなのでもう一度確認しようかと懐に手を伸ばした時、ふと背後から男性が声を掛けてきた。

 

「やぁ、どうやら約束通り二人だけで来てくれたようだな」

 

少なくとも一日一回以上は聞いているその声に、アニエスとミシェルの二人は同時に後ろを振り向く。

そこにいたのは、自分たちと同じフードを頭からすっぽり被ったガタイの良い男であった。

男は二人が振り返ったのを見ると懐からアニエスが持っているのと同じデザインの懐中時計を取り出す。

そして先程の彼女と同じく時計を軽く叩き、ボゥッ…と光る時計の針を灯りにして自分の顔を照した。

光に照らされたその顔が、いつも自分たちが見ている上司の顔だと知り、ミシェルは若干安堵したかのような表情を浮かべた

 

一方のアニエスはミシェルとは対照的に訝しむような表情で目の前にいる隊長に話し掛けた。

「一体どうしたというのです?わざわざ手紙にしてまであんな回りくどい事をさせるなんて…」

「あぁアレか…まぁ一応の警戒だ。これから会える゛かもしれない゛人物を探してる輩が出るかどうかな」

自分の机に置いていた手紙の事を指摘された隊長は、さも簡単そうに言った。

それを聞いたアニエスは、彼の言った「会える゛かもしれない゛人物」という言葉に疑問を抱く。

「会えるかもしれない人物…?それに話からして何やらワケありの人間と思えますが…」

「まぁ大体そんなところだが、実を言うと俺もその人物の事については風の噂程度にしか知らないからな」

 

でも本当にいるのならばコレを見て貰いたいんだよ。と隊長はそう言って懐から小さな袋を取り出した。

手のひらに収まるサイズのその革袋には、あるモノが入っていた。

 

 

ドアの前にいる老人は懐を探り、一見すればタダの棒きれにも見える杖を取り出した。

そして他人には空耳とも思える程のかぼそい声で呪文を詠唱すると、それをドアに向けて振り下ろす。

 

ギ、ギィ…―――

すっかり錆び付いてしまったドアを無理矢理開けるかのような嫌な音が辺り一帯に響き渡った。

ドアノブが壊れているドアがひとりでに開き、四人の前に今居る場所よりも更に濃い闇を見せている。

「ここから先の通路は…このトリステインが建国された時に作られたと言われております…」

開け放たれたドアの前にいる老人は三人に聞かせるかのように喋りつつ、再度杖を振る。

すると目の前にある闇の中でポッ…と温かそうなひとつの灯りが生まれた。

まるで生まれたての赤ん坊のように小さい灯りは二つ三つと増えていき、目の前の闇を喰らってゆく。

「当時は王族同士の小さな身内争いがあり、その際に何者かが有事の時に使う避難通路として作らせたのでしょう」

どんどんと数を増やしていく小さな灯りに顔を照らされつつ、老人は杖を振りながら喋り続ける。

 

そしてドアを開けてから丁度一分が経った後――左右の壁から幾つもの小さな灯りに照らされた階段がそこにあった。

地面の下へと続く階段の奥は灯りが届かず、その長さを知らしめている。

隊長、アニエス、ミシェルの三人はこんなところに地下へと続く階段があることを知り、目を丸くしていた。

トリスタニアの地理を完璧に把握していると豪語する衛士隊の者達ですら、このような場所は全く知らなかったのである。

「しかし結局は使用されず、十年前から我が主の住まいとして機能しております…」

老人はそこまで言うと口を閉じて三人の方へと向き直ると、ゆっくり頭を下げてこう言った。

 

「今宵は、我が主の経営する鑑定屋へと足を運んで頂きまことに有り難うございます」

 

 

一方、その頃――――

魔法学院でも一人の少女がある建物へと足を運ぼうとしていた。

 

 

「お邪魔するわよ~っ…と」

暢気そうな感じでそう言いつつ、霊夢は灯り一つ無い宿舎の入り口を通った。

いつもなら常時灯りが付いているというのに、不思議と今日に限って灯りは付いていない。

今日は偶々そういう日だったのか、それとも゛誰かが゛意図して灯りを消したのか…

どっちにしても、霊夢にとってはどうでも良いことであるのだが。

ただ外と比べれば屋内は暗く、目が慣れるまで霊夢は直ぐ横にあるレンガ造りの壁を手でさわりながら歩き始めた。

もうすぐ夏が訪れるらしいのだが夜中の気温は冷たく、霊夢の肌をピリピリと刺激する。

壁伝いで入り口から歩いてきた霊夢は、そのまま食堂の方へと入った。

宿舎の食堂は割と大きく、衛士達の部屋がある二階へと続く階段と裏口へと続く入り口はこの部屋にある。

食事などは給士達が作った物を運んでくるため、厨房といったものはない。

一応ワインや水などの飲料を保管するための倉庫などがあり、チーズや干し肉と言った酒の肴は衛士達が自前で買っている物である。

 

ここもまた暗かったが、屋内の暗さに目が慣れてきた霊夢はふと食堂の出入り口付近である物を見つけた。

それは大きな蝋燭が設置された燭台であった。

蝋燭には火がついており、小さいながらも頼りになる綺麗な明かりで霊夢の顔を照らしている。

(まぁ…暗闇の中で変な物を踏んだりするのもあれだしね)

霊夢は心の中でそう呟くと右手に持っていたお札をしまう代わりに燭台の下に付いている持ち手を握り、ヒョイッと燭台を持ち上げた。

手に持ったところで食堂の中へと入り、とりあえずは傍にあるテーブルの上を蝋燭の明かりで照らしてみた。

見たところ変わったところはなく、幾つもあるテーブルの上には皿や空のワイン瓶が大量に放置されている。

もっとも、霊夢や他の女性からしてみれば「散らかりすぎている」という言葉がピッタリなほど酷い状況であるが。

毎日朝と昼に担当の給士達が掃除しに来るのだが、勿論霊夢はそんなことは知りもしない。

「床だけ綺麗なのは、ある種の救いなのかしらね…」

足下を照らしながら歩きつつも、霊夢は嫌悪感たっぷりの表情で呟いた。

 

早足で歩いた所為かわずか十秒くらいで食堂を通り抜けた霊夢はそのまま裏口へと続く入り口へと入った。

裏口のドアは開きっぱなしなのか、冷たい夜風が容赦なく霊夢の顔を撫でていく。

「もうすぐ夏の筈なのに、どうしてこう寒いのかしらねぇ…」

幻想郷とは違うトリステイン気候を相手に、霊夢はひとり愚痴を漏らす。

本当なら今すぐにでもルイズの部屋に帰って寝たいのだがそんなことをするワケにもいかない。

何故なら、こんな場所へと来ることになった最大の゛理由゛が、ここにいるからである。

(気配が段々と強くなってるし動く気配もない…、やっぱり私が来るのを待ってたわね)

今日感じた気配の中で一番嫌な気配を察している相手がこの先にいることを知り、ふと足を止めた。

彼女が今いる位置から約一メイル先には、半開きのドアが風に揺られてキィキィと音を立てて動いている。

ドアの向こうは裏口となっており、文字通りのこの宿舎の裏側で出られようになっている。

霊夢はその場に燭台をそっと置くと、懐にしまっていたお札を取り出した。

最後に大きく深呼吸した後、勢いよく足を一歩前に出そうとした直後――――

 

バンッ!

 

先程まで風に揺られていたドアが、もの凄い音を立てて開いた。

まるで霊夢が動くのを見計らってたかのように開いた先から、何者かが飛び出してきた。

ソイツは疾風の如き素早さをもって霊夢の傍へと駆け寄り、手に持っていたナイフで斬りかかってきた。

しかし霊夢はその鈍い銀色の刃を持った武器に怯えることなく、ナイフの軌道から外れる下をかいくぐって避けた。

斬り刻む相手がいなくなったナイフは風を切るだけに留まり、それを持っている相手は霊夢に対して大きな隙を与えてしまうこととなった。

当然それを見逃す筈が無く、霊夢は相手の足下でしゃがみこんだ姿勢のまま、左手で持っていった御幣を勢いよく突き上げる。

素早い動作で繰り出された御幣の突きは見事相手のアゴに当たり、そのショックで相手の顔に貼り付いていた小さな物体が音もなく剥がれた。

 

物体はベチャリと不愉快な音を立てて地面に置いた燭台の傍に落ち、それと同時に襲いかかった来た相手は糸の切れた人形のように地面に倒れ込んだ。

持ち主の手から離れたナイフを勢いよく蹴り飛ばした後、霊夢は燭台の傍に落ちた物体へと顔を向ける。

案の定そこにいたのは、先程ミセス・シュヴルーズの目に貼り付いていたナメクジもどきであった。

霊夢は今日何度目になるかもわからない溜め息をつくと、右手に持っていたお札を一枚そのナメクジもどきに投げつけた。

お札は一寸の狂いもなくナメクジもどきに貼り付くと、すぐに燃え始めた。

先程焼いたナメクジもどきと同じようにソイツもまたそのを無茶苦茶に振り回しつつ、あの世に送り飛ばされた。

とりあえず目に良くないサイケデリックな虫けらを消した霊夢は、後ろで気絶している相手の方へと顔を向ける。

霊夢を襲ってきた相手の正体は、なんとシュヴルーズと一緒の部屋にいた女性教師であった。

 

(あの時の悲鳴は、もしかしてコイツの悲鳴だったのかしら?)

先程ルイズの部屋で聞いた悲鳴の事を思い出そうとしたとき…

 

フ…フフフフフ…――――

 

外から流れ込んでくる風に紛れて、笑い声が聞こえてきた。

まるで籠の中にいる鳥の動きを見て、喜んでいるかのような笑い声。

しかしその声はまるでガラスを引っ掻くかのようにように甲高く、あまりにも人外地味たものであった。

その笑い声に何かを感じた霊夢は、キッと目を鋭く光らせると勢いよく外へと飛び出した。

扉の向こうは丁度宿舎の裏側であり、衛士達の訓練場も兼ねているのか小さな庭がある。

防犯上のためかその庭を囲うかのように立てられた立派な鉄柵が、物々しい雰囲気を放っている。

入り口の傍には【タルブで作られた最高の赤ワイン】というラベルが貼られた大きな樽が数個ほど放置されている。

その他には花壇も噴水も何もなく、とても殺風景で寂しい雰囲気を纏った庭であった。

魔法学院の広場や庭は基本華やかではあるが、ここはそんな場所とは一切無縁の場所だ。

 

屋内とは違って容赦なく冷たい夜風が霊夢の肌を撫で、自然と身を強ばらせる。

 

フフフ…フフフフフフ…――――

 

その風に混じって、何処からともなく甲高い笑い声が霊夢の耳に入ってくる。

霊夢は耳を澄ませて声の出所を探ろうとするが、なかなか場所を掴ませてはくれない。

後ろから聞こえてくると思えば次の瞬間には右から聞こえ、すぐに同じ笑い声が頭上から聞こえてくる。

まるで鍾乳洞の中にいるかのように笑い声は辺りに木霊して霊夢の聴覚を鈍らせようとする。

「そんな小細工が通じると思ったら…大間違いよ」

霊夢は面倒くさそうに呟くと右手に持っているお札を一枚、ある方向に投げつけた。

勢いよく放たれたお札は…

一直線にその先にある゛樽の山゛へと突っ込み、

 

――――ボグンッ!

小さな音を立てて爆ぜた。

 

爆発自体は小さいものの、それより大きな樽を壊すのには十分であった。

木っ端微塵に弾けた樽は木片を辺りに撒き散らすが、その中にワインは入っていなかった。

 

―――ホゥ…まさかこうも簡単に見つけるとは、予想以上じゃな。

     まぁアイツ等をいとも簡単に屠れる時点で大体の検討はついておったが…

 

先程まで樽が置かれていた場所には、仮面をつけた一人の貴族が佇んでいたのだ。

闇に溶け込むかのようなマントを付けており、その上から覆い被さるかのようにマントと同じ色のフードを羽織っている。

来ている服やズボンは全体的に地味な色合いであり、記憶に残りそうにないものであった。

そしてその貴族の声はかなりしわがれていることから、恐らくかなりの老齢であるに違いない。

しかし今の霊夢には、それらの事よりも今最も気になっている事があった。

それは今目の前にいる貴族の姿が゛やけに朧気゛であるということだ。

まるで空気中に漂う霧のように、その存在はあまりにも希薄過ぎる。

 

「こんな夜中に呼びだしたうえに直接顔を合わせないなんて…いったいどういうつもりかしら?」

霊夢は目の前にいる゛幻影゛に向かってとりあえず御幣を突きつけながら言った。

そう言われた瞬間、貴族は両手をあげると慌ててこう言った。

 

―――ま、待ちたまえ!私は非暴力主義なんじゃよ!?

        そんな私に、君はそんな危なっかしいモノを突きつけるのかね!?

 

「別に良いじゃないの?武器を突きつけるのは私の勝手よ。というかその場にいない癖して何言ってるのよ」

先程の雰囲気とは全くかけ離れた弱気な対応に対して、霊夢はばっさりと言い放つ。

その言葉に貴族はハッとしたかのような動作をした後、あっさりと両手を下げた。

 

――あぁ、そうじゃったな…いかんいかん、まだ作ったばかりじゃから慣れていないのぉ…

全く威厳を感じさせない貴族に舌打ちしつつ霊夢は目の前にいる゛幻影゛が先程呟いを頭の中で。

《―まぁアイツ等をいとも簡単に屠れる時点で大体の検討はついておったが…》

既に霊夢の中では゛アイツ等゛=クワガタやナメクジの化けものという考えに至っていた。

(まさかコイツがあの化けものを…だとしたら相当ヤバそうなヤツね)

霊夢はそんな事を思いつつもとりあえず質問してみようと言う結論に至り、話し掛ける。

 

 

「それはそうとして、まさか今朝と今夜の化けものはアンタの…――  ――…ッ!?」

 

言い終える前に、突如自分の背後から大きくて歪んだ殺意が漂ってきた事に霊夢はすぐに気が付いた。

まるで人を殺すためだけに作られた人形がいま無抵抗の子供向かってナイフを振り下ろす直前のような無機質な殺意。

瞬間、霊夢はあのクワガタムシの形をした化けものの姿を思い浮かべた。

 

「ギ ィ ッ ギ ィ ィ ィ ィ ッ ! !」

霊夢反射的にその場で伏せた瞬間、。背後にいた゛何かが゛金切り声と共に黒い鎌状の爪で霊夢の頭上を切り裂いたのである。

その威力は空気を切る音がハッキリと霊夢の耳に聞こえるほど凄まじく、そのまま立っていたら背中を切り裂かれていたに違いない。

伏せた状態の霊夢は僅かに体を浮かせるとホバーリングと同じ要領で移動して急いで距離を取ろうとする。

しかしかぎ爪の持ち主は何が何でも接近戦に持ち込ませたいのか、霊夢目がけてダッシュしてきた。

人のそれと酷似している足から出るとは思えないその速さに、霊夢は舌打ちしつつ右手に持っていたお札を相手に投げつける。

しかし相手も一筋縄ではいかず、片足だけで地面を蹴って跳躍し、お札のみで構成された弾幕を避けたのだ。

「…ちっ!」

まさか避けられると思っていなかった霊夢は再び舌打ちしつつも、呪文とも思える言葉を急いで唱えた。

するとお札はその先にある宿舎の壁に貼り付きはしたが、爆発まではしなかった。

そのまま爆発させても良かったが、今霊夢の懐に入っているお札は残り数枚ほどである。

いつもなら大量に携帯しているのだが、これまで行ってきた数々の戦闘で使い果たしていたのだ。

(まぁ回収する分も含めば何とかなるわね…)

そんな事を考えながらも霊夢はホバリング移動のまま壁に貼り付いたお札を素早く回収すると奇襲を仕掛けてきた敵が何処にいるのか周囲を探った。

先程霊夢の攻撃を跳躍して避けたキメラはかなり跳んでしまったらしく、ゆっくりと地面に向かって落ちてくる。

襲ってきた相手と十分な距離をとっているのを確認すると、その場に着地した。

 

―――うぅむ予想通り奇襲は通用せんかったか…。まぁここで倒れても面白くは無い

 

ふと自分の背後から聞こえてきた貴族の声に霊夢は苛立ちを覚えつつも、前方にいる゛敵゛に警戒していた。

霊夢が着地してからすぐにソイツも地面に降り立ち、左手の甲から生えた爪をガチャガチャとやかましく鳴らし始めた。

鎌の形をしているその爪は艶めかしい黒色をしており、クワガタムシのアゴと非常に似ている。

そしてその全体は、今朝戦ったクワガタムシのキメラよりも更に不快感を煽る姿をしていた。

左手は人間のそれと似ているが、それとは対照的に右手のほうはサソリの尻尾となっている。

それは余りにも長い所為かとぐろを巻いて地面に垂れており、時折思い出したかのような尻尾の先端がピクリと動く。

体の模様は黒を下地に、ハチ彷彿させる黄色の縞模様が走っている。

そして頭部はイナゴそのものであり、しきり動く口から黄色とも緑色とも言える気味の悪い液体を出している。

 

――さぁ…行きなさい

 

「ゲ ッ ! ゲ ゲ ゲ ゲ ゲ ッ ゲ ッ ゲ  ッ ! !」

ボシュウゥウゥウゥ…!  

 

バッとマントをはためかして叫んだ貴族に反応して、そのキメラもまた甲高い声で叫んだ。

間接の隙間から、黒い霧を放出させながら…



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第四十一話

「貴方、霊夢を召喚するまではあまり他人と一緒にいたことが無かったでしょう?」

「――――――………え?」

 

予想もしていなかった紫の言葉に、ルイズは唖然とした表情を浮かべてしまう。

夜中に叩き起こされ、話があるからと言われていきなりそんな事を聞かれるのだから無理もない。

一方の紫は、そんなルイズとは対照的に落ち着いた表情で返事を待っていた。

そんな紫に気づいてか、とりあえずは何か言わなくてはとルイズは口を開く。

「な…なんでそんな事を聞くのよ?」

「別に?ただ貴方の顔を見てたらなんとなくそんな質問が頭をよぎっただけですわ」

ルイズの質問に紫はなんてこともないと言いたげな感じで返し、何故か意味もなくウインクをする。

一体どんな理由なのよ…とルイズは心の中で突っ込みつつ、頭の中でそうかもしれないと感じていた。

 

―――貴方、霊夢を召喚するまではあまり他人と一緒にいたことが無かったでしょう?

 

(仲は悪いけど構ってくれるヤツはいるし優しい家族もいるけど…本当はずっと孤独だったのかも…)

 

 

――魔法という魔法を一切使えない名家の末女が、名門中の名門であるトリステイン魔法学院にいる。

 

入学してしばらくした後その話が広まり、いつの間にか私は同級生達から虐められるようになった。

男子女子分け隔て無く、様々な理由を使って私を精神的に追いつめようとしてきた。

バケツの水を頭から被ったり髪を引っ張られたり、というのはまだ良かったがブラウスやマントに落書きされるのは辛いモノだ。

何せ洗濯を担当している給士達がそれを見つけると、汚れたブラウスやマントを着こなす私の姿を思い浮かべて含み笑いをするからである。

その瞬間を偶然目撃してしまった私は怒るよりも先に、これからの学院生活はどうなってしまうのかと思わず泣きそうになった。

 

上級生達も名家の末女であるが魔法の使えない私に興味が無いのか、声を掛けて来る者は少なかった。

声を掛けてきた者も、自然と私の傍から離れていった。

教師も遠くで見ているだけで、助けようともしなかった。

その所為か同級生達から受けるいじめも段々エスカレートしていき、遂にはあの二つ名を貰う羽目になった。

 

『ゼロ』

 

そう、ゼロである。何も持っていない、才能無き者を意味するその二つ名。

今まで何もしてこなかった上級生達はそれにウケたのか、以後私は「ゼロのルイズ」と呼ばれるようになった。

同級生達からそう呼ばれるのはまだ構わない。少なくともこちらの文句を遠慮無くぶつけることが出来る。

しかし顔も知らぬ先輩にそう呼ばれるのはかなり精神的に応えるモノがあった。

こちらを見下す高圧的な目線と、自分を見てほくそ笑んでいるかのような薄い笑顔。

流石の私も精神的に参ってしまい、一時期は酷い憔悴状態に陥っていたのを今でも酷く覚えている。

唯一の救いといえば、今まで何もしていなかった教師達の一部がそんな私を助けようとしてくれた事だ。

彼らの良心が無ければ、今頃自分はこの学院から自主的に出て行ったであろう。

 

思えば物心ついたときから、自分の傍にいつもいてくれる味方などいなかった。

 

魔法が使えないという事を知った私の両親は、その代わりにと様々な事を私に教えた。

一般知識や様々な魔法のこと、テーブルマナーから歩き方についてまで。

物心ついたばかりの私には厳しすぎてついてゆけず、厳しい母親に毎日のように叱られていた。

父親の方は私に優しかったが、その逆をゆく母親にいつも縮こまっていて私を助けてはくれなかった。

更に追い打ちを掛けるかのように、一番上の姉がいつもおちょくってきた。

屋敷に仕える給士たちも陰で私の事を言い合って笑い、私はそれからいつも逃げていた。

たった一人の、本当の味方とも言える二人目の姉はとても優しく、私の理想の人物であった。

しかし彼女はヴァリエール領の実家ではなくではなくその近くにあるフォンティーヌ領の屋敷に住んでいる所為か、滅多に会うことはなかった。

私がまだこの世に生を受ける前から、彼女はとても重い奇病を患っていた。

その為、魔法学院やお嫁にも行けず泣く泣く両親は療養も兼ねたフォンティーヌの屋敷に住まわせた。

私が生まれてからも何人もの医者が彼女を診たそうだが結局全てが無駄に終わり、その事でいつも私の両親は頭を抱えていた。

更にそんな事をしている内に姉の病気は酷くなり、一時は本当に死ぬかも知れないと主治医に言われたこともあった。

それでも姉はなんとか元気になり、今では主治医に死ぬかも知れないと言われるような事はなくなった。

だからといって病気が直ったというワケではないが、少なくとも屋敷の廊下や中庭を平気で歩けるようにはなった。

良く実家にも帰って来てくれたし、その時には私の話を聞いてくれたり同じベッドで寝てくれるのだ。

両親や厳しい方の姉も彼女の事を気遣っていたし、現に両親は私が十六になっても未だ彼女の病気をなんとかしようと頑張っている。

 

 

しかしある時、不幸にも私はこんな陰口を聞いてしまった。

「ルイズお嬢様は難儀だねぇ」

「あぁまったくだよ。上のお二人があんなに出来るというのに…」

「しかもそのお二人の内、次女様の方は重い奇病を患っているし」

「もしもルイズお嬢様がその病気を患っていたら、今頃どうなっていたのか…」

「おいお前、それは流石に不謹慎過ぎるぞ…?」

 

そんな話を聞く度に、私は自分の存在がどれ程のモノなのか悩んでいた。

もしかしたら、自分なんてこの家にいて欲しくない存在なのだろうか?

だとしたら、母親のスパルタ教育にも納得できた。

当時は、親の七光りであろうとも厳しい教育を受けていれば何処かの貴族と結婚することが出来る。

名家であろうとも、魔法があまりにも下手な貴族の子供達はみなそうしていた。

事実その頃のルイズも親同士が決めたのだが、大分年齢の離れた婚約者がいたのである(今はもういないが)。

 

(でも、魔法が全く使えない私が結婚なんて…出来るのだろうか?)

そんな事を思いながらも、物心ついたばかりの私はいつこの家を追い出されるのだろうかと内心ヒヤヒヤしていた。

だけど結局誰にも追い出されることなく、私は無事魔法学院へと入学することになった。

それが、さらなる苦しみになるとも知らずに。

 

 

「あらあら、そんなに苦しそうな顔して。…どうやら図星のようねぇ?」

楽しそうな紫の声にルイズはハッとした表情になり、勢いよく頭を横に振った。

どうやらあまり気持ちの良くない回想に浸っていたようで、顔も自然と強ばっていたようだ。

そんな自分を見て楽しそうな表情を浮かべる紫を見て、もしかして遊ばれているのではないか?とルイズは疑問に思った。

話があるとか借り物を返しに来たとかいうのはタダの建前で、本当は自分をおちょくりに来ただけなのかと。

 

(もし、それが本当だとするならば…)

そう、思った途端。

体の中に溜まっていたストレスや怒りがこみ上げて来るのを、ルイズはすぐさま感じ取った。

学院に入ってからはこの様な怒りをぶつける相手はある程度決まっていた。

自分をからかってくる生徒達やあの忌々しいツェルプストーに、使い魔として召喚してしまった霊夢と新しく居候となった魔理沙だけだ。

いつもならばすぐにこの怒りを解放し、それを言葉や体の動きに替えて目の前の相手に発散していただろう。

しかしルイズは、今目の前にいる妖怪相手に自らの怒りをさらけ出すことは良くないと感じていた。

それは直感や勘ではない――本能レベルでそう思ったのである。

 

――自分の感情をそのまま彼女にぶつけてしまうのは。何か良くないような気がする

 

自然と頭の中に浮かんできたその結論に、ルイズは恐怖した。

ルイズの中にある人間としての本能が、今目の前にいる妖怪に対して大きな恐れを抱いているのである。

彼女はすぐさま、この怒りの感情をどうにかしようとしたがそれを考える暇すら無い。

自然と母親譲りの鋭い目が細くなり、その瞳は僅かばかりの怒りを孕んでいる。

正に怒りという感情そのものが、人に乗り移ったかのようだ。

普通の人間ならばこれからすぐに起きるであろう事態に自分の運の無さを実感するであろう。

 

しかし不幸な事に、今目の前にいるのは人間ではない。

人間よりも大分厄介で、何を考えているのか全くわからない人の姿をした人外である。

「怖い目つきねぇ。そんなに怒りっぽいと折角の可愛い顔が台無しになりますわよ」

ルイズの顔を見ていた紫は、鬼の首を取ったかのような嬉しそうな顔でそう言った。

以前何処かで聞いたかのような紫の言葉にルイズは再度頭をブンブンと振ると、勢いよく席を立った。

人を小馬鹿にするかのような紫の物言い対してルイズは、本能よりも自分の感情を優先させることにしたのである。

「いい加減にしなさいよ!人をこんな夜中に起こして何をしたいのよ!?」

「別に何もしないわ。ただちょっと貴方と話し合いをして、今後のことを決めるだけよ?」

並みの人間なら怯んでしまうほどの雰囲気を放つルイズを前にして、紫は涼しい顔で返事をする。

そんな彼女にルイズは怒りのボルテージを益々上げる羽目になり、思わずテーブルを勢いよく叩いてしまう。

 

「今後の事って何よ!大体アンタは…」

「あなた、゛単純明快で神の如き゛力が欲しいんでしょう?」

 

テーブルから身を乗り出しつつ怒鳴り散らしていたルイズの罵声を、紫の言葉が遮った。

そのたった一言が怒り心頭であったルイズの頭の中に響き渡り、ピタリと体の動きを止めてしまう。

紫はルイズ体が止まったのを確認した紫はゆっくりとした動作で席を立ち、喋り始めた。

 

「霊夢や私のように、持っている者だけにしか使い方がわからない能力に憧れているのよね、貴方は?

 まぁあの娘が自分の能力の全てを把握しているとは思えないけど…持って生まれた才能のお陰で割とうまく使いこなしてるわ。

  貴方もそうよね?他者が崇拝と畏怖の念を持ち、仕組みは簡素でありつつ自分だけにしか扱えない…といった程度の力が欲しいのでしょう?」

 

喋りながらも紫はゆっくりと歩き出し、喋り終わる頃には丁度ルイズの背後に立っていた。

一方のルイズはというとテーブルから身を乗り出した形で硬直はしていたが、その顔にはもう怒気は宿ってはいない。

ただその代わり今の彼女の顔にはまるで暗い夜道で化けものと出くわしたかのような表情が浮かび始めている。

そんなルイズの事を知って知らずか紫は尚も喋ることをやめず、忙しく口を動かして言葉を出してゆく。

 

「まぁ何も持たず、誰からも蔑まれて生きてきた貴方と同じ年頃の子なら誰でもそういうのは考えるモノね。

  私は貴方よりも酷い教育環境にいる人間達を暇つぶしで五万と見てきたから貴方なんてずっとマシな方よ?

   でもそんな連中ほど力を持てば大抵は破滅するような人格破綻者ばかり…それを言えば貴方もそういう輩と同類かもね。プライドの有無関係なく」

 

段々とその言葉に棘が混ざりチクチクとゆっくり、しかし鋭い痛みを伴ってルイズの心に突き刺さる。

それでもルイズは背後に佇む一種の恐怖に負け、動くことは出来なかった。

 

「でも…ここの学院では貴方は結構な人格者だと私は思ってるわ。

 勤勉で規律を守り、尚かつ断固たる意思を持つ貴方は意外にも私も惹かれたのよ。

  まぁ魔法が使えなくとも、貴方は素晴らしい力を持ってるじゃない。そう…―――――」

 

そこまで言った時、ふと紫は喋るのを唐突にやめてしまった。

一体どうしたのかしら?と疑問に思う前にルイズの視界がグルリと回った。

そして突然の事に驚く暇もなく、背後にいた紫と目が合ってしまう。

彼女はまるで造り物と思えてしまうほどの均整のとれた顔に笑顔を浮かべていた。

何時か見た時とはどこかが違う、人を得体の知れない不安という名の海へと突き落とすほどの笑顔を…

 

「使いこなせればこの私を殺せる力を――貴方は持ってるのよ?」

 

 

 

 

「……あぅっ」

ふと自分の口から出たよくわからない言葉に、ルイズは瞼をゆっくりと開ける。

鳶色の瞳が自分の横で寝ている魔理沙を捉え、ルイズは自分のベッドで横になっているのだと気づいた。

ルイズは口をポカンとあけたままむっくりと上半身だけを起こし、テーブルの置いてある方へと視線を向ける。

さっきまで椅子に腰掛けて紫の話しを聞いていたというのに、そのような痕跡は何処にもない。

というよりも、最初から自分の夢だったとしか思えないほど誰かが使ったような痕跡は残っていなかった。

「夢…だったのかしら。なんだか記憶も曖昧だし…」

ルイズはまるでそう思いこもうとするかのように呟いた。

彼女の頭の中には確かに「紫に起こされて返す物と話があると言われた」ところの記憶はあったが、そこから先の記憶は全くなかった。

まるで数百ページもある分厚い小説の一ページだけを抜き取ったかのように、あまりにも不自然な空白となっている。

以前にも何処かでこんな体験をしたような。ルイズがそう不思議がっていた時…。

 

「よぉ。なんだか見ねぇ内に見慣れねぇのがいるじゃねぇか?」

「うひゃぁっ!?」

 

ふと自分の足下から聞こえてきた声に、ルイズは驚きのあまり飛び上がりそうになるのを堪えた。

そのかわり、結構な大声が口から出てしまったのだがそれで魔理沙が起きることはなかった。

ルイズは突然聞こえてきた声に動揺しつつも、慌てて自分の下半身を覆っているシーツをどけた。

シーツの下にあったのは、自分の足下に添えるように置かれた鞘に入れられた一振りの太刀であった。

何故か鞘から少し刀身を覗かせている状態であり、人が人ならちゃんと入れたくてうずうずしてしまうだろう。

その太刀を見てルイズは、この太刀とは以前何処かで合った覚えがあると気づき、その名前を口にした。

「デルフ…デルフリンガー…だっけ?」

「なんでハッキリ言わねぇんだよ。あぁそうだよ、インテリジェンスソードのデルフリンガー様だよ」

いかにもうろ覚えですといいたげなルイズの言い方に、太刀―――デルフリンガーは鎬の部分をカチカチ鳴らしながらやけくそ気味に言った。

普通の人間ならば剣が喋ったと言うだけで卒倒してしまうだろうがルイズは特に驚きもしない。

何故ならハルケギニアにはデルフのような意思を持つ剣―インテリジェンスソードが存在するからだ。

それにルイズ自身、デルフとは二回ほど出会っているため尚更であった。

最初の時はフーケの起こした事件で学院長室へと呼ばれた時。

二回目はコルベールの所へ赴いていた霊夢が持って帰ってきたとき…。

そこまで思い出してルイズは気が付いた。

 

「そういえばアンタ、今まで何処にいたのよ?今までずっと忘れてたわ」

「娘っ子。お前さん可愛い癖にひっでぇ事いうんだな」

ルイズの口から出た言葉に、デルフは素直な感想を述べた。

 

◆    ◆    ◆

 

ルイズはベッドでグッスリと眠っている魔理沙の横に座り、デルフからこれまでの話を聞いていた。

話を聞く限り、ルイズが霊夢と一緒に幻想郷へと言った直後、デルフも紫の手で幻想郷に持ち出されたらしいのだ。

まぁインテリジェンスソードの存在を知らないのなら、興味津々になるのも無理はないであろう。

それで霊夢達の知らないところで色々な事をされたらしい。

デルフ曰く「来る日も来る日もあちこち調べられたり質問攻めにあったりして大変だった」という。

あの隙間妖怪は質問癖でもあるのだろうか?ルイズはそんな疑問を頭の中で思い浮かべたが、すぐに消した。

そして今日、何故かは知らないがルイズに用事あるついでにこの世界へ戻ってきたそうだ。

「というワケで…俺は色々と調べ回されちまったんだよ」

「へぇ…じゃあユカリが言っていた借り物ってアンタのことだったのね」

彼女自身今まで何処に行っていたのか気にもしなかったが、紫が言っていた事の意味がわかり満足していた。

「自分に返ってくる物」に対して心当たりが全く無かったルイズは僅かばかりの不安を覚えていたのである。

「やれやれ…オレっちは長いこと生きてきたがあんな体験は初めてだったぜ、全く」

霊夢が持って帰ってきたこのインテリジェンスソード、元いた世界に戻れて良かったのか少しばかり機嫌が良さそうだ。

インテリジェンスソードの持つ意思は、本当に人間と思ってしまうほど精巧に作られている。

まぁ私も初めてだったけどね。とルイズは言おうとしたが、その前にある事に気が付いた。

今自分とデルフ、それに魔理沙が寝ているベッドから少し離れた所に来客用のソファーが置かれている。

普段はしまっているそのソファーで寝ている筈の霊夢が、今はいなかった。

もしかしたら一人で真夜中の散歩かしら?一瞬だけ思ったが、その考えをすぐに否定した。

 

霊夢がこの場に居ないと気づいた直後、ルイズの体を今まで感じたことのない緊張感が包んでいるのだ。

終わるまでは決して途切れることのない、窒息してしまうかのような。

(なんか良くわからないけど…嫌な予感がするわ。何だろうこの感じ…)

ルイズはその感じに不安を覚え、無意識のうちにベッドのシーツをギュッと握りしめた。

一方、霊夢がそこで寝ている事を全く知らないデルフは暢気そうな感じでルイズに尋ねる。

「どうした娘っ子?あの大きなソファに幽霊でも座ってんのか?」

「何言ってんのよアンタは?あのソファで寝てる筈のレイムがいないのよ。………ってアンタは知らないか」

「何だって?」

デルフの冗談めいた言葉に突っ込みつつ、ルイズは真剣な表情そう応えた。

それを聞いたデルフは驚いたのか、鎬の部分をチャカチャカと激しく鳴らした。

「娘っ子、お前さんがあまりにも怒りやすいから愛想尽かされたんじゃ…イテ!」

「そんなワケないじゃないの?むしろ愛想尽かしたいのはコッチの方よ」

言い終える前に、ルイズは鞘越しにデルフの刀身を思いっきり叩いた。

 

 

魔法学院の塔には、全て屋上が作られている。

ただ屋上といっても実際は階下に通じる階段へと続く穴がある以外、何もない。

あるのはそれほど高くない石塀が、屋上の円周をグルリと囲んでいるだけである。

そんな場所にたった一人、眼鏡を掛けたタバサがヒョッコリと穴から顔を出した。

最初に右手で持っていた杖を先に穴から出し、次に自身が穴から素早い身のこなしでもって出た。

容赦ない疾風が彼女の体を撫で、力を抜けばそれこそ紙のように飛んでいってしまうであろう。

しかし゛風゛系統の使い手であるタバサにとってこれぐらいの風など大したことなど無い。

その気になればこの風よりも更に強く、鋭い殺人的な突風を巻き起こすことも出来る。

だが今のタバサにとってはこの疾風よりも、眼下に広がる学院を見下ろすことが最優先事項であった。

 

やがて彼女の視線が学院の警備をする衛士の宿舎へと向いたとき、その動きがピタリと止んだ。

そこに何か違和感を感じたのであろうか、タバサは゛遠見゛の呪文を唱えた。

この呪文は゛風゛系統の魔法であり、その名の通り遠くの様子を見ることの出来る便利な魔法である。

正に鷹の目とも言える魔法を使い、タバサは宿舎の裏側部分へと視線を向ける。

彼女の目に広がっているのは、夜の闇よりも更に暗い粘ついたような闇であった。

まるで紙のこぼしたインクのようにジワジワと空気に溶け込み、広がってゆく。

そしてその近くに、タバサの探していた少女の姿もあった。

 

「みつけた」

タバサはそれだけ呟くと懐を漁り、そこから小さなモノクルを取り出した。

一見すれば新品同然とも思えるほど、綺麗にされている。

タバサは掛けていた眼鏡を外すとそのモノクルを掛けた。

後はジッと…何もせず、このモノクルを通して行われるであろう戦いを見通すだけ。

 

今の彼女のするべきことは、ただそれだけである。

 

 

トリステイン魔法学院

           衛士隊宿舎 裏庭

 

闇だけが支配するその場で、霊夢は自然の摂理から大きく外れた怪物と対峙していた。

人の体を基本として様々な昆虫の体の一部をつなぎ合わせたかのような姿をもつソイツは、体中の間接から黒い霧のようなものを出している。

それは段々と怪物の体を包みつつも、ゆっくりと周囲の空気混ざってその範囲を広げていく。

何が起こるのかはまだわからないものの、霊夢はそれが単なる目つぶし攻撃だと理解した。

(とりあえずはあの老人よりも、コイツをなんとかした方が良さそうね…)

先程まで仮面を付けた老貴族の゛幻影゛が佇んでいた場所を睨みつつ、霊夢は思った。

恐らく今朝方の事もあのナメクジの化けものや今目の前にいる虫の化け物も、あの老貴族がけしかけたに違いない。

ただ今は何処にいるかもわからない黒幕よりも、今は目の前にいるキメラを倒すことにした霊夢はすぐさま行動に移った。

霊夢は先程回収した数枚あるお札の内一枚を手に持つと軽く霊力を送り込み、勢いよく霧の中に向かって投げつける。

するとさっきはただ直進するだけであったお札が、まるで意志を持ったかのように軽いカーブを描いて霧の中へと入っていった。

彼女の十八番でもある追尾性能を持つお札は、霧の中にいるであろう目標に向かっていく。

(もしそこから出ないというなら、こっちから出してやるわ…)

お札が中に入ってから行き次ぐ暇もなく、あのキメラが奇声を上げつつ霊夢の方へと飛びかかってきた。

「ギィイィ!」

黒板を引っ掻いたような金切り声を上げ、キメラは左手の甲から生えている二本の爪を振り回した。

クワガタムシのアゴと酷似しているそれを、霊夢は素早く後ろに下がる事で回避する。

 

自分の攻撃を避けられ、キメラは目の前の相手に接近しようとするがそれよりもまず優先すべき驚異の方へ意識が向き、後ろを振り向く。

そう、霊夢の投げたお札がそれなりの速度で今まさにキメラの体に貼り付こうとしていた。

目の前の驚異に対して、先程の様に跳躍して避けるのには手遅れだとイナゴの頭で考えたのか、カパッとアゴが開いた。

開いた先にある口の奥から勢いよく緑色の液体が噴き出し、それはギリギリの距離にまで迫ってきたお札に付着した。

謎の液体がかかった瞬間音を立ててお札が溶け、跡形もなく消滅してしまう。

優先すべき驚異を排除した瞬間、背後から倒すべき目標が再度攻撃を仕掛けてきた。

 

「フッ…!」

投げたお札を溶かしたキメラの背後から、霊夢は退魔針を数本指の間に挟む。

自分に背中を見せているキメラの、霧を吹き出していた間接へと狙いを定めると勢いよく投げた。

先程のお札とは圧倒的に速度が違う数本の退魔針はストッ、と小さな音を立ててキメラの間接部に深く刺さった。

甲殻で覆われた他の部分とは違って内側の部分がむき出しになっている間接を攻撃され、キメラは悲鳴を上げる。

ついで勢いよく黒い霧を吹き出そうとするのだが、先程とは違い霧の出が悪くなってしまった。

恐らく霊夢の投げた針が、偶然にも霧の出る器官を塞いでしまったのであろう。

「まぁ、臭い物には蓋をしろってヤツよ。栓じゃなくて針だけど」

懐からお札を一枚取り出しつつ、霊夢は気怠そうな顔でそう言った。

霊夢の動きを見て攻撃してくると察知したのか、キメラは叫び声を上げると再び左手の爪を振り回して襲いかかってくる。

その動きは先程襲いかかってきた時とは比べようもなく素早く、回避しなければ致命傷は間違いないであろう。

「最初は手強いかと思ったけど、そうでもなかったわね」

霊夢はそんな相手に対しそれだけ言うと勢いよく地面を蹴り、襲いかかってくるキメラの方へと突っ込んで行った。

 

 

「 ギ ィ゛ ィ゛ ィ゛ ィ゛ ィ゛ ィ゛ ィ゛ ィ゛ ィ゛ ! ! 」

自分の方へと突っ込んでくる霊夢に対しキメラは叫び声を上げつつ足を止め、爪を振り上げた。

対して霊夢は目を細めると、目にもとまらぬ速さでキメラの懐へと潜り込んだ。

次の瞬間、キメラは振り上げていた左手の爪を自分の懐にいる霊夢の背中目がけて、振り下ろした。

だがそれよりも速く、霊夢の体が霧に包まれたかのように消失し、爪は空しく空気を切るだけに終わってしまう。

いきなり消えた相手にキメラは咄嗟に周囲を見回し、ふと自分の左腕に何かが貼り付いているのに気が付いた。

それは一枚の白い縦細長の紙であり、良くわからない記号や文字が書かれている。

最もキメラにはその意味などわかりはしないであろうが、本能的にそれが危険な物だと察知は出来た。

 

この紙を剥がそう――

 

本能がそう告げた瞬間、紙が発光しキメラの複眼を通した視界を焼き尽くした。

その光はやがて痛みを伴う爆発へと進化し、キメラの体を蝕んでゆく。

左腕、左足、そして体の左半分を凶暴な光が飲み込み…そして。

 

魔法学院の一角で、小さな光が灯った。

触れたモノがモノならば一瞬で蒸発されてしまう、霊力で出来た光が。

 

 

「…ふぅ」

お札の爆発に巻き込まれたキメラを少し離れた所から見ていた霊夢は安堵の溜め息をつく。

正直、彼女自身も割と危険な行為をしたもんだと改めて感じていた。

 

あの時ギリギリまで近づいてキメラの左腕にお札を貼った後、攻撃される前に瞬間移動で距離を取っていたのである。

一歩間違えればあのキメラの攻撃をモロに喰らっていただろうし、それで何が起こるか全くわからない。

そんな危険な事をしなくても、離れた所から弾幕を放てば倒せるという事も当然霊夢は考えていた。

しかしそれをすると低脳の化け物相手にお札を無駄にしてしまうし、何より面倒くさかったのである。

「こんな事になるなら、スペルカードはいらなかったわね」

霊夢はひとり呟きながらも、爆発の範囲が思ったよりも小さかった事に気が付いた。

しかし威力は大したものであり残ったのは右腕部分と頭部、それに良くわからない肉片だけであった。

特に頭部と右腕部分はピクピクと痙攣しており、それを見て霊夢は舌打ちした。

「全く、今日は散々ね。良くわからないヤツからこんな化け物をけしかけられるわこんな気持ちの悪いモノ見せられるわで…」

霊夢は愚痴を呟きつつ、ふと空を見上げた。

未だに双つの月は黒い雲によってかなり遮られており、月明かりは地上にまで入ってこない。

それでも陽が落ちたばかりの時よりかは大分マシになっており、うっすらとではあるが雲の合間から月がチラチラと見て取れる。

霊夢は雲の隙間から月を見ながら、今日起こった出来事を思い返していた。

 

(何でアイツはこんな奴等を私にけしかけてきたのかしら。 

 大して強くもないし…。どうせ襲うのなら正々堂々やってきなさ…―――――…ん?)

 

そんな時、霊夢はある事に気が付いた。

最初は単なる気のせいかと思ったものの、自分の周りが段々と暗くなっていくのに気が付いたのだ。

今夜は月明かりが無いという事もあって相当暗いが、それでも霊夢の目は誤魔化せなかった。

とりあえず目を擦ってみるが、それでも視界は一向に良くならない。

一体どうしたのかと霊夢が疑問に思った瞬間、ある事を思い出した。

「まさかあの化け物が出してた霧かしら…こんなに広がるなんて」

そんな時、追い打ちを掛けるかのように霊夢の体に更なる異変が襲ってくる。

「う…ケホ、ケホ…この臭い…何処かで嗅いだことのあるような…」

突如漂い始めた悪臭に霊夢は鼻を押さえながら、すぐ近くで転がっている肉片へと目をやる。

その先には霊夢の予想通り、キメラ゛だった゛肉片が音を立てて溶け始めている瞬間であった。

肉が焼けるような音と共に肉片から白い泡が出て、ゆっくりと全体を包み込んでゆく。

それに伴い悪臭も段々と酷くなり、流石の霊夢も思わず吐きそうになってしまう。

「うぐ…どうしてこういう連中って死んでも人に迷惑を掛けるのかしら…」

胃液がこみ上げるのをなんとか抑えつつ、もう少し離れようとキメラに背を向けて歩き出した。

どうせあんな状態になれば最後には溶けて無くなってしまうというのはわかっていた。

この視界を遮る黒い霧も不快な悪臭も、朝の風と共に空の向こうへと消えていってくれるだろうし。

何より、あんな肉片になってしまえば何も出来ないだろう。と霊夢はそう結論づけてキメラの死体に何の警戒もしなかった。

 

しかし、それが甘かった。

 

霊夢が背を向けた瞬間、ゆっくりと溶けてゆくキメラの頭にある複眼が赤く光った。

死体が発する光とはとても思えぬ程強く、絶好のチャンスと言わんばかりに輝いている。

キメラの死体に起きた異変に霊夢は気づかず、ルイズの部屋に戻ろうとしていた。

まさしく奇襲をするには絶好の機会であり、それを知ってかキメラの複眼がピカピカと点滅し始める。

最初の点滅こそは五秒ほどの間隔をあけていたが、段々とその間隔は早くなっていく。

しだいに点滅が激しくなってくると、痙攣しなくなっていた右腕部分が再び痙攣し始めたのだ。

その内サソリの尻尾と同じ形をした右腕はズリズリと地面を這う音をたてながら、動き始めた。

一見すれば蛇にも見えてしまう右腕の進む先にいるのは、倒した゛はず゛の相手に背を向けて歩いている霊夢。

地面を這う音は肉片の溶ける音にかき消され、霊夢の耳には全くと言っていいほど入ってこない。

 

最初こそは1メイルほどの距離が空いていたのだが、それがドンドン縮まっていく。

50サント、42サント、34サント、20サント…それでも霊夢は気づきもしない。

当の本人は「あ~、疲れたわねホント…」とか呟きながら左手に持っていた御幣を背中に差していた。

今彼女の周囲にはキメラが放出した黒い霧が漂っており、後方よりも前方の方に意識を向けているのである。

 

――それ、仕留めるのなら今がチャンスだ!

 

まるでそう言っているかのように、複眼がある程度のテンポをとって点滅する。

霊夢にすり寄ってくる右腕はそれに応えるかのように、サソリの尻尾で言う先端部分から鋭い針が出てきた。

針の先からは紫色の液体が流れ、誰の目から見てもそれが毒だとすぐにわかるだろう。

霊夢は未だ、後ろから忍び寄ってくる死にかけの暗殺者に気づいてはいない。

そして霊夢との距離があと15サントという所で残った力を全て使い果たして飛び跳ねようとした。瞬間―――

 

「よっと」

 

死に体になろうとも尚迫り来る相手に振り返ろうともせず、

空になったジュースの瓶をそのまま後ろに投げ捨てるかのような動作で霊夢はお札を二枚、放った。

1枚目はすぐ傍にまで近づいていた右腕。そして二枚目は複眼を点滅させている頭部へと飛んでいき、そして…。

「その気味の悪い殺気ぐらいは、隠せるようにしときなさい」

まるで頭の悪い生徒を受け持つ教師のような感じで霊夢がそう呟き―――

二度目の小さな発光が、宿舎の一部を照らした。

 

――――― - - - - . . . .

 

終わった、戦いは終わった。

先程まで屋上にいたタバサは屋上へと通じる階段の出入り口で立ち止まると、モノクルを外した。

今この手の上にあるモノクルは全てを見つめていた。紅白の少女とあのキメラの戦いを。

後はこのモノクルを明日の朝やってくるであろう゛鳩゛に渡せば、今回の゛任務゛は終わるのだ。

タバサはモノクルを懐に入れて愛用している自分の眼鏡を掛けると、歩き出した。

もうすることは終わったのであるし、何より肌寒いこんなところに長居する理由もない。

明日も早いが、何よりこの前購入した本を読まなければいけないのだから。

そんな事を考えているタバサの足取りは軽くはなく、かといって重くもなかった。

 

 

その部屋の中は、様々なマジックアイテムや美術品で溢れかえっていた。

まるで倉庫を思わせるかのような乱雑とした部屋の真ん中で、一人の老貴族が椅子に腰掛けている。

髪は銀色に光り、鼻の下には小さく刈り込まれたひげがあった。

整ってはいるのだが、あまり覇気を感じさせない顔立ちであった。

それがかえってこの老人の印象を薄い物にしていた。

そんな老貴族の目の前には、台座の上に置かれた大きな水晶玉があった。

この水晶玉もまた部屋の中にある数多くあるマジックアイテムの内の一つだ。

水晶玉の直ぐ傍には小指サイズの空き瓶があり、底には中に入っていたであろう赤い液体がほんの少しだけ残っている。

このマジックアイテムは選んだ相手の体液か血液を用いて、その相手の視界に写るものをみる為に使われる。

といってもまだ未完成であり、尚も研究が続けられている代物ではあるものだ。

そんな代物をこの老貴族が持っているということは、彼がそれなりの地位を持っている事を証明している。

 

「ふぅむ…やはり我々の敵という判断をした方が良いかのぅ?」

まるでおもちゃ箱をひっくり返したかのような部屋の中に、しわがれた老人の声が響いた。

口の中でもごもごと、言いにくそうに呟くその表情は何処か苦々しいものとなっている。

その理由は、ついさっきまでこの水晶玉に写っていた視界の主と、一人の少女の戦いを見たからである。

視界の主であったキメラを売っていた連中は、対メイジ戦を想定して造られたキメラだと言っていた。

その言葉は確かで人目の付かぬ山中で会おうとした内通者とスパイを数人、街中では夜中のホテルに忍び込んで内通者を一人始末している。

全ては祖国トリステインと、アルビオンのスパイとそれに媚びる国内の内通者達を滅ぼすためだ。

彼らを滅ぼさなければ、アルビオンと戦うどころか、自分たちが崇拝する王家が消滅してしまうのだ。

(麗しき姫殿下が立派になられるまで…我々が闇の中から手助けしなければいけないというのに…)

それをあの少女が…。老人は親の仇敵を見るかのような眼差しで少女の姿を思い出していた。

まるでおとぎ話の中から出てきたかのように可憐な姿にはふさわしくない強さを、あの少女は持っていた。

寄生型を2匹、更に対メイジ用のキメラを2体を、何の労力も使わずに倒したあの未知の力はなんだというのか。

最初の一体は学院の傍で取引しようとした内通者を跡形も残さず始末し、スパイを消そうとしたところであの少女に邪魔され、倒された。

この事を知った老貴族は自分の゛仲間達゛を呼びつけ、この少女(最初はただ゛赤い服を着た人間と呼んでいた)は何者なのかと短い時間で議論したが結果は「アルビオンの放った刺客」というものであった。

最初も老貴族はその結論に疑問を感じたものの、自分たちの仕事を邪魔したのは事実であり大きな声を上げて否定することは無かった。

そして今夜中にでも、残った一体を用いておびき出し、ある程度の怪我を負わせてからお前は何者なのかと聞き出そうとしたのであるが。

結果、老貴族とその゛仲間たち゛の描いたスケジュールは、本筋を離れて大きく脱線してしまう形となった。

だが先程まで少女の戦いを見ていた老貴族の頭にはある疑問が浮かんでいた。

 

「あれは先住…いや、まさかあれが【虚無】というものなのか…」

追尾機能や当たれば即爆発するあの謎の紙や、キメラの体が吹き飛ぶ直前に姿がかき消えたこと。

今まで長いこと生きてきたが、あのような正体不明の力は見たことが無かった。

最初はエルフや一部の亜人達が使う先住魔法かと思ったが、伝説にある失われた系統ではないかと老貴族は思った。

 

老人の考えは惜しくも外れてはいるのだが、ただ一つわかったことがある。

 

(あの少女は良くわからない力を用いて、ガリアから購入したキメラを倒したということじゃ…)

幸い人に寄生するタイプの、ナメクジを素体とした気色の悪いキメラはまだ何匹かこちらの手元にある。

あれは人間に寄生してそのまま意思を乗っ取ってしまうモノであるが、それだけでは内通者とスパイを狩ることは出来ない。

今日一日で失ってしまったあの2匹がいてこそ、ここまで出来たのである。

しかしそれを失ってしまった今は、昨日までのような暗殺は出来ない。

(幸い財産には余分があるし…またガリアの方へ赴いて買いに行く必要があるのぅ)

「やれやれ…これでしばらくは阿呆共に好き放題やらせてしまうのかのぅ…?」

老貴族は心底疲れたかのような表情を浮かべつつ、その背中を椅子の柔らかいクッションへと沈み込ませる。

王宮のお墨付きがあるトリスタニアのブランド会社が作ったこの椅子は見た目よりも座り心地が遥かに良いのだ。

もう大抵の人ならベッドに潜っている時間であり、本当ならこの老貴族もベッドでゆっくりと休みたかった。

 

しかしこの老貴族には寝る前にまだまだしなければならないことがある。

それは、今後自分と゛仲間達゛のするスパイと内通者狩りに関することであった。

今回学院の方で起こした騒動は今のところ昨日起きたホテルの事件で浮き足立っている宮廷の連中に届きはしない。

仮に届いたとしても行動には移さないであろうし、移すならばある程度落ち着いた時だろう。

あのキメラは死ぬと証拠は残さないような死に方をするし、時間が経てば自分の゛仲間゛を通して有耶無耶にする事が出来る。

だからといって人間を使うという結論は無謀であるし、王宮の方でも内通者やスパイに対して何らかの対策は練るだろう。

キメラを再度購入するにしても今すぐ゛売り手゛に会えるわけでもなく、ある程度の時間が必要だ。

(とりあえず、今後しばらくは内通者側の元締めを地道に探すということにしておくか…)

そこまで考えると老貴族は手元に置いてあった羽ペンを手に取ろうとした。その時…

老貴族の前方にあるドアからノックする音が二回、規則正しいリズムと共に聞こえてきた。

 

「ゴンドランド卿。今日提出された研究報告及びレポートの方、お持ち致しました」

ドアの向こうから聞こえてくる声を耳に入れ、ゴンドランド卿と呼ばれた老貴族は溜め息をついた。

(やれやれ…日付が変わる前にベッドへ潜れる日が戻ってくるのは…何時なんじゃろうか?)

心の中でそう呟き、机の右上端にはめ込まれた純銀製のネームプレートを、皺だらけの指で軽くなぞった。

 

そのプレートには自分の名前が刻まれており、その右上にはこのような言葉が刻まれている。

 

――トリステイン王国魔法研究所『アカデミー』

                 評議会会長兼最高責任者―――

 

この老貴族こそが、トリステインの知を司るゴンドランド卿であり…

同時に、この国の現状に嘆く同志である古参貴族達を率いて闇の中で動き出した゛灰色卿゛であった。



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第四十二話

霊夢が正体不明のキメラと戦ってから早三日目――

 

 

トリステイン魔法学院にある食堂の朝は早い。

日が昇る二時間前に食堂の厨房で働いているコック達が起床し、朝食の支度を始める。

魔法学院に在学している生徒や教鞭を取っている教師たちは勿論、学院の警備を担当している衛士隊の分もあるのだ。

給士達もそれに見習うかのように起きてテーブルクロスを敷いたり、パンやフルーツを入れる為のバスケットを用意する。

ハルケギニアでも一、二を争う名門校と言われているだけあってかその動きは洗練され、そして無駄がない。

一部の給士達は仕事の合間に軽い会話を交えてはいるものの、手の動きが一切乱れていない程である。

料理を作るコック達もまた一流揃いであり、料理長に至っては自分で店を開いても充分やっていける程の腕を持っている。

他の者達もまた料理の腕には大いに自身があり、また料理長の性格もあってかお互いを信頼しあって働いていた。

 

そうしてゆっくりと、しかし確実に朝が訪れていようとしているなか、食堂の近くに作られた水汲み場に、一人の少女がいた。

彼女が着ている長袖のブラウスに白いフリルが付いた黒のロングスカートは、魔法学院の生徒達に支給されている制服ではない。

かといって教師と呼ぶには余りにも幼く、だけど子供と呼べる程小さくもない。

しかしウェーブのかかった金髪はまだ寝癖がついており、それが何処か子供っぽさを演出している。

人形とも思える程綺麗な瞳が入った眼はとろんとしており、まだベッドに潜っていたいという願望が浮かんでいた。

そうしたければ、紐を使って背中に担いでいる箒を使ってすぐにでも自分が゛居候゛しているもう一人の少女の部屋へと行くことが出来る。

ただそれをすると部屋の主に怒られるだろうし、何より寝起きに説教というのはキツイものがある。

それに、今こうしてわざわざ日が昇る前に外へと出た一番の原因は自分の不甲斐なさであった。

両手で持っていた籠の中に入っている゛大量の洗濯物゛を見て、少女は溜め息をつく。

 

「まったく、霊夢を相手にジャンケンなんてどうかしてたぜ…」

少女、魔理沙は後悔の念が混じった独り言を呟きながら、3人分の洗濯物を洗い始めた。

 

 

それから軽く一時間ぐらい経ったであろうか、女子寮塔にあるルイズの部屋では霊夢が目を覚ました。

ベッド代わりに使っている大きなソファに寝そべったまま目を開けると、数回瞬きをする。

右の耳からは暖炉の中に入れていた薪がパチパチという乾いた音を立てて部屋の中を暖めていた。

(あぁそういえば、魔理沙のヤツは洗濯に行ってるのよね…)

次に眼を動かして、魔理沙がいないのとルイズが未だ寝ているのを確認した後、ゆっくりと上半身をおこした。

体の上にかかっていた柔らかいシーツをどけると大きな欠伸をし、枕元に置いていた靴下を手に取る。

今水汲み場で洗濯をしているはずの魔理沙と同じ眠たそうな顔でもたもたと靴下を履き、その足をソファの上から床に下ろした。

途端無機質らしい冷たさが足から入ってジワジワと体中に浸透していき、頭の中もスッキリしてくる。

段々と意識がハッキリとしていくのを感じながらも、霊夢はゴシゴシと目を擦るとテーブルの上に置いていた自分の着替えへと手を伸ばした。

その向かい側には魔理沙が来ていたであろう白地に黒い星の刺繍があるパジャマが脱ぎ捨てられている。

「相変わらず、片づけとかそういうのが出来てないのね」

霊夢はポツリと呟き、ゆっくりと自分が来ている寝間着を脱ぎ始めた。

 

 

以前ルイズと共に幻想郷に帰り魔理沙を連れて再びこの世界へと戻ってくる前に、神社にあった私物を幾つか持ってきていた。

といっても大した物はなく精々愛用している湯飲みや急須、戸棚に入れていた茶葉などである。

本当なら茶菓子も持っていきたかったのだが、ごっそりと消えていたので結局持ってこずじまいになってしまった。

その中には当然替えの服や下着もあるのだが、それを見ていたルイズは有り得ないと言いたげな表情を浮かべて言った。

「信じられない…なんで着替えの服が少ないうえに似たような服ばっかりなのよ!」

そう、下着はともかく箪笥に入っている服という服が全てが紅白の巫女服なのである。

一応細部に違いがあるものの、全体的なシルエットは殆どおなじであった。

更に数も少なく、精々六、七着程度しかない。

よそ行きや私服、パーティー用に会食用、礼服といった着替えを数十着くらい持つのが基本である貴族のルイズには信じられないことであった。

しかし霊夢には当然そんなことなど関係なく、その時はふ~んとだけ言って軽く流していた。

 

 

(そういえば…私ってあまり服なんかに興味が沸いたことなんかなかったわね)

服の着替えが終わり、姿見の前に立って頭に付けたリボンの調整をしつつ、霊夢はふと思った。

人里からかなり離れている神社に住んでいるということもあるが、霊夢は服に関してはあまり興味が無い。

無論一切無いということはないが、それでも彼女ほどの年齢の少女ならば、普通自分の服やアクセサリーにかなりの興味を示すものだ。

実際霊夢の周りにいる魔理沙やアリス辺りなんかは興味があるのか、時折人里で買ったり自宅でアクセサリーや服などを自作している。

そしてこの部屋の主であるルイズも例に漏れず、クローゼットには様々なドレスがありタンスの中には装飾用の宝石や指輪も幾つかあった。

このように女の子というの生物は、自然と身の回りを綺麗な物で囲みたいお年頃なのである。

だがしかし、そんな少女の中に霊夢という例外は存在していた。

 

(まぁ…あまりそういうのには興味がないし…何よりも考えるのが面倒だわ)

霊夢は首を横に振りつつリボンの両端を引っ張っていると、ふと窓の開く音が聞こえた。

誰かと思いそちらの方へ目を向けると、案の定そこにいたのは洗濯籠を左腕に抱え、空飛ぶ箒に腰掛けている魔理沙がいた。

右足だけが不自然に上がっているところをみると、半開きになっていた窓を軽く蹴って開けたのであろう。

「随分早いわね。アンタのことだからもう少し時間は掛かると思ったけど」

「なーに、魔法の森よりかは大分空気が乾燥してるしな。それほど時間はかからなかったさ」

霊夢は軽い冗談でそう言いつつ、リボンの調整を終えると自分の来ていた寝間着と魔理沙のパジャマを拾い始める。

それに対し魔理沙も軽い感じの言葉で返しつつも腰掛けている箒をうまく操り、左腕で抱えている洗濯物入りの籠を部屋の中に入れた。

ついで魔理沙もすばやく部屋の中に入ると空中に浮かんでいる箒を右手で取り、空いた左手で窓を閉めた。

霊夢の方はというと拾い終えた寝間着やパジャマを洗濯物を入れているのとは別の籠に入れていた。

「まだルイズのヤツは寝てるのか。幸せなヤツだぜ」

手に持っていた箒を壁に立てかけ、勢いよく椅子に座った魔理沙は呟いた。

ルイズは幸せそうな寝顔を浮かべており、あと一時間は夢の世界でしか味わえない事を体験しているのであろう。

魔理沙の言葉にルイズの方へと顔を向けた霊夢は、白黒の魔法使いへと向けて一言言った。

「アンタみたいに朝っぱらから空を飛んでいるよう魔法使いとはワケが違うのよ」

「酷い言い草だな。そういうお前も空を飛ぶじゃないか」

魔理沙は両手でヤレヤレという仕草をしつつ、霊夢に言う。

しかし霊夢はそれに怯まず、むしろカウンターと言わんばかりの返事を返す。

「少なくとも、私は朝食を食べてから飛ぶようにしてるわ」

「よく言うぜ。そう言ってお前が飛んでるところを見たことがない」

「まぁね。その後に神社の掃除とか賽銭箱の確認もあるし」

「…実際にしてる事と言えば、神社の掃除だけじゃないのか?おまえんところの賽銭箱なんて何も入ってないだろう」

遠慮のない魔理沙の言葉に、霊夢の眼がキッと鋭くなった。

魔理沙の言葉通り、博麗神社の賽銭箱には多少の埃や塵は入っているものの、肝心のお賽銭などは入っていない。

偶には言っているのは葉っぱや虫だったりと霊夢の望んでいない物が入っていることもある。

そんな神社の巫女である霊夢にとって魔理沙の言葉は少しだけ聞き逃せず、文句交じりの言葉を返した。

「そんなに言うんなら足を運んだ時にお賽銭入れていきなさいよ。この泥棒黒白魔法使い」

「冗談言うなよ貧乏紅白巫女。ご利益が何なのかわからない神社に賽銭なんて御免だぜ」

霊夢の刺々しさが混じった言葉に魔理沙は苦笑いしつつ、霊夢と同程度の刺々しさを持った言葉を返した。

そんな風にして、お互いの話が元の話題から逸れていくうえに段々と喧嘩腰になろうとした時…

 

『おいおい、こんな狭い部屋で喧嘩なんかしたらご主人様にボコられるぞ』

ふとベッドの方から聞こえてきた男の声に二人は会話を止め、そちらの方へと視線をやる。

声の聞こえてきた先には鞘に収まった一振りの太刀がベッドに寄り添うかのように立てかけられており、声の主と思える者はいない。

しかし二人は知っていた。先程の声が、あの太刀から発せられたものだと。

「それは霊夢の事を言ってるんだろデルフ?言っておくが私はただの居候だぜ」

先程の゛賽銭箱゛と同じくらい聞き捨てならない言葉を聞いた霊夢は魔理沙の方へと視線を向けて言った。

「私だってアイツの使い魔になった覚えはないわ。むしろ無理矢理使い魔にされたのよ」

『ま、どっちにしろ静かにしないと。オメーラ本当に追い出されるぜ?』

デルフは笑っているのか、鞘越しに刀身をプルプルと震わせた。

 

 

霧雨魔理沙とデルフリンガー。

この二人が顔を合わせたのは二日前の朝、つまりはデルフが帰ってきた日の翌日である。

その日は少し早めに起きた魔理沙はベッドの上で上半身だけ起こし、何気無く部屋の中を見渡した。

ルイズと霊夢が未だ眠っているということを知って驚いた後、ふと見慣れない物が目に入ったのである。

(なんだあの剣は…みた感じ大分古そうな代物だな。というか何時の間に?)

この部屋の住人たちにはあまり似合わない一振りのソレを見て、魔理沙は首を傾げた

そんな時であった。その太刀――デルフリンガーが話し掛けてきたのは。

『よう。見ねぇ顔だがオメェはどっから来たんだ?』

突如その刀身を動かしながら喋ってきた事に対し、魔理沙は驚きつつも返事を返した。

「…私は霧雨魔理沙、そこら辺にでも普通の魔法使いだが…お前はそこら辺の武器屋じゃ売って無さそうだな」

突然の事で一瞬驚きはしたが、魔理沙の瞳は起きたばかりだとは思えぬほど輝いている。

今まで多くのマジックアイテムを蒐集してきた彼女であったがこのような喋る剣を見たことがなかったのである。

デルフの方も魔理沙の様子を見て(目のような部分は見あたらないが)嬉しそうな感じで言った。

 

『あったりめーよ!何たってオレ様は、インテリジェンスソードのデルフリンガーだからよ!』

デルフは部屋に響き渡る程の大声を出した。

しかしその結果、直ぐ傍のソファーで横になっていた霊夢の足に蹴飛ばされる事となった。

 

それから今日に至るまで、魔理沙はデルフという面白い話し相手兼ねマジックアイテムと親しくなった。

暇さえあれば話し掛けたり錆だらけの刀身を見て苦笑したりといった事をしていた。

デルフの方もそういうのは満更でもないのかそんな魔理沙に対しては本気で怒鳴るような事も無かった。(刀身が錆びていると言われた時は流石に怒ったが)

 

「全く、こうも騒がしいとお茶も飲めないじゃないの」

ただ余りにも騒ぎすぎたためかルイズと霊夢に怒られたりもしたのだが。

特にルイズからは「次、騒ぎすぎたらベッドに入れてあげないからね。ダメ剣は学院の倉庫に入れてやるんだから!」と言われた。

 

 

魔法学院の食堂で働く者達は朝早くから起きて仕事をするが、その後にも当然仕事はある。

料理の仕上げや貴族の子弟達が食事を出来るよう準備した後、小休止を入れて再び動く。

それが意味する事は、この食堂に朝食を頂きに学院の生徒や教師達が来るという事であった。

 

朝食を頂く前の祈りも終え、生徒達は目の前に広げられた食事に手を伸ばしていた。

フルーツソースのかかったパイ皮に包まれた焼き鱒や豊富な野菜が入ったスープ。

焼きたてのクックベリーパイに、大きな籠に幾つも入った真っ赤な林檎。

しっかりと中まで火が通った鳥の丸焼き、そして極めつけに朝からワインを瓶で丸ごと一本

彼らが手を付けるメニューの中には、これが朝食のメニューなのかと思ってしまう料理もある。

教師たちならともかく、まだまだ育ち盛りの多い生徒達にとって質素――彼らの目から見て―な食事では満足しないのである。

料理長であるマルトーはそんな生徒たちに対してこりゃあ将来が大変そうだな、と思っていた。

しかし作らなければ仕事にならないので、同情するようなことはしなかった。

 

 

 

「…ねぇねぇ。三日前の事件…あれってまだ解決してないのでしょう」

「えぇそうよ。確か警備の衛士たちが全員眠らされていたって事件…一体何だったのかしら?」

 

ふと耳に入ってきた話に、ルイズはクックベリーパイを食べるのを止めてしまう。

そして口元にまで近づいていたパイが刺さったままのフォークを受け皿の上に下ろし、安堵の溜め息をついた。

彼女にとって、この話を原因を作ったのが誰なのかは既に知っており。事情も聞いた。

といっても半ば無理矢理にでも聞いた。そうでなければあの少女は話してもくれないだろうから。

話を聞く限り、どうやら事件の原因や何があったのかは、全然わかっていないようだ。

少女の方も「まぁ跡形もなく消したし、今頃風に乗って何処かへ行ってるはずよ」と言っていたから大丈夫であろう。

ルイズが再度安堵の溜め息をついたとき、ふと横の方から声が掛かった。

 

「どうしたのよルイズ?具合でも悪いのかしら」

「…え?」

ふと自分の名前が呼ばれた事に少し驚き、そちらの方へ視線を向ける。

そこにはもう食事を終えたのか、綺麗にロールした金髪が目映い『香水』のモンモランシーがいた。

普段ならば自分の名前を呼ばないような彼女に名前を呼ばれ、思わず唖然としてしまう。

まさか今日は空から雨じゃなくて香水がふってくるのではと思い、鳶色の瞳に不安の色がよぎる。

それを見て何を考えているのかわかってしまったのか。すぐさまモンモランシーの顔に怪訝な色が浮かぶ。

 

「私が貴方の名前を呼ぶことってそんなに珍しいのかしら…?」

「そうなんじゃない?むしろ私が声を掛けた場合より驚いてるかもね」

「へ~、そうなんだ。…って、なんでアンタが私の後ろにいるのよ」

 

モンモランシーの言葉を返したのは唖然とした表情を浮かべていたルイズではなく、キュルケであった。

いつの間にか自分の背後に立っていたキュルケに軽く驚きつつ、モンモランシーは言った。

「貴方と同じよ。朝にあまり食べ過ぎるのもどうかと思ってもう出ようかと思ってたところよ」

燃えさかっている炎と同じような色をした赤色の髪を片手でサッとかき揚げつつも、キュルケはあっさりと言う。

それを聞いたモンモランシーは納得したかのような表情を浮かべた後、何度か頷いた。

「昔はそれ程気にしてなかったけど、何故か今年に入って妙に気になるしね…」

少し憂鬱そうな彼女の言葉に、キュルケも同意するかのようにウンウンと頷く。

「そうよね~。…まぁ私が知ってる限り、二人だけはもっと食べないとダメかも知れないけど」

そう言って未だ唖然としているルイズの顔へと視線を向けた。

自分の髪と同じ色の瞳には、何故か哀れみ色が惜しげもなく浮かんでいる。

まるで路地裏に捨てられた子猫を遠くの窓から見つめているかのような悲哀の色が。

「え…?何よ、何で私をそんな目で見つめてるのよ」

入学どころか生まれる前から好敵手であったツェルプストーの娘にそんな目で見られ、思わず驚いてしまう。

困惑の表情を浮かべているルイズに、モンモランシーが声を掛ける。

「大丈夫よルイズ…私だって数年前くらいは貴方と同じだったし…その、ちゃんと食べればもっと伸びるはずよ。…多分」

その声にはキュルケの言葉とよく似た悲哀の色が漂っていた。

「何よそれ!教えるのならハッキリ教えなさいよ!?」

この二人が言っていることの意味が良くわからないでいるルイズは、思わず言葉を荒げてしまう。

 

一方、食堂出入り口の傍にある休憩所でも、話をしている二人と一本の姿があった。

「…そういやアンタ。意志を持ってるって他にも特徴は無いの」

霊夢は朝食とした出た白パンの一欠片をスープに浸しながら、テーブルの上に置いてあるデルフに話し掛けた。

『唐突だなオイ…いんや、オレにはそんな力はないさね』

「つまらないわねぇ。アンタ本当に暇なときの話し相手じゃない」

『あのな、オレは意志を持っているタダの武器だぞ?武器なら敵に向けて振るのが一番良い使い方さ』

「そもそもアンタ、刀身が錆びてるんだから戦うのは無理なんじゃない?……ハグ」

霊夢はカチャカチャと音を立てながら喋るデルフにそう言い放ち、スープに浸ったパンを口の中に入れる。

無造作に置かれたインテリジェンスソードはそれを聞いて悲しかったのか、鞘が小刻みに震え始めた。

 

 

霊夢とデルフが再会したのは今から三日前の夜。霊夢がキメラを倒して部屋に帰ってきた後である。

部屋に帰ってきた彼女がまず目にしたのは、ベッドで寝ている魔理沙の横でちょこんと座っていたルイズであった。

彼女は霊夢の姿を見るなりバッとベッドから飛び降り、どことなく疲れている巫女に詰め寄った。

「あっレイム!あんた今まで何処行ってたのよ!というか何してたのよ!」

「何処でも良いじゃないの。ちょっと虫退治に行ってただけだから。あとは眠いからまた明日ね…」

帰ってきて早々、ルイズの罵声を耳に入れた霊夢はうんざりとした様子で返すとソファに腰を下ろす。

霊夢としてはルイズに詰め寄られるよりも早く寝間着に着替えて横になりたかった。

そんな霊夢の態度にルイズは顔を赤くし、さっきよりも大きいボリュームで怒鳴ろうとしたとき――何者かが割って入ってきた。

 

『おいおい、使い魔とそのご主人さまはもっとこう…和気藹々としてるもんだろ。お前ら殺伐し過ぎだよ』

 

少しエコーが掛かっているような男の声に、ルイズと霊夢は一斉にそちらの方へと視線を向ける。

声の先にあるのは、ベッドの上に置かれた傍に一本の太刀であった。

何処かで見覚えがあるものの、一体何処で見たのかと一瞬だけ悩み、すぐにその答えが出た。

「デルフじゃないの。…そういや部屋に持ってきてたのをすっかり忘れてたわね」

『OK、お前らには共通点が一つだけある。お前らはまず自分たちの持ち物の存在を忘れないように心がけろ』

今思い出したかのような霊夢の言い方に、デルフは何処か諦めにも似た雰囲気を刀身から漂わせつつも言った。

 

 

「まぁなんだ。武器として使われる以外にも良い使い方はきっとあると思うぜ」

 

霊夢とデルフの会話を横から聞いていた魔理沙は、手に持っていたフォークでデルフの入った鞘を軽く小突いた。

『おいおい…慰めてくれるのは嬉しいがそんな物で鞘を小突くなっての』

しかしそれがイヤだったのか声を荒げ、激しくその刀身を動かした。

それに驚いたのか否か魔理沙はすっとフォークを下げると受け皿に置き、肩をすくめて言った。

「何だよデルフ。フォークに付いてるソースなら洗えば落ちるだろ?」

多少の悪気が入った魔理沙の言葉にデルフはその刀身を一層激しく揺らす。

『そういう問題じゃねーっての!鞘っつーのはオレっちを剣にとって、家であり服でもあるんだぞ!』

デルフの言葉に、魔理沙は満面の笑みで言った。

 

「なら問題ないぜ。何せ服も家も、ついた汚れを水で洗い落とせるからな」

 

(ホント、見ていて飽きないわねぇ…)

霊夢は魔理沙とデルフのやりとりを見ながら、紅茶を啜っていた。

デルフと魔理沙、一見喧嘩しているようにも見えるが魔理沙の多少意地悪な性格がその一線を越えないでいる。

あっけらかんとした顔の彼女から出てくる言葉には毒が入っているものの、それを言う本人には何の悪気もない。

しかし、霊夢が知ってる限り゛毒が混じった言葉を出す゛ような性格の持ち主なら魔理沙の他にも何人かいる。

紅魔館のパチュリーはハッキリと言うし、妖怪の山からやってくる文は会話の途中途中に紛れ込ませ、紫に至っては意味が良く分からない毒を吐いてくる。 

だが魔理沙にはその他にももう一つ゛笑顔゛という効くヤツには良く効く有効な武器を持っていた。

女の子の優しい笑顔とは違う、自分だけの秘密基地を作り終えたばかりの男の子のような元気で活発的な笑顔。

特に同じ魔法の森に住む人形遣いには効果抜群らしく、何度激しい喧嘩になっても結局最後には元の状態に戻ってる。

 

とまぁそんな魔理沙の笑顔にこのインテリジェンスソードは仕方ないと悟ったのか、

「イヤだから…はぁ~」諦めの雰囲気がイヤでも漂う深い溜め息をついている。

霊夢は紅茶を啜りながらも、そんな二人のやり取りを静かに見守っていた。

 

「平和ね…本当に平和ね」

幻想郷の巫女は誰に言うとでもなく呟いた。

その姿はとても、多くの人妖と戦ってきた少女には見えなかった。

 



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第四十三話

いつもと変わらぬ魔法学院の日常の中で、平和を謳歌する生徒達は今日も授業へと赴く。

各々が必要な道具を持って指示された教室へ向かい、多くの在校生と卒業生達が腰を下ろした席に着く。

席に座れば連れてきた使い魔を後ろへと下がらせ、教師が来るまでに身なりをしっかりと整える。

そして教師は従業に使う参考書と杖を持ち、堂々と胸を張って教壇へと立つ。

授業は自分の担当する系統魔法がいかに素晴らしいのかを生徒達に教え、模範を示す。

生徒達はそれを習って自らの魔法を磨き、自らの将来に役立たせる。

そしてここを巣立っていくときには立派な魔法至上主義の貴族となり、自分の選んだ道を歩いていく。

ここトリステイン魔法学院で何百何千回も続けられてきた事が、それであった。

しかしここ最近の゛火゛系統の授業だけは、他の従業とは違うことをしていた。

まるで古くから続く魔法至上主義の授業を打ち砕くかのように、それは酷く斬新であり、異質であった。

 

人は古くから続くモノに安心するが、新しいモノには恐怖を抱く。

そしてそれは人だけではなく、人に近い喜怒哀楽の心を持つ゛人外゛たちも同様である。

 

 

大勢の生徒と使い魔達が居る教室に、ミスター・コルベールの声が響いた。

「さぁさぁ皆さん、今日はこのミスター・コルベールが一限目の授業を請け負いますぞ!」

朝食を食べ終えて腹を満たし、満足そうな表情を浮かべている生徒達の耳に気合いの入った声にハッとした顔になる。

声の主であるコルベールは教室の隅にあるドアを足で器用に開け、妙なものを両手に抱えて教室に入ってきた。

一体何事かと生徒達はそちらの方へ目をやるものの、一部の生徒達は溜め息をついて視線を逸らす。

 

このトリステイン魔法学院において随一の変わり者と呼ばれているコルベールは、時折変な物を持ってきては授業でお披露目をしているのだ。

火の力を使ってフワフワと浮く紙袋や火を当てると途端に脆くなる石など、生徒達の将来には何の役に立たないものである。

しかし生徒達の何人かがそれを指摘してもコルベールはすました笑顔でこう言うのだ。

「知っててやっているのさ。一度きりの青春時代に、こういう面白い授業を体験するのも悪くはないだろう?」

魔法学院随一の変人と呼ばれる男は、この学院にとってイレギュラーとも呼べる存在であった。

そして今日、彼は長年研究し続け遂に完成一歩手前にまでこぎ着けたある物をお披露目しようと思っていた。

 

「先生、それは一体何ですか?」

一人の生徒が、教壇の上に置かれたある物に興味を抱き、質問を述べた。

他の生徒達もそれに目を通し、思った。成る程、あれを見て質問するのは仕方ない、と

それは長い、円筒状の金属の筒に、これまた金属のパイプが伸びている。

パイプはふいごのような物に繋がり、円筒の頂上にはクランクがついている。

そしてクランクは円筒の脇にたてられた車輪に繋がっていた。

さらに、車輪は扉のついた箱に、ギアを介してくっついている。

今までミスタ・コルベールの授業でへんちくりんな物を見続けてきた生徒達は、首を傾げた。

先生はこれを使ってどんな授業を始めるなんだ?と、生徒達はその装置に視線を向ける。

コルベールは教え子達の反応を見て笑顔をうかべると、おほん!ともったいぶった咳をして語り始めた。

 

「さて、これから授業を始めるのだが…その前に誰か、この私に゛火゛系統の特徴を説明してはくれんかね」

十秒以内に収めてね。と最後に付け加えた後、生徒達の視線は謎装置からある女子生徒へと向く。

数十人の男女に視線を向けられても、彼女はそれが何だと言わんばかりに、爪ヤスリで爪の手入れをしていた。

今この教室に集っている生徒達の中で一番゛火゛の系統を知っているのは、自らの二つ名に゛熱゛という言葉を入れている彼女しかいない。

そんな風に見られている話題(?)の女子生徒、キュルケはだるそうな顔で手を挙げることもなく、言った。

「情熱と破壊…それこそが゛火゛系統の成せる技であって美でありますわ」

気怠そうなキュルケとは対照的に嬉しそうな表情を浮かべたコルベールは「その通り!」と言った。

 

「情熱はともかくとして、ミス・ツェルプストーの言葉通り゛火゛は四属性の中でも破壊の力に特化しているのは皆知っているだろう?

 一度戦が起これば゛火゛を得意とするメイジは最前線の突撃隊の隊長として選ばれる程―――…らしい。私はあまり、知らんがな」

そこで一旦言葉を区切り、軽く息を整えるコルベールに一部の生徒は少しだけ反応を示した。

確かに゛火゛に特化した軍属のメイジ等は有事の際に先程言ったように突撃部隊の隊長や攻撃部隊の指揮官となる事が多い。

その次に゛風゛系統の得意なメイジが多く、時折゛水゛系統や゛土゛系統のメイジが指揮を執る事もあるが実例は極めて少ない。

ただ、その一部の生徒達が疑問に思ったことは一つ。『何で一介の教師がそんな事を知っているのか?』ということだ。

通常は軍の養成学院に入り、そこの座学などで初めて知るような事を、何故この平和思想の教師が知っているのだろうか?

彼らは一様にそんな疑問を浮かべては居たのだが、無理矢理にその答えを導き出した。

(まぁ…先生は学者を名乗ってるし…学者だから知ってるのかも)

あまりにもいい加減すぎる答えに異論を唱える者はおらず、再びコルベールはしゃべり出す。

 

「しかし諸君、考えてみたまえ。他の属性…゛風゛゛水゛゛土゛は戦い以外の道に使える手段が多い!

 風は動かぬ風車を回し、水は乾いた大地を潤し、土は荒んだ土砂を農業に適した栄養豊富な土に変える!

  それに引き替え…゛火゛は古来から怖れられてきた存在、戦いにしか使われるのも無理はない。

   一部の者達は、゛火゛魔法は戦う為だけにあると豪語するが…私はようやく、それに対し全力で拒否の意を示す事ができる!」

 

まるで最終決戦へと赴く将兵達に檄を飛ばす王様のようにコルベールは喋っている。

それに対し生徒達はついていけずに固まる者、またある者はコルベールの思わぬ一面に驚いていた。

ただ一人…キュルケだけは大きな欠伸をしながら未だに爪のお手入れをしているが。

一方のコルベールはそんな生徒達に向けて勢いよく右手の人差し指を向けて喋り続けている。

その目には絶対的な自信の色が浮かんでおり、彼の頭よりも鋭い光を放っている。

「ここにいる生徒諸君…特にミス・ツェルプストー!よく見ておきなさい!

 今ここに、我々の誇る文明と゛火゛が融合したこの装置が、その本性を見せるのですから!!」

もはや叫び声にも近い声でそう言うと、ヒュッと音が出るくらいに勢いよく左手の人差し指を、背後の教壇に置かれた装置へと向けた。

 

生徒達はその装置に目を向け、何人かは怪訝な表情を浮かべている。

「これは私が長い構想と研究、そして幾度かの試行錯誤を経て完成させた最高傑作です」

コルベールは先程と打って変わり逸る気持ちを抑え、この装置の説明を丁寧に行う。

「まず最初にすることは、このふいごを何回か踏んで中に入っている油を気化させる」

そう言って彼はしゅこっ、しゅこっ、と何処かこそばゆい感じがする音を立てるふいごを足で何回も踏んだ。

「するとこの円筒の中に、気化した油が放り込まれます」

慎重な顔になったコルベールは杖を取り出し、円筒の横に開いた小さな穴に杖の先端を差し込んだ。

次いで短い詠唱をして間もなく、断続的な発火音が聞こえ発火音は続いて、爆発音に変わる。

先程円筒の中に放り込まれた油が引火し、爆発音を出しているのだ。

爆発音を耳にした生徒達は目を丸くし、使い魔達はそちらの方へと視線を向け、コルベールは歓喜の表情を浮かべた。

「ほら、見なさい!円筒の中では今、気化した油が爆発する力で上下にピストンが動いているんだ!」

すると円筒の上にくっついたクランクが動きだし、車輪を回転させた。

回転した車輪は箱に着いた扉を開く。するとギアを介して、小さな赤色の何かがピョコッ、ピョコッ、と顔を出した。

炎を模した布製の皮膚を持ち、これまた先端が二つに割れた赤い布で出来た舌を開きっぱなしの口から出している。

それは黒いボタンのつぶらな瞳がキュートな蛇の人形であった。

あまりにあまりなソレに、様子を見ていた生徒達はボケーとした表情になってしまう。

そんな彼らを他所にただ一人、コルベールは無邪気にもはしゃいでいた。

「ほら見なさい!可愛い蛇君がコンニチハ、コンニチハ、と挨拶してくれるぞ!」

まるでサーカスを見に来た子供のようになってしまった教師を見て、生徒の何人かは溜め息をついた。

先程の演説に惹かれ、一体どんな物が見れるのかと思いきや、これはとんだ子供だましである。

そんな生徒達が今は目に入っていないのか、コルベールはピョコピョコと蛇が顔を出す装置の前で喋り始める。

 

「今はこうして、愉快な蛇君が出てくるだけだが、将来必ずこの技術を生かして素晴らしい物が生まれる。

 例えば、この装置を更に大きくして荷車に載せ、車輪を回させる。すると馬がいなくても荷車が動く!

 そして更に、海に浮かんだ船のわきに大きな水車をつけてこの装置を使って回す。

 すると風どころか帆がなくとも船が動くようになるんだ!」

 

そこで説明は終わったのか、コルベールは大きく深呼吸をすると生徒達の方へ目をやった。

コルベールの計算では、この時点で生徒達の大半がこの装置に期待の目を向けている筈であった。

しかし彼らの目には期待の色は浮かんで折らず、ペテン師を見るような目つきである。

そんな目で教師を見ている者達の一人がふと口を開き、言った。

「…そんなの、魔法で動かせばいいんじゃないですか?何もそんな装置を使わなくてm…「わかってない!君達は全然 わ か っ て い な い !」

一人の生徒の口から出た言葉は最後に到達する前に、コルベールの怒声によってかき消された。

いきなりの事に生徒達は驚きながらも、コルベールは捲し立てるように喋り始める。

 

「いいかね君達!?我々が魔法を使えるからと言っても限界がある。

 もしも長い船旅の最中、風石が切れたらどうする?船はただの棺桶と化す!

  しかしこの装置をもっと発展させれば、僅かな魔力でも充分風石の代わりとなる

   これは単なる学者の発明ではない!後世に残る程の偉業なのだ!」

 

一部自画自賛が入った演説に、生徒達は何も言えないでいた。

皆が皆、いつもは温厚な彼の希薄迫る様子に怯んでいるのである。

(あのミスタ・コルベールがこんなに捲し立てるなんて…きっと余程完成させたかったのね…)

羽ペンを持ったまま硬直しているルイズもその一人であったが、今のコルベールには尊敬の念を抱いていた。

後世に残る偉業かどうかは別として、あんな面倒くさい物を作った努力は凄まじい物である。

誰にも認めて貰えず、しかし一度決めた信念を決して崩すことなく最後まで成し遂げる。

それはまるで、魔法が使えぬのならせめて座学だけでもと努力した自分と、被っているのだ。

最初は胡散臭い目で見ていたが、あの装置を無下にすることを、自分は出来ないだろうなーとルイズは思った。

(でも実際のところ、どう使ったらいいのかサッパリね…)

尚もピョコピョコと装置から顔を出す蛇の人形を睨みつつ、ルイズは溜め息をついた。

先程コルベールが使い方を説明していたが、ルイズにはあの装置が活躍するシーンが全く思い浮かばなかった。

魔法が使えぬがトリステインの公爵家出身の彼女は、生まれる前から魔法至上主義者として生きる宿命を背負っている。

ルイズだけではない、ここにいる生徒達の多くがそうであった。

物心つく前から親兄弟から魔法の偉大さを見せつけられた彼らは、本能的に「王家と魔法に適う存在無し」という考えを持っている。

 

王家と魔法さえあれば全てが統治でき、国は永遠に栄える。

そんな思想が、王家を含めた多くのトリステイン貴族達の頭を未だに支配していた。

それがこのトリステイン王国の伝統を守っていると同時に、小国となった原因だとも知らずに。

 

まぁ知らない事は無理に知らなくても良い、という事である。

 

 

 

「ヒマね…」

 

ヴェストリの広場に、少女の声が響いた。

それは鈴の音のように綺麗であったが――心底暇そうであった。

 

「ヒマだわ…」

 

広場の柔らかい芝生にその背中を預けている少女は、スッと華奢な左手を上げた。

閉じている左手から人差し指だけを出し、遥か上空の青空を泳ぐ白い雲を指さして、数えようとする。

 

「ヒマ過ぎて寝るに寝れないわね…」

 

小さな溜め息をつくと数えるのをやめ、左手をダランと下げて芝生に寝かせる。

ふと何処からか小鳥の囀りが聞こえ、それに伴って翼が羽ばたく音も耳に入ってくる。

 

「…これじゃあ暇つぶしどころか…暇作りになってるじゃないの」

 

少女――霊夢は誰に言うとでも無く呟き、ゆっくりと上半身を起こした。

 

いつもとひと味どころか五味違った授業をルイズ達が受けているとは露知らず、霊夢は一人くつろいでいた。

以前ギーシュと闘ったヴェストリの広場。既に壊れた壁も修復された其所は、彼女以外誰もいない。

まぁ今日は休日でもなくちゃんとした授業がある日なので当然ではあるが、今の霊夢にとっては丁度良い場所であった。

彼女にとって心休まる場所といえば神社の縁側と鳥居の下、そして人も妖も来ない静かな所。

それならルイズの部屋も当て嵌まるが、三日前に戻ってきたインテリジェンスソードの所為で喧しい場所になってしまった。

「まったく…眠れそうな時に話し掛けてくるからおちおち眠れやしないわね…」

霊夢はウンザリするかのように呟き、ゴロンと寝返りを打った。

今まで空を見ていた彼女の瞳に、この学院の真ん中を陣取っている巨大な塔が写る。

それを見たい気分ではなかったのか霊夢は顔を顰めると再度寝返りを打つ。

背中を向けていた方へと寝返りを打つと、少し離れたところにシエスタがいた。

 

足首まで届くロングスカートの端が風に煽られ、小さな布の波を作りだしている。

その両手には洗ったばかりの白いシャツがたくさん入った籠を抱えている。恐らく仕事の合間にやってきたのであろう。

自分と同じ黒い髪はやや長めのボブカットにしており、黒い瞳とそれはどうにもうまくマッチしている。

黒と白を基調にしているものの、魔理沙の服とは全く違う雰囲気を醸し出しているメイド服はとても彼女に似合っていた。

彼女は頭全体を白い雲が泳ぐ上空へと向けており、その瞳は空を射抜くようにある一点を見つめている。

そんな彼女をじっと見つめている霊夢の視線には気づいていないのか、両手に持っていた洗濯籠を足下に下ろした。

 

ゆっくりと、まるで安らかに眠っている赤子を下ろすかのよう動作の後、シエスタは自らの懐を探る。

一体何をするのかと少し興味深そうな霊夢が近くにいることも知らず、彼女は小さくて茶色の包みを取り出した。

何年も使い続けているのかすっかり汚れきってしまったその包みを丁寧に取り、その中に入っていた物を手に取った。

包みとは対照的で、まるで純潔な乙女を思わせる程白いく、正方形の布であった。

それだけなら普通の布きれと呼べるが、その中心部分には大きな赤丸が描かれている。

赤丸は酷く乱雑で、子供の落書きと言える代物であった。

ソレを包みから取り出したシエスタは純朴そうな顔に暖かい笑みを浮かべた。

まるで遠く離れたところに暮らす家族が待っている家へと帰ってきた子供のように。

 

それを離れたところから見ていた霊夢には、シエスタの行動がイマイチ良くわからなかった。

(何かしらアレ…?布の中にもう一枚布が入ってたって事…?)

何が起こっているのか把握しきれない霊夢を尻目にシエスタは布の両端を掴むと、それを天高く持ち上げた。

まるで赤ん坊をあやすかのような行為をたった一枚の布きれにするというのは、少し奇妙な光景である。

だがシエスタにとってこの奇妙な行為は、とても大切な行為であった。

天高く掲げた薄い布は強く、眩しく、そして優しい陽の光を防ぐことは出来ず、布一枚越しにシエスタの顔を照らす。

布を通した光は布の中央に描かれた乱雑な赤丸のおかげで赤い光となった。

 

その時のシエスタは、それに負けないくらいとても眩い笑みを浮かべていた。

まるで子供だった頃を懐かしむような、あどけなく無垢な笑顔であった。

 

 

コルベールは困っていた。どうすれば今の事態を切り抜けられるのかを。

今日は長い月日を掛けて没頭していた新しい研究の成果を授業を使って生徒達に発表していた。

それは、このハルケギニアにおいて誰もが見たことのない、未知の可能性を孕んだ存在だと彼は思っている。

油を使い、単純な魔法だけでそれを爆発させてその力でカラクリを動かす。

将来的には魔法の力など介さず、手順が分かれば子供でも大きな船を動かすことの出来る全く新しい力。

学者である彼は、学院の授業ではなく十分な知識を持った学者達に見て貰いたかったがそれは無理な話だと知っていた。

このトリステインにおいて学者というのは神学者に近い存在であり、その学者達が集まる「アカデミー」では魔法の効果を探る場所となっている。

例えば、火の魔法を用いて街を明るくしようとか、風魔法を用いて、大量に貨物を運んだり…といったコルベールの向きの研究は行われていない。

そういったものは評議会や古参の研究員達からは「下賤ではした無いもの」として異端扱いされ、追放されたり研究停止に追いやられる。

代わりに行われている研究といえばどのような火の形がより、始祖ブリミルが用いた火の魔法に近いとか。

降臨祭の際に使われる蝋燭を揺らすための風は、どの程度が良いのか。

聖杯を作るための土の研究とか。コルベールの考える「学問」とは大きくかけ離れた事をしていた。

そんなところへわざわざ赴いてまで自分の研究を見せに行ったとしても、門前払いが良いオチである。

 

そう考えたコルベールが更に考えてたどり着いた結論が、今に至る。

コルベールの研究を見た生徒達の大半は、ワケが分からないと言いたげな表情を浮かべている。

今まで魔法が自分たちの生活に深く浸透していた彼らは、きっと心の中で呟いているだろう。

 

「こんな馬鹿げた物が無くとも、魔法があれば誰も不自由しない」と。

 

ほぼ全員が魔法至上主義者であるメイジとしては、まともな答えである。

平民達には不可能な「始祖の御業」である魔法に不可能など無い。

魔法さえあれば万事解決、もう何も恐くないはないし、他に何もいらない。

学者である前にメイジであるコルベールにとって、それは痛いほど自覚している。

ただ、そうまでして彼はあるモノを欲していた。

出せそうですぐには出せない、あるモノを。

(馬鹿にされたり笑われても良い…誰かひとり…ひとりだけでも好奇心旺盛な表情をうかべてくれれば…)

コルベールは期待と不安が浮かんでいる顔で教室を見回すが。彼が望む表情を浮かべている者はいない。

大半が嘲笑の表情を浮かべており、中には見る価値無しと無表情な生徒達もいる。

たった一人、ミス・ヴァリエールだけは困ったような表情を浮かべてはいたが、理由はわからない。

 

―――まだだ!まだ諦めるなコルベール。ここで諦めたら今まで頑張ってきた意味がないのだぞ!

 

自分の心に喝を入れつつ、コルベールは一度深呼吸をするとしゃべり出した。

先程叫びすぎて喉かヒリヒリと痛むのだが、そんな事は言っていられはしない。

「さてと…一通り話し終えたところでひとつ提案がある。…だれかこの装置を動かしてみようとは思わないかね?」

既に停止している装置を指さしながら、コルベールは言った。

まさかこんな言葉が出てくるとは思わなかったのか、生徒達は少しだけ驚いたような表情を浮かべている。

そんな生徒達に休ませる暇を与えず、コルベールはこれみよがしにどんどんと話を進めていく。

「なに、やり方は簡単さ。円筒に開いたこの穴に杖を差し込んで『発火』の呪文、するとほら…このように!」

先程したように装置を起動させると、ふたたび爆発音か教室中に響き渡る。

爆発の力でクランクと歯車が動き出し、蛇の人形がピョコピョコと顔を出す。

 

「愉快な蛇くんがご挨拶!ほらご挨拶!!――――…なんちゃって」

最後の一言が良くなかったのか、教室にいる生徒達は誰も動こうとしない。

皆コルベールの顔に奇妙な生物を見るかのような目を向けたまま硬直していた。

教室の中に響くのは装置から出る爆発音と、使い魔達の喧しい鳴き声だけ――

 

「その装置。私が動かしても良いのかい」

 

―――ではなかった。

ふと、使い魔達が待機している教室の後ろから、少女の声が聞こえた。

まるで男の子のようなしゃべり方だが声はとても元気な少女のそれである。

その声を聞いた生徒達は一斉に後ろを振り向き、そこにいた一人の少女を凝視した。

白と黒を基調とした服装は、少女との相性が良くその存在をハッキリとさせている。

頭に被った帽子は大きく、彼女の頭と不釣り合いに見えてそうでもない。

帽子からはみ出たウェーブの掛かった金髪は艶が良く、輝いているようにも見える。

まるでおとぎ話の中から飛び出してきた魔女のような姿をした少女に、生徒達は釘付けとなった。

何より男子生徒達の視線は、その少女の顔に集中していた。

 

美術館に飾られているような真珠の如き白い肌に均整の取れた顔は、見る者を魅了させる。

事実、恋に夢中であるお年頃の男子達はその顔を見て目を丸くし、ホゥ…と見とれている者までいる始末だ。

多くの視線が自分に集中しているというのに動揺することなく、少女は再度口を開く。

 

「誰も名乗り上げないのなら、私が動かしてみても良いんだろ?」

少女―――魔理沙はその顔に見合った声で、コルベールに尋ねた。

その言葉と、コルベールの作った装置を見つめている瞳には、探求心と好奇心が混ざり合っていた。



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第四十四話

「誰も名乗り上げないのなら、私が動かしてみても良いんだろ?」

 

コルベールの失言(?)によって沈黙しようとしていた教室に、魔理沙の声が響いた。

物怖じせずハッキリとしたその言い方には、好奇心という名の香辛料が多目に入っている。

その香辛料は困ったことに一部の人間に対しては非常に厄介な代物で、一度嗅げば虜になってしまう。

魔理沙もまたその香辛料の魅惑に夢中な種の人間であり、コルベールもまたその種の人間であった。

 

一方の生徒達は、重く冷たい沈黙を薄い紙切れのように容易く千切った突然の干渉者に呆然としていた。

ある者は声の主に目を丸くし、またある者はその姿を見て頬を赤らめている。

 

 

魔理沙が食堂で゛ルイズの命を助けた恩人゛として学院長に紹介されてから、五日が経つ。

それからというものの、魔理沙は給士や魔法学院の生徒達に話し掛けられた。

娯楽の塊とも言える街から遠く離れ、限られた娯楽しかない此所では彼女のような人間が非常に珍しいのだ。

魔理沙の方も満更でもなかったようで、色んな人間と話を交えてきた。

 

故郷の話やどうやってルイズと出会ったか、どんな所を旅してきたのかと色々と聞かれていた。

その様な質問に対して魔理沙は面白可笑しく、幻想郷での実体験を巧妙に混ぜた嘘九割と事実一割の体験談を話していた。

時折違和感を感じてしまう話もあったが、話を聞いている方はまぁ気のせいかと思いつつも聞いていた。

 

無論誰もが好意を持って接して来たわけではなく、一部の者たちからは嫌悪の目で見られている。

それでも何人かは魔理沙にちょっとした興味を持ち、この教室に来る前も女子生徒の何人かが彼女に挨拶をしていた。

 

紅白とは全く違い、人を好み人に好かれる白黒はルイズを中心にしていつの間にか、人の輪を広げていたのである。

 

 

「……何だ?もしかして今は喋っちゃダメだったのか?」

「あっ…いえ、別にそういうワケでは…というより、先程の言葉は…」

自分が口を開いても沈黙を保っている事に魔理沙は気まずそうで、どこか笑っているような表情を浮かべながら言った。

その言葉にコルベールがハッとした表情を浮かべると魔理沙が言っていた言葉を思い出し、僅かながら微笑む。

魔理沙もそれに答えるかのように満面の笑みを浮かべると、今まで頭に被っていた黒い帽子をとった。

「あぁ、ちょいと先生の作ったソレが気になるからな。誰も動かす気が無いのなら私が動かしたいなーと思ってね」

 

まるで陽の光とも呼べる程に輝く麦畑の如き金髪がサラサラと揺れ、窓から漏れる光に反射して煌びやかに輝く。

それと魔理沙本人のニヒルな雰囲気が若干僅かに漂う笑顔が、とても似合っている。

頭を後ろに向けてそれを見ていた生徒達の一部が、ほぅ…と溜め息をついた。

その時、教室の一角からガタンッ!と激しい物音が教室にいる者達の耳に聞こえた。

一体何かと思い、魔理沙やコルベールを含めた何人かがそちらの方へ視線を移すと…

そこにいたのは、ムッとした表情を浮かべたルイズか席を立っていた。

鳶色の瞳はキッと、笑みを浮かべた魔理沙の方を睨み付けている。

 

「おぉルイズか。どうした、トイレにでも行きたいのか?」

相手がルイズだということもあってか、魔理沙はそんなルイズの態度に臆することなく手を軽く振って言った。

その言葉を聞いて何が面白かったのだろうか、生徒達の間からクスクスと小さな笑い声が聞こえてくる。

しかしその瞬間、魔理沙の方に向いていたルイズの視線が笑い声の聞こえた方へ素早く向くと、それが一気に止んだ。

笑い声が聞こえなくなった事を確認し、席を立ったルイズはズカズカと魔理沙の方へ向かって歩き出した。

 

「おいおいなんだよ…私に何か話でもあるのか」

「えぇそうよ。アンタが忘れてる大事なことを思い出させるために一度教室を出ましょう」

はっきりと怒気を含ませながらも、それでいて穏やかな喋り方に魔理沙は嫌な気配を感じた。

それは教師でもあるコルベールも感じ取ったのか、「教室を出る」と言ったルイズを制止しようとする。

 

「ま、待ちなさいミス・ヴァリエール。今はまだ授業の途中ですし、それにミス・マリサが私の装置を…」

「そうだぜ?あんな面白そうなものが目の前にあるのに動かさないというのは……って、イタタタタタァッ!」

「いいからっ!…さっさとついて来なさい!」

何か言おうとした魔理沙の耳を引っ掴み、ルイズは彼女を連れてズカズカと教室を出て行った。

バタン!とかなり強い音を立ててドアが閉まった後、教室にいた者達は何も言えずにいた。

 

「…霧雨のち落雷」

今まで目を離さず教科書を読むのに没頭していたタバサがポツリ、と呟いた。

 

 

ヴェストリの広場に、緩く冷たい風が吹いている。

その風は芝生を揺らして小さな大地の波打ちを作り、それに続いてサラサラと小さな音が聞こえてくる。

さながらそれは、緩やかな波打ち際で行われる小さなコンサートである。

楽器はないが姿無き奏者達は音を作り、その音に相応しい小さな波は生命の青ではなく大地の緑。

そして何よりも、このコンサートのメインは゛一人の少女゛であった。

少女といっても名のある家が出身の、貴族令嬢ではない。

 

その少女は周囲の風景とは相性の悪い白と黒を基調としたドレスを着ていた。

しかもそれは淑女が着るような華やかなモノではなく、それ等の人種を奉仕するための者達が着るドレスだ。

黒髪の頭につけた白いヘッドドレスも質素だが、通常の市場などでは割と高めのものである。

履いているロングブーツも踊りに適したそれではなく、作業用のものだ。

こうして一見すれば、踊り場で仕事をする踊り子ではなく、観客席でトレイを持って仕事をする給士だ。

しかし彼女は美少女として相応しい゛体゛を持っていた。

 

傷一つ無いとは言えないが、白い肌は珠のように輝きツヤを持っていた。

僅か笑みを浮かべている村娘特有の素朴な顔つきは、名家出身の貴族令嬢とはまた違う素晴らしさがある。

そして長めのボブカットにした黒髪と同じ色の瞳の奥に映るのは、自身の両手で掲げた大事な大事な゛思い出゛だ。

 

自分たちと一緒に暮らし―

 

喜怒哀楽を分かち合って食卓を共にし――――

 

横に並んで畑を耕し、井戸から湧く冷たい水をのんで――

 

自分たちの知らない不思議なことを沢山教えてくれて――死んでいった家族がくれた、大事なプレゼント。

 

「……お爺ちゃん」

少女――シエスタはポツリと呟いた後、その顔からフッと笑みが消えた。

代わりに浮かんできたのはにわか雨のような、悲しみの表情。

まるでもう存在しない故郷を思うかのような、抗いようがない不可視の感情。

 

そんな時、ここにいないと思っていた者の何気無い一声が、その悲しみを打ち消した。

「…初めて見るわね。アンタのそんな表情」

「えっ?」

 

まるで人の心境など全く理解していないような感情の篭もっていない声。

その声に酷く聞き覚えのあるシエスタは、声のした方へと振り向いた。

案の定そこにいたのは、少し離れたところで横になっていたルイズの使い魔、霊夢であった。

「……あ、レイムさん」

まさかまさかの予期せぬ人物の登場に、シエスタは呆気にとられた表情を浮かべてしまう。

霊夢はそれに左手を軽く振って答え、よっこらしょと立ち上がるとシエスタの方へと近寄った。

一方のシエスタは、何でここに彼女がいるのかイマイチわからず、その疑問を口に出す。

「なんでレイムさんがこんなところに?ミス・ヴァリエールと一緒に授業では…」

「あぁ、それなら黒白の居候さんがついていったわ。私はああいうのに興味ないしね」

シエスタの傍にやってきた霊夢はそう言うとふぁ~と大きな欠伸をかまし、空を見上げた。

霊夢の動きにつられたのか、シエスタも空を見上げてしまう。

二人して青空を眺めて数秒、ふと霊夢が口を開いた。

「布…」

「え?布がどうしたんですか」

「あんたの手に持ってるその布…随分と素敵な思い出らしいわね」

 

そこまで言われたシエスタは先程の様子が見られた事に気づき、顔を赤くした。

未だ手に持っているその布をさっとポケットにしまうと、モゴモゴと何か言い始める。

「あ…あの、これは…」

「いいわよいいわよ。別に私はアンタの素性は知りたくもないし知ろうとすることもないから」

霊夢が軽い感じでそう言った時、ふと誰かが声を掛けてきた。

 

「シエスター!何してるのよそんなところで。戻らないと学院のお坊っちゃま達にイヤミを言われるわよー!」

若い、瑞々しい少女の声に霊夢が振り返ると、そこには洗濯籠を抱えた一人の給士がいた。

彼女の持っている籠にはズボンがこんもりと入っている。恐らく男子生徒達の服なのであろう。

「ご、ごめんメアリー!すぐ行くから待ってて!!」

ハッとした表情を浮かべたシエスタはメアリーと呼ばれた給士の言葉に返事をすると急いで足下の洗濯籠を抱えた。

流石給士とも言うべきか、その動きにはあまり無駄が無く、少し洗練された感じが伺える。

 

洗濯籠を抱えたシエスタは霊夢の方に向き直るとペコリと小さくお辞儀した後、仲間のいる方へと走っていった。

その様子を黙って眺めていた霊夢は小さく溜め息をついた。

「やれやれ…仕事の合間にするほど、大切な事だったのね…」

もはや霊夢の言葉を聞く者はおらず、それは一陣の風に乗って空へと消えていく。

 

初夏の訪れを感じさせる青空は、いつにも増して綺麗な青色であった。

 

ガリア王国宮殿 グラン・トロワ 執務室

 

カーテンが音を立てて全て下ろされ、明かりの消えた執務室。

 

その部屋にある大きな回転椅子に一人の男が腰掛け、その横にお供の女が佇み、デスクの上に小さなモノクルを置いた。

一見すれば新品とも思えるモノクルは数秒おいた後、レンズの部分からパッと光が灯った。

光はビーム状から歪に動き始めて形を成して行き、やがて一人の少女と一匹の異形とで別れた。

異形の外見は人の体を基に、昆虫の各部位を繋げたかのようなおぞましい姿をしていた。

対する少女は紅白を基調とした異国情緒漂う服を着こなし、頭には大きな赤いリボンを着けている。

左手には杖と思われる長い棒を持っており、右手には何かの文字が書かれた紙を数枚握っていた。

「よし、再生しろ」

 

貫禄のある、男の声をスタートにして小さな少女と異形の戦いが始まった。

異形が爪を振り回し、少女は華麗に避けながら右手に持って紙と針で巧みに攻撃している。

一人と一匹を写した立体映像はヌルヌルと動いてはいるものの音声などは一切無く、まるで音楽とセリフが無い演劇のようだ。

お供である女はジッと厳しい眼でその戦いを眺めてはいるが、男はそれとは真逆に喜びで満ちあふれた表情を浮かべている。

まるで楽しみにしていた週末の人形活劇を観に行くかのような、何処か子供らしさが含まれたものがあった。

 

数分後…

 

少女と異形の戦いは、体を粉砕されても尚抵抗しようとした異形が少女に残った頭を破壊されたことで終了した。

そこでこのモノクルに収められた映像は終わりなのか、小さな少女の体が不自然に止まる。

やがて一人の少女と粉々になった異形は再び歪に動き始め、やがて一つの光となってモノクルのレンズに戻っていった。

 

お供の女がモノクルを素早く回収するとパチン、と勢いよく指を鳴らし、カーテンを上げさせた。

「アレを難なく倒すとは…やはり余が目を付けただけのことはある!」

カーテンが上げられ陽の光が部屋に入ってくると、男――ジョゼフは゛戦いの記録゛を映した映像の感想を述べた。

お供の女性――シェフィールドは男の言葉を聞いてその顔にうっすらと笑みを浮かべた。

「お褒めのお言葉を頂き、誠に感謝致しますわ。ジョゼフ様」

「よいよい!余とて長い長いゲームの合間にこのようなミニゲームが欲しかったところだしな」

ジョゼフは手を振ってそう答えるとおもむろにデスクの引き出しを開き、中から一体の人形を取り出した。

 

それは木から作られた精巧な人形で、人間の形を模している。

間接も人間と同じような作りをしており、ある程度難しいポーズを取らせることも可能だ。

最近ではこのような人形をリュティスの市民達はモデルドールと呼び、時折絵のモデル代わりに使っているらしい。

だがこの人形はモデルドールの形をしているものの本物のモデルドールではなく、どの人形よりも厄介な人形であった。

 

ジョゼフが手に取った人形は古の時代に作られ、今も尚作り続けられている代物。

人の血を元にしてその人へと姿を変え、あまつさえ性格や能力さえも寸分違わず写す人形。

その人形は人々からこう呼ばれ続けている。「スキルニル」と―――

 

「一つ聞くぞ、余のミューズよ。サン・マロンで行われている゛複製実験゛――どの段階にまで達している?」

スキルニルを手に持ったジョゼフの笑顔は、先程とは打って変わって不敵なものとなった。

その言葉を聞いたシェフィールドの顔から瞬時に笑みが消え、真剣なものへと変貌する。

「はい。今現在は索敵能力を備えつけているとの事ですが…そこで問題が発生しているようです」

シェフィールドは喋りながらもデスクに置かれていた一枚の書類を手に取り、それをジョゼフに手渡した。

ジョゼフはそれを流し読みしつつ、シェフィールドの言葉にしっかりと耳を傾けている。

「学者達によれば元の人格による影響とも言われており。各個体の感情抑制に着手しているとのこと。

  このまま研究が進んで次のステップである試験的な実戦投入は…恐らく来年の春頃になるかと」

 

シェフィールドの報告を聞いたジョゼフは髪と同じ色をした顎髭をさすりながら口を開く。

「下級貴族共に配る給付金を下げて…各地域の税を上げて予算と人員を今の二倍上げてやろう。「降臨祭」までに完成させる為にもな」

ジョゼフの口から出た言葉は、聞く者が聞いたら口から泡を吹き出すものであった。

幸いにも、シェフィールドはその手の人種ではなく、むしろそんな事など気にもしていないと言いたげな表情を浮かべている。

何も言ってこないシェフィールドを見て、ジョゼフの口元が緩んだ。

 

「そうですか。…では、私はこれからアルビオンの方へと戻って゛親善訪問゛の準備に入ります」

「頼んだぞ余のミューズよ。…これから先の展開でこのゲーム、最高の余興となるであろう」

ジョゼフの顔に浮かんだ笑みはとても子供らしく、大国の王とはとても思えぬほど無垢なものだ。

だがその笑顔は、彼の前にいるシェフィールドを含めた女達には人気があった。

「我が主の為ならこのシェフィールド。此度の余興を最高の物に仕上げましょう」

恭しく頭を下げたシェフィールドを見てニコニコとしながら、ジョゼフは再読地を開く。

 

「…それと、我が姪に伝えておけ。「これからも目標の監視を続行せよ」…とな」

「了解致しました。ではこれにて…」

シェフィールドは最後にもう一度頭を下げた後、執務室を後にした。

それを見届けたジョゼフは、片手に持っていた書類をパッと天井に放った。

彼の手から離れた書類は見えない空気の波に乗るかのようにヒラヒラと空中でゆれ、やがて接客用のソファの上に着地した。

だが書類にはもう目もくれていないのか、ジョゼフは「さてと」と呟いてドカッと音を立てて椅子に座った。

 

後に残ったのはジョゼフただ一人、今の執務室にはその他に誰もいない。

だが彼…ジョゼフにとっては゛他人゛という存在はあまり好ましい存在ではなかった。

幼い頃から途方もない疎外感に苛まれた彼は、孤独という物に慣れすぎていたのである。

゛孤独゛という概念に慣れすぎた人間は、取り返しの付かないくらいに他人という存在に過剰な反応を見せてしまう。

ある者は長年の孤独に耐えきれず、寄ってきた他人に依存し、またある者はすれ違っただけで睨まれた!…と錯覚する。

そしてある者は、他人という存在を゛自分が生きていくうえで必要な駒゛と見下す。正にこの男がそうであった。

 

「余にとって…他人とは暇つぶしの相手に過ぎん」

ジョゼフは手に持ったスキルニルの間接の節々を弄くりながら、呟く。

弄くられるたびに間接がカチャカチャと小刻みに音を立てる。

 

「子供の頃に遊んだ着せ替え人形や積み木、絵本と同じだ。何の感情も湧かん」

スキルニルを弄くっていた手がピタリと動きを止め、スキルニルがデスクの上に置かれる。

そして背後の大きな観音開きの窓から見える青空を見上げた。

 

「しかし…そんな存在である゛他人゛の貴様が、何故オレと同じ眼の色をしているんだ?――ハクレイの巫女よ」

そう呟いたジョゼフの瞳には、喜びの色が垣間見えた。

まるで見たこと聞いたこともない玩具を手に取ったかのような、そんな色をしていた。



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第四十五話

トリステイン魔法学院。

朝の始まりとも言える一限目の授業が始まってまだ数十分しか経っていない程度の時間帯…

教室から少し離れた階段の踊り場に、痛い目にあっている黒白の魔法使いと不機嫌な桃色ブロンドのメイジがやってきた。

 

「全く、どうしてこう…アンタってヤツはすぐ目立とうとするのよ」

「そ…その前にまず私の耳を引っ張ってる手を離してくれよ。変な病気にでもなったらどうする」

耳を引っ張られて教室の外に連れ出された魔理沙に、ルイズは開口一番にそう言った。

しかしそんな事を言われた魔理沙はというと、ルイズの言葉を聞くよりも先に耳の痛みに気が向いていた。

ルイズはその言葉に従い、耳を掴んでいた手を放す。

ようやく耳を解放された魔理沙はヒリヒリと痛む耳をさすりながら苦々しい表情を浮かべた。

「イタタ…何だよたくっ、一体私が何をしたっていうんだ?」

「何をしたですって…?アンタがあの装置を゛魔法゛で動かそうとしたから止めただけよ」

苦言を漏らす魔理沙に、ツンとした表情でルイズはハッキリと言った。

その言葉の意味が良くわからないのか、魔理沙の顔には怪訝な表情が浮かんだ。

 

「だってあの装置は、コルベールが言うところには魔法でしか動かないんだろう…?だったら魔法を使うしかないぜ」

「―――じゃあ一つ聞くけど。貴方は魔法を使うときに゛杖゛を使うのかしら」

「杖だって?残念ながら幻想郷じゃあ杖を媒介にして魔法を使う魔法使いの知り合いはいないな」

ルイズにとってはある程度予想していた魔理沙の言葉に、「やっぱり」と呟いて溜め息をついた。

「マリサ。この前オールド・オスマンと話したときに彼がなんて言っていたのか忘れてない?」

「オスマン?…あぁそういや異様に長い白髯の爺さんと話したっけなー……で、それが何なんだ?」

「オールド・オスマンはこう言ってたわ―――」

 

―――良いか皆の者よ?今日の話は他言無用で頼むぞ。

     迂闊にも誰かに話せばたちどころに広がるからのぅ。そこらへんには気をつけるのじゃ――

 

「――…無論。ミス・ヴァリエールの後ろにいる二人もな」…って言ってたでしょう?その言葉の意味、わかるかしら?」

「おぉ!中々そっくりじゃないか。声真似大会に出たらベスト10間違い無しだぜ」

「そ、そう…私ってそんなに似てるかしら?……ってそういう事じゃない!!」

老人独特の、しわがれた声を瑞々しい少女の声で真似ながらもルイズは言った。

しかし魔理沙は、オスマンの言っていた言葉を思い出したことよりも、ルイズの声真似に感心していた。

そんなルイズに怒鳴られつつも、魔理沙は悪戯がばれた子供が浮かべるような笑顔を浮かべる。

「悪い悪い…つまりアレだろ?つまり「自分の事を話すな」って事だろう?それなら私の魔法を見せても…―――」

「わかってない…わかってないわマリサ…」

目の前に出された答案用紙の答えを全て知っているかのような感じで、魔理沙は自信を持って答えた。

だが、その回答は桃色ブロンドの小さな教師が想定していた回答ではない。

「良い?レイムはともかく、貴方はここでは゛幻想郷出身゛のマリサじゃなく、゛ハルケギニア出身゛のマリサなのよ…つまり――」

「…つまり?」

そこで一息入れると、ズイッと自身の顔を魔理沙の顔に近づけると、口を開いた。

 

「ここで゛ハルケギニア出身゛である筈の貴方が、ここで゛ハルケギニアにある魔法゛ではなく…

                  ゛ハルケギニアにない魔法゛を見せたら、否が応でも目立ってしまうということよ」

 

目の前にいる黒白にハッキリと認識させるために、ルイズは強い口調でそう言った。

まだ魔理沙の魔法を見てはいないルイズであったが先程の「杖を使わない」という言葉を聞き、連れ出して良かったと内心思った。

 

ハルケギニアにおいて魔法というのは、一般的に゛杖゛を用いて発動させるものである。

それ以外の魔法と言えば先住魔法があるのだが、これは自分たち人間の敵であるエルフや亜人達の力だ。

もしもあのような広い教室で、魔理沙が゛杖を使わず魔法を発動゛すれば…たちどころにその話は学院中に伝わる。

下手すれば吸血鬼か何かだと勘違いされ、魔理沙どころかルイズや霊夢にも危害が及ぶかも知れないのだ。

そうなればルイズの家にも迷惑が掛かるし最悪お家潰しにもなりかねない。

 

ルイズは同学年の子達と比べれば頭の良い部類に入る。

だからこそそこまでの事を見越して、魔理沙の゛魔法゛を皆に見せまいと教室から出てきたのだ。

 

「――なら、そこは言いようだな」

「…へ?言いよう?」

 

しかし、そんな彼女の傍にいる黒白の魔法使いは、頭の回転が速かった。

そして他人の言葉を、自分に都合良く解釈してしまうほどの機転の早さも持ち合わせている。

最も、それは霊夢を含めた幻想郷の住人達の大半がそうなのであるが。

 

「あぁ、もしも私の魔法を見て、アイツ等が何か言ってきたら…こう言ってやるさ」

魔理沙はそう言うと頭に被っていた帽子を外し、クルリと裏返すと帽子の内側に入っていた゛八角形の置物゛を取り出した。

表面にはルイズの見たことがない文字が幾つも刻まれており、真ん中には小さな穴が開いていた。

それは霧雨魔理沙という人物を語るには必要不可欠な道具であり、また彼女を象徴する物である。

 

「…これは貴方達がかつて見たことのない。新しい魔法です―――ってね?」

魔理沙はそう言って、手に持った「ミニ八卦炉」を両手に持ち、ルイズの方へ向けた。

そして全く予想していなかった言葉に唖然とした表情を浮かべている彼女に対して、「バン!」と大きな声で叫んだ。

 

数秒後、ルイズの拳が「ドガッ!」という大きな音を立てて魔理沙の額に直撃した。

 

 

 

それから数十分後…

授業を再開して暫く経ったとき、ルイズだけが教室に戻ってきた。ハンカチで右手を拭きながら。

「み、ミス・ヴァリエール…」

「授業中の退室、申し訳ございませんでしたミスタ・コルベール」

落ち着いた様子で授業の最中に退室してしまった事を謝ると、そさくさと自分の席に座った。

彼女の顔には何処か憑きものが落ちたかのような、嬉しそうでスッキリとした表情を浮かんでいる。

近くにいた生徒達は、彼女の様子を見て何かを感じ取ったのか冷や汗を流していた。

もう気づいているのだろう、今のルイズに漂うひとつの゛疑問゛…

 ゛本当なら、ルイズと一緒に教室に戻ってきている人間がいない゛という疑問に。

 

だが、人としてはまだまだ幼い生徒達はその疑問に触れることを避けた。

 

何でか知らないが、今のルイズにはその事を聞かないでおこう―――

 

生徒達は言葉を交えずとも、それぞれの意見は驚くほど一致した。

しかし悲しきかな、世の中にはその場の雰囲気的にやってはいけない事をついついやってしまう人がいる。

誰が望まずとも、所謂゛空気の読めない人゛というのはいるものだ。

 

ルイズが落ち着いた様子で席に座ったところで、ふとコルベールが口を開いた。

「あの、ミス・ヴァリエール。…ミス・マリサは…?」

空気が読めなかったコルベールの言葉に、ルイズは笑顔で応えた。

 

「彼女は居候の身分で失礼な事を口にしたので鉄拳制裁の後、今は私の部屋で頭を冷やしていますわ」

 

 

平日は授業がある為か、生徒達の暮らす寮塔は恐ろしいくらいの静寂に包まれる。

時折モップとバケツを持った給士達が床の掃除をしにくるだけで、後は授業が終わるまで誰も来ない。

窓から日差しが入るお陰で廊下はそれなりに明るいのだが、逆にその明るさは不気味さを醸し出していた。

まるで住む者達がいなくなった廃墟のような、朧気な切なさと儚さが立ちこめていた。

 

そんな場所と化していた女子寮塔の廊下に、景気よい靴音を響かせて歩いている霊夢がいた。

彼女は何処か暇そうな表情を浮かべながらこの世界の住処であるルイズの部屋へと向かっている。

ついさっきまでは最近手元に戻ってきたデルフリンガーという喧しい剣がいるので部屋に戻ろうという考えは浮かばなかった。

しかしいざ外へ出てみると今日に限って自分の暇をつぶせるものがなく、それならばあの剣とお喋りしていた方がマシだと思ったのである。

「ホント、廊下っていうのは誰もいない時に限って酷く殺風景よね」

ひとり呟きつつも、霊夢は窓から入ってくる陽の光に目を細めた。

どの塔もそうであるが、廊下には控えめであるものの装飾はされているが、何処か殺風景な雰囲気を漂わせていた。

その原因が薄暗いせいか、はたまた大理石の床が冷たい所為なのか、そこら辺の所は良くわかっていない。

だが廊下というのはどこもそうなのではないか?霊夢はそんな事を考えつつルイズの部屋の前にまで来ていた。

 

恐らくもう百回近くは回したであろうドアノブを捻り、霊夢はドアを開けた。

ドアはキィー…という音も立てずすんなりと開き、なんとか三人くらいは暮らせそうな部屋へと続いていた。

服を入れる大きなクローゼットや箪笥に鏡台、来客用の大きなソファーと丸テーブルと椅子もある。

暖炉には火が灯っていないものの、開けっ放しにされた窓から入ってくる日差しが暖かいのでどうということはない。

その窓の近くにはこの部屋の主には大きすぎるベッドが置かれており、寄り添うように大きめの旅行鞄が二つ放置されていた。

更にその鞄の傍には多数の本が小さな塔を三つほど築いている。

 

そこは正に、霊夢にとって見慣れた部屋であった。たった一つを覗いて―――

 

「ただいま~……ってアレ?」

ドアを開けて部屋の中に入って霊夢は、この部屋よりもずっと見慣れている人物がベッドの上で寝ている事に気が付く。

よく神社に足を運んでは頼んでもいないのにやたらと話し掛けてきてお茶をタダのみする自称普通の魔法使い。

時折スペルカード対決を挑まれては返り討ちにしたり、逆に自分を倒してしまうほどの黒白の魔法使い。

たまに鬱陶しいと感じてしまうが、それでもまぁ一緒にいるのも悪くないと思ってしまう魔法使いの霧雨魔理沙。

 

そんな彼女は、ベッドの柔らかいシーツに体を沈み込ませるかのようにうつ伏せになって倒れていた。

どんな表情を浮かべているのかわからないが、少なくとも息はしているのか体が上下に動いている。

いつも頭に被っている黒いトンガリ帽子は箪笥の上に置かれており、窓越しの直射日光を浴びていた。

「なんで魔理沙がここで寝てるのかしら?」

予想だににしていなかった人物の思わぬ予想外の登場に、さしもの霊夢も目を丸くしていた。

しかし霊夢の言葉はもっともであった。何せ今の時間帯なら魔理沙はこの部屋にいない。

この世界に来てからはルイズについていって授業を見ているし、今日も同じ筈だ。

だから霊夢は二つある喧しい要因の内一つがいないこの部屋に戻ったのだが…これはどういうことか?

これを考察するために、霊夢が考え始めようとしたとき、あの゛剣゛が声を掛けてきた。

 

『おぉっ!戻ったかレイム!今まで何処にいたんだよ?オレっち寂しかったぜ!』

ベッドで倒れている魔理沙の腹の方から、あのだみ声がくぐもって聞こえてきた。

早速気づいたか…溜め息をつきつつ内心呟いた霊夢は魔理沙の方へと近寄る。

そしてフカフカのベッドで寝ている彼女の体を遠慮せず、思いっきり両手でひっくり返した。

うつ伏せから仰向けになった魔理沙はその顔に若干の苦痛を浮かべている。

恐らくルイズ辺りに思いっきり殴られたかして気絶したのであろう。額に大きなタンコブが出来ていた。

しかし今の霊夢にはそんな魔理沙より、その魔理沙の体の下にあった剣に話があった。

 

「ねぇデルフ、早速アンタに聞きたいことがあるんだけど」

帰ってきた霊夢の第一声に、デルフは詳しく聞くまでも無く、こう言った。

『マリサの事だろ?お前さんが帰ってくるずいぶん前に二人のメイドさんが運んできたんだよ』

「ふぅん…で、この黒白がなんでこうなったのかそのメイドは言ってなかったの?」

霊夢の問いに、デルフは鞘に収まった刀身をカチャカチャと音を立てて左右に揺らした。

『いんや別に…けど二人いた内の金髪メイド、首に聖具をぶら下げてたな…ったく』

そのデルフの言葉の最後には、何処か忌々しい雰囲気があるのを霊夢は僅かに感じ取った。

まるで親の仇を目にしたかのような、一見すれば他人には良くわからない小さな憎しみ…

 

「あんた、宗教ってのが嫌いなのかしら?人間じゃない癖して」

直球過ぎる霊夢の言葉に、デルフはその刀身を激しく揺らしながら応えた。

『あたぼぅよ!何せ連中ときたら、録にブリミルの事も知らないでアイツを崇拝してるのさ。それがもぉ、イラっとくるんでぃ』

何処か江戸っ子ぽい口調のデルフに、霊夢はすかさず言葉を入れる。

「そのブリミルってのは数千年前の人間でしょうに?そんなに固執しなくてもいいんじゃないの?」

『お前さんは知らないのさレイム。ブリミル教の連中は、アイツの名を看板にして今までヒデェ事を沢山してきたんだ!』

熱を多量に含んだデルフの弾幕トークに、霊夢は軽い溜め息をつきつつもこう言った。

 

 

「…そんだけ喋ってりゃあ、物忘れが激しくなるのも納得ね」

『あぁ?どういう意味だよ?』

彼女の口から出たその言葉に、デルフは思わずそう聞き返してしまう。

それ対し霊夢は、呆れたと言いたげな表情を浮かべながらデルフへ向けてこんな言葉を送る。

「我を忘れて喋りまくってると、文字通り自分のことすら忘れちゃうのよ」

 

ガンダールヴやブリミルの事を、殆ど忘れちゃったようにね

 

最後にそう言って、霊夢は大きな溜め息をついた。

 

 

 

 

一方、場所は変わってトリステイン王宮にあるアンリエッタの居室。

そこでは今、女官や召使い達が、式で花嫁が纏うドレスの仮縫いを行っていた。

アンリエッタ勿論、そこには彼女の母である太后マリアンヌの姿もある。

彼女は人生に一度あるかないかの大事な儀式にしか着られないドレスに身を包んでいる娘を見て、目を細める。

その瞳の奥では、麗しかった頃の自分を思い出しているのであろうか。

色んな物に興味を持ち、小さくも勇敢で頼りがいのあった若騎士を連れて、街へと出かけていた頃の自分を――

 

だが、それと対を成すかのようにアンリエッタの表情には陰りが見えていた。

まるで医師に余命を宣告されたかのような、何処か諦めているかのような、それでいて告げられた事実に抗うかのような表情。

縫い子達が、袖の具合や腰の位置などを尋ねても意識が混濁している人間のように、曖昧に頷くだけ。

そんな彼女の様子に気づいたかの、何人かの侍女や女官達がその顔に不安の色を浮かべている。

 

マリアンヌが、そんな娘の様子を見かねたのか、一時縫い子達を下がらせることにした。

「どうやら私の娘は長い仮縫いで緊張してしまったようです。少し休むことに致しましょう」

太后直々の言葉に縫い子達は素直に従うとそさくさと退室していった。

次に彼女は後ろに控えている女官達に向き直り、彼女らにも退室を促す。

「貴方達も立ちっぱなしで疲れたでしょうに。すこし下に行ってお茶でも飲んできなさい」

縫い子達と同じく太后直々の言葉に彼女らは素直に従い、部屋を出て行った。

 

こうしてマリアンヌとアンリエッタ、母と娘だけになったところでマリアンヌは自身の娘に話し掛けた。

「愛しい娘や。元気がないようね」

「母さま…」

沈んだ表情を浮かべたアンリエッタは、母の膝に頬をうずめた。

子供の頃のように、まだ夢と希望を小さな体に抱いて生きていた頃の事を思い出すかのように。

「望まぬ結婚だというのは、わかっていますよ」

その言葉に、アンリエッタ顔をうずめたまま首を横にある。

「そのような事はありません。私は幸せ者ですわ。生きて、結婚することが出来ます…それに」

アンリエッタそこまで言うと一息入れるとすっと立ち上がり、後ろへと振りむいた。

大きな観音開きの窓から空から降り注ぐ太陽の光が入り、二人の体を優しく包んでいる。

アンリエッタはその光に目を細めながら、再び喋り始めた。

 

「結婚は、女の幸せだと…母様は教えてくれたではありませんか」

もう一度振りむいて再び自らの母親と向き合ったアンリエッタは、泣いていた。

明るい調子であった言葉とは裏腹にその顔は曇っており、目にはうっすらと涙が溜まっていた。

そんな娘を見たマリアンヌは、泣き笑いのような表情を浮かべてアンリエッタの頭を撫でた。

「恋人が、いるのですね」

母の言葉に娘は首を横に振ることはなく、かといって頷くこともせず、静かに喋り始めた。

「『いた』と申すべきですわ。今の私は速い、速い川に流されているようなものです…。

 全てが私の手に納まることなく、通り過ぎていく…愛も、優しい言葉も、何も残らない」

今までずっと我慢してきていたモノを今ここで解放しているのか、アンリエッタの声は涙ぐんだものへと変わっていた。

マリアンヌはそんな娘の頭を撫でつつも、口を開く。

「恋ははしかのようなもの。熱が冷めれば、すぐに忘れますよ」

「忘れることなど…できましょうか?」

不安を隠すことすらしないアンリエッタの言葉に、マリアンヌの表情が若干厳しいものへと変わった。

 

「おなたは王女なのです。忘れねばならぬことは忘れなければいけないのです。

 あなたがそんな顔をしていては、貴女の後ろにいる家臣達が離れていくことになります。」

母の口から出たその言葉に、アンリエッタはハッとした表情を浮かべた。

「先々日の…内通者の事ですね」

「えぇ、枢機卿と幾人かの者達はこの事をなるべく穏便に済ませたいと考えてはいるようですが…

 此度の内通者は、間違いなくアルビオンの手先。奴等とは不可侵条約を結びましたが…それは偽りの契りだったのです」

マリアンヌの言葉を聞き、アンリエッタは何処かやるせない気持ちになった。

 

 

時間はルイズと霊夢がアルビオンから帰ってきた翌日の事――

 

ゲルマニア皇帝とアンリエッタの婚姻が正式に発表され、それに先立ち軍事同盟が締結された。

それから程なくしてアルビオンの新政府樹立の公布が為され、トリステインとゲルマニア両国に緊張が走った。

しかし王国から共和国に変わったアルビオンの新皇帝クロムウェルは、すぐさま両国に不可侵条約の締結を打診してきた。

両国は協議の末、この締結を受け入れる事にした。

ゲルマニア、トリステイン両国の空軍ではアルビオンの誇る空軍に太刀打ちすることは出来ないからだ。

のど元に短剣を突きつけられている状態で、納得のいかない不可侵条約であったが…。

それでも未だ軍備が整えきれていない両国にとって、この申し出は願ったりであった。

 

トリステインで、アルビオンの内通者が見つかるまでは…。

 

 

「ひとまず今回のことは被害が出る前に食い止められましたが、これっきりという事はないでしょう」

「…つまり、不可侵条約はアルビオンが私たちの前に差し出した釣り餌だと…いうのですね」

アンリエッタの苦々しい言葉に、マリアンヌは頷いた。

広い部屋にアンリエッタの思い溜め息が聞こえ、その表情も暗くなっていく。

冷たい沈黙が部屋に漂い始めた時、アンリエッタが喋り始める。

 

「母様、私は時々疑問に思うのです。…何故人はこうも、他人を騙す事が出来るのでしょうか?

 言葉を巧みに操って人を騙し、騙された人の事をなんとも思わぬ奴等は…どんな事を考えているのか…

  私には全く理解できません。何で助け合うという事ができないのでしょうか?」

 

アンリエッタの言葉に、マリアンヌはすぐさま答える事が出来なかった。

ただその瞳には、いいようのない哀しみと共に渇望の色も垣間見えていた。

若い頃の自分もこんな風に純粋であった――マリアンヌは心の中でそう呟く。

好きなモノには好きと言い、嫌いなモノには嫌いと言っていたあの頃の自分を、思い出していた。



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第四十六話

アルビオン空軍工廠の街ロサイスは、首都ロンディニウムの郊外に位置している。

つい最近まで存在していた王家がこの国を治めていた頃から、王立空軍の工廠であった。

その為街全体が一つの工場となっており、街のアチコチで見える何本もの長い煙突が黒煙を空へと吐き出している。

アルビオンにある建物の中ではかなり大きい部類に入る製鉄所の隣には、木材が山と積まれた空き地が見えた。

製鉄所ほどではないが、赤レンガの大きな建物は空軍の発令所であり、その屋根には誇らしげに『レコン・キスタ』の三色の旗が翻っている。

だが、今のところここロサイスで一番目立っているのは発令所でも製鉄所でも無く、天を仰ぐばかりの大きな巨艦であった。

雨よけのための布が、旅のサーカス団が使うような巨大なテントのように、停泊した艦を覆っている。

 

アルビオン空軍本国艦隊旗艦『ロイヤル・ソヴリン(王権)号』――だがそれはもう旧名である。

『レキシントン号』――それがこの艦に付けられた新しい名前だ。

 

 

赤レンガが眩しい発令所の執務室に、二人の男女がデスク越しに向き合っていた。

「ふぅん…。私が留守にしている間、良くここまでの事が出来たわね。助かったわ」

デスクに負けず劣らず高級そうな回転椅子に腰掛けたシェフィールドが、ポツリと呟く。

彼女の冷たい視線の先にあるのは数枚の書類であり、一見する限り報告書のようである。

主な内容は先の戦の戦後処理などであり、具体的な戦死者数や雇った傭兵達に支払う料金の金額も記されていた。

そしてシェフィールドは、報告書が予想以上にうまく出来上がっている事を、若干嬉しく思った。

 

「いえいえ!貴方様のお手を煩わせぬようにと、一生懸命書き上げました!」

そんなシェフィールドと顔を合わせてデスクの前に立っている男、クロムウェルは思いっきり頭を下げて叫んだ。

このクロムウェルという男、一見すればただの司教に見えるが、実際は違う。

彼は此度の件で反乱を起こし、王党派を破滅に追いやった貴族派の指導者、オリバー・クロムウェルその人であった。

そして王とその一族が途絶えたこの国の新たな王として君臨する男でもあった。

今彼が座るべき椅子にふんぞり返って座っているシェフィールドは、彼の秘書である。

 

だが、いまこの光景を外で働いている将兵が見れば驚くに違いない。

この国を新たに治める皇帝が自分の秘書に頭を下げ、その秘書がタメ口で話しているのだから。

しかし、クロムウェルにとって目の前にいる秘書は、所謂『恩人』とも呼べる存在だ。

 

 

話せば長くなるが、クロムウェルという一人の司教が何故ここまで大きくたのにはちゃんとした理由がある。

始まりは二年前、届け物があってアルビオンから遙々ガリアの首都リュティスに赴いた時であった。

彼はちょっとした気まぐれで、酒場にいた物乞いに老人に一杯の酒を奢った。

安酒だが、物乞いには買えそうもないアルコール飲料を嬉しそうにチビチビと飲む老人はこう言った。

「司教、酒のお礼になにか一つ、願い事を叶えて差し上げよう。言ってごらんなさい」

もはや老い先長くもない老いぼれの口から出た予想外の言葉に、クロムウェルは笑みを浮かべて呟いた。

 

「そうだなぁ…――あぁ、王だ。アルビオン王家を滅ぼしてオレが新しい王になってみたい!」

「ほぅ…これまた珍しい。このようなご時世に王家を滅ぼして自ら王になりたいと?」

クロムウェルの言葉に、老人は興味津々と言いたげな笑顔を浮かべた。

その時のクロムウェルは酔っていた。酔っていたからこそとんでもない言葉が口から飛び出してしまう。

だが飛び出した言葉はそのまま冗談として空高く舞い上がることなく、老人の耳へと降り立った。

自分に酒を奢ってくれたこの司教の願い事を叶える為の、゛真実゛という名の竜となって…。

 

翌日――リュテイスの観光にでも行こうと部屋を出て一階のロビーに降りたとき、一人の女が声を掛けてきた。

「もし、そこの司教様?」

声から察するになかなかの美人だと感じたクロムウェルはそちらの方を振り向く。

そこにいたのは案の定美声に負けない程の美貌を持った黒髪の美女がいた。

ローブの上からでも分かる体のラインはちゃんとバランスが取れている。

しかし、体から発せられる雰囲気は冷たく、まるで大蛇に睨まれているようであった。

 

「…?私に何か御用でも?」

「えぇ御座いますよ。それもかなりお急ぎの御用でしてね…」

そんな美女に声を掛けられる覚えの無いその時のクロムウェルは、キョトンとした表情を浮かべていた。

だがクロムウェルの様子など気にも留めないのか、黒髪美女は喋りながらも彼に右手を差し出し、言った。

 

「ついてらっしゃいオリバー・クロムウェル。お前にアルビオン王家を滅ぼし、王になれる力を授けてやるわ」

これが、シェフィールドとの出会いであり、今の彼に至る人生の転機でもあった。

 

あれからもう早二年、念願適ってクロムウェルは自らが願った王になれる事が出来た。

無論その過程には色々と困難があったものの、シェフィールドの手助けで何とかやってこれた。

それらを思えばこの秘書に頭を下げる王の姿というのも、何処か納得できるモノがある。

 

 

一通り報告書を読み終えたシェフィールドは、手に持っていたそれをデスクの上に置いた。

「とりあえず今後の事だけれども…ちゃんと準備は出来ているのかしら?」

シェフィールドの言葉に、クロムウェルは水飲み鳥の如くへこへことお辞儀をする。

「えぇそれはもう!貴方様の持ってきてくれた計画書の通りに。…部隊の編成もじき終わります!」

アルビオン初代皇帝のコミカルな動きにシェフィールドは鼻で笑いながらも、口を開く。

「へぇ…でもそう簡単にうまくいくのかしらねぇ…。中には怪しんだ奴もいたんじゃない?」

その言葉を聞いた瞬間、クロムウェルは上下に動かしていた頭をピタリと止めた。

前に突進すればシェフィールドの腹に頭突きをぶち込ませる位置で止まった頭が、ゆっくりと上がる。

そして、上がった先にあったクロムウェルの顔には、意味深な笑みがうっすらと浮かんでいた。

 

「えぇ…確かに若手の将校共が一部異論を唱えましたが―――『コレ』で黙らせてやりましたよ」

そう言ってクロムウェルは、左手の中指にはめている指輪を右手の人差し指で軽く小突いた。

指輪の台座に嵌っている石は、まるで深い深い海の底と同じような色をしている。

それは見続けているだけで心を奪われてしまうような、美しくも危険な雰囲気を纏っていた。

 

クロムウェルの言っている意味を理解したシェフィールドは、その顔にハッキリとした笑みを浮かべた。

「上出来よクロムウェル。一国の主になったと理解したのかしら」

そう言った瞬間。コンコンという乾いたノックの音が部屋の中に響き渡った。

二人がそこで会話を止め、ノック音の発生源であるドアの方へ顔を向けた時、ドア越しに士官と思われる若い男の声が聞こえてくる。

「閣下!今日の会議に出席する者達が全員発令所に参られました!閣下もどうかご出席を!」

士官の言葉に、クロムウェルは二、三回軽く咳払いをした後、答えた。

 

「そうかそうか!では参ろうとするかな、我が国が今後行い政策を決める為に!」

低い、威厳に満ちた声は先程の強者に媚びへつらう痩せた司教のものではない。

そう…それはまるで、゛皇帝゛。数万の民と文武百官をその背に連れた皇帝のソレであった。

 

この国の今後を決める会議が行われようとしている発令所の向かい側には、二階建ての大きな倉庫がある。

倉庫の側面には旧アルビオン王国の紋章が描かれており、ここはかつて国が管理していた倉庫だと一目で分かる。

しかし周りにある建物と比べてみるとその倉庫だけ古びており、今も尚使われているという雰囲気はない。

倉庫の入り口である大きなゲートと各出入り口のドアには赤い鉄製のプレートが貼り付けられている。

雨風に当たってすっかり錆びてしまってはいるが、何とかプレートの書かれた文字は読むことが出来た。

 

゛立ち入り禁止!倒壊の恐れあり!゛

 

何年も前にあった爆発事故で閉鎖された倉庫に目を向ける者はこの一帯にはいない。

まだこの国が゛王国゛だった頃は取り壊しの案などが出ていたが、その王国もつい最近滅びた。

今やこの倉庫はそこにあるものの、誰から見向きされる事無くじっと佇んでいる。

もしこのまま何もされなければ、永遠とも言える時間の流れに身を任せてただの廃墟になるだろう。

 

しかし今日に限ってこの倉庫には久しい客がひとり、訪れていた。

 

 

その客は倉庫の二階にいた。

二階は事務室として使われていたのだろうか、一階と比べればかなり狭い部屋である。

机や椅子などは撤去されており、床も所々グズクズに腐っていて抜け落ちている箇所もある。

空気もジメジメとしており、既に役目を果たしていない亀裂だらけの天井から見える晴天と対照的な雰囲気を放っていた。

しかし女は、それを気にすることなくその部屋の窓から顔だけを出して何かを見つめていた。

彼女の視線の先には丁度発令所の執務室が丸見えであり、外いる者達はその事に誰も気づいていない。

当然発令所にいたシェフィートルドとクロムウェルも、その事に気づきはしなかった。

 

「あれがこの国の新しい指導者か。とんだ役者だな…――いや、人形か」

事の一部始終を見ていた女は、クロムウェルとシェフィールドのやり取りに対し、一言だけ呟いた。

亀裂だらけの天井から入ってくる陽の光に当てられた美しい金髪がキラキラと輝いている。

服装は長袖の白いブラウスに黒い長ズボンと、どうにも男にモテなさそうな服装だが、それで良かった。

彼女は所謂゛逆ナン゛の為にここまで来たのではなく、それどころか゛そこいらの人間゛にも興味は無かった。

 

「あんなのが皇帝では、この国は一年も経たずに終わりそうだ」

冷たい声でまたも呟き、彼女は自分の足下に置いてある大きなリュックの中へと手を伸ばす。

リュックは長旅などに用いられる軍用の物で、その中には幾つかの荷物や食料が入っていた。

何回か漁ってようやく目当ての物を見つけたのか、リュックの中から一冊のメモ帳を取り出した。

年季の入った牛革のメモ帳のページをペラペラとと捲り、真ん中辺りの所で止める。

そこには色々な事が書かれているが、その文字はハルケギニアで使われている物とは違う。

ここ『ハルケギニア大陸の存在する』世界とは『別の場所にある世界』では俗に「日本語」や「漢字」と呼ばれるものであった。

日本語と漢字で構成されたその内容はハルケギニア大陸各国の状況が事細かく記されている。

習慣、風習、宗教、政治、治安、軍備、経済、物価、伝統、食事、技術、人物…。

ありとあらゆる事が記されたそのメモ帳は、正に情報の宝庫とも言っていい。

そして驚くべき事に、この記録は彼女自身が直接見聞きして、記してきたのである。

 

「あんな人間が一人ここまで上り詰めたとは到底思えない。…今のところ、あの秘書が臭うな」

女はブツブツと呟きながらもいつの間にか手に持っていたペンで、すらすらとメモ帳に何かを書き始める。

その動きは速く、口が動くのと同時にペンがシュッシュッと音を立てて動き、記録を残していく。

やがて書き始めてから数秒もしない内にペンがメモ帳から離れ、新しい記録がそこに記された。

 

゛アルビオンの新しい指導者となったオリバー・クロムウェルはただの小心者。

  恐らく秘書を自称するシェフィールドが裏で暗躍したのだろうが、彼女単独の事とはとても思えない゛

 

自分の書いた内容を今一度確認した後、女はメモ帳を閉じて鞄の中へと入れた。

その時であった、窓越しに何人もの男達の声が聞こえたのは。

 

――…あ…に…女が!……発…所の方を…覗…てるぞ!

―――何…スパイ……知れん!引…捕らえるんだ!

――…いで鐘を鳴らせ!…周りの…に知らせ…いと!

 

声が途絶えた瞬間、辺りにカーンカーンと甲高い鐘の音が響き渡った。

これは見回りの兵士や歩哨などが持つ緊急事態用の小さな鐘で、周囲にやかましいくらいの音を響かせる。

それと同時に、それが鳴ったという事はそれ相応の緊急事態が起こったと他の兵士や将校に伝える事が出来るのだ。

事実鐘の音を耳にした何十人もの兵士達が、鐘の方へと走ってきていた。

 

「気づかれたか。まぁ別に良いのだがな」

一方の女はというと、すぐ傍にまで兵士が来ているというのに焦ることも恐れることもなかった。

ただリュックの口を紐で締めるとそれをゆっくりと担ぐと、その場でグルリ!と体を一回転させる。

一流ダンサーを思わせるような華麗な回転の後、何枚もの布が擦れる音が辺りに響いた。

 

 

 

 

「ここで間違いないな?」

上品ではあるもの、戦闘に適した服を着たメイジの士官が、後ろに入る下級士官に再度尋ねる。

「はい、先程二階から発令所を見ていた女がいるのをハッキリとこの目で見ました」

帽子を被り、その手に槍を持った伍長は上官の言葉に頷いた。

二人の周りには武器を持った数人の兵士と杖を持ったメイジがおり、誰もが緊張した表情を浮かべていた。

 

数分前、この倉庫の近くで緊急事態用の鐘が鳴り響いたのである。

発令所の方から駆けつけた将軍達が何事かと問いただしてみたところ、鐘を鳴らした伍長はこう応えた。

「大変です!あそこの倉庫の二階に発令所を見つめてメモをしていた女がいます!スパイかも知れません!」

ややけ興奮気味に喋る伍長の言葉に、将軍達はすぐさま気持ちを切り替えた。

先程までいざ会議という気持ちが嘘のように変わり、その場にいる兵士達にすぐさま指示を飛ばした。

そして今この倉庫に来ている者達はその指示を受け、まだ二階にいるかもしれない者が居るのか確認しに来ていた。

 

「良いか?訓練通りだぞ伍長、お前がドアを開ける…その後で私たちメイジ隊が中に突入する」

少し優しげな雰囲気を放つ上官の言葉に伍長は無言で頷き、次いでドアノブをゆっくりと捻った。

とっくの昔に鍵が壊れたドアのノブはすんなりと開き、瞬間伍長は勢いよくドアを開けた。

バタン!と勢いよくドアが壁に叩き付けられる音と共に数人の武装メイジ達が杖を構えて部屋の中に入った。

だがその瞬間、軽装のメイジ達は突然発生した空気の塊によって部屋の外に吹き飛ばされてしまった。

突然のことに、部屋の外で待機していた伍長含め平民出の兵士達は驚いた。

「なっ何だ…!?敵はメイジなのか…!それも風の…」

その場にいた一人の兵士がメイジ達の傍へと駆け寄るが、不幸なことにメイジ達は皆気絶していた。

まさかの事態に兵士達は狼狽え、誰も部屋の中を見ようとはしなかった。

「クソッ!お…おい、誰か銃を持ってないか!?メイジ相手の接近戦には銃が一番だ!」

彼らが思わぬ事態に慌てている中、部屋の中から女の声が聞こえた、

 

 

「いや、私はメイジじゃないぞ」

鋭く、ドスの利いた声を耳にした兵士達はすぐさま振り返る。

そこにいたのは――――「人」に限りなく近い姿をした「狐の亜人」であった。

白い導師服の上に青い前掛けを付けており、その前掛けには良くわからない記号の刺繍が施されている。

金髪が眩い頭には狐の耳を隠す為か白い頭巾を被り、その頭巾にこれまた謎の記号が書かれた紙を何枚も貼り付けていた。

顔は美しく均整が取れており、正に美人という言葉を体現したかのような美しさを持っていたが、浮かばせている表情は冷たい。

一見すれば異国の衣装を纏った狐の亜人であるが、兵士達が注目したのは亜人の「尻尾」であった。

太く、柔らかい毛並みを安易に想像できるその尻尾は天井の隙間から漏れる太陽光で、黄金に光っている。

もしあの尻尾だけを切り落としてその系統の好事家に見せれば、泣いて喜ぶに違いない。

しかし、兵士達が注目しているのは尻尾そのものではなく―――尻尾の数であった。

 

彼女の背後から見える大きな尻尾の数は九本―――そう九本であった。

 

一本だけでもかなり大きい狐の尻尾が九本、どれも立派な毛並みをしている。

そしてこれは兵士達の気のせいなのかも知れないが、その尻尾一本一本から禍々しい何かが漂っている気がした。

この大陸に様々な亜人はいるが尻尾を生やしている亜人は少ないし、生えていたとしても一本だけだ。

「それに…銃で殺される程、私は若くないんだが…?」

聞かれたわけではないが、狐の亜人は「誰か銃を持ってないか!?」と叫んでいた兵士に顔を向けて言った。

その瞬間、銃を求めていた兵士は「ヒゥッ…!」とか細い悲鳴を上げてバタリと倒れ、そのまま気を失ってしまった。

「む…、情けない奴め…。まぁ仕方ない、チンピラ程度の人間ならこれくらいで倒れて当然か」

狐の亜人は倒れてしまった兵士を見て目を細めたが、すぐに先程の冷たい表情に戻った。

他の兵士達はその亜人に攻撃を加えることも逃げる事も、それどころか喋ることも出来ずその場に立ちすくんでいる。

仮にも彼らは雇われた傭兵達とは違い、正規の士官学校で学び、死よりも辛い訓練を経た兵士である。

チンピラや盗賊はおろか、並みの傭兵にも引けを取らない彼らをチンピラ扱いしたのである、この亜人は。

 

「まぁ私とてここでは手荒にしたくないから、今日はこの辺りで帰らせて貰うよ」

狐の亜人は何処か見下した感じで言いながらゆっくりと兵士達に向かって歩き始める。

ギシュ…ギシュ…と湿り、半ば腐りかけている床が軋む音に兵士達は体をビクリと震わせた。

皆が皆その顔を蒼白にしており、恐怖を通り越した何かを感じていた。

「なぁに、怖れることはないさ。大抵の人間は私を見たら怖がるしな」

亜人は大袈裟に両手を横に広げ、兵士達との距離をドンドン詰めていく。

「もしそんなに怖れるのなら…笑い飛ばしてここにいない他人に言ってやればいいのさ」

 

もう兵士達と一メイルほどの距離に来たとき、狐の亜人―――八雲 藍は足を止めてこう言った。

「我ら一同、見事狐に化かされました。―――…ってね」

 

 

 

トリステイン魔法学院―――ルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールの部屋。

 

この学院内では、かなりの家名を持つ名家のお嬢様が寝泊まりしている部屋。

その部屋に置かれている、それなりに大きい本棚を一人の巫女が漁っていた。

どうやら本を探しているようなのだがお目当ての本が無かったのか、軽く一息つくと首を横に振った。

「ふぅ…無いわね。魔理沙が持ってきた本も探したんだけどね…」

巫女――霊夢は残念そうに言うとクルリと踵を返し、部屋の中を見回した。

本来は彼女を召喚したルイズの物であるこの部屋は、今や空き巣に入られたかのような悲惨な空間となっていた。

クローゼット箪笥、戸棚等々…開けられる場所は全て開放され、ルイズが大切に隠していた秘蔵の茶菓子が入った箱も幾つか発見していた。

つい数分前までは小綺麗だったこの部屋は、博麗霊夢というたった一人の人間が原因で、乱雑した雰囲気を放つ部屋と化してしまった。

最も、これが霊夢ではなく今この部屋のベッドで気を失っている魔理沙だったらもっと悲惨な空間となっていただろう。

 

「はぁ…これだけ探して無いとすれば。やっぱり気絶してる魔理沙が隠してるのか、もしくは紫が持ってったのかしらね…」

すでに探せる場所を探し終えた霊夢はそう呟き、今日何度目かになる溜め息をついた。

「…まぁ別に必要の無いモノだったけど…どうしてこうそういう時に限って見つからないのよ」

『そりゃお前さんが溜め息ばっかりついてるからじゃないか?』

霊夢のうんざりとした感じの独り言に、テーブルに置かれたデルフが応えた。

それに対して霊夢はキッと鋭い視線をデルフに向ける。

「溜め息をつくと幸せが逃げる…ってやつ?馬鹿馬鹿しいわね、だったら私は今頃不幸のどん底じゃないの」

霊夢の言葉がおかしかったのか、デルフはプルプルと刀身を震わせた。

 

『なーに言ってんだよレイム、オメーの服装センス自体が不幸さ。生まれついての不幸ってヤツさ』

デルフの遠慮のない一言は、絶賛不機嫌中の霊夢を怒らせるのに十分な起爆剤となった。

「へ~…成る程。じゃあアンタは、ちょっと衝撃を与えただけで壊れるような錆びた刀身になった事が不幸よね?」

霊夢はその顔に笑みを浮かべながらもえげつない事を呟くと懐を漁り始め、お札を手に取ろうとする。

それが何を意味するのか、ここ数日霊夢との会話で理解していたデルフはガタンガタンと刀身揺らしながら叫んだ。

『ワッ!やめろってオイ!…お前剣を殺す気か!?殺人ならぬ殺剣を犯すことになるぞ!えぇオイ!?』

哀れデルフリンガー、このまま霊夢お手製のお札で壊れてしまうのか…と思った瞬間。

 

「ん…むむむ…うぅん…うぅぅ…ん」

ふとベッドの方から呻き声と共に、今まで気絶していた魔理沙がようやく目を醒ました。

ゴシゴシと目を擦りながら眠たそうな顔で部屋を見回し、次いで大きな欠伸を一発かました。

「ふぁあぁ~…あれ?霊夢とデルフじゃないか…というかここってルイズの部屋だよな?」

半目がやけに可愛い顔でそう言いながらベッドから出ると、箪笥の上にあった帽子を手に取り、被った。

「おはよう魔理沙、アンタルイズに何かちょっかいでも掛けて殴られたんでしょう?」

「ん?…あぁそういえば突然ルイズに殴られたんだっけな…イテテ」

勘の良い霊夢に指摘された魔理沙はルイズに殴られた事を思い出し、その時の痛みが残っている額を撫でた。

「全く、アンタって余計な事さえ言わなきゃ割とマシなんだけどね」

目の前の白黒に呆れた霊夢の言葉に、魔理沙はムッとしつつも言い返す。

「失礼なヤツだぜ。私はタダ自分の好奇心に従ってただけさ!…ま、その結果がコレだけどな」

『格好良さそうな言葉を吐いてるつもりなんだが、イマイチ決まってねぇぞマリサ』

デルフはそう言いながら、プルプルとその刀身を震わせた。

 

 

それから数十分後…

とりあえず朝の掃除も終え、することが無かった霊夢はお茶を飲むことにした。

ついでいつもなら部屋にいない魔理沙も、折角だと言うことで霊夢のお茶を頂くことになった。

ベッドの上に置かれていたデルフはという、霊夢の手によってロープでグルグルに巻かれて喋ることが出来なくなったうえ、クローゼットの中に入れられた。

霊夢曰く、「四六時中喋られたら。休めるにも休めないのよ」…ということらしい。

 

 

「ふ~ん。そういやコルベールのヤツ、自分の掘っ立て小屋に色々変な物を置いてたわね」

霊夢は魔理沙の口から出る話を何となく聞きつつ、持参した自分の湯飲みに入れた緑茶を啜る。

先程まで開きっぱなし出会った部屋中の゛戸゛は全て閉じられ、元の綺麗でサッパリとした部屋に戻っている。

デルフが置かれていたテーブルにはこれまた霊夢が持参してきた急須に茶葉の入った袋が置かれていた。

ついでに、先程戸棚を開けた時に見つけたルイズ秘蔵の茶菓子も、ちゃっかりとテーブルの上に置かれていたりしている。

「それでよ、何となく気になった私は動かしてみたいと思ったんだが…ルイズに掴まれて結局何も出来ずじまいさ」

魔理沙は心底残念そうな表情を浮かべつつも霊夢の淹れてくれた緑茶を一口啜り、ルイズが隠していた茶菓子の一つであるクッキーを一枚手に取った。

 

 

このクッキー、見た目は普通のチョコサンドクッキーではあるが、トリステイン王家の家紋である白百合のプリントがされている。

実はコレ、この学院に入ってきた入学生や無事に進級した生徒、そして卒業生しか貰えない学院からのプレゼントであった。

入学生達には歓迎の挨拶として、進級生達には新しい友達を迎える為に、卒業生達はここを巣立ってもあの時の気持ちを忘れないようにと…

実質的には単なる粗品だが、生徒達にとってこのクッキーはある種の特別な存在であった。

大抵の生徒達はクッキーをすぐに食べようとはせず特別嬉しい事があったり、友達を自分の部屋に迎え入れた時に食べるのである。

クッキーの入った箱には長期保冷用のマジックアイテムがついており、カビる心配もない。

 

味の方も、学院のコック長であるマルトーが腕によりを掛けて作ったこともあって非常に良い。

サクッとした食感に柔らかいバターの風味と、苦みよりも若干甘みの多いチョコクリームは正に一級の品である。

入学式の後にそれを一度食べたルイズも、受け取ったらすぐに食べる類の物ではないと気づき、今年は戸棚に入れて大事に保管していた。

戸棚から取り出して箱の蓋を開ける時――それは彼女にとってとても…とても大事な日を意味する。

 

 

いつか来る青春の一ページを飾るであろうクッキーの一枚が…魔理沙の口の中へと入っていく。

 

サクサク…サクサク…

気持ちの良い音と共に粗食されるクッキーは、魔理沙の表情を緩ませた。

「ん~、なかなかイケるなこのクッキー。緑茶とはあまり相性が良くないが」

何処か多いような一言に、霊夢は表情を変えずに、クッキーを一つポイッと口の中に入れて粗食する。

サク…サク…

口に入れた瞬間、紅魔館や時折人里から妖怪退治のお礼にと貰う祝い物のそれとは違う代物だと霊夢は瞬時に理解する。

それと同時に、確かにこれは緑茶に合わないわね。と心の中で毒づいた。

「むぅ…確かに。これなら紅茶を…いや緑茶だから煎餅でも用意した方が良かったかしら。持ってきてないけど」

しかしあくまで緑茶の好きな霊夢は、紅茶を選ぶよりも緑茶を選んだ。

そんな巫女に、魔理沙は苦笑しつつも二枚目のクッキーは半分に割りつつその片方を口の中に入れる。

「ムグムグ…ゴク。…お前ってホント緑茶好きだよな、偶には紅茶の勉強でもしたらどうなんだ」

「アンタ神社の縁側でするアフタヌーンティーってそんなにステキだと思ってるの」

霊夢の言葉に、魔理沙は自らの脳内で想像してみた。

 

ある晴れた日の昼下がり、博麗神社の縁側。

白いティーカップの中には程よい熱さの紅茶、そのすぐ横にはサンドイッチやスコーンなどの軽食とお菓子。

そしてティーセットの傍には…神社の巫女である霊夢。

 

そこまで考えたとき、魔理沙は思わず吹き出してしまった。

「プッ…駄目だな。お前さんの神社にはやっぱりティーカップじゃなくて湯飲みが似合うよ」

急に吹き出した魔理沙に、霊夢は呆れた表情とジト目のダブルコンボを浴びせかけた。

「全く、どんな想像をしてたんだか―――――…あ、そういえば」

喋っている途中、ふと思い出した事があった霊夢は、真剣な表情になると魔理沙の方へ顔を向けた。

「魔理沙、ちよっと聞きたいことがあるんだけど?」

「ん?何だ霊夢。気が変わって紅茶の勉強でもしたくなったのか?」

魔理沙の勘違いに霊夢は何言ってのんよと突っ込みつつ、話を続ける。

「アンタがこの世界…というよりルイズの部屋に来てからここで日本語の本を見たことないかしら」

「本?」

「…本というより日記かしらねぇ。なんかこうボロボロで…汚れてた感じはするけど…見てない?」

霊夢の口からそんな言葉が出てくるとは全く思っていなかった魔理沙は、目を丸くしつつも首を横に振る。

「いや、そんな本なんて見たこと無いが…何だ霊夢、お前ここに来てから読書も趣味のひとつになったのか?」

魔理沙の茶化すような最後の言葉に、霊夢は素直に否定の意を述べる。

「違うわよ。ただちょっと遠出した際に気になったからちょっと部屋に持って帰ってきたんだけど、いつの間にか無くなってて―――」

そこまで言ったとき、ふと背後から聞こえてきたドアの開く音に、霊夢は口を止めて頭だけをそちらへ向けた。



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第四十七話

ドアを開けて部屋に入ってきたのは、この部屋の主であるルイズであった。

彼女は手に先程の授業で使用した教科書を出入り口の側に置いてある小さな台に置き、二人の方へ近づいていく。

「あらマリサ、あんたレイムと一緒にお茶を飲んで……た…」

ルイズの口から出た言葉、魔理沙と霊夢の間にあるテーブルの上に置かれたクッキーを見て、言葉が止まる。

既に何枚かが開かれた箱の中から取り出され、うち一枚の片割れが魔理沙の手の中にあったのも、見逃さなかった。

勘が鋭い霊夢はルイズの様子が豹変したことに怪訝な表情を浮かべたが、魔理沙はそれに気づかないでいる。

「おぉルイズ!もう次の授業か?次は耳を引っ張ったり殴ったりしないでくれよな」

ペチャクチャと喋りながら体が止まったルイズの側へと近づき、新たに箱から取り出したクッキーを一枚差し出す。

ルイズはというと、差し出されたクッキーに視線を向きながら抑揚のない声で、魔理沙に質問してみた。

 

「ねぇ魔理沙…このクッキー入りの箱は…何処で―――誰が―――見つけて――勝手に開けたのかしら?」

ルイズの質問に、魔理沙はすぐに応えた

「ん?あぁさっきそこの戸棚を開けた霊夢が見つけたんだよ。それで丁度いいお茶菓子だって…」

「私、ちょっと外でも飛んでくるわ」

良くも悪くも口の軽すぎる魔理沙の喋っている最中、霊夢は席を立った。

ここにいては危険だ―――長年の戦闘経験から、ここにいては面倒くさいことになると感じ取ったのである。

席を立った彼女はそのまま早足で歩いて窓から飛び立とうとしたが、ルイズの方が速かった。

 

霊夢が逃げようとしたのを感知したルイズは、すぐさま近くにあった箪笥の中から、乗馬用の『特殊な』縄を取りだした。

小さく、可憐なルイズには全く似合わないその縄を、彼女は勢いよく振り回し始めた。

数秒も経たずに縄はフュンフュンと空気を切り裂くような音を部屋中に響かせる。

一方の霊夢は窓の方にたどり着いたが鍵が掛かっており。その時点でもう霊夢の敗北は確定していた。

 

一秒―

 

「とりゃ!」

勢いのあるルイズの声と共に、振り回していた投げ縄を霊夢の方に向けて飛ばした。

 

二秒――

 

窓の鍵を開けて逃げようとした霊夢の背中に―に、縄の先端が当たった。

 

三秒―――

 

瞬間、縄がボゥッ…黄色く光り輝くと、まるで大蛇の如く縄が霊夢の体に巻き付いた。

 

四秒――――

 

「クッ…!」

魔力の篭もった縄に体を拘束された霊夢は、自分の霊力を使って縄を解こうとしたが、時既に遅かった。

 

五秒―――――

 

霊夢の体が縄に巻かれたのを瞬時に確認したルイズは懐に手を忍ばせ、ある物を取り出した。

「あぁ…っ!?それ私の…!」

ルイズが何を取り出しのか見ていた魔理沙が目を見開いた瞬間、ルイズはそれを投げた。

 

六秒――――――

 

「でッ…!!?」

投げられた゛物゛は、一寸も狂うことなく、隙を見せていた、霊夢の――額に命中した。

 

七秒―――――――

 

ゴ チ ン ! !

 

金属から造られたそれは、霊夢の気を失わせるのには丁度良かった。

コン!カラカラ…と投げた物が床に落ちてコロコロと何処かへ転がっていく中、ドサッと倒れる音も聞こえてきた。

流石の博麗の巫女もあれにはたまらなかったのか、情けない表情を浮かべて気絶していた。

 

ここまで、七秒。僅か七秒である。

 

 

「うぉっ…あの霊夢がいともカンタンに…っていうかルイズ、いつ私の八卦炉を盗んだんだよ?」

倒すべき存在を倒し、一息つこうとしたルイズの耳に魔理沙の質問が飛び込んできた。

そちらの方へ顔を向けると、いつも笑顔を浮かべているような彼女が驚きの表情を浮かべている。

だが無理もない、何せあの博麗霊夢がたった一瞬の隙だけで、この様な目にあってしまったのだから。

「盗んだですって…?人聞きの悪い。私はアンタが殴られた時に手から落としたコレを、拾っただけよ」

いつの間にか自分の足下に転がってきたミニ八卦炉を手に取りながら、ルイズはそう言った。

ルイズの言葉に、魔理沙はその時の事を思い出した。

(そういや確か…気を失う直前に八卦炉が手からポロリと滑り落ちたような気が…)

心の中で魔理沙が思い出した時、ルイズは一息ついてこう言った。

 

 

「それに…゛盗んだ゛のは貴女と霊夢の方じゃないかしら、マリサ?」

 

「は?どういう事だよルイズ。私は盗みなんかしないぜ」

ただ借りてるだけさ。と最後に一言付け加えるが、ルイズはそれを気にせず話を続ける。

「私ね、部屋のあちこちに特別な日に食べたいお菓子を幾つも部屋に置いてるのよ」

ニコニコと爽やかではあるが、何処か不気味な雰囲気漂う笑顔を浮かべつつ、ルイズは喋る。

「しかもそのクッキーはね…私が一番特別だと思う日に食べたいと…と、取っておいたやつなの」

段々とルイズの笑顔が邪悪な雰囲気を帯びていくのを感じた魔理沙は思わず後退ってしまう。

その邪悪さは、以前紅魔館で見たレミリアの笑顔と比べれば可愛いモノだが、それでも十分に怖いものであった。

「あ、あ~…な、なんだ?私はその…食べただけだぜ」

魔理沙は言い訳でも言おうとしたのだろうが、それが火に油を注ぐ事となった。

「へ、へ、へ~…あ、あ、アンタは食べたたただけなのねね…わ、私のたたた大切なおおか菓子を、を…!」

先程よりも邪悪さが増していくルイズの雰囲気に、魔理沙は悟った。

 

(あ~、駄目だコリャ。背中を見せたら確実に酷い目に遭うな…)

丁度自分の背後に愛用の箒があるのに気が付いている魔理沙ではあったが、逃げる気は失せていた。

いま箒を手にとっても跨る前に捕まってしまう。そして今窓の傍で気絶している霊夢の二の舞になる。

ましてやミニ八卦炉も奪われている手前、退路は完全に断たれたも同然である。もう自分に逃げ場は無い。

 

たった一つの道は、目の前にいるこの少女を倒してドアから逃げるしかない。

(そうと決まれば…善は急げだぜ!)

覚悟を決めた魔理沙は、キッと鋭い笑みを浮かべ―――ルイズに突撃した。

勝率などわからない、わからないから魔理沙は突撃の道を選んだ。

霊夢もそうしていたであろうし、魔理沙の知っている幻想郷の好戦的な奴等も同じ答えを出していたに違いない。

自分が勝つと信じてやまない者達は、どんな危機的状況に陥っても僅かな希望があればそれに縋り、必勝の策を編み出す。

勝つか負けるかわからない――だからこそ戦うのだ、自分の勝利を信じて。

 

 

ピ チ ュ ー ン ! 

 

――しかし、だからといってやる気満々の敵に突っ込んで勝てるとは限らない。

『自分のパンチより、ルイズのアッパーの方が速かった』という事が読めなかった魔理沙は、呆気なく撃沈した。

 

 

 

その頃、トリスタニアのチクトンネ街は――――

 

いつもは夜型の人々で賑わうここは、朝方と昼は大分落ち着いている。

それでも人の入りはあり、ブルドンネ街と同じく露天商達が道ばたで商売を始めていた。

仕事帰りの人々を誘惑する夜中のお店は朝方にはその看板を下げ、グッスリと眠っている。

彼ら、彼女らは朝に寝て午後から仕込みと掃除を始めて夕方頃の開店に備えての準備に入るのだ。

そんな店はここチクトンネ街に星の数ほどあるが、その中でもかなり異色な店が存在していた。

ウエイターは女の子達ばかりなうえ、とても魅力的な服を着ており、貴族からも賞賛の声を度々聞く。

「女の子達がステキだった」とか「チップを出すのに夢中で財布の中身が無くなった」等々…色々と評価してくれている。

 

『魅惑の妖精亭』。それがこの店の名前であった。

 

 

シャコシャコシャコ…

「あしゃ~はやっぴゃり~ねみゅい~もよ~…♪」

店長スカロンの娘であるジェシカは、店の裏口で歯を磨きながら何処か現実味のある歌を口ずさんでいた。

裏口のある通りは閑散としており、目立つモノといえばご近所の店が裏口に出しているゴミを漁る野犬と野良猫、それにカラスだけだ。

主に人間の食べ残しを狙う彼らはこの時に限って争うことなどせず、お互いのルールを守っている。

この場面だけを見れば、人間と比べて大分秩序を保てているのは間違いない。

ハルケギニアの各所にある第三諸国などでは、畑の作物や家畜の奪い合いが原因で戦争になっているところもある。

それを考えれば、動物の方が第三諸国を治める王達よりかは大分利口だ。

 

だが、ジェシカはそんな光景に目もくれず、歯ブラシを口に入れたままボーッと空を見上げていた。

隣接する建物と建物の間から見える空はかなり太い一本の線として見えている。

陽が当たらない薄暗い通りとは対照的に白い雲が右から左へと流れ、サラサラと緩やかな初夏の風が肌を撫でる。

 

この時間帯、朝食を食べ終えた人々が仕事の為に各々の勤務場所へと足を運ぶ。

飲食店や雑貨屋、ブティックに本屋、石切場に魚の養殖場(食用、観賞用の淡水魚だけだが)等、様々である。

しかしジェシカやスカロン、そして店の女の子達を含めた夜中のお店で働く人々は、ゆっくりとベッドで疲れを癒す。

ジェシカ自身も、今は寝る前の歯磨きをしており、決して仕事へ行く前の慌ただしい歯磨きではない。

故にこうして途中で手を止め、雲の流れる爽やかな朝の青空を眺めているのであった。

 

 

しかし、その時間は表の通りからやってきた女性の声で台無しとなった。

「やぁジェシカ。寝る前の歯磨きをしてるのか?」

「…うっ!…ムグ…ムグ……ぷはっ!」

いきなり声を掛けられたジェシカ聞き覚えのある声を耳にし、思わず口にくわえた歯ブラシを吐き出しそうになった。

しかしそれをなんとか堪えて数秒間無呼吸に悶えた後、口から歯ブラシを取り出すという選択を選ぶ。

歯ブラシを持っていた右手で持ち手を掴み、そのまま一気に口から出したところで、止まり掛けた呼吸を再開する事が出来た。

「はぁ…はぁ…アンタねぇ、前もそうやってアタシを驚かそうとしたわよね?」

もう少しであの世の花畑と河岸が見えるところだったジェシカは、目の前で穏やかな笑みを浮かべる女性に苦々しく呟く。

「そうかな?あの時は私に気づいているものだと思って声を掛けたんだがな…ちゃんと料理の載ったトレイも受け止めただろ?」

しかし女性はそんな苦言など何処吹く風で、まるで旧友と若い頃の思い出を語っているかのような感じで言った。

 

女性の服装は足首まで隠した長い黒のズボンに白いブラウスと変わっており、その上に若草色のローブを羽織っている。

一昔前の女性ならわかるものの、この時代では女性のような服装は時代遅れもいいところだ。

しかし女性の肌は珠のように白く顔もジェシカや店の女の子達に負けず劣らず…いや勝っていると言って良い。

陽の光に当たって輝いている麦の如き金髪をボブカットにしており、遠くから見ればただの好青年として見えてしまう。

だが一歩近づいてそれが女だとわかれば、何処か不思議な魅力を感じてしまう。

それは男性だけではなく、女性もまたその魅力に惹かれるのである。

 

「はぁ…それで、今回は五日もあの子だけ置いて何処に行ってたっての?」

あまり悪いようには見えない笑みを見せられたジェシカは、呆れた様子でそう言った。

「まぁそう言うなよ。あの子だってちゃんと客室の掃除をしてくれてるだろ。…それに土産も買ってきたし」

それに対し女性は冷静に返しつつ、背負ったバッグを地面に下ろし、中を漁り始める。

ジェシカはその言葉にムッとなってしまうが、まぁいつもの彼女だと思って軽い溜め息をついた。

 

二人の言う『あの子』とは金髪の女性と共にいた、まだ十代にもなっていない栗色の髪が眩しい女の子のことである。

 

 

数週間前、ここの店長でありジェシカの父であるスカロンが二人を連れてきた。

聞くところによると女性はかの東方の生まれで、今はハルケギニアの各地を旅しているらしい。

様々な大国や小国、山々や平原を歩き渡り、しばらくはこのトリステインに身を置くことにしたのだという。

まぁ治安が比較的良く、戦争や領地をめぐっての小競り合いも滅多に無いこの国は、体を休めるのには丁度良いところだ。

しかし、いざ宿を探してみると間が悪かったのか、何処も空き部屋が無いという時にスカロンと知り合ったそうだ。

ちょっとばかしその場で話し合い、店の仕事を手伝って貰う代わりにお店の上の階にある部屋に泊まらせる事となった。

 

「初めまして、―――と申します。以後迷惑にならないようこのお店の仕事を手伝って行きたいと思います」

東方の国の生まれ故かハルケギニアでは聞かない奇妙な名前と律儀な物腰に、ジェシカを含めた店の者達は彼女に拍手を送った。

その拍手に女性は嬉しそうな笑みを浮かべると、後ろにいた少女を自身の前に出し、自己紹介を促した。

「は、はじめまして…――と申します。よろしくおねがいします…」

女性と同じく、東方の生まれと思われる奇妙な名前とその暗い雰囲気が漂う自己紹介の後、ジェシカがその子に質問した。

「よろしくね――ちゃん。ところで、ここは店の中だけど…帽子は外さないの?」

何処か空気の読めてないジェシカの発言に、素早く金髪の女性がフォローを入れた。

 

「すいません。この子はちょっと皮膚が弱くて室内でも帽子を被っているよう、祖国の医者から言われているもので…」

どこか胡散臭いものが漂ってはいるが、ジェシカやスカロン達は彼女の言葉をとりあえずは信じることにした。

この様な場所で店を開けば、自分の過去を酷く忌み嫌う者達がふらりと寄ってくるものだ。

ある者は過去を一時の間忘れるために飲んだくれ、またある者は新しい人生を探しに足を運ぶ…。

きっと彼女らは後者なのだろうと思い、とりあえずは『魅惑の妖精亭』に新しく入ってきた二人を手厚く歓迎した。

 

 

「それじゃあ、私は部屋に戻るとするよ」

「はいはーい!今日も早いんだからさっさと寝なさいよね~…ふぁ~」

一階の酒場でジェシカと別れた後、金髪の女性は二階へと昇り、一番奥にある客室へと足を運んだ。

ここ『魅惑の妖精亭』は一階部分がお店で、二階の方は家のない従業員達の部屋と幾つかの客室がある。

客室の方は、酔いすぎて家に帰れなくなった客を入れるところで、店の人気もあって使用頻度は高い。

そして当然の如く賃貸料があるので、店的には儲かっているらしい。

 

想像して欲しい。気持ちよく飲んでベロンベロンになって意識を失い、気づいたら見知らぬ部屋のベッドで寝ていた。

慌てて外に出てみるとその顔に笑顔を貼り付けた店の女の子が、一枚の紙をもって口を開く。

「おはようございます。お部屋の賃貸料をいただきに来ました」

 

自業自得であろうが、冷たい夜の路上に放り出されるより大分マシだろう。

そんな事を思っていると、気づけばもう二階の一番奥にまでたどり着いていた。

すぐ横には客室に繋がるドアがあり、それを開ける前に女性はポツリと呟く。

 

「五日か…まぁちゃんとお金も置いておいたし払ってくれてるだろう」

あの娘はネコだが、ネコババするような娘ではない。と心の中で付け加え、ドアを開けた。

すんなりと開いたドアの先にいたのは、彼女を主と慕う可愛い少女が待ってくれていた。

 

 

「お帰りなさい!藍さま!」

年相応の元気な声に、彼女は柔らかい微笑みを浮かべた。



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第四十八話

陽が丁度真上に差し掛かって一時間ほどがすぎた時間帯…

授業へと赴き人気の無くなった女子寮塔の廊下を、大きなトレイを持ったシエスタが靴音を響かせて歩いていた。

トレイの上にはサンドイッチやリヨン風サラダにフルーツとチーズ、そしてメインのローストポークのスライスが皿に盛られてのっている。

皿の数からして二人分の昼食は、恐らく彼女の行く先に居るであろう二人――霊夢と魔理沙の為に作られた料理であった。

「まったく、今日は何でして来なかったのかしら…」

シエスタはそう呟きながら、あの二人の姿を思い浮かべた。

 

 

今日は良いブタが手に入ったからと腕によりを掛けて料理長のマルトーがローストポークを作ったのだ。

ゲルマニアの料理であるソレはおいしく仕上がり、本場ゲルマニアのローストポークを食べているような感じであった。

生徒達も美味しそうに食べていて、特にゲルマニア出身の女子生徒が料理長の事を褒めちぎっていた。

貴族嫌いで名の通っていた料理長もこれには嬉しかったのか、顔を緩ませていたことは鮮明に覚えている。

だがシエスタにとって一番気がかりだったのは、いる筈の二人がその場にいなかった事である。

いつもなら生徒達と共に入ってきて、二人の席となった出入り口傍の休憩所で食べていた筈だ。

だが今日に限っては何時になっても来ず、とうとう昼食の時間が終わってしまった。

シエスタは何かあったのかと思い、とりあえずルイズに聞こうとした。

だがそれはうまくいかず、ルイズは生徒達と共に授業の方へ出かけてしまった。

結局、その場に残ったのはテーブルの上に置かれた昼食と、困り果てたシエスタとマルトーであった。

「手つかずのモノを処分するのもなんだしな…シエスタ、ちょっと部屋の方まで持っていってくれねぇか?」

マルトーは一切手が付けられていない自分の料理を見て、困った顔でそう言ってきた。

確かに、二人が゛昼食を食べる暇もない゛くらいに゛何か゛をしているのかもしれない。

もしかしたら部屋にいないかも知れないが、その時はその時である。

そうして大きなトレイに二人分の昼食をのせて、シエスタは女子寮塔までやってきた。

いつも夜食や洗濯物を持ってここへ訪れるシエスタを含めた給士達にとって、寮塔の長い階段などどうってことはない。

ここでの仕事は、一年も勤めていれば自然と精神や体力を高めてくれるのである。

 

「ここか…」

シエスタはルイズ達二年生の部屋がある階で足を止め、踊り場から廊下へと入った。

一定の間隔を保って取り付けられたドアの先には、女子生徒達のプライベートが隠れている。

それはシエスタ達にとって知ってはならない事であり、知る必要のないことである。

しばらく廊下を歩き、シエスタはようやく目的の…ルイズの自室へとつづくドアの前で足を止めた。

そしてコンコンとドアをノックくした後、中に居るであろう二人に声を掛けた。

「レイムさん、マリサさん!いますか?昼食を持ってきましたよ」

ハッキリと、爽やかな声でそう言ってしばらくして数秒――声が返ってきた。

「…もしかしてその声は…シエスタかしら?」

太陽のように元気で快活なその声は、霊夢の声であった。

知っている人の声を聞き、シエスタは安堵の表情を浮かべると共に口を開く。

「レイムさんですか?食事をお持ちしましたが…」

「食事…そういいえば今は何時かしら…ちょっと今時計が見れないのよ」

「時間ですか?…今は丁度13時半ですが」

霊夢の言葉に、シエスタは思わず首を傾げながらも懐の懐中時計に目をやり、ドア越しに答えた。

給士という仕事上時間は常に気にしなければならないので、こうして自前の時計を持っている者もいる。

シエスタから今の時刻を聞き、ドア越しに霊夢の疲れたような声が聞こえてくる。

「そうか…もうそんな時間なのね。大分眠ってたわね…で、アンタが昼飯を持ってきてくれたの?」

「眠っていた」という言葉に、シエスタは思わず安堵の溜め息をつきそうになった。

しかし溜め息をつく前にまずは用件を伝えねばならぬと思い、頭を軽く横に振ってから口を開いた。

「はい。一応マリサさんも含めて二人分の食事もお持ちしたのですが…マリサさんもそこにいるんですか?」

「いるわよ。まだ起きてないけどね。――それより、ちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど」

霊夢の言葉に、シエスタは首を傾げる。

「?…手伝った欲しいこと…ですか?」

「えぇ。ちょっと困った事になっててね…」

 

少し戸惑っているかのような霊夢の声に、シエスタはまたも首を傾げる。

「困った事…ですか?」

「まぁね。だからちょっと部屋に入ってきて貰いたいんだけど…」

「部屋に…ですか?別に構いませんが…」

霊夢の言葉にシエスタは疑問を抱きつつも、部屋に入ることにした。

本当に困っているのならば助けぬ道理はないし、何より持ってきた昼食を部屋に入れなければならなかった。

しかし、ドアを開けた先に広がっていた光景はシエスタの想像を斜め上くらいまで超えていた。

「では改めて、失礼しま――――…ってキャア!!どうしたんですかコレは!?」

優しい性格のシエスタは困っている人を無視する筈も無く、ドアを開けて部屋の中に入り――悲鳴を上げた。

それに次いで、『ブラブランと体を揺らしている霊夢』が気怠そうに言った。

「どうしたもこうしたも…とりあえずこんな感じよ」

 

やや広いルイズ部屋の右端で、なんとあの博麗霊夢が『逆さ吊り』にされていた。

本来外套を引っかける為のフックに引っかけられたロープで体をグルグルとで縛られ、ミノムシのようにブランブランと揺れている。

何者にも自分の態度を変えず、自由に生きているいつもの霊夢からは想像も出来ない姿であった。

一体何がどういう事で、彼女がこんな姿をさらしているのか、シエスタには理解できなかった。

「ひ…ひどい!一体誰がこんな事を…」

体を震わせながらも決してトレイを落とさないシエスタの言葉を返そうと、霊夢は口を開く。

「実はルイズのヤツに―――とりあえずコレ外してくれない…そろそろ頭が痛くなってきたわ」

「ど、どうやってです。なんか私の力じゃ刃物があっても無理な気がするんですが…?」

見た目からしてギュウギュウ…と負と怒りの感情で縛ったような縄を見て、シエスタは言う。

その言葉を聞いた霊夢はズキンズキン…と痛む頭に顔をしかめつつ、ふと幻想郷から持ってきた自分の鞄に目をやる。

「シエスタ、その料理をテーブルに置いてあそこにある鞄の中から白い包みをひとつ取ってくれない…ちなみに小さい方ね」

霊夢の言葉に、シエスタはベッドの側に置いてある大と小ひとつずつの旅行鞄の存在に気が付いた。

彼女の言葉からして、小さい方が霊夢の私物なのだろうが、大きい鞄は見たことが無い物であった。

一瞬この部屋の主であるルイズの物かと思ったが、そのルイズの旅行鞄はちゃんと鏡台の側に置いてある。

(だとすると…あの大きな鞄は…マリサさんの鞄かしら)

シエスタはつい先々日くらいに、魔法学院にやってきた黒白の自称゛魔法使い゛の霧雨魔理沙を思い出した。

 

 

 

 

以前、街で助けてもらった時に霊夢の知り合いとして紹介された霧雨魔理沙。

 

 

なんでも学院長の話によればルイズの命の恩人でもあるらしく、今はこの部屋で長旅の疲れ(?)を癒してるんだとか。

そしてシエスタにとっても、魔理沙は自分の事を助けてくれた恩人であった。

学院長に紹介された後もシエスタと顔見知りである給士達やコックと親しくなり、暇なときは色々な事を話してくれる。

ただ゛魔法使い゛を自称しているから、料理長のマルトーとは仲良くなれるりだろうかと心配していたが、それは杞憂に終わった。

何せ焼きたてのビスケットを皿に入れて持ってきたマルトーが、ニコニコと笑顔を浮かべながら魔理沙に話し掛けてきたのだから。

「ようシエスタの恩人。ちょっとビスケットを焼いてみたんだが一枚喰ってみねぇか?なかなかイケるぜ?」

シエスタを含め、その場にいた食堂の者達は驚いた。あの魔法嫌いで名の通った料理長が、゛魔法使い゛に笑顔で接したのである。

この光景を、今までぶっきらぼうな顔しか見てこなかった生徒達や教師が見たら目を丸くしていたであろう。

きっとシエスタをチンピラから救ったこともあるかも知れないが、マルトーは少しだけ気になる事を言っていた。

 

「オレに思い出させてくれた無愛想なガキがいたんだよ。貴族も平民も…根っこは同じ人間だってな。

 違うのは呼び方だけ。もしその呼び方だけで相手を差別してたら、性根の腐った人間になっちまうって」

 

マルトーは、何処か目覚めた顔でそう言っていた。

 

 

 

 

そんな事を思い出していると、ふとある事に気が付いた。

(あれ…マリサさんも部屋にいるってレイムさん言ってたけど…どこにいるのかしら…)

先程魔理沙の分の昼食も持ってきたと言った際、霊夢は彼女もこの部屋にいると返していた。

しかしドアを開けてみると、部屋の中には霊夢だけがいた。それも異様な姿をして。

おかしいな…?とシエスタが思ったとき、霊夢が声を掛けてきた。

 

「…?どうしたの?」

「え?…い、いや…なんでも…――あ、…ち、小さい方の鞄ですよね…すぐに開けます」

霊夢に促され、今自分が何をすべきか思い出したシエスタはそう言うと、手に持っていたトレイをテーブルにゆっくりと置いた。

カチャカチャと食器同士が触れる音を聞きながらも、シエスタはの視線は完全に霊夢の方を向いている。

今の霊夢の姿は、シエスタにとっては『現実では有り得ない光景』であった。

(一体あれはどうなって…あんなスゴイ状態になったのかしら…)

シエスタは心の中で呟きながら、逆さ吊りにされた霊夢の姿をその目に焼き付けていた。

それでも長いこと勤めていれば体が慣れていくのだろうか、余所見をして料理を落とすと言うことだけはしなかった。

トレイを置き終えたシエスタ軽く深呼吸をした後、ベッドの側に置いてある小さな鞄に近づき、シエスタはあれ?と首を傾げた。

(何だろう…この鞄…見た覚えがないのに…何処かで見た覚えがある…)

シエスタはこの時、二泊三日程度の旅行が出来るこの鞄に覚えのない既視感を感じた。

それはまるで、今まで通ったことのない道を、何処かで通った事があると感じたような違和感…。

一体これは何なのだろうかとシエスタは手を止めようとしたが、すぐにハッとした表情を浮かべた。

(とりあえず…今は考えるよりレイムさんをなんとかしないと)

自分の背後で大変な事になっている霊夢の為に、シエスタは僅かな違和感を頭の隅に押しやり、鞄を開けた。

旅行鞄の中に入っていたのは着替えと、茶色や緑の大小様々な包みが入っていた。

着替えの方は霊夢がいつも着ているものと似たようなデザインをした巫女服が、何着も入っている。

しかし、その着替えを見た瞬間――シエスタの時間が止まった。実際に止まったわけではないが。

普通、着替えというものは色んな服を用意する。それは平民も貴族も同じだ。

貴族達なら様々な色やデザインのドレスを何十着も、平民ならば色やデザイン違いの質素な服を何着も…。

 

しかし、この鞄の中に入っていた霊夢の着替えは、いつも彼女が着ている紅白の巫女服であった。

リボンも――服と別離したあの白い袖も――いつもの彼女が身に纏っている物全てが、似たようなデザインをしていた。

それを見たシエスタの頭の中に、――――『どうしようもない悲しみと無常感』という言葉が浮かんできた。

 

まるでそれは、もう帰ってこない親兄弟の横たわる棺の蓋にカギを掛ける時のような、涙の出ない悲しみ…。

泣きたくて泣いても、もう戻ってこないから泣かない。…という見せ場のない意地。

表面は気取っていても、心の中にあるオアシスはすっかり枯れ果てて…涙すら出てこない無常感。

棺を穴に入れて、その上に土を被せていく時の――心から喜怒哀楽が一気に失せていく喪失感。

それらが一纏めになってシエスタの心の中に入っていき、彼女の目から無意識に――――「シエスタ、大丈夫?」

 

耳を通り、鼓膜の先にある頭の中に、霊夢のハッキリとした声が響いた。

「あ…―――――…はい?」

突然のことに目から出かけていた゛何か゛は急いで引っ込み、シエスタは間抜けそうな声を上げて霊夢の方へ顔を向ける。

そこには逆さ吊りにされた霊夢が体を無意味に揺らしながらも、ジト目でシエスタを見つめていた。

「アンタ熱でもあるんじゃない?今日はやけにボーっとしてるけど」

何処か呆れた調子ながらも、シエスタの身を心配するかのような物言いに、彼女は首を横に振った。

「いえ、何も…―それより白い包みでしたよね?待っててください、今探しますから」

霊夢の素直ではない優しさ(?)に微笑みつつも、シエスタは鞄の中にあるはずの白い包みを探す。

先程何かを感じた着替えに視線を移したが、今はもう何も感じられなかった。

 

 

一体あれは…と首を傾げていると、鞄の右上端のスペースに白い長方形の包みが幾つも入ってあるのに気が付いた。

その白い包みは幾つかあり、紙製品でも包んでいるのか他の包みと比べればかなり薄い。

「レイムさん、白い包みっていうのはこれの事ですか?」

シエスタはそう言いながら鞄の中から包みを一つ取り出し、霊夢に見せる。

「あぁそれよそれ。その中からお札を一枚取って私の体を縛ってる縄に貼り付けてちょうだい」

「オフダ…?」

霊夢の口から出た聞いたことのない言葉に首を傾げつつも、シエスタは包みを剥がす。

中には赤いインクで変な記号が幾つも描かれた長方形の白い紙が何十枚か入っていた。

シエスタは不思議そうな表情を浮かべつつも一枚を手に取り、霊夢の体を縛っている縄にギュッと押しつけ、手を離す。

すると奇妙なことに、紙はピッタリと縄に貼り付いていた。糊など使っていないにもかかわらず。

シエスタがちゃんとお札を貼ってくれたのを確認し、霊夢はシエスタに話しかける。

「助かったわシエスタ。じゃあちょっと離れててくれない?この縄を吹き飛ばすから」

「ふ、吹き飛ばす?」

霊夢の口から出たお礼の言葉ととんでもない言葉に神妙な表情を浮かべつつ、シエスタはそのまま後ろに下がる。

そのまま後ろに下がってベッドの側にまでシエスタが下がったところで、霊夢は目を閉じて詠唱を始めた。

メイジが魔法を使役する際に発するような詠唱と似てはいるが、シエスタの耳ではその言葉が何を意味しているのかわからなかった。

やがて詠唱を始めてから数十秒が経過したとき、縄に貼り付けたお札がカッと光り輝いた瞬間、勢いよく『爆ぜた』。

否、『爆ぜた』というより『消え失せた』という言葉が適切だろうか。

ボン!という音と共に霊夢の体を縛っている縄がはじけ飛び、部屋中に飛び散った縄の破片は床に落ちる前に消滅した。

ともかく、霊夢の自由を奪っていたルイズの縄は見事消滅し、晴れて霊夢は自由の身となり――

 

ドサッ!

「イダッ…!!」

 

―重力に従い、床に叩きつけられた。

「ちょ…レイムさん!大丈夫ですか!?」

「あ、あんたにはコレが大丈夫に見えるワケ…?」

何もすることなく落ち、今度は冷たい床に寝そべった霊夢の側に、シエスタが慌てて駆け寄った。

見たところ全然大したことはないのだが、自分で縄を解いて(?)自分から床に落ちた霊夢は、苦しそうな表情を浮かべている。

思いっきり足の小指を過度にぶつけたときのような痛々しい表情の霊夢が発した苦言に、シエスタはどう返そうか迷った。

 

(大丈夫ですよ、大した怪我にはなってません……とか…とりあえず手当てでも…とか?)

 

どっちを言えばいいのかイマイチ良くわからないシエスタと痛がっている霊夢に、背後から何者かが声を掛けてきた。

「お~お~仲が良いぜ二人とも。…この私に見向きもしないでイチャイチャしてるとは」

女の子ではあるが、何処か男っぽい口調に雰囲気。その声に聞き覚えがあった二人はそちらの方へ顔を向ける。

二人の視線は大きなクローゼット――いや、正確には戸が開きっぱなしのクローゼットの中――に注がれた。

そこには、霊夢と同じく体を太く丈夫な縄でグルグルとキツく縛られ、拘束されている黒白の魔法使いがいた。

先程気になっていた疑問が今になって解消されたシエスタは恐る恐る、その魔法使いの名を呼んだ。

「マリサ…さん?」

「あぁそうだよ魔理沙だよ。…ところで、私もちゃんとこの縄を吹き飛ばしてくれるんだろ?」

二人のやりとりを、クローゼットの中から見ていた魔理沙の言葉には、何処か悲哀が漂っていた。

 

 

 

 

それから一時間後。

 

「ふ~…やっぱりマルトーの作った料理は格別だぜ。ありがとなシエスタ!」

シエスタの持ってきた昼食を食べ終えた魔理沙は、食後の水を一杯飲んでから感想を述べた。

その顔はクローゼットの中に閉じこめられていた一時間前とは大分違い、生気が籠っている。

「ご馳走様。悪いわね、わざわざ持ってきてくれるなんて」

一方の霊夢は魔理沙とは対照的に冷めた表情を浮かべていたが、言葉には感謝の念が篭もっていた。

最も、どちらが好感触かと百人に聞けば間違いなく百人全員が魔理沙の方へ票を入れるだろうが。

「いえいえ、私はただマルトーさんに頼まれて持ってきただけですよ。お礼ならあの人に言ってください」

シエスタは直球の魔理沙と遠回りの霊夢にお礼を貰い、僅かに頬を赤らめながら食器の片づけを始める。

魔理沙はそんなシエスタの顔を見て何か気づいたのか更に追い打ちを掛けるかのように、口を開く。

「そうか、じゃあ今日の昼食は味がいつもより良かったのはシエスタが持ってきてくれたお陰だな」

突然魔理沙の口から出たそんな言葉に、シエスタの顔はポッと朱に染まり、彼女の方へ顔を向ける。

女性、それもまだ二十代にも満たない少女であるが、シエスタは一瞬だけ魔理沙を異性と認識してしまった。

それが何故なのかはわからないが、けどシエスタはそんな考えは良くないと思い出来るだけ平静を装いつつ礼を述べる。

「あ…ありがとうございます」

なんとか口から絞り出せたお礼の言葉を聞き、魔理沙は軽く笑った。

「ハハッ、何でお前がお礼を言うんだよ。私は何もしてないぜ?」

「アンタってホント、変な言葉がポンポンと口から出てくるわね」

自分の口から出た言葉の意味をイマイチ理解できていない魔理沙に、霊夢がさり気なく突っ込みを入れた。

 

食事が終わった後、シエスタが食器をトレイに戻してテーブルを拭いている最中彼女はある事を聞いてみた。

「あのー、すいません。レイムさん、マリサさん…お二人に聞きたいことがあるんですが」

「ん?」

「何かしら?」

唐突なシエスタの質問に、霊夢と魔理沙はベッドの上からキョトンとした表情を浮かべた。

二人してベッドの上にいるわけだが、している事はそれぞれ違った。

魔理沙はただ単にベッドの上に座って、幻想郷から持ってきていた本を読んでいる。

霊夢は自分が持ってきた鞄の中にあったあの白い包みを取り出し、何かを探しているようだ。

大量にある白い包みの中身であるお札を一枚ずつ丁寧に確認し、また白い包みに戻している。

魔理沙はともかく、何か忙しそうな事をしている霊夢の事を思い、シエスタは素早く質問を投げかけた。

「つかぬ事をお聞きしますが…あの、その…どうしてお二人はあんな姿に…」

何処かオドオドと恥ずかしそうに喋るシエスタに、二人はつい一時間前の事を思い出した。

 

シエスタの質問に答えたのは、魔理沙であった。

彼女は鬼の首を取ったかのような笑顔を浮かべ、霊夢の顔を見つめながら言った。

「あ~、あれか…あれは霊夢が一番の原因だよ。全く、このトラブルメーカーめ」

最後の一言を霊夢に向けて言い放つと、すぐさま霊夢が反論に出た。

「ちょっと魔理沙。何でアタシが諸悪の根源って扱いされるのよ?理不尽すぎるじゃない」

トラブルメーカーという扱いに怒ったのか、霊夢は魔理沙の物言いに嫌悪感丸出しの表情を浮かべている。

「だってそうだろ?お前があのお菓子を食べなきゃ、こうしてシエスタが昼食を持ってくる必要が無かったわけだし」

「それならルイズが諸悪の根源じゃないの。責任転嫁もいい加減にしなさいよね」

「ルイズ…?やっぱり…ミス・ヴァリエールが貴女達に何かしたんですか」

いきなりルイズの名前が出たことに、シエスタは霊夢が最初に言っていた事を思い出しつつ聞いてみた。

「まぁね。ルイズのヤツ、ちょっとお菓子に手を出したくらいでこの仕打ちとは…全く酷すぎるわ」

霊夢の言葉を聞き、シエスタは何があったのか理解し、少し苦笑しつつ言葉を返す。

「レイムさん、人のお菓子に手を出すのは駄目だと思いますけど…」

シエスタがそう言った瞬間、霊夢は元から鋭くなっていた眼を更に鋭くさせ、こう言った。

「たかが菓子一つでこの仕打ち?全く、器量の小さい貴族様だことね。それじゃあ結局食べずじまいで腐らせるのがオチよ」

 

逆さ吊りにされたのを余程根に持っているのか、霊夢は恐れもせずに言ってのけた。

その言葉にシエスタは目を丸くしたが、魔理沙は苦笑いしつつ霊夢の言葉に感想を述べた。

 

「流石貧乏巫女と呼ばれてるだけあるぜ。その日暮らしって雰囲気がいかにm…―「悪かったわね。勿体ない性格してて」

魔理沙の言葉を遮るかのように、誰かがそう言った。

最初魔理沙は霊夢の声かと思って言い返そうとしたが、その口が動くことがなかった。

口が動く前に、いつの間にかドアを開けて部屋に入ろうとした人物に目が入り、軽く驚いたからである。

ドアの開く音は三人の会話に紛れて聞こえなかった所為か、まだ魔理沙しか気づいていないようだ。

「げげ…ルイズ」

何も知らずにびっくり箱を開けたときの様な表情を浮かべた魔理沙と彼女の口から出た名前に、二人は後ろを振り向く。

そこには、開きっぱなしのドアの前で顔をうつ伏せたまま佇んでいるこの部屋の主、ルイズがいた。

予想だにしていなかった人物の登場に対し、二人の反応は対照的であった。

「は?…あれ、何でアンタがここにいるのよ。授業じゃなかったの?」

霊夢はいつもと変わらぬペースで顔を見せぬルイズにそう言った。

「え…?あ!ミス・ヴァリエール!?…い、いつの間に?授業はどうなされたので…」

対してシエスタは驚愕の表情を浮かべ、居るはずのない人間がいる事に驚いていた。

「ちょっとね、忘れ物があったから取りに戻ってみれば…なんとまぁ、言いたい放題じゃないの」

怒気を含んだ声でそう言いつつ、ルイズはゆっくりと顔を上げていく。

まるでそこだけをスローモーションにしているかのようなルイズの動きに、自然と三人は何も言わないでいる。

「でもアンタの言い分も一理あるわね…。いくら大切に保管していても食べ物は食べ物。いずれ腐っちゃうわ」

表情一つかえずに話を聞いている霊夢に向けてそう言ったとき、ようやくルイズは顔を上げて、目の前にいる三人の姿を見回した。

その顔にはハッキリと怒りの色が浮かんでいる。それは下級貴族が裸足で逃げ出すほどであった。

「あの…ミス・ヴァリエール…ものすごく怒ってるように見えるんですが…」

「あぁ、怒ってると思うぜ」

平民であるシエスタはルイズの表情を見てか体を震わせており、魔理沙の方も苦々しい笑みを浮かべていた。

 

「はぁ…それで、何か話でもあるのかしら?」

しかし霊夢だけは怖いとすら感じていないのか、いつもの無愛想な表情でルイズに話し掛けた。

それがいけなかったのか、溜め息交じりの言葉にルイズの眉が大きくピクンと動き、声を荒げて言った。

 

「っ…!何よソレ?人が大切にしてるお菓子を勝手に食べてその態度は!

      大体ねぇ、アンタは遠慮って言葉を知らないの!遠慮って言葉を!」

 

もはや叫び声にも近いルイズの訴えに対し、霊夢はめんどくさそうに応えた。

「うるさいわね…私だってそう何でも食べるワケじゃないわよ。たまたまそこの戸棚に目が入ったから取っただけじゃない」

反省の色が見えない霊夢の言葉にとうとう我慢できなくなったのか、ルイズはとうとう腰に差していた杖を引き抜いた。

「だからっ!それがっ!遠慮が無いっ…て言ってるでしょうが!」

霊夢はルイズの手に握られた杖を見て、こちらも負けじと懐に手を伸ばして身構える。

恐らく服の下には針かお札でも入っているのであろう。

もはや一触即発という状況を見て、流石の魔理沙も身の危険を感じ始めた。

「これは…ちょっとヤバイかもな」

魔理沙の言葉を耳にしたシエスタはハッとした表情を浮かべると、すぐさまルイズの方に近寄った。

そして今にも杖を振り上げようとしたルイズの右手を取り押さえ、ルイズの説得を始めた。

「落ち着いてください、ミス・ヴァリエール!ここで暴れたらお部屋が大変なことに…」

「ちょっ…何すんのよ!?離しなさいってば!」

シエスタは杖を持っていたルイズの右手を無理やり下ろしてなんとか彼女を宥めようとするが、当の本人は怒り心頭である。

大事に取っておいたお菓子を食べられたのはそりゃ悔しいだろうが、そんなに怒ることなのか?

シエスタはそんな疑問を抱えつつ、これからどうやって彼女を落ち着かせようか迷い始めた。

 

一方の魔理沙は、懐に伸ばしていた霊夢の手を掴もうとしたが、その前に霊夢の方が先に手を抜いた。

出てきた左手に何も持っていないことを確認した魔理沙はホッと一息ついた時、霊夢が何も言わずに歩き始めた。

横にいた魔理沙を一瞥もせずにツカツカと、靴音を床から響かせて。

「おっおい霊夢!一体何処に行くんだよ」

「何って…ちょっと気分転換に外でも行こうかなーって思っただけよ」

霊夢の思わぬ行動に、魔理沙は驚きつつもなんとか止めようとする。

「いや、お前措外に行くって…何言ってんだよ。まずはルイズに謝るのが先だろ?」

「だったらアンタが謝ればいいじゃない。アンタもあのクッキー食べたんだから」

しかし魔理沙の言葉には意も介せず霊夢はそう言ってのけると、窓を思いっきり開けた。

地上からかなり上の階に作られたルイズの部屋は窓からの風通しが良く、サラサラとカーテンがひとりでに動いている。

「じゃあ行ってくるわ。大丈夫、夕食時には帰ってくるから」

窓の縁に足をかけて飛び立つ前に一言だけ伝言を残した霊夢はそう言って、勢いよく飛び上がった。

魔理沙が急いで窓から身を乗り出した時には、もう霊夢の姿は何処にもなかった。

「おい、霊夢…あぁもう…。すまん二人とも、すぐに帰ってくるぜ!」

魔理沙は苦虫を踏んでしまったかのような顔でシエスタとルイズにそう言うと、愛用の箒を素早く手に取った。

一方の二人は何が何だから良くわからず、シエスタはキョトンとした表情を浮かべている。

「えっ…?え、えっと…マリサさんはどちらへ?」

「あの無責任な紅白を連れ戻してくる。なぁに、夕食前には戻るぜ」

箒を手にした魔理沙はそう言うと開きっぱなしの窓の前で箒に跨った瞬間、それは起こった。

「うっ…」

「きゃっ…!」

ブワッと魔力の気配を僅かに感じられる風が周囲に舞い、シエスタとルイズは思わず目を背けてしまう。

そして次の瞬間、魔力の込められた箒は魔理沙を乗せたまま浮かび上がり、窓の外へ勢いよく飛び出していった。

今度はシエスタと少しだけ怒りを忘れたルイズが窓から身を乗り出したが、魔理沙の姿はもう何処にも見あたらない。

 

 

後に残されたのは、呆然としているルイズとシエスタだけであった。

 

 

その日は、夏だというのにとても風が涼しかったと今でも覚えている。

弟と一緒に夕涼みがてら、グラン・トロワの裏庭で昆虫採集をしていた。

そこはちゃんと整備されているものの、ちょっとした森もある。

兎やリスなどといった小動物を放し飼いにしていて、小さな池も作られていた。

ちゃんと裏庭と外を隔てる丈夫な壁と見張りの騎士達の手で、小さなオレ達は守られていた。

「おーい!見つけたよ兄さーん!」

夏用の軽い生地で出来たブラウスを着た弟のシャルルが、遠くからオレを呼んでいた。

丁度その時、オレは珍しい羽を持った蝶を追いかけていた。

しかし弟の声にオレが一瞬だけ視線を外したとき、その蝶はいなくなっていた。

一体何処に行ったのかと辺りを見回しても、目に映るのは自分の回りを囲う木々だけ。

仕方なしにオレは溜め息をつき、弟の声に導かれてそちらの方へ向かった。

「兄さん見てよ!ホラ、このカブトムシ!」

年相応の笑顔を浮かべる弟の手には、一匹の大きなカブトムシが握られていた。

自らの強さを示しているのか、頭から一本の大きくと長い角が生えていた。

 

「おぉスゴイなシャルル!こんなにデカイのは初めて見たぞ!」

オレは素直に驚愕し、自分のことのように喜んだ。

「でしょでしょ!向こうにある大木に貼り付いていたところを、僕が魔法で捕まえたんだ!」

そういって弟はカブトムシを持っていない方の手で地面に置いていた大きな杖を手に取る。

自分たちより何倍も大きいそれは、父親から貰った先祖伝来の物である。

「そうか…お前はやっぱり、オレより魔法の才能に優れているなシャルル」

オレは弟の方を力強くバンバンと叩きながら、笑顔でそう言った。

幼少から魔法の才能に恵まれなかったオレがそんな事を言うと、どうにも自分を卑下している気分になる。

それを察したのか、弟は優しい笑みを浮かべてこう言ってくれた。

 

 

「そんな事ないさ、兄さんだってきっと…僕よりも素晴らしいメイジになれるさ」

弟の口から出たその言葉は涼しい風と共に、空へと飛んでいった。

 

 

 

―――i下、陛下。到着しましたぞ陛下」

「…ム?」

ふと頭の片隅から声が響き、ジョゼフは目を覚ました。

ゆっくりと自分の目に映る光景はグラン・トロワの裏庭ではなく、竜籠の中であった。

空中で揺さぶられているかのような感覚を味わえる荷車の中には、ジョゼフの他に護衛の騎士が一人ついている。

そして意識がドンドンと覚醒していくと共に、さっきのアレは夢なのだと認識し始めた。

「夢か…フン、このオレがあの頃の夢を見るとはな…」

「…そろそろ着陸します、ベルトを着用して下さい」

ジョゼフが自嘲するかのようにひとり呟くと共に、騎士が言った。

それに従って備え付けのソファに付いているベルト着けた後、窓から外の景色を眺める。

 

窓から見えるそこは、ガリアの領地サン・マロンにある軍の私有地であった。

海に沿って作られている街から離れた一角に、そこはある。

下級貴族が持てるような大きさの土地の中にレンガと漆喰で出来た土台の上に木枠と帆布でくみ上げられ、円柱を半分に切って寝かせたような建物が幾つもある。

敷地内や出入り口には何百人もの衛兵達がおり、検問も厳しく許可無き者は貴族であっても容赦なく追い返されてしまう。

例えガリア王国の政治に深く関わる者や軍の将校であっても、事前の連絡と身分証明が出来なければ同じように追い返される。

そんな機密性の塊であるような場所にやってきたジョゼフには、それなりの理由があった。

「報告書には、護衛にあたっていた衛兵二人と焼却炉担当の作業員一人…それに研究員三人を含めて死者が六名との事です」

窓の外を眺めているジョゼフの耳に入っているのかどうか疑わしいが、騎士は手に持った報告書を見つめながら言った。

ジョゼフと騎士を乗せた竜籠はドンドンと高度を落としていき、敷地内にある発着場に降り立った

籠を運んでいた竜達は仕事が終わって休みたいのか、ギャアギャアと鳴きもせずにおとなしくしている。

次いで詰め所の中から四人ほど衛兵が出てきて、竜達を宥めつつハーネスの取り外しに掛かった。

そしてしばらく中で待っていると、詰め所の中から新しく出てきた衛兵が荷車のドアを開けて言った。

 

 

「ようこそ゛実験農場゛へ。所長と゛複製実験゛の担当者方がお待ちです」

 

 

 

 

「今回の件につきましては…全くの想定外としか、言いようがありません」

冷たい空気の漂う会議室の中に、白髪が目立つ頭を掻きむしりながら、老齢の所長が苦しげにそう言った。

この事務室は、゛実験農場゛の中央に建てられた大きな施設の中にある。

そこは此所の全責任者である所長を含めた何人かの研究員達が働く場所であり、寝るところであった。

その施設の中にある小さな会議室には、王であるジョゼフと゛実験農場゛幹部。そして…゛複製実験゛の担当者達が居た。

ジョゼフを上座にその他の者達は壁に沿って置かれた椅子に腰掛けており、渡された書類を流し読みしている。

そして最新製のマジックアイテムで十分に冷えた部屋の中で汗をかいている゛実験農場゛の所長は、ゆっくりと説明を続けていく。

 

「゛試験体゛を作るにあたってモデルとなっていた゛見本゛の保管には、細心の注意を払っておりました…

 冷凍保管庫の警戒レベルは常に最大にして、衛兵にもアイス・アローを常備させて…内外のアクシデントに対し常に見張っていました。

 …゛事故゛が起こった昨日も、処分することになった゛見本゛を焼却するため冷凍保管庫から焼却炉に移送する際には、見張りを増員して…」

 

僅かにその体を震わせながら、所長はそこで一旦説明するのを止める。

それを見計らっていたかのように、今まで黙っていたジョゼフが口を開いた。

「だが゛見本゛は暴走して特注の焼却炉を破壊、被害者が出たうえにみすみすトリステイン領内に逃げ込んだと報告書には書いておる。

 これは最悪の事態を想定できなかった゛実験農場゛に不備があるのではないか?」

ジョゼフの言葉に、部屋にいた゛実験農場゛の関係者達は身を震わせた。

下手をすればようやくありつけたこの仕事をクビにされるのだから当然ともいえる。

 

 

数年前、キメラを用いたとある実験で絶望的なミスをした彼らは失脚し、何年も路頭を彷徨った。

録に食事も食べれぬ生活を送っていたある日、ガリア王ジョゼフからの直々の召集令が送られてきたのである。

それは、自分たちが失脚する原因となった研究所の欠点を元に新しく作られた゛実験農場゛への配属命令であった。

伝えられた内容は、以前自分達の行っていたキメラ実験の再開と画期的な軍事兵器の開発だった。

「もし貴様等が余の満足する物を作れれば今後の生活を保障してやる。だが失敗は許さんぞ」

玉座に座るジョゼフは、何を考えているのかわからない表情でそう言っていた。

下級貴族の生まれでガリア人ではなかった研究者達にとって、喉から手が出るほどの好待遇である。

その場に居た研究員達は全員それに賛同し、゛実験農場゛の幹部となった。

それから後の仕事は、正に彼らの天職とも言えた。

人員と予算に対して文句はなく、実験や研究に使う素材やマジックアイテムも短期間で用意してくれる。

時折ジョゼフの秘書であるという黒髪の女や、ジョゼフ王自身が極秘で視察に来る事もあった。

研究の方も滞り無く進み、正に順調で何の問題もなかったのである。

 

一週間ほど前に通達された…゛複製実験゛の指令が来るまでは。

 

 

 

 

所長は額から流れる汗を拭うこともできず、ジョゼフの目の前で淡々多と言い訳を述べる。

「とりあえず゛原液゛は今も保管されていますし゛試験体゛も体自体は完成していつでも感情抑制の実験に入れます。…ですから――」

「もう良いもう良い!このような実験には何かしらの異常事態はつきものだ。それに何より、過ぎた事ならば仕方がないではないか」

しかし、ジョゼフは突如として所長の言い訳を、右手を激しく横に振ることで中断させた。

その後所長がハッとした表情になって喋らなくなるのを確認した後、ジョゼフはゆっくりと右手を下ろす。

 

「本来なら処罰ものではあるが、今この研究は大事な局面に差し掛かっておるからな。

 人員削減はしたくないし、お前たちの今後の働きで今回の事は無しにしてやろう 

  逃亡した゛見本゛については余が手を打っている。安心して今後の研究に励むと良い」

 

ジョゼフの寛大なる言葉に所長を含めた研究員達はホッと胸をなで下ろし、頭を下げた。

それを見て満足そうに頷いたジョゼフは、キッチリと閉じられた窓から見える空へと視線を向けた。

初夏も間近に迫る季節のおかげか空は澄み切っており、白い雲が風に乗ってゆっくりと動いている。

(トリステインか…面白い。今年は色々と楽しい事があって余も退屈せんな)

ジョゼフはその顔に笑顔を浮かべつつ、空を眺めていた。

その笑顔はまさに、大好きな玩具を親に買って貰った子供が浮かべる様な笑顔であった。



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第四十九話

トリステイン魔法学院の敷地から外は、広大な森が広がっている。

首都トリスタニアへと続く街道の外は、どこまでも広がっているかのように感じてしまう巨大な森林地帯がある。

最寄りの街であるトリスタニアに行こうとしても、馬を使わなければちょっとした旅になってしまう。

一応ちゃんとした道はあるのだが、いかんせん森の中を突っ切るように出来ているので凶暴な肉食動物が襲ってくることもある。

その為、魔法学院かトリスタニアに行く者は馬に乗るか馬車に乗るか、あるいは空を飛べる幻獣に乗るしかない。

 

しかし、今日に限ってはそのどれにも当て嵌まらない゛物゛で学院の敷地を出た者がいた。

 

「相も変わらず、デッケー森だなぁ。地平線まで続いてるんじゃないのか?」

愛用の箒に腰掛けるかのような姿勢で乗って空を飛ぶ魔理沙は、眼下に見えるトリステインの森を見ながら呟く。

箒の出す速度はそれ程速くはなく、ゆっくりと空中散歩を楽しむ彼女の横を二、三羽の小鳥たちが飛んでいく。

そんな小鳥たちを見て軽く微笑みつつ、自分の後ろにある魔法学院へと視線を向けた。

もうかなりの距離を飛んだのではあるが、トリステイン魔法学院にある塔はハッキリと見えている。

流石はトリステインの誇る魔法学院なのか、その存在はなかなかのインパクトを放っていた。

「さてと、ここまで来れば大丈夫だろ」

魔理沙はひとり呟くと、つい数十分前の出来事を思い出した。

 

 

『じゃあ行ってくるわ。大丈夫、夕食時には帰ってくるから』

それはルイズと霊夢が喧嘩し、霊夢が部屋から出て行った直後である。

 

『おい、霊夢…!』

魔理沙は咄嗟に、窓から身を乗り出して見回してみるが、霊夢の姿は何処にもなかった。

その時魔理沙はあれ?と一瞬だけ首を傾げようとしてその前に、心当たりがあるのに気が付く。

(あいつ…瞬間移動で逃げやがったな…)

あのぐーたら巫女が自分の姿を一瞬にして消す方法といえば、それしか思いつかなかった。

異変解決やちょっとした喧嘩で、何度も霊夢と戦った経験のある魔理沙だからこそ、真っ先に思い浮かんだのである。

霊夢の奴うまいこと雲隠れしやがったぜ…。とおもわず感心してしまったが、すぐに別の考えが頭をよぎる。

(ちょっと待てよ…もしかして後の事は全部私に任せたってことか…!?)

心の中でそう叫び、思わず目を丸くしてしまった。

 

今のルイズが体内に飼っている「怒り」という名のペットは怒り狂い、ある二人の手に噛みつきたがっている。

それはズバリ、霊夢と魔理沙である。しかしその内の一人である霊夢はトンズラをこいた。

つまり、本来なら二人で仲良く受け合うルイズの怒りを霊夢のいない今、魔理沙が二人分の怒りを受け止めることになる。

怒り心頭のルイズの仕置きはキツイとその身で知った魔理沙は、すぐさまこの部屋から出ることにした。

 

幸いルイズ本人はシエスタが取り押さえてくれていたので、なんとか逃げ出すことは出来た。

『あぁもう…。すまん二人とも、すぐに帰ってくるぜ!』

そう言った後、何処かへ逃げた霊夢を追うような形で魔理沙は箒に跨り、部屋を出て行った。

とりあえず学院の外へと出れた魔理沙は霊夢を探すワケでもなく森の上を飛んでいて、今に至る。

 

 

「え~と…。お、ああいう広い所なんか好さそうだ」

何処かに休める場所はないかと、眼下の森に視線を向けていた魔理沙は、恰好の休憩場所を見つけた。

そこは森の中にポッカリと出来たような小さな円形の草原で、風に乗ってサラサラと背の低い草が揺れている。

目をこらしてみると草原にはいくつかの切り株があり、真ん中の方には切り落とされていない木がポツンと生えていた。

付近には怪しい者も動物もおらず、休憩にはもってこいの場所であった。

とりあえずそこに降りる事にした魔理沙は辺りに気を配りつつ、ゆっくりと高度を下げていく。

慣れた動きで無事そこに着地すると箒を右手に持ち、思いっきり深呼吸した。

そして口の中にたっぷりと森の空気を入れて、勢いよく吐き出す。

 

「ふぅ~、やっぱり森の空気ってのはうまいもんだな」

魔理沙はいまだ切られていない木の根本に腰を下ろし、空を仰ぎ見た。

それから次に霊夢の顔を思い浮かべ、苦々しい表情を浮かべる。

「全く、霊夢の奴も困ったもんだ…まさかあのまま逃げるとは思わなかったぜ」

自分のことを棚に上げつつも、一人勝手に逃げた巫女に込めて呟く。

 

全ての始まりは、霊夢がルイズの部屋にあったお菓子を勝手に食べたことから始まった。

確かにそれを考えれば霊夢が原因ではあるが、彼女と一緒にお菓子を食べた魔理沙にも一応罪はある。

魔理沙本人は「目の前に菓子があるから喰った」と言っても、ルイズの視点からすれば立派な共犯だ。

それをこの白黒がちゃんと理解しているのかどうかは、よくわからない。

 

 

「まぁ仕方ない。ルイズの怒りが収まるまでここでのんびり過ごすとしますか」

魔理沙は諦めにも似た境地でそう呟くと思いっきり背筋を伸ばし、辺りを見回した。

目には眩しいくらいの青空と白い雲が写り、小鳥たちの囀りが耳の中に入ってくる。

魔理沙は被っていた黒のトンガリ帽子を脱いだ瞬間、ハッとした表情を浮かべた。

「しまった、そういやミニ八卦炉をルイズから取り返してなかったっけ…」

いつもなら帽子の中に仕舞っているマジックアイテムがないことに、魔理沙は苦笑した。

朝の授業の時に奪われ霊夢の頭に投げつけたそれを、今はルイズが所持している。

その時の事を思い出し、やけに投げるのがうまかったなーと魔理沙は思い出した。

今取りに戻ってもルイズは怒っているだろうから、自分が怒りのはけ口になるに違いない。

アレとは古い付き合いだが、今行けば確実に大変な目に遭うのはわかっている。

それに戻らなければ壊す!とも脅迫されてはいないから大丈夫に違いない。

 

「虎穴に入らなきゃ虎児は手に入らないと言うが…それで喰われたら元も子もないぜ」

魔理沙は観念したかのように呟くとゆっくりと目を瞑った。

やがてそれから数分もしない内に、彼女の口から小さな寝息が聞こえてくる。

今日は計二回もルイズの鉄槌を喰らった魔理沙の体は、休憩を欲していたのだ。

 

 

 

一方、事の発端とも言える霊夢は何処にいるのかというと…

魔法学院にある男子寮塔の屋上で、ゴロンと寝転がっていた。

ルイズと喧嘩になりかけて部屋を出た彼女はあの後、瞬間移動を用いて女子寮塔の出入り口で隠れていた。

その後魔理沙が箒に乗って飛び去っていくのを確認して、今に至る。

 

「はぁ…なんか思ってた以上に怒ってたわねー」

まるで他人事のように呟きつつ、ルイズのことを頭の中で思い返していた。

 

 

今までに何回か怒ったことはあったが、あの怒り様はその中でも五本指に入るものである。

しかし霊夢には理解できなかった。どうして菓子一つであれ程怒れるのか。

ふとした事で人をからかってくるような連中ばかり居る世界で暮らしている霊夢にとって、菓子一つ分の被害など微々たるモノだ。

ぐっすりと寝ている最中に叩き起こされたり、飲もうとしたお茶をスキマに掠め取られたり、例を上げればキリがない。

 

しかしその分、怒りの沸点が大分高くなってしまった霊夢に対し、ルイズの沸点は低かった。

生まれつきということもあるが、幼い頃からの教育がそれに拍車を掛けている。

常に清く正しく生き、自分に厳しく道を外す者を見れば正してやり、対峙する者には決して背を向けるな。

それが貴族としての生き方だと。そう教え込まれてきたルイズにとって、許されざる行為なのだ。

ましてやそれが、大事にとっておいた菓子を勝手に食べられたのだから激怒するのも無理はない。

更にルイズの言葉に霊夢が反論したことも、彼女を更に怒らせる要因となっていた。

 

だからこそ、お互い理解できなかった。

霊夢は過剰に怒るルイズに疑問を感じ、ルイズは人の話を真面目に聞こうとしない霊夢に怒っていた。

 

 

「そりゃ私だって今すぐ食べようとしたものを盗られたら怒るけど、あれはすこし怒り過ぎじゃないの?」

霊夢はまるで隣にいない誰かに愚痴をこぼすかのように、ひとりブツブツと呟く。

その呟きはそのまま風に乗って何処かへ飛んで行き、誰の耳にも入らぬまま消えてゆく。

耳にはヒュウヒュウ…と風の音が入り、自然と意識が遠のいていく。

(ま、今部屋に帰っても録な目にあわないだろうし、このまま昼寝でもしてようかしら…)

気怠そうな表情でボーッと青空と白い雲を見つめながら、霊夢はそう思っていた。

しかし、そんな彼女の気まぐれを邪魔するかのように青い影がひとつ、彼女の視界を横切った。

 

「ん…?」

ウトウトしかけていた霊夢は、自分の視界に入ってきたモノに怪訝な表情を浮かべる。

青空ばかり見ていたから目の錯覚かと思ったが、すぐにその考えは否定された。

何故なら、風が空気を切る音と一緒に動物の鳴き声が耳に入ってきたのだから。

 

…ゅい、きゅいきゅい…

 

「きゅい?」

いきなり耳に入ってきた謎の鳴き声を思わずマネしつつ、霊夢は上半身を起こす。

そしてキョロキョロと見回したところで先程の青い影と鳴き声の主が、グルグルと自分の周りを飛んでいるのに気が付いた。

大きな体躯に青い鱗を持つどっしりとした体にそれに見合う大きさの翼、そして肉食動物の如き鋭い牙を持つ蜥蜴の頭。

ハルケギニアにおいて、一度暴れれば天災並みの被害を起こすといわれるウインド・ドラゴン――の幼体であった。

口を僅かに開いてキュイキュイと身体に似合わぬ可愛らしい声を上げながら、空を自由に飛んでいる。

霊夢はそれを見てフゥッとため息を漏らす。

 

「ああいうのは良いわね。余計な事を考える必要もなく空を飛べるんだから」

溜め息を混ぜて竜にそう愚痴を漏らすと、霊夢はゆっくりと目を瞑った。

黒い闇が視界を覆い、風の音しか聞こえない世界は、じわじわと夢の世界へと彼女を導いていく。

やがて数分もしない内に意識が朦朧とし、いよいよ眠ろうとした霊夢の耳に、誰かの声が入ってきた。

 

「そんなことないのね」

それは自分の周りを飛んでいるウインド・ドラゴンの声ではなく、瑞々しい女性の声だった。

 

一方、学院のとある場所で怒りを露わにしている一人の女子生徒がいた。

 

「あーもー…!どうして忘れ物を取りに行っただけでこんなに苛々しなきゃいけないのよ」

ルイズは手に持った『忘れ物』である答案用紙を右手で持ちながら、愚痴を漏らした。

今のルイズは正に、怒れる女神と呼ぶのに相応しいほどその身体に憤怒を纏わせている。

もしも、場の雰囲気を読めない誰かが彼女に気安く触れよう者なら、彼女の容赦ない拳がその顔にめり込むに違いない。

それ程までに怒っている理由は勿論、遠慮という言葉を知らぬあの紅白の使い魔と白黒の居候が原因であった。

人が大事にとっておいた物を勝手に手を出し、録に謝りもせずに出て行った霊夢と魔理沙のことである。

 

「レイムやマリサのやつ、謝りもせずに逃げるなんて…何考えてるのかしら」

ルイズはそんな事をブツブツ呟きながら、その時の事を思い出していた。

あの時、ルイズの怒りの矛から逃げるように部屋から真っ先に逃げた霊夢。

そしてそれを追うかのように、箒に跨ってサッと部屋から出て行った魔理沙。

あの時、怒り心頭であったうえメイドのシエスタに取り押さえられていた為止めることが出来なかった。

二人が部屋から消えていった後、自分を押さえつけているシエスタの腕を無理やり振り解いた時、彼女は気づいた。

 

「あいつら…逃げたわね」

もうそうとしか考えられなかった。

確かに、人が大切に取っていた物に手を出した霊夢(それと魔理沙)には罰を与えようと思っていた。

貴族の物に…というかそれ以前に人の物に手を伸ばす不届き者には相応の罰は必要だ。

子供の頃から親や家庭教師からそう言われてきたルイズにとって、それは当たり前のことである。

だが罰といっても、ルイズは自分が幼少期に受けた゛躾と称した体罰゛の様な事をする気はなかった。

この時は精々、『頭に鉄拳一発』というルイズの思考では『まだやさしい』ものを考えていた。

最も、あの二人に対して効果があるのかどうかはわからないが。

 

だが、魔理沙はともかく勘の良い霊夢は逃げ、魔理沙もそれに続いて…

不幸にもそれが、ルイズを更に怒らせる結果に繋がった。

 

あの後、おろおろしていたシエスタを無視して、忘れ物の答案用紙を持ってルイズは部屋を出――今に至る。

ツカツカと大理石の床を蹴る靴の音が気持ちよかったが、今のルイズを鎮める事は出来ない。

「もう決めたわ…帰ってきたら夕食抜きと廊下で寝るように言ってやるわ…」

ブツブツと独り言をぼやきつつ、ルイズは教室目指して早歩きで進む。

今日の六限目の授業は座学がメインだと聞いたのに忘れ物をして皆に笑われる。

そして苦笑していた教師に取ってくるよう言われて取りに行けば、使い魔する気ゼロの使い魔が自分を批判していた。

「全く…今日はなんて―――きゃ!」

しかしその独り言は、右の角から歩いてきた小さな影にぶつかったところで終わった。

まさかの不意打ちに用心していなかったルイズはそのまま後ろに倒れてしまう。

 

幸い頭を打つことはなく、尻もちをついてしまっただけで済んだがルイズの怒りは更に上昇した。

こんなにも人が苛々している時にぶつかってくるとは、なんという輩か。

最早八つ当たりにも近い感じでそんな事を考えつつ、ルイズは怒った表情で目の前にいるのが誰なのか確認した。

「誰よ!この私に当たってきたのは…―――…タバサ?」

目の前にいた人物が全く予想していなかった存在だという事に気づき、ルイズは目を丸くした。

ルイズとぶつかってしまったタバサは微動だにしておらず、いつもの無表情な顔でルイズを見下ろしている。

「た…タバサ。何でアンタがこんなところに…?」

ここにいる理由か全く思いつかないルイズは怒りの感情を一時的に隅においやり、質問を投げかけた。

それに対し、タバサは掛けている眼鏡を人差し指でクイッと直しながら、簡潔に答える。

「トイレ」

「え…そ、そう。トイレ…トイレね」

うん、簡潔でサッパリとしてる。だが貴族の少女がそんな事を簡単に言うか?

ルイズはそんな疑問を覚えながらも、いそいそと立ち上がる。

スカートについた埃を用紙の持っていない方の手でパパっと払うとタバサの横を通り過ぎる。

そしてそのまま教室へ行こうとしたとき…

「…ルイズ」

不意にタバサが声を掛けてきたので、足を止めた。

何かと思い、怪訝な表情を浮かべたルイズがそちらの方へ首を向けると、再びタバサの口が開く。

 

「貴女の使い魔は、何処か怪我をしてない?」

 

突然の質問に、ルイズはポカンとしていたが、数秒経ってから答えた。

「え?使い魔って…レイムの事?」

コクコク…とタバサは頷いた。

「いえ…別に怪我とかは無いけど…」

いきなりの質問にルイズはどう答えたらいいか分からず、適当に答える。

だがそれで充分だったのか、タバサは「そう」と呟くと歩き始めた、ルイズとは逆の方向へ。

 

段々と離れていくクラスメートの後ろ姿を見ていたルイズは、霊夢のことを思い浮かべた。

同時に隅に置いていた怒りの感情も、待っていました言わんばかりにルイズの表情に表れてくる。

「何だったのかしら…さっきの質問…あ、いやでも…それよりも」

やっぱり夕食抜きと廊下で一晩過ごしが良いわね!と呟きながら歩き始めた。タバサとは逆の方向へ。

 

この時もし、何気無く後ろを振り向いていれば気づいていただろう。

ルイズに背を向けていたタバサの姿が、いつの間にか消えていた事に。

そして、先程まで閉められていた筈の窓が開いていたことも…。

 

 

 

トリステイン魔法学院から徒歩で一時間くらい離れた山中に、小さな山小屋がある。

屋根に穴こそ開いてないものの、外見はボロ小屋そのものでとても人が住んでいる風には見えない。

もう数十年前に作られて放置されているこの小屋は、本来は登山者や旅の貴族、遭難者が寝泊まりする為の小屋であった。

しかし数年前からこの近辺にまで足を運ぶようになったオーク鬼達の所為で、訪れる者はすっかり減ってしまったのである。

だが完全に使われなくなったという事は無く、今では街へ赴いたり木の実やキノコを取りに来た近隣の村人達が利用していた。

見た目はボロ小屋ではあるが、中はちゃんと寝泊まりが出来るよう村人達が綺麗にしている。

オーク鬼達の方も住処からかなり離れているため、山小屋のあるそこまで近づくことは滅多にない。

今まで多くの旅人を夜風、雷雨、猛吹雪から守ってきた山小屋は、村人達を守る仕事に取り組んでいた。

 

そんなある日の事、とある男と女の子が山小屋に訪れていた。

男の方はまだ三十代に入ったばかりといった顔立ちで、その背中には大きなリュックサックを背負っている。

中には山の中でしか取れない木の実や食べれる茸、そして護身用の゛武器゛が入っていた。

その隣を歩く女の子は、背中に小さな革袋を背負っており歩くたびに革袋がヒョコヒョコと上下に動く。

男はふと足を止めて辺りを見回し、山小屋のすぐ近くにまで来ていたことに気が付く。

 

「お、もう山小屋か…となると、村まで後三十分といったところだな」

この山小屋は、近隣にすむ村人達にとっては休憩場だけではなく、目印としての意味もあった。

「なぁニナ、村までまだ三十分近く歩くしあそこで一旦休憩しないか?」

「うん!休憩する!」

ニナと呼ばれた少女は男の提案に、元気よく頷いた。

服装からして平民だとわかるその二人は、ここから三十分ほど歩いたところにある村に住んでいる者達であった。

本当は男性だけが山に入り、食べられる山菜に茸、それに甘い木の実を取ってくる筈であった。

しかしそれを何処で聞いたのか、村を出る直前にニナが自分も連れて行ってとせがんだのだ。

この娘は以前一人で山奥に入り、オーク鬼に襲われかけたという経歴を持っていた。

少女の母親は我が侭言わないの!と男にまとわりついているニナを引き剥がそうとする。

 

しかし男は…

「いや大丈夫ですよ、この娘ひとりなら何かあっても守ってあげられますし」

と快く少女の同行を承諾して、今に至る。

 

 

「暗いねー」

「あぁ、暗いな。…まぁ誰も遭難してないのならそれはそれで良いのだが」

古い木のドアを開けた先にあるリビングを見た二人の感想は、似通っていた。

窓の数が少ない所為かもしれないが、小屋の周りにある木々が陽の光を遮ることでそれに拍車を掛けている。

ドアを開けてすぐのリビングには、大きなテーブルと椅子があり、奥には大きな暖炉も見えた。

そこを中心にして暖炉のすぐ横に一つ、とリビングの側面に二つのドアがついている。

暖炉のすぐ横にあるドアはキッチンに通じ、遭難者用の乾物食料や非常食が常に備蓄されている。

リビングの側面にある二つの部屋は大きな二段ベッドが一部屋に二つ、計四つが置かれていた。

とりあえず明かりをつけようと、男は荷物をテーブルに置いてニナに視線を向けた

「ニナ、革袋をテーブルに置いてキッチンからランタンを取ってきてくれないかい」

「うん!わかった!」

小屋に入っても背負っていた革袋をようやく下ろしてテーブルに置いた。

そしてリビングをかるく見回した後、トテトテと可愛らしい足取りで暖炉の横にあるドアへと歩いていく。

男はその光景を見ながらニヤニヤと笑みを浮かべつつ、背負っていたリュックの中から林檎を二つ取り出した。

ツヤの良い赤い果実をテーブルに置くと、次は果物ナイフを取り出そうとしたリュックの中に手を入れた。その時――

 

「キャッ!」

キッチンへと続くドアを開けたニナが、小さな悲鳴を上げたのだ。

 

何かと思い、男は咄嗟にそちらの方へ顔を上げる。

そこには顔を引きつらせ、口を押さえてゆっくりと後退るニナがいた。

「ニナ、どうかしたのかい?」

尋常でない少女の引き方に、男は手に握った果物ナイフを持ったまま、そちらに近づいた。

唯一頼りになる男がきてくれたお陰が、ニナは口を押さえていた両手を下げ、恐る恐る口を開く。

「き…キッチンに…オバケが…オバケがいるの」

少女の口から出た思わぬ一言に、男はキョトンとした表情を浮かべた。

「え?オバケ?」

男の言葉に、ニナは軽く頷いた。

首を傾げつつも、男は開いたままのドアを押してキッチンの中へと入った。

まず目に入ったのは、キッチンが何者かによって手ひどく荒らされていた事であった。

床には皿だった陶器が棚から落ちたのか、粉々になって床に散らばり、小さい鍋がコロンと無造作に転がっている。

酷いな…と思いつつ裏口のあるキッチンの奥へと視線を向けた時――彼は見つけた。

 

裏口とキッチンを隔てるドアに、ボロ布をまとった『誰か』がもたれ掛かっていた。

男はそれを見て一瞬身を強ばらせるが、すぐに落ち着くとその『誰か』に声を掛ける。

「あの…君は一体」

至極落ち着いた風を装いつつ話し掛けるとその『誰か』はゆっくりと、顔を上げた。

その拍子に頭からすっぽりと被っていたフード部分が外れ、相手が思いもよらぬ存在だと男に知らせた。

『誰か』の正体は一人の女性であった。それも十代半ばの少女だ。

白に少し黄色が混じったような肌に、赤みがかった黒い瞳。

艶のある黒い髪は、白いフリルの付いた赤いリボンで束ねている。

これまで多くの人と村や町で知り合ってきた男から見ても、見たことのない特徴であった。

一体何処の生まれだろうか…心の中でそんな事を考えていると…。

「ゲホッ…ゴホ…!」

少女が苦しそうな表情を浮かべて咳き込みだした。

いきなりの事にどうしようかと一瞬迷ったが、男はすぐに皿を置いている棚から手頃な大きさのコップを取った。

その時、ふとこちらの様子を不安な目で見つめているニナの姿が目に入る。

「ねぇ…その子、オバケさんじゃなかったの?」

ニナのいう『その子』とは、自分の後ろで咳き込んでいる少女の事だろう。

「大丈夫だよニナ、この子はオバケさんじゃないよ」

諭すように男はニナ言いながら、キッチンの中に備え付けてある井戸にロープの付いた桶を放り入れる。

 

五秒もしないうちにバシャーンと水が跳ねる音が耳に入り、男はロープを引っ張り出す。

冷たい地下水を入れた桶が引き上げられ、男はその桶の中にコップを入れ、水を掬う。

そしておかわりがいるだろうと思い、水を入れたままの桶を足下に置くと、コップを持って少女の方へ近づく。

咳き込んでいた少女は近づいてくる男と、彼が持っているコップに気づき顔を向ける。

その表情はポカンとしており、まるで何も知らぬ無垢な子供が浮かべるようなものであった。

「大丈夫?飲める?」

男は優しそうに声を掛けつつ、コップを少女の前に差し出した。

少女は男の言葉を理解したのか、ボロ布の中に隠れていた腕を上げると、差し出していたコップを手に取った。

そして一瞬躊躇った後、コップを口元に持っていきゆっくりと飲み始めた。

「ングッ…グッ…ングッ…ハァ」

録に水分も摂れなかったのか、水を美味しそうに飲んだ。

コップを口元から離し、安堵の溜め息をついた、

 

「君はひとりかい?名前は?」

男はその様子を見て安心しつつ、彼女に話し掛けた。

まだ村や貴族の学校が近くにあるからといっても、ここは山の中だ。

この世には人とうり二つの姿を持つ吸血鬼という亜人がいる事を、男は知っていた。

おかしな素振りを見せれば、手に持った果物ナイフを頭に刺そうと考えていた。

しかし少女は、ボーッと熱に浮かされたような表情を浮かべながら、ボソボソと何か言い始めた。

「……、……………」

「ん?…今なんて?」

ハッキリと聞き取れなかった男は用心しつつ、耳を傾けた。

今度はハッキリと男は聞いた――――少女の名前を。

 

「レイム…、私は……レイム…レイム…」

少女はそれだけ言うと目を瞑り、意識を失った。



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第五十話

 

それは捜していた。果てしない森の中を飛び回りながら捜していた。

 

゛それ゛は指の先に生えた鉤爪で木に抱きつき、辺りをギョロギョロと見回していた。

顔から半ば飛び出した様な目が忙しく動き回り、自分の視界に゛動くモノ゛がいれば、ソイツに注目する。

そして『捜しているもの』がいなければ、近くの木に狙い定めて、自分の身体を投げるようにそちらへ飛び移る。

飛び移った先にある木でも先程と同じように抱きつき、ギョロギョロと目を動かす。

 

何故そんなことをしているのか?一体なにを捜しているのか?

何処かの誰かがそんなことを゛それ゛に聞いても、答えることはないだろう。否、答えすら浮かばないだろう。

゛それ゛に組み込まれた脳の中には『指示された命令を完璧にこなせるか』という事と『ある程度の判断力』しか入っていない。

やがて木から木へと飛び移る内に、゛それ゛の視界に、山道に沿って建てられた一軒小屋があることに気が付いた。

自分の目を上下左右と激しく動かしながら、小屋の中に゛二人のニンゲン゛がいることを知った。

小屋の窓から見える部屋の中では、大きなニンゲンと小さなニンゲンがいる。

それだけなら、゛それ゛はすぐに山小屋から離れるつもりであった。

 

しかし、見つけたのだ。゛それ゛は捜し物を見つけたのだ。

小屋の中から『捜しているもの』の体を流れる血の匂いと、『あの場所の匂い』が鼻をつく。

自分を閉じこめていた大きなニンゲンたちが嗅がせた、『あの場所の匂い』をハッキリと鼻で感じたのだ。

とどのつまり、自分は一歩前進したのである。『与えられた命令を完遂する』という自分の道を。

「クル…クックゥ?クゥルル…!」

まるで鳥の鳴き声にも似た声を上げながら、゛それ゛はゆっくりと口を開けた。

そして奈落の底を彷彿とさせるような真っ暗闇の口の中から、赤い舌が少しずつ出てくる。

 

その舌はまるで、林檎の皮のように真っ赤で、とても長かった。

 

 

 

「リッンゴォ♪リンゴォ♪真っ赤なリーンゴォ~♪」

ニナの口ずさむ唄をBGMにしつつ、男は林檎の皮を剥いている。

剥いた皮はまるで口から垂れ下がった舌のような赤い部分がテーブルの上にとぐろを巻いている。

常日頃からこういう事や家事をしているのか、男の手つきはかなりのものである。

男が林檎の皮を剥き終えた頃には、身から剥かれたばかりの皮がテーブルの上に山を作っていた。

「ニナ、お皿を持ってきてくれないか。これより二回り小さめのヤツでいいよ」

いつの間にか唄うのをやめていたニナはコクリと頷き、トテトテと台所へ向かう。

 

その間に男は白い身をさらけ出している林檎を小さく切り分ける。

六等分に切り分けた林檎は、目の前にある大きな皿の上に盛りつける。

それから一分もしないうちにニナがトテトテと歩きながら小さな皿を両手に持って戻ってきた。

男は大皿に盛りつけた一口サイズの林檎を四個手に取り、ニナの持っている皿の上に盛りつけた。

「ニナ、この林檎は右の寝室で寝てるあの子に食べさせてあげなさい」

「うん!わかった!」

男の優しい言葉にニナは返事をすると、右側の寝室へと向かう。

片手でドアノブを捻る彼女の後ろ姿を暖かい目で見つつ、男はリュックに手を伸ばした。

 

「ふんふふ~ん♪ふんふふ~ん♪」

上機嫌で鼻歌を口ずさみながら、ニナは寝室へと入った。

この山小屋には寝室が二つあり、多数の遭難者がここを訪れても大丈夫なように作られている。

毛布やシーツの他に乾燥させた薬草や包帯といった医療品等が入っている箪笥もあり、有事の際にも事欠かない。

更にリビングと違って鉄格子の付いた大きな窓があるお陰で、陽の光が良く入ってとても明るかった。

 

そしてその寝室に置かれている二つあるベッドの内一つの上で、赤いリボンを着けた黒髪の少女が寝ていた。

規則的な寝息を立てている少女の身体に掛けられた薄いタオルケットが、寝息に合わせて上下に動いている。

ニナはニコニコと笑みを浮かべながらもトテトテとそちらの方へ駆け寄った。

両手に持っていた皿はベッドの側に置いてある小さなテーブルの上に置き、ついで盛りつけられていた林檎を一つ手に取る。

美味しそうな色をしたそれを暫し眺めた後、勢いよく口の中に入れた。

まるで野に咲く花の如き美しさを持った少女の口が、歪に動きながら林檎を咀嚼していく。

シャリシャリ…シャリシャリ…とスコップで土を掘ると聞こえてくるような音を立てながら、林檎はニナの口の中で粉々になっていく。

林檎独特の酸味や甘みを一通り堪能したニナは可愛らしい笑みを浮かべ、かみ砕いたそれを一気に飲み込んだ。

ゴクリ、と擬音がつきそうなくらいの勢いで飲み込んだ彼女は満足そうな笑みを浮かべ、プハー…と一息ついた。

 

「ん…んぅ…うぅ…」

その時、ベッドで寝ていた少女の口から呻き声が聞こえてきた。

「あっ!目ぇ覚ましたんだね?」

ニナは素早くその声に気が付きそちらの方へ目をやると、少女が瞬きをしていいるところであった。

何回か目をパチクリさせた後、黒みがかった赤い瞳が自分の顔を覗き込んでいるニナの姿を捉える。

その時一瞬だけ目を丸くしたものの、すぐに元の眠たそうな目に戻るとゆっくりと口を開いた。

「こ…ここは…」

「ここ?山小屋だよ」

少女の口から出た質問を簡潔に答えるとニナは林檎を一つ手に取り、少女の前に差し出した。

一方の少女は、目の前に差し出された林檎か何なのか分からず、突然の事に怪訝な表情を浮かべる。

「アーンして?アーン…」

ニナはそんな表情を浮かべている少女に対し、催促するかのように言った。

彼女の言葉を理解した少女は、少しうろたえながらも口を開けた。

「…?あ、あ~…――…む!」

瞬間、開いた口にニナが容赦なく一口サイズの林檎を三分の二程突っ込んだ。

突然の事に少女は再度目を丸くしたもののそれが食べ物だとわかったのか、林檎が入った口をゆっくりと閉じていく。

 

シャク…シャリ…シャリ…

一定の間隔を置いて口を動かし、少女は林檎を咀嚼していく。

その顔に浮かべた表情は、怪訝なものからキョトンとしたものへと変わっていた。

「ねーねーおいしぃ?ニナはとっても美味しかったけど、お姉ちゃんはおいしぃと思う?」

一方のニナはニヤニヤと笑みを浮かべながら、捲し立てるように聞いてくる。

とても酸味と甘みが利いた林檎を噛み締めながら、少女は何が何だかよく分からない表情を浮かべつつ、頷いた。

 

 

一方リビングからニナの楽しそうな声を聞いていた男は、その顔に笑みを浮かべていた。

「今日はニナと一緒で本当に良かった。僕だけじゃうまいこと対応できそうにないからな…」

自虐ともいえる言葉を呟きながら、男は二個目になる林檎の皮を剥いていく。

十五の頃から山に入って木の実やキノコの採取、シカ狩りを行ってきた彼は女性の扱い方というのを知らなかった。

特にあの少女のような、思春期真っ只中(?)の女の子をどう扱って良いか全く知らないのである。

それにひきかえニナは分け隔て無く、他人と接することができる良い子だ。

あんな良い子もやがては大人になっていく過程で、世の中がいかに残酷なのか理解していくのだろう。

 

そんな事を考えていた男の気分は憂鬱なものとなっていくが、ふとある事が思い浮かんだ。

「それにしてもあの子、見たことのない服を着てたな…」

男は林檎をグルグルとゆっくり回す左手とナイフを動かしていた右手を止め、ポツリと呟く。

彼の言うあの子とは、いま隣の部屋で起きたばかりの黒髪の少女の事である。

 

少女が水飲み気絶したあの後、仕方なくベッドへ運ぼうと抱き上げたようとして身体に着けていたボロ布がズレ落ちた。

ボロ布の下に隠れていた彼女の服は、ニナと男が初めて目にする異国情緒漂う奇妙なものであった。

ハルケギニアは各国ごとに服の主旨は違うものの、結構似ているものが多い。

それ故にだろうか、二人には少女の着ている服はどうひいき目に見ても『趣味の良い者が着る服』とは思えなかった。

(まぁその事は別に良いとして…これからどうするか…だな)

 

ひとまずその事は頭の片隅に置いておくことした男は、ニナの笑い声が聞こえてくる部屋の方へと目を向ける。

ニナは初めて会う少女に優しく接しているが、男はどうにも信用する事が出来なかった。

こうして自然と長く付き合っていると、人を惑わしその血肉を糧とする人間と瓜二つの亜人を見かけたという話を良く耳にする。

オーク鬼、トロール鬼、コボルド…そして吸血鬼や翼人にエルフの他、この大陸にはマイナーながらも亜人が数多く生息している。

その大半が樹海や洞窟、渓谷や高原地帯に砂漠など人が滅多に来ない場所に好んで住む。

そして言うに及ばずこの小屋のある場所も、人が大挙して押し寄せてこない山中だ。

 

そんな山の中にある小屋で、しかも日中に迷い込んでくる人間はいるものだろうか?

勿論いるのかも知れないが、男は万が一の事も考えて目を細める。

 

(もし最悪の事態になったとしても…オレがニナを守らなければ)

男は心の中でそう呟きながら、手に持った果物ナイフをまじまじと見つめていた。

 

 

カラ…カラン…

「―――…ん?」

その時、ふと背後から物音が聞こえてきた。

思わず後ろの方へ向けると、背後にある暖炉の中に見慣れた物が一本、落ちているのに気が付く。

 

「…木の枝?」

それは山で日々の仕事をする男にはありふれた、一本の木の枝であった。

 

森の中や道ばたで見かけるならいざしらず、この枝は何故か暖炉の中に入っていた。

たまたま折れたモノが煙突を通して入ってきたというのなら説明はつくが、それにしてもおかしい。

訝しげに枝を睨み付けながら男は腰を上げると剥きかけの林檎を皿の上に置き、右手にナイフを持ったままそちらの方へ近づく。

そして暖炉の側に来ると腰をかがめ、中に落ちている木の枝を左の手で取る。

(まだ若くて丈夫な枝だ。それにこの折れ方…明らかに人の手によるものだ)

男が落ちてきた枝をマジマジと見ていると、暖炉と外を繋ぐ煙突の中から奇妙な音が聞こえてきた。

 

 

ペタ…ペタ……ペタ…

先程の音とは違う、明かに異質な音である。

何処か粘着質漂うそれはまるで、誰かの足音にも聞こえた。

その音を耳にした男は素早く起ち上がると、二、三歩後ろへ下がった。

左手に持っていた木の枝をすばやく放り投げ、ナイフを両手で握りしめる。

 

何だ?一体何がいるんだ?

男は自らの呼吸が段々と荒くなっていくのを自覚しながら、暗い暖炉の中を凝視した。

後ろに下がった後も尚ペタペタ…という音が暖炉をとおして聞こえてくる。

やがて十秒もしないうちに音は大きくなり、こちらに近づいてくるのがハッキリとわかった。

最初はペタ…ペタ…と間隔を開けていた音がペタペタ…ペタペタペタ…とその間隔が短くなっている。

音が近づくに連れ男の呼吸も荒くなっていき、ナイフを持った手の力もどんどん強くなっていく。

男は覚悟を決めたのか、握りしめていたナイフをテーブルに置くと、素早くリュックの中に手を入れた。

 

(何が来るのか知れないが…来るなら来い!)

男は力強く心の中で叫び、リュックの中から無骨な鞘に入った大きな獲物を取り出す。

それは、山仕事をするような者達が常日頃持ち歩いている一振りの大きな鉈であった。

薪を割ったり小さな木の枝を切り落とす事もでき、時には襲い来る獣たちを倒すことも出来る。

木こりや旅の平民にとって、その鉈は絶対に欠かせないモノであった。

 

男は鞘から獲物をスラリと抜き、左手に持った鞘をナイフ同じくテーブルに置いた。

ゆっくりと、音を立てぬように置くと右側の寝室へとつづくドアへ視線を向ける。

あのドアを越えた先には、無垢な心を持つニナと素性の知れない行き倒れの少女がいるのだ。

(あの子たちを怖がらせるワケにはいかない…出来るならば一発で仕留めてなければ)

男は心中で考えつつ、血痕一つ付いていない綺麗な鉈の刃先を火がついていない暖炉の方へ向ける。

日々の手入れで鉈は綺麗ではあるものの、その刀身はこれまで多くの命を断っていた。

野犬や狼、時には毒蛇の身体を切り刻みその頭を切り落としてきた。

男の方も鉈で戦うという経験は一度や二度ではない、山で仕事をするのならばそれなりの覚悟は必要なのだ。

でなければ襲い来る獣たちに殺されるか、荷物を纏めて故郷を飛び出して街へ行くかの二つしかない。

男はその選択で山に残ることを決め、ここにいるのである。

 

「フゥ…!…フゥ!」

段々と大きくなっていく自分の呼吸音に焦りながらも、男は待ちかまえる。

ペタペタという音は段々と大きくなり、もうすぐこの暖炉から音の主が出てくるのは目に見えていた。

自分がやらなければ隣の部屋にいる少女達の命が危なくなるのだ、やるしかない。

 

 

再度決意を固めた彼は鉈を振り上げ、そして―――

 

 

シュッ…!―――――

 

 

―――――ゴトリ… 

 

「…?」

寝室で寝ていた少女に林檎を食べさせていたニナの耳に、変な音が入ってきた。

まるで、胸の高さにまで持ち上げた大きな岩を地面に落としたときの音と似ている。

しかし今聞こえた音には何処か湿っぽい、粘着質な音も含まれていた。

まだ幼いニナにはその違いがわからないものの、リビングからの異音に首を傾げた。

一方、ニナに林檎を食べさせてもらっていた黒髪の少女も、その音に気づいてドアの方へと顔を向ける。

口の中に入った林檎をモグモグと噛みながら、目を丸くしてドアを見つめている。

「お兄さんが林檎でも落としたのかな?」

丸くて可愛い目をパチクリさせながら、ニナはリビングへと続くドアを凝視していた。

木造のドア一枚越えた先にあるリビングだが、ドアがあればリビングの様子は全く分からない。

ニナはリビングで何が起こったのか気になったのか、「おにーさーん!」と男を呼びながらドアの方へ近づこうとしたが…

 

「…駄目よ」

「えっ?」

歩き出す前に後ろから聞こえてきた声の主が、ニナの肩を掴んだのである。

 

何かと思いニナが後ろを振り返ると、ベッドで横になっていた黒髪の少女が自分の肩を掴んでいるのに気が付いた。

村へ帰る前の小休止にと入った小屋の中で倒れていた彼女はドアを凝視していた。

特徴的な黒い瞳は鋭く光り、可愛らしい10代半ば相応の目をキッと細めている。

一方、肩を掴まれたニナは訳が分からないという表情を浮かべながらも、そんな少女に話し掛けた。

「お姉ちゃん何するの?はなしてよ」

その言葉に少女は反応せず、ニナの肩を掴む手の力も緩めようとしない。

尚もリビングへと通じるドアを凝視しているその姿は、まるで何かの動きを読もうとしているかのようであった。

肩を掴まれているニナは突如豹変したかのように表情が変わった少女に、僅かばかりの恐怖を覚えた。

「お姉ちゃん…ねぇ…いい加減離し――――え?」

なんとか離して貰おうと苦しそうな声で言いかけた言葉を、ニナは飲み込まざるを得なかった。

 

先程まで片方の手でニナの肩を掴んでいただけであった少女は、突如ニナの腰を両手で掴んだのである。

一言も発さず素早い手つきでニナの身体を抱きしめた少女は転がるように、横になっていたベッドから飛び出した。

埃がうっすらと積もった床に足を着けた少女はニナを抱えたまま何かを捜すように辺りを見回し、すぐに目当てのモノを見つけた。

それは寝かされる前に脱がしてくれたのだろうか、ベッドの下に一足の黒い革のブーツが置かれている。

 

少女はニナを抱えたまま器用にブーツを履くと、先程まで二人が凝視していたドアがミシッベキッ!と音を立て始めた。

そこへ視線を向けてみると、丁度ドアの真ん中当たりからもの凄い音と共に木片が飛び散っていく。

「え…?なに、何……きゃ!」

不吉な音をたて始めたドアにニナが気づいた瞬間、一切れの木片が彼女の頬を掠る。

掠っただけで幸いにも血は流れていないが、珠のように白くて綺麗な肌に赤い一筋のかすり傷が付いてしまった。

尚も激しい音を立てて壊れていくドアにとうとう一つの小さな穴が開いた瞬間、そこから一本の腕がものすごい勢いで出てきた。

そしてある程度出たところでピタリと止まり、何かを掴もうとするかのようにジタバタと滅茶苦茶に動かし始める。

 

それは平均的な成人男性の立派な腕であったが、その肌はとても人間のものとは思えなかった。

人間の腕にしてはやけにゴツゴツとしており、所々に爬虫類のそれとそっくりな鱗も貼り付いている

肌の色も普通の人間と違い、とある世界では『FLORA(フローラ)』と呼ばれる系統の迷彩と類似していた。

これだけ見ればとても腕の持ち主が人間とは思えないが、それらを無しにしても十分に人間のモノとは思えない証拠を持っていた。

 

その証拠は、飛び出してきた腕の五本指にそれぞれ付いた長く、鋭利な鉤爪であった。

まるで火竜の手からもぎ取ってそのまま移植したかのような鉤爪には――――赤い血がベットリと付着していた。

 

「……!?キャアアアアアアアアアッ!」

突如ドアを突き破ってきた手に、とうとうニナがその小さな口を大きく上げた悲鳴を漏らした。

瞬間、その悲鳴を合図に黒髪の少女は片足で勢いよく床を蹴った。

トンッ!と気持ちの良い音を立てて少女の身体が床から離れ、そのまま背後にある窓へと向かって飛んでいく。

 

そして、窓の割れる大きな音と共にニナを抱えた一つの影が、山小屋から離れていった。

 

シ ャ ア ァ ァ ァ ァ ! キ キ ィ イ ィ イ イ イ  イ イ ィ ! 

 

少女とニナが消え、『人のいなくなった山小屋』を中心に、この世の物とは思えない鳴き声が響き渡る。

その声は森と周囲の山々に伝わり、獣たちは恐怖に駆られて鳴き声の聞こえた場所から離れようと走り出す。

オーク鬼たちも謎の鳴き声に驚いたのか、獲物を求めて山の中をうろいていた何匹かが仲間達のいる塒へと戻っていく。

ふとした事が死に繋がる野生の世界において、この選択は正しいものである。

そして山の中にある村に住む人間達も同じで、皆が皆不安に駆られていた。

 

 

しかし、その様な状況になっても平然としている人間はいることにはいた。

 

その少女は森の中に出来た広場のような場所に佇み、空を見上げていた。

周りの景色から明らかに浮いている黒と白の服装は、彼女の存在をこれでもかとアピールしている。

太陽のように輝く金髪はさながら超一級のアンティークドールのようであるが、正真正銘彼女は生きた人間だ。

つい先程までここで昼寝をしていた少女の耳にも、あの甲高くおぞましい怪物の鳴き声は聞こえていた。

それが原因でついつい目を覚ましてしまい、ふと起ち上がって今に至る。

 

「ふぅ…人が折角昼寝と洒落込んでたってのに…迷惑な奴だ」

その口から出た言葉はおしとやかなお嬢様のそれではなく、まるで男のような言葉遣いであった。

だが少女の瞳に宿る強い意志と少々不機嫌そうな表情の前では、その言葉遣いがしっくりと来る。

この少女の名前と性格を良く知るものなら、誰もがそう思うだろう。

相変わらず森の奥から怪物の鳴き声が聞こえ、鳥の囀りすら消えてしまっている。

 

「こんな真っ昼間から鳴くなんて迷惑もいいところだぜ」

自分以外誰もいないのにもかかわらず少女は一人呟き、足下に置いてあった箒を拾い上げた。

ちゃんと手入れが行き届いているが扱いが手荒いせいかところどころに傷が入っているソレは、単なる掃除道具には見えない。

それはこの少女が数多く持つ゛大切な持ち物゛の一つであるからだ。その内の一つで最も大切な物は今手元に無いが。

「まぁ、人が寝静まってる夜中に鳴いても…迷惑だ」

少女は尚も呟きながら右手に持っていた黒い大きなトンガリ帽子を頭に被った。

まるで絵本の中の魔女か魔法使いが被っているようなそれは、少女には何故か似合っている。

何故なら、彼女がその帽子を被っているような゛魔法使い゛をしているだからだ。似合わないはずがない。

少女は頭に被ったソレを左右上下に動かして調節しながら、箒を持つ左手に力を込める。

この世界で使われている力とは全く異なる、自らの身体に溜まった魔力を少しだけ箒の中に入れていく。

 

「人様に迷惑かける奴は、懲らしめてやらないとっ…――な!」

少女、魔理沙は最後にそう呟くとその場でピョンッ!とジャンプした。

そして空中に浮遊している間に素早く箒の胴体部分に腰掛け、箒に込めた魔力を放出させる。

すると驚いた事に箒は地面に落ちず、魔理沙を乗せたまま空中に浮かんでいる。

数秒ほどその場で浮遊した後、箒が出せる力とは思えないほどの早さで上空へと飛び上がっていった。魔理沙を乗せたまま。

 

その箒もとい魔理沙が目指す所は無論、鳴き声の主の元であった。



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第五十一話

声が聞こえた。それが声だと誰かが言うのなら。

――…ン…――イ…――イィン…

 

 

まるで黒板を爪で引っ掻いたようなその声は、何を表しているのだろうか。

ただ相手を脅かすための威嚇か殺人音波か――もしくは嘆きの叫び声なのかもしれない。

しかしその声は結局の所、一時の眠りと共に暗い闇に沈んでいた霊夢の意識を無理やりすくい上げることとなった。

 

「んぅ…?」

約数十分近くの睡眠から起こされた霊夢は重い瞼をゆっくり上げ、右手でゴシゴシと目を擦る。

まず最初に目に入ったのは当然の如く、青い空と白い雲であった。

もう何百何千と見てきた空模様に見入る事なく、霊夢はゆっくりと上半身を起こす。

眠気が完全にとれていないような顔で辺りを見回し、ある事に気づく。

「あの竜…どこいったのかしら」

霊夢は眠る前にグルグルと自分の周りを飛んでいた青い風竜の事を思い出し、ポツリと呟いた。

まぁ相手は生き物であるからして何処かへ行くのは当たり前だが、それでも霊夢はあの竜に関して気になる事があった。

それが何なのか曖昧で良くわからないが、霊夢は何かが気になっていた。

「まぁいないのなら別にいいけど…」

何処か面倒くさいという雰囲気を漂わせる言葉を呟いた後「それよりも」といって山の方へと視線を向けた。

 

霊夢が見つめる先には、学院と外へ隔てる城壁の外側にある鬱蒼とした森林地帯が見える。

一見すれば何の変哲もない、幻想郷のそれよりも大きい規模を持つ森でしかない。

だが目を覚ます直前に聞いた音を耳にした霊夢にとってそこは、人を死に誘う樹海に見えていた。

先程の異音もそうであるが、森の方から微量ではあるがどうにも嫌な気配を感じ取っていた。

それは霊夢にとって一度だけ感じたことのあるモノであり、もう二度と感じることのないモノだと思っていた。

「う~ん、どうしてこう…人が休もうって時に向こうから厄介事が来るのかしら」

霊夢は首を横に振りながら肩を竦めると、よっこらしょとかけ声を入れて重いようで実は結構軽い腰を上げる。

そして袖の下に隠してある退魔針と攻撃用のお札、そして数枚のスペルカードを確認すると一回だけ深呼吸をした。

 

その深呼吸は長くゆっくりとしたものであったが、それは霊夢を変えた。

先程まで眠そうだった顔は変わっていないが、その目には強い意志が宿っている。

身体全体に漂っていた怠情の雰囲気は、風と共に何処かへ消え失せていた。

 

男子寮塔の屋上。

そこにはもう、人の来ない場所で昼寝を嗜む少女はいない。

人と妖の住まう世界の中核であり、異変を解決する結界の巫女がそこにいた。

 

「全く、何処に行っても私は私ね…休む暇すらありゃしない」

最後に一言だけ呟き、霊夢は自身の履いている靴で勢いよく屋上の床を蹴った。

トン…ッ!という音をたてて霊夢の身体が宙に浮き、そのまま森林地帯の方へと飛んでいく。

 

そしてこの時、飛んでいく自分の後ろ姿を見つめる少女に気づくことなく、霊夢は森へと向かっていった。

 

 

 

数十分前――女子寮塔にあるルイズの部屋。

 

「全く、今日は散々だったわ」

ルイズは今日で何度目になるかわからない癇癪を起こしながら、自室へと続くドアの前にまで来ていた。

不躾な同居人の霊夢と魔理沙に取って置いた菓子を食べられ、挙げ句の果てに反省どころか謝罪もせずに逃げる始末。

唯一良かった事は、部屋に忘れて取ってきた課題のレポートが、先生の高評価を得たことだけである。

だがそのレポートの結果も、『座学だけは優秀なメイジ』であるルイズにとっていつもの事である。

勿論それは喜ばしいことであるのだが…その前に起こった出来事を帳消しにする程の力は無かった。

現に今のルイズは怒り心頭であり、頭の中ではどんな罰をあの二人に下してやろうかと考えていた。

 

(夕食と翌日の朝食、昼食抜きは勿論だけど…その他には身体を縛って廊下に放置も良いわね)

先祖伝来のサディスティック思考を丸出しにしながら、ルイズは゛恐ろしい罰゛を考えていた。

その顔には恐ろしい笑みが浮かんでおり、彼女の傍を通る女子生徒たちは出来る限り避けようとした。

誰もグッスリと眠る風竜を叩き起こしたくないのと同じで、ハルケギニアのことわざで言えば『さわらぬ悪魔に祟り無し』というものである。

だがそんなルイズにただ一人、勇猛果敢にさわろうとする赤い髪のメイジがいた。

 

「どうしたのよルイズ、そんなに怖い顔をして?悪魔にでも取り憑かれたのかしら?」

ふとドアの前で考え事をしていたルイズの耳に、あまり聞きたくないライバル声が入ってくる。

ルイズはハッとした表情を浮かべてそちらの方へ顔を向けると、案の定そこにはキュルケが佇んでいた。

「何の用かしらツェルプストー、冷やかしならさっさと私の前から消え失せなさい」

「おぉ怖い怖い…悪魔が誘発する怒りに呑まれてはいけないわよ」

まるで悪魔払い師になったかのように戒めるキュルケに、ルイズはムッとした表情を浮かべる。

 

「いい加減にしないと、吹き飛ばすわよ」

その一言は、面白がってからかっていたキュルケを退ける程の威力を持っていた。

キュルケはヒュウ~と口笛を吹かすと数歩下がり、その肩をすくめた。

「…貴女ってホント、冗談が通じない人よね?」

「余計なお世話よ」

助言とも取れるキュルケの忠告を無視して、ルイズは自室ドアを開けて部屋の中に入っていった。

その様子を横から見ていたキュルケはもう一度肩をすくめた後、ふと思い出したかのように呟く。

 

「それにしても、タバサはどこにいったのかしらねぇ?」

いろいろと用事かあるのに…そんな事を口走りながら、キュルケは歩き始めた。

 

「体の調子が悪くなったから部屋に戻るって言ってたけどいないし…トイレかしらね」

 

 

自室へと戻ってきたルイズは着けていたマントを脱ぐとベッドの上に放り投げ、自らは椅子に腰掛ける。

だがすぐに腰を上げると部屋に置いてある箪笥の前にまで来て真ん中の段に付いてある取っ手をつかみ、引いた。

スーッと静かな音を立てて出てきたのは、今回の事の発端ともいえるあのお菓子の箱が入っていた。

それを両手で持つとテーブルの上に置き、それから引いたままだった段を押し戻した。

この一連の動作を終えたルイズは再び椅子に座り、自分の手元にあるお菓子の箱を凝視する。

既に開けられた形跡が残る箱を見て、ルイズは溜め息をついた。

 

『誰かと思えばお前さんか。娘っ子』

 

ふと、背後からノイズが混じりのダミ声が聞こえてきた。

その声に聞き覚えがあるルイズが後ろを振り向くと、インテリジェンスソードのデルフリンガーが壁に立てかけられていた。

霊夢の手でロープで縛られて喋れないようにしたうえでクローゼットしまわれた筈のその剣は何故かロープを外され、クローゼットから出ていた。

気絶させた魔理沙をクローゼットに入れる際にその姿を見た(助けようとはしなかった)ルイズは、怪訝な表情を浮かべる。

「…あんたグルグル巻きにされてクローゼットにいれられてなかったっけ?」

『いやさぁ、実はシエスタってメイドがオレを出してくれたんだよ。感謝感激さね』

ルイズの疑問に対しそう答えた後、そういや…と少し苛立ったような声で続けた。

 

『何であの時出してくれなかったんだよ娘っ子、いくら貴族のお前さんでもロープ切ることくらい出来るだろーが』

「だってアンタうるさいんだもん、声もひどいくらいにダミ声だし」

『ひでぇ。それでも人間かよ』

「ふつうの人間なら喧しいインテリジェンスソードをわざと騒がせたりしないわよ?」

『そんなことはねぇ、きっとこの世界の何処かにオレっちのようなお喋りな剣が好きな奴がいるはずだ』

「ならその人間の所に行けばいいじゃない」

『足があればな』

キッパリと言いきったデルフに、ルイズは呆れ表情を浮かべた。

「そりゃアンタ、剣だからねぇ…はぁ」

背後のデルフとそんな会話をした後、ルイズは小さな溜め息をつく。

その溜め息に心当たりがあったデルフは、数秒ほど時間を置いてルイズに話し掛ける。

 

『何だ?まだ仲直りしてねぇのかよ』

デルフの突然の言葉にルイズは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐにキッと細めた。

「あんた最初から最後まで全部聞いてたわね」

『そりゃクローゼットのドアは木で出来てるからな、言葉通り最初から最後まで聞こえてたよ』

ルイズの言葉にデルフはそう答え、カチャカチャと音を立てて刀身を揺らす。

恐らくソレは人間で言う片手を振っているのだろうかとルイズは推測しながら、口を開く。

「なら知ってるでしょ、私が被害者であの二人が加害者だって事は」

『だろうね。普通の人間なら他人の部屋に置いてある菓子に手ェ出したりしないだろうし』

既に決定されているかのようなルイズの結論にデルフは肯定しつつ、でもよ…と言葉を続けた。

『それは逆に言えば、常識に囚われない楽しい奴等だってことだろう?』

デルフの思わぬ言葉にルイズが反応するのに、数秒かかった

 

「……はい?」

まるで理解できないと言いたげな声を聞き流し、デルフは尚も言葉を続ける。

『それによぉ、お前さんだってあいつらが謝ってくれりゃあその怒りが収まるんだろう』

ルイズはハッとした表情を浮かべ、思わずデルフの姿を視線から逸らす。

そんな彼女の背中を見つめつているデルフは一言、こう言った。

『だったらあいつらが戻ってきたとき、ちっとは大目に見てやろうぜ。そうでなきゃいつまでも溝は埋まらねぇぞ』

まるで自分の心を読み取ったかのようなデルフの言葉に、ルイズはウゥ~…と小さな唸り声をあげる。

「でもでもでも!それだと私のプライドがぁ…――――アァ!」

自らの不満を呟きながらふと窓の外へと視線を向けたルイズの口が、ふと止まる。

彼女の視線の先には、今正に森の方へと飛んでいこうとする紅白の物体がいた。

見紛う…というよりアイツしかいないと思わせるそのカラーリングの持ち主は、あの霊夢であった。

 

「レイム!」

ルイズは視線の先にいる少女の叫びながら勢いよく席を立った。

デルフはルイズの突然の行動に驚き、カタカタと刀身を震わせる。

『うぉう!?ど、どうした娘っ子?いきなりアイツの名前なんか呼んで…』

「レイムよ!レイムの奴が森の方に飛んでいったのよ!!」

『へぇ~…じゃあ今から追いかけていって話し合うつもりかい?』

「そんなわけないじゃない!」

ルイズは声を荒げてそう言いながら、ベッドの上に放置していたマントを手に取った。

そして慣れた手つきでそれを着けると鏡台の上に置いていた乗馬用のムチを腰に差す。

ついで杖を腰に差しているかどうか確認すると、もう一度窓の方へと目を見やる。

霊夢はなおも森の方へと飛んで行っている。

「アイツ、きっとほとぼりが冷めるまで何処かに隠れてる気よ…それならこっちから詰め寄って鉄拳をお見舞いしてやるわ!」

『鉄拳!?へへっ、なんとまぁ物騒な…』

半ば自分の想像が入っているかのようなルイズの言葉に、デルフはプルプルと刀身を震わせた。

『確かに娘っ子の場合だと…魔法よりも直接殴ったりムチ使った方がつよ…イデェ!?』

刀身を震わせながら余計なことまで口にしたデルフを、ルイズは勢いよく蹴飛ばした。

ガシャンガシャンと大きな音を立てながら、デルフはフローリングの床を転げ回る。

「うっさいわね!アンタはいい加減黙ってなさいこのバカ剣!」

 

床のデルフを指さしながらそう叫ぶと、ルイズはクルリと踵を返す。

そしてツカツカと歩き、いざドアを捻って部屋を出ようかというときにデルフが声を掛けてきた。

『おぉい!ちょっと待てよ娘っ子!!』

自分の足を止めるその声に従ったルイズはドアノブへと伸びていた手を引っ込め、振り向いた。

その顔はあからさまといえる程不機嫌を表しており、とても他人が声をかけれるものではない。

「あぁ…?何よ、人が忙しい時に…」

『今から厩に向かったら完全に見失っちまうぞ。それより良い方法があるからそっちを試せ!』

 

 

 

一方そんな二人と一本を他所に、魔理沙は箒に乗って空を飛んでいた。

かなりの低空飛行のうえ、キョロキョロと頭を動かして地上の様子を見ているせいかその速度は遅い。

その時、ふと右の方へ視線を動かしていた魔理沙は何かを見つけたのか、箒が空中で停止する。

動きを止めた彼女の視線の先には、視界を遮るように生えた林の先に一軒の山小屋があるのに気が付いた。

それが何なのかよくわからないが、魔理沙の目には興味津々と言いたげな雰囲気が含まれている。

「お、あの小屋はいかにも怪しそうだ。うん、怪しいな」

自問自答の独り言を呟きつつ、その小屋が気になった魔理沙は箒を動かして小屋の方へ向かった。

 

林を抜けて数分もしない内にたどり着き、魔理沙は小屋の出入り口付近にまで着いた。

そこで箒にブレーキを掛けた魔理沙は、手慣れた動きでスッと地面に降り立つ。

今まで移動手段として用いた箒を左手に握り、魔理沙は目の前の小屋を見上げる。

「う~ん、山小屋としては中々のもんだぜ」

魔理沙はそんな事を呟きながら小屋を見回していた。

最初は小さな民宿かと思っていたのだが、みた感じただの山小屋だったようだ。

外装は古びているもののちゃんと手入れはされていて、廃屋特有の荒廃感は見受けられない。

「人の気配はしないし、ここじゃなさそう……ん?」

一通り見終えた魔理沙がふと視線を下に向けたとき、生理的に嫌な匂いが鼻腔をくすぐる。

 

 

それは彼女が嗅ぎ慣れた薬品や有毒性のキノコの臭いではなく、どちらかといえばあまり好きになれない臭いであった。

まるで鉄のようにツンと鼻に障り違和感を残すそれは正に―――――

 

キ ッ キ ィ !

「うっ…!?」

 

その時であった、後ろから聞き覚えのある奇声を耳にしたのは。

霊夢ほどではないが、それなりに戦いの経験があった魔理沙は振り返るより横へ飛ぶことを選んだ。

思いっきり地面を蹴って右の方へと移動した魔理沙の身体を、鋭い爪が掠っていく。

ヒュフゥ!という風を切る音と共に爪は振り下ろされたが、彼女の身体を傷つける事はなかった。

それに続いて魔理沙の身体が地面に倒れたがすぐさま立ち上がり、眼前にいる敵へと向き直る。

目の前の゛ソレ゛を目にした魔理沙は一瞬驚いたものの、すぐさまいつもの得意気な表情へと戻る。

「へっ…鳴き声からして鳥か猿かと思ったが。…さしずめ爬虫類と人間の混ぜモノってところか?」

余裕満々を思わせるセリフを呟く魔理沙を前にして、目の前の゛ソレ゛は微動だにしない。

 

゛ソレ゛は魔理沙の言葉通り、爬虫類と人間が混ざったような外見をしている。

二十代そこそこの人間をベースに蛇やトカゲといった爬虫類の特徴を体のいたる所に身に付けていた。

体中を覆う蛇の鱗は陽光に当たってキラキラと輝き、森の中で姿を隠すためか迷彩柄になっている。

目はロマリアの南部に住まうと言われるカメレオンのそれであり、キョロキョロとせわしなく動かしている。

そして指の先から生えている鋭い爪には人間のものかどうかわからないが、真っ赤な血がこれでもかと付着していた。

尻尾は生えていないものの、背中が小さなタンコブのようなイボイボに覆われていた。

 

(気持ち悪い奴だな…幻想郷にもこんな奴は滅多にいないぜ)

自分に襲いかかってきた怪物の姿を一通り見回した魔理沙は、心の中で呟く。

そしてその爪についていた血と小屋の中から漂ってくる鉄の様な臭いから、こいつが何かをしたのだという確証を得た。

(ま、例えアテが外れてても逃がしてはくれそうにないしな)

再び心の中で呟きつつ、ファイティングポーズを取ってジリジリとすり寄ってくる怪物を見定める。

この距離だと今から箒に乗って逃げたとしても背中から斬りつけられてしまうだろう。

(それならいっその事、コイツを退治した方が手っ取り早いかもな)

霊夢ほどでは無いが、幻想郷での異変解決に向かうこともある故、戦いにも慣れている。

何より、人間として同じ者達に危害を加えるであろう存在を見過ごす事もできないでいた。

(何処にいても、楽して助かる命ってのは無いんだな)

心の中でそう呟き、その顔に苦笑いの表情を浮かべた。

決心したかのように浅い深呼吸を行った魔理沙は帽子へと手を伸ばしたとき、その手がピタリと止まった。

彼女の顔に浮かぶ表情は、アッと驚いたかのようなそれへと変化していた。

 

 

魔理沙は今まで忘れていたのだ。

いつも肌身離さず持ち歩いていたマジックアイテムが、今は自分の手元から離れていた事に。

 

「やっべ…八卦炉はルイズが持ったままだったの忘れてたぜ!」

思わず声に出して叫んだ瞬間、待っていたと言わんばかりに怪物が飛びかかってきた。

 



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第五十二話

「はっ…!…はっ!」

陽の光が届かぬ薄暗い森の中に、鳥の囀りと共に規則正しい息づかいが響く。

それについで小さな足でトンットンッと地面を蹴る音も続く。

その二つの音を出していたのは、まだ十代そこそこに見える黒髪の少女であった。

 

まるで軽業師のように地面を蹴って森の中を走り回る少女の顔は全く苦しそうに見えない。

それどころか辺りに目を配るほどの余裕をもっており、ついで背負っている一人の女の子に目をやる。

そこには、少女の背中にしがみついたまま気を失っているニナがいた。

あの時山小屋から逃げた後もずっと気絶したままで、かといって山中に放置することも出来ずこうして数十分も背負い続けて走っている。

少女は、この子を背負ってなければもう少し足を速められるかなと一時は思ったが、すぐに首を横に振った。

仮に連れて行かず、小屋に放置していたら間違いなくあの怪物の餌食になっていたであろう。

(何処かに村か何かあれば…そこに預ければいいわね)

少女はいまの状況を前向きに考えつつ、更に足を速めようとした。

 

その時…ふと近くから誰かの気配を感じ、動かしていた足を止めた。

 

走るのを止めた少女はスー…と頭を動かして辺りを見回し、木々に覆われてハッキリと見えない森の中を見透かすかのように目をこらす。

気配からして人間だとわかったが、その人間が放っている雰囲気は少し異質であった。

それは例えれば外は冷たく内が熱い、どうも曖昧な感じが否めない気配なのである。

一体誰なのかと訝しんだ少女は更に目をこらし、気配の主を捜そうとする。

だがその行為は、少女の゛命゛を狙わんとする暗殺者にとって絶好のチャンスであった。

 

―――ビュウッ…ドッ!

まるで風を切るかのような音が響いた後、少女の体に風系統の魔法『ウインド・ブレイク』が襲いかかった。

「ウァッ…!?」

風の塊を直接ぶつけるシンプルな魔法は辺りに注意を向けていた彼女の体にぶつかり、勢いよく吹き飛んだ。

気を失っていたニナは吹き飛ばされる直前に『ウインド・ブレイク』の衝撃で少女の背中からはじき飛ばされ、地面に転がった。

何本かの枝が折れる音が響くと共に、吹き飛ばされた少女が数秒間の時を置いて上から落ちてくる。

「ク…!」

しかし地面に激突するまであと五メイルというところでネコのようにうまく体勢を変え、なんとか着地する。

着地した少女は自分が連れてきたニナがすぐ近くにいることを確認すると、鋭い目つきでキッと頭上を睨み付ける。

その視線の先には、少女の着地した場所から数十メイルほど離れたところに生えた大木の枝の上に立つ青髪の少女がいた。

彼女の着ている白いブラウスと白のニーソックス、そしてグレーのプリーツスカートはこの森の中では酷いくらいに目立っている。

高価なアンティークドールを思わせる顔は無表情であり、掛けている眼鏡がその色のない顔に言いようのない冷たさを醸し出している。

そして背中には自分が何者であるのか証明する黒いマントを羽織り、右手には自身の背丈よりも大きい杖を持っていた。

 

杖とマント。その二つはこの世界に置いて゛貴族゛と呼ばれる者達のシルエットだ。

そしてこの青髪の少女は、今この山中にいる貴族の中でも特に戦いに長けた者であった。

青髪の少女―タバサは左手の人差し指でクイッと眼鏡を持ち上げる。

その眼には、目の前にいる少女を゛標的゛として見つめる冷酷な感情が見えた。

 

 

人は誰でも間違い犯す。

しかし時と場合によっては、それが命取りになる事を忘れてはいけない。

 

「やっべ…八卦路はルイズが持ったままだったの忘れてたぜ!」

魔理沙が素っ頓狂な声を上げて叫んだ瞬間、目の前にいた怪物が飛びかかってきた。

指先に爪の生えた両手を前に突きだし両足もピンと張って飛ぶ姿は、正に白昼の悪魔である。

目の前の異形が攻撃を仕掛けてきた事に気づいた魔理沙は驚いた表情を浮かべたまま左手の箒をその場に放り投げると、勢いよく前転した。

自慢の洋服が土にまみれ被っていた帽子も吹っ飛んでいったが、飛びかかってきた怪物の攻撃を避けることには成功した。

「おらっ!」

すぐに立ち上がった魔理沙はこちらに背中を見せている怪物に、素早い回し蹴りをお見舞いした。

比較的運動神経が良い魔理沙の蹴りが若干効いたのか、背中に一撃を喰らった怪物は呻き声を上げて数歩よろめいた。

 

「ヴヴヴ…ギィ!」

しかし自分の後ろに敵がいる事を知った怪物は振り向きざまに引っ掻いてきた。

反撃を予想していた魔理沙はスッと後ろに下がると、足下に転がっていた自分の箒を手に取る。

そして、次こそはと勢いよく振り下ろしてきた怪物の爪を箒の柄で見事受け止めた。

だが箒で敵の攻撃を防いだのはいいものの、予想以上に怪物の力は強かった。

箒を持つ魔理沙の手が小刻みに震えているのに対し怪物は振り下ろした爪に力を入れて、確実に魔理沙の方へ近づけていく。

「く…頭が悪いかわりに力がヤケに強いんだよな…――こういう奴って!」

このままではやられると感じた魔理沙は苦しそうに呟くと、二撃目となる蹴りを怪物の腹に入れる。

蹴りをまともに喰らった怪物は紙を勢いよく破った時の音みたいな叫び声を上げて後ろに下がった。

 

敵を下がらせる事に成功した魔理沙も後ろに下がると懐に手を伸ばし、小さな小瓶を取り出した。

小瓶の中にはサイコロを小さくしたような物体が一個入っているだけであった。

「下手に力勝負しても勝ち目がないし…こいつで片づけるか」

そう言うと魔理沙は小瓶を持った右手に力を込めたかと思うと、それを勢いよく放り投げた。

投げられた小瓶はクルクルと回転しながら、腹を押さえて呻いている怪物の頭上目がけて落ちていく。

そして後二メイルという所で怪物が気づいてしまい右手の爪ではじき飛ばそうとしたが、魔理沙にとってそれはどうでも良かった。

 

あの投げた小瓶の゛中身゛は、かなり強い衝撃さえ与えれば…華やかで盛大な゛花火゛へと昇華するのだ。

 

 

パキィ!

 

横に振った怪物の爪は見事落ちてきた小瓶を砕き、その゛中身゛も粉々に砕いた。

サイコロの形から無数の欠片へと変化した゛中身゛は粉々になった際の衝撃をモロに受けて…爆発した。

 

瓶を割った怪物をも巻き込んだその爆発はまるで、祝祭の時に打ち上げられる花火の様に色鮮やかであった。

流石に本物の花火みたいに大きくは無いが、色鮮やかな星の形をした花火が爆発と共に打ち上がる。

爆発音もドド、ドドン、パン!…とまるで花火のような何処かおめでたい雰囲気が漂うものだ。

そんな綺麗な爆発は僅か十秒ほどで終わり、後に残ったのは薄い灰色の煙だけであった。

 

 

瓶の中に入っていた物体…それは魔理沙が作りだした゛魔法゛の一つであった。

魔法の森などに生えている化け物茸などを独自の調理法でスープを数種類作り、それをブレンドする。

そして数日掛けて乾燥させて固形物にした後、その固形物を投げつけたり加熱したりと色々実験をする。

そうすることでごく稀に魔法らしい魔法が発動することがある。

成功しても失敗しても本に纏め、また茸狩りからスタート…といったループが続く。

先程怪物に投げつけた固形物は威力が強すぎた成功例の一つを、ある程度弱めたものであった。

 

 

煙はその場に数秒ほど留まったが、初夏の香りが漂う突風に乗って空へと消えていく。

本当ならば煙の留まっていた場所にいる筈の怪物の姿は無く、代わりに小さなクレーターができていた。

魔理沙は用心しつつもそこへ近づき、クレーターを調べた。

「ふぅむ…まさか木っ端微塵になるとは予想外だったぜ。まだまだ威力が強すぎるな」

一通り調べ終えた魔理沙はすぐ傍に落ちている帽子を拾い、パパッと土を払い落とす。

そしてある程度綺麗になったソレを頭に被ると、苦笑いのような表情を浮かべて先程の爆発の事を思い出した。

「それにしても…思ってたより衝撃に対しては弱かったな。砕けた直後に反応してたし…完成までもうちょっとのところか」

彼女はひとり呟きながら、腰に付けた革袋から一冊のメモ帳を取り出した。

もう何年も使い続けているのか、そのメモ帳からは大分くたびれた雰囲気が漂っている。

魔理沙はメモ帳を開くとパラパラとページをめくろうとしたが、その前にピタリと手の動きが止まった。

苦虫を踏んだよう表情を浮かべる彼女の視線の先には、半開きのドアから山小屋の中が少しだけ見えていた。

そしてそこから、ツン鼻にくる鉄のソレと似た臭いが漂ってきている。

 

 

「まぁでも…その前にする事があるか…」

魔理沙は軽い溜め息をつくとメモ帳をしまい、小屋の中へと入ろうとしたとき…

 

「何処かで見た事ある花火が上がったと思ったら、やっぱりアンタだったわね」

ふと背後から着地する音共に聞き覚えのある声が聞こえ、咄嗟に後ろを振り返る。

 

振り返った彼女の視線にいたのは紅白の服と別離した白い袖を付けた腕を組み、いつもと変わらぬ姿と態度で佇む゛彼女゛がいた。

いつもは神社の縁側でお茶を飲んでいて、暇さえあれば話の相手や弾幕ごっこもしてくれる友人みたいな゛彼女゛。

異変が起これば、どちらが先に解決出来るかを競い合うライバルになる゛彼女゛。

そして―――゛彼女゛にとって自分が、『最初に出会った気の許せる人間』だということ。

魔理沙にとって゛彼女゛は―――博麗霊夢はそんな人間であった。

 

いつもはグータラとお茶を飲んでいるような彼女がどのような用事でここに来たのか、魔理沙はわかっていた。

そしてそれを知ったうえで、自らの勝利を誇る戦士のような晴れ晴れとした笑顔で霊夢の顔を見た。

 

「よっ、遅かったな。何処かで昼寝でもしてたのか?」

「その昼寝を邪魔する輩がいたからここまで来たんだけど。とんだ無駄足だったようね」

霊夢はそんな魔理沙とは正反対の、何処か陰のある苦笑いの表情を浮かべていた。

 

 

 

…一方、山小屋から大分離れた所にある街道。

首都トリスタニアと魔法学院を繋ぐ道の上を、一台の馬車がゆっくりとした速度で走っていた。

二頭の馬が引く台車の中には、学院にとって必要な食料や物資がこれでもかと詰め込まれている。

そしてその中に混じるかのように、その荷物を責任持って運ぶ業者の姿も見受けられた。

 

「っと…もうそろそろ学院かな?」

ガタゴトと揺れる荷台の上に座っていた一人の男が、前方にある塔を見てポツリと呟く。

その後ろでは仕事仲間の四人が、持参したチーズやライ麦パンを食べていた。

いつもは首都の出入り口にある駅で食べるのだが、今日は生憎仕事の量が多かった。

しかもその中にはいつも自分たちに依頼してくれている魔法学院への運送もあったので、いつも以上に張り切っていた。

仕事柄、何かトラブルがあって運送が遅れればそれだけで築き上げた顧客への信用が吹き飛んでしまう。

 

無論信用を上げるということがどれ程大変なことなのか、彼らは皆知っていた。

「よしっお前ら。昼飯中断運ぶ準備に入れ。モタモタするなよ!」

リーダーである男の一言に、後ろで食事をとっていた男達は「うーっす!」や「へ~い…」など…気合いの入っていないような返事をする。

それでも動きはテキパキとしており、食べかけであった食事を急いで口の中に入れ込み、ゆっくりと腰を上げる。

四人は足下に置いていた使い古しのカーキ色のベレー帽を被ると、思いっきり深呼吸をした。

「ん~…。それにしても、さっきの変な音やら爆発音は何だったんですかねぇ」

ふと仲間の一人が、帽子を被りながらポツリと呟いた。

彼の言う゛変な音゛に覚えのあった他の者達は顔を見合わせた後、仲間の誰かがからかうように言った。

 

「なんだよお前?さっきのアレにびびってるのか?」

「ちょっ…別にそんなんじゃねぇよ!」

彼の言葉に男は慌てた風に言い返すと、今度はリーダーが口を開く。

「ま、例え山の中で異変が起きようとも俺たちのする事に変わりはないさ。だろ?」

リーダーの頼りがいのあるその言葉に四人全員が彼の方へと視線を向き、頷いた。

 

タッタッタッタッ…

その時であった、蹄と台車が軋む音と一緒に右側の森林から足音が聞こえてきたのは。

 

「ん?なんだ、また音が聞こえてきたぞ…これは足音か?」

リーダーは周りから聞こえてくる他の音と一緒くたにしないよう気をつけつつ、耳を澄ます。

足音は規則正しいがとても速く、どうやら森の中を全力疾走しているらしい。

「あ、兄貴…一体何なんですかこの足音」

「走っているようだが…おかしい。これは人間の足音なのか?」

うろたえている仲間の言葉に、リーダーは怪訝な表情を浮かべて足音を聞いていた。

 

ここら一帯の森林は走ることはおろか歩くことすら困難な程地形が複雑ではない。

やろうと思えば走ることだって出来る。しかし今聞こえてくる足音は何処かおかしかった。

聞いた感じではとても人が走っているとは思えぬほど速く、狼か野犬の足音だと思えばカンタンだった。

しかしそれよりも先に山の中から聞こえてきた甲高い声のような奇妙な音の所為で、彼らの頭の中に不気味な想像が蠢いていた。

 

 

 

ツン、と鼻にくる血の匂いが鬱陶しい…

山小屋に入った霊夢がまず最初に思ったことはそれであった。

僅かに開いていたドアから中に入りまず最初に感じたのは、血の匂いであった。

レミリアやフランの様な吸血鬼とか悪魔なら少しは気分を良くするかも知れないが、博麗霊夢はれっきとした人間である。

血の臭いを嗅いで気分を良くする人間など滅多にいないし、いるとすればかなりの変わり者だ。

残念ながら、変わり者は変わり者でもそれとは別のベクトルを行く霊夢にとって血の臭いは不快な代物である。

ましてや、血なまぐさい事なら霊夢より遠い存在である魔理沙にとっては尚更であった。

 

「ま、こんな死体を見て目の前で吐かれるよりマシ。…か」

霊夢は小屋の外で待っている魔理沙を思い出しながら呟き、足下の゛死体゛へと目を向ける。

大きな暖炉とテーブルが置かれたその部屋に、血の匂いを発する元凶である一人の死体が転がっていた。

麓に住む村人であろうかその服装は質素ではあるが丈夫な作りをしている。

逞しい体つきと手に持っている大鉈を見ればすぐに男だと判別できるが、どんな顔をしているかまでは分からなかった。

何故ならその死体は、丁度下顎から上が『切断されたように無くなっている』のだから。

まるで専用の器具スライスされたように断面がハッキリと見え、下手な人体模型よりもリアルであった。

血はもう流れてはいないが、その代わり頭を中心にして赤い水たまりが出来ている。

 

「アタシも何回か幻想郷で惨い死体を見たことはあるけど…こんなのは初めてね」

霊夢は一度に大量の毛虫を踏みつぶしてしまったような表情を浮かべ、死体を見つめていた。

妖怪退治と異変解決のプロである博麗の巫女である霊夢にとっても、こんな死体をお目に掛けるのは初めてであった。

頭の上半分が切断されていたところ以外の外傷はなく、無論囓られた後もない。

 

恐らくこの男は、『食べられるために殺された』のではなくただ『殺されるために殺された』のだろう。

魔法学院で感じたあの気配の持ち主が、魔理沙と戦った怪物であるならば…。

最初こそは上の部分だけ食べられたのだと思っていたが、すぐに前言撤回をすることとなった。

何故なら部屋の中央に置かれた大きなテーブルの真下に、もう半分が転がっていたのだから。

 

「全く、どうせ置くならもっと目立つところに置きなさいよ」

一人愚痴をもらした霊夢は、これからの事をもう考え始めた。

この死体の男性の事を思えば少し可哀想ではあるが、仇(だと思う)怪物は魔理沙が倒したと(思うから)問題はない。

「まぁとりあえず近くの村の人にでも教えて、埋めてもらった方が良いわね」

流石にこういう事に慣れてはいるのか、余りにも早く考えるのを終えた。

そんでもっていざ魔理沙の待つ外へ出ようとしたとき…

 

「 見 っ つ け た わ よ ぉ ぉ ぉ ぉ ! 」 

 

…聞き慣れた少女の声が霊夢の耳に突き刺さった。

ただその聞き慣れた声は魔理沙の物ではなく、時間にしてみればつい一月前に知り合った者の声であった。

しかし、その声の持ち主が本物であれば幾つか疑問が浮かび上がってきた。

どうしてその持ち主がここにいるのか、どのような手段でここまで来たのか。

そんな疑問が次から次へと湧いてきたが、それを一つ一つ時間を掛けて解決するほど霊夢は暇でなかった。

 

「ホント、厄介事は向こうからやってくるモノね」

霊夢は頭を掻きむしりながらどう対応したら良いか考えつつ、ドアの方へと向かってゆっくりと歩き出す。

半開きになったドアの向こうから、魔理沙の慌てた声と少女―ルイズの怒鳴り声が聞こえてきた。

 

 



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第五十三話

ドアを開けようとした矢先、霊夢の耳に魔理沙とルイズの声が入ってきた。

「ちょっ…ま…どうやって来たんだよお前!?」

 

声の感じからして、恐らく考えてもいなかった事態に直面して焦っているようだ。

それに続いてカンカンに怒っているであろうルイズも聞こえてきた。

「やっぱり霊夢を追ったのは正解だったようね!どうせ二人してしばらく雲隠れでもしようかと企んでたんでしょ!?」

「うぇっ…?おいおいちょっと待てよ、霊夢はともかく私は逃げる気なんてないぜ」

「嘘おっしゃい!下手な嘘付いたらその分痛い目を見る事になるわよ!?」

 

霊夢はドアの前でふと足を止めた。どうやってルイズがここまで来れたのだろうか?

ここは学院から結構離れているし、何よりどうやって追いついてきたのか。

色々と疑問が浮かんでくるがそれを解決する前に、ルイズの゛勘違い゛をどうにかする必要がある。

もしも魔理沙の言葉を鵜呑みしてしまったら、全ての怒りが自分に降りかかってくるのだから。

(別にこっちは逃げる気なんてサラサラ無いっていうのに…疲れるわね)

心の中で呟きながらドアノブを握り、力を込めてドアを開けた。

 

瞬間、ドンッ!となにか柔らかいモノにぶつかったような鈍い音が響き、次いで「キャッ!?」という少女の声が聞こえた。

 

「あっ!ちょっ霊夢お前…なんてことを…」

霊夢を見て、魔理沙はビックリしたと言いたげ表情を浮かべて目を丸くした。

 

「何よ魔理沙。そんなに目を丸くして…あら?」

魔理沙に向かって一歩踏み出そうとしたとき、霊夢は自分の足下でルイズが倒れている事に気がついた。

プリッツスカートに包まれた小さくて可愛らしいヒップを、霊夢に向けて突き上げるような形で倒れている。

「声が大きいなぁと思ったらそんなとこにいたのね。アンタ……って、あれ?」

倒れたルイズを見下ろしながら喋っていた霊夢の視界に、ある物が目に入った。

ルイズの手元に転がっていたそれは、鞘から出ないよう縄でキツク縛られたデルフであった。

 

(デルフ?何でこんなところに…)

ここにいない筈のルイズよりも更にいないと思っていたデルフが転がっていた事に、霊夢は目を丸くした。

一体全体、どうしてこんなヤツがルイズと一緒に、どうやって森の中まで私たちを追ってきたのか?

色々と考えたい事が山ほどあるのに、更に疑問の種が一気に二つも増えた事に、霊夢は溜め息をつきたくなった。

そんな時、目の前の厄介事であるルイズの声が足下の方から聞こえてきた。

「…あぁ!」

「ん?」

霊夢がそちらの方へ目をやると、顔だけをこちらに向けたルイズが目を丸くしていた。

まるで何度も捜したが今まで見つからなかった捜し物がカンタンに見つけてしまったときの様な表情を浮かべている。

「レ、レイム!!」

ルイズが大声でそう言うと、霊夢は両手を腰に当てて言った。

「そう、私が博麗霊夢。素敵な巫女さんよ」

「ま、見た目はステキでも賽銭箱の方はいつも空だけどな」

それに続いて魔理沙が余計な事を言ったが、霊夢はあえて無視することにした。

 

一方のルイズは、急いで立ち上がると腰に差した杖を手に取り、それを霊夢に向ける。

 

「ようやく見つけたわよレイム。もう逃げられないんだからね!」

ルイズは鬼の首を取ったかのような表情を浮かべ、言い放った。

だが杖を突き付けられても尚霊夢の態度は変わらず、腰に手を当ててルイズをジッと見つめている。

やがてルイズが杖を突き付けてから十秒ほど経ってから、霊夢がルイズの後ろにいる魔理沙に話し掛けた。

「ねぇ、さっき雲隠れがどうとか言ってたけど…なんか色々と勘違いしてるわねコイツ」

霊夢のうんざりとした雰囲気が漂う言葉に答えたのは魔理沙ではなく、ルイズであった。

 

「か、勘違いですって!?嘘おっしゃい!アンタたち私が詰め寄ったときに部屋から出て行ったじゃないの!?」

「だってあの時どちらかが出て行かなかったら部屋が使い物にならなくなってたでしょうに?」

ルイズの怒りが篭もった言葉に対し、霊夢はやけに冷めた感じの言葉で返す。

霊夢の言葉にルイズの表情がうぐぐ…と言いたげな苦い表情に代わり、杖をギリリと握りしめた。

一方、半ば蚊帳の外にいる魔理沙は霊夢の言葉を聞いてあぁ成る程と心の中で感心した。

 

確かに、あの時のルイズは今よりも大分怒っていて下手したら部屋の中でドンパチ騒ぎが始まってただろう。

そうなってたらまず部屋が滅茶苦茶になっていたし、何より一緒にいた自分やシエスタまで巻き込まれていたかもしれない。

だとすれば、あの時霊夢が出て行った事にも納得できる。

(割と他人に冷たいところはあるが、少しだけ優しいところがあるじゃないか。…まぁ少しだけな)

一人勝手に納得しつつ、魔理沙はウンウンと頷いていた。

 

ちなみに、魔理沙はルイズの魔法がどんなものなのか未だに知らない。

授業には出ているものの、ルイズの事を知っている教師達が敢えて指名しないので、魔理沙はまだ一度も目にしていないのだ。

 

 

「そう…。なら、ここでアンタに魔法をお見舞いしても大丈夫の筈よね」

ルイズはそう言うと霊夢から少し距離を置き、ルーンの詠唱を始めようとする。

それを見て「お、コレは不味いぜ」と感じた魔理沙が急いでルイズの肩を掴んだ。

「おいおい、同じ部屋の住人同士でやり合う気かよ?」

突如後ろから入ってきた魔理沙に対して、ルイズは鋭い視線を浴びせる。

今のルイズの綺麗な鳶色の瞳には、紛うこと無き憤怒の色が浮かび上がっていた。

止めてなかったら今頃大変な事になっていた。と魔理沙は心の中で震えた。

「離しなさいマリサ」

ルイズの言葉には、いつもの綺麗な声には似合わないドスが混ざっている。

それに対し、魔理沙はいつもの態度と言葉で言い返す。

「離したら大変な事になるだろ」

「大変な事ですって?私はただ、アイツに人の礼儀を教えてあげるだけよ」

ルイズのその言葉に、魔理沙はヤレヤレと首を横に振りながら、こう言った。

 

「おいおい、クッキーの事はまだ根に持ってるのかよ?まぁほんの数時間前の事だけどな」

 

魔理沙の口から出た「クッキー」という言葉は、見事なほどの失言である。

黙っていれば良いものの。わざわざ事の発端となった数時間前の記憶を、魔理沙は掘り起こしてしまった。

「…良いわよ。そこまで言うなら、アンタにも今から教えてあげるわ。人としての礼儀ってヤツを」

ルイズは目をキッと鋭くさせてそう言うと自分の肩を掴んでいる魔理沙の手を勢いよく振り解き、ルーンの詠唱をし始めた。

手を振り解かれた魔理沙は後ろに少し下がりつつ、霊夢の方へ視線を向ける。

 

「どうする霊夢?もう滅茶苦茶やる気のようだが…」

「…う~ん、とりあえずルイズの思い違いをどうにかした方がいいかしらね」

魔理沙の言葉に霊夢は肩をすくめながらそう言うと、ルイズの体がピクリと反応した。

詠唱は既に終わっており、後は杖を振るだけで魔法が発動する状態である。

要は、手榴弾のピンに指をかけた人間を説得するようなものだ。

しかも相手はピンを抜いたら自爆覚悟で爆発させるだろう、何があっても。

霊夢はヤレヤレと言いたげな溜め息をついた後、ルイズに話し掛けた。

 

 

「まぁ何処から話せばいいか迷うけど。とりあえずここへきた理由を話しといた方がいいかしら」

「理由ですって?魔理沙と一緒にアタシから逃げるためにここへ来たんじゃないの?」

霊夢の言葉にすかさずルイズが反応し、そう言い返した。

「別に逃げやしないわよ。第一、雲隠れ程度でアンタの怒りが収まるワケがないのは知ってるし」

しかし霊夢はイヤイヤと右手を振りながらルイズの言葉を否定する。

彼女の言葉を聞き、怒りの篭もったルイズの瞳が少しだけ丸くなった。

「じゃあそれだけ私のコトわかっといて、どうしてこんな所にまではるばるやってきたのよ」

「それはこっちも言いたい台詞だけど…まぁ面倒くさいから先に話しとくわ」

霊夢は頭に浮かぶ疑問を抑えつつ、ここまで来た経緯をなるべく簡潔に説明し始めた。

 

 

――――…イタ イタ イタ

 

ミツケタ ミツケタ ミツケタ

 

モドッテキタ モドッテキタ モドッテキタ

 

ドウスル ドウスル ドウスル

 

サンニン サンニン サンニン

 

ヒトリモクヒョウ ヒトリメイジ ヒトリツヨイニンゲン

 

ミギウデナイ ミギウデナイ ミギウデナイ

 

ツライ ツライ ツライ

 

タイキ タイキ タイキ

 

カンサツ カンサツ カンサツ

 

タイミング タイミング タイミング

 

タイミング ハカッテ コロス

 

コロス ノハ アカイリボン ノ ニンゲン

 

 

――…とまぁ、そういうワケよ」

「へぇ~…そうだったのね」

時間にして数分間、自身の誤解を解くための短い説明が終わった。

霊夢が自身の誤解を解くためにルイズにはこう説明した。

 

ルイズの部屋を出た後、男子寮塔の屋上で昼寝していた。

それからしばらくすると、遠くの方から変な鳴き声が聞こえてきた。

何かと思い目を覚ますと、ふと変な気配(霊夢曰く無機質な殺気)を感じた。

以前にも似たような気配を持つ虫の怪物と戦ったことがあり、ソイツの姿が思い浮かんだ。

とりあえず放っておいても何時人を襲うかわからないので確認or退治しに行くことに。

しかし、目的地についてみると既に魔理沙がいて怪物がいたから退治してやったと言った。

確かに気配も無くなっていたのでとりあえず近くの山小屋に入ったら、外からルイズの声がした。

 

霊夢の説明を聞き終えたルイズは杖を霊夢に突き付けたまま、視線を少しだけ下の方へ動かす。

(そう言えば…デルフが帰ってきた夜の時に化け物がどうとか言ってたわね…)

足下に転がっているデルフをチラリと見つつ、ルイズはその時の事を思い出した。

 

 

 

あの日…

部屋に帰ってきた霊夢から聞いた話は、まさかと思いあまり信じてはいなかった。

だがその翌日、生徒達の間で女子寮塔の事務室にいた教師達と警備の衛士達が気絶していたという事件を聞いたのである。

 

 

聞くところによると事務室に二人いた内の一人は衛士達の宿舎に倒れていて、衛士達は全員が持ち場で気絶していたという。

更に女子寮塔の事務室が大きく荒らされ、その事務室の前でミセス・シュヴルーズが倒れていたのだという話も後になって知った。

その後教師達が何が起こったのか色々調査しており、衛士達や当直の教師たちに事情聴取をしているという事も…。

ルイズは周囲のうわさ話を聞き、霊夢の言っていた事が真実なのだと確信した。

ところどころいい加減な所が垣間見える性格の持ち主であるが、あまり嘘をつくような人間ではないという事はこれまで一緒に過ごしていてわかっていた。

その後霊夢の口から更なる詳細を聞きだしたルイズは以前幻想郷へ連れて行かれた際、紫に言われた言葉を思い出した。

 

 

―えぇそうよ。…キッカケとはいえ、幻想郷とハルケギニアを繋いだ彼女の力は凄まじい。

 恐らくは今後、そんな彼女を狙って色んな連中がやって来る

 そしてその中に、今回の異変を起こした黒幕と深く関わっている連中が混じるのも間違いないわ

 つまり彼女の傍にいれば、自ずと黒幕の方からにじり寄ってくるって寸法よ

 

 

もしかすれば…霊夢が倒した怪物をけしかけたという貴族は、その黒幕の仲間かもしれない。

推測の域を出ないが、ルイズはそんな事を思ったのである。

 

 

 

 

そこまで思い出したルイズの思考は、ある結論へと辿りつこうとしていた。

(もしかしたら今回の怪物というのは…イヤでも、ちょっと待って)

だがたどり着く前に目の前にいる霊夢を見て、別の疑問が浮かび上がる。

その疑問を考えていく内に、段々とその表情が訝しいものへと変わっていく。

(でもレイムはここぞという時で嘘をつくような性格じゃないし…イヤ、でも…)

霊夢に突き付けていた杖を下ろし、自らの疑問と格闘し始めたルイズの顔には疑心の色が浮かんでいた。

 

「…なんかあんまり信じてなさそうね」

「当たり前じゃないの」

ルイズの顔色を見て霊夢がそう言うと、すぐにルイズも言葉を返した。

それは咄嗟の反応であったが言ってしまったが最後、自らの頭の中にある疑問を口にするしかなかった。

「この前倒したはずの怪物の気配をまた感じたなんてこと言われて、「はいそうですか」って言葉はすぐに出ないわよ」

簡潔に言えば「あなたの言っている事はイマイチ信用出来ない」という言葉に、霊夢の表情が少しだけ険しくなる。

「だからその怪物を、魔理沙が退治したって言ってたじゃない」

少し嫌悪感が漂う言葉で霊夢がそう返すと、ルイズは後ろにいる魔理沙の方へ視線を向けた。

 

「マリサ、アンタが戦った怪物ってどんなヤツだった?」

ルイズがそう質問すると、マリサは得意気な表情を浮かべて質問に答えた。

「あぁ、まぁトカゲというより爬虫類人間って感じのヤツだったぜ。少なくとも霊夢の言ってた虫っぽくはなかったな」

質問の答えを聞いたルイズは一呼吸置いた後、再度質問をする。

「その怪物と出会ったとき。何か変な、というか異質な気配を感じなかった?」

「いや、全然。まぁでも霊夢なら…何かの気配とかそういうの感じられそうだな」

魔理沙がそう言った後、ルイズと魔理沙は霊夢の方へと視線を向けた。

二人分の視線に当てられた霊夢は、ほれ見たことかと言わんばかりに肩を竦めて言った。

 

「別に気配の持ち主が虫の怪物ってワケじゃないかもしれないわよ」

「はぁ?」

 

突拍子もなく霊夢の口から出た言葉に、ルイズは首を傾げた。

「それってどういう意味よ」

「別に…ただ、あれはどうも普通の生き物って感じじゃあなかったし」

まるで人間と複数の虫を合成して作ったみたいなヤツだったわ。と霊夢は最後にそんな言葉を付け加えた。

それに続いて魔理沙もハッとした表情を浮かべると、思い出したかのように喋りだす。

「そういや…ワタシが戦ったヤツもなんというか…キメラみたいなヤツだったぜ」

魔理沙の口から出てきた単語に、ルイズの眉がピクンと動いた。

「キメラ…ですって?」

「あぁ、まるで爬虫類と人間を無理なく混ぜ込んだような気味悪いヤツだったよ」

でも退治したから二度と会うこともないな。と魔理沙は得意気にそう言った。

一方のルイズは、魔理沙の口から先程出た「キメラ」という単語が頭の中で引っ掛かっていた。

 

「その様子だと、何か心当たりでもあるのかしら?」

それに気づいた霊夢は、一見すれば何かを考えている風のルイズに声を掛ける。

霊夢に声を掛けられ、ルイズはほぼ反射的に言葉を返した。

「え…いや、キメラに関係した何かの研究を何処かの国が行ってたって噂話を聞いた事が…」

「へぇ、この世界じゃあキメラとか結構作ってるんだな」

自分もやってみたいと言いたげな感じで、魔理沙が呟く。

それは魔理沙の独り言であったものの、そうだと気づかなかったルイズは話を続けていく。

「作ってるって言ってもそんなの一部の国だけよ…色々危険だって噂もあるし」

「一部の国って何処の国よ?」

言い方が突っ込みに近い霊夢の質問に、ルイズは苦々しく答えた。

 

「そこまで知らないわ…ただそういう事がされてるって話をずいぶん前に街で…――…って、あぁっ!」

だがそれを言い終える前に、突如ルイズが素っ頓狂な声を上げた。

「どうしたのよ?」

「どうしたのよじゃないわよ!…話が逸れて危うく忘れるところだったじゃない!」

霊夢の言葉にそう返すと、ルイズはキッと霊夢を睨み付けた。

ルイズの言葉を聞き魔理沙はアッと言いたげな顔になり、霊夢は気怠げな表情を浮かべる。

どうやら話が少し逸れてしまった所為で、ルイズはここまで来た目的を忘れかけていたらしい。

そのまま忘れてくれれば良かったのに。霊夢は心の中で呟いた。

 

ルイズはコホンと小さな咳払いをした後、魔法を放つ気は無くなったのか杖を腰に収めると喋り始めた。

「まぁー…とりあえず、クッキーの件に関しては一つだけ言っておきたいことがあるわ」

ここで何か言ったらまた話が逸れると思い、霊夢と魔理沙は何も言わずに聞くことにした。

 

「あの後色々と考えて、そこで転がってるデルフにもアドバイスを貰ってね…ある答えに辿り着いたのよ」

ルイズはそこで一旦言葉を止めると、ピッと右手の人差し指を霊夢に向けた。

「…?」

突然指さされた霊夢は怪訝な表情を浮かべたところで、ルイズは後ろを振り返る。

「お、何だよ?」

後ろにいた魔理沙も霊夢と同じく怪訝な表情を浮かべると、ルイズは深呼吸をする。

肺に溜まっていた空気をある程度入れ替えた後彼女は出来るだけ胸を張った後、言った。

 

 

 

「今回の件、もう二度としないって約束してくれるのなら…む、む、無条件で…ゆ、ゆるしてあげるわ!」

 

 

 

その言葉はルイズ本人からしてみれば、かなりの大妥協であった。

本当ならば…、謝罪と軽い処罰でも与えようかと思っていたのだから。

しかしデルフが言ってくれた言葉と自身の考えもあってか、「謝罪と罰を与える」という考えを外す事にした。

(あの時のデルフの言葉…以外と役に立ったじゃない)

言い終えたルイズは胸を張った姿勢のまま、足下に転がっているインテリジェンスソードを一瞥した。

 

゛ちっとは大目に見てやろうぜ。そうでなきゃいつまでも溝は埋まらねぇぞ゛

 

その言葉を聞いてからここへ来る途中、ルイズは以前父親から授かった一つの言葉を思い出したのだ。

「貴族となる子供がまず最初に持つべき心とは。些細な事を自分から許し、共に手を繋いで歩いてゆこうとする寛大な心だ」

ルイズのベッドに腰掛けた父は、その大きな手で彼女の頭を撫でながら言ってくれた。

今思えば、その言葉にはこれから家を離れて暮らすことになる子供を思っての言葉だったのであろう。

例え喧嘩になってもこちらから許し、友と共に三年間の青春を歩んで欲しいという、父の言葉。

 

ルイズは今になってその言葉を思い出し、初めて許すことにしたのである。

最も、ある程度プライドが出来てしまったので、最後辺りで若干噛んでしまったのだが。

そんな言葉でも、直ぐ傍にいる霊夢と魔理沙に今の自分の意思を伝えることが出来た。

 

ルイズが言い終えた後、最初に口を開いたのは霊夢であった。

「…意外ね、アンタの口からそんな言葉が出るなんて」

「ふぇ!?…と、当然じゃない!これからし、しばらくの間三人で暮らすんだし!些細なことでけ、け、…喧嘩になってたら駄目じゃないの!」

今まで黙っていた霊夢がそう言うと、ルイズは言葉を噛みながらも言い返す。

一方の霊夢は、噛みながらも自分の意思をハッキリと伝えてくるルイズに対しある程度感心していた。

(プライドが高すぎるヤツだと思ってたけど。…やっぱり人間って変わるモノね)

心の中でそんな事を思いながらその顔に小さな笑みを浮かべると、口を開いた。

「じゃあ今度からは、普通に食べて良い茶菓子ぐらい用意しときなさいよね」

霊夢の口から出た意外な言葉に、ルイズはすぐさま反応した。

「はぁ?それってアンタたちが用意しとくべきじゃないの!」

「部屋の主なら、接客用の菓子くらい用意しとくべきだぜ?」

二人の会話に突然割り込んできた魔理沙の言葉を聞き、ルイズはキッと眼を話染めて彼女の方へ顔を向けた。

だが、ルイズの視界に入ってきた魔理沙はその顔に笑みを浮かべていた。初めて見るような暖かい笑みを。

まるで太陽の様に暖かく、優しい笑みはルイズにとって何処か懐かしさのあるものであった。

 

その笑顔を見ている内に、ルイズの中にあった怒りの感情は心の奥深くへと隠れてしまった。

ルイズは自分の思考を切り替えるかのようにゴホンと改めて咳払いをした後、自信満々な態度を隠さずに言った。

「そ、そ、そういうことなら任せなさい!あんた達も泣いて喜ぶほどの美味いのを用意しといてあげるわ!」

大見得を切ったルイズの言葉に、魔理沙はさもおかしそうにケラケラと笑った。

「おぉ、そいつは楽しみだな!ま、出来るだけ早く頼むぜ」

まるで少しだけ優しい借金取りが言いそうな言葉に、ルイズがすぐさま反応する。

「ちょ、待ちなさい。何よその言い方は…!」

ルイズは思わず両手を上げて怒鳴ったが、その反応がウケたのか魔理沙はまたもクスクスと笑った。

先程までの殺伐とした雰囲気は既になく、何処か穏やかなものへと変化していた。

 

 

「まさかこうなるなんて、流石の私でも思ってなかったわねぇ」

魔理沙とルイズのやり取りをボーッと見つめながら、霊夢はひとり呟いた。

以前のルイズならば、例え相手が神であろうとも杖を抜いて怒鳴る程の短気であったのに。

あのおしゃべりな剣に何を吹き込まれたのか知らないが、それがこの結果に繋がったのだからナイスであろう。

(剣としては錆びてて使えないけど、割と使えるじゃないの。)

ルイズの足下に転がっているインテリジェンスソードに、霊夢はささやかな感謝の念を送った。

それがちゃんと届いたのかどうかは知らないが。

(まぁこの件は一件落着として、ルイズに聞きたいことがあるのよね)

心の中で呟きながら二人のいる方へ近づこうとした時…――――気配を感じた。

 

それは霊夢にとって覚えのある気配であったが、出来れば再び感じたくない代物であった。

何故ならその気配が、人間の出せるモノではないと知っているからだ。

だが、その気配を感じ取った霊夢の頭に、二つの疑問が浮かび上がった。

 

なぜ今まで気づかなかったのか?どうして話している最中に襲ってこなかったのか?

 

その疑問解決する暇はなく、霊夢はほぼ反射的に振り向いた。

 

そして、振り返った霊夢の視界にまず入ってきたのは…

自分の顔目がけて左手に生えた鋭い爪を振り下ろそうとする、怪物の姿であった。

霊夢は襲いかかってくる相手に対し、反撃や防御が間に合わない事を瞬時に悟る。

 

彼女は自身の運動神経に賭けて後ろへ――ルイズと魔理沙のいる方へと跳んだ。

 

しかし、それは間に合わなかった。

 

 

「あんたの言い方だとまるで私の家が貧乏貴族みたi「ウアッ…!!」…え?…ッキャア!」

魔理沙と喋っていたルイズの耳に、突如霊夢の叫び声が入ってきた。

思わずそちらの方へ目を向けた時、コチラに背中を向けた霊夢が勢いよくルイズの体にぶつかってきた。

ルイズはこちらへと飛んでくる霊夢に対して為す術もなく、後ろにいた魔理沙をも巻き込んで吹き飛んだ。

 

「ドワっ!?」

魔理沙もまた突然の事に体が対応できずルイズと同じく吹き飛ばされ、背後にあった斜面を転がり落ちた。

ゴロゴロ…ゴロゴロと丸太のように転がっていき、ルイズと霊夢もそれに続いて斜面を転がっていく。

幸い斜面にはある程度草が生えていたお陰で三人共怪我はしなかった。

「アイデッ!?」

だが、最初に転がった魔理沙は、続いて転がってきたルイズの下敷きとなり。

「アゥッ…!」

ルイズもまた、最後に転がってきた霊夢の下敷きとなった。

 

少女二人を背中に乗せたまま、魔理沙は苦々しく呟いた。

「クソッ…何だよイキナリ」

その言葉に、霊夢を乗せたルイズが苦しそうに喋る。

「あ、アタシだって知らないわよ、ただレイムが突然…―キャア!」

「おっおいどうし…あっ!」

喋りつつも霊夢の方へ顔を向けた瞬間、ルイズは叫び声を上げた。

その叫び声に驚きつつ魔理沙も霊夢の方へ顔を向け、驚いた表情を浮かべた。

二人の視線の先には、何とも痛々しい光景が広がっていた。

 

霊夢の左肩。服から露出したその部分には、先程まで無かった切り傷が出来ていた。

傷口自体は浅いのだが、そこを通してゆっくりと血が外に流れ出ている。

叫び声を上げたルイズは思わず目を瞑ってしまい、魔理沙は驚きのあまり目を見開いていた。

一方の霊夢は傷口を手で押さえようともせず、ただただ痛みに堪えている。

「クゥッ…」

「おっおい霊夢!大丈夫か!」

「大丈夫なワケ…ないでしょうが…見て分からないのこのバカ!」

いかにも苦しそうな呻き声をあげた霊夢に、咄嗟に魔理沙が話し掛ける。

魔理沙の言葉に霊夢は右手で傷口を押さえつつ罵声を混ぜて乱暴に答えた。

一体何が起こったのかと魔理沙が霊夢に聞こうとしたとき、二度と聞きたくなかった叫び声を耳にした。

 

 

キ ィ イ ィ イ イ イ  イ イ ィ ! 

 

まるで生きたまま皮を剥かれた猿の様な声が、頭上から聞こえてきた。

魔理沙とルイズそして霊夢がそちらの方へ顔を向けると――――『ヤツ』は斜面の上にいた。

後光に差されたそのフォルムは、一見すれば右腕が無い隻腕の成人男性に見えてしまう。

だが左手から生えている鋭い爪に爛々と光る大きな目玉は、自らが化け物だという事を三人にアピールしていた。

 

「…っ!あいつは!」

「ば…化け物!?」

その姿を見た魔理沙は、驚愕の余り目を見開いた。

目をそらしていたルイズもそちらの方へ目を動かし、次いで叫び声を上げる。

 

 

ヴ ヴ ヴ ヴ ヴ ヴ ・ ・ ・ !

 

「くっ…」

そして霊夢は、コチラを見下ろす怪物を恨めしそうな目で見つめている。

彼女からしてみればこの状況は酷いくらいに最悪であったが、怪物からしてみれば面白いくらいに最高の状況であった。

 

何せ、『モクヒョウ』に一撃を喰らわしたのだ。

自らの頭にある『命令』を完遂できる確率は、大いに上昇した。

 

 

 

一方、霊夢達がいる場所から大分離れた森の中――

鬱蒼とした木々が陽の光を遮るその中で、タバサと黒髪の少女が対峙していた。

森の中では割と目立つ赤い大きなリボンを着けた黒髪の少女は、微動だにせずジッと頭上にいるタバサを睨み付けている。

タバサは大樹から生えた太い枝の上に立ち、その右手に大きな杖を持ったまま黒髪の少女を眼鏡越しに見つめている。

そしてその二人に挟まれるようにして、今も尚気を失い地面に倒れている村娘のニナがいた。

二人は何も言うことなく見つめ合っていたが、ふと黒髪の少女が口を開いた。

 

「何の用かしら?この子の保護者か何か?」

黒髪の少女の言葉にタバサは首を横に振り、黒髪の少女を指さす。

「何?もしかして私に用があるって言うの?」

その言葉に、タバサはコクコクと頷く。

黒髪の少女はそれに対して、右手をヒラヒラと振ってこう答えた。

「悪いけど後にしてくれない?今変な妖怪みたいなヤツに追われてて逃げてる最中なのよ」

「そう。けど、私の用も大事」

少女がそう言うと、今まで首を横に振るか頷くかしていたタバサが、ようやっと口を開いた。

タバサが喋った事に軽く驚いたのか、少女は目を丸くする。

 

「あんた喋れたんだ」

「最初から喋れる」

「そうなんだ。…まぁ私の知り合いの中に結構なお喋りが多いから、アンタの無口っぷりを習って欲しいわ」

少女は先程タバサに攻撃されたのにも関わらず、余裕満々と言いたいくらいに喋っていた。

そして彼女に攻撃したタバサはというと、少女が言い終えるのを待って、口を開く。

「あなたに聞きたいことがある」

「ん?何よ、アタシを吹き飛ばしてしまったからその謝礼をしたいのかしら」

つい先程の事を思い出したのか、少女は細めた目でタバサを睨んだ。

しかしタバサは首を横に振った後、ゆっくりと呟いた。

 

 

「あなたの記憶は、誰のモノ?」

「は?」

 

 

タバサの唐突な質問に、少女は目を丸くした。

突然の質問にしばらく硬直してしまったが、少女は話しにならないと言いたげな態度で返事をした。

「何言ってるのよ?この記憶はアタシの…」

「違う」

だが言い終える前に、タバサがその言葉を制した。

 

「あなたの記憶は、あなたの記憶であってあなたの記憶ではない。ただの模倣品に過ぎない」

タバサがそう言った瞬間、少女は背後からもの凄い殺気を感じ取った。

目を見開いて反射的にジャンプした瞬間、頭上から氷の矢が三本落ちてきた。

三本の氷の矢―『ウィンディ・アイシクル』は先程まで少女がいた地面に刺さり、そして砕けた。

少女は背後に落ちた氷の矢が砕けるのを見た後、ニナの近くに着地する。

そして頭上にいるタバサの方へ顔を向け、キッと睨み付けた。

 

「もしかして、アンタもあの妖怪の仲間…ってことかしら?」

少女の言葉を無視する形でタバサはただ一言、呟いた。

 

「あなたの身体と意志を、本来居るべき場所へと返す」

呟いた後にフッ…と杖を振ると、タバサの周囲に新たなウィンディ・アイシクルが五本も形成される。

ウィンディ・アイシクルの鏃は全て上を向いていたが、タバサが杖の先を少女に向けるとそれに習ってウィンディ・アイシクルも向きを変えた。

詠唱者の意志に従う五本の氷の矢は、全て地上にいる少女に向けられた。

 

「質問の答えになってないわよ。チビ眼鏡」

気を失っているニナが背後にいる少女は、ジッとタバサを睨み付けている。

その瞳には紛れもない怒りの色が入り、赤みがかった黒い瞳と混じってゆく。

 

「私と母の為に―――死んで」

最後にそう呟き、タバサは手に持った杖を勢いよく横に振った瞬間、

氷の矢は音を立て、少女とニナの方へと飛んでいった。

 



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第五十四話

夕闇にそまりつつあるトリステイン王国のとある山中―――――

太陽が真っ赤な夕日となり人気のない森の中を照らしている。

木々の間から漏れる赤い木漏れ日は幻想的で、この世の光景とは思えない程綺麗であった。

もしその場に画家か旅の絵描きでもいれば、その光景を写そうと鞄の中から急いで画材を取り出すに違いない。

 

人の手が一切加えられていないその森は、悠久の時を経て自然が生み出した一つの芸術。

とある世界の人々が、自らの手で破壊の限りを尽くした原生林そのものであった。

 

だが――今日に限って、その森の中で戦いのゴングを鳴らした者達がいた。

ある者達は自然の摂理から外れた異形から受けた突然の奇襲により危機に立たされ、またある者は正体の掴めない者から攻撃を受けた。

血肉に飢えた獣たちと、人の常識では計り知れないモノ達が集い来る゛夜゛がすぐそこまで迫りつつあるその場所で―――

 

 

我ながら油断した―――。

左肩に受けた傷を手で押さえつつ、魔理沙とルイズの上に乗っている霊夢は悔しさのあまり歯ぎしりをしそうになる。

しかしそれをすると傷口から流れ出る血の量が増えそうな気がしたので、することはしなかった。

それにそんな事をしている暇があるなら、すぐにでも体勢を整えた方が有意義だと考えた。

霊夢はすぐにも行動を移そうとしたが、思いのほか自分の体が言うことを聞かないのである。

「くっ…う…!」

体を動かそうとするたびに間接の節々が痺れるように痛み出し、ビクリと止まってしまうのだ。

一体どうしたのかと疑問に思ったとき、咄嗟に左肩の傷口が目に入った。

傷口自体は大して深くもないのに血は一向に止まらず、痛みも最初の時より強くなってきている。

出血が止まらない傷口と関節の痛み。―――その二つから見つかる仮説が、霊夢の脳裏をよぎった。

 

(まさか、アイツの爪に毒が仕込まれてるっていうの?)

 

そこまで考えて、今の自分はかなり最悪な状況に陥ってるかもしれないと霊夢は改めて実感した。

 

一方、心中で冷や汗をかいた霊夢の事などつゆ知らず、下にいるルイズと魔理沙が声を掛けてくる。

「お、おい…そろそろどいてくれよ霊夢…いい加減苦しくなってきたぜ…」

リアルタイムで体力を削られている魔理沙に続き、その上にいるルイズも思わず苦言を漏らす。

「このまま倒れてたら…上にいるアイツに…」

 

「ヴヴヴゥ…!」

 

ルイズが言い終える前に頭上から二度目の呻き声を耳にした三人は、思わずそちらの方へと視線を向ける。

彼女らの視線の先、この世の生物とは思えない気配を放つ怪物が斜面の上から見下ろしていた。

先程悲鳴を上げたルイズはもう一度悲鳴を上げそうになるのを堪え、腰に差している杖に手を伸ばす。

しかし杖を取ろうとした右手はスカッと空気を掴んだだけで何も取れず、ルイズはハッとした表情を浮かべた。

(まさか斜面に転がり落ちたときに…)

瞬間、彼女の脳裏につい一、二分ほど前の光景が蘇る。

なんとか頭だけは満足に動かせるルイズはすぐに辺りを見回すが、自分の杖は見つからない。

今必要な物が一向に見つからず、ただ無駄な時間と焦燥だけが貯まっていく。

 

フーケのゴーレムと対峙したときや、霊夢がかつて自分の想い人だった男に刺されたときの様に――

 

(もう!どうしてこういう時だけ運が悪くなるのよ私は!?)

ここぞという時で全く活躍できない自分自身に怒鳴りたくなったルイズの視界に、ある物が目に入った。

それはルイズの捜している物ではなかったが、すぐ傍にいる少女の持ち物である。

小さくもズッシリとした重量感のある八角形の「ソレ」は、日が暮れてゆく森の中で異様な存在感を放っていた。

 

あれは…と呟きかけた瞬間。頭上から足音が聞こえてきた。

何かと思い目を動かすと、斜面の上にいた怪物がこちらに向かって斜面をゆっくりと降りてくるのが見えた。

ズシャリ…ズシャリ…と柔らかい土と小さな石が混ざった斜面を一歩、一歩としっかり踏みしめて降りてくる。

 

 

「マジかよ…あれを零距離で喰らって片腕だけで済むなんて、とんでもないヤツだぜ」

魔理沙はこちらに向かってくる怪物を見て、軽いショックを受けていた。

彼女の言葉通り、怪物の右腕は丁度肩の所から吹き飛んでしまったかのように無くなっている。

しかし不思議なことに血は一切出ておらず、赤く生々しい傷口は空からの夕日で艶めかしく光っている。

怪物は唯一残った左腕を空高く掲げ、指先から生えている鋭い爪をこれでもかと三人にアピールしていた。

未完成ながらも威力に自信のあった魔法を受けて倒れるどころかピンピンと立っているのだ。

魔理沙でなくとも、人形遣いや魔女でも同じような反応をしたかもしれない。多分。

 

一方、二人の上にいる霊夢は身体を蝕む毒に堪えつつこちらに向かってくる怪物を睨んでいた。

(参ったわね…まさかこんな状況に陥るなんて…)

未だ出血が止まらぬ左肩の傷口を押さえながら、霊夢は心の中で思考を始めた。

怪物は魔理沙の話や自分の目で見た感じ、恐らく背後からの不意打ちと接近戦を得意とするヤツだろう。

以前戦った虫の怪物と似通ったところはあるが、アレと比べれば外見はまだマシな方であった。

正面切って戦えば大して驚異にならない敵であるが、今の状況では正に強敵と言えた。

(どうやったか知らないけど…ギリギリまで気配を消すってのは卑怯じゃないの?)

背後からほぼ零距離で襲われた時、霊夢は怪物の気配を感じ取ることが出来なかった。

 

 

気配を消す…という事自体は思った以上に難しいが、訓練と経験を積めれば人間にも出来る。

だが霊夢が相手だと、普通に気配を消してもすぐに見つかってしまうだろう。

生まれつき勘が良いせいか、ある程度相手の気配を察知するといった事に長けてしまったのである。

その力は妖怪退治や異変解決の際に役立っているので、霊夢自身も便利だとは思っていた。

 

だが目の前にいる怪物は彼女の背後をとり、完全なる不意打ちを与えた。

まだ何処かにいないかルイズと話していた時にも密かに周囲の気配を探っていたのにもかかわらずだ。

 

魔理沙から話を聞いていた事もあって小屋の中にも入って調べていたのだが、塔の上で感じた気配の主は見つからなかった。

時間が経ち、突如やってきたルイズとの喧嘩もとりあえずの和解で収まった時――突然後ろから気配を感じたのである。

それはまるで、足下にあった石ころが突然爆発した時のような…霊夢にとって予想外どころか考えもしていなかった事であった。

 

いくら博麗の巫女と言えども、足下で爆発されては避ける暇も結界を張る暇も無いのだ。

 

 

(そして結果がこのザマとは…ホント参ったわね)

時間にすればわずか数十秒の思考が終わった瞬間、直ぐ傍にまで近づいてきた怪物が予想外の行動に出た。

 

「 エ゛ エ゛ エ゛ エ゛ ェ゛ イ ィ ! ! ! 」

 

耳元まで裂けていそうな口からおぞましい叫び声を上げて、いきなりその場で跳躍したのである。

突然の事に驚いた霊夢達は、飛び上がった怪物をその目で追い、そして驚いた。

異常な脚力で地上から五メイルほどジャンプした怪物は空中でくるりと一回転した後、なんと左手の爪を下にいる霊夢達に向けた状態で落ちてきたのだ。

それを見た三人はこれからの展開をなんとなく理解し、そして冷や汗を流しそうになった。

もしもこのままコッチに落ちてきたら、勢いよく突っ込んできた爪が霊夢どころかルイズと魔理沙の身体をも仲良く貫くに違いない。

 

「…うっわ、やべぇ!?コッチに向かって落ちてくるぞ!」

「ちょ、ちょっ…!」

相手がこれから何をしてくるのか気づいた魔理沙は驚愕し、次いでルイズが悲鳴にも似た叫び声を上げる。

そして何とか避けようと二人とも身体を動かすがルイズはともかく一番下の魔理沙はどう頑張っても逃げれそうになかった。

一方の霊夢は、落ちてくる怪物を睨み付けながらも逃げようとはせず、結界を張ろうと自分の体に軽く力を入れる。

 

しかしその瞬間、左肩の傷口を中心にして鋭い痛みと痺れが彼女の体を容赦なく攻撃してきた。

まるで傷口を容赦なく食い破る蛆虫のように、酷い激痛が襲い掛かってくる。

「ぐ…くっ!」

 

霊夢はソレに一瞬だけ怯むものの、後一メイルほどの距離にまで迫ってきた怪物を見て何とか力を振り絞る。

その結果が実ったのか、怪物の爪が霊夢の身体を突き刺すまであと十サントというところで結界は展開された。

急ごしらえの結界は実にお粗末な仕上がりであったが、怪物の攻撃を弾くことは出来た。

 

「ギェッ!!」

後一歩というところで霊夢の結界に勢いよくはじき飛ばされた怪物は十メイルほど吹き飛び、その姿は茂みの中に消えていった。

 

 

「…れ、レイム!」

「おぉ!流石のお前でもやる時は結構やるじゃないか」

霊夢が見事襲ってきた怪物を返り討ちにしたところを見たルイズと魔理沙は、自分たちの上にいる巫女へ賞賛の言葉を送った。

そんな二人の声を無視し、怪物がいなくなった事を確認した霊夢は両足にゆっくりと力を入れて立ち上がろうとした。

「うっ…」

しかし…先程無理をして結界を張ったせいか体中を這い回る毒が活性化し、呻き声を上げて前のめりに倒れた。

既に怪物によって付けられた爪の毒は、彼女の体を支配していた。

それは決して死に至る程ではないが、途方もない痛みと痺れが交互にやってくる。

「レイム!……あっ」

自分の直ぐ傍で倒れた霊夢を見たルイズは直ぐに立ち上がると彼女の傍に近寄り、そして驚いた。

先程までピンピンしていた彼女の体から、玉のような汗が滲み出てきているのだ。

浮かべている表情は高熱にうなされているかの如く苦しそうであり、呼吸も乱れ始めている。

「ちょっ、ちょっと…どうしたのよレイm…アツッ!」

状況が把握できないルイズは軽く錯乱した所為か偶然にも霊夢の額に触れ、驚く。

なんと彼女の額は、まるで沸騰したお湯が入ったティーポットのように熱くなっていた。

 

「ふぅ、一時はどうなることかと思って…ん?どうした霊夢?」

ようやく起きあがった魔理沙は、エプロンに付いた土を払い落とそうとしたところで霊夢の様子に気が付いた。

「ま、マリサ!何だかレイムの様子がおかしいのよ!?まるで熱にうなされてるみたいで…」

「何だって?」

ルイズの言葉を聞いてすぐさま霊夢の傍に寄ると彼女の言うとおり、確かに熱にうなされているかのような状態であった。

いつも霊夢の姿を傍で見ていた魔理沙は、それを見て目を丸くした。

「お、おいしっかりしろ霊夢。何か変な毒キノコでも喰ったのか?」

目を瞑って不規則な呼吸を繰り返す霊夢の頬をペシペシと叩きながら、魔理沙は話し掛ける。

 

いくら突然とはいえ、苦しそうな人間の頬を叩いて良いものだろうか?

魔理沙が霊夢の頬を叩く光景を目にしながらルイズはどうでも良いことを考えた。

 

「う、ぅ…」

しかしそれが功を成したのか、霊夢は閉じていた両目をゆっくりと開けた。

そして自分の傍にルイズ達がいるのに気が付き、二人の方へ顔を向ける。

「ルイズ…それと魔理沙」

意識を取り戻した霊夢に安堵しつつも、ルイズ達は早速彼女に話し掛ける。

「レイム!一体どうしたのよ?さっきまであんなに元気だったのに…」

魔理沙も気になっていたその質問を、ルイズが投げかけた。

「そうだぜ。いつも気怠そうな顔してるからって何も本当に倒れるこたぁないだろ」

「うっさいわね…この白黒…うくっ…」

魔理沙の言葉に罵声を混ぜて返しつつ、霊夢は言った。

 

「毒よ…アイツの爪に仕込まれてたのよ…」

 

その時であった、後ろの茂みからもう聞きたくも無かったあの叫び声が聞こえてきたのは。

 

キ ェ エ ー ッ ! 

 

まるで地獄からやってきた餓鬼のような声に魔理沙とルイズが振り向く。

そして振り向いたと同時に、背後の茂みからあの怪物が再び飛びかかってきた。

先程霊夢の結界にはじき飛ばされたのにもかかわらず、元気であった。悪い意味で。

 

ルイズ、霊夢、魔理沙の内、最初に体が動いたのは魔理沙であった。

 

彼女はまず自分の傍にいるルイズを霊夢ごと両手で突き飛ばしてから、後方へと倒れ込んだ。

少しだけ湿った地面と植物が服と顔を汚したが、そのお陰で怪物の攻撃からは逃れる事が出来た。

魔理沙が倒れ込んだ直後。先程まで霊夢が倒れていた場所に、飛びかかってきた怪物の爪が勢いよく突き刺さる。

ドスッという恐ろしい音が辺り一帯に響き、木の枝に留まっていた一羽のフクロウが声を上げずに飛び去っていく。

 

(クソッ…何だよコイツは!?)

魔理沙は地面にうつ伏せた姿勢のまま、自分の後ろにいる怪物のしつこさに驚いている。

これまで幻想郷の弾幕ごっこを通じて戦闘を経験してきた魔理沙にとって、未知なる強敵であった。

いくら強力な攻撃を仕掛けてようが片腕を失おうが、コイツは怯えることはない。

まるで命令を与えられた人形や式のように、ダメージを受けようが手足を失おうが自分たちを殺すために向かってくる。

逃げるという選択もあるが、あの霊夢がまともに立ち上がれない程の一撃を与えたのだ。背中を見せれば襲ってくるだろう。

 

そんな相手を止める方法は二つに一つ。息の根を止めるか、戦略的撤退をするか。

だが、今のような切羽詰まった状況において行うべき行動は…間違いなく前者であろう。

(あんまり殺生とかはしたくないが…かといってむざむざ殺されたくないしな!)

やるしかないか―――心の中でそう決意した時、魔理沙の目がある物を捉える。

瞬間、彼女の心に残っていた未知なる敵に対する不安が驚愕と共に消え去った。

 

その道具は彼女、魔理沙にとって命の次に゛大切な道具゛であり、

いつも肌身離さず持ち歩き、その力と彼女自身の知識と技術を活かして幾多の戦いを共にくぐり抜け…

そして、つい数時間前にルイズのキツイ一撃と共に奪い取られてしまった、相棒とも言える程の存在。

彼女にとってかけがえのない物は今、湿り気を帯びた地面に転がっている。

(何でこんな所に…いや、そんな事よりもまずは…)

どうしてこんな所にあるのかわからなかったが、自然と体が動いた。

泥だらけの右手を動かしてすぐ目の前にある゛道具゛を手に取ろうとした時、悲鳴が聞こえてきた。

 

ハッとした表情を浮かべて振り向くと、あの怪物がルイズと霊夢を襲おうとしていたところであった。

まるで絵本の中に出てくる鬼の様に残った左手を天高く上げて、ゆっくりと二人に近づいていく。

「やだっ…!こっち来ないでよぉ!わたし達が何したっていうのよ!?」

先程悲鳴を上げたルイズは霊夢を庇うようにして怪物に背を向けながら、涙交じりの声で叫ぶ。

そして、一方の霊夢はもう殆ど意識が無いのか、目を瞑って苦しそうに息をしているだけだ。

 

そんな二人の姿を見た瞬間、魔理沙の瞳に明確な怒りの感情が灯ってゆく。

彼女はずっと以前に、幻想郷で似たような光景を幾つか目にしてきた。

その日暮らしの物乞いを平気な顔して集団で罵り、棒で叩こうとする良心の欠けた人間達。

弱り切って抵抗どころか命乞いすら出来ない人間を散々弄んだ挙げ句に喰い殺す下卑た妖怪。

 

所謂『圧倒的な力で弱者をいたぶる強者の構図』は、魔理沙にとって許せるものではなかった。

もはや遠慮はいらない。『コイツ』を一撃でぶっ飛ばしてやる―――!

心の中で決意した魔理沙は大きく息を吸い込み、力の限りこう叫んだ。

 

「おい!コッチ向けトカゲ野郎っ!!」

 

魔理沙が叫んだ瞬間、怪物はギィ!と鳴いてその体を彼女の方に向ける。

ルイズもまたその叫び声に反応して顔を上げると、偶然にも魔理沙と目があった。

魔理沙もそれに気づいてか一瞬だけルイズの方に顔を向けると、笑顔を浮かべてこう言った。

 

 

「よく見てろよルイズ、逆転の゛魔法゛を今からコイツにぶち込んでやるぜ」

 

「――――えっ…?」

それを聞いたルイズは魔理沙の言葉に目を丸くし、思わず声を上げてしまう。

その声を合図にしたのか、魔理沙は『魔法』を打ち上げるための行動に移った。

 

まず彼女はうつ伏せの姿勢からグルンと体を動かして仰向けの姿勢になると腰に力を入れて、勢いよく上半身だけを上げる。

次に、右手に持った゛道具゛に左手をそ添えて中央部分に作られた穴を怪物の方に向けた。

そして、体内にある魔力の一部を腕を通して迅速かつ正確に゛道具゛に注ぎ込んでいく。

目の前にいる相手を完膚無きまでに倒す一撃を与えるために。

 

 

「 キ ッ キ キ ィ ! ! ! 」 

自分が先手を取るとでも言いたいのか、怪物は叫び声を上げて跳躍する。

先程と違い地上から一気に十メイル程跳び上がると、そのまま魔理沙の方へと落ちてくる。

もしも彼女がこのまま動かなかったら、あの霊夢をダウンさせた爪の餌食になるのは目に見えている展開であった。

 

しかし、今の魔理沙にとっては絶好のチャンスとも言える状況であった。

空中にいるのならば避けられはしないだろうし、何より空に向けて『撃てば』ルイズ達に危害は加わらない。

今の魔理沙にとって先程まで『ヤバイ』と思っていた状況は、『貰った!』と言える程好都合だった。

 

「今更こっちに気づいても、手遅れだぜ?」

魔理沙はこちらに向かって落ちてくる怪物にそう呟き、笑顔を浮かべた。

その笑顔は相手をバカにするような嘲笑でも、ましてや人を徹底的に見下すかのような残酷な笑みでもない。

まるで陽の光を浴びて元気に育つ向日葵の如き、見る者を安堵させ元気づけてくれるそんな笑顔。

魔理沙よりも少し下の子供達が浮かべるような快活な笑みを、彼女は襲い来る怪物に見せていた。

 

――ザマァ見ろ!この勝負、私の勝ちだ!

 

魔理沙の心の内を代弁するかのように道具…否、『ミニ八卦炉』から一筋の光が放たれた。

丁度ピンポン球サイズの大きさを持つ光の線は速く、そして一直線に怪物の額を照らす。

しかしそれを意に介さず怪物は左手の爪を勢いよく振り上げ、叫び声を上げた。

 

 

「 キ ェ エ ェ ェ エ ェ ェ エ ! ! 」

 

 

さぁ死神よ、早く来い!お前の狩るべき命はここにあるぞ。

まるで人の命を狩りに来た死神を呼び寄せるかのような叫び声が森の中に響いた。

 

しかし、死神が選んだ命は魔理沙のものでもルイズのものでも霊夢のものでもなく――――怪物の命であった。

 

怪物の額を照らしていたミニ八卦炉の小さな光の線は一瞬にして何十倍もの大きさになり、その体を一気に飲み込んだ。

ビームが発射されたと同時にミニ八卦路からもの凄い異音が聞こえ始め、ついでそれを両手で持つ魔理沙の体を強い衝撃が襲う。

気を抜けばそのまま吹き飛ばされるかのような衝撃に歯を食いしばり、両足と腰にも力を入れて耐える。

 

「キャアッ…!」

一方のルイズは突然の出来事に驚くと同時に、目を開けていられないほどの閃光に思わず目を背けてしまう。

光の線から極太のビームへと昇華したそれは空を遮る無数の木の枝をも飲み込み、うっすらと星が見える夕暮れの空を上っていく。

時間にすれば僅か五秒であったが、ルイズとって五分もの時間が経ったように思えた。

 

しかし、その『五秒』が全てを終わらせた。

魔理沙のミニ八卦炉から放たれたビームは、見事怪物を消し去っていたのである。

それは比喩などではなく、文字通りの意味で。

 

ビームが放たれて一分が経ったであろうか、ルイズはゆっくりと魔理沙の方へと目を向けた。

魔理沙は双月がうっすらと見え始めた空にミニ八卦炉を向けた姿勢のまま、固まっている。

ふと頭上を見上げると、先程まで空を覆っていた幾つもの木の枝が綺麗サッパリ無くなっていた。

 

ルイズはそれを見て、先程ミニ八卦炉から出たビームが通った跡なのだと理解した。

そして自分たちを殺そうとした怪物はというと、何処にもその姿が見あたらなかった。

もしかすると、あのビームを直撃を受けて体が―――…そこまで考えて、ルイズは身震いする。

「すごい…こんな…」

ルイズは生まれて初めて見る゛魔法゛の感想かどうかはわからないが、無意識に呟く。

今まで数多くの魔法を見てきた彼女でも、パワーの塊とも言える魔理沙の゛魔法゛に驚きを隠せないでいた。

 

 

「どうだルイズ?見事この私があの怪物を退治してやったぜ」

 

 

ルイズの呟きに対し、魔理沙は満面の笑みを浮かべてそう言った。

その言葉に、流石のルイズもポカンと口を開けながら頷くしかなかった。

 

 

 

 

(全く、私が気絶してる間に終わっちゃったのね)

そしてそんなルイズの後ろ姿と魔理沙の笑顔を、横になった霊夢は何も言わずに見ていた。

幸いにも怪物の毒は死に至るほどのものではなく、安い痺れ薬程度の効力しかなかったのである。

とはいえ一時的な呼吸困難と高熱で気を失ってしまい、つい先程目を覚ましたばかりではあるが。

 

 

だが目を開けたとき、既に怪物との戦いに決着はついていたらしい。

どうやら自分に一撃を与えたあの怪物は、結局魔理沙に退治されたようだ。

自慢のミニ八卦炉を持って嬉しそうにしている彼女を見れば、それは一目瞭然であった。

 

 

(役に立たない時は立たないけど、立つときはしっかり立つのよね…)

 

 

まだ声を出せる程回復はしていないが、近いうちに礼でも述べてやろう。

霊夢は心の中でそう思いつつ、再度目を瞑った。

化け物がいなくなったのなら、無理に起きて体力を削る必要はないと思ったからだ。

 

 

目を瞑った後は体力も落ちていたからか、すぐに眠たくなってきた。

これが永眠にならない事を祈りつつ、霊夢は今日一日の感想を心の中で呟く。

 

 

(ホント、こうなることが分かってたら初めから屋上で寝てれば良かったわ…)

 

 

そんな事を思いながらも、霊夢は再び眠り始めた。

次に目覚める時は、柔らかいベッドの上だと一心に願いながら。

 

 

幾多もの星と双月が、暗くなっていく空を飾り始める夕暮れの時間。

この日、トリステインに住まう者達の何人かが、トリステインの地で空高く登っていく光の柱を見た。

それの正体を全く知らない者達は何かの予兆だと勘違いし、始祖への祈りを始めたり家に篭もる者もいた。

本当の事実を知っている者は少なく、そして彼らはその事を他人に言いふらしたりはしないであろう。

 

何故なら、この真実がどれ程現実味に薄れているのか理解しているのだ。

無論、真実のすぐ傍にいたルイズもその事を知っていた。

 

明日はきっと、とても良い天気になるわね。

 

ルイズはそんな事を考えながら、ボンヤリと空を見つめていた。



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第五十五話

ルイズ、霊夢、魔理沙の三人がトリステインの森で手痛い体験をしてから暫く後の虚無の曜日――――

その日は朝から用事があると言ってルイズがひとり街へ赴き、魔理沙もキノコ探しにと森へ出かけた。

今ルイズの部屋にいるのはルイズに召喚されて使い魔になってしまった霊夢と、やけにお喋りなデルフだけであった。

 

 

―――最近、日差しが強くなったような気がする。

霊夢はそんな事を思いながら、開きっぱなしの窓から外の景色を見る。

魔法学院の一室から見える開放的な蒼い空に覆い被さるかのように、巨大な雲が浮かんでいた。

それは俗に「入道雲」とも呼ばれる存在で、夏の訪れを知らせてくれる入道だ。

 

「そういえば、もうすぐ夏の季節なのよね…」

霊夢は誰に言うとでも無く呟くと、テーブルに置かれた緑茶入りのコップを手に持った。

 

開けっ放しにされた窓から入ってくる光に目を細めながら、霊夢はコップに入った冷茶を一口啜る。

緑茶に混ざって入っている幾つもの小さな氷がコップにぶつかるガラス細工のような音が、熱気が微かに漂うルイズの部屋に響く。

キンキンに冷えた冷茶と一緒に氷も二、三個ほど口の中に入れ、バリボリとくぐもった音を立ててかみ砕いてゆく。

そして口からコップを離すとハァと溜め息をつき、ふと天井を見上げる。

つい一週間ほど前までは窓を開けなくても良かったのだが、この頃から窓を閉めてると自然に体から汗が出てくる。

トリステインは比較的寒い土地であるが、いざ夏の訪れると急に暑くなるという厄介な場所であった。

それが原因か、最近になってからハンカチで汗を拭う者達を見かけるようになっていた。

 

「…やっぱり突然連れてこられただけあって、夏の訪れも突然なのね」

『へへ、それでうまい事言ったつもりか?』

ひとりでに口から出た霊夢の呟きに、ベッドの上に置かれたデルフが勝手に答えた。

まるでダメ出しするかのようなインテリジェンスソードの言葉に霊夢は目を細めつつ、ベッドの方へ目を向ける。

以前はやかましいからとルイズと霊夢に蹴飛ばされたり縄で縛られた事があったこの剣も、今は前ほど煩くはなくなった。

喋りたいときはベラベラと喋ってくるが、そこには以前のようなやかましさは無い。

いつものように魔理沙と話していたり、時には今のように霊夢の言葉に一々突っ込んでくることもある。

ルイズはそんな剣にいつも厳つい視線を送っているが、蹴り飛ばすようなことは滅多にしなくなった。

彼女自身、デルフのアドバイスが今まで忘れていた大切な事を思い出してくれたと自覚しているのだろう。

 

 

『いつも思うんだけどよ、お前さんは狂言回しや役者にでもなりたいのかね?』

自分の言葉に霊夢が反応してくれたのが嬉しいのか、デルフは鞘から露出した刀身を震わせながら言葉を続ける。

デルフのからかい言葉に霊夢は自分のアゴに手を添え、自らの将来について真剣に考えるかのようなポーズをとってみせた。

「そうねぇ~、もし巫女としての務めが終わるのなら…………とりあえずアンタの考えてること以外の事をしてみたいわね」

霊夢の口から出た「将来の夢」を聞いて、デルフは『ひでぇ』と呟いた後に言葉を続ける。

『なんでぃそりゃ?このオレっちが真剣に考えてやったっていうのに』

「アンタの場合は体の方が真剣だから、頭の方が真剣じゃなくなったのよ」

おせっかいなデルフにそう言いながら霊夢は手に持っていたコップをテーブルに置き、次いでその隣に置かれた湯飲みを手に取る。

 

コップを持った時と違い何処か慎重そうに湯飲みを両手で持つと口に近づけ、中に入った熱い緑茶をゆっくりと啜る。

静かにズズズと音を立てながらお茶を飲む彼女の姿は、西洋の雰囲気漂うこの世界とはあまりにもミスマッチし過ぎていた。

「ふぅ…やっぱり冷たいのもいいけど、熱いお茶もまた格別ね」

湯飲みから口を離した霊夢はそう言いながらなんとも嬉しそうな表情をその顔に浮かべた。

 

例えればそれは、しばらく働かなくても不自由なく好きに暮らせる財産を手に入れた人間が浮かべるすのような幸せな表情。

そんな例えとはまるで無縁な過疎神社の巫女である彼女が、それよりももっと幸せそうな表情を浮かべている。

もしもその顔をルイズが見たら驚くであろうが、きっと彼女のことをある程度知ってる魔理沙や幻想郷の住人達ならこう思うだろう。

 

「よくもまぁ、お茶を飲むだけでそんな幸せになれるなんて。相変わらず暢気だなぁ…」と。

 

湯飲みをテーブルに置いたとき、デルフが話し掛けてきた。

『なぁ霊夢、少し聞いて良いか?』

「ん?何よ」

デルフの質問に首を少しだけ傾げつつ、霊夢は暇つぶしにと耳を傾ける事にした。

しかしその質問の内容は、デルフでなくとも先程彼女がとった行動を見たら誰だって投げかけるだろう。

何せ今霊夢がコップと湯飲みを置いたテーブルの上には、熱い緑茶が入った急須と冷茶の入ったポットが置かれているのだから。

ハルケギニアはもうすぐ夏の季節を迎えるが、この部屋だけは未だに春と初夏の間を行き来していた。

 

『どうして熱いお茶と冷たいお茶を、交互に呑む必要があるんだよ』

恐らく十人中八人が彼女に聞きそうなその質問に、霊夢は当たり前と言わんばかりにこういった。

「交互に飲むからこそ、美味しくかつ二つの味を楽しめるのよ?」

得意気な顔で冷静かつ明確にそう答えた時…部屋に二つある出入り口の内の一つであるドアが開く音が耳に入ってきた。

 

ドアを開けて入ってきた人間は霊夢がそちらへ顔を向ける前に、自分が何者なのかを知らせた。

「よう霊夢とデルフ。今帰ったぜ!」

部屋の主であるルイズとは違う快活な声を上げて、声の主である魔理沙が部屋に入ってくる。

その顔や首筋には汗が滲み出ており、外が結構な気温になっている事を物語っていた。

『おぉ魔理沙か…って何だ、随分と汗だくじゃねぇか?』

「あぁこれか。いやぁ珍しいキノコや薬草とか捜してて森の中を飛び回ってたらこうなってな…」

デルフの言葉に答えながら、魔理沙は左腕で額の汗を拭った。

 

 

相変わらず白と黒を基調にした服であったが、霊夢の巫女服とは違い所々デザインが変わっていた。

夏の季節に向けて生地の薄い半袖ブラウスの上に、黒色のサマーベストを身に着けている。

短くなったスカートに合わせて白いエプロンも小さな物になっており、以前より少しだけ可愛らしくなっている。

唯一変わらないのは頭に被っている帽子であるが、それ以外の箇所は正に『夏服』となっていた。

 

 

「おかえり…と言った方が良いのかしらね?」

一足早い夏の熱気で汗をかいて帰ってきた魔理沙に、霊夢は自分の言葉に疑問を覚えながらも言った。

「だろうな。ここは神社じゃないし」

魔理沙はそう言いながらドアを閉め、右手に持っていた箒をクローゼットの傍に立てかけた。

彼女の相棒ともいえる箒は幾つか傷ができているものの、常に手入れをしているお陰か古びた印象を見せていない。

箒を手から放した彼女はふう、と一息ついてからポケットからハンカチを取り出して首筋を流れる汗をササッと拭き取った。

その様子を見ていた霊夢は、思った以上に気温が上がっているのだと感じた。

「それにしても急に暑くなったよなホント…幻想郷の夏も暑いがこっちと比べりゃまだ良い方だ」

「そうかしら?私はあんまり動いてないから良く分からないわ」

「そう言うと思ったぜ。お前は一年の半分くらいは、神社の縁側でお茶を飲みながら過ごしてるもんな」

霊夢と話しながらも左手に持っていた小さな革袋をベッドの傍に置くと、霊夢の向かい側に置かれたもう一つの椅子に腰掛けた。

そして頭に被っていた帽子を脱いで膝に置くと、テーブルに置かれた急須とティーポットに気が付く。

 

「…なぁ霊夢」

「何よ」

「これってどっちがアタリなんだ?…それとも、両方がハズレなのか?」

『イヤ、そんなのはねぇから』

魔理沙の言葉に、霊夢よりも先にデルフが突っ込みを入れた。

 

 

 

「んっ、んぐっ…ん……ッハァ!」

ルイズの部屋に、気持ちの良さそうな魔理沙の声が上がる。

コップに注いだ冷茶を飲み干した彼女の顔は、喜びで若干にやけている。

まぁ汗だくになりながら森の中を飛び回ったのだから無理もないであろう。

「やっぱり思いっきり汗をかいた後の冷たい飲み物ってのは美味しいぜ~…」

僅か数秒で空っぽになったコップをテーブルに置いた魔理沙は、体の重心を前に傾けてグテッとテーブルに突っ伏す。

その様子を見ながら湯飲みに入った緑茶を啜っていた霊夢は、ふと窓の外の景色へと視線を移した。

幻想郷のそれと負けないくらいに澄み切った青い空を背景にして、巨大な入道雲が浮かんでいる。

その空の下には自分たちの塒である魔法学院の外壁と、そこを囲むようにして何処までも続くかのような森が見える。

 

(そういえば、以前あの森で変な怪物に襲われたけど…もうあれから結構経つのよね)

学院の外にある森が目に入った霊夢はふとあの時の事を思い出し、左肩を一瞥する。

あの怪物に襲われ不覚にも一撃を喰らってから、既に数日もの時間が経過していた。

 

つけられた傷はあの毒を含めて、ルイズが持っていた水の秘薬のおかげで綺麗サッパリに消えていた。

まるで最初から無かったかのように…という言葉がピッタリと似合うほどに傷は無くなっていた。

以前も背中を青銅のゴーレムに強く殴られたときも、あのクスリのおかげで後遺症もない。

 

(なんというか…流石魔法の世界ね。あんな切り傷と毒まで治してくれるんだから)

霊夢はそんな事を思いながら、頭の中で数日前の事を思い出し始めた。

 

 

 

 

魔理沙がキメラを倒した直後の姿を見て目を瞑った後、私が再び目を覚ましたのは翌日の未明であった。

その時はまだ毒が僅かに残っていたのか体は少し気怠かったが、それ程苦しくもなかったのは覚えている。

無機質で一定のリズムを奏でる時計の音に耳を傾けながら、私はゆっくりと目を開けた。

もう見慣れてしまった天井が目に入ってきたと同時にふと視界の左端に明るい何かが映る。

何かと思いいつもより重たく感じる目を動かすと、まず目に入ったのが魔理沙の背中であった。

私に背を向けて椅子に座っている彼女は、鬼火や幽霊のようにゆらゆらと動くカンテラの灯りを頼りに本を読んでいるようだった。

時折ページを捲る音も聞こえているので起きているのは起きているのだろう。

 

私は魔理沙の背中に向けて声を掛けようと口を開いたが、うまく言葉が出ない。

「…っう…く」

ちょっと頑張って喉から出した声は、まるで墓場から蘇った亡者の如き呻き声であった。

それでも気づいてくれたのか、魔理沙は私の方へと顔を向けてくれた。

最初はキョトンとしていた彼女も、私の顔を見てすぐに笑みを浮かべた。

「おぉ、何だ霊夢か。てっきり学院を根城にする悪霊が出たのかと思ったぜ」

「そんなヤツがいるなら、とっくに私が退治してるわ」

先程上げた声をネタにして冗談を言った彼女に対し、私は苦笑いの表情と言葉で返してやった。

その言葉を聞いた魔理沙は満足そうにうんうんと頷いた。

「は!そんな表情とセリフが出るんならルイズの言ったとおり、もう大丈夫だな」

魔理沙の口から出たこの部屋の主の名前を聞き、ふと私は足の方に何かが乗っかっているのに気が付く。

ふとそちらの方へ視線を向けると驚くことに、ルイズが私の足に頭を乗せてグッスリと眠っていた。

いつもの服を着ている魔理沙と違いネグリジェを纏い、その上にタオルケットを羽織っている。

更に私の体に掛かっているのが分厚い毛布という事もあり、その寝顔は安らかであった。

 

「なんていうか…どうしてこうなったのかしら」

私は見ていて妙にムカついてくる程安らかな寝顔を浮かべるルイズを見ながら、ひとりでに呟く。

その言葉に答えるかのように、イスに座った魔理沙が得意気にこれまでの経緯を話してくれた。

 

魔理沙の話が正しければ、どうやらつきっきりで看病したかったとのことらしい。

部屋に置いてあった水の秘薬を使い傷の手当てをした後、そのまま私の事を見守っていたのだという。

食事は魔理沙に持ってきて貰い、風呂に入るときは魔理沙に看病を頼んだりと…

 

「…で、私が風呂から帰ってくると今の恰好で寝てたから毛布を掛けたんだよ」

魔理沙は最後にそう言って、説明を終えた。

話を聞くだけではどうにも信じられないが、まぁこうしているのだから事実だと思って良いのだろう。

私はすーすーと寝息を立てているルイズを見て、そう思った。

 

 

「…というか、毛布をかけるならベッドに運ぶぐらいしてあげなさいよ?」

「いや~、もしかしたら途中で起きるかなーって思ってはいるんだがなぁ」

さりげない私の突っ込みに、黒白の魔法使いは悪気のない笑顔を浮かべてそう言った。

 

 

 

 

(あれからもう暫く経つのね)

霊夢は傷が出来ていた所を優しく撫でつつ、回想を終える。

(本当、時間って暇なときほど早くなるような気がするわ)

彼女は心の中で呟きつつ、窓から見える外の景色をジーッと見つめていた。

 

あれから数日が経ってはいるが、魔理沙はいつもの如く平常運転であった。

偶に箒と革袋を持って外に出かけては得体のしれない薬草やキノコを取ってきたり本を読んだり、霊夢やルイズ達とお茶を飲んでいる。

学院内の人間関係も相変わらず良好で、最近はコルベールやシエスタたちの方へちょくちょく顔を出したりしていた。

一方のルイズはというと、ほんの僅かだけ優しくなったように思えた。ほんの僅かだけ。

全体から漂う雰囲気自体はまだツンツンとしているが、それでも他人と接するときには優しさが垣間見えるようになった。

デルフの方もあれから縛られる事もなくなり、以前にもまして機嫌が良くなっている。

取っていたお菓子を霊夢たちに食べられてしまい、怒り心頭だったルイズにアドバイスしたおかげもあってかその扱いは大分良くなっていた。

偶に口を滑らせて霊夢やルイズに投げられたり叩かれたりはしているが、そこは以前と変わりない。

 

 

魔理沙が森でキメラを倒した日から随分と時間が経っているものの、あれ以来身の回りで怪しい事は何も起こっていない。

ただ、霊夢が倒した虫キメラの事に関しては学院内でちょっとした゛怪事件゛ということで話題になっていた。

 

 

霊夢が学院内に現れたキメラを倒した日から翌日…

衛士たちが全員気を失っているところを給士が見つけた事と、その衛士たちの宿舎で学院の教師が一人気絶していた事。

そして、女子寮塔の事務室が何者かによって滅茶苦茶に荒らされ、その部屋の前で当直を務めていたミセス・シュヴルーズが気絶していた事。

計三つの゛怪事件゛が知らぬ間に起こっていた事が発覚したのである。

 

教師達はすぐさま衛士や事務室にいた同僚から事情聴取をしたのだが、誰一人気絶する直前の出来事を覚えていないのだという。

また何かを盗まれたという形跡も無く、被害があったのは女子寮塔の事務室だけという不自然性。

この不可思議極まりない事件を学院側は王宮に報告するかどうか今も議論の最中なのだという。

そして、この魔法学院という一種の生活空間内で起こった怪事件に心躍らされた生徒達の間で、数十種類の的はずれなうわさ話が飛び交った。

ある者が学院に貴族くずれの賊が侵入したという話しをすると、ある者は夢魔がやってきて学院を飛び回ったという話で対抗する。

そんな感じで、突拍子もない話が伝言ゲームのように生徒たちの間で移動していた。

 

しかし…彼らの説はあまりにも的はずれで、誰も真実に辿りつくことはない。

学院で゛ゼロ゛と揶揄される少女の使い魔が、人を襲う怪物を退治したという真実に。

そして、少女の恩人として学院で暮らす事となった黒白の少女が使い魔と同じ世界から来た異邦人だという事にも。

 

 

「…やっぱり、平和にお茶を飲めることが一番大切なことね」

霊夢はひとりそう呟き、再び湯飲みを口もとに近づけようとしたが、ある事を思い出した彼女はその手を止める。

それは今の今まで記憶の底に沈んでいたたった一つの疑問であった。

彼女は口もとに近づけていた湯飲みをテーブルに置き、向かい側に座る魔理沙へ向けて話しかけた。

 

「ねぇ、魔理沙。少し聞きたいことがあるんだけど?」

突然自分の名前を呼ばれた魔理沙は目を丸くしつつも、霊夢の方へ顔を向ける。

そして目の前にいる巫女が、さっきとは打って変わってちょっと真剣そうな表情を浮かべているのに気が付いた。

「なんだよ霊夢?そんな顔して私に聞きたいことがあるだなんて…」

「まぁ聞きたいことが一つだけあるわ」

最初に一言だけそう言うと霊夢は一呼吸置いてから、脳内の疑問をそのまま質問に変えてこう言った。

 

 

「この前の森で怪物を退治した後、誰が私たちを学院まで連れてきたのよ?」

 

 

霊夢の口から出たその質問に、魔理沙は数秒ほど黙った後キョトンとした表情を浮かべた。

「あれ?お前に話してなかったっけ?」

「話って何よ?それ自体初耳だわ」

まるで自分一人だけ置いてけぼりされたような感じがした霊夢は、魔理沙の言葉に突っ込んだ

何処か冷たさが見える彼女の言葉に、魔理沙は苦笑いで返しつつポン、と手を叩いた。

「…あぁそうだ、お前が目を覚ました後に話そうとかな~って思ってたんだよ」

「だったら何で話してくれなかったのよ」

まるで噛みついてくる野良犬のように突っかかってくる巫女に、魔理沙はいやいやと手を振りつつ話を続ける。

「いや~だってあの時のお前はなんかボーッとしてたし、また後にしようか…って思ってそのまま眠って…」

 

「忘れたってワケ?」

魔理沙が言おうとした最後の一言を霊夢が代弁する。

彼女の顔には、怒りよりも若干の呆れたと言いたげな雰囲気が漂っている。

 

「まぁそうなるな」

霊夢の冷たい視線に、魔理沙はポリポリと頭を掻きつつそう言った。

その顔には霊夢とは違い薄い笑みを浮かべている。どうやら反省の意思は無いらしい。

まぁいつもの事だと思いつつ、溜め息をついてから霊夢は再度口を開く。

「まぁ、アンタの事だからそんなので怒りはしないけど――……ん?」

 

彼女が言い終える前に、ふとドアの方からノックの音が聞こえてきた。

一瞬ルイズが帰ってきたのかと思ったが、それはないと否定する。

この部屋の主である彼女が、普通自分の部屋のドアをノックするという事はないだろう。

じゃあ一体誰なのかと首を傾げていると、腰を上げた魔理沙がそのままドアの方へと歩いていく。

「はいはーい!どちらさま…って…」

そしてドアノブを捻り、躊躇いもなく開けるとその向こうにいた相手と顔を合わせた。

 

「あぁお前か!丁度良い所で来てくれたぜ」

丁度いいところで来てくれた?黒白の口から出た言葉に霊夢は更に首を傾げそうになった。

魔理沙とドアの向こうにいる誰かが一言二言ほど言葉を交えた後、彼女が霊夢の方へとその顔を向ける。

 

「まぁお前も顔くらい知ってると思うが、コイツが森の中にいたあたし達を助けてくれたんだよ」

そう言って魔理沙は右手でドアを開き、その先にいた少女の姿をさらけ出した。

印象的な雰囲気漂う眼鏡にボーッとしたような表情は何処か冷たさを感じる。

左の手で分厚い本を抱え、右の手で自身の身長より高い杖を持っている。

身長はかなり低い方で、魔理沙と比べてもかなりの差があった。

そして何より目にはいるのが、青空のように爽やかな水色のショートヘアーだ。

まるで雲一つ無い空の色をそのまま髪の毛に移植したかのような輝きは、もう芸術といっても良い。

 

 

 

霊夢は知っていた、この特徴が全て当て嵌まる少女の名前を。

「あんたは確か…タバサ、だったかしら?」

確認するかのような霊夢の言葉に、タバサはコクリと頷き――部屋の中へと足を踏み入れた。



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第五十六話

トリステイン魔法学院の女子寮塔にあるルイズの部屋――

今日は珍しくも、午前から来客者がいた。部屋の主が不在にもかかわらず。

 

「…久しぶりに顔を合わせた、って言ったほうがいいのかしら?」

部屋の主の使い魔である霊夢の言葉に、来客者であるタバサはコクリとうなずく。

それを見た霊夢は、相変わらず口数の少ないやつだと心の中で呟いた。

以前春のフーケ騒ぎで助けてもらったこともあるが、それを差し置いて少しだけ不気味に感じていた。

まるで人形のように色を浮かべぬ表情に、ボー…っと宙でもみているかのような虚ろな瞳。

普通の人間ならばまず、彼女に対して距離を置こうとするだろう。

それほどまでにタバサの体から出ている雰囲気は異様なほど不気味なものであった。

しかし、霊夢だけはまた違った気配をタバサの体から感じ取っていた。

 

(何かしらこれ…他人が距離を置こうとするから自分もそうしようって感じがするわ…)

霊夢が何も言わずまたタバサも無言のままでいると、インテリジェンスソードのデルフが二人の傍にいる魔理沙に話しかけてきた。

『マリサ、あの二人何であんなに黙りこくってるんだ?』

「さぁ?私には見当つかないぜ」

デルフの言葉に、魔理沙はただ肩をすくめる事しかできなかった。

タバサが部屋に入ってきてからすでに一分近くたっており、お互い睨み合ったままだ。

もっとも。『睨み合っている』というより『見つめ合っている』という表現がお似合いだろう。

まるで蛇と蛙が広い原っぱで偶然にも顔を合わせてしまったときのように、両者動けずにいた。

 

しかしその『見つめ合い』は、魔理沙という第三者の視線が入ることによって終わった。

 

ふと横からの視線と声に、霊夢はハッとした表情を浮かべると魔理沙の方へ顔を向けた。

「…ん、どうしたのよ魔理沙?私の顔に何かついてるの」

「え?いや、別に…ただ、ちょっとお前の様子がおかしかったからな…」

突然霊夢に声をかけられた魔理沙は若干驚きながらも、そう言葉を返した。

霊夢はそれに対してふ~んとだけ呟いて肩をすくめると、魔理沙に話しかけた。

 

 

「で、話の続きに戻るけど…タバサがアタシ達を学院に帰してくれたのよね?」

霊夢が何を知りたがっているのかわかっている魔理沙は「そうだぜ」と返し、事の詳細を話し始めた。

 

 

 

時間は遡り、魔理沙の一撃でキメラを葬ってから数十分後の出来事――――

あの後、近くの草むらから自分の杖を見つけたルイズは眠っている霊夢の傍に腰を下ろしている。

魔理沙の方はというとようやく一段落ついたのかルイズ達から少し離れたところで地べたに座り、空を見つめていた。

 

 

幾つもの星が見えつつある空と共に暗くなっていく森の中。

辺りに注意しながらも、毒で倒れた霊夢の様子を見ていたルイズが、魔理沙に話しかけてきた。

「ねぇ、魔理沙…」

「お?……どうしたんだよルイズ、なんか顔色がわるいぜ?」

ミニ八卦炉を持って地べたに座っていた魔理沙はルイズの方へ顔を向ける。

魔理沙の言葉どおり、ルイズの顔は真っ青に染まっていた。

まるで家の戸締まりを忘れたまま外へ出て、後になってからそれに気づいたときのような表情であった。

一体何事かと思いすぐさま魔理沙が傍に寄ると、ルイズかこんな質問をしてきた。

 

「私、ちょっと思ったんだけどね?…ここから学院まで、どうやって帰れば良いのかしら?」

「はぁ?」

予想もしていなかった質問の内容に、魔理沙は目を丸くする。

「何言ってんだよルイズ。心配しなくても、私の箒はこの上にあるからそれに跨って帰ればいいだろう」

そう言って魔理沙は、自分たちが滑り落ちてきた傾斜面を指さした。

斜面を上った先には山道があり、そこにキメラの不意打ちで落とした魔理沙の箒とデルフがある。

幸い斜面自体も緩やかだし、多少服が汚れるかもしれないが登れないこともない。

一体何を心配する必要があるんだ?そう言おうとしたとき、魔理沙の言葉を予知したかのようにルイズが言った。

 

「そりゃ私はあんたと一緒に箒を使えばいいけど……―霊夢はどうするのよ」

「――――あ」

その言葉を聞き、魔理沙はハッとした表情を浮かべた倒れている霊夢の方へ目を向ける。

数時間前、倒したと思っていたキメラからの不意打ちを受けた霊夢の体には毒が残っていた。

今は大分マシになったのか呼吸はそれ程荒くもなく、スースーと眠っている。

そんな彼女を起こして飛ばそうとするのは、危険かもしれないとルイズは判断していた。

 

「参ったな…霊夢の事だから大丈夫かと思っていたんだが」

「大丈夫じゃないでしょう!大丈夫じゃ!」

霊夢の事をよく知っているであろう魔理沙の発言に、ルイズはすかさず突っ込みを入れた。

 

その後、二人はどうしようかと暗くなっていく森の中で考えたが一向に良い案は思い浮かばない。

太陽は時間の経過とともにどんどん沈み、刻一刻と夜が迫ってきていた。

遠くの山からは狼のものであろう遠吠えも聞こえ始めてきた頃―――予期せぬ助け舟がやって来た。

 

「ねぇ…何か聞こえない?」

最初に気づいたのは、魔理沙よりも緊張していたルイズであった。

彼女の言葉に何かと思った魔理沙が耳を傾けてみると、それは確かに聞こえてきた。

 

―――ッサ… ―……ッサ

 

「…何だ?…確かに聞こえてくるな」

それは最初、小さすぎて何の音なのかルイズと魔理沙にはまったくわからなかった。

しかし音の正体はこちらに近づいてくるのか、だんだんと大きくなっていく。

 

――バッサ…バッサ…

 

音を聞くことに集中していた二人は、その音が何の音なのかわかってきた。

「ん、こりゃアレか?何かが羽ばたく音だぜ。コウモリみたいにこう…バッサバッサって」

魔理沙はそういって両手を横に広げてパタパタと軽く振り、羽ばたく動作をしてみせた。

それを見たルイズはこんな危機的状況の中で何をしてるのかと思いつつ、言葉を返そうとした。

「羽ばたく音ですって?それだと大きすぎるんじゃ――あ!」

 

しかし、言い終える前に気がついた。この「羽ばたく音」の正体か何なのか。

それに気がついたルイズは思わず大声を上げてしまい、近くにいる魔理沙が驚いた。

「うわっ!びっくりした…何だよいきなり」

体を小さくのけぞらした魔理沙がそうい言うと、ルイズは体を震わせながらしゃべり始める。

こころなしかその声も大きく震えており、先ほどよりも不安感が募っていた。

「やばいわ…」

「?…やばいって…何がやばいんだよ」

「私、この音が何なのか知ってるわ」

「マジで?じゃあ何の音なのか教えてくれよ」

魔理沙の促しにルイズは冷や汗を流しながら、それに答えた。

 

「ドラゴンの羽音よ…」

「どらごん?」

ルイズの口から出た思わぬ答えに、魔理沙はキョトンとした。

「ドラゴン…っていうと、あの羽が生えた馬鹿でかいトカゲの事だろ?」

魔理沙は、ここハルケギニアに来てから図鑑(文字は読めない)や学院いる生徒たちの使い魔としてドラゴンを何度か見ているのである。

最初見たときは驚いていたがすぐにおとなしいとわかり、今ではそれを良いことに近くまで寄って観察なんかをしていた。

 

「えぇそうよ…こんなに大きい羽音を出すのはそれくらいしかいないもの」

まず最初にそう言ってから、ルイズはこんな事を話し出した。

「ドラゴンは基本肉食よ。普段獲物を襲うときは勢いをつけながらも高度を下げて、獲物を鋭い口の牙を咥え込むの…」

こうグワッと!と言いつつルイズは左手を空から襲い掛かってくる竜の頭に、右手を地上にいる獲物として見立てた。

魔理沙はそれに適当な相槌を打ちつつも、時折暗くなっていく空を見つめて警戒している。

 

「で、今から話すのは森林地帯を餌場にしているドラゴンなんかが行う飛び方の一つについてなんだけどね…」

ルイズはそこでいったん区切ると、一呼吸置いて説明を再開した。

 

「空から獲物を見つけてもすぐには突っ込まないのよ。突っ込んだら大木ひしめく森林に突っ込むわけだから」

「なぁルイズ、ちょっと…いいかな?」

ふと何かに気づいた魔理沙が呼びかけるも、説明するのに夢中なルイズは尚も続ける。

先ほど聞こえてきた羽音は、かなり大きくなっていた。

「だからね、獲物を見つけたらゆっくりと高度を下げていくのよ…丁度船に積んだ風石の量を減らしていくように」

「おーい、ちょっと…聞こえてる?」

魔理沙は尚も呼びかけるのだが、完全にスイッチが入った彼女を止めることは出来ない。

やがて羽音は当たり一帯に響き始めるとともに、上のほうからバキボキと枝が折れる音も聞こえてきた。

 

「そして獲物が動きを止めた瞬間、すぐ近くに着地して―「うわっ!!出たぁ!」―――え?」

言い終える前に突如耳に入ってきた魔理沙の叫び声で我に返ったルイズは、後ろを振り返る。

その瞬間、木々の間を縫うようにして何かがこちらにやってきた。

 

そこにいたのは――青い皮膚を持つ大きなトカゲ…かと一瞬だけ思った。

しかしトカゲにしてはどこかおかしいとすぐに感じる。

何故なら、あれほど大きく成長するトカゲなどトリステインには生息しないし、第一手足が長すぎるのだ。

ほかの動物で例えれば、犬くらいの長さだと思ってくれればいいだろう。

これは、高山や渓谷で巣作りと繁殖を行う一部の幻獣に見られる身体的特徴だ。

そして何よりも特徴的なのは、背中に生えた一対の大きな羽。

コウモリのように薄い皮膜で覆われたそれは、森の中ではコンパクトに折りたたまれている。

頭部事態はトカゲと似ており、頭には一対の小さな角が生えている。

そして口の隙間から―――ありとあらゆるものを噛み、裂き、砕くことが出来るであろう鋭利な歯が見えていた。

 

そして、これらの特徴がすべて当てはまる幻獣は一種だけであろう。

この世界では天災の一つとして恐れられ、戦争となれば歩兵千人分もの力となる幻獣――風竜だ。

 

「――――………………ッキャアァアァアァァァァアアアァァ!!」

魔理沙より数秒送れて何が現れたのか理解したルイズは、大きな悲鳴を上げた。

それと同時に青い風竜も長い手足を器用に動かして前進し、ルイズたちに詰め寄ってくる。

ドスンドスンと足音を立てて進むその姿は、まさに怪獣そのものだ。

「くそっ、霊夢を連れて下がってろ!」

魔理沙は急いでニ八卦炉を目の前の風竜に向けると、ルイズ指示をとばして魔力を八卦炉に込め始める。

先ほどのキメラとは違い殺す気がないので、威嚇射撃として放とうとした。

風竜も何かくると感じたのか、その場でぴたりと足を止めた。

 

まさにこの状況は一触即発。どちらが先に動いても、戦いは免れないかもしれない。

だがそんな時、風竜の背中から少女の声が聞こえてきた。

 

 

「どうしたの。こんな森の中で…」

抑揚はないがしっかりとした発言ができる少女の声に、二人は目を丸くした。

 

「えっうそ…人…ということは」

魔理沙の驚いた声に、ルイズは今になって気がついた―この風竜に見覚えがあることに。

「あんた…まさか…シルフィード?」

 

その言葉に風竜――シルフィードが「きゅい」っと鳴くと、声の主が誰なのかもわかった。

ルイズより低い身長に、身の丈より大きい端くれだった杖。

赤縁メガネに蒼い瞳にそと同じ色のショートヘアー。

 

ルイズと魔理沙…そしてその時は眠っていた霊夢も知っていた。彼女が誰なのかを。

 

 

「…つまり、山で秘薬の材料を取っていたタバサと一緒に帰ってきた。というワケね」

そこまで話を聞いた霊夢の言葉に、魔理沙は「そうそう!」と相槌をうちながらタバサの肩を叩いた。

まるで付き合いの長い友人のように肩を叩かれているタバサはというと、相変わらずの無表情である。

「タバサとシルフィードのおかげで暗い森の中を歩かずに済んだし命―ってほどでもない…がまぁ、恩人は恩人だよ」

「うん…まぁ、確かに恩人と言えばそう言えるわ。まぁ有難うと言っておくわ」

一部自分の言葉を訂正しつつ、魔理沙はまるで自分のことのようにタバサを褒め称える。

霊夢はそんな二人の温度差に生ぬるい視線を浴びせつつ、タバサに歯切れの悪い賛辞を呈した。

そして三人(正確には二人)が暫し無言でいると、我慢できないといわんばかりに霊夢が喋った。

 

「で、話は変わるけど…何の用事でココにきたのかしら?部屋の主は今留守にしてるんだけど…」

やや直球な彼女の質問に、タバサは思い出したかのようにポンと手を叩き、ゴソゴソと懐を探り始める。

そしてすぐに、テーブルに置いてあるティーカップほどの大きさがある濃い緑色の土瓶を霊夢に差し出した。

霊夢はその瓶を見て怪訝な表情を浮かべ、タバサに質問をすることにした。

「…?何よコレ」

「体に良いお茶…どうぞ」

簡潔すぎる問いの答えを聞いて、霊夢は渋々と手のひらを前に差し出す。

タバサはその手に持っていた瓶を霊夢の手のひらに置くと、霊夢と魔理沙に向けてこう言った。

 

「…どうぞ、お大事に」

あまり感情のこもっていない声でそう言うと、ペコリと頭を下げて踵を返して廊下の方へと出ていった。

カツコツと廊下の床に響くローファーの靴音が聞こえてくると、部屋にいた魔理沙は上半身だけを廊下に出してタバサに手を振った。

「また何かあったらいつでも来ていいぜー!なくても来ていいんだぜー!」

廊下中に響く魔理沙の大声にタバサは振り向くことも手を振ることもなく、ただその背中を向けて踊り場の方へと歩いて行った。

魔理沙には見えない、小さ過ぎる彼女にはあまりにも似合わない゛何か゛がある背中を。

 

「風のようにやってきて、風のように去ったわね」

タバサに手を振っている魔理沙の背中を見つめながら、霊夢はポツリと呟く。

あまりにも早すぎる珍しい来客者のお帰りに、霊夢は半ば呆然としていた。

もしかして先ほどの事はすべて幻なのかと思ってしまうが、それは無いなと心の中で否定する。

彼女の体から感じた気配は今もハッキリと覚えているし、浮かべていた表情もすぐに思い出すことができる。

そしてこの部屋に先ほどまでいた来客者の背中に手をふる同居人の姿と――掌の上にある茶葉が入った土瓶。

 

これらの証拠がある限り、タバサという少女がこの部屋訪れたという真実は絶対に揺るぎはしない。

 

 

「最初会ったときは気にしてなかったけど、今見るとスゴイ変わってたわね。アイツ…」

霊夢は無表情なタバサの顔を思い出して呟くとその顔に笑みを浮かべ、土瓶をテーブルの上に置いた。

コトン、という…鈍いながらもしっかりとした音が、主の居ない部屋の中に響く。

「さてと…健康になるのはいいことだし、さっそく試してみようかしら?」

これから体験するであろう未知なる味を想像しながら、霊夢は椅子に座った。

 

彼女は知らなかった。中に入っている茶葉の原料である植物がどんなものなのかを。

それをお茶にして飲むことはおろか、生で食べる人すら少ないといわれるシロモノだということを…。



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第五十七話

゛始まり゛には必然的に゛終わり゛がある。

それは世の理であり、容易に変えることはできない。

 

トリステイン魔法学院の生徒たちにとって楽しい休日である虚無の曜日は、ゆっくりと沈んでいく夕日とともに終わりを告げる。

朝方と昼はあんなに暑かったのだが、日が落ちていくにつれて段々と気温が下がり今では誰もが肌寒いと感じていた。

 

学院から離れた首都へ遊びに行っていた生徒たちも、この時間帯になるとバラバラではあるが校門をくぐってみずからの学び舎へと戻ってくる。

大抵の生徒は学院のレンタルか自費で購入した馬に乗って帰ってくるが、空を飛べる大型の幻獣を使い魔にしている者たちはその背に乗って戻ってきた。

あと一時間もすれば夕食の時間であり、それまで自室に帰って休む生徒もいれば広場に設置されたベンチに腰かけて友人たちと談笑をしている生徒たちもいた。

談笑する生徒のほとんどは男子であり、話の内容も年頃の少年にふさわしい自慢話の類が多かった。

ある者は街で傭兵に喧嘩を売られたが難なく返り討ちにしてやったという話や、名のある貴族の娘と話をしたという…嘘8割の談笑会をしている。

 

日が落ちればトリスタニアの繁華街が賑やかになっていくが、それは学院も同じであった。

人が集まるということは即ち、賑やかになるという事と同義でもある。

 

そんな賑やかな地上の様子を、霊夢はルイズの部屋から見下ろしていた。

いや、正確には項垂れた彼女の視線の先に偶然、広場で騒ぐ生徒たちがいた…と言った方が正しいのだろうか。

全開にした窓から両腕と頭を上半身ごと乗り出している彼女の顔は、まさに「ぐったりしている」という言葉が似合うほど辛そうな表情を浮かべていた。

顔色も若干青く、開きっぱなしの口からはう~う~と苦しそうなうめき声が漏れている。

この姿だけを見れば彼女がとある異世界の中核であり、異変解決と妖怪退治を得意とした博麗の巫女だと誰が信じようか。

それは霊夢自身も把握しており、今いる場所が幻想郷ではないことに安堵していた。

でなければ今頃…風のうわさで聞きつけた射命丸か紫辺りがニヤニヤと、一見暖かそうで実はそうでない笑みを浮かべて彼女を見下ろしていたに違いない。

 

「ホント…あの味には驚かされたわ」

「あぁ、あんなの初めて飲んだぜ…ていうかアレは飲み物なのか?」

ぐったりとした霊夢に続いて、同じような気分でベッドに横たわっている魔理沙もつぶやく。

その時、羽ペンを右手に持ったルイズが鳶色の瞳をキッと細めて二人のほうへ顔を向けた。

「ま…知らなかったのなら仕方ないけど、いくらなんでもコレを普通のお茶として淹れて飲んだのには驚いたわよ」

呆れたと言いたげにルイズは首を横に振ってため息をつくと、テーブルの上に置かれた小さな土瓶へと視線を移す。

その中には茶葉が入っている。そう…魔理沙だけではなくあの霊夢さえ苦しめた茶葉が。

 

「ホントビックリしたわ。なんせ街から帰ってきたら、アンタたちが部屋の中で倒れてたんだから」

そう言ってルイズはあの時の事を思い出した。

 

 

タバサが霊夢達に瓶を渡して部屋を出て行ってから一時間ほどした後、ルイズは学院に戻ってきた。

ちょっとした用事と買い物で部屋を霊夢に任せていた彼女は「ただいま」と言ってドアを開けた直後、それを目にしたのである。

 

部屋に漂うミントのそれと似たような鼻を突くツンとした臭いに、二人仲良くテーブルに突っ伏してうめき声をあげている霊夢と魔理沙の姿…そして。

『オォ帰ってきたか娘っ子!見てみろよコレ?ひでぇもんだろ!?ヒャッハハハハ!』

何故かバカみたいに笑っているデルフが、彼女の部屋の空気を異様なものに変えていた。

 

最初は何があったのかわからず困惑していたが、事の全てを見届けていたデルフのおかげで事情を把握することはできた。

そして全てを知った後、なんてものを渡してくれたのだとタバサを恨みつつ味覚以外が無事な霊夢達に後片付けをさせた。

 

ちなみに、緑の液体が入っていたティーポットは泣く泣く捨てることとなった。

霊夢達の飲んでいたあの液体がなんなのかわかった以上、捨てるということはとても懸命な判断だとルイズは思うことにした。

 

 

「噂では聞いてたけど…ハシバミ草のお茶が本当にあったなんてね…」

回想を終えたルイズは羽ペンをテーブルに置くと、土瓶を手に取ってそう言った。

 

この土瓶に入っている茶葉の原料は「ハシバミ草」というハーブの一種だ。

ほぼハルケギニアの全域で自生しており、地方の料理ではメインディッシュの添え野菜やサラダにしたものを前菜で出すことがある。

鎮静作用があり、細かくすりおろしてスープに入れたり煎じたものを飲めば風邪薬の代わりにもなるらしい。

その一方で独特の苦みもあり、自生してる場所によってはその苦味が味覚と臭覚を麻痺させる神経毒になることもあるのだという。

 

その為か、ここハルケギニアにおいては野生のハシバミ草は危険な代物というイメージが若干纏わりついている。

しかし何故かこれを愛食する者たちがいて、タバサもその一人であるという事はルイズを含め学院にいる多くの人間が知っていた。

 

「良薬口に苦し」という言葉があるが、「ハシバミ草」は正にその言葉を体現したかのような存在だ。

そして今、ルイズが手にしている土瓶の中に入っているのはそのハシバミ草を蒸し、乾燥させて作った茶葉である。

最も、それを普通のお茶のようにして飲めば濃縮された強烈な苦味が口内を蹂躙し、今の霊夢や魔理沙と同じように一時的な味覚障害に陥ってしまう。

 

「あのチビメガネ…次あったらどうしてくれようかしら」

「何物騒な事言ってるのよ。…やり方は間違ってたけど体には良いらしいわよコレ」

赤みがかった黒い目を鋭くしてチビメガネ=タバサに怒りを覚えている霊夢を宥めつつ、ルイズははしばみ茶の説明を始めた。

 

「これはね、瓶の中から一つまみ分だけをお茶が入ったポットの中に入れるのよ」

そうしたらはしばみ草の苦味が丁度いいくらいに効いて気分が和らぐらしいわ…とルイズは説明するのだが、二人は半ばそれを聞き流している。

今の霊夢達にとって、午前中から口内に居座るジワジワとくる苦味をどうすればいいのか頭を悩ましていた。

この苦味のせいで昼食の時には食欲が湧かず、紅茶や緑茶も口に入れればあの強烈な苦味に変わってしまう。

夕方になってからはだいぶマシになったが、それを見計らったかのように飢餓感が現在進行中で襲ってきている。

今の二人は、正に空腹状態の虎と言っても良いほど腹を空かしていた。

「夕食まであと一時間…ふぅ、長いわね」

「あぁ、全くだぜぇ…」

グゥグゥと腹を鳴らしながらボーっと窓の外から夕日を眺める異界の住人達を見て、ルイズは顔をしかめた。

理由はふたつ。二人が自分の話を聞いていないという事と、お腹のほうからだらしない音が出ているという事。

森の中でキメラと遭遇して以来ある程度のことは許容できるようになったが、それでもこういう細かな事は中々許せなかった。

 

「もう、人の前でお腹を鳴らすなんて…私以外の誰かに聞かれたらどうするのよ」

ルイズが二人に聞こえない程度の声量で呟くと、背後に置いてあるデルフが話しかけてきた。

『問題ねぇだろ。腹の音なんて腹が減りゃあ誰でも出るんだしよ』

「そういう問題じゃないのよ。…っていうか腹の減る心配が無いアンタが言っても説得力無いんだけど?」

デルフ突っ込みを入れるとルイズは再び頭をテーブルの方へ向けて作業を再開した。

羽ペンを再び手に持つと、テーブルの上に置かれた古びた本へとそのペン先を向ける。

開かれたページには何も記されておらず、色褪せた白紙をどうだと言わんばかりに見せつけている。

ルイズはその白紙を凝視して文章をイメージしているのか、ゆっくりと羽ペンの先端を上下左右に動かした。

しかしいい文章が思いつかないのか、クルリとペン先を回してから本の横に置き、腕を組んで目をつぶる。

脳内で考えているのだろうか、時折ウーウーと唸るような声が聞こえてくる。

 

その様子を後ろから見つめていたデルフは気になったのか、遠慮なくルイズに質問してみることにした。

『そういやぁさっきから気になってたんだけどよ…その本は何なんだ?全部のページが白紙の様なその気がするんだけどよ』

突然の質問にルイズの体がビクッと震えたものの、すぐに頭だけを後ろに向けて素っ気なく答える。

「アンタみたいなのは知らないと思うけど…これは始祖の祈祷書っていう王家に古くから伝わるとても大事な本なのよ」

その言葉をはじまりにして、彼女はこの本が手元にある経緯をデルフに話し始めた。

 

それはかつて、ルイズが霊夢と魔理沙を連れて王宮へ参内した時の話である。

 

 

「ご多忙の中、わざわざ来てくれてありがとうルイズ・フランソワーズ、それにハクレイレイム」

 

 

白い純白のドレスに身を包んだ若き王女アンリエッタ・ド・トリステインは訪れた客人に感謝の意を述べた。

幼馴染であり、敬愛の対象であるアンリエッタにそのような言葉を言われ、ルイズはついつい緊張してしまう。

「いえ、姫殿下の命令とあらばこのヴァリエール。何処へでも馳せ参じます」

ルイズの言葉を聞いたアンリエッタは少しだけ表情を曇らせると彼女の傍へと近づき、その右手を手に取った。

日々手入れを欠かさない美しく繊細で白い指に自分の手を触られたルイズは、ギョッと目を丸くする。

「ルイズ。ここは私の寝室なのよ?マザリーニもいないしお付きの侍女もいない。子供のころのように、私に接して頂戴」

そう言ってアンリエッタはルイズに自身の笑顔――どこか懐かしい雰囲気が漂う笑みを見せた。

 

 

きっと思い出しているのだろう。身分も家柄も関係なく、毎日が楽しかった子供の頃の思い出を。

永遠に続くように見えて、余りにも短く儚すぎる時代の一ページを…

 

 

「姫さま…」

ルイズはそう呟き、その顔に浮かべた暖かい微笑みをアンリエッタへ見せた。

気づけば、生まれついての宿命から唯一逃げることのできた幼女時代へと戻ったかのように…二人は微笑んでいた。

 

 

「さすが、お姫さまというだけあって中々良いヤツじゃないか?」

「そうかしらねぇ?」

一方、そんな二人の外にいた霊夢と魔理沙はアンリエッタについて色々と話していた。

これで会うのが三度目となった霊夢は、アンリエッタに対して「王家らしくない王家の人間」という評価を下していた。

 

 

この国の頂点に君臨している人間らしいのだがどうも雰囲気的にはそんな風には見えず、かといって普通の少女にも見えない。

まるで高原に咲く一輪の白百合のように気高く綺麗なその容姿は、名家の貴族令嬢…というレベルでは例えられない高貴さがある。

しかし先程も述べた通り、王族であるにも関わらず千万の民と文武百官を束ねられるような威厳がちっとも感じられないのだ。

(きっと国の事とかもそこらへんに詳しい大臣たちがうまくやってくれてるんでしょうね)

霊夢はアンリエッタと今のトリステインのことなど全く知らなかったが、見事にその言葉は的中していた。

それが答えだと誰かが彼女に教えたら、頭を抱えつつ驚いていたに違いない。

 

 

(まぁでも、あの年頃で下手に威厳張ってたら馬鹿みたいに見えるしね)

手を取り合って二人仲良く笑いあうルイズとアンリエッタの姿を見て、心の中で呟いた。

きっとは二人はわずかな時間を使って思い出しているのだろう、純粋なる幼少期の頃を…。

 

その後、ルイズはアンリエッタに魔理沙の事を紹介した。

彼女と霊夢がハルケギニアとは違う幻想郷という異世界から来た事と、この話を他人に漏らさないで欲しい事もしっかりと告げた。

以前アルビオンへ赴いた際に、霊夢がこの世界には無い文字で書かれた本を読んだ所を学院長たちと一緒に見ていた所為か、彼女は幼馴染の話をすんなりと信じてしまった。

まさかこんなにも簡単に信じてくれるとは思わなかったルイズは何故信じてくれるのかとアンリエッタに思わず聞いてみると、彼女はこう答えてくれた。

「以前の本の事もありますけど、何より貴女達からは私の周りにいる人々とは全く違う雰囲気を感じますから」

その言葉に、ルイズは思わず同意してしまった。

一方、姫殿下の言葉に魔理沙はキョトンとしつつも笑みを浮かべたのだが、対照的に霊夢は胡散臭いものを見るような表情をアンリエッタに見せた。

 

 

アンリエッタは霊夢の表情を見ても不満気に顔を曇らせることなく、改めて魔理沙に挨拶をした。

「遠い所から遥々このトリステイン王国へようこそ。ささやかではありますが、歓迎いたしますわ」

アンリエッタがそう言って右手で魔理沙の左手をつかみ、握手をした。

「霧雨魔理沙、普通の魔法使いだぜ。今後ともよろしくな、お姫様!」

「え?…キャッ!」

王女からの挨拶に魔理沙は勢いよく返事をすると、握手をしている左手をブンブンと軽く振った。

本人は軽いスキンシップのつもりであったが、突然のことにアンリエッタは小さな悲鳴を上げてしまう。

無論そんな無礼を見逃すルイズではなく、すぐさま魔理沙に掴みかかった。

 

 

「こら!何してんのよアンタは!?」

「えっ、ちょ…おいおい、そんなに怒る事じゃないだろ?」

「あ…二人ともよしてください!私は大丈夫ですから」

鬼のような表情を浮かべて魔理沙に掴みかかるルイズ、突然の事に慌てる魔理沙。

そしてそれを止めようとするアンリエッタを含む三人の様子を外野から眺めつつ、霊夢は一人ため息をついた。

 

 

そんなやりとりの後、アンリエッタは侍女に紅茶と茶菓子などを用意させ、ルイズと話し合いを始めることとなった。

お茶が出ると聞いた霊夢は「まぁお茶が出るなら」と言ってとりあえずはルイズと一緒にいることにした。

魔理沙はというと「どんな話を聞けるのか少し興味がある」という理由で部屋に残っている。

色々と嫌な予想をしていたルイズは安堵しつつ、先程侍女が淹れてくれた紅茶をゆっくりと飲んでいく。

流石に王族の飲むお茶というものか、カップやポットはともかくとして使っている茶葉は高級品である。

霊夢と魔理沙のカップにも侍女が紅茶を淹れたが、アンリエッタは自分の手で紅茶を淹れていた。

「最近自分の手で淹れるのが楽しみになってきたのよ。好きな量を自分で調節できるしね」

(ポットの中に入った紅茶をカップに入れるだけじゃない…)

嬉しそうに喋りながらポットの中に入っている紅茶をカップに注ぐアンリエッタを見て、霊夢は心の中でそんな事を思った。

 

全員のカップに紅茶が淹れられ、アンリエッタは侍女を退室させると一呼吸置いて喋り始めた。

 

「ルイズ…戦火渦巻くアルビオンへと赴き、手紙を持って帰ってきた事は、改めて礼を言いますわ。

 貴女の活躍のお陰でゲルマニアとの同盟も無事締結される事でしょう」

 

「そのお言葉、この私めには恐縮過ぎるものですわ」

アンリエッタの口から出た感謝の言葉に、ルイズは席を立つと膝をつき、深々と礼をした。

トリステイン王国の貴族達にとって、王女直々に感謝されるということはこの上ない名誉なのである。

しかしそんなルイズを見てアンリエッタは何故か悲しそうな表情になり、首を横に振った。

「頭を上げて頂戴ルイズ・フランソワーズ?貴女と私の仲は単なる主君と従者じゃないのよ」

アンリエッタの言葉にルイズは顔を上げると彼女もまた悲しそうな表情をその顔に浮かべる。

「………わかりました。姫さま」

素直に聞き入れたルイズがスクッと立ち上がり再び席についたのを見て、アンリエッタの顔に笑みが浮かぶ。

ただその笑顔には陰がさしており、見るものを悲しくさせる笑顔であった。

 

「貴女は…後数ヶ月もすればこの国を離れることになる私にとって無二の友人なのよ」

もの悲しそうに言うアンリエッタを見て、もうすぐ彼女がゲルマニアへ嫁ぐ事になるのをルイズは思い出した。

ゲルマニアへ行ってしまえばこの先数年、下手すれば数十年間は会えなくなってしまう。

「…ゲルマニア皇帝との御婚約の決定、おめでとうございます」

それを想像したルイズもまた悲しい笑みを浮かべつつ、アンリエッタに祝いの言葉を述べた。

幼馴染みの彼女は、政治の道具として好きでもない皇帝と結婚するのだ。

同盟のためには仕方がないとはいえ。彼女の悲しそうな顔を見るのは耐えられなかった。

 

一方、黙々と紅茶と茶菓子を堪能していた魔理沙はルイズの口から出た゛結婚゛という言葉を耳にして目を丸くした。

魔理沙にとって゛結婚゛というのは、愛する大人の男女が挙げる儀式だと大人たちから教えられていたのだから。

そして二人の話からして゛結婚゛するであろうアンリエッタは、魔理沙の目から見ても成人には見えなかった。

「結婚て…あの年でか?」

嘘だろ?と言いたげな表情を浮かべつつ魔理沙は隣にいる霊夢に聞いてみた。

霊夢は肩をすくめつつも興味が無いという感じでその質問に答える。

「そうなんじゃないかしら?まぁ色々理由でもあるんでしょう…っと――――ムグムグ…」

そこまで言うと皿に並べられた小さめのチョコチップクッキーを一つ手に取り、口の中に放り込んだ。

チョコチップの程よい甘さとバターの風味が口の中に広がり、このクッキーを作ったパティシエの腕の良さを教えてくれる。

ある程度咀嚼した後飲み込み、紅茶を一口飲んだ後霊夢はポツリと感想を述べた。

 

「クッキーと紅茶も良いけど、やっぱり私は煎餅とお茶の方が良いわ」

「わざわざ食べといてそんな事を言うか…」

「食べれるものを出されて食べなかったら勿体ないじゃないの」

 

さてそんな二人のやりとりを余所に、アンリエッタとルイズもまた話し合っていた。

 

「今日のトリステインがあるのも、今や貴女のおかげ…

  だからこそルイズ…貴女には私の人生の門出を、特別な席で見ていて欲しいのよ」

 

アンリエッタは寂しそうに言いながら手元にあった鈴を手に取って軽く振った。

透き通った綺麗な音色が広大な寝室の中に響き渡り、その音は部屋の外にも広がっていった。

鈴を鳴らして数十秒後、一人の侍女が古めかしい本を携えて部屋に入ってきた。

侍女は持っていた本をアンリエッタの手元に置くと一礼し、退室した。

 

一体何の本かと視線を向けた魔理沙はそれを見て、薄い苦笑いを顔に浮かべた。

「なんというか…随分と酷い所に保管されてたっぽいな」

蒐集家である魔理沙がそう言うのも仕方ない程、その本は酷く汚れていた。

古びた革の装丁がなされた表紙はボロボロで、触っただけでも破れてしまいそうである。

色褪せた羊皮紙のページも色褪せて茶色くくすんでおり、かなり酷い状態であった。

どんな方法で保管をしたらこんなにボロボロになってしまうのか。それがこの本を見て魔理沙がまず最初に思ったことだ。

少なくとも紅魔館の図書館に置いてあるかなり古い年代の本でも、これ程酷くはないはずだ。

 

一方のルイズもまた侍女が持ってきた本へと視線を移して、目を丸くしてしまう。

「い、一体何なんですかこの本は…見た感じ大分ボロボロなのですが」

信愛する姫殿下の手元に置かれたソレを指さしつつ、ルイズは恐る恐る聞いてみた。

アンリエッタは全然大丈夫といわんばかりにその本を手に取りつつも、口を開く。

 

「これはトリステイン王家に代々伝わる゛始祖の祈祷書゛というものです」

その言葉を聞き、ルイズと魔理沙は同時にキョトンとした表情を浮かべた。

「これが、かの有名な王家の秘宝…」

「祈祷書…というより魔道書の類だな。この形だと」

二人がそれぞれ別の事を言い、それを耳に入れながらもアンリエッタは話を続けていく。

 

「実は王室の伝統で、王族の結婚式の際には貴族より選ばれし巫女を用意するのです。

  そして選ばれた巫女は、この『始祖の祈祷書』を手に詔を詠みあげる習わしがあります」

 

アンリエッタの説明に、ルイズは「は、はぁ」と気のない返事をする。

それを知っている程宮中の作法に詳しくない彼女にとっては、聞くことすべてが初耳であった。

魔理沙は若干興味があるのか興味津々と言わんばかりの表情を浮かべており、霊夢は紅茶を啜っている。

アンリエッタは手に持っていた祈祷書をテーブルに置いて一息つくと、ルイズに向けてこう言った。

 

 

「そして此度の婚約の儀で…ルイズ・フランソワーズ、あなたを巫女として指名いたします」

 

「――――――――え?」

アンリエッタの口から出たその言葉を聞いて、ルイズは目を丸くしてしまった。

まるで勝率ゼロの賭けに大勝してしまった時のように、信じられないと言いたげな雰囲気が伺える。

そしてルイズの傍にいる霊夢と魔理沙も、少し驚いた様な表情を浮かべた顔を、ルイズの方へと向けた。

「え…あの?私がですか…?」

「何かそうみたいね。あんまり話は聞いてなかったけど」

目を丸くしたルイズの言葉に、興味なさげな霊夢がさりげなく相槌をうった。

そしてアンリエッタもそれに続いて軽くうなずくと、テーブルの上で緊張して硬くなったルイズの右手を優しく掴んだ。

 

「先程も言ったように、あなたには私の門出を特別なところで見ていて欲しいのよ…ルイズ」

ルイズに向けてそんな言葉を告げた彼女の瞳には、幼馴染への期待と渇望の色が滲み出ている。

 

それは、友のいる故郷を離れる彼女の切実な願いなのだろう。

ルイズにとってその願いは叶えさせたいものであるが、自分では無理なのではと半ば諦めていた。

 

そう、詠みあげる詔を考える前から半ば諦めていた。

 

「わかりました…では、謹んで拝命いたします!」

しかし悲しきかな、ルイズはあまりにも実直すぎた。

幼馴染であり敬愛する姫殿下の瞳を見て断り切れず、結局は請け負ってしまった。

眩しすぎるほど目を輝かせ、自信に満ちあふれた表情を浮かべて…

 

 

「…で、近々行われるアンリエッタ姫殿下とゲルマニア皇帝の婚姻の儀で私が読み上げる事になってる詔を考えてるんだけどね…」

表情を曇らせて話し終えたルイズに、デルフは『へぇ~、こりゃまたタイヘンなことで…』と返して言葉を続ける。

『でも結婚式の詔だろ?そんなもん精々お二人の結婚おめでとうございます。末永くお幸せに…みたいなこと書いとけば良いんじゃねぇの?』

適当すぎるデルフのアドバイスに「バカ、そういうカンタンなモノなら苦労しないわよ」と言って説明を始めた。

 

「良い?畏れ多くも先王の子でありうら若きトリステイン王国の王女である姫様の一生一度の晴れ舞台なのよ。

 それはほかの結婚式よりも神聖でなくてはいけないの…普遍的な詔ではその式を盛り上げる事なんてできないじゃない!

  だからこそ…誰も書いたことのないような素晴らしく、姫様の門出を盛大に祝える詔を考える必要があるの!わかる!?」

 

最後辺りで熱が入ったルイズの説明に、デルフは何も言わずプルプルと刀身を震わせた。

おそらく笑っているのだろうが、それは嘲笑ではなくきっと感心して思わず笑ってしまったのだろうと、ルイズは思うことにした。

『まぁそれ程熱が入るんならすぐに書けるだろ。一応カタチだけの応援はしておくぜ』

「えぇ見てなさい、今に素晴らしい文章を書いて見せるわ」

笑い声の混じったデルフの言葉にルイズは元気を取り戻したのか、勢いよく羽ペンを手に取った。

 

ルイズは知らないだろう。詔を考えているのが彼女だけではないことに。

今頃宮中で、多くの文官たちが結婚式で読みあげる詔の草案を考えているだろう。

彼女はただ、用意された詔を一字一句正確に詠みあげる巫女としてアンリエッタ直々に指名されただけである。

それを言い忘れたアンリエッタに原因があるかもしれないが、言っていたとしてもルイズは詔を考えていただろう。

 

「さぁ書いてみせるわ!姫様の結婚を祝う最高の詔を!」

ヴァリエール家の末女は気合を入れた。

家族に、敬愛する王女に…そして、部屋にいる一本と本物の巫女と普通の魔法使いに気づかれることなく、ただ一人。

 

 

「何一人で叫んでるのか知らないけど、腹が減りすぎて言葉を掛けるのもめんどうだわ…」

「今日はちゃんとした味のする食べ物を口に入れるまで…なにもやる気がおこらないぜ…」

『青春ムード全開のピンク少女とブルーな異世界少女たち…ハッハッハッ!見てるだけでおもしれぇなコリャ!!』

窓を通して外へと散らばる三人と一本の声は、闇夜が広がっていく空へ向けて羽ばたいていった。

 

 

一方、場所は変わって首都トリスタニアのブルドンネ街。

昼はとても賑やかであったここも、夜になれば殆どの店が閉まり活気が無くなっていく。

貴族用のホテルなど一部の公共施設はまだ開いてはいるがこの前起こった殺人事件の所為か営業している所は少ない。

それとは逆に、繁華街のあるチクトンネ街の安い宿の方が活気づいていた。

 

ここでは夜間営業の酒場や定食屋が仕事帰りの客たちを迎えようと、開店を知らせる看板を店の前にこれでもかと出し始める。

一日の労働を終えた人々はそんな店を求めて繁華街へとなだれ込み、ますます賑やかさを増してゆく。

日が沈み、再び上る時間までこの賑やかな雰囲気は続くのである。

 

そんな街の雰囲気と空気を、とある食堂に設けられた屋上席から見下ろす一人の少年がいた。

眼下の灯りで輝く金髪にすらりと伸びた体を一目見ただけでは、男か女かわからない。

細長く色気を含んだ唇。睫毛は長く、ピンとたって瞼に影を落としている。

そして何より特徴的なのは、彼の両目の色であった。

 

右眼の色は透き通るような碧眼なのだが、左眼の色は鳶色。つまり、左右の眼の色が違うのだ。

虹彩の異常。他人に尋ねられた時、少年はそんな風に答えている。

 

「ふぅん、偶の旅行ってのはやっぱり体に良いものだね」

自分以外誰もいない屋上席でひとり透き通るような声で呟き、テーブルに置かれた飲み物の入ったグラスをに手を伸ばす。

小鹿の革の白い手袋に包まれた細い指でそれを手に取ると、ゆっくりと飲み始める。

ヒンヤリとしたグラスの中に入ったアップルサワーのすっきりした甘さと酸味を口内と舌で堪能し、一口分ほど飲んだところでそっとテーブルに置いた。

 

「……うん、やっぱりお酒は故郷のモノに限るね。どうも味がしつこい気がする」

少年はわずかな笑みを顔に浮かべて、胃の中に入ったアップルサワーの感想を誰に言うとでもなく述べた。

 

そんな時、「ここにいましたか」という声が耳に入り、少年はそちらの方へ顔を向ける。

振り向いた先にいたのは、屋上席の出入り口からこちらへ歩いてくる金髪の女性であった。

 

 

立派な麦のように光り輝く金髪をポニーテールにしており、歩くたびにシャランシャランと左右に軽く揺れる。

若草色のブラウスに薄黄色のロングスカートといったいかにも平民の女性…というよりも少女らしい服装で、足には立派な革靴を履いていた。

トリステイン魔法学院で働く給士たちに支給されるこの靴は大事にされているのか、近くから見ても傷ひとつついていない。

そして首にはネックレスのようにぶら下げた聖具が、街の灯りを浴びてキラキラと光り輝いていた。

 

少年は微笑みを浮かべ、こちらへ近づいてくる女性に声をかけた。

彼にとって彼女と出会うのは久しぶりで、彼女にとっても彼と出会うのは久々である。

「久しぶりだね。君と以前会ったのはシェル……シェ…何て名前だったけ?」

以前顔を合わせた町の名前を言おうとして言葉が詰まってしまった少年を見て、女性はクスリと笑って「シュルピスですよ」と優しく呟いた。

彼女の言葉で思い出しのか、少年はうれしそうな表情を浮かべた。

「そうそうそれだ!この国へ来てからもう二ヶ月近くたつけど、地名が中々難しくて苦労するんだよね」

「まぁ、良くそれで゛お仕事゛ができますわね。わたし驚きました」

自分より一つか二つ年上の人にそんな言葉を投げかけられ、少年は面目ないと言わんばかりに頭を掻いた。

笑いあう少年と少女にも見える女性。場所が場所なら青春の一ページとして心の中のアルバムに納まっていただろう。

 

ひとしきり笑いあった後、気を取り直すかのように女性が口を開く。

「相変わらず自分のペースを崩さないのですね。ジュリオ様は」

「いかなる時にも自分のペースを乱さなければ、どんな事も冷静に対処できるんだよ」

ジュリオ――女性にそう呼ばれた少年はそんな事を言いながら「さ、立ち話も何だし君も座ったらどうだい?」と女性に着席を促す。

彼の指差した先はテーブルの向かい側に置かれた椅子ではなく、自身が座っている椅子の方であった。

「え?…あ、あなたの隣…ですか?」

それを予想していなかったのか、ジュリオの言葉に目を丸くしてしまう。

 

「そうだよ。こういう時こそただのデートっていう感じにしないと後で怪しまれるだろう」

「は、はぁ…では、お言葉に甘えて」

ジュリオの言葉に彼女は困惑しつつも、彼の隣に腰を下ろした。

その瞬間、二人が座っている椅子から「ギシギシ…ギシギシ」という軋む音が聞こえてくる。

安い木材で作られたであろう長方形の長椅子が、未成年二人分の体重を受け止めて悲鳴を上げているのであろう。

その音を聞いた二人は顔を見合わせ、微妙な沈黙に耐え切れなかったジュリオが笑顔を浮かべて喋った。

「ははは!ヤバいよこの椅子。話しの途中で壊れたら良いムードが台無しになっちゃうな」

「そ、そうですね…」

相変わらずテンションの高いジュリオにどう接したら良いかわからず、彼女は無難な返事をする。

ジュリオはイマイチな女性の反応を見て笑うのをやめると一息ついた後、再度口を開いた。

 

「はは、じゃあ椅子が壊れる前に…゛質問゛に入るとするかな?」

「…!は、はい!」

人気のない屋上席に漂っていた女性とジュリオの間にある空気は、一瞬にして変わった。

ジュリオは笑顔を浮かべているままだが、女性の顔はキッと緊張感のあるものになる。

まるで裁判台に立たされ判決を言い渡されようとしている被告人のごとく、その表情は引き締まっていく。

 

「じゃあ最初の質問。゛トリステインの担い手゛と゛盾゛が消えた後に…何か変化は?」

「黒いトンガリ帽子を被った黒白服の金髪の少女とインテリジェンスソードが一本゛担い手゛の部屋に居つきました」

「トンガリ帽子の少女…?」

「はい、一見メイジのようにも見えますが杖は所持しておらず、自らを「普通の魔法使い」と自称しています」

「魔法使い…メイジじゃなくて…?あ、名前は…」

そんなことを聞かれた彼女は一呼吸おいて、質問の答えを告げた。

「マリサ。キリサメマリサです」

「キリサメ、マリサ…変わった名前だな」

ジュリオはひとり呟くと「ふふふ」と笑ってその顔に薄い笑みを浮かべた。

 

「もしかすると…彼女も゛盾゛と同じ場所から来たのかもね」

「常日頃゛盾゛と良く絡んでいたりするのでその可能性は高いと思われます」

「良し、゛トンガリ帽子゛という名前で彼女も調べてくれ。くれぐれも気取られないように」

「わかりました、ジュリオ様」

自分が信頼されているという思いを感じつつ、女性は頷いた。

 

「それと話は変わるが…ここ最近のトリステインはどうなっているんだい?」

今度は謎の会話から一転し、この国の方へと話が移った。

 

「ブルドンネ街ホテルでレコン・キスタの内通者が変死。事件の詳細を揉み消す動きがあったので恐らく国内の有力者が下手人でしょう。

 まだ有力な情報は掴めていませんが、水面下でガリアとトリステインの一部の貴族の間で何かしらの取引があったようです」

 

彼女の゛報告゛を聞き、ジュリオはやれやれと言いたげに肩をすくめた。

「何処の国も同じだねぇ、年寄り連中が若い連中の足を引っ張るってことは」

年寄りにはうんざりだよ。と最後に呟き何を思ったのか、ふと空を見上げた。

すでに日が沈んでから一時間、見上げた先は深い深い闇を映す夜空が世界を覆っていた。

街の灯りに多少埋もれてはいるが、夜空に浮かぶ無数の星たちが光り輝いている。

一生懸命に自分たちを主張する自然の光は、人口の光が支配する街の中で暮らす人々の目には映らない。

 

「年寄りたちは上空の光を…未来へと続く道を歩こうとせずかつての栄光にしがみつく―」

先程とは違い真剣な表情を浮かべたジュリオはそんな事を呟き、言葉を続けていく。

 

「過去の栄光は所詮過去に過ぎないというのにそれすら理解できず、逆に未来へと歩もうとする若者たちを道連れにする。

 どんなにすがったって意味がないと言えば、老いと死の恐怖に耐え切れず余計過去にすがる。

  僕たちは、それを突き飛ばしてでも歩まなくてはいけない―未来へ…無限の可能性と進化、そしてそこからくる未知の恐怖が待っている未来へと」

 

ジュリオは座っていた席から立ち上がると、ピッ!と左手の人差指で夜空を指差した。

手袋に包まれた指の先には、一際強く輝く星が浮かんでいる。

まるで希望を胸に生きる若者たちを象徴するかのごとく、それは激しくも神々しく輝いている。

 

「僕たちのような若い世代の人間は、手を取り合って未来を切り開かなくてはいけない。

 その為には四つの゛虚無゛の力と…誰にも縛られることのない゛博麗の巫女゛が必要なんだ」

 

―――そう、人々がまた…゛旅立つ゛為にも

 

その言葉を最後に、ジュリオは口を閉じた。

瞬間―――キラリ!と輝く流れ星が夜空を切って飛んで行く。

 

まるで、未来へ向かって一直線に飛んでいく隼のように、その流れ星はすぐに見えなくなった。



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第五十八話

四方を乳白色の壁に囲まれた広い部屋の中、一人の男が杖を片手に佇んでいた。

顔から判断すれば二十代後半くらいに見えるがそんな風に自分を見せないためか、立派な口髭を生やしている。

手にしている杖は軍の官給品であり、レイピアをモチーフにしたデザインは美しさと実用性の両面を兼ねていた。

平民が着るような薄い胴着を羽織ってはいるが、体から自然と滲み出る雰囲気は彼がただのメイジではないと周りに知らせている。

最も、この場には彼一人だけしかいないので大して意味はないのだが。

 

天井のフックに引っ掛けられたカンテラは微動だにせず、その真下にいる男を照らす。

頭上から降り注ぐ弱い光を浴びながらも、彼は明りが届かぬ前方の闇を見据えていた。

 

――奴を接近戦に持ち込むためには、距離を縮めなければいけない。

 

心の中でそうつぶやいた時、赤く小さな『光の球』が彼の頭上に三つほど現れた。

男の手のひら程もある長方形の赤い『光の球』は出現して五秒ほど空中で静止した後、『光弾』と化なって男に向けて飛んできた。

何の前触れもなくそれなりの速度で飛んできた『光弾』に対し、男はその場で跳躍する事によって回避する。

普通の人間がバッタのように跳躍する事はできないが、メイジならばレビテレーションやフライ、そして『風』系統の魔法をある程度扱えれば跳ぶことはできる。

男がその場から跳びあがったと同時に、彼の両足がついていた床に『光弾』が突き刺さり、三秒ほどして勢いよく爆ぜた。

床に着地した男の顔に爆発で吹き飛んだ木片が顔に当たるも、彼はそれを気にすることなく周囲の気配を探る。

 

―――近づいて一気にトドメとくるか、それともまだ距離をとって慎重に攻めてくるか…答えは?

 

瞬間、灯りの届かぬ暗闇の中から先程と同じ長方形の『光弾』が五つも飛んでくる。

男は再び跳躍して回避しようと試みるが、今度の『光弾』はどうあっても彼に直撃しなければ気が済まないらしい。

跳躍した男が立っていた場所を通過した『光弾』はそのまま直進することなく、大きなカーブを描いて男の方へと戻ってきたのだ。

『火』系統の魔法で同じような追尾機能を持つ『ファイア・ボール』のそれとは威力も凶悪さも桁が違う赤い゛光弾゛は、空中で無防備状態となった男の背中へと突っ込んでくる。

しかし男は焦ることなく軍に所属していた時に覚えた呪文の速読で『レビテーション』を唱え、自身の体を上昇させた。

今いた場所から更に高いところへと飛び上がった直後、音を立てずに五つの赤い『光弾』がスゴイ速さで通り過ぎていく。

男を二度、仕留め損ねた゛光弾゛は今度こそと言わんばかりに再びカーブを掛けようとしたが、三度目を許すほど彼は寛容ではなかった。

 

―――゛ラナ・デル・ウィンデ゛

 

男が脳内で呪文を唱えると、こちらに向かってこようとする゛光弾゛へ風で出来た鎚が振り下ろされる。

俗に゛エア・ハンマー゛と呼ばれた呪文はその威力をもって五つの゛光弾゛を纏めて風で押しつぶし、爆発させた。

赤い光をばら撒いて爆散したそれを空中で浮かびながら見ていた時、頭上からかなりの速さで迫ってくる気配を感じた。

忘れもしない。あと一歩というところで邪魔に入り、自分に敗北の味を教えてくれた彼女の気配を―――確かに感じ取ったのである。

 

―――なるほど、頭上か!

 

心の中で叫んだ直後、今度は白く大きな菱形の゛光弾゛が二つ空中にいる彼へ目がけて降ってきた。

速度自体は先程の赤い゛光弾゛ほどではない。その代わりなのか赤い゛光弾゛よりも大きく、中々の迫力があった。

クルクルと風車のように回りながらゆっくりと自分に目がけて落ちてくるその光景は、いいさか不気味である。

しかし男はそれに惑わされず、冷静な判断でもってスッと後ろに下がる。

一メイル程下がったところで菱形の゛光弾゛が男のいたところを通過し、そのまま地面へと落ちて行った。

だがそれを見届けるよりも先に―――――――相手は剣を片手に仕掛けてきた。

 

―――――このまま仕掛けるつもりか?

 

すぐさま迎撃態勢を取りつつも、男は向かってくる少女の姿をハッキリと捉えていた。

明りが天井のカンテラただ一つだけという暗い闇の中で艶やかに光る黒のロングヘアーと、頭に付けている白いフリルのついた赤リボン。

リボンと同じ色の服やそれと別途になった白い袖、セミロングの赤いスカートと首に巻いた黄色いスカーフ。

そして左手に納まっている三つの赤い゛光弾゛と右手に握られた剣まで、ハッキリと男の眼は捉えている。

しかし…容姿だけを一目見ればすぐさま異国の者だと想像できる彼女の顔だけは、黒い靄のようなモノが掛かっていて良く見えない。

その理由は良くわからないが、男はそれに興味はなかったし調べる気も無かった。

 

だがこの時、男は思っていた。「ようやくこちらに近づいてきた」と。

 

――面白い…その勝負、受けてやろう!

 

彼はこちらに向かって急降下してくる紅白の少女に向けてそう叫ぶと、自身が持つレイピア型の杖に『ブレイド』の呪文を掛けた。

騎士が良く使う、杖に魔力を絡ませて刃とする魔法であり、得意な系統ごとにその色と威力が大きく違ってくる。

『風』系統の使い手である彼の『ブレイド』は強く緑色に輝き、彼の上半身と短くも立派な顎髭を照らし出す。

その間にも紅白の少女は、右手に持った剣を大きく振り上げてこちらに突っ込んでくる。

男はそれに対し突撃するようなことはせず、菱形の゛光弾゛を避けた時と同じく横に素早く移動して回避した。

あと一歩というところで回避された少女の斬撃は空気を切り裂き、そのまま地面に向かって直進していく。

 

―――良し!もらっ…何?

 

こちらに無防備な背中をさらけ出した相手に笑顔を浮かべた男は、そのまま接近して斬りつけようと思ったが、少女の対応はあまりにも早すぎた。

地面まであと三メイルというところで、少女は赤いリボンとスカートを大きくはためかせて空中で一回転し、頭上にいる男へと体を向けたのである。

時間にして僅か三秒。そうたった三秒で再び攻撃の態勢を整えた少女の身軽さに、男はアルビオンのニューカッスル城で感じた戦慄を思い出す。

あの時もそうだった。全てが順調だったというのにあり得ないところで状況を覆された挙句、反撃できぬまま無様な姿を晒した。

こちらに体を向けて態勢を整えた少女は、男が軽く驚いている間に左手に持った三つの゛光弾゛を勢いよく飛ばしてきた。

先程と同じく中々の速度突っ込んでくるそれに気づいた時、男は回避ではなく゛光弾゛を撃破することを選んだ。

 

―――えぇい!始祖の御加護を!

 

彼は心の中で半ば自暴自棄な気分で始祖ブリミルに祈りながらも、迫りくる゛光弾゛を『ブレイド』の掛かった杖で勢いよく切り払う。

魔法に刃によって緑色に光る杖は音を上げることはなかったが、近づいてきた三つの゛光弾゛を見事に切断することは出来た。

長方形から不格好な四角形になり、数も六つに増えた光弾は斬られた場所でその動きを止め、そのまま赤い霧となって散ってゆく。

だが、直撃しかけた゛光弾゛を切り払った彼にとってそんな事は過ぎた事で、どうでも良い事であった。

 

何故なら…霧散していく赤い霧の中から、剣を振り上げた紅白服の少女が飛び出してきたのだから。

 

――――何…だと…!?

今度は回避も迎撃する暇もなく、男はただただ驚愕するしかなかった。

紅白の服をはためかせ、血を求めて鈍く光る刃先が迫ってくるなか…男は見た。

少女の顔を覆う黒靄の隙間から見える赤い瞳と、青白く発光する左手の甲に刻まれた―――使い魔のルーンを。

 

 

「まだだっ!まだ、俺は…」

 

今まで閉じていた口を開き、心の底から叫んだ瞬間。

少女の放った一振りは強力な一撃となって、男の胴体を易々と両断した。

 

 

体中にまとわりつく汗による不快感で、ワルドは暗い寝室に置かれたベッドの上で目を覚ました。

だいぶ見慣れてきた新しい天井が目に入るよりも先に、彼は上半身だけを勢いよく起こす。

ただただ不快な汗に濡れた体と、得体の知れない息苦しさに苦しみつつも、ワルドは唯一自由である両目だけを左右上下に動かす。

明りひとつない暗い部屋の中で彼は壁のフックに掛けられた黒いマントを見つけ、ついでテーブルの上に畳まれたトリステイン魔法衛士隊の制服と自分の杖が目に入る。

悪夢から目覚めてから数十秒ほど経ってから、今自分のいる場所がハヴィランド宮殿の中にある一等客室なのだということを再確認した。

 

あれは夢だったのか。そう呟こうとしたが思うように声が出ない。

恐らくうなされていた時からずっと口を開けていたのか、口の中が異様なほど乾いているのに気が付く。

次いで、喉をジワジワと炙るかのような痛みが襲い、ワルドは堪らずベッドのそばに置かれた水差しへと急いで手を伸ばした。

蓋を兼ねて飲み口の上に被せられていたコップを手に取るとそのままベッドの上に放り投げ、中に入っていた冷水を勢いよく口の中に流し込む。

ゴクッゴクッと勢いのある音と共に冷水は乾ききった彼の喉を通過し、潤いを与えて胃袋へと入っていく。

乾ききっていた喉が元に戻っていくのを感じながら、ワルドはアルビオンの水が与えてくれる祝福を心行くまで堪能した。

 

 

中身をすべて飲み干したワルドはホッと一息つき、ふと空になった容器を見つめた。

底にわずかな水が残っている容器は未だ冷気が残り、彼の右手から温度を奪っていく。

 

「夢…夢の中でも負けてしまうのか…」

手に持った空の水差しを持ちながら、ワルドはポツリと呟いた。

時折、思い出すかのように彼があの夢を見始めたのはそう、゛あの日゛起こった゛ある出来事゛が原因であった。

 

 

゛あの日゛―――それは、彼が今いる国『神聖アルビオン共和国』が旧き王権を打ち滅ぼした日。

全てが順調に進んでいた筈だった。あと一歩で、自分に与えられた任務を完遂できると彼は信じていた。

しかし苦労の末に積み重ねていった涙ぐましい努力という名の塔は、たった一人の少女によって蹴り倒され…呆気なく瓦解した。

 

『努力を積み重ねる事は至難の業だが、それを崩す時はあまりにも容易い』

 

かつて何処かで耳にした言葉の通り、勝者になりかけていたワルドは一瞬にして敗者となった。

任務を完遂する為の過程で右胸を刺して排除した少女は剣を片手に不死鳥のごとく蘇り、驚くべき速さで自分の分身ともいえる遍在を裂いていく。

もしもその時の様子を例えるのならば…そう、一本の゛剣゛が人の形を成して襲いかかってきたようだった。

迷いが一切見えない太刀筋と目にもとまらぬ素早さ、そして遍在達をいとも簡単に切り裂くその姿を目にすれば誰もがそう思うだろう。

目の前の光景に驚いている間に遍在は全て倒され、気づかぬうちに形勢は逆転していた。

そして彼は、目の前で起こった事に対して有り得ないと叫んだ。

 

―――馬鹿なっ!何故生きてるっ!?何故…

 

咄嗟に口から出たワルドの言葉に、少女――博麗霊夢は鬱陶しそうな口調でこう答えた。

 

『うっさいわね。起きたばっかりの私の耳に気に障る声を入れないで欲しいわ』

 

機嫌の悪さが露骨に見えるそんな言葉と、突然の襲いかかってきた強い衝撃を胸に受けてワルドは敗れた。

こちらの過去や事情など一切知らない、二十年も生きていないような少女の理不尽さをその身に感じながら。

 

 

「クソっ…あいつさえ。あいつさえ蘇らなければ俺は…」

回想の中で霊夢の嫌悪感漂う表情と自身の胸に受けた屈辱、そして仕留め損ねた゛元゛許嫁のルイズを思い出し、ワルドは頭を抱えた。

あの後、ワルドは無事に助けられた。胸に直撃したであろう少女の攻撃は強力であったが、不思議な事に傷跡どころか少し大きめの痣で済んだ。

幸い痣の方もクロムウェルのお墨付きで出してくれた水の秘薬で綺麗に無くなったが、それでも彼の胸には今もなお゛跡゛が残っている。

それは不可視の傷。他人には一切理解できない、心の中に未だ存在する屈辱と後悔、それに怒りが加わって傷の治癒を妨げていた。

 

何故あの時、もっと速くにルイズを殺さなかった?何故殺した筈の霊夢が蘇った?

 

彼は自らの傲慢と余裕が生んだ過ちと、自分を敗北に追いやった霊夢への殺意が頭の中をグルグルと流れている。

それは一見緩やかな流れの河に見えるが、一度荒れれば数万のも人々の命を攫っていく死神の河であった。

今の状態の彼を挑発すれば、例え始祖ブリミルであっても彼が放つライトニング・クラウドによって真っ黒焦げの焼死体に変わるだろう。

それ程までに彼は二人の少女に対して異様なまでの殺意を抱くと同時に、そんな自分に苛立っていた。

 

 

「クソ…『閃光』のワルドが…あんな子供に殺意を持つなんて…情けないにも程がある!」

そう言って彼は手に持っていた容器を思いっきり放り投げた。

数秒遅れて、一等客室に相応しい造りの壁にぶつかった容器が音を立てて割れ、ガラスの破片が飛び散った。

窓を通して入ってくる双月の光を浴びてキラキラと輝くガラスの破片は、まるで今のワルドの、自分の情けなさに涙する彼の心を表しているかのようであった。

 

 

 

今日も今日とて平和な魔法学院の休日。

その日、ギーシュ・ド・グラモンは一人食堂にある休憩場のソファーに腰かけ、ボーっと天井を見つめていた。

遥か頭上にある天井には日の光が届いていない所為か薄暗く、その全貌を彼に見せようとはしない。

まるで雨雲のように暗いそれを見続けていたら、不思議とギーシュは得体の知れない憂鬱を覚えた。

「光の届かぬ暗部の先には幸があるのかな?…それとも、破滅?」

何処か哲学めいていてそうでない彼の独り言は、人気のない食堂の中に広がり消えていった。

今の時間帯、食堂には奥の厨房にいるコック長や調理担当の者たちを残して、他の給士やコックたちは使用人宿舎に戻って休憩をとる。

なので今はギーシュだけがポツンと、人を寄せ付けぬ平原に咲く一輪のバラのように、その存在をアピールしていた。

 

しかし、なぜ彼が食堂にいるのかというと別にお腹が空いるからというワケではない。大事な人との待ち合わせをしているからだった。

その人は女子生徒で、ギーシュがこれまで口説いてきた女の子たちの中でも一際輝き、彼にとって特別な存在であった。

ギーシュがいつもの悪癖で他の女の子と一緒にいても、怒ったり暴力を振るったりするが別れるようなことはない。

ある時は別れを告げられたこともあるのだが、自然とよりを戻していつもの様にツンと澄ましながらも優しく接してくれた。

 

それは例えれば゛赤い糸に結ばれたカップル゛ではなく゛磁石の如きカップル゛と誰もが答えるだろう。

例えどんなに離れていても、どんなに嫌だったとしても最終的にはお互いがくっつくしか道は残っていないのだから。

しかしギーシュにそれを問えば必ず「美しき薔薇に囲まれた幸せなカップルさ」という、彼のナルシスト精神がこれでもかと滲み出た答えがでるだろう。

 

それほどまでにギーシュは彼女を…『香水』の二つ名を持つモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシを愛している。

今日はそんな彼女と一緒に休日のトリスタニアでデートをする予定だったのだが、少しだけ問題が発生していた。

朝食を食べ終え一時間ほど自室で休んでからすぐに馬で学院を出るはずだったのだが、肝心のモンモランシーが部屋で香水を作っていたのだ。

 

「ごめんギーシュ、一時間もあるから新作の香水を試しに作ってて…ちよっと食堂で待っててくれない?すぐに行くから」

実際にその様子は見ていないものの、ノックしてすぐに帰ってきた返事とドアの向こうから微かに匂って来た花や薬品系の臭いですぐにわかった。

普通の男なら怒るだろうが、彼女の事を一番知っていると自負するギーシュはドア越しに笑顔を浮かべて了承し、その場を後にして今に至る。

 

二つ名の通り、モンモランシーは香水に関する知識と技術は学院一であり、それはギーシュだけではなくほかの生徒たちも知っている事だろう。

様々な植物や果物の匂いを均等に混ぜて作り上げる彼女の香水は街でも大人気で、時折大量に作った香水を街で売っていることもある。

ギーシュにとってそんな彼女はとても誇らしく、素晴らしい恋人゛たち゛の中でもひときわ輝く存在であった。

 

そして、そんな彼女と街に出かけられる自分はなんと美しい男か。とひとり自惚れしていると、食堂の外から二つの声が聞こえてきた。

ギーシュが今座っているソファのすぐ後ろにある窓を通して伝わってくるその声は、正に青春真っ只中と言える女の子の声である。

最初は誰の声なのかわからなかったが暇つぶしにと思い後ろを振り返ってみると、そこには見覚えのある少女が二人、ここから少し離れたところで何かを話していた。

同級生で『ゼロ』の二つ名を持つ事で有名なルイズが召喚した博麗霊夢と、彼女と一緒にルイズの部屋へ居候している霧雨魔理沙であった。

 

 

「街に行くからついでに誘おうと思ったけど、まさかシエスタも街に出かけたなんて…とんだ無駄足になったわね」

「私はともかく、お前の場合は無駄足というより無駄飛行じゃないか?」

紅白と黒白というハッキリと目に映る二つの少女は話に夢中なのか、窓から覗くギーシュに気づいていない。

シエスタという、何処かで聞いた覚えのあるような無いような名前に首をかしげつつ、興味本位と暇つぶしでギーシュは話を聞いてみることにした。

これは盗み聞きなどという邪な事ではない、偶々耳に入ってきただけだから聞いてみるだけさ。と心の中で思いながら。

 

 

「しっかしあれだな。急に暑くなってきたよな…こう、私たちがこの世界へ来るのを見計らったかのように」

魔理沙は遥か上空にある太陽を横目に、右手をうちわのようにして顔を仰ぎながら呟く。

「本当ね。もし幻想郷でもこんなに暑くなったら、境内の掃除をしてる途中に日射病にでもなっちゃうじゃない」

それに対して霊夢は腕を組み、まるで親の仇と言わんばかりに太陽をジッと睨みつけた。

「もしかしたら月が二つあるせいで、意地を張った太陽が無駄に頑張ってるのかもな」

魔理沙の口から出たトンデモ仮説に、霊夢はやれやれと言わんばかりに首を横に振る。

「そうだとしたら、私たち人間がいい迷惑を被ってるってワケね。全くイヤになるわ」

「同感だ。お互い張り合うのなら、私たち人間様が被害の被らないところでやって欲しいものだぜ」

二人は燦々と大地を照らす太陽を睨みながら、そんな事を話し合っている。

無論彼女らの後ろには食堂の窓からのぞくギーシュがおり、太陽と月の話もバッチリ聞いていた。

 

(何だ、ゲンソーキョーとかケイダイ…聞いたことのない単語だ。それに゛この世界゛って…)

そして霊夢たちの口から出た謎の単語を耳に入れ、目を丸くしつつも覗き見を続けることにした。

二人の話をこのまま聞けば、他人が知らない゛何か゛を知れそうな気がしたから。

 

「それにしても、こんな天気の良くて暑い日に街へ出かけるなんて…曇った日にでも行けばいいのに」

「お前の場合、もしも急須や湯飲みが壊れたりしたら雲の日、雨の日、雷の日、雪の日、吹雪の日、槍の日、弾幕の日でも人里に買いに行くな。これだけは何か賭けてもいいぜ」

自身の満々な魔理沙とは一方的にドライな霊夢は、イヤそんな事は無いと言わんばかりにヒラヒラと手を動かしながらも言葉を返そうとした。

「お生憎さま。私なら急須を捨てざるを得ないようなヘマは――――…したわね」

しかし、言い終える前に先週の出来事を思い出した彼女は最後のところで言葉を変え、恥ずかしそうに右手で自分の後頭部を掻いた。

魔理沙はそんな霊夢を見て軽く笑ったが、その顔には若干の苦味が混じっている。

 

「まぁ…あの時の事は忘れようぜ?もう一週間も前の事だし」

「その一週間前のヘマで暑い街に繰り出す羽目になったのは…元はといえばアンタの所為じゃないの?」

「?…どういうことだ?」

「だってホラ。アンタとルイズが森でタバサと出会わなかったら、あんなお茶と呼べないような呪物もどきを受け取らずに済んだかもしれないし」

「じゃあ言うが、もしあの時タバサと出会ってなかったらお前の命がどうなってたかわからないぜ?」

別に脅してるワケじゃないぞ。と最後に付け加えながら魔理沙がそう言うと。口を閉じた霊夢は目を瞑り、盛大なため息をついた。

 

「じゃあ結局は、アレに対する知識が無かった私が悪いワケねよ?」

気怠さと嫌悪感が混じった雰囲気を体から放つ霊夢の肩を、魔理沙が軽くたたいた。

「まぁ、それに関しては私も共犯だぜ?」

だから気にするなって。と最後にそう言って、魔理沙は笑顔を浮かべた。

その笑顔は夏の海のごとく爽快で、とても涼しげな気配を放つものだった。

 

やけにポジティヴな黒白の魔法使いに対し、紅白の巫女は沼のようなジト目で睨みつけ、文句を言った。

「アンタと共犯ですって…?私はアンタみたいな泥棒はしないわよ」

「何度も言うがあれは一応゛借りてる゛だけだぜ。死ぬまでな?」

最後の言葉を魔理沙が締めくくり、二人はそさくさとその場を後にする。

食堂の窓からジッと二人を眺めていた男子生徒の視線に気が付かぬまま。

 

離れてはいたが、バッチリと二人の話を聞いていたギーシュは遠ざかっていく霊夢と魔理沙の背中を見つめていた。

話の内容から察するに、おそらく二人は街へ出かけるのだろう。それは違いない。

しかしそれよりも彼が気になっているのは、二人の会話の節々から出た謎の単語と言葉であった。

ゲンソーキョー、ケイダイ。…そして゛この世界へ来る゛という魔理沙の妙な言い方。

謎の単語はともかくとして、魔理沙の言葉に、ギーシュは何か秘密があるのではないかと思った。

もしかすると…キリサメマリサという、この学院では゛以前にルイズを助けた恩人゛という事以外謎が多すぎる少女の真実がわかるかもしれない。

 

魔理沙はここへ来て以来、多くの生徒たちに色々な事を聞かれたのだが、持ち前の達者な口ぶりで今まではぐらかしてきた。

無論ギーシュもその一人であり、今まで彼女に関しては「どこか男気のある勇敢で活発な美少女」という感じで見ていたが、今になってそれが変わった。

 

―――こう、私たちがこの世界へ来るのを見計らったかのように

 

―――――――私たちがこの世界へ来るのを見計らったかのように

 

 

       『この世界へ来るのを見計らったかのように』

 

              『 こ の 世 界 』

 

頭の中で彼女の言葉が反芻し、ギーシュの脳内を満たしていく。

そこから導き出される答えは、決して普遍的な人生を歩んできた人間には理解できない答え。

惜しむべくは彼、ギーシュ・ド・グラモンもその普遍的な人生を歩んできた人間の一人に過ぎないという事だ。

多数である彼らの唱える゛常識的な思考゛が少数に支持される゛非常識な答え゛を否定し、全く見当はずれな回答を探そうとする。

 

「キリサメ…マリサ、k―――――ッ…イィッ!?」

彼女は、一体…。と言おうとした瞬間―――――何者かが彼の後頭部を掴んできた。

 

「ォ、オオゥ…!…ウグ!?」

鷲掴み、というものでは比喩できない程の握力で掴まれた彼の頭から、メキメキと縁起でも無さそうな音が聞こえてくる。

一体誰なのかと問いただそうとしても、あまりにも頭が痛すぎて声を出す暇もない。

まだ両足が地面についている分マシだが、このままでは宙吊りにされる可能性も考慮しなければならないだろう。

最も、今の彼にそこまで考えることができるのかどうかは定かではないが。

そうこうしている内に掴まれてから三十秒ほどたった時、後ろから声が聞こえてきた。

 

「へぇ~、やっぱり学院中の女の子に声かけてる男は違うわねぇ」

 

その声は、痛みに苦しむギーシュに――否、ギーシュだからこそ鮮明に聞こえたのである。

いつも何があっても傍にいてくれて、離れていても気づいたら戻ってきてくれる…金髪ロールの素敵な子。

 

「学院の子や゛私゛には飽きたから。次は『ゼロ』の使い魔と得体の知れない居候を試し食いしようってワケね」

 

プライドは高いがそこが素敵で笑顔も気品があり、貴族の女の子として非常に理想的な彼女。

キュルケのように大き過ぎず、かといってルイズやタバサのように小さ過ぎもしない、安定した体のバランス。

趣味で作る香水やポーションは、彼女が得意とする『水』系統の魔法と彼女自身の知識と才能によって生まれた一種の芸術。

これだけだと非の打ちどころのない素敵貴族子女なのだが、彼女には一つだけ欠点があった。

 

それは恋する女の子なら誰もが持っているであろう、『嫉妬』の感情。

気になる相手が他の女の子へと目が向いた時、それが爆発して小さな暴力を引き起こすことがある。

問題はたったの一つ。今ギーシュの頭を掴む彼女の暴力が手でも足でもなく―――文字通りの「水責め」だということだ。

 

「うん…うん決めたわ!今日は街で貴方とお買い物する筈だったけど。予定を変える事にするわ♪」

最後にそう言って、満面の笑みを浮かべた少女――モンモランシーは杖を取り出した。

まるで盛りの付いた野良犬の如く、色んな子に色目を使うダメな彼氏もどきを…これから作る水の柱へと埋め込むために。



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第五十九話

その日はせっかくの休日でありながら、トリスタニアは暑かった。

まるで街に漂う全ての空気が熱を持ったかのように、初夏の熱気が街中に充満している。

更に、貴族や平民など大勢の人々が各所にある狭い通りを行き交う所為で、時間が経つごとに街全体の気温はどんどん上がってゆく。

今日の最高気温もそこに関係してくるのだがそれは三割の内ほんの一割程度で、残り二割に人が関係している。

更に熱気は地上だけにとどまらず、白い雲が浮かぶ青空へと上昇して屋上で涼もうと考えていた者たちにもその牙を容赦なく突き立てる。

結果、トリスタニアという街そのものが巨大な共用サウナへと変貌していた。

大勢の人が集まる場所というものは、良い事も悪い事も同時に生まれてくるのだ。

人々は熱気漂う街の中で、もうすぐ厳しい夏がやってくるのだと改めて実感した。

だからだろうか、まだお昼にもなってない時間帯の中、街の各所に設けられた噴水広場や井戸に大勢の人々が足を運んでいた。

ある者は自宅の桶や空き瓶を持ってきて井戸の水を汲み、またある者は豪快に頭から水を被って涼しんでいる。

広大な土地と未開の森を開拓し、偉大なる文明を広げていった人々の象徴たる人口のオアシスは、今まさにその役割を全うしていた。

 

しかし、彼らは知らないだろう。

自分たちのすぐ傍に、『貴族とその従者』だけが快適に涼める『店』があるという事を…

そして、その場所には異世界から来た二人の少女と彼女たちを呼び寄せてしまったメイジがいるという事も。

 

 

「外は暑いわね」

目にもとまらぬ速さで脳裏を過った言葉を、霊夢はポツリと呟いた。

「あぁ。暑いな。確実に」

それに答えろ。とは言わなかったが律儀にも魔理沙は答える。

まるで心の底から゛暑い゛という存在にうんざりしているかのような口調で二人は゛暑い゛をという言葉を口から出したが、その割には涼しそうな表情を浮かべている。

それどころか、平民や年金暮らしの下級貴族達が座った事の無いような高級ソファーに腰を下ろしていた。

もしもここが熱気あふれる大通りなら、このソファーは座った者の尻を蒸し焼きにする拷問゛器具゛ならぬ拷問゛家具゛に変わっていただろう。

しかし、そんなソファーにゆったりと腰を下ろしている二人とその顔を見れば、ここが外よりも気温がずっと低いという事を文字通り゛肌゛で実感できる。

 

この部屋には今゛風゛と゛水゛の魔法で作られたマジック・アイテムによって、寒くならない程度の冷気が天井を中心にして部屋中に漂っている。

そのマジック・アイテムは一度起動させると周りの空気を冷たくするのだが範囲こそ小さく扱いも難しいうえ、オマケに一個当たりの値段もそこそこ高い。

使えれば便利なのだがその反面、使いこなせなければ正に『宝の持ち腐れ』と言える代物だ。

しかし、ある程度腕の立つメイジがいればコントロールは意外と容易で、王宮や魔法学院などの一部施設では夏に欠かせぬマジック・アイテムとして使用されている。

今ルイズたちが訪れた店もそんな場所の一つであり、二人は天井からの冷気にありがたさを感じていた。

 

「…それにしても、涼しい部屋ってのは良いものだな」

「まぁ、外が結構暑くなってるから尚更よね」

魔理沙とそんな会話をしながらも、霊夢は人々が行き交う通りを窓越しに見つめている。

そこから見える人々は四方から襲う熱気に汗を流しつつ、忙しそうに通りを歩く。

時折他人同士が肩をぶつけてもどちらかが謝る事は無く何事もなかったかのように歩き去っていく。

暑いのにも関わらず外で露天商が声を張り上げているのか、窓を伝わって通りの喧騒がボソボソと聞こえてくる。

゛幻想的゛な幻想郷の人里では見れそうにない゛近代的゛なブルドンネ街の通りは、゛幻想的゛住人である二人にとっては目新しいものだった。

 

「しかしアレだな、こんな涼しい所にいるとホント外が暑そうに見えるんだな」

魔理沙の言葉に霊夢はただ頷きながら、ルイズがこの『店』を選んだことには感心していた。

 

 

二人が今いる場所、それはブルドンネ街の通りに店を構える所謂『貴族専用家具専門店』と呼ばれる店の中にある休憩室であった。

以前タバサが持ってきたハシバミ茶が原因でティーポットを捨てることになったルイズは新しいのを買うために、霊夢と魔理沙を伴ってここを訪れたのである。

 

「今日は折角の休日だし、街へ行ってこの前捨てたティーポットを買い替えに行くわよ」

朝食が終わった後、ルイズはそう言って部屋で寛いでいた霊夢達を指差した。

突然の事に二人は目を丸くしたが、デルフは思い出したかのように刀身をカタカタと音を立てて震わせた始めた。

『へへ、そういえばこの前レイムの奴が実験して使い物にならなくなっ…―――』

 

ガチャッ!

 

カタカタと刀身を震わせながらこの前の「ハプニング」を語ろうとしたデルフは、霊夢の手によって無理やり鞘に納められて黙らされた。

「あんた、私のこと馬鹿にしてるんなら次は砕いてやるからね?」

霊夢の言葉に対し何か言いたげそうに刀身を震わせるが、以前ルイズがしたようにその場にあった縄でデルフをぐるぐるに縛り上げる。

そうするとただただ震える事しかできなくなったインテリジェンスソードを、クローゼットを開けて勢いよく中に放り込んだ。

そしてガタガタと大きく震えるデルフを中に入れたままクローゼットをパタンと閉めたところで、霊夢はフゥーと一息ついた。

 

あのハシバミ茶の騒動からちょうど一週間…。

デルフが思い出したかのようにあの時の事を蒸し返そうとするたびに霊夢に縛られ、クローゼットに閉じ込められていた。

大体一日に平均二回くらいは二時間ほど閉じ込められ、デルフもそれ自体を楽しんでいる様な感じがあった。

 

こちらに背を向けて一息ついている霊夢を見つめていた魔理沙は、ふとルイズに声を掛けられた。

「マリサ、アンタは今日どうなのよ?」

「う~ん、そうだな~…特にこれといってしたいって事はないしなぁ…まあ、今日はお前に付き合う事にするぜ」

そう言って魔理沙はルイズのとの外出をすんなりと了承したのだが霊夢は…

「今日は一段と増して暑いから遠慮しておくわ」と言ってそっけなく断った。

 

いつもならここで「じゃあデルフと一緒に留守番よろしくね」と言ってルイズは魔理沙と一緒に部屋を出るのだが…その日は違った。

何故かルイズがしつこく食い下がり「お日様に当たらないと頭からモヤシが生えてくるわよ」とか変な脅しを霊夢に掛けたのである。

いつもとは違うパターンに目を丸くしつつも「それなら全部引っこ抜いてモヤシ炒めにして食べるわ」と霊夢はクールに返した。

しかし、それでも餌に食いついた魚のようにしつこく「一緒に来なさい」と言い寄ってくるルイズに、霊夢は怪訝な表情を浮かべながらもついに降参した。

「あ~…もぉ、うっさいわね~!じゃあ行けばいいんでしょう行けば?」

元からルイズと言い争うつもりは無いし、その日は何をするかまだ決めてもいなかった。

 

 

「全く!行くって言うのなら最初からそう言いなさいよね!余計な時間をくっちゃったじゃないの」

ルイズは不機嫌そうに言って出かける準備を始めたので、他の二人も準備を始める。

といってもルイズとは違い霊夢は単に身なりを整え、魔理沙は箒を持つだけなので大した事はしていない。

(一体今日はどうしたっていうのよ。こんなにも暑いから頭がどうかしちゃったのかしら)

霊夢はいつもと何処か違うルイズに対して心の中でそんな事を思いつつ身なりを整え終わると鞄を開けた。

そして着替えであるいつもの巫女服と寝間着と一緒に入れられているお札と針が入った小さな包みを一つ手に取ると、それを懐に入れた。

最後にパンパンと懐をたたいた後、同じく鞄の中にしまっていたスペルカードを三枚ほど手に取った。

ここへ来てから殆ど使っていないスペルカードを見て、霊夢は何処か懐かしさを感じた。

どうせ街に行くだけなんだけどね…。心の中で呟きつつももしもの事を考えて、お札や針と同じように懐へとしまった。

 

 

その後、魔理沙の提案でシエスタも連れて行こうという事になったが(彼女曰く「この前、クローゼットから助けてくれたお礼」)生憎彼女の方も街へ行っていて不在だった。

まぁシエスタの件はまた今度という事で三人もそれぞれ別の方法(ルイズは馬で魔理沙は箒、そして霊夢は空を飛んだ)で街をへ向かい、そしてこの店へと足を運んだのである。

店に入ったルイズはそのまま奥へと通され、魔理沙と霊夢は従者として扱われこの休憩室で待っていた。

きっと今頃、ルイズは店の奥でカタログと展示品相手に睨めっこをしつつ、自分の部屋に迎え入れるティーセットを探しているところだろう。

しかし何故霊夢と魔理沙はルイズと別行動なのかと言うと、それにはワケがあった。

 

 

それは今から三十分も前の事…。

店に入った時、従者は休憩室で待つのが当店の規則です。と店の人間に言われたからである。

確かに一部の゛貴族専用の店゛ではそのような原則があり、基本平民である従者は別室で待機するのが定めであった。

 

ルイズと違いトリステインの暑さに慣れていない二人は体が少し疲れていたこともあり、その言葉に従っておとなしく待つことにした。

来店する貴族の従者が待機するこの部屋には来客用のソファーが二つ、部屋の真ん中に置かれている長方形のテーブルを挟むようにして設置されている。

そして部屋の出入り口から見て右のソファーには魔理沙が、左のソファーには霊夢が座っていた。

この部屋にはそれ以外の家具は無く、閉まっている窓の近くに置かれている観葉植物がその存在を主張している。

その観葉植物というのが実に不気味であり、土の入った大きな植木鉢から斑点がついた大きくて長い葉っぱが五、六本飛び出しているという代物だ。

植物というよりかは、まるで突然変異で巨大化してしまった雑草のような観葉植物であった。

紅魔館で観葉植物などを見せてもらった事がある二人であったが、少なくともこんな不気味なモノは置いていなかった。

 

「何かしらこれ?気味悪いわね」

「これは…アレだな?多分秘薬を作るための薬草だろ」

初めてこんな観葉植物を見た二人は、一体何なのかと不思議に思った。

そんな時丁度良く気を利かせて飲み物を持ってきてくれた店の人間に、魔理沙があれは何かと聞いてみたところ…

 

「あれは、サンセベリアです」

「サンセベリア?」

「え、何?山菜?」

「サンセベリア。ハルケギニア南方の乾燥地帯に生えている植物で、夏の訪れと共にこの部屋に飾るんです」

難聴かと疑ってしまうかのような霊夢の聞き間違いを訂正しつつ、眼鏡を掛けた店の人間はそう教えてくれた。

 

そして説明を終えた彼が部屋を後にしてから三十分が経ち、今に至る――――

 

 

(何がサンセベリアよ、あんな葉っぱだけの気味悪い植物よりヒマワリとか植えなさいよね)

霊夢は心の中で観葉植物に毒づきながら、先程給士が持ってきたアイスレモンティーを一口飲む。

紅茶の香りよりも少し強いレモンの味がツ~ンと口内に広がり、それに慣れていないのか霊夢は僅かに顔をしかめる。

(何よコレ?レモンの味が強すぎてお茶になってないような気がするんだけど)

 

まるでジュースみたいね。霊夢が心の中でそう呟いている時、魔理沙は同じく給士が持ってきたアイスミルクティーをグビグビと飲んでいる。

それこそ文字通り。まるで仕事帰りの一杯みたいに薄茶色の液体を飲み干す姿からは、とても゛高貴な貴族の従者゛とは思えない。

まぁ実際には二人ともルイズの従者ではないので、別にそういう風に振る舞わなくてもいいのだろう。

「ふぅ~…まぁなんだ、こんな所で飲むのも中々良いじゃないか」

アイスミルクティーを飲み干した魔理沙は開口一番そう言って、グデ~ンとソファーにもたれかかる。

今この部屋には二人以外誰もおらず、いたとしてもこの国で名高いヴァリエール家の従者には何も言いはしない。

それに、魔理沙自身がそういった作法の世界とは無縁な生き方をしているので誰かがどうこう言ってきても気にしないだろう。

相変わらず何処にいてもくつろぐ奴だ。霊夢はソファーの感触を存分に楽しんでいる黒白を見て改めてそう感じた。

一方の霊夢はというと、しっかりと姿勢を正してソファーに座っており、育ちの良さが伺える。

しかし外見が不幸にも、このハルケギニアではあまりにも奇抜過ぎた。

もしも彼女が淑女的な人物であっても、何も知らない者たちが見れば道化師か何かだと勘違いされるだろう。

 

顔を顰めたままの霊夢が半分ほど減ったアイスレモンティーの入ったコップをテーブルに置いたとき、唐突に魔理沙が話しかけてきた。

「そういえばさぁ、さっきからずっと気になってたんだが…」

「何よ?」

「この部屋が涼しいのって、絶対あの水晶玉のおかげだよな」

魔理沙の口から出た゛水晶玉゛という言葉に霊夢は「あぁ、そういえば」と頷いて、天井を仰ぎ見る。

少し白が強い肌色の天井に取り付けられた頑丈そうなロープに吊り下げられた大きな籠があり、その中には青い水晶玉が入っていた。

平均的な成人男性の頭部と同じ大きさを持つその水晶玉こそ、前述したマジックアイテムであった。

最も、魔理沙がいま気づいたのに対して、霊夢は部屋に入ってすぐにそれが何なのかある程度わかってはいたが。

 

強すぎずまた弱すぎもしない冷気は微かな魔力と共にそこから放出され、下にいる二人の体を寒くない程度に冷やしている。

ついさっきまで暑い外にいた事と、店の者が持ってきてくれたドリンクのおかげで少女たちは極楽気分を味わっていた。

このまま何もしていなければルイズが戻ってくるまで、この小さな空間にできた楽園で涼むことができるであろう。

ただ。霊夢とは違い、魔法使いである魔理沙はどうしてもあのマジック・アイテムが気になってしょうがなかった。

 

「…あの水晶玉、なんか気になるな。っていうかあれは私に調べてくださいって言ってるようなもんだな」

ソファーで寛いでいた魔理沙はまるで当然のことだと言わんばかりの言葉を呟くと立ち上がり、軽く背伸びの運動をした。

今行っている背伸びの運動を終えた黒白が何をするのかする前に気づいた霊夢は、目を細める。

 

「言うだけ無駄なんでしょうけど。まぁ程々にしときなさいよね」

嫌悪感が含まれた霊夢の忠告に魔理沙は白い歯を見せて笑うと体操を終え、自身が履いている靴へと手を伸ばす。

霊夢の履いている茶色のローファーと比べ泥土の汚れが目立つ黒のブーツを、魔理沙はいそいそと紐をほどいて脱ぎ捨てる。

持ち主の足から離れたそれは脱いだ持ち主の手によってソファーの傍に置かれる。

 

「好奇心に勝るモノ無しってヤツだぜ」

魔理沙は自信満々にそう言って、今度は白い靴下をはいた足でテーブルの上に乗った。

マジックアイテムに不調が起こった際の為かテーブルの上に乗って爪先立ちをすると、天井から吊り下げられている籠を手に取れるのだ。

そして不幸(無論店にとって)にも魔理沙はそれに気づき、今まさにそれを実行しようとしていた。

 

厳選された素材で作られたトリステイン製のテーブルに飛び乗ったという少女は、きっと魔理沙が初めてであろう。

今の光景を店内でティーポットを探しているルイズと店の人間が見れば、目をひん剥いて気絶すること間違い無しだ。

その後…怒り狂ったルイズが怒りの表情を浮かべて杖と乗馬用の鞭を武器にして、魔理沙を追い駆けまわす姿も容易に想像できる。

 

今この場にルイズがいない事を、魔理沙は有難く思うべきだろう。

「さてと、まずは…」

何処から調べようかと、いざ手を伸ばした…その時であった。

 

突如、二人の耳に「カチャリ」という金属めいた音が飛び込んでくる。

その音に気づいてふと手を止めた魔理沙は、その音の正体が何なのかわからぬまま――軽く後ろへ跳んだ。

まるで足元に迫ってきた長縄を避けるかのように跳ぶと同時に後ろに重心をかけ、背後のソファーへとその身を沈める。

時間にして僅か二秒という早業をしてのけたものの、それを成した魔理沙本人はどうしてこんな事をしたのかと疑問を感じた。

しかしその疑問は、「カチャリ」というドアノブを捻る音と共に部屋へと入ってきた少女の姿を見て、自己解決した。

 

「待たせたわね。買う物は買ったし、ここを出るわよ」

ドアを開けた者――ルイズは部屋に入ってきた開口一番にそう言った。

それに対し二人はすぐに頷いた。何事もなかったかのように。

 

「?…何で靴なんか脱いでるのよ?」

「足の中が汗で蒸れてたから冷やしてたんだ」

そんな二人のやり取りを横目に、霊夢は呆れたと言わんばかりにため息をついた。

 

 

時刻は間もなく、午前十一時に迫ろうとしていた頃。

 

トリスタニアの気温は朝と比べて少しだけ上がっていた。

肌で感じれば少し暑くなったと思う程度であったが、街の大通りなど人気の多いところはかなり暑くなっている。

しかし、それと同時に気休め程度に吹いていた風の勢いが強まり、自然からの涼しい祝福を肌で実感できるようになった。

外の暑さに慣れたのか、露天商で働く者たちは自前の樽に入れた水を飲みながらも、精一杯声を張り上げて客を呼び寄せようとしている。

屋内にいる者たちは窓や扉を開放して風を入れ、室内に溜まった熱気を追い出そうとしていた。

街の外れにある工房や石切り場などで働いている者たちは街よりも風の恩恵を受けて、皆口々に感謝の言葉を呟いていた。

 

そして街が活気に包まれる中、それとは全く無縁の場所が街の郊外にある旧市街地であった。

一部では゛幽霊の住処゛と呼ばれる程になったそこからは、人の気配が殆ど感じられない。

職や財産を失った浮浪者たちは、汚れてはいるが地上よりかは幾らか涼しい地下水道へと退避していた。

例え地上で野垂れ死にしたとしても、寄ってくるのは人の味を知った犬猫やカラスだけであろう。

そんな場所に…゛かつて゛は教会として使われた廃墟が、他の廃墟と肩を並べるかのように建てられていた。

 

かつては始祖ブリミルを崇める聖なる場所として、この街に住む人々に祝福を与えていた。

しかし今は、罅割れた外壁から這い出てくるかのように生えてきた蔦によって見るも無残な廃墟へと姿を変えている。

この教会にいた聖職者たちは、もう十年近くも前に建てられた新しい教会に移り住み、誰一人この教会だった建物を訪れることは無い。

その外観の気味悪さから浮浪者たちは他の建物を選び、教会は荒れるに荒れていた。

 

しかし今日は始祖の思し召しか、一人の青年がこの廃墟を訪れていた。

彼の白い肌とブロンドヘアーは燦々と輝く太陽に照らされて、まるで芸術品のように美しく見える。

 

ここが祈りの場として使われていた頃は大きな鐘が吊るされていた鐘塔に上った彼は、望遠鏡を使ってブルドンネ街の様子をのぞいていた。

その姿には、まるで御伽話に出てくる王子様が結婚相手を街の中から探しているかのような、魅力的な雰囲気が漂っている。

確かにその例えは間違っていない。青年は今その手に持つ望遠鏡で三人の少女達を見つめているのだから。

 

一人は御伽話に出てきそうな魔法使いのような姿をしており、頭に被っている黒いトンガリ帽子は若干だが周囲の人々から浮いている。

黒と白のドレスとエプロンは迫り来る夏季を考えてか、その外見とは反対で涼しそうだと青年は思った。

その右手には箒を握っており、もう少し老ければ無数のカラスと蟲たちを手足の様に操れる魔女になるかもしれない。

 

もう一人はトリステイン魔法学院の制服と黒マントを身に着け、一目で貴族のタマゴとわかる。

気高きプライドが見え隠れする鳶色の瞳には、周囲から襲い来る熱気にうんざりしたと言いたげな色が浮かんでいる。

彼女の髪の色は誰よりも目立つピンクのブロンドヘアーで、見る者が見れば彼女の体内にある血統の正体を知って頭を下げるであろう。

 

最後の一人はハルケギニアには珍しい黒髪であったが…それよりも彼女が身に着けている紅白の服は、あまりにも奇抜であった。

白い袖は服と別離しており、望遠鏡越しにもスベスベだとわかる腕と綺麗な腋をこれでもかと言わんばかりに周囲に晒している。

普通の女子なら赤面になるだろうが、黒髪の少女はもう慣れっこなのか平然とした表情を浮かべた顔と赤みがかった黒い瞳で空を見つめていた。

頭に着けている大きな赤色のリボンと共に、もはや゛周囲とは違う゛という次元を跳躍し他の誰よりも目立っていた。

 

もはや奇跡としか言えない変わった容姿の三人を望遠鏡越しに覗きながら、青年はその内の一人に狙いを定める。

それは、最初に望遠鏡にその姿を捉えた黒白の少女――ルイズたちと一緒に店から出てきた魔理沙であった。

 

「へぇ~…あれが彼女の言ってた゛トンガリ帽子゛の子か」

青年―ジュリオはひとり呟いて、望遠鏡をうっかりして落とさないようにその手に力を込める。

折角この眼で見る事の出来た゛イレギュラー゛を『望遠鏡を手落とした』という有り得ないミスで見逃すという事は、今の彼にとっては一番つらい事であった。

しかもようやく見つける事の出来た゛盾゛と数年前から目をつけていた゛トリステインの担い手゛と一緒にいるのだ。これほど貴重な瞬間は滅多に無いであろう。

「彼女を監視ついでに学院で働かせたのは成功だったね。でなきゃこんなの拝めることは無かったよホント」

ジュリオは望遠鏡越しにルイズたちを見ながら、自分の部下兼フレンドである女性の事を思い浮かべた。

彼女には学院にいる゛トリステインの担い手゛であるルイズと゛盾゛の霊夢を監視するために、学院で給士として働かせている。

トリスタニアから片道三時間もかかる場所に建てられた学院である為、誰かをその学院へ送るのが最も最適な方法であった。

給士程度なら役所で渡された書類一枚を見せれば即時採用されるので潜り込ませるのは非常に容易だった。

 

そして今朝…。

彼女から届いた手紙のおかげでで゛トリステインの担い手゛と゛盾゛に…新しく部屋の住人となった゛トンガリ帽子゛の三人が街へ来るという事を彼は知った。

その時宿泊しているホテルのテラスでアイスティーを嗜んでいた彼は、口に含んだアイスティーを吹きかけた程驚いたのは記憶に新しい。

一歩手前でなんとか飲み込んだ後、彼は冷静さをすぐに取り戻して手紙に書かれた文字を一字一句丁寧に読み始めた。

手紙には新しいティーポットを買いに行くという事とそれを買う店の場所…そして監視に最適な場所まで丁寧に書いてくれていた。

ジュリオは彼女の徹底した仕事ぶりに、心底感心した。

 

その後、部屋に置いていた監視用の望遠鏡を片手にホテルを出て旧市街地へ急いで向かい、今に至る。

「なるほど…見れば見るほど、御伽話とかで出てきそうなメイジだな」

望遠鏡越しにルイズと何やら話をしている魔理沙を覗きながら、ジュリオは幾つのか疑問を覚えた。

服はまだ良いのだが、頭にかぶっている黒のトンガリ帽子はいささか流行の波に乗り遅れているなと感じた。

丁度今から二十年前くらいにあれと同じようなタイプの帽子が流行ったと聞くが、今となってはあんな帽子を被るのは゛当時゛20代や10代だった者たちが主である。

無論今でもトンガリ帽子を愛する貴族はいるが、最新の流行ファッションがすぐにカタログに載せられるこの時代では少数である。

今望遠鏡で覗いている黒白の彼女ぐらいの年齢の子なら、流行ファッションには非常に敏感だ。

そんな子供が時代遅れとも言えるようで言えない曖昧な帽子を被るものだろうか。

何かしら理由があるのかもしれないが、自分が彼女ならあんなに大きい帽子じゃなくて、もっと小さいものを選ぶだろう。

ジュリオは心の中で思いながら、乾き始めた上唇をペロリと舐める。

 

それが一つ目の疑問である「トンガリ帽子」。そして二つ目の疑問は「右手に持つ箒」であった。

トリステイン魔法学院にいる彼女からの情報では、有り得ないことにあの箒を使って空を飛んだのだという。

 

『箒を使って空を飛ぶ』

 

その発想は、元は軍が幻獣をまともに扱えない下級メイジ達に飛行能力を与えるという思想から生まれた。

それはハルケギニア大陸の各国に広まり、記録を辿れば今から五十年も前の事にもなる。

しかしいざ実際に乗ってみると、箒に掛ける魔力の調整や箒であるが故の耐久性の低さがまず最初に目立った。

ガリアなどでは専用の箒を開発したとも聞くが、同時期に行われた軍用キメラの開発に予算を取られてお蔵入りになったのだという。

結局、各国ともに「程度の低いメイジは馬で十分」という昔ながらの考えに落ち着き、計画は失敗のまま終了した。

 

そして現在、今ではそんな事があったという事実を知る者も極めて少ない。

もしも彼女が゛この世界゛の人間であるならば、それに乗るどころかそんな事実すら知らないであろう。

今では『箒に乗って空を飛ぶメイジ』という存在は、絵本や小説といった空想の存在になってしまっているのだから。

 

(――しかし、彼女が゛盾゛とおなじ゛場所゛から来たというのなら…話は変わるけどね)

ジュリオが心の中でそう呟いた瞬間、予想だにしていなかったアクシデントが彼の゛背後゛で発生した。

 

「あらあら、朝からやけにご執心ですこと」

 

そのアクシデントは、まずは声となって彼に囁いてきた。

声からして女性であるが、その声はジュリオが初めて耳にしたほど綺麗なものであった。

まるで風の女神の歌声の様に、澄んだ声である。

彼がそう思うほどその声は美しく、そして怖ろしいとも感じた。

望遠鏡を覗いていたジュリオは、最初はその声を単なる゛気のせい゛で片付けようとした。

きっと風の女神が明るいうちから覗き見をしている僕をからかっているのだ―――と。

しかし――本当にその声が゛気のせい゛ではなく自分の背後に誰かががいるのなら――――…そいつは、人間゛じゃない゛。

 

それは比喩ではなく文字通りの意味で、人間の常識では決してその存在を証明できない゛何か゛だ。

彼はその道の人間ではないが、望遠鏡を覗いている間は自分が無防備になるという事は自覚していた。

トリスタニアはそれなりに治安は整っているがここは旧市街地である。浮浪者のほかにも犯罪者やそれと同等の者たちの居場所でもある。

こんな真昼間に襲ってくるという事は無いであろうが、可能性は決してゼロではない。

肝試し気分で夜中にここへ足を運んだ若者たちが何十人も行方不明にもなっているという噂もあるほどだ。

 

それを知っているうえで、ジュリオはこの教会を選んだ。

ここら辺は日中の間、人気が無いので誰かに見られる心配もない。

それに、彼が今いる場所はある意味もっとも安全な所なのだ。

 

鐘を打ち鳴らす為に作られたこの鐘塔の出入り口はただ一つ、床に設置された扉だけだ。

扉を開けると下の教会へと続く古めかしい鉄梯子があり、それ以外の出入り口は全くもって見当たらない。

それに蝶番が丁度良く錆びており、扉を開け閉めする際には物凄い音を鳴らす。

つまりは、誰かが来ればドアの開く音でわかるしそれを聞き逃すほど彼の耳は悪くない。

 

しかし、先程の声が聞こえる直前――ドアを開くような音は一切しなかった。

まるで最初から、ずっとこの場所にいたかのように。

 

つまりこの声の主は―――人間ではないのだ、文字通りの意味で。

 

「………」

突然の声にジュリオは何も言わずに望遠鏡を下ろし、慎重に身構えてから後ろを振り返った。

その顔には、先程夢中になっていた楽しみを奪われた子供が浮かべるような、幼い嫌悪の色を浮かべて。

しかし、彼の背後には女の声を発したであろう存在と思しきモノは、どこにもいない。

ただ自分の視界に映るのは、夏色に染まりつつあるこの国を綺麗に見せる青い空と白い雲だけ。

ジュリオは無意識に目をキョロキョロと忙しなく動かして辺りを伺うが、声の主らしきモノは何処にもいない。

念のため手すりから少し身を乗り出して外の様子も見るが、そこから見えるのはかつて最大の栄華を持っていた廃墟群だけで何もいない。

やはり、ただの気のせいだったのか?――と、ジュリオがそう思った時…。

 

「でも…遠くから覗き見をするくらいなら、あの娘たちにもっと近づいてみなさいな」

 

今度は、背後ではなく耳元であの声が囁いてきた。

瞬間、ジュリオは目を細ると勢いよく振り返り、それと同時に持っていた望遠鏡も勢いよく振りかぶる。

まるで角材の様に扱われた望遠鏡はしかし、背後にいたでろあろう存在を叩くことはできなかった。

手ごたえは無く、ただブォン!と空気を勢いよく薙ぎ払う音だけがジュリオの耳に入ってくるだけであった。

咄嗟に繰り出したカウンターが、単なる空振りで終わったことに、彼は悔しさを感じる事は無かった。

 

「幻聴…じゃないだろうね。絶対に」

ジュリオの呟きに応えるかのように一瞬だけ風の勢いが強まり、彼の髪を撫でつける。

先程の声や望遠鏡を振るった時のそれとは違う、くぐもった風の音が耳に入ってくる。

「風が強くなってきたな…」ジュリオはそう言ってその場でしゃがみ込み、床の扉をゆっくりと開けた。

錆びついた蝶番の音は、まるで死にかけた老婆の悲鳴のようで、先程聞いた声と比べれば余りにも醜悪であった。

扉を開けた先には梯子があり、それを下りていけば廃墟と化した教会の中へと続いている。

教会の中は薄暗く、昼間だというのに不気味な雰囲気を醸し出している。

扉を開けたジュリオは眼下に見える教会の床を凝視しながらも、梯子に手を掛けようとはしない。

それから三十秒が経った後…ふと彼は後ろを振り返り、口を開いた。

 

「アンタが誰だったのかわからないけど…。まぁ、良い話のタネとアドバイスをくれたことに感謝しておくよ。何処かの誰かさん」

 

これは置いといてあげるよ。彼は最後にそう言って、右手に持っていた望遠鏡をその場に置いてから梯子を降りて行った。

今の彼にはもう望遠鏡は必要なかった。高いものではあるが必要になればその都度買いなおせば良い。

彼はもう、遠くから彼女たちを監視しようとは考えていなかった。

気づかれない程度に傍へ寄り、近いうちに彼らと接触してみよう―――と。

 

だが゛上の連中゛はその提案に対して慎重論を掲げてくるであろう。『今はまだ監視に徹する時だ』という少し芝居が入った言葉と共に。

無論、ジュリオもその事は不服ではあるが重々承知していた。

相手がもし゛普通の人間゛なら、監視を十分に行い接触するべきに値する存在かどうか見極める必要がある。

 

しかし…今回の相手はそれが通用しない――彼は無意識のうちにそう思った。

根拠らしい根拠は見当たらないが、彼の脳裏に不思議とそんな考えが浮かんできたのである。

ただ遠い安全圏から覗くだけでは彼女達の事を詳しく知ることなどできない。

 

むしろ、距離を置けば置くほど彼らの姿は遠くなりいつの日か見えなくなるのではないか?

ならばいっそのこと、近づけるところまで近づいてみた方が、ずっと有益なのではないだろうか?

それが正しい事なのかどうかはわからないが、ジュリオはこれが一番の最善策だと心の中で信じた。

 

梯子を降り、浮浪者たちに荒らされた薄暗い教会の中を歩く彼はその顔に、好奇心が含まれた笑顔が浮かべていた。

それは人が持つ感情の中では最も罪なモノであり、そして人を更なる存在へと昇華させる偉大なモノである。

 

「好奇心は人を滅ぼすっていう言葉があるけど…好奇心が無い人間なんて只々つまらないだけですわ」

先程までジュリオがいた鐘塔の屋根の上に佇む、人ならざるモノ――八雲紫は呟く。

その手に彼が置いて行った望遠鏡を持って昼時の喧騒で賑わうブルドンネ街を、ひとり静かに見つめながら。



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第六十話

トリスタニアの時刻は、既に昼の十二時を迎えていた。

街の各所にある大衆食堂にレストラン、そして露店からは美味しそうな匂いが漂ってくる。

丁度腹を空かした人々は各々が気に入った店へと入り、腹を満たす。

平民や下級、中級の貴族たちは自宅で食べるか、もしくは仕事で得た雀の涙ほどの賃金や年金だけで十分に食べれる場所へと足を運ぶ。

露店や食堂はたちまち賑やかになり、人々は笑顔を浮かべて始祖ブリミルから与えられし糧に感謝の念を送る。

それなりの地位と領地を持つ上級貴族たちは貴族専用のレストランへと足を運び、この国の安泰を願ってフルコースランチを頂く。

三つ星シェフの手によって作られた仔羊のソテーを頬張る彼らの顔にもまた、笑みが受かんでいる。

こうして見ると浮かべる笑みの意味はバラバラではあるものの、誰もが皆笑顔を浮かべて昼食を頂いている。

それは正に、「食べる」という行為が何事もなく行えることを有難いと思っている証拠でもあった。

 

 

気温は高く太陽も眩しくなってきたが、それよりも人々が浮かべる笑顔の方がはるかに眩しい。

もしもこの街に旅の絵描きが訪れているのなら、きっと人々が浮かべる笑顔を一つの絵としてメモ帳に描いている頃だろう。

自分の昼食を食べるのも忘れて絵を描くのに夢中になった彼は、きっとこう思うに違いない。

『あぁ、この国は平和なんだな――――』と。

 

 

そうして街が笑顔で溢れている中、とあるブティックの二階にある一室で、ルイズは落胆の表情を浮かべ項垂れていた。

「あぁ~…駄目だわ。全然、思い浮かばないじゃないのぉ…」

椅子に座った彼女の目の前に置かれた大きな丸テーブルの上には、鞄に入れて持参してきたメモ帳と【始祖の祈祷書】が置かれている。

ルイズは今、幼馴染であるアンリエッタ王女とゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の結婚式で詠みあげる詔を考えている最中であったが、何を書こうか未だに悩んでいた。

デルフにこの事を説明してから一週間ほどが経つが、一ページ分どころか未だ一文字も書けないでいる。

もしもこの詔が授業でいつも出るレポートや作文であるのなら、ルイズなりの文章で書いたモノを素直に提出するだろう。

しかし…これは幼少のころから共に遊び笑い合った幼馴染が隣国のゲルマニアへ嫁に行く事を盛大に祝う詔だ。

いつも提出しているレポートの様な文章では無理だとルイズは理解していたが、それと同時に自分の文才の無さに嘆いてもいた。

ここへ来てから何とか書こうとしてそれでも書けず、既に四十分近くもの時間が経過していた。

「こんな調子じゃあ、姫様の結婚式に間に合わないっていうのに…」

「わざわざ鞄に入れて持ってきた本は何なのかと思ったが、まさか例の祈祷書だったとはな。感心するなぁ」

苦悩が垣間見える言葉を呟くルイズとは対照的に、向かい側の椅子に座っている魔理沙は面白いものを見るような目で向かい側の椅子に座るルイズに言った。

その言い方にムッとしたのか、不機嫌な表情を浮かべたルイズは魔理沙の方へとその顔を向ける。

「そこまで言うのならアンタが書いて…イヤ、下手に任せたら適当に書いちゃいそうだからやめとくわ」

ルイズは途中まで言って、魔理沙の性格なら自分の代わりに詔「じゃない何か」を書きそうな気がしてきたので、言うのはやめた。

「それは残念だ。今なら何か良い詔とやらが書けそうな気がするんだがな」

魔理沙はニヤニヤと笑いながらそう言うと、最後に確認するかのようにルイズは質問した。

 

 

「…アンタ、この世界の文字とか…もう書けるようになったの?」

ルイズの問いに、魔理沙は軽く頷きながら返事をする。

「意味は分からないが、とりあえず見様見真似で書くことは出来るぜ?」

彼女の口から出た答えに、やはり書かせなくてよかったとルイズは安堵した。

 

 

ブルドンネ街の中央通りから少し外れた所に、今ルイズ達の居るブティックがある。

この店は基本一人の客に対し数人の店員が対応し、服のリクエストからサイズの調整までを身振り手振りで教えてくれるのだ。

客層は主に商家の平民から下級の貴族までとトリステインではかなり幅広いのだが、客層の三分の二が魔法学院から来る生徒たちであった。

将来この国を支える貴族の卵たちはここで舞踏会などの行事用に着る服やドレスを発注したり、店内で販売しているアクセサリーを買ったりしている。

そのアクセサリーの一つ一つも店側で雇っているデザイナー達が作ったモノで、手作りなので値段もそこそこ高い。

しかしそれ故にオリジナリティーに溢れており、値段の方も貴族の子供たちが青春時代の記念にと買える程度に設定されている。

トリスタニアを遊び場とする貴族の子ども達にとって、正に流行の発信場とも言えるところだ。

 

 

その店の二階部分には幾つか部屋があり、今二人がいる控室は階段を上ってすぐ右手にある。

大きな観音開きの窓の傍に丸テーブルと椅子が二つ、そしてテーブルの下にゴミ箱が置かれているだけで他の家具は見当たらない。

精々テーブルの上に羽ペンが数本入ったペンケースとインク瓶、それにメモ帳兼こぼしたインクをふき取るための紙が置かれているだけだ。

部屋の中に明りを灯すものが無いのは基本夕方頃には店を閉めるからであり、決して売り上げが悪いワケではない。

その代わりなのか天井には大きなファンが取り付けられており、魔法によって羽根が回転して風を作り出す仕掛けとなっている。

この部屋は順番待ちをしている客や客の友人などが控える為の部屋であり、無礼がないよう中はちゃんと綺麗にされている。

魔理沙は窓から入ってくる微妙な風を受けながら窓の外から見える通りを眺め、ルイズは回転しているファンのちょうど真下でアンリエッタへの詔をなんとか書こうと奮闘している。

時折思い出したかの様に魔理沙が色んな話を持ち出し、ルイズは羽ペン片手に返事をしたり突っ込んだりしていた。

しかしその部屋にいるのは彼女達だけで、二人と一緒にいる筈の霊夢はどこにも見当たらない。

そもそも何故ルイズと魔理沙がこんなところにいて、あの巫女がいないのか…?

 

 

それにはちゃんとした理由があった。

 

 

ルイズと魔理沙が詔について会話をしてからしばらくして、ふと誰かがドアをノックしてきた。

突然のノックに魔理沙は一瞬誰なのかと思ったが、ルイズは慣れた様子でドアの方へと顔を向け「どうぞ」と言った。

その声が聞こえたのか、ドアの向こうにいた店のボーイが「失礼いたします」と言ってドアを開け、部屋に入ってくる。

利発そうな容姿のボーイは店が用意した専用の服を着た平民で、しっかりとした教育を受けているのかルイズと魔理沙に対し恭しく頭を下げた。

 

 

「ミス・ヴァリエールにミス・マリサ。ミス・レイムの゛着替え゛が終わりましたので、最後のお目通しをお願い致します」

「あら、もう一時間経ったのね…。わざわざご苦労様」

ここにいない巫女の名前を口にしたボーイの言葉に、ルイズはそう言って満足げに頷くと鞄から財布を取り出し、そこからエキュー金貨を二枚ほど取り出した。

ルイズが金貨を手に取ったと同時にボーイも頭を上げるとその顔に笑みを浮かべ、ルイズの方へとスッと白手袋をはめた右手をそっと差し出す。

「やっぱりこの店は最高ね。平民の従業員もしっかりしているから嫌いになれないわ」

彼女はそう言って、差し出されたボーイの手のひらに金貨を置くとテーブルの上にあった始祖の祈祷書やノートを鞄に入れて部屋を後にした。

それに続いて魔理沙も部屋の隅っこに置いていた箒を手に取って出ようとした時、ふとボーイのすぐ横で足を止めた。

足を止めた魔理沙に前方のルイズとすぐ横にいるボーイがキョトンとした表情を浮かべると、魔理沙は何かを探すように懐に手を入れた。

「おぉ、あったあった!」

ゴソゴソという音が辺りに五秒ほど響いたところで、何かを見つけた魔理沙が大声を上げた。

その顔には喜びの色が浮かんでおり、一体何なのかと魔理沙以外の二人は怪訝な表情を浮かべる。

黒白の魔法使いが懐から取り出したのは…小さな包み紙に入った一個の飴玉であった。

白い包みに水色の斑点模様がついた包み紙に入った飴玉は、ゴルフボール程では無いにせよ普通の飴玉よりも若干大きい。

そして、金貨や銀貨どころか銅貨二枚で買えそうなそのお菓子を彼女は先にルイズの金貨が乗ったボーイの手の上に置いた。

 

 

「ま、チップの代わりに食べといてくれ」

魔理沙はその顔に笑顔を浮かべてそう言うと、ボーイを残したまま部屋のドアを閉めた。

パタンという音ともに閉じられたドアの向こうから聞こえてくる二人分の足音を耳に入れながら、ボーイは視線を下に落とす。

キラキラと輝くエキュー金貨が二枚に、何味かも知らされていない正体不明の飴玉…それが彼の手の上にあった。

金貨はともかく、飴玉を渡されるとは思ってもいなかった彼はただただその顔に苦笑いを浮かべた。

「まぁ偶には、こういうのも良いかな?」

ボーイはそう言って金貨と飴玉を、ポケットの中にしまいこんだ。

入れた瞬間、心なしか少しだけ元気になったような気がした。

 

 

部屋を出た後、後をついてきた魔理沙にルイズは開口一番先程の事を口にした。

「全く、何をするかと思ったら飴玉なんてね…」

「別に良いじゃないか。きっと初夏の思い出になると思うぜ?」

対して魔理沙はルイズの後ろを歩きつつ、彼女の言葉に笑顔を浮かべて返事をする。

ルイズはそんな黒白の態度に小さなため息をつきつつも、目の前に見える階段をゆっくりと降り始める。

(さてはて、レイムの奴はどんな姿になったのかしら…?)

ルイズはひとり呟きながら、一階にいるであろう紅白巫女の事を思い浮かべて心の中でひとり呟く。

 

 

背後に魔理沙を従えて歩く彼女の顔には、期待に満ちた笑みが浮かんでいた。

店のメインフロアがある一階に降りてきたルイズと魔理沙は近くにいた女性従業員の言葉に従い、奥にある試着室へと向かう。

そこには既に他の女性従業員が二人いて更にその向こうには姿こそ見えないものの、二階にはいなかった霊夢がいた。

何やら話し合いをしていた彼女らは、やってきたルイズたちに気づいて振り向くと頭を下げた。

「これはこれはミス・ヴァリエール。貴女様のご注文通り、彼女は生まれ変わりましたよ…文字通りの意味でね?」

やけに気取った喋り方をする右の従業員の言葉と共に彼女らはスッと横にどき、ルイズたちに゛今゛の霊夢の姿を見せた。

そしてルイズと魔理沙は…彼女の言葉に嘘偽りは無かったと目を丸くして驚く。

何故ならそこには、文字通り゛生まれ変わった゛博麗霊夢がいたのだから。

 

 

赤いセミロングスカートの代わりに履いているのは、足首まで隠す黒のロングスカート。

スカートと同じ色の服と別離していた白い袖は身に着けておらず、代わりに纏うは新品の匂いが仄かに漂う白のショートブラウス。

そして袖や服と同じく彼女の外見的特徴の一つであった赤いリボンは外されていて、代わりにスカートと同じ色のショートハットを被っている。

黒のロングヘアーを白いリボンでポニーテールにし、以前よりも若干サッパリとした印象を放っていた。

 

 

そんな容姿を持った少女が、つい一時間ほど前まではこの街ではかなり目立っていた存在だったのだ。

もしも着替える前の彼女を知らぬ者たちに、その事を詳しく説明してもすぐには信じないであろう。

霊夢を召喚しもう二ヶ月近くも一緒にいるルイズと、霊夢とは数年の付き合いがある魔理沙がそう思ったのである。

それ程までに彼女のイメージがガラリと変わった。――――否、変わり゛過ぎてしまった゛。

「ご予約の際に承った注文通り、これからの季節に合わせて当店の既製服でコーディネイトいたしましたが…どうでしょうか?」

二人して驚いている姿を目に入れながら、左にいた女性従業員がルイズの顔色を伺うかのように問う。

「これは…もう完全に別人ね」

店員の問いに答えるかのように、ルイズはその顔に苦笑いを浮かべながら呟く。

装い新たな霊夢の姿を見て、やはり彼女に新しい服を着させたのは正解だったと改めて思いながら。

「く、くく…え~っと、どちら様だったっけ?」

一方の魔理沙は、意地悪そうな笑みをその顔に浮かべて霊夢に向けてそう言った。

黒白と同じくモノクロな印象漂う服装とは対照的な、どっと疲れた゛元゛紅白の表情を見て笑いを堪えながら。

「私の服が変わっただけで、何がそんなに可笑しいのかしら…」

着慣れぬブラウスの襟を左手で摘みながら、霊夢は照れ隠しするかのように呟く。

しかし色々と従業員にまとわりつかれた所為なのか、その顔には疲労の色が浮かんでいた。

 

 

 

 

場所は変わって、ブルドンネ街中央に建てられた市中衛士隊の詰所本部。

街の各所にある詰所と比べ二回りもでかい砦の様な外観を持つここには、総勢五十人近くもの平民出身の衛士やその関係者がいる。

市内で有事が起こった際には増援の衛士を派遣し、事件の規模が大きければ大きいほど重要な場所となってくる。

有事を起こした下手人がメイジであった場合は王宮から魔法衛士隊が駆けつけてくるが、その間は衛士たちが命がけで下手人の逃亡を阻止しなければならない。

衛士たちの方も下手人を逃がしては市民の命と自分の給料と出世に関わるので、文字通り命を懸けて日夜街に潜む悪と戦っているのだ。

 

 

その詰所本部の中にある一室で、女性衛士のアニエスがテーブルに突っ伏していた。

彼女の顔にはこれでもかと言わんばかりに疲れの色が浮かんでおり、医者が見れば彼女の睡眠時間が短いことにすぐ気づくであろう。

本来は過去にあった事件の記録などを閲覧する為の部屋で、彼女は空気が抜けて萎んでいく風船のようにため息をついていた。

部屋の中には多数の本棚があり、その棚の中にある本には過去トリスタニアで発生した事件の詳細が事細かに記録されている。

しかし長方形の木製テーブルにはそれらしい本が一冊もなく、テーブルの上には突っ伏しているアニエスの上半身だけが乗っていた。

どうしてここに彼女がいるのかというと、その理由はあるのだが実際のところそれ程大したモノでもない。

ただ、この時間帯には多くの衛士たちが詰所本部の中にいるので、一人でいられる唯一の場所がここだけであったからだ。

まぁこの時間帯ならばこんな部屋に来る者もいないだろうと、アニエスはこの部屋で昼寝をすることにしたのだ。

しかしいざ寝ようとしても中々寝付けず、窓を開けて部屋の中に風を入れても目を瞑って夢の世界へ入る事も出来ない。

誰も呼びに来ないせいか気づけば一時間という貴重な休憩の時間を、テーブルに突っ伏しているだけで終わらせてしまった。

「はぁ~…」

結局眠れなかったか。彼女は心の中でそう呟いてからゆっくりと上半身を起こす。

「…!っうぐぅ…!」

瞬間、腰の方から襲ってきた刺激が脊椎を通って頭に到達し、うめき声と共にトロンとしていた彼女の両目を無理やり見開かせた。

まだ二十代前半だというのに疲労の溜まった腰の関節がパキポキと音を立て、彼女の体に強烈な刺激を与えたのである。

その音がハッキリと耳に入ってきた彼女はハッとした表情を浮かべて部屋を見回し、誰もいないことに安堵してため息をついた。

「なんてこった。まさか二十代にしてこんな体になってしまうとは…」

アニエスは自分の体に向けて「情けない」と叫びながら鞭打ちたい気分に駆られた。

いくら衛士隊として鍛えていると言われても結局は人間であり、体の疲労には耐え難いものがある。

しかも女性である為か男性隊員の倍より努力し、体を鍛えなければいけないのだ。

普通なら女性は男性よりもある程度優しく扱われる筈だが、ここではそんな常識は通用しない。

女性だからという理由で生ぬるい訓練をしていては、街に潜む悪党外道な犯罪者を捕まえるどころか碌に近づく事さえできないのだから。

 

 

だからこそ彼女は努力した。

いつか果たそうと心に誓う一つの゛願い゛を胸に秘めて。

 

 

「本当なら休暇でも貰いたい所だが…貰ったとしても気になって休めそうにないな…」

彼女はそう言って、今からもう二週間ぐらい経とうとしている出来事を思い出した。

あの日…月が隠れた夜に「鑑定屋」がいるという場所を、物乞いの老人゛だった゛者に案内してもらった時の事だ。

 

 

そこは、旧市街地の中にある古びた扉の先にあった。

古びた階段を物乞いの老人を先頭にアニエスとその同僚であるミシェル、そして彼女らが所属する部隊の隊長という順で降りていく。

明りに照らされた階段を降りるのは造作なく、老人を含め誰一人転ぶ事もなく降りた先に作られた部屋へとたどり着いた。

「これはこれは。今夜は少し変わったお客が、三人も…」

扉を開けて待っていたのは、椅子に座って薄い本を読んでいた初老の男性であった。

外見で判断すれば四十代後半から五十代半ばなのだろうが、顔に刻まれた皺の数はそれ程多くもない。

白が混じっている茶色の髪をオールバックにしており、顔に浮かぶ表情も非常に穏やかなものであった。

着ている服もゲルマニアにいる平民出身の上流商人が好むような長袖の白いブラウスの上に黒いベストを羽織り、ズボンは茶色の革モノといった組み合わせだ。

「我が主。ご覧のとおり今日は衛士隊の者が三人…見てもらいたい物品があるとの事で」

ここまで案内してくれた老人がそう言うと、男性はアニエスたちの顔を見てウンウンと頷く。

「逮捕しに来た…って感じじゃあ無いな。ウン」

男はそう言うと座っていた椅子から腰を上げ、机の前にいる老人の傍に立った。

平均的な共同住宅の一室と比べて少し大きめ程度の部屋の中には、人がまともに住める環境が作られていた。

書類や本が置かれた大きな机と比べてやや小さめなベッドをはじめとして洋服ダンスやクローゼットもあり、奥にはキッチンかバスルームへ続くであろうドアが見える。

部屋の両端にそれぞれ二つずつ壁に沿って置かれている本棚は五段もあり、その中に本や書類などがこれでもかと納められている。

もはや年代物と化した古い石造りの床の上に赤茶色の絨毯を敷いていて、その場で座っても苦にはならないだろう。

部屋自体が地下にあるという利点と魔法で動くシーリングファンのおかげで室温は暑過ぎずまた寒過ぎることもなく、申し分はない。

しかし部屋を照らす明りが天井の二箇所から吊り下げられているカンテラだけなので、部屋全体の雰囲気はかなり薄暗い。

もしもここに普通の人が住むのであらば、壁の方にもカンテラを取りつけるべきであろう。

 

 

「まぁお客なら歓迎するよ。ようこそ、旧市街地にある『鑑定屋』――――もとい『私の部屋』へ」

男は目の前にいる三人の客にそう言って、両手を思いっきり横に広げた。

客と認められたアニエスとミシェルは、隊長の言っていた゛噂゛が本当なのだと今確信した。

 

 

『旧市街地の何処かにいるという盲目の老人に金貨を渡すと、元学者がやっているという鑑定屋へと案内してくれる』

 

 

その噂は、何処で誰が言い始めたのかは知らない。

ただ消えることも広がることもなく、チクトンネ街に住む平民たちや下級貴族達の間でハチドリの様に忙しなく飛び回っている。

そして噂というのは人から人へと伝わる度に尾ひれがつくもので、この話もまた例外ではなかった。

曰く…その元学者はガリアで何かの研究をしていたのだが事故により職を失ってトリスタニアにやってきた。

曰く…彼はハルケギニアやアルビオンといった大陸を歩き回った平民で、古今東西の出来事を知っている。…など、飛び回る内に様々な姿へとその身を変えていた。

その変化した噂の中には盲目の老人は幽霊で、彼の後ろをついていくとあの世へ連れて行かれるといったオカルト要素が入り混じったものまで存在する。

ある貴族は単なる怪談話だと笑い、ある平民は実際にいるのだろうと心躍らし、ある浮浪者はその老人を見たことがあると嘯く。

結局はどれが真実かは誰もわからず、今でも真夜中の酒場でそれを話し合う者たちがいる。

何人かは酒の勢いでテンションが上がり、その噂が真実なのかどうか確かめるべく旧市街地へ赴くのだが大抵は何の収穫も無しに戻ってくる。

例え酔っていたとしても廃墟が立ち並び、歩く屍のような姿になった浮浪者や街に住めない犯罪者たちの巣窟にそう長時間といたくはないのだろう。

何せ昼間でも恐ろしい雰囲気を放っている場所なのだ。真夜中ならば尚更であろう。

 

 

「どれくらいかは分からんが…これで足りるか?」

部屋の主人からの歓迎に隊長は懐を漁って手のひらに収まる程の革袋を取出し、机の上に放った。

体を机の方に向けた男がその袋の口を締めていた紐を解くと、中から六枚ほどの新金貨が転がり出てきた。

それに続いて銅貨と銀貨がそれぞれ二枚ずつ袋からその姿を出し、合計十枚の貨幣が机の上でその存在をアピールしている。

たったの十枚だけであるが、この十枚だけで下級貴族が一週間ほど仕事もせずに暮らしていける程の金額になるだろう。

「先月出た俺の給料の残りだ。これで調べてくれるくらいのことはしてくれるだろ?」

隊長の質問に、部屋の主は机の上に出した貨幣を手に取りながらも答える

「コレは趣味でやってるから金は充分なんだが……まぁ、明日のランチは美味しそうなものが食えるよ」

遠まわしに礼を言われた隊長は微かな笑みをその顔に浮かべつつ、今日ここへ来た目的を彼に告げた。

「今日は、アンタに見せたいものがあってここへ来たんだ」

隊長はそう言ってまたも懐を漁り、ここへ来る途中アニエスとミシェルにも見せた゛ある物゛を男と老人の目の前で取り出した。

それは先程貨幣が入っていた革袋と同じサイズのもので、その中には青い水晶玉の破片が入っていた。

破片の大きさはコガネムシ程度しかなく、うっかり落としてしまうとこの薄暗い部屋で見つけるのは困難を極めるだろう。

「実は昨日、ブルドンネ街の方で妙な事件があってな…現場を調べていたらこんなものを見つけたんだ」

隊長はそう言って袋から破片を取出し、男の目の前に突き出した。

男はその破片を見て怪訝な表情を浮かべたが、それを手に取ろうとはしない。

「これよりもっと小さいのを最初に見つけたんだが不思議な事に溶けて無くなっちまってな、それで気になって現場を調べてみたら溶けて無いコイツを見つけたのさ」

訝しむ男を前にして話を続ける隊長に、後ろにいるアニエスは彼が『最初に見つけた破片』の事を思い出した。

 

 

昨日起こった『妙な事件』の現場で見つけた小さな破片は、あの後一分も経たずに溶けて無くなってしまった。

後に残ったのは青色の小さな泡と、それを掴んでいた隊長の指から上がる白い煙だけだった。

あの後、別に火傷の心配はないと隊長自身が言ってひとまずは現場にあった遺体と内通者としての証拠品である書類などを持って詰所へと戻った。

しかし帰ってきて直後…隊長が「スマン、忘れ物をした」と言って現場であるホテルへ戻り、一時間もしないうちに帰ってきた。

その時はなんとも思わなかったのだがその翌日に隊長からの手紙を読み、旧市街地へと来たアニエスとミシェルはその破片を見て驚いた。

何せ最初に見つけたモノよりもおおきい破片を、隊長は一人現場に戻って見つけ出していたのだから。

「あの後部屋のどこかにまだあるんじゃないかと思ってな、箪笥やクローゼットの裏とか下を見てみたらドンピシャッ!ってワケさ」

まるで推理小説に出てくる少年探偵の様な軽い口調で得意げに言った彼を見て、二人は思った。

 

 

あぁ、この人は探偵業とかやりたかったんだろうな――――と。

 

 

そんな風に彼女が回想の最中にいる間に、隊長から詳しい話を聞いていた男はその顔を顰めていた。

先程の怪訝なそれから一変した事を見逃す三人ではなく、この破片に関して彼は確実に何か心当たりがあると察した。

表情を変えた男は顎に手を添えて何か考えた後、横にいた老人に声を掛けた。

「君、右の棚の三段目から四、五年前のレポートを取ってくれ。…あぁロマリアじゃなくてガリアのヤツな?」

「了解です。我がある…―先生」

゛先生゛と呼ばれた男に命令された老人は自分の言葉を途中で訂正しつつ、懐から杖を取り出した。

ここへ通じる錆びたドアを開き灯りを作って階段を照らしてくれたその杖の先を、老人は自らの顔に向ける。

アニエスたち三人は老人がこれから何をするのかもわからず首をかしげると、彼はぶつぶつと呪文を唱え始めた。

 

蚊や蠅のような虫の羽音の如きか細い声で唱えるルーンは五秒ほどで終わり、詠唱を終えた老人は自らの顔に向けて杖を軽く振った。

するとどうだろう。突如老人の顔が青白く光り出して、薄暗い部屋を幻想的でありながら不気味な雰囲気が漂う場所へと変える。

しかしその終わりは早く僅か十秒程度であったが…光が消えた時、老人――否、老人゛だった゛者の姿を見てアニエスたちはアッと驚いた。

そこにいたのは先程まで物乞いをしていた老人ではなく、四十代半ばの男であった。

顔を隠すほどに生えていた白髭は消え失せ、代わりにほろ苦い渋味を漂わせる壮年男性の顔を、驚いている三人の客に見せつけている。

服は老人の時に来ていた物と同じであるのだが、逆にそのみすぼらしい身なりが「学会を追放された賢者」というイメージを作っていた。

「いやぁ、驚くのも無理はないかな?こうでもしないとあの場に溶け込めないものでね」

゛元゛老人であった男性は驚きの渦中にいる三人に向けてそう言うと、自分の顔に向けていた杖を右側の棚へと向ける。

そして『レビテーション』の呪文を唱えて杖を振ると、棚の中から数枚の書類がサッと飛び出してきた。

書類は数秒ほど空中で静止した後、゛元゛老人の操る杖によってフワフワと浮遊しながらも゛先生゛の手元へと舞い落ちていく。

゛先生゛はそれらを一枚も地面に落とすことなく丁寧にキャッチすると、書類に書かれている内容を流し読む。

恐らく探していた物かどうか確認しているのだろう。一通り読んだ後に軽く咳払いをしてから、目の前にいる三人を相手に喋り始めた。

 

「今から丁度数年前かそれよりも少し前までかのガリア王国でキメラの開発が行われていたらしい。

 開発のテーマは、キメラを戦場に投入してどれだけ味方の被害を減らせるかどうか―――というものだったとか」

 

書類を見ながら喋り始めた゛先生゛の前にいるアニエスたちは何も言わず、ただ黙って聞いている。

゛先生゛はそれに対してウンウンと頷きながらも、話を続ける。

 

「軍用キメラの開発…というより研究自体は今から五十年前に始まったが、当初は単なる生物実験としての趣が強かったそうだ。

 しかし当時のゲルマニアやそれに味方する小国との戦争が激化したことによって人的被害が増え、これに対し人の手で兵器にもなれるキメラにスポットライトが当たった…」

 

゛先生゛はそこまで言って一旦言葉を区切ると三人と゛元゛老人の目の前で一息ついた後、話を再開した。

 

「戦争が終わっても開発は細々と続いたんだが、数年前に開発していたキメラどもが暴走して研究所は崩壊。

 そこにいた学者も殺されちまって別のところにいたキメラ研究の学者たちも、責任を追及されて路頭に迷った。

 しかし…噂だとガリアがまたその学者たちを国に呼び戻して、以前よりもずっと安全な場所で研究を行わせてるんだとか」

 

そう言いながら、彼は手に持った書類の中から一枚を取出し、それを隊長たちの前に突き出した。

三人は何かと思い薄暗い部屋の中でその書類に目を通してみると、驚くべきものがそのレポートの右上に描かれているのに気が付いた。

恐らく゛先生゛の手書き思われる文字が並ぶレポートの右上に、生まれてこの方見たこともないような奇怪な姿をした生物たちが描かれている。

それは人間を素体にして、イナゴの頭部をはじめとした様々な昆虫の部位を体中に取り付けた怪物と呼ぶにふさわしい存在であった。

その横には『クワガタ人間』という名前でそのまま通じそうな怪物の絵も並んでいる。

レポートを持っていた隊長はゴクリと喉を鳴らし、ミシェルは驚きのあまり右手で口を軽く押さえていた。

アニエスもキメラの絵に目を丸くしながらも、目の前にいる゛先生゛がその顔に薄い笑みを浮かべたのを見逃しはしなかった。

彼女がその笑顔をチラリと見ていたのに気が付いてか、すぐさま表情を元に戻すと話を再開した。

 

「そこに描かれているのは、追い出された連中が開発していたキメラだそうだ。

 対メイジ戦を想定して作られたそいつ等には見ただけではわからんが、多様な攻撃方法を持っとるという。

 そいで詳しくは知らんのだが、そのキメラを特定の場所に呼び出す為の道具というものも―――あるらしい」

 

゛先生゛は話を続けながらも先程のようにレポートを一枚取出し、それを隊長たちに見せる。

そして、さっきは驚いたものの声を上げなかった三人は用紙の真ん中に描かれていた゛呼び出す為の道具゛を見て、「アッ!」と驚愕の声を上げた。

花の様に綺麗ながらも鋼の様に鍛え抜かれた二人の女性と、今まで数多くの悪党と渡り合ってきた歴戦の勇士の声が、薄暗い部屋の中に響き渡る。

「隊長…こ、これは」

動揺を隠しきれていないミシェルの言葉に、隊長は確信を得たかのように頷いた。

「ウン、間違いない…色が同じだ!」

そう言って隊長は左手に持っていた破片と、レポートに描かれている゛キメラを呼び出す為の道具゛の絵を見比べた。

ご丁寧に色までつけられたそれは、手に持った破片と似たような色をした―――青色の水晶玉であった。

まるで生きた人間を誑かして地獄へ引きずり込もうとしている死者たちが集う湖の様に、何処か恐怖を感じさせる澄んだ青色の水晶玉。

今隊長が手に持っているモノは、その湖に住まう死者たちの怨念を取り入れたかのように濁った青色のガラス片。

そして水晶玉の絵の横には、殴り書きの文字でこう書かれていた。

 

『この゛水晶玉゛は呼び出されたキメラが破壊し、証拠隠滅の為に一部が溶解して消滅する』

 

たった一行だけであったが、そこに書かれていた事はアニエス達ににある確信を持たせるのに充分であった。

まるで頭上に雷が落ちてきたかのようなショックを受けた三人は、目を見開かせ口をポカンと開けたままその文章に目が釘づけとなる。

『溶解して消滅』…。それは正に、隊長が最初に見つけたあの破片の末路とあまりにもソックリであったからだ。

「はははは…どうやら、気になっていた物の正体が何なのかようやく分かったようだね」

゛先生゛は驚愕の表情を浮かべたまま固まった三人を見て、乾いた笑い声を上げる。

明りの少ない部屋の中に響き渡るその声は、予想もしていなかった意外な真実に直面した三人の体を包み込んでいた。

 

 

回想を終えたアニエスは、開いた窓から見える人ごみと街の様子を見つめて呟く。

「ガリアの、キメラか…」

あの後、早々に退室を促された彼女らは゛元゛老人に『ここでの事は他言無用でお願いします』と釘を刺されてあの場を去った。

時間にすればほんの十分程度の話し合いであったが、とてもそんな短い時間では知る事の出来ない゛何か゛を三人は知ってしまった。

神聖アルビオン共和国の内通者を殺害した存在が人間ではなく、『何者かが用意したガリアのキメラであった』という可能性があるという事実を。

しかしそれと同時に、『何故ガリアのキメラがトリステインにいたのか』、『そもそも何故キメラを使ってまで殺したのか』という疑問も浮上してきた。

退室する前に部屋にいた゛先生゛にその事を聞いても、流石にそこまでは分からないと首を横に振るだけであったが、付け加えるかのようにこんな事を言っていた。

『案外、地上で起きた妙な事件ってのは…君たちの想像よりもずっと大きな事件なのかもね』

まるで何もかもお見通しと言わんばかりの言葉であったが、確かに彼の言う通りであった。

最初こそアニエス達は、捜査の中止を要求した連中だけがこの事件に関わっていたと思っていた。

しかしそれは単なる予想に過ぎず、実際にはもっと複雑な構造をしているのかもしれない。

「確かに隊長の言う通りだ。もう私たちではどうしようもない…」

アニエスはそう言って、自分の上司がこれ以上の詮索をしてはならないと警告してくれた時の事を思い出した。

 

あの部屋を訪れてから翌日、アニエスとミシェルを部屋に呼び寄せた隊長は言った。

『昨日の事は忘れろ。俺たち三人だけでは手に負えない』

常に市民を守るのは自分たち衛士隊だと豪語して自身に満ち足りた表情を浮かべていた彼の顔には、諦めの色が浮かんでいた。

その事に納得がいかなかったミシェルとアニエスはその判断に対して食い下がりたかったが結局は隊長の心情を察し、大人しくその言葉に従った。

動けるのであれば彼は動いていたであろう。内通者といえど、殺人を行った者たちが誰なのか探るために。

勿論それが雲を掴む様な行為だとしても彼は躊躇うような事は無く、例えこれまで積み重ねてきたモノが崩れようとも真実を確かめたであろう。

いくら殺した相手が国を売ろうとした者で、殺せば国益になったとしても…殺人は立派な犯罪、それに変わりは無い。

それを知っていて尚自分たちの゛正義゛を信じてやまない者たちは俗にいう゛正義の味方゛ではなく、単なる犯罪者だ。

彼ならば決して許しはしないであろう、゛正義゛という名の無秩序な暴力をトリスタニアの中で振るう様な輩を。

 

しかし、もしも――――もしもの話だ。

この事件の黒幕が『王宮の一部』ではなく、『王宮そのもの』だとすればどうだろうか。

そしてそこに、大国であるガリアの手も加わっているというのならば――――もはや自分たちが抗っても何の意味もない。

だから隊長は二人に教えたのだ。この世には、どうしようもない事が沢山あるという事を。

「キツイものだな…ただ黙って見過ごすというのは…」

まるで不治の病に侵された患者が呟くような言葉とは裏腹に、彼女の顔には憎しみが浮かんでいた。

彼女は許せないのだ。人の命を奪っておきながらも、それで利益を得るような奴らを。

例え相手が大貴族や国家そのものだとしても――――その様な行為を平気でする輩は滅ぶべきなのだと。

東の砂漠に住まうエルフですら思わず怯んでしまいそうな目つきで、アニエスは窓越しに空を見上げた。

彼女の今の心境など関係ないと言わんばかりに、天気は快晴であった。

 

時刻が午後十二時を過ぎて丁度午後の一時半になったところ。

昼の書き入れ時が終わり、働いている人々は夕方や夜まで続く午後からの仕事に戻るため急ぎ足で街中を歩く。

その為かブルドンネ街やチクトンネ街の通りは朝や昼飯時以上に混み合い、酷いときには暴力事件という名の喧嘩が起きる。

暴力事件の元となるトラブルは多種多様で。コイツが俺の足を踏んだといった愚痴から財布を盗もうとして殴られたといった自業自得なものまである。

王都トリスタニアで夜中に次いで暴力事件が多発するこの時間帯は衛士隊の市中警邏が強化され、夜中よりも若干人数が増えるのだという。

善良な人々はそんな彼らに無言の賞賛を送りつつ、自分たちが暴力事件の容疑者や加害者にならないよう注意して通りを歩く。

トリスタニアで暮らしている人たちにとって何てことは無い、休日の午後の風景であった。

 

そんな時間帯の中、比較的人の少ない通りにあるレストランにルイズ達が訪れていた。

新しいティーポット探しや霊夢の服選びに購入したソレを学院に届ける為の手配で想定以上の時間が掛かってしまい、今から遅めの昼食を食べるところであった。

大通りにあるような所とは違い中はそれなりに空いてはいるが、それがかえって店全体に物静かな雰囲気を醸し出している。

店内の出入り口から見て右側にある台の上にはショーケースが置かれており、中に入っている演奏者を模した小魔法人形のアルヴィー達が手に持ったミニチュアサイズの楽器で演奏をし、店内に音という名の彩りを加えている。

演奏している曲は今から二、三年前に流行った古いモノだが、静かで優しい曲調が店の雰囲気とマッチしており、ガラス一枚隔てた先から聞こえてくる街の喧騒とは対照的であった。

いらっしゃいませぇ!という女性店員の声と共に最初に入店した魔理沙は、入ってすぐ横にあるショーケースの中身に見覚えがあることに気付く。

「おっ、アルヴィーじゃないか。こんな所にも置いてあるんだな」

大の男が握り締めるだけで壊れてしまいそうな小さな体とそれよりも少し小さな楽器で演奏をこなす人形たちの姿に彼女は興味津々と言いたげな眼差しを向けている。

そんな魔理沙に続いて入ってきたルイズは、見たことの無い玩具に夢中な子供の様にアルヴィーを見つめている黒白に呆れつつもそちらの方へと足を運ぶ。

 

この店にあるアルヴィー達は見た目からして大分古くなってはいるが、それでもまだまだ現役だと意思表明しているかのようにキビキビと動いている。

きっと彼らの手入れをしているのだろう。店長である五十代半ばの男性がカウンター越しに、ショーケースの前で立ち止まっているルイズと魔理沙を見て微笑んでいた。

彼らの姿をショーケース越しに五秒ほど見ていると、ルイズはふとアルヴィーと同じ類の人形が学院にもある事を思い出した。

「そういえば、ウチの学院にも幾つかあるわね。アルヴィーとかガーゴイルが…」

「知ってるぜ。確か食堂の中にある人形だろ?あれって、真夜中に踊ってるよな」

「あら、知ってたのねアンタ」

意外な答えに少しだけ驚いた振りをして見せたルイズに、魔理沙は当然だぜと言わんばかりに肩をすくめる。

「この前シエスタが教えてくれてな。それでまぁ真夜中の暇な時に見に行ったんだ」

魔理沙がそう言った時、ふとルイズは聞きなれぬ言葉を耳にして首をかしげた。

「真夜中の暇な時って…そんな時間に何もすることないでしょうに?っていうか一体なにをするっていうのよ」

「何言ってるんだ、真夜中にする事っていえば寝るだけだろ?」

黒白の口から出た予想の遥か斜め下を行く答えにルイズは、何だそんな事かと小さなため息をつく。

「つまり寝付けない時に見に行ってたって事よね?」

「まぁいつもは本とか読んでるんだがな。珍しいものが見られるならそれを見に行くだけの事さ」

興味のある物の為なら夜更かしも平気だと言わんばかりの彼女に対し、ルイズは勉強熱心な奴だと感心した。

しかし、それと同時にいつかアルヴィー手を出すのではないかと内心心配もしている。

霊夢から魔理沙の普段やっている事をある程度聞かされていたルイズは、どうにも不安になってしまう。

「…念のため言っておくけど、もしも食堂のアルヴィーに何かしたら怒るわよ?アレは学院の物なんだし」

「それなら大丈夫だよな?何かをする代わりに持って帰るつもりでいるから」

警告とも取れるルイズの言葉に、魔理沙はイタズラを企てた子供が浮かべるような笑顔を見せてルイズにそう返した。

 

「あ、あのお客様…は、三人でよろしいですよね?」

「そうねぇ…。あぁ、でもあの二人は喋るのに夢中だから放っておいてもいいわよ」

そして最後に入ってきた巫女服姿の霊夢が、隣にいる二人を見つめつつ目の前の女性店員に三人で来たことを教えていた。

ルイズたちに声をかけて良いか迷っていた彼女は「で、ではこちらの席へどうぞ…」と言って窓際のテーブル席へと霊夢を案内する。

「やっぱり盗む気満々じゃないの!」

「盗む?相変わらず人聞きの悪いヤツだぜ。手土産として一つ二つ持って帰るだけさ」

「絶対に駄目!駄目だからね!」

二人の後ろでは、ルイズと魔理沙が物言わぬアルヴィー達の目の前で言い争いをしていた。

 

霊夢が一足先に席に着いてちょっとメニューを見ていたところで、ようやくルイズと魔理沙がやってきた。

それに気づいた彼女はため息をつきながら、読めない文字だらけのソレから目を離すとルイズの方へ顔を向けた。

「全く、楽しそうな話し合いも程々にしなさいよね。ここはアンタの部屋じゃないんだから」

「何処が楽しそうに見えたのよ、何処が」

「ルイズの言う通りだ。やっぱりお前は冷たい奴だぜ…っと」

嫌味が漂う紅白巫女の言葉にルイズは軽く毒づきながらも反対側の席に座り、魔理沙も続いて言いながら彼女の隣に座った。

二人の返事に霊夢はただただ肩をすくめると、全く読めなかったメニューをルイズの手元に置く。

しかし目の前に置かれたソレを取ることは無く、狭く混雑した通りを歩いてきてようやく腰を落ち着かせる事の出来たルイズは、まず最初に軽い深呼吸を行った。

 

店内に舞う微かな埃と厨房から漂う食欲をそそる匂いを鼻腔に通らせて、それをゆっくりと吐き出す。

そうすることで気休め程度ではあるものの何となく落ち着く事が出来たルイズは、霊夢が置いてくれたメニューを手に取る。

比較的分厚い紙で作られたそれは二、三ページしかないが、そこに書かれている品目はバランスがとれていた。

前菜代わりのスープやサラダをはじめ肉料理や魚介料理も数多く。ロマリア生まれのパスタ料理もある。

他にもバケットやサンドイッチなどのパン類も申し分なく、デザートやドリンクも豊富であった。

(クックベリーパイが無いのは贔屓目に見ても駄目だけど…まぁ初めて入った店にしてはアタリといったところね)

デザートの品目を見て目を細めていたルイズは心の中で呟きながらも、何を食べようか迷ってしまう。

ルイズ自身こういう店に入るのは初めてではないが、自分でメニューを選ぶのは実のところ苦手であった。

いつも行くような所は上流貴族たちが集うような高級レストランで、今日のお勧めメニューをオーダー・テイカ―がとても優しく教えてくれるのだ。

だが、そういう所は貴族だけではなく従者にもそれなりの品位を求めてくるものである。

(どう見たって…二人を連れて行くとなれば、十年くらい掛けて再教育でもしないと無理ね)

ルイズはメニューと睨めっこしつつ、厄介な異世界の住人二人をチラリと横目で見ながら物騒な事を考えていた。

何の因果か知らないが、召喚して使い魔契約までしてしまった空を飛ぶ博麗の巫女。

そして彼女の知り合いであり、おとぎ話に出てくるメイジの様に箒を使って空を飛ぶ普通の魔法使い。

先程訪れた高級雑貨店ではなんとか従者扱いしてもらったが、きっと誰の目から見てもそういう感じには見えなかっただろう。

(友人…って呼ぶにしてはどうなのかしら?二人の事は大体わかってきたけど友人としては…何というか、作法を知らないというか)

メニューを選ぶはずがそんな事を考え初めたルイズが考察という名の渦に飲み込まれようとしていた時、彼女の耳に霊夢の声が入ってきた。

「とりあえず適当に冷たい飲み物を三人分持ってきてちょうだい。あぁ、料金はコイツ持ちで頼むわ」

何かと思い顔を上げると、いつの間にかウエイトレスを呼んで勝手にドリンクを頼もうとしている博麗の巫女がそこいた。

貴族であるルイズを気軽に指差して「コイツ」呼ばわりする霊夢の態度にある種の恐怖を感じているのか、ウエイトレスの体が若干震えている。

 

―――ナニヲシテイルノダロウカ?コノミコハ。

 

流石に許しかねない無礼な巫女に対し決心したルイズは、右手に持っていたメニューを素早く振り上げ…霊夢の頭頂部目がけて勢いよく下ろした。

下手すれば相手が気絶しかねない攻撃をルイズは何も言わず、そして無表情で繰り出したのである。

「え?…うわっ!!」

トリステイン王国ヴァリエール公爵家三女の放った恐怖の一撃はしかし、直前に気づいた霊夢の手によって防がれた。

流石の博麗の巫女もテーブルを一枚挟んだ相手が突然攻撃してくる事など予想していなかったのか、その表情は驚愕に染まっている。

渾身の一撃を防がれたルイズの隣にいた魔理沙は今まで外を見ていたせいか「な、何だ…!?」と声を上げて驚き、その勢いでまだ手に持っていた箒を床に落としてしまう。

霊夢の隣にいたウエイトレスが悲鳴を上げ、それに気づいて店にいた店員や他の客達はルイズたちのいる席へとその顔を向ける。

時間にして僅か五秒程度の出来事であったが、その五秒はあまりにも衝撃的であった。

「ちょっ…ちょっと!何すんのよイキナリ!?」

突然攻撃されたことに未だ驚きを隠せない霊夢は、自分の頭を叩こうとするルイズの魔の手を何とか防いでいた。

彼女の言葉を聞いてルイズの表情が一変、怒りの感情が色濃く見えるモノへと変貌する。

「人が食べるモノ選んでる最中に、何で私の許可なく勝手に注文してるのよアンタは!?」

「アンタがモタモタしてるから先に飲み物を…―イタッ!」

爽快感と痛快感を同時に楽しめる景気の良い音が、店内に響き渡る。

ルイズの文句に対し霊夢も反論をしようとしたのだが、いつの間にか左手に持ったもう一つのメニューで見事頭を叩かれてしまったのである。

 

 

「今更言うのもなんだし言っても無駄だと思うけど…ちょっとは遠慮ってものを考えなさいよね!」

痛む頭頂部を両手で押さえている紅白巫女を指差し、ルイズは声高らかに叫んだ。

一体いつの間に持ち出したのよ…と霊夢はルイズの早業に驚きつつも、頭を押さえながら机に突っ伏した。

その様子をウエイターと並んで見ていた魔理沙は軽く咳払いした後、一連の出来事を纏めるかのように呟いた。

「…流石霊夢だぜ。何があってもその厚かましさは変わらないもんだなぁ~」

「そんな事言える暇あるなら、コイツを止めなさいよね…」

「だ・れ・が…コイツよ!誰が!!」

強力な一撃を食らってダウンしても一向に口の減らぬ紅白に向けて、ルイズはとうとう怒鳴り声を上げた。

もはや店中の人間に注目されてしまった二人を遠い目で見つつ、魔理沙は他人事のようにまたも呟く。

 

「まぁ、こればっかりはルイズに分があるよな」

やれやれと首を横に振りながら、黒白の魔法使いは目を逸らすかのように窓の外へと視線を移す。

窓越しに見える空模様は、店内のバカ騒ぎにピッタリ似合うくらいに晴れていた。

 

 

『あなたの記憶は、誰のモノ?』

 

また声が、聞こえてくる。自分の頭の奥にまで響く程の声が。

それは決して大きくはなく、どちらかと言えば小さな声だ。

きっと自分が声の主を一度見たからだろう。あの小さな体には相応しいと思える程小さいが、ハッキリと聞こえる。

しかし、その声が聞こえてくると無性に頭が痛くなるのは、何故だろうか。

まるで自分の頭の中をキツツキが突いているかのようにコンコンと痛みが自らの存在をアピールしている。

追い払いたくても追い払えないその声を意識するたびに痛みは酷いものになり、無意識の内に頭を掻き毟ってしまう。

クシャクシャと音を立てて掻き毟る度に黒い髪が一、二本抜け落ちて地面へ向かって舞い落ちる。

 

『あなたのキオクは、ダレのモノ?』

 

それでも声は頭の中で響く。誰にも理解されない痛みに一人苦しむ自分をあざ笑うかのように。

どうして苦しまなければいけないの?どうしてこの言葉をすぐに忘れられないの?

痛みに悶えながらも、頭の中でそんな疑問がフワフワと浮かんでくる。

そしてその疑問を解決するために考えようとすると痛みが酷くなり、口から苦しみの嗚咽が漏れてしまう。

この声が一日に数回聞こえるようになってからもう一週間近くも経つが、未だに解決の方法は見つからない。

それどころか、日増しにこの痛みが強くなっているような気もした。

 

『アタナノ記憶ハ、誰ノモノ?』

 

まただ、また聞こえてきた。

どうしてそうしつこく食い下がる?私に何か恨みでもあるのか?

 

私はこの声に対し、次第に途方も無い゛怒り゛が込み上げてくるのを感じた。

まるで二、三メートル程の高さがある柱の上に置かれた角砂糖を狙うアリの様に、脇目も振らずに私の頭へと゛怒り゛が登ってくる。

そして最初からそれを待っていたかのように痛む頭がその゛怒り゛をすんなりと認め、頭を中心にして自分の体へ溶け込んでゆく。

森の中を走り、逃げ回ってきた私の体はボロボロであったが、その゛怒り゛を受け入れられないほど疲弊してはいなかった。

不思議なことに゛怒り゛が頭の中を駆け巡ると、ゆっくりとではあるがこの一週間自分を苦しめていた頭の痛みがどんどん和らいでいくのを感じる。

どんなことをしても治りそうになかったソレがあっさりと治ってしまったことに、私は拍子抜けしてしまう。

なんだ、こんなにも簡単に治るとは―――――と。

しかし、痛みが和らいでいくと同時にその゛怒り゛が私に教えてきた。

 

『お前は今から、ある場所へ行け』と。

 

アナタノキオクハ、ダレノモノ?――――

 

また声が聞こえてきたが、もう頭は痛まない。痛みはもう消えた。

どうしてあの時の言葉がずっと頭の中で響き続けていたのかは知らないが、実害が無いのなら無視すれば良い。

それよりも今は、゛怒り゛が示す場所を目指すことが先決だ。幸いにもここから見える所なのですぐにたどり着けるだろう。

何故そこへ行かなければ行けないのか、という新しい疑問が一つできてしまったが…それはすぐに解決できるかもしれない。

きっと゛怒り゛の示す場所に、その答えはある筈だから。

 

あなたの記憶は、誰のモノ?―――――

 

「それはこっちのセリフよ」

先程と比べ殆ど聞こえなくなった声に対し、私はひとり呟いて歩き出した。

午後の喧騒で大きく賑わう街へ向かって。



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第六十一話

 昼の喧騒で賑わうトリステイン王国の首都トリスタニア。

 商売も仕事もこれからという時間の中、ブルドンネ街のとある通りに建てられた一件のレストラン。

 平民から下級貴族までが主な客層であるこの店も、書き入れ時をとっくに過ぎて閑散とした雰囲気を漂わせている。

 しかし個々の諸事情で昼食の時間に食べそこなった人達が席につき、店が振る舞う料理やデザートの味をゆっくりと楽しんでいた。

 

 木製の小さなボールに入ったサラダを、ゆっくりと口に入れて咀嚼している若い貴族の女性。

 ハチミツを塗ってからオーブンでじっくり焼いた骨付き肉にかぶりつく、平民の中年男性。

 常連なのか、カウンターの向こうにいる店長と談笑しながらフルーツサンドイッチを味わっている魔法衛士隊の隊員。

 窓から見える野良猫同士の喧嘩を眺めるのに夢中になって、思わずレモンティーをこぼしてしまう平民の少女。

 

 食べている物や行動などはバラバラであるのだが、彼らには皆一つだけの共通点がある。

 それは、一日という忙しくも長い時間の合間に『自分だけの時間』を作って、ゆったりと過ごしているという事だ。

 

 大勢の人々が忙しそうに行き交う場所から閑散とした場所へ、その身を移して一息つく。

 そうすることで゛自分゛という存在を改めて自覚し、色んな事を考える時間ができるのだ。

 仕事の事や気になるあの人との関係から、これから何をしようかな。といった事まで人によって考えている事も全部違う。

 短くもなるし長くもなる『自分だけの時間』の間にその答えに辿り着く者もいれば、答えが出ずに悩み続けていく者もいる。

 中には最初から考える事をせず、ただ単に体を休ませている者もいるがそれは決して間違った事ではない。

 仕事や人間関係といった気難しい事を一時的に投げ捨ててわがままになる事も、また大切なのだ。

 

 そんな風にして各々の時間が緩やかな川の流れの様に進んでいく店の中で、ルイズたちは昼食を取っていた。

「それにしてもホント、今日はどういう風の吹き回しかしらねぇ」

「……?どういう意味よ、それは?」

 ふと耳に入ってきた霊夢の言葉に、ルイズはキョトンとした表情を浮かべて食事の手を止める。

 口の中に入る予定であったフライドミートボールと、それを刺しているフォークを皿に置いた彼女は一体何なのかと聞いてみる。

「事の張本人がそれを知らないワケないでしょうに」

 質問を質問で返したルイズの言葉に霊夢は肩を竦めると手に持っていたカップを口元に寄せ、中に入っている紅茶を一口だけ飲む。

 そこでようやく思い出したのか、何かを思い出したような表情を浮かべたルイズがその口を開く。

「あぁわかった。アンタの服の事でしょう?」

 ルイズの口から出たその言葉に、霊夢は正解だと言いたげに頷きながらもカップを口元から離す。

 安物のティーカップに入っていたそれはルイズの部屋にある物と比べて味は劣るものの、それでも美味い方だと彼女の舌が判断した。

 上品さと素朴さを併せ持つ一口分の紅茶を口の中でゆっくりと堪能した後に、喉を動かしてそれを飲み込む。

 口に入れた時よりも少しだけぬるくなった赤色の液体が喉を通っていく感触を感じた後、霊夢はホッと一息ついた。

 

「今更過ぎるけどお前ってさぁ、本当に緑茶でも紅茶でも美味しそうに飲むよな」

 その様子をルイズの隣で見つめていた魔理沙は、コップ入ったオレンジジュースをストローで軽くかき混ぜながらそんな事を呟く。

 まるで目玉焼きの目玉部分の如き真っ黄色な液体は、一口サイズの氷と一緒にコップの中でグルグルと回っている。

 しかし幾らかき混ぜても液体そのものが糖分の塊なので、氷が溶けない限り味が変わることは無いだろう。

 黒白の言う通り、本当に今更過ぎるその質問に霊夢は若干呆れながらも返事をした。

「アンタの頼んだジュースと違って、お茶なら熱しても冷やしても美味しいし、色んなものに合うから飲めるのよ」

「でも一日中お茶ばっかり飲んでるってのもどうかと思うわね。私は」

 霊夢がそんな事を言っている間にお冷を口の中に入れていたルイズはそれを飲み込みんでから、思わず横槍を入れてしまう。

 軽い突っ込み程度のそれは投げた本人が想定していた威力よりも強くなり、容赦なく紅白巫女の横っ腹に直撃した。

 

「私が何を飲んだって別に良いじゃないの。アンタには関係ないんだしさぁ」

 ルイズの突っ込みに顔を顰めてそう返しつつ、霊夢はもう一口紅茶を飲んだ。

 そして何を勘違いしたのか、魔理沙は意地悪そうな笑みを浮かべてルイズの肩を軽く叩く。

 

「やったなルイズ、今回の勝負は私たちの完全勝利で終わったぜ」

「アンタは何と戦ってたのよ?」

 自分には見えない不可視の敵と知らぬ間に戦っていたらしい魔理沙の言葉に、ルイズは怪訝な表情を浮かべた。

 その直後、話が逸れてしまった事を思い出した彼女はアッと小さな声を上げて再度霊夢に話しかける。

 

「それで、まぁ話は戻るけど……アンタの服の事だったわよね?」

「そうそうその事よ。まったく、魔理沙のせいで話が逸れる所だったわ」

 さっきのお返しか霊夢はそんな事を言いながら、ルイズの隣に座っている普通の魔法使いを睨みつける。

 しかし博麗の巫女に睨まれた魔法使いは微動だにせず、やれやれと言わんばかりに首を横に振ってこう言った。

「元を辿れば、お前が紅茶を飲んだ所で話が逸れ始めたと私は思ってるんだがなぁ~」

「まぁこの件はどっちも悪い、という事にしておきましょう。これ以上話が逸れたら面倒だわ」

 これ以上進むとまた騒いでしまいそうな気がしたルイズはその言葉で無理やり締めくくり、コップに残っていたお冷をグイッと飲み干した。

 自分たちの論争が第三者の手によって終止符を打たれてしまった事に、二人は目を丸くしてルイズの方へと顔を向ける。

 突然自分に向けられた二人分の視線をまともに受けた彼女は少しだけ気まずそうに咳き込むと、今度こそ本題に移った。

 

「で、服の事についてなんだけど…」

 ルイズはその言葉を皮切りに何で霊夢の為に新しい服を購入してあげたのか、その理由を話し始めた。

 

 

 

 ハルケギニア大陸において小国ながらも古い歴史と伝統を誇るトリステイン王国の首都、トリスタニア。

 国の中心である王宮がすぐ目の前にあるという事もあって、その規模はかなりのものだ。

 平日でも大通りを利用する市民や貴族の数が変わることは無く、常に大勢の人々が行き交っている。

 ブルドンネ街やチクトンネ街などの繁華街には大規模な市場があり、今日の様な休日ともなれば火が付いたかのように街が活気に満ち溢れる。

 その他にもホテルやレストランなどの店も充実しており、特にこの時期は他国からやってきた観光客が狭い通りを物珍しそうに歩く姿を見れるものだ。

 ガリアのリュティスやロマリアの各主要都市に次いで人気のあるトリスタニアには、他にも色々な場所がある。

 かつての栄華をそのまま残して時代に取り残された郊外の旧市街地に、各国から賞賛されているトリステインの家具工場。

 芸の歴史にその名を残す数多の劇団を招き入れたタニア・リージュ・ロワイヤル座は、今も毎日が満員御礼だ。

 

 そんな首都から徒歩一時間ほど離れた所に、ハルケギニアの基準では中規模クラスに入る地下採石場がある。

 周りを十メイルほどもある木の柵に囲まれた敷地の真ん中には大きな穴があり、そこを入った先にある人工の洞窟が採石の場所となっていた。

 土地の大きさはトリステイン魔法学院の三分の一程度の広さで、主な仕事は地下から切り取ってきた岩を地上に上げる事である。

 地下から運び出された岩は馬車に乗せられ、首都の近郊に建てられた加工場で石像や墓石などにその姿を変える。

 ここで働いているのは街や地方からやってきた平民の出稼ぎ労働者や石工、警備の衛士に現場監督である貴族達も含めておよそ九十人程度。

 ガリアやゲルマニアとは国土の差がありすぎるトリステインでは、これだけの人数でも充分に多い方だ。

 一つの鉱山や採石場に二十人から四十人程度はまだマシな方で、地方では十人から数人程度で運営している様な場所もあるのだから。

 

 そこから場所は変わり、加工場と採石場を繋ぐ唯一の一本道。

 鬱蒼とした木々に左右を挟まれたようにできた横幅七メイル程度の道も、かつては広大な森林地帯の一部に過ぎなかった。

 今からもう四十年前の事だが当時は誰も見向きすることはなく、動植物たちが安寧に暮らせる場所であった。

 しかし…今は採石場となっている場所で良い鉱石が見つかった途端、人々は気が狂ったかのように木を倒し草を毟って森を壊していった。

 そして森に古くから住んでいた者たちを無理やり排除して、人は文明の一端であるこの道を作ったのである。

 

 そんな歴史を持っている道を、馬に乗った二人の男が軽く喋り合いながら歩いている。

 薄茶色の安い鎧をその身に着こんだ彼らは、採石場を運営している王宮が雇った衛士達だ。

 市中警邏の者たちや魔法学院に派遣されている者達とは違い、彼らは皆傭兵で構成されている。

 その為かあまりいい教育は受けておらず、常日頃の身なりや素行はそれなりの教育を受けた平民なら顔を顰めるだろう。

 しかし雇われる前に傭兵業を営んでいた彼らの腕利きは良く、文句を言いつつも仕事はしっかりとこなすので王宮側は仕方なく雇っているのが現状であった。

 

 

「全く、こんな休日だってのに採石場警備の増援だなんて最悪だよな?」

 二人の内先頭を行く細身のアルベルトは左手で手綱を握りつつ、後ろにいる同僚のフランツにボヤいている。

 アルベルトとは違い体の大きい彼はその言葉にため息をつく。アルベルトが日々の仕事に対し文句を言うのはいつものことであった。

「仕方ないだろ。他の連中は皆非番で、事務所にいたのは俺たちだけだったんだ」

「だからってわざわざ採石場まで行かせるかよ。あそこの警備担当はヨップが率いてる分隊だろうが」

 空いている右手を激しく振り回しながらそう喋る彼の言葉を、フランツは至極冷静な気持ちで返した。

「そのヨップの分隊にいたコンスタンとダニエルが今日でクビになったから、俺たちが臨時で行くんだ」

 同僚の口から出た予想していなかった言葉に、思わず彼は目を丸くした。

 

「どういう事だよ?あいつ等なんか下手な事でもしたのか?」

「正にその通り。…コンスタンはこの前、高等法院から視察に来たお偉いさんの足を踏んじまったろ?あれのツケが今になってきたのさ」

「うへぇ…マジかよ」

 コンスタンの酒飲みは悪いヤツではなかったし、何よりこの前負けたポーカーの借りをまだ返していなかった事を彼は思い出す。

 後ろにいるフランツの言葉を聞き、惜しい顔見知りを失ったとアルベルトは心の中で呟いた。

「あんなに面白い奴をクビにするなんて、酷い世の中だ。…で、ダニエルの方は?」

 アルベルトは職場から消えてしまった顔見知りの事を惜しみつつも二人目の事を聞くと、同僚は顔を顰めて言った。

「アイツの事なんだが…何でも教会のシスターに手ぇ出しちまったんだとよ」

「シスター!?それはまた…随分派手だなぁオイ」

 女遊びが激しかったアイツらしい最後だと彼が思った、その時である。

 

 

「全く、女に手を出すのは良いが幾らなんでも――ん?」

 ダニエルの事を良く知っていたフランツが彼に対しての文句を言おうとした直後、四メイル前方の茂みから何かが飛び出してきた。

 それはボロ布のようなフード付きのローブを、頭から羽織った身長160サント程度の人間?であった。

 

 

「な、何だ!…人?森の中から出てきたぞ…?」

 先頭にいたアルベルトは驚いたあまり手綱を引いて馬を止めると、目の前に現れた者へ警戒心を向けた。

 この一帯は道を外れると、急な斜面や深さ三メイル程もある自然の溝が至る所にある樹海へと入ってしまう。

 それに加えて九十年近くの樹齢がある木々が空を覆い隠しているので、並大抵の人間ならあっという間に迷い込む。

 更に視界を奪うほどに生い茂った雑草や少し歩いた先にある野犬の縄張りの事も考慮すれば、無用心に森へ入って生きて帰れる確率はそれほど高くはない。

 その事を知っていれば、どんな人間でもわざと道を外れて森に立ち入ろうとは思わないだろう。

 しかし、今二人の目の前に現れた者は間違いなく茂みの…その奥にある森から姿を現したのだ。

 雇い主である王宮側から森の事を教えられた者たちの一人であるアルベルトが警戒するのも、無理はないと言える。

 それはフランツも同じであったが、少なくとも彼ほどの警戒心は見せていなかった。

 

「まぁ落ち着けアルベルト。とりあえず話しかけてみようじゃないか」

 彼よりもこの仕事を大事にしているフランツはそう言うと馬を歩かせ、アルベルトの前へと出る。

 フードのせいで性別はわからないが、人間であるならば話は通じるだろうと彼は思っていた。

 無論もしもの時を考えて、左の腰に携えた剣の柄を右手て掴んみながらも目の前にいる相手へと声をかける。

「すまんがお前さんは誰だい?見た感じ旅人って風には見えるんだが…」

 まずは軽く優しく、なるべく相手が怖がらない様に話しかけてみる。

 このような場合下手に脅すように話しかけると、相手が逃げてしまう事をフランツは経験上知っていた。

 

 彼の声にローブを羽織った者はピクリと体を動かした後、ゆっくりとだがその足を動かして二人の方へ近づいてきた。

 てっきり喋り出すのかと思っていたフランツは予想外の行動に少しだけ目を丸くしつつも、すぐに左手のひらを前に突き出しその場で止まるよう指示を出す。

 彼の突き出した手が何を意味するのか知っていたのか、ローブを羽織った者は一メイル程歩いた所でその足をピタッと止めた。

 うまくいった。彼は動きを止めた相手を見て内心安堵しつつ、ここがどういう場所なのかを説明し始めようとする。

「悪いがここは王宮の直轄でね?関係者以外の立ち入りは――――」

 

 

 禁止されているんだ。彼はそう言おうとしたが、最後まで言い切ることができなかった。

 喉に何か詰まったわけでもなく、ましてや目の前にいる相手が投げつけたナイフで喉を切り裂かれた――という突飛な話でもない。

 

 彼の言葉を中断させたその゛原因゛は、先程ローブを羽織った者が出てきた茂みから現れた。

 

 ゛原因゛の正体は野犬でも狼でもなく、本来なら王都との距離が近いこのような場所には滅多に現れない存在であった。

 全長二メイルもある゛原因゛は太った体には似つかわぬ俊敏な動きで道の真ん中に飛び出してくると、目の前にいる一人の人間をその視界に入れる。

 そしてローブを羽織った者が後ろを振り返ると同時に゛原因゛は体を揺らしながら、聞きたくもない不快な咆哮を辺りに響かせた。

「ふぎぃっ!ぴぎっ!あぎぃ!んぐいぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!」

 もう逃げられないぞ!

 人間にはわからない言葉で゛原因゛はそう叫んでから威嚇のつもりか、右手に持った棍棒を振り回しはじめる。

 それと同時にローブを羽織った者の後ろにいるアルベルトが、今まで生きてきて何十回も見てきた゛原因゛の名前を口にした。

 

「お、オーク鬼だ!!」 

 

 彼がそう叫んだと同時にフランツが右手に掴んだ剣の柄を握り締め、それを勢いよく引き抜く。

 刃と鯉口が擦れる音ともに引き抜かれたソレの先端は一寸のブレもなく、獲物を振り回す亜人の方へと向けられた。

 彼の表情は厳ついものへと変貌しており、目の前に現れた亜人に対して容赦ない敵意を向けている。

 

「そこのお前、早くこっちへ来るんだ!」

 先程の優しい口調とは打って変わって、ローブを羽織った者へ向けてフランツは叫ぶ。

 しかしその声が聞こえていなかったのか、ローブを羽織った者は微動だにしない。

 それどころか、目の前にいるオーク鬼と対峙するかのように何も言わずに佇んでいるのだ。

 だが、身長二メイルもある亜人と身長160サント程度しかない人間のツーショットというのは、あまりにも絶望的であった。

 どう贔屓目に見たとしても、勝利するのは亜人の方だと十人中十人が思うであろう。

「アイツ、何を突っ立ってる…死にたいのか?」

 まるで街角のブティックに置いてあるマネキンの様に佇む姿を見たアルベルトが、思わずそう呟いた瞬間――

 

「ぎいぃぃぃぃッ!」

 もう我慢できないと言わんばかりに吠えたオーク鬼はその口をアングリ開けて、ローブを羽織った者に向かって一直線に走り出した。

 二本足で立つブタという姿を持つ彼らの口に生えている歯は見た目以上に強く、ある程度硬いモノでも容易に噛み砕くこともできる。

 その話はあまりにも有名で、とある本に火竜の分厚い鱗諸共その皮膚を食いちぎったという逸話まで書かれている程だ。

 それほどまでに凶悪な歯を光らせながら走り、目の前にいる獲物の喉へと突き立てんとしていた。

 二人の衛士たちはそれを見てアッと驚き目を見開くがその体だけは動かない。

 あと少しでオーク鬼に喉笛を噛み千切られるであろう者が目の前にいても、すぐに動くことができなかった。

 そんな彼らをあざ笑うかのように、オーク鬼は走りながらも鳴き声を上げる。

 

「ぷぎゃあっ!いぎぃ!」

 オーク鬼は知っていた。大抵の生き物は。喉を食いちぎればカンタンに殺せると。

 そこへたどり着くまでの過程は難しいものの、そこまでいけば相手はすぐに死ぬ事を知っている。

 だから森で見つけたこの人間も、喉を噛み千切ればすぐにでも食べられる。

 縄張り争いで群れから追い出され、腹を空かせたまま森の中を徘徊していた彼は自らの食欲を満たそうと躍起になっていた。

 三日間もの耐え難い空腹で理性を失い、すぐ近くに武器を持った人間が二人もいるというのにも関わらず襲いかかった。

 たったの一匹で人間の戦士五人分に匹敵するオーク鬼にとって、たかが二人の戦士など問題外である。

 それどころか、オーク鬼は二人の戦士と彼らの乗ってる馬ですら自分が食べる食糧として計算していた。

 目の前にいる人間を殺したら、次はあいつらを襲ってやる。

 食欲によって理性のタガが外れたオーク鬼はそう心に決めながら、最初の獲物として選んだ人間に飛びかかろうとした瞬間…

 

 

 目が合った。

 頭に被ったフードの合間から見える、赤色に光り輝くソイツの『目』と。

 

  まるで火が消えかけたカンテラの様に薄く光るその『目』の色は、どことなく血の色に似ている。

 物言わぬ骸の傷口から流れ出る赤い体液のような色の瞳から、何故か禍々しい雰囲気から感じられるのだ。

 そして、そんな『目』が襲いかかってくる自分の姿をジッと見つめている事に気が付いたオーク鬼は、直感する。

 

―――――こいつ、人間じゃない!

 

  心の中でそう叫んだ瞬間、オーク鬼の視界の右下で青白い『何か』が光った。

 その光の源が、目の前にいる゛人間ではない何か゛の『右手』だとわかった直後。

 

 オーク鬼の意識は、プッツリと途絶えた。 

 

 

 

 

 

――――…と、いうワケなのよ。判った?」

 

 無駄に長くなってしまった説明を終えたルイズは、一息ついてから話の合間に頼んでおいたデザートのアイスクリームを食べ始める。

 カップに入った白色の氷菓は丁度良い具合に柔らかくなっており、スプーンでも簡単にその表面を削ることができた。

 ルイズはその顔に微かな笑みを浮かべつつ、一匙分のアイスが乗ったスプーンをすぐさま口の中にパクリと入れる。

 

「まぁ大体話はわかったわね…アンタが何であんな事をしてくれたのか」

 一方、三十分以上もの長話を聞かされた霊夢はそう言って傍にあるティーカップを手に持つと中に入っている紅茶を一口飲む。

 話の合間に新しく注いでもらった熱い紅茶は喉を通って胃に到達し、そこを中心にしてゆっくりと彼女の体を温めていく。

 緑茶とは一味違う紅茶の上品な味と香り、そして体の芯から温まっていく感覚を体中で体感している霊夢は安堵の表情を浮かべている。

 そんな風にして一口分の幸せを堪能した彼女は再びカップをテーブルに置くと、ルイズの隣にいる黒白の魔法使いに話しかけた。

「ねぇ魔理沙、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「…ん、何だ?」

 霊夢に名前を呼ばれた彼女は、サンドイッチを口に運びかけたころでその手を止める。

 魔理沙がこちらに顔を向けた事を確認してから、霊夢はこんな質問を投げかけた。

「アタシが着てる巫女服って…ルイズが言うほど変わってるかしらね?」

「…う~ん、どうだろうなぁ?私はそんなに変わってるとは思わなくなったが」

 その質問に、魔理沙は肩を竦めながら言った後に「だけど…」と言葉を続けていく。

「ハルケギニア人のルイズがそう思うのなら、この世界の基準では変わってるのかもしれないな」

 自分の質問にあっさりと即答した魔法使いの返答を聞き、霊夢は思わず目を細めてしまう。

 

 そんな二人のやりとりを自信満々な笑みを浮かべて見ていたルイズが、追い打ちをかけるかのように口を開く。

「まぁ私としてもアンタには色々と借りがあったしね。それを一緒に返したまでの事よ」

 彼女の口から出てきたそんな言葉を聞き、霊夢はふと彼女が話してくれた゛二つの理由゛を思い出し始める。

 

 

 ルイズが霊夢に新しい服を買ってあげた゛二つの理由゛の一つめ。

 それは近々行われるアンリエッタとゲルマニア皇帝の結婚式にある。

 

 かの神聖アルビオン共和国の前身であるレコン・キスタの出現とアルビオン王家の危機に伴い、帝政ゲルマニアとトリステイン王国は同盟を組む事となった。 

 アルビオン王家が滅ぼされれば、有能な貴族だけで国を支配してやると豪語する神聖アルビオン共和国が隣の小国であるトリステインへ攻め込んでくるのは明らかである。

 巨大な浮遊大陸からハルケギニアでは無敵と評される大規模な空軍と竜騎士隊が攻め込んで来れば、トリステインなどあっという間に焦土と化すだろう。

 そうならない為にもトリステインは隣国に同盟の話を持ち込み、ガリアに次ぐ大国の誕生を望まないゲルマニアはその話に乗った。 

 幾つかの協議を行った末にゲルマニア側は、もしトリステイン国内で大規模な戦争が起こった際に自国から援軍を出すことを約束した。

 それに対しトリステインの一部貴族はあまり良い反応をしなかったが、異論を唱えることは無かったのだという。

 精鋭揃いではあるが小国故に軍の規模が他国と比べて小さいのが悩みのタネであったトリステインにとって、倍の規模を持つゲルマニアの存在は心強い。

 一方のトリステインは、王宮の華であるアンリエッタをゲルマニア皇帝アルブレヒト三世のもとに嫁がせる事を約束した。

 

 その結婚式に関しては一つのアクシデントが起こり、ルイズと霊夢はそのアクシデントの所為でトリステインの国内事情に巻き込まれたのである。

 最もルイズは自ら望んで巻き込まれたのに対して、霊夢は偶然にも巻き込まれただけに過ぎないが。

 まぁ結果的にそのアクシデントは二人の力で無事解決し、晴れてトリステインとゲルマニアの同盟は締結される事となった。

 そして、丁度来月の今頃にゲルマニアで行われる手筈となった結婚式に、ルイズは詔を上げる巫女として招待される事となった。

 幼いころからアンリエッタの遊び相手として付き合ってきた彼女は、幼馴染でもある姫殿下から国宝である『始祖の祈祷書』を託されている。

 トリステイン王室の伝統で、結婚式の際には祈祷書を持つ者が巫女となって式の詔を詠みあげるという習わしがある。

 そんな国宝をアンリエッタの手で直々に渡された彼女はこれを受け取り、巫女としての仕事を承った。

 ルイズが行くのなら、形式上彼女の使い魔であり現役の巫女である霊夢もついて行くことになるのだが…そこで問題が発生する。

 霊夢がいつも着ている巫女服、つまりは袖と服が別々になっているソレに問題があった。

 

 ハルケギニアでは比較的珍しい髪の色や、他人とは付き合いにくい性格は多少問題はあるがそれでも大事にはならないだろうルイズは思っている。

 むしろ性格に関しては、付き合えば付き合うほど良いところを見つけることができると彼女は感じていた。

 表裏が無く、喜怒哀楽がハッキリと出て誰に対してもその態度を変えない霊夢とは確かに付き合いにくい。

 事実、召喚したばかりの頃はある意味刺々しい性格に四苦八苦していたのはルイズにとって苦々しい思い出の一つだ。

 

 しかし霊夢を召喚してから早二ヶ月、様々な事を彼女と共に体験したルイズはそれも悪くないと思い始めていた。

 部屋の掃除は今もしっかりとしているし部屋にいるときはいつもお茶を出すようにまでなっている。

 相変わらず刺々しいのは変わりないが、慣れてくるとそれがいつもの彼女だと知ったルイズは怒ったり嘆いたりする事は少なくなった。

 だが、それを引き合いに出しても彼女の服だけにはどうしても問題があるのだ。

 

 王家の結婚式において、礼装であってもなるべく派手な物は避けるという暗黙のルールが貴族たちの間にある。

 着ていく服やマントの色も黒や灰色に茶といった地味なもので装飾品の類は一切付けず、杖に何らかの飾りを付けているのならばそれも外す。

 ドレスであってもなるべく飾り気の少ない物を選び、決して花嫁より目立ってはいけないよう注意する。

 式を挙げる側もそれを知ってか花嫁花婿ともに華やかな衣装に身を包み、周りに自分たちの存在をこれでもかとアピールするのだ。

 もしも間違って派手な衣装で式に参加してしまえば、王家どころか周りにいる貴族達から大顰蹙を買うことになる。

 事実過去にタブーを犯した怖いもの知らず達が何人かおり、後に全員が悲惨な目に遭っていると歴史書には記されていた。

 

 そして不幸か否か、霊夢の服はそのような場において確実に目立つ出で立ちだ。

 服と別々になった袖や頭に着けたリボンは勿論の事、何よりも目立つのが服の色である。

 紅白のソレはある程度距離を取ろうが否が応にも目に入り、着ている人間がここにいると激しく主張している。

 街の中ならともかく、そんな服を着て結婚式に参加しようものならば顰蹙どころかその場で無礼だ無礼だと騒がれてドンパチ賑やかになってもおかしくはない。

 しかも持ってきた着替えも全て似たようなデザインの巫女服であった為、ルイズは今になって決めたのである。

 

 この際だから、霊夢に服でも買ってあげようと。

 

 

「幻想郷だとそれほど変わってるって言われる事は無かったのに…」

 ルイズの話した゛二つの理由゛の一つ目を思い出し終えた霊夢がポツリと呟いた愚痴に、ルイズはすかさず突っ込みを入れた。

「言っておくけどここはハルケギニア大陸よ。アンタのところの常識で物事測れるワケないでしょうに?」

 辛辣な雰囲気漂う彼女の突っ込みにムッときたのか、霊夢は苦虫を踏んでしまったかのように表情を浮かべる。

 そんな表情のまま紅茶を一口飲むと、薄い笑みを顔に浮かべてこんな事を言ってきた。

「だったら何も知らせずに服屋に連れていって、イキナリ別の服を着させるのがハルケギニア大陸の常識ってワケね」

「…何よその言い方は?」

 薄い嫌悪感漂う笑顔を浮かべる霊夢の口から出たその言葉に、ルイズは目を思わず細める。

 両者ともに嫌な気配が体から出ており、下手すれば静かな雰囲気漂うこの店で弾幕ごっこでも起きかねない状態だ。

 しかしそんな気配が見えていないというか場の空気を読めていない黒白の魔法使いが、霊夢の方へ顔を向けて口を開く。

「まぁ別に良いじゃないか。これを機にお前も袖が別途になってない服を着ればいいんだよ」

 魔理沙がそう言った直後。睨み合っていた二人の目が丸くなると、その顔を彼女の方へ向けた。

 二人同時にして同じ事を行ったために魔理沙は軽く驚いた様子で「え?何…私何か悪い事でも言ったか?」と呟き狼狽えてしまう。

 それに対し霊夢は軽いため息を口から吐くと、出来の悪い生徒に諭すかのような感じで魔理沙に話しかける。

 

「全く服に興味が無いわけでもないし、貰えるのなら貰うわよ。タダ程嬉しい物はないしね」

 彼女はそう言って一息ついた後、「でもまぁ…その理由がねぇ…」と話を続けていく。

「元の服じゃ自分が変だと思われるから別のを買ってやる…って理由で服を貰ってさぁ。喜ぶワケないじゃないの」

 隠す気が全くない嫌悪感をその目に滲ませた霊夢は、ルイズの顔を睨みつけた。

 

 以前王宮へ参内した際に同じような目つきで睨まれた事があったルイズは思わず怯みそうになるが、それを何とか堪える。

 霊夢を召喚してかれこれ二ヶ月近く一緒にいる彼女は、ゆっくりとではあるが彼女の性格に慣れ始めていた。

 一方ルイズの隣にいる魔理沙は滅多に見ないであろう知り合いの表情に軽く驚きつつも、それを諌める事は無い。

 霊夢と出会い知り合ってから数年ほどにもなる彼女は、別に怒ってるワケではないとすぐに感じていた。

 何せ喜怒哀楽がすぐに態度で出るような彼女だが、本気で怒るような事は滅多にないのだ。

 

 一見怒っているように見える今の状況も、魔理沙の目からして見れば今の霊夢は゛怒っている゛というより゛呆れている゛のだ。

 相変わらず素直ではなく、下手な言い回ししかできないルイズに対して。

 

(まぁ本気で怒ってるなら怒ってるで、もっとヒドイ事言うからなコイツは)

 魔理沙は心の中でそんな事を思いながら、尚もルイズの顔を睨みつけている霊夢の方へと顔を向けた。

 相変わらず嫌悪感漂う目つきではあるものの、ただ睨みつけているだけで何も言おうとはしない。

 やがてそれからちょうど一分くらい経とうとしたとき、黙っていた三人の中で先に口を開いたのは霊夢であった。 

「…でもさぁ。その後に教えてくれた゛二つの理由゛の二つ目を聞いたら、怒るに怒れないじゃない?」

 彼女はそんな事を言って軽いため息をついてから、もう一度その口を開く。

「アンタが二つ目の理由だけ話してくれたら、私だって発散できないこの嫌悪感を抱かなかったんだけどねぇ」

 霊夢は未だ素直になれないルイズへ向けてそんな言葉を送りつつ、゛二つの理由゛の二つ目を思い出し始めた。

 

 

 ルイズが霊夢に新しい服をプレゼントした二つ目の理由。それは俗にいう『お礼』と呼ばれるモノである。

 まだ付き合って二ヶ月ちょっとではあるが、ルイズは春の使い魔召喚の儀式で呼び出した彼女には色々と助けられた。

 盗賊フーケのゴーレムに踏まれそうになった時や、アルビオンで裏切り者のワルドに殺されそうになった時。

 自分の力ではどうしようもなくなった瞬間、彼女はルイズの傍にやってきてその身を守ってきた。

 それが偶然に偶然を重ねた結果であっても、彼女は自分を助けてくれた霊夢にある程度感謝の気持ちがあったのである。

 いつも何処か素っ気なく部屋で一人のんびりと過ごしているそんな彼女に、ルイズはこれまでのお礼がしたかったのだ。

 

 

(ホント、素直じゃないんだから…)

 二つ目の理由を思い出し終えた霊夢はもう一度ため息をつくと、困ったような表情を浮かべた。 

 先程彼女が呟いた言葉の通り、一つ目の理由だけで服を貰っても嬉しくは無くただただ嫌なだけだ。

 単に他人の見栄だけで貰った服を着てしまえば自分は着せ替え人形と同じだと、彼女は思っていた。

 しかし二つ目の理由を聞いてしまった以上、ルイズから貰ったあの服を無下にする事はできなくなってしまう。

 

 彼女、博麗霊夢は幻想郷を守る博麗の巫女であり何事にも縛られない存在ではあるが、元を辿れば人間の少女である。

 誰かにお礼を言われれば嬉しくもなるし、服にも全く興味が無いというわけでもない。

 正直ルイズから服を貰えた事に喜んではいたが、それと同時に素直でない彼女に呆れてもいた。

 その呆れているワケは今朝、朝食の後に街へ行こうと誘ってきた時の口論にあった。

 

今思えばいつもと違って妙に食い下がっていたし、自分を街に連れて行こうとした際の言い訳もおかしかった。

 きっとこの事をサプライズプレゼントか何かにしたかったのだろう。そう思ったところで霊夢はまたもため息をつく。

(最初から下手な言い訳なんかしなくたっていいのに)

 彼女は心の中で呟きつつ、こちらの様子を伺うかのようにジッと見つめているルイズの方へ顔を向けた。

 先程の言葉の所為か均整のとれた顔は心なしか強張っており、鳶色の瞳にも緊張の色が伺える。

 恐らく何も言わない自分が怒っているのだと思っているのだろうか。

(別に怒ってなんかないわよ。失礼なやつね…)

 霊夢はまたも心の中でそんなことをぼやきつつ、ようやくその口を開けて自分の意思を伝えようとする。

 別に言い訳なんかしなくても良い。今までのお礼として服を貰える事は自分にとっても嬉しい事だから、と。

 「大体。下手な言い訳なんかしなくたって最初から…―――…って…――――あれ?」 

 

 

 その直後であった。゛異常゛が起きたのは―――――――――

 

 喋り始めてからすぐに彼女は気が付いた。そう、突如自分の身に起きた゛異常゛に。

 

 

 彼女は喋るのを途中で止めて、目の前にいた二人がどうしたと聞いてくる前に席を立つ。

 最初は気のせいかと思ったがすぐにその考えが自分の甘えだと気づき、頭を動かして周りの様子を見回す。

 

 今自分たちがいる店内で食事を取っている客たちの声。魔法人形たちの奏でる音楽。

 カウンター越しに平民の店主と仲良く話し合っている貴族の男と、窓越しに見える通りを行き交う大勢の人々。

 そして、不思議そうな表情を浮かべて霊夢に何かを話しかけているルイズと魔理沙の姿。

「…………?…………………」 

「………!…………?」

 二人とも口を動かしているもののその声は一切聞こえてこず、まるでカラーの無声映画を見ている様な気分に霊夢は陥りそうになる。

 それを何とか堪えつつ、腰を上げたその場で見える光景を一通り見る事の出来た彼女は瞬時に理解した。

 

 

 つい゛先程まで゛自分の耳に入ってきた音という音が、今や゛聞こえなくなってしまった゛という事に。

 まるでこのハルケギニアから音だけを綺麗に抜き取ったかのように、何も聞こえなくなってしまったのである。

 

「一体何が?……あっ」 

 突拍子もなく音が聞こえなくなった事に僅かながら動揺した声を口から漏らした時、彼女は気が付いた。

 周りの音や他人の声は聞こえないが、自分の声だけはやけにハッキリと聞こえる事に。

 それに気づいた彼女は落ち着こうとするかのように軽い深呼吸をした後、赤みがかった黒い両目を鋭くさせてこの事態について考え始める。

 

 幻想郷での妖怪退治や異変解決、そしてスペルカードを用いた戦いにおいてもまず冷静にならなければ全てはうまくいかない。

 気持ちを落ち着かせれば今まで見えなかった解決策も瞬時に出てくるが、逆に焦ってしまえば相手に翻弄されて敗北を喫してしまう。

 それは戦いという行為をするにあたって初歩中の初歩とも言える事だが、霊夢はその『何時いかなる状況でもすぐに落ち着ける』という事に長けていた。

 自分の声意外が聞こえなくなったという異常事態におかれても、彼女は自分のペースを乱すことなく僅かな時間で落ち着くことができた。

 それを良く言えば博麗の巫女として優秀な証であり、悪く言えば酷いくらいにマイペースな証であった。

 

(紫の仕業?…イヤ、アイツならもっとストレートにきそうだけど)

 自分に話しかけてくる二人を無視しつつも霊夢は考え、一瞬あのスキマ妖怪のせいかと思ったがすぐにそれを否定する。

 もしも、自分に用があるのだとしたらまずこんな回りくどい事はせずに直接顔を出してくるだろう。

 確たる証拠は無いが、博麗の巫女としてあの妖怪と付き合い数多のちょっかいを掛けられてきた彼女にはそう言い切れる自信があった。

 

(アイツなら普通にスキマから顔を出したり、客に扮してコッチに話しかけてきそうね……―――…ん?)

 いつもニヤニヤしていて掴みどころのない知り合いの顔を思い浮かべた瞬間…。ふと左手の甲に違和感の様なモノを感じた。

 まるでほんわりと暖かい手拭いをそっと置かれたように、妙に暖かくなってきたのである。

 一体次は何なのかとそちらの方へ目を向けた瞬間、霊夢はその両目を見開いてまたも驚く羽目となった。

 

 召喚の儀式でルイズにつけられ、此度の異変解決の為に彼女がこの世界に居ざるを得ない原因を作り出した使い魔のルーン。

 

 この世界の神と呼ばれる始祖ブリミルの使い魔であり、ありとあらゆる武器と兵器を扱う程度の力を持ったというガンダールヴの証。

 

 そして、今のところたった一回だけしか反応しなかった左手のそれが、突如として光り出したのである。

 

 

「なっ…!?…これって…!」

 これには流石の霊夢も動揺と驚きを隠せず、目の前にいる二人もそれに気づいてか驚いた表情を浮かべている。

「………、……………?」

「…………ッ!?……、………!!!」

 魔理沙は初めて見るルーンの光に興味津々な眼差しを向け、霊夢に使い魔の契約を施した張本人であるルイズは突然の事に吃驚している。

 一方の霊夢もその目を見開いたまま、久しぶりに見たルーンの光を時が止まったかのようにジッと凝視していた。

 左手の甲に刻まれたルーンの光はそれ程強くもなく、例えれば風前の灯火とも言えるくらいに弱弱しい光り方をしている。

 しかしそれでも光っている事に変わりはなく、特にルイズと霊夢の二人は魔理沙よりも使い魔のルーンが光ったことに驚いていた。

 何せアルビオンで一回見たっきり全く反応しなかったソレが思い出したかのように輝き始めたのである、驚くなという方が無理に近い。 

 

(一体どういう事なの?今になって使い魔のルーンが光るなんて…)

 未だ驚愕の渦中にいるであろうルイズたちより一足先に幾分か冷静になっていく霊夢の脳裏に、とある考えが過る。

 

 まさか…自分以外の声が聞こえないというこの異常事態と何か繋がりがあるのではないか?

 

 突拍子もない仮説と言って切り捨てる事ができるその考えを、しかし彼女はすぐに破棄する事ができない。

(もし違うというのなら今の段階では証明できないし、―――あぁ~…かといって今の状況とルーンが繋がってる証拠も無し、か…)

 一通りの頭の中で考えた末に結論が出なかった事に対し、思わず首を傾てしまう。

 霊夢にとって今の状況は充分に゛異常゛と呼べる代物ではあるが、その゛異常゛を解決するための糸口となるモノがわからないままでいた。

 そして光り続けているルーンは単に光っているだけなのか、今のところは何の力も感じられない。

(参ったわねぇ~…。このまま耳が聞こえなかったら色々と不便になるじゃないの)

 常人ならとっくの昔に慌てふためいている様な状況ではあるが、そこは博麗霊夢。

 まるで傘を忘れて雨宿りしているような雰囲気でそう呟きつつ、ため息をつこうとする。

 

 

――――…

 

 

「……ん?」

 そんな時、彼女の耳に小さな『声』が入ってきた。

 まるで地上から十メートル程掘られた井戸の底から聞こえてくるようかのように、その『声』はあまりにも小さく何を言っているのかもわからない。

 普通の人間であるのならば、恐らくは空耳か幻聴だと思い込んで聞き逃してしまうだろう。

 しかし、この数分間他人の声を聞くことが出来ないでいた霊夢の耳はその『声』をしっかりと捉えることができた。

 

彼女は何処からか聞こえてきた『声』に辺りを見回すが、それらしい人物や物は一切見当たらない。

 もしかしたらとルイズたちの方へ目を向けるが、先程と同じく二人の声は全く聞こえてこない。

(何よさっきの声?…一体どこから聞こえてきたっていうの) 

 霊夢は心中で呟きながらも、大きなため息をつく。

 こうも立て続けにおかしい事が自分の身に降りかかってくるという事に、彼女は辟易しそうであった。

 しかしそんな事は後回しにしろ言わんばかりに、またもや正体不明の『声』が霊夢の耳゛にだけ゛入ってくる。

 

 

―――――…ム

 

 

(まただ、また聞こえてきた)

 先程よりも少しだけ大きくなった謎の『声』に、霊夢は無意識に首をかしげてしまう。

 恐らくこの『声』は彼女の耳だけにしか届いていないのだろう。ルイズと魔理沙の二人はキョトンとした表情を彼女に向けている。

 もし聞こえているのなら何からのリアクションを取るだろうし、取っていなければ聞こえていないという証拠だ。

 そして、霊夢がそんな事を考えている最中にも今の彼女に取り残された二人は何か話をしている。

「……?…………?」

 声が聞こえないので何を言っているかはわからないが、魔理沙は腰を上げた霊夢を指差しつつルイズに何かを聞いている。

 しかしその内容があまり良くなかったのか、ルイズは少し怒ったような表情を浮かべて黒白の魔法使いに詰め寄った。

「…!…………!」

「……?……………」

 そんなルイズに魔理沙は両手を突き出して止めつつ、笑顔を浮かべて嗜めようとしている。

(一体何を話してるのかしら?こうも聞こえないと無性に気になってくるわねぇ)

 魔理沙に指差された霊夢がそんな事を思っていた時…。

 

 

―――――…イム

 

 またもあの『声』が、耳に入ってくる。

 時間にすれば一秒にも満たないがある程度聞き取れるようになったソレを聞いて、霊夢はある事に気が付く。

 

 そう、周りの音や声が聞こえなくなった彼女の耳に入ってくる『声』は、女性の声であった。

 しかし…女性といっても今この状況で聞こえてくるであろう少女たちの声ではないし、この世界で出会ってきた人々や幻想郷の顔見知り達の声とも違う。

 

 自分の『記憶』が正しければ、この『声』は全く聞き覚えの無いものだ。

 

 謎の『声』に耳を澄ませていた霊夢がそう思った時、彼女はある『違和感』を感じる。

(……でも、おかしい)

 その『違和感』は先程左手の甲に感じた時とは違い、自身の『記憶』から感じ取ったものであった。

 

 それはまるで、九百枚ほどのピースがあるジグソーパズルのように繊細でとても小さな違和感。

 しかも額に飾られたそれは固定されていなかったのか、嵌っていたピースが何十枚か床に落ちて穴ぼこだらけのひどい状態を晒している。

 彼女はピースが嵌っていた穴の中から掴みだすかのように、その『違和感』を探り当てたのだ。

 

 周りの音が聞こえなくなり、突如光り出したルーンに続いて自分だけにしか聞こえない謎の『声』。

 ついさっき思ったように、この『声』に聞き覚えは無い。

 

 そう、無いはずなのだ。しかし…

 

(…何でだろう?この声。何処かで聞いたことがあるような無いような…)

 彼女はこの『声』に全く聞き覚えがないと、完全に肯定することができないでいた。

 本当に聞き覚えが無いのか、それとも記憶にないだけで一度だけ聞いたことがあるのか?

 怪訝な表情を浮かべ始めた霊夢は、周りの雑音と声が聞こえなくなった店の中で考え始める。 

 

 

 例えば、テーブルの上に置かれた二つある林檎の内一つだけを選んで食べろと誰かに言われたとしよう。

 

 一見すればどちらとも状態が良く、素晴らしい艶と色を持った朱色の果実。

 しかしその内の一つには毒が入っており、もしも間違って食べてしまえばあの世へ直行するだろう。

 彼女は慎重かつ冷静な気持ちで左の林檎を手に取るが、すぐに齧りつくようなことはしない。

 

 手に取った林檎とテーブルに置かれたままの林檎を見比べながら、彼女は頭を悩まし始める。

 彼女が頭を悩ましている原因は、きっと脳裏をよぎった一つの考えにあるだろう。

 

 『もしもテーブルに置かれている方が何の変哲もない普通の林檎で、手に取ったのが毒入りだったら…』

 

 単なるif(イフ)…つまりは『もしも』として思い浮かべたそれは、秒単位で現実味を帯びていく。

 外見はどちらともただの林檎で、目印になるようなものは一切見つからない。

 だからこそ悩んでしまうのだ。本当に自分の選んだ林檎こそ、毒が入っていない方なのか…

 

 しかし。彼女…霊夢にとってその迷いなど文字通り一瞬でしかない。

 頭に思い浮かんだ『もしも』など少し考えただけですぐに捨て去り、自分を信じて手に取った方の林檎に思いっきりかじりつくだろう。

 無論それに毒が入っていたら死んでしまうが、自らの身がそうなってしまう事を全く想定してはいない。

 持ち前の勘と思い切りの良さで今まで数々の異変解決と妖怪退治をこなしてきた博麗霊夢にとって、毒入りの林檎など恐れる存在ではないのだ。

 

 

(まぁ、気のせいよね。こんなにもおかしい事が続くから気でも立ったのかしら…?) 

 霊夢はたった数秒ほど考えて、謎の声に聞き覚えがあるか否かという事を『単なる気のせい』として片付けようとした。

 突然自分以外の声が聞こえなくなったことや使い魔のルーンが発光、そして謎の『声』。

 常人ならばパニックに陥っても仕方がないこの状況下で、彼女は酷いくらいに冷静であった。

 むしろその様な事態に見舞われているのにも関わらず、平気な表情を浮かべている。

 最初の時こそ軽く驚きはしたものの、数分ほど経った今ではこれからどうしようかと解決策を思案しているのが現状であった。

 

 

(とりあえず声より先に気になるのは…ルーンと私の耳かしらねぇ)

 謎の『声』に関してはひとまず置いておく形にして、彼女は残り二つの゛異常゛をどうする考えようとする。

 自分の事などそっちのけで、何事か話し合いをし始めたルイズと魔理沙をのふたりを無視して…

 

 しかし…事はそう単純ではなかった。

 『単なる気のせい』として片付けられるほど落ち着いていた彼女を、゛異常゛は許さなかったのである。

 

 

――――…レイム

 

「え―――――…あれ?」

 新たな思考の渦に自ら身を投げようとした時。俺も仲間に入れてくれよと言わんばかりに、あの『声』が霊夢の耳に飛び込んできた。

 最初に聞いたときはあまりにも小さく、誰の声で何を言っているのかもハッキリとわからなかったあの『声』。

 しかしそれまでのとは違い通算四度目となるそれはハッキリと聞き取れ、何を言っているのかわかった。

 同時に、この『声』に何故聞き覚えが無いと絶対に言い切れなかった原因も。

 それに気づいた彼女は、思わずその目を丸くしてしまう。

 

 何故、聞き覚えが無いと思っていたのだろうか?

 何故、自分の周りから聞こえてくるのだろうか? 

 

 そんな事を思ってしまうほど、彼女にとってこの声は身近なモノであった。

 いや、もはや身近という言葉では言い表せないだろう。何故なら、彼女だけに聞こえているその声は――――

 

 

―――――…レイム

 

博麗霊夢。つまりは自分自身の声だったのだ。

 

 

「私の――――…声?」

 その事実に気づいて呟いた瞬間。彼女の視界の端を『黒い何か』が横切っていく。

 まるで風に吹かれて揺らぐ笹の葉のようなそれは、美しい艶を持った黒髪であった。

 霊夢がその髪を見て咄嗟に後ろを振り向いた時、目を見開いて驚愕する。

 

 振り返った先には、一人の女性がいた。

 

 歩いて一メイルほどもない所にある出入り口の前で背中を見せている女性は、ポツンとその場に佇んでいた。

 先程霊夢が見た黒髪は腰に届くほどまでに伸ばしており、窓から入る陽の光で綺麗な光沢を放っている。

 少しだけ開かれた店内の窓から入る初夏の風でサラサラと揺れ動くその髪は、一本一本が正確に見えた。

 霊夢自身も黒髪ではあるが、あれ程美しい艶や光沢を放ったことは無い。

 もしも今の様な状況に陥っていなければ、何と珍しい黒髪かと思っていただろう。

 

 だが…。彼女はその事に対して驚いたのではない。

 席を離れて十歩ほど足を動かせば、身体がぶつかってしまうであろう距離にいる女性の服を見て、驚いたのである。

 

 

 血やトマトの色というよりも、何処かおめでたい雰囲気を感じる真紅の服とロングスカート。

 霊夢と魔理沙が本来いるべき世界で起こったという古代の合戦から生まれたと言われる紅白の片割れである紅色は、否応なく目立っている。

 足に履いた革茶のロングブーツは、見た目や歩きやすさだけではなく攻撃性すら要求しているようにも見受けられる。

 もしもあのブーツで力の限り踏まれたり蹴り技をくらうものならば、単なる怪我で済まないのは一目瞭然だ。

 だが、霊夢が驚いた原因の根本はそのどれ等でもない。

 彼女が女性の服を見て驚いた最大の原因は、真紅の服と別離した―――『白い袖』にあった。

 

 彼女が付けているそれよりも若干簡素なデザインをしつつも、常識的には珍しい白い袖。

 不思議な事に、まるで真冬の朝に見る雪原のように静かでありながら何処か儚い雰囲気が漂っている。

 いつの間にかその袖を食い入る様に見つめていた霊夢はその両目を力強く見開き、口を小さくポカンと開けている。

 もしもルイズや魔理沙にも女性の姿が見えていれば、嘲笑よりも先に霊夢と同じように驚くのは間違いないだろう。

 そう、幻想郷でもたった一人しかいない結界の巫女と同じ姿をした者がいる事に。

 

 

 多少の差異はあれど、目の前にいる女性の姿は霊夢と同じく――゛博麗の巫女゛そのものであった。

 

 

 

「アンタ…誰なの?」

 気づけば、霊夢は無意識にそんな言葉を口走っていた。

 その言葉を向けた先にいるのは、彼女に背中を見せている黒髪の女性。

 真紅の服と白い袖をその身に着ける、自身と似たような姿をした謎の女性。

 

「アンタは、何なの?」

 彼女の言葉に女性は何も言わず、体を動かすことも無い。

 ただ店の出入り口の前に立ち、自らの後ろ姿をこれでもかと見せつけている。

 書き入れ時を過ぎたとはいえ営業妨害とも思えるその行為に、店の人間は何も言ってこない。

 いや、言ってこないのではない。気づいてすらいなかったのである。

 初めからいないと思っているように、霊夢以外の皆が女性の存在を無視していた。

 振り返った彼女の近くにいたルイズと魔理沙も同じなのか、キョトンとした表情を浮かべて出入り口を見つめている。

 その二人に気づかぬほど冷静さを失い始めていく霊夢は、またも呟いた。

 自分にしか見えていないであろう女性へ向けて無意識に口から出た、疑問の言葉を。

 

「アンタは―――――――…私?」

 

 言い終えた瞬間、霊夢の耳に再び『声』が入ってきた。 

 寸分たがわぬ彼女自身の声でたった一言だけ……こう呟いた。

 

 

 ――――…霊夢

 

 

 直後、出入り口の前にいた女性の体がパッと消えた。

 まるで最初からいなかったかのように、その存在そのものが消失したのである。  

 その様子を最後まで見ていた霊夢の脳内で唐突に、ある仮説が生まれた。

 

 

 もしかすると、自分の身に起きた異常事態を起こしたのは…彼女ではないのか?

 

 

 その時、左手のルーンがフラッシュを焚いたかのようにパッと一瞬だけ力強く輝く。

 瞬間。ルーンの光と呼応するかのように霊夢の視界が白く染まり、次いで彼女の脳内で誰かが囁いてきた。

 先程聞こえてきた自分自身の声とは違い酷いノイズが混じった声は、こう言ってきたのである。

 

 

 『ヤツを、追え』――――と

 

 

「――――――…ッ!」

 気づけば、その体は無意識に動いていた。

 どうして頭より先に体が動いたのか、今の声は誰だったのか。それを理解できるほど今の彼女は落ち着いてはいなかった。

 そんな彼女の心境を表しているかのように、左手の甲に刻まれた使い魔のルーンは先程よりもその輝きを増している。

 まるで霊夢に何かを語り掛けているかのように、その光は強くなっている。

 木造の床を蹴り飛ばすかのように足を動かして、彼女は出入り口へ向かって走り出した。

 しかし、先程まで女性が佇んでいた店の出入り口となるドアへ近づいた瞬間…

 

「……―――ょっと、レイムッ!?」

 懐かしくも、そうでないルイズの声が聞こえてきた。

 それと同時に、まるで世界に音が戻って来たかのように、店内の音と声が霊夢の耳に入ってくる。

 だが、いつもの冷静さをかなぐり捨ててドアを開けた彼女は、その声を聞く前に店を飛び出していた。

 ルイズ達を置いて、街へと再び躍り出た彼女が何処へ行くかは誰も知らない。

 ただ…。霊夢の左手に刻まれたガンダールヴのルーンは、これまでの鬱憤を解消するかのように光り輝いている。

 

 まるで彼女を、何処かへ導くかのように。

 

 

 アルベルトとフランツは思った。オーク鬼を相手に素手だけで勝てる人間はこの世にいるのかと。

 ハルケギニアに住む人間ならば貴族平民問わず、誰もがその質問にこう答えるだろう。

 

「勝てるワケがない」と、確かな自信を持って。

 

 無論二人はそれを知っているし、仕事柄数々の亜人と戦ってきた経験も豊富にある。

 醜悪な外見とその体に見合わぬ俊敏な動き、そして人間以上の怪力を持つオーク鬼は非常に手強い。

 彼らとの戦いでは、例えメイジであっても一瞬のミスが命取りになるのだ。

 そんな相手を素手だけで戦おうというのは、もはや自殺行為以外の何物でもない。

 そして自殺をするなら、まだ首を吊ったり高所から飛び降りた方が楽に死ねるのは火を見るより明らかだ。

 だから二人は常に思っている。武器なしでは亜人に勝つどころか戦う事さえできないという事を。

 

 だからこそ、二人は我が目とハルケギニアの常識を疑った。

 目の前の『光景』は、一体何なのかと。

 

「あ…あ…」

 フランツの後ろにいたアルベルトは口をポカンと開けて、自身の目でその『光景』を凝視していた。

 彼の前にいるフランツは、信じられないと言いたげな表情を浮かべたまま目を見開いている。

 そして彼らの前に現れ、突如乱入してきたオーク鬼に襲われたローブを羽織った者は…その右手で『突き破っていた』。

 

 まるで槍か剣のように突き出したその手で突いたのは、脂肪と筋肉に包まれた分厚い皮膚で守られた額。

 そのような皮膚を持っているのは、ハルケギニアに住まう者たちから恐れられる亜人の一種であるオーク鬼だけだ。

 

 そう、ローブを羽織った者の手が突いたのは…襲いかかってきたオーク鬼の額であった。

 あと少しでオーク鬼に噛み付かれそうになった瞬間。垂直に突き上げた右手がオーク鬼の額を破って脳を突き、見事その息の根を止めたのである。

 しかしローブを羽織った者の後ろにいた衛士たち二人は、その瞬間を見ることができなかった。

 瞬きをした瞬間には、既にオーク鬼は今の様な状態になっていたのである。

 

 頭をやられて絶命した亜人の両腕はだらしなく地面へと下がり、ついで右手に持っていた棍棒が手から滑り落ちる。

 今まで多くの人間や同族たちを屠ってきた血だらけのソレは鈍い音を立てて地面を転がり、ローブを羽織った者の足元で止まった。

 肥え太った体はピクリとも動かず、力を失った両腕がフックで吊り下げられた肉のように揺れ動く。

 標準的な人間の五倍ほどもある体重を支える足からも力が抜けていき、今や地面に突っ立ているだけの肉塊と化していた。

 やがて頭を貫いたその手でオーク鬼が死んだことを感じ取ったのか、ローブを羽織った者は突き出していたをスッと後ろへ引き始める。

 突くときは目にも止まらぬ早業で突いたのにも関わらず、引き抜くときにはとてもゆっくりとした動作でその右手を引き抜いていく。

 しかしその光景は、まるで抜身の剣を鞘に納める時のようにとても滑らかで一種の美しささえ併せ持っていた。

 だがそれを全てぶち壊すかのように、骸となったオーク鬼が死してなお自らの存在をアピールしている。

 

 五秒ほどの時間をかけて右手をオーク鬼の頭から引き抜いた瞬間、亜人の体がゆっくりと右側に傾いていく。

 二人の衛士たちが未だ唖然とした表情を浮かべている中、オーク鬼の骸は大きな音を立てて地面に倒れこんだ

 そしてそれを見計らったかのように貫かれた額から血が流れ始め、むき出しの土が見える地面を真っ赤に染めていく。

 オーク鬼を殺したローブを羽織った者はその様子をじっと見つめていたが、その後ろにいる二人は別の方へと視線が向いていた。

 彼らの視線の先にあるのは、ローブを羽織った者の『右手』であった。

 

 その右手はオーク鬼の赤い血の色や黄色い脂の色でもなく、青白い光に包まれていた。

 まるで夜明けの空と同じ色の光で包まれたその右手は、驚くほどに綺麗だ。

 あの右手でオーク鬼の頭を貫いて仕留めたのにも関わらず、体液の様なモノは一切付着していないのである。

 一体自分たちの目の前にいるのは何だ?人間ではないのか?

 オーク鬼が現れた時も全く騒がなかった馬の上で、フランツの脳裏に数々の疑問が過ってゆく。

 

 どうして素手で亜人を殺せたのか。あの右手を包む光は何なのか。そもそもアレは人間なのか。

 

 答えようのない疑問ばかりが脳内に殺到する中、彼の後ろにいたアルベルトがポツリと呟いた。

「ば…化け物…。化け物だ…」

 彼の声が聞こえたのか。こちらに背中を向けていたローブを羽織った゛何か゛が、素早い動作で振り向いた。

 まるで彼の言った「化け物」という言葉に反応したかのように、それは早かった。

 近くにいたフランツはいきなり振り向いてきた事に驚いて馬上で体を揺らした瞬間、見た。

 

 

 頭から被ったフードの合間から見える、赤く輝くその両目を―――――――



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第六十二話

 

 トリステイン王国の中心部であるトリスタニアは規模こそ小さいながらも、かなりの人口が密集している場所だ。

 大小様々な通りや路地裏といった街の中は勿論、劇場に役所などの公共施設にもうんざりするほどの人がいる。

 古めかしい印象漂う旧市街地には浮浪者や貧困層の平民が今も暮らしており、未だ人の住みかとしての役目を続けていた。

 街の地下を通る水道なども家を持てない連中の巣窟となっており、逆に人のいない場所を探せというのが困難だろう。

 

 ある程度差はあるが、人という種の生物は生まれた時から他者と寄り添って暮らすものだ。

 自分は一人でも大丈夫だと言い切る者も、無意識的に人のいるところへ近づいてしまう。

 中には俗世を捨てた坊さんの様に一人寂しく山奥で暮らすような者たちもいるが、それはほんの少数。

 

 人間は他の生物と比べ個々の力は弱いものの、群れるとなればその本領を発揮する。

 数多の文明を作り上げてきた手足を使い、敵対する相手を打ちのめす武器を作り上げる。

 相手に勝利した後はその頭脳をもって歴史を作り上げ、後世の子孫たちにそれを言い聞かせて生活圏を拡大していく。

 そうやって安寧の地を作り上げてきた人々は、互いに寄り添う事は大事なのだと無意識に理解しているのだ。

 

 しかし…。それは決して、お互いを支え合って暮らしているという事ではない。

 

 

 ◆

 

 チクトンネ街にある自然公園。

 夜には昼の倍に活気づくこの街の中央から少し離れた場所に、そこはあった。

 今から二十年前、街の中にもっと自然を入れようという考えから生まれたこの公園には今日も大勢の人が訪れている。

 国中の庭師や建築家達を招集してて作られたここは、正に人工の森と言っても良いだろう。

 散歩道に沿って植えられた木々が初夏の日差しを遮り、歩いている人々を僅かながらにも涼ませている。

 

 規模を比べればブルドンネ街にある公園よりも小さいものの、中央には池が作られている。

 そこにはカエルやメダカといった小さなものから、タニア鯉やサンショウウオといった大きな水生生物たちが暮らしていた。

 池の周りには囲うようにしてベンチを設置しているほか、貴族専用の休憩小屋まで建てられている。

 水のあるところには必ず人が来ると予想してか、公園の中にはアイスクリームや軽食などの屋台まである。

 少なくとも街中の噴水広場より大きく開放感のある場所の為か、今日はいつにも増して公園を訪れる人が多い。

 平民や貴族といった事は抜きにして家族やカップルに従者を連れた者から、一人で来ている者まで様々だ。

 

 

 そんな池の周りに設置されたベンチの一つに、黒髪の少女が座っていた。シエスタである。

 魔法学院で給士として奉公している彼女は、若草色のスカートに半袖のブラウスといったラフな出で立ちをしている。

 溜まっていた休暇を使って午前から街へ遊びに来た彼女は、従妹と一緒にこの公園を訪れていた。

 最も。シエスタが従妹と出会ったのは偶然であり、彼女の家が何をしているのかも知っていたのでその時に軽く驚いたのだが。 

 従妹はチクトンネ街の方で叔父と一緒に夜間営業の店を開いているので、朝と昼の時間は寝ている筈なのだ。 

 寝なければ夜の仕事に影響が出るであろうし、何よりも寝不足というのは女性にとって大敵そのもの。

 それを知らない従妹ではなく一体どういう事かとシエスタが聞いたとき、自分も今日は休みだと彼女は教えてくれた。

 

「ここ最近は忙しかったからね、久しぶりにアンタと会えるなんてこっちも嬉しい所さ」

 店の看板娘と誇れる綺麗な顔に微笑を浮かべて、彼女はそんな事を言ってくれた。

 

 

 そんなこんなでお遅めの昼食をとった後、折角だからとこの公園に来て三十分程が経過して今に至る。

 何か飲み物を買ってくると言った従妹と一時別れたシエスタは初夏の暑さを肌で感じつつ、従妹が帰ってくるのを待っていた。

 燦々と大地を照らす太陽の光と熱が彼女の身体を炙り、平民にしてはやや綺麗な肌からは玉のような汗が滲み出る。

 それをハンカチで拭いつつ一体いつになったら帰ってくるのかと思った時、うなじの部分から何か違和感の様なものを感じ取った。

 暑い空気が漂うこの場所で、その違和感が何なのかすぐに分かったシエスタが後ろを振り向いた瞬間…

 

「きゃっ…冷たっ!」

 冷たい結露を滲ませた瓶が頬に当たり、彼女は小さな悲鳴を上げた。

 直後、その紙コップを持っていた人物がその顔の筋肉を緩ませて笑い始める。

 

「ハハッ、ドッキリ大成功だ!」

 まるで落とし穴にはまった阿呆を笑い飛ばすかのようにシエスタの従妹、ジェシカは言った。

 貴重な休暇の真っ最中である彼女の服装はシエスタと同じく、この季節に合わせて涼しげな印象がある。

 白い木綿のシャツは体より少し大きめではあるが、胸が大きいせいかブカブカしてはいない。

 それどころか、彼女の長所の内一つであるそれを周りにこれでもかとアピールしていた。

 無論路地裏にいるような娼婦ほど下品ではなく、いつも仕事で着ている服と比べればまだまだ控えめ程度なのだが。

「もう…真昼間だからって驚かさないでよ」

「イヤァ~悪い悪い、ちょっと戻ってくる途中に魔が差しちゃってね?…っあ、はいコレ」

 シエスタの苦言を軽い言葉と共に聞き流しながら、ジェシカは右手に持っていたアイスティーが入った瓶を手渡した。

 全く反省の色を見せない彼女にシエスタは小さなため息を突きつつ、それを受け取る。

 従姉が受け取ったのを確認してからジェシカも彼女の隣に座り、瓶の中に入っている炭酸飲料を飲み始めた。

 普通の物よりやや大きい瓶の中に入っているオレンジソーダは小さく波打ちながら、ゆっくりと彼女の喉を通っていく。

 一方のシエスタは彼女と違いすぐにアイスティーを飲もうとはせず、申し訳なさそうにその口を開いた。

 

「…ありがとうジェシカ。お昼ご飯だけじゃなくてわざわざジュースも奢ってくれるなんて」

「う…ひぃって、ひぃって!ふぇつにふぃにひなふてほ」(う…良いって、良いって!別に気にしなくても)

 突然従姉からお礼を言われたことに、ジェシカは瓶を口に着けたまま言葉を返す。

 しかし何を言っているのかわからないうえ行儀の悪い従妹の素行に、シエスタはついついその表情を曇らせてしまう。

 シエスタの顔色を見てすぐに察したのか、ジェシカは少しだけ慌てたように口から瓶を離した。

 

「もう…貴女って子供の頃からそうよね」

 呆れたような従姉の言葉に、ジェシカは「ヘヘへ…」と照れ隠すように笑う。

「自分はお行儀よく生きてるつもりなんだけどねぇ。…何て言うかな、育ちが違うってヤツ?」

 先程と同じく反省していない様子の従妹にシエスタはまたもため息をつきつつ、ようやくアイスティーを飲み始める。

 つい数分前まで氷水に浸かったおかげでキンキンに冷えた瓶の中身が、彼女の口内を刺激していく。

 少し過剰とも思える程度に冷たいアイスティーの味と香りをじっくりと堪能しつつ、それを喉に通らせていく。

 それから二口分ほど飲んで口から瓶を離し、シエスタはふぅ…と一息ついた。

 彼女の口から出たそれは飲む直前のため息とは違い、生き返ったと言いたげな雰囲気が込められている。

 

「……美味しいね。冷たくて」

「でしょ?」

 従姉の口から出た感想に、従妹は満面の笑みを浮かべた。

 

 それは、二人の大事な休日の一シーン。

 細かくすれば、公園の中で起こっている様々なイベントの一つ。

 もっと遠くから見れば、チクトンネ街の中で起こった些細とも呼べぬ出来事。

 そして空の上から見下ろせば…トリスタニアに住んでいる何万人もの平民たちの内、たった二人の会話。

 誰かの目には入るかもしれないが、永遠に記憶されないであろうその会話。

 しかし二人にとっては、青春時代の思い出に刻まれるであろう大切な一時なるのだ。

 まるで制限時間付きの魔法を掛けられたお姫様のように、二人は残された午後の時間を楽しむだろう。

 

 人という生物は群れる事によって強固な都市を作り、世代を重ねて平和を謳歌する。

 ここにいれば安全に生きていけるし、外敵に怯える夜を過ごさなくても良い。

 だから忘れてしまった。自分たちを脅かす要素が内側からも発生するであろうことに。

 

 自然公園からもう少し北の方へ進むと、小さな林が広がっている。

 かつて旧市街地の遊歩道兼小さな公園として作られたここは、今や誰も訪れぬ場所となっていた。

 

 人の手と自然の力によって作られたここは死んだように静まり返っており、遠くの方からは街の喧騒が聞こえてくる。

 まるで墓地のような雰囲気を漂わせるこの場所には、唄を囀る小鳥もいなければ野を駆ける動物たちもいない。

 そこから進んだところにある樹海の入り口とここを隔てるように設置された錆びた鉄柵の所為で、外の世界から来る者がいないのだ。

 風に吹かれてなびいた木々が自然の音楽を奏でてはいるが、それがかえってこの場所を不気味にしている。

 碌に整備されず好き放題に伸びた雑草が荒廃した雰囲気を作り、遠くから聞こえてくる明るい喧騒が空しさを駆り立てる。

 まるでここは箱庭。ただ砂の地面に木や芝生の置物だけを設置して構成された空虚な世界。

 普通の神経を持った人間ならば、すぐにでもここを離れて人気のある場所へと走るだろう。

 それは常識的に最も正しい答えであり、大衆が賛同する模範的解答例に違いない。

 

 しかし――――゛少女゛は好きであった。人気のないこの小さな世界が。

 誰もが忘却してしまった朽ちた箱庭のような此処が、なんとなく好きになってしまったのである。

 

 

「……………」

 一見すればボロ布と勘違いされるであろう黒いローブを羽織った゛少女゛は何も言わず、ただじっと空を見上げていた。

 枝と木の葉が擦れる音を耳に入れつつ、゛少女゛は雲が緩やかに流れていく光景を目に焼き付けている。

 朝方と比べ幾分か冷たくなった初夏の風が特徴的な少女の黒髪と、後頭部に着けた赤いリボンをフワフワと揺らす。

 まるで鱗翅目の中で中々麗しい容姿を持つ蝶のような形をした赤色のリボンは、この場所で最も目立つ色をしていた。

 腰ほどまで伸びた黒い髪は陽の陽の光に当たり、艶やかに輝いている。

 肌の色はハルケギニアに住む人間と比べると若干黄色が混じってはいるが、近くで見なければまずわからないだろう。

 無表情ではあるが顔の方も均整がとれていて文句は無い。正に花すら恥じらうという言葉が似合う程。

 ここまで言えば容姿端麗の美少女なのだが。唯一意義を唱えるべき個所が一つだけあった。

 

 

 ゛目゛だ。

 

 ゛少女゛の眼窩に嵌っている、二つの球体状のそれ。

 赤みがかった黒い両目は確かに美しいものの、どこか虚ろな雰囲気があった。

 

 まるで路地裏に暮らす孤児のように、何かを悟り諦めてしまったかのような絶望感。

 生きていく希望や理由すら失い、生ごみでも食んで毎日を無作為に過ごしていくような虚無感。

 

 まともな人生を歩んでいる人間が浮かべる事の出来ないようなそれが、その両目から惜しみなく滲み出ている。

 きっと゛少女゛がその両目で睨めば多くの人間が怯み、自ずと消え失せていくであろう。

 しかし、゛少女゛はそれでも良いと思っていた。他人の為に気を使うならば、ずっと一人でいる方が気楽だと。

 だから好きになれたのかもしれない。自分と同じように、誰からも愛されなくなったこの場所を。

 

「………」

 空を見上げていた゛少女゛は、ふと何かを思い出したかのように頭を下ろす。

 青と白の美しい景色から一転して目に映るのは、周りを囲むように生えている雑木林。

 十年近くも前から手入れされなくなったこの場所は、夏が訪れようとしているのに薄ら寒い何かが漂っている。

 かつて人から名前を貰ったこの土地も、多くの人々の記憶から忘れ去られた今では死に体も同然。

 撤去されたベンチの埋め合わせで生えてきた雑草は少女の膝くらいの高さにまで伸びており、お世辞にも歩き易い場所ではない。

 少し厚めの靴下を履かずに歩こうものなら、無駄に成長している草たちでその足を切ってしまうだろう。

 幸いにも゛少女゛が今いる場所はそれほど成長しておらず、注意して歩けば怪我をすることはない。

 しかし、゛少女゛はそんな理由で頭を下げたのではなかった。

 

 頭を下ろした゛少女゛を囲むようにしてできている小さな雑木林。

 リスやトカゲといった小動物はいないものの、きっとコガネムシやバッタなど昆虫たちの住処と化しているだろう。

 雑木林にその身を囲まれている゛少女゛はその場から動くことなく、ゆっくりと周囲を見回し始めた。

 まるで何かを探しているかのように、頭だけを動かして見回している。

 顔色一つ変えずそのような事をしている゛少女゛の姿は、何処となく不気味な何かが漂っている。

 

 やがて十秒ほど辺りを見回した時、突如゛少女゛の動きが止まった。

 まるでリードを引っ張られた犬の様にその体をビクリと止めた゛少女゛の視線の先にあるのは無論、雑木林。

 常人が一見すれば何の変哲もないであろうその林…否、その林の゛向こう゛から、゛少女゛は感じ取っていた。

 

 自分をここまで連れてきた、゛怒り゛の根源であろう゛何か゛の気配を―――――

 

 ゛少女゛は目の前をじっと見据えたまま、思い出し始める。

 なぜ自分がこんな場所へとやって来たのか、その理由と経緯を。

 

 

 数時間前、゛少女゛をとある苦痛から助け出した゛怒り゛の感情がこんな事を教えてきた。

 『お前は今から、ある場所へ行け』と。 ゛少女゛自身の心が、゛少女゛の体にそう命令したのである。

 ゛少女゛はその指示に従って森の中を歩き、途中襲いかかってきた豚頭の怪物を葬ってここへ来た。

 その時近くにいた二人の人間が襲いかかってきたのだが、その人たちがどうなったのか゛少女゛は良く知らない。

 襲われた張本人である゛少女゛自身が覚えていないというのはどう考えてもおかしいが、本当に何も覚えていないのだ。

 

 ただ。二人の内一人が何かを言ってきた時、自分の意識が混濁したことだけはハッキリと覚えていた。

 何を言われたのかという事も覚えてはいないが、きっとその言葉は自分にとって一番言われたくない言葉だったのだろう。

 もしもそうならば、むしろ思い出す必要は無いと決めて゛少女゛は考える事をやめた。

 

 

 そうして何も考えずただ゛怒り゛の指示に従って歩き、今に至ってようやく゛少女゛は理解した。

 

 

 ――――――゛怒り゛は、導いてくれたのかもれない。

             自分を苛んでいた痛みの根源である、゛何か゛と会わせるために…

 

 

 その瞬間であった。

 目の前の林から二つの小さくて薄い物体が飛び出してきたのは。

 

 少なくとも亜高速の銃弾より遅いであろうそれはしかし、並大抵の人間の目では決して捉える事はできないだろう。

 それ程の速度で迫ってくる二つの物体に対し゛少女゛は頭で考えるより先に体を動かし、咄嗟に左手を前に突き出す。

 突き出したと同時に二つの物体と左手が見事衝突した瞬間、不思議な事が起こった。

 何とその物体は、まるで糊が塗られているかのようにピッタリと゛少女゛の左手に貼りついたのである。

 

「あっ…――…えっ?」 

 一体何なのかと軽く驚きそうになった瞬間、そこで゛少女゛は気づく。

 自分に目がけて飛び出してきた物体の正体が、二枚の紙であったことに。

  長方形の白いそれには、赤い墨を使って文字か記号の様なものが書かれている。

 それが目に入った瞬間、今まで無表情であった゛少女゛の目がカッと見開かれた。

 

 ゛少女゛は知っていた。この紙に書かれている文字がどういう意味を示しているのか。

 そして、これの直撃を喰らう事が非常に危険だという事だと。

 直後、゛少女゛の左手に貼りついた二枚の紙がパッと一斉に光り輝く。

 

 まるで信号弾のように青白いその光は、あっという間に彼女の体を包み込み―――――爆発した。

 

 黒色火薬や系統魔法のどれとも違うそれは、本来はこの世界に無い力に包まれている。

 それ程強くもない爆発だというのにそこから生まれた風は強く、地面の雑草を吹き飛ばし雑木林を激しく揺れ動かす。

 地面の土が煙となって一斉に舞い上がり、爆発の中心にいた゛少女゛ごと周囲を包み込む。

 爆発自体は一瞬であったものの、その一撃はあまりにも強かった。

 しかも爆弾や魔法でもない、たった二枚の紙がそれを引き起こしたのである。

 もしこの事を知らない人間に事情を話しても、すぐに有り得ないの一言でバッサリ切られてしまうだろう。

 

 

 

「――――――成る程。…こりゃまた、とんでもないのがやって来たわね」

 

 

 辺り一帯が土ぼこれに包み込まれ、爆風の余波で今も揺れ動く林の木々。

 先程とは一変してやかましくなったその場所へと、一人近づこうとしている゛彼女゛がいた。

 爆発に巻き込まれた゛少女゛と同じ色の髪に同じ色とデザインの赤いリボンを頭に付けた、赤みがかった黒い瞳の゛彼女゛。

 紅白の服と黄色のスカーフを身に着け、服とは別になっている白い袖を腕に着けている゛彼女゛の表情は不機嫌なものとなっている。

 

「まぁ、ここ最近は動きが無かったから充分休ませてもらったけど…」

 

 ゛彼女゛は黒いローファーを履いた両足でゆっくりと歩きながらも、一人何かを呟きながら歩いている。

 白いフリルがついた赤のセミロングスカートをはためかせ、爆発の中心部へ向かって一歩一歩確実に近づいていく。

 右手には先程の爆発を起こした原因である白い紙と同じものを三枚、しっかりと握り締めていた。

 もしもあの爆発を見ていた者がいたら、きっと気づく者は気づいていたに違いない。

 あの爆発を起こしたのは、もしかすると゛彼女゛かもしれないと。

 生憎この場に居合わせているのは゛少女゛と゛彼女゛の二人だけであったが、それは間違っていない。

 あの紙を゛少女゛に投げつけ、爆発させたのは゛彼女゛の仕業だった。 

 

「だからって、来ただけで散々人を驚かせるなんて…ちょっと趣味にしては悪質よねぇ?」

 

 尚も濃厚な土煙が漂う爆発の中心部の前で足を止めた゛彼女゛は、まだ呟いている。

 もしもこの独り言が他人に聞かれたとしても、きっとその言葉に含まれている事実を知ることは出来ないだろう。

 立ち止まった゛彼女゛はその場でジッと土煙を睨み、その中にいるであろう゛何か゛を見据えようとしている。

 中心地に何がい今はどういう状況になっているのかという事も知らなかったが、゛彼女゛は感じていた。

 わざわざ自分を街の中央から、こんな人気のない場所へと導いたであろう傍迷惑な゛存在゛の気配を。

 

「メイジとかキメラといい――――…そしてアンタといい。本当、この世界は面白くて厄介だわ」

 

 独り言をつづけながらも、゛彼女゛はジッと睨み続けている。

 初夏の風に吹かれて少しずつ薄れていく土煙の中から見える、黒い人型のシルエットを。

 奇妙な事に、そのシルエットの正体が突き出したままであろう左手がボンヤリと薄く光っている。

 煙越しに見ているせいかもしれないが、まるで空中に浮かぶ火の玉のようだ。

 

「さてと、痛い目にあわして色々と聞きたい前に一つだけ質問するけど…」

 

 ゛彼女゛がそう言った時、段々と薄くなっていく土煙の中からゆっくりと゛少女゛が歩いてきた。

 左手を突き出した姿勢のまま、突如攻撃をしてきた゛彼女゛と同じ歩調で足を前に進めて迫ってくる。

 段々とその姿がハッキリと見え始めた時、゛彼女゛は静かに身構えた。

 まるで飢えた猛虎と対面した獅子のように、いつでも先手を打てるよう左手を懐に伸ばす。

 その直後。爆風の中からようやく出てきた゛少女゛が、目の前にいる゛彼女゛と対峙するかのようにその場で足を止めた。

 

 爆発でその身に羽織っていたローブが破け去った今、゛少女゛の着ている服が明らかとなった。

 

 紅白を基調とした服に黄色のスカーフ。そして服とは別々になっている白い袖。

 赤いセミロングのスカートには白いフリルがついており、土煙の所為で少しばかり汚れている。

 足に履いているのはローファーではなくブーツであったが、それ以外は゛彼女゛と全く同じ容姿をしていた。

 

 

 そう、全く同じ容姿をしていたのだ。瓜二つや双子という言葉では例えられない程に。

 

 顔の形や肌と目の色も全て、型を取って量産された安い置物のように二人の姿は九割方一致している。

 違っている点は履いている靴とその顔に浮かべた表情、そして体から滲み出ている゛怒り゛であった。

 ゛彼女゛の体からは、段々と熱くなっていくお湯の如く怒りに満ちていく気配と癇癪玉の如き不機嫌さが募った表情。

 ゛少女゛の体からは、心の芯まで冷えてしまうような氷の如く冷静な怒りの気配と人形の様な無表情。

 

 だが…それ等を別にして何より目立っていた共通項は、双方ともに光り輝く゛左手゛であった。

 先制攻撃を仕掛けてきた゛彼女゛の左手にはルーンが刻まれており、それを中心にして薄く輝いている。

 一方の゛少女゛の左手には何も刻まれていないものの、夜中の墓地を彷徨う幽霊の様にボンヤリと光っている。

 

 人気失せて久しい森林公園の中。

 そこに今、殆ど同じ容姿をした二人の少女が対面している。

 見れば誰もが困惑するであろう。段々と現実から離れてゆくその光景に。

 

 

 

「アンタ、一体何なのよ?」

 

 ゛彼女゛―――博麗霊夢の口から出た唐突な質問に、

 

「…それは、こっちが聞きたいくらいよ」

 

 ゛少女゛――…博麗霊夢は手短に返した後。戦いが始まった。

 

 方向性はそれぞれ違うものの、二人の心が゛怒り゛のそれへと染まりきった状況の中、

 全く同じ姿と声を持ち、互いに左手が光っている二人の霊夢の戦いが、今まさに始まろうとしていた。

 



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第六十三話

 日暮れの時が迫りつつあるチクトンネ街。 

 その一角でルイズと魔理沙の二人は、予想だにしていなかった相手と鉢合わせになっていた。

 花も恥じらう美女の姿をしたその者は異国情緒漂う白い導師服に身を包んでおり、周囲に場違いな雰囲気を放っている。

 彼女の名は八雲紫。霊夢と魔理沙の故郷である幻想郷の創造者で境界を操る程度の大妖怪だ。

「久しぶりね二人とも、元気にしてたかしら?」

 

 まるで故郷で旧友と再会したかのような気軽さでもって、紫は目の前にいる二人へ話しかける。

 本来ならこのハルケギニアにいないであろう彼女を前にして、ルイズは恐る恐るといった感じで返事をする。

「ユカリ…一体何の用かしら」

「別にコレといった用事はありませんけど、アレといった用事で少し足を運んでみただけですわ」

 まるで尋問のようなルイズの質問を、暖かい笑みを浮かべる紫はワケのわからない言葉で返した。

 ルイズ自身後ろにいる魔理沙や今この場にいない霊夢とは違って付き合いが短いせいか、その言葉の本質をすぐには見出せない。

 しかし、あまりにも深く考えすぎるとこの妖怪の手中に嵌ってしまうようが気がするので、敢えて考えないようにしていた。

 そしてここ最近、霊夢や魔理沙にデルフと言った厄介すぎる連中と同居し始めた所為かルイズ自身の沸点は少しだけ高くなっている。

 おかげで、ある程度ワケのわからない事を聞いても言われてもあまり怒る気にはなれなくなっていた。

 

「じゃあ言うけど、アンタの言うアレといった用事は…霊夢の事よね?」

 一月前なら不機嫌になっていたであろうルイズは冷静な表情と気持ちでもって、二度目の質問を投げかけてみる。

 思いのほか怒らなかったことに、紫は「あらあら?」と不思議そうなモノを見る目で首を傾げた。

 

「流石にあの二人と暮らしていると、一々怒るのにも飽きてしまったのかしら?」

 以前彼女に杖を突きつけられた紫はそんな事を言いつつ自身の右足をスッと動かし、一歩前へ進み出る。

 飾り気はないものの綺麗に手入れされた黒のロングブーツの底が石造りの地面を軽く叩き、景気の良さそうな音が周囲に響く。

 街の喧騒と比べればあまりにも儚すぎるそれは、あっという間に聞こえなくなってしまう。

 ただ単に生まれ、何も生み出さずに消えた音の事を気にする者はおらず、その一人であるルイズが返事をする。 

「言っておくけど、これでも結構我慢してる方なのよ。そういう風には見えないのかしら?」

 怒るのに飽きたという紫の言葉に対して返された彼女の言葉には、僅かではあるが怒りの念が滲み出ていた。

 その念から並の妖怪を退ける何かも出ていたのか、紫はヤレヤレと言わんばかりに肩を竦める。

「その様子だと色々あったようですわね。私から見れば、まずまずといった所ね」

 

 何がまずまずといった所なのかは知らないが、それでもルイズは突っ込まない。

 地面に腰を下ろしている魔理沙とは違いジッと佇んで身構えており、その姿は人見知りの激しい猫そのもの。

 正に動かざること山の如しな今のルイズの態度につまらない何かを感じてしまったのか、紫はフゥとため息をついた。

「…何よそのため息?アタシは何もしてないんだけど」

 しかし偶然にも、残念なモノを見た時の様な反応がルイズの癪に障ったらしい。

 思わず顔を顰めた彼女を目にして、咄嗟に右手で口元を隠した紫は目を細め「ふふふ」と小さな声で笑う。

「別に何もありませんわ。ただ、目の前の貴女が水で固めただけの砂の城だとわかって安心しただけですのよ」

「は…?砂の城…?…水で固めた…どういう意味よ」

 先程のため息とは一変して楽しそうな雰囲気漂う彼女の言葉が、またしてもルイズの耳に入る。

 言葉の意味がよく分かっていないルイズの怪訝な様子に、笑顔を浮かべる紫自身がその答えを告げた。

「水で固めた砂の城は中々崩れないけど、その気になれば赤子の手足でも簡単に壊れてしまうものよ」

「つまり?それと私に何の関係があるっていうの?」

 これが最後の質問だと言いたげな嫌悪感を放ち始めたルイズに、紫はトドメの一言を放つ。

 

「今の様に突けば突くほど、面白いくらいに反応を見せてくれるわね。貴女という人は」

「な――――……あ!」

 叩いて蹴って崩れてしまう、砂の城みたいにね。最後にそう付け加えて彼女はその口を閉じる。

 それを聞くまで何を言われているのか理解できなかったルイズは、今になって気づいてしまった。

 自分が今の今まで、言葉を使ってからかわれていたという事に。

 からかわれないようにと自然に気を付けていたのにも拘らず、気づかぬ間に彼女のペースに嵌っていたのである。

 それを理解したと同時に沸々と心の底から小さな怒りがゆっくりと湧きあがり、ついでその両手がゆっくりと震え始めた。

「あらら、思ってたよりも随分溜まってたのかしら。手が震えていますわね」

そして追い打ちともいえるその一言に、ルイズの怒りがその一部をさらけ出してしまう。

「よ、余計なお世話よ!」

 今まで頑なに閉じていた口を開けてそう叫んだ彼女は、慣れた動きで腰にさした杖を手に取った。

 幼少の頃から使ってきたソレの先端が、風を切る音とともに紫の方へと向ける。

 何の迷いもなく向けたそれはしかし、持ち主の手が震えている所為かそれと連動するかのように小刻みに動いている。

 だがその震えは恐怖からくるものではなく、怒りからくるものであった。

 

 そんな時であった、ルイズの後ろから魔理沙の声が聞こえてきたのは。

 

「お、何だ何だ?今から派手で面白そうなモノが見れる気がするな」

 今まで黙っていた魔理沙が杖を抜いたルイズを見て、興味津々と言いたげな表情でもって呟く。

 その姿はまるで、路上で行われる大道芸を見れることにドキドキしている子供そのものである。

 彼女の声に気づいてか、ルイズと対峙する羽目になった紫はその視線を魔理沙の方へと向けた。

 

「今から私が大変な目に遭いそうだというのに、随分したたかにしているわねぇ」

「何を今更。お前ならあのインチキじみたスキマでどうとでもなるだろう」

「あらひどい、まるで私のスキマが何でも出来るみたいじゃないの?」

「そうか?私が見てきたものだと並大抵の事はできたような気はするが?」

 

 そんな二人の会話をしている間にも、怒り心頭となってしまったルイズは詠唱を行っていく。

 鋭く細めた両目でもって自分を睨みつけてくる彼女に対して、紫は至極冷静であった。

 まるでずっと遠くで大暴れしているハリケーンを見つめるかのような、物見遊山な雰囲気がある。

 

 一方の魔理沙も山の時の様にルイズを止めることなく、その場に腰を下ろしたままルイズの詠唱を見物している。

 霊夢を探してここまで走ってきて疲れていた事もあるが、別に紫とは特別親しい間柄でもない。

 何より、ルイズの使う魔法を拝めるチャンスがようやく舞い込んできたのだ。

 この三つの理由のおかげで魔理沙は立ち上がる事もなく、楽しそうにルイズの背中を見つめている。

 そして詠唱を終えたルイズはというと、震えが止まった右手で握る杖を振り上げ…

「エア・ハンマー!」

 と覇気のある声でそう叫び、勢いよく振り下ろした。

 

 瞬間、紫とルイズの間でパッと閃光が走り―――爆発が起きた。

 

 

 本来なら風で出来た不可視の鎚となるはずだった魔法は、周囲を巻き込む衝撃波と煙幕に変わったのである。

 爆発の威力自体はそれほど無かったが、それを引き起こした張本人とその後ろにいた魔理沙にとって只事ではなかった。

「うわ、な…うぅっ!?」

 全く予想していなかった事態に直面した彼女は、ルイズの近くにいた為かモロにその衝撃波を喰らってしまう。

 灰色の煙幕と共にやっきてたソレに、魔理沙は思わず左腕で顔を隠して凌ごうとする。

 着ている服や右手に持っていた帽子がバタバタと揺れ、露出した肌を容赦なく撫でて通り過ぎていく。

 それから五秒ほどして衝撃波も無くなり、周囲には煙だけが不気味に漂っている。

 

 

「あ~、アレか。空気を叩いて爆発させた……のか?」

 薄くなっていく煙の中で魔理沙は冗談交じりにそう呟いて立ち上がり、ルイズの方へと目を向ける。

 爆発の威力自体はさほど大したものではなかったおかげで、彼女が被った被害は微々たるものであった。

 服やマントに破けた所は無く、自慢のピンクブロンドや白い肌にも傷一つ付いていない。

 もっとも魔理沙より至近距離にいた為か所々煤けており、まるで工場の煙突から出る黒煙の中を通って来たかのような姿だ。

「ケホ…ケホッ!」

 そしてルイズはというとつい煙を吸ってしまったのか、左手で口を押えて咳き込んでいる。

 咳き込む彼女の後姿を見つめていた時、魔理沙はふと紫の事が気になった。

 スッと頭だけを動かしてあの大妖怪が立っていた場所を見てみると、案の定その姿は消えている。

 最初からそこに存在して無かったかのように、何の痕跡すらも残さず。

 

「ケホッコホッ……あれ?ユカリの奴は何処に行ったのよ」

 魔理沙に続くかのように咳が止まったルイズも気づき、煤けた出で立ちのまま目を丸くする。

 ついカッとなって唱えてしまったし「エア・ハンマー」は見事に失敗し、爆発魔法へと変異したのだ。

 ここ最近、授業でも日常でも魔法を使っていなかった事もあってかルイズ自身も驚いてしまい、咳き込んでしまった。

「まさかあの爆発で木端微塵…って事はないわね」 

 杖を持っていない方の手で顔についた煤を拭きながら、そんな事を呟く。

 あの爆発が大したものではないと彼女自身も理解できるほど、思考に冷静さが戻っていく。

(ムシャクシャしてやった…ってのはこういう事なのかしら)

 死んだとは思えないが先程まで自分をからかってきた相手が目の前から消えたことに、怒りという名の刀身が鞘に収まる気がした。

 それを体の内側で感じていた時であった、上の方から紫の声が聞こえてきたのは。

 

「結構な爆発でしたわね。ちょっと驚いてしまいましたわ」

 

 ルイズと魔理沙がそれに反応して頭上を見上げた瞬間、目の前の空間に横一文字の線が現れた。

 まるで先端が少し太めの羽ペンで引いたかのようなソレが、ジッと空中で静止している。

 現実とは思えない光景を目にしたルイズはハッとした表情を浮かべ、その場から数歩後ろへ下がった。

 下がる間にも頭上からは尚も紫の声が聞こえてくる。人ならざる者の妖美なる声が。

「何もない所から爆発の力を引き出す程の魔力、中々の代物ね」

 その言葉と共に細い線の真ん中が突如パカッと開き、中から一本の手が飛び出してくる。

 ついで、二本目の手も同時に飛び出して来たかと思うとそのまま上半身まで抜け出てきた。

 ルイズや魔理沙とは違いその服に傷や煤は付いておらず、新品同然といっても過言ではないだろう。

「でも未だ扱いきれてないせいか、コントロールはイマイチといった感じかしら?」

 空中に出来た一本の線――スキマから上半身を出している紫は、後退るルイズへとその目を向ける。

 

「正に癇癪玉と言って良い様な貴女を、今の霊夢がいる場所へ行かせるのは危険極まりないわ」

 眼下の少女へ向けてその言葉を放った紫は、不敵な笑みを浮かべていた。

 この言葉の後に彼女がどのような事を喋り、どのような行動を移すのか予想するかの様に。

 

 

 

 自分の最大の敵は、自分自身である。

 

 その言葉をどこで知ったのか、霊夢自身あまり覚えていない。

 自身が何時の頃にどのような経緯で、そしてどんな媒体から得たのか。それすら忘れてしまっている。

 物心ついた時には既に、頭の中に入っていた様々な知識の中の一つとしてこの言葉がこっそりと入っていたのだ。

 しかし。そんな言葉に拘るような性格をしていない彼女にとって、あまり役に立つ知識ではなかった。

 彼女が日々考える事は今日一日をどのようにして過ごそうか、何で神社にまともな人間が参拝しに来ないのか。

 幻想郷の平和を維持する博麗の巫女にしてはあまりにもふしだらな事を、お茶を飲みつつ暢気に考えているのが霊夢であった。

 

 だが…今日に限って、彼女の脳内に一つの言葉が浮かんでいる。

 自分を見つめ直し、生き方を変えようともしない博麗霊夢には似つかわしくないその言葉が。

 

 

「自分の敵は自分…ねぇ」

 トリスタニアの繁華街から少し離れた公園の中。

 ルーンが刻まれた左手が不自然に光っている霊夢はひとり呟きながらも、四メイル先で佇む゛もう一人の自分゛を睨みつけている。

 不機嫌さを隠そうともしない彼女の視線の先には、文字通り二人目の゛レイム゛がいたのだ。 

 紅白の服や白い袖に赤いリボン。肌や髪の色にその顔立ちや瞳の色に青白く光るその左手まで。

 まるで鏡に映りこんだ自分自身のように、生き写しやそっくりさんというレベルでは済まないその姿。

 その全てが全く同じ過ぎるあまり、不気味な印象を周囲に漂わせている。

 最も、周囲には霊夢以外の人はいないので大した意味は無いのだが。

 

 だが…その印象を感じている唯一の人間である霊夢にとって、目の前のレイムは非常に苛立たしい存在であった。

 ルイズによってこのハルケギニアに召喚されて以降、彼女は色々な相手と戦ってきた。

 学院の生徒から魔法使いの騎士といった人間や、野犬から得体の知れない合成生物。

 そして人間などあっという間に踏み潰せる巨大なゴーレムまでその種類は幅広く、そして一応は勝利している。

 

 それ等を相手にしていた時の彼女は、今よりも大分落ち着いていたし冷静であった。

 常に自分がどう動けばいいのか考慮し、相手がどの様な手を打ってきても対処できるよう構えておく。

 幻想郷で度々起こる異変を解決し、時には凶暴な妖怪と戦う博麗の巫女にとってそれは当たり前の事。

 我を忘れて攻撃すれば致命傷を喰らいかねないし、逆に相手が冷静ならば罠に嵌ってしまう可能性もある。

 歴代の巫女と比べて一番ヒドイと評される彼女であっても、戦いの時は常に冷静であれと心がけている。

 どのような相手を前にしてもペースを崩さず落ち着いた気持ちで対応し、自分のペースを忘れずに戦ってきた。

 

 しかし、今目の前で佇む相手はこれまで目にしてきたどんな相手よりも、腹立たしい気持ちを感じていた。

 

 まるで鏡に映った自分が自分とは違う意思を持ったようなソイツに、今の霊夢は憤っている。

 人には決して分からないであろう、自分がしないような事をしているもう一人の自分を見るようなある種の不快感。

 例えるならば禁酒を始めた自分の目の前に突如、酒を嗜むもう一人の自分が現れた…と言えば良いだろうか。

 普通ならば決して有り得ないであろうが、今の霊夢が直面している状況は正にそれであった。

 自分と似た姿を持ちながら、自分とは絶対的に違う何かを含んだ歪な存在。

 そんな存在を前にして珍しくも、霊夢は自身の体から拒絶にも近い嫌悪感を放っていた。

 

 こんなモノを目にするのは不快だ。今すぐ消し去ってやりたい―――という意思と共に。

 

 

「何処の馬鹿が仕組んだのかは知らないけど…悪趣味にも程があるわね」

 ただいま不機嫌キャンペーン中の彼女はそんな事を呟きながら、右手をゆっくりと頭上に掲げていく。

 まるで届きもしない太陽を掴もうとするかのような右手は、三枚のお札を握り締めている。

 そして一度目を瞑って軽く深呼吸したのち、その手を勢いよく振り下ろす。

 

 瞬間。握っていたお札が手から離れたと同時に、まるで自我を持ったかのように偽者へと突撃した。

 風を切る音を出しつつ迫りくる紙切れに対し身構えた偽者は、左手をスッと胸の前まで上げる。

 奇妙な事にその左手は青い光に包まれており、誰が一見しても異常だという言葉を漏らすほかないだろう。

 まるで鬼火のように妖しい光を放っているソレでもって、もう一人の霊夢は迫りくるお札を受け止めようとしているのだろうか?

 遅くもなくかといって速くもないお札は、四メイルの距離を僅か三秒の時間を使って通過し、偽者の方へと突っ込む。

 当たれば二度目の直撃になるであろうその攻撃に対し、偽者は青く光る左手を振った。

 まるで水平チョップのようにして振られた光りの尾を引くその手は、飛んできたお札と見事衝突する。

 先程ならそのまま左手に貼りつき、妖怪や幽霊が苦手な゛ありがたい言葉゛が籠った霊力を周囲にばら撒いていたそのお札。

 

 

 しかし…

 そのお札以上に不可思議な光を放つ左手の前では、単なる長方形の紙も同然であった。

 水平チョップの要領で振られた偽者の左手が、霊夢の投げつけたお札と衝突した瞬間。

 霊力の籠った゛ありがたい言葉゛が書かれた三枚の紙は、いとも容易く引き裂かれたのである。

 

 

 まるで障子に張られた薄い紙を子供がイタズラで破くように、たった一瞬で紙屑と化す。

 邪気を払う霊力や゛ありがたい言葉゛も、単なる紙くずに付与されていては何の意味もない。

 文字通り力を奪われた元三枚のお札は塵紙となって、偽者の前でヒラヒラと地面へと舞い落ちる。

 それを見ていた霊夢は軽い溜め息をついてから、服と別離した左袖の中へと右手を伸ばす。

「何でアンタの左手が光ってるのか大体分かったけど、私の方の原因が分からないのはどうも癪に来るわね」

 対峙してからまだまだ五分も経ってもいないが、相手の攻撃方法(?)が何なのか霊夢は既に理解していた。

 彼女の偽物の左手は濃密な霊力に包まれており、青白い光となって目視できている。

 そして余りにも力が濃いせいか盾と矛…つまりは攻防一体の武器と化してしまっているのだ。

(あんなに強いと、そりゃお札も破れるわな) 

 左手がそのまま武器となっている自分の偽物に対し、心底面倒だと言いたげな霊夢は心の中で呟く。

 先程は成功した自分の攻撃が防がれたのにも関わらず、その体からは新たに余裕の雰囲気が伺える。

 相手の攻撃方法がある程度分かった以上、対処法はあっという間に思い浮かべられるのだから。

 まだ手札が残っている可能性は否定できないものの、その手札を出す前に潰すのだから問題は無い。

 不快な程に瓜二つな偽物をどのように対処するか既に考えた霊夢は、それを実行する前に一つだけ聞きたい事があった。

 

 彼女は知りたかったのだ。自分をここまで導いた゛何か゛の正体を。

 

 折角の休日だからとルイズや魔理沙と一緒に街へ赴いた今日という日。

 サプライズのつもりで買ってもらった服の事について、街中のレストランで話をしていたのがついさっきの事。

 素直になれないルイズに自分の意見を述べようとしたところで、思わぬ横槍が入ったのだ。

 突然周りの音が聞こえなくなり、それに便乗するかのように光り出す左手。

 この世界で伝説と呼ばれた使い魔のルーンが刻まれたその手は、今もなお輝いている。

 そして自分の身に降りかかった出来事を冷静に対処しようとしたところで、妨害が入ったのである。

 音が聞こえなくなった耳に入ってくる、博麗霊夢自身の声。

 口からではなく自分の周りから聞こえてきたその声に、あの時の彼女は驚いた。

 更に追い打ちをかけるかの如く現れた謎の女性と、「奴を追え」というノイズが混じった謎の声。

 博麗の巫女である自分とよく似たその女性は霞の様に消え去り、ノイズ混じりの声は男性とも女性でもなかった。

 その声に導かれるかのようにここまでやってきた霊夢は、自身と全く同じ姿をした存在と対峙している。

 ブルドンネ街のレストランからここに来るまでの原因となった謎多き出来事、そして辿り着いた先にいたもう一人の自分。

 あまりにも不可解過ぎる出来事の真実から正しい答えを探すことは、非常に困難であろう。

 しかし霊夢は、その答えを自分の偽者へと聞こうとしていた。

 

 ここまで自分を連れて来たのはお前か?それとも別の誰かなのか?

 そして、お前をけしかけたのは誰なのか…ということも。

 

「アンタ。一体何の目的があってやってきたのかしら?…っていうか、何で私の姿をしてるのよ」

 右手を左袖の中に入れたまま投げかけた霊夢の質問に対し、意外にも偽者は反応する。

 しかし…それは言葉としてではなく、首を横に振るだけであった。

 言葉が無くとも相手の言いたい事が理解できたのか、霊夢は澄ました表情で肩をすくめる。

「まぁ、簡単に言うワケ無いわよね…。何となくそんな気がしてるから期待もしちゃいなかったけど」

 ここぞと言わんばかりに、彼女は自分と同じ姿をした存在へ嫌味な言葉を容赦なく投げかける。

 もしもこの光景を第三者が見ていたら、とても奇妙な光景だと思う事は間違いないだろう。

 しかし。偽物であっても霊夢の姿をしていた所為か、一方的に文句を言われるのはキライだったらしい。

 本物が呆れた表情で毒づいてから数秒後、偽物がゆっくりとその口を開けて呟いた。

「―――…いわ」

「………ん?何よ?岩?」

 虫の羽音程小さくはないソレに本物が気づくのには、数秒ほどの時間を要した。

 自分の文句より小さすぎる偽者の声に気づいた霊夢は、怪訝な表情を浮かべる。

 もしかしたら何か思い出しかのと勝手に思い、右手を左袖の中に入れたまま次の言葉を待ってみる事にする。

 二度目の言葉は、霊夢が予想していた範囲内の時間で偽者の口から出てきた。

 ただし、それを耳に入れたと同時にまたも自分の期待を裏切られたと勝手に落胆することとなったが。

 

「…わからないわ。何もかも」

 まるで自分自身に言い聞かせるかのような言い方に、霊夢はまたもため息をつきたくなった。

 今までこの世界で戦ってきた敵と比べて変わっていたから何か知っているかと思ったが、それは過剰評価だったらしい。

「あっ、そう。じゃあ言いたいことはそれだけ?他に言いたい事があるのなら手短に述べなさい」

 もうすぐ夕食の時間だから。最後にそう付け加えて、左袖の中に入っていた右手をスッと引き抜いた。

 

 服と別離している袖の中から出てきた右手は、四本の細い針をしっかりと掴んでいる。

 裁縫や針治療に使うとも思えない程の長さを持つそれを、霊夢やその周りにいる者たちは「退魔針」や「封魔針」と呼ぶ。

 その名の通り妖怪退治などで使う武器の一つで、妖怪だけではなく実体を持たぬ幽霊相手にも一応刺すことは出来る。

 他にも普通の人間や動物相手なら普通に凶悪な武器として使えるのでお札より幾らか便利なのは確かだ。

 唯一の欠点を挙げれば、お札と違って使った後の手入れが面倒な事と補充しにくいという事だけだろうか。

 つまり二つの短所にさえ目を瞑れるのなら、非常に使い勝手のいい武器なのだ。

 

「本当にわからないのよ…。自分が誰で、アンタがどんな名前なのかも……」

 霊夢が手にした針の方へ目を動かしつつも、偽者は独り言を呟いている。

 身構えた体勢のままじっと相手の武器を見つめる姿は、正に戦士そのものと言ったところか。

 いつでも戦えるという偽者とは対照的に、一方の本物はこれから戦うという意思を見せていない様に見えた。

 まるで街角に佇む暇な若者のように、一見すれば体の力を抜いているかのような雰囲気が伺える。

 こうして見比べてみると、本物夜も偽者の方が強そうに見えるのは火を見るよりも明らかだろう。

 しかし本物である霊夢の体からは外見とは真逆である怒りの気配を放っており、近寄り難い雰囲気を漂わしている。

 一方の偽者も並々ならぬ雰囲気をまき散らしており、一触即発としか言いようのない状況。

 どちらか一方が攻撃を始めてしまえば取り返しのつかない、所謂冷戦状態と言っても過言ではないだろう

 

「でも、自分の中にある゛怒り゛が導くままにここへ来て――――…私と瓜二つのアンタと出会った」

「瓜二つって言いたいのはコッチの方なんですけど、それはどうなのかしらねぇ?」

 まるで劇に出てくる役者のセリフみたいな言葉に突っ込みを入れながら、霊夢は針を持つ手に力を入れた。

 既に針全体の霊力は通っており、このまま投げて命中すれば致命傷を与えられる。

 仮に相手が普通の人間だったのならば、単に刺さるだけだがそれでも接近して一撃を与える事はできるだろう。

(どっちにしろ早く片付けないと。…全く、何だって今日はこんなにも面倒事が多いのかしら)

 霊夢は心中で愚痴を漏らしながらも、ここに来る羽目となった原因は何だったのか考えていた。

 突然耳が聞こえなくなった事に、今まで光らなかったルーンが突如として光った事。

 自分の声が自分の耳に入ってきた事や、博麗の巫女みたいな姿をした女性の幻影まで見てしまった事。

 そして男とも女とも断定できない、ノイズ混じりの声が聞こえてきた事を思い出したところで、霊夢はふと思い出す。

 

 女性の姿が掻き消えて少なからず動揺していた時、あの声が聞こえてきた。

 その後、まるで声に導かれるようにしてここまでやってきたのである。

 そこまで思い出し終えた時だ。霊夢の脳内で一つの結論ができあがったのは。

(もしかして…あの声の主が、私をここまで連れてきた張本人?とすると、ソイツが…)

 

―――――幻想郷に未曾有の異変をもたらしたっていう、黒幕なのかしら?

 

 霊夢がその様な結論を下した直後であった、彼女の偽者が突如地面を蹴って跳躍したのは。

 地面を覆う雑草を幾つか吹き飛ばし、飛蝗の様に跳びあがったレイムを霊夢はハッとした表情で見上げる。

 彼女と同じ姿をした偽者は霊力で光る左手を振り上げた姿勢のまま、本物の方へと落ちて行く。

 もしもこのままジッとしていれば振り下ろし左手に脳天をチョップされてしまうだろうが、それを受け入れる霊夢ではなかった。

 

「人が考え事してる最中に攻撃してくるなんて、とても出来の酷い偽者ね!」

 こちらへ向かって落ちてくる偽者へ他人ごとではない言葉を投げかけつつ、霊夢は右手に持った針を投げつける。

 

 襲いかかってくる相手が何なのか、一体何が目的なのかも未だわからない。その相手が何もわからないと言っているのと同じように。

 ただ一つ。自分を殺しに掛かってきている事は確かだと、絶対的な確信を得ることは出来た。

 

 夕刻の時が間近に迫りつつあるトリスタニアの一角。

 歴史と伝統で飾られた街から離れてしまった公園で、戦いがはじまった。



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第六十四話

 数十年ほど前までは人が訪れていたであろう、公園と呼ばれていた広い敷地。

 今はベンチすら取り外され、放置された雑木林や雑草がこの地を支配している。

 

 もうすぐ真夏だというのに何処か薄ら寒い何かを漂わせており、人が近寄らないであろう環境を作り上げている。

 敷地内に吹く風は市街地と比べれば若干涼しいが、その風に揺らされている林や雑草が不気味な音を奏でていく。

 きっと三流劇団が演じるホラー劇よりも怖いと感じてしまうそんな場所のあちこちに、誰かがいた痕跡が色濃く残っていた。

 一見すれば良くわからないが、目を凝らしてみれば目が不自由な人以外にはわかる程の痕が付いている。

 碌に整備すらされず、好き放題に伸びている林の木々には何本もの針が刺さっている。

 放置された自然さが漂う雑木に食い込んだ針は鈍い銀色を放ち、あまりにも不自然すぎる空気を醸し出していた。

 雑草が生い茂っているはずの地面にも不自然で小さなクレーターがいくつも出来ているが、モグラの仕業ではないだろう。

 小さな爆竹を地面に埋め、何らかの方法で爆発させれば作れそうな穴は、どう考えても動物の手で作れる代物ではない。

 何故そう言い切れるのかといえば、答えはすぐにもでも言えるだろう。

 

 雑木林に針を投げつけ、地面に小さなクレーターを作ったのはたった一人の人間。

 このハルケギニアで異国情緒漂う衣服を身に着け、赤みがかった黒い瞳と黒髪を持つ十代後半の少女。

 右手に持った数本の針で、まだまだ自然を傷つけようとしている者は、博麗霊夢という名を持っていた。

 

 

「…よっ!」

 霊夢はその口から小さな掛け声を上げ、右手に持った針を勢いよく投げつける。

 本来は妖怪退治の為に作られた銀色のソレは風や重力に捕らわれる事無く、真っ直ぐに飛んでゆく。

 薄い布きれから硬質的な人外の皮膚まで貫ける先端部分が向かう先には、これまたもう一人の゛霊夢゛がいた。

 そっくりさんというレベルでは例えられない程似すぎているもう一人の霊夢(以降、偽レイム)は、こちらへ向かってくる針に対しその場でしゃがみ込む。

 腰を低くした姿勢になった事で彼女の顔に突き刺さっていたであろう針は標的を刺すことが出来ず、空しくもその頭上を通過した。

 標的に避けられた針は投げられた時と同じスピードのまま、偽レイムの背後にあった雑木に突き刺さる。

 刃物が通る程度の硬い物に刺さった時の様な音が周囲に響いたが、それを投げた霊夢は一向に気にしない。

 それどころか、相手が隙を見せたことを好機だとさえ思っていた。 

 今の彼女は、針を陽動用の囮武器として使っているのだ。一々気にしていたらキリがないのである。

 そして、針を避ける為に腰を低くした偽レイムを叩くための時間を手に入れた彼女は、すぐさま行動に移った。

 

 ローファーを履いた足で地面を蹴飛ばしつつ二、三メイル程もあった相手との距離を一気に詰める。

 自身の力である『空を飛ぶ程度の能力』でもって地面から数サント程浮き上がり、ホバー移動の要領で偽レイムへと近づく

 その時になって、隙を作ってしまった事に偽者が気づいた直後、既に本物は二回目の攻撃を行う直前であった。

 相手の懐へと入った霊夢はその場で瞬時に着地、次いで息つく暇もなく右足を振り上げる。

 風を切り裂く鋭い音と共に振り上げられた右足の爪先は、偽レイムの顎を打ち砕かんとしていた。

 

 しかし、甘んじてそれを受け入れる気は無いのか、すれば偽物ではあるが同じ姿を持つ相手の動きを先読みしていたのだろうか。

 偽者は自身の顎に目がけて迫ってくる霊夢の右足を、咄嗟に動かした右手で見事に受け止めたのである。

 本来なら相手の顎を蹴り上げ、そのまま空中で一回転する筈だった霊夢は勢いに任せて左足も上げてしまい、結果…

「わっ!」

 口から素っ頓狂な声を上げて宙に浮いてしまった彼女は、背中から地面に落ちてしまう。

 まだ地面に残っていた雑草がクッションとなったものの、それに気づいたり背中を襲う微かな痛みに苦しむ暇すらない。

 そんな事をしていれば逆に隙を取られてしまったが為に、その隙を逆手に取った相手の反撃が来るからだ。

 

 彼女の右足を掴んでいる偽レイムは空いている左手で握り拳を作り、それから力を溜めるようにスッと振り上げる。

 直後、その左手が青白く光り始めると同時に只ならぬ気配が周囲に漂い出した。

 そこから漂ってくる気配は霊夢にとって最も知っている力であり、同時にそれが危険だとも理解していた。

(結界で包まれた拳で殴られるとか、冗談でもお断りよ!)

 足を掴まれた彼女は心中で呟きつつも小さな舌打ちをし、偽レイムに掴まれていない方の足に力を入れる。

 ピアノ線で引っ張られているかのように指先を天へ向けた左側のソレを、霊夢は勢いよく動かし始めた。

 まだ動く足がある事に気が付いた偽レイムは攻撃を中断してそちらの方へ目を動かした瞬間、キツイ一撃が彼女のこめかみにヒットした。

「ぐぅ!」

 まさかの攻撃に偽レイムは痛みに悶える声を口から出して、右足を掴んでいた手の力を緩めてしまう。

 とりあえず無茶苦茶に動かした左足が偶然にも相手に直撃し、霊夢の右足は無事解放された。

 一撃をもらった偽者が右のこめかみを両手で押さえながらよろめいている間に、すかさず体勢を整えて距離を取る。

(今のは惜しかったかしらね。もう少しで蹴り飛ばせるところだったけど)

 針やお札が入っている懐に手を伸ばしつつ、次はどう仕掛けようか策を練っていた。

 

 戦い始めてから既に五分近くが経過したが、偽レイムがどのような戦い方をするのか霊夢は既に把握していた。

 偽者ではあるがお札や針と言った飛び道具を持っていないのか、基本は接近戦を仕掛けてくる。

 使用してくる体術などは霊夢本人が覚えているものである為、先を読んで回避する事自体は容易い。

 しかし、相手の方もこちらと同じなのか先程の様にカウンターを取られてしまうのだ。

 そして霊夢自身も相手にカウンターを仕掛けるので、ちょっとした無限ループになっていた。

 遠距離からお札や針などを投げても簡単に避けられてしまい、今に至るまで決定打を与えられないでいる。

 スペルカードという手もあるが、持ってきている枚数が少ないうえ威力が低めのカードばかりという始末。

 

 そして偽レイムの回避能力と゛光る左手゛から繰り出される攻撃の威力を直に見ている霊夢は、どう戦おうか慎重に考えていた。

 

 自分と同じ回避能力を持った相手ならば、今持ってるスペルで弾幕を放っても全て避けられるのはこの目で見なくともわかる。

 ならば近づいてボコボコすれば良いのかもしれないが、今の彼女はそれを行う事にある種の躊躇いを感じていた。

 別に自分と同じ顔だから殴れないし蹴れないというナルシスト的な理由では無く、偽者が持つ゛光る左手゛が原因である。

(何にしてもあの結界包みの手は厄介ね、あんなの一発でも喰らったらただじゃ済まないわ)

 霊夢は相手との距離をジワジワと離しつつ、あの左手から放たれる攻撃の凄さを思い出す。

 

 

 

 それはこの戦いが始まって直後の事。

 突如跳びあがった偽レイムを返り討ちにせんと勢いよく針を投げつけた時であった。

 跳ぶ以前に光っていた左手をサッと胸の前に突き出し、霊夢の放った四本の武器を゛弾いた゛のである。

 普通ならば突き出した手の甲にグッサリと突き刺さっていた針は勢いよく吹き飛び、見失ってしまった。

 飛んで行った針に霊夢がアッという声を上げて軽く驚いた時、偽レイムが彼女の目の前に着地していた。

 

 そして胸の前に出していた左手を振り上げたのが目に入った瞬間、彼女は反射的に後ろへ下がった。

 青白い光を帯びたその手が勢いよく振り下ろされ、まだ昼方にも関わらず霊夢の身体を青白く照らす。

 下がっていなければ唐竹の如く両断されていたかもしれない霊夢は、直に感じたのである。

 あの手の光は非常に危険だ、下手に当たれば碌な目に遭わない…と。

 

 そうして下手に近づけず、ただイタズラに針とお札を消費しながら今の現状に至る。

 これからどうしようか。霊夢がそう思った時、ふと相手の様子が都合の良い事になっているのに気が付く。

「う゛っ…あぅ…」

 先程こめかみにキツイ一撃を貰った偽レイムは頭を左手で抱えながらふらついており、回復する様子は無い。

 その姿はまるで大音量のノイズで耳元で聞かされたかのように、うめき声を上げて苦しそうにしている。

 左手の光も水を掛けられた焚き火の様に消えており、 今ならば追撃を行っても返り討ちに会う可能性は少ないだろう。

(これぞ…正に好機、といったところね)

 心の中で嫌な笑みを浮かべつつ、霊夢は懐から一枚のスペルカードを取り出した。

 相手との距離は約五メイル程度、やろうと思えば瞬間移動で後ろから殴りかかる事もできる。

 しかし、後ろへ回った途端に襲い掛かられては元も子もないのでこのままキツイ一撃でトドメを刺すのがベストだと判断した。

 取り出したカードが丁度欲しかったモノだと確認した後、霊夢は軽い深呼吸を行いつつも今に至るこれまでの経緯を軽く思い出す。

 ただルイズと一緒に街へ出かけただけで、このような事態になってしまったのは流石の霊夢も予想していなかったのである。

(今日は色々とあったうえに、その大半が未だ解けぬままなんて納得いかないにも程があるわ)

 自分の身に降りかかった不条理すぎる謎に憤りを感じつつ、自分の偽物へトドメを刺すべくスペルカードを頭上に掲げた。

 

 まるで断頭台の上に立った処刑人のように振り上げられた腕には、一枚の薄いカード。

 この世界に存在するどのカードよりも特徴的なソレは、正しく姿を変えたギロチンの刃そのもの。

 無数の罪人たちの命をただ無意識に狩り続けた鉄の塊であったそれは、今まさに一人の罪人を裁こうとしている。

 そう、処刑人の立場となった霊夢にとって自分の偽者など罪人として相応しい存在であった。

「このまま放置して下手な事されたら風評被害もいいとこだし、さっさと滅されなさい」

 あの世へ旅立つ罪人へ冷たすぎる言葉を送り、彼女はカードに記された名前を告げる。

 それこそが死刑宣告。本物の処刑人よりも冷たい霊夢の声が、周囲に響き渡った。

 

「霊符…『夢想妙珠』」

 頭より上にカードを掲げながらそう言った途端、周囲の空気が一変する。

 まるで霊夢の力が体内から外へ排出されたかのように、霊力の波が彼女の周りを包み込む。

 それに気づいてか、まだ頭を押さえている偽レイムがハッとした表情を浮かべてそちらの方へ目を向けた。

 宣言者である巫女を包む不可視のベールはやがて彼女の頭上へと舞い上がると、その姿を作り始める。

 時間にすれば二秒にも満たないあっという間の速さでもって、霊力の塊は数個の色鮮やかな球体へと姿が変化した。

「無駄な時間を割きたくないし、これで終わりにさせて頂戴」

 大小様々なカラーボールとなった霊力を背後に控えさせた霊夢は、ようやく立ち直った偽レイムへと言い放つ。

 

 その瞬間であった。球状の霊力が偽レイムへの突撃を始めたのは。

 先程まで投げていたお札や針に比べれば速度は遅いものの、そのスケールと威力は明らかに桁違いだろう。

 霊夢が持つスペルカードの中でも比較的接近戦に優れた虹色の光弾で形勢される弾幕は、確実に偽者へと飛んでいく。

 一方の偽レイムは迫りくる光弾に身構えつつもダメージが残っているのか、僅かだが足元がふらついている。

 今の状態なら最初の様な跳躍やできないだろうし、使えたとしても瞬間移動をするには遅すぎる。

 同じくして霊夢も身構えていたのだが、自分の勝利が確実なものになったと感じていた。

 今に至るまで幾つもの戦いを経験してきた彼女がそう思うのも、無理はないだろう。

 だが、事態は突如として彼女が予想していなかった方へ動き出す。

 

 あと一メイルほどで光弾が当たろうとした瞬間、偽レイムはその両足で地面を蹴った。

 ほんの数分程度の戦いであったが、霊夢が見た限りでは今まで跳躍するときに同じ動作をとっている。

 しかし、窮地に立たされた偽者はバネの様に上へ跳び上がる事はしなかった。

 勢いよく地を蹴った彼女の向かう先には、迫りくる光弾と―――――既に勝ったつもりでいる霊夢の姿。

 

 

 そう、偽レイムは地面を蹴って前進したのである。

 自分の命を刈り取ろうとする相手へ目がけて。

 

 

「ウソッ!?」

 一体何をするのかと思っていた霊夢は、予想もしていなかった事だけに思わず目を丸くしてしまう。

 そして、その予想もしていなかった偽レイムの行動が、戦局を大いに変えたのだ。

 

 地面を蹴った時の衝撃を利用して勢いよく前転した瞬間、偽レイムの頭上を色とりどりの光弾が通り過ぎる。

 先頭の巨大な光弾が先程まで偽レイムのいた場所に落ち、盛大な音を立てて爆発した。

 ついで二発目と三発目の光弾も周囲の地面に落ち、最初と同じように爆発する。

 最後尾の方にいた赤く小さな光弾は地面に落ちることはなく、何事も無いかのようにスーッと飛んでいく。

 

 しかし。何処へと飛んでいくその光弾を、霊夢は見送ることが出来ない。

 何故なら、瞬時に立ち上がった偽レイムが再び左手を光らせて突っ込んできたのだから。

 二人の距離は僅かに一メイル。少し歩けばお互いの鼻が当たってしまう程の至近距離だ。

 

「ちっ…、中々しつこいじゃないの!」

 一瞬のうちに距離を詰められた霊夢は舌打ちしつつ、地面を蹴って後ろへ下がろうとする。

 本来ならお札や針を取り出していただろうが相手が相手だ、精々悪あがき程度の効き目しかないだろう。

 下手に攻撃をして一瞬で距離を詰められるより距離を取って態勢を整えた方が妥当だと、この時思ったのである。

 しかし…ホバリングや瞬間移動が間に合わないと判断し、跳び上がった事が却って裏目に出てしまう。

 

 相手が攻撃ではなく様子見を選んだのだと認識した偽レイムは、一気に霊夢との距離を詰めようとする。

 先程と同じように地面を強く蹴の飛ばし、光る左手を突き出した姿勢で突撃してきた。

 まるで剣先の様な形にした指先を向けて飛んでくる姿は、たった一つしか無い命を奪おうとする処刑人の槍。

 その切っ先は赤錆と血でなく、魔はおろか人さえも滅する事の出来るような青白い光に覆われている。

(何よコイツ。さっきの回避といい攻撃方法といい、随分と魔改造されてるわね…!)

 一メイルという短くも長くも無い距離を一瞬で詰めてきた自分の偽者に、霊夢は今になって脅威と感じた。

 自分と同じような弾幕を使えなくとも左手一本で自分を追いつめてくる相手を、彼女は初めて見たのである。

 何処の誰かは知らないが、こんな偽者を送り込んだ奴は余程悪質な人間か格闘好きの脳筋野郎なのだろう。

 もしくは―――――

 

(今回の異変を起こした黒幕が…ってのなら話が早くて良いんだけど?)

 

 心の中でそんな事を思った直後、ふと偽レイムの後ろから赤い発光体がやってくるのに気が付いた。

 鞠を二回りほど大きくした様なそれは煌々と輝きながら、物凄い速度でもって二人の方へと突っ込んでくる。

「え?――――げっ…!!」

 発光体の正体が何なのかすぐに気が付いた霊夢は目を見開き、ギョッと驚いてしまう。

 今の霊夢にとってあの発光体は頼もしい存在であったが、あまりにもタイミングが悪すぎた。

「?……あっ」

 彼女の表情を見て偽レイムも気づいたのか、ハッとした表情を浮かべて後ろを振り向いた瞬間――――――

 

 

 

 数十年ほど前までは人が訪れていたであろう、公園と呼ばれていた広い敷地。

 その敷地の一角が突如、小さな爆発音とそれに見合う程の小さな赤い閃光に包まれた。

 霊夢が発動したスペルカード「霊符『夢想妙珠』」によって出現した色とりどりの光弾たち。

 先程偽レイムへと殺到した光弾の中で最後尾にいた赤い光弾が、今になって爆発したのである。

 仕込まれていた追尾機能でもってUターンし、指定された相手の背中のすぐ近くで。

 結果、目標であった偽レイムの近くにいた霊夢自身もその爆発に巻き込まれる事となったが。

 

(ホント、今日は厄日ね…こんなにも痛い目に遭うなんて)

 偶然とタイミングの悪さが重なった結果、偽者と一緒に吹き飛んだ霊夢はひとり毒づいた。

 

 

 ◆

 

 

 霊夢が今いる場所とは地対照的なトリスタニアのチクトンネ街で、ルイズと魔理沙は八雲紫と邂逅していた。

 まさかの出会いに二人は霊夢の事を忘れてしまい、知らず知らずの内に足を止めてしまっている。

 

 軽い会話と喧嘩の後、紫はルイズの方へ向けてとある言葉を送り付けていた。

 それはここで出会ってから初めてになるであろう、かなりの真剣さが滲み出た話題であった。 

 

「不発弾の様な貴女を、今の霊夢がいる場所へ行かせるのは危険極まりないわ」

 

 左右を建物に挟まれたそこで、八雲紫はルイズへ向けてそのような事を言った。

 その言葉は彼女との距離がそれ程離れていないルイズの耳にしっかりと入り込んでいる。

「な…ど、どういう意味なのよそれ!」

 敵軍の将兵を爆発する事すらできない不良品と同列に扱われた彼女は、軽い怒りを露わにした。

 霊夢を追っていた二人の前に現れた紫はルイズの態度に良い反応を示しつつ、その言葉に応える。

「言葉通りの意味ですわ。望むときに爆発せず、忘れ去られた時に無関係な人々をその力で八つ裂きにする…無差別な存在」

 それが今の貴女よ。最後にそう付け加え、幻想郷の大妖怪はその目をルイズに向けた。

 先程の様な冷静さとは打って変わって怒りに狼狽える様子を見せ、鳶色の瞳からは憤りの気配を感じられる。

 自分の望む反応を面白いくらいに見せてくれる彼女に対し、紫は心中と顔に笑みを浮かべてしまう。

「…っ何が可笑しいのよ!人が怒ってる最中に笑うなんて!」

「別に?ただ、今の貴女みたいに豹変するような人間は見てて楽しいものがありまして…」

「…っ!?」

 その言葉を聞いた瞬間、ルイズは手に持っている杖を再び紫の方に向けた。

 既に頭の中にまで怒りが浸透し始めている今の彼女は、他人に暴力を振るう事を躊躇しないだろう。

 だが、人形の様に均整の取れた顔を歪ませた少女を前にして、八雲紫は尚も笑みを浮かべ続ける。

 これから起こり得るであろう事態を予測している筈だというのに、他人事のようにルイズをジッと見つめていた。

 一方のルイズも、使えもしない魔法をすぐに放てるようピンク色の綺麗な唇を僅かながらに動かしている。

 並の平民やメイジはともかく、ルイズの事を良く知る者たちならば今の彼女を刺激する様な事は絶対に避けようとするに違いない。

 

 もはや問答無用。と言わんばかりの空気が辺りを包もうとした時――――

 

「…あ~…スマン、ちょっと質問よろしいかな?」

 蚊帳の外にいた魔理沙が手に持っていた帽子を頭に被りつつ、その口から言葉を発しする

 誰がどう見ても一触即発と言えた空気の中に横槍が入り、ルイズと紫のふたりは咄嗟にそちらの方へ顔を向ける。

 空気を読めと言われるかもしれない魔理沙であったが、それを気にすることなく紫の方へ視線を向けた。

 それだけで自分に用があると察した大妖怪は、先制を取る様にして魔理沙へ話しかける。

「こんなにも危なっかしい空気の中で私に聞きたいことがあるなんて、きっと余程の事ですわね」

「お前だけが危なっかしいのなら、何があっても私は口を塞ぐ気は無いぜ」

「相変わらず自分勝手な娘ですこと。まぁそういうところはキライじゃ…」

「ちょっとマリサ!何人の間に割り込むような事してるの!」

 唐突な会話が本格的に始まる前に、それを制止するかのようにルイズが叫ぶ。

 少なくともこの場にいる三人の中では気が短い方であろう彼女に対し、魔理沙は落ち着いて対応する。

 

「ここは落ち着こうじゃないか、これ以上機嫌を損ねて私まで巻き込まれたら大変な事になってしまう」

「何が大変な事よ?人の気も知らないで、ヘラヘラと傍観してる癖に」

「これはヒドイ!…と言いたいところだが…悔しくも図星だな」

「とりあえず形だけでも貴女の心中、察しておきますわね」

 怒りの言葉に苦笑する魔理沙と微笑み続ける紫を尻目に、ルイズは言葉を発し続ける。

 

 

「せっかくの休日だっていうのに突然レイムがおかしくなるし、それにそれに…それ…に…」

「――……?それに?」

 怒り狂った牛の群れの如き怒声のラッシュを黒白の魔法使いに浴びせていたルイズの口が、突然その動きを止めた。

 急に喋るのをやめてしまったルイズを見て、他の二人は思わず不思議そうな表情を浮かべてしまう。

 魔理沙に至ってはネジを限界まで巻いたというのに全く動かないカラクリを見たような気分を味わい、首を傾げている。

 それにつられて紫も傾げようとした時、ルイズはその顔にハッとした表情を浮かべた。

 どうした?と彼女以外の二人の内一人が尋ねようとしたとき、一足先にルイズがその口を開けて喋り出す。

 だが彼女が発した言葉の向かう先にいたのは魔法使いではなく、境界を操る程度の人外であった。

 

「ユカリ、さっきアンタ何て言ったの?」

「……?質問の意味が良くわかりませんわ」

 いきなり閉じてすぐに開いた思えば、出てきたのは即答不可能な質問。

 流石の八雲紫も、これには投げかけられた質問を質問で返すほかなかった。

「ん~と、確か私の魔法がどうたらこうたらっていうところで…」

「えぇと…あぁ」

 相手に杖を向けているルイズの言葉に、紫は何かを思い出したかのようにポン!と手を叩く。

「『望むときに爆発せず、忘れ去られた時に無関係な人々をその力で八つ裂きにする…無差別な存在』―――と言いましたわね」

「…あれ?」

 先程述べた言葉を一字一句間違うことなく喋りなおした紫に対し、ルイズはキョトンとした表情を浮かべる。

 それから五秒もしない内にまた思い出したのか、ハッとした表情を再度浮かべなおしながら口を開く。

「あ…違った。…何だったかしら?その一つ前の言葉…」

 爆発した怒りの所為で一時的に忘れているルイズはそんな事を言いつつ、何とか思い出そうとする。

 だが「一つ前」というキーワードで思い出した魔理沙が、以外にもルイズが忘れていた言葉を口に出した。

「『不発弾なオマエを行かせたら、今の霊夢が大往生』…だったような気がするぜ」

 冗談という名のソースを少し入れた魔法使いの言葉は、ルイズの目を見開かせた。

 もはや紫の言った事とは大分かけ離れているが、それでも忘れていた言葉を思い出させるのに充分だったようだ。

「あ…あぁっ!それよソレ!その言葉だったような気がするわ!」

「良くそれで思い出せましたね。…まぁ思い出せたのなら別に良いのですけど?」

 ようやく思い出せたことに嬉しそうなルイズとは反対の紫はため息をつきつつ、「それで…」と呟き話を続ける。

 

「その言葉がどうかしたのかしら?」

「…ねぇユカリ。今レイムが何処にいるのか、アンタ知ってるんでしょ?」

「どうして私が全てを知っている。という気でいるのかしらねぇ?」

「だって私たちがこんな所にいるのも、急にレイムがおかしくなって何処かへ行ったからなのよ」

 その言葉を聞いた直後、紫は何気なく目を瞑ると「ふぅ…」と軽いため息をついた。

 季節外れの木枯らしと思ってしまうそのため息を後、彼女の顔に再び笑みが戻ってくる。

 春のそよ風のような柔らかい笑みは、かえってルイズの身構えた体を無意識に強張らせてしまう。

 彼女は知っているからだ。今浮かべている笑みが単なるハリボテだということを。

 

 このまま三人して無言の状態が続くかと思われた時、ため息をついた紫がその口を開いた。

「確かに私は霊夢が何処へ行ったか、そして今は何をしているのか…ある程度把握はしているつもりよ」

 未だ柔らかい笑みを浮かべてそう行った紫に対し、ルイズは「やっぱり」という言葉で返す。

 折角の休日であるというのに突如左手のルーンが光り出す、ワケもわからず何処かへと消え去った霊夢。

 アルビオンで死の危機に直面した時に見たあの光を再び見ることになったルイズは、今になって思っていた。

 

 きっと゛何か゛が起こっているのだ。

 自分と魔理沙は気づかず、けれど彼女にだけはわかる゛何か゛に。

 

 

「何でそういう事を早く私に教えないのかしら?」

「今の貴女なら教えてあげれそうだけど。さっきの貴女だと怒るのに夢中だから教えないでおこうと思ってたの」

 挑発とも取れる彼女の言葉にルイズは顔を顰めつつ、冷静さを装って言葉を返す。

「…多分傍迷惑な住人二人と喧しい剣が一本いるおかげかもね。昔と比べて、自分が少し柔らかくなったのは自覚してるのよ」

「ちょっと待てぃ。少し聞き捨てならない事を聞いた気がするぜ」

 ルイズがそこまで言った時、後ろにいた魔理沙がストップを掛けてきた。

 どうやら何か言いたい事があるらしく、親切にも彼女はそちらの方へ顔を向けて「何よ?」と聞いてみた。

「傍迷惑で喧しいのは霊夢とデルフだけだろ?レイムはこの前、散々な事をやらかしてたしな。それに比べて私は…」

「何寝ぼけた事言ってんのよ?レイムと一緒に私のクッキー食べてたアンタは立派な共犯者だわ」

 言葉で形勢されたカウンターに「冷たい奴だなぁ」と、一人愚痴を漏らす魔理沙から目を逸らしたルイズは紫との会話を再開する。

 

「で、アンタがレイムの居場所を知ってるというのなら…話はわかるわよね?」

「まぁ貴女が言いそうな事は、大体予想できるわ。そしてこれからやろうとしている事も…」

 ルイズの質問をすぐに返した紫にルイズは頷き、次に発するであろう言葉を待った。

 

 しかし…数秒ほどおいて発せられた紫の言葉。

 それは、ある種の期待感を抱いていた彼女の気持ちを裏切るのに十分な威力があった。

 

「―――だからこそ、今の貴女を霊夢のもとへ行かせるわけにはいきませんのよ?」

 貴女の安全の為にね。言葉の最後にそう付け加えた直後、一陣の風が紫の背中を乱暴に撫でつけた。

 夕闇が着々と迫りつつあるチクトンネ街の風は初夏の香りを漂わせつつ、三人の体を通り過ぎる。

 

 それはまるで、ルイズに対する警告とも思える程勢いのある風であった。

 本来なら一人の学生として平和に暮らしていたであろう彼女が、非日常の世界へ踏み込まないように。

 

「だからこそ、今の貴女を霊夢のもとへ行かせるわけにはいきませんのよ?貴女の安全の為にね」

 

 程よい涼しさを持った風が吹くチクトンネ街の人気無い通りに、八雲紫の言葉が響き渡る。

 綿が入った枕の様に柔らかな笑みを浮かべた彼女の言った事に、ルイズは信じられないと言いたげに目を丸くする。

 かつて有無を言わさず、霊夢と共に自分を幻想郷へと連れ込んだ大妖怪の口から出た言葉とは思えなかったのだ。

 

「…どういう事よ。それ…?」

「さっきも同じような言葉を使いましたけど…文字通りの意味よ」

 突然おかしくなった霊夢から今に至るまでのアクシデントに遭遇し、尚かつ落ち着いてきたルイズの言葉に対し紫は簡潔に返事をする。

 その言い方から何か喋りたいことがあるらしいと悟ったルイズは何も言わず、とりあえずは彼女に向けていた杖を下ろす。

 先程とは違い怒る気も失せてしまった今の彼女には、妖怪と言えど他者に杖を向ける気は一寸ほども無くなっていたのである。

 ルイズ自身を含む貴族達にとって、名誉と命の次に大事なそれを腰に差した所を見て紫は「ふっ…」と息を吐く。

 まるで安堵しているかのようなその動作に魔理沙とルイズが注目したところで、紫はその口を開いた。

 

「ようやく下ろしてくれたのね。これであの爆発にビクつく必要も無くなったわ」

 彼女の口から出た言葉はしかし、ルイズと魔理沙の安心を招かせることは無かった。

「…嘘をつく気が無いと確信できるほどの、清々しい嘘ね」

「むしろ、お前が何かに恐怖する姿を思い浮かべてみるのが困難な事だぜ」

 トドメと言いたげな魔理沙の言葉の後、ほんの二、三秒程度の沈黙を入れて紫は口を開く。

「――――貴女たちの過大評価に一応は喜んでおきますけど、…逸れてしまわない内に話を戻しましょう」

 自分の言葉で話が脱線しかけたのに気が付いたのか、こちらを凝視する二人にそう言った。

 二人の内ルイズがその言葉でハッとした表情を浮かべると、紫に向かってこんな質問を投げかける。

「それでどういう事なのかしら?私の安全の為が文字通りの意味って…」

 その表情を怪訝なモノへと変えたルイズからの質問に紫は「何処から話せば良いかしら?」と言いつつ、最初に一言を口に出す。 

「今回の異変で最も重要な人物は霊夢ではなく、実のところ貴女だと私は思ってるの」

 

 

「―――…何だって?」

 色の濃い金髪を陽光に照らされた紫の言葉にまず驚いたのは、意外にもルイズではなく魔理沙であった。

 唐突な介入者の言葉にルイズが咄嗟に振り返ると、少しだけ目を丸くした魔法使いの姿が目に入った。

 声も表情も驚いた素振りを見せていることから、紫の口からあのような言葉が出るとは思っていなかったらしい。

 ルイズがそう感じた所で言った方も同じような考えだったのか、魔理沙に話しかけてきた。

 

「あらあら、まるで死にかけの恋人を見捨てろと言ったかのような反応をしてるわねぇ?」

「えっ?こい…ムグッ」

 紫の口から出た「恋人」というワードをルイズが真似て言おうとしたが、魔理沙が慌ててそれを止める。

 咄嗟に動かした左手でルイズの口を塞いだ彼女は、焦るようにこう言った。

「イ、イヤッ…!そんなもんじゃないぜ?ただ、お前の口からそんな言葉が出たことにちょっと驚いただけさ」

 それが言いたかっただけなのか、魔理沙はホッと一息ついてからルイズの口を自由にする。

 時間にして数秒だが鼻呼吸しかできなかったルイズは軽く深呼吸した後、恨めしい目つきで魔理沙を一瞥した。

 魂魄四、六回程度生まれ変わっても恨み続けるかのようなメイジの視線に対し、魔法使いは何も言わずにただ肩を竦める。

 恨むならお前の前にいる妖怪を恨んでくれ。そう言いたげな笑みを浮かべながら。

 一方、ここまでの原因を作ったであろう妖怪は何が可笑しいのか暢気にもコロコロと笑っていた。

 口を塞がれたルイズと口を塞いだ魔理沙の二人には理解できないが、どうやら彼女にとっては面白いやり取りだったらしい。

 

 

 

 五秒ほど笑った後、気を取り直した紫は魔理沙の口から出た言葉に少し遅い返事を送った。

「ふふふ…貴女がそれで良いのならそういう事にしておきましょうか」

 先程までやけに慌てていた魔法使いに対しそう言ってから、今度はルイズに話しかけようとする。

 未だ恨めしそうな目つきのままコチラに顔を向けているルイズに恐怖する筈もなく、紫は遠慮無しにその口を開く

「さて…貴女も魔理沙と同じようにおかしいとは思わないかしら…私の考えに」

 質問を出す側から出される側に回った彼女は数秒ほど黙った後、「確かにそうね」と言って頷いた。

 

 霊夢や魔理沙と同じく幻想郷出身であり今回の゛異変゛の被害者側である八雲紫が、何故自分の身を案じるのだろうか?

 強いて言えば加害者側に位置する自分の身の安全を優先する理由を、今のルイズには思いつくことができない。

 それでも何か返答らしきものを出さねばと思い、自慢の頭脳を少しだけ動かして自身の意見を述べた。

 

「仮に私が被害者側ならば…優先するべきは同じ側の命かしら?」

「うん、実に人らしい人として模範的な答えですわ。ただ…」

 あまりにも典型的過ぎるけど。最後にそう付け加えた紫の言葉にルイズは思わず顔を顰めてしまう。

 そんな彼女を更に煽ろうとはせず、紫は口を閉じることなく話を続けていく。

 

「私が貴女の身の安全を、霊夢よりも優先するその理由の一つ…それは幻想郷を知る唯一のハルケギニア人だからよ。

 霊夢をこの世界に召喚して使い魔契約を行った事により、結果としてこことは違うもう一つの世界の存在を知ってしまった。

 そして貴女が召喚の際に開いたゲートの力を利用して今回の異変の゛黒幕゛が、幻想郷を覆う博麗大結界に干渉…

 既に霊夢が何処へ行ったのか把握していた私は彼女と一緒に貴女を連れて帰り、結界の一時修復と異変が起きている事を伝えた」

 

 そこまで言った所で彼女はホッと一息つき、何故か顔を上げて空を仰ぎ見る。

 彼女の動きについついツラれてしまったのか、ルイズもフッと顔を上げたが…見えた先にあるのは単なる青空であった。

 

 僅かではあるが段々と赤くなっていく青空の中を無数の雲がゆっくりと歩く牛の様に前進していく。

 魔理沙は二週間近く、そしてこの場にいない霊夢は二ヶ月近く見てきたトリスタニアの空模様は、ルイズにとって何千回も見てきた変哲のない物。

 一体どうして、彼女は空を仰ぎ見たのだろうか?ルイズの頭の中をそんな疑問が光の速さで過っていった。

 ルイズ自身がその疑問に気づくことはなく、上げていた顔を下ろした紫は何事も無かったかのように話を続けていく。

 

「少なくとも、゛黒幕゛は私たち側の事情を良く知る人物が貴女だと分かっている筈よ?―――――…まぁ、あくまで推測の域を出ないけどね」

 唐突に聞こえてきた言葉でハッとなったルイズはすぐさま顔を下ろし、紫の言葉を脳内でリピートさせる。

 不敵を笑みを浮かべている妖怪の話は彼女にとってまさかと思うレベルではあるが、それをあっさり否定することができない。

 何故なら霊夢と共に彼女らの世界である幻想郷へと赴き、再びこの世界へ戻ってきてから色んな事が立て続けに起こったのだから。

 突如学院に現れたという蟲の怪物の話を霊夢から聞き、それから間もなくして近くの山中で自分達に襲い掛かってきた亜人と思しき存在。

 16年間生きてきた中で最も不思議な体験が現在進行中であるルイズにとっても、つい最近のアレは怖ろしい思い出だった。

 

 そして…蟲の怪物の話の際彼女が言っていた、老貴族の幻影の事。

 仮面を付けていたらしく顔はわからなかったそうだが、もしかするとソイツがあの怪物たちをけしかけたのではないか?

 事実、蟲の怪物は貴族の声に従っていたようなそぶりを見せていたと霊夢も言っていた。

 だとすれば、森で霊夢どころか自分や魔理沙にも襲い掛かってきた怪物を操っていたのも…

 

「何とまぁ、私が話してる最中に考え事とは…きっと余程の事ですわね」

 その時であった。いつの間にか思考の渦に飲まれていたルイズに、紫が何気なく声を掛けたのは。

「えっ…?――あ…」

 彼女の言葉に今の状況を思い出したのか、ルイズは目を丸くして我に返る。

 一歩間違えれば場違いな考察を一人で行っていたかもしれない彼女はほんの少し頬を赤く染め、首を何回か横に振った。  

 

 今考えるべきではないという事でも無いが、後回しにしよう。

 心の中でそう決めたルイズは改まった様子で再度紫の方へ視線を向けた時、彼女の顔色が変わっている事に気が付いた。

 

 それは先程まで浮かべていたのと同じ不敵な笑みであったが、最初の時のそれとは雰囲気が少しだけ変わっていた。

 両目を柔らかく瞑り、綺麗な口元を緩く歪ませたその顔からは僅かではあるが不気味な気配が漂い始めていたのである。

 一見すれば優しい笑みを浮かべている八雲紫の中にある人ならざる気配を、ルイズは察知していた。

(な…何よ、一体どうしたっていうの?)

 さしものルイズもこれには恐怖よりも焦りを感じ、無意識に動いた足が彼女をゆっくりと後退させる。

 いくら魔法を使えるメイジといえども恐れているのだ。八雲紫という人とよく似た容姿を持つバケモノの本質を。

 例え花も恥じらう美貌を持っていても分かる者には分かるのである。妖怪が放つ、毒気の様な不気味な雰囲気というのは。

 

 しかし彼女の後ろにいる魔理沙は気づいていないのか、何故か後ずさりしているルイズに首を傾げた。

 何かあったのかと思い一人ニヤニヤしている紫の方を見つめるが、特に変わったことは無い。

 強いて言えば、胡散臭いいつもの柔らかな笑みがもっと胡散臭くなっただけである。

 だとすれば何でルイズは後退るのだろうか?疑問に思った彼女は暢気にも本人へ直接聞いてみることにした。

「おいおいルイズ、霊夢みたいに何か見えない物でも見えたのか?足が勝手に動いてるぜ」

「…うぅっ!?」

 人の気も知らず気軽に話しかけてきた黒白に、ルイズはどう返事をしたら良いか分からず言葉を詰まらせる。

 予想外の事に喉から変な声が出てしまった直後、彼女の代わりと言わんばかりに紫がその口を開く。

「どうやら私の笑顔を怖がっているらしいわね。タダ笑っていただけだというのに」

「―――っていうか、私が怖がるような笑みを浮かべる理由を教えてくれないかしら…?」

 口元を手で隠しつつも喋ってくる紫に対し、怪訝な表情を浮かべるルイズはそう言った。

「う~ん、そうねぇ~………まぁこの際だから言っておきましょうか」

 彼女の返事に紫は数秒ほどの時間を置いた後、唐突にその口を開いて喋り始める。

 こうなったら何でも来い!心の中で叫んだルイズは紫の口から出る言葉を迎え撃たんとしていた。

 だがそれは、彼女にとって絶望とも言える一つの確信を得させる事となったのである。

 

 

「貴女たちに襲い掛かってきたバケモノが黒幕の一端だと考えている事に、私は喜んでいるのよ」

 彼女――八雲紫は全てを知っているのだと。 

 

 

「―――――」

「……ぇっ!?」

 その言葉を聞いた瞬間、ルイズの表情が怪訝なモノから唖然としたソレへと一変した。

 鳶色の両目をゆっくりと見開き、それに合わせて口をあんぐり小さく開けたその顔からは驚きの色が垣間見える。

 彼女の後ろにいる魔理沙はというと…その口から素っ頓狂な声を上げ、次いでルイズと同じような表情を浮かべた。

 二人して声が出ぬ状況の中、その原因を作り出した紫はキョトンした表情を浮かべている。

「…どうしたのよ二人とも?まるで「何で知ってるのよ」って言いたそうな顔じゃない?」

「――…っ!?い、言ってくれてありがとう。今、本当にそう思ってるところだから」

 紫が口を開いたことで硬直状態から抜け出せたルイズは、敵意丸出しの表情で言葉を返す。

 確かに彼女の言葉通りである。少なくともルイズは何で知っているのかと疑問に思っていた。

 

 蟲の怪物の話を霊夢から聞いた時や森での体験の時、少なくとも近くには紫はいなかった。

 律儀にもデルフを返しに来た夜の時は、霊夢が帰ってくる前の事で彼女が怪物の事を知っている筈がない。

 森での事もあの場にいた自分と霊夢にデルフ、そして襲ってきた怪物を倒した魔理沙の三人と一本だけしか知らないのである。

 ハッタリの可能性も一瞬だけルイズは考えたが、それは無いだろうと自らの手で斬り捨てた。

 仮にそうであるならば、わざわざ「バケモノ」という単語など口に出す必要は無いのだから。 

 

 そこまで考えた所で、ルイズの次に硬直から脱した魔理沙が口を開く。

 怪訝な表情を浮かべて紫に話しかける彼女の姿は、いつも気楽に生きている少女とは思いにくい。

「もしかしてとは思うが…ずっと見てたって事なのか?それだったら随分酷薄なやつだと私は思うよ」

 探りを入れるかのような魔理沙の質問に、少しだけ考えるそぶりを見せた紫はあっさりと質問に答える。

 

「まぁ゛見ただけ゛という言い方が正しいわね。あくまで゛見ただけ゛で゛見ていた゛わけではないの」

 紫の返答によって、ルイズは苦虫を踏んでしまったかのような表情を彼女に見せつける。

 一体何処にいたのかすら分からなかったが、彼女の言葉が本当であるのならば相当ひどいことに違いは無い。

 ルイズがその気持ちを言葉として出す前に、偶然にも同じことを思っていた魔理沙が彼女の言葉を代弁してくれた。

「゛見てた゛と゛見た゛の違いはともかくあの時の私たちを傍観してだけとは、お前はやっぱりとんでもない妖怪だぜ」

 まぁ、別に助けて貰う必要もなかったけど。最後にそう付け加え、魔理沙は苦笑いしつつ肩を竦める。

 その姿には先程口を開いたときの緊張感は無く、ルイズの知っている彼女に戻っていた。

 確かに彼女の言う通りだ。あの時魔理沙が助けてくれなければ、傷を負った霊夢と一緒にあの世へ逝っていただろう。

(でも元を辿れば、あの怪物を倒したマリサのマジックアイテムを持ってた私のおかげって事にもなるのかしら?)

 九死に一生を得たあの時の事を軽く思い出していたルイズであったが、そんな彼女の耳に再び紫の声が入ってくる。

 

「まぁそこは私も同意しますけど。あれを゛見て゛私の心中に一つの考えが浮かんだの」

 紫はそう呟いて右手の人差指をグルグルと軽く回した後、その指でもってルイズを差した。

 丁度顔の手前で手首を曲げた姿で指差してきた相手に、彼女は脊椎的な反射でたじろいでしまう。

 いきなり指差してくるとは何事かとルイズが聞いてみようとする前に、紫は彼女が゛聞きたい゛であろう事を口にする。

 

「これ以上霊夢や私たちの異変解決に巻き込まれれば、貴女の命が持たない――ってね」

「なっ…!?」

 それを聞いた瞬間、全く予想すらしていなかった言葉にルイズは今まで以上に驚愕する事となった。

 突如霊夢がおかしくなった時や、いきなり紫がやってきて今に至るまでの目まぐるしい数々のアクシデント。

 常人ならば休憩が必要かもしれない非日常なシーンの連続の中で、今日一番彼女が驚いた言葉であろう。

 

「わ、私の命って…どういう事なのよ!」

 他人ならぬ他妖怪に自分の命がどうと言われた所為か、ルイズは声を張り上げて怒った。  

 今までは何とか堪えつついつの間にか消えていた紫への怒りが、今になって沸々と蘇ってくる。

 怒りやすい自分の性格を砂の城と例えられた事は、今考えても相当許しがたい事だ。

 というよりも何故あの時の襲撃を゛見た゛だけである彼女が、自分の命についてとやかく言ってくるのだろうか。

 先程魔法を放った時は多少やってしまったという感じはあったが、今の彼女ならば遠慮なく自分の魔法をお見舞いできる。

 少しだけ理不尽な妖怪を粛清せんと心の中で決めたルイズが自分の杖に手を伸ばそうとした直後、それを制止するかの如く魔理沙が喋った。

「おいお いおい…話が見えてこないぞ。どうしてルイズの命が危ないっていうんだよ?」

 黒白からの質問に、紫はフッと鼻で笑いながらもすぐに答えをよこす。

 まるで良い悪戯を思いついた大人が浮かべるような笑みを二人に見せつけながら、彼女はルイズに言った。

「あの時…すぐ近くにいた貴女ならわかるでしょう?…霊夢に寄り添い、子猫の様に怯える事しかできなかったあの娘の事は」

 自分に向けて送られたその言葉で、彼女はあの時の事を一瞬で思い出した。

 

 ◆

 

 霊夢に攻撃を浴びせてきた怪物に襲われたとき、ルイズは確かな恐怖を感じていた。

 それはアルビオンでワルドとその遍在達に襲われた程ではないが、あの時の恐怖はそれと全く別物だ。

 ワルドは人間であったし、スクウェアメイジという圧倒的存在から来る威圧感に恐怖していた。

 彼は結果的に助けに来てくれた霊夢に倒され、今となっては大分前の出来事に過ぎない。

  しかし、森で襲ってきた怪物からは本能からくる嫌悪感が恐怖の源であった。

 シルエットだけは人らしいものの、いざ蓋を開けてみれば中にいるのは非日常的なモンスター。

 オーク鬼やコボルドと言った獣らしい亜人たちとは比べ物にならないグロテスクな容姿。

 右腕が無かったのにも関わらず霊夢を苦しませた挙句、自分たちにも牙を向けるその執拗さ。

 そして、地面に転がった霊夢へ近づいた時…こちらへゆっくりと近づくヤツの姿を間近で見ていた。

 

 麻薬中毒者のようにギョロギョロと忙しなく動く目玉。

 生者を地獄へ誘う死神の笛の如き、シュルシュルと聞こえる呼吸音。

 見る者の心をジワジワと染み込むように侵していく毒々しい皮膚の色。

 左腕には霊夢の身体を穢した毒の詰まっている、鋭い爪。

 

 絵本に出てくる。という例えが通用しない怪物を前にして、ルイズは本能的な恐怖を体験した。

 フーケに羽交い絞めにされた時や、ワルドのライトニング・クラウドを喰らいそうになった時とは全く違う恐怖。

 人が本来持っているであろう異形への恐ろしさと、ソイツの手に掛かって死んでしまう事への嫌悪。

 そして…何故自分や霊夢達がこの様な怪物に殺されなければならないのかという理不尽さ。 

 

――――やだっ…!こっち来ないでよぉ!わたし達が何したっていうのよ!?

 

 それ等三つの要素が揃っていた時、ルイズは叫んだのである。

 

 ◆

 

「でもまぁ、貴女が怯えるのも確かな事と思うわ。私だってあんな怪物が出てくるとは予想範囲から少し外れていましたし」

 軽く暗い回想に浸っていたルイズに向けて、紫は肩を竦めつつも慰めるかのような言葉を彼女に投げかける。

 しかしトラウマとして記憶に残っているのだろうか、暗い表情で俯いているルイズはその言葉に反応しない。

 その後ろにいる魔理沙は珍しく何も言うことなく、目の前にいる二人を交互に見合っていた。

「だけど…出てきた以上は今後もああいうのが出てこないとは限らないし、その時にまた怯えていれば貴女の命の保証は出来ない」

「…ちょっと待て。その言い方じゃあ、まるで私や霊夢がコイツを見捨てるって事になるぜ」

 軽い雰囲気でそう言った紫に、流石にムッとした表情を浮かべる魔理沙が異議を唱えた。

 そんな彼女の言葉に対し自分のペースを崩すはずもない紫は、手早く返事をする。

「別に貴女と霊夢がこの娘を守らないとは思っていませんわ。―――ただ、あの森の時の様にシンプルな攻め方でしたらね」

「シン…プル…?」

 予想外の単語を聞いて無意識に呟いたルイズへ「そう、シンプル」と相槌を打ちつつ、紫は話を続けていく  

 

「二度目もあって一体だけなら不意打ちを仕掛けても今の霊夢が後れを取るとは思わないし、魔理沙も負ける程弱くは無い。

 だけどあの怪物が単なる様子見として放たれたのなら、相手はもっと手駒を増やすとは思わないかしら?

 仮に相手が異変の黒幕ならば、貴女を捕まえるか…最低でも始末しようと思うのならば一体だけで攻撃しても勝敗は目に見えてる。

 けれども、数を増やしてしまえば倒すのはともかく貴女を守るのに二人が手間取るどころか霊夢の様に隙を見せてしまい後ろから一撃…なんてことも有り得るわ」

 

 紫はそこまで言って一旦口を止めるとホッと息をつき、またも喋り始める。

 

「無論、貴女は異変が解決するまで部屋に引き籠れ…とは言いません。けれど、多少の自重はしなさい。

 貴女が自分の魔法で霊夢達と一緒に戦えずただただ怯えていても、何の役にも立たないの。

 偉そうなうえに悪い事を言いますけど。もし今後も怯えるだけなら、霊夢の傍につくような事はやめなさいな。

 あの娘は誰かを守りながら戦う…って経験は殆ど無いし、あの娘自身鬱陶しいってことは多少思ってるかもね?」

 

 とどのつまり、臆病者は引っ込んでいろという冷たい紫の言い方に、魔理沙は異議を唱えようとしてやめた。

 自分が見知っている者の中では一番冷たくて酷いであろうあの巫女なら、そんな事を思っていても不思議ではない。

 だがそれを言われた当の本人は酷く落ち込んでいるのか、顔を俯かせたまま微かに両肩を震わせている。

 泣いているのか?一瞬だけそう思った魔理沙はしかし…すぐにそれが勘違いだと気づき、ギョッと驚いた。

 

 肩の震えに付いていくかのようにサラサラと揺れる桃色のブロンドヘアーからは、悲しみの雰囲気は伝わってこない。

 否…悲しみどころかそれとまったく別の、言わば発火性の強い油の如き気配を読み取ったのである。

 それを読み取った魔理沙は以前に一度だけ経験した゛ある出来事゛を思い出し、すぐに後退れるよう無意識に身構えた。

 何時爆発するかもわからない存在と化したルイズと距離を置くことは、自分の身を守るのと同義である。

 当時その場にいた霊夢と一緒に゛ある出来事゛を体験した彼女にとって、これは咄嗟の行動であった。

(触らぬ神に祟りなしとはこの事か?…いや、この場合は人か…もしくはルイズで良いかな?)

 地面に置いていた箒を手に取りつつ、二人の動きを見てみることにした。

 

「どうしたのかしら、ルイズ・フワンソワーズ。身体が震えていますわよ?」

 一方の紫は、これから何が起こるか知っているうえでルイズの出方を伺っているのだろうか。

 面白い物を見るかのような目でもってルイズに話しかけいるが、それこそ火に油を注ぐようなものだ。

 油を大量に加えた火は並大抵の獣より凶悪であり、人間はおろか妖怪でも下手をすれば致命的な火傷を負う。

 そして今、油を注がれた小さな日は燃え盛る炎となって紫の体へと牙をむかんとしていた。

 

 

「…………しら」

 

 

 紫が話しかけてきてから十秒も経たぬうちに、ルイズがひとり呟いた。

 最もその声は小さく、大妖怪の耳をもってしても最後の部分しかまともに聞こえなかったが。

 ともかく、ルイズが反応を見せてくれたことに良しと感じたのか、彼女は首を傾げつつ口を開く。

「ん?今なんて言ったの?良く聞こえませんでしたわ」

 妖怪からのリクエストを、ルイズは律儀にも言葉として答える。 

 

「……言いたいことは…それだけかしら?」

 

 体の震えを止めることなく、顔を俯かせたままのルイズは言い直す。

 この場にいる三人の中では一番小さい両手に作られた握り拳が微かな音を上げている。

 あぁ、もう取り返しがつかない。魔理沙は心中でそう呟きつつもゆっくりと後ろへ下がり始めた。

 以前にもあんな調子のルイズを見て、襲われた彼女にとってこの展開は非常に危険で駄目な展開であった。 

 しかし襲われる相手が余裕の笑みを浮かべる大妖怪という事か、その顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。

 

(さて、先程の爆発かこの前の素手…どっちが来る?両方ってのも面白そうだぜ)

「…えぇそうよ。怯えるだけなら霊夢たちの邪魔をせずに安全な場所にいて欲しいと…私は言いましたの」

 これから自身の目に映るであろうルイズと紫の姿を思い浮かべている魔理沙を尻目に、紫はルイズに言い放つ。

 戦力外通告とも言えるその冷たい言葉にルイズは「そう…」とだけ呟いた瞬間、その足をゆっくりと動かした。

 魔法学院お墨付きのローファーを履いた彼女の足が向かう先には、微笑み浮かべる大妖怪の姿。

 ゆっくりと、だが確実に紫へと近づくルイズは顔を上げることなく、その口を開く。

 

「成るほ、ど…こ、この私が…ヴァリエール出身のき、貴族である私を戦力、外…あつか、いなんてねぇ…」

 もはや限界に達しているのか、言葉を詰まらせながら喋るルイズを見て魔理沙は思い出す。

 あの時もこうであった。今はまだマシな方だが、ルイズが゛爆発゛するのは後十秒程度といったところか。

 自らの経験をもとにそう予測した魔理沙であったが、その時はすぐに起こった。

 

 魔理沙が自分の脳内で勝手な予測を立てた直後、今まで歩いていたルイズはその足を一気に速めたのである。

 ゆっくりとしたテンポを奏でていた足音が一気に早くなり、紫との距離をあっという間に縮めていく。

 これにはさすがの紫も表情を変えてしまのうか、今までの笑顔から一変したキョトンとしたモノとなる。

 一方の魔理沙は思っていた以上に早かったルイズの゛爆発゛に対し、そのまま一発かましてしまえと心の中で叫ぶ。

 

 そして相手まで後五十サントというところで、ルイズは握り締めていた右手を振り上げ、

「言って…くれるじゃない…――のぉっ!」

 紫の胴体部目がけて勢い良く殴り掛かったのである。

 

 小柄な見た目と比べ対照的な程運動神経の良い彼女の右手は、今や強力な怒りという名の大爆弾。

 当たれば一発、妖怪であっても紫ほどの存在なら悶絶する事は間違いないであろう。

 紅魔館の門番や鬼といった面子だと蚊に刺された程度のパンチは、紫のような日ごろから鍛えて無いような奴には効果覿面だ。

 更にそれを喰らう本人は身構える事すらしておらず、今から回避しようにも手遅れなのは決定事項と言える。

 恐らく霊夢も見たことが無いであろう紫が悶絶する姿を想像し、魔理沙は思わず笑みを浮かべてしまう。

 

 だが。現実は非情だという言葉があるように、そううまくいく事は無かった。

 

「あら?」

 暴風雨に吹かれて飛んできた紙袋を避けるかのように、紫は自らの左手を腹の前に出す。

 直後、ちょっと認識できる程度の速度で襲ってきたルイズの拳は見事妖怪の掌に直撃したのである。

 少し人間離れした紫の反射神経に対し流石の魔理沙も驚きを隠せず、アッと大きな声を上げてしまう。

 その声に顔を上げたルイズはピクリと左の眉を動かし、残っている左手の握り拳を振り上げようとする。

 

「図星を突かれて悪戯とは、頂けませんわね。思ったより見苦しい人ですこと…」

 しかし次の手は既に読まれていたのか、ルイズの動きを見た紫は一人呟きながらスッと自身の右腕を動かす。

 結果、勢いよく振り下ろそうとしたルイズの左手が紫の右手に掴まれ、その場でピタリと静止した。

 まさかこれで終わりか?魔理沙がそう思った直後、ルイズはバッと左足を上げる。

 突然の動きに紫が怪訝な表情を浮かべた瞬間、その足が目にも止まらぬ速さで下ろされた。

 

「?…――うっ!」

 

 それを目で追おうとした瞬間、彼女は自分の右足に激痛が走ったのに気づきその顔を苦痛で歪めてしまう。

 一体何なのかと顔を俯かせたところ、先程振り下ろしたルイズの足が自分の足を踏んでいるのだと気が付く。

 ローファーを履いたルイズの足が踏んだもの、それは自分の腕を掴み上げた大妖怪八雲紫の足。

 自分を戦力外扱いした八雲紫への仕返しとして放たれた彼女のストンプは、思いのほか効果抜群だったようだ、

 いつも澄ましたような紫が珍しく痛い目を見たことに、魔理沙は後の事を考えが「おっ、スゲェ」とルイズに賞賛の言葉を贈った。

 孤独の野次馬と化した黒白の声を耳に入れつつ、ルイズと紫の二人はキッと真正面から睨み合う。

 

 身長の関係からか、紫は自分の足を踏む少女を見下す格好となるがそれでもルイズは動じない。

 今まで俯かせていた顔にはため込んでいた憤怒を解放させており、見る者に恐怖を覚えさせる。

 両目に嵌る鳶色の瞳でもって人の形をした人外を睨み上げるその姿を見れば、誰が臆病者と呼ぶだろう。

 人知と科学的常識では説明できない力を操る八雲紫の足を踏む彼女こそ、俗にいう勇者ではないのか? 

 それなりの硬さを持つルイズのローファーは紫のロングブーツをグリグリと踏み続け、その下にある指にまで攻撃している。

 

 一度現れれば全てを破壊する竜巻と化したルイズを睨みつける紫の頭にも、自ら退くという選択肢はないようだ。

 先程まで浮かべていた不敵な笑顔は痛みをこらえる苦笑いへと変わっている事から、攻撃事態はかなり効いたらしい。

 両目からは微かな怒りの気配が放たれており、この場に霊夢がいるなら驚いていただろう。

 時に柔らかくも胡散臭い笑みの下に怒りの色を滲ませる事はあれど、今の様に痛み堪える苦笑いの表情は滅多に見ないのだから。

 強い者ほど常に笑顔を浮かべると幻想郷録起にも書かれているが、彼女も例外ではないようだ。

 たとえルイズの踏み付けが思っていた以上に痛くとも、八雲紫は笑顔を崩すことなく彼女を睨みつけている。

 

 お互い引くに引けなくなった状況から十秒近く経過した後、そこで変化があった。

 指先の痛みが段々と酷くなっていくのを感じていた紫が、足の力を弱めないルイズに話しかけてきた。

「成る程…これが貴女の返答というワケね」 

「…えぇ。ついで、人を臆病者と罵ったアンタへの攻撃…って事もあるけどさぁ」

 ひたすら痛みに堪えているのか苦笑いを浮かべる顔で右の眉をヒクヒクと動かす紫の言葉に、ルイズはすぐさま返事をする。 

 今まで好き放題に言われていたルイズは今ここで鬱憤を解消せんと、その口から言葉を放出し始めた。

 

 

「確かに今までの私は臆病だった。それに間違いは無いわ。

 生まれたころから魔法が使えないからと幼少時に母親からスパルタ教育されて、辛い時はいつも逃げていた。

 学院に入っても魔法が使えないという理由でイジメの的にあって、それに抗うことなくただ受け流してきたわ。

 それで一年生の夏頃に゛ゼロのルイズ゛っていう不名誉なあだ名を貰ったのよ。おかげでイジメがもっと酷くなったけど。

 辛くて耐えられない時はいつも自室に籠って夢見てた。いつか私だってスゴイ事ができるって。

 誰にも真似できないような、自分にのみ許された゛何か゛がきっとあるって…そう信じてたのよ」

 

 そこまで言ってから一息分の休みを入れて、再びルイズは喋り出す。

 まるで喋るごとに憑きものが落ちていくかのように、彼女の顔から怒りの表情が薄くなっていく。

 

「そして二年生へと進級する際に行う使い魔召喚の儀式で、私はレイムと出会った。

 黒い髪に蝶みたいな赤いリボン。この世界じゃ考えられないくらいに派手な紅白の衣装と分離した白い袖。

 私とほぼ同年齢だというのにとても同世代の人間とは思えないくらいに冷たい性格の異世界少女。

 召喚したばかりの頃は酷いヤツだと思ってたけど。今じゃそんな事滅多に思わない。

 確かにアイツは酷いけど。二ヶ月近く一緒にいれば案外良いヤツじゃないかって…不覚にも思えてくるの」

 

 話の方向が自らの過去から霊夢の事へと移っていく彼女の脳内を、召喚からアルビオンまでの出来事が過っていく。

 

 魔法学院の自室で使い魔やこれからの事を説明した時。自分の魔法を失敗だと思わなかった事。

 連れて行った街で東方のお茶を買わされた事や、フーケのゴーレムから自分を守ってくれた時。

 話してもいないのに何故か任務で赴いたアルビオンで再開した時に、自分を守る代わりに怪我を追ってしまった事。

 その怪我の所為で裏切ったワルドに致命傷を与えられたのにも関わらず、ただ震えていた自分を助けてくれた紅白の彼女。

 

「アイツと出会ってからは、色々と面倒な借りまで沢山作って来たわ。

 今日はそれを返す為に新しい服を同じようなモノばかり着てるアイツに買ってあげた。けど、それでもまだ足りない。

 私をフーケの攻撃から救ってくれたり、トリステインの裏切り者まで倒してくれたアイツへの借りは大きすぎるのよ。

 それに、アンタが見ていた森での時はただただ怯えるだけで、戦うどころか泣いていたのは事実。

 でもね…、もう決めたのよ。――――次は絶対に逃げたり怯えたりしないって」

 

 霊夢を召喚して以来、ルイズは彼女の所為で色々とイヤなことがあった。

 それこそ今まで生きてきた中で、数多くいる人間の中には霊夢みたいな冷たくて酷い奴がいるのだとさえ思った。

 だがそれを差し置いても、今の彼女を見捨てて大人しくしていろと言われてはいそうですかと従う事はできない。

 仮に従ったとして、もしも霊夢が自分の目の届かぬ所で死ぬような事があればルイズは悔やむであろう。

 

 そしてルイズの考えを聞けば、アイツが死ぬ瞬間は思い浮かばんと魔理沙は言いそうだが、それは違う。

 霊夢だって異世界の中核をなす博麗の巫女でなければ、ただの少女だ。

 普通の人間と同じく傷だって負うし疲れる事もあり、そして致命傷を喰らえばそのまま死ぬことだって有り得る。

 ニューカッスル城でワルドに刺され、森の地面に倒れ苦しむ彼女の姿を見てきたというのに、その時手助けの一つもできなかった

 そして紫に異変解決を手伝ってほしい言われたのにも関わらず戦いに怯え、結果彼女自身から臆病者と呼ばれる始末。

 

 だから、この時のルイズは改めて決心していた。

 これからどんな事が起こり、体験しようとも…怯えたり泣きわめく事はしない。

 霊夢達の世界が抱えた未曾有の異変を解決する為に、異変の゛きっかけ゛となった自分も杖を手に取り戦おうと。

 

 

 もう後には引き返せないであろうルイズの決意表明を聞き、紫の顔が無表情となる。

 まるで自分の心を閉ざしたかのような冷たい眼差しでもって、ルイズの顔を見つめていた。

「――――言うだけなら簡単ですけど…。貴女の様な貴族に、これからの人生を棒に振るかもしれないような事を…体験できるかしら?」

 話の途中に口を挟むような事はしなかった紫の言葉は、まるで契約書に書かれている注意事項である。

 自らの家名が刻まれた判子を押す前に、本当に契約をするかどうかの瀬戸際で教えられる唯一の折り返し地点。

 ここで引き返せば契約は無かったこととなるが、承諾すれば何が起こるかもわからないであろう。

 しかし、紫の言葉によって興奮した今のルイズは彼女の言葉に戸惑うことなく口を開く。

 

 

「舐めないで頂戴。―――何せこの私は、博麗の巫女を召喚した貴族なんですから」

 怖気づくことなく吐き出したルイズの返事に、紫はフッと微笑んだ。

 

 

 今日、この世界へ来てから結構な数の笑顔を浮かべていた。

 だがしかし、今浮かべている微笑もにはそれまで浮かんでいた不敵さや柔らかさ、そして胡散臭さは無い。

 その微笑の裏に隠れているのは、ほんの一握りの安堵。

 一人で戦う事を好む霊夢の為に戦ってくれるという少女の存在に、紫は安堵していたのである。

(こんなにもあの子…霊夢を大切に思ってくれるような人間がこの世にいたなんてね)

 

 

――――ハルケギニアに酔狂という言葉があれば、きっと彼女の為にあるのかしら?

 

 

 紫は一人そう思いながら、揺ぎ無い決意に満ち溢れる鳶色の瞳を見つめていた。



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第六十五話

 トリスタニアのチクトンネ街にある自然公園から、少し出たところ。

 繁華街にある公園として、芝生や植木の整備がちゃんと行き届いている敷地の向こう側と言えば良いか。

 

 公園とは対照的に放置された為にできた小さな雑木林を挟んだ先には、旧市街地が存在している。

 半世紀も前に放棄されたそこはすっかり荒れ果て、ちょっとした遺跡と言っても過言ではない。

 最も、繁華街との距離が近い為か、人がいたと思われる目新しい痕跡が大量に残っていた。

 雑貨店の安物絵具で描かれたであろう建物の落書きは、芸術家を気取る若者の浅ましい欲望が垣間見える。

 かつては大流行しているファッションを大衆に見せつけていたであろうブティックのショーウインドウは、内側から破壊されていた。

 飛び散ったガラスは道路に四散したまま放置され、もはや過去の栄光すら映し出すことも無いだろう。

 

 そんな退廃的かつ物悲しい雰囲気が漂う廃墟群の路地裏で、霊夢は体を休めていた。 

「う~ん、護符がもうボロボロね…っていうかもう使えないし」

 先程までいた公園跡地よりも、人の気配を大分感じられるようになった場所へと身を移した霊夢は一人呟いた。

「全く、護符はいくらでも作れるけど…こんな調子で消費してたらすぐにストックが無くなるわね」

 彼女はそう言って自らの着ている服を捲り、その下に巻いているサラシへと手を伸ばす。

 無論肌に直接巻きつけている白く細長い布を外すのではなく、その上に貼られている何枚かの護符を剥がす為だ。

 弾幕ごっこで被弾しても軽症で済むように張られた長方形のお札のあちこちには、見るも無残な焦げ跡が付いている。

 札の端っこや中央に書かれていた゛ありがたい言葉゛は自分の弾幕に被弾した際に消滅しており、もはや護符としての役目は果たせない。

 

 ため息をつきながらも焦げたお札を剥がしていく霊夢は、ついでにと周囲の気配を軽く探ってみる。

 少し歩けば人が多すぎる繁華街にたどり着けるとは思えないこここには、隠れる場所など腐る程あった。

 それを留意してはいるものの、割れたショーウインドの奥や薄暗い路地裏からは何の気配も感じられない。

 博麗の巫女である霊夢がこんな場所で警戒している理由…それは彼女に襲い掛かってきた自身の偽者が原因だった。

 

 何者かに導かれるように訪れた公園で戦い、今の様な非常に面倒くさい状況を作り出した傍迷惑なパチモノの巫女。

 そして自分よりも接近戦に長けたアイツに距離を詰められた瞬間、直前に放っていたスペルの光弾が偽レイムの傍で爆発。

 偽者と一緒に吹き飛ばされた直後の記憶は曖昧ではあるが、ふと気づけば荒れ果てた雑草の中で気絶していた。

 目を覚ました後に慌てて辺りを見回したが、不思議な事に偽者の姿は何処にも見当たらなかった。

 一体どこに消えたのであろうか?そう思いつつも彼女は公園跡地を離れ、今いる場所へとその身を移して今に至る。

 

(今の状態で下手に攻撃喰らっちゃう事を想定すれば…楽観視できる状況じゃないわね)

 霊夢は剥がし終えた゛元゛護符を足元に捨てながら、これからどう動こうか考えていた。 

 今の彼女の脳内は、二つほど浮かんできた考えの内どれか一つを選ぼうと目まぐるしく動いている。

 一つ目は微妙に手強かった偽者を捜しだしてしっかりと退治する。ついで、可能ならば事情聴取らしい事もやりたい。

 ヤツは何も覚えてないと言ったが、今までの襲い掛かってきた連中とは明らかに違うのだ。詳しく追及してみても損は無いであろう。

 二つ目はルイズたちがいるであろう繁華街へこのまま戻り、彼女らと再会して自分が体験したことを話すか。

 それを聞いた二人が偽者捜しを手伝うと言い出しそうだが…まぁ捜してくれるだけなら十分にありがたい。

 しかし二つ目のそれを考えていたところで、それは無いなと言いたげに首を横に振る。

 

 ルイズはともかく魔理沙まで来られると、十中八九厄介な事になると霊夢は思っていた。

 森での戦いでは命を助けてくれたから良いものの、次はあの様なヘマはしないし何より人気の多い場所がすぐ近くにあるのだ。

 あの黒白の魔法使いが弾幕の火力を調節するとは思えないし、相当派手な戦いになるのは火を見るより明らかである。

 しかも魔理沙の「騒ぐ」はこの世界の常識では「花火」と呼べるほどに騒々しい弾幕のオンパレードだ。

 下手に騒いで人が来ればややこしくなるし、うまく偽物を倒したとしても人が来てややこしくなるのは変わりない。

 

(やっぱり学院で倒した蟲の時みたいに、一人でやるしかないか……って、あれ?)

 二つ目の考えをあっさりと放棄して偽者を自分だけで倒すと決めた瞬間、霊夢は気づく。

 彼女にしては珍しくハッとした表情を浮かべ、自分の手を懐や服と別離した白い袖の中へと忍ばせる。

 布の擦れる音と共に彼女の左手は五秒ほど動き、やがて諦めるかのように引っ込めた。

 一つ目の選択肢を選んだ彼女が今になって気づいた事。それは手持ちの武器が殆ど無くなってしまったという事であった。

 今日は何も起こらないだろうとお札も針も、そしてスペルカードですら最低限の分しか持ってきていない。

 そして、先程の戦いにおいて持ってきていた分が底をついてしまったのに、霊夢自身が今になって気が付いたのである。

(迂闊だったわね…こんな事になるとわかってたら、もうちょっと持ってきた方が良かったかしら?)

 朝の自分を軽く恨みつつ、彼女は唯一の武器であり今のところ有効打にならないだろうスペルカードを何枚か取り出す。

 

 今手元にあるコレだけでも充分に戦える自信はあったのだが、相手は自分自身と言っても良い。

 少し一戦を交えた程度だが、あの偽物が自分と同じくらいの回避能力を持っていることだけは理解していた。

 今手元にあるカードは、今の魔理沙でも十分に避けれるであろう単調なモノばかりである。

 最も、スペルカードを知らない者から見れば最大の脅威と言えるが、弾幕ごっこに慣れている人妖ならば今の霊夢に言うだろう。

 

「そんな弾幕じゃあ、Easyモードが限界だよ」と

 

 

 スペルカードがダメならば肉弾戦という手もある。しかし、生憎にもそちらの方は偽者に分があるらしい。 

 別に苦手というワケでも無いし、どちらかと言えば幻想郷の妖怪相手でもそれなりに戦える。

 だからといって得意ではなく、魔理沙や紅魔館のメイド長の二人は霊夢よりも上手だ。

 星形やレーザー系統の弾幕をよく放つ魔理沙は素手の戦いでも強いし、箒を武器にして殴り掛かってくることもある。

 彼女とは何回か戦った事のある霊夢も、黒白の魔法使いが手足のみの喧嘩に強い事は知っていた。

 そして紅魔館のメイド長に関しては…何というか、ズルに近いものがある。

 正直に言わなくても、あの銀髪メイドが正面から来ることは殆どないだろうから。

 

 というよりも、霊夢自身彼女との接近戦は御免こうむりたいものがある。

 彼女が持っている能力は霊夢が知っている中ではかなり厄介で心臓に悪いという、非常に悪質なものだ。

 そして接近戦を避けたい理由はズバリ、彼女が一番得意とする獲物のナイフにあった。

 霊夢の御幣や魔理沙の箒とは違い、見た目と殺傷能力がストレート過ぎる青い柄の刃物。

 一人のメイドが持つには少々危なっかしい凶器を、彼女は体のどこかに何十本か隠し持っている筈だ。

 弾幕として大量の刃物を一気に投げつけてくる姿を見れば誰だって不思議に思うだろう。

 あのメイド長は一体何処からあれ程の゛キョウキ゛を取り出し、どうやって一斉に投げつけているだろうか?…と。

 

(まぁ、そのタネは複雑に見えて単純なんだけどね…―――って、アッ…)

 いつの間にやら幻想郷にいる顔見知りの事を思い出していた霊夢は、ふと我に返る。

 こんな何時襲われても仕方ない時に、あまり親密になりたくない人間二人の事を思い出しているのだろうか。

 霊夢は無に等しい反省を覚えつつ体を動かそうとしたとき、ふと自分が地面に座っている事に気が付く。

 どうやら自分でも知らぬ内に胡坐をかいて座っていたらしく、それに気づいた彼女の顔に思わず苦笑いが浮かぶ。

「何か…私が思ってる以上に体が疲れてるのかしらね?」

 脳内に浮かび上がる言葉をそのまま口に出した霊夢はその場で顔を上げ、空を仰ぎ見る。

 

 気が付くと青かった空に朱色がほんのりと混じり、夕焼けの空を作り上げている。

 水彩絵の具で描いたような雲の群れは夕日に照らされ、焼きたてのパンを思わせる色合いだ。

 今の霊夢がいる場所周辺は今の時間は陽が入らないせいか、ここへ来た時よりも更に薄暗くなっている。

 ここが幻想郷なら、後二時間ほどもすれば陽が完全に落ちて妖怪たちの時間が始まるであろう。

 

「あぁ、もうそんな時間なのね…どうりで疲れるわけか」

 一人呟きながら重くなった腰を上げた霊夢は、その場でゆっくりと欠神する。

 両手を天高く掲げ、無垢と言える程に綺麗な腋を晒す彼女の姿を見る者は生憎な事に一人もいない。

 ここに来るまで数々の異常事態に見舞われた彼女にとって、今は身体の力を抜くのに丁度いい時だった。

「さて…本当にどうしようかしら」

 上げていた両手下ろし、一息ついた霊夢はそう言ってこれからの事を考える。

 

 お札と針が切れ、スペルカードはあまり頼りにならないものばかり。

 偽者を捜して倒そうと思えば倒せるがその分苦戦するだろうし、何より無駄に痛い思いをするのは御免だ。

 自分のそれとほぼ同じ霊力で包んだ左手に殴られるところを想像して、霊夢はその身を震わせる。

 戦っていた時は一度も喰らわなかったが、アレをまともに受けていたら人間と言えど軽傷では済まないだろう。

 しかも霊力に包まれている最中は、剣になるどころか盾の役目も務めているらしい。

 最初に公園跡地で見つけた霊夢が奇襲代わりにとお札を投げつけたのだが、何とそれを左手一つで防いだのだ。

 あの光景を見たのならば誰だって、直接喰らわずとも相当危険な左手だと認識できるだろう。

 しかも自分の身を守ってくれる護符すら貼りつけてない今は、殺してくださいと言ってるようなものだ。

 

 つまり、最終的に倒すつもりではあるアイツと戦うのなら、今の状態では非常に苦しいのである。

 せめてお札と針を目いっぱい装備して護符も貼り直し、保険として強力なスペルカードも欲しいところだ。

 

「どっちみち倒すつもりだけど、やっぱりルイズ達のところか、もしくは学院へ一旦帰った方が良いかな?」

 心の中でこれからの事を考え終えた霊夢は一人呟き、路地裏からひょっこりとその身を出す。

 同じように荒んだ状態のまま放置された通りの真ん中に佇み、改めて周囲を見回した。

 旧市街地の大きさはブルドンネ街と比べれば、あまりにも小さい。

 ブルドンネ街が三とすれば、ここは三分の二程度しかないのである。

 通りを挟むようにして共同住宅が建てられているが、そこから人の気配は感じられない。

 目を凝らしてみれば建物の幾つかに大きな罅が入っており、まるで蚯蚓腫れの様に建物全体を蝕んでいる。

「人がいないとこんなに荒むなんて、まるでこの街の人間すべてが座敷童みたいね」

 周囲にある他の建物や道路にも小さなひび割れがあり、それに気づいた霊夢はポツリと呟く。

 

 大多数の者たちが新しい街へと移り住み、ここに残されたのは僅かな人々と退廃の空気。

 その人々は職を持たぬ浮浪者や犯罪者たちであり、彼らが街の為に何かをする筈もない。

 故にこの場所は死んだような気配を醸し出し、ここに住む者たちはそれに慣れてドブネズミのような生活を営む。

 移り住んだ者たちは目をそらし続け、新しい住処で人生を謳歌しつつこれからの発展を願い続ける。

 

 古い過去を捨てて、現在から未来を築くのが最善か?

 それとも醜い現実から目をそらし、古き良き過去を選んだ方が良いのだろうか?

 二つの疑問をまとめて抱いた霊夢は頭を横に振り、それを払いのけた。 

 彼女はこの街で生まれ育ったわけではないし、何よりここで生きていくという気も無い。

 どっちにしろ霊夢にとって、トリスタニアという都はあまり良い場所とは思えなかった。

 

(ルイズや魔理沙はどうか知らないけど…あたしには人里ぐらいが丁度いいわ)

 旧市街地の通りに佇み続ける彼女がそう思った時。――――それは聞こえてきた。

 

―――――捜せ

 

 それは急な戦いから離れ、一時の休息を堪能していた彼女にとって青天の霹靂であった。

「……ん?」

 くたびれきった通りを歩こうとした霊夢の耳に、誰かの声が聞こえてくる。

 まるで男性と女性のそれが混じったような声のせいで、相手の性別が何なのかわからない。

 それでも霊夢はキョトンとした顔を浮かべて振り向いたが、後ろには誰もいない。

 通りの端に生えた雑草が風でフワフワと揺れているだけで、生物の影すらないのだ。

 一体何なのか?そう思った時、またしても声が囁いてきた。

 

―――――戦え

 

「誰…誰かいるの?」

 考える暇もなく聞こえてくる性別不明な声に対し、霊夢は何となく声をかけてみる。

 男女混合のせいか酷いノイズになりかけている声と比べ、彼女の声はあまりにも綺麗だ。

 気の強さと清楚さが伺える美声は誰もいない旧市街地に響き渡るが、返事は無い。

 きっと神の如き天から見下ろせば、誰もいない通りで一人声を上げる巫女の姿は奇妙であろう。

 遠くから聞こえてくるアホゥアホゥというカラス達の鳴き声は、そんな彼女をあざ笑っているかのようだ。

 何なのだろうか。そう思った時、霊夢はハッとした表情を浮かべる。

 思い出したのである。いま体験している出来事がつい一時間ほど前にもあったという事を。

(そういえば、レストランを出る直前に…)

 心の中で呟いて思い出そうとしたとき、またも声が聞こえてくる。

 

 

―――――殺せ

 

 何処からか聞こえてくる声は、博麗の巫女へ物騒な事を囁いてくる。

 通算で三回目となる声はしかし、先に出てきた言葉よりも過激さが増していた。

(はぁ?…殺す?何を殺せばいいのよ)

 常人なら怯える筈の声に対し、嫌悪感丸見えの表情を顔に浮かべた霊夢は心の中で突っ込みを入れる。

 既によく似た異常事態を体験してきた彼女にとって、これはもう動揺する程の事でもない。

 だからこそもしやと思い、ふと自分の視線から外れていた左手に目をやった。

 何も持っていない彼女の左手の甲。そこに刻まれているルーンが青白い光を放っている。

 左全体ではなくルーンだけが光っているその光景は、誰の目から見ても異常としか認識されないであろう。

 事実、ついさっきまでいたレストランでこれを見た霊夢はおろか、その場にいたルイズや魔理沙も驚いていたのだから。

(ホント参るわぁ…どうしてこう、落ち着いてきたって時に厄介事が舞い降りてくるのかしら)

 二番煎じに近い謎の声に対し、そろそろ辟易に近い何かを感じ始めた時であった。

 

―――――殺せ

 

 四度目となる声を聞いた直後、ふと頭に痛みが走るのを感じた。

 まるで頭の中を直接指で突かれたような感触を覚えた彼女の右手は、無意識に頭を押さえる。

 時間にすれば一瞬であったそれに、思わず怪訝な表情を浮かべた瞬間―――それは始まった。

 

 

「……――――…つッ!!」

 一瞬だけ感じたあの痛みが先程より何倍も強いモノとなって、彼女の頭の中を巡り始めたのである。

 狂った野獣と化した刺激は彼女の頭を走り回りながら、縦横無尽に引っ掻きまわしていく。

 突然であり強烈な頭痛に流石の霊夢も声を上げ、頭を抱えてその場に蹲ってしまう。

 人気のない旧市街地の通りに人が倒れる音が響きわたるも、それを聞いて駆けつけてくる者など当然いない。

 先程までウンザリしたとような表情を浮かべていた彼女の顔には、苦痛の色がハッキリと見えている。

 文字通り廃墟の中にいる霊夢はたった一人だけで、痛みに苦しんでいた。

 

「あぁっ…つぅっ、…イタ…あぁっ…!」

 傍から見れば頭を抱えて土下座しているように見える彼女の口から、苦しげな喘ぎ声が漏れている。

 彼女の声を聞く者が聞けば、今感じている痛みがどれぐらいのものかある程度分かるかもしれない。

 それ程までに、今の霊夢は自身の想像を軽く超えていた強烈な痛みに襲われていた。

 唐突な刺激に声も出せず、状況把握すらできない彼女に追い打ちをかけるかのように、再び声が聞こえてくる。

 

 

―――――殺せ

 

「ぁあっ!…あぁあぁっ!!」

 五度目となる声は霊夢の頭の中に響き渡り、それが痛みをより激しいものへ変化させる。

 喘ぎ声は小さな叫び声となり、蹲っていた彼女の体から力が抜けてその場に倒れ伏した。

 それでも尚止むことは無い頭痛に頭を掴む指の力を強め、横になった体が魔意識に丸まっていく。

 投げ出された両足の膝が丁度の顎に当たりそうなところで動きが止まる。けれど痛みは止まらない。

 

 頭の中を直接フライパンで叩かれているかのような痛みは彼女の体を蝕み、心さえも汚し始める。

 胎児の様に丸まった霊夢の叫び声には涙声が混じり始めたその姿は、痛みに屈しかけているとも言えた。

 最も、それに屈したところで痛みが消えるモノならばとっくにそうしているだろうが。

 しかしどう屈せばいいのか、そもそも何故こんな事になっているのかさえ彼女には分からなかった。

 そして、なぜ自分がこんなに目に遭うのかという理不尽さを抱いた霊夢は…

 

(何よ…私が一体なにをしたっていうのよ……何を…!)

 

 叫んだ。そう、痛みに潰されそうな心の中で

 姿すら見せない正体不明の声の主と、自身の頭を這い回る激痛に対して叫んだのだ。

 それが奇跡的にも、六度目となる謎の声は彼女の叫びに応えたのである。

 

 

―――――武器を、持て

 

 

 耳を通して激痛走る頭の中に、再び声が聞こえてくる。

 男か女とも知らぬその声はしかし、五度目のそれと違い無駄に頭痛を刺激しなかった。

 まるで痛む部分だけを避けるかのように、身体を丸めた霊夢の耳に入ってくる。

 そして一呼吸置くかのように数秒ほどの時間を空けて、謎の声は彼女に囁き続ける。

 

 

―――――相手を突きさす槍や、切り裂く剣を見つけ出し、その手に持て

 

 

(武器を……―――手に、持て…?)

 

 先程のそれとは違う声の言葉に、霊夢がそう呟いた直後であった 

 

「―――――はっ!…――あ―イタ…?―…っぅあ…えぇ…?」

 

 今まで彼女の頭を蝕んでいた激痛が、何の前触れもなくフッと消えたのである。

 

 

 まるで肩の荷を下ろした時の様な間隔に襲われた彼女は、閉じていた目をカッと見開かせる。

 次いであんぐりと開いた口から酸素を取り入れて吐き出すという事を何回か繰り返し、忙しげに深呼吸を行う。

 ガッシリと力を入れていた手の指から力を抜きながら自分の頭を擦り、もうあの痛みが過去のモノになった事を理解した。

 丸めていた体からも力が抜けたかと思うと、皮膚から一気に滲み出てきた汗が彼女の服に染みこんでゆく。

「消えた…の?」

 確認するかのように一人呟いた時、彼女の額から一筋の冷や汗が垂れ落ちる。

 常人ならば泣き叫んでいたで痛みを味わいながら、霊夢はその目から何も零してはいない。

 その代わりと言うのだろうか?最初に落ちた一粒を始まりにして、何粒もの汗が彼女の顔を伝って地面に落ちていく。

 右腕を下にして寝転がっているせいか、顔から滴り落ちる大量の汗が彼女の右肩を濡らし始めていた。

 

「一体何だっていうのよ、今のは」

 これ以上倒れていても意味はない。そう判断した霊夢は立ち上がる。

 季節が夏に近いという事もあってか、既に彼女の体は冷や汗でぐっしょりと濡れていた。

 

「あ~…何だって今日は、こんなにも運が悪いのかしら?」

 服まで汗まみれの彼女は嫌悪感が混じるため息をつきつつ、先程の言葉を思い返す。

 彼女を一分ほど苦しめた突然の頭痛を消し去ったであろう声は、武器を手に取れと言っていた。

 それもわざわざ左手で取れと細かい注文をしていたのも、当然覚えている。

 一体なぜあんな事を言った来たのか?そもそも頭痛の原因は何だったのだろうか?

「考えれば考えるほど泥沼に浸かるなんて事は…これが初めてね」

 何がどうなっているのだろうか?理解不能な状況に見舞われている霊夢は無意識に頭を掻き毟る。

 冷や汗で濡れた髪に触れた途端、冷たさよりも先に不快感が湧きあがってくる。

 さっきまで唐突な頭痛に苦しめられた彼女の息は荒く、立っているだけで精一杯という感じだ。

 

「…何かもう、やる気とか戦意がバカみたいに無くなっちゃったわ」

 足がふらつくのを何とか堪えつつ、霊夢は気怠そうに呟く。

 本当ならまだ近くにいるかもしれない偽者探しと行きたかったが、生憎そうもいかなくなった。

 手持ちの武器は少なく、それに追い打ちをかけるかのごとき強烈な頭痛と武器を探せとかいう変なアドバイス。

 そして頭痛が治まった後に出てきた大量の汗で、全身びしょ濡れという悲惨な状態。

 色んな事がいっぺんに起きたおかげか、今の霊夢にやる気というモノは無くなっていた。 

「とにかく、学院へ帰れたらお風呂に入ってすぐ寝よう。また頭が痛まないうちに…」

 心が真っ青になりつつある彼女は一人呟きつつ、未だに光り続ける左手のルーンへと目をやる。

 

 まるで数匹の蛇がのたくって出来たようなソレは、ルイズの使い魔である何よりの証拠。

 そしてこれまで出会ってきたこの世界の住人たちの話を聞いて、何て読むのかは聞いていた。

 ガンダールヴ。今から約六千年前…゛始祖ブリミル゛というメイジが使役していたらしい使い魔。

 ありとあらゆる武器や兵器を使いこなし主人を守ったその姿から、「始祖の盾」やら「神の左手」という異名があるらしい。

 しかし今の霊夢には、どうにも鬱陶しい事このうえない呪いのルーンだった。

 

「ガンダールヴだか何だか知らないけど…いい加減光るのをやめてくれない?」

 彼女はそう言って、光る左手を光っていない右手でペシペシと叩いた。

 それで光が止まる事もなく、煌々と輝くルーンを相手に苛立たしい気持ちが湧き上がってくる。

 人や動物に物が相手ならまだしも、使い魔のルーンに対し怒りを覚える使い魔はきっと彼女が初めてであろう。

 最も、霊夢自身は誰が何と言おうとルイズの使い魔になる気は全くないので仕方ないとしか言えない。

「このまま一生…って事はないと思うけど、何時になったら消えるのかしら」

 叩いてどうにかなるモノではないと感じた霊夢は忌々しげに呟き、チクトンネ街へ向けて歩き始める。

 力を抜けばふらついてしまいそうな両足で地面を踏みしめる彼女は、このルーンをどうしようか悩んでいた。

 このままバカみたいに光り続けてくれたら目立つだろうし、今後の生活にも影響してくる。

 

 

 想像してもらいたい。左手が光り続ける博麗霊夢の一日を。

 

 朝起きて、顔を洗おうとすると光手が光っているのに気付き何かと思い見てみると、目にしたのはガンダールヴのルーン。

 服を着てルイズや魔理沙と一緒に食堂へ向かい、朝食を食べている最中にも光り続ける左手。

 朝食が終わり部屋に戻ってデルフと暇潰しをしている最中にも、空気を読むことなく光る使い魔の証。

 お昼になれば一足先に食堂へと入り、後から入ってきたルイズたちに向けて光りの尾を引く左手を振る霊夢の姿。

 午後は軽くお茶を嗜んでから昼寝をしたいというのに、無駄に神々しく光るルーンでベッドに寝転がっても中々寝付けない。

 夕食を食べ終え風呂に入ってからの就寝でさえもルーンは光り続け、疲れ切った彼女の顔をいつまでも照らしている。

 

 博麗霊夢にとって何の変哲もない一日は、ルーン一つで異常なモノへと変貌してしまうだろう。

 

 

「少なくとも…今夜までにはどうにかしないと」

 左手が光り続けるかもれしれないこれからの人生を想像し、身震いした霊夢は小さな決意を胸に秘めた。

 とりあえずルーンの事は一応ルイズに聞くとして、どうやって光を止めるのか考えなければいけない。

 彼女がそれを知っていれば苦労はしないが、それはないと霊夢自身の勘が告げていた。

 今日はとにかく自分の考えている事とは違う方向に動き過ぎているうえに、まだそちらの方へ進み続けている。

 本来ならルイズや魔理沙と一緒に学院行きの馬車に乗っていたかもしれないのに、実際には廃墟の中に一人いる始末。

 ただの買い物目的で街へ赴いたというのにこんな事になってしまった事自体、運が悪いとしか言いようがないだろう。

 

 つまりルイズの所へ行っても今の状況が良い方向に向くとは限らない。彼女の勘はそう告げているのだ。

 だからといって何かしら動かなければ状況は変わらないし、ルーンが光ったままでは鬱陶しいにも程がある。

 じゃあどうすればいいのだろうか?それを考えようとした霊夢はしかし、既にその答えとなるヒントを自分で出していたことに気づく。

 無論それを覚えていた彼女は暫し顔を俯かせたのち、盛大なため息をついた。

 結局のところ、それが今一番考えられる最善の答えかという感想を心中で漏らしつつ、一人呟く。

「やっぱり…見つけちゃったのなら何とかしとかないと、ダメなのかしらねぇ?」

 面倒くさい仕事に取り掛かる前の愚痴と言える言葉が出た瞬間…

 

―――――来る

 

 見計らったかのように、性別すらハッキリしない謎の声が聞こえてきた。

 通算七回目となるそれには、六回目までには無かった何かが含まれている。

 ここで聞こえた今までの声は淡々と話しかけてくるような感じだったのだが、今の声は違っていた。

 まるで誰かに注意するかのような、僅かではあるが焦燥と警戒心に近い何かをその声から感じ取ったのである。

 霊夢は何処からか聞こえてくる声に対し何も言わず、ただその場で軽く身構える。

 既に彼女は気づいていた。妙な懐かしさが感じられる殺気が背後から近寄ってくる事に。

 

「わざわざ其方から来てくれるなんて。随分御親切じゃないの」

 後ろにいるであろう相手に、霊夢は心のこもっていないお礼を述べた。

 その直後、後ろの方から此方へと近づいてくる足音が聞こえてくる事に気づく。

 ゆっくりとした歩調で足を進める相手の殺気は、酷いくらいに冷たい何かが含まれている。

 そして、殺す意味は知らないがとりあえず殺せばどうにかなるだろうという投げ槍的な適当さも感じられた。

 そんな相手が近づいてくるのにも関わらず、身構えたままの霊夢は暢気そうに言葉を続けていく。

 

「丁度こちらも捜そうと思ってたんだけど、色々と可笑しい事があったから帰ろうとおもってた最中なのよ」  

 気楽そうに話しかける彼女の姿は、まるで故郷の友人と異国の地で出会ったかのようだ。

 しかし、相手から漂ってくる殺気がそれで消えるはずもなく足音は段々と大きくなっていく。

 背中を向けているために正確な距離は分からなかったが、そんな事はどうでもよかった。

 ただ、後ろの相手がどのタイミングで一気に近づくか、今の霊夢にとってそれが一番の悩み事であった。

 そんな時、またしても謎の声が聞こえてくる。

 

――――武器を、取れ

 

 

「で、その可笑しい事ってのがね、何処からか声が聞こえ来るのよ」

 しつこいくらいに囁いてくる謎の声を無視するかのように、霊夢は後ろの相手に話しかける。

 体が石になったかのようにじっと身構え、自分が捜そうとして向こうから来た相手の出方を待っていた。

 その間にも足音は近づいてくるのだが、彼女は振り返ろうともしない。

 ただじっと体を動かさず、相手がどうでてくるか背中越しに伺っている。

 ひしひしと感じられる殺気をその身に受けながら、霊夢はまたもその口から言葉を出した。

 

 

「――もしかして、その声が聞こえる原因は…アンタにあるのかしら?」 

 霊夢がそう言った瞬間だった、聞こえ初めて一分ほどが経つであうろ足音に変化が起こったのは。

 

 

 先程までの霊夢が何を言っても止まる事の無かった足音のテンポが…一気に速いモノへと変わったのである。

 ゆっくりと歩いていた感じのソレはあっという間に早歩きへと変わり、足音の主は霊夢の方へと近づいてきたのだ。

 その時になってようやく霊夢は素早く振り返り、慣れた動作でもって急ごしらえと言える結界を自身の目の前に展開する。

 幻想郷にいる人間の中ではトップに入るほど結界のプロであり、尚且つ博麗の巫女である彼女作りだす結界。

 見た目は青白い半透明の板であってもその防御力は桁外れであり、ちょっとやそっとの攻撃では壊れない程度の強度はある。

 

 しかし、振り返った先にいた相手はその結界の程度を把握していたのだろう。

 霊夢と同じように光る゛左手゛を勢いよく前に出し、それを結界へと突き刺した。

 

 直後、鏡が割れるような耳に良くない音が人気のない通りに響き渡る。

 霊夢の結界をいとも簡単に突破した相手の゛左手゛は力強く放たれた矢の如く、その指先でもって霊夢の顔を貫かんと迫ってくる。

 だがあと少しというところで゛左手゛が不自然に揺れ動き、眼前で停止した指先を霊夢はジッと凝視していた。

 

 結果的に割れる事は無かった結界だが、相手の先制攻撃を完璧に防ぐ程度の力は無かったらしい。

 数秒ともいえぬ短い時間で作られたそれの真ん中に突き刺さった相手の左手があり、そこを中心にして結界に罅が入り始める。

 薄い氷を割るような音が微かに聞こえるなか、酷く落ち着いている霊夢は相手に向けてこう言った。

 

「もしそうなのなら手加減は出来ないけど、それ相応の事をしたんだから恨まないでよね」

「――――面白い事言うじゃないの。…それなら」

 彼女の口から放たれたその要求に対し相手―――偽レイムは淡々と返しつつ言葉を続ける。

 

 

 

「私がアンタを殺しても、恨むのは無しってことよね?」

「あら、悪いけど私は恨むわよ。だって何も知らないままで死ぬのは嫌ですから」

 不気味なくらいに赤色に光る瞳に睨まれながらも、霊夢は自分の事を棚に上げて宣言した。

 互いに左手を光らせ、その身を退かせることなく罅割れていく結界越しに睨み合う二人の霊夢。

 どちらかが倒れるまで終わる事のない戦いが、今まさに始まろうとしている。

 

 

 そんな時であった。偽レイムの手が突き刺さった結界が、音を立てて盛大に弾け飛んだのは。

 少女と少女の戦いの始まりを告げるゴングの音は、あまりにも綺麗で儚い音色だった。 

 チクトンネ街から少し出ると旧市街地の入り口があるが、そこから先は殆ど人気が無い。

 人々が集う飲食店や酒場も無いここは、既に放棄されて久しいと言っても良いくらいの場所であった。

 唯一目につくものと言えば、かつては多くの人を迎えたであろうアーチが立てられた入り口とその真下に作られている一つの台座だ。

 旧市街地へ入ろうとするものを拒むかのような古びたアーチにはどんな事が書かれ、台座の上にはどんな像が置かれていたのだろうか。

 それを知る者はこの場におらず、知っている者もきっとここへ戻ってくることは無いだろう。

 文字通り死した大地とはこの街の事を示すに違いない。今のここは活気を失い、座して滅びを待つ者たちの吹き溜まりだ。

 こんな場所へ何の用事も無しに訪れる者は、きっと余程の変わり者ぐらいであろう。

 しかし、今日は始祖が気まぐれにも救済の手を差し伸べたのか、二人の少女がこの街へ入ろうとしている。

 孤独死を静かに待つ老人の如きそんな場所に、ルイズと魔理沙の二人は佇んでいた。

 

「レイムの居場所はわかったけど…何でよりにもよって旧市街地に来なきゃいけないのよ」

 魔理沙の後ろにいる彼女はそう呟き、旧市街地の入り口を軽く見回す。

 ルイズの顔には苦虫を踏んでしまったかのような表情が浮かべており、入りたくないというオーラが身体から漂っている。

 ある程度トリスタニアを知っている彼女は、ここがどれ程危険な場所なのか把握していた。

 犯罪者や浮浪者の溜まり場であり、尚且つ崩壊寸前の建物が幾つも放置されているという立ち入り禁止の土地。

 実際は立ち入り自由なのだが、ルイズは意識してこの旧市街地に近寄る事を今の今まで避けていた。

 

 しかしそんな彼女とは対照的に、ルイズの前にいる魔理沙は楽しげに口を開く。

「へ~…トリスタニアってこんな場所もあるのか。今の今まで知らなかったよ」

 彼女はそう言うと顔を上げ、自分たちよりも十メイル程上にある木造のアーチと、そこに取り付けられている赤錆びた鉄看板を見つめる。

 風雨に晒されるばかりか虫に喰われた箇所が痛々しいアーチは、いつ崩れてもおかしくは無い。

 そしてアーチの上部にある広いスペースに取り付けられている鉄製の看板には、きっと歓迎の言葉が書かれていたのだろう。

 しかし、それもまた数十年の歳月をかけてアーチより更に汚れ、今では屑鉄として処理されるしかないガラクタと化していている。

 一見すればお化け屋敷の入り口だと錯覚してしまうそれを魔理沙は興味津々といった目で見つめ、一方のルイズは嫌悪感たっぷりの瞳で睨みつけていた。

 

「しっかし相当古い所だよな~。幻想郷にある数多の廃屋が結構まともだと思えてくるぜ」

 上げていた顔を下ろし魔理沙がルイズに向かってそう言うと、すぐにルイズは口を開く。

「ふーん…それほどの良い家ばかりなら是非とも見せてくれない?ここより酷かったらタダじゃ済みませんけど」

 隣の少女へ嫌味を含めて送ったルイズの言葉はしかし、「おっと、そう言われると自身が無くなってしまうな」と呆気なく返される。

 ここで自分の言葉に乗ってくれるかと思っていたルイズは、ムッとした表情を浮かべて魔理沙を見やる。

 そんな自分とは対照的にニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる魔法使いを見て、彼女は不満気な顔のままため息をついた。

 

「ユカリのヤツ…まさか適当な事言って、あたし達から今のレイムを引き離してるんじゃないのかしら?」

 ルイズはそう言って、ここへ至るのまでの経緯を軽く思い出そうと脳内で時を巻き戻し始めた。

 

 

゛霊夢は今旧市街地にいる。行くというのならできるだけ早く行った方がいいわよ?゛

 

 ついカッとなったルイズに足を踏まれ続けていた八雲紫は、痛みに耐えながらも二人にそう教えていた。

 当初はルイズがあまり役に立たないという事で、姿を消した霊夢を追いかけるなと警告した大妖怪。

 しかし、戦力外扱いされた本人はそれで見事に憤り、結果自分をけなした妖怪にキツイ一撃を与える事に成功した。

 本当は拳骨をお見舞いしたかったが失敗し、半ば自棄的に足を踏みつけたのが功を成したと言える。

 両者一歩も引かぬ光景を魔理沙が傍観する中、ルイズはこれからの決意を紫に伝えたのだ。

 

 それを聞いて根負けした…ワケでは無いのかもしれないが、紫は微笑んだのである。

 まるで戦場へ赴く事を決意した我が子を見る母親の様に、優しくも何処か遠い場所を見つめているかのような微笑みであった。

「そこまで言うのなら教えない、と言うワケにはいきませんわね」

 紫はこちらを凝視するルイズに向けてそう言って、今の霊夢がいる場所を教えてくれたのだ。

 いつもと違いやけにあっさり話してくれたことに二人は疑問を持ち、一回だけ魔理沙がその事について尋ねていた。

「珍しいな?いつものお前なら難しい言葉でも出して退散すると思ったんだが」

 黒白の質問に、紫は鼻で笑いつつ丁寧に答えてくれた。

「知ってるかしら?貴女達を含めた周りの者たちが思うほど、私は悪質ではありませんの」

 無論、仏の様に優しくもありませんけどね。最後にそんな言葉を付け加えた後、紫はその口を閉じた。 

 

 

 その後、彼女は「少し用事があるから」という理由で自ら開いたスキマを使ってその場を去ってしまった。

 一体何の用事なのかと一時は訝しんだのだが、それを考えるよりも優先すべき事がありすぐに忘れてしまった。

 その優先すべき事を消えたばかりの妖怪から聞いたルイズは魔理沙と一緒に、チクトンネ街からある場所へと向かった。

 日が暮れるにつれて人混みがきつくなっていく通りを抜けた彼女らは、ここ旧市街地までやってきたのである。

 

 

 そして時間は戻り、廃墟群の前にたどり着いたルイズと魔理沙が入り口の前で佇む今に至るのであった。

 

 

「…まぁ紫の言う事が本当かどうかは知らないが、すごい所が街中にあるもんだな」

 ルイズの言葉にとりあえず肯定の意を示しながらも、魔理沙は旧市街地の入り口周辺を見回している。

 とりあえず応えてみたという魔理沙の言葉に目を細めるが、まぁ彼女が驚くのも無理は無いと感じていた。

 ブルドンネ街やチクトンネ街と比べやや古い空気を残す街並みは、時代に取り残された証拠と言っても過言ではない。

 時と共に増え続ける人口によって不便になる水回りの環境や狭い通りは、人々を新しい街へ移住させるきっかけともなったのだから。

 

 ハルケギニア大陸の主な国々の首都や王都にも旧市街地はあるが、トリスタニアの様に明らかな廃墟化はしていない。

 ガリアのリュティスは幾年もの工事で平民たちの不満をある程度取り除き、ゲルマニアのヴィンドボナでは家屋を取り壊して工場を作った。

 聖都ロマリアでは最近になって難民たちの生活場所になり、アルビオンのロンディニウムには今も多くの人々が暮らしている。

 そんな中であっという間に過疎化が進み、犯罪者や働く気のない浮浪者たちのたまり場となった場所は、ここトリスタニアだけだ。

 

 更に旧市街地自体はいまだ原型を保っている事と多くの人が今も出入りしているという理由で、立ち入り禁止の看板さえ立てられない現状。

 碌な整備もされないせいで通りも建物も荒れに荒れた今では、何も知らない異国の人間が見れば驚くのも無理はない。

 何せハルケギニアでも有数の観光名所である王都の中に、場違いとも言える廃墟が存在しているのだから。

 しかし観光客の中にはこういう場所が好きだという人達がいる事を、ルイズは雑学の一つとして知っていた。

(実際に目にするのは初めてだけど、コイツの性格を知ってると墓荒らしの類かと思えてくるわね)

 初めて訪れる旧市街地にワクワクを隠せない魔理沙を見ながら、ルイズはそんな事を思っていた。

 

 魔理沙が旧市街地をこの街の名所(?)の一つとして見ていたが、その一方でルイズはあまり縁起の良くない場所と思っていた。

 先程呟いた言葉が示すように、今更ながら紫の情報は本当なのかと疑い始めていたのである。

 最初に聞いたときは早く霊夢の所へ行かねばと急いでいたが、ある程度落ち着いた今ではその気持ちも薄らいでいる。

 そして、段々と冷静さを取り戻す彼女はぽつぽつと思い出していた。ここ旧市街地に関するあまり噂の数々を。

 

 肝試し気分で深夜にここを訪れた若者たちが浮浪者たちに襲われ、そのまま帰らぬ身になったという話。

 地下水道に潜むゴーストや、謎の病原菌が蔓延しているという都市伝説の類。

 当時の王家が隠したという財宝が、今もどこかに隠されているという美味すぎる噂。

 他にもあるかもしれないが、少なくともルイズが知っている旧市街地の噂はそれ程多くは無い。

 だが腰を入れて探そうと思えば…百科辞典一冊分は無いにしても、それなりの情報は手に入れられるだろう。

 それ程までにこの場所は怖ろしいくらいに怪しく、暇つぶしのネタにもってこいの土地であった。

 しかしルイズからして見れば絶、ここは対に近寄りたくない忌み嫌われた場所なのは違いないのだ。

 

 本当ならば自分の前にいる異世界人にもそれを教えたい所であったが、彼女はそこで悩んでいた。

(どうしよう…コイツに教えたらもうレイムを捜すどころじゃ無くなる気がするわ)

 もしも目の前の相手が魔理沙以外の人間なら、ここの噂を聞いて予想通りの反応を見せていただろう。

 例えば、若者たちが行方不明とかゴーストの話を聞かせれば多少なりとも自分の気持ちを理解してくれるに違いない。

 だが、魔理沙やこの場にいない霊夢の二人にそんな事を話しても、それで怖がるという場面が想像できないのである。

 むしろそれで怖がる自分を馬鹿にしたり、予想よりもずっと斜め上の反応を見せてくれるのではないかと危惧していた。

 

 霊夢は鼻で笑ってくるだろうし、魔理沙に至っては話を聞き次第本当かどうか確認しに行くだろう。

 実際にそうなるかどうかはわからないが、少なくともルイズはそういう事になるなと予想していた。

 自分の話に斜め上の反応を見せてくれるかもしれない二人の姿を想像し、ルイズは無意識に呟いてしまう。

「言えるワケ無いわよね、面倒事になるのなら…」

「お、面倒事ってなんだ?何やら随分と面白そうな話がありそうじゃないか」

 あまりにも意味深すぎる彼女の言葉に対し魔理沙が反応するのは、必然としか言いようがなかった。

「えっ?――あ、うぅ…」

 まるで子供の様に無邪気な瞳で見つめられるルイズはしまったと後悔しつつ、どう答えようか迷ってしまう。

 

 思い切ってここの噂を話そうか、もしくは何でもないと言って誤魔化すか。

 正直言ってどちらの方を選んでも良くない事が起こりそうだと、この時の彼女は薄々感じていた。

 仮に噂話を教えてしまうとなると、この黒白が唐突な探検を始める事は碌に考えなくとも予想できる。

 かといって何もないと言えばこちらの根が折れるまで問い詰めてくるだろうし、そうなればここで立ち往生してしまう。

 旧市街地へ来たのはあくまでも霊夢の捜索をする為で、都市伝説の真相を確かめに来たのではないからだ。

 

 どんな言葉で返そうか迷っている彼女は、ふと先程の出来事を思い返す。

 それは霊夢の様子がおかしくなった直後に、ガンダールヴのルーンが光り出したことであった。

(何でルーンが光ったのかわからない…けど、良くない事が起こりそうな気がするわ)

 彼女は心の中で呟きつつ、自分の心が不安に包まれていくのを感じてしまう。

 契約直後とワルドの魔の手から救ってもらった時以外、あのルーンが光ったところを今まで見たことが無かった。

 不思議に思ったが本人曰く、自分の能力に関係していると言っていたのでそれが答えなのかもしれない。

 しかし契約直後はともかくとしてアルビオンの時にはそれを光らせ、見事な剣術を見せてくれた。

 何であの時にガンダールヴの力が働いたのだろう?あの日から二ヶ月近くも経つが、ルイズは今でも疑問に思っている。

 当の本人にそれを聞いてもわからないと言っていたし、幻想郷に帰った時も答えらしい答えは見つからなかった。

 

 ただ…異変解決の為に霊夢と一緒に自分の世界へ戻ろうとした直前、紫はこんな事を言っていた。

「この答えは今出てこないが、後で自ずと出てくるかもしれない」と。

 

 

(今回の事…もしかして、それが答えに繋がるのかしら?) 

 

 ほんの少しだけ過去の出来事を思い出していたルイズは、何回か瞬きをしてから現実へと意識を戻す。

 そして後悔する。面白い情報を探り出そうとしている黒白の魔法使いが、すぐ傍にいたことを忘れていたのだ。

「何を黙ってるんだルイズ?黙ってても私は何処へも行かないぜ」

 自分の返事に期待しているであろう魔理沙の言葉に、彼女はため息をつきたくなった。

 知り合いが大変な目に遭ってかもしれないというのに、この魔法使いはくだらぬオカルト話に浮かれている。

 他人との付き合い方も幼少の頃に学ばされたルイズにとって、あまり見過ごしておける人間ではなかった。

(でもここで喰いかかると色々面倒な事になりそうだし…どうしようかしら)

 呆れてはいるものの、答えがみつからない事にルイズが頭を悩ませている時―――゛彼女゛は現れた。

 

 まるで突風のようにやってきた゛彼女゛は燃え盛る炎の様な髪を揺らし、ルイズへと近づいていく。

 考え事をしているルイズは背後から来る気配に気づかず、ルイズの方へ視線を向けている魔理沙も同様であった。

 人々の活気と雑踏が遠くから聞こえるこの場所で靴音を鳴らし、赤い髪の少女はルイズたちへ近づいていく。

 ルイズと同じデザインのローファーを履いた足で、ある程度近づいた少女はスッと息を吸い込み…ルイズたちに話しかけた。

 

 

「あらあら?何かと思えば…ヴァリエールと怪しげな黒白が肝試しの準備をしてるじゃない」

 

 

 背後からの声にルイズは驚いた。まるで灼熱の中で踊る炎の女神を連想させる、美しいその声に。

 そして何より、どうして声の主である゛彼女゛がこの様な場所へとやってきたのだろうかという疑問を覚えてしまう。

 ルイズと同じタイミングで気づいた魔理沙も声の主を見てから、意外だと言いたげにアッと声を上げる。

 この世界…というより魔法学院へ来てからというものの、゛彼女゛の赤い髪を忘れたことはなかった。

 それ故に他の生徒たちが呟いていた゛彼女゛の名前と、持っている二つ名もしっかりと覚えている。

 

 

「それを羨む事は無いけれど、もう学院に帰らなくて大丈夫かしら?」

 目の前の二人がそれぞれリアクションを見せた所で゛彼女゛こと、キュルケは尋ねてきた。

 浅黒い肌に似合うその美貌、怪しげな微笑を浮かべながら。 

「き…キュルケ!」

「ハロローン、今夜も良い双月が見れそうねヴァリエール」

 急いで振り返ったルイズがその名を呼ぶと、キュルケは右手を軽く上げて挨拶をする。

 驚愕の態度を露わにしている彼女と比べ、余裕綽々といったキュルケの顔には笑みが浮かぶ。

 怪しげな雰囲気を放ちながら何処か他人を小馬鹿にしているような嘲笑にも似たソレを見て、ルイズは顔を顰める。

 ルイズとキュルケ。この二人の仲が悪いという事は、魔法学院の中では知らない者の方が少ないくらいだ。

 何せ先祖代々争ってきたのだ。犬と猿、ウツボとタコの間柄と同じく゛相性の悪い組み合わせ゛なのである。

 それでも新しい世代である二人の仲は何も知れない者が見れば、それ程悪いというものではない。

 どちらかの機嫌が悪くなければ軽く話し合う事はあるし、同じ席でお茶を飲むこともあった。

 少なくとも今の所は、かつてのように恋人を奪い合ったりその果てに殺し合うという事は無くなったのは確かだ。 

 

 

 最も、今の状況では殺し合いといかなくても、両者の間で壮絶な口喧嘩が起こりそうな雰囲気があった。

「何しに来たのよ。派手好きなアンタがこんな所に来るなんて」

「別にぃ~?ただチクトンネ街で遊んでたら、眼の色変えた知り合いが旧市街地へ走って行ったからついつい…」

 自分の質問に肩を竦めながらしれっと答えたキュルケに、ルイズは唇を噛みそうになるがそれを堪える。

 ただでさえ厄介な状況に陥っているうえに追い討ちをかけるかの如く現れた今の彼女は、予想外のイレギュラーだ。

 そして彼女の言葉から察するに、どうやら自分と魔理沙を追いかけてここまで来たのだとすぐにわかる。

 軽く驚いた表情を浮かべたままのルイズは、今回の事に彼女が首を突っ込んでくるのではないかと危惧していた。

 魔理沙への返事を一時保留にしつつどう答えようかと思ったその時、後ろから余計な声が聞こえてきた。

「おぉ、誰かと思えばいつもタバサと一緒にいるヤツじゃないか」

「ちょっ…!?あんた!」

 よりにもよってこんな時に空気を読まない魔理沙の発言に、ルイズは血相を変える。

 いくらなんでも自分とキュルケの間に流れる雰囲気を察せれると思っていたが、全くの期待外れであった。

 黒白に「ヤツ」と呼ばれたキュルケは笑みを崩さないものの、その体から発する気配に変化が生じる。

 今まで穏やかだったそれに、弱火の如き僅かな怒りが混じり込む。

 魔法は使えないが、メイジであるが故に相手の魔力を感じられるルイズは思わず舌打ちしたくなる。無論、魔理沙に向けて。

 霊夢が消えたうえにこれから彼女を捜そうという時にキュルケが絡んでしまうと、もはやどうしたら良いか分からなくなってしまう。

 それを避けようとしていた矢先に魔理沙の言葉である。舌打ちどころか鞭打ちでもしてやりたい欲望に駆り立てられる。

 生憎にも鞭を持っていないのでしたくてもできないが、場違いな発言をした黒白に怒鳴る事はできた。

 

「アンタ、この場の空気も読めないの!?わざとアイツを怒らせるような事言って!」

 今まで堪えていた分も合わせて怒鳴ったルイズであったが、魔理沙は涼しげに対応してくる。

「いやぁー悪い悪い、名前は覚えてたし悪気は無かったんだがなぁ」

「どこが「悪気は無かった」よ?さっき喋った時に嬉しそうな表情浮かべてたじゃない」

 キュルケを「ヤツ」と呼んだ時の彼女の顔を思い出しながら、ルイズは言った。

 痛い所を突かれたと感じたのか、魔理沙は左手で頭を掻きながらその顔に苦笑いを浮かべてしまう。

 しかしそこからは反省の色が全く見えず、ルイズは歯ぎしりしそうになるのを抑えつつ怒鳴り続ける。

「大体ねぇ、今からレイムを捜そうっていう時に何で真面目になろうって思わないの!?」

「それはお前が、ここら辺の面白そうな話を知ってると思ったからさ。実の所霊夢よりも、そっちの方が気になってるんだぜ?」

「…~っ!アンタってヤツはホント…」

 悪びれることもなくそう言い放った魔理沙にキツイ一発でもかましてやろうかという時であった。

 突如二人の間に挟まれるようにして、キュルケが話に割り込んできたのである。

 

「ねぇねぇ、あの紅白ちゃんが消えたってどういう事かしら?何か気になるんですけど?」

 

 その言葉に応えようとした瞬間、相手が誰なのか気づいたルイズは目を見開いてサッと口を止めた。

 右手で口を押えたものの直前「あっ…!」と小さな声が漏れてしまい、その様子を見ていたキュルケはニヤニヤと笑う。

 まるで相手の言質を取った悪徳商人が浮かべるようなそれを見せながら、彼女はゆっくりとルイズに近づいていく。

 意味深な笑みを浮かべて近づいてくる同級生にルイズは後退ろうとするが、相手の足の方が速かった。

 後ろへ下がろうとする前にゼロ距離と呼べるほどまでに近づいたキュルケは、ルイズを見下ろすような形で口を開く。

「そういえば…貴女達をチクトンネ街で見た時、あの娘の姿は無かったわね…―――――何かあったの?」

「そ、それをアンタに言う義務が何であるのよ。普通はな、無いでしょうが…!」

 いつも詰め寄られる時とは違いあまりにも距離が狭いため、ルイズは言葉を詰まらせながらもそう答える。

 それに対しキュルケはただただため息をつくと、今度は魔理沙の方へ視線を向けた。

 

 

「お、この私に質問かな?」

「まぁ、そうね。普通の子供なら簡単と思える質問だから…正直に答えてくれる?」

「あぁ良いぜ?何でも言ってみな」

 キュルケが質問をする相手を変えた事にルイズは戸惑いを隠しつつ、面倒事にしないで欲しいと心の中で魔理沙に願う。

 ここで今の状況を全部知られてしまえば、赤い髪の同級生はなし崩し的に自分から巻き込んでくるだろう。

 常に面白い事を探求し一日一日を情熱的に生きる彼女なら、絶対的な興味を示すことは間違いない。

 それ程までに自分と霊夢たちが解決するべき゛異変゛は非日常的であり、色んな意味で壮大なのである。 

 

 しかしルイズからしてみれば、その゛異変゛はできるだけ誰にも知られたくないものであった。

 一部の人間にはある程度話していたが、それでも最低限自分と霊夢たち幻想郷の者たちだけで解決しようと決めていたのである。

 もし異変とは無関係な人間にこの事が知られてしまえば、今以上に面倒な事になるのは目に見えていた。

(素直に教えるとは思えないけど、頼むからキュルケが絡んでくるような事言わないで頂戴…!)

 そんな事を必死に願う彼女を他所に、魔理沙とキュルケの話は続く。

 

「じゃあ聞くけど、あの紅白ちゃん…もといハクレイレイムは何処に行ったのかしら?」

「別にどうって事無いぜ?ただ昼食先のレストランでルイズと口論した霊夢が勝手にいなくなっただけさ」

 ついに始まったキュルケの質問にしかし、魔理沙はあっさりと嘘をついた。

 どうやらあまり面倒事にしたくないのは彼女も同じらしく、薄い笑みを浮かべて疲れたような表情を作っている。

 しかし、微妙に勘の鋭いキュルケがそんな嘘を簡単に信じる筈もなく、怪訝な表情を浮かべて口を開く。

「本当にタダの喧嘩なのかしら?チクトンネ街を走っていたこの娘は大分必死な顔してましたけど?」

 すぐ傍にいるルイズの頭を指差しながら、尚も質問し続けるキュルケに対し、魔理沙は肩をすくめて言った。

「まぁあの時のコイツも霊夢も相当イラついてたからな、あの後冷静になって怒りすぎたと思って走ってたんだよ」

 同居人である私はその後をついていっただけさ。最後にそんな言葉をつけ加えてから、これで良いかと言わんばかりに肩をすくめる。

 二度の質問をしたキュルケは三度目を行わず、はぁ…と短いため息をついた。 

「そう…じゃあ単なる喧嘩で、貴女達はこんな辺鄙な所へ来たってワケかしら?」

「結果的にはそうなったな。もっとも、こんな所を知らなかった私としては良い勉強になったよ」

 口から出る言葉に落胆の色を隠したキュルケに向けて、魔理沙はキッパリと言い切る。

 二人に挟まれる形でお互いの様子を見ていたルイズはキュルケの方を睨みつつも、心の中で親指を立ていた。

 無論、向ける相手は自分の後ろにいる魔理沙だ。

 

(ナイスよマリサ!アンタ、やればできるじゃないの)

 口に出せはしないが、うまい事誤魔化してくれた黒白にとりあえずの感謝を述べる。

 色々と面倒事が片付き、学院に帰ったらしつこく聞かれるかもしれないがそれは後で考えればいい。

 今回の異変を解決する霊夢ならどんなに問い詰められようが、真実を教えることはないだろう。

 そして霊夢や自分程とも言えないが、自分のたちの秘密を教えたくないのは魔理沙も同じなのは違いない。

 例えもう一度聞かれたとしても、今の様に誤魔化してくれるだろう。

 先程までならそう思えなかったが、キュルケのやりとりを見た今なら信じられるとルイズは思っていた。

 後は突然のゲストを丁重に返して霊夢を見つければ、事態は収束するに違いない。

 狸の皮算用とも言える脳内での作戦会議に満足していたルイズはふと魔理沙に肩を叩かれた。

 まるで繊細過ぎるガラス細工を扱うかのように叩かれた彼女はどうしたのかと思い、振り返ってみた。

 

 後ろに控えていた魔理沙は薄らとした笑みを浮かべながら、右目だけを忙しく瞬かせている。。

 金色の瞳に見つめられているルイズは一体何なのかと疑問を覚えたが、それは一瞬で解消されることとなった。

 先程まで魔理沙を見つめていたキュルケは落胆しているせいか、目を瞑ってため息をついている。

 その隙を狙った彼女は瞬きを使い、ルイズにある事を伝えているのだ。

 最初はそれに気づかなかったルイズだが、魔理沙の笑みを見た途端に彼女の言いたいことが分かったのである。

 彼女はある要求をしていたのだ。本人曰く霊夢よりも興味が湧くという゛面白そうな話゛を聞きたいが為に。

 

 うまくいったら、さっき言ってた噂とやらを教えてもらうからな――――

 

 言葉を出せぬ今の状況であっても、魔理沙は自分の興味が向くモノに興味津々のようだ。

 無言の眼差しからそれを読み取ったルイズは目を細めながらも、前向きな答えを出してみようかと考えていた。

(まぁ、キュルケを追い払った後で色々と聞かれそうだけど…どうせなら霊夢を捜しながらって条件でも出そうかしら?)

 後ろの魔法使いにどんな返事をよこそうかと思っていた時、絶賛がっかり中のキュルケが話しかけてきた。

「あぁ~あ、期待して損しちゃったわ。アンタらの喧嘩如きでこんな所へ来る羽目になるなんて…」

「…そう思うのなら早く学院に帰ったらどうよ?アタシたちはレイムを見つけたら帰る事にするから」

「アンタとあの紅白の喧嘩は見れるものなら見てみたいですけど…確かに、もう帰らないと夕食を食べ損ねてしまうわね」

 これ幸いと言わんばかりに畳みかけるかの如くルイズが囁く、それに従うかのような彼女は言葉を返す。

 もしかすると「面白そうだからついていくわ」という言葉が出てくるかと思っていたが、そうならなかった事にルイズは安堵する。

 本心はどうなのか知らないが、何かあれば必ずからかってくるいつものキュルケは鳴りを潜めている。

 逆にいつもより大人しい分何を考えているのか不安であったが、それは杞憂で終わって欲しいと願っていた。

 このまますぐに帰ってくれれば、面倒な事がもっと面倒な事態にならないで済むのだから。

 

「じゃあ私たち、これからレイムを捜しに行くから…ほら行くわよマリサ」

「出来れば置いて帰りたいが、まぁ今回は探検ついでに付き合ってやるぜ」

 いつまでも自分を見続ける同級生にそう言って、ルイズは旧市街地に入ろうとする。

 そして、さっきの瞬きで伝えた約束を忘れるなと言いたげな事を呟きながら魔理沙もそれに続く。

 一方のキュルケは完全に興味を失ったのか、去りゆく二人に向けてただただ左手を振っていた。

 ルイズの考えている通りにいけば、傍迷惑な同級生は真っ直ぐ学院に帰ってくれるだろう。

 

 

 しかし、良い事が二度も続けば三度目もまた良い事になるという保証は無い。

 幸運が連続で訪れた時、それを帳消しにするほどの不幸が降ってくるのだ。

 

 サプライズ的な危機を乗り越え、消えた使い魔を捜しにルイズは旧市街地へと踏み込み―――

 知り合い捜しよりもこの場所を調べつくしたい衝動に駆られた魔理沙もまた、快調な足取りでもってルイズに続き――――

 自分が想像していたものとは違う現実に、一人ガッカリしていたキュルケがさて帰ろうかと踵を返す―――その時であった。

 

 

 歩き始めたルイズたちから約五メイル先にある雑貨屋だった建物の入り口である、大きな木造ドア。

 雨風に長年晒され、もう取り換えられる事の無いであろう両開きのそれ。

 ここへ入り込んだルイズと魔理沙にとって、特に目を見張るものでは無い廃墟の一部。

 

 瞬間――――そのドアが物凄い音を立てて、勢いよく吹き飛んだ。

 まるで上空に浮かぶ戦艦から放たれた大砲の弾が、木の小屋に直撃したかのような轟音が辺りを包み込む。

 突然の事と音に二人は大きく体を震わせてその場で立ち止まり、背中を見せていたキュルケも何事かと振り返る。

 内側から吹き飛んだドアは土煙を上げながら旧市街地の通りを滑り、二メイル程進んだ後にその動きを止めた。

 碌な清掃が行われていない分土煙の勢いはすさまじく、ドアのある場所を中心に空高く舞い上がっていく。

 夕日の所為で赤く見える土煙を凝視しながらも、体が固まったルイズはぎこちない動作で魔理沙に話しかける。

「何よ…?アレ…」

「……さぁ、何なんだろうな?」

 対する魔理沙も驚いているのか、目を丸くしたままじっと佇んでいる。

 全く予想していなかった事に二人の体は動かず、まるで石像になったかのように静止していた。

 しかしそこから離れたところにいたキュルケだけは驚いただけで済んだのか、ルイズたちの方へゆっくりと近づいていく。

 何が起こったのかと言いたげな表情を浮かべて近づく彼女であったが、ふとその足が止まる。

 キュルケだけではない、呆然としていたルイズと魔理沙の二人も、何かに気づいたかのような表情を浮かべる

 あんなに勢いよく舞い上がった土煙はあっという間に薄くなり、旧市街地に静寂が戻り始めていく。

 そんな中、三人は煙越しに人影を見つけたのである。

 

 地面に倒れたドアの上に尻餅をつくかのような姿勢のまま、人影は動かない。

 すぐ近くにいるルイズたちの目にもぼんやりとしか映らず、誰なのかすらわからないでいる。

 そして二人よりも遠くにいるキュルケの目には単なる黒いシルエットにしか映っていないのだ。

 一体何なのだろうかと彼女は訝しむが、それは以外にも早くわかる事となった。

 

 突如ドアが吹き飛び、ルイズたちの視界を遮るかのような煙が舞い上がって十秒が経過しただろうか。

 最初は勢いよく舞ったものの、徐々に薄くなっていった砂煙は初夏の風に煽られて一気に消し飛ばされてしまった。

 それによって単なるシルエットにしか見えない人影は姿を隠し切れず、三人の前にその正体を曝け出す。

 直後、ルイズと魔理沙の二人は目を見開きアッと驚いた。 

 

 人影の正体。それは、一人の少女であった。

 土にまみれても尚華やかさを失わない、赤く大きなリボン。

 汚れてはいるが確かな清々しい白色の袖は、服と別離している。

 黄色のリボンに控えめな白のフリルを飾った赤い服は彼女が巫女である事を示す、証拠の一つ。

 ハルケギニア大陸では滅多にお目にかかれない黒髪は、土を被ってもその艶やかさを保っていた。

 

 ルイズと魔理沙、そして二人の後ろにいるキュルケは知っていた。

 何せ黒髪の少女の名を、三人はすっかり頭の中に刻み込んでいるのだから。

「……レイム!」

 そして我慢できないと言わんかのように、ルイズがその名を叫んだ。

 少し大きな声であった為か近くにいた魔理沙は勿論、ある程度離れたところにいたキュルケの耳にも入っていた。

「レイム…?じゃあアレって…」

 キュルケはその声を聞きながらもまた歩き始め、ゆっくりと二人の背後へ近づいていく。

 一応気づいてはいたのか、魔理沙は首を少し後ろへ動かして歩いてくるキュルケの方へ視線を向ける。

 自分の方へと目をやった彼女に気づき、少しだけ荒くなった呼吸を整えつつキュルケは話しかけた。

「何だか知らないけど、アンタたちの捜してた紅白ちゃんが見つかったわね」

「私としてはもう少し隠れてもらいたいと思ってたんだがな…?」

 キュルケの問いに対して魔理沙は、知り合いが見つかった喜びよりも、楽しみを奪われたかのような落胆の言葉を返した。

 さぁこれから捜しに行こう、という時にこの展開だ。さしもの魔理沙もこれにはガッカリせざるを得ない。

 

 そんな二人のやり取りを尻目に、ルイズはもう一度口を開いて声を上げようとした。 

 だがその前に、゛レイム゛と呼ばれた少女は無表情な顔をゆっくりと、彼女たちの方へと向け始める。

 まるで老朽化しつつある歯車のようにゆっくりとした動きに、ルイズは怪訝な表情を浮かべた。

「レイム…?」

 訝しむ声に気づいて他の二人もそちらを見やり、何か様子がおかしい事に気が付く。

 まさか怪我でもしているのか?゛レイム゛を見つけて最初に声を上げたルイズがそう思った時だ。

 

 ゛レイム゛と呼ばれた少女は、五秒もの時間を使って動かした顔を三人の方へと向け終える。

 夕焼けに黒髪を照らされ、尻餅をついたままの彼女は、間違いなく三人が知る博麗霊夢そのものだ。

 

 

 そう、霊夢そのものであった。

 

 

 

 鮮血のような、赤色の瞳を爛々と光らせている以外は。



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第六十六話

 

 初夏の陽が暮れるまで後もう少しという時間帯のトリスタニア。

 その王都にある旧市街地で、霊夢とルイズたちの戦いが始まっていた。 

 得体の知れぬ怒りだけで自分を殺そうとする薄気味悪い自分の偽者との、通算三回目となる戦いが…

 

「クッ…!」

 振り下ろしたナイフを結界で弾かれたもう一人の゛レイム゛―――偽レイムは、その体を大きく怯ませる。

 一度跳び上がってからの攻撃だったおかげか二メイル程吹き飛び、背中から地面に倒れてしまう。

「悪いけどそろそろ夕食時だし疲れてるから、速攻で片付けるわよ」

 当然それを見逃す彼女ではなく、右手に持つ二本あるナイフの内一本を、左手で握り締めながら呟く。

 錆が目立つソレを持った左手の甲には、ルイズとの契約で刻まれた使い魔のルーンが懸命に光り続けている。

 そのルーンは、始祖ブリミルという偉大なるメイジが使役していたガンダールヴという名を持つ使い魔の証。

 ありとあらゆる武器と兵器を使いこなして主を守る矛となり、盾となった伝説の存在だ。

 

(今まで滅多に光った事なんか無かったけど…今ならどうかしら?)

 昼頃から光り続けるそれに一途の願いを込め、霊夢はナイフを握る左手に力を入れる。

 瞬間、ゆっくりと光り続けていたソレに命が入り込むかのように、一瞬だけ眩く輝いた。

 それに気づいた霊夢が目を見開かせると同時に、地面に倒れていた偽レイムがゆっくりと立ち上がる。

 右手のナイフを逆手に持ち替え、じっと佇む霊夢へと再度突撃を仕掛けようとする。

 結界のせいで距離を取らされたが、本物以上の身体能力を持つ偽レイムにとって大した影響はない。

 すぐに腰を低くし、錆びに塗れた刀身を霊夢のわき腹に刺そうと考えた瞬間――――――

 

「レビテレーション!!」

 突如、右の方から鈴の様な声を持つ少女の叫びが耳に飛び込んできた。

 その声に動き出そうとしていた足が止まり、一体何なのかと振り向こうとした直後、足元の地面が爆発する。

 あまり大きくも無い爆発音とともに地面の土煙が舞い上がり、偽レイムの視界を一時的に遮断した。

 何の前触れもなく起こったアクシデントに何も見えなくなった彼女は突撃も行えず、その体制を大きく崩してしまう。

 偽レイムは自分の攻撃を一方的に阻止された事に対し、何の躊躇いも無く舌打すると、煙の向こうから少女の怒鳴り声が聞こえてきた。

「わ、私だって戦えるの!ただ…ぼ、傍観してるだけじゃな…ないわよっ!?」

 多少噛みながらも何とか言い切った少女の声は不幸か否か、敵に居場所を教える事となる。

 優先的に排除しようと決めたのか、整備されていない道路をブーツで擦りつつも、彼女は右の方へと目を向けた。

 ほんの十秒ほどで消え去った土煙の向こうにいたのは、偽レイムへと杖を向けるルイズであった。

 細い体を小刻みに震わせながらも、彼女は自分が召喚した巫女と同じ姿をした存在に攻撃を加えたのである。

 

「ヒッ…」

 そして攻撃の際に舞い上がった煙が消えた時、相手の視線が自分の方を向いたのに気付き、その口から小さな悲鳴を上げてしまう。

 鳶色の瞳を丸くさせたルイズは端正な顔に恐怖の色を浮かべ、ナイフを手にした偽レイムと対峙する。 

 彼女の目は今もなお赤く光り続けており、それを見続けているだけで足が震えてくるような錯覚に襲われてしまう。 

 そんな相手に首を絞められ、死の淵に立たされた彼女であったが、それでも逃げるという選択肢は頭の中に無い。

 恐怖のあまり流しかけた涙をと堪えるように目を無理に細め、杖を持つ手には更なる握力と精神力を注ぎ込む。

 体中から掻き集めた精神力は右手を通して杖に入り込ませると同時に、口を動かし呪文の詠唱を行う。 

 ヴァリエールというこの国の名門貴族の末女としての生を授かり杖を持たされてから、何百回と行ってきた事だ。

 既にその顔からは恐怖が拭い取られ、目の前の相手に断固負けはしないという気合が籠っている。

 その呪文を聞いてまたあの爆発が来ると察したか、偽レイムが攻撃態勢に入る。

 

 獲物に跳びかかる直前の猫の様に腰を低くし、逆手に握るナイフを後ろへと隠す。

 そうしていづても動けるようになった直後、短い詠唱を終えたルイズが杖を振り上げた。

 オーケストラの指揮者が持つタクトと酷似したソレを振り下ろせば、またあの爆発が来る。

 ならば下ろす前にトドメをさす。今が好機と判断してか、身構えていた偽レイムが地面を蹴って接近しようとした。

 

 ――――――しかし。

 

「アタシって、そんなに人の話を聞かない人間だって思われてるのかしらねぇ?」

 そのブーツで地面を蹴り飛ばし、一気にルイズへと近づこうとしたその直前。 

 気怠さを隠す気配も無い言葉を放った霊夢が、偽レイムの左肩に遠慮も無く一本のナイフを突き刺した。

「ガッ!?」 

 気づいたときにはもう遅く、熱いとも言える激痛に偽レイムはカッと目を見開き、その場で大きくよろめく。

 それでも戦えるのか、接近を許してしまった霊夢にせめてもの一撃をお見舞いしようと左手に持つナイフを大きく横に振った。

 しかしそれは読まれていたのだろう。まるでスキップするかように小さく跳躍した霊夢は、その一撃を難なく回避する。

 茶色の靴が地面を三回叩いた時には、霊夢は先程まで佇んでいた場所に戻っていた。

「レイム!」

 時間にして五秒の間に助けられたルイズは、恩人の名前を呼ぶ。

 しかしそれに応える素振りを見せない霊夢は面倒くさそうな表情のまま、空いた左手でポリポリと頭を掻いている。

「流石に二回も刺したら動きが鈍るかと思ったけど…痛みに鈍いんじゃ酷いくらいに面倒だわ」

 右手に持つ最後の一本を左手に持ち替つつも、彼女は敵が健在であることに多少の辟易を感じ始めてしまう。

 彼女の視線の先にいるのは、自分と同じ姿を持ちながらも、自分以上に凶暴な戦士だ。

 肩に刺さったナイフをそのまま放置している偽レイムは、息を荒げつつも既に攻撃体勢を取り直していた。

 加勢として失敗魔法を放ったルイズも、この位置にいたらまずいと察したのか、霊夢の方へ近づこうとする。

 

「ウ…グッ…!」

 やや早歩きで移動する間、偽レイムは肩に刺さったナイフをそのままに呻き声を上げていた。

 呼吸も乱れているのか、体全体が上下に動くかのように揺れてもいる。

 しかしまだまだ戦えると宣言したいのか、その目でもって霊夢をジッと見つめている。

 睨まれている彼女は特に身構えてはいないが、体から漂う気配からは緊張感が混じっていた。

 何時相手が動き出すのか分からぬ状況の中で慎重に移動したルイズは、ようやく霊夢の傍へとたどり着く。

 多少なりとも身構えたままのルイズは、相手を射抜くような視線を逸らさず、そっと口を開いて喋る。 

 

「一体何が起こってるのよ…全然理解できないんだけど」

 まるで誰かに質問するかのような喋り方に、隣にいる自分が話しかけられているのだ霊夢は気づく。

 いつ攻撃を再開してくるかも知れぬ敵を見据えたままの彼女は、肩を竦めながらもそれに答える。

「それは私の方が聞きたいところよ。もうこっちは疲労困憊まであと一歩っていうのにさぁ」

「本当かどうかは分からないけど今のアンタの顔見ると、はいそうですか…って言いたくなるわね」

 連続して降りかかる厄介ごとに辟易してしまった気分を隠さぬ返事に対し、ルイズは肯定的な言葉を送る。

 それどころか、気怠そうな彼女に同意するかのごとく小さく頷いてみたりもした。

 思えば霊夢と出会ってから今に至るまで、確実に五本指に入るくらいの異常な日であるのは間違いない。

 今まで光る所を一回だけしか見なかったルーンの発光や、彼女のそっくりさんに殺されかけたりもした。 

 自分と魔理沙が見いぬところで同等…もしくはそれ以上の体験をしているであろう霊夢の苦労は、その顔を見ればある程度わかる。

 

 夜遅くまで王宮で働き、朝早くに領地の視察を命じられてしまう哀れな下級貴族。

 繊細すぎる彼の心は盛大な音を立てて壊れていくのを感じ取り、叫ぶ。始祖よ!この私に休息をお与えください――――と

 疲労の色が濃ゆく滲む彼女の顔を見ながら、ルイズは脳内で小さすぎる寸劇を鑑賞していた。

 もはや過労死まで五秒前という寸前の状態に苦笑いを浮かべつつも、思い出すかのようにハッとした表情を浮かべる。

 今は妄想を思い浮かべるのではなく、もう一人のレイムをどうにかする時間なのだ。

 そうして現実へと戻ってきたルイズは霊夢の横に立ちつつ、杖の先端をゆっくりと偽レイムに向ける

(とりあえず目の前の敵…を片付けたらお疲れ様とでも言ってあげようかしら) 

 自分以上の苦労を背負背負っている同居人へ、ルイズはとりあえず程度の同情心を抱いた。

 

 

「まぁまぁこれは、随分とごちゃごちゃとした展開になってきたじゃないの?」

 一方そこから少し離れた場所で、イレギュラーのキュルケは能天気そうに二人の霊夢を見つめている。

 ルイズよりも前に首を絞められていた魔理沙は彼女の後ろで蹲り、未だに元気を取り戻せない。

 最初と比べ多少なりとも回復はしたが、苦しそうに咳き込み続ける姿は何処か痛々しいものがある。 

 そんな彼女の前で平和そうに佇むキュルケであるのだが、これから先どうしようかと内心悩んでいた。

 当初の予定としては、こんな廃墟へと足を踏み入れようとしたルイズを問い詰め、何があったのか聞く筈だった。

 しかし今の状況を見れば、すぐに只事ではないと゛何か゛が起こっているのだと察せる。それも現在進行中で。

(どうしようかしらねぇ…飛び入り参加した私はどう動けば良いのか分からないわ)

 魔理沙と交代するようにルイズが首を絞められた時に持った自分の杖は、未だ手中にある。

 傷一つ無く、かといって新品でもない使い慣れたソレは、まだこの場で一度たりとも魔法を放ってはいない。

 メイジにとって己の半身とも言える杖を手に、キュルケは自身の体に力を込めていく。

 それと同時に、今の自分がどう行動するべきなのかも決めていた。

 

 とりあえずルイズと左手が光ってる゛レイム゛に味方をし、血だらけの゛レイム゛と戦うか。

 逃げる事はしないが、とりあえず手出しするのは危険だという事で様子見と洒落込むか。

 

 二つの内一つしか決められぬ選択だが、キュルケはもう答えを決めていた。

 否、彼女の性格を考えればどれが答えなのかはすぐに分かるであろう。

(色々とややこしい事になりそうですけど、知れそうなことを知らないまま過ごすのは不快ですわ)

 もう後戻りはできない。自分へ向けてそう言い聞かせるような決意をした、後ろから声が聞こえてきた。

 声の主が自分の後ろにいる魔理沙だとすぐに気づいたキュルケは、軽い動作で振り返る。

「ゴホッ…よぉ、何だか騒がしいなぁ?…ゲホッ!」

 そこにいたのは、地面にうつ伏せた姿勢から右手だけで体を支えつつ、上半身を軽く起こした魔理沙であった。

 一、二回ほど小さな咳を混ぜつつも聞こえてくる快活な声は、ほんの少しだけ苦しそうに見える。

「あら、無理しなくても良いですのよ?何か本物かもしれないレイムが来てますし」

「かもれしれないって、曖昧…過ぎるだろ。もうちょっと…見極めてから、言ってくれよな…?」

 無理をしているのではないかと思ったキュルケは、今の状況を手短かに伝えつつまだ休んでろと遠まわしに言う。

 だが気遣いは無用と返したいのか、彼女の言葉に魔理沙はニっとその顔に笑みを浮かべながらも返事をする。

 元気そうな笑顔を浮かべたいのだろうがまだ完全に回復してないのか、何処か苦々しい。

 痩せ我慢しているという事が見え見えな彼女の姿を見て、キュルケはヤレヤレと言わんばかりに肩を竦める。

(類は友を呼ぶというモノかしら?あれじゃあ何時死んでもおかしくないわね)

 物騒な言葉を心の中で呟いたとき、霊夢達の様子を見つめていた魔理沙がアッと声を上げる。

 何かと思い振り返っていた頭を前に戻した直後、二対一の戦いが再び激しくなったのだ。

 

 

 暫しのにらみ合いは、偽レイムが体を動かした事によって終わりを告げる。

 先程の様に地面を蹴飛ばした彼女は、何とか視認出来る速度もって突撃を仕掛けてきたのだ。

 右手に握る武器の先端をの真っ直ぐと、目前にいる二人へと向けて。

 その内の一人であるルイズがハッとした表情を浮かべて杖を構えるよりも先に、彼女の隣にいた霊夢の動く。

 

 相手が突き出してくる錆が目立つ刃先は、自分の胸を目指してくる。

 

「よっ…と」

 それに気づいた霊夢は結界を張ることはせず、左手に持ったナイフをスッと構えた。

 まるで自分の宝物だと言って他人に見せるかのように、錆びついたソレを軽い感じで目の前まで持ち上げる。

 ルイズはその事に気づいてか、目を丸くして驚いたが…その口を開いて問いただすことは出来なかった。

「どうし――きゃあ…っ!」

 彼女が喋ろうとした瞬間、それなりの速度で突っ込んできた偽レイムの攻撃を、霊夢はナイフ一本で防いだのである。

 金属同士が勢いよく衝突することで僅かな火花が散り、ついでノイズ混じりの甲高い音が周囲に響く。

 二人の傍にいたルイズはその音に驚き、悲鳴を上げて耳を防ぐ。

 それで両者の争いが止む筈が無いことは当然であり、それどころか益々酷くなっていく。

 両者共にゼロ距離ともいえるくらいに近づいており、互いに押し合う錆びた刀身が、嫌な音を奏でる。

 武器を握る手が小刻みに震えるたびに刀身すら揺れる光景は、正に死霊が踊っているかのようだ。

 

 しかしこの鍔迫り合い、以外にも短い時間で終わりを迎えそうであった。

 一見すれば互角に見えるが、受け止めた直後と比べ霊夢の足がゆっくりと後ろへ下がり始めている。

 対して偽レイムの方は慎重に前へ前へと進んでおり、どちらが有利なのかは陽を見るより明らかだ。

(やっぱ腕力は向こうが上ってところか、段々キツクなってきたわね)

 下手すれば即死していたであろう攻撃を防いだ霊夢であったが、内心では愚痴を漏らしている。

 さっきから頭の中に呟いている声に従い武器を拾ったものの、何も変わったような気がしない。

 ルーンが伝承通りのモノならばありとあらゆる武器を使いこなせるらしいと聞いたというのにだ。

「無理せず結界でも張った方が良かったかしらね?」

「そんな事を言う暇があったら、相手を押し返しなさいよっ!」

 無意識の内に口から出たであろう彼女の言葉に突っ込みを入れたルイズが、杖を振り下ろす。

 両者がナイフ越しに睨み合っていた隙をついて詠唱を終えいたようだ。

「レビテレーション!」

 先程と同じ呪文を力強くハッキリと叫んだ瞬間、偽レイムの足元に鋭い閃光が走る。

 だが相手は本物と同じで、何度も引っ掛かるような人間ではないらしい。

 ルイズの魔法が来ると察したか、傷だらけの体の重心を右へと傾け、ついで足もそちらの方へ動かす。

 地面に食い込まんばかりに力を入れていた両足はあっさりと動き、流れるような動作で偽レイムは移動した。

 結果、足元で発動し彼女を吹き飛ばす筈だった失敗魔法は、ルイズと霊夢に牙を向ける。

「ちょっと、わ…っ!」

「あぁっ…!」

 威力こそ小さいが、爆発で舞い上がる土煙のせいで、霊夢は反射的に目を瞑ってしまう。

 彼女の隣にいたルイズも同様であり、二人仲良く寂れた道路に蓄積していた煙を浴びる事となった。

 両者共に目を瞑って咳き込む姿はマヌケにも見えてしまうが、今の状況では酷いくらいに場違いである。

 何故なら、土煙をやり過ごした偽レイムにとって、この煙は予期せぬ好機を運んでくれたのだから。

 

 爆発が来ると読んで先に目を瞑っていた彼女は、閉じていた瞼をサッと開ける。

 灰色の絵具を三、白色の絵具を二で割ってできあがったような色の煙幕が、辺りを包んでいる。

 爆発自体はさほど大したものではなかったが、爆風だけが強かったせいだろう。

 まるで山間部に出る濃霧の如く濃ゆいソレは、彼女の視界をこれでもかと言わんばかりに殺している。

 このままじっとしていれば土煙は自然に晴れるだろうが、生憎そんな悠長にしている暇は無い。

 煙が消え去る事は即ち自分と同じ姿を持つ相手と、その隣にいた少女の視界も戻る。

 そうなってしまう前に、今の状況を利用するのだ。怪我を負ってしまった自分が二人の相手に勝つために。

 

 

 

「この馬鹿っ…ゲホ……ッ何人の…邪魔してんのよ」

 全てを一時の間隠す煙の中から、声が聞こえる。

 何故か知らないが私と同じ姿を持ち、私自身が倒さなければいけない黒髪の少女、霊夢。

 咳き込みながらもハッキリとした声で怒鳴る彼女に、鈴のように繊細でありながらも激しい声の主が反論する。

 

「コホッ…コホッ…うるさいわね!アンタが変な事して…ケホッ、危機に陥ったから助けただけじゃないの!?」

 まだ会ってから数分も経たないであろう桃色のブロンドが眩しい少女。

 一目見ただけでも彼女はどこか名家の生まれなのだと思ったが、それが勘違いだと思わせるくらいに性格が激しい。

 

 今みたいに怒鳴る事もあれば、いきなり攻撃してきたうえに武器らしい杖を向けてきたのだ。

 挙句の果てに自分を霊夢と勘違いしてか、彼女の名前を連呼してきて一人で泣きそうになっていたのは覚えている。

 このままではヤバいと思い最初に近づいてきた魔法使い同様に首を絞めたのだが、流石にアレはやり過ぎた。

 軽く投げ飛ばしていれば霊夢にナイフを投げつけられる事も無かったし、文字通り手痛い傷も受け――――――あれ?

 

 ――――――霊夢って、誰だっけ?

 

 数分前の事を思い出した私は、霊夢という名前に対しそんな疑問を抱いてしまう。

 以前にも、そうずっと前に何処かで聞いたことのあるのだ。変わっていると思ってしまうその名を。

 霊夢。神仏との関わりが深い言葉を名前に使うような人間は、おそらく一人しかいないであろう。

 その一人しかいないであろう名前を持つ少女が、今自分の目の前にいる。

 

 ―――じゃあ、彼女が霊夢ならば…私は誰なのか?

 

 何故霊夢を倒さなければならず、それどころか自身の体に渦巻く゛怒りの感情゛の原因となっているのか。

 それよりも優先的に知りたいのは、記憶喪失と言われても仕方のない事であった。

 自分の思いを他人に話して頭を打ったかと心配されても仕方ないし、別に話す必要もない。

 他者の力を頼りにしなくとも、私は生きていけるのだから。今も、これられも…

 

 それなら、何で霊夢という他人の名前にこうも引っ掛かってしまうのだろうか?

 

 

 無意識の内に脳裏を過る自身の疑問に自答している最中、私は過ちを犯したことに気が付く。

 傾き始めていた頭を急いで上げると、辺りを覆っていた土煙が薄くなっており、すぐ近くにいるであろう敵の影が見える。

 くだらない事に貴重な時間を使った。思っている以上にボケている自分に苛立ちつつ、身を構える。

 本当なら煙が濃い間に決着を決めたかったが、今ならまだ間に合うかもしれない。

 いつ折れても仕方がない程刀身が錆びたナイフを持つ手に力を入れ、腰を低くして突撃の体勢に入る。

 攻撃への手順を踏んでいく間にも煙は晴れていくが、向こう側にいる相手は未だ口論を続けている。

 

 そのまま続けていて欲しい。せめて、自分が貴女たちを殺せる距離に接近できるまで。

 

 若干血なまぐさい願いを頭の中でぼやきつつ、いざ参らんと足を動かそうとした瞬間―――風が吹いた。

 陽が暮れつつも未だ街中に残る熱気を吹き飛ばすかのような、一陣の突風。

 背後から吹いてきた自然の息吹きは彼女の体を怯ませはしなかったものの、土煙には効果があった。

 周囲の光景を隠していた煙は、まるでその役目を終えたかのように初夏の空気と共に舞い上がる。

 その結果、つい一分ほど前に考え付いた偽レイムの作戦は呆気なく瓦解した。

 

 

 

「ちょ…っ、アイツまた攻撃を…ルイズ!!」

 煙の外にいた二人の内一人であるキュルケが、目を丸くして叫ぶ。

 ルイズの起こした爆発の生で状況を把握できなかった彼女は、口論を続けるルイズたちへ注意する。

 しかし、こんな所で始まった言い合いに夢中になっているのか全く気付いていない。

「はぁ、私の妨害に来るのなら大人しく学院に帰ってくれれば良かったのに」

「うるさい、このお茶巫女!アンタこの私にどれだけ心配させたら気が済むのよ?」

 熱を帯びたルイズとは対照的に冷たい霊夢も、今は相手との会話にご執心のようだ。

 まだ戦いは終わっていないというのに、もう全てが片付いたと言わんばかりに腕を組んでルイズと向かい合っている。

 一応左手にナイフを握っているが、相手はすぐに動けるよう腰を低くしている。

 今の二人は、狼の目の前で血の滴る生肉を振り回す愚者そのものだ。

 これでどちらかが致命傷を喰らったとしても、油断していたお前が悪いと言えるだろう。

「おいおい…あんなときに口喧嘩とか、ルイズも霊夢も暢気な奴らだなぁ」

 地面に座り込み、少し荒い呼吸を繰り返す魔理沙がその顔に苦笑いを浮かべつつ、そう言った。

 そして、彼女の言葉にキュルケは多少の同意はしたのか、顔を前に向けたまま「さぁ」と言って肩を竦める。

 あぁお前もか。魔理沙はそう言いたげな笑顔を浮かべると、偽レイムの方へ目を向ける。

 

 場違いな争いを行う二人とは反対に、自分の知り合いとよく似た姿をした敵の動きは止まっていた。

 腰は低くしたままではあるが、もはや煙とも呼べない土の粒子が舞う空間の中で、ルイズと霊夢を凝視している。

 これは流石に不味いなと思った魔理沙であったが、同時に相手の様子に異変が出始めたのに気が付く。

「なぁおい…、あいつ、何かおかしくないか?」

 魔理沙の口から出た言葉にキュルケはキョトンとした表情を浮かべ、彼女と同じ方向へ目を向けようとする。

 口論を続ける二人へと向けていた瞳がゆっくり左へと動いていく―――その最中であった。

 

 錆びついたナイフの刀身を、砕かんばかりに地面へと叩きつける激しい音。

 不気味だと思えるくらい青白く発光する、痛々しい切創が残る左手。

 まるで獲物を跳びかかる狼の様に、地面を蹴り飛ばす右足。

 キュルケと魔理沙の目では、赤い影だと見えてしまったほどの瞬発力。

 

 

「ッ…!?」

 そして、自分とルイズに急接近する嫌な気配に、霊夢がハッとした表情を浮かべるよりも早く、

 接近を許してしまった偽レイムが、勢いよく殴り掛かってきた。

 先程まで無表情だったとは思えない程、憎悪に満ちた表情を浮かべて。



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第六十七話

 閉じられていた記憶の奥深くから゛何か゛が這い出てこようとしている。

 それはまるで、巨大な人食いミミズが獲物を求めて出てくるように、おぞましい゛恐怖゛を伴ってやってくる。

 何故こんな時にそんな事が起こるのかは知らないが、予想だにしていなかった事に彼女はその体を止めてしまう。

 自分が誰なのか知らない今でさえ大変だというのに、自分の体に起った異変に彼女が最初に感じたものは二つ。

 前述した゛恐怖゛と―――――手の届きようがない゛不快感゛であった。

 

 まるで無数のテントウムシが体の中を這い回っているかのような、吐き気を催すむず痒さ。

 その虫たちが、何時か自分の体を滅茶苦茶に食いつぶすのではないかという終わりのない恐怖。

 脳の奥深くからせり上がってくる゛何か゛に対し、最悪とも言える二重の気持ちを抱いている。

 彼女は焦った。此処が戦いの場でないなら受け入れるしかないが、今の状況だと非常に不味い。 

 ただでさえ自分の身が危ないというのに、一時的に戦えない体になればやられるのは絶対だ。

 

 

 やめろ、思い出したくない。突然すぎる記憶の氾濫を拒絶するかのように、彼女は赤の混じる黒目を見開く。

 戦いの最中である為下手に体勢を崩すどころか、自分の頭を抱える事すらできない。

 自分の名前すらも知らないはずなのに、何でこんな事が起こるのか?それが全く分からない。

 腰を低くし、風に拭い去られた煙の先にいた霊夢と――その傍にいたルイズという少女を見ただけだというのに…

 

 

「なぁおい…あいつ、何かおかしくないか?」

 

 少し離れた所から聞こえる誰かの声が、必要も無いのに耳へ入ってくる。

 しかし言葉自体は的中している。今の彼女は確実におかしい―――否、おかしくなり始めていた。

 何も知らないはずの自分の記憶という名の海底から、得体の知れぬ゛何か゛が物凄い速度で水面から顔を出そうとしている。

 それに対し何の手だても打てず、ナイフを手にしたままその場を動くことすらできない。

 歯痒さと不快感だけが頭の中を掻きまわし、彼女に゛何か゛を思い出させようとしている。

 もはや体勢を維持することもできず、その場に崩れ落ちてしまうのではないかという不安が脳裏を過った瞬間―――

 

 

――…貴女―…過ぎ…――…ハクレイ…

 

 頭の中に、何処かで見知ったであろう女性の声が響き渡った。

 所々で途切れているが、初めて耳にする声とは到底思えないと彼女は感じた。

 ずっと昔に、ここではない場所で知り合い離れ離れになってしまった親友とも言える存在。

 あるいは互いに対立し合い、決着がつかぬまま勝手に行方をくらました好敵手なのか。

 二つの内どちらかが正解なのだろうが、今の彼女にとってそれはエキュー銅貨一枚や一円玉よりも価値のない事である。

 しかし…謎の声が最後に呟いた単語らしき言葉は何なのだろうかと、小さな疑問を感じた。

 

 ハクレイ…ハクレイ…何故だろう、どこかで聞いたことのある言葉だ。

 今まで聞いたことは無かったが決して初耳とは思えぬ単語に対し、彼女は心の中で首を傾げてしまう。

 

 

――――……い…抗…うとも…貴…は…人間。霊…を…る…価…い…

 

 そんな事をしている間、またも女の声が聞こえてくる。

 劣化したカセットテープに収録されたかのように、何を言っているのかすら分からない。

 自分の身に降りかかる異常事態に彼女は冷静になれと自分自身を叱咤する。

 何か伝えたいことがあるのだろうが分からなければ意味が無いし、何より声の主は誰なのかも良く知らない。

 ひょっとするとこれは単なる幻聴で、自分は疲れているだけなんだ。未だに揉めている霊夢達を見つめながら、彼女は呟く。

 一体何が起こっているのか分からないが、今するべき事はとっくの昔に知っている。

 それを実行に移す為、グチャグチャに混ざった頭の中を整理するために深呼吸しようとした直前…

 

 

「アッ―――――――」

 今までその姿を伏せていた恐怖と不快な゛何か゛が、スルリと彼女の中に゛戻ってきた゛のだ。

 

 

 何時の頃からか脳の奥底に幽閉されていたソレは、自由を取り戻した言わんばかりに彼女の脳内を駆け巡る。

 恐らく深呼吸しようとして力を少し抜かしたのが原因だったのだろうか。今となっては知る由も無い。

 

 ただ、今の時点で断定できることはたったの一つ。

 彼女は喪失していた自身の゛記憶の一部゛を…恐怖と不快で構成された゛何か゛としか形容できないソレを思い出したのである。 

 マヌケそうな声を小さく上げた彼女には、蘇った記憶に対抗する術を持っていない。

 きっと彼女以外の者たちにも言える事だろうが、一度思い出した記憶は滅多に消える事はない。

 そして、ここへ来てから最も嫌悪感を感じたそれ等が力を持ったのか、彼女の瞳に映る光景を塗り替えていく。

 

 

 

 

 丁寧に描いた風景画を塗りつぶすようにして幾筋もの赤い光線が周囲を駆け巡り、古ぼけた旧市街地を染め上げていく。

 彼女の目に映るソレはワインのような上品さなど見えず、ただ鉄の様な重々しさが乱暴に混ぜ込まれている。

 この赤には情熱や闘志といった前向きな要素は無い。あるのは暴力的で生々しい陰惨な雰囲気だけが入っていた。

 病気に苦しむ老人たちの集会場であった廃墟群が、そんな色であっという間に覆い隠されてしまう。

 

 突如目の前の景色が変わってゆく事に対し、彼女は尚も動けずにいた。

 いや、動こうとは思っていたが体がいう事を聞かず、あまつさえ先程まで何ともなかった眼球すら微動だにしない。

 まるで拷問用の特殊な椅子に座らされたかのように、不可視の何かに体を縛られ見たくも無いモノを見せられている。

(な…何が始まろうとしているの…?)

 ナイフを手にしながらもそれをただ握りしめる事しかできない彼女は、唯一自由である心の中でそう思う。

 そんな事をしている間にも目に映る世界は息つく暇もなく変化していく。 

 

 

 地平線の彼方へと沈もうとした太陽の姿がいつの間にか消えており、空が明かりを失っていた。

 太古から夜空の明かりを務めてきた双月は未だその姿を出しておらず、代わりに見えるのはどこまでも広がる黒い闇。

 地上の赤と決別するかのようにハッキリとしたその闇からは、ただただ不気味さだけが伝わってくる。

 一体どれだけの黒いペンキを垂れ流せば、今の彼女が見ているほどの闇を表現できるのだろうか。

 まぁ、深淵のように最果てすら見えぬ闇をペンキなどで再現する事は限りなく不可能であろう。

 何故なら、この闇を見ている唯一の存在は目も体も動かぬ彼女だけなのだから。

 そして彼女自身誰かに命令されようとも、この光景を再現する気はこれぽっちも無かった。

 

(一体何が起こっているの…?)

 儚い黄昏時から怖ろしい程に単調な赤と黒へと変わりゆく世界の中で、彼女は一人戸惑う。

 最も、普通のヒトならとっくの昔に錯乱していてもおかしくはないが。

 とにかく今になって遅すぎる戸惑いを抱き始めた彼女には、この事態に対し打てる手など皆無に等しかった。

 

 

―――……聞くけど…どう…して貴……と一緒に普通の……生を……ると…ったのか…ら?

 

 

 そんな彼女に追い討ちを掛けるかの如く、再び頭の中に女性の声が響く。

 別にこれといった痛みも感じず、囁きかけるようにして自分に何かを離したがろうとする謎の――――…いや。

(違う…私は知っている、この声の持ち主は゛誰゛なのかを)

 

 そんな時であった。石の様に体が固まった彼女がそう思ったのは。

 先程頭の中に入り込んだ記憶が何かを思い出させたのか、それとは別の原因があるのかは知らない。

 ただ彼女にとって、声の゛主゛が自分にとって軽んじる程度の存在ではないと瞬時に理解していた。

 

 

――――所…詮貴女は…の巫女。…この娘を立派な…に育て上げる事こそ…が今の貴女の…

 

 

 再び聞こえてくる声は、最初の時と比べある程度聞き取りやすくなっていた。

 しかし、ノイズ混じりのソレが鮮明になってゆくにつれて、彼女の脳内で再び゛何か゛が浮かび上がる。

 まるで海底を泳いでいた人間が呼吸をする為に水面目指して泳ぐように、それはあまりにも急であった。

 ただ、最初に感じた゛何か゛とは違い、それからは恐怖とかそういうモノは感じられない。

 むしろその゛何か゛は、今の彼女のとってある種の救いを提供しに来たのである。

 

 

―――――その娘は…逸材だというのに……普通の人と同じ…人生を歩ませ…なんて、宝……持…腐れ……

 

 

 赤と黒の世界に佇む彼女は、尚も頭の中で響く声にある感情を見せ始める。

 それはおおよそ―――例え声だけだとしても、他人に向ける代物とは思えないどす黒い色をした感情。

 ゲルマニアにある工業廃水と同じような色をしたソレを声だけの相手に浮かべる理由を、彼女は持っていた。

 そう。最初に自分の頭の中を混乱に陥れようとしたソレとは違う、二度目の゛何か゛が教えてくれたのだ。

 

 ゛全ての原因は、オマエの頭の中に響き渡る声の主にあるのだ―――゛…と。

 

 

 自分の身に何が起こっているのかという事に関して、彼女が最初から知っている事は何一つ無い。

 彼女はただ自身が誰なのかも知らず、自分自身に戸惑いながらここまで生き延びた。

 気づけば森の中を何に追われ、小さな少女に介抱されたと思いきや、その子を抱えてまた逃げて…

 そうこうしている内に人気の多い場所へと足を踏み入れたと彼女は、自分とよく似た姿をした少女と遭遇した。

 自分よりも感情的で、猫の様に一度掴めば狂ったように手足を振り回す彼女の名前は――――霊夢。

 何故自分が;霊夢の名前を知っていて、瓜二つの姿をしているという事は勿論知らない。

 最初に出会った時は明確な怒りをもって霊夢を殺そうとしていたが、今はもうその気にならない

 たが今になって自分がとんでもない勘違いをしていた事に、彼女は気づいていた。

 

 自分の中に渦巻く怒りが「殺せ」と叫んでいたのは、霊夢の事ではなかったという事に。

 

 

 名前も知らず、何処で生まれ、今まで何をしてきたのかも知れない彼女はその足を動かす。

 先程まで地面と空気に縛られていた足がすんなりと動き、未だ口論を続ける霊夢とルイズへ突撃する。

 そのついでに使う必要のないナイフを捨て、空いた右手で拳を作った彼女は、自分が倒すべき゛紫の色の影゛を見据える。

 今まで見える事のなかったソレは、記憶の一部を取り戻した事により今ではハッキリと見える。

 実体すら定かではないその゛存在゛は寄り添うようにして霊夢に纏わりつき、べったりと寄り添っている。

 まるでその体に貼りついて生気を吸い取らんとしているかのように、ゆっくりと蠢いたりもしていた。

 不思議とそれを目にすると何故か無性に腹立たしくなり、誰かを殴り倒したくなる程度の怒りも込み上げてくる。

 

 自身の怒りが殺せと連呼していたのは、霊夢の事ではない。

 彼女は今にして思い出した――――殺すべきなのは、霊夢の後ろに纏わりつくあの゛影゛だという事に。

 

 

 

 さっきまで体に纏わせていた゛曖昧な殺意゛が゛明確な殺意゛に変異し、それを合図に彼女は霊夢に殴り掛かった。

 否…正確には彼女―――――偽レイムだけにしか見える事のない゛紫色の影゛へと。

 

 

 ◆

 

 

 その攻撃は、場違いな口論をしていた二人にとって不意打ち過ぎた代物であった。

 最も、ケンカすることを控えて警戒していれば回避できたという事は、言うまでもないが。

 

「っ…!?―――――――ワッ…!!」

 やや泥沼化の様相を見えさせていたルイズとの会話の最中、偽レイムの方から濃厚な殺気が漂ってきた。

 咄嗟にその方へと顔を向けた霊夢は、驚愕しつつも寸での所で相手の攻撃を回避する事ができたのである。

 瞬間的に体を際メイル程後ろへずらした直後…相手の右拳が視界の右端から入り、左端へと消えていく。

「ちょっ――キャアッ!」

 霊夢の隣にいたルイズは回避こそできなかったものの、偽レイムの攻撃を喰らう事は無かった。

 その代わり、突撃してきた偽レイムにひるんでしまったのかその場で盛大な尻餅をついてしまう。

 一方の偽レイムはそんなルイズに目もくれず、自分の一撃を回避した霊夢を睨んでいる。

 霊夢と同じ赤みがかった黒い瞳は光り続け、それどころか先程と比べその輝きを一層増している。

 まるでその目に映る相手が親の仇と言わんばかりに、彼女の両目を光り続けていた。

 

「人が話し合ってる最中に攻撃なんてね…私はそんな常識知らずじゃないんだけど?」

 三メイル程度後ろへ下がった霊夢は、振りかぶった姿勢のままで停止した偽レイムの右手を一瞥する。

 殺人的と言える速度を出したその拳に、既に汗で濡れている彼女の背筋に冷たい何かが走る。

 それと同時に、偽レイムの体に纏わりついている気配が先程までのモノとは違う事に気づく。

 

 最初に出会った時は、激昂していた霊夢とは違いやけに冷静な怒りに包まれていた彼女の偽者。

 ところが、ルイズと口論した後のヤツは冷静さこそ失われてはいないものの、その怒りにハッキリとした゛殺意゛が含まれている。

 まるで興奮していた切り裂き魔が、時間経過と共に落ち着きを取り戻し体勢を整えたかのように。

 先程までの戦いやルイズに手を出そうとした時とは違い、今度はしっかりと自分の命だけを狙って殴り掛かってきた。 

(何よコイツ…本気出すなら最初から出してきなさいっての)

 今までとは打って変わって攻撃してくる偽者に毒づきつつ、本物は先程の攻撃を手短に分析する。

 

 突然の奇襲となった相手の拳は結界を纏っていなかったものの、その威力事態は凄まじいのだとわかる。

 もしも回避が一秒でも遅れていたら…と事すら考える暇もなく、霊夢はすぐに戦闘態勢を整える。

 相手が襲ってきたのなら対応するしかないし、もとよりこの場で退治するつもりであったのだ。

 

(まぁ…色々とイレギュラーな存在が紛れ込んじゃったけど、今は目の前の敵に集中しないと駄目よね)

 気持ちを瞬時に一新させた彼女は左手にもったナイフを握り締め、目の前にいる偽レイムと対峙する。

 しかしその直後、襲ってくる直前まで隣にいたルイズか゛今どこにいるのか゛を知り、咄嗟の舌打ちが出てしまう。

(こういう時に限って、あぁいう邪魔なのがいるのはどうしてなのかしら…!)

 今日は本当にツイてない。自分の身やその周りで起こる色々な出来事全てが悪い方向へ向いてしまう。

 下手に動けばルイズが死ぬかもしれないという状況の中で、霊夢は動き出せずにいた。

 

 

 一方尻餅をついてその場を動けないルイズは、目の前にいる偽レイムを見上げていた。

 鳶色の瞳を見開かせた両の目には確かな恐怖が滲み出ており、僅かだが体も震え始めている。

 魔理沙の首を絞め、霊夢が介入しなければ自分を絞殺していた存在がすぐ傍にいるのだ。恐怖しない方がおかしい。

 

 先程までは強気になって魔法を放てたものの、今の状況では呪文を唱えるより相手が自分の頭を殴り飛ばす方が圧倒的に速い。

 魔法に詳しい故に長所と短所も知っているルイズだからこそ、その手に持ったままの杖を振り上げる勇気が無かった。

 

「あ…あ…あぁ…」

 ジワジワと心を侵していく緊張と恐怖のあまりに大きな声を出せず、ガラスで黒板を引っ掻いたような掠れ声だけが喉から出る。

 本当なら今すぐにでも叫び声を上げて逃げ出したい――そう思いつつも彼女の体は動こうとしない。

 彼女にとって突然過ぎた敵の攻撃と、今すぐ殺されるのではないかという恐怖という名の縄に締め付けられている。

 

 しかしそれ以上に、胸中に刻み込まれた一つの言葉が今の彼女をこの場に押し留めていた。

 脳内に響くそれを発言した者は、ここへ至る道中にルイズと魔理沙を止めようとした八雲紫である。

 

 

 ―――――――――もし今後も怯えるだけなら、霊夢の傍につくような事はやめなさいな 

 

 

 相手を諭すように見せかけ、挑発とも言える人外の声は先程までのルイズに投げかけた一種の挑戦状。

 霊夢を召喚した結果に起った異変を解決するにあたり、紫は今までの彼女では足手纏いと判断したのだ。

 

 学院から離れた森の中でキメラに襲われた際、ルイズは戦うどころか杖を構えることなく臆している。

 偉そうな事を言いつつも、いざとなれば年相応の子供となり、怯える事しかできない彼女の姿は大妖怪の目にはどんな風に見えたのだろう。

 ともかくそれを「ドコで」見ていたのかは知らないが、霊夢にも感知できない「ドコか」で見て、その結論に至ったのかもしれない。

 その言葉には、幻想郷で起きた異変を解決する為にも、今のところ必要なルイズの身にもしもの事が起きない為に、という配慮も見え隠れしている。

 

 しかしルイズは、自分がこれ以上に霊夢達に守られるという事はなるべく避けたかったかったのである。

 キッカケだけとはいえ、霊夢を召喚してしまった自分も原因の一端である事に間違いない異世界の危機。 

 ハルケギニアより小さいとはいえ、下手すれば返しきれない借りがある彼女達の居場所を奪ってしまうかもしれないのだ。

 もはや戦いを傍観する側ではない。あの妖怪の前で宣言したルイズはなんとか勇気を振り絞って立ち上がろうとする。

 

(私だって…戦えるのよ!私を助けてくれたレイムやマリサみたいに)

 紫の声が幻聴となって聞こえるなか、自らの恐怖と戦い始めたルイズは知らない。

 時と場合によっては、その勇気が取り返しのつかない危機を生み出す原因なってしまう事を。

 そして…戦いの場において恐怖に対し素直になるという選択肢も――――決して悪くないという事も。

 

 

 

 

 例えばの話だが、ある所に命を懸けた戦いをしている戦士がいるとしよう。

 

 限られた武器と足手纏いとも言える者たちが周りにいる中、戦士の相手は凶悪な怪物。

 明確な殺意をもって戦士の命を仕留めようとする、無慈悲な殺人マシーンだ。

 戦士は足手纏いな者たちを守りつつ怪物を倒すことになるが、それはとても大変な事である。

 

 戦う必要のない者たちは自分たちも戦える豪語しつつ、各々が勝手に行動しようとするからだ。

 そうすれば戦士はいつものペースで動くことができないが、一方の怪物は戦いを有利に進めることができる。

 例え向こうが多人数であっても、足並みを揃える事が出来なけれ文字通り単なる烏合の衆と化す。

 結果向かってくる奴だけを順々に片付ければ良いし、運が良ければ思い通りの戦いができない戦士をも殺せる。

 

 しかし、足手まといな者たちが一致団結して戦う事が出来るとすれば話は変わる。

 訓練された軍隊のように足並み揃えて一斉に襲ってくると、さしもの怪物も対処しづらくなるのだ。

 更にその隙を縫って戦士が強力な一撃仕掛けてくるとなれば、もはや勝ち目などない。

 

 一見すれば怪物側が有利な戦いは、実際のところたった一つの駆け引きで勝敗が左右する大接戦。

 相手の腹を探りつつどう動くべきかと考えあぐねるその時間は、当人たちにとっては命を懸けた大博打である。

 

 

 しかしそれを空の上から眺めてみれば、とても面白いゲームだとも思えるだろう。

 そう、自分たちが傷つくことのない場所から見れば、命を懸けた勝負すら単なるゲームになる。

 

 

「ふーん―――何だか見ないうちに、随分とややこしい事になってるじゃないか」

 旧市街地に並ぶ廃屋の屋上に佇む金髪の青年が、やけに楽しそうな調子で一人呟く。

 左右別々の色を持つ眼には、この廃墟群の出入り口で大騒ぎを繰り広げ始めた五人の少女達が映っている。

 彼が今いる位置ではやや遠すぎるかもしれないが、そんな事を気にもせず彼女たちの姿を見つめていた。

 

 旧市街地の入り口から少し進んだ先で、まるで決闘の場で対峙するかのように向かい合っている紅白の少女が二人。

 青年から見て旧市街地側に佇む紅白の少女の傍に、腰を抜かしているピンクブロンドが目立つ少女。

 そして少し離れた場所には、まるで野次馬の様に三人の様子を眺めている黒白の少女と燃えるような赤い髪の少女がいた。

 日も暮れ始めて来た為か肌の色までは良くわからなかったが、青年にとってそれは些細な事に過ぎない。

 今の彼にとって最も重要なのは、『三人』の姿が見れた事だけであった。

 

 五人いる内の中ですぐに安否が確認できるのは二人。黒白の金髪少女とピンクブロンドの少女だけ。

 三人目となる紅白の少女は二人いるせいで、どちらを見ればいいのか未だにわからない。

「一体どういう経緯で二人になったのかは知らないけど困るよなぁ~、あんな事勝手にされちゃあ…」

 僕の目が回っちゃうじゃないか、最後にそう付け加えた彼は軽く口笛を吹く。

 まるで観戦中の決闘に予期せぬ乱入者が現れた時の様に、興醒めするどころか楽しんでいるようだ。

 それは正に、安全かつ他人同士の殺し合いをしっかりと見届けられる場所で歓声を上げる観客そのものである。

 

 

 

「しっかし何でだろうな…一人しかいない筈の彼女に二人目がいるだなんて」

 落下防止にと付けられた鉄柵の上に両肘をつけた青年は、またもや呟く。

 彼以外にその疑問を聞く者はいないし、当然返事が来ることも無い。

 生まれた時代が違えば、目の色だけで見世物小屋にいたかもしれない青年にとって、単なる独り言であった。

 そう…単なる独り言だったのだ。

 

 

「私も良くは知らないが、アレに関してはお前たちの方は心当たりがあるんじゃないか?」

 気づかぬうちに、自分の後ろにいた゛者゛の言葉を聞くまでは。

 

 

「――は?」

 突然背後から耳に入ってきた声に、青年はその目を見開かせてしまう。

 しかし驚きはしたものの、数時間前に似たような事を経験をした彼は声が誰のものなのかを分析しようとする。

 良く透き通るうえに大人びた女性の声は、想像の範囲だがきっと二十代後半なのだろう。

 あるいはマジックアイテムが魔法で細工しているかもしれないが、実際のところは良くわからない。

 それよりも今の青年が気になる所はたった一つだけ。それは、どうやって自分の背後に近づいたのかという事だ。

 青年が経験した「数時間前に似たような事」というのは、正にそれであった。

 

 ◆

 

 時間をさかのぼり今日のお昼頃であったか。

 彼はちょっとした用事でブルドンネ街で買い物を楽しんでいた三人の少女を、旧市街地の教会から観察していた。

 その三人こそ、今の彼が屋上から眺めている「ピンクブロンドの貴族少女」と「黒白の金髪少女」。そして何故か二人いる「紅白の黒髪少女」である。

 望遠鏡を使ってわざわざ遠くから見ていた青年の姿は、他人から見れば通報されても仕方がないであろう。

 そのリスクを避ける為に人気のない旧市街地から覗いていたのだが、そこで変な事が起こった。

 何と誰もいなかった筈だというのに、突如自分の後ろから女の声が聞こえてきたのである。

 

 その後は色々とありその場は置き土産を置いて後にしたが、青年は観察事態を諦めてはいなかった。

 そもそも彼が三人を覗いてた理由である「ちょっとした用事」というのは、彼にとって「仕事の内の一つ」なのだ。

 だからその場を去った後は、三人の動きをしっかりと見張れる所に移動していたのである。

 そして三人が導かれるようにブルドンネ街からチクトンネ街へ行くところはバッチリと見ていた。

 不幸か否かチクトンネ街へ行った際に一時的に見失ってしまったが、数分前にこうして再開すことができた。

 偶然にも自分が昼頃にいた旧市街地へ舞い戻る事になったのは、一種の皮肉と言えるかもしれない。

 

 ◆

 

 そうこうして、良からぬ展開に巻き込まれた三人の様子を観察していて、今に至る。

(一瞬聞き間違いかと思ったが…どうやら僕の予想は正しかったようだ)

 彼は先程聞こえたものと、昼に聞いた声がそれぞれ別々のモノであると既に理解していた。

 今聞こえた声からは、昼頃に聞いたものとは違う゛凛々しさ゛を感じていた。

 昼の声は「貴婦人さ」というものが漂っていたが、今の声にはそれとは逆の…俗にいう「働く女性」というイメージがぴったりと合う。

 しっかりとした性格の持ち主で、上司に対しちゃんとした敬意を払うキャリアウーマンだ。

 自分とは正反対だな。月目の青年は一人そう思いながら、ゆっくりと後ろを振り返る。

 

 彼は予想していた。振り返った先には誰もいないし、それが当然なのだと。

 ただ見えるのは、落ちていく夕日と共に影に蝕まれる寂れた床だけなのだと。

 昼頃の体験もそうであったし、それと似通った部分が多い今の事も同じような結末を辿るのだと、勝手に決めつけていた。

 しかし、現実というのは時に奇妙で刺激的な事を不特定多数の人間に体感させる。

 一人から数十人、下手すれば数百から千単位に万単位、もっともっと大きければ国家単位の人口が奇妙な体験をするのだ。 

 今回、現実という日常的な神様は月目の青年に奇妙な「存在」を目にする機会を与えてくれた。

 

 そう…国を傾けかねない美貌と、この世界に不釣り合いな衣服を纏う「存在」と、彼は出会ったのである。

 

 

「君が口にしたややこしいという言葉は…残念だが私たち側も吐露したいんだがね」

 距離にして四メイル程離れた所に、明らかに場違いな金髪の美女が、腰を手を当ててそう呟いた。

 明らかにハルケギニア大陸の文明から作りえない青と白を基調にした衣装を身に纏った体は、まだ二十代前半といったところか。

 これまで生きてきた中で数々の女性と付き合ってきた彼が直感的に思いつつも、次いでその視線を美女の衣装に注いでいく。

 一目見ただけでもハルケギニアの民族衣装とも異なるが、蛮族領域に住む亜人たちや砂漠に住まうエルフたちの衣装とも印象が違う。

 どちらかと言えば東方の地から時折流れてくる衣服のカタログで、似たようなものを見たことがあったと彼は思い出す。 

 白い服の上に着ている青い前掛けには、大した意味が無さそうに見えてその実難解そうな記号が踊っている。

 もしかするとあれが東方の地で用いられる言葉なのかもしれないが、今の青年にはそれよりも気がかりな事が二つほど合った。

 

「――――コイツは驚いたね。さっきまで誰もいなかった場所に、僕好みの美人さんが立っているとは」

 見開いていた月目をスッと細めた彼は、両腕をすっと横に伸ばし冗談めいた言葉を放つ。

 大げさすぎるその動作を見た異国情緒漂う女性もまた目を細め、その口から小さな吐息を漏らす。

 反応だけ見ても呆れているのかこちらの動きを読んでいるのか、それすらハッキリとしない。

 こういう相手は綺麗でも付き合うのはちょっと遠慮したいな。彼がそう思おうとした直前、女性の口が開いた。

「良く言うよ…君は知っているんだろう?―――私がそこら辺にいる゛ニンゲン゛とは違うって事を」

「……?それは一体―――――!」

 夕闇の中、金色の瞳を光らせた彼女がそう言ったのに対し、ジュリオは怪訝な表情を浮かべようとする。

 だがその瞬間。目の前の女性を中心に、この場所ではやや不釣り合いと思える程度の匂いが突如漂い始めた。

 その匂いはこの建物を降りて適当な路地裏を歩けば出会いそうな連中が放っているモノと似通っている所がある。

 青年は仕事上そういう連中と接する機会が多いため、唐突に自分の鼻を刺激した匂いの正体を断定できる自信もあった。

 

 群れを成して路地裏に屯し、時として真夜中の街へ繰り出し生ごみを漁る大都市の掃除屋。

 おおよそ武器を持たなければ人間でも太刀打ちできない゛奴ら゛と似たような匂いを放つ金髪の女。

 それが意味するものはたった一つ――――――文字通りの意味で、女は人間ではないという事だ。

 

「もしかして君、常に体を清潔にしないタイプの人かい?」

 匂いの根源と、その理由を何となく把握できた青年は、ふと冗談を放つ。

 プロポーズどころかデートのお誘いですらない言葉に不快なものを感じたか、目を瞑った女はこう返す。

「生憎ですが私は主人と違い、そういうお話にはあまりお付き合いできませんよ?」

「そいつは残念だ。――――…おっと、ここまで話し合ったんだから名前ぐらい教えておこうか」

 女性の辛辣な返事に青年も素っ気ない言葉で対応したかと思えば、笑顔を崩さぬまま唐突な名乗りを上げた。

 

 

「僕はジュリオ…ジュリオ・チェザーレ。気軽に呼んでくれてもいいし様づけしたっていいよ?」

 青年、ジュリオの名前を知った女性は呆れた風なため息をつきつつ、その口を開ける。

「―――――八雲藍だ。別にどんな風に呼んでくれたって構いはしない」

 憂鬱気味な吐息を漏らした口から出た言葉は、今の彼女を作り上げた主からの贈り物。

 遠い昔の時代に、東の大陸で跳梁跋扈した妖獣の一族である彼女の今が、八雲藍という存在であった。

 

 

 

 

「おぉ…。さっきとは打って変わって、奴さん積極的じゃないか」

 

 明らかに先程とは動きの違う偽レイムの後姿を眺めつつ、魔理沙が気楽そうに言った。

 先程までこちらに背を向けている相手に殺されかけたというのに、その言葉から緊張感というものを殆ど感じられない。

 流石に物凄い勢いでナイフを放り投げ、口論を続けていた霊夢とルイズに急接近した時は軽く驚いたが、今はその顔にうっすらと笑みを浮かべている。

 

 箒を右手に持ち、キュルケの隣に佇むその姿はすぐに戦えるという気配が全く見えない。

 自分に危害が及ぶ事が無いと分かっているのか、それとも知り合いである巫女が勝つことを予想しているのだろう。

 とにもかくにも、この場には不釣り合いと言えるくらいに、魔理沙は霊夢達の動きを傍観していた。

 

「さて、この似た者同士の勝負。どちらが最後まで立ってられるかな」

「三人して同じ部屋で暮らしているというのに、観客様の気分で見ているのね貴女は…」

 すっかり回復し、楽しげな言葉を放つ魔理沙とは対照的に、その隣にいるキュルケは安堵することができなかった。

 

 

 下手すれば死んでいたかもしれない黒白がどんな態度を見せようとも、彼女とって今の状況は゛非日常的な危機゛であることに変わりはない。

 急な動きを見せた偽レイムの傍には抜かした腰に力を入れて立とうとするルイズがおり、そんな二人から少し離れた所に本物の霊夢がいる。

 もし立ち上がったルイズが下手に動こうとすれば、突然殴り掛かってくるような相手に何をそれるのかわからない。

 その事をキュルケ自身が察する前に霊夢も気づいているのだろうか、ナイフを片手に身構えた状態からその場を一歩も動いていない。

 一方の偽レイムも先程まで霊夢達がいた場所から動いてはいないものの、いつでも仕掛けられるよう腰を低くしている。

 正に先に動いたら負けという状況の中にいる三人を不安そうな目で見つめているのが、今のキュルケであった。

 

(本当に参ったわね…いつもとは全く違う刺激があるのは良い事だけど…あぁでもこういうのは良くないわ)

 少しだけ似合っていない魔理沙の微笑を横目でチラチラ見つめつつ、手に持った杖をゆっくりと頭上に掲げていく。

 それと同時に多くの男を虜にする艶やかな声でもって素早くかつ正確に、呪文の詠唱を始める。

 別にあの三人の戦いの輪に巻き込まれたいという、自殺願望に近い何かを胸中に抱いているワケでは無い。

 ただキュルケ本人としてはどうしてこんな事になっているのか知りたいし、その目的を達成するためにはルイズの存在が必要だ。

 恐らく、自分が巻き込まれたであろう刺激に満ちた今の事態の発端を詳しく話せるのは彼女しかいないであろう。

 なら彼女の使い魔と居候となっている黒白でもいいかもしれないが、部外者である自分に話してくれる可能性はかなり低い。

 そこでワザと彼女らが直面している事態に首を突っ込み、彼女らと同じ場所に立つ。そんな計画がキュルケの脳内で出来上がっていた。

 故に彼女は決断していた。この刺激的な一日の最後を飾るであろう魔法を、偽レイムにお見舞いしてやろうと。

 

 幼少の頃に覚えたスペルの発言は数秒で済み、短くとも今この場で最適と思える魔法の発動が準備できた時、魔理沙が声を上げた。

「あ、お前も混じるのか。何だか随分と賑やかになってきたじゃないか」

 まるでこれから起ころうとしている事を知っているのか、彼女の顔にはその場にそぐわない喜色が浮かんでいる。

 実際、この世界へ来て数週間ほどしか立ってない魔理沙にとってキュルケの魔法を見るのはこれが初めてなのだ。

 

 

 しかしそんな彼女にとうとう嫌気がさしたのか、嬉しそうな黒白に向けてゲルマニアの留学生魔理沙の方へ顔を向け、目を細めて言う。

「本当に呆れるわね貴女。…こんな状況でそんな表情と態度を出せるのは一種の才能なの?」

「私から見れば、これから死出の行軍に出ようとしているようなアンタの顔が、ちょっと見てられないぜ」

 遠まわしに空気を読めという解釈にも取れるキュルケの言葉を聞いても、魔理沙の態度は変わりはしない。

 それどころか、緊張しすぎている彼女を笑わせようと灰色の冗談を飛ばしてくる始末であった。

 

 もはや怒るどころか呆れるしかないキュルケは、ため息つく気にもなれず相手を見下すかのような表情を浮かべる。

「そう…じゃあそこでずっと見ていなさいよ?何が起こっても私は助けないけどね」

 私にとって貴女は、まだ得体の知れない相手なんだから。最後にそう付け加え、キュルケは偽レイムの方へ顔を向ける。

 

「生憎だがアレは不意打ちだったんだぜ。それにお前が手を出すと霊夢が嫌がるかもよ?」

 まぁそれはそれで見ものだけどね。魔理沙もまたそんな言葉を付け加え、キュルケに助言を送る。

 しかし魔法使いからの言葉を聞き流したキュルケは、今か今かと攻撃のタイミングを伺っている時であった。

 日常からやや抜けた刺激を活性化させる為に、常人では考えもしない異世界の事件に首を突っ込もうとしている。

 その結果に何が待ち受けているのかは知らないが、キュルケ自身は後悔しない筈だろう。

 

 後戻りができそうにない、非日常的な刺激こそ……彼女が求めてやまぬ心身の特効薬なのだから。

 

 

 

 あぁ。やっぱり今日は、あまりにも運が良い方に向いてこない。

 一人で片付けるはずだった問題に三人もの異分子が紛れ込み、個人的に歓迎できない事態へと変化している。

 他人というのは好きでもないが嫌いでもなく、まぁ自分がイラつくような事をしなければ危害を加えたりはしない。

 もしも自分の邪魔をしたり過度のちょっかいを掛けてくるというのならば、それ相応の対応をとるだけのこと。

 しかし悲しきかな、今の自分をイラつかせる相手は…下手な行動一つで死んでしまうかもしれないのだ。

 

(そのまま座ってなさいよ…!っていうか、何で後ろに下がろうとしないの?)

 自らが直面している状況に憤慨の思いを吐露しつつ、霊夢は心の中で祈りを捧げている。

 彼女に安全祈願を向けられているのは、ワザワザ自分から危険な事をしようとしているルイズであった。

 先程、唐突な奇襲を仕掛けてきた偽レイムのすぐ横にいる今の彼女は、いわば大きな爆弾。

 油で塗れた導火線に火がつき、大爆発を起こす様な事があれば今よりも更に面倒くさい事になってしまうだろう。

 無論霊夢自身も下手に動くことができず、相手の動きを観察している。

 そして火種である偽レイムはというと、光り輝く赤い目で霊夢を凝視し続けていた。

 まるで油の切れたブリキの人形みたいに少し身構えた姿勢のまま、本物である彼女がいた場所に佇んでいる。

 ナイフを投げ捨て、素手で殴り掛かってきた事には驚いたが、今では驚く暇も無い。

 馬鹿みたいな冷静さを纏わせたその顔と目と…そして体からの気配を察知した霊夢は、改めて思った。

 コイツは危険だ。早いうちに何とかしないと命に関わるぞ―――と。

 

「とはいっても…今の状況で動いたらルイズだって動くだろうし」

 しかし霊夢はそれでも攻撃を仕掛けようとは思わず、右足の靴でトントンと地面を叩きながらどうしようかと思考する。

 お札や弾幕と違い、慣れない武器を使ってアレを短時間で倒せるとは思えず、ましてやあのルイズが近くにいるという状況。

 下手に接近したら巻き込まれるだろうし、何より爆発しか出せない彼女の魔法は危険なのだ。

 ぶっ倒してやると意気込んで突撃し、無駄な死で人生の終わりを迎えたくは無いのである。

 

「かといってこのままだとルイズが勝手に攻撃しそうなのよねぇ」 

 いよいよもって立ち上がろうとするルイズの姿を見て、彼女はうんざりしたと言いたげにため息を突く。

 この年の四月に始まり、今もなお続く幻想郷での異変を引き起こした名家生まれの末っ子の少女。

 彼女が下手に動いて死ぬような事があれば、元から難しい異変解決は更に難易度を増す。

(このままじゃ埒が明かないしし…性に合わないけど、突っ込んでみようかしら?)

 ナイフを握る手に力を込め、待ちかまえる相手に切りかかってみようかと思った。その瞬間であった。

 

「ファイアー…ボール!」

 

 偽レイムの後ろから、艶やかな女の声が呪文としての形を成して聞こえててくる。

 一体何なのかと思ったか、偽レイムとルイズがハッと後ろを振り向いた瞬間、両者共に驚愕の表情を浮かべた。

 そんな二人の近くにいた霊夢も、先の二人と同じ様な表情でもって飛んできた『ソレ』を凝視する。

 彼女らの方へと真っ直ぐに飛来してくる『ソレ』の正体…それは轟々と燃える、大きな火の玉であった

 牛の頭程の大きさの物体が、燃え盛りながら突っ込んでくる。

 『ファイアー・ボール』…それは四系統ある内で、最も戦いに優れると言われる火系統の魔法。

 放ったメイジの力にもよるが並み以上の者であれば、この魔法はかなり恐ろしい武器へと変貌する。

「っ…!」

「きゃっ」

 当たったモノを焼き尽くすかのような極小サイズの太陽が、こちらへと飛んでくる。

 それを先に理解したのは偽レイムであり、彼女はその場で地面を蹴って勢いよく横へと跳ぶ。

 一方、立ち上がったばかりのルイズは偽レイムほど体が動かない為か、小さな悲鳴を上げてもう一度地面に倒れた。

 実技はてんで駄目であるが座学には自信がある彼女は、ファイアー・ボールが怖ろしい魔法だと知っている。

 流石に自分を狙っているワケは無いと思ってはいたが、直撃する可能性は大いにあった。

 だからこそ地面に倒れたのが、結果としてその選択肢が彼女の命を救ったとも言っていいだろう。

 

 二人の人間に避けられた火の玉は真っ直ぐに…その先にいる霊夢目がけて飛んでいく。

 妖怪退治や異変解決をこなしてきた彼女も、流石にこの時は驚かざるを得なかった。

 何せ大きな火の玉がかなりの速度で飛んでくる。それに対し彼女の勘が先程よりも凄まじい警鐘を鳴らしている。

「ちょっ!まっ…!」

 慌てたような声を上げつつその場しのぎの結界を貼り、何とかその玉を跳ね返そうとする。

 ある程度の疲労が溜まっていた上に火の玉の速度も速い故、回避が間に合わないと判断したのだ。

 しかし、僅かな時間でくみ上げた薄い結界は、火の玉を防ぐという役目を果たす事はなかった。

 

 何故なら火の玉は、霊夢の結界に当たるまで後一メイルというところで急に止まったのだ。

 まるで走っている馬車の手綱を引いて急ブレーキを掛けたかのように、ぐっとその球体が大きく揺れる。

 突然の事に霊夢がキョトンとした表情を浮かべる暇もなく、ストップした火の玉がゆっくりとバックし始めた。

 一体何事かと思った瞬間、火の玉の速度が再度上がり、先程避けた二人の内一人の方へと飛んでいく。

 その一人こそルイズよりも先に相手の攻撃を察知し、回避していた偽レイムであった。

「なっ…くっ!」

 先程と同じ勢いでこちらに突っ込んでくる火の玉を見て狼狽えたのか、彼女の目が一瞬だけ丸くなる。

 しかしすぐに元に戻ったかと思うとその場で軽く身構え、火の玉を迎え撃とうとする。

 その様子を見て何か可笑しいと思ったのだろうか、偽レイムに向けてこの場にいる一人が声を上げた。

 

「残念ですけど。私のファイアー・ボールはいくら避けても無駄でしてよ」

 艶やかな声と、火の玉と同じ色をした赤く燃えるような色のロングヘアーに褐色の肌。

 その特徴を持つ彼女―――キュルケがそう言った直後、小さな爆発音が周囲に響き渡る。

 地面に倒れていたルイズがそちらの方へ向けると、すぐ後ろで黒い煙がゆっくりと薄暗い空へと上っていく。

 まるでそこだけ切り取ったかのように煙が立ち込める場所は、身構えたばかりの偽レイムが立っていたところ。

 つまり、原因は知らないが偽レイムとぶつかったファイアー・ボールが爆発したのだと考えるのが妥当だろう。

 

「あらあら、どうしたのかしらヴァリエール?また倒れるくらいにここの地面が好きになった?」

 そんな時であった、思わぬ援護をしてくれたキュルケが声をかけてきたのは。

 明らかに挑発と取れるそれにルイズはムッと表情を見せると上半身だけを地面から上げ、口を開く。

「この馬鹿ツェルプストー!下手したらアタシが火達磨になるところだったじゃないの!?」

「御免なさいねヴァリエール。貴女は見た目通りに素早いから避けてくれると思ったのよ」

「…それって、アタシが小さいって事かしら?」

 甲高いルイズの抗議に対し、勝者の余裕を見せるキュルケは前髪をかき上げつつ言葉を返す。

 助けられたのは良いが同時に馬鹿にされている事に、ルイズの表情は険しくなっていく。

 親友であり好敵手である彼女の顔色を見て、キュルケはふぅ一息ついた。

「全く、せっかく助けてあげた私に文句垂れるなんて…貴族としてのマナーが成ってないわね」

「いやいや、当たったら火達磨になるような魔法をぶっ放されたら誰だって怒るぜ?」

 見事なまでに自分の行いを棚に上げるキュルケに、横にいた魔理沙が静かに突っ込みを入れる。

 黒白の魔法使いの顔に喜びの色が浮かんでいる事から、キュルケのファイアー・ボールを見れたことに満足はしているようだ。

 それで今更と言わんばかりに突っ込むその姿は、裁判所の証言台で犯人を非難する元共犯者である。

 自分の事を擁護してくれたが、キュルケを止めようともしなかった魔理沙を睨みつつ、ルイズは苦言を漏らす。

「マリサ。…言っとくけどそんな顔してキュルケを非難しても、全然嬉しくないわよ」

「私は自分の感情に素直な人間だからな。キュルケの魔法を見れてついつい喜んでるだけだよ」

「あら、以外と面白い事言うじゃないの?いいわねぇ、キライじゃないわそういう性格」

「…先に言っとくが、私にそういう性癖は無いからな」

「ちょっと!私を置いて何二人で和気藹々と話し合ってのよ!」

 勝利の後のムードを漂わせる二人の間で板挟みとなるルイズの叫び。

 それを離れた所から見つめている霊夢一人だけが、目を細めて警戒し続けている。

 

(よくもまぁ、あんなに騒げるわね。まだ終わってもいないというのに…)

 彼女は既に気づいていた。あの程度の攻撃ではまだヤツを仕留めきれないと。 

 何せ自分と瓜二つなのである。それならば、キュルケの魔法でやられるとはそう考えられない。

 いつでも動けるようにと身構えた姿勢を崩さぬ彼女であったが、そんな時に限って邪魔が入るものだ。

「私がうまく避けられたからいいものの、下手したらトリステインから永久追放されてたわよ!?」

「それって私たち以外の第三者でもいないと無理じゃないかしら?」

「確かにそうだな。下手に喋って共犯者扱いでもされたら堪らないぜ」

「ちょっと待ちなさい。さっきのアンタはどう見ても、キュルケの凶行を許した共犯者じゃない?」

「まぁアレだよ。どっちにしろお前は怪我一つしなかったし、結果的に問題なしという事で…」

 多少の安心感を取り戻したルイズが怒鳴り、キュルケと魔理沙はマイペースで彼女の相手をする。

 一見、ちょっとしたガールズトークをしているようにも見える中、霊夢が一人呟く。

 

「そんなにお喋りしたいなら、このまま帰ってくれると有難いんだけどねぇ…」

 変に盛り上がり始めたルイズ達の耳に入る巫女の言葉は、氷水のような冷たい雰囲気を放っていた。

 場の空気を白けさせるような彼女に対し、背中を見せていたキュルケがゆっくりと振り返る。

 

「ちょっと~、一人放置されてるからって拗ねるの…は―――――…ッ!?」

 大方挑発でもしてみようかと思っていた彼女の顔が突如として、驚愕の色に染まる。

 そして、急に言葉が途切れた事に不思議がった後の二人もそちらを見やり、同じ反応を見せた。

「嘘でしょ…あんなの喰らって…まだ…」

 目を見開き、小さな両手で口を押えたルイズに同調するように、魔理沙も口を開く。

「流石霊夢とそっくりなだけあるぜ。往生際の悪さまで同じとはな…」

 似すぎるのも問題だな。最後にそう言い加えた魔法使いの苦笑いは、場の空気を読んでいた。

 

 薄くなる黒煙の中、霊夢が目にしたのは赤く光る双眸であった。

 どうやら攻撃してきたキュルケではなく、自分を優先的に殺したいのだと彼女に自覚させる。

「成る程…今のアンタにとって、他の三人はもう視界に入らないってことなのね」

 ゆっくりと空に舞い上がっていく煙の奥にいるであろう相手に、博麗の巫女は囁く。

 それを合図にしてか、しっかりとした歩みで煙の中から゛彼女゛は再び霊夢の前に現れた。

 両の拳を青白く光る結界で覆い、煤けた巫女装束と頑丈なロングブーツをその身に纏った霊夢と瓜二つの少女。

 ただ一つ違うところは赤く光る両目と、頭に着けたリボンが無くなっているという事だ。

 前者は元からであったが、後者の方は恐らくキュルケの魔法を防いだ代償として消し飛んだのだろう。

 年相応とは思えぬ彼女の力の一部を正面から喰らったうえでそれだけで済むならば、安いものかもしれない。

 しかし、その代償を支払ったことにより彼女――――偽レイムの印象は本物と比べ大きく変化していた。

 

 先程までリボンで拘束され、ようやく自由を得た黒髪がサラサラと風に揺られている。

 まるで黒いカーテンの様に波打ち模様を見せる髪に霊夢は何も言わず、ナイフを構える。

 すると不気味に光り輝いているガンダールヴのルーンがより強く輝き、彼女の顔左半分を青白く照らしつける。

 

 …武器を取れ―――構えろ―――斬りつけ、倒せ―――

 

 頭の中で性別不明としか言いようのない声を聞きな゛から、霊夢はひとり「言われなくても…」と呟く。

 これ以上事態が悪化すれば面倒な事にもなり得るし、何よりルイズたちという厄介な存在もいる。

 だからこそ彼女は決意した。今手に持っている武器を用いて、勝負に打って出てやると。

  彼女の動きにつられて偽レイムも腰を低くしたところで、霊夢は行動に出た。 

「そこまでして私と戦いたいというのなら、こっちから相手してやるよ」

 最後の警告と言わんばかりの言葉を吐き出した霊夢は、ナイフ片手に突撃した。

 対する偽レイムも、結界に包まれた左手にグッと力を入れた後、地面を蹴飛ばすようにして跳躍する。

 離れた所から見ていたルイズたちハッとした表情を浮かべ、両者の決着を見届けようとした。

 その瞬間であった。まるで見計らったように霊夢がその場で足を止めて、飛び上がったのは。

 

 偽者とは違って能力によって足が不自然に地面から離れ、スッと跳び上がった偽レイムの方へと飛んでいく。

 次いで左手のナイフを逆手に持ち替えると空いている右手を前に突き出し、左手を腰元に寄せて力を入れる。

 ふと顔を上げれば、自分よりも高く跳んだ偽レイムが交差した両腕を光らせ、こちらに向かって落ちてくるのが目に入る。

 ガンダールヴのルーンが光る左手により一層の力を込めた霊夢はその場で動きを止め、逆手のナイフを勢いよく振り上げる。

 それと同時に偽レイムも左の拳を勢いよく振りかぶり、本物の頭へと力強く殴り掛かった。

 

 昼方から夕暮れまでの、数時間通して続いた巫女とミコの戦い。

 その決着はあまりにも一瞬でつき、そしてあまりにも納得の行かない終わりを迎えた。

 

 

 既に陽が落ちかけ、赤と青の双月が大陸の空へ登ろうとしているこの時間。

 人が消えた旧市街地へと続く入り口で、パッと赤い花びらの様な血が飛び散った。

 

 まるで情熱を具現化させたような真紅の薔薇と同じ色の体液が、薄暗い空に舞い上がる。

 それに混じるかのように、おおよそ空を飛ぶとは思えぬ五本の突起物を付けた丸い物体がクルクルと回転しつつ、地面に落ちていく。

 妙に柔らかく、それでいて生々しい嫌な音を立てて落ちてきたのは―――――人間の゛左手゛。

 手の甲に穴が空き、そこと切られた手首部分からドクドクと赤いを血を流す、彼女の一部゛だった゛モノ。

 

 

 ついで浮き上がっていた血の雨が地に落ち、ぴたぴたぴた…と雨の様な水滴音を奏でている。

 嫌というほどルイズたちの耳に赤い雨の音が入ってきて数秒後であった。――――偽レイムの叫び声が聞こえたのは。

「ウワァァアアッ…!!ウゥ…アァアアアアッ…―――――!」

 おおよそ少女の上げる叫びとは思えぬ程、それは痛みに泣きわめく悲鳴ではなく、むしろ堪えようとして上げる怒号に近い。

 相手に手首から下を切り落とされた彼女はそこを右手で押さえつつ、彼女は涙すら流さず叫び声を上げている。

 今の彼女を真正面から見ている者がいたのならば、これ程不気味な光景は滅多に無いと感じた事であろう。

 そして今の自分が完全に不利だと悟って撤退しようとするのか、偽レイムは呻き声を上げつつも弱々しく立ち上がる。

 本来ならば生死に関わる致命傷のうえに、左肩に刺さったままのナイフを通して流れる血の量も含めれば、いつ死んでもおかしくはない。

 それでも彼女は立ち上がると左肩のナイフをそのままに、よろよろと歩きながら近くの路地裏へと向かっていく。

 足をもたつかせ、夜の帳に包まれた狭い隙間へと逃れるその身を見つめる者は、誰一人としていない。

 

 

 何故なら今のルイズたちには、それよりも先に気になる者を見つめていたのだから。

 そう…偽レイムの左手を切り落とす直前に、彼女に頭を殴られ血を流す博麗霊夢の姿を。

 

「れ…レイム…」

 鳶色の瞳を丸くさせたルイズは丁度自分たちの足元で着地し、その場に腰を下ろしている巫女に、恐る恐る声を掛ける。

 震える声で自らの名を呼ぶ彼女に、頭から血を流し続ける霊夢は力の籠っていない声でぼそぼそとした言葉を返す。

「想定外だったわ。まさか…瞬間移動する…霊力も残ってなかったなんて……ね…」

「だったら最初からスペルカードなり使っとけば、そんな大けがしなくても済んだんじゃないか?」

 その顔に自嘲的な笑みを浮かべて喋る彼女に、今度は魔理沙が口を開く。

 気取ろうとしているがルイズと同じように声が震え、その腕が彼女の体を支えようと前へ前へと動いている

 左手から力を抜き、握ったままのナイフを地面に落とした霊夢は、そんな魔法使いにも声を掛ける。

 今まで光っていたガンダールヴのルーンはいつの間にか既にかその輝きを失い、ただのルーンへと戻っていた。

 

「相手が相手よ…上手く避けられて…返り討ちに、あったら…元も子も無いじゃないの…」

「…っというか、最初から全部話してればこういう事にはならなかったでしょうに?」

「ばか…言う、んじゃ…――ない、わよ…」

 ルイズたちの後ろから聞こえてくるキュルケの横槍に、霊夢は苦々しい言葉を贈ろうとする。

 しかし、偽レイム程でもないがそれなりの怪我を負った彼女には、これ以上喋る力は残っていなかった。

「アンタたちと、一緒なら……まだ、一人の…方が…―――――」

 せめて最後まで言い切ろうとした直前、かろうじて開いていた瞳がゆっくとり閉じ、霊夢は意識を失った。

 

 ルイズは悲鳴の様な声を上げて彼女の名を叫び、箒を落とした魔理沙が倒れ行く巫女の体を支える。

 流石の魔法使いもこの時ばかりは焦った表情を浮かべ、霊夢の名を呼んでいる。

 

 残されたキュルケは、今になって偽レイムがいなくなった事に気づくが、それは後の祭りというモノ。

 ほんの少しだけ驚いた表情を浮かべて辺りを見回すが、もう何処にもいないと知るやため息をつく。

 今の彼女は何処へ消えた得体の知れぬ偽者よりも、目の前の三人の事が知りたかった。

 生まれた時から好敵手であり、これまで学院で何度も戦ってきたヴァリエール家の末女であるルイズ。

 しかし彼女は変わった。自分の目に入らぬ場所で好敵手は、今や得体の知れぬ少女の一人と化していた。

 

 彼女は知りたかった。先祖から続く因縁の相手がどういう状況にいるのか。

 視界を覆う濃霧の様な幾つもの謎を振り払い、自分の近くで何が起きているのか知りたい。

 それは人間が本来持つ好奇心を人一倍強く持って生まれた、キュルケという少女の望みであった。

 

 しかし、今ここでそれを問いただすという事をする気も無かった。

 生まれてこの方、ある程度好き放題に生きてきた彼女でもこの場の空気を読めてないワケではない。

「全く、こんな状況で流石に根掘り葉掘り聞くってワケにいかないわよね?」

 そんな事をルイズたちの後ろで一人呟きつつ、彼女はこれからどうしようかと考え始める。

 そんな時、彼女の耳にこの場では似合わぬ声が聞こえるのに気付き、すぐに振り返る。

 

 日も暮れて、初夏の暑い熱気が涼しい冷気へと変わっていく旧市街地。

 自分たちよりも一人頑張り、そして傷ついて倒れた巫女の名が響き渡る中…

 振り返ったキュルケが目にしたものは、こちらへと駆けてくる衛士たちの姿であった。

 

 

 

 時間をほんの少し遡り、数分前―――――

 キュルケが偽レイムへファイアー・ボールを放つ前の出来事―――――

 

 珍しくジュリオの気分は高揚していた。初めて目にする存在を前にして。

 ましてや、それが国を傾かせる程の容姿を持つ美女の形をしているのなら尚更であった。

 場所が場所ならちょっと一声掛けていたかもしれない。彼はそんな事を思いつつ、女に話しかける。

「こんなにも良い夜に会えるなんてね。正にグッドタイミング…って言葉が似合うかな?――無論、君にとってもね」

「あぁそうだな。私は人間に好意を抱く程度の良心を持ち合わせてないがね?」

 ジュリオの前に佇む美女、八雲藍は突き放すかのようにキッパリ言うと、一息ついて喋り始める。

「あまり時間を取りたくないので単刀直入に聞くが―――アレはお前たちの差し金か?」 

「…二人目の゛巫女゛の事だろう?残念だけど、僕としてもあんなのは想定外だったよ」

 藍の質問に彼は首を横に振った後、その場から右に向かって歩き始めた。

 履いている白いロングブーツが石造りの床を当蹴る音は、静寂漂う夜の中では不気味な雰囲気を漂わしている。

 だがそれを゛小さくした゛耳で聞いている藍には何の効果も無く、むしろジュリオに対しての警戒を一層強めた。

「ホント困るよね。あぁいう細部までそっくり…ていうのは、遠くから見ると本当にわからないんだ」

 場の空気が悪い方へ進んでゆく中で、ジュリオは先程の質問をそんな言葉で返す。

 しかし、それは予想の範囲内だったのだろうか。藍はあまり疑うことをせず次の質問を投げかける。

「まぁそうだな。そこはひとまず同意しておくとして…お前はなぜ足を動かしている?」

「だって立ちっぱなしだと足が棒になってしまうだろう?別に何処かへ行こうってワケじゃない」

 大げさそうに両腕を広げながらそう答えた彼に、藍は首を傾げつつもこう言った。

「そうかな?じゃあ、お前の歩く先に扉が見えるのは私の目の錯覚という事になるが…」

 ―――生憎健康には自身がある。最後にそんな言葉を付け加えた直後、ジュリオは微笑みがら言葉を返す。

 

「別に逃げるっていうワケじゃないけどさぁ…まぁ今日はこのくらい―――ッという事で!」

 言い訳がましい言葉を口から出し終えた直後、彼は唐突に地面を蹴って走り出した。

 まるで天敵から逃げるウサギとも思える彼の行く先には、屋上から建物の中へと続く扉がある。

 幸いにも扉は開いており、下の階へと続く階段が彼の目に映っている。

 

(あと一メイル―――…ッ!)

 ほんの少しで屋上から屋内へ入れるというところで、背筋に冷たい物が走った。

 まるで首筋に刃物突き付けられた時の様に、その場で足を止めろと自身の本能が暴れ叫ぶ。

 しかし一度走り出してすぐには足を止められる筈もなく、やむを得ずその場で倒れ込んだ。

 階段まであと数サントというところの位置で倒れ込んだ彼の眼前に、三本もの赤い刃物が地面に深々と突き刺さっていた。

 ナイフにしては極端と言えるほどに菱の形をしたそれ等は、稀に東方の地から輸入される暗殺用の武器と瓜二つである。

 ジュリオ自身仕事の関係で何度か目にしてはいたが、目に良くない影響を与えそうな程毒々しい赤色ではなかった。

 

「お前、人間にしては中々良いじゃないか」

 倒れ込んだ自身の背中に掛けられる、藍の冷たい声。

 それに反応したジュリオはついつい頭だけを後ろへ向けた瞬間。彼はあり得ないモノを目にしてしまう。

 奇妙な帽子を被っている頭にはイヌ科の動物と同じ耳と、臀部からは九本もの狐の尻尾が生えていたのだ。

 金色の髪の中に紛れ込むようにして出ている耳は、尻尾を見れば狐のモノだとすぐにわかる。

 そして尻尾の方は女の美貌に負けぬくらい立派であったが、何処か怖ろしい雰囲気が漂ってくる。 

 

 まるで今までボールだと思っていた物が爆弾だったのだと気づいた時のような、体中の毛が逆立つ恐怖。

 ジュリオはそんな恐怖を今、僅かながらに目の前の彼女から感じ取っていた。

 

「驚いたよ…薄々勘付いてはいたが、まさか本当に人間じゃあ無かったとは」

 無意識の内に口から出たその言葉を、九尾としての正体を見せた藍はその場から動かずに返す。

「勘が良いな。大抵の人間は、単に小さくしただけの尻尾と耳にすら気づかないモノだが…」

「仕事の都合上、動物とは付き合いがあるからね。君の体から漂ってきた獣特有の臭いでただモノじゃないと思っただけさ…」

 頭に生えている狐耳をヒクヒクと軽く動かす彼女に、ジュリオは笑いながら言う。

 しかし彼の口から出た「獣特有の臭い」という言葉に彼女は表情を曇らせ、九本の尻尾が不機嫌そうに揺れる。

「お前の言う通り、見た目から判断すれば獣の物の怪だが…あまり狗や狸の類と一緒にしないでくれ」

 意外にも身近な動物の名を耳に入れながらも、藍の苦言に「わかった、わかった」と言いつつ、ジュリオは立ち上がる。

 階段まで後少しというところだが、警戒されている今動けば碌な目に遭わない事は、火を見るよりも明らかだ。

 

「…で、僕は何も知らないし、君たちと話すことは今は無い。―――そんな僕に、君は用があるんだね?」

 少し砂埃がついたズボンを手で軽くはたきつつ、そんな事を聞いてみる。

 その質問に九尾の女は油断するような素振りを一つとして見せず、居丈高な素振りでもって返す。

「別に私とてこれ以上聞くことは無い。ただ、少しだけ顔を合わしてもらいたい゛お方゛が一人いるだけだ」

 彼女の返答に一瞬だけ怪訝な表情をを浮かべたジュリオだったが、すぐに笑みが戻ってくる。

 だがそれに良くないものを感じ取ったのか、若干心配性な彼女の方が怪訝な表情を浮かべてしまう。

 

 

「ん…おいおい?何をそんなに怖がってるのさ」

 両手を横に広げた彼の言葉に、それでも油断はできぬと判断した九尾の顔は、未だに硬くなり続ける。

 そんな彼女と対面しながら、先程逃げようとした者とは思えぬ態度でもって、ジュリオは喋り続けた。

「まぁ突然表情を変えて、すぐに戻したのには理由があったんだよ。君はおろか、僕にとっても単純な理由がね?」

 言い訳にもならない弁に藍は「理由?」と首を傾げ、ジュリオは「そう、単純な理由」と返す。

 そして彼曰く゛単純な理由゛を口から出す為か一回深呼吸死をした後…

 言葉にすれば、短いとも長いとも言えぬ゛理由゛を、彼は告げた。

 

「僕にもいるんだよ。君たちの様な【異邦人】と話をしたい、とても大切な゛お方゛が」

 ―――――その瞬間であった。旧市街地の方角から、小さくも耳をつんざく爆発音が聞こえてきたのは。

 

 獣の耳を持つがゆえに音に敏感な藍は唐突な音に目を見開き、その身を大きく竦ませる。

 ジュリオもまたビクッと体を震わせ、驚いた表情を浮かべつつも、音が聞こえてきた方へと目を向けた。

 先程まで霊夢達がいたであろう旧市街地の入り口周辺から、黒い煙が上がっていた。

 彼に続いて顔を向けた藍もまたその顔に驚愕の表情を浮かべ、旧市街地の方を見つめている。

「あれは…!」

「おやおや。思ってた以上に、彼女たちは派手好きなようだ」

 無意識に出たであろう藍の言葉にそう返しつつ、彼は右手に着けた手袋を外そうとする。

 左手の人差指と親指で白い手袋の薬指部分だけを摘み、勢いよく上とへ引っ張る。

 たった二つの動作だけで行える行為の最中にも、藍は気にすることなく旧市街地の方を見つめていた。

 相手がこちらに気づいていない事を確認してから、彼は意味深な笑みを浮かべつつ、口を開く。 

 

「しかし、あれだけ派手だと直にここも騒がしくなる。どうだい?今日はお互い、ここで身を引くという事で…」

「…っ!何を―――――…ッッッ!?」

 ―――――言っている。再び自分の方へと振り向こうとする藍が全てを言い終える直前、

 

 ジュリオは右手の゛甲゛を静かに、彼女の目に入るよう見せつけたのだ。

 

 その瞬間であった。藍の目が見開いたまま止まり、言葉どころかその体の動きさえ停止したのは。

 まるで彼女の体内時計のみを止めたかのように微動だにせず、ジュリオの右手の゛甲゛を見つめている。

 否、正確に言えば…その甲に刻まれた゛光り輝くルーン゛を見て、彼女の体は止まったのだ。

「言っただろう。僕は仕事の都合上、動物との付き合いがあるって」

 ジュリオは一人喋りながら、左手の人差指で右手の゛ルーン゛を軽く小突いて見せる。

 まるで蛇がのたくっている様にも見えるソレは青白く光り、薄闇の中にいる二人を照らしていた。

 

「バケモノであれ何であれ…少なくとも君が動物だったという事実は、僕にとって本当に良い事だよ」

 何せコイツを見せれば、すぐに逃げられるんだから。余裕満々のジュリオがそう言い放つと同時であった。

 フッと意識を失った藍の体が、力なく前に倒れ込んだのは。

 まるで激務の後にベッドへ横たわるかのように、その動作に何ら不自然性すらない。

 ただ一つ、ジュリオの右手に刻まれた゛ルーン゛を見てしまった―――という事を除いて。

 そのジュリオ自身はフッと安堵のため息をついて藍の傍へ寄るとその場で中腰になり、ルーンがある右手を彼女の前にかざす。

 手袋の下に隠していた白い肌と゛ルーン゛を露わにした右手でもって、規則的で生暖かい息吹きに触れる。

 ついで彼女の表情がゆったりとした寝顔を浮かべている事を確認した後、ゆっくりとその腰を上げる。

 既に陽が三分の二も沈み、空に浮かぶ双月がその姿をハッキリと地上に見せつけ始めていた。

 幼いころから見慣れてきたその空を眺めつつ、ジュリオは一人呟く。

 

「もう少し待ってててくれよ。君たちはともかく、僕たちにはもう少しだけ準備する時間が欲しいんだ」

 君たちから離れはしないけどね。そう言って彼は踵を返し、ドアの方へと歩いていく。

 昼の熱気を消し去るような涼しい夜風を身に受け、何処かから聞こえてくる馬の嘶きを耳に入れながら。彼はその場を後にする。

 まるで初めからこうなるべきだと予想していたかのような、優雅な足取りで。

 

 

 

 地上に初夏の熱気をもたらした陽が沈み、ようやく夜の帳が訪れてきたチクトンネ街。

 昼頃の暑さが日暮れとともに多少の鳴りを潜め、涼しい風が吹いてくるこの時間。

 今宵もまた、ここチクトンネ街は夜の顔とも言える部分をゆっくりと出し始めていた。 

 

 そんな街の中心を走る大通りの隅を歩きながら、二人の少女が楽しそうに談笑していた。

 二人の内一人…腰まで伸ばした黒色の髪が街頭に照らされ、艶やかな光を放っている。

 もう一人はボブカットにしており、一目見れば長髪の少女と比べ何処なく控えめな性格が垣間見えていた。

「…でさぁ、一通り見たんだけど…あのカッフェって店はそう長く持ちはしないだろうね!」

「はぁ…そう、なんだ…」

 長髪の少女、ジェシカは大声で喋りながら、ボブカットの少女で従姉のシエスタの肩をパンパンと軽く後を立てて叩く。

 ジェシカとは違い大人しい所が目立つ彼女は、自分の従妹の大声が迷惑になっていないか気にしているようだ。

 実際繁華街と言ってもまだこの時間帯に騒ぐような人はいない為か、何人かが自分たちの方をチラチラと見ているのに気づく。

 そんな事を気にしながらも、大人しい彼女は大声で喋る従妹の言葉に適度に相槌を打っている。

 別にジェシカ自身酒で酔っているワケでも無く、どちらかと言えばそういうのに強い少女だ。

 単に彼女が目立ちたがり屋なのと、そうでなければいけない仕事をしている関係でその声が大きいのだ。

 一方のシエスタは騒がず目立たずお淑やかに努めるよう心掛けているので゜、二人の性格は正に正反対と言っても良い。

 だからだろうか、他人から見れば酔っぱらったジェシカが素面のシエスタに絡んでいるようにも見えた。

「話に聞けば老若男女誰でも気軽に入れるって宣伝してるけど、出してる品物は若者向きなんだよ」

「そりゃあ…あそこは、結構若い人たちとかが住んでるし…」

 人目を気にせず笑顔で喋るジェシカはシエスタの肩を叩きつつも、世間話を楽しんでいる。

 大事な家族であり放っておけないくらい魅力的な従姉は苦笑いを浮かべて、そんな言葉を返す。

 そんな彼女にジェシカは「わかってないなぁ…」と呟いて首を横に振ると、自分の言いたい事をあっさりと口に出した。  

 ここやブルドンネ街を含めたトリスタニアには、色んな人たちが色んな目的を持って街中を移動する。

 そういう場所ではあまり下手な事を表立ってしてはいけず、注意しなければいけない。

「…例えばさっき話したように、老若男女誰でも入れるといって若者向けの料理とお茶しか出さない店がそうさ」

 彼女はそこで一呼吸おいて話を中断し、隣にいるシエスタの反応を少しだけ伺ってみる。

 従姉の顔は相変わらず苦笑いであったが、話自体に嫌悪感や鬱陶しさを感じていないのがすぐにわかった。

 これは続けても良いというサインか。一人でそう解釈したジェシカは口を開き、先程の続きを始めた。

 

「まぁあそこで出してる東方からのお茶っていうのが、は割とお年寄り向けとは聞くけど…それ以外はてんで駄目だし

 なにより、あの店の内装も今時の子をターゲットにした感じの作りなんだから。本当、矛盾に満ちた店だったわ。

 でも料理とかデザートは割と美味かったのは足を運んで良かった~…とは思ったけどね。それとこれとは話が別というものよ。

 とにかく、私が言いたいのは老若男女何て言う曖昧な嘘じゃくなてハッキリと、若者向けの店ですって宣伝すればいいという話!」

 

 わかった?最後にそう言い放ち、自信に満ちた表情を横にいるシエスタへと向ける。

 恐らく優しい従姉は「そんなヒドイ言い方は…」と苦言を漏らすに違いないがまぁそれも良いだろう。

 久しぶりに会えた上に一日中二人きりっで遊べたのだ。せめて見送る最中にこういうやり取りをしても罰は当たるまい。

 …とまぁ、そんな事を考えながら振り向いたジェシカであったが、横にいたシエスタは彼女の顔を見てはいなかった。

 ジッと前方を見据えたままその場で足を止めた彼女の表情には苦笑いではなく、怪訝な色が浮かんでいる。

「ジェシカ…あれ…」

 どうしたのかと聞く前にシエスタはポツリと呟き、少し進んだ先にある大きな十字路を指差した。

 それにつられたジェシカも顔を前に向けると、従姉が足を止めた理由が、なんとなく分かったのである。

 ついで彼女自身も怪訝な表情を浮かべ、視線の先にあるいつもとは違う通りの様子を見て、一人呟いた。

「何だいアレ…あっ、衛士隊の馬車…?何でこんな所に…?」

 二人の視線が向けられた先にある大きな十字路の前で、多くの人たちが足を止めていた。

 その理由はジェシカ口にした通り、この街の平和を守っている衛士隊御用達の馬車が堂々と通りを移動していた。

 トリステインの王家の家紋である白百合の刺繍が中央に施された荷車を見れば、その馬車が一目でどこのモノなのかは分かった。

 雨が降った時に使われるミルク色の幌を付けた荷車の周りには、薄い鎧を身にまとう衛士が数人仁王立ちで佇み、誰も近づけさせないようにしている。

 荷車を牽引するのは何故か栗毛の軍馬一頭で、衛士たちに前方を守られながら蹄を鳴らしてゆっくりと歩いている。

 当然一時的に通行を止められた人々は馬車とそれを守る衛士隊に向けて、不平不満を出していた。

「おいおい、どういう事だよこりゃ!何で馬車が通り切るまで通行止めになるんだよ!?」

「何があったか知らないけど、こっちは急いでるんだ。ちよっと脇を通るくらい良いじゃねぇか」

「衛士さん、衛士さん!酒の肴として何があったか教えてくれよ?このままじゃあ、故郷から来た友人を待たせちまうんだわい!」

「ちょっとちょっと!通行止め何てされゃあアタイが仕事に遅れちゃうわ!そうなったらアンタたちが責任とってくれるのかい!?」 

 老若男女のうえに地方や他国訛りの言葉が飛び交う中で、衛士たち慣れた様子で対処している。

 とはいっても石化したようにその場で突っ立っているだけだが、誰一人突破しようと思うものはいない。

 各々が利き手で槍を持って仁王立ちをしている姿を見れば、武器を持たぬ者なら喧嘩を吹っかけようとは思わないだろう。

 

 一体何が起こったのかわからぬまま、二人は目の前の光景を見つめている。

 そんな中で、ふとジェシカが何かを思い出したかのような表情を浮かべ、ついで口を開いた。

「あっ…う~ん、参ったねぇシエスタ」

 突然そんな事を従妹に聞かれた彼女は「えっ、何が…」と返す。

 街中での珍しい景色に見とれていた従姉の様子にため息を突きつつも、ジェシカは言葉を続ける。

「学院行きの馬車だよ、馬車!このまま足止め喰らってたら…今日の分は到底間に合いそうにないって」

 出来の悪い生徒に教える教師の様な態度で話す彼女に、シエスタはアッと驚いて思い出す。

 ブルドンネ街には結構な規模の馬車駅があるが、陽が沈み始めると荷車を引く馬たちを厩へ入れてしまう。

 しかもシエスタの仕事場であるトリステイン魔法学院行きは、今の時間帯なら一時間後に動く馬車が最後の便となる。

 これを逃せば簡単には学院へ戻れず、厩で高い料金を払って馬を一頭借りなければ行けない羽目になってしまうのだ。

 

「どうしよう…私が帰らなかったら心配する人たちもいるし…それに明日の御奉公もできないわ」

 明日の事を考えて呟くと、シエスタの顔が段々と不安染まり始める。

 それを見てどうにかできないかと考えるジェシカであったが、一向に良い案が浮かばない。

「ここからブルドンネの駅まで行くのに大分時間かかるし、何よりこの様子だと遠回りしなくちゃあ駄目だよコレは…」

 群衆と衛士たちの押し問答を見ながら、別々の様子を見せる二人の黒髪少女。

 熱気と怒号に満ちた通りを冷やすかのように吹く冷たい風が、少女たちや人々の体を撫でていく。

 

 そんな時であった。ゆっくりと通りを進む荷車の中から、『ソレ』が舞い上がったのは。

 まるで『ソレ』自体が魂を持ってしまったかのようにスルリと、滑らかに波打ちながら飛び出した。

 衛士たちは周りの民衆に警戒し、通りの民衆は衛士たちを睨みつけていた為に気づくモノは一人もいない

 

 

「―……?ねぇ、ジェシカ…アレ」

 最初に気が付いたのは、どうやって帰ればいいのか悩んでいたシエスタであった。

 少し強めの風が吹き荒ぶ街の空を舞い上がっていく細長く赤い何かを、彼女は目にしたのである。

 従姉の言葉に何なのだろうかと顔を上げ、ついで『ソレ』を目撃した。

 人口の光に照らされた赤い『ソレ』は、まだ何者にも汚されていない星だらけの夜空を飛んでいる。

 それはまるで、力を得た鯉が真紅の龍となって飛び立つかのように、波打ちながらも舞い上がっていく。

 風向きが空の方へ向いていれば、それは何処までも…それこそ空よりずっと上にある星の海へと旅立っていただろう。

 

「アレって一体…あ、風向きが変わって…」

「コッチに…」

 

 しかしソレの行く先は不幸にも地上、夜空と違い自然を失って久しい人々の文明圏へと落ちていく。

 白いフリルをはためかせて地上へと降りていく赤いソレは何の因果か、彼女たちの元へ向かっている。

 自分達の方へと落ちてくる事に気が付いた二人の内シエスタが、反射的に両腕をスッと上へ伸ばした。

 学院で掃除や炊事などの仕事をしているにも関わらず、彼女の肌は真珠のように白く美しい。

 そんな手に吸い込まれるようにして落ちてきた『ソレ』が、見事の彼女に掴まれてしまう。

 『ソレ』を手にしたシエスタが最初に感じたことは、『ソレ』が何かで゛濡れている゛事と―――――異常なまでの゛既視感゛。

 まるでいつも何処かで見ていたと錯覚させる『ソレ』の正体がわからず、シエスタは首を傾げそうになる。

 しかしその錯覚は従妹の…ジェシカの一言によって掻き消された。

 

「ソレって、…まさか――――あのレイムって子のリボンじゃ…」

「えっ―――――――」

 従姉の言葉に目を丸くさせた彼女は慌てた風に、リボンと呼ばれた『ソレ』をもう一度凝視する。

 赤を基調としている為に、白いフリルや模様がよく目に入る目立ちやすいデザイン。

 自分の記憶が正しければ『ソレ』…否、赤いリボンは確かにルイズの使い魔として召喚された霊夢のリボンだ。

 それに気が付いたと同時にシエスタは、何がこのリボンを゛濡らしていた゛のにも、気が付く。

 

 シエスタはリボンを持つ両手の内左手だけを離し、恐る恐る掌に何が゛付いている゛のか確認した。

 数匹の蛾が纏わりつくカンテラの下にいる彼女の目に入ったのは、リボンと同じ色をした―――自分の左手だった。

 無意識の内に小さな悲鳴を漏らし、ジェシカは咄嗟に口を押さえて驚愕の意を表している。

 本当ならリボンを投げ捨てているだろうが、律儀にもシエスタは手に持ち続けたままソレを眺め続けている。

 目を見開き、恐怖で若干引きつった表情でリボンを持つ彼女の姿は、傍から見れば相当なモノだろう。

 

 同僚や上司から綺麗だな、羨ましいと言われていた白い手は、真っ赤な色に染まっている。

 それもトマトやペンキとは思えぬほど変に生暖かく、僅かに鉄の様な臭いをも放つそれの正体を、二人は知っていた。

 そしてその疑問を恐る恐る口にしたのは、意外な事にリボンを手にしたシエスタ本人であった。

「これって…まさか………――――血?」

 

 彼女の口から飛び出た言葉に、ジェシカは即座に返す言葉を見つけられず狼狽えている。

 ただただ口を押え、両手を血で濡らした従妹の背中越しから、そのリボンを見つめ続けていた。

 

 シエスタの頭の中に疑問が浮かぶ。どうしてこんな所で彼女のモノを見つけ、手に取る事が出来たのか。

 本来の持ち主は何処へ行ったのか、そして付着した血は誰のものなのか。

 運命の悪戯とも言えるような偶然さで霊夢のリボンを手にした彼女の脳内を、知りようのない疑問が巡っていく。

 シエスタの後ろにいるジェシカも見慣れぬ血を間近で見たせいか、口を押えて絶句の意を保ち続けている。

 静寂に包まれた二人に声を掛ける者はおらず、皆が皆自分の為だけに足を進めて動き続ける。 

 

 

「おい、お前たち。そのリボンを持って何をしている」

 リボンを手にして一分も経たぬ頃…誰にも見向きされず、見咎められない二人に声を掛けた者がいた。

 それは鎧とも呼べぬ衛士用の装備を身に纏った金髪の女性―――アニエスであった。



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第六十八話

 蝉達の合唱が聞こえている。鼓膜を少しだけ揺らす程に鳴いている。

 お前が再び目を開けた直後に聞いた音は何かと問われれば、間違いなくそう答えているかもしれない。

 霊夢はそんな事を一人思いつつも未だに重い瞼をゆっくりと上げ、博麗神社の社務所の中から夏の空を見上げた。

 まる巨人がそのまま雲に包まれたかのような入道雲が、清流の様に真っ青な空と同居している。

 そして空と雲より近くに見える緑の木々と真っ赤な鳥居が、青と白のモノクロカラーに鮮やかさを足していた。

 

 気温が上がり、幽霊を瓶詰にして昼寝をする季節には必ず見るであろう景色であった。

 霊夢本人としては見慣れてしまった光景だが、何処かのスキマ妖怪曰く「失われた日本の原風景」の一つらしい。 

――そんなに珍しいのなら、見物代くらい取れそうね。まぁ、誰も払わないだろうけど…

 ずっと前に呟いた冗談を思い出した彼女は、瞼を半分ほど開けた状態で苦笑いを浮かべた。

 声は出ないが自分の口元がにやけていると知った後、彼女はふと視界の端に映る振り子時計を目にする。

 小さな壁掛けタイプのそれの長針と短針が、丁度゛ⅩⅡ゛の時刻を示していた。

―――あぁ、もうそんな時間かぁ…時間って意外と早く進むものなのね

 霊夢は一人そんな事を考えながらも、随分前から自分に付きまとうようになった小さな百鬼夜行の事を思い出す。

 こんなにも外が暑そうなのだ、きっと涼みにくるついでに自分の所で昼飯を頂くことは容易に想像できる。

 以前に起った異変を解決してから、自分に関わってくるようになった鬼の笑顔を思い出しつつ、ふと「あと一人くらいは来るかも…」と呟く。

 春夏秋冬、四六時中。神社に押しかけてはお茶やお菓子、挙句の果てに酒と食事も強請ってくる自称゛普通の魔法使い゛だという、黒白の少女。

 夏真っ盛りだというのに、何処の誰よりも暑そうな服装でこの時期を過ごす彼女の姿を思い浮かべる。

 

―――今日は機嫌が良いし、折角だから三人分作ってやろうかしら?

 

 一眠りして機嫌が良いせいか、いつもの自分らしく無い提案が脳内に浮かび上がってくる。

 別にやましい理由があるワケではない。ただ単に誰かと食べたいという気分に陥っただけである。

 特に今日の様な、どこまでも続くような夏の青空の下ならば、そういう提案が出てきてもおかしくはない。

 そう結論付けて一人納得した彼女は、今日の昼食は何を作ろうかと考えつつ上半身に力を入れて体を上げようとする。

 味噌が余分にあるから冷汁でも良いし、そこにご飯ではなく妖怪退治の報酬で貰った大量の素麺をぶち込んでも良い。

 

―――でも素麺だと冷汁じゃなくて、ただの味噌素麺になっちゃうわね…

 いい加減食べ飽きた白い麺の束を一網打尽にするか、定番のご飯を入れるべきか…という二つに一つの選択。

 ある意味くだらないとも言えなくない選択に霊夢が悩もうとした。そんな時であった。

 

「あら、もう起きたのね。…相も変わらず飯時には早い事で」

 

 ふと背後から、自分のモノではない女性の声が聞こえてきたのは。

 その事に気づいた霊夢が「…え?」と呟いた直後、再び背後から謎の声が聞こえてくる。

 

「いっつも思うんだけどさぁ…アンタのソレも、所謂゛酷いくらいに冴えた勘゛ってヤツなのかしら?」

 

 まるで最初から自分を観察していたかのように、声の主は落ち着いた様子で話しかけてきた。

 多少呆れているかの様な喋り方が癪に障るのだが、生憎それに反論できる程今の霊夢は落ち着いていなかった。

 突然自分の死角から聞こえてきた声のせいで、起き上がろうとした彼女の体はピタリと止まり、その目がカッと見開いてしまう。

 次いで一センチほど浮いていた上半身が再び畳に着地し、すとん…という静かな音が彼女の耳に入り込んでくる。

 その時に少しだけ後頭部を畳にぶつけてしまったが、今の霊夢にはそれを気にする程暇ではなかった。

 今の彼女が優先的に気にするべき事―――それは自分の背後から聞こえてくる゛声の主゛が、誰なのかという事だ。

 霊夢が知っている限り人の神社、それも社務所にズカズカと上がり込む輩には、身に覚えがある。

 それも一人だけではない。文字通り゛掃いて捨てる゛程の人妖が、挨拶も遠慮も無くいきなり声をかけてくる事があるのだ。

 しかし…それ程までにいる「無礼な連中」の中に、後ろから聞こえてくる声を持つ者はいない。

 ではいったい誰なのか?体を動かすことを忘れた霊夢が、そこまで考えた時であった。

 ふと視界の端に、見たことは無いが自分と同じ゛紅白の巫女服゛を着た゛長い黒髪の女゛がいるのに気が付いた。

 霊夢よりも一回り体が大きく、腰まで伸ばした黒い髪は夏の日差しに照らされて艶めかしく輝いている。

 紅白の巫女服は霊夢が身に着けている服と比べシンプルさが強く、何処か大人びた雰囲気を漂わせていた。

 それでいて服と別離した白い袖だけは同じであり、それを横目で見た霊夢は親近感というモノをつい抱いてしまう。

 生憎ながら顔の方は前髪に隠れており、どれ程の美貌を持っているのかだけは確認できない。

 その一方で、声を出さずに観察していた霊夢の事など露知らず、目の前の女性が再びその口を開く。

 

「でもそれだけで巫女が務まるワケないし…ホント、あいつの強情さには困ったものね」

 

――は?何ですって?

 何処の誰かも知らぬ女にそんな事を言われた霊夢は、ついつい顔を顰めてしまう。

 「巫女が務まる…」という部分に反応した彼女であったが、他人が思うほど怒ってはいない。

 何せ幻想郷を作った妖怪曰く、今までいた博麗の巫女の中でも断トツで「グータラなうえに怠け者」らしいのだから。

 その妖怪以外にも、知り合いの魔法使いや妖怪たちからもソレをネタに色々とからかわれている始末だ。

 故に霊夢自身それに軽く怒った事はあれど、そこまで本気になるような事は滅多に無い。

 精々相手に文句を言ったり突っ込み気分で叩いたりと、俗にいう「スキンシップ」程度の事で済ませてきた。

 

―――どこの誰かは存じぬけども…赤の他人にしてはちょっと言いすぎよね

 だから今回の事も、姿を見せぬ不届き者の頭を引っ叩いてやろうと考えていた。

 叩いた後に何か言ってくれば言い返せば良いし、逆上して襲い掛かってこようものなら返り討ちにすれば良い。

 もはや言われた方が加害者となってしまうような物騒な事を考えている霊夢であったが、ふとその思考が止まってしまう。

 別に畳のトゲが背中か臀部に刺さったという事ではなく、ましてや足を攣ってしまったという緊急事態に陥ったわけでもない。

 ただ目の前で佇み、前髪越しにこちらを見下ろしていた女の体が、動いたのである。

 

「どんなに力や才能があっても、ある程度心が図太くないと博麗の巫女なんて…まともに出来っこないのよ」

 事実、私には少し荷が重いし…。まるで自嘲するかのような言葉を吐き出した女が、その場に腰を下ろす。

 一つとして乱れの無い動きで座った彼女と、その足元にいた霊夢との距離がより一層近くなる。

 それに驚き思考が停止してしまった霊夢であったが、それで終わりではなかった。

 一歩間違えれば口づけをしてしまうかもしれない距離で見つめ合う最中、再び女が口を開く。

 

「でも心が強いって事考えると…やっぱりアイツの言う通り、アンタには適性があるのかも…」

 先程の言葉を聞いたせいか、その声に悲しそうな雰囲気が纏わりついていると錯覚してしまう。

 それと同時に、突如現れた巫女服姿の女が、どうして自分に語り掛けてくるのか考えようとする。

 何を言っているのかイマイチ分からないが、言い方から察して自分を哀れんでいるのだろうか?

 それとも妖怪か何かが変化の術でも行使して、自分を誑かそうとしているのか?

 未だ落ち着きを取り戻せぬ霊夢がそんな事を考えていた直後。一陣の風が社務所の中へと入り込んできた。

 混乱し始めた彼女の頭を冷やすかのように、真夏の風が彼女の顔をやや乱暴に撫でていく。

 それと同時に艶やかな黒髪や、その身にまとう衣服とリボンが風にあおられパタパタ…ヒラヒラ…と波打っている。

 彼女の前に腰を下ろした女も例外ではなく白い袖に紅い服が波打ち、ついで顔を隠していた前髪もサッとかきあげていった。

 そして、それだけが目的であったかのように風はあっという間に社務所を抜け、何処へと去っていく。

 

 風が通り過ぎた後…仰向けに寝転がっていた霊夢は、ここで初めて女の顔を目にした。

 その時…彼女がどんな事を想い抱き、どんな感想を心の中で出したのかは誰も知らないし、彼女自身それをすぐに喋れない。

 ただその目を見開き、予想だにしていなかったモノを見た時の様な表情を霊夢が浮かべようなど、誰も想像しないであろう。

 それ程までに前髪に隠れていた女の素顔は、霊夢は驚かせるのに十分な価値が秘められていたのだ。

 

「でも大丈夫よ、霊夢。貴女は巫女をやる必要なんてない…すぐに何とかしてみせるわ」

 黒みがかった赤い瞳に悲しみを湛えた女は、霊夢の顔をジッと覗き込みながら一人呟く。

 そんな事を言われ、驚愕したまま落ち着きを取り戻せぬ彼女が考えていたことはただ一つ。

 

 目の前にいる女性は、きっと未来の自分なのだろうか。

 薄れていく意識の中でそう思える程に目の前の女性の顔は、霊夢と瓜二つであった。

 

 

 

 馬の嘶きと通りを行き交う人々の雑踏が、苛立つくらいに鬱陶しい。

 安っぽいベッドの上で目を覚ました霊夢が最初に思った感想は、どちらかといえば批判に近かった。

 

 ここは?と思いつつシーツの中で体を軽く動かすと、彼女を乗せたベッドがギシギシと悲鳴を上げてしまう。

 安い材木で作られたそれはもう寿命が近いのか、軋む音自体に何か不吉なものが感じられる。

 良くこんな所で安眠できたものだ。自分の運の良さを多少は喜びつつ、霊夢は上半身を起こそうとした。

「――…ッ!?」

 体を持ち上げようとした所まではうまくいったが、頭の方から強烈な痛みが襲いかかってくる。

 まるで金槌で叩かれたような激痛に、彼女は顔を顰めて勢いよく倒れてしまう。

 より一層鋭い悲鳴を上げるベッドをよそに、霊夢は自分の頭に何かが巻かれている事に気が付く。

 ザラザラとした粗い触感のソレが何なのかと思った時、ふと横のテーブル置いてある手鏡が目に入る。

 所々汚れているソレを右手で手にした彼女はサッと鏡を自分の顔に向け、次いで何が巻かれているのかが分かった。

 自分が横になっているベッドや手にしている手鏡より安いであろうソレの正体は、白い包帯であった。

 恐らく巻いた相手が素人だったのか、まるで頭だけが死後数十年物のミイラになったかのような状態である。

 それでもちゃんと出来ている方なのか、不格好だが形そのものは崩れていなかった。

「まぁ、形が崩れてても別におかしくもない巻き方だけど…」

 一人呟きながら頭の包帯を撫でていた霊夢であったが、ふと何かを思い出したかのような表情を浮かべる。

 次いで辺りを見回し、左の方に窓がある事に気が付くとそこから外の景色を見やる。

 

 窓から見える景色は、幻想郷では到底お目に掛かれぬ中世ヨーロッパ風の街並み。

 亀の歩みよりずっと遅い速度で空を上っていく初夏の太陽に照らされている光景は、平和そのものである。

 ずっと以前…魔理沙が見せてくれた本の中に、似たような景色を描いた絵画が掲載されていた事を思い出す。

 

 レンガ造りの建物に三角屋根の家、狭い通りを行き交う人々と栗毛や黒毛の馬たち。

 煙突から絶えず煙を吐き出すパン屋や血生臭い肉屋には、大勢の人々が訪れている。

 当時、憧れはしなかったがいつかは見てみたいと思った「欧州の昔」が、霊夢の上半身程度しかない大きさの窓から見えていた。

 そして彼女は知っていた。ここから見える風景――否、街の名前を。

 

「そっか…今の私は、トリスタニアにいるんだっけか」

 思い出したかのように呟いた時、霊夢は昨日起った出来事を全て思い出した。

 そう…買い物だけだと思っていた外出が、予想だにせぬ相手との戦いにまで発展したという事を…

 彼女の記憶には、自分の偽者に致命傷を与えた事は覚えていた。無論、自身も盛大な「お返し」を貰った事も。

 頭に強烈な一発を貰った後にルイズたちと何か話したような気がするものの、詳しい事までは覚えていない。

 あの時は頭がグワングワンと揺れていて、ジンジンと脳内を回っているかのような強烈な痛みで、まともに話すことは出来なかった。

 ただ耳に入ってくる三人の言葉に、思いつける限りの返事だけを口から出していたのだけは記憶に残っていた。

「思い出そうとしてみたけど…何も記憶に残ってないわね………あっ、そうだ」

 無意識に首を傾げた彼女はそう言って、ふと自分の頭にいつも付けていた筈のリボンが無い事に気が付く。

 思い出したかのように辺りを見回すのだが、目に入るのは安っぽくて質素な造りの部屋だけだ。

 きっとこの部屋の中では自分の次に目立つであろうリボンはテーブルや椅子の上、出入り口横のコートラックにも掛けられていない。

 部屋を一通り見回したところで目に入らなかったというところで諦めた霊夢は、軽いため息をついた。

 

 

 まぁ今の状態ではリボンなんて付けられないだろう。包帯も外すことは出来ないし…

 一人納得するかのような思いを心の中で吐露しながら、霊夢はまた何かを思い出すかのような表情を浮かべる。

「部屋に無いとするとルイズたちが持ってそうだけど……そういえば、あいつ等は何処に行ったのかしら?」

 先程まで見ていた夢の事もあって今更なのだが、自分が今どんな状況にいるのか霊夢は知りもしなかった。

 今いる部屋も初めて見るような場所だし、近くにいるはずであろうルイズや魔理沙…そしてあのキュルケの姿が見当たらない。

 まぁ部屋自体が狭いしどこか別の所にいるのだろうが、それ以前にここがどういう場所なのかもわからなかった。

「せめて誰か傍にいてくれたって良かったのに」

 特にすることもできずにいる彼女は背中をベッドに預けたまま、何となく呟く。

 

 それから二分程度が過ぎた頃だろうか。

 見慣れぬ天井を見つめ続けている内に、今度は先程まで見ていた夢が何なのかとという疑問を感じた。

 あんな夢を見るのは初めてであったし、それにあの女性の顔が自分とよく似ていたというのも気にはしている。

 今思い出すと多少大人びていた雰囲気があったものの、数年後の自分だと言われれば納得するかもしれない。

 髪も今より長かったし、リボンだってその時には付けているかどうか分からないのだから。

 夢の内容を暇つぶし程度に思い出していた霊夢であったが、突如その顔にハッとした表情が浮かぶ。

 それは今考えている事よりも、ある程度優先して気にしなければいけない事であった。

「そういえば、私の偽者はどうなったのかしら?」

 夢に出てきたもう一人の自分(?)を思い出した彼女は、少し慌てた様子で呟く。

 最後の一撃を入れた時に確かな手ごたえを感じ、直後に強力な一撃をお見舞いされたのは覚えている。

 しかしその後すぐに意識がなくなったせいか、今日まで続いているであろう厄介事の元凶がどうなったのかを確認していなかった。

 あれで死んでいればそれで良いし、もしくはルイズや魔理沙たちが片付けてくれていればそれもまぁ結果オーライというものだ。

 しかしあの一撃で死なず何処かへ逃げていれば厄介だ。最悪、また戦う羽目になるのは確実だろう。

(まぁ次出てこようものならば、三度目を許さず二度目で完膚なきまでに退治するまでよ)

 とりあえず悪い方のケースを想定し、決意した彼女は、ふと左手の甲に刻まれたガンダールヴのルーンを見やる。

 手の甲を上げたその先に目にしたのは、目を瞑らせる程の激しい光を放つ…ルーンではなかった。

 この世界ではある程度特殊な―――少なくとも複製ぐらい出来そうな――使い魔の印が、刻まれているだけであった。

 別段光っていることも無く、それと連動して頭の中に性別不明な声が流れ込んでくることは無い。

 

「ガンダールヴのルーン…いつの間に光らなくなったのかしら?」

 昨日まで何とかしようと考えていた霊夢が不思議そうに呟いた。その直後だった。

 彼女の目から見て右にある部屋の出入り口越しに、人の気配を感じたのは。

「おい、目を覚ましたのか?」

 それに気づいた霊夢が顔を向けようとする前に、ドアの向こうから女の声が聞こえてくる。

 力強く、しっかりとした雰囲気を感じられるその呼びかけに、霊夢は「まぁね」と短く返す。

 するとドアの中央より少し上の部分が耳に触る嫌な音を立てつつ左にずれたかとおもうと、そこから何者かが覗き込んできた。

 どうやらそこの部分だけ覗き窓になっているらしい。今になって霊夢は気づく。

 それと同時に、部屋を開ける前にそんな事をしている相手を見て思わず目を細めてしまう。

(薄々感じてはいたけど…やっぱり昨日の面倒事は全部終わって無さそうね)

 ルイズや魔理沙が近くにおらず、見覚えのない部屋にいる。二つの疑問を結びつけ、そんな結論を出した時だ。

 再び耳をイラつかせるような音がひびいて覗き窓のスライド版が右にずれ、こちらを覗く女の視線が消える。

 その後、ドア越しにカチャカチャと弄るような音が響いたたかと思うと、あっという間にドアの方から鍵が開く音が聞こえてきた。

(外から鍵を掛けるなんて驚きね。…というか、昨日よりもずっと厄介そうじゃないの)

 何処か心をスッキリさせてくれるような音はしかし、ベッドに横たわる霊夢の心を更なる不安に陥れる。

 少なくとも、ドアの向こうにいる相手がこのまま学院に返してくれる事は無いだろうと覚悟していた。

 

 覗き窓付きというプライバシー皆無のドアが開くと同時に、一人の女性が遠慮なく部屋へと入ってきた。

 薄い茶色の鎧を身に着けた彼女は、鎧と同じ色のロングブーツを履いた足で霊夢の方へと近づいていく。

 一方の霊夢は頭だけを女の方へ動かし、それと同時に相手がそこら辺にいるような人間ではないという感想を抱いた。

 女性らしい細身の体は魅力的ではあるが、女とは思えた程に目が男らしい輝きと、その体から近寄り難い雰囲気を放っていた。

 魔理沙や紫と比べやや薄い金髪を短めに切りそろえており、それが女らしさを打ち消す原因の一つとなっている。

 歩き方自体も男らしさが出ているせいか、ドレス姿を見せられても「番犬の頭にピンク色のリボン」という、変な感想しか口に出せない。

 そして何より霊夢の目を惹かせるのが、腰に差した一本の鉄剣であった。

 この世界では「貴族に抵抗する平民の牙」と揶揄されるソレからは、女性と同じ重苦しい気配が漂っている。

 恐らく黒い鞘に収まったソレは文字通り゛血を吸った゛のだろう。そうでなければあんなにも近寄り難い゛何か゛を感じる理由が無い。

(妖夢だともっと詳しく分かりそうだけど…まぁその前に縮こまっちゃうかも)

 幻想郷にいる知り合いの内一人である半霊半人の事を思い出した直後、すぐ傍までやってきた女が口を開く。

「…一目見た感じでは大丈夫そう…には見えないが、立てるか?」

 少々の鋭さを見せる声は、腰に携えた獲物と同じ様な…聞いた者を怯ませる何かを漂わせている。

 しかしそれにたじろ博麗の巫女ではなく、少し気難しそうな表情を浮かべた霊夢はとりあえずの返事を口に出す。

 

「さっき起き上がろうとしたけど…頭がズキッとしたわね」

 そう言った後、もう少し何か口に出せば良かったのでは、という浅い後悔の念を抱く。

 咄嗟に出た言葉の所為か、相手に聞こうとした質問をしゃべる事が出来なかった。

 ここは何処のなのか、今の私はどういった状況にいるのか、私の近くにいたルイズたちはどうなったのか…

 そして、自分はこれからどうなるのか…そう言った質問が頭に浮かんでくるが、口に出すことが叶わないもどかしさ。

 

 目の前の少女がそんな気持ちを抱いているとも知らずに、衛士姿の女はベッドに横たわる彼女を頭の先から足の爪先まで観察する。

 最も下半分は白いシーツで隠れているの為実質目にしたのは頭の包帯部分だけであろうが。

「そうか、じゃあこれを飲んでみろ。一流品じゃないが鎮痛作用ぐらいはある」

 懐を漁りながら喋る女が取り出したのは、掌サイズの瓶に詰められた無色透明の液体であった。

 水と比べほんの気持ち程度粘り気がありそうな液体入りのソレを見て、霊夢は首を傾げる。

「何よコレ?タダの水って感じじゃあ無さそうだけど」

「安いポーションだ。さっき言ったように痛み止めの効果があるが…どうやら信じてないようだな」

 丁度自分の掌と同じサイズの瓶を見た霊夢は、信じられないと言わんばかりに目を細めている。

 女の言葉に霊夢は当たり前よと返しつつ、そのまま喋り続けた。

 

「いきなり見ず知らずのアンタに薬だ飲め、って言われて飲めるわけ無いじゃない。

 第一、ここが何処なのかも私には皆目見当がついてないのよ。教えてくれない?今の私がどういう目にあってるのか」

 

 とりあえず今言いたいことをついでにぶちまけた後、霊夢は軽く一呼吸する。

 肺に残っていた僅かな空気を喉を通して口から出していくと、突っつくような痛みが頭を無駄に刺激する。

 それに顔を顰めて耐えている彼女であったが、そんな彼女を見下ろしていた女が、ポツリと呟く。

「何だ、口数少ないヤツと思っていたが…案外喋れるんだな」

 どこか感心したような言葉を述べた後、突如右手に持っていた瓶の蓋を抜いた。

 ワインのコルクを抜いたときの様な音が部屋に響いたかと思うと、次いでその瓶をゆっくりと傾ける。

 丁度飲み口から液体こぼれ落ちるところに空いている左の掌を添えて、慎重に右手を動かす。

 やがてほんの少し粘性があるともないとも言える液体が飲み口から二、三滴こぼれ、女の左掌の上に落ちた。

 それを確認してから傾けていた瓶をスッと上げたかと思うと、女は液体の付いた掌を自分の口元へと運ぶ。

 そして霊夢がアッと言う前に、女は何の躊躇いもなく掌の上の液体を自分の下で舐めてしまった。

 ソフトクリームの表面部分だけを軽く舐めるように舌を動かし、それを吟味するかのように口をもごもごと動かしている。

 ほんの数秒程度の動作に何も言う事ができなかった彼女は、女の口から言葉が出るのを待っていた。

 

 それから五秒ほどが過ぎた後、口の動きを止めた女が喋り出す。

「毒薬だと思ってたろ?ホラ、私の体にどこもおかしな所は無いぞ」

 疑い深い巫女に教えるかのように、女はそう言って両手を横に広げた。

 単なる勘ぐり過ぎだ。そんな事を言われたような気がした霊夢は少しだけムッとした表情を浮かべるも、右手を女の前に差し出す。

 その意図を察してか、女もまた何言わずに飲み口が開いたままの瓶を彼女へと手渡した。

 受け取った霊夢はほんの数秒間を瓶の中身を見つめた後に、ゆっくりと口の方へ近づける。

 そして覚悟を決めたのか、軽い深呼吸をしてから一気に無色透明の液体を景気よく飲み始めた。

 

 

 喉を鳴らして飲んでいく彼女が最初に思ったことは、瓶の中身は思った以上に冷たかったということであった。

 まるで半分液状化したソフトクリームのように、喉越しの良い冷気が口の中を包み始めている。

 味の方は良くわからないが、少なくとも自分の体に致命的な害を成す物ではないという事が今になって分かった。

 

 

 小さな瓶の中身は飲み始めてすぐに無くなり、あっという間に霊夢の体内へと入り込んだ。

 飲み干した事に気が付き、すぐに瓶を口元から離した彼女は、ホッと一息つく。

 そして空になった瓶を右手に握る瓶を弄りながら、思っていた以上に良い物を飲めたことに多少の喜びを感じた。

(ふぅ…思った以上に飲みやすくて……ん?―――――…ひゃっ!!?)

 だがしかし、その喜びを女の前でアピールする暇もなく、彼女の口を唐突で過剰的な゛清涼感゛が襲った。

 まるでペパーミントの葉を数十枚口の中に入れて噛みしめたかの様な清涼感は、もはや痛みに近い。

 以前魔理沙と一緒に飲んだハシバミ草のお茶ほどひどくは無いが、それとは別にこの薬も人体に対し強烈だ。

「……うっ……!?うぅ…!」 

 程よいと思っていた冷たさがブリザードを思わせる過酷な冷気となり、口内を縦横無尽に暴れまわっている。

 そんな風に例えるしかない予想外の事態に顔を歪ませている霊夢を見て、女はため息をついた。

 

「安物のポーションだからな。メープルでも入ってると思ってたか?」

 明らかに子ども扱いしている言葉に対し、ハッキリとした怒りの表情を浮かべる。

 確かに自分と同じ薬を口にして顔色一つ変えないのはスゴイと思うが、子ども扱いされるのだけは不服であった。

 そんな思いを目から飛ばしているが、そんな事知らんと言わんばかりに自分を見つめ続ける女に、更なる怒りが溜まっていく。

 今は無理だしまだ名も知らないが、いつかこの借りは耳を揃えてキッチリ返させて貰おう。

 口の中に充満する殺人的清涼感に悶えつつも、霊夢は決意した。

 

 

 それから五分くらい経過しただろうか。

 先程までベッドに横たわっていた霊夢は、自分がいた部屋の前で女衛士と佇んでいた。

 味はとんでもなかったが鎮痛効果はしっかりしていたのか、包帯を巻いた頭は殆ど痛まなくなっている。

 完治したというワケでもないが、ひとまず立って歩くことぐらいはできるようになった。

 

「とりあえず、薬を飲ませてくれた事はお礼を言っておくわね。え~と…名前は?」

 さっきと比べ回復した体に満足している巫女がお礼ついでに女の名を尋ねてみる。

 衛士の女はそれに対し嫌悪や不快といったモノを感じないのか、そっけない表情を浮かべて名乗った。

「アニエスだ」

「そう…アニエスね?覚えておくついでにお礼も言っとくわね」

 靴の中で足の指を動かしながら礼を述べると、霊夢は「で、色々聞きたいことがあるんだけどさぁ」と質問してみる。

 それに対しアニエスは右手を腰に当てて、相手が何を聞いてくるのか待ち構えていた。

 我に返答の意思あり。彼女の様子を見てそう解釈した霊夢は、一呼吸おいてから喋り出す。

「私が今いる場所は何処なのかしら?少なくとも街の中ってのは理解してるけど…」

「そうだな。ここはトリスタニアのブルドンネ街の中にある衛士の詰所本部、と言っておこうか」

 お前とその仲間がいた場所から歩いて一時間だ。聞いてもいない事をついでに喋ってから、アニエスは口を閉じる。

 意外にもハッキリとした答えをくれたアニエスに感心しつつも、霊夢は首を傾げた。

「衛士?ということは…ここって街の治安を守ってる連中の寝床かしらん」 

 この世界に来て初めて聞く名前を耳にして、ふと頭を上げて廊下を見回してみた。

 

 それほど目新しくないやや濁った乳白色の壁は何回も塗装し直しているのか、壁全体がペットリとしている。

 木造の廊下はちゃんと整備されており、その場で足踏みしてもあの部屋のベッドみたいに軋む音を上げたりはしない。

 日差しを入れる窓も廊下と同じく念入りに磨かれていて、不快感を催す汚れやシミなどは見当たらない。

 しかし…室内灯が魔法で動くカンテラではなく普通の燭台であり、彼女たちより少し上に設置されたソレに明りは灯っていない。

 その所為か日差しが入っているのに関わらず、廊下全体が少し薄暗く物々しい雰囲気を放っている。

 

 一通り廊下の風景を目に収めた巫女は再び女衛士に視線を戻してから、一言呟いた。

「なるほど…そんなに物騒な所なら、街の雑踏から隔離されていても不思議じゃないわね」

「そんな物騒な所で働いている私から見れば、外の方が随分とおっかないけどな」

 相手の言葉にアニエスはそう返すと窓の外を一瞬だけ見やり、それから踵を返して霊夢に背を向けた。

 どうしたのかと一瞬だけ思った霊夢であったが、すぐにアニエスが「ホラ、ついて来い」という言葉を口にした。

「ついて来いって…そりゃ歩ける様にはなったけど、いきなり過ぎない?」

 それを聞いた彼女が苦々しい表情を浮かべてそう返すと、アニエスは背中を見せたまま淡々と言葉を続ける。

「お前が目を覚ましたら、すぐにここから出せという命令が出ているんだ」

「命令?…何か只事じゃなくなってきてるわね……というか、それって誰が出したのよ」

 彼女の口から出た予想外の言葉に目を丸くした時、霊夢の頭にルイズの顔が浮かび上がる。

 もしかすると彼女が色々としてくれたおかげで、今の自分がいるのではないのだろうか?

 そんな疑問を過らせた霊夢は聞いてみようと考え、女の背中に声を掛けた。

「ねぇ、その命令したヤツってさ…もしかすると、ルイズっていう名前の女の子かしら?」

 巫女の言葉に対しアニエスは「嫌、違うぞ」と首を横に振りつつ短い言葉で返した。

 しかしそれを聞いた霊夢が何かを―――言葉を出すか、表情を変えるか――をする前に、彼女はこんな事を口にした。

 

「…確かに怪我をしたお前の傍にいた魔法学院の生徒二人、それと三人ほどの少女をひとまずここへ連れてきた。

 しかし、今から一時間程前に来たんだよ。お前を含めた少女たちをここから出せと命令した、とんでもない御方からの使いが…」

 

「御方…?」

 戦いのみを職業とし、生きてきたような女衛士の口から出てきた言葉に霊夢は怪訝な表情を浮かべる

 それに、ルイズと魔理沙やキュルケ以外にも二人程誰かが一緒に連れてきたという事も気になってしまう。

 意識があった段階でいたのは三人だけであったし、周囲には自分たち以外誰も見なかったのは記憶に残っている。

 じゃあその二人とは一体誰の事なんだろうか?ますます深まっていく謎に霊夢が首を傾げようとする…その直前であった。

 

 

「―――――レイム!もう大丈夫なの!?」 

 突如前の方から、悲鳴にも近い叫び声を上げて何者かが早歩きで近づいてきた。

 木造の廊下をしっかりと磨かれたローファーで蹴飛ばしつつやってくるのは、ピンクのブロンドが眩しい小柄な少女だ。

 背中に付けた黒のマントをたなびかせて走ってくる彼女の顔には、精一杯゛何か゛を我慢しているような苦しげな表情が浮かんでいる。

 貴族やメイジ達が命に次に大事と豪語する杖は腰に差しており、その両手には何も握られてはいない。 

 ただギュッと握り拳を作っているその手には顔に浮かべた表情と同じく、堪え切れぬ゛何か゛を必死に抑えているようにも見える。

「…イム、レイム!……アンタ、アンタ…!」

 音を鳴らして歩いてる少女は衛士の後ろにいる巫女の名を呟きながら、二人の方へ近づいている。

 流石に何かおかしいと感じたのか、アニエスも怪訝な表情を浮かべて近づいてくる少女に警戒し始めた。

 

 五メイル、四メイル…そして後三メイルというところで、名を呼ばれている霊夢は本能的に後ろへ下がった。

 彼女は感じ取ったのだ。自身の身に迫りつつある更なる危機を。

 それは正に、怪我を負った狼が怒り心頭のマンティコアと対面した時のような予期せぬ絶望。

 ただでさえ叶わないうえに傷ついた体でどうしようもない時に降りかかる、更なる恐怖。

 百戦錬磨の霊夢はそういう風に例えられる気配を感じ取ったのだ。自信よりも背丈の低い少女から。

 

「レイム!アンタ…どんだけ人に心配させれば気が済むのよっ!?」

 いつもから刺々しく、そして一度怒らせればどうしようもない少女―――ルイズがそう叫びながら、飛びかかってきた。

 一メイルという近い場所まで来た彼女はローファーを履いた足で今までよりも力強く床を蹴り上げる。

 そして握り締めていた両手をひらいて霊夢達へ向かってくる姿は、正に獲物を見つけて襲い掛かる肉食幻獣そのものであった。

 小柄な体つきながらも食欲旺盛で凶暴なマンティコア――――そう例えられるぐらいに今のルイズは怒っていた。

「わっ…ちょっ…!」

 突如物凄い勢いで迫ってくる相手に怪我を負った霊夢が避けられる筈もなく、このままでは酷い目に遭うであろう。

 しかし、始祖ブリミルの微笑みはこの場にいる三人の内、異世界の巫女に向けられていたのかもしれない。

 

「おい、おい!こんな所で暴れるなよ、暴れるな!」

 霊夢の前にいたアニエスがすぐに慌てて様子で突進してきたルイズを、その右腕で受け止めたのである。

 柔らかい物同士がぶつかったような曇った音が聞こえてきたと同時に、霊夢の眼前をルイズの左手が通り過ぎていく。

 思っていた事ができなくてせめてもの抵抗か、まるで猫じゃらしを弄る猫の手の様に彼女の左手が何もない空間を掻き毟る。

 鳶色の瞳に怒りの色を滲ませたルイズを見て、寸での所で助けてくれた衛士に、霊夢は感謝の意を送った。

「何から何まで…本当今日はアンタに助けられてるわね」

「お世辞なんかよりもまずは仲直りした方が良いんじゃないか?傍から見るとかなり嫌悪な仲だぞ」

 アニエスの助言じみた苦言にすかさずルイズが「余計なお世話よ!」と怒鳴り返し、今度は右手も振り回し始める。

 もはや手がつけられない彼女に霊夢は肩を竦めつつ、これからどうしようかと悩む。

 

 ルイズがここにいるなら何か知っているだろうが、今の状態で近づくと痛い目を見るだろう。

 ただでさえ負傷しているのにこれ以上傷が増える事は遠慮願いたいので、知りたい事を聞けない。

 さてどうしようかと悩もうとした直前、アニエスが先程呟いていた事を思い出した。

「そういえば、ちょっと聞きたいことが一つあるんだけど良いかしら」

 彼女の口から出ていた言葉の内に気になるモノが一つだけあった霊夢は、彼女に話しかけてみる。

「お前、今の私が人の話を真面目に聞ける状態だと思っているのか?」

「別に良いじゃないの。もうルイズだって私に殴り掛かる気もなさそうだし」

「…アンタって相も変わらず、そんな性格だから私が頻繁に怒るのを分かってないみたいね」

 二人のやりとりを耳にしていたルイズは、さっきまで宙を掻いていた両手をぷらぷらと揺らしつつ毒づいた。

 本気で襲うつもりは無かったのだろう。ジト目で巫女を睨みつける今の彼女は、まるで人見知りの激しい飼い猫のようだ。

 相手に襲う気が無いとわかったのか、ため息をつきながらもアニエスは「で、聞きたい事って何だ?」と霊夢に話しかける。

 

「そういえばアンタ、私たちを連れてきた云々の話で゛とんでもない御方゛って言ってた人間がいるけど…それって誰なのよ?」

「御方…?御方――あぁッ!」

 彼女が質問を口に出した直後、アニエスの腕に抑えられていたルイズが突然大声を上げる。

 いきなりの事に多少驚きつつも二人がそちらの方へ目を向けると、ハッとした表情を浮かべる彼女がいた。 

 まるで朝一番にすべき事を忘れ、さぁ昼食を食べようという時間に思い出したかのような、取り返しのつかない焦燥感に包まれた顔。

 一体何なのかと思っていた時、先程飛びかかった時の様な俊敏な動きでもって、ルイズはアニエスの近くから離れた。

 突拍子もない動きにアニエスが軽く驚くのを無視しつつ、ルイズは少し慌てた様子で少し乱れた服を直してから霊夢にこんな事を聞いた。

「あんた、もう歩けるのよね?昨日は見た目よりも結構な重傷で焦っちゃったけど…」

「えっ?ん、んぅ…まぁね。完治って言えるほどでも無いけど」

 唐突な質問に霊夢は言葉を詰まらせかけながらも、包帯を巻いた頭を左の人差指でさしながらそう答える。

 多少不格好さが目立つ白いソレを鳶色の瞳で見つめつつも、ルイズはまぁ大丈夫だろうと判断した。

 調子が悪そうなのはすぐにわかるが、それ以外はいつもの厚かましい博麗霊夢だ。

 一つ間違えればケンカに発展していたであろうやり取りでそれが分かった彼女は、その場で踵を返した。

「じゃあすぐにここを出ましょう。入り口の方で、馬車とマリサ達を待たせてるから早く行かないと」

 やや早口で捲し立てる彼女に多少戸惑いながらも、霊夢は首を傾げて言葉を返す。

「馬車?という事は何よ、これから学院に帰るっていう事?」

 突然出てきた知り合いの名を聞いてそんな事を言った巫女に対し、ルイズは「違うわよ」と首を横に振る。

 

 

「王宮よ。昨日私達が街で大騒ぎした事を知って、姫さまの使いが迎えに来てくれてるの」



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第六十九話

 彼女は失ってしまった。心から良かったと叫べるほどの゛幸福゛を。

 

 あの狭い箱庭のような世界で限られた自由しか与えられず、常に血の匂いを漂わせていた彼女が唯一欲していたもの。

 それと触れ合う時だけ心の底から自由だと思い、血生臭い自分を一時の間だけ忘れさせてくれるような、そんな存在を求めていた。

 しかしそれは、彼女に戦う事を強いらせた者からなし崩し的に手渡された、胡散臭い゛幸福゛であった。

 一度はそれに抵抗を示してしまい距離を取ろうとしたが、結局のところ彼女自身がそれを快く受け入れてしまう。

 何故なら、憎い相手から受け取った゛幸福゛は戦う事しかできなかった彼女にとって、唯一の生きがいとなっていたのだから。

 常に自分の傍に居続け、喜怒哀楽を共にしてくれる゛幸福゛に、彼女は生き続けていて良かったとその時思った。

 日頃から無口であり、時に戦うことあれば生まれた時から持つ力で、獲物を食い散らす獣と化していた彼女。

 そのような者が人らしい幸せを享受できるほどに、その゛幸福゛には大きな力があったのである。

 

 しかし、その時の彼女には知る由も無かった。

 彼女に戦いを強いらせ゛幸福゛を授けた者が、二人を「教師」と「生徒」という関係で見ていた事。

 時が来れば彼女と共に笑う゛幸福゛を、第二の゛彼女゛へと仕立て上げる残酷な事実すらも知らずに、

 彼女は゛幸福゛をゆっくりと育て上げていった。すべてを知るその時まで。 

 

 そして、全てが手遅れとなってしまった時に真実を知った彼女は、その世界から消え去った。

 最初からその世界に存在せず、傍にいた゛幸福゛すら幼少時の幻覚だったのだと思ってしまうほどに…

 

 

 

 腰まで伸びた黒髪を持つ女が、川辺に佇んでいる。

 身じろぎ一つすることなくまるで時が止まったかのように、その場で静止していた。

 

 川のせせらぎと夜空を隠す木々の葉が擦れる音が、水で濡れた耳に入ってくる。

 自然が奏でる癒しの音を聞きながらも紅白の巫女服を身に纏う彼女は、ふと辺りを見回す。

 赤と青の月が照らす川岸には、今この場ではあまりにも不気味としか言いようがない光景が広がっていた。

 葉と葉が擦れる音を奏でる樹木には赤い血しぶきがこびりつき、艶めかしく赤色に輝いている。

 水の精霊が奏でるハープの音色を思わせる綺麗な川のせせらぎを聞く岸辺には、子供ほどの大きさしかない人影が横たわっている。

 しかし月明かりに照らされる頭は人のそれではなく、動物や人を群れで襲い食い殺してしまう山犬と酷似していた。

 体も良く見れば茶色の体毛に覆われ、犬のそれと同じような尻尾も生えている。

 握力を失った手にはそれぞれ剣や槍に斧といった獲物が握られ、少なくともある程度の知能があったのだとわかる。

 人々は奴らのような犬頭の亜人を、コボルドという名前で呼んでいた。

 

 本来なら旅人を襲って殺しては身ぐるみとその肉を剥ぎ、時に誘拐すら行う彼らは川岸で事切れている。

 その頭に相応しい犬歯が覗いている口からは血を流しているが、不思議な事に目立った外傷は見られない。

 目を見開き、驚愕に満ち溢れた顔で死んでいる様は、まるで唐突な発作で死んだかのようだ

 一匹だけではなく、何匹も同じ死にざまを見つめる女の眼差しは、氷の様に冷たい雰囲気を放っている。

 まるで亜人を単なる畜生としか見てないかのように、彼女はコボルドの死体を見つめていた。

 

 静寂さと自然の音が見事に調和した空間に、不釣り合いな肉片と返り血でもって台無しにした者は誰なのか?

 この場にいる女はそれを知っていた。知っていたからこそ、その場を動こうとはしなかい。

 何故ならば、この殺戮から逃れたコボルドがたった一匹、彼女の目の前にいたのだから。

 先程まで生きていた仲間たちと共に女を襲い、そしてボロ雑巾も同然となった犬頭の亜人が。

 

 そのコボルドは、目の前の人間に向かって地を這っていた。

 右の手足を失った亜人の這いずる姿は、まるで死に瀕した芋虫のようである。

 爆発で吹き飛んだかのような傷口からは今も血が流れ、水を吸って元気に育つ川辺の草を真っ赤に染めていく。

 人間ならば出血多量で死んでもおかしくはないが、コボルドの様な亜人たちに人の常識は通用しない。

 彼らは時として人を武器や牙で殺すことは勿論、一部の者たちはこの地に眠る精霊の力を借りる事もできる。

 最も彼の様な普通のコボルドとその仲間゛だった゛者たちは腕っぷしと人より少し上程度の体力があるだけで、トロル鬼やオーク鬼の様な怪力は持っていない。

 頭も翼竜人や吸血鬼の様に賢いとは言えず、ましてやエルフの持つ崇高さすらなかった。

 それでも彼らは、コボルドとしての生を誇りに思って生き続け、今日まで戦ってきたのである。

 しかしその誇りを抱いたまま、今まで屠ってきた人間の一人に倒されるという覚悟まで背負ってはいなかった。

 

 

「…聞きたいことがあるの。言葉が通じるかどうか知らないけど」

 戦う意思を失うことなく自分の方へ這ってくるコボルドへ向けて、女は喋った。

 二十代後半を思わせる低音と高音が程よく混じった声に、亜人はその場で這いずるのを止める。

 少なくとも人語が分かるのかしら?彼女は疑問に思いつつ、今聞きたいことをその場で勝手に喋り出す。

「どうして、私に襲い掛かってきたのかしら?アンタたちの事はおろか、自分が誰なのかすら知らないというのに」

 疲労の色が少しだけ見える表情を浮かべた女の言葉には。この場で起きた惨劇の犯人が誰なのかを物語っている。

 そう…この綺麗な場所を血に飢えた亜人たちの屍で汚したのは、彼女自身であった。

 

 ◆

 

 今から数分程前に目を覚ました彼女は何もせずに水辺で佇んでいた所を、コボルド達に襲われたのだ。

 死にかけているリーダー格を含めて五体、皆が皆それなりの経験と場数を踏んだ戦士たちであった。

 だが…その戦士たちが彼女と戦った結果は、綺麗な水場を自らの血肉で染め上げてしまうだけに終わった。

 

 これまでどおり人間を八つ裂きにしようとした亜人達も、まさかこうなるとは思っていなかっただろう。

 何せ一目見ただけでも、この地方では珍しい身なりをした長い黒髪が特徴の人間の女だ。しかも杖の様なものは持っていない。

 相手がメイジで無ければ恐れるに足らずという意思でもって、彼女に襲い掛かったのである。それが間違いだとも知らずに。

 その後の数分間で、犬頭の亜人たちは一匹、また一匹とただの肉塊へと変えられた。彼女が唯一持っていた゛武器゛によって。

 それは剣や鎚も槍でも無く、弓矢やここ最近見るようになった゛銃゛ではなく、ましてやあの魔法を打ち出す゛杖゛でもない。

 自分たちが見つけた獲物の武器は、その体から出るとは思えぬ強力な力を宿した゛拳と脚゛だったのだ。

 

 青い光を纏い、目にも止まらぬ速さで繰り出される拳は跳びかかった同胞の胸を貫いた。

 同じように発光する足には丈夫なブーツを履いており、それで蹴飛ばされた同胞は気づく間もなく一瞬で事切れる。

 突撃した同胞が一気に二体もやられた事に狼狽えた一体が、近づいてきた彼女のチョップで脳天を打たれて死んだ。

 四体目はすぐさま自分たちが押されているという事に気づいたが、その直後に頭を横から蹴られ、周囲に脳漿を飛ばす。

 

 

 そして最後に残ったリーダー格があまりの展開に驚愕しつつも、無意識に手に持った斧を前へと突き出した。

 せめて次の攻撃を防いでカウンターを繰り出そうとした彼の考えに対し、目の前にいた女が地面を蹴って距離を詰めてきた。

 来るなら来い!覚悟を決めたリーダー格のコボルドであったが、突如として右の手足から激痛を感じると共に、その体が後ろへと吹き飛んでいく。

  一体何が…そう思うのも仕方ないとしか言いようがないだろう。

 何せ黒髪の女は彼に接近した直後、青く光る左手のチョップでもって亜人の右手足を粉砕したのだから。

 まるで林檎を素手で砕いたかの様にコボルドの手足゛だったもの゛が空中へ四散し、塵芥と化して周囲に散らばっていく。

 

 そして自分がどうしようも無い状況に立たされたという事をコボルドが自覚した時、戦いは終わっていた。

 否、それを第三者が何も知らずに見ればこんな事を言うだろう―――ちがう、あれは単なる゛虐殺゛だったと。

 

 ◆

 

 戦いが終わってから、彼女はこんな疑問を抱いていた。

 何故自分が襲われたのか、そもそもこの犬頭の怪物たちは何なんのだという事。

 そもそも自分は誰なのか、どうしてこんな人気のない所にいたのかという謎を抱えて、コボルド達と戦っていたのである。

  もしかすれば、あの犬頭達は何かを知っているのかもしれない…。

 そんな考えでもって、致命傷を負い一匹だけ生き残ったコボルドに話しかけたのである。

 

 しかし…少し小突けば死ぬような体で受け答えできるのか、そもそも人間の言葉を解するかどうかも良くわからない。

 仮に意思疎通ができたとしても、自分の事を知っているのかもしれないという可能性は、もはや゛賭け゛以外の何物でもない。

 それでもやってみなければ分からないという意思での問いかけは、亜人の口を動かさせる事に成功した。

「ウグ…ル…ルル…――――知ラ、ナイ…俺タチモオ前ノ事、全ク知ラナイ…」

 片言ながらも喋る事ができたコボルドを女以外の人間が見ていれば、さぞ驚いていただろう。

 コボルドは基本人の言葉は分かるが喋る事ができず、意思の疎通がほぼ不可能と言われてきたからだ。

 もしもこのコボルドを人目の付かない場所に隔離し、亜人の研究家に見せてやれば泣いて喜ぶに違いない。

 だが黒髪の女にとって゛人語を喋れるコボルド゛ということ自体にさして関心はなかった。

 大事なのはただ一つ、それは目の前の亜人が゛こちらの質問に答えてくれる゛という事だけである。

 そして、先程コボルドが返した言葉で確信し、得ることができた。

 この怪物と意思疎通が可能なのだという事と、賭けに失敗したという落胆せざるを得ない事実を。

 

「あっ、そう…アンタが私の事を知らない、というのならそれはそれで良いわ」

 あまり期待はしていなかったし。少し残念そうな声でそう返すと、露出させた両肩を竦めて見せる。

 服と別離した白い袖はよく目にする人間の服とは印象が違い、コボルドの目が自然とそちらへ動く。

 それを気にもしない女は初夏の風は少し肌寒いと思っていた時、亜人が再びその口を開けた。

 

「デモ…俺タチガオ前ヲ襲ッタ事…何モオカシイコトジャナイ」

 コボルドの口から出たその言葉に、女の目が鋭い光を見せた。

 黒みがかった赤色の瞳でもって、瀕死の亜人をそのまま殺さんとばかりに睨みつけている。

 しかし体はボロボロでも亜人としてのプライドを残しているコボルドは、それに怖気づくことなく喋り続ける。

「オ前タチ人間、イツモ…平気デ生キ物殺ス…食ベル為ニ…毛皮ヤ角ヲ取ルタメニ…」

 ソシテ、単ナル娯楽ノ為ニ――――最後にそう付け加えてから、亜人は一度深呼吸をした。

 

 

 口を開けて息を吸い、吐き出すたびにヒュウゥ…ヒュウゥ…という背筋を震わせてしまうような不快な音が周囲に響き渡る。

 息苦しい事がすぐに分かる呼吸の様子を見つめながら、黒髪の女は喋り出す。

「それと私を襲った事に、何の関係があるっていうのよ?」

「ゥウ…――人間ハイツモ、一方的ニ殺シテイク…俺、ソレガ許セナイ…」 

「…だから、人間である私を襲ったって事よね?森を荒らす様な連中の仲間は、死んで当然だという一方的な考えで」

 ため息を混ぜてそんな言葉をくれてやった彼女であるが、不思議な事にコボルドは返事をよこさない。

 今まで地面を見ていた顔を彼女の方へ向けて、闇夜の中で茶色に光る両目で見つめている。

 一体どうしたのかと思った時だ。地面に這いつくばる亜人が一言だけ、こんな事を呟いた。

 

「ニンゲン…?オマエヤッパリ…ニンゲン…ナノカ?」

 

 質問するかのような言い方に、流石の彼女も目を丸くした。

 まるで単なる銅像が「俺は人間だ」と叫んだ瞬間を目撃したかのような、信じられないという思いに満ちた様な言い方。

 人間である筈の彼女はそんな風に言われて驚いたのだが、そこから落ち着く暇もなくコボルドは言葉を続けていく。

「最初ニオマエ見ツケタ時…俺タチオマエガ人間ナノカ不思議ニ思ッタ…」

「不思議に…それってどういう意味よ」

 目を丸くしたまま動揺を隠せぬ巫女の追及に、コボルドは怪我を忘れたように喋り始める。

「俺タチノ様ナ種族ハ…マズニオイト気配デ…相手ガ何、ナノカ…ワカル。人間ナラ…スグニワカル。

 ケド…オ前ノ体カラ滲ム、匂イト気配ハ…トテモ人間トハ思エナカッタ……」

 もう残された時間が僅かなのか、喋る合間の呼吸の回数が増えていく。

 だけど亜人は喋り続ける。まるで自分を見下ろす女に何かを伝えようとしているかのように。

 女は女で微動だにする事無くただ目を丸くして、自分が人間なのか疑問を覚えた奴の話を黙って聞いていた。

 そして…その命も風前の灯火同然となったコボルドは、本当に言いたかったことをようやっと口に出し始める。

 

「アレ、最初…ニ感ジ、タ時…俺、身震イ、シタ…。デモソ、ノ姿見タ時、スゴク…驚イタ。

 オマエ、人…間ナノニ何デ体ノ中ニ血生臭イ溜マッテル?何デ自分デ…気ヅカナイ?

 良ク、イル…人間、ハソンナ…匂イ出サ、ナイ………オシ、エロ…オマエ――――――ニンゲ…ンジャ」

 

 ――――――――ニンゲンジャ、ナインダロ?

 

 それを最期の一言にしたかったコボルドはしかし、その言葉を口に出せなかった。

 いや、正確にいえばそれを発言する前に止められた…と言えば正しいのだろうか? 

 体力はあとほんの少し残っていただろうし、喋ろうと思えば簡単に喋れた筈だ。

 けどそれでも言う事が出来なかったのかと言えば、たしかにそれを言う事はできなかったであろう。

 

 何故なら最期の一言を口から出す前に、コボルドの頭は踏み潰されたのだから。

 赤い目を真ん丸と見開き、その顔に動揺を隠し切れぬ巫女のブーツによって…

 

 街の靴屋でもそうそうお目に掛かれない様な実用性に優れる黒いソレの下には、見るも怖ろしい肉片が散乱していた。

 紅い肉片がこびりついた茶色の毛と辺りに散らばった汚れた犬歯に…川の方へと転がっていてく一個の眼球。

 まるで持ち主の魂が宿ったかのような黄色の球体はそのまま川へと入り、流れに乗って何処へと流れていく。

 もう片方の眼球は、頭を踏み抜いた女の足元でその動きを止めた。まるで持ち主を殺した相手を睨みつけるように。

 先程まで生きていた命を自らの手で紡いだ黒髪の巫女は横殴りに吹く夜風に当たりながらも、ゆっくりと思い出していた。

 それは急所を潰されて息絶えた亜人の口から放たれた、自分に関する言葉の数々である。

「人間…だったのか?…体の中から…血生臭い匂い…」

 まるで録音したテープを巻き戻し、再生するかのように生前のコボルドが口にした言葉を喋りなおす。

 相手の頭を踏み潰した足を動かせぬまま、彼女は一人呟きながら左手で自分の胸に触れた。

 白いサラシと黒のアンダーウェア、そして赤い上着越しに感じられるのは控えめに見えて少し大きな感触と僅かな温もりだけ。

 そこから上下左右に動かし力を入れようとも、亜人の言ったような゛血生臭い゛匂いなど漂ってこない。

「まぁ当たり前なんだろうけど…さぁ――――ん?アレ…っえっ?」

 我ながら阿呆な事をしていたと軽く恥じつつ手を下ろした時、彼女はある事に気が付いた。

 最初はその゛気づいたこと゛にキョトンとした表情を浮かべたが、次第にその顔色が悪くなっていく。

 先程と同じように目が見開いていき、胸に当てていた左手で口元を隠した彼女の額からは、ゆっくりと冷や汗が出てくる。

 取り返しのつかない事をしたのに後々気づいた人間が浮かべる様な表情を見せる女は、自分が何をしたのか今になって気が付いた。

 

 

 どうして、死ぬ寸前のヤツをわざわざ念入りに殺したの?

 

 しかしその事を問いただす言葉は、彼女自信の口ではなく―――彼女の頭上から聞こえてきた。

 少なくとも彼女の少ない記憶には覚えのない、低く太い女の声が、血肉に塗れた川辺に響き渡る。

「はっ――――…なっ…!?」

 突然の事に多少驚いた彼女はその場で振り向いて顔を上げ、そして驚愕した。

 こちらを見下ろす低い声の正体を見れば、きっと誰もが彼女と同じ反応を見せたであろう。

 

 彼女から一メイルほど離れた場所に、黒い服を纏った見知らぬ長身の女が佇んでいたのだ。

 いつの間にかいた相手に驚きを隠せなかった彼女であったが、それと同時に相手が゛長身゛という単語では表現できぬほど大きい事に気づく。

 幾ら世界広しと言えども、八尺もの背丈を持つ人間などいる筈もないのだから。

 八尺の女はその体に相応しい位に伸ばした黒髪の所為で、どんな顔をしているのかまでは分からない。

 だけどそれを見上げる彼女はあの低い声の主がコイツなのだと知っていた為、少なくとも美人ではないだろうと予想していた。

「何よ、コイツ…一体いつの間に」

 突如現れた八尺の女に狼狽える事を隠せぬ彼女は、問いかけるような独り言を口から漏らす。

 無理も無い。何せ自分よりも数倍ほどの身長を持つ人間を前にしているのだから。

 周囲が暗い事もあって全体像が不鮮明すぎる八尺の女は、何も言わずに佇んでいるというのもより一層不気味さを増している。

 理由もわからずにして起こった異常事態にどう対処すればいいのかと女が考えようとした時、再びあの低い声が聞こえてきた。

 

「――――の巫女だから?使命だから?鬱陶しいから?……それとも―――――」

 

 「それとも…」という所でふと喋るのをやめた相手の言葉の一つに、彼女はキョトンとした表情を浮かべる。

 巫女って言葉は…何かしら?他とは違い、明らかに何かの意味がありそうな単語に、彼女は疑問を感じた。

 

 

「――――…っ!」

 その『何か』が気になって質問しようとした直前、八尺の女が唐突な動きを見せた。

 文字通り八尺もの長さがある体の丁度真ん中部分が、音を立てずに折れ曲がったのである。

 まるで細い切り枝を片手で折った時のように、アッサリと行われた行為に驚かぬ人はいないであろう。

 その内の一人である彼女もまた例外でないようで、口を小さく開けて放心寸前にまで驚かされた。

 ましてや、折れ曲がった八尺の女の顔が丁度彼女のすぐ上にまで近づいてきたのだから余計に驚いたであろう。

 だがしかし、自分の体が折れた八尺の女はさも平気そうな様子で彼女のすぐ頭上で口を開き…囁いた。

 

「私たちを殺すのが―――とっても、楽しいから?」

 その言葉が聞こえた瞬間、彼女は見た。醜く傷ついた女の顔を。

 まるで金槌を何度も叩きつけられたかのように腫れあがって紫色の腫物となり、顔を大きく見せている。

 口の端から流れ落ちる一筋の血はどす黒く、体液ではなく瘴気を吸収した毒の水にも見えた。

 目を背けたくなるモノという言葉は、きっとこういうモノを目にしたときに使えばいいのだろうか?

 そんなどうでもいいことを考えている彼女の事など見ず知らず、醜悪な面を向ける女が口を開く。

 まるで決壊した水門から土砂交じりの水があふれ出すようにして、黒に近い血がこぼれてくる。

「私だッて生きてテいタい――デもおマえは殺しタ」

 そんな事を言ってきた時、彼女はある事に気が付く。

 口から大量の血を吐き出しながら喋る女の眼窩には、本来あるはずの目玉が無かったのである。

 ぽっかりと空いた二つの暗く小さな穴は不気味であり、まるで亡者を引きずり込む地獄へ直結しているかのようだ。

 取れた眼球はどこへ行ったのかという疑問など湧いてこず、彼女は何も言えずに八尺の女の前にいる。

 ただただ息を呑み赤い目を見開くその顔には戦慄に満ちた表情が浮かび、これからどうなるのかという不安を抱いていた。

「オまエはもう引キカエせナい。ズっとずットオまエは誰カを傷つケなガラ生きテいク」

 潰れた蛙の様な声で喋る度に痣だらけの顔が溶けていく中で、八尺の女は窪みしかない眼窩で目の前の相手を睨み続ける。

 コボルドと対面していたときの態度は何処へやら。今の彼女はまるで壁の隅で縮こまる軍用犬であった。

 彼女は恐かった。目の前にいる得体の知れない女が、自分が忘れてしまった事を知っているようで。

 同時にそれを口にし続けられ、自分が忘れていた事を思い出してしまう事の方が、何よりも怖かった。

 

 知ってしまえば、何をしてしまうのかわからない。きっと良くない事が起こる気がする。

 そうなる確証は無い。しかし本能が訴えているのだ。聞き続けるな、何としてもヤツの口を黙らせろ、…と。

 

「ソうシておマえハ血ノ道ヲ作リ続け、怨嗟ト憎悪に満チた私タちがそノ道を通っテいク…おマエを、ずっト呪イ続けルたメに」

 酷く崩れていく八尺の女を前に、首を横に振りながら彼女は後ろへ後退り始める。

 その顔を見れば逃げようとしているかのように見えるだろうが、実際はそうでない。

 だらんと下げていた左手の拳にゆっくりと力を込めて、攻撃に移ろうとしているのであった。

 後ろへ下がるのは距離を取るためであり、彼女自信ここから逃げようという気など微塵も無かった。

 コボルド達を倒したという事もある。顔を狙えば一発で黙らせることができる。

 そんな自身を抱きながら、彼女は心の中で拒絶の意思を述べる。自らが忘れてしまった゛何か゛へ…

 

 もう聞きたくないし、知りたくも無くなった…だから、私の目の前から消えてくれ――――

 

 そんな事を心の中で思い立ながらも、彼女は思う。

 先程まで知りたかった事実をアッサリと拒否する事は、いささか可笑しいものがある。

 それでも彼女は拳を振り上げた。嫌な事全てから目を背けるようにして、青く光る゛キョウキ゛で殴り掛かろとした。

 

 

 

「貴女は昔からその調子ね。口下手だからすぐに拳が出る。それが貴女の良くない癖よ?」

 

 

 その瞬間であった。自分の真後ろから、何処かで聞いたことのある別の女の声が聞こえてきたのは。

 硝子で作られたベルが奏でる音の様に透き通った声色に、彼女はある種の゛懐かしさ゛というものを感じてしまう。

 目の前いるおぞましい相手をすぐ殺そうとしたのにも関わらず、振り上げた拳が頭上でピタリと止まる。

 そして、拳を包む青い光が消えたと同時に彼女はソレを下ろしてから、後ろを振り向く。

 

「けれど貴女はハクレイの巫女。時にはその力でもって、聞き分けのない連中を捻るのも仕事なの」

 そこにいたのは…白い導師服を身に纏う、微笑を浮かべる金髪の女性だ。

 腰まで伸ばした髪に青い前掛け、そして夜中だというのに差している導師服とお似合いの真っ白な日傘。

 まるで絵画の中からと飛び出してきたかのような絶世の美女が、いつの間にか後ろに立っていた。

 振り返った彼女がその姿を目にして驚き、同時にどこか゛懐かしいモノ゛を感じ取った瞬間、目の前を暗闇が包んでいくのに気が付く。

 

 あぁ―――意識が落ちているのか。

 それに気が付いた瞬間、彼女は深い眠りについた。

 

 

 

 

 晴れた日の夜風は、どの季節でも体に良いものだ。ピンクのブロンドを持つ彼女はそんな事を思う。

 ちょっとした事故で馬車が止まった時はどうしようかと思ったが、思わぬ幸に巡り会えたのは奇跡と言って良い。

 もう半年したら少しだけ切ってみようかと考えている髪を撫でていると何を思ったのか、窓からひょっこりと顔を出してみる。

 馬車に取り付けられたカンテラの下で見る林道は何処となく不気味であるが、怖いとは思わない。

 彼女自身気の抜けた性格の持ち主という事もあるのだが、何よりも傍に数人の従者たちがいるのも理由としては大きい。

 遠出の護衛としてついてきた彼らは、王宮勤務の魔法衛士たちとよく似た姿をしている。

 その姿に負けぬくらいに凛々しく忠誠心溢れた彼らは、彼女の乗る馬車の周りに集まっていた。

 理由は一つ。それは道の真ん中で立ち往生している馬車を、なんとか動かそうとしている最中であった。

 

 今から数分前に、とある場所を目指していた彼女の乗った馬車が、突如大きな揺れと共に止まったのである。

 何事かと思い車輪を調べてみたところ、どうやら林道の真ん中にできた窪みに右後ろの車輪が嵌ってしまったらしい。

 馬車を動かしているのは人型のゴーレムだという事もあって、護衛達が窪みから車輪を出す事となった。

「良し、私の合図で二人が車輪を浮かして…私と残りの三人で馬車を前に押す。分かったか?」

 護衛部隊のリーダーである太い眉が目立つメイジがそう言うと、他の五人のメイジは無言で頷く。

 主人であるピンクブロンドの女性を守るために訓練を積んだ彼らは、王宮の魔法衛士隊と戦っても引けを取りはしないだろう。

 引き締まった表情と、不用意に近づいてきた相手を斬り殺さんばかりの緊張感を体から出している彼らには、それ程の自負があった。

 

 そんな時、窓から顔を出して様子を見ていたピンクブロンドの女性がその顔に微笑みを浮かべて言った。

「ごめんなさいね。本当なら私たちが馬車から降りた方がもっと軽くなるのに…」

 敬愛する主からそんな言葉を頂いた六人の内、太眉の隊長が慌てた感じですぐに返事をする。

 まるで神話に出てくる女神が浮かべるような優しげな笑みを見れば、誰もが口を開いてしまうだろう。

「えッ…!あっ、いえ、そんな、私は貴女様からのお気遣いだけで充分であります故!」

「そう?でも無理はしないでくださいね。貴方達の歳なら人生これからっていう時期なんだし」

 隊長格のお礼を聞いて女性はそう答えたが、その言葉には何か違和感の様なものがある。

 外見は隊長格やほかの護衛達よりも年若いだろうに、まるで自らの死期を悟った老人だ。

 

「それじゃあ、申し訳ないけどお願いね」

 彼女はそれだけ言うと頭を引っ込め、座り心地の良い馬車のシートに腰を下ろす。

 それを見て向かい側にいた眼鏡を掛けた侍女が、申し訳なさそうに口を開いて言う。

「主様…言いにくいのですが、あのような弱気の言葉を吐かれては、また体調が悪くなってしまいますよ?」

 主治医殿もそう言っていたではありませんか。最後にそう付け加えて、侍女は主と慕う女性に苦言を告げる。

 人付き合いが好きなピンクブロンドの主はその言葉に軽く微笑みと共に、言い返してきた。

「ふふふ…心配ご無用、私はそう簡単に死にはしないわ。逆にこういう事は軽いジョークで言うのが良いのよ」

 主治医殿がそう言っていたわ。先程侍女が口に出した事を真似た様な言葉を付け加え、主はカラカラと笑う。

 その雰囲気と元気に笑う姿と表情だけを見れば、彼女を知らぬ人間は思いもしないであろう。

 絵画の中から出てきた女神のような美貌の持ち主が、複雑な重病を患っていると…

 

 それから数分も経たぬうちに、馬車は再び走れるようになっていた。

 主と侍女の乗る御車台を引っ張る馬たちを離してから御車台そのものを魔法を浮かせる。

 後は窪みから離れた場所で下ろし、再び馬たちを御車台を引かせる…という作業は、思いのほか短い時間で済んだのだ。

「良し、これでもう大丈夫だな」

 窪みに嵌っていた車輪に異常が無い事を確認した隊長格は、覇気のある声で一人呟く。

 他の護衛達は後ろに待機させている馬に跨っており、窪み自体も土を被せて塞いである。

 自分たちだけではなく、後からここを通る人たちの事も考えての事であった。

 窪みがあった場所は何回か踏んで安全を確認した後、隊長格は手に持った地図を見る。

 場所のカンテラを頼りにこの土地の事を調べた後、彼は馬車の中にいる主へと声を掛けた。

 

「カトレア様。この先を行けば宿のある村に着くそうです。今夜はもう遅い故、そこで一旦足を止めましょう」

 狼の遠吠えが何処からか響く森の中、カトレアと呼ばれたピンクブロンドの主はゆっくりと頷く。

 地図を見れば自分が行きたい場所とはまだまだ離れている。しかし、それもまた長旅の醍醐味と言えよう。

「どんな事でも一歩…また一歩と、ゆっくり楽しみながら進む事が肝心なんだと…私は思うのよ」

 例え目的地が遠くともね。そんな一言を呟き、カトレアは微笑んだ。

 

 

 

 深夜の闇には、不気味な何かを感じてしまう。

 そんな事を最初に思ったのが五つの頃で、今からもう七十年近く経っても変わらない。

 気を抜けば窓越しにみる森の中から何か現れるのではないかという妄想を、抱き続けている。

 たかが妄想と若者や町から来る人々は言うかもしれないが、それを妄想と言い切る証明は無い。

 どんなに否定しようとも、世界は不思議に満ちているのだ。それが目に見えぬものだとしても。

 

「いや、目に見えるモノの方がいいのかも知れん。不可視のモノに怯え続けるよりかは…」

 老人は胸中で見らしていた言葉を呟いてから、コップの底に残っていた水を勢いよく飲み干す。

 木々に囲まれた家の中から見る森というのは木季節に関わらず不気味なもので、常に嫌な妄想を抱かせてくれる。

 ここから少し離れた所には他の人たちも住んでいて賑やかなのだが、今更あの土地に新居は作れはしないだろう。

 最も、ずっと昔の先祖から引き継いできたこの土地を手放す事など、彼はこれっぽっちも考えてはいない。

 

 不気味ではあるがそれなりに住みやすい場所だし、何より静かな土地だというのも気に入っている理由だ。

「こんな場所、俺が死んだあとは若い連中が入ってくるんだろうなぁ…」

 老人が孤独死した、魔の土地として…ため息交じりに呟き、テーブルにコップを置いてカンテラの灯りを消した。

 

 

 今年で七十五、六という年齢に入った彼は、とても老いた者とは思えぬ体躯の持ち主であった。

 無論、若かりし頃と比べれば大分劣ったと彼自身も自覚するが、山で仕事をするには十分の体力は残っている。

 街で見かけるような同年代の老人たちと比べれば驚くことに、彼の体は四十代後半くらいの若さと力を保っていた。 

 それだけあれば木を伐採するための斧や鉈を片手で持てるし、丸太を背負って家と山を一日に何回も往復できる。

 文明圏で暮らす人々が想像するよりも、山というのは過酷な場所だ。

 老人の体が年齢不相応な力を保持し続けているのは努力ではなく、ここで生きていく為の証明であった。

 

 家の灯りを消し、何回も補強したドアの鍵が閉まってるかどうか確認してから、彼は寝室へと足を運ぶ。

 何回も踏み続けた廊下の床が軋む音を上げ、暗闇に包まれた家の中に外の不気味さを持ち込んでくる。

 台所とリビング、そして玄関があるリビングから入れるこの廊下はそれ程長くは無く、三十秒もあれば奥にある裏口へとたどり着ける。

 その間にあるのは彼の寝室と、ワケあって掃除したばかりの物置部屋へと続くドアがあるだけ。

 本当なら寝室に入ってベッドに潜り込みたいところだが、その前にある物置部屋に行く必要があった。

 別にその部屋に寝室のかぎが置いてあるワケではない。ただ、つい最近ここに回い込んできた゛少女゛の様子を見る為である。

「ん……明りが?」

 廊下を歩き始めて十秒もしない内に、彼は物置部屋へと続くドアの下から小さな光が漏れている事に気づく。

 ぼんやりとドアの下を照らすそれを見てしまえば安堵感よりも、更なる不安を感じてしまうだろう。

 少しだけ臆病な老人がその明りに気が付き、一瞬だけ足を止めてしまったのもそれが原因だ。

 しかし、彼は小さなため息をつくと再び足を動かし、ついでそのまま物置部屋のドアをゆっくりと開けた。

 その先には、古びたソファに腰かけて窓の外を見やる幼い少女がいた。

 

「ニナ…まだ起きてたのか?」

 寝てなきゃ駄目だろう。叱るとは言えぬ声色で呼びかけると、ニナと呼ばれた少女が老人の方へと顔を向ける。

 あどけなさが色濃く残るぬいぐるみの様に愛らしい顔に、キョトンとした表情が浮かぶ。

 ベッド代わりのソファに膝を乗せて夜空を見上げる体は年相応でまだまだ人として未発達だ。

 世の中にはそういうのを好む男性が数多く存在するが、幸いな事だが老人にそのような嗜好は無い。

 それよりも今の彼が気にしている事は、まだここに住み始めてから間もないこの子が未だ起きている事だった。

「子供はもうとっくの前に寝てないと体があんまり育たたんぞ、知らんかったのか?」

 今みたいに夜更かししてたら、全然大きななれんぞ。一人呟きながらも老人はソファの下にあるカンテラの灯りを消した。

 文明の光は呆気なく消えたが、それを待っていたかのようにニナと呼ばれた少女が言った。

 

「さっきね、二ナの事を窓から迎えに来てくれる黒い人の夢を見たの。不思議でしょう?」

 アタシ、何も覚えてないのにね。楽しそうに喋る彼女の頭を、老人はそうかそうかと返しながら撫でる。

 

 

 この世界には不思議な事などいくらでもあるが、それと同じか…あるいはそれ以上に色々な事柄で満ちている。

 幸せな事、優しい事、美しい事、悲しい事、血生臭い事、怖い事、忘れてしまいたい事、そして―――――残酷な事。

 七十年も生きてきた老人は思いつく限りの事柄を経験してきたし、どんな人間でもいずれは体験せねばならない事だと思っている。

 

 しかし始祖ブリミルよ、これは残酷ではないだろうか?こんな小さな子に、親も帰る場所も忘れさせるなんていう…残酷な事は。

 

 村の医者に記憶喪失だと告げられた少女の頭を撫でながら、彼は心の中で始祖に毒づいた。



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第七十話

 血生臭い匂いと肉片、そしてコボルドの死体が散乱する深夜の川辺に幾つもの小さな影―――生きているコボルド達がうろついていた。

 先程まで地上を照らしていた双月が黒雲に覆われた今は、人に原初の恐怖をもたらす闇が支川辺を支配している。

 その中で蠢く彼らは焦げたバターの様な色の目玉を光らせ、ギョロリと動かしながら゛何か゛を捜していた。

 地面に横たわる同族の死体を避けて動く足には配慮というものがあり、死者に対する敬意があるようにも見える。

 もっとも彼らにそれを理解できる程賢く無いかもしれないが、自分たちの仲間゛だった゛モノを踏んではいけないという事は理解しているらしい。

 水が流れる清らかな音風で揺れる木々の騒音が合わさり、自然が奏でる音楽にはあまりにも不釣り合いな血祭りが行われた川辺。

 その周辺をうろつき回るコボルド達の中でたった一゛匹゛だけ、幾つもある内の一つである゛仲間゛の死体を見つめ続けている者がいた。

 死体の損壊は周囲のと比べればかなり酷く、右の手足がないうえに過剰としか言いようがない程に頭まで潰されている。

 あまりの惨たらしさに普通なら目を背けるようなものだが、そのコボルドだけはじっと見据え続けていた。

 

 まるでこの死体の無残さを記憶に残そうとしているかのように凝視するその姿から、明確な知性を感じ取れる。

 右手には彼らコボルドだけではなく、人間と敵対する亜人たちにとって天敵である人間たちが持つ棒状の゛武器゛と酷似した長い棍棒を握りしめてる。

 だが何よりも怖ろしいのは、この場にいる生きているモノ達の中で最も怒っているのが彼だという事だ。

 武器を持つ手の力を一切緩める事無く死体を見つめる彼の瞳には、静かな怒りが蓄積されている。

 彼の事をよく知る仲間たちは知っていた。怒り狂う彼を怒らせれば、文字通り八つ裂きにされることを。

 だからこそ他のコボルド達は声を掛けようともせず、彼の好きなようにさせていた。

 何よりもその仲間の死体は彼自身にとって、゛仲間゛という関係では済まない間柄なのだから。

 

 彼が死体を凝視し始めてから何分か経った時、その手に槍を持ったコボルドが二匹ほど森から飛び出してきた。

 既に匂いで察知していた川辺のコボルド達は驚くことなく、やってきた二匹に落ち着いて目を向ける。

 そんな時であった、今まで死体を見続けていたあのコボルドが顔を上げたのは。

「……斥候たちよ、私がいま欲しい情報を見つけてきたのだろうか?」

 親切な喋り方とは裏腹な殺意を含ませた彼の口から出てきた言葉は、驚くことに人間たちの言葉であった。

 ややトリステイン訛りの強いガリアの公用語を喋っており、失聴していなければすぐに分かるだろう。

 発音もハッキリとしておりうまく姿を隠して喋れば、天敵の人間すら騙すこともできる程だ。

 他のコボルドたちは彼の事を知ってか人間の言葉を聞いても驚かず、ジッと彼の姿を凝視している。

 斥候である二匹の内一匹がその言葉に応えてか、犬と似たような構造を持つ口に相応しい声を上げた。

 ガフガフと肉に食らいつく野犬の様な節操というものが見えぬコボルドの声が、辺りに響き渡る。

 彼は彼で仲間の声に耳を傾けていて、時折頷く動作などを見せている。

 

 やがて報告し終えたのか、喋っていたコボルドは口を閉じて一歩前へと下がっる。

 彼と一緒に聞いていた他のコボルドたちが、やや騒がしいと思えるくらいにざわつき始めた。

 それは決して狼狽えたり動揺しているというポーズではない。むしろその雰囲気から喜ばしい何かさえ感じられる。

 まるでこれから食べ放題飲み放題のパーティーへ行けるかのような嬉しさを、コボルドたちは感じていたのだ。

 何匹化が嬉しそうに鼻を鳴らし、喜びに打ち震えて犬の鳴き声を口から出す者もいた。

 斥候たちも同様で、自分たちの行いが皆の役に立ったと確信して互いに顔を見合わせている。

 その中でただ一匹だけ、喜びの感情を見せることなく口を閉ざしている者がいた。

 

 それは斥候が来るまで、見るも無残な死体と化したあの一匹見つめ続けていた人の言葉を喋る彼であった。 

 仲間たちに知られず棒を持つ右手に更なる力を入れていく彼は、もう一度足元の死体を見やる。

 物言わぬ骸と化し、地面に散らばる肉片の一つなった仲間の死体から得られる情報は少ない。

 ここで起こったであろう事を知らなければ、ただここで『ひどい虐殺があった』としかわからないのだ。

 他の死体も同様に惨く、同族のコボルドでなくとも他の亜人や普通の人間でも絶対に見たくないとその目を硬く閉じてしまうだろう。

 そしてこんな危険な場所に長居はできないと、すぐにでもここを離れる準備に取り掛かるに違いない。

 自分たちの命を一方的に脅かす道の天敵から、姿をくらますために。

 

 だが、ここにいるコボルド達は違う。

 否、正確にいえば彼らを率いるリーダー格には勇気があった。

 無法者たちの群れを率いる身として体力と知性を備えており、仲間たちを惹き入れる一種の゛才能゛も持っている。

 彼はその゛才能゛を用いて幾つもの戦いを勝利してきた、時に敗北したことはあったがそれは戦い方を学ぶ機会にもなった。

 森での暮らしに適し、メイジで無い人間を圧倒する亜人としての凶暴性、そして人並みの知性と人間には真似できない゛才能゛という名の力。

 それを駆使して多くの仲間たちと生きてきた彼にとって、今回の惨劇は到底許せるものではなかった。

 例えれば必死に考えて練り上げ、長い試行錯誤と挫折を経験した末に描きあげた絵画を遠慮なく切り刻まれた事と同じだ。

 

 だからこそ彼は決意していた。今回の屈辱は、決して安い代償で済ませるつもりはないと。

 取り返しのつかない事を起こし、無念を晴らそうと考えている。あの世へと旅立った仲間と――――唯一無二の『家族』の為に。

 

「明日の昼にその村へ奇襲を掛ける。メイジといえども人間共はそんな時間に来ると警戒していない筈だ」 

 それまで全員休め、明日はお楽しみだぞ。パーティーの招待状にも近い言葉を人の言葉で呟き、彼は踵を返した。

 彼の言葉を聞いたコボルド達は更に喜ぶ様子とは裏腹に、森は静かである。

 まるで明日の事を知っ動物たち逃げ出したかのように、息苦しい静寂が周囲一帯を包み込んでいた。

 

 

――――人間共め。弟と仲間の仇として全員血祭りに上げてくれるわ

 

 背後から感じられる楽しげな気配をその身に受けて彼は…、

 この群れのリーダーである゛コボルド・シャーマン゛は心の中でそう呟き、二度目の決意を誓った。

 

 

 

 

 赤い服越しに触れる雑草の鬱陶しさと、斬り落とされた左手首から伝わる猛烈な激痛。

 痛い、痛いと心の中で叫びながらも必死になって足を動かし、猪の様に森を掻き分けて疾走する。

 何処とも知れぬ暗い森の中を走る彼女が感じているのはただそれだけ。

 それ故に他の事が一切理解できず、今自分がどこにいるのかさえ知ら ない有様である。

 月明かりの届かぬ暗い場所を駆けずり回るが、彼女自身どこへ行こうか、何をしようかという事まで考えていなかった。

 ただただ走っているだけで一向にゴールが見えぬランニングを、黒髪の彼女はたった一人で行っていたのだ。

 そんな彼女であったが、たった一つだけ頭の片隅に浮かび上がる゛自分の後ろ姿゛だけは、忘れていなかった。

 

 黒い髪に紅白の服。それと別離している白い袖と、生暖かい風に揺れる真っ赤なリボン。

 これまで幾度となく鏡の前で見てきた姿が、こんな状況とは関係ないのにも変わらず頭から離れようとしない。

 何故?どうして?と考える余裕なと無論無く、彼女は左手から伝わる激痛にただただ泣いていた。

 赤みがかった黒目から涙が流れ、こぼれ落ちる無数の滴は彼女が踏みしめ土や掻き分けた雑草に飛び散り誰にも見られぬ染みとなる。

 しかし、彼女のランニングは思わぬ形で―――否、いずれはそうなっていたかもしれない終わりを迎える事となった。

 

 一歩前へと踏み出した右足に感じたのは草と土を踏みしめる感触ではなく、不安を募らせる虚ろさ。

 まるで足場だと思っていたモノが単なる幻であったかのように、右足だけがその虚ろな何かを踏みつけて沈んでいく。

 痛い痛いと心の中で叫んでいた彼女だが、この時だけはあっ…という驚いた様な声が口から出てしまう。

 涙を流す両目がカッと見開き、自分が゛足を踏み外した゛という事に気づいた時には、全てが手遅れであった。

 

 

 暗い森の中を彷徨う左手の無い少女が、崖の下へと落ちていく。

 まるでその辺の石ころを拾って投げるように、結構な速度で下にある川の中へと、グルグル回って落ちている。

 視界に映る景色が目まぐるしく変わる中…その身が激流の中へと入る直前、彼女はある言葉を叫ぶ。

 何も考えられなかった頭の中に浮かんできたその一言を、彼女は思い出したかのように、彼女は叫んだのである。

 

 ただ一言――――――「レイム」と。

 その瞬間であった、今まで頭から離れなかった゛自分の後ろ姿゛が、スッと消え去ったのは。

 

 

 

 

 トリステイン、特にラ・ロシェール近辺の気温は朝限定だと言えば、初夏にも関わらず比較的涼しい地域だ。

 森林地帯は木々が木陰をうまく遮って涼風を運んでくるために、暑い地域から来る者はその快適さに驚くことは珍しくも無い。

 その為か避暑を目当てにここで休息を取る野生動物や野鳥は後を絶たず、周辺の村に住む人たちの糧となっている。

 時折熊や狼と言った猛獣や、オーク鬼にコボルド等の亜人たちも足を運ぶために、決して安全な場所とも言い切れない。

 人々が開拓する前から続いてきた食物連鎖の輪は、今もなお安定した形を保ち続けていた。

 そんな森の中にある一本の川。その近くに生えている大木の根元に腰を下ろす、一風変わった姿をした女性がいた。

 異国情緒漂う紅白の衣装に別離した白い袖、そしてその下には水着にも似た黒のアンダーウェアと白いサラシを巻いている。

 髪の色はハルケギニアでは珍しい艶のある黒で、腰まで届く長いソレを抱え込むようにして左腕に乗せている。

 顔はといえば明らかに美人と言われる形をしているが、この大陸ではお目にかからぬ顔立ちをしている。

 極少数だか知っている人間が近くにいたなら、間違いなく「東方の者」と言われていたに違いない。

 

 

 

 こんな西の国の端っこにいる謎の美女は、木陰にその身を休ませて一人静かに悩んでいた。

 おかしい。何度見たって…どう考えても、色々とおかしい。

 朝靄ただよう森の中で一人呟く彼女は改まった様子で、気難しそうに首を傾げる。

 もうすぐ昼食を食べたくなるような時間ではあるが、考えすぎでお腹が空いた事すら忘れてしまっている。

 一体そこまでして何を悩んでいるのか。それは他人から見れば極々単純であり、本人からしたら非常に重大な事であった。

 首をかしげていた女性が仕方ないと言いたげに「ふぅ…」という気の抜けるようなため息を突いた後、下ろしていた腰をゆっくりと上げる。

 シャランと揺れる黒髪が木漏れ日に照らされ、周囲で息をひそめる小動物たちにアピールしている。

 その髪を持つ本人はそんな事露知らず、近くにある川へ近づくと自分の姿を水面に映す。

 緩やかに流れる川が自分の姿を寸分違わずにはっきりと映したところで、彼女は改まったかのように呟いた。

 

「やっぱり…どう見てもあんなに幼くは無いわよね」

 水面に映る彼女の姿は前述した通り、腰まで伸びた黒髪に、紅白の衣装を身に纏う二十代後半の女性だ。

 男性を惑わす異性特有の魅力を十分に持ちながらも、狩人の様な相手を射殺してしまうかのような鋭い眼差しを持っている。

 スラリと伸びた体は素人目から見てもある程度鍛えられていると分かるが、それにも関わらず女性らしいスリムさも忘れてはいない。

 

 二十代後半は、結婚する時期が早いハルケギニアでは既に「行き遅れ」と判断される年齢だが、

それでも彼女の姿を一目見れば、並大抵の男ならばせめて一声かけようと思ってしまうに違いない。

 

 それ程までに良い容姿を持つ彼女であったが、その顔には苦悩の色が滲み出ている。 

 このままでいいのか、何か違わないか?そう言いたげな様子は自分の姿を見た時から浮かべていた。

 別に自分が美しい事に罪を抱くナルシストでもなく、ましてやもっともっと綺麗に…というような強欲者じゃあない。

 では何に悩んでいるのか?それは他の人間には決して理解できず、彼女だけにしか分からぬ゛違和感゛が原因であった。

「でも…そう言っても…私ってこんなに大人っぽかったかしら?」

 先程呟いていた「あんなに幼くは無い…」という言葉に、その゛違和感゛を感じている。

 確かにこの姿は自分自身だ。しかしそれが本当かどうかと言われれば―――今なら迷ってしまう。

 並みの人生を生きる常人ならばまず思わない事だろうが、彼女の場合は違った。

 それは、彼女が目を覚ます前にほんの少しだけ見ていた夢の中に原因がある。

 

 その内容はというと、自分が暗い森の中を闇雲に走り回る姿を見ているというモノ。

 体中傷だらけで左手は手首から下が無いという、凄惨な姿をしたもう一人の゛自分゛。

 そんな゛自分゛と背後から追いかけるようにしてそれを見つめていた彼女の姿は、あまりにも似ていなかった。

 体は一回りか二回りも少し小さく、着ている服は違うし履いているのはブーツではなくかなり高めのローファー。

 唯一服と別離した白い袖だけが共通部分であったが、それ以外――少なくとも背中から見れば―全く別人だと思ってしまう。

 それでも彼女は瞬時に理解したのだ。あぁ、この少女は自分なのだ…と。

 しかし目が覚めて一番に目の前の川で自分の姿を見てみれば、いい年をした女の姿が映っていた。

 どう見直しても、あんな大きめのリボンが似合う少女ではなかったのである。

「結局…あれは夢だったのかしら?」

 川辺から離れた彼女はそう言いつつも、昨日がアレだったからね…と一人呟く。

 

 それはこことは別の川辺。少し時間をかけて歩いた先にある場所での事だ。

 記憶を忘れた彼女がそこで目を覚ました時、予期せぬ襲撃者たちが襲い掛かり、見事返り討ちにしたのである。

 自分が人間だからという理由で襲い掛かってきた犬頭の妖怪を退治したのは良いものの、その後が大変だった。

 何せ自分よりも倍くらいの身長を持つ大女が突如現れたのだから。

 しかも情けない事に『あっという間』 に『気を失ってしまった』のか、気づいたら朝になっていて大女の姿は消えていた。

 せめて近くにいるならばと思い捜してみようとある気はしたが何処にもおらず、泣き寝入りするしかないという困った状況。

 そんな時にふとここで足を休める事にして、今に至っていた。

 

 

「あんなおっかないモノ見て気絶したせいで、そんな夢を見ちゃったのかしら?」

「そんな夢って…どんな夢かしら?」

 彼女がまたも呟いた瞬間、背後から柔らかい女性の声が聞こえてきた。

 まるで綿菓子の様に優しい甘さと、儚さと脆い弱さに包まれた声を聞いたことなどこれまでの彼女には無かった。

 一瞬何なのか分からず目を見開いた彼女であったが、ついで背後から土をしっかりと踏みしめる足音が耳に入ってくる。

 誰かは知らないが、とりあえずこちらへ近づいてくる。理解したと同時に彼女は立ち上がり、勢いよく振り返った。

 

 まず目に入ってきたのは、自然の要素が密集した土地に不相応過ぎる゛桃色の長髪゛であった。

 熟れた桃の様に綺麗で甘い匂いすら漂ってくるようなウェーブのピンクブロンドが、彼女の気を逸らさせようとする。

 それには負けず、次に体全体を見回してみると相手が自分と同じ女性なのだと知った。

 個人的な水準よりもやや上だと即時に判断できる大きさの胸と、髪以上に不相応で綺麗な…俗に言う貴族らしい身なり。

 身体的特徴は置いておくとして、服装からしてこの近辺に住み土地を把握している人間でないのは一目瞭然だ。

 あるいはこの近くに別荘を持っている大金持ちなのか?考えようとした彼女はすぐさま首を横に振って目の前の相手に集中しなおす。

 だが、貴族らしき女性はその行動に疑問を感じたのか首を傾げてこんな事を言ってきた。

「あら?何か気に障るような事でもしてまったのかしら?」

 そうならば謝りますけど…目の前の女性はそう言って、申し訳なさそうな笑みを浮かべる。

 まるで絵本の中のお姫様が浮かべている純粋な表情には、悪意や゛裏゛といった要素が何一つ入っていない。 

 どうやら心の底からそう思っているらしい。そう思った直後に、自然と身構えていた彼女の体から力が抜けてしまう。 

 無意識に上がっていた肩が下がり、その顔が自然と苦笑いになっていくのを自覚しながら、彼女は言った。

 

「いや…何かもう、別に良いわよ」

 疑ってた私が馬鹿だったわ。心の中でひとり呟きながら、彼女はため息をついた。

 変になってた自分に呆れるかのようなため息を聞きながらも、ピンクブロンドの女性が唐突に名乗る。

「私、カトレアっていうの。本名はあるけど、長いから教えてあげない」

「あぁ、そうなの…よろしくね。私は、わたしは…私―――アレ?」

 茶目っ気のある微笑を浮かべるカトレアの自己紹介を聞いた彼女は、とりあえず返事をする。

 しかし最後の一言に、自分の名を名乗ろうとしたところで今になって思い出した事があった。

 それは一番最初に気にするべきだったことかもしれないが、何故か今の今まで忘れていた事に、遅くも気づいたのである。

 

 

「私の名前…何て言うんだっけ?」

 怪訝な表情を浮かべる彼女の呟きに、カトレアは言葉を返さない。

 しかしその顔に微笑を浮かべつつも首を傾げているので、気にはなっているようだ。

 

 

 ◆

 

 

 今カトレアたちがいる場所から三十分ほど歩いた先に、それなりの村があった。

 山間部の集落とは違いしっかりと整備された道と家を見れば、旅人たちはここを町だと思い込むだろう。

 しかし規模の大きさから言えばそこは村であり、ここで目立つ建物と言えば教会に村長の家、そして旅人を泊める大きな宿屋だ。

 元はここら一帯の土地を収める領主様の別荘だったのだが、近隣にあるタルブ村に新しいのを建てたのである。

 結果この館に足を運ばなくなったが、村人たちの相談を受けて宿泊用の施設として再利用する事となった。

 二階建ての部屋は客室合わせて二十程度、平民や行商人に旅の貴族までと客層もかなり幅広い。

 

 そんな建物の入り口で、それなりに逞しい体を持つ老人が一人の侍女たちと話をしていた。

「そうかぁ。つまり、貴族様は朝早くに散歩へ行かれたのかぁ」

「申し訳ありません。私たちがもっと一生懸命に止めていれば…」

 少し残念そうな口調の老人に、ややふくよかな侍女が頭を下げて謝っている。

 彼女の部下であろう後ろの侍女たちも皆不安そうな表情を浮かべてつつも、何故か周囲を忙しなく見回している。

 まるでしきりに動く゛何か゛を目だけではなく頭全体を動かしているの様は、何処か挙動不審とも言えた。

 彼女たちだけではない。周囲を見渡せば、今日は村全体が何処か落ち着かない雰囲気を醸し出している。

 いつもならゆったりとした一日を過ごす村の人々は忙しなく動き回り、侍女たちの様に゛何かを捜して゛いた。

 そんな人々をよそに、一人落ち着いている老人は頭を下げる侍女に対し申し訳ないなと思ってしまう。

「いやいや、別に今日中に出るわけじゃあ無いんだろう?それならまた後でもええよ」

 だから頭を上げなさい。慰めるような彼の言葉に、先頭の侍女は申し訳なさそうに従う。

「今は村の人たちだけではなく護衛の方々が捜しに行ってますので、もう少しすれば何か報せが入るかと」

「まぁワシもこれから捜しに出かける。何、体の悪い御方だと聞いているからそう遠くには…」

 そんな時であった、教会のある方からおじちゃん!と元気そうな女の子の声が二人の耳に入ってきたのは。

 侍女たちが何事かと思いそちらへ顔を向けると、声の主である女の子が老人目がけて走ってくるのが見えた。

 

 突然走ってきた女の子に老人は不快とも思わず、その顔に微笑さえ浮かべて少女の頭突きを快く受け入れる。

 その顔に満面の笑みを浮かべた女の子は、クッションを殴ったような音とともに老人の体に勢いよく抱き着く。

「おーニナか、もうお医者さんと神父様のお話は済んだかぁ?」

「うん!まだ何にも思い出せないけど、今日は優しい貴族様にニナの事゛こうほー゛してくれるんだよね?」

 ニナと呼ばれた少女の言葉に先頭の侍女が首を傾げる。思い出せない?どういうこと?

 少女の口から出た言葉に疑問に覚えた直後、ニナが走ってきた方角から初老の男と若い神父が歩いてきた。

「おはようございます。どうやら、朝からかなり大変な事になってるいようですね」

 まだここへ派遣されてから間もない新参者という雰囲気を纏わせている神父が、暢気そうに言った。

 その一方で何処か無愛想な気配を体から発している初老の男が、肩を竦めながら口を開く。

「持病をお持ちと連れの者から聞いてはいたが、それにしては随分とお騒がしい方だ」

「申し訳ありません。まさかこのような事になってしまうとは…本当に面目ないです!」

「ん?あぁイヤ、別にアンタらの事を馬鹿にしてるワケじゃあないんだよ」

 またもや頭を下げた侍女に、初老の男は少し慌てた様子で言葉をつづける。

 

 

「最近ここら辺は物騒だと、旅人たちから聞くようになったからなぁ。もし怪我でもして動けないのなら…事は一大事だ」

「あぁ、あの繊細な身体にお怪我など!あの御方にとっては猛毒の花を直接食べるようなものだわ!」

 どうしましょうどうしましょう!他の侍女達も慌てふためくのを見て、初老の男は不味い事を行ってしまったと自覚する。

 医者としてここへ来てくれた貴族様への心配を兼ねて言ったが、どうやら火に油を注いだようだ…。

 この村で唯一の医者である男はやってしまったと思いつつ、バツの悪そうな表情を浮かべた。

「全く、お前さんは若いころから余計な一言が多いんだと何回言えばわかるんだい」

 神父やニナと共に男のやり取りを見ていた老人は一人呟き、傍らのニナを連れて何処かへ行こうとする。

 ほれ、行くぞニナ。少女を呼ぶ声に神父が気づくと、首を傾げつつ歩き去ろうとする老人に声を掛けた。

 

「おや、もう家に帰るんですか?これから捜索なされるのならニナちゃんは教会の方に預けたら…」

「気遣いすまんな若い神父さん。ただ、俺としてはこういう場所に慣れてないんだよ。

 それに、家に帰る道中で道に迷った貴族様を見つけられるかも知れねぇしな?それなら一石二鳥ってもんだよ」

 

 老人はその言葉と共に再び歩き出し、その後を追うようにしてニナも足を動かして村の外へ向かっていく。

 自分たちの方へ快活な笑顔を浮かべ、手を振って去っていくニナの姿を見つめながら神父に、一人の侍女が質問してきた。

「あのぉ、聞きたいことがあるのですが…あの女の子はあのご老人のお孫さんか何かで…?」

 唐突な質問に、少し慌てた様子の神父に代わって医者である初老の男が答えた。

「いんや。…あの娘はちょいと特殊な病気に掛かっててな、今はアイツの家で暮らさせてるんだよ。

 なぜかは知らんがあの娘あの偏屈者の事を気に入っとるらしくてな。傍から見りゃあ、本当に親子みたいだろ?」

 

 お前さん達が勘違いするのも無理もない。最後に一言述べて、初老の医者は口を閉じた。

 最後まで聞いていた侍女たちの内右端にいた地味な印象の子が、恐る恐る次の質問を言う。

「あのぉ~、さっき特殊な病気がどうとか言っていましたが、それは一体…」

「記憶喪失――――心に強いショックを受けて、覚えていた事を忘れてしまう大変な病気」

 質問に答えたのは医者ではなく、医学との距離が近いようで遠い若い神父であった。

 顔に暗い影を落とし、何とも言えぬ表情を浮かべた彼は、質問をした侍女が唖然とする間にも喋り続ける。 

 

「大分前に…あの老人が森の中で一人倒れている彼女を見つけた時、あの子は名前以外を忘れていました。

 自分が何処で生まれ、両親が誰なのか、何故人気のない森で倒れていたのか…それを全く知らぬまま、今も生きています。

 それでもあの子は笑顔を浮かべ続けているのです。まるで人に微笑む事が仕事であるかのように…」

 

 そこまで喋って口を閉じた神父は、始祖に祈りを捧げるかのように目を閉じる。

 身体から重たい雰囲気を放つその姿に、侍女たちは何も言う事が出来なかった。

 ただただため息が口から漏れ出し、自然と周囲の雰囲気は重く冷たいものへと変わっていった。



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第七十一話

 夏の日差しを遮る森の中を走る川辺の近くに、腰を下ろした女性と少女がいる。

 腰まで届く黒い長髪を持つ異国情緒漂う巫女服の女性が、となりにいるピンクブロンドの少女に何かを話している。

 貴族らしい身なりをしたピンクブロンドの少女はその話を真剣な面もちで聞いており、時折驚いているのかハッとした表情も浮かべていた。

 一種の風景画とも思えるその光景には、女であってもついつい足を止めてみてしまうに違いない。

 しかしここは近隣の村人でも滅多に入ってこない秘境の様な場所であり、今の二人を目にする第三者が現れる可能性は低い。

 だからこそだろうか、二人は時間を忘れたかのように会話を続けていた。

 

 

「成る程…それで、その大女とやらを捜してここまで歩いてきたのね」

 数分後、巫女の話を聞き終えたピンクブロンドの少女――カトレアが耳にした話を纏めるかのように呟く。

 まぁ、そうかもね。特にいう事も無い巫女はそう返してから空を見上げてフゥと一息ついた。

「本当参ったわよ。自分が誰なのかも知らずにいきなり襲われたんですから」

 マジで堪らないわ。空を見上げて喋る巫女に対し、カトレアは少し怪訝な表情を浮かべている。

「…少し聞くけど、怖くないの?自分の記憶が無いって事に」

「えっ?」

 昨日の経緯をちゃんと聞いていた彼女の質問に、巫女は数秒ほどの沈黙を入れてから答えた。

「…確かに不安になるけども…今ここでジタバタしたって何も変わらないし、しょうがないじゃない。

 それにふとした拍子で戻るかもしれないんだから、今はそれ程焦ってないわね」

 

 暢気すぎる巫女の言葉にカトレアは少し呆れたような表情を浮かべて首を横に振った。

 きっと自分と相手に明確な゛違い゛がある事に気が付いたのか、次にこんな言葉を口にする。

 

「私なら記憶が無くなった瞬間びっくり仰天よ。だってそうでしょう?ある日突然、頭の中にあった事が全部消えてしまうのよ。

 自分の名前や年齢に好きな食べ物と嫌いな食べ物、今まで積み重ねてきた苦楽の混ざった思い出といった…大切な事全て

 それらが砂の城みたいに跡形もなく全部消えてしまったと思えば……とてもじゃないけど、私には……――――あら?」

 

 そんな時であった、議論を交わす二人の間に涼しげな仲裁役が割り込んできたのは。

 木陰と枝に遮られて肌を焼く日差しは入ってこず、代わりと言わんばかりの緑風が枝の間を通り抜けて彼女たちの体に吹きかかる。

「今日の風は随分優しいのね。私暑いのは苦手だから助かるわ…」

 風に気づき一人楽しそうに呟くカトレアの顔から、呆れの色がフッと消え去り嬉しげな表情に変わる。

 こちらに話していた時とは段違いに優しい笑みを浮かべるカトレアの言葉に、巫女は同意するかのように無言で頷く。

 目を細めて嬉しそうな様子を見せる彼女を見ていると、気のせいかこちらも喜ばしい何かが心の底から浮き出てくる。

「やっぱり迷い込んで正解だったわね。色々と悪いとは思っちゃうけど、こんな良い場所にたどり着けたんですから」

 森や山なんかの自然は人に対して危険なものだと知っとるけど、こうして恵みを与えてくれるものなのね。

 彼女は劇場の役者のセリフみたいな言葉を巫女に聞かせながら、スッと頭を上げて空を眺め始める。

 説教に近い助言を受け賜った巫女は気難しそうな顔で「へ~」と感心したような声を上げつつも、

「悪い事言ってるかも知れないけど、この人の護衛さんとか御付は今頃大変な思いをしてるわよ」

 とまぁそんな言葉を返すと、自分よりも先に彼女が話してくれた時の事を改めて思い出す。

 

 彼女、カトレアはここから遠い所にある領地から遥々やってきた貴族なのだという。

 本当なら遠出などもってのほかと家族に言われるほど体が弱いらしいのだが、そこはうまく説得できたらしい。

 彼女自身外の自然や動物と触れ合うのが好きであり、家族の本に従者や護衛達もそれは理解しているのだという。

 身体が弱い彼女の遠出を、家族が心配はしつつ許可を出したというのを聞くと色々良くない事を考えてしまう。

(まさか先が短い…何てことは無いわよね?多分)

 これまでの経緯を話してくれるカトレアを見て、巫女は口に出せる筈も無い事を思ってしまう。

 楽しげに話すカトレアに横槍を入れるような事などできず、その時の彼女はただただ黙って聞いていた。

 本当の目的地はまだまだ遠く、この近くの村で長旅で疲れた足を休める為に一泊したらしい。

 そして朝食後の散歩でついてきた護衛とはぐれてしまい森の中を歩くという事態を経て、今に至るのだという。 

 

 ◆

 

「そうよねぇ?もう少ししたら村の方へと戻ろうかと思ってるけど…何とかなるわよね?」

 毒が入った相手の返事にカラカラと笑いつつ平然と言ってのけたカトレアに、巫女はついつい苦笑してしまう。

 人というのはこういう状況に陥ると不安定になり、最悪ネガティブな方向に思考が進んでいくものだと…彼女は思っていた。

 しかし目の前にいるピンクブロンドの美女には暗い所など一切なく、むしろ太陽の様に光り輝いている。

 一体どのような生き方をすればこんなにも明るくいられるのだろうか?

 巫女はそんな疑問を感じながらも、それを知らないカトレアは空を見ていた顔を下げてまた喋り始めた。

「護衛の人たちには悪い事しちゃったわ。まさか私が消えるなんて思ってもいなかっただろうし」

「だったら最初から用心深く散歩してればいいじゃないのよ」

 瞬間的な突っ込みにカトレアは笑顔を浮かべつつ、その顔を俯かせる。

 その時になって巫女は気が付く。気のせいか、彼女の笑顔に少しだけ暗い陰りが見えていた。

「でもね、正直こういう体験はしてみたいと思ってたのよね」

 森で迷う事が?その疑問を口に出した巫女に、カトレアは軽く頷きながらも喋り続ける。

 

「さっきも話したけど、私は生まれつき身体が悪いから…ほとんど外に出たことが無かった。

 外から来るお客人とはあまり触れないようにと言われて育ってきたから、幼少の頃は家族と召使の顔しか見たことなかったのよ。

 だからいつも外の世界にあこがれていて何時の日か――――まだ立っていられる内に自分の足で歩いて散歩するのが昔の夢だったわ。

 幼少の頃と違って大分前から遠出も出来るようになったし…あぁでも、こんなに遠くまで来たのはこれが初めてかしら」

 

 数年前まで寝たきりだった人が語るような話に、巫女は何も言わずに黙っている。

 まるで彼女の口から出る言葉を耳で拾い、ほぼ空っぽの状態である頭の中に詰め込んでいるかのようだ。

 そんな巫女の姿を横目で見つめながら、カトレアは尚も離し続けていく。

 

「…ずっと前にね、風景画を載せた本でタルブという村の風景を目にしたことがあるの。

 葡萄のワインで有名な村でね、毎年旬になると王都やトリステイン中の街だけではなく、色んな国に運ばれていく。

 だからかしら、本の中に乗っていた絵画には見たことも無いくらい広大な葡萄畑が描かれていたのよ。

 豊穣の秋を象徴するような丸くて青い一個の葡萄粒が寄り集まって巨大な房となり、それらが一本の木に沢山出来ている。

 木だって一本だけじゃない。暇潰しにベッドの上で数えてみても、数えきれないほど葡萄の木が描かれていたの。あれには本当に驚いたわ」

 

 矢継ぎ早、という言葉が似合うくらいに捲し立てて喋ってはいたが、巫女はある異変に気が付く。

 楽しそうに話す彼女の顔から、玉のような汗が薄らと出始めていたのだ。

 いまの季節的に汗が出てもおかしくはないが、日陰にいて風に当たっている今の状態でこんな汗が出てくるのは少しおかしい。

 恐らくそれは本人も気づいているのだろうが決してそれを悟られず、そして相手に気を使わせないように喋り続けている。

 

「今は夏だけど…私は、見に行きたいの…。秋に大勢の人々に幸をもたらすその畑を…。

 自分の領地からすごく離れてるし、本当なら竜籠で行けば良かったのだけれど…今はこうして地上にいるの。

 でも馬車に乗ったおかげで良い思い出ができたわ。目新しいモノが沢山見れたし色んな人たちとも会えて…――そして」

 

 貴女みたいな、凄く興味深い人にも会えたわ。

 最後に一言、そう呟いた直後であった。静かに地面を見つめていた両目が見開かれたのは。

 巫女がそれに気づいたときには、カトレアは咄嗟に両手で口元を押さえた後に、苦しそうに咳き込みだした。

「ゴホ…ッ!ゲホ…ッ!ゴホ…ッ!!」

「ちょっと、アンタ…!大丈夫なの?」

「大丈夫…いつものゴホッ…事、だから…ゲホ…」

 苦しげに喋るカトレアにそんな事ないじゃないと思いつつ、巫女は確信する。

 最初の話から察して、やはりカトレアの身には何か良くない病が幼少の時から寄生しているらしい。

 咳だって普通の人間がするようなものではない。何も知らない巫女ですら明らかに異常としか思えないくらいひどいものだ。

 流石に座ってはいられないと思った彼女は腰を上げるとカトレアのすぐ横で膝立ちになり、とりあえずは背中をさすり始める。

 しかしそれでマシになるという事は無く、それを無視するかのように更に悪い方向へと進んでいく。

 

「ゴホ…カハ…ッ!」

 辛そうな咳き込みの最中であった。カトレアの口から赤く小さな水滴が、指の合間を縫って飛び出した。

 まるで葉っぱに付着した雫を振り落すかのように散り、パッと地面に落ちる。

 彼女がそれを吐き出す瞬間を見ていなかった巫女であったが、足元を見て何が起こったのか察する。

「ちょっとちょっと…!アンタ本当に不味いじゃないの?」

 先程までの冷静さが何処へと消え去り、慌てた様子で咳き込み続けるカトレアに話しかける。

 それに対し喋れぬが聞こえているのだろう、カトレアは苦しそうな表情で頷いて見せる。

 大丈夫と言いたいのだろうが…口の端から血を垂らしながら咳き込む人間など、誰が見ても異常アリと判断するだろう。

 無論その傍にいる巫女も同じ考えであり、すぐさま行動に移そうとスクッと立ち上がった。

 しかしふと何かを思ったのか、足元で咳き込み続けるカトレアに向けて喋りかける。

 

「ねぇ、そんなに酷いなら何か薬でも持ってるの?」

 彼女の質問に、口を押さえるカトレアは言葉ではなく首を横に振って答える。

 今も充分危険だが、このまま何もせずに放置すれば…予期せぬ危機に遭遇した巫女は小さな舌打ちをしてしまう。

 そんな時だ。カトレアが咳き込むのを我慢しつつ、荒い息をつきながらも言ってきた。

「村…村に戻れば…薬があるの…ゲホッ!」

 ほんの少ししか喋れずとも、しっかりとアドバイスを聞けた巫女であったが、それでも事態は解決していない。

 彼女が言う村とは、きっと旅の最中に止まっている宿屋がある場所の事だろう。 

 恐らくそれ程離れていない場所にあるのだろうが、何も知らない巫女がその村の居場所など知らない。 

 幸い体力には自信があるのでカトレアを背負って森の中を彷徨っても、目的地へ直行できるワケが無い。

 カトレアが道案内してくれればまだ可能性はある。しかし今の彼女にそれを任せるのは多少キツイものがある。

 

 そこまで考えた所で、巫女はふとカトレアの方を見やる。

 最初の一回目以降に血は吐いてないらしく、咳は続いているが素人目から見てヒドイものではない。

 ここで自分の考えている事を実行して村までの道案内をしてくれれば、一人で行くよりも遥かに直行できる可能性が高まる。

 ならばここで立ち止まる必要は無い。動けるうちに動いて村へ行くしか他にすることは無い。

 巫女は一人決心し、その事を苦しそうなカトレアに話そうとした―――――――――その直後であった。

 

 鳥の鳴き声と葉と葉がこすれる音と、多少暑い木漏れ日に包まれた森の何処かから異音が聞こえてきた。

 

 まるで喉を悪くした犬の遠吠えの様な、人の耳に不快感しか残さないそれは、二人の耳にも入ってくる。

 そして続くようにしてもう一回聞こえてくると、それに遅れまいとかするかのように連続して聞きたくも無い遠吠えが森の中に響き渡った。

 こんな真っ昼間にも関わらず、騒音をまき散らす異音の゛正体゛に二人は嫌な何かを感じた。

「な…何なの、犬…にしては何か変な感じがするわ…」

 突然の事態に目を丸くしてそう言ったカトレアに対し、巫女は目を細めて異音を聞いていた。

 

 彼女は知っていた。この異音の゛正体゛が何なのかを。

 多くの事を忘れてしまった頭の中に入っている昨夜の出来事の一部で、それを耳にしている。

 見た目どころか価値観すら人と違うあのバケモノたちも、今聞こえてくる音と似たような叫び声を上げていた。

 そう、カトレアに語ることすらやめた程…むごたらしく始末した犬頭の怪物たち―――奴らの鳴き声そのものである。

 

「こんな天気の良い日に騒ぐなんて、よっぽどこの私に退治されたいようね」

 一人呟いた巫女の言葉に、カトレアがハッとした表情を浮かべて顔を上げる。

 その時の彼女が見た巫女の顔は、水面下で渦巻きながら並一つ立てぬ湖面の様な静かな怒りに満ち溢れていた。

 

 

 

 

 いつどこでどういう風に聞いたのかは忘れてしまったが、ニナはこんな言葉を聞いたことがあった。

「お伽噺に出てくるような人の言葉を喋れる優しい動物さんはね、お話の中だけにしかいないんだよ」

 誰がそう言ったのか覚えていないが、最初にそれを聞いた彼女は何でとその人に聞いてみた。

 そうする事が自然だと思っていたし、それを言ってくれた人も同じ思いを抱いてたようで、嬉しそうに話してくれた。

 

「私たち人間が言葉を使って喋れるのは、この世界を作っていくうえで必要な事だからなんだ。

 もしも動物たちが私たちと同じ言葉を喋れたら、生きていくうえで彼らを狩る僕たち人間とはきっとケンカするだろう?」

 

 森や山を壊すな、俺たちの仲間を殺すな…ってね、茶目っ気を隠さぬ態度でその人は言った。

 一方のニナも矢継ぎ早に三度目の質問をする。ならもしもこの世界に喋れる動物たちがいたら…ケンカになっちゃうのかな?

 ニナの言葉を聞いたその人は一瞬だけ目を丸くさせた後、数秒ほど唸ったのちに返事をした。

「そうかもしれないけど。きっとそれは…ニナの考えている様な動物さんとは全く違うと思うんだ」

 何で聞いてみたところ、その人は苦い物を食べてしまったような表情を浮かべてこう答えてくれた。

 

「もしも現実に喋れる動物がいたとしたら、それはもう…怖い話に出てくる怪物になってしまうからだよ」

 

 その人の言葉が正しければ…

 今自分たちの目の前に現れた犬たちは、まさしく怪物と呼べる存在に違いない。

 幼く、大切な記憶の多くが頭から抜け落ちてしまった少女は、ふとそんな事を思った。

 

 

 

「小さな人間よ。大人しく、何もせずにただ私の質問に答えろ。従うならば首を縦に振れ、さぁ」

 あまり整備されていない真昼の林道の真ん中で腰を抜かしているニナに、多数いる亜人たちのうち一匹が話しかけてくる。

 人の言葉を流暢に喋るソイツは、世間一般の呼び方では゛コボルド゛と呼ばれる存在だ。

 ただそれなりの値段と分厚さを誇る図鑑に載っているような、犬頭の二足歩行の亜人とは少し違った所があった。

 体そのものは周りで棍棒や槍を持って唸り声を上げるコボルド達と変わりないが、身に着けている物が大きく違う。

 茶色の毛に包まれた背中を守るようにして、生臭さが漂う熊皮でできた外套を羽織っている。

 そしてその右手で器用に持っているのは他のコボルド達とは違い、メイジが持つような気の杖であった。

 棍棒としても充分な凶悪さを誇るそれには血でも塗っているのだろうか?外套とはまた別の不快な臭いが漂ってきていた。

 だがその二つを差し置いてニナの目が優先的に向いた先にあったのは、そのコボルドが頭に被っている゛頭蓋骨゛である。

 

 元は大きな狼や野犬のモノだったのであろう頭骨は、下あご部分だけを外した状態で付けているのでコボルドがどんな目をしているのかまではわからない。

 不思議な事だが、それだけでも何故か目の前の亜人がコボルドでない何かになってしまったかのような不気味な違和感を、ニナは感じてしまう。

 後ろに控えるコボルドたちはまだ犬の頭が見えるだけに動物らしさが残ってはいるが、頭蓋骨を被っている奴だけはどうにもそういう風には見えない。

 幼いニナにはそいつが冥府からやってきて、死者の魂を掻っ攫って消えてしまう死神としか思えないのである。

 ちょっとだけ怖い絵本やお伽噺だけの中だけにしかいない架空の存在が、コボルドの体を借りて顕在してきたかのような異様な存在。

 それを目の前にして腰を抜かしているニナは、自分の後ろで押さえつけられた老人の言葉は耳に届いていなかった。

 

「に…ニナ……」

 軽量ながらも三匹のコボルドに乗られている彼は苦しそうに呻きながらも、ニナに声を掛ける。

 しかし放心状態の少女にその声は届かず、代わりと言わんばかりに背中のコボルド達がグルルと唸る。

 下手な事をすれば殺す、と彼らの言葉で言っているのか、ニナの前に立ちふさがるコボルドがふと「まだ手を出すな」と呟いた。

 喋れなくとも意味は分かるのか老人の背の上と周りにいる亜人たちは唸り声を上げるだけで、地面に付した老いぼれを血祭りに上げることは無い。

 その様子を見てあの頭蓋骨を被った奴がリーダー格なのだと老人は直感したが、それで状況が好転するワケでもない。

 真昼間だというのにこんな災難に巻き込まれるとは…。老人は心の中で毒づきつつ、今に至るまでの経緯を思い出す。

 

 村を出てからニナを自分の家に置いて、戸締りをしっかりした後にこの森で迷い込んだという貴族さまの捜索を手伝う筈であった。

 しかしどうだろうか、村を出てから数十分ほど歩いていた時…突如茂みの中から犬頭の亜人たちが跳びかかってきたのである。

 森で生まれ育ったおかげで自然と鍛えられてきた老人であっても、小柄であっても一度に何匹ものコボルドに襲われてはひとたまりも無かった。

 ニナだけは幸いにも跳びかかられはしなかったが、今の状況が安全などと口が裂けても言えぬ状況に立たされているのが現実だ。

 

 そんな時だ、一向に口を開かぬニナの前に立つリーダー格が、再度口を開く。

「小さな人間よ、もう一度言うぞ。我の言う事に従うか?従うならばすぐにでも頷くのだ」

 何もしゃべらない事に苛立っているのか、頭骨を被るコボルドが急かすように聞いてくる。

 ニナよりも少し大きめの亜人の質問はしかし、眼を見開き呆然とする少女の耳に入るがそれを言葉として認識できない。

 いつも耳にする森のざわめきや風の音を聞き流す時の様に頭の中をスッと通り過ぎ、何処か人知れぬ場所へと消えていく。

 故に二度目の質問に対してもニナは何一つ言葉を返すことなく、じっと目の前のコボルドを見上げていた。

「…何一つ喋らぬとは強情な。…まぁいい、丁度二人いるのだから…」

 ―――人一匹消えたとしても構わぬか。

 リーダー格が言葉の最後にそんな一言を付け加えると、その背後から獰猛な唸り声が聞こえてくる。

 何かと思い這いつくばった老人が顔を上げると、リーダー格の後ろからバカに体格の良いコボルドが一匹歩いてきた。

 周りの仲間たちと比べても一回り少し大きいヤツは、その手にこれまた凶悪そうな肉切り包丁の如き鉈を握り締めている。

 使い続けて碌に手入れもしていないのか、血錆びに塗れて刃こぼれも酷いその外見は呪われた武器にしか見えない。

 人間や同じコボルドはおろか、やりようによってはオーク鬼すら殺せそうな雰囲気が、その鉈から発せられていた。

「お、おいお前ら…一体何をするつもりだ?」

「何、そう難しい事ではない。お前たち人間がどれほど生きることに執着しているのか、試そうと思っているだけだ」

 呻き声に近い老人の質問にリーダー格がそう返すと、鉈を持ったコボルドが見せつけるように右手の獲物を軽く一振りする。

 まるでこの刃に殺された者たちが三でいるかのような空気を切り裂く音が、周囲に響き渡る。

 それを耳にしたリーダー格を覗くコボルド達が、小さな声で嬉しそうに鳴き始めた。

 彼らは理解していた。これから何が起ころうとして、その代償に誰が゛犠牲゛となるのかを。だからこそ喜んでいた。

 

 

 ――――――そんな時だ。獣達の悪臭が漂うこの道に、手荒な緑風が吹いてきたのは。

 ここに漂う負の何かを含め、全てを更に持ち上げ消さんとする風に続いて゛彼女゛は森の中からやってきた。

 動物で例えるならば、正に草原を一直線に駆け抜けていく狼とも言えるだろう。

 それは誰の目にも――ニナや老人、そしてリーダー格を含めたコボルド達でさえ…近づいていた゛彼女゛の気配に気づけなかった。

 全てが起こった時にはコボルド達にとって何もかも手遅れであり、また一瞬で状況を把握する事などできない。

 

「待ちなさいっ!この犬頭共っ!!!」

 

 静かな林道を騒がすコボルド達の唸り声を、覇気と勢いに溢れた゛彼女゛の声が掻き消してしまう。

 まるで不可視の力を声に纏わせていたかのように、コボルド達が一瞬だけ怯んだ。

 単に驚いただけなのかもしれないのだろうが、少なくともその瞬間は゛彼女゛にとって最大のチャンスとなる。

 声が聞こえてきたと同時に林道を囲う木々の合間から異国情緒漂う服を纏った黒髪の女性が、地面を蹴って跳びかかってきたのである。

 まるで飛蝗と見間違えんばかりの高さまで飛んだ黒髪の女―――゛彼女゛は、五メイル程飛んだ所で足を地面に向けて落ちてくる。

 部下たちよりも早くに気を取り直し、左右上下と辺りを見回していたリーダー格が゛彼女゛に気づいたが、その時にはもう手遅れであった。

 

 軍用と見間違うほどに立派な革のブーツの底が軽い音を立てて地面に着いたと同時に、黒髪の女が右腕を勢いよく横に振るう。

 片足立ちの状態の彼女が降り立った場所はリーダー格と鉈を手に持つ大柄なコボルドのすぐ近く。

 一メイル程もない距離で、彼女は服と別離した白色の袖を付けた右腕を、何の遠慮も無く自分出せる力でもって攻撃する。

 いち早く気づいていたリーダー格は咄嗟に後ろへ下がったが、彼の後ろにいた鉈持ちのコボルドは哀れにもその腕の餌食となった。

 太い喉に女のラリアットが直撃したコボルドは、ギャイ!という低い悲鳴と共にでかい図体を大きくよろめかせ、その場で仰向けに倒れる。

 その際に手に持っていた血錆びに塗れた鉈が離れ、コボルドが倒れたと同時にその刃先が湿った林道の土に突き刺さる。

 

 とりあえず最初の一撃を決めた女は間髪入れずに足元の鉈に目をやり、それを手に取ろうとした直前。

 女の右腕から逃れていたリーダー格のコボルドが、動揺さが見え隠れする声色で叫ぶ。

「ム…何だ貴様は?今の今までどこに隠れていた!」

 間一髪で攻撃を避けていた亜人の言葉に、女は答えるよりも先に今まで上げていた左足を地面に着ける。

 右足を下ろした時と同様の軽い音と共にブーツの底が地面につくと後ろを振り返り、ふと目の前でニナへと視線を向けた。

 黒みがかった赤い両目が足元で腰を抜かす少女を見つめると同時に、その少女の口から小さな呻き声が漏れる。

 

「あっ…!あう…」

 湿った気配の声は命乞いを意味するのか、それとも幼い故に曖昧な死への恐怖に怯えているのだろうか?

 そんな少女を見下ろす女にはわからなかったものの、少なくとも何かにおびえている事だけは理解していた。

 時間にして二秒ほど見下ろした後、彼女は顔を上げてニナの後ろにいる老人と、その上にいるコボルド達に目をやる。

 突然の奇襲に呆然としていた亜人たちは女に睨みつけられるとビクッと体を震わせ、無意識に手に握る獲物を構えた。

 その直後だ。今まで穏やかな流れで吹いていた風が暴力を振るう不可視の鎚と化して、奴らを殴りつけたのは。

 老人の上と傍にいたコボルド達はその鎚で死にはしなかったものの、無様な悲鳴を上げて吹き飛ぶ。

 手にしていた武器も彼らの頭上へと舞い上がり、持ち主たちとほぼ同時に地面に叩きつけられる。

「なっ…?」

「あなた達、早くこっちへ…!」

 何の被害も無かった老人が目を見開き驚いていると、黒髪の女が出てきた林道から女性の声が聞こえてきた。

 ニナを助けてくれた女性とは違い優しさがありながらも何処か苦しそうな呼びかけに、老人はスッと首をそちらに向ける。

 そこにいたのは右手で杖を構え、左手で口を押えたピンクブロンドの令嬢風の女性だった。

 どうやら手に持った杖を見る限り、コボルド達を吹き飛ばした風の鎚は彼女が作り出したのだろうが、どうも様子がおかしい。

 老人の今いる場所から見てみると、顔に浮かんでいる表情は何かを耐えているかのように苦々しい。

 その時、颯爽と現れてコボルドに奇襲を仕掛けた黒髪の女が老人に向かって言った。

 

「女の子の方は私が絶対に助けるから、アンタはカトレアのいる茂みまで走って」

 リーダー格のコボルドと対峙する彼女の言葉に、老人はハッとした表情を浮かべて周囲を見やる。

 自分の背に乗っていたコボルド達は風の鎚で吹き飛ばされて地面で伸びており、未だ立ち上がる事が出来ない。

 巻き込まれていない連中も突然の奇襲で怯んでいるのか、地面に付したままの老人に近づくヤツは一匹もいない。

 厳しい森の中で生きてきた彼の体力ならすぐにでも立ち上がり、カトレアと呼ばれた少女のいる所へ走ることなど簡単であろう。

 しかし共に同伴し、今も尚命の危機に晒されているニナを放っておくワケにはいかなかった。

 

 まだ付き合いは短いが、記憶を失い実質的に天涯孤独となってしまった少女を見捨てて一人隠れる事など…誰ができようか?

 見ず知らずの他人に後の事を任せ、一人勝手に逃げて隠れるのならば、この老体に鞭打って抵抗してみようじゃないか。

 老人は黒髪の女の言葉を振り払うかのように首を横に振って素早く腰を上げると、自身の体に久々の気合を入れるために拳を鳴らす。

 今もな身体を鍛えるかのような生活をする彼にとって、それくらいの事は欠伸が出るくらいに造作も無い事だ。

 皺の多い顔には絶対的な決意に満ちた表情を浮かべたその姿は、とても老人とは思えぬ雰囲気を放っている。

 その気配を背中越しに感じた黒髪の女は、軽いため息をついた。

 

(老いても尚戦意を失わぬ古代の戦士とは、彼の事を言うのかもね…)

 一人寂しく例えながらも、黒髪の彼女は一人呟く。

 

 

「まぁその分、私は前の方に集中できるから良いけど…――良いんだけれど――――いてもいなくても同じかもね」

 誰にも聞こえぬくらいの小声で何気に毒のある事を言った後に、スッと腰を低くして身構える。

 目の前の不届きな化け物どもを蹴散らして少女を救い、この林道一帯の平和を取り戻すために。



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第七十二話

 あぁ、これは夢にしてはちょっとリアル過ぎないかしら?

 

 物心を持った霊夢が何年かした後にそんな事を思うようになったのは、数にして役二桁程度だろうか。

 例えば今食べたいモノを口にしている食感とか、賽銭箱に入った貨幣を勢いよく掴みとった時の感触等々…。

 起きる直前まで夢と思えぬ程の現実感に酔いしれて、手に取れぬ幸せに浸れる時間こそ夢の醍醐味なのではと彼女は思っている。

 だが、ふとした拍子に目が覚めて初めて夢だと気づいた直後…今見ていた現実がそっくりそのまま幻に置き換わったかのような虚無感がその身を襲う。

 上半身だけを起こして重たい瞼を瞬かせた後に、落胆のため息と共に訪れるどうしようもない空しさ。

 そんな「リアルな夢」を、彼女はこれまで幾度となく見てきた。そして、これからも睡眠の時にそういうモノを見る機会が増えるであろう。

 しかし、ついさっきまで見ていた夢には悪い意味で「生々しい」迫力があった。

 

 勢いよく振り下ろした拳が柔らかい物を殴ったかのような感触に、その拳に付着する液体の生ぬるさ。

 振り払った右足の蹴りでそれなりの固さがある木の枝を折ったかのような、しっかりとした抵抗感。

 そして耳の中に入ってくるのは、犬とよく似た鳴き声を持つ動物たちの唸り声と死を連想させる断末魔の叫び。

 鼻腔を刺激する血の臭いが眠り続ける彼女の体を緊張させ、その体から汗を滲ませる。

 

 何も見えない闇の中で、何者かと争っているかのようなリアルな悪夢。

 手足が痛み、血の匂いで鼻が駄目になりそうだと感じてもその戦いは終わりを告げる様子が全く無い。

 もしかするとこのまま目を覚ますことなく、生々しい悪夢の中に囚われてしまうのではないかという不安すら抱いてしまう。

 

 結局のところ、その悪夢は彼女の体内時計の中では十分ほどで終わりを告げた。

 目を覚まして冷や汗だらけの体をベッドの上から体を起こした後で今まで夢を見ていたのだと気づき、安堵する。

 

 あぁ、これは夢にしてはちょっとリアル過ぎないかしら…

 

 そんな一言を内心呟きながら、彼女は胸をなで下ろしたのである。

 

 

 ◆

 

 午前四時半という朝と夜が交差し始める時間帯。

 見た目は立派だが『この建物の中』では比較的大人しい部類に入る調度の部屋。

 普段は客室として使用されており、昨日からは二人の少女を客として迎え入れてその役目を果たしていた。

 

 

「……なるほど。何であんなに汗だくだったのかという理由が、ようやく分かったよ」

 暗い部屋の中、共に小さなカンテラを囲む霊夢からの話を聞いていた魔理沙がウンウンと頷いた。 

 夏という事もあって暖炉の火はつけておらず、備え付けのカンテラをテーブルに置いている。

 魔理沙の服装はいつも着ている黒白のドレスだが黒いベストは外しており、白のブラウスがやけに目立っていた。

 彼女に先程見ていた夢の事を聞かせていた霊夢もいつもの紅白服で、それを見れば二人に眠る気が無いのは一目瞭然だろう。

「全く…あんなの見てたらもう眠りたくても眠れないじゃないの。まだ朝って言えるような時間でもないし」

 先程見た妙にリアル過ぎた夢に愚痴を漏らしながら、博麗の巫女は肩をすくめる。 

 

 部屋の外から人の声どころか物音ひとつ聞こえてこないのが分かれば、まだ人の起きる時間ではないという事だ。

 外と内部の警備をしている衛士達の姿も日を跨ぐ前の時間帯と比べ少なくなっており、起きている者たちも眠たそうな様子を見せている。

 そんな中でこの二人だけは空気を読めないのか、こうして夜中に起きて暇つぶしにと適当な会話をしていた。

 最も、ついさっきまで寝ていた事もあるが二人の目はちゃんと冴えており、今ベッドで横になってもすぐに眠れはしないだろう。

 時間も微妙であり、後もう少しすれば太陽が顔を出してしまうので仕方なしに起きている。

 だが魔理沙としては紅白の巫女が語ってくれた話が中々面白かったので、まぁこういうのも良いなという程度にしか思っていなかった。

 むしろ夜更かしという行為にあまり抵抗が無い事もあってか、話を聞かせてくれている霊夢よりもずっと目が覚めていた。

 

「しっかしそんな気持ちの悪い夢を見るとは…お前、もしかして誰かに恨まれてるとか?」

『あぁ~、そりゃあ大いに有り得るねぇ。まぁお気の毒さまってヤツよ』

 多少寝不足気味な巫女を励ましているのか良くわからない言葉を魔理沙が言うと、彼女のすぐ横から男の声が聞こえてくる。

 やかましいだみ声にエコーを掛けたようなその声と同時に、カチャカチャという金属特有の音も二人の耳に入ってきた。

 その音の正体はインテリジェンスソードのデルフリンガー。簡単に言えば人並みの感情と理性を持っている殺人道具だ。

 喋る際に鳴り響く金属音が気に障るのか、苛ついた様子を見せる霊夢がデルフに愚痴を漏らす。

「…アンタは良いわよね。どうせ眠らなくたってイライラしたりしないんでしょう?」

 赤みがかった黒目を鋭く光らせた喋ったもののデルフにはさほどの効果は無いようで、あっさりと言葉を返される。

『まぁね。だからその分夜中とクローゼットに入れられている時は辛いもんさ。何もすることが無いしな』

「というか、手も足も無いお前に何ができるんだろうな?できる事があったら聞きたいくらいだぜ」

 新た強い玩具を与えられた子供の様な笑顔を浮かべて魔理沙が話に入ってくると、デルフの視線(?)も彼女の方へと向いた。

『そういやそうだな。…良しマリサ!この際だから手足の無い剣のオレっちに何かできる暇つぶしを考えてくれよ』

「良し、わかった。じゃあ今からでもちよっと考えてみるから待っててくれよ」

 

 いつの間にか魔理沙とデルフだけの会話になり、蚊帳の外へと追い出された霊夢は一人ため息を突く。

 しつこい位に自分に話しかけてくるヤツは鬱陶しいが、こうも簡単に離れられてしまうと寂しいモノを感じてしまう。

 黒白と一本の様子を横目で見ながらも、ふとここへ゛来てから゛もう四日も経った事に彼女は気づいた。

 

(思ったよりかは、学院より割と静かで生活しやすい場所ね。王宮ってところは)

 

 そう、今彼女たちとここにはいないルイズがいる場所はトリステイン魔法学院ではない。

 この国…トリステイン王国の中心地といっても過言ではない建物である王宮にいた。

 

 

 どうして彼女たちがここにいるのか?今に至るまでの過程を説明しておこう。

 時をちょっとだけ戻して前日の夕方頃…ルイズと霊夢、魔理沙とキュルケの四人は衛士達の詰所から王宮へ護送されてきた。

 詰め所を出る前にルイズから聞かされていた話が正しいのならば、彼女たちを王宮へ呼んだのはアンリエッタ姫殿下である。

 なぜ王宮の中でも一際高い地位にいる少女が自分たちを呼んだのか?その理由をルイズが教えてくれた。

 

 彼女たちが詰所へ来る原因の一つには、旧市街地の方で霊夢とそっくりでありながら全く違う゛何か゛と戦った。

 本物の霊夢がソレと戦い何とか勝利を収めたものの、結果として怪我を負った彼女はその場で気を失う事となってしまう。

 どうしようかと慌てふためいていたルイズと魔理沙であったが、丁度いいタイミングで助け舟が来てくれた。

 その助け舟こそ、旧市街地で物騒な爆発が起きていると通報で知り、馬に乗って駆けつけてきた衛士隊の面々である。 

 到着した彼らはそこにいたルイズたちから霊夢の応急手当を頼まれ、見事にそれを果たしている。

 最もその場で出来たのは包帯を使っての簡単な止血だけで、ちゃんとした止血をするには詰め所に行く必要があった。

 何より彼らは、霊夢とレイムの戦いで荒れてしまった旧市街地の入り口を見たおかげで、彼らが通報の原因だと察していた。

 

 その後、安全に運ぶためにと馬車を呼んで詰所本部へと送られた霊夢を除く三人は、取り調べを受けている。

 つい最近街で奇怪かつ不可解な貴族の殺害事件があったということもあって、その取り調べは徹底していた。

 最も、名家の末女であるルイズと留学生のキュルケは事情聴取だけで済んだが、魔理沙だけか危うく゛尋問゛されかけたのだという。

 大方いつも通りの態度で衛士たちと接したのだろうと、本人の体験談を聞いた霊夢はそんな感想を心中に抱いていた。

 

 ルイズとキュルケは夜中の十一時に解放されたらしいが、いつもどおり過ぎた魔理沙はこってり夜中の二時半まで絞り上げられてから詰所で一夜を過ごした。

 本来なら学院へ送り返すべきなのだろうが、時間が遅すぎるということで結局早馬を使って伝令を送ることとなった。

 そうして朝になり、三人がとりあえずの朝食を頂いてしばらくしてから魔法科学院…ではなく王宮からの使いがやってきた。

 それこそが、四人が王宮へ行くこととなったアンリエッタ王女からの使いだったのだ。

 

 

 馬車に乗ったルイズは何が起こるか分からないといった表情を浮かべる霊夢に「まぁ大丈夫よ」と言い、それに対して嬉しそうな魔理沙には呆れるかのようなため息をついてみせた。

 ただ詰所へと運ばれる前に起った゛ド派手な出来事゛のせいで三人の事をもっと知りたくなったキュルケは、彼女たちと同行できなかったのである。

 二つ名である゛微熱゛に似合う性格に隠し事を嫌う彼女は、王宮に入ってすぐそこにいた人たちの手によって学院に送り返されていたのだ。

 

 その人たちこそルイズとキュルケの学び舎であり、今の霊夢と魔理沙の住処である魔法学院の教師であるオールド・オスマンとミスタ・コルベールであった。

 衛士達の馬車で王宮の中まで運んでもらった後、エントランスで四人を待っていたのが彼らだった。

 ルイズと少し驚いた様子を見せて彼らの名を呼び、それに対して先に口を開いたのは心配そうな表情を浮かべるコルベールだった。

「あぁ!貴女たち!!話は色々と聞いておりますぞ!よくぞご無事で!」

 忙しない足取りでルイズの手を取った彼の後頭部に、霊夢の隣にいた魔理沙が声を上げた。

「おぉコルベールじゃないか?何だ、アタシたちが帰ってこなかったからって迎えに来てくれたのか?」

「多分半分正解で半分外れね。…っていうか、何で学院から教師が来てるのよ?」

 場違いなくらい楽しそうな雰囲気を放つ魔理沙に続いて発言したのは霊夢だった。

 身体の方はまだ完全に癒えていないものの、口だけは達者になれる程度に回復していた。

「ワシ等は姫殿下直々に呼ばれてのぉ。諸君らと一緒に色々と話し合わなきゃいけない事ができたのじゃよ」

 しわがれた声がコルベールの後ろから聞こえてくると同時に、彼の後ろからひょっと姿を現したのが学院長のオールド・オスマンであった。

 青みがかった黒のローブを纏い大きな杖を右手に持った老人は、四人の姿を見て柔らかい笑みを浮かべた。

「ウム。ミス・ツェルプストーもミス・ヴァリエールを含めた他の三人も特に傷ついてはいないようだ」

「ここに来るついさっきまで、頭に包帯を巻いてたんですけど?」

 うっかり呟いた後に飛んできた霊夢の突っ込みに、オスマンは何の問題か言わんばかりにフォフォフォ…と笑う。

 反論できるくらいの元気があるなら問題は無いじゃろ。何年生きてきたのか誰も知らぬ老人の笑みは、そう言っている様にこの時のルイズは思えた。

 

 

 その時までは互いに気楽な会話をしていたのだが、それはすぐに終りを告げた。

 顔を合わせて一番に霊夢からの突っ込みをもらったオスマンは、笑顔を浮かべたままキュルケの方へ体を向けると、こんなことを言ってきた。

「さてと…ミス・ツェルプストー。ここまで来て悪いのだが、このままミスタ・コルベールと一緒に学院の方まで戻ってくれんかのぉ?」

「……?それは一体どういうことでしょうか、オールド・オスマン」

 まるで使い古したモップのような白い髭を撫でる学院長の言葉に、キュルケはキョトンとした表情を浮かべてしまう。

 無理もない。何せ今の彼女は、昨日起こった゛非現実的過ぎる出来事゛に直面した人物になっているという事を内心喜んでいたからだ。

 そしてもっと面白い事が起きるかも知れないとルイズ達と一緒に王宮まで来たというのに、そこで学院へ戻れという命令は余りにも酷であった。

 簡潔に例えるならば、目の前で生肉を見せつけられて涎を垂らす飢えたマンティコア。それがあの時のキュルケだった。

 

 しかしそんな彼女の心境を知る者など当然おらず、その一人であるコルベールが説明してくれた。

 昨晩の騒動を受けてトリスタニアには厳戒態勢が敷かれ、特に学院の生徒たちは一週間ほど外出禁止の命令が出たのだという。

 特にその騒ぎの中心にいたのがあのヴァリエール家の令嬢という事もあって、王宮側が今朝一番に竜騎士を使いに出してまでその事を伝えに来たということも付け加えて話した。

「ウソでしょ?まさかそんな大事になってたなんて……」

 コルベールからの丁寧な説明にルイズは驚きのあまり目を丸くしたのだが、一方のキュルケは「あら、そうですの」と軽い反応を見せた後にこう返した。

「ですがミスタ・コルベール。私もルイズたちと同じ場所にいて、同じ体験をしましたのよ?証人としての価値は十分にありますわ」

 横にいるルイズと霊夢たちを見やりつつ、燃え盛る炎のような赤い髪を手で撫でながら開き直るような言葉を返した。

 しかし、その言い訳臭い彼女の言葉を全否定するかのように、オスマンがホッホッホッと笑いながらこんな事をキュルケに教えてくれた。

 

 

「実はなぁ、ミス・ツェルプストー。…アンリエッタ姫殿下からのお言伝があってのう。

 わざわざ外国から来てくれた大事な留学生のお方を危険な立場に晒したくない、

 ですからすぐにでも安全な学院へ返してあげください―――とな?」

 

 

(あの時のアイツの悔しそうなは…もしかして初めて見たかも)

 ふと何となく王宮へきた時のことを思い出した霊夢は、カンテラの火に照らされながら心の中でぼやく。

 結局キュルケはコルベールと共にルイズたちと別れることとなり、名残惜しそうな表情を浮かべて学院へと引きずられていった。

 帰ってきたらちゃんと私に教えなさいよねぇ!…という捨て台詞を残したキュルケと、それを見て苦笑いを浮かべるコルベールの姿は未だに忘れていない。

 そんな二人を見ながら、オスマンはただふぉふぉふぉ…としわがれた笑い声を小さく上げていたのも記憶に残っている

 

 これは霊夢の考えであるが、おそらくあの言葉はオスマンの口から出た所謂゛出まかせ゛か…或いは゛国家的権力゛というモノなんだろう。

 今のところ自分たちの秘密を知っているハルケギニアの人間はルイズを除いてアンリエッタにコルベール、そしてあの学院長だけだ。

 実質的に第三者であり口が軽いであろうキュルケを意図的に学院へ戻したのは妥当な判断ともいえる。

(まぁ居たら居たで色々と厄介だったし。ここはあの学院長に感謝すべきよね)

 やけに眩しくて目に刺激を与えるカンテラの明かりから少し目を逸らした霊夢は、ふと魔理沙たちの方を見やる。

 

 

 

 未だ太陽の出ぬ未明の闇のなかで光り輝く小さな火は、向かい側で楽しげなやり取りをするデルフと魔理沙の姿も照らしていた。

 先ほどデルフから(霊夢からすればとても無茶難題な)願いを託された普通の魔法使いは、目を瞑って考え事をしている。

 恐らく人間である彼女の視点から手も足もないひと振りの剣にどんな暇つぶしができるのか模索している最中であろう。

 霊夢を初めてとして並大抵の人間なら未だ寝ている時間帯だというのに、人間である魔理沙はかなり目が覚めているようだ。

 生々しいグロテスクな悪夢を見て目覚めた霊夢の目は冴えているが、目の前の魔法使いと比べれば日中よりも左右の脳はうまく機能していない。

 魔法使いだから夜更しに慣れているのか、それともパチュリーやアリスのように人間をやめる準備を着々と進めているのか…真相は当の本人以外誰も知らない

(魔女になってくれたりしたら、遠慮なく退治できるんだけどなぁ~…)

 割と数の少ない知り合いに対して物騒なことを思いついたのがばれたのか、デルフと会話していた魔理沙が怪訝な表情を浮かべた。

 

「……おまえ、今私に対して物凄い物騒なことを考えてたな?」

「あら?随分と勘が良いわね。それぐらい良かったら私の代わりくらい勤まりそうなものよ」

 普通の魔法使いにそう指摘された巫女ははぐらかすこともなく、あっさりと心の内をさらけ出す。

 しかし彼女の言葉に対してデルフによる遠慮のない突っ込みが、横槍のごとく彼女の耳に入ってくる。

 

 

『いやいや。お前さんが今見せてるジト目を見たら、誰だって何か怖いこと考えてるなぁ~…って思うぜ?』

  そう呟いた直後、部屋中にインテリジェンスソードを蹴飛ばす硬く甲高い音が響き渡った。

 

 

 

 深い深い闇の帳を誘う夜に永遠はない。地平線の彼方から上ってくる日の光がそれを払いのけるからだ。

 夜明けとともに闇を好む者たちは姿を隠し、日の出とともに人々は目を覚まして起き上がる。

 それは大体の人間に当てはまる当たり前のことであり、ルイズもまたその゛当たり前゛に従ってゆっくりと目を覚ました。

「ん…ムニュウ…」

 少しだけ窓から鳥たちの囀りが耳に入る中上半身をのそりと起こした彼女は、自分の周囲を見回す。

 ルイズが今いる場所は学院の自室ではなく王宮の中にある来客用の豪華な部屋で、大きさは二回り程も上である。

 体を起こせば眩しい朝日を背中に受ける位置に、彼女よりも遥かに大きいベッドが設置されている。

 部屋の中央には接客用のソファーとテーブルが置かれており、一目見ただけでもこの部屋に相応しい一級品とわかった。

 

 未だ寝ぼけている頭でボーっとしていたルイズは大きな欠伸を一つかますと、ふと部屋の右側へと頭を動かす。

 ルイズから見てベッドのすぐ右横に置かれているハンガーラックには、学院で着用しているブラウスとスカート…それにマントが掛けられていた。

 そしてそのハンガーラックの丁度真ん中部分に作られている小さなテーブルには、彼女が愛用する杖がそっと置かている。

 いつまでもベッドにいても仕方ないと思ったのか、もぞもぞとベッドから出てきたルイズは眠り目を擦りながらスローペースで着替え始める。

 それが終わって杖を腰に差したあたりでルイズの目は充分に覚めており、今日一日頑張るぞと言わんばかりに両手を上に上げて大きく背伸びした。

 ふと時計を見てみると時間はまだ朝の八時を少し過ぎたところ。朝食の時間である九時までほんの少しだけ余裕がある。

(それにしても…昨日は衛士隊の人たちが着替えを持ってきてくれて本当によかったわ)

 屈伸を終え、ひとまずソファに腰かけたルイズは心の中で呟きつつも昨夜の出来事について思い出し始めた。

 

 

 本来なら王宮にはないルイズの服や私物は前日の夜…すなわち王宮入りしたその日に学院から持ってこられたものだ。

 アンリエッタが魔法衛士隊に命令し、その日の内に鞄に詰められた状態でこの部屋に運び込まれたのである。

 ご丁寧にアルビオンで放置してきたが為に買い直したばかりの真新しい鞄に詰めてきたのは衛士隊の粋な計らいだろうとルイズは思うことにした。

 無論、彼女だけではなく別の部屋にいる霊夢と魔理沙の着替えや私物も持ってきてくれたので、これにはあの二人も感謝の意を述べていた。

 

――――しかし…だからといってあのインテリジェンスソードまで持ってくることは無いんじゃないかしら?

 

 新兵であろう若い青年衛士が苦笑いを浮かべつつ霊夢の前に差し出した縄で縛られたデルフの事を思い出してしまい、ルイズの表情が渋くなる。

 最初にそれを差し出された霊夢も同じような表情を浮かべつつ、どうして持ってきたのかと衛士に問い詰めていた。

 まるで魔法学院を卒業したばかりのような初々しさを顔に残した彼は、少し困惑したような表情を浮かべながら説明してくれた。

 何でも、衣類などを鞄に詰めている最中にクローゼットの中でジタバタと動いているのを見つけてしまったらしく、これも私物なのかと思い持ってきたのだという。

 まぁ最近はそんなにうるさく喋ることもないし、何よりその衛士に学院に戻してこいと何て言えるはずもないので、渋々霊夢が預かる事となった。

 

――――まったく、ただでさえ厄介なことに巻き込まれたのについでにアンタまで来るなんて災難だわ

――――――そりゃオレっちのセリフだっての…二年半くらい閉じ込められてた気分だぜ畜生…!

 

 ぶっきらぼうな表情で霊夢がそう言うと、なんとか金具の部分を自力で出したデルフは吐き捨てるように言葉を返していた。

 

 そんな事を思い出していると、ふとドアの方からノックの音が聞こえた後に自分を呼ぶ声が聞こえてくる。

「御早う御座いますミス・ヴァリエール。朝の洗顔と髪梳きに参りました」

「あら、わざわざありがとう。それならお言葉に甘えてしてもらおうかしら」

 まだ二十代もいかぬ思える瑞々しく若い声に、ルイズは反射的に左手を挙げて言葉を返す。

 一時的な部屋の主に入室の許可を得た給士が水の入った小さな桶と櫛、それに数枚のタオルが乗ったお盆を手に入ってきた。

 亜麻色の髪をポニーテールで綺麗に纏めており、身に着けているメイド服は魔法学院のものと比べ所々に金糸の刺繍が施されている。

 これからの季節を考慮してか半袖のメイド服の給士はソファに腰かけているルイズのすぐ横にまで来ると、お盆を自身の足元に置いて一礼した。

「それではまず、洗顔の方から入らせて貰います」

 王宮の給紙として充分な教育を受けた彼女はそう言うと一枚目のタオルを手に取り、それを桶に入った水にさっと浸す。

 ついで水を吸ったタオルを軽く絞り、一度広げてからそれを正方形に折りたたんだ後に、失礼しますと声を掛けてからルイズの顔を拭き始めた。

 

 魔法学院では基本自分の身だしなみは自分で整えるが、大半の貴族はこのように給士にさせる事が多い。

 ルイズも幼少期の頃はよく給士や侍女にしてもらった事があった為、当たり前のようにしてもらっている。

 無論それは彼女だけではなく今は魔法学院にいる生徒たちにも、そういった経験をしている者たちは少なくない。

 

「ありがとう、これくらいでもう良いわ」

 洗顔を済まし、櫛で髪を梳いてもらったルイズは給士に身支度を終わらせるよう命令する。

 それを聞き、わかりましたと給士は櫛を盆に置き一礼してから、盆を手に持って立ち上がりそのまま軽やかかつ丁寧な足取りで退室した。

 ドアの閉まる音が聞こえるとルイズはほっと一息つき、ふと別の部屋で一晩寝ることとなった霊夢と魔理沙のことを思い出す。

 そういえばあの二人は今頃何しているのだろうかと考え、さっきまでの自分のように給士に身支度を整えてもらってるのだろうかと想像しようとする。

 魔理沙なら面白半分でさせてそうなのだが、どう思い浮かべても霊夢が人の手を借りて身支度を済ますというのは考えられなかった。

 

 

 

 その時だった、またもやドアのノック音が耳に入ってきたのは。

 今朝はやけに部屋を訪ねてくる人がいるなぁと思いつつ、ドアの向こうにいる人物が喋る前に声をかけてみる。

「はい、どなたかしら?」

 ルイズの呼びかけに対し来訪者は数秒ほどの間を置いてから、言葉を返した。

 この時もまた侍女が来たのだと思っていたが、その予想は良い意味で裏切られることとなった。

「おはようルイズ、昨晩はよく眠れたかしら」

「…………っ!ひ、姫さまだったんですか!?」

 部屋の戸をたたいたものの正体はこの王宮に住む主でありトリステイン王国の華である、アンリエッタ王女だった。

 ルイズは思わぬ人物がやってきたと驚きつつも急いで立ち上がり、出入り口まで早足で歩いてドアを開けた。

 ドアを開けて顔を合わせたアンリエッタは軽く一礼すると部屋の中に入り、それを見計らってルイズがそっとドアを閉じる。

「おはようございます姫さま。わざわざこの部屋にお越しいただかなくとも私が直接姫さまのお部屋に赴きましたのに…」

「いいのよルイズ。朝一番に貴女の顔を見に来たかったのですから…ってあらあら?」

 アンリエッタは先程までルイズが寝ていたベッドの上に、脱ぎ捨てられたネグリジェが放置されていることに気付いた。

 そこで寝ていた本人もアンリエッタの視線がどこを向いているのか気づき、あわわわと言いたげな表情を顔に浮かべてしまう。

「ふふ、少しタイミングが狂っていたら私が貴女を起こすことになっていたかもね。ヴァリエール」

「は…はい、この部屋のベッドがあまりにも気持ちよかったもので…ついさっきまで眠っていたところでした…」

 悪戯っぽい微笑みを浮かべてそう言うアンリエッタとは対照的に、ルイズは恥ずかしそうな苦笑いを浮かべて言った。

 

 

 廊下で待機していたであろう侍女達を呼んでベッドを直してもらっている最中、二人はソファに腰かけて会話している。

 朝早くから花も恥じらう程美しい少女二人がゆったりと腰を下ろして話し合う光景は絵画として後世に残しても良いと思えるほどだ。

 ただしその二人の口から出る言葉はこの年頃の娘がとても口にするとは思えない言葉が飛び交っていた。

 

「つまり…枢機卿は陸軍の一個大隊と砲兵隊も動員してレコン・キスタの゛親善訪問゛に臨むと?」

「えぇ。でも私としては、後ろ手に短剣を隠す持つような真似はしないで欲しいと仰ったのですが…」

 心配そうな顔で先ほど話した事を改めて確認してきたルイズに、アンリエッタはどこか陰りを見せる表情でそう返す。

 その二人の会話を聞いているのかいないのかよくわからない表情で聞いている侍女は両手でシーツをつかむとバサッと大きく持ち上げた。

「グラモン元帥をはじめ陸空に魔法衛士隊など、この国の守り人たちを指揮する幹部の方々も同じように賛成しているのでとても…」

「そうなのですか…」

 そういえばあのギーシュの父親は軍人だったな…と余計な事を考えつつも、ルイズは相槌を打った。

 アンリエッタがルイズに話した内容とは、滅亡したアルビオン王家に変わりあの白の国を統べる事となった゛神聖アルビオン共和国゛の親善訪問に関することであった。

 

 ルイズがアンリエッタの使いで、霊夢は故郷の書物と巡り合った事でアルビオンへと赴き、

 二人一緒に一難超えて帰還した後にレコン・キスタはその名を「神聖アルビオン共和国」へと改めている。

 

 王家を打倒し、貴族による国家を成立させ、初代神聖皇帝兼貴族議会議長であるオリヴァー・クロムウェルはトリステインとゲルマニアに特使を派遣した。

 特使が持ち込んだ話は不可侵条約の締結打診であり、両国間は数日の協議を経てこれを了承する。

 仮に今現在の戦力でトリステインとゲルマニアが組んだとしても、五十年前の戦争で圧倒的戦果を上げたアルビオンの空軍と艦隊に勝てる勝算はあまりにも低すぎる。

 一部空軍の将校や士官が王家討伐の際に粛清されたとも聞くが所詮は雀の涙ほどの人数であり、未だ多くの優秀な軍人が向こうにいることは変わりない。

 その為両国の政治を司る者たちはこれ幸いと言わんばかりに不可侵条約に飛びつき、こうして一時的な平和が約束された。

 

 しばらくして、今度はアンリエッタとゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の結婚式の時期が近づいてきた。

 そんな時である。トリスタニアで内通者と思われる貴族が変死体で発見されたのは。

 現場に残されていた機密情報の内容や殺され方等に不審な点が多々あり、現在も調査中らしい。

 しかし内通者がいたという時点で軍部は確信したのである。アルビオンとの戦争が水面下で密かに始まったという事を…。

 そもそも貴族至上主義を掲げて立ち上がった連中である。不可侵条約など、元からトリステインとゲルマニアに対する目くらましだったのだろう。

 

 それに加えて魔法学院や森林地帯、そして旧市街地で連続的に発生した異常な騒動。

 もはや悠長かつ暢気に親善訪問を待つ必要はないと結論付けた軍上層部は、昨晩のうちに国内の各拠点へと早馬を飛ばしたのである。

 アルビオンに条約を守る意思なし。至急全部隊に動員の必要あり。…という一文を付け加えて。

 

 

「はぁ…束の間の平和が来ると思っていたのに…。またもや戦争が始まってしまうなんて…」

 窓からさす朝陽に照らされた憂鬱な表情のアンリエッタを見て、ルイズもその意見に肯定するかのように軽くうなずく。

 しかし頷いてから何かに気付いたのか、細めた目の視線を少しだけ左右に泳がせた後に、その口をゆっくりと開いた。

「姫さまは…アルビオンとの戦争を、今の貴族至上主義者達との戦いを本当に危惧しておられるのですか?」

 ルイズからの質問に心当たりがあったアンリエッタは目を丸くさせた後、その顔を俯かせる。

 そして暫しの時間を置いた後に強い思いが浮かぶ顔を上げ、彼女の質問にこう答えた。

「貴女の言いたいことはわかるわ…何せ彼らは、ウェールズ様の仇であるのですから…」

 ほんの少し前の…若いころの自分が犯し、目の前の親友とその使い魔(?)に清算してくれた過ちを思い出す。

 最期まで自分の事を想い続けてくれた初恋の人の仇は、今まさにこの国を滅ぼそうとする神聖アルビオン共和国そのものなのだ。

 だからこそ軍部の考えに、賛成しないのですか?――ルイズその言葉を遠回しに聞いてきたのである。

 

「確かに私は、今もレコン・キスタを憎んでいます。

 ですが…大きな争いを起こしてまで、彼の仇を取りたいとは思っておりません。

 恋文の回収騒動で貴女とレイムさんを命の危機に追いやり、

 あまつさえウェールズ様の命を間接的に奪ったとも言える私が…

 ましてや、個人的な感情だけで戦争を支持するなど…

 将来一国を背負うであろう私には許されぬ行為なのよ……」

 

「姫さま…」

 何かを決意したかのような強さの陰に悲哀が見える表情で自らの心情を吐露したアンリエッタに、ルイズは言葉を返せない。

 ただ侍女たちが慌ただしく部屋を整理する物音を聞きながら、彼女の顔をジッと見つめる事しかできないでいる。

 そんな時であった、朝から重苦しい雰囲気を漂わせる二人の周囲を崩すかのように侍女が声を掛けてきたのは。

 

「姫殿下、朝早くから申し訳ないのですが…殿下とミス・ヴァリエールに顔を合わせたいという客人が……」

 おずおずと話しかけてきた侍女にルイズが「客人…?」と首を傾げ、それに対し侍女も「えぇ…」と返して頷く。

 アンリエッタ自身この年になってからは色々な者たちと顔を合わせてきたが、こんな時間から来る客人など珍しい。

 

 

「一体誰なのですか…?今のトリステインが滅多にない由々しき事態の中であっても…朝から王宮を訪ねてくるなんて…」

 怪訝な表情を浮かべて訪ねてきた王女に、侍女はかしこまった様子でこう答えた。

「あ、はい…確か、その方のお名前は…………」

 

 ◆

 

 朝の王宮は、多くの人々が廊下を行き来し忙しなく動き回っている。

 侍女たちは点呼を取った後にまずは朝の清掃を始め、警備の魔法衛士隊の隊員たちは胸を張って足を動かす。

 王宮勤務の貴族たちは既に朝食を食べ終えて、書類や仕事道具を抱えてそれぞれの部署へと早足で駆けていく。

 そんな人々でできた川の流れのように激しい動気を見せる廊下の端っこで、霊夢と魔理沙の二人は立ち往生していた。

 まるで初めて大都会の駅に迷い込んでしまった田舎者の様に、二人してその顔に苦笑いを浮かべていた。

 

「迷ったわねぇ~…」

「迷ったなぁ…」

 

 霊夢の口から出た言葉に魔理沙がそう返すと、彼女が部屋から持ち出してきたデルフがカタカタと動いて喋り出す。

『だから言ったろう?王宮みたいなバカでっかい場所を、オメーらみたいな田舎者が歩き回るとこうなんだよ』

 戒めるというより、まるで嘲笑っているかのような物言いに霊夢はムッとした表情を浮かべるが、この剣の言葉にも一理ある。

 そもそも、なぜルイズの関係者とはいえこの王宮では部外者に近い二人が自由に王宮を歩き回れているのか…?

 その理由は昨晩のとある出来事が発端とも言えた。

 

 ●

 

 ―――それは昨日の事…学院長を交えたアンリエッタとの話が終わった後、ルイズたちは一時的に学院へ戻る事ができなくなった。

 学院長の口から語られた魔法学院で起こった怪事件や、森の中でルイズたちに襲い掛かってきた怪物の話…。

 それらの話を聞いたアンリエッタは何か国内で良くないことが起こりつつあると察し、学院に戻るのは今は危険だと判断したのだ。

 

 学院長もそれには同意の意思を示し、結果としてルイズたち三人は近々行われるゲルマニア皇帝との結婚式の日まで王宮で匿われることとなった。

 結婚式はゲルマニアの首都ヴィンドボナで執り行われるので、国境地帯で合流するゲルマニア陸軍の一部隊と合同しての大規模かつ厳重な護衛部隊に囲まれて移動する。

 式場での詔を読む巫女としてルイズや霊夢たちも誇りあるゲストの一員でアンリエッタに同行しするので、ここにいればわざわざ学院まで迎え行く手間が省けるのだ。

 こうして安全性の高さと迎えに行く手間が省けるという理由で、ルイズたちは暫し王宮で羽を休める事となったのである。

 ルイズは最初そのことが決まってから多少狼狽えたものの、学院長とアンリエッタの心配という気持ちは理解していた為にやむを得ずお言葉に甘える形となってしまった。

 

「こいつは飛んだハプニングだぜ、まさかお前さんの偽物に襲われただけでこんな素敵な場所で寝れるなんてな」

「アンタとルイズはそれで済むけど。私は殺されかけたうえに流血沙汰にまでなってるんだけど?」

 

 思いもよらぬ展開に魔理沙は嬉しそうに言うと、苦々しい表情を浮かべた霊夢がそう返した。

 話が終わり…オスマン学院長が竜籠で学院へと戻った後に、客室へと案内してくれた際にアンリエッタからこんな言葉を頂いていた。

「今夜はもう出られないですが、明日からは王宮の中を自由に散策してもらっても構いませんよ」

 その言葉に部屋へと案内された魔理沙が「えっ?それは本当か?」と嬉しそうな声で聞き返し、ルイズは「えぇっ!?」素っ頓狂な声を上げた。

「えッ…!?姫様…ちょっ…それってどういう意味ですか?」

「何って…そのまま言葉通りの意味よルイズ。私の結婚式までまだ日数があるし、部屋の中に閉じこもっていては退屈してしまうでしょう?」

 霊夢以上にトラブルメーカ気質の魔理沙の事を知っているルイズの言葉に、アンリエッタは純粋な気持ちでそう返す。

 

「私の結婚式が行われるのは、丁度トリステイン魔法学院の夏季休暇が始まる頃…まだまだ一月分の余裕があります。

 彼女たちは異世界から来たのですから、この国の素晴らしい王宮を是非見て回ってもらった方がいいと思いまして…」

 

 そう言った後に彼女は懐に入れていたメモ帳を取り出すと、部屋のテーブルに置かれていた羽ペンで文字と自分の名を書き始める。

 親友の優しすぎる行動にルイズはただただ冷や汗を流し、一方の魔理沙は思わぬチャンスの到来に満面の笑みを浮かべている。

 二、三分の時間を使って三ページ分の文章を書き込んだ後に、アンリエッタは慣れた手つきでもってそれらをメモ帳から切り離した。

 

 ピリリ…という軽快な音が三回響いた後、メモ帳から切り離されたやや硬質な紙でできたメモが三枚テーブルの上に並べられる。

 その三枚に掛かれている文章と、自分の名前にミスが無いか確認した後に「よし…」と声を上げたアンリエッタは、今度は懐から小さな袋を取り出す。

 袋の口を縛っていた紐を解き、中からとりだしたのは長方形の形をした木製の印章であった。

 羽ペンとインク瓶の横に置かれていた朱色のスタンプパッドにその印章を押しつけると、これもまた慣れた動作でメモに押していく。

 メモの右端部分に押した印章の絵柄は、ハルケギニアで聖獣と呼ばれるユニコーンと水晶の杖を組み合わせたものであった。

 

「これは簡易的な身分証明書です。これがあれば外に出ていて警備の者に咎められても大丈夫でしょう。

 しっかりとした硬質の紙でできてますので、ポケットに入れて取り出す際に指を切らないよう気を付けてくださいね」

 

 そういってテーブルに置かれていた一枚を手に取り、魔理沙の前に差し出した。

「おぉっ、ありがとうな姫さん…って見た目より結構しっかりしてないかコレ…?」

 嬉しそうに両手で受け取った魔理沙であったが、その感触と硬さに不思議そうに首を傾げて言った。

 何も知らない魔理沙を見てすかさずルイズが説明を入れてくる。

「それは切り離すと゛固定化゛の魔法が掛かるよう作られてるマジックアイテムよ。平民が使ってるようなメモ帳だと直ぐに破けて使い物にならなくなるじゃない」

 彼女の説明に魔法使いは「成程なぁ~」と返しつつメモの両端を持って頭上に掲げている。

 その嬉しそうな様子にアンリエッタも微笑み、次いで二枚目の証明書を手に取ってルイズの前に差し出す。

 わざわざこんな事までしてくれた姫様に、ルイズは感謝を述べつつそれを受け取った。

「一応警備上の都合もありますので…夜五時以降の退室と、外出は控えてくださいね」

 アンリエッタがそう言うと、証明書を大事そうに懐に入れた魔理沙がおぅ!と言葉を返した。

「わざわざご丁寧な説明ありがとな。言ってくれなかったら今夜は外に出ていたところだったぜ」

 何せこんなに気分が良いからな!最後にそんな言葉を付け加えてきた魔法使いにルイズは頭を抱え、アンリエッタは「あはは…」と苦笑いを浮かべた。

 

「まったく…こんな事ならルイズと一緒か、別々の部屋にしてもらいたかったわね…」

 そんな三人をベッドの上に腰かけながら見つめていた霊夢が、愚痴に近い言葉を一人呟く。

 声が小さかったせいで魔理沙には聞こえなかったが、まぁ聞こえていても本人は気にすることすらなかっただろう

 

 ●

 

 それから夜が明けて、身支度を終えた二人は部屋の掃除等を侍女たちに任せて、ルイズの所へ行こうとしていた。

 窓から漏れる朝陽で体を温めながら、軽い足取りでレッドカーペットの敷かれた廊下をスタスタと歩いていく。

 部屋は昨晩のうちに教えられていたし、歩いて二、三分もすれば目的の部屋に到着できる――――…はずであった。

 

 しかし、部屋から持ち出してきたデルフを背負い、箒を持って歩いていた魔理沙がふと途中で足を止めてこんな事を霊夢に聞いてきた。

「なぁ霊夢。そういや昨日、アンリエッタの姫さんが自由に王宮を見学しても良いって言ってたよな?」

 黒白の言葉に紅白は「あ~、そういやそんな事を言ってた気もするわねぇ…」と曖昧気味な返事をよこす。

「じゃあさ、ちょっとだけ探索でもしないか?どうせ時間なんてまだまだあるんだし」

 そういって横の道へと進路を変えた魔法使いに軽いため息を吐きつつも、仕方なく彼女の後をついていくことにした。

 正直に言えばついて行きたくないのだが魔理沙の言うとおり、早く行き過ぎても仕方がない。

 

「全く…私はそういうの趣味じゃないけど、気にならないと言えばうそになるし…。…まぁアンタについて行こうかしら」

「だろ?紅魔館以上に大きな建物なんて初めて歩くからな、とりあえず図書室でも探しに行こうぜ?」

 その気になってくれた友人に笑顔を向けて総いった魔理沙の背後で、デルフがカチャリと動いた。

 何かと思い二人が足を止めると勝手に鞘から顔(?)の部分だけを出して喋り出す。

『おいおい、悪いことはいわねーからやめとけって。オメーら見たいな田舎者が下手に歩き回っても迷うだけだぞ』

「たかが剣如きが偉そうに言ってくれるわね。第一誰が田舎者ですって?」

 魔理沙の後ろにいた霊夢はそんな事を言いながらデルフの持ち手を握り締めると、彼も負けじと『オメーらだよオメーら』と言い返す。

『この手の建物なんか無駄に曲がり角や階段が多いって相場が決まってるもんだろ?』

「そんな話聞いたことも無いわよ…っと!」

 デルフの文句に霊夢はそう返しつつ、最後に思いっきりデルフを鞘に収めた。

 ハッキリとした音が廊下に人気のない廊下に響き渡ったのを耳にしてから、魔理沙が再び足を動かし始める。

 何やら嬉しそうに喋る彼女とは逆に、霊夢は端正な顔に憂鬱な表情を浮かべて一人呟く。

 

「まぁ…、迷ったら迷ったでどうにかなるでしょ?」

 独り言の後に、図書室を目指そうとか言ってる魔法使いの後を彼女はゆっくりと続いていく。

 そして結果は――――――デルフが考えていたとおりの事になってしまったというワケだ。

 

 ■

 

 それから二十分ほど経ったぐらいであろうか―――――

 

「あれ?確かここって…」

『間違いねぇぜ、やっとこさ戻ってこれたというワケだ』

 何度曲がったかも分からない角を超えた先にあった廊下に、見覚えのあった霊夢はふと足を止め、

 そんな彼女を後押しするかのように、魔理沙に背負われていたデルフがそう言った。

 窓の位置と廊下の隅に置かれた観葉植物に、偉そうな顎鬚のオッサンが描かれた絵画が、霊夢達を睨み付けるように飾られている。

 デルフの言うとおり、確かにここはルイズの部屋へと続く廊下だった事を彼女は思い出した。

「はぁ…全く、魔理沙の気まぐれひとつでこんなに疲れるなんて…」

 一人怠そうにぼやいた霊夢は大きなため息をつきつつ、後ろに魔理沙をじろっと睨み付ける。

 

 あの後、激しく行き来する人ごみの中を避けつつ二人と一本は何とか戻ってこれた。

 途中王宮の人たちが教えてくれた曲がり角を間違えかけたり、あちこちにある階段に惑わされたりもしたが、

 何とか朝食の時間までに、最初の過ちとも言えるあの廊下に辿り着くことができた。

 

「ルイズとの合流時間まであと五分か…。まぁちょっとしたハプニングだったな」

 時間にすればほんの二十分程度王宮の中で迷ったのだが、その発端である魔理沙は妙にあっけらかんとしている。

 しかも壁に掛かった時計を見て時刻を確認した後、まだ五分もあるのかと余裕満々で言ってのけていた。

 一方の霊夢はというと、そんな魔法使いを見てついて行けないと言わんばかりの二度目のため息をつく。

 そして妙にテンションの高い彼女の横顔をジト目で睨み付けながら、

 

「だからイヤだったのよ。こんな事くらいになるのなら素直にアンタと別れてルイズのところに行ってた方がよかったわね…」

 思いっきり憎まれながらも魔理沙は怯むことなく、満面の笑みを浮かべつつ言葉を返す。

 

「まぁまぁそう言うなって。案外楽しい冒険だったじゃないか?そうだろう?」

『こいつはおでれーた。まさかここまで開き直れる人間がいたなんて初めてみたぜ…ん?』

 完全に開き直りつつある黒白の魔法使いにさすがのデルフも呆れていると、後ろから足音が聞こえてきた。

 赤いカーペットが敷かれた廊下をカツカツとしっかりとした音を立てて誰かが近づいてくる。

 話し込んでいた二人もデルフに続いてそれに気が付き、音の聞こえてくる方角へと顔を向けた。

 そして、丁度その時になって近づいてきた人物はその足を止めて一言つぶやいた。

 

「………貴女達、一体どこから入ってきたのかしら?」

 その人物…長身にロングのブロンドという出で立ちの女性は呟いた後に、掛けているメガネを指でクイッと掛け直す。

 年のころは二十代後半といったところだろうか、ダークブルーのロングスカートに白いブラウスの組み合わせからは落ち着いた雰囲気が感じられる。

 そこだけを見れば特に少し良い所のお嬢様…なのだが、その女性の最も特徴的な所は顔にあった。

 まるで服装の雰囲気を全て飲み込むかのようなツンとしたその顔は、どこかルイズと似ている。

 そのルイズの気の強い部分を水と一緒に鍋で煮詰めて完成させたかのような、キツめの顔を持つ女性であった。

 

「ワケあって暫くここで居候する羽目になった哀れな巫女さんよ。大体、アンタこそ誰なのよ?」

 まるで不審者を見るかのような目で見下ろしてくるのに対し、霊夢はそう返しつつ女性の名を尋ねた。

 やや売り言葉に買い言葉のような言い方ではあったせいか、女性はスッとその目を細める。

 そんな軽い動作一つでも、キツめの顔が更に鋭利な刃物の様に鋭くなってしまう。

「アンタこそ誰…ですって?…生憎、貴女みたいな無礼者に教える名など持ち合わせていなくってよ」

「何ですって?」

 その言葉にさすがの霊夢も眼を鋭くさせ、目の前に佇む女性を静かに睨み付ける。

 伊達に妖怪退治専門にしている博麗の巫女である。年相応の少女に相応しくない眼光でもって、相手を威嚇しようとする。

 その様子を彼女の後ろからただただ眺めていた魔理沙は、どうしようかと頭を悩ませていた。

「やべーなデルフ…、まさに一難去ってまた一難ってヤツだぜ」

『だな。こりゃー下手に横槍入れたら余計トラブルになりそうだな。それが嫌なら、黙って様子見といた方がいいぜ』

「いやあの二人の事は別に良いんだが…このままだと朝飯抜きだな~って思って…」

『ちょっと待て、お前ら本当に友達なのか?どうも分からなくなってきたぜ』

 デルフの疑問に魔理沙は軽く笑い、霊夢と謎の女性がにらみ合っている状況に包まれた、王宮の廊下。

 窓から差す陽光が無駄に神々しい廊下に充満する異様な空気の中、それを切り捨てたのは一人の少女の叫びだった。

 

「レイムッ、マリサ…!……って、アァッ!?…え、エレオノール姉様!!」

 

 後ろから聞こえてきた聞き覚えのある声に、一瞬身を縮ませた魔理沙は何かと思いそちらを振り向く。

 彼女が思っていた通り、そこにいたのは魔法学院の制服とマントを身に着けたルイズが立ちすくんでいた。

 部屋からここまで走ってきたのであろう、肩で息をしつつ驚愕に満ちた顔で霊夢と女性の方を凝視している。

 

「おぉルイズか、わざわざ出迎えに―――――…って、ちょっと待てよ?今何て言ったんだ?」

 手を上げて挨拶しようとした魔理沙は、ルイズの最後の一言に気が付く。

 それは霊夢も同じだったようで、女性の方を向けていた顔を彼女の方へと向けた。

 

「姉、様…ですって?」

 その言葉にフンッと軽い息をついてメガネを再度掛け直してルイズの方を見やる金髪の女性。

 彼女こそ、ヴァリエール家の長女であり朝から王宮に乗り込んできた訪問者、エレオノールであった。



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第七十三話

 エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。

 誇り高きヴァリエール公爵家の長女であり、現在は王立魔法研究所「アカデミー」の研究員として働いている。

 公の場でもない限りは家族や知人、仕事場の同僚や上司からはエレオノールと短く呼ばれている。

 そんな彼女は今、王宮に匿われたという二つ下の妹であるルイズを訪ねて、ここ王宮へ足を運んでいた。

 

 

「御朝食前の訪問、まことに申し訳ありませんでした。アンリエッタ姫殿下…」

「いえ…そんな。家族の為をと思っての訪問ならば仕方がないというものです。ほら、頭をお上げになって…」

 ルイズが寝ていた部屋にいたアンリエッタに向けて、恭しく頭を下げたエレオノールは謝罪の言葉を述べた。

 それをソファに腰かけながら見ていたアンリエッタはそう言いつつも姿勢を楽にするよう促す。

 一方、エレオノールに喧嘩を売りかけた霊夢と傍観していた魔理沙、デルフは部屋の隅っこでそれを眺めている。

 霊夢は先ほどからずっと不機嫌な表情のままであったが、魔理沙の方はエレオノールの後ろ姿を興味深そうに見つめていた。

 

「しっかしな~、意外だったぜ。あのルイズに姉がいたなんてな」

『だな。てっきり一人っ子かと思えば、あんな美人の金髪ねーちゃんがいたとは』

 流石に今は大声で喋る場面ではないと察したのか、二人とも変に小声で会話をしている。

 そんな二人の会話を聞いて、ふとどうでもいい疑問が脳裏に浮かんできた霊夢がデルフに質問を投げかける。

「……じゃあそこの黒白も、アンタの言うところに美人に入るってワケ?」

『馬鹿言え。オレっちは子供になんか興味ねぇよ』

 そんな言葉を返したデルフに、今度は笑いを堪えるかのような表情で魔理沙が話しかける。

「というより、女がいてもそのカッコじゃあ誰にも寄り付かれそうにないけどな」

『だな。何せ外見だけは、単なる剣だし』

 そう言ってデルフは金具の部分をカチカチと震わせ笑うような動作を二人に見せる。

 魔理沙の小声とは違い、カチカチという金属音が緊張に満ちる静かな部屋の中に響き渡った。

 

(あ、アンタたち…何でそんなに暢気な会話してられんのよぉ~…!?)

 そんな二人と一本のやりとりを姉の後ろに立ったまま聞いているルイズは、内心気が気ではなかった。

 何せこんな空気の中でもあの二人と一本は、何の気なしにお喋りしているのだから。

 しかも我がヴァリエール家では゛二番目゛に怖い長女のエレオノールと、敬愛するアンリエッタ姫殿下がいるこの部屋の中で、堂々と。

 

 そもそも、この二人と一本を姉に会わせるつもり気はルイズにはなかった。

 アンリエッタと話している最中、部屋に入ってきた侍女からエレオノールがやってきたと聞かされ思わず腰を抜かしそうになった。

 確かに街中で襲われ、王宮で匿われてると知ればヴァリエール家の誰かが来るという事は予想していた。

 しかしよりにもよってこんな朝早くから、長女のエレオノールが訪問してくるなど思いもしていなかったのだ。

 

 だからルイズはアンリエッタの声を振り切って部屋を出て、霊夢たちに言おうとしていた。

 今日は自分が直接来るまであてがわれた部屋にいてほしい、と…王宮の中を全力で走った。

 

 

 そして…全てが手遅れという状況で――――霊夢たちと姉が、パッタリ廊下で遭遇したという状況に入り込んでしまったのである。

 

 

 あの廊下で出会った後、ルイズは霊夢と魔理沙の自己紹介を簡潔に済ませていた。

 霊夢は自分が春の使い魔召喚の儀式で召喚した使い魔であり、魔理沙はふとした事で知り合った゛ハルケギニアを流浪している、没落貴族の子゛―――だと。

 ルイズとしては家族に真実を教えて巻き込むわけにもいかず、やむを得ず魔理沙の方にはぶっつけ本番のフェイクを入れることになってしまった。

 

―――人間の使い魔、ですって?……それに没落貴族何て…。

―――――ルイズ、変な出自の者と関わるなとお母様に何度も言われたでしょう?

 

 人間の使い魔と聞いてエレオノールは目を丸くしたものの、魔理沙のフェイクに釣られてそちらの方に気を取られてしまった。

 名家であるヴァリエール家の三女ともあろうものが…出自の分からぬ没落者と親しいどころか、共にいるなんて下手すればスキャンダルのネタとなる。

 それを指摘している姉の言葉に、次はどう言おうかと困惑していたルイズへ黒白の魔法使いが助け船を出してくれた。

 

―――いやぁ、実はちょっとした事情で二人が危ないところを手助けしてな、お礼として居候させてもらってるんだよ。…だろ?

―――――…まぁ、そう調子づかれて言われるのは悔しいけど、事実は事実ね

 

 ルイズの意図を察した魔理沙はルイズのフェイクに見事乗っかり、霊夢もそれに便乗して頷く。

 巫女の言うとおりあの森でキメラから助けてくれたのは事実なので、嘘じゃないと言えば嘘じゃないのである。

 

 

 

 そうこうして誤魔化そうとしている内に、部屋に置いてきたままにしてしまったアンリエッタがやってきてくれた。

 流石のエレオノールも姫殿下の前では流石に頭を下げた後、立ち話もなんだと言われ……今に至る。

(ど、どうしよう…?姫さまはもう慣れてるからいいとして、姉さまは…)

 この中でただ一人エレオノールの事を知っているルイズは、ソファに座る彼女が姿勢を正すだけでも失神しそうになる。

 だが肝心の姉はそんな声など耳に入っていないかのように、姫様との会話を続けている。

「まぁそうだったのですか!…わざわざヴァリエール公爵から様子を見に行ってほしいと…」

「はい。無論私も報せを聞いて、このように無礼を承知して妹の様子を見に来た次第であります」

 アンリエッタに進められて向かい側のソファに腰を下ろしたエレオノールは、ここへ来た理由を話していた。

 ルイズたちが襲われたその日の深夜に、ヴァリエール家に向けて竜騎士が伝令の為に飛んだ。

 あっという間にヴァリエール家へとたどり着き、竜騎士から報せを聞いたヴァリエール公爵はあわや失神しかけたのだという。

 それを執事や公爵夫人が何とか支えつつも、公爵は伝令の騎士にアカデミーにいるエレオノールへ見舞いに行くよう伝えた。

 夜を徹してアカデミーへと飛んだ騎士は、何事かと寝床から出てきたエレオノールに…こう伝えたのだという。

 

 

「ヴァリエール家末女のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール様が昨晩、旧市街地で何者かに襲われ怪我を負い…現在王宮で治療中とのことです!」

 

 

「……で、血相変えて王宮へ来たのは良いのですが…」

 エレオノールはそう言って振り返り、すぐ後ろで待機しているルイズを見やる。

 それに反応して元々硬かったルイズの姿勢が更に硬くなり、まるでくるみ割り人形の様にかしこまってしまう。

「ま、まぁ…伝達ミス…ですよ…。よくある事です、よね?…ハ、アハハ…」

 恥ずかしそうに両手で胸を押さえつつも、アンリエッタは我が身の事の様に恥かしげな笑顔を見せる。

 大方騎士の方が慌てていて伝令の内容を一部省いてしまった結果なのだろう。

 とすれば今回の事は王宮側のミスであるのだが、それを察したかのようなエレオノールはアンリエッタの方に向き直り、口を開く。

「いえいえ、大切な妹が無傷であったというのなら。故郷にいる家族も胸をなで下ろせます」

 笑顔を浮かべてそう言ったエレオノールであったが、そんな彼女の言葉に続くようにして、後ろから声が聞こえてきた。

 

 

「残念ね。怪我人ならここに一人いるわよ?」

 

 刺々しい声の主は、一人エレオノールに不機嫌な意思を露わにして立っていた霊夢であった。

 腕を組んで仁王立ちという姿勢でルイズの姉を睨み付けるその体からは、博麗の巫女としての威圧感を漂わせている。

 霊夢の声を聞いてビクッと体を震わせたルイズは物凄い勢いで振り返ると、早歩きでの彼女の元へと駆けよる。

 そして腕を組んでいたその両肩を掴むと、この世の終わりが来たかのような表情で詰め寄ってきた。

「ちょっ…あ、アンタ!?エレオノール姉さまになんて口のきき方を…!」

「えっ?な、なによっ…?…ワタシ何か悪いことでも言ったのかしら?」

 一方の霊夢は悪気が無いかのような表情でそう言ってのけるのを聞いてから、ルイズは姉の方へと頭を向ける。

 エレオノールはこちらに後頭部を向けていて表情は窺い知れないものの、それが余計に恐怖を煽りたてる。

 

 しかし彼女の予想に反して、姉の反応は思った以上に淡泊過ぎた。

「あら。そうだったのね?悪かったわ」

 

「……え?…あの……姉、さま?」

 振り向くことは無かったが、穏やかな声で訂正の言葉を述べてから、スクッと腰を上げた。

 あの姉とは思えぬ態度と言葉にルイズは表情が自然と引き攣ったものへと変わり、得体の知れぬ恐怖に身を震わせる。

 一方霊夢と魔理沙、それにデルフもルイズの様子に何か嫌ものを感じたのか、怪訝な表情を浮かべた霊夢がその口を開く。

「何よ?アンタのお姉さんって、キザな奴かと思えば案がい……ムゥッ!」

 しかしその言葉を言い終える前にルイズが付きだした右手で口を塞がれ、思わずその目を見開く。

 自分の口を塞いだルイズの顔には、何かに怯える恐怖の色がこれでもかとにじみ出ている。

 流石の霊夢もこれには何かあると察して喋るのを止め、魔理沙とデルフもそれに倣って暫く黙っている事にした。

 

 一方のアンリエッタは、腰を上げたエレオノールを前に何かを思いついたのか、ふとこんな事を口に出す。

「あの…もし時間に余裕があるようでしたなら、本日の朝食はここで食べていかれませんか?」

 その言葉に霊夢の方を向いていたルイズの顔が驚愕と共に再び姉たちの方へ向けられる。

 姫殿下からの提案にエレオノールはわざとらしく驚いた表情を浮かべ、ついで「よろしいのですか?」と訊ねる。

「えぇ。遥々アカデミーから来られたのですから、久しぶりに姉妹水入らずの食事でも楽しんで頂けたらどうかと思って…」

「あの…えっと…姫さま…」

「有難うございます。ルイズとは入学以来長期休暇の時にしか会えなくなってしまったものですから!」

 蚊の羽音の様な掠れた声でアンリエッタに話しかけようとしたルイズはしかし、姉の快活な声に妨害されてしまう。

 エレオノールの返事を聞いて良しと判断したアンリエッタは、最後にルイズの方へと顔を向ける。

 

「じゃあルイズ、二十分後に朝食の準備に入るよう厨房の者に言いつけておきますね」

 笑顔を浮かべたアンリエッタにそう言われた彼女は、思わず「は、はい…」と頷いてしまう。

 幼馴染の反応を見て満足したのか、一人納得しつつ席を立ったアンリエッタは部屋の出入り口へと向かう。

 それを見計らったかのように部屋の外にいた護衛の魔法衛士隊員がドアを開けて、主が出てくるのを待っていた。

 部屋の外まであと一歩のところで立ち止まると後ろを振り返り、腰を上げたエレオノールとルイズに軽く一礼する。

 それに続いてヴァリエール家の二人がすかさず頭を下げたのを確認して、彼女は霊夢と魔理沙の二人に視線を移す。

「それでは…しばらく暇な生活が続くかもしれませぬが。何かあれば給士を通してお申し付け下さいね」

 白百合の様な美しく清楚な笑顔でそう言われた魔理沙はおぉっ!と片手を上げて応え、ルイズに掴みかかられている霊夢も軽く右手を上げた。

 二人の返答を確認したアンリエッタがもう一度軽く頭を下げた後に、ようやく護衛を伴って退室した。

 

 最後尾にいた衛士隊員がついでのようにドアを閉めると、部屋の中が静寂に包まれる。

 誰も何も言わず、されとて口を開こうともしないので、部屋の中は一気に息苦しい場所へと変わりつつあった。

 そんな時であった…、早朝から王宮を訪問してきたエレオノールが行動を起こしたのは。

 腰を上げていた彼女はルイズたちにその顔を見せる事なく、急に出入り口の方へと歩き出した。

 

 

「……?…あの、エレオノール姉さま…お手洗い…ですか?」

 ドアの閉まったとそこで足を止めた姉に、この空気の中で喋りたかったルイズはふと話しかける。

 霊夢と魔理沙も彼女の後姿を追い、一体どこへ行くのだろうかと思った……その直後。

 

 

――――――カチン、という音と共に部屋のドアノブに付いた内鍵が掛けられたのは。

 

 

『「「「―――――…えっ?」」」』

 三人と一本は、奇跡とも呼べる反応で殆ど同じリアクションをして見せる。

 しかしそんな彼女たちを余所に全く顔色が伺えないルイズの姉は更にもう一つの内鍵であるドアガードも立たせてしまう。

 ドアの上部についているそれを立たせることで二つの内鍵が掛かり、事実上この部屋は密室と化した。

 いまエレオノールを除く三人が王宮の廊下へ出るためには、彼女をどかして二つの内鍵を何とかして開けるほかない。

 しかし今のルイズにはそれを行えるほどの度胸もなく、霊夢たちもまた嫌な何かを感じて動けずにいた。

 そんな三人を無視するかのように、鍵をかけたエレオノール本人は何も言わずただじっと佇んで自らの背中を見せつけている。

 

「えっと、その――姉、さ「ちび。この、ちび…!」――――…っえ?」

 何かしゃべらなければいけない。そう思ったルイズはしかし、直後に自らの選択が間違っていたと知らされた。

 

「………ちび。こ……こ、こっこっこの、ち、ちび…ちびルイズが…っ!」

 

 自分の言葉を遮るかのように、今までうってかわって吃音が激しくも、ドスのきいた姉の声が部屋の中に響き渡る。

 その声に喋ろうとしたルイズは無意識に体が跳ね、ついで生まれたての仔鹿の様にブルブルと体が震えだす。

 ルイズが跳ねたおかげで彼女の手から解放された霊夢も、豹変したかのようなエレオノールの声に思わずその場で軽く身構えてしまう。

「な、なんだ……ちびルイズって、おいおい…」

 魔理沙は状況がいまいち理解できず、ルイズの姉の口から出た゛ちびルイズ゛という言葉に驚いていた。

 先ほどまで自分の妹に対して、あんなに柔らかかった女性の口から出ない言葉だと認識しているのだろう。

 そして気づいてもいない。魔理沙が思い込んでるエレオノールという人間のイメージそのものが、大間違いであるということに…。

 

「アカデミーでの研究が忙しい私どころか、ラ・ヴァリエールにいるお父様とお母様にまで心配を掛けさせて…!」

 

 一人静かに、怒気を孕んだ言葉を口から紡ぎだしながら平らな胸のところまで持ち上げて右手の拳を握りしめる。

 ギリリ…!という音が響くと同時にルイズの口からヒゥッ…!と小さな悲鳴が漏れ、自然と後ずさってしまう。

 流石の魔理沙も本能的な危機を感じたのか、先ほどから喋らなくなったデルフを両手で抱え、部屋の隅っこへと逃げ始める。

 霊夢はその場で身構えたまま動けずにいたせいか、他の二人と比べてエレオノールとの距離が近い位置にいた。

 そして彼女は予想していなかった。エレオノールという人間が、ルイズよりも数段恐ろしい存在だという事を。

 

「挙句の果てに、姫殿下との話に割り込んでくる性質の悪い使い魔を召喚したうえに、没落貴族もどきと友達になるなんて…!!」

 

 その言葉を言い終えた後に勢いよく振り返ったエレオノールの顔を見て、三人は思わずその身を竦ませた。

 アンリエッタと話していた最中…どころか、霊夢と魔理沙に廊下で遭遇した時とも違う鬼のように目を吊り上げた厳しい表情。

 スマートで細い体のドコから出てくるのか分からない程の怒りが魔力となって動かしているのか、眩しいブロンドヘアーが風も無く揺らめく。

 その姿はまさしく、ヴァリエール家三女のルイズが知る長女エレオノールが割りと本気で怒った時の状態であった。

 

 

「…ッ!?ひ、ひぇ…ッ!!」

 激怒した姉に睨まれたルイズは蛇に睨まれた蛙のごとくその場で固まり、悲鳴を上げる事しかできない。

「ま、まぁまぁ…こんな所なんだし、姉妹で仲良くやろうぜ?なっ…?な?」

 魔理沙はそんなルイズを見ながらどうかこの姉妹の騒動に巻き込まれないようにとデルフを抱えたまま部屋の隅っこで苦笑いをしている。

 巻き込まれる事は無いと心の中で思いつつも、万が一の事を考慮してか自然と小声になってしまっていた。

(……あぁ。…あの顔、どこかで似たようなのを見たことがあると思ったら…やっぱりルイズの姉なのね)

 一方、ヴァリエール家の姉妹喧嘩に一番巻き込まれる危険性のある霊夢は、暢気にもそんな事を考えていた。

 

 

 先程の吃音や怒った時の顔といい、成り行きで盗賊を捕まえてしまった時の事を思い出してしまう。

 あの時、フーケを難なく気絶させた後で人質にされていたルイズも、エレオノールと同じような怒り方をしていた。

 怒った時に出る吃音癖なんて珍しいと後になって思っていたが、どうやら姉譲りの癖だったらしい。

(まぁ、今はそんな事考えるよりも…二人の喧嘩に巻き込まれないようにしないと…)

 

 その時であった、今まで仁王立ちしていたエレオノールがその右足を前へ動かしたのは。

 動作、足音ともに普通のなのだがそれすら恐ろしいのか、ルイズの体が更に後ろへ後ずさろうとしている。

 しかし妹の後退よりも姉の前進は早く、丁度彼女にぶつかりそうだった霊夢は「おわ…っ!?」と声を上げて壁に身を寄せた。

 ツカツカツカ…とハイヒールがカーペット越しの床を踏む音と共にルイズの傍へとやってきたエレオノールは、彼女の歩を思いっきりつねりあげた。

「いだい!やん!あう!ふにゃ!じゃ!ふぁいだ!」

 あのルイズが何の文句も言えずに、姉のされるがままという光景に霊夢と魔理沙はただただ目を丸くして見つめている。

 高慢で気が強く、時には二人をその場の勢いで気絶させた事もあった彼女は、涙をホロリとながして折檻に耐えていた。

「ちびルイズ!貴女は一体学院で何を学んできたというのよッ!?」

「あびぃ~~~、ずいばぜん~~~、あでざばずいばぜん~~~~…!」

 

「あ、あれだな?一種の愛情…ってやつだよな?」

『だな。叱咤も折檻も愛情の裏返し…ってヤツだ』

 魔理沙とデルフがそんな会話をひそひそとし始めた中で、霊夢は一人呟いた。

「上には上がいるっていう言葉を作ったヤツは、きっとあぁいうのを見て思いついたんだろうねぇ…」

 

 

 

 朝食の時間が終わり、生徒たちが各々の自室へと戻っていくトリステイン魔法学院の朝の風景。

 街から遠く離れているのだが、騒ぎの概要を耳にしたせいか危機感を抱いている生徒は少なくない。

 その影響か今日の授業は全て中止となり、教師たちは朝食後に全員集合して重要会議を開いている最中である。

 盗み聞きしたという生徒の話では、夏季休暇を前倒しして生徒たちを全員帰宅させた方が良いという意見も出ているのだとか。

 

 更に生徒たちを動揺させ理由の一つに、王宮から魔法衛士隊の一個中隊が魔法学院警護の為にやってきたというのもある。

 これは昨晩王宮へ参内したオールド・オスマン学院長が、魔法学院で起きた怪事件を話したことが原因であった。

 トリステイン王国の明日を担う貴族子弟たちがいる場所である故か、魔法学院がちょっとした軍事拠点になろうとしていた。

 一男子生徒たちは学院のあちこちにいる魔法衛士隊員に興奮やまぬ様子で、中には隊員の一人にサインをせがむ者もいた。

 

 

 

 

 そんなこんなで魔法学院にも不穏な空気が混ざりつつあったが、生徒たちの間では一つの話題が生まれていた。

「ねぇ聞いた?今回の騒動…あの゛ゼロ゛のルイズと使い魔が関わってるんだって」

「使い魔って…あの変な紅白の服着て、見たことない魔法でミスタ・グラモンを倒してのけたっていう黒髪の少女…?」

 この学院で学んでいる少年少女たちは、はやくも昨日の騒ぎを騒ぎを起こしたルイズたちの事を噂し合っているのだ。

 

 朝食の前にこの学院の生徒が巻き込まれた、という話を聞いた当初は動揺していたが巻き込まれた生徒の名を聞いて皆が納得していた。

「あぁ、あの゛ゼロ゛のルイズか…。まぁ最近、使い魔の紅白と怪しい黒白含めて騒がしかったからな」

「何か揉め事起こすような気がすると、前々から思ってたんだよなぁ…」

 良くも悪くも召喚してから話題になっていた霊夢と、急に現れた魔理沙の事も生徒たちの話の中に混じっている。

 この魔法学院では異分子とも言える自由奔走過ぎる二人の性格と名前は、生徒たちの間で瞬く間に知られていた。

 

 そんな風にして、陰でひそひそと悪口を言われている霊夢と魔理沙が居候しているルイズの部屋。

 昨晩のうちに三人分の荷物とデルフを持ち出され、寂しくなったそこにキュルケとタバサが侵入していた。

 

 

「うぅ~ん…やっぱりダメねぇ!粗方向こうに持ってかれてるわ…」

 クローゼットに顔を突っ込んでいるキュルケは、本棚の方を調べている相棒のタバサに聞かせるように愚痴を漏らす。

 ルイズのそれよりサイズが大きい黒のプリッツスカートに隠された尻を振りながら、クローゼットの中を物色している。

 彼女の褐色肌の手は、中に仕舞ってあるルイズのドレスや外出用の高い服を掻き分けて、何かを必死に探していた。

 対してタバサはというと…右手に杖を持ったまま自分の身長より高い本棚を、感情が見て取れない碧眼で見つめている。

 

「タバサぁ~!…何かそっちの方は目ぼしいものとかあったかしら?」

 クローゼットに上半身まで突っ込みかねないキュルケにそう聞かれると、タバサは右手の杖を軽く振った。

 自分の耳にかろうじて聞こえる程度の声で呪文を詠唱していたおかげか、小さな風が吹いて本棚から一冊の本が飛び出す。

 その本は風に巻かれて宙に舞い、風に絡まれてタバサの手の中へとゆっくり落ちていく。

 胸の前に差し出した両手の上にやや小ぶりな、それでいてしっかりと重みのあるハードカバーの本が着地する。

 ルイズの性格なのか、上段にささっていたのにも関わらず埃はそれほどついておらず、手入れも行き届いていた。

 僅かに被っていた埃をフッと息で吹き飛ばし、上から下まで表紙に目を通したの後、彼女はポツリと呟く。

「……あった」

「そうよねぇ…まったく、せめて面白そうなモノ一つくら……って、えぇ!ウソでしょぉ!?」

 友人の言葉に若干反応が遅れたキュルケは勢いよく顔をクローゼットから出すと、タバサの方へと走り寄る。

 燃えるような赤く長い髪を揺らし、自分の頭より若干小さい胸を揺らして近づいてくるその姿にタバサは僅かに慌てつつもその場から右に動く。

 その空いたスペースにキュルケがやってくると、彼女の方を見上げて手にした本の表紙を口にした。

 

「……゛烈風伝説゛」

「―――――――は?」

 タバサの口から出た本のタイトルを聞いたキュルケは、二秒ほど硬直した後にそんな声しか出せなかった。 

 ふと視線を落として友人の持っている本の表紙を見てみると、マンティコアに跨った騎士の絵がデカデカと描かれている。

 その絵の上に先ほどタバサが口にしたタイトルが書かれており、自分の記憶が正しければ実在した騎士が主人公のノンフィクションもののお話だったはずだ。

 友人の視線が表紙の方に向いていると気づいたのか、タバサはいつもの無表情さで聞いてもいない本の説明を始める。

「三十年前に実在していたというマンティコア隊隊長の活躍を綴ったノンフィクションもので、今でも騎士たちの間で絶賛されてる人気作…」

「それぐらい知ってるわよ。第一、そんなトリステインのお国自慢の本なんて今でも重版されてるでしょうに?」

 長ったらしくなりそうだった説明を途中で斬り捨てたキュルケがそういうと、タバサは「違う」と短すぎる返事をした。

 

 

「これは二十五年前に出た初版で。今はもう絶版してる、コレクター落涙ものの一品」

「……え?あ、あぁ…そう、そうなの…」

 駄目だ、ついていけない。タバサの言葉を聞いてそう判断したキュルケは、この部屋へ来た目的を少し忘れそうになりつつもほぉ…と溜め息をつく。

 その時であった。ドアを開ける音と共に、耳に入っただけで誰か分かる知り合いの声が聞こえてきたのは。

 

 

「ちょっとアンタたち…。何勝手にルイズの部屋に入ってんのよ?」

 レアな本と出会いを果たしたタバサと、そんな彼女に呆れつつあったキュルケが何かと思い部屋の入口へと視線を移す。

 そこにいたのは、ドアを少し開けて顔だけを部屋に入れた゛香水゛の二つ名を持つ生徒…モンモランシーであった。

 本人いわくチャームポイントであるブロンド巻き毛の左半分をルイズの部屋に入れて、呆れた表情で二人を見つめている。

「何か騒がしいなぁと思ってドアノブを捻ってみたら…。…ったく、これだからゲルマニアの貴族ってイヤなのよ…」

「あらあら?それはごめんあそばせ。…で、何か用でもあるのかしら?」

 ジト目で睨んでくるモンモランシーに軽く返すと同時に、キュルケは彼女に話しかけてみた。

 それに対して「それはこっちのセリフよ!」と、若干怒り気味の返事をよこしたモンモランシーの巻き毛が逆立っていく。

 しかし、キュルケ相手に怒っても仕方ないのかと感じたのか…大きなため息ついてから「まぁわからなくもないわね…」と言ってから言葉を続ける。

「アンタたちが今のルイズの部屋に入って探してるモノなんて、大体想像がつくわよ」

 巻き毛が元に戻ったモンモランシーの口から出たその言葉に、キュルケはあらあら…と意味深な笑みを口元に浮かべる。

 その笑みに何かイヤな気配を感じたのか、モンモランシーの口から関わり合いになりたくない…という言葉が出ようとした時だった…

 

「何だ何だ?もしかして君たちも、ルイズの使い魔やあの居候の事を調べてるのかね?」

 

 モンモランシーの背後から、これまたキュルケとタバサが聞いたことのある男子生徒の声が聞こえてきた。

 青年合唱団にでも入れそうな程であるが、やや自己性愛な性格の持ち主だと想像できるナルシスト気味な少年の声。

 耳にした二人は突然の事に目を丸くしつつも、モンモランシーはというと慌てて後ろを振り向き「ば、馬鹿!余計な事に首突っ込まないでよッ!?」と注意する。

 先程の声と彼女の様子で、後ろに誰がいるのかわかってしまったキュルケは怪しげな笑みを浮かべて、部屋の入口へと歩き始める。

 モンモランシーは近づいてくる同級生に気づいていない様子で、背後にいる男子生徒をその場から排除しようと奮闘していた。

「もう…っ!さっさと私の部屋へ行って……って、あ!」

 何やら部屋に入ってこようとした誰かを押し出そうとしたところで、キュルケは半開きになっていたドアを開け放つ。

 そしてその先にいたのは、ブロンドのショートヘアーに特注らしいキザっぽい制服を着たギーシュがいた。

 

「おはようギーシュ・ド・グラモン。朝っぱらから彼女とやいのやいのと揉め合ってて楽しそうねぇ?」

 からかうようなキュルケの言葉にギーシュは恥ずかしそうな笑みを顔に浮かべ、モンモランシーは何かを諦めたかのように頭を抱える。

 微笑みをその顔に浮かべる自分のすぐ傍に、本を棚に戻したタバサがやってくるのを確認してから、またもやギーシュに話しかけた。

「……さ・て・と♪あの二人―――――レイムとマリサについて何か知ってそうな感じねぇ?良ければ、この私にご教授してくれませんこと?」

 

 

 モンモランシーの部屋は、一見すれば実験室かと疑ってしまうほどのアイテムが至る所に置かれている。

 ポーションを作る際に用いる調合用の薬品が並べられている棚や、フラスコなどの実験器具が入れられている箪笥。

 そして極めつけには今まで作ってきたであろうポーションの調合レシピが記されたメモ用紙が数十枚ほど出入り口から見て右側の壁にベタベタと貼り付けられている。

 ルイズやキュルケ。タバサとはまた違う異様な内装の部屋だが、主であるモンモランシーは特に気にしていないようだ。

 

 そんな部屋の中で、キュルケとタバサ。そしてモンモランシーとギーシュという四人のメンバーでお茶会を開いていた。

 授業が中止となって暇をもてあそんでいるのだろう。他の部屋にいる生徒たちの何人かが似たような事をしている。

 元々はギーシュと二人きりで楽しむはずだったのだが、彼が余計なことに首を突っ込んでしまったが為に、今はこうしてキュルケ達もお招きしていた。

 彼女たち二人も暇だったので、まんざらではなかった様子だが。むしろだけの理由でルイズの部屋を荒らしている理由にはならないだろう。

 

 そして紅茶を四人分淹れ終え、茶菓子の入った箱を開けたところでようやくキュルケは喋ってくれた。

 昨日の夜に自分とルイズたちが学院にいなかった事と、ルイズたちが何故王宮で匿われているのかというその理由を。

 

「―――…なるほど。アンタたちが校則を犯してまで、ルイズの部屋に侵入した理由が何となくわかったわ」

 話をは聞き終えたモンモランシーは、そう言いながら右手に持っていたティーカップをソーサーの上に置き、ふぅ…と一息ついた。

 隣に座るギーシュもわかっているのかいないのか、「なるほど…」と一人呟きながら自分の杖を弄っている。

 一方のタバサはずっと俯いたままげっ歯類の様にお茶請けのクッキーを忙しそうに食べている。

「信じられないかもしれませんけど、それが私の体験した出来事の全てですわ」

 キュルケはそう言って残っていた紅茶を飲むとホッと一息つき、カップをソーサーの上に置く。

 

 時計の音と閉じた窓の向こうから聞こえる鳥たちの囀りだけが響き渡る部屋の中は、ほんの一瞬だけ沈黙に包まれる。

 このままでは空気が重くなると感じたのか、意外にも杖を弄っていただけのギーシュが声を上げた。

「しかし、そう言われてもねぇ…?あのレイムと、彼女のそっくりさんが戦っていたから、と言われても…はいそうですかとカンタンに頷けるわけないだろ?」

 彼の言う事も最もであろう。ましてや、その話を語ってくれたのが魔法学院でも随一の目立ちたがり屋であるキュルケだ。

 それにどんなにリアルな証言を語ろうにも、証拠となるモノが無ければ誰が話してもそれが実話だと信じきれないだろう。

 だが、そこまで言った時であった。何かを思い出したかのように、ハッとした表情を浮かべたギーシュがブツブツと一人呟きだす。

「いや、まてよ……他人そっくりの……生き写しの様な………」

「ちょっとちょっと?何よ、何々…?アンタ、まさか心当たりでもあるワケ?」

 

 唐突に変わったギーシュの様子に、やや食い気味になったキュルケが身を乗り出して彼の傍に寄る。

 それに反応して「ちょっと…!?」とモンモランシーが怒りつつも、一応彼氏である男の言葉に耳を傾けていた。

 一方のタバサもお茶飲みつつ目だけをギーシュの方へ動かし、彼の次の言葉を待っている。

 

「思い出したぞ…゛スキルニル゛だ」

 ようやく思い出した彼の口から出たその名前に、キュルケとモンモランシーは思わず首をかしげてしまう。

 その二人を見てギーシュはもったいぶるかのような咳払いをしてから、゛スキルニル゛についての説明を始めた。

 

 

 ゛スキルニル゛とは…古代ハルケギニアで作られたマジックアイテムの一つであり、見た目はただの人形である。

 人間の血を与えることによって、人形がその人間とほぼ寸分違わぬ姿に変身するのだという。

 単に変身するだけではなく、性格や仕草にこまかい癖、そして元となった人間が体得した技術まで真似するのだという。

 古代の王たちはこのスキルニルを大量に用いて兵士の人形を作り、文字通りの戦争ごっこに興じたという話まで残されている。

 

 

「人間そっくりに変身できる人形で戦争ごっこなんて、古代の王様たちは随分と良い趣味してらしたのね?」

 ギーシュからの説明を一通り聞き終えたキュルケはそう言って、紅茶をゆっくりと啜っていく。

 それに同意するかのようにモンモランシーも軽頷き、タバサは全く表情を変えないまま紅茶の無くなったカップを持ち続けている。

「少なくとも…僕が思いつくのはそれだけなんだが…。ただ、゛スキルニル゛そのものは入手経路が限られてるんだよ」

 話し終えて紅茶を飲んでいたギーシュは次にそんな事を言いつつ、またもや説明を再開する。

 まず゛スキルニル゛自体は市場などに出回ることはなく、普通は各国の王宮やトリステインのアカデミーの様な厳重な施設で保管されているのだという。

 稀にハルケギニア各地で発掘される古代遺跡や古い墓から出土してくる事があり、墓荒らしに盗られる事もあるのだとか…。

 無論平民はおろか並みの貴族には゛スキルニル゛の所持は許されておらず、発覚した場合には各国ごとに厳しい処罰が用意されている。

 

「まぁ、モノがモノだからね。そりゃ悪用されたら厄介な事件に発展する可能性だってあるんだぜ?」

「ハイハイ、貴方のウンチクはもう充分よ。つまるところ、私は見たらいけないモノに遭遇した…ってワケね?」

 キュルケのその言葉に、今まで黙っていたモンモランシーが「どういう意味よソレ?」と聞いてくる。

 彼女の質問にはすぐに答えず、カップに残っていた冷めた紅茶を飲み干したキュルケはふぅ、と一息ついてから喋り出す。

 

「昨日見たあの紅白の偽モノさんがスキルニルであれ何であれ、

 貴族平民問わず安易に関わるべき事じゃない、…ということよ。

  特に私の様な一学生が、興味や好奇心で首を突っ込むのも…ね?」

 

 最後に軽いウインクをして喋り終えたところで、タバサを除く二人の顔色が変わった。

 ギーシュは迂闊な事を口走ってしまったと思っているのか、気まずそうな表情を浮かべて腕を組んでいる。

 モンモランシーはというと口を小さく開けたままポカンとしていたが、ふと何か思いついたかのような表情になった。

「ま、まぁ…貴女の言う事が本当だとしてよ。何であのヴァリエールと怪しい二人が、そんなのに襲われるのよ…?」

 自身を椅子の背もたれに預けて寛いでいるキュルケを指さしながら、モンモランシーは質問をぶつけてくる。

 

 しかし…部屋の主からの質疑に対し、応答した相手はキュルケではなかった。

「――――…もしかすれば、ルイズの傍にいるその゛二人゛が原因かもしれないねぇ…」

 モンモランシーの隣に座るギーシュが腕を組んだ姿勢のまま、天井を見上げながら一人喋った。

 一応彼氏である男の言葉にモンモランシーははぁ?と言いたげなのに対し、キュルケの顔にはまたも嬉しそうな表情が浮かび上がる。

 いつの間にかカップをソーサーに置いていたタバサも顔を上げて、目の前にいるギーシュをじっと見つめていた。

 三人もの女子生徒に見つめられて思わず顔が赤くなりかけた彼であったが、モンモランシーが目の前にいることに気付いてひとまずは咳払いをする。

 まるで気を直すかのようなその動作をを、三人の顔を見回してからギーシュは喋り始めた。

 

「―――OK。とりあえず言いたいことはあの二人…つまりミス・レイムとミス・マリサの事だ。

 三人ともわかってるとは思うけど、ルイズの部屋にいる彼女たちは何かが僕たちとは゛違う゛。

 無論見た目は人間であるし、食べるものだって同じだ。けれど…僕らと違うのはそこじゃない。

 まず最初の違いに気付いたのは。…恥ずかしい事だが、ミス・レイムとヴェストリの広場で決闘した時の事だ」

 

 ひとまずそこまで言ったところで一息つくように紅茶を一口飲み、話を続けていく。

「あの時僕…いや、僕たちが見たのは彼女が瞬間移動したことと、見たことのない魔法で僕のワルキューレを撃破したことだ」

 そうだろ?三人の同意を求めるかのような彼の言葉にキュルケとタバサは頷いたが、モンモランシーだけは首をかしげた。

 あの時…一年生のケティとギーシュをぶちのめし、夕食の為に部屋へ降りてギーシュと再会するまで、ずっと自室にいたのである。

 だからヴェストリの広場で決闘していた事は知っていたが、その詳細までは知らなかったのだ。

「何よソレ?そんなのアタシ初耳なんだけど?」

 三人の顔を見比べながら怪訝な表情を浮かべる彼女に、ギーシュが決闘の様子を軽く説明する。

 ついでに、負けたあたりのところをキュルケが補完してくれた為、モンモランシーはあの日のギーシュが妙に慌てていた理由が今になって分かった。

「だっさいわねぇ貴方。あんな見ず知らずの子に決闘吹っかけて負けて脅されて、恥ずかしくないの?」

「いやいやモンモランシー!彼女のあの怖い笑顔を見たらそりゃ、いくら僕でもそうせざるを得なかったんだって!第一あれは彼女の方から…」

「はいはい、カップル同士のイザコザはそこまでにして頂戴。今話したいことはそこじゃないでしょ?」

 

 思わず喧嘩になりそうだった二人を仲裁しつつ、キュルケは話を続けるようギーシュに促す。

 とりあえず一旦言い争いを止めたギーシュはもう一度咳払いしつつ、説明を再開する。

 

「え~っと、まぁそれから二日ほどしてからかな、僕は彼女が何者なのか気になったんだ。

 勿論好意的な意味ではなくて…僕のワルキューレを撃破したあの魔法や瞬間移動が何なのか…という事だ。

 ひとまず図書室で調べてみたけど、少なくとも僕の調べた範囲では該当する魔法は無かった。

 ……いや、今になって思い始めてる。あれは本当に僕たちの知る゛魔法゛だったのか?…と」

 

 ギーシュがそこまで喋ると、モンモランシーが横槍を入れるかのような言葉を投げかける。

「゛風゛系統の魔法とかじゃないのかしら。ほら?召喚の儀式のときに空だって軽々と飛んで見せ……あ」

 喋り終える前に、彼女は自分の言った言葉の中にある矛盾に気づいた。

 それを察したギーシュはモンモランシーに軽く頷いてから再び説明を続ける。

 

「――そう、彼女が初めて僕たちの前で空を飛んだ時に、

 瞬間移動をして僕の背中を蹴った時も、攻撃した時にも…杖を持っていなかった。

 僕たちメイジと杖は、使い魔以上に一心同体の存在であり、なくてはならない存在だ。

 杖を失くしたり壊れたりすれば魔法が使えず、文字通りただの人間になってしまう。

 しかしミス・レイムは、杖を使わず未知の攻撃を仕掛けてきた。これが意味する事は何か?

 即ち、彼女が僕たちの゛既知の範囲外の存在゛だという事なんじゃないかな?比喩でもなんでもなく…」

 

 

 そこで話は終わりなのか、ほぉ…と溜め息をついたギーシュは楽な姿勢になって口を閉ざす。

 暫しの間静寂が部屋の中を支配したが、彼に続くようにモンモランシーが口を開いた。

「せ、先住魔法とかはどうなのよ?あれって確か、杖を使わずに―――」

「先住魔法は私達の魔法以上に長ったらしい詠唱が必要なうえに、普通の人間には扱えないそうよ?」

 常識的な結論を導き出そうとする彼女に対し、腕を組んで黙っていたキュルケが退路を断つかのように否定する。

 あくまで教科書レベルの知識であったが、先住魔法を使うのはエルフたちの様な亜人だけ…というのはこの世界の常識だ。

 もはや何も言えなくなってしまったモンモランシーに代わり、ギーシュがまたも喋り出す。

 

「…ミス・マリサも怪しいと言えば怪しいな。何よりも、あの箒で空を飛ぶという事。

 みんなは「そういうマジックアイテムもあるんだろ?」と言ってるが、何でワザワザあんなモノを使って飛ぶんだろうか?」

 

 そこまで言ったところで右手を上げたキュルケがギーシュの口を止め、代わりに彼女が喋る。

 

「それと気になることがもう一つ。彼女がハルケギニアでの基本的な知識の大半を、知らないという事よ?

 例え流浪の身であっても、あの年の娘なら私達と同じような教育をされてるはずじゃない。

 ところが彼女、少なくとも一般的な社会常識は身に着けてるようだけど…多分、『ここの魔法』系統の知識はまだからっきしよ」

 

 一部の言葉を強調したキュルケに、モンモランシーが「どういう事なのよ?」と聞いてきた。

 本日何回目かになる彼女からの質問に、キュルケは落ち着いた様子で話し始める。

 

「あの黒白、以前授業中に使い魔たちに混じってメモを書いてたのよ。

 確か授業の科目は土で…一年で覚えた゛土゛系統『錬金』の説明と、

 人の代わりに軽作業を行えるゴーレムをいかにして作り出すか…だった…かしらねぇ?

 ともかく、黒白は先生の言葉と授業内容を聞き逃すまいと楽しそうにメモしてたわ。

 まるで『異国』から人間が、現地の人々からの面白い話を聞いてメモするかのように…ね?」

 

「僕の様な゛土゛系統専門のメイジはおろか、学院にいる生徒なら充分熟知してた内容だったね」

 キュルケの説明に補足するかのように、ギーシュが一言入れる。

 同じ授業に出席していたタバサがそれに同意するかのように頷いたが、尚も食い下がるモンモランシーが「だったら…」と喋り始めた。

「だったら、何で誰もそれを指摘しないの?学院長は何か知ってそうだけど…どうして誰も気にしないのよ!?」

「そんなの決まってるんじゃない?――――『気にしない』んじゃなくて、『気にしようとしない』のよ、みんな」

 最後は声を荒げつつも言い終えたモンモランシーであったが、キュルケはその顔に笑みを浮かべたまま返事をした。

 自分の言葉にポカンとした彼女を見て軽く満足しつつ、キュルケは更に言葉を続けていく。

 

「確かにあの二人はここでは異質な存在よ。けれど、それ以上の事はしてこない…。

 つまり、私達の様に気付いた人間以外は、彼女たちが無害だから気にせずに『放置』しているのよ。

 紅白は召喚の儀式とギーシュとの決闘以来学院で目立った問題は起こしていないし、基本私達とは関わろうとしない。

 まぁ、ちょっとしたトラブルで私の頭を蹴ってきたことはあったけど…、その借りはいつか返すとするわ…」

 

 そこまで喋ってから一旦軽く息を吐いて吸いなおしたのちに、話を再開する。

 

「黒白は逆に、私たちの中に混じろうとしているわね。自らの異質さを表面に出しつつも、性格と口達者さで誰もそれに気付いてない。

 中には気づいている連中もいるとは思うけど、全体的に見れば私達を含めて少数だし、その少数が動くとは思えないわね。

 あの黒白は正直口が上手いし見た目もそれなりに良いから、一部の生徒たちは好意的だって聞いたこともある。

 それは彼女が自らの異質さで自分たちに危害を加えず、友好的なコミュニケーションとして使ってくれるからよ。

 もしもあの紅白みたいに召喚直後から問題起こしてくれれば、多少なりとも警戒はしていたでしょうけど…ね?」

 

 キュルケがそこまで言ったところで、今まで黙っていたタバサがポツリと呟いた。

「結局のところ、単に゛珍しい゛から誰も問題に触れず…『気にしようとしない』」

 

 

 これでわかったかしら?タバサの一言につけ加えるよう言った後に、キュルケの話は終わった。

 少なくともハルケギニアの常識の範囲内で結論づけようとしたモンモランシーも参ったのか、やや憔悴した顔で頷く。

「結論付ければ何?…つまりルイズや貴女達が襲われたのは、あの使い魔と同居人が怪しいからって事なのよね?」

「まぁ結論付けるには証拠が足りませんけど。可能性は無きにしも非ず…ってところね」

 明らかに厄介な事に気づいてしまったと言いたげな彼女を見て頷きながら、キュルケは茶請けのクッキーを口に入れて頬張っている。

 それを横目に見ながら、項垂れつつある彼女を励まそうとギーシュが優しい声で語りかける。

「まぁ途中で軽く話が逸れつつあったけど…大丈夫だよ、僕のモンモランシー。この僕がいる限り、何も怖い事なんかないさ」

 健気にも励ましてくれる彼に、モンモランシーは「気遣いは嬉しいけど、アンタは頼りないわねェ…」と言われている。

 相変わらずの二人にキュルケはふふっ…と軽く笑い、次いで思い出したかのように頼りないと言われた彼氏に話しかけた。

 

「そういえばギーシュ、貴方に聞きたいんだけど。あの時どうしてあんな言葉が出てきたのよ?」

「ん?何だい、僕が何か君たちの気に障るような事を言ったのかな?」

「いやぁ違うわよ。ホラ、私とタバサがルイズの部屋で二人の事を調べていた時に―――…あら?」

 その時であった、ふと部屋の外から甲高い警笛の音が聞こえてきたのは。

 

 ここ魔法学院では聞き慣れぬその音に四人が窓の方へと視線を向け、何事かと思い始める。

 警笛は一旦止まっては、また吹き続けるという事を何回も繰り返している。まるで何かを集めるかのように…。

 いや、実際に集めているのだ。今魔法学院に駐屯している魔法衛士隊の隊員たちを。

 

 警笛が鳴り始めてから数十秒が経ってから、ドアの向こう側が騒がしくなってきた。

 幾つものドアが開く音と共に何人かの生徒たちが廊下へ出て何処かへと走っていく。

 外では相変わらず警笛が鳴り続け、しまいには火竜に跨った魔法衛士隊隊員が一人窓を横切って飛んで行った。

 流石のキュルケもこれには驚いたのか目を丸くし、部屋の主であるモンモランシー「ちょっとぉ!次から次へと何なのよ!?」と叫んでいる。

 一方のタバサはスッと席を立って窓へと近寄ると、何のためらいもなく観音開きのそれを両手で開け放った。

「た、タバサ…ッ?」

「彼女は、一体何をするつもりで…!」

 友人の唐突な行動にキュルケは声を上げ、いつの間にか部屋の入口近くへと下がっていたギーシュもそれに続く。

 タバサはそれを気にせず窓から身を乗り出して左右の安全を確認してから、竜騎士が飛び立っていった方向へと顔を向ける。

 

 

 警笛が鳴り続ける魔法学院の敷地を、そろいのマントを来た魔法衛士隊の隊員たちが走っている。

 彼らは皆ある一定の場所へと向かっており、空を飛ぶ幻獣を使い魔として使役している者は一足先に急行していた。

 ふと真下から男の怒鳴り声が聞こえてきた為、何かと思い視線を真下へ動かすと、衛士隊の隊長格と思われる貴族が何かを指示している。

 

「庭園にて不審な男を発見した!第二、第三班はここに残って寮塔の警備にあたれッ!!」

 

 

 

 

 

「―――…全く、朝っぱらからこの私を怒らせないで頂戴よルイズ」

 ただでさえ今はイライラしているというのに。最後にそう付け加えて、エレオノールはフォークに刺したオレンジを口に入れた。

 デザートであるクレープの付け合せとして出てきた糖漬けの柑橘類は甘酸っぱく、クレープともマッチしている。

 それを租借し、飲み込むまでの動作は魔法学院の生徒たちと比べれば恐ろしい程に上品だな~と、ルイズは思っていた。

「……ルイズ、返事は?」

 一方で、紅茶の入ったカップを手に持ったまま返事もしない妹に、姉が再びその口を開く。

「ふぇっ?あ、は、ハイッ!エレオノール姉さま!…ンゥッ!」

 我に返り慌てて返事をした彼女はその勢いのに任せ、流れるような動作でカップの中身を口の中に入れていく。

 幸いな事に、中の紅茶がかなり温くなっていたようなのでコメディ劇の様なハプニングは起こらずに済んだ。

 冷えて微妙な味になってしまったソレを全て飲み干したルイズはカップをソーサーの上に置き、ホッと一息つく。

 

 今現在、王宮で匿われているルイズが寝泊まりしている王宮内の客室。

 それなりの家名を持つ者しか宿泊を許されないこの部屋で、ヴァリエール家の長女と三女が朝食をとっている。

 二人とも既にデザートの方へ手を付けており、王宮の専属パティシエが作ったクレープに舌鼓を打っている最中だ。

 しかし長女のエレオノールはともかくとして、三女のルイズはこの朝食が始まる前から物凄い緊張のせいで頭がどうにかなりそうであった。

 

「今回は誤報で済んだから良かったものの、報せが本当だったなら今頃どうなっていたやら…」

 貴女はまだ学生の身なのよ?最後にそう付け加えて紅茶をゆっくりと飲む姉にルイズは謝罪を述べる。

「も、申し訳ありません姉様…」

 朝食が来る前から地味に続いているエレオノールからの説教を、ルイズはただただ聞いていた。

 今日も一日これからだというのに、侍女たちが部屋の壁に控えている中で気まずい朝食が続いている。

 

 そして、その様子を壁一枚越し…つまりは隣に設けられた小さな部屋の中で聞いている二人の少女と、一本がいる。

 本来は侍女の待機室として使われているこの部屋にテーブルが置かれ、そこで霊夢と魔理沙が朝食をとっていた。

 アンリエッタの気遣いか、ルイズたちと同じメニューと二人分のティーセット、それに白パンが何個か入ったバスケットが置かれていた。

 

「それにしても、あのルイズが反論も無しにこう言われ放題とはなぁ。アム…ッ!」

 薄い壁から漏れてくる姉妹の会話に耳を傾けている魔理沙が一言呟き、ナイフで切り分けた厚切りベーコンをフォークに刺して口に入れる。

 頭に被っている帽子は部屋の入口に置いてある帽子スタンドに掛けられており、窓から入る陽光に照らされている。

「見た目もそうだけど、今のルイズを数倍格上げしたような性格してんのよ?そりゃ頭が上がらないわよ」

『第一、魔法学院に入る前からあんな風に叱られてんなら尚更だぜ?』

 何故か苛ついた様子で食事をとっている霊夢が言葉を返し、それに相槌を打つかのようにデルフが喋る。

 部屋の一番奥に設置されたこぢんまりとした椅子の上に置かれたインテリジェンスソードは、二人の食事を淡々と見つめている。

 そんな風に隣の部屋と格差のある朝食が続いている中、苛々を募らせていた霊夢がついに小さな爆発を起こしてしまう。

 今まで堪えていた゛何か゛を開放するかのようにはぁ~っ…、と大きなため息をついて、バスケットに入っている白パンを一個乱暴に手に取った、

「それにしても、何なのよアイツは?私の事を使い魔使い魔って好き放題言ってくれちゃって…」

 あわれ犠牲者となった白パンを両手で勢いよく毟りながら、霊夢はここで朝食をとる理由となった数十分前の事を思い出す。

 

 

 エレオノールの怒りが爆発し、ルイズが頬を抓られてしまったあの後…。

 霊夢や魔理沙たちも巻き込まれる形で五分ほどの説教を聞いてから暫くして、ようやく給士たちが朝食の準備にやってきてくれた。

 時計を見ればキッカリ二十分が経過している。紅魔館の妖精メイドたちが呆れ返る程ここで働く者たちはしっかりしていると、この時の霊夢は思った。

 最初に入ってきた給士がフォークやナイフにスプーン、そしてグラス類などを乗せたワゴンを部屋に入れ、次にテーブルクロスを持ったメイドが入ってくる。

 二人掛かりで部屋の中央に置かれたテーブルにクロスを敷き、素早い動作でワゴンに乗せたスプーンやコップをその上に置いていく。

「ほぉ~こりゃまた見事だな。やっぱり、こういう場所だと下の人間ほどテキパキと働いてるんだな」

 面白いものを見ているかのような顔で魔理沙がそう言うのを尻目に、ふと何かに気付いたエレオノールがクロスを敷いたメイドに話しかけた。

 ガリア沿いの小規模な街から御奉公に来た十代後半の緑髪のショートヘアが眩しいメイドの少女は、何でございましょうかと尋ねる。

「貴女、二人分ほどスプーンやグラスが多いのはどういう事なのかしら?」

「はて…?姫殿下から頂いた連絡では、きっちり四人分の用意をするようにと仰せつかっておりますが?」

「四人分?まさかとは思うけど、あの使い魔と従者の分…ということなのかしら?」

 エレオノールはそう言って横目で霊夢と魔理沙を見やると次いで振り返り、後ろにいるルイズを睨み付ける。

 姉に睨み付けられたルイズはハッとした表情を浮かべ、何て言葉を出していいのか一瞬分からず口をつぐんでしまう。

 

「つまりアンタが言いたいのは…貴族様の素晴らしい食卓に、私達の様な人間が入る余地は無い…って事でしょう?」

 その時、思いも寄らぬ助け舟――――…から大砲を撃ってきたのは、意外にも壁の傍に立っている霊夢であった。

 足元にデルフを立てかけている彼女は、腕を組んだままルイズの姉をジトー、っとした目で睨み付けている。

 だが使い魔のやることに一々腹を立てるつもりはないのか、エレオノールも負けじと「良く分かっているじゃない?」と言い返す。

「この娘がどういう扱い方をアナタ達にしたか知らないけれど。下手に勘違いしてない分、゛人間の使い魔゛としては良くできてるわね」

「…というか、四六時中何かに苛ついてるようなアンタに睨まれながらのご飯なんて、コッチからゴメン被るわ」

 穏やかな一室が不穏な空気に包まれるのを察知したルイズはしかし、エレオノールに横目で睨まれ何も言えなくなってしまう。

 

 そんな一触即発という状況の中で、ルイズの姉と睨み合っていた霊夢は大きなため息をついて、ふと隣の部屋へと続く扉を見やる。

 すぐ横にあるその扉を後ろ手で少し開けて振り返り、中の部屋がどうなっているか確認したの後、動きが止まっていた給士に声を掛けた。

「さて、そろそろお腹もすいてきたし……ねぇ、そこの給士さん?」

「え…あ、は…はい…何でしょうか?」

「隣の部屋が空いてるようだから、私とそこの黒白の朝ご飯をそっちに持ってきてくれない?」

 霊夢からの要求に給士はどう答えていいか分からず、ついついエレオノール達の方へ顔を向けてしまう。

 それに対しエレオノールはメガネを人差し指で掛け直しつつ、ぶっきらぼうな表情で言った。

「今、この部屋の主は私の妹であるルイズよ。返答を乞いたいのなら彼女に聞きなさい」

 姉の口から出た言葉にルイズは一瞬戸惑いつつも、すぐに給士の方へ顔を向けて「わ…分かったわ。持ってきて頂戴」と伝える。

 ルイズの言葉を聞いて恭しく一礼した給士は同伴していたメイドに要件を伝えて、厨房へと向かわせた。

 その後…エレオノールの事は妹のルイズに任せた霊夢はデルフを持って隣の部屋へ移り、

 珍しく何も言わずに黙っていた魔理沙も、愛想笑いをルイズたちに向けながら霊夢の後を追っていった。

 

 ……そうこうして時間が過ぎ、今に至る。

「にしても、あの時私は黙ってたけどさぁ…よくもまぁお互い暴発せずに済んだよな?」

 トマトソースが掛かっていたオムレツを食べ終えた魔理沙に聞かれ、口に放り込んだ白パンを飲み込んだ霊夢が口を開く。

「空きっ腹で怒って朝食が滅茶苦茶になったりしたら、余計にお腹が空いちゃうじゃない」

 向こうだって同じよ。最後にそんな言葉を付け加えながら、左手に持っていた白パンの片割れも容赦なく口の中に入れる。

 学院のそれと比べれば、小麦の風味が濃いそれを口の中で味わいながらも、スプーンで掬った野菜のコンソメスープをゆっくりと啜る。

 

 一口分のサイコロサイズに切ったニンジンやジャガイモはじっくり煮込んでいるおかげか柔らかく、それでいて程よい歯ごたえもある。

 琥珀色のスープの味も申し分無く、一緒に入れている適量の塩コショウが食欲を促進させてくれる。

 厚切りベーコンも焼いた際に余分な油を落としているので、多少分厚くとも最後まで美味しく食べられる。

 流石に隣の部屋のルイズたちと食べているモノは同じなので、料理自体に不満などなく、むしろ太鼓判を押したくなるほどの出来だ。

「――ン、クッ…。それにしても、やっぱりこういう場所だけあってか料理にも金を掛けてるのは、学院と同じなのね」

 スープと一緒に咀嚼したパンを飲み込んだ霊夢はやや満足気味な表情を浮かべて、一人呟く。

 学院の厨房で働いているマルトーの料理と比べても遜色ない出来に、先ほどの苛々も徐々に消えつつあった。

 人間、怒っている時に案外上手いモノを喰ったら上機嫌になってしまうものである。特にお腹が空いているような時には。

 

 

「だな。…でもまぁ、このクレープと比べたらマルトーのアップルパイの方が点数差で勝つなぁ~」

 喉に刺さっていた魚の骨がうまいこと抜けた時の様な安堵感を覚えつつ、クレープを食べ始めた魔理沙が言った。

 クレープなのに何故中に包むべきフルーツやクリーム等を、生地の上へご丁寧に乗せているのかという疑問を抱きながら。

 

 

 そんな風にして二人が和気藹々と食べている一方…。

 デザートも食べ終え、食後の紅茶を堪能しているルイズは姉のエレオノールから色々と聞かれていることがあった。

「それにしても…人間の使い魔だなんて、生まれて初めて見たわね」

 あの巫女の憎たらしい視線を思い出して僅かな怒りを思い出しつつ、エレオノールは率直な感想を述べた。

 一方のルイズも紅茶をちびちびと飲みつつも、ひとまずは静かにして姉の様子を窺っている。

「貴女は色々と昔から変わってたけど…一体全体、何で人間なんか召喚できたのよ?」

「ん~?…どうしてでしょうか?ちゃんと手順通りにコントラクト・サーヴァントをして…あんなヤツが出ちゃったので…」

 自分の口からでた質問に、すぐさまそう答えたルイズを見てエレオノールはため息をついた。

「まったく!幼い頃からまともなコモン・マジックすら使えなかった貴女が、使い魔の召喚であんなのを呼び寄せちゃうなんて!」

 そう言ってエレオノールは、ティースプーンで砂糖の入った紅茶をゆっくりと掻き混ぜる。

 姉の態度にまたもや怒られると感じたルイズは席に座ったまま頭を下げたまま次の言葉を待ち構えた。

 しかし…彼女の口から出た言葉の一言目はルイズの予想を、良い意味で裏切る形となる。

 

「ま、まぁでも…魔法が使えなかった貴女が、召喚に成功して無事に進学できた分…良かったとは、思うべきかしら?」

 顔を僅かに横へ向けつつも放った姉の言葉は罵りではなく、二年生になれた事を褒めるものであった。

 それを聞いて目を丸くしたルイズは顔を上げ、そっぽを向くおエレオノールの顔をまじまじと見つめる。

 てっきり「このおちび!」という言葉と共に叱られるかと思っていたので、色んな意味で面喰ってしまっていた。

 幼少期は事あるごとにおちびおちびと呼ばれ頬を抓られ、叱られていたというのに…。

「え…?あの、姉様…今の言葉は?」

 姉の口から出た自分への褒め言葉が信じられないのか、ルイズはもう一度確認するかのように聞いてみる。

 しかし、その言葉にハッとした表情を浮かべて、慌てて妹の方へと顔を向けた。

「…っ、勘違いしないでちょうだいルイズ。良い?召喚に成功できたからとはいっても、貴女はこれからも努力を怠ってはいけないのよ?」

 先程の褒め言葉を隠すかのように言ったエレオノールは砂糖を混ぜ終えた紅茶を飲み始める。

 そしてすぐに口元から離すとソーサーに置き、コホンと軽く咳払いしてからまたもや口を開いて喋り始めた。

 

「言いたい事は山ほどあるけど…とりあえず朝食が終わったら、

 お母様とお父様に手紙を書いて無事だという事を教えてあげなさい。

 姫殿下に頼んで竜騎士に手紙を届けてくれるよう、私からも進言しておくわ。

 良い?すぐに手紙を書くのよ。二人とも今頃ラ・ヴァリエールのお屋敷で心配していると思うから」

 

 

「あ…ハイ!――――ん、あの、姉様」

 姉からの命令にルイズはすぐさま返事をした後、ふと疑問に思ったことがあった。

 返事をしてすぐ質問をしてきた妹に紅茶を飲みながらも、エレオノールは「何かしら?」と聞く。

 少し考えるよなそぶりを見せてから、ルイズはおずおずと口を開く。

 

「その…勿論、ちいねえさまにも手紙を出した方が良いですよね?」

 ルイズがそんな事を言った瞬間、カップを持っていた姉の右手が微かに揺れた。

 幸い中身をこぼしはしなかったが、その動揺するかのような動きをルイズは見逃さなかった。

「あの、姉様?」

「……あの娘は今、ラ・フォンティーヌにもラ・ヴァリエールの実家にもいない。だから手紙は出さなくていいわ」

「………ッ!」

 ルイズに向けてそう話すエレオノールの表情は、何か悩んでいるかのようなモノへと変わっていた。

 その顔を見て脳裏に嫌な゛何か゛よぎり、彼女の体が無意識に立ち上がってしまう。

 後ろへと押しのけられた椅子は一瞬の猶予の後に、大きな音を立ててカーペットを敷いた床の上に倒れる。

 

 

「ま、まさか…ちいねえさまは…ちいねえさまは…?」

「馬鹿な事を考えないで頂戴ッ!」

 

 

 思わず口から出たルイズの叫びをかき消すように、エレオノールが大声を上げる。

 その声に、そしものルイズも驚いたのだろうか、ひっ…と小さな悲鳴を上げてその場で縮こまってしまう。

 エレオノールのすぐ傍にいた侍女も驚きのあまりか、その場で身体を震わせている。

 そんな事を気にせず、大声を上げたエレオノールはルイズに向かって「人の話は最後まで聞きなさい。良いわね?」と言い聞かせる。

 姉の注意にルイズは先ほどの叫びとは比較にならない小さな声で「ハイ…」と答え、控えていたメイドが起こしてくれた椅子に座りなおした。

 妹が座り直したところで小さな溜め息をついたエレオノールは、教え子に諭すような感じで喋り始める。

「とりあえずあの娘は変わりないわ。良い意味でも、悪い意味でも…」

「そう、ですか…」

 最初の一言目を聞いて、先程嫌な゛何か゛がよぎったルイズの脳裏に、こんどは『ちぃ姉様』の姿が思い浮かぶ。

 物心ついた時からベッドから上半身だけを起こした状態で、幼い頃の自分を可愛がってくれた。

 生まれた時から難病に苛まれ…それでも優しく健気に、誰よりも明るく振舞っていた。

 学院へ入学する前、実家を離れるときにも父と同じく魔法が使えぬとも決して挫けるなと励ましてくれたのである。

『大丈夫よルイズ。貴女ほど気丈な娘なら、きっと始祖ブリミルも微笑んでくださるわ』

 まだまだ小さい自分の体を抱きしめながら頭を撫でてくれたことを、自分は今でも忘れていない。

「ちいねえさま…」

 時間にすればほんの数秒ほどの思い出に浸っているルイズに水を差すかのように、エレオノールは話を話を続ける。

 

「私が両方の領地にいないと言ったのは…、あの娘が始めて旅行をすることになったからなのよ…。

 もっとも、私だって…つい数日前にお父様からの手紙で初めてその事を知ったから、今はどこにいるのやら…」

 

 エレオノールの口から出てきた゛旅行゛という言葉に、ルイズはえぇっ!と驚いた声を上げてしまう。

「りょ、旅行ですか…でも、あの体で…」

「無論。知ってたら実家に帰ってでも止めてたけど…。

 あの娘、いつの間にか上手いこと両親と周りの人間を説得しちゃったらしいのよ。

 まぁ国内だけの旅行だけで済んだし、目的地も手紙に書いてあったから何かあっても動けるとは思うわ」

 エレオノールの説明にルイズは安堵のため息をつきつつ、ふと目的がどこなのか気になった。

 それを察してか、すっかり温くなってしまった紅茶を一口飲んでから、エレオノール言った。

 

「目的地はラ・ロシェール近辺の村であるタルブ…そこの領主アストン伯の屋敷、らしいわ」



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第七十四話

 

 床に落ちる水滴の音が、耳の奥にまで響いてくる。

 まるでその音を聞いている者に起きろ、起きろ…と語りかけているかのように…

 

 

 

「――――…ん、こ…ここは?」

 天井から滴り落ちる水の音に目を覚ました時、彼女の口からそんな言葉が出た。

 無理もない。何せ部屋の仲は薄暗く、彼女の視界はその暗闇に慣れきってはいないのだから。

 

 上半身を越こしながらも周囲を見回すと、背後には唯一の明かりであろう小さな提灯が、火を灯されて置かれている。

 明りがある事を確認すると、暫し時間を置いて目が闇に慣れていき、ここがどんな場所なのか把握できた。

 木造の格子がこの部屋と外を隔てており、出入り口であろう右端の小さな扉には南京錠が掛けられている。

 自分が横たわっていた場所には、黒く湿っぽい畳が六畳ほど敷かれている。

 布団の類は部屋の格子側の左端に置かれており、まるで病に斃れた老牛の様に畳の上に置かれている。

 背後の提灯しか明りの類が無いこの部屋を一通り見回した後、 ここがどういう場所なのかある程度は理解した。

 

「これが俗に言う、座敷牢ってヤツかしら?」

 彼女はポツリと呟きながら立ち上がり、その場でワケもなく軽い背伸びをした。

 腰まで伸びた黒髪、紅い巫女装束にそれと別離した白の袖、下は袴ではなく赤色のロングスカートという和洋折衷な彼女は格子の方へと近づく。

 何の遠慮もなく木製のそれへと左手で触れてみるが木そのものは特に腐ってはおらず、頑丈な格子の役目を果たしている。

「はてさて…どうして私は、ここにいるのかしらねぇ?」

 明らかに尋常ではない場所にいながら暢気そうな口調でぼやきつつも、木製格子を触り続けている。

 体感している気温の低さと薄暗さから地下にいるのだろうが、どうしてそんな所に閉じ込められのか、その理由が分からない。

 

「…っというか、私は今まで何をしてたんだっけか?」

 

 まるで記憶を失ってしまったかのような言葉であるが、事実今の彼女には自分が誰なのかすら分からない状態である。

 自分の名前が分からず、そして今まで何をしてきたのかすら忘れてしまうという感覚はどこか不気味なものだ。

「記憶喪失ってヤツなのかしら?成程、こりゃ確かにムズ痒くてもどうしようもないわね」

 他人事のように今の自分の状態を述べてから、格子に背を預けるようにして腰を下ろす。

 ここは冷たいが鍵が無いと出られない以上、無駄にじたばたしても仕方がない。したらしたで腹を減らしたうえで余計に疲れるだけだ。

 体育座りで格子にもたれ掛かる彼女はお手上げと言いたげなため息をついて、天井を見上げた。

 暗くて良く見えないが、恐らく格子と同じ木で組まれた天井からして上にある建物も木造だという事が分かる。 

 

 だからといってこの事態の解決の手立てにもならず、また憂鬱げなため息をつこうとした…その時であった。

 ふと背後から、重く冷たい鉄扉を開けるかのような耳障りな音が聞こえてきたのは。

 

「えっ?……うわっ!」

 その音と同時に振り返った彼女はしかし、視界を塞ぐほどの眩しい光を前にして咄嗟に目をつぶってしまう。

 急いで立ち上がると同時に両手で光を遮りながらも目を開けて、光が差す方向に何があるのか確認しようとする。

 最初は眩しすぎで何もわからなかったものの、闇に慣れようとしていた目が徐々に元に戻ろうとしている。

 そうして右手だけで遮るほどに光に慣れ戻った彼女の目に入ってきたのは、後光を受けて佇む一人の゛女性゛であった。

 まるで下界に降臨した神の様に眩い光を背に受けて立つその女性の頭には、大きなリボンが付けられている。

 頭の右側のソレは色こそ分からないものの、かろうじて見えるシルエットはまるで大きな蝶のようだ。

 

「…アンタは?」

 格子を隔てて彼女は女性に質問に投げかけるが、女性はその質問には答えない。

 反応なしか…。そう思った彼女の心を読み取ったのか、女性はその口を開いて喋り出した。

 

――――――さぁ、いよいよアンタの時代よ。―――を血に染める時代が始まるわ…

 

 喋った。とはいえ、彼女の質問には応えてくれない。だけど言っていることはどうも穏やかではない。

 背丈は大人の女性だというのに少女の様に澄んだ声が、物騒な言葉を紡ぎだす。

 少し聞こえなかったところがあるも、どうにも嫌な予感が脳裏をよぎっていく。

 その゛嫌な予感゛がよぎる際に脳に軽く接触したのだろうか、彼女は妙な頭痛を感じた。

「んっ…」

 顔を顰めて目を細めつつも女性を捉える視線だけは決して逸らさず、見つめ続ける。

 一瞬でも視線を逸らせば消えてしまうかもしれない。そんな確証のない実感を、彼女は感じていた。

「だから、アンタは誰なのよ?」

 今度は少し言葉を荒げさせながらも、後光を受ける女性に質問を投げかけ続ける。

 それが無駄になるだろうと思いつつも、悲しいかな彼女の予想とものの見事に的中した。

 

―――――アンタには私の一部を託した。…そして、これまで抱えてきた負の感情も…全て!

 

 格子越しの女性もまた言葉を途中で荒げ、彼女に向けて喋り続ける。

 澄んだ声から出せるとは思えない恐ろしい゛何か゛を含んだ女性の言葉は、より先鋭化している。

 そして、狭く暗い牢獄から解放されたかのような嬉しそうな喋り方が、格子越しの女性を異様なモノへと変えていく。

「な、にを……――…クッ!」

 それと同時に、先ほど感じ始めていた頭痛が段々と酷くなっていくのに気が付く。

 まるでその声に毒が含まれているかのように、女性が言葉を紡ぐたびに彼女の頭痛はどんどん深刻になっている。

 

――――さぁ行きなさい。そして思い知らせるのよ!奴らにとって、『ハクレイの巫女』が如何に化け物なのかを!

 

 格子越しに聞いていた彼女に向かってそう叫び、女性は光の中にゆっくりと飲まれ始めた。

 それを望んでいるかのように女性は身じろぎ一つせず、彼女を見つめ続けながら光の中へと消えていく。

 彼女をそれを見て目を見開き、頭痛が酷くなっていく頭の中であの女を逃がしてはならないと決意した。

 あの女性は明らかに゛何か゛を知っている。自分が誰なのか、そして自分に何をさせようとしているのか…。

 彼女はそれが知りたかった。頭の中にポッカリと空いている空白を埋めたいが為に。

 しかし…追いかけようにも格子が二人を隔てている今は、それを精一杯掴んで叫ぶほかなかった。

 

「ま、待ちなさい……ッ!!――ン…――ウァ…ッ!?」

 しかし…彼女が女性に対し叫ぶのを待っていたかのように、頭の中を占領している頭痛がより一層激しいモノへと変異した。

 今まで脳味噌を軽く撫でられていたかのような痛みは一気に殴りつけるような激痛となり、それに耐えられなかった彼女はその場で膝をつく。

 女性を飲み込んだ光は徐々にその輝きを失い、先ほどの様に一寸先も見えぬ闇へと戻っていく。

 それすら気にすることができない程の激痛に襲われた彼女は、苦渋に満ちたうめき声を上げつつも両手で頭を押さえて痛みを堪えようとする。

 だがそんな気休めにもならない行為で頭の激痛は取り除ける筈もなく、彼女の意識すら刈り取らんとするかのように頭の中を蝕んでいく。

 

「わ…たし…は……わた――し…は…!」

 

――――――ワタシハイッタイ、ダレナンダ?

 

 その言葉を紡ごうとした彼女の声は、堪えきれなくなった痛みを開放するかのような叫び声へと変わった。

 まるでこの世の全てを憎み、人前に出せぬ感情を吐露するかのような、悲しみと怒りに満ちた悲痛でありおぞましい絶叫。

 自分の体の中の感情を全て叫びとしてぶちまけて、理性すら吐きだそうとしたその時――――彼女の脳裏に見知らぬ光景が映し出される。

 瞼の裏に映るソレ等は不鮮明であり共通点すらなく、クッキー缶の中に入っていた写真をばらまくようにして、脳裏をよぎっていく。

 

――後光に照らされてこちらを見やる、二人の女。

―――黒く暗い森の中で自分に驚愕の表情を向ける、黒の体毛に人面の猿たち。

――――何処かも分からぬ道の真ん中で、恐ろしいモノを見るかのような目つきで睨む人々。

―――――滅茶苦茶になった田んぼの中で原型を留めぬ状態で蹲った八尺の大女と、血にまみれた自分の両手。

 

 失いすぎている彼女には全く見覚えが無かったが、光景が変わるたびに胸の奥底からドス黒い何かが湧き出してくる。

 光が失せた格子の向こうと同じか、あるいはそれ以上に濃いソレが、彼女の身体を内側から蝕んでいく。

 不思議とその黒いソレに蝕まれる度に、頭を蝕もうとした激痛がゆっくりと、それでいて確実に鎮静されていく。

「ぅっ…――あぁ…っ――ーグ…!」

 珠の様な汗を体から噴き出しつつ、頭痛に苛まれていた彼女は収まっていく激痛に、安堵のため息を漏らす。

 その口からは若干艶やかな喘ぎ声を出し、頭を抱えていた両手が無意識に自分の体を抱きしめている。

 まるでその黒いソレを抱擁し体を上下させて呼吸をするその姿は、背後から提灯に照らされるせいで変にいやらしい。

 体の内側から湧き上がるソレはとどまる事を知らず、頭痛を和らげると同時に彼女の心と体を侵食していく。

 だというのに不安は無く、むしろ拒むことなく全て受け入れてしまった方がいいのではないかとさえ思ってしまう。 

 

 このまま…この黒い何かに体を飲み込まれてしまうのだろうか?

 光に飲まれた、あの女の様に…?

 

 ふとそんな考えが脳裏をよぎった瞬間、 またもや頭の中に記憶にない一枚の光景が映し出される。 

 

――――笑みを浮かべて、自分を見上げる笑っている黒髪の少女。

 

 たったそれだけだ。写真をぶちまけ終えた後、クッキー缶の底に貼り付いていたかのような一枚の光景…。

 しかしその光景は、さきほど彼女が瞼の裏で見たモノとは全く違う゛何か゛が含まれていた。

 言うなればその゛少女゛は――――彼女をドス黒いソレから救おうとするかのような、白く眩い『光』とでも言うのだろうか。

 

 既に黒一色に染まってしまった心を浄化するかのように、その白い『光』が彼女を内側から照らしていく。

 痛みが消えて安堵していた彼女はその『光』に気が付くと同時に、ふと項垂れていた頭が無意識に天井を見上げる。

 先程まで何も見えなかった暗闇だけの天井から差す、か細くもしっかりとした一筋の『光』が彼女の目に入った。

 彼女は無意識に右手を上げてその『光』を、まるで蜘蛛の糸を掴もうとするかのように天井へと向ける。

 届くはずのないその『光』を、取り上げられた玩具を取り返さんとする子供の様に彼女は必死に手を伸ばした。

 そうして限界まで手を伸ばし切り、目に見える『光』が届かぬ存在だと知った時―――――

 

 それが目覚める切欠となった。

 彼女が何処かも分からぬ牢獄で苦しみ、光を見つけた゛夢゛からの目覚めは。

 

 ややコミカル色の強い鳩の喧しい鳴き声が、耳に入ってくる。

 乱暴な目覚め方であった分、眠りについていた彼女を確実に起こしてくれる結果をもたらしてくれた。

 

「――――………」

 目を開けて、木製の天井を見つめている彼女の耳に規則正しい音が聞こえてくる。

 開いた目を軽く動かすついでに瞬きをした後、自分がベッドで横になっているのだと、背中に伝わる柔らかい感触で理解する。

 ついで思っていたよりも柔軟に動く自分の頭を右に動かしてみると、先程の音の正体が壁に掛けられた鳩時計なのだと知った。

 鳩は既に時計の中に入っているだろうが、、他に時計と思えるものがない為結論的にこれが鳩時計だと断定することにした。

 

 ついでに視線をほんの少しだけ動かし、時計の短針の位置が『Ⅶ』と『Ⅷ』の間に、長針が丁度『Ⅵ』の位置を差しているのを確認する。

 次に頭を左の方へ動かすと、窓越しに浮かぶ双月と暗い夜空に浮かぶ無数の星たちが見える。

 どうやら今が何日なのかは知らないが、自分が夜になるまで寝込んでいたのは確かなのだと理解した。

 一体誰が自分をここで寝かせてくれたのかは知らないが、部屋の造りからして身分相応の人間だという事が伺える。

「ん―よ、…っと!」

 一通り周りを確認した後で、彼女は掛け声と身体に勢いを付けて横になっていた上半身を起こした。

 それと同時に首から下まで覆っていたシーツが体から離れ、その下にあった紅色の巫女装束とその下に着込んだアンダーウェアが露わになる。

 今までシーツとベッドに挟まれていたおかげか若干アンダーウェアが暑苦しいなと思いつつ、そのシーツを思いっきり横へとどけた。

 

 袴の代わりに着けている紅いロングスカートも服と別離した白い袖も着けたままであり、変わった所は見られない。

 一不満なのは、足に履いていた靴下もそのままであったせいなのか、その部分だけ汗で妙に濡れていて気持ちが悪い、というところか。

「まったく。どこの誰かは知らないけれど…せめて靴下ぐらい脱がしてくれなかったのかしら?」

 溜め息をつきながら右足の靴下を脱ぐと、白色のソレを何処かにおける場所は無いかと辺りを見回す。

 それと同時に左足の靴下を脱ぎおわった時、ふと天井を見上げた。

 

 文明の光に照らされる部屋に置かれたベッドの上で、ポカンとした表情を浮かべる彼女。

 時計が針を刻む規則的な音が支配する部屋の中、彼女の体は時が止まったかのように静止している。

 そうして十秒ほど経過したところで上げていた頭を項垂れさせた彼女は、ポカンとした表情のままひとり呟く。

「どうして私は、こんな所にいるんだろ?」

 呆然とする自分の口から出た言葉の通り、彼女はここに至るまでの記憶が欠落していた。

 俗に言う記憶喪失とでもいうのだろうか。それがわかった途端、感じたくもない感覚を体が理解してしまう。 

 そう、まるで先程の゛夢゛と同じように…どうしようもできない不快感と、自分を思い出せないムズ痒さを。

 

 そんな時であった。壁時計のすぐ横にあるドアから、規則的なノックの音が聞こえてきたのは。

 木製のドアを優しく、それでいてこの部屋にいる人が気づく人為的なソレは、当然項垂れていた彼女の耳にも入る。

 頭を上げた彼女は顔に掛かった自身の黒髪を後ろへかき上げつつ、こういう時はどうすればいいのか悩んでしまう。

 そんな彼女を手助けするかのように、ドアの向こうで待っているでろあぅ人が、彼女へと声を掛けてきた。

「ねぇ、起きてる?貴女の部屋を警護してる人がね、貴女が起きたらしいって言ったから夕食を持ってきたの」

 優しい鈴の音の様でいて、何処か儚さを含んだその女性の声に、暫し彼女は戸惑ってしまう。

 とりあえずは声を出そうとするものの、「えっと…あの…」と妙に掠れた小声しか喉から出せない。

 返事が聞こえていないのか、ドア越しに佇んでいるでろあう女性が怪訝な声で再度訪ねてくる。

 

 

「……?もしもし?」

「…えっ!あの、その…も、もういいわよ」 

 それにつられるようにして出た声が多少上ずっていたのが恥かしいと思ったのか、彼女の頬が赤くなってしまう。

 そんな事をお構いなしに、返事を聞いた女性…ではなく部屋の前にいたであろう軽装のメイジがドアをゆっくりと開けた。

 ドアを代わりに開けてくれたメイジに一礼しつつ、ドアの向こうにいた女性―――カトレアは両手でお盆を持ったまま部屋へと入ってくる。

 

「ありがとう。助かったわ」

 メイジにお礼を述べつつ部屋に入ってきたカトレアが持つお盆の上には、夕食であろう食事が載せられている。

 ベッドの上に腰を下ろしている彼女の視界からは見えないが、何やら美味しそうな匂いが鼻孔をくすぐってくるのを感じた。

 カトレアは両手に持っていたそれをひとまずテーブルに置いてから、ベッドの上にいる彼女をみてクスクスと笑う。

「まぁ、あらあら?ごめんなさい。今の季節だと少しシーツが分厚かったのかしら」

 一瞬何を言われているのか分からなかったが、彼女はカトレアの視線が自分の足元に向けられているのに気が付く。

 それと同時に慌てて脱ぎ捨てたばかりの靴下を履き直しつつ、更に頬を赤く染めてしまう。

「え?…あ、いや…これはその…!」

「いいのよ別に。気負ってばかりじゃ体に悪いものね」

 そう言ってカトレアはベッドへと腰かけ、振り返って彼女の体を上から下へと見回し始める。

 まるで商品の何処にも傷が入ってないか確認する商人の様な動きに、彼女は何もできずにされるがままの状態だ。

 一通り見たところで大丈夫と判断したのか、ほっと一息ついたカトレアが安堵した表情で話しかけてきた。

「良かった、もう目立った外傷は無さそうね。…貴女はどうかしら?」

 ここで目を覚ます以前の事を忘れてしまっている彼女は、カトレアからの質問に即答はできない。

 少し戸惑う素振りを見せてから、ひとまず頭の中で思いついた言葉を口に出してみることにした。

「え…?あの…アンタは?」

「あら、私の事を忘れちゃったのかしら…?でも大丈夫、すぐに思い出せる筈よ」

 すまなさそうに言った彼女に対しカトレアはそう返すと、ふと自分の両手で彼女の右手を握りしめてきた。

 突然の事に軽く驚きつつも、右手に伝わる両手からの温もりで振りほどく理由などなくなってしまう。

 されるがまま右手を握りつめられている彼女に面と向かって、カトレアを口を開く。

 

「私はカトレア。覚えているでしょ?あの綺麗な川で出会ったこと、そこでお話したことを…」

 その声と同じく、優しげでどこか儚い笑顔を浮かべるカトレアの言葉に、彼女はその口をゆっくりと開く。

「カト、レア……カトレア…―――――あっ」

 自分の手を握ってくれている女性の名を覚束ない感じで一度、二度口に出した時…彼女の記憶に異変が生じた。

 まるで歯車に油を差して動かしやすくするように、スルスルと潤滑な動きで忘れていた記憶を取り戻していく。

 

 何処とも知れぬ森の中で、ふと自分に話しかけてきた桃色ブロンドの女性。

 変な夢を見て悩んでいた自分に、のんびりとした態度で接してきた変わった空気の持ち主。

――――そんな夢って…どんな夢かしら?

―――――まだ立っていられる内に、自分の足で歩いて散歩するのが昔の夢だったわ。

 生まれつき体が弱く、それでも外の世界が見たくて飛び出した箱入り娘。

 

 まるで無くしたパズルのピースを見つけ、それをまたはめ直していくように記憶が戻っていく。

 それと同時に、自分を覆っていた不快感とムズ痒さの一部が剥がれ、消えていくような感覚を覚える。

 

「カト…レア…カトレアなの?」

 時間すればほんの一瞬、頭の中で失くしていた記憶を再生し終えた彼女が、もう一度カトレアの名を呼ぶ。

 そこには先ほどの覚束なさは無く、しっかりとした発音で箱入り娘の名前を口に出している。

 彼女の異変に気付いたカトレアもまた微笑みを崩さぬまま、今度は身じろぎ一つしない彼女の体を優しく抱擁した。

 それを振り払うようなことはせず、彼女はただ黙ってカトレアの抱擁を受け入れている。

「良かった。私の事は…ちゃんと記憶の奥底に隠れていてくれたのね…」

 心の底から安堵しているかのような言葉に「…えぇ」という、小さな相槌だけを返した。

 

 

 一時の抱擁が済んだあと、彼女はカトレアと向かい合う形で椅子に座っていた。

 彼女は自分の目の前に置かれたトレイの上に載せられた゛夕食゛のメニューに、目を通していく。

 バゲットは片手で掴めるサイズに切ったものを二切れ用意されており、それを乗せた皿の右下にバターも置かれている。

 前菜のクルトン入りサラダには、ハーブやここの村で採ったという野菜がふんだんに使われており、黒胡椒ベースのドレッシングがかかっている。

 飲み物にはコップに入った水が用意され、おかわり用であろう水差しも運ばれていた。

 そしてメインであるシチューなのだが、恐らくこのメニューの中では一番に目を引くものであった。

 

 やや薄いブラウンカラーのどんよりとしたスープの中に野菜やハーブ、鶏肉や茹でたミートボールに魚の切り身まで浮かんでいる。

 野菜に至ってはサラダに使われているモノから、貴族が滅多に口にしないであろう根菜が一口サイズになって入れられていた。

 食材の宝石箱…というよりもおおよそ人がいつも口にしている食べもののごった煮というシチューが、彼女の目の前に置かれている。

「驚いたでしょう?それ、タルブ村の名物で゛ヨシェナヴェ゛って言うらしいのよ。大丈夫、味は保障するから」

 まるで自分が作ったかのように自慢するカトレアの言葉に、彼女は何も言わずにスプーンでシチューを一掬いしてみる。

 掬われたスープからは山海の幸がブレンドしたかのような芳醇が漂い、彼女は有無を言わずにそれを口の中に入れた。

 目で見るよりも更にサラッとしていたスープの味は、何も食べていなかった彼女の脳を思いっきり刺激し飲み込まれていく。

「どう?」

「うん………美味しい。美味しいわね」

 カトレアに尋ねられつつもシチューから視線を逸らさずに答えた彼女は、抑え込んでいた食欲が動き始めたところだった。

 まるで風石を入れて順調に飛び始めた軍艦の様に人によってはそれなりの速度でヨシェナヴェを口の中に入れていく。

 野菜や根菜は十分煮込まれて柔らかくなっており、肉や魚からしみ出す旨味が彼女の胃袋を益々刺激させる。

 やめられない、止められない。――――そんな言葉がいかにもに似合いそうな豪快な食べっぷりに、カトレアは嬉しそうに微笑んでいた。

「そんなに急いで食べなくても、おかわりなら厨房の人たちがたくさん作ってくれてるわよ?」

 最後の一口で細かく刻んだ軟骨と玉葱の入ったミートボールを咀嚼し、飲み込んで一息ついた彼女に向けてカトレアがそう言うと…

 彼女は「えっ、ホントに?」と呟いて嬉しそうな表情を浮かべたのを見て、箱入り娘はコロコロと笑った。

 

 

 その後パンとサラダを片付け、もう二杯ほどヨシェナヴェシチューをおかわりしてから彼女の夕食は済んだ。

 久方ぶりであろう食事を堪能した彼女は、安堵の表情を浮かべて給士が持ってきてくれた食後の紅茶を頂いている。

 カトレアも同じように紅茶を飲んで、始めて目にしたであろう彼女の安堵した表情を見て微笑んでいた。

「ふぅ~…何か、すっごい久々にお腹いっぱいになれた気がするわ。本当にありがとう」

「あらあら、それは良かったわね。…でもお礼を言うならここの屋敷の主人と厨房の人たちに言ってあげた方がいいわね」

 カトレアにお礼を言いつつ、彼女はお茶請けの菓子として出されたクッキーを一枚手に取って口の中に入れる。

 バターの風味とサクサクとした食感、そしてソフトな甘さが口の中に広がっていく。

 一通り咀嚼して飲み込んだところで、砂糖の入っていない紅茶を一口飲み、ホッと一息ついた。

 

 

 夜の八時になって少し経つ夜の部屋で、二人は静かにゆっくりと食後のお茶を堪能している。

 そんな時だった、腹も膨れて色々と頭の中で考えられる余裕がでてきた彼女が、カトレアへと話しかけたのは。

「ねぇ、今まで聞くのを忘れてたけど…今私達がいる場所はどこなの?」

「ようやく聞いてきてくれたわね。てっきりこのまま聞かれずじまいなのかと思ってたわ」

 やや抜けたところを見せる彼女にカトレアは微笑み崩さぬままそう言い、次いで説明をしはじめた。

 ここはラ・ロシェールというトリステインの一都市の近くに建てられた村で、タルブという名前で呼ばれているという事を。

 そこまで聞いて、彼女はまたもや思い出せた事があったのか「…あっ」と声を上げてカトレアに話しかける。

「タルブって、もしかして貴女が行きたがっていた村じゃないの?」

「そう、ご名答。長い長い旅路の終着点にようやくたどり着いたというワケ」

 カトレアはそう言って紅茶を一口飲んでから、今に至るまでの経緯の説明を再開する。

 

 

 カトレアの説明で分かった経緯を、彼女なりに考えて三つの要約にすればこうなる。

 一つ。自分とカトレアがコボルドに襲われた近隣の村人と少女の二人を助けたのが今日の朝方に起こった出来事。

 二つ。コボルドとその頭であるというコボルドシャーマンを追い払ったのが自分だというのだが、あまり覚えていない。

 カトレアと出会った所から、村人たちを殺そうとしていたコボルドに殴り掛かった所までは覚えているが、それから先の記憶がスッポリ抜け落ちている。

 その事を聞いてみたところ…どうやらカトレアがあの老人と女の子と一緒に避難し、お供の護衛達を連れて戻った時にはコボルド達の姿はなかったのだという。

 代わりに街道から少し横に逸れた草地の上で、強打したのか頭から血を流して倒れている自分がいたのだとか。

「意識は失っていたけど、幸い傷自体は大したこと無かったし水の秘薬を使ったから痛みも無いはずでしょう?」

「その代わり色々と覚えてる事を忘れちゃったのかもね」

 カトレアの言葉にそう返しつつ綺麗な額を左手で撫でながら、彼女は薄茶色の紅茶をゆっくりと飲み始める。

 熱い紅茶の苦味とミルクの風味、そして砂糖の甘味という三つの味が重なり合って口の中で渦巻いていく。

 それをゆっくりと飲み込み、小さなため息をついてから彼女はまたも喋り出す。

「そして気を失った私をここ…タルブ村を収める領主、アストン伯とかいう人の屋敷までやってきたのが…三つ目」

「まぁ、そうなるわね」

 質問に近い彼女の言葉にそう返して頷き、カトレアもまた紅茶をゆっくりと飲んでいく。

 

 その後も話は続いたのだが、どうやらあの老人と少女がいた村にカトレアの護衛たちが半数ほど残っているらしい。

 夜中にコボルド達が襲撃してくるのを警戒して残るよう命じたらしいのだが、まぁ妥当な判断だと彼女は思った。

 タルブ領主のアストン伯も、近隣の村で起こったのだから他人事ではないという事で、駐留している国軍兵士達をその村へ出動させたのだという。 

「まぁあれだけの人数なら流石のコボルド達も迂闊に襲ってはこない筈よ」

「油断は禁物っていう言葉があるけど、村人たちからしてみりゃ有難いかもね」

 安心しきっているカトレアの言葉にそう返しながらも、彼女は窓越しの夜闇を見ながら紅茶を啜る。

 温かな甘味が心を落ち着かせてくれるのだろうが、内心ではそうしてられんという気持ちが勝っていた。

 カトレアや今日の事は思い出せたのはまぁ良かったが、それ以外の事は未だに頭の中に浮かんでさえ来ない。

 一、二匹中ぶりな魚を釣り上げたのはいいが、本命の大物を釣り上げることができないでいる。

 そしてそれを釣り上げる為の餌すら見つからず、さぁどうすればいいのかと頭を抱えているのが現状だ。

(せめてさっきの夢みたいに寝ている最中に思い出せれば…………あれ?)

 思い出せない自分の事に頭を悩ませながら心の中でそう呟いた時―――彼女は思い出した。

 ここで寝かされ、目覚める直前に見ていたあの悪夢の事を。

 あの内容は、あの座敷牢みたいな場所で見たフラッシュバックの様な光景は何だ?

 あれこそ正に、今は忘れている自分の事につながる大事な手がかりじゃないのだろうか?

 

「――――――覚えてる…、覚えてるじゃないの!」

 興奮のあまり、立ち上がりながら叫びんでしまった事に彼女自身が気が付いたのは、その直後であった。

 急に立ち上がったせいか椅子が後ろに傾き、叫び声と同時に大きな音を立てて床に倒れたのを、外にいた護衛が聞き逃さなかった。

 部屋から聞こえてきた二つの騒音に「何事ですか!」と、槍を模した杖を手にしたメイジがそう言って部屋に入ってくる。

 自分が大きな音を立ててしまった事に気が付いた彼女は目を丸くしつつ、入ってきた護衛に驚く。

 そしてメイジが両手に持つ戦闘用の杖を目にしてか、思わず両手を顔のところまで上げてどう言い訳するか悩んだ。

「え…あの?…その、つい…」

「私は大丈夫、ちょっと彼女のプライベートの事なの。…よろしくて?」

「………そうですか。では」

 すかさずフォローしてくれたカトレアのおかげか、護衛も部屋に入ってきた以上の事をする気は無いようだ。

 気を付けの姿勢をするとカトレアに向けて軽く敬礼し、踵を返して部屋から出て行く。

 開いていたドアを閉めた後、ホッと一息ついた彼女は倒した椅子を元に戻して席に着き直した。

 カトレアもまたふぅ…と軽く息を吐いて姿勢を直すと、その口を開く。

「で、何を覚えていたのかしら…?教えてくれない?」

「え…あぁ、そうね…」

 カトレアからの質問に対し、彼女は素直に先程の夢の事を話すことにした。

 

 

「なるほど、確かに悪夢と言えばそうなるわねぇ…」

 一通りの説明を聞き終えたカトレアはそう言って、話してくれた彼女の顔を見やる。

 話している最中にその夢の内容を思い出してしまったのだろうか、話す前と比べてどことなく憂鬱な陰が差している気がした。

 淹れなおした紅茶の湯気に当たっている顔は若干俯いており、カトレアの視線からでもその顔が暗い表情を浮かべているのがわかる。

 無理もない。自分は言葉から悪夢の内容を想像するしかないが、それを話してくれる彼女はそれを夢の中の視界で見て、体感したのだから。

 彼女の為とは言え、質問するのは早すぎたのだろうか…?遅い後悔を胸に抱きながらも、カトレアは慰めの言葉を掛ける。

「ごめんなさい、私も貴女の事が心配なのだけれけど…。やっぱり説明させるのは早すぎたかしら?」

 顔をうつむかせていた彼女は相談相手に慰められた事に気づいてか、慌ててその顔を上げて首を横に振った。

「いや、違うのよ。――――ただ、どうにも夢の詳細を思い出せないのよ」

「思い出せない?」

 彼女の口から出た新たな事実に、カトレアは思わず首を傾げてしまう。

 

「確かに私は何処か暗い場所にいて…何かイヤなモノを見た気がするんだけど、

 『それが゛何処゛で、何を゛見た゛のか』が思い出せないの…それに、それだけじゃない…

 その後に何かを゛見た゛気もするんだけど…頭の中からその゛見た゛ものの正体がスッポリ抜け落ちてる…」

 

 彼女はそう言って自分の両手で俯いた顔を覆い隠し、大きな溜め息をついた。

 そんな彼女を見て憐れみの心を抱いてしまったであろうか、カトレアはテーブル越しに彼女の右肩に触れる。

 ベッドの上で抱擁された時と比べやや寂しいものの仄かに暖かいその手が、触れている肩を優しく撫でていく。

 肩を触られたことに気付いた彼女が顔を上げると、どこか寂しそうな微笑みを浮かべたカトレアと目があった。

「大丈夫…夢っていうものはね、見ている時と起きたばかりの時には鮮明に覚えているけど…ふとした事で忘れちゃうものなの。

 良い夢の時だとちょっとショックだけれど、酷い悪夢を見たときには思いの外助かったと思うモノなのよ?」

「けれど…もしかしたら、私が誰だったのか思い出せそうだったのに…」

 諭すようなカトレアの言葉に縋り付くかのような彼女に対し、カトレアは更に言葉を続けていく。

「人の頭の中って不思議なものでね…ふとした拍子に忘れてしまった夢の事を思い出してしまう事があるの。

 それこそ昨日みた夢から幼い子供の頃に見たモノまで…だから、貴女もきっとこの先思い出すことがあるかもしれないわ」

 不出来な生徒を励ます教師の様なカトレアの慰めの言葉を聞き入れつつも、それでも彼女は「でも…」と納得しきれないでいる。

 そんな彼女を見て右肩に触れていたカトレアの手は彼女の両手を握り、泣きわめく赤子をあやすかのような声で「大丈夫よ」と呟いた。

 

 

「それなら、貴女が自分の事を思い出せる時まで私が傍にいてあげる。それで良いでしょう?」

「えっ?…ちょ、ちょっと待ってよ!…そんないきなり…」

 カトレアの口から出た突然の提案に、流石の彼女も目を丸くして驚いた。 

 無理もない。何せまだ出会って一日もたってないであろう自分の傍にいてあげると言うのだから。

 それに、今朝は弱っていた彼女をコボルド達との戦いに巻き込んでしまったのだ。

 その負い目があってか、彼女はどうしてもカトレアの提案に対し肯定の意を出すことができない。

 

「記憶を失くして自分が誰なのかも分からない私なんて、

 アンタの傍にいてもいても迷惑なだけじゃないの?それに…

 今日の朝方だって血を吐いて弱ってたアンタに魔法を使わせちゃったし…」

 

「あのコボルド達の事なら大丈夫。それにアレは、私が自分で判断したことなのよ?貴女が負い目を感じることは無いわ」

 そう言ってカトレアは席を立つと座っている彼女の背後に回り、その大きな背中をギュッと抱きしめる。

 先ほど肩に触れた手よりも暖かい抱擁を再びその体で受けた彼女は、憂鬱だった心に何か温かいモノが入ってくるのを感じた。

 それをどういう言葉で例えるべきなのか分からなかったが、彼女はその両目を閉じて背中に伝わる温もりを受け入れてく。

 何も言わない彼女に対し、同じくただ黙って抱擁するカトレアは彼女の横顔を見やり、口を開く。

 

「それに、記憶を失ってる今の貴女には、どこも行くアテが無いのでしょう?尚更放っておけないわ。

 これから私の傍にいて、色んなモノを見て、聞いて行けばきっと何か思い出せるかもしれない…

 大丈夫。私のお屋敷は広くて書斎もあるし、御付の人達や私の゛お友達゛がいるから寂しくもないわ」

 

 ――――――だから、一人で解決しようなんて思わないで。

 最後にそう付け加えた一言には、どこか懇願の意思が秘められている気がした。

 それを聞いて抱きついているカトレアを振り払い、立ち去れるほど彼女は強くも、また孤独に慣れてもいなかった。

 カトレアからの一方的な要求に参ったと言わんかのようなため息をついてから、彼女は口を開く。

 

「確かにアンタの言うとおりかもね、どこにも行くアテなんてないんだし…」

 

 その言葉を耳にしたカトレアは寂しげだった表情がパッと明るくなり、「良かったぁ…」と呟いて抱擁を解いた。

 背中から伝わっていた温もりが離れるのは名残惜しいが、胸が当たるのか少し窮屈だったのでまぁ丁度良いかと思う事にしよう。

 ホッと一息ついて、温くなってしまった紅茶を口に入れようとしたとき、嬉しそうにしていたカトレアがあっと声を上げる。

 どうしたのかと思い、後ろを振り向くと神妙な面もちのまま立っているカトレアが、顔を向けてきた彼女のこんな事を聞いてきた。

「そういえば…貴女、名前も忘れていたのよね?いつまでも名無しのままだと、流石に貴女も困るだろうなぁって思って…」

 

 カトレアからの言葉に彼女はあぁ、確かに…。と相槌を打ったと同時に、ふと頭の中に一つの単語が脳裏を過った。

 それは先ほどの悪夢の中で゛聞いた゛であろう言葉であり、恐らくこの地では聞き慣れないであろう単語だと理解する。

 思い出すと同時に思った。何故カトレアに名前を聞かれた時、その単語が脳裏を過ったのだろうと。

 何故?どうして?その是非を問うか問わないかという前に、彼女は無意識に自分の口が開くのを感じた。

 

 そしてそれが必然であったかのように…、

 

「―――――…ハク、レイ?」

「…え?今何て?」

 開いた口から単語という名の鳥が、羽を広げて飛び立っていった。

 それを間近で耳にしたカトレアも顔を上げて、首を傾げながら彼女に聞いてみる。

 カトレアからの要求に彼女は暫し何も言わずに黙ってから、ようやくその口を開いて呟く。

 

「ハクレイ―――――……夢の中で、誰かが私をそう呼んでいた気がする…」

 

 

 ハルケギニア各国の王宮は、基本日が暮れても多くの者たちがその中を行き来している。

 王宮で職務を行う重鎮の貴族や魔法衛士隊の隊員であったり、掃除用具を持った給士だったりと多種多様な人々が歩き回っている。

 まるでアリの巣の様に忙しなく動く人の流れは、夜が更けるまではけっして止まることは無い。

 それ故に王宮へ侵入し、盗みを企もうとする不届き者などこの時代には殆どおらず、いてもすぐに見つかってしまうであろう。

 捕まってしまえば運が良くて独房行き…悪ければその首が翌朝王宮の前で晒される事になるかもしれない。

 

 

 美しくもおっかない。そんな場所である王宮の内側に作られた廊下を、霊夢と魔理沙の二人はテクテクと歩いていた。

 夕食も済ませた彼女達は何か面白い事が無いのかと、退屈を凌ぐために宮殿内の散歩へと繰り出している最中である。

 もっともそれを思いついたのは魔理沙で、霊夢自身はそれほど乗り気ではないものの退屈なのには変わりないので仕方なく彼女に同行していた。

 既にアンリエッタの許可で、ある程度自由に歩き回れる事は知れ渡っているのか、警備の衛士達が見つけても咎められることはない。

 むしろ歩いている途中で見つけたモノを指さしては何事か話している少女達を、物珍しそうな目で見つめる者がチラホラといるだけだ。

 そんな奇異な視線をものともせず、王宮の中央部に造られた中庭を上から一望できる廊下をなんとなく歩いていた。

 

 

 

「そういえばさぁ、あのお祓い棒ってドコで手に入れたんだよ?」

 初夏の夜風で金髪を揺らす魔理沙は、左手に持った帽子を人差し指でクルクル回しながらそんな事を聞いてきた。

 朝方背負っていたデルフには部屋の留守を任せているので、心なしかかその足取りも軽くなっている。

 一方の霊夢はそんな質問をされて一瞬だけキョトンとしたものの、すぐに思い出したかのような表情に変わる。

「あぁ、あれね。…確か大分前に魔法学院の一角で変な黒い筒に入ってたのを拾ったのよ」

「…呆れた巫女さんだぜ。いつも人の事悪く言っておいて、盗みを働くとはな」

「まぁそうよね。少なくともアンタにそうやって言われるつもりもないけど」

 

 巫女の口から出た言葉に首を横に振りながら両肩を竦めて、知り合いの行った非行に形だけの非難を見せる。

 思いっきり普段の自分を見ていないような素振りだが、それで一々怒る霊夢でもない。

 淡々とそう返しつつ、今もアンリエッタが貸してくれた客室に置いてあるあの御幣の事を思い返す。

「第一、アレが置かれてた所はいかにも廃品置き場っぽかったからね。この私が拾って、善い行いの為に使ってあげてるのよ」

「じゃああのお祓い棒の唯一不幸だった事は、お前に拾われたって事ぐらいか?」

 自分の行動をトコトン正当化しようとする巫女に苦笑いを浮かべつつも、魔理沙は「それにしても…」と言葉を続けていく。

 まだ喋るのか…と思いかけた霊夢は口に出そうとしたその言葉を、普通魔法使いのの真剣な表情を見て寸でのところで止めた。

 

「あのお祓い棒ってさ、相当長いよな。お前が普段幻想郷で使ってるのと比べて、使いにくくないか?」

「ん~、そうかしらねぇ?特にそんな事を考えた事は無かったわねぇ~…ただ、変わってると言ってくれればそれに同意していたけど」

 霊夢の勘が当たったのか、魔理沙のか口から続けて出たのは真剣な類の質問であった。

 それに真面目な様子で答えつつ、あのお祓い棒自体がそれなりにユニークな代物だと思い出す。

「紙垂は薄い銀板でできてるし、棒自体も結構頑丈に作られててリーチもあるから、あれそのものがちょっとした武器としても使えるのよ」

「確かになぁ~。私も軽く触ってみたけど大して重量も無くて振り回そうと思えば楽に回せそうだったよ」

 思い寄らぬ告白を交えた魔理沙の言葉に、いつの間に触っていたのかと心の中でぼやきつつも、ふと疑問に思った。

 

 物置と言えど、どうしてあんな所にお祓い棒が…それも綺麗な状態のまま放置されていたのだろうかと、今になって思い始めてしまう。

 しかもここハルケギニア大陸は思いっきり西洋文化の世界だ。間違ってもこの大陸に神社のような建物があるとは考えられない。

 一応この大陸の外にもう一つ別の世界――ロバなんとかだっけか?――もあるらしいが、そこから来たのなら尚更宝物このような場所に置かれているだろう。

 何故あんなゴミ捨て場の様な物置に置かれていたのかが、全く理解できない。

 

(とすると、考えられるのは…やっぱり誰かが『意図的に置いてった』のかしらね?)

 霊夢は頭の中で、そんな芸当が出来る゛胡散臭い知り合い゛の顔を思い浮かべていた時であった。

 今更な疑問の渦の中で思考しようとしてた彼女の耳に、邪魔をするかのような魔理沙の声が突っ込んできたのは。

「…あっ、おい霊夢!中庭の方にルイズとお姫様がいるぜ」

 魔法使いのつり合いに妨害された巫女は、軽くため息をついてから声のした方へと目を向けた。

 左手で手すりを掴み、右手で小さく階下の中庭を指さす魔理沙の姿が見える。

「全く、アンタって奴は一々良いところで声かけてくるわねぇ…」

「…?何だ?褒めてくれてるのかソレ?」

 言った相手には分からないであろう愚痴をこぼしつつ、魔理沙の隣にまで移動して霊夢は階下へと視線を向ける。

 確かに、魔理沙の言うとおり中庭中央部に造られたガゼボの中にルイズとアンリエッタがいた。

 紅魔館でも見たことのあるようなテーブルとイスが置かれている西洋風あずまやに入って、何やら会話をしている。

 ガゼボの四隅と天井に設置されたカンテラで会話しているのはわかるが、何を話しているのかまでは分からない。

 大方、今朝やってきて帰っていったエレオノールと家族の事についての事なのかもしれないが、あくまでそれは憶測である。

 近づけば何を話しているのか確実に分かるが、それに体力を注ぐ程今の霊夢の興味という名の琴線に触れてはいない。

 ただ…隣にいる黒白が持つ興味という名の琴線は、触れるどころか思いっきり弾かれて振動していることだろう。

 

 そんな事を思った霊夢は顔を顰めながらも、隣で好奇心を露わにした魔理沙に声を掛けた。

「…で、どうすんのよ?」

「そりゃ勿論、あんなのを見たら聞かぬは損ってヤツだろ?」

「少なくとも、私としては避けられる厄介事の類はゴメンなんだけど、ねぇ…?」

 若干ドヤ顔な魔法使いにそんな事をこぼしながらも、霊夢は軽いため息をつく。

 何でしてこう、今日という日はこんなにも厄介な事に一々巻き込まれなければいけないのだろうか?

 霊夢は自分の運の無さを呪いつつも、心の中では魔理沙の言葉に少なからず同意していた。

(まぁ確かに…ルイズはともかくとして、何かあのお姫様も色々と抱えてるっぽいのよねぇ…)

 そんな二人が何を話しているのか?博麗の巫女以前に一人の人間、それも少女である霊夢。

 興味は無いが多少気にはなるし、少なくとも彼女以上に年頃の少女らしい魔理沙は、もっと気になる事であろう。

「…じゃあ私は先に行ってるから、アンタも早く来なさいよね」

 うんざりしたかのような口調でそう言った霊夢は手すりを掴んでいる手に力を入れて、そのままヒョイっと乗り越えてしまう。

 まるで自分の腰ほどしかない柵を乗り越えるかのような軽い動作をした彼女の目に広がるのは、四メイル程下にある中庭。

 足場なるモノは何一つなく、メイジでもない普通の人間ならば下手をしなくともよくて致命傷、悪くて死が待っている高さだ。

 そんな高さから身を乗り出した霊夢はしかし、真っ逆さまに落ちる事無く空中でその体をふわふわと浮かばせている。

「アンタが首を突っ込んだんだから、何か言われた時にいないと面倒なのよ」

 最後にそう言って、手すり越しに此方を見ている魔理沙を尻目に霊夢は中庭へと降りて行った。

 この日彼女にとって幸いだったのは、この時の出来事を見ていた人間が魔理沙だけであったという事だろうか?

 

「やれやれ…相変わらず、動く時は早いんだよなぁ」

 そう言って魔理沙は手に持ち続けていた帽子をかぶり直し、下へと続く階段へと歩き始める。

 別に箒が無くても飛べることは飛べるのだが、それをしてしまうと霊夢に早く追いついてしまって面白味がない。

 ここは慌てず騒がすゆっくり歩いて、今からどんな事が起こるのかと想像しながら向かってみるのも良いだろう。

「全く、今日は面白い出来事が沢山だぜ」

 一人呟きながら、彼女は嬉しそうな足取りで階段を降りて行った。

 

 

 一方で、アンリエッタとルイズは霊夢たちの事などつゆ知らずにガゼボの中で会話を始めようとしているところであった。

 だがアンリエッタの表情から察するに…これから話す事は姫さまにとって、あまり芳しくない事だとルイズは察してしまう。

「御免なさいルイズ、詔を考えるだけでも精一杯だというのに外へ連れ出してしまって…」

「そんな…滅相もありません。姫さまからの相談ごとというのなら、いつでも乗ってあげますよ」

 天井のカンテラ照らされた憂鬱げな表情のアンリエッタに対して、ルイズは微笑みながらもそう答える。

 それでも幼馴染の顔は曇ったままであり、一体何を悩んでいるのだろうかと訝しんでしまう。

 何せ結婚式を控えた身なのである。曇った顔色のままゲルマニアに嫁いでも、あの国の皇帝は機嫌を損ねてしまうかもしれない。

 あの帝国を仕切る男、アルブレヒト三世の良くない噂の類を思い出そうとしたが…それを振り払うかのようにルイズは頭を横に振る。

(とはいえ、私も姫さまの事は言えないんだけどね…)

 彼女は心の中でそう呟き、テーブルを中心に散らばっている丸まった白紙の事を思い返した。

 

 夕食を食べ終えた後、ルイズは未だ『始祖の祈祷書』に清書できぬ詔の様な何かを白紙に書いては丸め、ゴミ箱に捨てるという作業を繰り返していた。

 結婚式までまだ数週間程あるのだがそれでも詩のセンスが並みの貴族と比べて低いルイズにとって、あまりにも短すぎるのである。

 しかも幼馴染であり敬愛するアンリエッタの結婚式なのだ、誰もが聞き惚れするかのような素晴らしい詔に仕上げなければいけない。

 だけど悲しいかな。始祖ブリミルは彼女に座学と体力は与えたものの、魔法と裁縫…そして詩を考える才能を与える事を忘れていたらしい。

 結果、詔と言えぬような酷い駄文が書かれた紙だった丸い物体が、ゴミ゛箱の中と言わず床に散乱する羽目になってしまった。

 彼女がそれに気づいたのは、幸か不幸か部屋の前に立つアンリエッタがドアをノックし、ルイズに自分の名を告げた時であった。

 詔を考えるのに夢中になり過ぎた結果、自らの手で作り上げてしまった醜態に流石のルイズも顔を赤くしてしまったのである。

 しかし辺りに散らばったそれらを片付けるより先にドアの前で待ってくれているアンリエッタを待たせるわけにもいかない。

 自分の名誉を優先し、姫さまを待たせる…という選択肢など端からないルイズは…『ドアを少しだけ開けて、部屋の中を見せない』ようにした。

 

(結果的にOKだったけど、部屋の中でお話ししましょうって言われてたらどうしようかと…)

 アンリエッタに微笑みを向けながらも、内心あの時の事を想いだして冷や冷やしているルイズ。

 そんな彼女の心の内をかすかに読み取ったのであろうか、アンリエッタたが訝しむような表情を向けてくる。

「どうしたのルイズ?貴女も何か悩み事が…」

「えっ?あっ…いえ、何でもありませんよ?何でも…それより、相談したい事とは一体なんですか?」

 幼馴染からの唐突な指摘に慌ててそう答えつつ、誤魔化すように話を進める。

 特に引っ掛ったものを感じなかったのか、アンリエッタもそれ以上追及することはなかった。

「そう……実は、もうすぐ控えている結婚式の事でつい…」

「………?」

 何が言いたいのかイマイチ良く分からず首を傾げたルイズに向けて、アンリエッタは喋り始めた。

 

「本当に私は、今のトリステインを放ってゲルマニアに嫁いで良いのか、分からないんです。

 今トリステインはかつてない危機に置かれています。レコン・キスタの存在に内通者…

 国内に潜む虫たちの排除すらままならぬこの状況の中で、私一人だけが他国へ逃げるなんて…」

 

「逃げるなんて、そんな…」

 アンリエッタの口から出た告白に、ルイズはどう答えていいのか迷ってしまう。

 確かに今はトリステイン王国が滅亡するかどうかの危機に置かれているのは事実だ。

 内通者はいるわ、レコン・キスタはこっちと手を握るつもりが全くないわで良くない事づくめなのである。

 そこまで考えた時、ふとルイズの脳裏に一つの仮定が思い浮かんだ。

 

(でも…だからこそ、せめて姫さまだけでも安全な所へ…ゲルマニアへ嫁がせるのかもしれない)

 ルイズのその考えは、トリステインの貴族として到底認められるものではなかったが、合理的に考えればあながち間違ってはいない。

 トリステインと比べ大国であるゲルマニアは、航空戦力は劣るものの陸上戦力ではレコン・キスタの数十倍だ。

 これと肩を並べ、また対抗できるのは同じく空海軍から陸軍に力を注ぎ始めたガリア王国くらいなものであろう。

 悔しいが小国であるトリステインや連合皇国のロマリアの軍事力を馬と例えるならば、ゲルマニアとガリアは正に火竜である。

 逆に言えば、アンリエッタがゲルマニアへ嫁げば少なくともトリステインが最悪の事態に陥ってもアルビオンの様に王家が滅ぶことも無い。

 最も、ゲルマニアがこっちの思い通りにアンリエッタを大切にしてくれるかと言えば…正直不安しかないのもまた事実だ。

 

「それに、悩んでもいるのです。本当にこのまま、逃げるようにしてゲルマニアへ嫁いで良いのかと…」

「え…?――――あ、それは…えっと…その、どういう意味でしょうか?」

 考えすぎて危うく思考の波に飲まれそうになったルイズを、アンリエッタの声が再び現実へと引き戻してくれる。

 頭を横に振って中に溜まっていた雑念を払い落し、彼女は幼馴染が抱える二つ目の悩みを聞き始めた。

 それを話そうとしてくれるアンリエッタの顔は先ほどと比べ何処か悲しげであり、今彼女の身体を軽く小突いたら目か涙が零れてきそうである。 

 無論、そんな不敬な事をするルイズではなかったが…その表情からアンリエッタが何を言いたいのかを察することができた。

 しかしそれを口にして良いのかどうか少しだけ悩み、それでも言わなければならないと判断したルイズは恐る恐る口を開く。

「……もしかすると、ウェールズ様の敵討ち…なのですか?」

 ルイズの言葉にアンリエッタは暫し無言であったが、やがてその目だけを彼女に向けると、コクリと頷いた。

 やはりそうだったか。今朝の言葉から何となく思ってはいたが…ルイズが内心そう呟くのをよそに、アンリエッタは喋り始める。

 

「私は将来トリステイン王国の指導者となる者。ゲルマニアへ嫁いでもそれは変わりないでしょう。

 それに今朝の言葉は、決して偽りではありません。あの世にいるであろうウェールズ様も、きっと…」

 

 そこで一旦言葉を区切ると軽く深呼吸をし、ガゼボの中から見える夜の庭園を見回した。

 トリステイン一の庭師たちが季節の花や植木を芸術的かつ均等に配置して作り上げた庭は、実に美しい。

 まるで地面から一つの芸術品が生えて来たかのように、庭園の狭い空間にも馴染んでいる。

 それらを眺めて、自らの心の中に生まれた葛藤と得も知れぬ憎しみを抑え込もうとしているのだろうか?

 彼女の幼馴染であるルイズにもその気持ちは計り知れず、どんな言葉を掛けようかと悩んでしまう。

 しかしその前にアンリエッタが何かを決意したかのようにまた軽い深呼吸をした後、話を再開した。

 

「けれど…何故か私の心は自分が思っている事と真逆の事を考えているのよ…?

 レコン・キスタが憎い。ウェールズ様を、アルビオン王家を滅ぼした逆賊たちを倒せ…

 それは夢の中や、家臣たちからアルビオン関係の話を聞く度に、古傷が疼くかの様に現れるの。

 最初は抑え込めたその気持ちも、今ではうっかり口に出してしまいそうな程に、膨れ上がって…いるわ…」

 

 話の最後で涙を堪えるかのような声になったのに気づき、思わずルイズは「姫さま…?」と不安げな声を上げる。

 その声に反応するかのようにアンリエッタは庭園を向けていた顔をルイズの方へと向けた。

 

 ―――――でもルイズ、私は大丈夫よ。

 

 そう言いたげな健気な笑顔を、アンリエッタは浮かべたかったのだろうか。

 しかしその目からは一筋の涙が頬を伝って流れており、目の端から滾々と涙が絶え間なく浮かび続けている。

 まるで膨れ上がった感情を抑えようとして、抑えきれていないソレが体からにじみ出てきているようだとルイズは思った。

 ルイズの表情を伺わなくとも、自分がどんな表情を浮かべているのか知っているのか、涙を流しながらしゃべり続ける。

 

「御免なさい…こんな情けない表情を見せてしまって、けれど…言ったでしょう?

 段々抑えきれなくなってるのよ。…あの人を失った悲しみと、レコン・キスタが平然とのさばっている事実に対する怒り…。

 その二つが、今すぐにでも私の体を内側から食い破って出てこようとしているのよ…」

 

「姫さま…」

 こんな時にどういう対応をすればいいのか、ルイズには良く分からなかった。

 時偶街の劇場で見る劇の中ならば、優しい言葉を投げかけて相手を微笑ませたり、激励して立ち直らせたりするものだ。

 しかしここは現実であり、今目の前にいる実在の幼馴染は優しい言葉や激励だけではその泣き顔を笑みに変えてはくれないだろう。

 ならどうする?このまま黙って彼女が勝手に泣き止むのを待つか?

 下手に出ると何が起こるか分からないのであれば、そうしても良いがアンリエッタは悲しみを抱えたままになってしまう。

(せめて姫さまの幼馴染として、この悲しみをどうにか乗り越えてもらって…笑顔のままお嫁にいってもらいたいわ…)

 ルイズは十六年の経験から経た知識を総動員して、アンリエッタをどうにか励ます方法を考えようとするが全く思い浮かばない。

 何せ彼女の涙はウェールズ王子を失った悲しみから来るものであって、初恋の人に裏切られた挙句に殺されかけたルイズにはその気持ちがいまいち理解できないのだ。

(諦めちゃダメよルイズ…きっと方法がある筈よ…姫さまを励まして笑顔を取り戻せる方法を…)

 そんな時であった、頭を抱えるルイズとはらはらと涙を流すアンリエッタの耳に、聞き慣れた少女の声が入ってきたのは。

 

 

「何よ、そんなにしょぼくれた顔しちゃって?」

 

 

「えっ…?…きゃっ!」

「ちょ…ちょっと、アンタいつの間に……!」 

 ふと上の方から聞こえてきたその声に反応したアンリエッタがまず小さな悲鳴を上げてしまう。

 そしてルイズはというと、信じられないものを見るかのような目で視線の先にいる少女を凝視していた。

 無理もないだろう。何せ、二人の視線の先には霊夢の頭…それも逆さになった状態で二人を見つめていたのだから。

 もっとも体の方は二人の視界に入っていないだけで、ガゼボの上にいる霊夢が頭だけを出している状態である。

「全く、何やらまた厄介なモノ抱え込んでると思って来てみたら、そんな悲鳴をあげられるなんてね…っと!」

 霊夢はそう言いつつ屋根から身を乗り出すと、猫の様に華麗な一回転して地面に降り立った。

 そして、少しだけ膝に付いてしまった土を手で払いのけてから改めてルイズたちの方へと視線を向けた。

 いつもの澄ました顔の彼女に対し癪に障るところがあったルイズは、盗み聞き…していたであろう巫女を指さしながら怒鳴った。

「…っていうかレイム!アンタはいつから上で盗み聞きしていたのよ!?」

「盗み聞きなんかしてないわよ、魔理沙の奴がアンタ達二人の姿を見つけて、私もちょっと興味が湧いてやって来ただけよ」

「あんの黒白…!」

 霊夢の話を聞いてあの白黒もいると知ったルイズは珍しく悪態をつきつつ、一旦ガゼボの外に出て辺りを注意深く見まわした。

 しかし夜中の庭園はガゼボからの灯りがあっても十分に暗く、あの特徴的な黒白の姿は見当たらない。

 キョロキョロと頭を動かすルイズの隣にいる霊夢は、彼女の様子を見て魔理沙がまだここに来ていない事を察した。

 

「何?もしかして魔理沙のヤツが見当たらないっていうの?」

 既に怒り心頭とも言えるようなルイズを見た霊夢は、小憎らしい笑みを浮かべて廊下から飛び降りる自分を見下ろす魔理沙の姿を想像してしまう。

 大方何処かで道草でも食っているのだろう、一足先に行ってしまった自分と厄介事を抱えているであろうルイズたちのやりとりを何処かで観戦しながら。

(予想はしてたけど、やっぱりあの黒白に一杯喰わされたわねぇ…) 

 内心呟きつつも、あの黒白がやってきたら鳩尾に拳骨の一発でもぶち込んでやろうかと霊夢は思った。

 そんな時であった。突然現れた霊夢に面喰ってしまったアンリエッタが口を開いたのは。

 

 

「あ、あの?…すいません、レイムさん…」

「……?何よ?」

「やっぱり、その…もしかしてなくても、私の話を、屋根の上で耳にしたんですよね…?」

 どこか心配そうな表情を浮かべているアンリエッタからの質問に、軽いため息をついてから答える。

「まぁ、結婚式云々の事は放っておくにしても…アイツらやウェールズの事となるとねぇ…」

 そう言った彼女の顔には、小難しいことを考えていそうな渋い表情が浮かんでいる。

 

 かつてアンリエッタが学院に持ち運んできてくれた幻想郷縁起のおかげで、足を運ぶことになったアルビオン。

 成り行きでルイズと合流し、結果レコン・キスタやスパイであったワルドと戦った挙句に皇太子のウェールズには返しようのない借りがある。

 別に霊夢自身そういった貸し借りを余程大事にする事は無いが、あの皇太子と王女様が相思相愛だったというのは容易に想像できる。

 だからこそ王女という足枷に動きを封じられ、復讐と抑制の狭間で右往左往して涙するアンリエッタの事をどうにも放っておくことができなかった。

(使い魔として召喚されるといい、今回の事といい…つくづく私は不幸の星の下に生まれて来たわね…)

 博麗の巫女としての性と、少女としての自分に根付く好奇心…その両方を軽く呪いつつも、霊夢はまたもやため息をつく。

 それからフッと頭を上げて、夜空に浮かぶ星々を目にしながらいつもの気怠そうな表情で言った。

 

「でも…アンタとは違って私にはそういう経験が無いし、アンタの隣に立って言えるような事なんて何一つないわ」

 霊夢の口から出た言葉にアンリエッタは「そうですか…」と言って悲観に暮れる顔を俯かせる。

 流石の霊夢でも駄目だったか。ルイズはそう思い、意気消沈した幼馴染の姿を見て何もできない自分に歯痒さを感じてしまう。

 やはり第二者でしかない自分たちには、彼女が抱えている気持ちを理解することはできないのだろうか?

 しかし、そんな二人を余所に星空を見上げ続けていた霊夢は「でも…」という言葉を皮切りに、ゆっくりと喋り始めた。

 

「仮にもの話だけど、私がアンタの立場なら空の上にいるアイツ等をとっちめに行ってやるかもね」

 その言葉にアンリエッタが目を丸くして顔を上げ、ルイズもハッとした表情で霊夢の方を見やる。

 相変わらず夜空に目を向けている彼女であったがその顔は至って真剣なモノへと変わっており、目も笑っていない。

 さっきまで気だるげな顔だっのに、一体どうしたのかとルイズが訝しみつつも今の状況打破し欲しいと願うしかなかった。

 

 「人の恋人ごとその国を滅ぼした挙句に、今度は武力を盾にアンタたちの国を脅してるのよね?

  だったら二度とそんな真似が出来ないように、ボッコボコに退治してとっちめてやればいいのよ」

 

「―――え、えぇ…?」

「ボ、ボッコボコ…って、アンタ…」

 そこまで聞いたところでアンリエッタが困惑気味な声を上げ、ルイズは目を丸くして霊夢が口にした言葉をうまく理解できていなかった。

 確かに解決方法の一つとしては実に単純明快なのだろうが、それができれば苦労はしない。

 アンリエッタは確かに復讐を望んではいるが、そうなれば手段はアルビオンとの戦争に至ってしまう。

 彼女は恋人…それも公にできぬ人の仇を取る為だけに、戦力差がありすぎるアルビオンとの戦争を忌避しているのだ。

 

「ちょ、ちょっとレイム!アンタ、私達の話を聞いてたって言ってたわよね?

 姫さまは確かにウェールズ様の仇を取りたいとは思ってるけど、そうなったら戦争になっちゃうのよ?

 自分の復讐だけで起こす戦争で、多くの無関係な人が死ぬのを姫さまは恐れているの!分かる!?」

 

 やや興奮気味に捲し立てたルイズの説明に、霊夢は多少引きながらも「ありゃ?そうなの…?」とアンリエッタに聞いてみた。

 アンリエッタはそれに無言で頷き、それが肯定の意だと理解した霊夢はふ~ん…とやや興味なさげな表情を浮かべる。

 分かっているのかいないのか、それがイマイチ分からないルイズは呆れたとでも言いたげなため息をつく。

 しかし…そんなルイズを見て何か言いたい事でも思い浮かんだのだろうか、霊夢が一拍子おいて話しかけてきた。

「じゃあどうするのよ?…このままおめおめと泣き寝入りして、したくもない相手との結婚をしちゃうワケ?」

「…えっ?そ、それは…仕方ないじゃない、姫さまは王族なんだから…好きな相手と結ばれる事は少ないのよ」

 望まぬ相手と結婚するであうろアンリエッタを見やりつつ、ルイズは申し訳なさそうに言う。

 一方の霊夢は、そんな理由など知らんと言わんばかりの言葉を次々と口から紡ぎ出していく。

 

「人生で不条理な目にあって、その度にいちいち仕方ないで全部済ませてたら、死んだも同然の人生しかないわよ。

 良い?人の一生なんてあっという間に終わる。その間に楽があれば当然の様に苦もある。無論、不条理なことも…。

 けれどその不条理を全部仕方ないで済ませてたら、気づいた時にはそれまでに得たモノを全て失う羽目になってるかもね?」

 

 真剣さと気だるげな気持ちが混ざった表情で喋り終えた霊夢に、ルイズは言葉を詰まらせてしまう。

 彼女が語ったのはあくまで一人の人間の人生の話であり、生まれたときから貴族階級の頂点に立つアンリエッタはそれに当てはまらない。

 王族ともなれば政略結婚や政争、宮廷内の謀略に巻き込まれて不条理な生き方をした者たちも数多くいる。

 それは決して抗えぬ事であり、酷い言い方かもしれないが王族としての責務であり宿命でもあるのだ。

 しかし…霊夢の言葉は王族であるアンリエッタを一人の゛人間゛として見ている事を意味しているのだと、ルイズは察する事ができた。

 だからこそ王族という前提を無視して、彼女は話を進められているのだ。自分やアンリエッタとは違って。

 そこまで考えたルイズはしかし、霊夢の言葉に同意できるほどハルケギニアの常識を捨ててはいなかった。

(けれど、そんな不条理を飲んで生きていくしかないのが王族なのよ…)

 アンリエッタの抱える逃れられない宿命を思いながらも、ルイズはキッと表情をきつくしてから口を開く。

「確かにそうかもしれない。だけども、そういう使命を背負って生き行くのが王族なの。それが此処での現実というヤツよ」

「それはアンタたちの視野が狭すぎるから、それしかないと錯覚しちゃってるだけじゃない。馬鹿らしいわね」

「なんですって…?」

 身勝手ともとれる霊夢の言動にルイズはいら立ちを募らせてきたのか、その顔がより一層険しくなる。

 王族という籠の中でしか生きられない鳥であるアンリエッタの事など、さほど気にもしていないような霊夢の見解。

 幼い頃からアンリエッタの傍にいたルイズにとって、無遠慮な発言をする巫女を放っておくことなどできはしない。

 対して霊夢はさほど気にならんと言わんばかりの涼しい表情を浮かべながら、ルイズと睨み合っていた。

 そんな時であった。まるで山奥から怒涛の勢いで下ってくる水流の如き仲裁を図ってきた者が現れたのは。

 

「ま、待ってください…!何も私の事でお二人が喧嘩するなどあってはなりません!」

「…なっ、ひ…姫さま」

 流石にこの雰囲気は不味いと察したのか、二人の間に分かつかのようにアンリエッタが間に入ってきた。

 まるでゴールテープを切っていくマラソン選手の様に両腕を広げた姫殿下の御姿など、滅多に見られるものではないだろう。

 一触即発気味であったルイズは突然の仲裁に思わず面喰らい、霊夢はただ何も言わずにスッと後ろに下がった。

 ひとまず最悪の事態は回避できたと判断したアンリエッタは、ルイズと霊夢の二人を交互に見やりながら喋り出す。

「落ち着いて下さい二人とも…。私が悪いんです、私が…自分で解決すべき悩みを他人に頼ろうとしたばっかりに…」

「そんな事はありませんわ姫さま…!この私の考えが至らぬばかりに…」

(やっぱ関わらなきゃよかったかしら?…面倒くさいにも程があるわねぇ、このお姫さまは)

 未だネガティブ思考から抜け出せぬアンリエッタを、妙案が未だに思い浮かばないルイズが慰めようとする。

 そんな堂々巡りである二人を見てやる気が落ちたのか、霊夢は盛大なため息をついてから踵を返した。

 自分の事を一向に決められず、何度も何度も悲観に暮れては他者に頼るしかない人間の相手をしていたら日が昇ってしまう。

 

(…というか、私をここへ誘った当の本人はドコ行ったってのよ…?あの泥棒魔法使いめ)

 ふと夜空を見上げつつも、こんな面倒事を見つけてくれた挙句に姿を隠した黒白に悪態をついた時であった。

 

「あっ…コラ、レイム!アンタ一人だけ言うだけ言って、帰るつもりなんじゃないでしょうね!?」

 溜め息で気づいたルイズがその体から怒気を発しつつ、自分たちに背中を見せている霊夢に向かって怒鳴る。

 しかしその怒鳴り声に身を竦ませるどころか振り向くこともせずに、霊夢はポツリと言った。

 

 

「アンタも程々にしといた方が良いわよ?何かあればメソメソ泣いたり、自分が悪いって言ってばかりのような人間の相手なんて」

「――――……ッ!!、あ、あ、あ、アンタねぇ…!!!」

 さすがにこの一言で堪忍袋の緒が切れたのか、キッと目を鋭くさせたルイズは腰に差した杖を抜いた。

 鳶色の瞳に怒りを滲ませ、杖の先を自身の使い魔であり巫女である霊夢の背中に迷いなく向けている。

「る、ルイズ…!いくら何でもそれは…」

「大丈夫です姫さま。できる限り調節して、アイツだけが煤だらけになるようにしますから…!」

 アンリエッタからの制止されようが、怒り心頭であるはずのルイズは異様に冷めた声でそう返す。

 杖を向けられている霊夢本人もルイズからの気配で察したのか、本日何度目かになるため息をついて後ろを振り向こうとした時――――

 

「おぉ!色々と時間を掛けてやって来て見れば、何やら面白いことが起こりそうじゃないかッ!」

 

 ふと対峙しようとした二人の頭上から聞き覚えのある知人の、楽しげな声が聞こえてきた。

 嬉しそうに弾んだ調子のソレには、まるでサーカスの大道芸を前にしてはしゃぐ子供の様な無邪気さがある。

 突然の声を耳にしたルイズとアンリエッタははハッとした表情を浮かべ、霊夢は「アイツめぇ…」とでも言いたげな苦々しい表情で頭を上げる直前…

 小さな風を起こしながらも、庭園の柔らかい芝生の上に箒を手にした黒白の魔法使いこと魔理沙が降り立ってきた。

 その背中にはいつの間にかデルフを担いでおり、恐らくアレを取りに行って時間でも掛けたのだろうか。

「待たせたなぁ三人とも。面白い話限定でなら、この魔理沙さんが相談に乗ってやるぜ!」

 丁度ルイズと霊夢の間に着地した魔理沙が得意気に言った後に、彼女が背中に担いでいるデルフが喋った。

『何でぇマリサ、面白そうな厄介ごとがあると聞いてみりゃレイムに娘っ子…おっと、お前さんの言うとおりお姫様までいるじゃねぇか』

 金具の部分をカチカチとやかましく鳴らしながら、デルフが少しエコーの掛かった声でそう言う。

 それに対し魔理沙は既に浮かべている笑顔をより一層輝かせながら「だろ、だろ?」と嬉しそうに返した。

 

 一方、そんな一人と一本の乱入者の流れ、というか雰囲気についてこれない三人がいた。

「ま、マリサ…アンタ…」

 ルイズは霊夢と意見の違いで睨み合おうとした最中に、突然自分と彼女の間に図々しく表れた魔理沙に目を丸くしていた。

 霊夢の話が正しければ、こんな事になったのも彼女が原因らしいのだが、当の本人は凄く楽しそうにしている。

 まるで偶然通りがかった広場で、ピエロが大道芸をしているのを発見した子供の様な、嬉しそうな表情を浮かべていた。

 一体何を期待して私と姫様の間に入ろうとしたのか?それを問おうとしたルイズが声を上げようとした時、それを遮るように魔理沙が喋り出す。

「おぉルイズ。さっきお姫さまと何か色々と面白そうな相談事してただろ?良ければ是非私にも教えてくれよ」

 元気そうな笑顔を浮かべて空気も読まず…というよりも読む気すらない彼女の言葉にルイズはただただ目を丸くして何も言えずにいる。

 アンリエッタはアンリエッタで突然の乱入者にビックリして、ルイズ同様その口から言葉が出ない状態となってしまった。

 一方で、自分の好奇心を刺激してくれた二人が何も言わない事に状況を把握してない魔理沙は身勝手不満を感じていた。

「何だ何だ、私が来た途端に二人して黙るなんて?何か良からぬ話でもしてたのか?主に私方面の…―――って、うぉっ!?」

 流石に空気を読まない魔理沙の行動を見かねたのか、その背中を見せつけられていた霊夢がさりげなく彼女の口を止めた。

 止めたと言ってもただ単に左手で後ろ襟を掴んで強く引っ張っただけなのだが、それでも効果はあったようだ。

「何一人ペラペラと話してるのよ?この黒白!」

「ったく、だれか思えば霊夢かよ?…まぁ、お前が先に行ってくれたおかげで色々楽しいことになってるけどな」

「…は?アンタ今何て?……霊夢を先に行かせたですって?」

 

 この場では失言としか言いようのない言葉を耳にしたルイズが、魔理沙の方へと詰め寄る。

 魔理沙は一瞬だけ怪訝な表情を浮かべると、詰め寄ってきたルイズの方へと体を向け得意気な顔になって喋り出した。

「おうよ。さっき上の階からお前とお姫さまが話してたのを偶然見かけてな、それで何か面白そうだな~っと思っ…―――――」

 

 

「そりゃぁっ!!」 

 魔理沙がそこから先の言葉を言うよりも速く、

 そして正確無比な制度でもってルイズの左ストレートが不躾な魔法使いの鳩尾に、容赦なくぶちこまれた。

 悲鳴や呻き声を上げる間もなく、ルイズの一撃を喰らった魔理沙はそのまま背中から倒れる。

 一見すれば死んだかのように思えるが、ピクピクと痙攣しつつも体が上下しているので気を失っているだけだろう。

 

「まぁ、今のは魔理沙が悪いわね」

 仰向けに倒れた知人を見下ろしながら、霊夢が冷めた口調でそう言う。

『何だか良く知らんが…ま、確かにマリサが悪そうだな。ところで、誰かオレっちをそのマリサの背中から引っ張ってくれないか?』

 魔理沙の背中からデルフもそう言って、ついでと言わんばかりに助けを乞うた。 

 

 

 

 それから一分と経つまもなく、霊夢が地面に倒れた魔理沙を起こす羽目となった。

 流石に蹴飛ばして起こすのもなんだと思ったのだろうか、顔をペシペシと叩いて目を覚まさせる事となったが。

 

「ホラ、さっさと立ちなさいよ。面倒かけさせないでよね」

「ぅ、うぅ~、…何だって私がこんな目に…」

 気絶から目を覚ました魔理沙はルイズから受けた突然の暴力を思い出しつつ、殴られた鳩尾を摩りながら呻いた。

 受けた本人は、これが自らの好奇心が招いた結果だとは到底思っていないようである。

『イヤ~娘っ子からの話じゃあ、どう考えても悪いのはお前さんだと思うがね?』

「何だよデルフ?お前までルイズたちの味方になるのかよ」

 魔理沙の心の内を読み取ったかのように、霊夢が左手に持っているデルフがカチャカチャ音を立てて喋る。

 そんなインテリジェンスソードに、ようやく立ち上がることのできた魔理沙がそう言いながら苦々しい目で睨む。

 目があるのかどうかも分からないデルフは魔理沙の睨みに対し笑っているのか、プルプルと鞘越しの刀身を震わせた。

『オレっちとしちゃあ、面白いモンが見れればそれに越したことはないんでね』

「こいつめぇ……って、うぉわッ!?」

 悪びれもしないデルフに魔理沙が悪態をつこうとした時、後ろにいたルイズが彼女の後ろ袖を遠慮なく引っ張ってきた。

 またもや後ろから引っ張られた魔法使いは何かと思って後ろを振り向くと、鋭い目つきをしたメイジが彼女を睨んでいた。 

 

「ちょっとマリサ!そんな剣に構う暇があるなら、姫さまに謝りの一言でも言ったらどうなのよ?」

 ルイズは冷静に、しかし確実に怒っている口調でそう言ってきたので、魔理沙はアンリエッタの方へと体を向ける。

 魔理沙の乱入から今に至るまでただひたすら状況に置いて行かれてしまった彼女は、少しおどおどした様子でルイズたち三人と一本を見つめている。

 しかし当の本人はあまり反省してなさそうな表情を浮かべつつ、鳩尾を押さえながら言った。

 

 

「う~ん…謝れって言われても、私はただここに泊めもらってる恩を返そうと思っただけなんだかなぁ」

「さっき上の階にいた時のアンタの顔、そんな事露にも思って無さそうな感じだったけど?」

「ついでに、さっき箒から降りて来た時も好奇心で突っ込んできた感じだったわね」

『お前さんは気付いてないだろうけど、オレっちを部屋から持っていく時に好奇心で殺される直前の猫みたいな顔してたぜ?』

 言い訳がましい魔理沙の言葉に霊夢が突っ込みを入れて、ルイズがそれを肯定の意を述べた。

 そしてついでと言わんばかりにデルフがそう言ったところで、今まで静かだったアンリエッタが口を開いた。

「あ、あの…二人とも、そんなに彼女の事を責めないであげてください」

「姫さま…!けれどコイツは…」

 アンリエッタの口から出た許しを乞う言葉に、ルイズがためらいながらも反論の意を述べようとする。

 しかしそれよりも先にアンリエッタが無言で首を横に振ることで、ルイズは何も言えなくなってしまう。

 幼馴染が口を慎んだのを確認した後、アンリエッタがその口を開けてゆっくりと喋り出した。

 

「元はと言えば自分一人で解決すべき問題を、詔を考えている最中の貴女に振ってしまった私の責任です。

 ですから好意で相談に乗ってくれたルイズ…そしてレイムさんと、マリサさんに頼ろうとしたのが間違いでしたわ」

 

 あまりにも自虐的な印象が見えてしまうアンリエッタの謝罪に、すかさずルイズが反論しようとした。

 そんな事はありません!とそう力強く叫ぼうとしたときであった…彼女の後ろから「そんなことはないさ」という言葉が聞こえてきたのは。

 聞き覚えのある声に後ろを振り向いたとき、まだ鳩尾を押さえながらもしっかりと立っている魔理沙がアンリエッタを見つめていた。

 顔はまだ笑顔のままであるが、さき程とは違いその笑みが好奇心由来のものではないという事だけはわかった。

 それに気づいたルイズが彼女の名を呟くと、ルイズの方へ顔を向けてニコッと笑って喋り始める。

 

「今こうして王宮って立派で珍しい所に風呂付きで泊めさせて貰って、おまけに一日三食とおやつに紅茶までついてタダときた。

 そこまでしてくれたヤツが悩んでいるところで見れば、流石の私だって気が引けてついつい相談にも乗りたくなるさ。

 だからさ、これからも何か自分で解決できなさそうな悩み事とかあったら、この魔理沙さんに話してみてくれよな?

 まぁ、その日の気分次第だが…相談内容によっちゃあ博打の代打ちから妖怪退治まで何でもござれだぜ」

 

 所々アンリエッタの知識に入っていない単語があったものの、彼女が自分に言いたい事だけは何となく理解できた。

「つまり…私に一宿一般の恩義を返すために、お礼がしたい…という事なのですね?」

 アンリエッタからの言葉に、魔理沙は暫し口を閉ざしてからこう言った。

「まぁスッパリ切って要約するとそうなるな。あぁけど、さっきのは私の好奇心が七割ほどの原因だったけどな?」

 

 

「何よソレ!結局アンタの好奇心が原因じゃないッ!?」

 魔理沙の口から潔く先程の事についての言葉が出ると、ルイズが勢いよく突っ込むと同時に飛びかかった。

 急なことに流石の魔理沙も避けることはできず、つい口から「うぉっ!?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。

 彼女の上半身にしがみつくようにして組み付いたルイズに、流石の魔理沙も焦った様子でルイズに許しを乞い始める。

「わっちょっ…!おまえっ落着けルイズッ!話せば分かる、分かるからッ!!」

「分かるもんですかッ!この性悪黒白ォッ!」

「ちょ、ちょっと待って下さい二人とも!さすがにソレは危ないですよッ!?」

 話せば分かると叫ぶ魔理沙に対し、絶対に許さんと言わんばかりにしがみつくルイズを見て、アンリエッタも止めに入る。

 トリステイン王宮のど真ん中に位置する庭園で、出自の違う三人の少女達が喧嘩が元で絡まり合うという異様な光景。

 きっとこれまでもこれからも、こんなおかしい光景に出合うという事は滅多にに無いであろう。

 

 そんな三人を少し距離をおいた所で見ていた霊夢の耳に、デルフの声が入ってくる。

『何だ、随分おもしれー事になってるな!…で、お前さんは行かないのかい?』

「何かもうどうでも良くなったわ。ま、アイツが来てくれたおかげで…面倒事は楽に済んだ分良しとしましょうかね?」

 イヤらしいデルフの言葉に霊夢は気だるげにそう言って、大きな欠伸を一つかました。



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第七十五話

 子供の頃の彼女にとっての゛世界゛は、あの村の中にしかなかった。

 トリステインの沿岸部に沿うようにして作られたあの小さな土地の中が、彼女が唯一知る゛世界゛だった。

 かつてアルビオンから渡ってきた人々が長き苦労の末に開拓した歴史ある土地。

 特産物は海で採れるカキぐらいしか無かったが、食卓には大小関係なく新鮮な海の幸が出てくる事が多かった。

 海が荒れて漁に出れない時期も村の大人たちが作ってくれた干し肉や干し魚が、お腹を満たしてくれる。

 先祖代々耕してきた土のおかげで農作物も程々に作ることができ、領主から不満が出たことも無い。

 時折村の外からやってくる行商が売ってくれるお菓子は、彼女を含めた子供たちを大いに喜ばせた。 

 

 どこまでも続く青い水平線と白い砂浜に照りつける太陽。そして村を一望できる大きな山々。

 まだ子供であった彼女にとって世界はあまりにも小さかったが、不満というモノを抱くことは無かった。

 

 

 …しかし。そんな彼女の人生は、唐突な急転直下の道へと誘う出来事に襲われる事となった。

 夕日が沈み、闇の中に消えていく水平線をぼんやりと見つめていた彼女の背後に、゛ソレ゛は姿を現したのである。

 夜の帳が訪れようとしている村をその全体で照らし、そして無慈悲に焼き尽くし呑み込んでいく。

 皆が皆顔見知りだった村人たちは逃げ惑い、あるいはその場で膝をついて涙を流しながら誰かに許しを乞う。

 死の間際に様々な姿を見せる村の人たちも皆、平等に燃え盛る゛ソレ゛に呑まれて消し炭となっていった。

 砂浜にいた彼女は゛ソレ゛に怯え、踵を返して走り出した。皆が平等に死んでいく村へと背を向けて。

 

 死にたくない…アレに呑まれたくない…!

 

 まだ幼い頭の中で必死にその言葉を反芻させ、砂のせいで思うように動かない両足で必死に走る。

 そうして四メイル程走った所で、砂に足を取られて転んだ彼女は、反射的に後ろを振り向いた。

 彼女の中の唯一の世界であり、生まれ育った村が燃え盛る炎の中へと消えていく。

 人も家畜も、土も農作物も…そして思い出さえも、その炎が容赦なく平等に焼き尽くしている。

 そしてその炎の中で…村の皆を飲み込んだソレ゛が、新たな獲物を探して焼けた地面を這いずっている。

 

 彼女の眼には、゛ソレ゛の姿が一匹の巨大な゛蛇゛として見えていた。

 燃え盛る炎から生まれ、呑み込んだモノ全てを平等に焼き尽くしていく巨大な゛炎蛇゛。

 その眼は灼熱の体からは想像もつかない程、ひどく冷めていた。

 

 

 

「――――ッンゥ…」

 冷たい空気に頬を撫でられたアニエスが、下がっていた瞼をゆっくりと上げていく。

 今まで寝ていた事と、もう少しだけ眠りたいという僅かな睡魔のおかげで重たい気がする。

 それでも彼女は自力で瞼を上げてからパチリと瞬きをし、目を覚ました。

 

 今のアニエスがいる場所は、トリスタニアの詰所にある自宅を兼ねた自室の中ではない。

 もう何年も使っているオンボロベッドは無く、今の彼女が背中を預けているのは地面から生えている樹齢の分からぬ木だ。

 大木というにはやや小さいそれから背中を離した彼女は、右手で目を擦りながらゆっくりと立ち上がった。

 体に掛けていた薄い毛布を左手で拾い上げようとした時、少し両足の太ももや腰に微かな違和感があるのに気付く。

 無理もない、何せ昨夜は体育座りに近い姿勢のまま寝てしまったのだから。

(まぁ…陽が昇る時間帯には治ってるだろ)

 だからといって歩くのには支障は無いため、アニエスは左腕で抱える様に毛布を持ち上げる。

 そして軽い欠伸をした後、ふと先ほどの自分と同じような姿勢で寝ている゛同僚゛たちを見回した。

 

 暗く冷たい空気が木々の間を通り、未だ鳥の囀りさえ聞こえることのない未明の森の中。

 その中でアニエスを含む多数の衛士…否、トリステイン国軍の兵士たちが目を閉じて軽い眠りについていた。

 見張り役の何人かが彼女よりも先に起きて早い朝食を乾燥食品で済ませているが、寝ている者達の方が遥かに目につく。

 全員が街中の衛士とは違う軍用の装備を身に纏い、その頭には新しく支給されたヘルメットを被っている。

 ガリア式を模したソレは従来の兜とは違い丸みがありつつも、余計な装飾が一切ないシンプルで無骨な造りをしている。

 無論彼女を含めた彼らが一兵卒だからというのもあるが、その分兜と比べると遥かに軽い。

 将校が被るような魔法の兜とは違って敵の矢ぐらいならば申し分なく防げる程度か、あるいは防げないのか。

 実際のところこの目で確かめてみなければ分からないが、そのチャンスが来る事を祈るようなマネはしたくない。

 

 

 

「しかし、こんなに軽くて本当に大丈夫なのか…?」

 不安のあまり思わず一人呟いてしまったアニエスであったが、それも致し方ない。

 何せ今のトリステイン軍は近年先鋭化しつつあるガリア軍やゲルマニア軍、そしてロマリア軍の後を追うような形で装備の更新を行っているのだ。

 それは歩兵の装備一式の近代化や砲兵隊の強化を含む、陸上戦力の強化である。

 

 十年前、ハルケギニア各国の地方で広がりつつある゛実践教義゛の信者たちが扇動する一揆や反乱が頻発するようになった。

 トリステインやアルビオンではそんなに目立ってはいないが、先に述べた三国の他諸侯国では正規軍や貴族に対しての襲撃などが起こっている。

 活動拠点を地方と都市、または地方と地方の間の山間部や洞窟に作り上げて、勝てる相手と見込めば奇襲を仕掛けてくる。

 そして報せを受けた王軍が駆け付けた頃には、もう敵は踵を返して姿を消しているという始末。

 更には周辺に住む山賊たちと協力、または壊滅に追いやるなどして更なる戦力の拡大を図ろうとしていた。

 

 無論ただやられているだけの正規軍でないのだが、いかんせん相手は非正規。まるで地面から顔を出すモグラの様に何処からともなく現れるのだ。

 従来の空海戦力中心の空海軍や王軍では山野や洞窟に隠れる敵を発見するのが難しく、陸軍主体の国軍では戦力と士気が問題であった。

 その為、これまで日陰者扱いされていた国軍を王軍とも肩を並べられる陸軍に仕立て上げる必要があったのである。

 そうした防衛思想のもと、ガリアやゲルマニアの二国が先頭を走るようにして自国の陸軍を一気に先鋭化させ始めている。

 代表的な例としては、傭兵で陸上戦力を賄っていた王軍を国軍と組み込んで、大規模な陸軍として再編成していることだろう。

 ロマリアもまた聖堂騎士を中心に、山間部に住む集落の者たちや実践教義に反対する山賊あがりから成る山狩り専門の部隊が編成されている。

 そしてトリステインも、それ等の後追いで国軍の強化をしているのだ。しているのだが…

 

(にしたって、このボディプレートはどう考えても軽すぎるぞ?)

 アニエスは心の中でボヤキながら、胸と背中を覆っている青銅色のボディプレートを見やる。

 身に着けているソレはヘルメットと同じで軽量化と生産性を意識したモノになっており、変に軽いのがが不安であった。

 幸いにも鎧の下に着こんでいる服はトリステイン国軍で制式採用されている制服で、衛士の時に身に着けているのと比べると着心地が良い。

 色もやや暗めのダークブラウンで、制服だけでも自分たちが軍隊だと認識できるようトリステイン王国の紋章の刺繍が胸に施されている。

 そして自分の命を預ける相棒の剣は言わずもがな。衛士になった頃から愛用し続けている一振りである。

 他にも軍から支給された槍も一本。これもトリステイン国軍で古くから使われている信頼のある槍だ。

 

「おぉ粉挽き屋。もう起きてたのか?」

 そんな風にしてアニエスが支給された装備を確認していると、背後から声を掛けられる。

 誰かと思い振り向くと、自分と同じ装備を身に着けた兵士達が二人、こちらにやって来る所だった。

 そして彼らの後ろには七人もの兵士たちが付いてきている。先頭の二人の内ガタイの良い兵士が手を軽く振ってきた。

 もう交代の時間か…。心の中で呟きながら、アニエスも手を軽く上げて挨拶を返してから、男たちに向けて口を開く。

「どうだ様子は?何か変わった動きとか…上からのお言葉とかはないのか?」

「いんや何も。…強いて言えばいつでも動けるようにはしとけと王軍の将軍様たちが煩く言ってたけどな」

 見るからに日々の鍛錬を心掛けているといったガタイの良い男が、気さくな笑みを浮かべて彼女に言う。

 ガタイの良い彼は遥々シュルピスから国軍の一員として派遣された者たちの内一人で、今はアニエスと同じ隊に振り分けられていた。

 アニエスを含め、今ここで寝ている兵士たちの内何人かは同じ部隊の同僚であり、三時間毎の休憩を取っている最中だ。

 彼の言葉にアニエスはそうか…。と頷いた後、ふと視線をやや下へ向けてすぐ傍でまだ眠っている一人の同僚を足で小突いた。

「おい、起きろヘンケン。…交代の時間だぞ?」

「ん…、うわっ!」

 ヘンケンと呼ばれた、彼女よりまだ年下であろう青年兵士は蹴られたショックか小さな悲鳴を上げて飛び起きる。

 慌ててた起きた若過ぎる兵士は眠り目を擦りながらも、急いで足元に置いていた槍を手に取るとアニエス達三人に向かってなぜか敬礼をした。

 突然の敬礼に三人が思わず身を竦めると、ヘンケンは大声で喋り出した。

 

「な、何でありましょうか!貴族さ…ま………――――って、アレ?アニエスさん…それに先輩たちも…」

 恐らく夢の中で上官である貴族にドヤされていたのだろうか?

 体が動いた後にようやく覚醒した彼は、目の前にいるのが顔見知りになったばかりの仲間たちだと気づく。

 アニエスたちの目から見れば相当な間抜け面を浮かべて突っ立っている新兵に、ただただ呆れるしかなかった。

「全く、国軍の精鋭化とは上も大層な事を言うもんだよなぁ?」

 ガタイの良い兵士の隣にいる、いかにも古参兵と言うべき壮年の兵士がアニエスにそう言う。

 それに対し彼女は何も言わずただヘルメット越しの頭を抱えて、呆れたと言いたそうなため息をつくばかりであった。

 

「…交代の時間だ。他の皆を起こしてくれ」

「あっ…は、ハイッ!分かりましたッ…!!」

 ため息交じりのアニエスの言葉に、若い兵士は再度敬礼し直して元気の良い返事をした。

 

 

 その日、トリスタニアからラ・ロシェールまでの地域は近年稀に見るほどの濃霧に包まれていた。

 アルビオン大陸から流れてくる雲がトリステイン国内で雨となり、そしてこの霧を生み出している。

 まるでトリステインの地図の上にミルクを垂らしてしまったかのように、ほぼ直線状の霧が立ち込めていた。

 霧はラ・ロシェール郊外にある森林地帯にまで及んでおり、鬱蒼と生える木々の間を縫って湿気と冷気が流れている。

 

 そう、今のアニエスが国軍兵士の一員として歩いているのはラ・ロシェールの郊外にある大きな森の中。

 観光スポットとしての価値のない、無駄に大きな自然の集合体の中にいる人間たちの中の一人として彼女は混じっていた。

 簡易の地図と非常食の干し肉と雑穀パンが入った腰のサイドパックと水の入った革袋が、歩く度に揺れて微かな重みを感じさせる。

 目覚めたばかりであるが既に眠り目を擦りながら歩く者は殆どおらず、この先にある砲兵陣地へ黙々と前進する。

 その数は丁度十人。先ほど三時間の休憩が終わった兵士たちである。

 最前列を行くアニエスは時折背後を確認して異常が無いか確認しようとするが、霧のせいで後ろから六人目までくらいしか表情が伺えない。

 目を凝らせば後の四人も見えるのだろうか?そんな事を考えている最中に、隣にいるヘンケンが声を掛けてきた。

「それにしても、この演習はいつになったら終わるんでしょうね?アニエスさん…」

 先ほど間抜けな事をしでかしたヘンケンが、隣で歩く彼女にポツリとぼやく。

 それを聞いていたのかいないのか、アニエスは霧に隠れて見えない未明の空を見上げて呟く。

 彼女はそんな隣の新兵に対し、突き放すかのような言葉を贈ってやった。

「お前がそうやって弱音を言ってる限り続くかもしれんぞ?そんなことよりも、さっさと足を動かせ足を」

 アニエスの言葉にヘンケンは多少たじろぎながらも「はっ、はい…」と返事をして歩くのに集中しようとする。

 

 互いに同じ装備、同じ槍を担いで歩く姿は正に戦場でのポーン。遠く離れた王宮の地図の上では、数字として変換される消耗品。

 しかしヘンケンの顔は実戦を知らぬ新兵の如き柔らかい表情を浮かべており、どこかノホホンとしている。

 自分が戦場では消耗品として扱われている事など、きっと微塵にも思っていないのであろう。

 彼と同じような表情を浮かべている者たちも後ろの列には何人かおり、明らかに新兵だと分かる様相だ。

 アニエスは彼らの表情を見て、頬に一発キツイ平手を喰らわせるような檄を飛ばす。

 

 

「気を抜くなよ。いくら演習と言っても本物の武器を扱ってるんだ!」

 女と言えどここ二週間でアニエスの恐怖を知った彼らは、隣にいるヘンケンを含めて勢いよく返事をする。

 それに対しアニエスは軽く頷いてから、これから向かう先にある第二砲兵陣地へと急ぎ始めた。

 

 

 事の始まりは丁度二週間前…いよいよ本格的な夏が迫ろうとしている時の事であった。

 

 詰所本部を尋ねてきた王宮の使いと馬車に、ルイズたちを乗せた日から翌日…

 アニエスを含む何人かの衛士達宛てに、トリステイン国軍から召集令状が届いたのである。

 最初は何か性質の悪い冗談の類かと思っていたのだが、令状に押されていたトリステイン王国と国軍の印がそれを本物だと裏付けていた。

 彼女の令状にはこう書かれていた。

 

「アニエス衛士。本日ヒトヒトサンマルマデニトリスタニア国軍拠点へ出頭シ、装備一式ノ受領及ビブリーフィングヲ受ケヨ」

 

 ワケが分からない。ミシェルや隊長たちの前で手紙を読んだ彼女は反射的に呟いてしまった。

 手紙を受け取った他の仲間たちも、似たような事が書かれているようだった。

 国軍拠点?装備一式の受領?ブリーフィング…?…戦争でもおっぱじめようとでも言うのか!?

 口に出して叫びたかったが何とか心のうちに留めた彼女は、渋々郊外にある国軍拠点へ足を運ぶこととなった。

 王宮からの正式な命令である以上従わなければいけないし、衛士如きが召集令状に抗っても上は取り合ってくれないであろう。

 そんな風にして渋々拠点へと出頭して装備を受領した後、広間で聞かされたブリーフィングの内容は単なる゛大規模演習゛の事であった。

 ラ・ロシェールの郊外において、国軍強化と砲兵戦の練習を兼ねた長期かつ大規模な演習が行われるとのことらしい。

「今ここに呼ばれている諸君らにはその第一陣として演習地へと赴き、準備兼後から来る国軍兵士達と演習を受けて貰う」

 その様な説明を拠点に赴いた王軍の貴族将校から聞かされたアニエスを含む何人かは、安堵できる肩透かしを喰らってしまった。

 

 その後、当日の内に出発と聞いたので一旦詰所に戻って隊長たちに事の詳細を伝えた後に軽い荷造りをした。

 やれやれ、お前を含めて何人か国軍に引き抜かれちまったよ。隊長は首を竦めながらそんな事を言っていた。

 そして、この演習に召集されなかったミシェルからは「アンタなら農民上がり共を、うまく統率できるさ」と自身たっぷりに言ってくれた。

 この時は一体何の根拠があって言ったのかと疑問に思ったが、それは演習開始後すぐに理解することとなった。

 

 男勝りで泣く子も黙る威圧感を持つアニエスは、たちまちの内に国軍兵士として召集されたばかりの新兵たちに恐れられ、尊敬されたのである。

 ある者からは故郷にいる兄を、またある者は男勝りだった母親を思い出させてくれたと言ってくれた。前者は思わず頭を軽く叩いてしまった。

 そして元々国軍にいた古参兵たちからも「衛士の癖に、胆の据わったヤツだな!」と感心されて、何故か頼られてしまっている。

 トリスタニアでも何故か一部の男達から友人の様に接され、挙句の果てには酒場のウエイトレス達にも尊敬されているアニエス。

 まさか演習と言えども、こんな泥臭い仮想の戦場でこんなにも頼りにされるとは彼女自身が思ってもいなかったのである。

 

 先ほどの仮眠場から五分ほど離れた所に、第二砲兵陣地が造られていた。

 木々生えていない広場の様な空き地に大きな穴を掘り、その穴の中に六つの大砲が設置されている。

 その周りは穴の外にはフル装備の国軍兵士たちが慌ただしく動いており、彼らの中にはマントを着けた貴族もいた。

 しかしメイジとしてはラインもしくはドットクラスの者たちが多く、トライアングルクラスは指数える程度でスクウェアクラスとなると一、二人しかいない。

 彼らの家柄もお世辞にも良いとは言えず、各都市の街中で暮らしているような下級貴族たちが国軍の大半を占めている。

「おい一等兵、砲弾の移動はもう済んだのか?」

「勿論ですよブルーノ隊長、これなら急に実戦になったとしても敵を砲撃で滅茶苦茶にできます!」

「そうか、でもこれは演習だ。撃ちこむところを間違えたら…文字の通り俺の首が飛ぶんだから、気をつけろよな?」

 貴族たちも地方や領地を持たぬ下級貴族からなる陸軍所属の者たちであり、同じ国軍の歩兵たちと交える会話も何処か軽い。

 若い世代が多く、また幼い頃から平民たちに混じって暮らしている下級貴族たちで構成されている為でもあった。

 

 その一方で、陣地から少し離れた場所に建てられた天幕の中から外を覗く貴族たちは、皆一様に顔を顰めている。

 国軍の貴族と比べ身だしなみを整え、胸に幾つもの勲章を付けている彼らは王軍の所属だ。

 天幕そのものも周囲の雰囲気からは明らかに浮いている程豪華で、良くも悪くも目立っているといった状態であった。

「全く…ラ・ラメー侯爵も酷な扱いを我らに為さる…よりにもよって、平民どもと下級貴族達国軍の監査などと…」

 派手に飾った杖を腰に差した小太りの貴族将校が、そとで動き回る国軍の者たちに向けて明らかに軽蔑するような言葉を呟く。

 それに続くかのように、中に置かれたベッドに腰掛けていた細身の貴族将校が、愛用している香水を体に吹きかけながら相槌を打った。

 

「そうですな!…それにしてもあんなに平民と親しくなろうなどと…トリステイン王国貴族としての誇りを忘れた貧乏人どもめが」

 天幕の中にいる彼らは、外にいる国軍の兵士や貴族たちを小声で好き放題言っている。

 今回は国軍の監査と視察の為にここを訪れているのだが、朝早くからすこぶる機嫌が悪かった。

 その原因は彼らの視線の先にある、穴の中に設置された大砲と関係している。 

 

 本来は地上からの対艦攻撃に使われるソレは、これまでトリステイン軍が使ってきたものとは違いゲルマニア製の大砲だった。

 新型ではないがトリステイン軍の大砲と比べて精度は格上であるこの地上兵器は、トリステイン国軍の新たな切り札として配備されている。

 詳しい事情は知らされていないものの、近々行われるアンリエッタ姫殿下の結婚式の礼としてゲルマニア側が無償で提供してくれたのだという。

 

 王軍と空海軍はこれに反対したが、純粋に戦力強化をしたい国軍にとっては喉から手が出るくらい欲しい代物であった。

 長い会議の末に財務卿とマザリーニ枢機卿からのお墨付きをもらい、何とかこの演習で配備することに成功したのだ。

 無論、他二軍にとってこの決定は面白くなかったためか、特に王軍は今回の演習で何か事が起こるたびに国軍に当たり散らしている。

「所詮ゲルマニアの大砲や平民の軍隊など、始祖ブリミルから授かりし魔法の前では無力でしかないというのに!」

「全く以て同意するよ。あの鳥の骨も国軍の強化などと無駄な事を提案するよりも、我々王軍や魔法衛士隊の拡張を行うべきだ!」

 かつてトリステインで行われた貴族至上主義教育の被害者とも言える彼らの言葉は、当然の如く護衛を務めている魔法衛士隊隊員の耳にも届いている。

 正直な所、護衛対象である将校たちの話が外で働いてくれている国軍連中の耳に入らない事を切に願っていた。

 

 

 国防を盤石にする為の演習の場で、国軍と王軍。それぞれの軍が対立しあうという二対一の状況…

 そんな事など露知らずに、アニエスの隊は第二砲兵陣地へとたどり着いていた。

「第二砲兵大隊所属、第三班アニエス他九名!ただいまから配置に就きます!」

 後ろに部隊の仲間たちを引き連れた彼女は、ここの指揮官であるアマディス伯に敬礼する。

 アニエスの報告に五十代後半に差しかかろうとしている初老の辺境貴族もまた敬礼でもって応え、その口を開く。

「御苦労!では、今日も陣地周辺の哨戒に当たってくれ。期待しているぞ!」

 国軍の兵士達とは付き合いの長い彼は、アニエスとその後ろにいる兵士たちへ励ましの言葉を贈った。

 その口調や言葉からは王軍の貴族たちとは違い、これからまた一日働こうとする仲間たちを応援しているぞという雰囲気が出ている。

 兵士たちがそれらを感じ取れたかはどうか知らないが、彼らもまた威勢の良い返事と共に敬礼でもって応えた。

 その敬礼を見てアマディス伯は満足そうに頷く、アニエスの班に配置につくよう命令した。

 

「あっ…ちょっと待て、アニエス!お前だけは少しここに残ってくれ」

 そんな時であった、背後を向けた彼女たちにアマディス伯の声が投げかけられたのは。

 一体どうしたのかと思ったアニエスは後ろを振り返り、先程と同じ場所で佇んでいる彼に向き直った。

 

 これまで苦労と共に生きてきた証拠である皺の目立つ彼の顔には、何か後ろめたい雰囲気がにじみ出ている。

 先ほどまではそんなモノは感じられなかったというのに…。アニエスは内心首を傾げつつもどうしたのですか?と訊ねた。

「少し話しておきたい事があるんだ。時間は取らないし、良いか?」

「…?…わかりました。悪いが、お前たちは先に行っててくれ」

 アマディス伯の話にアニエスはそう言いつつ、背後の仲間たちにも声を掛けた。

 同僚たちは彼女に軽い敬礼をしてから踵を返し、配置場所へと早足で歩いていく。

 それを横目で見ていたアニエスに、アマディス伯は羨ましそうな口調でこんな事を言ってきた。

 

「…ついこの前まではノロノロ歩いてた連中が、お前のおかげで随分と立派になったもんだな」

「いえ、アイツらなら私抜きでも上手くやれてましたよ」

 惜しみない賞賛とも取れる彼の言葉に、アニエスは率直な気持ちでそう返した。

 

 

 仲間たちと別れた後、アマディス伯に連れられたアニエスは国軍が設置した天幕の中にいた。

 王軍のソレと比べて正方形のテントの居住性はまずまずといった所で、並みの平民ならばそれなりに快適な環境であろう。

 そんなどうでもいい事を入り口の横で考えていた彼女は、先に入っていたアマディス伯に声を掛けられた。

「ホラ、立ち話も何だろう。座りなさい」

 そう言って彼は天幕の右端に置かれた椅子に指さしながら席に着くようアニエスに促した。

 アニエスは多少遠慮した風を装ってゆっくり座ってから、向かいの席に座った老貴族が後ろにいた給士に指示を出す。

「君、悪いが紅茶を二つ用意してくれ。……砂糖とミルクは?」

「ミルクだけで結構です」

 アニエスの言葉にアマディス伯は何も言わずに給士の顔を見やると、給士は一回だけ頷いて紅茶の用意を始めた。

 少なくとも、今のやりとりは王軍の天幕の中では決してお目に掛かれないだろう。

 

(まぁ、入れると言われても極力入りたくないのだがな)

 彼女はそんな事を内心呟きながら、ふと天幕の中を軽く見回した。

 国軍士官用の鎧等が天幕の左端にちゃんと整理整頓されて置かれており、天井から吊るされているカンテラで銀色に輝いている。

 真ん中に設置された大きなテーブルの上には地図が置かれている。記されている場所からしてここら一帯の地図なのだろう。

 丁度入り口から見て奥にベッドが置かれており、天幕に見合ったシンプルな造りのそれはあまり寝心地が良いとは思えない。

 そのベッドの隣に置かれた小さな箪笥の上には、彼が故郷から持ってきたであろう小さな私物が幾つか乗っている。

 老眼鏡に鈍く光る懐中時計、手袋に栞が挟まった本の隣には小さな小さな額縁があった。

 アニエスはその時、本の傍に置かれた額縁立てだけが妙に気になってしまった。

 それが生来の勘なのか、あるいはもっと別の何かを嗅ぎ取ったのかどうかは本人にさえ分からない。

 平民である自分を天幕の中に入れて茶まで御馳走してくれる老貴族の事を、少しだけ知りたかっただけなのかもしれない。

 しかし、ベッドの方へと視線を向けたまま目を細めたアニエスの顔はアマディス伯の注意を引くことになってしまった。

 

「…………もしかして、あの額縁が気になるのかね?」

「―――――…っ!」

 額縁の方を凝視していたアニエスは、…天幕の主に声を掛けられ思わず身を竦めてしまう。

 それを見てアマディス伯が軽く笑ったのを見て、彼女はコホンと軽く咳払いをしてから姿勢を正して口を開いた。

「えっ?…あ、イヤ…その…」

「ハハハ、別に誤魔化さなくてもいい。こちらも堂々と置いていたのだからね」

 何か言い訳をと思ったアニエスの言葉を遮ったアマディス伯は、ゆっくりとした動作で席を立った。

 そしてベッドの方へと歩いてその額縁を手に取って、また自分の席へと座り直した。

 彼の大きな左手に握られている額縁の中には、彼と思われる男性と初老の女性が左右に、そして二人の間に年端のいかぬ少女が描かれている。

 アマディス伯はその肖像画を愛おしそうな目で見つめながら右手の指で薄いガラス越しの肖像画を撫で始めた。

「…妻と娘だよ。五年前に娘が魔法学院を卒業した時、大枚はたいてトリスタニアで一番の絵描きに頼んで描いてもらったんだ」

 彼は昔を懐かしむような口調でそう言って、ふとアニエスにその額縁を優しく差し出した。

 家族との思い出であるその額縁をそっと手に取った彼女は、中に収められている肖像画を近くで見つめる。

 左右に掛かれているアマディス伯とその奥さんは優しく微笑んでおり、真ん中にいる娘さんはそばかすの目立つ顔に満面の笑みを浮かべていた。

「娘はトリステインの外の国々の事を知りたくてね。卒業したらハルケギニア大陸を歩き回りたいとよく口にしていたものだ」

「そうでしたか。…じゃあ、今は故郷で貴方の帰りを待って――――――」

 

 

「妻は二年前にこの世を去ったよ、体中に黒い腫瘍が出来てね。……その一年後に、娘も後を追うように…」

 自分の言葉を遮り、彼の口から出たその事実にアニエスは何も言えなくなってしまう。

 顔に浮かべていた微笑すら崩すことも出来ず、彼女の時間だけが止まったようにその体が静止した。

 ふいに喉から口の外へと出かかっていた言葉が詰まって、そのまま窒息死してしまえばいいのにと思ってしまう。

 そんなアニエスの気まずい雰囲気に気付いたのか、アマディス伯が寂しそうな笑みを浮かべて言った。

 

 

「おいおい!別に君が私の家族を殺したワケじゃないんだ。そんなに気まずくならないでくれ」

「……す、すいませんでした」

 逆に励ましの言葉をくれた老貴族に彼女が申し訳なさそうに謝った時、給士が程よく熱い紅茶を運んできてくれた。

 肖像画が描かれた当時の娘より一つか二つ年上の給士はカップを二人の前に置いて一礼すると、再びアマディス伯の後ろへと戻った。

 アニエスが手に持っていた額縁をアマディス伯に渡すと、彼は紅茶の入ったカップの取ってを掴んでから言った。

「さっ、紅茶が冷めぬ内に飲みたまえ。今日は一日中太陽が霧に隠れているらしいから少し冷えるぞ」

 彼に促されてアニエスも渋々紅茶を一口飲む。ミルクの入ったソレが鼻孔を優しくくすぐり、気持ちを穏やかにしてくれる。

 アマディス伯は自分の手元に置いた額縁を見つめながら、無糖ミルクなしのそれを優しく口の中に入れていく。

 

 

 霧に包まれた森の中で、兵士たちが泥だらけの陣地であくせくと動いている中…綺麗な天幕の中で暖かい紅茶を飲む。

 どこか申し訳ない贅沢な一口を飲んだところで、アニエスが思い出したかのようにアマディス伯に質問をした。

「そういえばアマディス伯。私に仰りたい事があると言っていましたが…」

「ん?…あぁ、そうだったな。…いかんいかん。私も随分、歳をとったものだ」

 アニエスの質問に彼女をここに呼んだ理由を忘れかけていたアマディス伯はそう言って顔に苦笑いを浮かべる。

 後ろにいる給士が口元を押さえて微笑んでいるが、その顔には彼を馬鹿にしているという意思は汲み取れない。

 まぁ別に言わなくても良いだろう。アニエスがそう思った後、アマディス伯がカップをソーサーの上に置いて喋り出した。

 

「実は二週間前から始まった今の大規模演習だが。何事も無ければ明日で終了とのことらしい。

 君も知ってのとおり、本演習は外国で過激な動きを見せつつある新教徒たちが国内に出現した際の訓練として立案された。

 山野に潜む敵を包囲し、砲撃で威嚇して炙り出すという戦法を、君たちは演習でありながら見事に見せてくれた。

 今後は君たちの何人かを国軍所属に移し、各地域に分かれて個別演習と山間行軍などの警戒に当たってもらう事となるだろう」

 

 彼はそこまで話し終えると湯気の立つ紅茶をゆっくりと口に入れ、飲み込んでホッと一息つく。

 アニエスはそこまで聞いてそうでしたか。と返した後に、ふと気になる箇所があったのを思い出しそれを聞いてみた。

「あの…先ほど私を含めた何人かを、国軍所属に移すと聞きましたが…」

 

「それはあくまで可能性の話だ。実際には演習結果の成績と、査定の評価から見て選出することになってる。

 無論、君以外の衛士の中には前々から国軍へ志願したい者が何人かいるからね。演習結果と合わせてそちらを優先する事になってる。

 だから君が国軍へ移る可能性は無いに等しいとは言えないにせよ、恐らくその前に志願者が枠を埋めてしまうだろう」

 

 私としては残念極まりないが、ね?アマディス伯はアニエスに軽いウインクを飛ばしてそう言った。

 先程死んだ家族の肖像画を愛おしそうに撫でていた老貴族とは思えぬ仕草を目にして、アニエスは別の意味で言葉を詰まらせてしまう。

 かろうじて「え、えぇ…」とだけ返す事はできたがはたしてそれが本当に最良の言葉だったのかどうかは、分からない。

 アマディス伯はアニエスの相槌を確認してからふと席を立つと、入り口から濃霧が立ち込める外の景色を見やる。

 零れた練乳の様に森を包む霧をかき分けるようにして走り回っている士官の貴族や歩兵の平民たち。

 部下である彼らの姿を天幕の中から一望しつつ、アマディス伯は一人呟く。

 

「これからの時代は正規軍同士のぶつかり合いと同時に、新教徒たちのような局地的な襲撃者の数も増えるだろう。

 山賊以上正規軍未満の敵を相手にする為には、国軍の戦力強化は絶対に達成しなければならない目標だ」

 

 彼の言葉にアニエスも「そうですね…」と軽い相槌を打って、手に持っていたカップをゆっくりと口元へ持っていく。

 未だ湯気が立ち上る熱い紅色の液体を慎重に啜ろうとした時、背後にいた老貴族が彼女の名を呼んだ。

 何かと思いカップを口元から離したアニエスは、席を立ってからクルリと後ろを振り返った。

 相変わらず外の方へと視線をむけている彼は振り返ることもせず、ただ目の前にある陣地を見つめながら喋り出す。

 その背中から漂う気配は彼と出会って二週間、初めて感じ取ったモノであった。

 まるでお芝居の中の騎士が、強大な相手へと挑むかのような、決意と覚悟に満ち足りた背中…とでも言えば良いのだろうか?

 とにかく、先ほどとは打って変わった気配を滲みだすアマディス伯の背を前に、アニエスは口を閉ざしてしまう。

 

「アニエス。先ほども話したように今日が長期演習の最終日だ。

 しかし…それは同時に、間に合わせの近代化を行ったに過ぎない国軍が、演習の次の段階へと移る日なのだ」

 

 そう、次の段階にな?最後に彼がそう付け加え、アニエスの方へと顔を向けようとした時――――

 天幕の外から複数の馬の嘶きが濃霧を貫いて陣地に響き渡った。

 陣地にいた者たちは貴族平民問わずそちらの方へと顔を向けた瞬間、濃霧を裂いて兵士を乗せた二頭の馬が陣地へと入ってきた。

 蹄を鳴らし、口の端から涎を飛ばして走ってくる二頭の奇蹄類に、進路上にいた者たちは素早く道を譲っていく。

 何人かが何事かと叫ぶ中、馬に乗った兵士たちの内一人は王軍の天幕へと、もう一人はアマディス伯のいる天幕の前で乗っていた馬を止めた。

 今度は間近に聞こえてくる嘶きに流石のアニエスも怯んでしまい、天幕の主である老貴族も顔を顰めてしまう。

 そんなことを気にも留めずに王軍の御旗を背中に差した兵士が馬を降りて、アマディス伯の前で膝立ちになるとその口を開いて叫んだ。

 

「御報告申し上げます!トリステイン空海軍旗艦『メルカトール』のラ・ラメー侯爵からの伝令!!

 『アルビオン艦隊接近!至急国軍ハ、全部隊ニ対艦砲ノ準備及ビ照準合ワセヲ求ム!攻撃ハ合図ヲ待テ』との事です!」

 

 

 

 その日のトリスタニアは、いつにも増して手で掴めそうな程の濃ゆい霧に包まれていた。

 人々はいつまで経っても顔を出さぬ朝日のせいで、今が何時何分なのか時計でも見ない限り分からない天気にしかめっ面を浮かべている。

 それでも市場には今日も多くの人が足を運び、屋台や定食屋で朝食を摂る者たちも少なくない。

 余程大雨や嵐でも来ない限り、この王都の活気がなくなってしまうという事が無いという事実の裏付けでもある。

 だからといって何も起こらないというワケではなく、濃霧が原因とする小さな事件が街中で幾つか発生していた。

 霧のせいで距離感がうまく掴めずにぶつかった貴族同士のイザコザや霧の中に紛れて消える窃盗犯、そして一時的な交通網の麻痺。

 前日に降った大雨の所為で街と地方を結ぶ一部の街道や山道で土砂崩れが発生しているのだ。

 濃霧もあって復旧には時間が掛かるという見方があり、今のところ地方への交通手段が大きく限られてしまっている。

 そしてそれが原因で、トリスタニアにある施設でちょっとした騒ぎが起こっていた。

 

 

 トリスタニアから他の街へ行ける駅馬車の駅前は、その日朝から相当な騒ぎで活気にあふれていた。

 街と外を隔てる壁に沿うように建てられた立派な造りのそこに貴族平民関わらず様々な人たちが集まり、腕を振りあげて何かを叫んでいる。

「おいどうなってんだよ!?濃霧のせいで馬車が出せないとかふざけてるだろ!」

「御袋が病気なんだ!二日までにこの薬を持っていかないと不味いんだって!!!」 

 何人かの平民が冷たく閉ざされている駅構内へと続く門を力強く叩きながら、中にいる駅員たちへ抗議している。

 彼が叩いた門の丁度真ん中には大きな張り紙が貼られており、そこにはデカデカとこう書かれていた。

 

『大変申し訳ありませんが、本日の運行は濃霧が晴れ次第開始致します  トリスタニア駅馬車運営委員会より』

 

 記録的濃霧のせいで馬車同士の衝突や、馬が道を踏み外して事故を起こすというケースを運営者は考えたのだろう。

 お客様の安全を第一に考えるのであれば、この濃霧を極力避けるという選択は随分と妥当である。

 しかし、だからといって客の中には急いでいる者や予約を入れていた者もおり…当然のごとく、彼らからしてみればとんでもない事だった。

 行先にもよるが比較的最新型で乗り心地の良い貴族専用馬車の予約だけでも、決して安くは無い金額を払う必要がある。

 上級階級の貴族ならば予約だけを取るのは簡単かもしれないが、辺境出身の下級貴族ともなれば当日券を買うだけでも大変なのだ。

 その為にそういった者たちは前々から予約を入れて、上流階級の貴族たちを出し抜く必要があった。

 何より、この日に予約を入れていた貴族たちの大半は運行を休止した駅の運営者達に怒ると同時に、かつてない焦燥感を胸に抱いていた。

 

 今から三日後に控えたアンリエッタ姫殿下とゲルマニア皇帝のアルブレヒト三世の結婚式。

 ここにいる貴族たちは皆、ゲルマニアの首都ウィンドボナで盛大に行われる披露宴に参加するために集っていた。

「貴様!今日の朝から出してくれねば、我々はアンリエッタ姫殿下の結婚式におくれてしまうではないか!」

 駅の入口で平民煮たちに混じって抗議している下級貴族が、杖を持った手を振り回して叫んでいる。

 流石に魔法をぶっ放す程短気ではないのか、あくまで抗議の道具として用いていた。

「そうだ!折角の姫殿下の嫁入りだというのに…我々トリステイン貴族が式場に行けぬとあれば王国の恥であるぞ!」

 もう一人の貴族は窓からこちらの様子を見ている駅員達を指さしながら叫ぶと、周りの貴族仲間や平民たちがそうだそうだと続く。

 半ば暴徒化しつつある彼らに恐怖を感じたのか、一部の駅員たちは窓から離れて衛士隊を呼んだ方が良いのではと相談している。

 今はまだ下級貴族だけであるが、上級貴族の予約客まで来て騒ぎになれば駅員全員の首が社会的かつ物理的に飛んでもおかしくはない。

 

 使いの者を出して衛士隊に来てもらうよう頼んではいるが、彼らが出来るのはあくまで平民の鎮圧と逮捕だけだ。

 貴族となるといくら彼らでも平民と同じような仕打ちをするのには二の足を踏んでしまう事は間違いない。

 ならば王宮にこの事を報告して騎士隊も派遣してもらおうという事になり、至急使いを出す事となった。

 

 そんな局所的な騒ぎが起きているトリスタニアとは別に、王宮もまたちょっとした騒ぎが起こっていた。

 ここでも濃霧の影響はあり、外の警備をしている騎士たちはカンテラを手に持って辺りを照らしながら歩いている。

 普段なら専用の屋外でまとめて出している洗濯物も、陽が出ていないという事で専用の個室で山の様に積まれている。

 しかし一番影響を受けたのは、これからウィンドボナへと出発しようとして足止めを喰らっているアンリエッタ王女とマザリーニ枢機卿であった。

 

 王宮の内部。自分の私室へと続く赤絨毯が敷かれた廊下を、アンリエッタは軽やかな足取りで歩いていく。

 いつも身に着けているドレスと王家の紋章である白百合の刺繍が目立つ青いマントをはためかせながら、後ろにいるマザリーニ枢機卿に話しかけた。

「この濃霧だと、竜籠でも危険だというのですか?」

「はい。この記録的な濃霧だと、籠を引く竜が方向を見失って正確に飛ぶことができないようです」

 四十代とはとても思えぬ程老けた枢機卿は前を歩くアンリエッタの質問にそう返し、窓の外から見える景色を一瞥する。

 本来ならトリスタニアの町が一望できるこの窓から見えるのだが、霧のせいで今は街のシルエットすらボンヤリとしか見えない。

 まさか出発日にこの様な霧がでるとは…。天候までは読めなかったマザリーニは、皺だらけの顔をついつい顰めてしまう。

「陸路も、土砂崩れで相当ひどい事になっていると…」

「…左様で。今は例の『大規模演習』に参加しなかった国軍の一部隊と、王都から派遣した騎士隊で復旧作業を―――――姫殿下?」

 枢機卿の口から『大規模演習』という単語が出た瞬間、私室へ向かって歩き続けていたアンリエッタの足が止まった。

 何かと思った枢機卿も足を止めて彼女の横顔を見ようとした時、先に彼の方へと顔を向けたアンリエッタが厳しい口調でこう言った。

 

「―――゛演習゛?゛待ち伏せ゛の間違いでなくて?枢機卿」

「お言葉ですが、『演習』自体はしっかりと行われております」

 花も恥じらう程美しいアンリエッタからの非難がましい表情と視線を受けるマザリーニはしかし、落ち着いた様子で言葉を返した。

 感情を露わにする王女に対し、枢機卿はまるで教え子を諭すような教師の表情を浮かべている。

 この表情の違いだけを取ってみても、これまで踏んできた場数の差があまりにも有り過ぎている事を意味していた。

 

 足を止めた二人以外に今は誰もいない廊下は、耳に痛い程の静寂で包まれている。

 まるでこの廊下だけが空間から隔離されたような静けさの中で、マザリーニは淡々としゃべり出した。

「あくまで今回の『演習』における最後の展開は、゛軍部の日程ミスと正統的な防衛行為゛として片づけられる手筈です」

「それは我々側の詭弁です。アルビオンは、…いやレコン・キスタや他国にはどう説明をつける気なのです?」

「証拠は既に揃っております。それに、生き証人の方も先々週に魔法学院で捕えております」

「…魔法学院?…そういえば、確かにその様なご報告を頂きましたね」

 アンリエッタはそう言うと、二週間前に届いた報告を思い出した。

 それは今でも記憶に残っている。ルイズと霊夢、それに魔理沙の三人が中庭に集結したあの日から翌朝の事。

 朝食を済ませて、食後の紅茶を嗜んでいた時に学院の警備に当たっていた騎士隊から連絡が入ってきたのだ。

 

 聞くところによると、どうやら魔法学院の庭園で怪しい男を見つけ、捕縛したのだという。

 ボロボロでやつれていた男は庭園の奥にある、既に使われていない納屋の中で縮こまっていたらしい。

 発見した騎士が外へ出るよう勧告すると男はあっさりと出てきた挙句、嬉しそうに彼に抱きついて助けを求めたのだとか。

 困惑しながらも騎士が素性を明かすように言うと、男は自分がレコン・キスタからの使いでここへ来たのだとあっさり喋ったらしい。

 その内呼びかけに応じて他の騎士達も駆けつけると、矢継ぎ早に男へ三つの質問を投げかけた。

 内通者がいるなら名を教えろ?内通者は今どこにいる?お前はどうしてこんな所に隠れていた?

 その質問全てに答えるようにして、男は震える声で喋った。

 

 ――――な、内通者の貴族は…ころ、殺されたんだ…あの化け物に殺されたんだ!!だから俺は隠れてたんだ!

 思い出し、喋っていた時の彼の表情には見た者を凍りつかせる程の恐怖が滲み出ていたのだという。

 

「男を捕縛して二日後に魔法学院を閉鎖し、現在は騎士隊を派遣して他に何かないか調査をさせております」

「生徒や教師、それにあそこで働いている平民の方々は無事に送り出しましたのよね?」

「ご安心を。騎士が何人か護衛につかせた馬車…輸送用含めて計十台で、トリスタニアまで移動させていますので」

 淡々としたマザリーニの報告に、アンリエッタは安心するかのように溜め息を吐いて頷く。

 学院にいた者たちをひとまず街へと送ったという報告は聞いていたものの、その詳細までは知らなかったのである。

 今ではそういう詳しい報告を、マザリーニ枢機卿へと最優先するようになってしまっていた。

「そうですか…間諜だという男は今どちらへ?」

「今はチェルノボーグの一番厳重な場所におります。口封じの心配はないかと…」

 自分の質問にマザリーニがそう答えたのを聞いてから、アンリエッタはその視線をカーペットの方へと俯かせた。

 今のトリステインでは、政治や国の事に関する報せはまず最初に枢機卿の元へと届けられてから、ある程度内容を省略されて王女である自分へと知らされている。

 本来ならば亡き父である先王と、女王にならぬと宣言した母に代わって彼女がこの国の事をまとめ上げねばならないというのに。

 今はゲルマニアへの外交カードとしてお嫁に出され、果たすべき王家としての勤めを枢機卿や財務卿たち先王から仕えている家臣たちに任せきりの状態という始末。

 こんな様態ではレコン・キスタが内部工作を仕掛けてこなくとも、遠からず危うい状況に陥っていただろう。

 

(結局のところ…全ては自分への甘えがもたらした結果、ということなのね…)

 二週間前…ルイズ達と相談したあの夜以前から薄々考えていた一つの事実が、しっかりとした形を持って彼女の心の中を蝕んでいく。

 母親同様、王のいないトリステイン王国でお飾りの姫として生きてきた自分にいまさら何ができるというのだろうか?

 こんな事ならばいさぎよくゲルマニアへと嫁いで、マザリーニ枢機卿達にこの国を託した方が良いのかもしれない。 

 彼女が浮かべる表情から何かを察したのだろうか、横にいたマザリーニが声を掛けてきた。

「殿下。どういたしましたか?御気分が優れぬようですが…」

「…あ、いえ。何も―――何もありませんのよ枢機卿。ただ―――――」

 何もない風を装って取り繕うとしたアンリエッタは、隣に立つ枢機卿の表情を見て思わず言葉を詰まらせてしまう。

 皺が深く刻み込まれているその顔に浮かぶ表情からは、王家であるのに王家でない自分への侮蔑や嘲笑は全く含まれていない。

 今の自分を…これから望まぬ結婚の為に、ゲルマニアへと行こうとしている我が身をいたわってくれる枢機卿がそこにいる。

 彼は知っているのだろう。自分が亡きウェールズ皇太子と恋仲にあった事や、これから起こるであろうレコン・キスタとの戦いを自分が望んでいない事を。

 そして…望まぬと思っていながら心の中に残る復讐心を無理やりにでも抑え込んで、ゲルマニアへ嫁ごうとしている自分の事も。

 

 彼の表情からそれが読み取れそうなだけに、アンリエッタの心に更なる積み荷が乗っかってしまう。

 積まれていく荷物は不安定に揺れて、彼女の心という置き場から小さな荷物からポロポロと崩れ落ちていく。

 それは彼女の口から発せられる言葉となって、枢機卿の耳へ届けられようとしていた。

「ただ…ただ、今のままで本当に良いのかと悩んでしまっているのです」

「今のまま…ですか?」

 首を傾げたマザリーニ、対し、俯いたままのアンリエッタ小さく頷いてから喋り出す。

 それは枢機卿であるマザリーニへの、懺悔に近いものがあった。

 

「元はと言えば、今のアルビオンとここまでこじれたのは私がウェールズ様を愛してしまったから…。

 あの人と出会い、一目惚れさえしなければ恋文も出来ずレコン・キスタとの妙な確執も生まれはしなかった。

 そして…今の様なイザコザも起こる事なく、不可侵条約を結んでゲルマニアとの軍事同盟も無事締結されてたかもしれない…。

 もしも…もしもそうなっていたのなら。私の抱いた恋心が、このトリステインを引っ掻き回してしまったのかと思うと―…思うと…!」

 

 そこまで喋ったところで言葉が途切れ、紫色の瞳から一筋の涙が頬を伝っていく。

 思わず両目を閉じてしまうが溜まっていた涙が一気に流れ落ち、自らの両手で顔を覆ってしまう。

 アンリエッタは自分を恨めしく思っていた。この期に及んで尚王族に成りきれぬ自分に、いつまでも泣く事しかできない自分を。

 自分がここまで場を引っ掻き回したというのに、いつまでもルイズや枢機卿の前で涙を流す事しかできない。

 その涙を堪えてこの国の為に何かをしようという気の強さを、いつまでも持てない自分を苛立たしく思っていた。

 

「私は…どうしたら…どうやって生きていけばいいのでしょうか…?

 多くの人に迷惑を掛けてッ…、あまつさえ、この国さえ…!捨てて、他国へ嫁ごうとしている私は…!」

 

 流れる涙を抑えることができぬアンリエッタは、泣きじゃくりながらマザリーニへと質問を投げかける。

 アンリエッタからの質問に暫しの沈黙が続き…、マザリーニがその口を開こうとした。

「陛下…。陛下は―――――――ん?」

 その時であった、彼らの背後から何者かが走り込んでくる音と共に叫ぶような声が聞こえてきたのは。

「報告ッ!御報告です!!」

 マザリーニがそちらの方へ顔を向けると、息せき切って走ってくる竜騎士の姿が見える。

 やや旧式の鎧をガシャガシャと鳴らして駆け込んできた彼は、二人の前で足を止めてその場で息を整えた。

 涙を流すアンリエッタに綺麗なハンカチを手渡してから、マザリーニは何事かと聞いた。

 恐らく外からここまで鎧を着たまま全速力で駆けつけたであろう騎士は、伝えるよう言われた事を慎重かつ素早く報告する。

 

「ご…御報告申し上げますッ!!…我が軍がッ、…アルビオンの艦隊と交戦を開始したとの事ですッッ!」

 その報告を聞いてマザリーニは無表情で頷き、涙を拭いていたアンリエッタは思わず顔を上げてしまった。

 

 

 

 ―――――それから三時間後。

 霊夢と魔理沙が寝泊まりしている王宮内の一室。

「…なぁ。やけに外が騒がしくないか?」

 ベッドの上で本を読んでいた魔理沙がそんな事を呟いた時、ルイズの耳に周囲の音がドッと入り込んできた。

 

 白紙のままである『始祖の祈祷書』と睨み合っていた彼女は、朝から座りっぱなしだった腰をゆっくりと上げる。

 部屋の右端に配置されたデスクから離れると、確かに黒白の言うとおり外が妙に騒がしい事に気付いた。

 上からも下からも、まるで沈む船から逃げ出すネズミ達の様に喧騒が王宮中を駆け回っている。

「確かに…何なのかしらね?」

 しかし朝起きて朝食を摂り、ゲルマニアへ行く為の準備を終えたルイズは霊夢と魔理沙のいる部屋にずっといた。

 理由としてはゲルマニアへ行く直前に二人が何かしでかさない為だったのだが、それが却って仇となったらしい。

 喧騒自体は聞こえてくるも誰が何を喋っているのか全く分からず、ルイズの心に余計な不安が募ってしまう。

 

「もしかしたら、もうゲルマニアへ行くのかしら?」

「だとしても外はまだ凄い霧だぜ?三時間前に聞いた時も部屋の前の騎士が竜でも飛べないって言ってたような…」

『あぁ。流石の火竜でもこの霧の中じゃあ迷子になって、とんでもない方向へ飛んじまうな』

 ルイズの言葉に魔理沙が最初に返し、その後を引き継ぐようにデルフも言った。

 ベッドに立てかけられたインテリジェンスソードは、ついでベッドに腰掛けたまま黙りこくっている霊夢に話しかけた。

『なぁレイムよ?お前さんも何かおかしいと思わないか―――…って、さっきから黙ったままだな?』

 柔らかいシーツの上に背中を預けて読書を堪能している魔理沙とは対照的に、霊夢は俯いたまま何も言わずに地面を見つめ続けている。

 その顔は特に何かを憂いているわけではなく、また目を開けたまま寝ているという器用な事もしていない。

 ただ何か考え込んでいるかのような表情を浮かべ、視線は地面に向けてひたすら黙っていた。

 

「…霊夢のヤツ、一体どうしちゃったのかしら?」

 今までこんなに無口な彼女を見なかったルイズが、首を傾げながら魔理沙に聞いてみた。

 尋ねられた魔理沙も理由が分からず、ただただ肩を竦めるしかない。黒白の反応を見て、ルイズはため息をつく。

 彼女の記憶が正しければ…朝食を頂いた後、身だしなみと整えて手荷物を従者に持たせて二人の部屋にやってきた頃には既にこの状態であった。

 その時には魔理沙も本を読むのに夢中で、デルフはそんな彼女に独り言を垂れ流していたので霊夢に何が起こったのか誰も知らないのである。

 

 幸い、トリスタニアで起きた騒ぎの様にガンダールヴのルーンは光っておらず独り言も呟いてはいない。

 そして時折彼女の口から「む~…」とか「う~ん…」と、何か悩んでいるかのような呻き声が漏れているので何か考え事をしているのであろう。

 現に何回か呼びかけた時は目だけを此方に向けた後、またすぐに視線を戻して考え事に耽っている。

 魔理沙程ではないが霊夢とそれなりに同居していたルイズから見れば、今の彼女はどことなくおかしかった。

 

 

 

「何か悩み事でもあるのかしらね?」

 思わず口から飛び出てしまった言葉に、魔理沙がコロコロと笑い出した。

「まさか!コイツが今みたいに深く悩んでた事なんて今まで一度も無かっ…――――ッイタ!?」

 最後まで言い切る直前に、後頭部に襲い掛かった来た軽い衝撃に魔理沙は思わず悲鳴を上げてしまう。

 突然の悲鳴にルイズは軽く驚き、ついで誰が彼女の後頭部を叩いたのかすぐに分かった。

 見ると彼女の横でずっとベッドに腰掛けていた霊夢が上半身を此方に向けて、魔理沙を叩いたであろう左手を軽く右手で摩っている。

 その顔には先ほどまで地面に向けていた表情とは違い、明らかな敵意を浮かばせていた。

 無論、その敵意の向かう先にいたのは後頭部を押さえて呻いている魔理沙である。

 

「誰が能天気ですって…?」

「い、イヤ…そこまで言ってないだろ?そこまでは…イテテ…」

「まぁアンタはともかくとして…一体どうしたのよレイム?いつものアンタらしくなかったわよ」 

 どうやらしっかり話だけでも聞いていたであろう霊夢に対し、相変わらず侮れないヤツだと思う魔理沙であった。

 そんな彼女をよそにルイズは霊夢の傍までやってくると、両手を腰に当てて聞いてみる。

 ルイズからの質問に答える前に、軽く背伸びしてから霊夢はその口を開いて言った。

「ん~…。何なのかしらね?実は私にも良く分かんないのよ、コレが」

「はぁ?どういう事よソレ?私の質問に答えてるようで全然答えてないじゃないの」

 曖昧すぎる返事にルイズはきつい反応を見せるが、見せられている霊夢はそれに別段腹を立てたりはしなかった。

 いや、腹を立てるよりも前に先程までその正体を探ろうとした゛何か゛が気になって、仕方がないのである。

 

「ずっと遠い所から何かの気配を感じるんだけど…何ていうか、離れすぎてて正体が掴めないのよね」

「気配…?離れすぎてる…?」

 気難しい表情を浮かべて呟いた霊夢の言葉に、ルイズもまた彼女が感じた゛何か゛に興味を引いてしまう。

 普段からのんびりとしていて、それでいて何かが起こった時には平常時の暢気さを見せない動きを見せる霊夢。

 そんな彼女が朝から気難しい顔をして正体を探ろうとしている゛何か゛が何なのか、ふと知りたくなってしまった。

 けれども今日は…あのアンリエッタと共に結婚式の為にゲルマニアへと行く日でもある。余計な事に首を突っ込んでゴタゴタを起こしたくない。

 そう思った時だ。ルイズの脳裏に一瞬だけ、嫌な考えが過ったのは。

(こいつがこんな顔をして探ってるのは気になるけど…、まさかその道中で何かが起こるんじゃないでしょうね?)

 心の中でそう言った後、頭を横に振って脳に貼り付いたその考えを払いのけようとする。

 まさか!…と心の中で叫んで一蹴したい気持ちはあったが、これまでの出来事を振り返ってみれば決して無いとは言い切れない。

 現にこれまで…というより二年生に進級してからというモノ何か変わった事が起こる度に厄介事が降りかかってきたのである。

 

 そこまで思ってルイズは気が付いた。霊夢を召喚してからというものの、一生分かもしれない奇妙な体験をしている事に。

 それ以前はゼロという不名誉な二つ名を持った魔法を使えないメイジとして、学院で馬鹿にされてきたルイズ。

 けれど魔法が使えないだけで座学や乗馬などの授業は平均点より上で、テーブルマナーに関しては流石公爵家の娘と褒められた事もある。

 教師たちは魔法に関して彼女の魔法に苦言を呈し、生徒たちからは少しいじめられた事もあったが何とか自身で対処できる範囲で済んでいた。

 魔法が使えないのに魔法学院の生徒だというそんな彼女の生活はこの年の春、使い魔召喚の儀で大きく変わってしまったことになる。

 何せ爆発と共に現れたのは異世界で大事な役割を担った人間だったうえに、おまけと言わんばかりに始祖の使い魔であるガンダールヴときた。

 

 

(………いくら使い魔が選べないからって、なんでそんな奴を召喚しちゃったのかしら?)

 せめて人間を召喚してくれるならもう少し無難な相手の方が良かったと、ルイズは始祖ブリミル相手にぼやきたかった。

 けれども現実は非情で、そんな事を考えても始祖は降臨してくれないし、詔は完成してないしそれどころかゲルマニアへ行けるかどうかも分からない。

 更に言えば、その結婚式が終わった後も霊夢と魔理沙が来た幻想郷の異変解決の手伝いをしなくてはいけないのである。

 おまけに霊夢の様子と外の騒ぎが関係あるのかは知らないが、近いうちに何か良くない事が起こりそうだという予感さえ目の前に迫ってきていた。

 なまじ頭の回転が速いルイズは、山積みとなっている自分達の問題に頭を抱えたい気持ちを抑えて、物憂げなため息をついた。

『お?どうした娘っ子。やけに元気が無くなったじゃねぇかよ?』

「…えぇ?あぁ、アンタねデルフ。…ていうか、アンタぐらいじゃないの?今の私を気にしてくれるのって」

 そんな時であった。ベッドに立てかけられていたデルフが今にも項垂れてしまいそうな表情を浮かべるルイズに声を掛けてきたのは。

 ルイズは向こう側に置かれているデルフの方へと視線を向けて、ついで今この部屋にいる他の二人に対して軽く呆れてしまった。

 魔理沙は帽子を脱いで痛む頭を押さえており、霊夢はぼんやりと濃霧しか見えない窓の外を見つめてまた゛何か゛の気配を察知しようとしている。

 今は違うが、この前までは学院で二人が寝泊まりしている部屋の主であった彼女を心配する素振りは、一つも見られない。

 

 ルイズは思った。偶には私の事をもっと大切に扱ってくれても、良いんじゃないのかと?

 そりゃ二人の性格がどういうものなのかこれまで一緒に暮らしてきて大体分かったし、それを無理に矯正するつもりはない。

 ただ何というか…もう少し自分を、学院で住まわせてもらってるという事を自覚して接してもらいたいのだ。

「…アンタたちがそういう性格なのは知ってるけど、たまには気を使ってよね…」

 そんな気持ちが無意識に喉元からせり上がり、言葉として小声で発してしまった。

 呟いてしまってから気づいたルイズがハッとした表情を浮かべたと同時に、魔理沙が話しかけてきた。

「ん、何か言ったか?」

 ようやく痛みが引いてきたのか、また帽子をかぶり直した魔理沙がキョトンとした顔でルイズに聞く。

 ここで頷くと何か恥ずかしい…。そんな思いに駆られたルイズは冷静さを装って「う、うん?何か?」と言い返すしかなかった。

 

「…。――…。――…。―――…!」

 そんな時であった。魔理沙とルイズのすぐ傍…ベッドに腰掛けていた霊夢が物凄い速さで立ち上がったのは。

 まるで誰かに引っ張られたかのように腰を上げたせいでベッドが揺れて、魔理沙が少し驚いたような声を上げた。

「おっ…と!…何だよイキナリ?吃驚するじゃないか」

 横になっていたベッドを揺らされた魔理沙の軽い抗議にしかし、霊夢は何も喋らなかった。

 抗議に対する冷たくて理不尽とも言えるような言葉すら、一言も発さず彼女はただじっと窓の外を見つめている。

 濃霧が垂れこめる外の景色を、まるで透視でもすると言わんばかりに睨みつけていた。

 

 

「ちょっとレイム。一体何が――――――…レイム?」

 さすがに何かがおかしい感じたルイズが彼女の顔を見た瞬間、確実に゛何かが起こった゛のだと悟る。

 先程までぼんやりと何かを考えている様な表情であった霊夢の目が、獲物を見つけた猛禽類の如く鋭くなっていた。

 赤みがかった黒い瞳を持つ目を細めて、彼女はただじっと窓の外を見つめている。

 これまで色んな霊夢の顔色を見てきたルイズにとっても、絶対に見過ごすことのできない゛何か゛があったのだと知らせてくれる。

 

 それを表情から察して、何も言えなくなってしまったルイズを余所に、立ち上がった彼女は窓の方へと向かって歩き出した。

 二人と一本のどちらかが静止するよりも前に窓の前に辿り着くと、その両手で閉じられていた窓を思いっきり開いて見せた。

「あ、ちょ…どこへ行くのよ!?」

 この前トリスタニアで起こった事を思い出したルイズはそう言って霊夢の傍へと寄る。

 それに対し霊夢は開けた窓から吹きすさぶ湿っぽい風をその身に受けながら、ルイズの方へと顔を向けた。

 心配そうな表情を浮かべて自分の傍にいる彼女を一瞥した後、再び窓の外へと視線を向ける。

 

 一体どうしたのだろうか?ルイズだけではなく魔理沙とデルフもそう思った直後だった。

 三人と一本がいま居る部屋の下―――丁度霊夢が明けた窓の下から王宮警備の騎士と思われる男たちの声が聞こえてきた。

 何を言っているのかはまだ詳しく分からないが、その喋り方と声の張り上げ方から見るにどこか慌てているのだと想像してしまう。

 霊夢はそれを聞きたかったのか窓のすぐ下にいるであろう騎士たちの会話を、真剣な眼差しで見つめながら聞いているのだろうか?

 それを聞いて、一体何を喋っているのかと思ったルイズも霊夢の横に並び、下の様子を見て聞こうとした時である。

 右の方から「大変だッ!」という叫びと共に右の方からガッシャガッシャという金属音と共に鎧を着こんだ騎士が走ってきたのは。

 それから走ってきた騎士にどうした?という声が掛けられた後、荒い呼吸をする騎士が息も絶え絶えに言った。

 

「ぶっ、部隊が……ッラ・ロシェールに展開した、アルビオン艦隊への…迎撃部隊が――――か、怪物達にやられているらしいぞ…ッ!!」

 



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第七十六話

 深い霧に包まれたラ・ロシェールの街は、未だ日も出ぬ時間から多くの人たちが出入りしていた。

 狭い山道を挟むようにして作られた総人口およそ三百人程度の小さな町に、立派な装備を身にまとった王軍の貴族たちが入っていく。

 彼らは皆馬や使い魔であろう幻獣に跨り、その後をついていくかのように護衛の騎士達が町の入口であるアーチをくぐっていく。

『ラ・ロシェール!小さなアルビオンの玄関へようこそ!』

 風雨に晒され殆ど読めなくなったアーチの看板には、そう書かれていた。

 

 そのアーチをくぐって街の中へ入っていくトリステイン王軍の将校達とは反対に、街の中から平民達が身軽な格好で出ていこうとしている。

 老若男女な彼らの大半は私服姿で何も持っておらず、中には軽い手荷物をもった者がチラホラといるだけだ。

 一時間前に突如王軍が街へと入ってきて、町に住む者達全員に避難命令が出されたものの、その詳細をしる者は誰一人としていない。

 ある家族は足腰の弱った祖父や祖母の肩を担ぎ、またある乳飲み子はぐずって母親を困らせている。

「一体どうなってやがるんだ?こんな朝っぱらから避難命令だなんて…」

「だな。貴族様の考える事はようわからんさ」

 何人かの平民は道の真ん中を堂々と行く王軍の将校や騎士たちを横目で見ながら、小声でボソボソと愚痴を呟いている。

 最も、それは町に居を構えている貴族たちも同じであり、横暴な王軍に対しての不満を口にしている。

 無論王軍貴族達の耳には入っていないであろうが、今彼らの耳に聞こえてたとしても無視していたに違いない。

 彼らは皆、これからラ・ロシェール上空に現れるであろう゛敵゛を待ち構えなければいけないからだ。

 

 ラ・ロシェールから少し離れた所にある広大な、草原地帯。

 普段は近隣にあるタルブ村から放牧された牛や羊たちが草を食んでいるであろう場所。

 その上空には今、旧式艦の多いトリステイン軍の艦隊と神聖アルビオン共和国の精鋭艦隊が両者向かい合う形で浮遊している。

 両艦隊とも距離を取るような形で待機し、トリステインがアルビオンを、アルビオンがトリステインの艦隊を監視していた。

 

 霧のせいでラ・ロシェールからはその光景を見ることはできず、町の人々は何も知らされずに出ていこうとしている。

 自分たちのすぐ傍で、今正に撃ち合いを始めるかもしれない艦隊を尻目に自国の王軍への愚痴を漏らしながら…。 

 

 

 ラ・ロシェールの中心部。そこに建てられている、町の中では一際グレードの高い高級ホテル。

 貴族専用のその宿泊施設はつい先ほど軍が接収したばかりで、今は臨時の王軍司令部として使われようとしている。

 今はシーズンオフという事もあってか宿泊していた貴族も一、二人と少なく、支配人や従業員達と共に避難している最中であった。

 その元ホテルのロビーに数人の将校と共に入ってきたド・ポワチエ大佐が、地図を持ってきた騎士に声を掛けた。

「どうだ艦隊の状況は?」

「はっ!現在我がトリステイン艦隊が、アルビオン艦隊と接触したとの事です!」

 騎士はテキパキとして口調でそう言うとロビーの真ん中に犯されたテーブルの上に、持っていた地図を勢いよく広げる。

 タルブ村を含むラ・ロシェール周辺の細かい地図は、これから行うであろう゛戦゛を円滑に進める為のゲームボードであった。

 その証拠に、別の方から小さな小箱を抱えてやってきた騎士が箱の中から艦船のミニチュアを取り出し、地図の上に置いていく。

 ポワチエ大佐から見てタルブ側の方には青色、海側は赤色のミニチュアがコトリ、コトリと音を立てて配置される。

 

「タルブ側が我が軍の艦隊。そして海側は、レコン・キスタの゛親善訪問゛の大使を乗せた艦隊か」

 同僚であり同じ大佐の階級を持つウインプフェンが、神経質な性格が見える顔で地図を睨んでいる。

 ポワチエは彼の言葉に軽く頷くと、地図をテーブルに置いた騎士に「地上の゛演習部隊゛はどうなっている?」と訊ねた。

「はっ!現在ラ・ロシェール郊外で待機している゛演習部隊゛は準備完了し、艦隊からの合図を待っているとの事です!」

「そうか。…あくまでも今回の作戦はアルビオン軍艦隊の動きで状況が左右する。下手に動く事はするなと伝令を送っておけ」

 その命令に騎士はハッ!と敬礼した後、ホテルの出入り口で待機している伝令を呼びつける。

 伝令が駆け付ける様子をポワチエの後ろから見ていたウインプフェンがふん、と軽く鼻で笑った。

「たかが平民と魔法も録に使えぬ下級貴族だけの国軍に、重要な仕事を任せるのはいささか可哀想だと思わないか?」

「そう言うなウインプフェン。奴らとてあのゲルマニアから玩具を貰って、撃ちたくて仕方がないに違いない」

 傲慢さを隠さぬ同僚の言葉にポワチエもまた、地図上の森林地帯を見てそう言った。

 彼の顔にはウインプフェン同様、そこで待機している国軍に対しての軽蔑の笑みが浮かんでいる。

 作戦が予定通りに進めば、国軍は先頭を切ってアルビオンの艦隊に奇襲を仕掛けて奴らの意表を突いてくれることだろう。

 その後は自分たち王軍と艦隊が攻撃を受けて指揮が乱れた敵を一網打尽にすれば、全ては丸く収まる。

(無論手柄は、作戦の指揮を任された俺が優先的に受ける…よし、完璧だな)

 ポワチエは頭の中で今回の作戦のおおまかな流れを反芻していると、自然頬が綻んでしまう。

 

 しかし、それが取らぬ狸の皮算用でもあると理解しているおかげで、すぐに頭を振って甘い考えを振り払った。

(…とはいえ、それは相手が動いた場合の事だ。俺が奴らなら、事を起こすような真似はしないが…)

 とにかく今は不可視の手柄よりも、目の前に見える作戦の指揮をどう取るのか考えるべきか。

 そう判断した彼は、隣で今後の事について話し合っているウインプフェン達将校の話に加わろうとした…その時であった。

 

 ホテルの外から突如として ドン! ドン! ドン! と凄まじい大砲の音が聞こえてきたのである。

 その後に続くようにしてビリビリと建物ごと空気が揺れたかのような気配を感じたポワチエは、天井を見上げてしまう。

 恐らく音の正体は、ここまで迎えに来てくれたであろうトリステイン艦隊を謝すためのアルビオン艦隊からの礼砲だろう。無論、弾は込められていない。

 大砲に込められた火薬を爆発させただけの空砲であるが、音はともかく振動すら地上にいる王軍の身にも届いていた。

「今のは礼砲か?…にしてはやけに大きな音だったぞ」

 ポワチエの疑問に、ずれたメガネを人差し指で直しながらウインプフェンが答えた。

「きっと敵の旗艦レキシントン号の空砲なのだろうが…確かに、聞いたことも無い程大きかったな」

 彼の言葉にポワチエも思わず頷いてしまう。街から艦隊のある草原まで近いとはいえ、このホテルの中にまで大音量で響いてきたのだ。

 相手のすぐ傍にいるであろうトリステイン艦隊の者たちは、さぞや船の上で後ずさったものであろう。

 自軍の旗艦である『メルカトール』号に乗船しているであろう、司令長官のラ・ラメー侯爵の顔を思い出そうとした時であった。

 先ほどの礼砲よりも音は小さいが、砲撃と分かる音が将校達の耳に入ってきた。

 

 聞き覚えのある『メルカトール』号の砲撃音に、ポワチエはすぐに礼砲に対する答砲だと察した。

 四発目、五発目、六発目…と答砲は続いたのだが、どうしたことか七発目で『メルカトール』号の砲撃音がピタリと止んでしまう。

「答砲が七発だけ?相手が大使を任された貴族なら十一発の筈だが…」

 一人の将校が七発で終わった答砲に首を傾げると、何かを察したであろうウインプフェンが鼻で笑った。

「全く。ラ・ラメー侯爵もあのお年で良く意地を張れるものだ」

 彼の言葉に他の将校達も『メルカトール』号に乗った司令官の意思を察して、軽く笑い出す。

 トリステインと比べ、何もかも格上であるアルビオンの艦隊に負けるつもりはないという意思の表れなのだろう。

 それを答砲でもって表明したであろう我が軍の司令長官は、なんとまぁ意地の強い男だろうか。

 ポワチエもそんな彼らにつられて顔に笑みを作り、周りにいた騎士たちも心なしか笑顔になってしまう。

 緊張した空気が張りつめつつあったロビーにほんのちょっと明るい雰囲気が入り込もうとした…その矢先であった。

 

 入り口からドタドタと喧しい足音が聞こえ、その音の主であろう斥候が息せき切ってポワチエ達将校のいるロビーへと駆け込んできたのだ。

 突然の事にロビーにいた全員が駆け付けた斥候へと視線を向けてしまう。

 

 何事かと将校の誰かが言おうとする前に斥候はその場で片膝立ちとなり、ロビーに響き渡る程の大声で叫んだ。

「で、伝令!たった今、アルビオン艦隊の最後尾にいた小型艦一隻が…炎上しましたッ!」

 

 

「なんだ?どうした、事故か!?」

 トリステイン軍艦隊旗艦『メルカトール』号の艦長であるフェヴィスが、信じられないという顔でアルビオン艦隊の最後尾を見つめていた。

 隣にいるラ・ラメー侯爵も彼と同じ方向に視線を向け、炎上し始めた相手の小型艦を見ている。

 甲板にいる水兵や士官たちもみな同様にそちらへと目を向けて、何が起こったのか理解しようとしていた。

 遥か後方、アルビオン艦隊の最後尾で炎上しながら墜落する『ホバート』号。霧の中でもその甲板から立ち上る炎は見えている。

 恐らく艦内に積まれていた火薬に火が回ったのだろう。甲板の火はあっという間に小さな艦艇を包み込むように燃え広がり、次の瞬間には空中爆発を起こした。

 炎に包まれた『ホバート』号の残骸がゆっくりと草原へと落ちていく様は、とても現実の光景とは思えなかった。

 突拍子無く炎に包まれ、そして呆気なく爆散した小型艦を見て『メルカトール』号の甲板にいた者たちは慌ててしまう。

「諸君落ち着け!我が軍の艦艇が爆散したワケではないぞ!!」

 広がろうとしている動揺を抑えようと、ラ・ラメー侯爵が甲板にいる士官たちを叱咤する。

 それで全員が落ち着いたワケではないが、実戦経験のある司令長官にそう言われた何人かの士官が落ち着きを取り戻した。

「手旗手はアルビオン艦隊へ状況説明を求めろ!各員はそのまま待機…手旗手、急げ!」 

 久しぶりに叫んだ所為か、ヒリヒリと痛み出した喉に鞭を打ちながら士官たちに指示を出した後、フェヴィス艦長が話しかけてきた。

「侯爵、今のは一体…」

「ワシにも分からん。恐らくは内部で何かトラブルが起こったとしか…」

 艦長の疑問に率直な気持ちでそう返した時、望遠鏡でアルビオン艦隊を見つめていた水兵が「『レキシントン』号から手旗信号!」と叫んだ。

 その水兵の口から語られたアルビオン艦隊からのメッセージは、彼らの予想を斜め上に逸れるモノであった。

 

「『レキシントン』号艦長ヨリ。トリステイン艦隊旗艦。『ホバート』号ヲ撃沈セシ、貴艦ノ砲撃ノ意図ヲ説明…セシ」

 

 水兵は信じられないという目で望遠鏡を覗いてメッセージを読み終え、それを聞いていたラ・ラメー侯爵達も同じような表情を浮かべた。

 撃沈?砲撃?…一体相手は何を言っている?あの船に乗っている連中は何も見ていなかったのか?

「奴らは寝ぼけているのか?どう見てもあの小型艦は勝手に燃えて、勝手に爆発したではないか…」

 目を丸くしたフェヴィス艦長がそう言って『レキシントン』号へと視線を向け、ラ・ラメー侯爵は明らかに怒った口調で手旗手に命令を出す。

「手旗手!!返信しろッ!『本艦ノ射撃ハ答砲ナリ。実弾ニアラズ』だ、早くしろッ!」

 司令長官からの命令で動揺が治っていない手旗手が慌てて言うとおりの信号を出すと、すぐさま返信が届いた。

 その返信を望遠鏡で見ていた水兵は、今度はその顔を真っ青にさせながら読み上げる。

「た…タダイマノ砲撃ハ空砲ニアラズ。我ハ、貴艦ノ攻撃ニ対シ応戦セントス」

 水兵が読み終えたところで、アルビオン艦隊が一斉に動き出し始めた。

 先頭にいた『レキシントン』号が右九十度の回頭を行い、右側面に取り付けられたカノン砲を突き付けようとしている。

 相手がこれから何をしようとしているのか、それは平民の子供にも分かる事であった。

 

「…ッ!?来るぞッ!取舵一杯!急げッ!!」

 フェヴィス艦長が操舵手に命令を飛ばすと、空中で止まっていた『メルカトール』号が息を吹き返したかのように動き出す。

 左の方へ回頭する『メルカトール』号へ向けて、一足先に準備を終えた『レキシントン』号が一斉射撃を行った。

 しかし、この時回避行動を取ったことが幸いしたのか、砲弾は『メルカトール』号には着弾どころか掠りもしなかった。

 『レキシントン』号から発射された砲弾はラ・ラメー侯爵達の遥か頭上を通り過ぎ、その内一発が『メルカトール』号の後ろにいた中型艦に着弾する。

 木製の甲板が耳障りな音を立てて派手に割れ、飛び散った破片が周囲にいた水兵や士官たちへ容赦なく突き刺さる。

 砲弾は勢いをそのままに船体を貫通して草原へと落ちていき、大穴の空いてバランスを失った中型艦が船首を下へと向けて落ち始めた。

「あそこまで届くのか…ッ!?」

 後ろにいた僚艦が着弾から沈みゆく様を見ていたフェヴィスが、『レキシントン』号から撃たれた砲弾の威力に思わず目を見張ってしまう。

 この霧のおかげもあるだろうが、もしも回避行動を取っていなかったら今頃『メルカトール』号がああなっていたかもしれない。

 中型艦の乗組員たちが一人でも多く脱出できる事を祈りながら、フェヴィス艦長は相手の旗艦が恐ろしい化け物艦だとここで理解する。

 そんな時であった、今まで黙っていたラ・ラメー侯爵が自分が乗船している艦と反対方向へと進み始めた『レキシントン』号を見て呟いた。

 

 

「艦長…どうやら奴らは我々と不可侵条約を結ぶ気など一サントも無かったらしい」

 …そりゃそうでしょうな。侯爵から投げかけられた言葉に艦長は軽くうなずきながらそう言った。

 何せ相手は自分たちの国へスパイを堂々と送り込んだうえで、仲良くしましょうと不可侵条約を持ちかけてきたのである。

 更に追い打ちといわんばかりに、この出迎えの時に自分たちに無実の罪をなすりつけて攻撃を仕掛けてくるときた。

 

「恐らくは、我々トリステイン人を小国の者だからと侮っているのでしょうな」

 艦長のその言葉に、侯爵は満足げな…それでいて静かな怒りを湛えた表情で頷いた。

「成程。真っ向勝負なら我々に勝てると算段を踏んで、こんなふざけた計略まで用意してくれたという事か」

 そう言うと彼は自分たちの乗る艦と反対方向へと進んでいく『レキシントン』号を見やりながら、各員に命令を出した。

 

「全艦隊砲撃戦用意!曹長、地上の゛演習部隊゛に合図!!手旗手は黒板で敵旗艦にメッセージを伝えろ!」 

 艦隊司令長官からの命令にすぐさま各員が動き始め、手旗手がメッセージはどうするかと聞いてくる。

 それを聞きたかったかのような笑みを浮かべたラ・ラメー侯爵は、得意気にメッセージを教えた。

 

 

「まさか、寸でのところで不意の一発を避けられるとは…」

 アルビオン艦隊旗艦『レキシントン』号の甲板から望遠鏡を覗くボーウッド艦長は、残念そうな口調でそう呟いた。

 仕留め損ねた敵の旗艦はこちらとは反対方向へ進んでおり、既に大砲の射程範囲内からは逃れられてしまっている。

 後方にいたトリステイン軍艦隊も迅速な動きで旗艦の後に続き、こちらに対しての敵意を露わにしていた。

 望遠鏡で除く限りには甲板上の敵は多少動揺しているものの、旗艦からの命令にしたがって攻撃用意を手早く済ませている。

 それに対して、王政府打倒の際に多数の士官、将校を粛清された旧『ロイヤル・ソヴリン号』―――現『レキシントン』号の甲板には動揺が広がっている。

 

 貴族派の連中が掻き集めたであろう水兵たちは、奇襲が失敗してトリステイン軍艦隊が動きだした事に慌てふためいていた。

 本来ならそれを抑えるべき士官たちの大半も、部下たちの影響を諸に受けてしまって止めようのない事態になりかけている。

 旧王軍の頃からいる士官たちは何とか統制を取り戻そうとしているが、時間が掛かる事は間違いないであろう。

 だがその中でも、慌てすぎて錯乱の境地に達したであろう男がボーウッド艦長の隣にいた。

「えぇぃっ!!これは一体全体どうした事なのだ!我が艦の砲術士長は居眠りでもしておったのか!?」

 この艦の司令長官であるサー・ジョンストンが、頭に被っていた帽子を甲板に叩きつけながら喚いている。

 彼は今回計画されていた゛親善訪問゛―――否、トリステイン侵攻軍の全般指揮も一任されている貴族だ。

 元来政治家である彼はクロムウェルからの信任も厚く、そのおかげで今回の件も任されたのである。

 

 しかしボーウッド自身はどうにも、軍人でもない癖に司令長官の椅子に座っているこの男の事が気に入らなかった。

 さらに言えば、元々王党派であった彼は軍人としてはともかく、個人としてこの゛親善訪問゛を装った攻撃には不快感さえ感じている。

(クロムウェルの腰ぎんちゃくめ…、司令長官の貴様が落ち着かねば兵たちも慌てたままなのだぞ)

 彼は口の中でそう呟きながら粛清から逃れた士官に命令を飛ばそうとしたが、その前にジョンストンが噛みついてきた。

 

「艦長!何を悠々と艦を進ませておる!『メルカトール』号がもっと離れる前に新型の砲で叩き潰さぬかッ!!」

「サー、いくら新型の大砲と言えどこの距離を移動しながら攻撃するのは、砲弾の無駄というものです」

 狂った野犬の如く喚きたてる司令長官の提案に、ボーウッドは至極冷静な態度でそう返す。

 この男のペースに巻き込まれていたらまともに戦えん。それが今のボーウッドが下した、ジョンストンへの対応であった。

 甲板では兵たちが慌てふためき、司令長官はごらんの有様…これで一体どう戦おうというのか。

 

 

「ひとまずは敵艦隊と一定の距離をとって、しかる後こちらの新型砲の強みを生かして各個撃破という形が最善ですが…」

 ボーウッドは錯乱する司令官を落ち着かせようと、頭の中で練っていた即席の作戦を話そうとする。

 しかし、そんな彼の落ち着いた態度が気に入らなかったのか、ジョンストンは「知るかそんなモノ!」と一蹴してしまう。

 

「そんな手間暇を掛けていたらトリステイン本国に我々の事が知れ渡るぞっ!?いいか、艦長!

 私は閣下から預かった大事な兵を、トリステインに下ろさねばならんのだ!もしも時間を掛けて敵艦隊と戦っていたら…

 報せを受けたトリステイン軍が地上軍を派遣して、我が軍の兵たちが地上に下り次第狩られてしまうではないか!!」

 

 ジョンストンの甲高い、それでいて長ったらしい声でのご説教に流石のボーウッドも顔を顰めてしまう。

 いっその事殴って黙らせた方が良いか?そんな物騒な事を考えていた時、二人の後ろから男の声が聞こえてきた。

「ご安心を、司令長官殿。貴方が思っているほどに、トリステイン軍の対応は速くはありませんよ」

 この艦の上でボーウッド以上に冷静で落ち着き払った声に、彼とジョンストンは思わず後ろを振り返る。

 そこにいたのは、金糸で縫われたグリフォンの刺繍が眩しいマントを身に着けたワルド子爵であった。

 彼は名ばかりの司令長官であるジョンストンに代わり、アルビオン軍が上陸した際の全般指揮をクロムウェルから委任されている。

 トリステイン人であり、魔法衛士隊のグリフォン隊隊長を務めていたという経歴も手伝ったのであろう。

 異国人でありながら今のアルビオンの指導者に認められた彼の顔は、相当な自信で輝いて見えた。

 

「いくら数と質で劣るからと、トリステイン軍艦隊は貴方が思う程甘くはありません。

 けれど奇襲を紙一重で避ける事が出来たとはいえ、アルビオン軍艦隊なら赤子の手を捻るよりも簡単に叩き潰せます」

 

 ワルドが物わかりの悪い生徒を諭す教師の様な口調でしゃべっている合間にも、時は止まってくれない。

 かなり距離を取ったトリステイン軍艦隊から威嚇射撃の砲声が響き渡り、それがジョンストンの身を竦ませる。

 ボーウッドとワルドの二人も敵艦隊の方を一瞥し、射程範囲外だと理解してから説明を再開させた。

 

「仮にトリステイン軍艦隊が伝令を出したとしても、王軍がここへ辿り着くのにはどんなに急いでも数日は掛かるでしょう。

 ラ・ロシェールや近隣の村を収める領主の軍隊などは論外、アルビオンの竜騎士隊だけでも潰せる数です」

 

 トリステイン軍に属していた事もあってか、ワルドの説明を聞いてジョンストンも徐々に納得し始める。

 しかし何か気にかかっていることでもあるのだろうか、ジョンスントンはワルドの話に頷きながらも「だが、しかし…」と何か言いたそうな表情を浮かべた。

 だがワルド本人はそれを聞く気は全くないのか、貴方の言いたい事は分かります…とでも言いたげに肩を叩きながら話を続けていく。

 

「とにかく、ボーウッド艦長の考えている通りに戦っても我々には何の支障もありません。

 今日中にトリステイン軍艦隊を壊滅させて、ラ・ロシェールに地上軍を上陸させる。たった二つだけです

 その二つをこなすだけで貴方はクロムウェル閣下から勲章を授かり、新しい歴史の一ページにその名を残せるのですよ?」

 

 ゛クロムウェル閣下からの勲章゛と゛歴史に名を残せる゛という言葉を聞いて、ようやくジョンストンの顔に笑みが戻ってきた。

 それでも未だに引き攣っているせいでどこか不気味な笑みとなっているが、気分が晴れてくれればこの際どうでも良い。

 ワルドはそんな事を思いながら、戦場で無様な姿を見せる政治家の耳に甘言を囁いたのである。

「そ、そうか…そうなのか?」

 今の状況で安らぎが欲しいジョンストンとは、縋るような声で耳触りのいい言葉を喋るワルドの両手を握った。

 冷や汗塗れの冷たくて不快な手に握られた感情を顔に出さず、ワルドは「えぇ、そうですとも」と答える。

 

 

「ですから、今は長官室に戻って落ち着かれてはどうでしょうか?何ならエールの一口でも飲んで―――――」

 ほろ酔い気分になってみては?…そこまで言う前に、『レキシントン』号の手旗手が「『メルカトール』号からメッセージです!」と叫んだ。

 ボーウッドが誰からだ!と聞くとと手旗手は「黒板での伝言!トリステイン軍艦隊司令長官のラ・ラメー侯爵からです!」と答える。

「ほう、ラ・ラメー侯爵ですか。実戦経験のあるお方で、素晴らしい人ですよ」

「その素晴らしい人の命も後僅かだがな…で、メッセージは何と書かれてある!!」

 懐かしい名前を耳にしたワルドが感慨深げにそういうのを余所に、ボーウッドは手旗手に聞く。

 望遠鏡を覗く手旗手は時間にして約二秒ほど時間を置いて、『メルカトール』号からのメッセージを読み上げた。

 

「トリステイン王国ヲ舐メルナヨ。一隻残ラズ、空ノ木屑ニシテクレルワ。コノエール中毒者共」

 

 手旗手が双眼鏡越しにメッセージを読み終えた直後、距離を取られた『メルカトール』号の甲板から照明弾が三つ上がった。

 打ち上げ花火用の筒から発射されたソレは霧の中では眩しく見え、『レキシントン』号にいる者たちの目にもハッキリと見えている。

 照明弾は一定の高さまで昇ってから、緩やかな弧を描いて地上へと落ちていき、やがて光を失って消滅していった。

 

 『レキシントン』号や他のアルビオン軍艦隊の水兵たちは、その儚い光に何か何かと目を奪われてしまっていた。

 ようやく落ち着きを取り戻した士官の貴族たちは、「持ち場へ戻るんだ!」と杖を振り回しながら叫びだす。

 その様子を耳で聞いているボーウッドは、唐突な照明弾に怪訝な表情を浮かべておりジョンストンも似たような顔になっている。

 ただ一人、ワルドだけは先程の照明弾と手旗手から伝えられたメッセージに関係があるのではないかと察していた。

 

 今アルビオン軍艦隊が進んでいる先の地上にはラ・ロシェール郊外の森林地帯が広がっている。

 霧は出ていものの照明弾の光は思った以上に眩しかったから、地上でも視認しようと思えば出来るはずだ。

(地上に向けて落ちていった照明弾…それに先ほどのメッセージと前方に見える森林地帯―――――――…まさかッ!?)

 ワルドが何かに感づいた同時に、同じ事を予感したであろうボーウッドが目を見開いて叫んだ。 

「各員何かに掴まれ!!敵の攻撃は下から来るぞッ!!」

 ボーウッドが叫び、ワルドと共にその場で姿勢を低くした瞬間――――――

 艦隊の進む先に見える森から先程の照明弾以上に眩い光りが発生し…直後、凄まじい砲撃音が地上から響き渡った。

 それと同時に森の中から計二十発近い砲弾が発射され、アルビオン軍艦隊はその砲弾と鉢合わせする事となってしまう。

 

 地上からかなり離れているにも関わらず打ち上げられた砲弾の内一発が小型艦の船底を貫き、その先にあった風石貯蔵庫を瞬時に破壊する。

 別の中型艦は火薬庫に一発直撃を喰らい、かなりのスピードを出したまま炎上し、船員たちが脱出する間もなく空中爆発を起こした。

 先ほど自作自演で潰した『ホバート』号よりも派手な爆発な起こした僚艦を見て、ボーウッドは思わず冷や汗を掻いた。

 彼の記憶の中では少なくともこの高度まで砲弾を飛ばせる大砲など、トリステイン軍は所有していなかった筈である。

 一体どうして…ボーウッドはそこで頭に貼り付こうとした余計な疑問を振り払い、優先すべき別の疑問を思い浮かべた。

(イヤ!今はそんな事を考えている場合ではない。問題はたったの一つ…トリステイン軍は最初から我々を待ち伏せていたという事だ)

 彼は苦虫を噛んでしまったかのような表情を浮かべながら腰を上げて、周囲を見回してみる。

 

 

 先程の砲撃で一隻失い、更に被弾した小型艦も甲板から凄まじい炎を上げて船首を地面へ向けて落ちようとしている。

 何人かの水兵や士官が耐えかねて船から飛び降りているが、いくらメイジといえどもこの高さから落ちれば『フライ』や『レビテーション』の詠唱もままならず、地面の染みと化すだろう。

 良く見るとその艦の操舵手は何とか不時着させようとしているのか、煙を吸わないよう右手で口を押さえながら左手で舵を取っていた。

 彼のこの先の運命を予見したボーウッドは、あの操舵手に始祖ブリミルの祝福あれと心の中で祈るほかなかった。

 

 そうして燃え上がる小型艦が艦隊から脱落したのを見届けてから、隣にいたワルドに話しかける。

「子爵。どうやら君が思っていたほど、トリステインは甘くは無かったらしい」

 地上からの砲撃が止み、事態を把握した『レキシントン』号のクルー達を見ながらポーウッドは言った。

 水兵たちは地上から攻撃されたと知って再び慌てふためいている。

 その様子をボーウッドの後ろから眺めていたワルドは参ったと言いたげな微笑を浮かべながら「そのようでしたな」と返した。

 少なくともその口調からは、自分の予想が外れていた事に対する罪悪感は感じていないらしい。

 士官や水兵たちが右へ左へ走り回るその光景を目にしながら、ワルドはポツリと呟く。

「しかし、参りましたな。敵を罠にはめたつもりが、我々がそっくりそのまま逆の立場になってしまうとは」

「あぁ、全くだ」

 子爵の言葉に相槌を打ちつつ、しかし始まった以上には勝たねばならない。と付け加えた。

 軍人である今のボーウッドにできることは、『レキシントン』号の艦長として空と陸に陣取ったトリステイン軍をできるだけ速やかに叩く事だけだ。

 幸い敵艦隊を不意打ちで壊滅させた後、降ろすはずであった地上軍を乗せた船は未だ健在である。

 先程の地上からの砲火で敵の大体の位置は分かる筈だろう。ならばそこを優先的に攻撃して制圧する必要がある。

 

「トリステイン軍艦隊は質と量の差で真っ向勝負は仕掛けて来ない筈。それならば、今は敵地上勢力を叩く事に専念できる。

 子爵くん、早速だが君には竜騎士隊を率いて先ほど砲弾が飛んできた森林地帯を重点的に攻撃してくれないかね?」

 

 ボーウッドからの命令に、ワルドは得意気な笑みを浮かべた。

 流石根っからの軍人、対応が御早い。彼はそう思いながらもその場で敬礼をして言った。

「…分かりました、地上の掃除は私とアルビオン軍の竜騎士達にお任せを」

 この船の中では数少ない物わかりの良い相手からの返事に、ボーウッドも満足そうに頷く。

 そんな時であった、今まで二人の視界から消えていたジョンストンが頭を抱えて嘆き出したのは。

 

「あ、あぁ!あぁ!何という事だッ!よもや、トリステイン軍が地上軍を派遣していたなんて!!!」

 ついさっき甲板に叩きつけた自分の帽子を両手で抱えるように持った彼は、涙を流して何事か叫んでいる。

 その叫び声が騒乱に包まれた甲板の上でもハッキリ聞こえたボーウッドとワルドは、ついそちらの方へ目を向けてしまう。

 まるで丸まったハムスターの様に蹲るジョンストンは、もう脇目も振らずに泣きわめき、叫び続けている。

 本当なら一瞥しただけで無視してやっても良かったが、彼の口から叫びと混じって出てきたのは…ある種゛懺悔゛に近いモノであった。

「か…閣下!クロムウェル閣下!?だからっ、だから私は反対したのですよ!?トリステインへの奇襲攻撃など…!!

 トリステインの内通者がバレて、更にスパイの存在も知られて…なぜ奴らがそれでも条約を守りたいとお思いになられるのですか!?」

 

 トリステインの内通者?スパイ?…一体何の話だ?

 ボーウッドとワルドはお飾り司令長官の口から出た単語に、思わず互いの顔を見合ってしまう。

 実はトリスタニアで露見された内通者やスパイの件は、ボーウッドの様な将校や外国人であるワルドの耳には入ってきてなかったのである

 スパイを送り込んだ事そのものを評議会は隠蔽し、こうしてジョンストンの口から語られるまで彼ら以外の者には知らされていなかったのだ。

 だがそんな二人にも、ジョンストンの叫んでいる内容そのものが、トリステイン軍が待ち伏せを行う切欠になったのだと、察する事はできた。

 でなければ敵軍が地上に砲撃部隊を配置していたという事に対して、こんなに取り乱す筈はないであろう。

 

「私の提案の様に…奇襲を諦め、長期的なコネ作りに励んでいれば…全ては上手くいっていた!!

 トリステインは確実に手に入れる事ができた…というのに!だというのに…こんな事になってしまった!

 閣下!こ、この責任は貴方の責任なのですよ…!!?決して、これは私のミスではありませんぞ……!!」

 

 一人泣きながら演説の様に叫び続けるジョンストンを、二人はただ黙って見つめていた。

 このまま放っておいてもいいのだが、今は一分一秒を争う状況なのだ。これ以上下手な事を叫ばれて兵たちに聞かれては不味いことになる。

 自分に黙って水面下で行われていた事については確かに気にはなるが、今はそれに専念する程の余裕は無い。

 ボーウッドが目だけをワルドの方へ動かすと、艦長の言いたい事を察した彼が腰に差しているレイピア型の杖をスッと抜いた。

 …静かにさせますか?クロムウェルから新しく貰ったソレをジョンストンへ向けたワルドの顔が、ボーウッドにそう問いかけている。

 ……殺すなよ?ボーウッドはそう言いたげな渋い表情で頷き、それを了承と受け取ったワルドが詠唱もせずに杖を振り上げようとした。

 

 そんな時であった―――

「おやおや、随分と悲観に暮れてらっしゃるではありませんか。ジョンストン殿?」

 ボーウッドとワルドの後ろから、聞き慣れぬ女の声が聞こえてきたのは。

 

 まるで急に現れたかのように唐突で、あまりにも透き通っていて幽霊の様な不気味ささえ匂わせる声色。

 そんな声が後ろから聞こえてきてから一秒。杖を手にしたワルドが風を切るような勢いで後ろを振り返る。

 振り向いた先にいたのは…古代の魔術師めいたローブに身を包み、フードを頭からすっぽりと被った女だった。

 

 顔を隠した女はマントを着けていない事から平民なのかもしれないが、その体からは異様な気配が漂っている。

 声と同じでまるで幽霊のように存在感は無く、゛風゛系統の使い手であるワルドでさえも喋られるまで気づかなかった程だ。

 黒いフードもまた一切の飾り気が無く、それが却って女の不気味さと冷たさを助長させている。

 そんな見知らぬ不気味な女が、混乱の最中にある甲板の上に悠然と佇んでいるという光景はあまりにも異様であった。

 ワルドは杖の切っ先を女へと向け、艦長であるボーウッドが誰何しようとした時…その二人を押しのけるようにしてジョンストンが女へと詰め寄ってきた。

 

「おぉ…シェフィールド殿!シェフィールド秘書官殿ではないか!!」

 先程まで泣き叫んでいた憐れな司令長官は期待と羨望に満ちた表情で、シェフィールドを見つめている。

 その名に聞き覚えのあったボーウッドは、彼女がかつて自分にニューカッスル城への奇襲を実行させた人物だと思い出す。

 クロムウェルの秘書官が何故こんな所へ?いや、それよりもいつ乗船したというのか。

 疑問を一つ解消し、新たな疑問が二つも出来てしまったボーウッドを余所にジョンストンが饒舌に喋り出す。

「おぉ…秘書官殿ぉ…敵が、トリステイン軍が伏兵を配しておりましたっ!このままでは、閣下から任せられた艦隊がやられてしまいますぞ…!」

「安心しなさい、この事もクロムウェル閣下の予想範囲内。次の一手を打つ準備はできているわ」

 まるで始祖像に縋る狂信者の様なジョンストンを宥めながら、シェフィールドは林檎の様に紅い唇を動かしてそう答えた。

 その口の動きすらまた不気味に感じたボーウッドは、気を取り直すように咳払いをしつつ二人の会話を黙って聞いている。

 彼女の話から察するに少なくとも今この状況を聞く限り、打開できる程の切り札があるらしいがボーウッド自身はそれに心当たりがなかった。

 艦長である自分に知らせずに兵器にしろ武器にしろ積むというのは、無理があるというものだ。

 後ろにいたワルドに目を向けるも、彼もワケが分からないと言いたげな表情を浮かべて軽く頷く。

 

 一体どういう事なのか?放っておけない謎だけが積み重なっていく中で、ジョンストンは喋り続けている。

「おぉ、お願いします!すぐにでも、すぐにでもそれをお使いください!!それで忌々しいトリステイン軍を……ッ!」

 最後まで言い切ろうとした彼はしかし、自分の口の前に出されたシェフィールドの右手の人差し指によって止められてしまう。

 たったの人差し指一本。それだけで今まで散々喚いていたジョンストンとが、口をつぐんでしまったのだ。

 この時、ワルド達には見えなかったがジョンストンの目にはフードで隠れたシェフィールドの目がしっかりと見えていた。

 唇と同じ深紅色の鋭い瞳が蛇の様な冷たさを放って、彼の顔をギロリと睨んでいたのである。

 蛇に睨まれた蛙の気持ちとはこういうものか…。ジョンストンは無意識に止まってしまった自分を、ふとそんな風に例えてしまった。

「貴方に請われなくとも、既に゛投下゛の用意に移っているわ。…だからそこで大人しくしていなさい」

 シェフィールドは最後にそう言うと踵を返し、体が硬直したままのジョンストンを放ってスタスタと船内へと続くドアへと歩いていく。

 ボーウッドは突然現れ、そして自分たちには声も掛けずに去っていく彼女の背中をただずっと見つめている。

 ワルドもまた彼の後ろから見つめているだけで、後を追うような事はしなかった。

 

(…投下?投下とは一体どういう意味だ…!?)

 今まで自分がこの艦の艦長であり、これから指揮を取ろうとしたボーウッドは自分が知らない事実がある事に困惑していた。

 これまで経験してきた戦いは単純明快であり、勝つか死ぬかの命を賭けた真剣勝負でそこに謀略というモノは殆どなかった。

 それが自分の信じる軍人としての戦いだと思っていたし、これからも続く不変の概念だと信じていた。

 だがそれも今日をもって、終わりを告げることになってしまうのだろう。あの女の手によって。

 

「艦長…あの女、クロムウェルの秘書官殿は何をするつもりなのでしょうか?」

 後ろから聞こえてくるワルドの質問にも、彼はすぐに答える事が出来なかった。

 ただただドアを開けて、船内へと吸い込まれるように消えていったシェフィールドの後姿を見つめながら、ポツリと呟いた。

 

「あの女は、一体何をするつもりだというのだ…?」

 

 

 時間は丁度午後十二時を回ろうとしているところで、トリステイン王宮内の厨房では早くも昼食の準備が済んでいた。

 国中から集められた腕利きのシェフたちが厨房を舞台に、平民はおろか並みの貴族ですらお目に掛かれないような豪華なランチの数々。

 一つの皿に盛られたメインの肉料理だけでも、平民の四人家族が三日間遊んで暮らせる程の金が掛かっている程だ。

 そんな豪華な料理を作り出し、運び出そうとしている厨房は賑やかになるのだが…今日に限っては王宮全体がやけに賑わっていた。

 

 あちこちの廊下を武装した騎士や魔法衛士隊員が戦支度の為に走り回り、廊下の埃を舞い上がらせている。

 いつもなら執務室で昼食を心待ちにしている王宮勤務の貴族たちも、顔から汗を噴き出す程忙しく走り回っていた。

 平民の給士達は何が起こったのか把握している者は少なく、多くの者たちが廊下の隅や待機室で走り回る貴族たちを不安げに見つめていた。

 そして事情を把握している者たちは、知らない者たちへヒッソリ囁くように何が起こったのか大雑把に伝えていく。

 

 …曰く。ラ・ロシェールで親善訪問の為に合流しようとしたアルビオン艦隊が、トリステイン艦隊を襲ったという事。

 けれどもそれを間一髪で避けたトリステイン艦隊は、゛偶然近くで訓練していた゛国軍の砲兵大隊に助けられたいう事。

 そして国軍の監査をしていた王軍の将校たちが指揮を取り、騙し討ちをしようとしたアルビオン艦隊との交戦に入ったという事。

 

 誰が最初に広めたかも知らない噂はたちどころに王宮中に伝幡し、一つの『事実』として形作られていく。

 ある者は「王家を滅ぼした貴族派らしい、卑怯な手口だ!」と批判し、また別の者は「戦争が始まるのかしら…?」と不安を露わにしていた。

 一方で、貴族たちの中で軍属についている者達は上層部からの出撃命令を、今か今かと心待ちにしている。

 

 上司たちから伝えられた内容が本当ならば、今すぐにでもラ・ロシェールで戦っている友軍と合流しなければならないのだ。

 竜騎士は朝からの濃霧で出撃には時間が掛かるが、その他の幻獣に乗る魔法衛士隊ならば日付を跨いで深夜中に辿り着くことができる。

 けれども、各隊の隊長たちは未だ緊急に設けられた対策室から出て来ず、隊員たちはどうしたものかと皆首を傾げている。

 

 騎士達も騎士達で出動命令を待っており、できる限り竜騎士隊を今のうちに出させたいという意思があった。

 この霧の中で長距離飛行は風竜でもなければ方角を見失う可能性があり、不幸にも風竜は此度の作戦でラ・ロシェールからの伝令役に全頭駆り出されている。

 風竜はブレスの威力が弱い為に飛行力はあっても戦闘力は火竜より低く、そして火竜は戦闘力あれど飛行力は風竜に大きい差があった。

 一応霧の中を長距離飛行させる方法はあるのだが、如何せん方角を見失った際に地上に着地させて、方角を指示してやらなければいけないのである。

 更に火竜は頭が悪いせいで何度も着地させて教え直す必要があり、今出動してもラ・ロシェールにつくのは明日の朝方になってしまう。

 だから騎士達も焦ってはいたのだが、自分たちの隊長が対策室から一向に出て来ない理由だけは知っていた。

 彼らは伝令役を仰せつかった騎士仲間から、ある程度現地の―――最前線の情報を知る事が出来ていた。

 

 伝令曰く、アルビオン軍は亜人とは違う見たことも無い『怪物』を地上軍のいる森林地帯に投下したのだという。

 地上に降りた彼奴らは、周囲の霧を蝕むかのようにドス黒い霧を放出して地上軍に襲い掛かった。

 その時上空にいた彼は全貌を知る事はできなかったが、地上軍は一時間と経たずに森から出てきたのだとか。

 『怪物』たちは無秩序な動きとドス黒い霧を伴って王軍のいるラ・ロシェールへ突撃、そして…

 

 それから後の事は、その時伝えに来た伝令は知らない。

 彼は本作戦の指揮を任されたド・ポワチエ大佐から、敵が未知の『怪物』を差し向けてきたという事を伝えろと言われて、町を後にしたのである。

 故にその後ラ・ロシェールがどうなったか、そして今現在の状況がどうなってるいるのかまでは知らなかった。

 

 

「クソッ…出動命令はまだなのか?一体どうなっている!」 

 王宮の廊下を、喧しい足音を立てて魔法衛士の隊員三人が早足で歩いきながら一人叫ぶ。

 彼らのマントには幻獣ヒポグリフの刺繍が施されている事から、彼らがヒポグリフ隊の所属だと一目で分かる。

 その後ろに同僚であろう二人の隊員が後へと続き、彼の独り言に相槌を打つかのように言葉を出す。

「対策室へ行っても隊長たちからは待機しろ、待機しろ…の繰り返し。このままじゃ、戦況がどうなるか分からないっていうのに」

「全くだよ!聞けば、郊外の森林地帯で陣を張った国軍が既に敗走しているらしいぞ」

 後ろにいた二人の内三十代前半と思しき同僚が口にした国軍の情報に、先頭の隊員が鼻で笑ってこう言った。

「所詮平民と下級貴族の寄せ集め軍隊なぞ、そんなものだろ?」

「けれど俺の友人の騎士から聞いた話だと、亜人でもない未知の『怪物』の仕業とか…」

 反論か否か、食い下がる同僚の言葉を遮るようにして、先頭の彼は言った。

 

「いいか?例え相手がその『怪物』だろうが、俺たち魔法衛士隊が出動すればすぐに―…イテッ!?」

 そんな時であった。先頭を歩く彼の言葉を無理やり中断させるかのように、曲がり角から黒い影がぶつかって来たのは。

 不意に当たった彼は、すぐに後ろにいた同僚が倒れようとした背中を押さえてくれたことでなんとか事なきを得た。

 一方で曲がり角からやってきた謎の黒い影も「おわっ…トト!」と可愛らしい声を上げて、何とかその場で踏みとどまっている。

 何とか倒れずに済んだ黒い影―――もとい、魔理沙は帽子が落ちてないか確認してから、ようやくぶつかった相手と目が合った。

 そして相手が男三人の内先頭の者とぶつかったと察すると、やれやれと言いたげに首を横に振って呟く。

「…全く、人が曲がり角を通るって時にぶつかってくるとは危なっかしい連中だぜ」

「何だと…?」

 自分がぶつかってきたという自覚が微塵もないその言い方に、先頭の隊員はムッとした表情を浮かべる。

 思わず腰に差していた杖を抜くと、その切っ先を魔理沙の喉元へと躊躇なく向けた。

「貴様、このヒポグリフ隊所属の私に向かって何たる口の利き方か…」

 彼の経験上。平民や下級貴族ならばこの言葉と杖を向けるだけで、相手が竦む事を知っていた。

 だが魔理沙はその杖を見ても怯えるどころか、厄介なモノを見るかのような表情を浮かべて言った。

「えぇ…?おいおい、勘弁してくれないか?今はただでさえ急いでるんだよな、コレが」

 事実本当に急いでいる魔理沙の言葉はしかし、彼の怒りのボルテージを更に上げてしまう事となる。

 何よりもその表情――顔の前を飛び回る羽虫を鬱陶しがるような顔に、杖を持つ手に力が入り過ぎてギリギリと音がなる程怒っていた。

「黙れ、貴様の事情など知った事ではない!それよりも貴様は……」

「ちょっとマリサ!一人で勝手に突っ走るなって言ったでしょうがっ!」

 何者だ!―――――そう言おうとした時、魔理沙が通ってきたであろう曲がり角の向こうから声が聞こえてきた。

 

 目の前にいる無礼な平民(?)の少女と同年代であろう、少女の軽やかな怒鳴り声。

 その声に聞き覚えのあった先頭の隊員は、魔理沙を睨んでいた顔をフッと上げて彼女の後ろを見やる。

 彼が顔を上げたのとほぼ同時であっただろう。自分にぶつかってきた少女の後を追うようにして、ピンクブロンドの少女が走ってきた。

 黒のプリーツスカートに白いブラウス、そして黒いマントを着けている事から少女が貴族だとすぐにわかる。

 だがそれよりも遥かに目立つピンクブロンドの髪が、彼女がトリステインで最も名のある公爵家の者だと無言で周囲に伝えていた。

「み、ミス・ヴァリエール…!」

 後ろにいた同僚の一人が突然現れた公爵家の者に驚き、無意識にそう叫んでいた。

 だが肝心のヴァリエール家の令嬢――――ルイズはその声には反応せず、魔理沙へと怒鳴りかかる。

 事情はよく知らないが、その燃えるような怒りの表情を見るに何かがあったのだろう。

 

「アンタねぇ!折角姫さまのいる場所を聞いたってのに、…先を行き過ぎて迷ったらどうするのよ!?」

「いや~、ワタシってばこう突っ走っちゃう性格でね、やっぱり常日頃箒で飛ばし過ぎてるせいかもな」

 先程魔理沙へ杖を突きつけた隊員も驚くほどの怒声でもって、ルイズは黒白の魔法使いへと詰め寄る。

 一方の魔理沙も慣れたモノなのか、頭にかぶっていた帽子を外して気軽そうに言葉を返している。

 そのやり取りに思わず杖を抜いた先頭の隊員も、その切っ先を絨毯へ向けてただただ見守るほかなかった。

 と、そんな時にまたもや曲がり角の向こうから、三人目となる別の少女の声が聞こえてきた。

 

「ちょっとアンタたち。駄弁ってる暇があるなら、前にいる奴らを道の端にでも寄せたらどうなのよ?」

 先の二人と比べて何処か暢気そうで、それでいて苛立たしさを少しだけ露わにしているかのような棘のある声色。

 前の奴らとは我々の事か?三人目の言葉に後ろにいた二人がついついお互いの顔を見遣ってしまう。

 貴族を相手にして何たる物言いか。先頭の隊員がそんに事を想いながら顔を顰めた時、三人目がヒョッコリと姿を現した。

 ハルケギニアでは珍しい黒髪に大きくて目立つ赤いリボン、そして袖と服が分離している珍妙な紅白の服。

 左手には杖らしきモノを持っているがマントは着けていない所為で、貴族かどうかは判別がつかない。

 そんな変わった姿の少女―――霊夢が呆れた様な表情を浮かべて、ルイズと魔理沙の前へと出てきた。

 

「…って、何言い争ってるのよ二人とも?」

「イヤ、喧嘩じゃないぜ。ルイズが前を行き過ぎるなと叱って、それに私が仕方ないだろうと言葉を返しただけさ」

「世間様では、それを言い争いとか口喧嘩というらしいわよ」  

「ちょっと!二人して何してるのよ!?そんな事してる暇があるならねぇ――」

 妙に回りくどい魔理沙の言動に、霊夢は溜め息をつきながらも言葉を返す。

 そこへルイズが怒鳴りながら入ってしまうと、彼女たちの前にいる魔法衛士隊隊員達は何も言う事ができなくなってしまった。

 一体これはどういう事なのか?魔法衛士隊の三人が突然で賑やかな少女達に呆然としてしまう。

 そんな時に限って、厄介事というのは連続して起こるという事を彼らは知らなかった。

「……ん?おい、また誰か角を曲がって来るぞ」

 ルイズたちがギャーワーと喋り合っている背後から新たな影が出てくるのを見て、隊員の一人が言った。

 今度は何だ?うんざりした様子でそう思った先頭の隊員が三人の背後へと視線を移し、そして驚く。

 先ほどの少女たちはそれぞれ一人ずつ数秒ほど時間を置いて出てきたが、何と今度は一気に三人も出てきたのだ。

 だがそれで彼らが驚いたワケではなく、原因はその出てきた三人の『状態』にあった。

 

「おい、しっかりしろ!」

「う、うぅ…スマン」

「もうすぐ会議室だ、踏ん張れ!」

 新しく出てきた三人は王宮の騎士隊であり、肩のエンブレムを見るに竜騎士隊の所属だと分かった。

 その内二人は一人の両肩を貸しており、その一人は一目でわかる程酷い怪我を負っている。

 怪我をした竜騎士は今にも倒れそうなほど頼りない足取りであり、肩を貸してもらわなければすぐにでも倒れてしまうだろう。

 突然現れた負傷した騎士に驚いた衛士隊の者たちはハッと我に返り、先頭の隊員が騎士の一人に声を掛けた。

「…あっ、おい…!大丈夫か、どうしたんだその怪我は?」

「ん?あぁ魔法衛士隊のヤツか。スマンが、今は道を空けてくれ!伝令のコイツを連れて行かないと…」

 怪我をした同僚の右肩を支えていた騎士が言葉を返すと、言い争っていたルイズがハッとした表情を浮かべる。

 今はこんな事をしている場合じゃないと、気を取り直すかのように頭を軽く横に振ると先頭の衛士隊隊員に向かって言った。

 

「すいません!私達もこの騎士達と一緒にアンリエッタ姫殿下の許へ行きたいのですが、会議室はこの先で合ってるんですよね!?」

 

 

 王宮の中心部にある会議室は、交戦状態となったアルビオン軍との戦いをどう進めるかの対策室に変わっていた。

 三時間前に戦闘開始の伝令が届けられてから、王宮にいた大臣や軍の将校たちがこの広い部屋に集結して会議を続けている。

 縦長のテーブルの左右に設けた席に彼らが腰を下ろし、テーブルの上にはラ・ロシェール周辺の地図が何枚も広げられている。

 大臣や将校たちはその地図を指さしながら口論し、この戦いをどのように進めて終幕を引くべきかを議論していた。

 

「既にアルビオン側のスパイと、我が国の内通者が通じ合っていたという証拠は確保しているのだ。

 後はこの戦いを一時的な膠着状態にして、アルビオンが非難声明を出すと同時にそれを公表すれば奴らは終わる」

「イヤ!すぐにでも国中の軍隊を動員して艦隊だけでも潰すべきだ!!正義は我らにある!」 

 とある将校と議論していた一人の大臣が書類を片手に提案を出すと、好戦的な反論が跳ね返ってくる。

 既に国中に待機しているトリステイン国軍は出動態勢を整えており、王軍の方も今か今かと出動命令を待っているのだ。

 しかし大臣側も好戦的な彼らの提案と気迫に負けぬものかと言わんばかりに、別の大臣がその将校に食って掛かる。

「だが今動員させたとしても、大軍となるのには最低でも四日は掛かりますぞ!?アルビオンは我々が集まるのを悠長に待つワケがない!」

 仲間の言葉に他の大臣たちもそうだそうだ!と賛同の相槌を打ち、対策室の空気を何とか変えようとしている。

 将校側も場の空気が変わりつつあるのを察してか、反論された将校の隣にいた魔法衛士ヒポグリフ隊の隊長が口を開く。

「ならばその時間を、我々魔法衛士隊と竜騎士隊を含めたトリスタニアの王軍で稼ぎましょうぞ!」

「まだ敵がどれ程の地上軍を有しているのか、分かってないのだぞ?戦うしか能のない衛士隊は黙っておれ!」

 白熱した論戦のあまりついつい乱暴な口調になってしまう大臣の言葉で、ようやくこの場を落ち着かせようとする者が出てきた。

 

「諸君、落ち着いて下され!あまり議論に熱を掛け過ぎては、ただの喧嘩になってしまいますぞ!」

 アンリエッタの座る上座の横で佇んでいたマザリーニ枢機卿が一歩前に出て、滅多に出さない程の大声で呼びかける。

 幸いにも彼の大声で論戦のあまり熱暴走しつつあった対策室は、冷水を浴びせられたかのように落ち着きを取り戻した。

 何とか彼らの口を閉ざすことができたマザリーニは、軽い咳払いをしてから淡々としゃべり始めた。

 

「とにかく…今のトリステインは大臣側の提案を実行し、アルビオン以外の他国に大義は我々にあると教えなければならん。

 援軍については、今後来るであろう伝令の戦況報告に応じて調整する必要があるだろう。今は打って出るべきとは思えん」

 

 大臣側、将校側両方を組み合わせたかのようなマザリーニの提案に、大臣側の何人かがホッと安堵の一息をつく。

 しかし将校側にはまだ不安要素があるのか、魔法衛士マンティコア隊隊長のド・ゼッサールが片手を上げて枢機卿に話しかけた。

「だがマザリーニ殿、先程の伝令によると何やら前線においてアルビオン側が見たことも無い兵器を使用したと…」

 そんな彼に続くようにして国軍将校である辺境伯も片手を軽く上げて、マザリーニに質問を投げかける。

 

「左様。敵は亜人とも違う全く未知の『怪物』の軍勢を地上に投下して国軍を敗走させ、王軍のいたラ・ロシェールにも突撃したと聞きましたが…。

 それがもし本当ならば…国軍、王軍共にこれ以上の被害が拡大する前に増援部隊を派遣して、その『怪物』達に対処する必要があるのでは?」

 

 マンティコア隊隊長と辺境伯の言葉に、将校たちはウンウンと頷きながら確かにと呟いている者もいる。

 彼らは戦いを膠着状態に持っていくのは賛成しているが、増援は出来る限り迅速に送るべきだと主張していた。

 無論その報告を聞いていたマザリーニもその事についてすぐに拒否することはできず、むぅ…と呻く事しかできない。

 そんな彼の反応に大臣側であり友人であるデムリ財務卿と、アカデミー評議会議長のゴンドラン卿が不安そうな表情を浮かべている。

 彼らも戦闘の一時膠着を望んでおり、マザリーニ自身もどちらかといえば大臣側の味方であった。

 出来る事ならば最小限の戦いでアルビオンを食い止めて、奴らに不可侵条約の意思なしと公表するのがベストであろう。

(だが…我々はそう思っていても、今の殿下のお気持ちは――――)

 彼はそこまで考えて自分のすぐ右、この部屋の上座に腰を下ろすアンリエッタを横目で一瞥する。

 三時間前にアルビオンとの戦闘開始が伝えられ、この部屋へ来てからというもの彼女はずっとその顔を俯かせていた。

 一言も喋ることなく悲しそうな、何かを思いつめているような表情を浮かべて右手の薬指に嵌めた指輪を左手の指で撫で続けている。

 御気分が優れぬのかと、何度か一時退席させて休ませては見たがここに戻ってくるとまたすぐに俯いてしまう。

 臣下の者たちも心配してはいるのだが、彼女の口から会議に専念して欲しいと言われてしまったのでどうしようもできない。

 

 そんな時であった、会議室の出入り口である大きなドアが突然開かれたのは。

 いきなりの事にドアのそばにいた貴族たちが何事かと見やって、ついで多数の者が怪訝な表情を浮かべてしまう。

 彼らの前でノックも無しにドアを開けて入ってきたのは、憮然とした態度で会議室を見回している霊夢であった。

「ほー、ほー…成程。アンリエッタがいるという事は、ここが会議室って事かしら?」

 貴族たちに誰かと問われる前に、目当ての人物を探し当てたであろう霊夢が一人呟くと、右手を上げて「ちょっとー?アンリエッタ~?」とアンリエッタに話しかける。

 突然現れた霊夢の態度と敬愛するアンリエッタ王女への呼び方を耳にした貴族たちは彼女の無礼な態度に、怒りよりも先に驚愕を露わにした。

 トリステインの百合であり象徴でもあるアンリエッタ王女を呼び捨てはおろか、王族相手に友だちへ声を掛けるかの如く気安さ。

 例え平民や盗賊や傭兵に身をやつしたメイジでも取らないような霊夢の態度に、彼らはただただ呆然とするほかなかった。 

 

「だ…誰ですか貴方は!ここは関係者以外今は立ち入りを禁止にしていますぞ!」 

 霊夢の無礼さから来る驚愕から一足先に脱したであろうデムリ卿が、目を丸くしながら言った。

「関係者なら大丈夫なの?じゃあ私はアンリエッタの関係者だから、部屋に入っても良いわよね」

「なっ…!で、殿下…それは本当で?」

 しかし霊夢も負けじと言い返すと、デムリ卿は思わず上座のアンリエッタを見遣ってしまう。

 アンリエッタもまた突然やってきた霊夢に驚いた様な表情を浮かべていたが、デムリ卿の言葉にスッと席を立った。

「れ、レイムさん…、どうしてここへ…?」

「いや~何、別に用って程でもないんだけど…まぁ、ルイズの付添いって感じね」

 アンリエッタと霊夢のやり取りを見て、その場にいた貴族たちの何人かがざわついた。

 あのアンリエッタ王女が、自身に全く敬意を払わぬ怪しい身なりをしたレイムという少女に対してさん付けで呼んでいる。

 マザリーニ枢機卿など王宮に常駐して霊夢達の事を知っていた貴族以外は、一体何者なのかと疑っていた。

 ただ一人、ゴンドラン卿だけは霊夢の姿をマジマジと見つめながら顔を青白くさせている。

 

「……失礼します!!姫さま!」

 そんな時であった、ざわつき始めた会議室の中へ飛び込むかのようにルイズが急ぎ足で入室してきた。

 今度の乱入者は魔法学院生徒の身なりに、ピンクブロンドのヘアーという事で部屋にいた貴族たちはすぐに彼女の事が分かった。

 ルイズは霊夢のすぐ傍で足を止めると、上座の方にアンリエッタがいる事に気付いてホッと安堵の一息をつく。

「おぉ!これはこれは、ヴァリエール家の末女であるルイズ様ではございませぬか!!」

 ドアのすぐ近くの席に座っていた大臣が、ルイズの顔を見てギョッと驚いた様な表情を浮かべた。

 彼の言葉に他の大臣や将校達も半ば腰を上げてルイズの顔を見遣り、そして同じような反応を見せる。

 

「得体の知れぬ少女の次は、ヴァリエール家の末女様が来るとは…これは一体どういう事なのだ?」

「酷いこと言うわねぇ、誰が得体の知れぬ少女よ?」

「そりゃ挨拶もなしにそんな身なりで入ってきたら、誰だってそう思うだろうさ」

 大臣の口から出た言葉に霊夢がすかさず突っ込みを入れた時、ルイズに続いて今度は魔理沙が入室してきた。

 三人目の闖入者に更に会議室は沸いたのだが、彼女の後に続いて入ってきた者たちを見て全員が目を見開てしまう。

 

「し、失礼致します!ただいまラ・ロシェールからの伝令を連れてまいりました!」

 魔理沙の後に続いて入ってきた魔法衛士隊隊員の一人がそう言うと、四人の騎士と隊員達に支えられた伝令が入ってきたのだ。

「これは…っ!一体どうした事か!?」

「何と酷い怪我だ…」

 大臣や将校達は隊員たちに肩を支えられて入ってきた伝令の騎士を見て、彼らは様々な反応を見せる。

 ある大臣は血を見ただけで顔を青白くさせ、将校や隊長達が席を立って伝令の傍へと駆け寄っていく。

「……ッ!」

「何と…」

 マザリーニ枢機卿も傷だらけで入ってきた伝令に目を丸くし、アンリエッタは口元を両手で押さえて悲鳴を堪えていた。

 伝令の傍へ駆け寄ってきたヒポグリフ隊の隊長が、騎士達と共にやってきた自分の隊の者に話しかける。

 

「おいっ、これはどういう事なのだ?」

「はっ、先程隊長殿に待機命令を受けた後に戻ろうとした際にこの者達に続いて、彼らがやってきて…」

 ついさっき魔理沙とぶつかった隊員が横にルイズたちを見やりながら、やや早口で隊長に説明をしていく。

 その傍らで竜騎士隊の隊長が自分の部下でもある伝令に、不慣れながらも゛癒し゛の魔法を掛け続けている。

 しかし伝令の傷は外から見るよりも酷く、出血もそこそこにしている事が今になってわかった。

「お前たち、どうしてコイツが戻ってきた時点で応急処置をしなかったんだ」

「その…実は戻ってきた時は平気そうなフリをしていたのですが…我々が用事で城内へ入った際に、彼女たちが倒れていたソイツを介抱していて…」

 部下のその言葉に、隊長は蚊帳の外に移動しかけたルイズたちの方へと顔を向ける。

 強面の竜騎士隊隊長に睨まれた魔理沙が多少たじろいだが、そんな彼女を余所にルイズがすかさず説明を入れた。

 

「最初に私が倒れているのを見つけた時、医務室につれて行こうとしたのですが…どうしても姫様に伝えたい事があると言って…」

 その輪の外で様子を窺っていたアンリエッタがハッとした表情を浮かべて、その騎士の許へと駆け寄っていく。

 何人かの者がそれを制止しようとした素振りを見せつつも、彼女はそれを気にもせずに負傷した伝令の傍へ来ると水晶の杖を彼の方へと向けた。

 

 軽く息を吸ってから、慣れた様子で『癒し』の呪文を詠唱し始めると、杖の先についた小さな水晶が不思議な光を放ち始める。

 見ているだけでも心が落ち着くような水晶の光が騎士の体から傷を取り除き、まともに立つことすらできなかった疲労感すら消し去っていく。

 それを近くで見ていた者たちはルイズを含めて『癒し』の光に皆息を呑み、魔理沙は興味津々な眼差しでアンリエッタの魔法を観察している。

 霊夢は相変わらずぶっきらぼうな表情でその様子を眺めていたが、思っていた以上に献身的なお姫様に多少の感心を抱いていた。

「大丈夫ですか?」

「あぁ…姫殿下、申し訳ありません…。私如きに、貴女様が魔法を使われるなどと…」

 敬愛する王女からの治療に伝令はお礼を言って立ち上がろうとしたが、アンリエッタはそれを手で制した。

「そのままで結構です…。一体、私に直接報告したい事とはなんですか?」

 アンリエッタからの質問に、伝令はスッと目を細めるとゆっくりと喋り出す。

「ら……、ラ・ロシェールに派遣された王軍指揮官の…ド・ポワチエ大佐からの伝令、です…」

 彼はそう言って息を整えるかのように深呼吸をしてから、それを口にした。

 

 「『我ガ王軍、及ビ国軍ハアルビオン軍ノ謎ノ怪物ニヨリ壊滅状態ナリ。

  ラ・ロシェールノ防衛ヲ放棄、タルブ村マデ後退。至急増援ヲ送リ願イマス』との…こと」

 

 彼の言葉から出た伝令の内容に、騒然としつつあった会議室が一斉に静まり返った。



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第七十七話

 大抵の人間は、突然の形勢逆転というものに対してかなり弱いところがある。

 それが自分の得意分野――――例えば研究や芸術作品、そしてギャンブルなどであるならば尚更だ。

 順調に勝ちを進め、あと一歩で勝利を我が手に…というところでそれを他人に掠め取られた瞬間、多くの者が動揺してしまう。

 何故?どうして?一体何が…?冷静さというモノが消え失せ、燃え盛り延焼する山火事の如き焦燥が頭の中を縦横無尽に駆け回る。

 中には的確に状況を把握し、何が勝ちを取られた原因だったのかを探れる者たちもいるが、それはほんの一握りの人々だけだ。

 大多数の者達は焦燥から錯乱へと名前を変えた山火事に頭の中まで焼かれて、無様な醜態を見せる事となる。

 

 そう…今目の前で大人たちが繰り広げている、会議という名の醜悪な口喧嘩の様に。

 霊夢はそんな事を考えながら、自分が頭の中で組んでいた予定が音を立てて崩れていく事にため息をつきたくなった。

(何でして今日はこう、…大人たちの酷い口げんかを見なきゃならんのかしらねぇ?)

 彼女は心の中で呟きながら、立ったまま激しい論争を繰り広げるトリステイン王国の貴族たちを眺めている。

 彼らが今話している事というのは、ラ・ロシェールで戦闘となったアルビオン軍との戦いが逆転されつつあるという事態に関してのモノだ。

 

「諸君!だから私は言ったのですぞ?今はスパイの事など大目に見て、大人しくしていれば良いと。

 そうすれば此度の様な事態にもならず、親善訪問も上手く進み、全てが丸く収まっておったのじゃ」

 

 高等法院長であるリッシュモンの言葉に同じ高等法院に属する貴族たちがそうだそうだと頷く。

 しかしそれに対して将軍たちがふざけるな!と喝を入れ、その内の一人がリッシュモンに掴みかからんばかりの勢いで反論する。

 

「黙れ!みすみすこのこの国を内側から食い破ろうとしたネズミ共など駆除して当然ではないか!?

 …そんなことよりも、今は一刻も速く国中の軍隊を動員し、タルブにいる友軍の応援に行くべきではないのか!?」

 

 好戦的な彼の言葉に、同じ将軍や一部の大臣たちも賛同の声を上げている。

 既に事態はアルビオンとの交戦状態にあり、勝つか負けるかの二者択一の状況なのだ。

 先ほどまで戦闘を出来る限り避けたいと提案していた大臣たちも、その中に混じって賛成、賛成!と声を張り上げていた。

 

 その様子をドアのすぐ横で見つめていた霊夢は、ふと自分の横にいる他の二人へ視線を移す。

 魔理沙は会議室に広がる喧騒と、貴族たちから立ち込める苛立った気配にただただ苦笑いを浮かべている。

 空気の読めない所を結構見せてくれる彼女であっても、流石にこの部屋に渦巻く不穏な気配に気まずさの一つでも覚えたのだろうか?

 

 本人が聞いたら軽く怒りそうな事を思いつつ、その魔理沙の横にいるルイズへと目をやる。

 流石にこの国の人間である為か、周りの貴族たちが口にしている言葉を耳にしてその端正な顔が青ざめていた。

 とはいえ彼女が青ざめている理由は、この会議室の事だけじゃないと霊夢と魔理沙の二人はあらかじめ知っている。

 それをアンリエッタにサッと伝える為にここへ来た筈が、面倒くさい事に巻き込まれてしまった。

「全く困ったものね、私達はアンリエッタに用があるから来ただけだっていうのに…」

「だよな?こんな事になると知ってたら、デルフも連れてきてやった方が良かったぜ」

 軽く愚痴をこぼしてみるがそれに答えてくれたのは魔理沙だけで、ルイズは青ざめた顔を俯かせたまま黙っている。

 先程騎士や衛士隊の者達と一緒に医務室へ行った伝令の言葉を聞いてから、ずっとこの調子なのだ。

 空気の読めない魔理沙もルイズの様子を見て流石に何かあったのだと察しているようだ。

 

 そんな時であった。黙りこくっているルイズを救うかのようにして、アンリエッタが彼女たちに話しかけてきたのは。

「申し訳ありませんルイズ、それに貴女達も…。こんな醜い論争の場に足を運ばせてしまう事になるとは…」

「あっ…姫さま」

 マザリーニ枢機卿を傍に従えた王女の声に、視線を地面に向けていたルイズもスッと顔を上げた。

 敬愛するアンリエッタの顔色は今にも憔悴してしまいそうな程、苦渋と葛藤の色が滲み出ている。

 それを無理に作り上げている笑顔で抑え込んでいるのだが、傍からみれば明らかに無理していると一目でわかる。

 二週間前に、彼女の今のアルビオンへ対する気持ちを知ってからというもの、その顔を見ると自分の心まで苦しくなってしまう気がした。

「御免なさいねルイズ、今日はゲルマニアへ行く日だというのに…私がせいで、こんな…」

「いえ、そんな…姫さまのせいではありませんよ。悪いのは不意打ちを仕掛けてきたアルビオンでは…っあ…」

 アンリエッタの自虐の言葉にルイズは苦し紛れとも言える様な擁護をつい口から出してしまう。

 だが今の彼女にとって、その゛アルビオンの不意打ち゛という言い訳すら自分の責任だと思い込んでいる。

 言い終えたところでそれに気が付いたルイズは気まずい表情を浮かべてしまい、アンリエッタの顔に陰が差す。

 

「イヤだねぇ?あんな暗い雰囲気の会話を見聞きしてると、こっちの気分まで滅入る気がしてくるぜ」 

 その二人を見ているとこっちの気分まで参ってしまうような気がして、それを誤魔化すかのように魔理沙が喋った。

 流石にこの場では空気を読めたのか、隣にいる霊夢にだけ聞こえる出来るだけ声を絞っている。

「アンタが暗くなるところなんて、一度もお目に掛かった事がないんですけど?」

「そりゃお前さんの前で下手に態度を崩せないからな。もし見られたりしたら、一生の不覚さ」

「弾幕ごっこだと、私相手に毎度の如く不覚を取ってる癖に良く喋る…っと、まぁこうしてアンタと無駄な話をするより…」

 魔理沙の会話をそこで終わらせた霊夢はスッとルイズの傍へ寄ると、彼女の肩を軽く叩いた。

 まるで太鼓を叩くかのような軽くて少々荒い叩き方に、叩かれた本人はハッとした表情で叩いた本人の顔を見る。

 肩を叩いた霊夢はアンリエッタと同調して落ち込みかけていたルイズを、いつものジト目で見つめながら言った。

「悪いんだけど、感傷に浸る暇があるならさっさとお姫さまに゛本題゛を言ったらどうよ?」

「れ、レイム――――……ッ!わ、わかってるわよそれくらい!」

 ここへ来た本当の目的を頭の隅っこにおいやってしまっていた自分と遠慮の無い霊夢に怒りつつも、ルイズは鋭く言い返す。

 それから改めてアンリエッタの方へ向き直り、一体何事かと訝しんでいる彼女の前で軽く深呼吸をした。

 息を吐いて、吸う。生きていく上で最も当たり前な行動だというのに、緊張からか首筋から汗が滲み出てきてしまう。

 いつもならハンカチで真っ先に拭う筈のソレを気にしない風を装いつつ、ルイズはその口を開く。

「あの…その、実は…姫さまに私の口から直接お伝えしたい事がありまして…」

「伝えたい事?大丈夫よルイズ、何か言いたいのなら遠慮せずに言って頂戴」

 アンリエッタの許しを得たルイズは、意を決して彼女に伝えるべき事を口にした。

 

 

「その、私とレイム…それにマリサの三人で、タルブ村へ行きたいのです」 

 ジッと自分の顔を見据え、冷や汗が流れ落ちる顔でそう叫んだルイズの言葉を、アンリエッタ達が理解するのには数秒の時間を要した。

 

 

 アンリエッタの傍にいたマザリーニや他の大臣たちもそれを耳にしたのか、一斉にルイズたちの方へと視線を向ける。

 それを耳にした直後は何を言っているのか分からず、三秒ほど経ってからようやく彼女の言いたい事を理解した者たちはその目を見開いた。

「なっ…何を言っているのルイズ…!貴女正気なの…!?」

「…私も何を言っているのかと自分で思っているのですが、残念ながら至極正気のつもりなんです」

 真っ先に反応したアンリエッタが動揺を露わにした顔でそう言うと、ルイズは苦笑いを浮かべながら言葉を返す。

 それからスッと懐に左手を伸ばし、ソコから便箋の入った封筒を一枚取り出してアンリエッタに手渡した。

 突然手渡された可愛らしいデザインの封筒に彼女は怪訝な表情を浮かべたが、その封筒に掛かれていた単語には見覚えがあった。

「フォン、ティーヌ…フォンティーヌ?まさか、この手紙は貴女の…」

「はい、その手紙は私の一つ上の姉であるちぃ……、カトレア姉様がしたためてくれた手紙です。…読んでみてください」

 危うく公共の会議室で「ちぃ姉様」と呼びかけたルイズは速やかに訂正しつつ、アンリエッタに手紙を読むよう促した。

 タルブとは天と地ほど離れているフォンティーヌ領に住む彼女の姉の手紙と今回の件、どういう関係があるのだろうか?

 アンリエッタはそれが分からぬままルイズの言葉に応えて、既に糊をはがされていた封筒から一枚の便箋を取り出した。

 紙の端っこに星やらヒトデの小さな押絵が目立つ素敵な便箋に書かれている内容に、アンリエッタは目を通しながら読み始める。

 

「……拝啓。元気かしら?私のかわいいルイズ。この手紙を書いている場所は――――」

 

 

 ――拝啓。元気かしら?私のかわいいルイズ。

 この手紙を書いている場所は、私の領地であるフォンティーヌではありません。

 今私がいるのは、ラ・ロシェールの近くにある長閑で平和なタルブという名前の村です。

 

 そこの村を収めているアストン伯という、この村にぴったりな優しいお年寄り貴族のお屋敷に泊まっているわ。

 ここには村の特産物の大きなブドウの畑があって、今はまだ収穫時期ではないけどもう大きなブドウの実がたくさん成っているの。

 秋になるとそれの収穫時期が来て、老若男女様々な人たちがブドウを採って、それを美味しいワインにしてくれるそうよ。

 

 私達はヴァリエール家でも飲んだ事があるけれど、あの美味しいワインはこの村に住む人たちが一生懸命作ってくれているのよ。

 その事を村の人たちに頭を下げて感謝したのだけれど、皆慌てた様子で頭をお上げ下さいっ!て哀願されちゃったの。

 何か良くない事でもしたのかしら?最初はそう思ったわ。

 でも、彼らの顔には一様に笑顔が浮かんでいたから私の誠意は伝わったのかもしれないわね。

 

 私の体調が急変でもしない限り、タルブ村には収穫が終わるまで滞在するつもりよ。

 ルイズ、何か私宛てのお手紙を送りたいのならアストン伯の御屋敷に手紙を送ってね。私の屋敷やラ・ヴァリエールに送っても読めないから。

 何か辛い事や抱えている事があったら遠慮なく手紙に書いて送って頂戴、出来る限り相談に乗るわ。

 私の方も、ここへ来る前に色々大変な目にあったり少し不思議な人と出会っているけど、それくらいの余裕はあるわ。

 

 

 それと、最後に書くのはちょっと変だと思うけれど…

 進級おめでとう、私の小さなルイズ。貴女ならきっと出来ると信じていたわ。

 

 貴女の親愛なる一つ上の姉。

 カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌより。

 

 

 追伸

 そういえば、風の噂で貴女が変わった使い魔を召喚したって聞いたわ。

 手紙を送ってくれるなら、その変わった使い魔さんの事も書いてね。約束よ?―――――

 

 

「――――…使い魔さんの事も書いてね。約束よ………」

 追伸の所までしっかり読み上げた時点で、アンリエッタの顔には数滴の冷や汗が噴き出ている。

 最初の行を読んだ時点で、ルイズが言いたい事の意味を既に理解していたものの…結局最後の追伸まで読み上げていた。

 偶然とは末恐ろしいものよ。そう言いたげな表情を浮かべたマザリーニ枢機卿が、ルイズの方へと視線を向ける。

「ミス・ヴァリエール…この手紙が届いたのはいつで?」

「…一昨日の夕方です。竜籠便の速達という事なので余程私に読んで貰いたかったのかと…」

 枢機卿からの質問に答えたルイズはスッと顔を俯かせると、キュッとその両目を閉じた。

 何かが目から溢れて零れそうな気がして、けれど今は流す時ではないと思った彼女は、その気持ちを紛らわす様に両手を握りしめる。

「あぁ、ルイズ…御免なさい…まさかこんな事になるなんて…」

 アンリエッタはそんなルイズの傍に歩み寄ると、今にも泣き出しそうな表情で彼女の背中を優しく摩った。

 後ろにいる大臣たちは彼女たちから少し距離を取って、何やらコソコソと相談し合っている。

 その内容までは聞こえてこないものの、それに関してはどうでもいいと霊夢は思っていた。

 

「何か重たかった空気が更に重くなってきたなぁー…」

「そうねぇ、このまま重たくなり過ぎたらその内二本足で立ってられなくなるかもね?」

 アンリエッタが手紙を読んでいる最中に魔理沙の方へと戻っていた彼女は、どんどん沈んでいく会議室の空気に対して呟いた。。

 この魔法使いの言葉もあながち間違ってはいないと思いながらも、ルイズたちの方へと視線を向ける。

 手紙を送ったであろうカトレアなる人物がどうなったのか少しは気になるものの、まだ死んだと決まったワケではない。

 そもそもルイズたちがここまで来たのは、タルブの近くにあるラ・ロシェールでトリステインとアルビオンが戦い始めたという話を聞いたからだ。

 以前エレオノールからカトレアがタルブへ旅行に行ったと聞いたルイズは、居ても立ってもいられずに手紙を片手に部屋を出たのである。

 何やら面白そうな事が起きると察した魔理沙が後に続き、話の中に入っていた゛怪物゛という単語が気になっていた霊夢もそれに続いた。

 そしてアンリエッタの居場所を廊下に倒れていた騎士から聞き出し、連れて行き――――そうして今に至っている。

 

 だがしかし、彼がもたらした情報はルイズの心をかき乱すには十分の威力があった。

 タルブ村がトリステイン軍の防衛ラインに入ってしまったという事と、その軍隊をアルビオンの゛怪物゛とやらがメッタメタにしているという報せ。

 流石のルイズも姉の滞在する村が戦火に巻き込まれたという情報には、冷静さを保つ事はできなかったようだ。

 霊夢にはその焦りというモノが良く分からなかったものの、ここが異世界であろうとも博麗の巫女としては放っておけない所があった。

 しかも今回の騒ぎに、人間以外の゛何か゛が確実に関わっているであろうという事を知ったのならば、尚更に。

「これ以上空気が重たくなって動きづらくなる前に、ルイズの意見とやらを聞いてから出るとしましょう」

 魔理沙にそう言った後、もう一度ルイズの傍まで近づくと俯いている彼女の肩をヒシっと弱く掴んだ。

 肩を掴まれた事に気が付いたルイズはハッと顔を上げて、霊夢の方へと見やる。

 いつも部屋の中でお茶飲んで暢気にしている幻想郷の巫女さんは、いつもの気怠さを顔に浮かべながら彼女に言った。

「アンタが行かないつもりでも私達は勝手に行くつもりだから。…さっさと決めちゃいなさい」

 霊夢の言葉に一、二秒ほど置いて頷いたルイズは、顔を顰めながらも自分の肩に乗っていた彼女の手をソッと退ける。

 どうせ私が言う事を知ってるくせに…。思わず口から出かけた言葉を心の中に吐きだしてから、ルイズはアンリエッタの方へと顔を向けた。

 背中を摩ってくれていた無二の親友であり敬愛する王女殿下は、顔を上げたルイズの表情が変わっているのに気が付く。

 まるである種の決意を胸に秘めて、閉じた口の中で歯を食いしばっているかのようなその表情。

 これから前線へ赴かんとする者が浮かべるようなそれに、アンリエッタは「ルイズ…」と親友の名を呟く事しかできない。

 

 

「姫さま…。確かに今のタルブ村がどうなっているのか詳しいことは知りませんが…けれど、恐ろしい程に危険だというのは分かっているつもりです」

「それならどうして…?どうして貴女は死地に赴くような真似をしでかそうとしているの…!?」

 アンリエッタの質問は最もであろう。いくら貴族と言えど学生の身分であるルイズが霊夢達と共にタルブへ行くのは危険すぎるのだ。

 報告の通りならば、正規の訓練を受けた軍のメイジたちがラ・ロシェールから追いやられている程なのだ。

 しかしルイズはそれを承知でそこへ行こうとしている。下手をすれば自分の命がどうなるのかも知れない場所へ。

「先に言いますが、別にコイツらの事が気になるからという理由はほんのさ…四割程度ですから」

「おっ待てぃ、今三割って言おうとしたな?」

「アンタなら二割でも高い方よ」

 彼女は自分のすぐ後ろの巫女と、ちょっと離れた所にいる魔法使いの方へと顔を向けながら言った。

 すかさず魔理沙の返事とそれに対する霊夢の突っ込みを無視しつつ、ルイズは更に言葉を続けていく。

 

「私はカトレア姉様の安否を確かめに行きます。…きっとあの人なら、村の人たちを集めて何処かに避難しているはず…。

 ついでにレイム達がアルビオン軍の放ったという゛怪物゛とやらを見に行って、片付けてくれるのでそれについていくだけです」

 

 それはルイズ自身が決めた、一つの決断であった。

 

 彼女にとってカトレアは、物心ついた時からメイジの落ちこぼれとして扱われていた自分を心の底から愛してくれた人。

 どれだけ失敗をしても笑顔で励まし、慰めてくれて…そして魔法学院への入学が決まった時に一番喜んだ二番目の姉。

 そして生まれたときから儚い彼女が初めて遠出した場所が、今や戦場となりつつあるのだ。

 

「あの人…姉様なら、目の前で苦しんでいる人がいたら自らの命を投げ打ってでも助けてしまうかもしれません

 だから私は行くんです。もしカトレア姉様が疲労困憊した時に、あの人の手を握ってあげられるように…

 陸路ではタルブ村まで相当な時間は掛かりますが…何、霊夢達に連れてってもらえば明後日の未明ぐらいには戻ってこれますから」 

 

 トリスタニアからタルブまで陸路だと一日以上かかるが、空を飛べれば大幅に時間を短縮できる。

 無論霊夢達に頼る事となるが、いつも学院の部屋を好きに使っているのだ。それくらい頼んでもバチは当たらないだろう。

 帰ってこれる時間については明後日の未明とは言ったものの、正直に言えばそれは相手の出方次第だろう。

 話ではアルビオン軍の艦隊もいるらしく、もしも件の゛怪物゛を倒したとしても奴らが尻尾を見せて逃げなければ…。

 最悪、ハルケギニア一の強さを誇るアルビオンの艦隊と一戦交える事になるのかもしれない。

 

「でも…ッ!そんなのは危険過ぎるわ!?貴女はまだ学生だというのに…!」

 それでもアンリエッタは危険な場所へ行こうとする幼馴染を引き留めようとして、首を横に振りながら叫ぶ。

 ルイズもそんな彼女の気持ちは痛いほど理解できるが故に、それを振り払ってしまうような事が出来ずにいる。

 けれども、こうして会議室に留まり続けている限りタルブ村は…ひいてはそこにいるカトレアに危機が及ぶかもしれないのだ。

 姫さまか、ちい姉さまか?二つの内一つしか選べない決断を迫られているルイズは、不覚にも悩んでしまう。

 

「じゃあ、アンタはどうするのよ?」

 そんな時であった。そんな彼女の代わりにその決断を決めるかのような霊夢の横槍が入ってきたのは。

 咄嗟に振り向いたルイズは彼女の言葉が自分ではなく、アンリエッタに向けられたものだと気づいた。

 突然そんな事を聞かれたアンリエッタは「な、何がですか?」と困惑気味な表情を浮かべている。

 赤みがかった黒目を鋭く細めて、いつものぶっきらぼうな表情を浮かべながら面倒くさそうにしゃべり出した。

 

「ルイズは自分なりに悩んで決めたっていうのに、アンタはただ状況に流されてるだけじゃないの。

 悪いのは自分だって思い込んでるだけで、他の事は全部他人任せにしてジーッとしてただけじゃない。

 ウェールズの事が悲しいんなら、ちょっとはレコンなんちゃらとかいう連中に怒りの鉄槌でも鉄拳でもぶつけてみなさい」

 

 そこまで言った所でルイズの肩を強く掴むと、「ホラ、行くわよ」と後ろにいた魔理沙に声を掛けた。

 今まで蚊帳の外と中の間にいた魔法使いは「おっ、そうか」とだけ答え、スタスタとドアの方まで進んでいく。

 霊夢に肩を掴まれたルイズは申し訳なさそうな表情を浮かべてアンリエッタに一礼し、背中を向けて歩き出す。

 大臣やマザリーニ枢機卿等は呆然とした表情でもって、会議室を去ろうとしていく三人の後姿を見つめているだけだ。

 彼らとしては三人は部外者であり、出ていってくれればそれでも良かったのである。

 

「ま、待ってください!」

 

 しかし、そんな三人の背中に向けて制止の叫び声を上げたものがいた。

 

 

 

 ドアを開きかけた魔理沙や、霊夢を追い越そうとしたルイズが足を止めて、声のした方へ振り返る。

 そして霊夢もつい足を止めてしまい、面倒くさそうなため息をついてからサッと後ろを向く。

 案の定声を掛けてきたのは、ルイズをなんとかと留まらせようとしたアンリエッタであった。

 何処か追い詰められている様な焦燥感漂う表情に、見開いた両目でじっと霊夢の姿を凝視している。

 お姫様が自分の方を見ていると気づいた霊夢は、これまた面倒くさそうな言い方で「何よ?」と問いただしてみた。

 それに対しアンリエッタは霊夢をじっと見据えたまま、ゆっくりと喋り出す。

 

「貴女は…貴女はどうしてルイズを止めようとしないの?…いえ、それは貴女達にも言えるわ。

 どうして自ら危険な場所へ赴こうとするの?もしかすれば、命を落とすかもしれない場所へ…。

 私にはそれが理解できません…何故、どうしてそんな場所へ足を運ぼうと思えるの…?」

 

「何でっ、て…?う~ん…」

 やけに長く感じたアンリエッタからの問いを聞き終えた霊夢は、左手で後頭部を掻きながら悩みだす。

 恐らく何て言うのか考えているのだろうか?魔理沙とルイズ、そしてアンリエッタは彼女の言葉を待ち構える。

 マザリーニ枢機卿や他の大臣たちも先ほどのアンリエッタの叫びに軽く驚いてか、じっと二人のやり取りを見守っている。

 そして時間にして十秒ほど経った頃であろうか、後頭部を掻いていた巫女さんはポツリと呟いた。

 

 

「人外共を安全な場所から操ってる様な連中の出鼻をへし折りたい。…私の理由は、ただそれだけかしらね?」

 それだけ言うと再びアンリエッタ達に背中を向けた霊夢は、しっかりとした足取りでドアの方へと歩き出す。

 一方で、霊夢の理由を聞いたアンリエッタはたったそれだけの為に死地へ赴こうとする彼女に複雑な気持ちを抱いてしまう。

 自らの感情に身を任せ、けれどそれに流されるのではなく制御できている巫女の自由奔走ともいえるその意思。

 王族であるが故に、幾重もの鎖で縛られているような我が身とは対照的過ぎる、異国情緒な紅白服に黒髪の少女。

 そんな事を一度でも思ってしまうと、自分がどんなに惨めな存在なのだろうと…ますます思考が否定的になっていく。

(仕方ないのよアンリエッタ…ワタシの力では、今の状況を打破する事なんてできないのだから…)

 いっその事消えてしまいたい…。視線を絨毯へと向けてそう思った時、再び霊夢の声が耳に入ってきた。

 

「…一応言っとくけど、ルイズは家族だけじゃなくて、アンタの為にもタルブへ行く事を決めたのよ」

 その言葉を聞いた瞬間、アンリエッタはえっ?と言いたげな表情を浮かべて顔を上げた。

 喋った張本人である霊夢はあと一歩で会議室のドアに手を掛けれるというところで足を止め、ジッとアンリエッタを見据えている。

 突然自分の名前が出てきたルイズはアンリエッタに言っていなかった事を暴露され、「ちょ…レイム!」と声を上げてしまう。

 一方の魔理沙も巫女の口からそんな言葉が出ると思っていなかったのか、キョトンとした表情で彼女を見つめていた。

 大臣たちも霊夢の言葉にどういう事かとどよめき、何人かがルイズの方へと視線を向けた。

 この国を支える重鎮たちの視線を受ける羽目になった侯爵家の末女は少し怯みつつも、恨めしそうな視線を霊夢に向ける。

 

「アンタねぇ…、その事は部屋を出る前に私の口から言うつもりだったんだけど?」

「ここで喋るのと部屋を出る前に喋るのとじゃあ、そんなに差は無いじゃないの」

 まるで綿密に計画していたドッキリをばらされたかのようなルイズの言葉に対し、霊夢はあっさりと言い返す。

 その態度を見てこれ以上突っかかるのは時間の無駄と判断したルイズは、ため息をつきつつアンリエッタの方へと顔を向けた。

 アンリエッタは先ほど霊夢の口から出た事実に対し、信じられないと言いたげな表情を浮かべて唯一無二の親友と向き合う。

「ルイズ…?貴女、本気なの?こんな私の事を思って…アルビオンと戦いに行くというの?」

「姫さま…御自身の事をそう簡単に卑下しないでください」

 ネガティブな雰囲気が滲み出るアンリエッタに、ルイズは先程霊夢に向けたものとは違う柔らかい声で言った。

 彼女はそっと、壊れ物を扱うかのようにアンリエッタの右手を自分の両手で包み込み、胸の前まで持ち上げていく。

 悲しいくらい平坦すぎるそこまで持ち上げた所で、ルイズは話しだした。

 

 

 

「姫さまのお気持ちは、痛いくらいに理解しているつもりです。そして…それが大きく揺れ動いていることも。

 二週間前はそれで心を悩ませていた姫さまのお力になれない事を、私はとても悔やんでいました。

 けれども、此度のタルブの件…いよいよゲルマニアへ嫁ごうとしているこの時になって、ようやくチャンスが巡ってきました」

 

 そこまで聞いたところでアンリエッタは「けれど…!」と叫んで首を横に振った。 

 しかしルイズはほっこりと、けれど何処か緊張感が漂う柔らかい笑みを浮かべて話を続ける。

 

「私にとっての幸せの内一つは、これからも姫さまが花も恥じらう程の笑顔を、多くの人々に見せて下さる事です。

 その笑顔を失くしたままゲルマニアへと嫁いだとあっては、あの国の皇帝はへそを曲げてしまう事でしょう。

 だから私は行くんです。ちい姉様を助ける為に…そして、姫さまに代わってアルビオンへ怒りの鉄槌を下すために」

 

 そこで話は終わりなのか、両手で包んでいたアンリエッタの右手をそっと放す。

 右手を包んでくれていた暖かさが離れていく空しさを感じたアンリエッタはしかし、もうルイズを止める事などできなかった。

 自分で種を蒔き、芽吹かせ…そしてこの国の者たちに害をなそうとしているレコン・キスタという名の毒花。

 ラ・ロシェールとタルブ村に戦火の雨を降らせ、今なおそこにいる者たちを苦しめている貴族至上主義者達の集まり。

 本来ならば自分の手で刈り取るべきであろうソレを、ルイズはタルブ村にいる姉を助けに行くと同時に始末してくれるというのだ。

 だが…いくら名門ヴァリエール家の者と言えども未だ魔法学院に通う子供。常識の範囲で考えれば逆立ちをしても不可能なのは明白である。

 

 しかし…今はそんな無謀とも言える彼女に、手助けしてくれる少女がいる。

 アルビオンへと一人で赴き、そしてルイズを連れて帰ってきた霊夢という名の少女が。

 

「だから…その、ちょっと遅れるかもしれませんが姫さまの結婚式には間に合わせますので…先に行って待っていて下さい」

 ルイズは最後にそう言ってまた一礼すると踵を返し、今度こそ出ようと言わんばかりに早足でドアの方へと歩いていく。

 その背中からは、先程まで大臣たちの言い争いを聞いて青ざめていた彼女とは思えない程の覚悟と緊張感が漂っていた。

 アンリエッタと大臣たちはそんな背中を見せるルイズに何も言えぬまま、じっと佇んでいる。

 そして扉の前で足を止めたルイズは最後にもう一度体をアンリエッタ達に向けると一礼した後、静かに退室した。

 ドアボーイならぬドアガールとなっていた魔理沙もそれに続いて出ようとすると、霊夢に「ちょっと待ちなさいよ」と声を掛けられる。

「せめて私が出るまでドアを開けとくって義理は見せないのかしら?」

「悪いが、お前さんが来るまでドアを開けとくほどの義理は無いんでね。…それじゃ、ルイズと一緒に部屋で待ってるぜ」

 そう言いながら、体に続いて部屋を出ようとした左腕を振りながら、魔理沙も会議室を後にしていった。

 ドアの前にいながら、一人会議室に残された霊夢はため息をついた。

 一方でアンリエッタは首を傾げる。先程タルブへ行くと言った彼女はなぜこの会議室に残ったのだろうかと。

 されに先ほどの魔理沙の言葉。彼女にとって何かやり残したことがあるのだろうか?

「あの…?貴女もタルブ村へ行くはず…なんでしたよね?」

「勿論そのつもりよ。だけど…ちょっとアンタに向けて一言伝えておこうと思ってね。でも、それをルイズの前で言うと…」

 アイツが無駄に怒るかもしれないからね?最後にそう付け加えながら、霊夢はアンリエッタに向けてこう言った。

 

「アンタは誰が決めようともアンタよ。…だから何処へ行こうが、最後はアンタの好きに決めなさい」

「…え?」

「ルイズはそうした。だから私達と行くって決意したのよ」

 その言葉にアンリエッタが首を傾げる前に、霊夢はスッとドアを開けて出て行った。

 赤いリボンがドアの隙間から見えなくなった時、会議室には久方ぶりと錯覚してしまう程の静寂が満ちていた。

 アンリエッタ達はその会議室の中で、ポツンと佇んでいる。まるで最初からこの部屋に置かれた石像の様に。

 

 

 

 

「と、まぁ…そんな感じで私たちはわざわざタルブへ行く羽目になっちゃったワケよ」

 霊夢は学院から運ばれてきた自分のカバンから針束の入った包みを取り出しつつ、デルフにこれまでの経緯を話し終えた。

 時間にすればそれ程長くは無かったが、その間誰にも相手にされず暇を持て余していた剣はブルブルと刀身を震わせる。

 何がおかしいのか分からないが、刀身を震わせている事は笑っているのだろうか?

 ひとしきり震え終えたデルフに霊夢がそう思っていた時、デルフが楽しそうな声色で喋り出した。

 

『へ~、成程なぁ~。…お前さんたちも随分思い切ったもんだねぇ~?』

「まぁ…なっ!お前さんも会議室に連れて行けば良かったと…思ったが、まぁいてもいなくても変わりなかったなッ…と!」

 デルフと他愛もないやり取りをしながら、魔理沙は旅行用の大きな鞄から小さな肩掛けリュックを取り出そうとしている。

 幻想郷からハルケギニアへ行く際に持ってきた鞄の中には、彼女の私物がこれでもかと詰め込まれていた。

 そして今は、一体何をどうしたらここまで詰めこめたのかと思う程物で溢れた鞄の中から、必要としているモノを何とか引っ張り出そうとしている。

 

「あんた…まさかその鞄の中まで物で溢れさせるとか…」

「ん?何だルイズ。もしかしてお前も私の様な鞄にモノ詰め込めるのが上手になりたいのか?」

「イヤ…でもアンタを反面教師にして、物の片づけは積極的にやるようにするわ」

 それを見ていたルイズは少し引きながらも、軽い勘違いをした魔法使いの言葉に丁重な拒否の意を示す。

 あっさり拒否されてしまった事に対して、そんなにショックではなかったのか、魔理沙は軽く肩を竦めた。

 けれどまだ喋り足りないのだろうか、今度は既に準備万端と言いたげな霊夢に向かって饒舌な口を開いた。

「しかしあれだな?何か会議室の貴族たちも言ってたけどアルビオンとかいう国の軍隊も向こうにいるんだっけか?」

「まぁ、そうらしいわね。…数は忘れたけど、こっちの国の軍隊よりもずっと多かったような気がするわ」

「アルビオン側は艦隊を含めると四千近い戦力で、ラ・ロシェールに展開していたトリステイン軍は王軍、国軍含めて二千よ」

 霊夢が曖昧に言うと、すかさずルイズが荷造りの手を止めないままそう呟いた。

 ルイズの言葉に二人はスッと彼女の方を一瞥してからまた視線を戻すと、魔理沙が意味深な笑みを浮かべた。

 

「四千の敵に対して二千で迎え撃つ気だったのか?随分と勝ち気じゃあないか」

「元々は国軍の砲兵隊がラ・ロシェールの郊外にある森から艦隊を砲撃して、降下される前に地上戦力を減らす予定だったらしいのよ」

「なるほど、敵が地に足着く前にその足の骨を折ってしまうつもりだったのね」

 何か妙に痛そうな例えねえ…?物騒な例え方をした霊夢にそう思いながら、ルイズは自分のリュックの中を覗きこむ。

 魔理沙と同じような肩掛けリュックの中には、今の自分が考えうる持っていくべきものを詰め込んでいた。

 携行食糧に水の入った革袋に、傷薬と替えの着替え一式。それに自分が誰か分かるように学生証もリュックの奥に入れている。

 そして、その中でも最も貴重な゛モノ゛を二つ――アンリエッタからもらった大切な゛モノ゛を入れていた。

 本当なら何かがあった時の事を考えてここに置いていくべきなのだろうが、お守りの意味を込めて持っていく事にした。

 

「よし、これで全部ね」

 最後に地図と方位磁針を入れると一人呟き、リュックを閉めてから四つ付いたボタンでしっかりと蓋をした。

 持っていきたいものを全て詰め込むことのできた鞄は、詰め込んだ彼女らしくスッキリと纏まっている。

 試しにそれを実際に肩に担いで軽く体を揺らしてみるも、多少重たいものの移動に支障が無いかキチン確認もしていた。

『娘っ子は中々律儀だねぇ、お前さんたちも見習ったらどうだい?』

「別に、こんなの誰だってするんじゃないの?」

 デルフの言葉にそう返しつつも、テーブルに置いていた杖を手に取るとそれをジッと凝視した。

 物心ついた時から、今日に至るまで自分と共に居続けてくれた一振りの小さな相棒。

 以前は霊夢に傷つけられたこともあったが、一度修理をしてからは彼女を召喚する前よりもずっと綺麗に見える。

 

(これから向かう先で酷使するかもしれないけれど、壊したり手放したりしないからね…)

 心の中でそう呟いて、杖を腰に差そうとしたときに―――――それは起きた。

「え…?て、手が…」

 杖を持っていた右手。これまで幾千万もの物を掴んできた手がワケもなく突然に震え出したのである。

 まるで右手だけ地震に遭遇したかのようにブルブルと震え、それにつられて杖が左右に大きく揺れ動く。

 ルイズは焦った。まさか今になって体が怯えているのか?自分の意思とは裏腹に。

 あんな事を姫さまや霊夢達の前で言ったというのに、今更怯えてどうするというのだ?

(じょ、冗談じゃないわよ…こんな時に!)

 無意識に震える自分の体にいら立ちを覚えつつも、その震えを抑えようとした時…突如視界に入ってきた何者かの手が彼女の右腕を掴んだ。 

 思わず視線を腕が伸びてきた方へ向けると、入ってきたのはまるで晴天の雪原の様に白い袖。ルイズの震える右腕を掴んだのは霊夢の左手であった。

 その事に気付いたルイズが彼女の名を呼ぶ前に、いつもの面倒くさそうな表情を浮かべた霊夢が口を開く。

 

「そう無理に自分の感情を抑えてたら、後々響くことになるかもよ?」

「……ッ!わ、分かってるわよそれくらい!」

 心よりも体が正直だと言いたげな霊夢の助言めいた言葉に、ルイズは霊夢の手を振り払いながら言う。

 そして軽く咳払いしつつ右手に握ったままだった杖を腰に差すと、改めて震えていた右手をマジマジと見つめる。

 先程と比べて大分震えは治まったが、それでも微かに体感できている程度に震えていた。

 ルイズはいら立ちを隠しきれない様な表情でため息をついていると、腰を手を当てた霊夢が話しかけてきた。

「その顔、武者震いだって言いたげな顔してるわね」

「えぇ…?ん、まぁそりゃ…そう言いたいのは山々なのよ」

 霊夢の言葉にルイズはそう答えると、より一層大きく息を履いて天井を仰ぎ見る。

 部屋の灯りを点けてない事と、外が濃霧という事もあってか薄暗いソコはどんより暗い雰囲気を放っている。

 その天井がまるで、今の自分の心境にそっくりだと彼女は一人思いつつも、ポツリと呟く。

 

「…正直、これが本当に正しい選択なのかどうか今も迷っちゃってるのよ。

 もっと他に良い方法があったかもしれない。どうしてこの選択を取ったんだろうって…」

 

 そんなルイズの呟きに対して、巫女ではなく荷造りを終えたばかりの魔法使いが言葉を返した。

「成程、まぁ確かにそういう事ってあるよな?右の皿のクッキーを食べた後に、左の皿のシュークリームにしとけば良かったていう様な後悔する気持ちは」

「アンタの場合、その後に左の皿のシュークリームを強奪するっていう話が付いてくるでしょうに」

 霊夢の辛辣な突っ込みに「ひでぇぜ」と肩を竦めつつも、魔理沙はルイズの方へ顔を向けるとその口を開いた。 

 

「まぁ私の話はともかくとして…。

 どっちにしろどれが正しかったなんていう事は、結局のところ自分自身が決めるしかないのさ。

 霊夢は化け物退治を兼ねた人助けで、私も一応右に倣え。で、ルイズは自分の家族を助けに行きたいんだろ?」

 

 それとアルビオンとかいうのを倒しに。最後にそう付け加えてから、魔理沙はルイズの返事を待った。

 魔法使いの言葉にルイズは「えぇ、そうよ」と頷くと、魔法使いもまた嬉しそうな表情を浮かべてウンウンと頷く。

 

「それなら自分の信じた選択を最後まで信じて突き進んでみな、

 例え誰かに咎められたとしても一生懸命進み続けて、悔いのない結果を残せたらそれに越した事はないさ」

 

 励ましとも取れる魔理沙の言葉に、しかしそれで良いのかどうか悩むルイズはひとまず頷くことにした。

 ルイズの困惑気味な表情にそれもまぁ良いかと言いたげな表情を浮かべると、彼女は物をパンパンに入れたリュックを肩に担ごうとする。

 しかし予想以上に重たかったのか、紐が肩に食い込むと同時に素っ頓狂な声を上げて数歩よろめいて見せた。

 それを見てデルフが刀身を震わせながら笑い、霊夢が呆れた様な表情を浮かべてため息をつく。

 ルイズもまた目の前でよろめく魔理沙を見て、クスリと微笑んだ。

「何よ、それで私を笑わせようとしたの?」

「いやッ…あの…これはマジで、重すぎたっ、…ぜ!」

 呆れた様なルイズの言葉に、ようやくよめろくのを止めた魔理沙が苦々しい表情でそう言った。

 

 外側に開かれた窓から湿っ気を帯びた濃霧が、部屋の中へ垂れこんでくる。

 もう夏だというのに薄ら寒ささえ覚えるそれに動じる事無く、窓を開けた張本人であるルイズは空を見上げていた。

 霧の所為で太陽すら判別できず、辛うじて朧げに見えるソレはまるで出来たてほかほかの蒸しパンの様である。

 今からこの霧の中を通って、今いるトリスタニアからかなり離れているタルブ村まで飛んでいくのだ。

 凛とした表情を浮かべて後ろを振り返った彼女の目には、これから自分を連れて行ってくれる使い魔と居候の姿が映る。

 居候である魔理沙は箒を片手に、そして肩にリュックを掛けてこれからの事に興奮しているのか楽しそうな笑みを浮かべている。

 その笑顔にルイズは一つの疑問を感じていた。これから危険な場所へと行くというのにどうして笑っていられるのか?

「アンタ、さっきから何でそう嬉しそうな顔してるのよ?」

「な~に、これから久しぶりに本気を出して戦えそうだしな。まぁ、武者震いならぬ武者笑いというヤツさ」 

「わかったわ。聞いた私がバカだったわね」

 真っ直ぐな笑顔のままそんな答えを言われたルイズは首を横に振って礼を述べると、今度は使い魔の方へ視線をやる。

 黒白である魔理沙とは対照的な紅白である使い魔の霊夢は、ルイズたちと比べて持っていく物は少なそうに見えた。

 左手に学院の物置から勝手に頂いたという御幣に、背中にはインテリジェンスソードのデルフを担いでいる。

『しっかし、おまえさんは随分手ぶらだねぇ~?もうちょっと何か持っていきゃあいいのによ?』

「お生憎様、私の持っていくものは服の中に納まるサイズなのよ」

 デルフの言葉にぶっきらぼうな表情で返した霊夢の言葉通り、彼女の紅白服の中にはこれでもかと武器が詰まっている。

 両方の袖には針とお札を仕込んでおり、懐にはそれ等の予備とスペルカード一式を入れている全身武器状態の有様。

 しかしそんな状態だというのにいつもの彼女らしさが残るせいで、そうには見えないのが中々不思議なものであった。

 

 そんな二人同様、もっていくべき物を肩に掛けたリュックに詰めているルイズは二人を見ながら頷いた。

「さてと…それじゃあさっきも言ったけど、タルブへ行ってからするべき三つの事を確認しておきましょう」

 彼女の言葉に二人はルイズの方を見やり、まず最初に魔理沙が口を開いた。

「一つ目は出来る限り速く、無理せずにタルブとかいう村へ到着したらどういう状況なのか知るんだったよな?」

「そう。多分村にはまだトリステインの王軍、国軍がいる思うから彼らの誰かから情報を聞き出せばいいわ」

 先程教えた通り真剣に答えてくれた魔理沙に対して、ルイズもまた真剣な表情を浮かべて言う。

 次に霊夢が御幣の先端を弄りつつも、ルイズの言葉に続くようにして喋り出す。

「で、村人が避難している場所があったらそこへ行ってアンタのお姉さんがいるかどうかの確認…よね?」

「…えぇ、そうよ。…きっとあの人なら、村の人たちを助ける為に一人だけでも留まっている筈だわ」

 霊夢の言葉にルイズはやさしい二番目の姉の顔を思い出しつつ、コクリと頷いた。

 先程決めた目標の内二つを言い終えた霊夢と魔理沙は、ルイズの方へと顔を向ける。

 最後は私か…。何か言いたそうな目を向ける二人でそう察した彼女は、コホンと咳払いしてから喋り始める。

 

「三つ目は、二つの目標を達成し終えた後…トリステイン軍を襲う怪物の正体を確かめる事。

 そしてもしも、その怪物にアルビオン軍が深く関わっていて、最初から戦力として使うつもりだったのなら――――」

 

 そこで一旦言葉を止めたルイズを合図にして、霊夢が口元に笑みを浮かべた。

 幻想郷で異変解決と妖怪退治を職業の一つとし、何の因果かこの異世界で異変解決をする羽目になった博麗の巫女の笑み。

 まだ年齢が二十歳にも達していないであろう彼女の浮かべる笑みは、並の妖怪すら震え上がらせるほどの凶暴さに満ちていた。

 

「怪物を使って何の罪もない人々まで殺そうとするアルビオンの連中を、完膚なきまでに退治してやりましょう」

 ルイズの後を継ぐようにしてそう言った霊夢の声に、背中のデルフは刀身を激しく震わせる。

 それはまるで、これから始まるであろう大舞台での活躍に胸を震わせている役者の如き、歓喜からくる震えであった。



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第七十八話

 今年初となる程の濃霧に包まれたトリスタニアは、街からずっと離れた場所から見ると霧の中に佇む遺跡群の様にも見える。

 トリステイン王国の美術と技術が込められた街並みやその中心に位置する王宮も、霧の中ではその華やかさは上手く視認できないのだ。

 『遠見』の魔法を自分の目に掛けたうえで望遠鏡を覗いて、ようやくブルドンネ街の建物が不鮮明に見える程だ。

 王宮はトリスタニアにある建造物の中では一際大きいのだが、この濃霧の中では昼時であっても不気味な雰囲気を放っている。

 無理もない。何せ、王都から徒歩で半日も掛かる山の頂上付近に造られた貴族御用達の別荘地から覗いているのだ。

 見えるだけでも御の字であろう。

 

 そして望遠鏡両手にタバサは思った。

 自分はこんな人里離れた別荘地で、何をしているのかと。

 

 隣で寝そべっている使い魔のシルフィードを余所に、望遠鏡でトリスタニアの王宮を覗き続ける自分に疑問を抱いていた。

 本当ならばやむを得ぬ事情で前倒しとなった夏季休暇を機に、実家へ帰るつもりが唯一の友の手に引っ張られてこんな辺鄙な場所に来ている。

 もう少し経てば夏季休暇を手に入れた王宮の貴族たちでごった返すここも、今はまだ閑散としていて人の気配は無い。

 経費削減でシーズンにならなければ警備員は入ってこないと彼女は言っていたが、その情報はどこで仕入れたのだろうか?

 

 いつもの無表情でじっと望遠鏡を覗きながらも頭の中で疑問をグルグルと巡らせていると、後ろから声を掛けられた。

「タバサぁ~!ギーシュがお昼ごはんを作ってくれたわよ~」

 二つ名である『微熱』に相応しい、活気と色気に満ちた自分とは対照的な唯一の友の声。

 そして彼女が口にした単語の一つに、横になっていたシルフィードが頭をもたげると同時にタバサは後ろを振り向く。

 案の定視界に移ったのは、友人のキュルケが一目で分かる程大きな胸を揺らしてこちら来ようとしている所であった。

 褐色肌の顔に笑顔を浮かべる彼女の両手には、先ほど言っていだお昼ご飯゙であろう塩焼きにされた魚を刺した串が握られている。

「タニアマスの塩焼きだそうよ。ここら辺の川なら、素人でも簡単に釣れるんですって」

 そう言って右手の二本―――程よい焼き加減のソレを差し出されたタバサは望遠鏡を足元に置いてから、遠慮することなく左の手で受け取る。

 友人に受け取ったのを確認したキュルケは彼女の横にあるおおきな石に腰かけると、左手に持っていた一本にかぶりついた。

 思いの外勢いのある友人に倣って、タバサも一本目の串を空いた右手で持つと豪快にかぶりつく。

 やや淡泊味が強いものの塩との相性は良く、中々どうしてと思ってしまう程度には美味い。

 その塩味が彼女の食欲を刺激したのか、目の色を僅かに変えたタバサはあっという間に一本目を平らげてしまう。

 

 さて二本目を頂こうという所で、タバサは自分の横で待ち続けているシルフィードに気が付いた。

 理性的な瞳がタバサが口にしようとしたタニアマスの塩焼きに向けられており、何かを言いたそうに口をモゴモゴさせている。

 暫し二本目の焼かれた魚を凝視したタバサは、仕方ないと言わんばかりに小さなため息をつくと使い魔の口元に焼き魚を近づけた。

 

「ん~、美味しい!…それにしてもあのギーシュが釣りどころか、ワタ抜きや串打ちまでできるなんて初耳だったわねぇ~。

 何でも領地が昔っから貧乏だとかで、兄弟そろって外で狩猟やら釣りとかしまくってたらしくてそれで鍛えられたのかしら?」

 

 自分のをゆっくりと味わいつつ、口だけで器用に串から魚を引き抜くシルフィードを見ながらキュルケがぺちゃくちゃと喋っている。

 タバサもそれに同意するかのように頷くともう一度後ろを振り返り、少し離れた所で焚火を囲っている二人の男女を見た。

 

 

 

「やっぱりタニアマスってのは、串に打って塩焼きにするのが一番良い食べ方だと僕は思うんだよ」

 地面に差した串が倒れない様に見張っている金髪の少年―――ギーシュが、程よく焼けた一本を手に取った。

 焚火のすぐ近くには同じように串打ちされたタニアマスが焼かれており、川魚特有の匂いを漂わせている。

「そおかしら?やっぱりこういう川魚は…ケホッ!すり身とかパイ包みで食べた方が美味しいと、思うけど…コホッ!」

 そんな彼、もとい彼氏の言葉に怪訝な表情を浮かべた金髪ロールの少女――モンモランシーが、鼻を押さえながら言う。 

 川魚が焼かれる匂いか、はたまた煙たいのか口元を押さえつつも可愛らしい咳き込みをしている。

 

 そう…今この場には、二週間前に偶然ルイズの部屋で鉢合わせした四人、

 ――キュルケ、タバサ、モンモランシー、そしてギーシュの四人は今この別荘地で寂しい夏季休暇を過ごしていた。

 今現在も王宮で匿われている、ルイズとその使い魔たちの動向を探る為に。

 その為に今はまだ人っ子一人いない別荘地に忍び込み、こんなキャンプまがいの事をしているのであった。

 本当なら街の中で張り込みをするべきなのだが、それではもしもの際にシルフィードを呼び出す事が困難になってしまう。

 トリスタニアの上空は他の大型都市に倣ってしっかりとした警備体制が布かれており、幼体といえどもまず風竜は町の中に入ることは出来ない。

 だからこんな山の頂上付近にある別荘地、それもシーズンオフで誰もいない所へ潜入して張り込んでいるのだ。

 

 当初、キュルケに無理やり連れて来られたモンモンランシーは、「どうしてこんな所にいなきゃならないのよ!」と散々喚いていた。

 しかし今では、近くにある川で綺麗な貝殻を探したり彼氏と一緒に釣りを楽しんだりでしっかりアウトドアを満喫している。

 理由としては彼氏のギーシュがキュルケの意見に賛同している事と、その彼がちゃんとしたテントを街で借りてきたからだ。

 ガリア陸軍でも採用しているという触れ込みのガリア製テントは、確かにどんなところに設置しても快適に過ごせる優れものだった。

 レンタルといえどもその分値が張るのにも関わらず、自分の不満を取り除こうとしてくれるギーシュを無下にはできなかったのである。

 それに彼女自身もルイズと霊夢、それにあの魔理沙の事は多少なりとも気にはなっていた。

 

「それにしても…この霧で本当に姫殿下の一団は出れるのかしらねえ…ムグッ…」

 ギーシュから焼き上がったばかりの魚の串を受け取ったモンモランシーはそんな事を彼に聞きながら、一口頬張る。

 キュルケとは違いおしとやかに魚の塩焼きにかぶりつく彼女を見つめながら、ギーシュはどうだろうね?と言いたげな首を横に振った。

「流石に式を三日後に控えたとあっては、無理にでも出発させなきゃならないけど…多分、今夜あたりには動くんじゃないかな?」

「ム…ッンッ!…まあ、その頃にはこの鬱陶しい濃霧も晴れてるでしょうしね」

 一口目を丁寧に咀嚼し、飲み込んだモンモランシーはギーシュの意見にそう返すと、今度はキュルケの方へと視線を移した。

 この張り込み計画を立案し、二週間経過しても尚その意思を保ったままである留学生は、タバサと仲良く肩を並べている。

 その背中にモンモランシーが声を掛けようとした直前、それを察知したかのようにキュルケが一人先に口を開いた。

「心配しなくても、もしもあの三人までゲルマニアへ行く事になるのならその費用は私が持つわよ」

「ッ…!べ、別に私はそんな事聞いてないんですけどッ!?」

「声色で図星だってのがバレバレですわよ?」

 咄嗟に叫んでしまったモンモランシーにそう返しながら二本目も平らげたキュルケが、頭と背骨だけが串に残ったソレをポイッと放り投げた。

 あっという間に霧の中消えていった串は数秒置いて岩か何か硬いモノに当たったような音を、四人だけしかいない別荘地に響かせる。

 

「―――……見えた」

 その音が響くのとほぼ同時であった、再度望遠鏡を覗き始めたタバサがポツリと呟いたのは。

 タニアマスを一匹丸ごと呑み込んでご満悦のシルフィードがその声に首を傾げ、その次に反応したのはキュルケだった。

 彼女は友人の呟いた言葉が何を意味しているのかそれを一番よく理解している。

「ちょっと貸して!」

 咄嗟に目の色が変わった彼女はタバサの手から望遠鏡を掻っ攫うように取ると、素早く覗き込んだ。

 タバサの声に気付いてか、焚火を囲っていたギーシュとモンモランシーも腰を上げて、早足でキュルケ達の方へ近づいてくる。

 望遠鏡を覗くキュルケの視線の先にあるのは、トリステインの中心部である王宮。その上空であったが霧が深くてタバサの見えたであろう゛モノ゛が見えない。

 それを察してか、遠見の魔法を両手の空いたタバサがキュルケの目に掛けて、彼女の目の倍率を上げた。

 

 望遠鏡のレンズ越して、目に映ってきたのは霧の中王宮から飛び立っていく三つの人影。

 その内の一つ、黒と白の人影に寄り添うようにしてしがみ付いているピンク色のブロンドを目にしたキュルケが、口元をニヤッと歪ませる。

 

「……とうとう姿を現したわね。―――――ルイズ」 

 望遠鏡を下ろしたキュルケがそう呟いた直後、タバサは甲高い口笛を短く吹く。

 それは使い魔であるシルフィードへの、出発を知らせる合図であった。

 

 

 

 ドアの向こうからは何も聞こえてこない。生きている者たちの気配や、゛奴ら゛の不気味な吐息さえも。

 シエスタはそれ程分厚いとは言えないドアに近づけていた耳をそっと離してから、ゆっくりと後ろに下がり始めた。

 学院で履いているローファーとは違い木の靴なので、ゆっくりと地面を擦るようにしてドアから距離を取ろうとする。

 もしもここで足音を出してしまえば、足音を聞きつけた゛奴ら゛――ー名前も知らない怪物たちを招き入れさせてしまうかもしれない。

 ましてや今ここにいる大勢の人たちすらその最悪の事態に巻き込んでしまうと考えれば、自然と摺り足で下がってしまう。

 そうして器用な摺り足でドアから充分に離れた彼女はクルリと踵を返し、ゆっくりとした足取りで幼い弟妹達の元へと戻っていく。

「お姉ちゃん…」

「大丈夫、大丈夫よ。きっとお父さんとお母さんは安全な所にいるから…ね?」

 まだ思考も体も未発達な子供たちは、今自分たちが置かれている状況に心底疲れ切っている。

 無理もない。何せ今日という一日はシエスタを含め、タルブ村に住む多くの人々が危険な目にあったのだ。

 

 

 

 思い返せば今日の未明、突如ラ・ロシェールの方から聞こえてきた激しい大砲の音でシエスタは目を覚ました。

 二週間前。急遽前倒しとなった夏季休暇で故郷のタルブ村に戻って来ていた彼女にとって、その音は目覚ましとしてはかなり過激であった。 

 慌ててベッドから飛び起き、ほぼ同時に起きた家族全員で家の外に出て何が起こったのか確認しようとした。

 そして、ドアを開けた先に見えたのは…濃霧の中、炎を上げて山の方へと墜落していく一隻の軍艦だったのである。

 目視ではどの勢力かは分からなかったものの、望遠鏡で覗いていた村人が「ありゃアルビオンの軍艦だ!水兵が沢山飛び降りてる!」と叫んでくれた。

 どうしてこんな所にアルビオンの軍艦が…?多くの村人がそう思ったが、ふと数日前に聞いた゛親善訪問゛の事を何人かが思い出した。

 ラ・ロシェールの上空において大使を乗せた神聖アルビオン共和国の艦隊が、アンリエッタ王女の結婚式へ参加するためにやってくると。

 そして出迎えに来たトリステイン艦隊と共にゲルマニアへ行く予定だったのだが…、では何故アルビオンの軍艦が炎上しながら墜落したのか?

 皆が飛び起きた砲撃音に、炎上墜落するアルビオンの軍艦。シエスタたちは口にしなかったものの、きっとその場にいた者たちの答えは同じだったに違いない。

 皆が呆然とした表情を浮かべている中、村の入り口付近に住んでいる若者が大声で何かを叫んでいるのが聞こえてきた。

 

「おい大変だ!ラ・ロシェールの方から人が何十人も…!!」

 彼の言葉にシエスタたちがそちらの方へ視線を移すと、村の中へ入ってくる町の人々の姿が見えた。

 ラ・ロシェールの人々は皆が慌てた様子で村の入り口であるアーチをくぐり、近くにいた村人達に何かを言っている。

 こいつは只事じゃないぞ…。シエスタの父親は一人呟き、町から逃げて来たであろう人々の元へと走り出した。

 シエスタは母親の指示で寝巻きから私服に着替えると、タルブ村の領主であるアストン伯を呼びに彼の屋敷へと急いだ。

 自宅から徒歩で十五分程離れた所にあるこじんまりと屋敷の入り口では、既に何人かのアストン伯御付の貴族たちが集まっていた。

 

 

「あの、すいません!アストン伯は…」

「おぉシエスタか、アストン伯は今起きたばかりで急いで準備している。…で、村の方はどうなってるんだ」

 そこで足を止めた彼女は、彼らの中で最も最年長である者に声を掛けた。

 声を掛けられた方もシエスタの事は知っていので、すぐに彼女の前へ出てきてそう答えた。

 どうやら彼らも先程の砲撃音と山の方へ墜ちていった船の事は知っていたようで、タルブ村の事を聞いてきた。

 ラ・ロシェールから逃げてきた人々が村へ駆け込んできたという趣旨を伝えると、すぐにでもここへ連れて来るんだと彼がその場で判断した。

「アレだけ派手にアルビオンの船が墜落していったんだ。間違いなく戦が起きる、そうすればここタルブ村も巻き込まれてしまうぞ」

 彼の提案に、平民を領主様の屋敷に入れてもいいのか?と部下の貴族たちとシエスタは怪訝な表情を浮かべたが、それは当然とも言える。

 本来なら主であるアストン伯に許可の一つでも貰うべきなのだろうが、彼は自身満々の表情でこう述べてくれた。

「なーに、あのお方とはもうウン十年と付き合ってるが…きっとオレと同じ事を言うだろうさ」

 

 その後シエスタは別の貴族が手綱を握る馬に相乗りして村へと戻り、やってきた町の人々とタルブ村の皆に屋敷へ避難するよう伝えた。

 ラ・ロシェールからやってきた人たちがいち早く屋敷への道を通っていく中、シエスタは家族が待つ家へと戻った。

 貴重品他、例え家が無くなっても大丈夫な類のモノを街で買ってもらった高い旅行用鞄に急いで詰め込んでから、弟妹達を連れて屋敷へと急いだ。

「シエスタは子供たちを連れて先に行っててくれ、俺と母さんは家の戸締りをしてから屋敷へ向かう」

 戸棚の中から家の財産等を袋に詰めていく父の言葉に素直に従い、シエスタはなるたけ急いでアストン伯の屋敷へと走った。

 再び徒歩十五分の道をぐずる弟妹達を連れて歩き、屋敷へ戻るとあの最年長の御付貴族の言葉通り、避難場所として開放されていたのである。

「歩けぬ者は屋敷の中に入るんだ!大丈夫なものはこれから山道を通って、隣の町へ避難するように!」

「おい、お前!お前は歩けるだろ!?…安心しろ、俺たちも一緒に仲良く歩くからな?」

 お年寄りや子供、幼児を抱えている母親は屋敷の中へと通されていき、健康な者は山を越えた先にある隣町へ避難させるらしい。

 確かに領主様のお屋敷と言っても収容人数には限界があるし、何より中へ避難しても安全とは言い切れない。

 

 しかし、シエスタはともかくとして弟妹達にはそこまで歩ける程の体力はまだついていない。

 抱っこしようにも自分一人では複数人の子供を抱えて山を越えるというのはあまりにも無謀な行為だ。

 自分の一つ下の弟であるジュリアンがいてくれれば協力して歩けるが、今はトリスタニアの飲食店で奉公していて村にはいない。

 とにかく両親と合流しない事には山へは入れない。そう判断した彼女は下の子達を連れて、屋敷に一時的に避難できるかどうか頼んだのである。

 それを屋敷の入り口で見張っていた御付の貴族に相談したところ、すんなりと了承をもらったのであった。

「幸い屋敷の中はまだまだスペースがあるしな、とりあえずロビーにでもいてくれ。お前の両親が来たら声を掛けてやるから」

 数人いる御付貴族の中では最年少の彼にそう言われて、シエスタとその弟妹達は一時的ではあるが何とか屋敷に入る事が出来た。

 

 しかし、それから三十分…一時間と経っても両親は来なかった。

 心配する弟妹達を励まし、大丈夫…きっと来るからね?と囁くシエスタをよそに二人は来なかったのである。

 それどころか――――彼女たちは予想もしていなかった事態に巻き込まれ、地下に追い詰められてしまった。

 

 

 屋敷へと駆け込んでくるトリステイン軍の兵士たちに、彼らを追って村からやってきた名も知らぬおぞましい゛怪物゛たち。

 化け物を見て悲鳴を上げる人々と、何とか協力して足止めをしてくれた貴族たちに、地下へ避難しなさいというアストン伯の叫び。

 使用人たちの扇動の元、シエスタは泣きわめく弟妹達を連れて、両親たちはどうしたのかという心配を抱えて、彼女たちは隠れたのである。

 本来ならば食糧庫として使われている、アストン伯の屋敷の地下倉庫へと。

 

 

 弟妹達の元へと戻ったシエスタは、ふとここへ隠れてから大分時間が経ったんと一人思った。

 懐中時計何て高価な品は持っていないし、何よりこの地下倉庫は外の明りが入らないので体内時計さえ狂いそうになってしまう。

 とはいえ、一緒に避難してきた御付の貴族やトリステイン軍の貴族達が懐中時計を持っているので、お願いすれば今が何時か教えてくれる。

 つい数分前に聞いた時は午後四時だと教えてくれた。つまりここへ隠れてから、少なくとも十時間近く経とうとしている事になるだろう。

 仄かな灯りしかない薄暗い空間である地下倉庫には、シエスタたちを含めて計三十人近い人々が隠れている。

 その殆どが山越えのできないお年寄りや乳幼児、その子供たちの母親に屋敷で働く使用人たちであった。

 だがここにいるのは、化け物たちが現れる前に屋敷の中へ避難していた四十五人中の内三十人。

 後の十五人はどうなったのか?それを口にすることはおろか、今は考えたくもないとシエスタは思っていた。

 

「ママ…いつまでココにいれば良いの?僕、もうこんな暗いところにはいるのはイヤだよ…」

「大丈夫よ?すぐに、すぐに軍の兵隊さんたちが助けに来てくれるからね?」

「坊や、救助が来るまで暗い所に耐えれば…ワシの様な一人前の男になれるぞ」

 暗い場所が嫌なラ・ロシェール出身の男の子に母親が優しく諭し、一人の老人が励ましの言葉を贈っている。

 老人はシエスタと同じくタルブ村の出身だ。

 昔から猟師として山を駆け回っていたのだが、数年前に手元を狂わせた仲間の矢を膝に受けてしまい、今は平和に暮らしていた。

「お婆さん、水をお持ちしましたよ」

「あぁすまんねえ…。こんな平民の私に気を使ってくれるなんて…」

「いえ、この程度の事でしたならばいつでも声を掛けてくださいね?」

 別の一角ではアストン伯の屋敷で働いている使用人のメイドが、老婆に水の入ったコップを手渡している。

 ここは食糧庫である為保存食や一部の野菜、それに水などの蓄えは元から十分にあった。

 なのでここに長い間閉じ込められて食料が…という問題がすぐに発生する事は無かったものの、他の問題は山積みである。

 今その問題を、一緒に避難してきたアストン伯御付の貴族たちと、避難せざるを得なかったトリステイン軍の兵士たちが話し合っていた。

 トリステイン軍は王軍国軍共に数人のメイジと平民の兵士が、倉庫の片隅で地図を広げて御付の貴族たちと会議をしている。

 

「外はあの化け物どもがうろついている筈です。この人数で気づかれずに通るのは無理だし、強行突破などもってのほか…」

「分かっている。ここ状況下での上策は二つ。救助が来るまで立て籠もるか、人を派遣して助けを呼びに行くか…だ」

 国軍の貴族士官が王軍の貴族下士官の言葉を遮りつつ、これからどう動こうか考えていた。

 その彼らの意見に乗るかのように、御付貴族の内一人が小さく右手を上げて地図に書かれたアストン伯の屋敷周辺を左手の指で小突いた。

「しかしどうする。外の状況が分からん以上、迂闊に外へ出るのは自殺行為だぞ?」

「やはり誰かが偵察に行き、周囲が安全かどうか確認するしかないですね。…畜生、アイツらさえいなけりゃなぁ…」

 彼が提示した問題に、国軍所属の平民下士官が親指の爪を噛みながら悔しそうに地図を睨んでいる。

 無理もない。彼ら軍人は力なき人々を守る為に訓練し、武器を手に戦うのが仕事だ。

 それがあの正体不明の゛怪物゛達に一方的に襲われ、あっという間にラ・ロシェールとタルブ村を奪われてしまったのである。

 

「しかし、あの゛怪物゛どもはどこから来たのだ?突然森の中から襲ってきたが…」

 国軍の貴族士官の言葉に、王軍の貴族下士官が怒りを抑えるように膝を叩きながら言った。

「あれはアルビオンの連中が用意したに違いありません。でなければ、我々トリステイン人以外を襲わないのはおかしいですよ」

「親善訪問を装って奇襲を仕掛けてきたうえにあんな怪物まで用意するとは、何て卑怯な奴らだ!」

「今はもしもの事を語っても仕方ない。とりあえず我々ができる事は、最低二組か三組で外の偵察をするべきだろう…」

 あの゛化け物゛たちの件で脱線しかけた会議を、この中で最も階級が高いであろう王軍の貴族士官が直しつつ提案を出した。

 そんな会議を耳に、目にしながら避難している人々は僅かな期待を抱いている。

 本来なら表へ出て戦わずに半日も会議に費やしている軍人たちに、愚痴の一つでも飛ばすものである。

 しかし、つい一時間程前まで、ドア越しにあの゛怪物゛たちの呼吸音や足音が微かに聞こえてきたのだ。外へ出ても状況が改善するとは思えない。

 仮にメイジ達がドアの前で陣形を組んで魔法を連発しても、精神力が尽きれば魔法も撃てなくなる。

 それどころか、屋敷の外に大量にいるであろう゛怪物゛たちをおびき寄せる事になったら、中にいる人々まで仲良く死ぬ事になるだろう。

 だからこそ軍人達は待っていたのだ。諦めたであろう゛怪物゛達の音がドア越しに聞こえなくなるのを。

 そして…ここへ避難してから半日ほど経ってから、遂にそのチャンスが巡ってきたのである。

 

「――――…~ッ!ゴホッ、コホッ…!」

 シエスタが耳を使って貴族たちの会議をこっそり聞いていた時、すぐ傍から鼓膜に突き刺さる様な咳の音が入り込んできた。

 突然の事に思わず身を竦ませた彼女は何かと思い、周りにいた人たちと一緒に聞こえてきた方へ顔を向ける。

 咳が聞こえてきた先にいたのは、顔をうつむかせて口元を押さえるピンクブロンドが目立つ貴族の淑女であった。

 どうやら先程咳き込んだのは彼女らしく、両手で口を塞いで咳の音がドアの外に聞こえないよう配慮してくれている。

 シエスタたちとは少し離れた壁際で腰を下ろしている彼女の傍には、他に三つの人影が彼女と並ぶように倉庫の床に座っている。

 その三つの中で最も小さい少女が心配そうな表情を浮かべて女性の背中を小さな両手で摩り始めた。

 

 見慣れぬ子だと一瞬思ったシエスタは、今咳き込んでいる女性貴族が近隣の村から連れてきたワケありの子だと思い出す。

 何でも記憶を失っている状態で村の人たちに保護され、何を思ってか今はその女の人が保護を引き継いだのだという。

 シエスタは彼女たちがタルブへ付いてから暫くして帰省した為、詳しい事までは知らないでいる。

 しかし聞くところによると、この村へ辿り着く前に色々と厄介な出来事に巻き込まれてしまったのだとか。 

「カトレアおねえちゃん、大丈夫?」

「ケホッ…え、えぇ…。大丈夫よニナ、ありがとう」

 背中を摩ってくれたニナに、カトレアと呼ばれた女性は苦しそうな顔に無理やり笑みを浮かべて少女の方へと向き直る。

 頭が動くと同時に、綺麗でありながらどこか儚さも感じさせるピンクブロンドの髪も揺れる。

 シエスタは何故かその髪を見ていると、奉公している学院で良くも悪くも目立っているルイズの事を思い出してしまう。

 しかしカトレア自身がヴァリエールではなくフォンティーヌを名乗っている事もあってか、シエスタは彼女がルイズの姉だとは知らないでいた。

「本当にすまんのうミス・フォンティーヌ…。こうなると分かっていたならば、もっと倉庫を綺麗にしておけば良かったわい」

「そんな事を言わないで下さいアストン伯。私が堪えれば良いだけの話ですから、ね?」

 そんな二人を見ながらもう一人の影―――この屋敷の主である老貴族のアストン伯が申し訳なさそうに小声で謝る。

 五十代にタルブの領主として来るまで王都で働いていた彼は、名領主としてこれまで頑張ってきた。

 王都の政治家共がほとほとイヤになったという理由で領主になった老貴族は、この村で出世など眼中にないと言いたげな生活を送っている。

 彼の元で働く貴族たちもここでの暮らしに満足しており、結果的にそれがタルブ村を平和な村として発展させる事となった。

 

 そして、今回の騒動では真っ先に屋敷を避難場所として開放してくれた良心ある貴族だ。

 タルブへは旅行で来たのだというカトレアを屋敷に迎え入れた責任もあってか、今は叱られて部屋の隅で縮こまる犬の様にシュンとしている。

 領主だというのに、成す術も無く今の様な状況に陥ってしまったことに後悔の念を抱いていたのだ。

「ワシがもう少し若かったら、タルブ村へ侵入してきた怪物どもに一太刀浴びせてやれるというのに…」

 一人消え入りそうな蝋燭の如き声でそう言いいながら、腰に差したままの杖を一瞥して無念そうに首を横に振る。

 その姿を見てカトレアだけではなく、シエスタやタルブ村の人たちも元から沈んでいた表情を更に深く沈ませてしまう。

 ニナだけはそういった他人の感情をうまく読み取れないのか、首を傾げて周りの大人たちを見回している。

「…?どーしたんだろう、みんな…?」

「あまり気にすることは無いわよニナ。その内アンタも、イヤになるほどそういうのを理解できるようになるから」

 ポツリと呟いた少女の言葉に、それまで黙っていた三つ目の影が―――刃物の様な鋭さを見せる女性の声でそう言った。

 またもや聞き慣れぬ声を耳にしたシエスタがそちらの方へ顔を向けるも、三人目の姿はハッキリと見えない。

 偶然にも灯りの届かぬ所に腰を下ろしているせいか、倉庫の暗さと相まって曖昧なシルエットとなっていた。

 

 一方謎の女性に嗜められたニナはというと、口の中に種を入れ過ぎたリスの様に頬をプクーッと膨らませた。

 それに続いて顔の表情もキョトンとしたモノから、少し怒っているかのように目の端を小さく吊り上げてみせる。

 ニナはその顔に子供らしい怒りの表情が浮かび上がらせ、隣にいた三人目をジロッと睨み付けた。

「…?どうしたのよ、そんなハリセンボンみたいな顔して」

「もー、ハクレイは鈍感なんだからぁ。ニナはね、ひとりだけくーきを読めないハクレイに怒ってるんだよ?」

 覚えたてなのか、慣れない言葉を使いながらもニナはハクレイと呼ばれた三人目に声を抑えて怒る。

 怒られた方は何故かニナの言葉を上手く理解できてないのか、首を軽く傾げながら頬を膨らませた少女と見つめ合っていた。

 

 

 しかしこの時、シエスタは目を見開いて体を硬直させていた。

 ―――この村に帰ってきてからは決して聞くことの無かったであろう、とある少女の名前を聞いて。

(ハクレイ…?ハクレイって―――もしかして、あのハクレイ?)

 一体どういう事なのか、単なる空耳だったのか?いや、違う…確かにハクレイと聞こえた、それは間違いない。

 見知らぬ少女の口から唐突に出てきたその名前に、シエスタが今日何度目かになる動揺を感じていた時であった。

 

「こらこら…ニナ、そう突っかからないの」

 一方的となっている怒りを露わにしているニナを宥めるかのように、カトレアがその小さな体を抱っこした。

 突然持ち上げられた事にニナは目を丸くして驚いたが、すぐに彼女の方へ顔を向けて「えー…だって~」と愚痴を漏らしている。

 そんな少女にカトレアは軽い苦笑いを浮かべる。しかし直後、その顔がサッと陰りを見せて…

「ンッ―――――…ゴホッ、ゴホッ!」

「…おねえちゃん!」

「だ、大丈夫…ゴホッ!大丈夫…だから…ゲホッ!!」

 再び咳き込みだしたカトレアを見て目を丸くしたニナは、自主的に彼女から離れるとまた背中を擦り始めた。 

 しかし今度は先ほどの咳とは違い、ニナがその小さな両手を必死に動かしても一向に止まる気配が無い。

 カトレア自身も両手で口を押えて、出来る限り大声を出さないようにしている。

 悪化しているカトレアの容態にシエスタを含む周囲の者たちが心配し始めたとき、ハクレイと呼ばれた女性がその腰を上げた。

 座っていた時は分からなかったが、いざ立ってみると思いの外身長が高かったことにシエスタは軽く驚いてしまう。

「どうやら、そろそろ薬の時間らしいわね」

「…薬?」

 未だに灯りの外にいる所為かそのシルエットしか分からない女性の言葉に、シエスタはつい呟いてしまう。

 それを耳にしたのか、カトレアの傍にいたアストン伯が「説明する必要は無いと、思っておったが…」と言ってからシエスタに話し始める。

 

「実はミス・フォンティーヌは生まれつき体が弱くてのぉ…、定期的に飲む薬が幾つかあるんじゃよ。

 あの゛怪物゛たちから避難する際にその薬を持ち忘れてきてしまったものの、まだ大丈夫かと思っていたんじゃが…」

 

「まぁ、そうだったんですか…!」

 領主様からの話にシエスタは納得するかのように頷くと、まだ咳き込んでいるカトレアを見遣った。

 生まれつき病弱な人は確かにいるものの、彼女ほど極端な人間だと領地から出るだけでも大変に違いない。

 カトレアとは正反対に健康に育ったシエスタは、自分では測りきれぬ彼女の痛ましい姿に同情せざるを得なかった。

「ミス・フォンティーヌ、どうなされましたか?」

 そんな時だ。床に腰を下ろしている人々の間を、ゆっくりとかき分けて数人の貴族たちがやってきたのは。

 アストン伯の御付貴族や軍人ではなく、彼らはカトレアの警護として雇われている者たちであった。

 本来ならもう数十人いるものの、タルブ村へ着く前にいた村近辺に出現したコボルド対策のために不在だったのである。

 その為本来ならあり得ない少人数で警護していたのだが、地下倉庫へ避難する際にはそれが幸いした。

 

「あの、すいません…実はミス・フォンティーヌにはお薬が必要だと…」

「確かに、もうすぐ薬の時間でしたが…参ったな。あまりにも急だった為、ミス・フォンティーヌの部屋に置いたままなのだ」

 人のよさそうなカトレアの人選らしい、リーダーと思しき優しい顔つきの貴族がシエスタの言葉に顔を顰めた。

 その表情からは、本来守るべき主人の危機に何もできない自分を歯痒く思っているのが分かる。

 シエスタはそんな彼の顔を見てどうにかできないのかと思いつつ、ふとア頭の中で思いついた事を口に出す。

「あの、確か水系統の魔法で『癒し』というスペルがあると聞いた事があるのですが…」

「『癒し』か…。確かにそれが効けば問題ないのだが、残念ながらこのお方の病には効果が全くないのだよ…」

 彼の言葉にシエスタはどういう事かと聞いてみたところ、快く説明してくれた。

 

 カトレアは生まれつき体が弱いうえに、体の中に巣食う病魔は体内の至る所で複数発生しているのだという。

 過去にはシエスタの言う水魔法で治療を試みた事もあったが、一つの病魔をそれで消しても別の病魔が反応して新しい病魔を一つ作り出すのだ。

 それを消してもまた別のが反応して増え、ならば複数人でと挑んだところ…今度は全身の病魔が一斉に暴れ出して命に係わるという始末。

 結局多くの医者が匙を投げ、今はほんの気休め程度の魔法と大量の投薬治療で何とか体を維持しているのだという。

「特に今の様に咳き込んでいるときに魔法を使うと、逆効果になってしまうんだ」

「そんな…」

 説明を聞き終えたシエスタは両手を口で塞ぎ、見開いた目でまだ咳き込んでいるカトレアを見つめていた。

 単に病弱だったというだけではなく、不治としか言いようのない病に侵されていたとは流石に想像もできなかった。

 そんなシエスタを一瞥しつつ、彼女に説明していた貴族は何かを決心したかのような表情を浮かべて口を開く

 

「こうなっては仕方ない、私達の内何人かが倉庫から出て薬を取ってこなければミス・フォンティーヌの容態が危ない」

 彼の言葉に周りにいた貴族たちがウム!止むを得ん!と次々に頷いた直後、あの女性が小さく右手を上げた。

 未だ灯りの外で立っているハクレイが、まるで最初からこのタイミングを狙っていたかのように口を開いだのである。

「ならその役目、私が引き受けても良いかしら?」

「ハクレイ、それは駄目だ。我々メイジでさえ油断すればやられる相手だ、なまじ戦えるとしても…」

「カトレアは行く宛ての無い私を受け入れてくれたのよ。だったら、その恩に報いらないと気が―――ん?」

 自ら志願した彼女を諌めている貴族と話していたハクレイは、ふとスカートを誰かに引っ張られてしまう。

 何かと思って足元へと視線を向けると、右手で口を押えたカトレアが空いた左手で彼女のスカートを引っ張っていたのである。

 必死に咳を抑えているのか何も喋らない彼女はしかし、必死な表情をハクレイや護衛の貴族たちへ向けて首を横に振っている。

 お願い行かないで、危険すぎるわ!…そう言いたくて仕方がないカトレアにしかし、彼女はその場で屈み腰になった。

 一体どうするのかとシエスタが思った直後、ハクレイは自分のスカートを引っ張ったカトレアを優しく抱擁したのである。

 両腕を背中にゆっくりと回し、まるで壊れ物を抱きしめるかのようにそっと自分の方へと引き寄せる。

 突然の行為に周囲にいた者たちは目を見開いて驚いたが、ニナだけは何が何だか分からないのか首を傾げていた。

 

 一方で抱擁されたカトレアも彼らと同様に驚くと同時に、その耳にハクレイの声を間近で聞いていた。

 

「確かにアンタの言いたい事も分かるわ。自分の危険の為に、他人を更なる危機に晒すなんてね…。

 だけど私は…得体の知れない私を受け入れてくれたアンタの為なら、自分の命なんて惜しくないって思えるのよ」

 

 ハクレイの言葉にしかし、カトレアは何かを言いたかったのだろうがされよりも先に激しい咳が押さえた口から漏れてしまう。

 そんな彼女に自分の左手で優しく背中を摩ってから抱擁を解くと、ハクレイハは静かに立ち上がる。

 彼女の顔には外にいるであろう゛怪物゛達に対する恐怖など、微塵も見えなかった。

「何、私一人だけじゃ行けそうにないからそんな危険は目には遭わない筈よ」

「ならば私達も一緒に、外へ出してもらえるかな?」

 だから私に任せときなさい?意気揚々にそう言った直後、どこからか全く別の女性の声が聞こえてきた。

 突然の声にハクレイと周りの貴族たちが顔を向けて、ついでシエスタも続くようにして顔を動かす。

 そこにいたのは、先ほどまで地図を睨んで会議をしていた軍人たちの内唯一の女性兵士であった。

 明らかな意志の強さが窺える顔に前をパッツンと切り揃えた金髪が天井の灯りに照らされ、暗い倉庫の中でキラリと輝いている。

 国軍兵士の服を着ているがマントを着用して無いことから、平民の兵士だと一目でわかる。

 彼女の周りには上官や部下であろう平民の兵士や貴族の下士官たちもいた。

 

「あっ!貴女はあの時の…!」

 シエスタは突然横槍を入れてきたその女性に酷く見覚えがあり、ついつい大声を上げてしまう。

 それは忘れもしない二週間近く前の事、従姉妹であるジェシカとトリスタニアで遊んだ日の帰りの出来事。

 空に舞い上がり、落ちてきた血染めの赤いリボン、それを手にした彼女はあの日あの女兵士――否、衛士と出会ったのだ。

 それがどうして今は国軍兵士の服と装備を身にまとってここにいるのか、シエスタには分からなかった。

 

「ん?お、誰かと思えば…シエスタじゃないか。どうしてこんなところに?」

「アニエスさん、知り合いですか?」

 一方でその女兵士―――アニエスもシエスタの事を覚えていたのか、彼女の顔を見て目を丸くした。

 それを見て隣にいた若い国軍兵士が不思議に思ったのか、そんな事を聞いてくる。

 アニエスは「ただの知り合いだよ、気にするな」と手短に返すと、改めてシエスタに話しかけた。

 

「これから我々の何人かが、隣町まで退避した王軍、国軍本隊へ連絡を取って救助部隊の派遣を乞う事にした。

 この地域の地理に詳しく尚且つ歩くのに支障が無いお前には、ガイド兼証人として我々についてきてくれないだろうか?」

 

 ここにいる最上階級の士官の言葉を代弁するアニエスの言葉に、シエスタは一瞬言葉を詰まらせた。

 

 

 

 日を跨ぎ、赤と青の双月が西の方角へと傾き始める時間は宵闇が支配する不穏な世界。

 トリステイン王国のラ・ロシェール近辺の山道には、朝から立ち込めていた霧の一部が残ってまるで幽霊の様に漂っていた。

 闇に紛れる白い霧は文明の一端である灯りを遮ってしまい、闇の向こうに潜んでいるかもしれないモノ達の存在を曖昧にする。

 ただでさえ人の視界が効かぬ空間に漂う霧は人々を恐怖へと掻きたて、闇は声なき笑い声を上げる。

 故に人は古来から闇を無意識に怖れ忌み嫌い、または崇拝の対象として拝んできたのだ。

 

 そんな闇が支配する森の中、まるで巨人の様に高い木々の間を縫うように三つの影が飛んでいる。

 一番前を行くのは、カンテラを取り付けた箒に腰かけて優雅に飛行しているいかにもな服装をした魔法使いであった。

 ハルケギニアでは時代遅れと言っても良いトンガリ帽子を被り、自身満々な笑みを浮かべた顔はただ真っ直ぐに自分の進路を見据えている。

 彼女のうしろには同じように放棄に腰かけた学生服の少女がおり、ピンクブロンドの髪がカンテラの光で輝いている。

 腰には今の主流である小ぶりな杖を腰に差しており、前に腰かけている少女の帽子とは対照的だ。

 

 その二人の後を―――正確にはカンテラの光を追うようにして、紅白の変わった服を着た黒髪の少女が飛んでいる。 

 左手には変わった装飾を着けた長い杖、背中には鞘に差した剣を背負っているという物騒極まりない状態だ。

 少女の顔はいかにも眠たそうであり、時折小さな欠伸を口から出しながら空いた右手でゴシゴシと目を擦っている。

 無理もない。何せ今日は昼から深夜である今になるまで、ほぼ無休で飛び続けているという状態なのだ。

 黒髪の彼女はこれまでも長時間飛び続けたことはあったものの、今日みたいに半日近くも飛んだのは初めての事であった。

 無論途中で小休止を入れていたのだが、飛行時間と合わせると休んだ意味が無いと言っても等しい程の小休止なのである。

 

 だけど、それも致し方ないと黒髪の少女は思っていた。

 自分たちが休めば休むほど、これから向かうに先にいるであろう連中が手に負えなくなる。

 そして本来なら守れた筈であろう命が不条理に奪われると想像すれば、自然と体が動いてしまうのだ。

 だからこそ彼女たちは急いでいた、この森を抜けた先に見えるであろうタルブ村への山道を目指して…。

 

 

 人々が眠りに付いている筈であろう深夜。タルブ村と近隣の町を繋ぐその山道は静まりかえっていた。

 いつもなら虫の音や周囲を縄張りにしている山犬や狼たちの遠吠えも、今夜に限って全くと言っていい程耳にしない。

 遠くの山から微かに聞こえてくるだけであり、今日の山は不気味なほどの静寂に包まれていた。

 

 

「ここよマリサ。そこの看板のところで箒を止めて頂戴!」

 先頭を行く箒に跨った二人の内ピンクブロンドの少女――ルイズが、箒を操っていたトンガリ帽子の魔法使い―――魔理沙に指示を出す。

 魔理沙はそれに「OK!」と短い言葉で答えると、カンテラの灯りに照らされた案内板の前で箒を勢いよく止めた。

 主の意思で止められた箒は宙で軽く揺れた後にピタリと止まり、その場でフワフワ…と浮遊し始める。

 箒が浮遊したのを確認してからルイズはよっ!と可愛い掛け声と共に地面へ着地する。

 魔理沙は今まで被っていた帽子を外してふぅ!と一息ついてから、目の前にある看板へと目を向けた。

「え~と…何々?―――駄目だな、何て書いてるか分からないぜ」

「もうっ、だったらそんな素振りしないでよ。……うん、間違いないわね、道なりへ下ればタルブ村に着くわ」

 魔理沙の横に立つルイズが看板に目を通してそう言うと、下へと続く山道へと鳶色の瞳を向ける。

 箒の先端部に吊り下げているカンテラの灯りでは、どこまでこの道が続いているのか見当もつかない。

 ここを治めているアストン伯はちゃんとした人柄の領主らしく、本来なら荒れている筈の山道はしっかりと整備が行き届いていた。

 樺の通りならば、道なりに進んでいけばその老貴族の屋敷に辿り着くはずである。

「多分ちい姉様はその屋敷の何処かにいる筈よ、まだタルブ村にいればの話だけど…」 

「でもお前のお姉さんは生まれつき体が弱いんだろ?だったらこんな山道を、隣町まで踏破するのは無理なんじゃないか?」

 道中でカトレアの事をルイズから詳しく聞いていた魔理沙は、背後の上り道を見遣りながら呟く。

 その言葉にルイズは「だから見に行かなきゃならないのよ」と咄嗟に返事をする。

 つい三十分前に立ち寄った隣町で盗み聞きした避難民や軍の話が正しければ、まだタルブ近辺に大勢の人が残っている。

 自力で脱出できない彼らは゛怪物゛達に見つからない場所に隠れて、救助を今か今かと待ち続けているに違いない。

 

「軍が隣町にまで下がっていて、しかも同じくタルブやラ・ロシェールから避難していたのは元気な人たちばかりだった。

 あのちい姉様なら逃げ切れた人々に混ざって避難せず、逃げられずに隠れるしかない人たちの傍にいるに違いないわ」

 

 半ば憶測と願望の混じったルイズの言葉に、魔理沙は「成程なぁ」と頷いて見せる。

 確かにそういう酔狂な人間がいてもおかしくないと思っているし、現に自分がそうであるからと魔理沙は疑いもしなかった。

 もしも彼女の言うような儚い命で聖人としての役割を全うしているような人間ならば、是非ともそのお顔を拝見したい。

 闇を抱えた山道を意思の強い瞳で睨み続けるルイズの後姿を見ながら、魔理沙はそんな事を思っている。

 

『でもよ、一直線と言えども流石にこの夜中の山道を歩くってのは危険じゃねーか?』

 霊夢が背中に担いでるデルフリンガーが鞘から少しだけ刀身を出すと、カチャカチャと音を立てながら言う。

 確かに、それは間違ってないとルイズは一人思いつつも口では「無理は承知よ」と強気な言葉を返す。

「一直線ならこのまま下ればいいだけの事じゃない。分岐してる道とかが無い分、変に迷う心配もない筈だわ」

『そりゃまた勇敢なご意見だ!…ま、オレっちは自分じゃあ動けないし、移動するのはお前らに任せたよ?』

「はいはい、分かったから少しは静かにしなさいっての」

 そこまで言った所で、後ろで耳に響くダミ声と金属音を鳴らされた霊夢は素早くデルフを鞘に戻した。

 再び山道が静かになったところで霊夢はふぅと一息つくと、顔を上げてぐるりと周囲を見回す。

 本来ならば夜中でも色々と喧しい筈なのに、闇に包まれたこの山の中は不自然な程静寂に筒まれている。

 それが少し気になったのか、再び魔理沙の箒に腰かけようとしたルイズに向かって口を開いた。

 

「…ちょっといいかしらルイズ?」

「―――?…何よ?」

「変な事聞くけどさ、なーんか森の中が静かすぎやしない?」

 妖怪退治を生業とする巫女さんにそんな事を言われて、ルイズと魔理沙は自分たちのいる場所の異常さに気付く。

 ルイズと魔理沙、それに霊夢の三人は住んでいる場所の周りには自然が密集している状態だ。

 だからこそ夜の森という環境が、知らない人が想像する以上に耳に響いてくるというのを知っている。

「確かに変ね…こういう山の中、しかもこの季節なら虫の鳴き声でも聞こえてくる筈だけど…」

 後ろにいるルイズの言葉に魔理沙もまた頷いてから、フッと頭上を見上げる。

 今は風も止まっているせいか木々のざわめきも無く、箒に吊り下げてるカンテラの軋む音だけが聞こえていた。

 それが却って彼女たちの周囲を不気味な空間へ変えていたが、はたしてそれに気づいているかどうかまでは分からない。

「案外…この先にいるっていう゛怪物゛の仕業かもな?」

 

 ポツリ呟いた魔理沙の言葉にルイズがハッとした表情を浮かべ、霊夢は左手に持っていた御幣で自身の右手を軽く叩いた。

 パシッ!という、邪気を打ち払えるかもしれない軽い音を不自然な森の中に響かせてから、彼女もまた呟く。

「だとしたら、思ってるよりも目的地の入口は近いって事で良いかしらね」

 先ほどまで眠り目を擦っていたとは思えない程、その顔にはこれから進む先にある何かに警戒しているかのような緊張感が滲み出ている。

 さっき自分の手を御幣で叩いたのは眠気覚ましだったのだろうか?そんな事を思いつつも、ルイズは自分の頬を軽く叩く。

 ここから先は恐らく…何があってもおかしくはない危険地帯だろう。だとすれば、眠気の一つでも命取りとなるかもしれない。

 そんな思いを胸に抱き、ヒリヒリと軽く痛む頬で眠気を消し去りながら腰に差した杖をスッと右手で引き抜いた。

「よっしゃ、ここで油を売っても仕方ないし…そろそろ下りるとしますか!」

「勿論よ!こんな不気味な山、さっさと下りちゃうわよ!!」

 二人の様子を観察していた魔理沙はニヤリと笑ってそう言うと、杖を片手にルイズが威勢よく叫ぶ。

 その勢いを殺さぬままサッと箒に腰かけると同時に、魔理沙がその場に浮かばせていた自身の箒をゆっくりと前へ進ませる。

 カンテラの灯りに照らされる山道を頼りに進んでいく二人の後姿を見ながら、霊夢は一人ボソッと呟く。

「流石のアイツも、後ろに人乗せててこの暗い道だとスピードを緩めるモンなのねぇ~」

『山道を行くのと空を飛ぶとじゃあ勝手が違うからねぇ、そりゃ当然ってやつさ』

 別に期待していたワケではないものの、デルフは律儀にも刀身を出して返事をくれた。

 それに対して「ご丁寧にどうも」素っ気ない礼を述べると、デルフはカチャカチャと音を鳴らしながら喋り出した。

 

『にしても、あの二人…特に娘っ子は勇気があるもんだねぇ。やっぱり家族の事と、あのお姫さんの為かな?』

「まぁそうかもね。行くときにそのお姉さんの事を真剣に喋って――――――……ん?」

 ふと喋っている途中で言葉を止めた霊夢は、怪訝な表情を浮かべてゆっくりと後ろを振り返る。

 視界の先に広がるのは先ほどと同じく闇と霧に包まれた山道であり、一寸の光すら見えない。

 霊夢が急に振り返った事とが気になったのか、デルフが『どうした?』と暢気そうに聞いてきた。

「いや…何か、誰かに見られてたような気がしたんだけど…気のせいかな?」

『お前さん、そんなのが分かるのかい?』

「いや、でも…何か背中をジロジロ見られてるような…首筋が違和感を感じたのよねぇ」

 振り返って暗闇の山道をにらみ続ける霊夢が首を傾げていると、後ろからルイズの叫ぶ声が聞こえてきた。

「ちょっとレイム!何そんな所でジッと突っ立ってるのよ!?置いてくわよッ!」

 再び頭を前へ向けると、大分離れた場所まで進んでいる箒に腰かけたルイズがコッチコッチと手招いている。

 どうやらデルフと話していて、更に妙な違和感を感じている間に置いてけぼりされたようである。

 別に暗いのが苦手というワケではないが、月の出ていない夜の山の中で置いてけぼりにされるというのは良いことではない。

「ハイハイ、わかったわよ~」

 ほんの少し出ていたデルフを鞘に戻してからその場で少し宙に浮き、ホバー移動で二人の元へと急ぐ。

 湿っぽくて冷たい風が肌と黒い髪に当たるのを感じながら、霊夢はルイズたちと共にタルブへの道を下りて行った。

 やがて、ついさっきまで三人が立っていた場所は再び沈黙の闇に覆われてしまう。

 このまま朝が来るまでここを訪れる者はいないと誰もが思うだろうが、実際には違った。

 

 

「ふふふ…ようやくおいでなすったわね」

 看板が立っている場所から少し離れた所にある、ここ以外のどこにでも生えているような雑草で構成された草むら。

 先程霊夢が振り返り睨んだその場所から、最も不似合であろう女の声が聞こえてきた。 

 爬虫類の様に冷たく、温かみを全く感じない声色を持つ女が闇の中から黒いローブを纏った姿で現れたのである。

 まるでローブと共に闇の中から現れたかのように今の今まで姿を消していた女はゆっくりと歩きながら、先程まで三人がいた場所で足を止めた。

「今日という日の為に我が主が書き上げた脚本通り、この場にいるお前たちは今やあの人の劇を演じる役者でしかない…」

 知らない者が聞けば気が狂ったとしか思えない女の独り言は不幸か否か、誰も耳にしていない。

 灯りひとつないくらい山道のど真ん中で、彼女は立てられた看板の上に肘を乗せて下り道の方をじっと見つめていた。

 

 先ほどまでここにいたあの三人の灯りは、彼女の掌の上に乗るかどうかの大きさにまで縮んでいる。

 あのスピードで道なりに下っていけば、一時間と経たずにアストン伯の屋敷に辿り着く事だろう。

 まるでオキアミを満載させた撒籠に群がる魚のように、あの三人はノコノコと屋敷へと近づくのだ。

 この日の為に用意したのかと思えてしまうほど、他の゛連中゛と一緒に゛試験投入゛されている『奴ら』と出会う為に。

 時間にして後一時間未満で見れるであろうかつてないショーを想像して、女性はニヤリと微笑んだ。

「精々あの人が喜ぶ程度に頑張る事ね。トリステインの゛担い手゛に、ガンダールヴとなった博麗の巫女さん?――――ム!」

 そんな時であった。突如として彼女の額が、まるで命を持ったかのように青白く光ったのは。

 黒いローブ越しの光は周囲の暗闇を払う程の力は無かったが、どこか神秘さに満ちた雰囲気を放っている。

 

 一方で、額が光っている女さっきとは違い何かを感じ取ったかのような表情を浮かべている。

 そして何を思ったのか、急いで自身の懐に手を突っ込み、そこからあるモノを取り出す。

 暗闇の中、額から放たれる青白い光に照らされた゛モノ゛の正体は…デフォルメ調に作られた男の人形であった。

 取り出した女はその人形を見て薄く微笑むと、青色の髪と顎鬚がチャームポイントと自負しているソレを自分の耳へと近づける。

 まるで人形の言葉が聞こえるかのような子供じみた行動をする女の耳に、突如男の声が入り込んできた。

『聞こえるかな?余のミューズ、シェフィールドよ』

「……ッ!ジョゼフ様ッ、ジョゼフ様ですか…!?」

 その声が聞こえてきた瞬間、それまで闇夜に紛れていたかのような女――シェフィールドの顔にサッと喜びの色が浮かび上がる。

 こんな夜の山中に一人佇んで額を光らせ、更には人形を耳に当てて喜ぶ彼女の姿はさぞや不気味に見えるに違いない。

 幸いだったのは、今は彼女以外この周辺に人がいないという事ぐらいであろうか。

「あぁジョゼフ様!こんな夜遅くに貴方様の声を聞かせてくれるなんて、嬉しい限りですっ!」

『いやぁー何、今夜は寝つきが悪くてなぁ…。ふとラ・ロシェールでの゛試験投入゛はどうなっているのかと気になっただけさ』

 そしてもしも…シェフィールド以外に声が聞こえている者がいたとしたら、さぞや腰を抜かしていたに違いないだろう。

 何せ低く威厳に満ちた男――ジョゼフの声は、女が耳に当てている人形の中から聞こえているのだから。

『それで、今はどうなっているのだ?』

「ハイ!今のところは順調と言って良いでしょう。町に展開していたトリステイン軍は今近隣の町であるゴンドワで防衛ラインを敷いております」

 ジョゼフからの質問にシェフィールドは素早くかつ的確に伝えると、人形から笑い声が聞こえてきた。

 例えるならば、自分の誕生日会の最中にサプライズイベントが起きてはしゃぐ子供が上げるような、喜びに満ちた笑いであった。

『そうであろう、そうであろう!何せトリステインの連中は、奴らの事など予想もしていなかっただろうしなぁ』

「えぇ。最も、国軍と王軍の殿がタルブ村で頑強に抵抗致しまして、投入戦力の内三分の一がやられました…」

『それは構わん、戦ではどうしても被害が出るからな。それに、その程度ならば補充分で間に合うだろう?』

「無論です、既にラ・ロシェール郊外の上空で待機している゛鳥かご゛が補充を送ってくれました」

 嬉しそうな口調とは対照的なジョゼフの話に、シェフィールドは笑顔を浮かべて言葉を返していく。

 彼の言葉の中に多くの人々が死んだと意味させるものがあるにも関わらず、ジョゼフは嬉しそうに喋っていた。

 

『よろしい、では余のミューズよ…明朝と同時にゴンドワへ奴らを前進させろ。

良いデモンストレーションになって、交渉中の買い手連中が大手を振って金を出してくれるだろう』

 

 ジョゼフの口から出たその怖ろしい決定に、シェフィールドは満面の笑みを浮かべて「はい!」と頷く。

 相変わらず彼女の顔は歓喜に満ち溢れている、まるでジョゼフの口にした言葉が何を意味するのか知らないかのように。

 そんな時であった、暗闇の中でニヤニヤと笑う彼女がある事を思い出した。

「あっそうだ…ジョゼフ様、一つ朗報がございます」

「ん?朗報とは…」

 突然変わった話に人形越しのジョゼフが怪訝な声を上げると、彼女はその゛朗報゛を口にした。

「はい、実は先ほどの事ですが――ようやくトリステインの゛担い手゛と、ガンダールヴ…もとい博麗の巫女がやってきました」

『…なんとッ!?それは真か!』

 始めから嬉しそうに喋っていたジョゼフの声が、彼女からの゛朗報゛を聞いて更に嬉しそうなものへと変わる。

 まるでふと立ち寄ったジェラート屋で、通算百万人目の客として迎えられた時の様な歓喜に満ちた声であった。

 興奮を隠さぬジョゼフに、シェフィールドは人形越しだというのに顔を赤らめつつ報告を続けていく。

「まことですジョゼフ様。余計な黒白が一匹おりますが…何、余興の邪魔にはなりませぬでしょう」

『だがあの黒白はこの前の『ストーカー』を始末したのであろう?過小評価をしているとあの小娘が思わぬ穴馬になるぞ、余のミューズよ』

 ジョゼフにそう言われて、彼女は「はっ!分かりました」と彼の言う゛黒白゛にも注意する事にした。

 本来ならばあの程度の人間の勝利など偶然にも等しいのだが、尊敬すべき主がそう言うのならばそれに従うまでであった。

 シェフィールドの返事にジョゼフは人形腰にうんうんと頷くと、ふと何かを思い出したかのように喋り出す

 

『ふふふ…それにしても、実験農場の連中も面白いモノを完成させたものだ!

 模索している技術の中に、あえてガリアで研磨された技術と『風石』を組み込んで兵器とするとは…

 予算も人材も好きに申せと言ってはいるが、まさか先の完成品よりも低予算であそこまで作り上げるとはな!

 今回の゛試験投入゛で良い戦績が出れば、あいつらがハルケギニア中の紛争地で暴れまわる事になるぞ…!』

 

 喋り終えた後に高らかと笑うジョゼフに、シェフィールドもコクリと頷く。

「それは同感ですね。――――ではジョゼフ様、そろそろ時間ですので…」

『うむ!分かった。では余のミューズよ…゛実況゛の方はよろしく頼んだぞ』

 その言葉と共にシェフィールドは耳に当てていた人形を離すと、口の部分に優しくキスをした。

 ここより遠い所にいる主の事を思いつつ、彼の期待に応えねばと決意しながら人形を懐に戻した。

 そしてここからアストン伯の屋敷へと通じる下り道へと視線を移すと、その目をキッと細めて呟く。

 

「さぁ、アンタ達には頑張ってもらうわ。精々我が主が手を叩いて喜ぶように戦うんだよ」

 シェフィールドの呟きと共に額の光が消え去り、それと同時に彼女の姿も闇の中へと掻き消える。

 まるで最初からそこに存在しなかったかのように、周囲の山道には再び不安な静寂が戻っていた。

 

 

 

 雲が出ている所為か、いつもならば夜の大地を照らしてくれる双月は夜空を見渡しても一向に見えない。

 山を下りても尚暗闇は続き、ルイズたちは否応なしにカンテラの灯りを頼りに道を進むほかなかった。

 整備された道とは対照的な左右の林からは、山の時と同じように自然の音というモノが一切聞こえてこない。

 まるでここら一体の生態系が、森を覗いて全滅してしまったのではないかと錯覚してしまう程である。

 その異様な静寂さはルイズに不安感を与える事となったが、彼女は同伴している霊夢達に待ってと言うつもりはなかった。

 

 何故ならば、霊夢の前を飛ぶ魔理沙とルイズの二人が、大きな屋敷のシルエットを目にしたからだ。

 闇に溶け込み同化したかのようなその三階建ては、ここを超えた先にあるだろう村の領主が所有する館。

 即ち…ルイズは辿り着いたのだ。二番目の姉、カトレアがいるであろうアストン伯の屋敷に。

 

 

「――――…見えた、あの屋敷。…あれがアストン伯の屋敷よ!」

 魔理沙の箒に腰かけたルイズがそう言ったのは、三十分以上の暗い山道を下りきってはや十五分足らずであった。

 その言葉に二人の後をゆっくりとついてきていた霊夢がスピードを緩めて、やや強めのブレーキを掛けてその場で着地する。

 霊夢が止まったのを確認した後に、彼女の近くまで戻ると魔理沙も箒を止めて、それを合図に後ろに乗っていたルイズが勢いをつけて着地した。

 先ほどの山道とは違い、それなりに整備された芝生の感触が彼女のローファー越しの足に伝わっていく。

 箒を止めた魔理沙もようやく地に足を降ろし、箒を片手にすぐ近くにある闇の中の屋敷を見上げた。

「へぇ~村の領主様の屋敷にしちゃあ、中々でかいじゃないか!これは思いの外掘り出し物とかありそうだぜ」

「いかにもヤバそうな感じが伝わってくる場所で減らず口叩けるのはアンタだけじゃないの?」

 魔理沙の口からでは冗談とは思えない言葉にそう返しつつも、霊夢が二人の傍へと歩いてくる。

 ルイズはいつでも呪文を唱えられるようにと杖を構えつつ、屋敷の周囲に異常がないか軽く見回してみた。

 

 アストン伯の屋敷もアルビオンが放ったという゛怪物゛の襲撃を受けたのか、一部の窓が痛々しく割れている。

 屋敷の入口周辺にはここで足止めしたであろうトリステイン軍の武器や旗などが、地面の上に散乱していた。

「どうやら、結構派手に戦ったようね。地面が殆ど武器や防具とかで足の踏み場もないわよ?」

「その通りね…けれど、何かおかしいわ。死体が一つも無いなんて…」

 霊夢の言葉にそう返しつつも、ルイズは一つ気になる疑問を抱える事になった。

 彼女が思うように、そこで戦ったであろう兵士や貴族たちの死体は見当たらないのである

 最も、それは別に見たくも無いのだが…周囲の散らかり具合から確実に混戦が起きた事は、戦に疎いルイズにも理解はできた。

 例え相手が゛化け物゛でも、敵味方混ざっての戦いならばどんなに少なくても双方に被害そのものは出る筈だ。

 一体どういう事なのかと彼女が訝しんでいた時、箒から外したカンテラを手に持った魔理沙が驚いたような声を上げた。

 

「うわっ!…お、おいルイズ、これ見てみろよ!」

 カンテラで自分の周囲を照らしていた彼女の声に、何事なのかとルイズと霊夢がそちらの方へ視線を移す。

 びっくりしたような表情を浮かべる黒白が照らす先には、ボロボロになった布のようなモノが地面に錯乱していた。

「…?何よコレ?見たところ単なる布ってワケじゃあないけど…」

 首を傾げた霊夢が一人呟きながらその内の青色の一枚を手に取り、興味深そうに触っている。

 流石に霊夢程の事はできないルイズであったが、魔理沙のカンテラを頼りにして周囲に散らばる様々な布を見て回る。

 

 見たところ黒色や茶色に赤色が多く、ところどころ強力な酸か何かで溶けたような跡が見られた。

 それ以外を見れば色とりどりな薄めのボロい布にしか見えず、流石のルイズも不思議そうな表情を浮かべてしまう

「う~ん、何なのかしらねコレ?皆目見当がつかないわ」

「周囲の散らかり具合と比べれば何か意味があるとは思うんだが、私は探偵じゃあないしなぁ…」

 ややふざけ気味な魔理沙の言葉に「はいはい」と適当に返した直後、霊夢がポツリと呟いた。

 

「あ!――――――……あぁ~、コレ…何なのか分かっちゃったわ」

 何か見てはいけないモノを見てしまったかのような巫女の反応に、ルイズはそちらの方へと顔を向ける。

 霊夢は先程手に取っていた青い布の端を両手で掴んで広げており、その顔にはイヤなモノを見てしまったような表情が浮かんでいる。

 魔理沙も霊夢の様子に気が付いたのか、「お、どうしたんだよ霊夢?そんな珍しい表情浮かべてさぁ…」と言いながら近寄ってくる。

 一方の霊夢は近づいてきた二人の方へと顔を向けると、スッとルイズの前に片手でクシャクシャにしし直した青い布を差し出した。

「え?どうしたのよ一体…」

「見れば分かるわよ、ルイズ。ここにいた連中がどういう目に遭ったのかをね…」

 妙に意味深な事を言ってきた彼女に怪訝な表情を浮かべつつ、ルイズはその布を受け取る。

 地面に落ちているモノと比べて、比較的綺麗なソレの両端部分を左右の人差し指と親指の端で軽く掴んでから横へと広げる。

 バッ!と勢いよく広げられたソレは、ルイズと魔理沙の眼前に裏地の部分を見せつけた。

 

 瞬間、二人はその目をカッと見開いて驚愕した。

 最初にこれを見つけたであろう霊夢が何故あんな言い方をしたのか、それすらも理解してしまう。

 無理もないだろう。この布――否、貴族の象徴でもあるマントに施された百合の刺繍を見ればイヤでも察してしまうのである。

 これを着用していたであろう貴族たちのマントがこれだけ傷つけられ、地面に錯乱しているという事の意味を。

「な、なぁルイズ…まさかコレ――ここで戦ったと思う連中は…」

 ルイズと同じように驚き察していた魔理沙の震える指が、マントの裏に施された百合の刺繍を向けられている

 魔理沙にはその刺繍がどういうモノなのかまでは知らなかったが、マントの汚れ具合からはこの場で何が起こったのか察する事はできていた。

 銀糸で縫われたトリステイン王家の象徴は、彼女のカンテラに照らされて鈍い輝きを放つ。

「う、ウソでしょ…じゃあこれって、王軍の騎士たちの…」

 そしてルイズは知っていた。この刺繍が、王軍に所属する騎士達のマントにしか施されない特別なモノなのだと。

 栄えある名誉そのものとも言える銀色の証が縫いこまれたマントが、ボロボロになって幾つも地面に散乱しているという事は……即ち――――

 

 

 

『そう…ここにいた騎士たちはねぇ、みーんな殿の役目を果たして死んでいったさ。

        でもまぁ、そのおかげで貴重な戦力を減らされたのは癪に来たけどねぇ』

 

 その時であった――――――三人の頭上から、聞いたことのない女の声が聞こえてきたのは。 

 

 美しくもまるで爬虫類の様に冷たく血の通っていないかの如き声色に、悪意という名の香辛料が混ざった喋り方。

「――…ッ!?誰ッ!誰かそこにいるのッ!?」

 ルイズはその声に驚きつつも咄嗟に頭上を見上げてみるが、目に入ってくるのは全てを吸い込むかのような闇だけ。

 自然と不安を誘うかのようなその空間に右手の杖を向けたくなってしまうが、彼女はそれを理性で押しとどめる。

 今の声そのものは、騎士達の遺留品を目にして不安になった自分が、闇の向こう側から聞こえてきたと錯覚しただけの幻聴だったのではないか?

 一瞬そう思ったものの、ふと霊夢と魔理沙を見てみると彼女達も同じように頭上を見上げていた。

 目を丸くした魔理沙は何が起こったのかと驚いているのか、何だ何だと言いながらキョロキョロ周囲を見回している。

 そんな魔法使いとは対照的に、霊夢はこれまで見たことのないような真剣な目つきでジッと頭上を睨んでいた。

 

 赤みがかった黒目を闇の中で鋭く光らせており、左手の御幣を強く握りしめ右手は懐の中に伸びている。

 今の霊夢は何処から敵が来ても難なく倒せる――ー!直立不動のまま構えてもいない彼女の姿を見て、ルイズはそう思った。

「アンタたち…もしかして今の声が聞こえてたの?」

「おっ、ルイズも聞こえてたのか?こいつは意外だったぜ。てっきりここへ来る時に食べたキノコの幻覚作用かと…」

「黒白の言ってる事は放っておくとして…。アンタにも聞こえるっていう事は、ここまで来た甲斐はあったという事ね」

 二人の様子を見てルイズがそう呟くと、二人もそれぞれの反応を示して見せてくれる。

 そんな時だ。三人がそれぞれ確認をし終えた直後、再び謎の女の声が聞こえてきたのは。

 

『アンタの言ってる事は当たってるさ、そこの紅白。確かにアンタたちはここへ来た甲斐があったわ。

 我が主を愉しませるちゃんとした娯楽を提供する為の、うってつけの役者として―――ね?』

 

「誰なの!?大人しく姿を現しなさいッ!!」

 先程と同じく冷たい声の持ち主に向けて、ルイズは今度こそ声のする頭上を向けて自身の杖をヒュッと向ける。

 風を切る程の速さで闇に向けられた杖の持ち手は震えておらず、ルイズはしっかりとした勇気を持って声の持ち主と対峙しようとした。

「ここにいた連中の顛末を知ってそうな素振りを見せてるって事は、それなりにここで悪いことをしてたって証拠だぜ?」

 魔理沙もまた声が何処から聞こえた来たのか把握し、箒を両手で持つとその場で軽く身構えて見せる。

 最初と先ほどのセリフから、足元と周囲に広がる惨憺たる現場を作り上げたのは謎の声の主だと理解している。

 闇を睨み付けるその目からは僅かな怒りが滲み出ており、いざとなれば自分が懲らしめてやろうと強く思っていた。

 

 そんな二人とは対照的に、霊夢は頭を動かして周囲の闇を威嚇するように睨みまわしている。

 だがしかし…その瞳からは明確な敵意が滲み出ており、どこかにいるであろう声の主を探ろうとしていた。

(間違いなく私達が見えてる場所にいるんだろうけど…こうも暗いと分かりゃあしないわね…!)

 霊夢は一人小さな舌打ちを口の中ですると、右手を入れていた懐から三枚のお札を取り出す。

 少なくともこれまでの言動からして、謎の女は間違いなく今回の騒動に深く関わっているのは明らかだ。

 だとすれば逃がすわけにはいかなくなったし、手荒な真似をして無傷で返さなくても良いという事にも繋がる。

「まぁ悪いことは言わんからさっさと出てきなさいよ?今なら無傷で済まない程度で許しといてあげるから」

 お札を取り出した彼女は、他の二人同様その場で軽く身構えた直後―――再びあの女の声が聞こえてきた。

 

 『無傷じゃあ済まない?小娘如きが誰に対してモノ言ってるんだい。

  子供は子供らしく、少しは痛い目を見て―――――現実ってモンを知りな!』

 

 

「何を…?―――――…ッ!!?」

 女が言葉の最後でそう叫んだ直後、霊夢はあの゛無機質な殺意゛を自分たちの頭上をから感じ取った。

 まるで直前まで生命活動そのものを止めて、今再び息を吹き返して動き出したかのようにあの感情が見えぬ殺気が漂ってきたのだ。

 そしてそれは、これまでその殺意を持った相手とは思えない程物凄いスピードでこちらへと迫ってこようとしている。

「ッ!――魔理沙!後ろへ避けてッ!!」

「ちょっ?レイ……きゃあ!」

 誰よりも早くにそれを察知した霊夢は咄嗟にルイズのベルトを引っ張ると同時に、魔理沙に向かってそう叫んだ。

 滅多に聞かないような知り合いの叫びと、突然後ろへと引っ張られて叫び声をあげるとルイズを見て、魔理沙は思わず言うとおりに従う。

 それが本能的な行動だったのか、あるいは尋常ならざる巫女の叫びを信じたからだったのか。

 

 魔理沙がその場から後ろへ飛ぶようにして下がった直後であった。

 ――――上空から落ちてきた一本の槍が、地面に深々と突き刺さったのは。

 

 下がると同時に持ち主がうっかり手から離したカンテラが派手を音を立てて砕け散り、中の灯りは地面に突き刺さる槍の刃先に掻き消されてしまう。

 

「ウォッ!な、何だ!?」

 流石の魔法使いもこれには目を見張り、ほぼ自分の目の前へと落ちてきた銀色のソレを前に後ずさってしまう。

 もしも霊夢が声を掛けてくれなければ良くて切り傷、酷くて串刺しになってた事を想像して、思わずその顔が真っ青になる。

 ベルトを引っ張られて後ろへ倒れたルイズも同じように、空から降ってきた狂気に目を丸くしていた。 

「ヤリ――――槍ィ…!?槍が空から降ってきたわよッ!?」

 地面に尻もちをついたままの彼女は立ち上がるのを忘れて、降ってきた槍に驚いている。

 槍の全長は二メイル程であり、地面に突き刺さっている刃の部分は突き刺すという事よりも振り回すのに特化したような形となっている。

 装飾は無駄と言わんばかりに一切施されて無いが、鋭く輝く銀色は闇の中でもそ自らの存在を激しく主張していた。

 その輝きを目にして、これは不味いと察したルイズは杖を手放してない事を確認すると急いで立ち上がる。

「槍が空から降ってくるっていう言葉があるがな…、今度はお手柔らかに飴玉でも降らして欲しいもんだぜ」

『いや、それは叶わねぇ願いになりそうだぜ。オメーら構えろ、上から何か降りて来るぞ!』

「ちょっ…、出てくるなら出てくるって言いなさいよね…!」

 魔理沙もまた腰を上げると被っていた帽子の中に手を突っ込み、ミニ八卦炉を取り出しながら一人ぼやく。

 そこへ今まで黙っていたデルフが鞘から刀身を出して叫び、霊夢を驚かせた直後―――それもまた勢いをつけて地面へ降り立った。

 

 軽く、しかしそれなりの硬さをもっているかのような軽金属のガシャリ!という音を響かせて、『ソイツ』はルイズたちの前に姿を現す。

 恐らく『ソイツ』が投げたであろう槍と同じ銀色の鎧は、二度見すればソレを纏っているのが人間ではないと理解できるだろう。

 身長は霊夢よりも一回り大きいが胴体は細く、その胴体の臀部から生えている一メイル程の細長い尻尾をゆらゆらと揺らしている。

 手足からは爪が生えているものの、相手を切り裂くというよりも大きな樹に引っかけて昇り降りすることに適した形だ。

 

 頭を覆う兜のデザインはドラゴンの頭部を模したのであろうが―――ソレはあまりにも似すぎていた。

 まるで小型種のドラゴンの頭を斧で切り落としてそれで型を取ったかのようで、人が被る為の防具としてはあまりお勧めできるデザインではない。

 だがその兜の中には確実にソレを被っているモノがいた。『ソイツ』は人間のモノとは思えぬ黄色く丸い瞳を輝かせて、ルイズたちをジッと見据えている。

 そして…、『ソイツ』の中では最も印象的であり最大の特徴とも言える箇所は背中であった。

 本来なら何もついていないであろう背中の中心部には、緑色に輝く拳大の『風石』が埋め込まれているのだ。

 その『風石』の力で浮いているのだろうか、『ソイツ』の背後には緑色に輝く三対の羽根を模した金属板がフワフワと浮遊している。

 体と同じく銀色のソレは一見すれば虫の羽の様にも見えてしまい、ドラゴンを模したボディとはアンバランスにも見えた。

 だが、『ソイツ』がどういうモノとして造られたのかを知ればむしろこのフォルムは正しいとも言えるだろう。

 

 

「正式名称は『ラピッド』。―――今のアンタ達には、最高のゲーム相手となるキメラさ」

 その言葉と共に、つい先ほど降り立ったキメラの背後につくようにして黒いローブを纏った女が降り立つ。

 髪の色は闇と同化してしまうかのような黒、死人のように白い顔は生気を放っている。

 だがその目は凍てつくように冷たく、気弱な人間ならば睨まれただけでも心臓発作を起こしかねない程であった。 

 

 そんな彼女が降り立った後、ルイズは杖の先を向けたまま一歩前へ進み出た。

「キメラですって?」

「そうさ、複数の生物と人間を素体にして、兵器としての運用を目的に完成されたのがコイツというワケよ」

 シェフィールドの言葉に、杖を構えたルイズの言葉にキメラの後ろに立つシェフィールドが丁寧に教える。

 しかしそれは、現実ではありえないような姿の怪物を目にしたルイズを動揺させる事となった。

「人間を素体に…ッ!?―――う、ウソでしょう?そんなことが…」

 だが彼女の口から出た゛人間を素体に゛という言葉を耳にして、思わず信じられないと言いたげな表情を浮かべてしまう。

「おいおい…あの女、中々物騒な事を口にしなかったか?」

「残念だけど私の耳にもハッキリ聞こえてきたわね…」

 他の二人もまたシェフィールドの言葉を聞いており、魔理沙は目を丸くして目の前にいるキメラの姿をまじまじと見つめた。

 確かに地面に刺さった槍に手を掛ける姿はどことなく人間味はあるものの、化け物の材料にされる前の姿など想像もつかない。

 だからこそシェフィールドの言葉にはやや半信半疑ではあったが、一方で霊夢はそのキメラの後ろにいる女が悪い意味で゛本物゛だと察していた。

「でもあの女の雰囲気に目の色…多分、コイツなら平気で人間を材料にしてもおかしくはないわね」

『人は見かけによらねぇとは言うけど…確かにお前さんの言うとおり、ありゃ何人殺そうが平気な目ェしてるぜ』

 霊夢の言葉に思わずデルフが留め具の部分を出して喋った時、それに気づいたシェフィールドが「おや?珍しいじゃないか」と声を上げた。

 

「ただの剣かと思いきや、まさかインテリジェンスソードとはねぇ。人も武器も見かけにはよらないものじゃない」

 

『へっ、ウルセェ!第一、お前さんだってその『風石』まみれの化け物を簡単に操れてるんだ。

 間違いなく平民じゃあネェだろうが。ましてや並みのメイジでも無いのは明らか…早いとこ正体を見せやがれ!』

 

 相手の売り言葉にデルフはあっさりと乗って言葉を返すと、何が可笑しいのかシェフィールドはフフ…と軽く鼻で笑う。

 そしてルイズたちはというと、先ほどデルフの言葉を聞いてやはりこの女の仕業かと確信する。

 ルイズは杖を持つ手により一層の力を込めると、不敵な笑みを浮かべるシェフィールドの白い顔に素早く狙いを定める。

 

 どうして分かったのかは知らないが、あの剣の言葉が正しければこの女もまた今回の騒動の原因の一つなのである。

 ラ・ロシェールとタルブ村を襲い、更にはトリステイン軍の騎士達すらその手に掛けたという『怪物』の軍団。

 それを操っていたのが彼女だというのなら、トリステイン貴族の一員として敵意を露わにするほかないのである。

「アンタがこの惨憺たる状況を作ったのなら許しはしない…この私が、ここで死んだ騎士たちの無念を晴らしてあげるわ!」

 ルイズの勇ましい言葉へ続くようにして霊夢と魔理沙の二人も身構えながら、シェフィールドに宣戦布告とも取れる言葉を送る。

「まぁ私は仇討とかするつもりはないけど、とりあえず辛うじて喋れる程度まで痛めつけてあげるわ」

「おーおー二人とも中々熱血で物騒じゃないか?まぁ私はアンタらの気が済んだ後で、コイツの顔に落書きでもしておこうかな?」

 魔理沙はともかくとして、霊夢もまた目の前にいるシェフィールドに対して明確な敵意を見せている。

 

 しかしシェフィールドは未だその顔から不敵な笑みを消すこと無く、戦闘態勢に入った三人と見つめ合っている。

 まるで自分の勝利が最初から分かっているかのような、そんな余裕すら垣間見えた。

「まぁ、そう焦るんじゃないよ。…アンタたちにはこれからタップリ戦ってもらうんだからねぇ?」

 そう言った直後―――シェフィールドの額が再び輝き出し、青白いその光を自分を睨み付ける三人に見せつけた。

「おいおい、怪物を伴って現れて…次は宴会で使えそうな隠し芸まで披露してきたぜ」

「あのねぇ…こんな時ぐらい真剣に―――って、あれ?」

 魔理沙の冗談めいた言葉に流石のルイズが怒ろうとした時、彼女はシェフィールドの額の光に違和感を感じた。

 この暗闇の中だったからだろうか、光り輝いているおかげでルイズの目には『額に刻まれている文字』が光っているように見えたのである。

 その文字は掛かれている事は違うものの、霊夢を召喚し契約を交えてから彼女の右手の甲についているルーンと酷似しているような気がした。

「まさか……あの額の光は――…使い魔のルーン!」

 一度そう思い込めば容易には否定することは出来ず、彼女は思わずその疑問を言葉として口から出してしまう。

 彼女の言葉にシェフィールドは一瞬目を丸くしたかと思うと、ニィッ…と狐の様な笑みを浮かべた。

 その動作すら不気味に思えたルイズがうっと呻いた直後、シェフィールドの口から笑い声が零れ始めたのである。

「アハハハハ!流石ばガンダールヴ゛の主、私の額のルーンを使い魔のルーンだと見破ってくれるとはねぇ?」

「…!アンタ、どうして私がガンダールヴだって事を知ってるのかしら?」

 シェフィールドの言葉に、同じようなルーンを右手に持っている霊夢が真っ先に反応した。

 少なくとも彼女がガンダールヴであるという事は、現時点でもってほんの十より少し上の人数しかいないのである。

 

「ふふふ…まあこれから付き合いになるんだし、そこの剣の言うとおり…自己紹介でもしておきましょうか」

 霊夢の言葉に対して答えにならない返事をしてから、キメラより一歩前にまで出たシェフィールドが両手をバッ!と横に広げて名乗った。

 

 

「私の名はシェフィールド、ここ一帯にキメラを放った張本人にして――――゙神の頭脳゙こどミョズニトニルン゙のルーンを持つ者さ!」

 三人の前に現れてから、初めて自らの名と素性を喋った瞬間―――彼女の周囲に五体のキメラ達が降り立ってきた。

 先ほどと同じく銀色の鎧の銀色の槍を武器に持つキメラ、『ラピッド』の集団である。

 最初に降りてきた一体目とは違い両手の槍を構えて、その刃先をルイズたちに向けてジッと待機している。

 構え方そのものは正に人間であるというのに、何処か動物感のある容姿とはあまりにもギャップがあり過ぎていた。

 

「神の頭脳…ミョズニトニルン?…って、クソ!また降りてきやがったぜ!」

 ここにきて名乗ってきた相手に首を傾げるよりも先に、更にキメラが増えた事に、魔理沙は舌打ちをする。

「゙神の頭脳゛に゛神の左手゙………という事は、あれも始祖ブリミルの使い魔のルーンだっていうの?」

 一方のルイズは、相手の言っていだ神の頭脳゛という言葉にガンダールヴも゙神の左手゙と呼ばれていた事を思い出していた。

 咄嗟にガンダールヴのルーンを持っている霊夢を見遣ると、彼女はシェフィールドの方を睨み付けながら言った。

「驚いたわね。まさか私以外にも始祖とやらのルーンを持ってるヤツがいたなんて」

「でも…だからって、こんな事をしでかすなんて…」

 始祖の使い魔の事はあまり詳しくない彼女は、あの女が霊夢と同じく選ばれた者のみ使役できる使い魔だという事が信じられなかった。

 かつてこの大陸に降臨し、人々の為に世界の礎を築いた始祖を支えたであろう偉大なる使い魔たち。

 その内一つを受け継いだシェフィールドは、何処かで造ったであろうキメラを用いてアルビオンの侵略に加担している。

 現実は良いことばかりではないとはいえ、始祖の使い魔という任を引き継ぐ事なった者がするべき所業ではないと彼女は思っていたのだ。

 

 一方のデルフは何か思い出したかのように、ぶつぶつと一本で呟いている。

『あぁ……゙ミョズニトニルン゙かぁ。確かに、゙神の頭脳゛って呼ばれる程の能力は持ってたような…』

 思わずシェフィールドのルーンを見た際に留め具を鳴らして出た独り言だったが、霊夢がそれを聞き逃さなかった。

「そういえばデルフ、アンタ確かブリミルの事知ってそうな感じだったわよね。何か覚えてることがあるの?」

 霊夢の言葉に『いや…ちょっと、待ってくれ』と返した直後、『あっ、そうだ!』と嬉しそうな叫び声を上げた。

 その叫びに他の二人も思わずデルフの方へ目を向けるがそれにはお構いなしに、デルフは嬉しそうにしゃべり出した。

 

『オマエラ、今のアイツには用心した方がいいぜ?確かあの手の人工物を操る事に関しては、人間以上だ。

 その頭脳で魔道具を操る事に特化した使い魔。戦闘特化のガンダールヴとは正反対の性能だった筈さ』

 

 喉につっかえていた魚の小骨が取れたかのように嬉々と説明し終えたデルフに対し、拍手を送る者がいた。

 まるで出来の悪い生徒が、五分かけてようやく問題を解けた事を褒める教師がするような寂しい拍手。

 思わず霊夢とルイズは魔理沙の方を見るが彼女は違うと言わんばかりに首を横に振る。

 もしやと思い三人が一斉にシェフィールドの方を向くと、案の定キメラに囲まれた彼女が拍手をした下手人だった。

「良くできたわね。もしやとは思っていたけど…随分始祖の使い魔に詳しいインテリジェンスソードね?」

 思いっきり小ばかにするような表情で拍手を終えたシェフィールドの言葉に、デルフは喧嘩腰で返す。 

 

『へっうるせぇ!余裕ぶっこいていられのも今の内だぜ?

 オレっちやガンダールヴのレイムに、マリサと娘っ子がいりゃあそんな化け物なんぞ屁でもねぇぜ!』

 

「おいおい、戦う前から私たちが負けないような事言わないでくれよな?まぁ勝てないワケはないけどな」

「そんなの当り前じゃない!極悪非道なアルビオンに協力して姫さまとちい姉様…それにここに住む人たちを苛めるのなら、放っておけないわ!」

 デルフに続いて魔理沙もそう言ってミニ八卦炉の発射口をシェフィールドに向けると、ルイズもまた魔理沙の隣に立って杖を構え直す。

 黒白の言葉に対して色々突っ込みたい所はあったものの、絶対に負けられないという思いは奇遇にも一緒であった。

 

「とりあえず私の事も知ってるようだし…前にも似たような化け物とも戦ったことあるのよ。

 アンタ、色々知ってそうじゃないの?まずは動けなくして今回の騒動を終わらせたら、是非ともお話ししようじゃないの」

 

 そんな二人に続くのか続かないのか、構えたまま霊夢は御幣を剣のようして構え直すとシェフィールドにそう宣言する。

 ガンダールヴの事を知っているうえに、更に奴がキメラと呼んでいる化け物と似たような存在と対峙もとい退治した事もある。

 そしてこれまでの言動からみて、このシェフィールドという女は確実に幻想郷とハルケギニア間の異変に関わっているに違いない。

 半ば思い込みという名の被害妄想に近い確信を得た霊夢は、不敵な笑みを浮かべて神の頭脳を持つ女を睨み付けていた。

 

 深夜にも関わらずやる気満々で眠気などどこ吹く風の三人と一本と対峙する、シェフィールドと計六体のキメラ達。

 それでも尚彼女は笑みを崩すことなく、むしろ気合十分なルイズたちを見て鼻で笑える程の余裕さえ見せている。

「ハン!まさかとは思うけど、この六体だけ倒せば良いと思ってるんじゃあないだろうね?」

「なんですって?」

「言ったでしょう?コイツらは兵器として造ったんだ。それならば、頭数を充分に揃えなきゃ戦力にはならないのさ」

 自分の言葉に訝しんだルイズに見せつけるかのように、彼女はパチン!と指を鳴らす。

 闇の中では不釣り合い過ぎる軽快な音が響き渡ると同時に、シェフィールドの額のルーンが再び輝き出す。

 今度は一体…?ルイズが訝しんだ直後、今度は計四体ものラピッドが一斉に降り立ってきた。

「よ、四…ということは計十体って事!?」

「うへぇ、数を増やせば良いってもんじゃないだろうに…」

 ルイズと魔理沙はシェフィールドより後ろに降り立ったキメラ達を見て、流石にたじろいでしまう。

 今や計十体もの銀色の異形達によって囲われた屋敷前は、闇の中で煌々と鈍い輝きを放っている。

 

「数だけ増やすとはいかにもな奴がやりそうな手口ねぇ?しかもアンタの言い分だと、まだまだいるって事なんでしょうけど」

「何度でも言いな!どっちにしろまだまだ補充があるんだ、お楽しみはこれからってとこさ!」

 霊夢は十体ものキメラとシェフィールドに警戒したまま、敵である彼女に言葉をよこす。

 それに対してシェフィールドは腕を組んで余裕の姿勢を見せつけながら、声高らかにしゃべり出す。

 

「コイツラは明朝と共に隣町へ進撃を開始する事になってるのさ。アルビオン艦隊の前進と共にね。

 そうなればトリスタニアまではほぼ一直線、お姫様が逃げようが逃げまいがアンタたちの王都はおしまいってワケさ!」

 

「トリスタニアを滅ぼすですって?そんなこと、させるもんですか!」

 生粋のトリステイン王国の名家出身であるルイズはその言葉を聞いて、元から昂ぶっていた怒りを更に上昇させた。

 感情が激しい起伏を見せ、まるで海の底から岩山が出てくるかのように勢いよく高くなっていく。

 そんな彼女の様子を見てますます楽しそうで卑しい笑みを浮かべたシェフィールドは、言葉を続けていく。

 

「ならアンタたちだけでアルビオン艦隊に勝ってみる?それも一興かしらねぇ。

 どっちにしろ、キメラも止めるのならばアタシを倒すか…もしくはコイツラの゙鳥かご゙を見つけてみなさい。

 両方ともこなす事が出来なければ、アンタの小さな小さな故郷は化け物とアルビオンの艦隊に潰されるだろうねぇ―――――」

 

 

 唄うような軽やかな声でもって、シェフィールドがそう言った直後であった。

 

「―――――成程。じゃあアンタが、コイツラの親玉って事で良いのかしら?」

 

 今彼女たちが対峙する空間の外。闇に紛れた漆黒の森の中から、聞き覚えがあるようで無い女の声が聞こえてきたのは。

 

 鋭く、それでいて女らしさが垣間見えるその声がした方へと、キメラ以外の四人と一本はすぐに反応した。

「ッ!何者――――な…ッ!?」

 最初に声を上げたシェフィールドが声が聞こえてきた方角へと顔を向けた瞬間、゙ソレ゛は飛んできた。

 黒い血しぶきを上げ、地面に叩きつけられたであろう衝撃で触覚が千切れ、赤い複眼を点滅させる黒く巨大な飛蝗の生首。

 虫が苦手な人間ならば即気絶しておかしくないようなグロテスクな異形の生首が、彼女の足元に投げつけられてきたのである。

 今まで余裕の表情を浮かべていたシェフィールドの顔には、ルイズ達が初めてみるであろう驚愕の色を浮かばせてしまう。

 それ以前に、ルイズはいきなり飛んできたその異形の生首を目にして、思わず悲鳴を上げてしまう。

「キャアッ!な、何よアレ!」

「うわ…、お化けバッタか何かか…?」

 魔理沙も同じように驚いたものの、霊夢だけはその飛蝗の生首を見て目を見開いていた。

 何故ならあの頭部の形、かつて深夜の魔法学院で一戦交えて勝利した虫の怪物の頭と酷似していたからだ。

「アイツ…あの頭。じゃあ、アレもキメラだったっていうのかしら?」

 今思い出せばあの姿形、複数の虫を無理やり混ぜ込んで何とか人型に収めた無理のある体。

 あれこそキメラという名を冠するに相応しい存在に違いない、少なくとも目の前にいる十体のトカゲ人間もどきと比べれば。

 

 そんな霊夢たちとは別に、余裕の表情を驚愕で崩していたシェフィールドは足元に飛んできたキメラの生首を見つめている。

 通称名『コンプレックス』は、サン・マロンでのキメラ開発を再開させてから初めて完成に至った軍用キメラだ。

 集団での対メイジを想定して多種多様なキノコ類から採取した複合毒粉に、ハルケギニア南部に生息する有毒昆虫の武器を有している。

 以前からトリステインの他あちこちの諸侯国や辺境地で毒粉の威力を抑えてからテスト投入されており、既に兵器として充分使用可能との太鼓判が押されていた。

 ここに投下された理由はあくまでアルビオン軍の支援としてではあり、持ち前のスピードと毒でトリステイン軍にそれなりの被害を与えているのだ。

 

 そんなキメラの頭部を、まるで家の窓からゴミを投げ捨てるように放ってこられたのである。

 戦い慣れていないメイジでは倒す事さえ困難であるというのに、その頭をもいで投げ捨ててきた見知らぬ相手はそれを成し得たのだ。

 最初こそ驚いていた彼女であったが、自分が…ひいては我が主が想定していた計画の゙外側゙から来たであろうソイツに激しい敵意を抱き始めた。

 本来ならば三人とキメラ達の戦いっぷりを、遠い場所で観戦してくれている自分の主に余興の一つとして見せてあげるつもりだったというのに…。

 それを無遠慮に潰そうとしている相手に、彼女は憎悪しか見て取れぬ程の睨みをきかせて叫ぶ。

「ちぃ…っ何処のどいつだい!私の計画に横槍を入れてくるヤツは!?」

 激昂するシェフィールドに呼応するかのように、十体のラピッドが一斉にコンプレックスの頭が飛んできた方へと槍を構える。

 中には体内の『風石』を反応させて宙に浮いて空中から突き刺してやろうと、スッと槍の刃先を暗闇が支配する森の中へと向けた。

 

 

 

「大人しく出てきな!!そしたら無粋なアンタを、コイツラが串刺しにしてくれるさ…ッ!!!」

「―――――そう、じゃあ出てきてあげるわ。真上からね」

 痺れを切らしたであろうシェフィールドがそう叫んだ直後、再び女の声が聞こえてくる――――彼女の頭上から。

 瞬間、シェフィールドとルイズたちが思わず自分たちの頭上を見上げた直後、『彼女』が地上へと落ち始めているのが見えた。

 闇の中で鈍く光る黒い髪とこの暗い空間の中でも目立ってしまう紅いスカートをなびかせて、青白く光る拳を振り上げた゛彼女゛が落ちてくる。

 自身の頭より高く振り上げた青白く光る左手の拳は激しい殺気を放ち、それが殴り抜けるであろう対象への殺意を露わにしていた。

 

 そして、今この場に居る人間の中で霊夢だけは感じていた。あの拳から漂う暴力的な霊力を。

 自分のそれとは明らかに違う荒々しさと、人妖の双方すらも傷つけることの出来る凶悪さ。

 

 その両方を今落ちてこようとしている霊力を゙彼女゛から感じ取った霊夢は、すぐに直感した。

 ――――――――――このままでは、自分の前にいるルイズと魔理沙が大変な目に遭うと。

 

 

「―――…ッ!?」

 赤みがかった黒目を見開いた彼女は軽く舌打ちすると、バッ!とルイズと魔理沙の前に躍り出る。

 突然出てきた彼女の背中に二人が何かを言う前に霊夢は左手に持っていた御幣を突き出すと、左手に自らの霊力を集中させる。

 そして、超短時間で練り上げた霊力を左手から御幣の先端部へと流し込み、即席の結界を作り出した。

 無論即席であるが故に防御力はそれなりでもその場凌ぎにしかならない代物であったが、彼女としてはそれでも充分であった。

 

「―――…ッ!?ちぃっ!散れッッ!」

 霊夢が結界を張り、シェフィールドがキメラ達にそう叫んで背後にある森の中へと跳躍した直後――ー落ちてきた女が地面を殴りつけた。

 先ほどまでシェフィールドが経っていたすぐ傍を、青白く凶悪な霊力に包まれた右手の拳が芝生の生い茂る地面を抉っていく。

 それを合図にしたかのように、シェフィールドの指示でもってキメラ達も後ろへ下がった瞬間、勢いよく地面が爆ぜた。

 まるで女の拳そのものが爆弾となったかのように闇の中に激しい土煙が一瞬で周囲を包み込み、飲み込んでいく。

 同時に地面を殴った衝撃で吹き飛んだ小石や地中の石つぶてが周囲に飛び散り、間一髪で退避したキメラの体にぶつかっている。

 そして当然の如くルイズたちの元にもそれが届き、霊夢の貼った即席結界にぶつかっては激しい音を立てて跳ね返っていく。

「きゃあッ…!」

「うぉっ、何だ!?」

『ヤロ…!何て無茶苦茶な事しやがる…』

 ルイズと魔理沙、それにデルフは突如乱入してきた女性の攻撃方法に軽く驚いていた。

 霊夢が結界を張ってくれていなければ、周囲にいた自分達も怪我を負っていたに違いないからだ。

 当然その攻撃で狙われていたシェフィールドは後ろへ下がり、更には土煙のせいでその姿すら見えない。

 キメラ達は乱入してきた女を囲むようにして、主であるミョズニトニルンの命令通り周囲に散開している。

 

「デルフの言うとおりね。…全く、大した事してくれるじゃないの?」

 一方の霊夢も、突然乱入してきたうえにこちらまで巻き込もうとした相手に僅かな苛立ちの意思を見せつけている。

 理由としては、これからしばき倒して詳しい話を聞きたかった相手との戦いに、わざわざ横槍を入れてきたからであった。

 おかげでシェフィールドは姿を消した上に、面倒くさいキメラ共をお土産代わりに置いて行ってくれている。

 折角異変解決の手掛かりになるかもしれない女を見つけたというのに、見知らぬヤツのせいで逃げられてしまったのだ。

 霊夢にとって、それは到底許せることではなかった。

 

 

「どこの誰かは知らないけれど、アンタの素性によってはタダで―――――なっ!?」 

 だからこそ、乱入してきた相手がどんな奴なのかと、薄れていく砂埃に目をこらした彼女は我が目を疑ってしまう。

 彼女には信じられなかったのだ。よもやこんな西洋風の異世界で、゙自分と似たような恰好をした巫女服姿の女゙と出会ってしまった事を。

 

 そんな彼女の後ろで突っ立っていたルイズと魔理沙も霊夢の反を見てタダ事ではないと悟ったのか、同じように目を凝らして見た。

 最初こそ良く見えなかったが、それでも五秒…十秒…と時間が経っていくと同時にその姿が鮮明に見えていく。

「…っ!ちょっと、アレッ、あれって何なのよ!?」

 そしてルイズもまた、砂ぼこりの向こうにいた乱入者の姿を目にして、思わす霊夢の姿と見比べながら叫ぶ。

 同時に魔理沙も目を丸くして「何だありゃ…?」と、信じられないようなモノを見たような表情を浮かべていた。

 だが、そんな三人よりも更に狼狽えていたのは、驚いたことに霊夢が背負っていたデルフリンガーである。

『んだと…?ありゃ、一体…どういうことだ…!?』

 剣ゆえに声の抑揚でしか感情を表現できない彼の言葉には、動揺という名のスパイスがふんだんに盛られている。

 それに気づいたのか、彼を背負っている霊夢がそれに答えるかのように「私だって、知りたいわよ…」と一人呟く。

 

「ねぇ…一つ聞きたいんだけど、アンタは一体何処の誰なの?」

「―――――奇遇ね。実は私も、それを知りたくて知りたくて仕方がないのよ」

 砂ぼこりの向こうにいる相手へ問いかける霊夢に、『彼女』は地面を穿った右手の拳に付いた土を払いながらそう答える。

 黒く硬そうな印象が見受けられるブーツに袴をイメージしたかのような紅のロングスカート。

 腕には霊夢と同じく服と別離した白い袖に、彼女のそれより幾分か情報量の少ない巫女服を着込んでいる。

 霊夢と比べやや色の濃い黒髪は長く、月明かりでもあればさぞやそれなりに綺麗な艶でも出していたであろう。

 そしてその顔。霊夢とはまた違い鋭い刃物のような美しさを持つ顔は、『彼女』の黒みがかった紅い瞳を霊夢に向けている。

 

 土煙が消え去り、霊夢達と『彼女』の間を遮るモノが無くなったところで『彼女』――――ハクレイは口を開いた。

「で、先に聞きたいんだけど…アンタ達と話をしていたシェフィールド…?とかいう女はドコにいるのかしら」

 三人の体に漂う空気を読めてない様なハクレイの質問に、思わず霊夢が珍しく怒りを露わにして叫ぶ。

 

「アンタが今しがた脅かしたせいでね…、雲隠れならぬ森隠れしちゃったわよ!」

 ―――瞬間、それまで様子を見守っていたキメラ…『ラピッド』達の内約半数の五体が一斉に動き出した。



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第七十九話

 ゴンドアはトリステイン王国の領地内にある町でも、特に目立たない中規模な町だ。

 最も近いラ・ロシェールからは徒歩で二時間、トリスタニアから行けば馬で行っても一日半近くは掛かる。

 比較的平らな土地の上にはトリスタニアの三分の一程度の市街地と国軍の小さな砦があるだけだ。

 強いて言えばそこから徒歩二時間もしない場所に『風石』を採掘できる鉱山があり、町に住む男たちの大半はそこで働いている。

 若い者も力仕事ができる者は皆鉱山へ行くので、王都や地方都市へ出稼ぎに行く若者は比較的少ないと言っていいだろう。

 

 採掘された『風石』はそのまま輸出されたり、町の加工場で削ってちょっとした民芸品として売られていたりもする。

 『風石』は加工しだいによっては神秘的な緑色の光りを放つ事もあり、お土産としての人気はあった。

 また知ってのとおり、『風石』は船や一部のマジック・アイテムを動かす素材としても使われているので、町の経済は富んでいると言っていいだろう。

 その為『風石』の買い付けに来る商人は後を絶たず、国内外の貴族たちもラ・ロシェールか王都へ行くついでに足を運ぶことも多い。

 王都や外国で流行っている類の品物も、港町と王都の間に位置しているおかげでそれなりに流通はしている。

 

 王都トリスタニアと港町ラ・ロシェールの板挟みである事、『風石』の鉱脈に恵まれた事。

 この二つがあるおかげで、ゴンドアという町は若者が少ない寂しい町にならずに済んでいるのだ。

 

 だがしかし、その町は未だかつて経験した事のない危機に晒されていた。

 疫病が蔓延したワケでもなく、ましてやドラゴンやオーク鬼などといった『生きた災害』と言われる幻獣や亜人達が襲撃したワケでもない。

 それは遥か上空、白い雲とどこまでも続く青い空の中に浮かぶ゙白の国゙からやっきてた艦隊。

 今や神聖アルビオン共和国からの使いと名乗る暴虐なる軍勢が、この平和な町に攻め込もうとしていたのである。

 

 

 その日、時間は既に深夜だというのに町は日中以上の喧騒に包まれていた。

 普段ならば賭場の店主ですら店じまいして寝ているというのに、街の至る所で大勢の人々が走り回っている。

 無論その中にはこの町に住んでいる人間はおらず、奇妙な事に彼らよりも軍人達の方が多かった。

 町の砦で働いている地元出身国軍兵士から遠い地方から来た者もいれば、王軍所属の若い貴族達もいる。

 彼らは皆必死な表情を浮かべており、肌から滲み出る汗などものともせずに走り回っていた。

 

 

 事が起こったのはその日の昼過ぎであっただろうか。

 町の人々が未明に聞こえてきた大砲の音で何だ何だと目を覚ましてから、数時間がたった頃。

 夜明けの砲撃は、きっと親善訪問に来てるアルビオン艦隊への礼砲だろうと朝食をつつきながら話している最中であった。

 そのアルビオン艦隊を迎えに行っていたトリステイン艦隊が、急に町の方へ飛んできたのである。

 町の者たちは皆驚いてか、食べていた朝食を後に家を飛び出したり窓から身を乗り出すなどして上空を通り過ぎていく艦隊に目をやった。

 やがて艦隊は町のはずれにある草原で一旦停止した後に、その内一隻の小型艦が町の上空を飛び続けながら人々に説明をし出した。

 

 曰く、親善訪問の為にやってきたアルビオン艦隊が我々を不意打ちしようとしてきた事。

 幸いにも、偶然現地で訓練中であった国軍が新しく配備された対艦砲でもって援護してくれたといゔ幸運゙があった事。

 その国軍の訓練を監査中であった王軍が、アルビオンに不可侵条約の意思なしと判断してアルビオンとの戦闘を開始した事。

 敵となったアルビオン艦隊は予期せぬ地上からの砲撃により浮き足立っており、戦況は我が方に傾きつつあるという朗報。

 そして我が艦隊は態勢を整え直すために暫しここで浮遊しているが、この町にまで戦闘が広がる可能性ば限りなく低い゙という報せ。

 

 拡声用のマジックアイテムで伝えられる事実に、町の人々はどう反応していいのか当初は困惑していた。

 無理もないだろう。何せアルビオンとはつい最近に不可侵条約を結んだばかりだと知っていたからだ。

 アルビオンから来る商人達も皆「戦争にはならんさ!」と屈託ない笑みを浮かべながら言ってくれたというのに…。

 とはいえ、一度始まった戦というものは止めようが無いという事は多くの人が知っていた。

 過ぎたことを悔いるよりも、今できる事を思う。それが鉱山での採掘と『風石』の加工で鍛えられた人々の考えであった。

 ならば善は急げと言わんばかりに町中の倉庫で眠っている『風石』を掻き集めて、この町へ来るであろう゛客゙を待つ事にした。

 街のはずれに停泊する艦隊、そしてその艦を動かす為には大量の『風石』が必要なのである。

 

 当然停泊したトリステイン艦隊を指揮する空海軍の使いがやってきて、『風石』の交渉にやってきた。

 そこから先はとんとん拍子に進み、現金払いと小切手の半々で軍が購入した『風石』の輸送で町は朝から忙しくなった。

 『風石』を満載した馬車が町の通りを占有し、ついでと言わんばかりにパンや干し肉にチーズといった食料まで売り始める商魂逞しい者までいた。

 輸送や交渉の為に町へやってくる水兵や貴族の下士官たちは気前よく金を払い、焼きたてのパンやチーズを買っていった。

 

 そんな風にして平時は静かであるこの町の朝は、トリステイン艦隊という思わぬ客のおかげでお祭り騒ぎとなっていた。

 だがしかし、そんな嬉しくも美味しい祭りの気分はラ・ロシェールから撤退してきた国軍と王軍がやってきた事で一変した。

 もうすぐ昼に差しかかろうとしている時間帯――――突如として二群の部隊が慌ただしい様子で町へと入ってきたのである。

 朝の艦隊に続くようにして入ってきた彼らに町の人々はおろか、町にいた空海軍の者たちまで何だ何だと驚いた。

 何せ殆ど無傷の王軍や国軍の兵士たちが、恐怖に染まった顔を冷や汗で濡らしながら町へと入ってきたのだから。

 彼らが乗っている馬や幻獣達は何と対峙したのか、今にも町人や水兵たちに襲い掛からんばかりに興奮しきっている。

 空海軍の兵士たちはもしやアルビオンに艦隊に押し負けられたのかと訝しんだが、それは違った。

 否、正確に言えば半分は正解しており――――もう半分は外れだったのである。

 それを彼らに教えてくれたのは、撤退してきた騎馬隊の中に混じっていた王軍のオリヴィエ・ド・ポワチエ大佐であった。

 

「おい、君!すまぬが、トリステイン艦隊はどこで一時停泊しているか?」

「え…?じ、自分でありますか?」

「当たり前だ、私の目の前でサンドイッチを大事そうに持ったまま呆然としておるのは君だけだぞ」

 大軍を率いてきた彼は、町の入口で軽食を摂っていた水兵の一人に声を掛けたのである。

 水兵はいきなりやってきて声を掛けてきた王軍の将校に「し、失礼しました!」と急ぎ敬礼すると、何用でありましょうかと聞いた。

 ポワチエは当初それを言うのに躊躇したものの、周りにいた将校たちに目配せをしてから水兵にこう伝えた。

 

「至急艦隊指揮官のラ・ラメー侯爵に伝えてくれ!…アルビオン艦隊は未知の怪物を投入!

 国軍と我が王軍は防戦に失敗、ラ・ロシェールとタルブ村の避難民を連れてこの町にまで後退してきたと伝えろ!」

 

 

 ―――そして時間は今に戻る。

 陸上部隊が避難民を連れて町へ来てから今に至るまでも、騒ぎは続いている。

 しかしそれはお祭り騒ぎの様な嬉々とした雰囲気は無く、明日にも世界が滅びそうな切羽詰まった緊張感が漂っていた。

 この町を抜ければ、後は王都トリスタニアへと直行する一本道。遮る山や森すらも無い整備された街道しかない。 

 だからこそ、ここで迫りくるアルビオン艦隊と奴らがけしかけたであろう゛怪物゛を食い止めなければならなかった。

 

「町の人間は残らず鉱山に避難させろ!歩けない者は誰かがおぶってやるんだ!」

「通りという通りにはバリケードを設置するんだ、早くしろ急げ!」

「……って、おいバカ!ゲルマニアがくれた対艦砲は敵艦隊から見えない場所に置けと言っただろうが!?」

「よし、掻き集めた『風石』と黒色火薬はトリステイン艦隊が駐留している場所へ運べ、鉱山の向こう側だ!」

 

 深夜にも関わらず大勢の士官たちが大声で指示を出し、部下たちはそれに従って迅速に動いていた。

 ある王軍の貴族下士官は魔法でもって町の通りに木材と石を混ぜた土のバリケードを作り出し、封鎖作業に取り掛かっている。

 また別のところでは、これまた王軍に所属する若い貴族士官が民家に残っていた老夫婦を優しく諭しては、避難するように指示していた。

 国軍の平民兵士たちも通りに並ぶ建物の中に一旦分解した中型のバリスタを運び入れて、慣れた手つきで組み立てている。

 この中型バリスタは数本の矢を一度に発射する事ができるので、これ数台を屋内に設置すればそれだけでも簡単な要塞ができあがる。

 

 町の住人の避難に合わせて、町そのものを一個の防衛施設として改造するのは容易ではない。

 更に前進してくるかもしれない敵を迎え撃つために、戦力の何割かを町の入口に配置しているのだ。

 元々はラ・ロシェールで足止めしつつ増援を待つという予定であった為に国軍、王軍、そして空海軍共に連れてきた戦力は少ない。

 その結果、昼頃から始めて日付を跨いだ今になっても町の要塞化はようやく三部の二が終わったところである。

 今敵が進攻してきた場合、この町で防衛線を行うのは極めて難しいという状況に変わりは無かった。

 

 

 しかし、始祖ブリミルは彼らに祝福をもたらしてくれたのであろうか。

 この様な危機的な状況の中、今日の昼過ぎに出動した王都からの増援部隊が遂に到着したのである。

 新しい隊長の元に復活したグリフォン隊を含めた魔法衛士隊と、霧が薄まった事で到着の早まった竜騎士隊を含めた第一軍。

 接近戦に特化した槍型の杖で武装した騎馬隊と、金で雇った傭兵たちと共に前進する前衛貴族部隊からなる第二軍。

 貴族の比率がガリアに次いで多いトリステイン王軍ならではの増援に、町で籠城に備えていた者たちは歓喜の声を上げた。

 

 だが、彼らが何よりも喜んだ原因はその軍勢を率いて出陣してきだ彼女゙がいたからであろう。

 百合の国たるトリステイン王国に相応しき人物、先王が残した花も恥じらう麗しき王女。

 そして本来ならば、二日後に迫った隣国ゲルマニアの皇帝と結婚する筈であった花嫁。

 

 

 その゛彼女゛、アンリエッタ王女殿下が自ら部隊を率いてこの町を守りにやってきたのだ。

 トリステイン王国を守る軍人ならば、彼女の姿を見て喜ばぬ者が奇異な目で見られる程であった。

 

 

 ゴンドアからほんの少し離れた場所にある名も無き小高い丘。

 そこで王都から出て、この町に集結しようとしている王軍を見つめるアンリエッタの姿があった。

 彼女は今、民衆の前で見せるドレス姿ではなく慣れぬ軍服を身にまとい、気高き乙女しか乗せぬと言われるユニコーンに跨っている。

 夜風ではためく紫のマントには金糸で縫われたユニコーンと水晶の紋章。それは間違いなく王女である事の証であった。 

「殿下、遅れていた後続が順次到着中との事。このままいけば、夜明けの直前に全部隊の合流は無事終わるでしょう」

 そんな時、黒毛の馬の乗ったマザリーニ枢機卿が、護衛の騎士達を伴って定期報告の為にやってくる。

 人を使えばいいのに、彼直々にやってきたから無下にはできまいとアンリエッタは枢機卿の方へとその顔を向けた。

「…そうですか。到着してきた者たちはどうしていますか?」

 軍服を身に付けた今の彼女に相応しいとも言える、何処か物憂げさと緊張感が混ざり合った表情を端正な顔に浮かべている。

 まるで充分に悩みぬいた挙句に決めた自分の選択を、後になって本当に良かったのかと悩んでいるかのように。

 マザリーニ自身はその表情の原因が何なのか大体わかってはいたが、あえてそれには触れることは避けようと思っていた。

「はっ!到着した部隊は町の中央に着き次第補給部隊から水を貰い、十分な休息をとるようにとの命令を出しております」

「わかりました。…それで、ラ・ロシェールとタルブ村を襲ったといゔ怪物゙の事は何か…」

 アンリエッタからの了承とそれに続くようにして、先に展開していた地上勢力を追い出しだ怪物゛の事について聞いてみた。

 彼女からの質問に待っていたと言わんばかりに彼はコクリと頷いて、スラスラとセリフを暗記したかのように喋り出す。

 

「現在は部隊と共に限界まで前線に留まり続けたポワチエ大佐を含む何人かの将校から情報を得ており、

それを元にイメージ図と対策法を考えていますが、何分全く遭遇したことのない未知なる相手との事で…む?」

 

 町の中央で作戦会議の準備をしているであろう将校たちに代わって、申し訳なさそうに説明する枢機卿。

「いえ、無理もないでしょう…。むしろ、避難民をよくここまで連れて来れたと賞賛するべきでしょうね」

 そんな彼の言葉を遮るように右手を顔のところまで上げたアンリエッタはそう言うと、また町の方へと視線を戻した。

 町から王都へと続く街道には、出発が遅れた後続の部隊が次々と息せき切って入ってくる。

 要塞化の作業に勤しんでいた兵士たちはアンリエッタに率いられてきた彼らを見て、口々に「王女殿下万歳!」と叫んでいく。

 そんな兵士たちの歓声を聞いていると、マザリーニは自分の目を嬉しそうに細めていく。

 

 

 本当ならばもしもの事を考えて、アンリエッタだけでもゲルマニアへ送り届けるつもりだったのだ。

 ルイズ達がタルブへ向けて出発してから一時間後、タルブを放棄してゴンドアに最終防衛線を張ったという報告が届けられのである。

 

 ラ・ロシェールどころかタルブ村まで破れては、王都までの道を遮るのはそのゴンドアという町一つしかない。

 大した防衛設備が無いこの町ではアルビオンを足止めする事は難しいと、宮廷の貴族たちはそう結論づけたのである

 勿論国中の国軍に出動命令を出したのは良いものの、全軍が揃うまでには最低でも四日はかかるという始末。

 同盟を結ぶであろうゲルマニアも、援軍は一週間待ってほしいという回答を送ってきたのである。

 故にアルビオンの魔の手が王都に戦火の嵐を巻き起こす前に、アンリエッタをゲルマニアへ移送しようと考えていたのだ。

 だがしかし…彼女はそれを、あともう少しで移送の準備が済もうとしているところで反対した。

 ウェールズの形見である『風のルビー』を嵌めた彼女は、自らの勇気を振り絞って叫んだのである。

 

―――――私は…やはり私は王都に、いえこの国に残された人々を置いてゲルマニアへは行けませぬ!

 ―――――せめて我が国を侵略しようとするアルビオン艦隊と、奴らが放っだ怪物゛を駆逐してから皇帝の許へ嫁ぎます!

 

 アンリエッタは迫りくる敵に怯えていた宮廷の貴族達に向けて宣言し、自ら軍を率いて前線へ赴く事を決意したのである。

 無論宮廷の貴族達は反対したものの、アンリエッタはその意見を自分の怒りの感情で封殺させた。

 

――――――私はトリステイン王国の王女!貴方達宮廷貴族にとってお飾りであっても、この国の要たる者!

―――――――もしも私の意思で決めた出陣を食い止めようものならば、それ相応の覚悟はできているでしょうね?

 

 いつもの彼女からは考えられない静かに燃える炎の様な言葉に、枢機卿含めその場にいた宮廷貴族たちは何も言えなくなってしまった。

 一方で将軍や魔法衛士隊の隊長達は、やる気を見せてくれたアンリエッタに士気を昂ぶらせて付いてきてくれたのである。

 そんな彼女の怒りに火をつけたのは、ルイズと共にタルブへと向かったあの紅白の少女の言葉であった。

 

―――――ルイズは自分なりに悩んで決めたっていうのに、アンタはただ状況に流されてるだけじゃないの。

         悪いのは自分だって思い込んでるだけで、他の事は全部他人任せにしてジーッとしてただけじゃない。

           ウェールズの事が悲しいんなら、ちょっとはレコンなんちゃらとかいう連中に怒りの鉄槌でも鉄拳でもぶつけてみなさい

 

―――最後はアンタの好きに決めなさい

 

 今思い出せば随分腹の立つ言葉を好き放題に言って、会議室から立ち去って行ったあの少女に惹かれたワケではない。

 ウェールズ皇子を殺し、あまつさえ今度はラ・ロシェールとタルブ村にも牙を向けたアルビオンと彼女の言葉を思い出して、アンリエッタは遂に゙キレ゙たのである。

 アルビオンにここまで攻め込まれる口実を作ったのは自分であり、そしてそれを止める義務を持っているのも自分なのだ。

 この国を旅立つ前に自分が種を蒔き、それから芽吹いた肉食植物を絶対に根絶やしにしなければならない。

 トリステイン王国という大事な百合畑を命に代えてでも守り、侵略者の打倒をこの国で行う最後の罪滅ぼしとする為に。

 

 

 そして今。前線にいる者たちの喜び振りを見れば、彼女の選択は正しかったのだとマザリーニはそう思えて仕方が無かった。

「殿下。貴女がこうして出陣したおかげでほら、兵士たちは皆戦意を取り戻しております」

「上手いお世辞を申しますね?私がいなくともあれ程の大増援を見れば、誰だって喜ぶものですよ」

 つい本心から出てしまったマザリーニの言葉を無意識に世辞と受け取ってしまったのか、アンリエッタはその口を滑らせてしまう。

 言い終えた直後で、ハッと気まずい表情を浮かべたものの一方のマザリーニはただただ苦笑いしているだけであった。

「……すいません、つい」

「なに、この老骨の身には慣れた事です。ただ、そう御自身の事を貶すのは良くありませぬぞ」

 将兵達が見ておりますゆえ。最後にそう付け加えて、彼は後ろで控えている騎士達を横目で一瞥してみせる。

 彼らは王女殿下と枢機卿のやりとりをじっと見つめながらも、不届き者が現れぬよう周囲にも気を配っていた。

 勤勉かつ忠実な彼らの姿を同じく見つめながら、ふとアンリエッタはその口を開く。

 

「それにしても、人はほんの一押しの怒りだけでここまで来れるものなのですね…。

 アルビオン王家の仇であるアルビオン共和国からの刺客を討ち果たすためとはいえ、私がこれ程の軍勢を率いたなんて…」

 

 彼女は眼下に街道を行進していく将兵たちの列を見ながら、不安な雰囲気を見せる言葉を漏らす。

 出陣する直前の苛烈さは大分大人しくなっており、いつもの優しいアンリエッタに戻りつつあった。

 

「お言葉ですが殿下、ここにいる将校たちは皆殿下同様アルビオンを討つが為に集結した勇敢な者達ばかりです。

 例え殿下の命令で傷つき斃れたとしても…、彼らは貴女と共に戦えたことを誇りに思いながら死んでいくのだと思います」

 

 そんな彼女を勇気づけるかのようにマザリーニが言うと、彼の後ろにいる二人の護衛がウンウンと頷いた。

 枢機卿の慰めるかのような言葉にアンリエッタは口をつぐんでしまうと何かを言いたそうなもどかしい表情を浮かべている。

 彼女の顔を見て何か自分にだけ言いたい事があると察したのであろうマザリーニは、自分の馬を彼女の傍へと近づけさせた。

 幻獣の中でも一際目立つユニコーンと、一目で上等だと分かる黒毛の軍馬が横一列に並ぶ光景というものは中々珍しいモノだ。

 そう思っていそうな護衛たちの視線を背後から感じつつも、隣へ来てくれたマザリーニの近くで彼女はポツリポツリと喋り出す。

 

「確かに私はウェールズ様を…アルビオン王家を滅ぼしたクロムウェル一派に報復したいという気持ちはあります。

 けれども…やはり私の一時の恋から生まれたと言える争いに、大勢の人々がこれから死ぬと思うとどうも不安になってしまうのです…」

 

 今の自分の複雑な心境を、隣にいる自分にだけ聞こえるように告白し終えた彼女をマザリーニは真剣な眼差しで見つめている。

 王女の言葉にマザリーニは少し困った様な表情を浮かべながらも、ふと少しだけ考えてみた。

 

 確かに彼女のいう事にも一理あるであろう。

 レコン・キスタがウェールズとアンリエッタの関係を知っていたからこそ、あのタイミングで彼らは王政府打倒を掲げたのかもしれない。

 アンリエッタの嫁入りを条件に、軍事同盟を結ぼうとしたゲルマニアの皇帝を激怒させる恋文を手に入れる為に…。

 貴族派の自分たちにとって目の上のタンコブと化した王政府を倒せるうえに、小国のトリステインを孤立化させれるという一石二鳥の計画。

 結果的には奴らの作戦はミス・ヴァリエールとその使い魔である少女の活躍によって、見事に頓挫する事となった。

 それでも彼女は思っているのだろう。王族である自分が最初から叶わぬ恋を抱かなければ、この様な一連の事件は起きなかったのではと。

 

 成程、確かに一理はあるだろう。

 …あるのだろうが、やはりこの人はまだまだお若いからこそ、そういう風に考えてしまうのかもしれない。

「ふむ、成程。つまりは、自分が過去に抱いた恋心が全ての原因と…そう思っていらっしゃるのですな?」

「えぇ、私が実らぬ恋人に手紙など認めなければ、今頃アルビオン王家の方々も死なずに済んだのではと、そう思ってしまって…」

 三十年近くも政治にその体と時間を費やしてきた彼の目には、今の自分がどう映っているのだろうか?

 不思議とそんな事が気になってしまったアンリエッタに向けて、語りかける様にしてマザリーニが喋り出した。

 

 

 

 

「殿下…―――――殿下は、今日の天気がこれからどういう風になるか知っておりますか?」

 

「――――――…はぁ?」

 彼が呟いた直後、その言葉に反応するのにほんの二秒程度の時間が必要であった。

 全く脈絡も無く、急に明日の天気が気になった彼にアンリエッタは目を丸くして首も傾げてしまう。

 後ろにいる騎士達も姫が首を傾げた事に気が付いたのか、何だ何だと言いたげに互いの目を見合っている。

「天気…ですか?」

「えぇ、そうです。日を跨いでしまいましたし、明日はちゃんと朝日が出るのかどうか気になってしまいましてな」

 本気で天気の事を気にしているかのようなマザリーニに、アンリエッタはどう答えていいのか分からなかった。

 何せこの様な事態を生んだのが自分なのではないかと話している最中に、狂ったのかと思えてしまう程別の話題を持ち出してきたのだ。

 ここはふざけないで下さい!と怒るべきなのか、それとも困惑しつつも適当に明日の天気を言えばいいのだろうか?

 目を丸くし、困惑を隠しきれぬ表情でアンリエッタが悩んでいる最中に、それはやってきた。

 

「―――…殿下!アンリエッタ王女殿下はこちらにおりまするか!!」

 突如彼女たちの背後からそんな事を叫びつつ、グリフォンに跨った魔法衛士グリフォン隊の隊員が来たのは。

 その叫び声に思わず考え込んでいたアンリエッタが後ろを振り返ると、グリフォン隊の者はすぐ近くにまで来ていた。

 鷲の頭と翼に前足、獅子の体と後ろ脚という厳つい幻獣が足音を立ててこちらへ走ってくる姿は、中々怖ろしいモノである。

「そこのグリフォン隊の者、殿下に対し何用か?」

 一体何事かと背後の護衛達が乗っている馬で道を塞ぐと、若い隊員とグリフォンの前に立ちふさがった。

 自分よりもわずかに体格が大きい立派な軍馬二頭を前にして、乗り手と同じく青さが残るグリフォンは思わずその足を止めてしまう。

 騎士たちと比べればまだまだ子供であるグリフォン隊の隊員は、突然止まった相棒からずり落ちそうになるのを何とか堪えていた。

「いかに伝える事があるとはいえ、幻獣に跨ったまま突っ込んでいれば大惨事になっていたぞ!」

「…、ッ申し訳ない。実は至急殿下に伝えたい事があるのだが…よろしいか!」

 入隊して間もないであろう彼は護衛の騎士からの注意に対し素直に謝ると、次いで早口に捲し立てる。

 隊員の要求に二人の騎士はコクリと頷いて、前方を塞いでいた自分の馬を後ろへと下がらせた。

 

 素直に道を開けてくれた事にホッとしつつも、ずり落ちるようにして相棒のグリフォンから降りた隊員は早足でアンリエッタの傍へと向かう。

 彼の焦った表情からは、何となくではあるが良い報せではないという気がしてならなかった。

「一体どうしたのですか?そんなに慌てて…」

「は、はい…!実は先ほど、タルブ村の方からやってきたという少女一名と数名の将兵が…救援を求めて…」

「…!詳しく話して貰えますか?」

 ゙タルブ村゙―――。その単語を聞いて眉が無意識に動いたアンリエッタは、隊員に話を続けるよう要求する。

 彼が言うには、今から十五分ほど前に撤退して無防備状態であるタルブ村の方角から数名の男女がやってきたのだという。

 タルブ村の者は少女一人だけで、後は国軍の女兵士一名と同じく国軍の平民下士官二名、そして王軍の貴族下士官一名の計五名。

 当初は敵の間諜かと疑っていたが、直後にタルブ村で防衛線を張っていた兵士と貴族士官たちの証言で彼らが本物だと判明した。

 村人である少女が言うには件の『怪物』を避ける為に遠回りになる山道を通るために、案内役として兵士たちを先導したのだという。

 余談ではあるが…少女の名はシエスタと言い、これは先に避難させられていた両親が彼女と再会した時に判明した。

 

 そして彼女についてきた兵士たちの証言によると、タルブ村領主の屋敷の地下には未だ多くの人が取り残されているのだという。

 隣町まで歩けない女子供に領主であるアストン伯を含めた年寄りが、当時見張りとして残っていた国軍、王軍の混成部隊と共に籠城している。

 食料や水はあるものの何時『怪物』たちに気付かれるともしれぬ為に、すぐにでも救助部隊の編成をして欲しいと乞うているとのこと。

 

 そこまで報告した後、若い隊員は一呼吸を置いて最後に報告すべき事を口に出した。

 

「そして…現在彼らと共にあのヴァリエール家の次女、カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌ様もいるとの事!

 偶然にもタルブ村へ旅行で訪れている最中に、不幸にも今回の戦闘に巻き込まれてしまったようです!

 幼少から続く持病のせいで容態は悪く、彼女の健康も考慮して一刻も速い救助部隊の編成と派遣を願う!との事です!」

 

 ようやく報告を終えた隊員が顔を上げると同時に、アンリエッタはふとタルブ村の方角へと顔を向ける。 

 その顔にはアルビオンに対する敵意をより一層滲ませると同時に、方角の先にいるであろう幼馴染の事を思い出していた。

「ルイズ…もう少しだけ待っていて頂戴!」

 誰にも聞こえない程度の声量で一人呟くと枢機卿の方へと顔を向け、すぐに命令を下した。

 

「マザリーニ枢機卿、すぐに救助部隊の編成を!」

 

 

 

 

 ――――――気のせいだろうか、頭が痛い。

 突如乱入してきた謎の女に対する自分の叫びから始まった戦いの最中、霊夢はそんな事を考えていた。

 銀色の軽快な体で槍を振り回してくるリザードマンモドキのキメラを相手するのに集中しながらも、頭の中で疼くような痛みに悩まされている。

 しかし戦いに支障がある程と言われればそうでもなく、かといって無視しながら戦えると言われればそれは嘘になってしまう。

 後頭部の内側、自分の心臓と同じく弱点である頭から伝わってくる痛みは、彼女の神経を静かに逆撫でていく。

 

(別段痛くも無く、けれど無視するにはどうにも鬱陶しい…。ホント、イヤになるわね…)

 心の中で呟きながらも前方のキメラを片付けようとしたとき、ふと頭上から漂ってくる殺気に思わずその場から後ろへと下がった。

 瞬間、体内の『風石』で浮遊していた別の一匹が投げつけてきた槍が、先ほどまで霊夢の立っていた場所へと突き刺さる。

 コイツらをけしかけたシェフィールドという女が言うように、兵器として造られているおかげで随分小賢しい連携をしてくる。

 軽く舌打ちしながらも、右手に握ったお札を一枚上空へ投げつけるが、それはあっさりとかわされてしまう。

 まるで釣り糸で引っ張られるかのように後ろへと下がったキメラの動きは、さながら操り人形の様な不気味さを醸し出している。

「テキトーに造られた化け物のクセに、ちょこまかと動くんじゃないわ…よッ!」

 語尾を荒げつつも、間髪入れずに取り出した数枚のお札を一気に投げつけ、今度こそは上空のキメラに命中する。

 防御力が低そうな白銀の鎧に貼り付いたお札が一瞬の間を置いて、キメラごと巻き込む程の凶悪な霊力を放出した。

 

 哀れ上空のキメラは断末魔を上げる間もなく体の三分の二を失い、細かい肉片となって地面へと落ちていく。

「これで六匹目――――んでアンタで、七匹目ッ!!」

 仲間の肉片で視界を遮られたキメラが足を止めた所を狙って、すかさずお札を取り出して投げつける。

 先ほど投げたのと違い、霊夢の手から離れたソレは紙の媒体からお札の形をした青い霊力の固まりへと変異する。

 そしてキメラの肉片を避けるようにして緩やかなカーブを描き、青いお札――ホーミングアミュレットがキメラの横っ腹を貫いた。

 やられたキメラは咄嗟に金切り声を上げたものの、自分が攻撃を受けたという認識をした直後に体の内側から青い光が迸る。

 体内に入り込んだアミュレットが霊夢の意思に従って暴走し、キメラの肉体は破片一つ残らず青い霊力に飲み込まれていった。

 

 話の通じぬ妖怪や人外には一切容赦せず、通じても容赦する気のない霊夢らしい攻撃である。

 七匹目まで始末し終えた彼女は一息ついてから再び身構えると、背中に担いだデルフが急に口笛を吹いた。

『ヒュゥー!やるねぇ、伊達にガンダールヴとして召喚されてないだけの事はあるよ!』

「そりゃ…どうも、うれしくて溜め息が出ちゃいそうだわ」

 半ば無理矢理に使い魔となった身としてはあまり嬉しくない褒められ方ではあったが、とりあえず返事だけはしておくことにした。

 先ほど数えたとおり今ので七匹始末したものの、残念な事に倒した直後から同じような奴が何処からともなくやってくるのだ。

 それを証明するかのように、霊夢が倒したばかりの二匹の穴を埋めるようにして上空から新しい二匹が着地してきている。

 

 彼女を含めて、今この場で戦っている四人のトータルを合わせれば最初のを含めて十五匹倒してはいるが、一向に減る気配はない。

 今回の元凶であろうシェフィールドの言っていた事が正しければ、そう遠くない何処かに奴らの補充分の源が何処かにある筈なのだ。

 本当ならコイツらを相手にするよりも先にそちらを潰す方がいいのだが、残念な事に今の霊夢にはそれが難しかった。

 

 その理由らしいモノを上げれば、四つほどあると言えばある。

 一つ目は、今彼女たちと戦っているキメラ―――ラピッドが思いの外手強いという事であろうか。

 

 

 霊夢の経験から言えば、単体では大したことは無いものの数が揃えば脅威となる部類の相手であった。

 体を覆っている鎧は薄く、デルフ曰く『体内の『風石』で飛ぶために鎧も体も軽くしてやがる』との事らしいがそれは間違ってないと思う。

 現に今に至るまでの霊夢は何回かコイツラを蹴飛ばしてはいるが、体が紙細工なのかと思ったくらいに吹っ飛んだのである。

 最もそれで与えられるダメージなど殆ど無傷に等しいものであり、時には体の中の『風石』を使ってそのまま飛び上がる奴もいた。

 また『風石』で浮遊しているおかげか、浮いている間の直角的で非生物じみた動きに彼女は不気味さを覚えていた。

 少なくと彼女がこれまで戦って相手や、この世界で戦ったキメラ達も含めてこの様な奇怪な動きをする相手はいなかった。

 

 手に持っている槍もどこで槍術を学んできたのか、少なくとも無視できない程度のレベルだった。

 振り回したり突いてきたりするのはもちろんの事、時にはジャベリンとして思いっきり投げてくる事さえあるのだ。

 しかも宙に浮いている奴もここぞばかりに投げてくるということもあって、頭上と地上で二匹のラピッドを相手にせざるを得なかった。

 背中にある羽根状の薄い六枚羽根みたいなモノは武器なのかどうなのか、それは未だに分からない。

 デルフが言うにはあれも『風石』で浮かんでおり、本体に埋め込まれているモノと連動しているのだという。

 だからアレも武器の一つだと霊夢は思ってはいた。少なくともコイツらを彩る飾りとしてはあまりにも無骨である。

 

 更に言えば、知性の無さそうな怪物のクセにやたらとチームワークが良い。

 最初、霊夢はこいつらの囲いから出ようとしたものの上空で待機しているのと地上のヤツらが、一斉に襲い掛かってきたのだ。

 結果的に奴らの包囲からは逃れられなかったうえ、一度に四体ものラピッドを相手をする羽目になってしまった。

 その後次々と来る敵の増援に痺れを切らした彼女は、瞬間移動で包囲から出ようと考えたがすぐにそれはダメだと悟った。

 学院での戦いで使った瞬間移動は範囲が狭いうえに連発もできないので、逆に窮地に陥る可能性が高かったのである。

 

 

 

 幸い、動きが気持ち悪い事と無尽蔵に飛んでくる事以外を除けば博麗の巫女である霊夢の敵ではなかった。

 ――――――彼女の体調が万全であったのであらば。 

 

「……ウ、クッ!」

 一息ついてまた戦いを再開しようとしたとき、頭の中で疼いている痛みが彼女の痛覚を刺激する。

 まるで俺を忘れるなと囁いているかのように、先程から彼女を悩ます軽い頭痛が一瞬だけ鋭利な刃物の様に痛みを増す。

 その痛みのせいで体の力がフワリと抜け落ち、不甲斐ないと思いつつもその場で片膝をついてしまう。

『おいおい大丈夫か?さっきオレっちに訴えてきた頭痛はまだ痛むのかよ?』

「――――…ッあぁもう、さっきから何なのよこの頭痛は…?」

 心配してくれるデルフの言葉に、霊夢は痛む頭を手で押さえながらもそれを紛らわすかのように呻く。

 二つ目にこの頭痛であった。戦いに集中できないレベルでも無視するにしても少し難しい中途半端な頭の痛み。

 まるで頭の中に文鎮でも仕込まれたかのようにズーンと頭が少しだけ重たく感じられてしまい、そのせいで霊夢自身上手く戦えないでいるのだ。

 急に現れたこの痛みに最初は顔を顰めつつも無視していたのだが、時折今みたいにその痛みが激しい自己主張をしてくるのである。

 そのせいで命に関わるような事にはまだあっていないものの、本調子で戦えない事自体が彼女にとって大きなストレスとなっていた。

 本当ならどこか一息つける場所で休みたいのではあるが、生憎そんな暇すら許されないという状況である。

 

「…こんな奴ら。私の頭痛でもなけりゃ、一掃してやれるっていうのに…」

「そんな事を言える余裕があるんなら、まだまだ大丈夫だと私は思うぜ?」

 悔しそうに呟いた霊夢の背後から、茶化すようにして魔理沙が言葉を返してきた。

 ある意味ルイズ達と比べてこの場を走り回っているであろう彼女は右手にミニ八卦炉を持ち、左手には箒を握っている。

 魔理沙が長年連れているであろう無機質な相棒たちは、複数のラピッドを相手に彼女を大立ち回りの舞台で踊らせていた。

 ミニ八卦炉から発射されるレーザーが相手の体を鎧ごと貫き、見た目以上に硬くて痛い箒は体の軽い奴らを吹き飛ばしていく。

 そして彼女が服の至る所に隠しているであろゔ瓶に詰めた魔法゙という三つの武器で、既に三匹のキメラ達を葬っている。

 霊夢が倒した数の約半分にしか達していないものの、彼女やルイズと比べて激しく動き回っているのにも関わらずその顔には快活な笑みが浮かんでいた。

 まるでアスリートが自分の好きなスポーツに打ち込んだ後の様な笑顔に、霊夢は思わず顔を顰めてしまう。

 

「アンタ…人が頭痛で苦しんでいるっていうのに、随分と楽しそうじゃないのさ?」

「そりゃまぁ、萃香が起こした異変の時みたいに地上で暴れまわるのは久しぶりだしな!」

 楽しさ二倍ってヤツだよ!最後にそう付け加えながら、上空から突撃してきた一体のラピッドに向けてミニ八卦炉を向けた。

 既に黒い八角形の炉の中でチャージされていた彼女の魔力が、直線形の太いレーザーとして勢いよく発射される。

 ご丁寧に真っ直ぐ突っ込んできた相手は霊夢のお札と比べてあまりにも速い攻撃に対処しきれず、そのまま上半身をレーザ―で消し飛ばされてしまう。

 残った下半身は突撃時の勢いを残したまま地面に激突し、血をまき散らしながらあらぬ方向へ激しくバウンドしていった。

「良し!これで五体目…っていうか、コイツらどんだけ用意されてるんだよ」

 ひとまず目の前の危機を追い払ったところで顔の汗を拭いながら、背後の霊夢に向けて言う。

 どうやら自分と同じく、どこからともなく湧いてくるキメラ達にキリが無いと判断したのだろうか。

 そう思った霊夢はしかし、「そんなの知るワケないでしょ?」とぷっきらぼうに返しながらようやっとその腰を上げた。

 

「ただ、あのシェフィールドっていう奴の言った事が正しかったら、どこかにコイツらを送り出してる所か何かがあるはずよ」

「…?確か、゙鳥かご゛だっけか、そんな名前だったような…。けれど、それをどうやって探す気なんだって話だ」

『少なくとも、コイツらの包囲を脱しなきゃならんが、生憎それは無理そうだねえ』

 霊夢の言葉に魔理沙が頭上キメラ達にレーザーで牽制しつつそう返し、ついでデルフも呟いてくる。

 黒白と一本の言葉に霊夢は苛立ちを覚えつつも、左手に持つ御幣へと自らの霊力を注いでいく。

「そんなに無理無理言うんなら…ちょっとは手を動かせ…てのッ!!」

 そして上空から投げつけてきたラピッドの槍に向けて、霊夢は勢いよく御幣の先端を突き出した。

 彼女の霊力を注がれた御幣の先についた紙垂代わりの薄い銀板が、シャララと音を立てながら青白く発光していく。

 直後。その銀板を中心に小さな結界が展開し、迫ってきた槍を投げ返すようにして弾き飛ばしたのである。

 刺されば確実に致命傷となっていたであろう槍は大きく回転しながら、暗い森の中へとその姿を消した。

 

「お見事!本調子が出ないとか何だ言って、本当は手でも抜いてるんじゃないのか?」

 真後ろで嬉しそうに叫んだ魔理沙の黄色い声が痛む頭の中で響き渡り、霊夢の顔をますます険しくさせる。

 思わず魔理沙の形をした悪魔たちが、自分の頭の中で暴れまわってるのを想像してしまい、ついつい彼女自身も声を張り上げてしまう。

「えぇいもう…、一々真後ろで叫ばないでよ!こっちはたたでさえ頭が痛いんだから!」

 そんな事を言いながら、ほんの一瞬だけ背後の魔法使いを睨んでやろうと振り返ろうとしたとき…デルフが怒鳴り声を上げた。

『おい、気をつけろッ!!゙羽根゙を飛ばしてきやがったぞ!』

 よそ見しようとした自分への注意とも取れるその怒鳴りに、思わず視線を戻した彼女は思わず面喰ってしまった。

 背中と背中を向け合っていた魔理沙もそちらへと視線を移し、同時に絶句する.。

 

 その゙羽根゙を飛ばしてきたのは、先ほど霊夢に槍を弾かれた上空のラピッドであった。

 唯一の武器だったであろう槍を失い、少しだけなら大丈夫だろうと霊夢が視線を外した隙にソレを飛ばしてきたのである。

 いつの間にか地上に降り立ち、背中に内蔵された大きな『風石』と連動して自分の背後で浮遊する、六枚の羽根状の゙武器゙。

 『風石』の力で緑色に輝く羽根の形をしたソレが風を切りながら回転し、目を見張って驚く霊夢と魔理沙に迫りつつあった。

 

「げッ、マジかよ!」

「クッ!」

 凶悪な緑の光を放ちながら迫りくる刃に、思わずたじろいぐ二人の姿は珍しい光景であろう。

 避ける暇が無いと判断したのか、魔理沙より先にその凶器の直撃を喰らうであろう霊夢が咄嗟の即席結界を張る。

 録に霊力など込めておらず、完全に防ぎきるとは思えない御粗末な代物ではあったが、それなりに効果はあったようだ。

 次々と飛んでくるブーメランは結界に当たるとその軌道を変えて、二人と一本の周りを音を立てて通り過ぎていく。

 しかし丁度五本目を防ぎきった所で粉々に砕け散り、不幸にも最後の六本目が彼女と魔理沙へその牙を剥いた。

 

「うぁッ…!」

「れ…痛ッ!?」

 『風石』の持つ力で回転する刃は結界を張っていた霊夢の左肩を勢いよく掠り、彼女の血をまき散らしながら回転を続けていく。

 直撃とはいかないものの傷口から伝わる激しそのい痛みに慣れていないせいか、その口から呻き声を漏らしてしまう。

 そんな霊夢に思わず声を掛けようとした魔理沙も、彼女の血を飛ばしながら回転凶器に右手の甲を思いっきり切り裂かれた。

「イテテ、ってうわ…、マジかこれ?スゲー痛いうえに見た目もエグイな…」

 持っていたミニ八卦炉を思わず落としてしまうが、それにも構わず一瞬で血まみれの切創が出来た右手に彼女はその顔を真っ青にする。

 それでもまだまだ余裕は捨てきれないのか、青い顔に苦笑いを浮かべつつも出血する傷口を見ながら呟いた。

「コイツぅ…よくもやってくれるじゃないの?」

『全く、手ひどくやってくれたもんだぜ!』

 一方の霊夢は運よく掠り傷ですんだのではあるが、先ほどの頭痛と重なってしまいまたもや片膝をついてしまっている。

 心なしか呼吸も荒くなっており、素人目に見ても限界が近くなっている事が察せられる程疲弊していた。

 唯一無傷であったデルフはそんな二人を心配しつつも、相手のまさかな攻撃方法にある種の感心を感じていた。

 一方で見事攻撃に成功したラピッドはというと、その背中に収まっている『風石』を力強く発光させている。

 次は何をしてくるのか…?左肩の傷口を押さえつつ様子を見守っていると、ふとその背後からさっき聞いたばかりの音が聞こえてきた。

 鋭い刃物を勢いよく振った時に聞こえてくるあの独特の風を切り裂く音、おもわず霊夢が後ろを振り返つた時―――魔理沙が叫び声を上げる。

「わっ、畜生!また戻ってきやがったぞ!?」

 

 黒白の言うとおり、背後を振り返った霊夢の目にはあの六枚の羽根がUターンして戻って来るのが見えた。

 今や凶悪に見える緑色の光を纏って、再び彼女たちを切り裂かんと悪魔の刃が迫ろうとしている。

「人が怪我してるってのに…!ちょっとは休ませろよな!?」

 魔理沙が話の通じぬキメラ相手にそんな無茶ことを言いながらも、切創の付いた右手で地面のミニ八卦炉を拾おうとする。

 対する霊夢も、今度は撃ち落としてやらんと左肩の傷を今は無視して懐からお札を取り出そうとした。

 そしてラピッドのブーメランも、今度こそ二人の息の根を止めてみせると言わんばかりにその回転を強めて近づいてくる。

 

 本物の殺し合いに慣れぬ幻想郷の少女二人と、人を殺すためだけに造られた怪物の飛び道具六枚。

 決して相容れぬであろう対決、その雌雄は決したのは――――――

 

「『ファイアー・ボール』ッ!」

 

 ――――突如双方の間に割り込むかのように入ってきたルイズの魔法であった。

 

 凄まじい閃光が二人と六本の間で走り、直後にそれが強力な爆風と黒煙と貸して霊夢達ごと周囲を包み込む。

 本来なら゙火゙系統の攻撃魔法なのであるが、ルイズが唱えてしまえば広範囲かつ中々凶悪な爆発魔法へと変わってしまうのである。

「!?、ちょ、うわっ…ぷ!」

「る、ルイズおま…うわッ!ゲホッ!!」

 激しい爆音を耳にしながら黒煙に包まれた二人は悲鳴を上げる間もなく煙に包まれ、咄嗟に目を瞑りつつも激しく咳き込んでしまう。

 彼女たちを切り裂こうとしたラピッドのブーメランは爆風の煽りで槍と同様、六本それぞれがあらぬ方向へと飛んで消え去っていく。

 最後の攻撃手段を吹き飛ばされたキメラは驚いたと言いたげに身を怯ませた直後、再びルイズが呪文を詠唱した。

「『エア・ハンマー』!」

 勢いよく叫んだ彼女は右手握った杖を怯んだキメラの方へと振り下ろした瞬間、ソイツの足元が大きな音と共に爆ぜる。

 ゛風゛系統の呪文であり、本当ならば魔法で固めた空気を不可視の槌として使う呪文だ。

 しかし、それもルイズが唱えてしまえば槌にしてしまう空気ごと吹き飛ばしかねない爆発魔法となるのだ。

 

 哀れルイズの爆発を足元で喰らったキメラは、口から黒煙を吐きだしながら力なくその場で倒れ伏してしまう。

 背中で光っていた『風石』は完全に砕け散っており、武器も無い今の状態では起き上がっても脅威にはならないだろう。

 最も、それは全身煤だらけでボロボロとなったソイツにまだ立ち上がって戦える気力があるかどうかの話だが。

 

「うわぁ~…霊夢も霊夢だが、ルイズもルイズで色々と酷いなぁ?」

 魔理沙は自分と霊夢に不意打ちを喰わせてきたキメラが、ルイズの魔法であっという間にボロ雑巾と化した事に同情心すら抱きかけてしまう。

「それ、数分程前のアンタに掛けてやりたい言葉だよ」

『まぁアレだな?ここは三人とも色々アレって事で済ませとこうぜ?』

「アンタ達!何こんな状況で暢気なやり取りできるのよ!?」

 そんな彼女に霊夢とデルフがささやかな突っ込みを入れていると、自分たちを援護してくれたルイズが傍へと駆け寄ってきた。

 ルイズもまた他の二人と同じく無傷というワケでもなく、魔法学院の制服やマントには幾つもの切れ込みが入ってボロボロになっている。

 その切れ込みから覗く肌にも赤い筋が残っており、場所によっては少しだけ出血が続いているような箇所すら見受けられた。

 しかしそんな彼女の顔は緊張した表情を浮かべてはいたが、決して自分たちを囲うキメラに恐怖しているというワケではなかった。

 

 近づいてきた彼女は魔理沙の右手にできた切創を見て、その目を見開いた。

「ちょっとマリサ!その右手の傷って大丈夫なの…!?」

「よぉルイズ。大丈夫だぜ、問題ない!―――――…って言いたいところなんだが、生憎物凄く痛いぜ…」

 本当ならここで格好よく大丈夫とか言いたかったものの、体は痛みに対しては正直過ぎた。

 右手の切創は最初見た時と比べより出血の量が増えており、ポタリポタリと指と指の合間や先っぽから血が遠慮なく垂れ落ちていく。

 痛みも切られたばかりの時と比べジンジンと頭の奥にまで響くほど激しくなっており、心なしか魔理沙自身の顔色も若干悪くなっている。

 

 ルイズはそんな魔法使いの右手の状態を見て一瞬顔を真っ青にしてしまうが、気を取り直すように首を横に振ると右手の杖を腰に差し、

 空いたその手で王宮を出る際に持ってきていた肩掛け鞄を開き、その中身を必死に漁り始めた。

「もう!秘薬はそんなに持ってきてないんだから、気をつけなさいよね?」

 そんな事をぶつくさ言いながら持ってきていた水の秘薬と包帯を取り出した彼女は、素早く魔理沙の応急処置を始めていく。

「そりゃまぁ、避けれるなら避けてたが…。ていうかコレくらい、包帯巻いてくれるだけで大丈夫だと思うんだが」

『当たり前だろ。娘っ子の秘薬が無けりゃあ、今頃出血多量で一大事だったぜ?』

 一方の魔理沙はこういう生傷には慣れていないのか、止血しておけば大丈夫とでも言いたげな言葉に流石のデルフも呆れている。

 幻想郷の弾幕ごっこでは体が傷つく事はあっても、今の様に大きくて後々命に係わるような傷ができるという事はそうそう無い。

 言葉が通じぬ妖怪を退治する事もある霊夢はまだしも、基本戦いは弾幕ごっこである魔理沙にとって命のやり取りというものは少しだけ漠然とした存在であった。

 だからこそ真剣な表情でキメラと戦っていた他の二人と違って、彼女だけは快活な笑みを浮かべていたのである。

 

 暢気な黒白の態度にため息をつきたくなりつつも、ルイズはタオルを使って傷口周りの血を拭いていく。

 その間にも霊夢は近づいて来ようとしているキメラ達に、お札と針を交互に使って牽制したり撃ち落としたりしていた。

 針で目を潰し、その隙に投げたお札で一匹始末して更に近づいてくる別の個体には最初からお札の集中攻撃で距離を取らせる。

 本来ならばこういう時を狙って一斉攻撃してきそうなもりであるが、生憎キメラ達はもゔ一人゙いる相手にも攻撃しなくてはならない。

 その為霊夢が相手するのは二、三匹程度であり、その程度ならば魔理沙の応急処置が済むまで守る事など朝飯前であった。

 

(確かアイツは素手だったけど…大丈夫かしらね?)

 接触してきたシェフィールドと自分たちの間に割って入ってきたあの巫女モドキは、今は自分たちの見えない場所で戦っていた。

 ここからではあまり見えない森の中から、キメラ達が持っている槍で風を切る音と霊力で青く光る彼女の拳の光が見えている。

 補充されて来るキメラ達の何匹かが彼女のいるであろう場所へ飛んで行っているので、まだ生きているのだろう。

「ちょっと、ちゃっちゃと済ませないよ。ソイツの応急処置に時間なんて掛からないでしょうに」

「分かってるって!…ホラ歯ァ食いしばりなさいよ?染みるから」

 そんな事を思いつつ、魔理沙の手の甲に付いた血の汚れを拭っているルイズに声を掛けつつ、上空から降りてくるキメラ一体に牽制の針を投げつけた。

 一方のルイズも荒い言葉で返しつつ、患者の手に付いた血を粗方噴き終えたところでようやく水の秘薬を塗れるようになった。

 手のひらサイズの壺に入った軟膏にも見えるソレを一掬いすると、痛々しい傷口へと遠慮なく塗り始めた。

 

「おぉ頼む…ぜッ!?うわっ、ちょ…ヒャア!?痛いイタイ痛いッて!」

 わざわざ薬まで塗ってくれるルイズに感謝の意を込めた言葉を言いきろうとしたところで、彼女は悲鳴を上げる。 

 右手の甲にできた一直線上の傷口を包み隠すように塗られた秘薬は、魔理沙自身が想定していた以上に染みる代物であった。

 塗られた直後はヒンヤリとした冷気を感じ、それが一瞬で頭の奥に響くほどの熱いとも例えられる痛みに変わったのである。

 水の秘薬は軟膏の中に入っている『水精霊の涙』と呼ばれる貴重なマジックアイテムが、塗られた個所の傷口を僅かな時間で直していく。

 それ故に傷口に染みた際の痛みも半端なく、それを予想できなかった魔理沙は情けない悲鳴を上げてしまったのだ。

「我慢しなさいって!最初は痛いけどすぐに傷口が塞がって痛みも消えるから」

「イヤイヤイヤ…ッ!これはちょっと…何かに傷口を深く焼かれてるような…イデデデッ!」

 秘薬を塗り終え、傷が開かないよう包帯を巻き始めたルイズの叱咤に、魔理沙は目の端に涙を浮かべながら呻いている。

 滅多に見れないであろうその霧雨魔理沙の珍しい顔を見た霊夢、こんな状況なのにも関わらずニヤリとしてしまう。

 

「ほ~、ほ~…。いつもは粋がってる魔理沙さんも、中々可愛い表情を見せてくれるじゃないの」

 明らかな嫌味とも取れる霊夢の言葉に、恨めしそうな顔をした魔理沙が「そ、そりゃどうも…!」と咄嗟に返事をする。

 そんな二人のやり取りを目にして呆れつつも、黒白の右手に包帯を巻き終えたルイズは今まで援護してくれた霊夢に「終わったわよ!」と告げた。

 自分の右手に包帯が巻かれた事の安堵感と、傷口が軟膏で痛むという二つの思いを感じつつも魔理沙はルイズに礼を述べた。

「おぉイテェ~…!応急処置ありがとなルイズ、でも今度からはもうちょっと優し目で頼むぜ」

「そんな事言える余裕があるんなら、軽く避けて反撃するくらいの事はしてほしいものね」

「まぁまぁそう言うなよ。それに、お前さんの爆発魔法の威力の程も見れたし、私として怪我の功名ってヤツだよ」

 右手を摩りながら立ち上がった魔理沙が口にした゛爆発魔法゛という言葉に、ルイズがキッと目を鋭くする。

 

 正直言って、この様な状況下においてルイズの『失敗魔法』は本人の予想以上にその効力を発揮していた。

 彼女自身は掛けに近い感覚でキメラに杖をふるい呪文を唱えるものの、それ等は威力に差があるものの全て爆発する魔法に変わってしまう。

 しかしその爆発はこれまでの失敗魔法同様何もない空間が突然爆ぜるのでキメラ達も急には動けず、犠牲になっている。 

 ルイズとしては、この二人に守られてばかりではなくこうして共に戦えるという事に不満は無かった。しかし…

「爆発魔法…ね、確かにそりゃアンタの言うとおりだし…ぶっちゃけ今は役に立ってくれてるけど…けれど」

「けれど?」

「やっぱりどんなスペル唱えても爆発しちゃうより、普通の魔法を使ってみたいのよねぇ…」

 ルイズの悲痛な言葉を魔理沙はいまいち理解してないのか「まぁまぁ、そう卑屈になるなって…」とやる気のないフォローをしている。

 そんな二人のやりとりを見て何をやっているのかと溜め息をつきそうになった霊夢であったが、敵はそれすら許してはくれなかった。

『三人とも、敵は待ってちゃくれないぜ!――――…今度は上から一体、あのブーメランを出してくるぞ!』

 デルフの叫びに霊夢達が頭上を仰ぐと、彼の言うとおり上にいるラピッドが背中の『風石』を強く輝かせて背中の羽根を飛ばそうとしていた。

 

「…舐められたモンね。まさか私相手にさっきの攻撃がまた通じるとでも思ってるワケ?」

 一度目ならまだしも、二度目の攻撃を喰らってやる程お人好しではない霊夢は、左手の御幣をキメラへと向けて霊力を溜め始める。

 今度は相手の攻撃を防ぐ結界ではなく、その攻撃ごと相手を葬る為の霊力を放とうとした、その直前であった。

 

「そ…りゃあッ!」

 どこからか聞こえてきた威勢の良い女の掛け声と共に、闇夜でよく見えぬ木立の中から物凄い勢いで一体のラピッドが吹っ飛んできた。

 その影は霊夢達の頭上で攻撃を行おうとしたキメラを丁度良く巻き込み、軽い金属同士が勢いを付けてぶつかりあった時の様な甲高く激しい音が周囲に響き渡る。

 あと少しで羽を飛ばせたラピッドはぶつかってきた仲間のせいで大きくバランスを崩し、同時に発射した六枚の凶器はあらぬ方向へ飛んでいく。

 周囲の木々や同じラピッドたちにその羽根が次々と刺さっていくが、幸いにも丁度真下にいたルイズたちはその無差別攻撃からは免れていた。

「わ…っ!?」 

 秘薬と包帯を手早く鞄にしまい込んだルイズはキメラ同士が頭上で激しくぶつかり合う音と、すぐ近くの地面に刺さった羽根に身を竦ませる。

 何時やられてもおかしくなかった応急処置が終わって安堵した瞬間の出来事であったが故に、ついつい気が抜けてしまっていたのだろう。

 彼女に右手の怪我を処置してもらった魔理沙も目を見開いて驚きつつ、「おぉ…!?激しいぜ!」と苦笑いを見せている。

 一方の霊夢は二匹仲良く揉みくちゃになりながら、木立の中へ消えていくキメラ達を一瞥してから、キッとある場所を睨み付ける。

 それは吹っ飛ばされたキメラがいたであろう場所。あのキメラを威勢よく投げ飛ばしたであろう声の主がいる木立の中を。

 

「全く、どこの誰かは知らないけれど…援護する気があるなら、もっとマシな方法を選びなさいよ?」

 下手すればルイズの努力が水の泡と化していたであろう事を考えながら、霊夢はその木立の方へと話しかける。

 彼女の言葉にようやくミニ八卦炉を拾えた魔理沙と、右手に杖を握り直したルイズもそちらの方へと視線を向けた。

 周囲に浮かぶキメラ達に警戒しつつもすぐ近くの木立を三人が見つめていると、キメラを投げ飛ばしたであろゔ彼女゛の声が聞こえてきた。

 

「…そりゃ悪かったわね?何せ、急に向かってきたもんだから投げるしかなかったのよ…!」

 そう言って三人の前に現れたのは、突然ルイズ達とシェフィールドの前に現れた謎の巫女モドキ―――ハクレイであった。

 長い黒髪と紅い巫女装束、そして霊夢のソレと酷似している服と別離した白い袖という衣出立ちは、確かにそう言われてもおかしくない。

 そんな彼女は今、先ほどまでいたであろう木立から抜け出すようにして三人の前に走ってくると、そこでバッと身を翻した。

「たくっ…!コイツら以外としつこいわねぇ!」

 そう呟きながら三人に背中を見せたハクレイは、次に彼女たちを庇うような形で拳を構えて見せた。

 左手を前に突き出し、右手は腰に触れるか触れないかの位置で止めて先ほどまで自分がいた場所を警戒している。

 一体何事かとルイズ達が思った直後、その彼女を追いかける様にして二体のラピッド達が飛びかかってきた。 

 四人に突き刺すようにして槍を向けてくる相手に対し、ルイズたちが行動を起こす前に先に構えていたハクレイが動く。

 

「せいッ、…ハァッ!」

 腰の横で止めていた右手の拳に霊力を溜めると、彼女を槍で突こうとしたラピッドの胴へと勢いよく右アッパーを叩き込んだのだ。

 丁度相手の頭上から攻撃しようとしたソイツはものの見事に彼女の青い拳を喰らい、その体がイヤな音を立てて鎧ごとへの字に曲がっていく。

 

 

 見事なアッパーカットを喰らったキメラはその口から黒色の血反吐をぶちまけると、そのままぐったりとして動かなくなる。

 攻撃を当てたハクレイはそのまま左足で地面を蹴ると、右の拳で貫いたキメラごとジャンプして一気に二匹目のラピッドへと近づいた。

 一方の二匹目は、やられた仲間を持ったままこちらへ飛んでくる相手を両断しようとしているのか、両手に持った槍を思いっきり振り上げようとする。

 だがそれを読んでいたのか、ハクレイはキメラを持ち上げている右手を少し引いて、一気にそれを前へと突き出す。

 すると胴に刺さっていた彼女の右手がスッポリと抜けて、突き上げられたラピッドの体は勢いを付けて槍を振り上げた仲間と激突したのである。

 

 折角攻撃をしようとした所でやられた仲間と衝突したキメラは大きくバランスを崩し、槍を振り上げたままその場で固まってしまう。

 その隙を狙って作り上げたハクレイは左手に霊力を注ぎ、青色に光るする左の拳でもって二匹目の頬を殴りつけた。

 頭部を覆う鎧が大きく凹み、その内側にある顔の骨が折れていく不吉で乾いた音が、彼女の耳に入ってくる。

 それを気にすることなく左手に更なる力を込めていき、そして一気に殴りぬけた!

「吹ッ飛べ!!」

 そんな叫びと共に左フックで殴り飛ばされたキメラは先にやられた仲間と共に、錐揉みしながら木立の方へと飛んでいく。

 皮肉にも先程自分たちが出てきた所へと戻っていくとは、彼らの少ない理性では到底考えられなかった事であろう。

 仲間がやられた事で補充として前へ出ようとしたもう一匹を弾き飛ばしながら、二匹のキメラは仲良く闇の中へと消えていった。

 

 無事に二匹、余計に一匹殴り飛ばしたハクレイは地面に着地するとふぅと一息ついて右の袖で顔の汗を拭った。 

 魔理沙はそれを見ておぉ…っ!と声を上げたが、霊夢だけは彼女の手を包む霊力を見て顔を顰めている。

 あの荒く、まるで鋸のような相手の体をズタズタに切り裂くかのような霊力で包まれた拳の一撃は、さぞや痛いであろう。

(あんなので殴られるくらいなら、本物の鋸で切られた方が…いや、どっちもどっちか。…でも、あの攻撃の仕方)

 そんな事を考えつつも、彼女はあの巫女もどきの攻撃にどこか見覚えがあった事を思い出す。

 忘れもしない丁度二週間前近くの事。アンリエッタの結婚式だからと言って、ルイズが服を買ってくれたあの日。

 ガンダールヴのルーンに導かれるようにして出会った。自分と瓜二つの恰好をした少女との戦い…。

 そしてあの姿、紅い巫女装束に黒髪。―――――霊夢は二度も見ていたのだ、同じ姿をした女性を。

 ガンダールヴのルーンに導かれるようにしてレストランを出る直前に、そして自分の偽物と相打った直後の夢の中で――――

 

「………ッ」

 チクリ、と後頭部の内側から微かな痛みを感じてしまう。

 どうしてか知らないが、この女がやってきて一緒に戦い始めてから頭痛が起き始めた様な気がする。

 気のせいと言われればそうなのかも知れないが、直前まで何とも無かった事を考えればそれはあり得ない様な気がした。

 少なくとも今自分の体を襲う頭痛の原因に、後ろにいる巫女モドキの存在が関与しているのかもれしない。

 そんな不確かな事を思いつつも、自分の気持ちなど微塵も知らない彼女に対して霊夢は身勝手な不満を抱いていた。

 

「全く、アンタは本当に何なのよ?」

「―――…?」

 顔を顰めた霊夢の呟きが聞こえたのか、顔を拭っていたハクレイはキョトンとした表情を彼女の方へと向けた。

 彼女がここを離れられない三つ目の理由、それは謎の巫女もどきことハクレイの存在である。

 自分とよく似た巫女装束の姿をした彼女の存在が引っ掛って、仕方がないのである。

 

 

 

 ド派手な登場でシェフィールドを逃がしてしまって霊夢に怒鳴られた後、彼女も流されるようにして三人と戦うことになった。

 最初は突如現れた彼女に対してルイズが何者かと聞いてみたのが、あっさりと自分の素性を話してくれた。

 

 

 曰く、自分は記憶喪失で何処で生まれたのかも分からず、名前すら知らないという事。

 そしてこの村から少し離れた川でボーっとしているところを、カトレアと名乗る女性と出会い、色々あって彼女に保護してもらった事。

 今は目の前の屋敷の地下で、村の人たちと一緒に避難している彼女を助ける為に外で戦っているという事を、ハクレイは手短に話してくれた。

 それを聞いたルイズは、ここへ来る動機となった女性の名前を耳にしてキメラに魔法を放つのを忘れて彼女の掴みかかった。

「カトレア…?それじゃあやっぱり、ちぃ姉さまはあそこにいるのね!?」

「うわっ…ちょ!ま、まぁそうだけど…ちょっと危ない、危ない!」

 戦いの最中にも関わらず詰め寄ってきたルイズに慌てつつも、ハクレイは話を続けていった。

 隠れている最中に容態が悪化したカトレアの薬を取りに行く際に、屋敷から出て助けを呼びに行く者たちと一緒に地下を出た事。

 彼らを見送った後、薬を手にしたところまでは良かったが屋敷内部にいたキメラ達に見つかって止むを得ず戦う羽目になったのだという。

 その時はすぐに蹴散らしたが、待っていましたと言わんばかりに他の連中もやってきて戻ろうにも戻れなくなってしまい、

 同行してくれていたカトレア御付の貴族たちに薬を渡して、彼女自身が囮役として屋敷の外に出てキメラ達と戦いつつも逃げていたらしい。

 数時間掛けて奴らを撒いたのは良かったが屋敷周辺には奴らがいて戻れず、仕方なく隠れていたという。

 

 

 それから今に至るまでハクレイは彼女自身の戦い方もあって三人とは距離をとっていたものの、キメラを相手に共闘する事となった。

 ルイズ達は近づいてくる敵を魔法やお札といった飛び道具で撃ち落とし、ハクレイが少し離れた場所で拳を振るう。

 そんな風に戦って約十五分、二十体近くを倒してはいるが未だに終わりは見えてこないという状況であった。

 

「それにしても、殴れど蹴れども幾らでも湧いてくるわねコイツラは…」

「やっぱりあのシェフィールドっていう女を黙らせるか、何処かでコイツラを保管してる場所か何かを潰さなきゃダメみたいね」

「アイツラの動きからしてそう遠くはないだろうけど、離れたら離れたであの屋敷に手を出すだろうし…」

 息を整えつつも三人の傍へと寄ってきたハクレイと霊夢が、周囲にいる敵を睨みつつも何とか打開策を見つけようとしている。

 自分たちの周りを囲うキメラ共は最初こそ無秩序に突撃して来たものの、倒した数が増えるごとに一体ごとの動きが慎重になっている。

 恐らくは何処か自あの分たちの見えない所から、あのシェフィールドが操っているのかもしれないが断定することはできない。

「全く、今回の化け物といいあの女といい…良く分からない連中と戦ってばかりな気がするわね」

「それには概ね同意しますけど。個人的に一番得体が知れないのはアンタだと断言しておくわ」

 ハクレイの愚痴に対し霊夢が言葉を返しながらも懐から新しいお札を取り出し、いつでも戦えるようにと態勢を整える。

 霊夢としてはその見た目からして怪しいとは思っていたものの、ひとまずは信じられる味方として共に戦っているという状況だった。

 一方のハクレイは霊夢の姿を見ても特に何も感じてはいないようだが、少なくとも無関心というワケではないらしい。

 自分たちを囲っているキメラ達を睨みつつも、時折彼女の強い視線がチラチラと横目で見ている程度ではあったが。

 とにもかくにも、今この状況を打開しない以上詳しいことは聞けないと理解しているからこそ、二人は肩を並べて戦っているのである。

 

 そんな二人のやり取りを耳にしていたルイズは、身長と胸囲に差があり過ぎるもののどこか霊夢と似通っていると思った。

 服装にも微妙な違いがあるものの、霊夢の来ている巫女装束と意匠が似ていて…言ってはなんだが、まるでそう―――゙親子゙の様な…。

「…って私、何を考えてるのよこんな時に」

「ん、どうしたルイズ?頭に毛虫でも乗っかったのか?」

 首を横に振って頭の中の思考を払おうとした所で、それに気づいた魔理沙が声を掛けてくる。

 包帯を巻いた右手は少し痛々しいものの秘薬が効いているのか、苦も無く動かしている所を見れば痛みが治まったのであろう。

 自分が持ってきた道具が無駄じゃなかったことを確信しつつも、ルイズは彼女の言葉に「何でもないわよ」と言ってから耳打ちで言葉を続ける。

「ただちょっと…あの女の人の姿が、ちょっとだけアイツに似てるって思っただけよ」

「あぁ~、確かにそうだな。まぁ巫女さんの姿だから似ててもしょうがないと思うぜ、そこは」

 自分の疑問に対して、やや適当な感じで魔理沙がそう答えた事にルイズは「そこが疑問なのよ!」とやや怒りつつ喋り続ける。

 

 

 

「そのアンタんとこの巫女装束を着た彼女が、ハルケギニアにいるって事事態おかしいと思わないの?」

「え?…あ、確かにそうか!ここって私とアイツにとっちゃあ異世界だもんな、バリバリ西洋の」

 一瞬だけ怪訝になりつつ、すぐに明るい表情になった魔理沙の言葉に霊夢も「あっ」と言葉が出て思い出す。

 確かにルイズ魔理沙の言うとおりだ。ここはハルケギニア、東洋の文化など全く見えてこない西洋感溢れる異世界。

 本来なら目の前の巫女モドキが来ているような和風の巫女装束など、お目に掛かる事など無い筈なのである。

 

 それを今更ながら理解した霊夢と魔理沙の二人は、場違いな服を着たハクレイの方を見遣る。

 一方のハクレイもルイズの言葉を聞いて「そうなの?」と自分の事にも関わらず、首を軽く傾げながら言う。

 周囲を囲うキメラにも警戒しなければいけないため彼女の顔は見れないが、その口調からは本当に不思議がっているのが分かった。

「え?…ま、まぁそうだけど…ていうか、アンタ自身の事なのにそのアンタが不思議そうに聞いてどうするのよ?」

「さっきも言ったけど私は何も覚えてないから、こんな姿をしてる理由も思い出せないのよ」

 あぁそうか、さっきそんな事言ってたわね。戦いながら聞いていた彼女のいきさつを思い出して、ルイズ達は納得する。

 けれどもそれはそれで謎がさらに深まってしまい、彼女自身の存在がより不鮮明になってしまう事となった。

 

 しかし、だからといって今共に戦っている彼女に杖を向けるという事にはならない。

 ひとまずはそう納得したルイズは杖を握る右手に更に力を込めて言った。

 

「だけど、今はそんな事を知る前にちぃ姉様やタルブ村の人たちがいる屋敷を守らないと…それが先決よ!」

「だな。確かに怪しいっちゃ怪しいが、だからといって敵を増やしても良いことは何もないぜ」

 ルイズの言葉に魔理沙も同意し、霊夢も「そりゃそうね」と呟きながら御幣を遠くから睨むキメラ達の方へと向ける。

 そして黒白に怪しいと言われたハクレイも、その三人と背中を合わすようにして静かに拳を構えて見せる。

 遠くから様子を見守っていたラピッド達も再び動き出そうとしているのか、彼女たちの周りにいる数体が姿勢を低くしている。

 恐らくあの姿勢から飛び上がるつもりだろうか?軽い想像を頭の中でしつつも霊夢は突き出した御幣に霊力を注ごうとした―――その時だった。

 

 

「………ん?――――何だ、急に肌寒くなってきたような…」

 彼女の後ろでミニ八卦炉を構えていた魔理沙が、唐突にそんな言葉を口から出してきたのは。  

 突然何を言い出すのか?そう言いたかったルイズもまた、彼女と同様にブラウス越しの肌が冷たい空気に触れるのを感じた。

 二人の言葉にハクレイも周囲の空気が冷たくなり始めたのに気づき、もしやキメラ達の仕業かと辺りを見回してみる。

 だが不思議な事にキメラ達もその動きを止めており、姿勢を低くしていた奴らも腰を上げてキョロキョロと頭を動かしていた。

「アイツらも止まってる?ってことは、あのシェフィールドっていうヤツが何かを仕掛けたってワケじゃあなさそうだけど…ねぇれ…あれ?」

 彼女に続いてキメラの異常に気が付いたルイズがそう言いながら霊夢にも話を振ろうとした時に、ようやく気が付く。

 自分たちと同じく空気の異変に気付いたであろう彼女は、それまでキメラを睨んでいた目を頭上の空へと向けている事に。

 

 一体どうしたのかとルイズが訝しんでいる一方で、霊夢は周囲に漂い始めたこの冷気に覚えがあった事を思い出していた。

 かつて地上より遠く離れた雲の中、まるで御伽噺に出てくるような空に浮かぶ巨大大陸で体験した様々な出来事。

 まだ幻想郷から紫が迎えに来る前に、帰る手がかりがないかとあのアンリエッタが持ってきた幻想郷録起を頼りに訪れた『白の国』

 途中入った森の中の村に泊まり、色々あって行先が同じだったルイズと合流し裏口から入ったニューカッスル城。

 アルビオン王党派最後の砦の中で、彼女は感じていたのである、肌を容赦なく刺してくるかのような冷気を。

 そして知っていた。ルイズの護衛として同行し、まんまと王党派の中に紛れ込むことのできたあの男が放つ、この冷気の゙正体゙を。

(この冷気は間違いない、この空気が漂いだしてすぐに…あの後…ッ!)

 目を見開き、あの時の出来事が脳裏を駆け巡っていく中で霊夢は思い出す。あの男の一言を。

 

 

 

―――――何、君には永遠の眠りをあげようと思ってね

 そんな気取った言葉を放つ男には撃てそうにもない苛烈な雷撃に、間違いなく自分は追いつめられていたのだ。

 自身の゛遍在゙を用いて一度は襲い掛かってきた、『閃光』の二つ名を持つ男に。 

 

 

『…………ッ!!?クソ、やべェ!お前ら、その場に伏せろ!!』

 そこまで思い出したところで、目を見開いた霊夢が他の三人へと顔を向けようとした直後。

 不思議とそれまで黙り込んでいたデルフが、まるで堰を切ったかのような怒声で叫んだのである。

 今まで黙っていたかと思えば急に怒鳴ったインテリジェンスソードにルイズ達三人が目を丸くした直後、霊夢が動いた。

 突然叫んだデルフの言葉を一瞬理解できず驚いていたルイズの体を、腰に抱きつくような感じで地面に押し倒したのである。

「え、わ…っちょ!何すんのよイキナリ!?」

「えぇ…?おいおいお前ら、急に盛るのはナシ…ィグエェッ!!」

 突然の霊夢の行動にルイズは赤面しながらも怒り、魔理沙はそれを茶化そうとしたものの上手くいかなかった。

 ちょうど彼女の傍にいたハクレイに、後ろから勢いよく袖首を引っ張られて地面に倒されたからである。

 ハクレイもハクレイで最初こそ唐突に叫んだ剣に驚いたものの、自分と似た姿をした少女の行動に何かイヤなモノを感じたのだ。

 だからこそそれに倣うような形で近くにいた黒白の少女を地面を伏せさせたものの、少々強引過ぎたと伏せさせた後で思った。

 しかし、結果的にデルフの叫びと二人の巫女がとった行動はこの場に居た四人を救う結果となる。

 

 ルイズと魔理沙が無理やり地面に伏せさせられた直後、周囲に漂っていた冷気が更にその冷たさを増した。――――瞬間!

 先ほどまで霊夢が凝視していた上空から眩い閃光と共に、空気が弾け飛ぶ激しい音と共に無数の雷撃が周囲に炸裂したのである。

「!?キャア…!」

 霊夢に押し倒されて赤面していた顔を一変、真っ青にさせたルイズが悲鳴を上げる。

 一方でその彼女を押し倒した霊夢は霊力を溜めていた御幣を頭上に掲げると、その先端部から再び結界を展開させた。

 今度は即席ではなく、あらかじめ攻撃用に練っていた霊力であった為に守りは強固であり、こちらへと落ちてくる雷撃を弾いていく。

 結界に弾かれる度に上空からの雷は激しい閃光と音と共に別方向に飛んでいき、その先にあった一本の木に命中する。

 弾かれた雷撃が直撃した木は、轟音と共にあっさりと折れ曲がるとそのまま勢いよく燃え始めた。

 アストン伯の屋敷にも雷が直撃し、まだ割れていない窓ガラスが割れて甲高い音と共に屋敷の外へ飛んでいく。

 しっかりと整備された屋敷の芝生や周囲に散乱していたキメラの破片や放棄されたトリステイン軍の装備品も上空からの閃光で吹き飛ばされていく。

 その中にはここへ来た時にルイズたちが見つけた王軍騎士達のマントもあり、それらは全て激しい雷撃で呆気なく消し炭と化していった。

 

 そして当然、彼女たちを数の力で包囲していたキメラ達にも雷撃は容赦しなかった。

 上空から走ってくる閃光は容赦なく奴らの体を鎧ごと貫き、目にもとまらぬ速さで黒焦げになったトカゲの丸焼きへと変えていく。

 体をほぼ金属で覆っている事もあり、どんなに動き回っても時間稼ぎにすらならない。

 中には無謀にも『風石』の力で飛び上がろうとした奴もいたが、所詮は無駄なあがきであった。

 結果。自分たちの頭上で激しい音と共に閃光が奔った直後、トカゲの丸焦げ焼きが落ちてきた事に魔理沙は素っ頓狂な声を上げた。

「うぉわっ!…な、何だぜコレ!?一体全体、何が起こってるんだぜ…!?」

 動揺のせいか変な語尾がついた彼女の言葉に答える者は誰もおらず、四人中三人は顔を地面へ向けている。

 ただ一人、結界を張っている霊夢だけは霊力を結界へ補充しつつも、その目で闇夜の空を睨み付けていた。

 

『『ライトニング・クラウド』…!こいつはおでれーたぜ…まさかこのご時世に、ここまで使いこなせるヤツがいたとはな!』

 デルフの言葉に、この雷撃が魔法だと察していたルイズはハッとした表情を浮かべた。

 

 

 

 ライトニング・クラウド――――人口の雲を造り出し、それに冷気を流し込む事で強力な雷撃を発生させる魔法。

 強力な魔法が多い゛風゛系統の中でも特に殺傷能力に秀で、詠唱者に要求される技術も高い上級スペル。

 それをここまで凶悪で無差別な殺戮を行える程の魔法に変えられるメイジは、ルイズの中では少なくとも二人だけ知っていた。

 一人目は我がヴァリエール家の母親。泣く子も黙るどころか踵を返して逃げ始める゙烈風゙の二つ名を持つ武人。

 そして二人目はそのヴァリエール家と領地が近く付き合いもあり、かつては自分の婿と呼ばれ、裏切り者となった男――――ー

 そこまで思い出した時、それまで周囲を攻撃し続けていた雷撃がピタリと止んだのである。

 最後の一撃がついでと言わんばかりに一匹だけ残っていたキメラを黒焦げにした後、その空から何も降ってこなくなった。

 まるで最初から雷撃など無かったと言わんばかりの様に静まり返った空と、それとは反対に惨憺たる傷跡をつけられた大地。

 ルイズ達四人以外を除き、周囲にいたラピッド達は文字通り全ての個体が黒く焦がされ、沈黙させられている。

 治まったか…?誰ともなくそう思った時、雷撃が牙を剥かなかった木立の中から、あのシェフィールドが怒鳴り声を上げた。

 

『私゙たぢを裏切るつもりかい!?―――――ワルド子爵…ッ!』

 

 恐らく安全圏から今までの戦いを眺めていたであろう彼女の言葉は、怒り一色に染まっている。

「ワルド子爵ですって…!?」

 彼女が口にした聞き覚えのある名前に、ルイズが目を丸くして立ち上がってしまう。

 同じく地面に伏せていた霊夢が貼っていた結界の外へと上半身が出てしまった直後、今度は彼女の周囲を風が包み込んだのである。

 ウェーブの掛かったピンクブロンドが揺れ、ボロボロになったマントが風でバタバタと音を立てた時、彼女を見上げていた霊夢は気づいた。

 ルイズの頭上。先程『ライニング・クラウド』が飛んできた上空から一つの大きな影が近づいて来ようとこている事に。

 

「…!ルイズッ…」

「え、あ、わ…ちょ―――キャアッ!!」

 その叫びが届いた直前、意図的な風に体を包み込まれたルイズの身体が宙へと持ち上がる。

 まるで目に見えぬ巨人の手に捕まれたかのように、彼女がどんなにもがいてもその拘束から逃れられない。

 急いで御幣の柄を地面に勢いよく刺し、空いた左手でルイズを掴もうとした霊夢であったが、それは無駄な努力に終わってしまう。

 

 空中でもがくルイズが、こちらへと左手を差し伸べてきた霊夢に右手を差し出そうとした瞬間。

 腰を上げた霊夢が出し抜かれてたまるかと言わんばかりの顔で持って、ルイズの右手を掴もうとした直前。

 雷撃が収まり、周囲の状況を確認していた魔理沙が宙に浮かぶルイズの頭上から迫る巨大な影に気付いた時。

 頭を上げて状況を把握し、これは良くないと認識したハクレイが動き出そうとする前に。

 そして想定していたシナリオへ土足で踏み込み、大事な゙主役゙を攫おうとする不届き者にシェフィールドが手を打つ寸前に―――。

 

 

「――――…ッアァ!!」

「ルイズッ!」

 霊夢が手を掴もうとしたルイズは、物凄い突風と共に降下してきた黒い風竜の手に掴まれてしまう。

 咄嗟に右手のお札を放とうとするものの、それを察知した竜は地面に降り立つことなく森の中へと飛び去っていく。

 あっという間に遠くなっていくピンクブロンドの髪と同時に、彼女の目に゙その男゙が後ろを振り向く姿が映り込む。

 

 かつてニューカッスル城で自分を追いつめてくれた、魔法衛士隊の一つグリフォン隊の元隊長だった男。

 ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵が浮かべた大胆不敵な笑みを、霊夢の赤みがかった黒い瞳は見逃さなかった。

 

 

 

 油断した…!苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべた霊夢は、地面に刺していた御幣を引き抜いて立ち上がる。

 あの竜に乗っていた男…見間違いでなければかつて自分を二度も襲ってきたワルド子爵だと思い出していた。

 ニューカッスル城で痛めつけてやった筈なのだが、どうやらアイツ自身はまだまだ諦めてはいないようだった。

 ルイズを攫ったのも返して欲しくば追いかけて来い!という意味なのだろうが、それにしてもどうしてここにいるのだろうか…?

 一瞬だけそんな疑問を感じた彼女は、すぐにワルドがレコン・キスタのスパイだったという事を思い出す。

 そしてあの男は、その気になれば自分やルイズのような少女の命に手を掛ける事すら躊躇しないという事も。

 スカートに付いた土埃を払いつつ、頭の中をフルで動かしている霊夢に腰を上げた魔理沙が捲し立ててくる。

「お、おいおいッ霊夢!ルイズの奴が竜に攫われちまったぞ…!?ていうか、背中に誰か乗ってたような…」 

「そんくらい、分かってるわよ。とりあえず乗ってた男を止めて痛めつけないと、ルイズの身に何が起こるか分かったもんじゃないわ」

 魔理沙の言葉にそう返しながらも、霊夢はワルドが操る竜が飛んで行った林道を一瞥しつつも周囲の様子を探ってみる。

 周囲を囲っていたキメラ達は既に全滅しており、幸いにも行く手を阻む障害は存在していない。

 

 

 辺りに敵がいない事と、どこへ行けばいいかの確認を終えた彼女はソッと魔理沙に耳打ちする。

「魔理沙、アンタが先行してあの竜を止めてきて頂戴。私もすぐに追いつくから」

「分かった、分かったが…でもどうするよ?あのシェフィールドとかいうおばさんが私達を見逃してくれると思うか?」

『失礼な事言うもんじゃないよ!このガキ!』

「うぉっ…!失敬、聞こえてたか。じゃあ次言う時は、大声にしておくよ」

 霊夢の提案に魔理沙は顔を顰めつつもそう言うと声が聞こえていたのか、闇の中からシェフィールドの怒鳴り声が聞こえてくる。

 まさか聞こえていたとは思わなかった魔理沙が身を竦ませながらも尚も口を止めない所を見た霊夢は、そう簡単に逃がしてくれそうにないという確信を抱く。

 それと同時に、先ほどのセリフとキメラを倒したのがワルドだと思い出した彼女は、闇の中にいるシェフィールドへと質問を飛ばした。

「さっきの攻撃…まさかとは思うけど最初からルイズを攫う為に計画してたワケじゃないわよね?」

『当たり前に決まっているじゃないの?全くあの子爵め、どういうつもりなんだいッ!!折角竜騎士の地位を授けてやったというのに!』

 竜騎士…?アルビオン?ということは、ワルドは今回侵攻してきたアルビオン艦隊と共にやってきたのだろうか?

 怒り散らすシェフィールドの返事を聞いた霊夢は、あのワルドがどうしてこんな所にいるのかを理解した。

 

 まずワルドとシェフィールドは、今艦隊を率いてやってきているレコン・キスタという組織の仲間として繋がっでいだという事。

 そしてどういう事か、本当なら介入してくる事の無かったワルドの乱入によりルイズが攫われてしまった。

 今やるべきことは、あの邪魔をされて激怒しているシェフィールドの目を掻い潜ってワルドの手からルイズを助けに行かねばならない。

 幸いにもキメラはルイズを攫う直前に『ライトニング・クラウド』のおかげで全滅している為逃げる事は苦ではない。

 だがしかし、ルイズを助けにここを離れた場合…彼女の姉を含めてまだ多くの人がいる屋敷を見捨てる事にも繋がる。

 残念な事だが。キメラを操る闇の中の女がわざわざ屋敷に手を出さずに待ってくれるとは思えなかった。

 少しだけ俯いて考えた後、霊夢はスッと顔を上げて闇の中にいるシェフィールドへ声を掛けた。

「ねぇ、少し聞きたいんだけど。もし私と魔理沙がここから消えたら、あの屋敷はどうするのかしら?」

 霊夢はすぐ傍にあるアストン伯の屋敷を指さしながら訊いてみると、彼女は『簡単なコトさ!』と叫んでから喋り出した。

『アンタ達が尻尾撒いて逃げるようなら、あそこに隠れている連中は私の憂さ晴らしで皆殺しにしてやるだけさ。もう釣り餌としての価値はないからねぇ』

「別に逃げるつもりはないんだどさ―、やる事と言う事が過激なんじゃないの?」

 あぁ、やっぱり思った通りだ。予想できていた霊夢は溜め息をつき、魔理沙は゛釣り餌゛や゛憂さ晴らし゛という言葉を聞いて目を丸くしている。

 キメラをけしかけてくる時点で、おかしな人間だとは思っていたのだがまさかそこまで多くの人をぞんざいに扱えるとは思っていなかったのだ。

 そして、あの屋敷を守る為に自分たちより前に戦っていたであろうハクレイは信じられないと言いたげな目でシェフィールドの話を聞いていた。

 

 

 

 三人中二人が似たような反応を見せたのを確認してから、霊夢はまたも口を開いた。

「…ちょっとルイズを助けて戻ってくるまで待ってて―――って言っても、通じないわよね?」

『―――アンタ、それは正気で言っているのかしら?だとしたら…随分巫山戯た言い訳だねぇ!』

 思いっきりバカにしてるかのような嘲笑と共にそう言った直後、再び上空から銀色の影が三つ落ちてくる。

 さっきここにいた奴らを全滅させたばかりだというのに、もう新しいラピッドが霊夢達の前に立ちはだかってきた。

 キメラ達は地面に倒れた黒焦げの仲間たちを踏み潰しつつ、手に持った槍の刃先を向けてこちらに近づいてくる。

「クソっ、次から次へと…厄介事が文字通り空から舞い降りてきやがるぜ!」

 悪態をついた魔理沙がミニ八卦炉を構え、それに霊夢も続こうとした直前…二人の前にハクレイの背中が立ちはだかった。

 突然の事に二人が軽く驚いていると、仁王立ちになったハクレイが「早く行って」と霊夢達に言った。

 

「コイツラとシェフィールドとかいうヤツは私が相手をするから、アンタ達はあのルイズって子を助けに行きなさい」

「……良いの?アンタとアイツラの相性、どうみても悪いような気がするんだけど」

 殿と屋敷の守りを引き受けてくれるハクレイに対して、霊夢は彼女とキメラを見比べながら真顔で言う。

 彼女の言うとおり。相手は『風石』の力で自由に地上と空中を行き来する上に、飛び道具まで持っている。

 それに対してハクレイ自身の武器は自分の手足だけという純粋な格闘家的戦法しか取れず、どう考えても相性が悪いとしか言いようがない。

 先ほどの様に相手から近づけば話は別だが、あのキメラ達相手に同じ戦法が何度も通用するとは思えなかった。

 だが当の本人もそれを理解したうえでここに残ると宣言したのであろう、心配を装ってくれる霊夢に「心配ないわよ」と素っ気なく返す。

 

「何もかも忘れて、得体の知れない私に手を差し伸べてくれたカトレアや、

 何の罪もなくただ避難している人々にも、奴らが容赦なく手を出そうというのなら…、

 それをしでかそうとした事を悔いるまで私は絶対に負けるつもりはないし、死ぬつもりもないわ」

 

 黒みがかった赤い瞳でキメラ達を睨み付け、ゆっくりと拳を構え始めたハクレイは言った。

 その後姿から漂う雰囲気と言葉に二人が何も言えずにいると、黙って聞いていたシェフィールドが甲高い笑い声を上げ始める。

 まるで彼女の語った言葉を駄洒落か何かと勘違いしているかのような、腹を抱えている程の潔い笑いであった。

 

「ッハハハハ!こいつは傑作だねぇ。わざわざその程度の事で、死地に飛び込んできたっていうの?

 だったら教えてあげるよ。この私を怒らせ事に対する、死や屈する事よりも辛い…後悔ってヤツをさぁ…ッ!!」

 

 最後まで笑いと憤怒が詰まったその言葉と共に、槍を構えていた三体のラピッドが一斉に飛びかかってきた。

 銀色に光る槍と真っ赤な口の中を見せて向かってくるキメラ達に、霊夢と魔理沙はそれぞれり獲物を反射的に構える。

 しかし、奴らが三人の方へと落ちてくる前に既に準備ができていたハクレイが急に右足で地面を踏んだのである。

 唐突な行為に霊夢が一瞬怪訝な表情を浮かべたものの、その行動に理由があった事を即座に知る事となった。

 分厚く、蹴られたら痛いと分かるブーツに自分の霊力を纏わせた彼女のストンプは、地面を爆ぜさせたのである。

 緑の芝生が土と共に宙を舞い、ほんのわずかではあるが突撃しようとしたキメラ達の前に土の障壁を作り上げた。

 結果、突撃しようとした敵はあと一歩という所で動きをとめてしまい、結果的にそれが霊夢達を動かすキッカケとなった。

 

「ッ!魔理沙、行くわよ!」

 わざわざキメラを止めてくれたハクレイに行けとも言われていないし、目配せもされていない。 

 けれども彼女が取ってくれた行動で察した霊夢は、隣で目を丸くする魔理沙に声を掛けつつその体を浮かばせた。

 地面から一メイル程度浮いているだけではあったものの、速く移動するのにはうってつけの飛び方である。

 彼女は林道の方へと体を向けると重心をそちらの方へと向けて、超低空高速飛行で進みだす。

「……!!わ、分かったぜ!」

 

 

 

 声を掛けられた魔理沙もハッとした表情で頷くと、左手で持っていた箒に急いで腰かける。

 一瞬自分の力で浮きつつも箒に腰かけたところで、ふと言い残したことがあったのかハクレイの方へと顔を向けて一言述べた。

「悪いな、名無しの巫女さん。これで死んじまったらアンタのお墓に花の一本でも添えといてやるよ」

 何やら縁起でもない事を彼女に伝え終えた魔理沙は、すでに林道へと入っている霊夢の後を追い始める。

 霊夢と比べ速さには自信があった魔理沙らしく、箒に腰かける後姿はあっというまに闇夜の中へ消えていった。

 

 

 ハクレイがキメラを足止めしてほんの十秒後、彼女たちは無事にここから抜け出せることができた。

 突如やってきてルイズを攫っていったワルドに追いついて、とっちめる為に。

 魔理沙の言葉を聞いた後、今更になって後ろを振り返った彼女は顔を顰めながら先ほどの言葉を思い出していた。

「…花一本て―――――…ガッ!?」

 それは無事に二人を林道を向かわせる事ができた彼女の、唯一の油断と言っても良かった。

 一瞬だけ振り返った直後、彼女の腰部分に一匹のラピッドが抱きつくような形でタックルをしてきたのである。

 回避も間に合わず、諸に直撃を喰らった彼女は肺の中の空気が全て出て行ってしまったかのよう苦しさを味わいつつも、地面に倒されてしまう。

 仰向けになった彼女が空っぽになった肺へ急いで酸素を取り入れつつも、何とかして腰に抱きついたキメラを引き剥がそうとした。

 しかしそれを実行へ移す前に、芝生に付いていた白い袖目がけて左右のラピッド二体が何の躊躇いもなく槍で串刺しにする。

「えっ、ちょ…うわっ!」

 鋭く鈍い音と共に文字通り地面へ釘づけけとなった袖に拘束されるような形で、ハクレイは身動きを封じられてしまう。

 唯一足だけは動かせたものの奴らもそれを理解しているのか、タックルしてきたのも含めて三匹はその場からすっと後ろへ下がった。

 蹴飛ばすこともできず、一瞬の隙を突かれて地面へ釘付けにされたハクレイはバツの悪そうな表情を浮かべて呟く。

 

 

「…あちゃー、言った傍からしくじったわねぇ」

「ふふ…何だい?大見得切った割には、随分な御姿じゃないの」

 彼女が呟いた直後、すぐ近くからシェフィールドが面白おかしいモノを見るかのような口調でなじってきた。

 今まで闇の中から耳にしていたその声は、今度はやけにハッキリと聞こえている。

 今は近くにいるのか?ハクレイがそう思った直後、すぐ目の前の闇から滲み出るようにして黒いローブ姿のシェフィールドがとうとう姿を現した。

 水に濡れた鴉の羽根の様な長い黒髪に死人の様な白い顔に微笑みを浮かべて、地面に倒れたハクレイを見下ろしている。

 嘲笑っているとも取れるその笑みからは、少なくとも友好的とはとても思えぬ念が込められていた。

「うーん、実にいいモノねぇ。私の計画を散々無茶苦茶にしてくれた奴を、地面に釘付けにするってのは…」

 周囲にキメラを侍らせている彼女は一人楽しそうにつぶやきながら、相手をまじまじと睨み付けている。

 対してハクレイの方もこれからどうしようかと考えつつも、時間稼ぎのつもりで何か言おうとその口を開く。

 

「そうかしら?わざわざ槍で地面に張り付けにされてる身としては、あまりいい気分はしないんだけどね」

「アンタの意見なんか別に聞いてもいないよ。それに、平静を装っていられるのも今の内さ」

 ハクレイの言葉に対してキッパリと言い放ったシェフィールドは彼女の傍へ近づくと、ジッと彼女の顔を見つめてきた。

 近づけば近づくほど白く見える顔からは人間らしさが見えて来ず、彼女という一個人を不気味な存在に仕立てている。

 そしてその目は、まるでこれから面白いショーが始まる事を心待ちにしているかのような子供が見せる目つきをしていた。

 この様な状況では場違いとも思える目つきをしているシェフィールドを見て、ハクレイの体は言い様のない不安で強張っていく。

 

 何だか分からないが…とにかく、何かイヤな事が起こる予感がする…!

 心の中でそんな気持ちを抱いた彼女の心を読んだかのように、突如シェフィールドが小さく笑った。

「ふふ…アンタ、さっき言ってたわよね?あそこの屋敷に隠れてる連中には、絶対に手を出させないって」

「…!それがどうかしたのかしら?」

 自分の顔を覗き込む彼女の口から起こり得るであろう出た言葉から、ハクレイは怪訝な表情を浮かべつつも察していた。

 丁寧に作り上げた計画を無茶苦茶にされたという彼女の、それをぶち壊した自分に対する憎しみは並々ならぬモノに違いない。

 だとすればそれに対しての゙報復措置゙は既に思いついており、今はそれを実行に移そうとしている直前なのだ。

 そしてシェフィールドは、ハクレイがその゛報復措置゙の内容を察している事に気づいていた。

 

 何が可笑しいのか、強張っているハクレイの顔を覗き込みながらも、シェフィールドは冷たく嗤う。

 自分の――ひいては我が主が指すゲーム盤を乱した者は、例え誰であろうともそれ相応の代償を払う必要があるのだ。

 そんな思いを氷の様に冷たい笑みから漂わせながら、シェフィールドは口を開いた。

 

「アンタは理解しているんだろ?―――無駄になっだ釣り餌゙は、水槽の魚にあげてやるべきだって。

 丁度今、私の周りには飼っている魚たちがお腹を空かしているだろうから…きっと喜んで食べてくれるだろうねぇ」

 

「――――アンタ…ッソレ本気で言ってるワケ!?」

 とうとう、彼女の口から出てしまった恐ろしい話を耳にして、ハクレイはその目をカッと見開いて叫ぶ。

 彼女の赤い瞳からはこれから怒るであろう惨劇を何とか止めようとする必死さと、自分への憎しみがこもっている。

「ハァ…―――本気も本気よ?じゃなければ、私の怒りは収まりがつかないのよ」

 それに気づいたシェフィールドは、堪らないと言いたげに肩を震わせながら恍惚に染まった溜め息をつきながらそう言う。

 そこまで言った所で、ハクレイは袖に刺さった槍を何とか引き抜こうともがき始める。

 しかし思っていた以上に深く刺さっている槍はビクともせず、逆に彼女の体力をジリジリと奪っていく。

 ヤケクソ気味に自由な両足を動かすものの何の解決にもならず、ブーツが空しく空気を切っているだけであった。

 

 ―――――これだ、これこそ今の私が望む最高の展開だ。

 目の前でジタバタと暴れているハクレイを見ながら、シェフィールドは内心で歪んだ笑みを浮かべていた。

 こうやって最後まで抗う彼女の目の前で、守ろうとした者達に無残な結末を迎えさせる。

 屋敷の地下に隠れている連中は、さぞや耳に心地よい悲鳴を上げながらキメラ達に殺される事だろう。

 そうして思う存分に絶望した所で抗うコイツも八つ裂きにし、そして私を裏切ったあの子爵も始末する。

 そこまですれば我が主のゲーム盤は元に戻る。異端で不要な駒どもは粉々に砕いて燃やして捨てるのが相応しい。

「我が主のゲーム盤に横槍を入れた者は、皆等しく死すべき存在よ。女子供が相手だろうとね?」

 キメラ達を動かす前に一言つぶやいたシェフィールドが、自分を睨み付けるハクレイの顔に触れる。

 それ自体は単に彼女へ送る最期のスキンシップのつもりであり、他意は無かった。

 だが、それが彼女と――――そしてハクレイが今置かれている状況を一変させうる引き金となった。

 

「…?――――――な…ッ!?」

 

 シェフィールドの白い指がハクレイの顔に触れた直後、驚きを隠せぬような声と共にその指がピクリと揺れ動いた。

 まるで今触ったモノが触れる事すら危険な毒物だと気づいた時の様な、明らかな動揺が見て取れる動き。

 それに気づいたハクレイがシェフィールドの方へと顔を向けた時、彼女の表情がいつの間にか一変している事に気が付いた。

 

 それまで笑みを浮かべていた顔は驚愕に染まり、不思議な事に彼女の額が青く発光している。

 額の光を目を凝らして見てみると、どことなく何かの文字にも見えるのだが前髪で隠れていて良く分からない。

 一体どうしたのかと訝しもうとしたとき、カッと目を見開いたシェフィールドが「あり得ない!」と叫びながら後ずさり始める。

 額を光らせ、動揺を隠しきれぬ顔で後ろへと下がる彼女は張り付けにされているハクレイを見ながら、ぶつぶつ喋り出した。

「そんなバカな事…あり得ないわ。……――――には、そんな能力なんて無い筈なのに――――」

 ついさっきまで自分を嘲笑っていた女が、今度は一転して狼狽えている光景にはある種の異様さが漂っている。

 そんな思いを浮かべながらただ黙って見ているしかなかったハクレイに向けて、シェフィールドは一言だけ呟いた。

 

 

「一体、お前の身体に何があったというんだい?――――゛見本゛」

 

 

 ――――――…見本?

 彼女の口から出た一つの何気ない単語にしかし、ハクレイの心は酷く揺れ動いた。

 まるで今の今まで忘れていたかった事を思い出してしまった時の様な、思わず呻きたくなってしまう程の動揺。

 それを今まさに感じているハクレイは、自分の心臓の鼓動が早鐘の様に鳴りはじめた事に気が付く。

「゙見本゛―――――…って、アンタ一体…何を言ってるのよ?」

 頭の中で直接響く鼓動の音に消えてしまう程の小さく掠れた声で、彼女は呟いた。

 

 

 

 ハクレイに殿を任せて、霊夢と魔理沙の二人が林道に沿って飛び始めてから早五分。

 未だルイズを攫って行ったワルドと彼が操る風竜の姿は見えず、ひとまず二人は道なりに飛ぶしかなかった。

 アストン伯の屋敷からタルブ村へと続く林道もまた、その前にいた山道と同じく整備されている。

 馬車が走っても車輪が岩で壊れないよう大きめの石は殆ど除去され、緩やかなカーブを描く平らな道がどこまでも続いている。

 道の幅は十二メイル程で、両端には飛んでいる二人を生け捕りにしようとするかのように鬱蒼とした木立しか見えない。

 

 二人は闇に慣れた目で木立に突っ込まないよう気を付けながら、ルイズの姿を探していた。

 こういう時の灯りではあるのだが、先ほどの戦いで失ったカンテラが自分たちが持ってきていた唯一の灯だった。

 一応闇に慣れたとはいえ、あった方が良いか?と問われれば当然あった方が良いと答えていたであろう。

 しかし無いモノは無く。止むを得ず二人は暗い闇に包まれた道をただひたすらに飛んでいた。

 霧が薄まったとはいえ月は顔を出しておらず、頭上の空には星の光とは思えぬ人口の光が幾つも見える。

 林道に入って少ししてから見えたそれ等の光は、よくよく見てみれば巨大な船に取り付けられているものだと分かった。

 恐らく、あれが今トリステインを侵略しようとしているアルビオンの艦隊なのだろう。時折敵の竜騎士らしきシルエットも見ていた。

 だとすれば敵の集団かキメラの群れが自分たちのすぐ近くにいてもおかしくはないし、それと戦う暇など勿論ない。

 故に二人はこうして、森の外から飛び上がろうとせず渋々といった表情でルイズを探していた。

 

 

「なぁ、ホントにあの巫女モドキさん一人にしておいても良かったのかよ?」

 先頭を進む魔理沙が、腰かけている箒にゆっくりとカーブを掛けさせながら後ろを飛ぶ霊夢に話しかけた。

「……?何よ、アンタらしくないわねぇ。もしかして、去り際に行った自分の言葉に罪悪感でも持ったの?」

「まさか。ただ、いつもはああいうのに疑いを掛けるようなお前さんがアイツの肩を持つのはおかしいと思ってな」

 霊夢の言葉にそう返してから、黒白は箒に微調整を掛けつつ自分がよく知る巫女さんがどんな返事をするのか期待していた。

 てっきり適当な事を言うと思っていた彼女はしかし、五秒ほど経っても霊夢が言葉をよこさない事に気付くと怪訝な表情を浮かべる。

 

「………?霊夢?」

 思わず待ちきれなくなった魔理沙が彼女の名を呼ぶと、少し悩んだ様な表情をした霊夢がポツリと口を開く。

「んぅ~…―――何でなの、かしらねぇ?イマイチ良く分からないわ」

「おいおい、らしくないな。何時ものお前さんならその場で物事をスッパリ考えて、キッパリ決めてるっていうのにさ」

「…こう見えても色々と悩んでるんのよ?まぁ、弾幕はパワーとか決めつけているアンタよりかは悩んでる回数は多いわ」

「お、言ってくれるなぁ~。月が見えない夜には気を付けておけよ?」

「アンタの場合存在そのものが賑やかなんだから、月が無くても平気だわ」

 まるで博麗神社の縁側でしているようないつもの会話を、二人にとっての異世界であるハルケギニアの暗い林道でする。

 今自分たちが置かれている状況を理解しているとは思えない光景であったが、ふと先行していた魔理沙が何かを発見した。

 

 

 林道に沿って飛び始めてから更に十分が経過したところだろうが。

 ようやく出口が見えてきて、タルブ村が見えてくるだろうという所で魔理沙が声を上げた。

「ん?……あっ、おい霊夢!いたぞッ、アッチだ!」

 双方ともに自分のペースで進んでいた為に林道を先に魔理沙の呼びかけで、霊夢は少しスピードを上げる。

 最後のゆるいカーブを曲がり切ったところで、周囲の闇とは違う魔法使いの黒い背中が見えたのでその場で急ブレーキを掛けて止まる。

 靴先が少しだけ地面を蹴る同時に着地し、箒をその場で浮遊させて止まっている魔理沙の傍に寄っていく。

 

 彼女の視線の先、林道出てすぐ近くにできている広場のような草地のど真ん中に、ルイズが倒れていた。

 うつ伏せの状態で倒れている彼女は気でも失っているのか、体が微かに上下している意外動きを見せない。

 周囲には上空の艦隊以外目立つモノは無く、不思議な事に彼女を攫って行ったワルドや風竜の姿はどこにも見当たらなかった。

 何処かで自分たちが来るのを待ち伏せているのだろうが、それにしても罠としてはあまりにも分かりやすい。

「…ご丁寧に気まで失わせて放置してるぜ?どう思うよ」

「ん~確かに、トラップにしちゃ分かりやすいけど。あれじゃああからさま過ぎて近づきにくいわね~」

「とりあえずサッと近づいて助けるか?まぁ何が起こるのか察せるけどな」

「丁度良いところに人柱役の魔法使いが一人いるから、何が起こるか試せるわね」

「それは残念。私は『魔法使い』ではなく『普通の魔法使い』だから、人柱役にはなれませぬで候」

 二人の少女が林道とタルブ村の境界線に立って、うつ伏せになって倒れている貴族の少女をどうするか話し合う。

 周囲の状況から浮きすぎている会話を聞いていてもたってもいられなくなったのか、それに待ったをかける゛物゛がいた。

 

『おいおいお前ら、そんな半ば喧嘩腰な会話してる暇があんなら少し周りでも警戒でもしろよ』

「うわっ!」

 霊夢が背中に担いでいたデルフが、今まで黙っていた分も合わせるかのようにしていきなり喋ってきた。

 相も変わらず錆びついた刀身を少しだけ覗かせてダミ声喋る姿は、やはりというかどうも゛歳をとり過ぎた剣゛という表現がしっくりくる。

 当然その声を間近で聞いた一応の持ち主はそれに身を竦めて驚き、次に恨めしそうに背中のインテリジェンスソードを睨み付けた。

「ちょっとデルフ、喋る時くらい何か合図でもしてから話してよね。一々驚いてたら寿命が縮むじゃないの」

「おぉ、そりゃいいな。デルフ、人間五十年と言う言葉があるから後五十回は驚かせ」

『んな事できるワケねーだろうが。…それはさておき、これからあそこで伸びてる娘っ子はどうするつもりなんだ?』

 霧を掴もうとするかの如く途方もない二人の会話にピリオドを打ちつつ、デルフはいま差し掛かっている問題に話題をシフトさせた。

 まぁコイツの言う事も確かか。そう思った霊夢も気を取り直して、ここから十メイル先で倒れているルイズを凝視する。

 まずもって相手の罠だという認識の上で考えれば、阿呆みたいに近づけば確実に良くない事が起こるだろう。

 

「う~ん、アイツに声を掛けて起きてくれればいいんだけど…おーい!ルイズー!」

 試しに自分の声で彼女を起こしてみようと聞こえる範囲で呼びかけてみるが、ルイズは微動だにせず倒れたまま。

 ルイズの事だから眠っている可能性は低いかもしれないが、ひよっとすると魔法で眠らされているかもしれない。

 そんな彼女の思考を読み取ったのか、霊夢が呼びかけて少ししてからデルフがカチャカチャとハバキの部分を動かしながら喋り出す。

 

『ありゃ恐らく魔法で眠らされてるなぁ。でなけりゃ呼びかけても目を覚まさないってのにも道理が付く』

「そういや、確か風系統の魔法か何かにそういうのがあったよな?確か『スリープ・クラウド』っていうのが」

『それだな。魔法から生み出せる特殊な雲で、上位のクラスが唱えたらドラゴンも一発で眠っちまうんだ。後は朝までスーヤスヤよ』

 デルフの言う魔法に心あたりのあった魔理沙が、見事その呪文の名前を言い当ててみせる。

 二人のやり取りを何となく見ていた霊夢はふと、黒白の頭上に何かがある事に気が付く。

 闇夜のせいでその輪郭は曖昧ではあるが、まるで人の頭一つ分は覆い隠せそうな青白い雲が浮かんでいる。

 不思議な雲は時折僅かに縮んだり大きくなったとまるで生き物用に動きながら浮遊していた。

 

 

「――――ねぇ魔理沙、その頭上の雲って…」

「ん?何だ霊夢。頭上の…って――――うぉわっ!?」

 突然の指摘に魔理沙が頭上を見ようとした直前、その青白い雲がストンと彼女の頭に覆い被さってきた。

 いきなり頭上から降ってきて自分の視界を隠してきた雲に魔理沙は思わず驚き、その場で大声を出してしまう。

 まるで雲彼女の頭がそのまま青白い雲になってしまったような錯覚を霊夢が覚えていた時、デルフが声を上げた。

『―――ッ!不味いぞレイム、そいつがさっき言ってた眠りの雲だ!』

「何ですって?ということは…ちょっと、魔理沙ッ」

 デルフの言葉に霊夢が声を掛けたときには遅く、雲が消えたと同時に魔理沙の体が崩れ落ちる。

 まるで長時間張りつめていた緊張という名の糸が切れて崩れ落ちるかのように、彼女は仰向けになって地面へと倒れた。

 事態が悪化したことに気付いた霊夢が急いで駆け寄ってみると、黒白の魔法使いは目をつぶって安らかに眠り始めている。

「ちょ…魔理沙、ナニ寝てるのよ?起きなさいって、この!」

 急いで叩き起こそうと頬を叩いてみるが、まるで睡眠薬でも盛られたかのように起きる素振りを見せない。

 

 

「無駄だ。『スリープ・クラウド』で眠らされたら、その程度では起きはしないさ」

「―――…!」

 そんな時であった。ルイズが倒れている方向から、あの男の声が聞こえてきたのは。

 アルビオンでウェールズを殺し、ルイズを裏切り…そして自分に手痛い仕打ちをしてくれたあの男の声が。

 地面に倒れ伏した魔理沙の方を見ていた霊夢がハッとした表情を浮かべて、すぐさま顔を上げる。

 先程まで眠りに伏したルイズしか倒れていなかった場所、朝日や月が出ていればタルブ村と広大なブドウ畑が一望できていたであろう広場。

 そこに黒い羽帽子に、金糸で縫われたグリフォンの刺繍が輝く黒マントに身を包んだ貴族の男が立っていた。

 帽子のつばで顔を隠している男は、自身の存在が霊夢に気付いたことを知るのを待っていたかのように、自らの顔を上げた。

 年の頃は二十代半ばといってもいいが、それを感じさせない口ひげのせいで三十代にも見えてしまう。

 だが顔そのものはハルケギニアの基準では十分に美しく、かっこよさも兼ねている美形であった。

 

 黙っていても平民の町娘や貴族の御令嬢まで声を掛けてくれるようなそんな男が、ジッと霊夢を睨み付けている。

 まるで猛禽類の様に鋭く凶暴さが垣間見えるその瞳で、異世界からやってきた巫女さんを見つめていた。

 マントの内側に自らの両手を隠し、これからの一手を読まれぬようにとその体を微動だにさせずに立ち続ける姿は獲物の出方を窺う鷹そのもの。

 そんな相手に睨まれながらも霊夢は決してたじろぐことなく、男もまた自分よりも年下の少女を互いに゙敵゙として見つめ合っていた。

 かつて二人はアルビオンにて戦い、結果として両者は勝ち星と負け星を一つずつ所有し合う事となったのだから。

 

「まさかとは思ってたけど、やっぱりアンタだったようね…ワルド」

「貴様とルイズたちに出会えた事は偶然だったが、これも始祖の定めというモノかな?―――ハクレイレイム」

 眠りに落ちた魔理沙を足元に放置したままの霊夢の言葉に、ワルドはそう言ってマントから勢いよく右手を出した。

 そしてその手で黒く光るレイピア型の杖を腰から抜き放つと、目にもとまらぬ速さで霊夢に突きつける。

 流石魔法衛士隊の隊長にまで上り詰めた男。その一挙一動には、まるで隙というモノが見えない。

 霊夢もワルドの動きに倣って身構えようとした直前、突拍子も無く彼女の体を風の壁とも言える程の突風が襲い掛かった。

 

「うわっ!?…っとと!」

 突然の突風に彼女は驚いたものの、何とか両足を地に着けて堪えて見せる。

 思わず両腕で顔を隠し、赤いリボンが風に煽られ揺れる音が耳に響く中でデルフが声を上げた。

『今のは風系統の初歩『ウインド』だな。けどあの野郎が放ったレベルのは、久しぶりに見たぜ…ッ!』

「つまり私は舐められてるって事?全く大したヤツじゃないの……って、わっ!」

 デルフの助言にそう返しながらチラリと前を窺った瞬間、霊夢は思わず素っ頓狂な叫び声を上げてしまう。

 彼女が突風で顔を隠していた間を使って、ワルドが一気に距離を詰めようと飛びかかってきたのである。

 

「随分とヒマそうじゃないかッ!」

 まるで地上の獲物襲い掛かる猛禽のように、頭上から杖を振り上げて迫りくるワルド。 

 デルフと話していた自分を馬鹿にするかの彼の言葉に霊夢は舌打ちしつつも、懐から取り出したお札を右手で投げつけた。

 ありがたいお言葉と霊力が込められた三枚の札はしかし、無情にも頭上のワルドに命中することは無かった。

 もうすぐで当たろうとした直前に、本物のレイピアに当たる刀身の部分が光り輝く刃―――『ブレイド』と化した杖でもってお札を切り裂いたのだ。

 哀れ六枚の紙くずとなったソレを見た彼女は目を見開きつつも、左手だけで持っていた御幣を両手持ちへと変えて後ろへと下がる。

 その直後に先程まで彼女が立っていた場所のすぐ近くにワルドが降り立ち、次に息つく暇もなく霊夢へ切りかかっていく。

 霊夢もまた攻めに来るワルドの動きを止める為に、敢えて横一文字の形に突き出した御幣でもって相手を迎え撃った。

 

 

 瞬間、二人の少女が眠り落ちた空間に激しく甲高い音が響き渡った。

 凶暴な目つきをした男が放つ魔法の刃と、異世界からの少女が張った結界に包まれた一振りの棒が激突している。

 レイピア型の杖を包む緑色に光るワルドの『ブレイド』は、霊夢が御幣に張った青い結界と鍔迫り合いを起こしたのだ。 

 両者互いに地面に食い込まんばかりに足を踏ん張り、今にも押し返さんとしていた。

 魔力と霊力。常人ならざる者たちの力のぶつけ合いは、周囲にこれでもかと凄まじい威圧感を放出させている。

「ッ!いきなりご挨拶な事ね?攻撃してくるんならちゃんと声掛けの、一つでもしろっての…ッ!」

「それは失礼。何せニューカッスル城にいた時の借りがあったものでね。それを返したまでの事さ」

「言って、くれるじゃないのぉッ」

 

 霊夢は奇襲を仕掛けてきたワルドを睨み付けながらも、ローファーを履いた両足に力を込めてワルドの攻撃を防いでいた。

 一方のワルドは必死に鍔迫り合っている霊夢を見下ろしながらも、杖を持つ手により一層の力を込めて御幣ごと叩ききろうとしている。

 結界を張った御幣自体はしっかりと盾の役目を果たしており、ワルドの魔力で形作られた『ブレイド』を押しとどめている。

 しかし魔法衛士隊の者として心身共に戦士として鍛え上げられた男に、自分は押されているのだと霊夢は自覚せざるを得なかった。

 幻想郷では話の通じぬ妖怪相手には本気で挑むものの、これまで人や話の分かる人外とは弾幕ごっこで勝敗をつけてきた霊夢と、

 片や魔法衛士隊の隊長としてこれまで数々の訓練と実戦経験を積み、必要とあらば殺人すらも躊躇しないワルド。

 決められたルールの範囲内か自分より格下の相手と戦ってきた少女と、目まぐるしく状況が変化する戦場や何でもありな組手で場数を踏んできた男。

 

 

 ワルドは知っていた。この様な状況下で、次はどういう一手を打てばいいのか。

 相手の少女よりも長い人生の中で戦ってきた彼はそれを多くの先輩や敵達から受け、そして学んできた。

 

 

「――――ふん、やはり俺の考えは間違ってなかったな」

 瞬きする事すら許されぬ状況の中で、霊夢と睨み合っていたワルド一人呟く。

 その自信満々な言い方に相手をしていた彼女はそれが気に食わず「何がッ?」とすかさず言葉を返す。

 『ブレイド』の扱いに長けたワルドの腕力に押されつつも、下手に動けばバッサリやられてしまうという状態に置かれている。

 元々魔理沙やルイズと比べて体力の少ない霊夢にとって、今の様な鍔迫り合いを長引かせる気は無かった。

 それでも宙に浮いたり他の武器やスペルカードを取り出す…などの隙を見せる事ができず両者互いに硬直状態となっている。

 だからこそ自分と比べて余裕満々な男の言葉に苛立った彼女は、ついついそれに反応してしまう。

 

 ワルドの狙いはそこにあったのだ。

 飛び道具での戦いを得意とする少女を、自分の得意分野である白兵戦に持ち込めたのだから。 

「ある意味ではルイズよりも苛烈なお前ならば、こうして喰らいついてきてくれるッ…とな!」

 怒りに満ちた霊夢の瞳を見つめながらそう言いきった直後、ワルドは彼女の方へ掛けていた力を全て『抜いた』。

 まるで憑き物がとれたかのように霊夢の御幣と対峙していた杖から魔力が抜け、緑の刃がフッと消え去る。

 それと同時に、しっかりと杖を構えていた彼は背中から地面へ倒れるようにして素早く後ろへ下がったのだ。

 一歩、二歩、三歩と早歩きのように足を後方へ動かして下がり出した彼の行動は、対峙していた霊夢にも影響を及ぼす。

「なっ――――うわ…っ!?」

 直前までワルドと鍔迫り合いをしていた彼女は彼の突然の後退に、体が自然と前のめりになってしまう。

 御幣を両手で持って『ブレイド』を防いでいたがゆえに、対峙していた側が急にいなくなった事で体のバランスを大きく欠いてしまったのである。

 結果、御幣を前に向けた姿勢のまま前方に倒れかけた霊夢は、後ろへ下がって態勢を整えたワルドに大きな隙を見せる事となってしまった。

「白兵戦には、こういう駆け引きもあるッ!」

 無防備に自分の方へ寄ってくる霊夢に教えるような口調でそう言うともう一歩下がり、そこから流れるようにして回し蹴りを叩き込む。

 鍛え抜かれた足から放たれる技が彼女の脇腹に直撃し、その体が僅かに横へと曲がった。

「――――…」

 直撃を喰らった霊夢は目を見開き、声にならない悲鳴を上げると同時に突然の息苦しさが彼女を襲う。

 肺の中から空気が…!そう思った時には体が宙を舞い、そしてうつ伏せの状態で草地へと叩きつけられた。

 左手から離れた御幣がクルクルと回転しながら夜空へと飛び上がってから、持ち主から五メイルも離れた地面に突き刺さる。

 地面から生える背の低すぎる植物たちが露わになっている肌に触れて、僅かな痛みとむず痒さを伝えてくる。

 しかしそれ以上に苦しかったのは、蹴られた衝撃で口から飛び出ていった空気を求めて、体が警報を鳴らしていた事であった。

「―――…ッハァ!ンッ…!クハッ…ッア!」

 空いてしまった左手で胸を掻き毟るように押さえながら、何とか体の中に酸素を取り入れようとする。

 無意識に目の端から涙が零れ落ちていくが、それを拭う暇がない程に体が酸素を欲していた。

 体を丸くさせて必死に肩で呼吸する今の彼女の姿を見れば、幻想郷の住人ならば誰もが驚いていた事であろう。

『おいレイム、しっかりしろ!』

 流石のデルフも普段の彼女からは想像もつかない姿に、思わず叫び声を上げる。

 その声の出所が剣だと気付いたワルドは、ほぅ…と感慨深そうに息を漏らすと気さくな言葉を掛けた。

 

「成程。先ほどから聞こえていたダミ声はそれだったか。確か、インテリジェンスソード…とでも言えば良かったかな?」

 口調そのものは、街角で友人と気軽な世間話しをしているかのような雰囲気が滲み出ている。

 しかしそれを口にしているワルド本人は杖の先を蹲る霊夢へ向けて、彼女が次にどう動くのかを見極めている。

 顔もまた真剣そのものであり、弱りつつある獲物に近づく猛獣のように慎重にかつ確実に勝てるよう注意を払っていた。

「しかし悲しきかな、そんな大きな剣は君の背中には不釣り合いに見える。何故君はそんなものを背負っているんだ」

「ゲホ…!ケホッ…悪い、けど…―――乙女の横っ腹に蹴りを、喰らわす奴…には…ゴホ、教えられないわね…」

 大の大人が持つには丁度良いデルフのサイズとその持ち主を見比べながら、彼は疑問を口にする。

 その合間に咳き込みつつも、必死に呼吸したかいもあってようやく落ち着きつつあった霊夢は、怒りを滲ませながら言った。

 蹴られた横腹はまだ痛むものの、肺の中に空気が戻ってきた事である程度喋れるほどの余裕は取り戻せていた。

 こちらの様子を窺うワルドを睨み付けつつ、手放してしまった御幣が丁度右斜めの所に突き刺さっているのを確認する。

 紙垂代わりの薄い銀板がチラチラと鈍く輝いているのは、まるで持ち主にここだここだと告げているかのようだ。

 しかし今の彼女にはそれを取に行ける程の余裕は無く、かといって今対峙している相手は生半可な奴ではないとも理解していた。

 

(コイツ相手には普通のお札や針じゃ対処できそうにないし、かといってスペルカードは…諸刃の剣ね)

 この男は強い。単にメイジとしての実力もそうだが、それを凌駕する程に人間としての強さも兼ね備えている。

 既に二回も戦っているが、相手は確実にこちらの動きをしっかりと学んで、今の戦いに臨んできていた。

 だとすれば、これまでの戦い方では今の相手に勝てるかどうか分からない。無論、勝つ気で戦うのが彼女であった。

 しかしその可能性は良くて五分五分。目の前にいる男は、自分と同じ種族とどう戦えば良いのか知っている。

 妖怪退治を主として来た霊夢は、その人間と戦い゙仕留める゛という事に関しては良くも悪くも素人であった。

 

 魔理沙や咲夜の様な人間とは常にスペルカードで勝ち星を取ってきたが、それ以上の事まではしていない。

 人間を守り、妖怪を退治して幻想郷の均衡を守る博麗の巫女としては、当然の事であろう。

 しかし逆に言えば、妖怪ば仕留め゙られるものの彼女は自らの手で人の命を゛仕留め゙た事はないのだ。

 それはつまり、スペルカードを一切用いない人間同士による真剣な殺し合いを経験していないという事だ。

 互いに自らの命を賭けて勝負し、激しい攻撃の末にどちらかが勝利し、どちらかが命を落とす。

 スペルカードという安全なルールの中で戦ってきた霊夢にとって、目の前にいる男との相性は悪すぎたのである。

 

 色んな意味で一期一会な雑魚妖怪達には有効である攻撃は、人間が相手となると事情が違ってくる。

 知り合いでもある人型の妖怪や人間たち―――この男も含めて、一度見られてしまうとその゛パターン゙を読まれてしまう。

 無論読まれたとしても避けれる程の実力が無ければ意味は無いのだが、運悪くワルドにはそれを避ける程の実力があった。

 だから霊夢は今の相手にはお札や針は効き目が薄いと判断し、スペルカードによる弾幕は危険と安全の隣りあわせと判断したのだ。

(スペールカードなら多少は安全と思うけど…こういう殺し合いの場だと近づかれたら―――死ぬわね)

 今まで編み出してきた結界やお札を併用した弾幕ならば、ごり押しで倒せる可能性はある。

 しかし最悪そのパターンを読まれて回避され、近づかれでもしたらそれで御終い。文字通りのあの世行きなのだ。

 御幣が手元にあればそれと手持ちの武器で何とかイケる気もするが、生憎それは五メイルも離れた所にある。

 今立ち上がって瞬間移動なり飛んで取りに行けば、それを察しているであろうワルドの思う壺だろう。

 

 ならば今の彼女は、ワルドと言う名のグリフォンによって隅に追いやられた猫なのだろうか?

 抵抗もできず、ただただ威嚇しつつも自分より大きい幻獣に身を縮ませるか弱い哺乳類なのだろうか?

 ――――――否、それは違う。彼女は持っていた、今の自分に残されている最後の『切り札』とも言えるモノが。

 幻想郷から遥々このハルケギニアに召喚され、ルイズによって左手の甲に刻まれた『神の左手』と人々に語り継がれる使い魔のルーン。

 六千年前に降臨した始祖ブリミルの使い魔の一人であり、ありとあらゆる武器、兵器を使いこなしたと言われる『ガンダールヴ』。

 そのルーンこそが。今の霊夢が考えうる最後の切り札にして、今の状況を打開できる能力。

 

 

「使う事はまずないだろうと思ってたけど…、使わないと流石に不味いわよね…うん」

「……?一体何をするつもりだ?」

 軽くため息をつきながら一人呟いた彼女に、ワルドは首を傾げた。

 そんな彼を余所に霊夢は痛む蹴られた左の横腹を右手で押さえつつも、ゆっくりと立ち上がる。

 痛みが引いたとは言え完全に消えたワケでもなく、ズキズキと滲む痛みに霊夢は顔を顰めながら苦言を呟く。

「イテテ…アンタねぇ、蹴るなら蹴るでもうちょっと手加減の一つでもしなさいよ」

「それは失礼。魔法衛士隊の組手は常に本気を出すのが鉄則だったのでね」

 少女の言葉にワルドは肩を軽く竦めつつも、動き出した相手に向ける杖を決して下げはしない。

 まぁ当然かと霊夢は思いつつ、ようやく立ち上がれた彼女はふぅと一息ついてから再び身構えて見せた。

 左横腹を押さえていた右手を離し、左手を右肩の方へスッと上げると丁度肩の後ろにあったデルフの柄を握りしめた。

 錆び錆びの刀身に相応しい年季の入ったそれを霊夢の柔らかい手が触れたところで、デルフが話しかけてくる。

 

『……やるか?』

「手持ちじゃあ倒せるにしても危険だし、何より長物も使ってみたいしね」

 今の自分には二つの行動を意味するような彼の言い方に、霊夢はそう答える。

 相手が背負っている剣の柄を握ったのを見計らうかのように、ワルドは改めて杖を握りつめると呪文を唱え出した。

 本当ならばいつでも仕留められたというのに、自分が再び態勢を整えるのを待っていてくれたのだろうか?

「だとしたら、随分律儀な事ね。……なら、そのお返しは倍にして返してやるわ」

 決して隙を見せず、けれども自分を舐めているかのような態度を見せるワルドに贈るかのように霊夢は一人呟く。

 そして柄を握る左手に力を入れると、錆びた刀身と鞘が擦れ合う音と共にインテリジェンスソードを勢いよく引き抜いた。

 

「ほう…随分と年季の入った骨董品じゃないか。売れそうにないがね?」 

 呪文を唱えていたワルドは、霊夢が抜き放った剣を見て、珍しいモノを見るかのような目で感想を述べた。

 耳に障る音と共に鞘から出たデルフの刀身は、鍔から刃先にまでびっしりと黒い錆びに覆われている。

 全体の形は霊夢の良く知る太刀に似ている片刃で、贔屓目に見ても彼女の様な少女が振るえる代物とは思えない。

 しかし、そんな思い代物を今は左手一つで握りしめ、鞘から抜き放ったのは間違いなく目の前にいる少女であった。

「奇遇じゃない。私もコイツの全体を見たのは久しぶりだけど…やっぱりタダでも引き取ってくれそうにないわねぇ」

『うっせぇ!オレっちにだって色々あるんだよ、馬鹿にするんじゃねぇ!』

 ワルドの感想に追随するかのように霊夢がそう言うと、流石のデルフも突っ込まざるを得なかった。

 錆びついた身本隊に相応しいダミ声で怒鳴るインテリジェンスソードに、ワルドは嘲笑を浮かべながら口を開く。

 

「まぁどっちにしろ、私はこの前の借りを返す事も含めて―――全力で戦わせて貰うぞ!」

 その言葉と共にワルドが杖を振り上げると、彼の目の前に風で出来た刃―――『エア・カッター』が出現した。

 緑色に光るソレは出てきた一瞬だけその場で制止した後、かなりのスピードでもって霊夢とデルフに襲い掛かってくる。

 まるで先ほど戦っていたシェフィールドのキメラを彷彿とさせるような攻撃である。ただし一度に出せる枚数はあちらの方が上だったが。

 しかしあれから感じられる魔力と殺気は本物である。直撃しようものならサラシに張っている結界符など一発で消し飛んでしまうだろう。

 幸い避ける事は造作もない程真っ直ぐに飛んできてくれる為、さっそく横へ飛ぼうとした矢先にデルフが叫び声を上げた。

『避けるなレイム!オレっちでエア・カッターを受け止めるんだ!!』

「はぁっ!?冗談じゃないわよ、あんなの受け止めたらアンタの方が負けて…」

『どっちにしろここで避けたら奴は撃ち続けてくるッ!いいからオレっちを信じろ!』

 受け続けてくるのなら避けに避けて錆び錆びの刀身で斬りつけてやるのだが、妙に熱いデルフの言葉に霊夢はデルフの刀身を前へ向ける。

 確証そのものは無かった。だが今まで聞いた事の無いようなデルフの言い方に彼女の勘が働いた。 

(まぁどっちにしろ結界符はあるし、何かあった時は大丈夫よね…?)

 先程の御幣とは違いデルフの柄を両手で持ち、迫り来る三枚の風の刃を待ち受ける。

 それを見たワルドは、普通ならば気が狂っているとしか思えない霊夢の行動を見てバカな…と目を見開いていた。

「何をするつもりだハクレイレイム!そんなボロボロの剣で私の『エア・カッター』を防ぐつもりなのか…!?」

 ふざけた真似を!―――最後に言おうとした一言を口に出す前に、その『エア・カッター』を受け止めるデルフが怒鳴り声をあげる。

 

『うるせぇっ!オレっちの事散々骨董品だのボロボロだの言いやがってぇ!こうなりゃ、トコトンやってやるぜ!』

「いやぁでもアンタ、ワルドの言う事も一理ある…って、―――――うわっ!?」

 剣にしては怒りぼっく饒舌なデルフの吐露に霊夢が突っ込もうとした直前、ワルドの『エア・カッター』が彼の刀身と激突した。

 純粋で鋭利な魔力の塊と錆びた刀がぶつかりあい、金切り声の様な音を立てて風の刃がデルフに食い込んでいく。

 一見すればデルフの錆びた刀身を、『エア・カッター』の魔力が削り取っているかのように見えていた。

 

 

「デルフ…!って、ちょ…本当に―――」

 ―――本当に大丈夫なの!?霊夢がそう叫ぼうとした矢先、驚くべき光景を二人は目にした。

 一度に三枚もの『エア・カッター』を受け止めていたデルフの刀身が、急に光り輝き始めたのである。

 

 まるで水平線の彼方から顔を出す太陽の様に眩しい光に、霊夢とワルドは思わず目をそむけそうになってしまう。

 しかし、そんな二人の目を逸らさせまいと思っているのか、デルフは間髪入れず更なる驚愕の主観を彼女たちに見せつける。

 光り出した自分の刀身と真っ向からぶつかり合っていた風の刃を、まるで吸い込むようにして吸収してしまったのだ。

「な、何だと…!?私の『エア・カッター』が!」

『へっへぇ、お生憎様だな?悪いがお前さんの魔法は美味しく頂いておくぜ』

 目を見開いて驚くワルドに向けてデルフは得意気にそう言った瞬間、その刀身は光り輝くのをやめた。

 光が収まった後、デルフを見続けていた霊夢とワルドは彼の変化に気が付く。

 ついさっきまで見るに堪えない黒錆に覆われていた刀身は、闇夜の中で光り輝くほどに研ぎ澄まされていた。

 まるでワルドの魔力を文字どおり゙喰らい゙、自らの糧としたかのように活き活きとした雰囲気を放っている。

 

 

「デルフ…アンタ、これ」

 磨き抜かれた刀身に映り込む自分の顔を見つめながら、霊夢は驚きを隠せないでいた。

 刀身はもちろんの事、鍔や自身が握りしめている柄も先程とは一変して新品と言わんばかりの状態になっている。

 動揺を隠せぬ彼女の言葉に、デルフは綺麗になったハバキを動かしながら小恥ずかしそうに喋り出した。

 

『いやぁ~…なに、お前さんがオレっちで戦ってくれるというからついつい錆を取っちまったよ。

 何せお前さんはあの『ガンダールヴ』なんだ。お前さんがオレっちで戦ってくれるというのなら、そりゃ本気にもなるさ。

 まぁさっきの『エア・カッター』みたいな魔法はオレっちなら吸収できる。それだけは覚えといてくれよな?』

 

 ―――『エア・カッター』が刀身に飲み込まれたのはそれだったのか。霊夢は先ほどの光景を思い浮かべて納得した。

 成程、そんな能力とあの鋭利な魔力を取り込めるというのなら受け止めろと強く自分に言ってきたのも理由が付く。

 けれどそういう事はあらかじめ言っておいて欲しいものだ。

 

「あんたねぇ…そういう事ができるなら最初に言っておいてくれない?全く…受け止めろとか言われた時は気でも狂ったのかと…」

『悪い悪い、何せオレっちを使ってくれるとは思ってなかったんでね』

 何処か開き直ったように謝るデルフに顔を顰めつつも、霊夢はふと自分の左手のルーンを見遣る。

 手の甲に刻まれた『ガンダールヴ』のルーンは、まるで錆を取り払ったデルフと歩調を合わせるかのように輝き始めていた。 

 



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第八十話

 何処からか吹いてくる、涼しくて当たり心地の良い風が自分の頬と髪を撫でている。

 それを認識した直後に、ルイズは何時の間にか自分が今まで意識を失い今になって目覚めた事を理解した。

「ン、―――――ぅん…?」

 閉じていた瞼をゆっくりと上げて、その向こうにあった鳶色の瞳だけをキョロキョロと動かしてみる。

 上、下、右、左…と色んな方向へ動かしていくうちに、自分の身体かうつ伏せになっている事に気が付く。

 そして同時に一つの疑問が生じた。それは、今自分が何処にいるのかという事についてだ。

 

「………どこよ、ここ?」

 重く閉ざしていた口を開いてそう呟いた彼女の丸くなった目には、異空間としか形容できない世界が広がっていた。

 目に見えるものは全て、自分が横になっている床や天井すらもまるで雪のような白色に包まれた場所。

 今自分の視界に映っている手意外に目立つモノはないうえに色も全て白で統一されている所為かその空間の大きささえ分からない。 ゜

 ここは…?そう思って体を動かそうにも、不思議な事にどんなに手足へ力を入れても立つことはおろか、もがくことすらできない。

 体が動かなければ立ち上がって調べる事も出来ないために、ルイズはその場で悶々とした気持ちを抱える事になってしまう。

「あぁ、もうッ。体が動かないんじゃあここが何処かも分からないわよぉ…たくっ!」

 とりあえずは自由に動く顔に残念そうな表情を浮かべつつ、ルイズはそんな事を言った。

 彼女の残念そうな呟きを聞く者は当然おらず、言葉の全てが空しい独り言として真っ白い空間に消えていく。

 

 それから少ししてか、ふと何かを思い出したかのような顔をしたルイズがここで目覚める直前の事を思い出した。

 シェフィールドと名乗る女がけしかけてきたキメラ軍団を、霊夢や魔理沙にちぃ姉様の知り合いと言う女性と共に戦っていた最中、

 突如乱入してきた風竜に攫われて他の三人と別れた後に、彼女は風竜に乗っていた人物を見て驚愕していた。

 

――――――ワルド…ッ!?やっぱり貴方だったのね!

――――――やぁルイズ、見ない間に随分とタフになったじゃないか

 

 トリステインを裏切り、あまつさえアンリエッタ王女の愛する人を殺した男との再会は酷く強引で傲慢さが見て取れるものであった。

 それに対する怒りを露わにしたルイズの叫びに近い言葉も、その時のワルドには微塵も効きはしなかったようだ。

 無理もない。何せその時の彼は竜の上に跨り、一方のルイズはその竜の手に掴まれている状態だったのだから。

 どんなに迫力のある咆哮を喉から出せる竜でも、檻の中では客寄せの芸にしかならないのと同じである。

 

――――私を攫ってどうする気?っていうか、さっさと降ろしなさいよ! 

―――――それはできない相談だ。君がいないど彼女゛が僕を目指してやってきてくれないだろうからな

 

 竜の腕の中でジタバタしながら叫ぶルイズに、ワルドは前だけを見ながらそう言っていた。

 あの男の言う゛彼女゛とは即ち――あのニューカッスル城で、自分に手痛い目を合わせた霊夢の事に違いない。

 少なくとも魔理沙とは面識が無いであろう、プライドが高く負けん気の強いこの男に手痛い目に合わせだ彼女゛といえばあの紅白しか思いつかなかった。

 そんな事を思っていた直後、今まで自分をその手で掴んでいた竜がフッと握る力を緩めたのが分かった。

 え?…っと驚いた時、竜の手から自由になったルイズの体はクルクルと回りながら柔らかい草地へ乱暴に着地した。

 キメラ達との戦いで切られてボロボロになったブラウスに草が貼り付き、地面に触れた傷口が激しく痛む。

 

 地面へ着地して二メイル程回ってから、ようやく彼女の体は止まった。

 ボロボロになったルイズは呻き声を上げた蹲る事しかできず、立ち上がる事さえままならぬ状態であった。

 そんな彼女を尻目に乗っていた風竜から飛び降りたワルドはスタスタと歩きながら、彼女のすぐ傍で立ち止まった。

 足音であの男が近づいてきたと察したルイズはここに至るまで手放さなかった杖を向けようと手を動かそうとする。 

 しかし、そんな彼女のささやかな抵抗は一足先に自分の顔へレイピア型の杖を向けてきたワルドによって止められた。

 

――――無駄だ。所詮学生身分の君じゃあ、元魔法衛士隊の私とでは勝負にならんぞ

――――…っ!そんなのやってみなきゃ…わからない、でしょう…が

 

 体中がズキズキと痛み続ける中、自分を見下ろす男に彼女は決して屈しなかった。

 少なくとも目の前の男に一発逆転を喰らわせだ彼女゛ならば、同じ事を言っていたに違いない。

 痛む体に鞭を打ち、ワルドの杖などものともせずに立ち上がろうとした直前、彼女の目の前を青白い雲が覆った。

 それがワルドの唱えた『スリープ・クラウド』だと気づこうとしたときには、既に手遅れであった。

 

―――――大人しくしていろよルイズ?少なくとも、あの紅白が来るまではな

 

 頭上から聞こえてくるワルドの言葉を最後に、ルイズは深い深い眠りについてしまう。

 魔法による睡魔に抗えるワケもなく、急激に重くなっていく瞼を閉じたところで――――彼女の意識は途切れた。

 

 

 再び目を覚ました時には、こんなワケのわからない空間にいた。

 ここに至るまでの回想を終えたルイズは、眠る前に耳にしたワルドの言葉を聞いて悔しい思いを抱いていた。

 どういう経緯で自分を見つけてたのかは知らないが、アイツがレコン・キスタについているのなら警戒の一つでもしておくべきであったと。

 今更悔やんでも仕方ないと頭の中で思いつつも、心の中では今すぐにでもワルドに一発ブチかましてやりたいという怒りが募っている。

 歯ぎしりしたくて堪らないという表情を浮かべていたルイズであったか、どうしたのかゆっくりとその表情が変わり始めた。

 火に炙られて形が崩れていくチーズのように、凶悪な怒りの表情が神妙そうなモノへと変わっていく。

 その原因は、彼女の目が見ているこの場所――――つまりこうして倒れている空間にあった。

 

 

「―――――にしたって、何で私はこんな所にいるのかしら?」

 その言葉が示す通り、彼女自身ここがどういう所なのか全く分からなかった。

 ワルドの『スリープ・クラウド』で眠った後でここにいたのだから、普通に考えればここは彼女の夢の中という事になる。

 しかし、どうにもルイズ自身はこの変な空間が自分の夢の中だとは上手く認識できなかった。

 無論根拠はあった。そしてそれをあえて言うのならば―――夢にしては、どうにも意識がハッキリし過ぎているのだ。

 これが夢なら今自分の体は暗い夜の草地の上で倒れているはずなのだが、その実感というものが湧いてこない。

 むしろ今こうして倒れているこの体こそ、自分の本物の体と無意識に思ってしまうのである。

 まるでワルドに眠らされた後、何者かによってこのワケの分からない空間へと転移してしまったかのような…――

「…って、そんな事あるワケないわよね」

 自分の頭の中で浮かび上がってきた疑問に長考しそうになった彼女は、気を紛らわすかのように一人呟いた。 

 あまりにも馬鹿馬鹿しく。人前で言えば十人中十人が指で自分を指して笑い転げる様な考えである。

 というか普段の自分なら今考えていたような゙もしかして…゙な事など、想像もしなかったに違いない。

 第一、そんな事を追及しても現実の自分たちが直面している事態を好転できる筈もないというのに。

 

 

「とにかく、何が何でも目を覚まさないと…」

 バカな事を考えるのはやめて現実を直視しよう、そう決めた時であった。

 丁度彼女の顔が向いている方向とは反対から、コツ…コツ…コツ…という妙に硬い響きのある足音が聞こえてきた。

 

(………誰?)

 突然耳に入ってきたその音に彼女は頭を動かそうとしたが、残念な事に頭も全く動かない。

 その為後ろからやってくる゙誰がを確認することは叶わず、かといってそこで諦めるルイズではなかった。

(このっ、私の夢なら私が動けって思った時に動きなさいってのッ)

 根性で動かそうとするものの、悲しいかなその分だけ視界が目まぐるしく動き回るだけである。

 そうこうしている内に硬い足音を響かせる゙誰がは、とうとう彼女のすぐ傍にまで近づいてきてしまった。

 一体何が起こるのかと緊張したルイズは動きまわしていた目をピタリと止めて、ジッど誰がの出方を疑う。

 だが、そんな彼女が想像していた様な複数の゛もしかしたら゙とは全く違う事が、彼女の身に起こったのである。

 

 

―――――聞こえるかい?遥か遠くの未来に生きる僕たちの子

 

 

 それは、ルイズの予想とは全く異なった展開であった。

 突然自分の頭の中に響き渡るかのようにして、若い男性の声が聞こえてきたのである。

「え…こ、声?」

 流石のルイズも突然頭の中に入ってきたその声に驚き、思わず声を上げてしまう。

 声からして二十代の前半か半ばあたりといったところだろうか、まだまだ自分だけの人生を築き始めている頃の若さに満ち溢れている声色だった。 

 

―――――――僕たちが託したこの世界で、過酷な運命を背負わせてしまった子ども達の内一人よ。…聞こえているかい?

 

 ルイズ目を丸くして驚いている最中、再びあの男性の声が聞こえてくる。

 女の子であるルイズの耳には心地よい声であったが、こんな優しい声を持つ知り合いなど彼女にはいない。

 これまで聞いたことのないような慈しみと温かさに満ちたソレは、緊張という名の氷に包まれたルイズの心を優しく溶かし始めている。

 何故だか理由は分からなかったものの、その声自体に彼女の心を落ち着かせる鎮静作用があるのだろうか?

 声を入れた耳がほんのりと優しい暖かさに包まれていくが、そんな゜時にルイズは一つの疑問を抱いていた。

 それはこの声の主が、自分に向けて喋っているであろう言葉にあった。

 

 遥か遠くの未来?過去な運命…?

 まるで過去からやってきた自分、ひいてはヴァリエール家の先祖が、自分の事を言っているかのような言い方である。

 名家であるヴァリエールの血を貰いながらも、魔法らしい魔法を一つも使えず渋い十六年間を生きてきたルイズ。

 そんな彼女をなぐさめるかのような謎の声にルイズはハッとした表情を浮かべた。

 私を知っているのか?頭の中へと直接話しかけてくる、この声の主は…。

「あなた、誰なの…?」

 思わず口から言葉が出てしまうが、声の主はそれに答える事無く話し続けてくる。

 

――――――――君ならば、きっとこれから先の事を全て、受け止められる筈だ

―――――――――楽しいことも、悲しいことも、そして…身を引き裂かれるような辛いことも全て…

 

 そこまで言ったところで、今度はすぐ後ろで止まっていたあの足音が再び耳に入ってきた。

 コツ、コツ、コツ…と硬く独特な音がすぐ傍から耳に入ってくるというのは、中々キツイものである

 足音の主はゆっくりと音を立てながら、丁度ルイズを中心にして時計の針と同じ方向に歩いているようだ。

 つまり、このまま後数歩進めば自分の頭の上を歩いて足音の主をようやく視界の端に捉えられるのである。

 謎の声に安堵していたところへ不意打ちを決めるかのような足音に多少は動揺を見せたルイズであったが。喉を鳴らしてその時を待った。

 ……三歩、四歩――――――そして次の五歩目で、上へ向けた彼女の視界に足音の正体が見えそうになった瞬間。

 その足音の正体と思しき人影から漏れ出した眩い閃光が、ルイズの視界を真っ白に染め上げたのである。

 

 まるで朝起きて閉めていたカーテンを開けた時の様に、突き刺すほどの眩い光に彼女は思わず目を細めてしまう。

「―――ッう!」

 呻き声を上げたルイズは目に痛い程の光を見て、今度は何が起きたのかと困惑し始める。  

 そんな彼女を再び安心させるかのように、またもやあの゙謎の声゙が――――今度は直接耳へと入ってきた。

 鼓膜にまで届くその優しい声色が、その鳶色の瞳を瞼で隠そうとしルイズの目を見開かせる。

 

「僕は、君みたいな子がこの世に生まれ落ちてくるのを待っていたんだ…

 決して自らの逆境に心から屈することなく、何度絶望しようとも絶対に希望を手放すことなく生きてきた、君を―――――」

 

 まるで生まれてから今日に至るまで、自分の人生を見守って来たかのような言い方。

 そして、足音の正体から広がる光が見開いたルイズの視界を覆い尽くす直前。その声は一言だけ、彼女にこう告げた。

 

 

「水のルビーを嵌め…―――始祖の祈祷書を…――――君ならば…―――制御でき―――る…。

  使い道を、間違え…――――あれは、多くの…人を――――無差別に…―――――――殺…せる」

 

 まるで音も無く消え去っていくかのように遠ざかり、ノイズ交じりの優しい声が紡ぐ言葉は。

 目の前が真っ白になっていくルイズの耳を通り、頭の中へと深くまるで彫刻刀で彫るかのように刻まれていった。

 

 

 

「――――――…はっ」

 光が途絶えた先にまず見えたのは、頭上の暗い闇夜と地面に生えた雑草たちであった。

 服越しに当たる草地の妙に痛痒い感触が肌を刺激し、草と土で構成された自然の匂いが彼女の鼻孔をくすぐる。

 その草地の上でうつ伏せになっていると気が付いた時、ルイズは自分の目が覚めたのだと理解した。

「夢、だったの?…っう、く!」

 一人呟きながら立ち上がろうとするも、まるで金縛りにあったかのように体が動かない。

 そういえばワルドの『スリープ・クラウド』で眠らされたのだと思い出すと同時に、一つの疑問が湧く。

(ワタシ…どうして目を覚ませたのかしら?)

 『スリープ・クラウド』は通常トライアングル・クラスから唱える事のできる高度な呪文だ。

 スクウェアクラスの『スリープ・クラウド』ならば竜すら眠らせるとも言われているほどである。

 ワルド程の使い手の『スリープ・クラウド』は相当強力であろうし、手を抜くなんて言う間抜けな事はしない筈だ。

 なら何故自分は目を覚ませたのであろうか?ルイズがそれを考えようとしたとき、聞きなれた霊夢とデルフの声が耳に入ってきた。

 

 

「あんたねぇ…そういう事ができるなら最初に言っておいてくれない?全く…受け止めろとか言われた時は気でも狂ったのかと…」

『悪い悪い、何せオレっちを使ってくれるとは思ってなかったんでね』

 

 軽く怒っている様子の巫女と、軽い気分で謝っているインテリジェンスソードのやり取りを聞いて、思わずそちらの方へ顔を動かそうとする。

 『スリープ・クラウド』の影響か体は依然動かないままだが、幸運にも首と顔は何とか動かせるようになっていた。

 ぎこちない動作で声が聞こえてきた右の方へ動かしてみると、霊夢とデルフがあのワルドと対峙しているのが見えた。

(……あっ、魔理沙!)

 その二人から少し離れた所で魔理沙が倒れているのが見えたが、見た所怪我らしいものは見当たらない。

 ただこんな状況で暢気に倒れているという事は、おそらく自分と同じようにワルドの『スリープ・クラウド』で眠らされたのであろう。

 レイピア型の杖を片手剣と同じ風に構えているワルドと、自分よりやや大きめの剣を両手で構えている霊夢。

 その彼女の左手のルーンが微妙に輝いているのと、デルフの刀身が綺麗になっている事に彼女は気が付いた。

(レイム、それにデルフ…って、アイツあんなに綺麗だったっけ?…それに、レイムの左手のルーンが!)

 見間違える程新品になったうあのお喋りな剣の刃先、『ガンダールヴ』のルーンを光らせる霊夢はワルドに向けている。

 それはまるで、あのニューカッスル城で自分を寸でのところで助けてくれたあの時の彼女の様であった。

 

 

 

 輝いている。あの小娘の左手のルーンが眩しい程に俺の目の前で輝いてくれている。

 左のルーン…あの時、倒した筈のお前は何もかもをひっくり返して俺をついでと言わんばかりに倒してくれた。

 あの時お前が剣を振るって遍在を斬り捨てていた時、お前の左手が光っているのをしっかりと見ていた。

 光る左手――――それは即ち。かつてこの地に降臨した始祖ブリミルが従えたという四つの使い魔の内の一人。

 ありとあらゆる武器と兵器を使いこなし、光の如き俊敏さで始祖に迫りし敵を倒していったという゛神の左手゙こと『ガンダールヴ』。

 今、俺の目の前にはその『ガンダールヴ』を引継ぎ、尚且つ俺に負け星を贈ってくれた少女と対峙している。

 

 こんなに嬉しかった事は、俺の人生の全てが変わった゛あの頃゙を経験してから初めての事だ。

 何せこれまで思ってきた疑問の一つが、たった今跡形も無く解消したからだ。

 ――――――…ルイズ、やはり君は…只者ではなかった。

 

 

「ほう…その左手のルーン、まさかとは思うがあの伝説の『ガンダールヴ』のルーンとお見受けするが?」

「……!へぇ、良く知ってるじゃないの。性格の悪さに反して勉強はしているようね?」

 両者互いに距離を取った状態を維持しながらも、霊夢の左手のルーンに気付いたワルドが質問をしてきた。

 霊夢はまさかこの男が『ガンダールヴ』の事を知っているとは思わなかったので、ほんの少しだけ眉を動かしてそう返す。

 一方のワルドは相手の反応から自分の予想が当たっていた事を嬉しく思いながらも、冷静を装いつつ話を続けていく。

 

「まぁな。魔法衛士隊の隊長を務められるぐらいに勉強を積み重ねていると、古い歴史を記した書物をついつい紐解いてしまうんだ。

 大昔にあった国同士の大きな戦の記録や、古代にその名を馳せた戦士たちの伝記…そして始祖ブリミルと共に戦ったという゛神の左手゙の話も…な?」

 

 

 霊夢の左手に注視しながらもワルドは王立図書館でその手の本を漁っていた頃の自分を思い出していく。

 あの頃はただがむしゃらに強くなりたいという思いだけを胸に、埃を被っていた分厚い本たちとの戦いが自分の日課であった。

 しかしどんどん読み進めていき、読破した冊数を重ねていくうちに今の時代では学べぬ様な事を覚える事が出来た。

 その当時天才と呼ばれていた将軍や大臣たちが編み出した兵法や戦術の指南書、後世にて戦神と崇められた戦士たちが自らの生き様を記した伝記。

 元々ハルケギニアの歴史や兵達の活躍を元にした舞台や人形劇が好きだった事もあって、彼はより一層読書の楽しさを知る事となった。

 そして水を吸うかの如くそれ等の知識を吸収していったからこそ、今のワルドという人間がこの世にいるのであった。

 

 

 そういった本を片っ端から読み進めていく内に、彼はある一冊の本を手に取ることとなったのである。

 巨大なライブラリーの片隅、掃除が行き届いていない棚に差さっていた埃に覆われたあの赤い背表紙に黄色い文字。

 まるで黴の様に本を覆い隠しているソレを何となく手に取り、埃を払い落とすとどういった本なのかを確認した。

 その時はただ単にその本が読みたかったワケではなく、ただこの一冊だけ忘れ去られているのがどうにも気になっただけであった。

 背表紙についていた埃を手で拭うかのように払い取った後、すぐ近くの窓から漏れる陽光の下にかざした。

 

 ――――『始祖ブリミルの使い魔たち』

 

 ハルケギニアに住む者達なら言葉を覚え始めた子供でも名前を言える偉大なる聖人、始祖ブリミル。

 六千年前と言う遥か大昔に四つの使い魔たちと共に降臨し、この世界を人々が暮らせる世界に造りあげた神。

 そのブリミルと使い魔たちに関する研究データを掲載した本を、彼はその時手にしたのである。

 最初埃にまみれていたのがこの本だと知ると、彼はこの場に神官や司祭がいなかった事を心から喜んでいた。

 この手の本はその年の終わり、始祖の降誕祭が始まる度に増補改訂版が出る程の歴史ある本だ。

 棚に差されていたのは何年か前に出て既に絶版済みのものであったが、これ自体が一種の聖具みたいな存在なのである。

 

 つまりこの本を教会や敬虔深いブリミル教徒の前で踏みつけたり、燃やしたりするようなバカは…。

 真っ裸で矢と銃弾と魔法が飛び交う戦場へと突っ込んでいくレベルの、大ばか者だという事だ。

 何はともあれひとまず埃を払い終えたワルドは、この本を入口側の目立つ棚へ差し替える前に読んでみる事にした。

 別に彼自身は敬虔深いブリミル教徒ではなかった故に、この手の本は読んだことが無かった。

 まぁその時は時間に余裕があったし、ヒマつぶしがてらに丁度いいだろうという事で何気なくページを捲っていた。

 しかし、その時偶然にも開いたページに掛かれていた項目は、若かりし頃の彼が持っていた闘争心に火をつけたのである。

 

 

 

 

「『ガンダールヴ』は左手に大剣を、右手に槍を持って幾多の戦士と怪物たちの魔の手から始祖ブリミルを守り通したという…。

 そう、その書物に記されている通りならば『ガンダールヴ』に敵う者たちは一人もいなかったんだ。―――――――ただの一人もな?」

 

 杖の先をゆらゆらと揺らすワルドがそこまで言ったところで、今度は霊夢が口を開く。 

「だから私にリベンジしてきたってワケ?わざわざルイズまで攫って…随分な苦労を掛けてくれるわね?泣けてくるわ」

 涙はこれっぽっちも出ないけどね。最後にそう付け加えた彼女はデルフを構えたまま、尚も動こうとはしなかった。

 やろうと思えばやれる程度に横腹を蹴られた時のダメージは回復してはいるものの、それでもまだ本調子で動ける程ではない。

 霊夢個人の意見としてはこちらから攻め入りたいと考えていたが、ワルドもまた同じ考えなのかもしれない。

 両者互いに攻め込んでいきたいという欲求をただひたすらに堪えつつ、じりじりと距離を詰めようとしていた。

 

「まぁ、そうなるな。いかに少女といえどもあの伝説の『ガンダールヴ』と手合せできるのだ。

 一人の戦士として是非とも生きた伝説と戦い、自らの強さがどれ程のものか試してみるのも一興というものさ」

 

「他人を巻き込んでまで私と戦いたいだなんて…随分な御趣味でありますこと」

 皮肉たっぷりな霊夢の褒め言葉にワルドは「褒めるなよ」と笑みを浮かべて言葉を返したが、その目は全く笑っていない。

 既に戦いの火ぶたは切って落ちる寸前の状態であり、次の瞬間には斬り合いが始まってもおかしくない状態にある。

 一瞬たりとも目の離せぬ睨み合いの最中。、霊夢は自分の体に異変が起こり始めている事に薄々気が付いていた。

 今に至るまでの移動や戦闘での疲労からズシリとした重みを感じていたというのに、不思議とその重みがゆっくりと消えていくのである。 

 まるで体の中の見えない重みが抜けていくかのように、体が徐々に軽く動きやすい状態へと変わろうとしている。

 最初は何事かと思っていたものの、すぐにこの謎の現象の原因が自分の左手のルーンにあるのではないかと直感で悟った。

(この前は散々な目に遭わせて貰えたけど…どういう風の吹き回しなのかしら?)

 ワルドから一切目を離さぬまま、彼女は自分の左手のルーンに語りかける様にして心の中で呟く。

 以前このルーンが勝手に光った時は見知らぬ声に誘導されたり、頭が割れる程の頭痛を送ってくれたりと散々だったというのに…。

 

 それがどうだ、今はデルフ一本を構えて敢えて光らせた途端に今度は自分の体の中の疲労というか重りを取り除いてくれている。

 このルーンがどういった仕組みで自分にそのような効果を付与してくれるか、今の彼女はイマイチ知らないのだが、

 ただ今みたいに自分を手助けしてくれるというのなら、敢えて手を出してちょっかいを掛ける必要はないとそう判断していた。

(ま、これからマジでヤバい奴と斬り合うかもしれないし…頼んだわよ伝説のルーンさん?)

 心中で軽く礼を述べたところで、それまで黙っていたワルドが再び口を開いて喋り出した。

 

 

「しかし、まぁ…君とはラ・ロシェールのスカボロー港で出会って以来、ちょっとした因縁ができているな。

 よもやこんな物騒な場所にルイズと共に来ていたなんて、流石の私でもそれは予測すらできなかったよ?」

 

 それはごもっともね。口には出さぬ同意として、霊夢はワルドの言葉にそっと頷く。

 本来なら学生であるルイズが、最前線というヤバい場所にいるなんてありえない事なのであろう。

 そんな事を思う彼女を余所にワルドは一息ついてから、話を続けていく。

 

「後退したトリステイン軍を偵察する為に艦隊を離れて、その道中の上空で君たちが戦っている姿を見たときは本当に驚いたよ。

 何せ君やそこで倒れている黒白…そしてあのルイズが我が軍の味方だという化け物共と戦っていたんだ。あの時は思わず我が目を疑ってしまったものさ」

 

 ワルドの話を聞いて、ようやく霊夢はシェフィールドが叫んだ言葉の意味を理解した。

 そりゃ突然味方のライトニング・クラウドで自分の手駒を壊滅させられたら、怒鳴り散らしてしまうのも無理はないだろう。

「なるほど…最初から仕組んでた事ならあの女が取り乱す必要なんてないものね」

「どうやらあの叫びっぷりからみて、彼女と君たちの戦いを邪魔してしまったようだが…なに、君に貰った負け星を返さぬまま永遠の別れというのも自分に酷だと思ってね」

「失礼な事言ってくれるわね?私ぐらいならあんなのすぐに片付けてやったわよ。まぁそれを代わりに済ませてくれた事には礼を述べてあげるけど」

 あの時のシェフィールドの取り乱してからの怒りっぷりを思い出した霊夢が軽く口元に笑みを作ると、ワルドもそれにつられて微笑む。

 暫し無言の笑みを向け合った後、再び真剣な表情へと変わったワルドは軽く咳払いした後に杖を構え直した。

 

「改めて言うが、一人の戦士として伝説の『ガンダールヴ』であり私を二回も負かした君を見つけて…このまま見過ごすという事はできない」

「わざわざルイズを攫った挙句に、私を蹴り飛ばした後で改まる必要なんてあるのかしら」

 まるで本物のレイピアの様に構えて見せるソレの先端部を見つめながら、霊夢はデルフの柄をギュッと握り直す。

 ギリリ…という小さくも息が詰まりそうな音が柄を握る掌から漏れ出し、それに合わせて左手のルーンがその輝きを増していく。

 長い話し合いの結果、既にある程度体力を取り戻していた今の霊夢ならばある程度渡り合えるほどになっていた。

 キメラ達との戦いで悩んでいた急な頭痛もルーンのお蔭なのか、今はそのナリを潜めている。

 

 ワルドは既にやる気十分な彼女を見ながら、呪文を詠唱して再度戦闘準備に取りかかった。

 訓練のおかげで口を僅かに動かす程度で詠唱できるようになった彼の杖に、風の力が渦を巻いて纏わりついていく。

 やがてその力は青白い光となって杖と同化し、光る刃を持つレイピアへとその姿を変える。

「『エア・ニードル』だ。一応教えておくが杖自体が魔法の渦の中心、先ほどのように吸い込む事はできんぞ」

 青白い光で自らのアゴヒゲを照らすワルドの言葉に、霊夢はデルフへ向けて「本当に?」質問する。

『まぁな、でも安心しなレイム。今のお前さんには『ガンダールヴ』が味方してくれている、だからお前さんの様な剣の素人でも遅れは取らんさ。……多分』

「私としては遅れをとるよりも勝ちに行きたいんだけど?…っていうか、多分って何よ多分って」

 喋れる魔剣のいい加減なフォローに呆れながらも、そんなデルフを構え直した直後―――――ー。

 

「それでは…ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド、あらためワルド―――推して参るぞ」

 杖を構えたまま名乗ったワルドが、地面を蹴り飛ばして突っ込んでくると同時に霊夢もまたワルド目がけて突っ込む。

 黒と緑、紅と白の影がほぼ同時に激突する音と共にデルフの刀身と『エア・ニードル』を構成する魔力が火花を散らした。

 

(レイム…!)

 一方で、ワルドが気づかぬ内に目を覚ましていたルイズは二人の戦いをやや離れた所から眺める立場にいた。

 動きたくても未だにその体は言う事を聞かず、指すらくわえることもできずにどちらかの勝敗を見守る事しかできない。

(折角運よく目覚めたっていうのに、これじゃあ意味が無いじゃないの!)

 意識だけはハッキリしている歯痒さと、助けようにも助けに行けない悔しさを感じたルイズは何としてでも体を動かそうとした。

 まるで見えない腕に抑え込まれているかのような抵抗感に押しとどめられながらも、それを払いのけようと必死に体をもがかせる。

 他人が見れば滑稽に見える光景であったが、やっている本人の表情は真剣そのものかつ必死さが伝わってくる。

 

(動けッ!動きなさいよ…!今目の前に…ウェールズ様の、姫さまの想い人の仇がいるっていうのに…!)

 敬愛するアンリエッタに罪悪感の一つを抱かせ、その後もレコン・キスタにのうのうと所属していたであろうワルド。

 そして今はソイツに攫われた挙句に霊夢たちを誘き寄せる餌にされて、まんまと利用されてしまっている。

 今体が動くなら霊夢の手助けをしてあの男に痛い目を合わせられるというのに、ワケのわからない金縛りでそれが叶わない。

 体の奥底から、沸々と怒りが湧き上がってくる。沸き立つ熱湯が鍋から勢いよくこぼれ出すかのように。

(このまま何もできずに見てるなんて―――――冗談じゃ…ない、わよッ!!)

 積りに積もってゆく苛立ちと憤怒が彼女の力となり、それを頼りに勢いよく右腕へと力を入れた瞬間。

 杖を握ったまま金縛り状態になったその腕がガクンと震えた直後、不可視の拘束から開放された。

「…!」

 突然拘束から解放された右腕から伝わる衝撃に驚いたルイズは、思わずそちらの方へと視線を向けた。

 残りの手足と体より先に自由になった腕は、ようやっと動けた事を喜んでいるかのように小刻みに震えている。

(まさか、本当に動いたっていうの?)

 未だ半信半疑である彼女が試しに動かしてみると、主の意思に応えて腕はその通りに動く。

 腕の筋肉や骨からはビリビリとした痺れのような不快感が伝わって来るものの、動かすことの支障にはならない。

(一体、どういう事なの…?――――…!)

 先ほどの夢といい、ワルドの『スリープ・クラウド』から目が覚めた事といい、今自分の身に何が起きているのだろうか…?

 そんな疑問を頭の中で浮かばせようとするルイズであったが、動き出した右腕の゙手が握っているモノ゙を見た瞬間、その表情が変わった。

 

 ルイズ自身、ワルドが゙ソレ゛を自分の手から離さなかったのは一種の気まぐれだったのかもしれない。

 魔法で眠らせている分大丈夫だと高を括ったのか、それともまもとな魔法が使えない『ゼロ』の自分だから安心だと思ったのだろう。

 だとすれば、彼はこの状況で唯一にして最も重要なミスを犯したと言っても過言ではないだろう。

 彼女本人としては、体の自由を取り戻し次第近くに゙ソレ゛が落ちていないか探す予定であったのだから。

(丁度良いわね…探す手間が省けたわ。けれど、一難去ってまた一難…次ばコレ゙をワルドの方へと向けないと…)

 思わぬところで情けを掛けてくれたワルドに心のこもっていない感謝を送りつつ、ルイズはゆっくりと右腕を動かし始めた。

 ゙ソレ゛を手に持った右腕を動かすたびに、力が抜けるような不快な痺れが片と脊椎を通して脳へと伝わっていく。

 まるで幾つもの羽箒でくすぐられているかのような感覚に、彼女はおもわず手に持っだソレ゛を落としてしまいそうになる。 

 

(我慢…我慢よルイズ!ほんの数サント、そう数サント程度動かすくらい何よ!?)

 歯を食いしばりながらその不快感に耐える彼女は、ゆっくりと腕を動かしていく。

 その手に持っだソレ゛―――――この十六年間共に生きてきた一振りの杖で、母国の裏切り者へ一矢報いる為に。

 

 

 一方、密かに反撃を行おうとするルイズを余所にワルドは霊夢とデルフを相手にその腕前を発揮している。

 魔力に包まれた杖で見事な刺突を仕掛けてくる彼と対峙する霊夢は慣れぬ剣を見事に使いこなしてソレを防いでみせる。 

 彼女の胸を貫こうとした杖はデルフの刀身によって軌道を逸らされる一方で、袈裟切りにしようとするその刃を『エア・ニードル』で纏った杖で防ぎきる。

 『ガンダールヴ』の力で剣を巧みに操れる様になっている霊夢は、百戦錬磨の武人であるワルドを相手に互角の勝負を繰り広げていた。

 

「ほぉ。中々耐えているじゃあないか、面白いッ!」

 ワルドからしてみればギリギリのタイミングで防ぎ、的確に剣を振ってくる霊夢の腕にある種の驚きを抱きながら呟いた。

 彼の目から見てもこの小さな少女には体格的にも不釣り合いだというのに、そのハンデを無視するかのように攻撃してくる。

 見ると左手の甲に刻まれた『ガンダールヴ』のルーンは光り輝いているのを見る分、彼女は今伝説の使い魔と同じ能力が使えているようだ。

「く…このっ!さっさと斬られなさいってのッ」

 対する霊夢は、この世界へ来るまで特に興味の無かった剣をここまで使いこなせている自分を意外だと感じていた。

 あくまで話し相手であったデルフは見た目からして彼女には似つかわしくないし、何より重量もそれなりにある。

 背中に担ぐだけならともかく、鞘を抜いて半霊の庭師みたいな攻撃をしようとしても、録に使いこなせないであろう…普通ならば。

 しかしルイズとの契約で刻まれた『ガンダールヴ』のルーンが霊夢に助力し、その小さな体でデルフを使いこなしている。

 本当なら剣の振り方さえ碌に知らなかった彼女は歴戦の剣士の様にデルフを振るい、ワルドと激しい攻防を繰り返していた。

 先ほど御幣で渡り合った時とは違ってワルドの一挙一動が手に取るように分かり、相手のフェイントを軽々と避けれる程度にまでなっている。

 そして本来ならば相当重いであろう剣のデルフを使ってどこをどう攻撃し、どのように振ればいいのかさえ理解できている。

 トリスタニアの旧市街地で戦った時も、ナイフなんて使ったことも無いというのにあれだけ使いこなせたのだ。

 あながちこのルーンの事は馬鹿にできないと霊夢は改めて感じていた。

 

 他にも彼女の体に蓄積していて疲労や頭痛の類は、まるで最初から幻だったかのように収まってしまっている。

 それに合わせていつもと比べて体が軽くなった様な気がするうえに、この前ルーンが光った時の様な幻聴みたいな声も聞こえてこない。

 これだけ説明すれは『ガンダールヴ』になって良かったと言えるのだろうが、霊夢自身はあまりそういう気持ちにはなれなかった。

(タダほど怖いモノは無いって良く言うけれども、そもそもこんなルーン自体刻まれちゃうのがアレだし…)

 ワルドと切り結びながらも体力が戻った事でそれなりの余裕を取り戻した彼女は、心の中で軽い愚痴をぼやく。

 しかし今更そんな事を思っても時間が巻き戻るワケでもなく、今のところ使い魔のルーンも自分のサポートに徹してくれている。

 今のところワルドとも上手く渡り合えている。ならば特に邪推する必要は無いと判断したところで、何度目かの鍔迫り合いに持ち込んでしまう。

 

 眩い火花を散らして激突し合うデルフの刀身と、魔力を帯びたレイピア型の杖。

 杖そのものが魔法の渦の中心となっている所為で、魔法を吸収する事のできるデルフは『エア・ニードル』を形成する中心を取り込むことは出来ない。

 しかし、普通の剣ならば小さなハリケーンとも言える『エア・ニードル』を防ぐ事はできなかったであろう。

「ふぅ…!流石伝説の『ガンダールヴ』だな、この私を相手に接近戦で渡り合えたヤツは君を含めて四人目だ」

「ご丁寧に、どうも…!」

 顔から汗を垂らすワルドの口から出た賞賛に対し、両手でデルフを構える霊夢はやや怒った表情を礼を述べる。 

 いくら『ガンダールヴ』で剣が使えるようになったと言っても、現状の実力差ではワルドの方に分があった。

 二人を見比べてみると、霊夢がやや必死かつ怒っているのに対しワルドの顔には未だ笑みが浮かんでいる。

 しかしその表情とは裏腹に彼女を睨み付ける目は笑っておらず、杖も片手で構えているだけで両手持ちの霊夢の剣を防いでいた。

 彼は元々、トリステイン王家の近衛を務める魔法衛士隊の隊長にまで上り詰めただけの実力を持っているだけあってその杖捌きは一流だ。

 例え片腕を無くした状況下で戦う事になったしても、相手に勝てる程の厳しく過酷な訓練を乗り越えてきたのだ。

 

 それに加えてかつて霊夢に敗れてからというものの、毎日とは言わないが彼女を相手に戦って敗れるという夢を何度か見ている。

 シュヴァリエの称号を持つ彼としては、ハルケギニアでは特別な存在であってもその前に一人の少女である霊夢に負けたという事実は思いの外悔しい経験だった。

 だからこそ彼はその夢でイメージ・トレーニングの様な事をしつつも、あれ以来どのような者が相手でも決して油断してはならぬと心から誓っていた。

 貴族、平民はおろか老若男女や人外であっても、自分に対し敵意を持って攻撃してくるものにはそれ相応の態度でもって返答する。

 スカボロー港やニューカッスル城で味わった苦い経験を無駄にしない為に、ワルドは手を抜くという事をやめたのである。

 

「私自身、剣を使ったのはこれで二度目だけど今度は直に刺してやっても――――良いのよ…ッ!?」

 そう言いながらワルドと正面から剣を押し合っていた霊夢は頃合いを見計らったかのように、スッと後ろへ下がった。

 デルフを構えたままホバー移動で後退した彼女は空いている右手を懐に入れ、そこから四本の針を勢いよく投げ放った。

 しかしワルドはこの事を予知していたかのように焦る事無く杖を構え直すと、素早く呪文を詠唱する。

 すると杖の先から風が発生し、自分目がけて突っ込んできた針は四本とも空しく周囲へと飛び散らせた。

「悪いが今の私相手に小細工は…ムッ」

 針を散らしたワルドが言い終える前に、霊夢は次の一手に打って出ようとしていた。

 今度は左腕の袖から三枚のお札を取り出すと、ワルドが聞いたことの無いような呪文のようなものを唱えてから放ってきたのである。

 針同様真っ直ぐ突っ込んでくると予想した彼は「何度も同じことを…」と言いながら再び『ウインド』の呪文を唱えようとした。

 再び杖の先から風発生し、これまた針と同じようにしてお札もあらぬ方向へと吹き飛んで行った―――筈であった。

 しかし、三枚ともバラバラの方向へと飛んで行ったお札はまるで意思を持っているかのように再びワルドの方へと突っ込んできたのである。

「何だと?面白い、それならば…」

 これには流石のワルドも顔を顰め、三方向から飛んでくるお札を後ろへ下がる事で避けようとした。

 お札はそのまま地面に貼り付くかと思っていたが、そんな彼の期待を裏切って尚もしつこく彼を追尾し続けてくる。

 しかしそうなる事を想定していたワルドは落ち着いた様子で、再び杖に『エア・ニードル』の青白い魔力を纏わせていた。

 

 直覚な動きでもって迫りくる三枚のお札が、後一メイルで彼の身体に貼り付こうとした直前。

 ワルドは風の針を纏わせた自身の杖で空気を斬り捨てるかのように、力を込めて杖を横薙ぎに振り払った。

「――――…フッ!」

 瞬間、彼の前に立ちはだかるようにして青く力強い気配を纏わせた魔力の線が横一文字を作り出し、

 丁度そこへ突っ込むようにして飛んできたお札は全て、真っ二つに切り裂かれて敢え無くその効力を失った。

 三枚から計六枚になったお札ははらはらと木から落ちていく紅葉の様に地面へ着地し、ただの紙切れとなってしまう。

 

「成程。斬り合い続けてもマンネリになるしな、丁度良いサプライズになったよ」

「………ッ!中々やるじゃないの」

 軽口を叩く程の余裕を残しているワルドに、霊夢は思わず舌打ちしてしまう。

 もう一度距離を取る為にと時間稼ぎついでに試してみたのが、やはり簡単にあしらわれてしまったようだ。

『うへぇ、お前さんも運が良いねぇ。奴さんのような腕の立つメイジ何て、そうそういないぜ…って、うぉわ!』

「あんたねぇ!私に向かって言う時は運が悪いって言うでしょうが、普通は!?」

 一閃。正にその言葉が相応しい程に速い杖捌きに霊夢が構えているデルフが無い舌を巻いている。

 その彼を今は武器として使っている霊夢は余計な事まで言う剣を揺らした後、溜め息をついて再びワルドの方へと視線を向けた。

 目の前にいる敵は先程針とお札をお見舞いしたはずだというのに、それで疲れたという様子を見られない。

 最もあの男相手に上手くいくとは思っていなかったが、こうもあしらわれるのを見てしまうと流石の霊夢も顔を顰めてしまう。

 

「しっかし、アンタもタフよねぇ?ニューカッスル城で散々な目に遭わせてやったっていうのに…」

「貴族っていうのはそんなもんだよ。私みたいな負けず嫌いの方が穏健な者より数が多い、ルイズだってそうだろう?」

 平気な顔をしているワルドに向けてそんな愚痴を漏らすと、彼は口元に笑みを浮かべなからそう言ってきた。

 彼の口から出てきた言葉と例として挙げてきたルイズの名に、「確かにそうね」と彼女も頷いてしまう。

 

「昔の貴族の事を記した本では、自身の名誉と誇りを掛けて決闘し合ったという記しているが…実際のところは違う。

 自分の女を取られたとか、アイツに肩をぶつけられた…とかで、まぁ大層くだらない理由で相手に決闘を申し込んでいたらしい」

 

「…あぁ~、何か私もそんな感じで決闘をしかけられた事もあったわねぇ」

 戦いの最中だというのに、そんな説明をしてくれたワルドの話で霊夢はギーシュの事を思い出してしまう。

 まぁ面白半分で話しかけた自分が原因だったのが…成程、貴族が負けず嫌いと言うこの男の主張もあながち間違っていないらしい。

「だから、アンタもその貴族の負けず嫌いな性格に倣って私にリベンジ仕掛けてきたって事ね?」

「その通りだ。―――――だが、生憎時間が無いのでな。悪いが君との勝負は、そろそろ終わらせることにしよう」

「…時間?……クッ!」

 何やら気になる事を呟いてきたワルドに聞き返そうとした直後、目にもとまらぬ速さでワルドが突っ込んできた。

 一気に距離を詰められつつも、『ガンダールヴ』のサポートのおかげて、間一髪の差で彼の攻撃を防ぐ事ができた。

 しかし今度はさっきとは違い完全に霊夢が押されており、目の前に『エア・ニードル』を纏った杖が迫ってきている。

 ガチガチガチ…とデルフと杖がぶつかり合う音が彼女の耳へひっきりなしに入り、押すことも引くこともできない状況に更なる緊迫感を上乗せしていく。

「ッ、時間が無いって、それ一体どういう意味よ…!?」

「ん?あぁそうか、今口にするまでその事は話題にも出していなかったな。失敬した」

 自分の攻撃を何とか防いだ霊夢の質問に、ワルドは思い出したかのような表情を浮かべながら言った。

 それからすぐに逞しい髭が生えた顎でクイッと上空を指したのを見て、霊夢も自らの視線を頭上へと向けた。

 

 霊夢にデルフとワルド、それに二人に気付かれぬまま目覚めたルイズと未だ眠り続けている魔理沙。

 計四人と一本が今いるタルブ村にある小高い丘から見上げた夜空に浮かんでいる、神聖アルビオン共和国の艦隊。

 旗艦である『レキシントン号』を含めた幾つもの軍艦が灯している灯りで、彼らの浮遊している空は人口の明りに包まれていた。

「あれが見えるだろう?私がここまで来るのに足として使ったアルビオンの艦隊だ」

「それがッ、どうしたって――――…まさか」

 ワルドの言葉と先ほど聞いた「時間が無い」という言葉で、彼女は思い出した。

 つい二十分ほど前に自分たちにキメラの軍団をけしかけてきていた謎の女、シェフィールドの言葉を。

 

―――コイツラは明朝と共に隣町へ進撃を開始する事になってるのさ。アルビオン艦隊の前進と共にね。

―――――そうなればトリスタニアまではほぼ一直線、お姫様が逃げようが逃げまいがアンタたちの王都はおしまいってワケさ!

 

 

 奴が運び込んできたであろうキメラ軍団と共に進軍するであろう、アルビオンの艦隊。

 それが今頭上に空中要塞の如く浮遊しており、そして先ほどワルドが口にした言葉が意味する事はたった一つ。

「成程…アンタが吹き飛ばした化け物の仲間と一緒に、あの艦隊も動き出すってワケね!」

「ム、なぜそこまで知ってるんだ?」

「アンタがやってきてルイズを攫う前に、あのシェフィールドって奴がペラペラ喋ってくれたのよ」

「…ふぅん。私の事を裏切り者と言った割には、髄分と口が軽いじゃないか」

 そんな会話を続けていく中で、ワルドに押されている霊夢はゆっくりと自分の態勢を立ち直らせようとしていた。

 さながら身を低くして獲物の傍へと近づくライオンの如く、相手に気づかれぬよう慎重な動きで足の位置を変えていく。

 受けの態勢から押す態勢へと変える為に…ゆっくりと、気取られぬよう靴の裏で地面の草を磨り潰すようにして足を動かす。

 その動きを続ける間にも決して怪しまれぬよう、自分の気持ちなど知らずして口を開くワルドにも対応しなければいけない。

 

「まぁ今はご立腹であろう彼女に、どう謝るのかは後で考えるとして…どうした?さっきみたいに押し戻したらどうだ?」

「アンタが自分の全体重使って押し付けて、くるから…か弱い少女の私じゃあ…これぐらいが、精一杯よッ」

(何ならもう一回距離を取って良いけど…、はてさてそう上手く行きそうにないわねぇ)

 自分と目を合わせているワルドが足元を見ない事を祈りつつ、霊夢はこの状況を脱した後でどう動こうか考えていた。

 無論その後にも色々と倒すべき目標がいるという事も考慮すれば、この男一人に体力を使い過ぎてしまうのも問題であろう。

(いくらルーンのおかげで体が軽くなって剣も扱えるとようになっても、流石にあの艦隊を一人で相手するのは無理がありそうだし…)

 目の前の男を倒した後の事を考えつつも、足を動かして上手く一転攻勢への布石を整えようとしていた…その時であった。

 

 アストン伯の屋敷がある森の方から凄まじい爆発音と共に、霊力を纏った青白い光が見えたのは。

 まるで蝋燭の灯りの様についた光と、大量の黒色火薬を用いて岩盤を力技で粉砕するかのような爆発音。

 一度に発生した二つの異常はこの場に居る者たちには直接関係しなかったものの、まるっきり無視する事はできなかったらしい。

「む?何事だ」

 霊夢と睨みあっていたワルドは爆発音と音に目を丸くし、彼女と鍔迫り合いをしている最中にチラリと森の方へ顔を向ける。

 そんな彼と対峙し、逆転の機会を作っていた霊夢も思わず驚いてしまっていたが、彼女だけはワルドには分からないであろゔモノ゙すら感じ取っていた。

「ん、これは…」

 その正体は、さきほど森を照らしたあの青い光から発せられた、荒々しい霊力であった。

 まるで鋸の歯の様に鋭く厳ついその力の波を有無を言わさず受け取るしかない彼女は、瞬時にあの森にいた巫女モドキの事を思い出す。

 ルイズの姉に助けられたと称して風の様に現れ、一時の間共闘し自分と魔理沙の間に立ってキメラたちを防いでくれたあの長い黒髪の巫女モドキ。

 今あの光から放たれる荒々しい霊力は、霊夢が感じる限り間違いなく彼女の物だと理解できた。

(間違いない…この霊力、アイツのだ…!けれどこの量…、一体何があったっていうのよ?)

 まるで内側に溜め続けていた霊力を、自分の体に負荷をかける事を承知で一気に開放したかのような霊力の津波。 

 それをほぼ直で感じ取ってしまった霊夢は、あの巫女モドキの身に何かが起こってしまったのではないかと思ってしまう。

 仮に霊夢が今の量と同じ霊力を溜めに溜めて攻撃の一つとして開放すれば、敵も自分も決してタダでは済まない。

 良くて二、三日は布団から出られないだけで済むが、最悪の場合は霊力を開放した自分の体は…

 

 

 ―――それは、あまりにも突然であった。

「…ファイアー…――――ボールッ!!」

 森からの爆発音に続くようにして、ルイズの怒号が二人の耳に入ってきたのは。

 

 特徴のあるその声に霊夢が最初に、次にワルドが振り返った時点でルイズは既に杖を振り下ろした直後であった。

 辛うじて動く右手に握る杖の先を、時間を掛けてワルドの方へと向けた彼女はようやっと呪文を唱え、力弱く杖を振ったのである。

「ル…――――うわッ!」

 咄嗟に彼女の名を口に出そうとした霊夢は、自分から少し離れた地面が捲れようとしているのに気付いてこれはマズイと判断した。

 これまで彼女の唱えた魔法が爆破する瞬間を何度か見てきた事はあるが、今見ているような現象は目にしたことは無い。

 だからこそ霊夢は危険と判断したのである。今のルイズが起こそうとしている爆発は―――この距離だと巻き添えを喰らうと。

「ルイズ…、ルイズなのか?馬鹿な…何故…!」

 一方のワルドは目を見開き、信じられないモノを見るかのような表情を浮かべて驚愕している。

 何せ自分の『スリープ・クラウド』をマトモに喰らって眠っていたはずだというのに、今彼女は目を覚まして自分と霊夢に杖を向けているのだ。

(まさか失敗…いや!そんな事は断じて……!)

 そして彼もまた、自分から少し離れた地面がその下にある゛何か゛に押し上げられていくのが見えた。

 これはマズイ。そう判断した彼は後ろへ下がるべく霊夢との鍔迫り合いを中断せざるを得ない状況に追い込まれてしまう。

 偶然にも、この時ワルドと似たような事を考えていた彼女もほぼ同時に後ろへ下がり、距離を取ろうとした時―――――――地面が爆発した。

 

 捲れ、ひび割れた地面の隙間から白い閃光が漏れ出し、ルイズの魔力を込められた爆風が周囲に襲い掛かる。

 爆風は飛び散った大地の欠片を凶器に変えて、その場から離れた二人へ殺到していく。

「グ!このぉ…!」

 ワルドは咄嗟の判断で自身の周囲に『ウインド』を発生させて破片を吹き飛ばそうとする。

 しかし強力な爆発力で飛んでいく破片は風の防壁を超えてワルドの頬や服越しの肌を掠め、赤い掠り傷を作っていく。

 彼は驚いた。自負ではあるが自分の゛風゛で造り上げた防壁ならば、大抵のモノなら吹き飛ばすことができた。

 平民の山賊たちが放ってくる矢や銃弾、組み手相手の同僚や山賊側に属していたメイジの放つ『ファイアー・ボール』など…

 

 その時の状況で避けるのが困難だと理解した攻撃の多くは、今自分が発動している『ウインド』で防いでいたのである。

 ところがルイズの爆発の力を借りて飛んでくる破片の幾つかは、それを易々と通過して自分を攻撃してくるのだ。

 幾ら彼女の失敗魔法の威力が強くとも、ただの地面の欠片―――それも雑草のついたものが容赦なく通り抜けていく。

 これは自分の魔法に思わぬ゙穴゙が存在するのか?それとも、その破片を失敗魔法で飛ばしたルイズに秘密が…?

 そんな事を考えていたワルドはふと思い出す。彼女は自分の『スリープ・クラウド』で眠ったのにも関わらず、目を覚ましたことに。

 ガンダールヴとなった少女を召喚し、他の有象無象のメイジ達は毛色が違いすぎるかつての許嫁であったルイズ。

(ルイズ、やはり君は特別なのか…?)

 風の防壁を貫いてくる破片に傷つけられたワルドは、反撃の為に呪文を唱え始める。

 今やガンダールヴ以上に危険な存在―――ダークホースと化したルイズを再び黙らせるために。

 

「うわ、ちょっと…うわわ!」

 一方の霊夢は、辛うじてルイズの飛ばした破片をある程度避ける事に成功はしていた。

 最もスカートやリボンの端っこ等は飛んでくる小さな狂気に掠りに掠りまくってボロボロの切れ端みたいになってしまったが…。

 ワルドとは違いその場に留まらず後ろへ下がり続けていたおかげで、体に直撃を喰らう事は防ぐことができた。

 その彼と対峙していた場所から二メイルほど離れた所で足を止めたところで、左手に持っていたデルフが素っ頓狂な声をあげた。

『お、おいおいこりゃ一体どういう事だ?何で『スリープ・クラウド』で眠ってた娘っ子が起きてんだよ』

 彼の最もな言葉に霊夢は「こっちが知りたいぐらいよ」と返しつつ、再び両手に持って構え直す。

 幸いにもワルドはルイズを睨み付けており、自分には背中を見せている不意打ちには持って来いの状況である。

 どうやら彼女を眠らせた張本人も、これには目を丸くして驚いているようだ。霊夢は良い気味だと内心思っていたが。

「しかも目覚めの爆発攻撃ときたわ。…全く、やるならやるで合図くらい――…ってさっきの叫び声がそうなのかしら?」

 最後の一言が疑問形になったものの、態勢を整え直した霊夢はワルドの背後へキツイ峰打ちでもお見舞いしてやろうかと思った直後。

 

 

 

「う―――『ウインド・ブレイク』…!」

 倒れたままのルイズが再び呪文を唱え終えると、振り上げた杖をワルドの方へ向けて勢いよく下ろした。

 今度はマズイと判断したワルドがバッとその場から飛び退いた瞬間、今度は激しい閃光と共に彼のいた空間が爆発する。

「ルイズ、二度目は無いぞッ!」

 先程とは違い空間だけが爆発した為に攻撃範囲そのものは狭く、余裕で回避したワルドは杖を振り下ろして唱え終えていた『エア・ハンマー』を発動した。

 彼の眼前に空気の塊が現れ、それそのものが巨大な槌となって再び攻撃を行おうとしたルイズの体と激突する。

「!?…キャアッ!!」

 三度目の魔法を唱えようとしたルイズは迫ってくる魔法に成す術も無く、未だ起き上がれぬ小さな体が吹き飛ぶ。

 小さな胸を圧迫する空気の槌は彼女を地上三メイルにまで押し上げた所で消滅し、彼女の体は宙へ放り投げられる。

 このまま弧を描いて面に落ちれば、受け身も取れぬルイズは大けがを負う可能性があった。

「ルイズ!」

 流石の霊夢もマズイと判断し、地面を蹴って勢いよく飛び上がった。

 この距離ならば彼女が地面へ落ちる前に、余裕をもってキャッチできる。

 

「!――――やはり来たなッ」

 だが、それを予測していたかのようにワルドが不敵な笑みを浮かべて後ろを振り返った。

 無論彼の視線の先にいるのは、地を蹴飛ばしてルイズの下へ飛んで行こうとする霊夢の姿。

 彼女はルイズを助けに前へ出たのだが、ワルドの目から見れば正に『飛んで火にいる夏の虫』でしかない。

 この時を待っていたと言わんばかりに再び杖に『エア・ニードル』を纏わせると、目にも止まらぬ速さの突きを繰り出す。

 人間の体など簡単に穿つ事のできる魔法が眼前に突き出された霊夢は―――焦ることなく、その姿を消した。

 彼女の胴に『エア・二―ドル』が刺さる直前、その体が蜃気楼のように霧散したのである。

「ッ!?…スカボローで見た、瞬間移動か!」

 消えた霊夢を見て咄嗟に思い出したワルドが再びルイズの方へと顔を向けるた時には、

 まるで無から一つの生命体が生まれるようにして出現した霊夢が、丁度自分のところへ落ちてきたルイズをキャッチしていた所であった。

 

 ワルドの魔法で打ち上げられ、霊夢の瞬間移動で空中キャッチされたルイズは助けてくれた彼女を見て目を丸くする。

 これまでも何回か助けてくれた事はあったが、まさか間にいたワルドを無視してまで来てくれた事に驚いているのだ。

(でも、ワルドにやられて助けに来てくれるなんて…ニューカッスル城の時の事を思い出すわね…―――――…ッ!?)

 自分よりやや太い程度の少女らしい腕に抱えられたままのルイズは場違いな回想を頭の中で浮かべながら、霊夢の方へ顔を向ける。

 それは同時に、彼女の後ろにいたワルドが自分たちに向けてレイピア型の杖を向けている姿をも見る事となった。

 当然のことだが、どうやら相手は待ってくれないらしい。まぁ当然だろうと思うしかないが。

「レイ――――…!」

「全くアンタってヤツは…、援護してくれるのでは良かったけどせめてアイツと距離を取ってから…」

「違う、違うって!アンタ後ろッ、ワルドが…!」

 慌てた様子のルイズの口から出た名前に霊夢はハッとした表情を浮かべ、彼女を抱えて右の方へと飛んだ。

 瞬間、ワルドの放った三本の『エア・カッター』が二人がいた場所を通り過ぎ、地面を抉ってタルブ村の方へと向かっていく。

 まもたやルイズのせいで攻撃を外したワルドは舌打ちしながらも、冷静に杖の先を移動した二人の方へ向ける。

 避けられた事自体はある程度想定済みであったし、何より『エア・カッター』程度の呪文ならばすぐにでも唱えられる。

 それこそ自分の名前を紙に書き込むぐらいに、ワルドにとっては呼吸と同じぐらい造作もない事であった。

 

「また来るわ!」

「分かっ、てる…っての!」

 抱えられたままのルイズが注意を促すと、促された霊夢はルイズの重さに堪えながらそう返す。

 自分とほぼ同じ体重の少女を抱えたまま移動するというのは、流石に無理があったと今更ながら分かった。

 それでも今の状況でルイズを降ろすという選択肢など選べるワケは無く、ワルドの攻撃を避けようとする。

 だが相手も今の霊夢が動きにくいと察してか、杖から放ってきた三枚の『エア・カッター』が扇状になって飛んできた。

 今二人のいる位置を中心に広がる空気の刃は、彼女たちを仕留めようと迫ってくる。

 

 霊夢であるならば多少の無理だけでルイズを抱えたまま避けられるだろうが、その際に隙が生じてしまう。

 目の前の相手は自分がその隙を見逃すはずもないであろうし、結界を張るにもその時間すら無いという八方塞がり。

 即席結界でも近づいてくる『エア・カッター』を辛うじて防げるのだが、どっちにしろワルドには近づかれてしまうだろう。

 ならば今の霊夢が取るべき行動はたったの一つ。左手に握る魔剣デルフリンガーの出番である。

『ッ!レイム、オレっちを前に突き出せ!』

「言われなくても、そうするわよ」

 デルフの言葉に応えるかのように、霊夢はインテリジェンスソードを自分とルイズの前に突き出す。 

 先ほどみたいに魔法を吸収した後、近づいてくるであろうワルドを何とか避けるしかない。

 そこまで考えていた時、その霊夢に抱えられていたルイズが意を決した様な表情を浮かべて右手の杖を振り上げた。

「ルイズ…?」

 彼女の行動に気付いた霊夢が一瞬怪訝な表情を浮かべた瞬間、ルイズはそれを勢いよく振り下ろした。

 ワルドが扇状に広がる『エア・カッター』を出してきてから、唱え始めていた呪文を叫びながら。

「『レビテレーション』ッ!」

 コモン・マジックの一つであり、貴族の子として生まれた子供ならば年齢一桁の内に習得できるであろう初歩的な呪文。

 幼少期のルイズも習得しよう必死になってと詠唱と共に杖を振り、その度に失敗して母親から叱られていた苦い思い出のある魔法。

 そしてあれから成長した今のルイズは決意に満ちた表情でその呪文を詠唱し、杖を振り下ろしたのである。

 自分と霊夢を切り裂こうという殺意を放って近づいてくる、ワルドの『エア・カッター』に向けて。

 

 瞬間、二人とワルドの間を遮るようにして何もない空間を飛んでいた『エア・カッター』を中心にして、白く眩い閃光を伴う爆発が起きた。

「うわ―――…っ!」

『ウォッ!眩しッ…』

「むぅ!無駄なあがきを…!」

 あらかじめ爆発を起こすと決めていたルイズ以外の二人とデルフは、あまりにも眩しい閃光に思わず怯んでしまう。 

 耳につんざく爆音に、極極小サイズの宇宙でも作れてしまうような爆発は当然ながら唱えたルイズと霊夢、そしてワルドには当たっていない。

 精々爆発が発生する際に生じる閃光で、ほんの一瞬目くらましできた程度実質的な被害は無く。一見すれば単なる失敗魔法の無駄撃ちかと思ってしまう。

 しかし、ルイズはこの爆発を彼に当てるつもりで唱えていたワケではなかった。―――彼が唱えた魔法に向けていたのである。

 一瞬の閃光の後に爆発の衝撃で地面から土煙が舞い、それも晴れた後に視界が晴れた先にいた二人を見て、ワルドは軽く面喰ってしまう。

 何せ先ほどまで彼女たちに向けて放った『エア・カッター』の姿はどこにも見当たらず、切り裂く筈だった二人も御覧の通り健在。

 これは一体、何が起きたのか?疑問に思った彼はしかし、ほんの二秒程度の時間でその答えを自力で見つけ出した。

 

 ルイズが唱えた魔法による爆発、その中心地に丁度いた自分の『エア・カッター』の消失。

 よほどの馬鹿であっても、二つの゙過程゙を足してみれば自ずと何が起こったのか理解できるだろう。

 

「まさか、私の『エア・カッター』を破壊したというのか…?あの爆発で」

「こうも上手く行くとは思ってなかったけど、案外私の失敗魔法も捨てたモノじゃないわね…」

 信じられないと言いたげな表情を浮かべるワルドの言葉に向けるかのように、霊夢から離れたルイズが感心するかのように口を開く。

 いつも手入れを欠かさないブラウスやマント、母から受け継いだウェーブのピンクブロンドはすっかり汚れてしまっている。

 右手にもった杖と肩に下げている鞄と合わせて見れば、彼女は家を勘当されて一人旅をしている元貴族のお嬢様にも見えてしまう。

 だが、彼女の鳶色の瞳は鋭い眼光を放っており、視線の先にいるワルドをキッと睨み付けている。

 

 以前のルイズ―――少なくともアルビオンへ行くまでの彼女ならばあの様に睨み付けてくる事はなかった。

 睨み付けてくる彼女の姿を見ながらワルドが一人そう思っていると、ルイズは地面へ向けていた杖をスッと向けてきた。

 

「これからも、というか今でも普通の魔法を一度でも良いから使ってみたいとは思っているけど…今はこれが丁度良いわ。

 だって、ウェールズ様を殺して、姫さまも泣かしたうえにレイムまで痛めつけてくれたアナタに…たっぷりお礼ができるもの」

 

 まるで自分の居場所を見つけたかのような物言いに、流石のワルドも余裕を見せるワケにはいかなくなった。

 一体どういう経緯があったかは知らないが…少なくとも今の彼女は、自分が知っているルイズとは少し違うという事である。

 自分の二つ名にコンプレックスを抱き、常に頑張らなければいけないという重しを背負って泣いてばかりいた幼い頃のルイズ…。

 アルビオンへ赴く任務の際に再会した時もあの頃からさほど見た目は変わらず、性格にはほんの少しの変化がついただけであった。

 ところが今はそれに加えて魔法も格も上である筈の自分に杖を向けて、獰猛な目つきでこちらを睨み付けている。

 …いや、その魔法も先ほど『エア・カッター』を失敗魔法の爆発で破壊したのを見れば自分が格上とは言い難かった。

 まるで昨日まで他人にクンクンと鼻を鳴らしていた子犬が、たった一日で獰猛な大人の軍用犬に成長したかのような変わりっぷりだ。

 

「おーおー、アンタも言うようになってきたじゃないの」

「どこぞのお二人さんが傍にいる所為かしらね?私も大見得切った事が言えるようになってきたわ」

『っていうか、モロに影響受けてるってヤツだな。でも中々格好良かったぜ』

 ワルドに啖呵を切ったのが良かったのか、横にいる霊夢の言葉にルイズがすかさず言い返す。

 そんな光景を第三者の視点から見つめるワルドは、やはりルイズは変わったのだという確信を抱かざるを得なかった。

 なぜ彼女はこうも短い期間であそこまで変われたのだろうか?そこが唯一の疑問ではあったが。

 

「変わったな、ルイズ。その性格も、魔法も…」

 まるで蛹から孵化した蝶を外界へ放つときの様な寂しさを覚えたワルドは一人呟いた。

 恋愛感情は無かったものの、彼女が幼い頃は許嫁として良く傍にいて面倒を見ていた思い出がある。

 あの頃のルイズを思い出したワルドは、まさか彼女がここまで面白い成長の仕方をするとは思ってもいなかったのである。

 だからこそ一種の寂しさというモノ感じていたのだが、それと同時に゙もう一つの確信゙を得る事となった。

 

 幼少期はマトモな魔法が一つも使えぬ故に白い目で見られ、魔法学院では゛ゼロのルイズ゙と呼ばれて蔑まれていた彼女。

 そのルイズが伝説の使い魔である『ガンダールヴ』のルーンを刻んだ少女を、自らの使い魔にしたという事実。

 使い魔となった少女はこの世界では見たことも無い戦い方によって、自分は二度も敗北している。

 ルイズの失敗魔法は幼き頃と比べて先鋭化の一途を辿り、とうとう自分の魔法をあの爆発で破壊する事にすら成功した。

 今の彼女をかつて白い目で見、学院で゙ゼロ゙と蔑んでいた魔法学院の生徒たちが見ればどのような反応を見せるのだろうか?

 少なくとも、今の彼女を見てまだ無能や出来損ないと呼ぶ者がいればソイツの目は節穴以下という事なのだろう。

 

「ルイズ、やはり君は特別だったんだ…!」

 彼女たちに聞こえない程度の声量でワルドが小さく叫んだ瞬間…―――――――

 どこか心躍るような、ついつい楽しげな気分になってしまう花火の音と共に、彼らの頭上の夜空に虹色の星が幾つも舞った。 

 

 

 突然の事に三人ともハッとした表情を浮かべて、思わず頭上の夜空を見上げると俄には信じ難い光景が目に映る。

 地上にいる自分たちを監視するかのように浮遊していた神聖アルビオン共和国が送り込んできた強力な艦隊。

 並大抵の航空戦力では歯が立たないであろうその無敵艦隊の周りで、幾つもの花火が打ち上がり出したのだ。

 パレードや町のイベントなどで使われる色鮮やかなそれ等は、この場においてはあまりにも場違いすぎる程綺麗であった。

「な…は、花火ですって?」

「これは一体何の冗談かしらねェ」

『少なくともオレ達の戦いを盛り上げてくれる…ってワケじゃあ無さそうだな』

 いよいよワルドとの戦いもこれからという時にも関わらず、二人は夜空の打ち上がるソレを見て唖然としてしまう。

 何せここは敵が占領しているとはいえ今は戦場なのである。そんな場所であんな賑やかな花火を打ち上げる事などありえなかった。

 ルイズは目を丸くしてアルビオン艦隊の行動を見上げ、霊夢もまた何を考えているかも分からない敵の艦隊をジト目で見つめている。

 デルフもデルフで敵が何の意図で花火を打ち上げたのか理解できず、曖昧な事を云うしかなかった。

 しかし、そんな彼女たちの態度も目を見開いてアルビオン艦隊の花火を見つめていたワルドの言葉によって一変する事となった。

 

「馬鹿な…!まだ夜明け前だというのに……進軍の合図だとッ!」

「何ですって…?」

 信じられないと言いたげな表情を浮かべる彼の口から出た言葉に、すかさずルイズが反応する。

 霊夢もワルドの言葉に反応してその目を再び鋭く細めて、色鮮やかな光に照らされる艦隊を睨み付けた。

「どういう事よワルド、あれが進軍の合図だなんてッ」

「ウソだと思うか…?と言いたいところだが、あんなに賑やかな花火が合図とは思いもしないだろうな」

「まぁあの艦隊を指揮してる人間の頭がおかしくなった…とかならまだ納得はできそうね」

 今にも自分に掴みかかりたくて堪らないと言いたげに身構えているルイズの言葉に、ワルドはそう答える。

 それに続くようにして霊夢がそう言うと、構えたは杖を降ろさないままアルビオン艦隊の花火の事を軽く説明し出した。

 

 アルビオン艦隊が、地上戦力として投下したキメラの軍団と共に進軍を開始する際の合図。

 それは式典やおめでたい行事の時に使われる打ち上げ花火で行う事に決めたのは、艦隊司令長官のサー・ジョンストンであった。

 最初の不意打ちが失敗した直後は発狂状態に陥っていた彼であったが、キメラが地上を制圧した後でその態度が一変した。

 喉元過ぎれば何とやらという言葉の通り、危機的状況を脱する事の出来た彼は一気に調子に乗り出した。

 そしてその勢いのまま、トリステイン王国への゙親善訪問゙用に積んでいた花火を進軍の合図に使おうと提案してきたのである。

 当初は彼が搭乗する艦の艦長も何を馬鹿な事を…と思っていたが、結局のところ司令長官という地位を利用してごり押しで決定してしまった。

「これから悪しき王権に染まりきったトリステインを我々の手で浄化する前に、部下たちの景気づけに花火を打ち上げて進軍しようではないか!」

 今やこの場が戦場だという認識の無い司令長官の言葉に、誰もが呆れ果てるしかなかった。

 

「…で、その結果があの花火って事ね」

「ソイツ、馬鹿なんじゃないの?」

「そう思うだろう?俺だってそう思うし、誰だってそう思う。それが正しい反応だ」

 説明を聞き終えた後、三人ともが呆れたと言いたげな表情と言葉を述べて、遥か上空にある花火大会を見つめる。

 ジョンストンという男が何をどう考えて花火を打ち上げようと考えたかは知らないが、なるほど合図としては良いかもしれないとルイズは思った。

 

 トリステイン側に艦隊なり砲兵隊がいればあんなに目立つ的は無いだろうし、是が非でも沈めてやりたいと思うだろう。

 しかし今この町にトリステイン軍はおらず、ここから数時間離れた所にある隣町で陣を張っている。

 艦隊はほぼ無事であったものの、錬度では勝っていてもアルビオンの艦隊に勝てる確率は無いと言っていい。

 悔しいことではあるが、敵の司令長官は勝てる算段があるからこそ有頂天になっているのだ。

 

 ルイズは今にも歯ぎしりしそうな表情を浮かべている最中、ワルドはじっと彼女の背後―――夜闇に染まる森を見ていた。

 鋭く細めたその瞳は何を見ていたのか突如意味深なため息をついたかと思うと、突然手に持っていた杖を腰に差したのである

 まるで戦いが終わったとでも言いたそうな静かな顔で杖を収めた男に、やる気満々の霊夢がデルフを構え直して口を開く。

「ちょっと、戦いはまだ終わってないわよ」

「生憎邪魔が入ってくるようだ。私としてはもうちょっと戦いたい所だったが…致し方ない」

「邪魔が…入ってくる?―――ッ!」

 ワルドが口にした意味深な言葉を反芻した直後、霊夢は自分たちが背を向けている森の方からあの゙無機質な殺気゙が漂ってくる事に気付いた。

 それも一つや二つではない。距離を取って移動しているようだが今感じ取れるだけでも十二近くはいる。

 どうやらワルドとの戦いに神経を集中させ過ぎていた事と、気配の元どもが安全な距離を保って監視に徹していたので気がつかなかったようだ。

 思わず背後の森へ視線を向けた霊夢の異変に気がついたルイズも、ワルドの言葉にあの森で戦ったキメラ達の事を思い出してしまう。

「邪魔が入るって…こういう事だったのね?」

「その通りだ。どうやら君たちも随分な女に目を付けられたな、しつこい女は中々怖いぞ?」

『話を聞いた限りじゃあ、お前さんも大概だぜ?』

 憎き相手を前に水を差された様なルイズは悔しそうな表情を浮かべて、森の中にいるであろうキメラを睨み付ける。

 一方のワルドもデルフの軽口を流しつつ、ゆっくりと後ろへ下がっていく。

 彼女らとは反対に森の方へ目を向けていた彼は、闇が支配している木々の中でぼんやりと光る幾つもの丸く黄色い光が見え始めていた。

 

 自分がここを離れるまで奴らが森から出ない事を祈りつつ、彼は静かに後ろへ下がっていく。

 少なくともあの女の事だ。いつ頭の中の癇癪玉が暴発してキメラをけしかけてくるか、分かったものではない。

 ルイズたちを優先して攻撃するのならばまだマシだが、最悪自分すら優先して攻撃されるのは勘弁願いたいところであった。

「君らとは一切邪魔が入らない場所で戦いたい。だから今回の戦いは、次回に持ち越し…という事にしようじゃないか」

「―――…!アンタねぇ…ッ自分から誘っておいて―――――ッ!?」

 霊夢達と五~六メイルまで下がったワルドの言葉に霊夢が逃がすまいと突っ込もうとした矢先、空から突風が吹いた。

 まるで外が強い暴風雨だというのにドアを開けてしまった時の様な、思わず顔を反らしたくなる程の強い風。

 ルイズも悲鳴を上げて腕で顔をガードすると、それと同時に夜空から一匹の黒い風竜がワルドの傍へと降下してきたのである。

 

 二人があっと言う間も無くワルドは風竜の背に飛び乗ると、スッと左手を上げて言った。

「一時のさようならだルイズ、それに『ガンダールヴ』のレイム。次に会う時は必ずトドメを刺す」

 まるでこれから暫く会えないであろう友人に一時の別れを告げるかのような微笑みを浮かべ、上げた左手で竜の背を叩いた。

 するとそれを合図にして風竜はワルドを乗せて上昇し、未だ地上にいる少女達に向けて尾を振りながら飛び去っていく。

 ルイズはその風竜に杖を向けようかと思ったが、森の中で光るキメラ達の目に気が付いてその手が止まってしまう。

 一方の霊夢はそんな事お構いなしに、デルフを持ったまま飛び上がろうとしたとき――――左手を照らしていたルーンの光がフッと消えた。

「こいつ…――ッ!…グッ!」

「レイム…!?」

 瞬間、飛び立とうと地面を蹴りかけた彼女は足を止めると地面に両膝をついてしまう。

 ルーンが消えた瞬間、それまで彼女を軽くしてくれていだ何がが消えてしまったかのように、体が重くなったのである。

 正確に言えば――――体が忘れていた自分の重さを思い出した。と言うべきなのかもしれない。

 まるで糸を切られてしまった操り人形の様に唐突に倒れた霊夢を見て、ルイズは彼女の名を呼んで傍へと寄っていく。

 握っていたデルフを力なく草原の上に転がして、空いた両手で地面を押さえつけるようにして倒れてしまいそうになる自分の体を支えている。

 

『どうしたレイム!』

「くぅ…ッ、何か…知らないけど、ルーンの光りが消えたら…体が急に…ウゥッ!」

『ルーンの光りが、消えて……?―――!そうだ、思い出した』

 ワルドを追撃しようとした矢先、唐突に苦しみだした彼女を見て流石のデルフも心配そうな声を掛けた。

 それに対し彼女は苦しみつつも、素直に今の状態を報告するとまた何か思い出したのか、インテリジェンスソードは大声を上げる。

 今この場においてはやや場違い感のある程イントネーションが高かったものの、それには構わずルイズが「どういう事なの?」と問いただす。

 

『『ガンダールヴ』のルーンは、発動中ならお前さんの手助けをしてくれるがあくまでそれは本人の体力次第だ。

 無茶すればする分『ガンダールヴ』として戦える時間は短くなる。元々ダメージが溜まってた体で無茶してたんだしな

 それじゃあお前、ルーンの効果が切れちまうのも早くなっちまう。まぁあのキメラ達と散々戦ってたし、それ以前にここまで来るのにも体力使ってたろ?』

 

 思い出した事を嬉しそうにしゃべるデルフを、何とか立ち上がる事の出来た霊夢がジト目で睨み付ける。

「アンタねぇ…それは、先に言っておきなさいよ」

『だから言ってるだろ?思い出したって。こうも長生きしてりゃあ忘れちまう事だってあるのさ』

 自分を責める彼女の言葉に開き直ったデルフがそう言うと、霊夢はため息をついてデルフを拾い上げた。

 ズシリ…と左手を通して伝わってくる重さは、さっきまで軽々と振り回していた事がついつい夢の様に感じてしまう。

 ふと左手の甲を一瞥したが、さっきまであんなに煌々と光っていた『ガンダールヴ』ルーンはその輝きを失ってしまっている。

「重いわね。…っていうか、さっきまでアンタみたいに重たいのをあんだけ使いこなせてたのよね…私は」

 自分の体を地上に繋ぎとめるかのような重さと、左手の重さを比べながら呟いた霊夢に向けてデルフが『そりゃそうだよ』と相槌を打つ。

 

『そりゃ、本来は鍛えられた大の大人が振り回す武器だ。お前さんみたいな娘の為に作られちゃあいねぇよ。

 けれども、お前さんはちゃんと『ガンダールヴ』の力と共鳴して、あのメイジとほぼ互角まで渡り合えたんだぜ?

 そして『ガンダールヴ』の役目は主を命の危機から守る事―――レイム。お前と『ガンダールヴ』はあの時、確かに目的は一緒だったんだ』

 

 デルフの長ったらしい、それでいて何処か説教くさい言葉を聞いたルイズがハッとした表情を浮かべる。

 次いで彼を持っている霊夢の顔を見遣ると、幻想郷の巫女さんは面倒くさそうな顔をしていた。

「別にそんなんじゃないわよ。…ただ、あのいけ好かない顎鬚男が気に入らなかったってだけよ」

 何より、アイツには色々と手痛い借りを返さなくちゃならなかったしね。

 最後にそう付け加えた彼女の言葉にルイズは一瞬だけムスっとするものの、すぐにその表情が真顔へと変わった。

「まぁ…アンタならそう言うと思ってたわよ。っていうか、借りを返すってのなら私も同じ立場ね」

「そうね。……っと、何やかんやで喋ってたらちょっとヤバくなってきたじゃないの?」

 ルイズの言葉にそう返してから、霊夢はシェフィールドが送り込んできたキメラ達のいる森の方へと歩き出す。

 彼女があっさり踵を返して歩いていく後姿を見て、ルイズは「ワルドを追いかけないの?」と問いかけた。

「アイツは確かにムカつくけど、人間でもない凶暴なコイツらを野放しにしておく事はできないわよ」

 仕方ないと言いたげな彼女は、闇の中で光るキメラ達の目を指さしながらツカツカツカと歩いていく。

 

 既にワルドを乗せた風竜は夜空の中へと消え去り、艦隊から打ち上がる花火の光にもその影は見えない。

 霊夢本人は何としてでも追いかけて痛めつけないと気が済まなかったのだが、『ガンダールヴ』の能力を使いすぎたせいで残りの体力は少ない。

 それに、ここへきた目的はキメラを意図的に放って人々を手に掛けようとするアルビオン艦隊の退治なのである。

 だからこそ霊夢は悔し涙を飲み込みつつ、次は自分たちを追撃しに来た異形達に矛先を向けることにしたのである。

 

「さてと、それじゃあまずは――この黒白を叩き起こす事が先決ね」

 森の方へと歩いていた彼女は、ここへ来てから今に至るまでワルドの『スリープ・クラウド』で眠り続けている魔理沙の前で足を止めた。

 あの男の言っていたとおり散々騒音を立てていたというのに、普通の魔法使いは使い慣れた自宅のベッドを眠っているかのように熟睡している。

 黒のトンガリ帽子の下にある寝顔も安らかそのもので、人が散々戦っていた事などお構いなしという雰囲気が伝わっていた。

 

『まさか起こす気か?そりゃ、方法は幾つかあるけどよぉ』

「そのまさかよ、私とルイズが身を粉にする思いで戦ってたんだから次はコイツに頑張ってもらうわ」

「でもどうやって起こすのよ?確か『スリープ・クラウド』で眠った人は魔法を使わなきゃ起きないって聞くけど…」

 これからやろうとすることに気付いたらしいデルフの言葉にそう答えていると、背後からルイズが話しかけてきた。

 後ろを振り向いてみると何の気まぐれか、彼女の左手にはワルドとの戦いで最初に蹴り飛ばされた御幣が握られている。

 まるで母の乳を吸う時期から脱した子供が木の棒を握った時のような無造作な持ち方であったが、一応は持ってきてくれたらしい。

「…ほら、コレあんたのでしょ?だから、その…持ってきてあげたわよ」

 そして霊夢の視線が自分の左手に向けられている事に気が付いたルイズは、スッと左手の御幣を差し出してそう言った。

 顔を若干左に反らして口をへの字にする彼女の姿を見て、霊夢は少しだけ目を丸くしつつ素直に受け取る。

 時間にすれはほんの十分程度しか手放していなかったお祓い棒は、しっとりと冷たかった

 

「………ありがとう、助かったわ」

「お礼なんて、別にいいわよ…それより、早くその黒白を起こしちゃいなさい」

 反らした顔を顰めさせて気恥ずかしい気分を隠そうとするルイズの後ろを姿を見ながら、霊夢もまた「分かってるわよ」と返す。

 左手に握っていたままだったデルフを鞘に戻ししてから、右手に持つ御幣を静かに頭上まで振り上げる。

 その動作と仰向けに倒れて寝ている魔理沙を交互に見て、゙嫌なモノ゙を感じたルイズが彼女に声を掛けた。

「ちょっと待ちなさい。アンタ、それで殴るつもりなんじゃ…」

「そんなんじゃないわよ。ちょっとショックを与えてやるだけよ」

 ショック…?ルイズが首を傾げるなか、霊夢は体に残っている霊力の少しを御幣へと送り込んでいく。

 これから行う事は然程霊力を使うわけでもなく、送り込むという作業はすぐに終了した。

 

「よっ――…っと!」

 軽い掛け声と共に、霊夢は両手に持った御幣を目をつぶっている魔理沙の顔目がけて振り下ろした。

 そこに殺意は無く振り下ろす時の速さも何かを叩き割るというより、子供が玩具のハンマーで同じ玩具の縫いぐるみを叩くような感じである。

 そんなノリで振り下ろした御幣の紙垂部分が眠り続けている魔理沙の頬に当たった瞬間、紙垂から青い光が迸った。

 薄い銀板で造られたそれ等は霊夢が御幣に送り込んだ霊力を魔理沙の体内へと送り、内側から刺激を与えていく。

 刺激そのものはそれほど痛くはないものの、魔法と同様の力が体中をめぐる衝撃に流石の魔理沙も黙ってはいなかった。

「―――ッ……!?…ッイ、イテッ!な、何だよ!何だ!?」

 紙垂から青い光が迸ったのと同時に目を開き跳ね起きた魔理沙は、小さな悲鳴を上げながら小躍りしている。

 恐らく霊夢の霊力が思ったほど痛かったのだろう。痛そうに顔を歪めて小さく跳ねる姿を見て流石のルイズも顔を顰めてしまう。

「…何したのか全然分からないけど。アンタ、やり過ぎなんじゃないの?」

「別にいいのよ、コイツは丁度良い薬だわ」

「!…お、おい霊夢!お前か犯人はッ」

 会話を聞かれてたのか、跳ねるのをやめた魔理沙が目をキッと鋭くさせて霊夢を睨み付けた。

 もう体に送り込んだ霊力は消滅したのだろう。すっかり目を覚ました普通の魔法使いはその体から敵意を放っている。

 無論、その敵意の向けられている先には面倒くさそうな顔をしている霊夢がいた。

 

「お前なぁ~…!いくら知り合いだからって、今のはマジで痛かった………って、あれ?ルイズ?はて…」

 霊夢を指さして怒鳴ろうとしていた彼女はふと、その隣にルイズがいる事に気が付いてキョトンとした表情になった。

 まだ彼女が眠る前はワルドの手の内であったから、ボロボロではあるが平然と立っているルイズに驚くのも無理はないだろう。

「アンタが眠っている間に私と、あと途中からルイズが入ってきてワルドとかいうヒゲオヤジと戦ってたのよ」

『そういうこと。お前さんが不意打ち喰らってグースカ寝てる間に、レイムと娘っ子が尻拭いしてくれったワケさ』

 デルフも加わった霊夢からの説明を聞いて、ようやく理解する事の出来た魔理沙は「マジかよ」と言いたげな顔になる。

 しかしどこか気に入らない事があるのか、やや不満げな表情を浮かべる彼女はもう一度霊夢を指さしながら言った。

 

「…まぁ事情は理解したよ。けれどな、だけどな?幾ら何でも起こすためだけにアレはないだろう、アレは!」

「まぁそうよね。もっと他に方法があったでしょうに」

 魔理沙の言う「アレ」とは、正に先ほどの行為なのだろうと察したルイズも思わず彼女の意見に同意してしまう。

 確かに『スリープ・クラウド』で眠った者はなかなか起きないと聞くが、あんなに痛がらせる必要があったのだろうか…?

 

「まぁ日頃の行いのツケだと思いなさい。…それに、アンタを起こしたのは手を借りたいからよ。ホラ、後ろ見てみなさい」

「ん?後ろ、……んぅ?―――――わぁお、これまた団体様御一行での登場か」

 悪びれる様子も無い霊夢は後ろを指さすと同時に、後ろを振り向くよう魔理沙に指示をした。

 彼女は知り合いの指が向いている方向に何があるのかと気になったのか、素直に後ろを振り向き、そして理解する。

 何でこの巫女さんが寝ている自分を乱暴に起こしたその理由と、自分がこれから何をされるのかを。

 振り返った視線の先、森の中で妖しく光る丸く黄色い光たちを睨み付けながら、魔理沙はフンと鼻で笑う。

「成程なぁ。つまり私を起こしたのは、お前がするべき化け物退治を私に丸投げするって事か?」

「そう言われるのは癪だけど、言われちゃったら言い返せないわねェ。ちょっとさっきの戦いで力を使い過ぎちゃったから…」

 連戦はちょっとキツイかも…。最後にそう付け加えて、霊夢はため息をつきながら額に手を当てた。

 『ガンダールヴ』が解除された影響で、体に蓄積されていた疲労が戻ってきたせいで万全とは言えない状態である。

 

 かなり弱ってしまった巫女さんをニヤニヤと見ながら、地面に落ちていた箒を拾った魔理沙がその口を開く。

「こりゃまた珍しいな。妖怪モドキを前にしたお前さんの口からでるセリフとは思えないぜ」

「ソイツらだけじゃないわよ。ホラ、あの空の上のアルビオン艦隊だって最悪相手にしなきゃならないのよ?」

 魔理沙の言葉にそんな横槍を入れてきたのは、空を指さしたルイズであった。

 彼女の言葉に振り返っていた体を戻すと、既に花火を打ち上げ終えたアルビオン艦隊が遥か上空で動きだそうとしている最中だ。

 とはいっても、魔理沙や他の二人が見ても止まっているように見えてしまう程ゆっくりであったが。

「…?私の目には停止しているように見えるんだが」

「そりゃあんだけ大きい艦となると動かすのにも時間が掛かるし、もしもアレを倒すんなら今しかチャンスが無いわ」

 艦隊を指さしながら説明をするルイズの顔は、自分の国の首都を蹂躙しようとする艦隊への敵意が込められている。

 普通に考えても、たった三人の少女だけであの規模の艦隊…それも精鋭と名高いアルビオン空軍の艦隊と戦う事などできない。

 更に今彼女たちがいる地上では自分たちを追跡していたキメラ達が今にも森の中から出てきて、襲い掛かろうとしているのだ。

 物量、力量共に敵側に分がある今の状態では、疲労困憊したルイズたちが勝てる可能性はほぼ無いと言っても良い。

 普通の人間ならば、今は戦う時ではないと諦めて戦術的撤退を行っていたであろうが――――彼女たちは違った。

 

「………魔理沙、アンタはどう思う?」

 ルイズが指さす艦隊を見上げながら、霊夢は隣にいる魔法使いに聞いた。

「そりゃ、お前…アレだよ?こういうのはアレだよな?ああいうデカブツほど『潰しがいがある』ってヤツさ」

 頭に被る帽子の中からミニ八卦炉を取り出しながら、魔理沙は巫女にそう言った。

 その顔にはこれから起こるであろう戦いへの緊張や恐怖という類の感情は、全く浮かんではいなかった。

 

 笑顔だ。右手に箒、左手にミニ八卦炉を持った普通の魔法使いの顔には笑みが浮かんでいる。

 それも戦いに飢えた狂人が浮かべるようなものではなく、ただ純粋にこれから始まる戦い(ステージ)に勝ってみせるという楽しげな笑み。

 命を賭けた戦いだというのに、彼女の顔に浮かぶ笑みからは…ほんの少し難しい゙ハードモード゙で遊んでやろうというチャレンジ精神が見えていた。

 

「散々ここで化け物どもを放って、好き放題やったんだ。次は私゙たぢが好き放題させてもらう番だぜ」

 最後に一人呟いてから、体を森の方へと向けた魔理沙はミニ八卦炉を構えた。

 その彼女に続くようにしてルイズと霊夢も後ろを振り向き、それぞれ手に持った獲物を構えて見せる。

 ルイズはスッと杖をキメラ達へ向け、霊夢は懐からスペルカードを取り出して臨戦態勢へと移っていく。

 森の中に潜む異形達も準備が整ったか、滲み出る無機質な殺気がいつ敵の攻撃となって森から出てきても可笑しくは無かった。

 

 

 

「空の大物を沈める前に、まずはコイツラ相手に肩ならしといきますかな?」

 二人と比べて、体力が有り余っている魔理沙がキメラ達に向けて宣戦布告を言い放った瞬間…。

 木立を揺らしながら出てきたキメラ゙ラピッド゙がその銀色の体を輝かせ、手に持った槍を突き出しながら森から飛び出し――――――

 

 

――――――空から降ってきた青銅色の゙何がに勢いよく押し潰されて、くたばった。

 

 

 窓際に置いていた植木鉢が落ちて、偶然にもその下にいた不幸な人の頭に落ちるかのように、

 その青銅色の゙何がに当たる気など全く無かったキメラは、突撃しようとした矢先に落ちて来だ何がに潰されたのである。

 天文学的確率は言わないレベルではあるが、このキメラの運が底なしに悪かったという他あるまい。

 

「――――――…っな、なぁ…!?」

 そんな突然の事態に対しも真っ先に反応できたのは、ミニ八卦炉をキメラに向けていた魔理沙であった。

 物凄く鈍い音を立ててキメラに直撃してきたそれに驚き、ついさっきまで浮かべていた笑みは驚愕に変わっている。

「ちょっと…何アレ?」

「何よ?また別の新手でもやってきたワケ?」

『いや~、仲間を押しつぶす形で降りてくるようなヤツは流石にいないだろ?』

 ルイズと霊夢も彼女に続いてキメラの上に落ちてきたソレに気付き、両者がそれぞれの反応を見せる。

 そこにデルフも加わり、ほんの少しその場が賑やかになろうとした時、魔理沙に次いで声を上げたルイズが何かに気付く。

 

 キメラの上に落ちてはきた青銅色の゙何か゛は、よくよく見てみれば人の形をしている。

 やや細身ではあるが、物凄い勢いとキメラを押しつぶした事を考えれば相当の重量があるのだろう。

 潰れたキメラの上に倒れ込むような体勢になってはいるが、少なくともルイズの目には彼女が傷一つ負っていないように見える。

 青銅色の体には同じ色の鎧を纏っており、まるで御伽噺に出てくるような戦女神の姿はまさしく………

 

 そこまで観察したところで、ルイズは思い出す。こんな『自分の趣味全開のゴーレム』を作り出せる、一人の知り合いを。

 別段そこまで親しくは無く、かといって赤の他人とも呼べるほど縁は薄くない彼の名前を、ルイズは記憶の中から掘り起こすことができた。

「あれっ…てもしかして……ギーシュのワルキューレ?」

「あらぁ~?大丈夫だったのねぇルイズ」

 彼の名と、彼がゴーレムに着けている名前を口にした直後――――三人の頭上から女の声が聞こえてきた。

 三人―――少なくともルイズと霊夢は良く耳にし、あまり良い印象を持てない゙微熱゙の二つ名を持つ彼女の甘味のある声が。

 本当ならばこんな所で聞くはずも無く、そして暫く目にすることも無かったであろう彼女の姿を思い出し、ルイズは咄嗟に顔を上げる。

 

 

 そして彼女は見つけた。自分たちのいる地上より少し離れた上空から此方を見つめる青く幼い風竜と、

 羽根を器用に動かしてその場に留まっている風竜の上にいる、三人の少女と一人の少年の姿を。

 その内の一人、こちらを見下ろすように風竜の背の上で立って凝視している少女は、燃えるような赤い髪を風でなびかせている。

 彼女の髪の色のおかげてある程度離れていてもその姿はヤケに目立ち、そして彼女自身もルイズたちにその存在をアピールしていた。

 ここで出会う事など全く考えていなかったルイズはその髪を見て、目を見開いて驚いた。 

 

「キュルケ!どうしてアンタがここに…!?」

「こんばんはルイズ。てっきりギーシュのゴーレムで大変な事になってたと思ったけど…」

 

 とんだサプライズになってくれたわね。最後にそう付け加えて彼女――――キュルケは笑みを浮かべて手を振った。



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第八十一話

 ルイズは生まれてこの方十六年、これ程厄介なサプライズを体験したことは無かった。

 自分や姉、そして家族の誕生日会などでは、嬉しくも恥ずかしいと感じたサプライズなイベントを経験してきている。

 サーカスの一座が芸を見せてくれたり、御呼ばれされた手品師が誕生日プレゼントを消したり増やしてくれたりと、その方法も様々…

 時には恥ずかしい思いをしたし、嬉しいと感じた事もあった。今となっては、絵画にして額縁に飾っておきたい思い出達。

 

 けれども、今この場で―――最前線と化したタルブ村の外れで体験したサプライズは、ルイズにとって厄介であった。

 それ自体は決して迷惑ではない。何せ、過程はどうあれ結果的には思わぬ助太刀になったのだから。

 問題はそのサプライズを送ってきた四人の男女の内の一人で、恐らく残りの三人をここまで引っ張ってきたであろゔ厄介゙な隣人。

 出身地も、入学した魔法学院の寮室も隣同士という全く嬉しくない数奇な縁で結ばれている褐色肌に燃えるような赤い髪のゲルマニアの少女。

 

 ――――そして、今この場にいる事などあり得ない筈の彼女が姿を現した。

 連れてきた三人のうち、最も親しく背の小さい親友の使い魔である風竜のシルフィードの背に乗ってやってきたのである。

 

 

 ルイズ、霊夢、魔理沙の三人とデルフの一本にとって、それは突然の出来事であった。

 森から出てきて自分たち三人に攻撃をしようとしたキメラが、空から降ってきた青銅のワルキューレに押し潰されたのである。

 まるで薄い鉄細工の様に潰れたキメラの哀れな姿と、落ちてきたにも関わらず目立った傷が無い青銅のワルキューレ。

 ルイズは勿論、やる気満々であった魔理沙や霊夢もこれには意表を突かれ、思わず何が起こったのか理解する事ができなかった。

 そしてルイズがそのワルキューレの正体に気が付いた時、満を持して彼女は上空から現れたのである。

 

「キュルケ!どうしてアンタがここに…!?」

「こんばんはルイズ。てっきりギーシュのゴーレムで大変な事になってたと思ったけど…とんだサプライズになってくれたわねェ」

 シルフィールドの背の上に立ってこちらを見下ろしているキュルケは、笑顔を浮かべてルイズたちに手を振っている。

 その隣には彼女の親友であるタバサも降り、自分の使い魔である幼い風竜の耳元(?)に顔を近づけて、何かを喋っているのが見えた。 

 霊夢と魔理沙の二人もルイズに続いてキュルケ達の存在に気づき、目を丸くしながらも声を上げていた。

「ちょっと、ちょっと…あれってキュルケとタバサじゃないの…?何でここにあの二人が来てるのよ」

「おぉ本当だ!コイツは嬉しいねェ、援軍にしてはちょっと遅い気もするがな」

「――~ッ!そんなワケ無いでしょうがッ!!――――って、ちょっと!何降下してきてるのよ!?」

 これまであの二人―――正確にはキュルケに色々と絡まれていた霊夢は鬱陶しい相手を見るかのような目つきで彼女たちを睨む一方で、

 魔理沙は何を勘違いしているのか、嬉しそうな声色でシルフィールドの上にいる少女達を見上げている。

 一方のルイズはそんな黒白に怒鳴ろうとしたが、ゆっくりと地面へ降りていくシルフィールドに気づいてそちらの方にも怒鳴り声を上げた。。

 

 どうやら先ほどタバサが指示したらしく、ルイズの怒鳴り声に怯むことなく風竜は三人から少し離れた場所へと降下していく。

 結果、十秒と経たずに着地したシルフィードの背からタバサとキュルケの二人がバッと飛び降り、そのまま軽やかに地面へと降り立った。

 流石にここまで来ると事情を聞かずにはいられないのか、ルイズは二人の名を呼びながら近づいていく。

「キュルケ!タバサ!」

「はろろ~ん、ルイズ!こんとな所で会うなんて奇遇じゃないの?」

「今は夜」

 学院指定のブラウス越しでも分かる程大きな胸を揺らして着地したキュルケは、またもや手を上げてルイズに二度目の挨拶をする。

 そこへすかさずタバサが短く、的確な突っ込みを入れると、更にもう二人分の声がシルフィールドの背の上から聞こえてきた。

「す、凄い!僕のワルキューレが…何だか良く分からないモノを倒してるぞ…!」

「どう見てもただの事故に見えるんだけど…って、本当に降りる気なの?アタシは嫌よ!?」

 声色からしてキザなうえに自己陶酔的な雰囲気を放つ少年の声に、キュルケやタバサとも違う何処か神経質的な少女の声。

 その声に酷く聞き覚えのあったルイズはすかさずキュルケ達の後ろにいるシルフィードへと、視線を向ける。

 案の定青い風竜の背中から身を乗り出していたのは、『青銅』のギーシュと『香水』のモンモランシーの二人であった。

 

「ギーシュとモンモランシー…ッ!?何でアンタ達までここに…」

 知り合いとはいえ、先の二人と比べたら交流の薄かったこの二人が来ているなんて予想のしていなかったルイズは、

 頭上でキュルケを見つけた時よりも大きく素っ頓狂な声を上げて、彼らの名を呼んだ。

 

「んぅ?おぉ、ルイズじゃないか!一体こんなところで何をやっているんだね!」

「『こんな所で何をやっているか』何て…それって私達も同じような立場に置かれてるわよね?」

 先ほど青銅のワルキューレを空から落としたであろう少年は先程のキュルケと同じように手を振って、ルイズに挨拶している。

 彼の隣にいる金髪ロールが眩しいモンモランシーは周りの異様さに気が付いているのか、恐怖を押し殺したような表情を浮かべていた。

 

「……これは一体どういう事なんだ?というか、何でタバサやキュルケ達がこんな所へ来てるんだよ」

 流石の魔理沙と霊夢も、ギーシュやモンモランシーまで来たところを見て怪訝な表情を見せる。

 そして、本当なら全くの無関係であろう彼女たちがこんな危険な場所まで来ている事に疑問を抱かざるを得なかった。

「さぁ?私にもさっぱり分からないわ。ただ…何となく面倒くさい予感はするけど」

 黒白の言葉に対しての答えではないが、同じく何が何だか分からない霊夢も肩を竦めつつやれやれと言いたそうに首を横に振る。

『やれやれ。お前さんたち、今日は本当にツイテないようだね~』

「そういうのは言わなくていいわよ。……とにかく、ルイズだけじゃあアレだし私達も話を聞きに行きましょう」

「えぇ~?私もかぁ?……と言いたいところだが。生憎私も久しぶりに二人と話したいし、ついて行ってやろうじゃないか」

 デルフの嫌味満々な言葉に忌々しく思いながらも、彼女たちの方へと詰め寄っていったルイズの下へ行こうとした。

 只でさえ厄介な状況だというのに、これ以上ややこくしなってしまう前に事情を聞いておかねばならない。

 一方の魔理沙も先ほどまで森をにらんでいた時とは打って変わって軽いノリでそう言うと、クルリと踵を返して霊夢の後ろを歩き出す。

 

 ――――――この時、二人ば明確な敵゙がいる森に背を向けていた。

 本当ならば魔理沙か霊夢のどちらかがすぐに対応できるよう、森を見張っておく必要があるのである。

 しかし、命を賭けた戦いの経験が薄い魔理沙はそれを怠り、霊夢に関しては即時対応ができる為に背中を見せられる余裕があった。

 初戦ならばまだしも既に戦ったことのある異形の動きを把握している彼女にとって、怖れる相手では無くなっていた。

 相手が人間ならば状況は違っていただろうが、話しの通じぬ異形ならば遠慮なしで屠れる。そう判断していたのである。

 まだまだ体には『ガンダールヴ』の能力を行使した副作用で疲労が残ってはいたが、それ自体がデメリットにはならない。

 だからこそ今の様に敵にを背を向けられる余裕が出来ていたのだが…――――それが却って、危機を呼び込む結果となった。

 

「……?―――…ッ!?レイム、マリサッ!後ろッ!」

 二人の会話に気付いたルイズが後ろを振り向き、その鳶色の瞳を見開いて叫んだ直後…

 背後から幾つもの枝の折れ、葉が擦れる激しい音に二人は後ろを振り向き、思わず魔理沙は「うわっ!」と驚いた。

 彼女たちの頭上、丁度地上から二~三メイル程まで飛び上がったキメラ『ラピッド』が三体、獲物を振り上げて森から飛び出してきたのである。

 闇夜に輝く銀色の薄い鎧が煌めき、鋭い刃先を持つ槍を上から突き刺そうとするかのように霊夢と魔理沙に襲い掛かろうとしていた。

「二人とも、伏せてッ!!」

 ルイズは手に持っていたままだった杖をキメラ達へと向けて、間に合わないと知りつつ呪文を詠唱し始めた。

 キュルケやギーシュ、モンモランシーは突然出てきた異形に驚いているのか目を見開いてキメラ達を見つめている。

 魔理沙は魔理沙で迎撃が間に合わないと察したのか、「うぉお…!?」とか叫びながらルイズたちの方へと倒れ込もうとしていた。

 

 しかし、あらかじめこうなると予想のついていた霊夢は手に持ったままであったスペルカードをスッと頭上に掲げて見せる。

 まるで興味のないパーティーで催されたビンゴ大会で、一番早くに上がった自分のカードを掲げるかのように、

 大したことではないと言いたげな余裕と傲慢さでもって、スペルカードの宣言と共にキメラ達を始末する――――筈であった。

「…霊符『夢想妙じ―――――」

「―――――ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ」

 だがしかし、彼女がスペルを宣言するよりも早くに一つの呪文を詠唱し終えた少女がいた。

 まるで湖の底の様に暗く静かで、氷の様に冷たい声色を持つ少女の声に霊夢の気だるげなスペル宣言が止まってしまう。

 ここでスペルカードを宣言しなければ間違いなく彼女はキメラの持つ武器の餌食になってしまうが、それはあり得ない未来となってしまった。

 

 何故ならば、背後から風を切る物凄い音と共に三本の『氷の矢』が彼女の真横を通り過ぎ、

 霊夢と魔理沙を襲おうとしていたキメラ達の胴にブチ当たり、勢いよく森の方へと吹き飛ばされていっただから。

「…は?」

「大丈夫?」

 突然の事に何が起こったのかイマイチ把握しきれていない霊夢の背中に、先ほどの呪文を唱えた少女が声を掛けてくる。

 後ろを振り向くと、目を丸くして唖然としているキュルケの横にいたタバサが杖を掲げていた。

 自分の身長より大きな杖の先は、先ほど放った『ウインディ・アイシクル』の余韻なのか白い冷気を放出している。

 

「まさか、アンタが助けてくれたの?」

 思わず口から出してしまった霊夢の質問に、タバサはコクリと頷く。

 眼鏡越しに見えるやる気の無さそうな目や顔の表情とは裏腹に、杖を向けて呪文の詠唱と発動は驚くほど早かった。

 キュルケやルイズなんかの同年代の子たちと比べれば、明らかに゙何か゛が違っているような気がする。

 最も、今の霊夢にはそれが何なのかまだ分からなかったが。

 

 伏せて避けようとしていた魔理沙も状況が変わったのを知ってか、顔を上げるとタバサに向かってニヤリと微笑んだ。

「へへ、わりぃなタバサ。また返す気の無い借りを一つ作っちまったな」

「別に気にしないでいい」

「いや、そこは怒るところなんじゃ…っていうか、アレは一体何なのよ!あの化け物たちは!」

 二人のやりとりを聞いて思わず突っ込もうとしたモンモランシーが、ふと先ほどのキメラ達を思い出して叫ぶ。

 少なくとも彼女の記憶の中では、あの様な亜人や幻獣などを図鑑やホントなどで目にした記憶は無かった。

「う~む…どうなんだろう。少なくとも動作から見て、ゴーレムやガーゴイルの類では無いと思うけど…」

 一番傍にいたギーシュはそんな事を言いながら、先ほどタバサの『ウインディ・アイシクル』で吹き飛んだキメラ達の様子を思い出した。

 頑丈にしたガーゴイルやゴーレムならばあの程度の魔法などでは、吹き飛んで行ってもまたすぐに起き上がってきているに違いない。

 けれども先ほど森の中へ戻されていった三匹は一向に戻ってこないし、あの動きでゴーレムの類と言われても信じないだろう。

 

 そんな風にしてギーシュとモンモランシーが、先ほどの化け物達に関する場違いな考察に入ろうとした時…、

 彼らよりも前にいたキュルケが二人の間に割りこけ様なかたちで、声を掛けてきた。

「二人とも、そんなに悩まなくたってここに証人がいるじゃないの」

 そうよね、ルイズ?最後にそう付け加えて、キュルケは目の前にいる桃色髪の少女へと緯線を向ける。

 既に赤い髪の同級生に視線を向けていたルイズは彼女の目を睨み付けると、いかにも言いたく無さそうな渋い顔つきになった。

 まぁ無理もないだろう。何せ自分たちは恐らく彼女たちだけの問題に、わざわざ首を突っ込んできたのだから。

 しかしキュルケはその事を理解したうえで、敢えて首を突っ込んでやろうという意気込みを持っていた。

 一応親友としてついてきてくれたタバサはともかく、彼女の企みに巻き込まれてる形となったギーシュとモンモランシーは違うのだろうが…

 

「安心しなさいな。別に貴女達の邪魔をしにきたワケじゃないんだから」

 ちっとも安心できないキュルケの言葉に、ルイズは当然ながら「信用できるワケないじゃない」と素っ気なく返す。

「何処からつけて来たのか知らないけど、アンタ達には今回の事は関係ないわよ」

「知ってるわ。でも私は最近の貴女と傍にいる二人の事が気になるから、ここまで来てあげたのよ?」

 静かに憤るルイズの事など露知らずに、今にもしな垂れかかりそうなキュルケの物言いにその二人―――霊夢と魔理沙が顔を向けた。

 

 

「私達の事、ですって?」

「お、何だ何だ。もしかして、私の直筆サインを杖に書いて貰いたいとかかな?」

「それは有難くお断りさせて頂くわ。…まぁ、貴女達の゙正体゙を知りたくてここまで来たってのは、先に言っておきましょうか」

 魔理沙のサインをハッキリと断りながらも、キュルケは笑顔を浮かべたまま二人にそう言い放った。

 

 瞬間、それまでキュルケを見つめていたルイズと霊夢、そして魔理沙の三人は思わずその目を丸くしてしまう。

「ふふ、その表情。…何か隠し持ってそうね?」

 三人の変化を間近で目にしたキュルケは上手く行ったと言いたげな言葉と共に、クスリと微笑んだ。

 表情こそはいつもの彼女が浮かべているような、どこか人を小ばかにした艶めかしさが垣間見える笑顔である。

 しかし細めたその目は一切笑っておらず、刺すような視線が霊夢と魔理沙の二人をじっと睨みつけていた。

 

「!………それって、一体どういう意味なのかしら?」

「そう睨まなくても良いんじゃないの?この前のトリスタニアで、散々変なところを見せてくれたっていうのに…そうよね?」

「あぁ、まぁそうだな。そういやあの時に色々見られてたモンなぁ~…ははッ」

 意味深に睨み付けてくる霊夢の言葉にそう返すと、今度は彼女の隣にいる魔理沙の方へと話を振る。

 先に話しかけた巫女さんとは違い、黒白の魔法使いはトリスタニアの旧市街地で起きた出来事を思い出して呟くが、その目線は自然と横へと逸れていく。

 タバサとモンモランシー、それにギーシュもその事は事前にキュルケから聞いていたので、然程驚きはしなかった。

 しかし、そこへ待ったを掛けるようにして慌てた様子を見せるルイズが割り込んできた。

 

「ちょ…ちょっとキュルケ!アンタねぇ、そんな下らない事に為にこんな危険な場所まで来たって言うの…!?」

「下らない事なんかじゃあないわよ、ヴァリエール。少なくとも私にとってはね?」

 霊夢達と自分の間に入ってきたルイズの言葉に嫌悪な雰囲気を感じつつ、それでもキュルケはその口を止めはしない。

 まるで彼女の暴発を誘うかのように、得意気な表情を浮かべてペラペラとお喋りを続けていく。

 

「貴女とレイム、それにそこの黒白が怪しいのは前々からだったし、この前のトリスタニアでは色々と見せてくれたじゃないの。

 それに…私だけじゃない。タバサにモンモランシー…それにギーシュだって、みんな貴女が召喚した巫女さんと居候の事を怪しんでるわ。

 学院長とミスタ・コルベール辺りは何かを知っていそうですけれど、私は直接貴方の口から聞きたいのよヴァリエール…。分かるでしょう?」

 

 後ろにいるタバサたちを見やりながら喋り終えたキュルケに、ルイズは渋い顔をしてしばし考え込む様な素振りを見せ……首を横に振った。

「…悪いけど、今は教えられないわ。今は、ね?」

 彼女の意味深な言い方にふとキュルケは前方にある森の方へと視線を向け、あぁ…と頷く。

 確かに彼女の言うとおりであろう。今このような状況で、悠長に話をしている場合ではないのは流石のキュルケでも察する事ができた。

「ま、まさか…あんなのが二体三体もいるってワケなの…?何なのよコイツラ…」

「まだ良く分からない事が多いけど、戦わないと駄目なんじゃないかなぁ?…多分」

 モンモランシーやギーシュは慌てて杖を手に取り、霊夢と魔理沙の二人も森の方へと視線を向けて再び臨戦体勢へと移っている。

 タバサはタバサで片手持ちであった節くれだった杖を両手で持ち、呪文を詠唱し始めていた。

 シルフィードもその頭を持ち上げて、森の方にいるであろゔ敵゙に歯をむき出しにして唸り始めている。

「そうよねぇ…。あんな得体の知れない怪物に命を狙われてる中で、長々と説明しているヒマはないんですものね」

 キュルケも腰に差していたルイズのそれより細く華奢な造りをした杖を手に持ち、その先で風を切りながら森の方へと向ける。

「そういう事。少なくとも、詳しいことはコイツラを倒した後でね」

 やる気満々と言わんばかりのキュルケにそう言った後、ルイズは一人小さなため息をつく。

 

「まあ遅かれ早かれバレるとは思っていたけど、まさかアンタの他にも三人いたとは思わなかったわ…」

 残念そうな表情でそう言いながらも、手に持っていた杖を再び森の方から現れようとする敵に突きつける。

 計七人と一匹、そして一本という少数戦力に対し、相手は少なく見積もって計五、六体の異形達。

 

『へへッ、何だ何だ?険悪ムードから一転して、共闘とは心が弾むねェ』

「少なくとも、私はまだまだ険悪なままなんですけどね?」

 一触即発な空気の中、空気を読まないデルフに霊夢が軽く起こった瞬間―――――

 それを合図にして、森の中からキメラ『ラピッド』達が数体纏めて飛びかかってきた。

 

 

 

 

「――――゙試験投入゙開始から、早くも十時間越えたな…」

 船特有の揺れで、唯一の灯りであるカンテラの灯りに当たりながら学者貴族の青年クレマンは一人呟いた。

 ハルケギニアでやや珍しい茶髪にゲルマニア出身の母から受け継いだ褐色肌が、カンテラの灯りに照らされて黒く輝いている。

 彼は手に持った懐中時計で時間を確認した後、それを懐にしまいこむと思わず止まっていた書類仕事を再開し始める。

 今、この船の中―――特に今いる部屋の中は、驚くほどに静かである。今、地上で行われている事と比べて…

 

 そんな事を考えながらペンを走らせていた彼は、突然ドアの方から聞こえてきたノック音でその手を止めてしまう。

「おーい、紅茶淹れてきてやったぞ。両手塞がってるから、そっちから開けてくれぇ」

 木で出来たドアを軽く蹴る音と共に、外の風を吸いに出ていた同僚であるコームの声がドア越しに聞こえてくる。

「おぉそうか。じゃあちょっと待っててくれ、すぐ開ける」

 時折不安定な揺れ方をする船内の中で書類と悪戦苦闘していたクレマンは一言返してから、ここ数時間座りっぱなしであった椅子から腰を上げた。

 それから大きな欠伸と共に背伸びをしてから、しっかりと作られた板張りの床を靴音で鳴らしつつ部屋の出入り口をサッと開ける。

 

 開けた先にいたのは、いかにもマジメ君という風貌をした緑髪に眼鏡を掛けた青年の貴族が立っていた。

 彼が両手に持つ皿の上には、熱々の紅茶が入ったマグカップが二つに五、六切れのハムサンドウィッチを乗せた皿が乗っていた。

「サンキューなクレマン。…紅茶を淹れてくるついでにサンドウィッチも貰ってきたから、ここらで休憩といこうや」

「そりゃあいい。この゙試験投入゙が始まってからひっきりなしに報告書と戦ってたしな、バチは当たらんだろ」

 意味深な単語を口から出しつつもクレマンはコームの持ってきてくれたサンドウィッチを一切れ手に取り、勢いよく齧る。

 しっとりと柔らかく、小麦の風味が出ているパンと、それに挟まれているハムとトマトにマヨネーズという具が舌を優しく刺激してくる。

 

 口の中に広がる暫しの幸福を堪能しつつ、しっかりと咀嚼してから飲み込んだクレマンは満足そうなため息をついた。

「ふぅ…!流石最新鋭の艦だけあるな。こんな夜食程度のサンドウィッチでも、中々どうして美味いとはな」

「空海軍じゃあこんなサンドウィッチでも、食べられるのは士官様ぐらいなもんらしいぜ?」

 クレマンの言葉に続くようにしてコームが言うと、彼は持っていたトレイを部屋の中央にあるテーブルへ置いた。

 それから紅茶の入ったマグカップを一つ手に取ると、息を吹きかけてから慎重に飲み始めている。

 クレマンも彼に倣ってカップの取っ手を掴み、湯気の立つそれに優しく息を吹きかけていく。

 

 そんなこんなで、男同士の慎ましやかな深夜のお茶会を堪能しているとふとコームがポツリと呟いた。

「ほぉ…!それにしても、サン・マロンの幹部方は、随分大胆な事をし始めたもんだな」

「全くだな。新作の『ラピッド』のお披露目ついでとか言って、よりにもよってあのレコン・キスタに貸し出すとは考えてもいなかったぜ」

 若い世代の貴族らしい砕けた喋り方で会話をする光景を歳を取った貴族が見たのならば、思わずその顔を顰めてしまうであろう。

 しかし、平民が使うような喋り方を彼らは躊躇なく使っているものの、その口調とは別に中身はちゃんとした学者の卵である。

 正規の試験と面接を受けて、晴れてガリア王国のサン・マロン―――通称『実験農場』研究として選ばれた身でもあるのだ。

 

 

 そんな彼らが今いる場所は、その『実験農場』が所有している最新鋭の試験用小型輸送艦―――通称『鳥かご』の中にある一室。

 ガリア陸軍の新基準として艦隊戦ではなく地上戦力の空中輸送と偵察に特化した、この時代ではまだ変わり種と言える船である。

 今この船は『実験農場』の上層部からの命令で、『新型キメラの実戦テストを兼ねた試験投入』の為にトリステインのラ・ロシェールへと派遣されていた。

 

 船員及び駆り出された研究員たちは『実験農場』特別顧問である゙女性゙からの命令を受け、トリステイン軍に対しキメラによる攻撃を実地している。

 その為現在トリステインに侵攻しているレコン・キスタの艦隊に手を貸している状態なのであるが、それを気に留める者は殆どいなかった。

 船そのものはアルビオンの艦隊から大きく離れた場所に隠してあるし、この計画の事をしっている者はアルビオン側は指で数える程度。

 当然トリステイン王国も、まさかお隣の大国であるガリア王国の研究機関が、自分たちを攻撃しているなどと夢にも思っていないであろう。

 

「しっかし、トリステイン側もエラく粘ってるなぁ。日が落ちるまでこっちが持ってきた戦力の三分の一を片付けてるんだからさぁ」

「最初のパニックはラ・ロシェールまで続いたが、タルブ辺りで態勢を整えられたのが原因だろう。トリステインはああ見えても精鋭揃いだしな」

 熱い紅茶をゆっくりと啜りながら、コームは同僚が見ていた報告書を一枚手に取って満足げな表情を浮かべている。

 船外へ出ている゙偵察員゙による報告は、キメラのみの戦力投入によるトリステイン側とキメラ側の被害状況を淡々と綴られていた。

 最初の投入地点であるトリステイン軍側の砲兵陣地で起こったパニックが、ラ・ロシェールにいる駐屯軍にまで波及した事。

 しかし、タルブ村で態勢を整えられてしまいその結果にキメラ側がそこそこの被害を被ってしまったものの、何とか占領できた事。

 他にも、現在ラ・ロシェール周辺に複数潜伏している偵察員たちが、リアルタイムで報告書を送ってきているのだ。

 

 その報告書を確認し、まとめる役割を務めていたのがクレマンであった。

 彼自身の気持ちとしては研究に参加しその完成と量産決定の決議を見届けていた身として、キメラの活躍報告が届けられるのは素直に嬉しかった。

 しかし、書類仕事の専門家ではなかった彼にとって膨大な数のソレを相手にするのには、まだまだ経験が足りなかったようである。

「自分たちの研究成果が活躍してくれるのは嬉しいけど、こう報告書の数が多いとな…―――ん?」

 クレマンはそんな愚痴をボヤキながら、二つ目のサンドイッチにかぶりつこうとした時であった。

 

 ふと、丁度部屋の真上にある甲板が騒がしくなってきたのに気が付き、コームと共に天井を見上げてしまう。

 薄暗い天井から漏れる声は複数人あり、声から察して甲板で観測任務についていた船員たちであろう。

 その船員たちが何を言っているのかまでは分からなかったが、何やらタダ事ではないという事だけは分かった。

 

 

「何だろう?甲板が妙に騒がしいな…」

「確かに。…ひょっとして、何か地上で大きな動きがあったのかも」 

 不思議そうな表情で天井を見つめていたコームがそう言った直後、ドアの外から何人もの足音が通りすぎていった。

 やがてドア越しに幾つもの靴音が通り過ぎていき、それまで静かであった船内が一気に喧騒に包まれていく。

 二人は互いの不思議そうな表情を浮かべる顔を見合わせ、ドアの方へと視線を向けた。

 

「な、何だ…?」

「分からんが…とにかく、何かあったんだろう。ちょっと見てくるわ――――…って、うおッ!?」

 首を傾げるクレマンに向けてそう言い、席を立ったコームがドアを開けようとした時、

 物凄い勢いで開いたドアが彼の鼻頭を掠め、思わず後ずさろうとしたあまりそのまま背中から倒れて床に尻もちをついてしまう。

 危うく彼の鼻を傷つけようとしたのは同じ『実験農場』に所属する先輩で、ややパーマの掛かった金髪と小太りな体が特長的なオーブリーだった。

 彼は牛乳瓶の底の様な眼鏡がずれてるのにも構わない程慌てた様子で、ドアを開けて最初に見えたクレマンに捲し立ててきた。

 

「おいクレマン、緊急だ!緊急連絡!特別顧問のシェフィールド殿が試験の終了及び、現空域から撤退しろとの事だ!

 これからすぐに船の発進準備に移る。お前らも地上へ派遣された偵察員への撤退連絡作業に加わるんだ、早くしろ!」

 

 突然そんな事を捲し立ててきたオーブリーに、クレマンは目を丸くして驚くほかなかった。

 つい一時間ほど前に届いた連絡文には実験の終了や撤退を匂わせるような事は書かれていなかったハズである。、

「え…!?ちょ、ちょっと待って下さい先輩、試験終了ってどういう事ですか!それに―――」

 しかし、困惑する後輩には構っていられなぬ言いたげに彼の前に肉付きの良い右掌を突き出してから、オーブリーは口を開く。

「質問は後で聞く、今は緊急を要する事態だ!もう他の連中も動いてる、お前もそこで倒れてるコームも早く動け」

 頼んだぞ!…最後にそう言ってから、小太りの先輩は踵を返して甲板へと続く廊下を走り去って行った。

 

 

 いきなりドアを開けて来たかと思えば、物凄い喧騒で捲し立てて去っていった先輩に、二人はただただ聞く事しかできなかった。

 まるで風の様にオーブリーが現れ、消えていった一分後にようやく立ち上がったコームが口を開く。

 

「な、何だよ…一体、何が起こったっていうんだ?」

「…さぁ?俺に聞くなよ」

 騒がしくなっていく船内の中で、二人の研究員はついていく事ができないでいた。

 まるで激しい濁流に巻き込まれたかのように、急変した状況に流されるがままとなってしまっている。

 それと同時に、先ほど慌ただしくやって来て去って行った先輩の様子と、周囲の喧騒は絶対に只事ではないという事。

 

 それだけが何となく分かっているせいで、妙な胸騒ぎだけを感じていた。

 

 

 

「―――――まぁ、私達まで首を突っ込んじゃった貴女たちの今の状況の事は…良く分かったわ」

 先程自分の火で燃やした『ラピッド』の形見とも言える左腕の切傷を睨みながら、キュルケはルイズから聞いた話を理解していた。

 ついさっき、自分に襲い掛かってきた最後の一体を仕留める前にソイツが飛ばしてきた羽根の様な刃でつけられたのである。

 六枚も飛んできて当たったのは幸運にもたった一枚であったが、彼女的には「不覚を取った」と言いたい気持であった。

 幸い傷自体は浅く出血もそんなにしてはいないし、絶対に頼もしいとは言えないが『水』系統の魔法で治療してくれる子がいる。

 薄らと血が流れる傷口を眺めていたキュルケはふと、嫌悪感を隠さぬ顔で地面に転がる異形の躯へと視線を移す。

 

 彼女の放った『ファイアー・ボール』によって焼き殺されたソイツは、体にまとう銀色の鎧が黒く煤けている。

 口や体のあちこちから黒い煙が立ち上っている所を見るに、恐らく本体まで焼けてしまっているに違いない。

 体の中までは流石に生焼け状態かもしれないが、まず生きていないのは確実であろう。

 他にもキュルケが倒したのを含め、計五体ばかりのキメラ――『ラピッド』達が物言わぬ死体と化していた。

 ある一体は口の中をタバサが放った『ウインディ・アイシクル』が貫かれ、別の一体はルイズの失敗魔法で黒焦げとなっている。

 これら三体のキメラ達の倒され方は、まぁルイズを覗いてメイジが使う魔法での戦い方としてはオーソドックスな方であった。

 

 しかし、四体目は黒白の自称゙魔法使い゙が魔理沙がその手に持っていた黒い八角形のマジック・アイテムによって倒されている。

 それも普通の倒され方ではなく、『マジックアイテムから出た極太の光線で体の三分の二を失う』という壮絶な最期であった。

 本人にあれが何かと聞いた時は「これが私の魔法だぜ!」と、自分の正体を正直バラしてくれた。

 そして五体目、ルイズの使い魔である霊夢を相手にしたキメラは『手を出す前に消し飛ばされ』ている。

 自分たちが姿を見せる前に戦っていたであろう彼女は、疲れた様子で右手に持った一枚のカードをかざして、一言呟いただけ。

 

「―――霊符『夢想妙珠』」

 一言。そう、たった一言だけで彼女の周りから色とりどりで大小様々な光る玉が現れたのだ。

 かつて『土くれ』のフーケがゴーレムで襲った時にそれを見ていたキュルケとタバサは、それを目にしていた。

 ギーシュとモンモランシーの二人はそれを見るのが初めてであった為、目を丸くして驚いていた。

 光る玉たちは霊夢の周囲を飛んでいたかと、彼女へ迫ろうとしていたキメラに向かって殺到したのである。

 その後の事を例えるならば――――まるで獲物を仕留めるべく、喰らいつく狼の群れの如し。

 上下左右から迫りくるその光る玉の力によって、キメラは文字通り『手を出す前に消し飛ばされ』たのだ。

 

「前の決闘でも不可思議な事をしてくれたが…。き、君の力は一体何なんだ…?」

 全てが片付いた後、一度彼女と戦ったことのあるギーシュがおそるおそるそんな質問をしていた。

 疲れたと言いたいような大きなため息をついた彼女はゆっくりと後ろを振り返り、視線の先にいた彼へ一言…

 

「コレ?霊符『夢想妙珠』っていう弾幕よ。中々綺麗でしょ?そんでもって、使い勝手も良いのよ」

 ――――ま、ホーミングの精度が良すぎるのも偶に傷なんだけどね?

 最後にそう付け加えて説明した彼女は、右手に持っていたカード―――『夢想妙珠』のスペルカードをペラペラと振って見せた。

 魔理沙と同じく、彼女もまた自分の正体を隠す気は無かったようである。

 

 そんな風に先程まで起こっていた戦いの事を思い出していると、すぐ傍でモンモランシーの声が聞こえてきた。 

「―――…ょっと、聞いてる?」

 その声に慌てて横を向くと、自分の真横で杖を片手に持つモンモランシーが少し怒った表情を浮かべて立っていた。

「モンモランシー?どうしたのよ、そんなにいきり立って」

「どうしたのよ、じゃないわよ。こっちは『癒し』の使い過ぎで参ってるっていうのに」 

 恐らくさっきの戦いで傷ついた皆を治療してくれているのだろう。魔法の使い過ぎで少し疲れている様な感じが見えている。

 きっとモンモランシー本人も、ここに来るまで自分の魔法で誰かを治療するという経験は無かったはずである。

「あらごめんなさい、ちょっと考え事を…それで、何?治療してくれるのかしら」

「そうよ…ってちょっと、わざわざ近づけて見せつけないでよ!」

 キュルケはややご立腹な彼女に平謝りしつつも、左腕の切傷をそっ…と自分より背の低い彼女の顔へと近づけた。

 モンモランシーは自分の目の前で見せつけられる生々しい傷を見て、小さな悲鳴を上げて思わず後ろへと下がってしまう。

 

 しかしまぁ直してもらえるならそれに越したことは無いと、その後は素直にモンモランシーからの治療を施してもらう事となった。

 杖から発せられる青い光がキュルケの腕の傷を癒している最中、ふとモンモランシーはそこらで倒れているキメラたちを見つめている。

「それにしても、コイツら一体何なのよ。私達まで襲ってくるなんて…」

「多分ルイズ達と一緒にいたから、味方だと思って攻撃してきたんじゃないかしら?」

 生まれて初めて見るであろう人とも幻獣ともつかない不気味な姿の怪物を見て、彼女は青ざめた表情を浮かべている。

 モンモランシー本人は先頭に参加しておらず、傍にいたギーシュも彼女と自分を守るのに必死であった。

 とはいっても自分たちが地上へと降りる前に護衛にと出しておいたワルキューレが落ちて、戦いが始まる前に出てきた一体を押しつぶしてくれたので、

 実質的に何もしてないとは言えず、モンモランシーも戦いが終わった後にこうして不慣れながらも手当てをしてくれている。

 

「全く…何で私がこんな目に遭わなきゃいけないのよ…ったく、もう…。―――はい、終わったわよ」

「ちょっと!叩かないでよ――――ってアレ?…痛く、ないわ」

 今日一日起きた出来事を思い出していたモンモランシーは無事治療を終え、元通りに治ったキュルケの腕をトンッと軽く叩いた。

 てっきりそれで塞いだ傷口が痛むかと思ったキュルケであったが、驚いたことに腕の内側から突き刺すような痛みは襲ってこない。

 

 

 それはつまり腕に出来た切傷が完全に塞がっている事を意味しており、キュルケは目を丸くしてしまう。

「綺麗に治ってる…。貴女、医者にでもなれるんじゃないの?」

「フン!そうお膳立てしても、アンタが私達を厄介ごとに巻き込んだのには変わらないからね」

「あら、酷いことを言うわね?貴女だって、彼女たちの事は気になってたんでしょう?」

「私はギーシュのついでよ!つ・い・で!!」

 キュルケの賛辞を言われても、モンモランシーは不機嫌な態度を変える事は無かった。

 

 そもそも彼女がルイズとその周りいる紅白の使い魔に、怪しい黒白の居候の事を調べたいと言わなければ、こういう面倒事に巻き込まれはしなかった。

 最初はコソ泥みたいにルイズの部屋を漁っていた時に無理やり誘われ、その次は不便な山中で一日中王宮を監視。

 はたまたその次は、ウィンドボナで執り行われる王女殿下の結婚式についていくであろう彼女たちを尾行――と、思いきや…

 何故かラ・ロシェール方面へと単独へ向かい始めた三人を追って、霧の中シルフィードの背に乗せられて無理やり尾行に付き合わされる。

 挙句の果てには、何故かゴーストタウンならぬゴーストビレッジと化しているタルブ村で、正体不明の怪物に襲われ、

 そして極め付けは、頭上の夜空に悪夢としか思えないような悪名高いアルビオン貴族派の艦隊が、トリステインへ攻めてきている事だ。

「私、多分生まれて初めてここまで不幸な目にあった事がないわよ。…ん?」

 思い出せば思い出すほど碌な目に遭っていないモンモランシーに、キュルケが優しくその肩を叩いた。

 まるで血の滲むような思いで仕事を成し遂げた部下に「お疲れ様」と労う上司がするかのような、そんな方の叩き方。

 夏だというのに夜霧で冷えている右肩に、キュルケの温かな手の温もりにモンモランシーは彼女の方へと顔を向ける。

 

 視線の先にいたキュルケは笑みを浮かべていた。我が子を褒める母親が浮かべる優しい笑みを。

 いつも浮かべているような人を小馬鹿にする笑みではない事に、モンモランシーは思わず「な、何よ…?」とたじろいでしまう。

 そんなモンモランシーに優しい笑みを向けたまま、キュルケはそっと口を開き…つぶやいた。

 

 

「良かったじゃないの?後々歳を取った後に、子供たちに語れる武勇伝が一日に幾つも出来て」

「――――――…アンタって、本当に上等な性格してるわね」

 優しい笑みの内側に、最大限の嘲笑を込めていたキュルケの言葉に、

 モンモランシーは怒りより先に、どこにいても変わらぬ留学生に対して苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

 

 そんな様子を少し離れた所から不思議そうに見ていたギーシュは、ポツリと言葉を唇の隙間から洩らす。

「…あの二人、髄分長い事話し合っているじゃないか?」

「そうね。もっとも、言ってることばお互い仲良じって感じとは程遠いけどね」

 彼の返事を期待していなかったであろう独り言に、ルイズは先程まで切り傷が出来ていた足を不安げに触っている。

 本当ならば自分で持ってきた水の秘薬を使えば良かったのだろうが、アレはアレで相当傷口に染みる代物である。

 それに対してモンモランシーの魔法なら傷口に痛む事もないので、遠慮なく治療してもらったのだ。

 最も、当の本人にその事を伝えたら…「事あるごとに私を『洪水』とか呼んで小馬鹿にしてる癖に…」と愚痴を聞かされてしまったが…。

 

(だって本当の事じゃないの。洪水並みのお漏らししたって有名な癖に…)

 助けてくれたのは良いもののどこか自分と似たり寄ったりな彼女の事を思いながら、ルイズはとある方向へと視線を向ける。

 その先にいたのは霊夢とデルフ、そして魔理沙とタバサに地に足着けている風竜シルフィードだった。

 タバサとシルフィードに霊夢は先程の戦いは無傷で、魔理沙もまた服に掠った程度で済んでいる。

 キュルケと何やら揉めているモンモランシーと違い、三人と一本と一匹の間に漂う雰囲気は…どこかほんのりとしていた。

 いつ頭上のアルビオン艦隊がこちらに砲塔を向けて来るやも知れぬ状況だというのに、である。

 

 

「…にしても、お前は良いよな大した怪我がなくて。私だけだぜ?ルイズにあの痛い薬を塗り込まれたのは」

「お生憎様ね。私だってその秘薬が痛いって事は大分前にルイズから教えてもらっているから」

 魔理沙は右手の甲を隠すようにルイズが巻いてくれた包帯を睨みつつ、霊夢に愚痴をこぼしている。

 それに対して霊夢も、疲れているとは思えない様な睨みと笑みを見せて魔理沙に噛み付いていた。

 

 一見…いかにも掴み合いが始まりそうな嫌悪な雰囲気ではあるが、丁度二人の間にいるタバサは全く動じていない。

 まるで丈夫な鉄柵の向こう側から野良犬と野良猫の喧嘩を見つめているかのように、一人の傍観者と化している。

 しかし右腕に抱いている大きな一振りの杖はいつでも使えるようにと、左手の指がしっかりと掴んでいる。

『へへッ、流石レイムだぜ。あんだけ戦いまくって、まだあんな口喧嘩できる余裕があるとはな…なぁ、お前さんもそう思うだろ?』

「きゅいィ~?」

 その一方で霊夢が一旦地面に置いていたデルフが二人の口喧嘩を眺めながら、面白おかしそうにシルフィードへと話を振る。

 しかし人語はかろうじて通じてもその言葉を喋れぬ風竜のシルフィールドは、ただただ不思議そうに首を傾げるしかなかった。

 霊夢と魔理沙の事を見慣れてしまったルイズも別に二人が仲違いしているワケではないという事を知っているので、動じる事はなかった。

 むしろ相も変わらず元気な二人を見て、まぁまだあんな余裕があるのねぇ…と溜め息をつきたい気持ちで一杯になってしまう。

 

「な、なぁ…ルイズ?あの二人の口喧嘩、止めないで良いのかい?何だかイヤな事が起きそうな気がするんだが…」

 そんな彼女の耳に、ギーシュの不安げな言葉が入ってくると彼女はそちらの方へと顔を向けて言った。

「あぁ?それなら大丈夫よギーシュ。…あの二人、何か事あるたびにああして言い争う形で話し合ってるから」

「い、いつも…?君、良くそんな二人と一緒にあの狭い部屋で暮らせるもんだねぇ。したくはないけど、感心するよ」

 最後に余計な一言が混ざったギーシュの言葉に、ルイズはどうもと手を軽く上げて返事をしてから、ふと頭上を見上げた。

 

 ラ・ロシェールとタルブ村の上空。本来ならトリステイン王国の領空内である空を、我が物顔で居座るアルビオン艦隊。

 アルビオン王家を滅ぼしたうえに、あまつさえ今度はトリステイン王家をも滅ぼそうと企んでいる不届き者たちの集まり。

 それだけではあき足らず、おぞましい異形のキメラ達をけしかけて自分の大切な家族の一人まで傷つけようとした。

 かつて『ロイヤル・ソヴリン』号と呼ばれ、今は『レキシントン』号と名付けられている巨大戦艦がゆっくりと動き始めている。

 周囲に大小様々な軍艦を妾達の様に集結させた艦隊は、後十分もすれば自分たちの真下を通過するだろう。

 恐らく、そこからが勝負となるのだ。勝率があるかどうかすら分からないそんな危険な勝負が。

 

「…さてと、そろそろ準備しとかなきゃダメかしらね?」

 一人そう言って背伸びしたルイズは、腰に戻していた杖を手に取るとまるで演奏指揮者の様に軽く先端を振った。

 その行為そのものに特に意味は無い。だが強いて言えば、それは心の奥底から湧き出てくる゙恐怖心゙の裏返しとでも言えば良いのだろうか。

 やはりというか、なんというか…最終的には上空のアルビオン艦隊を止めなければどうにもならないらしい。

 疲労している霊夢と魔理沙に自分の三人だけで、あれにいざ挑むとなってくると流石に二の足を踏みそうになってしまう。

 だからこそルイズは、自分の今の心境を誤魔化すために杖を振っていた。

 

「準…備――てっ…。え!?ちょっと待てよ!まさか君たちは本当にあの…あの艦隊と真正面からやり合うつもりかね!?」

 ルイズの言葉と、進行方向の関係上こちらへ近づいてくるアルビオン艦隊を交互に見比べながら、ギーシュは叫んだ。

 彼の叫び声と口から出た言葉に、いがみ合っていたキュルケ達や小休止していた霊夢達の耳にも届いてしまう。

 しかしそんな事お構い無しと言いたげなルイズはギーシュが大声を上げたことを気にもせずに、振っていた杖の動きを止めた。

 ピタッと綺麗に止まった彼女の古い相棒の先端の向く先には、こちらへ近づこうとしている『レキシントン』号。

 個人の力ではどうしようもないような威圧感を漂わせるその軍艦へ、彼女は無言で一方的な宣戦布告を突きつけたのである。

 

「無謀だルイズ!君のやろうとしている事は、そこら辺の棒きれ一本で腹を空かした火竜と戦うようなものなんだぞ?」

「別にアンタ達に手伝え何て言ってないわよ。元はと言えば私とレイムたちで決めた事だしね」

 必死な顔で゙無謀な行為゙を止めようとするギーシュに向けてそう言うと杖を下ろし、今までずっと肩にかけていた鞄をゆっくりと地面へ下ろしていく。

 持っていく時は軽いと感じたソレも、体の中に疲れが溜まっている所為なのか酷く重たいモノへと変わっている。

 そして自分の体や髪、服と同じくらいに土埃に塗れた鞄が地面から生える雑草たちを押しつぶして地面へと下ろされた。

 

 

 荷物を降ろした途端、フッと軽くなった肩を揉みながらホッと一息つく。

 その姿を見て先程までキュルケといがみ合っていたモンモランシーが、まるで機嫌の悪い仔犬のように突っかかってきた。

「ちょっとルイズッ!アンタ馬鹿じゃないの!?いくらアンタの使い魔と居候がスゴクたって、艦隊に勝てるワケなんか…」

「勝てる勝てないの問題じゃあないのよモンモランシー。アンタだって私の話聞いてたでしょ?あの艦隊は、このまま王都を滅ぼすつもりなのよ」

「……ッ。そりゃ聞いてたわよ!だけど、だけど…こんなの相手が悪すぎるじゃないの!?」

 彼女が最後まで喋り終える前に自分の言葉でそれを止めてきたルイズに、モンモランシーは突然一択しか選べぬ選択肢を突き付けられた気分に陥ってしまう。

 

 あのキメラ達との戦いが終わった直後、キュルケ達四人はルイズ達から今起きている状況をある程度教えてもらっていた。

 アルビオンからやってきた親善訪問の艦隊が、突如裏切って迎えに来たトリステイン艦隊を攻撃してきた事。

 攻撃してきたアルビオンの連中はその勢いを借りてあのキメラ達を地上へ放ち、迎え撃とうとしたトリステインの地上軍を蹴散らした事。

 そして偶然にも、自分の一つ上の姉であるカトレアがタルブ村を訪問している最中で、不幸にもアストン伯の屋敷で多くの村人たちと共に立て籠もっている事。

 自分は姉を助ける為に、霊夢と魔理沙は人を襲う異形達を駆逐し、それを操っているアルビオンを倒すためにここへ来た、という事。

 そして最後に…アルビオンの艦隊は夜明けと共にキメラの軍団を率いて前進し、最終的にはトリスタニアを攻め落とそうとしている事を…、

 ルイズは四人に伝えていたのである。

 

 そして今、迫りくる最後にして最大の敵たちをルイズ達三人は戦おうとしているのだ。

 ルイズと同じくトリステイン出身であるギーシュと、モンモランシーは彼女がやろうとしている事にはある程度の理解を示している。

 トリステイン王国の貴族として生まれた以上、母国と王家に害を為す者には断固たる意志を持って戦わなければいけない。

 しかし…未だ学生の身である彼女たちにはやはり頭上に浮かぶ相手はあまりにも大きく、そしてその傲慢さを持てる程の強さを持っている。

 例え彼女―――ルイズが使い魔である霊夢と、居候の魔理沙と共に戦ったとしても勝てる確率は恐らく―――二桁の数字にすらならないだろう。

「ルイズ、悪いことは言わない。僕らじゃあアレは止められない、蟻数匹が暴れ牛に戦いを挑むようなものだ!」

 この時ギーシュは、かつて『ゼロ』と呼んで蔑ろにしていたルイズを思い留まらせようとしていた。

 特に親しい間柄というワケではないが、知り合いである彼女が…一人の女がこれから地獄に片足突っ込もうとしているのだ。

 だがそんなギーシュの説得に対し、ルイズはつまらなさそうに鼻を鳴らして鞄の蓋を止めていたボタンを外している。

「アンタらしくないわねギーシュ?いつものアンタなら、王家の為に喜んで命を差し出そう!って言いそうなのにね…」

「そりゃアンタがそこまで変わったら、流石のギーシュだって止めに入るって事ぐらい分からないのかしら、ヴァリエール?」

 蓋を開けた鞄を漁っていたルイズの言葉に対しそう返したのは、背後のギーシュではない。

 モンモランシーのいる方向から聞こえてきたその声にルイズがスッと顔を上げると、赤い髪と大きな胸を揺らして歩いてくるキュルケの姿が目に映った。

 

「何があったのかしらないけどねぇ、そうやって格好つけるのはやめなさいヴァリエール」

 顔を上げたルイズに対し、普段とは違う真剣味のある声色と、彼女には似合わぬ真顔で喋るキュルケ。

 いつもとは違うギャップを見せる彼女に、ギーシュとモンモランシーの二人は硬直してしまう。

 ルイズの後ろにいる霊夢達もこれまで見たことのないキュルケの様子に、思わず視線を向ける。

「…キュルケ?」 

 ルイズもルイズでまるで豹変したかのような真顔を見せるライバルに、ルイズは怪訝な表情を浮かべてしまう。

 やがて一分もしないうちに彼女のすぐ傍にまで来たキュルケは、腕を組んだ姿勢のまま淡々と喋り始めた。

 

「貴女、今自分が何を相手にしようとしているのか…分かっているの?」

「…貴女に言われなくても、分かってるわよ。今から私が、とんでもなく馬鹿な事をしでかそうしている事ぐらい」

「なら下手に言わなくても良いわね。でも、そこまで理解しておいて何で抗おうとするのかしら?」

 キュルケは右手の握り拳から親指を一本立てて、背後の『レキシントン号』をその親指で素早く指さした。

 ルイズが鞄を降ろす前よりも少しだけ近くなったその巨大戦艦へとルイズが視線を向ける前に、それを遮るようにしてキュルケが質問する。

「答えて頂戴ヴァリエール。―――――大方そこの怪しい二人に、何か言われたんでしょう」

「おいおい…!ちょっと待てよ。それは酷い誤解ってモンだぜ?」

 彼女のその言葉を耳にした魔理沙が聞き捨てならんと言いたげに一歩前に出て、慌てるように言った。

 魔理沙に続いて霊夢も何か言いたい事があるのか、一歩前に出る…どころかキュルケの方へとツカツカと歩き出した。

 

 体から薄らとした怒りの雰囲気を放ちながら、ムスッとした表情で歩いてくる霊夢の姿…。

 一方のキュルケは待っていましたと言わんばかりにその顔に緩やかな笑みを浮かべて、近づいてくる巫女さんの方へと身体を向けた。

 そしてとうとう、キュルケとの間が一メイルにまで縮まった霊夢はその顔を上げて、自分より身長が上のキュルケをキッと睨みつける。

「アンタ、もしかして私と魔理沙がルイズを戦わせるように仕向けた…って言いたいのかしら?」

「えぇそうよ?ヴァリエールは典型的なトリステインの貴族だけどねぇ、こんな事を仕出かすような命知らずやバカじゃあなかったわ」

 怒りの気配を放つ霊夢のムスッとした軽い怒り顔にも動じる事無く、キュルケは自慢の赤い髪を掻きあげながらそう返事をした。

 髪を掻きあげられるほどの余裕に満ちていると思ったのか、霊夢はそのムスッとした顔に嫌悪感を付加させて喋り続ける。

 

「残念だけどね、ルイズはアンタが考えてるほどバカじゃないわ。アンタだって聞いてたでしょう?アイツが元々ここへ来たのは、自分の目的があったからよ」

「それはついさっき聞いてるから分かってるわ、でもそれは単なる無謀と言う行為よ。たった三人で艦隊に挑んで勝てるとでも思ってるのかしら?」

 売り言葉に買い言葉。お互い一歩も引かぬ強気な者同士の言い争いに傍にいた魔理沙は思わずたじろいでしまう。

 

「お、おぉ…過去に何があったかは知らんが、霊夢の奴も相当カッカしてるぜ」

「君、君…!そんな暢気に解説してる暇があるなら、ちょっと止めてみようとかそんな努力をしてみないかね?」

「んぅ~どちらかというとこのまま見ておきたいが…まぁ確かに、あんなデカブツがすぐ近くまで飛んできてるしなぁ」

「ちょっと!そこは悩むところなの…!?」

 すぐ傍にまで命が危機が迫っている状況の中でも、魔理沙は決して己のペースを崩すことなく、

 突っ込みを淹れてくるギーシュやモンモランシーにまだ軽口をぼやける余裕は残っていた。

 タバサは相も変わらず無口で、地面に垂らしたシルフィードの尻尾の上に腰を下ろしてジッとキュルケと霊夢を見つめている。

 そして、二人の言い争いの原因でもあるルイズは鞄の中に入れていた手を引っ込ませると、その場でスクッと立ち上がった。

 重くなってしまった腰を上げたルイズは再び軽い背伸びをした後、キュルケの方へと顔を向けるとその口から出る言葉で彼女の名を呼んだ。

 

「…キュルケ」

「あらルイズ。いよいよ教えてくれる気になったのかしら?彼女たちに何を吹き込まれたのかを…ね?」

 突如話に加わろうとして来るルイズに、キュルケは嬉しさのあまり小さく両手を叩いて笑顔を浮かべた。

 そして、喋った言葉の中にあった「吹き込まれた」というのを聞いて、霊夢は思わがその顔を顰めてしまう。

「ルイズ、アンタが出てくる必要は無いわよ。すぐにコイツとの話は終わらせるから、準備でも…―――…ッ?」

 自分の前へ出ようとしたルイズを手で止めようとした霊夢はしかし、遮ろうとした自分の腕を下げたルイズにこんな事を言われた。

「ごめんレイム、ちょっと静かにしててくれる?この分からず屋に、ちゃちゃっと説明して終わらせるわ」

 まるで聞き割れの無い生徒を諭しに行く教師の様な表情と口調でそう言うと、彼女は霊夢の一歩前へと進み出た。

 一方の霊夢は、先程までと比べて妙に落ち着いているルイズを見て一体何を喰ったのかと訝しんでしまう。

 本人が彼女の今の心境を知ったら殴られそうであったが、幸いにも口にしていない為ルイズの耳に入る事は無い。

 

 そんな風にして、キュルケの話し相手が霊夢からルイズへと流れるようにして変わる。

 微笑みを浮かべて腕を組むキュルケと、そんな彼女を下から睨み上げるルイズに―――動く背景の様なアルビオンの艦隊。

 あまりにも奇怪で危機的な状況の中でも二人は決して動じず、両者ともに自分のペースで話し始めた。

 

「さてと…アンタには何処から話して良いのやら…でもまぁ、アンタにはとりあえず言っておきたい事があるの」

「ふふん!その言い方だと…何か面白そうな事を言ってくれそうじゃないの。良いわ、言ってみなさい」

「勿論言ってあげるわよ。アンタの言ゔ無謀な行為゙をするだけの理由をね」

 未だ余裕癪癪なキュルケに対し、ルイズは瞼を鋭く細めたまま話を続けていく。

 ギーシュやモンモランシーの目から見れば、それはいつも学院で目にしている二人の言い争いの場面を思い出させた。

 だがそんな彼らの意思に反して、ルイズはキュルケの微笑みを見てもかつて程怒ってはいなかった。

 

「じゃあ教えてもらおうじゃないの。この二人に何を吹き込まれて…命知らずな事をしようと思ったのかを」

「ちょっとアンタ。いい加減にしないと前の時みたいに蹴飛ばすわよ」

 あくまで彼女の使い魔と居候を敵視しているキュルケに、その使い魔である霊夢がいよいよ怒ろうとした直前、

 彼女を睨み上げていたルイズはふぅ…と一息ついてから……キュルケの言ゔ命知らずな行為゙をする理由を告げた。

 

「―――ムカつくのよ。ただ単純に」

「………はぁ?何ですって?」

「単純にムカつくって言ってるのよ。あの空の上でふんぞり返ってるレコン・キスタの連中がね」

 キュルケは予想していなかったであろうルイズの口から出た言葉に、思わず自分の耳とルイズの口を疑ってしまう。

 しかしそんな彼女に聞き間違いではないという事を教える為に、ルイズは目を鋭く細めてもう一度言った。

 細めた瞼の隙間から見える鳶色の瞳は気のせいか、キュルケの目には激しい怒りを湛えているかのように見えてしまう。

 そして彼女の言葉はキュルケの傍にいた霊夢や魔理沙にタバサ、そしてギーシュやモンモランシーの耳にも届いていた。

 

「む…ムカつくからってだけで、あの艦隊に戦いを挑もうとしてたの…?」

「ま、まぁ…怒りっぽいルイズらしいと言えば言えるけどね」

「怒りの気持ちで、人はどこまでも強くなれる」

 モンモランシーとギーシュは、どこかルイズらしいその理由に呆れつつも苦笑いし、

 相も変わらず無表情なタバサはポツリと、何処ぞの偉い人が言ったような格言みたいな言葉を呟いた。

 

 一方で、キュルケに敵視されていた霊夢と魔理沙もルイズの告白に反応を見せていた。

「…ここに来て、ようやっとぶちまけてきたわねぇ」

 先ほど露わにしていたキュルケへの怒りはどこへやら、霊夢はやれやれと言いたげに肩を竦めて見せた。

 しかし実際のところ、ここに至るまでやりたい放題やってきた連中を倒す目標としては一番お似合いである。

 本人は家族を助ける為だったりと、アンリエッタの為に戦おうと色々理由付けはしていたが本心では色々とムカついていたのだろう。

(まぁでも、私としてはそれを咎めるつもりはないし…ムカつくから戦り合うってのは至極単純で悪くはないわね)

 霊夢がそんな風にしてぶっちゃけたルイズを見ていると、後ろにいた魔理沙がニヤニヤと笑みを浮かべながら話しかけてきた。

「まぁ良いんじゃないか。そっちの理由の方が流石お前さんを召喚した人間らしいと思うぜ」

「それ、どういう意味よ?」

「いや、別に気が付かないならいいさ。心の中にそっとしまっておいてくれ」

 人を苛つかせる様な二ヤついた顔で意味深な事を呟いた魔理沙に、霊夢はキッと鋭い睨みをお見舞いする。

 しかしそんな睨みは普通の魔法使いには全く利かず、ニヤついた顔を反らしただけに終わった。

 

 そんな風にして五人が様々な反応を見せている間、ルイズとキュルケの話は続いていた。

「ヴァリエール、貴女…さっきのは本気で言っているのかしら?」

「本気に決まってるじゃないの。じゃなきゃアンタになんか自分の本音をぶちまけたりはしないわよ」

 ルイズの睨みに対し、その顔から微笑を消して真剣な表情を浮かばせるキュルケが彼女と口論を始めている。

 二人の間に漂い始めた近づきがたい気配は周囲に散り出し、周りの者たちは皆口が出せない様な雰囲気を作っていく。

 

 

 そんな事露も知らないキュルケは、ルイズの口にした『自分の本音』という言葉を聞いてフンッと鼻で笑いながら言った。

「へぇ…?じゃあ家族を助けるっていうのは単なる口実って事に……」

「誰も口実だなんて言ってないわよツェルプストー!私はねぇ、ちぃ姉様も助ける為にここへ来てるのよ!!」

 自分の言っている事をイマイチ理解できてないであろうキュルケに、ルイズは強く言い返す。

 突然大声で怒鳴ってきた彼女に思わず口をつぐんでしまうものの、すぐに気を取り直して喋り出した。

「……じゃあ何?アンタはここにいる家族の一人を助けて、ついでにムカつくアルビオン艦隊を倒しに来たって事なの?」

「バカだと思うでしょう?無理だと思うでしょう?残念だけと゛、私は大マジメなのよ。ツェルプストー」

 キッチリと自分の今の意思を伝え終えたルイズは、自分と見つめ合うキュルケの表情が変わっていくのをその目で見た。

 真剣な眼差しと真剣な表情が一瞬で変わり、目を丸くさせて信じられないと言いたげな怪訝なモノとなっていく。

 

「どう、分かったでしょう?私はレイムとマリサに誑かされてるワケじゃないって事を」

「……まぁね、大体分かったわ。けれどルイズ、貴女―――変わったわね?」

 両手を小さく横へ広げてハイ話は終わりと言いたげなルイズに、キュルケも肩を竦めながらポツリと呟いた。

 

 キュルケとしては、ただ『ムカつく』から圧倒的すぎる相手と戦おうとするルイズの事が信じられないでいた。

 かつてのルイズは名家であるヴァリエールの生まれでありながら、魔法の才能に恵まれず常にそのことで頭を抱えていた苦悩者。

 多少怒りっぽいところと高いプライドが珠に瑕であったが、それでも一人の貴族としては彼女ほど出来た者は二年生には指で数える程しかいない。

 魔法では勝てても乗馬の技術や運動神経ではあと一歩の差を空けられ、座学に関しては自分よりも一歩も二歩も先を歩いている。

 『土くれのフーケ』のゴーレムと戦った時の様な発作的な無茶をする時はあったが、基本的には体と頭が同時に動くのがルイズであった。

 例えるならば自分は頭よりも先に体が動き、タバサは体より先に頭が動く。しかしルイズは頭で考えつつ体も的確に動かしていく。

 もしも魔法の無い世界で生まれていたのならば、彼女…ルイズは天才と呼ばれる人間にまで成り上がっていたかもしれない。

 

 少なくとも自分のライバルとして彼女の右に出る者はいないだろう。キュルケは今までそう思っている。

 だからこそこれまでツェルプストーの者として彼女を馬鹿にしてきたものの、基本的には良きライバルとして彼女を見ていた。

 もしもルイズがまともな魔法が使えるようになった時、いつかは決闘を申し込んでみたいと望んでいる程度に…。

 

 しかし今目の前にいるルイズは、少なくとも自分が見知ってきていた彼女とは何処か別人のように見えていた。

 戦地に取り残された家族を助ける為に…というのならともかく、ただ単純に『ムカつく』からアルビオンの艦隊を戦おうとする無茶振り。

 だがそれを宣言してくれた彼女の怒りは驚くほど冷静であった。いつもなら火山が噴火するかの如く怒り散らすあのルイズが。

 

 無論性格は自分が知っているままだ。だけども、今の彼女ば何かに影響されている゙かのように自らの感情に従いつつ冷静に動いている。

 自分に悪口を言われて突っかかった時や、フーケのゴーレムに単身挑んだ時のような発作的な怒りではない。

 まるで我に必勝の策ありとでも言いたいかのような、そんな絶対的な『強気』を今のルイズから僅かに感じられるのだ。 

 ……では一体、何が彼女をここまで強気にさせているのか?キュルケは無性にそれが気になって仕方が無かった。

「ねぇルイズ、一つ聞いても良いかしら?」

「あによ。もうアンタに今話す事は話し終えたと思うけど?」

 一度気になれば聞かざるを得ない。そう思ったキュルケは喋り終えて一息ついていたルイズに再び話しかける。

 ルイズもルイズでまた話しかけてきたキュルケに軽くうんざりしつつも、彼女の質問に付き合う事にした。

 

「一つ聞くけど……貴女がそこまであの艦隊を倒すって言って聞かないのなら―――当然あるんでしょう?」

「……何がよ?」

「あのアルビオン艦隊を倒すことのできる、俗に゙必勝の策゙ってヤツ」

 ほんの少しもったいぶってからルイズにそう告げたキュルケの顔には、笑みが戻っていた。

 それはルイズを小馬鹿にする類のものではなく、いつか話のタネになりそうな面白そうな事を見つけた時の笑顔。

 ヒマを持て余していた荒くれ者が、美しい女を見つけた時の様な無邪気と邪悪が入り混じったようなそんなニヤついた表情である。

 

 

 それを顔に浮かべたキュルケの質問にルイズはほんの少し顔を俯かせ――――勢いよくバッと上げた。

 何処か邪悪なキュルケの笑みにも負けぬと言わんばかりの、ドヤ顔をその顔に貼り付かせて。

 まるで咄嗟に思いついた計画が思い通りに行くと信じて仕方がない盗人が浮かべるような、確固たる自信に満ち溢れた表情であった。

 

「――――ある。それも、゙出来立てホヤホヤ゙の必勝の策がね」

 彼女の言葉は表情と同じくらい、あるいはそれ以上の自信に満ち溢れている。

 はたしてそれが本当に成功するのかどうか分からない…しかも本人いわぐ出来たてホヤホヤ゙と豪語した。

 本来作戦というモノはある程度の時間を掛けて練り上げ、修正していく事で限りなく完璧な作戦へと仕上がっていくものだ。 

 だからこそ、ルイズの言う゛出来たてホヤホヤ゙という急造の作戦が上手く行くかどうか分からなかったか。

「へぇ、そうなの…―――成程、貴女も言うようになってきたじゃないの」

 しかし、キュルケは変な確信をここに来て持ち始めていた。彼女が提案した作戦が上手く行くという確信を。

 それがどこから来たのかは分からない。しかし今のルイズにはそれを実行に移し、成功へと導くだけの力があるように思えてしまう。

 否、思えて仕方がないと言えば良いだろうか。とにかく、キュルケは先ほどとは違いルイズの評価を大きく変えていた。

 

 本当は色んな隠し事をしているルイズの後を追って、こんな危険な場所へと突撃し、

 そして今度は無謀な戦いを行おうとした彼女を止めようとしたキュルケは…ここに来て新しくその目標を変えた。

「面白い。…だったら、貴女の言う作戦とやらに私達も混ぜさせてもらえないかしら?」

「えぇっ!ちょ…ちょっとキュルケ!?アンタ一体どういうつもりなのよ!」

 ルイズと同じく自身満々な笑みを浮かべてそう宣言したキュルケに叫んできたのは、モンモランシーであった。

 てっきりルイズを止めてくれるかと思いきや、何があったが急に彼女と同調してしまったのを見て驚きを隠せないでいる。

「聞いた通りよ。何だかルイズには必勝の策とやらがあるから、それを見てみたいな~って思っただけよ」

「そんないい加減な…!だからって君は、何も僕達まで巻き込まなくても良いんじゃないかね?」

「まぁ私も無理に誘っちゃった事もあるしね、何ならタバサに頼んで安全な所まで逃げれば良いんじゃないの?」

 モンモランシーに続いてギーシュも非難めいた言葉を放つが、キュルケの顔には反省の意思は浮かんでいない。

 それどころか妙に開き直った様子で腰を手を当てると、ギーシュたちに向けて別付き合わなくても良いという主旨の言葉さえ口に出した。

 

 しかし、平民ならばまだしもトリステイン貴族の二人…特にギーシュにその言葉は意外と効いたのか、

 少し悩むように顔をうつむかせた後、彼は怯えを隠し切れぬ顔を上げて首を横に振った。

 

 

「いや…そ、それはできないぞ!僕だってトリステイン王国の貴族だ、戦ってもいない敵に背中を見せて逃げる事はできないぞぉ!」

 半ば自暴自棄が入ったその叫びと共に腰に差していた薔薇の造花を付けた杖を手に取り、バッと上空の『レキシントン』号へと向ける。 

 それは彼なりの意思表示と言うやつなのだろう、ともあれ半端ではあるがそれなりの覚悟を決めたギーシュにキュルケは「上出来じゃない」と笑った。

「ちょ…ちょっとちょっと!ギーシュまで何やってるのよ!」

 一方のモンモランシーはあっさりと意思を変えたギーシュに掴みかかったが、ギーシュは戦々恐々としながらも自分の考えを喋っていく。

「ご、御免よモンモランシー…けれども、あのルイズが戦うって言ってるんだ。それなのに男の僕が逃げてはグラモンの名が廃れてしまう…」

「そういう事よ。さっきも言ったけど、別に強制はしてないわ。生き残るって事も立派な戦いの内…ってよく言うじゃない」

 自分のガールフレンドに言い訳をするギーシュの肩を軽く叩きながらも、キュルケはどちらかを選ぶよう勧めている。

 このままタバサに頼んで安全圏まで非難するか、それともギーシュと残って圧倒的な敵と戦うかの二つに一つしか選べぬ選択。

 ひとまずギーシュのシャツの襟を掴んでいた両手を離したモンモランシーは、少し考えたところでタバサに向かって話しかけた。

 

「タバサ、アンタはどうす…」

「私はどっちでも構わない。…だけど、キュルケが残るのなら私も残る」

 ―――退路は絶たれた。頭を抱えたい事実にモンモランシーは悔しそうな表情を浮かべ、ため息をついてしまう。

 確かに逃げたいのは山々だ。けれども、皆が残るという中で自分だけ逃げるのは…人として、貴族として腰が引けてしまうのだ。

 

「さてと、そろそろ時間も無いようですし答えを聞かせて貰おうかしら?」

 更に悩んでいる所へ追い打ちをかけるようにして返答を促してくるキュルケ。

 もはや悩んでいる暇はない。断崖絶壁から飛び降りるような気持ちで、モンモランシーは目を瞑って叫んだ。

「良いわよ!やってやろうじゃないの!?どうせ乗り掛かった船よ、最後まで突きあってあげるわよォッ!」

 もはやヤケクソとしか言いようの無いモンモランシーの意思表示に彼氏のギーシュはたじろぎ、キュルケは「最高ね!」とコロコロ笑った。

 それを離れた所から見ていたタバサはホッと小さなため息をついて、後ろで休んでいたシルフィードに目配せをする。

 ―――準備しておいて。主からのサインと判断した幼き風竜は「キュイ」と短く鳴いて、コクリと頷いて見せた。

 

 ひとしきり笑った所で、キュルケは自分の後ろで様子を見ていたルイズ達三人の方へと振り返った。

「さてと、これで全員参加だけど、アンタの言う作戦が少人数で事足りるって事あるワケないわよね」

「…キュルケ。何で今更になって手助けしてくれるのかしら?」

「何で…って?そりゃ貴女アレよ、私の性格と家名を知ってれば自ずと答えが出てくるってヤツよ」

 キュルケからの確認を質問で返してきたルイズに、キュルケは考える素振りも見せずにそう答えた。

 しかしそれでもイマイチ分からなかったのか、不思議そうに小首を傾げるルイズを見て彼女は説明していく。

 

「私はツェルプストー。常にヴァリエール家のライバルとして、その隣で生きてきた。

 領地も隣り、そして所有する農場や牧場も隣で保有している兵力の数で争っているそんな仲。

 ヴァリエールの事なら何でも知っているし、知らない事があってはならない。戦じゃあ情報も大切だしね。

 だから私も知らなきゃいけないのよ。そこの紅白ちゃんを召喚して以来、変わってしまった貴女の事を…ね?」

 

 さいごの「ね?」の所で軽くウインクして見せたキュルケを見て、ルイズは感動と軽い怯えを感じていた。

「そ、それってつまり…アレよね?俗にいうストー…」

「はいはい、これ以上話してる時間は無いでしょうに。とっとと始めちゃいましょう」

 あと少しでキュルケを怒らせそうになった言葉を言いかけたルイズを遮りつつ、彼女の後ろにいた霊夢が大声を上げる、

 霊夢としては空気を読んで止めたワケではなかったものの、彼女が言うように残された時間は少ない。

 頭上を見上げてみれば、もうすぐあの『レキシントン』号が頭上を通過してくるほどまでに近づいてきている。

 

「おぉ~おぉ~、コイツはでかいな!こんなに大きいのなら、潰し甲斐があるってモンだぜ」

「言うのは簡単だけどさ…、いざこうして間近で見てみると中々迫力があるわね」

 近づいてくる巨大戦艦を暢気に見上げる魔理沙と、場違いな発言をする霊夢の二人は既に戦闘態勢を整えていた。

 魔理沙はいつでも箒に乗って飛べるように身構えており、霊夢も万全とはいえないもののある程度体力を取り戻している。

『レイム、分かってるとは思うが『ガンダールヴ』の能力を使うのは流石に無理そうだけど…いけるか?』

「私を誰だと思ってるのよ。地上では散々剣を振るったけど…次は私の十八番で戦うから問題ないわ」

 デルフの言うように『ガンダールヴ』能力は使えないが、恐らく次の戦い舞台はあの戦艦の周囲――つまりは空中。

 地上からでも既に随伴している竜騎士の姿が見えており、艦隊の間を縫うようにして飛び回っている。

 

 

「大物にほどよい小物…こりゃ間違いなくハードだが楽しいステージになりそうだな」

「とりあえず、あの竜に乗ってるのは人間だろうし…何だか面倒な事になりそうね」

 二人して、向こうから迫りくる戦いに気合を入れていざ飛び立とうとした―――その時であった。

 

 

「ちょっと待ちなさい二人とも。悪いけど、突撃はちょっと待ってくれないかしら」

「えッ?」

 いざ地面を蹴ろうとしたその時になって、こちらに背中を向けていたルイズが制止したのである。

 突然の事に霊夢は思わず体の動きを止めて、何やら鞄を漁っているルイズの方へと視線を向けた。

 魔理沙の方は既に箒で宙を浮いていたものの足が地に付くギリギリの高度を保ちながら、止めてきたルイズへと声を掛ける。

「お?何だ何だ?どうしたんだよルイズ。私達でアレを相手にするんじゃな無かったのか?」

「まぁ確かに、最初の作戦の時はストレートにそれで行くつもりだったけど…ちょっと試してみたい事ができたのよ」

 急にそんな事を言ってきた彼女に霊夢と魔理沙はおろか、キュルケ達も思わず不思議そうな表情を浮かべてしまう。

 ついで霊夢たちがやろうとした事をルイズがサラッと認めた事に、思わずギーシュとモンモランシーはその顔が青くなった。

 

「何だろうね?ルイズの言う「試してみたい事」って」

「さぁ、分かるワケないでしょうに。―――まぁ、正面突破よりかはマシだと祈りたいけどね」

 純粋に不思議がっているギーシュとは対照的に、どこか投げ槍的なモンモランシーは先ほど飛び上がろうとした霊夢達を思い出して身震いした。

 いくらなんでもあの二人が異様に強い力を持っているとしても、無数の竜騎士とアルビオン艦隊へ突っ込む事なんて考えてもいなかったのだ。

 例えるならば、ちょっと戦える程度の強いメイジが「今ならだれでも倒せる筈!」と叫んで、エルフたちのいるサハラへ突っ込むようなものである。

 そんな恐ろしい例えが頭の中へ浮かんだ時に、丁度突っ込もうとした二人の内黒白の方が話しかけてきた。

「お、どうしたんだよそんなに身震いさせて?風邪でもひいたのか」

「別に風邪とかひいてないわ。むしろ平気な顔して突っ込もうとしたアンタたちの方が、何かの病気なんじゃないの?」

「生憎だが、私は健康的な魔法使い生活をしてるから。そういう心配は御無用だぜ」

 ――――そういうことじゃ無いっての!心の中で叫びつつも、モンモランシーは勘違いしている魔理沙をキッと睨む。

 そして、ルイズの言う「試したい事」が自分たちにとって安全なものでありますようにとひたすら願っていた。

 

 その一方で、霊夢はゴソゴソと鞄を漁っているルイズにキュルケと一緒になって問い詰めていた。

「で、どういう事なのよ?『試してみたい事』って…私はそんなの聞いてないんだけど?」

「まぁ確かに、アンタには話してないわね。…けれどまぁ、何て話して良いのやら…」

 いざ参る!というところで止められた霊夢はやる気を削がれてしまったのか、気怠そうな表情をルイズを睨んでいる。

 一方のルイズも、その『試したい事』をどういう風に説明すればいいのか悩んでいた。

「ふ~ん…ってことはつまり、貴女が言った「試したい事」って即ぢさっき言ってたら゙出来たてホヤホヤの作戦゙の事ね?」

「はぁ?何よソレ。折角好き放題やってた連中の鼻頭を叩き折ろうって時に、わざわざ水を差すだなんて…どういう了見よ」

「伝達ミスによる指揮系統の混乱」

 そんな二人の間に割って入るようにしてキュルケがおり、彼女の隣にはようやっとこっちへ来たタバサもいる。

 二人は霊夢と魔理沙は知らず、ルイズだけが知っているその「試したい事」が…彼女が先ほど言っていだ出来たてほやほやの作戦゙なのではと察していた。

「まぁそう怒るもんじゃないわよ紅白ちゃん?で、ルイズ…貴女の言う「試したい事」で、私達はなにをすれば良いのかしら?」

 一方のキュルケは内心突撃を敢行しようとした好敵手が一歩手前で止まってくれたことに、内心ホッと一息ついている。

 いくら今のルイズが恐ろしいくらい勝ち気だからといって、敵のど真ん中へ突っ込むなんて命がいくつあっても足りないだろうからだ。

 だから突撃をやめた事に関して特に何も言うことなく、ルイズがこれからしようとしている事を笑顔で見守っている。

 何をするかによっては自分も手伝うという意気込みを交えながら、鞄を漁り続ける彼女に話しかけたのである。

 

 だが、話しかけてきたキュルケに対してルイズが返した言葉は予想外のモノであった。

「いや、多分これは…ワタシ一人で出来ると思うから、周囲に敵が来ないかだけ見てくれれば良いわ」

 鞄を漁っていた手を止め、中に入れていたであろう道具を一つずつ両手で取り出したルイズからの返答に、キュルケ達は驚いた。

 無理もないだろう。彼女が言った事を解釈すれば――あの魔法が使えない『ゼロ』ルイズが、一人でアルビオン艦隊を止めて見せる。という事なのである。

 まだ霊夢や魔理沙…それに協力を申し出たキュルケやタバサ達の力を借りれば、一桁であっても勝率と言うものはあるかもしれない。

 だが彼女はそれを自らの手で大丈夫といって跳ね除けた。一桁だった勝率を限りなくゼロにまで下げる行為を、いとも容易く行ったのである。

 

「ちょ…ちょっと、馬鹿言いなさいなルイズ!いくら何でも、貴女一人だけじゃあ…」

「そうよルイズ!いくら失敗魔法が爆発だからって、空の上にいる戦艦を撃ち落とそうとか考えてるんじゃないでしょうね!?」

 すかさずキュルケとモンモランシーが、とち狂った(ようにしか見えない)ルイズを再び説得し始めた。

 その二人に背中を向けているルイズは「…うん」や「そうだけど…」と先程の威勢の良さはどこへやら、歯切れの悪い相槌を打っている。

 しかし…そんな相槌を繰り返す裏で、彼女は右手で鞄から取り出していた指輪を左手の薬指にゆっくりと嵌めていく。

 指輪に台座に嵌った宝石は、まるで澄んだ海の水をそのまま固めたような青く神秘的な輝きを放っている。

「モンモランシーの言うとおりだよルイズ。『レキシントン』号クラスの戦艦じゃあ…ちょっとやそっとの爆発じゃ大したダメージにはならないぞ!」

「………?」

 自分のガールフレンドに同調するかのようなギーシュの隣にいたタバサは、この時ルイズが指にはめた指輪の事に気が付いた。

 そして、彼女の左腕には…同じく鞄へ入れていたであろう古ぼけた一冊の本が抱えられている事にも。

 まるでお化け屋敷の中で拾って来たかのような、誰からも忘れ去られて朽ちていくしかない現れな運命に晒された一冊。

 そんな本をまるで腹を痛めて産んだ我が子の様に腕で抱えているルイズの姿は、タバサの目には何処か奇妙に映っていた。

 

 そして…素っ頓狂な事を口にしたルイズに、当然の如く霊夢と魔理沙の二人も反応していた。

 何せ、正々堂々と突っ込もうとした矢先に急に止めに入られたかと思いきや――今度は自分一人で倒してみるという始末。

 別にこの二人でなくとも、気が狂ったとしか思えないルイズにちょっと待てと言いたくなるのも無理はないだろう。

「ちょっとアンタ、馬鹿にしてはいないけどさぁ、…何処かで頭でも打ってるんじゃないの?」

「それを言うなら、毎度毎度トチ狂ったような弾幕をヒョイヒョイと避けてるお前さんのも相当なモンだぜ?」

『このバカッ!今はそんな事いってる場合じゃねぇだろ。…にしても一体どうしたってんだ娘っ子、急にあんな事言うなんてよぉ?』

 霊夢と魔理沙だけではなく、デルフからも問い詰められてから、ルイズはようやっとその顔皆の方へと向ける。

 目前に迫りつつあるアルビオン艦隊を倒せると豪語し、今度はソレを他人ではなく自分の力だけで倒して見せるという狂言を放ったルイズ。

 ついさっきまで、皆に背中を向けて何かをしていた彼女の顔には――――二つの表情が入り混じっていた。

 まるで十六歳まで平和に生きていた少女が、ある日天からの導きで始祖の生まれ変わりだと告げられたかのような…信じられないという驚愕。 

 そして自らの始祖の力を用いて、これから多くの人たちをその力で導かなくてはいけないという――否応なしに受け入れるしかない決意。

 

 二つの表情が入り混じり、どこか泣き笑いか苦笑いとも取れる表情を見せるルイズは霊夢達に向かって口を開いた。

「レイム―――信じてくれないだろうけどさぁ?……あの吸血鬼の言葉、本当に当たってたみたい」

 そう言ってルイズは、左腕に抱えていたボロボロの本―――『始祖の祈祷書』を右手に持ち、左手でページをゆっくりとひらいていく。

 青い宝石の指輪―――『水のルビー』を嵌めた左手で、触れただけで壊れてしまいそうなその本のページをひらいた直後―――

 

 まるでこの時を待っていたかのように…『水のルビー』と『始祖の祈祷書』が眩く光り出したのである。

 

 

 

「何、ワルド子爵が戻ってこんだと…?」

 空いた手持ちのグラスに、秘蔵のワインを注いだばかりのジョンストンは伝令が伝えに来た情報に首を傾げた。

 先程帰還した偵察の竜騎士隊から伝令を承った水兵は、お飾りの司令長官の言葉に「ハッ!」と声を上げて報告を続ける。

「偵察隊の一員として加わったワルド子爵は、他の者たちが気づいた時には姿を消していたとのことです!」

「んぅ…、一体どういう事だ?誰も子爵が消えた所を見ていないというのか」

「それに関しては、子爵は竜の調子が悪いと言って最後列を飛んでいた為に確認が遅れたとのこと!」

「成程、……まぁ良い。子爵も祖国への情が湧いたのだろう、放っておきなさい……ンッ」

 一水兵として、模範的な敬礼を崩さぬまま報告する若き水兵とは対照的なジョンストンはそう言って、グラスに注いだワインを飲み始めた。

 既に酔っているのか彼の頬はほんのりと赤く染まっており、水兵の鼻は彼の体から仄かなアルコールの臭いを嗅ぎ取っている。

 

 グラスに並々注いでいたワインの半分を一気に飲み込んだジョンストンは、そこでグラスを口から離した。

 「プハァッ…!」と場末の酒場で仕事の後のワインを煽る労働者の様な酒臭い息を吐いて、伝令に話しかける。

「この状況、もはや子爵一人裏切っただけでは戦況など覆らん!我々を止めるモノなど一人もおらんからな!」

「りょ…了解しました!伝令は以上です!」 

 半ば酔っぱらっているジョンストンに怯みながらも、伝令は最敬礼した後自分の持ち場へと戻っていく。

 まだまだ入って間もない若者の背中を見ながら、赤ら顔の司令長官はブツブツと独り言を呟きながら残ったワインをちびちびと飲み始めた。

 

「全く、これだから外国人は…何を考えているかわからんわい…まぁよい、これでワシは…閣下に英雄として称えられて…フフフ…」

  既に酔いの段階が爽快期に突入しているジョンストンの姿は、『レキシントン』号の甲板の上では異様な存在に見える。

 事実周りでキビキビと動きまわる水兵や下士官、士官や出撃直前の竜騎士たちは彼を奇異な目で見つめていた。

 そんな中でただ一人、『レキシントン』号の艦長でボーウッドはお飾りの司令長官に背を向けてただひたすらに夜空を見ている。

 彼の思考は既にこの艦隊の進む先にいるであろう敵――ゴンドアで籠城するトリステイン軍とどう戦うか、その方法を練っている最中であった。

「…その報告は確かか?」

「はい、偵察から帰ってきた竜騎士の話によれば間違いなく王軍の増援が来ているとの事です」

 ジョンストンへ報告した者とは別の水兵が、ジッと夜空を見つめているボーウッドに淡々と報告していく。

 ワルド子爵がいなくなった後も偵察隊は任務を続行し、見事その務めを果たしていた。

「ふぅむ…、街で縮こまっているというトリステイン艦隊が死にもの狂い攻撃してくれば、こちらも無傷で勝てるという戦いではないな…」

 果たしてこの艦を含めて、何隻生き残るか…。心の中で呟きながら、彼はようやく背後で酔っている司令長官の方へと視線を向けた。

 

 トリステイン艦隊がゴンドアで縮こまり、キメラにより止むを得ず撤退した地上軍からの攻撃も無い故に順調な進軍。

 最初の交戦で何隻か失ったものの、未だ神聖アルビオン共和国の艦隊が今この周辺にいる戦力の中で最も強い事は変わっておらず、

 有頂天になったジョンスントンは先ほどの進軍開始の合図として打ち上げた花火で更にテンションを上げてしまい、とうとうワインを飲み始めたのである。

 最初こそそれを諌める者はいたが、あろうことか彼は杖を抜いて「司令長官のささやかな一杯に口出しする気か!」と逆上したのだ。

 こうなっては誰も止める者はおらずボーウッドも、そのまま酔っていてくれれば作戦に口出ししてくる事はないと放置している。

 

(まぁ最も、トリステイン軍との交戦が開始したら…酔いなど吹っ飛んでしまうだろうけどな)

 精々今の内に喜んでいるといい。軽蔑の眼差しを司令長官殿に向けながら、ボーウッドが心の中で呟いた直後―――

 『レキシントン』号の見張り台から、地上の様子を見張っていた水兵が双眼鏡を片手に大声を上げた。

 

「タルブ村の高台にて、謎の発光を確認!繰り返す、謎の発光を確認!」

 

 

 ルイズの指に嵌められた『水のルビー』と、古ぼけた『始祖の祈祷書』。

 彼女が鞄の中にこっそりしまっていたとのステイン王家の秘宝が、まるで地平線から顔を出す太陽の様に眩い輝きを放っている。

 あまりにも激しいその輝きは、当然の様に周囲にいる者たちの目を容赦なく眩ませていく。

「ちょ…!?ちょっと、ちょっと!今度は何?何が起きてるのよ!?」

 突如、ルイズの手元から迸った激しい光にモンモランシーは手で目を隠しながら悲鳴を上げた。

 しかし彼女の疑問に答える者は誰もいない。いや、正確に言えば皆が皆それに答える程の余裕が無かったと言えばいいか。

 ギーシュとキュルケも彼女と同じように突然の光に目が眩み、あのタバサさえも目を瞑って顔を光から反らしている。

 シルフィードは器用に前足で顔を隠して、きゅいきゅいきゅい~!?と素っ頓狂な鳴き声で喚いていた。

 

「うぉっ!眩しッ…っていうか、何だこりゃッ!?」

「くっ…ルイズ、アンタ…!」

 そして霊夢と魔理沙の二人もまたルイズが手にした二つの秘宝から発する光に目をつむるほかなかった。

 だが、それでも光は防ぎきれず魔理沙は両腕で目を隠したうえで更に顔まで反らしている。

 霊夢もこの黒白に倣って同じような事をしたかったが、それを敢えて我慢して彼女はルイズの様子を見守っていた。

 それは彼女が先ほど…『始祖の祈祷書』と呼ばれていたあのボロボロの本を開く前に呟いた言葉が気になったからである。 

 

 ――――……あの吸血鬼の言葉、本当に当たってたみたい

 

(あの吸血鬼…もしかして、レミリアの事?)

 久々に聞いた様な気がする紅魔館の幼き主人の名前が、ルイズの口から出たのには少し驚いてしまった。

 そして思い出す。かつて彼女と共に一度幻想郷へと帰ってきた際の集会で、あの吸血鬼――レミリア・スカーレットが言っていた事を。

 

 ――霊夢の左手には貴方達の種族が『伝説』と呼んで崇める存在が使役した使い魔のルーンが刻まれているんでしょう?

     という事は、貴女にはそいつと同等の力をもっているという事じゃないかしら。貴女がそれを自覚していないだけで

 

 かつてこの地に降臨し、この世界を作り上げた始祖ブリミル。その始祖が使役した四つの使い魔の内『神の左手』ガンダールヴ。

 そのルーンは今や霊夢の左手の甲に刻まれ、かつては千の敵を屠ったという力でワルドとも互角に渡り合えた力。

 そして…そのルーンを持つ霊夢――ーひいては使い魔を使役するルイズは、つまり―――――…。

 レミリアの言葉を思い出して、思考の波へ埋もれかけた霊夢はハッとした表情を浮かべると首を横に振る。

(でも…ルイズの事と今の光には何の関係が――――…ん?)

 霊夢が心の中で呟いていた最中、それまで周囲を乱暴に照らしていた光がスゥ…と小さくなり始めた。

 まるで東から昇ってくる太陽が、ゆっくと西の空へと沈んでいくかのように光はゆっくりとその激しさを失っていく。 

 そして一分と経たぬうちにあんなに激しく迸っていた乱暴な光は姿をひそめ、それに気づいたキュルケ達がようやっと目を空けられるようになった。

 

「な、何だったのよ今のはぁ~…?」

「さ、さぁ…。けれど、ルイズが手に持っている本から光が出てきた様に僕には見えたが…」

 もうウンザリだと顔で叫んでいるモンモランシーが落ち込んだ声で放った質問に、未だ困惑から抜け出せないギーシュが曖昧に答える。

 彼の言ゔ光の源゙であろう『始祖の祈祷書』は今や、ルイズの顔を寂しく照らす程度の光しか放っていない。

 それでも、ページが光っているだけでもボロボロの本は今やその見た目以上の価値を持っている事は明らかであろう。

「ちょっとちょっと…!ヴァリエール、今の光は何なのよ?…っていうか、その光ってる本は一体…」

「う~ん…ちょっと待って頂戴キュルケ。…こればっかりは、私もどう説明したら良いか…――――ん?」

 光が収まった事でようやく目をつむるのをやめたキュルケが、真っ先にルイズへ質問する。

 しかし、光を発した二つの道具をカバンから取り出したルイズもいまいち把握してない様な事を言おうとしたとき、その表情が変わった。

 眩い光を放った二つの秘宝の内の一つ―――『始祖の祈祷書』の開いたページ光に目がいったのである。

 否、正確に言えば何も書かれていなかったページに現れていた『発光する文字』に。

「何…?これ?」

 本来なら結婚するアンリエッタ王女とゲルマニアの皇帝へ送る詔を清書するために用意された白紙のページ。

 ゴワゴワで少しページの端を引っ張っても破れてしまいそうな紙の上に、光文字がいつの間にか綴られていたのである。

 しかも光っている事を抜きにその文字は、普段ルイズたちが目にするどの文字とも似て非なるものであった。

 

 ルイズの怪訝な言葉に気付いたのか、ルイズが左手に持っている『始祖の祈祷書』のページを横から見た。

「ん…?ちょっと待って!…これってもしかして……文字が光ってるの?」

 一番近くにいたキュルケが声を上げると、モンモランシーや霊夢達も何だ何だと周囲に集まってきた。

「えぇ、ちょ…何よ?このボロボロの本はマジックアイテムか何かっていうの?っていうか、何で光ってるの?」

「いや、だから僕に聞かれても答えようが…」

 モンモランシーの目から見て使い方も分からないそのボロボロの本が見せた意外な一面に驚き、

 彼女に次々と疑問を吹っかけられているギーシュは首を横に振りながら、ただただ呆然とした表情で祈祷書を見つめている。

「おっ?ルイズ、これってお前が中々出来なかったて言ってた詔か?中々良さそうじゃないか。全然読めないがな」

「違うわよこの黒白!」

「今は魔理沙の事なんか放っておきなさい。で、ルイズ…これって一体どういう事なのよ?急にあのボロボロな本がこんな事になるなんて」

 魔理沙は魔理沙で何かを勘違いしているのか、的外れな感想でルイズを怒らせていた。

 そんな二人の間に割り込む形で霊夢がルイズの前に出て、彼女に何が起こったのかを聞こうとする。

 ルイズは一瞬言葉を詰まらせるものの、やがて決心がついたのかフゥッと一息ついてから淡々と話し始めた。

 

「レイム…それがちょっと、私にも良く分からないのよ。…さっき気絶している時に変な夢で誰かが『指輪を嵌めて、祈祷書を開け』って…」

「気絶しているときに見た夢?あぁ、ワルドに攫われた後の事ね」

「何、何々?何か面白そうな話が聞けそうな気がするんだけど?」

 ルイズの言う事に心当たりのあった霊夢がその時の事を思い出し、キュルケのレーダーが二人の話に気を取られた時…

 霊夢の少しだけ蚊帳の外にいたタバサがルイズの持つ『始祖の祈祷書』のページへと目を向けると、ポツリと呟いた。

 

 

「これ…もしかして古代のルーン文字…?」

 タバサの言葉に祈祷書を持っていたルイズは再びページへと目をやり、コクリと頷いた。

 彼女の言うとおり、ページの上で光る見慣れぬ文字は全て古代の人々が文字として使っていたルーン文字である。

「確かにそうだわ…これって大昔…つまり私達のご先祖様が使ってたっていう文字だわ」

「古代ルーン文字って…ちょっとちょっと、何で貴女がそんなスゴイモノを持ってるのよ?」

「おいおい何だ。詔かと思ったら、これまた随分とスゴイものが書かれていたじゃないか!」

 マジック・アイテムの蒐集が趣味である魔理沙はここぞとばかりに目を輝かせている。

 何せ魔導書にもなりそうにないボロボロの本が一変して、古代の貴重な文明の一端を記しているマジックアイテムへと早変わりしたのだから。

 

 

 

 黒白が喜んでいる一方でルイズはゆっくりと、人差し指で文字を追いながらゆっくりと読み始めた。

 幸いにも古代史の授業をしっかりと真面目に受けていた事と、祈祷書に書かれている文字の状態が良かったからなのだろう。 

「『…序文。これより我が知りし真理をこの書に記す。』…」

 その一文と共に、ルイズは自らの世界にのめり込んでいく幼子の様に祈祷書の文字を読んでいく。

 背中で見守る知り合いたちを余所に、…そして唯の一人険しい表情で自分の背中を見つめている霊夢の事など露知らずに…。

 

 ―――この世のすべての物質は、小さな粒より為る。

 ――――四の系統はその小さな粒に干渉し、かつ影響を与え、変化せしめる呪文なり。

 ―――――その四つの系統は、『火』『水』『風』『土』と為す。

 

「つ、つまりどういう事なんだい…?」

「私達がいつも使ってる魔法は、この世界にある小さな粒を刺激して行使できてるって事を書いてるのよ?」

 分かりなさいスカポンタン。イマイチ分かっていないギーシュに、マジメに聞いているモンモランシーが文句と共に補足する。

 そんな二人をよそに、ルイズははやる気持ちを何とか抑えて次のページを捲っていく。

「っていうか、何でこんなボロボロの本なんかにそんな御大層なことが書かれてるのよ?」

「それは、すぐに分かると思う」

 キュルケが最もな疑問を口にし、タバサはそれに短く答えつつもルイズの横に立って文字を目で追っていた。

 一方のルイズはまるで耳が聞こえなくなったかのように周囲の喧騒に惑わされる事無く、祈祷書の内容を読んでいる。

 

 ―――神は我に更なる力を与えてくれた。

 ――――四の系統が影響を与えし小さな粒は、更に小さな粒より為る。

 ―――――神が我に与えし系統は、四の何れにも属せず。

 ――――――我が系統は更なる小さき粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。

 

「……゙我が系統゙?つまりコレを書き残したヤツってのは四系統の魔法よりも更に上位の魔法使…メイジだったって事か」

 ルイズが読む『始祖の祈祷書』を聞いていくうちに、最初はおちゃらけていた魔理沙も真剣な表情へと変わっている。

 本の状態から考えてこの著者が存命していたのは大昔―――それも、人間なら気の遠くなる程の。

 そんな大昔にこの分を後世の者達へ遺して死んでいった者は、なんの意図を込めているのだろうか?

 魔理沙の頭の中に浮かんだ知的好奇心はしかし、祈祷書を読むルイズによって解決されてしまう。

 

 ―――――四にあらざれば零。

 ――――――零すなわちこれ『虚無』。

 ―――――――我は神が我に与えし零を『虚無の系統』と名づけん。

 

 ルイズの口からその一節が言葉として出てきた瞬間、四人のメイジは一斉の目を丸くした。

 まるでジグソーパズルのピースのように、前の一節と合致するその文章。

 平民すら知っているこの世界でメイジが仕える四つの系統魔法に属さぬ、もう一つの魔法。

 その実態は果てしなく遠い過去へ取り残され、今や誰もその正体すら知らぬ謎のベールに包まれている『五つ目の系統』。

 かつてこの地に降臨した始祖ブリミルしか使いこなせなかったと言われ、神の力とも呼ばれた『虚無』

 

 

「ねぇギーシュ?今、虚無の系統ってルイズ言ったわよね?」

「あ、あぁ…僕も聞いたよ間違いない」

 目を丸くしたモンモランシーは、同じような目をしたギーシュに自分の聞き間違いでないかどうかを確認している。

 タバサは無言であったもののその口はほんの少し開かれ、丸くなった目と合わせてどこか間抜けな表情を浮かべていた。

 そしてキュルケは、突然光る文字が現れ、伝説の系統が書かれていたそのボロボロの本と、それを持っていたルイズを交互に見比べている。

 

 先程まで成長したなと感心し、手で触れるもののほんのちょびっとだけ離れた彼女が、一気に手の届かぬところへ行ってしまったかの様な喪失感。

 今、光文字で覆い尽くされた古びた羊皮紙の本へと視線を向ける彼女の背中は、まるでルイズとは思えぬ程別人に見えてしまう。

 ルイズのライバルであり、常に彼女の隣りに付き纏う筈だった自分は、とっくの昔に置いて行かれてしまっていたのだろうか?

「ルイズ、貴女は一体…」 

 キュルケが何かを言おうとする前に、ルイズは更にページを捲って新しい文を読み始める。

 まるでそれが今の自分がするべき使命だと感じているかのように、キュルケの声は届いていない。

 ただ、己の鼓動だけがやたらと大きく聞こえた。 

 

―――これを読みし者は、我の行いと理想と目標を受け継ぐ者なり。

――――またそのための力を担いしものなり。『虚無』を扱う者はこころせよ。

―――――志半ばで倒れし我とその同胞のため、異教に奪われし『聖地』を取り戻すべく努力せよ。

――――――『虚無』は強力なり、また、その詠唱は永きにわたり、多大な精神力を消耗する。

―――――――詠唱者は注意せよ。時として『虚無』はその強力により命を削る。

 

―――したがって我はこの書の読み手を選ぶ

――――たとえ資格なき者が指輪を嵌めても、この書は開かれぬ。

―――――選ばれし読み手は『四の系統の指輪』を嵌めよ。さればこの書は開かれん。

 

 

 そこまで読んだところで、ルイズは深呼吸をした。

 まるで戴冠式に臨む王位継承者のように、自分を待ち受けているだろう運命を想像したときのように…。

 そして自分の言葉一つで国の生き死にを左右する程の力を得る事の覚悟を、受け入れるかのように――――

 深く、そして長い深呼吸の末にルイズは序文の最後に書かれた者の名を、ゆっくりと告げた。

 

「―――――――ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・・ヴェー・バルトリ…」

 

 ルイズとシルフィードを除く、その場の誰もが驚愕を露わにした。

 モンモランシーとギーシュは言葉も出せないのか、互いに見開いた目を合わせながら硬直している。

 無理もないだろう。何せこれまで歩んできた人生の中で最も刺激的な体験を既に幾つもこなしているうえで、更に超弩級的な話まで聞いてしまったのだ。

 限界まで回っていた頭の中の歯車がとうとう煙を上げてしまい、ただただ驚くことしかできない状態なのである。

「マジかよ…?ルイズのヤツ、確かに他の連中とは違う魔法を使うとは思ってたが、正に『みにくいアヒルの子』ってやつだな…」

「…………」

 一方で、以前にルイズの゙失敗魔法゙を間近で見ていた魔理沙は思わぬ事実を聞いて目を丸くしていた。

 そして子供の頃に聞いた外の世界の童話を思い出し、話の主役であるみにくいアヒルの子―――もとい白鳥と今のルイズの姿を重ね合わせていた。

(成程ね…、レミリアや紫の言っていた通りだった…という事ね)

 霊夢は霊夢で、怪訝な表情を浮かべつつもルイズが『始祖の祈祷書』を開く前に言っていた言葉に納得していた。

 

「る、ルイズッ!ちょっと、これは一体どういう事なのよ……ッ!?」

 驚愕と同時にルイズの肩を掴んだキュルケは、余裕を取り繕う暇も無く彼女に問い詰めようとする。

 しかしルイズは口を開くことはせず、自分の肩を掴むキュルケの手を優しく取り払うとスッと軽い動作でその腰を上げた。

 

 この時、タバサは気が付いた。ルイズがあらかじめ指に嵌めていた指輪の正体を。 

 最初にそれを目にした時は似たようなアクセサリーの類かと思ってはいたが、あの文章を聞けば誰もが彼女と同じ答えに達するであろう。

 青く光る宝石の指輪。それはトリステイン王家に古くから伝わる『四系統の指輪』の一つ、『水』のルビー…だと。

 唯一の疑問は、何故名家と言えどもまだまだ子供でしかない彼女がそれを持っているのかという事だが、それは本人に聞かねば分からない。

 

「ルイズ、それはもしかして――――…゙『水』のルビー゙なの?」

「タバサ…!」

 もう一人の親友が口にしたその言葉にキュルケは思わず大きな声を上げてしまう。

 彼女は認めたくなかったのだろう。本に書かれていた内容を思い出し、これからルイズに降り掛かるであろう運命を。

 

 したがって我はこの書の読み手を選ぶ

 たとえ資格なき者が指輪を嵌めても、この書は開かれぬ。

 選ばれし読み手は『四の系統の指輪』を嵌めよ。さればこの書は開かれん。

 

 彼女が指に嵌めている、本と同じく青色に輝く宝石が台座に嵌った指輪。そしてその通りに開かれた本。

 そしてそれを開き、読みし者がこれから受け入れるしかないであろう運命が、決して楽ではないという事。

 だからキュルケは不安だった。いつも自分の事だけで精一杯で、それでも必死に背伸びして頑張ってきたルイズの゙これから゙が。

 

 しかしそんなキュルケの大声も空しく、立ち上がったルイズは二人の方へと顔を向けると、

「―――ごめん、二人とも。詳しい話は私達の頭上にあるアイツらを片付けてからにして頂戴」

 二人に向かってそう言ったルイズは、右手に持った杖を頭上のアイツラ―――もといアルビオン艦隊へと向ける。

 この十六年、苦楽を共にし、異世界へも一緒に行った古い友人の様な杖をルイズはしっかりと握り、魔力を込めていく。

 何度呪文を唱えようとも失敗し、その度に大きな爆発を起こしつつも決してその爆発で折れる事は無かった。

 そして今は、今までそうしてきた様に魔力を込めているが…これから唱えていくであろう呪文は初めて詠唱するもの。

 今まで見てきた呪文の中で、恐らく最も長いであろうその魔法が何を起こすのかまでは良く知らない。

 けれども…唱え終わり、杖を振った後に起こり得るべき事象はルイズには予測できた。

 何故ならば、左手に持った『始祖の祈祷書』にはその魔法の呪文の横に名が記されていたのだから。

 その名前を見た時、彼女は確信した。今まで自分が爆発させてきたのは、決して失敗では無かったという事を。 

 

 ただ、やり方が分からなかっただけなのだ。

 魔法の才能があると見出された子供が、いきなりスクウェアスペルの魔法にチャレンジするかのように。

 

 ―――――以下に、我が扱いし『虚無』の呪文を記す。

 ――――――初歩中の初歩。『エクスプロージョン(爆発)』

 

(私の魔法は失敗じゃなかった…!ちゃんと唱えるべき呪文があったんだ!)

 ルイズは胸の内で歓喜の叫び声を上げると、ついではやる気持ちを抑えようと軽い深呼吸をする。

 『始祖の祈祷書』に書かれていた事が確かならば、指輪を嵌めて祈祷書の内容を読むことのできた自分は、まさに『虚無』の担い手ではないのか?

 幻想郷で出会った吸血鬼のレミリア・スカーレットが言うとおりに、自分の本当の力はこれまで目覚めていなかったのかもしれない。

 あの世界では一際強力な力を宿した人間の霊夢を召喚し、あまつさえ彼女は伝説の使い魔『ガンダールヴ』となっている。

 

 そして、ワルドに眠らされた時に見たあの変な夢。

 あの時、夢の中で自分に話しかけてきた男の人は確かに言っていた。『水』のルビーを嵌めて、『始祖の祈祷書』を開け、と。

 見ていた時にはハッキリと聞こえなかったあの言葉が、今になって鮮明に思い出せる。

 確かに、鞄の中にはお守りの代わりにアンリエッタから貰った『水』のルビーと『始祖の祈祷書』を入れていた。

 その事を何故、あの夢の中にいた男の人は知っていて、それを身につけページを開けと伝えてきた理由までは知らない。

 所詮は夢の中…と言えばそれで良いのだろうが、ルイズにはあの男の人が『単なる夢の中の存在』だとは思えなかった。

 今にして思い出してみると、耳に入ってくるあの人の声色やしっかりとした靴音は、夢とは思えないくらいに生々しかったのである。

 まるでワルドの魔法で気を失った自分の意識だけが、どこか別の空間に移っていたかのような…。

 そして夢から覚める前に、彼はこんな事を言っていた。

 

 ――――君ならば…―――制御でき―――る…。

 ――――使い道を、間違え…――――あれは、多くの…人を――――無差別に…―――――――殺…せる

 

 君ならば制御できる。そして、多くの人を無差別に殺せる…と。

 目覚めた直後は何を言っていたのか分からなかった。

 しかし夢で言われたとおりに指輪を嵌め、ページを開いた祈祷書に書かれている゙エクスプロージョン゙の名と呪文を見て、確信した。

(どうしてかは知らないけれど、きっとあの男の人はこれの事を言っていたんだ。私が上手くその力を制御して、アルビオン艦隊を止めろって…)

 頭上に迫るアルビオン艦隊。その進む先には大好きなカトレアがいるであろう屋敷に、王都トリスタニア。

 後退したトリステイン軍ではあれを防ぎきれるかどうか分からない、もし破られればトリステインは一方的に蹂躙されるかもれしない。

 

(なら、私がやるしかない。こんなタイミングで、『虚無』の使い手だと発覚した私が…止めるしかないのよ)

 だからこそ彼女は祈祷書に猿された呪文を唱えるのだ。その小さな背中にあまりにも大きすぎる荷物を背負って。

 杖を振り上げ、遠い遠い歴史の中に冴えて言った伝説の呪文を唱えるその後ろ姿はあまりにも危うげで、しかしどこか勇猛さえ垣間見えた。

 

 ―――エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ

 

 ルイズの口から低い詠唱の声が漏れ出している。

 その声は妙に落ち着いていており、子供のころから唄っている子守唄の様にしっかりとした発音。

 キュルケやモンモランシーもその詠唱を聞いて口を閉ざし、今やそれを静聴する観客の一人となっている。

 既にアルビオン艦隊は間近にまで迫ってきており、近づけば近づくほど船の周囲で警戒にあたっている竜騎士たちに見つかりやすくなる。

 タバサはその時の為に呪文を耳に入れつつもその視線は上空へと向けて、近づいてくる艦隊と竜騎士に警戒していた。

 一応この中で唯一の男子であろうギーシュも警戒に当たっていたが、恐らく一番頼りないのも彼なのも間違いない。

 何にせよ気づかれれば一触即発。ハルケギニア一の竜騎士とうたわれるアルビオンの竜騎士隊との戦いは避けられないであろう。

 

「全く、あっちはあっちで盛り上がってるぜ。私のこの逸る気持ちを放っておいてさぁ」

 ルイズの落ち着いた声と聞き慣れぬ呪文の詠唱が周囲に聞こえる中、魔理沙は口をとがらせて上空を睨んでいた。

 森の中では上手く戦えず、ワルドには眠らされた挙句にようやく自分らしい戦いが出来ると思いきや…ルイズからのお預けである。

 本当ならばルイズはルイズで呪文を唱えている間にひとっ飛びでもして、あの艦隊と竜騎士たちに喧嘩を売りに行きたい気分だというのに…。

 まるでエサ皿を前に「待て」と言われた飼い犬の様に大人しくしていた魔理沙であったが、彼女がそう易々という事を聞くはずがなかった。

 

 ルイズが艦隊へと杖を向けて詠唱し、キュルケ達がそんな彼女の背中を黙って見ている状況。

 五人の後ろにいた魔理沙はキョロキョロと辺りを見回すと、音を立てずにそっと箒に腰かけようとする。

「まぁいいか。ルイズはルイズで頑張れば良いし、私はちょっくらちょっかいを掛けにでも…―――…って、うぉっ!?」

 そして、そんな事を呟きながら飛び立とうとした彼女は…後ろにいた霊夢に襟を掴まれて強制着陸してしまう。

 幸いにも飛び立とうとする直前であった為に、地面にしりもちをつくという情けない姿を掴んできた相手に見せる事はなかった。

「全く…アンタは何、そう他人事みたいに言って、一人で突っ込もうとするのよ?ったく、世話が焼けるわね」

 世話の焼ける子供を相手にする年上のようなセリフを言ってきた霊夢を、魔理沙は苦虫を噛んだ様な表情で睨み付ける。

「……おい霊夢、コイツは一体どのような了見かな?自分一人だけ満足するまで戦っておいて、私の時だけ邪魔するのは良くないと思うぜ?」

「アンタとは違って私は別に戦いが好きってワケじゃないわよこの弾幕バカ」

 ルイズの詠唱を邪魔せぬ程度の声量で、二人は喧嘩にならない程度の口げんかと会話を同時に進めていく。

 一方でルイズの詠唱を見守っていたタバサがチラリと霊夢たちの方を垣間見るが、二人はそれに気づかずに会話を続けていた。

 

「にしたってよぉ、本当は私等三人でアレを倒すつもりだったっていうのに…まさかルイズ一人に取られるとはなぁ」

 霊夢に止められて一旦は諦めが付いたのか、箒に腰かけるのをやめた魔理沙が未練がましく呟く。

 そんな彼女を見ていた博麗の巫女は、相も変わらずドンパチ好きな知り合いにため息をつきつつも話しかけた。

「別に邪魔するつもりじゃあ無かったのよ。ただ、今ルイズが唱えているあの呪文の事で、ちょっとイヤな予感を感じただけよ」

「……!ちょっと待て、お前さんの言ゔイヤな予感゙ってのはあまり耳にしたくは無いんだが…私を引きとめたって事はそんなにヤバイのか?」

 勘の良さに定評のある霊夢の口から出た言葉に、魔理沙が物騒なモノを見るかのような表情を浮かべてしまう。

 しかしそんな魔法使いに構うことなく、彼女は上空の艦隊を見上げながら呟いた。

 

「何が起こるのかまではまだ分からないけど…これはちょっと、洒落にならない事がおこるかもね?」

「マジかよ…」

 いつも暢気にしている霊夢が真剣な表情で呟いた言葉に、魔理沙はようやく大変な事が起ころうとしている事に気が付く。

 事あるごとに鋭い勘を働かせ、異変解決に勤しんできた霊夢の真剣な様子と物言いは決してバカにできないと知っているからだ。

「まぁアンタも私も、何かあったときはお互い動ける様にはしときましょうか」

「何か私だけお預けを喰らった気分だが、しゃーない!これは借りにしておくからな」

 ルイズの口から漏れ続ける、失われし系統『虚無』の呪文が耳に入ってくる状況の中、魔理沙はふと気が付く。

 霊夢の左手の甲に刻まれたルーン―――今は休眠状態にある『ガンダールヴ』のルーンが、薄らと光り出した事に。

 

 

 

「んぅ~…?何だぁ、船首が騒がしいぞぉ…」

 お気に入りのワインを五分の二ほど飲んだジョンストンが騒ぎに気付いたのは、それ程遅くは無かった。

 最初の奇襲が失敗し、待ち伏せしていたトリステイン軍の伏兵に地上から攻撃された後、彼は気つけ薬として酒を飲んでいた。

 最初はエールを軽く一杯チビチビと飲んでいたが、切り札であるキメラ軍団の活躍を聞いてから、エールの入った瓶はすぐに空になった。

 部屋にあったエールを一瓶飲み干し、タルブ村一帯まで占領したという情報が入ってきてから、彼はとうとう秘蔵のワインに手を出したのである。

 それから後はトントン拍子に酔ってしまい、花火を打ち上げてそれを進軍の合図にしたりと既に気分は勝利者の状態なのであった。

 今の彼は周りの水兵や将校達からは放っておかれている状況であったが、程よく酔っている今の彼にはどうでも良いことでしかない。

 

 しかし、そんなジョンストンではあったが船首に集まっている何人かの将校を見つけることは出来ていた。

 『レキシントン』号に乗船したている士官や艦長のボーウッドまで船首から首を出して、望遠鏡で何かをじっと見ている。

 まるで子供の頃に親に買ってもらった望遠鏡で星空を眺めるかのように、一生懸命右目をレンズに当てて地上の様子を観察しているのだ。

 大の大人…ましてやボーウッド程の軍人が子供じみた真似をしているのを見て、思わずジョンストンは口の端をゆがめて笑ってしまう。

 

 

(全く、この私の前であれ程偉そうなに振舞っておいて、自分は部下たちを引き連れてトリステインの田舎観察とはな)

 既に頭の中も酒気に中てられたジョンスントンは、そんな事を思いながら「ハッ!」と小さな笑い声を上げる。

 しかし、笑うと同時に気にもなった。あのボーウッドや士官たちは自分たちの仕事ほ放っぽり出してまで、何を必死に見ているのだろうか?

「……うぅ~む。一体なんだ、何を見ているのだ?…気になる、気になるぞ」

 呂律が回らなくなってきた口で一人ぶつぶつと呟きながら、ジョンストンは少し危なっかしい足取りで艦長たちの方へと歩いていく。

 途中何人かの水兵が彼の背中に声を掛けてきたものの、それ等を無視してお飾りの司令長官はボーウッドの下へとたどり着いた。

 

「おぉうボーウッドよ、夜空の上から眺める地上とやらは綺麗かな?」

「……!サー、ジョンストン司令。一体何用でございますか」

 背後から酔っ払いのジョンスントンに声を掛けられたボーウッドは、慌てて彼に向かって直立し、次いでビシッと敬礼を決めた。

 他の士官たちも酔っぱらった司令長官が来た事に気が付いたのか、皆望遠鏡を下ろしてから急いで敬礼をしていく。

 相変わらず生真面目なヤツらだと思いながら、ジョンストンは赤くなった顔でニヤニヤ笑いつつボーウッドの左手の望遠鏡を指さして言う。

「いや何、アルビオン共和国が王国だった頃から働いてると君たちが子供の様に望遠鏡を覗く姿に興味が湧いてね。…で、どうだい?星でも見えるのかい?」

 酔いの勢いもあってか、朝方の弱気な態度が消えたジョンスントンへの苛立ちを隠しつつ、ボーウッドは敬礼の姿勢を崩さぬままこう答えた。

「いえ実は…先程からタルブ村の小高い丘の上で、怪しい動きを見せている者たちがおりまして」

「何だと?少し借りるぞ」

 ボーウッドの報告を聞いて笑顔が一転怪訝な表情へと変わったジョンストンはそう言った後、彼の手から望遠鏡をひったくった。

 お飾りとはいえ司令長官の命令には逆らえず、他の士官仲間たちが残念に…と言いたそうな表情を向けてくる中、ボーウッドはひたすら冷静を装っている。

 アルビオン王国時代から空軍が愛用し続ける望遠鏡を手に取った司令長官は、他の者達かしていた様に船首から地上の様子を観察した。

 最初こそどこにいるか探る為に十秒ほどの時間が掛かったものの、森へと通じる小高い丘にボーウッドの言ゔ者達゙の姿を発見する。

 

「おぉ、あヤツらか…。ふむ、確かに怪しいな…ひぃ…ふぅ…合わせて七人…おぉ小さいが風竜もいるなぁ」

 ジョンストンが望遠鏡越しに覗く先には、怪しい七人と一匹の青い風竜――――ルイズたちが見えていた。

 

 その内五人がマントを羽織っているのを見て貴族だと気が付くが、望遠鏡越しに見ても軍人とは思えないほど身の細い者達ばかり。

 更に残りの二人の内一人…黒髪の少女は異国情緒漂う変な格好をしており、紅白の衣装は夜中と言えども酷く目立っている。

 

 

「あれは一体何のつもりだ?まさかたったの七人で我が艦隊を止めるとでも…いや、まさかな」

 ジョンストンの独り言から、彼も自分たちが見ていたモノを発見した事に気が付いた士官の一人が、咄嗟に説明を入れた。

「実は船首で地上警戒に当たっていた水兵が彼女らを見つけまして…我々も何た何だと見ていたのです」

「そうか……ん?」

「どうしました?」

 望遠鏡は下ろさず、そのまま士官の説明を聞いていたジョンストンは、ふとある事に気が付く。

 その七人の内唯一男子であろう派手なシャツを着た少年を覗き、六人がそれなりいい年の美少女だという事に。

「ふぅむ、ここからだと顔は良く見えんが。流石はアルビオン謹製の望遠鏡!この距離でも相当綺麗な乙女ばかりと辛うじて分かるぞ!」

「……そ、そうですか」

 聞いてもいないのにそんな事まで言ってくるジョンスントンに、士官たちは声を上げなかったものの皆呆れた表情を浮かべている。

 ボーウッドもボーウッドで冷静を装いつつも、自分に絡んできた酔っ払いをこれからどうしようか考えあぐねていた。

 そんな風にお荷物な司令長官に呆れてしまっていた時、その司令長官であるジョンストンが怪訝な表情を浮かべて言った。

 

「いや…待てよ、七人の内の一人だけ…ピンク色?の頭の少女…あれは何を…杖を向けて、呪文を唱えているのか?」

 実況するかのように望遠鏡越しに見える少女の様子を喋っていたジョンストンの言葉に、ボーウッドたちは再び船首から身を乗り出した。

 

 

 

 目まぐるしく状況が変化しているのは、何もアルビオンやトリステイン軍、そしてルイズ達だけではない。

 霊夢や魔理沙たちもまた、この戦場と呼ぶにはあまりにも静かすぎる空間の中で目まぐるしい状況の変化を味わっていた。

 

 ―――オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド

 

「……何これ?一体どうなってるの?」

 『始祖の祈祷書』に現れた虚無のスペルを唱えるルイズの声が響き渡る中、ふと雑音の様な巫女の声。

 薄らと光り出した左手の甲に刻まれた使い魔の証――『ガンダールヴ』のルーンを見て、霊夢が怪訝そうに呟いたのだ。

 今のところ持てる力を使い切ってお休み状態になっていた筈だというのに、まるで息を吹き返したかのように光り始めたのである。

「おいおいどうしたんだよ霊夢?何だか知らんが、使い魔のルーンがやけに調子良さそうじゃないか」

 霊夢よりも先に気が付いていた魔理沙は、元気?を取り戻していく使い魔のルーンを見つつ、面白いモノを見るかのような目で言った。

「まるで他人事みたいに…まぁアンタには他人事だろうけどね。……って、うわッ…ちょ…何これ、力が…」

 そんな黒白を無視せずに悪態をつこうとした霊夢はしかし、ルーンの発光と共に自分の身に異変を感じ、思わず驚いてしまう。

 気のせいなのだろうか。否、気のせいと思いたいのか、ルーンからほんの僅かだが力が湧き出しているののに気が付いたのだ。

 まるでスコップで掘った地面の穴から温泉が徐々に滲み、湧き出てくるようにゆっくりと自分の体の中をルーンから流れる力で満たされていく。

 

(ちょっと嬉しい気持ち半面、気持ち悪いわねェ…―――でも、そういえば一度だけ…)

 一体どういう気まぐれなのか、恐らく体力を使いすぎた自分を労わってくれているであろうルーンに、霊夢は複雑な気持ちを感じてしまう。

 そもそも使い魔のルーンに感情何てあるのかどうかすら知らなかったが、ふと彼女は思い出す。一度だけ、今と似たような状況に遭遇したことが。

 ルイズに召喚されたばかりの頃、まだ紫が迎えに来る前の事。あのアンリエッタが持ってきた幻想郷録起を手掛かりに、アルビオンへ赴いた時の事。

 偶然見つけた浮遊大陸の底に出来た大穴、そこを通って辿り着いた森で出会った長耳に金髪の少女。

 昼食を頂いた後で襲い掛かってきたミノタウロスに止めを刺そうとした直前、杖を手にした彼女が唱えた呪文。

(あの時とは違うけど…似ている。彼女の呪文は心が安らいで…消えてたルーンがまた戻ってきて…そしてルイズのこの呪文は…――――…ッ!?)

 『ガンダールヴ』のルーンを通して、自分に力を与えてくれている。そこまで考え付いた時、霊夢は気が付いた。

 呪文を唱えているルイズの体から漂ってくる魔力が、際限なく膨れ上がっていくのを。

 

 ――――ベオーズス・ユル・スヴェエル・カノ・オシェラ

 

 ルイズが詠唱を続けていくごとに、彼女の体の中に蓄積していく魔力が膨れ上がりつつも一定の形へと姿を変えていく。

 まるで地面から盛り上がった膨大な土の山に緑が生い茂り、巨大な霊峰へとなっていくかのような、魔力の突然変異。

 そうとしか言いようの無い魔力の形成が、年端もいかぬルイズの体内で起こっている事に、霊夢と魔理沙は――いや、キュルケ達も薄々気が付いていた。

「霊夢…!こいつは…」

「一々言わなくても良い、分かってるわよ」

 先ほどルーンが光っていた事を小馬鹿にしていた魔理沙は、真剣な表情でルイズを見つめている。

 魔法使いであるが故か、この世界の魔法使い…もといメイジであるルイズの魔力に気付いて、額から冷や汗が流れ落ちた。

「お前さんの勘が当たったなぁ?何が起こるかまでは分からないが…もし、あれだけの魔力を攻撃に使ったら…」

 そこから先の言葉を唾と一緒にグッと飲み込んだ彼女を見て、霊夢は思わず背中に担いでいたデルフに喋りかける。

「ちょっとデルフ、これ一体どういう事よ?ルイズのヤツ、虚無の魔法がどうたらとか言って、呪文を唱えてるだけどさぁ…」

 始祖の使い魔について妙に詳しかったこの剣の事だ、きっと何か知っているかもれしない。そんな期待を抱いて、話しかけた。

 

『……………。』

 しかし、ワルドと戦いだしたときはあんなに饒舌だったインテリジェンスソードは、その口?を閉ざしていた。 

 眠ってるわけではないのだろうが、あのお喋りな剣が黙りこくっていることに霊夢は不安を感じてしまう。

「――……ちょっと、聞いてる?デルフー?」

『―――…え?あ、あぁ悪りぃ悪りぃ!俺とした事が久々の『虚無』の呪文を聞いて呆気に取られちまったぜぇ…!」

 念のためもう一度声を掛けた直後、まるで止まっていた時が動き出しすのようにデルフが喋り出した。

 暫しの沈黙を破ったインテリジェンスソードの声には抑揚がついており、その言葉からは嬉しそうな響きが混じっている。

 霊夢はため息をつきつつも、変に嬉しそうなデルフを鞘から抜くと面と向かって彼に話しかけた。

「ちょっとアンタ、その様子だとルイズが今唱えてる『虚無』とかいうのに詳しそうじゃないのよ。何か知ってるの?」

 彼女の質問はしかし、テンションが上がっているデルフの耳?には入らず、彼は一人捲し立てている。

『いやー何!あの娘っ子が『虚無』の担い手だったとなはぁ…、まぁ人間のお前さんを召喚して『ガンダールヴ』にしちまったんだから…当然―――ッウォ!』

 ダミ声と金属音が一緒くたになって重なり合い、下手くそな音楽になりかけた所で、苛立った霊夢が思わずデルフを地面へと突き刺した。

 雑草を切り裂き、程よく固い土と土の合間に入り込むようにめり込んだところで、ようやっとデルフは我に返る事ができた。

 

「だぁーかぁーらぁーッ!私はその『虚無』とやらを詳しく知りたいワケ!アンタの一人語り何てどうでもいいのよ!」

 ハッキリとした苛立ちを顔に浮かべた霊夢の怒気を感じ取った魔理沙が、「おぉ、怖い怖い」とデルフと彼女を交互に見つめて笑っている。 

 その間にも詠唱を続けるルイズの体から漂う魔力は先鋭化していっており、魔理沙の笑顔もどことなく硬い表情であった。

『わ、分かった分かったって…ったく、おっかねぇなぁレイム。ちゃんと説明するつもりだったんだよ』

「だったら今質問するからそれに答えなさい。…ルイズが今唱えてるのが『虚無』だとして、『エクスプロージョン』ってどういう魔法なのよ」

『えぇ?……あぁ、思い出した。確かにそうだな、この呪文は確かに『エクスプロージョン』のだな。『虚無』の中でも初歩中の呪文だ』

 霊夢の質問にデルフがそう答えると二人からちょっとだけ離れていた魔理沙がふらりと近づき、デルフに質問を投げかける。

「なぁデルフ。ルイズが今唱えてる呪文…名前からして爆発系の魔法なんだろうが、あの魔力の貯め方だと相当な威力が出るんだろ?」

 普通の魔法使いからの質問には、なぜか数秒ほど考える素振りを見せてから、金具を動かして喋り出した。

 

『あぁ…―――まぁそうだなぁ~…。娘っ子が『虚無』を初めて扱うにしても、手元を狂わせる事は…しないだろうなぁ』

「手元を狂わせる…?何だよ、何かヤケに不吉な言い方だな?」

『不吉って言い方は似合わんぜマリサ。もし娘っ子が『エクスプロージョン』の制御に失敗したら…』

 そこでまたもや喋るのを止めたデルフの沈黙の間に入るようにして、

 

 ――――ジェラ・イサ・ウンジューハガル・ベオークン・イル…

 

 ルイズの詠唱が辺りに響き渡った直後、意を決した様に言った。

『―――――俺もお前ら全員。跡形も無く消えちまう…文字通りの『死』が待っているんだぜ?』 

 直後、そこで詠唱を止めたルイズは一呼吸置いた後にアルビオン艦隊へと向けた右手の杖を軽く振り上げた。

 すると彼女の体内で溜まっていた魔力の塊が一気に杖へと流れ込み、ルイズの体内から魔力を削り取っていく。

 

 そして…体内に溜まっていた魔力をほんの僅かだけ残し、残りが全て杖へと注がれた瞬間。

 ルイズは振り上げたその杖で、頭上のアルビオン艦隊を斬り伏せるようにして―――振り下ろす。

 直後。詠唱と共に練り上げられたルイズの魔力は『エクスプロージョン』として発動し、その効果を発揮した。

 

 

 

「ん…―――――ッ」

「うぉ…――――ッ!」

『おぉッ…!』

 眩しい、眩しすぎる。

 

 

 

 ルイズが発動した『エクスプロージョン』を一目見ようとした霊夢と魔理沙は、偶然にも同じ感想を抱いていた。

 最も、それを言葉として出すよりも先に二人して小さい悲鳴が口から漏れ出し、目の前を覆い尽くす白い閃光に目を瞑らざるを得なかったが。

 魔理沙はともかくとして霊夢は目の前を覆う白い光に目をつぶり、顔を背けつつも何が起こったか把握しようとしている。

「何これ…!眩しい…、ちょっと魔理沙!」

「私に聞かないでくれ!今は目ぇ瞑ってるだけでも精一杯なんだからさぁ…!」

 しかし、彼女の目で見えるのはすぐ横にいる魔理沙と地面に突き刺したままのデルフだけで、ルイズとその近くにいたキュルケ達は見えない。

 魔理沙も魔理沙で直視すれば失明の危険すらある程の眩しい光と対峙する勇気はないのか、必死に顔を背けていた。

「ちょ…ッ!何よこれ、何が起こったっていうの!?」

「!…キュルケ、アンタ…さっきまで立ってた場所にいるの?」

 その時であった。彼女たちのいた場所からあのキュルケの叫びが聞こえてきたのは。

 姿は見えないにしても会話を邪魔するような騒音が無いために、姿は見えずとも彼女と自分の声だけは鮮明に聞き取れていた。

 

「れ、レイム…何だか、大変な事になっちゃっってるわねぇ…!?」

「こんな時に楽しそうに喋れるアンタの気楽さを見習いたいもんだわ…!」

 ギーシュやモンモランシーと一緒に、ルイズの傍にいたであろう彼女は自分達よりもっと大変な目に遭っているかもしれないが、

 珍しいモノが見れたと思っているのか、抑揚のついた声で話しかけてきたキュルケに霊夢は思わず苛立ちの声を上げてしまう。

「で、ルイズはどうなの、無事なのッ!?」

「大丈夫!ルイズはいる、僕たちの傍にいるよ!モンモランシーは気を失っちゃったけどね!」

「タバサも大丈夫、私の傍にいるわ!」

 ついで確認したルイズの安否にはギーシュが答え、自分のガールフレンドが倒れた事も報告してくる。

 キュルケも無口であるタバサの安否を確認し、彼女の使い魔であるシルフィードが返事替わりに「きゅいー!」と一鳴きした。

 

 ひとまずこの場に居た全員の安否を確認した霊夢は、光の発生源であろうルイズの事を思って舌打ちした。

「くっそ…!ルイズのヤツ、こんな事が起こるっていうなら先に言っておきなさいよ!」

『なぁに、この閃光は長くは続かないぜレイム。娘っ子のヤツは無事に『エクスプロージョン』を成功させたぜ!』

 思いっきり理不尽な物言いをする霊夢を励ますかのように、唯一目を瞑る必要すらないデルフが、嬉しそうな様子でそう言った直後―――光が晴れ始めた。

 まるで霧が晴れていくようにして薄まっていく光が彼女たちの視界から消え失せ、周囲は再び夜の闇に包まれていく。

 

「…光が消えた?………――ん?…―――…ッ!」

 光が晴れた事で、無事に視界が元に戻った霊夢はふと頭上を見上げ―――――目を見開き絶句した。 

「お、やっと光が晴れ……て…――――…はぁッ!?―――えぇ…ッ?」

 彼女の隣にいた魔理沙もようやく視界を取り戻した直後、彼女に倣うかのように頭上を見上げ、驚愕する。

 そして信じられないと言わんかのように何度も両目を擦り、もう一度頭上を見上げて驚いて見せた。

 

「………ははっ、何よコレ?」

「―――――…どういう事なの」

 キュルケは目立った反応こそ見せなかったものの、明らかに引き攣った笑みを浮かべて夜空を見上げていた。

 タバサもまた動揺を抑える事ができず、丸くなった目でゆっくりと地面へと落ちていぐソレ゛を見つめている。

「る…る、る…ルイズ…?ま、まさか君が…君がやったのかい…゙アレ゙を」

 気を失ったモンモランシーを抱きかえているギーシュは限界まで見開いてしまった目で、すぐ横にいるルイズを見つめた。

 アルビオン艦隊が゙いだ場所へ杖を向けたままの姿勢で固まっている彼女は、ジッと夜空を見上げている。

 暗い闇に包まれていた地面を照らす太陽の様に激しく燃え盛る炎が幾つも舞い、落ちてくる夜空を。

 

『ほっほぉ~?奴さんたちの被害を見るに…娘っ子のヤツ、相当溜めてたみたいだねぇ?』

 ルイズとモンモランシーを除いた皆が驚きを隠せぬ中で暢気に喋るデルフは、夜空に浮かぶ炎へと視線を向ける。

 夜空に浮かぶ炎の正体。それは見るも無残に炎上するアルビオン艦隊であった。

 全ての艦の帆に、甲板に火がつき、その灯りで地上を薄らと照らしてしまうほどに燃え盛っている。

 そして不思議な事に、あれだけ快調に進んでいた艦船群全てが、艦首を地面へ向けて墜落していくのだ。

 まるで火山灰に巻かれ、成す術も無く地上へ落ちていく渡り鳥のように。

「冗談だろ…?まさか、これ全部、ルイズのあの魔法一発で…」

「少なくとも、幻想郷であんなの使ったら…大変な事になるわね」

 自分たちを照らしつつ緩やかに墜落していくアルビン艦隊を見つめながら呟いた魔理沙に、霊夢が相槌を打つ。

 魔理沙も魔理沙で破壊力のある弾幕を放つことはあったが、ルイズが発動したであろう『エクスプロージョン』は格が違った。

 あれはあくまでも弾幕ごっこで使う弾幕であり、それ以上でもそれ以下でもない。しかし、目の前の艦隊を全滅させた『エクスプロージョン』は違う。

 弾幕ごっこは人と妖が対等に戦える遊戯かつ幻想郷流の決闘でもあり、どんな弾幕でも避けれるチャンスはあるが、あの『虚無』にはそれが無かった。

 一方的な攻撃かつ徹底的な破壊、それが一瞬で行われる。妖怪ならまだしも、人間の少女であるルイズがあの魔法を幻想郷で放てば一大事になるだろう。

 均衡を保っていた人間と妖怪のパワーバランスが崩壊してもおかしくはない、ルイズが見せてくれた『虚無』はそれだけの力を持っていた。

 

 

『そう、これが『虚無』の一端。かつてこの地に降臨して、今の世の礎を築いた始祖ブリミルが使っていた第五の系統さ』

 唖然とする二人を見ていたデルフがまるで自慢するかのように言った直後、キュルケが悲鳴を上げた。

「ルイズ!ちょっと、大丈夫…!?」

「う、うぅん…ん…」

 見れば先ほどまで二本足で立っていたルイズは糸が切れた人形の様に、地面へと倒れている。

 悲鳴を上げたキュルケは彼女の傍に寄り添い体を揺するが、ルイズ本人は呻き声を上げるだけで一向に目を開けない。

「ルイズ!」

 霊夢の隣にいた魔理沙も気になったのか、ルイズの使い魔である知り合いよりも先に彼女の下へと走る。

 一方の霊夢も一足遅れて近づこうとしたが、ふと甲板と帆を炎上させて墜落していく『レキシントン』号を見て、苦々しく呟いた。

 

「何が魔法よ…!こんなの、魔法のレベルを超えてるじゃない。私から言わせれば……強いて言わせれば―――――」

 

――――――『粒を操る程度の能力』だわ…!

 最後の言葉を心の中で叫んだ彼女は、デルフをその場に突き刺したままルイズの下へと駆けていく。

 

 霊夢は思い出していた、ルイズが読んでいた『始祖の祈祷書』に書かれていたであろう内容を。

 この世の物質は小さな粒から為り、四系統の魔法はその粒に干渉し、『虚無』はそれより更に小さな粒に干渉できる。

 ならばルイズが放った『エクスプロージョン』は、その小さき粒を刺激し変化させ、艦隊の周囲で爆発させたのだ。

 

 だから彼女はルイズの゙魔法゙を、幻想郷で言ゔ能力゙と位置付けた。

 使い方次第では神にも大妖怪にも為り得る、強大過ぎるルイズの『虚無』を。



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第八十二話

 八雲紫は夢を見ていた。ほんのちょっと前の出来事で、けれども決して取り戻せないとわかってる昔の思い出。

 冬眠の時に見る近くて遠い世界の出来事ではなく、自分が造りあげ、そして残酷で優しい仕組みを持ったこの世界での思い出。

 彼女たち妖怪にとって「ほんのちょっと前」と軽く言える月日は人間にとって十数年前と言うそれなりに長い月日の過去。

 あの頃の記憶を夢の中で見ていた紫は、幻想郷と外の世界の境目である博麗神社の境内に立っていた。 

 

「………ちょっと暑くなってきたわね」

 彼女はこれを夢の中と知っていながらも、身に着けている白い導師服をそろそろ季節外れだという事に気が付く。

 あの時と同じだ。夢の中と同じく季節が春から初夏へと移ろいゆく時期、自分は確かにここにいた。

 肌を撫でる゙暖かい゙気温が緩やかに、しかし確実に゙暑い゙熱気へと変わっていくそんな時期。

 今目の前に見える『数十年前の博麗神社』の中にいる、まだまだ幼く放ってはおけない゙彼女゙の様子を見に来ていたのである。

 

 白色ながらも、頭上の太陽と境内の大理石を反射する熱気という挟み撃ちで流石の八雲紫もその顔に一筋の汗を流してしまう。

「参ったわね、夢の中だというのに…こうも暑いと感じてしまうなんて…――ーそういえば、この時は…」

 衣替えはやっていたのかしら?一人呟きながらも、彼女は右手の人差し指で何もない空間にスッと『線を引く』。

 瞬間、人差し指で引いた線が縦へ大きく開いだスキマ゙となり、幾つもの目玉が彼女を覗く空間から愛用の日傘が飛び出てくる。

 紫は右手でその日傘を掴むと、まるで役目を終えたかのように゙スキマ゙は閉じ、跡形も無く消滅した。

「…確か、この年は外の世界の影響を少し受けてしまっていたのよね?あの時は…色々と大変だったわぁ」

 ゙彼女゙の先代―――つまり一つ前の巫女がいた頃の当時を思い出しながら、傘を差した時―――

 懐かしくて愛おしくて―――今の゙彼女゙も思い出してほしい、当時の幼ぎ彼女゙が背後から声を掛けてきた。

 

「あっ、ゆかりー!ゆかりだー!」

 今の゙彼女゙に聞かせたら、思わず赤面して耳を塞いでしまうような舌足らずな声。

 日傘を差し終えたばかりの紫はその声に後ろを振り向くと、小さな巫女服を着た女の子がこちらへ走ってくるのが見えた。

 まだまだ年齢が二桁にも達していない子供特有の無邪気な笑顔を浮かべ、服と別離した白い袖を付けた腕を振り回しながらこちらへと駆けてくる。

 やや茶色みがかった黒髪と対照的な赤いリボンもまだまだ小さいが、却ってそれがチャームポイントとなっていた。

 笑顔で駆けつけてくれた小さな゙彼女゙に思わずその顔に笑みを浮かべつつ、紫ば彼女゙の体をスッと抱きかかえる。

 妖怪としてはあまり体力がある方とは言えないが、それでも゙彼女゙の体重は自分の手には少し軽かったと紫は思い出す。

「久しぶりねぇ…お嬢ちゃん。元気にしていたかしら?」

「うん!」

 ゙彼女゙は快活に頷き、ついで小さな両手で自分を抱いている紫の頬を触ってくる。

 ようやく柔らかい皮膚の下にある骨の硬い感触が少しだけ伝わってくる゙彼女゙の手。

 いずれはこの小さくも大切な世界の一端を担う者の手はほんのりと暖かく、微量ではあるが霊力の感じられる。

 まるで素人が見よう見まねで作った枡の、ほんの僅かな隙間から漏れ落ちる酒のように゙彼女゙の力が放出されている。

 この夢の中ではまだまだ幼い子供である゙彼女゙が、霊力を制御できるほどの知識や技術を知ってはいなかった事を紫は思い出す。

 

(そういえば、この頃はまだまだコントロールしようにもできなかったっけ…)

 霊力でヒリヒリと痛む頬と、今の自分の状況をを知らずに無邪気に障ってくる゙彼女゙の笑顔を見て紫は苦笑いを浮かべる。

 こうして夢の中で思い出してみれば、やはり゙彼女゙には恵まれた素質があったのだとつくづく納得してしまう。

 それは後に、この夢の中より少しだけ大きくなった彼女の教師兼教官役となった紫自身の思いでもあった。

(まぁ、後々教師役となる私が言ってしまうと…色眼鏡でも付けてるんじゃないかってあの娘に言われてしまいそうだけど…―――…ん?)

 夢の中でそんな事を思いつつ、まだまだ小さい゙彼女゙を抱きかかえていた紫は、ふと背後に何者かの気配を感じ取る。

 それは自分を除いて今この場に居る人間の中で最も力強く、下手すれば誰彼かまわず傷つけようとする凶悪な霊力の持ち主。

 故に妖怪だけではなく人間からも怖れられ、゙彼女゙と共に暮らしていた三十一代目博麗の巫女の気配であった。

 

 

「あら、何やら胡散臭い気配がすると思ったら…アンタだったのね」

 まるで刃物の様に研ぎ澄まされ、少しドスを利かせれば泣く子が思わず黙ってしまう様な鋭い声。

 その声も今は共に暮らしている小さかっだ彼女゙がいるおかげか、どこかほんのりと落ち着いた雰囲気が漂っている。

 ここが夢の中だと自覚してはいるものの、実に十数年ぶりに聞いた三十一代目の声に紫の頬も自然と緩んでしまう。

「あらあら、随分大人しくなったわね?ちょっと前までは、境内に足を踏み入れただけで威嚇してきたというのに…」

「人を獣みたいに言うなっての」

 口元を袖で隠しながら呟いた紫に、巫女は苛立ちをほんの少し見せた言い方でそう返した直後、

「あっ、お母さん!」

 紫が抱きかかえていだ彼女゙がそう叫んで地面に着地すると、まるで脱兎の如き足の速さで巫女の下へと駆け寄っていく。

 そして巫女の近くまで来ると一旦足を止め、自分を見下ろす巫女を中心にグルグルと走り回る。

「こらっチビ!あんたねぇ、朝食が済んで早々神社の外へ出るなってアレほど…ちょ、人の話を聞けっての!」

 何やら巫女ば彼女゙に軽いお説教をしてやりたいのだろうが、肝心の゙彼女゙は忙しなく動き回っている。

 紫はそんな二人に背中を見せていたが、その時の光景は夢として見る前の現実でしっかりと目にしていた。

 両手を広げて笑顔で走り回る幼ぎ彼女゙と、そんな彼女にほとほと呆れながらもほんの少しだけ口元を緩ませていた巫女。

 

 ゙彼女゙がこの幻想郷の住人となったのは、この夢の中では半年も前の事。

 寒い寒い冬の山中。外の世界へと通じる針葉樹の森の中で、゙彼女゙は巫女に助けられた。

 その時、周囲に転がっていた炎上する鉄塊と身に着けていた服で、外の世界からやってきた者だと一目で分かった。

 当然の如く身寄りなどいるはずもなく、右曲折の末に゙彼女゙は巫女の下で育てられことになる。

 なし崩し的に゙彼女゙と暮らし始めてからというものの、孤独に暮らしていた巫女は他人というモノを初めて知ることが出来た。

 三十一代目には色々と問題があり、人里との付き合いも希薄であった故に゙彼女゙を受け入れてくれた時、紫は安堵のあまり胸をなで下ろしたものである。

 

(懐かしいわね…何もかも。―――夢とは思えないくらいに…)

 背後から聞こえる楽しそうな゙彼女゙の嬌声を耳に入れながら、紫はその場に佇んでいた。

 今夢で追体験しているこの日は、自分と巫女…そしで彼女゙にとってとてつもなく大きな転換点とも言える日。

 当時の紫は思っていた。やむを得ない事情で三十一代目となった巫女の為に、゙彼女゙の今後を決めておかねばならないと。

 制御しきれぬ力を抱え、一度タガが外れれば狂犬となってしまう巫女を助けようとして…幼ぎ彼女゙に次代の巫女になって貰うという事を。

 そして、それが原因で巫女との仲違いとなり――――結果として、彼女を幻想郷を消さねばならなくなったという過ち。

 

 いまこうして立って体感している世界は全て自分の過去であり、拭える事のできない過ち。

 それを分かっていながらも、紫は心のどこかでこれが現実であれば良いのにと願っていた。

 まるで人間が無茶な願いを流れ星に込めるように、最初から叶う筈がないとと知っていながら。

 

 

 

 目を開けて最初に見たものは、自分の棲家―――マヨヒガの見慣れた天井であった。

 天井からぶら下がる電灯を寝るときに消すのがいつも面倒で、いつの日か改装したいと思っている忌々しい天井。

 そして頭を動かして周囲を見回せば案の定、マヨヒガの中にある自分―――八雲紫の部屋である。

 夢の過去から戻ってきた紫は早速自分の体を動かそうとした瞬間、胸の中を稲妻が駆け抜けるようにして痛みが走った。

「―――――…ンッ!」

 思わず呻き声を上げてしまった彼女は、これが原因で自分は目をさましたのだと理解する。

 全く酷い寝起きね…。心の中で愚痴を漏らしつつ、ふと自分はどうして布団で寝ているうえに体がこんなに痛むのか疑問に思った。

 

 自分の記憶が正しいのであれば、トリスタニアで霊夢を探していたルイズと魔理沙に彼女の居場所を教えた後で、幻想郷に戻ってきたのは覚えている。

 思いの外苦戦していた霊夢に助太刀しようかとあの時は思っていたが、あの二人ならば大丈夫だろうとその場任せる事にしたのだ。

 そしてハルケギニアを後にし、然程時間を掛けずに自分の棲家へ戻ったのは良かったが……そこから先の記憶は曖昧であった。

 まるで録画に失敗したテレビ番組の様に、そこから先の記憶がプッツリと途切れているのだ。

「確かあの後は…マヨヒガに戻ってきたのは覚えてるけど……その後は…――」

「本棚の整理をしていた私を無意識にスキマで引っ張ってきて、半ば無理やり看病させてたのよ」

 思い出そうとした紫に横槍を入れるかのように鋭く、それでいて冷たい声が右の方から聞こえてきた。

 

 その声に彼女が頭だけを動かすと、丁度襖を開けた声の主が天の川の様に白く綺麗な髪をなびかせて入ってくる。

 紺と赤のツートンカラーの服に、頭には赤十字の刺繍が施されたナースキャップ。そして寝込んだ自分へと向ける射抜くような瞳。

 かつては月の頭脳と崇められ、今は裏切り者として幻想郷に住まう月人にして…不老不死の蓬莱人―――八意永琳。

 幻想郷を支配する八雲紫自身も、油断ならない奴と思っていた彼女が何故ここに…?寝起きだった紫はそんな疑問を浮かべてしまう。

 そして寝起きだったせいか、ついつい表情にもその疑問が出てしまったのを永琳に見らてしまった。

「……その顔だと、記憶にございませんって言いたそうじゃないの?」

 彼女からの指摘でその事に気が付いた紫はハッとした表情を浮かべ、それを誤魔化すかのようにホホホ…と笑った。

「あらやだ、私とした事がうっかりしていましたわね……ふふ?」

「まぁ私も連れてこられた直後に見た貴女を見て驚いてしまったから、これで御相子という事にしましょう」

 そう言って永琳は紫の枕元に腰を下ろすと、彼女に「体を起こせる?」と聞く。

 ここは威勢よく頷いてスクッと上半身を起こしていきたいところなのだが、生憎先ほどの痛みではそれも難しいだろう。

 ほんの数秒ほど考えた紫が首を横に振ったのを見て、永琳は小さなため息をついてから彼女の肩に手を掛ける。

「とりあえずもう少し寝かせておくのが良いけど、生憎そうも言ってられないから手伝うわ」

「あら?何か物騒な言い方じゃないの―――…ってイテテ…!」

 

 幸い永琳の介助もあってか、紫は何とか上半身を無事起こす事が出来た。 

 まだ胸はチクチクと痛むものの、気にかかる程度で立ったり歩いたりする程度には何の支障にもならない程である。

「全く…貴女ともあろう妖怪が、こんなみっともない醜態をあのブン屋天狗に見られたら一大事よ?」

「完璧に見える者ほど、その裏では醜態を晒している者ですわ……ふぅ」

 ようやく布団から出て来れた紫は、永琳が着せてくれたであろう寝巻をゆっくりと脱ぎ始めた。

 汗を吸い、冷たくなった紺色のそれを半分ほど脱いだところで、ジッとこちらを見ている永琳へと視線を向ける。

 向けられたその視線から紫の言いたい事を察した永琳は、キッと目を細めて言った。

「着替えなら自分の能力で出せるでしょう。ちょっとは自分で動きなさい」

「……まだ私、何も言ってないんですけど?」

 あわよくば着替えを取ってくれるかもと思って向けた視線を一蹴された紫は、愚痴を漏らしながらスキマを開く。

 いつも身に着けている白い導師服と下着、それにいつも身に着けている帽子がスキマから零れ落ちてくる。

「それぐらい、視線で分かるわよ。……姫様も似たような視線を向けてくるから」

「あちゃ~…既に予習済みだったというワケねぇ?」

 用済みとなったスキマを閉じた紫は既に慣れっこだった永琳にバツの悪そうな笑みを浮かべて、手早く着替えを済ませた。

 

 着替えを済ませた紫はその後、じっと見守っていた永琳と共にマヨヒガの廊下を歩いていた。

 彼女曰く「長話になるだろうから居間で話したい」と言っており、まぁ確かに空気が籠っているさっきの部屋で話すよりマシなのだろう。

 紫自身は別にあの部屋でも良かったのだが、特に拒否する理由も無かったのでほんの少し痛む胸をそのままに廊下を歩いていた。

 廊下に面した窓から見える空は、外の世界で良く見る排ガスのような曇天であり、ふとした拍子で雨が降ってしまいそうである。

「それにしても、話したい事って一体どういうお話なのかしら」

「貴女なら、仮に私が逃げたとしても捕まえられるでしょう?だったら慌てる必要は無いというものよ」

 部屋を出て十秒ほどしたところで繰り出した紫の質問にしかし、永琳は答えをはぐらかす。

 まぁ確かにその通りなのだが、不思議とマヨヒガの中にいる彼女は威厳があるなぁ…と紫は思った。

 ついついそんな事を思ってしまった事が可笑しいのか、クスクスと笑いながら再び永琳に話しかける。

「私の家のはずなのに、何故だか貴女の方がマヨヒガの事を知ってそうね?」

 半分冗談で言ったつもりであったが、永琳はやれやれと言いたげな顔で肩を竦めて、

「そりゃあ一月と半分も貴女の看護で監禁されていたのよ、ここの掃除や炊事をしていく内に大体の事は把握できたわ」

 あっさりと言い放ってくれた事実に、流石の紫もその場で足を止めてしまう。

 

「――――…一月と、半分…?」

 真剣な様子で言われた言葉に、紫は思わず目を丸くし怪訝な表情で反芻してしまう。

 てっきり一日か数日の間気を失っていただけかと思っていたというのに、彼女の口から告げられた事実は予想の範囲をほんの少しだけ超えていた。

「何よ、てっきり数百年か千年ほど眠っていたと思ったのかしら?」

「…奇遇ね。貴女とは真逆の方向で考えていましたわ」

 そんな相手の様子を見かねてか、自分なりの冗句を飛ばした永琳に紫は気を取り直しつつも言葉を返した。

 一体自分の身に何が起こったのだろうか…?そんな疑問がふと頭の奥底から湧いてくる。

 幸いにも心当たりはある。今抱えている異変の初期に゙あの世界゙への侵入を試み、霊夢を召喚したであろう少女の遭遇。

 その時に出会い、襲い掛かってきたあの白い光の人型。それを追い払うために一撃お見舞いする時にもらった、あの一太刀…。

 

(でもまさか…傷自体はすぐに治ったし、あれ以降特に体調には変化は無かったけどねぇ)

 心当たりと言えばそれくらいなものだし…もう一つあるとすれば、少し賞味期限が切れた芋羊羹を茶菓子に食べた程度である。

 とはいえ妖怪がその程度で倒れて一月過ぎも倒れてしまうと、それはそれで物凄い名折れになってしまうが。

(もしかしてこの前、スキマに隠してて忘れてた最中を食べたのがいけなかったのかしら…?)

 思い当たる節がそれくらいしかない紫が、寝起きの頭をウンと捻りながら思い出そうとしており、

 永琳はそんな彼女の心の内を読んだかのように呆れた目で見つめつつ、心の中では別の事を考えていた。

 

(どうやら、本当に憶えてないらしいわね…この様子だと)

 暢気な妖怪だと思いつつ、やはりその姿から滲み出る『余裕』とでも言うべき雰囲気に永琳は感心していた。

 去年の秋、永夜事変と呼ばれるようになったあの異変で顔を合わせて以降、油断ならない相手だと認識している。

 あの巫女とは違いどこか浮ついていて、時折何をやっているのかと思う事はあっても、常にその体から『余裕』が滲み出ていた。

 例えるならば剣術に長けたものが相手の目の前でわざとおふざけをし、いざ切りかかってきた瞬間にそのまま一刀の元に切り伏せてしまう『余裕』。

 傲慢とも取れる強者だけが持ち得る『余裕』を放つ八雲紫は正に、いかなる戦いでも勝ちを手に取る事の出来る真の強者。

 博麗の巫女以上に警戒すべき妖怪であり、この幻想郷で生きていく上では絶対に逆らってはいけない支配者なのである。

 

 

(けれど、どうやら゙相手゙の方が一枚上手だったようね…)

 無意識のスキマで連れ去られ、半ば強引に彼女の治療をさせられていた永琳は紫の容態を把握していた。

 あの日…永遠亭の自室で空いた時間を利用した本棚の整理していた最中に、彼女はスキマによってここへ連れて来られた。

 突拍子も無く足元の床を裂くようにして現れたそのスキマには、流石の永琳でも避ける暇は無かったのである。

 しかし、結果的にそれがマヨヒガの玄関で倒れていた紫を助けることに繋がり…信じられない様な事実さえ知ることができた。

 恐らく彼女はそれを自覚していないかもれしない。もしそうであるならば今の異変に深く関わるもうあの世界への評価を数段階上げなければいけない。

 いまその世界にいる博麗霊夢…ひいては幻想郷そのものに、これまでとは次元の違う異変を起こした異世界――ハルケギニアを。

 

「……あっ、こんな所にいたんですかお二人とも!」

 マヨヒガの廊下で立ち止まった二人が各々別の事を考えていた時、二人の耳に聞きなれた少女が呼びかけてきた。

 咄嗟に紫が前方へと顔を向けると、そこにいたブレザー姿の妖獣の姿を見て「あら!」と声を上げる。

 二人へ声を掛けた少女もとい妖獣は永琳と同じく月に住む兎――玉兎にして、彼女の弟子である鈴仙・優曇華・イナバであった。

 足元まで伸ばした薄紫色の髪、頭には変にヨレヨレでいつ千切れても可笑しくなさそうな兎耳が生えている。

 この場に居る三人の中では最も名前が長くそして頼りなさそうな雰囲気を放っているが、その能力は三人の中では最も性質が悪い。

 とはいえ本人はそれを悪用するほどの大胆さは持たず、それを仕出かす性格ではないので今は永遠亭で大人しく過ごしている。

 そんな彼女が何故この永遠亭にいるのだろうか?その疑問を知る前にひとまずは挨拶をしてみることにした。

 

「誰かと思えば、永遠亭のところの臆病な……え~っと、月兎さん…?じゃあありませんか」

「え?あ、あの…月兎とは言わないんだけど…それはともかくとして、お久しぶりです紫さん」

 紫が自分の種族名を呼び間違えたことを指摘をしつつ、鈴仙は目の前にいる大妖怪におずおずと頭を下げる。

 無論彼女たち月の兎の正しい呼び方は知っているが、そこを敢えて間違えてみたが彼女は怒らない。

 やり過ぎればそれはそれで面白いモノが見れそうなのだが、それは自分の手前いる彼女の師匠が許さないであろう。 

「あら、優曇華じゃないの。もしかして、待てない゙お客さま゙に促されたのかしら?」

 鈴仙の師匠である永琳が右手を軽く上げつつ、何やら気になる単語を口にしている。

 ゙お客様゙…?自分の隙間が無意識に連れ込んだというのは、永琳だけではなかったのか…?

 小さく首を傾げつつも、ひとまず紫は次に喋るであろう鈴仙の言葉を聞いてから口を開くことに決めた。

 

「はい…、この天気だと雨が降りそうなので手早く済ませたいと…後、姫様もまだ起きないの?とかで…」

「あらあら…どうやら私が寝ている間に、御大層な見舞い客達が来てくれたようねぇ」

 二人の話を横から聞いていた紫は、頼りない玉兎が口にした言葉で永琳の言ゔお客様゙の姿を何となく想像する事が出来た。

 自分が居間へ来るのを首を長くして待っているのだろう、ならばここで時間を潰している場合ではない。

 笑顔を浮かべながらそう言った紫にしかし、永琳は苦笑いの表情を浮かべてもう一度肩を竦めて見せる。

「まぁ、そうね。貴女が倒れたと聞いて、何人かが見舞いに来てくれているけど…けど、」

「けど?」

「今日は今まで眠っていた分、たっぷりと話すことになるでしょうから、喉を潤すのを忘れないで頂戴」

 

 

 案内役が二人となり、やや狭くなった廊下を歩いていると窓越しに何か小さな物が当たったような音がする。

 何かと思い目を向けると、丁度曇天から振ってきた幾つもの水滴が窓を叩き始めた所であった。

 彼女の後ろにいた鈴仙も聞こえ始めた雨音に思わず兎耳が動き、窓の方へと顔を向ける。

 これから梅雨入りの季節である、恐らくこの雨は連日続く事になるだろう。

 

「雨、降ってきちゃいましたね。…まぁ何となく予想はついてましたけど」

「いけないわねぇ。これれじゃあ雨が降ったら困るお客様が、家に帰れなくなってしまうわね」

 他人事のように喋る紫が足を止めたのに気付いてか、一人前を歩いていた永琳が溜め息をついてしまう。

 居間まではもう目と鼻の先であり、そんなところで雨なんか眺めている紫に彼女は「早くして頂戴」と急かす。

「きっとその゛雨が降って困るお客様゙は、待ちに待ちすぎて苛ついているわよ?」

 永琳が後ろの二人へと顔を向けながら続けて言った直後―――前方から幼くも恐ろしい少女の声が聞こえてきた。

 

「―――残念だけど、私は怒っていないわよ。何せ、ようやく御寝坊さんのスキマ妖怪に会えたのですから」

「…!――――わっ…と!」

 突然聞こえてきたその声に永琳が後ろへ向けていた顔を戻した瞬間、すぐ目の前に小さくて凶悪な口があった。

 流石の永琳もこれには驚いたのか、声が裏返ったのも気にせず数歩後ろへと下がってしまう。

 永琳に自らの口を見せた少女は彼女の驚きぶりにクスクスと笑いながら、背中に生えている蝙蝠の羽根をパタパタと動かしてみせる。

「ふぅ…全く、驚かせるなら私じゃなくて八雲紫にしてくれないかしら?」

「そのつもりだったけど、アンタのそのクールぶった表情を崩してみたくなってね?」

 良い表情(カオ)を見れたわ。――最後にそうつけ加えた少女は背中の羽根を動かすのをやめて、永琳の後ろにいる妖怪へと視線を向ける。

 紫は後ろへ下がった永琳の肩越しにその少女の姿を見て、久しぶりに顔を合わせた知り合いに挨拶をするかのように声を掛けた。

 

「あら!お久しぶりねェ、私が寝ている間に何回お見舞いに来てくれたのかしら?」

「………三回、そして今日を合わせて四回目。奇遇な数字だと思わない?―――――四よ、四」

「とても素敵な数字だと思いますわ。―――貴女が凍土の様に冷たい怒りを溜めこんでいるのが分かるから」

「何なら、今から外で貴女の寝ぼけた頭をハッキリさせるお手伝いでもしてあげようかしら。…この程度の雨なら、蚊に刺されるのと同じだからね」

 クールに皮肉をぶつけたつもりが、あっさりと自分の心の内を読まれてしまった少女は犬歯の生えた口を歪ませて言う。

 二本の犬歯が目立つその口は、外の世界で未だ尚その名声を保ったまま、幻想の者となった悪魔の証明。

 数多の妖怪たちがいる幻想郷の中では新米とも言える種族であり、弱点も多いことながらそれらを自らの力でカバーする程の実力。

 霧の湖の中心に立つ巨大な洋館―――紅魔館の主にして、運命を操る程度の能力を持った永遠に幼き紅い月。

 それが今、八雲紫と相対している少女―――レミリア・スカーレットである。

 

「はいはい、そこまでにしておきなさい。これ以上話をややこしくしないでちょうだい」

 寝起きの八雲紫と、隠し切れぬ怒りを体から滲み出しているレミリア・スカーレット。

 とりあえず両者の行動を見過ごすしていては話がややこしくなると感じてか、すかさず永琳が仲介役となる。

 紫はともかくとして、いきなり自分たちの間に立った薬師を、その紅い瞳でキッと睨み付けた。

「何よ、コッチは三回以上も無駄足を運んだのよ?コイツに文句の一つくらい言っても許してはくれないのかしら」

「それだけなら別にいいけど、貴女の場合そこから先の段階まで一っ跳び到達するから止めたのよ…。それに、貴女も貴女よ」

「あら、私は特に喧嘩を売るつもりはありませんでしたのに」

 右手でレミリアを制した彼女はそう言ってから、左手で制している紫にも苦言を呈する。

 先ほど口にした言葉をもう忘れたのか、という風に肩を竦めて見せる大妖怪に永琳は思わず自分の眉間を抑えたくなってしまう。

 

 そんな紫を見てとうとう呆れてしまったのか、レミリアはため息をつきつつ言った。

「…まぁいいわ。今回はアンタも病み上がりだってソイツから聞いたし、この怒りはひとまず保留にしておいてあげる」

 だから、次は無いからね?吐き捨てるように言ってから、レミリアは踵を返して目の前の襖を静かに開けた。

 先ほど動かしていた時より縮んでいる羽根は小刻みに動いており、それなりに機嫌が悪いのは明らかであろう。

 並大抵の人間や妖怪ならその羽根の動きで彼女の今の状態を読み取り、恐怖で震えてしやまうかもしれない。

 しかし、八雲紫や永琳程の実力者の目には…おかしいことにどうにもその羽根が可愛く見えてしまうのであった。

 

「……ふふ」

 パタパタと揺れ動く黒い蝙蝠の羽根に紫が思わず微かな笑い声を口から漏らした直後、レミリアの顔がすっと後ろを振り向く。

 気づかれちゃった…?一瞬そう思った紫ではあったが、幸運にも彼女の耳には入らなかったようだ。

「ほら、何やってるのよ。アンタがを覚ますのを首を長くして待ってたのは、私やそこの薬師だけじゃあないのよ?」

「それは大変ね。主役が遅れては、物語の本筋が進まないのと同じ事だわ」

 吸血鬼の呼びかけに紫は笑顔を浮かべたままそう答えると、再び居間へと向けて歩き始める。 

 レミリアが空けた襖の向こう、自分の記憶が正しければその先にはマヨヒガの居間がある。

 彼女と永琳に弟子の玉兎…そしてその兎が゙姫様゙と呼んだ未だ見ぬ゙お客様゙を含めた複数人の見舞い客。

 きっと彼らは自分の事を待っているのだろう。今現在、あの世界と自由に行き来できる自分から情報を得る為に。

 

「一月と半分ぶりのお話ですもの、たっぶりと口を動かしたいものだわ」

 紫は一人呟きながら、わざわざ出迎えにきてくれたレミリアの後をついていくように足を進めた。

 

 

(全く、一時はどうなる事かと思ったわ…)

 一触即発の空気を無事に抜き終えた永琳は、内心ホッと一息胸を撫で下ろす。

 最初に両者互いに言葉の売買を始めた時はどうしようかと思ったモノの、思いの外上手くこの場を収める事が出来た。 

 この先にいるのはあの吸血鬼の従者と、この異変に興味を見せ始めた永遠と須臾を操る自分の主。

 そして紫とは古い付き合いである華胥の亡霊ともう一人―――彼女と共にやってきた規格外の゙来客゙がいる。

 どうして彼女がわざわざ八雲紫の元へ見舞いに来たのか、本来なら目を覚ました紫に自分の許へ呼び出せる立場にあるというのに。

 本人は紫に直接話したい事があると言って、今日で三回目の見舞いに来てくれていた。

 

『さぁ~?私に聞かれても分からないわよぉ。でもまぁ、彼女なりに紫を気遣ってくれてるんじゃない?』

 

 思わずその゛来客゙を最初に連れてきた亡霊に聞いても、そんな返事しかしなかった。

 埒があかずその゙来客゙本人に聞いてみるも、彼女も彼女であの八雲紫に話があると言って見舞いに来たの一点張り。

 紫とはまた別に厄介な、自分の考えを曲げない断固たる意志と威圧感を体から放ちながら゙来客゙は言った。

 

『ちゃんと貴女方にも伝えます。けれども、一番話を聞くべき本人が眠っていては意味がありません』

 

 つまりは八雲紫に直接口頭で伝えるべき事があるらしいが、それが何なのかまではイマイチ分からないでいる。

 しかし永琳は何か予感めいたものを感じていた。あの゙来客゙が紫の前で口にすることは、決して自分たちには関係ない事ではないと。

 

 そんな風にして永琳が襖の向こうにいるであろゔ来客゙の後姿を思い浮かべていた時、情けない声が背後から聞こえてくる。

「あ、ありがとうございます師匠。全く地上の妖怪同士のイザコザってのは危なっかしいものですね」

「それを言う暇があるなら、せめて私が動くより先に止める事をしてみなさい…」

 声の主、弟子の鈴仙が前を進む妖怪と悪魔を見遣りながら言ってきた言葉に、永琳はやれやれと肩をすくめた。

 薬学の覚えも良く頭の回転は速いし、自分の能力の使い方や運動神経も良しで、彼女は決して出来の悪い弟子ではない。

 

 ただどうも臆病なのが致命的短所とも言うべきか、ここぞという所で動かないのである。

 先ほどの紫とレミリアが相対した時のような場面に出くわすと、何というか空気に徹してしまうのだ。

 特に自分がいなくても誰かが代わりに止めてくれると思っていると、尚更に。

 無論この前の異変の様に後に引けなくなれば押してくれる。呆気なくやられてしまったが。

 

「師匠の私としては、貴女のその臆病さを改善しないといけないって常々思います」

「えぇ~…でも、でもだって怖いじゃないですか?あの八雲紫と吸血鬼の間に入るなんてぇ~…!」

 鈴仙は元々白みが強い顔を真っ青にし、ワナワナと体を震わせながらついつい弱音を吐いてしまう。

 吸血鬼や亡霊の従者たちとは違い、ここぞという時に臆病さが前に出て全く動いてくれない玉兎の若弟子。

 いずれ落ち着いた時が来れば、その臆病さを克服できる゙何がをさせなければいけないと、永琳は心の中のメモ帳に記しておくことにした。

 

 

 

 

 トリステイン王国の首都、トリスタニアのチクトンネ街にある一角。

 通称゙食堂通り゙と呼ばれるそこは、文字通り幾つもの飲食店が店を構えていた。

 ブルドンネ街のリストランテやバーとは違い、主に下級貴族や平民などを対象とした店が多い。

 今日も仕事へ行く下級貴族たちが朝食を済ませ、急ぎ足で後にしていった食堂にはそれを埋め合わせるかのように平民の客たちが来る。

 その大半が劇場や役所の清掃員や、夜間の仕事を終えて帰宅する前の食事といった感じの者たちが多い。

 したがって客の大半は男性であり、この時間帯ば食堂通り゙を財布の紐がキツイ男たちが行き来する事になる。

 

 そんな通りにあるうちの一軒、主にサンドイッチをメインメニューにしている食堂「サンドウィッチ伯爵のバスケット」という店。

 朝食セットを選べば無料でスープとサラダが付いてくる事で名の知れたここには、今日もそれなりの客が足を運んでいた。

 カウンター席やテーブル席、そしてテラス席にも平民の男たちが占有して大きなサンドイッチを頬張っている。

 それはおおよそ女性や婦女子が食べるような小さなものではなく、いかにも男の料理らしいボリューミーなものばかりだ。

 程々にぶ厚いパンに挟みこまれているのは、これまた分厚いハムステーキや鶏肉に、目玉焼きのひっついたベーコンなど…

 入っている野菜も野菜でトマトやピクルス、レタスなどもいかにも男らしく大きめに切られて肉類と一緒に挟みこまれている。

 更に、少し財布の紐を緩めればトリステイン産のパストラミビーフのスライスを二十枚も入れた豪勢なサンドイッチも食べられるのだ。

 

 そんな店の外、テラス席に座った二人の平民の男たちがサンドイッチを片手に何やら話をしていた。

「なぁおい、この前のタルブ村で起こったっていう『奇妙な艦隊全滅』の話しの事なんだが…―――…ムグッ」

「あぁ、知ってるぜ?何でも、大声じゃあ言えないが親善訪問直前で裏切ったアルビオンの艦隊が火の海になったって事件だろ?」

 同じ職場の同僚もとい友人にそんな事を言いながら、彼は頼んでいたロブスターサンドを豪勢に頬張る。

 ロマリアから直輸入されたレモンの汁とオリーブオイルが利いたドレッシングが、朝一から彼にささやかな幸せを与えてくれる。

 ほぼ同年代の友人が食うサンドイッチを見つつ、自分が頼んだ目玉焼きサンドに胡椒を振り掛けながら相槌を打つ。

 この平民の男が言う『奇妙な艦隊全滅』の噂は、トリスタニアを中心にトリステインのあちこちへ広がりつつあった。

 噂の根源は既に行方知れずであるものの、多くの者たちがトリステイン軍の兵士や騎士達からその話を聞いている。

 証言者である彼らは先日親善訪問護衛の為にラ・ロシェールへと出動し、その一部始終を見ていたのだから。

 

 曰く、親善訪問の為にやってきたアルビオンを艦隊が、わざわざ迎えに来たトリステイン艦隊を突如裏切り、攻撃してきたのだという。

 しかし、事前に警戒していたトリステイン艦隊司令長官はギリギリでこれを回避、被害を最小限に留めたのた。

 不意打ちが失敗したアルビオン艦隊は追撃しようとしたものの、郊外の森で『偶然訓練の最中であった』トリステイン国軍が助太刀の砲撃。

 ゲルマニアから貰った対艦砲によってアルビオン艦隊は士気を挫かれたものの、白旗を上げるどころか見たことも無い怪物たちを地上へ放ったのである。

 国軍の兵士曰く「あまりにも身軽連中だったと話し、ラ・ロシェールで警護についていた騎士は「亜人でもない、幻獣でもない怪物に我々は浮足立った」と悔しそうに呟いていた。

 

 森から砲撃していた国軍は止むを得ずラ・ロシェールまで後退し、警護の為町へ訪れていた王軍と合流したものの…。

 化け物たちの勢いはそれでも止まらず、とうとう王軍も町を放棄してタルブ村まで撤退するが、そこでも抑えきれなかったらしい。

 避難し遅れていた村人やラ・ロシェールの人々を連れて王軍、国軍は少し離れたゴンドアまで撤退し、そこに防衛線を築いた。

 王軍、国軍の地上戦力二千と、アルビオン艦隊との正面衝突では負けると判断し後退していたトリステイン艦隊を合わせれば三千の勢力。

 対する敵は国軍からの砲撃を喰らったものの無傷とも言えるアルビオン艦隊と、トリステイン軍の偵察が確認した地上戦力を合わせて四千。

 千という差はこの戦いではあまりにも大きく、更に国軍と王軍を退けた化け物がいる以上トリステイン軍は万全を期して敵を待ち構える事にした。

 

 ところがどうだ、敵は怪物たちを使ってタルブ村を乗っ取った後ピタリと前進をやめたのである。

 偵察に出た竜騎士曰く、まるでそこが終着駅であるかのように化け物たちは進むのを止めてタルブ村やラ・ロシェールを徘徊していたのだという。

 この時王軍代表の将校として指揮を執っていたド・ポワチエ大佐はその報告に首を傾げたが、なにはともあれ敵は前進を止めた。

 彼はそのチャンスを無駄にすまいと王宮へ伝令を飛ばし、町そのものを使った防衛線をより強固にするよう命令した。

 その内日が沈み、日付けが変わる頃には即席の要塞と化したゴンドアへ、ようやくアンリエッタ王女率いる増援が到着したのだ。

 たちどころに士気が上がり、籠城していた者たちは皆歓声を上げ、アルビオン王家を滅ぼした侵略者たちをここで食い止めて見せると多く者が誓った。

 

 しかし、彼らの予想に反して空と地上で行われる激しい攻防戦が始まることは無かった。

 圧倒的に精強な艦隊と無傷の地上戦力に、見たことも無い怪物たちを操っていたアルビオンが勝ったわけではなく、

 かといって防衛線を固め、王女率いる増援を迎え入れたトリステインが勝利したと言われれば、本当にそうなのかと首を傾げる者たちがいる。

 その多くが実際の光景を目にしたトリステイン軍の兵士や将校達と、彼らよりも間近でソレを目にしたアルビオン軍の捕虜たちであった。

 出動した魔法衛士隊の隊員はその時目にした光景を、「一足早い夜明けが来たのかと思った」と証言している。

 一方でアルビオン側の捕虜…とくに甲板にいた士官たちはこう証言している。「我々の目の前に小さな太陽が生まれ、船と帆を焼き払った」と――――。

 それが『奇妙な艦隊全滅』こと『早すぎた夜明け』―――――アルビオン側の捕虜たちの間で『唐突な太陽』と呼ばれる怪現象だ。

 

 アンリエッタ率いる増援が町へ到着し、息を整えていた時に…突如ラ・ロシェールの方角から眩い光が迸ったのである。

 そのあまりに激しい光に繋がれていた馬や幻獣たちは驚き、乗っていた兵士や将校たちを振り落としかねなかったそうな。

 この時多くの者たちが何の光だとは叫び戦き、あるモノはアルビオン軍の新兵器かと警戒し、またある者は夜明けの朝陽と勘違いした。

 光は時間にして約一分ほどで小さくなっていき、やがて完全に消えた後…代わりと言わんばかりに山を照らす程の火の手が上がり始めたのである。

 急いで出動した偵察の竜騎士が見たのは、ついさっきまでその威圧漂う偉容で空を飛んでいたアルビオン艦隊が、一隻残らず火の手を上げて墜落していく姿であった。

 艦首を地面へ向けてゆっくりと落ちていくその姿は正に、太陽の熱で翼を焼かれた竜の様に呆気ない艦隊の゙最期゙だったという。

 

 当初トリステイン側は、アルビオン艦隊が火薬の不始末か何かを起こして爆発を起こしてしまったりのかと思っていた。

 だがそれにしてはあまりにも火の手が激しく、最新鋭の艦隊がこうも簡単に沈むとは到底考えられない。

 更に不思議な事に、墜落現場へと魔法衛士隊や竜騎士隊が一番乗りしてみるとアルビオン側の者たちは殆ど無傷だったのだという。

 何人かが墜落する際の騒ぎで怪我した者はいたが、輸送船に乗っていた地上戦力も含めて死者はいなかったのである。

 いくら何でもそれはおかしいと多くの者たちが思い、士官や司令長官達に尋問を行った所…奇妙な証言をする将校たちがいた。

 彼らは皆あの巨艦『レキシントン』号に乗船していた者達で、先頭にいた彼らはあの光を間近で見ていたのだ。

 その内の一人であり、王党派よりであった『レキシントン』号の艦長ヘンリー・ボーウッドが以下の様に証言している。

 

 

「あの時。いざゴンドアへ向けて前進しようとタルブ村を超えかけた所で、私は遥か真下から強い光が迸るのを見た。

 まるで暗い大海原で見る灯台の灯りの様に眩しく、遥か上空からでもその光を目にする事が出来た。

 何だ何だと私を含め多くの士官たちが駆けより、とうとう景気づけに酔っていた司令長官まで来た直後―――あの光が迸った。

 小さな太陽とはあれの事を言うのだろうか、最初我々の頭上に現れたソレに目を焼かれたのかと錯覚してしまった程眩しかった。

 私自身の口と周りにいた士官仲間や司令長官、そして周りにいた水兵たちの悲鳴が一緒くたになり、耳に不快な雑音となる。

 そうして一通り叫んだところでようやく光が消え去り、焼かれる事の無かった目で周囲を見回した時……辺りは火の海になっていた。

 そこから先は八方塞がりだったよ。帆は焼け落ち、船内の『風石』も燃え上がって…緩やかに地面へ不時着するほか手段がなかった」

 

 彼を始め、尋問で話してくれた多くの者たちがある程度の差異はあれど同じような証言をしている。

 突如自分たちの頭上に太陽と見紛う程の白い球体の光が現れ、船の甲板と帆に船内の『風石』だけを焼き払って消え去った。

 艦隊が成す術もなく墜落していった原因はこれであり、調べてみたところ確かに『風石』だったと思われる灰の様なものも確認している。

 この不可解な現象に流石のトリステイン王国の政治上層部も素直に喜んでいいのか分からず、更なる調査が必要だと議論の真っ最中であった。

 一方で軍上層部―――俗にいう制服組の一部には「奇跡の光」と呼んで、余計な犠牲が出ずに済んだことを喜ぶ者たちがいた。

 自軍の艦隊はほぼ無傷であるのに対し、敵側となったアルビオンは『レキシントン』号をはじめとする精鋭艦隊をゴッソリ失ったのである。

 地上戦力は国軍、王軍の現役将校たちを含め約五百名以上が亡くなったものの、戦略上ではさしたる被害にはならない。

 

 

 

 ―――――…とはいえ、此度の戦には不可解な現象が幾つも起きており。

 アルビオン艦隊の全滅と共に姿をくらました怪物たちや、例の光に関しては早急なる調査が必要である。』…とのことです」

 

 

「ご苦労でしたマザリーニ枢機卿。…さて、と…ふぅ」

 妙に長かった報告書をやっと読み終えたマザリーニ枢機卿が一息つくと、アンリエッタは右手を軽く上げて礼を述べた。

 場所は執務室、白をパーソナルカラーとしているトリステイン王宮の中では異彩を放っている渋い造りとなっている一室である。 

 

 ゴンドアから戻ってきてから幾何日、ようやく戦闘後の事後処理が済みかけていると実感しつつ、まだまだ気は抜けないと実感してしまう。

 報告書にも書かれていたが、今回ラ・ロシェールとタルブで起きた戦闘は一言でいえば゙奇怪゙であった。

 トリステインの情報網には全く引っ掛らなかった謎の化け物たちに、艦隊を全滅させた謎の光。

 そして艦隊が無力化されたと同時に、まるで霞の様に姿を消してしまった怪物たちの事など…数え上げればキリがない。

 形式的には勝利したものの、枢機卿を含めた多くの政治家たちにとって、腑に落ちない勝利とも言えよう。

 

「とはいえ…我が国を無粋にも侵略しようとした不届き者どもを退けられた事は、素直に喜びたいところですわ」

 アンリエッタは枢機卿の読んでいた報告書の内容を頭の中で反芻しながら、ソファの背もたれに自らの背中を沈ませた。

 王宮に置かれている物だけあって程々に柔らかく、硬い背もたれは緊張続きだった体を優しく受け止めてくれる。

 ついで肺の中に溜まっていた空気を軽く吐き出していると、自分の口ひげを弄るマザリーニが話しかけてきた。

「左様ですな。それに我々の手の内には彼奴らがこの国で内部工作を行っていた証拠もあります」

「そうですね。今私達の両手には杖と短剣が握られており、相手は丸腰の上手負いの状態…しばらく何もないことを祈りましょう」

 アンリエッタはマザリーニの言葉にそう返すと姿勢を改め、自分と枢機卿の前にいる゙者達゙へと話しかけた。

 

 

 

「そしてルイズ、レイムさんにマリサさん――そして他の方々も…此度の件は、本当に助かりました」

「えっ…?あのッ…その、姫さま…そんな、貴女の口から賛辞を言われる程の事は…」

 暖かな笑みと眼差しと共に口から出た彼女の賛辞は、向かいのソファに座るルイズ、霊夢、魔理沙の三人の耳にしっかりと届いた。

 あの戦いから幾何日か経ち、すっかり元気を取り戻したルイズは親友からの礼に思わずたじろいでしまう。

 ルイズは先ほどの報告書でも出ていた『艦隊を全滅させた奇妙な光』を放ったのは自分だと確かに憶えている。

 しかし…だからといってあの光を―――『エクスプロージョン』を自慢していい類の力だと彼女は思っていなかった。

 だから今、こうしてアンリエッタに褒められても素直に喜ぶことができないでいた。

 

 一方でルイズの右に腰を下ろした霊夢はティーカップを持っている左手を止めて、チラリと横目でルイズを見遣る。

(全く、変なところで不器用なのね)

 自分の横で若干慌てながらもシラを切ろうとしている彼女の姿に、おもわず肩を竦めたくなってしまう。

 唇に紅茶の熱い湯気が当たるのを感じながら、謙虚な態度を見せるルイズに思わず言葉を投げかけた。

「良かったじゃないの、アンリエッタに褒められて?アンタもあんだけ、気合入れてぶっ放した甲斐が……」

「……ッ!ちょ…レイム、その事は喋るなって言ったでしょうに…!」

 いきなり真相を喋ろうとしていた巫女を制するかのように、ルイズは咄嗟に大声を上げた。

 体は小さくとも、まるで成熟したマンティコアの様な大声で叫ばれた霊夢は、思わず顔を横へ逸らしてしまう。

 反射的に怒鳴ってしまった後、それに気づいたルイズがハッとした表情を浮かべた直後、今度は魔理沙が絡んでくる。

「ほうへんふぉんするなひょ?ひゃいひょひゃびびっひゃけど、あへはふぅーふぅんひまん―――――ウグゥ……ッ!?」

「口にお菓子咥えたまま喋るなッ!」

 霊夢とは反対方向に座っていた普通の魔法使いは、茶請けのフィナンシェを口に咥えたまま喋っていた。

 結果的にそれがルイズの怒りに触れてしまい、張り手の様に突き出された右掌で無理やりフィナンシェを口の中へと突っ込まれてしまう。

 幸いにもフィナンシェは半分ほど食べていたおかげで、喉に詰まるという最悪のハプニングに見舞われることは無かった。

 

 自分のペースで食べる筈だった硬めの焼き菓子が、一気に押し込まれるという突然の出来事。

 たまらず目を見開いて驚いた魔理沙は辛うじて飲み込み、急いで手元のコップを手に取り中に入っていた水を一気に煽った。

 しっかりと冷たいそれが口の中で滅茶苦茶になったフィナンシェを解し、何とか空気が入る余地を作る。

 そして水をゆっくりと飲み、柔らかくなったお菓子を口の中で噛み砕いていきゆっくりと嚥下していく。

 時間にすればたった三秒ほどであったが、魔理沙にとってこの三秒は人生の中で五本指に入る程の危機であった。

「ウッ―――く、…ゲホッ!お、おまえなぁ…なにもいきなりあんなことをするなんて…!」

「悪いけどさっきのアンタからは、非しか見えなかったからね?」 

「そうねぇ。むしろ、トリステイン王家の傍にいるトリステイン貴族を前にして流石にあれは無茶だわ」

 何とか飲み込めたものの多少咳き込みながら恨めしい視線を向けてくる魔理沙に、ルイズは冷たくあしらう。

 

 まぁ確かに彼女の言うとおりであろう。その様子をルイズたちの後ろから眺めていたキュルケが、頷きながら続く。

 そこへギーシュもウンウンと同じように頷きながら、薔薇の造花が目立つ杖で口元を隠しながら魔理沙をジッと睨み付けた。

「全くだよ。こともあろうに、王女殿下の目の前であのような態度…!場所が場所なら大変な事になっていたよ」

 本人としては十分決まったであろうセリフにしかし、魔理沙は怯えるどころか面白そうな表情を浮かべている。

 ついさっきまでお菓子で窒息死しそうになった癖に、相も変わらず霧雨魔理沙は元気のようだ。

 

 

「お、何だ何だ?決闘騒ぎにでもなってくれるのか?」

「それなら安心しなさい。ギーシュのヤツ、そこの巫女さんに喧嘩吹っかけといて呆気なく負けてるから」

 楽しそうな表情を浮かべる黒白に対し、彼氏の隣に立っていたモンモランシーが呆れた表情を浮かべて言った。

「も、モンモランシー…それは言わないでおくれよ…!」

「はは、そう心配するなよ。あの霊夢に喧嘩を売ったっていうなら、それだけでも十分凄いぜ。まぁ痛い目も見ただろがな?」

 一方でガールフレンドに梯子を外されたギーシュに、魔理沙は満面の笑みを浮かべながら彼を励ます。

「もぉ~…!何やってるのよアンタ達はぁ…!」

「ま、まぁこれは元気があって大変よろしいというか…心配する必要はないといいますか…あはは…」

 四人のやり取りを横目で見やりながらルイズは怒りを露わにし、アンリエッタはそんな彼女に寄り添うかのように苦笑いでフォローを入れる。

 一昔前のルイズなら魔理沙たちに激怒していただろうが、今では一応注意こそすれ怒り過ぎると却って逆効果になると知ってからはそれ程怒ることは無くなっていた。

 とはいえ、大切な姫様の御前というのに良くも悪くも自分のペースを崩さない魔理沙と、それにつられてしまうキュルケ達に頭を抱えたくなってしまった。

 そして霊夢はスッと一口紅茶を飲んでから…自分の後ろにタバサへと話しかけた。

「今ここで騒がしくしてるのが、アンタみたいに静かだったらどれ程良かったかしらね?」

「……そうでもない」

 ずれたメガネを指で少し直しながら、青い短髪の少女はボソッとそれだけ呟いた。 

 

 ルイズと霊夢達の事が気になり、彼女たちの後を追いその秘密を知ってしまったキュルケ、タバサ、モンモランシーにギーシュ。

 この四人もまた先日、あの戦の後にトリステイン軍に保護され、王宮の中で一時的に暮らしている。

 『エクスプロージョン』で艦隊を全滅させた後、気絶したルイズや疲労困憊していた霊夢達と共にトリステイン軍に保護されたのだ。

 当初は何故魔法学院の生徒がここにいるかと問われたものの、そこは口八丁なキュルケ。

 学院の夏季休暇が前倒しになったという事実を利用して、タルブ村への観光くんだりで戦いに巻き込まれたと説明してくれていた。

 よもやルイズと共に来ていた霊夢と魔理沙…それに前とは変わってしまったルイズを追いかけて来たとは言わなかった。

 その後全員がゴンドアへと連れて行かれ、以降あの戦の事を知る重要参考人として王宮で監禁生活を送っている。

 

「あ~…―――ゴホンッ!」

 魔理沙が端を発し、盛り上げていた会話はしかし、アンリエッタの背後から聞こえてきた咳払いによって中断させられる。

 何かと思いルイズと霊夢、それにアンリエッタも後ろを見遣ると、渋い顔をしたマザリーニ枢機卿が口に当てていた握り拳をそっと下ろした。

「……あー、お話し中のところすみませぬが、そろそろ静かにしてもらえますかな?」

 まだ話は続いている途中です故。最後にそう付け加えた後、魔理沙につられていたキュルケ達は思わず背すじをピッと伸ばしてしまう。

 流石平民の身にして、伝統あるトリステイン王国の枢機卿にまで登り詰めただけあって、その言葉には不可視の重圧があった。

 ルイズとアンリエッタも崩れかけていた姿勢を正し、その一方で魔理沙は咳払いでこの場を黙らせてしまった枢機卿に思わず感心する。

「へぇ~?見た目はヒョロヒョロとしてるけど、中々強かな爺さんじゃあ…――――」

「失礼ですが!私はこう見えても、まだまだ四十代ですのであしからず」

 態度を正さぬ魔理沙の口から出だ爺さん゙と言う単語に流石のマザリーニもムッとしてしまったか、

 キッと彼女の顔を睨みつけながら、さりげなく自分の年齢をカミングアウトした。

 

 

「――――――…あぁ~悪い、次からは誰かを褒める時は年齢を聞いてからにするよ」

 流石の黒白の魔法使いもこれはバツが悪いと感じたのか、視線を逸らして申し訳なさそうに謝った。

 枢機卿の睨み付ける鋭い目つき、まるで獲物を見つけた猛禽の様な睨みが普通の魔法使いを怯ませたのだろうか。

 何はともあれ、アンリエッタの前で好き放題していた魔理沙には彼の目つきは丁度良い薬となったようだ。

 

 

 

(流石ですマザリーニ枢機卿…!)

 ルイズが内心で彼にエールを送る中で霊夢は茶を飲み、タバサは相変わらずジッと佇んでいた。

 ひとまず、自分が入り込んだおかげで部屋が再び静かになったのを確認してから、マザリーニは小脇に抱えていた書類をアンリエッタに手渡す。

「では殿下、この書類の方に件の内容が記しておりますので」

「有難うございます枢機卿。…さて」

 何やら気になる事を言った彼から書類を受け取ったアンリエッタは、まず軽く目を通し始めた。

 読みやすいよう小さい画板の様な板に留められている書類の内容を目で追いながら、不備が無いかチェックする。

 そして書類を受け取って十秒ほど経った頃であろうか、アンリエッタはルイズたちの前でその口を開いた。

 

「神聖アルビオン共和国艦隊旗艦。『レキシントン』号艦長、ヘンリー・ボーウッド殿からの追加証言……」

 タイトルであろう最初の一文に書かれた文字を、アンリエッタはその澄んだ声でスラスラと読み始める。

 報告書自体はものの五分程度で読み終える程のものであったが、書かれていた内容はルイズを大いに驚かせた。

 

 以下、要点だけを挙げれば報告書には以下の様な内容が記されていた

 あの『レキシントン』号の艦長を勤めていたというボーウッドと言う将校の他、何人かの士官が一人の少女を見たのだという。

 丁度タルブ村からアストン伯の屋敷へと続く道がある丘の上で、杖を片手に呪文を唱えていたというピンクブロンドの少女を。

 更に彼女の周りには幼い風竜が一匹、そして彼女とほぼ同年代と思える五人の少女に一人の少年の事まで書かれている。

 何だ何だと船の上から望遠鏡でみていた矢先、呪文を唱えていた少女が杖を振り下ろしたと同時に―――あの『奇妙な光』が発生した。

 そして最後に、ボーウッド殿は地上にいた少女達が何者なのか興味を抱いている…という一文で報告書は終わっている。

 

 自ら報告書を読み終えたアンリエッタはまたもやふぅと一息ついて報告書をテーブルに置き、ついで手元のティーカップを持ち上げる。

 まだほんのりと湯気が立つそれを慎重に飲む姿を目にしつつ、最後まで聞いていたルイズは目を丸くして口を開く。

「……そ、そこまでお調べになっていたんですか?」

「ゴンドアにいた私達も見ていた程なのよルイズ。隠し通せる思っていたら随分と迂闊だったわね」

 ため息をつくよりも驚くしかなかったルイズを尻目に、喉を潤したアンリエッタは微笑む。

 モンモランシーとギーシュもルイズと同じ様な反応を見せていたが、キュルケは「まぁそうですよね」と肩を竦めながらそう言った。

 何せあの規模の艦隊をたったの一撃で全滅させたのだ。調べられないと思う方が可笑しい話である。

 タバサは相も変わらず無表情で突っ立っているだけであったが、その目が微かに呆然としているルイズの背中へと向いていく。

 彼女も彼女であの光を発現させた彼女に興味ができたのであろうが、その真意は分からない。 

 

 一方で、霊夢と魔理沙の二人も意外とこちらの事情が筒抜けであった事にそれなりに意外だったらしい。

 お互いの顔を一瞬だけ見合わせてから、こちらに笑みを向けるアンリエッタにまずは魔理沙が話しかけた。

「こいつは驚いたぜ、まさかあの『エクスプロージョン』の事まで知ってたなんてなぁ」

「『エクスプロージョン』…?爆発?それがあの光の名前なんですの?」

「ちょ、バカ…アンタ!そこまで言う必要はないでしょうに!」

 先に口を開いた黒白はさっきまでのシュンとしていた様子は何処へやら、再び快活な表情を浮かべている。

 アンリエッタは魔理沙の口から出た単語に首を傾げ、その言葉が出るとは予想していなかったルイズが咄嗟に反応してしまう。

 三人の間にほんの少し入りにくい空気ができたのだが、それを無視する形で霊夢が話に割り込んできた。

 

 

 

「それで何?確かにあの光とやらはルイズが唱えたのは確かだけど、だからって何になるのよ」

「いえ…特に。けれども、あの光のおかげで我々は無駄な出血を抑えて勝利する事ができたので、お礼をと思い」

「別にそういうのは良いわよ。私達だって、別にアンタに頼まれて行ったワケじゃないんだから」

「そう言うと思いましたよ。…まぁ確かに、色々な理由があってそれをするのも難しいという事もありますが…」

 今まで口元に近づけていたティーカップをソーサーへと置いた彼女は、やる気の無さそうな目でジッとアンリエッタを見つめる。

 特に敵意とかそういうものを感じさせない瞳を見返しつつ、微笑みを崩さぬまま彼女は霊夢の質問に答える。 

 しかしアンリエッタの返事を聞いた彼女は左手をヒラヒラ振りながらそう言うと、ドカッとソファの背もたれにもたれ掛かった。

 アンリエッタの方も霊夢にあっさりと拒否された事に気を悪くせず、ほんのすこし苦笑いする程度である。

 

 だが霊夢と魔理沙のアンリエッタに対する態度に納得がいかなかったのか、ギーシュだけはギリギリと奥歯を噛みしめていた。

 本来ならば、例え元帥の息子であっても何も無ければ入る事すら許されぬトリステイン王国の王宮。

 その中で、事もあろうに先王の忘れ形見であるアンリエッタ王女殿下に対しての口の悪い二人に、彼は静かな怒りを募らせている。

「き、君たちは全く以て…!姫殿下を前にして何たる口の利き方かね…!」

「ギーシュ、あまり気にしたら駄目よ。この二人なら多分ロマリアの教皇聖下の前でも、絶対に態度を崩さないと思うわ」

「きょ…!?い、いやぁルイズ、いくらなんでも……イヤ、この二人がこことは違う世界から来たのなら確かに…そうかもしれない」

 そんな彼を宥めるかのようにルイズがとんでもない例えを出してきたところで、多少は納得する事が出来ていた。

 最も、そうであったとしても自分が敬愛する姫殿下に対する態度だとは思えぬという認識を変えることは無かったが。

 

 そんな二人をよそに、霊夢はアンリエッタとの話で出てきだ色々な理由゙というものに疑問が湧いた。

「理由ですって?何だか穏やかな感じじゃあなさそうだけど…」

 巫女さんからの疑問に、アンリエッタの表情が微笑みから一転渋いものへと変わる。

 それに気づいてかギーシュの方へと視線を向けていたルイズも彼女の方へ向き直り、魔理沙も何だ何だと注視した。

 キュルケ達も視線をそちらの方へ向けて、あっという間にこの場の主役がアンリエッタの手に移る。

 アンリエッタは、ルイズたちが自分の方へと顔を向けてくれたのを確認した後、ゆっくりと喋り始めた。

 

「ええ…。―――…確かに、アルビオンの艦隊を全滅させた貴女たちの功績は褒め称えるべきものです。

 例え私の命令で行かなかったとしても、一国の主たる王族である私は貴女たちに多大な感謝と報酬を授ける義務があります」

 

 まだ話の途中であったが、一息つこうと口を止めたアンリエッタの合間を縫うように魔理沙が「そりゃ嬉しいなぁ」と零した。

「お姫様のご厚意と言うなら、受け取ってあげても良いかな…って思っちゃうぜ」

「アンタの場合そんな事言われなくても、ここの本を手当たり次第に盗んでいきそうじゃないの」

 ニヤニヤしてる魔理沙に向けて、ジト目の霊夢が彼女の日頃の行いを思い出して突っ込みを入れた。

「盗んでるんじゃないぜ、借りてるだけだ。だから」

「アンタ達、ちょっとは緊張感ってものを持ちなさいよ」

 キリの良い所でたまらずルイズがストップを入れたところで、アンリエッタは再び話を再開する。

 

「多大な、本当に大きな戦果です。…特に、ルイズ・フランソワーズ。

 あなたと、レイムさんたちが成し遂げた戦果は、ハルケギニアの歴史の中で類を見ぬものです。

 本来ならルイズ、貴女には領地どころか小国を与え、大公の位を与えてもよいくらい。

 そして、レイムさんたちにも…貴女たち二人は貴族ではありませぬが、特例として爵位を授けることぐらいできましょう」

 

 

 

「―――…ッ!?い、いけません姫さま!こんな危険な二人に爵位を授けるなどと…!」

「ちょっ…ひどくないかしら、その言い方!」

「随分ストレートに拒否したなぁおい」

 幻想郷の二人に爵位を授ける…。それを聞いたルイズがすかさず拒絶の意を示し、流石の二人も驚いてしまう。

 博麗霊夢と霧雨魔理沙の二人と一緒に過ごしてきたルイズだからこそ、ここまで拒絶することができるのだろう。

 だからといって、それを駄目だと言うのにあまりにも全力過ぎやしないだろうか?

「アンタねぇ…もうちょっとこう、オブラートに包みつつ必要ないですって言えないの?」

「だってあんた達に爵位何て授けたら、それこそ何に悪用されるか分かったもんじゃないわよ…!特に魔理沙は」

「……あぁ、成程。アンタの考えてる事は大体分かったわ」

「ちょっと待て…!それは流石に聞き捨てならんぞ」

 最後に付け加えるようにして魔理沙の名が出た時、霊夢はルイズがあそこまで拒絶した意味を理解した。

 魔理沙に貴族の位を与えようものなら、確かに色々とトリスタニアから消えていくに違いない。主に本とマジックアイテムが。

 キュルケやギーシュたちも今日にいたる幾日の間に魔理沙の事を霊夢からある程度教えてもらっていた為、何となく理解していた。

「まぁ例えなくても盗みに行きそうだけど…ほら、ちゃっちゃっと話を続けて頂戴」

「え…?あ、はい…すみません」

 唯一理解してない本人の怒鳴り声を聞き流す事にした霊夢は、苦笑いを浮かべるアンリエッタに話の続きを促す。

 いきなり大声を上げたルイズに驚いていた彼女は気を取り直しつつ、再び話し始めた。

 

「ルイズ…報告書でも書いていた通り、あの光が出現する直前まで杖を振っていたのは貴女でしょう?

 ならば教えてくれるかしら?タルブでアルビオン艦隊と対峙した貴女が、あの時何をして、何が起こったのかを」

 

 単刀直入にあの光――『エクスプロージョン』の事を問われ、ルイズはどう答えていいか迷ってしまう。

 幾らアンリエッタと言えども、あの事を素直に言っていいのかどうか分からないのである。

「そ、それは……あぅ…」

 回答に窮し狼狽える親友を見てその内心を察したのか、アンリエッタはそっと寄り添うように喋りかける。

「安心して頂戴ルイズ。私も枢機卿も、ここで貴女から聞いたことは絶対に口外しないと始祖の名の許に誓うわ」

 アンリエッタがそう言うと、マザリーニもそれを肯定するかのようにコクリと頷く。

 

 確かに、この二人なら何があったとしても決して自分の秘密を余所にバラす事は無いだろう。

 それでも不安が残るルイズは、後ろにいるキュルケ達の方へと視線を向けると、彼女たちもコクコクと頷いていた。

「まぁ私から乗りかかった船だしね。それに貴女が船頭なら怒りはするけど沈みはしないだろうし、付き合ってあげるわ」

 先祖代々の好敵手でもあり、実家も部屋もお隣のキュルケがこれからの事を想像してか自身ありげな笑みを浮かべて言う。

 次いでモンモランシーも、戸惑いを隠しきれないのか二度三度と口をパクパクさせた後、勢いよく喋り出す。

「私は何も見てなかったし、聞かなかった!だ、だからアンタのあの事は黙っといてあげるわよ!」

 半ば自暴自棄気味な宣言にキュルケがニヤついている中、今度はギーシュが薔薇の造花を胸の前に掲げて、声高らかに宣言した。

「同じく、このギーシュ・ド・グラモンも!彼女ミス・ヴァリエールの秘密については一切口外しない事をここに誓います!」

「…グラモン?グラモンといえば、あのグラモン元帥の御家族なのですか?」

「左様。彼はあのグラミン伯爵家の四男坊であります」

 まるで騎士のような堅苦しい姿勢でそう叫んだ彼の名を耳にして、アンリエッタが思い出したようにその名を口にする。

 そこへすかさずマザリーニが補足を入れてくれると、ギーシュは自分が褒められた様な気がして更に姿勢を硬くしてしまう。

 まるで胡桃割り人形のように固まってしまった彼氏を見かねてか、モンモランシーが声を掛けた。

「ちょっと、アンタ何でそんなに自慢げに気をつけしちゃってるのよ?」

「い、いやーだって、だってあのアンリエッタ王女の前で枢機卿が僕の事を紹介してくれたんだよ?」

 

 

 

「全く、相変わらずの二人ねぇ……ん?」

 一人改まっているギーシュにモンモランシーが軽く突っ込みを入れているのを余所に、今度はタバサがルイズの肩を叩いた。

 何かと思い後ろへ視線を向けると、先ほど見た時と違わず無表情な彼女がじっと佇んでいる。

「…?……どうしたのよタバサ」

 急に自分の肩を叩いてきた彼女にルイズがそう聞いてみると、タバサは右手の人差し指をそっと唇に当てた。

 たったそれだけして再び彼女の動きは止まったが、今のルイズにはそれが何を意味するのか大体察する事が出来る。

「もしかして…黙っておいてくれる…ってこと?」

 思わずそう聞いてみると彼女はコクリと小さく頷き、そっと人差し指を下ろす。

 他の三人と比べてあまりにも小さく、そして目立たないその誓いにルイズはどう反応したらいいか、イマイチ分からなかった。

 そんな彼女をフォローするかのように、一連の出来事を隣で見ていたキュルケが嬉しそうに話しかけてくる。

「良かったじゃないのヴァリエール。タバサなら絶対に他言無用の誓いを守ってくれるわよ?」

「というか、私も私だけど…アンタもよくあれだけの小さな動作で把握できたわね…」

「ふふん!こう見えても彼女とは一年生からの付き合いなのよ?もうすっかり慣れちゃったわよ」

 思わず嫉妬してしまう程の大きな胸を張りながら、キュルケは自慢気に言った。 

 

 互いに入学当初から出会い、今では二人で一緒にいるほど仲が良いと言われているのは伊達ではないらしい。

 噂ではタバサの短すぎる一言で何を言いたいのか察する事ができると囁かれているが、あながち間違いではないようだ。

「まぁいいわ…で、後は…」

 ひとまずはあの場に居だ元゙部外者達が自分の秘密を守ってくれると確認できたルイズは、ふと自分の左にいる霊夢を見遣る。

 カップの中に入っていた紅茶を飲み終えた幻想郷の巫女は、ふと自分の方へ目を向けてきたルイズの視線に気づく。

 ―――――――今更どうしようも無いが、まぁひとまずは言っておいた方が良いだろうか?

 鳶色の瞳から垣間見える感情でルイズの意図を察した霊夢は、コホン!とワザとらしい咳ばらいをした後、ルイズと目を合わせて言った。

 

「安心しないさいな。アンタが仕出かしちゃった事は、墓場までは無理だけどなるべく言わないでおいたげるわ」

 傍目から見れば、割とクールな感じで秘密にする事を誓った霊夢であったものの、

「…そこは普通「墓場まで持っていくわ」じゃないの?ってか、なるべくってどういう意味よなるべくって…」

「まぁ良いじゃないか。人の口に戸は立てられないモノだし、そっちの方がまぁお前らしくていいと思うぜ」

 思ってたのと少し違う言葉に思わずルイズは突っ込みを入れてしまい、魔理沙は嬉しくない賞賛をくれた。

 二人の反応を見て「私らしいってどういう事よ…?」と気分を害した霊夢を余所に、ついで魔理沙も親指を立ててルイズの前で誓いを立てる。

 

「というわけで、私もお前さんの事は喋らないでいるが…まぁ口が滑った時は笑って許してくれよ?」

 口の端を吊り上げ、悪戯好きな彼女らしい笑みを浮かべた魔理沙の誓いに、ルイズもまた笑顔で頷いた。

「分かったわ。……とりあえずアンタの口には常時テープを貼るか包帯を巻いておいてあげるから」

「アンタの場合だと、本気でそれを実行しそうね。…まぁ止めはしないけど」

「おぉう、軽い冗談のつもりで言っただけだが…怖い、怖い」

 ――――ー口は災いの元っていうが、案外今でも通用する諺だな。

 普段からの自分を棚に上げながら、魔理沙は他人事のように笑いながら思った。

 

 その後、ルイズは自分の口からアンリエッタへあの光の源――『虚無』の事について詳しく説明する事となった。

 彼女から頂いた『始祖の祈祷書』と『水のルビー』が反応し、自分があの伝説の『虚無』の担い手であったと判明した事。

 古代文字が浮かびあがっちた祈祷書に、あの光――『エクスプロージョン』の呪文が記されていた事。

 そしてそれを唱え、発動して一瞬のうちにアルビオン艦隊を壊滅させた事までルイズは事細かにアンリエッタに話した。

 

 

「『虚無』の系統…か。まさか僕が生きている内に、お目に掛かれたなんてなぁ…」

 ルイズの説明をかの聞いていたギーシュは思わず独り言を呟いてしまうが、キュルケ達も同じような感想を抱いている。 

 六千年続いていると言われるハルケギニアの歴史の中では、『虚無』はかの始祖ブリミルだけが持つと言われている伝説の系統。

 歴史書を紐解けば、時折『虚無』と思しき普通の魔法とは思えぬ゙奇跡゙を起こした者たちがいと記録はあれど、それが本当かどうかまでは分からない。

 所詮は大昔にあった出来事。その事実がただの文字となってしまえば、その゙奇跡゙が本物かどうかは誰も知ることはできない。

 

 だから貴族たちの中には始祖ブリミルを信仰こそするが、始祖が使いし幻の系統を信じる者たちは少ない。

 実際キュルケやモンモランシー達もその信じない方の人間であり、本当に『虚無』があるとは信じていなかった。

 しかし、ルイズが唱えたあの『エクスプロージョン』を見てしまった以上、もう信じないなど口が裂けても言う事はできないだろう。

 たった一人の人間―――それも今まで『ゼロ』という二つ名で揶揄されていた少女が、艦隊を壊滅させるほどの爆発を起こした。

 それこそ正に、歴史書や聖書の中に記されている゙始祖の御業゙という表現が一番似合うに違いない。

 

 ルイズからの話を聞き終えたアンリエッタは、一呼吸おいてからそっとルイズに語りかける。

 それは母であるマリアンヌ太后から聞かされた、ずっと昔から語り継がれている始祖と王家に関係する昔話であった。

 

「知ってる?ルイズ。始祖ブリミルは、自らの血を引く三人の子に王家を作らせ、それぞれに指輪と秘宝を遺したの。

 我がトリステインに伝わっているのは、以前貴女に渡した『水』のルビーと…世界中に偽物が存在する始祖の祈祷書よ

 そしてハルケギニアの各王家には、このような言い伝えがあります。始祖の力を受け継ぐ者は、王家から現れると……」

 

 そこで一旦喋るのを止めたアンリエッタは、マザリーニから水の入ったコップを手に取る。

 丁度コップの真ん中くらいにまで注がれたソレをゆっくりと飲み干した後、ルイズは怪訝な表情で口を開く。

「しかし、私は王家の者ではありません。けれど、私は『虚無』の呪文を発動できた…これは一体どういうことなんですか?」

「ルイズ、ヴァリエール公爵家は元を辿れば王家の庶子。なればこそ公爵家なのですよ」

「あっ…」

 ルイズが抱いた疑問を、水を飲み終えたアンリエッタが一瞬のうちに解してしまう。

 確かにヴァリエール家は古くからトリステイン王家との繋がりは深く、古い歴史の中で個人間の゙繋がり゙もある。

 だから、正式には王家の一族とは認められていないが、その血脈は確実にルイズの中に根付いているという事だ。

 

「ねぇ魔理沙、庶子ってどういう意味よ?」

「要は正式に結婚していない両親から生まれた子供さ。それだけ言えば…、後は分かるだろ?」

「…あぁ、大体分かったわ。ついで、ルイズとアンリエッタが私達を睨んでる理由も」

 左右に座っている霊夢と魔理沙の不届きな会話は、王家と公爵家の眼光によって無理やり止められる。

 確かに庶子という意味を砕けた言葉で言ってしまうと、王家の立場的には色々とまずいのである。

 必要のない事を口に出そうとした魔理沙が黙ったのを確認してから、アンリエッタは軽い咳払いをして再び話し出す。

 

「あなたも、このトリステイン王家の血を引き継いでいる身。『虚無』の担い手たる資格は十分にあるのです」

 そう言ってから、今度は気まずさゆえに視線を逸らしていた霊夢の左手の甲についたルーンを一瞥する。

「レイムさん、貴女の左手の甲に刻まれたルーンは…私の推測が正しければ、かの『ガンダールヴ』のルーンとお見受けしますが…」

「ん…?良く知ってるじゃないの。そうよ、オスマンの学院長が言うには、ありとあらゆる武器兵器を使いこなせる程度の能力とか…」

 以外にもガンダールヴの事を知っていたお姫様に、霊夢は彼女の方へとキョトンとした表情を向けて言う。

 アンリエッタは霊夢の言葉にコクリと頷くと、そこへ補足するかのように書物で得た知識を言葉として伝えていく。

「王宮の文献によれば、始祖ブリミルが呪文詠唱の時間確保の為だけに、生み出された使い魔とも記されています」

「……なーるほど、確かに『エクスプロージョン』の詠唱は…長かったような気がするわね」

 あの時の様子を思い出した霊夢が一人呟くと、そこへすかさずルイズがアンリエッタへと話しかける。

 

 

 

「では、私は間違いなく『虚無』の担い手なのですね…?」

「そう考えるのが、正しいようね」

 半ば最終確認のような自分の言葉にアンリエッタが肯定した直後、ルイズは深いため息をついた。

 ルイズはこれまで、魔法が使えず多くの者たちから見下されながらも自前の強い性格と努力で、それなりに平凡な人生を歩んできた。

 しかし二年生の春、使い魔召喚の儀式で霊夢を召喚してしまった以降、彼女の運命は大きく変わり始めている。

 幻想郷という霊夢が住まう異世界の危機に、戦地と化したアルビオンへの潜入、そして許嫁の裏切り。

 霧雨魔理沙という黒白に、謎のキメラ軍団とシェフィールドという謎の女…―――『虚無』の復活。

 

 春から夏の今に至るまで、ルイズは自分が歩んできた十六年間の間に積み重ねた人生よりも濃厚な出来事に遭遇している。

 平民はおろか、並みの貴族でさえも経験した事の無いようなそれ等は同時に彼女を危険な目に遭わせていた。

 そしてそんな彼女を畳み掛ける様にして、今度は自分があの『虚無』の担い手だと発覚したのである。

(まぁ魔法が使えるようになったのは素直に嬉しいけれど、よりにもよって『虚無』の担い手だなんて…一体どうすればいいのかしら)

 タルブ村での時と比べ、それなりに平常心を保っているルイズは突然手渡された力をどうするか悩み、ため息をついたのだ。

 これがまだ四系統のどれか一つならば、家族や他の者たちに充分自慢できたかもしれない。

 しかし…六千年も前に失われ、幻と化した『虚無』の担い手になったと言っても、一体何人がそれを信じてくれるか…。

 さらに言えば、あの光を自分か作りましたと告白すれば、今に良くない事が起こるかもしれないという予感すらしていた。

 ため息をつくルイズの、そんな心境を読み取ったのかアンリエッタは顔を曇らせて彼女と霊夢たちへ話しかける。

 

「さて…これで私が、貴女たちの功績を褒め称えるという事ができない理由が分かりましたね?

 仮に私が恩賞を与えれば、必然的にルイズの行ったことが白日の下に晒してしまう事となる…。

 それは危険な事です。ルイズ、貴女が始祖の祈祷書から手に入れた力は一国ですらもてあますものよ。

 ハルケギニア一の精強と謳われたあのアルビオン艦隊でさえ、手も足も出す暇なくたった一発の光で消滅させた…。

 それがもし敵にも知れ渡れば、彼らはなんとしてでも貴女達の事を手中に収めようと躍起になるでしょう。敵の的になるのは私だけで十分」

 

 そこまで言ったところで一旦言葉を止めたアンリエッタを、タバサを除くルイズやキュルケ達貴族は強張った顔で見つめていた。

 確かに彼女の言うとおりだろう。恩賞や褒美を授ける際には必ずその貴族の功績を報告する絶対義務がある。

 過去にはやむを得ぬ事情で真実とは違う偽りの功績を称え、王家の為に暗躍していた貴族たちもいた。

 

 しかしルイズたちの場合は軍人でないうえに、学生である少女達が何故最前線にいて、しかも恩賞まで授かられるのか?

 それを疑問に思う貴族は絶対に出てくるであろうし、そうなればありとあらゆる手を使って調べる者たちも出てくるだろう。

 当然、敵であるアルビオン側もその事を知って八方手を尽くして調べ、必要とあらばルイズを攫うかもしれない。

(ウチの国じゃあ、ちょっと前まで゙御伽噺の中のお姫様゙とか呼ばれてたけど…、なかなかどうして頭が回る器量者じゃないの)

 キュルケは学院訪問の際に見た時とは印象が変わり始めているアンリエッタに、多少なりとも関心を示していた。

 

 一方で、霊夢と魔理沙の二人もそこまで考えていたアンリエッタになるほど~と納得していた。

 最も、魔理沙はともかく霊夢としては所詮は一時滞在でしかないこの世界で爵位をもらっても使い道が無いとは思っていたが。

(まぁそれである程度今より便利になるならそれも良いと思うけどね~)

 一瞬だけ手元に出てきて、すぐに手の届かぬ場所へと消えた爵位に中途半端な未練を彼女は抱いてた。

 そんな霊夢の心境を知らぬ魔理沙は、ふとアンリエッタの話を聞いて疑問に思った所があるのか「なぁちょっと…」と彼女に話しかけた。

「はい、何でしょうか?」

「さっき敵の的になるのは自分だけで十分…とか言ってたけど、それだと現在進行形で狙われてます…って言い方だなぁーと思ってさ」

 魔理沙の口から出たこの言葉で、ある事実に気付いたルイズとギーシュがハッとした表情を浮かべる。

 ついで霊夢も緩くなっていた目を鋭く細め、顔を曇らせて黙っているアンリエッタへと向けた。

 

 

 

「姫さま…もしかして…」

「えぇ、残念な事に…敵は王宮の中にもいるのです。―――――獅子身中の虫という、厄介な敵が」

 その直後、執務室に置かれていた大きな柱時計の針が十二時を指すと同時に甲高い時鐘の音が鳴の響く。

 ゆっくりと、それでいて確実に時が進んでいると教えるかのように…柱時計は執務室にいる者たちすべてに時を告げていた。

 

 

 

 

「…あら、誰かと思えば御寝坊さんなこの屋敷の主さまじゃないの」

 襖を開け、レミリアと並んで居間へと入った紫の目に入ったのは、

 まるで我が家の様に寛いだ様子で茶を飲んでいた、腰より長い黒髪を持つ小さなお姫様であった。

 左手には茶の入った来客用の湯飲みに、右手にはこれまた戸棚に置いていた塩饅頭を一つ持っている。

 お茶はともかくとして、恐らく饅頭の方は無断で持ってきたのだろう。そう判断しつつ紫はそのお姫様に軽く会釈した。

「こんにちは、良い雨ですわね。ところで…そのお饅頭はどこから持ってきたのかしら」

「あぁこれ?永琳に何か無いって言ったら持ってきてくれたのよ。中々良い饅頭じゃない……あ~ん」

 そう言った後、お姫様は右手に持っていた白いお菓子を躊躇なく口の中に入れ、そのままむぐむぐと咀嚼していく。

 本来ならば、屋敷に置かれていた物を無断かつ目の前で食べる事自体相当失礼な事であろう。

 ましてやその主はかの八雲紫。下手すれは死より恐ろしく辛い目に遭ってから追い出されても、文句は言えないだろう。

 

 だが、その饅頭を無断頬張る黒髪のお姫様の顔には嬉しそうに笑みが浮かべている。

 まるで自分があの饅頭を食べること自体が悪い事と思っていないかのように、見た目相応の少女の笑み。

 彼女にとって自分が欲しい、食べたい、やりたい事はすぐ目の前にあり、誰にもそれを邪魔する資格は無いと信じている。

 それは彼女にとって当然のことであるし、常人たちの様にそれを実行する為に越えねばならない壁など存在しないのだ。

 黒髪のお姫様こと――――蓬莱山 輝夜は、つまるところ我が侭なのであった。

 

「ングッ…―ン…―…ふぅ。お茶との相性もピッタシだし、これを買ってきた貴女の式はとても有能ね」

 うちのイナバと交換してあげたいくらいだわ。食べた後にお茶を一口飲んでから、輝夜は満面の笑みで紫に言った。

 家主である紫の許可なしにお菓子を食べたうえで、罪の意識すら感じさせない言葉に紫は「相変わらずですわね」と言う。

 

 かつては月の姫として、何一つ不自由ない生活の中で暮らしてきたがゆえに培った、自分本位な性格。

 それは今や彼女を縛る足枷ではなく、輝夜という月人のアイデンティティとして確立されていた。

 だから紫は怒らなかった。仮に゙際限なぐ怒ったところで彼女は反省するどころか、コロコロと笑い転げるだろう。

 例え、それで文字通り゙八つ裂ぎにされてしまうおうとも、彼女にとっては単なる゙治る怪我゙で済んでしまうのだから。

 

「全く、貴女は相変わらずですわね」

「残念だけど、この性格は月の頃からずっと続いてるから変えようと思っても単なる徒労で終わっちゃいそうだわ」

 呆れを通り越した苦笑いを浮かべる紫に輝夜はそう言うと、もう一口湯飲みの茶を啜る。

 その時、座卓を挟んだ先の縁側からフワフワ~と浮遊しながら紫の古くからの友人が姿を現した。

 水色に月柄という少し変わった着物を纏い、頭には死者の頭に着ける三角布とふわっとした丸帽子を被っている。

 何やら楽しそうに鼻歌を口ずさみながら、窓に当たる雨粒が少々喧しい縁側から居間へと入ろうとしたとき、

 ふと右へ向けた視線の先に、今日までの間ずっと目を開けなかった親友の姿を見て紫の友人―――西行寺 幽々子は思わず「あら!」と声を上げた。

 

「紫じゃないの!もしかして、今起きたところなのかしら?」

 足を畳から浮かせた状態のまま、ふわふわと自分の傍にまで近づいてきた亡霊の姫君に紫は右手を上げてあいさつする。

「おはよう幽々子。どうやらその様子だと、随分と退屈していたんじゃないかしら?」

「勿論よ。眠り込んでいる間は幽体離脱でもして、私の所に遊びに来てくれると思ってたもの」

「それは出来たとしても、流石に遠慮していたとおもうわよ?」

 とんでもない事をサラッと言ってのけた幽々子に、紫の横にいたレミリアがジト目で睨みながらさりげなく突っ込みを入れる。

 まぁ彼女の言う事も間違いではない。うっかり魂だけで冥界へ行くという事は、飢えたライオンの檻の中に身を投げるようなものだ。

 心の中では同意しつつも、敢えて口には出さなかった紫はとんでもない冗談をかましてくれた幽々子に苦笑いしていた。

 幽々子も幽々子で本当に冗談のつもりで言ったのだろう、「それはそうよねぇ」と言ってコロコロと笑う。

 

「相変わらず楽しそうよねぇ、あの亡霊姫…―――――………お?」

 それを座卓の上に肘を付きながら見ていた輝夜が、ふと背後から感じた気配に思わず顔を縁側の方へと向ける。

 輝夜の声に紫たち三人と――後から入ってきた永琳と鈴仙の二人も縁側の方へと視線を向ける。

 彼女たちの目が見ている先、窓越しに空から落ちてくる梅雨の雨が見える縁側に――――――゙彼女゙はいた。

 

 左右で長さの違う緑色のショートヘアーに、頭にばこの世界゙とは違ゔあの世゙における重要な職務に就く者のみが被れる帽子。

 右手には悔悟棒と呼ばれる杓を握っており、それもまだ彼女゙という存在を確立する為に必要な道具の内の一つ。

 身長は紫より低いものの、レミリアよりかは大きい。だというのに周囲の空気は彼女から発せられる気配に蝕まれていく。

 永琳の後ろにいた鈴仙は思わず口の中に溜まっていた唾をのみ込み、幽々子に突っ込んでいたレミリアは渋い表情を浮かべる。

 畳に足が着いていなかった幽々子もいつの間にか浮かぶのを止め、縁側に立づ彼女゙を見つめていた。

 

 そしで彼女゙へ向けて恭しく頭を下げるとスッと横へどき、目覚めたばかりの紫の掌を上に向けた右手で指す。

「御覧の通り、八雲紫はたったいま目覚めてございましてよ」

 幽々子の言葉に゙彼女゙もまた頭を下げて一礼すると、ゆっくりと右足から今の中へと入っていく。

 永琳は自分と輝夜にとって最も遠い位置にいて、そして最も自分たちを嫌っているであろゔ彼女゙に多少なりとも警戒している。

 一方で輝夜は他の皆が立っているにも関わらず一人腰を下ろしたまま、六個目になる塩饅頭をヒョイッと手に取った。

 

 そんな輝夜を無視する形で、居間へと入っだ彼女は座卓を壁にして紫と見つめ合う。

 名前と同じ色の瞳を持つ紫と、何もかも見透かしてしまいそうな澄んだ宝石のような緑色の瞳を持づ彼女゙。

 互いに視線を逸らさず、静かなにらみ合いを続けたまま。゙彼女゙が先に口を開く。

 

 

「お久しぶりですね、八雲紫。何やら、随分と手痛い目に遭ったようですね」

「まぁそれは薬師から耳にしましたけど、わざわざ格下である私の見舞いに来てくれるとは…随分情けを掛けられたものですわね?」

 

 ―――――閻魔様?最後にそう付け加えた後、紫はフッと口元を歪ませ笑う。

 対しで彼女゙、大妖怪から閻魔様と呼ばれた少女―――――四季映姫・ヤマザナドゥは笑わない。

 ヤマザナドゥ(桃源郷の閻魔)は無表情と言ってもいいくらい感情の欠けた表情で、じっと紫を睨み続けていた。

 



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第八十三話

 トリスタニアを囲う巨大な城壁、かつては王家同士の内戦や他国との戦いで見事に敵軍を押しとどめた立派な防壁。

 それぞれ方角ごとにある城門とは別に、これまた大きな駅舎が街側の方に建てられている。

 今現在に至るまで何回かの増改築を繰り返した駅舎は、上級貴族の豪邸にも引けを取らぬ立派な造りの建物であった。

 外側には馬車を停める為の厩や駐車場もあり、建物としての規模では相当大きな部類に入る。

 国内外から駅馬車や個人の馬車で来る者たちは皆一度はこの駅舎の中へと入り、役員たちと軽い話をするものである。

 

 勤務する者たちも今となっては平民の方が多く、特に近年稀にみる人材不足の影響で平民もデスクワークをするようになっていた。

 かつては平民がそのような職業に就いてはならぬという法律があったものの、先王の代で愚法として廃止されている。

 そのお蔭で辺境地に暮らす平民の子供たちの中には、地元の教会などで神父から文字や数字を覚えて街へ出稼ぎに行く者たちも増えていた。

 魔法学院で働くメイドたちもそういった者たちが多く、トリスタニアは若者が集まる街として最近他国でも話題に上がっている。

 しかしそれが原因で一部地域では若者が返ってこず、年寄りだらけの過疎地域が増えているのもまた事実であった。

 そして出稼ぎに出た若者たちほど、多くの人員がいなければ成り立たない駅舎の様な建物で雑用係やデスクワーカーとして働く運命なのである。

 

 トリステインだけではなく、今ハルケギニアの各国で起きている地方問題に関わっているその駅舎の内の一つ。

 ゲルマニア側にある北部駅舎では、貴族平民問わず多くの人々が受け付け窓口に並んでいた。

 一応貴族と平民とで受付窓口は二つに分けているものの、その列は窓口から十メイルも離れた出入り口まで続いている。

 ガリア側への交通ルートがある南部駅舎と同じく、休日祝日はごった返すことで有名であるが、ここまで並ぶことは滅多に無い。

 その原因はたったの一つ。それは先日大々的に報じられたアンリエッタ王女とゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の結婚式中止にあった。

 理由はまだ明らかにされていないものの、そのお触れが出されてからはこうして返金に来る者たちが駅舎へと訪れている。

 

「はい、返金ですね。承りました、少々お待ちを…」

「うむ…よろしく頼むよ」

 いかにも裕福な貴族がチケットを受付窓口で渡し、窓口に座る受付嬢がチケットの番号と貴族の名前を元に返金対応を進めていく。

 彼は有事の際の返金対応をしっかりとしてくれている駅馬車会社からチケットを買っていたので、後は黙っているだけで良い。

 それよりもその貴族が最も心配している事は、急に中止のお触れが出たアンリエッタ王女の結婚式の事であった。

 成り上がりのゲルマニア皇帝と結婚せずに済んだのはまぁ良かったが、それでも結婚式が中止になるという事例は滅多にある事ではない。

 歴史的にも王族の関わる結婚式が中止になったという事例は、この六千年の中で指を数える程度しか起こっていないのだ。

 先のアルビオンの裏切りといい、王女殿下の結婚式の中止といい、今年は何故か妙に騒がしくなっている。

「これまで自分の人生はずっと平凡だと思っていたが…」

「……はい?」

「あっ…何でもない、ただの独り言だよ。…ゴホン、君は職務に戻りたまえ」

 先の見えない不安からか、無意識のうちに口走った胸中の言葉を誤魔化すように、わざとらしい咳をした。 

 

 彼だけではなく、この場へ来ている貴族の大半が皆似たような不安を抱えている。

 中には貴族派に乗っ取られたアルビオンとの戦争が始まるのではないかと、そう推測する者もいた。

 確かにそうだろう。タルブ村で裏切ったアルビオンの訪問艦隊が全滅した後、アルビオン側の大使が宣戦布告の通知を王宮へ突きつけたのである。

 そしてトリステイン王国もその通知を快く受け取り、今では神聖アルビオン共和国と名を変えたあの白の国とは戦争状態にある。

 しかし、これをゲームに例えればアルビオン側はボロボロなのに対し、トリステイン側は殆ど無傷と言っても良い状態にあった。

 トリステイン側は親善訪問に出ていた主力艦隊はほぼ無傷であり、損失した艦の補充も既に準備できている。

 地上戦力は件の化け物騒ぎでそれなりの損害が出ているものの、致命的と呼ぶには程遠いくらいであった。

 

 対してアルビオン側は親善訪問に出ていた『レキシントン』号含めた、主力艦隊を丸ごと喪失。

 加えて輸送船に載せていた地上部隊を合わせて、計四千もの戦力がトリステイン軍の捕虜となったのだ。

 このご時世ここまで損害が出過ぎると、アルビオン側の指導者がトリステインへの裏切りを謝ったうえで指導者としての座を辞すべきであろう。

 だが宣戦布告以降アルビン側からの連絡は一切なく、まるで死んでしまった仔犬の様に黙ってしまっている。

 

 

 不特定多数の者たちが、共通した悩みを抱えている空間と化した駅舎一階受付口の丁度真上にある、二階待合室。

 全三階である北部駅舎の二階は、貴族専用ではあるが馬車の発車をゆっくり休みながら待てる場所となっている。

 一階とは別の貴族専用のお土産売り場や、お茶や軽食が食べれるカッフェに小さいながらもブティックや本屋も設けられている。

 既に夏季休暇の時期に入っているので、平日や虚無の曜日などよりも多くの貴族たちが出入りしていた。

 

 その一角にある『麦畑の片隅』という、一風変わった名前でありながら洒落たレストランがあった。

 トリステインの地方にある農家をイメージをした外観に似合った、トリステインの地方料理と紅茶がウリの店である。

 王都や都市ではお目に掛かれぬような素朴で、悪い言い方をすれば田舎者が食べるような料理の数々。

 それでも味は決して悪くは無く、むしろ珍しい地方料理が食べれるという事で王都の貴族達も時折足を運ぶ程である。

 パンも街で食べられているような白パンではなく、雑穀や胡桃が入った変わり種のパンが厨房の窯で焼かれている。

 そして各地方から取り寄せた茶葉で淹れた紅茶は、国外からやってきた観光客にも一定の人気があった。

 

 はてさて、そんな店の隅には四つほどの個室が設けられている。

 主に貴族の家族や数人単位で観光に来た外国の貴族たちが自分たちのペースで楽しく食事を楽しめるようにと用意されているのだ。

 部屋のつくりは平均的な中流貴族が暮らすような部屋より少し上程度ではあるが、掃除はキッチリとされている。

 既に昼食の時間帯に差しかかった店内は忙しく、当然のように個室も全て満室となっていた。

 その内の一室、右端にある『風の個室』というネームプレートが扉に取り付けられた個室の中でルイズたちがいた。

 当然の様に霊夢と魔理沙の二人もいたが…意外な客も一人、彼女たちの食事に同席していた。

 

 

「にしたって、駅舎の中にこんな豪華な店があるなんてなぁ~」

 先程店の給士が運んできてくれたチキンソテーをナイフで切り分けた魔理沙が、天井を軽く見上げながら呟いた。

 シーリングファンが回る夏の個室はやや暑いと思っていたが、そこはやはり貴族様専用の店というところか。

 店で雇っているメイジが造った氷から放たれる冷気がファンで室内に充満していて、ほんの少しではあるが涼しかった。

 氷は溶けた水滴が落ちない様に器に入れられており、今のところ氷の真下にコップを置く必要はなさそうである。

「それにしても、この前ルイズと一緒に行った店には、これよりもっとスゴイマジックアイテムがあったような…」

「あぁ、そういえばあったわね。あぁいうのが神社にもあれば、一々゙アレ゙を用意する必要が無くなるのに」

 魔理沙の言葉に、タニアマスのムニエルを食べていた霊夢が思い出したかのように相槌を打つ。

 

 二人の会話を聞いて、上座の席にいるルイズが呆れた風な表情で会話に入る。

「そんなの出来るワケないじゃないの。あのマジックアイテム、幾らすると思ってるのよ?」

「へぇ、アレってそんなに高いんだ。結構簡単に作れそうなもんだと思ってたけど…」

「アレを一つ購入しただけでも、並みの貴族なら半年分の給料がフッ飛ぶレベルよ」

「成程、それならこのレストランの天井にある氷とシーリングファンの方が安く済むというワケか」

 割り込んできたルイズに不快感を抱くことなく、彼女の方へと視線を向けた霊夢が意外だという感じで呟く。

 ついで魔理沙も笑顔で会話に混ざりながら、大雑把に切り分けたチキンソテーを豪快に頬張る。

 バターと一緒に炒めたピーナッツの風味と塩コショウがうまいこと鶏のモモ肉とマッチして、口の中を小さな幸せで包んでくれる。

 ウェイトレスはこの料理を「田舎農場の平民夫人が作る、バターとピーナッツのチキンソテー」という長ったらしい名前を読み上げていた。

 その名の通り、メインにモモ肉に炒めたピーナッツに付け合せは茹でたトウモロコシだけといういかにも田舎らしい料理である。

 しかしその地味な見た目とは裏腹に味はしっかりしており、これを作ったシェフの腕の良さをこれでもかとアピールしていた。

 

(ふぅ~ん…まぁ確かに、ちょっと素朴な味付けで悪く無いが。……これだけだとご飯とは合わないだろうな~)

 嬉しい気持ち半分、この世界へ来てから一口も食べていない白飯への想いを募らせながら、

 見た目とは裏腹な美味しい料理に、舌鼓を打っていた。

 

 

「それにしても、まさかアンタ達三人とこうして食事する羽目になるなんてね」

 そんな三人の食事風景を見ながら、丁度ルイズと向かい合う席に座っていた意外な客こと…モンモランシーが口を開いた。

 メインに頼んだ猪のスペアリブを半分ほど食べ終えたところで、彼女は神妙な面持ちで言う。

 一方の三人…特にルイズは何を今更と思ったのか、怪訝な表情を見せて自分と向かい合っているモンモランシーに話しかける。

「どうしたのよいきなり?」

「いや、だって…そこまで深い関わり合いが無かった貴女とそこの二人と一緒に、こうやって食事をするなんて思ってもいなかったから」

 ルイズからの質問に彼女はそう答えると、薄いレモンの輪切りが入ったソーダをクイッと一口飲んだ。

 豚肉の匂いとソースの風味で占領されていた口の中へと、弾けるような炭酸水の甘味が綺麗に洗い落していく。

 そして程よく主張するレモンの爽やかな風味が、やや鈍くなりかけていた食欲をもう一度促進させてくれる。

 

 一口飲んだところでコップを離し、ホッと一息ついたモンモランシーが残り半分の豚肉を食べようとした直前、

 付け合せのコーンサラダを食べ終えた霊夢が、ティーカップを持ったまま口を開いた。

「っていうか、元を正せばアンタが無理言って私達との相席を頼んできたのが原因じゃないの?」

「……それは言わないで頂戴、私だってできればやりたくなかったんだから」

 容赦ない指摘にフォークとナイフを持った手を止めたモンモランシーは、ジロリと霊夢を睨みながら言った。

 まるでカエルを睨む蛇の様なモンモランシーの目つきに対し、ジト目の霊夢も全く引く様子を見せない。

 両者互いに軽く睨み合う中、蚊帳の外であるルイズと魔理沙はお互いの顔を見あいながら似たような事を思っていた。

 

「私思うのよ。霊夢の言葉って、誰にでも容赦しないからすぐ火が点いちゃうんだって…」

「それには同意しちまうな。霊夢のヤツはあぁ見えて、人付き合いが少ないから慣れてないんだよ」

 両者互いに思っていた事を口にした後も、二人のにらみ合いはそれから一分ほど続いていた。

 

 

 

 そもそも、どうしてルイズたちはこうしてモンモランシーと食事をする事となったのか。

 時を遡れば今から一時間前、幾つかの諸事情で王宮を離れる事となったルイズが二人を連れて故郷に帰る時に起こった。

 結婚式も中止となり、ひとまずは大丈夫という事で長かった王宮での生活が終わる事となった。

 出ていく際の荷造りの時、王宮の図書室から本を持ち出していた魔理沙のせいで、時間が大幅に遅れたものの、

 給士たちの手伝いも借りて荷造りを終えたルイズは、二人を伴って故郷のラ・ヴァリエールへと一旦帰る事となった。

 既に夏季休暇の時期に入っており、キュルケやギーシュたちも一旦は故郷へと帰る予定であった。

 彼女たちも大丈夫だという事で解放され、多少後ろ髪惹かれつつもキュルケとタバサは一足先に王宮を後にしている。

 

 ギーシュの方は荷造りを終えた後、給士から手渡された手紙を見て慌てて出て行ったのだという。

 一体どこからの手紙かと興味津々な魔理沙が聞いてみた所、トリスタニアにあるアウトドアショップからだという。

 テントやキャンプなどに使う器具や道具などの販売、レンタルを行っている店でルイズも店の名前くらいは知っていた。

 唯一残っていた…というより、慌てて出て行ったギーシュに放って行かれたモンモランシーが詳しい話をしてくれた。

「あぁ…多分アイツがレンタルしてたテントの延滞料金ね。キュルケの提案でアンタ達のいた王宮を監視してた時に使ってたから…」

 ギーシュに置いていかれたせいで多少怒り気味に話した彼女に、ルイズはあぁ…と納得した。

 一応監視の話はキュルケから聞いていたので驚きはしなかったが、テントの話までは初耳であった。

 

 その後、モンモランシーも故郷に帰るという事で魔法衛士隊員が学院から持ってきてくれた荷物片手に王宮を後にした。

 少しして、ルイズ達も執務を途中で抜け出してきたアンリエッタにお礼と挨拶をしてからブルドンネ街へと入っていった。

 

 

 王宮と外を繋ぐ大きな門を歩いて出てから暫くして、街中に充満する茹だるような暑さに霊夢が呻き声を上げた。

「クッソ暑いわね…」

「そりゃ夏だしね。暑いのは当たり前じゃないの」

『いやー娘っ子、街中に陽炎がでる程暑いのが当たり前とか言われたらお手上げさね』

 自分の荷物が入った旅行鞄を左手に、そしてデルフを背中に担いで汗だくの顔を右手で煽る霊夢にルイズがそう返すと、デルフがすかさず突っ込みを入れた。

 トリステイン、特に王都はこの時期になると外国から来た観光客が気温の高さに驚くのはいつもの事である。

 道幅の狭さもあるが、ブルドンネ街だけでも人口の密集率が多さと合わさって街全体が熱気に包まれるのだ。

「にしたって、この前来た時はこんなに熱くなかったぜ?」

 黒い服を着てるせいか、霊夢以上に熱さで茹だっている魔理沙が帽子を仰ぎながら涼しい顔をしているルイズに苦言を漏らす。

「だって、あの時は初夏だったでしょ?あれくらいで音を上げてたら、タニアっ子にはなれないわよ」

「こんなに暑い所で暮らすなら、ならなくてもいいぜ…」

『全くだな。オレっちは別にそういうのは感じはしないが、見てるだけでも暑いって分かるよ』

 うんざりした風に言ってから、ハンカチで顔の汗を拭く魔理沙を見てルイズは内心ホッとしていた。

 てっきりこんな暑さどうってこと無いとか言うと予想していたが、思っていた以上に彼女たちは人間らしい。

 

(正直に言えば、まぁ確かに暑いっちゃあ暑いわよねぇ…)

 一見汗をそれ程掻いて無さそうに見える彼女であったが、着ているブラウスの内側は既に汗だく状態であった。

 何せそのまま着ている魔法学院の制服は長袖なのだ、それで暑くないとか言ってたら頭がおかしい思われるだろう。

 魔法学院指定のブラウスには一応半袖のモデルはあるし、ルイズも予備のブラウスにと一着持っている。

 しかし、王宮で匿われる際に魔法衛士隊員が持ってきてくれた鞄の中にはそれが無かったのだ。

 おそらく入れ忘れか何かなんだろうが、そのお蔭でこうして体の内側から蝕んでくる汗でシャツの下はすっかり汗ばんでしまっている。 

 

(ラ・ヴァリエールとかなら、こんなに暑い思いはせずに済むんだけど…)

 そろそろ額から滲み出てきた汗をハンカチで拭いつつ、トリステイン最北端にある自分の故郷をふと想った。

 これから二人を連れて帰るべき場所、王都から駅舎の貴族専用長距離馬車で最低でも二日は掛かる距離にある遠き我が家。

 広い草地を通り抜けていく涼しい風を想像しながらも、ルイズは暑さでバテかけている二人を励ます。

 

「まぁ暑いのは王都とか都市部ぐらいなもんだし、地方に行けばちゃんと涼めるわよ」

「えぇ…?あぁ、そういえばこれからアンタんとこの家に帰るんだったっけ?確か…ラ・ヴァリエールだったわよね」

 ルイズの言葉に、王宮を出る前に彼女が言っていた事を思い出した霊夢がその名を呟く。

「ラ・ヴァリエール。…トリステインの北側の端に位置する領地で、私の父ヴァリエール公爵が治めている土地よ」

 霊夢の言葉にコクリと頷いた後、ルイズはヘトヘトな二人を伴ってブルドンネ街を歩き始める。

 ここから歩いて一時間近くも掛かるであろう、北部駅舎へ向かって。

 

 それから後は、色々なトラブルに見舞われ到着が遅れに遅れる事となった。

 ただでさえ気温が高いというのに、最短ルートで北部駅舎行くためには人口に比べて道幅が狭い大通りを歩くしかないのである。

 流石のルイズも歩き始めて十五分程度でバテてしまい、他の二人はそれより前に暑さでどうにかなりそうな状態にまで追い詰められた。

 止むを得ず通りを出た広場で小休止しようにも、木陰や日陰の場所は占領されてまともに涼めずじまい。

 幸い屋台や広場を囲うようにしたレストランや果物屋では冷たいジュースなどを売っていた為、街中で行き倒れる羽目にはならなかった。

 三人とも二本ずつ絞りたての冷たいジュースを飲み、広場を出た後も苦難の道のりであった。

 通行人同士の喧嘩で通りが一旦封鎖されるわ、平民が干していた洗濯物のシーツが三人の頭に覆いかぶさってくるわでトラブル続き。

 一体全体、どうして駅舎へ行くだけなのにこうも大変な目に遭わなければいけないのかと…ルイズは駅舎に辿り着いた時にふと思った。

 

 

 そうこうして北部駅舎の玄関に辿り着き、一部窓口で物凄い行列を横目で一瞥しつつルイズは別の窓口で切符を購入した。

 行先は無論ラ・ヴァリエール着の長距離切符三人分。長旅で疲れない様にランクの高い馬車をその場でチャーターしたのである。

「馬は二頭で屋根付き、国産シートとシーリングファンにクールドリンク及び食事付き。それを一両貸切でお願いね」

 最初、彼女からの注文を聞いた受け付け嬢は「は?」と言いたげな表情を一瞬浮かべ、ついで彼女がヴァリエール家の人間だと理解した。

 本当ならば切符の値段も去る事ならば、高ランクの馬車を予約も無しに借りるなど…並みの貴族であってもお断りされる事間違いなしだ。

 しかし、行先であるラ・ヴァリエール領を治める貴族の家の者ならば断ることは失礼に当たる。

 

「は、はい。かしこまりましたミス・ヴァリエール…!ただいま業者に問い合わせますので暫しお待ちを…!」

 受付嬢の近くにいた駅舎の職員数人がルイズの注文を急いでメモして、慌てて何処かへと走っていく。

 予約も無しに高ランク馬車の貸切りは相当無茶な注文であったが、当然その分の支払いも相当な額になる。

 しかし、ルイズの要望に応えるとなるとそれ相応の負担も付くために、業者側も上げたい手を中々上げられない依頼であった。

 数分後、業者への問い合わせが終わった一人の職員がシュルピスに本社を置く馬車会社が要望通りのモノを貸し出せるとルイズに報告した。

 

「ただ…先程のメンテナンスで車軸の交換が必要と診断されたので、修理に時間が掛かるとの事です」

「そうなの?でもまぁ大丈夫よ、乗せてくれるのならいくらでも待てるから」

 まるで自分の足を踏んでしまったかのように必死に頭を下げる職員に、ルイズは軽く微笑みながら言う。

 彼女の後ろにいた霊夢達は、まだ十六歳であるルイズにヘコヘコと頭を下げる職員を見て軽く驚いている最中であった。

「なんていうか…ルイズの家って本当に凄いんだな~…って改めて思うわ」

「そりゃあなんたって、ここの王家と相当繋がりが深いし当然だろ?」

『まぁぶっちゃければ、娘っ子ぐらい名家じゃないとあぁいう事はできそうにないしな』

 改めてルイズが公爵家の人間だという事を改めつつ、二人と一本が軽い驚きと関心を示しているのを横目で一瞥し、

 思いの外、自分の家が特別なのだと再認識していた。

 

 その後、二階のレストランで食事を摂りつつ時間を潰して欲しいと言われた。

 持ってきていた荷物は受付で預かって貰い、当然ながら安全面を考慮してデルフもお預かりされる事となってしまった。

「多分、暇を持て余したらペチャクチャ喋ると思うし、その時は鞘に納めて黙らせといて頂戴」

 このクソ暑い中、それまで喋っていたデルフと暫しの別れが出来る霊夢は遠慮も無く、鞘に収まったデルフを差出し、

 カチャカチャとひとりでに動くデルフを見て、給士は大変な仕事を任されたと感じつつそのインテリジェンスソードを預かるほかなかった。

「は、はぁ…かしこまりました」

『ひっでぇコト言うな~…、まぁでも許す。何せお前は俺の久方ぶりの゙相棒゙だしな』

 一方のデルフは相も変わらず冷たい霊夢にそんな軽口を叩きつつ、『まぁ楽しんで来い』と心の中で軽く手を振る。

 それが通じたのかどうかは知らないが、荷物と一子に金庫へと運ばれていくデルフに巫女も小さく手を振っていた。

 

 そうして、身軽になったルイズたち三人は古い階段を上って二階のフロアへと入った。

 貴族専用の待合スペースでもあるそのフロアは、流石『貴族専用』と謳うだけあって、中々綺麗な造りをしている。

「土産売り場に小さな本屋…後はレストランまであるとは。こりゃあちょっとした小さな通りが、宙に浮かんでる様なもんだぜ」

「そういえばそうよね、…だからって道幅の狭さに対して人の多さまで再現しなくたっていいのに」

 店や廊下を出入りする国内外の貴族達を見ている魔理沙の一言に、霊夢が余計な一言を入れつつ頷く。

 彼女のいう事もあながち間違っておらず、お昼の掻き入れ時という事もあってか、多くの貴族たちが廊下を行き交っている。

 

 

 多少なりとも二階は涼しかったが、人ごみだけは相変わらずな廊下を歩いて、席の空いているレストランを探していた。

 しかし時間が時間という事もあってかどこも満席であり、空席があっても予約済みの席と言う有様。

 一度すべてのレストランを見て回り、二階のロビーへと戻ってきたルイズたちはどうしようかと頭を抱えるほかなかった。

「どうするのよ?このままだと、食べずじまいで此処を出る羽目になるわよ」

「う~ん…一応、馬車側の方でも軽食は出してくれると思うけど…ちょっと勿体ないような気もするし」

 こういう場所で食べれる物と言うのは、基本的に外国の貴族でも満足できるような美味しい料理だと相場が決まっている。

 ロマリア人の次に食を愛するトリステイン人のルイズにとって、この様な場所で食事を摂れないというのには不満があった。

「とりあえずもう一回巡ってみようぜ?もしかしてたら空席が出来てるかもよ」

 そんな彼女の内心を察したのかもしれない魔理沙の言葉に彼女は頷き、もう一度レストランめぐりをしてみたところ…

 見事『麦畑の片隅』という看板の店で、丁度空きができた所を彼女たちは目撃する事が出来た。

 

 恐らくロマリアから来た観光客の貴族たちが食事を終えた直後なのだろう。

 ルイズと然程年が離れていない様に見える貴族の少女達が各々「チャオ!」と言って入口の給士に手を振って立ち去っていく。

 今がチャンスと感じたルイズは、貴族の子達が離れたのを見計らって、頭を下げていた給士に声を掛けた。

「ちょっと良いかしら?そこのギャルソン」

「…!はい、貴族様。当店でお食事でございましょうか?」

 何かと思い頭を上げた彼は、目の前にいる少女が貴族だと知って再度頭を下げて要件を尋ねてくる。

 ひとまずは「申し訳ございませんが…」と言われなかったルイズは、後ろにいる霊夢達を見やりながら「三人、いけるかしら?」と聞き返す。

 ルイズの目線に気付き、彼女の肩越しに霊夢達を見た給士はあぁ…と納得したようにうなずく。

「丁度今、外国からいらした貴族様方が使用していた個室が空きましたので…よろしければそちらをご案内いたします」

 接客業を務める人間の鑑とも言える様な眩い笑顔を浮かべて、給士は三人を店の入口へと案内した。

 

 ひとまずは店へ入った彼女たちは、食器等の片づけで少し待ってほしいと言われ、

 まぁそんなに時間は掛からないだろうと、大人しく順番待ちの時に座るソファに腰を下ろしていた時…。

「ちょっと!どういう事よ!?二重予約しでかして私の席が無くなってしまうなんてッ!」

「大変申し訳ありませんお客様…!こちらの手違いでこの様な事になってしまうとは…」

 先ほど給士が笑顔で頷いてくれた店の出入り口から、ヒステリックな少女叫び声が聞こえてきたのである。

 何だ何だと既に食事を頂いている貴族たちの何人かが入口の方へと顔を向け、ルイズたちもそれにならって入口の方へと視線を向ける。

 自分たちのいる順番待ちの部屋からは先ほど叫んだ少女の姿は見えず、このレストランのオーナーであろう中年の貴族が、平民の給士と一緒に頭を下げているのが見えた。

 二人そろって年下のお客に頭を下げる姿を見つめながら、霊夢が苦虫を食んでいるかのような表情を浮かべつつ口を開く。

「何なのよ?せっかくの昼食時にあんな金切り声で叫んでるのは?」

「さぁ…?でも何となく、聞き覚えのあるような声だな」

 魔理沙が興味津々といった様子でそう呟くとおもむろに立ち上がり、入口の方へと歩き出した。

 何の迷いや躊躇も無くスタスタと軽い足取りで入口へ向かう彼女を見て、咄嗟にルイズが止めようとしたが間に合わず、

 「ちょっと…!」と言ってソファから腰を上げた時には、入口の方へと戻った魔理沙と叫び声の主がほぼ同時に声を上げた。

 

「ちょっ…!何でアンタがこんな所にいるのよ!?」

「おぉ、もしやと思って顔を見てみれば…やっぱりお前さんだったかモンモランシー!」

 お互い暫しの間、顔を見せる事は無かったと思っていたのだろう。

 まるでもう二度と出会わないだろうと誓った矢先に街中で鉢合わせしたかのように、二人は奇遇な再開に驚いていた。

 

 

 魔理沙が声の主の名を呼んだことで他の二人も入口へと向かい、そしてあの金髪ロールが特徴の彼女もルイズたちを見て目を見開く。

「はぁ…?ちょっと待ってよ、一体どういう事があれば…こんな茶番みたいな事になるワケ?」

 ――――それを言いたいのは私の方よ、モンモランシー…。

 思わず口から出しそうになった言葉を何とか口の中に閉じ込めつつ、ルイズは大きなため息をついた。

 ルイズの後に歩いてやってきた霊夢も、ルイズと同じく魔法学院の制服を着た彼女を見てあぁ…と二回ほど小さくうなずく。

「あぁ、道理で聞き覚えがあると思ったら…随分とお早い再会を果たせたわね?」

「全くだわ…あぁもう」

 唖然とするモンモランシーを見つめながら、他人事のような言葉を吐く霊夢にルイズは頭を抱えたくなった。

 やっぱり自分は色々な厄介ごとに直面する運命を始祖ブリミルに『虚無』の力と共に授けられたのであろうか?

 現実逃避にも近いことを考えつつ、ルイズは目を丸くしているモンモランシーに次はどんな言葉を掛けたらいいか悩んでいる。

 そして、先ほどまでモンモランシーに誤っていた店長の貴族と給士は何が何だか分からず困惑していた。

 

 予期せぬ再会であったものの、モンモランシーの怒りはこちらに向くことは無かった。

 話を聞く限りモンモランシーが予約していた普通のテーブル席の様で、自分たちが運よく入れた個室席ではないようである。

 無論ルイズも食事を取り上げられた彼女の前でうっかりそれをバラす事はせず、穏便に立ち去ってもらいたかった。

 しかし…またもやそんなルイズの前に災難は立ちはだかったのである。霧雨魔理沙という快活に喋る災難が。

「しっかし、お前さんも災難だな?こっちは運よく個室席とやらを―――…ウグ…ッ!?」

「この馬鹿…!」

 口の中に拳を突っ込まんばかりの勢いで彼女の口を塞いだものの、時すでに遅しとは正にこの事。

 黒白を黙しらせてモンモランシーの方へと顔を向けた時、そこにば野獣の眼光゙としか言いようの無い目つきでこちらを睨む彼女がいた。

 その目つきは鋭く、獲物を見つけた肉食動物の様に体に力を入れてこちらへゆっくりと近づくさまは、紛う事なき野獣そのものである。

 流石の魔理沙や、一人離れて様子を見ていた霊夢もモンモランシーが何を考えているのか気づく。当然、ルイズも…。

 

「ル――――」

「何でアンタと一緒に昼食を食べる必要があるのよ?」

「まだアンタの名前を言いきってすらないじゃない!…っていうか、私が腹ペコみたいな決めつけしないで頂戴!」

「あっ…御免なさい。じゃあアレね、私達の個室席に無理矢理入りたいっていうのは私の勘違いだったのね」

「いや、ワタシはそれを頼もうとしたんだけど…」

「アンタ腹ペコどころか、物凄い厚かましいわねぇ」

 

 そんな会話の後、当然と言うか定めと言うべきか…二人の口喧嘩が『麦畑の片隅』の入口で繰り広げられた。

 ルイズは「アンタに席を分けてやる義理はないじゃないの!」と言うのに対し、モンモランシーは「アンタ達の事助けに行ってあげたじゃないの!」と返していく。

 流石にタルブでの顛末を詳しく話すことは無かったものの、当事者であったルイズも彼女があの場で治療してくれたのは知っている。

 しかし、だからといってそれ以前――少なくとも霊夢を召喚するまで彼女から受けた嘲笑や罵りが帳消しになったワケではない。

 それを指摘してやると、それを思いだしたモンモランシーは「グッ…」と一歩引いたものの…暫し考えた素振りを見せて再び口を開いた。

「わ、若気の至りってヤツよ!…あの時はアンタがあんなにスゴイって知らなかったんだもの!」

「去年と今年の春までの事を若気の至りって呼ばないわよ!」

 双方とも激しい罵り合いに、モンモランシーに頭を下げていた給士とオーナーの貴族は震えあがっていた。

 給士はともかくとして今まで人間相手に杖をふるったことの無い中年のオーナーにとって、火竜と水竜が目の前で喧嘩している様な状況に何もできないでいる。

 

 

 店の内外にいた貴族たちも何だ何だと口喧嘩を聞いて駆けつけてきて、ちょっとした人だかりまでできている始末。

 下級、中級、上級。単身、カップル、家族連れ。そして老若男女に国内外様々な貴族たちがどんどん近寄ってくる。

 そんな光景を目にして、この騒動を引き起こした魔理沙は無邪気に騒いでいた。引き起こした本人にも関わらず。

「おーおー…何だか騒がしい事になってきてるじゃないか」

「アンタがバラさなきゃあ穏便に済んだ事じゃないの、全く…」

 流石にこれ以上騒いでは昼食どころではないと察したか、ようやく博麗の巫女が重い腰を上げる事となった。

 人間同士のイザコザは完全に彼女の専門外ではあったが、解決方法は知っている。

 

「ほら二人とも、口げんかはそこまでしときなさい」

 いよいよ口喧嘩から髪の掴み合いに発展しそうになった二人を、霊夢がそう言ってサッと引き離す。

 突然の介入は二人同時に「何するのよッ!」と丁寧にタイミングを合わせて叫んで来たので、咄嗟に耳を塞ぎながら霊夢は二人へ警告する。

「アンタ達ねぇ、そうやって喧嘩するのは良いけどそろそろやめとかないと食事どころじゃなくなるわよ?」

「はぁ?一体何を……あっ」

 彼女に指摘された初めて周囲の状況に気が付いたルイズは目を丸くして困惑し、モンモランシーも似たような反応を見せていた。 

 どうやら本当に周りが見えていなかったらしい。霊夢はため息をつきたくなったが、辛うじてそれを押しとどめる。

(まぁルイズの性格であんなに怒ったらそうなるのは分かってたし、モンモランシーも似たような性格だからね…)

 そんな事を思いながらも、ようやっと頭が冷えてきた彼女たちに霊夢は至極落ち着きながらも、まずはモンモランシーに喋りかける。

 

「まず聞くけど、どうしてこの店に拘るのよ?予約してた席が無くなったんなら、さっさと他の店で空いた席を探せば良いじゃない」

「え?…えっと、それは…うぅ」

 至極もっともな霊夢の言い分にモンモランシーは何か言いたげな様子であったが、悔しそうに口を噤んでいる。

 それを見てルイズは自分の味方になってくれている霊夢にエールを送り、店の者たちはホッと胸をなで下ろしていた。

 マントを羽織っていないのでルイズの従者という扱いの彼女であったが、平民であれ何であれこの騒ぎを鎮めてくれるのであれば誰でもよかった。

 一方で、店の外にいる貴族たちの何人かがモンモランシーを止める霊夢を見て「平民が貴族を諭すなどと…」という苦々しい言葉が微かに聞こえてくる。

 霊夢はそれを無視しつつも、何か言いたそうで決して口外できない風を装っているモンモランシーを見て、何か理由があるのだと察していた。

 彼女のもどかしそうな表情と「気付いてほしい…」と言いたげな目つきを見れば、誰だって同じように気づくであろう。

 

 一体何を抱えているのか?面倒くさそうなため息をついた霊夢はモンモランシーの傍に近づくと、すぐさま彼女が耳打ちしてきた。

 耳元から囁かれるモンモランシーの神経質な声にむず痒さを覚えつつ、彼女が大声で言えない事をヒソヒソ声で伝えていく。

「この店ってさぁ、北部駅舎の飲食店の中で比較的安い店だって知ってる…?」

「知らないわねェ?でもまぁ、ルイズなら知ってそうだけど…」

「そう…。それでね、この時間帯に出るランチセットは…一応値段的にはそれなりに働いてる平民でも気軽に頼めるお手軽価格なの」

 ま、平民はここへは入れないけど。…最後にそう付け加えて、ご丁寧に説明してくれた彼女に霊夢は「…で?」と話の続きを促す。

「それで、まぁ…アンタに話すのも恥ずかしいけれど、世の中にいる貴族にはそういう低価格で程よい豪華な食事を楽しみたい層がいるのよ」

「それがアンタってワケ?何処かで聞いたけど…アンタの家は領地持ちなんでしょう。だったら金なんていくらでも持ってるんじゃないの?」

 霊夢の指摘にモンモランシーは暫し黙った後、巫女さんの顔を気まずい表情で見つめながらしゃべり始めた。

「この際だから、アンタにも話しておこうかしらね?貴族には、二通りの存在がいる事を…」

「…?」

 突然そんな事を言い出したモンモランシーに首を傾げると、彼女は勝手に説明を始めていく。

 

 

 

「このハルケギニアにはね、お金と仲良しな貴族と…お金に縁のない不幸な貴族がいるの。

 例えば前者を挙げるとすれば、ルイズのヴァリエール家や、キュルケの所のツェルプストー家が良い例よ?」

 

「…あぁ、確かに何となく分かるわね」

 唐突に始まったものの、やけに丁寧なモンモランシーの説明に霊夢は納得したように頷きつつ、引き続き話を聞いていく。

 

「そして、後者の例を挙げれば…私の実家のモンモランシ家や、ギーシュのグラモン家ね。

 グラモン家は代々軍人の家系で、アイツの父親はトリステイン王軍の元帥の地位にいる程の御人よ。

 だけど、過去に行われた山賊やオーク鬼退治のなんかの出征の際に見栄を張り過ぎて、金を殆ど使い果たしてると言われてる…

 あと…モンモランシ家は、えーと…干拓に大失敗して領地の半分がペンペン草も生えぬ荒野になっちゃって、経営が大変なのよ」

 

 自分の家の経営事情を気まずそうに説明したところで、彼女は霊夢に説明するのを止める。

 とはいえ、この説明だけでも十分にモンモランシーの財布が小さい理由が分かってしまった霊夢は、多少なりとも同情しそうになった。

「何ていうか…その、貴族って意外と大変なのね」

「やめてよ。嬉しいけどそういう同情の仕方はやめてよ」

 気休めにならないが、すっかり気分が萎れてしまった霊夢からの慰めにモンモランシーは複雑な気持ちを抱くしかなかった。

 

 

 その後、更に詳しくモンモランシーから話を聞くとどうやら彼女も帰省する為にここの馬車を利用するのだという。

 とはいえルイズの様にチャーターできるワケもないので比較的安く、尚且つ長旅となる為にせめてここで美味しいモノを…と思ったらしい。

 席自体は数日前に手紙で予約していたモノの、店側のミスで一般席は全て埋まってしまい、彼女以外の予約席もあって二時間待ちという状態。

 それに輪をかけてチケットを取っている馬車の発車時刻は一時間半後という、不幸としか言いようのない状況に陥っているのが今の彼女であった。

 モンモランシーの口からそれを直接聞いた霊夢は、大分落ち着いたものの未だご立腹なルイズに丁寧に伝えた。

 

「…というわけで、個室の席は四つあるから相席させて欲しいって言ってきてるけど…どうするの?」

「何よそれ?そんなら同じフロアの土産売り場で売ってるサンドイッチやジュースとか買って、食べとけば良いじゃないの」

 非の打ちどころの無いルイズの正論にしかし、モンモランシーはそれでも必死に食い下がる。

 まるで絞首台の前に立った罪人が必死に抵抗するかのように、彼女はルイズを説得しようとしていた。

「そんなの味気ないじゃない!それに…アンタだって知ってるでしょうに?ウチの領地の特産物がジャガイモぐらいしか無いの!?」

 今にも怒り泣きしそうな忙しい表情で叫んだモンモランシーの言葉に、ルイズはそういえばそうだったわねぇ…と思い出す。

 

 諸事情で干拓に失敗したあの領地で安定して育てられる野菜と言えば、ジャガイモぐらいしか耳にしたことがない。

 年に何回かは別の野菜が王都の市場にまで運ばれては来るが、同じく運ばれてくるジャガイモの出荷量と比べれば小鳥の涙程度。

 そのせいかモンモランシー領で暮らす人々の食事は貴族平民問わずジャガイモはメインの野菜である。というかジャガイモしかない。

 時折他の領地から運ばれてきて、高い値段が付く他の野菜を食べる事はあれど、朝昼夕の基本三食には必ずジャガイモがついてくる。

 魚はともかく、肉類などは十分に領地内での確保に成功しているが、それらがどんなに美味そうな料理になっても忌々しいジャガイモが隣にいるのだ。

 茹でたジャガイモ、マッシュポテト、ポテトサラダ、フリット(フライドポテト)…。ゲルマニア人もびっくりなくらい、モンモランシー領はジャガイモに塗れていた。

 

 だからこそ彼女は必死なのだろう、夏季休暇で芋地獄の故郷へ戻る前に王都の華やかな食事にありつきたいのだと。

 有名ではない地方から来た貴族程、王都へ足を運んだ際には食事にはある程度金を惜しまないと聞く。

 そこには、モンモランシーの様に偏った食事しかない地方に住まう自分の待遇を一時でも忘れたいが為の現実逃避でもあるのだ。

 

 

 ルイズは悩んだ―――確かにモンモランシーは、あの時タルブへ嫌々来ながらも、キュルケ達と共に残ってくれていた。

 それに、王宮で自分の『虚無』を明かそうとした時、まあつっけんどんながらも口外しないという約束までしてくれたのである。

 以上の二つの事を思い出してみれば、なるほど彼女と相席になってもまぁ別に悪くは無いと思えてしまう。

 だが、そんな考えが出てきたところでハッとした表情を浮かべたルイズは、慌てて首を横に振った。

 

 先程自分が言ったように、入学当初からは暫く彼女から散々嫌味を言われていたのだ。

 それもついでに思い出してしまうと、不思議と体の奥底から゙許せない…゙という意思が湧き上がってくる。

 自分を馬鹿にしていた入学当初のモンモランシーと、自暴自棄ながらもアルビオン艦隊と戦うと決めてくれたタルブ村のモンモランシー。

 二人のモンモランシーの内どれを選んだら良いのか…?それに悩んでしまい、ついつい無言になってしまう。

 そんな彼女を見かねてか、はたまた空腹が我慢できないレベルになってきたのか…それまで黙っていた魔理沙がその口を開いた。

「別に良いんじゃないか?この際昔の事を忘れて、これからの事を考えながら食事っていいうのも?」

 今に至る騒動を生み出した張本人は、脱いでいた帽子を手で弄りながら葛藤するルイズにそう言った。

 その言葉にモンモランシーがハッとした様な表情を浮かべて魔理沙を見遣り、一方のルイズはそれでも不満気なまま彼女に反論する。

 

「つまりアンタは、今まで馬鹿にされてた事を水に流せって言いたいワケなの?」

「そう言ってるワケじゃあないさ、偶にそんな事言う奴もいるけど、人間自分が馬鹿にされた事は中々忘れられないもんさ」 

 自分が過去に、どれだけ『ゼロ』と揶揄されてきたのか知らないくせに。そう言おうとしたルイズに対し、

 普通の魔法使いは彼女の内心を読み取ったかのような言葉を、彼女に投げかけた。

 そんな事を言われてしまうと口の中から出ていきそうになった言葉を、出そうにも出す事が出来なくなったルイズ。

 魔理沙はルイズが静かになったのを確認した後、手に持っていた帽子をかぶり直して一人喋り出す。

 

「でも、お互いそうやっていがみ合ったままじゃあ色々と疲れちまうもんだぜ?

 ワタシだって霊夢の事は今でもライバル視してるけど、いつもは仲良く接してるのをお前は見てるだろ?

 それと同じさ。いざとなったらアンタの頬を抓ってやる覚悟だが、

 今はその時じゃあないからお互い仲良くいきましょう…って感じだよ

 お互い鉢合わせたら即喧嘩なんて…モンモランシーもお前も、疲れててしまうじゃないか」

 

 魔理沙の言葉にルイズは「そもそも喧嘩を起こした張本人のアンタが言う事…?」という疑問を抱いていたが、

 小さな頭で少しだけ考えてみると、確かに彼女の言う通りなのかもしれないという確信もゆっくりゆっくりと浮上してくる。

「ちょっと魔理沙、何で私がアンタといっつも仲良しみたいな事言ってるのよ?」

「なーに言ってんだよ霊夢。私が遊びに来た時には良くお茶と茶菓子を分けてくれるじゃあないか」

 何やら言い争いをしている霊夢達を余所に、ルイズは再びどうするか悩んでいた。

 多生揉めてでも店から追い出すか、それとも一時の間だけ昔の事を忘れて彼女と同席するか…。

 二つの内一つしか選べぬ選択肢を目の前に出された彼女は、あともう数分だけ時間が欲しいと言いたかった。

 しかし、これ以上は店側も待てないのか「お客様…」と蚊帳の外にいたオーナーがおずおずとルイズに声を掛けてくる。

 自分を含めて霊夢や魔理沙たちも腹を空かせてているだろうし、何よりチャーターしている馬車の事もある。

 

 もうこれ以上の猶予は無い。そう悟ったルイズは…以前デルフが言ってくれたあの言葉を思い出した。

 ――――ちっとは大目に見てやろうぜ。そうでなきゃいつまでも溝は埋まらねぇぞ?

 以前霊夢と喧嘩になった際、いつもはからかう側のインテリジェンスソードが自分に語りかけてくれたあの言葉。

 それが脳裏を過った後、待合室の天井を仰ぎ見たルイズは軽い深呼吸をした後にモンモランシーの方へと顔を向ける。

 

 

 

 モンモランシー…入学当初は自分を『ゼロ』と呼んで自分を馬鹿にしていた彼女であったが、今ならそんな事さえしないだろう。

 何故なら彼女は目撃したのだから。二度と指を差して笑えぬ、自分の中に隠されていたあの怖ろしい『力』を。

(…確かにコイツには色々と嘲笑われたけど、あの時はまだ何も゙知らなかっだものね…キュルケや、私さえも…)

 そう思うと、不思議と彼女のしてきた事がほんのわずかだが゙些細な事゙だったのだと思えるようになってくる。

 

「……ルイズ?――――…っ!」

 こちらのをジッと見つめたまま黙っているルイズに、モンモランシーは声を掛ける。

 その声で止まっていた自分の体が動き出したかのように、ルイズは右手の中指と人差し指でピースを作り、モンモランシーの眼前へと出した。

 突然のことに少し驚きを隠せなかったものの、そんな事お構いなしにルイズは彼女に話しかけた。

 

「モンモランシー、二よ?三分の二で手を打つわ」

「三分の…二?アンタ、急に何を言ってるのよ…?」

 イマイチ彼女の真意を把握できぬ事に、モンモランシーは首を傾げてしまう。

 自分でも何を言っているのかと呆れたくなる気持ちを抑えて、ルイズはもう一度口を開いた。

 

「割り勘よ。アンタが予約してた席代をそのまま、私達の個室料金にぶち込みなさい。

 アンタには一年生の頃から色々とされたけど、今回は…今回だけはそれを別の所に置いといて上げるわ…

 ――――後、絶対に勘違いしないでよね?アンタと今から仲直りしようってワケじゃない。お店の事を考えてそれで丸く収めるって事よ」

 

 忘れないで頂戴。右手の指二本を震わせながら、ルイズは最後にそう付け加える。

 それはルイズなりに決断した、モンモランシーへの譲歩であった。

 

 

 ――――時間は戻り、食事を終えて支払いも済ませた彼女たちはモンモランシーを先頭に歩いていた。

 食欲を満たし、イライラも落ち着いた彼女は満足げな笑みを浮かべ、自慢のロールを揺らしながら駅舎一階のロビーを進んでいく。

 個室の席代はやや高くついたものの予算の範囲内であったし、何より楽しみにしていたランチセットよりも上の料理を食べる事が出来たのである。

 不幸中の幸い、という言葉こういう時の為にあるのだろう。幸せな満腹感に満たされながら、モンモランシーはそんな事を思っていた。

「…ふぅ~…全く、店側の手違いで昼食が食べ損ねるかと思ってたら…まさかこうもアンタ達と偶然再会するとは思ってなかったわ」

「偶然は偶然だけど、望まぬ偶然よ。全く…」

 そんな彼女の後をついて行くように、浮かぬ顔で歩くルイズは思わず苦言を漏らしてしまう。

 本当ならば、霊夢と魔理沙の三人で軽くこれからの事を話し合いながら食事をするつもりだったというのに…

 偶然にもあの店で予約を取っていて、手違いで無かった事にされたモンモランシーと出会ったせいで色々と予定が狂ってしまった。

 一応出てきた食事には満足したものの、自分よりも幸せそうな彼女を見ていると今更ながら苛立ちというモノが募ってきてしまう。

 好事魔多し…という言葉を何かの本で目にしたことがあるが、正に今の様な状況にピッタリな言葉には違いないだろう。

 

(まぁ予想はついてたけど…思ったよりちょっとは溝が深いようね)

 一時は和解できたと思っていたモノの、少し浮かれているモンモランシーの背中をジッと睨んでいるルイズの後姿。

 それをジト目で見つめながら後に続いていた霊夢が心中でそんな事を呟いていると、先程返却してもらったデルフが話しかけてきた。

 

 

『にしたって奇遇なモンだねぇ?あん時の金髪ロールの嬢ちゃんとこうやって再会するとはねェ』

「まぁお互いそそれを嬉しいとは思ってい無さそうだけどね?」

 先ほどまで駅舎で預けられていて、魔理沙からいきさつを聞いたテン入りジェンスソードに霊夢は相槌を打つ。

 てっきり預けられていた不満が出てくるのかと思いきや、きっと荷物を預かってくれた職員が話し相手にでもなってくれたのだろう。

 預ける前よりかは少しだけ良くなった機嫌を剣の体で表しているのか、時折独りでにカチャカチャと動いている。

 

(まぁそれ程気になるワケではないけど、鬱陶しくなったら鞘越しに刀身を殴って黙らせりゃあ良いか)

 デルフにとってあまり穏やかではない事を考えながら、ルイズとモンモランシーの後をついていく。

 ふと自分の後ろを歩く魔理沙を見てみると、しきりに視線を動かして駅舎一階の中や造りを興味深そうに観察している。

 霊夢は然程気にはしないものの、こういういかにも洋風な造りの建物など幻想郷では指で数えるほどしかない。

 一番大きい洋風の建物と言えば紅魔館ぐらいなものだし、人里でもこういう感じの建物は本当に少ないのだ。

 だから、まだまだ好奇心が旺盛な年頃の彼女が夢中になる気持ちは分かる。分かるのだが…

 天井やら人列が並ぶ受付口に目がいってしまう余り、そのまま別の所へ行ってしまうのは…流石に声を掛けるべきなのだろう。

「ちょっと魔理沙、アンタどこ行くつもりよー」

「…え?おぉ…っと、危ない危ない!」

 霊夢の呼びかけで、ようやってルイズ達から離れかけた彼女は慌てて彼女の方へと駆けてくる。

 ルイズもそれに気づいたのか、はぐれかけた黒白に「何やってるのよ?」と軽く呆れていた。

 

 

 それから少しだけ歩いて、ルイズたちはロビーを出た先にある三番ステーションへと足を運んでいた。

 全部三つあるステーション――つまり駅馬車の乗り降りをする場所の中で、唯一国外へと出ない馬車の発車場である。

 その分割安ではあるが、いかにもグレードの低そうな駅馬車ばかりが集められていた。

 無論ルイズがチャーターした馬車があるのは、国内外の行き来可能で一流業者が集められている一番ステーションだ。

 なら何故ここを訪れたのかと言うと、これから領地へ帰るモンモランシーがここの馬車に乗るからであった。 

「チケットを予約していたモンモランシーよ。馬車の準備は出来ているかしら?」

 ステーション内に設けられた別の受付を担当している職員に、モンモランシーはそう言ってチケットを見せる。

 まだここで働き始めたであろう青年職員は、チケットに書かれた氏名、番号、有効期限を確認するとモンモランシーにチケットを返す。

「確認が終わりました。ミス・モンモランシーの予約している駅馬車は二番プラットホームの馬車です」

「うん、有難うね」

 良い旅を、チケットをしまって受付を後にした彼女の背中に担当職員は声を掛けた。

 彼女がその声に軽く右手を振った後、ルイズたちも多くの人が行き交う三番ステーションの通路を歩き始める。

 ステーションの左側は外へ直結しており、真夏の太陽の光と照りつけられている地面がその目に映っている。

 外と繋がっているせいか夏の熱気も流れ込んできて、駅舎の中であるというのに再び肌からじわりじわり汗が滲む程に暑かった。

 ハルケギニアの夏に未だ慣れていない霊夢と魔理沙の二人は、この建物の中では感じることは無いと思っていた熱気に怯んでいるものの、

 ステーション内で客の荷物を詰め込む馬車の御者や書類片手に走る職員に、客の貴族や平民たちは平気な様子で行き来している。

「あーくそ…、折角涼しい場所で食事できたと思ったら、まさか外の熱気がここまで来るとは…」

「いっその事メイジの魔法なりでここに冷たい風でも吹かせてくれればいいのにね」

 幸せな気分から一転、またもや汗だくとなっていく二人の愚痴を後ろから聞きながら、

 ルイズと自分が乗る馬車の方へと歩いていくモンモランシーの二人も、少しワケありな会話をし始めていた。

 

 

「それにしても、アンタはともかく…ワタシまでこんな数奇な出来事に見舞われるなんてね」

「は?何よイキナリ…」

 突然そんな事を呟いたモンモランシーに、ルイズは怪訝な表情を浮かべる。

 まさかちょっと過去の事に目をつぶって、昼食を共にしただけで自分と仲良くしたいと思っているのか?

 本人の耳に聞こえたら間違いなく決闘騒ぎになるような事を思っていたルイズであったが、それを口に出す事は無かった。

 

「だってそうじゃない?アンタが使い魔召喚の儀式で異世界出身の巫女さんを呼んじゃうし、アルビオン王国が倒れて…

 お次は魔法学院で色々と騒ぎがあった末に夏季休暇の前倒し…かと思えば、キュルケ達と一緒にアンタ達の素性を調べたり、

 そんでテントの中で籠ってたかと思えば、シルフィードの背に乗ってレコン・キスタの艦隊が上空に浮かぶタルブ村まで連れてかれて…

 んでなし崩し的に私までアンタ達と一緒にその艦隊と戦う羽目に成ったり…と思いきや、アンタのあの゙光゙で艦隊が全滅…してからの王宮での監視生活」

 

 …これが数奇な出来事じゃなくて何になるの?最後にそう付け加えて喋り終えた彼女は、何となく肩をすくめる。

 まぁ確かに彼女の言っている事に間違いはないだろう。ルイズはひの顔に苦笑いを浮かべつつ軽くうなずいて見せた。

 それでも、自分や霊夢達が直に体験してきた事と比べれば幾分か優しいというのは、言わない方が良いのだろうか?

 頭の中でそんな二者択一の考えを巡らせている中、喋り終えたばかりのモンモランシーがまたもやその口を開いた。

「あぁでも…私にとってその中でも一番衝撃な事といえば……数日前に聞かされだアレ゙よね?」

「……!あぁ、あの事ね」

 彼女が口にした『数日前』という単語で、ルイズもまだアレ゙を思い出す。

 それはトリステイン人であり、この国の貴族でもある二人にとって最も衝撃であり、何よりもの朗報であった。

 

 先王の遺した一人娘であり、他国からもトリステインに相応しき一輪の百合とも称される美しき王女。

 そしてヴァリエール家のルイズとは幼馴染みであり、トリステインの女性たちにとっての憧れでもある、アンリエッタ・ド・トリステイン。

 以前は王女として北部の隣国帝政ゲルマニアへの皇帝へと嫁ぐはずだった彼女は、近いうちに女王として戴冠式を挙げる予定である。

 つまり、永らく座る者のいなかった玉座へと腰を下ろすために、アンリエッタは王冠を被りこの国を背負う女王陛下となるのだ。

 ゲルマニア皇帝との結婚式が中止になったのもこれが原因であり、トリステインが彼女を留まらせる為の救済策。

 そして、これからレコン・キスタもとい…神聖アルビオン共和国との戦争の為に、国内の結束力を高める為に必要な儀式でもあった

 惜しくも王家の嫁を迎え入れられなかったゲルマニアだったが、代わりにトリステインはゲルマニアとの軍事同盟を結んでいる。

 

 その為ゲルマニアはトリステイン王国に武器、兵器等を正規の手続きをもって売れるようになり、

 トリステイン軍も王軍、国軍を再編して同盟国と同様の陸軍を創設する為のノウハウを教える為の人材をゲルマニアに要求できるようになった。

 伝統を保守し、尊重するトリステインではあるものの軍部は先のラ・ロシェールでの戦闘で意識を改めており、

 新式とは言えないが比較的新しいゲルマニア軍の兵器を買えるうえに、陸軍創設の際にもゲルマニアと言う大先輩が教えてくれる。

 トリステインは新しい女王が就任し、ゲルマニアは軍事的にもトリステインを指示できる立場となり、互いに面子を守れるという結果に終わった。

 

 …とはいえ、王宮内部では既に戴冠式の予定日まで決まっているが、未だ民衆や王宮で働いていない貴族達には知らされていない。 

 ルイズたちが聞いた話では夏季休暇の終わる数週間前に戴冠式が発表され、丁度長い夏休みが終わると同時に式が行われるという。

 その為街中では結婚式が中止になった事でそれを不安に思う者たちが大勢いたが、そこまではルイズたちの知る所ではなかった。

 

「まさか、あの姫さまがいよいよ女王陛下にならなれるなんて…段々遠くなっていくわね…」

 流石のルイズも声を抑えつつ、自分の幼馴染が色んな意味で高い場所にいるべき人となっていく事に切ない感情を抱いていた。

 マザリーニ枢機卿からその事を聞かされた時は嬉しかったものの、時間が経ってしまうと妙なもの悲しさが心の中に生まれてくる。

 

 先王亡き当時…マリアンヌ王妃は戴冠を拒み、アンリエッタはまだ幼すぎるとして戴冠の事はこれまでずっと保留にされてきた。

 その為トリステイン王国は、今まで玉座に座るべき王が不在という状態の中で大臣や将軍たちが一生懸命国を動かしていた。

 特にロマリアからやっきてた枢機卿の働きぶりは凄まじく、彼がいたからこそ今日までトリステイン王国は生き残る事が出来たと言っても過言ではない。

 だから冠を被るのに充分な年齢に達したアンリエッタが王となるのは喜ぶべきことであり、落ち込む理由は何一つ無いはずなのである。

 

「ちょっと、なーに暗い顔してるのよ?」

 そんなルイズを慰めるように、刺すような視線を向ける霊夢がポンポンとルイズの背中を軽く叩いてきた。

 突然のことに目を丸くした彼女は思わずその口から「ヒャッ…!」と素っ頓狂な悲鳴を上げてしまう。

 一体何をするのかと後ろにいる巫女さんをを睨んだが、彼女はそれを気にせず言葉を続けていく。

「アンタとアンリエッタが幼馴染なのは知ってるし、まぁ遠い人間になるのは分かるけど…アンタだってアイツからあの書類を貰ったじゃないの?」

 その言葉に、ルイズは受付で預かってもらっている旅行鞄の中に入れた『あの書類』の事を思い出した。

 

 そう遠くないうちに女王となる幼馴染から頂いた、一枚の許可証。

 書面にアンリエッタ直筆の証とも言える花押がついた、女王陛下直属の女官であるという証を。

 

 

 それは数日前の事、キュルケやモンモランシー達と共にアンリエッタと『虚無』の事について話していた時であった。

 一通り喋り終えた後、魔理沙の口から出た何気ない一言のお蔭で彼女はルイズたちに話をす事が出来たのである。

「残念な事に…敵は王宮の中にもいるのです。―――――獅子身中の虫という、厄介な敵が」

 女王になる前だというのに、既に悩みの種が出来つつある彼女は残念そうに言ってから、その゙獅子身中の虫゙について説明してくれた。

 古き王政を打倒し、有力な貴族による国家運営を目指しているレコン・キスタの魔の手はアルビオン王国が倒れる前から世界中に伸びていたのである。

 ゲルマニアやガリア王国、果てにはロマリアの一部貴族達は貴族派の内通者として暗躍し、国が表沙汰にしたくない情報を横流ししていたのだという。

 トリステインもまた例外ではなく、既に一部貴族が貴族派に加担している者が出ており、挙句の果てにスパイまで逮捕している。

 各国と自国の状況から考えて、不特定多数もしくは少数の貴族たちが貴族派の者と接触しており…最悪彼らの企てに協力している可能性があるというのだ。

 

「そんな事になってたのですか…?ワルド元子爵の様な裏切り者が他に…」

「まだ断定できるほどの状況証拠があるワケではないのだけれど…決していないとも言いきれないのが今の状況よ」

 その話を聞いたルイズはふとアルビオンで裏切ったワルドの事を思い出し、アンリエッタも悲しそうな表情を浮かべて頷く。

 彼女にとってワルドは恋人の仇であり、ルイズは自分の一途な想いを裏切った挙句、タルブで霊夢の命を奪おうとまでした男だ。

 実力差はあるものの、あの男と似たような思考で裏切ろうとしている者たちがいるという可能性に、ルイズは自然と自分の右手を握りしめる。

「…だからルイズ。貴女はこれから自分の覚醒した力を公にせず、ここにいる者たちだけの秘密として心の中にしまっておいてください」

「!―――殿下…」

 アンリエッタの言葉にルイズが反応するよりも先に驚いたのは、マザリーニ枢機卿であった。

 彼はルイズの今後について知らなかったのか、アンリエッタの口から出たルイズへの指示に目を丸くしている。

 枢機卿に続くようにして、ルイズも「しかし、姫さま…!」と信じられないと言いたげな表情で幼馴染に詰め寄った。

「私は…自分の力となった『虚無』を、姫さまの為に役立てたいと思っています…それなのに…」

「分かってるわルイズ、貴女の気持ちは良く分かる。けれども…いいのです。恐らくその力は、貴女の身に災いを持ってくるやも知れませぬ」

「構いません。既にこの身は『虚無』が覚醒する前から幾つもの災難を体験しています…今更災いの一つや二つ…」

 拒否の意を示す為に突き出したアンリエッタの右手を、ルイズは優しく払いのけながら尚も詰めかける。

 咄嗟にアンリエッタは枢機卿へと目配せするものの、老齢の大臣は静かに自分の目を逸らしてみて見ぬふりを決め込んでいた。

「枢機卿!」

「姫殿下、誠に失礼かと思いますが…今は一人でも多く信頼できる人材が必要だと…私は申し上げましたぞ」

 これ以上心許せる友を巻き込みたくないアンリエッタと、今はその気持ちを押し殺して仲間として加えるべきと進言するマザリーニ。

 友の為に国益を損する事に目を瞑るのか、それとも国益のために友の身を危険な場所へと赴かせるのか。

 どちらか一つを選ぶことによって、ルイズの今後は大きく変わる事になるかもしれない。

 

「いやはや、ルイズの奴も苦労してるんだな~」

「そうね。幾つもの災難に見舞われてきただなんて…まぁ私に身に覚えがないけれど」

「多分ルイズの言う『災難』の内半分は、絶対にアンタ達が原因だと思うわよ?」

 緊張感漂う部屋の中で、二人仲良くとぼけている霊夢達にモンモランシーはさりげなく突っ込んでいた。

 

 

 その後は色々あり、役に立てぬというのなら杖を返上するというルイズの発言にアンリエッタが根負けする事となってしまった。

 『虚無』が覚醒する以前は、魔法が使えぬ故に『ゼロ』という二つ名を持っていた彼女が、自分の為に働きたいとという気持ちが伝わったのだろうか。

 アンリエッタは安堵している枢機卿に丈夫な羊用紙を一枚用意するよう命令した後、自分の前で跪いているルイズの左肩をそっと触る。

「ルイズ、貴女は本当に…私の力となってくれるのね」

「当然ですわ、姫さま。これまで姫さまに与えて貰って御恩の分、きっちりと働いて見せます」

 顔を上げたルイズの、決意と覚悟に満ちた表情を見て、多少の不安が残っていたアンリエッタも力強くうなずいて見せた。

 

「……分かりました。ならば、『始祖の祈祷書』と『水のルビー』は貴女にもう暫く預かってもらいます。

 しかしルイズ。貴女が『虚無』の担い手であるという事はみだりに口外しては駄目よ。それだけは約束してちょうだい

 それと、何があったとしても…タルブの時に見せた様な魔法とは言えぬ超常的な力も、使用する事は極力控えるようにして」

 

 アンリエッタからの約束に、ルイズは暫しの沈黙の後…「分かりました」と頷いた。

 その頷きにホッと安堵のため息をついたと同時に、マザリーニが持ってきた羊皮紙を貰い、次いで机に置いていた羽ペンを手に取る。

「これから先、貴女の身分は私直属の女官という事に致します」

 羊皮紙にスラスラと何かしたため、最後に花押を羊皮紙の右端につけてから、ルイズの方へと差出した。

「これをお持ちなさい。ルイズ・フランソワーズ」

 自分の目の前にあるそれを手に取ったルイズは、素早く書面に書かれた文章を読んでいく。

 後ろにいた霊夢と魔理沙も肩越しにその書類を一目見たが、残念な事にどのような内容なのかは分からなかった。

 しかしルイズにはしっかりと書かれていた内容を読むことができ、次いで軽く驚いた様子で「これは…!」と顔を上げる。

 

「私が発行する正式な許可証です。これがあれば王宮を含む、国内外のあらゆる場所への通行が可能となるでしょう」

 それを聞いて霊夢達の後ろにいたギーシュやモンモランシーは目を丸くしてルイズの背中を凝視する。

 アンリエッタ王女が正式に発行した通行許可証。それも王宮を含めた場所の自由な出入りができる程の権限など並みの貴族には滅多に与えられない。

 例えヴァリエール家であってもセキュリティーの都合上、王宮への訪問には事前の連絡が必要なのである。

 その過程丸ごとすっ飛ばせる程の権限を、あの『ゼロ』と呼ばれていたルイズのモノとなったことに、二人は驚いていたのである。 

 一方のキュルケは、トリステイン貴族でなくとも喉から手が出るくらい欲するような許可証を手にしたルイズを見て、ただ微笑んでいた。

 実家も寮の部屋も隣であった好敵手が、自分の目の前でメキメキと成長していく姿を見て面白いと感じているのであろうか?

 タバサは相変わらずの無言であったが、その目はジッとルイズの後姿を見つめていた。

 

 

 そんな四人の反応を余所に、アンリエッタは説明を続けていく。

「…それと警察権を含む公的機関の使用も可能です。自由が無ければ、仕事もしにくいでしょうから」

 既に許可証を受け取っていたルイズは恭しく一礼した後、スッと後ろへ下がっ。

 一方で、アンリエッタの話を聞いて大体の事が分かった魔理沙はまるで自分の事の様に嬉しそうな表情を浮かべてルイズに話しかける。

「おぉ、何だかあっという間にルイズと私達は偉くなってしまったじゃないか?」

「凄いわねぇ…私はともかく、魔理沙には渡さない様にしておきなさいよ」

 次いで霊夢も興味深そうな表情と「私はともかく…」という言葉に、ルイズはすかさず反応した。

「正確に言えばこの許可証が効くのは私だけであって、アンタ達が持ってても意味ないわよ?」

 この二人の手で悪用される前に最低限の釘を刺し終えた彼女は、最後にもう一度確認するかのように許可証に目を通す。

 アンリエッタのお墨付きであるこの書類が手元にある以上、自分はアンリエッタと国の次に位置する権力を手に入れたのである。

 ルイズとしては、ただ純粋に苦労しているアンリエッタの為に何かお手伝いができればと思っていたのだが…。

(流石にこんなものまで貰えるだなんて、思ってもみなかったわ…)

 そんなルイズの気持ちを読むことができないアンリエッタは、最後にもう一度話しかけた。

 

「ルイズ…それにレイムさんとマリサさん。貴方達にしか頼めない案件が出てきたら、必ずや相談いたします。

 表向きはこれまで通りの生活をして、何か国内外の行き来の際に困ったことがあればそれを提示してください

 私の名が直筆されたこの許可証ならば例え外国の軍隊に絡まれたとしても、貴女たちへの手出しは出来なくなるはずです」

 

 

 

 

 そして時間は戻り、モンモランシーがこれから乗る馬車が駐車されている二番プラットフォーム。

 四頭立ての大きな馬車はもうすぐここを出るのか、平民や下級貴族と見られる人々が続々と馬車の中へと入っていく。

 馬車の後部にある荷物入れには、御者と駅舎の荷物運搬員が積み込んだ旅行鞄などの大きな荷物がこれでもかと詰め込まれている。

 鞄の持ち手などにしっかりと付けられたネームタグがあるので、誰がどの荷物なのかと混乱する手間は省けられそうだ。

 

 そんな馬車を前にして、モンモランシーは昼食を共にしてここまで見送りに来てくれたルイズ達三人と向き合っていた。

 ルイズはこれまで彼女に嘲られていた事を思い出してか渋い表情を浮かべており、どう解釈しても好意的な表情には見えない。

「まぁ今日は…色々と世話になっちゃったわね。…ともかく、夏季休暇が明けたらこの借りはすぐに返すことにするわ」

「本当ならアンタに今まで笑われた分の借りも請求したいところだけど、正直ここで数えてたらキリがないからやめておくわ」

「…!そ、そう…助かるわね」

 まだ気を許していないルイズの刺々しい言葉にムッとしつつも、今度はレストランで仲介役をしてくれた霊夢に視線を向ける。

 ルイズの使い魔であり、こことは違う異世界から来たという彼女の視線はどこか別の方へと向いている。

 何か彼女の興味を引くものがあったのか、はたまた単に興味が無いだけなのか…そこまでは流石に分からなかった。

 これは普通に声を掛けた方が良いのか、それとも無視した方が良いのだろうか?モンモランシーはここへ来て、些細な葛藤を覚えてしまう。

「………え、え~と…あの―――」

「あぁ、ゴメンゴメン…てっきり私の事は無視するかと思ってたからつい…で、何よ?」

「…挨拶するつもりだと思ってたけど、気が変わったから良いわ。御免なさい」

「別に謝る必要なんて無いんじゃないの?」

「それアンタが言うの?普通は逆じゃない?…はぁ、もういいわよ!」

 と、まぁ…然程自分の事を気にしていなかった霊夢に詰め寄りたい気持ちを何とか堪えたモンモランシーは、

 最後に三人いる知り合いの中で、唯一笑顔を向けてくれている魔理沙へと顔を向けた。

 

 

 まぁどうせ碌でも無い事を考えてるに違いない。そう思いながらも口を開こうとするよりも先に、魔理沙が話しかけてきた。

 それは、先にルイズと霊夢に話しかけていたモンモランシーにとって、少しだけ意外な言葉を口にしてきたのである。

「いやぁー悪いな。折角タルブの時には助けに来てくれたっていうのに、コイツラが色々と不躾で…」

「え…?」

 右手の人差し指で前にいるルイズたちを指さしながら言った魔理沙に、モンモランシーは思わず変な声が出てしまう。

 てっきり先の二人に負けず劣らずの失礼な言葉を投げかけられると思っていただけに。

「ちょっとマリサ、アンタ自分の事を棚に上げて私を不躾な人間扱いするとはどういう了見よ?」

 腰に手を当てて怒るルイズに同意するかのように、霊夢も「全くだわ」と相槌を打つ。

 しかしモンモランシーからして見れば、この場で最も不躾なのは今の二人に違いは無いと思っていた。

 

 一方の魔理沙も二人がご立腹という事を気にすることなくカラカラと笑った。

「ハハッ!まぁこんな風に自分の事を省みない二人だが、ここは私の笑顔に免じて穏便にしておいてくれないかな?」

「ん…ま、まぁ別にそれ程…一応は昼食の際に同席を許してくれたし、最初から起こるつもりなんて無かったわよ」

 ルイズ達とは違う無邪気な子供が見せるような笑みと、利発的な魔理沙の声と言葉に自然とモンモランシーは気を許してしまう。

 昼食を摂ったばかりで気が緩んでしまっているという事もあるのだろう、今の彼女には黒白の魔法使いが『自分に優しい人間』に見えていた。

 仕方ないと言いたげな表情でひとまず熱くなっていた怒りの心を冷ましてくれたモンモランシーに、魔理沙は「悪いな」と礼を述べてから、再度彼女へ話しかける。

 

「まぁ…お前さんには夏季休暇が終わった後にでも、ちょいと頼みたい事があるしな」

「頼みたい事ですって?」

 突然彼女の口から出た言葉にモンモランシーは怪訝な表情を浮かべる。

 気分を害してしまったと思った魔理沙は少し慌てた風に「いやいや、そう難しいことじゃないさ」とすかさず補足を入れる。

「ちょっと前にアンタが『香水』って二つ名で呼ばれるくらい香水やポーション作りに精通してるってのを聞いてさ、それで興味が湧いてね」

「ふ~ん、そうなの?…で、その私に頼みごとって何なのよ」

 少し警戒しつつも、そう聞いてきたモンモランシーに魔理沙は元気な笑顔を浮かべながら、゙頼みごどを彼女へと告げた。

 その直後であった。モンモランシーの乗る馬車の御者が、出発を告げるハンドベルを盛大に鳴らし始めたのは。

 

 モンモランシーを含めた貴族、平民合わせて計八名を乗せた中型馬車がゆっくりと駅舎から遠ざかっていく。

 魔理沙は頭にかぶっていた帽子を手で振りながら、どんどんと小さくなる馬車へ別れを告げていた。

 正確に言えば、彼女にとって大事な゙約束゙を漕ぎ着ける事の出来たモンモランシーへと。

「じゃあまたな~!ちゃんと約束の方、忘れないで覚えておいてくれよぉ!」

 満面の笑みを浮かべて帽子を振り回す魔法使いの背を見ながら、ルイズはポツリと呟いた。

 

 

「レイム、私思うのよね」

「何よ?」

「多分私達三人の中で、今一番『悪魔』なのはマリサなんじゃないかなって」

 ルイズの言葉に霊夢は暫しの沈黙を置いてから、「そりゃあそうよ」とあっさりと肯定の意を示した。

 馬車が出る直前、御者が鳴らすハンドベルの音と共にモンモランシーは魔理沙とそんな約束をしたのである。

 

「この夏季休暇が終わったらさ、アンタがポーションや香水を作ってる所とか見せてくれないか。

 それに、ここの世界のそういう関連の本も詳しく知りたいしな。美味しいお菓子も私が用意するし、どうかな?」

 

 気分を良くしていたモンモランシーには、魔理沙との約束を断る理由など無かった。

 彼女は知らなかったのだろう。霧雨魔理沙と言う人間が、借りると称してどれだけの本を持って行っているのを。

 霊夢はともかく、ルイズもまた学院の図書室や王宮の書庫からごっそり本を持って来た彼女の姿を何度も目撃している。

 そして、彼女の次のターゲットとなるのは…三年生や教師等を含めても魔法学院の中で最もポーションに詳しいであろうモンモランシーなのだ。

 

 人の皮を被った悪魔の様な魔法使いの背中を二人の話を聞いて、それまで黙っていたデルフが哀れむような声で呟いた。

『あらら、あのロールの嬢ちゃん可哀想に。一体どんなことをされるのやら…』

「人聞きの悪いこと言うなよデルフ。私はアイツに何もしないさ、本を借りたいという事を除いて…だけどな?」

 デルフの声で魔理沙は帽子をかぶり直し、振り返りながらそう言った。

 その笑みは先ほどモンモランシーに見せたものと変わらない、実に純粋な笑顔であった。

 

 

 それから十分も経つ頃には、今度はルイズたちがここを出ていくべき立場となっていた。

 もう馬車の修理も済んでいるだろうという事で、ルイズは他の二人を連れて一番ステーションを目指している。

「チケットとかは無くてもいいのか?モンモランシーののヤツは用意してたけど…」

「私達の場合ヴァリエール領までチャーターしてるから、そういうのは駅舎の人たちが用意するから大丈夫よ」

 魔理沙からの質問に手早く答えつつ、ルイズは持つべき荷物が無い身軽な足取りでドンドン前を進んでいく。

 預かってもらっている荷物ならば既に馬車へ運ばれているだろうし、無かったら無かったで持って来させればいいだろう。

 そんな事を考えながら足を動かしていると、ふと一番後ろにいた霊夢が声を掛けてきた。

「…それにしても、アンタんとこの実家に帰ってきてるのかしらねぇ?」

 

 霊夢の言葉にルイズは顔を後ろにいる彼女へ向けつつ、足を動かしたまま口を開く。

「まだ分からないわ。…けれど、ここ近辺にいないとすれば…ラ・ヴァリエールに帰ってる可能性は否めないわね」

『?…一体何言ってるんだお前ら、オレっちは単なる帰郷だけとしかマリサから聞いてないが…』

「あぁ、ごめんごめん。そういやぁお前には詳しく話してなかったっけか」

 そこへすかさず割り込んできたデルフに魔理沙がそう言うと、お喋り剣は「ひでぇ」とだけ呟いて刀身を震わせた。

「そう簡単に震えないでよ。ちゃんとアンタにも分かるよう説明してあげるから」

 自分の背中でブルブルと微振動するデルフを軽く小突きつつ、ルイズが故郷へと帰るもう一つの理由を彼に話し始める。

 

 ルイズが霊夢達を連れて故郷ラ・ヴァリエールへと変える理由。それは彼女の一つ上の姉、カトレアを探す為でもあった。

 ヴァリエール家の次女として生まれ、幼い頃から不治の病と闘い続けている儚くも綺麗な女性。

 あのルイズも彼女には愛情を込めて「ちぃ姉様」と呼んでおり、ヴァリエール家の中で一番愛されている人と言っても過言ではない。

 その彼女が父から貰ったラ・フォンティーヌを出て、タルブ村へと旅行に行ったという話は長女のエレオノールから聞かされていた。

 しかし、不幸にもタルブ村は親善訪問で裏切ったアルビオン軍との戦闘に巻き込まれ、カトレアも従者たちと共に戦場のど真ん中で取り残されてしまったのである。

 ルイズは彼女を助ける為、そして大事な姉と敬愛するアンリエッタと母国を傷つけようとするアルビオンと戦う為、霊夢達と共にタルブ村へと飛び込んだ。

 

 その後はキメラを操るシェフィールドと言う女との戦い…カトレアの知り合いだという、霊夢と所々似ている服を着た謎の黒髪の女性の加勢。

 裏切り者ワルドの急襲に呼んでもいない加勢に来てくれたキュルケ達と――――艦隊を吹き飛ばす程の力を持つ、『虚無』の担い手としての覚醒。

 たった一夜にしてこれだけの事が起こり、エクスプロージョンを発動してアルビオン艦隊を沈黙させたルイズはあの後すぐに気を失った。

 

 

 目が覚めた後、トリステイン軍に保護されたルイズはタルブの隣にある町ゴンドアで目が覚め、援軍の総大将として来ていたアンリエッタと顔を合わせる事が出来た。

 最初こそ「なんという無茶な事を…」と怒られてしまったが、その後すぐに「けれど、無事でよかったわ」と優しい抱擁をしてくれた。

 霊夢やキュルケ達も無事保護されており、ホッと一息ついた後…ルイズはアンリエッタに「あの…ちぃ姉様はどこに…?」と訊いてみた。

 タルブ村の領主、アストン伯の屋敷の前でキメラを操るシェフィールドとの戦いで加勢してくれたあの黒髪の女性が屋敷の中にカトレアがいると言っていた。

 戦いが終わった今ならばきっと彼女も屋敷から連れ出され、自分と同じようにこの町で休んでいるかもしれないと、ルイズは思っていた。

 

 しかし、現実はそう簡単に二人を会わせることは無かった。

 確かにカトレア他屋敷の地下室に籠城していた者たちは救出部隊によって保護されていた。

 だが彼女自身はルイズが近くにいたことはいらなかったのか、もしくは迷惑を掛けられまいと思ったのだろうか。

 アンリエッタも知らぬ間にカトレアは従者たちを連れて、町の中で立ち往生していたトリスタニア行きの馬車でゴンドアを後にしていたのである。

 その事を知ったアンリエッタがすぐさま使いの者を出したものの時既に遅く、その馬車を発見したのは王都の西部駅舎であった。

 彼女を乗せた馬車の御者に聞いてみるも、確かにトリスタニアでカトレアらしき人物を乗せたという情報を掴むことができたが、

 何処へ行ったかまでは聞く事が出来なかった為、カトレアの行方はそこで完全に途絶えてしまったのだ。

 

 

「姫さまは引き続き人を使って探してくれるって言ってるけど、もしかしたら自分の領地に帰ってるかもしれないし…」

「あー、それはあるかもな。こういう時に限って、流石にここにはいないだろうって所に探し人はいるもんだしな」

 やや重い表情で゙もしかしたら…゙の事を喋るルイズに、魔理沙も申し訳程度のフォローを入れる。

 確かにそれはあるかもしれない。ルイズはラ・フォンティーヌでゆっくりとしている一つ上の姉を想像しつつ、コクリと頷いた。

 本当ならば実家に手紙でも送ってカトレアがいるかどうか確かめて貰えばいいのだが、そうなれば両親まで彼女の身に何が起こったのかを知ってしまう。

 彼女の事を大事にしている両親の事だ。きっと父親である公爵は驚きのあまり気絶して、母親はそんな父を引っ張って王都までくるかもしれない。

 何よりカトレア自身が、たかが自分の為にそこまで心配しないで欲しいと願っているかもしれない。

 やや自棄的とも言える彼女の献身的な性格をしっているルイズだからこそ、敢えて手紙での確認は控えたのである。

 

 長女のエレオノールなら何か知っているかもと思い、アカデミーに確認の手紙を送ったりもした。

 しかし、ここでも始祖ブリミルはルイズを試してきたのかアカデミーから返ってきた返信は、エレオノールの同僚からであった。

 ヴァレリーという宛名で送られてきた手紙によれば、エレオノールは数日前にとある遺跡の調査でトリステイン南部へと赴いているのだという。

 『風石』を採掘する前の地質調査の際に発見されたものらしく、どんなに早くても来月までは王都に帰ってこないのだという。

 更に、遺跡はかの始祖ブリミルと深く関っている可能性が高い為にロマリアの゙宗教庁゙との合同調査として機密性のグレードが上げられ、

 仮に遺跡の場所を教えて手紙を送ったとしても、手紙はその場でロマリア人に絶対燃やされる。…との事らしい。

 

「となれば、一刻も早くラ・ヴァリエールに帰って…ちぃ姉様がいるかどうか確認しないと…」

 身近に頼れる者が霊夢と魔理沙、そして自分では動く事ができないインテリジェンスソードのデルフという二人と一本という悲しい状況。

 しかし彼女らのおかげで何度も危険な目に遭いつつも、今こうして生きていられているという実績がある。

 だからこそルイズは決意を胸にラ・ヴァリエールへと帰る事を決めていた、行方をくらましたカトレアを探すために。

 

 しかし現実はまたしても、ここでルイズの足を止めようと新たな防壁を展開しようとしていた。

 それは彼女の『エクスプロージョン』でもってしても消し飛ばせない…否、したくてもできない王家の花押付きの手紙として。

 

 

 しっかりとした足取りで、ルイズたちが一番ステーションへと続く観音開きの扉を開けた先で待っていたのは、

 入ってすぐ横にある御者たちの休憩スペースにいた、一人の若い貴族であった。

「失礼。ミス・ヴァリエールとその御一行と御見受けしますが…」

「…ん?」

 突然横から声を掛けられたルイズは足を止めて、そちらの方へと顔を向ける。 

 まだ二十歳を半ば過ぎたかそうでない年頃の貴族の姿を見て一瞬、ルイズはナンパか道を尋ねてきた旅行者かと最初は思った。

 しかし初対面である男が自分をヴァリエール家の人間だと知っていたうえ、霊夢と魔理沙たちの事まで知っている。

 という事は即ち、自分たちが何者であるかしったうえで彼は声を掛けてきた…という事になる。

 見た感じレコン・キスタからの刺客、という風には見えない。

「一体どなたかしら?これから故郷へ帰る前の私に一声かける程の用事があって?」

「えぇ。アンリエッタ王女殿下から直々のお手紙を、貴女様に渡すようにとの事で急遽こちらへ来ました」

「…!姫様から?」

 聞き覚えのあり過ぎる名前を口にすると共に、青年貴族は懐から一通の封筒をルイズの前に差し出した。

 封筒には宛名が書かれていないものの、その代わりと言わんばかりに大きな花押が押されている。

 それに見覚えがあったルイズはすぐさまそれを手に取ると封筒を開けて、中に入っている手紙を読み始めた。

 

 その一方で、何が何やら良く分からぬ霊夢は突然声を掛けてきた青年貴族に話しかける事にした。

「ちょっと、アンタは誰なのよ?これからこんなクソ暑い街から出ようって時に邪魔してくるなんて」

「それは失礼。しかしながら、ミス・ヴァリエールと貴女達は今からこのクソ暑い街でやってもらわねばならぬ事がありますので…」

 遠慮のない霊夢の言い方に動じる事無く、涼しい表情を浮かべた青年貴族は肩を竦めてそう言った。

 彼が口にしだやって貰わねばならぬ事゙という意味深な言葉に、彼女は怪訝な表情を浮かべる。

 そして同時に思い出す。以前虚無の事を離した際、ルイズがアンリエッタ直属の女官になった時のことを。

(そういえばアンリエッタのヤツ、何か用事があれば任せるとかなんとか言ってたけど…いやいやまさか)

 

 いくら何でもタイミングがあまりにも悪すぎる。そんな事を思っていた霊夢の予感は、残念なことに的中していた。

 手紙を一通り読み終えたルイズが最後にザっと目を通した後、彼女は手紙を封筒に戻し、それを懐へとしまい込んだ。

 そして自分に手紙を渡してくれた青年貴族へ向き合うと、キッと睨み付けながら鋭い声で話しかけた。

「この手紙に書かれていた最後の報告文とやら…間違いないんでしょうね?」

「その点に関してはご安心を。特定多数の者たちからの証言と、市街地での目撃情報が合致していますので」

「………そう、分かったわ。ありがとう、わざわざ届けに来てくれて」

 ほんの一瞬の沈黙の後に来たルイズからの礼に、青年貴族は「どういたしまして」と頭を下げる。

 そして今度は、一体何が起こってるのかイマイチ良く分からないでいる霊夢達へと体を向けてからルイズは二人へある決定を告げた。

 

 

「帰郷は中止よ」

 

 突然告げられたルイズに対し、先に口を開いたのは魔理沙であった。

「は?それって…一体…」

「文字通りの意味よ。ちぃ姉様を探すためにも、そして姫さまからの願いを叶える為にも、帰郷は中止するわ」

 聞き間違う事の無いように、ルイズがはっきりとそう告げた直後――――13時丁度を報せる鐘が駅舎の中に鳴り響いた。



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第八十四話

 世の中、自分が決めた物事や予定通りに事が進むことは早々無い。

 スケジュール帳に書いている数十個もの予定を全てこなせる確率は、予定の数が多い程困難になっていく。

 特に旅行や帰郷のような現地に行くまで詳細が分からない様な行事なら、急な予定変更など頻繁に起こってしまう。

 単に都合が合わなかっただけなのか、はたまた始祖ブリミルがうっかり昼寝でもしていただけなのか…。

 とにかく、運が悪ければほぼすべての予定が駄目になることもあるし、その逆もある。 

 

 そして、カトレアを探すために霊夢達を連れて故郷へ帰ろうとしていたルイズは、急な用事でその帰郷を取りやめている。

 折角チャーターした馬車もキャンセルし、わざわざ確保してくれた駅舎の人たちに頭を下げつつ彼女は不満を垂れる仲間たちを連れて駅舎を後にした。

 町を後にしようとした彼女たちの足を止めたのは、アンリエッタ直筆の証拠である花押が押された一通の手紙。

 だがその手紙が、今のルイズにとってむしろプラスの方向へと働いた事を、二人と一本は知らなかった。

 

「一体全体どういう事なんだルイズ、何で今になって帰郷をとりやめたんだよ?」

 ブルドンネ街の熱気に中てられ、頭にかぶっている帽子を顔を扇ぐ魔理沙はいかにも文句があると言いたげな顔で前を歩くルイズに質問する。

 彼女たちは今、駅舎で預かってもらっていた荷物を全て持っている状態で、それぞれ旅行かばんを片手に大通りから少し離れた場所へと来ていた。

 ルイズはまだ片手に空きがあるものの、魔理沙は右手に箒を持っており、霊夢は背中に喧しいデルフを担いでいる。

 駅舎を出てからは空気を呼んでか黙ってくれているが、そうでなくとも何処かで休まなければ暑さでバテしまうだろう。

 思っていた以上にキツイトリスタニアの夏を肌で感じつつ、霊夢もまた黙って歩くルイズへと声を掛けた。

「っていうか、あの貴族は何だったのよ?何か私達が見てないうちに消えてたりしたけど…」

「それは私も知らない。ただ、姫さまがよこした使いの者だって事ぐらいしか分からないわ」

 霊夢からの質問にはすぐにそう答えたルイズは、自分に帰郷を中止させた手紙を渡したあの青年貴族の事を思い出す。

 

 いざラ・ヴァリエールへ…という気持ちで一番ステーションへと入ってすぐに、声を掛けてきた年上の彼。

 軽い雰囲気でこちらに接してきて、アンリエッタからの手紙を渡してきたと思ったら…いつの間にか姿を消していた。

 王宮の関係者なのはまず間違いないであろうが、魔法衛士隊や騎士とは思えなかった。

 まるで家に巣食うネズミの様に突然現れ、やれ大変だと騒ぐ頃には穴の中へと隠れて息を潜めてしまう。

 礼を言う前に消えた彼の素早い身のこなしは、素直に賞賛するすべきなのか…それとも怪しむべきなのか。

 そんな事を考えつつも、ルイズは手紙の最後に書かれていたカトレアの行方についての報告を思い出す。

 あの手紙の最後の数行に書かれていた報告文には、この街には既にいないと思っていた大切な家族の一員の事が書かれていた。

 もしもあの手紙が渡されずに、一足先にラ・ヴァリエールへと帰っていたら…当分会えることは無かったのかもしれない。

(この手紙に書かれている事が本当ならば、ちぃ姉様は今どこに…?)

 未だ再開できぬ姉に思いを馳せつつ、ルイズは大通りの反対側にある路地の日陰部分でその足を止めた。

 

 大通りとは違い燦々と街を照りつける太陽の光は、ここと大通りの間に建っている建物に阻まれている。

 そこで住んでいる者たちは悲惨であろうが、そのおかげで王都にはここのような日陰場がいくつも存在してた。

「ここで一旦休みましょう。後…ついでに色々と教えたい事があるから」

「そうか。じゃあ遠慮なく…ふぅ~」

 ルイズからの許しを得て、手に持っていた箒と旅行鞄を置いた魔理沙は目の前の壁に背を任せる。

 ほんの少し、ひんやりとした壁の冷たさが汗ばむ魔理沙の服とショーツを通り抜けて、肌へと伝わっていく。

 それが彼女の口から落ち着いたため息を出させ、同時に暑さで参りかけていた心に余裕を作っている。

 一方の霊夢も背中のデルフを壁に立てかけ、左手に持っていた鞄を放るようにして地面を置くと、同じく鞄を置いたルイズへと詰め寄った。

 

「で、一体アイツの渡した手紙に何が書かれてたの?素直に言いなさい」

「言われなくてもそうするつもりよ。……ホラ」

 睨みを利かせた霊夢に寄られつつも、ルイズは涼しい顔で懐に仕舞っていた手紙を取り出して二人に見せつけた。

 封筒に入っていたその一枚で、彼女に姉を探すための帰郷を中止させる程の文章が書かれているのだろう。

 しかし霊夢と魔理沙は相変わらずハルケギニアの文字が読めない為に、とりあえずは困った表情をルイズに向ける他なかった。

「…ワタシ、ここの文字全然読めないんだけど」

「右に同じくだぜ」

「まぁ大体予想がついてたわ。…デルフ、出番よ」

 二人の反応をあらかじめ分かっていた彼女は、霊夢の背中にいる…インテリジェンスソードに声を掛ける。

 ルイズからの呼びかけにデルフは『あいよー』と間延びした返事と共に鞘から刀身の一部を出して、カチャカチャと金具部分を鳴らし始めた。

 恐らく霊夢の肩越しに手紙を読んでいるのだろう、時折彼の刀身から『ふむふむ…』というつぶやきが漏れてくる。

『なるほどなぁ~、初っ端から御大層な仕事と情報を貰ってるじゃないか、娘っ子よ』

「お、何だ何だ。何だか面白そうな展開になってきたじゃないか」

『まぁ待てよマリサ。今からこのオレっちが親切丁寧に手紙の内容を教えてやるからな』

 そして一分も経たぬうちに読み終えたデルフは、急かす魔理沙を宥めつつも手紙の内容を説明し出した。

 

 彼が言うには、まず最初の一文から書かれていたのはトリステインの時となったアルビオンの今後の動きについてであった。

 艦隊の主力を失い、満身創痍状態のアルビオンはこの国に対し不正規な戦闘を仕掛けてくると予想しているらしい。

 つまり、正攻法を諦めて自分たちの仲間を密かにこの国へと送り込み、内部から破壊工作を仕掛けてくる可能性があるというのだ。

 それを恐れたトリステイン政府と軍部はトリステインの各都市部と地方の治安強化、及び検問の強化などを実地する予定なのだとか。

 当然王都であるトリスタニアの治安維持強化は最大規模となり、アンリエッタ直属のルイズもその作戦に協力するようにと書かれているのだという。

 

 本当に親切かつ丁寧だったデルフからの説明を聞き終え、ようやく理解できた霊夢はルイズへと話しかける。

「なるほど、大体分かったわ。それで、アンタはどこで何をしろって具体的に書かれてるの?」

「書かれてたわ、…身分を隠して王都での情報収集って。何か不穏な活動が行われてないか、平民たちの間でどんな噂が流れてるとか…」

 夕食に必要な食材を市場のど真ん中で思い出すかのように呟くルイズの話を聞いて、魔理沙も納得したようにパン!と手を軽く叩いた。

「おぉ!中々悪くない仕事じゃないか。何だかんだ言って、情報ってのは大切だしな」

 魔理沙からの言葉にしかし、ルイズはあまり嬉しくなさそうな表情をその顔に浮かべながら彼女へ話しかける。

「そうかしら?こういう仕事は間諜って聞いたことがあるけど…何だか凄く地味な気がするのよね」

「…そうか?私はそういうの好きだぜ。…意外と街中で暮らしてる人間ほど、ヤバい情報を持ってるって相場が決まってもんさ」 

 慰めとも取れるような魔理沙の言葉にルイズは肩をすくめつつ、これからこなすべぎ地味な仕事゙を想像してため息をつきたくなった。 

 てっきり『虚無』の担い手となった自分や霊夢達が、派手に使われるのではないかと…手紙の最初の一文を読み始めた時に思っていたというのに。

 

 そんな彼女を見かねてか、説明を終えて黙っていたデルフがまたもや鞘から刀身を出してカチャカチャと喋りかけた。

『まぁそう落ち込むなよ娘っ子。その代わり、お前のお姉さんがこの街にいるって分かったんだからよ』

「…あぁそういやそんな事も言ってたわね。じゃあ、そっちの方もちゃんと教えなさいよデルフ」

 彼の言葉に現在行方知れずとなっているルイズの姉、カトレアの行方も書かれていたという事を思い出した霊夢がそちらの説明も促してくる。

 彼女からの要求にデルフは一回だけ刀身を揺らしてから、手紙の後半に書かれていた内容を彼女と魔理沙に教えていく。

 

 ゴンドアから出て行方知れずとなっていたカトレアは、王宮が出した調査の結果まだこの王都にいる事が発覚したという。

 彼女の容姿を元に何人かの間諜が人探しを装って聞いた所、複数の場所で容姿が一致する女性が目撃されている事が分かったらしい。

 

 しかし一定の場所で相次いで目撃されているならまだしも、全く接点の無い所からの報告の為にすぐの特定は難しい状況なのだとか。

 だが、もう少し時間を要すればその特定も可能であり、仮に彼女が王都を出るとなればそこで引きとめる事が可能と書かれていた。

 今の所彼女の身辺にレコン・キスタの者と思われる人物の存在はおらず、王都には観光目的で滞在している可能性が高いのだという。

 

『まぁ療養の可能性もあり…って追記で書かれてるな、ここは』

 手紙の最後に書かれていた一文もキッチリ読み終えた所で、今度はルイズが口を開く。

「とりあえず…まぁ、ちぃ姉様が無事なようで何よりだったわ」

「そりゃまぁアンタは良かったけど、そこまで分かっててまだ見つからないのって可笑しくないか?」

 魔理沙が最もな事をいうと、ルイズも「まぁ普通はそう思うわよね」と彼女の言い分を肯定しつつもちょっとした説明を始めた。

「でもハルケギニアの王都とか都市部って意外に大きいうえに人の出入りも激しいから、普通の人探しだけでも大変だって聞くわよ」

「そりゃそうよね。こんだけ広い街だと、よっぽどの大人数でもない限り端からは端まで探すなんて事できやしないだろうし」

「ふ~ん…そういうもんなのかねぇ?」

 ルイズの説明に霊夢が同意するかのように相槌を打ち、二人の言葉に魔理沙も何となくだが納得していた。

 実際カトレアの捜索に当たっている間諜はルイズに手紙を渡した貴族を含め数人であり、尚且つ彼らには別件の仕事もある。

 その仕事をこなしつつの人探しである為に、今日に至るまで有力な目撃情報を発見できなかったのだ。

 

「とりあえず、ちぃ姉様の方は彼らに任せるとして…私達も間諜として王都で情報収集するんだけれども…」

 ルイズは自分の大切な二番目の姉を探してくれる貴族たちに心の中で感謝しつつ、

 アンリエッタが自分にくれた仕事をこなせるよう、封筒に同封してくれていた長方形の小さな紙を懐から取り出した。

 その紙に気付いた魔理沙が、手紙とはまた違うそれを不思議そうな目で見つめつつルイズ質問してみる。

「…?ルイズ、それは一体何なんだ?」 

「これは手形よ。私達が任務をこなすうえで使うお金を、王都の財務庁で下ろすことができるのよ」

 魔理沙の質問に答えながら、ルイズは手に持っていた手形を二人にサッと見せてみた。

 形としては、先ほど駅舎で馬車に乗る人たちが持っていた切符や劇場などで使われるチケットとよく似ている。

 しかし記入されている文字や数字とバックに描かれたトリステイン王国の紋章を見るに、ただのチケットとは違うようだ。

 

「お金まで用意してくれるなんて、中々太っ腹じゃないの」

「流石にそこは経費として出してくれるわよ。…まぁ額はそんなに無いのだけれど」

「どれくらい出せるんだ?」

 何故か渋い表情を見せるルイズに、魔理沙はその手形にどれ程の額が出るのか聞いてみた。

「四百エキュー。金貨にしてざっと六百枚ぐらい…ってところかしら」

「……それって貰いすぎなんじゃないの?わざわざ情報収集ぐらいで…」

 渋い顔のルイズの口から出たその額と金貨の枚数に、霊夢はそう言ってみせる。

 しかしそれでも、彼女の表情は晴れないでいた。

 

 その後、いつまでもここにいたって仕方ないということで三人はお金を下ろしに財務庁へ向かう事にした。

 銀行とは違い手形は財務庁のみ使えるもので、ハルケギニアの手形は国から直にお金を下ろす為の許可証でもある。

 受付窓口でルイズが手形を見せると、ものの十分もしないうちに金庫から大量の金貨が運ばれてきた。

 思わず魔理沙の顔が明るくなり、霊夢もおぉ…と唸る中ルイズはしっかりと枚数確認をし、その手で金貨を全て袋に入れた。

 ズシリとした存在感、しかし決して苦しくは無い金貨の重みをその手で感じながらルイズは金貨の入った袋をカバンの中に入れる。

 さて出ようか…というところでルイズの傍にいた霊夢と魔理沙へお待ちください、と受付にいた職員が声を掛けてきた。

 何かと思いそちらの方へ三人が振り向くと、ルイズのそれより小さいながらも金貨の入った袋が二つ、そっとカウンターへと置かれた。

 

 

「これは?」

「この番号の手形を持ってきたお客様のお連れ様二人に、それぞれ二百七十エキュー渡すようにと上から申し付けられておりまして…」

 霊夢からの質問に職員がそう答えると、カウンターの上へ置かれた一つを魔理沙が手に取り、中を改めてみる。

「うぉっ…!これはまた…随分と太っ腹だなぁ…」

「えぇっと…どれどれ………!確かにすごいわね」

 魔理沙の反応を見て自分も残った一つを確認してみると、開けた直後に新金貨が霊夢の視界に入ってくる。

 ハルケギニア大陸の全体図が中央にレリーフされている新金貨はエキュー金貨同様、ハルケギニア全土で使用できる通貨だ。

 新金貨二百七十エキューは、枚数にして丁度四百枚。王都在住の独身平民ならば一月は裕福に暮らせる額である。

 

 魔理沙が財務庁で貰えた金貨に喜ぶなかで霊夢は誰が自分たちに…と疑問に思った瞬間、ふとアンリエッタの顔が浮かんできた。

 そういえばアルビオンからルイズを連れ帰った時にもお礼を渡そうとして、結局茶葉の入った瓶一つだけで済ませていた。

 更にはタルブへ行ったときも、何やかんやあってルイズとこの国を結果的に助けたのだから…その二つを合わせたお礼なのだろうか?

(あのお姫様も後義な物よねぇ~…?まぁもらえる物なら、貰っておくにこした事はないけど)

 王族と言うには少し気弱一面もあるアンリエッタの事を思い出しながら、霊夢は仕方なくその金貨を貰う事にした。

 アルビオンの時まではそんなにこの世界へ長居するつもりはなかったし、幻想郷へ帰ればそれで終わりだと思っていた。

 しかし幻想郷で起こっている異変と今回の事が関わっている所為で、しばらくはこの異世界で過ごす事になったのである。

 となれば…ここで使える通貨を持っていても、便利になる事はあれ不便になる事はまずないだろう。

 

「こんな事になるって分かってたんなら、素直に金品でも要求してればよかったわね…」

「…?」

 アルビオンから帰ってきたときの事を思い出して一人呟く霊夢に、魔理沙は首を傾げるほかなかった。

 ともあれ、大きなお小遣いを貰う事の出来た二人はルイズと一緒に財務庁を後にした。

 

「さてと、とりあえず貰うもんは貰ったし…」

「早速始めるとしましょうか。色々と問題はあるけれど…」

「…って、おいおい!待てよ二人とも」

 財務庁のある中央通りへと乗り出したルイズと霊夢が早速任務開始…と言わんばかりに人ごみの中へ入ろうとした時。

 金貨入りの袋を懐へしまった魔理沙が、慌てて二人を制止する。

「?…どうしたのよ魔理沙」

 一歩前に出そうとした左足を止めた霊夢が、怪訝な表情で自分とルイズを止めた黒白へと視線を向けた。

 ルイズもルイズで、今回の情報収集を遂行するのに大切な事を忘れているのか、不思議そうに首を傾げている。

 

 そして魔理沙は、こんな二人にアンリエッタがくれた仕事をこなせるのかどうかという不安を感じつつ、

 少し呆れた様な表情を見せながら、出来の悪い生徒を諭す教師の様に喋り出した。

「いや、まさか二人とも…その格好で街の人たちから情報収集をするのかと思って…」

「―――…!…あぁ~そうだったわねぇ…」

 魔理沙がそれを言ってくれたおかげて、ルイズはこの任務を始める前に゙やるべき事゙を思い出す。

 一方の霊夢はまだ気づいていないのか、先ほどと変わらぬ怪訝な顔つきで「何なの…?」と首を傾げていた。

 そんな彼女に思い出せるようにして、今度はルイズが説明をした。

「失念してたけど、手紙にも書いてたでしょう?平民の中に混じって、情報収集をするようにって」

「…!そういえば、そうだったわねぇ」

 先ほどのルイズと同じく失念していた霊夢もまた、その゙やるべき事゙を思い出すことができた。

 今回アンリエッタから与えられた情報収集の仕事は、『平民の中に混じっての情報収集』なのである。

 だからルイズが今着ている黒マントに五芒星のバッジに、いかにも安くは無いプリッツスカートにブラウス姿で情報収集なんかすれば、

 自分は「貴族ですよー!」と春告精のように大声で叫びながら飛び回っているのと同じようなものであった。

 

 更に霊夢の場合髪の色も珍しいというのに、服装何て道化師レベルに目立つ巫女服なのである。

 魔理沙はともかく、この二人は何処かで別の服を調達でもしない限り、まともに任務はこなせないだろう。

 デルフから聞いた手紙の内容をよく覚えていた魔理沙がいなければ、最初の段階で二人は躓いていたに違いない。

 

「―――…って、この服でも大丈夫なんじゃないの?」

 しかし、ルイズはともかく最も着替えるべき霊夢本人は然程おかしいとは思っていなかったらしい。

 覚えていた魔理沙や、思い出したルイズも本気でそんな事を言っている巫女にガクリと肩を落としそうになってしまう。

 

「…これって、まず最初にする事はコイツの意識改善なんじゃないの?」

「まぁ、霊夢も霊夢であまり人の多い所へは行かないし…仕方ないと言えば、そうなるかもなぁ~」

「何よ?人を田舎者みたいに扱ってくれちゃって…」

 呆れを通り越して早速疲れたような表情を浮かべるルイズが、ポツリと呟いた。

 それに同意するかのような魔理沙に霊夢が腰に手を当てて拗ねていると、すぐ背後からカチャカチャと喧しい金属が聞こえてくる。

 ハッとした表情で霊夢が後ろを見遣ると、勝手鞘から刀身を出したデルフが喋り出そうとしていた。

『それは言えてるな。いかにもレイムって田舎者……イテッ!』

「アンタはわざわざ相槌打つために、喧しい音鳴らして刀身出してくるんじゃないわよ!」

 妙に冷静なルイズの言葉に同意しているデルフを、霊夢は容赦なく背後の街路樹に押しつけながら言った。

 まるでクマが木で背中を掻くような動作に、思わず通りを行き交う人々は彼女を一瞥しながら通り過ぎていく。

 

 その後、怒る霊夢を宥めてから魔理沙は二人の為に適当な服を見繕う事にしてあげた。

 幸い中央通から少し歩いた先に平民向けの服屋が幾つか建ち並んでおり、ルイズ程の歳頃の子が好きそうな店もある。

 しかし何が気に入らないのか、ルイズは魔理沙や店員が持ってくる服を暫し見つめては首を横に振り続ける動作を続けた。

「何が気に入らないのよ?どれもこれも良さそうに見えるんだけど」

「だって全部安っぽいじゃない。こんなの着て知り合いに見つかったら、恥かしくて死んじゃうじゃない」

 いい加減痺れを切らした霊夢がそう言うと、ルイズはあまりにも場違いな言葉を返してくる。

 これから平民の中に紛れるというのに、安っぽい服を着ずして何を着るというのだろうか?

 ルイズの服選びだけでも既に二十分が経過している事に、霊夢はそろそろ苛立ちが限界まで到達しかけていた。

 彼女としてはたかが服の一着や二着で何を悩むのか、それが全く分からなかいのである。

 そんな彼女の気持ちなど露知らず、ここぞとばかりに貴族アピールをするルイズは更に我が侭を見せつけてくる。

 

「第一、こんな店じゃあ私の気に入る服なんてあるワケないじゃないの。もっとグレードの高い店にしなきゃ…」

「アンタねぇ…良いから早く選んで買っちゃいなさいよ、ただでさえ店の中もジワジワ暑いっていうのに」

「何よ?アタシのお金で買うアタシの服に文句付けようっていうの?」

 いよいよルイズも堪忍袋の緒が千切れかけているのか、巫女の売り言葉に対し買い言葉で返している。

 ルイズの言動と、霊夢の表情から読み取れる彼女の今の心境を察知した魔理沙が「あっやべ…!」と小さく呟く。

 それから服を持ってきてくれていた店主に向き直ると、四十代半ばの彼に向ってこう言った。

 

「店主!もう少しグレードあげても良いから、今より良い服とか無いかな?」

 初めて会った客だというのにやけに馴れ馴れしく接してくる少女に、店主は一瞬たじろぎながらも返事をした。

「え…?い、いやまぁ…あるにはあるけれど…出荷したばかりの品だからまだ出してなくて…」

「ならそれの荷ほどきしてすぐに持ってきてくれ。じゃないとこの店が潰れちまうぜ?…物理的に」

「……それマジ?――あぁ、多分マジだなこりゃあ、ちょっと待ってろ」

 彼女の口から出たとんでもない発言に一瞬彼女の正気を疑いかけた店主は、

 その後ろであからさまな気配を出している霊夢とこれまた苛立ちを募らせているルイズを見てすぐさま店の奥へと走っていった。

 

 どうやら、この夏の暑さが二人の怒りのボルテージを上げているのは確からしい。

 ハルケギニアの暑さに慣れてない霊夢は相当苛立ってるが、それ以上の苛立ちをルイズは何とか隠していたらしい。

 ルイズは杖こそ握ってないし霊夢はその両手に何も持ってないが、二人していつ素手で喧嘩を始めてもおかしくない状況であった。

「おいおい落ち着けよ二人とも。こんな所で喧嘩したって余計に暑くなるだけだろ?」

「うるさいわねぇ、一番暑そうな格好してるアンタに言われたくないわよ」

「そうよ。こんなクソ暑い王都の中でそんな黒白の服着てるなんて…アンタ頭おかしいんじゃないの?」

 珍しくこの場を宥めようとする魔理沙に対し、二人はまるでこの時だけ一致団結したかのように罵ってきた。

『…だとよ?どうするよマリサ、このままこいつらの罵りを受け入れるお前さんじゃないだろ?』

 二人の容赦ない言葉とこの状況を半ば楽しんでいるデルフの挑発に、流石の魔理沙も大人しくしているのにも限界が来ていた。

 

「……あのなぁ~お前らさぁ…いい加減にしとかないと私だって…!」

 嫌悪感を顔に出した彼女が店内でも被っていたトンガリ帽子を脱いで、懐からミニ八卦炉を取り出そうとした直前、

 店の奥に引っ込んでいた店主が大きく平たい袋を抱えながら、血相変えて飛び出してきた。

 

「ちょ…!ちょっと待って下さい!貴族の女の子も着ているような服がありましたから…待って、お願いします!」

 祖父の代から継いで来た小さな店が理不尽な暴力で潰される前に、何とか客が要求していた服を持ってきたようである。

 今にも死にそうな顔で戻ってきた店主を見て、キレかけていた魔理沙は慌てて咳払いしつつ帽子をかぶり直した。

「あ~ゴホン!……悪いな、わざわざ迷惑かけて…それで、どんな一着なんだ?」

 何とか冷静さを取り戻した普通の魔法使いは気を取り直して、店長に聞いてみる。

「えぇと、生産地はロマリアで…こんな感じの、貴族でも平民でも気軽に着られるようなお洒落なものなんですが…」

 魔理沙からの質問に店長は軽い説明を入れながら、その一着が入っているであろう袋を破いて中身を取り出して見せた。

 

「…あっ」

 瞬間、隣の巫女さんと同じく暑さで苛立っていたルイズは店主が袋から取り出した服を見て、その顔がパッと輝いた。

 実際には輝いていないのだろうが、すぐ近くにいた霊夢とデルフの目にはそう見えたのである。

 店主が店の奥から出したるそれは、今まで彼や魔理沙が出してきた服とは格が違うレベルのものであった。

 今来ている学院のものとは違う白い可愛らしい感じの半袖ブラウスに、短い紺色のシックなスカートという買ってすぐに着飾れる一式。

 文字通りの新品であり、更にこの店のレベルとはあまりにも不釣り合いなそれに、ルイズの目は一瞬で喜色に満ちる。

 

 態度を一変させて怒りの感情が隠れてしまったルイズを見て、霊夢は疲れたと言いたげなため息をついてから店主へ話しかけた。

「へぇ…中々綺麗じゃないの。っていうか、あるんなら出しなさいよね、全く…」

「いやぁ~すいません。何せ今日の朝届いたもんでしたので。店に飾るのは夕方からにしようと思ってまして」

 店主も店主で何の罪もない先祖代々の店を壊されずに済んだと確信したのか、営業スマイルを彼女に見せつけて言い訳を口にする。

 それから彼は、不可視の輝きを体から放ちながらブラウスを触っているルイズにこの服とスカートの説明を始めていく。

 ロマリアの地方に本拠地を構えるブティックが発売したこの一セットは、貴族でも平民でも気軽に着れるというコンセプトでデザインされているのだという。

 先行販売しているロマリアでは割と人気になっているらしく、今年の冬に早くも同じコンセプトで第二弾が出るとか出ないとか…。

 

 

「一応貴族様向けに袖本に付ける赤いタイリボンがありまして、この平民向けにはそれが無いだけなのでデザインに差異はないかと…」

「なるほどなぁ、確かに良く見てみるともうちょっと彩が欲しいというか…赤色が恋しくなってくるなぁ」

 店主の説明に魔理沙が相槌を打ちつつ、すっかり気分を良くしたルイズを見て内心ホッと一息ついていた。

 一時は彼女と霊夢の怒りと面白がっていたデルフの挑発に流されてしまいそうだったものの、何とか堪える事が出来た。

 実際には怒りかけていたのだが、今のルイズを見ているとそれすらどうでも良くなってしまうのである。

(いやはや…喉元過ぎればなんとやらというか、ちょっと気が変わるのが早いというか…)

 聞かれてしまうとまた怒りそうな事を心の中で呟きながら、魔理沙はチラリと横にいる霊夢の方を見遣る。

 

 ルイズはあのブラウスとスカートで良いとして、次は巫女服以外まともな服を着た事の無い彼女の番なのだ。

 多分散々待たされた霊夢の事だから、適当な服を見繕ってやれば素直にそれを着てくれるだろう。 

 しかし困ったことに、魔理沙の目ではこの巫女さんにどんな服を着せてやればいいのか全く分からなかった。

 そもそも彼女に紅白の巫女服以外の服を着せたとしても似合うのだろうか?多分…というかきっと似合わないだろう。

 知らず知らずの内に、自分の中で霊夢は巫女服しか似合わない…という固定概念ができてしまっているのだろうか?

 そんな事を考えている内に、自然と怪訝な顔つきになっているのに気が兎つかなかった魔理沙に、霊夢が声を掛けてきた。

 

「どうしたのよ、まるで私を人殺しを見るようなような目つきで睨んでくるなんて…?」

「えぇ?何でそんな例えが物騒なんだよ?…いやなに、お前さんにどんな服を用意したらいいかと思って―――」

「その必要なんか無いわよ。替えの服ならもうとっくの昔に用意してくれてるじゃない」

 ルイズの奴がね。最後にそう付け加えた霊夢は、足元に置いてあった自分の旅行鞄をチョンと足で小突いて見せた。

 彼女の言葉で、それまで゙あの事゙を忘れていた魔理沙も思い出したのか、つい口から「あっ…そうかぁ」と間抜けそうな声が漏れてしまう。

 それは、まだタルブでアルビオンが裏切る前に王都で買ってもらっていたのだ、アンリエッタの結婚式に着ていく為の服を。

 

「あの時散々ルイズと一緒になって笑ってたくせに、よくもまぁ忘れられるわね。こっちは今でも覚えるわよ?」

「…鶴は千年、亀は万年。そして巫女さんの恨みは寿命を知らず…ってか。いやぁ~、怖いもんだねぇ」

 あの時指さして笑ってた黒白を思い出して頬を膨らます霊夢を前に、魔理沙は苦笑いするしかなかった。 

 

 

 

 

 それから一時間後―――――魔理沙を除く二人はどうにかして平民(?)の姿になる事が出来た。

 ルイズは店の佇まいに良い意味で相応しくなかったロマリアから輸入されてきたブラウスとスカートを身にまとっており、

 霊夢は以前アンリエッタの結婚式があるからという事でルイズに買ってもらった服とロングスカートに着替えている。

 とはいっても本人は不満があるらしく、左手で握っている御幣で自分の肩を叩きながら愚痴を漏らしていた。

 

「それでまぁ、結局これを着る羽目になっちゃったけど…」

「別に良いじゃないの。似合ってるわよそれ?魔理沙と色が被っちゃってる以外は」

 そんな霊夢とは逆に思わぬ場所でお宝見つけたルイズは上機嫌であり、今にもスキップしながら人ごみの中へ消えてしまいそうだ。

 彼女の言葉を聞いてブラウス姿の霊夢が背中に担いでいるデルフが、またもや鞘から刀身を出して喋り出す。

『あぁ~、そういやそうだな。よく見れば黒白が二人もいるなぁ』

「そいつは良くないなぁ、私のアイデンティティーが損なわれてしまうじゃないか」

「いや、アンタのアイデンティティーがそれだけとか貧相過ぎない?」

 丁度ブルドンネ街とチクトンネ街の境目にあるY字路。貴族と平民でごったがえしている人通り盛んな繁華街の一角。

 その中にある旅行者向けの荷物預かり屋『ドラゴンが守る金庫』の横で、三人と一本はそんなやり取りをしていた。

 

 服屋でお気に入りの一セットを手に入れたルイズは上機嫌で店を出た後、持ってきていた鞄を何処かへ預けるつもりでいた。

 ハルケギニアの各王都や首都には旅行者や国外、地方から来た貴族や旅行者がホテルや宿に置くのを躊躇うような貴重品を預ける為の店が幾つかある。

 無論国内の貴族であるルイズも利用することは出来る。しかし、これから平民に扮するルイズはブルドンネ街にあるような貴族専用の店などはまず利用できない。

 その為チクトンネ街かに比較的近い所にある旅行者向けの店を幾つかあたり、ようやく空き金庫のある店を見つけた。

 幸いトリステイン政府が要求している防犯水準を満たしている店であった為、変装を兼ねてこの店の戸を叩いたのである。

 

 荷物を預け、服装も変えたルイズは二人を伴って店を出たのはそれからちょうど一時間後の事であった。

 何枚にも渡る書類の手続きと料金の説明、そして荷物の中に危険物が入っていないかの最終確認。

 チクトンネ街の近くにあるというのに徹底した検査を通って、三人の荷物は無事金庫へと預けられることとなった。

 ルイズは旅行かばんの中に入れていた肩掛けバッグの中に始祖の祈祷書と水のルビーと、当然ながら杖を隠し入れていた。

 霊夢も念のためにとデルフと御幣、それにお札十枚と針三十本、それにスペルカード数枚を鞄から懐の中に移している。

 魔理沙は手に持った箒と帽子の中のミニ八卦炉だけと意外に少ない。ちなみに、三人が貰ったお金は三人ともしっかり袋に入れて持ち歩いていた。

 

 店の横で一通りのやり取りを終えてから、ふと何かにか気付いたのか魔理沙がすぐ左の霊夢へと声を掛けた。

「…それにしても、このY字路人が多いなぁ。それによく見てみると、ブルドンネ街にいた平民たちと違っていかにも労働者っぽいのが…」

「えぇ?あぁ本当ね」

 別段気にしてはいなかったが魔理沙にそんな事を言われて目を凝らしてみると、確かにいた。

 いかにも肉体系の労働についてますとアピールしているような、平民らしき屈強な労働者達が通りを歩いている。

 

「あぁ、アレ?さっきの店の中で地下水道を工事するって張り紙が貼ってあったから、その関係者なんじゃないの?」

「おっ、そうなのか。悪いなわざわざ……ん?」

 通りを歩く人たちより一回り大きい彼らが歩いて去っていく姿を見つめていると、ルイズが丁寧に説明を入れてくれた。

 わざわざそんな事を教えてくれた彼女に、魔理沙は何か一言と思って顔を向けたが…何やら彼女は忙しいご様子である。

 間諜の仕事を務める為の経費が入った袋を睨みながら、何やら考え事をしていた。

「どうしたんだよ、そんな深刻そうな顔してお金と睨めっこしてるなんてさぁ」

「あぁこれ?実はちょっとね、姫さまから貰った経費の事でちょっと問題があるなーって思ってたの」

「ちょっと、ここにきてそれを言うのは無いんじゃないの?っていうか、どういう問題があるのよ」

 魔理沙の問いにそう答えたルイズへ、着なれぬ服に違和感を感じていた霊夢も混ざってくる。

 黒白とは違い少し睨みを利かせてくる紅白に少したじろぎながらも、彼女は今抱えている問題を素直にいう事にした。

 

 

「経費が足りないのよ。四百エキュー程度じゃあ良い馬を買っただけで三分の二が消えちゃうわ」

 ルイズの放ったその言葉に、二人は暫し顔を見合わせてから霊夢がまず「馬がいるの?」とルイズに聞いてみた。

 巫女からの尋ねにルイズは何を言っているのかと言いたげな表情で頷くと、今度は魔理沙が口を開く。

「いや、馬は必要ないだろ?平民の中に紛れて情報収集するんだし、何かあったら飛べば良いじゃないか」

「何言ってるのよマリサ。馬が無かったら街中なんて移動できないし、第一空を気軽に飛べるのはアンタ達だけでしょうが」

『そいつぁ言えてるな。息を吸って吐くように飛んでるからなコイツラは…ってアイテテ!』

 魔理沙の言葉を的確かつ素早くルイズが論破すると、デルフがすかさず相槌を打ってくる。

 鞘から出ている刀身を御幣で軽く小突きつつ、良い馬が変えないとごねるルイズに妥協案を持ちかけてみることにした。

 ルイズの言うとおり、確かにこの街は広いしあちこちで情報収集するんら自分用の移動手段が必要なのだろう。

「だったら安い馬でも借りなさいよ。買うならともかく、借りるならそれほど値段は掛からないでしょうに」

 巫女の提案にしかし、ルイズはまたもや首を横に振る。

 

「それは余計に駄目よ。安い馬だともしもの時に限って役に立たないわ。それに安いと馬具も酷いモノばかりだし…」

 どうやら周りの道具を含め、馬には相当強いこだわりがあるらしい。

 半ば自分たちを放って一人喋っているルイズを少し置いて、霊夢は魔理沙と相談する事にした。

「どう思うのアンタは?移動手段はともかく、これから身分を隠しての情報収集だってのに…」

「いやぁどうって…私は改めてルイズが貴族なんだな~って思ってるが、まぁ別に良いんじゃないか?」 

「別に良いですって?多分アイツがいつもやってるような感じで散財したら、今日中にあの金貨が無くなるわよ!」

 自分と比べて、あまり今の状況を不味いと感じていない魔理沙に軽く怒鳴り声を上げる。

 一方のルイズも、二人があまり聞いていないという事を知らずどんどん自分の要求をサラサラと口に出していく。

 四百エキュー程度では到底叶わない様な、いかにも貴族と言いたくなる要求を。

 

 

「…それに、宿も変な所に泊まれないわ。このお金じゃあ、夏季休暇が終わる前に使い切っちゃうじゃない!」

 ルイズの口から出てその言葉に、彼女を置いて話し合っていた二人も目を丸くしてしまう。

 金貨が六百枚も吹き飛んでしまうという宿とは、一体どんなところなのだろうか…。

「そ、そこは安い宿で良いんじゃないか…?」

 流石の魔理沙もこれから平民に紛れようとするルイズの高望みに軽く呆れつつ、一つ提案してみる。

 しかしそれでもルイズは頑なに首を縦に振らず、ブンブンと横に振りながら言った。

「ダメよ!安物のベッドで寝られるワケないじゃない。それに…―――」

「それに?」

 何か言いたげなところで口を止めたルイズに、霊夢が思わず聞いてみると……―――。

 突如ビシッ!と彼女を指さしつつ、鬼気迫る表情でこう言ったのである。

 

「ゴキブリやムカデなんかが部屋の中を這いまわってて、ベッドの下にキノコが群生してる様な部屋を割り当てられたらどうするのよ?」

 

 その言葉に暫しの沈黙を入れてから、霊夢もまたルイズの気持ちが手に取るように分かった。

 もしも彼女が異性で、尚且つ安宿だから仕方ないと割り切れればルイズの我儘に同意する事は無かっただろう。

 しかし彼女もまた少女なのである。虫が壁や床を這いまわり、キノコが隅に生えているような場所で寝られるわけが無いのである。 

 暫しの沈黙の後、霊夢は無駄に決意で満ち溢れた表情でコクリと頷いて見せた。

「成程。馬はともかく、宿選びは大切よね。…うん、アンタの言う事にも一理あるじゃないの」

 納得した表情で頷いてくれた霊夢にルイズの表情がパッと明るくなり、思わず彼女の手を取って喜んだ。

「そうよねレイム!貴族であってもなくてもそんな場所で寝られないわよね!?」

『心変わりはぇーなぁ、オイ!』

 まさか彼女が陥落するとは思っていなかったデルフが、すかさず突っ込みを入れる程すんなりとルイズの味方になった霊夢。

 もはやこのコンビを止める者は、この国の王女か境界を操る程度の大妖怪ぐらいなものであろう。

 

 

「いやぁ~、虫はともかくキノコがあるんなら別にそっちでも良いんだけどなぁ~…」

 何となく意気投合してしまった二人を見つめつつ、魔理沙はひとり静かに自分の意見を呟いていた。

 しかし哀しきかな、彼女の小さな呟きは二人の耳に入らなかった。 

 

 

 

 ―――…とはいっても、ルイズが財務庁で貰った資金ではチクトンネ街の安宿しか長期間泊まれる場所は無い。

 逆に言うと情報収集を行う活動の中心拠点としてなら、この町は正にうってつけの場所とも言えるだろう。

 国内外の御尋ね者やワケありの者たちも出入りするここチクトンネ街は、昼よりも夜の方が賑わっている。

 酒場の数も多く、それに伴い宿の数も多いため安くていいのなら止まる場所に困ることは絶対にない。

 アドバイスはあっただろうが、アンリエッタもそれを誰かに言われて安心して四百エキューをルイズに託したのだろう。

 唯一の失敗と言えば、ルイズとその傍にいる霊夢がそれを受け入れられたか考えなかった事に違いない。  

 

「くっそ~…一体どこまで歩くつもりだよ」

 あと二時間ほどで日が暮れはじめるという午後の時間帯。

 霊夢に渡されていたデルフを背中に担いでいる魔理沙は、右手の箒を半ば引きずりながらブルドンネ街を歩いていた。 

 最初こそいつものように右手で持っていたのだが、この姿で持ってたら怪しいという事で霊夢からあの剣を託されてからずっとこの調子である。

 穂の部分が路面の土を掃きとり、綺麗にしていく姿に何人かの通行人が思わず振り返り、彼女が引きずる箒と地面を見比べていく。

 本人が無意識のうちに行っているボランティア行為の最中、魔理沙は思わず愚痴が出てしまうものである。

 

「っていうか、高い宿の値段設定おかしいだろ。一泊食事風呂付で、20エキューって…」

『まぁあぁいう所は金持ちの貴族向けだからなぁ、着飾った平民でもあの敷居を跨ぐのは相当勇気がいるぜ?』

 そんな彼女の独り言に対し、律儀か面白がってか知らないがデルフが頼みもしない相槌を背中から打ってくる。

 霊夢なら鬱陶しいとか言ってデルフを叩くかもしれないが、魔理沙からしてみれば自分の愚痴を聞いてくれる相手がいるようなものだ。

 喋る時になる金属音や喧しいダミ声はともかくとして、身動き一つ出来ぬ話し相手に彼女は以外にも救われていた。

 

 はてさて、ルイズと霊夢は自分たちの理想に合った宿を探していくも一向に見つからず、通りを歩き続けていた。

 あれもダメ、これはイマイチと宿の人間に難癖をつけてはまた別の宿を…という行為を繰り返して既に一時間半が経過している。

 魔理沙の目から見てみれば、多少ボロくともルイズの言う「虫とキノコに塗れた部屋」とは程遠い部屋もあったし、霊夢もここなら…と頷く事もあった。

 しかしそういう所に限って立ちはだかるのが値段である。しっかり人を雇って掃除も欠かしていない様な所は平民向けでも相当に値が張ってしまう。

 情報収集の仕事は夏季休暇の終わりまでこなさねばならず、今の持ち金だけではチクトンネ街にあるようなボロ宿にしか止まれない。

 そしてそういうボロ宿は正に、廃墟まで十歩手前とかいう酷いものしかない為に、三人と一本はこうして王都の中をぐるぐると歩き回っているのである。

 

 これは流石に声を掛けてやらないと駄目かな?そう思った魔理沙は、二人へ今日で何度目かになる妥協案を出してみることにした。

「なぁ二人ともぉ…!もういいだろ~…そろそろ適当に安い宿取って休もうぜ?」

「何言ってるのよマリサ。西と南の方は粗方調べ尽くしたけど、まだ北と東の方が残ってるからそっとも見てみないと」

「だからってこう、暑い街中を歩き回ってたらいい加減バテちまうよ…!」

 自分の提案にしかし、尚も自分の理想に適った宿を探そうとするルイズに少し声を荒げてしまう魔理沙。

 そして言った後で気づいて、慌てて「あぁ、悪い」と平謝りしたが、以外にもルイズは怒らなかった。

 むしろ魔理沙の言葉でようやく気付いたのか、額の汗をハンカチで拭いながら頷いて見せた。

「まぁそうよね…、ちょっと休憩でも入れないと流石に倒れちゃうわよね」

 買ったばかりのブラウスもやや透けてしまう程汗まみれになっていた彼女は、今まで暑さの事を忘れていたのだろう。

 その分を取り戻すかのように「暑い、暑い」と呟きながら、周囲に休める場所があるのか辺りを見回し始めた。

 

 ウェーブの掛かったピンクのブロンドヘアーが左右に動くのを見つめつつ、今度は霊夢が魔理沙へ話しかける。

「あら、アンタも偶には気の利いたことを言うじゃないの。もう少ししたら私が言うつもりだったけど」

 いつもの巫女服とは違うショートブラウスに黒のロングスカートという自分と似たような見た目に違和感を覚えつつ、魔理沙は言葉を返す。

 

 

 

「そうか?私は結構こういう事に気が回る性格だと自負してたんだがなぁ」

「いつもは先に突っ走るようなアンタのどこにそんな部分があるのよ?私見たことが無いんだけど」

 ルイズが休むことを了解してくれたことでも幾分か余裕を取り戻せた黒白に、同じく汗だくの霊夢がすかさず突っ込みを入れた。

 帽子の下の顔はルイス背に負けず劣らず汗に濡れており、彼女もハンカチで自分の顔を拭っている。

 どうやら彼女も相当我慢していたらしいようで、ブラウスの胸元のボタンを一つ外しつつ王都の気温に愚痴を漏らし始めた。

「にしたって、何でこんなに暑いのよ?幻想郷でも夏は暑いけど、ここと比べてたら無性に恋しくなっちゃうわ」

『そりゃ多分、建物が密集してるせいなのはあるかもな。後は人口の多さだな』

 丁寧にご教授してくれたデルフの言葉に霊夢はふと周りを見てみる。確かに、彼の言うとおりである。

 煉瓦造りの建物がまるで列に並ぶ巨人の様に街の至る所に建っており、避暑地や涼む場所が限られているのだ。

 それに加えて、狭い大通りを明らかに多すぎる通行人たちが通るせいで通りそのものもちょっとしたサウナと化している。

 

「何でこうも人と建物が多いのよ、もうちょっと皆離れた場所で暮らしたいとは思わないの?」

 霊夢はわざわざこんなクソ暑いところですし詰めになって暮らしているような人たちの気持ちを理解できず、ついそんな事を言ってしまう。

 幻想郷の人里はこれ程の活気はないものの、その分夏はここと比べれば涼しいし夜は夜風が気持ち良い。

 ましてやそこから離れた場所の博麗神社に住んでる彼女にとって、王都の暑さと人口に納得ができないのである。

 こんな所で暮らしていては頭と体が熱で茹で巫女になってしまうと、半ば冗談ではあるが思っていた。

「私ならこんな所で暮らすくらいなら、多少物騒でも街の外に一軒家でも建てさせてそこで暮らしてやるのに…」

『そこは自分で建てるんじゃなくて、建てさせるのかよ…どこまでいっても厚かましいな』

「まぁそっちの方が霊夢らしいと言えば、霊夢らしいしな」

 どんなに夏の太陽に悩まされようとも、決して忘れないその厚かましさにデルフが呆れて魔理沙も笑う。

 そんな二人と一本へ、ルイズの「あそこに休める所があったわよー」という声が聞こえてきたのはそれからすぐの事であった。

 

 ルイズが休憩場所として選んだのは、下級貴族や平民向けの居酒屋であった。

 建物の外見と内装共にルイズの太鼓判を得ている分、かなり綺麗でお洒落な造りの場所である。

 お洒落と言ってもいかにも子供向けではなく、酒を嗜み始めた若者でも気軽に入れるような軽くもしっかりとした子洒落た内装。

 天井から回る氷入りの大きなシーリングファンが店内を涼し、外の熱気に中てられた客をもてなしてくれる。

 入って店の右奥にはルーレットギャンブルが行われており、そこから漏れてくるパイプの紫煙が妖しげな雰囲気を放っていた。

 

 外の暑さから一時的に逃れる為店へと入ったルイズ達であったが、宿探しを一旦中断したワケではなかった。

 涼しい店内に体を癒され、冷たいドリンクと軽食で落ち着いた三人はどこがいーだのあそこにしろだのと話し合っている。

 しかしどんなにルイズか高い宿が良いと言っても、そこへは必ず゙手持ちの金゙という問題が立ちはだかっていた。

 貴族が宿泊するような良い宿ならその分値段も張り、今持っている四百エキューでは夏季休暇の終わりまで宿で過ごせないのだと言い張る。

 一体金貨六百枚が吹き飛ぶような宿とはどんな所なのだろうか。そんな疑問を抱きつつ霊夢と魔理沙は別に安い宿でも良いんじゃないかと妥協案を出す。

 それでも尚首を縦に振らぬ霊夢と魔理沙はここへ来て、改めてルイズが貴族のお嬢様なんだなーと再認識する。

 平民に混じっての情報収集だというのに、高級な宿に泊まるつもりでいる彼女に何を考えているのかと、霊夢は思っていた。

 

 そんな時であった。頼んでいたアイスチュロスを齧っていた魔理沙が、ルイズの肩越しに見える賭博場を発見したのは。

 店に入った時は気付かなかったものの、ふと鼻腔をくすぐる紫煙の臭いに気が付くと同時に目に入ってきたのである。

 そこでは昼間から酔っぱらった男や、水仕事であろう女が卓を囲ってチップを取ったり取られたりの戦いを繰り広げている。

 彼女の視線が自分を見ていないのに気付いたルイズも思わずそちらの方を見た所で、魔理沙が話しかけてきた。

 

 

「なぁルイズ、手持ちの金じゃあ休暇が終わるまで高い宿に泊まれないんだよな?」

「え?そうだけど」

 突然そんな質問をしてきた黒白に少し困惑しつつも答えると、魔理沙は意味ありげな笑みを見せてきた。

 まるで我に必勝の策ありとでも言わんばかりの笑みを見て、ルイズは怪訝な表情を浮かべる。

 一体何が言いたいのかまだ分からないのだろう、そう察した普通の魔法使いは言葉を続けていく。

「安い宿はダメで、手持ちの金で高い宿に泊まりたい…。そして、あそこには賭博場がある」

 そこまで言ったところで、彼女が何をしようとしているのか気づいたルイズよりも先に、霊夢が声を上げた。

 

「アンタ、まさかアレ使って荒稼ぎしようっての?」

「正解!」

 丁度自分が言おうとしていた所で先を取られたルイズがハッとした表情で巫女を見ると同時に、

 魔理沙が意味ありげな笑みが得意気なものへと変わり、勢いよく指を鳴らした。

「いやぁ~、これは中々良いアイデアだろうって思ってな、どうかな?」

「う~ん…違うわねェ、バカじゃないのって素直に思ってるわ」

 霊夢のジト目に睨まれ、更に容赦ない言葉を受けつつも魔理沙は尚も笑みを崩さない。

 本人はあれで稼げると思っているのだろうが、世の中それくらい上手ければ賭博で人生潰した人間なぞ存在しない筈である。

 それを理解しているのかいないのか、少なくともその半々であろう魔理沙に流石のルイズも待ったを掛けてきた。

 

「呆れるわねぇ!賭博っていう勝てる確率が限られてる勝負に、この大事なお金を渡せるワケないじゃない!」

「大丈夫だって。まず最初に使うのは私の金だし、それでうまいこと行き始めたら是非ともこの霧雨魔理沙に投資してくれよな!」

 ルイズの苦言にも一切表情を曇らせる事無くそう言った彼女は席を立つと、金貨の入った袋を手に賭博場へと足を踏み入れた。

 それを止めようかと思ったルイズであったものの、席を立つ直前に言っていた事を思い出して席を立てずにいた。

 確かにあの魔法使いの言うとおりだろう。今の所持金で自分の希望する宿へ泊まるのなら、お金そのものを増やすしかない。

 そしてお金を増やせる一番手っ取り早い方法と言えば、正にあのルーレットギャンブルがある賭博場にしかないだろう。

 頭が回る分魔理沙と同じ考えに至ったルイズは、魔理沙の後ろを姿を苦々しく見つめつつもその体を動かせなかった。

 

 

『あれまぁ!ちょっと一休みしてた間に、随分面白い事になってるじゃねーか』 

「デルフ!アンタねぇ、本当こういう厄介な時に出てくるんだから!」

 そんな時であった、霊夢の座る席の横に立てかけていたデルフが二人に向かって話しかけてきたのは。

 店のアルヴィー達が奏でやや明るめの音楽と混じり合うダミ声に顔を顰めつつ、ルイズは一応年長である彼を手に取った。

「話は聞いてたでしょう、アンタもあの黒白に何か一言声を掛けて止めて頂戴よ!」

『えぇ?…そりゃあ俺っちもアイツがバカなことしようとしてるのは何となく分かるがよぉ、元はと言えばお前さんの所為だろう?』

 頼ろうとした矢先でいきなり剣に図星と言う名の心臓を刺されたルイズは思わずウッ…!と呻いてしまう。

 

 いつもは霊夢や魔理沙に負けず劣らずという正確なのに、ここぞという時で真面目な言葉を返してきてくれる。

 それで何度かお世話になった事があったものの、こうも正面から図星を指摘されると何も言えなくなってしまうのだ。

「まぁそれはそうよね、アンタがタダこねてなきゃあアイツだって乗り気にはならなかっただろうし」

「うむむ…!アンタまでそれを言わないでくれる…っていうか仕方ないじゃない、なんたって私は……ッ」

 公爵家なんだし…と、最後まで言おうとした直前に今自分が言おうとした事を思い出し、慌てて口を止めた。 

 こんな公の場でうっかり自分の正体をばらしてしまうと、平民に紛れての情報収集何て不可能になってしまう。

 

 

 そんなルイズを余所に、霊夢はチラッと賭博場のディーラーへ話しかけている魔理沙の背中を一瞥して言葉を続けた。

 相変わらずどこに行っても馴れ馴れしい態度は変わらないが、こういう場所ではむしろ役に立つスキルなのだろう。

 ディーラーの許可を得て次のゲームから参加するであろう普通の魔法使いは、周囲の視線と注目をこれでもかと集めていた。

 本は盗むは箒で空を飛ぶわ性格は厚かましいという三連で、碌な奴ではないと霊夢は常々思っている。

 しかし、霧雨魔理沙唯一の長所は厚かましい性格から来る馴れ馴れしさもあり、時折自分も羨ましいと思う事さえある。

 あれがあるからこそ、霧雨魔理沙と言う人間は自分を含めた多くの人妖と関係を築けたのだから。

 

 ちゃっかり卓を囲む大人たちと仲良くなろうとしている魔理沙を見つめつつ、霊夢はポツリと呟く

「………まぁでも、アイツなら何とかしてくれるんじゃない?」

「へ?どういう事よそれ」

 唐突な霊夢の言葉にルイズが首を傾げると、巫女は「そのまんまの意味よ」と言ってすかさず言葉を続けた。

「アイツ、幻想郷じゃあ偶に半丁賭博の予想とかやってるから…結構な場数踏んでると思うわよ」

 彼女の言葉にルイズが魔理沙のいる方へ顔を向けたと同時に、ルーレットが再び回り始めた。

 

 魔理沙はまず自分が持っていた金貨三十枚…二十エキューばかりをチップに換えて貰う。

 金貨とは違い木製の使い古されたチップを手に、空いていた席に腰かけた魔理沙はひとまずは十エキュー分のチップを使ってみる事にした。

 ルーレットには計三十七個の赤と黒のポケットがあり、彼女と同じように他の男女がチップを張っている。

 ひとまずは運試し…という事で、魔理沙も一番勝っているであろう客と同じポケットに自分のチップを張ってみる。

 張ったのは黒いポケット。奇遇にも自分のパーソナルカラーのポケットに、魔理沙は少しうれしい気分になる。

「ん?おいおい何だ、没落貴族みたいな格好したお嬢ちゃんまで参加すんのかい?」

 先に黒の十七へチップを張っていた五十代の男は、新しく入ってきた彼女を見ながらそんな事を言ってきた。

 良く見れば魔理沙だけではなく、何人かの客――勝っている男に次いでチップの多い者たちは皆黒の方へとチップを張っている。

 

「へへッ!ちょいとした用事で金が必要になってな、まぁ程々に稼がせて貰うよ」

 この賭博場に相応しくない眩しい笑顔を見せる魔理沙がそう答えると、他の所へ入れていた客も黒のポケットへ張り始める。

 とはいってもチップの一枚二枚程度であり、自分が本命だと思っている赤のポケットや数字にもしっかりとチップを入れていた。

「困るなぁ!みんな俺の後ろについてきたら、シューターがボールを変えちまうじゃないか」

 悪びれぬ魔理沙と追随する他の客達に男が肩をすくめた直後、白い小さな木製の玉を手にしたシューターがルーレットを回し始めた。 

 瞬間、周りにいた客たちは皆そとらの方を凝視し、一足遅れて魔理沙もそちらへ目を向けた所で、いよいよボールが入れられる。

 一周…二周…とボールがカラカラ音を立ててルーレットのホイールを走り、いよいよ三週目…というところでポケットの中へと転がり込んだ。

 

 ほんの数秒沈黙が支配した直後、男女の歓声と溜め息を交互に賭博場から響き渡ってくる。

 思わずルイズと霊夢も腰をほんの少し上げてそちらの方を見てみるが、どこのポケットにボールが入ったかまでは分からない。

 魔理沙の賭博を呆れたと一蹴していたルイズも流石に気になり、頭を左右に動かしながら魔理沙の様子を見ようとしていた。

「こっちは上手く見えないわね……って、あ!あのピースしてるのってもしかして…」

「もしかしてもなくてアイツね。まぁあんなに嬉しそうにしてるんだから結果は言わずともって奴ね」

 しかし、我に勝機ありと自分のお金で賭博に挑んだ魔理沙が嬉しそうに自分たちへピースを向けている分、一応は勝ったらしい。

 少し背中を後ろへ傾けるような形で身をのり出し、自分たちへピースしている彼女は「してやったり!」と言いたげである。

 

 シューターのボールが入ったのは、黒いポケットの十四番。

 魔理沙と黒に本命を張っていた客たちには、賭けていたチップの二倍が手元へ帰ってくる。

 十エキュー分だけ出していた魔理沙の元へ、二十エキュー分のチップが返ってきた。

 

「おぉ~おぉ~…お帰り私のチップちゃん、私が見ぬ間に随分と増えたじゃないか!」

「ぶっ!我が子って…」

 まるでおつかいから帰ってきた我が子の頭を撫でる母親の様にチップを出迎える魔理沙に、勝ち馬の男は思わず吹き出してしまう。

 この賭場のある店へ通い続けて数年、ここで破産する奴や大金を手にする者たちをこの目で何人も見てきている。

 しかし、突然入ってきた没落貴族の様な姿をした彼女もみたいな客は初めて目にするタイプの人間であった。

 見ればここに他の客たちも何人かクスクスと笑っており、堅物で有名なシューターも苦笑いしている。

「まぁ大事なチップってのは俺たちも同じだが、次は別のポケットを狙った方がいいぞ。ここのシューターは厳しいぜ?」

「言われなくてもそうするぜ」

 笑いを堪える男からの忠告に魔理沙も笑顔で返すと、チップを数枚赤のポケットへと置いてみる。

 それを合図に他の客たちも黒と赤のポケット、そして三十七もある数字の中から好きなのを選んでチップを置き始めた。

 

 

 魔理沙が賭博場に入ってから二十分間は、正にチップを奪い奪われの攻防戦が続いた。

 客たちも皆負けてたまるかとチップを出し惜しみ、慣れていない者たちは早々に大負けしてテーブルから離れていく。

 一発で大勝利を掴んでやると言う愚か者は大抵数回で敗退し、大分前からテーブルを囲んでいた客たちはちびちびとチップを張っている。

 魔理沙もその一人であり、すっかりここでのルールを把握した彼女も今は勝負に打って出ず慎重にチップを稼いでいた。

 シューターも客たちのチップがどのポケットに集中的に置かれているのか把握し、時折替えのボールに変えて挑戦者たちを惑わそうとする。

 ボールが変われば安定して入るポケットも変わり、その都度客たちは他の客のチップを使わせて入りやすいポケットを探っていた。

 

 そんなこんなで一進一退の攻防を続けていくうちに、魔理沙のチップは七十五エキュー分にまで増えている。

 周りの客たちも、一見すればまだ子供にも見えなくない彼女の活躍に目を見張り、警戒していた。

 彼らの視線を浴びつつも、黒の十六へと三十エキュー分のチップを置いた黒白の背中へルイズの歓声がぶつかってくる。

「す、すごいじゃないのアンタ!まさかここまで勝ってるなんて…!」

「だから言ったじゃない、コイツはこういうのに慣れてるのよ」

 最初こそテーブル席から大人しく見ていたものの、やがて魔理沙が順調にチップを増やしている事に気が付いたのか、

 今は彼女のそばについて手元に山の様に置かれたチップへと鳶色の輝く視線を向けていた。

 ついでに言えば、霊夢も興味が湧いてきて仕方なしにデルフを片手にルイズの傍で魔理沙の賭けっぷりを眺めている。

「へへ…だから言ったろ?大丈夫だって。こう見えても、伊達に賭博の世界に足を突っ込んでないからな」

 彼女からの褒め言葉に魔理沙は右腕だけで小さなガッツポーズをすると、あまり自慢できない様な事を自慢して見せた。

 

 客たちが次々とチップを色んなポケットへと置いていくのを見つめつつ、ふと魔理沙はルイズに声を掛けた。

「あ、そうだ…何ならルイズもやってみるか?」

「え?――――あ、アタシが…?」

 一瞬何を言ったのかわからなかったルイズは数秒置いてから、突然の招待に目を丸くして驚いた。

 思わず呆然としているルイズに魔理沙は「あぁいいぜ!」と頷いて空いていた隣の席をバッと指さして見せる。

 さっきまでそこに座っていた男は持ってきていた貯金を全て失い、途方にくれつつ店を後にしていた。

 そんな負け組の一人が座っていた椅子へ恐る恐る腰掛けたルイズは、シューターからチップはどれくらいにするかといきなり聞かれる。

 座って数秒もせぬうちにそんな事を聞かれて戸惑ってしまうが、よく見ると既に他の客たちはチップを置き終えていた。

 

 

「おいおい!今度はまた随分と可愛らしい挑戦者じゃないか。お前さんの知り合いかい?」

「まぁな、ちょいとここへ足を運んできたときに知り合って今は一緒にいるんだ。ちなみに、そいつの後ろにいるのも私の知り合いだ」

 勝ち馬男は頼んでいたクラッカーを片手に魔理沙と親しげに話しており、彼女も笑顔を浮かべて付き合っている。

 ついさっき知り合ったばかりだというのに、彼女は既に周囲の空気に馴染みつつあった。

 その様子を不思議そうに見つめているとふと周りの客たちが自分をじっと見つめている事に気が付く。

 

 どうやら魔理沙を含め、いまテーブルを囲っている人たちは急に参加してきた自分を待っているようだ。

 これはいけない。謎の焦燥感に駆られたルイズはとりあえず手持ちの現金の内三十エキュー分を、チップに変えて貰う事にした。

 どっしりと幸せな重量感を持つハルケギニアの共通通貨として名高いエキュー金貨が、シューターの手に渡る。

 そして息をつくひまもなく、そのエキュー金貨が全て木製の古いチップとなって自分の手元へ帰ってきた。

 金貨とはまた別の重みを感じるそのチップを貰ったのはいいが、次にどのポケットへ置くか悩んでしまう。

 何せ計三十七個の番号を含め黒と赤のポケットまであるのだ、ギャンブルに慣れていない彼女はどこへ置けばいいのか迷うのは必然と言えた。

 

 

「ひ、ひとまずさっき魔理沙がいれてたポケットへ…」

 周りからの視線に若干慌てつつも、ルイズは手持ちのチップをごっそり黒色のポケットへ置こうとした直後――――

 いつの間にか賭博場へと足を運んでいた霊夢が彼女の肩を掴んで、制止してきたのである。

「ちょい待ち、アンタ一回目にして盛大に自爆するつもり?」

 突然自分を止めてきた彼女に若干驚きつつ、一体何用かと聞こうとするよりも先に彼女がそんな事を言ってきた。

 ルイズはいきなりそんな事を言われて怒るよりも先に、霊夢が矢継ぎ早に話を続けていく。

「あんたねぇ…折角あれだけの金貨を払ったっていうのに、それ全部黒に入れて外れたらパーになってたわよ」

「えぇ?そんな事はないでしょうに、だって番号はともかく…黒と赤なら確率は二分の一だし、それに当たったら―――ムギュ…ッ!」

 彼女の言葉に言い訳をしようとしたルイズであったが、何時ぞやのキュルケの時みたいに人差し指で鼻を押されて黙らされてしまう。

 霊夢はそんなルイズの顔を睨み付けながら、宿題を忘れた生徒を叱り付ける教師の様に彼女へキツイ一言を送った。

 

「そんなんで楽に勝てるのなら、世の中大富豪だらけになってても可笑しくないわよ。ったく…」

 指一本で黙った彼女に向かってそう言うと空いていたルイズの左隣の席に腰かけ、右手に持っていたデルフをテーブルへと立てかけた。

 清楚な身なりの少女には似合わないその剣を見て、何人かの客が興味深そうにデルフを見つめている。

 しかしここでインテリジェンスソードという自分の正体バラしたら厄介と知ってるのか、それともただ単に寝ているだけなのか、

 先ほどまで結構賑やかであったデルフは、まるで爆睡しているかのように無口であった。

 ひとまず人差し指の圧迫から解放された鼻頭を摩りながら、ルイズは自分の横に座った霊夢に怪訝な表情を向けた。

「…レイムまでなにしてんのよ」

「もうすぐ日暮れよ?魔理沙みたいにチマチマ張ってたら真夜中まで続いちゃうじゃないの」

 彼女の言葉にルイズは懐に入れていた懐中時計を確認すると時刻は15時40分。確かに彼女の言うとおり、もうすぐ日が傾き始める時間だ。

 夏のトリステインは16時には太陽が西へと沈み始め、18時半には双月が空へと上って夜になってしまう。

 その時間帯にもなればどの宿も満室になってしまうし、そうなればお金を稼いでも野宿は免れない事になる。

 

「うそ…こんなに過ぎてるなんて…」

「だから私が手っ取り早く稼いで、早く良い宿でも取りに行きましょう。お腹も減ったし、そろそろお茶も飲みたくなってきたわ」

 時刻を確認し、もうこんなに経っていたのかと焦るルイズを余所に霊夢は腰の袋から金貨を取り出した。

 出した額は五十エキュー。少女の小さな両手に乗っかる金貨の量に、客たちは皆自然と目を奪われてしまう。

 シューターもシューターで、まるで地面の雑草を引っこ抜くかのように差し出してきた金貨に、思わず手が止まっている。

「何してるのよ?早く全部チップに換えてちょうだい。こっちは早いとこ終わらせたいんだから」

「え?あ、あぁこれはどうも…失礼を…」

 ジッと睨み付けてくる霊夢からの最速にシューターは慌てて我に返ると、その金貨を受け取った。

 五十エキュー分の金貨はとても重く、これだけで自分の家族が一週間裕福に暮らせる金貨がある。

 思わず顔が綻んでしまうのを抑えつつ、受け取った金貨を専用の金庫に入れてから、その金額分のチップを霊夢に渡した。

 

 年季の入った五十エキュー分のソレを受け取り自分の手元に置いた霊夢へ、今度は魔理沙が話しかける。

「おーおー、散々人の事バカとか言っておいてお前さんまでそのバカの仲間に加わるとはな」

「言い忘れてたけど、バカってのは真っ先に賭博場へ突っ込んでいったアンタの事よ?私とルイズはその中に入らないわ。…さ、回して頂戴」

 得意気な顔を見せる黒白をスッパリと斬り捨てつつ、霊夢はチップを張らぬままシューターへギャンブルの再開を促した。

 勝手に仕切ろうとする霊夢に周りの客たちは怒るよりも先に困惑し、シューターは彼女からの促しに答えてルーレットを回し始める。

「あっ…ちょっ…もう!」

 霊夢に止められ、チップを張る機会を無くしてしまったルイズが彼女を睨みつけようとした直前―――――気付いた。

 ホイールを走る白いボールを見つめる霊夢の目は、魔理沙や他の客たちとは違ゔ何か゛を見つめている事に。

 客達や魔理沙は皆ポケットとボールを交互に見つめて、どの色と数字のポケットへ入るか見守っている。

 だが霊夢の目はホイールを走る白いボールだけを見つめており、ポケットや数字など全く眼中にない。

 まるで海中を泳ぐアザラシに狙いを定めた鯱の如く、彼女の赤みがかった黒い瞳はボールだけを追っていた。

 

 表情も変わっている。見た目こそは変わっていないが、何かが変わっているのにも気が付いた。

 一見すればそれはこの賭博へ参加する前の気だるげな表情だが、その外面に隠している気配は全く違う。

 ルイズにはまだそれが何なのか分からなかったが、ボールを追う目の色からして何かを考えているのは明らかである。

「レイ…」

 参加した途端に空気を変えた彼女へ声を掛けようとしたとき、大きな歓声が耳に入ってきた。

 何だと思って振り向いてみると、どうやら赤の三十五番ポケットへボールが入ったらしい。

 番号へ本命を張っていた者はいないようだが、魔理沙を含め赤に張っていた者達が嬉しそうな声を上げている。

 シューターが彼女の張っていた三十エキューの二倍…六十エキュー分のチップを配った所で、魔理沙はすっと右手を上げた。

「ストップ、ここで上がらせて貰うよ。チップを換金してくれ」

「おぉ、何だ嬢ちゃんもう上がるのか。勝負はこれらだっていうのに、もしかしてビビったのかい?」

「私の知り合いが言ってたように今夜は宿を取らないといけないしな。何事も程々が肝心だぜ」

 彼女と同じ赤へ張っていて、チップを待っている勝ち馬男が一足先に抜けようとする魔理沙へ挑発の様な言葉を投げかける。

 しかし、賭博の経験がある魔理沙はそれに軽い返事をしつつ近づいてきたウエイトレスに今まで稼いだチップ――約105エキュー分を渡す。

 どうやら換金は彼女の担当らしい。その両手には小さくも重そうな錠前付きの鉄箱を持っており、脇には金貨を乗せるためのトレイを抱えている。

 彼女はチップを手早く数えると持ってきていた鉄箱を開けて、これまで見事な手つきで中に入っていた金貨をトレイの上に乗せていく。

「アンタもう抜けちゃうの?あんだけ勝ってたのに」 

 そんな魔理沙へ次に声を掛けたのは、彼女と交代するように入ってきたルイズであった。

 思わぬ稼ぎ手となっていた黒白が一抜けたことを意外だと思っているのか、すこし信じられないと言いたげな表情を浮かべている。

 

 

「まぁもうちょい張ればと言われればそうするがな、何せ霊夢のヤツが出てきたらなぁ…」

 換金を待つ魔理沙のその言葉に、ルイズを含め周囲の客たちがチラリとモノクロな乱入者を一瞥する。

 一見すれば黒のロングスカートに白いブラウスという、そこそこ良い暮らしをしている平民の出で立ちという今の霊夢。

 髪と肌の色、そして聞き慣れぬ名前を除けばそこまで珍しくない姿であったが、あまりギャンブルとは縁が無さそうに見えてしまう。

 しかし…ギャンブルのギの字も知らずにいきなり大損しかけたルイズを制止したり、かと思いきや参加するや否や場の主導権をあっという間に奪ってしまっている。

 何よりも、その眼光から漂う雰囲気はある程度娯楽として楽しんでいた魔理沙とは全く違う真剣な意気込みが感じられた。

 まるで獲物に狙いを定めた狩人の様に、誰よりも真剣にこのギャンブルを挑むつもりでいるのだ。

 

「何よ、私の顔に何かついてるの?」

 周囲から浴びせかけられる視線に霊夢が鬱陶しそうに言うと、さっと皆が目を逸らす。

 彼女に慣れているルイズだけは「アンタは相変わらずね…」と苦笑いし、魔理沙はカラカラと笑って見せた。

 そうこうしている内に換金が済んだのか、魔理沙の横にいたウエイトレスが「お待たせしました」と声を掛けて彼女の前にトレイを差し出す。

 手元にあった全チップ。百五エキュー分の金貨がぎっしり積まれた純銀のトレイを前に、客たちは皆喜色の唸り声を上げる。

 無論この金貨が自分たちのものではないという事は知っていたが、どうしてもその顔に笑みが浮かんでしまうのだ。

 次こそは自分たちが、あのトレイの上に盛られた金貨を献上される番になると想像して。

 

 ルイズと霊夢はその中に入っていなかったものの、二人ともそれぞれ違う反応を見せていた。

 一足先に降りた魔理沙に誘われたルイズは、こんな通りの店ではお目に掛かれない様な金貨の山を見て目を丸くしている。

「うわっ、あの二十エキューが一こんなに…」

「これも上手な引き際を心得ていたからこその結果さ。下手なヤツはここでもう一勝負して瓦解するんだぜ?」

 素直に驚いてくれている彼女へ一丁前な事を言いつつ、魔理沙はトレイの上の金貨を袋の中へ入れていく。

 金貨同士が擦れ合う音、手の中に山盛りの金貨と膨らんでいくと同時に重くなっていく袋。

 そのどれもが幸せだと思えてくるほど、今の魔理沙はとっても清々しい気分でギャンブルと言う戦場から離脱した。

 後に残っているのは他の客たちと、素人同然のルイズと油断ならぬ雰囲気を周囲へと霊夢に――実質的な敵であるシューター。

 

 客たちの視線がまだ魔理沙の腰の袋を向いているのに気づき、シューターが気を取り直すかのように軽い咳払いをする。

 それで我に返る事ができた者たちの中には、今度は自分が第二の彼女となる為に大勝負に打って出ようとするもの。

 敢えて場の雰囲気に流されず赤と黒どちらかに少数のチップを張る者、そしてそろそろ退くべきかと思案する者達がいた。

 数字と二色のポケットにチップが置かれていく中、ルイズもまた数枚のチップを右手に何処へ置くべきかと考えている。

 ポケットは三十七までの番号と黒と赤の計三十九。色へ張れば二倍、数字へ張って当たりさえすれば三十五倍のチップが返ってくる。

 魔理沙の様に慎重かつ大胆に責めるのなら断然赤と黒どちらかだろうが、一気に勝負を決めるのなら数字を狙うべきだろう。

 ただし確率は三十七分の一。他の客たちも大当たりには期待していないのか数字には一、二枚程度しか置いていない。

 

(大丈夫、大丈夫よルイズ…魔理沙のようにチョビチョビ張っていけば…大負けすることは無い…筈)

 魔理沙の勝負を見ていたルイズもここは敢えて勝負には打って出ず、二色のどちらかに賭けようとしていた。

 宿を取る為に時間は限られているが、他の客たち…特に勝っている者たちと同じ色に張っていけば負ける事は無いはずである。

 ついさっきまでギャンブルを「呆れた事」と斬り捨てていたルイズは、今や完全に賭博で勝つ為に集中していた。

 ――――だからであろうか、ポケットを見るのに夢中で霊夢に一切注意を払い忘れていた事に気が付かなかったのは。

 

「何迷ってるのよ?時間が無いって言ってるでしょうに」

 

 ポケットと睨めっこするルイズに呆れるかのような言葉を投げかけて来た直後、左隣からチップの山が目の前を通過していくのに気が付いた。

 それは彼女が手元に置いていた残り二十五エキュー分のチップの山をも巻き込み、数字のポケットがある場所へと進んでいく。

「は…?」

 ルイズは目の前の光景が現実と受け入れるのに数秒の時間を要し、そしてそれが致命傷となってしまう。

 周りの客達やシューターもただただ唖然とした表情で、夥しい数のチップを見て絶句する他なかった。

 自分のチップの山ごと、ルイズのチップを数字のポケットへと置いた霊夢はふぅっ…と一息ついてから、シューターへ話しかけた

「ホラ、さっさと回して頂戴。時間が無いんだから」

「え?――――…あ、あ…はい!」

 彼女からの催促にシューターはルイズと同様数秒反応が遅れ、次いで慌ててルーレットを回し始める。

 霊夢へ視線を向けていた客たちも慌てて回り出すルーレットへと戻した直後、ルイズの口から悲鳴が迸った。

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ッ!!あ、あああああああああんた何をぉッ!?」

 その悲鳴は正に地獄へと落ちる魔女の断末魔の如き、自らの終わりを確信してしまった時のような叫び。

 頭を抱えながら真横で叫んだルイズに霊夢は耳を塞ぎながらも「うるさいわねぇ」と愚痴を漏らしている。

「すぐ近くで叫ばないで欲しいわね。こっちの鼓膜がどうにかなっちゃいそうだわ」

「アンタの鼓膜なんかどうでもいいわよッ!…っていうか、一体なにしてくれるのよ?コレ!」

 元凶であるにも関わらず自分よりも暢気でいる彼女を睨み付けつつ、ルーレットを指さしながらルイズは尚も叫んだ。

 魔理沙がついさっき丁寧にやり方を見せてくれたというのに、この巫女さんはそれを無視して無謀な勝負に出たのである。

 それに、まだ赤と黒のどちらかで大勝負していたなら分かるが、よりにもよって数字のポケットへと全力投球したのだ。

 

 当たる確率は三十七分の一。それ以上も以下も無い、大枚張るには無謀なポケット達。

 魔理沙の勝っていく様子を後ろから見て、やらかした霊夢の制止を無駄にせぬよう慎重に勝とうとした矢先にこれである。

 彼女と自分のチップ、合わせて七十五エキュー分のチップはもはやシューターの手によって回収されるのは、火を見るより明らかであった。

 ボールは既にホイールを回るのをやめ、数あるポケットのどれか一つに入ろうとしている音がルイズの耳に否応なく入ってくる。

「なっんてことしてくれるのよアンタはぁ!?私の大切な三十エキューが丸ごとなく無くなっちゃったじゃないの!」

 今にも目をひん剥かんばかりの勢いで耳をふさぎ続ける霊夢へ詰め寄るルイズの耳へ、あの白いボールがポケットへ入る音が聞こえてくる。

 もはや後戻りすることは出来ず、何も出来ぬまま一気に七十五エキューも失ってしまったのだ。

 一体この怒りはどこへぶつけるべきか、目の前の巫女さんへぶつけてみるか?そう思った彼女の肩を右隣から掴んできた者がいた。

 

 誰なのかとそちらへ顔を向ける前に、肩を掴んできた魔理沙が霊夢へと詰め寄るルイズを何とか宥めようとする。

「まぁまぁ落着けってルイズ、何はともあれ勝ったんだから一件落着だろ?」

「な、なな何ががッ!一件落着です…―――――……って?……あれ?」

 この黒白まで自分の敵か、そう思ったルイズは軽く激昂しつつ彼女へ掴みかかろうとした直前――――周囲の異変に気が付く。

 静かだ、静かすぎる。まるで周りの時間が止まってしまったかのように、ルーレットの周囲にいる者達が微動だにしていない。

 客達やシューターは皆信じられないと今にも叫びそうな表情を浮かべて、先ほどまで回っていたルーレットを凝視していた。

 ふと魔理沙の方を見てみると、彼女はまるでこうなる事を予想していたかのような笑みを浮かべており、右手の人差し指がルーレットの方へと向けられている。

「ボールがどのポケットに入ったか見てみな?霊夢の奴が私以上の化け物だって事がわかるぜ」

 彼女の言葉にルイズは思わず口の中に溜まっていた唾を飲み込んでから、ゆっくりと後ろを振り返った。

 

 

 

 …確認してから数秒は、ルイズも他の者達同様何が起こったのか理解できずその体が停止してしまう。

 何故なら彼女の鳶色の瞳が見つめる先にあったのは、三十七分の一の奇跡が起こった事の動かぬ証拠そのものであったからだ。

 

 そんな彼女たちを観察しながらニヤニヤしている魔理沙は、勝負を終えて一息ついていた霊夢へ茶々を飛ばしている。

「それにしても、賭博での勘の冴えようは相も変わらずえげつないよなお前さんは?」

「アンタがちゃっちゃっと大金稼いでくれてたら、こんな事せずに済んだのよ」

 それに対し霊夢はさも面倒くさそうに返事をしつつ、ルーレットのボールが入ったポケットをじっと見つめていた。

 

 彼女の目が見つめているポケットは、先ほどのゲームでボールが入った赤の三十五番。

 三十五……巫女である霊夢を待っていたかのように、年季の入った白いボールが入っていた。

 これで七十五エキューの三十五倍――――二千六百二十五エキューが、ルイズと霊夢の手元へと一気に入ってきたのである。

 

 

 

 

 ――――――自分は一体、本当に何者なんだろうか?

 ここ最近は脳裏にそんな疑問が浮かんできては、毎度の如く私の心へ不安という名の陰りを落としてくる。

 何処で生まれ、育ったのか?どんな生き方をしてきたのか?記憶を失う前はどれだけの知り合いがいたのか?

 記憶喪失であるらしい私にはそれが思い出せず、私と言う人間を得体の知れない存在へと変えている。

 カトレアは言っていた。ゆっくり、時間を掛けていけば自ずと思い出せる筈よ…と。

 彼女は優しい人だ。私やニナの様な自分が誰なのか忘れてしまった人でも笑顔で手を差し伸べてくれる。

 周りにいる人たちも皆…多少の差異はあれど皆彼女に影響されていると思ってしまう程優しく、親切だ。

 そんな彼女の元にいれば、時間は掛かるだろうがきっと自分が誰なのか思い出すことも可能なのかもしれない。

 

 だけど、ひょっとすると…自分にはその゙時間゙すらないのではないか?

 何故かは知らないが、最近―――多くの人たちが暮らす大きな街、トリスタニアへ来てからはそう思うようになっていた。

 

 

 王都トリスタニアは、トリステイン王国の中でも随一の観光名所としても有名な街だ。

 街のど真ん中に建つ王宮や煌びやかな公園に、幾つもの名作が公開されたタニアリージュ座は国内外問わず多くの事が足を運ぶ。

 無論飲食方面においてもぬかりは無く、外国から観光に来る貴族の舌を唸らせる程の三ツ星レストランが幾つもある。

 店のシェフたちは日々己の腕を磨き、いつか王家お墨付きの店になる事を夢見て競い合っている。 

 平民向けのレストランも当たり外れはあれど他国と比べれば所謂「アタリ」が多く、外れの店はすぐに淘汰されてしまう。

 外国で売られているトリスタニアのガイドブックにも「王都で安くて美味しいモノを食べたければ、平民が多く出入りする店へ行け」と書かれている程だ。

 それ程までにトリステインでは貴族も平民も皆食通と呼ばれる程までに、舌が肥えているのだ。

 無論飲食だけではなく、ブルドンネ街の大通りにある市場では国中から集められた様々な品が売りに出されている。

 

 先の戦で当分は味わえないと言われてプレミア価格になったタルブ産のワイン、冷凍輸送されてきたドーヴィル産のお化け海老。

 シュルピスからは地元の農場から送られてきた林檎とモンモランシー領のポテトは箱単位で売っている店もある。

 他にもマジックアイテムやボーションなどの作成に必要な道具や素材なども売られ、貴族たちもこの市場へと足を運んでいた。

 他の国々でもこういう場所はあるのだが、トリスタニアほどの満ち溢れるほどの活気は見たことが無いのである。

 ガリアのリュティスやゲルマニアのヴィンドボナなどの市場は道が長く幅もある為に、ここの様な密集状態は中々起こらないのだ。

 だからここへ足を運ぶ観光客は怖いモノ見たさな感覚で、ちょっとしたカオスに満ちた市場へ足を運ぶ事が多い。

 

 そんな市場の中、丁度真ん中に差しかかった太陽が容赦なく地上を照りつけていても多くの人が出入りしていく。

 老若男女、国内外の貴族も平民も関係なく色んな人たちが活気ある市場を眺めながら歩き続け、時には気になった商品を売る屋台の前で止まる者もいる。

 その中にたった一人―――外見からして相当に目立っているハクレイも、人ごみに混じって市場の中へと入ろうとしていた。

 周りにいる人たちよりも頭一つ大きい彼女は、自分の間を縫うように歩く人々の数に驚いていた。

「凄いわね…。こんなに人がたくさんいるなんて」

 彼女は物珍しいモノを見るかのような目で貴族や平民、そして彼らが屯する屋台などを見ながら足を進めている。

 そして、ここでば物珍しい゙姿をした彼女もまた、すれ違う人々からの視線を浴びていた。

 

 市場では物珍しい品や日用品がズラリと並び、あちらこちらで客を呼ぶ威勢の良い掛け声が聞こえてくる。

 どこかの屋台で焼いているであろう肉や魚が火で炙られる音に、香ばしい食欲を誘う匂いが人ごみの中を通っていく。

 ふと右の方へ視線を向ければ、串に刺して焼いた牛肉を売っている屋台があり、下級貴族や平民たちがその横で美味しそうな肉に齧り付いている。

 屋台の持ち主であろう人生半ばと思える男性は、仲間から肉を刺した串を貰いそれを鉄板の上で丁寧に焼いているのが見えた。

「わぁ……――っと、とと!いけないけない…」

 油代わりに使っているであろうバターと塩コショウの匂いが鼻腔に入り込み、思わず口の端から涎が出そうになるのをなんとか堪える。

 こんな講習の面前で涎なんか垂らしてたら、頭が可笑しいと笑われていたに違いない。

 

 その時になってハクレイは思い出した。今日は朝食以降、何も口にしていなかったのを。

 懐中時計何て洒落たものは持っていないが、太陽の傾き具合で今が正午だという事は何となくだが理解していた。

 自分が誰なのかは忘れてしまったが、そんなどうでもいい事は忘れていなかった事に彼女はどう反応すればいいか分からない。

 ともあれ、今がお昼時ならばカトレアがいる場所へ戻った方がいいかと思った時…ハクレイはまた思い出す。

 それは自分の失った記憶ではなく今朝の事、ニナと遊んでいたカトレアが言っていた事であった。

「そういえば…お昼はニナの事を調べもらうとかで、役所っていう場所に行ってるんだっけか…?」

 周囲の通行人たちにぶつからないよう注意しつつ歩きながら、ハクレイは再確認するかのように一人呟く。

 空から大地を燦々と照りつける太陽の熱気をその肌で感じつつ、何処かに涼める場所を探す為に市場を後にした。

 

 

 

 ―――カトレア一行が一応戦争に巻き込まれたゴンドアから馬車で離れ、王都へ来てからもうすぐ一月が経とうとしている。

 タルブを旅行中にアルビオンとの戦いに巻き込まれ、地下へと隠れ、王軍に救出されてゴンドアまで運ばれたカトレア。

 しかし彼女としては誰かに迷惑を掛けたくなかったのか、程々に休んだあとで従者とニナを連れて馬車で町を後にしたのである。

 ハクレイは救出された時にはいなかったものの、何処で話を聞いてきたのかカトレアが休んでいた宿へフラリとやってきたのだ。

 

 謎の光によりアルビオンの艦隊が全滅して三日も経っていない頃の夜、あの日は雨が降っていた。

 艦隊を焼き尽くした火は粗方鎮火し終えていたものの、この天からの恵みによって完全に消し止める事ができた。

 そのおかげでタルブ村や村の名物であるブドウ畑が焼失せずに済んだというのは、トリスタニアへついてから聞く事となる。

 軍の接収した宿で御付の従者に見守られながらベッドで横になっていた彼女の元へ、ずぶ濡れの巫女さんが戻ってきてくれた。

 自分の為にあの恐ろしい怪物たちと真っ向から戦い、行方知れずとなっていたハクレイの帰還に彼女は無言の抱擁で迎えてあげた。

「おかえりなさい。今まで何処にいたのよ?こんなにも外が土砂降りだっていうのに…」

「ごめんなさい。このまま消えるかどうか迷った挙句…気づいたらアンタの事を探してたわ」

 こんなにも儚い自分の事を思って、助けてくれた事に感謝しているカトレアの言葉に彼女は素っ気なく答えた。

 

 その後、ニナからも熱い抱擁ついでのタックルを喰らいつつもハクレイは彼女の元へと戻ってきた。 

 御付の従者たちや自分と一緒にカトレアの薬を取に行って、無事に届けてくれた護衛の貴族達からは大層な褒め言葉さえもらった。

「お前さん無事だったのか?あんな化け物連中と戦ったっていうのに、大したモノだよ」

「百年一度の英雄ってのはお前さんの事か?とにかく、本当に助かったよ。ありがとな」

「カトレア様がこうして無事なのも、全てはお前さのお蔭だな。感謝する」

 十分な経験を積み、 護衛としてそこそこの実力を得た彼らからの感謝にハクレイは当初オロオロするしかなかった。

 何せ彼らの魔法もあの怪物達には十分効いていたし、実質的にカトレアを助けたのは彼らだと思っていたからである。

 

 なにはともあれ、思わぬ歓迎を受けてから暫くしてカトレアたちは前述のとおり静かにゴンドアの町を後にした。

 町にはアンリエッタ王女が自ら軍を率いてやって来てはいたが、業務の妨げになると思って挨拶はしないことにしていた。

 屋敷へ泊めてくれたアストン伯にお礼の手紙をしたためた後、足止めを喰らっていた王都行きの駅馬車を借りて彼女らは町を出た。

 本当なら直接顔を合わせて礼を言うべきなのだろうが、彼もまたアンリエッタと同じく戦の後の処理に追われていたため敢えて邪魔しないという事にしたのである。

 無論機会があればまたタルブへと赴いて、きちんとお礼をするつもりだとカトレアは言っていた。

 幸い町と外を隔てるゲートを見張っていた兵士たちも連日の仕事で慌ただしくなっていたのか、馬車の中を確認もせずに通してくれた。

 

 

 そうして騒がしい町から離れた一行は、ひとまずはもっと騒がしい王都で一時休憩する事となる。

 王都から次の目的地でありカトレアの実家があるラ・ヴァリエールと言う領地までは最低でも二日はかかるという距離。 

 カトレアの体調も考えて夏の暑さが引くまでは王都の宿泊できる施設で夏を過ごした後にヴァリエール領へと戻るという事になった。

 その間従者や護衛の者たちも一時の夏季休暇を味わい、カトレアはタルブ村へ行く途中に預かったニナの身元を調べて貰っている。

 そしてハクレイはというと、特にしたい事やりたい事が思い浮かばずこうして王都の中をふらふらと歩き回る日が続いていた。

 

「みんなは良いわよねぇ。私は自分の事が気になって気になって…何もできないっていうのに」

 大きな噴水がシンボルマークとなっている王都の中央広場。トリスタニアの中では最も有名に集合場所として知られている。

 その広場の周囲に設置されたベンチに座っているハクレイは、自分の内心を誰にも言えぬが故の自己嫌悪に陥っていた。

 ここ最近は、カトレアの従者が用意していだ別荘゙の中に引きこもっていたのを見かねたカトレアに外へ出るよう言われたのである。

 無論彼女は善意で勧めているのは分かってはいるが、それでも今は騒音の少ない場所でずっと考えたい気分であった。

 

「とはいえ、お小遣いとかなんやでお金まで貰っちゃったし…ちょっとでも使わないと失礼よね?」

 ハクレイはため息をつきつつも、腰にぶら下げている小さめのサイドパックを一瞥しつつ呟く。

 茶色い革のパックにはカトレアが「王都の美味しいモノを食べれば元気になるわ」と言って渡してくれたお金が入っている。

 枚数までは数えていないが、中に納まっている金貨の額は八十エキューだと彼女は渡す時に言っていた。

 その事を思い出しつつ改めてそのサイドパックを手に持つと、留め具であるボタンを外して蓋を開ける。

 パックの中には眩しい程に金色の輝きを放つ新金貨がずっしりと入っており、ハクレイは思わず目をそらしてしまう。

「このお金なら美味しいモノも沢山食べれるって言ってたけど、何だか無下に使うのはダメなような気が…」

 そう言いつつ、ハクレイはこれを湯水のごとく消費してしまうのに多少躊躇ってはいた。

 これは消費すべき通貨なのだと理解はしていたが、比較的製造されたばかりの新金貨は芸術品かと見紛うばかりに輝いている。

 

 試しに一枚取り出しじーっと見つめてみるが、その輝きっぷりはまるで小さな太陽が目の前にあるかのようだ。

 再び目を背けながら手に持っていた一枚をパックの中に戻してから、ハクレイはこれからどうするか悩んではいた。

 

 時間は既に昼食時へと入っており中央広場にいても周囲の民家や飲食店、それから屋台から美味しそうな匂いが漂ってくる。

 それらは全て彼女の鳴りを潜めていた食欲に火をつけて、瞬く間に脳の中にまで入っていく。

 八十エキューもあれば、ちゃんと節制すれば平民のカップルは三日間遊んで暮らせるほどである。

 そんな大金を腰のパックに入れたハクレイは、何か食べないと…と思いつつ本当にこの金貨を使って良いモノかとまだ思っていた。

 

「そりゃあカトレアの言うとおり何処かで食べてくれば良いんだけど、一体どこを選べばいいのやら………ん?」

 一人呟きながらどこかに自分の興味を惹くような店は無いかと探している最中、ふと広場の中央に造られた噴水へと視線が向く。 

 百合の花が植えられた花園の真ん中にある大きな水かめから水が噴き出し、それが花園の周りに小さな池を作っている。

 ハクレイはその噴水から造られた池に映っている自分の顔を見て、自分の頭の中に残っている悩みの種が首をもたげてきた。

 腰まで届く長い黒髪に、やや黄色みがある白い肌。そして黒みがかった赤い目はハルケギニアでき相当珍しいのだという。

 カトレアとの生活で彼女の従者からそんな事を言われていた彼女は、改めて自分が何者なのか余計に知りたくなってしまう。

 けれどもそれを知っている筈の自分は全ての記憶を失い、自分は得体の知れない存在と化している。

 

 それを思いだしてしまい難しい表情を浮かべようとしたハクレイは…次の瞬間、ハッとした表情を見せた。

 まるで家の何処かに置いて忘れてしまった眼鏡の場所を思い出したかのような、ついさっきまでの事を思い出した時の様な顔。

 そんな表情を浮かべた彼女は慌てて首を横に振ってから、水面越しに見る自分の顔を睨みつけながら呟く。

「でも…あのタルブで出会ったシェフィールドっていう女なら、何か知っているかもしれない…」

 彼女はタルブの騒動の際、あの化け物たちを操っていたという女の事を思い出していた。

 シェフィールド…。不気味なほど白い肌にそれとは対照的に黒過ぎる長髪と服装は今でも忘れられない。

 彼女が操っていたという化け物たちのせいで多くの人たちが犠牲になり、カトレア達までその手に掛けさせようとしていた。

 良くは知らないがそれでも次に会ったらタダでは済まさない程の事をしたあの女と彼女は戦ったのである。

 

 その時はカトレアを探しに来ていたという彼女の妹とその仲間たちを自称する少女達と共闘した。

 周りが暗くて容姿は良く分からなかったものの、声と身長差ら十分に相手が少女であると分かっていた。

 しかし途中で乱入してきた謎の貴族にその妹が攫われ、ハクレイ自身が囮となって仲間たちに後を合わせた後、捕まってしまった。

 キメラの攻撃で地面に縫い付けられ、運悪く手も足も出ない状況にに陥った時…あの女は自分へ向けてこう言ったのである。

 

 ―――――そんなバカな事…あり得ないわ。……――――には、そんな能力なんて無い筈なのに――――

 ――――――一体、お前の身体に何があったというんだい?――――゙見本゛

 

 何故か額を光らせ、信じられないモノを見る様な目つきと顔でそんな事を言ってきたのである。

 言われた方としては何が起こったのか全く分からないし、当然しる筈も無い。但し、その逆の立場であるあるあの女は何かを知っていたのだろう。

 でなければあんな…有り得ないと本気で叫んでいた表情など浮かべられる筈が無いのだから。

「本当ならば、その時に詳しく聞く事ができたら良かったけど…」

 

 ――――――あの後の事は、正直あまり覚えていなかった。

 あの女が自分の事を゙見本゙と呼んだ後の出来事だけが、ポッカリと穴が出来たかのように忘れてしまっているのだ。

 忘れてしまった時の間に何が起こり、どの様な事になったのか彼女自身が知らないでいる。

 ただ、気づいた時には疲労のせいか随分と重たくなってしまった体は木漏れ日の届かぬ森の奥で横たわっていた。

 

 目が覚めた時にはあの女はおろか、自分がどこにいるのかも分からず…思い出そうにもその記憶そのものが抜け落ちている始末。

 暫し傍にあった大木に背を預けて思い出そうとしても、単に頭を痛めるだけで何の進展も無かった。

 そして彼女にはそれが恐ろしかった。呆気なく自分の頭から記憶が抜け落ちて行ってしまったという事実が。

 自分ではどうしようもできない゙不可視の力゙が自分の記憶を操っている――――そんな恐ろしい考えすら思い浮かべていたのである。

 

 その後はほんの少しの間、自分でもどうすれば良いのか分からない日々を過ごした。

 森を捜索していた兵士たちの話から、カトレアを含めタルブ村の人たちが何処へ避難したかを知った時も真っ先に行こうとは思わなかった。

 自分の頭から忘れてはいけない事が抜け落ちた事にショックし続けて、まるでを座して死を待つ野生動物の様に彼女は森の中で休んでいたのである。

 けれども、それから暫くして落ち着いてきたころにカトレアやニナ達の事が気になってきて、ようやく避難先の町へ行くことができた。

 最初はただ様子だけを遠くから見るだけと決めていたのに、結局彼女を頼ってしまい今の様な状況に至ってしまっている。

 カトレアは屋敷の傍で起こった騒ぎの事は知らなかったようで、ハクレイ自身もまだその事を―――その時の事を忘れたのも含め――話す覚悟は無かった。

 はぐらかす様子を見て離したくないと察してくれたのだろうか、出会った時以来カトレアもタルブでの事を話さなくなった。

 ニナはしつこく何があったのだと話をせがんでくるが、カトレアやその従者たちがうまいことごまかしてくれる。

 

 

「…けれども、いつかは話さないと駄目…なのかしらね?」

 水面に映る自分の顔を見つめながらもハクレイが一人呟いた時、ふとこんな状況に似つかわしくない音が鳴った。

 ―――……ぐぅ~!きゅるるるぅ~

 思わず脱力してしまいそうな間抜けな音が耳に入った直後、ハクレイは軽く驚きつつも自分のお腹へと視線を向ける。

 アレは明らかに腹から鳴る音だと理解していた為、まさか自分のお腹から…?と思ったのだ。

 恥かしさからかその顔を若干赤くさせつつも自分のお腹を確認したハクレイであったが、音を出した張本人は彼女ではなかったらしい。

「あ…あぅう~…」

「ん?………女の子?」

 今度は背後から幼く情けない声が聞こえ、後ろへと振り返ってみると…そこには一人の女の子がいた。

 年はニナより三つか四つ上といったところか、茶髪のおさげを揺らしながらじっと佇んでいる。

 まだ幼さがほんの少し残っている顔はじっとハクレイを見上げながらも、翡翠色の瞳を丸くしていた。

 服は白いブラウスに地味なロングスカートで、マントを身に着けていないからこの近所に住んでいる子供なのだろうか?

 そんな疑問を抱きつつ、自分を凝視して動かない少女を不思議に思いながらもハクレイはそっと声を掛けた。

「どうしたの?私がそんなに珍しいのかしら?」

「え…!あの…その…」

 見知らぬ、そして見たことない格好をした大人突然声を掛けられて驚いたのだろうか、

 女の子はビクッと身を竦ませつつも、何を話したら良いのか悩んでいると…再びあの音が聞こえてきた、女の子のお腹から。

 ―――――ぐぅ~…!

 先ほどと比べて大分可愛らしくなったその音に女の子はハクレイの前で顔を赤面させると、彼女へ背を向ける。

 てっきり自分の腹の虫化と思っていたハクレイはその顔に微かな笑みを浮かばせると、もう一度女の子へ話しかけてみた。

 

「貴女?もしかしお腹が空いてるの?」

 彼女の質問に対し女の子は無言であったものの…十秒ほど経ってからコクリと一回だけ、小さく頷いて見せた。

 首を縦に振ったのを確認した後、彼女は女の子の身なりが少し汚れているのに気が付く。

 ブラウスやスカートは土や泥といった汚れが少し目立ち、茶色い髪も心なしか油っ気が多い気がする。

 ここに来るまで見た子供たちは平民であったが、この女の子の様に目で分かる汚れていなかった。

 更によく見てみると体も少し痩せており、まだ食べ盛りと言う年頃なのにそれほど食べている様には見えない。

(家が貧乏か何かなのかしら…?だからといって何もできるワケじゃあないけれど…あっ、そうだ)

 女の子の素性を少し気にしつつも、その子供を見てハクレイはある事を思いついた。

 

 彼女はこちらへ背中を向け続けている女の子傍まで来ると、落ち着いた声色で話しかけた。

「ねぇ貴女。良かったら…だけどね?私と一緒に何か美味しいモノでも食べない?」

「……え?」

 見知らぬ初対面の女性にそんな事を言われた女の子は、怪訝な表情を浮かべて振り返る。

 いかにも「何を言っているのかこの人は?」と言いたそうな顔であり、ハクレイ自身もそう思っていた。

「ま、まぁ確かに怪しいと思われても仕方ないわよね?お互い初対面で、私がこんな格好だし…」

 言った後で湧いてくる気恥ずかしさに女の子から顔を背けつつも、彼女は尚も話を続けていく。

 

「でも…そんな私を助けてくれたヤツがいて、ソイツが結構なお人よしで…私だけじゃなくて女の子をもう一人…、

 たがらってワケじゃないし、偽善とか情けとか言われても仕方ないけど…何だかそんな身なりでお腹を空かしてる貴女が放っておけないのよ」

 

 自分でも良く、こんなに長々と喋るのかと内心で驚きつつ、女の子から顔をそむけながら喋り続ける。

 もしもカトレアがこの場にいたのなら、間違いなくこの女の子に施しを与えていたに違いないだろう。

 どんな時でも優しさを捨てず、体が弱いのにも関わらず非力な人々にその手を差し伸べる彼女ならば絶対に。

 そんな彼女に助けられたハクレイもそんな彼女に倣うつもりで、お腹を空かせたあの子に何かしてやれないだろうかと思ったのだ。

 

 しかし、現実は意外と非情だという事を彼女は忘れていた。

「だから…さ、自己満足とか言われても良いから…――――…って、ありゃ?」

 逸らしていた視線を戻しつつ、もう一度食事に誘おうとしたハクレイの前に、あの女の子はいなかった。

 まるで最初からいなかったかのように消え失せており、咄嗟に周囲を見回してみる。

 幸い、女の子はすぐに見つかった。…見つかったのだが、こちらに背中を向けて中央広場から走って出ていこうとしていた。

 恐らく周囲の雑踏と目を逸らしていて気付かなかったのだろう、もう女の子との距離が五メイルも空いてしまっている。

「……ま、こんなもんよね?現実ってのは…」

 何だか自分だけ盛り上がっていたような気がして、気を取り直すようにハクレイは一人呟く。

 ニナもそうなのだが、子供が相手だとこうも上手くいかないのはどうしてなのだろうか?

 自分と同じく彼女に保護されている少女の顔を思い出したハクレイは、ふとある事を思い出した。

「そういえば、カトレアは「お姉ちゃん」って呼んでべったりと甘えてるのに…私は呼び捨てのうえに扱いが雑な気もするわ」

 子供に嫌われる素質でもあるのかしらねぇ?最後にそう付け加えた呟きを口から出した後、腰に付けたサイドパックへ手を伸ばす。

(仕方がない。無理に追いかけるのもアレだし…何処か屋台で美味しいモノ食べ――――あれ?)

 気を取り直してカトレアから貰ったお小遣いで昼食でも頂こうと思ったハクレイの手は、金貨の入ったパックを掴めなかった。

 軽い溜め息を一つついてから、パックをぶら下げている場所へ目が向いた瞬間――――思わず彼女の思考が停止する。

 

 

 

 無い、無かった。カトレアから貰った八十エキュー分の金貨が満載したサイドパックが消えていた。

 パックと赤い行灯袴を繋ぐ紐だけがプラプラと風に揺られ、さっきまでそこに何かがぶら下げられでいだと教えてくれている。

 まさか紐が切れて何処かに落とした?慌てて足元を見ようとしたとき、通行人の大きな声が聞こえてきた。

「おーい、そこの小さなお嬢ちゃん!手に持ったパックから金貨が一枚落ちたよ~!」

「――――…は?」

 小さなお嬢ちゃん?パック?金貨?耳に入ってきた三つの単語にハクレイはすぐさま顔を上げると、

 自分の背後でお腹を鳴らし、逃げるように走り去ろうとしていた女の子が地面に落ちた金貨をスッと拾い上げようとしている最中であった。

 

 両手には、やや大きすぎる長方形の高そうな革のサイドパックを抱えるように持っているのが見える。

 それは間違いなく、カトレアからお小遣いと一緒に貰った茶色い革のサイドパックであった。 

 

「ちょっ……―――!それ私の財布なんだけど……ッ!?」

 驚愕のあまり思わず大声で怒鳴った瞬間、女の子は踵を返して全速力で走り出した。



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第八十五話

 人の運勢と言うのは基本、極端に傾くという事は滅多に無い。

 運が良い時期が続けば続くほど後々運勢が急に悪くなり、かと思えば不幸の連続から突如幸運に恵まれる事もある。

 天気と人の気持ちに次いで、運勢というモノは人が読み当てるには難しい代物であり、占いを用いたとしても確実に当たる保証はない。 

 当たるも八卦、当たらぬも八卦とは良く言ったものである。どちらの結果になっても占いの吉凶はその人の運勢からくるものなのだから。

 運が良い人ならば凶と出てもそれを跳ね除けられるし、逆に運が悪ければどんな事をしても結果的には凶で終わってしまう。

 

 そして、最初にも書いた通り運勢という代物は決して極端にはならない。

 運が良い事が続けば続くだけ、それを取り立てるかのように不幸が連続して襲ってくるものなのだ。

 

 

 

 夕暮れ時のトリスタニアはチクトンネ街。夜間営業の店がドアのカギを開けて客を呼び込もうとしている時間帯。

 日中の労働や接客業を終えた者たちが仕事終わりの一杯と美味い料理、そして可愛い女の子を求めて次々に街へと入っていく。

 夏季休暇のおかげで地方や外国から来た観光客たちも、ブルドンネ街とは対照的な雰囲気を持つこの場所へと足を踏み入れる者が多い。

 街へと入る観光客は中級や下級の貴族が多いのだが、中には悠々とした外国旅行を楽しめる富裕層の貴族もちらほらといる。

 母国では名と顔が知られてる為にこういった繁華街へ足を踏み入れられない為に、わざわざここで夜遊びをするために王都へ来るという事もあるのだ。

 彼らにとって、地元の平民や下級貴族たちが飲み食いする者はお世辞にも良いモノとは言えなかったが、それよりも新鮮味が勝っていた。

 

 炭酸で味を誤魔化している安物のスパークリングワインや、大味ながら食べ応えのあるポークリブに、厨房の食材を適当に選んで切って、パンに挟んだだけのサンドイッチ。

 普段から綺麗に盛り付けされた料理ばかりを目にし、食してきた富裕層の者たちにとっては何もかもが目新しいものばかり。

 盛り付けはある程度適当で、食べられればそれで良いという酒場の料理に舌鼓を打っていく内に、自然と笑ってしまうのであった。

 

 そんな明るい雰囲気が漂ってくるチクトンネ街の通りを、一人の少年が必死の形相でもって走っている。

 短めの茶髪に地味なシャツとズボンという出で立ちの彼は、まだ十五歳より下といった年であろうか。

 そこら辺で仲間と話している平民の男と比べてまだまだ細い両腕には、いかにも重そうな革袋を抱ている。

 陽も落ち、双月が空へ浮かぶ時間帯。日中と比べて気温は少し下がったものの、少年の顔や服から露出している肌や汗にまみれている。

 無理もない。何せこの少年は両腕の袋を抱えたまま、かれこれ三十分以上も走り続けているのだから。

 ここまで走ってくるまで何度もの間、少年は何処かで足を止めて休もうかと悩んだ事もあった。

 しかし、その度に彼は首を横に振って走り続けた。――――袋を取り返そうとする゙アイヅから逃れる為に。

 

 赤みがかった黒目に、珍しい黒髪。そして悪魔の様に悠然と空を飛んで追いかけてくる゙アイヅは今も尚自分を追いかけてきている。 

 捕まれば最後…袋を奪われた挙句衛士達の手で牢屋に行けられてしまうに違いない。

 自分だけならまだ良い。だがしかし、彼には守らなければ行けない最後の一人となってしまった肉親がいる。

 彼女一人だけでは、自分の庇護無くして生きていく事なんてできやしないだろう。

「捕まるワケには…捕まるわけにはいかない…!」

 最悪の展開の先に待つ、更に最悪な結果を想像した少年は一人呟き、更に走る速度を上げていく。

 袋の中に入っだモノ゙―――金貨がジャラジャラ…という大きな音を立て続けており、それが彼に勇気を与えてくれる。

 この袋の持ち主であっだアイヅは言っていた。…三千エキュー以上も入っていると。

 つまりコイツさえ手に入れてしまえば―――手に入れる事が出来れば、暫くはこんな事をしなくて済む。

 ほとぼりが冷めたら王都を離れて、ドーヴィルみたいな療養地やオルニエールの様な辺境で安い家を買って、家族と一緒に暮らそう。

 畑でも作って、仕事を見つけて、一年前のあの日から奪われていた幸福を取り戻すんだ。

 

 

「―――…ッ!見つけたわよ、そこの盗人!!」

 

 揺るぎない意思を抱いた彼が改めて決意した時、後ろの頭上から゙アイヅの怒鳴り声が聞こえてきた。

 突然の怒鳴り声に少年を含めた周りの者たちは足を止めて、何だ何だと頭上を見上げている。

 吃驚して思わず足を止めてしまった少年は口の中に溜まっていた唾を飲み込み、意を決して振り返った。

 

 

「さっさと観念して、私たちのお金を返しなさい…この盗人が!」

 振り返ると同時に、袋の持ち主であっだアイヅ―――――博麗霊夢が上空から少年を指さしてそう叫ぶ。

 黒帽子に白いブラウス、そして黒のロングスカートという出で立ちで宙に浮く彼女の姿は、何ともシュールなものであった。

 

 

 

 一体何が起こったのか?それを知るには今からおおよそ、三十分程の前の出来事まで遡る必要があった。

 事の発端を起こしたとも言うべき霊夢がニヤニヤと笑う魔理沙と気まずそうなルイズを伴って、とある飲食店から出てきた所だった。  

 いつもの巫女服とは違う姿の彼女はその両手に金貨をこんもりと入れた袋を持ったまま、カウンターで嘆く店主に向かって別れの挨拶を述べた。

「じゃ、二千六百二十五エキュー。しっかり貰っていくからね?」

「に…二度と来るんじゃねェ!それ持って何処へなりとでも行きやがれ…この悪魔ッ!」

 余裕癪癪な霊夢の態度に店の主は悔し涙を流して、ついでに拳を振り上げながら怒鳴り返す。

 その様子を店内で見守っている客たちは、霊夢と同じ賭博場にいた者達やそうでない者達も関わらず、皆呆然としている。

 無理もない。何せいきなりやってきた見ず知らずの少女が、ルーレットでとんでもない大当たりを引いてしまったのだから。

 

 

 当初は彼女に辺りを引かせてしまったシューターが慌てて店主を呼び、ご容赦願えないかと霊夢と交渉したのである。

 何せ二千六百エキュー以上ともなるとかなりの大金であり、この店の二か月分の売り上げが丸ごと彼女に手に渡ってしまうのだ。

 ここは上手いこと妥協してもらい、二千…とはいかなくともせめて五百までで許してくれないかと頭を下げたのである。

「お、お客様…何卒ご容赦願いまして…ここはせめて五百エキューで勘弁して貰えないでしょうか?」

「二千六百二十五。――…それ以下は絶対に無いし、逆に言えばそこまでで許してあげるからさっさと換金してきなさい」

「れ…レイム。いくら何でもそれは欲張り過ぎの様な…」

「無駄無駄。賭博で勝った霊夢相手に交渉なんて、骨折り損で終わるだけだぜ?」

 しかし霊夢は絶対に首を縦に振る事はせず、交渉は平行線となって三十分近くも続いた。

 いきなりの大金獲得という現実の認識が遅れていたルイズも流石に店主に同情し、魔理沙もまた彼に憐れみを抱いていた。

 事実霊夢は店の人間が出す妥協案を聞くだけ聞いて無視しており、考えている素振りすら見せていない。

 

 店側は、何とかゴネにゴネて追い出す事も出来たが…そうなると客の信用を失うことになる。

 数年前から始めたルーレットギャンブルはこの店を構えている場所では唯一の賭博場であり、常連の古参客たちもいる。

 そんな彼らの前で、大当たりを引いた客を追い出してしまえば彼らも店の賭博を信じなくなるだろう、

 そうなれば人づてに今回の話が街中に知れ渡り、結果的にはこの店――ひいては今まで築き上げてきた信頼さえ失ってしまう。

 十五年前からコツコツと続けてきて、今日までの信頼を得ている店主にとっては、それは店の売り上げ金と同列の存在であった。

 しかし、今はどちらか一つを差し出さねばならないのである。二か月分の売上を目の前に少女に上げるか、風評被害を覚悟に追い出すか…?

 

 そして店主にとって、どちらが愚かな選択なのかハッキリと分かっていた。

 

 

 

『いやぁ~!それにしても、随分と荒稼ぎしたじゃねぇかレイム。店の人間がみんな泣いてたぜ?』

「あら、アンタ起きてたの?何も喋らなかったから寝てるか死んでるかと思ったわ」

 半年分の功績を持ち逃げされた店を後にして数分してからか、今まで黙っていたデルフがようやく喋り出す。

 今にも自分の肩を叩いてきそうな勢いで話しかけてくる剣にそう返しつつ、霊夢は両手に持っていた大きな革袋へと視線を向ける。

 先ほどの店にあった賭博場で得た二千六百二十五エキューが二つに分けられて入っており、重さ的にはそれ程変わらない。

「ね、ねぇレイム…ホントに持ってきちゃって良かったの?勝ってくれたのは嬉しいけど…後が怖い気がするんだけど?」

 そんな彼女の肩越しに金貨満載の袋を見つめていたルイズが、冷や汗を流しつつそんな事を聞いてきた。

 あれだけ贅沢な宿じゃ眠れないとか言っておきながら、いざ大金を手にした途端にかなり気まずそうな表情を見らてくれる。

 

「何言ってるのよ?アンタがお金無いと良い宿に泊まれないっていうから、わざわざ私が大当たりを引いてやったっていうのに…」

「いやいや…!だからってアンタ、アレはやりすぎよ!?」

 怪訝な表情を見せる霊夢にルイズは慌てて首を横に振りつつ、最もな突っ込みをしてみせた。

 確かに事の発端は自分だと彼女は自覚していたものの、だからといってあんな無茶苦茶な方法に打って出るとは思っていなかっのたである。

 それと同時に、あのタイミングでどうやって大当たりを引けた理由にも容赦ない突っ込みを入れていく。

「大体ねぇ、シューターの使ってたボールのパターンを覚えて、しかも自分の勘で数字に張ったなんて…それこそ無茶苦茶だわ!」

 人の少ない通りで、両手を振り回しながら叫ぶルイズに霊夢は面倒くさそうに頬を掻きながらも話を聞いている。

 店を出てすぐにルイズは聞いてみたのである、どうやってあんなドンピシャに当てられたのかを。

 その時は久しぶりの博打と大勝で気分が良かった霊夢は、自慢げになりながらもルイズが叫んだ事と似たような説明をした。そして怒られた。

 

「別に良いじゃないの?だって勝ったんだし、魔理沙みたいにチビチビ張ってたらそれこそ時間が掛かるし…」

「…それじゃあ、そのインチキじみた勘とパターンとやらが外れてたらどうするつもりだったのよ」

「はは!そう心配するなよルイズ。霊夢の奴なら、どんな状況でも勝ってたと思うぜ?」

 二人の会話に嫌悪な雰囲気が出始めたのを察してか、すかさず魔理沙が横から割り込んでくる。

「マリサ、アンタまでコイツの擁護に回るつもりなの?」

 突然会話に入ってきた黒白へキッと鋭い睨みを利かせるも、魔理沙はそれをものともせずに喋り出す。

「そういうワケじゃないさ。ただ、コイツの場合持ち前の勘が良すぎて賭博勝負じゃあ殆ど敵なしなんだぜ?」

「……そうなの?」

「ちなみに…一時期コイツが人里の賭博場で勝ちまくって全店出禁になったのは、ここだけの話な」

「で…出禁…?ウソでしょ…っ!?」

 訝しむルイズは手振りを交えつつ幻想郷で仕出かした事を教えてくれた魔理沙の話を聞いて驚くと、思わず霊夢の方へと視線を向けた。

 当の本人はムスッとした表情で此方を睨んでいるものの、出禁になるまで勝てる程の人間には見えない。

 しかし、現にたったの七十五エキューで大勝した所を見るに、決して嘘と言うワケではないのだろう。

 

 暫し無言の間が続いた後、ルイズは気を取り直すように咳払いをした。

「……ま、まぁ良いわ。アンタの言うとおり、ひとまずはお金もゲットできたしね」

「やけに物わかりが良いじゃない?まぁそれならそれで私も良いけど」

 突っ込みたい事は色々あるのだが、大金抱えたまま街中で騒ぐというのはあまり宜しくない。

 できることなら宿に…それも貴族が泊まれる程の上等な部屋を手にいれてから、聞きたい事を聞いてみよう。

 そう誓ったルイズは、ひとまず皆の手持ち金がどれだけ増えたのか軽く調べてみる事にした。

 

 

 

 最初にギャンブルに挑戦し、程よい勝利を手に入れた魔理沙は三百七十五エキュー。

 これだけでも相当な金額である。長旅ができる程の商人が寛げるそこのそこの宿なら夏季休暇が終わるまで宿泊できるだろう。

 次に…突如乱入し、恐らくあの店の金庫からごっそり金を巻き上げたであろう霊夢は桁違いの二千八百九十五エキューだ。

 ただしルイズの三十エキューも張った金の中に入っているので、それを半分に分けた千四百四十五エキューを彼女に渡す事となる。

 丁度金貨の袋を二つに分けて貰っていたので、ルイズは霊夢の右手の袋をそのまま頂く形で金貨を手に入れる。

 結果…。変装する際に購入した服の代金で三十エキュー減っていたが、その分を埋めてしまう程の大金が一気に舞い込んできた。

「これで私の所持金は…千八百十五エキュー…うわぁ、なんだかすごいことになっちゃったわ」

 巫女さんの手から取った袋のズッシリと来る嬉しい重みに彼女は軽く冷や汗を流しつつ、自然とその顔に笑みが浮かんでくる。

 一方の霊夢は軽くなった右手で持ってきていた御幣を握ると、ため息をつきながらも左手の袋へと視線を向けていた。

「その代わり私の手元に千四百四十五エキューまで減ったけどね。…何だか割に合わないわねェ」

『へっ、店の人間泣かすほどの大金持っていったヤツが良く言うぜ』

 彼女の言葉に軽く笑いながら突っ込みを入れているのを眺めつつ、ルイズは金貨入りの袋を腰のサイドパックに仕舞いこむ。

 パックは元々彼女が持っていたもので、遠出をする時には財布代わりに使えたりと何気に便利な代物である。

 黒革のサイドパックとそれを繋いでいる腰のベルトは共に丈夫らしく、大量の金貨の重量をものともしていない。

 これなら歩いている途中にベルトが千切れて、金貨が地面に散乱する…という最悪の事態はまず起こらないだろう。

 

「とはいえ、財務庁かどこかの安全な金庫に三分の二くらい置いといた方がいいわね…」

 天下の回りもの達を入れたパックを赤子を可愛がるかのように撫でながらも、ルイズは大通りへと出る準備を終えた。

 

 ひとまずは霊夢達のおかげで、個人的には少ないと思っていた資金を大量に増やす事が出来た。

 その二人はどうだろうかと振り返ってみると、魔理沙も既に準備を終えて霊夢と楽しそうに会話している。

「それにしても、私と霊夢にしちゃあ幸先が良いよな。何せ今日だけで数百エキューを、一気に三千エキュー以上に変えたんだぜ?」

「むしろ良すぎて後が怖くならないかしら?アンリエッタからの任務何てまだ始めてもないんだし」

 箒を肩に担ぎつつ、金貨の入った袋をジャラジャラと揺らしながら喋る魔理沙に、霊夢は冷めた様子で言葉を返している。

 魔理沙はともかく、彼女は金貨がこんもりと入った袋の紐を直接ベルトに巻き付けており、ルイズの目から見ても相当危なっかしい。

 この二人に財布的な物でも買ってやったほうがいいかしら。ルイズは一人思いつつも、この大金を手に入れてくれた巫女さんをじっと見つめていた。

 

 今更ながら、やはりあの霊夢が狙って三十五分の一に大博打に勝ったとは未だに信じにくかった。

 しかし、すぐにでも欠伸をかましそうな眠たい表情を見せる巫女さんのおかげて幾つもの窮地を助けられたというのもまた事実なのだ。

 ギーシュや土くれのフーケに、裏切り者のワルド子爵にキメラ達との数々の戦いでは、歳不相応な程の戦い方を見せてくれた。

 やはり魔理沙の言うとおり、彼女には常人には理解しがたい程の勘の良さがあるのだろうか。

「……ちょっと、ナニ人の顔をジロジロ見てるのよ」

「え?…い、いや何でもないわよ」

 そんな事を考えている内に自然と霊夢の顔を凝視している事に気付かず、怪訝な顔をした彼女に話しかけられてしまう。

 ルイズはそれを誤魔化すように首を横に振ると、気を取り直すかのように軽く咳払いしてから、大通りへと続く道へ体を向けた。

「さぁ行きましょう。ひとまずお金は用意できたから、ちゃんとしたベッドがある宿を探しに行くわよ」

「分かったぜ。…にしても、この時間帯でまだ部屋が空いてる宿ってあるのかねぇ?」

「無かったら困るのは私達よ。大量のお金を抱えたまま道路で野宿とか考えただけでも背すじに悪寒が走るわ」

 魔理沙の言葉にそう答えつつ、さぁいざ宿を探しに大通りへ――――という直前、突如デルフが声を上げた。

 

 

 

『―――レイム、来るぞ!』

 鞘から刀身を出す喧しい金属音と共に自分を担ぐ霊夢の名を呼んだと同時に、彼女は後ろを振り返る。

 そしてすぐに気が付く。いつの間にか背後一メイルにまで近づいていた見知らぬ少年の存在に。

 自分の腰の大きな袋――金貨入りのそれへと伸ばしていた彼の右手を目にも止まらぬ速さで掴み、そして捻り上げた。

「……!おっ…と!」

「うわ…わぁっ!」

 流れるような動作でスリを防がれた少年が、年相応の声で悲鳴を上げる。

 少年期から青年期へと移り変わり始めてる青く未来のある声が奏でる悲鳴に、ルイズたちも後ろを振り向く。

「ちょっと、一体何…って、誰よその子供!?」

「スリよ。どうやら私が気づいてるのに知らないでお金を盗ろうとしたみたいね。そうでしょ?」

 驚くにルイズに簡単に説明しつつ、霊夢はあっさりとバレて狼狽えている少年を睨み付けつている。

 魔理沙は魔理沙で、幻想郷ではとんと見なくなっだ光景゙に手を叩いて嬉しそうな表情を見せていた。

「ほぉ!霊夢相手にスリを働く奴なんて久しぶりにお目に掛かるぜ」

「そうなの?…っていうかここはアンタ達の故郷じゃないし、アイツが盗人にどんな仕打ちをしたか知らないけれど…」

 結構酷いことしてそうよね…。そう言いながら、ルイズは巫女さんに捕まってしまっている少年へと視線を向ける。

 年は大体十三、四歳といったところか、身なりは綺麗だがマントをつけていない所を見るに平民なのだろうか。

 服自体はいかにも平民が着ていそうな質素で安い服装だが、ルイズの観察眼ではそれだけで平民か貴族なのかを判断するのは難しかった。

 

 しかし、だからといって霊夢にその子を自由にしてやれと指示するつもりは無かった。

 子供とはいえ見知らぬ人間が彼女に対してスリを働こうとしたのだ、それもこんな暗い時間帯に。

 少年の方も否定の言葉を口にしない辺り、本当に霊夢のお金を掠め取ろうと企てていたと証言しているようなものだ。

 犯罪を犯した子供にしてはやけに口静かであったが、その代わり少年の顔には明らかな焦燥の色が出ている。

 恐らくこれから自分が何処へ連れて行かれるのか理解しているのであろう。当然、ルイズもそこへ連れて行くつもりだった。

「…さてと、ちよっとしたハプニングはあったけどその子供連れて行くわよ」

「どういう意味よ?まさか飯でも食わせて手を洗いなさいとか説教垂れるつもり?」

 出発を促すルイズに霊夢がそんな疑問を飛ばしてみると、彼女は首を横に振りながら言った。

「まさか、゙衛士の詰所゙よ。今の時期なら牢屋で新しいお友達もできるだろうから楽しいと思うわよ?」

「……!」

 ワザとらしく、「衛士の詰所」という部分だけ強調してみると、少年はその顔に明確な動揺を見せてくれた。

 実際この時期、衛士の詰所にある留置場にはこの子供を可愛がってくれる連中が大量にぶちこまれている。

 夏の時期。彼らは蒸し暑い牢屋の中で気を荒くしつつも、新しくぶち込まれる犯罪者たちに゙洗礼゙浴びせたくてうずうずしている… 

 貴族でありそういった場所とは無縁のルイズでもそういう類の話は知っており、一種の噂話として認識していた。

 

 そうなればこの子供がどうなるのか明白であったが、そこまではルイズの知るところではなかった。

 仮にこの子供が貴族だとしても、大なり小なりの犯罪を犯そうとしたのならそれ相応の罰は受けるべきである。

 霊夢とデルフも同じような事を考えているのだろう。彼女は「ほら、ちゃっちゃと行くわよ」と少年を無理やり連れて行こうとしていた。

 それに対し少年は靴裏で地面を擦りながら無言で抵抗しつつ、ふと魔理沙の方へと視線を向けた。

「ん?何だよ、そんないたいけな視線なんか私に向けて。…もしかして私に助けてほしいのか?」

 少年の目線に気が付いた彼女はそんな事を言いながら、気まずそうな表情を見せる。

 ルイズの視線では彼がどんな表情を浮かべているのかは知らないが、きっと自分を助けてくださいという切実な思いが込めているに違いない。

 

 

 あの黒白の事だ、自分が盗まれてないという事で情けを掛けるのではないだろうか?

 そんな想像をしたルイズが、とりあえず彼女に釘を刺そうと口を開きかけたところで、先に霊夢が魔理沙へ話しかけた。

「放っておきなさい、どうせ人様の金を盗むような奴なんか碌でもない事考えてるんだから」

「それは分かってるよ。……という事で悪いな少年、霊夢相手に盗みを働こうとした自分自身を恨めよな」

 …どうやら、二人の話を聞く分でも釘をさす必要は無かったようだ。

 無言の救難メッセージを拾われるどころか、そのまま海に突き返されたかの如き少年はガクリと項垂れてしまう。

 その様子を見てもう逃げ出すことはしないだろうと思ったルイズが、大通りへと続く道へと再び顔を向けた時、

「あ……あの、―――すいません」

「ん?」

 それまで無言であった少年が自分の手を掴む霊夢に向けて、初めてその口を開いた。

 まだ何かいう事があるのかと思った霊夢は心底面倒くさそうな表情のまま、目だけを少年の方へと向ける。

 彼はそれでも自分の話を聞いてくれると感じたのか、機嫌の悪い犬を撫でるかのように慎重に喋り出した。

「す、すいませんでした…も、もう二度としないから…見逃して下さい、お願いします」

「ふ~ん、そうなんだ。――――そんなこと言いたいのならもう黙っててよ、鬱陶しいから」

 ひ弱そうな彼の口から出た言葉に霊夢はあっさりと冷たい反応で返すと、少年は食い下がるようにして喋り続ける。

「お願いします、どうか見逃して下さい。僕が捕まるとたった一人の家族が…妹がどうなってしまうか分からないんです、だから…」

「――――ほぉ~ん、そういう泣き落としで私に見逃して貰おうってワケね?」

 ゙妹゙という単語に少し反応したのか、霊夢は片眉をピクリと不機嫌そうに動かしつつもバッサリ言ってやった。

 

「確かにアンタの妹さんとやらは可哀想かもね?――――アンタみたいなろくでなしが唯一の家族って事に」

 確かに、概ね同意だわ。――彼女の言葉に内心で同意しつつも、ルイズはほんの少し同情しかけてしまう。

 自分がヴァリエール家末っ子だという事もある。イヤな事もあったが、何だかんだで家族には大事にされてきた。

 だからだろうか、卑怯な手だと思いつつも少年の帰りを待っているであろゔ妹゙という存在を考えて、彼を詰所につれて行くのはどうかと思ってしまったのである。

(でも…ここで見逃したらまた再犯するだろうし、やっばり連れて行った方が良いわよね)

 けれども、家族がいるという情けで助けるよりも法の正義の下に叱ってもらった方が良いとルイズは思っていた。

 下手に見逃せば、今度は取り返しのつかない事になるかもしれないし、幸いにも盗みは未遂に終わっている。

 いくら衛士でもこの年の子供を牢屋にぶち込みはしないだろうし、きっと厳重注意で許してくれるに違いない。

 危うく少年の泣き落としに引っ掛りそうであったルイズは気を取り直すように首を横に振ってから、彼へと話しかけた。

 

「だったら最初からこんな事をしないで、ちゃんとした仕事を見つけた方が妹さんとやらの為じゃないの?」

 それはほんのアドバイス、犯罪で金稼ぎをしようとした子供に対する注意のつもりであった。

 だが、少年にとってはそれが合図となった。――――本気で相手から金を奪う為の。

 

「――――…………良く言うぜ、俺たちの事なんか何も知らないくせに」

「…え?」

「俺とアイツがどれだけ苦労して来たか、知らないくせに…!」

 先ほどまでのオドオドした姿からは利くとは思わなかった、必死にドスを利かせた少年なりの低い声。

 突然のそれに思わず足を止めたルイズが後ろを振り向いた時、彼の左手に握られている゙モノ゙に気が付く。

 

 

 一見すれば細長い木の棒の様に見えるソレは、ハルケギニアでは最も目にする機会が多い道具の一つ。

 ルイズを含めた魔法を使う貴族―――ひいてはメイジにとって命と名誉の次に大事であろう右腕の様な存在。

 彼女の目が可笑しくなっていなければ、少年の左手に握られている者は間違いなく―――杖であった。

 そして、それをいつの間にか手にしていた少年の顔には、自分たちに対する明確な゙やる気゙が見て取れる。

 正にその表情は、街中であったとしてもお前たちを魔法で゙どうにかしでやると決意がハッキリと見て取れた。

 

 レイム!マリサ!…デルフ!最初に気が付いたルイズが、二人と一本へ叫ぶと同時に、少年は呪文を唱えながら杖を振り上げ―――

「ちょっとアンタ、後ろでグチグチうるさ―――――…ッ!?」

『うぉ…マジかよ、ソイツの手を離せレイム!』

 彼の手を握っていた霊夢がその顔にハッキリとした驚愕の表情を浮かべ、デルフの叫びと共に手を放してその場から飛び上がる。

 まるで彼女の周りに重力と言う概念がないくらいに簡単に飛び上がった所を見て、ようやく魔理沙も少年が握る杖に気が付く。

「うわわ…!マジかよ!」

 今にでも振り下ろさんとしているソレを見て霊夢の様な回避は間に合わないと判断し、慌てて後ろへと下がる。

 振り下ろされた時にどれ程の被害が出るかは分からなかったが、しないよりはマシだと判断したのである。

 二人と一本が、時間にして一瞬で回避行動に移ったところでルイズも慌ててその場に伏せると同時に、

 

「『エア・ハンマー』!」

 天高く振り上げた杖を振り下ろすと同時に、少年の周囲を囲むようにして空気の槌が暴れ回った。

 威力はそれ程でもないが、地面や壁どころか何もない空間で乱舞する空気の塊は凶暴以外の何ものでもない。

「きゃ…っ!ちょ、ちょっと何しているの、やめなさい!」

「ったく!相手がメイジだなんて、聞いてないぜ!?」

 少し離れて場面に伏せていたルイズは頭上を掠っていく空気の塊に小さな悲鳴を上げつつ、当たる事がないようにと祈っている。

 対する魔理沙は場所が大通り以上に狭い故に綺麗に避ける事ができず、吹き荒れる風に頭の帽子を吹き飛ばされそうになっていた。

 多少不格好ではあったものの、帽子の両端を手で押さえながらも彼女はギリギリのところで『エア・ハンマー』を避けている。

 

 一方で、デルフと共に上へと逃げ場を求めた霊夢は既にルイズたちのいる路地を見下ろせる建物の屋根に避難していた。

 デルフの警告もあってか一足先に五メイル程上の安全圏まで退避した彼女の右手には御幣、そして左手には鞘に収まったデルフが握られている。

「全く、泣き落としが効かないと感じたら即座に実力行使…ガキのクセに根性据わってるじゃないの」

『まぁ追い詰められた人間ほど厄介なものは無いって聞くしな』

 土埃をまき散らし、空気の槌が暴れ回る路地を見下ろしながらも霊夢はため息交じりにそう言った。

 これからどう動くのかは決めていたし、あの小僧が土煙漂う中でどこにいるのかも分かっている。

『……言っておくが、子供相手に斬りかかるんじゃねぇぞ?』

「安心しなさい。相手が化け物ならともかく、人間ならちゃんと気絶だけで済ませるわ。ただ…」

 骨の一本や二本は覚悟してもらうけどね?そう言って霊夢は、タッ…と屋根の上から飛び降りた。

 狙うは勿論、今現在出鱈目に魔法を連発している少年である。

 自分から働こうとした盗みを咎められたうえで逆上し、こんな事を仕出かすのなら少しお仕置きしてやる必要があった。

 いくら人通りのない場所とはいえすぐ近くには通りを行き交う人々がいる、下手をすればそんな人たちにも危害が及ぶ。

 そうなる前に霊夢が責任もってあの子供を黙らせることにしたのだ、一応は彼を捕まえた当人として。

 

 

 

 飛び降りると同時に左手のルーンが光り出し、ガンダールヴの力が彼女へ戦い方を教えていく。

 どのタイミングでデルフを振り下ろすべきか、瞬時にかつ明確に霊夢の頭へと情報が入ってくる。

(…まだちょっとズレがあるけど、今はそれを言う程暇じゃないわね)

 ワルドと戦った時と比べて然程驚きはしなかったものの、左手から頭の中へ流れ込んでくる情報に多少の違和感を覚えてしまう。 

 土煙の先にいるであろう敵を倒そうと集中する中で、情報は彼女を邪魔しない様に注意を払ってくれている。

 あくまでもルーンは霊夢を主として扱い、彼女の行動を優先しているかのように動いていた。

 

 しかし霊夢にとっては、そのルーンの動き自体に゙違和感゙を覚えていたのである。

 焼印や首輪の様につけられた者の行動を制限する為ではなく、戦い生き残れる力を授けてくれるそのルーンに。

(まぁ今は考えても仕方がないし、それに…今は優先して片付けるべき事があるわ)

 時間にしてほんの一、二秒程度であったが、その一瞬だけでも既に地上にいる少年との距離は三メイルを切っていた。

 地面から舞い上がる土煙と、空間が歪んでしまう程のエア・ハンマーがあの子供の姿を上手いこと隠している。

 この状態でやり直し無理という状況の中、霊夢は鞘に入ったデルフの一撃で少年を止めなくてはならない。

 本当ならもしもの時に持ってきていたお札を使えれば楽だったのだろうが、あのエア・ハンマーの乱舞っぷりでは無駄遣いに終わるだろう。

 ならは御幣と言う選択もあったが、ここは実験の意味も兼ねてデルフを手にしてルーンの力を試したかったのである。

 

 そんな中、突然左手のルーンが明滅して彼女にタイミングを伝え始める。

 タイミングとは勿論、ルーンが光る手にもっているデルフを少年目がけて振り下ろすタイミングの事であった。

 いよいよね?霊夢が左手に力を込めた瞬間、彼女の中の時間が急にスローモーションへと変わっていく。

 地上にいる他の二人をも巻き込んでいた土煙が凝固したかのように固まり、エア・ハンマーとなった歪む空気の塊がすぐ足元で動きを止めていた。

 後もう少し遅ければ今頃あのエア・ハンマーで吹き飛ばされていたのだろうか?冷や汗ものの想像を頭の中から振り払いつつ、霊夢はデルフを振り上げる。

 

『忘れるなよ?しっかり手加減してやる事を』

 綺麗になった刀身と並べられるまで整備され、綺麗になったデルフが自身を振り上げる霊夢へ警告じみた言葉を告げる。

「分かっ―――――てる、わよ…とッ!!」

 そして、しつこく忠告してくる彼に若干苛立ちつつも、霊夢はそれに返事をしながら勢いよくデルフを振り下ろした。

 まずは足元のエア・ハンマーへと接触したデルフは刀身を光らせて、風の魔法で造られた空気の塊を吸収していく。

 その衝撃で飛んでいない状態である霊夢の体が宙へ浮いたものの、それはほんの一瞬であった。

 五秒も経たずにエア・ハンマーを吸収したデルフの勢いは止まることなく、少年が隠れているであろう土煙を容赦なく叩っ斬った。

 

 瞬間、大通りにまで響くほどの派手な音を立てて地面すらカチ割ってしまったのである。

 少年に近づけずにいた魔理沙やルイズ達は何とか事なきを得たが、今度は飛んでくる地面の破片に気を付けねばならなかった。

「きゃあ…!ちょ、レイム…アンタもやりすぎよ!?」

 顔や体に当たりそうな破片から避ける為またもや後ろへ下がるルイズが、派手にやらかした巫女へ愚痴を飛ばす。

 助けてくれたのは良かったものの、せめてもう少し穏便に済ませて欲しかったのである。

 ルイズは良く見ていなかったものの、恐らくデルフで少年を気絶させようとしたものの、それが外れて地面を攻撃したのだと理解していた。

 でなければあんな硬いモノが勢いよく砕けるような音は聞こえないし、もしも少年に当たっていれば大惨事となってしまう。

 

 しかし最悪の事態は何とか回避できたのであろう、晴れてゆく土煙越しの霊夢が悔しそうな表情を浮かべている。

 見た所あの少年の姿は見当たらず、霊夢の凶暴な一撃から何とか逃げる事ができたらしい。

 

 

 

 そして…彼女を中心に地面を罅割ったであろう、鞘に収まったままのデルフを肩に担いだ霊夢は彼に話しかける。

「デルフ…さっきのは手ごたえがなかったわよね?」

『だな。どうやら、上手いことさっきの土煙に紛れて逃げたらしいな』

 どうやら彼女たちも少年が逃げたのには気づいているらしい、霊夢は周囲に警戒しながらも悔しそうな表情を見せていた。

 そんな彼女がド派手な着地を仕出かしてからちょうど二十秒くらいで、今度は魔理沙が口を開く。

 

「全く、お前さんは相変わらず周りの者に対する配慮というのがなってないぜ」

 さっきまで少年のエア・ハンマーで近寄れなかった彼女も、いつもの自分を取り戻して服に付いた土埃を払っている。

 それを見たルイズも、自分の服やスカートに地面から舞い上がった土が付着しているのに気が付き、払い落とし始める。

「随分と物騒な降り方じゃないか、せめて私とルイズを巻き込まない程度で済ましてくれよな?」

「ルイズはともかく、アンタの場合は多少の破片じゃあビビるまでもないでしょうに」

 気を取り直し、帽子に付いた土埃を手で払いのける黒白に冷たい言葉を返しつつ、霊夢は周囲に少年がいないのを確認する。

 デルフの言うとおり、やはり魔法を放ってきた時点でもう逃げる気満々だったのかもしれない。

 それならそれでいいが、仮にも自分の金を盗もうとしてきたのである。お灸の一つくらい据えたいのが正直な気持であった。

 

 だが、自分から消えてくれるのならば無理に深追いするつもりもなかった。

 そこまであの犯罪者に肩入れするつもりはなかったし、何より今優先すべき事は宿探しである。

「さて、邪魔者もいなくなったし…ここから離れて宿探しを再開するとしましょう」

「う、うん…。そうよね、分かったわ…―――――って、アレ?」

 いかにも涼しげな淑女といった風貌で、鞘に入った太刀を肩に担ぐ霊夢の姿はどことなく現実離れしている。

 先ほどの一撃を思い出しつつそんな事を思っていたルイズは―――ふともう一つの違和感に気が付く。

 それは彼女の全体から放つ違和感の中で最も小さく、しかし今の自分たちには絶対にあってはならないものであった。

 

「……ね、ねぇレイム。一つ聞きたい事があるんだけど」

「…?何よ、いきなり目を丸くしちゃって…」

 突然そんな事を言ってきたルイズに首を傾げつつも、霊夢は彼女の次の言葉を待った。

 そして、それから間を置かずに放たれた言葉は何ものにも囚われぬハクレイの巫女を驚愕させたのである。

 

「――――アンタがとりあえずって腰に付けてた金貨入りの袋、ものの見事に無くなってるわよ?」

「え…?それってどういう――――――エぇ…ッ!?」

『うぉお…ッ!?な、何だよイキナリ?』

 

 目を丸くした彼女に指摘され、思わずそちらの方へと目を向けた霊夢は素っ頓狂な声を上げ、その拍子にデルフを投げ捨ててしまう。

 無理もない、何せさっきまでベルトに巻き付けていた袋―――そして中に入っていた金貨が綺麗に無くなっていたからである。

 慌てて足元をグルリと見回し、それでも見つからない現実が受け入れず路地のあちこちへ見てみるが、やはり見つからない。

 音を立てて地面に転がったデルフには見向きもせずに袋を探す霊夢の表情に、焦燥の色が浮かび上がり始めた。

「無い、無い、無い!どういう事なのよ…ッ!」

『あちゃぁ…やったと思ってたらまんまとやられちまったっていうワケか』

 始めてみるであろう霊夢の焦りを目にしたデルフは、瞬時に何が起こったのか察してしまう。

 もしもここで見つからないというのなら、彼女が腰に見せびらかせていた金貨入りの袋は盗まれたというワケである。

 正に彼の言葉通り、やったと思ったらやられていたのだ。あの平民の姿をしたメイジの少年に。

 

 

 

 

「う、ウソでしょ!?だってアイツの手を掴んだ時にはまだあったっていうのに…!」

「れ、レイム…」

 まるで自宅の鍵を排水溝の中に落としてしまった様な絶望感に襲われた霊夢は、今にも泣き出しそうな表情で金貨入りの袋を探している。

 いつもの彼女とはあまりにも違うその姿にルイズは妙な新鮮さと、その彼女から金を盗んだ少年の手際に感服していた。

 何時どのタイミングで盗んだのかは分からないが、少なくとも完全に自分たちの視線を掻い潜って実行したのは事実であろう。

 口に出したら間違いなく目の前で探し物をしている巫女さんに怒られるので、ルイズは心中でただただ感服していた。

「はっははは!あんだけ格好いい降り方しといて…まさかあの博麗霊夢が、お…お金を盗られるとはな…!」

 先程までの格好よさはどこへやら、必死に袋を探す彼女を見て魔理沙は何が可笑しいのか笑いを堪えている。

 まぁ確かに彼女の言う通りなのだが、実際にそれを口にしてしまうのはダメだろう。

「ちょとマリサ、アンタもほんの少しくらいは同情し、な……――――あぁッ!」

 彼女と同じく対岸の火事を見つめている側のルイズは、笑いを堪える魔理沙を咄嗟に咎めようとした時、またもや気づいてしまう。

 派手な一撃をかましてくれた霊夢と、その後の彼女の急変ぶりに気を取られていて、全く気付いていなかったのだ。

 あの少年が来るまで、魔理沙が手に持っていた今一番大切な物が無くなっていることに。

 

「うわ!な、なんだよ…イキナリ大声何か上げてさ」

「え…!?どうしたのルイズ、私のお金が見つかったの?」

 それまでずっと地面と睨みっこしていた霊夢がルイズの叫び声に顔を上げ、魔理沙も思わず驚いてしまう。

 本人はまだ気づいていないのだろうか、でなければ霊夢の事など笑っていられる筈が無いであろう。

 ある意味この中では一番能天気な黒白へ、ルイズは振るえる人差し指を彼女へ向けて言った。

 

「ま、魔理沙…!アンタがさっきまで手に持ってた金貨の入った袋…無くなってるわよ!?」

「え…?うぉおッ!?マジかよ、ヤベェ…ッ!」

 どうやら本当に気づいていなかったらしい。ルイズに指摘されて初めて、彼女は手に持っていた袋が無くなっていることに気が付いた。

 きっと魔理沙も霊夢の登場とその後の行動に目を奪われていたのだろう、慌てて足元に目を向けるその姿に溜め息をついてしまう。

「くっそぉ~…、何処に落としたんだ?多分、あのエアハンマーの時に落としたと思うんだが…」

「何よ?あんだけ私の事バカにしといて、アンタも同じ穴の貉だったじゃないの」

 お金を探す自分の姿を、笑いを堪えて眺めていた魔理沙を見て、霊夢はキッと鋭く睨み付ける。

 何せついさっきま地べた這いずりまわって探し物をしていた自分をバカにしていたのだ、睨むなという方がおかしいだろう。

「うるせぇ。…あぁもう、何処に行ったんだよ、私の三百七十五エキューよぉ~」

 霊夢の鋭い言葉にそう返しながらも、普通の魔法使いもまた地べたを這いずりまわる事となった。

 まだ分からないが、恐らく霊夢に続いて今度は魔理沙までもがスリの被害に遭ってしまった事に流石のルイズも冷や汗を流してしまう。

 

「こ、これはちょっとした一大事ね。まさかついさっきまであった二千エキュー以上が一気に無くなるなんて…」

 公爵家の令嬢と言えども、思わずクラリと倒れてしまいそうな額にルイズの表情は自然と引き攣ってしまう。

 幾らギャンブルで水増ししたとはいえ、流石に二千エキュー以上持ち歩くのはリスクが高過ぎたらしい。

 とはいえ近くに信用できそうな貸し金庫は無く、一番安全とも言える財務庁はここから歩いても大分時間が掛かってしまう。

 あの少年は自分たちが大金を持っている事を知っているワケは無い…とは思うが、彼にとってはとんでもないラッキーだったに違いない。

 …だからといって、このまま大人しく金を盗らせたまま泣き寝入りするというのは納得がいかなかった。

 いくら自分が被害に遭っていなくとも、一応は知り合いである二人のお金が盗られたのである。

 このまま何もしないというのは、公爵家の者として教育されてきたルイズにとって許しがたい事であった。

 

 

 

 とりあえず、まず自分たちがするべきことは通報であろう。暗い路地で金貨入りの袋を探す二人を眺めながらルイズは思った。

 あの少年が盗んでいったのなら、間違いなく常習犯に違いない。それならば衛士隊が指名手配している可能性がある。

 もしそうなら衛士隊はすぐに動いてくれるし、王都の地理や犯罪事情は彼らの方がずっと詳しい。

 ドラゴンケーキの事はパティシエに聞け。――古来から伝わる諺を思い出しつつ、ルイズは次に宿の事を考える。

(いつまでもこんな路地にいるのも何だし、二人には悪いけど今すぐにでも泊まれる所を探さなきゃ…)

 王都の治安はブルドンネ街とチクトンネ街で大きく分けられており、前者は当然夜間でも見回りが行われている。

 しか後者は夜間の方が騒がしい繁華街のうえに旧市街地が隣にある分、治安はすこぶる悪い。

 

 つい数年前には、エルフたちが住まうサハラから流れてきた中毒性の高い薬草が人々の間で出回った事もあった。

 幸いその時には魔法衛士隊と衛士隊の合同摘発で根絶する事はできたものの、あの事件以来チクトンネ街の空気は悪くなってしまった。

 紛争で外国から逃げて来たであろう浮浪者やストリートチルドレンが増加し、国が許可を得ていない賭博店も見つかっている。

 特に、今自分たちがいる場所は二つの街の境目と言う事もあって人の行き来が激しく、深夜帯の事件も良くここで起きると聞いたことがあった。

 だからいつまでもこんな路地にいたら、怪しい暴漢たちに襲われてしまう可能性だってあるのだ。

 最も、自分はともかく今の霊夢と魔理沙に襲い掛かろうとする連中は、すぐさま自分たちの行いを悔いる事になるだろうが。

 

 そんな想像をしながらも、ひとまず金貨の入ったサイドパックへと手を伸ばし始める。

 可哀想だが、ここは二人に盗まれたのだと諦めてもらいすぐに衛士隊へ通報して宿探しをしなければならない。

 それで納得しろとは言わないが、ここは二人にある程度お金を渡して首を縦に振ってもらう必要があった。

 これからの事を考えている間も必死に路地で探し物をしている二人の会話が耳の中に入ってくる。

「魔理沙、もうちょっと照らしなさいよ。アンタのミニ八卦炉ならもっと調節できるでしょうに」

「馬鹿言え、これ以上火力上げたらレーザーになっちまうよ」

 どうやら、魔理沙のあの八角形のマジックアイテムを使って地面を照らしているらしい。

 ほんの少しだけ明るくなっている地面を睨みながら、それでも霊夢は彼女と言い争いを続けながら袋を探していた。

 何だかその姿を見ている内に、これまで見知らぬ異世界で得意気にしてきたあの二人なのかと思わず自分を疑いたくなってしまう。

 

 ルイズは一人ため息をつくと、その二人をここから連れ出す為にサイドパックを手に取ろうとして―――――

「ちょっと、アンタたち!いつまでもここにいた…―――…てっ、て…アレ?」

 ―――スカッ…と指が空気だけに触れていった感触に、思わず彼女は目を丸くして驚いた。

 本当なら、丁度腰のベルト辺りで触っている筈なのだ。――元々自分の私物であったあのサイドパックが。

 まるで霧となって空気中に霧散してしまったかのように、彼女の手はそれを掴むことはなかったのである。

 

 …まさかと思ったルイズが、意を決して腰元へと視線を向けた時、

「…え?えッ?…えぇえぇええええぇぇぇぇぇ!?」

 彼女の口から無意識の絶叫が迸った。絹を裂くどころか窓ガラスすら破壊しかねない程の悲鳴を。

 突然の事に彼女を放ってお金を探していた霊夢たちも慌てて耳を塞いで、ルイズの方へと視線を向けた。

「うっさいわねぇ!人が探し物してる時に…」

「わ、わわわわわわわわたしの…さささ財布…財布…私の、千八百十五エキューがががが…!」

 まるで八つ当たりをするかのように鋭い言葉を浴びせてくる霊夢に、しかしルイズは怒る暇も無く何かを伝えようとしている。

 しかしここに来て彼女の癖であるどもりが来てしまい、言葉が滑らかに口から出なくなってしまう。

 それでも、今になって彼女の腰にあった筈の財布代わりのサイドパックが無くなっているのに気が付き、二人は頭を抱えた。

 

 

「えぇ?マジかよ、まさかルイズまで…」

「あのガキ…やってくれるじゃないの!」

 思わず口を押えて唖然とする魔理沙とは対照的に、霊夢は心の底から怒りが湧き上がってくるのに気が付く。

 家族の為スリだのなんだのでお涙ちょうだいの話しを聞かせてくれた挙句に、逆切れからの魔法連発。

 挙句の果てに自分たちの隙をついてあっさり持っていた金貨を全額盗られてしまったのだ。

 あの博麗霊夢がここまでコケにされて、怒るなと指摘する者は彼女に蹴りまわされても文句は言えないだろう。

 それ程までに、今の霊夢は怒りのあまり激情的になろうとしていたのである。

(相手が妖怪なら、即刻見つけ出して三途の川まで蹴り飛ばしてやれるんだけどなぁ…!)

 怒りのあまりそんな物騒な事を考えている矢先、ふと前の方から声が聞こえてきた。

 

「おーい!そんな路地で何の探し物してるんだよ間抜け共ォ!」

 それは魔理沙でもルイズでも、当然ながら地面に転がるデルフの声ではなかった。

 まるで生意気という概念を凝縮させて、人の形にして発したかのようなまだ幼さが残る少年の声。

 幸いか否か、その声に聞き覚えのあった三人はハッとした表情を浮かべて前方、大通りへと続く道の方へと視線を向けた。

 先ほどデルフで地面を叩いた際の音が大きかったのか、何人かの通行人達がジッと両端から覗いている小さな道。

 娼婦や肉体労働者、更には下級貴族と思しき者まで顔だけを出して覗いている中に、あの少年がいた。

 

 スリを働こうとして失敗したものの、最終的に彼女たちから大金を掠め取った、メイジの少年が。

 最初にあった時と同一人物とは思えぬイヤらしい笑顔を浮かべた彼は、ニヤニヤと笑いながらルイズ達へ話しかける。

「お前らが探してるのは、この金貨の山だろ!?」

 まるで誘っているかのようにワザと大声で叫ぶと、右手に持っていた大きな袋を二、三回大きく揺らして見せた。

 するとどうだろう。少年の両手で抱えられるほどの大きな麻袋から、ジャラ!ジャラ!ジャラ!と派手な音が聞こえてくる。

 それは三人に、あの麻袋の中に相当額の金貨が入っている…という事を教えていた。

 

「アンタ!それ私たちのお金…ッそこで待ってなさい!」

「喜べ!お前らが集めた金は、俺とアイツで有意義に使ってやるから、じゃあな!」

 思わず袋を指さしたルイズが、それを掲げて見せている少年の元へと駆け寄ろうとする。

 しかしそれを察してか、彼は捨て台詞と共に人ごみを押しのけて大通りへとその姿を消していく。

 通りからルイズたちを見ていた群衆も何だ何だと逃げていく少年の背中を見つめている。

 せめて捕まえようとするぐらいの事はしなさいよ。無茶振りな願望を彼らに抱きつつもルイズは大通りへと出ようとする。

 わざわざ向こうから自分たちのお金を盗ったと告白してきてくれたのだ、ならばこちらは捕まえてやるのが道理であろう。

 とはいえ、幾ら運動神経に自信があるルイズと言えど人ごみ多い街中であの少年を追いかけ、捕まえる自信はあまりなかった。

 

(あっちから姿を見せてくれたのは嬉しいけど、私に捕まえられるかしら?) 

 だからといって見逃す気は無いのだから、当然追いかけなければならない。

 選択肢が一切ない状況の中で、ルイズは走りにくい服装で必死に追いかけようとした。―――その時であった。

 だがその前に、彼女の頭上を一つの黒い人影が通過していったのは。

 ルイズは思わず足を止めて顔を上げた時、一人の少女が大通りへ向かって飛んでいくところであった。

 その少女こそ、今のところトリスタニアでは絶対に敵に回してはいけないであろう少女――博麗霊夢である。

 

「待てコラガキッ!アンタの身ぐるみ全部剥いで時計塔に吊るしてやるわ!」

 

 人を守り、魑魅魍魎と戦う巫女さんとはとても思えぬ物騒な事を叫びながら、文字通り路地から飛び出ていく。

 様子を見ていた人々や、最初から興味の無かった通行人たちは路地から飛んできた彼女に驚き、足を止めてしまっている。

 

 

 

 大通りの真ん中、通行人たちの頭上で制止した彼女も少年を見失ったのか、しきりに顔を動かしている。

 そして、先ほど以上に驚嘆している人々の中に必死で逃げるあの男の子を見つけた彼女は、そちらに人差し指を向けて叫んだ。

「……見つけたわよ!待ちなさいッ!!」

「え?…うわっマジかよ、やべぇッ!」

 左手の御幣を見て彼女をメイジと勘違いしたのか、少年は焦りながらすぐ横の路地裏へと逃げ込んだ。

 相手を見つけた霊夢は「逃がさないわよ!」と叫びながら、結構なスピードでルイズの前から飛び去って行く。

 他の人たちと同じように彼女を見上げていたルイズがハッとした表情を浮かべた頃には、時すでに遅しという状況であった。

「ちょ…ちょっとレイム!私とマリサを置いてどこ行くのよ!」

「なーに、アイツが私達を置いていったんならこっちからアイツの方へ行ってやろうぜ」

『だな。オレっち達でアイツより先に、あのガキをとっちめてやろうぜ』

 両手を上げて路地で叫ぶルイズの背後から、今度は魔理沙と置き去りにされたデルフが喋りかけてくる。

 その声に後ろを振り向いた先には…既に宙を浮く箒に腰かけ、デルフを背負った魔理沙がルイズに向かって右手を差し伸べてくれていた。

 彼女と一本の頼もしいその言葉に、ルイズもまた小さく頷いて、差し出しているその手をギュッと握りしめる。

 

「勿論よ!こうなったら、あの子供を牢屋にぶち込むまで徹底的に追い詰めてやるわ!」

「そうこなくっちゃ。罪人にはそれ相応の罰を与えてやらなきゃ反省しないもんだしな」

 自分に倣ってか、気合の入ったルイズの言葉に魔理沙はニヤリと笑いながら彼女を箒に腰かけさせる。

 その一連の動作はまるで、お姫様を自分の白馬に乗せてあげる王子様のようであった。

 

 

 それから約三十分以上が経ち、ようやっと霊夢は少年を再度見つける事が出来た。

 大量の金貨が詰まった思い袋を抱えて走っていた彼の体力は既に限界であり、全力で走ることは出来ない。

 その事を知ってか、御幣の先を眼下にいる少年へと突きつけている彼女は不敵でどこか黒い笑みを浮かべながら彼に話しかけた。

「さてと、いい加減観念なさい。この私を相手に逃げ切ろうだなんて、最初っからやめとけば良かったのよ」

「…くそ!舐めやがって」

 袋を左脇で抱えると右手で杖を持ってみるが、今の状態ではまともな攻撃魔法は使えそうにも無い。 

 精々エアー・ハンマー一発分が限界であり、今詠唱しようにも隙を見せればやられてしまう。

 周囲は二人のやり取りに興味を抱いた群衆で固められており、このまま逃げても背中から羽交い絞めにされて捕まるのは明白であった。

 

(ち――畜生!ここまでは上手い事進んでたってのに、最後の最後でこれかよ)

 八方ふさがりとしか言いようの無い最悪の状況に、少年は心の中で悪態をつく。

 思えば最初に盗むのに失敗しつつも、土煙に紛れてあの少女達から金を盗んだところまでは良かったと少年は思っていた。

 だがしかし、霊夢が自由に空を飛べると知らなかった彼はあれから三十分間散々に逃げ回ったのである。

 狭い路地裏や屋内を通過して何とか空飛ぶ黒髪女を撒こうとした少年であったのだが、彼女相手にはまるで効果が無かった。

 ある程度走って姿が見えなくなり、逃げ切ったと思った次の瞬間にはまるで待っていたかのように上空から現れるのである。

 どんなに走ろうとも、どこへ隠れようとも気づいた時には手遅れで、危うく捕まりそうになった事もあった。

 

 けれども、幸運は決して長続きはしない。既に少年は自分の運を使い切ろうとしていた。

 博麗霊夢という空を飛ぶ程度の能力と、絶対的な勘を持つ妖怪退治専門の巫女さんを相手にした鬼ごっこによって。

 もしもハルケギニアに住んでいない彼女を知る者たちが、少年の逃走劇を見ていたのなら誰もが思うに違いない。

 あの霊夢を相手に、よくもまぁ三十分も走って逃げれるものだな…と。

 

 

「さぁ、遊びは終わりよ?さっさとその袋を足元に投げ捨てて、大人しくブタ箱にでも入ってなさい」

「く、くそぉ…」

 得意気な笑みを浮かべて自分を見下ろす霊夢を前にして、彼はまだ諦めてはいなかった。

 いや、諦めきれない…と言うべきなのか。自分の脇に抱えている、三千エキュー以上もの金貨を。

 

 これだけの額があれば、もうこんな盗みに手を出さなくて済む。

 王都を離れて、捜査の手が届かない所にまで逃げられれば唯一残った幼い家族と平穏に暮らせる。

 小さな家を買うか自分の手で建てて、小さな畑でも作る事ができればもうこんな事をせずに生きる事ができるのだ。

 だから物陰で彼女たちの話を聞き、彼は決意したのである。これを最後の盗みにしようと。

 今まで細々と続けていたスリから足を洗って、残った家族と共に静かな場所で人生をやり直すと。

 

 だからこそ少年は袋と杖を捨てなかった。自分と自分の家族の今後を守る為に。

 今まで見た事の無い得体の知れない金貨の持ち主の一人である少女と、退治する事を決めたのだ。

「こんなところで、今更ここまで来て捕まってたまるかよ…!」

「…まぁそう言うと思ったわ。もう面倒くさいし、ちょっと眠っててもらうわよ?」

 威勢の良い言葉と共に、自分を杖を向ける少年に霊夢はため息を突きながら、左手の御幣を振り上げる。

 杖を向ける少年は一字一句丁寧に呪文を詠唱し、彼と対峙する霊夢は御幣の先へと自信の霊力を流し込んでいく。

 

 周りで見守っている群衆はこれから起こる事を察知した者が何人かいたのであろう。

 上空にいる霊夢と少年の近くにいた人々は一人、二人と距離を取り始めている。

 双方ともに手を止めるつもりも、妥協する気も無い状態で、正念込めた一撃が放たれ様としている最中であった――――

「レイムー!」

「……!」

 空を飛ぶ霊夢の頭上から、自分の名を呼ぶルイズの声が聞こえてきたのは。

 突然の呼びかけに軽く驚き、集中をほんの少し乱された彼女は思わず声のした方へと顔を向けてしまう。

 そしてそれは、地上で呪文を唱えていた少年にとって千載一隅とも言えるチャンスをもたらす事となった。

 発動しようとしていた呪文のスペルを唱え終えた彼は、杖を持つ右手に力を込めて思いっきり振りかぶる。

 この一撃、たった一撃で十歳の頃から続いてきた不幸の連鎖と呪縛を断ち切り、自由となる為に、

 そしてその先にある新しい自由で、自分の支えとなってきた幼い家族と共に幸せな生活を築きたいが為に…。

 

「今までどこ飛んでたのよ、あの黒白は…」

 彼女が声のした方向へ顔を向けると、そこには丁度自分を見下ろせる高度で浮遊している魔理沙とルイズの二人がいた。

 ルイズは魔理沙の箒に腰かけているようで、フワフワと浮く掃除道具に動揺する事無く彼女を見下ろしている。

 この三十分どこで何をしていたのかは知らないが、ルイズはともかく魔理沙の事だろうからきっと自分が追い詰めるまで観察していたのだろう。

 まるで迷路に入れたハツカネズミがゴールまで行く過程を観察するかのように、さぞ面白おかしく見ていたのだろう。

 自分一人だけ使い走りにされてしまった気分になった霊夢は一人呟きつつも、頭上の二人に向けて右腕を振り上げて怒鳴った。

「こらー、アンタ達!一体どこほっつき飛んでたのよ」

「いやぁ悪い悪い、何せ重量オーバーなもんだからさぁ、少し離れた所でお前さんが追いかけてるのを見てたんだよ」

 霊夢の文句に魔理沙がそう答えると、彼女の後ろに引っ付いているルイズもすかさず声を上げた。

 

「私は追いかけてって言ったけど、マリサのヤツがアンタに任せようって言って効かなかったのよ」

 ルイズがそう言った直後、今度は魔理沙が背負っていたデルフがカチャカチャと金属音を立てながら喋り出す。

『そうそう、しんどい事は全部レイムに任せて美味しいところ取りしようぜ!…ってな事も言ってたな』

「あぁ、お前ら裏切ったなぁ~!」

 ここぞとばかりに黒白の悪行を紅白へ伝えるルイズとデルフに、魔理沙はお約束みたいなセリフを呟く。

 明らかな棒読み臭い言葉に霊夢は呆れつつも、何か一言ぐらい言い返してやろうとした直前、背後から物凄い気配を感じた。

 そして同時に思い出す、今自分の背後へと杖を無ていた少年の存在を。

 

「ちょッ―――わぁ!」

 慌てて振り返ると同時に、眼前にまで迫ってきていた空気の塊を避ける事が出来たのは、経験が生きたからであろう。

 幻想郷での弾幕ごっこに慣れた彼女だからこそ、当たる直前に察知した直後に回避する事が出来た。

 汗に濡れたブラウスとスカートがエア・ハンマーに掠り、直前まで彼女がいた場所を空気の槌が通過していく。

 本来当たる筈だった目標に避けられた空気の槌は、決して魔法の無駄撃ちという結果には終わらなかった。

 ギリギリで避けてみせた霊夢とちょうど重なる位置にいた二人と一本へ、少年の放ったエア・ハンマーが勢いをそのまま向かってきたのである。

「げぇッ!?わわわ、わァ!」

『うひゃあ!コイツはキツイやッ』

 自分たちは大丈夫だろうと高を括っていた魔理沙は目を丸くさせて、何とか避けようとは頑張っていた。

 しかしルイズとデルフという積荷を乗せた箒は重たく、いつもみたいにスピードを活かした回避が思うように出来ない。

 それでも何とか直撃だけは回避できたものの、エア・ハンマーが作り出す強風に煽られ、見事バランスを崩してしまったのである。

 箒を操っていた魔理沙は強風で錐揉みしながら墜落していく箒にしがみついたまま、背負ったデルフと一緒にあらぬ方向へと落ちていった。

「ウソッ――――キャッ…アァ!」

「ルイズッ!」

 一方のルイズは魔理沙の気づかぬ間に箒から振り落とされ、王都の上空へとその身を投げ出してしまう。

 上空と言ってもほんの五、六メイルほどであるが、人間が地面に落ちれば簡単に死ねる高度である。

 エア・ハンマーを避けた霊夢が咄嗟に彼女の名を呼び、思わず飛び立とうとするが間に合わない。

 しかし始祖ブリミルは彼女に味方したのか、背中を下に落ちていくルイズは運よく通りの端に置かれた藁束の中へと落ちた。

 ボスン!という気の抜ける音と共に藁が飛び散った後、上半身を起こした彼女はブルブルと頭を横に振って無言の無事を伝える。

 

 魔理沙はともかく、ルイズがほぼ無傷で済んだことに安堵しつつ霊夢はキッと魔法を放った少年を睨み付ける。

 しかし、先ほどまで少年がいた場所にはまるで最初から誰もいなかったのように、彼の姿は消えていた。

 一体どこに…慌てて周囲に視線を向ける彼女の目が、再び人ごみの流れに逆らって走る少年の姿を捉える。

 先ほどのエア・ハンマーが人に当たったおかげで人々の視線も上空へと向けられており、今ならいけると考えたのだろう。

 成程。確かにその企みは上手くいったし、魔理沙にルイズという追っ手も上手い事追い払う事ができている。

 自分の視線も彼女たちへ向いてるし、何より助けに行くだろうから逃げるなら今がチャンスだろうと、そう考えているのかもしれない。

 

「けれど、そうは問屋が卸さないってヤツよ」

 必死に逃げる少年の後姿を睨みつけながら一人呟くと、霊夢はバっと少年へ向かって飛んでいく。

 今の今までは此方が優位だとばかり思っていたが、どうやら相手の方が一枚上手だったらしい。

 こっちが油断していたおかげで魔理沙とルイズは吹っ飛ばされ、挙句の果てにはそのまま逃げようとしている。

 ここまで来るともう子供相手だからと舐めて掛かれば、命すら取られかねないだろう。 

 

 とはいえ、自分が背中を見せて逃げる少年に対して使える手札は少ないと霊夢は感じていた。

 お札を使えば簡単に済むが、周りに通行人がいる以上下手に使えないし、それを考慮すれば針は尚更危険。

 そしてスペルカードなど言わずもがな。ならば使える手札はたった一枚、己の手足とこの世界で手に入れた御幣一本。

「だったら、本気でぶっ叩いてやるまでよ」

 御幣を握る左手に霊力を更に込めて、薄い銀板で造られた紙垂がその霊力で青白く発光する。

 並の妖精ならばたった一撃で゙一回休み゙に追い込める程の霊力を込めて、彼女は逃げる少年を空から追いかける。

 

 見つけた時は既に十メイル以上離されていた距離を、一気に五メイルまで縮めた所で速度を緩める。

 何ならフルスピードで頭をぶっ叩いても良いが、そうなると流石に少年の頭をかち割りかねない。

 窃盗犯を殺して自分が殺人犯になっては本末転倒である。

 だからここは速度を緩めて、しかし御幣を握る手には更に力を込めて少年へと近づく。

 幸い、余程疲労しているであろう彼の足はそれほど速くなく、もはや無理して走っている状況だ。

 必死に走る少年と、それを悠々としかし殺意満々に飛んで追いかける自分の姿を見つめる野次馬たちからも離れられた。

 今こそ絶好のチャンスであろう。ここで気絶させよう、そう思った霊夢が御幣を振りかぶった時、それは起こった。

 

「―――お兄ちゃん!」

「……!」

 ふと少年が走っている方向から聞こえてきた少女の声に、霊夢は振り上げた手を止めてそちらの方を見遣る。

 すると、前方から彼より背丈の小さい茶髪の女の子が拙い足取りで走ってくるのが見えた。

 ルイズよりやや地味な白いブラウスと、これまた茶色の目立たないロングスカートと言う出で立ち。

 その両手には何かを抱えており、それを落とさぬように気を付けつつ必死に走ってくる。

 こんな時に一体誰なのかと霊夢が訝しむと、それを教えてくれるかのように少年が少女の名を叫んだ。

「り、リィリア…!おまっ…何でこんな所に…」

 息も絶え絶えにそう言う少年の言葉から察するに、どうやらあの子がアイツの言っていた妹なのだろう。

 てっきり口から出まかせかと思っていた霊夢も、思わずその気持ちを声として出してしまう。

 

「何?アンタ、アレって嘘じゃなかったのね」

「え?―――うぉわ!何でこんな所にまで来てんだよ…!?」

 どうやら走るのに夢中で追いかける霊夢に気づいていなかったようだ、少年はすぐ後ろにまで来てる彼女を見て驚いてしまう。

 何せ自分の魔法で吹き飛んで行った仲間を助けに行ったかと思いきや、それを無視して追いかけてきているのだ。驚くなという方が無理な話だろう。

「お、お前…!何で助けに行かないんだよ!?おかしいだろッ!」

「生憎様ね~。ルイズはあの後藁束に落ちて助かったし、魔理沙のヤツは何しようがアレなら殆ど無傷だから」

 後デルフは剣だから大丈夫だしね。最後にそう付け加えて、霊夢は止めていた左手の御幣へと再び力を込める。

 それを見ていよいよ「殺られる…!」と察したのか、彼は自分の方へと向かってくる妹に叫ぼうとした。

 

「リィリア!は、早く逃げ――――」

「お兄ちゃん伏せて!!!」

 しかしその叫びは…いきなり自分目がけて飛びかかり、地面に押し倒してきた妹によって遮られた。

 年相応とは思えぬ勢いのあり過ぎる行動に少年はおろか、霊夢でさえも思わず驚いてしまう。

「ちょっと、アンタ何を…―――ッ!」

 予想外過ぎる突然の事に御幣を振り下ろしかけた霊夢が声を掛けようとした直前に、彼女は感じた。

 まさかここで感じるとは思いも寄らなかった、あの刺々しく荒々しい霊力を。

 そして気が付く。タルブで自分たちを手助けしてくれた、あの巫女もどきのそれと同じ霊力がすぐ傍まで来ている事に。

 

 

(気配の元はすぐ近く―――ッ!?でも、どうして…)

 一体何故?こんな時に限って、彼女の霊力をここまで近づいてくるまで自分は気が付かなかったのか。

 こんなに荒く、凶暴な霊力ならばある程度距離が離れていても感知できるはずであった。

 まるで何処かからワープして来たかのように急に感知し、そしてすぐ目の前というべき距離にまで来ている。

 唯でさえ厄介な今に限って、更に厄介なモノが近づいてくるという状況に霊夢が舌打ちしようとした―――その直前であった。

 

 前方、先ほどリィリアという少女が走ってきた場所から刺々しい霊力を感じると共に物凄い音が通りに響き渡った。

 まるで大きな金づちで思いっきり振りかぶって、レンガ造りの壁を粉砕したかのような勢いに任せた破壊の音。

 その音を作り出せるであろう霊力の塊が勢いよく弾ける気配を感じた霊夢は、慌てて顔を上げる。

 だが、その時既に霊夢が『飛んでくる』゙彼女゙を認識し、それを避ける事は事実上不可能であった。

 理由は二つほど挙げられる。一つは飛んでくる゙彼女゙の速度が思いの外かなりあったという事。

 体内から迸る霊力と何らかの手段をもってここまで『飛んできた』であろう彼女は、既に霊夢との距離を二メイルにまで縮めていた。

 ここまで来るとどう体を動かしても霊夢は避ける事ができず、成す術も無く直撃するしか運命はない。 

 

「…ッ!―――痛ゥ…ッ!」

 二つ、それはタルブのアストン伯の屋敷前でも経験したあの痛み。

 始めて彼女と出会った時に感じた頭痛が…再び霊夢の頭の中で生まれ、暴れはじめたのである。

 まるであの時の出来事を思い出させようとするかのように頭が痛み出し、出来る限り回避しようとした彼女の邪魔をしてきたのだ。

 刃物で刺されたかのような鋭い痛みが頭の中を迸り、流石の霊夢もこれには堪らずその場で動きが止まってしまう。

 

 そしてそれが、後もう少しで大捕り物の主役になけかけた霊夢がその座から無念にも滑り落ち、

 本日王都で起きたスリの中でも、最も高額かつ大胆な犯人を取り逃がす羽目となってしまった。

 

(――クソ…ッ――アンタ一体、本当に何なのよ!?)

 痛みで軋む頭を右手で押さえながら、霊夢はすぐ目の前にまで来だ彼女゙を睨みつけながら思った。

 自分よりも濃く長い黒髪。細部は違えど似たような袖の無い巫女服に、行灯袴の意匠を持つ赤いスカート。

 そして自分のそれよりも更にハッキリと光っている黒みがかった赤い目を持つ彼女の姿に、霊夢の頭痛は更にに酷くなっていく。

 不思議な事に時間はゆっくりと進んでおり、あと五秒ほど使って一メイルの距離を進めば゙彼女゙と激突してしまうであろう。

 激しくなる頭痛で意識が刈り取られそうなのにも関わらず冷静に計算できた霊夢は、すぐ近くにまで来だ彼女゙の顔を見ながら思った。

 良く見るど彼女゙も自分を見て「驚いた」と言いたげな表情をしている分、これは偶然の出会いだったのだろう。

 ゙彼女゙がどのような経緯でこの街にいて、どうして自分と空中で激突せるばならないのか?その理由はまでは分からない。

(アンタの顔なんか今まで見たことないし、初対面…なのかもしれないっていう、のに…だというのに―――)

 

 

―――――何でこうも、私と姿が被っちゃってるのよ? 

 最後に心中で呟こうとした霊夢は、その前に勢いよく真正面から飛んできた彼女―――ハクレイと見事に激突する。

 激しい頭痛と合わせて頭へ響くその強い衝撃を前にして、彼女の意識はプッツリと途絶えた。



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第八十六話

 それは、少年の放ったエア・ハンマーで魔理沙とルイズが吹き飛ばされる五分前の事。

 彼女たちと同じくしてカトレアから貰ったお小遣いを見知らぬ少女に全額盗まれたハクレイは、その子を追っていた。

 広場で偶然にも出会った女の子に盗られたソレを取り返すために、彼女はあれから王都を走り回っていたのである。

 最初に盗まれたと気づいた時には、追いかけようにも人ごみに足を阻まれて思うように進むことが出来なかった。

 少女の方もそれを意識してか、体の大きい彼女には容易に通り抜けられない人ごみに混じって追ってくる彼女を何度も撒こうとした。

 幸い運だけはある程度良かったのか、 ハクレイは必死に足を動かしたり通りの端を歩くなどして少女を追いかけ続けていた。

 二人して終わらぬ鬼ごっこのような追いかけっこを延々と、されど走ってないが故に大した疲労もせずに続けていた。

 

「こらぁ~…はぁ、はぁ…!ちょっと、待って、待ちなさい!」 

 そして追いかけ続けてから早数時間。大地を照らす太陽が傾き、昇ってくる双月がハッキリ見えるようになってきた時間帯。

 人ごみと言う人ごみを逆走し、体力的にも精神的にもそろそろ疲れ始めてきたハクレイはまたも人ごみを押しのけていた。

 一分前に再び女の子の姿を見つけた彼女は、いい加減うんざりしてきた人ごみを押しのけながら歩いていく。

 幸い周りの通行人たちと比べて身長もよく、女性にしては程々に体格が良いせいか容易に流れに逆らう事ができる。

 しかし少女も頭を使うもので、ようやっとハクレイが人ごみを抜けるという所でUターンして、もう一度人ごみに紛れる事もあった。

 だがハクレイもハクレイで背が高い分すぐに周囲を見回して、逃げようとする少女を見つけてしまう。

 

 正にいたちごっことしか言いようの無い追いかけっこを、陽が暮れても続けていた。

 周りの通行人たちの内何人かが何だ何だと二人を一瞥する事はあったが、深入りするようなことはしてこない。

 少女とって幸いなのは、そのおかげでこの街では最も厄介な衛士に追われずに済んでいた。

 彼女にとって衛士とは恐ろしく足が速く、犯罪者には子供であってもあまり容赦しない畏怖すべき存在。

 だから追いかけてくる女性の声で気づかれぬよう、雑音と人が多い通りばかりを使って彼女は逃げ続けていた。

 しかし彼女も相当しぶとく、今に至るまであと一歩で撒けるという瞬間に見つかって今なお追いかけ続けられている。

 

 一体どれほどの体力を有しているのだろうか、そろそろ棒になりかけている自分の足へと負荷を掛けながら少女は思った。

 両手に抱えたサイドパック。あの女性が持っていたこのパックには大量の金貨が入っていた。

 これだけあれば美味しいパンやお肉、野菜や魚が沢山買えて、美味しい料理を沢山作れる。

 いつも硬くなって値段が落ちたパンに、干し肉や干し魚ばかり食べているじ唯一の家族゙にそういうものを食べさせてあげたい。

 毎日毎日、何処かからお金を持ってきてそれを必死に溜めている゙唯一の家族゙と一緒に、ご飯を食べたい。

 

 だから彼女は今日、その家族と同じ方法でお金を手に入れたのだ。

 自分たちの幸せを得る為に『マヌケ』な人が持っているお金を手に入れ、自分たちのモノにする。

 少女は知らなかった。世間一般ではその行為が『窃盗』や『スリ』という犯罪行為だという事が。

 

「待っててね、お兄ちゃん…!『マヌケ』な女の人から貰ったお金で、美味しい手料理を作ってあげるからね!」

 自らの犯した罪を知らずに少女は微笑みながら走る、逃げ切った先にある唯一の家族である兄との夕食を夢見て。

 

 

「あぁ~もぉ!あの子とニナはいい勝負するんじゃないかしら…!」

 その一方で、ハクレイは延々と続いている追いかけっこをどうやって終わらせられるのか考えようとしていた。

 追えども追えどもあと一歩の所で手が届かず、かといって見逃す何てもってのほかで追い続けて早数時間。

 いい加減あの子を捕まえて財布を取り戻した後で、軽く叱るかどうかしてやりたいのが彼女の願いであった。

 しかし少女は自分よりもこの街の事に詳しいのだろう、迷う素振りを見せる事無くあぁして逃げ続けている。

 本当ならすぐにでも追いつけられる。しかしここトリスタニアの狭い通りと明らかにそれと不釣り合いな人ごみがそれを邪魔していた。

 しかも日が落ちていく度に通りはどんどん狭くなっていき、その都度少女の姿を見失う時間も増えている。

 

(普通に走って追いつくのが駄目なら、何か別の方法でも見つけないと……ん!)

 心の中ではそう思っていても、それがすぐに思いつくわけでもない。

 一体このイタチごっこがいつまで続くのかと考えていたハクレイは、ふと前を走る少女が横道にそれたのを確認した。

 恐らく他の通行人たちで狭くなり続けている通りを抜けて、人のいない路地から一気に逃げようとしているのだろうか?

(…ひょっとすると、今ならスグにでも捕まえられるかも?)

「ちょっと、御免なさい!道を空けて貰うわよ」

「ん?あぁ、おい…イテテ、乱暴に押すなよテメェ!」

 咄嗟にこれを好機とみた彼女は前を邪魔する通行人たちを押しのけて、少女が入っていった路地の入口を目指す。

 途中自分のペースで自由気ままに歩いていた一人の若者が文句を上げてきたが、それを無視して彼女は少女の後を追おうとする。

「コラ!いい加減観ね――――ング…ッ!!」

 しかし。いざそこへ入らんとした彼女の顔に、子供でも両手に抱えられる程の小さな樽がぶつかり、

 情けない悲鳴とも呻きにも聞こえる声を上げて、そのまま勢いよく地面へ仰向けに倒れてしまう。

 

「うぉ…っな、何だよ…何で樽が?」

 先ほど彼女に押しのけられ、怒鳴っていた若者はその女性の顔にぶつかった樽を見て驚いていた。

 幸い樽の方は空であったものの、それでも目の前の黒髪の女性――ーハクレイには大分大きなダメージを与えたらしい。

 目を回して仰向けになっている彼女にどう接すればいいのか分からず、他者を含めた何人かの通行人が足を止めてしまう。

 その時、樽を投げた張本人である少女が路地から顔を出し、ハクレイが気絶しているのを確認してから再び通りへと躍り出る。

 最初こそハクレイの読み通り、路地から逃げようとした少女であったが、道の端に置かれていた小さな樽を見て即座に思いついたのだ。 

 ここで不意の一撃を与えて気絶させるなりすれば、上手く逃げ切れるのではないのかと。

 

 そして彼女の予想通り、投げられた樽で地面に倒れたハクレイが起き上がる気配はない。

(ちょっとやりすぎだったかも…ごめんね)

 樽は流石にまずかったのか?そんな罪悪感を抱きつつも少女は何とかこの場から離れとようとしていた。

 ハクレイとの距離はどんどん伸びていく。四メイル、五メイル、六メイル…。

 倒れたハクレイを気遣う者達とそうではない通行人たちの間を縫うように歩き、距離を盗ろうとする。

 しかし少女は知らなかった。ハクレイは決して気絶していたワケではないという事を。

 

 

 

(うぅ~ちくしょぉ~!中々やるじゃないの、あの子供ぉ…) 

 思いっきり樽をぶつけられた彼女は、あまりの痛さとこれまで蓄積していた疲労で立とうにも立てずにいた。

 重苦しい気だるさが全身を襲い、下手に気を緩めてしまえば今にも気絶してしまう程である。

 それでもカトレアが渡してくれたお金を取り戻すのと、それを盗んだ女の子を止めなければいけないという使命感で、

 辛うじて気絶するのは避けられたものの、そこから後の行動ができずにいるという状態であった。

 

 そういうワケで身動きが取れないでいる彼女は、ふと自分の耳に大勢の人たちがざわめく声が入って来るのに気が付く。

(でも、何だか騒がしいわね?野次馬が周りにいるのかしら)

 目を瞑っているせいで周りの状況が良く分からないが、そのざわめきから多くの人が囲んでいるのだろうと推測する。

 無理もない、何せ街中で幼女に樽を投げつけられて気絶した女はきっと自分が初めてなのだろうから。

 きっとここから目を開けて、何とか立ち上がって追いかけようとしても恐らく間に合いはしないだろう。

 あの意外にも頭が回る少女の事だ。今が好機と見て残った力で逃げ切ろうとしているに違いない。

 彼女にとって、それはあまりにも歯痒かった。カトレアの行為を無駄にし、あまつさえ見知らぬ少女の手を前科で汚させてしまう。

 もっと自分がしっかりしていれば、きっとこんな事にはならなかった筈だというのに…。

 

(せめて、せめて一気に距離を詰めれる魔法みたいな゙何か゛があれば…――――ん?)

―――――めね、全然だめよ。貴女ってはいつもそうね

 無力感と悔しさの二重苦に直面したハクレイはこの時、野次馬たちのそれとは全く別の『声』耳にした。

 それは外から耳が広う野次馬たちのざわめきとは違い、彼女の頭の中で直接響くようにして聞こえている。

(何、何なのこの声は?)

――――――昨日も言ったでしょう?霊力はそうやってただぶつける為の凶器じゃないの

 性別は一瞬訊いただけでもすぐに分かる程女性の声であり、声色から何かに呆れている様子が想像できてしまう。

 そして、ハクレイはこの声に『聞き覚えがあった』。カトレアでもニナのものでもない女性の声を、彼女は知っていたのである。

(何が何だか分からないけど…知ってる!私はこの声を何時か…どこかで聞いたことが…)

――――霊力にも様々な形があるけど、貴女の場合それは攻撃にも防御にも、そして移動にも利用できるのよ。俗に言う器用貧乏ってヤツよ?

 声の主はまるで覚えの悪い生徒へ指導する教師の様に、同じ単語を話の中に何度も混ぜながら何かを説明している。

 そして奇遇にもその単語―――『霊力』がどういう風に書き、用いる言葉なのかも。彼女は知っていたのだ。

 

(一体、これはどういう……――――!)

 突如自分の身に起き始めた異変に困惑しようとした直前、ハクレイの頭の中を何かが奔り抜けた。

 まるで電撃の様に目にも止まらぬ速さで、そして忘れられない程の衝撃が彼女の脳内を一瞬の間で刺激する。

 それは彼女の脳を刺激し、思い出させようとしていた。―――今の彼女が忘却してしまったであろう知識の一つを。

(何…これ…!頭の中で、何かが…゙設計図のような何か゛が完成していくわ…!)

 突然の事に身動き一つできず、ただ耐える事しかできないハクレイの脳内に、再び女性の声が響き渡る。

 

――――貴女の霊力の質なら、きっと地面を蹴り飛ばしてジャンプしたり壁に貼り付くなんて事は造作ないと思うわ。

 ――――ただ大事なのはやり方よ?足が着いている場所に霊力を流し込むイメージをするの。そう…思い浮かべてみるのよ?

 

 その長ったらしい説明の直後、気を失いかけた彼女は永らく忘れていた知識の一つを取り戻す事が出来た。

 先ほど自分が欲しいと願っていた、一気に距離を詰められる魔法の様な知識を。

 

 

「ん―――んぅ…」

「お、うぉわ!」

 集まってきた野次馬に混じってハクレイを間近で見ていた若者は、彼女が急に目を覚ました事に驚いてしまう。

 それで急ぎ後ずさった彼を合図に彼女がムクリと上半身を起こすと、他の者達も一様にざわめき始めた。

 何せてっきり気を失ったと思っていた女性が急に目を開けて、何事も無かったかのように体を起こしたからである。

 そんな思いでざわめく群衆を無視しつつ、ブルブルと頭を横に振るハクレイはあの少女が何処へいったのか確認しようとした。

 当然ながら近くに姿は見えない。恐らく自分を囲んでいる群衆に紛れて逃げようとしているのか、あるいは既に…

 

「ま、どっちにしろ手ぶらじゃあ帰れないわよね」

 一人呟いた後で腰に力を入れて、スクッと先ほどまで倒れていたのが嘘の様に立ち上がることができた。

 さっきまであんなに疲れていたというのに、その疲労の半分が体から消え去っていたのである。

 何故なのかは彼女にも分からない。何か見えない力でも働いたのか、それともあの謎の声が関係しているのか…

 色々と考えるべきことはあったが、今からするべき事を思えば横に置いてもいい事であった。

 周りにいる人々が何だ何だとざわつく中、彼女に肩をぶつけられて怒っていた若者が困惑気味に話しかけてくる。

 

「あ、アンタ大丈夫か…?さっき女の子にアンタの顔ぐらいの大きさがある樽をぶつけられてたが…」

「ん…心配してくれてるの?まぁそっちはそっちで痛いけど大丈夫よ。それよりも、私の近くに女の子が一人いなかった?」

「え…えっと?あぁ、そういや確か…アンタに樽ぶつけた後にあっちの通りへ走っていったが」

 てっきり怒って来るのかと思っていた彼女は少しだけ目を丸くしつつも、自分のすぐ近くにいた彼へ女の子を見なかったかと聞いてみる。

 その質問に最初は数回瞬きした若者は困惑しつつも、ハクレイの背後を指さしてそう言った。

 やはり自分が気を失っている間に逃げる算段だったようだ、彼女はため息をつきつつも若者が指さす方向へと身体を向ける。

 案の定少女が通って行ったであろう通りは人で溢れてしまっており、今から走っても見つけるのは無理に近いだろう。

 

「あちゃぁ~…やっぱり逃げられたかぁ。…ていうか、今からでも追いつけるかしら?」

「追いつけるって、さっきの女の子をか?」

「他に誰がいるのよ。…ともかく、どこまで逃げたのかは知らないけれど…」

 まずは一気に詰めなきゃね。そう言ってハクレイはその場で軽く身構え、体の中で霊力を練り始めた。 

 周囲の喧騒をよそ丹田から脚へと流れていく力を、地面と同化させるように足の指先にまで流し込んでしまう。

 やがて下半身を中心に彼女の霊力が全身に行きわたり、その体に常人以上の活力で満たされていく。

 彼女は段々と『思い出し』ていく。それが何時だったかはまだ忘れたままだが、かつて今と同じように事をしていたという事を。

 

(不思議な感じたけど、こうやって身構えて…霊力を溜めるのって懐かしい感じがするわね)

 まだ見覚えの無い懐かしさに疑問を抱きながらも、ハクレイの全身に霊力が回りきる。

 そして…さぁこれからという所で彼女は背後の若者へと顔を向け、話しかけた。

「あ、そうだ…そこのアンタ。ちょっと後ろへ下がっといたほうが良いかもよ?」

「は?後ろに下がれって…なんでだよ」

「何でって…そりゃ、アンタ――――――」

 

 ――――今から軽く『跳ぶ』為よ。

 そう言って彼女は若者へ涼しげな表情を向けながら言った。

 

 

「―――…った、やった!逃げ切れた…!」

 サイドパックを両手で抱えて走る少女は、人ごみの中を走りながら自らの勝利を確信していた。

 あの路地に逃げようとした矢先に見つけた樽が、思いの外この状況を切り抜けるカギになったらしい。

 現に投げ飛ばしたアレが顔に直撃し、道のド真ん中で倒れた黒髪の女性は追いかけて来ない。

 それが幼い少女に勝利を確信させ、疲れ切った両足に兄の元へ帰れるだけの活力となった。

「待っててお兄ちゃん…!すぐにアタシも帰るからね…」

 はにかんだ笑顔で息せき切りながら、少女はトリスタニアに作った『今の家』までの帰路を走る。

 柔らかいそうな顔を汗まみれにして、必死に足を動かす彼女を見て何人かが思わず見遣ってしまう。

 

 永遠に続くかと思われた人ごみであったが、終わりは急に訪れる。

 大人たちのの間を縫って通りを走っていた少女は、街の広場へと入った。

 王都に幾つか点在する内一つである広場は、すぐ後ろにある通りと比べればあまりにも人が少ない。

 日中ならまだしも、この時間帯と時期は男や若者たちは皆酒場に行くものである。

 現に夜風で涼もうとやってきている老人や、中央にある噴水の傍でお喋りをしている平民の女性たちしか目立つ人影はない。

 確かに、こう人の少ないところは涼むだけにはもってこいの場所だろう。女や酒を期待しなければ。

 

「あ、通り…そうか。抜けれたんだ…」

 まるで樹海の中から脱出してきたかのような言葉を呟きながら、少女は肩で息をしながら近くのベンチへと腰かける。

 このまま『今の家』に帰る予定であったが、追っ手がいなくなったのと落ち着いて休める場所があったという事に体が安心してしまっていた。

 先ほどまでは何時あの女性が追いかけてくるかと言う緊張感に苛まれて逃げていた為に、幼い体に鞭打っていたのである。

 けれども、今は誰も追ってこないし、落ち着ける場所もある。それが彼女の緊張感をほぐしてしまったのだ。

「ちょっと、ちょっとだけ…ちょっとだけ休んだら、お家に戻ろうかな…ふぅ?」

 ベンチの背もたれに背中を預けながら、少女は暗くなる空へ向かって独り言をつぶやく。

 肩で呼吸をつづけながら肺の中に溜まった空気を入れ替えて、夜風で多少は冷えた夏の空気を取り込んでいく。

 

 薄らと見え始めている双月を見上げながら、彼女は今になってある種の達成感を得ていた。

 各地を転々と旅しつつも、お金が無くなった時は兄がいつも新しいお金を取ってきてくれる。

 自分も手伝いたいと伝えても、兄は「お前には無理だ、関わらなくても良い!」といつも口を酸っぱくして言っていた。

 でも、これで兄も認めてくれるに違いない。自分にも兄のお手伝いができるという事を。

 未だ両手の中にある金貨入りのサイドパックを愛おしげに撫でて、兄に褒められる所を想像しようとした―――その時であった。

 つい先ほど彼女が走ってきた通りから、物凄い音とそれに続くようにして人々の驚く声が聞こえてきたのは。

 まるで硬い岩の様な何かを思い切り殴りつけた様な音に、少女がハッとして後ろを振り返った瞬間、彼女は見た。

 

 通りを行き交う人々の頭上を飛び越えてくる、あの黒髪の女性―――ハクレイの姿を。

 ロングブーツを履いた両足が青白く光り、あの黒みがかった赤い瞳で自分を睨みつけながら迫ってくる。

 自分たちの頭上を飛び越えていくその女性の姿に人々は皆驚嘆し、とっさに大声を上げてしまう者もチラホラといる。

 少女は驚きのあまり目を見開き、咄嗟に大声を上げようとした口を両手で押さえてしまう。

「ちょ、何アレ!?」

「こっちに跳んでくるわ!」

 

 噴水の近くにいた女たちが飛んでくるハクレイに黄色い叫び声を上げて広場から逃げていく。

 お年寄りたちも同じような反応を見せたものがいたが、何人かはそれでも逃げようとはしなかった。

 三者三様の反応を見せる中で、勢いよく跳んできたハクレイは少女のいる広場へと降り立った。

 青く妖しく光るブーツの底と地面から火花が飛び散り、そのまま一メイルほど滑っていく。

 これには跳んだハクレイ自信も想定していなかったのか、何とか倒れまいとバランスを取るのに四苦八苦する。

「おっ…わわわ…っと!」

 まるで喜劇の様に両腕を振り回した彼女は無様に倒れる事無く、無事に着地を終えた。

 周囲と通りからその光景を見ていた人々が何だ何だとざわめきながら、何人かが広場へと入ってくる。

 彼らの目には、きっと彼女の今の行為が大道芸か何かに見えているに違いない。

 

「…すげー、今の見た?あっこからここまで五メイルくらいあったぞ」

「魔法?にしては、杖もマントも無いし…マジックアイテムで飛んだとか?」

「さっきまで光ってたあのブーツがそうかな?だとしたら、俺も一足欲しいかも…」

「っていうかあの姉ちゃん、スゲー美人じゃね?」

 暇を持て余している若者たち数人がやんややんやと騒いでいるのを背中で聞きつつ、少女は逃げようとしていた。

 今、自分が息せき切って走ってきた距離を一っ跳びで超えてきたハクレイは、自分に背中を向けている。

 だとすれば逃げるチャンスは今しかない。急いで踵を返して、もう一度人ごみに紛れればチャンスは…。

 そんな事を考えつつも、若者たちが騒いでいる後ろへ後ずさろうとした少女であったが―――幸運は二度も続かなかった。

 

「ふぅ~…こんな感じだったかしらねぇ?何かまだ違和感があるけど――――さて、お嬢ちゃん」

「…ッ!」

 一人呟きながら自分の足を触っていたハクレイはスッと後ろを振り返り、逃げようとしていた少女へ話しかける。

 突然の振り返りと呼びかけに少女は足を止めてしまい、騒いでいた若者達や周囲の人々も彼女を見遣ってしまう。

 相手の動きが止まったのを確認したハクレイは、キッと少女を睨みつけながらも優しい口調で喋りかける。

「お互い、もう終わりにしましょう。貴女だって疲れてるでしょう?私も結構疲れてるし…ね?」

「で、でも…」

 相手からの降伏勧告に少女は首を横に振り、ハクレイはため息をつきながらも彼女の傍まで歩いていく。

 そして少女の傍で足を止めるとそこで片膝をつき、相手と同等の目線になって喋り続ける。

「私は単に、貴女が私から盗んだモノを返してくれればいいの。それだけよ、他には何もしない」

「…他にも?」

「そうよ。貴女がやったことは…まぁ『犯罪』なんだけど、私は貴女を付き出したりしないわ」

 本当よ?そう言ってハクレイは唖然とする少女の前に右手を差し出して見せる。

 周囲にいて話を聞いていた人々の何人かが、何となくこの二人が今どういった状況にいるのか察する事ができた。 

 

 大方、この女性から財布か何かを盗んだであろう少女を諭して、盗られたモノを取り返そうとしているのだろう。

 王都は比較的治安が良いが、だからといって犯罪が一つも起こらないなんて事は無い。

 大抵は盗賊崩れや生活に困窮している平民、珍しいときは身寄りのいない子供や貴族崩れのメイジまで、

 様々な人間が大小の犯罪に手を染めて、その殆どが街の衛士隊によってしょっぴかれてきた。

 中には目の前にいる少女の様な子供まで衛士隊に連れて行かれる光景を目にした者も、この中には何人かいる。

 残酷だと思われるが、犯罪で手を汚ししてしまった以上はたとえ子供であっても小さい内から大目玉を喰らわせなければいけない。

 痛い目を見ずに注意だけで済ましてしまえば、十年後にはその子供が凶悪な犯罪者になっている可能性もあるのだから。

 

 そう親兄弟から教えられてきた人たちは、どこかもどかしい気持ちでハクレイと少女のやりとりを見つめていた。

「なぁ…あの女の人、衛士呼ばないのかねぇ?物盗りなんだろ?」

「物盗りといってもまだまだ幼いじゃないか、ここでちゃんと諭してやれば手を洗うだろうさ」

「甘いなぁお前さん、そんなに甘い性格してる月の出ない夜に財布をスラれちまうぜ!」

「でもいくら犯罪者だとしても、あんな小さい子を衛士に突き出すってのは少し気が引けちゃうよ…」

 少女に詰めよるハクレイを少し離れた位置から眺める人々は、勝手に話し合いを始めていた。

 幾ら犯罪者には厳しくしろと教わられても、流石にあの少女ほどの子供を牢屋に閉じ込めるのはどうかと思う者達もいる。

 そういう考えの者達と犯罪者には鉄槌を、という者達との間で論争が起こるのは必然的とも言えた。

 さて、そんな彼らを余所に少女はハクレイの口から出た、ある一つの単語に首を傾げていた。

 

「犯…罪?何それ…」 

 まるで他人のお金を取る事を悪い事だとは思っていないその様子に、ハクレイは苦笑いしながら彼女に説明していく。

「う~ん…何て言うかな、そう…私の財布ごと何処かへ持っていこうとした事が…その犯罪っていう行為なのよ?」

「え?でも…お兄ちゃんが言ってたよ。僕たちが生きるためには金を持ってる奴から取っていかないと――って…」

「お兄ちゃん…。貴女、他にも家族がいるの?」

 思いも寄らぬ兄の存在を知ったハクレイがそう聞いてみると、少女はもう一度コクリと頷く。

 彼女が口にした言葉にハクレイはやれやれと首を横に振り、何ゆえに少女が窃盗を悪と思っていないのか理解する。

 恐らく彼女の兄…とやらは何らかの理由で窃盗を稼業としていだろう。この娘がそれを、普通の事だと認識してしまうくらいに。

 あくまで推測でしかないがもしそうなら自分の財布を返してもらい、見逃したとしても根本的な解決にはならない。

 日を改めた後に、また何処かで盗みを働いてしまうに違いない。そして行く行くは、別の誰かの手によって……

 

 そこまで想像したところでハクレイはその想像を脳内から振り払い、少女の顔をじっと見つめる。

 自分を見つめるその顔には罪悪感など微塵も浮かんでおらず、まるで磨かれたばかりの真珠のように純粋で綺麗な眼。

 ここで財布を取り返して逃がしたとしても、罪悪感を感じていなければまたどこかで同じ過ちを繰り返してしまうだろう。

 きっとカトレアなら、ここでこの娘とお別れする事はない筈だと…そんな思い抱きながら、ハクレイは少女に話しかける。

「ねぇ貴女、もし良かったら私をお兄さんのいる所へ案内してくれないかしら?」

「え…お兄ちゃんの…私達が『今いる』ところへ?」

 何故か目を丸くして驚く少女に、ハクレイはえぇと頷いて彼女の返事を待った。

 もしここにカトレアがいたのなら、少女が何の罪悪感も無しに罪を犯すきっかけとなった兄を諭していたかもしれない。

 例えそれがエゴだとしても…いつかは破綻する生活から助け出すために、きっと説得をしに行くに違いないだろう。

 

 半ばカトレアを美化(?)していたハクレイは、ふと少女が丸くなった目で自分を凝視しているのに気が付いた。

 一体どうしたのかと訝しもうとした直前、少女はその体を震わせながらハクレイへと話しかける。

「わ、私達をどうするの?お兄ちゃんと私を、どうしようっていうの…?」

「…?別にどうもしない。ただ、ちょっとだけアナタのお兄さんと話がしたいだけよ」

 急な質問の意図がイマイチ分からぬままハクレイはそう答えると、突き出していた右手をスッと下ろす。

 しかし、それを聞いた少女の表情は次第に強張っていき、一歩二歩…と僅かに後ろへ後ずさり始める。

 それを見たハクレイはやはり警戒されているのかと思いながらも、尚も諦める事無く彼女へ語りかけた。

 

「逃げなくてもいいのよ?本当に、私は『何もしない』わ…ただ、アナタのお兄さんに盗みをやめるよう説得したいだけなの」

「…!」

 何がいけなかったのか、彼女の説得に今度は身を小さく竦ませた少女が大きく後ずさる。

 その様子を見て若干流石のハクレイでも理解し始める。彼女が自分におびえているという事に。

 下がった先にいた一人の野次馬がおっと…!と声を上げて横へどき、急に様子が変わった少女を大人たちが不思議そうな目で見つめる。

 

 少女を見つめる者たちの何人かがこう思っていた。一体この少女は、何を怯えているのかと。

 彼女の前にいる黒髪の女性は酷く優しく、その様子と喋り方だけでも衛士に突き出す気は端から無いと分かる。

 しかし少女は怯えていた。まるで女性の背後に、幽霊が佇んでいるのに気が付いているかの様に。

 ただの通りすがりであり、少女との接点が無い周りの大人たちは少女が何に怯えているのかまでは知らなかった。

 そして少女に財布を盗られ、ここまで追いかけて来たハクレイも彼女が何故自分を怖れているのかまでは理解できずにいる。

 ―――しかし、ハクレイを含めだ大人゙たちには、決してその怯えの根源が何なのかを知ることは出来ないであろう。

 何故なら、少女が何よりも怖れていたのは…『何もしない』と言い張る大人なのであるから。

 

 かつて少女は兄に教わった、自分たちの天敵が大人であるという事を。

 自分たちが生きていくうえで最も警戒すべき存在であり、出し抜いていかなければいけない相手なのだと。

―――良いか?大人を信用するなよ。アイツらは意地汚くて狡猾で、俺たちを子供だからっていつも下に見てるんだ!

――――俺とお前だけで生きているのがバレたら、大人たちは必ず俺たちを離れ離れにしようとするに違いない。

―――――特に、俺たちが孤児だと勘づいて親切にしてくる大人には絶対気を許すな!

――――――そういう奴こそ「大丈夫、『何もしない』よ」と言いながら、俺とお前を適当な孤児院にぶちこもうとするんだ!

 

――――もしそういう大人に出会ったら、お前も腰にさした『ソレ』を引き抜いて戦うんだ!

―――――俺たちは決して弱者なんかじゃない!舐めるなよっ!…という意思を込めて、呪文を唱えろ!

 

 脳裏によぎる兄から聞かされたその言葉が少女に恐怖を芽生えさせ、右手が懐へと伸びていく。

 そうだね大人は敵なんだ。こうやって優しい言葉で自分たちを騙して、離れ離れにさせようとする。

 決めつけとも、大人を知らぬ子供のエゴとも取れるその考えに支配された彼女には、これから起こす事を自分では止められない。

 ただ、守りたいがゆえに…この一年間兄に守られ共に暮らしてきた少女にとって、唯一の家族であり頼れる存在でもあった。

 それを何の気なしに奪おうとする大人たちとは戦わなければいけない。例えそれが、見た事ない力を使う女の人であっても。

 

「ちょっと、どうしたのよ?そんなに怯えた顔して…」

 そんな少女の決意がイマイチ分からぬまま、ハクレイは怪訝な表情を浮かべて少女に話しかける。

 少女の背後にいる群衆も互いの顔を見合わせながら、少女が何をしようとしているのか気になってはいた。

 そして…この場に居る大人たちが彼女が何をしようととしているのか分からぬまま、少女はついに動き出す。

 大事な家族を守る為、これからも続けていきたい二人の生活を明日へ繋ぐためにも、彼女は一本の『ソレ』を懐から取り出し、天に掲げる。

 『ソレ』はこのハルケギニアにおいて最も目にするであろう道具であり、今日までの世界を築き上げてきた力の象徴。

 同時に、平民たちにとっては最強の力であり、畏怖するべき貴族たちが命よりも大事と豪語する―――…一振りの杖である。

 

 後ろにいた観衆に混ざり込んだ誰かが、少女が天に掲げた杖を見た小さな悲鳴を上げる。

 誰かが「あのガキ、メイジだ!」と怒鳴ると、少女を囲んでいた平民たちは慌てて距離を取り始めた。

 正に「美しい花には棘がある」という諺そのものだ、あんな小さな子がメイジだったとは誰もが思っていなかったのだろう。

 例えどんなに小さくとも、杖を持っていて魔法を唱えられるのなら大の大人であっても簡単にねじ伏せてしまう。

 魔法の恐ろしさを十分に知っている彼らだからこそ、杖を見たとたんに後ろへ下がれたのだろう。

 

 一方で、少女から最も近いところにいるハクレイは周囲の反応と杖を見てすぐに少女がメイジなのだと理解していた。

 まさかこんなに小さくてかわいい子がカトレアと同じメイジだったのだと思いもしなかったのである。

 そして新たな疑問も沸き起こる。何故彼女は魔法が使えるというのに、こんな犯罪に身をやつしているのか?

 アストン伯やカトレア、そして彼女の取り巻き達の様な貴族たちとの付き合いしか無かったハクレイはまだ知らないのである。

 世の中には、マントを奪われあまつさえ家と領土すら奪われだ元゙貴族達も相当数がいる事に。

 

 少女は自分を見て硬直している相手と平民たちを交互に凝視つつ、もう数歩後ろへと下がっていく。

 逃げる気天!?そう思ってかハクレイは、慌てて少女の足を止めようと立ち上がろうとした。

「……ッ!アナタ…ッー――!」

「来ないで、私に近づいちゃダメ!」

 立ち上がった瞬間を狙ってか、少女はこちらに向けて手を伸ばそうとするハクレイへ杖の先端を向けた。

 幼年向けであろう、普通のよりもやや短い杖の鋭そうな先が彼女の額へ向いている。

 ここから魔法が飛んでくるのを想像して怯えているのか、はたまた相手を刺激せぬようにしているのか、

 ハクレイはその場でピタリと足を止めつつ、されど視線はしっかりと少女の方へと向いていた。

 

 彼女にはワケが分からなかった。少女が杖を隠し持っていたメイジであった事と、このような事に手を潜めている事。

 そして、何故急に怯え出した彼女に杖を向けられているのかも…ハクレイには分からなかった。

 だがそれで少女を説得する事を彼女は諦めてはおらず、むしろ何が何でも止めなければと改めて決意する。

 周囲の平民たちと同じように、ハクレイもまた魔法が日常生活や攻撃としても十分使えるという事は知っていた。

 だからこそ、少女が下手に魔法を使わぬよう穏便に説得しようとしのである。

「ちょっと待ってよ?どうしたのよ一体…」

「だ、だから近づかないでって言ってるでしょ!?」

 しかし、少女の内情を知らない彼女の説得など初めから効くはずもなかった。

 より一層冷静になるよう心掛けてにじり寄ろうとしたハクレイに気づいて、少女はそう言いながら杖を振り上げる。

 

 周りにいた平民たちは皆一様に悲鳴を上げて、更に後ろへと下がっていく。

 メイジが杖を振り上げる事は即ち、これから魔法を放ちますよと声高々に宣言するのと同じ行為である。

 何人かの平民がまだ少女の傍にいるハクレイへ「何してる逃げろ!」や「杖を取り上げろ!」と叫ぶ。

 今のハクレイには、逃げる暇や杖を取り上げる時間も無い。あるのはただ放とうとされる魔法を受け入れるしかない現実だ。

 だが…タダで喰らう彼女でもなく、すぐさま体を身構えさせて少しでも目の前で発動される呪文を防ごうとした。

 それと同時に、少女は杖を振り下ろした。口から放ったたった一言の呪文と共に。

 

「イル・ウインデ!」

「え?…うわぁッ!」

 口から出た短いスペルと共に、ハクレイの足元で突如小さな竜巻が発生したのである。

 唱えた魔法は『ストーム』という風系統の魔法。文字通り指定した場所に竜巻を発生させるだけの呪文だ。

 詠唱したメイジの力量と精神力によって威力に差は出てくる。そして少女に力量は無かったが、精神力だけは豊富にある。

 その為、彼女が発生させた竜巻は大の大人一人ぐらいなら簡単に飲み込み、吹っ飛ばす程の力は有していた。

 

 まさか足元から来るとは予測していなかったハクレイは呆気なく竜巻に巻き込まれてしまう。

 何の抵抗も出来ずに透明な竜巻の中で回るしかない彼女は、さながらルーレットの上を走るボールの様だ。

「わ・わ・わ・わわわ…ワァーッ!」

 グルグルと竜巻の中をひとしきり回った彼女は、勢いよく竜巻の外へと吹き飛ばされる。 

 地上で見守っていた人々とほぼ同時に悲鳴を上げたハクレイが飛んでいく先には、広場に面した共同住宅があった。

 丁度窓越しに食事や酒、読書を嗜んでいた人々がこっちへ向かってくる彼女に気が付き、慌てて窓から離れていく。

 後数秒もあれば、吹き飛ばされたハクレイは哀れにも勢いよく共同住宅の壁に叩きつけられてしまうだろう。

 

(不味いわね…!流石にこれは―――でも、今ならイケるかも?)

 ここまでされてから初めて危機感を抱いたハクレイはしかし、たった一つの解決策を持っていた。

 このまま勢いよく今日住宅に突っ込んでも、決してダメージを受けずにいられる方法を。

 激突まで後二メイルで時間にすればほんの僅かだが、それだけあれば充分であった。

 既に手足の方へと霊力は行きわたっている。ただ一つ気にすることは、背中からぶつからないように気を付ける。

(全ては神のみぞ知る…ってヤツかしら!)

 心の中でうまい事成功しなければという決意を抱いて、真正面から共同住宅へと突っ込み…―――そして。

 

「おっ!―――よっと!」

 瞬時に青白く発光した手足でもって、共同住宅の壁へと『貼り付いた』のである。

 てっきりぶつかるかと思っていた群衆は彼女が見せてくれた大道芸じみたワザに、驚愕の声を上げた。

 その声に思わず顔を背けていた人々に、共同住宅の住人達も窓越しに壁へ貼り付くハクレイの姿を見て驚いている。

 暫しの間広場で彼女を見つめている人々はざわめいていたが、何故かその外野から幾つもの拍手が聞こえてきた。

 恐らく何かの催しだと勘違いした通りすがりの者なのだろうが、最初から最後まで見ていた者達には酷く場違いな拍手に聞こえてしまう。

 そしてハクレイ自身は何で拍手が聞こえてくるのか分からず、そしてこうも『上手く行った』事に内心ホッと安堵していた。

 

「いやぁ~…できるって気はしてたけど、まさか本当にできるとは思ってもみなかったわ」

 右手と両足を霊力で壁に張り付けたまま、左腕の袖で顔の冷や汗を拭う彼女の胸は興奮で高鳴っていた。

 実際、彼女がこのワザに『気が付いた』のは先ほどここまで跳んでくる前に聞こえたあの謎の声のお蔭である。

 あの女性の声は言っていたのだ、自分の霊力なら、地面を蹴り飛ばしてジャンプしたり壁に貼り付くなど造作ないと。

 だからあの時、目を覚ましてすぐにジャンプできたりこうして壁に貼り付いて激突を回避したのである。

 最初こそ一体何なのかと訝しんでいたが、今となってはあの声の主に感謝したいくらいであった。

 もしもあのアドバイスがなければ、今頃この三階建ての建物に叩きつけられていたに違いない。

 

「とはいえ…流石にあの勢いだと。イテテテ…手がヒリヒリするわね」

 そう言ってハクレイは、赤くなっている左の掌を見つめながら一人呟く。

 実際のところ成功する確率は五分五分であり、彼女自身失敗するかもという思いは抱いていた。

 まぁ結局のところ上手くいったのだが勢いだけは殺しきる事ができず、結果的に両手がヒリヒリと痛む事となったが。

 彼女は気休め程度にと左の掌にフゥフゥと息を吹きかけようと思った時、後ろから自分を吹き飛ばした張本人の叫び声が聞こえてきた。

「ど、どいてぇ!どいてよー!」

 恐怖と悲痛さが入り混じったその叫びと共に、群衆の動揺が伺えるどよめきも耳に入ってくる。

 何かと思いそちらの方へ視線を向けてみると、あの少女が手に持った杖を振りかざしながら人ごみの中へと消えようとしていた。

 右手には杖、そして左手には自分から盗んでいったカトレアからのお金が入ったサイドパック。

 恐らく魔法による攻撃が失敗に終わったから、せめて必死に逃げようとしているのだろうか。

 

「まずいわね…何とかして止めないと」

 このまま放っておけばカトレアから貰ったお金を全て無くしてしまううえに、あの少女を説得する事もできない。

 何としてもあの少女を止めて、もう二度とこんな事をしないようにしてやらなければ、いつかは捕まってしまうだろう。

 その時には彼女のいう兄も…だから今ここで捕まえて、何とかしてあげなければいけない。

 何をどうしてあげればいいのか、どう説得すれば良いのか分からないが放置するなんて事はできない。 

 改めて決意したハクレイは群衆をかき分けて逃げる少女を確認した後、自分の右隣にある建物へと視線を移す。

 恐らくここと同じ共同であろう四階建てのそこからも、窓越しに自分を見つめる人々がチラホラと見えている。

 マントを着けている事から貴族なのだろうが、皆いかにも人生これからという若者たちばかりだ。

 

「あそこまでなら、届くかしらね?」

 そう呟いてた後、彼女は両足と右手の霊力にほんの少しアクセントを加え始める。

 今この建物の壁に貼り付いている霊力を変異させて、正反対の『弾く』エネルギーへと変換していく。

 それも『今の』彼女にとって初めての試みであり、そして何故かいとも簡単に行えることができる

 何故そんな事がでるきのかは彼女にも分からないし、生憎ながら考える暇すら今は無い。

 今できる事はただ一つ。自分が忘れていた自分の力を使って、あの娘を止める事だと。

 

(距離はここから二、三メイル…まぁいけるかしら)

 目測で大体の距離を測りつつ、彼女は両足と右手へと霊力をより一層込めていく。

 少なすぎても駄目だし、多すぎれば最悪向こうの建物の壁にぶち当たるかもれしない。

 必要な分の霊力だけをストックして、一気に解放させなければあの建物の壁に貼り付く事など不可能なのである。

 向こうの共同住宅に済む若い貴族たちが窓越しに自分を見つめて指さし、何事かを話し合っているのが見えた。

 一体何を話しているのかは知らないが、間違いなく自分に関して話しているという事は分かっていた。

「とりあえず、窓から顔を出さなければそれに越した事はないけど…」

 跳び移るのは良いが、最悪窓を割るかもしれないが故にハクレイは内心でかなり緊張している。

 

 時間にすればほんの十秒足らず。その間に手足へ一定の霊力を込められたハクレイは、いよいよ準備に移った。

 壁に貼り付けている右手をグッと押し付け、青白い霊力を掌へと流し込んでいくさせていく。

 両足も同様に、際どい姿勢で張り付けているブーツ越しの足裏へ掌と同じように霊力を集中させる。

 これで準備は整った。後は彼女の意思次第で、壁に『貼り付く』力は『弾く』力へと変化する。

 目測も済ませ、覚悟も決めた。後残っているのは、成功できるかどうかの力量があるかどうか、だ。

 

 短い深呼吸をした後、ほんの一瞬脱力させた彼女はグッと手足に力を込めて、跳んだ。

 それは外野から人々の目から見れば、空中で横っ飛びをしてみせたも同然の危険な行為であった。

 群衆はまたもや驚愕の叫び声を一斉に上げ、彼女が飛び移る先にある建物の住人達は急いで窓から離れ始める。

 何せ隣の建物に張り付いていた正体不明の女がこちらへ跳んでくるのだ、誰だって逃げ出すに違いないであろう。

 まさか、窓を破って侵入してくるのでは?そんな恐怖を抱いた人々とは裏腹に、ハクレイの試みは思いの外上手くいったのである。

「ふ…よっ…―――――――ットォ!!」

 まるで壁に『弾かれた』かの様に横っ飛びをしてみせた彼女は、無事に下級貴族たちの住むワンランク上の共同住宅の壁へと見事貼り付く。

 てっきり今度こそぶつかるかと思っていた地上の人々は、壁に貼り付いた彼女の姿を見て再び驚きの声を上げた。

 

 その声に窓から離れていた住人の下級貴族達も何だ何だと窓へ近づき、そして驚く。

 何せ隣の建物から跳んできた女が壁に手と足だけで貼り付いているのだから、驚くなという方が無理である。

 途端若い貴族たちは争うようにして窓から身をのり出し、その内の何人かがハクレイへと声を掛けた。

「おいおいおい!こいつは驚いたな、まさか珍しい黒髪の女性がこの辛気臭い共同住宅に貼り付くだなんて!」

「そこの麗しいお姉さん。良かったらこのまま僕の部屋に入ってきて、質素なディナーでもどうですか?」

 得体が知れないとはいえ、そこは美女に飢えた青春真っ盛りの下級貴族たち。

 見たことも聞いたことも無い方法で壁に貼り付くハクレイに向かってあろうことか、必死にアプローチを仕掛けてきた。

 そんな彼らに思わずどう対応してよいか分からず、困った表情を浮かべつつ彼女は通りの方へと視線を向ける。

 

 少女は既に人ごみの中に入ってしまったものの、目印と言わんばかりに人ごみが大きく動くのが見えた。

 それは遠くから見つめるハクレイへ知らせるように移動し、この広場から離れようとしている。

「あそこか。でも流石にここからだと届かないし、ようし…!」

 少女の大体の一を確認した彼女は一人呟いてから、今自分が貼り付いている共同住宅を見上げた。

 四階建てのソレには屋上が設けられているらしく、手すり越しに自分を見下ろす下級貴族たちが数人見える。

 恐らく夕涼みに屋上へ足を運んでいたのだろう、何人かはその手に飲みかけのワイン入りグラスを握っていた。

 今彼女がいる場所からは丁度三メイル程であろうか、゙少し頑張れ゙ばすぐにたどり着ける距離である。

 

「んぅ~…ほっ!よっ!」

 もう一度手足に力を込めたハクレイは、霊力を纏わせたままのソレで器用に共同住宅の壁を登り始めた。

 まるでヤモリのようにスイスイと壁に手足を貼り付かせて登る女性の姿と言うのは、何とも奇妙な姿である。

 窓や屋上からそれを見ていた下級貴族達や広場で見守っている平民たちも、皆おぉ!とざわめいた。

 一体全体、何をどうしたらあんな風に壁を登れるのか分からず多くの者たちが首を傾げている。

 その一方で、下級とはいえ魔法に詳しい下級貴族たちの驚きはかなりのもので、部屋にいた者たちの殆どが顔を出し始めていた。

「おいおい!見ろよアレ?」

「スゲェ、まるでヤモリみてぇにスイスイと登っていきやがる…」

 それ程勉強ができたというワケでも無かった者達でも、あんなワザは魔法ではない事を知っている。

 じゃああれは何なのだと言われてそれに答えられる者はおらず、彼女が壁を登っていく様は黙って見るほかなかった。

 

「は…っと!…ふぅ、大分慣れてきたわね」

「わっ、ホントに来ちゃったよこの人!」

 時間にすればほんの十秒程度であっただろうか、ハクレイは無事屋上へ辿り着く。

 やはり夕涼みに来ていたらしく、ほんの少しのつまみ安いワインで宴を楽しんでいた若い貴族達は皆彼女に驚いている。

 無理もないだろう。女が手と足だけで壁に貼り付いて登ってやってきたのならば、誰だって驚くに違いない。

 そんな事を思いながら驚く貴族たちを余所に屋上へ足を着けたハクレイは、意外な程この『力』を使える事に内心驚いていた。

 最初にエア・ストームで吹き飛ばされ、貼りついた時と比べれば彼女は格段に『慣れ』始めている。

 まるで水を得た魚のように物凄い勢いで『忘れていたであろう』知識を取り戻し、活用していた。

 

(まぁ今は便利っちゃあ便利だけど…うぅん、今はこの事を考えるのは後回しよ)

 そこまで思ったところで首を横に振り、彼女は屋上から周囲の光景を見下ろしてみる。

 既に陽が落ちようとしている時間帯の王都の通りは人でごったがえし、繁華街としての顔を見せかけている最中だ。

 眼下の喧騒が彼女の耳にこれでもかと入り込んでくる中、ハクレイは必死に逃げる少女の姿を捉える。

 

 屋上からの距離はおおよそ五~六メイルぐらいだろうか、屋上から見下ろす通りの人々か若干小さく見えてしまう。

 ここから先ほどのように壁に貼り付きながら降りることも可能だろうが、その間に逃げられてしまう可能性がある。

 最悪壁に貼り付いている所を狙われて魔法を叩きつけられたら、それこそ良い的だ。

 一気に少女の近くまで飛び降りてみるのも手だが上手くいく保証は無く、そんな事をすれば他の人たちにも迷惑を被ってしまう。

 彼女の理想としてはこのまま一気にあの娘の傍に近づいて杖を取り上げてから捕まえたいのだが、現実はそう上手く行かない。

 次の一手はどう打てばいいのか悩むハクレイを余所に、少女は彼女が屋上にいる事に気付かず必死に通りを走っている。

 今はまだ視認できものの、進行方向にある曲がり角や路地裏に入られてしまうとまたもや見失ってしまうだろう。

 

「さてと…とりあえずどうしたらいいのかしらねぇ?」

 策は思いつかず、時間も無い。そんな二つの問題を突き付けられたハクレイは頭を悩ませる。

 屋上の先客である下級貴族たちは何となくワインやつまみを口にしながらも、そんな彼女を困惑気味な表情で眺めていた。

 彼らの中に突然壁を登ってきた彼女に対して、無礼者!とか何奴!と言える度胸を持っている者はおらず、

 床に敷いていたシートに腰を下ろしたまま、持ち寄ってきていた料理や酒をただただ黙って嗜む他なかった。

 まぁ暇を持て余している身なので、これは丁度良い余興だと余裕を見せる者も何人かはいたのだが。

 

 さて、そんな彼らを余所に次にどう動くべきか考えていたハクレイであったが、そんな彼女の目に『あるモノ』が写った。

 その『あるモノ』とは、今彼女がいる屋上の向こう側に建てられている二階建ての建物である。

 少し離れた場所からでも立てられてからかなりの年月が経っていると一目で分かるそこは居酒屋らしい。

 彼女には読めなかったものの、『蛙の隠れ家亭』と書かれた大きな看板が入口の上に掲げられている。

 どうやらまだオープンしてないらしく、ドアの前では常連らしい何人かの平民たちが入口の前で屯っていた。

 そしてハクレイが目に付けたのは、その居酒屋であった。

 

「あそこなら、うん…さっきのを応用してみればうまい事通りへ降りられるかも?」

 一人呟きながらハクレイは手すりへと身を寄せると、スッと何の躊躇いもなく手すりの向こう側へと飛び越えていく。

 彼女を肴に仕方なく酒を飲んでいた者たちの何人かは突然の行動に驚き、思わず咽てしまう者も出る。

 手すりの向こう側は安全を考慮して人一人が立てるスペースは作ってあるが、それでも足場としては心もとない。

 彼女が何を決心して向こう側へ行ったかは全く以て知らなかったが、かといって放置するほど冷たい者はいなかった。

 

「おいおい、何をしてるんだ君は?危ないぞ!」

「え…?え?それ私に言ってるの?」

「君しかいないだろ!?いまこの場で危険な場所に突っ立っているのは」

 見かねた一人がシートから腰を上げると、後ろ手で手すりを掴んでいるハクレイに声を掛ける。

 大方飛び降り自殺でもするのかと思われたのだろうか、慌てて自分の方へ顔を向けたハクレイに若い貴族は彼女を指さしながら言う。

 思わぬところで心配を掛けられたハクレイは慌てながら「だ、大丈夫よ大丈夫!」と首を横に振りながら平気だという事をアピールする。

 

「別にここから飛び降りるってワケじゃないから、本当よ?」

「…?じゃあ何でそんな所に立ってるんだ、他にする事でもあるっていうのかね?」

 その言動からとても自殺するとは思えぬ彼女に、若い貴族は肩を竦めつつも質問をしてみる。

 彼女としてはその質問に答えるヒマはあまり無かったものの、答えなければ止められてしまうかもしれない。

 そんな不安が脳裏を過った為、ハクレイは両足に霊力を貯めながらも貴族の質問に答える事にした。

 

「まぁ何といえば良いか。『飛び降りる』ってワケではないのよ。ただ…―――」

「ただ?」

「―――――『跳ぶ』だけよ」

 首を傾げる貴族に一言述べた後に、彼女は右足で勢いよく屋上の縁を蹴り飛ばした。

 彼女が足に穿いている立派なロングブーツが勢いよく縁を蹴りあげ、纏わせていた霊力が爆発的なキック力を生む。

 その二つの動作を同時にこなす事によって、彼女の体は驚異的なジャンプ力によって屋上から飛び上がったのである。

 彼女の傍にいた若い下級貴族は突然の衝撃と共に飛び上がったかのように見えるハクレイを見て、思わず腰を抜かしてしまいそうになった。

 他の貴族たちもこれには腰を上げると仲間に続くようにして驚き、屋上からジャンプしていった彼女の後姿を呆然と見つめている。

「な、な、な…なななんだアレ?なぁ、おい…」

「お…俺が知るかよ!あんなの系統魔法でも見たことが無いぞ…!」

 後ろの方で様子を見ていた二人の貴族がそんなやり取りをしている中、その場にいた何人かがハクレイの後姿を追いかける。

 ここから約二メイル程ジャンプしていった彼女は、微かな弧を描いて向こう側の居酒屋の方へと落ちていく。

 誰かがハクレイを指さしながら「あのままじゃあ看板にぶつかるぞ!」と叫び、それにつられてハッとした表情を浮かべてしまう。

 しかし幸運にも、彼の予想はものの見事に外れる事となった。

 

 屋上からジャンプしたハクレイは青白く光るブーツを、人で満ち溢れた通りに向けて飛び越えていく。

 地上にいる人々は気づいていないのか、何も知らずに通りを行き交う人々の姿というものは中々にシュールな光景だ。

  そして、思っていた以上に即行だった行動が上手くいった事に内心驚きつつも、着地の準備を整えようとしていた。

 次に目指すはあの共同住宅と向かい合っていた居酒屋―――の入口の上に掲げられた看板。

 入り口からでも見上げられるように少し地上に向けて傾けられているソレ目がけて、彼女は落ちていく。

 角度、霊力、スピード…共に良好。…だが何より一番大切なのは、勢いよく顔から激突しないよう気を付けることだ。

 しかし、それは今の彼女にとっては単なる杞憂にしかならなかった。

 

「よ…ッ!…っと!わわ…ッ」

 丁度看板と建物の間に出来たスペースへ綺麗に降り立った彼女は、着地と同時に驚いた声を上げる。

 原因は今彼女が着地したばしょ、傾けて設置されている看板がほんの少し揺れたからであった。

 流石に人一人分の体重までは支えきれないのか、看板と建物を繋ぐロープがギシギシとイヤな音を立てる。

 ついでその音が入り口付近で開店を待つ客たちにも聞こえたのか、下の方からざわめきも聞こえてきた。

「流石に長居はできないか…っと!」

 このままだと看板を落としかねないと判断したハクレイは独り言を呟き、急ぎこの上から離れる事を決める。

 しかし、その前に確認する事があった彼女は何かを探るように周囲を見回すと、追いかけている少女の姿をすぐに見つけた。

 

 それは前方、それまでの通りと比べてかなり人通りが少ないそこを必死で走る彼女の後姿。

 どうやら杖はしまっているらしく、何か小さなモノを大事にそうに抱きかかえて走っているのが見える。

 ――――…追いついた!彼女の魔法攻撃で大分距離を離されていた彼女は、ようやくここまで近づけることが出来た。

 まだ少女の方は気が付いておらず、もう大丈夫だろうと思ってやや走る速度も心なしか落ちているように見える。

 距離は大体にして約十一、二メイルといったところだろうか、ここから先ほどのように跳んだ後にダッシュすれば良い。

 幸い人の通りはまばらであり、着地地点が良ければ誰も怪我させずに跳ぶことだって可能だ。

 

 そうなれば善は急げ、再び足に霊力を溜めようとしたハクレイであったが…―――そこへ思わぬ妨害が入った。

 妨害は地上で何事かと訝しんでいた客でも、ましてや先ほどまで彼女がいた共同住宅の屋上からではない。

 今の彼女が立っている場所、ちょうど建物の二階にある窓を開けた中年男からの怒声であった。

「あぁオイコラァッ!てめぇ、ウチん店の看板を踏んでなにしてやがる!」

「…え!?…わ、わわッ!」

 突然背後から浴びせられた怒鳴り声にハクレイは身を竦ませると同時にその場で倒れそうになってしまう。

 元から人が立つには不自由な場所だった故なのだが、それでも辛うじて転倒することだけは阻止できた。

 倒れそうになった直前で、辛うじて掴めたロープを頼りに立ち上がると慌てて後ろを振り返る。

 そこには案の定、店の人間であろう男が開けた窓から上半身を乗り出しながら自分を睨み付けていた。

 

「テメェ!そこはウチの看板だぞ!さっさとそこから降りやがれ、潰れちまうだろうが!?」

「い、いや…ごめんなさい。でも、すぐにどくつもりで…あ!」

 上半身と一緒に出している左腕をブンブンと空中で振り回しながら怒鳴る男の形相には鬼気迫るモノがあった。

 怒りっぷりからして恐らくは店長なのだろう、そう察してすぐに謝ろうとしたハクレイはハッとした表情を浮かべる。

 そしてまたもや慌てながらもう一度振り返ると、通りを歩いていた人々が後ろからの怒声に何だ何だと視線を向けていた。

 酒場へ行くであろう平民の労働者や若い下級貴族に、いかにも水商売をやっていますといいたげな恰好をした女たち。

 そして案の定『あの娘』も振り返ってこちらを見つめていた、金貨入りのサイドパックを大事に抱えたあの少女が。

 

 自分の魔法で蹴散らしたと思っていた女の人がすぐ近くにまで来ている事に気づき、目を見開いて凝視している。

 気のせいだろうか、ハクレイの目にはその瞳にある種の感情が宿っているように見えた。

 距離がありすぎてそれが何なのかは分からなかったが、少なくとも好意的な感情ではないだろう。

 そう思ってしまう程、少女の見開いた瞳が自分に向けて刺々しい視線を向けていた。 

 

 少女とハクレイ。暫しの間互いの瞳を数秒ほど見つめ合った後、先に体が動いたのは少女の方であった。

「―――…ッ!」 

 口を開けて何かを叫んだ少女は急いで踵を返し、全力で走り出したのである。

 近くにいた通行人の何人かが突然走り出した少女へと思わず視線を向けてしまうが、止めようとはしなかった。

「あ……――ま、待って…待ちなさいッ!」

 少女が走り出した事で同じく我に返ったハクレイは、左足で勢いよく看板を蹴り付ける。

 貯めてはいたものの、練りきれなかった霊力が彼女の足にジャンプ力と破壊力を与えてしまう。

 結果、薄い材木で造られた看板は彼女の刺々しい霊力に耐えきれる筈もなく…窓から身を乗り出していた店主の目の前で、惨事は起こった。

 

「お、オレが五年間溜めたお金でデザインしてもらった店の看板がぁああぁぁああああぁぁ!!」 

 程々に厚い木の板が割れるド派手で乾いた音が周囲に響き渡ると同時に、男の悲痛な叫び声が混じった。

 呆気なく砕け散った五年分の売り上げが注がれた看板゙だっだ木片は、バラバラと地上へと落ちていく。

 何が起こったのかイマイチ分からない入口の客たちももこれには流石に慌てて店の周りから一斉に逃げ出してしまう。

 周りにいた通行人たちは派手に割れた看板へと注目してしまうが、それを踏み台にしたハクレイにはより多くの視線が注がれていた。

 その場にいた大半の者たちは皆頭上を仰ぎ見ていた、地上よりほんの少し上まで上がってしまったのである。

 

「うわ…ヤバ!跳びすぎちゃったかしら?」

 そう、あの看板を思わず踏み砕いてしまうほどの力で跳んだ彼女は、看板の上から五メイル程まで跳んでしまっていた。

 逃げる少女を見て、咄嗟に霊力を調節せずに跳んでしまった事がこうなってしまった原因かもしれいな。

 でなければやや垂直ながらもここまで高くは跳べなかっただろうし、蹴り付ける際に看板まで壊してしまう事はなかっただろうから。

 咄嗟にやってしまった事とはいえ、人が大切にしていたモノを壊してしまった事に彼女は妙な罪悪感を抱いてしまう。

「流石にあれは弁償しないとダメよね?…とにかく、この状態から早くあの娘を捕まえないと」

 しかし、だからといって今はそれに浸り続ける事は許されず、彼女は急いで通りの方へと視線を向ける。

 

 幸い必死に走る少女の姿はすぐに確認する事が出来、先程よりも更に人通りが少なくなった通りを全力疾走していた。

 後方では足を止めて自分を見上げている人が多かったが、少女がいる場所は何が起こったのかまだ知らないのだろう。

 それと同時に、十メイル以上まで跳んだハクレイの体はそこから三メイル程上がった所で一旦止まり、そこから一気に地上へと落ち始める。

 すぐさま視線を地上へと向ける。幸いにも自分の事を上空で見守ってくれていた人々は彼女が落ちてくると瞬時に察してくれたのだろう。

 丁度自分が落ちるであろう場所にいた人々が急いでそこからどく事で空きスペースという名の着地地点ができる。

 

 人々がそこから下がってすぐに、十メイル以上もジャンプしたハクレイは地上へと戻ってこれた。

 ブーツに纏っていたやや過剰気味な霊力のおかげで怪我をすることも無く、硬いブーツと地面がぶつかりあう音が周囲に響き渡る。

 それでも完全に相殺する事はできなかったのか、ブーツを通して彼女の足に痺れるような痛覚がブワ…ッと足の指から伝わってくる。

「……ッ痛ゥ!流石に十メイルは無理があったかしらぁ…?」

 痛む右足へと一瞬だけ視線を向けた後、すぐさま少女を捕まえる為の準備を始めた。

 先ほど看板を蹴った時の様な間違いは許されない、下手をすればあの少女を傷つけかねないからだ。

 

 慎重かつできるだけ素早く霊力を練っていくハクレイは、先ほど上空からみた光景を思い出す。

 少女との距離は十メイル以上は無く、周りにも巻き添えになってしまうような人はあまりいなかった。

 それならばここから直接跳んで、上から抱きかかえるようにして捕まえる事も可能かもしれない。

 捕まえた後は自分が怪我をしても良いので何とか受け身を取って、まずは財布を取り返す。

 その後はまだ曖昧であったものの、ひとまずはこんな事を二度としないように説得しようと考えていた。

 誰かに大人のエゴだとしても、例えメイジであったとしてもニナと同い年の子供が犯罪に手を染めてはいけないのだから。

 

(待ってなさい、今すぐそっちへ行くわよ)

 心の中で呟き、改めて捕まえて見せると決意した彼女は霊力の調節を終えた右足で地面を勢いよく蹴る。

 それと同時に彼女の体は宙へ浮いたかと思うと、そのまま一気に少女がいるであろう方向へ跳びかかった。 

 得体の知れぬ自分を助けてくれたカトレアの意思を尊重し、そして彼女が渡してくれたお金を取り戻すために。

 

 

 しかし、この時彼女は『ミス』をしていた。至極単純で、確認すべき大事な事を忘れていたのである。

 それさえやっていれば恐らくあんな事故は起こらなかったであろうし、少女を捕まえて無事お金も取り戻せていたに違いない。

 この時は早く捕まえなければという焦燥を抱いてしまったが故に、慌てて跳びかかってしまったのである。

 だが…正直に言えば、誰であろうとまさかこんな事故が起こる等と思っても見なかったであろう。

 

 何せ、偶然にも少女は自分と同じように財布を盗って追われていた兄と遭遇し、

 ついでその兄も、服装こそまともだが空を飛んで追ってくるという霊夢の姿を目にしたうえで、

 その霊夢が杖の様な棒で兄の頭を叩こうとしたが故に、押し倒すようにして二人揃ってその場で倒れた瞬間…。

 丁度跳びかかってきたハクレイと霊夢が仲良く空中衝突したのだから。

 

 霊夢も霊夢で兄を追いかけるのに夢中になって反応が遅れてしまったことで、事故は起こってしまったのである。

 結果的に、仲良くぶつかった二人はそれぞれ明後日の方角へと墜落してしまう羽目となった。

 無論双方共にかなりのスピードでぶつかったのだ、当然の様に気を失って、互いに追っていた者達を見失ってしまう。

 

 運勢は正に神の気まぐれとしか言いようの無い程の変則ぶりを見せてくれる。

 幸運続きかと思えば突然不幸のどん底に落ちたり、不幸の連続から急な幸運に恵まれる事もあるのだ。

 そして今回、この追いかけっこで勝利を制したのは小さな小さな兄妹。

 彼らは無事(?)に、自分たちを追いかけてくる鬼を撒いて暫くは幸せに暮らせるだけのお金を手に入れたのだから。

 

 

 

 

 ざぁ…ざぁ…!ざぁ…ざぁ…!という木々のざわめく音が頭の中で木霊する。

 まるで大自然から起きろとがなり立てられている様な気がした霊夢は、嫌々ながらに目を覚ました。

 渋々といった感じに瞼を上げて、妙な違和感が残る目を袖でゴシゴシとこすった後、ほんの少しの間ボーっと寝転がり続ける。

 それから十秒、二十秒と経つうちに自分が今どこで寝転がっているのか気づき、ムクリと上半身を起こして一言…

 

「――――――…ん、んぅ…?何処よ、ここ?」

 

 頭の中で想像していたものとはまったく違っていた辺りの風景に、彼女は目を丸くして呟く。

 予期しきれなかった思わぬ衝突で気を失った彼女が目を覚ました場所は、何故か闇に覆われた針葉樹の中であった。

 流石の霊夢も目を覚ませば王都で倒れていただろうと思っていただけに、思わぬ展開に面喰っている。

 それでも博麗の巫女としての性だろうか、何とか冷静さを取り戻そうとひとまず周囲の様子を確認しようとしていた。

「えーと、確か私は何故か街にいた巫女モドキと空中でぶつかって…それで気絶、したのよね?」

 気絶する直前の事を口に出して確認しながらも、彼女は周囲を見回してここがどこなのか知ろうとする。

 

 やや高低差のきつい地形と、そこを埋めるようにしてそびえたつ細身の巨人の様な樹齢に何百年も経つであろう樹木たち。

 辺りが暗すぎる為にここが何処かだか詳しく分からなかったが、これまでの経験から少なくとも山中であろう事は理解できる。

 それに闇夜の中でも薄らと分かる地形からして、少なくとも人の手がそれ程入ってないであろう事は何となく分かった。

「まさか、ぶつかったショックで意識を無くしたまま飛んでって山奥まで…って事はないわよね?」

 そうだとしたら自分が夢遊病だというレベルを疑う程の事を呟きながら、彼女はゆっくりと立ち上がる。

 遥か頭上の闇夜で揺れる針葉たちの擦れる音は、不思議と耳にする者の心に妙なざわめきを生んでしまうものだ。

 風で絶え間なく揺れ続け、喧しい音を立てる葉っぱは人をじわりじわりと追い詰めていく。

 止むことを知らないざわめきはいつしか、それを聞く者に対しているはずの無い存在を想起させる一因と化す。

 

 今こうして木々がざわめいているのは、天狗や狐狸の悪戯だと考えてしまい冷静な判断ができなくなってしまうのである。

 実際には単なる風で揺れているのだとしても、焦燥と見えない恐怖でそうとしか考えられなくなってしまう。

(まぁ外の世界ならともかく、幻想郷だと本当に狐狸や天狗の悪戯だったりするけど…)

 彼女自身何度も経験したことのある妖怪たちの悪戯を思い出しつつ、ひとまずここがどこなのか探り続ける。

 妖怪退治を生業とする彼女にとって闇夜など毛ほどに怖くもない。むしろそこに妖怪が潜んでいるのなら退治にしにいくほどだ。

 だからこそまともに視界が効かぬ中、ひっきりなしに木々のざわめきが聞こえていても動じる事などしていないのである。

 

 とはいえ、このまま気の赴くまま動いてしまっては迷ってしまうのは必須であろう。

 足元もしっかりと見回しつつ、霊夢は何か目印になるようなものがないか闇の中をじっと睨みつけていた。

 まるで闇の中に潜んでいる不可視の怪物と対峙するかのようにじっと凝視しながら、あたりを見回していく。

 しかし、彼女の赤みがかった黒い瞳に映るのは闇の中に佇む針葉樹や凸凹の山道だけである。

 何処なのかも知れぬ山中で立ち往生となった霊夢は一瞬だけ困った様な表情を浮かべたものの、すぐにその顔が頭上を見上げる。

 まるで空を突き刺さんばかりに伸びる針葉樹の隙間からは、森の中よりもやや薄い夜空が広がっている。

 幸いにも彼女が空へ上がるには十分な隙間は幾つもあり、ここよりかは幾分マシなのには違いない。

「んぅ~…面倒くさいけど、誰かが待ち伏せしてるって気配は無いし…しゃーない、飛びますか!」

 寝起きという事もあってか気だるげであった霊夢は仕方ないと言いたげなため息をつくと、その場で軽く地面を蹴りあげた。

 するとどうだろう。彼女の体はそのまま宙へと浮きあがり、ふわふわ…という感じで上空目指して飛び上がっていく。

 

 そして三十秒も経たぬうちに、空を飛ぶ霊夢は無事濃ゆい闇が支配する森の中から脱出する事が出来た。

 地上と比べて風の強い空へ浮かんでいる彼女は、容赦なく肌を撫でていく冷たい風に思わずその身を震わせる。

「ふぅ~…やっばり夏とはいえ、こう風がキツイと肌寒い…ってあれ?」

 針葉樹の枝を揺らす程の強い風におもわずブラウス越しの肩を撫でようとした霊夢は、ある違和感に気づく。

 感触がおかしい。ルイズに買ってもらったブラウスの感触にしては妙に生々しかったのである。

 思わず自分の両肩へと視線を向けた直後、霊夢は今の自分がルイズから貰った服を身に着けていない事に気が付く。

 無論、一糸纏わぬ生まれたまま…ではない。今の彼女が身に着けている服、それはいつもの巫女服であった。

 紅白の上下に服と別離した白い袖、後頭部の赤いリボンと髪飾り。そしていつもの履きなれた茶色のローファー。

 

 いつもの着なれた巫女服を身に纏っていたという事実に今更になって気が付いた彼女は、目を丸くして驚いている。

 何せついさっきまで大分前にルイズが買ってくれた洋服一式を着ていたというのだ、おかしいと思わない筈がない。

「…ホントにどういう事なの?だって私は気絶する直前まで……う~ん?」

 流石の彼女も理解が追いつかず、思わず頭を抱えそうになったとき―――ふと、ある考えが頭の中を過った。

 こうして落着ける場所まで来て、良く良く考えてみればこの意味不明の状況を全てそれに押し付ける事ができる。

 

 

「――――まさか…ここは夢の中ってオチじゃないわよね?」

 首を傾げた霊夢は一人呟いた後で、ここでは自分の疑問に付き合ってくれる者がいない事にも気が付いた。

 あの巫女もどきとぶつかった後、呆気なく気を失ってしまったのは理解していたので、きっと現実の自分は今も意識を失っているのだろう。

 それならば今自分が体験している出来事は、全て自分の夢の中という事で納得がいく。

 闇夜の森の中で目を覚ましたのも、いつの間にか巫女服になっていたのも全て夢だというのなら説明する必要もない。

「な~んだ、それなら慌てる必要も無かったじゃないの。馬鹿馬鹿しい」

 ひとまず今の自分が夢を見ているという事で納得した霊夢は、安堵の色が混じる溜め息をつきながら空中で仰向けになった。

 

 空を飛ぶことに長けた霊夢らしい特技の一つであり、何かしらする事がなければ幻想郷でもこうして寝転がる事が多い。

 今が日中で快晴ならば風で流れゆく雲を間近で見れるのだが、当然ながら今は夜である。

 しかも月すら雲で隠れているせいで、眺めて見れれるものは闇夜だけと言う情緒もへったくれもない天気。

 だが今の霊夢は綺麗な夜空は見たかったワケではなく、今の自分が夢を見ているだけという事に安心しているのだ。

「最初は何処ここ?とか思ってたけど、夢ならまぁ…特にそれを考える必要はないわねぇ」

 上空よりも暗い闇に包まれた地上に背を向けながら、彼女は気楽そうに言った。

 ここが夢の中ならば何もしなくても目を覚ますだろうし、変に動き回れば夢がおかしくなって悪夢に変わる事もある。

 だからこうして空中で横になって、そのまま夢が覚めるまで目でもつぶって見ようかな?…と思った所で、

 

「……そういえば、私とルイズたちの財布を盗んでいったあのガキはどうしてるのかしら?」

 ふと、自分が気を失って夢を見る原因の一つとなったあのメイジの少年の事を思い出した。

 ルイズと魔理沙は魔法で吹き飛ばれさていたし、自分はあの巫女モドキとぶつかってしまっている。

 となれば誰もあの少年を追う事などできず、アイツはまんまと三千エキュー以上の大金を盗まれてしまったことになる。

 そんな事を想像してしまうとついつい悔しくなってしまい、その気持ちが表情となって顔に浮かんでしまう。

 まぁここなら誰にも見られることは無いのだが、それでも悔しい事に代わりは無い。

 あの時、もっと前方に警戒していれば何故かは知らないが自分に突っ込んできた巫女モドキもよけられた筈なのだから。

 

「うむむ…まぁ所詮は過ぎた事だし、どんな言い訳しても結局は負け犬の遠吠えね」

 心の内に留めきれない程の悔しさを説得するかのような独り言をぼやきながら、それでも霊夢は未だあのお金を諦めきれないでいた。

 あれだけの大金があるならばまともな宿にだって長期宿泊できたし、何より美味しい食べ物やお酒にもありつけた筈なのだから。

 それをまんまと盗んでいったあの子供は、今頃自分たちの事を嘲笑いながら豪遊している事だろう。

 街で買ってきた安物ワインとお惣菜で乾杯し、実在していた自分の妹へ今日の追いかけっこをさも自分の武勇伝として語っているに違いない。

 無論、それは霊夢の勝手な妄想であったのだが、考えれば考える程彼女の苛立ちは余計に溜まっていった。

「……何か考えただけでもムカついてきたわね?私としても、このままやられっ放しってのも癪に障るし…」

 そう言いながら空中で仰向けに寝ころばせていた上半身を起こした後、グッと左手で握り拳を作る。

 

 お金の事を考えていると、ついついあの少年が自分に向かってほくそ笑んでいると思ったからであった

 さらに言えば、霊夢自身このまま世の中舐めきったあの子供に黒星を付けられている事も気に入らなかったのである。 

「まず夢から覚めたら捜索ね。あのガキをとっ捕まえてからお金を取り返して、余の中そうそう甘くないって事を教えてやらなくちゃ」

 器用にも夢の中で夢から覚めた後の事を考える彼女の脳内からは、アンリエッタから依頼された仕事の事は一時的に忘れ去られていた。

 

「ん?…何かしら、あのひ―――って、キャア!」

 そんな風にして、やや私怨臭い決意を空中で誓って見せた彼女であったが…、

 突如として視界の隅で眩い閃光のような光が瞬いたかと思った瞬間―――耳をつんざく程の爆発音で大いに驚いてしまった。

 ビックリし過ぎたあまり、そのまま落ちてしまうかと思ったが何とかそれを回避した彼女は、音が聞こえた方へと視線を向ける。

「…ちょっと、いくら何でも夢だからって過激すぎやしないかしら?」

 爆発音の聞こえてきた方向を見た彼女は一言、ジト目で眺めながら一人呟いた。

 それは丁度彼女がいま立っている場所から前方五十メイル程であろうか、針葉樹から爆炎の柱が小さく立ち上っている。

 爆炎に伴い周囲の光景が暴力的な灯りにより照らされ、火柱よりも高い針葉樹が不気味にライトアップされていた。

 

「一体何のかしら?あの派手な爆発音からして何かよろしくないものが爆発したような雰囲気だったけど…」

 すぐさま空中での姿勢を元に戻した霊夢は、乱暴な焚火がある場所へと目を向けて分析しようとする。

 火の手が立ち上っているという事は人が係わっている可能性は高いが、それにしては勢いが強すぎだ。

 恐らく何かしらの事情があってあんな火柱とは呼べないレベルのものができたのだろうが、きっと余程の事があったに違いない。

「――むぅ…ここは夢の中だと思うんだけれど、何でかしら?体が言うとこを聞かない様な…」

 博麗の巫女としての性なのだろう、何かしら異常事態を目にしてしまうとつい無性に気になってしまうのだ。

 例えこれが夢の中だとしても、面倒くさいと思ってしまっても、それでも気にせず現場へ赴きたくなってしまう。

 

「…うぅ~!どうせ夢の中だから何もないだろうけど…まぁ念の為を考慮して…行ってみようかしら?」

 

 

 

 地上であるならば、灯りひとつない山道を歩くだけでも相当な時間を要する。

 それに対し、霊夢の様にスーッと空から飛んでいく事が出来れば時間も然程かかることは無い。

 距離にもよるが、今回の場合ならばたったの二、三分程度ヒューッと飛んで行けばすぐにでも辿り着く程度だ。

 

「…!あれは?」

 火が立ち上っている場所のすぐ近くまで飛んできた彼女は、眼下で何かが盛大に燃えているのを知った。

 全体的なシルエットはやや四角形っぽいものの、その四隅には車輪が取り付けられている。

 それが山中の少し開けた場所で盛大に横転しており、ついで勢いよく燃え盛っていたのである

 一瞬馬車の類なのかと思ったものの、それを引いていたであろう馬は見当たらない。

 逃げてしまったのか、それとも馬車みたいな何かを襲った存在の喰われてしまったのか…

 そこまでは彼女の知るところではなかったし、今の彼女には別に考えるべき事があった。

 夢の中の出来事とはいえ、こんな光景を目にしてしまっては無視したり見なかったことにするのは彼女的に難しかった。

 それにもしかすると、まさかとは思うが…これが夢ではなく現実に起こっている事なのだとすれば、

 

 そこまで考えた所で、霊夢は面倒くさそうなため息を盛大についてみせた。

 結局のところ、夢の中だとしても自分は博麗の巫女なのだという現実を改めて思い知った彼女なのである。

「夢の中とはいえ…流石に見過ごすのは良くないわよ…ねぇ?」

 一人呟いた彼女はやれやれと肩を竦めながら、そのままゆっくりと燃え盛る馬車モドキの傍へと降り立つ。

 着地まで後数メートルという所から馬車モドキを燃やす炎の熱気は凄まじくなり、彼女の肌に汗が薄らと滲み出てくる。

 服で隠れている肌にもはっきりと伝わってくる熱気が、目の前で燃え盛ってる炎がどれだけ凄まじいモノなのかを証明している。

 

「うっ…これはひどいわ。中に人がいたとしても、これじゃあ流石に…」

 顔に掛かる熱気を服と別離している左腕の袖で塞ぎながら、彼女は周囲に何か落ちていないか見回してみる。 

 もしもこの馬車モドキに人が乗っていたとするならば、何かしら証拠の一つはある筈だ。

 そう思って辺りを見回してみたのだが、周囲の地面には何も散らばっておらず、粘土交じりの土だけしか見えない。

「まぁ特に期待はしてないけど…それにしたって、誰がこんな事をしでかしてくれたのかしら?」

 彼女自身それ程真面目に探していなかった為、今度は馬車モドキを燃やしたであろう犯人を捜し始める。

 どういう方法でここまで燃やしたかは知らないが、少なくとも生半可なやり方ではここまでの惨事にはならなかっただろう。

 

 先ほどと同じように周囲と頭上へ視線を向けて探ってみるが、当然の様に怪しい者や人影は見つからない。

 まぁこれも予測の範囲内であった霊夢は一息ついた後、目を閉じて周囲の気配を探るのに集中し始める。

 相手が何であれ、まだ近くにいるというのなら何かしらの気配を感じられる筈である。

 それは霊夢が本来持つ勘の良さから来るモノなのか、それとも先天的なハクレイの巫女としての才能の一つなのかまでは分からない。

 だが、異変以外の妖怪退治の仕事があった際にはこの能力を使って、隠れていたり物や人に化けた妖怪を見破ってきた。

 今回もまた、何処かで馬車モドキが燃えているのを眺めているであろう『何か』を探ろうとした彼女であったが、

 意外にも早く、というか呆気ない位に…馬車モドキをここまで酷い状態にしたであろう『モノ達』を見つけたのである。

 

「………ん?―――――!これって…もしかして妖怪?」

 彼女は今立っている方向、十一時の方向に良くない気配―――少なくとも人ではないモノを感じ取った。

 気配の先にあるのはモノへと続く鬱蒼とした茂みであり、時折ガサゴソと揺れている。

 気配と共に滲み出ている霊力の質と量からして、相手が下級程度の妖怪だと判断する。

(夢の中とはいえ、まさか久しぶりに妖怪と戦うだなんて…働き過ぎなのかしら?)

 そんな事を考えながら彼女は目を開けると、気配を感じ取った方向へと視線を向けつつスッと懐へ手を伸ばす。

 懐へ忍ばした右手が暫く服の中を物色した後、目当てのモノを掴んでそれを取り出した。

 彼女が取り出したモノ―――それは霊夢直筆のありがたい祝詞がびっしりと書かれたお札数枚であった。

 右手が掴んできたお札をチラリと一瞥した霊夢はホッと一息ついた後、左手に持ち替えて軽く身構えて見せる。

 

「てっきり夢の中だから無かったと思ってわ、…まぁ無くても何とかなりそうだけどね」

 経験上今感じ取れてる霊力の持ち主程度ならば、そこら辺の木の棒ではたいたり直に触れるだけでいい相手だ。

 御幣程とまではいかないがただの棒きれでも霊力は伝わるし、直接タッチできれば直に霊力を送り込んで痛めつけられる。

 とはいえ、お札があると無いとでは安心感が違う。遠くから攻撃できるのであればそれに越したことは無い。

 お札を左手に持ち、戦闘態勢を整えた霊夢は先手必勝と言わんばかりにお札を一枚、茂みへと放った。

 彼女の霊力が入ったお札は、一枚の紙切れから霊力を纏った妖怪退治の道具へと変わり、一直線に突っ込んでいく。

 

 このまま真っ直ぐ行けば、茂みの中に隠れているであろうモノは霊夢からの先制攻撃を喰らう事になる。

 そうなれば、妖怪を殺す為だけに作られたと言えるお札の力で、呆気なく倒されてしまうだろう。

 投げた霊夢自身もすぐに片が付くと思っていた。何だかんだ言っても、やはり戦いは手短に済ませた方が良い。

 しかし…予想にも反して相手は寸でのところで茂みから飛び出し、彼女の一撃をギリギリで避けたのである。

 彼女がこれまでの妖怪退治で聞いたことの無いような、鳴き声とは思えぬ奇声を発しながら。

「オチャカナ!オチャカナ!」

「…!」

 まさか、あの距離で攻撃を避けられるとは思っていなかった霊夢は思わずその目を丸くしてしまう。

 そしてすぐに、飛び出してきたモノの姿を燃え盛る火で目にし、奇声を耳にして相手が人語を解す存在だと理解する。

 

 茂みから飛び出してきた妖怪は、全身が黒い毛皮に身を包んだ猿…とでも言えばよいのだろうか。

 全体的な姿は幻想郷でも良く目にするニホンザルと似ているものの体格は一回り大きく、そして毛深い。

 手足の指は五本。しかしそれが猿のものかと言われれば妙に違和感があり、どちらかと言えば人間のものに近い。

 何よりも特徴なのは、ソイツの顔はどう見ても猿ではなく、人間…しかも、乳幼児程度だという事だろう。

 まだ生まれて一年も経っていない、乳飲み子の様なふっくらとした優しげな顔。

 しかし、人外としか言いようの無い毛深く大きな猿の体にはあまりにも不釣り合いな顔である。

 そんなアンバランスな、しかし見る者を確実に恐怖させる姿は正に妖怪の鑑といっても良い。

 最も、妖怪は妖怪でも紫やレミリアと比べれば遥か格下の低級妖怪…としてだが。

 

 茂みから姿を現したソイツの姿を目にした後、霊夢はやれやれと言いたげな様子でため息をつく。

 あの馬車モドキを炎上しているから、てっきり下級は下級でも一癖も二癖もある様なヤツかと思っていたが、

 何でことは無い、大方長生きし過ぎた猿がうっかり妖怪化してしまった程度の存在だったのだ。

「何が出てくるかと思いきや、まさか妖獣の類だなんてハッタリも良いところね」

 そんな軽口を叩きつつも、少し離れた場所でダラダラと両手を振ってこちらを凝視する妖獣相手に身構える。

 相手が妖怪としては大したことはないにせよ、相手が妖怪ならば退治するに越したことは無い。

 幸い人語は解するにしてもこちらと会話できる程の知能を持ち合わせているようには見えなかった。

 

「夢の中とはいえ、妖怪退治をする羽目になるとはね…」

 そんな事を呟きながらも、いざ目の前の猿モドキへ向けて再度お札を投げようとした――――その時である。

 妖獣が出てきた茂みの方、先ほどのお札が通り過ぎて行った場所から再び奇怪な鳴き声が聞こえてきた。

 しかもそれは一つではなく、明らかに数匹が纏まって鳴いているかのような、耳に来る程の声量である。

 一体なんだと霊夢が攻撃の手を止めた瞬間、あの茂みの中から似たような個体が二、三匹飛び出してきた。

 顔立ちや毛並みに僅かな違いがあるが、全体的な特徴としては最初に出てきたのと酷似している。

 突然数を増やした妖獣に攻撃の手を止めてしまった霊夢はその顔に嫌悪感を滲ませながら妖獣を見つめていた。

「うわ…何よイキナリ?人がこれから退治しようって時にワラワラ出てくるなん……て?……――――ッ!」

 そんな愚痴をぼやきながらも、まぁ出てきたのなら探す手間が省けたと攻撃し直そうとした直前――――感じた。

 先程妖獣たちが出てきた茂みの向こう――墨で塗りつぶされたかのような黒い闇に包まれた森。

 彼女はそこから感じたのである。恐らくこの妖獣たちがここへ来たであろう原因となった、怖ろしい程に『凶暴』な霊力を。

 恐らく妖獣たちに対してであろう殺意と共に流れ出てくるソレを察知している霊夢は、思わずそちらの方へと視線を向ける。

 まだこの霊力の持ち主は姿を見せていないのだが、その気配を霊夢より一足遅く感じ取ったであろう妖獣たちは、皆そちらの方へ体を向けていた。

(…何なのこの霊力の濃度、紫程じゃないにしても…コレって私より…いや、それとはまた別ね)

 一方で、攻撃の手を止め続けている霊夢は感じ取れている霊力とその持ち主が気になって仕方が無かった。

 その霊力はまるで相手の肉を骨ごと噛み砕く狼の牙の様に鋭く、そして生かして返す気は無いと断言しているかのような殺意。

 人外に対する絶対的な殺意をこれでもかと詰め込んだ霊力に、霊夢は知らず知らずの内に一層身構えてしまう。

 

 

 そして…霊夢が無意識の内に身構え、妖獣たちが茂みの向こうへと叫び声を上げた瞬間―――『彼女』は現れた。

 霊夢の動体視力でしか捉えられない様な速さで森から飛び出した『彼女』が、一番前にいた妖獣へ殴り掛かる。

 殺意が込もった凶暴な霊力で包まれた右の拳が、赤子そっくりな妖獣の顔を粘土細工の様に潰してしまう。

 一瞬遅れて、炎で照らされた空間に血の華が咲き誇り、それを合図に『彼女』は周りにいる妖獣たちへ襲い掛かった。

 妖獣たちも負けじと叫び、意味の分からぬ人語を喋って『彼女』へ飛びかかり―――そして殴られ、潰されていく。

 分厚い毛皮に包まれた体に大穴が空き、拳と同じく霊力に包まれた左足の鋭い蹴りで手足が吹き飛ぶ。

 正に有無を言わさぬ大虐殺、圧倒的強者による妖怪退治とは正にこの事だ。 

 

 そんな血祭りを、少し離れた所で眺めていた霊夢は思った。――――どちらが本当の妖怪なのだと。

 『彼女』は確かに人間だ。霊力の質と量からして妖怪ではないのだすぐに分かる。

 しかし、あぁまで残酷かつ野獣のような戦い方をしているのを見ると、どちらが化け物なのか一瞬戸惑ってしまうのだ。

 

「アイツ、本当に何者なのよ?」

 一人呆然と眺め続ける霊夢は、妖獣を殺していく『彼女』へ向かった懐疑心を込めながら言った。

 最初に会った時は手助けしてくれて、その次は何の恨みがあるのか人様にぶつかってきて…。

 そして今自分の目の前…夢の中で猿の妖獣たちを、まるで獲物に食らいつく野獣の様に引き裂いていく―――あの巫女モドキへと。

 

 

 

 

 暗く、熱く、そして血に塗れてしまった自分が夢から覚めたと気づいたのはどれぐらいの時間を要したか。

 ついさっきまで夢の中にまでいたかと思って起きた時には、既に霊夢の体は慣れぬベッドの上で横になっていた。

 目を開けて、これまた見慣れぬ天井をボーッと見つめ続けて数分程して、ようやくあの夢が覚めたのだと気が付く。

 首元まですっぽりと覆いかぶさる安物勘が否めないカバーをどけて、霊夢はゆっくりと上半身を起こして自分の体を確認する。

 今身に着けているのは気絶する直前まで来ていた洋服ではなく、その下に巻いていたサラシとドロワーズだけのようだ。

 そして、今自分が妙に安っぽくてそれでいてあまり埃っぽくない部屋の中にいるという事を理解して、一言述べた。

 

「…どこよここ?」

 夢の舞台も妖怪が出てくる変な森の中であったが、起きたら起きたで見た事の無い部屋で寝かされている。

 まぁあのまま街中で気絶したままというのも嫌ではあるが、だからといってこうも見た事の無い場所でいるというのも不安なのだ。

 そんな事を思いながら、部屋を見回していた霊夢はふとその薄暗さに気が付いて窓の方へと視線を移す。

 しっかりと磨かれた窓ガラスから見えるのは、すっかり見慣れてしまったトリステインの首都トリスタニアの街並み。

 今自分がいる部屋の向こう側で窓を開けて欠伸をしている男が見えるので、恐らく二階か三階にいるのだろう。

 

 そこから少し視線を上へ向けると、並び立つ建物の屋根越しに空へ昇ろうとしている太陽が見えた。

 幻想郷でも見られるそれと大差ない太陽の向きからして、恐らく今は夜が明け始めてある程度経っているのだろう。

(そっかぁ~、つまりは…あれから一夜が経っちゃったて事よね?)

 まんまと自分やルイズたちのお金を盗んでいったあの子供の事を思い浮かべていた、ふと窓から聞き慣れぬ音が聞こえてくるのに気が付く。

 窓ガラス越しに聞こえる街の生活音はまだまだ静かで、しかし陽が昇るにつれどんどん賑やかになろうとしている雰囲気は感じられる。

 通りを掃除する清掃業者と牛乳配達員の若者同士の他愛ない会話に、軒先に水を撒いている音。

 普段人里離れた神社に住む霊夢にとっては、夜明けの街の生活音というのはあまり聞き慣れぬ音であった。

「まぁ、嫌いってワケじゃあないんだけど……ん?」

 そんな事を呟きながら何となく窓のある方とは反対方向へ顔を向けた時、

 出入り口のドアがある方向に置かれた丸いテーブル。その上に、自分がいつも着ている巫女服が置かれているのに気が付いた。

 ご丁寧に御幣まで傍らに置かれているところを見るに、きっと自分をここまで連れてきてくれたのは親切な人間なのだろう。

 しかし疑問が一つだけある、どうして自分の巫女服一式がこんな見知らぬ部屋の中に置かれているのか。

 そして気絶する直前まで着ていた洋服が消えている事に霊夢つい警戒してしまうものの、身を震わせて小さなくしゃみをしてしまう。

 恐らく昨晩は下着姿で過ごしたのだろう、いくら夏とはいえいつも寝巻姿で寝る彼女の体は慣れることができなかったらしい。

(まぁ、別段おかしなところは感じられないし…着ちゃっても大丈夫よね?)

 霊夢はそんな事を思いながらゆっくりと体を動かし、ベッドから降りて巫女服を手に取った。

 

 

「うん…良し!あの洋服も悪くは無かったけど、やっぱりこっちの方が安心するわね」

 手早く巫女服に着替え、頭のリボンを結び終えた彼女はトントンとローファーのつま先で床を叩いてみる。

 トントンと軽い音といつもの履き心地にホッとしつつ、最後に御幣を手にした彼女はひとまずどうしようかと思案した。

 御幣はあったもののデルフがこの部屋に無いという事は、恐らく魔理沙はすぐ近くにいないという可能性がある。

 それにルイズの安否もだ。彼女がいなければ幻想郷で起きた異変を解決するのが困難になる。

 最後に目にした時は、無事に藁束に落ちた所であったが、少なくともあれからどうなったのかはまでは分からない。

 もしかしたらこの家?のどこか、別室で寝かされているかもしれない。そんな事を考えながら霊夢は窓から外の景色を眺めていた。

 通りを行き交う人の数は昨夜と比べれば酷く少なく、本当に同じ街なのか疑ってしまう程である。

 

「とりあえずここの家主…?にお礼でも言った後、ルイズたちを探しに行った方がいいわよね」

 ひとしきり身支度を整え、何となく外の景色を眺めていた彼女がぽつりとつぶやいた直後であった。

 まだドアノブにも触れていないドアから軽いノックの音が聞こえた後、「失礼します」と丁寧な少女の声が聞こえてくる。

 何処かお偉いさんのいる場所で御奉公でもしていたのだろう、何処か言い慣れた雰囲気が感じられた。

(ん、この声って…まさか)

 何処がで聞き覚えのある声だと思った時にはドアノブが回り、ガチャリと音を立てて扉が開かれる。

 ドアを開けて入ってきたのは、霊夢と同じ黒髪のボブカットが特徴の、彼女とほぼ同い年であろう少女であった。

 そして奇遇にも、霊夢と少女は知っていた。互いの名前を。 

「もしかして、シエスタ?」

「あっ!レイムさん、もう起きてたんですか!」

 ドアを開けて入ってきた彼女の顔を見た霊夢がシエスタの名を呟き、ついでシエスタも彼女の名を呼ぶ。

 いつもの見慣れたメイド服ではなく、そこら辺の町娘が着ているような大人しめの服を着ている。

 

 

 ドアを開けて入ってきたシエスタは静かにそれを閉めると、既に着替え終えていた霊夢へと話しかけた。

「レイムさん、怪我の方は大丈夫なんですか?ミス・ヴァリエールが言うには頭を打ったとか何かで…」

「え?…あぁ、それはもう大丈夫だけど、ここは…」

 シエスタが話してくれた内容でひとまずルイズかいるのを確認しつつ、ここがどこなのかを聞いてみる。゛

「ここですか?ここは『魅惑の妖精亭』の二階にある寝泊まり用のスペースですよ」

「魅惑の、妖精………あぁ、あのオカマの…」

 彼女が口にした店の名前で、霊夢は寝起き早々にシエスタの叔父にあたるこの店の店主、スカロンの事を思い出してしまった。

 以前、魔理沙が街中でシエスタを助けた時にこの店を訪れた時に出会って以来、記憶の片隅にあの男の姿が染み付いてしまっている。

 その気持ちが顔に出てしまっていたのか、再び窓の方へ視線を向けた霊夢に苦笑いしつつ、

「はは…まぁでも、あんな見た…―変わってても性格は本当に良い人なんですけどね…」

 少し言い直しながらも、シエスタは見た目も性格も一風変わった叔父の良い所の一つを上げていた時であった。

 

「シエスタ―いる~?入るよぉ~」

 先程とは違いやや早めのノックの後、声からして快活だと分かる少女がドアを開けて入ってくる。

 シエスタと同じ黒髪を腰まで伸ばして、彼女と比べればやや肌の露出が多めの服を着ている。

 遠慮も無く入ってきた彼女は既に起きてシエスタと会話していた霊夢を見て、「おぉ~!」とどこか感心しているかのような声を上げて喋り出す。

「あんなにぐったりしてたから、まだ寝てるかと思いきや…いやはや丈夫だねぇ~!」

「ジェシカ、アンタか…」

 頭に巻いた白いナプキンを揺らして入ってきた少女の名前も、当然霊夢は覚えていた。

 スカロンの娘でシエスタの従姉妹に当たる少女で、確かここ『魅惑の妖精亭』でウェイトレスとして働いている。

 彼女のやや大仰な言い方に、霊夢は怪訝な表情を浮かべつつもその時の事を聞いてみる事にした。

「何よ、気絶してた時の私ってそんなにひどかったの?」 

「そりゃぁ~もう!ルイズちゃんと今ウチで働いてる旅人さんが連れてきた時は、死んでるかと思ったよ」

「ジェシカ、いくら何でも死んでるなんて例え方しちゃダメよ…それにルイズちゃんって…」

 両手を横に広げてクスクス笑いながら昨日の事を話すジェシカを、シエスタが窘める。

 ジェシカそれに対してにへらにへらと笑い続けながらも、「いやぁ~ゴメンゴメン」と頭を下げた。

 

 そのやり取りを見ていた霊夢は、本当に二人の血がつながってるとは思えないわね~…と感じつつ、

 ふと彼女の言っていだ旅人さん゙とやらと一緒に自分を連れてきてくれたルイズの事が気になってきた。

 ルイズがここにいるのならば、成程この『魅惑の妖精亭』に巫女服が置かれていたのも納得できる。

 実は彼女が持っていた肩掛け鞄の中に、もしもの時のためにと巫女服を入れてもらっていたのだ。

 巫女服の謎を解明できた霊夢は一人納得しつつも、ジェシカに話しかける。

「そういえば…ルイズと後一人が私を運んできてくれたそうだけど…ルイズはここに?」

「うん、そーだよ。今はウチの店の一階で一足先に朝ごはん食べてると思うから…で、アンタも食べる?」

 霊夢の質問にジェシカはあっさり答えると、親指で廊下の方をさしてみせる。

 その指さしに「もう大丈夫か?」という意味も含まれているのだろうと思いつつ、霊夢はコクリと頷く。

 

 不思議な事に、あの巫女もどきと結構な速度で衝突したというのに頭はそれほど痛まない。

 まぁ痛まないのならそれに越したことは無いのだが、残念な事に今の彼女には考えるべき事が大量にあった。

 自分たちの金を盗んでいった子供の行方やら、魔理沙とデルフの事…そして、さっきまで見ていたあの悪夢の事も。

 解決すればする程自分の許へ舞い込んでくる悩みに霊夢は辟易しつつも、まずはすぐ目の前にある問題を片付ける事にした。

 そう、ここにいるであろうルイズから昨夜の事を聞きながら、朝食で空腹を満たすという問題を。

「そうね、それじゃあ遠慮なく頂こうかしら」

「それキタ。んじゃあ案内するよ、シエスタは部屋の片づけよろしくね」

「お願いね、それじゃあレイムさんは、ジェシカと一緒に一階へ行っててくださいね」

 ジェシカが満面の笑みを浮かべながらそう言うと、シエスタに片づけを任せて霊夢と共に部屋を後にした。

 最も、この部屋の中で直すべき場所と言えばベットぐらいなものだろうから然程時間は掛からないだろう。

 

 『魅惑の妖精亭』の二階の廊下はあまり広いとは言えないが、その分しっかりと掃除が行き届いているように見える。

 ジェシカ曰く二階の半分は店で働く女の子や従業員の部屋で、街で部屋や家を借りれなかった人たちに貸しているのだという。

 もう半分は酔いつぶれた客を寝させる為の部屋らしいが、今年からは宿泊業も始めてみようかとスカロンと相談しているらしい。

「それに関してはパパも結構乗り気だよ?何せウチのライバルである゙カッフェ゙に差をつけれるかもしれないしね」

「う~ん、どうかしらねぇ?部屋はそれなりに良かったけど、肝心の店長があんなだと…」

「ぶー!酷い事言うなぁ。あれでも私の父親なんだよ、性格はあんなで…いつの間にか男好きにもなっちゃったけど」

 霊夢の一口批判にジェシカが口を尖らせて反論した後、二人そろって軽く苦笑いしてしまう。

 シエスタを置いて部屋を出た霊夢は、二階の狭い廊下を歩きながら先頭を行くジェシカに質問してみた。

「そういえば、何でシエスタがここで働いてるの?まぁ間柄上、別におかしい事は無いと思うけどさぁ」

「…あぁーそれね?まぁ…何て言うか、シエスタの故郷の方でちょっと色々あってね」

 先程とは打って変わって、ほんの少し言葉を濁しつつもジェシカが説明しようとした時、

 すぐ目の前にある一階へと続く階段から、聞きなれた男女の声が二人の耳に入ってきた。

 

「さぁ~到着したわよぉ~!ようこそ私達のお店、『魅惑の妖精亭』へ!」

 最初に聞こえてきたのは、男らしい野太い声を無理やり高くしてオネェ口調で喋っている男の声。

 その声に酷く聞き覚えのあった霊夢は、すぐさま脳内で激しく体をくねらせる筋肉ムキムキの大男の姿が浮かび上がってくる。

 朝っぱらからイヤなものを想像してしまった霊夢の顔色が悪くなりそうな所で、今度は少女の声が聞こえてきた。

「おぉー!…相変わらずお客さんがいなくて閑古鳥が鳴きまくってるような店だぜ」

『突っ込み待ちか?ここは夕方からの店だろうから今は閑古鳥もクソもないと思うぞ』

 あまりにも聞き慣れ過ぎてもう誰だか分かってしまった少女の言葉に続いて、これまた聞きなれた濁声が耳に入る。

 その三つの声を聞いた霊夢は、先頭にいたジェシカの横を通って一足先に階段を降りはじめた。

 見た目よりもずっとしっかりとしたソレを少し軋ませながらも、軽やかな足取りで一階にある酒場を目指す。

 

 思っていたよりも微妙に長かった階段を降りた先には、想像していた通りの二人と一本がいた。

「魔理沙!…あとついでにデルフとスカロンも」

「ん?おぉ、誰かと思えば私を見捨てて言った霊夢さんじゃあないか!」

「……それぐらいの軽口叩ける余裕があるなら、最初から気にする必要は無かったわね」

 階段を降りてすぐ近くにある店の出入り口に立っていた魔理沙は、階段を降りてきた彼女を見て開口一番そんな事を言ってくる。

 まぁ実際吹き飛んだ彼女を見捨てたのは事実であったが、別に霊夢はそれに対して罪悪感は感じていなかった。

 

「おいおい…酷い事言うなぁ、そうは言っても私かあの後ぞうなったか気にはなっただろ?」

「別に?ルイズはともかく、アンタならあの風程度でくたばる様なタマじゃないしね」

 今にも体を擦りつけてきそうな態度の魔理沙にきっぱり言い切ってやると、次に彼女が手に持っていたデルフを一瞥する。

 インテリジェンスソードは鞘だけを見ても傷が付いているようには見えず、これも心配する必要は無かったらしい。

 そんな事を思っていると、考えている事がバレたのか鞘から刀身を出したデルフが霊夢に喋りかけてくる。

『おぅレイム、大方「なんだ、全然無事じゃん」とか思ってそうな目を向けるのはやめろや』

「ん、そこまで言えるのなら元から心配する必要は無かったようね。気苦労かけなくて済んだわ」

『…なんてこった、それ以前の問題かよ』

 魔理沙ともども、最初から信頼…もとい心配されていなかった事にデルフがショックを受けていると、

 霊夢に続いて階段を降りてきたジェシカが「へぇー!珍しいねェ」と嬉しそうな声を上げて、デルフに近づいてきた。

 

「インテリジェンスソードなんて名前は聞いたことあったけど、実物を見るのは始めてだよ」

『お?初めて見る顔だな。オレっちはデルフリンガーっていうんだ、よろしくな』

「あたしはジェシカ、アンタとマリサをここへ連れてきてくれたスカロン店長の娘よ」

『はぁ?スカロンの娘だって?コイツはおでれーた!』

 流石に数千年単位も生きてきて、ボケが来ているデルフでもあのオカマの実の子だとは分からなかったらしい。

 信じられないという思いを表しているかのような驚きっぷりを見せると、そのジェシカの父親がいよいよ口を開いた。

「いやぁ~ん!酷い事言うわねェー!ジェシカは私のれっきとした娘よぉ~!」

 朝方だというのにボディービルダー並の逞しい体を激しくくねらせながら、『魅惑の妖精亭』の店長スカロンが抗議の声を上げる。

 そのくねりっぷりを見てか、刀身を出していたデルフはすぐさま鞘に収まり、スッと沈黙してしまう。

 いくらインテリジェンスソードと言えども、スカロンの激しい動きを見ればそりゃ何も言えなくなってしまうに違いない。

 デルフにちょっとした同情を抱きつつも、ひとまず霊夢はスカロンに挨拶でもしようかと思った。

 

「おはようスカロン、まだあまり状況が分からないけれど…昨日は色々と借りを作っちゃったらしいわね」

「あぁ~ら、レイムちゃん!ミ・マドモワゼル、昨日は心配しちゃったけど…その分だともう大丈夫そうねぇ~!」

 尚も体をくねらせながらもすっかり元気を取り戻した霊夢を見やってて、スカロンはうっとりとした笑みを浮かべて見せる。

 相変わらず一挙一動は気持ち悪いが、シエスタの言うとおり性格に関しては本当にマトモな人だ。

 何故かくねくねするのをやめないスカロンに苦笑いを浮かべつつ、霊夢は「ど、どうも…」と返して彼に話しかける。

「そういえばスカロン、ルイズもここにいるってジェシカから聞いたんだけど一体どこに―――」

「ここにいるわよ。…っていうか、一階に降りてきた時点で気づきなさいよ」

 彼女の言葉を遮るようにして、店の出入り口とは正反対の方向からややキツいルイズの言葉が聞こえてくる。

 霊夢と魔理沙がそちらの方へと視線を向けると、厨房に近い席で一足先に朝食を食べているルイズがこちらを睨み付けていた。

 

「おぉルイズ、無事だったんだな」

「くっさい藁束の上に落ちて事なきを得たわ。その代償があまりにも大きすぎたけど」

 霊夢よりも先に魔理沙が左手を上げてルイズに声を掛けると、彼女も同じように左手を顔の所まで上げて応える。

 その表情は沈んでいるとしか言いようがない程であり、右手に持っている食いかけのサンドイッチも心なしかまずそうに見えてしまう。

 彼女の表情から察して、結局アンリエッタから貰った分すら取り返せなかった事を意味していた。

 結局一文無しとなってしまった事実に、霊夢はどうしようもない事実に溜め息をつきながらルイズの方へと近づいていく。

「その様子だと、アンタもあのガキどもを捕まえられなかったようね」

「…言わないでよ。私だって追いかけようとしたけど、結局藁束から抜け出すので一苦労だったわ」

 自分の傍まで来ながら昨日の事を聞いてくる巫女さんに、ルイズはやや自棄的に言ってからサンドイッチの欠片を口の中に放り込む。

 魔理沙もルイズの様子を見て何となく察したのか、参ったな~と言いたげな表情をして頬を掻いている。

 

「そういえば貴方たち、昨日お金をメイジの子供に盗まれたのよねぇ~そりゃ落ち込みもするわよぉ」

「あーそいやそうだったねぇー。まぁここら辺では盗み自体は珍しくないけど…まぁツイテないというべきか…」

 そんな三人の事情を昨夜ルイズに聞いていたスカロンとジェシカも、彼女たちの傍へと来て同情してくれた。

 ルイズとしては本当に同情してくれてるスカロンはともかく、「ツイテない」は余計なジェシカにムッとしたいものの、

 それをする気力も出ない程に落ち込んでいたので、コップの水を飲みながら悔しさのあまりう~う~唸るほかなかった。

「そう唸っても仕方がないわよ。それでお金が戻って来るならワケないし」

「じゃあ何?アンタは悔しくなんか…無いワケないわよね?」

「当り前じゃない。とりあえずあの脳天に拳骨でも喰らわたくてうずうずしてるわ」

 霊夢も霊夢で決して諦めているワケではなく、むしろ今にも探しに行きたいほどである。

 しかし、一泊させてくれたスカロンたちに礼を言わずにここを出ていくのは気が引けるし、何よりお腹が空いていた。

 人探しには自信がある霊夢だが、自分の空腹が限界を感じるまでにあの子供を探せるという保証はないのである。

 それにタダ…かもしれない朝食を食わせてくれるのだ、それを頂かないというというのは勿体ない。

 

「んじゃ、私は厨房でアンタ達の朝メシ用意してくるから」

「ワザワザお邪魔しといて朝ごはんまで用意してくれるとは、嬉しいけどその後が怖いな~」

 一通りの挨拶を済ましてから厨房へと向かうジェシカに礼を述べる魔理沙。

 そんな彼女がここに来るまで…というよりも昨夜は何をしていたのか気になった霊夢はその事を聞いてみる事にした。

「魔理沙、アンタ吹っ飛ばされた後はどこで何してたのよ?さっきスカロンに連れて来られてたけど…」

「それは気になるわね。私は藁束から出た後で道端で気絶してた霊夢を見つけてたけど、アンタの姿は見てないわ」

「あぁ、あの後不覚にも風で飛ばされて…まぁ情けない話だが気絶してしまってな…」

 黙々と食べていたルイズもそれが気になり、魔理沙の話に耳を傾けつつサンドイッチを口の中ら運んでいく。

 彼女が説明するには、ルイズが箒から落ちた後で少し離れた空き地に不時着してしまった殿だという。

 その時に頭を何処かで打ったのか、靴裏が地面を激しく擦った直後に気を失い、デルフの声で気が付いた時には既に夜明けだったらしい。

 慌てて箒とデルフを手に吹き飛ばされる前の場所へ戻ったが案の定霊夢たちの姿は付近に無く、当初はどうすればいいか困惑したのだとか。

 何せ気を失って数時間も経っているのだ、あの後何が起こったのか知らない魔理沙からしてみればどこを探せば良いのか分からない。

 

『いやぁー、あれは流石のオレっちでもちょっとは慌てたね』 

「だよな?…それでデルフととりあえず何処へ行こうかって相談してた時に、用事で外に出てたスカロンとばったり出会って…」

「で、私達が『魅惑の妖精亭』で寝かされているのを知ってついてきたってワケね」

 デルフと魔理沙から話を聞いて、偶然ってのは身近なものだと思いつつルイズはミニトマトを口の中にパクリと入れた。

 トマトの甘味部分を濃くしたような味を堪能しながら咀嚼するのを横目に、霊夢も「なるほどねぇ」と頷いている。

 しかしその表情は決して穏やかではなく、むしろこれから自分はどう動こうかと

 ひとまずは魔理沙が王都を徘徊せずに済んだものの、今の彼女たちの状況が改善できたワケではない。

 ルイズがアンリエッタから頼まれた任務をこなす為に必要なお金と、ついで二人のお小遣いは盗まれたままなのだ。

 しかも賭博場で荒稼ぎして増やした金額分もそっくり盗られているときた。これは到底許せるものではない。

 だが探し出して捕まえようにも、こうも探す場所が広すぎてはローラー作戦のような虱潰しは不可能だ。

 

 そんな事を考えているのを表情で読み取られたのか、魔理沙が霊夢の顔を覗き込みながら話しかけてくる。

「…で、お前さんのその顔を見るに昨日の借りを是非とも返したいらしいな」

「ん、まぁね。とはいえ…ここの土地は広すぎでどこ調べたら良いかまだ分からないし、正直今の状態じゃあお手上げね」

「でも…お手上げだろうが何だろうが、盗ませたままにさせておくのは私としては許しがたいわ!」

 肩を竦めながらも、如何ともし難いと言いたげな表情の霊夢にミニトマトの蔕を皿に置いたルイズが反応する。

 盗まれた時の事を思い出したのだろうか、それまで落ち込んでいたにも関わらず腰を上げた彼女の表情は静かな怒りが垣間見えていた。

 席から立つ際に大きな音を立ててしまったのか、厨房にいたジェシカやスカロンが何事かと三人の方を思わず見遣ってしまう。

 自分の言葉で眠っていたルイズの怒りの目を覚まさせてしまった事に、彼女はため息をつきつつもルイズに話しかける。

「まぁアンタのご立腹っぷりも納得できるけど、とはいえ情報が少なすぎるわ」

「スカロンも言ってたな…最近子供が容疑者のスリが相次いで発生してるらしいが、まだ身元と居場所が分かってないって…」

 思い出したように魔理沙も話に加わると、その二人とルイズは自然にこれからどうしようかという相談になっていく。

 やれ衛士隊に通報しようだの、お金の出所が出所だけに通報は出来ない。じゃあ自分たちで探すにしても調べようがない等…

 金を奪われた持たざる者達が再び持っている者達となる為の話し合いを、ジェシカは面白いモノを見る様な目で見つめている。

 

 彼女自身は幼い頃からこの店で色々な人を見てきたせいで、人を見る目というモノがある程度備わっていた。

 その人の仕草や酒の飲み方、店の女の子に対する扱いを見ただけでその人の性格というモノがある程度分かってしまうのである。

 特に相手が元貴族という肩書をもっているなら、例え平民に扮していたとしてもすぐに見分ける事が出来る。

 父親であるスカロンもまた同じであり、だからこそこの『魅惑の妖精亭』を末永く続けていられるのだ。

「いやぁー、あんなにちっこい貴族様や見かけない身なりしてても…同じ人間なんだなーって思い知らされるねぇ」

「そうよねぇ。ルイズちゃんは詳しい事情までは教えてくれなかったけど、お金ってのは大切な物だから気持ちは分かるわ」

「そーそー!お金は人の助けにもなり、そして時には最も恐ろしい怪物と化す……ってのをどこぞのお客さんが言ってたっけ」

 そんな他愛もない会話をしつつもジェシカはテキパキと二人分のサンドイッチを作り、皿に盛っていく。

 スカロンはスカロンで厨房の隅に置かれた箱などを動かして、今日の昼ごろには運ばれてくる食材の置き場所を確保している。

 その時であった、厨房と店の裏手にある路地を繋ぐドアが音を立てて開かれたのは。

 

 扉の近くに立っていたジェシカが誰かと思って訝しみつつ顔を上げると、パッとその表情が明るくなる。

 店に入ってきたのは色々とワケあってここで働いている短い金髪が眩しい女性であった。

 昨夜、ルイズと共に霊夢をこの店を運んできだ旅人さん゙とは、彼女の事である。

「おぉ、おかえり!店閉めてからの間、ドコで何してたのさ?みんな心配してたよー」

「ただいま。いやぁ何、ちょっとしたヤボ用でね?…それより、向こうの様子を見るに三人とも揃ってる様だな」

 ジェシカの出迎えに右手を小さく上げながら応えると、厨房のカウンター越しに見える三人の少女へと視線を向ける。

 相変わらず三人は盗まれたお金の事でやいのやいのと騒いでおり、聞こえてくる内容はどれも歳不相応だ。

 もう少し近くで聞いてみようかな…そう思った時、いつの間にかすぐ横にいたスカロンが不意打ちの如く話しかけてきた。

「あらぁー、お帰りなさい!もぉー今までどこほっつき歩いてたのよ!流石のミ・マドモワゼルも心配しちゃうじゃないのぉ~!」

「うわ…っと!あ、あぁスカロン店長もただいま。…すいません、もう少し早めに帰れると思ってたんですが…」

 体をくねらせながら迫るスカロンに流石の彼女のたじろぎつつ、両手を前に出して彼が迫りくるのを何とか防いでいる。

 その光景がおかしいのかジェシカはクスクスと小さく笑った後で、ヒマさえできればしょっちゅう姿を消すに女性に話しかけた。

 

「まぁ私達もあんまり詮索はしないけどさぁ、あんなに小さい娘もいるんだからヒマな時ぐらいは一緒にいてあげなって」

「そうよねぇ。あの娘も貴女の事随分と慕ってるし尊敬もしてるから、偶には可愛がってあげないとだめよ?」

「…はは、そうですよね。昔から大丈夫とは言ってますが、偶には一緒にあげなきゃダメ…ですよね」

 ジェシカだけではなく、くねるのをやめたスカロンもそれに加わると流石の女性も頷くほかなかった。

 

 彼女の付き人であるという年下の少女は、女性が店を離れていても何も言わずにいつも帰ってくるのを待っている。

 時には五日間も店を休んで何処かへ行っていた時もあったが、それでも尚少女は怒らずに待っていた。

 少女も少女でこの店の手伝いをしてくれてるし、女性はこの店のシェフとして貴重な戦力の一人となってくれている。

 休みを取る時もあらかじめ事前に教えてくれているし、この店の掟で余計な詮索はしない事になっていた。

 それでも、どうしても気になってしまうのだ。この女性は何者で、あの少女と共に一体どこから来たのだろかと。

 本人たちは東のロバ・アル・カリイエの生まれだと自称しているが、それが真実かどうかは分からない。

 

(…とはいえ、別に怪しい事をしてるってワケじゃないから詮索しようも無いけれど)

 心の中でそんな事を呟きつつ、肩をすくめて見せたジェシカが出来上がった二人分のサンドイッチを運ぼうとしたとき、

「あぁ、待ってくれ。…そのサンドイッチ、あの二人に渡すんだろ?なら私が持っていくよ」

 と、突然呼びとめてきた女性にジェシカは思わず足を止めてしまい顔だけを女性の方へと振り向かせる。

 突然の事にキョトンとした表情がハッキリと浮かび上がっており、目も若干丸くなっていた。

「え?いいの?別にコレ持ってくだけだからすぐに終わるんだけど…」

「いや何、あの一風変わった二人と話がしてみたくなってね。別に良いだろ?」

「う~ん?まぁ…別にそれぐらいなら」

 女性が打ち明けてくれた理由にジェシカは数秒ほど考え込む素振りを見せた後、コクリと頷いて見せた。

 直後、女性の表情を灯りを点けたかのようにパッと明るい物になり、軽く両手を叩き長良彼女に礼を述べる。

 

「ありがとう。それじゃあ、あの三人が食べ終えたお皿も片付けておくからな?」

「ん!ありがとね。私とパパは今やってる仕事が終わったら先に寝るから、アンタも今夜に備えて寝なさいよね」

 ジェシカからサンドイッチを乗せた皿を受け取った女性は、彼女の言葉にあぁ!と爽やかな返事をしつつ厨房を出て行こうとする。

 霊夢達へ向かって歩いていく女性の後姿を見つめていたジェシカも、視線をサッと手元に戻して止まっていた仕事を再開させた。

 彼女よりも前に仕事に戻っていたスカロンの視線からも見えなくなった直後、霊夢達へ向かって歩く女性はポツリ…と一言つぶやいた。

 

「全く…あれ程バカ騒ぎするなと紫様に釘を刺されていたというのに。…何やっているんだ博麗霊夢、それに霧雨魔理沙」

 先程までジェシカたちと気さくな会話をしていた女性とは思えぬ程にその声は冷たく、静かな怒りに満ち溢れている。

 そしてその表情も、先ほどまで彼女たちに向けていた笑顔とは全く違う、人間味があまり感じられないものへと変貌していた。 

 まるで獲物を見つけた獣が、林の中でジッと息をひそめているかのような、そんな雰囲気が。

 

 

「…?―――――…ッ!これは…」

 最初にその気配に気が付いたのは、他でもない霊夢であった。

 魔理沙やルイズ達とこれからの事をあーだこーだと話している最中、ふと懐かしい気配が背後からドッと押し寄せてきたのである。

「んぅ?…あ…これってまさか…か?」

『……ッ!?』

 ある種の不意を突かれた彼女が口を噤んだことに気が付いた魔理沙も、霊夢の感じた気配に気づいて驚いた表情を見せた。

 テーブルの下に置かれてそれまで楽しげに三人の会話を聞いていたデルフの態度も一変し、驚きのあまりかガチャリと鞘越しの刀身を揺らす。

 唯一その気配を感じられなかったルイズであったが、この時三人の急な反応で何かが起こったのだと理解した。

 

 

「ちょ…ちょっと、どうしたのよアンタ達?一体何が起こったのよ」

 朝食を食べ終えて水で一服していたところで不意を突かれた彼女からの言葉に、魔理沙が首を傾げなからも応える

「いや、゙起こっだというよりかは…゙感じだと言えばいいのかな」

『あぁ…感じたな。それも物凄く近いところからだ』

 彼女の言葉にデルフも続いてそう言うと、丁度厨房に背を向けていた霊夢もコクリと頷いて口を開いた。

「近いなんてモンじゃないわよ……多分これ、私達のすぐ後ろにまで来てるわよ」

 切羽詰まった様な表情を浮かべている霊夢の言葉にギョッとしたルイズが、咄嗟に後ろを振り向こうとしたとき……゙彼女゙は口を開いた。

 

 

「やぁ、見ない間に随分と彼女との仲が良くなったじゃあないか。…博麗霊夢」

 冷たく鋭い刃物のようなその声色に覚えがあったルイズが、ハッとした表情を浮かべて後ろを振り返る。

 そこに立っていたのは、黒いロングスカートに白いブラウスと言う昨日の霊夢と似たような出で立ちをした金髪の女性が立っていた。

 厨房へと続く入口の傍に立ち、こちらを睨み付けている彼女は、昨日気絶して路上に倒れていた霊夢を一緒にここまで運んできてくれた人である。

 気を失って倒れていた彼女をどうしようかと悩んでいた時に、突如助けてくれてこの店で一晩過ごせるようにとスカロン店長に頼み込んでくれたのだ。

 そんな優しい人…というイメージを持ちかけていたルイズには、彼女が自分たちを睨んでくるという事に困惑せざるを得なかった。

 

 ここは、どう対応すればいいのか?鋭い眼光に口を開けずにいたルイズを制するように最初に彼女へ話しかけたのは霊夢であった。

「何処にいるかと思ったら、案外身近なところで潜伏していたようね」

「まぁな。お前たちが散々ここで大騒ぎしなければ私だって静かに自分の仕事だけをこなせてたんだがな」

「…え?え?」

 初対面の筈だと言うのに、女性と霊夢はまるで知り合いの様な会話をしている。

 これには流石の霊夢も理解が追いつかず、素っ頓狂な声を上げて霊夢と女性の双方を交互に見比べてしまう。

 そんなルイズを見て女性は彼女の内心を察したのか、二人分のサンドイッチを乗せた皿をテーブルの置いてから、サッと自己紹介をしてみせた。

 

 

「お初にお目にかかかります、私の名前は八雲藍。幻想郷の大妖怪八雲紫の式にして九尾の狐でございます」

 右手を胸に当てて名乗った女性―――藍は、眩しい程の金髪からピョコリ!と獣耳を出して見せる。

 ルイズの記憶が正しければ、それは間違いなく狐の耳であった。



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第八十七話

「全く、昨夜は随分と騒いでくれたじゃないか?」

 『魅惑の妖精亭』二階にある客室の一つ、八雲藍は部屋の中にいる三人を睨みつけながら言った。

 服装は霊夢と魔理沙が良く知る道士服姿ではないが、頭から生える狐の耳で彼女が紫の式なのだと一目でわかる。

 そして彼女は怒っていた。本気…と呼べるほどではないが、少なくとも鋭い眼光をルイズ達に見せるくらいには怒っていた。

 先ほどこの店の一階で思わぬ再開を果たした後、出された食事を手早く食べさせられた後にこの部屋へと連れ込まれてしまったのである。

 助けてくれそうなジェシカとスカロンは彼女を信頼しているのか、それとも何かしらの゙危機゙を本能的に察したのだろう。

 今夜の仕込みと片づけが終わるとさっさと寝てしまい、シエスタも店の手伝いがあるので今はベッドでぐっすりと寝息を立ててる。

 つまり、逃げる場所は無いという事だ。

 

 霊夢は部屋に一つしかないシングルベッドに腰掛けて、右手に持った御幣の先を地面に向けて何となく振っており、

 魔理沙とルイズはそれぞれ椅子に腰かけ、テーブルに肘をついてドアの前で仁王立ちする藍を見つめている。

 

 博麗の巫女であり、彼女ともそれなりに知り合いである霊夢はスーッと視線を逸らして話を聞いている。

 あの紫の式だというのに主と違って融通が利かず、人間には上から目線な彼女の説教をまともに聞く気はないのだろう。

 一方で魔理沙は気まずそうな表情を浮かべてじっと視線を手元に向けつつ、軽く口笛を吹いて誤魔化そうとしていた。

 霊夢以上に目の前の式が好きになれない彼女にとって、これから始まる説教は単なる苦行でしかない。

 そしてルイズはというと、唯一三人の中でキッと睨み付けてくる藍と睨み合っていた。

 とはいっても、実際には緊張のあまり身動きできない為に目と目が合ってしまっているだけであったが。

 

 お喋りなインテリジェンスソードのデルフも今は黙り込み、微動だにすらしないまま大人しく鞘に収まって壁に立てかけられたている。

 三人と一本。昨夜この近辺で子供のスリ相手に大騒ぎした三人は一体の式を前に大人しくなってしまっていた。

 両腕を胸の前で組む藍はこちらをじっと見つめるルイズと視線を合わせたまま、こんな質問をしてきた。

「お前たちに一つ聞く、…一度幻想郷へと帰り、この世界へ戻ってくる前に紫様に何か言われなかったか?」

 そう言って霊夢と魔理沙を睨み付けると、視線を逸らしたままの霊夢がボソッと呟いた。

「言われたわよ?今回の異変を解決するにはルイズの協力が必要不可欠だって…」

「そういやーそんな事言われてたな。…後、私にはしばらく白米は口にできないって言ってたっけな?あの時は―――」

「霊夢はともかく魔理沙、お前に関しての事はどうでも良い。私が聞きたいのは、お前たち三人に向けて紫様が言った事だ」

 無意識に空気を和まそうとした二人の会話をもう一段階怒りそうな藍が遮ると、今度はルイズの方へと話を振る。

 

「…というわけだ。あの二人はマジメに答える気はないようだが、お前はちゃんと覚えているだろう」

 自分を睨み付けるヒトの形をした狐に睨まれたルイズは、ハッとした表情を浮かべて自分の記憶を掘り返す。

 それは今からほんの少し、アルビオンから帰ってきた後に幻想郷へと連れていかれ紫と散々話をしたこと、

 翌日に霊夢の神社とやらで゙これから゙の事を話し合い、念のためには魔理沙を押し付けられてハルケギニアへ戻る事となった事。

 そしてルイズは思い出す。魔理沙が来た後、紫が学院の自室へと続くスキマを開ける前に言っていた事を。

 彼女が自分たちを見下ろし、心配そうに言っていたのが印象的だったあの説明。

 それを頭の中で思い出し、忘れてしまった部分は省略と補正でどうにかして、一つの説明へと作り直していく。

 藍がルイズに話を振ってから数秒ほどだろうか…少し返事が遅れたものの、ルイズは口を開いてあの時聞かされた事を喋り出す。

「た、確か…能力を使って戦うのは良いけど、あまり人目に触れると大変な事になる…って言ってたような…」

「……少し違うが、まぁ大体合っているな」

 少々しどろもどろだったルイズの回答に藍は自分なりに褒めてあげると、今度は霊夢と魔理沙を睨みつけながら話を続けていく。

 

「彼女の言った通り、紫様はこの世界ではいつもの異変解決と同じ感じで暴れ回るなと言った筈だ

 特にこの世界の人間…彼女を除いた貴族、平民含むすべての人間にはなるべく自分たちの力を見せるな。…と」

 

 それがどうだ?最後にそう付け加えると、二人はバツの悪そうな表情を浮かべて思わずそっぽを向いてしまう。

 確かに、昨日は魔法学院とは比べ物にならない大勢の前で箒で飛んだりしていたし空も自由に飛び回っていた。

 幸いあの時はスペルカードもお札も使わなかったので良かったが、そうでなければ彼女の怒りはこれだけでは済まなかっただろう。

 九尾狐からの大目玉をくらわずに済んだ二人は、しかし今は素直に胸をなで下ろす事はせずにじっと藍の睨みを我慢していた。

 紫ならともかく、彼女の場合融通が利かなすぎて安易に冗談を言おうものなら普通に怒ってくるのである。

 主が傍にいるのなら彼女が上手い事間に入ってくれるのだが、当然今は幻想郷でグータラしていることだろう。

 よって霊夢と魔理沙の二人が取れる行動は、何となく彼女の話を聞きながら視線を逸らし続ける事であった。

 

 二人がそっぽを向き続け、流石にこれは不味くないかと感じたルイズが少しだけ慌て始めた時、

 キッと目を鋭くして睨み続けていた藍は一転して諦めたような表情を浮かべて、大きなため息をついた。

「まぁ…した事と言えば空を飛んだだけで、この世界では別に珍しい事では無い。大衆の前でスペルカードを使うよりかはマシだな」

 そう言ってから肩を竦めてみせると、それを待っていたと言わんばかりに霊夢達は藍の方へと視線を向ける。

「何だ何だ、お前さんにしてはやけに諦めが早いじゃないか?悪いモンでも喰ったのか?」

「そうね。……っていうかそれくらいしか目立ったもの見せてないし、怒られる方が理不尽極まりないわ」

「………お前らなぁ」

 まだ許すのゆの字すら口に出していないというのに、ここぞばかりに二人は口達者になる。

 単にあっさり許した藍に驚く魔理沙はともかく、霊夢の反省する気ゼロな言葉に流石の式も顔を顰めてしまう。

 そして相変わらず変わり身の早い二人を見て額に青筋を浮かべつつ、藍は怒る気力すら失せてしまう。

 下手に怒鳴っても彼女たちに効かないのは明白であるし、霊夢の場合だと逆恨みまでしてくるのだから。

 

 そんな式の姿にルイズは軽い同情と憐れみの気持ちを覚えつつも、ふと気になる疑問が一つ脳裏に浮かぶ。

 それを口に出そうか出さないかと悩んだところで、その疑問を質問に変えて藍聞いてみた。

「えーと、ラン…だったけ?ちょっと質問良いかしら?」

「ん?いいぞ、言ってみろ」

 丁寧に右手を顔の横にまで上げたルイズの方へと顔を向けた藍は、コクリと頷いて見せる。

 急な質問をしてきたルイズに何かと思ったのか、霊夢達も口を閉じて彼女の方へ視線を向けた。

「単純な質問だけど、どうしてここのお店で人間のフリして働いてるのよ?」

「……ふふふ、ルイズ~。それはコイツにとっちゃあ凄くカンタンな質問だぜ?」

 しかし藍が口を開く前に、口から「チッチッ…」という音を鳴らしながら人差し指を振る魔理沙に先を越されてしまう。

 ルイズと霊夢は突然意味不明なことをし出す魔理沙に奇異な目を向けつつ、彼女は藍に代わって質問に答えようとした。

 

「答えは一つ、それはコイツが人間のフリしてこの店の人間を頂こ…うって!イテテ!冗談だって……!?」

「冗談でも言って良い事と悪い事ぐらい、言う前に吟味しろ」

 最も、得意気に言おうとした所で右の頬を強く引っ張ってきた藍に無理矢理止められてしまったのだが。

 一目で怒ってると分かる表情で魔法使いの頬を抓る式の姿を見て、幻想郷の連中に慣れてきたルイズは思わず身震いしてしまう。

 そしてあの魔理沙が有無を言わさず暴力に晒される光景に、目の前にいる狐の亜人がタダものでないという事を再認識した。

 

「じゃあ真剣に聞くけど、何でアンタみたいなのがわざわざ人間の中に紛れて…しかもこの店で働いてるのよ?」

 藍の暴力という矛先が魔理沙へ向いている間に、すかさず霊夢もルイズと同じような質問をする。

 ただし先の質問をしたルイズとは違い、彼女の体からあまり穏やかとは言えない気配が滲み出ている。

 霊夢からしてみれば、式といえども妖怪の中では群を抜く存在である九尾狐が人間との共存などおかしい話なのだ。

 古来から大陸を中心に数多の国を滅ぼし、外の世界においても最も名が知られているであろう九尾狐。

 人間なんて餌か玩具程度としか見なさないようなヤツが、どうしてこんな場所で人間と暮らしているのか?

 妖怪を退治する側である霊夢としては、彼女がここにいる真意…というか目的を知りたいのであった。

 

 そんな霊夢の考えを察したのか、彼女の方へと顔を向けた藍は魔理沙の頬を抓るのをやめた。

 彼女の攻撃か解放された魔理沙が頬を摩りながらぶつくさ文句を言うのを余所に、霊夢と向き合ってみせる。

 ベッドに腰掛けたままの霊夢と、この部屋にいる四人の中で唯一立っている藍。両者ともに鋭い目つきで睨み合う。

 人間と妖怪、食われる側と食う側、そして退治する側とされる側。共に被食者であり捕食者である者たちの間から漂う殺気。

 その殺気を感じたのかルイズと魔理沙の二人が緊張感を露わにするのを余所に、まず最初に藍が口を開いた。

「…まぁそうだな、お前からしてみれば私が何か企んでいると思っているんに違いない。…そう思ってるんだろう?」

「まだ手ェ出してない内にゲロっといた方が良いわよ?今なら半殺しよりちょっと易しい程度で済ましてあげるから」

「落着けよ。紫様の式である私がこの世界で人を喰いたいが為にいないなんて事はお前でも理解できるだろ」

「そこよ、紫のヤツが何を考えてアンタを人の中に放り込んだのか…その意図を知りたいの」

 人差し指を突き付けてそう言う霊夢に、藍は「初めからそう言え」と言ってからそれを皮切りにして説明し始める。

 それは八雲紫が、式である彼女に任命しだ任務゙の事と、ここで働く事となった経緯についてであった。

 

 八雲藍の分かりやすく、そして的確な事情説明は時間にすれば三十分程度であったか。

 途中話を聞くだけの側である霊夢達が、ここが藍が寝泊まりしてる寝室だと知ってから勝手に物色し始めたり、

 そして見つけたお茶と茶請けを勝手に頂いたり…というハプニングはあったものの、何とか無事に聞き終える事ができた。

「なるほどね~、紫のヤツもまぁ…アンタ相手に無茶な命令してくるわねぇ」

「紫様の考えている事もまぁ納得はできるが、…それよりも人の菓子を平気で食うお前の神経が理解できん」

「概ね同意するわね。私も自室にこっそり隠しておいた大切なお菓子を食べられたから」

 最初は疑っていた霊夢も、これまでのいきさつと藍が街のお菓子屋から買ってきたであろうクッキーとお茶のお蔭ですっかり丸くなっている。

 藍も藍で一応は止めようとしたものの、下手に騒いでも得にはならない為止むを得ず見逃すしかなかった。

 そんな彼女と相変わらず暴虐無人な霊夢を見比べて、ルイズは人の姿をした狐の化け物についつい同情してしまう。

 

「それにしてもさぁ、紫も考えたもんだよな。この異変を利用して、魔法技術を幻想郷に広めようだなんて」

『実力のある者ほど危機を好機と解釈して動く。お前さんの主は相当賢いねぇ』

 王都で購入したであろうお茶を啜っていた魔理沙が口を開くと、今まで黙っていたデルフもそれに続く。

 どうやら藍の話を聞くうちに危険ではあるものの話が通じる者と判断したのか、いつもの饒舌さを取り戻していた。

 藍も幻想郷では目にした事の無い喋る剣に興味を示しているのか、デルフの喧しい濁声には何も言わない。

 まぁ嫌悪な関係になっては困るので、ルイズ達としてはそちらの方が有難かった。

 

 八雲藍が主である紫に命令されてこのハルケギニアへと来た目的は大まかに分けて二つ。

 一つはこの世界と幻想郷を複雑な魔法で繋げ、゙何がを企てようとしている異変の黒幕の情報を探る事。

 いくら霊夢が異変解決の専門家であったとしても、流石に幻想郷よりも広大な大陸から黒幕を探し当てるのを難しいと判断したのか、

 自分の式をこの世界へと送りつけて、今はハルケギニア各国で何かしら不穏な動きが無いか探らせているらしい。

 ただ、本人曰く「この世界は業火に変わりそうな煙が幾つも立ち上っている」とのことらしい。

 そして二つ目は、魔理沙が言ったようにこの世界の発達した魔法技術が幻想郷でも使えるか調査しているのだという。

 各国によりバラつきはあるらしいが、今の段階でも外の世界の魔法より遥かに洗練された技術と彼女は褒めていた。

「そーいえばそうよね。…あの涼しい風を発生させてた水晶玉もマジック・アイテムだったし」

「だな。この世界の魔法は私達ほど独創性は無いが、呪文自体は固定化されてるし便利と言えば便利だぜ?」

 以前、その魔法技術がもたらした涼風の恩恵を受けた事のある霊夢と魔理沙も彼女の言葉に納得している。

 

 

「幻想郷にそのまま持ち込んでも十分使えるが、こちらなりに改良すれば格段に便利になるかもしれないぞ」

「そーいえば紫も似たような事言ってたわね。ヨウカイ達の生活向上だとか何とかで…」

 説明を終えて一息ついていた藍に続くようにして、少し嬉しそうなルイズが紫との会話を思い出す。

 別に彼女がこの世界の魔法を作ったわけではないが、それでも敬愛する始祖ブリミルから賜わった魔法が異世界の者に認められたのだ。

 貴族、ひいてはメイジにとってこれ程…というモノではないが嬉しくないワケがなく、その顔には笑顔が浮かんでいる。

 嬉しそうに微笑んでいるルイズを一瞥しつつも、その時紫か言っていた事を思い出した霊夢はふと藍に質問してみた。

「でも、妖怪たちの為に研究するなら私や人里で住んでる人たちにはその恩恵を分けてやらないつもりなの?」

「まずは身内から…という事だ。里の人間に不用意に技術を渡せばどういう風に利用されるか分かったものじゃない」

「魔法使いの私としても、人里中に似非魔法使いが溢れるっていうのは感心しないなぁ」

「っていうか、さりげなく自分も恩恵にありつこうとしてるのがレイムらしいわね…」

 藍の口から出た厳しい回答に魔理沙とルイズがそれぞれ反応を示した後、暫し部屋に静寂が流れる。

 開け放たれた窓の外から見える王都は既に賑わっており、静かな部屋の中に喧騒が入り込む。

 

 暫しの沈黙の後、口を開いたのは壁に立てかけられていたデルフであった。

『…で、お前さんはこの王都に来たのはいいものの寝泊まりする場所が確保できず、やむを得ず住み込みで働くことにしたと…』

「うむ。時期が悪かったのもあるが…ここまで活気のある都市へ来るのも久々だったからな」

 先程の説明の最後で教えた事を反芻するデルフの言葉に頷いて、はぁ…と切なげなため息を口から洩らす。

 そのため息の理由を何となく察することのできたルイズたちの脳裏に「トレビアン」と呟いて体をくねらす大男の姿が過る。

「…大分お疲れの様ね。まぁ無理もないと思うけど」

「性格に関して言えばこの界隈では一番真っ当な人間だと思うんだが、如何せん性格がアレでは…」

「トレビアン、だろ?そりゃーあんなのと四六時中いたら気も滅入ると思うぜ」

 幻想郷では絶対にお目にかかれないであろうスカロンの存在に、霊夢と魔理沙も疲れた様子の藍に同情してしまう。

 何せどんなに性格が良くてもあの見た目なのである、あれでは初対面の人間はまず警戒するだろう。

 

(酷い言われようだけど、でもあんな容姿だと確かに仕方ないわよねぇ)

 ルイズは口にこそ出さなかったものの、大体霊夢達と似たような考えを心中で呟いた時である。

 突然ドアをノックする音が聞こえ、思わず部屋にいた者たちがそちらの方へ顔を向けた直後、小さな少女がドアを開けて入ってきたのは。

 やや暗い茶髪の頭をすっぽり包むほどの大きな帽子を被り、少し高めと思われるシンプルな洋服に身を包んだ十代くらいの女の子。

 あの廊下で足音一つ立てず、ドアの前にいきなり現れたと思ってしまうような少女の闖入にルイズは思わず「女の子…?」と口走ってしまう。

 そして驚く彼女に対して、霊夢は少女の体から漂ってくる気配ど獣の臭い゙から少女の正体をいち早く察する事ができた。

「ふ~んふふ~んふ…――――えっ!?な、何でここに巫女がいるの?それに、黒白も!?」

「巫女?黒白?何、貴女もコイツラの親戚なの?」

 八重歯を覗かせる口から鼻歌を漏らしながら入ってきた少女は部屋に入るなり、霊夢達の姿を見て酷く驚いてしまう。

 ルイズはその驚きようと、少女の口から出た単語で霊夢達と関係のある人物だと疑い、奇しくもそれは的中していた。

 霊夢と魔理沙の姿を目にして先程の嬉しげな様子から一変、冷や汗を流しながら狼狽える彼女にベッドから腰を上げた霊夢が傍へと歩み寄る。

 

「まぁアンタとは藍と顔を合わせるよりも前に出会ってたから、どこかにいるだろうとは思ってたけど…っと!」

 怯えた様子を見せる少女のすぐ傍で足を止めた霊夢はそんな事を言いつつ、そのままヒョイッと少女が着ている服の後ろ襟を掴み上げた。

 身長は一回り小さいものの、少なくとも軽々と持ち上げられる程軽くは無いはずなのに…霊夢は少女を片手で掴み上げている。

 何処か現実味の薄いその光景にルイズが軽く驚く中、持ち上げられた少女は両手足を振り回して抵抗し始めている。

「わ、わわわわぁ…!ちょッ放してよ!」

「…あ、ちょっとレイム!そんな見ず知らずの女の子に何てことするのよ!」

 ルイズの最な注意にしかし、霊夢は反省するどころかルイズに向けて「何を言ってるのか?」と言いたげな表情を浮かべていた。

 

「見ず知らずですって?アンタ忘れたの?コイツがアンタの部屋に来た時の事を」

「………?私の、部屋…。それって、もしかして魔法学院の女子寮塔にある私の自室の事?」

『レイム。今のその嬢ちゃんの姿じゃあ娘っ子には分からないと思うぜ?』

 霊夢の意味深な言葉にルイズが首を傾げるのを見てか、デルフがすかさず彼女へ向けて言った。

 彼もまた気配から少女の正体を察して思い出していた。かつて自分を異世界へと運んでくれるキッカケとなった、小さくて黒い使者の姿を。

 

「はぁ…全く。変装するくらいならもう少し技術を磨いてからにしなさいよね?」

 デルフの忠告に霊夢はため息をつきながら少女へ向かってそんな事を言うと、彼女が頭に被っている帽子に手を伸ばす。

 恐らくこの世界で藍が買い与えたであろう帽子は妙にふわふわとした触り心地で、決して安くはない代物だと分かる。

 その帽子を掴み、さぁそれをはぎ取ってやろう…というところで霊夢は未だ一言も発していない藍へと視線を向ける。

 自分を見つめる彼女の目が鋭い眼光を発しているが、何も言わない所を見るにこのままこの少女の゙正体゙をルイズの前で明かしても良いという合図なのか?

 そんな事を思った霊夢は、一応確認の為にと腕を組んで沈黙している藍へ確認してみることにした。

「……で、ご主人様のアンタが何も言わないのならコイツの正体を念のためルイズに教えてあげるけど…良いわよね?」

「まぁお前のやり方は問題があると思うが、これも良い経験になるだろう。その子の為にも手厳しくしてやってくれ」

「そ、そんなぁ!酷いですよ藍様ー!」

 霊夢を睨み続ける藍からのゴーサインに少女が思わずそう叫んだ瞬間、

 彼女が頭に被っていた帽子を、霊夢は勢いよく引っぺがしてやった。

 

 文字通り帽子がはぎ取られ、小さな頭がルイズたちの目の前で露わになる。

 その直後、その頭から髪をかき分けるようにしてピョコリ!と勢いよく一対の黒い耳が出てきたのである。

 頭髪よりもずっと黒い毛色の耳は、まるで…というよりも猫の耳そのものであった。

「え?み、耳…ネコ耳!?」

 少女の頭から生えてきた猫耳に目を丸くしてが思わず声を上げてしまった直後、

 間髪入れずに今度は少女が穿いているスカートの下から、二本の長く黒い尻尾がだらりと垂れさがった。

 頭から生えてきた耳と同じく猫の尻尾と一目でわかるその二尾に、流石のルイズも口を開けて驚くほかない。

「こ、今度は尻尾…!二本の…って、あれ?二尾…猫耳…黒色…?」

 しかし同時に思い出す、霊夢が言っていた言葉の意味を。

 二本の尻尾に黒い猫耳。形こそ違うが、似たような特徴を持っていた猫と彼女は過去に会っていた。

 

 アルビオンから帰還した後、霊夢とデルフからガンダールヴのルーンについて話し合ったていた最中の事。

 あの猫は唐突にやってきたのである、まるで手紙や荷物の配達しにきたかのように。

 そして自分とデルフは誘われ、彼女は帰還する事となったのだ。自分にとっての異世界、幻想郷へと。

 

 あの後の色んな意味で刺激的すぎる出来事と体験を思い出した後、ルイズはようやく気づく。

 目の前にいる猫耳と二尾を持つ少女と、かつて出会っていた事に。

「え?ちょっと待って、じゃあもしかして…あの時の猫ってもしかして」

「もしかしなくても、あの時の猫又こそコイツ――式の式こと橙のもう一つの…っていうか正体ね」

 ルイズか言い切る前に霊夢が答えを言って、猫耳の少女――橙をパッと手放した。

 ようやく怖ろしい巫女の魔の手から解放された橙は目の端に涙を浮かべながら藍の元へ一目散に駆け寄る。

「わあぁん!酷いよ藍さま~、帰って来るなりこんな目に遭っ……うわ!」

 てっきり諌めてくれるかと思って近づいた橙はしかし、今度は主の藍に首根っこを掴まれて驚いてしまう。

 正に仔猫の様に扱われる橙であったが、元が猫であるので驚きはするが別に痛みは感じいない様だ。

 

 一方、近寄ってきた橙を掴んだ藍は自分の目線の高さまで彼女を持ち上げると目を細めて話しかけた。

「橙、私がこうして怒っている理由はわかるよな?」

「は、はい…」 

 藍の静かな、しかしやや怒っているかのような言い方に橙は借りてきた猫の様に委縮しながら頷く。

「前にも言ったが、この店での仕事がある日は私の言いつけ通り外出は一時間までと決めた筈だな」

「仰る、通りです…」

「うん。……じゃあ、今は外へ出てどれくらい経ってる?」

「一時間、三十分です」

「正確には一時間三十五分五十秒だ」

 そんなやり取りをした後、冷や汗を流す橙へ藍の軽いお説教が始まった。

 

「…やれやれ、誰かと思えば式の式とはね。…まぁ藍のヤツがいるならコイツもいるよな」

 静かだが緊張感漂う藍のお説教をBGMにして、魔理沙が一人納得するかのように呟く。

 最初のノックの時こそ誰かと思ったものの、ドアを開けて自分たちに驚いた所で彼女も正体には気が付いていた。

 デルフや霊夢と比べてやや遅かったが、この世界で何の迷いもなく自分の事を黒白を呼ぶ少女なんて滅多にいない。

 それに実力不足から来る抑えきれない獣の臭いもだ、あれでは正体を見破れなくとも怪しまれる事間違いなしだろう。

 そんな事を思いながら、しょんぼりと落ち込む橙を見つめてお茶を飲む魔理沙にふとルイズが話しかけてくる。

 

「それにしても意外ねぇ。あの女の子の正体が、あの黒猫だったなんて」

「まぁあの二匹に限っては獣の姿の方が正体みたいなもんだしな、そっちの方が学院にも潜り込めると思うしな」

 驚きを隠せぬルイズにそう言った所で説教は済んだのか、藍に首根っこを掴まれていた橙が地面へと下ろされた。

 少し流す程度に訊いていた分では、どうやらあらかじめ決めていた外出時間を大幅に過ぎていた事に怒っているのだろう。

 腰に手を当てて自分の式を見下ろす藍は、最後におさらいするつもりなのか「いいか、橙」と彼女へ語りかける。

「私か紫様にお使いを頼まれた時でも外出時間はきっかり一時間までだ。いいな?」

「はい、御免なさい…」

 橙も橙で反省したのか、こくり頷いて謝るのを確認してから藍が「…さぁ、彼女の方へ」とルイズの方へ顔を向けさせた。

 魔理沙と話していたルイズは、突然自分と橙を向き合わせてきた藍に怪訝な表情を見せてみる。

 

 一体どういう事かと問いかけてくるようなルイズの表情を見て、藍は橙の肩に手を置きつつ彼女へ自己紹介を始めた。

「まぁ名前は言ったと思うが、この子は橙。私の式で…まぁ霊夢達からは式の式とか呼ばれているがな」

「ど、どうも…」

 先ほどの怒っていた様子から一変して笑顔を浮かべる藍の紹介に合わせて、橙もルイズに向かって頭を下げる。

 スカートの下で黒い二尾を大人しげに揺らしてお辞儀をする彼女の姿に、ルイズもついつい「こ、こちらこそ」と返してしまう。

 別に返す必要は無かったのだが、霊夢や魔理沙、そして藍と比べて随分かわいい橙の雰囲気で和んだとでも言うべきか…

 元々猫が好きという事もあったルイズにとって、橙の存在そのものは正に「愛らしい」という一言に尽きた。

 橙も橙でルイズが自分に好意を向けてくれている事に気づいてか、頭を上げると申し訳程度の微笑みをその顔に浮かべる。 

 

「やれやれ、化け猫相手に笑顔なんか向けちゃって」

 そんな一人と一匹の間にできた和やかな雰囲気をジト目で見つめながら、霊夢は一言呟く。

 霊夢にとって猫というのは化けてようがなかろうが、時に愛でて時に首根っこを掴んで放り投げる動物である。

 神社の境内や縁側で丸くなってる程度なら頭や喉を撫でて愛でてやるのだが、それも猫の行動次第だ。

 それで調子に乗って柱や畳に粗相しようものなら、箒を振り回してでも追い払いたい害獣として扱わざるを得ない。

 更に化け猫何てもってほかで、長生きして妖獣化した猫なんて下手な事をされる前に退治してしまった方が良い。

 とはいえ、相手が藍の式である橙ならば何も知らないルイズ相手に早々酷いことはしないだろう。

 

 そんな時であった。自分の方へと視線を向けてニヤついている魔理沙に気が付いたのは。

 面白そうな事を見つけた時の様なニヤつきに何かを感じた霊夢は、キッと睨み付けながら彼女へ話しかける。

「何よ、そんなにジロジロニヤニヤして」

「いやー何?基本他人の事にはそれ程気を使わないお前さんでも、人並みに嫉妬はするんだな~って思ってさ」

「はぁ?私が嫉妬ですって?」

 テーブルに肘をつきながら何やら勘違いしている黒白に、霊夢は何を言っているのかと正直に思った。

 大方橙のお愛想に気をよくしたルイズをジト目で見つめていたから、そう思い込んでしまったのだろう。

 無視してもいいのだが、ルイズたちにも当然聞こえているので後々変な勘違いをされても困る。

 多少面倒くさいと思いつつも、魔理沙に自分の考えが間違っている事を丁寧に指摘してあげることにした。

 

「別に嫉妬なんかしてないわよ。ただの化け猫相手に愛想よくしても何も出やしないのに…って呆れてるだけよ」

「…!むぅ~、私を藍様の式だと知っててそんな事言うのか、この巫女が~」

「ちょっとレイム、いくらなんでもそれを本人の目の前で言うとか失礼じゃないの!」

 霊夢の辛辣な言葉に真っ先に反応した橙は反論と共に頬を膨らませ、ルイズもそれに続いて戒めてくる。

 彼女の勢いのある暴言に、ショーを見ている観客気分の魔理沙はカラカラと笑う。

「いやぁ~ボロクソに言われたなー橙、まぁ今みたいにルイズに色目使うと霊夢に噛みつかれるから次は気を付けろよ」

『お前さんがレイムのヤツをからかわなきゃ、こんな展開にはならなかったと思うがな』

「全くその通りだな。何処に行っても変わりないというか、相変わらず過ぎるというか…やれやれ」

 魔理沙の言葉にすかさずデルフが突っ込み、藍は霊夢に跳びかかろうとする橙を押さえながら呆れていた。

 

 

「―――良い?言うだけ無駄かもしれないけど、これからは自分の言葉に気を付けなさいよね!」

「はいはいわかったわよ、…全く。―――あっそうだ」

 その後、襲い掛かろうとした橙に変わってルイズに軽く注意された霊夢はふと藍にこんな事を聞いてみた。

「そういえば…アンタの式はどこほっつき歩いてきたのよ?アンタと再会したばかりの時には見なかったけど…」

「ん?そうか、まだお前たちには話してなかったな。……橙、ちゃんど調べ物゙はしてきたな?」

 霊夢からの質問に忘れかけていた事を思い出したかのように、藍は背後に控えていた橙へと呼びかける。 

 尻尾を若干空高く立てて、警戒している橙はハッとした表情を浮かべると自分の懐へと手を伸ばす。

『お?……何か取り出すみたいだな』

 その様子から何をしようとしているのか察したデルフが言った直後、橙は懐から一冊のメモ帳を取り出して見せた。

 彼女の手よりほんの少し大きいソレは、まだ使い始めて間もないのか新品のようにも見える。

 ルイズたちの前で自慢げに取り出したソレを、橙はこちらへと顔を向けている自分の主人の前へ差し出す。 

 

「藍様、これを…」

「うん、確かに受け取ったぞ」

 橙からメモ帳を受け取った藍は真ん中くらいからページ開き、ペラペラと何度か捲っている。

 そして、とあるページで捲っていた指を止めると今度は目を右から左に動かしてそこに書かれているであろう内容を読み始めた。

「……?何よ、何が書かれてるのよそんな真剣に読んじゃって」

 無性に気になった霊夢が藍にメモ帳を読んでいる藍に聞いてみると、彼女は顔を上げてメモ帳を霊夢の前を突き出す。

 読んでみろ、という事なのだろうか?怪訝な表情を浮かべつつも霊夢はそれを受け取ると、最初から開いていたページの内容に目を通した。

 ルイズと魔理沙も霊夢の傍へと寄って何だ何だと目を通したが、ルイズの目に映ったのは見慣れぬ文字ばかりである。

「何よこれ?…あぁ、これってアンタ達の世界の文字ね。で、何て書かれてるのよ?」

 魔理沙には難なく読めている事からそう察したルイズは、霊夢に質問してみる。

「ちょい待ちなさい―――ってコレ、もしかして…」

「あぁ、間違いないぜ」

 逸るルイズを抑えつつメモ帳に書かれていた内容を理解した霊夢に、魔理沙も頷く。

 一体何がどうなのか分からないままのルイズは首を傾げてから、後ろで見守っている藍へと話を振る。

 

 

「ねぇラン、このメモ帳には何が書かれてるのよ?私には全然分からないんだけど」

「昨日お前たちから金を盗んだという子供とやらに関する情報だ。…まぁ大したモノは無かったがな」

「へぇ、そうなんだ…って、え!そうなの?」

 自分の質問に藍が特に溜めもせずにあっけらかんに言うと、ルイズは一瞬遅れて驚いて見せた。

 昨日彼女と一緒に霊夢を運んだ際に、何があったのかと聞かれてついつい口に出してしまっていたのである。

 その時はまだ霊夢の取り合いだと知らなかったので、自分たちの素性はある程度隠してはいたのだが、

 きっと自分達の事など、最初に見つけた時点で誰なのか知っていたに違いない。

 

「酷いですよ藍様ー!せっかく身を粉にして情報を集めたっていうのに」

「そう思うのならもう少し良い情報を集めてきなさい。そこら辺の野良猫に聞いても信憑性は低いんだから」

 自分が持ってきたモノを「大したことない」と評されて怒る橙と、諌める藍を見てルイズはそんな事を思っていた。

 しかし、どうして自分たちの金を盗んだ子供とは無関係の彼女達がここまで調べてくれるのだろうか?

 それを口にする前に、彼女と同じ疑問を抱いたであろうデルフがメモの内容へ必死に目を通す霊夢達を余所に質問した。

『しっかし気になるねぇ~、昨日の件とは実質的に無関係なアンタらがどうしてここまで首を突っ込むのかねぇ?』

「…あっ、それは私も思ったぜ?人間同士の争いには無頓着なお前さんにしてはらしくない事をする」

「まぁ書かれてる内容自体は、大したことない情報ばっかりだけどね」

「うわぁ~ん!巫女にまで大したことないって言われた!」

 

 霊夢にまでそう評されて怒る橙を余所に、藍は「そりゃあ気になるさ」と彼女らしくない言葉を返した。

「何せ盗られた金額が金額だからな。…確か、三千二百七十エキューか?お前たちにしては持ち過ぎと思うくらいの大金だな」

 一回も噛むことなく満額言い当てた藍の言葉を聞いて、霊夢と魔理沙は一瞬遅れたルイズの顔を見遣ってしまう。

 金を盗られた事は話していても、流石に金額まで言わなかったルイズは首を横に振って「言ってないわよ?」と答える。

 藍は三人のやり取りを見た後、どうして知っているのかと訝しむ彼女たちに答えを明かしてやる事にした。

「何も聞き耳を立てているのは人間だけじゃない、街の陰でひっそりと暮らすモノ達はしっかりとお前たちの会話を聞いてたんだ」

「…成程ねぇ、だから橙を外に出歩かせてたワケね」

 藍の明かしてくれた答えでようやく理由を知った霊夢が、彼女の隣で頬を膨らます化け猫を一瞥する。

 化け猫であり妖獣である橙ならば猫の言葉が分かるし、それならメモ帳に書かれていた内容も理解できる。 

 とはいっても、その大部分が書く必要もない情報――どこそこのヤツと喧嘩したとか、向かいの窓の娘に一目惚れしてる―――ばかりであったが。

 

「大部分の情報がどうでもいいうえに、有用なのも、私でもすぐに調べられそうな情報ばかりなのが欠点だけどね」

「それ殆ど褒めてないでしょ?ちょっとは褒めてあげなさいよ、可哀想に」

「まぁ所詮は式の式で化け猫だしな、むしろ気まぐれな猫としてこれで精一杯てヤツだな」

「わぁー!寄ってたかって好き放題に言ってくれちゃってぇー!!」

「こらこら橙、コイツラに怒るのは良いがもう少し声は控えめにしないか」

 容赦ない霊夢と魔理沙のダメ出しと、調べて貰っておいてそんな態度を見せる二人に呆れるルイズ。

 そして激怒する橙を宥める藍を見つめながら、デルフはやれやれと溜め息をつきながら一人呟いていた。

 

 

『こんだけ騒がしい中にいるってのも…まぁ悪くは無いね。少なくともやり取りだけ聞いてても十分ヒマはつぶせるよ』

 壁に立てかけられている彼はシッチャカメッチャカと騒ぐ少女たちを見て、改めて霊夢の元にいて悪くは無かったと感じた。

 多少扱いは荒いが言葉を間違えなければ悪い事にはならないし、何より話し相手になってくれるだけでも十分に嬉しい。

 以前置かれていた武器屋の親父と出会うまでは、鞘に収まったままずっと大陸中を移動していた。

 南端にいたかと思えば、数か月もすれば北端へ運ばれて…サハラの国境沿いにあるガリアの町まで運ばれた事もある。

 何人かは自分がインテリジェンスソードだと気づいてくれたが、生憎自分の゙使い手゙となる者達では無かった。

 戦うこと自体はあまり好きではない。しかし、剣として生きているからには自分を使いこなせる者の傍にいたい。

 そして、できることならば自分を戦いの場で振るってほしいのだ。

 

 そんな風に出会いと別れを繰り返し、暇で暇で仕方ないときに王都に店を持つ親父と出会えたのは一種の幸運であった。

 ゙使い手゙ではなかったが自分を一目見て正体を看破しただけあって、武器に関しての知識はあった。

 話し相手として申し分ないと思い、暫く路地裏の武器屋で過ごした後に色々あって魔法学院の教師に買われてしまった。

 それなりに戦えるようだが゙使い手゙ではなかったし、メイジが一体何の冗談で買ったのかと最初は疑っていたのである。

 

(そんで、まぁ…色々あってレイム達の許へ来たわけだが…まさかこの嬢ちゃんが『ガンダールヴ』だったとはねぇ)

 今にも跳びかからんとする橙に涼しい表情を見せる巫女さんを見つめながら、デルフは一人感慨に浸る。

 何ぜ使い手゙どころか剣を振った事も無いような華奢な彼女が、あの『ガンダールヴ』ルーンを刻まれていたのだ。

 かつて『ガンダールヴ』と共にいた彼にとって、霊夢という存在は長きに渡る暇から解放してくれた恩人であったが、第一印象は最悪であった。

 最初の出会いは最悪だったし、その後も一人レイムの知り合いという人外に隅から隅まで容赦なく調べられたのである。

 まぁその分いろいろと『おまけ』を付けてくれたおかげで、ルイズと霊夢たちが喧嘩した時の仲直りを手伝えたからそれは良しと思うべきか?。

(いや、良くはないだろうな。…でも、久々にオレっちを振るってくれるヤツが現れただけマシってやつか)

 もしもし人の形をしているならば首を横に振っていたであろう彼は、まだ記憶に新しいタルブでの出来事を思い出す。

 

 ワルドという名の腕に覚えのあるメイジとの戦いは、久しぶりに心躍る出来事であった。

 霊夢も自分と『ガンダールヴ』の力を存分に使って振るい、これまで溜まっていた鬱憤を見事拭い去ってくれたのである。

 かつての記憶は忘れてしまったが、以前自分を使ってくれた『ガンダールヴ』よりも直情的な戦い方。

 けれどもあのルーンから伝わる力に、どれ程自分の心が震えたことか。

 あれのおかげか知らないが、ここ最近になってふと忘れていた昔の事をぼんやりと思い出せるようになっていた。

 といってもそれを語れるほどではなく、ルイズ達にはその事を話してはいない。

(あーあ、懐かしかったなーあの力の感じは。オレを最初に振るってくれだ彼女゙と同じで――――ん?彼…女…?)

 

 そんな時であった、心の中でタルブの事と朧気な昔の記憶を思い出していたデルフの記憶に電流が走ったのは。

 まるで永らく電源を入れていなかった発電機を起動させた時の様に、記憶の上に積もっていたノイズという名の埃が振動で空高く舞い上がっていく。

 その埃が無くなった先に一瞬だけ見えたのだ、どこかの草原を歩く四人の男女の影を。

 

(誰だ…お前ら?――イヤ違う、知ってる。そうだ…!憶えてる、憶えてるぞ…)

 誰が誰なのかをまだ思い出せないが、それでもデルフの記憶の片隅に断片が残っていた。

 それがビジョンとして一瞬だけ脳内を過った事で、彼は一つだけある記憶を思い出す。

 そう、自分は『ガンダールヴ』とその主であるブリミル…その他にもう二人の仲間がいたという事実を。

 どうして、この瞬間に思い出したかは分からない…けれど、それを思いだすと同時にある事も思い出した。

 これは長生きの代償で失ったのではなく、何故か意図的に忘れようとしたことを。

 

(でも…なんでだ?どうしてオレ、この記憶を゙忘れようどしたんだっけ?)

 最も、その理由すら忘れてしまった今ではそれを思いだす事などできなかったが…

 それが彼の心と思考に、大きなしこりを生むこととなってしまった。

 

 

 

 

 霊夢達の容赦ないダメ出しで怒った橙を宥め終えた藍は、彼女は後ろに下がらせて落ち着かせる事にした。

 式の式である彼女は完全にへそを曲げており、頬を膨らませながら霊夢達にそっぽを向けている。

 そりゃあ本人なりに主からの命で必死に調べた情報を貶されたのだ、つい怒りたくなるのも分かってしまう。

 ご立腹な橙と、その彼女と対照的に落ち着いている霊夢たちを交互に見比べながらルイズはついつい橙に同情していた。

 一方で霊夢と魔理沙は、盗まれた金額の多さに疑問を抱いた藍の為にこれまでの経緯をある程度砕いた感じで話している。

 既にルイズの許可も得ており、まぁ霊夢達の関係者ならば大丈夫だろうと信じたのである。まぁそうでなくとも話さざるを得なかった思うが…。

 霊夢としても、一応は紫の式に出会えた事でこれまでの出来事を報告しておこうと思ったのだろう。

 

 幻想郷からこの世界に戻って来た後から、どうしてあれ程の大金を持っていたについてまで。

 軽い手振りを交えつつあまり良いとは言えない思い出話に藍は何も言わずに、だがしっかりと耳を傾けて聞いていた。

 語り終えるころには既に時間は午前九時を半分過ぎた所で、窓越しの喧騒がはっきりと聞こえてくる。

 背すじを伸ばそうとふと席を立ったルイズは窓の傍へと近寄り、すぐ眼下に広がる通りを見てある事に気が付いた。

 どうやらこの一帯は日中のチクトンネ街でも比較的活気がある場所らしく、窓越しに見える道を多くの人たちが行き交っている。 

 日が落ちて夜になればもっと活気づくだろうし、この店が比較的繁盛しているというのもあながち間違いではない様だ。

 老若男女様々な人ごみを見下ろしながら、そんな事を考えていたルイズの背後から藍の声が聞こえてくる。

 

「成程、私がこの国の外を調べている内に色々とあったようだな」

「色々ってレベルじゃないわよ。全く、どれだけ命の危険に晒されたか分かったもんじゃないわ」

 話を聞いて一人頷く藍を余所に、霊夢は苦虫を噛んでしまったかのような表情を浮かべながらこれまでの苦労を思い出していた。

 思えば今に至るまでの間、これまで経験してきた妖怪退治や異変解決と肩を並べるほどの困難に立ち向かっているのである。

 特にタルブ村で勝負を仕掛けてきたワルドとの戦いは、正直デルフと使い魔のルーンが無ければ最悪死んでいた可能性もあったのだ。

 今にしてあの戦いを思い出してみれば、良くあの男の杖捌きについてこれたなと自分でも感心してしまう。

 そんな風にして霊夢が感慨にひたる横で、今度は魔理沙が藍に話しかける番となった。

 

「それにしても意外だな。まさかタルブで襲ってきたシェフィールドが、元からアルビオン側だったなんてな」

「……!それは私も思ったわ」

 魔理沙の口から出た言葉に窓の外を見つめていたルイズもハッとした表情を浮かべて、二人の話に加わってくる。

 タルブ村へ侵攻してきたアルビオンの仲間として、キメラをけしかけてきた悪党であり『ミョズニトニルン』のルーンを持つ謎の女ことシェフィールド。

 未だ彼女の詳細は何もわからない状態であったが、その女に関する情報を藍は持っていたのだ。

 聞けばその女、何と今のアルビオンのリーダーであるクロムウェルの秘書として勤めているというのである。

「てっきりあの女が黒幕の一端かと思ったけど、案外身近なところにご主人様はいたんだな」

「う~ん、アルビオンが近いって言われると何か違和感あるわね。そりゃアンタ達には近いでしょうけど」

 ルイズとしても、自らを始祖の使い魔の一人と自称していた彼女の主が誰なのか気にはなっていた。

 もし藍の情報通りクロムウェルの秘書官であるなら、あの元聖職者の野心家が主という事になるのだろう。

 即ち、アルビオン王家を滅ぼしあまつさえこの国を滅ぼそうとしたあの男が、自分と同じ゙担い手゙であるという証拠になってしまう。

 

 そんな事を想像してしまい、思わず背すじに悪寒が走りかけたルイズへ藍がさりげなくフォローを入れてくれた。

「まぁ事はそう単純ではないのかもしれん。あの男が本当にその女の主なのか、な」

 彼女の口から出た更なる情報にルイズはもう一度ハッとした表情を浮かべ、霊夢の眉がピクリと動く。

「それ、どういう事よ?」

「少なくともあの二人のやり取りを見ていたのだが、どうもアレは主従が逆転していたように見えるんだ」

 そう言って藍は、アルビオンでの偵察中に見た彼らのやり取りを出来るだけ分かりやすく三人へ伝えた。

 秘書官だというのに始終偉そうにしていたシェフィールドに、ヘコヘコと頭を下げて彼女に媚び諂うクロムウェルの姿。

 主従が逆転したどころか、初めからそういう関係としか言いようの無い雰囲気さえ感じられたことを彼女は手短に説明する。

 

「じゃあ待ってよ。それじゃあクロムウェルっていう奴は、最初からその女の言いなりだったっていうの?」

「あぁ。少なくとも弱みを握られて仕方なく…という雰囲気ではなかったし、操られているという気配も感じられなかったな」

「ちょ…ちょっと待ってよ。じゃあ何?最初からクロムウェルはあのミョズニトニルンの手下だって事なの?」

 流石のルイズも何と言ったら良いのか分からないのか、難しい表情を浮かべながら考えている。

 もし自分の言った通りならばアルビオン貴族達の決起や王族打倒、そしてトリステインへの侵攻も全てあの女が仕組んだことになってしまう。

 クロムウェルという名のハリボテの教会を隠れ蓑にして、『神の頭脳』はこれまで暗躍してきたというのか?

 

 そんな考えがルイズの頭の中を駆け巡っている中、魔理沙はふと頭の中に浮かんだ疑問を藍にぶつけている。

 それは先ほど彼女が考えていた『クロムウェルという男が゙担い手゙だという』事に関してであった。

「なぁ、アイツは自分を始祖の使い魔の一人って自称してたんだが…もしかしてクロムウェルが…」

「う~む、それ以前に私はアルビオンであの男を見張っていたのだが、とても魔法を使える人間とは思えんな」

「ルイズの例もあるし、もしかしたら普通の魔法は使えないんじゃないの?」

 それまで黙っていた霊夢も小さく手を上げて仮説を唱えてみるが、藍は首を横に振って否定する。

「少なくともメイジ…だったか、彼らからある種の力は感じてはいたが…あの似非指導者からは何の力も感じられなかったぞ」

 藍の言葉を聞き、それまで一人考えていたルイズばバッと顔を上げて彼女の方を見遣る。

 

「……それってつまり、クロムウェルがただの平民だって事?」

「ハッキリと断言できる程の材料は無いが、そういう力が無ければそうなのかもしれん」

「じゃあ、シェフィールドの主とやらは…別にいるっていう事なのかしら?」

 霊夢の言葉に、ルイズが「彼女の言う通りなら…それもあり得るかも」と言うしか無かった。

 藍の言うとおり、とにもかくにも真実を探すための材料というモノが大きく不足してしまっている。

 今のままシェフィールドについて話し合っても、当てずっぽうの理論しか出てくるものが無い。

 最初から関わりの無い橙を除いて、四人と一本の間に数秒ほどの沈黙と緊張が走る。

 

 何も言えぬ雰囲気の中で、最初にその沈黙を破り捨てたのは他でも藍であった。

「…しょうがない、この件に関しては私が追加で調査しておこう。色々と引っ掛るしな」

「あ、ありがとう、わざわざ…」

「礼には及ばんさ。それよりも一つ、お前に関して気になることを一つ聞きたいのだが」

 彼女がそう言うとそれまで黙っていたルイズが礼を述べるとそう返して、ついでルイズへと質問しようとする。

 この時、霊夢からこれまでの経緯を聞いていた彼女が何を自分の利きたいのか、既にルイズは分かっていた。

 タルブでアルビオン艦隊と対峙した際に伝説の系統である『虚無』の担い手として覚醒した事。

 彼女はそれに関する事を聞きたいのだろう、『虚無』とはどういうものなのかを。

 

「分かってるわ。私の『虚無』について、聞きたいのでしょう?」

「流石博麗の巫女を使い魔にしただけのことはある。…察しの良い奴は嫌いじゃない」

 自分の言いたい事を先回りされた藍がニヤリと笑うと、ルイズはチラリと霊夢の顔を一瞥する。

 今からでも「仕方ないなー」と言いたげな、いかにも面倒くさそうな表情を浮かべた彼女はルイズの視線に気が付き、コクリと頷いて見せた。

 彼女としては特に問題は無いようだ。念のため魔理沙にも確認してみるが彼女もまたコクコクと頷いている。

 …まぁ彼女たちはハルケギニアの人間ではないし、何より敵か味方かと問われれば味方側の者達だ。

 不本意ではあるが、これからも長い付き合いになるだろうし、情報は共有するに越したことは無い。

 

 

 その後は、渋々ながらも藍に自分が伝説の系統の担い手として覚醒した事を教える羽目になった。

 王宮から受け賜わった何も書かれていない『始祖の祈祷書』のページが、アンリエッタから貰った『水のルビー』に反応して文字が浮かび上がってきたこと。

 そこには虚無に関する記述と、『虚無』の魔法の中では初歩の初歩と呼ばれる呪文『エクスプロージョン』のスペルが載っていたこと。

 その呪文一発でもって、頭上にまで来ていたアルビオン艦隊を壊滅させてしまったという驚愕の事実。

 そして昨日、アンリエッタが自分の身を案じて『虚無』の魔法を使うのを控えるように言われた事までを、ルイズは丁寧に説明し終えた。

「成程、『虚無』の系統…失われし五番目の魔法ということか」

「まぁ私から言わせれば、あれは魔法というよりも世界の粒に干渉して意のままに操ってる…っていう感じが正しいわね」

「ちょっと、折角始祖ブリミルが授けてくれた系統を「する程度の能力」みたいな言い方しないでよ」

 始祖の祈祷書に書かれていた内容をルイズの音読からきいていた霊夢が、さりげなく自分の主張を入れてくる。

 少々大雑把な考えにも受け取れるが、確かに聞いた限りでは魔法と言う領域を超えているとしか言いようがない。

 

 この世界に普遍する゙粒゙をメイジが杖を媒介にして干渉することで、四系統魔法が発動する。

 『虚無』の場合はそれよりも更に小さな゙粒゙へと干渉し、艦隊を飲み込んだという爆発まで起こす事が出来るのだ。

 もしもその力を自由に使いこなす事が出来るのであれば、それを魔法と呼んでいいものか分からない。

 ルイズが自分たちの味方であるからいいものの、もしも彼女が敵側であったのならば…

 それこそ人間でありながら、幻想郷の妖怪たちとも平気で渡り合える力の持ち主と戦う羽目になっていたに違いない。

(全く、人の身にはやや過ぎた力だと思ってしまうが…今は爆発しか起こせないのが幸いだな)

 現状ではルイズか今使える『虚無』の力はエクスプロージョンただ一つだけ。

 あれ以来ルイズの方でも始祖の祈祷書のページを捲ってみたのが、他の呪文は何一つ記されていなかったのだという。

 それを霊夢達に話し、今の所一番『虚無』に詳しいであろうデルフにどういうことなのかと訊いた所…

 

 ――――新しい呪文?そんな簡単にホイホイ出せるほど『虚無』ってのは優しい呪文じゃねェ。

        必要な時が迫ればそん時の状況に最適な魔法が祈祷書に記される筈だ、それだけは覚えておきな

 

 …と得意気に言っていたらしいが、藍はそれを聞いてその本を造った者の用心深さに感心していた。

 霊夢達から聞いた限りでは、『虚無』の力は例え一人だけであっても軍隊と対等かそれ以上に戦う力を持っている。

 使い方によっては人の身で神にもなり得るし、その逆に全てを力でねじ伏せられる悪魔にもなってしまう。

 大きすぎる力というモノは人の判断力と理性を鈍らせ、やがてその力に呑み込まれて怖ろしい化け物と化す。

 外の世界ではそうして幾つもの暴虐な権力者が生まれては滅び、次に滅ぼしたモノがその化け物と化していくという悪循環が起こっている。

 ここハルケギニアでも同様の悪循環が生まれつつあるが、少なくとも外の世界程破滅的な戦争が起こっていないだけマシだろう。

 とにかく、もし『虚無』の力の全てを一個人が手にしてしまえば…どんな恐ろしい事が起こってしまうか分からないのだ。

 

(恐らく、『虚無』を作り上げ…更に祈祷書を書いた者は理解していたのだろうな。人がどれ程゙強力な力゙というモノに弱いのかを)

 かつて最初に『虚無』を使ったという始祖ブリミルの事を思いつつ、藍はルイズに質問をしてみる事にした。

「それで、現状はこの国の姫様から『虚無』を使うのは控えるよう言われているんだな?」

「えぇ。…少なくとも、街中であんな恐ろしい大爆発を起こそうだなんて微塵も思ってないわ」

「ならそれで良い。お前の『虚無』に関する事は私の方でも調べておこう。紫様にも報告を…」

 そんな時であった、椅子に座っていた魔理沙がスッと手を上げて大声を上げたのは。

「…あ!なぁなぁ藍、ちょいと聞きたい事があるんだけど…良いかな?」

 改めてルイズの意思を聞いた彼女は納得したように頷くと、会話が終わるのを待たずして今度は魔理沙が話しかけてきた。

 少しだけ改まった様子の黒白に言葉を遮られた藍は、彼女をジッと睨みつつも「何だ、言ってみろ」と質問を許す。

「そういやさぁ、紫のヤツはどうしたんだよ?ここ最近姿を見かけなくなったような気がするんだが」

「んぅ?…そういえばそうねぇ、アイツなら何かある度に様子見に来るかと思ってたけど」

 魔理沙の口から出た意外な人物の名前に霊夢も思い出し、ついでルイズも「そういえば確かに…」と呟いている。

 

 

 今回の異変の解決には時間が掛かると判断し、ルイズを協力者にして霊夢をこの世界に送り返した挙句、魔理沙を送り込んだ張本人。

 ハルケギニアへと戻った後も何度か顔を見せては、色々ちょっかいを掛けてくるスキマ妖怪こと八雲紫。

 その姿を最後に見てからだいぶ経っているのに気が付いた魔理沙が、紫の式である藍に質問したのである。

 魔理沙の質問に藍は暫し黙った後、難しそうな表情を浮かべながらゆっくりと、言葉を選びながらしゃべり出した。

「うーむ…私としても何と言ったら良いか。…かくいう私も、今は紫様がどこでどうしているのか把握できないんだ…」

「…?どういう事なのよ?」

 最初何を言っているのか理解できなかったルイズが首を傾げて聞くと、藍は「言葉通りの意味だ」と返す。

 彼女曰く、それまでやや遅れていたが定期的に藍の許へ顔を見せに来ていた紫が来なくなったのだという。

 当初は何かしら用事があるのだろうと思っていたが、それ以降パッタリと連絡が途絶えてまったらしいのである。

 

「えぇ~、何よソレ?何かもしもの時の連絡手段とか用意してなかったワケ?」

「一応何かがあった際は他の式神を鴉なんかの小動物に憑かせて連絡する手筈だったのだが…どうにもそれが来なくて…」

「おいおい!お前さんがそこまで困ってるって事は結構重大な事なんじゃないか?」

 流石に音沙汰なしで帰る方法も無いためにお手上げなのか、あの藍が困った表情を浮かべている。

 これには霊夢と魔理沙も結構マズイ事態だと理解したのか、若干焦りはじめてしまう。

 話についてこれなくなっていた橙も主の主の事でようやく話が追いつき、困惑した様子を見せている。

 一方のルイズは、始めて耳にする言葉を聞きつつも今の彼女たちが緊急の事態に陥っている…という事だけは理解できた。

 確かに、この世界と幻想郷を繋げた紫が来ないという事は…何かがあった際に彼女たちはこの世界から出られないだろう。

 

 魔法学院で例えれば深夜まで居残りをさせられて、ようやく自室に到着!…と思った瞬間、鍵を無くしていた事に気付いた状態であろう。

 どこで落としたのか分からないし、深夜だから鍵を作ってくれる鍵屋さんも呼ぶことができない。

 そんなもしも…を頭の中でシュミレートし終えた後で、ルイズはようやく彼女たちが焦る理由が分かった。

「うん、まぁ確かに部屋の鍵を無くしたら焦るわよね。私の場合アン・ロックの魔法も使えないし」

「私達の場合は、アイツ自身がマスターキーなうえに合鍵も作れないという二重の最悪なんだけどね」

「おい!紫様だって今回の件は久しぶりに頑張ってるんだ、そう悪口を言うモノじゃない」

「久しぶりって所が紫らしいぜ」

「全く、アンタ達は本人がいないなのを良い事に……ん?」

 霊夢と魔理沙がこの場にいない紫への評価を口にする中、橙がルイズの傍へと寄ってくる。

 ついさっきまで藍の傍にいた彼女へ一体何なのかと言いたげな表情を浮かべてみると、向こうから話しかけてきてくれた。

 

「アンタも大変だよねぇ、いっつもあの二人と付き合わされてさぁ」

「あ…アンタ?」

 何を喋って来るかと思えば、自分の事を貶してくれた霊夢達への文句だったようだ。

 それよりも自分を「アンタ」呼ばわりしてきた事に軽く目を丸くしつつ、ひとまずは質問に答える事にした。

「ん、んー…まぁ大変っちゃあ大変だけど、流石にあんだけ個性があると勝手に慣れちゃうわよ」

「へぇ~…そうなんだ。貴族ってのは皆気の短いなヤツばかりだと思ってたけど、アンタみたいなのもいるんだね」

「それは私が変わっちゃっただけよ。…っていうか、その貴族である私をアンタ呼ばわりするのはどうなのよ?」

 自分と橙を余所に、紫の事で話し合っている霊夢達を見ながらルイズかそう言うと橙は首を傾げて見せる。

 その仕草が余計に可愛くて、しかし傾げた後に口から出た言葉には棘があった。

「……?私は式で妖怪だし、アンタは人間。妖怪が人のマナーを守る必要なんて特にないよね?」

「…!こ、この娘…」

 正に猫を被っているとはこの事であろう。藍や霊夢達の前で見せていた態度とはまるっきり違う橙の姿にルイズは戦慄する。

 更に彼女たちへ聞こえない様に声を潜めている為、尚更性質が悪い。

 思わぬ橙の一面を見たルイズが驚いてる最中、橙は更に小声で喋り続ける。

 

 

 

「それにしてもさぁ、紫様も結構無責任だよねぇ。私と藍様をこんな人間だらけの世界で情報収集を押し付けちゃうし…」

「あら、私はそう無茶な命令だと思っていないわよ?」

「う~んどうかしらねぇ?貴女はともかくランの方は意外、と…………ん?」

 

 

 

 主の主が自分たちへ処遇に文句を言う橙へ返事をしようとしたルイズは、ある違和感に気付く。

 それはもしかするとそのまま無視していたかもしれない程、彼女には物凄く小さく…けれども目立つ変な感じ。

 幸いにも橙へ言葉を返す前に気付けた彼女は、自分が気づいた違和感の正体を既に知っていた。

 

 ………今自分が喋る前に、誰かが橙に話しかけた?

 

 窓越しの喧騒と霊夢達の話し声に混じって、女性の声が橙に言葉を返したのである。

 それは気のせいではなく、確実に耳に入ってきたのである――――自分橙の背後から、ひっそりと。

 朝っぱらだというのに、誰もいない背後から聞こえてきた女の声にルイズは思わず冷や汗を流しそうになってしまう。

 隣にいる橙へと視線を向けると、途中で言葉を止めてしまった自分を見て不思議そうな視線を向けている。

 その目と自分の目が合ってしまい、何となく互いに小さな会釈した後で再び視線を霊夢達の方へ向け直す。

 妖怪である彼女なら何か気づいていると思ったが、どうやらあの猫の耳は単なる飾りか何からしい。

 そんな事を思いながらも、ルイズは背後から聞こえてきた女の声が何なのか考えていた。

 

(…こんな朝っぱらから幽霊とか…でもこの店、夜間営業だからそういう類は朝から出るのかしら?)

 そんなバカみたいな事を考えながらも、しかし間違っても幽霊ではないだろうと思っていた。

 もしその手の類ならば自分よりも先にここにいる幻想郷出身の皆々様が先に気付くはずだろうからだ。

 幻聴という線もあるが第一自分はそういう副作用が出る薬やポーションなんて服用してないし、疲れてもいない。

 いや、現在進行中で精神疲労は溜まっているがまだまだ体は元気で、昨日はバッチリ八時間も睡眠している。

 それなの何故、女性の声が聞こえたのだろうか?後ろを振り向く前にその理由を探ろうとして、

 

「もぉ~。聞こえてるのに無視するなんて傷つくじゃないのぉ」

「うわっ――――ひゃあッ!?」

 

 背後から再び女性の声が聞こえると同時に何者かにうなじを撫でられ、素っ頓狂な悲鳴を上げた。

 その悲鳴に隣にいた橙は二本の尻尾と耳を逆立てて驚きのあまり飛び跳ね、そのまま後ろへと下がる。

 単にルイズの悲鳴で驚いたのではなく、彼女の後ろにいつの間にか立っていた『女性』を見て後ずさったのだ。

「…わっ!ちょ何だ何だ―――って、あぁ!」

「………全く、アンタっていつもそうよね?いないないって騒いでる所で驚かしにくるんだから」

 議論をしていた霊夢達も何だ何だと席を立ったところで、魔理沙がルイズの背後を指さして驚いている。

 霊夢も霊夢で、彼女に背後に現れた女性に呆れと言いたい表情を浮かべてため息をついていた。

 

 うなじを撫でられ、思わずその場で前のめりに倒れてしまったルイズが背後を振り向こうとした時、

 それまで若干偉そうにしていた藍が恭しくその場で一礼すると、自分の背後にいる人物の名を告げた。

「誰かと思えば…やはり来てくれましたか、紫様」

「え…ゆ、ユカリ…じゃあ?」

「貴女のうなじ、とっても綺麗でしたわよ?ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール」

 そう言いながら彼女―――八雲紫はルイズの前に歩いて出てくると、すっと右手を差し出してくる。

 白い導師服に白い帽子という見慣れた出で立ちの彼女の顔は、静かな笑みを浮かべながらルイズを見下ろしていた。

 呼ばれて飛び出て何とやら…というヤツか。ルイズはそんな事を思いながらも一人で立って見せる。

 別に彼女から差し出された手を掴んでも良かったのだが、以前睡眠中の自分を悪戯で起こした事もあった妖怪だ。

 どんな罠を仕組まれてるか分からないし、それを考えれば一人で立って見せる方がよっぽど安全なのだ。

 

「あら、ひどい娘ね。折角私が手を差し伸べてあげたのに」

「そりゃーアンタがルイズのうなじを勝手に撫でたうえに、いっつも胡散臭い雰囲気放ってるからよ」

 やや強いリアクションでがっかりして見せる紫に傍へよってきた霊夢が突っ込みを入れつつ、彼女へ話しかけていく。

「っていうか、アンタ今まで何してたのよ?ここ最近ずっと姿を見なかったし、こっちは色々あったのよ」

「そうらしいわね。さっきこっそり、あなた達が藍に報告してるのを盗み聞きしてたから一通りの事は知ってるわよ」

「そうですか…って、えぇ?それってつまり、随分前からこっちに来てたって事じゃないですか!」

 どうやら主の気配に気づかなかったらしい藍が、目を丸くして驚いて見せる。

 何せさっきまで紫が来ない来ないと困惑して様子で話していた所を、全て彼女に聞かれていたのだ。

 

「ちょっと驚かそうと思ってたのよ。何せこうして顔を見せに来るのも久しぶりだし、皆喜んでくれるかなーって…」

「喜ぶどころか、何でもっと速く来なかったってみんな思ってるぜ?」

「まぁちょっとは心配しちゃったけど。さっきの盗み聞き云々聞いてたら、そんな事思ってたのが恥ずかしくなってくるわね」

「私にも色々あったのよ、それだけは理解して…って、ちょっと霊夢?そんな目で睨まないで頂戴よ」

 頬を掻きながら恥ずかしそうな笑顔を見せる紫の言葉に、魔理沙がすかさず突っ込みを入れる。

 先程まで藍達に混じって多少焦っていた霊夢もそんな事を言いながら、紫をジト目で睨んでいた。

 そりゃあんだけ心配それた挙句に、あんな登場の仕方をすればこんな反応をされても可笑しくは無いだろう。

 彼女の式である藍もまた、主の平気そうな様子を見て苦笑いを浮かべるほかなかった。

 

「まぁでも、これで元の世界に帰れないっていうトラブルはなくなったわよね?……って、ん?」

 ルイズは一人呟きながら隣にいる筈の橙へ話しかけようとして、ふといつの間にかいなくなっている事に気が付く。

 紫がうなじを撫でた時にびっくりして後ろへ下がっていたが、少なくともすぐ隣にいる位置にいた筈である。

 じゃあ一体どこに…?ルイズがそう思った時、ふと後ろで小さな物音がした事に気が付き、おもむろに振り返った。

 丁度自分の背後―――通りを一望できる窓に抜き足差し足で近づこうとしている橙がいた。

 姿勢を低くして、二本足で立てるのに四つん這いで移動する彼女は何かを察して逃げようとしているかのようだ。

 

 いや、実際に逃げようとしているのだろう。ルイズは何となくその理由を察していた。

 何せ先ほど口にしていた人間への態度や、主の主…つまりは紫に対する批判が全て聞かれていたのだから。

 正に沈みゆく船から逃げ出すネズミ…いや、そのネズミよりも先に逃げ出そうとする猫そのものである。

 ここは一声かけて逃げ出すのを防いでやろうか?先ほど「アンタ」呼ばわりされたルイズがそう思った直後、

 

「さて、色々あるけれど…まずは―――…橙?少し私とお勉強しましょうか」

「ニャア…ッ!?」

「あ、ばれてたのね」

 逃げ出そうとする橙に背中を見せていた紫の一言で逃亡を制止されて身を竦ませた橙を見て、ルイズは思った。

 もしも八雲紫から逃げる必要が迫った時には、なるべく気絶させる方向に持っていこうかな…と。

 

 

 

 

 

 トリステイン南部の国境線にある、ガリア王国陸軍の国境基地。通称『ラ・ベース・デュ・ラック』と呼ばれる場所。

 ハルケギニアで最大規模の湖であるラグドリアン湖を一望できるこの場所は、ちょっとした観光スポットで有名だ。

 四季ごとにある祭りやイベントにはガリア、トリステイン両方も多くの人が足を運び賑わっている。

 その為湖の周辺には昔から漁業で生計を立てる村の他にも、観光客を受け入れる為の宿泊施設も幾つか建てられている。

 特に夏の湖はため息が出るほど綺麗であり、燦々と輝く太陽の光を反射する湖面は正に宝石の如し。

 釣りやボートにスイミングなどで湖を訪れる者もいれば、とある迷信を信じて訪れるカップルたちもいるのだ。

 ここラグドリアン湖は昔から水の精霊が棲むと言われる場所であり、実際にその姿を目にした者たちもいる。

 そして、この湖で永遠の愛を誓ったカップルは、死が二人を分かつまで別れる事は無くなるのだそうだ。

 

 そんな素敵な言い伝えが残るラグドリアン湖の夏。今年もまた多くの人々がこの地に足を踏み入れる……筈だった。

 しかし、今年に限ってそれは無理だろうと夏季休暇を機にやってきた両国の者たちは同じ思いを抱いていた。

 その理由は、それぞれの国のラグドリアン湖へと続く街道に設置された大きな看板に書かれていた。

 

―――――今年、ラグドリアン湖が謎の増水を起こしているために湖への立ち入りを禁ず。

――――――尚、トリステイン(もしくはガリア)への入国が目的の場合はこのまま進んでも良しとする。

 

 看板を目にし、増水とは一体どういう事かと納得の行かぬ何人かがそれを無視して街道を進み…そして納得してしまう。

 書かれていた通り、ラグドリアンの湖は一目見てもハッキリと分かるくらいに水が増えていた。

 湖畔に沿って造られていた村や宿泊施設は水に呑まれ、ボートハウスは屋根だけが水面から出ているという状態。

 ギリギリでガリア・トリステイン間の街道にまで浸水していないが、時間の問題なのは誰の目にも明らかである。

 国境を守備する両国軍はどうにかしようと考えてみるものの、大自然の脅威というものに対して有効な策が思いつかない。

 ガリア軍では土系統の魔法で壁を作るなどして何とか水をせき止めようと計画していたが、湖の規模が大きすぎてどうにもならないという始末。

 

 日々水かさが増えていく湖を見て、ガリア陸軍の一兵卒がこんな事を言った。

「もしかすると、水の精霊様が俺たち人間を追い出そうとしてるのかもな」

 聞いたものは最初は何を馬鹿な…と思ったかもしれないが、後々考えてみるとそうかもしれないと考える様になった。

 ここが観光地になったのはつい九十年前の事で、その以前は神聖な場所として崇められていたという。

 しかし…永遠の愛が叶うという不確かな迷信ができてから一気に観光地化が進み、それに伴い様々な問題が相次いで発生した。

 魚や貝類、ガリアでは主食の一つであるラグドリアンウシガエルの密漁や平民貴族問わずマナーの無い若者たちのドンチャン騒ぎ。

 そして極めつけはゴミのポイ捨て。これに関してはガリアだけではなくトリステインも同じ類の悩みを抱えていた。

 

 人が来れば当然モラルのなってない者達が来るし、彼らは自分たちで作ったゴミを平気で捨てていく。

 まだ小さい物であれば近隣の村人たちでも拾う事が出来るが、まれにとんでもない大型の粗大ゴミさえ放置されている事もある。

 そうなると村人たちの手ではどうしようもできないので、仕方なく軍が出動して回収する羽目になるのだ。

 キャンプ用具や車輪の部分が壊れた荷車ならともかく、酷い時には大量の生ゴミさえ出る始末。

 ゴミのポイ捨てを注意する看板やポスターもあちこちに置いたり貼ったりするが、捨てる者たちは皆知らん顔をして捨てていく。

 

 そんな人間たちが湖で騒ぐだけ騒いでゴミも片付けずに帰っていくだけなら、そりゃ水の精霊も激怒するかもしれない。

 精霊にとってこの湖は自分の家の庭ではなく、いわば湖そのものが精霊と言っても差し支えないのだから。

 

 

「ふーむ…。久しぶりに来てみれば、中々面白い事になってるじゃないか」

 ガリア側の国境基地。三階建ての内最上階に造られた会議室の窓から湖を眺めて、ガリアの王ジョゼフは一言つぶやく。

 その手に握った望遠鏡を覗く彼の目には、屋根だけが水面から見えるボートハウスが写っている。

 去年ならばこの時期はリュティスから来た貴族たちがボートに乗り、従者に漕がせる光景が見れたであろう。

 しかし今は無残にもそのボートハウスは水没しており、それどころかすぐ近くにある漁村も同じ目にあっていた。

「俺がラグドリアン湖に来るのは六…いや三年ぶりか、あの時は確か…園遊会に出席したのだったな」

 トリステインのマリアンヌ太后の誕生日と言う名目で行われたパーティーの事を思い出して、彼はつまらなそうな表情を浮かべる。

 ガリアを含む各国から王族や有力貴族たちが出席したあの園遊会は、二週間にも及んだはずだった。

 

 招待された貴族達からしてみれば有力者…ひいては王族と知り合いになれる絶好の機会だが、ジョゼフにはとてもつまらないイベントであった。

 その当時はガリア王として出席したが、当時から魔法の使えぬ゙無能王゙として知られていた彼に好意を持って接する貴族はいなかった。

 精々金やコネ目当ての連中が媚び諂いながら名乗ってきた事があったが、生憎彼らの名前は全部忘れてしまっている。

 その時の彼は園遊会で出された美味珍味の御馳走を食べながら、リュティスを発つ二日前に買っていた火竜の可動人形の事が気になって仕方がなかったのだ。

 手足や首に尻尾や羽根の根元などの関節が動く新しい人形で、三年経った今ではシリーズ化してラインナップも揃って来ている。

 元々そういう人形に興味があった彼はシリーズが出るごとに買っているし、今も最初に買った火竜は大切に保管している程だ。

 

「あの時は良く陰で無能王だか何だか囁かれて鬱陶しかったが、今では余の二つ名としてすっかり定着しておるな」

「お言葉ですがジョゼフ様、無能王では三つ名になってしまいますわ」

 クックックッ…くぐもった笑い声をあげるジョゼフの背後から、指摘するような女性の声が聞こえてくる。

 そう言われた後で真顔になった彼はフッと後ろを振り向いた後、今度は口を大きく開けて豪快に笑いだした。

「フハハハ!確かにそうであるな、お主が指摘してくれなければ今頃恥をかくところであったぞ。余のミューズよ」

「お褒めの言葉、誠にもったいなきにあります」

 ジョゼフから感謝の言葉を言われた女性――シェフィールドはスッと一礼して感謝の言葉を述べる。

 以前タルブにてキメラを操って神聖アルビオン共和国に味方し、ルイズ一行と対峙した『神の頭脳』ことミョズニトニルンの女。

 今彼女の体には所々包帯が巻かれており、痛々しい傷を受けたことが一目で分かる。

 笑うのを止めたジョゼフはその傷を一つ一つ確認しながら、こちらの言葉を待っている彼女へと話しかけた。

 

「報告は聞いたぞ?どうやら思わぬイレギュラーのせいで手痛い目に遭わされたようだな」

「…はい。私が万事を尽くしていなかったばかりに、不覚のいたりとは正にこの事です」

 明らかな落胆を見せるシェフィールドは、ジョゼフの言葉でこの傷の出自をジワジワと思い出していく。

 忘れもしない、アストン伯の屋敷の前で起こった。今も尚腹立たしいと思えてくるあのアクシデント。

 本来ならやしきの傍にまでやってきたトリステインの『担い手』―――ルイズとその使い魔たちの為にキメラをけしかける予定であった。

 まだ本格的な量産が始まる前の軍用キメラのテストと、自分の主であるジョゼフを満足させるために、

 彼女たちをモルモット代わりにしてキメラ達の相手をしてもらう筈だったのである。

 

 ところが、それは突如乱入してきた謎の女によって滅茶苦茶にされてしまった。

 謎の力でキメラ達を蹴って殴ってルイズ達に助太刀し、当初予定していた計画が大幅に狂ってしまったのである。

 それだけではない、味方であったはずのワルド子爵が乱入してきたのは予想もしていなかった。

 おまけと言わんばかりにライトニング・クラウドでキメラの数を減らされたうえに、あろうことかルイズまで攫って行ったのだ。

 それが原因で彼女の使い魔であるガンダールヴの小娘とメイジと思しき黒白すら見逃してしまったのである。

 そこまで思い出したところで、シェフィールドはもう一度頭を下げるとジョゼフにワルドの処遇について訪ねた。

「ワルド子爵の件につきましては、貴方様の許しがあれば自らのけじめとして奴を処分しますが…どうしましょう」 

 シェフィールドからの質問に、ジョゼフは暫し考える素振りを見せた後…彼女に得意気な表情を見せて言った。

 

「う~ん…まぁ彼とて以前あの巫女と担い手のせいで手痛い目に遭わされたのだろう?なら彼がリベンジに燃えるのは仕方ない事だ」

「ですが…」

「今回だけは許してやろうじゃないか、余のミューズよ。…ただし、もし次に同じような邪魔をすれば――子爵にはそう伝えておけ」

 自分の言葉を遮ってそんな提案をだしてきたジョゼフに、彼女は仕方なく頷いて見せる。

 敬愛する主人の判断がそうであるなら従わなければいけないし、何より彼もあの子爵に次は無いと仰った。

 本当なら今すぐにでも殺してやりたかったが、そのチャンスはヤツが生きている限りいつまでも続くことになるだろう。

 シェフィールドはそういう解釈をして心を落ち着かせようとしたとき、

 

「――ところで余のミューズよ。最初に妨害してきたという謎の女についてだが…あの報告は本当か?」

「え?………あっ、はい。あの黒髪の女については…信じられないかもしれませぬが、本当です」

 一呼吸おいて次なる質問を出してきたジョゼフの言葉に、彼女は数秒の時間を掛けてそう答えた。

 ワルドよりも先に現れ、ルイズ達と共にキメラと戦ったあの長い黒髪の巫女モドキ。

 異国情緒漂う衣装を着た彼女は、ルイズを捕まえたワルドを追いかけた霊夢達を逃がすために自ら囮となった哀れな女。

 アストン伯の屋敷の地下に避難していた弱者どもを守っていた、腕に自信のある御人好し。

 そんな彼女の前で屋敷に避難する者達を殺してやろうと企んでいた時―――シェフィールドは気が付いたのである。

 これから苦しむ巫女もどきの顔を何気なく撫でた時、額に刻まれた『ミョズニトニルン』のルーンが反応したのだ。

 それと同時に頭の中に入り込んでくる情報は、目の前にいる女が人ではなく人の形をした道具であったという事実。

 今現在自らが指揮を執って研究し、そのサンプル――゙見本゙として一体の魔法人形と巫女の血を組み合わせて作った人モドキ。

 

 その時の衝撃もまた思い出しながら、シェフィールドは苦々しい表情でジョゼフに告げた。

「あの巫女モドキは姿かたちこそ違えど、間違いなく…私が゙実験農場゙で造り上げだ見本゙そのものでしたわ」

 自分自身、信じられないと言いたげな表情を浮かべる彼女にジョゼフはふむ…と顎に手を当ててシェフィールドを見つめる。

 彼もその゙見本゙の事は知っていた。サン・マロンの゙実験農場゙でとある研究の為の見本として造られ、そして処分される筈であった存在。

 

 かつてアルビオンで霊夢の胸を突き刺したワルドの杖に付着した血液と古代の魔法人形『スキルニル』から生まれた、博麗霊夢の贋作。

 彼女を元にして実験農場の学者たちに゙あるもの゙を造らせる為、シェフィールドば見本゙を生み出したのだ。

 この世界に現れた彼女がどれほど強く、そしてその力を手中に収め、制御できることがどれ程すごいのかを。

 ゙見本゙はそのデモンストレーションの為だけに生み出され、そして研究開始と共に焼却処分される予定だった。

 しかしその直前にトラブルが発生じ見本゙は脱走、実験農場の警備や研究員をその手に掛けてサン・マロンから姿を消してしまった。

「あの後『ストーカー』をけしかけたが失敗し、招集した『人形十四号』がヤツを見つけたものの…」

「えぇ、まんまと逃げられてしまいましたわ」

 キメラの他に、こちらの味方である『人形』の事を思い出したシェフィールドは苦々しい表情を浮かべる。

 あの時は何が何でも止めて貰う為に、成功すればその『人形』にとっで破格の報酬゙を与える予定であった。

 だが…後々耳にしたサン・マロンでの暴れっぷりを聞く限りでは、止められたとしても『人形』が生きていたかどうか…

 まぁ仮に死んでしまったとしても使える駒が一つ減るだけであり、いくらでも代わりがきく存在である。

 

 シェフィールドの表情から悔しそうな思いを感じ取りつつも、ジョゼフは顎に手を当てたまま彼女への質問を続けていく。

「ふむ…それで、一度は見逃しだ見本゙とお主はタルブで再会を果たしたのだな?」

「はい。…正直言えば、私としてもここで再会したのはともかく…あそこまで姿が変わっていた事に動揺してしまいました」

 ジョゼフからの質問にそう答えると、彼女はその右手に持っていた一枚の紙を彼の前に差し出す。

 何かと思いつつもそれを受け取ったジョゼフは、その紙に描かれていた女性の姿を見て「おぉ…」と呻いて目を丸くさせた。

 

 

「何だこれは?余が゙実験農場゙で見た時は、あの少女と瓜二つであった筈だぞ」

 ジョゼフの目に映った絵は、長い黒髪に霊夢とはまた違った意匠の巫女服を着る女性――ハクレイであった。

 恐らく今日か昨日にシェフィールド自身の手で描いたのだろう、所々急いで描き直した部分もある。

 きっと記憶違いで実際とは異なる部分もあるだろうが、それでも『ガンダールヴ』となったあの博麗の巫女とは違うのが良く分かる。

 

「身長はあの巫女よりも二回り大きく、ジョゼフ様とほぼ同じ等身かと思われます」

「成程…確かにこう、絵で見てみると本物の巫女より中々良い体つきをしてるではないか!」

 シェフィールドの補足を聞きつつ、ジョゼフはハクレイの上半身――主に胸部を指さしながら豪快に言う。

 若干スケベ心が見える物言いに流石のシェフィールドも顔を赤くしてしまい、それを誤魔化すように咳払いをして見せる。

「…こほん!とにかく、その絵で見ても分かるように明らかに元となっている巫女の姿とはかけ離れています」

「ふぅむ、袖や服の形などは若干似ていると思うが。…まぁ別物と言われれば納得もしてしまうな」

 

 冗談で言ったつもりが真に受けてしまった彼女を横目で一瞥したジョゼフは、ハクレイの姿を見て改めてそう思った。

 報告通りであるならば戦い方も大きく違っていたらしく、シェフィールド自身も単なる人間かと最初は思っていたらしい。

 そりゃそうだ。元と瓜二つであった人形が、一年と経たぬうちに身長が伸びて体つきも良くなった…なんて事、誰が信じるか。

 ましてやそれが『スキルニル』ならば尚更だ。あれは血を媒介にして元となった人間を完璧にコピーしてしまうマジック・アイテム。

 メイジならばその者が使える魔法は一通り使えるし、平民であっても何か特技があればそれを見事に真似てしまう。

 それが一体全体どうして、元の人間からかけ離れた姿になってしまったのか?それはジョゼフにも理解し難かった。

 

「して、余のミューズよ。今後その゙見本゙に関して何かするつもりなのか?」

「はっ!サン・マロンの学者たちに原因を探るよう要請するつもりですが…それで解明するかどうか」

「うむ、そうか。…ではグラン・トロワにある書物庫から全ての資料持ち出しを許可する。何が起きているのか徹底的に探るのだ」

 シェフィールドの言葉を聞いたジョゼフは、即座に国家機密に関わるような事をあっさりと決めてしまった。

 本来ならば宮廷の貴族達でも滅多に閲覧する事の出来ない資料を、学者たちは邪魔な書類や審査を待たずにも出せるのである。

 流石のシェフィールドもこれには少し驚いたのか、「よろしいのですか?」と真顔でジョゼフに聞き直してしまう。

「構わん、どうせ埃を被っているのが大半だろう?ならば学者どもの為に読ませてやるのも本にとっては幸せと言うものさ」

 口約束であっさりと決めてしまったジョゼフの顔には、自然と笑みが浮かび始めている。

 

 まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供か、新しい楽しみをみつけた時の様なそんな嬉しさに満ちた笑み。

 彼女はそれを見て察する。どうやら我が主は件の巫女もどきに大変興味を示したのだと。

 だからこそ学者たちの為に書物庫を開放し、徹底的に調べろと命令されたに違いない。

 自分の欲求を満たす為だけに国の機密情報を安易に開放し、あろう事か持ち出しても良いという御許しまで出た。

 常人とは…ましてや王として君臨している男とは思えぬ彼ではあるが、だからこそシェフィールドは惹かれているのだ。

 自らの行為を非と思わず、誰に何を言われようとも我が道を行き続けるジョゼフに。

 

 面白い事を見つけ、喜びが顔に表れ始めている主人を見て、シェフィールドは微笑みながら聞いてみた

「随分ど見本゙に興味を持たれましたのね?」

「そりゃあそうだとも、何せただの人形だったモノがここまで変異する…余からしてみれば大変なサプライズイベントだよ」

 シェフィールドからの質問に両手を大きく横に広げながら答えつつ、ジョゼフは更に言葉を続けていく。

 

 

「それに…報告書の通りならばヤツは最後の最後でお主が率いていたキメラどもを文字通り『一掃』したのだろう?

 ならば今後我々の前に立ちはだかる脅威となるか調べる必要もある。…とにかく、今は情報が不足しているのが現状だ。

 ひとまず資料からこれと似た前例があるか調べつつ、タルブを含めトリステイン周辺に人を出してその巫女もどきの情報を探し出せ。

 ゙坊主゙どもにはまだ気づかれていないだろうが、念には念を入れて今後゙実験農場゙の警備も増強する旨を所長に伝えておけ」

 

 彼女が出した報告書の内容を引き合いに出しつつ、トリステインへ探りを入れるよう命令しつつ、

 最近問題として挙がってきていだ実験農場゙の警備増強に関しても、あっさりとその場で決めてしまった。

 これもまた、宮廷貴族や軍上層部の者達と話わなければいけない事だがジョゼフはその事はどうでも良いと思っていた。

 

 自身の地位と金にしか興味の無い宮廷側と、未だ自分に反感を持つ軍側の人間どもでは話がつかない。

 ならば勝手に決めてしまえば良い。どうせ自分のサインが書かれた書類を提示すれば、連中は不満を垂れながらも結局はなぁなぁで済ましてしまう。

 だが奴らとしては、かつて自分達が゙無能゙と嘲笑ってきた王の勝手な判断には確実な怒りを募らせるだろう。

 それもまた、王であるジョゼフにとっては些細な楽しみの一つであった。

 つい数年前まで自分を嘲笑っていた貴族共の前でふんぞり返って見せるのは、中々面白いのである。

 

「では、今後はヤツの情報収集を行うのは把握しましたが…トリステインの担い手と周りいる連中についてはどういたしましょう」

 主からの命令に了承しつつも、シェフィールドはタルブで艦隊を壊滅させたルイズの事について言及する。

 あの少女が前々から虚無の担い手だという事は理解していたが、まさかあそこで覚醒するとは思ってもいなかった。

 おかげでトリステインを侵略する筈だったアルビオン艦隊は旗艦の『レキンシントン』号を含めその大半を失い、

 更に貴族派の者達から粛清を免れていた優秀な軍人を、ごっそり失う羽目になってしまったのである。

 

 シェフィールド個人としては、いつでも手が出せるような状態にしておきたいとは思っていた。

 少なくともアストン伯の屋敷で対峙した時点でこちらの味方になるという可能性はゼロであり、

 尚且つ彼女の使い魔である霊夢やその周りにいる黒白の金髪少女は、明らかに脅威となるからである。

 

 彼女の言葉で報告書にも書かれていたルイズの虚無の事を思い出したジョゼフは数秒ほど考えた後、 

 まだ覚醒したばかりのトリステインの担い手を脅威と判断したのか、彼はシェフィールドに命令を下す。

「そうだな…確かに無警戒というのもよろしくない。゙坊主ども゙も必ずこの時期を狙って接触してくるだろうしな」 

「では…」

「うむ、余のミューズよ。ここからなら歩いてでもトリステインへ行けるし、何より今は夏季休暇の季節であるしな」

「流石ジョゼフ様。この私の考えを汲み取ってもらえるとは光栄です」

 自分の考えを読み取って先程の命令を取り消してくれた事に、シェフィールドは思わず膝をついて頭を垂れてみせた。

 巫女もどきの件は他の人間なり手紙を使えば伝えられるし、実験農場の学者たちは基本優秀な者ばかりを登用している。

 無論国家機密の情報をリークする・させるというミスも犯さないだろうし、彼らならば問題は起こさないだろう。

 それより今最も警戒すべきなのは、ここにきて虚無が覚醒したトリステインの担い手にあるという事だ。

 

 あの少女の出自は大方調べてあったし、覚醒するまではそれ程厳重に監視するほどでも無いという評価を下していた。

 しかし、二年生への進級試験として行われる春の使い魔召喚の儀式において、その評価は百八十度覆されたのである。

 よりにもよってあの小娘は、大昔にその存在すら明かす事を禁忌とされた巫女――即ち『博麗の巫女』を召喚したのだ。

 

 

 当初は単なる偶然の一致かと思われたが、監視要員を送る度にあの少女――霊夢が博麗の巫女である証拠が増えていった。

 この世界では誰も見たことが無いであろう見えぬ壁に、先住魔法とは大きく異なる未知の力に、魔法を介さず空を飛ぶという能力。

 そして、古くからこの世界の全てを知っている゙坊主ども゙が動き出したのを見て、シェフィールドとジョゼフは確信したのだ。

 虚無の担い手である公爵家の小娘が、あの博麗の巫女を再びこの世界に召喚したのだと。

 

 それから後、ジョゼフはシェフィールドや他の人間を使って監視を続けてきた。

 幾つかのルートを経由して、霊夢に倒されたという元アルビオン貴族だったという盗賊から彼女の戦い方を知り、

 何らかの事情でアルビオンへと赴こうとした際には人を通して指示を出し、ワルド子爵に彼女の相手をさせ、

 更に王党派の抜け穴からサウスゴータ領へと入ってきた霊夢に、マジックアイテムで操ったミノタウルスをけしかけ、

 それでも駄目だった為、かなりの無理を押して貴族派に王宮を不意打ちさせても、結局は逃げられてしまった。

 最も…その時再戦し子爵から一撃を貰い、彼の杖に付着した血のおかげでこちらは貴重な手札を手にしたのだが…。

 

 とにもかくにも、それ以降は事あるごとに彼女たちへ刺客を送り込んでいった。

 ある時はトリステイン国内にいる憂国主義の貴族達にキメラを売っては適度に暴れさせ、

 いざ巫女に存在を感づかせて片付けさせるついでに、彼女の戦い方をより詳しく観察する事ができた。

 自分たちより先に巫女の存在を察知していだ坊主ども゙は未だ接触を躊躇っており、実質的に手札はこちらが多く持っている。

 それに今は、その巫女に対抗するための゙切り札゙もサン・マロンの実験農場で開発中という状況。

 二人の周りにいつの間にか現れた黒白の少女と件の巫女もどき…、そしてルイズの覚醒が早かった事は唯一の想定外であったが、

 そういう想定外の状況をも、このお方は一つの余興として楽しんでいるのだ。

 

 決して余裕を崩す事の無い主にシェフィールドは改めて尊敬の意を感じつつ、

 今すぐにでもトリステインへ赴くため、ここは別れを惜しんで退室しようと再び頭を垂れた。 

 

「ではジョゼフ様。…このシェフィールド、すぐにでもトリステインで情報収集を…」

「うむ、頼んだぞ余のミューズよ。まずは王都へと赴き、アルビオンのスパイたちと接触するのだ。

 奴らなら最近のトリステイン情勢を詳しく知っているだろうし、何よりあの国の゙内通者゙にも紹介してくれるだろう」

 

 陰で『無能王』と蔑まれる自分に恭しく頭を下げてくれる彼女を愛おしげに見つめながら、その肩を叩いてやった。

 シェフィールドもまた、自分を必要としてくれる主の大きく暖かい手が自分の肩を叩いた事に、目を細めて喜んでいる。

 その状態が数秒ほど続いた後…ジョゼフが手を降ろした後にシェフィールドも頭を上げて、踵を返して部屋を出ようとしたその時…

「………あっ!そうだ、待ちたまえ余のミューズ!最後に伝えるべき事を忘れておった」

「――…?伝えるべき…事?」

 最後の最後で何か言い忘れていた事を思い出したのか、急にジョゼフに呼び止められた彼女は彼の方へと振り向く。

 いよいよ部屋を出ようとして呼び止めてしまったのを恥ずかしいと感じているのか、照れ隠しに笑いつつ彼女に伝言を託す。

 

「以前キメラの売買で知り合った、トリステインの『灰色卿』へ伝えろ。お前さんたちにおあつらえ向きの『商品』がある…とな」



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第八十八話

 夏季休暇真っ最中のトリスタニアがチクトンネ街の一角にある、居酒屋が連なる大通り。

 夜になれば酒と安い料理…そして女目当てに仕事帰りの平民や下級貴族達でごったがえすここも、今は静まり返っている。

 繁華街という事もあって人の通りは多いものの、日が暮れた後の喧騒を知る者たちにとっては静か過ぎると言っても過言ではない。

 それこそ夜の仕事に備えて日中は洞窟で眠る蝙蝠の様に、夕方までぐっすり快眠できる程に。

 

 そんな通りに建っている居酒屋の中でも、一際売り上げと知名度では上位に位置するであろう『魅惑の妖精亭』というお店。

 比較的安くて美味く、メニューも豊富な料理に貴族でも楽しめる数々の名酒、際どい衣装で接待してくれる女の子達。

 この周辺に住む者達ならば絶対に名前を知っているこの店も、日中の今はシン…と静まり返っている。 

 しかし、その店の二階にある宿泊用の部屋では、数人の少女達が別室で寝ている者たちを起こさない程度の声で話し合っている。

 そしてその内容はこの店…否、このハルケギニアという世界に住む者達には理解し難いレベルの会話であった。

 

 シングルのベッドにクローゼットとチェスト、それにやや大きめの丸テーブルに椅子が置かれた部屋。

 その部屋の窓際に立つ霊夢は、ニヤニヤと微笑む紫を睨みながら彼女に質問をしている。

 いや、それは窓から少し離れたベッドに腰掛けるルイズから見れば、゙質問゙というよりも゙尋問゙や゙取り調べ゙に近かった。

「全く。アンタっていつもいないないって話してる時に鍵って平気な顔して出てくるわよね」

「あら?酷い言い方ね霊夢。貴女たちが困っているのを、私が楽しんで眺めていたって言いたいのかしら?」

「あの式の式の文句が丸聞こえだった…ってことは、そうなんじゃないの?」

「失礼しちゃうわね。私は橙が文句を言っているのに気が付いたから、結果的に出てくるのが遅れちゃったのよ」

「それじゃあ結局、私達がいないないって騒いでたのを傍観してたんじゃないの!」

「こらこら、ダメよ霊夢?そんなに怒ってたら若いうちから色々と苦労する事になるわよ」

 怒鳴る霊夢に対して冷静な紫はクスクスと笑いながら、ついでと言わんばかりに彼女を茶化し続ける。

 自分に対し文句を言っていた橙に勉強と言う名の説教をしていた時も、その笑顔が変わる事は一瞬たりとも無かった。

 そして、あの霊夢をこうして怒らせている間も彼女はその余裕を崩すことなく、笑いながら巫女と話し合っている。

 

 あれが強者が持つ余裕というものなのだろうか?

 いつもの冷静さを欠いて怒る霊夢と対照的な紫を見比べながら、ルイズは思っていた。

 きっと彼女ならば、ハルケギニアの王家やロマリアの教皇聖下が相手でもあの余裕を保っていられるに違いない。

 そんな事を考えながらジーっと二人のやり取りを見つめていると、壁に立てかけていたデルフが話しかけてきた。

『よぉ娘っ子、そんなあの二人をまじまじと見つめてどうしたんだい?嫉妬でもしてんのか?』

「嫉妬?なにバカな事言ってるのよアンタ、そんなんじゃないわよ」

『じゃあ何だよ』

「いや…ただ、ユカリの余裕っぷりがちょっと羨ましいなぁって感じただけよ」

『…?あぁー、成程ねぇ』

 留め具を鳴らす音と共に、デルフは彼女が凝視していた理由を知った。

 確かに、あの金髪の人外はちょっとやそっとじゃあ自身の余裕を崩す事はないに違いない。

 人によってはその余裕の持ち方が羨ましいと思ったりしてしまうのも…まぁ分からなくはなかった。

 

 しかし、それを羨ましいと目の前で言うルイズが彼女の様になれるかと問われれば…。

 本人の前では刀身に罅が入るまで口に出せない様な事を考えながら、デルフは一人呟く。

『…けれどまぁ、ああいうのは経験だけじゃなくて持って生まれた素質も関係するしなぁ』

「どういう意味よソレ?」

『いや、お前さんには関係ない事だ。忘れてくれ』

 どうやら聞こえていたらしい、こりゃ迂闊な事は言えそうにない。

 自分の短所を暗に指摘してきた自分を睨み付けてきたルイズを見て、デルフは改めて実感する。

 幸いルイズ自身は昨晩から連続して発生している想定外の事態に疲れているのか、自分の真意には気が付いていないようだ。

 このまま追及されずに、何とかやり過ごせそうだと思った矢先、

 

「要するにデルフは、短気で怒りっぽいルイズが紫みたいになるのは無理だって言いたいんだろ?」

「へぇ、そう……って、はぁ?ちょっと、デルフ!」

『魔理沙、テメェ!』

 

 そんな彼に代わるのようにして、ルイズたちのやりとりを見ていた魔理沙が火付け役として会話に割り込んできたのだ。 

 椅子に座って自分たちと霊夢らのやり取りを眺めていた魔法使いは、何が可笑しいのかニヤニヤと笑っている。

 恐らくは暇つぶし程度でルイズを煽ったのだろうが、デルフ本人としては命に関わる失言なのだ。

「いやぁー悪い、悪い。今のルイズにも分かるように丁寧に言い直してやったつもりなんだがな」

『だからっておま――――…イデッ!』

 反省する気ゼロな笑顔でおざなりに頭を下げる彼女にデルフは文句を言おうとしたものの、

 ベッドから腰を上げて近づいてきたルイズに蹴飛ばされ、金属質な喧しい音を立てて床に転がった。

 

「この馬鹿剣!人が朝からヘトヘトな時に馬鹿にしてくるとかどういう了見なの!?」

『いちち……!お前なぁ、そうやって一々激怒するのが駄目だってオレっちは言ってんだよ!』

「何ですって?言ってくれるじゃないのこのバカ剣!」

 床に転がった自分を見下ろして怒鳴るルイズに対し、流石のデルフも若干怒った調子で文句を言い返す。

 伊達に長生きしていない彼にとって、短所を指摘して一方的に怒られることに我慢ならなかったのだろう。

 意外にも言い返してきたデルフに対しルイズも退く様子を見せる事無く怒鳴り返して、床に転がる彼を拾い上げる。

「今すぐこの場で訂正しなさい、じゃなかったらアンタの刀身をヤスリで削るわよ!」

『ヤスリだと?へ、面白れぇ!やれるもんならやってみやがれ、そこら辺の安物じゃあオレっちは傷一つつかないぜ!』

 もはやお互い一歩も引けず、一触即発寸前の危ない空気。

 どちらかが折れるかそれとも最悪な展開に至ってしまうのか、という状況の中で。

 この争いを引き起こした張本人であり、最も安全な場所にいる魔理沙は驚きつつもその笑顔を崩していない。

 むしろ二人の言い争いを楽しんでいるのか、楽しそうにお茶を啜っている。

 

「ははは、喧嘩は程々にしとけよおま―――…ッデ!」

「争いを引き起こした張本人が何観戦に洒落込もうとしてんのよ!」

 しかし、始祖ブリミルはそんな魔法使いの策略に気付いていたのだろう。

 ルイズの使い魔としで神の左手゙のルーンを持つ霊夢からの、容赦ない鉄拳制裁が下された。

 

 死なない程度に後頭部を殴られた魔理沙は殴られた場所を手で押さえて、机に突っ伏してしまう。

 頭に被っていた帽子が外れて床に落ちるものの、今はそれを気にせる程の余裕は無いらしい。

 呻き声を上げながら机に顔を伏せる彼女を見下ろし、鋭い目つきで睨む霊夢は魔理沙を殴った左手に息を吹きかけている。

 

「全く、アンタってヤツは目を離した途端にこれなんだから」

「イテテ…!だからって、おま…!あんなに強く殴る必要があるのかよ…」

「私はそんなに強く殴った覚えはないわよ」

 今にも泣きそうな魔理沙の抗議に対し、しかし霊夢は涼しい表情で受け流す。

 どうやら殴った加害者である巫女と、被害者の魔法使いとの間には認識の違いがあるらしい。

 しかし、第三者から見てみればどちらが正しい事を言っているのかは…まぁ一目瞭然と言うヤツだろう。

「さっきの一発、絶対普段からのうっぷん晴らしで殴ったわよね」

『だろうな。流石のオレっちでも、あんな風に殴られたら怒るより先に泣いちゃうかも』

 突然の殴打に一触即発だったルイズとデルフも、流石にアレは酷くないかと魔理沙に同情してしまっている。

 その魔理沙のせいで言い争いをする羽目になった二人から見ても、霊夢の殴打は間違いなぐやり過ぎ゙の範囲なのだ。

 

 霊夢の一撃で先ほどまで騒がしかった部屋が静まり返る中、紫が三人と一本へ話しかける。

 それは、ちょっとした諸事情で部屋にいないこの部屋の主とその従者に代わっての注意喚起であった。

 

「朝から賑やかな事ね。けど、あんまり騒がしいと後で藍に怒られますわよ。

 あの娘も色々とここで人間相手に信用を築いているし、その努力がパァになったら流石の彼女も怒るわよ?」

 

 笑顔を絶やさず自分たちを見つめて喋る紫に、霊夢は面倒くさそうな表情で「分かってるわよ」とすかさず返す。

 ルイズも同様に、紫の式が静かに怒っていた時の事を思い出してコクリと頷いて見せる。

 魔理沙は未だ机に突っ伏して呻いているが、頭を押さえていた両手の内右手を微かに上げた。

 大方「分かってるよ」と言いたいのだろうが、さっきルイズ達を煽っていた所を見るに理解していないようにも見える。

 最後に残ったデルフは三人がそれぞれ答えを返して数秒ほど後に、留め具を鳴らして言葉を出した。

 

『んな事、百も承知だよ。最も、レイムが殴るのを止めなかったお前さんも大概だがな』

「あら、随分と口が悪い剣なのね。まぁそのお蔭でこの娘たちと仲良くやれてるんでしょうけど?」

「それどういう意味よ?」

 デルフの冷静な指摘に対しても、その笑みを崩さぬ紫が彼に返した言葉にすかさず霊夢が反応し、

 再び嫌悪な空気が流れ始めたのを感じ取ったルイズは、たまらずため息をついてしまいたくなってしまう。

 そして彼女は願った。できるだけ、藍と橙の二人が自分と霊夢たちの荷物を手に速く帰ってこれるようにと。 

 

 現在このハルケギニアを訪問している八雲紫の式である八雲藍とその式の橙。

 本来この部屋を借りている彼女たちは今、ルイズたちが言い争うこの部屋にはいない。

 二人は紫からの命令を受けて、昨晩ルイズたちが大きな荷物を預けた店『ドラゴンが守る金庫』へと足を運んでいる。

 理由は勿論、その店に預けているルイズ達三人の荷物を取りに行って貰ってるからだ。

 念のため藍がルイズの姿に化けて荷物を出してもらい、その後で橙と一緒に運んでくるらしい。

 

 ルイズ本人としては不安極まりなかったが、今の状況ではやむを得ない選択であった。

 本当ならば任務の為に長期宿泊する宿を見つけてから荷物を取り出しに行く予定であったが、肝心の資金が盗まれてそれは不可能。

 とはいえ一度出された任務はこなさなければと考えていたルイズに、話を盗み聞きしていた紫がこんな提案をしてきたのである。

 

―――ならここに泊まれば良いんじゃないのかしら?丁度他の部屋は余裕があるんでしょう?

―――――えぇ?ルイズはともかく、博麗の巫女たちと一緒に…ですか?

―――別に貴女には彼女たちを手助けしろだなんて言ってないわ、寝泊まりできる場所を確保してあげなさいって事よ

 当初は主の提案に難色を示した藍であったが、結局は主からの命令に従う事となった。

 橙も何か言いたそうな顔をしていたが、その前にされていた説教が大分効いたのか何も言うことは無かった。

 

「けれども、今の私達なんて文無しでしょう?泊まりたくても泊まれないじゃないの」

「いや、お金に関してなら私の口座に…少しだけなら残ってたと思うわ」

 とはいえ、荷物はあっても任務をこなす為に必要な経費が無くなってしまった事に代わりは無い。

 霊夢がそれを指摘すると、ルイズはこの夏季休暇に使う事は無いだろうと思っていた手札を彼女に明かす。

 本来ならどん詰まりの状況なのだろうが、幸いルイズには財務庁の方で口座を開いていたのである。

 口座…といっても実際には実家から送られてくる月々のお小遣いで、大した金額は入っていない。

 それでも並みの平民にとっては半年分働いて稼いだ額と同じ金額であり、宿泊代は何とか捻出できる程にはある。

 

「あるといっても、三人分で一週間泊まれるかどうかの金額しかないけどね」

「それまでは並の人間らしい生活は遅れるけど、それ以降は物乞いデビューってところね」

「……冗談のつもりなんでしょうけど、今はマジで洒落にならないから言わないでよ」

 今の自分たちにとって最も笑えない霊夢の冗談に突っ込みを入れつつ、ふと紫の方へと困った表情を向けてみる。

 ここに自分たちを泊まらせるよう式に命令した彼女なら、きっと自分の手助けをしてくれるかもしれない。

 そんな甘い期待を胸に抱いたルイズは手に持っていたままのデルフをベッドに置くと、いざ紫に向かって話しかけた。

「ゆ―――」

「残念ですが、お金の事に関しては貴女と霊夢たち自身の手で解決しなさい」

「うわ最悪、読まれてたわ」

『そりゃお前さん、あたりめーだろ』

 すがるような表情から一転、苦虫を踏んだかのような苦しい表情を浮かべてしまう。

 まぁダメで元々…という感じはしていたが、こうもストレートかつ百パーセントスマイルで拒否されるとは思ってもいなかった。  

 ついでと言わんばかりに放たれるデルフの突っ込みを優雅にスルーしつつ、ルイズは紫へ話しかけていく。

 

「どうして駄目なのよ?アンタなら自分の能力でいくらでも金貨を出せそうじゃないの」

「その通りね。私のスキマが…そう、゙王宮の金庫゙とここを繋げば…それこそ貴女に巨万の富を授ける事はできるわ」

「……成程、その代わり私が世紀の大泥棒になるって寸法ね」

 自分の質問に目を細めてとんでもない返答をした紫に、ルイズは彼女を睨みながら冗談で返す。

 大抵の人間が言えば冗談になるような例えでも、目の前にいるスキマ妖怪が言うと本気に思えてしまう。

 

「ちょっとアンタ、ルイズに何物騒な事吹き込んでるのよ」

 そこへ紫の事は…少なくとも自分より詳しいであろう霊夢がすかさず彼女へと噛みついてくる。

 まぁ妖怪退治を本業とする彼女の目の前であんな事を言ったのだ、そりゃ警戒するつもりで言うのは当たり前だろう。

 そんな事を思って霊夢の方へと視線を向けたルイズは、そのまま彼女と紫の会話を聞く羽目になった。

 

「冗談よ霊夢。貴女ってホント、いつまで立っても人の冗談とかジョークに対して冷たいわよね」

「アンタは人じゃないでしょうが。それにアンタの性格と能力を知ってる私の耳には、本気で言ってるようにしか聞こえないわ」

「まぁ怖い!このか弱くてスキマしか操れない様な私が、そんな怖ろしい事をしでかすとでも…」

「しでかすと思ってるから、こうして警戒してるのよ私は」

 ワザとらしく泣き真似をしようとする紫にキツイ調子でそう言った霊夢の言葉に、ルイズ達も同意であった。

 ルイズ自身彼女と知り合って行こうしょっちょうちょっかいを掛けられていたし、デルフは幻想郷に拉致されている。

 魔理沙も紫の能力がどれだけ便利なのかは間近で見ていた人間であり、そして彼女が最も油断ならない妖怪だと知っている。

 霊夢に至っては、いわずもがな…というヤツだ。

 

 結果的にスキマ妖怪の言葉に誰一人信用できず、霊夢は疑いの眼差しを紫へと向けている。

 二人の近くに立つルイズに、殴られたダメージが癒えつつ魔理沙も顔を上げて紫を見つめていた。

 流石に分が悪いと感じたのか、それともからかうのはそろそろやめた方が良いかと感じたのか…。

 三人の視線を直に受けていた紫はその顔に薄らと微笑みを浮かべると、両肩を竦ませた。

 

「流石にそんな事はしないわ霊夢。…けれど、貴女たちにお金の支援をすることはできないと再度言っておくわ。

 私の能力を使えば確かに楽に集まるけれど、それを長い目で見たら決して貴女たちに良い結果をもたらさないしね」

 

 ようやく聞けた紫からのまともな返答に、ルイズは「…まぁそうよね」と渋い表情を浮かべて納得する。

 昨晩は霊夢が荒稼ぎして手に入れた大金を盗まれたせいで、とんでもないどんちゃん騒ぎに巻き込まれてしまった。

 変に荒稼ぎせずに、アンリエッタが支給してくれた経費で長期宿泊できる宿を探していればこうはならなかったに違いない。

 というか、あの少年は自分たちが派手に稼いだのを何処かで見ていたに違いないだろう。

 そんなルイズの考えている事を読み取ったのか、紫は笑顔を浮かべたまま考え込んでいるルイズへと話しかける。

「藍の話を聞いた限りでは、貴女たち…というか霊夢が賭博で色々と派手にやらかしたそうね?」

 思い出していた最中に不意打ちさながらに入ってきた紫の言葉に、ルイズは思わず頷いてしまう。

「…そうよね。よくよく考えてみたら、昨日あんだけド派手な大勝してたら…そりゃ寄ってくるわよね」

「ちょっとルイズ、それはアンタの我儘を叶える為に張ってあげた私の苦労を台無しにする気?」

「いや、お前さんはそんなに苦労してないだろうが」

 反省しているかのようなルイズに、昨日稼いだ大金を即日盗まれた霊夢が苦言を漏らすも、

 ようやく後頭部の痛みが和らいできた魔理沙が恨めしそうな目で彼女を睨みつけながら突っ込みを入れられてしまう。

 そこへデルフもすかさず『だな』と、短くも魔法使いの言葉に便乗する意思を見せる。

 

 流石に魔理沙デルフにまでそんな事を言われてしまった霊夢は機嫌を損ねたのか、口をへの字に曲げてしまう。

「何よ、昨日は一発勝負大金稼いでやった私に対する仕打ちがこれなの?失礼しちゃうわね」

「…というか、博麗の巫女としての勘の良さを賭博で使う貴女が巫女としてどうかと思うわよ…霊夢?」

 そんな時であった、昨日の事を思い出していた彼女へ紫がそう言ってきたのは。

 さっきまでと同じ調子に聞こえる声は、どこか冷たさと鋭さを併せ持ったかのような雰囲気を霊夢は感じてしまう。

 それを機敏に感じ取った霊夢の表情がスッ青ざめたかと思うと、ゆっくりと紫の方へと顔を向ける。

 

 そこに八雲紫は佇んでいたが、帽子の下にある笑顔には何故か陰が差している気がする。

 他の二人とデルフも先ほどの彼女の声色が微妙に変わっているのに気が付いたのか、怪訝な表情を浮かべて二人を見つめている。

 

「あれ?どうしたのかしら二人とも…何かおかしいような」

 青ざめる霊夢と微笑み続ける紫を交互に見比べていたルイズが言うと、そこへ魔理沙も続いて呟く。

「あちゃ~…何か良くは知らんが、あれは紫のヤツ…今にも怒りそうだな」

『まぁ声の色にちょっとドスが入っているっぽいからな…ありゃ相当カッカしてると思うぜ』

 これまでの経験から何となくスキマ妖怪が起こるっているであろうと察した魔理沙がそう言うとデルフも同じような言葉を呟き、

 両者の意見を聞いた後でもう一度紫の笑顔を見たルイズは、 「え、え…何ですって?」と軽く驚いてしまう。

 

 一瞬にして部屋の空気が代わった事に気が付かず、微笑み続けている紫は霊夢に喋り続けていく。

「貴女、昨日は随分と荒稼ぎしたそうね?それこそ、店の人間を泣かすくらいに」

「あ、あれはルイズが良い宿に泊まりたいって言うから、それでまぁ…ん?」

 珍しく焦った表情を霊夢が若干慌てた様子で昨日の事を説明する中、紫がふと自分の頭上にスキマを開いた。

 人差し指で何もない空間に入れた線がスキマとなり、数サント程度の真っ暗な空間が二人の間に現れる。

 そのスキマと微笑み続ける紫を見て直感で゙ヤバい゙と感じたのか、更に焦り始めた霊夢が説明を続けていく。

「だ…だってしょうがないじゃないの!ルイズのヤツには、色々と借りがあっ――――…ッ!!」

 

 言い切る前に、突如聞こえてきた鋭くも激しい音で紫とデルフを除く三人が身を竦ませて驚いた。

 傍で聞いていたルイズと魔理沙、そして言い訳を述べようとした霊夢の目に音の正体が移り込む。

 霊夢の足元へ勢いよく突き刺さったのは、普段から紫が愛用している白い日傘であった。

 折りたたまれた状態のソレの先はフローリングの床に突き刺さり、僅かにだが横にグワングワンと揺れている。

 まず最初に口が開けたのは意外にも霊夢ではなく、現在彼女の主であるルイズであった。

「は?日…傘?」

 一体どこから…?と一瞬思ったルイズは、すぐに紫の頭上に開いたスキマへと視線を向ける。

 彼女の予想通り、日傘を投げ槍の様に出したであろうスキマの゛向こう側゙にある幾つもの目が霊夢を睨んでいる。

 明らかにその目は不機嫌そうな様子であり、それが今の紫の心境を明確に物語っているかのようだ。

『おぉ…こいつはちょっと、洒落にならんってヤツだな』

「いやいや、これは相当怒ってるぜ…?」

 流石の魔理沙も今まで見たことないくらい怒っている紫に戦慄しているのか、自然と後ずさり始めている。

 とある異変の後で紫と知り合った彼女にとって、紫がこれ程怒る姿を見るのはここで初めてであったからだ。

 

 そして、その怒りの矛先である霊夢は…ただただこちらを見下ろす紫を見上げている。

 まるで蛇に睨まれた蛙の様に身動き一つ取れないまま、こちらへスキマを向ける彼女の言葉を待っていた。

「あの、ゆ…――」

「――そういえば、ここ最近は貴女の事を色々と甘やかし過ぎていたかしらねぇ?」

 自分の名前を呼ぼうとした霊夢の言葉を遮って、紫はわざとらしい調子で言う。

 これまで幾度となく妖怪と戦い退治し、異変解決もこなしてきた博麗霊夢はそれで何となく察した。

 久しぶり…というか多分、十年ぶりに八雲紫からのありがたーい゙御説教゙を受ける羽目になるのだと。

 

「久しぶりねぇ。私がこうして、あなたに博麗の巫女とは何たるかを教えるのは」

 そう言って紫は先ほど自分の日傘を射出したスキマから一本の扇子を出し、それを右手で受け取る。

 紫が愛用しているそれは何の変哲もない、人里にあるちょっとお高い品を扱う店で購入できるような代物。

 キッチリと閉じている扇子で自分の左手のひらを二、三回と軽く叩いてみせた。

 

「藍が帰ってくるまで、私と昔教えた事の復習をしてみましょうか?霊夢」

 

 

 

 

「――…と、いうわけで今も゙御説教゙は継続中と言うワケなのよ」

 ――――そして時間は過ぎ、もうすぐお昼に迫ろうとしている時間帯。

 ルイズたちの荷物を橙と共に持って帰ってきた八雲藍は、ルイズから何が起こったのか聞かされた。

 彼女たちのすぐ近くでは、今も閉じた扇子を片手に持つ紫が拗ねたように顔を晒している霊夢に説教している。

 最初は昨晩の博打において、巫女としての勘の良さを博打で使ってボロ儲けした事について話していた。

 

 そこから次第に発展して、ルイズや魔理沙にデルフからこの世界での彼女の不躾な行動を聞き出し、

 それを説教のネタにして長々と喋り続け、かれこれ藍と橙が戻ってきてからも彼女の゙御説教゙は続いていた。

 今はルイズから部屋に隠していたお菓子を無断で食べたことについての説教をされているところである。

 

「…大体、貴女は普段から巫女としての心を持たないから…そうやって安易に手を出しちゃうのよ」

「むぅ~…だってあのチョコサンド、凄く美味しそうだったのよ?それをすぐに食べないなんて勿体ないじゃない」

「その食い意地だけは認めますけど、やっぱり貴女はまだまだ経験不足なのねぇ」

 

 そんな二人の説教…と言うにはどこか緩やかさが垣間見えるやり取りを眺めつつ、

 ルイズから事のあらましを聞き終えた八雲藍は呆れた…とでも言いたいかのように天井を一瞥した後、その口を開く。  

「成程、帰ってきたときに見た時はかなり驚いたが……まぁ身から出た錆と言う奴だな」

「まぁ、アンタの言葉は外れてはいないわね。…それにしても、あのレイムがあんな大人しくなるなんて」

 重い荷物を担いで戻ってきた彼女はベットに腰かけながら、横で話してくれたルイズに向けて開口一番そう言ってのける。

 ついでルイズもそれに同意するかのように頷き、あの霊夢がマジメに説教を受けている事に驚いていた。

 何せ召喚してからといもの、傍若無人かつそれなりに強かった博麗霊夢が借りてきた猫の様に小さくなっている。

 召喚してからというものほぼ彼女と一緒に過ごし、彼女がどういう人間なのか知ったルイズにとって意外な発見であった。

 

「ルイズの言う通りだな。アイツなら誰が相手でも居丈高な態度を見せるもんだとばかり思ってたが…」

 更に…自分よりも霊夢と一緒にいた回数が多いであろう魔理沙もルイズと同じような反応を見せている。

 きっと彼女も、大人しく紫の説教を受けている霊夢の姿なんて一度も見たことがないのだろう。

 今はその両腕で抱えているデルフも鞘から刀身を出して、魔理沙に続くようにして喋りはじめる。

『まぁレイムのヤツには丁度いいお灸になるだろ。…それで性格が直るワケはないと思うがな』

「そりゃーあの博麗霊夢だからねぇ、むしろあの性格は死ぬまで直らないんじゃないかなー」

 やや鼓膜に障る程度の喧しい金属音混じりの言葉に、今度は式の式である橙がクスクスと笑いながら言う。

 先ほど藍と一緒にルイズの荷物を持って帰って来た彼女は、叱られている霊夢の姿を見てざまぁ見ろとでも思っているのだろうか?

 まぁさっきまで散々掴まれられたり文句を言われたりもしていたので、まぁそういう気持ちになっても仕方ない。

 そう思っているのか藍も彼女を窘める事はせず、見守る事に徹していた。

 

 そんな橙は今、紫が来るまで来ていた洋服ではなく霊夢達が見慣れている赤と白が目立つ服に着替え直している。

 元は変装用にと藍が服を与えたのだが、今回の説教で紫から甘やかしてると判断されて没収されていた。

 まぁ元々着ていた服も一部分を除けば洋服であるし、尻尾と耳をどうにか隠せれば何とか誤魔化せるだろう。

 藍ならば自分の力でそれ等を極小に縮める事は出来るが、まだまだ力不足な橙にそれ程の芸当はできない。

 その為荷物を取りに行った時はフードつきのコートを頭からすっぽり被り、上手く隠して日中の街中へと出ていた。

 ただ本人曰く…「帰るときには気絶しそうなくらい暑かった」とも言っていたが…。

 

「あの服なら尻尾をスカートの中に入れてても痛くなかったし、便利だったのにな~…」

「確かに…あんなコートを頭から被って真夏日の街中で出るなら、あの服を着ていく方がいいと思うぜ」

『だな。夏真っ盛りの今にあんなん着てて歩いたら、その内日射病でバタンキューだ』

 橙が羽織り、今は入口の傍に設置されているコートハンガーに掛けられているそれを見て、魔理沙とデルフも頷くほかない。

 あれを着れば確かに耳と尻尾は隠れるのだろうが、間違いなく体中から滝の様な汗が流れるのは間違いないだろう。

 何せ外は涼しい格好をした平民たちもしきりに汗を流し、日射病で倒れぬようしきりに水分補給をする程の暑さ。

 それに加えて狭い通りを大勢の人々が歩き回ってるのだ。汗をかかない方が明らかにおかしいのである。

 当然、橙の傍にいて彼女の様子を見ていた藍も魔理沙と同じことを思っていたようで、腕を組んで悩んでいた。

「う~ん、私は甘やかしたつもりはないのだがなぁ。ただ、あの子の事を思って服を用意しんだが…」

「そういえば、甘やかす側は偶に違うと思いつつも他の人から見ると甘やかしてるって見える時があるらしいわね」

 真剣に悩んでいる彼女の姿を見て、ルイズは現在行方知れずの二番目の姉との優しい思い出を振り返りつつ、

 常に厳しくキツい思い出しかない一番目の姉が彼女に言っていた言葉を思い出していた。

 

 そんな風にして四人と一本が暇を潰している間、いよいよ霊夢と紫の楽しい(?)お話が終わろうとしていた。

「…まぁその分だとあまり反省してなさそうだけど…これに懲りたらちょっとは自分を見直しなさい。いいわね?」

「そんなの…分かってるわよ。何かしたら一々アンタの説教を聞くのも億劫だし」

 長い説教をし終えた紫は最後にそう言って、目を逸らしつつも大人しく話を聞いていた霊夢へ説教の終わりを告げる。

 対する霊夢も相変わらず顔を横に反らしたまま捨て台詞を吐いてから、クルッと踵を返して紫に背を向けてしまう。

 一目見ただけでご立腹な巫女の背中に、紫は苦笑いしつつ彼女の左肩にそっと自分の左手を乗せた。

 ついで、幾つものスキマを作り出せるその指で優しく撫でられると流石の霊夢も何かと思ってしまう。

「まぁ貴女は貴女でちゃんと頑張っているし、人間っていうのは叱られてこそ伸びるものよ」

 そんな彼女へ、紫はまるで教え子を諭す教師になったかのような言葉を送る。

 さっきまであんなに説教してきたというのに、しっかりフォローを入れてきたスキマ妖怪に霊夢は思わず彼女の方へ顔を向けてしまう。

 そして自分だけでなく、それを傍目で眺めていたルイズと魔理沙もそちらの方へ顔を向けているのにも気づいていた。

 

 途端に何か、得体のしれぬ気恥ずかしさで頬に薄い赤色が差した巫女はそれを誤魔化すように紫へ話しかける。

「……その言葉と、今私の肩を撫でまわしてる事にはどういう関係があるのよ」

「あら?肩じゃなくて頭のほうが 良かったかしら。昔みたいに…」

「まさか……もう子供じゃああるまいし」

 そう言って霊夢は右手で紫の左手を優しく肩から離して、もう一度踵を返して今度は紫と向き合う。

 既に気恥ずかしさは何処へと消え去り、いつもの調子へと戻った彼女は腰に手を当ててご立腹な様子を見せている。

「第一、ルイズや式はともかくとして魔理沙のヤツがいる前で昔の事なんか言わないでよ。からかいの種になるんだからさぁ」

「おぉ、こいつはひどいなぁ。私だけのけものかよ」

「でも不思議よね?霊夢の『ともかく』って実際は『どうでもいい』って事だからあんまり嬉しくないわ」

「まぁその通りだな」

『でもぶっちゃけ、この巫女さんに関われるよかそっちの方が幸せな気がするとオレっちは思うね』

 自分の言葉に続くようにして魔理沙とルイズ、それに藍とデルフが相次いで声を上げる。

 その光景に紫がクスクスと小さく笑いつつ、キッと三人と一本を睨み付ける霊夢へ話を続けていく。

 

 

「あら?そうは言っても過去は否定できませんわよ。今も私の頭の中には、幼少期の可愛い貴方の姿が…」

「だーかーらー!!昔のことは言わないでって言ってるでしょうが!」

「あぁ~ん、ダメよ霊夢ぅ~!公衆の面前よぉ~」

 今となっては相当恥ずかしい昔の思い出を掘り返されたことに、霊夢は紫へ怒鳴りながら迫っていく。

 紫自身も慣れたもので、今にも掴みかからんとする妖怪退治の専門家に対しての余裕っぷりを見せつけている。

 

 一方で霊夢からのけもの扱いされた魔理沙は、紫の口からきいた意外な事実にほぉ~…と感心していた。

 彼女としてもあの博麗霊夢がどのような幼少期を過ごしたのか気になってはいたが、それを聞いたことが無かったのである。

 以前ふとした時に思いついて聞いてみたのだが上手い事はぐらかされてしまい、聞けずじまいであった。

 妖精や天狗たちの噂で、自立できるまであの八雲紫が世話をしていたという話は耳にしていたが、あまり信用してはいなかった。

 だが、その噂の中に出てくる大妖怪本人が言った事ならば…まぁちょっとは信用できるだろうと思うことができた。

「へぇ~、やっぱ噂は本当だったんだな。幼い頃の霊夢と一緒に過ごしたっていうのは」

 魔理沙がそう言うと、紫と同じく幼少期の霊夢を知る藍が「…まぁ事実だしな」と主人の言葉が正しいと証明する。

「まぁ我々からしたらほんの一瞬であったが、幼いアイツへ紫様が直々に色んな事を教えていたのは覚えてるよ」

「へぇ~…それって意外ねぇ?あんな他人に冷たいレイムにそんな過去があるなんてね」

『どんなに冷酷、狡猾、残酷な人間でも乳飲み子や物心ついたばかりの時ってのは可愛いもんなんだぜ?』

「ちょっとデルフ、まるで私が犯罪者みたいな事言ってたら刀身にお札貼り付けて封印してやるわよ」

 藍からの証言を聞いたルイズは自分の使い魔の意外な過去に驚き、デルフがとんでもない事を言ってしまう。

 そして変に耳の良い霊夢がすかさず釘を刺しに来ると、彼はプルプルと刀身を震わせて笑っている。

 これまで何度も同じような脅し文句を言われてきたのだ、彼女が冗談混じりで言っているのかどうか分かっているようだ。

 実際霊夢自身も半分程冗談で言ったので、それを読み取って笑っているデルフに「全く…」と苦笑するしかない。

 

「すっかり慣れちゃってるわね。この喧しい魔剣モドキは…ったく」

 そう言いながら彼女は魔理沙が抱えている彼の元へ近づくと、中指の甲で軽く鞘の部分を勢いよく叩いた。

 カンカン…という軽い音ともに鞘は僅かに揺れ、またも刀身を震わせたデルフが霊夢に向かって言葉を発する。

『おっ…と!鞘はもっと大事に扱ってくれよな、それがなきゃオレは黙れないし一生抜身のままなんだぜ』

「別にアンタがそうなら構わないわよ。だって私はアンタじゃないんだしね」

『こいつは手厳しいや。こりゃ暫くは黙っておいた方が身のためだね』

「あら?アンタも大分懸命になったようね。感心感心」

 互いに軽口で返した後で霊夢は微笑み、デルフもまた笑うかのようにまた自らの刀身を震わせた。

 偶然だったかもしれないが、デルフのお蔭で部屋に和やかな空気が戻った後…思い出したように魔理沙が口を開く。

 

「まぁアレだな。これを機に霊夢も昔の可愛い自分を思い出して私達に優しくしてくれればそのう―――…デデデデッ!」

 空気が和んだところで、通り過ぎたばかりの地雷原へと突っ込んだ魔理沙の頬を霊夢が容赦なく抓った。

 デルフを持っていたことが災いしてか、避けるヒマもなく攻撃を喰らった彼女の目の端へ一気に涙が溜まっていく。

 対して霊夢の表情は先ほどの微笑みを浮かんだまま止まっており、それが異様な雰囲気を作り出している。

「それ以上口にしたら、アンタにはもう一度痛い目に遭ってもらうわよ。いいわね?」

「も、もうとっくにされてる…ってア…ダァッ!」

「ちょっとレイム、マリサを擁護するつもりは無いけれどこれ以上騒がしくしたらスカロンたちが起きちゃうわよ」

 自分の過去を茶化そうとする黒白に個人的制裁を加える霊夢に、流石のルイズが止めに入った。

 

 

 今までちょっとだけ忘れていたが、一応この階では今夜の営業に備えてスカロンやジェシカ達が寝ているのである。

 もしも変に騒ぎ過ぎて起こしてしまえば、怒りの形相でこの部屋へ殴りこんでくるかもしれない。

 人間の中には寝ている途中に起こされる事を極端に嫌い、憤怒する者たちがいる事を彼女は知っているのだ。

 

 しかし、そんな理由で少し慌てているルイズにそれまで黙っていた紫が「あら、それは大丈夫よ」と言葉を発した。

「こんな事もあろうかと、この部屋の中だけ静と騒の境界を弄っておいたから多少騒いでも問題ないわ」

 紫の発したその言葉に「え?」と言いたげな表情を向けたルイズは、意味が良く分からなかった為に彼女へ質問する。

「つまり…それって霊夢を特に止める必要は無いって事?」

「まぁ、そうなるわね。あくまでも多少だけど」

 自分の質問に対する紫の答えを聞いた後、ルイズはもう一度霊夢達の方へ顔を向けて言った。

 

「………というわけよ。だから…まぁ程々にしてあげてね」

「いや、ルイズ…程々って―――イダダダダダタァッ…!」

 あっさりとルイズに見捨てられた魔理沙は彼女へ向けて右手を差し出そうとするが、

 それを許さない霊夢の容赦ない攻撃によって宙を乱暴に引っ掻き回し、涙目になって悲鳴を上げてしまう。

 そんな彼女の左腕の中に抱えられたデルフは鞘越しの刀身を震わせていたが、それは恐怖から来る震えであった。

 ――やっぱり今の『相棒』はとんでもなくおっかないと、そんな再認識をしながら。

 

 その後、魔理沙が解放されたのは一、二分ほど経った後だった。

 流石にこれ以上耐えるのは無理と判断したのか、両手を上げて霊夢に降参を伝えると彼女はあっさりと手を放したのである。

「まぁこんだけやればアンタも今だけは懲りてるだろうし、なにぶん私の手がつかれちゃうわ」

「……機会があったら、是非とも昔の事を話してもらいたいぜ」

 抓られていた頬を押さえる涙目の魔理沙がそう言うと、霊夢は「まぁその内ね」と彼女の方を見ずに言葉を返す。

 最も、彼女の言う「その内」というのはきっと…いや絶対に訪れることは無いのだろう。

 そう確信した魔理沙はいずれ紫本人から話を聞いてみようと思いつつ、

 頬を抓ってくれた霊夢と共犯者のルイズには、いずれとびっきりの『お返し』をしてやろうと心の中で固く誓った。

 

 さっきあれ程酷い事をしたというのに平然としている霊夢に、心の中で何かよからぬ事を企んでいそうな魔理沙。

 そんな二人をベッドに腰掛けて見つめるルイズは、相変わらず仲が良いのか悪いのか良く分からない彼女たちにため息をついてしまう。

 思えばこんな二人と同じ部屋で暮らして寝ている何て事、一年前の自分には想像もつかない事だろう。

 

 あの頃は『ゼロ』という不名誉な二つ名と共に苛められて、何度挫けそうになりながらも必死に頑張っていた。

 実家から持ってきた荷物の中に入っていたくまのぬいぐるみと、それに付いていたカトレアからの手紙だけを頼りに文字通り戦ったのである。

 ――『あなたならできるわ。自分を信じて』という短い一文は、自分に戦えるだけの活力を与えてくれた。

 それから一年後の春。今こそ見返してやろうと挑戦した使い魔召喚の儀式を経て―――ご覧の有様となったわけである。 

(何度も思ってきたけど、ハルケギニアの中でこれ程波乱万丈な青春を過ごしてる女の子何て私ぐらいなものなんじゃない?)

 今やこのハルケギニアと繋がってしまった異世界での異変を解決する側となったルイズは、思わず我が身の不幸を呪ってしまう。

 確かに使い魔は召喚できたのだが、始祖ブリミルは一体何の因果で自分に霊夢みたいな巫女を押し付けてきたのだろうか?

 更にそれから暫くして今度は彼女の世界へ連れ去られ、ワケあって魔理沙という騒がしい魔法使いとも暮らしていく羽目になってしまった。

 

(あの二人の相手をするだけでも忙しいのに、しまいには私があの『虚無』の担い手なんてね…)

 そして、どうして自分が始祖の使いし第五の系統の担い手として選ばれたのか…?

 『虚無』に覚醒して以降、これまで何度も思った疑問を再び思い浮かべようとした直前、

 それまで三人を無視して自分の式から長い長い話を聞いていた紫の声が、思考しようとするルイズの耳の中へと入ってきた。

 

「ふふふ…どうやら私が顔を見せていない間に、随分と進展があったようねルイズ。それに霊夢も、ね」

 明らかに自分へ向けられたその言葉に気づくまで数秒、ハッとした表情を浮かべたルイズが声のした方へと顔を向ける。

 案の定そこにいたのは、何やら満足気な笑顔を浮かべて自分を見下ろす紫の姿があった。

 

「この世界で伝説と呼ばれている『ガンダールヴ』の力に、系統魔法とは違う第五の系統『虚無』の覚醒。

 私の思っていた通り、霊夢を使い魔として召喚しただけの力量はちゃんと持っていたという事なのね」

 

 閉じた扇子で口元を隠し、笑顔で話しかけてくる紫にルイズは多少困惑しつつも「あ、当たり前じゃない」と弱々しく言葉を返す。

「この私を誰だと思って…って本当は言いたいところだけど、正直『虚無』の事は喜んでいいたのかどうか…」

「…?珍しいわねルイズ。いつものアンタなら胸を張って喜ぶだろうって思ったのに…紫が褒めたからかしら」

「早速失礼な事を言ってくる霊夢は置いておいて…確かに彼女の言うとおり、もう少し胸を張ってもバチは当たらないと思うわよ?」

 さっき叱られたばかりだというのにいきなり自分に喧嘩を売ってくる霊夢に肩を竦めつつ、紫はルイズにそう言ってあげる。

 『虚無』に目覚め、アルビオン艦隊を焼き払ってこの国を救った人間にしては、ルイズはやけに謙虚であった。

 アンリエッタから無暗な公表は避けろと言われてるからなのだろうが…、そうだとしても変に謙虚過ぎる。

 

 霊夢の言うとおり、いつもの彼女ならば前もって自分がどういう人間なのか知っている彼女や紫に対して、

 「どう、スゴイでしょ?」とか「ようやく私の時代が来たわ!」とか強気になって言いそうなモノなのだが……。

「今まで苛められてた分を強気になってやり返してやろう…とかそういう事言いそうだと思ってたのに」

「失礼ね、私がそんな事すると思ってたの?…っていうか、姫さまに公にするよう禁止されてるからどっちにしろ不可能だし」

 勝手な自分のイメージを脳内で組み立てていた霊夢を軽く注意した後で、ルイズは他の皆に向かってぽつぽつと喋り始めた。

 それは『虚無』の担い手として覚醒し、初めて『エクスプロージョン』詠唱から発動しようとした時の事である。

 

「レイム、マリサ。私がタルブ村でアルビオンの艦隊に向けて『エクスプロージョン』を放った時のこと、憶えてる?」

 突然話題を振ってきたルイズに霊夢と魔理沙は互いの顔を一瞬見遣った後、二人してルイズの方へ顔を向けて頷く。

 あれから少し経ったが、今でもあの村で感じたルイズの力はそれまで感じたことがない程のものであった。

 それまで彼女の失敗魔法を幾度となく見てきた霊夢でさえも、魔法を発動する直前に思わず身構えてしまったのである。

 極めつけはあの威力、魔理沙もそうだがあの小さな体のどこにあれだけの爆発を起こせる程の力があったのだろうか。

 

「正直あれは驚いたわね。まさか土壇場であんな魔法をぶっつけ本番で発動して片付けちゃうなんてね」

「全くだぜ。おかげで私の活躍する機会が無くなってしまったが…まぁその分あんな爆発魔法を見れたから十分満足してるよ」

「成程。魔理沙はともかくとして、霊夢ともあろう者がそれ程感心するのならさぞやすごい魔法なのでしょうね」

 思い出していた霊夢に魔理沙も同調して頷くと、藍から『虚無』の事を聞いたばかりの紫は興味深そうな表情を見せている。

 まだ実物を見ていない為に詳しい事は分からないが、あの霊夢と魔理沙が多少なりとも感心しているのだ。

 是非とも近いうちに生で見てみたいと思った紫は、尚も浮かばぬ表情をしているルイズの方へと顔を向けて話しかける。

「でも見た所、貴女自身はその『エクスプロージョン』という魔法を、あまり撃ちたくはなさそうな感じね」

「…姫さまの前では虚無の力を役立てたいって言ったけど、またあれだけの規模の爆発を起こせと言われたら…ちょっとね」

 アルビオンの艦隊を飲み込んだあの光が脳裏に過らせて、ルイズは自分の素直な気持ちを彼女へ伝える。

 

 ふとある時、ルイズは口にしないだけでこんな事を考えるようになった。

 もしもアンリエッタの身か…トリステインに大きな危機が訪れるというのならば、止むを得ず虚無を行使するかもしれない。

 しかし、そうなれば次に唱えて発動する『エクスプロージョン』は何を飲み込み…そして爆発させるのだろうか?

 そして何よりも怖いのは―――タルブの時と同じように上手く『エクスプロージョン』を操れるかどうかであった。

 

「何だか怖くなってきたのよ。もしも次に、あの魔法を使う時には…タルブの時みたい上手ぐコントロール゙できるのか…って」

「あら?それは初耳ね」

 顔を俯かせ、陰りを見せるルイズの口から出た言葉に紫はすかさず反応する。

 先ほどの藍の話では『エクスプロージョン』の事は出たが、その中に彼女が口にした単語は耳にしていなかった。

 しかし霊夢にはルイズの言う事に少し心当たりがあったのか、以前デルフが言っていた事を思い出す。

 

 ――あぁ…―――まぁそうだなぁ~…。娘っ子が『虚無』を初めて扱うにしても、手元を狂わせる事は…しないだろうなぁ

 

 ――不吉って言い方は似合わんぜマリサ。もし娘っ子が『エクスプロージョン』の制御に失敗したら…

 

 ―――――俺もお前らも、全員跡形も無く消えちまう…文字通りの『死』が待っているんだぜ?

 

 エクスプロージョンを唱えていたルイズを前にして、あのインテリジェンスソードはそんなおっかない事を言っていた。

 その後、しっかりと発動できたルイズを見て少々大げさだったんじゃないかと思っていたが…。

 まさか彼の言う通り、下手すればルイズがあの魔法のコントロールに失敗していた可能性があったのだろうか。

 今更ながらそう思い、もしも゙失敗しだ時の事を想像して身震いしかけた霊夢はそれを誤魔化すようにデルフへ話しかける。

「ちょっとデルフ、アンタあの時…ルイズの『エクスプロージョン』が制御に失敗したらどうとか言ってたけど…まさか――」

『あぁ、みなまで言わなくても言いたい事は分かるぜ?』

 霊夢の言葉を途中で遮ったデルフは、自身が置かれているテーブルの上でカチャカチャと音を鳴らしながら喋り始めた。

 

『お前さんと娘っ子が考えてる通り、確かにあの『エクスプロージョン』は下手すると制御に失敗してたと思うぜ?

 何せ体の中の精神力――まぁ魔力みたいなもんを一気に溜め込んで、発動と共にそれを大爆発に変換するからな。

 詠唱して十秒も経ってないのなら大した事無いがな、あの時の娘っ子みたいに長々と詠唱した後で失敗してたとするならば…

 そうだな~、娘っ子を除くありとあらゆる周囲のモノが文字通りあの爆発に呑み込まれて、消えてただろうな。それだけは間違いないぜ』

 

 軽々と、まるで街角で他愛もない世間話をするかのようにデルフがおっかない事を言ってのける。

 その話を聞いていた霊夢はやっぱりと言いたげにため息を吐くと、同じく話を聞いていたルイズたちの方へと顔を向けた。

「だ、そうよ?…まぁあの魔力の集まり方からして相当危ないってのは分かってたけど…」

 話を聞き終わり、顔色が若干青くなっていた魔理沙とルイズにそう言うと、まず先に魔理沙が口を開いた。

「し…周囲のモノって…うわぁ~、何だか聞いただけでもヤバそうだな」

『でもまぁ、虚無の中では初歩中の初歩だしな。詠唱してた娘っ子もそうなると分かってたと思うぜ…だろ?』

 今になって狼狽えている黒白向かってそんな事を言ったデルフは、次にルイズへと話しかける。

 デルフの意味ありげな言葉に霊夢達が彼女の方へと視線を向けると、ルイズは青くなっている顔をゆっくりと頷かせた。

「まぁ…ね。……あの時、呪文を唱え終えて…いざ杖を振り上げようとしたときにね…浮かんできたの」

「浮かんできた?何がよ?」

 最後の一言に謎を感じた霊夢が怪訝な顔をして訊ねてみると、ルイズはゆっくりと喋り始めた。

 あの時、『エクスプロージョン』を放とうとした自分には『何が視えていた』のかを。

 

 いざ呪文を発動しようとした時に『エクスプロージョン』どれ程の規模なのか理解したのだという。

 それは自分を中心に周囲にいる者たちを焼き払い、遥か上空にいるアルビン艦隊をタルブごと一掃する程の大爆発を引き起こすと。

 だからこそ彼女は選択した。これから解放するべき力を何処へ流し込み、そして爆発させるのかを。

 勿論その目標は頭上の艦隊であったが、そのうえでルイズは更に攻撃対象から゙人間゛を取り除いたのである。

 そこまで話したところで一息ついた彼女に、おそるおそるといった様子で魔理沙が話しかけてきた。

「じゃああの時、うまいこと船の動力と帆だけが燃えて墜落していったのって…まさかお前が?」

「えぇ、その通りよ。…ぶっつけ本番だったけど、思いの外うまくいくものなのね」

 彼女からの質問にルイズは頷いてそう答えると、あの時の咄嗟の判断を思い出して安堵のため息をつく。

 どうやら彼女自身も、そんな土壇場で良く船だけを狙って攻撃できた事に驚いているらしい。 

 

 以前アンリエッタの前で、この力を貴女の為に使いたいと申し出た時とはまた違う印象を感じるルイズの姿。

 やはり虚無の担い手である前に一学生である彼女にとって、人を殺すという事は極力したくないようだ。

 まぁそれは私も同じよね…霊夢はそんな事を思いながら、ベッドに腰掛けている彼女に向かって言葉を掛ける。

「にしたってアンタは大した事やってるわよ?何せあれだけの爆発魔法を使っておきながら、船だけを狙ったんだから」

「そうそう…って、ん…んぅ?」

 突如、あの博麗霊夢の口から出た賞賛の言葉で最初に反応したのは、言葉を掛けられたルイズ本人ではなく魔理沙であった。

 思わず相槌を打ったところでその言葉を霊夢が言ったことに気が付いたのか、丸くなった目を彼女の方へと向けてしまう。

 黙って話を聞いていた藍と橙もまさかと思っているのか、怪訝な表情を浮かべている。

 ただ一人、八雲紫だけは珍しく他人に肯定的な言葉をあげた霊夢を見てニヤついていた。

 

「え…う、うん…?ありがとう…っていうかどうしたのよ、急に褒めたりなんかして?」

 そして褒められたルイズもまた魔理沙たちから一足遅れて反応し、怪訝な表情を浮かべて聞いてみる。

 基本他人には冷たい言葉を向ける彼女が、どういう風の吹き回しなのだろうかと疑っているのだ。

 そんなルイズから思わず聞き返されてしまった霊夢は「失礼するわね」と少し怒りつつも、そこから言葉を続けていく。

 

「特に深い意味なんて無いわよ。…ただ、アンタはあの時ちゃんと自分の力をコントロールして、船を落としたんでしょ?

 そりゃ失敗した時のもしもを聞いて青くなったりしたけど、そこまでできてたんなら心配する必要なんか無いでしょうに。

 アンタはしっかりあの『虚無』をちゃんと扱えてたんだし、変にビクついてたらそれこそ次は失敗するかも知れないじゃない」

 

 霊夢の口から送られたその言葉に、ルイズはハッと表情を浮かべて彼女の顔を見つめる。

 いつもみたいにやや厳しい口調ではあったが、要点だけ言えばあの時『虚無』をうまく扱えたと彼女は言っているのだ。

 珍しく他人である自分を褒めた霊夢に続くようにして、目を丸くしていた魔理沙もルイズに言葉を掛けていく。

「まぁちょっと意外だったが、霊夢の言うとおりだぜ?自分の力なのに使う度に一々ビクビクしてたら、気が持たないしな」

「…あ、ありがとう。励ましてくれて…」

 あの魔理沙にまで言葉を掛けられたルイズは、気恥ずかしそうに礼を言うとその顔を俯かせる。

 まさか霊夢だけではなく、あの魔理沙にまで優しい言葉を掛けられるとは思っていなかったルイズは嬉しいとは感じていたが、

 二人同時に優しくされるという事態に今夜は雨どころか、雪と雷とついでに槍まで降ってくるのではないかと思っていた。

 そんな三人のやり取りを少し離れた位置で眺めていたデルフも、カチャカチャと刀身を揺らしながら彼女に言葉を掛ける。

 

 

『まぁ初めてにしちゃあ上々だったぜ。味方はともかく、敵の命まで奪わないっていう芸当何て誰にでもできることじゃない。

 そこはお前さんの隠れた才能があったからこそだと思うし、ちゃんと目標を決めて魔法を当てたってのは大きいぜ?

 娘っ子、お前さんにはやっぱり『虚無』の担い手として選ばれる素質がちゃんとあるんだ。そこは確かだと思っといてくれ』

 

 

「……もう、何なのよさっきから?揃いも揃って私を褒め称えてくるだなんて」

 デルフにまでそんな事を言われたルイズの顔がほんのり赤くなり、それを隠すように顔を横へと向ける。

 しかし、赤くなった顔は薄らと笑っており、霊夢達は何となく彼女が照れているのだと察していた。

 そんな微笑ましい光景を目にしてクスクスと笑いながら、紫は同じく静観していた藍へと小声で話しかける。

「ふふ…どうやら私が思っていたより、仲が良さそうで安心したわ」

「ですね。霊夢はともかくあの霧雨魔理沙とあそこまで仲良く接するとは思ってもいませんでしたが…」

 主の言葉に頷きながら、藍もまたルイズと仲良く付き合っている二人を見て軽い驚きを感じていた。

 照れ隠しをするルイズを見てニヤついている魔理沙と、顔を逸らした彼女を見て小さな溜め息をついている霊夢。

 そして鞘から刀身を出したまま三人を見つめるデルフという光景に、不仲な空気というものは感じられない。

 

 先程ルイズから聞いた話では大切にとっておいたお菓子を食べられたとかどうかで揉み合いになったらしいが、

 そこはあの喋る剣が上手い事彼女を説得して、何とかやらかしてしまった霊夢達と和解させたのだという。

 剣とはいえ伊達に長生きはしてないという事なのだろう。彼曰く自身への扱いはあまりよろしくないらしいが。

「ちょっとは心配してたけど、今のままなら異変が解決するまで不仲になる事はないと思うわね」

「仰る通りだと……あっ、そうだ!紫様、少々遅れましたが…これを」

 まるで成長した我が子を遠い目で見るような親のような事を言う紫の「異変解決」という言葉で何か思い出したのか、

 ハッとした表情を浮かべた藍は懐に入れていた一冊のメモ帳を取り出し、それを紫の方へと差し出した。

 最初は何かと思った紫は首を傾げそうになったものの、すぐに思い出しのか「あぁ」とそのメモ帳を手に取った。

「ご苦労様ね、藍。いつまで経っても渡されないから、てっきりサボってたものかと思ってたわ」

「滅相もありません。紫様が来てから少しドタバタしました故、渡すのが遅れてしまいました」

「あら、頭を下げる必要は無いわ。私だって半分忘れかけてたもの」

 紫はそう言って手に取ったメモ帳をパラパラと捲ると、偶然開いたページにはハルケギニアの大陸図が描かれていた。

 その地図にはハルケギニアの文字は見当たらず、紫にとって見慣れた漢字やひらがなで幾つもの情報が記されている。

 

 国や地方、そして各街町村の名前まで……。

 紫の掌より少しだけ大きいメモ帳に『びっしり』と、それこそ虫眼鏡を使えば分からぬほどに。

 

 王立図書館に保管されている大陸図と比べると怖ろしい程精密であったが、見にくい事このうえない大陸図である。

 もしもここにその大陸図が置いてあれば、紫は迷うことなくそちらの方を手に取っていただろう。

 一通り目を通した紫はメモ帳を閉じると、ニコニコと微笑みながら藍一言述べてあげた。

「藍…書いてくれたのは嬉しいけどもう少し他人に分かるように書いてくれないかしら?」

「すみません、書いてる途中に色々調べていたら恥ずかしくも知的好奇心が湧いてしまいまして…」

 申し訳なさそうに頭を下げた藍にため息をついた後、気を取り直して紫は他のページも試しに捲ってみる。

 その他のページにはハルケギニアで広く使われているガリア語で書かれた看板等を書き写し等、

 一般の人から聞いたであろ与太話やその国のちょっとした事に、亜人達のおおまなかスケッチまで描かれている。

 特に魔法関連に関しては綿密に記されており、貴族向けの専門書と肩を並べるほどの情報量が載っていた。

 

 最初に見た地図を除けば、自分のリクエスト通りに藍はこの世界の情報を収集していた。

 その事に満足した紫はウンウンと満足気に頷くと、こちらの言葉を待っている藍へと話しかける。

 

 

「…まぁ概ね良好の様ね。…しかも、この世界の魔法については結構調べてるんじゃないの?」

「はい。この世界の魔法は広く普及しています故、情報収集には然程時間はかかりませんでした」

「それにしてもこの短期間で良く調べたられたわ。さすが私の式という事だけあるわね」

「いえ、滅相も無い。紫様が渡してくれたあの『日記』があったからこそ、効率よく進められたものです」

 藍はそう言って視線を紫からベッドの下、その奥にある一冊の本へと向ける。

 今から少し前…霊夢達の居場所を把握し紫が連れ帰った後、藍もまた幻想郷に呼び戻されていた。

 暇してただろうから…という理由で博麗神社の居間に座布団を用意した後、紫直々にあの『日記』渡されたのである。

 

 その『日記』こそ、とある事情でアルビオンへと赴いた霊夢がニューカッスル城で手に入れた一冊。

 本来ならハルケギニアには存在しない日本語で書かれた、誰かが残したであろう『日記』であった。

――『ハルケギニアについて』…?紫様、これは…

 霊夢と侵食されていた結界へ応急処置を施した後、彼女の見ていない場所で藍はその『日記』を渡された。

 表紙の日本語で書かれた見慣れぬ単語が、あの異世界のものだと知った彼女を察して、紫は先に口を開いて行った。

―――霊夢が召喚したであろう娘の部屋に置いてたわ…後は喋る剣もあったけど、そっちは私が調べておくわ

 そう言って彼女は右手に持っていた剣――デルフリンガーを軽く揺すってみせた。

 その後、藍をスキマでハルケギニアに戻した紫は霊夢とまだ狼狽えていたルイズから詳しい話を聞き出す事となった。

 異世界人であり、尚且つ学生としても優等生であろう彼女のおかげであの世界についての大まかな事はわかったらしい。

 

 しかし所詮は一個人だ。あの世界の事を全て知っているという事はないだろう。

 だから藍は橙と共にハルケギニアに居続け、現在も情報収集を継続して行っている。

 『日記』のおかげで国や地方の名前も比較的速くに分かったし、何より危険な情報も事前に知る事ができた。

「あの『日記』のおかげで、この世界では危険視されている亜人と下手に接触せずに済んだのは良い事だと私は思ってます」

 亜人のスケッチを興味深そうに眺めている紫を見て、藍は苦虫を噛み砕くような顔で呟く。

「あら?このオーク鬼やコボルドはともかく、翼竜人…や吸血鬼なんかとは話が通じそうな感じだけど…」

「とんでもありません。ハッキリ言って、彼奴らの宗教観では我々妖怪との共存も不可能ですよ」

 スケッチに書かれている翼人を目にして、藍はゲルマニアの山岳地帯で奴らに追いかけ回された事を思い出してしまう。

 最初は人の姿をして友好的なコミュニケーションを取ろうとしたが、かえってそれが仇となってしまったのである。

 

 悠々と大きな翼を使って飛ぶ翼人たちが自分に向けてどんな事を言ったのかも、無論覚えていた。

―――立ち去れ下等な人間よ。さもなくば我々は精霊の力と共にお前の命を奪って見せようぞ

 こちらの言葉に全くを耳を貸さない姿勢に、あの地面を這う虫を見るかのような見下した表情と目つき。

 きっと自分が来る以前に、大勢の人間を殺してきたのだろう。それこそ畑を荒らす虫を踏みつぶすようにして。

 

 

「まぁ無理に波風立てる必要は無いと思い戦いはしませんでしたが、あんな態度では人との共存など不可能かと…」

「そう。……あら?」

 命からがら逃げた…というワケでもない藍からの話を聞いていた紫は、ふとルイズ達の方で騒ぎ声がするのに気が付いた。

 先ほどまで和気藹々とルイズを褒めていた二人の内魔理沙が、何やら彼女と揉め事になっているらしい。

 …とはいっても、その内容は至ってシンプルかつ非常に阿呆臭いものであった。

 

「だから、私の虚無が覚醒した記念とやらで飲み会をしたい気持ちは分かるけど…何で私がアンタ達の酒代まで負担しなきゃいけないのよ!」

「まぁ落着けよルイズ、そう怒鳴るなって」

 先ほど照れていた時とは打って変わり、顔を赤くして怒鳴るルイズに魔理沙は両手を前に突き出して彼女を宥めようとする。

 彼女の言葉が正しければ、恐らくあの魔理沙が持ち金の無い状態で今夜は一杯…とでも言ったのだろう。

 ルイズもまぁ、それくらいなら…という感じではあるが、どうやらその酒代に関して揉めているらしかった。

「何もお前さんにおごらせるつもりはないぜ?ちょっとの間酒代を貸してもらうだけで……―――」

「だーかーらー!結局それって、私のなけなしの貯金を使って飲むって事になるじゃないの!」 

 とんでもない事を言う魔理沙を黙らせるようにして、ルイズは更なる怒号で畳み掛けていく。

 すぐ傍にいる霊夢は思わず耳を塞ぎ、至近距離で怒鳴られた魔理沙はうわっと声を上げて後ろに下がってしまう。

 しかし、幻想郷では霊夢に続いて数々の弾幕を潜り抜けてきた人間とあって、それで黙る程大人しくはなかった。

 

 思わす後ずさりしてしまった魔理沙はしかし、気を取り直すように口元に笑みを浮かべる。

 まるで我に必勝の策ありとでも言いたげな顔を見てひとまずルイズは口を閉じ、それを合図に魔理沙は再び喋り出す。

「なぁーに、昨日の悪ガキに奪われた金貨を取り返せればすぐにでも返してやるぜ。やられっ放しってのは性に合わないしな」

「…!魔理沙の言う通りね。忘れてたけど、このままにしておくのは何だかんだ言って癪に障るってものよ」

 彼女の言葉で昨晩の屈辱を思い出した霊夢の『スイッチ』が入ったのか、彼女の目がキッと鋭く光る。

 思えば…もしもあの少年をしっかり捕まえる事ができていれば、今頃上等な宿屋で快適な夏を過ごせていたはずなのだ。

 そして何よりも、自分がカジノで稼いだ大金を世の中を舐めているような子供盗られたというのは、人として許せないものがある。

 

「今夜中にあの悪ガキの居場所を突きとめてお金を取り戻して、この博麗霊夢が人としての道理を教えてあげるわ!」

「その博麗の巫女として相応しい勘の良さで乱暴な荒稼ぎをした貴女が、人の道理とやらを他人に教える資格は無くてよ」

「え?…イタッ」

 左の拳を握りしめ、鼻息を荒くして宣言して霊夢へ…紫はすかさず扇子での鋭い突っ込みを入れた。

 それほど力は入れていなかったものの、迷いの無い速さで自身の脳天を叩いた扇子が刺すような痛みを与えてくる。

 思わず悲鳴を上げて脳天を抑えた霊夢を眺めつつ、紫はため息をついて彼女へ話しかける。

 

「霊夢?貴女とルイズ達からお金を奪ったっていう子供から、そのお金を取り戻す事に関して私は何も言わないわ。

 だけど、取り戻す以上の事をしでかせば―――勘の良い貴女なら、私が何も言わなくとも…理解できるわよね?」

 

「……分かってるわよ、そんくらい」

 先ほどまで浮かべていた笑顔ではなく、少し怒っているようにも見える表情で話しかけてくる紫の方へ顔を向けた霊夢は、

 流石に反省…したかはどうか知らないが、少し拗ねた様子を見せながらもコクリと頷いて見せる。

 一度ならず二度までも霊夢が大人しくなったのを見て、ルイズは内心おぉ…と呻いて紫に感心していた。

 どのような過去があるのか詳しくは知らないが、きっと彼女にとって紫は特別な存在なのだろう。

 子供の様に頬を膨らませて視線を逸らす霊夢と、それを見て楽しそうに微笑む八雲紫を見つめながらルイズは思った。

 

 

 少し熱が入り過ぎていた霊夢を落ち着かせた紫は、若干拗ねている様にも見える彼女へそっと囁いた。 

「まぁ…これからはダメだけど、手に入れちゃったものは仕方ないしね…貴女なら五日も掛からないでしょう?」

 紫が呟いた言葉の意味を理解したのか霊夢はチラッと彼女を一瞥した後、再び視線を逸らしてから口を開く。

「…う~ん、どうかしらねぇ?この街って結構広いから…。でもま、子供のスリっていうなら大体目星が付くかも」

「お!霊夢がいよいよやる気になったか?こりゃ早々に大量の金貨と再会できそうだぜ」

「だからっていきなり今夜から飲むのは禁止よ。私の貯金だと宿泊代と食事代で精一杯なんだから」

 昨晩自分に負け星をくれた少年を捕まえ、稼いだ金貨を取り戻そうという意思を見せる霊夢。

 そんな彼女を見て早くも勝利を確信したかのような魔理沙と、そんな彼女へ忘れずに釘を刺すルイズ。

 仲が良いのか悪いのか、良く分からない三人を見て和みつつ紫は最後にもう一度と三人へ話しかける。

 

「霊夢…それに魔理沙。ルイズがこの世界の幻と言われる系統に目覚めた以上、この世界で何らかの動きがある事は間違いないわ。

 それが貴女たちにどのような結果をもたらすかは知らないけれど、いずれは貴女たちに対しての明確な脅威が次々と出てくる筈よ」

 

 紫の言葉に三人は頷き、ルイズと霊夢は共にタルブで姿を現したシェフィールドの事を思い出していた。

 あの場所で起きた戦いの後に行方をくらませているのなら、いずれ何処かで出会う可能性が高いのである。

 最初に出会った時は森の中であったが、もし次に出会う場所がここ王都の様な人口密集地帯であれば、

 けしかけてくるであろうキメラが造り出す、文字通りの『惨劇』を食い止めなければならないのだ。

 

「その時、最も頼りになるのが貴女たち二人…その事を忘れずにね?無論、その時はルイズも戦いに加わってもいい。

 前にも言ったように脅威と対峙し、戦いを積んでいけばいずれは…今幻想郷で起きている異変の黒幕に辿り着く事も夢じゃないわ」

 

 その事、努々忘るるなかれ。最後に一言、やや格好つけて話を終えた紫は右手に持っていた扇子で口元を隠してみせる。

 これで私からの話は以上だ。…というサインは無事に伝わったのか、ルイズたちは暫し互いを見合ってから紫へと話しかけていく。

「あ、当たり前じゃない。何てったって私は霊夢を召喚した『虚無』の担い手なんだから!」

「ふふふ…貴女の事は楽しみだわ。その新しい力をどこまで使いこなせるか…結構な見ものね」

 腰に差していた杖を手に取り、恰好よく振って見せたルイズの勇ましい言葉に紫は微笑んでみせる。

「まぁ異変解決は私の仕事の内の一つでもあるしな。最後の最後で私が黒幕とやらを退治していいとこ取りして見せるぜ」

「相変わらず勇ましさとハッタリが同居してるわねぇ?でも…ルイズと霊夢の間に何かあったら、その時は頼みましたわよ?」

「そいつは任せておいてくれ。気が向いた時には私が助け船を出してあげるよ」

 頭に被っている帽子のつばを親指でクイッと上げる魔理沙に苦笑いを浮かべつつ、紫は彼女に再度『頼み込んだ』。 

 自分の手があまり届かぬこの異世界で、唯一自分の代わりに二人を手助けしてくれるかもしれない、普通の魔法使いへと。

 

 そして最後に、面倒くさそうな表情で紫を見つめる霊夢が口を開いた。

「まぁ…今年の年越しまでには終わらせてみせるわよ。いい加減にしないと、神社がボロボロになっちゃいそうだしね」

 恥かしそうに視線を逸らす霊夢を見て、それまで黙っていたデルフが鞘から刀身を出して喋り出した。

 

『まぁそう焦るなって。そういう時に限って、結構な長丁場になるって決まってんだからよ』

「誰が決めたのか知らないけど、決めた奴がいるならまずはソイツの尻を蹴飛ばしに行かないとね」

 デルフの軽口に霊夢が辛辣な言葉で返した後、そんな彼女へクスクスと紫は笑った。

 彼女にとっては初めてであろう自分以外と一緒に暮らすという体験を得て、ある程度変わったと思っていたが…。

 そこは流石に我が道を行く霊夢と行ったところか、今回の異変をなるべく早くに終わらせようという意思はあるようだ。…まぁ無ければ困るのだが。

 とはいえ、藍と霊夢達の情報を合わせたとしても…解決の道へと至るにはまだまだ知らない事が多すぎる。

 

 デルフの言うとおり、長丁場になるのは間違いないであろうが…それは紫自身も覚悟している。

 だからこそ彼女は何があっても、霊夢達の帰る場所を無くしてはならないという強い意志を抱いていた。

 

 例えこの先…――――自分の体が言う事を聞かなくなってしまったとしても、だ。

 

「じゃあ…言いたい事も言って貰いたいもの貰ったし、私はそろそろ退散するとするわ」

 そんな決意を抱きながら、ひとしきり笑い終えた紫はそう言って部屋の出入り口へと向かって歩き出す。

 手に持っていた扇子を開いたスキマの中に放り、靴音高らかに鳴らして歩き去ろうとする彼女へ霊夢が「ちょっと」と声を掛けた。

「珍しいわね、アンタが私の目の前で歩いて帰ろうとするなんて」

 首を傾げた巫女の言葉は、ルイズとデルフを除く者達もまた同じような事を思っていた。

 いつもならスッと大きなスキマを開いてその中へ飛び込んで姿を消す八雲紫が、歩いて立ち去ろうとする。

 八雲紫という妖怪を知り、比較的いつもちょっかいを掛けられている霊夢からしてみれば、それはあり得ない後姿であった。

 霊夢だけではない。魔理沙や紫の仕える藍と、彼女の式である橙もまた大妖怪の珍しい歩き去る姿に怪訝な表情を向けている。

 

「あら?偶には私だって地に足着けてから帰りたくなる事だってありますのよ。それに運動にもなるしね」

「そうかしら?そんな恰好してて運動好きとか言われても何の説得力も無いんだけど、っていうか熱中症になるんじゃないの?」

 怪訝な表情を向ける二人と二匹へ顔を向けた紫がそう言うと、話についていけないルイズが思わず突っ込んでしまう。

 彼女の容赦ない突込みに魔理沙が軽く噴き出し、紫は思わず「言ってくれるわねぇ」と苦笑してしまう。

 これには流石の霊夢も軽く驚きつつ、呆れた様な表情を浮かべてルイズの方を見遣った。

「アンタも、結構私よりエグイ事言うのね。…っていうか、私以外にアイツへあそこまで言ったヤツを見たのは初めてよ?」

「そうなの?ありがとう。でもあんまり嬉しくないわ」

「別に褒めちゃあいないわよ」

 そんなやり取りを始めた二人を見て、藍は「お喋りは後にしろ」と言って止めさせた。

 苦笑して部屋を出れなかった紫は一回咳払いした後、突っ込みを入れてくれたルイズへと最後の一言を掛けてあげた。

 

「まぁ偶には歩きたいときだって私にもあるのよ。丁度良い運動にもなって夜はぐっすり眠れるしね?

 ルイズ…それに霊夢も偶には魔理沙みたいにたっぷり外で動いて、良い夢の一つでも見て気分転換でもすればいいわ」

 

 ちょっと名言じみていて、全然そうには聞こえない忠告を二人に告げた紫は右でドアノブを掴む。

 外からの熱気を帯びていても未だに冷たさが残るそれを捻り、さぁ廊下へと出ようとした――その直前であった。 

「………あ、そうだ。ちょっと待って紫!」

 捻ったドアノブを引こうとしたところで、突如大声を上げた霊夢に止められてしまう。

 突然の事にルイズと魔理沙もビクッと身を竦ませ、何なのかと驚いている。

 

 一方の紫はまたもや部屋を出るのを止められてしまった事に、思わず溜め息をつきそうになってしまうが、

 だが何かと思って顔だけを向けてみると、いつになく真剣な様子の霊夢が自分の前に佇んでいるのを見て何とかそれを押しとどめる。

 何か自分を引きとめてまで言いたい…もしくは聞きたい事があったのか?そう思った紫は霊夢へ優しく話しかけた。

「どうしたの霊夢?そんな大声上げてまで私を引きとめるだなんて…もしかして私に甘えたいのかしら?」

「違うわよバカ。…ちょっと聞いてみたい事があるから引き止めただけよ」

「聞きたい事…?」

 ひとまず軽い冗談を交えてみるもそれを呆気なく一蹴した霊夢の言葉に、紫は首を傾げる。

 そして驚いたルイズや魔理沙、式達もその事については何も知らないのか巫女を怪訝な表情で見つめていた。

 

「どうしたのよレイム、ユカリに聞きたい事って何なの?」

 そんな彼女たちを勝手に代表してか、一番近くにいたルイズが思わず霊夢に聞いてみようとする。

 ルイズからの質問に彼女は暫し視線を泳がせた後、恥ずかしそうに頬を小指で掻きながらしゃべり始めた。

「いや、まぁ…ちょっと、何て言うか…藍には話したから知ってると思うけど、私の偽者が出てきたって話は覚えてる?」

「それは、まあ聞いたわね。でもその時は痛手を負わせて、貴女も気絶して御相子だったのよね」

 以前王都の旧市街地で戦ったという霊夢の偽者の話を思い出した紫がそう言うと、霊夢もコクリと頷いた。

「まぁ実は…それと関係しているかどうか知らないけれど…タルブで私達を助けてくれたっていう女性の話も聞いたわよね」

「それも聞いたわね。確か…キメラを相手に共闘したのでしょう?」

 霊夢からの言葉に紫は頷きつつ、彼女が何を聞きたいのか良く分からないでいた。

 いつもはハキハキとしている彼女が、こんなにも遠回しに何かを聞こうとしている何て姿は始めて見る。

 

「そういえば…確かにあの時は色々助かったわよね。結局、誰なのかは分からなかったけど」

「だな。何処となく霊夢と似てた変なヤツだったが、アイツがいなけりゃお前さんは今頃ワルドに拉致されてたかもな」

「やめてよ。あんなヤツに攫われるとか想像しただけで背すじが寒くなるわ」

 あの時、タルブへ行こうと決意したルイズと彼女についていった魔理沙も思い出したのかその時の事を語りあっている。

 しかしこの時、魔理沙が口にした『霊夢と似ていた』という単語を聞いた藍が、怪訝な表情を浮かべて霊夢へ話しかけた。

「ん?…ちょっと待て霊夢。私も始めて耳にしたぞ、どういう事なんだ?」

「…んー。最初はその事も言うつもりだったんだけど、結局この世界の人間かも知れないから言わずじまいだったのよ」

 藍の言葉に対し彼女は視線を逸らして申し訳なさそうに言うと、でも…と言葉を続けていく。

 しかし…その内容は、話を聞いていた藍と紫にとっては到底『信じられない』内容であった。

 

「実はさ…昨晩の夢にその女が出てきて、妖怪みたいな猿モドキを殴り殺していくのを見たのよ。

 何処か暗い森のひらけた場所で…四角い鉄の箱の様な物が周囲を照らす程の炎を上げてる近くで…

 赤ん坊の面をした黒い毛皮の猿モドキたちが奇声を上げて出てきた所で…私と同じような巫女装束を着た、黒髪の巫女が――…キャッ!」

 

 言い切ろうとした直前、突如後ろから伸びてきた手に右肩を掴まれた霊夢が悲鳴を上げる。

 何かと思い顔だけを後ろに振り向かせると、目を見開いて驚くルイズと魔理沙の間を通って自分の肩を掴んでいる誰かの右腕が見えた。

 そしてその腕の持ち主が八雲藍だと分かると、霊夢は何をするのかと問いただそうとする。

 

 

「こっちを向け、博麗霊夢!」

「ちょ……わわッ!」

 しかし、目をカっと見開き驚愕の表情を浮かべる式はもう片方の手で霊夢の左肩を掴み、無理矢理彼女を振り向かせた

 その際に発した言葉から垣間見える雰囲気は荒く、先程自分たちに見せていた丁寧な性格の持ち主とは思えない。

 思わずルイズと魔理沙は霊夢に乱暴する藍に何も言えず、ただただ黙って様子を眺めるほかなかった。

 橙もまた、滅多に見ない主の荒ぶる姿に怯えているのか目にも止まらぬ速さで部屋の隅に移動してからジッと様子を窺い始める。

 そして藍の主人であり、霊夢に手荒に扱う彼女を叱るべき立場にある八雲紫は―――ただ黙っていた。

 まるで機能停止したロボットの様に顔を俯かせて、その視線は『魅惑の妖精亭』のフローリングをじっと見つめている。

『おいおい一体どうしんだキツネの嬢ちゃん、そんな急に乱暴になってよぉ?』

「今喋られると喧しい、暫く黙っていろ!」

 この場で唯一藍に対して文句を言えたデルフの言葉を一蹴した藍は、未だに狼狽えている霊夢の顔へと視線を向ける。 

 

 一方の霊夢は突然すぎて、何が何だか分からなかったが…流石に黙ってはおられず、藍に向かって抗議の声を上げようとした。

「ちょっと、いきなり何を―――」

 するのよ!?…そう言おうとした彼女の言葉はしかし、

「お前!どうしてその事を『憶えている』んだ…ッ!?」

 それよりも大声で怒鳴った藍の言葉によって掻き消された。

 

 突然そんな事を言い出した式に対し、霊夢の反応は一瞬遅れてしまう。

「え?――……は?今、何て――」

「だから、どうしてお前は『その時の事』を『まだ憶えている』と…私は言っているんだ!」

 しかし…今の藍はそれすらもどかしいと感じているのか、何が何だか分からない霊夢の肩を揺さぶりながら叫ぶ。

 紫が境界を操っているおかげで部屋の外へ怒鳴り声は漏れないが、そのせいなのか彼女の叫び声が部屋中へ響き渡る。

 目を丸くして驚く霊夢を見て、これは流石に止めねべきかと判断した魔理沙が彼女と藍の間に割り込んでいった。

「おいおいおい、何があったかは知らんが少しは落ち着けよ。…っていうか紫のヤツは何ボーっとしてるんだよ?」

「あ…そ、そうよユカリ!アンタが止めなきゃだれ…が……―――…ユカリ?」

 仲介に入った魔理沙の言葉にすかさずルイズは紫の方へと顔を向けて、気が付く。

 タルブで自分たちを助け、そして霊夢の夢の中にも出て来たというあの巫女モドキの話を聞いた彼女の様子がおかしい事に。

 ルイズの言葉からあのスキマ妖怪の様子がおかしい事を察した霊夢も何とか顔を彼女の方へ向け、そして驚いた。

 

 霊夢が話し出してから、急に凶暴になった藍とは対照的に沈黙し続けている八雲紫はその両目を見開いてジッと佇んでいる。

 その視線はジッと床へ向けられており、額から流れ落ちる一筋の冷や汗が彼女の頬を伝っていくのが見えた。

 今の彼女の状態を、一つの単語で表せと誰かに言われれば…『動揺』しか似合わないだろう。

 そんな紫の姿を見た霊夢は変な新鮮味を感じつつ、言い知れぬ不安をも抱いてしまう。

 これまで藍に続いて八雲紫という妖怪を永らく見てきた霊夢にとって、彼女が動揺している姿など初めて目にしたのである。

 

 あの八雲紫が動揺している。その事実が、霊夢の心に不安感を芽生えさせる。

 そして土の中から顔を出した芽は怖ろしい速さで成長を遂げ、自分の心の中でおぞましい妖怪植物へと変異していく。

 妖怪退治を生業とする彼女にもそれは止められず、やがて成長したそれが開花する頃には――心が不安で満たされていた。

 

「ちょっと、どういう事?何が一体どうなってるのよ…」

 押し寄せる不安に耐え切れず口から漏れた言葉が震えている。

 言った後でそれに気づいた霊夢に返事をする者は、誰一人としていなかった。

 

 

 

 

 文明がもたらした灯りは、大多数の人々に夜と闇への恐怖を忘れさせてしまう。

 暗闇に潜む人ならざる者達は灯りを恐れ、しかしいつの日か逆襲してやろうと闇の中で伏せている。

 だが彼らは気づいていない。その灯りはやがて自分達を完全に風化させてしまうという事を。

 

 

 

 

 東から昇ってきた燦々と輝く太陽が西へと沈み、赤と青の双月が夜空を照らし始めた時間帯。

 ブルドンネ街の一部の店ではドアに掛かる「OPEN(開店)」と書かれた看板を裏返して「CLOSED(閉店)」にし、

 従業員たちが店内の掃除や今日の売り上げを纏めて、早々に明日の準備に取り掛かっている。

 無論、ディナーが売りのレストランや若い貴族達が交流目的で足を運ぶバーなどはこれからが本番だ。

 しかしブルドンネ街全体が明るいというワケではなく、空から見てみれば暗い建物の方が多いかもしれない。

 

 その一方で、隣にあるチクトンネ街はまるで街全体が大火事に見舞われたかのように灯りで夜空を照らしている。

 街灯が通りを照らし、日中働いてクタクタな労働者たちが飯と酒に女を求めて色んな店へと入っていく。

 低賃金で働く平民や月に貰える給金の少ない下級貴族たちは、大味な料理と安い酒で自分自身を労う。

 そして如何わしい格好をした女の子達に御酌をしてもらう事で、明日もまた頑張ろうという活力が湧いてくるのだ。

 酒場や大衆レストランの他にも、政府非公認の賭博場や風俗店など労働者達を楽しませる店はこの街に充実している。

 ブルドンネ街が伝統としきたりを何よりも重んじるトリステインの表の顔だとすれば、この街は正に裏の顔そのもの。

 時には羽目を外して、こうして酒や女に楽しまなければいずれはストレスで頭がどうにかなってしまう。

 

 夜になればこうしてストレスを発散し、翌朝にはまた伝統と保守を愛するトリステインへ貴族へと戻る。

 古くから王家に仕える名家の貴族であっても、若い頃はこの街で羽目を外した者は大勢いることだろう。

 

 そんな歴史ある繁華街の大通りにある、一軒の大きなホテル…『タニアの夕日』。

 主に外国から観光にきた中流、もしくは上流貴族をターゲットにしたそこそこグレードの高いホテルである。

 元は三十年前に廃業した『ブルンドンネ・リバーサイド・ホテル』であり、二年前までは大通りの廃墟として有名であった。

 しかし…ここの土地を購入した貴族が全面改装し、新たな看板を引っ提げてホテルとしての経営が再開したのである。

 ブルドンネ街のホテルにも関わらず綺麗であり、外国から来るお客たちの評価も上々との事で売り上げも右肩上がり。

 この土地を購入し現在はオーナーとして働く貴族も今では宮廷での政争よりも、ホテルの経営が生きがいとなってしまっている。

 

 そんなホテルの最上階にあるスイートルームに、今一人の客がボーイに連れられて入室したところであった。

 ロマリアから観光に来ているという神官という事だけあって、ボーイもホテル一のエースが案内している。

「こちらが当ホテルのスイートルームの一つ…『ヴァリエール』でございます」

「……へぇ、こいつは驚いたね。まさか他国でもその名を聞く公爵家の名を持つスイートルームとは、恐れ入るじゃないか」

 ドアを開けたボーイの言葉で、ロマリアから来たという若い客は満足げに頷いて部屋へと入った。

 白い絨毯の敷かれた部屋はリビングとベッドルームがあり、本棚には幾つもの小説やトリステインに関係する本がささっている。

 談話用のソファとテーブルが置かれたリビングから出られるバルコニーには、何とバスタブまで設置されていた。

 勿論トイレとバスルームはしっかりと分けられており、暖炉の上に飾られているタペストリーには金色のマンティコアが描かれている。

 

 荷物を携えて入室してきたボーイは、その後このホテルに関するルールや規則をしっかりと述べた後に、

「それでは、何が御用がございましたらそちらのテーブルに置いてあるベルをお鳴らし下さい」

「あぁ、分かったよ。夏季休暇の時期にこのホテルへ泊まれた事は何よりも幸運だとオーナーに伝えておいてくれ」

「はい!それでは、ごゆっくり御寛ぎくださいませ」

 自分の説明を聞き終えた客の満足気な返事に彼は一礼して退室しようとした、その直前であった。

「……アッ!忘れてた…おーい、そこのボーイ!ちょっと待ってくれ」

「?…何でございましょうか、お客様」

 部屋を後にしようとするボーイの後ろ姿を見て何かを思い出した客は、手を上げてボーイを引きとめる。

 閉めていたドアノブを手に掛けようとした彼は何か不手際があったのかと思い、急いで客の所へと戻っていく。

 

「すまない、コイツを忘れてたね……ホラ」

「え?」

 自分の所へと戻ってきたボーイにそう言って客は懐から数枚のエキュー金貨を取り出し。彼のポケットの中へと忍ばせる。

 最初は何をしたのか一瞬だけ分からなかったボーイは、すぐさま慌てふためいてポケットに入れられた金貨を全て取り出した

「ちょ、ちょっと待ってください!いくら何でも、神官様からチップを貰うのは流石に…!」

 ハルケギニアでは今の様に客がボーイやウエイトレスにチップを渡す行為自体は、然程珍しい事ではない。

 しかし、ボーイにとってはお客様の前にロマリアから来た神官という立場の彼からチップを貰うなと゛、大変失礼なのである。

 だからこそこうして慌てふためき、何とか理由を付けてエキュー金貨を返そうと考えていた。

 しかし、それを予想してかまだまだ青年とも言える様な若い神官様は得意気な表情を浮かべてこう言った。

 

「なーに、安心したまえ。それは日々慎ましく働いている君へ始祖がくれたささやかな糧と思ってくれればいいだろう。

 それならブリミル教徒の君でも神官から受け取れるだろう?この金貨で何か美味しい物でも食べて自分を労うと良いよ」

 

 少し無理やりだが、いかにも宗教家らしい事を言われれば敬虔なブリミル教徒であるボーイには反論しようがない。

 それによく考えれば、このチップは彼が行為で渡してくれたものでそれを突き返すのは逆に不敬なのかもしれない。

 暫し悩んだ後のボーイが、納得したように手にしたチップを懐に仕舞ったのを見て客はクスクスと笑った。

「そうそう、世の中は酷く厳しいんだから貰える物は貰っておきなよ?人間、ちょっとがめつい程度が生きやすいんだから」

「は、はぁ…」 

 そして、とても宗教家とは思えぬような現実臭い言葉に、ボーイは困惑の色を顔に出しながらコクリと頷いた。

 今までロマリアの神官は指で数える程度しか目にしていない彼にとって、目の前にいる若い神官はどうにも異端的なのである。

 自分とほぼ変わらないであろう年齢にややイマドキな若者らしい性格…そして、左右で色が違う両目。

 俗に『月目』と呼ばれハルケギニアでは縁起の悪いものとして扱われる両目の持ち主が、ロマリアの神官だと言われると変に疑ってしまう。

 とはいえ身分証明の際にはちゃんとロマリアの宗教庁公認の書類もあったし、つまり彼は本物の神官…だという事だ。

 まだ二十にも達していないボーイは世界の広さを実感しつつ、改めて一礼すると客のフルネームを告げて退室しようとする。

 

「そ…それでは失礼いたします―――…ジュリオ・チェザーレ様」

「あぁ、君も気を付けてな」

 若い神官の客―――ジュリオは手を振って応えると、ボーイはスッと退室していった。

 ドアの閉まる音に続き、扉越しに廊下を歩く音が聞こえ、遠ざかっていく頃には部屋が静寂に包まれてしまう。

 ボーイが退室した後、 ジュリオはそれまで張っていた肩の力を抜いて、ドッとソファへと腰を下ろす。

 

 金持ちの貴族でも満足気になる程の座り心地の良いソファに腰を下ろして辺りを見回すと、やはりここが良い部屋だと思い知らされる。

 生まれてこの方、これ程良い部屋に泊まった事が無いジュリオからしてみればどこぞの豪邸の一室だと言われても納得してしまうだろう。

 ロマリアでこれと同等かそれ以上のグレードのホテルなど、海上都市のアクイレイアぐらいにしかない。

 

 ひとまず寛ごうにも部屋中から漂う豪華な雰囲気に馴染めず、溜め息をつくとスッとソファから腰を上げた。

 そんな自分をいつもの自分らしくないと感じつつ、ジュリオはばつが悪そうな表情を浮かべて独り言を呟いてしまう。

「ふぅ~…あまり褒められる出自じゃない僕には身に余る部屋だよ全く…」

「仕方がありません。何せ宗教庁直々の拠点移動命令でしたからね」 

 直後、自分の独り言に対し聞きなれた女性の声がバルコニーから突拍子もなく聞こえてくる。

 何かと思ってそちらの方へ顔を向けると、丁度半開きになっていたバルコニーの窓から見慣れた少女が入ってくるところであった。

 長い金髪をポニーテールで纏め、首に聖具のネックレスを掛けた彼女はジュリオの゙部下゙であり゙友達゙でもある。

 

 変な所から現れた知人の姿にジュリオはその場でギョッと驚くフリをすると、ワザとらしい咳払いをして見せた。

 本来なら先程までの落ち着かない自分を他人に見せるというのは、彼にとっては少し恥ずかしい事であった。

 自分を知る大半の人間にとって、ジュリオという人間ばクールでいつも得意気で、ついでにジョークが上手い゙と思い込んでいるのだから。

 幸い目の前の少女は自分が本当はどんな人間なのか知っていたから良かったが、それでも見られてしまうのは恥ずかしいのだ。

「あ~…ゴホン、ゴホ!…せめて声を掛ける前に、ノックぐらいしてくれよな?」

「ふふ、ジュリオ様のばつの悪そうな表情は滅多に見られませんからね、少し得した気分です」

「おやおや、そこまで言ってくれるのなら見物料金を取りたくなってくるねぇ~」

 僕は高いぜ?照れ隠しするかのようにおどけて見せるジュリオの言葉に、少女がクスクスと笑う。

 一見すればジュリオと同年代の彼女はバルコニーからホテル内部へ侵入したワケだが、当然どこにも出入り口は見当たらない。

 このホテルは五階建てで中々に高く、外付けの非常階段は格子付きで出入り口も普段は南京錠で硬く閉ざされており、外部からの侵入は出来ない。

 本当ならば堂々と入り口から行かなければ、中へ入れない筈である。

 

 しかし、ジュリオは知っていた。彼女には五階建ての建物の壁を伝って登る事など造作も無いという事を。

 幼い頃に孤児院から引っ張られて来て、自分の様な神官をサポートする為に血反吐も吐けぬ厳しい訓練を乗り越え、

 陰ながら母国であるロマリア連合皇国の要人を援護し、時には身代わりとして死ぬことをも厭わぬ仕事人として彼女は育てられた。

 そんな彼女にとって、五階建てのホテルの壁を伝って移動する事なんて、平坦な道を走る事と同義なのである。

「…にしたって、良くバルコニーから入ってこれたね。このホテルって、通りに面しているんだぜ」

「幸い陽は落ちていましたし、通行人に気付かれなければ最上階までいく事など簡単ですよ。…ジュリオ様もやってみます?」

「いや、僕は遠慮しておく」

 やや悪戯っぽくバルコニーを指さして言う彼女に対し、ジュリオはすました笑顔を浮かべて首を横に振る。

 それなりに鍛えているし、体力には自信はあるがとても彼女と同じような真似はできそうにないだろう。

 

 その後、部屋の中へと入った少女が窓を閉めたところで再びソファに腰を下ろしたジュリオが彼女へと話しかけた。

「…それにしても、一体どういう風の吹き回しだろうね?僕たちをこんな豪勢な部屋に押し込めるだなんてね」

「確かにそうですね。上の判断とはいえ、この様な場所に拠点を移し替えるとは…」

 彼の言葉に少女は頷いてそう返すと、今朝ロマリア大使館から届いた一通の手紙の事を思い出す。

 まだそれほど気温が高くない時間帯に、ジュリオと少女は宿泊していた宿屋の主人からその手紙を受け取った。

 母国の大使館から届けられたというその封筒の差出人は、ロマリア宗教庁と書かれていた。

 ハルケギニア各国の教会へと神父とシスターを派遣し、ブリミル教の布教を行っている宗教機関であり、

 その裏では特殊な訓練を施した人間を神官として派遣し、異教徒やブリミル教にとっての異端の排除も行っている。

 

 

 ジュリオと少女も宗教庁に所属しており、共に『裏の活動』を専門としている。

 …最もジュリオはかなり゙特殊な立場゙にある為、厳密には宗教庁の所属ではないのだが…その話は今置いておこう。

 ともかく、自分たちの所属する機関から直々に送られてきた手紙に彼は軽く驚きつつ何かと思って早速それに目を通した。

 そこに書かれていたのは自分と少女に対しての移動命令であり、指定した場所は勿論今いるホテルのスイートルーム。

 突然の移動命令で、しかもこんな場末の宿屋から中々立派なホテルへ泊まれる事に彼は思わず何の冗談かと疑ってしまう。

 試しに手紙を透かしてみたり逆さまにしてみたが何の変化も無く、どこからどう見ても何の変哲もない便箋であった。

 しかもご丁寧にロマリア宗教庁公認の印鑑とホテルの代金用の小切手まで一緒に入っていたのである。

――――う~ん、これってどういう事なのかな?

―――――どうもこうも、私からは…宗教庁からの移動命令としか言いようがありません

 正式に所属している少女へ聞いてみるも彼女はそう答える他無かったが、納得しているワケではない。

 何せ手紙には肝心の理由が不可解にも掛かれておらず、命令だけが淡々と書かれているだけなのだから。

 

 とはいえ命令は命令であり、移動先のホテルも豪華な所であった為拒否する理由も得には無い。

 二人は早速荷造りをした後で宿屋をチェックアウトし、ジュリオは小切手をお金に変える為にトリステインの財務庁へと向かった。

 少女は今現在も遂行中である『トリステインの担い手』の監視を夕方まで行い、夜になってジュリオと合流して今に至る。

 手紙が届いてから半日が経ったが、それでも二人にはこの移動命令の明確な理由が分からないでいた。

「明日、大使館へ赴いて移動命令の理由を聞いた方がいいかと思いますが…」

「いやいや、所詮大使館で働いてる人達は宗教庁の裏の顔なんて知らないだろうさ」

 少女の提案にジュリオは首を横に振り、ふと天井を見上げると右手の指を勢いよくパチンと鳴らす。

 その音に反応して天井に取り付けられたシーリングファンが作動し、豪勢なスイートルームを涼風で包み始める。

 ファンそのものがマジックアイテムであり、一分と経たぬうちに部屋の中に充満していた熱気が消え始めていく。

 

「流石は貴族様御用達のスイートルームだ、シーリングファンも豪勢なマジックアイテムとはねぇ」

 ヒュー!っとご機嫌な口笛を吹いて呟いた後に、ジュリオはソファからすっと腰を上げてから少女に話しかけた。

「まぁ理由は色々と考えられるが…もしかすれば゙担い手゙ど盾゙と接触する為…なんじゃないかな?」

「…ジュリオ様もそうお考えでしたか」

「トリステインの゙担い手゙はタルブで見事に覚醒できたんだ、ガリアだってもう黙ってはいないだろうしね」

 少女の言葉にジュリオはそう返してから、監視対象であったトリステインの担い手――ルイズの行動を思い出していく。

 ワケあってトリステインの王宮で保護されていた彼女が行った事は、既にジュリオ達もといロマリアは周知していた。

 使い魔であるガンダルールヴと、イレギュラーである通称゙トンガリ帽子゙こと魔理沙と共にタルブへ赴いたという事。

 そしてそこを不意打ちで占領していたアルビオン艦隊を、あの『虚無』で見事に倒してしまったという事も勿論知っている。

 無論アルビオンの侵略作戦において、あのガリア王国が密かに関わっている事も…。

「まだ見かけてはいませんが、ガリアも担い手の動向を確かめる為に人を派遣する可能性は高いですね」

「だろうね。…しかも今の彼女は、このハルケギニアにおいては最も特殊な立場にある人間でもあるんだから」

 ジュリオはそう言って懐から小さく折りたたんだ一枚の紙を取り出し、それを広げて見せる。

 その紙には一人の少女の姿が描かれていた。本屋で参考書を漁っているであろうトリステインの担い手ことルイズの姿が。

 

 ロマリア宗教庁がルイズをトリステインの担い手と睨んだのは彼女がまだ学院へ入る前の事。

 トリステインのラ・ヴァリエールにある教会の神父が、領民たちの話からこの土地を治める公爵家の三女が怪しいと踏んだのである。

 すぐさま神父の報告を受けて宗教庁は人を派遣し調査させた結果、可能性は極めて高いという結論に至った。

 系統魔法はおろかコモン・マジックすら成功せず、集中すると唱えた魔法は全て爆発魔法に変わってしまう特異な失敗例。

 当時彼女の教育を担当した家庭教師は彼女を不真面目と決めつけ、ロマリアの聖アルティリエ神学校に入れようという話さえ出た程である。

 ハルケギニアでも屈指のスパルタ魔法学校として有名であるが、宗教庁からしてみれば正に願ったり叶ったりのチャンスであった。

 結局のところその話はお流れになってしまったものの、以後ロマリアはルイズを要監視対象と定めて監視し続けている。

 

 魔法学院への入学が決まった際に、『学院へ入学したくない!』と駄々を捏ねた事。

 そんな彼女へ両親は『せめて、貴族の作法と社交を覚えていらっしゃい』と言って娘を無理やり馬車へ押し込んだ事。

 授業開始早々に゙着火゙の呪文を唱えて大爆発を起こし、それ以後他の生徒達から『ゼロ』という二つ名をつけられ嘲られた事。

 ありとあらゆるルイズの動向を何人もの人間が監視し続け、そして進級試験を兼ねた使い魔召喚の儀式で宗教庁は大きく揺れた。

 

 ―――――トリステインの担い手が人間、それも゙博麗の巫女゙を召喚した。

 

 この報告が当時学院で監視任務を行っていたコックから送られてきた直後、長く続いた疑問がようやく確信へと変わったのである。

 伝説が正しければ人間を使い魔として召喚できるのは虚無の担い手だけであり、召喚された者は虚無の使い魔としての恩恵を授かる。

 だが…それ以上に宗教庁が揺れたのは彼女の使い魔となっだ博麗の巫女゙―――即ち霊夢の存在が大きかった。

 

 この世界に住む人々の多くは知らない。かつて大昔、始祖とその使い魔たちと共に戦った巫女の話を。

 始祖とは明らかに異なる力でもって魔を祓い、使い魔たちと共に始祖の詠唱を守ったと言われる伝説の巫女。

 何者かによって意図的に隠蔽され、ブリミル教の本拠地であるロマリアにおいてもそれ相応の権力を持たぬ者しか知る事のできぬ『真実』。

 宗教庁の裏の顔を知る者でも、六千年も隠蔽され続けている真実を知っているのは幹部クラスの神官達だけだ。

 一介の工作員であるコックがそれを知っていたのは、彼が以前博麗の巫女に関する記述を集める任務に就いていたからである。

 今も尚発掘される大昔の遺跡からは、時折博麗の巫女に関する本や巻物等の記録媒体が発見されている。

 その多くが六千年前の伝説を元にした創作話であるが、ロマリア側はそれを秘密裏に回収し続けているのだ。

 

 ともあれ、トリステインの担い手であるルイズが博麗の巫女をガンダールヴとして召喚したのは重大な事であった。

 ジュリオや少女をはじめとした人員と予算の増加が決定され―――、そして今に至る。

 

「それにしても…博麗の巫女だけではなく全く想定外のイレギュラーまで出て来るとはね」

「゙トンガリ帽子゙の事ですか?彼女は゛盾゙と比べて非常にフレンドリーですから、此方のペースに―――…ん?」

 そんな時であった、先程自分が入ってきたバルコニーへと続く窓から小突くような音が聞こえてくる事に気が付いたのは。

 ジュリオもそれに気づいたのか二人してそちらの方へ顔を向けてみると、そこには小さなお客様がいた。

 嘴でコツン、コツンと窓を小突いているのを見るに、どうやら先ほどの音はこのフクロウが出していたようである。

「…ふ、フクロウ?」

「んぅ?あぁ、何だネロじゃないか!」

 少女には見覚えがなかったが、どうやらジュリオとは縁のあるフクロウだったらしい。 

 彼はそのフクロウの名前を呼ぶと窓を開けて、小さなお客様を優しく抱きかかえて見せる。

 フクロウも彼に触られるのは悪くないとか感じているのか、腕の中で大人しくしている。

 互いに慣れている様子を見て、思わす少女は質問してしまう。

「ジュリオ様、そのフクロウは…」

「ん?あぁ、紹介がまだだったね。こいつはネロ、ペット…かと言われればちょっと違うけどね」

 そう言ってジュリオは、ネロとの出会いを彼女へと軽く説明し始めた。

 

 ネロは今から一、二ヶ月ほど前にとある山道の脇で蹲っていたのを仕事の帰りで歩いていたジュリオが見つけたのだという。

 怪我をしていた為、このままでは助からないと思ったらしい彼はそのフクロウを抱きかかえて山を下りた。

 それから獣医の話を聞いて適切に治療して傷が治った後、今ではすっかりジュリオのペットとして良く懐いている。

 とはいえケージに入れて飼ってるワケではなのだが、それでも彼とは一定の距離をおいて傍にいるのだ。

 ジュリオが呼びたいと思った時に口笛を吹けば、どこからともなくサッと飛んでくるのである。

「今じゃあこうして好きな時に抱えられるし、フクロウってこうして見てみると可愛いもんだろう?」

「は、はい…」

 まるで縫いぐるみの様に抱きかかえられる猛禽類を見て、思わず唖然としてしまう。

 恐らく、ふくろうをここまで我が子の様に手なずけてしまうのはハルケギニアでも彼だけだと、そう思いながら。

 

 そんな少女の考えを余所に、ジュリオは急に自分の元を訪ねてきたネロの頭を撫でながら話しかける。

「それにしても、お前はどうしてここへ来たんだ?念の為大使館には置いてきたけど………ん?」

 頭を撫でながら返事を期待せずに聞いてみると、ネロはおもむろにスッと右脚を軽く上げた。

 何だと思って見てみたところ、猛禽類特有のそれには小さな筒の様な物が紐で括りつけられているのに気が付く。 

 思わず何だこれ?と呟いてしまうと、傍にいた少女もまたネロの脚に付けられた筒を目にして首を傾げてしまう。。

「どうしました…って、何ですかソレ?」

「ちょっと待ってくれ…今外す。……よし、外した」

 ジュリオは慣れた手つきでネロの脚に巻かれていた紐を解き、掌よりも一回り小さい筒をその手に乗せる。

 筒は見た目通りに軽く、試しに軽く振ってみるとカラカラカラ…と中で何かが動く音が聞こえてくる。

 暫し躊躇った後、ジュリオはその筒を開けてみると中から一枚の手紙が丸められた状態で入れられていた。

「……手紙?」

 思わず口から出てしまった少女の呟きにジュリオは「だね」と短く答えて、それを広げて見せる。

 広げられた便箋の右上に、見慣れた宗教庁とロマリア大使館の印鑑が押されているのがまず目につく。

 つまりこれは宗教庁が大使館を通し、ネロを使って自分たちへ手紙を送ってきたという事になる。

 ネロの脚に手紙を取り付けたのは大使館だろうが、よくもまぁフクロウの脚に手紙入りの筒を取り付けられたなーと感心してしまう。

 まぁそれはともかく、手紙の差出人についてはジュリオも何となく分かっていたので早速手紙の本文を読み始めてみる。

 

 内容は今日届いた拠点の移動命令に関する事が書かれていとの事らしい。

 ワケあってその理由はギリギリまで伏せられ、ようやくこの手紙を送る許可が下りた事がまず最初に書かれていた。

(やれやれ…僕の見てぬ所で勝手に決めてくれちゃって…下の人間ってのは辛いもんだよ全く)

 自分達の都合など考えてもくれない宗教庁上層部への悪態をつきつつ、ジュリオはその『理由』に目を通し―――そして硬直した。

 それはジュリオや少女…否、ロマリアの国政に関わる者にとっては信じられないモノであった。

 例えればこの国の王女が誰の許可も無しに変装して、王宮を飛び出すくらい信じられない事態と同レベルである。

 いや、こっちの場合は無理に周りの者たちの首を縦に振らせてるので質の悪さでは勝ってるのだろうか?

 どっちにせよ、最悪な事に変わりはない。

 

 そんな事を思いつつも、手紙の内容で頭の中の思考がグルグルと掻き混ぜられる中、 

「全く…!よりにもよって、何でこう忙しいときにコッチへ…――!」

「ど…どうしたんですか?急に怒りだしたりして…」

 ジュリオは悪態をつくと、突然の豹変に驚く少女へ読んでいた手紙を差し出した。

 彼女は慌ててそれを受け取るとサッと素早く目を通し―――瞬間、その顔が真っ青になってしまう。

「じ…ジュリオ様、これって―――」

「皆まで言うなよ?言われなくたって分かってるさ。けれど、もう誰にも変えられやしないんだ…」

 少女の言葉にそこまで言った所で一旦一呼吸入れたジュリオは、最後の一言を呟いた。

 

―――゙聖下゙が御忍びでトリスタニアへ来るっていう、事実はね

 

 その一言は少女の顔はより青ざめ、思わず首から下げた聖具を握りしめてしまう。

 ジュリオはこれから先の苦労と心配を予想して長いため息をつくと、自分を見つめる少女から顔を逸らす。

 二人が二人とも、この手紙に書かれだ聖下゙の急な訪問と、身分を省みぬ彼の行動にどう反応すればいいか分からぬ中――

 ジュリオの腕の中に納まるフクロウは、自分がその手紙を運んで来てしまったことなど知らずして暢気に首を傾げていた。



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第八十九話

 ハルケギニアの主要都市の水道設備は、思いの外しっかりしているという事を知ってる人間は少ない。

 場所にもよるが井戸から汲んだ水を直接飲める場所は多く、良質な水が飲める事を売りにしている土地もある。

 およそ五百年前までは水まわりの環境は酷く、伝染病の類が発生したらそこから調べろとまで言われていた程だ。

 そうした病気を防ぐため当時の王族は貴族たちに命じて研究させたところで、ようやく今の状態にまで漕ぎ着けたのである。

 今では主な都市部には大規模な下水道が造られ、生活排水などはそこを通ってマジック・アイテムを使った処理施設へと辿りつくようになっている。

 マジック・アイテムの力で浄化された生活排水は比較的綺麗な水となって地下の川から海の方へと流れていく。

 最も最初に書いたように、それを知っているという人間は恐らく義務教育を受ける貴族ぐらいなものだろう。

 その貴族でさえも、下水道はともかく各都市に必ず存在する処理施設の場所を知っている者は殆どいないに違いない。

 都市部で生まれ育った平民ともなれば、水は綺麗なモノだと当たり前に考えている者さえいる。

 

 彼らはかつて水そのものが病気の塊と呼ばれ、怖れられていた時代の人間ではないのである。

 既に生まれた時から井戸の水は冷たくて美味しく、トイレは水洗式で清潔という幸せな時代の人間として生きているのだから。

 彼らにとって、水はもう自分たち人間の友達で怖くないという概念が当たり前になってしまっている。

 それは決して不幸な事ではないし、むしろあの世にいる先祖たちは良い時代になったと感心している者もいるだろう。

 

 だからこそ惹かれるのだろうか、近年肝試しと称して若い貴族や平民たちが下水道へ踏み込むという事件が増えている。

 大抵の者たちは自分たちの勇気を示すために、下水道へと足を踏み入れるというパターンだ。

 基本的に下水道へは町の道路にあるマンホールか、街中の川を伝った先にある暗渠を通れば入る事はできる。

 しかし、出入り口の明りがまだ見えている状態はともかく一時間も歩けばそこは地下迷宮へと早変わりする。

 時に狭く、時には広くなったりと道の大きさは変動し、更には処理されていない生活排水に腰まで浸かる場所まであるのだ。

 そうして当てもなく下水道を彷徨った挙句に方角を見失ない、気づいた時には闇の中。

 

 若い貴族達…それも゙風゙系統が得意な者がいれば何とか風の流れを呼んで無事に出られる事もあるし、

 平民の場合でも何とか地上のマンホールへと続く梯子を見つけて、命からがら脱出できた例もある。

 しかし殆どの者たちは混乱して下水道を走り回り、結果として更に奥深くへと迷いこんでしまう。

 更に錯乱して奥深く、奥深くへと潜り込んでしまい…そうして人知れず行方不明になった者たちが大勢いると噂されている。

 その噂が更に尾ひれを付けて人々の間を泳ぎ回り、いつしか幾つもの都市伝説が生まれ始めた。

 下水道に迷い込んだ若者を喰らう白い海竜や、地下に逃げ込んで頭が可笑しくなった殺人鬼が徘徊している…等々。

 噂話が好きな若者たちの間でそんな話が語られ、そこから更なる話が創作されて他の人々へと伝わっていく。

 そんな話を仲間たちと和気藹々と話す彼らはふと想像してしまうのだ、地下の下水道にいるであろう怪異の数々を。

 いもしない怪物たちの存在を否定しつつも、もしかして…という淡い期待を抱いてしまう。 

 

 だが彼らは知らないだろう。人口といえども明りひとつ無い暗闇という存在が、単一の恐怖だという事を。

 作り話と理解しつつも「もしかして…」という淡い期待を大勢の人々が抱く内に、その恐怖の中で゙架空゙が゙本物゙となり得るのだ。

 そしてもしも…その様な場所で何かしら凄惨な事件でも起これば―――゙本物゙は人々の前へと姿を現すだろう。

 

 

 その日のトリスタニアは、昼頃から不穏さを感じさせる黒雲が西の空から近づいてきていた。

 人々の中にはその雲を見て予定していた外出をやめたり、雨具を取りに自宅へ戻ったりしている。

 中には単に通り過ぎるだけと思い込む者たちもいたが、彼らの願いは惜しくも叶う事はなかった。

 

 夕方になるとその黒雲から一筋の閃光が地面へと落ち、少し遅れて聞こえてくる雷鳴の音が人々の耳の奥にまで響き渡る。

 そして陽が落ちる頃には王都の上空をも覆い尽くした黒雲から雨が降り始め、やがてそれは大雨となった。

 雨具を持って来ていた者たちは落ち着いてそれを用意し、持っていない者たちは雨宿りのできる場所へと急いで非難する。

 

 街中にある小さな坂や階段はたちまちの内に小さな川となり、慌ててそこを通ろうとする者たちは足を滑らせ転倒してしまう。

 結果、急いで適当な店の中へ避難する人々の中にはより一層ずぶ濡れになっている者たちがいる。

 トリスタニアのあちこちに作られた人口の川は大雨で流れが激しくなり、茶色く濁った水となって下水道へと流れていく。

 もしも誤って川に転落しようものならば…少なくとも命は保証できない事は間違いないだろう。 

 

 日中の熱気が籠る王都を突然の大雨が冷やしていく様は、さながら始祖ブリミルの御恵みとでも言うべきか。

 なにはともあれ人々の多くはこの天からの恵みに感謝の気持ちを覚えつつ、自分の体を濡らさぬよう屋根の下に避難していた。

 

 夕方からの大雨で人々が慌てる中、一人の老貴族がお供も連れずにひっそりとチクトンネ街の通りを歩いていた。

 顔からして年齢はおよそ六十代前半といった所だろうか、白くなり始めている髭が彼の顔に渋みというスパイスを加えている。

 昼ごろの雲行きを見て大雨になると察していた為、持ってきていた黒い雨合羽のおかげで濡れる心配はない。

 時間帯と空模様に黒い合羽のおかげで通りを歩く他の人たちの注目を集める事無く、彼はある場所を目指して歩いていた。

 何人かはその貴族が気になったのか一瞬だけ見遣るものの、すぐに視線を前へ戻してスッと通り過ぎていく。

 どうせチクトンネ街を一人で歩く老貴族なんて、この街に幾つかある如何わしい店が目的なのだろうと考えているのかもしれない。

 

 老貴族としてはそんな゙勘違い゙をしてくれた方が、個人的に有難いとは思っていた。

 何せこれから自分がするのは、少なくともトリステイン人――ひいては貴族達からしてみれば到底許されない行為なのだから。

 だから時折すれ違う若い貴族たちが自分を気にも留めずに通り過ぎていく時には、内心ホッと安堵していた。

 そして…自宅を出て一時間ぐらい経った頃だろうか、ようやく老貴族はこの大雨の中目指していた目的地へと辿り着く事が出来た。

 

 そこはかつて、家具工房として開かれていた大きな工房であった。

 しかじかつでという過去形で呼ぶ通り、今ではチクトンネ街の一角にある廃墟となっている。

 十数年前に売上不振からくる借金を理由に経営者の貴族が首を吊り、そこから先はトントン拍子で倒産していった。

 今は看板すら取り払われて敷地に雑草が生い茂り、野良の犬猫たちが多数屯する無人の建造物と化している。

 何処かの誰かがこの土地を買ったという話も聞かない辺り、いずれは国が買い取って更地になる運命なのであろう。

 今ではホームレスたちの住宅街と化している旧市街地と比べれば、更地にしやすいのは明白である。

「さて、と…いつまでもここにいても仕方ない。…入るとするか」

 老貴族は一人呟くと入口に散らばったガラス片を踏み鳴らしながら、廃工房の中へと足を踏み入れる。

 …そして、彼は気づいていなかった。ゆっくりと入口をくぐる自分を見つめる人影の存在を。

 

 入り口から中へと入った老貴族は、まず工房内部が思いの外暗かったことに足を止めてしまう。

 別段暗いのは苦手ではないがここは廃墟だ、万が一何かに躓いて怪我でもしてしまえば厄介な病気に掛かるかもしれない。

「やれやれ…大切な用事の為とはいえ、わざわざこんな所にまで来る羽目になるとはねぇ」

 一人面倒くさそうに言うと、老貴族は腰に差していた杖を手に持つとブツブツと小さな呪文を唱え、ソレを振った。

 するとたちまちの内に小ぶりな杖の先端に小さくも強い明りが灯り、彼の周囲を照らしていく。

 

 工房の内部は老貴族が想像していたよりも、人がいた頃の名残を遺していた。

 あちこちに置かれていたであろう道具や、工房から出荷する筈だった家具は当然持ち出されていたが、

 中は比較的綺麗であり、一目見ただけでは数十年モノの廃墟とは思えない程である。

 しかし、やはり廃墟と言うだけあってか荒廃している場所もあり、屋根の一部分が倒壊してそこから雨風が侵入している。

 老貴族は脱ごうと思っていた雨合羽をそのままに工房の中を歩き始めると、この廃墟の先住者たちとも遭遇した。

 雨が降っているせいか、この辺りに縄張りを持っている野良犬や野良猫といった動物たちが雨宿りの為集まって来ているのだ。

 

 猫の場合は元々人に飼われていたペットか、犬ならば山に棲んでいたのが餌を求めて山から下りて来たのか…

 その真相自体は今の貴族にとってはどうでもよかったが、こうまで数が多いと流石に気になってしまうものである。

 今歩いている長い廊下の端で寝そべっているのだけを数えても、犬猫合わせて十匹以上はいるような気がするのだ。

 こちらに見向きもせずに湿気た廊下に寝そべる犬を見てそんな事を思っていた彼は、ふとある扉の前で足を止める。

 今にも腐り落ちそうな木製のそれに取り付けられた錆びたプレートには『洗濯場』と書かれており、半分ほどドアが開いていた。

「……洗濯室。よし、ここだな」

 老貴族は一人呟くと律儀にもドアノブを握ってから、そっとドアを開けた。

 プレートと同じく、長い事風雨に晒されて錆びてしまっているソレの感触に鳥肌を立たせつつ洗濯室の中へと入る。

 

 そこはかつて工房で働く職人たちの服を洗っていた場所なのだろう。

 あちこちに外で使う為の物干し竿や洗濯物を入れる籠が乱雑に放置されて床に散らばり、

 室内に設置されたポンプから流れてくる水を受け止めていたであろう大きな桶は蜘蛛の巣で覆われている。

 窓ガラスは割れてこそいなかったものの酷いひび割れが出来ており、いずれは周囲に散らばってしまう運命なのだろう。

 しかし廊下とは違って犬猫はおらず、それを考えると微かではあるが大分マシな環境とも言えるに違いない。湿気さえ我慢できればの話だが。

「ふ~ん……お、これか?」

 洗濯室へと入った老貴族は明りを灯す杖を振って部屋を見回すと、隅っこの床に取り付けられだソレ゙を見つける事が出来た。

 ゙ソレ゙の正体……――――それは大人一人分なら楽々と両手で開けて入れるほどの大きさを持つ鉄扉である。

 床に取り付けられた扉は正しくこの工房の下―――つまりこの街の地下へと直結している隠し扉なのだ。

 どうしてこんな工房の跡地に、そんな鉄扉が取り付けられているのかについては彼自身良くは知らない。

 自殺した経営者が地下に用事があったのか、元々地下へと続く道が大昔に作られていたのか…真相は誰にも分からない。

 とはいえ、彼にはそんな真相など゙この扉の先で済ます用事゙に比べれば実に些細な事である。

 その鉄扉こそ老貴族がここへ来た理由の一つであり、 その理由を完遂させるためには扉を開けて先に進む必要があった。

 

 いざ取っ手を掴んで開けようとした直前、老貴族はスッとその手を引っ込める。

 多少錆びてはいるものの、特に何の変哲もない取っ手なのだが何故彼は急にそれを掴むのを止めたのだろうか。

 その答えを知っている老貴族は思い出した様な表情を浮かべつつ、気を取り直すように咳払いをした。

「いかんいかん、すっかり忘れておったよ……え~と、確か――」

 一人そんな事を呟きながら、一度は引っ込めた右手を床下の扉へ向けると、中指の甲で小さくノックし始める。

 コンコン…と短く二回、次にコン…コン…コン…と少し間隔を空けて三回、そして最後にコン…コンコン…コン!と四回。

 計九回も床下の扉から金属音を鳴らした老貴族はもう一度手を引っ込め、暫く無言になって扉を凝視する。

 ノックされた扉は当然の様に無言を貫いている…かと思われたが、

「………新金貨が六枚、エキュー金貨は?」

 突如としてその向こう側から、人――それも若い女性の声が聞こえてきたのである。

 

「エキュー金貨は四枚、それ以上も以下も無い」

 老貴族は女性の声で尋ねられた意味の分からない質問に、これまたワケの分からない答えでもって返す。

 そこからまた少しだけ時間を置くと、今度は声が聞こえてきた鉄扉がひとりでに開き始めたのである。

 ギギギギ…と錆びた音を洗濯室を通り抜けて廊下まで響かせて、地下へと続く秘密のドアが周囲の埃を舞い上げて開く。

 老貴族はその埃を避けるかのように後ろへ下がると、ヒョコッと何者かがドアの下にある穴から顔を出した。

 それは頭からすっぽりとフードを被った、一見すれば男か女かも分からぬ謎の人影であった

 しかし老貴族は何となく理解していた。このフードの人物こそ先ほどドアの向こう側にいた女の声の主であると。

 

 フードの人影は老貴族の考えを肯定するかのように、彼の方へ顔を向けるとその口を開いた。

「…アンタが先ほど合言葉を言った貴族か?」

 影で隠れている口から発せられた声は高く、どう聞いても男の声には聞こえない、女らしい声である。

 だが老貴族のイメージするような一般的な女性像とは違い、その声色には短刀の様な鋭ささえ感じ取れた。

 老貴族は相手が女であるが決して只者ではないという事に内心驚きつつ、フードを被る女性へと気さくにも話しかける。

「うむ、左様。…この先にいる人物に渡したい物がある故にここまで来させてもらったよ」

「そうか、じゃあこちらへ。その人物が待っている場所まで案内する」

 ひとまずお愛想程度の笑みを浮かべる老貴族に対し、女性はその硬い態度を崩そうとはしない。

 まるでここが戦場であるかのように身を固くし、自分が来るのを待っていたのだとしたら彼女は゛その道゙のプロなのであろう。

 彼女の素性はまるで知らないが、自分へここへ来るよう要求したあの男はまた随分と頼りになる用心棒を雇ったらしい。

 女性の手招きで地下へと続く階段へと足を伸ばしながら、老貴族はほんのちょっと羨ましいと思っていた。

 

 杖の明りをそのままに老貴族が地下へと続く階段を降りはじめると、背後から何かが閉まる音が聞こえる。

 何かと思って振り返ると、自分にここへ入るよう手招きしたフードの女が再び扉を閉めた所であった。

 扉が閉まった事で元々暗かった地下への階段は更に暗くなり、老貴族の杖だけが唯一の灯りとなってしまう。

 まぁそれでもいいかと思った矢先、魔法の灯りで照らされているフードの女が懐から自分の杖を取り出して見せる。

 そして先ほどの老貴族と同じ呪文を唱えると杖の先に灯りが付き、地下へと続く道がハッキリと見えるようになった。

 

「……貴族だったのか」

「正確に言えば元、だけどな。今は安い給料と酒だけが楽しみな平民だ」

 意外だと言いたげな老貴族に対し、フードの女はそう答えて彼の横を通り過ぎる。

 ゙元゙貴族のメイジ…という事は何らかの事情で家を追い出されたか、もしくは家を潰された没落貴族なのだろうか?

 そんな事を考えつつも、自分に代わって先頭になった女の「ついてこい」という言葉に老貴族は再び足を動かし始めた。

 

 体内時計が正しく動いているのであれば、おおよそ二~三分くらい階段を降りたであろうか。

 長く暗い階段の先にあったのは地上よりも遥かに湿度が高く、そして仄かに悪臭が漂う地下の世界だった。

 レンガ造りの壁と床でできた通路はそれなりに広く、ブルドンネ街の大通りより少し小さい程度の道が左右に作られている。

 天井から吊り下げられている魔法のカンテラがちょうど階段へと通じる出入り口を照らしており、妙に眩しい。

 思わず視線を右に向けると五メイル先にも同じようなカンテラが吊り下げられ、それがかなりの距離まで続いている。

 何の問題も無く作動しているマジック・アイテムを見て、老貴族はここが上の廃工房とは違い゙生きている゛事に気が付く。

 次いで思い出す、ちょうどこの地下通路がある地上の近くには、トリスタニアの下水処理施設ずある事を

 

「ここは…処理施設で使われてる通路か」

「あぁ、処理施設の職員が問題発生時に下水道へ行く時に使うそうだ。右へ行けばそのまま施設まで行ける」

 老貴族の呟きに女は勝手に答えると杖を腰に差してから、左の方へと顔を向けて歩き始めた。

 足音を聞いて慌てて彼女の背中について行こうとした時、微かに水が激しく流れる音が聞こえてくるのに気が付く。

 鼓膜にまで響くその激しい濁流の音に恐怖でもしたのか、ふと足を止めて呟いてしまう。

「まさかとは言わんが、あの濁流の音が聞こえてくる場所まで行くのかね?」

 

 地上はあの大雨だ、水の流れは激しくなるだろうし音からして下水道は上より危険なのは間違いない。

 そんな心配を相手が抱くのを知ってか、女は振り向きもせずに彼へ言った。

「心配しなくても、下水道まで行く必要は無い。ここから少し先にもう一つの地上へ繋がってる階段の所が目的地だ」

「…ふぅ、そうかね」

「……怖いのか?あの濁流の音が」

 自分の言葉に思わず安堵のため息をついてしまう老貴族の姿を見て、彼女は無意識に口走ってしまう。

 言った後で流石に失礼だったかと思った女であったが、以外にも言われた本人は怒ってなどいなかった。

 むしろ怖いのか?と聞いてきた自分を不思議そうな目で見つめると、逆に聞き返してきたのである。

「じゃあ君は怖くないのかね?この脳の奥まで震えてきそうな濁流の音が」

「い、いや…確かに、この音が聞こえる場所までは行きたくはないが…」

 老貴族からの質問返しに思わず言葉を詰まらせつつもそう返すと、彼は「それで良い」と言った。

 

「本能で「恐い」と感じるモノを、自分のプライドが傷つくという理由だけで否定したら自分を裏切る事になる。

 キミ、それだけはしちゃあ駄目だぞ?そうやって自分を裏切ってたら本能が麻痺して、ここぞという時で命を落とすんだ」

 

 

 そこから更に十分程歩いだろうか、五メイル間隔の灯りを頼りに地下通路を進んでいると一人の男が壁にもたれ掛っていた。

 年は三十代くらいだろうか、明るい茶髪をまるで小さ過ぎるカツラの様に乗せているヘアースタイルは否応なしに目に入ってしまう。

 足元には小旅行などに適したバッグが置かれており、時折そちらの方へも視線を向けて動かぬ荷物の安否を気にしている。

 服装は街中の平民たちに扮しているつもりなのだろうが、周囲の様子に警戒している姿を見れば只者ではないと分かる。

 良く見れば腰元には杖を差している。子供でも扱いやすい様設計された、最新式の取り回しやすい指揮棒タイプだ。

 更に足を見てみれば木靴ではなく軍用のブーツを履いている。こんな場所では完全に扮する必要は無いという事なのだろう。

 男は老貴族と女の姿に気付くとスッと壁から離れ、右手を上げながら気さくな様子で女に話しかけた。

「よぅ、おつかいは無事果たせたようだな仔猫ちゃん」

「バカにするなよ三下。さっさと仕事に入れ、私がここまで連れてきてやったんだぞ」

「おいおーい、そんなにカリカリするなっての?…ったく、おたくらの゙ボズは厄介なヤツを紹介してくれたもんだねぇ」

 

 最初の方は女へ、そして最後は老貴族の方へ向けて男は軽い態度で二人に接してくる。

 女はそんな男へ怒りの眼差しを向けていたが、敬語を使っていなかった彼女にも涼しい表情を向けていた老貴族は相変わらず笑顔を浮かべていた。

 フードの中から睨まれている事に気が付いたのか、男は気を取り直すように咳払いをした後に足元のバッグを拾い上げた。

「ゴホン!さて、と…じゃあこんな辛気臭い所にいるのも何だし、さっさと本題に入っちまおうか」

 そう言って男はバッグを左腕に抱えると右手で取っ手を掴んでロックを外し、バッグの中身を二人の前に見せびらかす。

 まず最初に老貴族の目に入ったのは、大量のエキュー金貨が詰め込まれた五つのキャッシュケースであった。

 五列の内一列に金貨が十枚入っており計二百五十枚のエキュー金貨、下級貴族が家賃の事を心配せずに二年も暮らせる額だ。

 

 バッグの中を覗き込む老貴族を見て、男は「スゲェだろ?」と自慢げに聞いてみる。

 しかし年相応の身分を持つ彼の気には少ししか召さなかったのだろうか、やや不満げな表情を見せて男に聞き返す。

「君゙たぢが支払うモノは金貨だけかね?そうだと言うのなら少し考えさせてもらうが…」

「…へっ!そう言うと思ったよ、けど安心しな?アンタが持ってきてくれだ商品゙の対価に見合う品は他にもある」

 老貴族からの質問に男は得意気に答えるとバッグの中を漁り、金貨が詰まったケースの下から四つの小さな革袋を取り出した。

 最初はそれが何だか分からなかったが、袋を目の前まで持ってこられるとそこから漂ってくる雑草の匂いで中身が何のかを察する。

「それは――――…麻薬か?」

 老貴族の問いに男はニヤリ、と卑しい笑みで返すと袋の口を縛っていた袋を解き、中身を見せる。

 革袋の中に入っていたのは乾燥させた何かの植物―――俗に乾燥大麻と呼ばれる麻薬であった。

 

「サハラの辺境地で栽培されて、エウメネスのエルフたちが作った純正品さ。ここまで運んでくるのも一苦労の代物なんだぜ?」

 まるでセールスマンにでもなったのかように饒舌になる男に、老貴族は今度こそ顔を顰めてしまう。

 女は最初から知っていたのか、フードに隠れた目から嫌悪感をハッキリと滲ませて男を睨んでいる。

「王都やリュティスでも中々お目に掛かれねぇ高級品だ、売っても一袋で入ってる金貨の倍は稼げちまう」

「……私は麻薬などやらない。持ってくる品物を間違えたな」

「おいおい固い事言うなって!…何もアンタ自身が吸わなくても、吸いたいってヤツは今やハルケギニアにはいくらでもいるだろ?」

 老貴族の反応に男は肩をすくめてそう言う。

 確かに彼の言うとおり、今や乾燥大麻…もとい麻薬はハルケギニアでちょっとした問題となっている。

 昔から特定の薬草を乾燥したり、粉末化する事でできる特殊な薬の類は存在していた。

 吸えばたちまち幸せな気分になったり、まるで鳥になって大空を飛び回るかのような高揚感に浸れてしまう。

 しかしモノによっては副作用が強い物もあり、時として服用者の命すら奪うような代物さえ存在するのだ。

 近年に入ってそうした薬物は毒物と定義づけられ、今では危険な嗜好品として取り締まり対象にまでなっている。

 

 男が持ってきたサハラの乾燥大麻も当然麻薬の類であり、持っている事が知られればタダではすまない。

 所持している事自体が犯罪であるが、何より麻薬というものは文字通り大金を生み出す魔法の薬なのである。

 幾つか小分けにして人を雇い、繁華街にあるような非合法的な風俗店の経営者に店で売ってもらうよう頼み込めば、喜んで店の金で取引してくれる。

 そして今バッグの中に入っている一袋分を丸ごと売るとすれば…男の言うとおりバッグの中に入っている金貨よりも稼げてしまうだ。

 この様に使っても良し、売っても良しという麻薬は犯罪組織等の商品道具にもなる為、厳しい取締りが行われているのである。

 仮に老貴族が持っていたとしたら良くて地位剥奪、酷い時にはチェルノボーグへの収監といったところだろうか。

 そして自分で使わず、誰かに売ってしまうと…結果的に購入者の命を縮める行為に加担してしまうのである。

 

「悪いがそれを貰う気にはなれん。…だが、私もここまできた以上は手ぶらというワケにはいかんのでな」

 だからこそ老貴族は首を縦に振らなかったが、からといってこのまま踵を返して帰るつもりはないらしい。

 男が差し出してきた麻薬入りの革袋を丁重にお断りした後、彼は自分の腰元へと手を伸ばす。

 マントで隠れていたベルト周りが露わになり、老貴族の腰に差さっているのが杖だけではないという事に女と男は気が付く。

 老人が取り出したるもの…、それは硬めの紐でベルトと結んでいる小さめの筒であった。

 ちょうどお偉い様が書いた様な書類を丸めてから入れるあの筒型の入れ物を見て、何をするのかと男は訝しむ。

 そんな彼の前で老貴族は筒を両手に持ち、右手に掴んだ部分を捻ってみせると…ポン!という軽い音を立てて筒が開く。

 

 二人が見守る中で老貴族は口が開いた筒を二、三回揺らすと…中から丸めた数枚の羊皮紙が出てくる。

 かなり大きいサイズのそれを老貴族は男の目の前で開いて見せると、その紙に何が記されているのかがわかった。

「……!こいつは――」

「お前の゛ボズが喉から手が出るほど欲しがっていた空軍工廠の見取り図に、新造艦の設計図だ」

 驚く男に老貴族が続くようにして言うと、思わず女も男の持つ羊皮紙を肩越しに覗き見てしまう。

 たしかに老人の言うとおり、数枚の羊皮紙には建物の上から見下ろした様な図と軍艦の設計図が描かれている。

 本来ならばトリステイン軍部が厳重に管理し、持ち込み禁止にしている筈の超重要機密な代物だ。

 男とフードの女が軽く驚いく中、老貴族は肩を竦めながら話を続けていく。

 

「本来ならもっと欲しい所なのだが…私にこれを持っていくよう指示した男は絶対に渡す様言って来てな。

 だから…まぁ、その程度の金貨じゃあ不十分だが…乾燥大麻は抜いて金貨二百五十枚でそれと交換しようじゃないか。

 君たちぐらいの組織ならその見取り図と設計図さえあれば工廠に潜入して、艦の脆い部分に爆弾を仕込む事など造作ないだろう?…そう、」

 

 ―――――…君たち、神聖アルビオン共和国の者ならばね。

 

 老貴族が最後に呟いた組織の名前に、男…もとい今のアルビオンに所属するメイジはニヤリと笑って見せる。

 確かにこのご老体の言うとおりだろう。これだけの情報があれば上は間近居なく破壊工作を行うよう命令を出すだろう。

 上手く行くかどうかはまだ分からないが、成功すればトリステイン空軍へ致命傷に近い大怪我を負わせる事など造作もない。

「……へへ、アンタがそんなのを持ってきてるって知ってたら…金塊でも入れてくるべきだったかねぇ」

 男は名残惜しそうに言うとバッグから麻薬入りの革袋だけを取り出し、金貨だけが残ったソレを老貴族へと差し出した。

「こんだけスゲェ情報をくれたんだ、まだ追加で金が欲しいってんならこの女を通してアンタに渡すが…いいのかい?」

「別に構わんさ。既に老後の資金を蓄えすぎている身、持ち過ぎれば色んな人間に狙われる」

「そうかい?金なんて多くもってりゃ損はしないと思うが…」

 流石に対価に見合わぬ物を手に入れてしまったと感じている男の言葉に、老貴族は首を横に振りながら受け取る。

 そしてお返しに手に持っていた見取り図と容器の筒を差し出し、逆に男はそれを貰い受けた。

 金に対しそれほど執着心が無い老人を訝しみつつ、数枚の羊皮紙を筒の中に戻しながら男は言う。

 

「まぁこんだけ危ない橋を渡ってくれたんだ、クロムウェル閣下にはアンタの名前を伝えておくよ。

 あのお方は寛大だからねぇ、この国とのケリが着いた暁にはあんたにさぞ素晴らしい席を用意してくれるだろうさ」

 

 麻薬の入った革袋四つと見取り図や設計図が入った筒を両手に持った彼がそう言うと、老貴族は「期待しているよ」とだけ返す。

 この地下通路で怪しい男と出会った老貴族の目的はこの言葉を境に、無事に済ます事が出来た。

 老貴族の目的―――それはかつてレコン・キスタと呼ばれ、今は神聖アルビオン共和国と名乗る国の内通者になる事である。

 目の前にいる男はスパイとして王都に潜り込んだ者たちの内の一人であり、こうして内通者となった貴族達から金と引き換えに機密情報を買っているのだ。

 今のトリステインでは現王家に不満を抱えている者は少なくはなく、喜んで内通者となる者が多い。

 スパイたちも大分前に――タルブでの戦闘が始まる前から王都へと潜入しており、これまで内通者候補の貴族を探して説得を続けていた。

 途中トラブルが発生して仲間の一人が捕まったものの、未だ組織として王都で活動できるほどの力は残っている。

 そして今正に、トリステインにとって最も知られたくないであろう情報がスパイである彼の手に渡ろうとしていた。

 

 それから少し時間を掛けて男は手に持った荷物に紐を使い、ベルトに括りつけていた。

 羊皮紙数枚が入った筒型容器はともかく、麻薬入りの革袋が意外に重くベルトがずり落ちかけているものの、

 とくに気にするこ素振りを見せないスパイの男は、両手が空いたことを確認してからジッと待機している女へと話しかけた。

「…それじゃあ、お互いここで別れるとしようか。…お前はこの内通者様を出口まで送ってやれ」

「分かった。……よし、戻るぞ。そのまま来た道を…」

 女は男の指示に頷いて、金貨入りのバッグを片手に持った老貴族と共に工房へ戻ろうとした直前―――。

 

 

「――――…動くなッ!!」

 突如、老貴族と女が通ってきた道の方から聞き慣れぬ男の鋭い声が三人の動きを止めた。

 

「…ッ!?な、なんだ…――ッ!」

 ベルトの方へ視線を向けていた男は突然の事に驚きつつ、慌てて顔を上げて前方を見遣る。

 老貴族と女も急いで後ろを振り向き、誰が自分たちへ声を掛けたのかその正体を探ろうとする。

 …声の主がいたのは五メイル後方…天井からの灯りに照らされたその姿は紛れもなくトリスタニアの平民衛士の姿をした男であった。

 常日頃王都の治安を守る者としての訓練を受け、昼夜問わず不逞な輩から街を守り続けている衛士隊。

 制服であり戦闘服でもある茶色の軍服に身を包み、その上から軽量かつ薄くて安価な青銅の胸当てを付けている。

 だからだろうか思った以上にその足取りは早く、あっという間に驚く三人との距離を縮めてきたのだ。

 男の年齢は四、五十代といった所だろうか、年の割にはまだまだ現役と言わんばかりの雰囲気をその体から放っている。

「衛士だと?一体どこから…―――――!」

「動くな!次に動けば右手の拳銃を撃つ、この距離なら杖を抜く前に当たるぞ!」

 老貴族が慌てて腰の杖を手に取ろうとしたのを見て、衛士は右手に持った拳銃の銃口をスッと向ける。

 火縄式の拳銃は引き金を引けばすぐに撃てる状態であり、それを見た老貴族は諦めて杖に近づけていた手を下ろす。

 そして改めて自分へ銃を向ける男を上から下まで見直してみると、衛士はかなりの武器を引っ提げて来ているようだ。

 衛士の男はその背中に年季の入った剣を背負っており、左手には右手のものと同じ拳銃が握られている。

 そして腰には杖の代わりと言いたいのか、左右に一丁ずつ予備の拳銃までぶら下げているではないか。

 これでは仮に銃撃を避けれたとしても、すぐに腰のソレを構えられて…バン!即あの世行きであろう。

 

 それに衛士の言うとおり、この距離では杖を抜いて呪文を詠唱するよりも先に拳銃を撃たれてしまう、

 良く他の貴族たちは拳銃を平民たちの玩具と嘲る事があるものの、実際はかなり厄介な代物だという事を知らない。

 剣や槍、同じ飛び道具の弓矢等と比べて撃ち方から装填までの訓練は比較的簡単なうえ子供であっても訓練さえすれば扱う事ができる。

 遠距離ならまだしも、数メイル程度の距離から撃たれてしまうとメイジは魔法を唱える暇もなく射殺されてしまうのだ。

 魔法衛士隊の様に口の中で素早く詠唱できる者ならまだしも、並みの貴族ならばその距離で撃たれてしまうとどうしようもない。

 

 過去、銃と言う武器を侮ったが故にその餌食となった貴族というのは何人もいる。

 それ故に、銃は平民達が持つ武器の中では断トツの危険性を持っているといっても過言ではない。

 

「んだぁこの平民?そんな拳銃いっちょまえにぶら下げて、魔法に勝てるとでも思ってんのかよ」

 老貴族はそれを知っているからこそ杖を手に取るのはやめたものの、もう一人の男は何も知らないらしい。

 背中を向けている為にどんな表情をしているかまでは分からないものの、その声色には明らかな侮蔑の色が混じっていた。

 男は笑いを堪えているかのように言うと何の躊躇いもなく杖を抜き取り、勢いよくその先で風を切ってみせる。

 ヒュン…ッ!と鋭い音は威嚇のつもりなのだろうが、生憎相手が悪すぎたというしか無いだろう。

 時折街中で酔って暴れる下級貴族を止めている衛士の男にとって、杖を向けられても平然とできるほどの度胸は育っていた。

 衛士は前へ進めようとした足を止めて、その場で左手の拳銃を男の方へと向ける。

 

 老貴族には見えなかったものの、杖と拳銃が向き合う姿は正に貴族と平民の対決を表現しているかのようだった。

 もしも彼が撃たれるのを覚悟して振り向いてしまっていたら、きっとそんな事を口走っていたに違いないだろう。

 暫し二人の間に沈黙が走った後、衛士の男が杖を向ける 

 

「この距離で呪文を唱えて魔法を放てる暇はあるのか?やってみるといい、足に銃弾が直撃した時の痛みを教えてやる」

 そう言って衛士が自分の顔面に向けていた銃口を足へと向けるのを見て、男はせせら笑う。

「……へっ、へへ!てめぇ周りが見えてないのか?今この場に居る貴族は俺とそこの爺さんだけじゃねぇんだぜ」

 なぁ、仔猫ちゃんよぉ?男の言葉に、それまで手を出さずに静観していた女が一歩前へ歩み出る。

 頭からすっぽりと被ったフードで顔も分からぬ女がその右手に杖を握っているのを見て、衛士の男は目を細める。

 それを見て男は形成逆転と見て更に笑おうとしたが、その前に自分たちの仲間である彼女の異変に気が付いてしまう。

 

 フードの女は杖の先を地面へ向けたままであり、呪文を唱えるどころか杖を衛士に向けてすらいなかった。

「お、おいおい!?何してんだよ、早くその平民を始末しろよ!それがお前の仕事だろ!?」

 戦意を感じられない女に男は焦燥感を露わにして叫ぶものの、肝心の女はそれを無視しているかのように動かない。

 まるで最初から自分には戦う意思が無いと証明しているかのようだが、一体どういう事なのか?

 杖を相手に向けない女にここまで連れてこられた老貴族も訝しもうとしたところで、とうとう男が痺れを切らしてしまう。

「クソ―――…ゥオッ!?」

 平民の衛士相手に銃を向けられていた事と、自分の味方である女が動かないという事に焦ってしまったのか、

 こうなれば自分の手で…と考えた男が杖を構え直した直後、通路内に銃声が響き渡ると共に足元の地面が小さく弾けた。

 頭の中まで揺さぶるかのような銃声に思わず老貴族はのけぞってしまい、足元を撃たれた男は情けなくもその場で腰を抜かしてしまう。

 地面に尻もちをついてしまうと同時に杖を手放してしまったのか、木製の杖が先程の銃声よりも優しい騒音を立てて転がっていく。

 

「あ…俺の杖―――…っ!」

「その場から動くな。動いたら、どうなるか分かるな」

 自分の傍を転がる杖を無意識に拾おうとした男を、衛士の鋭い声が制止させた。

 慌てて声のした方へ顔を向けると、撃ち終えた左手の拳銃を腰に差した予備と交換し終えた衛士がこちらを睨んでいる。

 こちらに向けられている銃口を見て男は悔しそうな表情を浮かべた後、小声で悪態をついてから小さく両手を上げた。

 先程の銃声と地面を跳ねた銃弾を見て恐れをなしたのだろう、きっとあれで銃の怖ろしさというものを始めて味わったに違いない。

 老貴族も抵抗すればどうなるか分かったのか、観念したと言いたげな表情で小さく両手を上げて降参の意を示して見せた。

 衛士は腰を抜かした男へ銃口へ向けつつ老貴族の傍へ寄ると腰に差した杖を抜き取り、そっと地面へと転がす。

 男はその様子を心底悔しそうに見つめながら、何もせずに傍観に徹していた女へとその矛先を向ける。

 

「てめぇ…!どういうつもりだよ、俺たちの仲間なんじゃ……ウッ!」

「…レコン・キスタの連中はもっと手練れの奴らを集めていたと思ってたが、お前みたいなチンピラだらけで正直助かったよ」

 両手を上げながら罵っていた男に近づいたフードの女は、彼を黙らせるかのように後頭部を押さえつけながら言う。

 杖を持っていない片手だけで大の男を黙らせる彼女を見て、衛士の男が彼女へ向かって初めて話しかけた。

「それにしても…こんな所で取引なんてするとはな?敵さんたちも中々良い場所を見つけてくれる」

「まぁ逆に人の多すぎる場所でやられるよりかはマシでしょう。こうして手荒な事をしても咎められませんしね」

 とても敵同士とは思えぬフランクな会話を耳にして、老貴族と押さえつけられた男は驚いてしまう。

 何せ自分たちの味方だと思っていた女が、会話から察するに平民衛士の味方だったのであるから。

 

「…な、何なんだお前?俺たちの味方じゃなくて…敵なのか?」

「そこは杖を俺に向けなかったところで気づくべきだったな。なぁミシェルよ」

「仰る通りです、隊長」

 呆然とする男に衛士がそう言うと、ミシェルと呼ばれた女は頭に被っていたフードを外す。

 フードの下に隠れていた顔は紛れも無く、トリスタニアの衛士隊で彼女が隊長と呼んだ衛士の部隊に所属するミシェル隊員であった。 

 

 

 

 王都トリスタニアのチクトンネ街にある,『魅惑の妖精』亭の一階。

 そここで朝食を摂っていた最中、霧雨魔理沙は外から聞こえてくる音に違和感があるのに気が付いた。 

 夜が明けて暫く経つチクトンネ街から聞こえる人々の会話や足音の中に、奇妙な金属音が混じっているのである。

 咀嚼していた薄切りベーコンを飲み込み、ふと窓の外へと視線を向けると、その金属音の正体が分かった。

 謎の金属音は日々王都の治安を守る衛士隊の隊員たちが着こんでいる、安っぽい鎧の音であった。

 しかも窓の外からチラリと見える彼らは妙に慌ただしく、そして何かに急かされているかのように走っている。

 

 いつもとは少し違う光景を目にした魔理沙は、この時何かが起こっているのだろうかと思っていた。

 具体的な事までは分からないが、それでも慌ててどこかへ向けて走っている彼らを見ればそう思ってしまうだろう。

 口の中に残るベーコンの塩気を水で流し込みつつ、魔理沙は自分と同じタイミングで食べ終えた霊夢の意見を聞こうと考えた。

「……なぁ、今日は朝っぱらから騒々しくないか?」

「ん?そうかしら?」

 突然そんな話を振られた霊夢は首を傾げつつ、魔理沙と同じように窓から外の様子を覗いて見せる。

 通りのゴミ拾いや清掃、玄関に水を撒く人たちに混じって確かに何処かへ駆けていく衛士達の姿が見えた。

「あら、本当ね。確かあれは…衛士隊だったっけ?一体あんなに慌ててどうしたのかしらねぇ~」

「衛士隊…って、こんな朝っぱらから何かあったの?」

 霊夢の言葉に、魔理沙よりも前に食べ終わって一息ついていたルイズも窓の外へと視線を向ける。

 確かに二人の言うとおり、何人もの衛士達がパラパラと走っていく姿が遠くに見えている。

 けれど何があったのかまでは当然分かる筈もなく、先程の霊夢を真似するかのように首を傾げて見せた。

 

 暫し沈黙が続いた後、まず先に口を開いたのは最初に気が付いた魔理沙であった。

「……んぅー。分かってはいたが、ここからだと何が起こったのか全然分からんもんだな」

「でも一人二人ならともかく、結構な人数が走っていったんだし…何か事件でも起こったんじゃないのかしら」

 ―――朝っぱらだっていうのにね?最後にそう付け加えたルイズの言葉に、

「……!事件ですって?じゃあ、もしかして…」

 それまで静かにしていた霊夢がキッと両目を細め、ピクリと肩を揺らして反応する。

 そしてルイズと魔理沙がアッと言う間もなく席を立ちあがり、突然外へ出る準備をし始めたのだ。

 準備…とは言ってもする事と言えば飛ぶ前の軽い体操であり、持っていく物と言えばデルフ程度である。

 突然軽い準備運動を始める彼女を見て、ルイズと魔理沙は怪訝な表情を浮かべて聞いてみることにした。

「ちょっと、いきなりどうしたのよレイム?……まぁ、考えてる事は何となく分かるけど」

『どうやらレイム的にも、あの兄妹にしてやられた事は相当屈辱だったらしいなぁ』

 妙に張り切って軽い準備運動をする巫女さんを見て何となくルイズは察し、デルフもそれに続く。

 

 恐らくは、衛士達が朝から大勢動いているのを見て、二日前に自分たちの金を根こそぎ盗んだ兄弟が見つかったのだと思っているのだろう。

 確かにその可能性は無きに非ずと言ったところだろうが、決定的証拠が無い以上百パーセントとはいかないのである。

 霊夢本人としては早いとこ雪辱を果たして、ついでアンリエッタから貰った資金と賭博で儲けた金を取り戻したいに違いない。

 しかし、さっきも言ったように全く別の事件が起こっているだけなのではないかとルイズが言ってみても…、

 

「とりあえず行かなきゃ始まらないってヤツよ。さぁ行くわよ、デルフ」

『はいはい。オレっちはただの剣だからね、お前さんが持っていくんならどこまでもついて行くだけさ』

 気を逸らせている彼女はそう言って、インテリジェンスソードのデルフを持って『魅惑の妖精』亭の羽根扉を開けて外へ出た。

 そして一階だけ大きく深呼吸した後でデルフを片手に地面を蹴り、 そのまま街の上空へと飛び上がってしまう。

 ルイズたちが止める暇もなく、あっと言う間に出て行った巫女さんとデルフに魔理沙は思わずため息をつく。

「まぁ霊夢のヤツも、何だかんだで結構根に持つタイプだしな。…財布を盗んだあの子供も、運が無かったよなーホント」

 魔理沙はそんな事を喋りながら席を立つと朝食が盛り付けられていた食器を手に持ち、厨房の方にある流し台へと持っていく。

 それに続くようにルイズも食器を持ち上げた事で、やや波乱に満ちた三人の朝食が終わりを告げた。

 

 その後…片付けずに外へ出て行った霊夢の食器も流し場で洗い終えた魔理沙も外へ出ることにした。

 別に霊夢の後を追うわけではない、今の住処―――『魅惑の妖精』亭のあるトリスタニアで情報収集をする為である。

 

「じゃ、私も昨日言われた通りに情報収集とやらをしてくるが…どういうのを集めればいいんだっけか?」

 食器を洗い終え、一回に置いていた箒を右手に持った魔理沙からの確認にルイズは「そうねぇ~…」と言って答える。

「手紙に書かれて通りアルビオンやかの国との戦争に関する話題ね。それと…後は姫さまの評判とかもあれば喜んでくれるかも」

「分かったぜ。…後、ついでに私自身が知りたい事も調べて来るから帰りは遅くなると思うが…良いよな?」

「それは私が許可しなくても勝手に調べるんでしょ?別に良いわよ、知的好奇心を存分に満たしてきなさい」

「仰せのままに、だぜ」

 そんなやり取りをしてから、魔理沙もまた霊夢と同じように店の出入り口である羽根扉を開けて外へ出ていく。

 これからジリジリと暑くなっていくであろう街中へ出ていく黒白に手を振ってから、ルイズは踵を返して店の奥へと消えて行った。

 どうしてルイズがするべき仕事を、魔理沙が請け負っているのか?…それにはやむを得ない理由があったのである。

 

 

 全ての始まりは二日前くらい…色々ワケあって、アンリエッタの女官となったルイズに街での情報収集という仕事が早速舞い込んできた事から始まった。

 アンリエッタが送ってきた書類には、街で王室の評判やタルブで化け物をけしかけてきたアルビオンの事やら色々集めればいいと書かれていた。

 本当ならルイズ自身がやるべきことなのだろうが、平民の中に紛れ込んで情報収集するには彼女の存在は変に目立ってしまうのである。

 ハッキリと言えば貴族としての教育がしっかりと行き届いている所為で、この手の仕事にはとても不向きなのだ。

 

 その事が分かったのは昨日の午前中、チクトンネ街にある自然公園で情報収集を行った時である。

 やる前はマントを外して変装すれば大丈夫だと思っていたものの、いざ始めるとすぐに彼女の素性がバレてしまう事に気が付いた。

 当然だ。何せ平民に変装していても歩き方やベンチの座り方が、礼儀作法を学んだ貴族のままなのである。

 それこそ面白いくらいに平民たち――特に同年代の女の子達は一瞥しただけでルイズが貴族だと言い当ててしまうのだ。

 

「あら!見てよあの貴族のお嬢様、御忍びで街中を散歩なのかしら」

「ホントだわ!あの綺麗で新品の御召し物に桃色のブロンド…きっと名家のお嬢様に違いないわね」

 

 偶々横を通っただけでそこまでバレてしまったルイズは思わず身を竦ませてしまい、心底驚いたのだという。

 その後もルイズ達は公園の中をあちこち移動して何とか情報収集をしようとしたが、潔い失敗を何度も何度も繰り返していく。

 最初は魔理沙と霊夢にデルフが遠くからルイズの情報収集を見守っていたが、その内何秒でバレるか予想する勝負を始めてしまった程である。

 もちろん、それがバレて怒られたのは言うまでも無いが…このままでは成果ゼロでその日が終わるのを危惧してか、一旦路地裏で何がダメなのか話し合う事となった。

 無論、唯一人原因が分からぬルイズに霊夢達が一斉に指摘する場となってしまったが。

 

「もぉ、どうしてこうカンタンにばれちゃうのよ?」

「そりゃーアンタ、平民の格好してても態度が貴族なんだからバレるのは当り前でしょうに」

「あれだと自分の体に堂々と「私は貴族です」って書いて歩いてる様なもんだぜ?」

『娘っ子には悪いが、あんな上等な服着て偉そうに歩いてる時点でバレバレなもんだぞ』

「デルフまでそういう事言うワケ?…っていうか、この服ってそんなにおかしいのかしら…」

 

 二人と一本からの総スカンを喰らったルイズは、怒るよりも先に訝しむ表情を見せて自分の服装を見直し、そして気が付いた。

 この仕事を始める前に立ち寄った平民向けの服屋で買ったこの服だが、確かに周りの平民たちと比べると変に真新しい。

 通りを歩く平民たちは、皆そこら辺の市場で買えるような安物の服を着ており新品の服を着ているという平民は少ない。

 更にルイズの靴はしっかりとしたローファーなのに対し、通行人の大半…というか八割近くが木靴なのである。

 そして極めつけにいえば、ルイズの体からこれでもかと高貴な雰囲気が滲み出ていることだろう。

 

 顔つきといい髪の色やヘアースタイルといい、一々額や顔の汗をハンカチで拭い取る動作まで貴族のオーラを漂わせているのだ。

 それはある意味、彼女が貴族としての素養を持っているという証明であるが、残念な事に平民の中に紛れるには不要なオーラである。

 その事に薄らと気が付いたのは良かったものの、次にルイズが考えるのは解決方法であった。 

 

「それにしてもこのままじゃあ埒が明かないし、何か良い案はないものかしら?」

「それなら私に良い考えがあるぜ?」

 腕を組んで真剣に悩む彼女に救いの手を差し伸べたのは、以外にもあの魔理沙であった。

「え?あるの?」

「あぁ、簡単な事さ。落ち着いて聞いてくれよ?」

 悩むルイズを見てか、この時魔理沙はとんでもない提案を彼女へ吹っかけたのである。

 魔理沙の出した提案はズバリ一つ―――――今自分たちが居候してるスカロンの店の女の子として働くという事であった。

 もしもルイズが『魅惑の妖精』亭でウエイトレスの女の子達に混じって如何わしい格好をして働いたら、そのオーラを掻き消せるかもしれない。

 ルイズに御酌をされる相手も、まさか自分がトリステインで一、二を争う名家のお嬢様に御酌されるとは思ってもいないであろうし…。

 御酌ついでに酔った客に色々話を吹っかれば、思いも寄らぬ情報をゲットできるという可能性も無くはないのだ。

 

「…何より働けばお給金を出してくれるだろうし情報も集められるしで、一石二鳥だろ?」

「う~ん…とりあえず右ストレートパンチか左ローキックのどちらが良いか答えてくれないかしら?」

「今のはちょいとしたジョークだ、忘れてくれ」

 いかにも名案だぜ!と言いたげな表情を浮かべる魔理沙に、ルイズは優しい微笑みを顔に浮かべてそう返した。

 それを聞いた普通の魔法使いは肩を竦めて自分の言ったことをそっくり撤回すると、二人のやり取りを見ていた霊夢が口を開く。

「大体、何でいきなりそんな提案が出てくるのよ?」

「いやぁホラ、昨夜一階で夕食を食べてた時にスカロンがぼやいてたんだよ。…後一人くらい女の子が来てくれないモノかしら…って」

『だからって貴族の娘っ子に突然あんな如何わしい服着させて平民にお酌させろってのは、そりゃいくら何でも無理過ぎるだろ』

「なっ…!し、失礼な事言うわないでよデルフ、私にだってそれくらいの事…は―――難しいかも」

 霊夢と魔理沙に続いたデルフの容赦ない言葉にルイズは怒ろうとしたものの、咄嗟に昨夜の事を思い出して言葉がしぼんでしまう。

 ひとまずは『魅惑の妖精』亭に泊まる事となった彼女は、一階で働く店の女の子たちの姿をしっかりとその目で捉えていた。

 

 程々に露出の高いドレスに身を包んだ少女達は料理や酒を客に運び、彼らが出してくれるチップを回収していく。

 その時に客の何人かがお尻や胸の方へと伸ばしてくる手を笑顔で跳ね除けているのを見て、あれは自分には無理だろうなと感じていたのである。

「…っていうか、許し難いわね。貴族である私の体を触ろうとしてくる相手の手を笑顔で離すなんて事自体が」

『だろうな。もし昨日の客共がお前さんの尻や…えーと、そのち…慎ましやかな胸に触ろうとした時点で相手は確実に痛い目見るだろうし』

 思わず口が滑りそうになったのを慌てて訂正しつつ、デルフがそう言うとルイズはコクリと頷き…ついで彼をジロリと睨み付けた。

「あんた、今物凄く失礼な事言おうとしたでしょ?」

「はて、何がかね?」

 「慎ましやか」は別に失礼じゃないのか…魔理沙がそんな事を思いながらすっとぼけるデルフを見つめていると、

「はぁ~…全く、アンタ達はホント考えるのはてんでダメなのねぇ?もう少し頭を使いなさいよ頭を」

 それまで彼女たちの会話の輪から少し離れていた霊夢が、溜め息をつきながらルイズと魔理沙の二人にそんな事を言ってきたのだ。

 当然、魔理沙とデルフはともかくルイズが反応しない筈がなく、彼女の馬鹿にするような言葉にすぐさま反応を見せたのである。

「何よレイム?子供のメイジ相手にしてやられたアンタが、私達をバカにできるの?」

「…!い、痛いところ突いてくるわねー。…あんな連中もう二、三日あればすぐにでも見つけてお金を取り返してやるっての」 

 ジト目でルイズ達を睨んでいた霊夢は、ルイズに一昨日の失敗を蒸し返されると苦々しい表情を浮かべてしまう。

 その後、気を取り直すように咳払いをしてから何事かと訝しむルイズへ話しかけた。

 

「え~…ゴホン!…まぁ私達の言うとおりアンタが平民に混じって情報収集に向かないのは明白な事よね?」

「そりゃそうだけど、一々蒸し返さないで…って私もしたからお相子かぁ」

 巫女の容赦ない指摘に彼女は渋々と頷くと、霊夢はチラリと魔理沙を一瞥した後に、ルイズに向けてこう告げた。

「私さぁ、思ったんだけど……何もアンタ自身が直接情報収集に行かなくてもよさそうな気がするのよねぇ」

「はぁ?それ一体どういう…―――」

 突然の一言にルイズが驚きを隠せずにいると、霊夢は今にも迫ろうとする彼女に両手を向けて制止する。

 

「話は最後まで聞きなさい。…別にアンタが役立たずって言いたいワケじゃないのは分かるでしょうに。

 私が言いたいのは、アンタや私以上に゙平民たちに紛れて情報収集できるプロ゙が今この場にいるって事なのよ。…分かる?」

 

 自分の突然すぎる言葉にルイズが「えぇ?」と言いたげな表情を浮かべるのを見て、霊夢はスッと人差し指をある方向へと向ける。

 その人差し指の向けられた方向へ思わずルイズもそちらへ顔を向けると、そこにいたのは見知った…というより見知り過ぎた少女がいた。

 指さされた少女本人は少し反応が遅れたものの、思わず自分の指で自分を指して「私?」と霊夢に問いかける。

「えぇそうよ?こういうのはアンタが得意でしょうに、霧雨魔理沙」

「……えぇ!?私がかよ!」

 霊夢の言ゔ平民たちに紛れて情報収集できるプロ゙にされた魔理沙は突然の決定に驚いたものの、

 何を驚いているのかと勝手に決めつけた霊夢は怪訝な目で普通の魔法使いを見つめていた。

 

 何はともあれ、勝手に情報収集係にされた魔理沙はその日から早速霊夢の手で平民の中へと放り込まれてしまった。

 ルイズは突然のことにどう対応したらいいか分からず、デルフは面白い見世物と思っているのか静観に徹していた。

 魔理沙は霊夢に文句を言おうとしたものの、それを予想していた巫女さんはこんな事を言ってきたのである。

 

――本来ならルイズ本人がやれば良いんだけど結果は散々だったし、デルフは当然の様に動けない。

    私はあの盗人兄妹を捕まえなきゃいけないし…となれば、アンタに白羽の矢が刺さるのは当然じゃないの

 

 こういう口げんかでは紫に次いで上手い霊夢に対し、魔理沙は苦々しい表情を浮かべる他なかった。

 その時になって初めてルイズが「いくらなんでも魔理沙に頼むのは…」と失礼な擁護をしてくれたものの、あの巫女さんは彼女にこう囁いたのである。

 

―――まぁ任せときなさいよ。コイツはコイツでそういうのを集めるのも得意だしさ。

     それにアンタには、コイツが集めてきた情報をこっちの世界の文字で書類にするっていう仕事があるのよ

 

 とまぁそんな事を言って最終的にはルイズも納得してしまい、晴れて霧雨魔理沙は街中で情報収集をする羽目になってしまった。

 最初は何て奴らかと思って少し怒っていた彼女であったが、冷静さを取り戻すと成程と自分に充てられた仕事に納得してしまう。

 ルイズが平民の中に紛れるのは下手なのは散々見たし、であれば誰かが拾ってきた情報を紙に書いてアンリエッタに送る仕事しかないだろう。

 そして、その情報を集める仕事を担当するのが自分こと――霧雨魔理沙ということなのである。

 霊夢が自分達の金を盗んだ相手を執拗に捕まえようとするのは…まぁ俗にいう『負けず嫌い』というやつかもしれない。

 本人もやられたままでは納得がいかないのは何となく分かるし、何よりあんだけ馬鹿にされてまんまと逃がしてしまったのである。

 絶対自分には捕まえる役を譲ってはくれないだろう。無理やり奪おうとすれば…゙幻想郷式のルール゙に則った決闘が始まるのは明白だ。

 

(それに霊夢はこの世界の文字の読み書き何てできないだろうし、私ならアイツ以上に他の人間と接してるしな)

 まだ納得できないが、妥当と言うことか…。市場から聞こえる賑やかな声をBGMに、魔理沙はチクトンネ街の通りを歩きながら考えていた。

 昨日、王都で降った大雨のおかげで道には幾つもの水たまりができ、青空に浮かぶ雲や横を通り過ぎる人々の姿を鏡の様に写していく。

 こころなしか通りの熱気もそれまでと比べて涼しいと感じる気がした魔理沙は、天からの恵みに思わず感謝したくなった。

 しかし、昨日の大雨ついでに起こったトラブルを思い出してしまい、感謝の念はひとまず横に置いて昨夜の出来事を思い返してしまう。

「それにして…昨日は本当に参ったぜ。当然の様に雨漏りしてきたし…やれやれ」

 それは昨日の…雨が降る前の事で、藍が自分たちを『魅惑の妖精』亭の屋根裏部屋に押し込んだのが始まりであった。

 

 紫にあの店で過ごせるようにしろと言われた彼女はその日の夕方にスカロンと話し合って決めたのだという。

 その時には昼頃から王都の上空を覆い始めた黒雲から大雨が降ると察し、ルイズ達はそれから逃げるようにして店へと戻ってきていた。

 幸い突然の土砂降りで服を濡らすことなく戻る事ができた三人と一本が店の入り口で佇んでいると、あの式が部屋まで案内してくれる事となった。

 丁度開店時間で賑わい始める一階から客室がある二階に上がったところで、彼女はまず最初にしたのか゛ルイズ達への謝罪と弁明だった。

「すまん、スカロンと話し合ったのだが…今の季節はどの空き部屋も゙もしも゙の事を考えて入れないとの事らしい」

「えー、そうなの?じゃあ私が今朝寝てた部屋はどうなのよ。あそこは誰も泊まってなさそうな感じだったけど?」

 申し訳なさがあまり感じられない藍の言葉に霊夢が異議を唱えたが、そこへルイズがさりげなく入ってきた。

「アンタ知らないの?あの部屋って今はシエスタの部屋なのよ」

「……え?何それ、私はそんな話全然聞いてなかったけど」

 ルイズの口から出た意外な一言に霊夢が怪訝な表情を浮かべると、ルイズも目を細めて「本当よ」と言葉を続ける。

「昨日は気絶したアンタをベッドで寝かせる為に、ジェシカと同じ部屋で寝てくれたらしいわ」

「そうだったの。てっきり空き部屋があるかと思ってたけど…どうりで部屋が綺麗だったワケだわ」

「シエスタは魔法学院で穏やか~にメイドさんをしてたからな。…後でアイツにお礼でも言っておいた方がいいと思うぜ」

 三人がそんな風に賑やかにやり取りするのを見ていた藍は、気を取り直すように大きな咳払いをして見せた。

 それで三人が話し合うのを止めるのを確認してから、彼女はルイズの方へと体を向けて話しかける。

 

「んぅ…ゴホン!それでまぁ、お前たちが二階の部屋に泊まるのは無理だが…今の持ち金だけでは他の宿には泊まれないんだろう?」

 式の質問は資金を盗まれ、今の所自身の口座にある貯金しかお金がないルイズへの確認であった。

 ルイズはすぐに答える事無く、暫し今の預金でどれだけ泊まれるか簡単に計算してから藍へ言葉を返す。

 九尾の式へと向けられたその顔は険しく、決して楽観できるような答えではないという事は察しがついた。

 

「…まぁ安い宿なら三泊四泊なら余裕でしょうけど、流石に夏季休暇が終わるまで連泊するのは無理ね

 しかもこの時期は国内外から旅行者が王都に来てるから、大抵の安宿はバックパッカーに部屋を取られてると思うし…」

 

「つまり三泊四泊した後は路上生活…って事か、いやはや~……って、うぉ!」

「余計な事言わないでよ、想像しちゃったじゃない!」

「こらこら、アンタ達。喧嘩は後にするか私の見えない所でやりなさいよ、全く」

 ルイズの後を勝手に継ぐように魔理沙がそんな事を言うと、すぐさまルイズに掴みかかられてしまった。

 見た目の割に意外と腕力のあるルイズに揺さぶられる前に話を進めたい霊夢によって、魔理沙は何とか危機を脱する事が出来た。

 ホッと一息つく黒白と、そんな彼女をジッと睨むルイズを余所に彼女は藍は「話を続けて」と促した。

 

「一応、その事も含めてスカロン店長に話したら………暫し悩んだ後に゙とある゙一室を貸しても良いと許可してくれたよ。

 少々手入れが行き届いてないが掃除すれば何とか住めるようにはなるし、窓もあってそれなりに風通しの良い部屋だぞ?」

 

 右手の人差し指を立てて淡々と説明していく藍の言葉に、ルイズと魔理沙の顔に笑みが浮かび始めてくる。

 てっきり申し訳ないが…と言われて追い出されるかと思っていたのだ、嬉しくないわけがない。

 思ったよりも良い反応を見せる二人を見て藍もその顔に笑みを浮かべると、人差し指に続き更に親指立ててこう言った。

「…まぁこういう時は大なり小なり対価を払うべきだが、元々誰かが住むのを考慮してないから……金を払う必要は無いとの事だ」

「な、何ですって?」

 全く予想していなかったサービスにルイズは喜び舞い上がるよりも、後退りそうになる程驚いた。

 何せ自分の貯金を崩して宿泊代を払うつもりだったというのに、それをする必要が無いというのである。

 ここまで来ると流石のルイズでも嬉しいという気持ちより先に、何か裏があるのではと勘ぐってしまう。

「ちょ…ちょっと待ってよ!流石にお金はいらないって…それ本当に部屋として使えるの?」

 サービス精神旺盛過ぎる藍にルイズは思った疑問をそのままぶつけると、霊夢が後に続い口を開く。

「ルイズと同じ意見ね。…第一、紫の式であるアンタが口出してるんだから何か考えてるでしょうに」

『タダほど怖いモノはねーっていう法則だな』

 彼女の辛辣な意見にデルフも諺で追従してくると、藍は微笑みを浮かべたまま二人へ言った。

 

「まぁお前たちがそう思うのも無理はないだろうな。けれど、一応人は住めるんだぞ」

 そう言って藍は立てていた人差し指と親指を使って、パチン!と軽快に指を鳴らして見せる。

 誰もいない廊下に軽いその音が響き渡り、一瞬で窓の外から聞こえる雨の音と一階の賑やかさに掻き消されてしまう。

 突然のフィンガースナップに何をするつもりかと訝しんでいた霊夢達の頭上から突如、聞き覚えのある少女の声がくぐもって聞こえてきた。

「藍さまー、もう下ろしていいの?」

「!…これって、確かチェンっていう貴女の式の声じゃ…」

 本来ならだれもいない筈の天井から聞こえてきたのは、藍の式である橙の声であった。

 意外にも猫被っていた彼女の事が強く印象に残っていたルイズへ返事をする前に、藍は「いいぞ!」と頷いて見せる。

 その直後…天井から鍵を開けた時の様な金属音がなったかと思うと、独りでに何かが天井から舞い落ちてきた。

 

 ゆっくりと、まるで冬の夜空から降ってくる雪の様な――ーけれどもドブネズミの如き灰色のソレが、パラパラと落ちてくる。 

 偶然にもソレが目の前で落ちていく様を目にした霊夢は、見覚えのあったその物体の名前を口にした。

「これは…埃?―――――って、うわッ!」

 彼女が言った直後、その埃が落ちてきた天井が物凄い音と共に落ちて来るのに気が付き慌てて後ろへと下がる。

 魔理沙とルイズ、それにデルフも何だ何だとその落ちてくる天井を目にし――それがただの天井ではない事に気が付く。

 木と木が擦れる音と共に天井から下りてきたのは、年季の入った階段であった。

「これって、階段…隠し階段か!すげーなオイ」

「『魅惑の妖精』亭って、こんなものまであるのね…」

 自分たちの頭上から現れたソレを見て魔理沙は何故か嬉しそうに目を輝かせ、ルイズは呆然としていた。

「驚いたわね~、まさかこんな場末の居酒屋にこんな秘密基地じみたものがあるだなんて」

『うーん、この階段の年季の入りよう…オレっちから見たら、数年前かそこらに取り付けたものじゃねぇな』

 霊夢も二人と同じような反応を見せていたが、それとは対照的にデルフはこの階段が古いものだと察していた。

 隠し階段は『魅惑の妖精』亭となっている建物に最初から付けられていたのか、床を傷つける事が無いようしっかりと造られている。

 もしも後から造られているのなら、よほどの名工でも無い限りこうも完璧な隠し階段を取り付けるのは無理ではないだろうか。

 そのインテリジェンスソードの疑問に答えるかのように、藍はルイズ達へ軽く説明し始める。

 

「スカロンが言うにはこの店が『魅惑の妖精』亭という今の名前ではなく、

 『鰻の寝床』亭っていう新築の居酒屋として建てられた時に造ったらしい」

 

 おおよそ築四百年物の隠し階段なんだそうだ、と最後に付け加える様にして藍が言うと、

「まぁ結局、色々と問題が発生したから使ったのは開店から数年までだったらしいけどねー」

 階段を上がった先にある暗闇からヒョコッと橙が顔を出して、必要もない補足を入れてくれる。

 どうやら先ほどの声からして、自分が帰ってくる前にそこにいたのだろうと何となく察しがついた。

 いらぬ説明を入れてくれた橙に礼を言う義理も無いルイズは暫し隠し階段を見つめた後、ハッとした表情を浮かべる。

 

「まさか私たちがこれから暫く寝泊まりする場所って…」

「まさかも何も、今橙のいる階段の先にある部屋がそうさ」

 ルイズの言葉に藍がそう答えると、彼女は隠し階段の先を指さして言った。

「ようこそ『魅惑の妖精』亭の屋根裏部屋へ。…とはいっても、客室とは呼べない程中は乱雑だがな」

 

 

「…まぁ屋根裏部屋は秘密基地って感じがあって良いけどさぁ、流石に雨漏りするってなるとな…」

 昨日の事を思い出していた魔理沙はそんな事を呟いて、屋根裏部屋へと通された後の事を思い出す。

 結局、藍と橙に背中を押されるようにしてルイズ達はあの隠し階段の向こうにあった部屋で暫く寝泊まりする羽目となってしまう。

 荷物は粗方持ち運ばれていたのだが、それを差し引いても屋根裏部屋は正に「長らく放置された倉庫」としか例えようがない程ひどかった。

 部屋の隅には蜘蛛が巣を張ってるわネズミが梁や床の上を走り回るわで、挙句の果てには蝙蝠までいたのである。

 「何よコレ!」と驚きと怒りを露わにするルイズに対し、藍は平気な顔で「同居人達だ」言ってのけたのは今でも覚えている。

 流石にルイズだけではなく霊夢もこの仕打ちに対しては怒ったものの、魔理沙本人はそれでもまぁマシかな…程度に考えていた。

 

 蜘蛛は箒で巣を蹴散らしてやれば出ていくだろうし、ネズミは罠でも張っておけば用心して顔を出してこなくなる。

 蝙蝠に関しては…まぁこの夏季休暇が終わるまで同居するほかないだろう。

 お金はほとんどないし行く当てもない、つまり結果的にはこの屋根裏部屋しか自分たちが寝泊まりできる場所は無いのだ。

 それに昨日の外はあれだけの土砂降りだったのである、雨風がしのげる場所があるだけマシなのかもしれない。

 元々倉庫として使われていただけあって、使っていないベッドが何個か置かれていたのは不幸中の幸いという奴である。

 シーツは後からシエスタに言えば持ってきてくれるというし、スカロンたちも押し込んでそのまま…というつもりはないようだ。

 

 最初は怒っていたルイズと霊夢も仕方ないと思ったのか、ひとしきり文句だけ言った後は一階で夕食を頂く事になった。

 デルフも特に異議は無いのか、階段を下りる前に屋根裏部屋を見回していた魔理沙に「早くしろよー」と声を掛けるだけであった。

 お金はお昼の内にルイズが財務庁から下ろしてきてくれたので、程々に美味いモノが食べる事が出来た。

 しかし…問題はその後、夕食を食べ終わり少し酒を引っかけてから三階へ戻った時にそのアクシデントは既に起こっていた。

 以前にもその勢いを増した雨風に勝てなかったのか、屋根裏部屋の天井から雨水が滴り落ちてくるという事態が発生していたのである。

 ポタ、ポタ、ポタ…と音を立てて床を叩く幾つもの水滴は、当然ながら藍が持ってきてくれていたルイズ達の荷物を容赦なく濡らしていた。

 これには流石の魔理沙とデルフも驚いてしまい、急いで荷物を二階に降ろしたのはいいもののそこから先が大変であった。

 雨漏りを直そうにも外は大雨で無理だし、雨水を入れる為の器を探そうにも見当たらない。つまり手の打ちようがなかったのである。

 

 結局…その夜はスカロンたちに事情を話して、仕方なく二階の客室を無理言って貸してもらう羽目になってしまった。

 そこまでは良かったが、そこから後は色々と大変だったのである。良い意味で。

 スカロンたちもまさか雨漏りを起こしていたとは知らなかったのか、明日――つまり今日にも大工を呼んで直してくれるのだという。

 彼曰く「あなた達が屋根裏部屋に入らなかったら、気付かなかったかもしれないわぁ~」とも言っていた。

 その時に屋根裏部屋を初めて見たというジェシカが、

 

「これも客室として使えるんじゃなーい?」

 

 とか言ったおかげ…かどうかは分からないが、更に色々と手直しするかもしれないのだという。

 ひとまず蝙蝠とかネズミやらを何とかした後でそれは考えるらしく、その駆除自体もまだまだ先になるのだという。

 とりあえず雨漏りさえ何とかしてもらえれば、後は掃除をするだけで多少はマシになるだろう。

 

 

「まぁ、昨日みたいな散々な体験をしないのならそれに越したことはないがな……ん?」

 苦く新しい思い出を振り返る魔理沙がひとり苦笑した時、ふと前方で誰かが道端でしゃがんでいるのに気が付いた。

 それが単なる通行人か体調の悪い人間なら彼女もそこまで気にしなかったのか知れない。

 しかし…少し前方にいるその人影はまだ十代前半と思しき少女であり、何より髪の色が明らかに周囲の人々から浮いているのだ。

 彼女を一瞥しつつ、けれど声は掛る程ではないと思ってか横を通り過ぎていく平民たちの髪の色は大抵金髪か茶髪で、偶に赤色とか緑色も確認できる。

 だがその少女の髪の色は、驚く事に銀色なのである。どちらかといえば白色に近い薄めの銀色といえばいいのだろうか。

 陽光照りつける通りの中でその銀髪は光を反射しており、少し離れたところから見る魔理沙からしてみればかなり目立っていた。

 

 そんな不思議な色の髪を腰まで伸ばしている少女は、通りを右へ左へと見回して何かを探しているらしい。

 端正でしかしどこか儚げな顔に不安の色をありありと浮かび上がらせ、照りつける太陽の熱で額から汗を流しながらしきりに顔を動かしている。

 魔理沙は少女が自分のいる通りへと視線を向けた時に顔を一瞥できたが、少なくともそこら辺の子供よりかはよっぽど綺麗だという感想が浮かんできた。

 髪の色とあの綺麗な横顔…もしかすればあの少女は今のルイズと同じぐワケありの女の子゙なのかもしれない。

 そこら辺は憶測でしかないが、思い切って本人に直接訊いてみればすぐに分かる事だろう。

 とはいっても、見ず知らずの女の子に声を掛けた所で驚かせてしまうか逃げられてしまうかのどちらかもしれないが…

 

「ま、この私が興味を持ってしまったんだ。声を掛けずに素通り…ってのは性に合わないぜ」

 

 彼女は一人呟くと昨日訪れた自然公園へ行く前に、目の前にいる銀髪の少女に声を掛けていく事にした。

 どんな反応を見せてくれるか分からないが、せめて今は何をしてるか…とかどこから来たのかとか聞いてみたいと思っていた。

 自分の興味に従い足を前へ進めていく魔理沙の気配を察知したのか、反対方向を向いていた少女がハッとした表情を彼女へ向けてくる。

 しかし一度動いたら止まらないのが霧雨魔理沙である。自分目がけて歩いてくる黒白に銀髪の女の子は困惑の表情を浮かべた。

「あっ……ん、…っわ!」

 それでもせめて立ち上がろうと思ったのか腰を上げたものの、足が痺れたのか思わず転げそうになってしまう。

 幸い転倒する事無く慌てただけで済んだものの、その頃には魔理沙はもう彼女と一メイル未満のところまで近づいていた。

 一体何が始まるのかと少女は無意識の体を硬くすると、黒白の魔法使いはおもむろに右手を上げて彼女に話しかけたのである。

 

「よぉ、何か探し物かい?」

「…………。…………」

 突然自分に向けて挨拶しながらもそんな言葉を掛けてきた黒白に、少女は緊張気味の表情を浮かべて黙っている。

 そりゃそうだ、例え同性同年代?の相手でも何せ見ず知らずの者が近づいてきたらそりゃ警戒の一つはするだろう。

 対して、魔理沙の方は相手が見た事の無い相手であっても特に態度を崩すことなく、不思議そうな表情を浮かべている。

(ありゃ?ちょっと反応が薄かったかな…って、まぁ当たり前の反応だけどな)

 …反省する気は無いが、相変わらず私ってのはデリカシーとやらがなってないらしい。

 これまで一度も省みた事が無い自分の短所の一つを再認識しつつ、黙りこくる銀髪の少女へ魔理沙はなおも話しかけた。

 

「いやぁ、ここら辺じゃあ見ない顔と髪の色をしてたもんだからつい声を掛けちゃって…、ん?」

「………たから」

 最後まで言い切る前に、魔理沙は目の前の少女がか細い顔で何かを言おうとしてるのに気が付いた。

 言葉ははっきりとは聞こえなかったが、口の動きで何かを喋っているのに気が付いたのである。

 魔理沙が一旦喋るのを止めた後で、少女は気恥ずかしそうな表情を浮かべつつ上手く伝えきれなかったことを言葉にして送った。

「……わ、私―…そ、その…この街へは、初めて旅行へ…来たから」 

 多少言葉を詰まらせおどおどとしながらも、少女は素直な感じで魔理沙にそう言った。

 それを聞いた魔理沙は少女が旅行客だと聞いて、ようやく不安げな様子を見せる理由がわかってウンウンと頷いて見せる。

「成程な、どうりで道に迷った飼い犬みたいに不安そうな顔してたんだな。納得したよ」

「なっ…!そ、それどういう事ですか!?べ、別に私はま、迷ってなんかいないし、第一犬なんかでも…―――……ッ!」

 魔理沙の冗談は通じなかったのか、犬と例えられた少女がムッとした表情を浮かべて言葉を詰まらせながらも怒ろうとした時、

 突如少女のすぐ後ろにある路地裏へと続く道から、本物の犬の鳴き声が聞こえてきたのである。

 それを耳にした少女は驚いたのか身を竦めて固まってしまい、魔理沙は突然の鳴き声にスッと耳を澄ます。 

 

「お、話をすれば何とやらか?まぁでも…この吠え方だと飼い犬とは思えないがな」

 恐らく街の人々が出す生ごみ等を食べて生活している野良犬なんだろう、吠え方が荒々しい。

 きっと仲間か野良猫と餌か縄張りの奪い合いでもしているのだろうが、朝からこう騒々しくしては人々の顰蹙を買うだろう。

「朝っぱらから大変元気で羨ましいぜ、全く。………って、どうしたんだよ?」

 帽子のつばをクイッと持ち上げながら、そんな事を呟いた後で魔理沙は少女の様子がおかしい事に気が付く。

 先ほどしゃがんでいた時とは違って両手で守るようにして頭を抱えて蹲ってしまっている。

 一体どうしたのかと思った彼女であったが、尚も聞こえてくる野良犬の声で何となく原因が分かってしまった。

 

「もしかしてかもしれないが…お前さん、ひょっとして犬が苦手なのか?」

 魔理沙の問いに少女はキュッと目をつむりながらコクコクと頷き…次いでおもむろに顔を上げた。

 何かと思って魔理沙は、少女の顔が信じられないと言いたげな表情を浮かべているのに気が付く。

 一体どうしたのかと魔理沙が訝しむ前に、少女は耳を両手で塞ぎながら口を開いた。

「え?あ、あのワンワン!って怖い吠え方をする小さい生き物も犬なんですか!?」

「…………はぁ?」

 少女からの突然な質問に、魔理沙は答えるより前に自分の耳を疑ってしまう。

 今さっき、恐い恐くないという以前の言葉に魔理沙は暫し黙ってから再度聞き直すことにした。

 

 

 

「……………スマン、今何て?」

「え…っと、ホラ!今後ろの道からワンワンって鳴いてる生き物も犬なんですか…って」

「イヤ、こういう場所でワンワンって鳴く生き物は犬しかいないと思うが」

「え、でも…犬ってもっと大きくて、人を背中に乗せたりもできて…あとヒヒーン!って鳴く動物なんじゃ…」

「それは馬だ!」

 少々どころか斜め上にズレた会話の果てに突っ込んでしまった魔理沙の叫び声が、通りに木霊する。

 これには素通りしようとした通行人たちも何だ何だと足を止めてしまい、少女達へと視線を向けてしまう。

 思いの外大きな叫びに通りは一瞬シン…と静まり返り、時が止まったかのように人の流れが静止している。

 路地裏にいるであろう野良犬だけが、一生懸命何かに対して吠えかかる声だけが鮮明に聞こえていた。

 

 

 

「知らなかった…、まさかあの小さくておっかない四本足の生き物が犬だったなんて…」

「はは…まぁ良いんじゃないか?世の中に犬を馬と思う人間がいても良いと思うぜ?」

 それから暫くして、魔理沙は未だ呆然とする少女を先導するかのようにチクトンネ街の通りを歩き続けていた。

 魔理沙は落ち込む少女ー顔に苦笑いを浮かべてフォローしつつ、馬を犬と勘違いしていた彼女に突っ込んだ後の事を思い出す。

 

 

 最初何かの冗談かと思った彼女が少女の言葉に、思わず突っ込みを入れてしまった後は色々と大変であった。

 何せ自分の怒鳴り声でそのまま尻もちついた彼女が何故か泣き出してしまい、魔理沙は変な罪悪感に駆られてしまう。

 事情を知らぬ人間が見れば、気弱そうな銀髪の少女を怒鳴りつけて泣かした悪い魔法使いとして見られかねないからだ。

 とりあえず平謝りしつつも、野良犬の鳴き声が怖いらしいので仕方なく彼女をそこから遠ざける必要があった。

 移動した後も少女はまだ泣いていた為に放っておくことが出来ず、魔理沙は動きたくても動けないまま彼女の傍にいたのである。

 

 大体小一時間ほど経った時に、ようやく泣き止んだ少女は頭を下げつつ魔理沙に自分の事を詳しく話した。

 名前はジョゼット、以前はとある場所にある建物でシスター見習い…?として暮らしていたのだという。

 しかし丁度一月前にある人達が自分を秘書見習いにしたいといって彼らの下で働き始めたらしい。

 そして今日ばその人達゙の内一人で、自分が゙竜のお兄さん゙と呼ぶ人が今この街で働いているので、もう一人の人と一緒に会いに来たのだという。

「…で、その後は竜のお兄さんと会ったのはいいけど、調子に乗ってホテルから通りの方へ出ちゃって…」

「成程、それで路地裏に入り込んじゃって…挙句の果てに野良犬に追いかけられた結果…ワタシと出会ったというワケか」

 自分が言おうとした言葉を魔理沙に先取りされてしまったのに気づき、ジョゼットは思わず恥ずかしそうに頷いた。

 それで、竜のお兄さんやもう一人のお兄さんが心配しているから、急いでホテルに戻らなければいけないのだという。

 魔理沙はそこまで聞いて、先程ジョゼットが道の端で不安そうな表情を浮かべていた理由が分かってしまった。

「はは~ん!つまり、帰ろうと思っても道が分からないから帰れなかったんだな?」

「……!」

 容赦する気の無い魔理沙の指摘に、ジョゼットは思わず頬を紅潮させながら頷く。

 その後は、何だかんだでジョゼットと彼女を拾ったお兄さんたちとやらに興味が湧いた魔理沙は少しばかり彼女に付き合う事にした。

 つまりは乗りかかった船として、迷子のジョゼットをそのホテルまで連れていく事にしたのである。

 

「……にしても、大通りから少し離れただけでも大分涼しいんだな…」

 先ほどの事を思い出し終えた魔理沙は、今歩いている小さめの通りを見回しながら一人感想を呟く。

 賑やかな市場から少し離れているここの人通りはやや少ないものの、散歩をするにはうってつけの道であろう。

 恐らく市場に行った帰りなのか、紙袋を抱えた平民たちの多さから見て自宅へ戻る際にここを通る者が相当いるらしい。

 建物の影もあるおかけで真夏の暑い太陽から隠れるこの場所は、ちょっとした避暑地の様な場所になっているようだ。

 魔理沙はそんな事を考えつつ箒片手に歩いていると、後ろをついて来るジョゼットが「あの…」と申し訳なさそうに声を掛けて来たのに気づく。

 

「ん?どうしたんだ」

 また素っ頓狂な質問かと思ったが、それを顔に出さず魔理沙が聞いてみると彼女はオロオロしつつも口を開く。

「え…っと、その…ありがとう、ございます。初対面なのに、道に迷った私を助けてくれるなんて…」

「あぁ、その事か!そう気に病む事はないさ、この街って私の生まれ故郷よりずっと大きいしな、迷うのは無理ないと思うぜ?」

 だからそう気に病むなよ?そう言ってコロコロと笑う魔理沙を見て、ジョゼットもその顔に微笑みを浮かべてしまう。

 

 何だか不思議な女の子だと、ジョゼットは思った。

 黒と白のエプロンドレスに絵本に出てくるメイジが被るようなトンガリ帽子にその手には箒。

 子供のころに読んだ絵本ではメイジが箒を使って空をとぶ話はいくつもあるが、実際は箒で空は飛べないのだという。 

 ではなぜ箒なんか持って街中にいるのだろうか?そんな疑問が頭の中に浮かんできてしまう。

 ――――まさかとは思うが、本当に箒で飛べるのだろうか?あのどこまでも続く青空を。

「……くす、まさかね」

「…?」

 変な想像をしてしまったジョゼットは小さく笑ってしまい、それを魔理沙に聞かれてしまう。

 しかし聞いた本人もまさか手に持っている箒の事を笑われたというのに気付かず、ただただ首を傾げていた。

 

 そうこうする内に小さな通りを抜けて、魔理沙はジョゼットの案内でブルドンネ街の一角へと入っている事に気が付く。

 周りを歩く人々の中にチラホラと貴族の姿が見えるし、何より平民たちの服装もチクトンネ街と比べれば小奇麗であった。

 右を見てみると幾つものホテルや洒落たレストランがあり、まだ開店前だというのに美味しそうな匂いを周囲に漂わせている。

 左には川が流れており、昨日の大雨の影響か水の色が土砂のせいで薄茶色に染まっていた。

 チクトンネ街とはまた違うブルドンネ街の景色を二人そろって見とれかけたところで、慌てて我に返った魔理沙がジョゼットに聞く。

「あ、そういや…ここら辺で合ってるんだよな?」

「え…うん、路地裏で犬に出会う前に川を見ながら歩いたから…」

 危うく目的を忘れかけた二人は何となく早足で前へと進むと、左側に小さな広場があるのに気が付いた。

 どうやら川の水はそのまま道の下にある暗渠に流れていくようで、濁流の音が微かに穴の中から聞こえてくる。

 地下へと続く暗い穴を一瞥した魔理沙がジョゼットの方へ顔を向けると、彼女は川を横切るようにして造られた左の広場を指さした。

 

 そこから先は左へと進み、まだ人の少ない小さな広場を抜けたところでまたしても道の片方に川が流れていた。

 ここには排水溝がすぐ真下にあるので、今度は川の流れに逆らって歩くような形となるらしい。

「なるほど…さっきの排水溝とはそれほど離れてないから、多分こことあそこの川の水は全部地下に流れてるのか?」

 だとすればこの街の真下には、巨大なため池があるようなもんだな…と魔理沙がそんな想像をしていた時、

 何かを見つけたであろうジョゼットが自分の横を通り過ぎ一歩前へ出ると、すぐ近くの建物を指さして叫んだのである。

「あった!あれ、あれだわ。あのホテルは川の傍にあったもの、間違いないわ!」

 嬉しそうなジョゼットの言葉に思わず魔理沙もそちら方へ視線を向けると、彼女の言うとおりホテルが建っていた。

 これまで通り過ぎてきたものとは違い、妙に新築の雰囲気が残るホテルの看板には『タニアの夕日』という名前が刻まれている。

 

「『タニアの夕日』…か、確かにここの屋上から見たら夕日は良く見えるかもな?…昨日を除いてだがな」

 看板の名前を読み上げながら、さぞ昨日だけ名前負けしていたに違いないと思っていると、

「わはは!やったぁー、やっと戻れたぁー!あはははー!」

「ちょ…っ!?お、おい待てって!」

 それまで大人しかったジョゼットが嬉しそうな笑い声を上げ、ホテルの入口目がけて走り出したのである。

 周囲の人々の奇異な者を見る視線と、突然のハイテンションに珍しく驚いている魔理沙の制止を振り切って。

 よっぽど嬉しかったのであろう、長い銀髪を振って走る彼女の後姿を見て、魔理沙はヤレヤレと肩を竦めて見せた。

 

「……ま、結局遅かれ早かれ中に入ってたんだし。仕方ない、私もついて行くとするか」

 あのホテルの中にいるであろうジョゼットを連れてきた者たちがどんな人たちなのか知りたくなった魔理沙は、

 もう大丈夫だろうと一人静かに立ち去るワケがなく、ジョゼットの後を追ってホテルの入口へと足を進めた。

 

 一足先に入ったジョゼットに続くようにしてドアを開けた魔理沙は、思わず口笛を吹いてしまう。

「へぇ―、こいつは中々だな!ウチの屋根裏部屋が動物の住処に見えてしまうぜ」

 笑顔を浮かべて辺りを見回す彼女の目には、二年前にリニューアルした『タニアの夕日』の真新しさが残るロビーが映っている。

 流石ブルドンネ街のホテルという事だけあるが、何よりもロビーの隅にまでしっかりと手が行き届いているからであろう。

 フロントやロビーの真ん中に配置されたソファー、そして建物の中に彩りを与えている観葉植物にも古びた所は見えない。

 床にも埃の様な目に見えるゴミは魔理沙の目でも視認できず、まるで鏡面かと思ってしまう程に磨かれている。

 

 少々ぼやけて見えるがそれでも自分の顔を映す床を見つめていた魔理沙の耳に、ふとジョゼットの声が聞こえた。

「お兄様!竜のお兄様ー!」

 その声でバット顔を上げ、声のした方へ目を向けた先にジョゼットが手を振っているのが見えた。

 丁度ロビーから上の階へと続く階段の手前で足を止めた彼女は、その階段の上にいる誰かに手を振っているらしい。

 彼女の言ゔ竜のお兄様゙とやらがどんな人物なのか知りたい魔理沙は、すぐさま目線を彼女が手を振る方へと向ける。

 階段を上った先にあるホテル一階の廊下、そこで足を止めてジョゼットと目線を合わせたのはマントを羽織った美青年であった。

 魔理沙が今いる位置からでは詳細は分からないが、少なくともそう判断できるほど整った容姿をしている。

 

 見えないのならもう少し近づこうかと思ったその時、ジョゼットを見つけたその青年も声を上げた。

「ジョゼット!ようやく帰って来たんだな、このやんちゃ者め。迷子になったのかと思ったよ」

 軽く叱りつつも、その顔に安堵の笑みを浮かべる青年はそのまま階段を降りてジョゼットの方へと近づいていく。

 そして十五秒も経たぬうちにロビーへ降りてきた彼を見て、ジョゼットもまた笑みを浮かべて言った。

「まぁ酷いわお兄様、私が報告しようとした事を先に言い当てちゃうなんて!」

「これから僕が直々に君を探しに行こうかと思ったけど、取り越し苦労で済んで何よりだよ」

「あら、そうでしたの?…だったらもう少し迷っていたら良かったかも知れませんわね」

 悪戯っ気のあるジョゼットの言葉に青年は「こいつめぇ!」と笑いながら彼女の髪をクシャクシャと撫でまわす。

 それに対しジョゼットは怒るでも嫌がるでもなく、頭を撫でられている仔犬の様に嬉しがっていた。

 

 まるでカップルの様な慣れ合いを見て、魔理沙はやれやれと溜め息をついて肩も竦めてしまう。

 この後はジョゼットをここまで連れてきた事を話して、ついでほんの少しお話でもしたいと思っていたが、これでは無理そうだ。

「とはいえ、このまま黙って去るのも私の性分じゃあないし―――はてさて…」

 イチャつく二人の周りに出来た蚊帳の外で、一人考える魔理沙の姿にジョゼットは気が付いたのだろうか。

 頭をやや乱暴に撫でられて笑っていた彼女はハッとした表情を浮かべると、すぐにロビーを見回し始める。

 そして、ここまで一緒に来てくれた魔理沙がすぐそこまで来てくれていた事に気が付くと、彼女に手を振りながら呼びかけた。

 

「黒白のお姉さん!こっち、こっちにいる人が竜のお兄様だよ!」

「ん?―――………なッ」

 少女が突然あげた声に青年と魔理沙は同時に互いの顔を見つめ、それぞれ別の反応を見せた。

 突然ジョゼットに呼びかけられた魔理沙は少し驚きつつも箒を持つ右手を挙げて「よぉ、初めまして!」と気軽な挨拶をして見せる。

 しかし青年は違った。彼もまた挨拶を返すつもりだったのだろうか、右手を少しだけ上げた状態のまま―――目を見開いて驚いていた。

 それだけではなく、体を少し仰け反らせ声も漏らしてしまったが為に、魔理沙だけではなくジョゼットも青年の方へ顔を向けてしまう。

 そして、ついさっきまで自分の頭を笑いながら撫でてくれた彼の表情の変わりっぷりに怪訝な表情で首を傾げ、彼に声を掛けた。

 

「……?お兄様?」

「――――…え、あ…!ゴホン!いや、何でもない」  

 ジョゼットの呼びかけが効いたのか、魔理沙を見て驚き硬直していた青年はハッと我に返り、

 ついで誤魔化すように咳払いをしてそう言うと、ジョゼットよりも怪訝な顔つきをした黒白の方へと視線を向け直す。

 一方の魔理沙は自分を目にしてあからさまに驚いて見せた彼の様子から、自分の勘がしきりに「怪しい!」と叫んでいる事に気付いていた。

 まるで今顔を合わせるのはマズイと思った相手が目の前にいて驚き、一瞬遅れてそれを誤魔化す時の様なワザとらしい咳払い。

 あれは…そう。紅魔館の門番をしている美鈴が居眠りしていて、咲夜が様子を見にきていたのに気が付いて慌てて目を開け咳払いした時のような手遅れ感。

 湖上空でそれを目撃し、その後の顛末もばっちり見ていた魔理沙には目の前の青年が取った行動にそんな既視感を覚えていた。

 問題は、互いに初めて顔を合わせるというのになぜ青年はそんな反応を見せたのか…である。霧雨魔理沙にとって、それは無性に気になる事であった。

 

(ちょっと挨拶だけして、後はお茶とかお茶請け―――ついで昼飯も頂いて帰る予定だったが…こりゃ思いの外、面白そうな事になってきたぜ)

 三度のパン食よりも米食が好きな魔理沙は、遠慮なく自分の好奇心を優先する事にした。

 場合によってはジョゼットを怒らせるかもしれないが、今の彼女にとって青年が何で驚いたのかを知りたくてたまらないでいた。  

 と、なれば即行動…と言わんばかりに魔理沙は今にもため息をつきそうな表情を浮かべると、肩を竦めながらジョゼットに話しかけた。

「おいおい、いきなりどうしたんだコイツ?私を見てびっくりするとは、随分な挨拶じゃないか」

「そうですよね?竜のお兄様、どうしたんですか急に驚いちゃったりして」

 挑発とも取れる魔理沙の言葉に気付かず、ジョゼットも若干頬を膨らませて青年に先ほどの驚愕について聞いている。

 まぁ見ず知らずの自分を助けてくれて、ホテルまでついてきてくれた恩人に対してあんな様子を見せれば、そりゃだれだって失礼だと感じるだろう。

 とはいっても、それ程怒っている様には見えないジョゼットに応えるかのように、青年は再度咳払いをしながら言い訳を述べた。

 

「コホン、いやーすまないね君。僕はこれまで色んな女の子と知り合ってきたけど…一瞬君が女装をした男の子だと思ってね?」

「んな…ッ!お、おと…女装!?」 

 これを言い訳と捉える他者がいるのなら、そいつは色んな意味で世の中の中性的な女性の敵になるだろう。

 最も言われた魔理沙自身は、自分が中性的だと一度も思ったことが無いし霊夢達幻想郷の知り合いからもそういう風に見られたことは無い。

 だがジョゼット以上に見ず知らずの男に何も言ってないのに驚かれ、初っ端からそんな言い訳をされたら怒るよりも先に驚くしかなかった。

 そして青年の声はロビーにいた客やフロントの係員たちの耳にも入ったのか、皆一斉に魔理沙達へ視線を向けている。

「お、お兄様…!なんて酷い事言うんですか!どう見てもこの人は女の子でしょう!?」

「そう怒るなよジョゼット、今のはロマリアじゃあちょっとした褒め言葉みたいなもんさ」

 流石のジョゼットも周囲から注がれる視線と恩人に対する無礼な発言に対して、顔を真っ赤にして青年に怒鳴っている。

 しかし一方の青年は先ほど目を見開いて驚いていた時とは全く違い酷く冷静であり、その整った顔に不敵な微笑みを浮かべて言葉を返す。

 次いで、先ほどまでの自分と同じように驚き硬直している魔理沙へ「すまなかったね」と手遅れな謝罪を述べてから話しかけた。

 

「さっきも言ったよう、僕はこれまで色んな女の子と出会ってきたが…君みたいに男の言葉を使う快活な子と出会ったのは初めてでね。

 つい中性的で綺麗だと遠回しに褒めたつもりだったのだが、君の耳にはとんでもない侮辱として届いてしまったようだ。その事については謝るよ」

 

 照れ隠しの様な、それでいて相手を小馬鹿にしているとも取れる笑みを浮かべる青年に魔理沙はどう返せばいいか迷ってしまう。

 とりあえず苦虫を噛んだうえで無理やり浮かべた様な笑みを顔に浮かべつつ、いえいえ…とか適当な言葉を口にしようとした所で彼女は気づく。

 自分の顔を見つめる青年の両方の瞳…左は鳶色で右は碧色と、それぞれの色が違う事に気が付いたのである。

「ん?その目は…」

「あぁ、これかい?僕と初めて会うの人は真っ先にその事を聞いてくるから、いつ聞いてくるのかと心待ちにしてたんだ」

 恐らくこれまで何度も聞かれているのだろうか、若干の皮肉を交えながらも青年はサッと教えてくれた。

 自分の両目の色が違うのは生まれつき虹彩の異常があるらしく、そのせいで幼少期は色々と待遇が悪かったのだという。

「ハルケギニアじゃあ僕みたいな『月目』は縁起が悪い人間扱いされるし、おかげでしょっちゅう冷や飯を食わされたもんだよ」

「ふぅーん…冷や飯云々はどうでもいいが、私は綺麗だと思うぜ?なりたいかと言われれば別だけどな」

 手振りを交えて軽い軽い説明をしてくれたジュリオに魔理沙もまた毒と本音を混ぜて素直に月目を褒めた。

 女である自分をさらりと女装男子扱いしたイヤな奴ではあるが、良く見てみればまるで丁寧に磨かれた宝石の様に綺麗なのである。

 

 青年は魔理沙が褒めてくれたことに対しありがとうと素直に礼を述べ、さっと右手を彼女の前に差し出した。

 突然の右手に一瞬何かと思った彼女であったが、すぐに察して自分の右手で彼の差し出す手を握る。

 手袋越しの手は少々くすぐったいものの、握力から感じるに自分に対してあまり警戒はしていないようであった。

 互いの顔を見つめあい、暫し無言の握手が続いたところで魔理沙は自分の名を名乗る。

「私は魔理沙、霧雨魔理沙だ。街中で迷ってたジョゼットを見つけた普通の魔法使いさ」

「魔法使い?メイジじゃなくて…?」

「ここら辺の人間には名乗る度に似たような疑問を抱かれてるが、誰が言おうともメイジじゃあなくて魔法使いなんだ」

「成程、面白いヤツだよ君は。それに名前も良い」

 隠すつもりが全くない魔理沙の自己紹介に青年は笑いながらも頷いて、次に自分の名を名乗った。

 

「僕の名前はジュリオ、ジュリオ・チェザーレ。ワケあって今はトリステインへ出張している普通じゃないロマリア神官さ」

「おいおい、人の名乗りを模倣するかと思いきや…何て自己主張の激しい奴なんだ」

「いかにもメイジですって格好しておいて、わざわざ魔法使いとか主張する君も相当なもんだぜ?」

 互いに笑顔を浮かべつつ、棘のある会話をする二人の間には自然と和やかな雰囲気が漂っている。

 それを見守っていたジョゼットは、ジュリオが魔理沙を男子扱いした時の一触即発の空気が変わった事にホッと一息つくことができた。

 緊張に包まれていた周囲の空気も元に戻るのを感じつつ、ジュリオは魔理沙からここに来るまでの出来事を聞く事となった。

 興味本位でホテルの外に出て、街中を歩いていたら野良犬に追いかけられて道に迷った事。

 そして偶然通りがかった魔理沙に助けられて、トコトコ歩きながらようやくここへ辿り着くまでの話を聞いてジュリオはウンウンと頷いた。

 

「キミには助けられたようなものだね。まさかトリスタニアに、キミみたいに親切な魔法使いさんがいるとは予想もしていなかったよ」

「何といっても私は魔法使いだからな。自分が興味を抱いたモノにとことん付き合うのは職業柄のさだめ…ってヤツさ」

「おや?僕の知らない世界では魔法使い…というのは職業として扱われているらしいねぇ。どこに行ったらなれるんだい?」

「残念だがこの業界はライバルが少ない程に得なんでな、なりたいなら自分で方法を探してみな」

 そこまで言った所で、いつのまにか魔法使いに関しての話になってしまったのに気づいた二人はクスクスと笑う。

 出会ってまだ十分も経たないというのに、すっかり打ち解けたかのような雰囲気になってしまっているからだろうか。

 二人して明確な理由が無いまま暫しの間笑い続け、それから少ししてジュリオが共に落ち着いてきた魔理沙へ話しかけた。

 

「改めて言うが本当に助かったよ。トリスタニアは以外に複雑な街だし、性質の悪い平民たちもいるしね」

「あぁ確かに…路地裏とか結構入り組んでるし、いかにもチンピラって奴らもあちこち見かけてるな」

 念には念を入れるかのようなジュリオの言葉に魔理沙は納得するかのように頷きつつ、ついでジョゼットの方へ目を向ける。

 恐らくこの世界の人間でも珍しい銀髪に小さな体躯。もしも自分と出会わずに夜中まで迷い続けていたら大変な事になってたかもしれない。

 そう考えると自分はとても良い事をしたぜ!…と誰に自慢するでもなく内心で踏ん反り返っている。

 一方のジョゼットは自分を見つめてニヤニヤする魔理沙に首を傾げた思った瞬間、

 ハッとした表情をその顔に浮かべると慌てて頭を下げて、ここまでついてきてくれた彼女へお礼を述べた。。

 

「あ、あの!助けてくれて本当にありがとうございます、キリサメ・マリサ…さん!」

「別にタメ口でもいいぜ?でも゙さん゙付けは別に嫌いじゃあないし、嬉しいけどな」

 魔理沙の言葉に頭を上げたジョゼットは暫し考えるかのように体を硬直させた後、再度頭を下げて言い直した。

「じゃ、じゃあ…ここまでついてきてくれて、ありがとう。マリサ、さん」

「ははは、そうそうそんな感じでいいんだよ!…っていうか、別に言い直さなくたっていいんだけどな」

 律儀にも言葉を訂正してお礼を述べてくれたジョゼットに魔理沙は苦笑するしかなかった。

 彼女としてはほんのアドバイス程度だったのだが、どうやら真面目に受け取ってしまったらしい。

 ちょっと言い過ぎたかな?魔理沙がそう思った時、それはジュリオの背後――先程まで彼がいた一階から聞こえてきた。

 

「ジョゼット、無事だったのですね!」

「え…あっ、せ…―――セレンのお兄さん!」

 

 ジュリオと比べ微かに低く、しかし十分に若いと青年の声に真っ先に振り向いたジョゼットは、真っ先にそう叫んだ。

 遅れてジュリオも背後を振り返り、魔理沙は視線を動かして階段を降りてくる青年の姿が目に入る。

「あれは…?」

「彼は…セレン。ここへジョゼットを連れてきた騒ぎの張本人にして、もしかすると…彼女の身を一番案じてた人さ」

「…!成る程、ジョゼットが言ってたもう一人のお兄さんってアイツの事なのか」

 思わず近くにいたジュリオに訪ね、返事を聞いた魔理沙はここに来る前にジョゼットが言っていた事を思い出す。

 年の程は良く分からないものの、階段の上からでも分かる程にその背丈は大きかった。

 恐らくジュリオと比べて一回り大きいがそれでいて痩せているためか、一見するとモデルか何かだと見間違えてしまう。

 ジュリオのそれと比べてやや濃い色の金髪をショートヘアーで纏めており、窓から漏れる陽の光で反射している。

 そして何よりも一番目についたのは、ジョゼットがセレンと呼んだ青年の表情から『優しさ』のようなものが溢れ出ていた事だ。

 

 『優しさ』――或いは『慈悲』とも言うべきか、とにかく彼の顔には『怒り』や『悲しみ』といった負の感情…というモノが一切見えないのだ。

 普通なら勝手にホテルから出て、街で迷ってしまったジョゼットを怒るべきなのだろうが、その予想は惜しくも外れてしまう。

 優しい笑みを浮かべる金髪の青年セレンが階段を降り切ると同時に、ジョゼットが彼の下へ走り出す。

 セレンは駆け寄ってくる少女を自らの両腕と体で優しく抱きとめると、繊細に見える銀髪を優しく撫でてみせたのである。

「あぁジョゼット、まさか探しに行く前に帰ってきてくれるとは…始祖に感謝しなければなりませんね」

「はい、仰る通りです!…けれど、始祖のご加護だけではなく、それにマリサさんにも!」

「?…マリ、サ…?もしかすると、そこにいる黒白のトンガリ帽子の少女ですか?」

 ジョゼットの口から出た聞き慣れぬ名前にセレンは顔を上げ、ジュリオの後ろにいる魔理沙へと視線を向ける。

 それを待っていたと言わんばかりに魔理沙は左手の親指でもって、自分の顔を指さしてみせた。

「そ!ジョゼットの言うマリサさん…ってのはこの私、普通の魔法使いこと霧雨魔理沙さ!」

「普通の、魔法…使い?メイジではなく?」

 魔理沙の自己紹介で出た゛魔法使い゙という言葉に彼もまた首を傾げ、それを見たジュリオがクスクスと笑う。

「セレン、そこは疑問に感じるでしょうが彼女にとってはそれが至極普通なんだそうですよ」

「…ほぉ、成程!つまり変わっているという事ですね?…嫌いじゃあありませんよ、そういうのは」

 笑うジュリオの言葉にセレンもまた微笑みながら返すと抱きとめていたジョゼットを少しだけ離して魔理沙と向き合う。

 一方の魔理沙も自分の顔を指していた親指を下ろすと、今度は彼女の方からセレンへ向けて右手を差し出す。

 それを見てセレンも気持ちの良い笑顔を浮かべながら、自分の両手でもって彼女の手を優しく包み込むように握手する。

 

「ジョゼットの知り合いになったばかりの私だが、以後お見知りおきを…ってヤツで頼むぜ」

「えぇ勿論。…私の名はセレン、セレン・ヴァレンです。今日、貴女という素晴らしい人、貴女を出会わせたくれた始祖の御導きに感謝を」

 互いに気持ちの良い握手をする最中、ふと魔理沙はセレンの首からぶら下がる銀色のアクセサリーに気付く。

 それは彼女のいる世界では良く見るであろう十字架とよく似た、敬虔なブリミル教徒が身に着ける聖具であった。



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第九十話

 

 チクントネ街から旧市街地の間を横切るようにして造られた一本の水路がある。

 この水路もまた地下への下水道へと続いており、人通りの少なさもあってか地下へと続く暗渠が他よりもやや不気味な雰囲気を醸し出している。

 また、水路と道路には三メイル以上の段差があるせいか通行人が落ちないようにと鉄柵が設けられている。

 普段は旧市街地と隣接している場所であるためか人気も無く、水の流れる音だけがBGМ代わりに水路から鳴り響いている。

 一部の人間の間では、王都で川の流れる音を静かに聞きたいのならこの場所と囁かれているらしいが冗談かどうか分からない。

 まぁ最も、すぐ近くには共同住宅が密集している通りがあるので完全に人の気配がしない…という日はまず来ないだろう。

 

 そんな静かで、活気ある繁華街と棄てられた廃墟群の間に挟まれた水路には、今多くの人間が押しかけていた。

 それも平民や貴族達ではなく、安い鎧に槍と剣などで武装した衛士隊の隊員たちが十人以上もやってきているのである。

 年齢にバラつきはあれど、彼らは皆一様に緊迫した表情を浮かべて柵越しに水路を見下ろしていた。

 彼らの視線の先には、水路の端に造られた道に降りた仲間たちがおり、彼らは一様に暗渠の方へと視線を向けている。

 暗渠の中にも既に何人かが入っているのか、一人二人出てくると入り口で待つ仲間たちと何やら会話を行う。

 そして暗闇の奥で何かが起こった――もしくは起こっていた?――のか、入口にいた者達も暗渠の中へ入っていく。

 

 衛士達が何人もいるこの現場に興味を示したのか、普段はここを訪れない者たちが何だ何だと押し寄せている。

 近くの共同住宅に住む平民や下級貴族たちが大半であり、彼らは衛士達が張った黄色いロープの前から水路を覗こうと頑張っていた。

 ハルケギニアの公用語であるガリアの文字で「立ち入り禁止」と書かれたロープをくぐれば、それだけで罪を犯した事になってしまう。

 ロープを挟んで平民たちを睨む衛士たちに怯んでか、それとも罪を犯すことを恐れてか誰一人ロープをくぐろうとしない。

 張られている位置からでは上手く水路が見れないものの、それでも衛士達の間から漏れる会話で何が起こったのか察し始めていた。

 

「なぁ今の聞いたか?地下水道の出入り口で白骨死体が見つかったらしいぜ」

「しかも聞いた限りじゃあ衛士隊の装備をつけてたって…」

 一人の平民の話に若い下級貴族が食い付き、それに続いて中年の平民女性も喋り出す。

「殺人事件?…でも白骨って、じゃあ殺されてから大分経つんじゃないの?」

「いや…それがここの下水道近くに住んでるっていうホームレスが言うには、ここ最近死体なんて一度も見なかったらしいぞ」

 女性の言葉に旦那である同年代の平民男性がそう返し、他の何人かが視線をある人物へ向ける。

 彼らの目線の先、ロープの向こう側で一人の男性衛士から事情聴取を受けているホームレスの男性の姿があった。

 いかにもホームレスのイメージと聞かれた大衆がイメージするような姿の中年男性は、気怠そうに衛士からの質問に答えている。

 

 朝っぱらだというのに喧騒ならぬ物騒な雰囲気を滲ませている一角を、博麗霊夢は屋上から見つめていた。

 そこそこ良かった朝食の直後にここへ向かう衛士達の姿を見た彼女は、とある淡い期待を抱いてここまで来たのである。

 淡い期待…即ち自分のお金を盗んでいったあの兄妹の事かと思っていた彼女は、酷くつまらなそうな表情で地上を眺めていた。

「何よ?てっきりあの盗人たちが見つかったのかと思ったら…単なる殺人事件だなんて」

『単なる、と言い切っちゃうのはどうかと思うがね?お前さんたちが寝泊まりしてる場所からここはそう遠くないんだぜ』

 デルフの言葉で彼が何を言いたいのかすぐに理解した霊夢は口の端を微かに上げて笑う。

 

「どんな殺人鬼でも、あの店を襲おうもんならスグに襲ったことを後悔するわね」

『随分自身満々じゃないか…って言っても、確かにお前さんたちと遭遇した殺人鬼様は間違いなく不幸になるだろうな』

「んぅ~…それもあるけど、何よりあそこにはスカロンが店を構えてるし大丈夫でしょ?」

 半分正解で半分外れていた自分の言葉を補足してくれた霊夢に、デルフは『あぁ~』と納得したように笑う。

 確かに、どんなヤツが相手でも人間ならば間違いなく『魅惑の妖精』亭の店長スカロンを前に逃げ出す事間違いなしである。

 タダでさえ体を鍛えていて全身筋肉で武装しているというのに、オネェ言葉で若干オカマなのだ。

 見たことも無い容疑者が男だろうが女だろうが、スカロンが前に立ちはだかれば大人しく道を譲るに違いない。

 

 それを想像してしまい、ついつい軽く笑ってしまったデルフに気を取り直すように霊夢が話しかける。

「まぁ今の話は置いておくとして、普通の殺人事件でこんなに衛士が出てくるもんなのかしら?」

『確かにそうだな。…何か事情があるんだろうが、にしたって十人以上来るのはちょっとした大ごとだ』

 道路の上にいる人々と比べて、建物の屋上に霊夢の目には衛士達の動きが良く見えていた。

 

 その手振りや身振りからしても、自分たちと同じヒラか少し上程度の衛士が死んだ゙だげの事件とは思えない。

 道路の上から現場を指揮する隊長格と思しき隊員が、数人の隊員に人差し指を向けて急いで何かを指示している。

 少し苛ついている感じがする隊長格に隊員たちは敬礼した後、人ごみを押しのけて街中へと走っていく。

 暗渠へ入っていった隊員達の内二人が上から大きな布を掛けた担架を担ぎ、慎重に歩きながら出てきた。

 まるで大きくていかにも骨董的な割れ物を運ぶかのような慎重さと、人が乗せられているとは思えない程の凸凹が見えない布。

 きっとあれが、の中で死んでいたという衛士隊員の白骨死体なのだろう。

 入り口にいた隊員の内一人がその担架の方へ体を向け、十字を切っている。

 それに続いて何人かが同じように十字を切った後、担架は水路から道路へと出られる梯子の方まで運ばれていく。

 恐らく別の何処かに運ぶのだろう、隊長格の隊員が他の隊員と一緒に鉤付きのロープを水路へ落としている。

 

 そんな時であった、突如繁華街の方向から猛々しい馬の嘶きが聞こえてきたのは。

 何人かの隊員たちと野次馬が何事かと振り返り、霊夢もまたそちらの方へと視線を向ける。

 そこにいたのは、丁度手綱を引いて馬を止めた細身の衛士が慣れた動作で馬から降りて地に足着けたところであった。

『何だ、増援?…にしちゃあ、一人だけか』

「もう必要ないとは思うけど…あの金髪、どこで見た覚えがあるような?」

 地上にいる人々とは違い、霊夢の目には馬から降りたその衛士の背中しか見えなかった。

 辛うじて髪の色が金髪である事と、それを短めにカットしているという事しか分からない。

 それが無性に気になり、いっその事降りてみようかしらと思った彼女の運が良い方向へ働いたのだろうか。

 

 馬を下りたばかりの衛士は、別の衛士に後ろから声を掛けられて振り返ったのである。

 髪を少し揺らして振り返ったその顔は―――遠目から見ても女だと分かる程に綺麗であった。

 猛禽類のように鋭い目つきで後ろから声を掛けてきた同僚と一言二言会話を交えて、水路の方へと向かっていく。

 霊夢と一緒に見下ろしていたデルフが『へぇ~女の衛士かぁ』ぼやくのをよそに、霊夢は少々面喰っていた。

 何故ならその女性衛士と彼女は、今より少し前に顔を合わせていたからである。

 

「あの女衛士、確かアニエスって言ってたような…」

 まさかこんな所で顔を合わすとは思っていなかった霊夢は、案外にこの街は狭いのではと感じていた。

 

 一波乱どころではない騒ぎに巻き込まれたアニエスが元の職場に戻れたのは、つい今朝の事である。

 軍部からの演習命令で一時トリステイン軍に入り、そのままタルブでの戦闘に巻き込まれた彼女は散々な思いをした。

 アルビオンとの戦いが終わった後もタルブやラ・ロシェールでの戦闘後の処理作業に追われ、

 更に戦闘開始直後に出現した怪物を間近に見たという事で、数日間にも渡って取り調べを受け、

 やっと衛士隊への復帰命令が来たと思えば、王都へ戻る際の馬車が混雑したり…と大変な目にあったのだ。

 

 そうして王都に戻れたのは今朝で、幸いにも書類に書かれていた復帰までの期日には間に合う事が出来た。

 彼女としては一日遅れる事は覚悟していたものの、早めにゴンドアを出ていて良かったとその時は胸をなで下ろしていた。

 駅舎の警備をしている同僚の衛士達と一言二言会話をした後で、手ぶらでは何だと思って土産屋で適当なモノを幾つか購入し、

 すっかり緑に慣れてしまっていた目で幾つも建ち並ぶ建物を見上げながら、アニエスは第二の故郷となった所属詰所へと戻ってきた。

 ふと近くにある広場にある時計で時刻を確認してみると丁度八時五十分。彼女にしては珍しい十分前出勤となる。

 いつもならばもっと早い時間に出勤して、昨日残した書類の片づけや鍛錬に時間を使うアニエスにとって慣れない時間での出勤だ。

 

 とはいえ立ちっ放しもなんだろうという事で彼女は玄関の傍に立つ同僚に敬礼し、中へと入る。

 そして彼女の目の前に広がっていた光景は―――慌てて緊急出動しようとする大勢の仲間たちであった。

 まるで王都に敵が攻めて来たと言わんばかりに装備を整えた姿の仲間数人が、急ぎ足で彼女の方へ走ってきたのである。

 彼らの鬼気迫る表情に思わずアニエスが横にどいたのにも気づかず、皆一様に外へと出ていく。

 いつもの彼女らしくないと言われてしまう程身を竦ませたアニエスが何なのだと目を丸くしていると、後ろから声を掛けて来た者がいた。

 

――あっ!アニエスさんじゃないか、戻ってきたんですか!?

 

 その声に後ろを振り向くと、そこには衛士にしては珍しく眼鏡を掛けた同僚がいた。

 彼はこの詰所の鑑識係であり、事件が起きた際に現場の遺品や被害者のスケッチなどを担当している。

 まだ鑑識になって日は浅いものの、若いせいか隊長含め仲間たちからは弟分のように可愛がられている。

 その彼もまた衛士隊の安物の鎧と鑑識道具一式の入ったバッグを肩から掛けて、外へ出ようとしていたところであった。

 アニエスは彼の呼びかけにとりあえず右手を上げつつ、何が起こったのか聞いてみることにした。

 

―――あぁ、今日が丁度復帰できる日なんだ。…それよりも今のは何だ?どうにもタダ事ではなさそうだが…

――――それが実は僕も良く知らないんですが、今朝未明に衛士隊隊員の死体が発見されたそうで…

―――――何だと?だがそれにしては騒ぎ過ぎだろ、こんなに騒然としてるなんて…隊長は何て?

 

 ふとした会話の中でアニエスが何気なく隊長の名を口にした途端、鑑識の衛士ばビクリと身を竦ませた。

 単に驚いただけではないというその反応を見て、アニエスは怪訝な表情を浮かべる。

 鑑識の青年衛士も、顔を俯かせて暫し何かを考えた後……ゆっくりと顔を上げて口を開いた。

 

―――実は、隊長はその…昨晩の夕方に退勤して以降、行方が分からなくて…自宅にもいないそうなんです…

――――な…ッ!?

―――――それで、発見された白骨死体が衛士隊員だという事で…みんな―――

――――――勝手な想像をするんじゃないッ!

 

 ちょっとどころではない死地から帰ってきて早々に、どうしてこんな良くない事が起きてしまうのか。

 アニエスは自分の運の無さを呪いながらも大急ぎで支度を整え、鑑識から現場を聞いて急行したのである。

 場所はチクトンネ街と旧市街地の間にある川で、既に何人もの衛士達が書けてつけているとの事らしい。

 本当なら応援はもういらないのだろうが、それでもアニエスはわざわざ馬を使ってまで現場へと急いだ。

 

 そうして現場へとたどり着いた時、既に件の白骨遺体は水路から上げられる所だったらしい。

 馬を降りて一息ついた所で、既に現場で野次馬たちを見張っていた同僚に声を掛けられた。

「おぉアニエス、戻ってきたのか?…すまんな、復帰早々こんなハードな現場に来てくれるとは」

「野次馬相手なら幾らいても足りなくなるだろう?それより、例の遺体はどこに……ん、あっ!」

 同僚と軽く挨拶しつつ、痛いはどこにあるのかと聞こうとしたところで彼女は群衆がおぉっ!声を上げた事で気が付いた。

 そちらの方へ視線を向けたと同時に、水路にあった被害者が引き上げられようとしていたのである。

 

 アニエスは失礼!と言いながら野次馬たちを押しのけてそちらへと向かう。

 何人かが押すなよ!と文句を言ってくるのも構わず進み、ようやく目の前に引き上げられたばかりの担架が見えた。

 野次馬を防いでいる衛士達が咄嗟に止めようとしたものの、同僚だと気づくとロープを持ち上げてアニエスを自分たちの方へと招いた。

「戻ってきたのかアニエス、大変だったらしいな」

「その話は後にしてくれ、それよりここの現場担当の隊長格は?」

 仲間たちの言葉を軽く返しつつそう言うと、水路に残っている部下たちにも上がる様指示していた上官衛士が前へと出てくる。

「俺の事…ってアニエスか!エラい久しぶりに顔を見た様な気をするが、よく帰ってこれたな」

「あっ、はい!奇跡的に傷一つ負わずに戻ってこれました。…それで、被害者の身元は分かったのですか?」

 彼女が良く知る隊長とはまた別の管轄を持つ彼の言葉にアニエスは軽く敬礼しつつ、状況の進展を探った。

 キツイ仕事から帰ってきたというのに熱心過ぎる彼女に内心感心しつつも、上官衛士は首を横に振りつつ返す。

 

「今の所俺たちと同じ服装をした白骨死体…ってだけしか分からんな。軍服と胸当てだけで身分証の類は持っていなかっ

 たから尚更だ。それに俺たちだけじゃあ骨で性別判断何てできっこないし、何より白骨死体にしては妙に綺麗すぎる。ホラ、見てみろ?」

 

 彼はそう言うと共に担架の上に掛かった布を少しだけ捲り、その下にある白骨をアニエスへ見せてみる。

 最初は突然の骨にウッと驚きつつも、恐る恐る観察してみると…確かに、上官の言葉通り洗いたての様に真っ白であった。

 まるで死体安置所で冷凍保管されていた遺体から肉を丁寧に落として、骨を漂白したかのように綺麗なのである。

 別に腐って乾燥した肉片とかついている黄ばんだ骨が見たいわけではないのだが、それでもこの白さはどことなく異常さが感じられた。

 思わずまじまじと見つめているアニエスへ補足を入れるかかの様に、上官は一人喋り出す。

 

「第一発見者の浮浪者がここら辺を寝床にしてるらしくてな、昨夜は濁流に飲み込まれないよう旧市街地にいたらしい。

 それでも、今朝見つけるまであんな綺麗な骨は絶対に無かった…と手振りを交えながら話してくれた。」

 

 上官の言葉にアニエスはそうですか…と生返事をした後、ふと気になった事を彼へと質問する。

「…それならば、この骨は昨夜の暖流で流れて来たのでは?」

「可能性は無くは無いが、それにしては変に綺麗すぎる。見てみろ、この白さなら好事家が言い値で買うかもしれんぞ」

 仮にも同僚であった者に対して失礼な例え方をしているとも聞こえるが、彼の表情は真剣そのものであった。

 茶化し、誤魔化しているのだろうとアニエスは思った。実際今の自分も冗談の一つぐらい言いたい気持ちが胸中にある。

 この骨が自分の管轄区の、粉挽き屋でバイトしていた自分を衛士として雇ってくれた隊長だと思いたくはなかったのだ。

 今のところは身元が全然分からないという事で安堵しかけているが、それでも不安は拭いきれない。

 

 もやもやと体の内側に浮かんでいるそれを誤魔化すかのように、アニエスは口を開く。

「それで、身元の特定作業はもう行っているのですか?」

「あぁ。今日欠勤している者を優先的に調べているが…ここは王都だ、全員調べるとなると明日の昼まで掛かる」

 アニエスからの質問に上官は肩をすくめてそう言うと、アニエスは仕方ないと言いたげにため息をつく。

 欠勤者だけではなく、非番の者まで調べるとなれば…文字通り街中を駆け巡らなければいけないのだ。

 これが単なる殺人事件ならばここまで大事にはならないが、殆ど傷がついていない白骨という奇怪な状態で見つかっているのだ。

 もはや衛士である前に、一介の平民である自分たちが対応できる事件としての範囲を超えてしまっている。

 

 持ち上げていた布をおろし、アニエスの方へと向いた上官は渋い表情を浮かべたまま言った。

「一応魔法衛士隊にも報告はしておいたが、正直今の国防事情では来てくれるかどうか…だな」

「確かに、平時ならばメイジが関与していると考慮して動いてくれますが…今はアルビオンと戦争が間近という状況ですし」

 上官の言葉にアニエスは頷く。彼女の言うとおり、今はこうした街中の事件で対応してくれる魔法衛士隊は別の任務に就いている。

 大半は新しく補充された新人隊員達に訓練を施し、更に有事に備えて軍や政府関連の施設の警備を優先するよう命令されている筈だ。

 となれば、いくら怪奇的な事件だとして出動を乞うても「今は衛士隊だけで対応せよ」という返事が返ってくるのは間違いないだろう。

 今はドットクラスメイジの手を借りたいほどに、王宮と軍が忙しいのはつい数日前までそこに所属していたアニエス自身が知っている。

 先の会戦で主な将校を何人も失った王軍と、戦力に余裕のある国軍を統合させた陸軍の創設及び部隊の再配置で更に忙しくなるだろう。

 それが本格的に行われる前に衛士隊へ復帰する事ができたアニエスは、思わずホッと安堵したくなった。

 

 ―――しかし、そこで彼女は胸中に秘めていた『願い』を思い出し、内心で安堵する事すら自制してしまう。

 もしも、この騒ぎに乗じて正式に軍に配備されていれば――――自分はもっと『王宮』へ近づく事ができたのでは、と。

 トリスタニアの象徴でもあるあの宮殿の中に眠るであろう『ソレ』へとたどり着ける、新たな一歩になっていたかもしれない。

 

 そこまで考えた所で彼女はハッと我に返り、首を横に振って今考えていた事を頭から振り払う。

(今はそんな事を考えている場合じゃないだろうアニエス。もう過ぎた事だ…今は、目の前の事件に集中しなければ)

 

 ひょっとすると、自分の体と頭は自分が思っている以上に疲れているのかもしれない。

「…少なくとも今できる事は情報収集です。可能ならば、私もお手伝いします」

 そんな事を思いつつ、それでも担架に乗せられた白骨の正体を知りたい彼女は上官に申し出た。

 

「できるのか?それなら頼む。今は猫の手も借りたい状況だ、是非ともお願いしよう。後、お前んとこの隊長と出会ったらボーナス給弾むよう言っておく」

 疲れているであろう彼女に上官は冗談を交えつつ許可すると、アニエスは「はっ!」と声を上げて敬礼する。

 直後に彼女は踵を返し、野次馬たちの向こう側で同僚が宥めている馬の所へ向かおうとした、その時であった。

 

 急いで馬の所へ戻ろうとする彼女の視界の端に、紅白の人影が一瞬だけ入り込んできたのである。

 

「ん?………何だ?」

 思わず足を止めて人影が見えた方向へ視線を向けると、そこにあるのは屋上付きの建物であった。

 個人の邸宅ではなく、一階に雑貨屋などがある共同住宅らしく窓越しに現場を眺めている住人がチラホラと見える。

 しかし窓からこちらを覗く人々の中に紅白は見えず、屋上を見てみるも当然誰もいない。

 だが彼女は確かに見た筈なのである。何処かで見た覚えのある、紅白の人影を。

 

「気のせいだったのか、それとも単に私が疲れすぎているだけなのだろうか…」

 納得の行かないアニエスは一人呟きながらも馬の所へ辿り着くため、再び野次馬たちを押しのける小さな戦いへと身を投じた。

 

『さっきの口ぶりからして知り合いだったらしいが、声かけなくても良かったのかい?』

「アニエスの事?別に良いわよ。知り合いだけど親しいってワケではないし、向こうも忙しそうだったしね」

 水路からの喧騒が小さく聞こえる路地に降り立ったばかりの霊夢へ、背中に担いだデルフがそんな事を言ってきた。

 昨日の雨で出来た水たまりをローファーで軽く蹴り付けつ道を歩く彼女は、大したことじゃ無いと言いたげに返す。

 建物と建物の間に出来ているが故に道は陽が遮られており、幾つもの水たまりが道端にできている。

 それをローファーが踏みつけると共に小さな水しぶきがあがり、未だ乾いていないレンガの道を更に濡らしていく。

「あんな事件は衛士に任せといて、今はあの盗人兄妹を捕まえて金を取り返すのが最優先事項なのは、アンタも分かってるでしょうに」

『オレっちは手足が無いから持ってても意味ねェけどな』

 鞘に収まった刀身を震わせて笑う彼に、霊夢は「アンタは良くても私達がダメなのよ」と返す。

 いくら子供であっても、あれ程の大金を一気に使おうとすれば大なり小なり人々のちょっとした話題になるのは明白である。

 そうであるなら楽なのだが、明らかに手慣れている感じからして常習犯なのは間違いないだろう。

 と、なれば…盗んだ大金で豪遊などせずに、小分けにして生活費にするというのなら探し出せる難易度は一気に高くなる。

 

「とりあえず昨日はルイズと大雨のせいで行けなかった現場に行って、アイツらを捜すかそれに関する情報を集めないとね」

『成程、容疑者が確認の為に現場へ戻るっていう法則を信用するのか』

 デルフがそう言うと共に陽の当たらぬ路地から出た霊夢は、目に突き刺さるかのような光に思わず目を細める。

 途端、まるで空気が思い出したかのように夏の熱気へと変わり彼女と服を熱し始めた。

 

 

「いくら私でも手がかりの一つか二つ無いと分からないし、何か収穫の一つでもあればいいんだけどねぇ…」

 ハルケギニアの夏の気候に慣れぬ彼女は未だ活気の少ない通りへと入りつつ、デルフに向けて呟く。

 霊夢としては、そう都合よくあの兄妹二人の内一人が現場へ戻っているとはあまり思ってはいなかった。

 ただ何かしらの証拠や、あの近辺にいる住民へ聞き込みをして情報が手に入ればと考えてはいたが。

 

 霊夢のそんな意見に、デルフはほんの一瞬黙ってからすぐさま口を開いた喋り出す。

『とはいってもなぁ、ソイツらが手練れの常習犯なら現場には戻らないと思うぜぇ?』

「それは分かってるよ。だけどこっちは明らかな情報不足なんだし、私が動かなきゃあゼロから先には進まないわ」

 諦めかけているようなデルフの言葉に彼女はやや厳しめに返事しつつ、通りを歩いていると、

 ふと三メイル先にあるベンチに腰かける、短い金髪が似合う見知り過ぎた顔の女性がいるのに気が付いた。

 その女はこちらをジッと睨んでおり、その瞳からは人ならざる者の気配を僅かにだが感じ取る事ができる。

 

『あの女…って、もしかしてあの狐女か?』

「その通りの様ね。アイツ、一体何用かしら」

 気配に見覚えがあったデルフがそこまで言った所で、バトンたったするかのように霊夢が口を開いて言った。

 敵意は感じられないが、昨日見た彼女の豹変ぶりをを思い出した霊夢は若干気を引き締めて女へ近づいていく。

 金髪の女は何も言わずにじっと霊夢とデルフを睨み続け、彼女と一本が後一メイルというところでようやく口を開いた。

 

「やぁ、盗人探しは順調に進んでるかい博麗霊夢よ」

「残念ながら芳しくない。…って言っておくわ、八雲藍」

 

 自分の呼びかけに対しそう答えた霊夢にベンチの女―――八雲藍もまた目を細めて睨み返す。

 それでこの巫女が怯むとは全く思ってもいなかったし、単に自分を睨む彼女へのお返しみたいなものであった。

 両者互いに力ませた目元を緩ませないでいると、霊夢の背にあるデルフが金属音を鳴らしながら喋り出す。

『おいおい堅苦しすぎるぜお前ら?…って言っても、昨日は色々あったから仕方ないとは思うがよ』

 昨日ルイズたちと一緒に、藍の豹変と何かに動揺する紫を見ていたデルフの言葉に霊夢が軽く舌打ちしつつ視線を後ろへ向ける。

 

「だったら少し黙っててくれない?ただでさえ暑いっていうのにそこにアンタの濁声まで加わったら参っちゃうわ」

『ひでぇ。…でもまぁ許す、今はお前さんが俺の使い手だしな。じゃあお言葉に甘えて少し静かにしておくよ』

 随分な言い様であったがそれで一々怒れる程デルフは生まれたばかりではなかったし、経験もある。

 背中越しに感じる霊夢の気配から、ベンチの狐女に昨日の事を聞きたいのであろうというのは何となく分かる事が出来た。

 デルフは彼女の剣として、ここは下手に口を出さすのはやめて大人しく黙っておくことにした。

 

 それから数秒、静かになったデルフを見てため息をついた霊夢は再び藍の方へと視線を向ける。

 特徴的な九尾と狐耳を縮めて人に化けた彼女もまたため息をつきき、自分の隣の席を無言で指さす。

 ―――そこに座れ。そう受け取った霊夢はデルフを下ろすとベンチに立てかけて、藍の横に腰を下ろした。

 太陽の光に照らされ続けた木製のそれは熱く、スカート越しでも容赦なく彼女の背中とお尻へと熱気が伝わってくる。

 せめて木陰のある場所に設置できなかったのか。そんな事を思っていた霊夢へ、早速藍が話しかけてきた。

 

「昨日の夜は悪かったな。まさか雨漏りしていたとは考えてもいなかったよ」

「……そうね。でもまぁ、そのおかけで昨日はマトモな部屋で寝れたし結果オーライって事で許してあげるわ」

「何だその言い方は?もしかすれば私に仕返ししてかもしれないって言いたいのかお前は」

「あら、仕返しされたかったの?何なら今この場でしちゃっても良いんだけど」

「やれるものなら…と言いたいがやめておけ、こんな所で騒げば今度こそ紫様の堪忍袋の緒が音を立てて切れるぞ」

「それなら遠慮しておくわ。アンタが怒るよりもそっちの方が十倍怖いんですもの」

 そんな短い会話の後、ほんの少しの間だが二人の間を沈黙が支配した。

 お互い本当に言いたい事、そして聞きたい事をいつ口に出そうか迷っているのかもしれない。

 いつもならば霊夢が先陣切って口を開きたいのだろうが、昨日久々に姿を見せた紫の動揺を思い出してか口を開けずにいる。

 

 これまで色んな所で彼女の前に現れては、色々なちょっかいを掛けてきた大妖怪こと八雲紫。

 並の妖怪なら名を聞いただけでも怯んでしまう博麗の巫女である彼女を前にしても、常に余裕満々で接してきた。

 ちょっかいを掛け過ぎた霊夢が激怒した時もその余裕を崩す事なく、むしろ面白いと更にちょっかいを掛けてくる事もあった。

 だからこそ霊夢は変に気にし過ぎていた。まるで世界の終わりがすぐ間近だと気づいてしまった時の様な様子に。

 

 ブルドンネ街では市場が始まったのか、遠くから人々の活気づいた喧騒が耳に入ってくる。

 一方で夜はあれだけ騒がしかったチクントネ街は未だ静かであり、時折二人の前を人々が通り過ぎていく。

 きっと市場へ買い出しに行くのだろう、手製の買い物袋を手に歩く女性の姿が多い。

 年の幅は十代後半から六十代までとかなり広く、何人かが集まって楽しげな会話をしているグループも見られる。

 そんな人たちを見ながら、霊夢と同じく黙っていた藍は意を決した様に一呼吸おいてからようやく口を開いた。

「やはり気になっているんだろう、私が急にお前へ掴みかかった事が」

「それ意外の何を気にすればいいっていうのよ。滅茶苦茶動揺してた紫の事も含めて、昨日から聞きたかったのよ?」

 藍の言葉に待っていましたと言わんばかりに霊夢は即答し、ジッと九尾の式を見据えた。

 

 それは昨日――霊夢たちの前に紫が現れた時の事。

 紫は言いたい事を言って、霊夢たちも伝えたい事を伝え終えていざ紫が部屋を後にしようとした時であった。

 何気なく霊夢は昨日見た変な夢の事を話した直後、まるで興奮した獣の様に藍が掴みかかってきたのである。

 突然の事に掴まれた本人はおろかルイズと魔理沙に橙も驚き、思わず霊夢は紫に助けを求めようとした。

 しかし、紫もまた藍と同様に―――いや、もしくは式以上におかしくなっている彼女を見て霊夢は目を丸くしてしまった。

 前述した様に、まるで世界の終わりを予知したかのように動揺している紫の姿がそこにあったのだ。

 

――――ちょっと、どういう事?何が一体どうなってるのよ…

 

 面喰った霊夢が思わず独り言を言わなければ、ずっとその状態のままだったかもしれない。

 まるで見えない拘束か立ったまま金縛りに掛かっていたかのように、数秒ほどの時間をおいて紫はハッと我に返る事が出来た。

 それでも目は若干見開いたままであったし、額から流れる冷や汗は彼女の体が動くと同時に更に滲み出てくる。

 紫はほんの少し周囲にいる者たちを見回して、皆が自分を見ている事に気が付いた所で誤魔化すように咳払いをした。

「…ごめんなさい。少し暑くてボーっとしていたみたい」

「ボーっと…って、貴女明らかに何かに動揺していたんじゃないの?」

 いつも浮かべる者とは違う、苦々しさの混じる笑顔でそう言った彼女へ、ルイズがすかさず突っ込みを入れる。

 ルイズは紫が『何に』動揺していたのかまでは分からなかったが、それでも暑すぎてボーっとしていた何て言い訳を信じる気にはなれなかった。

 あの反応は霊夢の言葉を聞き、その中に混じっていた『何か』を聞いて明らかに動揺していたのである。

 

 そんなルイズの突っ込みへ返事をする気は無いのか、紫は霊夢に掴みかかっている藍へと声を掛けた。

「藍、霊夢を放してあげなさい。彼女も嫌がってるだろうし」

「え――…?あ、ハイ。ただいま…」

 気を取り直した紫の命令で藍は正気に戻ったかのように大人しくなり、霊夢の両肩を掴んでいたその手を放す。

 九尾の狐にかなり強く掴まれてジンジンと痛む肩を摩る霊夢は、苦虫を噛んだ時の様な表情を浮かべて痛がっている。

 そりゃ式と言えども列強ひしめく妖怪界隈でもその名が知られている九尾狐に力を込めて肩を掴まれれば誰だって痛がるだろう。

 大丈夫なの?と心配そうに声を掛けてくれるルイズに霊夢は大丈夫と言いたげに頷くと、キッと藍を睨み付けた。

 

「アンタねぇ…、一体どういう力の入れ方したらあんなに強く掴めるのよ」

「それは悪かったな。…だが、こっちも一応そうせざるを得ない理由があるんだよ」

「理由…ですって?どういう事よソレ」

 霊夢の言葉に肩を竦めつつ、藍は若干申し訳なさそうな表情を浮かべつつもその言葉には全く反省の意が見えない。

 まぁそれは仕方ないと想おうとしたところで、彼女は藍の口から出た意味深な単語に食いつく。

 どんな『理由』があるにせよ乱暴に掴みかかってきたことは許せないが、それを別にして気になったのである。

 あの八雲藍がここまで取り乱す『理由』が何なのか、霊夢は知りたかった。

 早速その『理由』について問いただそうとした直前、彼女よりも先に紫が藍へ向けて話しかけたのである。

 

「霊夢、藍とする話が急に出来たから少し失礼するわね」

「え?あの…紫さ――うわ…っ!」

 突然の事に霊夢だけではなく藍も少し驚いたものの、有無を言えぬまま足元に出来たスキマの中へと落ちてしまう。

 藍が大人しく飲み込まれてしまうと床に出来たスキマは消え、傷一つ無い綺麗なフローリングに戻っている。

 

 正に神隠しとしか言いようの無い早業にルイズと魔理沙がおぉ…と感心している中、霊夢一人だけが紫へと食い掛かった。

「ちょっと紫、何するのよイキナリ。これから藍に色々聞きたい事があったっていうのに!」

 明らかに怒っている霊夢にしかし、先ほどまでの動揺がウソみたいに涼しい表情を見せる紫は気にも留めていない。

 

「御免なさいね霊夢。これから色々藍と話し合いたい事ができたから、今日はここらへんで帰るとするわ」

「ちょ…!待ちなさいってッ!」

 彼女だけは行かせてなるものかと思った霊夢が引きとめようとする前に、紫は右手の人差し指からスキマを作り出す。

 まるで指の先を筆代わりにして空間へ線を書いたかのようにスキマが現れ、彼女はそこへ素早く入り込む。

 たった数歩の距離であったが、霊夢がその手を掴もうとしたときには既に…スキマは既に閉じられようとしていた。

 このままでは逃げられてしまう!そう感じた彼女はスキマの向こう側にいるでうろ紫へ向かって大声で言った。

 

「アンタッ!一体何を聞いたらあんな表情浮かべられるのよ!?」

「……残念だけど、今回の異変に関さない情報は全て後回しと思いなさい。博麗霊夢」

 

 届きもしない手を必死に伸ばす霊夢へ紫がそう告げた瞬間、藍を飲み込んだモノと同様にスキマはすっと消え去った。

 後に残ったのは霊夢、ルイズ、魔理沙にデルフ…そして何が起こったのか全く分からないでいる橙であった。

 消えてしまったスキマへと必死に左手を伸ばしていた霊夢は、スキマが消える直前に中にいた紫が自分を睨んでいたと気づく。

 ほんの一瞬だけで良く見えなかったものの、いつもの紫らしくない真剣さがその瞳に映っていたような気がするのだ。

 まぁ見間違いと誰かに言われればそうなのかもしれない。何せ本当に一瞬だけしか目を合わせられなかったのだから。

 

 

 結局、あの後紫と話をしてきたであろう藍が何を言い含められたのかまでは知らない。

 昨日は屋根裏部屋やら雨漏りやらで聞くに聞けず、霊夢自身もその後の出来事で忙しく忘れてしまっていた。

 そして今日になってようやく、暇を持て余していたであろう彼女がわざわざ自分を誘ってきたのである。

 据え膳食わぬは何とやら…というのは男の諺であるが、出された料理が美味しければ全部頂いてお土産まで貰うのが博麗霊夢だ。

 だからこそ彼女はこうして自分を待ち構えていた藍の隣に座り、今まさに遠慮なく聞こうとしていた。

 

 昨日、どうして自分が夢の中で体験したことを口にしただけであの八雲藍がああも取り乱し、

 そして紫さえもあれ程の動揺を見せた理由が何なのか、博麗霊夢は是非とも知りたかったのだ。

「…で、教えてくれるんでしょう?私が見た夢の話を聞いて何で『覚えてる』なんて言葉が出たのか」

 霊夢の口から出たその質問に、藍はすぐに答えることなくじっと彼女の顔を見つめている。

 まるで言うか言わないべきかを見定めているかのように、真剣な表情で睨む霊夢の顔を凝視する。

 両者互いに睨み合ったまま十秒程度が経過した頃だろうか?ようやくして藍が観念したかのように口を開いた。

 

「私の口から何と言うべきか迷うのだが、…お前は夢の中で自分とよく似た巫女を見たのだろう?」

「えぇ、何かヤケに殴る蹴るで妖怪共をちぎったり投げたりしてような…」

 最初の一言からでた藍からの質問に、霊夢は夢の内容を思い出しながら答える。

 あの夢の事は不思議とまだ覚えていたし、細部はともかく大体の事は今でも頭の中に記憶が残っていた。

 彼女からの返答を聞いた藍は無言で頷いた後、ほんの数秒ほど間を置いてから再び喋り始める。

 そして、九尾の式の口から出たのは霊夢にとって衝撃的と言うか言わぬべきかの間の事実であった。

 

「要だけかいつまんで言えば、恐らくその巫女はお前の一つ前…つまりは先代の巫女の筈だ」

「…は?先代の…巫女ですって?」

 

 少し渋った末に聞かされたその答えの突然さに、霊夢は目を丸くする。

 思わず素っ頓狂な声を上げる霊夢に藍は「あぁ」と頷きつつ、雨上がりの晴れた青空を仰ぎ見ながらゆっくりと語っていく。

 それは人間にとっては長く、妖怪である彼女にとってつい昨日の様な出来事であった。

 

「今から二十年前の幻想郷での出来事か、今のお前より年下の少女が新しい博麗の巫女に選ばれた。

 霊力、才能共に十分素質があり、何より当時の先代が幼年の頃の彼女を拾って修行させいたのも大きかった。

 何よりあの当時は今と比べて雑魚妖怪共による集団襲撃が相次いでいたからな。なるべく早く次代を決めざるを得なかった」

 

 藍の話をそこまで聞いて、霊夢は成程と幾つもある疑問の一つを解決できた事に満足に頷いて見せる。

 つまりあの夢の内容はその先代巫女とやらが妖怪退治をしていた時の光景を夢で見たのであろう。

 そこまで考えたところでまた新しい疑問ができたものの、それを察していたかのように藍は話を続けていく。

 

「お前が言っていた人面に猿の体の妖怪の事なら、当時私も現場にいたから良く覚えてる。

 それで、まぁ…実はその当時既に幼いお前さんを紫様が少し前に拾って来ていてな、

 気が早いかもしれんが、何かあった時の跡取りにと二十二なったばかりの先代巫女にお前の世話を押し付けていたんだ。

 まぁ紫さま自身ようやく赤ん坊から卒業したばかりのお前さんの面倒を見てたり……後、妖怪退治にも連れて言ったりもしてたな」

 

 勿論、紫様がな。最後にそう付け加えて名前も知らぬ先代巫女の名誉を守りつつもそこで一旦口を閉じる。

 一方で、そこまで話を聞いていた霊夢はこんな所で自分の出自に関する事が出てきた事に少し衝撃を受けていた。

 放して欲しいとは言ったが、まさかこんな異世界に来てから幻想郷で告白するような事実を告げられたのであるから。

 藍も雰囲気でそれを感じ取ったのか、若干申し訳なさそうな表情を浮かべて彼女へ話しかける。

「流石に堪えるか?…すまんな、お前の出自に関してはお前が色々と落ち着いてから話そうと紫様と決めていたんだが…」

「…ん、まぁー大体自分がそうじゃないかなって思ってたりはしてたけどね?両親の事とか全然記憶にないし」

 今はここにいない紫の分も含んでいるであろう藍からの謝罪に、霊夢はどういう感情を表せばいいか分からない。

 

 確かに彼女の言うとおり、今現在も続いている未曾有の異変解決の最中にカミングアウトするべき事じゃなかったのは明白である。

 恐らく異変を解決した後で、更に自分が年齢的にも精神的にも大きくなった時に話すつもりでいたのだろう。霊夢はそう思っていた。

 最も霊夢自身は両親がいないという事実を何となく察していたし、一人でいて特に不自由する事もなかったが。

 しかしここでふと新たな疑問がまた一つ浮かぶ。霊夢はそれをなんとなく藍に聞いてみることにした。

「んぅ~…でも私、その先代の巫女とやらと一緒にいた記憶がスッポリ抜け落ちたかの如く無いのよねぇ~」

「……………まぁ大抵の世話は紫様がして、巫女はそういうのを面倒くさがって全部あのお方に任せていたからな」

 しかしこの時、霊夢の質問を――ー先代の巫女と一緒にいたという記憶が無い―と聞いて一瞬だけ表情が変わるのを見逃さなかった。

 それを見逃さなかった霊夢であったが、その内心を読み取ることは出来ずひとまず彼女に話を合わせることにした。

 

「…?……んぅ、まぁ例え私が紫にそういうのを押し付けられたとしても確かにそうするかもね」

「まぁオムツはやら離乳食は卒業したばかりであったし、大して世話は掛からなかった…とも言っておこうか」

「そういうのを、普通にカミングアウトするのやめてくれないかしら?」

 藍からしてみればほんの少し前の幼い昔の霊夢と、成長して色々酷くなった今の霊夢を見比べながら彼女は言う。

 そんな式に苦々しい表情を向けつつも、霊夢は昨日から悩んでいた事が幾つか取り除かれた事に対してホッと安堵したかった。

 

 どういう理由かまでは知らないが、どうやら自分は昔見たであろう血なまぐさい光景とやらを夢で見たのだという。

 そしてあの巫女モドキはこの世界の出身者ではなく、同じ幻想郷の同胞――それも自分の先代である博麗の巫女であるかもしれない事。

 何故今になって、こんな厄介かつ長期的な異変に巻き込まれている中でこのような事態が起こったのかは分からない。

 

 解決すれはする度に新しい疑問が湧きあがり、霊夢の頭の中に悩みの種として埋められてしまう。

 そして性質が悪い事にそれはすぐに解決できるような話ではなく、それでも異変解決を生業とする身が故に自然と考えてしまう自分がいる。

(全く…チルノや他の妖精たちみたいな能天気さでもあれば、そういう事に対して一々気にもせずに済んだのかもしれないわね)

 知性が妖精並みに低くなるのは勘弁だけど。…そんな事を思っていた霊夢は、ふと頭の中に一つの疑問を藍へとぶつける。

 それは、かつて自分の前に巫女もどき―――ひいてはその先代の巫女かもしれない人物についての事であった。

 

「じゃあ聞きたいんだけど、私とルイズ達が私とそっくりな巫女さんに会ったって言ったでしょう」

「あぁ、そういえばそんな事も言っていたな。確か夢の中に出てきた先代巫女と瓜二つだったのだろう?」

「だから聞きたいのよ。どうしてこんな異世界に、先代の巫女とよく似たヤツがいるのかについて」

「…………」

 

 意外な事にその質問を耳にして、藍は先程同様すぐに答える事ができなかったのだ。

 まるでとりあえずボタンは押したは良いものの、答えがどれなのか思い出そうとしている四択クイズのチャレンジャーの様である。

 それに気づいた霊夢が怪訝な顔を浮かべて彼女の顔を覗き込もうかと思った、その直後であった。

「―――悪いが…それに関しては私の知る範囲ではないし、紫様も同様に答えるだろうな」

「つまり、あの巫女もどきの存在は完全にイレギュラー…って事でいいのよね?」

 大分遅れて答えを口にした彼女に怪訝な視線を向けつつも、霊夢は念には念を入れるかのように再度質問する。

 藍はそれに対し「そうだ」と頷くと、もう話は終わりだぞと言うかのようにベンチからゆっくりと腰を上げた。

 彼女が立ち上がると同時に霊夢も視線を上げると、金髪越しの陽光に思わず目を細めてしまう。

 

「私が確認しない事には分からないが、生憎未だ見つかってない。最も、何処にいるか皆目見当つかんがな」

「そう…じゃあ私とルイズ達はいつもどおり異変解決に専念するから。アンタは巫女モドキを捜す…それでいいわよね?」

「それでいい。何か目ぼしい情報があれば教える、それではまた今夜にでも…」

 互いにするべき事と任せるべきことを口に出した後、藍は霊夢が歩いてきた道を歩き始める。

 市場へ向かう人の流れに逆らうように足を進める九尾の背中を、霊夢は無言で見つめていた。

 やがて通りの横に造られている路地裏にでも入ったのか、人ごみとと共に彼女の姿は掻き消されたかのように見えなくなった。

 霊夢はそれでも視線を向け続けた後、一息ついてから立ち上がり横に立てかけていたデルフを手に取る。

 太陽に熱されて程よく暖まった鞘に触れた途端、それまで黙っていた彼は鞘から刀身を出して霊夢に話しかけた。

 

『余計なお節介かもしれんが、お前さんあの狐の話を端から端まで信じる気か?』

 いつものおちゃらけた雰囲気とは打って変わって、ややドスの利いたその声に霊夢は無言で目を細める。

 ほんの数秒目と思しき物が分からないデルフと睨み合った後、彼女は溜め息をつきつつ「まさか」と返した。

「アイツといい紫といい、何か私に隠してるってのは分かってるつもりだけど…一番問題なのはあの巫女もどきよ」

『あの狐がお前の前の代の巫女と姿が一致してるって言ってたあの長身の巫女さんの事か』

 デルフもタルブで助太刀してくれた彼女の後姿を思い出しつつ、藍が言う前に霊夢より一つ前の巫女と似ているのだという。

 しかしここはハルケギニアであって幻想郷ではない。ならばどうしてこの世界にいるのか、その理由が分からない。

 

 文字通り情報が圧倒的に不足しているのだ。

 まだ親の顔すら分からぬ赤ん坊に、魔方陣を一から書いてみろと言っている様なものである。

 恐らく藍や紫たちも同じなのであろうし、この謎を解くにはもう少し時間が必要なのかもしれない。

 そしてデルフにとってもう一つ気になる疑問があり、それは今すぐにでも霊夢に問う事ができた。

 さてこれから何処へ行こうかと思っていた彼女へ、デルフは何の気なしに『なぁレイム』と彼女に話しかけたのである。

 

『アイツらは随分と一つ前の巫女を覚えてたようだが、お前さんの先輩だっていうのに肝心の本人は全く覚えてないってのか?』

「ん…?そりゃ、まぁ…そんな事言われても本当に物覚えがないのよねー。…まぁ私がこうして巫女やってるから何かがあったんだとは思うけど」

『何かって?』

 霊夢の意味深な言葉にデルフが内心首を傾げて見せると、彼女はお喋り剣に軽く説明した。

 博麗の巫女は継承性であり、基本は霊力の強い女の子を紫か巫女本人が跡取りとなる少女を探す…のだという。

 当代の巫女は跡取りの少女に霊力の操り方や妖怪との戦い方、炊事選択などの一人で暮らせる為の知恵を授けなければいけない。

 そして当代が何らかの原因で命を落とした場合は、一定の期間を置いて跡取りの少女が次代の巫女となるのだという。

「私の代で妖怪との戦いは安全になったけど…昔は一、二年で死んでしまう巫女もいたらしいわ」

『ほぉ~…そりゃまた、随分とおっかないんだなぁ?お前さんの暢気加減を見てるとそうは思えんがね』

 一通り説明した後、暢気に聞いていたデルフが感心しつつも漏らした辛辣な言葉に彼女はすかさず「うっさい」と返す。

 まぁ確かに彼の言うとおり、スペルカードや弾幕ごっこのおかげで幻想郷全体がひとまず平和になり、自分もその分暢気になれる余裕ができたのだろう。

 時折そうしたルールを理解できないくらい頭が悪い妖怪が襲ってくる事はあるが、これまで余裕で返り討ちにしている。

 幻想郷で起きた異変で対峙してきた連中は幸いにも弾幕ごっこで挑んできてくれたし、それなりにスリリングな勝負を味わってきた。

(まぁ弾幕って綺麗だし避けるのも中々面白いけど…ハルケギニアの戦い方と比べれば何て言うか…命の張り合いが違うというか…)

 

 だがその反面、この世界での戦い方と比べれば幻想郷側である霊夢も多少相性の悪さを覚えていた。

 弾幕ごっこは基本被弾しても多少の怪我で済むし、当てる方が加減をすれば無傷で相手との雌雄を決する事ができる。

 だがその反面、最低怪我だけで済む命の保証された戦いはハルケギニアの血生臭い命のやり取りとは『真剣さ』に決定的な差がある。

 例えれば、鍛え抜かれた剣と槍を持った鎧武者相手に水鉄砲と文々。新聞を丸めたモノで勝負を挑むようなものなのだ。

 相手がキメラなら霊夢も容赦なしで戦えるが、ワルドの様な人間が相手ではそう簡単に命を奪うような真似は出来ない。

 もしもあの時、自分ではなく魔理沙がワルドの相手をする羽目になっていたら――――…そこで霊夢は考えるのをやめる。

 慌てて頭を横に振って考えていた事を振り払うと、そこへ間髪入れずにデルフが話しかけてきた。

 

『…それにしてもお前さん、結局一昨日の事はあの二人に話さなくて良かったのかい?』

 最初は何を言っているのかイマイチ分からなかったが゙一昨日゙という単語でその日の出来事を振り返り、そして思い出す。

 そう、一昨日の夜…自分たちのお金を盗んだ少年をいざ気絶させようとしたときに、何故か巫女もどきが突っ込んできたのである。

 

 おかげで気を失うわ、あの少年にはまんまと金を持ち逃げられるわで散々な目に遭った。

 さっきまでデルフ言った『暢気発言』のせいで変に考えすぎてしまっていたせいで、ほんの一瞬だけ忘れてしまっていたらしい。

 その時魔理沙の元にあったデルフが知っているのは、昨日他の二人が寝静まった後に顛末を聞かせてくれと頼んできたからだ。

 霊夢本人としてはあまり自分の失敗は話したくなかったものの、あんまりにもせがむので仕方なく教えたのである。

 その事を思い出せた霊夢はあぁ!と声を上げてポンと手を叩き、ついでデルフに喋りかける。

「まぁ説明しようかなぁ…ってのは思ってたけど、下手に一昨日ここで出会ったって言うのは何か不味い気がしてね」

『それは案外正解かもな?あの狐、あまり騒ぐのは良しとしてないようだがそれもあくまで『大多数の人が見ている前』だけかもしれん』

「……それってつまり、藍のヤツがあの巫女もどきを見つけ次第どうにかしちゃうって言いたいの?」

 霊夢の言い訳にデルフはいつもの気怠そうな声とは反対に、きな臭さが漂う事を言ってくる。

 やけに過激な発言なのは間違いないし、そこは霊夢も言いすぎなんじゃないかと諭すのが普通かもしれない。

 しかし、彼女もまたデルフの言葉を一概に否定できるような気分ではなかった。

 

 昨日、あの巫女もどきと似ているという先代の巫女が出てきた夢の話だけで掴みかかってきた藍の様子。

 物心つくまえの自分が見たという光景を夢で見ただけだというのに、あの反応は誰がどうも見てもおかしかった。

 とてもじゃないが、自分が昔の巫女を夢で見たというだけであんなに驚くのははっきり言って異常としか言いようがない。

 それを聞いて酷く動揺し、豹変した藍を無理やり連れて部屋を後にした紫も加えれば…何かを隠しているのは明らかであった。

 そして、その先代の巫女と姿が似ていると藍が言っていた巫女もどき。

 彼女が街にいるのなら藍よりも先に見つけ出して、色々彼女の出自について聞いてみる必要があるようだ。

 

 やるべき事を頭の中で組み立てた彼女はデルフを背負い、市場の方へと歩きながら彼にこれからの事を話していく。

「ひとまず金を盗んだ子供を捜しつつ、あの巫女もどきもできるだけ早く見つけ出して話を聞いてみないと」

『だな。お前さんのやるべき事が一つ増えちまったが…まぁオレっちが心配する必要はなさそうだね』

「まぁね。ついでにやる事が一つできただけなら、片手間程度ですぐに済ませられるわ」

 暗にルイズや魔理沙たちに相談する必要は無いという霊夢の意見に、デルフは一瞬それはどうかと言いそうになる。

 確かに彼女ぐらいならば、今抱えている自分の問題を自分の力の範囲内で片付ける事が出来るかもしれない。

 しかし知り合いに相談の一つぐらいしても別にバチは当たらんのではないかと思っていたが、彼女にそれを言っても無駄になるだろう。

 

 変に固いところのある霊夢とある程度付き合って、ようやく分かってきたデルフは敢えて何も言わないでおくことにした。

 ここで自分の意見を押し連れて喧嘩になるのもアレだし、何より今の彼女は自分を操る『使い手』にして『ガンダールヴ』なのである。

 彼女がよほどの間違いを起こさなければ咎めるつもりは無いし、間違っていれば咎めつつもアドバイスしてやるのが自分の務めだ。

 だからデルフはとやかく霊夢に意見するのはやめて、ちょっとは彼女の進みたい方向へ歩かせてみることにしたのである。

(全く、今更何だが…つくづく風変わりなヤツが『ガンダールヴ』になったもんだぜ)

 デルフは彼女に背に揺られながら一人内心で呟くと、霊夢より一つ前――自分を握ってくれたもう一人の『ガンダールヴ』を思い出そうとする。

 昨日、ふと自分の記憶に変調が生じて以降何度も思い出そうとしてみたが、全然思い出す事が出来ない。

 まるでそこから先の記憶がしっかりと封をされているかのように、全くと言って良い程浮かんでこないのである。

 

 少なくとも昨日の時点で分かったのは、かつて自分を握った『ガンダールヴ』も女性であった事、

 そして彼女と主である始祖ブリミルの他に、もう二人のお供がいた事だけ…それしか分かっていないのだ。

 しかも肝心の始祖ブリミルと『ガンダールヴ』の顔すら忘れてしまっているという事が致命的であった。

(それにしてもまいったねぇ。相談しようにも内容が内容だから無理だし、他人の事をとやかく言ってられんってことか)

 自分と同じように一つ前の巫女の顔を知らない霊夢と同じような『誰にも言えぬ事』を抱えている事に、彼は内心自嘲する。

 互いに多くの秘密を抱えた一人と一本はやがて人ごみが増していく通りの中に紛れ込みながら、ひとまずはブルドンネ街へと足を進めた。

 

 

 

 

 それから時間が幾ばくか過ぎて、午前九時辺りを少し過ぎた頃。

 『魅惑の妖精』亭の二階廊下、屋根裏部屋へと続く階段の前でルイズはシエスタと何やら会話をしていた。

 しかしシエスタの表情の雲行きがよろしくない事から、あまり良い話ではなさそうに見えるが…何てことは無い。

「…と、いうわけであの二人は外に出かけてるのよ」

「そうなんですか、お二人とも用事で外に…」

 今日と明日の貴重な二連休をスカロンから貰った彼女が、ルイズ達三人を連れて外出に誘おうと考えていたらしい。

 しかし知ってのとおり霊夢達はそれぞれの用事で既に外へ出ており、早くとも帰ってくるの昼食時くらいだろう。

 暇をしていたルイズが空いた水差しを手に階段を降りたてきたころでバッタリ出会い、そう説明したばかりであった。

 

「まぁマリサはともかく、レイムは泥棒捜しで忙しいだろうし断られたかもしれないけどね?」

「あっ…そうですよね、すいません。…レイムさん達に王都の面白い所を色々見せてあげようと思ってたんですが、残念です…」

 ルイズの言葉で彼女達の今の状況を思い出したシエスタハッとした表情を浮かべ、ついで頭を下げて謝った。

 

 どうやら彼女の中では色々と案内したい所を考えていたらしいようで、かなりガッカリしている。

 落ち込んでいる彼女を見てルイズも少しばかり罪悪感という者を感じてしまったのか、ややバツの悪そうな表情を浮かべてしまう。

 普通なら魔法学院のメイドといえども、貴族である彼女がこんな罪悪感を抱える理由は無い。

 しかしシエスタとは既に赤の他人以上の関係は持っていたし、何より彼女にとって自分たちは二度も我が身の危機を救ってくれた存在なのだ。

 そんな彼女が自分たちにもっと恩返しをしたいという思いを感じ取ったルイズは、さりげなくフォローを入れてあげることにした。

「ん~…まぁ幸い明日も休みなんでしょう?アイツら遅くても夕食時には帰ってくるだろうし、その時に誘ってみたらどうかしら」

「え、良いんですか!でもレイムさんは…」

 途端、落ち込んでいた表情がパッと明るくなったのを確認しつつ、

 気恥ずかしさで顔を横へ向けたルイズは彼女へ向けて言葉を続けていく。

 

「アイツだって、一日休むくらいなら文句は言わないでしょうに。…案外泥棒も見つかるかもしれないしね…多分」

「ミス・ヴァリエール…分かりました。じゃあ夕食が終わる頃合いを見て話しかけてみますね!」

「そうして頂戴。まぁアンタが空いた食器を持って一階へ降りる頃には、安いワイン一本空けて楽しんでるだろうけどね」

 ひとまず約束をした後、ルイズは何気なくシエスタの今の食事環境と昨夜の苦い体験を思い出してしまう。。

 この夏季休暇の間、住み込みで働いている彼女の食事は三食とも店の賄い料理なのだという。

 賄いなので量は少ないのかもしれないが、少なくとも自分たちの様に余分な酒代が出る事は絶対に無いだろう。

 昨日は魔理沙の勢いに押し負けて安いワインを一本を頼んだつもりが、気づけばもう一本空き瓶がテーブルの上に転がっていたのである。

 安物ではあるが安心の国産ワインだった為にそれ程酷く酔うことは無かったものの、その時は思わず顔が青ざめてしまった。

 

 幸い王都では最もポピュラーな大量生産の廉価ワインだったので、大した出費にはならず財布的には軽傷で済んで良かったものの、

 あの二人がいるとついつい勢いで二杯も三杯も飲んでしまう自分がいる事に、ルイズは思わず自分を殴りたくなってしまう。

 ただでさえ金が盗まれた中で簡単にワイン瓶を二本も空けていては、一週間も経たずに財布が底をついてしまうのだ。

(本当ならこういう時こそ私がキチッと節制するべきだっていうのに…あいつらに流されてちゃ意味ないじゃないの)

「…?あ、あの…ミス・ヴァリエール?」

 霊夢が泥棒を見つけて、アンリエッタから貰った資金を取り返すまでは何としてでも少ない持ち金だけで耐えなければいけない。

 ある意味自分の欲との戦いに改めて決意したルイズが気になったのか、シエスタが首を傾げている。

 シエスタ…というか他人の目かから見てみると、ルイズの無言の決意はある意味シュールな光景であった。

 

 その後、今日は霊夢達を外出に誘えなかったシエスタはひとまず私物等を買いに店を後にし、

 手持ち無沙汰なルイズは誰もいない一階で、旅行鞄の中に入れていた読みかけの本の続きを楽しむことにした。

 本自体は春の使い魔召喚儀式の前に買った魔法に関する学術書であり、霊夢が来てからは色々と忙しく集中できる機会がなかったのである。

 故にこうして屋根の修理で騒がしくなってきた屋根裏部屋ではなく、静かな一階で久々に読書を嗜もうと考えたのだ。

 藍の式である橙も用事なのか店にはおらず、ジェシカ達住み込みの数名は今夜の仕事に備えて就寝中。

 スカロンは起きているが、昨日の雨漏りを治す為に呼んで来てくれた大工数人と共に屋根の上に登って修繕作業の真っ最中である。

 丁度霊夢と魔理沙が外へ出た後ぐらいにやってきた大工たちに腰をくねらせてお願いし、難なぐ難のある゙助っ人として急遽加わる事になったのだ。

 本当なら手伝わなくても良い立場だというのに、わざわざ工具箱を持って意気揚々と梯子を上っていった彼はこんな事を言っていた。

 

「長年お世話になって来たんですもの、このミ・マドモワゼルが誠心誠意を込めて直してあげなきゃ店の名が廃るってものよ!」

 

 寝る前に様子を見に来たジェシカやシエスタに向けられた彼の言葉は、確かな重みがあった。

 最も、その大切な言葉も彼のオカマ口調の前では呆気なく台無しになってしまうのだが。

 ともあれ今の屋根裏部屋はその作業の音で喧しく、とてもじゃないが読書はおろか仮眠すら取れない状態なのである。

 故にルイズはこうして一階に降りて、作業が終わるまで暇を潰そうと決めたのだ。

 幸いにも店内は外と比べてそれ程暑くはなく、入口と裏口の窓を幾つか開ければ風通りも大分良くなる。

 水もキッチンにある水入りの樽から拝借するのをスカロンが許してくれたが、無論飲みすぎないようにと注意された。

 しかし外にいるならばともかく屋内ならそれほど汗もかかない為、ルイズからしてみれば余計な注意である。

 

 五分、十分と時間が経つたびに捲ったページの枚数を増やしつつ彼女は熟読を続ける。

 例えまともな魔法が使えなくとも知識というものは、自分に対してプラスの役割を付加してくれるものだ。

 逆に魔法の才能があるからといって学ぶことを怠ってしまうと、魔法しか取り得の無い頭の悪い底辺貴族になってしまう。

 かつて魔法学院へ入学する前に一番上の姉であるエレオノールが、口をすっぱくしてアドバイスしてくれたものである。

 普段から母の次に恐ろしく厳しい人であったが、ツンとすました顔で教えてくれた事は今でも記憶の中に深く刻み込まれていた。

 だからこそ入学した後も教科書だけでは飽きたらず自ら書店に赴き、底辺貴族なら見向きもしない様な専門書を買うまでになっている。

 

 霊夢を召喚する前の休日にする事と言えば専門書を開き、夕食の後はひたすら魔法の練習をしていた。

 今のルイズから見れば成功する筈の無い無駄な努力であったが、それでもあの頃はひたすら必死だったのである。

 その時の苦い思い出と努力の空振りが脳裏を過った彼女はページを繰る手を止めて、その顔に苦笑いを浮かべて見せる。

「思えばあの時の私から、大分成長した…というか変わっちゃったものねぇ」

 誰にも見られる筈の無い表情を誤魔化すように呟いた彼女は、ふと今の自分は読書に耽って良いのかと考えてしまう。

 今は親愛なるアンリエッタ王女――近々女王陛下となる彼女――の為に、情報収集を行わなければいけない時なのである。

 本当ならば霊夢達に任せず、自分が先頭に立って任務を遂行しなければいけないというのに…。

 

 折角貰った資金は賭博で増やした挙句に盗られ、更に平民に混じっての情報収集すら上手くいかないという始末。

 結局情報収集は霊夢の推薦で魔理沙に任してしまい、自分のミスで資金泥棒を逃がしてしまった霊夢本人が責任を感じて犯人探しに出かけている。

 それだというのに自分は何もせず、悠々自適に広くて風通しの良い屋内で読書するというのは如何なものだろうか。

 その疑問を皮切りに暫し悩んだルイズは読みかけのページに自作の栞を挟み込むと、パタンと本を閉じた。

 決意に満ちた表情と、鳶色の目を鋭く光らせた彼女は自分に言い聞かせるように一人呟く。

「やっばりこういう時は私も動かないとダメよね?うん、そうに決まってるわ…そうでなきゃ貴族の名が泣くというものよ」

 閉じた本を腕に抱えた彼女は一人呟きながら席を立ち、着替えや荷物のある喧しい屋根裏部屋へと戻り始める。

 まだ釘を打つ音や金づちによる騒音が絶え間なく聞こえてくるが、着替えに行くだけならば問題は無いだろう。

 

 今手持ち無沙汰な自分が何をすればいいのか…という事について既に彼女は幾つか考えていた。

 とはいってもそのどちらか一つを選ぶことがまだできてはおらず、一人呟きながらそれを決めようとしている。

「まずは…情報収集かしら?…それとも頑張って資金泥棒を捜すとか…うーんでも、うまくいくのかしら」

 傍から見れば変な人間に見えてしまうのも気にせず、一人悩みながら二階へと続く階段を上ろうとした…その時であった。

 

「おーい、誰かいないかぁ?」

 階段のすぐ横にある羽根扉の開く音と共に、若い男性の声が聞こえてきたのである。

 何かと思ったルイズが足を止めてそちらの方へ顔を向けると、槍を手にした一人の衛士が店の出入り口に立っていた。

 気軽な感じで閉店中である店の羽根扉を開けてこっちに声を掛けて来たという事は、この近くの詰所で勤務している隊員なのだろう。

 外は暑いのか額からだらだらと汗を流している彼は、ルイズを見つけるや否や「おぉ、いたかいたか」と笑った。

 ルイズはこの店に衛士が何の様かと訝しむと、それを察したかのように二十代後半と思しき彼がルイズに話しかけてくる。

「いやーすまないお嬢ちゃん、少し人探しに協力してもらいたいんだが…いいかな?」

「お…お嬢ちゃんですって?」

「―――!…え、え…何?」

 いきなり平民に「お嬢ちゃん」と呼ばれたルイズは目を見開いて驚いてしまい、ついで話しかけた衛士も驚いてしまう。

 生まれてこの方、平民からそんな風に呼ばれたことの無かったルイズの耳には新鮮な響きであった。

 だが決してそれが耳に心地いい筈が無く、むしろ生粋の貴族である彼女にとっては侮辱以外の何者でも無い。

 本来ならば例え衛士であっても、不敬と叫んで言いなおしを要求するようなものであったが…

 

「う……うぅ……な、何でもないわよ」

 ついつい激昂しそうになった自分の今の立場を思い出すことによって、何とか怒らずに済んだのである。

 今の自分は任務の為にマントはつけず、街で買ったちょっと裕福な平民の少女が着るような服装で平民に扮しているのだ。

 だからここで無礼だの不敬だのなんて叫んで、自分が貴族であるという事を証明する事などあってはならないのである。

 故にこうして怒りを耐え凌いだルイズは怒りの表情を露わにしたまま、何とか激昂を抑える事が出来た。

 危うく怒ったルイズを見ずに済んだ衛士は「あ…あぁそうかい」と未だ怯みながらも、懐から細く丸めた紙を取り出した。

 一瞬だけそっぽを向いていたルイズが視線を戻すと同時に、タイミングよく彼も紙を彼女の前で広げて見せる。

 

 その紙に描かれていたのは、見た事も無い男性の顔のスケッチであった。

 年齢はおおよそ四~五十代といったところか、いかにも人の上に立っているかのような顔つきをしている。

 自分の父親とはまた違うが、もしも子供がいるのならいつもは厳格だが時には優しく我が子に接する父親なのだろう。

 そんな想像していたルイズが暫しそのスケッチを凝視した後、それを見せてくれた衛士に「これは?」と尋ねた。

 

「ウチの詰所じゃあないが別の詰所担当の衛士隊隊長で、昨日から行方不明なんだ。

 それでもって…まぁ、今も所在が分からないうえに自宅の共同住宅にもいないからこうして探しているんだよ」

 

「衛士隊の隊長が行方不明ですって?」

「あぁ。…それでお嬢ちゃん、この顔を何処かで見た覚えはないかい?」

 丁寧にそう教えてくれた衛士はルイズの言葉に頷くと、改まって彼女に見覚えがあるかと聞いた。

 またもやお嬢ちゃん呼ばわりされたことに腹を立てそうになったものの、何とか堪えてみせる。

「み…!みみみみみ、見てないわよ、そんなへ―…男の人は」

 思いっきり衛士を睨み付けつつも、彼女は歯ぎしりしそにうなる口を何とか動かしてそう答えた。

 危うく平民と言いかけたが幸い相手はそれに気づかず、むしろ怒ってどもりながらも言葉を返してきたルイズに驚いているようだ。

 まぁ誰だってルイズのやや過剰気味な返事を前にすれば、思わず面喰ってしまうのは間違いないだろう。

 

「そ、そうかい…はは。まぁ、もしも見かけたんなら最寄りの詰所にでも通報してくれ」

 自分を睨み付ける彼女を見て後ずさりながらも、衛士は最後にそう彼女に言ってから踵を返し店を出ようとする。

 たった一分過ぎの会話であったというのに疲労感を感じていたルイズが落ち着きを取り戻すのと同時に一つの疑問が脳裏を過り、

 それが気になった彼女は自分に背中を見せて通りへ向かうおうとする衛士に再度声を掛けた。

「そこの衛士、ちょっと待ちなさい」

「え?な、何だよ?」

「ちょっと聞きたいんだけど、その行方不明になった隊長さんと言い…何か朝から事件でも起きてるのかしら?」

「え……な、何でそんな事聞きたいんだよ?」

 呼び止められた衛士は、単なる街娘だと思っているルイズからそんな事を言われてどう答えていいか迷ってしまう。

 振り返って顔を見てみると、先程まで腹立たしそうにしていたのが嘘の様に冷静な表情を浮かべているのにも気が付いた。

 

 これまで色んな街娘を見てきた彼にとって、ここまで理性的で意志の強さが見える顔つきの者を目にしたことが無かった。

 だからだろうか、彼女からの質問を適当にいなしてここを後にするのは何だか気が引けてしまう。

 今ここで忙しいからと無下にしてしまえば、それこそ彼女からの『御怒り』を直に受けてしまうのではないかと…。

 ほんの少しどう答えていいか言葉を選んでいたのか、難しい表情を浮かべていた彼は周囲を見てから彼女の質問にそっと答えた。

 

 今朝がたに浮浪者からの通報で、衛士隊の装備を身に着けた白骨死体が水路から発見されたこと。

 死体には外傷と思しき瑕は確認できず、また第一発見した浮浪者も発見の前日や数日前には目撃したことがなかったのだという。

 そして昨晩、先ほどのポスターに書かれていた顔の主である衛士隊隊長が行方不明の為、白骨の事もあって全力で探しているらしい。

 短くかつ分かりやすい説明で分かったルイズはルイズは「成程」と頷き、説明してくれた衛士に礼を述べる。

 今朝の朝食時に見た何処かへと走っていく衛士達が何だったのか、今になってようやく知る事ができたのだから。

「ありがとう、大体分かったわ。…じゃあ今朝見た衛士達の行先はそこだったのね」

「あぁ、何せ通報受けたのはウチの詰所だったしな、もう朝っぱらからテンテコ舞いさ。じゃあ、そろそろ…仕事の途中でな」

 

 本当にさっきまでの腹立たしい彼女はどこへ行ったのかと言わんばかりに、落ち着き払ったルイズに目を丸くしつつも、

 こんな所で油を売っていてはいかんと感じたのか再び踵を返し、今度はちゃんと羽根扉を閉めて大通りへと出る事ができた。

 思わずルイズも後を追い、羽根扉越しに見てみると今度は外――しかもこの店の屋根の上にいるスカロンへと声を掛けるところであった。

「おぉーい、スカロン店長ぉー!ちょっと聞きたい事があるんだが、降りてきて貰えないかぁー?」

「はぁ~いィ!…御免なさいね皆さん、ミ・マドモワゼルはちょっと下へ降りるわよ~!」

 その声が届いたのか、数秒ほど置いて頭上からあの低い地声を無理やり高くしたような声のオネェ言葉が聞こえてくる。

 

 そこで視線を店内へと戻したルイズは壁に背を預けてはぁ…とひとつため息をついた。

 危うく貴族としての『地』が出てしまいそうになった事を反省しつつ、結局これからどうしようかという悩みをまたも抱えてしまう。

 平民を装って話すだけでも自分にはキツイと言うのに、一人で街へと繰り出して情報収集などできるのかと。

 さっきの衛士はまだ良い方なのだが、街へ行けば確実に彼より柄の悪い平民にいくらでも絡まれてしまうだろう。

 そんな相手を前にして、自分は平民として装い続けられるのか?迷わず『はい』と答えたいルイズであったが、そうもいかないのが現実である。

「………結局、レイムの言った通り私はこの仕事に向いてないんだろうけど。…だからといっではいそうですが…なんてのは癪だわ」

 結局のところ、あの二人に任せっきりにするというのは、自分の性に合わない。

 先程はあの衛士のせいで上りそびれた階段目指して、今度こそ外へ出ようとルイズは壁から背を離す。

 

 その時であった、入口の方から階段の方へ向こうとした彼女の視線に『何か』が一瞬映り込んだのは。

 タイミングがずれていたなら間違いなく見逃していたかもしれない、黒くて小さい『何か』を。

 それはゴキブリともネズミとも言えない、例えればそう…縦に細く伸びた人型――とでも言えばいいのだろうか。

 一瞬だけだというのに本来ならお目に掛からないであろうその人型を目にして、思わずルイズは視線を向け直してしまう。

 しかし彼女が慌てて入口の方へ視線を戻した時、既にあの細長い影の姿はどこにも無かった。

「ん?………え?何よ今のは」

 ルイズは周囲の足元を見回してみるが、どこにもそれらしい影は見当たらない。

 それどころかネズミやゴキブリも見当たらず、開店前の『魅惑の妖精』亭の一階は清掃がキチンと行き届いている。

(私の見間違い?…いえ、確かに私の目には見えていたはず)

 またや階段を上り損ねたのを忘れているかのように、彼女は先程自分の目にしたものがなんだったのか気になってしまう。

 だけども、どこを見回してもその影の正体は分からず結局ルイズは探すのを諦める事にした。

 認めたくはないが単なる見間違いなのかもしれないし、それに優先してやるべきことがある。

 ルイズは後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも、二階へと続く階段を渋々と上り始めた。

 外の喧騒よりも大きいスカロンと衛士のやり取りをBGMにして、ひとまずは何処へ行こうかと考えながら。

 

 ……しかし、彼女は決して目の錯覚を起こしてはいなかったのである。

 彼女が背中を向けている店の出入り口、羽根扉下からそれをじっと見つめる小さな影がいた。

 それは全長十五サント程度であろうか、小動物程度の小さな体躯を持つ魔法人形――アルヴィーであった。

 人の形をしているが全身木製であり、球体関節を持っているためか人間に近い動きもこなす事が出来る。

 何より異様なのは頭部。本来なら顔がある部分には空洞が作られ、そこに小さなガラス玉の様なものが収まっている。

 青白く不気味に輝くガラス玉はまるで目玉の様にギョロリと動き、ルイズの後ろを姿をじっと見つめていた。

 

 やがてルイズの姿が見えなくなると、アルヴィーは頭の部分を上げて周囲を見回してから、スッと店の出入り口から離れる。

 横では衛士とスカロンが会話をしているのをよそに、小さな体躯にはあまりにも大きすぎる通りを横断し始めた。

 人通りが多くなってきた為か、アルヴィー視点では巨人と見まがうばかりに大きい通行人達の足を右へ左へ避けていく。

 少々時間が掛かったものの二、三分要してようやく反対側の道へ辿りついた人形は、そのままそさくさと路地裏へと入る。

 日のあたらぬ狭い路。ど真ん中に放置された木箱や樽を器用に上り、陰で涼んでいる野良猫たちを無視して人形は進む。

 やがて路地裏を抜けた先…人気の全くない小さな広場へと出てきた所で、元気に動いていたアルヴィーがその活動を急に停止させる。

 まるで糸を切られた操り人形のように力なく地面に倒れた人形はしかし、無事主の元へとたどり着くことは出来た。

 

 人形が倒れて数十秒ほどが経過した後、コツコツコツ…と足音を響かせて一人の女性が姿を見せる。

 長い黒髪と病的な白い肌には似合わぬ落ち着いた服装をした彼女は、地面に倒れていたアルヴィーを拾い上げた。

 前と後ろ、そして手足の関節を一通り弄った後、クスリと微笑むと人形を肩から下げていた鞄の中へとしまいこむ。

 そして人形が通ってきた路地裏を超えた先――『魅惑の妖精』亭の方へと顔を向けて、彼女は一人呟く。

 

「長期戦を覚悟していたけど、まさかこうも簡単に見つかるなんて…全く、アルヴィー様様ね。

 人形ならば数をいくらでも揃えられるし、何より私にはその人形たちを自在に操れる『神の頭脳』があるんだからね」

 

 そんな事を言いながら、黒い髪をかきあげた先に見えた額には使い魔のルーンが刻み込まれている。

 かつて始祖ブリミルが使役したとされる四の使い魔の内『神の頭脳』と呼ばれた使い魔、ミョズニトニルンのルーン。

 ありとあらゆるマジック・アイテムを作り出し、そして意のままに操る事すらできる文字通り『頭脳』に相応しき能力を持っている。

 そしてこの時代、そのルーンを持っているのは彼女―――シェフィールドただ一人だけであった。



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第九十一話

 世間では夏季休暇の真っ最中であるトリスタニアはブルドンネ街にある巨大市場。

 ハルケギニア各国の都市部にある様な市場と比べて最も人口密度が高いと言われる其処には様々な品物が売られている。

 食料や日用雑貨品は勿論の事、メイジがポーションやマジック・アイテムの作成などに使う素材や鉱石、

 そこに混じって平民の子供向けの玩具や絵本、更には怪しげな密造酒が売らていたりとかなりカオスな場所だ。

 中には専門家が見れば明らかに安物と分かるような宝石を、高値で売っている露店もある。

 様々な露店が左右に建ち並び、その真ん中を押し進むようにして多くの人たちが行き来していた。

 

 市場にいる人間の内大半が平民ではあるが、中には貴族もおり、その中に混ざるようにして観光に来た貴族たちもいる。

 彼らは母国とはまた違うトリスタニアの市場の盛況さに度肝を抜かれ、そして楽しんでいた。

 見ているだけでも楽しい露店の商品を眺めたり、中には勇気と金貨を持って怪しげな品を買おうとする者たちもいる。

 買った物が使えるか役に立つのならば掘り出し物を見つけたと喜び、逆ならば買った後で激しく後悔する。 

 

 そんな小さな悲喜劇が時折起こっているような場所を、ルイズは汗水垂らして歩いていた。

 肩から鞄を下げて、右手には先ほど屋台で買った瓶入りのオレンジジュース、そして左手には街の地図を持って。

 

 思っていた以上に、街の中は熱かった。暑いのではなく、熱い。

 まるですぐ近くで炎が勢いよく燃え上がっているかのように、服越しの皮膚をジリジリと焼いていく。

 左右と上から火で炙られる状況の中で、ガチョウもこんな風に焼かれて丸焼きになるのだと想像しながら歩いていた。

「…迂闊だったわ。こんな事になるんなら、ちょっと遠回りするべきだったかしら?」

 前へ前へと進むたびに道を阻むかのように表れる通行人の間をすり抜けながら、ルイズは一人呟く。

 霊夢や魔理沙たちに負けじと勢いよく『魅惑の妖精』亭を出てきたのは良いものの、ルートが最悪であった。

 チクトンネ街は日中人通りが少ないので良かったものの、ブルドンネ街はこの通り酷い状況である。

 観光客やら何やらで市場は完全に人ごみで埋まっており、それでも尚機能不全に陥っていないのが不思議なくらいだ。

 

 普段からここを通っていたルイズは大丈夫だろうとタカを括っていたが、そこが迂闊であった。

 一旦人ごみの中に入ったら最後、後に戻る事ができぬまま前へ進むしかないという地獄の市場巡りが待っていた。

 人々と太陽の熱気で全身を炙られて意識が朦朧としかけ、それでも荷物目当てのスリにも用心しなければいけないという困難な試練。

 ふと立ち止まった所にジュース屋の屋台がなければ、今頃人ごみの中で倒れていたかもしれない。

(こんな事なら帽子でも持ってきたら良かったわ。…でもあれ結構高いし、盗まれたら大変ね)

 ルイズは二本目となるオレンジジュースの残りを一気に飲み干してしまうと、空き瓶を鞄の中へと入れた。

 鞄の中にはもう一本空き瓶と、もう二本ジュース入りの瓶が二本も入っている。

 幸いにもジュース自体の値段は然程高くなかった為、念のために四本ほど購入していたのだ。

 

 他にはメモ帳と羽根ペンとインク瓶、それに汗拭き用のハンカチとハンドタオルが一枚ずつ。

 そして彼女にとって唯一の武器であり自衛手段でもある杖は、鞄の底に隠すようにしてしまわれている。

 万が一の考えて持ってきてはいたが、正直杖の出番が無いようにとルイズはこっそりと祈っていた。

(私の魔法だと一々派手だから、一回でも使ったら即貴族ですってバレちゃうわよね)

 それでも万が一の時が起これば…せめて軽い怪我で済ませるしかないだろう。

 

 地獄とも言える夏場の市場めぐりにも、終わりというものは必ず存在する。

 自ら人ごみの中へと入ったルイズが歩き続けて数十分、ようやく人の流れが少なくなり始めたのに気づく。

 三本目のジュースに手を付けようかとしていた矢先の幸運。彼女ははやる気持ちを抑えて前へと進む。

 

 そして…―――、彼女はようやく地獄から脱出することができた。

「あっ…――やった。やっと、出る事が出来たわ」

 

 予想通り、人ごみの途絶えた先にあったのは休憩所を兼ねた小さな噴水広場であった。

 中央の噴水を囲むようにして日よけの為に植えられた樹と、その周りに設けられたベンチに平民たちが腰を下ろして一息ついている。

 ハンカチやタオルで汗をぬぐう者、近くにある屋台で買ったジュースを味わっている者や談笑しているカップルと老若男女様々。

 ザっと見回したところで二十数人近くがここで休んでいるのだろうか、市場を出入りする通行人もいるので詳しい数は分からない。

 それでも背後にある地獄と比べれば酷く閑散としており、涼むには丁度良い場所なのは間違いないだろう。

 ルイズはすぐ近くにあったベンチへと腰かけると、ホッと一息ついて肩の鞄をそっと地面へと下ろした。

 そして鞄からハンドタオルを取りだすと、顔と首筋からびっしりと滲み出てくる汗をこれでもかと吸い取っていく。

 

「ふうぅ…っ!全く、冗談じゃなかったわよ…夏季休暇で市場があんなに盛況になるだ何て、今まで知らなかったわ」

 先ほど潜り抜けてきた下界の灼熱地獄を思い出して身を震わせつつ、程よく湿ったハンドタオルを自身の横へと置く。

 鬱陶しくしても人ごみのせいで拭けに拭けなかった汗を拭えた事である程度気分も落ち着けたが、今度は着ている服に違和感を感じてしまう。

 この前平民に変装する為にと買った服も早速汗で湿ってしまったのだが、流石に服の中へタオルを入れる真似なんてできない。

 生まれも育ちも平民の女性ならば抵抗はないだろうが、貴族として生まれ学んできたルイズには到底無理な行動である。

 その為着心地はすこぶる悪くなってしまったものの、それもほんの一時だと彼女は信じていた。

 

(まぁこの気温ならすぐに乾くでしょうし、ほんのちょっとの辛抱よ)

 丁度木の陰が太陽を遮るようにしてルイズが腰かけるベンチの上を覆っており、彼女の肌を紫外線から守っている。

 周囲の気温はムワッ…と暖かいものの、それでも木陰がある分暑さは和らいでいる方だ。

 もしもこの広場に樹が植えられていなければ、こんなに人が集まる事は無かったに違いない。

 そんな事を思いつつも、ルイズは休憩ついでに鞄から三本目のジュースが入った瓶と携帯用のコルク抜きを取り出す。

「そろそろ飲み始めないと温くなっちゃうだろうし、冷たいうちに堪能しておかないと」

 一人呟きながらもT字型のコルク抜きを使い、手慣れた動作でルイズはオレンジジュースのコルクを抜く。

 そして抜くや否や最初の一口をクイッと口の中に入れて、そのまま優しく飲み込んでいく。

 オレンジ特有の酸味と甘みが上手く混ざり合って彼女の味覚に嬉しい刺激を、喉に潤いをもたらしてくれる。

 

 途端やや疲れていた表情を浮かべていたルイズの顔に、ゆっくりと微笑みが戻ってきた。

「んぅー…!やっぱり、こういう暑い日の外で飲む冷たいジュースっと何か格別よねぇ」 

 瓶を口から放しての第一声。人ごみの中で飲んだ時には感じられなかった解放感で思わず声が出てしまう。

 涼しい木陰に腰を下ろせるベンチと、殆ど歩きっぱなしでいつ終わるとも知れぬ市場めぐりとではあまりにも状況が違いすぎる。

 あれだけの人の中を今まで歩いた事の無かった彼女だからこそ、ついつい声が出てしまったのだ。

 しかし…それを口にして数秒ほど経った後でルイズは変な気恥ずかしさを感じて周囲を見回そうとしたとき…

「おやおや、随分と可愛らしい貴族のお嬢様だ。こんな所へ一人で観光しにきたのかい?」

 彼女の背後、樹にもたれ掛かって休んでいた青年貴族が突然話しかけてきたのである。

 思わずその声に目を丸くした後、バッと声のした方へ振り向くと思わず自分を指さして「…私の事?」と聞いてしまう。

 年齢はもうすぐ二十歳になるのだろうか、魔法学院はとっくに卒業している年の彼は貴族にしてはやけに安っぽい格好をしていた。

 一応貴族としての体裁は整えているものの、ルイズが今着ている服と比べても格が低いのは一目瞭然である。

 そして同じ貴族である自分に対しての軽い接し方からして、恐らく彼は俗にいう下級貴族なのだろう。

 

 貴族の家の子として産まれても、その全員が順調な人生を送れるとは限らない。

 とある家の三男か四男坊として生まれれば、親はある程度の教育だけ受けさせて家を追い出す事がある。

 金の無い貴族の家では全員を魔法学院に入れさせる金も無いし、彼らの一生を養える余裕も無いからだ。

 許嫁がいたり魔法の才能があれば別であるが、大抵は杖と幾つかの荷物を鞄に詰められて適当な街へ放り込まれてしまう。

 彼らは魔法も中途半端であれば王宮の仕事が出来るほど頭も良くなく、精々文字の読み書きと掛け算割り算ができる程度。

 王宮での勤めに必要なコネも知識もなく、ましてや宮廷の貴族達から一目置かれる程の魔法も使えない。

 故に彼らの様な低級貴族は平民たちと共に暮らしており、共に同じ職場で働いて日銭を稼いでいる。

 中には壊れた壁や床の修繕なども行っている者たちもおり、日々頑張って暮らしているのだという。

 

 幸い中途半端な魔法でも平民たちには重宝され、その日の食事に困るような事態は起こっていない。

 魔法学院へ入れる中級や上流階級の者たちは彼らを貴族の恥さらしと呼ぶ事はあるが、声を大にして批判することは無い。

 皮肉にも貴族の恥さらしである彼らが平民たちに力を貸すことによって、貴族全体のイメージ向上へと繋がっているからだ。

 井戸やポンプの修理をしたり、家の修理などのアルバイトも平民たちには好評なようである。

 下級貴族達も無茶な金銭要求をしたりはせず、時にワインや手作りの料理とかでも良いという変わり者もいるのだとか。

 

 きっと自分に声を掛け、あまつさえ貴族と看破してきた彼もその内の一人なのだろう。

 そんな事を考えていたルイズに向けて、背後に青年貴族はクスクスと笑いながら喋りかけてくる。

「そう、君の事だよ。市場から命からがら!…って感じで出てきた時の君を見てね。…お嬢さん、外国から観光に来たお忍びの貴族さんでしょう?」

 得意気になって勝手な事を喋ってくる下級貴族にルイズは苦笑いを浮かべつつ、

 

――――違うわよこの三、四流の間抜け!私はトリステイン王国の由緒正しき名家、ヴァリエール家の者よッ!!

 

 …と、叫びたい気持ちを何とかして堪えるのに必死であった。

 何の為にこんな暑い街中にまで繰り出し、そしてあの地獄の市場を超えて来たのか、彼女はその理由を改めて思い出す。

 ここで怒りにまかせて自分の正体を暴露してしまえば、ここへ来た意味自体が無くなってしまう。

 それだけは何とか避けようと必死になって、彼女は硬過ぎる作り笑顔を浮かべて下級貴族に話し掛けた。

「…そ!そそ、そうなのよ!この夏季休暇を利用して小旅行の…ま、まま真っ最中でしてねぇ…ッ!」

「……あ、あぁそうなんだ」

 半ばヤケクソ気味ではあるが、不気味な造り笑顔と震えている言葉に下級貴族も軽く怯みながらそう返してくる。

 ルイズ本人としてもあからさまに無理してると自覚していたので、すぐさま顔を横へ逸らしてしまう。

 

(何やってるのよルイズ・フランソワーズ。こんな所で爆発してたら本末転倒じゃないの…!)

 閉じている口の中で歯を食いしばり、相も変わらず激しやすい自分にいら立ちを覚える。

 そして気分を落ち着かせるように一回深呼吸した後、こちらを心配そうに見ていた下級貴族方へと振り向いた。

 

 相手は気配からして自分が怒りかけていたのだと薄ら分かっていたのか、その表情は若干緊張に包まれている。

 まだ笑みは浮かべていたものの、最初にこちらへ話しかけて来た時の様な軽い雰囲気はすっ飛んでいた。

 ルイズは気を取り直すように軽く咳払いすると、こちらの出方を窺っている下級貴族に申し訳程度の笑みを浮かべて言った。

 

「ごめんなさいね、何分こう暑いものですから…苛立ってしまったの」

「…え?あぁ、いや…その、それなら…まぁ」

 特別怒っているわけではなく、ましてや媚びているワケでもない微笑みに下級貴族は返事に困ってしまう。

 暫し視線を泳がしつつ、言葉を選ぶかのように口を二、三度小さく開けた後でルイズに言葉を返す。

「こ、こちらこそ悪かったよ。変に子供扱いしちゃってて…」

 当たり前じゃないの!…そう怒鳴りたい気持ちを抑えつつ、ルイズは言葉を続けていく。

「そうだったの。確かに私はまだ十六だけど、ご覧のとおり一人で旅できる程度には独り立ちできてましてよ」

 エッヘンと自慢するかのように薄い胸をワザとらしく反らす彼女を見て、下級貴族は「は、はぁ…」と困惑してしまう。

 しかし、どこの国から来たかまでは知らないが確かに留学を除いて十六の貴族が一人旅行などできるものではない。

 

 国境を超える為の書類や費用等を考えれば子供には大変であろうし、何よりまず親が許さないだろう。

 とはいえ例外もあり、将来自立する意思のある貴族の子なんかは率先して留学したり国外旅行へいく事もある。

 それを考えれば自分の様な下級貴族にも自慢したくなる気持ちと言うのは、何となくだが理解する事はできた。

 そりゃ安易に子ども扱いしたら怒るのも無理はないだろう。彼はそう納得しつつ改まった態度で彼女に言葉を掛ける。

「…にしても、この時期のトリスタニアへ遊びに来るとは…また随分と勇気があるようで」

「まぁね。本当は秋か冬にでも行こうって決めてたんだけど、どちらの季節とも大切な用事ができてしまったのよ」

 

 そこから先数分程、思いの外自分の゙演技゙に釣られてくれた彼とルイズは話を続けた。

 ガリアから来たという事にしておいて、国の雰囲気が似ているトリステインへ興味本位に遊びへ来たこと。

 その興味本位で市場に入ったところ揉みくちゃにされて、危うく倒れかけたこと。

 先ほどの市場はもう二度と御免であるが、リュティスと似ているようでまた違うトリスタニアが良い所だと熱く語って見せた。

 無論ルイズは生粋のトリステイン人なのだが、これまで一度もガリアへ行ったことが無いという事はなかった。

 リュティスには家族旅行で何度か行った経験もあり、それのおかげである程度のガリアの知識は頭の中にあったのである。

 幸いにも相手は母国から出たことが無いような下級貴族であり、よっぽど下手しなければバレる事は無い。

 

 ルイズは自分の言葉に気を付けつつも、顔は良いがタイプではない下級貴族の青年と暫しの会話を楽しんだ。

 家族旅行で訪れた場所を思い出しながらガリアの事を話し、相手はそれを楽しそうに聞いている。

 時間にすればほんの五分経ったころだろうか、黙って話を聞いていた下級貴族が口を開いて喋ってきた。

「いやぁ、貧弱な家の三男坊である自分がこうして君みたいな素敵な人から異国の話を聞けるとは…今日の僕はツいてるよ」

「あら、その顔なら街娘くらいはキャーキャー言いながら寄ってこないものなのかしら?」

 ルイズがそう言ってみると、彼は苦笑いしつつ両肩を竦めるとすぐさま言葉を返した。

「そうでもないさ。僕たち下級貴族の男子になんか、御酌はしてくれるがそこから先に全く進みやしないからね」

 何せ貴族は貴族でも。、金の無い下級貴族だからね。…若干自分をあざ笑うかのような言葉に、彼女も苦笑してしまう。

 

 そんなこんなで話が弾んだところで、ルイズはそろそろ自分の『やるべき事』を始めようと決意した。

 これまで以上に言葉を選び、かつ悟られない様に聞き出さなければいけない。

 

 夏の陽気に中てられて、活気づいた王都の中にジワリジワリと滲む…新生アルビオン共和国に対する反応を。

 ルイズは苦笑いを浮かべたままの表情で、ニカニカとはにかんでいる下級貴族へと話しかけた。

「それにしても、王都は本当に賑やかね。聞くところによると、あのアルビオンと戦争が始まりそうだっていうのに」

「アルビオン…?あぁ…ラ・ロシェールの事件でしょう、君よく知ってるねェ」

「トリステインへ行くときに、行商人から聞いたのよ。もうすぐこの国とあの国で戦が起こるって」

 突然話の方向が変わった事に違和感を感じつつも、彼は何の気なしにその話に乗る。

 ルイズもルイズで事前に考えていた『話の輸入先の設定』を言いつつ、聞き込みを続けていく。

 

「普通戦が起こるってなると王都でも緊張した雰囲気に包まれそうなものだけど…ここは真逆みたいね」

「まぁ時期が時期だよ。こんなクソ暑い季節の中で緊張したって、熱中症で倒れてたらワケないしな」

 彼の言葉にルイズはまぁ確かに納得しつつ、いよいよ本題であるアルビオンへの評価を聞くことにした。

 

「…ところで、トリステインの貴族の方々にとって今のアルビオンが掲げる貴族による国家統治はどう思ってるのかしら?」

「んぅ?失礼な事を言うね異国のお嬢さん」

 ルイズの質問に対し、まず彼が見せたのは薄い嫌悪感を露わにしたしかめっ面であった。

「いくら俺たちがこの先十年二十年生きられるかどうか分からん貧乏貴族だとしても、連中の甘言には乗らんさ」

「そうよね?私もアイツラの掲げる思想は嫌いだわ、王家を蔑ろにするなど…貴族がしてはならない行為よ」

「その通り。特にこの国の王家に関しては…たとえ奴らが金貨の山を差し出そうとも裏切るような事はしないつもりだ」

 平民と共に暮らす貧乏貴族とは思えぬ…いや、逆に貧乏だからこそ王家を並みの貴族以上に崇めているのかもしれない。

 近いうち女王となるアンリエッタの笑顔を思い出しつつも、ルイズはカンタンな質問を混ぜ込みつつ話を続けていく。

 アルビオンと本格的な戦争が始まったら志願するのか、今後トリステインはかの国へどう対応すればいいべきか等々…。

 

 ルイズなりに投げかけるそれを会話の中に自然に混ぜ込み、あたかも世間話のように見せかける。

 そうこうして数分ほど話を続けていた時、ふと下級貴族の背後から複数人の呼び声が聞こえてきたのに気が付いた。

「オーバン!俺たち抜きで何ナンパなんかしてんだよー!」

「えっ…!?あ、あぁビセンテ、それにカルヴィンにシプリアル達も!」

 何かと思ったルイズが彼の肩越しに覗いてみると、いかにもな若い下級貴族数人が少し離れた所から手を振っている。

 皆が皆オーバンと呼ばれた青年貴族と同じように、貴族用ではあるが比較的安そうな服を着ていた。

「あら、お友達と待ち合わせしてたのね。それじゃあ、私はここらへんで…」

「え?あっ…ちょっと…!」

 そんな集団が手をありながらこっちに来るのに気が付いたルイズは、話に付き合ってくれた彼に一礼してその場を後にする。

 鞄を肩に掛けてベンチから腰を上げるや否や、呼び止めようとする彼に背を向けて早足で立ち去っていく。

 オーバンも思わず腰を上げて追いかけようとしたものの、時すでに遅く名も知らぬ異国?の少女は人ごみの中へと消えて行った。

 

 所詮自分は底辺貴族、物語の様なロマンスなど夢のまた夢という事なのだろう。 

 自分の前にサッと現れサッと消えて行った彼女を口惜しく思いつつも――――…ふと思い出す。

 この広場で他の誰よりも目立っていた、あのピンクのブロンドウェーブに見覚えがあるという事を。

「あのピンクブロンド…うん?どっかでみた覚えがあるような、ないような…?」

 

 

 それから少しして、あの広場から十分ほど歩いた先にある十字路の一角。

 市場からの距離も微妙な為日中のブルドンネにしては人通りも大人しい、そんな静かな場所で景気の良い音が響いた。

 

 それはパーティなどで勢いよくシャンパンのコルクを開けた時の様な音ではなく、思いっきり拳で硬いものを殴った時のような気持ちの良い殴打音。

 何かと思って数人の通行人が音のした方へ視線を向けると、彼らに背を向けているルイズの姿があった。

 どうやら、右手に作った拳でもって十字路に建てられた共同住宅の壁を殴りつけた直後だったらしい。

 ギリギリと拳を壁にめり込まそうとばかりに力を入れている彼女の後ろ姿を目にして、人々は慌てて視線を逸らす。

 

 その洒落た服装からして彼女がタダの平民ではなく、商家の娘かお忍びの貴族令嬢だと察したのであろう。

 ――目があったら巻き込まれる。本能で゙ヤバイ゙と悟った人々は何も見なかったと言わんばかりに、早足でその場を後にしていく。

 そうして周囲の注意をこれでもかと引いたルイズは、はふぅ…と一息ついてそっと右拳を壁から放した。

「結構力は抜いたつもりだけど…イタタ、木造でもこんなに痛いモノなのね」

 後悔後先に立たずな事を呟きつつ右手の甲を撫でたルイズは、先程話に付き合ってくれた青年の事を思い出す。

 もう少し話を続けていれば、今頃食事なりお茶の誘いでも出されていたに違いないだろう。

 あの手の輩というものは大抵よさげな女の子に声を掛けて、さりげなく良い流れになったところで誘ってくるのだ。 

 そう考えるとあの友人たちの乱入は正にあの場を離れるには絶好のチャンスとも思えてくる。

 

 彼らのおかげで程よくアルビオンに対する情報を聞けたうえ、良いタイミングであの場を後にすることができたのだから。

 早速忘れぬ内にメモしておこうと鞄の中を漁りつつも、同時にルイズはほんの少し残念な気持ちを抱えていた。

「それにしても…案外私の髪の色を見ても、誰も私がヴァリエールの人間だなんて気づかないものなのねぇ」

 あの下級貴族と言い、周りにいた平民も含めてみな自分の髪の色を見てピン!と来なかったのであろうか。

 市場にいた時はともかく、誰かが一人くらい気が付いても良いはずである。少なくとも彼女はそう思っていた

 昨日もそうであった。御忍びの貴族だと街娘にはバレてしまったが、家の名前までは言われなかった。

 と、いうことは…ヴァリエール家は今の御時世民衆の間であまり知られていないのではないのか?

 そんな事を考えて落胆しそうになったルイズは、ふと思う。

 

「みんな知らない…っていうよりも、公爵家の娘がこんな所にいるワケないって思ってるのかしら?」

 

 自分で言うのも何だが、下々の者たちからして見れば正にそうなのだろう。

 確かに、名のある公爵家の人間――それも末の娘が一人で王都を出歩くなんて滅多に無い事である。

 そう考えてみると、確かに自分を目にしてもその人が公爵家の人間だなんて思わないに違いない。

 例えば王家の人間が平民に扮していても、誰もその人がこの国の中枢を担う人物だと気づかないのと同じだ。

「そうだとすれば…案外、私が立てた作戦も上手くいきそうな気がするかも…」

 鞄からようやっとメモ帳を取り出し、何回かページを捲って何も書かれていない空白の頁を見つける。

 そして何処かに落ち着いて文章を書ける場所が無いかと、しきりに辺りを見回した。

 

 ルイズが今口にした『作戦』というのは、アンリ得た直々に命令された民衆からの情報収集のことだ。

 これから一戦交える前に、人々はアルビオンに対しどのような反応を抱いているのかを調べるのである。

 早速それを行うとした昨日、散々な結果で終わってしまったルイズに代わって魔理沙がそれを肩代わりする筈であった。

 しかし、アンリエッタからの命令と言う事もあってこのままではいけないと感じた彼女は、自ら行動する事にした。

 元々責任感もあるルイズとしては、あの黒白に頼り切るというのに一途の不安を感じたという事もあったが…。

 とはいえ考えなしに行っても昨日の二の舞になるのは明白であり、そこで彼女はとある『作戦』を思いついたのである。

 

 生粋の貴族として育てられたルイズにとって、一平民として民衆の中に紛れ込むのは非常に難しい。

 ならば…敢えて彼女はその゙逆゙側―――ただのイチ貴族、それも国外から来た観光客として扮する事に決めたのである。

 今の時期、王都を観光しにあちこちの国から様々な年齢の観光客が大挙して押し寄せている。

 ルイズは敢えてその中に紛れ込み、アルビオンと戦争状態になった事をさりげなく民衆や下級貴族に聞き込む事にしたのだ。

 さっき聞き込みをしたのは下級貴族であったが自分がトリステイン貴族だと気づかれず、うまく聞き取りを終える事かできた。

 下級貴族ならば平民と同じ環境で暮らしているために彼らの世間話も耳にしているだろうし、情報に困る事も無い。

 ついさっきは、ものの試しにと話しかけてみたが思いの外相手は自分の話に乗ってきてくれた。

 

 とはいえ、流石に自分とは雲泥の差がある格下の貴族にああも気安く話しかけられたのは色々と大変だったらしい。

 先ほどルイズが壁を殴ったのも、あの若干チャラチャラとした貴族を殴りたくて我慢した結果であった。

 もしもあそこで我慢できずに暴発していたら、今頃すべてが台無しになっていたのは間違いない。

「よし…と!ひとまず一人目…とりかく今日は十人くらいトライしなくちゃね」

 十字路を西の方へと歩いた先、そこにあるベンチでメモに情報を書き終えたルイズはパタンとメモ帳を閉じる。

 そして取り出していたインク瓶と羽ペンをしまうとメモ帳も鞄の中に入れて、スッと腰を上げる。

 ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールの誰にも言えぬ秘密のミッションは、こうして幕を開けたのであった。

 

 最初に彼女が選んだのは、ブルドンネ街の中央寄りにある大きな通りであった。

 そこは通称『厨房通り』とも呼ばれている場所で、その名の由来である数多の飲食店が群雄割拠している場所だ。

 主な客層は貴族やゲルマニアで商人などをしている平民であり、皆それなりに裕福な身なりをしている。

 店のジャンルは基本トリステインで貴族が好んで食べる高級料理などであり、変化球の様にサンドイッチやデザート等の専門店もある。

 どの店も通りを少し侵食するようにしてテラス席を設けており、日よけのした設置されたテーブルで美味しい食事にありついている。

 無論平民や下級貴族など安くてお手頃な飲食店も規模は小さいものの存在し、市場に次いでかなりの人々が通りを行き交っていた。

 

 ルイズは市場での経験を生かしてかなるべく通りの端を歩きつつ、王都の地図を片手に話しかけやすそうな人を探していた。

 当然地図を持っているのは観光客を装う為であり、彼女自身王都で迷う心配など微塵もなかった。

 現に周囲を見回してみると、今のルイズと同じように地図を手に通りを不安げに歩く貴族の姿がチラホラと見える。

 若い者たちは地図と睨めっこしつつ歩いており、中には従者らしき者に道案内をさせている年配の貴族もいる。

 彼らは大小の差はあれど軽い手荷物と地図からして、本物の観光客だというのが丸わかりだ。

 そういう人たちに混じって、ルイズは大人しく…かつある程度物知りな平民か下級貴族に道を尋ねるついでに聞き込みをするつもりであった。

「…とはいえ、この人の流れだと上手く話しかけられるかしら?…って、あの平民ならいけそうかも」

 周囲の人々を観察していたルイズは、ふと目に入った中年の平民男性に狙いを定めてみる。

 

 どうやら人の流れから少し外れて、路地裏へと続く小さな横道の前で一休みしているらしい。

 中年になってまだ間もないという外見の男性は、手拭いで首の汗を拭いつつ燦々と輝く太陽を恨めしそうに見つめている。

 見た感じならば人もよさそうであるし、これなら少し会話した程度で揉め事が起こる心配は少ないだろう。

 ほんの少し足を止めて様子見をしていた彼女は、早速その平民に話しかけてみる事にした。

 

「そこのアナタ、休憩中悪いけれどちょっと良いかしら?」

「…お?…んぅ、マントは無いようだけど…もしかしてお忍び中の貴族様…でよろしいかと?」

「えぇ、今は気兼ねなく旅行するためマントは外してあるの。紛らわしくてごめんなさいね」

 

 マントを着けでおらず、しかしその居丈高な物言いと身なりで彼はルイズが貴族であると何となく察したらしい。

 物分りの良い男にルイズもやや満足気に頷いてみせると、平民の男は「あぁいえ!こちらこそ…」と頭を下げる。

 どうやら自分の目利き通り、貴族に対しての作法はある程度心得ているようだ。

 それに安心したルイズも「別に気にしていないわ」と返しつつ、最初に道を尋ねる所から始める。

「初めて王都へ来て道へ迷ってしまったのよ。ここからタニアリージュ・ロワイヤル座へ行くにはどうしたら良いかしら」

「あぁ、ここからそこへ行くんなら…」

 異国の貴族を装うルイズの尋ねに対し、平民の男もやぶさかではないという感じで説明を始めた。

 そりゃルイズは黙っていれば本当に綺麗であるし、本性を露わにしなければ淑女の鑑にもなれる。

 

 恐らくはルイズよりもこの街に精通している男の説明は、貴族である彼女でも感心する所があった。

 彼の案内があればどんな方向音痴でも、必ず目的地にたどり着けるに違いないだろう。

 丁寧な彼の道案内を聞いた後、ルイズは礼を述べてからいよいよ本題の聞き込みへと移った。

「ありがとう。…それにしても、この前あのアルビオンと一悶着あったというのにこの街は活気に満ち溢れているわね」

「んぅ、そうですか?まぁこことラ・ロシェールじゃあ距離があるし、第一もう終わった事ですしね」

「でも近いうちに戦争になるかも知れないのでしょう?怖くは無いの?」

「まさか!…というより戦争になっても、こっちまで火の粉が飛んでくる事は無いでしょうよ」

 まぁ確かにその通りだろう。平民と一言二言会話を交えたルイズは内心納得しつつも頷いていた。

 自分の『虚無』が原因でほぼ主力を失った今のアルビオンには、今更トリステインへ攻め入るだけの戦力は無いに等しいだろう。

 流石に艦隊が全滅したという事はないのだろうが、少なくとも今のトリステイン艦隊が圧倒される程強くはないに違いない。

 

 その後その平民に改めて礼を述べてその場を後にしたルイズは、転々と場所を変えながら聞き込みを続けた。

 話しかけやすそうな平民や下級貴族に声を掛けて道を尋ねて、そのついで世間話を装ってアルビオンについての反応を聞く。

 時には今のトリステイン王家に対する評価も耳に入れつつ、一時間ほど掛けて五人分の聞き込みを終える事が出来た。

 ルイズは一旦人気の多い場所から離れ、路地に接地されたベンチに腰を下ろして聞き込みの内容を記録している最中だ。

 遠くからの喧騒と、その合間へ割り込むように街路樹の葉と葉が擦れ合う音がBGМとなってて耳に入ってくる。

 この時間帯は丁度ルイズが腰かけるベンチ側の道が陰になっており、良い涼み場にもなっていた。

 

「とりあえず決めた目標まであと半分…だけど、結構この時点でかなり枝分かれしてるのねぇ」

 ルイズは羽ペンを傍へ置くと、書き終えたばかりの情報を確認し直してから一人呟いた。

 彼女の言うとおり、街に住む人々から聞いた今のアルビオンとトリステイン王家への評価は以外にもバラバラだったのである。

 ある下級貴族はアルビオンに対して徹底的な報復を唱え、その前にアンリエッタ王女はちゃんと玉座につくべきだと言ったり、

 また平民の商人はあの白の国に関しては後回しでも良いから、まずは国を盤石にするべきだと言う慎重論もあれば、

 いっその事この国をアルビオンに売ってしまえと言う、とんでもない爆弾発言まで出てきたのには流石のルイズもギョッとしてしまった。

 中にはアルビオンと同じように王政ではなく、有力な貴族達による統治を現実的に唱えている者もいた。

 

 それらを見返した後、彼女はこれらの情報を全てアンリエッタに見せるのはどうなのかと躊躇ってしまう。

 一応彼女からは嘘偽りなく、ありのまま伝えて欲しいという事は手紙には書かれていた。

 だがアンリエッタに伝える情報をルイズが吟味して、あまり過激なものは没にする…という事も不可能なことではない。

 

 しかし彼女としては、それを――情報に゙色゙をつけるという行為にほんの少し抵抗があった。

 街の人達のありのままの反応を知りたいアンリエッタの気持ちを、裏切る事になるのではないかと。

 顔を俯かせたルイズは暫し頭を悩ませた後、情報を吟味するか否かの二者択一にぶつかってしまう。

 

「んぅ~…こういう時にレイムかマリサがいてくれれば、私の背中を押してくれそうなもんだけど…でもアイツラを頼るのもなぁ」

 今はこの街のどこかにいるであろう二人の事を思い出した彼女は、一人悔しそうに呟く。 

 自分たちの世界が危機に陥っているというのにどこか暢気で、それでいてヤバい時には頼りになるあの二人。

 良くも悪くもこの世界の常識が通用しない彼女たちなら、どう考えるのであろうか。

 それを考えそうになっていたルイズは慌てて首を横に振り、今はそれを余所へ置くことにした。

 

「今はそんな事を考えてる場合じゃないわ。姫さまに送る情報の事も…もう半分を集めてからの方がいいかも」 

 ルイズはひとまずそれで納得すると羽ペンとインク瓶、そしてメモ帳を鞄の中へとしまい込む。

 まだ自分で決めた目標の半分にしか達していない今考えても、仕方の無い事である。

 忘れ物が無いかのチェックをした後、ルイズは残り半分を片付ける為に人気の多い場所への移動を始めた。

 

 

「…じゃあそろそろ私はこれで。道案内、感謝いたしますわ」

「うん、君も気を付けるんだぞ」

 それから更に一時間と少し掛けて、八人目となる下級貴族の男性から話を聞き終えたルイズはその場を後にする。

 今まで目にしてきた者達より少し年を取っているのであろうか、変にフランクな彼は背中を向けている自分に手を振ってくれている。

 彼女もまた手を振って別れつつ、残り二人までとなった情報収集に終わりが見えてきた事にホッと一息ついてしまう。

 一応聞き込み自体は何とかこなせてはいるものの、街中を移動するのにかなりの時間を要している。

 場所によっては時間帯で人ゴミができることはあるし、通行禁止となってしまい遠回りせざるを得ない事が度々あった。

 

 ルイズが今いる場所は最初の前半の五人に聞き込みをしたブルドンネ街から、チクトンネ街へと移っている。

 まだ人の少ない場所と言えどもそこは王都、道を尋ねる封を装って聞き込みをするには充分な数の人はいた。

 とはいえ世間話を装って聞き込むために人によって話が長引く事もあり、結果として今の様に一時間以上かけてようやく八人目なのである。

「何だかんだで意外と時間が掛かっちゃったわね…」

 ポケットに入れていた懐中時計の短針と長針を睨みながら呟くと、すぐ近くにある建物から美味しい匂いが漂ってくるのに気が付いた。

 丁寧に煮込んでいる最中のトマトソースと炒った玉葱から漂う甘い匂い、そして焼きたてのパンから漂うバターの香り。

 時計の短針ば12゙を指しており、長針ば1゜を少し過ぎた所まで進んでいる。

 

 どうやら既に御昼時へと突入しているらしい、そこらかしこの家から食事の匂いが通りに漂っている。

 ルイズは自分の臭覚と舌を刺激する匂いに中てられてか、思わず空っぽになっている自分の腹を抑えてしまう。

「そういえば、朝食以降で口にしたのってジュースだけだったわね…」

 程よくお腹が空き始めた自分の腹を哀しそうに撫でつつ、彼女はここから先はどうしようか悩んだ。

 資金泥棒を追っている霊夢と情報収集をしてくれてるだろう魔理沙には十二時になったらなるべく『魅惑妖精』亭へ戻るようには言っている。

 とはいえ゙なるべぐである為、もしかすればシエスタに話したように夕食時まで帰ってこないという可能性もある。

 特に魔理沙は自分でも調べたい事があると言っていたので、霊夢と二人…もしくは一人で食べる事になるかもしれない。

 何なら昼飯代くらいは捻出できるだけの余裕はあったが、それでも今あの二人に金を貸すのは心配であった。

 だから一度お昼になったら『魅惑の妖精』亭で合流できるなら合流して、どこか程よく安くて美味い店を捜そうと考えていたのだ。

 

 トリスタニアなら平民向けの大衆食堂であっても、そこそこ美味い料理にありつける。

 これが外国とかだと量さえあればいいだろうという事で味が二の次になってしまうが、そこは食に煩いトリステイン人。

 例え手持ちの少ない平民であっても、食事は万人の娯楽であれと言わんばかりに食べる方も作る方も味に拘る。

 食材は無論、調味料や器具にも手を抜かずそれでいて誰にでも手が出せる安い値段で提供するのがこの国の流儀だ。

 美食に飽きた外国の貴族が一番美味しいと言った食べ物が、トリステインの平民向け食堂で出されているサンドイッチだった…なんて逸話があるくらいなのだから。

 それ程までにこの国はロマリア、ガリアと肩を並べるほどに食い物に関しては煩い国なのである。

 

「う~ん、あとちょっとだけどお腹減って来たし…軽く腹ごしらえした方がいいかもね」

 ルイズ自身そろそろ何か口にしたいと思っていた矢先に、昼食時というタイミングには勝てなかった。

 幸いチクントネ街にいるので店へ戻るのは然程時間はかからないしだろう。歩いたとしても十分程度であろう。

 思い立ったら即行動…というほどでもないが、湧き上がってくる食欲に勝てるほどルイズは食に無頓着ではなかった。

 すっと踵を返した彼女は『魅惑の妖精』亭のある通りへと向かってスタスタと軽快な足取りで歩き始める。

 まだ任務の事が頭にはあったものの、今すぐにでも自分の目標を成し遂げなければいけないというルールは課していない。

 少し昼食を取って、時間を改めれば良いだけと納得しつつ、何処で食事をしようかという事で頭がいっぱいになり始めていた。

 

 ブルドンネ街ならば日中でも労働者向きの食堂なら営業しているし、何なら移動販売式の屋台でも良いだろう。

 外で食べるには流石に暑すぎるが、お持ち帰りにして『魅惑の妖精』亭の一階で頂くのも悪くは無い。

 サンドイッチかパスタ、それか選べるのは限られるだろうが思い切って肉料理でガツンと攻めてみるか?

 牛肉より値段の低い豚肉か鶏肉のローストを厚めにスライスしたものと安いチーズをチョイスして、そこに弱い酒の肴にしよう。

 酒をそのまま飲むのは苦手だがジュースやハチミツに割れば、強くなければ快適に飲める。

 そんな事を考えて楽しく歩いていると、ふと彼女は右の方から誰かが走り寄ってくるような音に気が付いた。

 気づくと同時に足を止めて、そちらの方へ振り向いた直後――その走ってきた人影がすぐ目の前にまで近づいてきていた。

 既にぶつかるまで数秒も無いという瞬間の中、ルイズとその人影は当然のようにぶつかり―――小さく吹き飛んだ。

 

「え…?――キャッ!」

 

 キョトンとした表情を浮かべた直後、突如右肩に伝わる痛みと共に両足が地面から離れたのに気が付き、

 そう思った矢先には、勢いよく地面に尻餅をついてしまったルイズは悲鳴を上げて地面に倒れてしまう。

 幸い鞄はしっかりと絞めていたおかげで中身が散乱、するというヘマをせずに済んだのは幸いと言えるだろう。

 しかし右肩、臀部から背中にまで伝わる鈍い痛みはとても耐えられるものではなく、暫し仰向けになったまま呻くしかなかった。

 陽の光ですっかり熱くなった地面の熱と痛みの両方を受けつつも、ルイズは何とか頭を上げて人影の方を見てみる。

 ぶつかってきた人影の方は然程大丈夫だったのか、地面に尻餅をつきつつも何とか起き上がろうとしている最中であった。

 

 人影はこんな真夏日和だというのに全身を隠すようなローブを身にまとっており、見てるだけでも暑苦しくなってしまう。

 丁度フードの部分が顔と頭を隠している為に性別は判別できないものの、身長や体格だけ見ればルイズよりも二回り大きい。

 いかにも『怪しい』という言葉を練りに練って人型に仕上げた様な人間であったが、ルイズは怖気もせずにその人影へと怒鳴る。

「イタタァ…ちょっと!そこのアナタ、何処に目を付けてるのよ!?」

「悪い…!少し急いでたもので…」

 ルイズの抗議に対し口を開いた人影の声を耳にして、ルイズは少し驚く。

 その声色は間違いなく女性、それも体格相応ともいえる二十代くらいのものであった。

 てっきり男だと思っていたルイズは更に言おうとした抗議を止めて、思わず彼女の顔を見ようとしてしまう。

 

 丁度自分より一足先に立ち上がった彼女を見上げる形となったルイズは、フードの下にある顔を目にする。

 やはり声色から想像したよりも少し上程度の若い女性が、気の強そうな顔と薄いサファイアの様な碧眼で見下ろしていた。

 流石に顔と瞳の色だけではどんな人間なのかまでは判断つかないものの、貴族に向かって「悪い」とは何て言い草だろうか。

 お昼の事を考えてウキウキしていたところを水に差されたルイズが思わず怒鳴ろうとした直前女はスッと右手を差し出してきた。

 突然目の前に突き付けられたその手に驚きつつ、掴めという事なのかと察した彼女はスッと女の手を握る。

 すると予想通り。女は自分の右手に力を入れて、地面に倒れていたルイズを腕力だけで立ち上がらせる事が出来た。

 

 まさか腕一本で自分を起こした女の腕力に、ルイズは思わず驚いてしまう。

 一体どんな仕事に就けば、女であってもここまでの腕力が育ってしまうのだろうか?

 目を丸くして感心している最中、女はフードを被ったまま頭を下げて謝罪の言葉を述べてくれた。

「申し訳ない、何分急いでいたモノで前を見ていなかったよ…」

「え?いや…ま、まぁ!幸い怪我は…してないし別にいいわよ。次はこういう事にならないよう気を付けなさいよ」

 思いの外丁寧であったフードの女の謝罪にルイズは怒るタイミングを失ったことを苦々しく思うほかなかった。

 てっきり自分を倒したまま「急いでいるから」といって逃げるのを想像していただけに、変な肩透かしをも喰らっている。

 

 ひとまず女の謝罪を受け入れつつも、暫し苦みのある雰囲気を二人が包んだものの…それは長くは続かなかった。

 女の背後―――先ほど暑苦しいローブの姿で走り抜けてきた路地裏から複数の足音が聞こえてくるのにルイズは気が付いた。

 バタバタと喧しい靴音を響かせて近づいてくるその音にルイズが何かと思った直後、フードの女はそっと彼女に囁く。

「私はここを離れる。急で悪いが、お前も何も見なかった風を装ってここから歩いて立ち去るんだ」

「え?それってどういう――――…あ、ちょっと!」

 制止する暇もなく、女は言いたい事だけ言うとそのままルイズが歩いてきた道の方へバッと走り去っていく。

 思わず追いかけようとした彼女はしかし、路地裏から近づいてくる足音の主達がもうすぐで通りに出てくるのに気が付いた。

 

 ―――お前は何も見なかった風を装ってここからに立ち去るんだ

 

 とてもふざけているとは思えない雰囲気が感じられた言葉にルイズは咄嗟に従う事にした。

 どうしてか…と問われれば返事に困っていたかもれしないが、恐らくは「本能的に」という答えを出していたかもしれない。

 そうしてフードの女とは反対方向の道――『魅惑の妖精』亭へと続く道を再び歩き始めたルイズの耳に聞き慣れぬ男たちの声が聞こえてきた。

「…クソ!あの女どこ行きやがった?」

「通りに出たんなら容易に見つけられると思ったが…身のこなしの速いヤツ!」

 聞こえてきた二人分の男の声は聞いただけでも、相当に柄の悪い連中だと判別できるほどの言葉づかいである。

 例え平民であっても、一体どんな教育を受ければあんなオラついた気配が濃厚に漂う声色が出せるのであろう。

 それが気になったルイズが一瞬だけ顔を後ろに向けようとしたところで、新たに二人分の男の声が聞こえてきた。

 

「慌てるな、ここからそう遠くへは行ってない筈だ。手分けして探そう」

「この路地裏から出たのなら市街地方面に行ったかもしれん。あそこの路地は結構入り組んでいるからな。…俺とお前はあっちだ」

 最初に聞こえてきたチンピラ風の声とは違い、明らかにちゃんとした教育を受けているかのような言葉づかいであった。

 まるで軍でしっかりとした訓練を受けて来たかのような喋り方で、部下で露合う最初の二人に指示を飛ばしている。

 それに対し最初の二人が「あ、はい!」だの「わかりました」と返事を返している事から、後の二人はリーダー格なのであろうか?

 思わず一瞬だけ後ろを振り向こうとしたルイズはしかし、二人分の足音がこちらの方へ向かってくるのに気が付く。

 

 動かそうとしていた頭を咄嗟に止めたところで、自分の横を二人の男が駆け抜けていくのが見えた。

 先頭を走るのは先ほどガラの悪そうな喋り方をしていた奴であろうか、いかにもチンピラと言えるような恰好をした平民だ。

 対してその後ろについて行っているのは彼よりかは多少の身なりの良い平民の男だ。年は前の奴より少し上であろうか。

 幸い二人はルイズの事は横目で一瞥しただけで話しかける事も無く、彼女が進む方向へパタパタと走っていく。

 ルイズは気づかれぬようじっと彼らの背中を見つつ、あの女の言葉が間違いのない忠告であったと理解した。

 

 やがて残っていた二人は女が走っていった方向へと向かって行き、通りから物騒な気配が消えていく。 

 道の端っこで世間話に興じていた人々は何事も無かったように話しを再開しており、一見すれば平和そのものである。

 しかし、ついさっきまで只者ではない平民の男連中がいたことには気づいているのか、何人かがその話をしていた。

 無論、彼らの横を通り過ぎるルイズの耳は微かではある物のその話を聞きとっている。

 しかし、大して面白くも無いのでしっかりと聞き流しつつも彼女ははぼそりと独り言を呟く。

 

「全く、姫さまからの任務と言い、資金泥棒といい、ヤクモユカリとその式達といい、さっきの女や男達といい…夏季休暇になっても休む暇がないのね」

 一学生とは思えぬほどの多忙を前にして、彼女はどうしても愚痴を零したかった。

 誰に聞かせるワケでもないし、ただ呟くだけなら罪にはならないだろうと思いながら。

 

 

「―――…で、その愚痴やら相談が混ざってごっちゃになった話を私達に聞かせたかったワケ?」

 ルイズから今に至るまでの経緯を聞いた霊夢は終わるやいなや一言述べた後、一口分に切り分けた豚肉を口の中に入れた。

 アップルソースの甘味とオーブンで皮をカリカリに焼いた豚バラ肉の旨味が上手い事マッチして、未だ洋食慣れしていない彼女の口内を刺激する。

 ただ不味いと問われれば、間違いなく首を横に振る程度には美味しい料理だ。付け合せのパンもソースとの相性が良い。

 そんな事を思いながら、未知なる組み合わせの料理を堪能する彼女の傍に置かれたデルフがルイズに話しかけてた。

 

『お前さんも色々苦労したんだねぇ。てっきり店で踏ん反り返りながら、オレっち達が帰ってくるのを待ってたと思ってたが…』

「アンタ達の前でそんな事してたら、速攻で弄られるから言われても絶対にしないわよ」

 

 刀身をカタカタ揺らして笑うデルフにそう言って、ルイズも頼んでいたオムレツ・サンドウィッチを頬張った。 

 表面を軽くトーストしたパンで薄焼きのオムレツを挟んだもので、マヨネーズとトマトソースがパンに塗られている。

 オムレツも薄焼きながらベーコンやジャガイモ、玉葱を刻んだものが入っていて中々面白くて美味しい。

 何でもロマリア方面で良く作られる卵料理らしく、フリッタータと呼ばれるものだという。

 早口で言うと舌を噛みそうな名前であるが、その名前に勝るほどに美味いオムレツである。

 早速一つ目を平らげたルイズは、他にも頼んでいた厚切りベーコンのグリルを待ちつつジュースを一口飲んだ。

 鞄の中に入れていた最後の一本ですっかり温くなっていたが、それでも捨てるには惜しい程にはまだ美味しかった。

「ずるいわねぇ、私とデルフ何て炎天下の中日陰を捜して情報収集してたってのに…アンタだけジュース買ってたなんて」

「私の場合は自分の口座に入ってたなけなしの金で買ったのよ。…っていうか、そこら辺に飲料用の井戸とかポンプがあるでしょうに」

 ジト目で文句を言う霊夢にそう返しつつ、ルイズはチラリと店の外を一瞥する。

 御昼時とあって多くの人が出入りしているが、未だあの黒白の少女――霧雨魔理沙は姿を見せずにいた。

 

「…ホント、魔理沙のヤツどこほっつき歩いてるのかしらねえ~」

「あんな服だから日射病でやられた…って事は無いと思うけど」

 ルイズの目線で何となく察した霊夢は一言呟いて、料理と一緒に頼んでいたアイスティーに口を付ける。

 彼女に言葉にルイズもなんとなく続けきながら、温いオレンジジュースをゴクゴクと飲み続けていた。

 

 ルイズに霊夢、そしてデルフの二人と一本が今いる場所はチクトンネ街にある平民向けの大衆食堂である。

 『向日葵畑』という何の捻りもない看板を掲げているこの店は、平民の他に下級貴族達も足を運んでいるのだという。

 確かに店の中にはこんなに暑いのに丁寧にマントを付けた貴族たちが安い料理を美味しそうに食べている姿がチラホラと見える。

 まぁシーリングファンが乃割っているおかげで外と比べれば涼しいのだが、こんな平民向けの店では酷く目立つ格好なのは間違いない。

 更に目を凝らしてみれば、足元にバックパックを置いている貴族の客もいる。恐らく少ない金で旅を満喫しようと計画しているバックパッカーだろう。

 外国から来た彼らからしてみれば、ある程度貴族の舌に合う料理をこんな店で食べれるのはさぞや嬉しい事であろう。

 

 そんな店の隅っこ、すぐ傍に開きっぱなしの裏口があるおかげでそれなりに涼しいテーブル席でルイズと霊夢は食事を楽しんでいる。

 最も、本来ならこの場に来ている筈の魔理沙が来ないために半ば待っている状態なのだが。

 一応『魅惑妖精』亭の出入り口にメモを残しておいたのだが、果たして店の場所が分かるかどうか。

 本人も今朝出ていく時には遅くなるかもと言っていたので、最悪来ない事だってあり得る。

 まぁあそこから歩いて十分くらいの場所だし、余程の方向音痴か間抜けでなければ迷う事もないだろう。

 店の人にも一応知り合いがもう一人来るとは伝えてあるし、既に自分たちは万全を尽くしたとしか言いようがない状態だ。

 後は魔理沙の気分次第…という事なのである。

 

 瓶入りのオレンジュースを飲み終えたルイズがウェイターにアイスティーの追加注文をしたところで、

 付け合せのパンを食べようとした霊夢が何を思ったか、彼女に話を振ってきた。

「それにしても、アンタってやる時はやるわよねぇ」

「…?何の話よ」

「さっき話してたじゃない、自分も動いて情報収集したって話を……ハグッ」

「ちょ…アンタ!パンは手でちぎって…ってもう手遅れかー」

 一瞬だけ分からず首を傾げたルイズにそう言うと、パンを手に持ってそのまま齧り付いた。

 パンを千切らずそのまま口にしたところでルイズが顔を顰めたものの、霊夢は気にすることなく口で千切る。

 こんな店だというのにバターの風味と甘みがしっかりとあるパンの味に、思わず笑いかけてしまう。

 そんな彼女に呆れてため息をついたルイズへ、今度はデルフが話しかけてくる。

 

『まぁ方法としてはお姫様からの命令通り…ってワケじゃないが、情報収集のし方としては間違っちゃあいないね。

 最も、娘っ子。お前さんの場合は平民に成りきるのは無理だって分かってたから、その方法しか手段が無いだろうし』 

 

 デルフからの評価にルイズは一瞬だけ口を閉じた後、小さなため息をついた。

「それ褒めてくれてるんだろうけど、アンタに言われると小馬鹿にもされてるような気がする」

『まぁ半々だね…っと、いきなり蹴るのはやめてくれよ』

 ルイズからの指摘に彼が素直に返すと、刀身がおさまる鞘を彼女の靴で小突かれてしまう。

 鞘越しとはいえ割と威力のある足に文句を言いつつ、デルフはカチャカチャと金具部分を鳴らして喋る。

 思っていたより効いていないようなデルフの様子を見てルイズは二度目のため息をついて、コップに入ったお冷を飲んだ。

 

 

 大きめの氷が幾つも入っている冷水が口内を潤し、喉にとおっていく時の爽快感。

 暫し喉に残る清涼感にほんの一瞬浸る中、デルフに続くようにして霊夢も口を空けて話しかけてきた。

「まぁ私は別に良いとは思うわよ。それで情報が集まるんなら、むしろ良く考えたって褒めてあげるわ」

「…一応言っておくけど、褒めても何もあげないからね」

「じゃあ褒めるのはやめておくわ、けどまぁアンタもアンタで頑張ってくれるってのは私としても助かるし」

 そんな会話の後で、先ほど口で千切って残り三分の二ほどになったパンをもう一口齧って見せる。

 ハルケギニアの作法など知ったこっちゃないと言いたげな彼女の食べっぷりに、ルイズは頭を抱えたくなってしまう。

 もしもここが平民向けの大衆食堂でなくてブルドンネ街のレストランだったら、追い出されても文句は言えなかっただろう。

 

 その後、ルイズの頼んでいたアイスティーをウェイターが持ってきた所で霊夢も飲み物を頼んだ。

 メニューの文字が分からないために他の客のドリンクを指さしての注文であったが、無事に伝わったらしい。

 ウエイターは彼女の指さす先を見て「アイス・グリーンティーですね?」と確認した後、厨房へと戻っていった。

「グリーン・ティー…って、アンタがいつも飲んでる゙お茶゙の事?」

「そうよ。こっちの世界にも冷茶の類があっただけでも私としては結構助かってるわ~」 

 指さしていた客が美味しそうに飲む氷の入った『お茶』を見つめながら、彼女は嬉しそうに言う。

 それを見ながらサンドイッチを食べようとしたルイズはふと、あの『お茶』に関しての事が思い出す。

「そういえば昨日スカロンも言ってたわねぇ、最近あの『お茶』のせいでお店の売り上げがどうとかって…」

「あぁ、確かそれを専門に出してる『カッフェ』っていう店のせいとか言ってたわね」

 二人とも、街中を移動しているときには確かにそれらしきお店をチラホラと見かけている。

 レストランや他の店に混ざってテラス席を出して紅茶や『お茶』、それに軽食などを提供していた。

 スカロンが言っていた通り、確かにここ最近あぁいう店が貴族、平民問わず話題になっているのをルイズは知っている。

 茶類専門の店という新しいジャンルという事もあって、以前ルイズも何度か足を運んだことはあった。

 春が来る前の季節なうえにまだまだ寒い外のテラス席だった為、結構寒い思いをしたのは今でも記憶に残っている。

 まぁその分頼んだ紅茶とクッキー、それにポテトポタージュが中々美味かったので悪い思い出ではなかった。

 

 その事を思い出しつつ、ルイズはカッフェに対しての素直な評価を述べていく。

「まぁ彼には悪いけど、これからはあぁいう店が主流になるかもね。手軽に紅茶や軽食を楽しめるって意味では」

「そうよねぇ、私の神社にもあぁいう洒落た店があれば人が寄ってきそうな気がするわ」

「いやぁー、お前さんの神社の場合はそれよりも先に片付けるべき問題が山積みだろうに」

「うっさいわねぇ、アンタに注意される筋合いは…って、魔理沙!アンタいつの間に…」

 自分の提案に横槍を入れてきた声がこの場にいない者のモノだと気づいた霊夢が声のした方へと顔を向けた時、

 裏口から顔だけ出して覗いていた魔理沙にようやく気が付き、思わず大声を上げてしまった。

 霊夢の声にルイズも気が付き、ニヤニヤと自分たちを見つめる黒白を見つけると席を立ち、彼女の傍へと近づいていく。

 

「マリサ!やっぱり来たか…って今までどこほっつき歩いてたのよ?」

「おぉルイズ。悪いねぇ、ちょいと人助けしたついでに色々ともてなしを受けててな…戻るのが少し遅くなったぜ」

 

 若干怒っているルイズに対して、魔理沙はいつも通り悪びれてないような笑みを浮かべて返事をする。

 相変わらずの霧雨魔理沙であったが、霊夢としてはあの黒白が人助けをしていたという言葉がにわかに信じ難かった。

「アンタが人助けですって?いっつも人の神社に来たらタダ飯頂きにくるアンタが?」

「ひどい事言うなぁ。お互い独り身なんだから、飯時くらいわいわいしながら楽しみたいだけさ?…まぁそれはさておきだな」

 霊夢の辛辣な言葉に対しても笑みを崩さずそう返してから、彼女はここに至るまでの経緯を説明し始めた。

 

 …要約すればこうだ。 

 朝食の後、ひとまず情報収集のためにブルドンネ街にでも足を運ぼうとした所で、一人の少女に出会った事。

 少女の名はジョゼットと言い、ロマリアという国から出張してきた青年たちの付き添いのシスターである事。

 彼女が道に迷っていたと言うので出会ったのも何か縁という事で、彼女の情報を頼りに泊まっているホテルを探した事。

 歩いていくうちにブルドンネ街へと入り、川沿いにある一軒のホテルが彼女たちが泊まっているホテルだと知った事。

 流れるようにしてそのまま中に入ってしまい、結果的に彼女の保護者らしい青年二人と知り合いになった事。

 

「…まぁ後はその二人にも経緯を快適な部屋で話してたら昼から用事があるって言うんで、私も一旦戻ってきたワケさ」

 霊夢の隣に腰を下ろした魔理沙は最後にそう言って話を終えると、ナイフで切り分けたばかりのチキンステーキを口の中へと入れた。

 ハチミツをベースに作ったソースを塗って焼かれた鶏肉は甘味と旨味が上手い事混ざり合い、美味しさを形作っている。

 溢れ出る肉汁は付け合せのマッシュポテトにも合う。ここに白飯でもあれば束の間の付合わせに浸れたに違いない。

 そんな事を思いながら、何故か一仕事終えたつもりになっている彼女は一緒に頼んでいたプチパエリアへと手を伸ばそうとする。

 しかし、それよりも先に呆れた表情を浮かべるルイズの言葉によってその手は止まってしまう。

 

「なーにが一旦も出ってきたワケよ?…つまりアンタだけ美味しい思いしてたって事じゃないの」

「おいおい酷いこと言うなよルイズ。私がいなかったら今頃ジョゼットのヤツはまだ迷ってたと思うぜ?」

「まぁ実質辛い思いしてたのは私だけだから、精々アンタ達だけでいがみあってなさい」

 お互いテーブル越しに辛辣な意見をぶつけあう光景に、デルフは面白さを感じているのか刀身を震わせている。

 まぁ彼からしたら、相も変わらず仲が良いか悪いかの間を行き来する三人の姿はさぞ面白いのであろう。

 

『お前ら相変わらずだねぇ?…でもまぁ、これで娘っ子のやってた事は無駄に終わらなかったな。

 何せレイム直々に指名した黒白がサボってたんだからねぇ。…マジメさで比べれば、娘っ子に軍配が上がったって事さ』

 

 デルフの的確過ぎるる言葉を聞いて、魔理沙が初めて「むむ?」と声を上げて怪訝な表情をルイズ達に見せたものの、

 すぐにまた元の笑みに戻すと、自分と霊夢の間にあるデルフの柄をポンポンと左手で軽く叩いて言った。

 

「そいつは言葉が過ぎるってもんだぜ、デルフリンガーよ。

 昼飯を食べ終わったら、午前の分も含めてキッチリ情報収集するつもりなんだから」

 

「私は「これからする」って言ってるアンタよりも、「ここまでやってきた」っていうルイズの方が偉いと思うんだけど」

 

 午前いっぱいまで実質的にサボっていた魔理沙への容赦ない霊夢の突っ込みは、相変わらず切っ先が鋭い。

 ルイズがそんな事を思いながらアイスティーを一口飲もうとした所で、突っ込まれた魔理沙が彼女の方へと顔を向けたのに気が付く。

 何か言いたい事があるのかと同じく顔を向けたところで、キョトンとした表情を浮かべる魔法使いがメイジに質問してきた。

 

「ちょっと待てよ?ルイズ…霊夢の言葉通りなら、もしかして外で色々何かしてたのか?」

「今頃気づいたの?…って、そういえばその事を話し終えた後でアンタが来たのよね」

 霊夢に午前中の事を話していたルイズは、その時にはまだ魔理沙がいなかった事を思い出す。

 

「折角だから話してやりなさいよ。そしたらコイツだってやる気になるだろうし」

「ほぉ~、言ってくれるじゃないか?そこまで言うのなら、さぞや凄い事を成し遂げたんだろうな」

「…あまり期待しないでくれる?アレは私なりに考えた苦肉の策のようなものなのだから」

『いいねぇ、娘っ子の涙を誘う努力をもう一度聞けるなんて…俺が人間なら酒の肴にしたくなる』

 

 三人と一本がそれぞれ一言ずつ喋った後に、ルイズは魔理沙へ向けて午前の中の事を説明し始めた。

 昨日の件で情報収集は魔理沙に任せようとしたものの、結局納得がいかず自分の足で情報収集に挑んだ事。

 そして昨日の失敗を元に考えた結果、平民ではなく国外から旅行でやってきた貴族に扮するという作戦を考え付いた事。

 考えた本人自身がうまくいくかどうか分からなかったものの、思いの外うまくいき道を尋ねる振りをして情報収集ができた事。

 ひとまず八人分程の情報が集まっているところまで話し終えた所で、興味津々で聞いていた魔理沙がニヤリと笑った。

 それは事あるごとに浮かべているような、誰かを小馬鹿にする嘲笑ではない。じゃあ何かと問われれば…ルイズは言葉を詰まらせていただろう。

 

 そんな彼女の心境を余所にニヤニヤと卑しくない笑みを浮かべる魔理沙は隣の霊夢に話しかける。

「なぁ霊夢よ、お前さんの言ってたルイズがこの手の仕事に向いてないって言葉は…見事に外れたな?」

「そうね。…こんな事なら、アンタに頼るより彼女に頭を使うようアドバイスしとけばよかったわ」

 笑みを浮かべる黒白とは対照に、紅白は苦虫を噛んだかのような表情を浮かべて氷入りの『お茶』を一口啜る。

 『虚無』という強大な力を持っていても、貴族のお嬢様ゆえに何処か不器用だと思っていたルイズは自分から動いたのだ。

 霊夢本人はてっきり店で大人しくしているかと思っていたからこそ、彼女の行動力にはある程度感心したのである。

 それと同時に、それを見抜けなかった自分と情報収集をサボっていた魔理沙に頼んでしまった事を悔しく思ってもいたが。

 

「え?…何?…これって、つまり…私が褒められてるって事?」

『何でそんな事をオレっちに聞くんだよ。そんな事しなくたって答えはとっくに出てるだろうに』

 思いの外良い反応を見せた魔理沙と霊夢を前にして、思わずルイズはデルフに話しかけてしまう。

 デルフもデルフでそっけなく返しつつ、戸惑うルイズの背中をそっと押し出す程度のフォローくらいはしてやった。

「あ…そう、そうなんだ。…なんか、我ながら上手く行ったと自分を褒めたくなってきたわ」

「平民に扮する…っていうのは失敗してるけど、まぁ情報収集はできたんだから結果オーライってヤツよ」

「そ、それは言わないでよ!…ワタシだって、できるならそれで収集してたわよ」

 剣に背中を押されたおかげか、なんとなく自信がついてきたところで魔理沙の余計な一言が脇腹を突いてくる。

 それを余計な一言だと思いつつ、まだまだ冷たいアイス・ティーの残りをクイッと飲み干し、ウェイターにおかわりを頼んだ。

 

 その後、ルイズと魔理沙はそれぞれ頼んだ料理の味を楽しみつつも次は霊夢が何をしていたのか気になっていた。

 他の二人は既に話していた分、彼女だけが何も喋らないでいるというのは不公平なのであろう。

 料理をつつきながらも泥棒捜しはどうなったのかと聞いてくる魔理沙に、若干の鬱陶しさを覚えつつも霊夢は喋り始めた。

「残念だけど、特に進展はないわよ?…まぁ、ここ最近街中で子供が犯人と思われるスリが起きてるって話はチラホラ聞いたけどね」

「と、いうことは…まだこの王都に潜んでいるって事なの?」

 ルイズの言葉にそうかもしれないわねぇと答えつつね霊夢は冷たい『お茶』を一口啜る。

 

 盗まれた場所から通った道を含めてくまなく探してみたものの、お金を盗んだ子供たちの姿は見当たらなかった。

 一応隠れられそうな場所も探しては見たが、いかんせん街全体が大きすぎるせいできりがない。

 人が多いという事もあったが、何より太陽から降り注ぐ熱気と目が眩むほどの輝きが彼女の集中力を奪うのである。

 いくら水を飲んだとしても、もつのは精々十分程度でそれ以上に時間が掛かれば気怠さと身体に纏わりつく汗でイヤになってくる。

 しかも下手に空を飛べないので、霊夢はあの子供たちがいないかと街中を歩き回っていたのだ。

 幻想郷の知り合いがその時の彼女の姿を見ていれば、きっと指を指して笑っていたに違いないだろう。

 

「全く…外は暑すぎるわ盗人どもはないわで、イヤになってくるわよホント」

 ここへ来たばかりの春と比べてあまりにも暑いハルケギニアにうんざりしながら、霊夢は言った。

 二杯目になる『お茶』の中を浮かぶ氷を眺めつつそんな事を呟く彼女へ続くようにして、ルイズも口を開く。

「確かに、今年は去年と比べて気温が高い気がするわねぇ…」

『そうだな。オレっちは剣だが鞘越しでもムンムン暑かったからな』

 彼女の言葉にデルフも相槌を打ちつつ、そこへすかさず魔理沙も話しに割り込んでくる。

 

「ま、この街にいるならいずれ霊夢に尻尾を掴まれるのは問題だし、後は本人の頑張り次第だな」

「午前中サボってお菓子御馳走になってたアンタに言われなくても、絶対に捕まえて見せるわよ」

「なーに、午後からは見事名誉挽回を果たして見せるぜ」

 自分の鋭い一言にも狼狽える事の無い魔理沙のポジティブさには、ある種見習わなければいけないのだろうか?

 二人のやりとりを眺めていたルイズはそんな事を思いつつ、半分ほど減ったサンドウィッチにかぶりついた。

 

 そんなこんなで話は続き、次第に話題は街中で何か面白いものがなかったかどうかに移っていった。

 何処そこの通りで芸を披露していた者がいたとか、面白そうな店があったとか他愛の無い世間話の数々。

 それに時折相槌を打ちつつついついデザートを頼もうとしていたルイズは、ふとシエスタの事を思い出す。

 確か彼女は言っていた、明日のお休みにでも霊夢達と一緒に王都を歩き回ってみたいと。

 その願いが叶うかどうかは分からないが、今その事を話して二人の反応を探る事はできそうだ。

 

 結構楽しそうに話している二人へ割り込もうとしたところで、ルイズはふと思いとどまる。

 …果たして、本来ならシエスタ自身が彼女らに聞くべきことを自分が代わりに言っていいものなのか?

 やろうとした寸前でそんな考えを抱いてしまった彼女は、無意味としか思えない悩みを抱えてしまった。

 自分が先に問えば二人の意思をあらかじめ確認して、それをシエスタに伝える事が出来る。

 しかし、それをやってしまうと夕食時に再開するであろう彼女をガッカリさせてしまうのではないだろうか?

 

 他の貴族からしてみれば、ルイズが今悩んでいる事は大変どうでもいいいことなのは間違いない。

 平民…それも学院で奉仕するメイドの事で、どうして自分たち貴族が頭を悩ませる必要があるのかと誰もが呆れるであろう。

 ルイズとしてもそういう風に考えていたし別に先に言おうが言わまいかという迷いなど、どうでも良い事なのである。

 しかし、一度考え込んでしまった悩みを頭から振り払うという事ができる程ルイズは器用ではなかった。

 シエスタには霊夢や魔理沙たちの分を含めて、双方ともに大小区別なく貸し借りを作ってしまっている。

 ルイズは一貴族としてしっかりと借りは返したいし、シエスタだって霊夢たちに受けた恩を返しきれてないと思っているに違いない。

 

 だからこそ貴重な休日を、自分たちと一緒に過ごしたいと言っていたのであろうし、

 それを考慮してしまうと、どうにもルイズは迷ってしまうのだ。

 

(私が気を利かせて聞いてみる?…それとも、サプライズっていう事でシエスタに言わせた方が良いのかしら…)

 おおよそ一般的な友達づきあいのしたことのないルイズにとって、その選択肢はあまりにも難しいものであった。

 中途半端に残ったアイスティーを、その中に浮かぶ氷を眺めながらルイズは二つの選択肢を延々と比べてしまう。

 聞くか?それとも言わせるか?―――誰にも聞けぬままただ一人ルイズは考え続け、そして…。

「―――…ズ?…ちょっとルイズ!」

「ひゃあ…っ!」

「お…っと」

 突然霊夢に右肩を叩かれた彼女はハッと我に返ると同時にその体をビクンと震わせた。

 そのショックでおもわず倒れそうになった中身入りのコップを魔理沙が掴んで、零れるのを何とか阻止してくれた。

 

 驚いてしまったルイズは暫し呆然とした後で、再びハッとした表情を浮かべてテーブルへと視線を向けて、

 飲みかけのアイスティーがテーブルに紅茶色の水たまりを作っていないの確認して、安堵のため息をついた。

 そして、自分の肩を急に掴んできた霊夢の方へキッと鋭い視線を向け、抗議の言葉を口に出す。

「ちょっとレイム、いきなり肩なんかつかまれたら驚くじゃないの」

「そりゃー悪かったわね、まぁその前にアンタには二、三回声を掛けたんですけどね」

 負けじとジト目で睨み返す霊夢の言葉に、魔理沙もウンウンと頷いている。

 どうやら声を掛けられたのに気付かない程考え込んでしまったらしい、そう思ってから無性に恥ずかしくなってきた。

 

 思わず赤面してしまうものの、気を取り直すように咳払いしてから霊夢の方へと向き直る。

「…で、私に声を掛けたって事は…何か聞きたい事でもあったの?」

「別に。ただアンタが何か考え込んでるのに気が付いたから、何してるのかって聞こうとしただけよ」

「あ、あぁ…そうなんだ」

 てっきり大事な話でもあるのかと思っていたルイズは肩透かしを喰らってしまう。

 薄らと赤くなっていた顔も元に戻り、ため息と共に残っていたアイスティーを飲み干して席を立った。

 それを見て店を後にするのだと察した霊夢と魔理沙もよいしょと腰を上げて、忘れ物がないか確認し始めた。

 最も、二人してルイズと違って荷物と呼べるものは持っていないので、身に着けているものチェック程度であったが。

 霊夢はデルフを一瞥しつつ何となく頭のリボンを整え、魔理沙は膝の上に置いていた帽子をそっと頭に被っている。

 テーブルの端に置かれた伝票を手に取り合計金額を確認し始めた所で、今度はデルフが話しかけてくる。

 

『ん?何だ、もうお勘定か?』

「えぇ。いつまでも長居できるわけじゃないしね。……あれ?結構値段を抑えられたわね」

 伝票の数字と睨めっこしつつもルイズはデルフにそう返し、次いで予想していたよりも食事が安く済んた事に喜んでしまう。

 いつもならそんな事はしないのだが、使える金が限られている今は伝票に書かれた金額で一喜一憂してしまう。

 目の前にいる二人と一本はともかく、こんな姿をツェルプストーや学院の生徒に見られたら後日を何を言われるのやら…

 同級生たちに指差されて嘲笑される所を想像して憂鬱になりながらもルイズは足元に置いていた鞄を肩にかける。

 少し重たくなったような気がするそれの重量を右肩に掛けたベルト伝いに感じつつ、霊夢達を連れて外を出ようとした。

 その時であった。ルイズと霊夢が入ってきた本来の出入り口の前に立つ、二人の衛士を見つけたのは。

 

「ん?ちょっと待って二人とも」

 先頭にいたルイズがそれに気づき、彼女と共に店を出ようとした霊夢達を止めた。

 

 

 右手に短槍、左手には何やら巻いて棒状にした何かのポスターを持っており、腰には剣を差している。

 どうやら近くにいた店長である中年男性と、何やら会話をしているらしい。

 お互いの表情は、今いる位置からでも血生臭い事は起こらないと確信できるほど平穏である。

 一体何を話しているのだろうかと気になった時、霊夢と魔理沙もルイズの肩越しから彼らの姿を目に入れた。

 

「おや、衛士さんじゃあないか。こんな店に何の用なんだ?食事か?」

「そんな感じには見えないけど、近づいて何を話してるのか盗み聞きしてみる?もしかしたらあの盗人の事かも…」

「やめときなさいよアンタ達、下手にちょっかいかけて目ェつけられたら任務に支障が出るかもしれないじゃない」

 二人の提案を即座に却下しつつも、内心ルイズも少しばかり何を話しているのかは知りたかった。

 王都を守る衛士等もこういう店には来ることはあれど、基本的にそれは非番の時か食事を外で済ます時だけだ。

 しかし今店長としているであろう会話は、控えめに考えても何か聞き込みをしているようにしか見えない。

 もしかすれば霊夢の言うとおり、自分たちのお金を盗っていったあの少年の事について話している可能性も…無くはないだろう。

 

「ひとまず勘定はあそこで支払うから、もう少し…ってアレ?」

「もう少し待つ前に、もうどっかに行っちゃうらしいわね」

 とりあえず彼らが去ってから勘定を支払おう…と提案しかけた直前に、衛士達は手を振って店を手で行った。

 それに手を振りかえす店長らしき男の左手には、衛士の一人が持っていたポスターを握っている。

 一体何だったのかと思いつつ、まぁいなくなったのなら気にすることも無いだろうとルイズは歩き出した。

 彼女の後に続くようにして霊夢達も足を動かし、三人そろって店長のいるカウンターへと移動する。

 

「ご馳走様、お勘定を払いに来たわ」

 手に持っていた伝票をカウンターに置くと、五十代半ばの店長はルイズに頭を下げた。

「おぉ旅の貴族様、どうもウチでお食事いただき誠にありがとうございます!では…」

 店長が礼を述べて伝票を受け取ってから、ルイズは腰に下げている袋から食事代の金貨を出していく。

 今はまだまだ袋は重いが、今残っている金額では王都で外食しながら泊まるのは一週間…切り詰めても二週間ももたない。

 これが底をつけば自分のお小遣いは文字通りゼロになるし、最悪ドブネズミやら蝙蝠を捕まえて調理する必要に迫られてしまうのだろうか?

 

 そんな冗談を想像しつつも、それが現実になるまで後一週間程度しかないという事にルイズはゾッとしてしまう。

 脳裏に浮かんだネズミ料理のイメージを振り払いつつ、店長が金貨を数えている間を待つ霊夢を一瞥した。

(私と魔理沙も気を付けなくちゃだけど、霊夢には早いところアイツを捕まえて貰わないとね…)

「…よし。金額に余分がありますので、五十スゥと七三ドニエの御釣りですよ貴族様」

「え?…あ、あぁそうなの。有難うね」

 

 

 

 危うく店主の言葉を聞き逃すところであった彼女は慌てて返事をすると、店主がカウンターの下を漁り出した。

 何をするかと思いきや、取り出したのルイズの顔よりもやや大きい鉄の箱であった。

 取っ手と頑丈な錠前がついているのを見るに、どうやら御釣り用のお金が入っているらしい。

 一緒に持っていた鍵で錠前を外して蓋を開けると、十秒もかからず店長は御釣り分の銀貨と銅貨をカウンターの上へと置いた。

「え~と、ひーふー…一応貴族様も御釣りが合っているかどうか確認をお願いしますよ」

 箱の蓋を閉じた店主にそう言われて、ルイズはすぐにその二種類の硬貨を数えはじめる。

「…確かにさっき言ってた金額通り、それじゃあこのまま頂戴しておくわね」

「毎度ありです。今後近くを通った時はウチの店を御贔屓に」

 貴族様からのお墨付きをもらった店長は満面の笑みで頭を下げて、いそいそと箱に鍵をかけ始める。

 ルイズも袋に銅貨と銀貨を入れていき、最後の一枚となる銀貨を入れた所で、後ろにいた霊夢が声を上げた。

 

「あの、ごめんなさい。ちょっと良いかしら?」

「んぅ?何でございましょうか」

 てっきりルイズの従者と勘違いしている店長が敬語でそう聞き返すと、彼女はある物を指さしてみせる。

 それは先ほどやってきた衛士達が彼に渡していった、巻いたままにしているポスターであった。

「そのポスター…さっきまで来てた衛士達が置いていったけど…ちょっと気になってね」

「ん、あぁ…これですかい?」

 霊夢の指差は先にあったポスターを見た店主がそう言ってポスターを手に取ると、

 丁度真ん中の辺りで括っている紐を解きつつ、質問をしてきた彼女へ手短かに説明しはじめた。

「何でも、王宮の方で指名手配犯が出たからそれの似顔絵ってんで持ってきたんですよ」

「指名手配…ですって?」

「それまたエラく物騒で今更過ぎるな?この街で指名手配される奴なんて、それこそ星の数ほどいるだろうに」

 解いた紐を足元のゴミ箱に捨てた店主の口から出た単語に、ルイズと魔理沙も反応する。

 指名手配のポスター自体は別に珍しいものではないが、少なくともそういうモノが貼られるという事は滅多に無い。

 

「指名手配とはそれまた御大層じゃないの?」

 流石の霊夢も聞き慣れぬ言葉に素直な感想を漏らすと、店長は「まぁ事情が事情ですしな」と返しつつ、

 巻かれていたポスターを両手で広げながら更に衛士達から聞いた情報をそのまま彼女たちに伝えていく。

 

「今朝こっちの方で衛士姿の白骨死体が見つかった事件があって、それに関しての容疑者候補が一人上がったらしくてね、

 それがどうやら…身内の衛士さんらしくて、しかも昨日から行方不明っていうだけで白骨死体を作った張本人扱いされてるらしいんですよ」

 

「何ですって?」

 今朝、その現場の近くにいた霊夢は、下水道にたむろしていた衛士達やアニエスの姿を思い出した。

 確かあの時、先に現場にいた人々は皆衛士姿の白骨死体がどうとか言っていたのは覚えている。

 それから後の進展は全く聞いていなかったが、まさか今になってその話が出てくるとは思ってもいなかった。

 しかし、彼の口から語られるその情報に違和感を感じたであろう彼女が一つ質問をしてみる。

「容疑者候補…?それって何か証拠とか…詳しい情報はないの?」

「さ、さぁ…そこまでは言ってませんでしたが。…あぁ、そうだ!これが容疑者候補とかいう衛士さんの似顔絵らしいですよ」

 霊夢からの質問に店長は首を傾げつつも、自分の方へと向けていたポスターの表面を彼女たちの方へと向ける。

 丁度ルイズの顔より少し大きいポスターに書かれていた似顔絵は、どうみても女性のそれであった。

「へぇ~…女性の衛士が犯罪ねぇー?何か色々ワケありそうだけど…」

 ポスターに描かれているその顔を見て色々と勘ぐってしまう霊夢に、魔理沙がすかさず続く。

「きっとセクハラしようとしてきた同僚をうっかり……って、どうしたんだルイズ?」

 しかし、自分たちの前にいるルイズがそのポスターの似顔絵を見て、様子が変なのに気付いてその言葉は止まってしまう。

 店長も「貴族様、どうかしまして…?」と気遣うものの、彼女はそれを無視してじっと似顔絵を見続けている。 

 

 いかにも男の職場の中で働き、鍛えて来たかのような鋭い目つきに似合う厳つい表情。

 青い髪に碧眼という、平民出とは思えぬ整った顔つきは下手すれば貴族と見紛う程の綺麗さ。

 美しくさと強さを兼ね備えたかのような戦乙女のような女性の似顔絵を、ルイズは知っていた。

 ここへ来る前―――そう、『魅惑の妖精』亭へと戻る道すがら、彼女はこの顔とそっくりの女性と出会ったのである。

 時間にすればほんの一瞬であるが、突然通りに出てきたぶつかった記憶は今もはっきりと頭の中に残っていた。

「私の記憶違い?…ううん、違うわ…私、この顔の女性(ひと)と通りでぶつかって…―――……?」

 小さな独り言をぶつぶつと呟きながらポスターを見つめていた彼女は、ふと似顔絵の下に文字が書かれていたのに気が付く。

 何かと思って視線をそちらのほうへ向けると、こんな文章が書かれていた。

 

――○○○○○○詰所所属衛士隊員『ミシェル』

――――同僚殺害及び軍事機密情報の売買に関わった疑いあり!

――――――この顔にピン!ときた方は、すぐに最寄りの衛士詰め所か警邏中の衛士に声を掛けてください



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第九十二話

 

 時間が午前から午後へと移り変わってから一時間が経ったばかりであろう時間帯。

 一行に人の減らぬ王都の建物や掲示板などに、衛士達がなにかを貼っている光景を多くの人々が目にしていた。

 何をしているのとかと気になった者たちが率先して調べてみると、それは女性の似顔絵が描かれてたポスターであった。

 似顔絵の女性はやや強気な表情であったが、十人中何人かは確実に一目ぼれするであろう綺麗な顔立ちをしている。

 青い髪に碧眼という特徴にも男たちは興味を示しつつポスターを見直して―――そして愕然した。

 

―――○○○○○○詰所所属衛士隊員『ミシェル』

―――――同僚殺害及び軍事機密情報の売買に関わった疑いあり!

――――――この顔にピン!ときた方は、すぐに最寄りの衛士詰め所か警邏中の衛士に声を掛けてください

 

 そのポスターは、似顔絵の元となったであろう女性の指名手配ポスターだったのである。

 一体このミシェルと言う名の美人衛士は、何の理由があってそんな重犯罪を犯したのだろうか?

 多く男達がそんな反応を抱きつつポスターに釘点けになり、通りがかった他の平民たちも何だ何だとそちらの方へと足を運ぶ。

 やがてポスターの貼られている場所には大きな人だかりが出来、多くの人々の目と記憶に『ミシェル』の名と顔が焼きついて行く。

 似顔絵自体の出来も非常に良かった事が仇となったのか、ポスターに書かれた絵だけでも見に来る者たちも何人かいる。

 そして人が集まればそれだけで幾つもの意見が生まれる、つまるところ、街中で人々の議論が始まったのだ。

 ある者は彼女を見て是非ともお近づきになりたいと願い、ある者は彼女を捕まえて賞金にありつこうと企み、

 またある者はこんな綺麗な人が同僚殺しなんかの重犯罪を犯すワケはない、これは何かの陰謀だ!と騒いでいる。

 

 終わりの見えない議論は延々と続き、それだけでも元から喧しい王都は更喧しくなっていく。

 そんな耳に良くない場所なりつつある街中を歩きながら、ルイズ達は人だかりのできている場所へと目を向けていた。

 彼女、そして霊夢や魔理沙達の視線に先にあるのは、ブルドンネ街にある小さな広場の――中央に建てられた情報掲示板である。

 普段は王宮から発布されたお知らせや、近所にある本屋が品切れしていたモノや新品の本などが入荷してきた時、

 同じく近くにあるベーカリーなどが焼き立てのパンを店に出す時間帯などをポスターに書いて貼り出している掲示板だ。

 しかし今は、それらの情報がかすんでしまう程綺麗な指名手配犯のポスターを一目見ようと多くの人々が訪れている。

 

 そんな騒がしくなりつつある広場を通りから眺めていると、それまで黙っていた魔理沙が口を開いてこう言った。

「…にしたって、指名手配犯が出たってだけでこうも賑わえるモンなのかねぇ?」

「まぁ指名手配自体王都で出るのは珍しいかも。地方だと色んな犯罪者が手配されてるそうだけどね」

 魔理沙の言葉にルイズがそう返すと、先ほど昼食を頂いた店で見せて貰ったポスターの事を思い出す。

 中央にデカデカと書かれていた青い髪の女性『ミシェル』の顔と、その下に添えられた罪状と指名手配のお報せ。

 そしてあの似顔絵とそっくりの顔を持ったフードの女と、彼女を追っていたであろう謎の男達。

 

 彼女はひょっとすると、あのポスターに描かれている『ミシェル』だったのではないのだろうか?

 と、すれば…あの男たちは何だったのであろうか?少なくとも、そこら辺の平民よりまともな人間ではなさそうだった。

 彼らが探していたのは間違いなくあのフードの女性だったのであろうが、彼女は何故逃げようとしていたのだろうか。

 そうして幾つもの疑問が脳裏を過り続け、またもや思考の渦に足を突っ込みそうになったルイズは慌てて頭を振った。

 突然そんな行動した彼女に霊夢と魔理沙が首を傾げるのをよそに、ルイズは余計な事を考えようとした自分を叱る。

(何を考えてるのよルイズ。私の記憶違いなのかもしれないし、第一彼女か『ミシェル』だったとして、私に何ができるっていうの?)

 

 ただでさえ厄介な事案を複数抱え込んでいるルイズにとって、これ以上の厄介ごとは正直ゴメンであった。

 スリの犯人はまだ見つかっていないし、情報収集は今になって始めたばかりで手紙一通すら送れていない。

 そこへ更に重ねるようにして厄介ごとであろうモノに首を突っ込んでいては、やるべき事もやれなくなってしまう。

 第一、通りでぶつかっただけの自分がこの広い王都で彼女と何とか再会し、追われていた理由を問うべき道理など全くない。

 気になるのは気になるが、これ以上の問題を抱えることをルイズはしたくなかったのである。

(…所詮ただ道でぶつかっただけ、私が首を突っ込んでも仕方ない事よ)

 ポスター前に集まっている人々の姿を見つめながらそう自分に言い聞かせていた時であった、魔理沙が声を掛けてきたのは。

 

「どうしたんだルイズ?そんないつも以上に悩んでいる様な表情見せるなんて」

「魔理沙?…別に、何でもないわよ」

 恐らく、自分が『ミシェル』と思しき女性に出会ったことを一番話してはならないであろう黒白の呼びかけに、彼女は平静を装って返す。

 しかし、それに対して普通の魔法使いは「えー、そうか?」と怪訝な表情を浮かべて首を傾げて見せる。

「私にはなーんか色々考え事してるように見えたんだけどな?」

「…ふ、ふん!考え事や悩み事ならもう十分足りてるわよ」

「んぅ~そりゃそうか、今の私達って色々と問題を抱えちゃってるしな。主に霊夢のおかげで」

「うっさい、この黒白」

 本当に霊夢より勘が鈍いのか、割と鋭い指摘をしてくる魔理沙のルイズの平静さに若干罅が入りかける。

 幸い余計な一言のおかげで霊夢が横槍を入れてくれた為、魔理沙の話し相手も勝手に彼女へと移っていく。

 

 二人の喧嘩混じりの会話を聞きながら、ルイズは内心ホッとため息をついた。

 もしも魔理沙に今日通りでぶつかった女性が指名手配された女衛士と似ていたと言っていたら、大変な事になってたかもしれない。

 霊夢曰く、自分よりも面白く厄介な事に首を突っ込みたがるらしい彼女ならば、真っ先にその女性を捜そうと言っていた事だろう。

 そうなったら情報収集どころの話ではなくなるし、下手すればこの王都にいられなくなっていたかもしれない。

 ひとまずは回避できた未来を想像していたルイズは、ホッと安堵のため息をついた。

 ふと霊夢達の方を見てみると既に静かな口喧嘩は終わっており、お互い平穏な買いをしている。

 

「…そういやアンタ、道に迷った女の子が泊まってるっていうホテルの部屋ってどれくらい綺麗だったのよ」

「そうだなぁ、アソコを普通とするならスカロンの店は間違いなく倉庫レベルになっちゃうだろうなー」

『失礼な事言うなぁお前さん、ちったぁ無料で泊めさせてもらってる恩義くらい感じろよ?』

「魔理沙、それ本気で言ってるワケ?…実際今は倉庫で寝泊まりしてるようなものだから洒落になってないわよ」

『いやいや、突っ込むところが違うだろ』

 途中からデルフも混ざった二人と一本の会話を聞いて、ルイズも何となく霊夢の言葉に頷いてしまう。

 

 今日はスカロンが雨漏りを直してくれたものの、確かにあそこはどう見ても…少なくとも今は倉庫であるのは間違いない。

 正直言って彼女自身もイヤなのではあるが手持ちの金が限られている今、一番費用が掛かる宿泊代が浮くのは嬉しいのである。

 だから今の所ルイズも我慢はしているのだが、この二人は自分の気持ちをすぐに口に出してしまうようだ。

 まぁスカロンや『魅惑の妖精』亭の人間がいないこの場所でなら確かに言いたい放題だろう。

 とはいえ流石に本音を垂れ流して貰っては困る為、ルイズはほんの少し注意してあげることにした。

 

「全く、アンタ達…倉庫なのは本当の事だけどスカロン達の前でそんな事いわないでよね?」

「それはわかってるわよ。だけどあんな場所に押し込んでおいて、文句を言うなってのは無理な事じゃない」

「まぁそれはそうよね。…っていうか、押し込んだのはアンタん所から来たあの狐なんじゃないの」

『そういやそうか、本人はスカロンに許可取ったっていうが…多少の悪意はありそうだよなぁ~』

 デルフの言葉に霊夢がそれはあり得ると思った。その時であった――――

 

「ふぅ~ん?中々言ってくれるじゃないか、剣の癖して口も達者とは恐れ入る」

 

 ルイズ達の進む方向から、その狐の声が聞こえてきたのは。

 突然の声にまずはルイズが足を止め、次いで霊夢がルイズに向けていた顔を前へと向ける。

 そのにいたのは案の定…何処から姿を現したのか、自分たちの前へ立ちはだかるようにしてあの八雲藍が佇んでいた。

 九尾と耳を限界まで縮めた人の姿にラフな服装という出で立ちで両腕を組んで、呆れたと言いたげな表情を浮かべている。

 今も尚多くの人の往来が激しい通りの真ん中であるのにも関わらず、その存在感はイヤにハッキリとしていた。

 霊夢は咄嗟にルイズの前へ――無論相手がやる気ではないのは理解していたが――出て、彼女へ話しかける。

 

「アンタ…一体何時からいたの?私でも気づかなかったんだけど」

「修行不足が目立つな霊夢。少しお遊び程度で、お前たちが昼食を終えた時から後を追っていただけだ」

「式の仕事だけじゃなくてストーカーまでこなすとは…流石は九尾狐といったところだぜ」

 霊夢の問いかけに藍はあっさりと自白し、そこへ魔理沙がすかさず茶々を入れる。

 こんな時にそんな冗談は…と言おうとしたルイズは、黒白の顔を見て思わず口をつぐんでしまう。

 魔理沙がその顔に浮かべているのは笑みであったが、それはいつも見せているような人を小馬鹿にしたような笑みではない。

 まるで張りつめたピアノ線の様に緊張を露わにし、一度力を入れればすぐにでも歯をむき出して笑う一歩直前の笑顔。

 そして霊夢も構えてはいないものの、相手が『下手に動けば』すぐにでもその袖の中へと手を伸ばすであろう。

 

 さっきまでお昼ご飯を食べて、とりあえず『魅惑の妖精』亭に戻ろうかと歩いていた最中だというのに…。

 たった一人――彼女たちと同じ世界から来た藍が現れただけで、二人はその気配がガラリと変わってしまった。

 指名手配がどーだの屋根裏部屋がどーたらと話していたのが、つい直前の事だと想えなくなってしまう。

 多くの平民、そして貴族が往来する通りのど真ん中で睨み合う三人に囲まれたルイズの喉は、潤いを求めてしまう。

 言葉が噤んでしまったついでに、開きっぱなしだった口から空気が入り込み、中途半端に喉が乾いてしまったのである。

 ルイズは慌てて口を閉じて唾液で潤そうとするが、自身が一番緊張しているためか中々うまくいかない。

 それでも何とか痒みすら訴えてくる乾きを消すことができた彼女は、霊夢の背中に差したデルフへと話しかけようとする。

 

「で…デルフ…」

『まぁそう焦るなって娘っ子、ここでバカ起こせばどうなるかぐらい…コイツらだって理解してるさ』

「ふぅー、全くだな。…失礼な事を言っていたから少し怒っただけだというのにでこうも身構えられてしまうとはな」

 緊張するルイズを宥めるデルフの言葉に藍はため息をついてそう言うと、組んでいた腕をすっと下ろした。

 途端、自分達に向けられていた存在感が薄れ、彼女もまた通りを歩く人々の中に混ざり込んでしまう。

 それを察知して霊夢もため息をついて構えを解き、魔理沙はいつもの人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべ直している。

 二人も楽な姿勢になったのを確認してから、藍は彼女たちへ近づきつつ肩を竦めながら話しかけてきた。

「それにしてもお前らまだ構える事は無いだろう。てっきりここで弾幕ごっこを仕掛ける手来るかとおもったぞ?」

「バカ言わないでよ。…第一、アンタなら手を出さなくても幻術やらの類で私達をどうにでもできるでしょうに」

 お互い言葉の端々に刺々しい雰囲気を漂わせるものの、すぐに争いが始まるという雰囲気は全くない。

 魔理沙との会話もそうであるのだが、幻想郷の住人達は会話だけでも刺々しいのが文化なのであろうか。

 

 何はともあれ、物騒な事にはならないだろうと理解したルイズはついつい安堵のため息をついてしまう。

「はぁ~…何でこう、昼食が終わったばかりのタイミングでヒヤヒヤさせられちゃうのよ」

「全くだな。まぁお互い好戦的な性格なうえに戦る時は戦るから正直私も冷や汗かきそうだったぜ」

 安堵すると同時に出た自分の文句にそう言いつつ、魔理沙がルイズの傍へと近づいた。

 さっきまで自分の前に出てきた霊夢同様、ただならぬ緊張感のこもった笑みを浮かべていた普通の魔法使い。

 それなのに今はいつもの人を小馬鹿にしそうな笑顔でもって、他人事のようにさっきの出来事を語っている。

 ルイズはそれに腹立たしい気持ちを抱いたのか、ニヤニヤする彼女へ向かって「アンタもアンタよ」と非難言葉を向けた。

 

「まぁそう怒るなよルイズ。流石のアイツらだってここで暴れるなんて事をしないなんて想像がつくだろう」

「そりゃそうだけど…だったら、何でアンタも霊夢に混じってあんな野獣みたいな笑みを浮かべてたのよ」

 ルイズの言葉に一瞬キョトンとするもすぐに思い出したのか、暫しう~ん…と唸った後で彼女はこう答えた。

 

「まぁ何というか…その場のノリだな。格好良かっただろ?」

「…アンタ、本当に最高な性格してるわね」

「その言葉、お前さんの口から出た私への最良の賞賛として覚えておくよ」

 ある意味霊夢とは別方向で厄介な彼女に呆れつつも、最高の皮肉を込めた言葉をルイズは送る。

 しかしそれでも魔理沙は気にしてもいないのか、逆にお礼まで言われてしまったのだが。

 

 

 その後、自分たちを追跡していた藍と合流してルイズ達はそのまま『魅惑の妖精』亭へと戻ってきた。

 既に朝から取りかかっていた屋根の修繕は終わったのか、店の屋根には人影は見えない。

 後一、二時間もすれば店の開店準備が始まるだろうと思いつつ、ルイズが羽根扉を開けると、

「あっ、ミス・ヴァリエールにレイムさんと魔理沙さん…それにランさんも!」

 ちょうど開けてすぐ近くにあるテーブルの上に大きく膨らんだ紙袋を下ろしたシエスタと鉢合わせる事となった。

 どうやら見たところ、彼女も時同じくして帰ってきたところなのは一目瞭然である。

 ルイズは店に入ってすぐ近くにいたシエスタに若干驚きを隠せないでいるのか、おっ…と言いたげな表情を浮かべている。

「あぁ、シエスタじゃないの。…ただいま、で良いのかしら?」

「見れば分かるでしょうに。どこをどう見てもただいまで合ってるじゃない」

「…こういう時。、どんな顔すれば良いか分からないんだけど」

 とりあえず口にしてみた自分の言葉に突っ込んでくる霊夢にそう返しつつ、シエスタの元へ近づいていく。

 

 彼女もあの暑い炎天下の中で、私物やら何やらを購入してきたのであろう。

 額や顔には汗が滲んでおり、目の錯覚か平民向けの安い服が汗で薄らと透けているようにも見える。

 次にテーブルに置いた紙袋の中身を一瞥しようとしたところで、ふと話しかけられてしまう。

「それにしても奇遇ですよね。…まさか三人一緒だけじゃなくて、ランさんも一緒にいるだなんて」

「え?え、えぇまぁね。ちょっと昼食終わった街中歩いてた時にバッタリ鉢合わせちゃったのよ」

 すぐにシエスタの言葉に返事しつつも、ルイズは袋の中身が気になったのかそれを聞いてみることにした。

「そういえばシエスタ。結構重そうな紙袋だけど何買ってきたのよ?」

 人差し指をテーブルの上の紙袋に向けてそう聞いてきたルイズに、シエスタは「これですか?」と袋の口を開けた。 

 

「特に貴族様が気になるような物は買ってないのですが、そうですねぇ…例えばコレとか」

 そんな事を言いつつ、音を立てて紙袋を漁るシエスタが取り出したのは一本の歯ブラシであった。

 木製の持ち手に歯磨き用に調整された馬の尾の毛を組み合わせてつくられている小型ブラシである。

 一昔前までは少しお高くついたものの、今では王都にも工房がいくつも出来ているため平民たちの間でも普及し始めている代物だ。

「前使ってた歯ブラシが少しバカになってきたので、思い切って新品を買ってみたんですよ」

 まるで新しい玩具を買ってもらった子供の様に微笑みながら歯ブラシをルイズに見せつけてくるシエスタ。

 普及し始めた値段が低くなってきたとはいえ、値段的に平民が歯ブラシをそうそう何度も買い替えるのは難しいのだ。

 

 シエスタが袋から取り出した歯ブラシに興味をしめしたのか、ルイズの後ろにいた霊夢達も彼女の近くへ集まってくる。

「へぇ、一体どこへ行ってのかと思いきや…新しい歯ブラシを買いに行ってたのねぇ」

「つまり…あの袋の中は新品の歯ブラシで一杯という事か」

「いやいや、そんなワケないでしょうに」

 霊夢に続き、阿呆な事を言った魔理沙にルイズはすかさず突っ込みを入れてしまう。

 それを見たシエスタも苦笑いを顔に浮かべつつ歯ブラシをテーブルに置くと、話を続けながら袋を漁っていく。

「ははは…まぁ歯ブラシだけじゃなくて、学院生活で使う日用品とか色々新調しようと思って…ホラ、例えばこういうのとか」

 

 そう言いながら紙袋からスリッパやクシ、紅茶用のマグカップなど数々の品をテーブルに並べていく。

 これには貴族であるルイズもおぉ…と驚きの声を上げてしまい、霊夢達と一緒にその様子を眺めてしまう。

 結果…一分と経たず丸テーブルの上は、彼女が購入して来た日用品で占領されてしまった。

「うわぁ、これは圧巻ねェ」

「今までは古くなってきた物を誤魔化して使ってた来たから、自分でも変な新鮮感を覚えちゃいますよ」

 思わずそう呟いてしまったルイズに、シエスタは自分の子ながらエッヘンと胸を張ってしまう。

 平民向けといえど、これほどピカピカの新品を前にすれば気分が良くなるのも無理はないだろう。

 

 流石魔法学院で働くメイド。微々たる程度だが、そんじょそこらの平民よりかは金回りが良いのだろう。

 そんな事を思いつつも、魔理沙はシエスタの新しい日用品を見下ろしながら何気なくこんな事を言った。

「まぁ本となると別だが、こういうモノはある程度使い古したら思い切って新品に変えるのもアリだしな」

「えへへ…。さすがにこれだけ買い揃え目るのにお給金一月分の五分の二ぐらい使っちゃいましたけどね」

「アンタのお給金がどれくらいが分からないけど、そこまでしたら気持ち良いだろうに」

「そうですね。思い切ったところまでは良いんですが、何か今になってやりすぎたかなーって思う所もありまして…」

 

 霊夢の問いかけに嬉しさ反面、若干の後悔が滲み出てる彼女の言葉にルイズは変に納得してしまう。

 確かにお金があり過ぎると、購買意欲が薄いものにまでついつい手が出てしまい、後で何故買ったのかと自問してしまうのだ。

 最もルイズ自身はそういう経験は少ないものの、魔法学院ではそれで後悔している生徒を良く目にすることがある。

 下手に親から大量の仕送りを貰う生徒程無駄遣いをして、次の仕送りの日まで地獄を見ることになるのだ。

 

(まぁぶっちゃけ、私も人の事を指させる立場じゃあ無いのよねぇ)

 とはいえルイズも、つい先日までは大量に貰った資金で情報収集を兼ねたバカンスに繰り出そうとしたのだ。

 平民と貴族とでは贅沢のハードルに差があり過ぎるものの、今になって考えてみると後悔してしまう。

 高くていいホテルに泊まらず、そこら辺のそこそこ良い宿に泊まっていれば、スリに遭わずに済んだかもしれな いというのに。

 アンリエッタから貰った資金をむざむざ盗まれてしまった資金の事を思いだそうとしたところで、彼女は首を横に振った。

 

(…後悔後先に立たず。過ぎた事を今になって悔やんでも仕方のない事よルイズ)

 

 その後、テーブルに広げた日用品を紙袋に戻し終えたシエスタと共にルイズ達は二階へと上がった。

 会話に参加してこなかった藍は既に厨房で今夜の仕込みを初めており、一階からそれらしい音が聞こえている。

「でもまだ誰一人起きてきて無いよな?アイツ、よっぽど暇してるようだぜ霊夢」

「少なくとも迷子を案内した後でそのままやるべき事サボってたアンタにそれをいう資格は無いとおもうけど?」

 怪談を上った後、誰もいない二階の廊下を見て魔理沙が呟き、霊夢がそこへ突っ込みをいれる。

 まぁ彼女の突っ込みは何も悪くないだろうとルイズが思った所で、シエスタが声を掛けてきた。

 

「じゃあ私、これから買った物の整理があるのでひとまずこれで…次は夕食の時にでも」

「ん?…えぇ、また夕食時にね」

 両腕で紙袋を抱えつつ、器用にドアを開けたシエスタからの言葉に霊夢が顔を向けて左手を振る。

 それに対し手を振る代わりに笑顔を送った後、彼女はスッと寝泊まりしている部屋へと入っていった。 

 ドアが閉まりきるところまで見て再びルイズ達の方へ向いたところで、彼女は一人呟き始める。

「夕食時って言ってもねぇ、今夜も盛況になりそうだし大変よねぇ~…こういう所で働くっていうのは」

「流石博麗の巫女とかいう自由業やってるだけあるな。お前の言葉には全力で納得できないぜ」

「それをアンタが言っても全然説得力ないわね?…それと、シエスタは今日と明日休み貰ってるらしいから平気よ」

 ルイズは他人の事を言えない魔理沙に容赦ない突っ込みを入れつつも、

 下げっ放しになっていた三回への隠し階段を上りながら彼女たちに今日のシエスタの事を話していく。

 

「それは初耳だな。恥かしがらずに言ってくれれば良かったのに」

「その前に私達がどっか行っちゃったから言うに言えなかったんじゃないの?」

 シエスタが休暇を取っていた事にそれぞれ反応を見せつつ、ルイズに続くようにして階段を上っていく。

 見た目同様、やや細めながらもしっかりとした造りをしていると感じさせてくれる階段を軋ませて屋根裏部屋へと入る。

「ただいまー…ってのは何か変な感じだけど……って、あら?」

 階段を先に上っていたルイスズは、部屋に入った所ですぐ目の前に置かれていた道具に気が付いた。

 それはやや使い古した感じのある部屋掃除用の大きな箒と塵取り、それに一枚のメモ用紙が箒に下に置かれている。

 

「ほうき…?」

 目の前に置かれている掃除道具の名前を呟きながらそこまで歩いていく彼女の背後から、

 続いて部屋に入ってきた霊夢もその箒とメモ用紙に気が付き、キョトンと首を傾げた。

「どうしたのよルイズ…って、なんなのその箒?…とメモ?」

 疑問が聞いて取れる霊夢の言葉と同時に箒の下のメモを手に取ったルイズは、ざっと書かれいた文章を読んでみる。

 文章を追うようにして目を左から右へ、右から左へと目を走らせて速読していくる

 

 その時になって、一番後ろにいた魔理沙も何だ何だとやや急ぎ足で屋根裏部屋へと上ってきた。

「おぉ、どうしたんだルイズのヤツ…って、何だその箒?私達が起きた時には無かったような…」

「多分そのメモ用紙に何か書かれてるんだ思うんだけど…どんな内容なのかしらねェ?」

 魔理沙の言葉に霊夢はそう返しつつ>、ルイズがメモを読み終えるのを待っていた。

 本当ならば肩越しに覗いて自分も読みたいのだが、生憎この世界の文字は全く分からないのだ。

 隣にいる黒白なら解読ぐらいしてそうなものだが、霊夢本人からしてみれば蛇がのたくったような記号にしか見えないのである。

 だからこうしてルイズが読み終えるのを我慢して、終わったら何が書いてあったのか聞こうと思っていた。

 まぁ聞かなくとも読む相手がルイズなら、そのまま素直に教えてくれるだろうが。

 

 そんな事を思いつつ待った時間は、ほんの二十秒程度であろうか。

 メモ用紙に書かれていた文章を最初から最後まで丁寧に読み終えたルイズは、ふぅと溜め息をついてから口を開く。

「わざわざメモで書き残して置く事かしら?」

「ちょっとルイズ、何が書いてたのか教えてくれないかしら?」 

 すっかり拍子抜けしてしまったと言いたげなルイズの顔を見て、霊夢は早速問い詰めてみる。

 彼女の問いにルイズはサッと手に持っていたメモを、何も言わずに彼女へ手渡した。

 何気なくメモ帳を手に取った霊夢であったが、当然何が書かれているのか分からなかった。

 

「…差し出されても、読めないんですけど?」

 何も言わないルイズに霊夢が肩をすくめてそう言うと、その背中からデルフが話しかけてきた。

『んぅ…ふむふむ、まぁ娘っ子の言うとおり大した事は書いてないね』

「あぁ、そういやアンタがいたわね。変に静かだったから寝てたのかと思ってたわ。…で、何が書かれてたのよ」

 金属音を鳴らすデルフに霊夢がそう返しつつ、メモの内容がどういったものなのかも聞いた。

『別にどうってことはないが、掃除道具は置いとくから綺麗にしたら…って事だけしか書いてないよ』

「何よソレだけ?それなら別に口で伝えればいいじゃない、たくっ」 

 

 書かれていた事が本当に単純な内容だっただけに、霊夢は足元の箒を見ながらそう言った。

 まぁ何大それた事が書かれていたとしても困っただけなのだが。

 しかし、確かに掃除が必要な程この屋根裏部屋が結構汚れている事だけは確かである。

 霊夢は部屋の端っこで小さく積もっている埃や、先住者の証である蜘蛛の巣を見ながらもその箒を手に取った

「…まぁ暫くここでタダで寝泊まりできるんだし、ちょっとは綺麗にしとかないといけないわよね」

 箒を持って彼女はそう言って背負っていたデルフを床に下ろすと、魔理沙がおぉ!と声を上げた。

 

「おぉ、霊夢がその気になったか。これで今夜は綺麗な屋根裏部屋でグッスリ安眠できるな」

「アンタも手伝いなさいよ。タダでさえ掃除する箇所が多いんだから、猫の手でも借りたいぐらいなのよ」

 すでに勝負はついたと言いたげな笑みを浮かべる魔理沙に、霊夢はすかさず手伝うように誘う。

 彼女の言うとおり屋根裏部屋は相当汚れており、全部を綺麗にするのには結構な時間が掛かるうだろう。

 始める前からすでに自分に任せて楽しようとしてる黒白を睨む霊夢を前に、しかし魔理沙はその態度を崩そうとはしなかった。

「勿論手伝ってはやりたいがね、何せ私にはこれからサボってた仕事をしなきゃならないしさ」

「仕事?あぁ…」

 一瞬だけ何を言っているのかと訝しんだ霊夢は、すぐに魔理沙の言いたい事を理解する。

 

「呆れた!わざわざ掃除したくないってだけで姫さまから託された仕事を理由にするなんて!」

「おぉっと、誤解しないでくれルイズよ。私だって、スカロンが掃除道具を置いて行ったことなんて予想してなかったんだぜ?」

 彼女に続いてルイズも気づいたのか、呆れと僅かな怒りが混じった表情で魔理沙に詰め寄ろうとする。

 しかし魔理沙は近づいてくるルイズをスルリと避けて、二階へと降りる階段の方へと走っていく。

 危うく踏みそうになったデルフを軽く飛び越えた彼女はそのまま階段を降り始め、頭だけ見えている状態で二人の方へ顔を向けた。

「まぁ掃除をサボる分、二人にとって価値のある情報を持ってくるから期待しといてくれよな?それじゃっ」

「あっ、ちょっと!」

 

 ルイズが待ちなさいと彼女を制止する前に、魔理沙はそのまま音を立てて階段を降りてしまう。

 慌てて階段の傍へ行った頃には、既にあの黒白は一階へと続く階段を降りていくところであった。

 まるであと一歩の所でネズミを逃した猫の様なルイズの姿を見て、背後のデルフがカタカタと刀身を揺らして笑う。

 

『カッカッカッ!黒白に一抜けされたようだな娘っ子―――って、イタタタ』

「一抜けとか言わないでくれる?まるで私がやろうとしてる事が罰ゲームみたいに聞こえるじゃないの」

 失礼な事を言う鞘越しのデルフを箒の柄で軽く叩いてから、霊夢もルイズの傍へと近寄る。

 ルイズの方も近づいてくる彼女に気が付いたのか、スッと後ろを振り返る。

 自分を見下ろす霊夢の眼差しと、その左手に持つ箒を見た彼女はふぅ…と溜め息をついてしまう。

 

「…猫の手も借りたいって言ってたけど、貴族の手ってその猫の手よりも役に立たないと思うけど?」

「貴族だろうが公爵家だろうが箒で床を掃く事くらいできるでしょうに。とりあえず手は貸しなさい」

 そう言って左手の箒を差し出してきた霊夢に、ルイズは何か言いたそうな表情を向けたものの、

 彼女一人では流石に今日中には終わらないと察したのか、観念するかのように箒を手に取った。

 

 

 その後の掃除は、色々と問題を抱えながらもなんとか二人でこなしていった。

 ひとまず箒と一緒に置いてあった塵取りが屈まなくても使える三つ手のものだった為、ルイスでも難なく掃き掃除ができている。

 最初は掃く力が強すぎて埃を飛ばしてしまっていたが、そこは霊夢がアドバイスする事で何とかする事が出来た。

 時折「まさか公爵家の私が掃除何て…」と今の自分に驚いているようだが…まぁ放っておいても害はないだろう。

 一方の霊夢は一階から持ってきたバケツに水を入れて、雑巾で窓ガラスやら使えそうな木箱に纏わりついた埃を拭いていく。

 この屋根裏部屋には人数分のベットはあったものの、何かしら書く際の机やイスの類は見つからなかった。

 だからその代わりに程よい大きさの木箱を使うつもりなのであるが、その事に関してルイズはやや不満を抱いてはいた。

 

「えー?テーブルやイスなら、ランかスカロン辺りに頼めば用意してくれそうだけど…」

「まぁ一応は念のためよ。第一、床を掃いても辺りが埃まみれじゃあ意味が無いわ」

 

 それを聞いてルイズも「まぁ確かに…」と思いつつ、慣れない箒を動かしながら埃を塵取りへ集めている。

 彼女が最初の時よりもちゃんと掃き掃除が出来ている事に満足しつつ、霊夢はふと近くに置いたデルフへと視線を向ける。

 喧しいお喋り剣は埃舞う場所でわざわざ刀身を晒して汚したくないのか、始めてからずっと沈黙を保っていた。

 近くの壁に立てかけられているその姿は、まるで屋根裏部屋に放置された骨董品の武器の様だ。

 刀身自体は真新しくなったが、鞘自体は変わってない為に真新しさが分からず、全く以て意味が無い。

 とはいえ本人(?)はそれを口にすることは無いので、然程気にしてはいないのかもしれない。

 

 そこまで考えていた所で、自分は何馬鹿な事を考えているのかと首を横に振った。

(まぁ私はアイツ自身じゃないんだし、憶測で考えても仕方ないんだけど)

 心中で呟きつつ、しかし雑巾をバケツの中でギュッと絞っている最中もふとデルフの事を考えてしまう。

 それは彼女には似つかわしくない好感情からではなく…ここ最近辺に沈黙が増えた事への違和感であった。

(そういえばアイツ、最近喋らない時が増えて来たけど…何か悩みでもあるのかしら?)

 ちょっと前までは隙あらば喧しい濁声で場を騒がしくしていたが、今では変に黙っている事が多い。

 声を掛ければ普通に反応してくれるし、余計に喋らないのであればこちらの耳にも負担を掛けずに済む。

 しかし、声を掛けなくとも十分騒がしい彼を知っているだけに、霊夢は違和感を感じていたのである。

 

(…とはいえ、悩み事って言われても剣が何を悩んでるのか…全然分からないわね)

 性格と喋り方からして人間ならば間違いなく人生経験豊富で口の悪いおっさんであろうデルフリンガー。

 しかし彼は人間ではなく剣であり、その中でも一際特殊と言われているインテリジェンスソード。

 普段から何を考えて、そしてどうそれを解決しているのかなんて人間である霊夢には中々分かるものではない。

 仮にそれを告白されたとしても解決できるかと言われれば難しいかもしれないし、してやる義理は…一応はあるかもしれない。

 

 その時であった…。

「……お?どうしたレイム、オレっちの事なんかじっと見つめちゃったりしちゃってさぁ」 

 まるで本物の剣の様に何も言わず、壁に立てかけられているデルフの姿を凝視する霊夢の視線に気が付いたのか、

 金属音を軽く鳴らして刀身を鞘から僅かに出した彼は、明るい調子で霊夢に話しかけてきた。

 まさか話しかけて来るとは思っていなかった霊夢は少し驚きつつも、彼の話しかけに応じる。

「別に何でもないわよ。ただ、アンタが何か考え込んでるかのように黙ってるのが気になっただけ」

「……?イヤ、別に何か考え込んでて黙ってたってワケじゃあ無いんだがなぁ」

 自分の言葉に対してデルフの返事に、霊夢は怪訝な表情を浮かべてしまう。

 その顔が「どういう事よ?」と問いかけているのに察し、デルフはそのまま言葉を続けていく。

 

「ホラ、人間だって昼寝するだろ?…それと同じで、オレっちも思考を閉じて頭を休ませてたってワケ」

「頭もクソもない癖に何人間ぶってるのよ、この馬鹿剣が」

 さっきまで真剣に考えていた自分を気恥ずかしいと思いつつも単に休んでいただけというデルフに怒りを覚えた霊夢は、

 彼の傍に近寄ると靴先で軽く小突きつつ、これからは定期的に蹴って起こしてやろうかと邪悪な計画を思いついていた。

 

 

 

 後一時間もすれば日が暮れて赤と青の双月が顔を出すであろう時間帯のブルドンネ街。

 日暮れが迫りつつも人の混雑は殆ど変わらず、貴族平民共に多くの人々が暑い通りを行き来している。

 陽が落ちると共に看板を下ろして閉店する店のほとんどはこの時間帯がピークであり、必死に客を呼びこんでいた。

 パン屋では焼き上がったばかりのバゲットや白パンを夕食用として店の入り口にだし、売り子や店の従業員が声を張り上げる。

 とある惣菜屋ではシチューや肉料理、ラタトゥイユといった料理が出来上がり、それを待っていた客たちが我先に注文していく。

 

 たった一つの通りだけでもこれだけ活気があるのだ。他の通りでもここと同じかそれ以上の人々で賑わっていた。

 そんな暑苦しくも、どこか微笑ましい光景が見れる通りを霧雨魔理沙は箒を脇に抱えて、メモ帳と羽ペン片手に歩いていく。

 黒色が多い服ではさぞや夏の王都は暑いだろうが、彼女は意に介した風もなくテクテクと足を動かしている。

 その視線は手に持ったメモ帳に書いた内容と睨めっこしているが、通行人の誰かとぶつかる様子は無い。

 むしろ視線は前を向いていないというのに、彼女は平然と人を避けながら通りを歩いているのだ。

 伊達に幻想郷で様々な人妖との弾幕ごっこを通して戦ってきた経験が、ここで無駄に生きているようだ。

 

 さて、そんな魔理沙であったが自分でメモ帳に書いた内容に何故か自己評価をつけようとしていた。

 「う~ん、とりあえずあの手紙に書かれた通りの情報は集めた筈だが―――もうちょい集めた方が良いかも…かな?」

 インクの乾いたペン先でページをトントンと軽く叩きながら、集めた情報の量に不満を感じていた。

 そこに書かれている内容は、午前中ルイズが街の人々や下級貴族から集めていた情報と似通っている。

 主に奇襲を仕掛けてきたアルビオンへの反応や、これからのトリステインの事に関する事などであった。

 彼女自身、ルイズと比べて高いコミュニケーション能力が役に立っているのか、既に二ページ程使ってしまっている。

 

 しかし魔理沙としては、まだまだ物足りないという思いを抱いていた。

 情報と言うものは同じ話題でも人によって大きく脚色され、時には嘘さえ平気で混ぜてくる奴もいる。

 単なる道案内でも、心底イジワルなヤツに聞けば間違った道を進んでしまう事もあるのだ。

「…まぁ、今集めてる情報の類ならそういう心配は必要ないと思うけどなぁ…」

 メモ帳に記された、聞き込みにOKしてくれた人々の情報を読み直しながら魔理沙は一人呟く。

 ルイズが集めたものと同様、やはり人の数だけ同じ質問をしても別々の答えが返ってくる。

 

 とはいえ時間の許す限り集めても、全てが役に立つというワケじゃない。

 ここに掛かれている事をルイズの前で読み上げるとすれば、無駄に多く集めても自分の苦労が増えるだけだ。

 かといって二ページ分は少し心許ない気がする彼女は、後一ページ分程集めてみようかとも考えてはいた。

 幸い人の通りは多いし、道案内を装ってついでに質問すれば多少なりとも収穫はあるだろう。

「しかし、時間的にはちょっと難しいかねぇ?あんまり時間かけると夕食を先に済まされそうだし…」

 彼女は空を見上げ、夕焼けの色が目立ち始めた空を一睨みしつつひとまず道の端っこへと移動する。

 そこで一旦足を止めた彼女は辺りを見回し、気前よく自分と会話してくれそうな人を探し始めた。

(まぁ一ページ分とまでいかなくとも、できるだけ情報を拾ってからルイズ達の所へ帰るとしますか)

 心中でひとまずの目標を定めた魔理沙は、適当な話し相手はいないかしきりに視線を動かす。

 

 元々ルイズの為に情報収集する筈だったものの、当初の予定が狂って結局今になって始めている自分。

 アンリエッタから渡された資金を盗んだ子供を捜す為、自分よりもめまぐるしく街中を雨後回っていたであろう霊夢。

 そして座して情報を待つ筈が自分から情報を集めに行ったルイズ達から見れば、自分一人だけがサボっていると見られてしまっているだろう。

 特に霊夢は間違いなく思っていそうだが、それは止むを得ず人助けをしていたからであって実質的な不可抗力でしかない。

 更に案内したホテルにいた助けた少女の保護者達に僅かにだがもてなされ、気づいた時にはとっくにお昼時だったのだ。

 亀を助けた浦島太郎の様に、まぁちょっとだけお礼を…とか言っていたら三百年間程海の底にいたのと同じことである。

「まぁ浦島太郎と比べたら、私の方が数倍マシなんだろうけどな。……お、あそこにいる兄ちゃんとか良さそうだぜ」

 

 子供のころに絵本で知った哀れな釣り人の話を引き合いにだした所で、魔理沙は丁度良さそうな話し相手を見つけた。

 いかにも平民と言う出で立ちだが、近くの屋台で買ったであろう瓶ジュースを飲んでいる姿は観光客には見えない。

 まぁ簡単な手荷物一つ持ってない所を見るに明らかなので、魔理沙にとっては絶好の情報提供者である。

(さてと、まずは旅行者を装って適当な道を聞いてから…さっきと同じような質問かな?)

 魔理沙は彼に狙いを定めつつ、彼に聞くべき事を念のためおさらいしていく。

 聞くべきことは大きく分けて二つ、神聖アルビオン共和国についてどう思っているのか、

 そして今のトリステイン王国をどう思っているのか…、ただそれだけである。

 

 今に至るまで数えて十二人に同じような質問をしてきたが、答えは様々であった。

 例え平民であっても愛国的か、もしくは売国的とも言える様な返答が返ってくるのだから。

(この二つの質問だけでも、人によって大きく分かれるからな…聞いててつまらくはない)

 言い方や個人が持っている思想を含めば十人十色である返事を思い出しながら、魔理沙は男の方へと向かっていく。

 人と話すのは嫌いではないし、それが親しい相手ときたらもっと嫌いではなくなる。

 もしも霊夢が情報収集をしたとしても、ルイズや彼女のようにうまくやりこなせはしなかったに違いないだろう。

 

 ある程度男の傍へ近づいた魔理沙は、とりあえず声を掛けようとした―――その時であった。

 丁度彼の左斜め後ろにある路地裏へと続く横道から、いかにも怪しくて小さな手がスッと出てきたのは。

 明らかに大人の手ではなく、少し離れた位置にいる魔理沙の目にも子供のソレだと分かるくらいに小さかった。

 突然闇の中から出てきた子供の手に驚いたのもほんの一瞬、間を置かずしてその小さな手が何かを持っている事にも気が付く。

 何も知らない人間から見れば、ただ単に少しだけ見栄えをよくした木の枝に見えるかもしれない。

 しかし、この世界に住む人間たちならば誰もが知っているだろう。あの木の棒は権力者の象徴にして唯一絶対の武器であると。

 そして…この世界に来て暫く経つであろう魔理沙も知っていた。あの木の棒は紛う事なきメイジが魔法を行使する為に使う杖なのだと。

 

(ん…あれって、杖か…?)

 思わずその場で足を止めた魔理沙はその杖へと怪訝な視線を向けてしまう。

 声を掛けようとした男は未だ気が付いておらず、まだ半分ほど残っているジュースをチビチビと飲んでいる。

 そして彼の背後から見える子供の手は、握っている杖をまるで指揮棒の様に軽やかに振って見せた。

 直後、杖の先端がボゥッ…と青白く発光したかと思いきや、男の腰も同じように発光し始めたのである。

 少し驚いてしまう魔理沙をよそに本人は気づいていないのか、通りを歩く女性たちに目をやっている始末。

 

 その間にも子供の手が発光する杖をゆっくりと動かすと、男の発光していた腰――正確には腰に付けていた革袋が彼の体から離れてしまう。

 魔理沙の掌にはあと少しで収まらない程度の大きさの革袋が不気味な光を放ちながら、フワフワと宙を浮いたのである。

「なっ…!」

 ギョッとする魔理沙の事は見えていないのか、杖を持つ手はその袋を手繰り寄せるかのように杖を動かしていく。

 恐らくその袋は財布か何かなのであろう、魔法の力で宙に浮く袋は今にも重量で落ちしまいそうなほど不安定な浮き方をしている。

 男は尚も気づく様子を見せず、ジュースを酒代わりにして日が暮れゆく王都の通りをボーっと眺めている。

 対して、何が起こっているのか全て見ていた魔理沙は、ここでようやく何が起こっているのか理解した。

 

(魔法を使った盗みで子どもの手…って、これってもしかしてこの前の…!?)

 今正に声を掛けようとした相手がメイジであろう者からお金を奪われると察した魔理沙は、ついで思い出す。

 二日前に、自分たちからお金を奪っていったのは――――魔法を使う子供であったという事を。

 そして脳裏に再び聞こえてくる。あの少年の傲慢ちきな言葉が。

 

 ―――喜べ!お前らが集めた金は、俺とアイツで有意義に使ってやるから、じゃあな!

 

 得意気にそう言って、まんまと逃がしてしまったのは魔理沙にとっても苦い思い出であった。

 そして今、その苦い思い出を作ってくれたであろう少年が――別人という可能性も拭えないが――が盗みを働こうしている。

 魔理沙は瞬時に判断する。今自分の目の前で悪行を繰り返そうとする少年にどのような制裁を与えればいいのかを。

(何だかんだで、私にも色々とツキが回ってきているようで嬉しいぜ。それとも…ただ単に偶然に偶然が重なっただけかな?)

 彼女は心中でそう呟いた後、手に持っていたメモ帳とペンを懐に仕舞い、脇に抱えていた箒を右手で握りしめる。

 使い慣れた木の触り心地に思わず笑みを浮かべた彼女は、その足でバッと地面を蹴って走り出した。

 

 これまた使い慣らした靴底が煉瓦造りの地面を蹴り、軽快な音を連続的に立てていく。

 目指す先には路地裏へと続く横道―――杖を持つ手の持ち主が潜んでいる場所であった。

「ん?…って、おわ!?」

 当然そのすぐ傍にいた男は走ってくる彼女に気が付いて、慌ててその場から飛び退ってしまう。

 それが原因か、はたまた位置的に姿の見えなかった魔理沙が走って来るのに気が付いた窃盗犯の集中力が切れたのか、

 あと一歩でその掌の上に落ちる筈であった男の財布は、哀しいかな少々喧しい金属音を立てて地面に落ちてしまう。

 それと同時に袋の口を縛っていた紐が緩んだのか銀貨や銅貨、そしてわずかなエキュー金貨が地面へとぶちまけられる。

 

 男が突然あげた大声と、その金貨の音で周囲の人々は、何だ何だとそちらの方へと目を向けてしまう。

 そして何人かが、路地裏への入り口で杖を構えた者の姿を目にすることとなった。

「…ッ!畜生…」

 路地裏にいたであろう盗人は仕事が失敗終わり、更に周囲の目が自分へ向けられているのに気が付いたか、

 汚い言葉を口走りながら踵を返し、すぐさま灯りの無い道へと姿をくらまそうとする。

「おぉ!上手くいったぜ。ありがとな、おっさん」

 魔理沙は盗まれそうになった男に一声かけると、そのまま犯人の後を追って路地裏へと入っていく。

 対して男は何が起こったのか分からないまま、地面にばらまかれたお金を拾うのに必死にならざるを得なかった。

 

 

 王都トリスタニアのブルドンネ街といえど、路地裏ともなれば人気は無いし灯りもない。

 夕暮れに差しかかった今の時間帯は陽の光が入ってこず、薄暗く不気味さを纏っている。

 それも後数時間経てば夜の帳が訪れ、二人分程度の横幅しかない道は暗闇が包み込んでしまうだろう。

 

 そんな路地裏を、財布を盗もうとした犯人―――ルイズ達から金貨を奪った少年は必死に走っていた。

 まだ小さな両足を懸命に動かし、その途中で道に置かれていた空き瓶を蹴飛ばしつつも決して速度を緩めない。

 道の端で寝ころんでいた猫たちが突然の足音に顔を上げ、近づいてくる少年に威嚇をして彼が来た方へ走っていく。

 少年は暫く道が真っ直ぐなのを知ると一瞬だけ顔を背後へ向けて、追っ手が来ていないか確認する。

 ……いない。既に二回ほど角を曲がった為に、背後に見えるのは薄暗く狭い道だけだ。

 誰も追って来ていないのを確認した彼が再び前へ視線を向けると速度を少しだけ落とし、右へと進む角を曲がる。

 

 それから数分程走った後、正念は広場らしき広くひらけた場所へと出てきた。

 どうやら広場として使われていたのは昔の事なのか、人の気配は全くといっていいほど感じない。

 ボロボロのベンチが二つに、大通りのソレと比べて錆が目立つ街灯は一つだけ。

 時間で中のマジックアイテムが作動する街灯は未だついておらず、広場は薄暗い。

 奥には別の路地裏へと続く道があり、自分が来た道を覗けば周りは全て共同住宅の壁で塞がれている。

 王都のど真ん中であるというにまるで戦場跡地のように暗く、そして静かであった。

 小さく聞こえる大通りの喧騒とのギャップは、あまりにも激しい。

 外国人が見れば、なぜトリスタニアだというのにこうも暗い場所があるのかと驚くかもしれない。

 

 少年はそんな広場で一旦足を止めると、誰も追って来ていないのを知ってからふぅと一息ついた。

 ここまでずっと走り続けていたためか息は上がり、汗まみれの体が妙に気持ち悪い。

 肩をほんの少し上下させて呼吸する少年は、ふと近くにあるベンチに視線を向ける。

 …少しだけなら大丈夫だろうか?誰も追って来ていないという気の緩みからか、そんな事を考えてしまう。

 本当ならば少し奥に見える道から広場を出て、そこから別の大通りに出て姿をくらますべきなのだが…、

 しかし走り続けた小さな体は休憩を欲しがっており、自分も心も休むべきと訴えている。

「…ちょっとぐらいなら、良いかな?」

 一人呟いた少年はそのままベンチの方へと歩みを進め、束の間の小休止を――――

 

「おぉ、休憩か?まぁあんだけ走り続けてたんなら、無理はないと思うぜ」

 ―――しようとした直前、頭上から聞こえてくる少女の声に彼はその場で足を止めてしまう。

 そして慌てて声のした方―――つまり自分を見下ろせるであろう自分の目の前にそびえたつ一軒の共同住宅を見上げた。

 十メイル近くもある共同住宅の屋上。その上に立って、こちらを見下ろす影が一人。

 夕焼け空を後光に、時代遅れのトンガリ帽子と右手に持った箒のシルエットが地上からでもはっきりと見て取れる。

 顔までは分からなかったが、声からして間違いなく少女だという事は少年にも分かっていた。

 

 少年を見下ろすトンガリ帽子の少女こと霧雨魔理沙は、相手が動かないのを見てその足を動かす。

 木製の滑りやすい屋根に上手い事たっていた右足を何もない宙へと出し、そのまま一気にジャンプする。

 結果、魔理沙の体は何もない宙を一瞬だけ浮いたかと思いきや、そのまま地上へと落ちていく。

 アッ!と少年が驚き、これからの事を想像して目を背けようとする前に彼女が右手に持つ箒がその力を発揮する。

 魔理沙の体が地面と激突する前に箒は握られたまま浮遊し、そのまま彼女の体をも浮かしてしまう。

 

 てっきり地面とぶつかるかと思っていた少年はその光景に息を呑み、その場から動けなくなってしまう。

 やがて宙に浮いた魔理沙は重力に従ってゆっくりと着地し、両足に穿いた靴が芝生すらない地面を踏みしめる。

 そうして自分と同じ地上にまで降りてきたところで、ようやく少年は魔理沙の顔を間近で目にする事が出来た。

 白い肌に金髪、そして青い瞳というこの近辺では特に目立っているとは言える特徴は無い。

 しかし、トンガリ帽子にエプロンドレスという時代遅れも甚だしい格好とは裏腹にその顔は中々綺麗であった。

 もしも然るべき教育や作法を学べば、どこに出しても恥ずかしくない令嬢になれるかもしれないだろう。 

 

 そんな場違いな事を考えつつも、突然現れた魔理沙に対し身動き一つできない少年に魔理沙はほくそ笑んだ。

「へへっ?私が身投げをするとで思ってたのかい、ソイツは甘い見通しだったな坊主」

 思わず目をそむけそうになった自分をからかっているのか、魔理沙は凶暴さが垣間見える笑みを浮かべている。

 その言葉にハッと我に返った少年は、目の前の少女に見覚えがある事を思い出した。

 忘れもしない、二日前の夜…。思わぬ大金を手に入れるキッカケを作ってくれたあの三人組の一人に彼女がいた事を。

 

「お前…まさか僕の事忘れてなかったのかよ?」

 僅かに足を動かして後ずさり始める少年に、魔理沙は笑みを浮かべたまま「それはこっちのセリフだぜ」と答える。

「てっきり忘れられてたかと思ってたが、案外覚えてくれているようで助かるよ」

「何が助かるんだよ?…それはそうと…イヤ、もしかしなくてもやっぱり僕からあの金を取り戻そうとするんだろ」

「それ以外何があるんだ?茶会でも開いて「あの時はしてやられましたなー」って笑いあうつもりだったのかい?」

 

 

 後ずさる少年についてくかのように、彼女も一歩一歩ゆっくり前へ進んで彼に近づいていく。

 少年は腰に差していた杖を手に取り、対する魔理沙も懐へと手を伸ばす。

 両者の距離は一メイル。魔法を放とうとしても近すぎる為に、呪文を詠唱している間に杖を取り上げられてしまうだろう。

 

 互いに睨み合う状況の中、魔理沙の方へと勝利の天秤が傾いている。

 その事を相手も知っているのか、箒片手の魔理沙は一歩一歩確実に少年の方へと近づいていく。

 対する少年も杖を向けたまま後ろへと下がり、いつ呪文を唱えればいいか様子を窺っている。

 キッと目を細めて自分を睨み付ける彼の姿に、どうやら抵抗する気はあるのだと察した彼女は笑顔を崩さぬまま話しかける。

「まぁ私も子供相手に暴力をふるうつもりは無いさ。…盗んだ金を全額返してくれるのなら穏便に済ませるぜ?」

「は!そんなの誰が信じるかよ。どうせ俺を衛士たちの所に連れてって牢屋に放り込むんだろう!」

「んぅ~まぁ…大人しくしてくれないのなら連れてく必要はあるかな?…ただし、私と一緒にいた二人の元へな」

 未だ強気な少年の文句に魔理沙はそう返して、次いで意地悪そうな笑みを浮かべて「それでもいいのか?」と聞いた。

 

「そこら辺の衛士よか、あの二人に詰め寄られる方がずっと怖いぜ?…それでも、言う事聞くつもりは――――…なさそうだな」

 ルイズと霊夢の前に引っ立てればさぞや壮絶な事になるだろうと想像して、ついつい笑みを浮かべてしまった魔理沙は、

 それでも尚抗う態度を見せる少年を見て、これは一筋縄ではいかないと感じた。

「当り前だろ!あんな大金滅多に手に入らないんだ、そう易々と返してたまるかよ」

 杖を構え直してそう叫ぶ少年に、魔理沙は自分の頬を小指でかきつつ「はぁ…」と溜め息をついた。

「ソイツは参ったなぁ~、私としてはあまり乱暴はしたくないんだぜ?…疲れるし、一々小言を投げつけてくる奴もいるしな」

 その顔に苦笑いを浮かべつつそんな事を言う魔理沙に、少年は「だったら見逃してくれよ」と強気な態度そのままに言う。

 当然ではあるが魔理沙は首を横に振って拒否の意を示し、懐に入れていた左手から小瓶を一つ取り出しながらも言葉を返した。

 

「無理な相談だな。ここで運よく再会してしまった以上、お前さんは私に捕まるしかないんだぜ?」

 中に何が入ってい目のか分からない魔理沙の手の小瓶に目を向けつつ、少年はジッと身構え続ける。

 魔理沙も相手がやる気だと察したのか、彼女もまた身構えて相手の出方を窺おうとした…その時であった。

 自分の後方―――外界を隔てている共同住宅の方から聞き慣れぬ激しい音が聞こえたのは。

 まるで錆びついて動かなくなっていた扉を力押しで開けた時の様な、何が破損した時の様な妙に心臓に悪い音。

 思わずその音が何なのか気になった魔理沙は何事かと振り返ってしまい、そして呟く。

 

「…何だこりゃ?」

 彼女の視線の先に見えたのは、微かな土煙を上げて地面に倒れたばかりの小さなグレーチングがあった。

 共同住宅の壁の下部にある排水溝の蓋であったろうそれが取り外されて、地面に転がっていた。

 鉄でできたそれはずっと昔に取り付けられて以降放置されていたのか、黒錆に覆われている。

 魔理沙はそれを一瞥した後、すぐに排水溝の方にも視線を向ける。

 グレーチングで誰かが入らないよう蓋をされていた排水溝の中は、闇で満たされている。

 大きさからして子供が誤って入ってしまう心配はなさそうだが、何故か魔理沙の心に不安が生まれてくる。

 

 別に闇が怖いわけではない。問題は何故急に大きな音を立ててグレーチングが外れたかにあった。

 少なくとも、ここへ辿り着いて少年と対峙した時にはまだ蓋はついていたし、外れる気配もなかった筈である。

 

 しかし、突然の事に目を丸くしていた魔理沙の姿は少年にとってまたとないチャンスを与えてしまう。

 相手は急に外れた排水溝の蓋を気にしており、ほんの少しだが自分は視界から外れている。

 戦いに関して少年は素人であったが、これを逃げられるチャンスとして大いに有効活用する事はできた。

 彼は今いる位置から数メイル先にあるもう一つの道へと、ゆっくり近づいていく。

 抜き足、差し足、忍び足…と煉瓦造りの地面を靴底で滑るようにして音を立てずに移動しようとする。

「クッ!」

「あ!おいッ!」

 しかし、思っていた以上に魔理沙の耳が良かったことを彼は知らなかった。

 喧騒が遠くから聞こえる寂れた広場で微かに聞こえる足音に気が付いたのか、魔理沙が再び少年の方へと顔を向けたのである。

「待てコラ!」

 気づかれた!少年が悔しそうな表情を浮かべて走り出し、魔理沙が逃げる相手に叫んだのはほぼ同時であった。 

 咄嗟に左手に握っていた小瓶を振り上げて投げようとした彼女よりも、走る少年の方に軍配が下る。

 魔理沙に攻撃される前に何とか道へと入った彼は、そのまま一気に路地裏を駆けていく。

 

「んぅ…、畜生!このまま逃がしてちゃあ私の名が廃るってもんだぜ」

 対する魔理沙もわざわざ追い詰めたというのに、自分の不注意で逃がしてしまった事に納得がいかなかった。

 視線を外した時には、てっきり魔法で攻撃してくるだろうと思っていただけに、何故か無性に悔しかったのである。

 振り上げたままの小瓶を懐に戻した魔理沙は、箒は使わずそのまま走って少年を追いかけようとした。

 幸いまだそんなに遠くへは行っていないだろうし、足が速いのなら箒を使って空から捕まえてしまえばいい。

 

 未だ勝機あり、そう考えている魔理沙も少年と同じ道へと入ろうとした―――その時であった。

 丁度道の出入り口の地面から、彼女が想像していないような謎の物体が現れたのは。

 

「―――な…ッ!?」

 突然の事に思わず二メイル程前で足を止められた魔理沙は、驚きながらもその物体を凝視する。

 それはまるで、地面より下――彼女の足下を流れている水道から出て来たかのような液体の体を震わせている。

 形はまるで子供が造ったようなお地蔵さんみたいで、横にやや太い棒状の体を持つ黒いスライムと言えばいいのであろうか。

 更に液体状で黒色…と聞いただけで何やら人体には良くなさそうな手なのは一目瞭然であった。

 全長はほぼ魔理沙と同じであるが、常時不安定な体を大きく揺らしているためにうまく大きさを目測できない。

 

 これだけの特徴でも十分に不気味であったが、それ以上にその物体の不気味さを引き立てているのが゙両目゙であった。

 魔理沙の顔がある位置に合わせるかのようにして、彼女の頭ほどの大きさのある黄色い球体が驚く彼女を見つめている。

 時折ギョロギョロと動いてはいるが、それは目というにはあまりにも無機質であり、目では無いと否定するには位置が変であった。

 その目と思しき二つの黄色い球体はじっと魔理沙を見据え、液体の体を震わせている。

 

――――何だ、コイツは?

 一時的に少年の事を頭の隅に追いやった魔理沙が、冷や汗を流して呟く前に、

 その黒いスライム状の物体は、呆然と立ち尽くすしかない彼女へと跳びかかったのである。



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第九十三話

 何事も、計画していた通りに事が進むわけではない。

 原因は様々あれど、たった一つの―――それこそ些細なミスで計画自体が破綻する事さえある。

 時にはそのミスが想定の範囲外という理不尽極まりない場所からやってくることも珍しくは無い。

 そういう時に大事なのは決して狼狽えず、慌てず、騒がない。冷静に事実を受け止め、対処するほかないのだ。

 

 

 あと一歩のところまで金を盗んだ少年を追い詰め、失敗した魔理沙もそうせざるを得なかった。

 想定の範囲外としか言いようの無い『動く外的要因』を、どういう風に対処すべきか考える為にも。

 例えその『動く外的要因』が――これまで見た事も無いような正体不明のスライム状の存在であったとしても、だ。

 

 

「―ッ!危ねッ…!?」

 驚きの渦中にあった魔理沙は、こちらに向かって跳びかかってくる黒いスライムを見て慌てて後ろへ避けた。

 それが正解だったのか、先程まで自分が立っていた場所にソイツが着地する。

 するとどうだろうか。ソイツはまるで柔らかい餅の様に平べったくなり、液状の体が左右に広がっていく。

 もしも横に避けていたらコイツの体に触れていたかもしれない。そう考えた魔理沙は己が運の良さに喜びたくなった。

 とはいえ今はそんな事をする余裕など当然なく、彼女はもしもの事を考えて更に数歩後ろへと下がる。

「畜生、あと一歩だったってのに…何だか良く分からんが、惜しい所で邪魔なんかしてきやがって!」

 着地を終えて、元の太い棒状の姿へ戻っていくソイツに悪態をつきつつ、魔理沙はスッと身構える。

 

 その左手には先ほど懐から出した小瓶があり、いつでも投げつけられるようにはしている。

 これを投げて瓶が割れれば即花火、瓶に詰めた『魔法』がいつでも作動する仕掛けだ。

 相手との今の距離は二メイル程度。ここから投げれば瓶の破片が飛んできて怪我をする心配も無い。

 魔理沙としては、折角良い所を邪魔してくれた謎の相手には是非とも自分の魔法をお見舞いさせてやりたかった。

 本当はあの少年の手前に投げ落として、綺麗な花火を見せつけると同時に気絶させるつもりでいたのである。

 それを邪魔されたからには、何としてでもあのどす黒く揺れる体の中に投げ込んでやろうと決めていた。

 距離も十分、威力は…きっと申し分なし。心配する事など何一つ無い。

 

 しかし…、魔理沙はすぐに左手の小瓶を投げつける事を躊躇ってしまう。

 黄色い目を輝かせながら、ゆっくりと地面に跡をつけて這ってくる正体不明の相手に彼女はゆっくりと後ろに下がっていく。

 後ずさる先に何もない事を確認しつつ、けれども近づいてくるヤツには細心の注意を払う事は忘れない。

 別に目の前で蠢く黒い液体の体や、爛々と輝く黄色い二つの目玉が怖いワケではなかった。

 問題は一つ。…あの液体の体の中で、上手く瓶が割れるのかどうかについてという事である。

 

 『魔法』を詰めた小瓶は、うっかり自分の懐の中で暴発しない分には丈夫であり、

 そこそこ力を入れて投げれば、瓶が割れ次第即座に発動する程度のデリケートさは持っている。

 しかし…あのいかにもヌメヌメとして、嫌な意味で柔らかそうな体の中では投げつけても爆発しないのでは…と考えていたのだ。

(あいつの足元?…に投げれば簡単なんだろうが、それじゃあ私の腹の虫が収まらないんだよなぁ)

 目の前の、良く分からない相手に勝つための最適な方法は既に分かっている。

 しかしそれは自分の望んだとおりのセオリーではなく、今の彼女からしてみればあくまでも゙勝つ方法゙の一つでしかない。

 望んでいる勝ち方は一つ、自慢の『魔法』を詰めこんだ瓶をあの怪物の体内で割らせて内部から思いっきり爆発させる事だ。

 少年を気絶させるだけの筈だったこの『魔法』で、あのスライムみたいな怪物を即席花火に変えてやろう。

 

 その為にもまずは相手を見極め、どのような攻撃をしてくるのか探らなければいけない。

 突拍子も無く現れた敵の正体が何であれ、下手にこちらが先制を仕掛ければ何が起こるかわからない。

 魔理沙は一定の距離を保ちつつ、その間にもこちらへと近づいてくるスライム状の敵をじっくりと観察する。

 黒く半透明の体の中には内臓らしきものは見えず、唯一不透明の目玉は爛々と黄色い光を放ちながらこちらを睨む。

 なめくじの様に地面を這いずっている為か、まるで絞りきれてない雑巾の様に地面を濡らしながら進んでいく。

 しかもそれは決して綺麗とは言い難い黒色の液体であり、正直ただの水とは考えにくい。

 恐らくあの不安定な体を構成できるだけの力は秘めているのであろうが、それがどういったものかまでは分からない。

 先ほど跳びかかってきた時の事を考えると、その見た目以上に重くはないのだろう。

 更に着地した際に不出来な煎餅の様に平たくなったのを見れば当然体も柔らかいのは一目瞭然だ。

「とはいえ、そこに変な弾力まであると…何か投げるのを躊躇っちゃうような…」

 

 魔理沙はそんな事を呟きながら、左の中で落とさない程度に弄っている瓶の事を思う。

 下手に相手に力を入れて投げて、それでポヨン!と跳ね返されてしまったらとんでもない事になる。

 自分の『魔法』で自滅する魔法使いなんて、それこそパチュリーやアリスに笑われてしまう。

 最も、ここにその二人はいないしそれを広める様な輩がいないのは幸いともいうべきか。

 とにかく、今やるべきことは相手の体がどれほど柔らかいのか探る事に決まった。

「と、なれば…早速調べてみるとしますか。…楽しい夕食まで時間は無さそうだしな」

 ひとまずの目標を決めた魔理沙は一人呟き、ひとまず左手の瓶を懐の中へとしまう。

 勿論後で使うつもりなのだが、今からするべきことを考えると元の場所に戻していいと考えたからだ。

 

 『魔法』入りの瓶をしまい戻した魔理沙は、サッと足元に落ちていた適当な大きさの石を拾う。

 持っていた瓶よりかはやや大きく、彼女が投げるには手ごろな大きさともいえよう。

 石を拾った魔理沙はスッと顔を上げて、近づいてくる化け物をその目で見据える。

 こりから自分が攻撃するという事も理解していないのか、間にナメクジの如き速度で近づいてくる。

「さてと…それじゃあまずはお試しの投球――ならぬ投石開始といきますか!」

 気合を入れるかのように一人そう叫んだ彼女は石を持つ手に力を込め、思いっきり怪物へと投げつけた。

 

 いつも『魔法』入りの瓶を投げる時と同じように、頭上へと投げられた一個の石。

 それは大きな弧を描き、まるでミニマムサイズの隕石の様に怪物の頭上へと落ちていく。

 相手は落ちてくる石に気付いたのか、ギョロリと黄色い目玉を動かして頭上を仰ぎ見ようとする。

 しかしそれよりも先に、魔理沙の投げた石ころがトプン…!と小さな音を立てて体の中に入ったのが早かった。

 まるで池の中に放った時の様に石は怪物の体の中を、ゆっくりと沈んていく。

 

「成程、投げつけたものが弾かない程度には柔らかいのか……って、ん?」

 望んでいた通りの結果が分かった事に魔理沙は頷こうとしたところで、怪物の身に異変が起きているのに気が付く。

 魔理沙の手で石を体の中に取り込まされた相手が、その黒い体をプルプルと震わせ始めたのである。

 まるで皿に乗ったプリンが揺れているかのように、全体を微かに振動させて何かをしようとしているのだ。

「お、やられたままじゃあ面白く無いってか?」

 まだどんな手を使ってくるか分からない相手を、魔理沙は箒を両手に持って槍の様に構えて見せる。

 その直後、怪物の胴体辺りまで沈んでいた石が沈むのをやめて、奇妙な事にその場で浮き始めたのだ。

 

 これから何をするのかと心待ちにしていた魔理沙を前に、怪物は更に体を震わせる。

 いよいよ来るか!と魔理沙はいつでも動けるように態勢を僅かに変えた――――その瞬間であった。

 ヤツの胴体で浮いていたあの石が、大きな音を立てて弾丸のように発射されたのである。

 

「おぉッ―――…ットォ!」

 さすがの魔理沙もこれには少し驚いたものの、回避できない速度と距離ではなかった。

 いつでも動けるようにしていた彼女はスッと右に避けると、その横を結構な速度で石が通り過ぎていく。

 数秒と経たぬうちに、背後から硬いモノが勢いよく割れる音が、広場へと響き渡る。

 石がどうなったのか振り返るまでもないと、魔理沙は攻撃をしてきた相手をジッと見据える。

「コイツは驚いたぜ?てっきり跳びかかるだけしか能が無いと思っていたぶん、余計にな」

 そう言って彼女は足元に落ちていた別の石ころを更にもう一つ拾うと、先ほどと同じく怪物へと投げつける。

 

 今度は相手も投げられた石を見ていたものの、のろまな奴一匹だけでは避けようがない。

 まるでついさっきの光景を写し取ったかのように石は体の中へと入り込み、そして胴体の辺りで止まる。

 そして魔理沙に再び狙いを定めると、今度は体を震わせずにそのまま静止した状態で石を発射してきた。

「ほれキタ…―――ッと!」

 今度は驚くことなく、彼女は余裕をもってその石ころをかわしてみせる。

 再び背後から石の砕ける音が聞こえ、それと同時に魔理沙はニヤニヤと笑って見せた。

「てっきり脳無しかと思いきや、即座に反撃する程度の賢さはあるみたいだな…けれど」

 私を相手にしたのが間違いだったな?彼女はそう言って、そのまま怪物の左側へ向かって走り出す。

 その魔法使いな見た目とは裏腹に速い足を持つ彼女を、怪物は目だけでゆっくりと追いかけてくる。

 

 やがて数秒と経たぬうちに、魔理沙は怪物の背後へと回り込む事が出来た。

 相手も自分の背後にいると察知したのか、体を動かそうとしているのかプルプルと体を震わせ始める。

「へっ!今更動いたって―――はぁッ!?」

 遅いぜ?そう言おうとした魔理沙は次の瞬間、またもや驚かされる事となった。

 何と反対側にあるヤツの目玉が、あの黒い体の中を通って浮きあがってきたのだから。

 これには流石の魔法使いも、面喰わざるを得ない程の事であった。

 

「おいおい、いくら骨が無いからってソレは反則ってヤツじゃないのか?」

 僅かに一瞬の間に向きを変えた相手に魔理沙が悪態をついたところで、一足先にヤツが攻撃を開始した。

 とはいっても先ほどの石ころ飛ばしとは違い、最初に現れた時に披露してみせた跳びかかりであったが。

 それでも思いっきり体を震わせ、バネの用に跳んでくるどす黒いスライム状の怪物と言うだけでも相当ショックである。

 こんなのがもし夜の森の中で出くわして跳びかかってきたのなら、誰もが腰を抜かすに違いない。

 しかし御生憎ながら、霧雨魔理沙はその手の怪異にはすっかり慣れてしまっている身であった。

 

「そんなワンパターン、私に通用するかよ…――ッと!」

 相手が跳びかかると同時に、魔理沙は両手で構えていた箒に力を込めてから勢いよくジャンプする。

 するとどうだろう、彼女の力に応えて箒は魔法を吹き込まれ、そのまま彼女をぶらさげたまま浮かんでいく。

 ほぼ同時に、跳びかかった怪物の体に彼女の靴先が僅かにかすったものの、渾身の跳びかかりをかわすことができた。

 先ほどまで魔理沙がいた場所に着地したソイツは平べったくなった体を元に戻したところで、頭上から声が掛けられる。

 

「惜しかったなスライム野郎!外れたから景品は無しだぜー!?」

 その声にギョロリと黄色い目玉を頭上へ向けると、空に浮かぶ箒にぶら下がる魔理沙がこちらを見下ろしていた。

 まるで鉄棒にぶらさがる子供の様な姿はどことなく愛嬌はあるが、その顔に浮かべる笑みは年相応とは思えぬほど好戦的である。

 彼女のその獰猛な笑みに怪物は何かを感じ取ったのか、再び跳びかからんとその体を震わせ始めた。

「おぉっと、それ以上ピョンピョンされたら厄介だから…手短に決着といこうじゃないか!」

 

 そう言いつつ彼女は空いた左手で懐を探り、先程しまっていた『魔法』入りの小瓶を取り出して見せる。

 まだ完成したばかりで試したことの無いそれを割らないよう注意しつつ、彼女はゆっくりと確実に狙いを定めていく。

 狙うは勿論頭部…と思しきところ。あの黄色い目玉が前と後ろを行き来している場所だ。

 無論、そこが弱点と断定しているワケではないが…今の所思いつく限りではそこしかない。

 距離は十分、上から投げつけるので上手く行けば体内に投げ込んだ瓶が割れる事も不可能ではないだろう。

(狙いは充分…だけど、…はてさて割れなかったときはどうしようかな?……まぁ、『奥の手』はあるんだけどな)

 魔理沙は万が一失敗した時の事を考えて、帽子の中に仕舞った自分の『奥の手』の事を思い出す。

 まさかこんな相手に使うとは思っていなかったが、体内で割れなかったときの事を考えれば…コイツに頼らざるを得ないだろう。

 

 とはいえ、極力使わないという選択肢は元から魔理沙の頭には無かった。

 もしもうまく相手の体内に『魔法』入りの瓶が入って、それでも尚割れなければ『奥の手』の出番が来る。

 そうなったのなら、帽子の中しまっている『奥の手』には怪物の介錯役を務めて貰うだろう。

 花火の導火線を付ける為の火としては少し派手すぎる気もするが、多少派手でなければ面白く無い。

 

―――何せ寂れた場所で華やかな花火を上げるんだ、火も程良く派手じゃなければつまらんだろう?

 

 魔理沙は心中でそう呟くと瓶を持つ手を振り上げて、勢いよく眼下にいる怪物目がけて投げつけた。

 グルグルと空中で回り、中に入った『魔法』を掻き混ぜながら瓶は怪物の脳天目指して落ちていく。

 相手も投げつけられた瓶の存在に気付いて対策を取ろうとするが、いかんせん鈍いが為に間に合わない。

 魔理沙の渾身の力を込められて投げつけられた瓶は、見事そのまま怪物の脳天から体内へと入っていった。

「よっしゃ!…って、おっとと…!」

 思わずガッツポーズを取ろうとした魔理沙は、バランスを崩し損ねて箒を離しそうになってしまう。

 慌ててバランスを取り戻したところで、彼女はハッと眼下にいる敵がどうなったのかを確認する。

 

 脳天から『魔法』入りの瓶が入り込んだ敵は、意外な事に混乱しているようであった。

 先程の様に即座に反撃はしてこず、体の中に入り込んだモノが気になるのかしきりに体を震わせている。

(まさか混乱しているのか…?脳も内臓もなさそうだってのに、一体どうなってるんだ…?)

 単純な存在かと思っていた敵の意外な一面に驚きつつ、魔理沙は相手の体内にあるであろう『魔法』の事が気になった。

 いつもの通り割れてくれているのなら、いまごろ体内からドカンとめでたい花火が上がる筈である。

 それだというのに、一行の『魔法』が発動しないという事は…何かしらのトラブルが起こったという事なのだろうか?

(まぁ、予想はしてたけどな。―――だからその分、)

 

―――備えはしてあるものなんだぜ?

 心の中でそう呟いた彼女は、空いている右手で頭に被っているトンガリ帽子の中へと手を突っ込む。

 そして数秒と経たぬうちに、彼女はその中から今の自分を形作る要素の一つであろうマジック・アイテムを取り出した。

 

 黒い八角形の形をしたソレは、今の霧雨魔理沙にとってなくてはならいなモノであり本人が「これのない生活は考えられない」とまで語る代物。

 それは小さきながらも一個の炉であり、山一つを消し飛ばす程の高火力から、一日じっくり煮込めるとろ火まで調節可能。

 マジック・アイテムの名はミニ八卦炉。例え小さくとも、道教の神太上老君が仙丹を煉る為に使用した炉の名を借りた道具。

 幻想郷においても、この炉から放たれる最大火力に勝るものはそうそういないであろう。

 

 彼女は久方ぶりに持った気がする無機物の相棒に微笑むと、すぐさま八卦炉の中心にある穴を眼下の怪物へと向けた。

 敵は動揺から立ち直ったのか、体内で浮かぶ瓶を送り返そうとしているのが見て取れた。

 黄色く光る目玉をこちらに向けて、すぐにでも攻撃しようとその身を震わせている。

 恐らく先ほどの石ころと同じように、体内に入り込んだ瓶をそのままこちらに射出する気なのだろう。

 

 あの結構な速度で放たれたら最期。スライム状ではない自分の体で瓶が割れて…ドカン!

 空中で箒にぶら下がったままと言う姿勢のまま花火に巻き来れてしまうのであろう。

 本来なら慌てる所なのだろうが、魔理沙は相手に得意気な笑みを浮かべたまま回避する素振りすら見せない。

 

 ――――何故なら、既にこの場での勝敗はついてしまっているのだから。

 

「物覚えは良さそうだったが、せめてもう少し小回りが利くような体であるべきだったな?」

 勝者の笑みを浮かべる魔理沙は眼下の怪物にそう言って、火力を調節したミニ八卦炉から一筋の光が放たれた。

 それはまるで暗雲と暗雲の僅かな隙間を通り抜けた太陽の光よりも、眩しく真っ直ぐな光である。

 正しく目標へと一直線に進む光の線―――レーザーは矢よりも、そして弾丸よりも早く怪物の体を射抜いた。

 レーザーは怪物の体である液体をものともせず、先に彼女が投げ入れていた瓶を勢いよく貫いて見せる。

 火力を抑えられているとはいえ、ミニ八卦炉から放たれたレーザーは貫いた瓶をそのまま砕きさえした。

 そして中に入っていた『魔法』は瓶という安全装置を無くし、その効果を発揮して見せる。

 

 ミニ八卦炉のレーザーに射抜かれてから五秒と経たぬうちに、怪物の体内から光が迸る。

 まるで何かが生まれ出て来るかのようにヤツの液体の体が歪に、そして不気味に膨らみ始めていく。

 やがて迸る光が輝きを増してゆき、人が来なくなった広場を朝日のように照らし始める。

「やったぜ!…って喜びたいところだが、こりゃ私もヤバいか…?」

 未だ箒にぶら下がったままであった魔理沙は、強くなっていく光に身の危険を感じ始めた。

 こうして新しい『魔法』の実験をする時は、しっかりと距離をとる事が怪我一つせずに実験を済ませる秘訣である。

 しかし今は状況が状況故、かなりの近距離で『魔法』を発動せざるを得なかったが、それが仇となったらしい。

 

 魔理沙は手に持っていたミニ八卦炉を帽子の中に戻してから、慌てて高度を上げようとする箒に力を込める。

 しかし…今更になって慌てた彼女が退避するよりも先に、怪物の体内で『魔法』が発動するのが速かったらしい。

 持ち主をぶら下げたまま箒がグングンと上空へと進もうとした直後、怪物を中心に凄まじい『閃光』が広場を覆った。

 無論、退避できなかった魔理沙はその『閃光』を、身を以て味わうことになってしまう。

「ッ――――!」

 自分の周囲を一瞬で包み込む『閃光』に目の前が真っ白になった彼女は思わず悲鳴を上げてしまう。

 だが不思議な事に、直接自分の喉から声を振り絞ったというのに自分の耳がその声を聞けなかったのだ。

 まるで悪魔との契約で聴覚を奪われてしまったかのように、自分の耳が音を拾わなくなっている。

 

 それに気づいた魔理沙は思わず混乱してしまったのか、一瞬箒を掴む手の力を緩めてしまう。

 結果、彼女は高度十メイルという高さで箒を手放し――――成す術も無く落ちていく。

 自分が落ちているという事を理解しながらも、目も見えず耳も聞こえないが為に受け身をとる事すら不可能だ。

 聞こえなくなった耳を両手で押さえ、口から情けない悲鳴を上げて彼女は落ちるしかない。

 後数秒もすれば、普通の魔法使いの体は硬いレンガ造りの地面に激突する事だろう。

 いかに弾幕ごっこで鍛えているとはいえ、普通の人間である彼女にとってそれは致命傷となる。

 

 何も見えず、何も聞こえず、自分たちのお金を奪った少年を捕まえるのを妨害した相手の正体すら知らず。

 ただとりあえず倒したというだけで、このまま彼女は地に落ちてその命を散らしてしまうのか?

、地面まで後五メイル。人々から忘れ去られた王都の一角で墜落しようとした魔法使いの体は――――

 

「全く、アンタって時々こんな命取りなミスをやらかすわよね?」

 そんな言葉と共に上空から飛んできた霊夢の手によって、ギリギリの所で抱きかかえられた。 

 まるで鷹の急降下のように上空から街の一角へと入り、後三メイルという所で魔理沙を助け出したのである。

 流石空を飛ぶことに関しては十八番とも言える彼女だからこそ、このような荒業はできないであろう。

 仮にこの場に鴉天狗がいたとしても、人間の黒白を助ける道理何て微塵も無いのであるから。

 

 そのまま着陸する飛行機の様にローファーの底が地面を擦り、周囲に土煙をまき散らしていく。

 大切にしていた靴の底が擦られていく音と振動に、霊夢は何が何だか分からぬ魔理沙をキッと睨み付ける。

「ちょっと変な気配を感じてきて見たら…これで靴が駄目になったら弁償してもらうんだからね!」

「え…!?あれ?ちょっと待て、誰だ?私を抱きかかえた…じゃなくて、くれたのは?」

 どうやらまだ何も見えていないせいか、自分が誰かに抱きかかえられているという事実を受け止めきれていないらしい。

 瞼を閉じたままの頭をしきりに動かしながら、まだ聞こえの悪い耳で必死に周囲の音を拾おうとしていた。

 やがて時間にして十秒未満ほどであったものの、ようやく霊夢の靴底は地面を擦るのをやめた。

 まき散らしていた土煙は風に流れて霧散し、双月が薄らと見えてきた夕暮れの空似舞い上がっていく。

 

 ようやく自分の体が止まった事に、霊夢は思わず安堵のため息をついた時であった。

 タイミングよく、聴覚と視覚が若干戻ってきた魔理沙が聞き覚えのため息を耳にしてそちらの方へ顔を向けたのは。

「んぅ…?あれ?その溜め息…とぼんやり見える顔って――――もしかして、霊夢なのか?」

「わざわざアンタなんかを急降下してまで助けてやれるモノ好きで阿呆な人間なんか、私ぐらいしかいないでしょうに」

 何となく状況を理解しかけている魔理沙に、霊夢はやや自虐を加えながら返事をした。

 薄らと開き始めた瞼をゴシゴシと擦った黒白は、ジッと彼女の顔を凝視する。

 一体何なのかと訝しんだ霊夢であったが、それから数秒してから魔理沙は「おぉッ!」と急に声を上げた。

 何がおぉッ!よ?と突っ込む巫女を半ば無視しつつ、魔理沙もまた自分の足で地面に立った。

 

 まだ足元がおぼつかないものの、ようやく目が見え始めてきたので転ぶことは無かった。

 そのまま無事に『着地』できた霧雨魔理沙は、珍しく霊夢に笑みを浮かべて彼女に礼を言った。

「どうしてお前がここにいるのか知らんが…とりあえず助かったぜ霊夢」

「それはこっちのセリフよ。何で掃除サボって情報収集してたアンタが、こんな人気の無さすぎる所にいるのかしら」

 気のよさそうな笑みを浮かべる黒白に対し、紅白の巫女は腰に手を当てて不機嫌そうな表情を浮かべている。

 まぁ確かに、一応助ける余裕があったとはいえ下手すれば二人仲良く地面に激突していた可能性があったのだ。

 流石の魔理沙もそれはしっかり理解しているのか、霊夢に「まぁそう怒るなって」と宥めつつも理由を話そうとする。

 

「いやなに、ちょっと色々ワケがあって得体の知れないヤツと戦ってたんだが…って、ありゃ?」

「どうしたのよ?」

 ワケを話しながら、怪物が立っていたであろう場所へと目を向けた魔理沙が怪訝な表情を浮かべ、

 彼女の表情の変化に気付いた霊夢も、そちらの方へと視線を向けつつも尋ねてみる。

「いや…私の『魔法』をぶつけてやった怪物の姿はどこにも見当たらなくて…もしかして、木端微塵に吹き飛んだのか?」

「怪物…?………!それってアンタ、もしかして―――――」

 彼女の口から出た『怪物』という単語に、霊夢がハッとした表情を浮かべた――その時であった。

 二人の左側から、ここにはやや無縁であろう何かが水の中に落ちたであろう音が聞こえてきたのは。

 若干エコーが掛かっているかのようなその水音に、彼女たちはハッとそちらの方へと視線を向けた。

 

 そこにあったのは、子供一人分通るのでやっとな排水溝であった。

 灯りのついてない窓が幾つも見える共同住宅の壁に沿って作られているそれは、夜よりも暗い闇を入り口から覗かせている。

 蓋であった錆びたグレーチングは近くに転がっており、何者かの手で取り外されたのであろう。

 水音が聞こえてきたのはその排水溝からであり、音の大きさかして結構大きなモノが落ちたのかもしれない。

「排水溝?…っていうかアレ、蓋開いていない?」

「蓋?―――…っ、しまった!」

 霊夢がそう言うと魔理沙は何か気づいたのか、慌ててそちらの方へと走り出した。

 突然の行動に軽く目を丸くして驚きつつも、急に走り出した魔理沙の後をついていく。

 

 排水溝の傍まで走り寄った魔理沙はそこで身をかがめると、帽子の中からミニ八卦炉をスッと取り出した。

 そして火力をある程度弱目に調節しながら、発射口の方を排水溝の中へと向ける。

 すると、とろ火よりやや強めにした炉から微かな火が出て、闇に包まれていた排水溝の入口周辺を照らす。

 どうやらこの共同住宅の真下には下水道が通っているのか、数メイルほど下に薄らと地下を流れる川が見える。

 魔理沙は炉の火をあちこちへ向けて何かを探しているが、目当てであったモノは見つからなかったようだ。

 排水溝から見える下水道に動くモノが無いと分かると、軽い舌打ちをしてから炉の火を消して立ち上がった。

「あぁ~…くっそ、逃げられちまってたか」

「何に逃げられたのよ?その言い方だと、単なる人間相手じゃあなさそうって感じだけど」

 

 悔しそうな表情を浮かべて呟く魔理沙に、霊夢がそんな事を言ってくる。

 勘の良さゆえか、自分が明らかな人外を相手にしていたのを言い当てられた事に魔理沙は苦笑してしまう。

「はは…お前って本当に勘が鋭いよな?まぁその通りなんだがな」

「やっぱりね。こんな人が多い街のど真ん中で゙アイツら゙と同じような気配を感じたからもしかして…って思ったのよ」

 気恥ずかしそうに頷く魔理沙に対し、霊夢は真剣そうな表情を浮かべてそう言った。

 霊夢の言ゔアイツら゙という言葉の意味を魔理沙は理解できなかったのか、一瞬だけ訝しむも…

 すぐに彼女の言いたい事が分かったのか、その顔にハッとした表情を浮かべると「マジか」とだけ呟いた。

 彼女の「マジか」という問いに対し霊夢は無言で頷くと、ある意味この街では聞きたくなかった単語をアッサリと口にした。

 

「んぅ、まぁ実物を見てないから断定はできないけど。多分、アンタが戦ったのはキメラ…なのかもしれないわ」

「えぇ、マジかよ?っていうか、こんな街中でか」

「私も信じたくはないわよ。…けれど、あの気配はタルブで感じたものと酷似していたわ…微妙に違うところもあったけど」

 流石に驚かざるをえない魔理沙に、霊夢も頭を抱えたくなりながらも肯定せざるを得なかった。

 いかに博麗の巫女といえども、まさかこんな街中であの怪物たちが放つ『無機質な殺意』を感じるとも思っていなかったのだから。

 陽も暮れて、夜のとばりが降りようとしている寂れた広場の真ん中で、紅白の巫女はため息をつくほかなかった。 

 

 

 

 

 それから時間が幾ばくか過ぎ、すっかり夜の帳が落ちた時間帯。

 王都の喧騒はブルドンネ街からチクトンネ街へと移り、まだまだ遊び足りないという人の波もそちらへと移っていく。

 その街に数多くある酒場でも名の知れた『魅惑妖精』亭の二階で、ルイズは思わず叫び声を上げそうになってしまう。

「な…!何ですって!?キ…ムッ」

「バカ、声が大きいわよ」

 聞かされた話の内容に驚いて叫びそうになった彼女の口を霊夢は自らの手で軽く塞ぎ、何とか大声を挙げずに済んだ。

 試しにチラリと階段から一階の様子を見てみると、何人かがルイズの声に気付いてそちらの方へと視線を向けている。

 しかし、どうせ酔っ払いの戯言だと思ってすぐに視線を戻し、酒を楽しんだりウェイトレスの仕事に戻っていく。

 ひとまずこちらへ来る者がいないという事だけ知ると、大声をあげそうになったルイズの方へと視線を向けた。

 

「ただでさえ今は人が多いんだし、誰が聞き耳立ててるか知れないんだから気を付けて頂戴よ」

「わ、分かったわよ。でも、急に口を塞ごうとするから思わずアンタの親指を噛み千切りそうだったわ」

『娘っ子、それは冗談としちゃあ笑えないね。…ま、そうなってたら面白いっちゃあ面白いが』

 二人のやり取りに壁に立てかけられたデルフも混ざりつつ、店中の人気が一階へと集中している二階の廊下には彼女たち意外誰もいない。

 魔理沙は一階で自分たちを待っていたシエスタの相手をしつつ、料理を頼みに行ってくれている。

 今は人がいないといっても何時誰かが来るかも分からないために、あの屋根裏部屋で話の続きと共に頂くことにしたのだ。

 ルイズと霊夢の尽力で一通り綺麗になった今なら、ワインの上に舞い上がった埃が落ちる事もない。

 一方で、自分たちとの夕食を楽しみにしていたシエスタへの言い訳を考える必要もあった。

 彼女が今夜の夕食に霊夢たちを遊びに誘う事を知っていたルイズは、変な罪悪感を覚えずにはいられない。

 

 何せ霊夢と魔理沙の二人が戻ってくるまでの間、自分と一緒に食べずに待っていたのだ。

 余程自分たちと食事を共にして、ついで遊びに誘いたいという彼女の気持ちをルイズはひしひしと感じてしまっていた。

 最も、ルイズまで待っていたのは単に先に食べてたらあの二人に鬱陶しい位に恨まれると思っていたからであったが。

 

 ともかく、そんな彼女への言い訳を魔理沙に押し付けたルイズは霊夢から先ほどの事を聞いたばかりであった。 

「でも…信じられないわ。まさか、よりにもよってこの王都にあんなのが潜伏しているだなんて…」

「信じようと信じまいと、そこにいるという事実は変わりないわ。現に、私だってアイツラの気配は感じてたしね」

『成程なぁ…だからマリサの帰りを待ってた時に、急に血相変えて飛び出したってワケか』

 半ば事実わ受け止めきれてないルイズに、霊夢は自分がキメラ特有の気配を感じたと証言し、

 そこへルイズと一緒に御留守番する羽目になってしまったデルフが相槌をうった。

 魔理沙がキメラと思しき存在と戦い始めて数分経った頃に、霊夢は彼らから漂う気配を察知していたのである。

 既に掃除を一通り済まして、客が入り始めた一階で彼女の帰りを待っていた時であった。

 

「あの時は驚いたわ。急に眼を鋭く細めたかと思えば「ちょっと外行ってくる」とか言って、出て行っちゃったんだから」

「まぁあん時はまさかこんな街中で…って驚いてたから、ワケを話すヒマも無かったわね」

『だからオレっちは置き去りにされてたというワケかい。理由は分かったが、ちょっと悲しいぜ』

「まぁでも…その時にはもう退散していたしアンタを持って行っても使い道はなかったわ」

 ワケも話さず店を飛び出していった霊夢が今更ながらワケを聞き、納得するルイズとデルフ。

 自分を持って行ってデルフに対し容赦ない返事をしてから、ふと右手を左袖の中へと入れた。

 

 暫し袖の中を探ってから目当ての物を掴んだのか、一枚のメモ用紙を取り出してみせた。

「そもそも、魔理沙が戦っていうキメラらしき怪物が…これまた掴みどころのないヤツでねー…ホラ」

 霊夢はそのメモ用紙に描かれている何かを一瞥した後、ルイズにも見えるように紙を差し出す。

 どうやらその怪物のスケッチらしく、何やら黒くて丸い物体がこれまた黄色くて丸い目玉を爛々と輝かせている。

 その隣には主役のキメラと比べてやや丁寧に書かれた魔理沙がおり、一見してキメラとの大きさを比べられるようになっていた。

 しかし、その魔理沙がやけに丁寧に描かれていた為にどちらがスケッチの主役なのかイマイチ分からなくなってしまう。

「なにコレ?これがあの…タルブや学院近くの森で目にしたのと同じ仲間ってことなの?」

 霊夢が見せてきた魔理沙画伯のキメラの姿に、ルイズは思わず拍子抜けしたかのような表情を見せてしまう。

 キメラらしき怪物が出たと聞いて、てっきりタルブで対峙したようなおっかない化け物かと思っていたに違いない。

 

『まぁ待てよ娘っ子。こういう得体の知れない相手っていうのは、案外手強いもんなんだぜ?』

「…あぁそういえば、魔理沙が「私の『魔法』を一発喰らっただけで逃げやがって…」とか言ってたような」

『マジか。―――…って、あの黒白の瓶詰め『魔法』相手じゃあ誰だって逃げるぞ』

 勝手に肩透かしを喰らっているルイズを戒めるデルフの言葉を霊夢がさりげなく否定し、デルフがそれに突っ込みを入れる。 

 誰もいない二階の廊下で魔理沙の帰りを待ちつつ、二人と一本は魔理沙が相手にしたキメラの話を続けていく。

「それにしても…コイツ手足も口もなさそうよね?それって、生物としてはどうなのかしら」

「確かにね。…魔理沙が言うには、なめくじみたいに地面を這いずったり体を飛び跳ねさせて移動してたらしいわ」

『成程ねぇ。なめくじには手足何てねえし、壁まで這える移動手段の一つとしてはたしかに持って来いだな』

 霊夢の口からきいたキメラの移動手段を想像して、ルイズは思わず身震いしてしまう。

 

 魔理沙程の身の丈がある黒い手足の無い怪物が、黄色くて大きい目玉を輝かせて地面を這いずりまわっている。

 そして獲物を見つけるといざ狙いを定めて、その丸く不定型な体を跳ねさせて、頭上から襲い掛かってきて…。

 成程、見た目は以前相手にしたキメラ程刺々しさはないが、不気味さだけはこちらの方に軍配が上がってしまう。

 このキメラを造り上げであろう人間は生物学にも通用し、ついで人が不快や不気味に思う生物を造り上げる事に長けているようだ。

 ルイズは直接お目にかかれなかったキメラの動きを脳内で思い描いていると、ふと気になった箇所を見つけた。

 

「そういえば…コイツの内臓ってどうなってるのかしらね?見た感じ内臓や心臓はおろか、脳すらなさそうなんだけど…」

「魔理沙が言うにはそういうのは見当たらなかったそうよ。目玉だけが唯一の臓器だったらしいけど」

「はぁ?何よソレ、コイツ本当にキメラなの?」

 首を傾げるルイズの問いに霊夢があっさりと返事をすると、彼女は訝しんだ表情を見せる。

 そりゃそうだ、いかにキメラであろうとも自分たち普通の生き物と同じく体を動かす内臓器官がなければまともに生きる事すらできない。

 もしも目玉以外の臓器無しに行動できるのならそれは生物ではなく、それ以下の得体のしれぬ存在でしかない。

 そんな存在が今王都の何処かにいるのだとしたら―――ルイズは先ほどよりも強い身震いを起こしそうになってしまう。

 

 しかし、ルイズは敢えてそれを我慢し自分がこれから何をするべきなのかを考える事にした。

 恐怖に震えるのは後でいつでもできるし、何より自分にはキメラと戦うだけの力は最低限備わっている。

 ならば今は恐怖を押し殺し、怪物の退治の専門家である霊夢と今後の事について相談しなければいけない。

 心の中でそう決断したルイズは体をキュッと強張らせて、こちらに訝しんだ表情を向ける霊夢へこれからすべき事を伝える。

 

「ひとまず、この事を姫さまに報告しなきゃ駄目よね?王都の中に、あんな怪物がいるだなんて許されないわ」

 彼女の言うとおり、姿方は違えどタルブで猛威を振るった怪物と同種の存在がいるならば真っ先に報告すべきだろう。

 幸い今のルイズにはアンリエッタへ伝える方法を確立しているため、報告自体は簡単に行えるに違いない。

 しかし、これは自分の勘が冴えわたっている所為なのか、霊夢としてはそれはダメなような気がしたのである。

 いつもならルイズの決定に同意していたのだろうが、何故か今回だけは自分の勘が『それは危険だ!』と判断したのだ。

 だから彼女にしては珍しく気まずい表情を浮かべてから、ルイズにやんわりな返事をする。

 

「……うーん、確かに普通ならそうするんだけどね~?今の私的にはもうちょっと様子を見た方が良いような気がするわ」

「どうしてよ?もしかしたら。何処かの誰かがこんなナメクジみたいなヤツにお触れたら取り返しがつかいのよ!」

 確かに彼女の言う通りであろう。相手が化け物ならば何時誰かに襲い掛かっても不思議ではない。

 ましてやここは人口密集地帯である王都。何処から出現しても、暫く動き回れば哀れな犠牲者見つける事も容易いだろう。

 それが自国の人間であるならば、尚更必死に訴えるのも無理はないだろう。同じ立場ならば寝る間も惜しんで捜し出し、退治するに違いない。

 だから霊夢としてもルイズの決定に賛成したいところであったが、長年鍛えてきた自分の勘が危険信号を出している。

 それを口にするのは少し難しかったものの、説明しなければルイズは納得しないだろう。

 だから霊夢はどう喋って良いか少し悩んだものの、頭の中で思いついた事を少しずつ口にしていく事にした。

 

「何でかは分からないけど、、今回急に現れたキメラと思しき怪物の出現は単なる一つの出来事じゃない気がするのよ」

「……?単なる、一つの…?」

 何を言っているのかイマイチ理解できないのか、急に喋り出した霊夢はルイズに怪訝な表情を向られてしまう。

 デルフもどう解釈すればいいのか良く分からないのだろうか、静観に徹している。

 口にした霊夢自身も自分が口にした言葉に頬を若干赤くしつつ、それでも説明を続けていく。

「まぁ、何て言えば良いのかしらね…ただ単純に、私達の刺客として放ったワケじゃあない気がするって言いたいワケ」

『!…成程、つまりあのキメラを操っているヤツとマリサとの出会いは、あくまで予想外だったってことか』

 ここで一人と一本は理解したのかルイズはハッとした表情を浮かべ、デルフはカチャカチャと嬉しそうに金属音を鳴らして喋る。

 ようやく自分の言いたい事を理解しかけてくれたと実感した霊夢は、更に喋り続ける。

 

「まぁ、どちらかといえばマリサを襲ったのはあくまでおまけじゃないか…って気がするのよ。

 あくまでアイツを襲ったのは目的゙外゙であって、本来の目的はもっと別なんじゃないか…って私は思うの」

 

 霊夢の主張を聞いて、ルイズも少しだけ考え込んでしまう。

「目的の、外…つまり目的外って事よね?じゃあ本来の目的って何なのかしら」

「それが分からないから「気がする」って言っただけよ」

 まぁそれはそうか。霊夢の言葉にムッとしつつ納得すると、ルイズは手に持ったままのキメラのスケッチを今一度眺めてみる。

 手足の無い不出来なナメクジの様な形をしたキメラは、一体なぜ王都の中に現れたのであろうか?

 そして…タルブと同じならば誰がこのキメラを操り、そしてマリサへ襲い掛からせたのだろう。

 ルイズの脳裏に、タルブの戦いにおいて大量のキメラをけしかけてきた女、シェフィールドの姿が思い浮かぶ。

 

 額に虚無の使い魔の証拠であるルーンを刻まれ、自らの神の頭脳―――ミョズニトニルンを自称していた黒髪の白肌の怪女。

 もしかすればあの女も王都にいて、あわよくばキメラを用いて敬愛するアンリエッタの暗殺を目論んでいるかもしれない。

 そうであるのならばやはり、一刻も早く手紙を使って王女殿下に今回の事を報告する必要がある。

 頭の中で色々と想像してしまったルイズは、再び霊夢に報告するべきだという主張を提案した。

「まだ何もわかってないけれど、黙ったまましておくのもマズイ気がするわ。だからやっぱり、姫さまには報告だけでも…」

 ルイズの提案に、今度は霊夢も暫し口を閉ざして考えてみる。

 

 別に彼女の提案は至極真っ当なうえに正論であるし、何よりここは勝手知ったる幻想郷ではない。

 現に自分たちから金を盗んだ少年一人捕まえられていないのだ、何せ地の利は盗人側ににあるのだから。

 人里以上に迷宮じみた街の中でキメラを捜そうとしても、盗人同様一向に見つからない可能性がある。

 しかも相手は人の道理の通じぬ化け物だ。こちらがグダグダと探している間にヤツの餌食になる人が出てくるかもしれない。

 正直博麗の巫女としてこの手の怪物退治で他者の力を借りてしまうのは何かダサいような気もするが、

 地の利が無い場所での何の手がかりも無しに探し回るなら、確かに報告ぐらいならしておいた方が良いかもしれない。

 

 ザっと脳内でそう結論付けた彼女は、少々納得の行かない表情を浮かべつつも頷いて見せた。

「う~ん…一番良いのは、私だけで原因究明とキメラ退治で決めたいのだけれど…何か起こったら手遅れだしね」

「え?それじゃあ…」

 困惑顔から一変、嬉しそうな表情を見せてくるルイズに「まぁ待ちなさい」と話を続けていく。 

「でもあくまで報告にしておいた方が良いわ。もしもキメラを操ってるのが、タルブで見た女だったとしたら…」

「…!下手に動けば何をしでかすか分からない…って事ね」

 霊夢の言葉に、ルイズは戦地となったタルブを縮小された地獄へと変えたシェフィールドの事を思い出す。

 キメラを手下として使ったとはいえ、それを指揮してトリステイン軍を襲わせたのは紛れも無く彼女の仕業だ。

 

 と、なれば…アンリエッタにそれを教えて街中に魔法衛士隊を派遣するよう事態にでもなったら…。

 そこから先の事を想像しそうになったルイズは慌てて妄想を頭の中から振り払い、否定するほかなかった。

 青ざめるルイズを見て彼女がどんな想像をしたのか察してか、デルフが金属音を立てながら余計な事を言い始める。

 

『相手は神の頭脳ことミョズニトニルンなうえにあんな性格だ、目的が何なのか分からんが大事にはなるかもしれん。

 …オレっちの経験から言わせりゃあ、あの手の輩はどんだけ犠牲が出ようとも目的が遂げられればそれで良いってタイプの人間さね』

 

 恐らくこの場に居る中では最も最年長であるデルフの言葉は、割と冗談では済まない様な気がした。

 大量のキメラを用いて、タルブの人々や軍を襲ったあの女ならそれだけの事をしてもおかしくは無いだろう。

 デルフのアドバイスにルイズは恐る恐る頷くと、真剣な表情を見せる霊夢が話しかけてきた

「とりあえず手紙は送るとして…ひとまずは静観に徹して欲しいって書いておいた方がいいわね」

「確かにそうね…姫さまなら、人々の事を案じて結構な人数を動かしちゃうかもしれないし…」

 書くべきことは三つ。王都の中でキメラと思しき怪物と出会った事と、身の回りに気を付ける事。 

 そして相手に気取られぬように大捜索などは行わない事、ぐらいであろうか。

 後は街中で収集した情報と一緒に送れば良いだろうと、ルイズはこれからやるべき事を決めていく。

 

 とりあえず、手紙に関しては今夜中にでも書いて明日中に送った方が良いだろう。

 どういう風に書くのかはペンを手に取った所で考えればいいとして、一番時間が掛かるのは情報だ。

 結構な量を集めたのは良いが、自分の手で選別するかありのままの状態で送るかの二択を決めなければいけない。

 いきなりウンウンと悩み始めた自分が気になった霊夢を相手に、ルイズはどうすれば良いかと聞いた所、

 

「そんなの簡単じゃない。一々選んでたらキリが無いし、全部ありのままに送っちゃいなさい」

 

 …と物凄くアバウトで即決だが、非常に的確なアドバイスをしてくれた。

 それを聞いた後でルイズは「そんな適当に…」と苦言を漏らしたが、それでも霊夢は言ってくれた。

 

「多分、あのお姫様なら自分に対しての批判が書かれても健気かつ前向きにやっていけると思うわよ?

 なーんか一見頼りなさそう雰囲気は感じるけど、あぁいうタイプの人間って挫折や困難があればある程成長するかもね」

 

 何故か安心して頷けない様な言い方であったが、どうやら彼女なりにアンリエッタの事を褒めてはいるらしい。

 雑な感じで喋っているが、その表情が険しくないのを見るに霊夢は霊夢なりに姫さまの事は少なからず認めているのだろう。

 そう思っておくことにしたルイズは霊夢の提案にひとまず「考えてて置くわ」と返し、デルフの横に置いていた火かき棒を手に取った。

 主に薪を暖炉の中に入れる為の道具であるが、当然二階の廊下にそんなものはない。

 ルイズはいつも握っている杖よりやや太い火かき棒の持ち手を握りしめて、廊下の天井目がけて振りかぶった。

 そのまま空振りするかとおもった火かき棒はしかし、その先端部が天井についている小さな取っ手に引っ掛る。

 

 それを確認した後、火かき棒を握るルイズは腕に力を込めて火かき棒を下ろそうとする。

 当然先端部が取っ手に引っ掛ったままのそれが彼女の言う事を聞くはずはなく、彼女の腕力に抵抗する。

 しかしそれもほんの一瞬の事で、ルイズに力負けした火かき棒は天井の取っ手に引っかかったまま地面へと下りていく。

 すると取っ手を中心に天井が長方形の形に開き、そのまま二階の廊下へとゆっくり降りていく。

 たちまち天井に取り付けられていた仕掛け階段が、微かな埃と共に二人と一本の前に姿を現した。

 

 やがて廊下まであと数サントという所で取っ手から火かき棒を外したルイズは、左手でグッと階段を廊下に設置させる。

 ゴトン!というやや大きな音と共に隠し階段は無事展開が完了し、彼女たちの前に屋根裏部屋へと続く入り口が完成した。

 一人で展開を終わらせたルイズは右手の火かき棒を再び壁に立てかけると、まるで一仕事終えたかのように一息ついた。

「ふぅ~!…ランから火かき棒を渡された時はどうすりゃいいのよ…って思ったけど、案外私でもできるものなのね」

『いやいや、普通はお前さんほどの女子が一人でどうこうできるもんじゃねぇぞ』

「ってうか、その小さな体の何処にあんな重そうな階段を展開できる程の筋力があるのよ」

 良く考えれば凄い事をやってのけたルイズの言葉に、流石のデルフと霊夢も突っ込みを入れてしまう。

 これだけ立派な隠し階段だと、確かに大の大人でなければ満足に展開させる事はできないだろう。

 魔法を使うというのなら話は別になるが、知ってのとおりルイズはその手のコモン・マジックはできない。

 と、なれば自分の腕力だけが頼りになるが彼女ほどの女子では到底無理な事には違い無いはずである。

 それをいとも簡単にやってのけたルイズはやはり同年代の貴族達とは一味も二味も違うのだろう、主に体の鍛え方が。

 

 呆然とするしかないデルフと霊夢からの突っ込みに対し、ルイズは「失礼な事言うわね?」と腰に手を当てて怒ったように言った。

「こう見えても幼少期から乗馬やらアウトドアやったりと、そんじょそこいらの学生よりかは体を強いってだけよ」

 彼女の言う『アウトドア』というのは、ひょっとすればちょっとした『サバイバル』ではなかったのだろうか?

 霊夢がそんな疑問を抱くのを余所にルイズは一足先に階段へと二段ほど上がって、それから霊夢たちの方へと振り返る。

「とりあえず、後の話は夕食でも食べながらしましょう。いい加減、お腹も空いてきたしね」

「…まぁそうね。これ以上立ち話も何だし、私も色々と落ち着いて考えたい事があるし」

 ルイズの言葉に霊夢は何処か含みのある言葉を返しつつデルフを手に取り、彼女の後を続くように階段を上っていく。

 一瞬霊夢の口から出た『考えたい事』に首を傾げそうになったが、すぐに自分たちの金を盗んだあの少年の事だと察する。

 

 魔理沙が街中でキメラと戦う事になったキッカケの中に、その盗人の少年は出ていた。

 街中で別の人の財布を盗もうとしたところで、魔理沙が気づき、少年はその場を逃げ出したのだという。

 少年は必死に逃げ回ったものの、結局寂れた広場のような所で魔理沙は彼を追いつめたらしい。

 しかしタイミングが悪くキメラが現れ、それに隙を見せてしまったところあっさりと逃げられてしまったのだという。

 その後は話で聞いた通り怪物をひとまずは撃退したものの、結局少年は見逃してしまっている。

 結果的に窃盗犯を見逃すことにはなったが、危険な怪物を一時撤退に追い込んだ魔理沙の事は責められないだろう。

 最も、霊夢はそれを話す魔理沙に「もっと早く仕留めなさいよ」と愚痴を漏らしてはいたが。 

 

 きっとその事だと思ったルイズは、霊夢に話を合わそうとする。

「まぁ別に良いじゃない。…いや楽観視はできないけど、少なくともブルドンネ街にいるって証拠になるんじゃないの?」

「ん?…まぁそうなるんでしょうけど、だからといって隠れ家が分からない以上探すのは困難な事なのよ」

 先ほどアンリエッタに送る手紙の件で言ったように、霊夢にはまだ王都の構造をイマイチ把握できていなかった。

 街全体が大きすぎる為、空を飛んでも全体図を把握しにくいうえに上空からでは死角となる場所も多い。

 地の利は完全に盗人側にある故に、このままでは盗まれた金を持ち逃げされてしまうかもしれない。

 

 まるで残り時間のわからない時限爆弾ね。…霊夢が今の状況を内心で呟いた後、

 ルイズはあと一段で屋根裏部屋…という所で足を止めて、再び霊夢の方へと振り返って質問した。

「だからと言って、アンタの性分なら急に出てきた化け物を倒してたでしょう」

「…まぁね。だけど、魔理沙よりかは絶対に素早く仕留めれた自身はあるわよ」 

 何を今更…と言いたい質問に、霊夢はため息をつきつつそう答える。

 

 もしも自分が魔理沙の立場ならば、確かに少年の身柄を確保するよりも怪物を退治していたであろう。

 ただ、彼女のように自分の『魔法』でヘマするようなバカなマネは絶対にしないという事だけは誓える。

 さっさと怪物を始末して、そのうえで逃げ切れると思い込んでいる盗人を今度こそ捕まえる事ができただろう。

 軽く頭の中でシュミレートしつつ、やはり失敗はしないだろうと確信した霊夢は、ここにはいない魔理沙への文句を口走ってしまう。

 

「大体、自分の『魔法』で九死に一生な体験する魔法使いなんて、恥ずかしいにも程があるわよ」 

「流石霊夢、人の痛いところを容赦せず針で刺すように突いてきやがるぜ」

 

 突然後ろから掛けられた相槌に一瞬硬直した後、霊夢はスッと振り返る。

 そこにいたのは、階段の上から見下ろせる二階の廊下からこちらを見上げる魔理沙の姿であった。

 所謂怒り笑い…というヤツなのだろうか、無理に作ったような苦笑いを顔に貼り付けている。

 右の眉がヒクヒクと微かに動いているのを見るに、どうやら自分の言葉は丸聞こえだったらしい。

 まぁそれで対して焦る必要も無く、振り返った霊夢は酷く落ち着いた様子のまま戻ってきた彼女の一声掛けた。

「あら、いたのね魔理沙」

「いやいや、いたのね…じゃないだろ、そこは普通焦るもんじゃないのか?」

 

 思いの外話を聞かれても焦らない彼女を見て、思わず魔理沙本人は突っ込んでしまう。

 二人のやり取りを一番上から見下ろしつつ、巫女に対する魔法使いの突っ込みにルイズは納得してしまう。

 普通他人の文句を呟いておいて、その本人が気づかぬ間に傍にいたのなら普通は謝るなり焦るなりするものだ。

 しかし霊夢の場合、そんな事など何処吹く風と言わんばかりに冷静でまるで自分は悪くないとでも言わんばかりである。

 まぁ実際、彼女の事だから特に気にしてもいないのだろう。自分よりもそれを察しているであろう魔理沙はやれやれと首を横に振った。

「全く、一階から細やかな夕食セット三人前を運んで来たっていうのに、文句を言われちゃあ流石の私でもたまらないぜ」

 そんな事を言う彼女の両手はお盆を持っており、その上には出来立てであろう湯気を立てる『細やか』な食事を載せている。

 

 店の窯で焼いたであろうパンに、レタスとトマトのサラダ。

 小さめのカップ入ったポテトポタージュと、メインに頼んでいたタニア鱒のムニエル。

 ちょっとしたディナーにも見えるが、『魅惑の妖精』亭ならこれだけ頼んでも店らに置いてある古酒一瓶分よりも安い。

 更に店では魚の保存があまりできない為に、魚料理となれば肉料理よりもお手頃価格で食べられる。

 ルイズが選び、魔理沙が運んできた料理を一通り見た後で霊夢がポツリと呟く。

「一汁二菜…ご飯じゃなくてパンだけど、まぁ中々良さげなチョイスじゃないかしら?」

「いちじゅうにさい…?まぁ美味しそうなのを選んでみたけど、私としてはデザートが欲しかったところね」

 聞き慣れぬ言葉に首を傾げつつ、財布の中の残金がそろそろ危うくなってきたのを実感してしまう。

 

 デザートが無い事を惜しむルイズの言葉を聞いた所で、ふと霊夢は気が付く。

「ん?…ちょい待ちなさい。そのお盆の上の料理、どう見ても二人分しか無いように見えるんだけど」

「ように見える…というよりも、二人分しか乗せてないぜ。このプレートだと三人分は乗らないしな」

 成程、魔理沙の言うとおりお盆は二人分のセットを乗せるだけで精一杯の大きさである。

 という事は、先に二人分だけ持ってきてから最後に自分の分を持ってくるのであろうか?

 その時であった、二階の廊下にいる魔理沙の背後へと近づく人影に気が付いたのは。

 一瞬誰?と思った霊夢とルイズはしかし、それが見慣れた少女であったという事がすぐに分かった。

 

「わぁー!こうして夜中に階段を見上げると、いかにも秘密の隠れ家って感じがしますねー」

 魔理沙の背中越しに、隠し階段を見上げた黒髪の少女シエスタが目を輝かせて言う。

 その両手には魔理沙と同じくお盆を持っており、その上にはこれまた同じような料理が載っている。

 

「シエスタじゃない、まさかわざわざ魔理沙の事手伝ってくれてるの?」

「まさかって何だよまさかって?…まぁ、そのまさかなんだけどな」

 予想していなかったシエスタの登場にルイズは思わず声を上げ、魔理沙が代わりに言葉を返す。

 その後でシエスタはコクリと頷き、次いで前にいる魔理沙の横を通って隠し階段を上り始めた。

「流石に三人前の料理は一度に運べませんからね。…ついでだから、運ぶのを手伝う事にしたんですよ」

 流石学院でメイドとして働いているだけあってか、喋りながらもトレイを揺らすことなく屋根裏部屋へと上がってくる。

 それより少し遅れて魔理沙も階段を上り始め、暫し丈夫な隠し階段の軋む音が当たりに響く事となった。

 

 やがて一分もしない内に屋根裏部屋へと上がってきた彼女は、結構綺麗になった部屋の中を見て声を上げる。

 まだ部屋の端っこには若干埃が溜まっているものの、近づかなければそれが舞い上がる事もないだろう。

「へぇー、これってミス・ヴァリエールとレイムさん達で綺麗にしたんですか?思っていたよりも綺麗になってるじゃないですか」

「だろ?何せあれだけの埃やら色々なアレやらは、全部ルイズと霊夢が片付けてくれたんだぜ」

「何で掃除を一サントも手伝ってないアンタが誇ってるのよ」

 感心するシエスタに胸を張って説明する魔理沙にすかさず突っ込むルイズを余所に、

 デルフを足元に置いた霊夢は暫し屋根裏部屋の中を見回したのち、前から目をつけていた大きな木箱の方へと歩いていく。

 何が入っているのか分からないが、程よい重さのある長方形のそれは彼女一人でも楽に動かせる。

 埃も掃除の時に落として雑巾がけもしているので適当なシーツでも上から掛ければ、即席の長テーブルの完成である。

 最も、シーツはベッドに使っている物だけしかここにはないので完成に至ることは無いだろう。

 

 少し音を立てながらも、部屋の真ん中辺りにまで木箱を押した霊夢は一息つきながらもルイズ達に声を掛けた。

「ふぅ…魔理沙にシエスタ、悪いけどそのお盆の上の料理をこの上に置いて貰えないかしら」

「あ、はい!ただいま」

 霊夢からの要請にシエスタは慣れた様子で返事をし、次いで魔理沙も「はいよー」とついていく。

 二人が料理を配膳していく間に、霊夢はちゃっちゃとイス代わりになりそうな木箱を見繕う。

 といっても、既に掃除の時にある程度分けていたのためそこから適当なモノを選ぶだけである。

 これはルイズかな?と腰ほどの大きさしかない木箱を運ぼうとしたところで、そのルイズ本人の声が後ろから聞こえてきた。

 

「まさかとは思ってたけど、木箱を椅子やテーブル代わりにする日が来るだなんて…」

「ん?何なら床に直接腰を下ろして食べたかったの?」

「まさか、アンタじゃああるまいし」

 召喚して翌日以降、暫く目にした霊夢の食事姿を思い出しつつルイズは肩を竦めて言う。

 ある程度掃除したとはいえ、流石に屋根裏部屋の床に食説食器を置いて食事しようとは思わない。

 それならば、埃をしっかりと落として綺麗にした木箱をテーブル代わりした方がよっぽと衛生的である。

 霊夢もそれは理解しているのか、ルイズの言葉に「まぁそうよね」と同じように肩を竦めて言う。

「でも学院食堂の床よりは暖かそうじゃない」

「築ウン百年物のフローリングと、伝統ある魔法学院の食堂の床を比較しないでくれる?」

 霊夢の失礼な比較に文句を言いつつ、ルイズはシエスタたちがテーブルに置いていく料理を眺めてみる。

 こんな繁華街の酒場の料理にしてはとても見栄えが良く、そして美味しそうなモノばかり。

 我ながら良いチョイスした…と思った所で、ふとルイズはある違和感に気が付いた。

 即席テーブルの上に並ぶ料理が、もう一人分あるような気がする。というか、ある。

 

「ちょっとシエスタ、何か料理が一つ…多い気がするんですけど」

「はい?あぁ、それ気のせいじゃないですよ。だって私の分の賄いもありますし」

 自分の問いかけに対しそう返したシエスタにルイズは「あぁ、そう…」と納得しかけた直後、「え?」と目を丸くさせた。

 少し慌てて、違和感を感じた場所へもう一度目を向ける。確かに、自分の頼んだメニューとは少しだけ違う。

 サラダとスープは同じだが、パンは雑穀パンでメインの魚料理はラグドリアンナマズのフライになっている。

 タニア鱒より安価なラグドリアンナマズは、フライにしてもムニエルにしてもおいしい魚だ。

 そんな場違いな事を考えているルイズを余所に、準備を終えたシエスタは笑みを浮かべてルイズに話しかけてくる。

 

「実は戻ってきたマリサさんから、屋根裏部屋で食べるって聞いて…それで私も御同席しようと思ったんです。

 最初はダメだって言われたんですが、ミス・ヴァリエールと先に御同席の約束をしていたと言ったら…まぁそれならといった感じで、はい」

 

 一切隠し事をしていないかのような純粋で、今は厄介な笑顔を浮かべて言うシエスタ。

 何がはい、なのか?心中でそんな事を思いつつもルイズは咄嗟に言い訳役を押し付けた魔理沙を方を見る。

 自分の名前が生えす他の口から出た所で配膳を終えたばかりであった彼女は、お盆片手に肩を竦めた。

 彼女の顔は苦笑いを浮かべており、いかにも「仕方なかった」と言いたい事だけは何となくわかった。

 そしてルイズ自身背後からひしひしと感じる霊夢のキッツイ視線に、魔理沙同様肩をすくめるほかない。

 

 シエスタは今の自分たちの状況を知らない、本当に無関係な一般市民だ。

 更に彼女が自分たちとの夕食の同席を求めたのは、キメラが現れたという話を聞く前の事。

 客観的かつ一般市民の目線から見れば、朝にしていた約束を勝手に破った非は当然こちらにある。

 かといってこの街に現れた怪物の事を話し、下手に巻き込ませる事など言語道断である。

 

「さて、料理も配膳し終えましたし…私、水差しとコップを一階から持ってきますね」

 既に夕食を共にする気満々の彼女はそう言い残して、軽い足取りで二階へと降りていく。

 後に残るはルイズ達三人と、一言も喋らず状況見守っていたデルフだけ。

 そして即席テーブルには湯気を立てる料理がずらりと並べられている。

「――――…一体どういう事なのよ?」

 最初に口を開いた霊夢はそう言いながら、ルイズの方へと近づいていく。

 約束の事を知らない彼女にとって、シエスタの同席は本当に想定の範囲外だったに違いない。

 何せ先程、キメラの事やら盗人について今後どうしようかという話をしようと決めたばかりだったのだから。

 無関係なシエスタがいたら話はできないし、無理に話して巻き込ませるワケにもいかない。

 

 霊夢の鋭い睨みつけに、ルイズは思わず魔理沙に視線を向けるも彼女は肩を竦めて言った。

「私は一応無理だって言いはしたがな…結構無理に押し切られちまってこの有様よ」

『成程。…お淑やかな見た目とは裏腹に、押しには強いってワケか』

「何が成程、よ」

 三人のやり取りを耳に入れつつ、ルイズはこれからの事を想像してため息をつきたくなった。

 何せ夕食の同席だけでは済まない、シエスタの純粋で無垢な好意という相手と対峙しなければいけないのだから。

 

 

 

 

 

 陽が沈み、双月が無数の星と共に夜空を照らし始めて数時間が経つトリスタニア。

 チクントネ街の活気も最高潮に達し、それとバランスを合わせるかのように静まり返っていくチクントネ街。

 文明の灯りは繁華街に集中し、まるで羽虫の様に多くの人々がそちらへと集まっていく。

 ある労働者たちは酒場で安い酒と食事で乾杯をし、ある下級貴族は少し良い雰囲気の酒場で夕食を頂く。

 ブルドンネ街のホテルからやってきた観光客たちは、夏の熱気に浮かれて王都の夜の顔を満喫している。

 

 そんな賑やかながらも、どこか切ない一夏の夜で活気づくチクントネ街の―――地面の下。

 レンガ造りの地面と分厚い石壁に隔てられた先には、王都の下水道が走っている。

 地上の生活排水や生ごみ等が流れていく水は濁りきっており、とても人が住めるような環境ではない。

 それでも地上から滅多に出ないドブネズミやゴキブリたちにとっては最高の住処だ。

 冬は地上と比べて幾分か暖かく、そして時折通路に引っ掛る生ごみという御馳走まで手に入るのだ。

 地上では鼻つまみ者とされ駆除されやすい彼らにとって、これ以上贅沢な環境は無いだろう。

 

 王都の下水道を管理する処理施設の職員たちが使う通路と言う足場もあり、様々な場所へも行ける。

 それこそ旧市街地の何もない貧相な下水道から、ブルドンネ街の豊富で新鮮な生ごみをありつける下水道まで、

 時間は掛かるが、地上と違って恐ろしい天敵も少ないここは正に天国か楽園と例えられるだろう。

 だが――今夜に限って、彼らはその身を潜めてジッと隠れる事に徹していた。

 何かは良く分からないが、ここ最近になって現れた『怖ろしく見た事の無いモノ』に見つからない為に。 

 

 天井に取り付けられたカンテラが、仄かに汚れた水面を照らす下水道。

 一定の間隔をおいてぶら下がっているそれは、この暗い場所を明るくするには少々役不足なのかもしれない。

 丁度ブルドンネ街とチクトンネ街の境である場所の地下に造られた連絡通路の上で、シェフィールドはそんな事をふと考えてしまう。

 背後から聞こえる激流の音をBGМは鬱陶しいかと思えるが、いざ考え事をしてみるとそれ以外の雑音を掻き消してくれて丁度良い。

 いま彼女がいる場所は二つの街の下水が合流する場所で、更にその激流の上に造られた連絡通路に立っていた。

 細かい格子の鉄板で出来た床から下を覗けば、白く波立つ激流がポッカリと空いた穴の中へと落ちていくのが見えるだろう。

 この穴へ落ちていく水は更に地下を通って、処理施設が管理するマジック・アイテムで濾過されて綺麗な水へと戻っていく。

 浄化された水はそのまま海へと戻っていくか、もしくは一部の井戸水として人々の生活用水に再利用される。

 ここだけではなく、二つの街や旧市街地にも同じような穴がある為に余程の事が無い限り水害が起きる事は無いだろう。

 

 そんな穴の上の通路に佇み、一人考え事に耽る彼女が何故こんな所にいるのであろうか?

 別に考え事をするならこんな場所ではなく、地上で宿でも取ってそこで考えればいい筈だ。

 実際シェフィールド自身は既に宿を取っているし、こんな場所よりもずっと環境の良い部屋である。

 理由はたったの一つ―――彼女は待っていたのだ、自分の『手駒』が返ってくるのを。

 そんな時であった、ふと後ろから何か大きな物体が地面を這いずるような音が聞こえてきたのは。

「…………ん?どうやら帰ってきたようね」

 どうでもいい考え事に耽っていた彼女はすぐにそれを頭から振り払い、背後を振り返る。

 

 振り返った先には、ブルドンネ側の下水道へと続く通路がある。

 間隔を取って置かれている頼りない灯りに照らされた石造りの地面に、不自然な黒い影が映り込む。

 おおよそ人とは思えぬ丸すぎるシルエットは、例えるならばナメクジやナマコに近いと言われればそう見えるかもしれない。

 しかし、影に隠れた全身を見てしまえば誰もがこう思うだろう。こんな生物は見たことが無い、と。

 

 そして…もしもこの場に、この怪物と地上で一戦交えたであろう普通の魔法使いがいれば怪物を指さして叫んでいたであろう。

 こいつだよ、私の大捕物を一番いいところで邪魔した怪物は!―――と。

 

 シェフィールドは足元に置いていたカンテラの取っ手を右手で掴み、ついで左手の指を鳴らして灯りを点ける。

 彼女を中心にして周囲を明るくする文明の利器が、近づいてくる影の全身をその日で照らしだす。

 手足のない丸く黒いスライム状の体に黄色い二つの目玉が、爛々と輝かせてシェフィールドの元へと近づいてくる。

 普通なら悲鳴を上げて逃げ出すのであろうが、その怪物を照らしている本人は微動だにせずじっと凝視している。

 それどころか、その口許に薄らと笑みを浮かべてそのスライムの様な存在へと近づいていくではないか。

 対して怪物も近づいてくるシェフィールドを襲うつもりはないのか、プルプルとその体を揺らしていた。

 

 怪物と後一メイルというところまで近づいたシェフィールドの額に刻まれたルーンが、微かに発光し始める。

 やがて十秒と経たぬ内に額のルーンが、暗闇の中にでもハッキリと見えるようになるまで強く光り出す頃には、

 地上で魔理沙に襲い掛かっていた怪物は、まるでしっかりとしつけのされた大型犬のように彼女の前で停止していた。

「ご苦労様。あの黒白には手痛い目に遭わされたようだけど…、まぁ『ノウナシ』の状態だとあれが限界よね」

 怪物を見下ろしつつ一人呟くシェフィールドがもう一度左手の指を、勢いよく鳴らす。

 パチン!と小気味の良い音が広い空間に木霊し、ゆっくりと時間を掛けて消えていく。

 その音を聞いた直後だ。足元で大人しくしていた怪物はその体を揺らして、彼女の横を通り過ぎていく。

 這いずるしか移動方法が這いずるしかないその丸い体で器用に前へ進みながら、チクントネ街側の下水道へと向かおうとしている。

 

 シェフィールドも少し遅れて振り返り、向こう側へと行こうとする怪物の後姿をじっと見守っている。

 あと少しでチクトンネ街側の下水道通路の境目の手前まで来たところで、怪物は這いずっていたその体をピタリと止めた。

 下の激流が見える鉄板の通路から、石造りの通路へと切り替わる手前で止まった怪物は、じっと前方を見据えている。 

 すると、その前方の通路――少し遠くからコツ、コツ、コツ…と二人分の靴音が聞こえてきた。

 距離からして、恐らく一分も経たぬ内に靴音の主は進行方向の先にいる怪物と鉢合わせする事になるだろう。

「全く、散々人にデモンストレーションさせた挙句に…自ら姿を現して来られるとはね…泣かしてくれるじゃないの」

 シェフィールドはその靴音の主達を知っているのだろうか、慌てる素振りを全く見せていない。

 

 それから二十秒程経った頃であろうか、ようやく彼女の前に足音の主達が暗闇の中から姿を現す。

 やや時代遅れの灰色の羽根帽子に灰色のマントを羽織った貴族の男性で、顔に被っている仮面のせいで年までは分からない。

 もう一人は、この下水道ではあまりにも不釣り合いな灰色のドレスとマント着飾った貴婦人で、彼女もまたその顔に仮面を被っている。

 場所が場所で仮面を被っていなければ、モノクロ画で書かれた貴族夫婦のモデルとしてはうってつけの二人であろう。

 何せ靴の先端から帽子の天辺までほぼ灰色なのだ、ちゃんと色付きで描けと注文してもそれを受けた画家はモノクロ画で描くしかないのだから。

 

 シェフィールドは自分の前へ現れた二人組を見て、懐から懐中時計を取り出して見せる。

 そしてワザとらしく蓋を開けると、少し離れている彼らへスッと今の時刻を見せながら話しかけた。

「十分も遅れてやって来るなんて、一体どこでナニをしてらっしゃったのかしら?」

「貴族でないアナタには少し分からないかも知れませんが、ゴタついた案件を片付けるだけでも結構な時間が掛かるものでしてよ?」

「あら、そうでしたの?…案外、そんなアホらしい恰好をするのに時間を掛けていたのでなくて?」

 挑発的で聞く者が聞けば赤面しそうななシェフィールドの挑発に対し答えたのは、貴婦人の方であった。

 自分の隣にいる灰色の貴族を庇うようにして前に出た彼女は、相手からの売り言葉に対し買い言葉で返してみせる。

 それに対して、シェフィールドも再び挑発で返す…という悪循環に陥ろうとした所で、灰色の貴族が待ったを掛けた。

 

「おいおい、よさんかこんな所で!こんなしけた場所で喧嘩しても得られるモノはないんだぞ、キミたち」

「……失礼、見苦しい所をお見せしてしまいました―――灰色卿」

 声だけでも仮面の下の顔が分かってしまう程のしわがれている老貴族――灰色卿の言葉に、貴婦人は大人しく引き下がる。

 そして彼に一礼した後再び後ろへ下がると、次に灰色卿が一方前へ出てシェフィールドと向かい合った。

 彼と向かい合うシェフィールドも灰色卿に軽く一礼し、彼らの前にいる怪物を一瞥しながら話し始めていく。

「これはこれは灰色卿自ら起こしに来られるとは…よっぽど、今回ご提供する商品がお気に召したのですね?」

「まぁな。先にくれた商品を潰してしまってからは少し時間を置こうとは思っていたが…一つ早急に片付けねばならない事ができてな」

 彼女の言葉に灰色卿はそう答えて、自分たちの前にいる黒いスライム状の怪物――キメラへと視線を向けた。

 そしてマントの下に隠れていた右手を上げると、後ろに控えていた貴婦人がスッと彼の横を通り過ぎていく。

 

 鉄でできた床をハイヒールがコツ、コツ、コツ…と耳障りな音を立てて歩く灰色の貴婦人。

 歩く最中に灰色卿と同じくマントの下に隠していた右腕を、シェフィールドの前に曝け出してみせる。

 その右腕の先にある手にはどこへ隠していたのか、個人用の小さな旅行鞄の取っ手を掴んでいた。

 やがてシェフィールドとの距離が二メイルという所で貴婦人は足を止めるとそこで鞄のロックを外し、中身がシェフィールドに見えるよう開ける。

 開かれた鞄の中に入っていたのは、ぎっしりと詰め込まれたエキュー金貨であった。

 暗い下水道でも尚黄金の輝きを忘れぬ金貨を前に、流石のシェフィールドもへぇ…と声を漏らしてしまう。

 悪くは無い反応を見せてくれたシェフィールドを確認した後、貴婦人はスッと鞄を閉めて話し出す。

 

「まずは前金として四百エキューを差し上げます。貴女の提供したキメラがこちらの期待添えたら残りの後金四百エキューを…」

「つまり…合計八百エキューってことね…まずまずじゃない?ソイツの購入費としては少々釣り合わないけど」

 おおよそ並みの貴族が手に入れたのならば、半年間はドーヴィルのリゾート地で遊び暮らせるだけの額である。

 平民ならばそれだけの金額があれば私生活には絶対に困らないであろうし、節約すれは十年以上は働かずに暮らせてしまう。

 だが…シェフィールド本人の見解としては、それだけの金額を積まれてもキメラの代金としては『割に合わない』と感じていた。

 更に提供する際にこのキメラの『本体』もそっくりそのまま渡すようにと、敬愛するジョゼフからの伝言もある。

 となれば…八百エキュー『ぽっち』で手放してしまうというのは、あまりにも理不尽というものなのではないだろうか?

 

 本当ならばここでその事を告げた後でしっかり説明をし、金額を上げるよう要求するのが普通であろう。

 しかし正直なところ、シェフィールドにとって金というモノはダダを捏ねて欲しがるものでもなかった。

 本当ならばキメラもただで渡して、その扱いに関しては素人な連中がどう取り扱うのか見物したいのである。

 あくまで金銭を要求するのは、相手側にちゃんとした取引だと思わせる為だ。

「失礼、灰色卿。…アナタは我々の提供するキメラを少し過小評価しているのではありませんか?」

 だからこうして、ワザとらしく首を軽く傾げて灰色卿に質問をするのも演技の内であった。

 最も…質問の内容に関しては演技の外であり、制作に携わった一人としての疑問であるが。

 シェフィールドからの質問に対し老貴族は暫し唸ったのち、渋々と返事をする。

 

「まぁな。見た所このナリじゃあ我らが要求しているような仕事を満足にこなせるとは…思えん。

 それに先の戦が原因で他の者たちはキメラに対して懐疑的になっておる、これ以上の捻出はちと難しいのだ」

 

 彼が言いたい事は即ち二つ。要求する任務を達成できるのかという事と、財布の紐が硬くなってしまった事だ。

 恐らく今回の八百エキューも灰色卿自身の口座から引き出したものに違いない、とシェフィールドは察する。

 集団ならまだしも、例えトリステインの古参貴族でも八百エキューは充分に大枚の範囲内だ。

 と、なれば…これ以上駄々を捏ねても金は出ないだろうと予測した彼女は、ひとまず八百エキューで治める事にした。

 それよりも許し難いのは…最初に言っていた、あのキメラに要求した任務を達成できるのか…という事についてである。

 これに関しては先にも述べた様に、制作に携わった人間の内一人としては一言申したい気分であった。

 少なくとも以前渡したキメラとは、性能で天と地の差があるという事を教えてやらなければいけない。

 

「これはこれは…随分と心配性だこと。よっぽどそのキメラの形状に不満があるようですね?

 けれどご安心を、いまご覧になっている姿はいわば本気をだしていない不完全状態…私達は『ノウナシ』と呼んでいます」

 

 不敵な笑みを浮かべるシェフィールドの口から出た言葉に、灰色卿はマスクの下で怪訝な表情を浮かべる。

 『ノウナシ』…とは、これまた酷い呼び名である。恐らくは「能無し」か「脳が無い」のどちらか…或いは両方から取ったのだろう。

 こうして目の前にいる個体を見てみると、黄色に光る目玉以外の臓器が体の中にあるとは思えない。

 成程、確かに『ノウナシ』という呼び名はこのキメラにうってつけであろう。脳が無いから命令も伝わらない能無しなのだから。

 そんな事を考えながらキメラを見下ろしていた灰色卿に、しかし…とシェフィールドは話を続けていく。

 

「最初に言ったようにそれはあくまで不完全状態でのあだ名、ならば……『ノウ』がないのなら゙戻しでやればいいだけの事」

 彼女がそう言って左手を軽く上げると、そこから三度目のフィンガースナップを決めて見せた。

 パチン!という音が下水道内に響き渡り、それは合図となって近くの暗闇に潜んでいた『何か』を引きずり出す。

 一体何が起こるのかと訝しんでいた灰色卿たちは、シェフィールドの背後から近づいてくるその『何か』に気が付いた。

 最初こそ遠すぎで何が何だか分からなかったものの、やがて『何か』が彼女の横にまで来たとき…その正体を知ってしまう。

 

「――…!灰色卿…!」

「これは…」

 瞬間、それを目にした貴婦人は仮面の下からでも分かる程に驚愕し、灰色卿も動揺を見せてしまう。

 それ程までにその『何か』はあまりにもインパクトがあり、そして見る者を震え上がらせる程におぞましいものであった。

 二人の反応を目にし、ひとまずは上々と感じたシェフィールドは口の端を吊り上げ一礼しつつ言葉を放つ。

 

「こいつが『ノウナシ』から『ノウアリ』の状態になれば、あなた方のご期待に答えられる活躍をする事でしょう。

 ご安心くださいな、灰色卿。こいつの得意とする専門分野は、今のアナタにうってつけである事に間違いは無い筈です」



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第九十四話

―――…………………、………………?

――――…………、…………

 

(……ん…んぅ?)

 どこかで誰かが、誰かと何かを喋っている。

 瞼を閉じて眠りについてしまい、それから数時間が経った頃に自分はそれに気が付いた。

 どこでどう睡魔に負けてしまったのか定かではないが、何となくそう理解できているのは…つまりそういう事なのだろう。

 今のところ自力では開けられない程に重くなった瞼を開ける事は叶わず、唯一自由な耳でのみその会話を聞いている。

 いや、正確には耳で聞いているわけではない。―――耳の『内側』…つまり頭の中からその声は聞こえてくる。

 

――――……、…………

―――――…………、……………

 

 まるで遠くで―――…大体十一、二メイル程度の距離にいる誰かが然程大きくない声で話しているのだろうか。

 少なくとも自分の知っている言語で会話しているのだろうが、何を話しているのかまではうまく聞き取る事が出来ない。

 それをもどかしく思いつつも、ふと自分の頭の中から聞こえてくるというのに何故ここまで自分は冷静でいられるのだろうか?

 そんな疑問を覚えたものの…深く考えるよりも先に、一つの結論がポンと飛び出てくる。

(夢…なのかしらね?)

 安直すぎるかもしれないが、夢であるというのならば大体の事は説明がついてしまうのだ。

 現実では起こり得ない様な事がいとも簡単に起き、見る者を不思議な世界へと誘う。

 だとすれば、この聞こえてくる会話も全て夢の中の出来事…そう解釈すれば何てことも無くなってしまうのだから。

 

(夢なら…まぁ、このままでもいいかしら?)

 閉じられた瞼の内側…暗闇に包まれた視界の中で自分は落ち着いた態度で夢が覚めるのを待つことにした。

 少し遠くから聞こえていた会話はそれから一言二言と交えているが、相変わらず何を言っているのかまでは聞き取れない。

 しかし…聞こえ始めてから一分ほど経ったくらいであろうか、声の主たちが段々と近づいてくるのに気が付いた。

 それは六、五言目になるであろうか、その時の会話が聞き取れるようになってきたのである。

 

――――……それ……か?……怪……お………か?

―――――それ………法……わ、……子は…里……………る

 

(二人とも、女性…?)

 言葉が聞き取れるようになってから、話している二人が女性である事に気が付く。

 一人はやけに真剣な様子で、もう一人は何か胡散臭いながらも艶やか雰囲気が声色から感じ取れる。

 まだ言葉の一部だけしか聞き取れない状態だが、声色からして楽しげな話をしているワケではないらしい。

 少しもどかしいと思いかけた所で、次の会話ではようやく言葉の半分程度が分かるようになってきた。

 

――――しかし……後はどう……?………に育てられた……女なんて……、里の者が……………

―――――そ……見つけた内の一人………にも、勿論………力……て……貰うわよ

 

 声の主たちが近づき、聞き取れる言葉が増えていく。……それに気づいた直後である。

 ふと心の奥底…とでもいうべきなのだろうか、今は眠っているであろう体の中から一種の不安がこみ上げてきたのだ。

 まるで底の見えない湖の上に浮かんでいる最中にふと視線を下へ向けて、湖底からせり上がってくる黒く大きな影を見てしまったかのような…。

 そんな、自分の足元から逃げようのない恐怖に遭遇してしまった時のような急激な不安感が心の中で広がっていく。

 どうして急にそういう気持ちになってしまったのか一瞬だけ分からずにいた自分は、ふと一つの結論に至る。

 

(まさか…あの声が、原因なんじゃ…)

 この不安感を覚えて以降、全く聞こえてこないあの二人の女性の話し声。

 瞼を閉じて夢の中にいるのだが、現実的に考えればそれしか原因は考えられない…かもしれない。

 他に原因と思えるような要因は見当たらない以上、自ずとそういう考えに至ってしまうのは仕方ない事であろう。

 最も…ここが夢の中であるのならば、明確な原因など最初から存在しないという可能性も否定できないが。

 本当の原因を突きとめられない今、こみ上げる不安感にどうしようかと悩もうとしたその時、またしても話し声が聞こえてきた。

 

―――相変わらず………ってくれる。私がそれを……れない事を知って……癖に

――――ふふ、貴女の―――好しは今後の………において、最も重要な……

 

 今度はかなり近づいてきている。言葉と言葉の合間の息継ぎが、微かに聞こえてくる程に。

 声が近づいてきていると理解したと同時に、自分の心の中で芽生えた不安感がより一層膨らんでいく。

 身動き一つ出来ない今、その不安感にどうしようも出来ないという状況に自分は焦ってしまう。

 せめて手だけでも動くのならば、自分の頬を抓って夢から覚めようと頑張れるのに。

 そんな下らない事からできない今では、正体不明の不安感がただただこちらへやってくるのを見守る事しかできない。

(もしも…彼女たちの喋っている事が全部聞き取れるようになったら…一体どうなるのかしら?)

 

 もはや受け身を摂る事すらできず、受け入れるしかないという状況の中でそう思った時だ。

 今度はウンと近く、それこそ自分の真横にいるかのように彼女たちの声が聞こえてきたのである。

 頭の中で直接聞こえてくる二人の内、最初に口を開いたのは真剣そうに放している方であった。

 

―――…たくっ、これから寺小屋も忙しい時期だというのに…次から次に厄介な事件を持ってくるなお前は?

 

 ハッキリと聞こえる様になった今、いかにも苦労人と分かるばかりの声で女性は喋っている。

 そしてもう一人―――艶やかな雰囲気を漂わせる声の女性が言葉を返す。 

 

――――…良いじゃないの。跡継ぎがいる以上、探すという時間の掛かる工程を省けたのだから

 

 何故かこの声を聞いた時、ふと自分の脳裏に『誰か』―――女性の後姿が一瞬だけ過った。

 腰まで伸ばした金色の髪と一度見たら忘れない形をした奇妙な帽子に、これまた珍妙な形をした白色の日傘。

 その後ろ姿を見ただけでその『誰か』の正体が、あの胡散臭そうな声の主なのだと無意識に理解してしまう。

 どうして分かったのか自分でもイマイチよく分からず、一瞬だけだというの脳裏にあの後姿がこびりついてしまっている。

 彼女は自分の何なのだろうか?どうして夢の中に現れ、良く分からぬ誰かと会話しているのだろうか?

 

 その答えを知る前に――――自分の意識は網で掬い上げられた金魚のように現実世界へと引っ張られた。

 右の頬を冷やかに刺激する、冷たい『何か』を押し付けられたおかげで。

 

 

 

 

「―――――……ン、んぅ…?」

 まず目に入ってきたのは、小さくも中々の意匠が施されたシャンデリアであった。

 魔法で作動するよう作られているそれは、今は付ける必要なしとして消灯されている。

 未だ重い寝惚け眼を手で擦りながら自分こと彼女―――ハクレイはゆっくりと上半身を上げた。

 そこでふと、自身の背中を預けていたのが何なのかと気になった彼女は、スッと足元へと目をやる。 

 室内の灯りは消えていたが、窓越しの街灯のおかげで今まで自分がソファーの上で寝ていた事に気付く事ができた。

「…ふぅーん、ソファーねぇ?……はて、どうして?」

 まだ寝ぼけているのか右手でポフポフとソファーを軽く叩いていた彼女は怪訝な表情を浮かべ、寝る前の記憶を思い出してみる。

 未だ覚醒しきっていない頭の中で何とかして記憶を繋げようとして二分、ようやく寝る前にしていた出来事を思い返す事が出来た。

 

「確か、今日も財布を盗んだあの娘を捜して…それで夜遅くなったんだっけ…か。

 昼から探し回って、夕方頃に変な気配を感じたから見に行ってて、それから後も探し回って……って、」

 

 …そりゃー帰りが夜遅くになるのも仕方ないわよね。

 中々起きる事の出来ない自分に言い聞かせるように一人呟くと、再びその背中を程よく柔らかいソファーに委ねた。

 ボフン!と大きな音が出たものの、中に入ったバネの軋む音が聞こえないのは、中々に良い店から仕入れた事の証拠であろう。

 流石カトレア達貴族が街中の別荘地と呼ぶだけあって、家だけではなく家具にも気を使っているらしい。

 自分の体ではほんの少し狭いソファーで横になったまま、ハクレイは街灯の灯りが漏れる窓の外へと目を向ける。

 

 窓の外から見える先には、大きな歩道を挟んで程々に大きな家が建っている。

 こちらと同じく室内の灯りは全て消えていたが、街灯に照らされた庭だけを見てもすぐに立派だと分かった。

 恐らくあの家の主…もしくはここ一帯の管理人を務めている老貴族の趣味であろうか、動物のトピアリーがある。

 本物より大分大き目に作られた犬と猫の横には、場違い感が半端ないドラゴンのトピアリーが今にも羽ばたこうとしているポーズで飾られていた。

 他にもその家で夏季休暇を過ごす子供たちに作ったであろうブランコなどがあり、今が昼間ならばさぞ賑やかな光景が見れたに違いない。

「しかし…まさか大都市の中にこんな場所があったなんてねぇ…」

 ハクレイは一人呟いて、トリスタニアにある貴族向けの宿泊施設゙群゙『風竜の巣穴』の感想をポツリと漏らした。

 

 

 

 …『風竜の巣穴』。

 王都の西側、王宮を一望できる小高い丘の下にある幾つかの別荘を有するリゾート地だ。

 一見すれば上流貴族向けの住宅地に見えるが、実際にはそこら辺の住宅地よりも泥棒に襲われる心配はないだろう。

 何せ土地一帯を囲う強固な鉄柵と、数か所ある出入り口にはメイジの警備員達が二十四時間体制で守ってくれているのだから。

 土地の中にある住宅は全て貸し出し用の別荘であり、当然ながら値段も相当張るが、その値段分の豪勢さは当然持っている。

 朝昼夕の三食及びデザートも事前に申していれば手配され、何なら自前の食料を持ち込む事も一部可能らしい。

 他にも所有地内にはちょっとした池つきの森林公園もあり、釣りや水泳に屋外での食事会もできるのだという。

 

 前述の通り結構な値段が掛かるものの、王宮勤めの貴族たちには街中の避暑地として人気らしい。

 何せ王都の中にあるうえ、有事の際にはすぐに宮廷へはせ参じれる事が大きな理由なのだとか。

 折角のお休みだというのに一々仕事の事を気にしてしまうなど、王宮勤めの貴族とやらは随分忙しいようだ。

 本来ならこの時期の予約はとっくに埋まってしまっており、カトレア達が入れる別荘などとっくに無い…のであったが、

 幸い休暇として別荘を予約していた国軍の高官がキャンセルしてくれた為、偶然にもそこへ自分たちが入る事ができたのだ。

 最も、カトレア本人がここの支配人である老貴族と親しい仲であった事が大きくプラスしたのは間違いないだろう。

 何でも以前、ヴァリエール領へ赴いた際に道中で痛めた腰を癒してくれた事への礼だと言っていたのは覚えている。

 

 今更ではあるが、カトレア本人の献身さは一体あの体のどこに隠れているのだろうか。

 あれ程体が弱いというのに、自分やニナの様な謝礼も期待できない様な人間を助けてくれるなんて…。

 まぁその献身さが無ければ、今の自分がどうなっていたかなど…想像もつきはしないのだが。

 そこまで思った所でハクレイはふと真顔になった後、つい先日犯してしまった『失態』を思い出して呟いた。

「本人は気にしないでって言ったけど…、やっぱりちゃんと見つけてお金を取り戻さないと駄目よね」

 

 以前カトレアからお小遣いとして貰った八十エキューを、街中で出会った少女に奪われて早二日…いや日付ではもう三日前だろうか。

 もう少しで捕まえかけたところで前方から飛んできた『誰か』とぶつかった後、そのまま意識を失い川へと落ちてしまった事は辛うじて覚えていた。

 幸い仰向けの状態であった為溺れる事無く暫し川の水に流され、川沿いで飲んでいた浮浪者達に助けて貰ったのである。

 

――――おぉアンタ、大丈夫かい?

―――――え…えぇ大丈夫よ。後、有難う…ございます

――――オレら、この川で色んなモンが流れてくるのを見てきたが、アンタみたいな別嬪が流れてくるのは初めて見たよ

 

 すぐさま彼らの助けを借りて岸に上げてもらい、暫し焚火で暖をとった後で彼女は夜になっている事に気が付いた。

 その時にはもう陽は暮れてしまい、ひとまずどうしようかと迷った挙句に…ひとまずはカトレアの元へ帰る事を選んだ。

 水に濡れた状態で帰ってきた彼女を見て皆は驚き、一様に何があったのかと聞いてきた。

 

―――…というワケで、貴女がくれたお金は全部盗られちゃったの…ごめんなさい

―――――まぁ…!そんな事があったのね…  

 

 とりあえず持ってきてくれたタオルを頭から被った姿で、ハクレイはただただ頭を下げるしかなかった。

 彼女から詳しく話を聞き、相手が幼い少女で…しかもメイジだったという話にカトレアは目を丸くしていた。

 王都だからといって治安の保証がされているワケではないし、そこら辺の地方都市よりも窃盗が多いのは誰もが知っている事だ。

 しかしまさか…彼女、ハクレイよりも年が一桁どころか二桁離れているかもしれない少女がそんな事に手を染めているとは…。

 これまで生きてきて、色んな人たちから聞いたどの話よりも衝撃的な事実であったらしい。

 

―――――むー!なっさけないのー!わざわざ追っかけてたのに、そんな子に逃げられるなんてー!

――――…言い訳はしない…っていうか、思いつかないわ

――――――こら、ニナ!落ち込んでる人にそんな事を言ったらいけないわよ

 

 カトレアの傍で話を聞いていたニナにもダメ出しされてしまい、余計へこんでしまったのは言うまでもない。

 ひとまずその日の夜はそこでお開きとなったが、盗難届を出すかどうかについては言葉を濁されてしまった。

 周りのお手伝いさんたちからは衛士の詰所に届出を出した方が良いと言っていたが、カトレアは難しい表情を浮かべるだけであった。

 翌日から、ハクレイは自主的に街へ繰り出しては方々歩き回って少女の行方を追い続けている。

 しかしあまりにも広い王都が相手ではあまりにも人ひとりの力は小さく、そして無力であった。

 

 一つの通りを曲がれば更に複数の道が現れ、うっかり進む道を間違えれば下水道へと続く下り道に入ってしまう。

 今日なんて曲がった先にいた野良犬たちにイチャモンをつけられ、追い回された事もあった。

 誰かに聞こうとしても誰に聞けばいいか分からず、結局声を掛けられぬまま街中をうろうろ彷徨うばかり…。 

 まるでゴールの無い迷路を彷徨い歩いているかのような虚無感を感じ始めた時に、今日の夕方にそれは起こった。

 今日もまた何の成果も得られなかったハクレイが、とぼとぼと返ろうとした最中の事であった。

 ふと何処か…王都の一角から感じた事の無い『力の爆発』を察知したのである。

 

 今まで見てきた魔法とは明らかに毛色が違う、何処か活き活きとして…危なっかしさを感じられる不可視の力。

 それが一塊となって爆発したかのような…そんな他人に説明するのが難しい気配を感じたのである。

 お金を盗んだ少女とは関係ないだろうと思いつつ、何故かハクレイは導かれるようにして気配が出た場所へと走った。

 夜の繁華街へと向かう人波をかき分け、人気のない路地裏に入ってからは一気に建物と建物の間を『蹴って』進む。

 そうして幾つかショートカットして辿り着いた場所は、数人の衛士が屯している寂れた広場であった。

 必要は無かったかもしれないが、彼らに気づかれぬよう共同住宅の上から彼らの話を盗み聞きした。

 

 ―――…何か奇妙な発光が起こった…ていうから来てみたが、驚くぐらい何にもないな

 ――――…いや、待て。あそこのグレーチングが外れてる…誰かが下水道へ逃げ込んだのか?

 ―――馬鹿言え!そんな狭い穴じゃあ子供でも途中でつっかえてママー!って泣き叫ぶほかないぜ

 

 支給品であろう槍を手に持ち、お揃いの薄い鎧を着込んだ衛士達はそんな話を大声でしながら広場に屯していた。

 どうやら話を聞くに街の人の通報で来たようだが、何が起こったのか…までは分からかった。

 結局その後は戻るついでに色々と探し回ってしまい、結果的に夜遅くに帰る羽目になってしまったのである。

 出り口を警備している守衛のメイジ達は、他の人々と明らかに違う彼女の姿で誰なのか分かったのだろう。

 今借りている別荘の番号とマジック・アイテムを使った指紋チェックを済ませて、こうして無事に戻る事ができた。

 

 そこまで自分の脳内で回想した所で、ハクレイは妙に寂しい自分のお腹を押さえながらため息をついた。

「それにしても、やっぱり早めに切り上げとけば良かったかしら?…そしたら夕飯も食べれただろうし…」

 名残惜しそうに呟きながら、空腹で寂しくなってきたお腹を押さえながら情けない表情を浮かべてしまう。

 無事に戻ってきた…とはいえ、帰ってきた時には既にカトレアの借り別荘は灯りが消えてしまっていた。

 幸い鍵はあらかじめ隠し場所を教えられていた合鍵で開けたが、当然既に夕食の時間は過ぎてしまっている。

 若いというのに就寝時間が早いカトレアに合わせているためか、暖かい食事はとっくの前に片付けられていた。

 

 リビングのテーブルに置かれたバスケットに一個だけ林檎が入っていたのは、不幸中の幸い…というやつだろうか。

 仕方なしにそれを食べた後でひとまずソファで横になったのだが、そのまま寝入ってしまったのは周知のとおり。

 しかも変な夢を見て途中で起きてしまったせいで、再び空腹が襲い掛かってきたようだ。

「はてさて…どうしたものかしら?わざわざ私の為だけに、カトレア達を起こす…ってのは、もってのほかだし」

 窓の外から暗いリビングへと視線を変えたハクレイは、この空腹をどうしようかとという悩みに直面してしまう。

 当然だがカトレアや彼女の付き人を達をわざわざ起こす…という事は、絶対にしてはいけない事だろう。

 遅れて帰ってきたのは自分なのであるし、それこそ腹が減ったという理由だけで起こすのは我儘に他ならない。

 

 お金の件で相当迷惑を掛けてしまっているのだ、これ以上無礼な真似を働くワケにはいかない。

 ならば台所を探し回って食べれる物を探そうか…と考えたが、暫し考えた後に首を横に振る。

 ここに来てまだ日が浅いし、何より台所のどの棚に食料が入っているのか何て彼女は全然知らないのだ。

 灯りがあれば話は別になるだろうが、ご丁寧にも用意されている燭台は結構な特別性であった。

 平民にも使えるらしいのだが、一々作動する際に指を鳴らす必要があり消す時も同様の事をしなければならない。

 そして恥ずかしい事に…ハクレイはそれができなかった。何回やっても何回やっても、指パッチンは決まらなかった。

 昨日の夜にニナと試しに鳴らして点けてみようという事になり、そこで見事に恥をかいたのは今でも忘れられない。

 

 ニナは十回鳴らして四回ほど成功し、ハクレイは三十回やって…三十回失敗した。当然ニナには笑われた。

 …なので、目の前にあるテーブルの上に置かれた燭台には苦い思い出しかないのである。

 灯りが無いと暗い台所は何も見えない手さぐりになるであろうし、そうなれば何が起こるか分からない。

 それで下手やって食器を割ったり、それ以上の大変な事をしでかしてしまえば本末転倒である。

 ならばどうしようかともう一度考えあぐねた後、彼女は朝まで我慢すればいいのでは…という結論に至った。

 

「朝になったら全員起きるだろうし、そしたらカトレアに頭下げて謝らないとね…」

 きっと自分が返ってくるのを待っていたであろう彼女の顔を思い浮かべて、ハクレイは天井へと視線を向き直す。

 玄関に置かれた柱時計から聞こえる振り子が規則正しく音を奏で、暗い部屋にリズムを漂わせている。

 横になったまま動かず、その音をじっと聞き続けていると自然に瞼が重くなってくるのが何となく感じられる。

(これくらい柔らかいソファならベッドの代わりにもなるだろうし…今日はここで寝ちゃおうかしら?)

 膝を置く所も柔らかいため、そこを枕代わりにしているハクレイはそのまま朝まで寝ようかと考えてしまう。

 本当ならばカトレアが宛がってくれた寝室に戻って寝るのがい良いのだろうが、ニナも同じ部屋を宛がわれている。

 

 

 だからこのまま部屋へ戻って、朝になったらなったで色々とちょっかいを掛けられる恐れがあった。

 彼女が一足先に起きてしまえば、良くて頬を抓られるか酷くて顔に水を掛けられて起こされてしまう。

 カトレアの前ではあんなに子供らしいのに、自分の前に立てば文字通りの小悪魔と化すのは何故なのだろうか?

 特に一昨日の件もあるのだろうか、今日の朝なんてまだ寝ている自分の顔のうえに布を被せてようとしたのだ。

 幸いその直前に目を覚ます事ができ、ニナはカトレアの怒っているのかいないのか良く分からないお叱りを受けるハメになった。

 そして今は…記憶喪失の最中にある彼女にとって親代わりに等しいカトレアとの夕食をすっぽかした自分へ怒りを募らせている事だろう。

 

 カトレアは何があっても基本的に笑顔であり、持病が一時的に悪化でもしない限りそれを崩す事は滅多に無い。

 だから自分が夕食時に返ってこなかったのに対しては、仕方ないと苦笑いを浮かべた事は容易に想像できる。 

 けれど、そうした繕った表情の下にある感情を悟れぬ程ニナは鈍い子供ではない。むしろ子供はそういうものに敏感なはずだ。

 今夜も三人で食べる夕食を楽しみにしていたカトレアの気持ちを事実上踏みにじった自分をニナは怒っているに違いない。

 無論カトレアからお叱りがあるのならば最後まで耳に入れるし、ニナが自分の足を蹴ってきてもそれを受けるつもりだ。

 だがしかし、寝込みの最中に襲われるという事だけは洒落にならないのである。

 

 かくして寝室にも戻れず、腹をも満たせぬハクレイは一人リビングのソファーで夜を過ごすことにした。

 彼女は金を盗んだ少女も見つけられず、夕食まで無下にしてしまった罪悪感で今にも押しつぶされそうである。

「あーぁ…何か、ここへ来てから碌な事が続かないわね…金は盗まれるわ、変な夢は見るわで…――――って、夢…?」

 自分の身に続く不幸を呪いつつ目をつぶろうとしたとき――ふと彼女は何か思い出したかのようにハッとした表情を浮かべた。

 彼女は知らないが、ふと眠ってしまった際に見た奇妙な夢―――二人組の女性の会話を聞くだけどというあの夢。

 あれを見て目を覚ましてから既に五分が経過し、再び寝ようとしたところでハクレイはその夢の事を思い出したのである。

 

 体が動かぬ、目を開けられないという状況の中で、頭の中から聞こえてきたあの会話…。

 一体あれは何なのだったのかとそう訝しんだハクレイの頭から、睡魔という誘惑が一瞬で消し飛んでいく。

(そういえば…あの夢は何だったのかしら?…会話は会話なんでしょうけど…)

 上半身を越こし、考え込み始めた彼女はあの夢の中で聞いた声の事を思い出そうとする。

 最初に思い出したのは…もう一人の女性と比べて明らかに厳格な声色が特徴であった女性の声。

 いかにも人格者…という雰囲気を聞き取れる彼女の声と言葉の一部を、脳内で再生し直そうとししてみる。

 

―――――…次から次に厄介な事件を持ってくるな、お前は?

 

 夢の中で聞いたのにも関わらず、内容自体はしっかりと覚えていた。

 それから脳内で何回かリピートさせた後、ハクレイはその声に聞き覚えがあったかどうか思い出そうとする。

 しかし…ニナと同じく記憶喪失の身である彼女の穴だらけの記憶では、思い出すことは出来なかった。

 精々思い出せるのはカトレアと初めて出会った所からであり、自分の生まれ故郷すら分からないのである。 

 だから夢の中で喋っていた女性の声など、最初から分かるワケが無かったのだ。

「んぅ~…やっぱり、駄目ね。全然分からないわ…」

 

 

 残念そうとも無念そうとも言える様な表情を浮かべて、ハクレイは自分の黒髪を右手でクシャクシャと掻き毟る。

 自分の夢の中で喋っていたのだから、きっと記憶喪失に陥った自分に何かを思い出させてくれるのでは…と思っていた。

 しかし実際には何も思い出すことは出来ず、結局『謎の女性A』という扱いになってしまったのである。

 折角意味ありげに出てキレたというのに…ハクレイは胸中で謝りつつ、次にもう一人いた女性の事を思い出す。

 

―――…跡継ぎがいる以上、探すという時間の掛かる工程を省けたのだから

 

 『謎の女性A』とは違い、艶やかな大人の雰囲気がこれでもかと声色から漂い…そして妙に胡散臭い。

 どこが胡散臭いのか…と言われればどう答えて良いか分からないが、あえて言えば言葉…と言えばよいのだろうか?

 女性Aとは違いややゆっくりめのスピードに、何か隠し事をしているかのような低く抑えた声。

 そして喋り方からでもはっきりと分かる落ち着き払ったあの態度は、まるで色んな事を知り尽くした老人のようであった。

 恐らく俗にいう『人生経験が豊富な人』…というヤツなのであろうか。自分とはまるで違う性格の持ち主に違いない。

 

 そこまで思った所で…彼女はその夢が覚める直前、脳裏に過ったあの女性の姿を思い出す。

 金色の長髪にここでは見慣れないであろう白い服に白い帽子を被った、日傘を差したあの女性。

 もしかすれば、その落ち着き払った声の主は…彼女なのかもしれない。

 どうしてそう思ったのかは分からないが、あの言葉を聞いた直後に彼女の姿が過ったのだ。

 女性と声が関係しているのならば、そう思っても別に不思議ではないだろう。

「…とはいえ、彼女は何者だったのかしら…良く分からない事が多すぎるけど…けれど…―――アイツ、」

 「アイツ」のところで一旦言葉を止めた後、頭の中でその言葉が浮かび上がってくる。

 

―――人間じゃない様な気がするわ

 

 そう思った直後、唐突に浮かんできたその言葉に彼女は思わず目を丸くしてしまう。

 一体何を考えているのかと自分の頭を疑いつつも、呟こうとしたその一言を心の中で反芻させる。

(人間じゃない…人間じゃない…何考えてるのよ私?だってアレは…どう見ても人間…そう人間じゃない)

 馬鹿な事を考えている自分を叱咤しつつも、ハクレイはもう一度頭の中で彼女の姿を思い出す。

 服装などは確かにハルケギニアでは珍しいかもしれないが、それは自分にも当てはまる事だ。

 何より彼女の事は後姿でしか見ていないのだ。それでどうして人間じゃないと思ってしまったのだろうか?

 

 唐突に思ってしまった事で、バカ正直に悩もうとした直前に…ふと誰かの気配を後ろから感じた。

 ハクレイはそこで考えるのを一旦止めて、何気なく後ろを振り返ったが…案の定人影は見えない。

 玄関へ繋がる通路と、カトレアと自分たちの寝室がある二階へと続く階段が暗闇の中でぼんやりと見える。

 それ以外には誰かの気配とも言える様な物は見えず、彼女は気のせいかと自分の勘を疑ってしまう。

「疲れてるのかしら?変な時間に目ェ覚ましちゃったし…」

 一人呟き、再び視線を元に戻したハクレイがもう一眠りしようとソファーに背中を預けようとした時―――

 背後から聞こえてきたのだ。確実に人の足音だと確信できる音と、

 

「あっ…」

 という聞きなれた少女の声を。

 

「!」

 今度こそ気のせいではないと確信した彼女は瞑ろうとした目を開けて、バッと後ろを振り返る。

 そこにいたのは、廊下から少し身を乗り出し、忍び足でこちらに近づこうとて失敗したニナの姿があった。

「に…ニナ?なにしてるのよ、こんな時間に…」

「え?…えっと…その…帰ってきてたんだ…」

 まさか本当にいたとは思えず、見つけた本人も多少戸惑いながらも腰を上げて彼女の傍へと近づいていく。

 ニナ本人はまさかバレるとは思っていなかったのか、唖然としたまま近づいてくるハクレイを見上げている。

 そして近づいたところで、こんな真夜中に自分と同じく起きていたニナが何をしようとしたのか何となく理解してしまった。

 

 子供向けのパジャマとナイトキャップを被った彼女の右手には何故か雑巾が握られており、ご丁寧に水で濡らしている。

 その雑巾を見て一瞬怪訝な表情を浮かべたハクレイであったが、ふと夢から覚める直前の事を思い出した。

(そういえば、覚める直前に何か頬に……そう、確か…冷たいモノが当たって…って、冷たいモノ?)

 そして…本人が思い出したのを見計らうかのようにして右の頬から冷気を感じた彼女は、そっと右手で頬に触れた。

 まず最初に指が感じたのは頬を刺激する冷気に、僅かに付着していた水が付着する感触。

 水のある何かに触れた指を頬から離した彼女は顔の前に右手の指を持っていき、おもむろに顔元へと近づける。

 

 指に付着した水から漂う臭いは、紛う事なく使い古した雑巾の臭いであった。

 この富裕層向けの別荘の中で平民も見知った掃除道具の一つであり、水で濡らされ様々な場所を拭かれてきた布の集まり。

 何時ごろからこの別荘に置かれていたがは知らないが、きっと色々なモノを拭いてきたのであろう。

 床や壁に、家具の上に溜まった埃はもちろん、窓の汚れだって綺麗にしてきたのは間違いないだろう。

 

 ――――しかし…この指から微かに漂う匂いから察するに、それだけを拭いてきたというワケではないようだ。

 

 それを想像して考えるのは簡単であったが、ハクレイは敢えて想像する事は控えようとする。

 とはいえ鼻腔から嗅ぎ取れる臭いが否応なく頭の中にイメージ映像を作り上げ、見せようとして来るのだ。

 

 それを振り払うように慌てて頭を横にふった所で、ニナがこちらに背中を向けているのに気が付いた。

 背中を縮め、雑巾を足元に置き捨てている彼女の姿は、まるで盗みがバレて逃げようとする泥棒そのものである。 

 あわよくば二階へと続く階段まで一気にダッシュ!…と考えたのか、駆け出そうとした彼女の襟首をハクレイは掴んだ。

 ちょっと勢いが強すぎた為か、ニナの口から小さくない悲鳴が漏れたがそれに構わず逃げようとしたニナを自分の目線まで持ち上げる。

「キャッ!ちょっ…ちょっとなにするの!?」

「それはこっちのセリフよ、人の顔に雑巾当てといて何も言わずに逃げるとはね」

 雑巾の事がバレてウッと呻きそうな表情を浮かべたニナは暫し黙った後、目線を逸らしつつ弁明を述べた。

「だ…だって、夕食にまで帰ってこなかったハクレイが悪いんだよ?カトレアおねちゃん、悲しそうにしてたのに…」

 ニナの言葉から奇しくも自分の想像が当たっていた事にハクレイは苦しそうな表情を浮かべた後に言った。

 

「だったら、今度から似た様な事をする時は綺麗な雑巾を使いなさい。良いわね?」

「あれ?やっぱり臭かったの?あの雑巾確か―――」

「そっから先は言わなくて良いッ!」

 聞きたくも無い雑巾の出所を言いそうになったニナに対して大声を出してしまった事により、

 二人を除いて就寝していた別荘の者たちを驚かしてしまい、結果的に起こしてしまう羽目となってしまった。

 

 

 その日の朝から、ルイズは何とも気まずい一日を過ごすことになっていた。

 任務用に受け取ったお金を丸ごと盗られた事を除けば、これといってヘマをやらかしたワケではない。

 気まずさの原因は、自分の周囲を行き来する人々よりもずっと近くにいる霊夢の鋭いジト目であった。

 

 子供たちの楽しい声と、陽気なトランペッタが主役の路上演奏のお蔭で自分たちが今いる通りには明るい雰囲気が漂っている。

 こんな真夏日だというのに人々は日陰や木陰で足を止めて演奏に耳を傾け、その内何人かがポケットから銅貨や銀貨を取り出し始める。

 少々気が早いと思うが、そんな人々の気持ちが分かる程ルイズの耳にもその演奏は心地よかった。

 フルートと木琴がサブに回り、暑くとも活気に満ちた夏の街中に相応しい音色は貴族であっても満足するに違いない。

 ルイズはそんな事を考えながら、自分と霊夢よりも前にいるシエスタと魔理沙の方へと視線を向けた。

 二人も路上演奏を聞いているのか、日影が出来ている建物の壁に背中を預けて聞き入っている。

 

 シエスタはともかく、あの何かしら騒がしい魔理沙でさえ大人しくなって聞いているのだ。

 それだけでも、名も知らぬ演奏者たちの腕前がいかにスゴイか分かるというものである。

「…だっていうのに、アンタは今朝からずっと私を睨んでばかりね?」

「何よ?何か文句あるワケ?」

 演奏に耳を傾けつつもさりげなく呟いたルイズの文句を、霊夢は聞き逃さなかった。

 霊夢の言葉に対しルイズは無言で返そうとおもったが数秒置いて溜め息をつき、そこから小声で返事をする。

 

「いい加減、アンタもシエスタとの休日を楽しんだらどうよ?魔理沙なんかもうとっくに楽しんでるわよ?」

 今朝からずっとこの調子である霊夢に呆れた言いたげなルイズの文句に、霊夢はムッとした表情を浮かべた。

 流石に魔理沙と一緒くたにされたのが応えたのか、彼女は腰に手を当てながら抗議の言葉を述べていく。

「あんな能天気な黒白と一緒にしないでくれる?私はアイツと違ってちゃんと危機管理はできてるつもりよ」

『お金をちゃっかり盗まれてるのも、ちゃんと危機管理してた結果ってヤツかねぇ?』

 そこへ間髪入れぬかのように、霊夢の背中で暇を持て余していたデルフが会話に乱入してくる。

 流石の彼もこの路上演奏を邪魔してはいけないと思っているのか、珍しく声を抑えて喋りかけてきた。

 

『金盗られてあんなに取り乱してたんじゃあ、黒白と一緒にされるのも仕方ない気が―――』

 最後まで言う前に、特徴的な音を周囲に響かせつつインテリジェンスソードは口を閉ざされてしまう。

 どうやら聞きたくない事まで言ったせいで、後ろ手で柄を握った霊夢によって無理矢理鞘の中へと戻されてしまったようだ。

「アンタは黙ってなさい…ッ余計な事まで言うんじゃないの!」

 納剣時の音か、はたまた霊夢の必死な声がどうかはしらないが、何人かが彼女たちへ視線を向けてくる。

 だがそれも一瞬で、すぐにまた陽気な路上演奏を聞き入ろうと視線を戻していく。

 

「…んぅ…とりあえず、まだ私の上げ足を取るような事したら暫く喋れないようしてやるわよ、いいわね?」

『ハハハ、オーケーオーケー分かったよ。…ったく、一々喋るのに言葉を選ばなきゃいかんとはねぇ』

 一瞬だけだが、周囲の視線を一心に受けてしまった霊夢は顔を微かに赤くしてデルフを脅しつける。

 それに対してデルフは鞘越しの刀身を震わせて笑いつつ、ひとまず了承することにした。

 彼女と一本のそんなやり取りを見てルイズは小さな溜め息をつきつつ、チラリとシエスタの方へ視線を向ける。

 

 

 幸いかどうかは分からないが、霊夢の不機嫌さにはまだ気づいていないらしい。

 丁度演奏も終わり、道端で聞いていた人たちや魔理沙に混じって笑顔で拍手している。

 そして取り出した財布から銀貨を銅貨を数枚出すと、演奏者たちの足元に置かれた鍋の中へと放り込んでいく。

 他の人々も同じように銅貨や銀貨が鍋の中へと投げ込まれ、その中に混じって金貨まで投げ入れられている。

 一方の魔理沙はというと、何故かポケットから包み紙に入った飴玉を数個取り出して鍋の中へと放り込んでいた。

 

 彼女の隣にいたシエスタはいちはやくそれに気づいたか、少し驚いた様な表情を浮かべている。

「え?あの、マリサさん…今投げたのって飴玉じゃあ…」

「いやー悪いね、なにぶん今は金が心許なくて…あ、シエスタも一個どうだ?」

 シエスタからの言葉に対してあっさりと返した黒白は、ついで彼女にも同じものを差し出す。

 目の前に差し出されたそれに一瞬戸惑いつつも、シエスタは何となくその飴玉を受け取った。

 その光景を少し離れた所から見つめていたルイズは、魔理沙がいてくれて本当に良かったと実感する事が出来た。

 今の霊夢や自分だけでは、下手すれば彼女の貴重な休日を丸ごと潰していた可能性があるからだ。

 

 

 全ての始まりは昨夜の事、自分たちが寝泊まりしている屋根裏部屋にシエスタが入ってきてからであった。

 半ば無理やりと言っていいほど夕食の席に混ざってきた彼女は、食事が始まるや否や早速誘いをかけてきたのである。

―――あの、レイムさんとマリサさんのお二人って…ここから遠い所からやってきたんだしたよね?

 色々と三人で話し合いたかった夕食に割り込んできたシエスタは、その言葉を皮切りに二人へと話しかけ始めた。

 一体どれほど話したい事があったのだろうか、何処か気まずい雰囲気が流れる食卓で彼女は色んな事を喋った。

 二人の故郷の事やどんな所で暮らしていたか、ここの住み心地はどうとかという他愛ない話だ。

 彼女の質問に対して魔理沙は快く応じ、その時は霊夢も仕方なしと諦めたのか適度に言葉を返していた。

 

 暫しそんな話をした後に、シエスタはいよいよ話を本筋へと移してきた。

 食事を半分ほど片付けた彼女はチラリとルイズを一瞥した後で、霊夢達を誘ったのである。

―――あの、もしお二人がよろしければ…明日、王都の面白い所を案内したいのですが…良いでしょうか?

 その誘いに対して、二人して別々の反応を見せることになった。

―――おぉ何だ何だと疑っていたが、まさか遊びの誘いとな?まぁいいぜ、別に急ぐ用事なんてないしな

 魔理沙は面白い物を見る様な目でシエスタを見た後、心地よい笑顔で頷いて見せた。

――誘いは嬉しいけど、今は色々と忙しいの。悪いけど、明日は魔理沙とルイズたちを連れて言ってちょうだい

 たいして霊夢はというと…、魔理沙と比べて少し考えた後目を細めながら首を横に振ってそう言った。

 まぁそうだろう。本人の言葉通り、今の霊夢が色々と忙しいのは魔理沙とルイズも十分周知の事であった。

 お金を盗んだ窃盗犯の少年探しに加えて、その日の夕方に魔理沙が遭遇したというキメラの事も調べ慣れればいけないのだ。

 少なくともルイズや魔理沙たちと比べれば、ハードワークと言っても差し支えない程の仕事が溜まっている状態だ。

 本人には絶対に言えないだろうが、シエスタからの遊びの誘いに乗るのは不可能なはずである。

 

 

 勿論誘っているシエスタはそんな事全く知らずして、ただ純粋な善意の元霊夢を誘おうとする。

 この時期はドコソコが見どころとか、少ない平民のお金でも甘味を満喫できるケーキ屋さん等々…。

 一体その頭の何処にため込んでいたと言えるほどの膨大な情報は、流石年頃の女の子といったところか。

 魔理沙はともかく年が近く貴族であるルイズでさえも、シエスタの語る王都の情報に舌を巻いてしまっている。

 それでも断る気持ちは揺るがない霊夢であったが、彼女の口から出る話には耳を傾けていた。

 

―――アンタ、そういうのを良く知ってるのね?あのルイズも黙って聞いてるわよ

 

――――こう見えても学院で奉仕してる時も非番の日には王都で遊び出ていますし、

        何より同僚には同年代の娘も沢山いますから。…で、どうです?レイムさんも一緒に行きましょうよ

 

――――私、今色々と忙しいって言ったばかりよね?

 

 成程、異世界にいってもそういう人と人との繋がりは色々な情報を手に入れる手段の一つらしい。

 ともあれそれがどうしたというワケで、さりげなく誘ってくるシエスタに対し冷たい断りをいれるしかなかった。

 そう、断ったのである。しっかりと断った筈だったのであるが…

 

 

「ホント、参るわよねぇ…純粋な善意って」

 魔理沙とルイズ相手に楽しそうに会話しながら通りを歩くシエスタの後ろ姿を見て、霊夢は一人呟く。

 結局あの後、ややしつこさのシエスタの誘いに彼女は渋々とその誘いに乗ってしまったのである。

 原因…というか、強いて敗因と言うのならば…シエスタ本人が純然たる善意でのみさそってきたからであろうか。

 多少の強引さはあったものの、それもその善意が働いた結果だ。

 

 例えば普通に誘われたり、何か考えあっての事であるならば霊夢は乗らなかっただろう。

 彼女自身そういう誘いには普段はあまり乗らないし、どちらかというと一人でいる方が気楽なタイプの人間である。

 しかし、シエスタのように自分たちをかなり信頼し尊敬してくれている人間からの善意というものには慣れていなかった。

 まるで汚れを知らずに育った温室の花のように、対価を求めず接してくれる彼女に好意を持ってしまったというべきか…。

 そんな彼女からの誘いの言葉には他意など全く見受けられず、ただただ自分たちと一緒に休日を過ごしたいという思いだけが伝わってくる。

 

 召喚される前、幻想郷でせっせと妖怪退治をしていた時も人里の人達たちからそういう善意を受け取っていた。

 時折人に冷たいと評される霊夢であっても、そういう善意を受け取ること自体は決して嫌いではなかった。

 そして、そういう善意が巡り巡って物となって自分に返ってくるという事も巫女として生きていくうちにしっかりと学んでいた。

 

「まぁシエスタにそういうのを望んでるワケじゃないけど…無下にするのも何か酷なのよねぇ~」

『成程ねぇ。普段は冷たいレイムさんも、他人からの優しさには敵わないって事かー』

「…そういう事よ、でもアンタは黙ってなさい」

 独り言のように呟く霊夢の言葉に対し、彼女の背中に担がれているデルフが鞘から刀身を微かに出して相槌を打つ。

 丁度彼女の横を通り過ぎようとした平民と下級貴族が突然喋り出した剣に驚いたのか、身を軽く竦ませてしまう。

 そんな事など露も知らない霊夢は急に喋ってきたデルフを鞘に戻しつつ、ルイズ達の後を追う。

 一人ここに至るまでの事を思い出している内に、足が遅くなっていた事に気が付かなかったらしい。

 地元の人々らしい平民たちの憩いの場となっている公園の横の通りを早足で歩き、ルイズ達の元へと寄る。

 

 

 遅れている事に気が付いていたルイズが、近づいてくる霊夢に声を掛けた。

「ちょっとー、何してるのよレイム」

「別に、ただ…自分って結構甘いなーって思ってただけ」

「?」

 自分独自など知らないルイズが首を傾げるのを余所に、事の張本人であるシエスタが話しかけてきた。

「どうですかレイムさん?ここの公園横の通り、ちょうど敷地内の植木が木陰になってて夏場の散歩に快適でしょう?」

「…確かに。夏季休暇中だっていうのに人通りは比較的少ないし、こっちのほうが気を楽にして歩けるわ」

 平民向けの女性服に薄緑色のロングスカートに、木靴というスタイルの彼女の言葉に霊夢は周囲を見回しつつ言葉を返す。

 シエスタが三人を連れて訪れている場所は勿論王都内であったが、観光客と思しき人々の姿はあまり見えない。

 どちらかといえば近辺に住んでいる平民や下級貴族といった、俗に地元であろう人々の姿が目立つ。

 これまで大通りや繁華街、市場での混雑っぷりを見てきた霊夢達にとっては見慣れぬ風景であった。

 

「それにしても、まさか市場から少し離れた所にこんな静かな通りがあるなんてね」

「やっぱり市場と大通りには人が集まりますからね、その分ここら辺は静かになっちゃうんですよ」

 ルイズは昨日の混雑っぷりが嘘の様に平穏なその通りを歩きながら、シエスタとの会話を続けていく。

 確かに彼女の言うとおり人の混雑が多いのは市場と大通りに、その近辺を囲うようにして人が集まっているという話はよく耳にする。

 だからなのだろう。その日の買い物を終えて暇になった地元の人々が、背中を自由に伸ばして休める場所がここにできたのは。

 

 公園の規模は小さいが子供たちが笑い声を上げて楽しそうに駆け回り、良い汗を沢山かいている。

 シーソーやブランコ、小さな回転遊具にも少年少女たちが集まり、喜色に満ちた嬌声を上げて遊びまわっている。

 その子供たちを見守るようにして大人たちがベンチに腰を下ろして、会話を楽しんでいたり一人静かに休んでいる。

 ベンチで気ままに寝ている下級貴族もいれば、近場の店で買ったであろうパンを食べていたりする平民がいる。

 既に四人が通り過ぎた公園の入り口で不審者がいなかいか見張っている衛士たちも、暢気に談笑していた。 

 

 ルイズ自身、今まで何度も王都へは足を運んだことはあったものの、この様な場所を訪れたことは無かった。

 いつも足の先が向くのは賑やかだがいつも混雑しており、けれど目を引くモノが数多ある大通りや市場等々…。

 だからこそ…シエスタが連れてきてくれたこの場所は酷く目新しく映り、そして新鮮味があった。

 そんなルイズと同じ気持ちを抱いていたのか、あたりを見回していた魔理沙も嬉しそうな様子を見せるシエスタに話しかけてくる。

 

「へぇ~、こいつは意外だぜ。よもやこの騒がしい街で、こうして気楽に歩ける場所があったなんてね」

「でしょ?私も良く、用はないけど外を歩きたいって時にはいつもここへ来ちゃうんですよ」

 魔理沙の反応を褒め言葉と受け取ったのか、シエスタは笑顔を浮かべて嬉しそうな様子を見せている。

 まぁあの霧雨魔理沙がそういう言葉を口にするのだから、褒め言葉と受け取ってもおかしくはないだろう。

 

 それから後も、シエスタはルイズ達を連れて一平民としての彼女がお薦めする王都のあちこちを案内してくれた。

 丁度大通りの裏手にある隠れ家的なベーカリーショップに大衆食堂や、中々の年代物を扱っている骨董品の店。

 マニアックな品物を取り揃えている雑貨屋など、通りから眺めるだけでも中々面白い物を見て回っていった。

 きっとメイドとして魔法学院で奉仕する傍ら、非番の日に足繁くこういった場所へ自ら足を運んでいたのだろう。

 通り過ぎていく人たちも彼女と気軽に挨拶をし、時には一言二言楽しそうな会話を交えて去っていく。

 人々の雰囲気は皆穏やかであり、見慣れぬ者たちを警戒する素振りなど毛ほども感じられない。

 

 最初は渋々であった霊夢も、穏やかな空気が流れる通りを歩いていくうちに態度が軟化していったのだろうか。

 今では自分がやるべき事を一時頭の隅へ置いて、興味深そうに辺りを見回しながらルイズ達についていっている。

『なんでぇ、さっきまであんなに゙仕方なじって感じだったのに…今じゃすっかり楽しんじまってるじゃないか』

 そして相棒の態度の変化に気が付いたのか、今まで黙っていたデルフが再び彼女へと話しかけてきた。

 急に喧しい濁声で喋り出した剣に顔を顰めつつも、霊夢は後ろに目をやりながら彼と話し始める。

「デルフ?…まぁ、私としてはまだ納得いかないけど…まぁ今更抗っても仕方ない…ってヤツよ」

『ふ~ん、そういうモンかい?けれどそれが違ったとしても、オレっちはお前さんに指図はしないさ、何せ――――』

「…剣だから?」

「…………まぁ剣だから、だな」

 まさか自分の言いたい事を先読みされた事に軽く驚きつつ、デルフは彼女とのやりとりを続ける。

 

『それにしても、世の中にはお前さんみたいなのにも好意を向けてくれる変わり者がいるものだねぇ』

「シエスタの事?別にそんなんじゃないでしょうし、アンタの言い方だと私まで馬鹿にしてるでしょ?」

 ついているかどうかすら分からない目でルイズと楽しそうに前で会話している休暇中のメイドを見ているであろうデルフの言葉に、

 霊夢がジト目で睨みつけながらそう言い返すと、シエスタから少し離れた魔理沙が呼んでもいないのに会話へ割り込んできた。

「そうだぜデルフ、シエスタはただ優しいだけの人間さ。…まぁ確かに、霊夢に必要以上に構うのは変わってるかもしれんがな」

『おー、言うねぇマリサ。お前さんもあのメイドの嬢ちゃんは気に入ってるクチか?』

「そりゃー学院では色々良く接してくれたし、肩を持ってやるのは当然の義理ってヤツだよ」

「ちょい待ち、アンタが私の事悪く言うのはおかしくない?」

 シエスタの事を擁護しつつも、ちゃっかりと自分の悪口は言い逃さない魔理沙に霊夢が待ったを掛けていく。

 さすがの霊夢であっても、自分以上に人間失格な性格をしているであろう魔理沙にとやかく言われるのは許せなかったようだ。

 

「全く、少し目を離したかと思えば…何やってるのよアイツらは」

「ま、まぁこの暑い中ああして元気でいられるのは、まぁ…良いと思いますよ?」

 魔理沙が入ってきたせいで、ちょっとした言い争いに発展しかけてる二人と一本の会話をルイズ達は少し離れた所で見ていた。

 呆れたと言いたげな表情を浮かべるルイズは人通りが少ないとはいえ、注目を集め出している彼女たちの言い争いにため息をつき、

 一方のシエスタはどんな言葉を口にしたら良いかわからず、無難な言葉を口に出しつつ苦笑いする他ない。

「ホント、呆れるわねアイツラには。折角シエスタが自分の休日潰して案内してくれてるっていうのに」

「でもミス・ヴァリエール。元はと言えば私の我儘なんですし…レイムさんたちを責めるのはどうかと思いますが…」

 ルイズがレイムたちに対する文句を言うと、咄嗟にシエスタは彼女たちを擁護してくる。

 その態度に妙な違和感を感じたのか、ルイズは少し怪訝な表情を浮かべて彼女へ尋ねてみる。

 

 

「シエスタ…アンタ、何かアイツラの肩を持ち過ぎてないかしら?」

「え、あの…アイツラって、レイムさんたちの事ですか?」

 突然そんな事を尋ねてくる彼女にシエスタがそう聞くと、ルイズは「えぇ」と頷きつつ話を続けていく。

 

「まぁあの二人には色々と助けられた恩はあるでしょうけど、だからと言って変に持ち上げすぎてるわよ?

 そりゃー助けてもらった時は輝いて見えたろうけど…控えめにいっても、普段の二人は結構酷い性格してるから」

 

 最後の一言はシエスタの耳元で囁き、まだ言い争っている彼女たちに聞こえない様に配慮する。

 自分の言葉に暫し困惑の様子を見せるシエスタに、ルイズは尚も言葉を続けていく。

「いくら親しいからって、優しさだけ振りまいても意味がないものなのよ。…特にアイツラを相手にする時はね」

「確かにそうだと思いますが、ミス・ヴァリエールは常日頃から厳しすぎるかと…」

「厳しい位で丁度良いのよ。飼っている犬や猫が粗相したら躾するでしょう?それと同じだわ」

「ぺ、ペットと同程度ですか?」

 あの二人をさりげなく犬猫扱いしたルイズに驚きつつ、シエスタはハッと霊夢達の方へと視線を向ける。

 幸いルイズの言葉は彼女らの耳に届いていなかったのか、まだ言い争いを続けていた。

 

 例え聞かれていたとしてなんら自分には関係ないものの、シエスタは無意識の内に安堵のため息をついてしまう。

 そんな彼女に対し全く慌て素振りを見せないルイズは、霊夢たちを指さしながら尚も話を続けていく。

「あぁいう状態になったら、こっちがよっぽどの騒ぎを起こさない限り聞こえないから大丈夫よ」

「そ、そうなんですか…?でもこの距離だと確実に聞こえてたような気もしますが…」

「大丈夫よ大丈夫!仮に聞こえてたとしても、向こうが悪いんだからこっちは胸を張ってればいいの」

「ちょっとー!アンタ達の会話は丸聞こえだったわよぉー!」

 いかにも楽観視的な事をルイズが言った途端、こちらに顔を向けてきた霊夢が怒鳴ってきた。

 その怒声にルイズとシエスタは思わず彼女の方へと一瞬視線を向け、そして互いの顔を見あいながら言った。

 

「どうやら聞こえてたみたいね。御免なさい」

「多分私は怒られないと思いますので、レイムさん達に誤った方が良いかと思います」

「えぇー?私はホントの事をちゃんと言っただけなんですけど」

「だからって、人を犬猫に例える奴がいるか!」

 最初からある程度苛ついていた所為もあってか、謝る気ゼロなルイズに霊夢は突っかかっていく。

 突然発生した口げんかに対し、シエスタは何も出ぎずただただ見守る事しかできない。

 

 そうしてアワアワと驚きつつ、観戦者になるしかないシエスタの背後から魔理沙が声を掛けてきた。

「おぉシエスタか?さっきからルイズが誰かと話してるなーって思ったら…まさかお前だったとはなぁ」

「マリサさん…い、いえ!とんでもありませんよ!」

「まぁそう簡単に謙遜はしてくれるなよ。お前さんのお蔭で、アイツとの゙お喋り゙が終われたんだしな」

 意図的にしたワケではないという事をシエスタは伝えたかったが、それがちゃんと出来たかどうか分からない。

 魔理沙は理解したのかしてないのかただ笑顔を浮かべつつ、シエスタの横に立ってルイズと霊夢のやり取りを見つめていた。

 

 

 それから少しして、数分の言い争いは…結局、両者が疲れてしまった事で幕を閉じた。

 数多の人妖と顔を合わせ、一癖二癖どころか五癖もありそうな連中と話してあってきた霊夢。

 それに対して、入学当初の問題から生まれた生徒達との揉め事で鍛え上げられたルイズ。

 お互い別々の経験から来る言葉選びと、相手が何であれ怯まないという精神が衝突すればそれはもう引き分けになるしかないであろう。

 実質霊夢を相手に怒鳴り続けたルイズは、体の中にドッと溜まってしまった疲れを取るようにため息をついた。

「はぁ~…参ったわねぇ。私自身、こんなに口喧嘩したのは初めて…かもしれないわ」

『娘っ子も中々口が悪いが、生憎ながらレイムの方はその三倍…いや四倍増しで酷かった気がするぜ』

「何で言い直す必要があるのよ。…っていうか増えてるし」

「………ふふ」

 お互い本気で言い争うつもりは無かったのだろう、そのまま喧嘩に移行する事無く自然と仲が戻っていく。

 デルフの余計な一言に少し疲れた様子を見せる霊夢が言葉を返したところで、ふとシエスタがクスリと笑った。

 

 彼女の真横にいて、それにすぐさま気が付いた魔理沙は首を小さく傾げつつ彼女に話しかける。

「?…どうしたんだシエスタ?」

「いえ、貴女達三人とデルフさんのやりとりを見ていてふと…曽祖父から教えてもらった諺を思い出しまして…」

 諺?魔理沙が再び首を傾げた所で彼女は「はい」と頷いてから、その諺とやらを口にする。

 それはルイズ達は勿論、デルフさえも知っているありふれたものであり、彼女らにピッタリな諺であった。

 

「喧嘩する程仲が良い…って諺なんですけど――――ミス・ヴァリエールとレイムさん達の関係に、ピッタリと思いません」

「………あー成程な。確かに私達の関係にピッタリ嵌る諺だな?二人もそう思うだろう」

 魔理沙からの問いにルイズと霊夢は互いの顔を見合った後、ほぼ同時に首を横に振りながら言った。

「いやいや、それは無いわね」

「そうよ、それだけは絶ッ対に無いわね」

「ホラ?二人して似たような答えを出してくれる辺りに、仲の良さを感じるぜ」

 見事なほど息の合った首振りを見せてくれた二人を指さした魔理沙の言葉に、シエスタはつい笑ってしまう。

 大通りと建物一つ隔てた場所にある静かな通りのど真ん中で、青春真っ只中な少女の笑い声が響き渡った。



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第九十五話

 サン・レミ寺院の塔の鐘が大きな音を立てて鳴り響かせて、時刻が十一時になったと報せている。

 昔、それも家に置けるサイズの小さな時計が出来るまで寺院の鐘は人々にとって大切な存在であった。 

 今ではそこら辺の雑貨屋に行けば小物サイズの目覚まし時計が格安で手に入り、懐中時計は貴族たちの必需品となっている。

 事実鐘の音を耳にする人々は寺院に目を向ける事は無く、またある者は懐からわざわざ懐中時計を取り出して時間を確認する。

 この時代の人々にとって、既にサン・レミ寺院の鐘は大昔の骨董品――博物館に飾るべき対象にまで成り下がっていた。

 しかし悲しきかな…ただの鐘にそれが理解できるはずも無く、また博物館の人間もわざわざ寺院の鐘を飾ろうとすら思わないだろう。

 

 時代遅れの古鐘は今日も街の人々に時刻を報せる。それを真摯に聞く者がいないという事も知らずに。

 そんな鐘の音が聞こえてくるチクトンネ街の中央広場を、シエスタに連れられたルイズ達一行が横断していた。

「ミス・ヴァリエール、ここら辺は人が多いですから気を付けてくださいね」

「一々言わなくても大丈夫よシエスタ。私達もうんざりするほどここを通って来たんですから」

 自分の達の方へ視線を向けながら声を掛けてくれるシエスタに、ルイズ達は人ごみに揉まれつつ歩いている。

 その後ろにいる霊夢と魔理沙の二人は、無数の人々でできた弾幕の様な混雑をかわしながらも、何やら話し合っている。

「全く…次はどこへ案内するのかと思いきや、まーたこんな人間だらけの場所に連れて来るなんて…」

「まーいいじゃないか、ずっとあの通りにいたらそれこそこんな場所なんか通りたくない…なんて思っちゃうからな」

 丁度良い塩梅だぜ。と最後に付け加えた魔理沙は目をつぶって笑いながら、右からやってきた衛士をスッと前へ行く事で回避する。

 霊夢も霊夢でデルフを背負ったまま、左からやってきた散歩中の小型犬をほんの一瞬宙に浮いて避けて見せた。

 そのせいで彼女の頭が人ごみからヒョコッと出てしまったが、幸いそれに気づく者はいない。

 飼い主であろう貴夫人と連れの者たちはお互い会話に華を咲かせていたので、見られる事は無かった。

 

 お互い、通りがかってきた危機を軽やかに回避して見せた後で、それを後ろから見ていたルイズがポツリ呟いた。

「アンタ達って、偶に涼しい顔してスゴイ避け方するのね…」

「え?…ハハハ!なーに、伊達に霊夢と競い合って異変解決はしてないからな。この程度の人ごみは楽勝さ」

 ルイズの呟きに気付いた魔理沙は一瞬怪訝な表情を浮かべたもの、すぐに快活な笑い声と共にそう言ってのけた。

「良く言うわね。いっつも私の邪魔ばっかしてきて痛い目見てる癖に、そんな一丁前な態度が取れるなんて」

「まぁそう言うなって霊夢。…それに、一つ前の月の異変の時にはお互い良い具合に相打ちだったぜ?」

 魔理沙の言葉で、迷いの竹林でアリスとのコンビを相手にして紫と共に痛い目に遭った事を苦い思い出が蘇ってしまう。

「う、うるるさいわね…第一、アンタだって最後のスペルカード発動した際にアリスごと…」

「ちょっ…!こんな所で言い争うのはやめて頂戴よアンタ達!」

『いーや、無理だね娘っ子。…こりゃあ、暫し人ごみの中で立ち往生だ』

 対する霊夢はそんな魔理沙の言葉に溜め息をつきつつそう言うと、魔理沙も負けじと返事をする。

 霊夢の反応を見て、この先の展開が何となく読めたルイズが止めようとするも、デルフは既に止められない事を悟っていた。

 そんな時であった、これから始まろうとする知り合い同士の口喧嘩にシエスタが待ったを掛けたのは。

 

「…あ、ちょ…ちょっとみなさーん!そんな所で足を止めてたら他の人にぶつかっちゃいますよー!?」

 

 いざ言い争おう…という所でシエスタに呼びかけられて、思わずそちらの方へと視線を向けてしまう。

 私服姿のシエスタはアアワ…と言いたげな表情を浮かべつつも、上手い具合に衝突しそうになる他人と上手にすれ違いつつこちらへと向かってくる。

 伊達にトリスタニアの人ごみを経験していないのか、平民だというのにその身のこなしには殆ど無駄がない。

 そんな彼女の妙技(?)を三人が眺めている内に、とうとうシエスタが自分たちの元へとやってきた。

「ふぅ、ふぅ…もぉ、どうしたんですか?こんな人ごみのど真ん中で止まっちゃうなんて。…迷ったりしたら大変ですよ?」

「あぁ御免なさいシエスタ。ちょっとこの二人がどでもいい言い合いを始めそうになったけど、貴女のおかげで阻止できたわ」

 少し息を切らせつつ理由を聞いてくる彼女にルイズはそう答え、シエスタはそれに「?」と首を傾げてしまう。

 霊夢と魔理沙はというと、シエスタの邪魔が入ったおかげか言い争う気を無くしてしまったらしい。

 互いに相手の顔を見つつも、まぁここで言い争っても仕方ない…と言いたげな表情を浮かべていた。

 

「?…何だか良く分かりませんが、まぁ誰かにぶつかって大事にならず済んだのなら大丈夫ですよ」

「それなら問題ないわよシエスタ。少なくともこの程度の人ごみ何て、私にとってはそよ風みたいなモンだから」

「まぁ確かにそうよね。アンタならちょっと体を浮かせば何でも避けれるだろうしね」

 何が何だかイマイチ分からぬまま、ひとまず安堵するシエスタに霊夢は平気な顔をして言う。

 それに続くようにしてルイズも一言述べた後、シエスタが「さ、急ぎましょうか」と言って踵を返した。

「今はまだ大丈夫だろうですけど、お昼時になったらきっと入るのが大変になりますから」

「…大変な事?おいおい、何だか不穏な物言いだな。一体私達を何処へ連れていく気なんだ?」

 シエスタが口にした「大変」という単語に反応した魔理沙が、三十分程前から気になっていた事を質問する。

 魔理沙の問いにシエスタは暫し悩んだ素振りを見せた後…「あそこです」とある場所を指さした。

 咄嗟に魔理沙と霊夢は彼女の指差す方向へと視線を向け、デルフも鞘から刀身を少し出して何か何かとそちらへ視線(?)を向ける。

 そこから一足遅れてルイズもシエスタの指さす方向へと目を向けて―――そこにある『建物』を見て怪訝な表情を浮かべた。

 

 今から三十分ほど前までは、ルイズ達はシエスタの案内で王都の静かな通りを歩いていた。

 夏季休暇中にも関わらず平穏で、大通りの喧騒などどこ吹く風のそんな場所はとても歩き心地が良かった。

 そして…その通りにあるヘンテコな商品を扱う小さな雑貨屋を見ていた時に、シエスタが小さな悲鳴を上げたのである。

 何事かと思った三人がシエスタの傍へ集まると、そこには店の壁に掛けられた柱時計を見つめる彼女の姿があった。

―――…!どうしたのよシエスタ。そんな急に悲鳴なんか上げて…

――――あ、あぁミス・ヴァリエール!すいません、次に案内する場所をすっかり忘れていました!

 ルイズの問いにそう言ったシエスタが指差した先には、その柱時計。

 単身が十を、長針が六の所に差し掛かった時計から小さな鳩が出てきて、ポッポー!と鳴いている。 

 

 どうやら時刻は十時半になったらしい。それを知った霊夢が次に彼女へと話しかけた。

―――それがどうしたのよ?十時半になったらその案内する場所が閉まっちゃうの?

――――あー…いえ、別にそういう事じゃないんです…タダ、入るのが凄く難しくなっちゃうというか…

―――――何だ何だ、何か面白そうな予感がしてくるぜ。…で、次は何処へ案内してくれるんだ?

 返事を聞いていた魔理沙もそこへ加わると、シエスタは嬉しそうな笑みを浮かべて「これから案内します」と言って店を出ていく。

 結局その場では聞く事は叶わず、一体どこなのかと訝しみつつ三人は彼女の後をついていくしかなかった。

 

 それからあの通りを経由して再び人で溢れかえった大通りへと戻り、そしてチクトンネ街の中央広場まで戻ってきた。

 シンボルマークである噴水広場を少し出た所には、トリスタニア王宮と肩を並べるほどに有名な建物がある。

 トリステインの文化の象徴の一つであり、貴族だけではなく平民からも多大な支持を得ている大型の劇場。

 長い長い歴史の中で幾つもの傑作、怪作、迷作が生み出され、無名有名様々な役者たちが演じてきた芸人達の聖地。

 だからこそ、シエスタがその建物を指さした時にルイズは怪訝な表情を浮かべたのである。

 霊夢と魔理沙の二人を、あのタニアリージュ・ロワイヤル座につれて行くのはどうなのか―――と。

 

「…それが私の表情の真意よ」

「真意よ。…じゃないわよ、滅茶苦茶失礼するわねぇ~?」

 ルイズから怪訝な表情を浮かべた理由を聞いた霊夢は、苦虫を噛んだ様な表情を浮かべて苦々しく言った。

 夏の鋭い陽射しを避けられる陰が出来ている劇場の入口周辺に屯し、シエスタと魔理沙も傍にいる。

 劇場へと入る人々は貴族、平民問わず何だ何だと一瞥はするもののすぐに視線を逸らして中へ入っていく。

 入り口を警備している警備員たちも二人ほどルイズ達へと視線を向けて、じっと見張っている。

 その鋭い視線を背中にひしひしと受けつつも、霊夢は腰に手を当てて不機嫌さを露わにしていた。

 

「第一、私と魔理沙が劇を大人しく見れないって前提で考えてるのは流石に失礼よ」

「…ん~まぁ確かにそうよね、そこは悪かったわ。…でも、アンタ達ってオペラとか演劇とかって興味あるの?」

 ぷりぷりと怒る霊夢に平謝りしつつも、ルイズはさりげなくそんな事を聞いてみる。

 その質問に霊夢は暫し考えると、真剣な表情を浮かべながらルイズの出した質問に答えた。

「いや、そういうのは趣味じゃないわね。…魔理沙は?」

「あー私もそういうのはガラじゃないなー。人里でお菓子とかもらえる紙芝居なら好きなんだが…」

 霊夢に話を振られ、ついでに答えた魔理沙の言葉を聞いて、ルイズは額を押さえながら「オォ…もう」と呻くほかなかった。

 やはり…というか…なんというか、やっぱりこの二人にはそういうものを嗜める人間ではないらしい。

 

 み、ミス・ヴァリエール…と心配してくれるシエスタを余所に、ルイズは更に質問をぶつけてみる。

 今度は霊夢だけではなく、ついでに答えてくれた魔理沙にも同じ質問をする。

「一つ聞くけど…アンタ達、狭い席に大人しく座って…劇見ながら二時間程じっとしていられる自信ってあるの?」

 それを聞いた二人は、一体何を質問してくるのやらと思いつつも魔理沙がスッと手を挙げて即答した。

「まぁ一人静かに本を読む時は、大体それぐらいの時間は余裕で消費するから大丈夫だぜ」

「…悪いけど、劇場内でのマナー一覧には上演中の読書は禁止されてるわ。第一、劇が始まったら照明が消されるし」

 ルイズからの返答に魔理沙は「マジか」と呟き、次いで霊夢が質問に答えてくれた。

「まー、その劇とやらが面白ければ良いわよ。つまらなかったら目を瞑って昼寝でもする…そういうモノなんじゃない?」

「アンタ今、この劇場に対して滅茶苦茶失礼な事言ったわねェ…」

 霊夢の容赦ない一言を聞いて、ルイズは苦々しい表情を浮かべつつ周囲の視線が一斉に霊夢へ向いたのに気が付く。

 劇場へと入っていく貴族―――それも明らかに中流や上流と分かる年配や四十代貴族たちの鋭い批判の眼差しに。

 彼からしてみれば、この歴史ある劇場の席で居眠りする事など…絶対にしてはならない行為の一つなのである。

 ルイズも幼少期の折に、初めてここで劇を観賞する前に母親からしつこく注意されたものだ。

 

 例えどんなにつまらない寸劇や三文芝居だとしても、貴族であるからには最後までそれを見届ける義務がある。

 これから劇を見るだけだというのに真剣な表情でそんに事を言ってくる母に、自分はキョトンとしながらも頷いていた。

 霊夢に呆れるついで昔の事を思い出していたルイズはそこでハッと我に返り、誤魔化すように咳払いする。

「ン…ンゥ…コホン、コホン!」

「……?どうしたのよ、いきなりワザとらしい咳払いなんかして」

 突然の咳払いが理解できなかったのか、何をしているのかと呆れた表情を浮かべる霊夢を余所にルイズはその後ろへと注意を向ける。

 本人は気づいていないようだが、彼女の背中にはこれでもかと入り口で屯している他の貴族達からの鋭い視線が注がれている。

 先ほどの彼女の発言を聞いてしまったのだろう。これぞトリステイン王国の貴族…といった裕福な身なりの者達が目を鋭く光らせていた。

 良く見れば、腰に差した杖の持ち手に利き手を添えている者達までいる始末。

 

 もしもここから先、霊夢か魔理沙…もしくはデルフのどちらかが失礼な発言を重ねれば…どうなるか考えなくても分かってしまう。

 しかし流石の貴族たちも、こんな王都のど真ん中で歴史ある劇場に無礼な発言をした者たちを懲罰したりしないだろう。

 …というよりも、少し生意気な平民を脅かしてやろうと近づいて霊夢達に下手な事を言えば…何てことは想像したくも無い。

 今アンリエッタから請け負っている任務の事を考えれば、大きな騒ぎを起こす事などとんでもない下策なのである。

 そこまで考えたルイズが考えた選択は、ここから一刻も速く離れるという事であった。

 その為にはまずやるべきことは唯一つ…此処まで連れてきてくれたシエスタに、謝る事であった。

 

「…あーシエスタ、悪いけど…まだレイムたちにはタニアリージュ・ロワイヤル座の劇は難しいと思うのよ…」

「―――?は、はぁ…」 

 霊夢と同じく自分の咳払いの意図が分からず、小首を傾げるシエスタに顔を向けたルイズは彼女へそっと話しかける。

 普段のルイズならばこんな感じで平民に話しかけはしないものの、相手があのシエスタなのだ。

 わざわざ自分の貴重な休日を潰してまで、街を案内すると張り切っていた彼女が一番お薦めだと思うのはここに違いないからだ。

 タニア・リージュ・ロワイヤル座は平民も気軽に劇を見る事の出来る場所で、尚且つ平民の女性にとって舞台を見るという事は一種の贅沢なのである。

 前から霊夢達をここへ連れていきたいと考えていたのなら、自然と申し訳ない気持ちになってしまう。

 

 そんな事を考えていたルイズであったが、あったのだが…―――――――

「あの、ミス・ヴァリエール。…実はここへ案内したのは、劇を一緒に見ようとか…そんな事の為じゃないんです」

「――――――…え?」

 ――――惜しくも、そのもし分けない気持ちは単なる思い過ごしとなって霧散してしまう。

 今の自分にとって間違いなく寝耳に水なシエスタの言葉に、ルイズは目を丸くするほかない。

 霊夢と魔理沙の二人も、予想外と言わんばかりの「えっ」と言いたそうな顔をシエスタへと向けてしまう。

 そんな三人に申し訳なさそうな表情を見せつつ、一人空気が違うようなシエスタは話を続けていく。

 

「だって皆さん、そろそろお腹が空いてきた頃合いでしょう?だからここで美味しいモノ食べていきませんか?

 実はここのレストランで食べられるパンケーキセット…安くて美味しいって平民の女の子達の間で評判なんですよ」

 

 どうやら近頃の平民の女の子たちの間では、劇よりもパンケーキセットが人気なようだ。

 同じ少女でも貴族と平民、両者の流行には大きな差がある事をルイズは再認識せざるを得なかった。

 

 

 

 

 タニアリージュ・ロワイヤル座は今日も午前中から貴族やら平民達が、娯楽を求めてやってくる。

 観音開きになっている門をくぐり、窓口に並んでチケットを買い、そして劇や芝居…時には演奏を聞くために奥へと入っていく。

 そして観終った者達は再び門をくぐって出ていくか、あるい館内に設けられたレストランで優雅な食事を楽しむ。

 レストランも貴族向け、平民向けと分けられているものの、そこはトリステインの歴史ある劇場内の飲食店。

 平民向けであろうとも彼らが自宅の食卓では食べられない様な料理を、手の届く価格で提供しているのだ。

 

 そうして満足ゆく体験を経て去っていく者たちの大半は、いずれまた戻ってくる。

 またあの時の芝居や劇で体験した感動を、あのレストランで食べた料理をもう一度…という希望を抱いて。

 彼らの様なお客は業界ではリピーターと呼ばれ、そして彼らは今も尚増え続けている。

 このようにして、タニアリージュ・ロワイヤル座は不景気や災害に負けず今日まで続いているのだ。

 過去二十回にも及ぶ増改築を続け、伝統を残しつつ新しさを取り入れた劇場として外国の観光客にも人気がある。

 その内の中では比較的新しく改築した場所と言えば、丁度二年前に上流貴族専用の『秘密の入口』であろう。

 

 『秘密の入口』は劇場の地下一階、丁度裏手の通りにある緩やかなスロープから外へ入る事が出来る。

 緩いL字型の下りスロープを下りた先には、比較的大きめの馬車止めが幾つも用意されていた。

 元々は過去の芝居や劇で使われていた大型の道具を置くための巨大物置部屋として使われていた。

 スロープもその道具を一旦外へ出し、同じく地上の搬入口を運ぶために造られたものなのだという。

 しかし近年、魔法を用いた演出などが増え始めるとそれ等の大道具は時代遅れの代物として見なされ、

 更に同じ時期に、王宮で大事な官位についている貴族から「お忍びで入れる入口はないかと」という要望を出してきたのである。

 

 当時の館長を含め劇場を運営する貴族達が一週間ほど会議した結果、地下の馬車止め場が造られる事となった。

 最も、それまでそこに仕舞っていた道具は幾つかのパーツに解体して別の場所に保管するか廃棄される事となったのだが…。

 何はともあれ、地下の入口が造られてからは更に貴族の客が増え結果的に劇場にはプラスの結果となったのである。

 

 そして今日もまた…当日予約ではあったものの、一台の大型馬車がスロープへと入ろうとしていた。

 外の通りからスロープの間には黒い暗幕が掛けられ、入口の横には槍と警棒で武装した警備員たちが厳しく見張っている。

 その暗幕を抜けた先には壁に取り避けられたカンテラに照らされたスロープが、地下の馬車置き場まで続いている。

 御者が馬の速度を落としつつそのスロープを無事下りきると、近くで待機していた警備員が御者へと指示を飛ばす。

「ようこそいらっしゃいました!ミス・フォンティーヌの御一行様ですね、五番ホームまで進んでください!」

「あぁ、分かったよ」

 

 警備員の指示に従い、御者は馬を前へ進ませて五番ホームへと向かわせる。

 廊下に沿って天井に取り付けられた大型のカンテラが地下を照らしているせいか、かなり明るい。

 既に他の馬車が止まっているホームの中にはハーネストを外された馬が馬草を食んでいたり、留守を任された御者の手で体を洗われている。

 聞いた話では全部約六台分の馬車が入るらしいが、成程貴族たちの間では中々人気なようだ。

 横目で見る限り、馬車に描かれている家紋や紋章はどれもこの国ではそれなりの地位を持っている家のものばかりである。

 その殆どには御者や係の者がついて細かい整備や清掃などを行っており、とても劇場の地下とは思えない様な光景が広がっていた。

 

 それからすぐに、警備の者に言われた通り、要人達を乗せたその馬車を五番ホームへと入れていく。

 コの字型ホームの一番奥で馬を停めると、付近で待機していた数人の係員たちが駆けつける。

 一人が手早くハーネストを外して馬を更に奥へと移動させると、もう一人が御者に水の入ったコップを手渡しながら話しかけた。

「暑い中お疲れさん。…連絡済みだと思うが、当日予約だから馬の手入れや馬車の整備はできないよ!」

「あぁ問題ないよ!ウチのご主人様はそういうので一々臍を曲げたりしないお方だしな…あぁ、どうも」

 係員からの注意に御者はそう答えつつ、額の汗を拭いながら差し出されたコップを受け取って水を一口飲んでみせる。

 ここまで二時間近く、王都の交通事情に苦戦しながらも馬車を走らせてきた彼にとって、差し出された水はとても美味しかった。

 王都の中で飲める水の中ではこれほどまで冷たく、のど越しの良い水が飲めるのはきっと王都ぐらいなものだろう。

 

 そんな風にして御者が係員からの御恵みを受ける中、別の係員が馬車のドアの前に立つ。

 事故防止用の鍵が内側から開かれる音が聞こえるとその場で気を付けの姿勢をした後、レバータイプのドアノブへ手を掛ける。

 馬車に取り付けるドアノブとしては間違いなく高級な類であろうそれをゆっくりと握り、かつ力を入れてレバーを下ろしていく。

 ガチャリ、金属的な音を立ててレバーが下りたのを確認した係員が意を決してドアを開けていくと――――突如、小さな影が飛び出してきた。

「うわっ、な…何だ?」

 予想していなかった影の登場にドアを開けた係員は驚きのあまり声を上げてしまい、影のとんだ方向へと視線を向ける。

 馬車から数十サント離れた煉瓦造りの地面の上、カンテラで薄らと照らされたそこにいたのは…一匹のリスであった。

 

 以前彼が街中の公園で見た事のある個体より少しだけ大きいソイツは、口をモゴモゴと動かしながら係員の方へと視線を向けている。

 嫌、正確には彼の背後――――馬車の中にまだいるであろう自分の『飼い主』の姿をその目に捉えていた。

 そうとも知らず、自分を見つめていると思っていた係員が何て言葉を掛けていいのかと思っていた最中、

「あらあら、御免なさいね。…この子ったら、いつも真っ先に馬車の中から出ちゃうのよ…」

 …と、背後から掛けられた柔らかい女性の声にハッとした表情を浮かべ、慌てて馬車の主の方へと振り返る。

 振り返った先にいたのは、右足を馬車の外から出そうとしている女性―――カトレアであった。

 その顔に浮かぶ笑みに少し困ったと言いたげな色が滲み出ているのに気が付いた係員は、慌てて頭を下げて謝罪を述べようとする。

 

「も、申し訳ありませんミス・フォンティーヌ!馬車の中に入っていたリスに気を取られて、つい…!」

「あぁ、いいのよ私の事なんて。…それよりも、その子が何処に行ったのか真っ先に確認してくれて有難うって言いたいわ」

「……えぇ?」

 貴族を怒らせたらどうなるか、それを何度も間近で見てきた彼の耳に聞いたことの無い類の言葉が聞こえてしまう。

 思わず我が耳を疑ってしまい、怪訝な表情を浮かべて顔を上げる彼を余所にカトレアは右手を差し出して口笛を吹く。

 すると…キョロキョロと辺りを見回していたリスが彼女の方へと顔を向け、タッと走り寄ってくる。

 リスは彼女の身に着けているスカートをよじ登り、そのまま服を伝って彼女が差し出した掌の上へとたどり着く。

 カトレアはそんなリスの頭を優しく撫でながら、キョトンとする係員に詳しい説明をし始めた。

 

「この子、見慣れない場所へ行くとついつい興奮しちゃうのか…まっさきに外へ飛び出してしまうの。

 まだ怪我が治ってないから外へ出るのは危険なのに、でも自立したいって気持ちは私なんかよりもずっと強い」

 

 羨ましくなるわね。ふと最後にそんな一言が聞こえたような気がした整備員は、怪訝な表情を浮かべてしまう。

 しかし今は仕事の真っ最中であった為、気のせいだと思う事にしてカトレアへの案内を再開する事にした。

「で、ではミス・フォンティーヌ。ご予約して頂いた劇の上演まで残り一時間を切っておりますので、こちらへ…」

「あら、丁度良い時間ね。じゃあお言葉に甘えて…あぁ、その前に一つよろしいかしら?」

 リスを馬車の中へ戻したカトレアが係員についていこうとした所で、彼女は何かを思い出したかのような表情を浮かべる。

 彼女の言葉に何か要望があるのかと思った係員は、改めて姿勢を正すと「可能な限りで」で返した。

 

「私たちが乗ってきた馬車の周りを、少し高めの柵で囲っておいて貰えないかしら」

「柵、でありますか?」

「えぇ。ホラ、ちょうどあそこで馬を囲ってるのとおなじような……」

 カトアレはそう言いながら、彼女から見て右手にある四番ホームで馬が出ない様に囲ってある鉄製の柵を指さす。

 係員達は一瞬お互いの顔を見合ったものの、まぁそれくらいなら…という感じで彼女の案内役が代表して頷く。

 

「わかりました。他の係員たちに言って倉庫から余っている柵を持ってこさせます」

 係員のその言葉を聞いたカトレアは嬉しそうに手を叩くと、彼に礼を述べた。

 

「そう、有難うね。…じゃあ、馬車の中にいる『あの子達』に言っておかないと」

 次いで、彼女の口から出た『あの子達』という言葉に係員が首を傾げそうになった所で、

 カトレアはドアが僅かに開いている馬車の中へと優しげな声を掛けた。

「じゃあみんな。私が戻ってくるまでの間、柵の外から出ずに遊んでいるのよぉ~!」

 彼女が大声でそう言った瞬間、馬車のドアを開けた大勢の小さな影が続々と飛び出してくる。

 案内役を含めた係員たちが何だ何だと驚く中で、何人かがその正体が何なのかすぐに気が付く。

 馬車の中に潜み、そして出てきた影の正体は――――大中小様々な動物たちであった。 

 

「え…!?」

「ど、動物…それも、こんな…」

 係員たちは目の前の光景が信じきれないのか何度も目を擦り、激しい瞬きを繰り返している。

 それ等は先ほどのリスよりも二回りも大きく、そして様々な種類がいた。

 先に飛び出してきたリスを含め、一体この馬車の中はどうなっているのかと疑う程の動物たちが五番ホームを占領していく。

 可愛い猫や雑種と思しき中型犬に混じってトラの赤ちゃんが地面に寝そべり、小熊がその隣で座っている。

 亀がゴトゴトと地味に喧しい音を立てて歩き回り、そのままとぐろを巻いて休んでいる蛇の体をよじ登っていく。

 

 あっという間に周りよりも騒がしくなってしまった五番ホームの真ん中で、カトレアは動物たちを見回しながら「みんなー」と声を掛けた。

「少しさびしいと思うけど。御者のアレスターが一緒だから、何かあったら彼の言う事を聞くのよ。わかった?」

 その瞬間…驚いたことに、彼女の言葉にそれぞれが自由気ままにしていた動物たちは一斉に彼女の方を見たのである。

 眼前の蛇を蛇と視認していなかった亀も足を止めて彼女の方へと身体を向け、蛇は首をのっそり上げてコクリと頷いてみせた。

 まるでサーカスの動物ショーを見ているかのような光景に係員たちが呆然とする中、カトレアはその笑顔のまま案内役の係員に話しかける。

 

「それじゃあ、案内してもらおうかしら」

「………あ、え?…あッ!は、はい!こちらです」

 あっという間に劇場地下の一角が小さな動物園と化した事に一瞬我を失っていた係員は、慌てて返事をした。

 再び自分の足元で思い思いに寛ぐ動物たちを踏んだり蹴ったりしないよう細心の注意を払いながら、カトレアへの案内を始める。

 幸い劇場のロビーへと続いている扉はすぐ近くにあり、一分も経たずに扉の前まで彼女連れてくる事ができた。

 そこまで来たところでカトレアはまた何か思い出したのか、アッと言いたげな表情を浮かべて馬車の方へ顔を向ける。

 

 今度は一体何かと思った係員たちがそれに続いて馬車の方へ視線を向けた直後、何人かがギョッとした。

 カトレアが出て、動物たちが出てきた馬車の中から、ヌッと大きな頭の女が重たそうな動作で出てきたのである。

 まるで目覚めたばかりで古代の遺跡からゆっくりと這い出てくる魔物の様に、その一挙一動が無気味であった。

 何せその女の頭の大きさたるや、女の体と比べればまるで子供がギュッと抱きついているかのようにアンバランスなのだ。

 地下の照明が微妙に薄暗いという事もあってか、その頭がどういう事になっているのかまでは良く分からない。

 それがかえって不気味さを増長させており、係員たちの何人かは女からゆっくりと後ずさろうとしている。

 動物たちも馬車から出てきた女に驚いたのか、寝ていた者たちはバッと体を起こして馬車との距離を取ろうとしていた。

 

 係員たちも突然の巨女に対応ができず、ただただ唖然とした様子で見守っていると―――女が言葉を発したのである。

「ニナー、もう大丈夫だから…大丈夫だから、とりあえず私の頭に抱きつくのは、いい加減やめなさい」

「…え?……あれ、もうついたの?」

 その不気味さとは対照的に、冷静さと大人びた雰囲気が垣間見える声に呼応するかのように、今度は少女の声が聞こえてくる。

 何と驚く事に、ようやく言葉足らずを卒業したかのような幼い女の子の声は、女の頭がある部分から発せられた。

 不安げな様子が見て取れる言葉と共に、女の頭の天辺からニョキ…!と女の子の顔が生えてきたのである。

 瞬間、その様子を間近か照明の逆光でシルエットしか分からなかった係員たちは小さくない悲鳴を上げてしまう。

 

 ちょっとした混乱が続いている五番ホームの中、係員たちの恐怖を余所にカトレアはその女に声を掛けた。

「ニナ、ハクレイ。あぁ御免なさい!あなた達に声を掛けるのを忘れていたわ」

「あー別に大丈夫。ちょっとニナが動物たちを怖がり過ぎてて、私の頭にしがみついてて…馬車から出るのに苦労したけど」

 カトレアの言葉に女は軽い感じでそう言うと、自分の頭に抱きついている少女、ニナをそっと引っぺがして見せた。

 そこになって、ちょっとした恐慌状態に陥りそうになった係員たちは、ようやく巨頭の女の正体を知る事となったのである。

 女、ハクレイは引っぺがしたニナの両脇を抱えたままカトレアの傍まで来ると、そこで少女をそっと地面へ下ろす。

 一方のニナはと言うとハクレイの背後でじっと様子を窺っている動物たちを、見張っているかのように凝視していた。

 

 そして凝視するのに夢中になっているあまり、下ろされた事に気が付いていない彼女の肩をハクレイはそっと叩いて見せる。

 ポンポンと少し強く感じられる手の感触でようやく下ろされた事に気が付いたニナは、ハッとした表情でハクレイの顔を見上げた。

「ホラ、これでもう大丈夫よ」

「だ…大丈夫って…何が大丈夫だってぇ~?」

 肩を竦めて言うハクレイに、ニナは子供らしい意地を張りながら生意気に腕を組んでみせる。

 その子供らしい動作にハクレイはもう一度肩を竦め、カトレアはクスクスと笑おうとしたところでハッと気づく。

 

 ふと周囲に目をやれば、いつの間にか自分たちを中心に奇異な目を向ける者たちが数多くできていた。

 係員をはじめとして、自分たちと同じく客として来たであろう貴族達も目を丸くし、足を止めてまで凝視している。

 馬車に乗せてきていた動物たちも何匹かが主の方へと目を向けていた。

 ザッと見回しただけでも実に十以上の視線に晒されているカトレアは、流石に焦りつつも頭を下げて彼らに謝罪をして見せた。

「…えーと、その…変にお騒がせさせてしまい、大変申し訳ありませんでした」

 多少おざなりであったがそれで良かったのか、貴族の客たちは各々咳払いしたりしてその場を後にする。

 係員たちも何人かが頭を下げるカトレアと同じように頭を下げて、各自の仕事を再開していく。

 

 先程までいつも以上に賑やかだった地下の馬車置き場は、再びいつもの喧騒を取り戻していた。

 カトレアが連れてきた動物たちの鳴き声と、五番ホームを囲う柵を用意する係員たちの姿を除けば、であるが。

 

 

 

 

――――あら、懐かしい劇ね。一体何時ぶりだったかしら?

 どうして彼女たちがタニアリージュ・ロワイヤル座に来たのか…それは朝食を食べているカトレアの一言から始まった。

 

 昨夜のドタバタ騒ぎから夜が明けて、腹を空かせていたハクレイがオムレツを口に入れようとした時か、

 それともカトレアの横に座り、手作りフルーツヨーグルトのおかわりをお手伝いさんに頼もうとした時かもしれない。

 朝陽に照らされた庭で寛ぐ動物たちに餌をやり終えたカトレアが、ポストに届いていたお便りを読みながら、そんな事を呟いたのである。

 中にチーズとハムが入ったオムレツをそのまま口の中に入れたハクレイが口を動かしながら「はひがぁ?(何が?)」と聞く。

 何気にマナーのなってないハクレイをお手伝いがジトーと睨むのを見て苦笑いしつつ、カトレアは彼女の問いに答える。

 

―――ここから少し離れた所にあるタニアリージュ・ロワイヤル座っていう劇場で懐かしい劇がリバイバルされるらしいのよ。

     まだ私が小さい時…故郷の領地にいた頃に一度だけ、とある一座が王都まで行けない人たちの為に出張上演してくれたっけ…

 

 その言葉を皮切りに、カトレアは食事の手を一時止めてハクレイ達に当時見た劇の事を話してくれる。

 劇は王道を往く騎士物で、世間を知らない貴族の御坊ちゃまが一人前の騎士として御尋ね者のメイジを退治する話なのだという。

 苦労を知らず下らない事で一々怒る主人公が多くの人々から時に厳しく、時に優しくされつつも騎士として鍛え上げられていく。

 やがて同期のライバルや教官から騎士道とは何たるかを学び、最後は自身の母を手に掛けた貴族崩れのメイジと一騎打ちを行う。

 これまで培ってきた戦い方や技術を凌駕する貴族崩れの男の攻撃に苦戦しつつも、主人公は機転を利かせつつ攻めていく。

 その戦いの末に杖を無くしてしまった二人は互いに護身用の短剣を鞘から抜き放ち、そして――――…。

 

―――それで…?

――――そこまで言ったら、もしも同じ劇を見た時に面白味が無くなっちゃうでしょ?

 そこまでも何も、物語の大半を語っておいてそこでお預けするというのは正直どうなのだろうか?

 既に手遅れな事を言っておいてクスクスと笑うカトレアをジト目で睨みつつ、ハクレイは朝の紅茶を一口飲む。

 ミルクを入れて口の中を火傷しない程度に温度を下げた紅茶はほんのりと甘く、優しい味である。

 カップを口から離し、ホッと一息ついたハクレイを余所に同じくカトレアの話を聞いていたニナが彼女に話しかけていた。

 

「でも何だか面白そうだよね~、でもリバイバルって何なの?」

「リバイバルっていうのはねぇ、昔やっていたお芝居とか演奏会とかをもう一度やりますよーっていう意味なの」

 カトレア曰く、この手の演劇や芝居などは日が経つにつれ新しい物へと変わっていくのだという。

 稀に何らかの理由で発禁処分にされたりでもしない限り、大抵は短くて三か月長くて半年は同じ劇が見れるらしい。

 終了した物を見るには今言っていたリバイバルか、金持ちの貴族ならばワザワザ劇団を雇って見ているのだとか。

「…で、アンタがさっき言ってた劇は当時の貴族の子供に人気だったからリバイバル…っていうワケね」

「そうらしいわね。まぁでも、タニアリージュ・ロワイヤル座でリバイバルされるのなら相当に人気だと思うわ」

 まぁ実際、面白かったしね。最後に一言付け加えた後、カトレアは手に持ったフォークで付け合せのトマトを刺した。

 一口サイズにカットされたソレを口元にちかづけいざ…という所で、彼女はハッとした表情を浮かべて手を止める。

 

 カトレアへ視線を向けていた他の二人とお手伝いさんたちが訝しもうとしたその時…彼女は突如「そうだわ!」と大声を上げた席を立った。

 突然の事にカトレアを除く全員が驚いてしまう中で、彼女は名案が閃いたかのような自信ありげな顔でハクレイ達へ話しかける。

「何ならこれからその劇を見に行きましょうよ、ここ最近はずっと家の中にいたし…ニナも窮屈そうにしていたし」

「え?本当に良いの!?」

 あまりにも突然すぎる提案にニナはたじろぎつつも、ほぼ同時のサプライズに嬉しそうな表情を浮かべる。

 ここ王都に入ってからというもの、街中の込み具合からニナは庭を除いてここから出た事がなかったのだ。

 多少自分の身は守れる程度に強いハクレイは別として、一日中カトレアと共にこの別荘の中で過ごしている。

 

 年頃の子供にとって、猫の額よりかは多少でかい庭だけが外の遊び場というのは窮屈だったのだろう。

 しかも彼女が連れてきていたという動物のせいで、彼女が満足に遊べるような状態ではなくなっていた。

 そんな今のニナにとって、外に出られるというチャンスはまたとない刺激を得られるチャンスであった。

 自分の嬉しそうな様子に笑みを浮かべるカトレアに対し、ニナはついでと言わんばかりにお願いをしてみる。

 

「ねぇねぇお姉ちゃん、そのついでで良いからさー…その~…」

「……?―――…あぁ!」

 勿体ぶった言い方をするニナの表情と、彼女の事を日がな一日見ていたカトレアはすぐに言いたい事を察してしまう。

「良いわよニナ、時間に余裕があるなら帰りに王都の公園にでも寄っていきましょうか?」

「――…ッ!わーい!やったー!」

 カトレアからのOKを貰ったニナは余程嬉しかったのか、その場で席を立つと嬉しそうにジャンプして見せた。

 ニナの反応を見てふふふ…と笑っていたカトレアは、次いでハクレイにも行けるかどうか聞いてみる。

「ねぇハクレイ、貴女はどうかしら?……まぁ、貴女はちょっと忙しい所を邪魔するかもしれないけれど…」

「…うーん…………貴女の提案ならまぁ…断るのはどうかと思うしね…けれど、」

 少し表情を曇らせながら訊いてくるカトレアに、ハクレイは暫し黙った後で軽く頷きながらも言葉を続けた。

 

「せめてその手に持ったままのフォークに刺さったトマト、食べるかどうかしてあげなさいよ」

 彼女の今更な指摘に、カトレアはハッと自分の右手に握られたフォークへと目をやる。

 持ち主に食べられる事無く放置されていたトマトから滴る赤い果汁は、まるで涙と例えるべきか。

 今になって食べる途中であった事を思い出したカトレアは思わずその場で頬を赤く染めて、お淑やかにそのトマトを口の中へと入れた。

 

 

 

 

 そんなワケで、カトレアはハクレイとニナ…それに連れてきていた動物たちを伴って劇場へとやってきたのである。

 当初はお手伝いさんたちが何も動物まで連れて行くのは…、とカトレアに苦言を呈したのであるが…

「この子たちもニナと同じで、あまり広い所で遊ばせてあげれていないから…」

 …という理由をつけて別荘側の方で比較的大型の馬車を借りた後、劇場へ当日予約を伝えてもらった。

 基本的にタニアリージュ・ロワイヤル座の地下馬車置き場を利用するには前日までの予約が無ければ使用する事はできない。

 しかし、元々それなりの上級貴族が利用する『風竜の巣穴』を通せば空きがあれば当日予約が通るのである。

 かくしてカトレアの考えていた通りに事は運び、こうして劇場に入る事はできたのだが…。

 

「予想以上に、すごい人だかりねぇ…」

「そうねぇ、こればっかりは何となく予想がついてたけど…予想の範囲をちょっと超えてたわ」

 ロビーへと通じる階段を上り、踊り場の所で足を止めているハクレイとカトレアの二人は少し面喰っていた。

 何せロビーから少し下の踊り場から見上げるだけでも、一階にいる人々の賑わいが少し喧しいレベルで聞こえてくるのである。

 見上げた先に見える無数の人影が忙しなく行き来し、シルエットだけでも千差万別だ。

 マントと思しきものをつけていれば、掃除道具であろうモップを肩に担いで横切る人影もある。

 中には明らかに高値と見えるドレスを着た貴婦人の影が、お供と思しきシルエットを数人連れて横切っていく。

 さぞやロビーは物凄い人ごみであろうとハクレイは思ったのか、緊張で息を呑もうとしたその時…

「…ふふ、ふふふ」

 突然、後ろにいるカトレアの押し殺すような笑い声が聞こえたのに気が付き、そちらへと視線を向けてしまう。

「どうしたのよ?急に笑ったりなんかして」

「え?いや、別に大したことじゃ無いのよ?ただね…まるで何か…踊り場の上が小さな劇場に見えてしまってね…」

 何が可笑しいのか、笑いを少しだけ堪えるようにして言う彼女の言葉に、ハクレイはもう一度視線を元へ戻してみる。

 そして踊り場の上からしきりに行き交う人影たちを見つめていると、彼女の言葉の意味が何となく分かってきた。

 

 こうして様々な姿形の人影が交差していく様子が見れる踊り場は、確かに小さな劇所に見えてしまう。

 それはここが歴史ある劇場である故に設計者が意図して作ったものなのか、はたまた長い歴史の中で偶然に生まれた場所なのか。

 真実を知ることはこの先決してないかもしれないが、不透明な真実を探すのもまた一興と言う奴なのだろう。

 まぁ最も、落ち着いて腰を下ろせる席が無い分劇場としてはかなりランクは低い事は間違いない。

 暫し踊り場の上から一階へと通じる出入り口を見上げた後、気を取り直すようにしてハクレイが軽く咳払いをした。

「……そろそろ上りましょうか?」

「そうね。…ホラ、ニナもこっちにいらっしゃい」

「はーい!」

 カトレアの呼びかけに、少し下の方で壁に掛けられている絵を見ていたニナが元気よく返事をする。

 そうして三人そろった所でカトレアを先頭にして階段を上がり、ロビーへと続く入り口をくぐっていく。

 やがて彼女たちの姿も人ごみに紛れ、踊り場から見上げられる人影の一つとなっていった。

 

 

 

 

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、誇り高きヴァリエール公爵家の末娘である。

 末っ子であっても、そんじょそこらの二流三流の家と違いしっかりとした教育を受けられる立場の人間だ。

 貴族としての教養は勿論のこと座学、作法、流行りのダンスの踊り方に…当時は全くダメだったが魔法の練習も、

 更に一通り文字の読み書きができる年頃になったところで、法律に関するものや子供向けの難しい魔法の専門書を与えられてきた。

 その甲斐あってか、魔法と体格を除いて今では何処に出しても恥ずかしくない、立派な貴族の子供として成長したのである。

 ハルケギニアの共用語であるガリア語は勿論、ゲルマニアやロマリアの言語なども読み書きできる程になっていた。

 

 そんな家の子である彼女は、離乳食の頃から十分に良い物を食べて育ってきた。

 材料はほぼヴァリエール領で採れたものを使い、取り寄せにしても全てが一級品の代物。

 シェフも王宮勤務から王都で一躍名を馳せた者達を出来る限り採用し、料理にも十分な趣向を凝らしている。

 それこそ王宮顔負けの豪華な食事から、トリステイン各地の故郷料理と様々なメニューを口にしてきた。

 故に今の彼女は、自分が口にした料理が本当に美味しいかどうかを見分けられる確固たる自信を持っている。

 プロのソムリエには負けるだろうが、おおよそ並みの貴族には負けないだろうという…程度であったが。

 

「何よコレ…中々どうして、美味しいじゃない…」

 ―――彼女の味覚はこれでもかと言わんばかりに激しく反応していた。

 今先程ナイフで切り分け、フォークに刺して口へと運んで咀嚼し、飲み込んだモノが『本当に美味しいモノ』だと。

 目の前にはまるでクレープの様でいて、しかしクレープと呼ぶにはやや厚い生地のパンケーキ。

 それが三枚ほど重ねるようにして更に盛り付けられ、その上からチョコソースやら苺ジャムを掛けられている。

 更にはトドメと言わんばかりに専用のスプーンで一掬いしたアイスクリームが、皿の端に添えられていた。

 最初見た時は掛け過ぎだろうと思ったが、意外や意外それらが全て上手い事パンケーキの味を盛り上げているのだ。

 

 薄めで枚数の多いパンケーキに対し、やや過剰なソースとアイスクリームは上手い事計算されて添えられている。

 恐らくこれを考案したパティシエ…もしくは料理人は、相当パンケーキに精通しているに違いない。

 そうでなければ、ここまで美味しいパンケーキを平民向けの値段で作るというのは簡単に出来ないだろう。

 ルイズは口の中に広がる幸せを堪能ししていると、同じパンケーキを食べていたシエスタが嬉しそうに話しかけてきた。

「どうですかミス・ヴァリエール?その様子だと、お口に合って貰えたようですが」

「えぇ。…それにしても意外だったわね。まさかあのタニアリージュ・ロワイヤル座で、こんな美味しい物が安く食べられるなんて…」

 シエスタの言葉にルイズは満足そうに返事をしつつ、お茶を飲みながらふと視線を上へ向ける。

 見上げた先にあるのは劇場二階の通路があり。多くの貴族たちがチケットを片手に忙しそうに行き交っていた。

 

 再び視線を戻して周囲を見回してみると、そこは街中にありそうな洒落た感じのリストランテの中。

 今食べているパンケーキやガレット、サンドイッチといった軽い食べ物を紅茶やジュース等と一緒に頂く店。

 現にルイズ達の周りの席では、主に平民の客たちが席に座って好きな物を飲み食いしている。

 それだけなら普通の飲食店であったが、ルイズ本人としてはこの店のある場所に信じられないという気持ちを半ば抱いていた。

 そう…この店があるのは劇場一階の一角…つまり、タニアリージュ・ロワイヤル座の中なのである。

 

 劇場に入って右へ少し歩いた所、巨大な窓から燦々とした陽射しで照らされレた一角にその店は建っている。

 最初にそれを見たルイズはまさか歴史あるこの建造物の中にそんなモノがあるという事自体が信じられなかった。

 シエスタが言うには、ちょうど今年の春にオープンした店らしく平民の女の子たちの間で人気なのだという。

 中にはここのスイーツ目当てで劇場へ入る者も多いようで、チケットを買わずにここへ直行する者もいるらしい。

「知らなかったわ、まさかあのタニアリージュ・ロワイヤル座がこんな事になってたなんて…」

 シエスタから軽く話を聞いた時は、信じられないと言いたげな表情を浮かべるしかなかった。

 当初はこのリストランテにかなりの難色を示したが、貴族である彼女からしたら至極当然の反応であろう。

 まだお芝居目当てに来るならまだしも、たかがスイーツ目当てで来るというのは流石に度し難いとしか言いようがない。

 

 しかもよくよく見てみれば、店の席には平民に混じって年若い貴族の女性までいるではないか。

 恐らく下級貴族…かもしれないが、いくら給付金が少ないからと言ってこんな店に入るとは貴族の風上にも置けない。

 だから最初は、シエスタがお薦めしたパンケーキセットを前にしても好印象を持てなかった。

 しかし…これが蓋を開けてびっくり、本当にこれが平民向けのパンケーキかと疑う程美味しかったのである。

 

 

 それはルイズだけではなく、他の二人もまた同じような感想を抱いていたようだ。 

「…いやーコイツは美味しいなぁ!このアイスクリームも、程良い清涼感をだしてるぜ」

 二枚目のパンケーキを半分ほど食べたところで、アイスクリームに手を出していた魔理沙が嬉しそうに感想を漏らす。

 いつも頭に被っている帽子を膝の上に乗せて、夢中になってパンケーキセットを頂いている。

 黒白の嬉しそうな反応を見て、ルイズもまだ手を付けていなかったアイスクリームをフォークで切り分けて、口の中へと運ぶ。

「ふぅん…ン……ふぅーん、成程…焼きたてのパンケーキには丁度良いお供かも…」

 彼女の言うとおり、確かに申し訳程度のアイスクリームも決してメインに負けない魅力を持っていた。

 味は至って普通のバニラなのだが、しっかりと冷えたそれは熱くなった口の中を冷やすのに丁度良いのである。

 

 そんな風にしてバニラアイスを堪能する二人と、それを嬉しそうに見守るシエスタを余所に霊夢もパンケーキを堪能していた。

「ふ~ん…まぁこういうのも偶には悪くないわね。わざわざ自分で作ろうとは思わないけど」

 彼女にしては珍しく嬉しそうな表情を浮かべて、パンケーキをフォーク一本で器用に切り分けていく。

 切り分けた分をフォークで刺し、苺ジャムを付けて口の中へと運び…咀嚼、そして飲み込む。

 その後でセットのドリンクで頼んでいたアイス・グリーンティー…もとい冷茶をゆっくりと口の中へと流し込む。

「…ん…ふぅ~……あぁ~、やっぱりこういう洋菓子には…緑茶とかは合わないものなのね」

 飲み終えた後で残念そうな表情を浮かべてそう言うと、彼女の足元に置かれたデルフが話しかけてきた。

『なぁレイム、お前さんナイフは使わないのかい?』

「ナイフ?別に良いわよ、フォーク一本で済むならそれに越したことは無いじゃないの」

 使った形跡が一つも無く、テーブルの上で物言わず輝くナイフを尻目に霊夢はフォークだけで食べ進んでいく。

 ルイズ達を含めて他の客たちがしっかりとナイフで切り分けていく中で、彼女は一人我が道を進む。 

 その光景と言葉にルイズは呆れたと言いたげな表情を浮かべ、シエスタは苦笑いを浮かべるほかなかった。

 

 

 それから三十分ほど経った頃であろうか、昼食代わりのパンケーキを食べたルイズ達はロビーの一角で休んでいた。

 売店で買った瓶入りのジュースを片手に休憩用のベンチに腰かけ、人ごみを眺めながら賑やかな会話を楽しんでいる。

「ふぅ…まさかこの私が、あんないかにもな平民向けのスイーツ相手に屈する日が来るとは思ってなかったわ」

「そう言ってる割には、結構美味しそうに食べてたじゃないの」

「そりゃそうよ、美味しい物を美味しそうに食べるのは世の中の常識みたいなものじゃない」

 無念そうな響きが伝わってくるルイズの言葉に反応した霊夢に対し、ルイズはそんな事を言って返す。

 二人が会話し始めたのを切欠に、炭酸入りレモン水を飲んでいた魔理沙も面白そうだなと感じて会話に混ざってきた。

 

「にしても、ここのパンケーキは変わってるんだな~。あんなに色々と乗っけてるヤツを見たのは正直初めてだったぜ」

「実際私もあんなのは初めて見たわね。もっとこう…私の想像してたパンケーキはシンプルな感じだったのよね」

 ルイズはそんな事を言いながら、頭の中でメープルシロップとバターがトッピングされた分厚いパンケーキを想像してしまう。

 学院に入る前、そして入った後にも何度か食べた事のあるそれは、あのパンケーキ程ド派手ではなかった筈である。

 改めて世の中の広さを再認識した所で、アイスティーに口を着けていたシエスタも嬉しそうに話しかけてきた。

 

「私もシンプルなのは好きですが…アレだって中々負けていないでしょう?」

「そうなのよねぇ~…ちょっと色々味を付け過ぎな感じもするけど…特にしつこいって所はなかったしね」

 シエスタの言葉にそう返しながら、ふとルイズは今いる場所から劇場を軽く見回してみる。

 自分たちが今いる一階では先ほどまでいたリストランテを含め、軽食などを販売している売店があった。

 シエスタが言うには、お芝居などを見ながら食べられるドリンクやちょっとした料理を注文できるのだという。

 何時ごろ出来たのかは知らないが、少なくともルイズが幼少期の頃にはそういった物は無かった。

 ここは単に芝居や劇を干渉する為だけの施設であり、それ以上でもそそれ以外でも無かった建物である。

 

 しかし、こうして多くの平民たちが劇場へと入っているのを見るには時代が変わったと見ていいのだろうか。

 文明社会としては当然の事なのであろうが、正直ルイズとしては微妙な気持であった。

 トリステインの貴族は伝統としきたりを何よりも愛する、それ故に今のタニアリージュ・ロワイヤル座に対してはどうかと思う所がある。

 本来ならば館内にリストランテや芝居の観賞中に飲み食いできる売店など、許されない筈だ。

 だが…結局のところ、それを是正する筈の貴族達も利用しているのを見るに後世の伝統として残っていくのだろう。

 きっとこれまで築いてきた伝統やしきたりも、当時は受け入れられなかったものなのであろうから。

(実際、私だって劇場内で食べれるパンケーキに喜んでたしね…)

 トリステイン貴族としての理想と現実との板挟みに、ルイズは一人静かに悩むほかなかった。

 

 

 

 その後、腹も満たして一息ついた少女達は暫し劇場内を見学して回る事にした。

 ガイドはいないものの、幸いにもルイズとシエスタの二人という劇場に足を運んだ者たちがいるのである。

 最も、ルイズは幼少期の頃に足を運んだっきりな為、当時と比べかなりリニューアルされている館内を興味深そうに見回していた。

「へぇ~…あちこち変わってるのねぇ、てっきり変わってないままかと思ってたけど」

 チケット売り場の近く…円形に置かれているソファに腰かけながら、彼女は出入口の真上に掛けられた大きな絵画を眺めている。

 それは恐らく近くの噴水広場から描かれたであろう、タニアリージュ・ロワイヤル座の大きな油絵であった。

 ほんの気持ち程度であるがライトアップされている為、劇を見終えて出るときにはその絵に気付く人は多いだろう。

 少なくとも幼い頃に両親連れられてきたときには、あのような迫力のある絵画は飾られていなかった筈である。

 

 今ルイズが腰を下ろしているソファもまた、彼女の記憶には無かった物だ。

 昔のロビーは今の様にそこら辺に落ち着いて座れる椅子やソファなど無く、お客さんは全員立ちっぱなしであった。

 流石に観賞用の席はあったものの、劇が始まるまではロビーで佇み好きで、足が疲れてしまった腰は何となく覚えている。

 そして長い事立ち続けられず、ロビーの隅でひっそりと腰を下ろしていた老貴族達の姿も記憶の片隅に残っていた。

 幼いながらも当時は少し可哀想と感じていた彼女は、自分と同じように腰を下ろして休んでいる貴族達を見回してみる。

 貴族も平民も皆購入したチケットを手にソファに座り、書かれた番号の劇場が開くまで談笑したりして一息ついている。

「……成程、時代に合わせてリニューアルっていうのも…悪くないものなのね」

 そんな事を一人呟いていると、チケット売り場の方からやや大きめなシエスタの声が聞こえ来た。

 思わずそちらの方へ視線を向けてみると、霊夢と魔理沙…ついでにデルフを相手に色々と案内しているらしい。

 

「ここがチケット売り場です。ここで観たい劇や演奏会のチケットを買うんですよ」

「おぉー!夏季休暇という事だけあってか、結構な列ができてるな~」

 シエスタの指さす先、幾つもの行列が出来ているそこへと目を向けた魔理沙も何故か嬉しそうな声を上げる。

 彼女の言うとおり、今は夏季休暇という事あってかその時期限定の劇や演奏会を見ようと客たちが列を成していた。

 ふとよく見てみると、平民と貴族の列が一緒になっているようで列によってはチラホラとマントを羽織った貴族の姿も見える。

 ここもまた記憶に違う所だ。昔は平民と貴族で列が分けられていたのだが、どうやら今は一緒くたになっているようだ。

 先ほどソファの事で喜んでいた彼女は一転表情を曇らせ、流石にあれはどうなのかと難色を示していたる

 

 しかし、よくよく見てみると貴族たちの方は皆揃いも揃ってマントと服がいかにも安物である事に気が付く。

 安い店でズボン、ベルトでセット売りにされてるようなブラウスを着て、安い布で仕立てられたようなマントは薄くて破れやすそうだ。

 そして今いる位置では後ろ姿しかみえないが、恐らく自分よりも四、五歳程度の若者なのであろうと推測できる。

 そこから見るに、平民と同じ列に並んでいるのは貴族…であっても、下級貴族であろうとルイズは断定した。

 成程。平民と同じ通りのアパルトメントに暮らし、国からの給付金も少ない彼らは劇を見るにも平民席を選ばざるを得ないらしい。

 ルイズは一人納得したように頷きつつ、その顔には貴族であるというのに生活に困窮している彼らに同情の気持ちを浮かべる。

 

 その下級貴族達とは天と地の差もあるであろう名家のルイズが一人頷くのを余所に、霊夢は列を見てため息をついていた。

「よくもまぁ、あれだけ面倒くさそうなのに並べられるわねぇ…劇とかそういうのって楽しいのかしら?」

『そりゃあ文明人ならそういうモノに惹かれるものさ。普段は本でしか読めない様な物語を、役者が再現してくれるんだからな』

 霊夢の言葉に対し、まるでお前は文明人じゃないと言いたげなデルフの物言いに彼女はムッとした表情を浮かべる。

 そして文句を言おうと背中に担いだ彼に顔を向けようと上半身を後ろへ向けようとした、その時であった。

「言ってくれるわねぇ?剣の癖に…って、わわっ…と!」

「おっと!」

 

 体を捻ったタイミングが悪かったのか、丁度通りがかった初老の男性貴族とぶつかってしまったのである。

 幸い二人とも転倒する事無く、その場で軽くよろめく程度で済んだのは幸いであろうか。

 何とか転ばずに済んだ霊夢はホッと一息ついた所で、彼女の声で気が付いたルイズ達が傍へと駆け寄ってきた。

「ちょっとレイム、アンタ何やってるのよ!」

「…?そんな怒鳴らなくても大丈夫よルイズ、良くも悪くもコイツのお蔭でバランスが取れたようなもんだから」

『オレっちって重りになるか?結構軽めだっていう自信はあるんだがな』

 怒鳴るルイズの意図に気付かず首を傾げる霊夢は、そう言って背中のデルフを親指で指してみせる。

 どうやら本人は誰にぶつかったか知らないらしい、そこへすかさずシエスタが指摘を入れてくれた。

 

「違いますよレイムさん、後ろ…後ろ!」

「後ろ?……って、あら。もしかしてアンタがぶつかってきた張本人なの?」

「逆よ逆!」

 顔を合わせて真っ先に自分は悪くないと主張する彼女に、ルイズは反射的に突っ込みを入れる。

 その際に大声を出してしまったせいか、周りにいた人々が何だ何だと彼女たちの方へと視線を向け始めた。

 彼らは皆、声の中心にいた者達から何となく状況を察した者からざわざわとよどめき始める。

「なぁシエスタ、何か周りの人間が私達の方を見てる様な気がするんだが…いや、こりゃ見られてるな」

「そ、そりゃ当り前ですよ…!」

 視線に気づいたもののその意味が分からぬ魔理沙とは対照的に、シエスタは焦っていた。

 今の時代、貴族にぶつかっただけで無礼打ちに遭う平民は消えたものの、それは即座に謝ればの話だ。

 もしもぶつかった貴族に失礼な態度でも取ろうものならば…死ぬことは無いにせよ、確実に痛い目に遭ってしまう。

 

 そんな事など微塵も知らないであろう霊夢は、ようやく自分が悪いのであろうと理解する。

「あー…何かこの感じ、私が悪いって事で正解なのかしら?…って、わわわわ!ちょっと、胸倉掴まないで…!」

「なのかしら…じゃなくて!アンタが百パーセント悪いのよ!」

『オレっちは剣だから使うヤツが悪い…って事で、見逃してくれよな』

 胸元を掴み上げながら怒鳴るルイズの迫力に、流石の霊夢もたじろいでしまう。

 そこへすかさずデルフが無実を主張するという…、カオスな光景を前にして、ぶつかられた初老の貴族が声を上げた。

 

「あー…そこの桃色ブロンドの御嬢さん。私は平気だから、そこの黒髪の娘を放してあげなさい」

 その言葉にルイズと霊夢はおろか、魔理沙やシエスタもえっと言いたげな表情を浮かべた。

 特にルイズは自分の耳を疑っているのか、初老貴族の方へ顔を向けると目を丸くしている。

「え?…えっと?…その、もう一度言ってもらえませんか?」

「だから私は平気だから、放してあげるといい。…不可抗力の事なら、怒るのも理不尽というヤツだしね」

 聞き直してきたルイズにも丁寧で、かつ優しげな笑みを浮かべながら言いなおす。

 彼女に胸倉をつかまれていた霊夢も、てっきり怒られると思っていたばかりに怪訝な表情を見せている。

 

 

 …その後、ルイズの手から解放された霊夢が頭を下げて謝った事でその場は何とか収まりを見せた。

 あの優しい初老の貴族は霊夢達に向けて、まるで自分の孫娘に知恵を授けるように…

「私のように優しい貴族は少ないだろうから、これからは気をつけなさい」

 …と言って、これから急ぎの用事があるからと言って劇場の奥へと早足で立ち去って行く。

 その後ろ姿を見て許されたのだと理解したルイズはホッと一息つき、シエスタは今に泣き出しそうな表情を浮かべてその場で腰を抜かしてしまった。

 霊夢も霊夢で二人の様子を見て、これからは少しだけ気を付けようと珍しく反省の心を見せている。

 彼女たちを見ていた群衆たちもホッとしたり、つまらなそうな表情を浮かべて自分たちのするべき事へと戻っていく。

 

 アクシデントを避けられた事をルイズを含めた大勢が静かに喜ぶ中、魔理沙だけはマイペースであった。

「いやー、あの博麗霊夢が頭を下げて謝る姿を拝めるとはな。滅多にお目に掛かれぬ光景だったぜ」

『流石マリサだ。一触即発の空気だったっていうのに、物見遊山の気分だったとは』

「まぁホラ、あれだよ?喉元過ぎれば何とかってヤツさ」

「アンタねぇ…」

 何事も無かったかのように笑う魔理沙を見て流石のデルフも呆れてしまい、ついで霊夢もムッとした表情を浮かべる。

 しかし彼女が突っかかろうとする前に、その必要は無いと言わんばかりにルイズの怒鳴り声が魔理沙に襲い掛かってきた。

「ちょっとマリサ!もしかすればとんでもない事になってかもしれないっていうのに、何なのよその態度はッ!」

「え?あ、いや…ま、まぁ良いじゃないか?そのとんでもない事になってたかもしれないっていうのは、過ぎた事なんだし…」

「あんな事故、レイムじゃなくてアンタだったとしても起こり得る事なんだから!アンタも気をつけなさいって言いたいのッ!」

 そんな風にして一分ほどルイズの説教が続いた所で、流石の魔理沙もこれは堪らんと感じたのだろう。

 「分かった、分かった!悪かったよ」と両手を挙げた所で、ルイズもようやく怒鳴るのを止めた。

 

「はぁ…はぁ…何か、久しぶりに怒鳴った気がするわ…」

「で、でもミス・ヴァリエール。こんな所で怒鳴るのはマナーに反するんじゃ…」

 顔から汗を垂らし、肩で息をする自分へ投げかけられたシエスタの言葉でルイズはハッと我に返る。

 そして周囲を軽く見回した所で、怒鳴った事を誤魔化すようにゴホンと軽く咳払いしてみせた。

 

 

 

 

「ま、まぁ分かったのならそれでいいわよ…!…以後気を付けなさい」

「ルイズが言うなら仕方ない、心の片隅に留めておくぜ」

「まぁ一々こんな騒ぎが起こるっていうんなら、気を付けた方がいいわよね」

 魔理沙に続くようにして霊夢も頷きながらそう言ってくれたおかげて、ルイズも説教を終える事ができた。

「ふぅ…!さてと、ちょっと脱線しちゃったけど…シエスタ、他に案内したい場所ってあるかしら?」

「え?あ、あぁすいませんミス・ヴァリエール…!え、えっとその…後、一つだけあります!」

 何故謝るのだろうかという疑問は捨てて、ルイズはシエスタが次につれて行く場所がどこなのか聞こうとする。

 

 

 

 

「―――――……イズ!ルイズッ!」

 ――――――…その時であった。劇場の喧騒に負けないと言わんばかりに、

 彼女の耳に聞き慣れた…けれど久しく耳にしていなかった「あの声」が、必死に自分の名を呼んでいるのに気が付いたのは。

 

 

 

 

 

 幼い頃から一日をベッドの上で過ごし、いつも領地の外の世界を夢見ていた儚くも美しい家族の声。

 声を耳にしただけで、自分よりも綺麗で長いウェーブの掛かったピンクのブロンドが脳裏を過っていく。

 家族の中では誰よりも優しく、幼少から落ちこぼれであった自分に寄り添ってくれた大切な人。

 そして…今自分が誰よりも探していたであろう彼女の声に、ルイズは勢いよく後ろを振り返った。

 

 振り返った先に見えるは、先ほどシエスタが霊夢達に紹介していたチケット売り場。

 先ほどまで自分たちに視線を向けていた人々は再び売り場へと視線を戻し、列を作ってチケットを買い求めている。

 ルイズは鳶色の瞳を忙しなく動かし声の主を探る。右、いない。左、ここもいない。

 今のは幻聴だったのか?やや早とちりともとれる考えが脳裏を過ろうとした所で、ふと彼女は視線を上へ向ける。

 チケット売り場の真上は二階の貴族専用席へと続く廊下があり。ロビーからでも廊下を歩く貴族たちの姿を見上げられる。

 

「……あっ」

 そして彼女は真っ先に見つけた。廊下の手すりを両手で掴み、こちらを見ている桃色の影を。

 自分よりも立派なピンクのブロンドウェーブが揺れて、陽の光に照らされている。

 彼女もまたルイズが自分を見つけてくれた事に気が付いたのか、ニッコリと優しい笑みを浮かべた。

 花も恥じらう程の笑顔…とは正に、彼女の為にあるような言葉なのではとルイズは錯覚してしまう。

 そんな気持ちを抱きながらも、ルイズは自分を見下ろす彼女の名…ではなく、幼い頃から使っていた愛称を大声で叫んだ。

 

「ちいねえさま?…ちいねえさまッ!!」 

「……ッ!あぁルイズ!やっぱり貴女だったのね、小さなルイズ!」

 突然の大声に今度は霊夢達が驚く中、カトレアは眼下の少女が自分の妹であった事に喜び、更に呼びかける。

 今までどれだけ心配していたかというルイズの気持ちを知らずして、小さな妹の名を呼び続けた。



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第九十六話

 タニアリージュ・ロワイヤル座の二階は一階ロビーとはまた別にラウンジが用意されていた。

 下の階ほど広くは無いが、貴族専用であるためか幾つかの観葉植物とソファーが置かれているさっぱりとした造りである。

 基本的に二階の観覧席等に平民は座れず、また下級貴族にとっては少し高いと感じる値段なのだろうか、

 二階にいる者たちは皆しっかりとした身なりをしており、立ち振る舞いのそれは立派なトリステイン貴族だ。

 チケット売り場も二階に移設されているので、少し小腹を満たそう…と思わない限り一階へ降りることは無い。

 精々手すり越しにロビーのあちこちを眺めつつ、劇を観終ったらあそこで紅茶でも飲もう…と考える程度であった。

 紳士淑女達は下の喧騒とは対照的に穏やかに会話し、両親に連れられた子供たちは静かに上演時間を待っている。

 

 そんな時であった、ふと一階ロビーへと下りられる階段の方から騒ぎ声が聞こえてきたのは。

 まだ年若い…それこそ学生と言っても差し支えない少女の怒鳴り声と、警備員であろう青年との押し問答だろうか。

 何だ何だと何人かがそちらの方へ視線を向けると、案の定その押し問答が丁度階段の前で行われていた。

「ちょっと、アンタ何してるのよ?通しなさい!」

「困りますお客様!こちらは貴族様方専用のラウンジがありますので、立ち入りの方は…」

「アンタねぇ…!私の髪の色だけで私が誰なのか理解しなさいよッ!」

 少女はウェーブの掛かったピンクのブロンドヘアーを振り乱しながらそう叫んでいる。

 その髪が目に入った貴族たちは瞬間目を丸くし、一斉に互いの顔を見合わせながらざわめき始めた。

 トリステインの貴族であるならば、文字の読み書きを覚え始めた子供でも知っているからだ。

 あの髪の色が、この国において王家と枢機卿に続く権威を持つ公爵家の証であるという事を。

 

 しかし入って間もなく、地方から出稼ぎで王都へ来た年若い警備員は知らないのか酷く困惑している。

 そんな彼でも目の前を少女を目にした背後の貴族達がざわめき始めたのに気が付き、焦りに焦ってしまう。

 もしもここで下手な対応をすればクビの可能性もあるし、安易に通してしまえばクレームが飛んでくるかもしれない。

 突然の選択肢と、尚も怒鳴る少女を前に彼は焦燥感に駆られて、自分一人では対処できないと断定した。

 そうなれば次にする事は応援の要請…彼は通せと怒る少女に両掌を見せて、焦りの見える声でしゃべり始める。

「で、では少々お待ちくださいませ。今上の者を呼んでまいりますので、暫しのお待ちを…」

 

 

「ルイズ!」

 そんな時であった。ラウンジから少し奥の通路から少女同じ色の髪を持つ女性が走ってきたのは。

 彼女よりも長く手入れの行き届いたピンクブロンドがシャランと揺れて、周りにいる人々の視線をそちらへと向けさせる。

 走るには適していないロングスカートの中で足を必死に動かし、女性は少女の許へと近づいていく。

 彼女の姿は紛う事無き美しさに満ちていたが、同時に砂上の楼閣の様な儚さを垣間見る者たちも何人かいた。

 そして彼らはハッとする。今女性が発していた少女の物と思しき、ルイズと言う名に酷く聞き覚えがある事を。

 もしも彼女が口にした名前が少女の物であるならば、あの二人は、まさか…?

 そう思っていた彼らに答えを提示するかのように、自身の名を呼ばれた少女――ルイズは叫んだ。

 

「ちいねえさま!やっばりちいねえさまなんですねッ!?」

 彼女は自分の前に立ちはだかっていた警備員の横を無理やりすり抜けて、ラウンジの中へと入っていく。

 そして自分と同じように走り寄ってくる女性――カトレアの腰を掴むようにして、熱い抱擁をした。

「あぁルイズ!間違いなく貴女なのね?私の小さな妹!」

 カトレアもまた、目の前にいる少女が自分の妹なのだと改めて分かり、同じく熱い抱擁を返す。

 この時身長差故か、丁度彼女の豊かな胸がルイズの顔にギュッと押し付けられたのはどうでも良い事だろう。

 

 二人の熱い再会を余所に、周りにいた貴族たちは両者の名前を耳にしてまさかまさかと顔を見合わせている。

 あのピンクのブロンド…やはりあの二人は、この国にその名を轟かせるヴァリエール公爵家の姉妹…!

 まさかこんな所でヴァリエール家の者たちと出会う等と思ってもみなかった彼らは、ただ驚くほかなかった。

 しかし…そんな彼らに驚く暇さえ与えんと言わんばかりに、今度は数人分のざわめきが一階からやっくるのに気が付く。

 今度は何だと思い何人かがルイズとカトレアから目を放しそちらへ視線を向けて見てみると、見た事の無い紅白の服を着た黒髪の少女がそこにいた。

 先程までルイズを通らすまいと奮闘していた警備員はもう無理だと感じたのか、階段の隅っこで縮こまってしまっている。

 そんな彼を無視して、黒髪の少女は乱暴な足取りでラウンジへと入り、ルイズ達の方へ近づいていく。

 マントを着けていない故に貴族ではないと一目見て分かるが、かといってただの平民には見えない。

 では役者かと大勢がそう思った時、その黒髪の少女が心地よさそうに抱き合っているルイズへと声を掛けた。

 

「ちょっと、ちょっとルイズ!何…って、誰よその女の人は」

 彼女の近くにいた貴族たちは、思わずギョッとしてしまう。

 例え王家であっても余程の事は無い限りある程度の礼節を持って接する程、ヴァリエール家は古くからこの国に貢献している。

 だからこそ、そんな事実など微塵も知らぬかのように乱暴に呼んだ黒髪の少女に、驚かざるを得なかったのだ。

 きっととんでもない事になるに違いない…と思っていた所、呼ばれた本人であるルイズは平然とした様子で黒髪の少女へと話しかけた。

「…え?あ、レイム!見つけたのよ、行方不明になってたちいねえさまを…ホラ!」

「え?ちいねえさま…って、全然「ちい」っていう感じには見えないんだけど…」

 公爵家の末娘にレイム…と呼ばれた黒髪の少女――霊夢はルイズと抱き合っているカトレアを見て首を傾げてしまう。

 一方のカトレアは、ルイズの口から出た不穏な単語を耳にして怪訝な表情を浮かべてしまう。

 

 突然の事に驚くあまり、ただざわめく事しかできないほかの貴族達であったが、

 そこへ更に畳み掛けるようにして、今度は一階にいた魔理沙とシエスタの二人もラウンジへと入ってきたのである。

「ルイズ、いきなりどうした…って、おぉ!何か色々と大きくなったお前のそっくりさんみたいなのがいるなー」

「ちょ…ちょっと皆さん駄目ですよ!こ、ここは貴族様専用のラウンジだっていうのにぃ~…」

 トンガリ帽子を被ったままの魔理沙はルイズとカトレアを見比べて、そんな事を言っている。

 一方のシエスタは今いる場所が二階の貴族専用フロアだとしっている為か、顔を青ざめさせていた。

 今にも泣き出してしまいそうな彼女の姿は、他の貴族達からしてみればいかにもな平民の反応である。

 

 平然としている霊夢達に対し、シエスタが焦りに焦っていると、一階から数人の警備員たちが駆け込んできた。

「コラァー!お前たち、ここは貴族様方専用のエリアだぞ!さっさと一階に戻らんか!」 

「ひぃっ、御免なさい!ワザとじゃないんです!これにはワケが…」

「言い訳は下で聞くとして、ひとまずそこの紅白と黒白…お前たちも来い!」

 警棒を片手に怒鳴る年配警備員の怒声に、シエスタは悲鳴を上げて頭を下げてしまう。

 そんな彼女の言葉を他の若い警備員が遮りつつ、霊夢と魔理沙にも下へ降りるよう呼びかけた。

 シエスタは今にも首を縦に振って従いそうであったが、それに対してその紅白と黒白は「何だコイツ?」と言いたげな表情を浮かべている。

 

 警備員たちも大事なお客様である貴族たちの前か、何が何でも一階へと下ろそうという気配が滲み出ている。

 まさか、このラウンジで一悶着が…という所で、警備員から見逃されたルイズが口を開いた。

「待ちなさいあなた達!そこの三人は私の知り合いよ?私の許可なく連れて行くのは許さないわ」

 突然の制止に年配の警備員がムッとした表情を彼女へと向け、そして気が付く。

 身なりとしてはやお洒落な服を着ている平民の少女に見えたが、その髪の色と鳶色の瞳を持つ顔で思い出したのである。

 従業員たちの間に配られている『重要顧客リスト』の中に、彼女と同じ顔を持つ公爵家令嬢の似顔絵があった事を。

 

「…!あ、あなた様はまさか…」

「騒がせてしまった事は謝るわ。けれどつれて行くのは勘弁して欲しいの、それでよろしくて?」

 咄嗟に敬語へと変えた年配の彼が言おうとした事を遮りつつ、ルイズは命令を下す。

 それは普段霊夢達と過ごしているルイズとは違う、ヴァリエール公爵家令嬢としての命令。

 例え平民の服を着て、マントを外していたとしてもその姿勢と言葉には確かな力が垣間見えている。

 長年劇場で働き、様々な貴族を見てきた彼は暫し無言になったのち、ルイズの前で気を付けの姿勢を取って言った。

 

「失礼しました!貴女様の付人なら、我々もこれ以上干渉は致しません」

 隊長格である彼の言葉に後ろにいた後輩たちがざわめく中、ルイズは「よろしい」と満足そうに頷いた。

「じゃあ通常業務に戻って頂戴。色々と騒がせてしまったわね」

「いえ、何事も無ければ問題ありません。…ホラお前たち、下へ戻るぞ。…お前はさっさと壁から背を離せ」

 ルイズからの謝罪を笑顔で受け取った年配の警備員は笑顔で頭を下げると、後輩たちを連れて下へと戻っていく。

 ついで状況に置いてかれ、階段の上で硬直していた見張りの警備員をどやしつつ、彼は階段を降りて行った。

 何人かの後輩警備員たちはルイズをチラチラと見やりつつ、渋々といった様子で先輩の後をついていく。

 

 それから数秒が経ったか、もしくは一、二分程度の時間を所有したのかどうかは定かではない。

 人が変わったかのように丁寧な対応をしたルイズに驚いていた魔理沙は、恐る恐るといった様子で彼女に話しかけた。

「あ、あのさ…、お前本当にルイズなのか?」

「…?なに頭おかしい事言ってるのよ、私は私に決まってるじゃない」

「やっぱりルイズだったか。うん、何だか安心したぜ」

 ある意味失礼極まりない魔理沙からの質問に、先程とは打って変わっていつもの調子でルイズは言葉を返す。

 それを聞いた魔理沙は安心し、ついで霊夢も納得したかのようにウンウンと頷く。

「成程。さっきの変に丁寧過ぎる対応も含めてアンタなのね」

「……一応私も貴族何だから、滅茶苦茶失礼な事言ってるって事は自覚しておきなさいよね?」

 人を誰だと思っていたのかと突っ込みたくなるような事を言う巫女さんにそう言いつつ、ルイズはシエスタの方へと視線を向ける。

 そこにはすっかり腰を抜かして、尻餅をついてしまっている彼女の姿があった。 

 

「シエスタは大丈夫…じゃなさそうね」

「ひえぇ…み、ミスぅ~」

 今にも泣きそうなシエスタに、ルイズはどういう言葉を掛ければ良いか悩んでしまう。

 何せ彼女にとって貴重な休日を潰してまで霊夢達に街を案内してくれたというのに、それが大事になってしまったのだ。

 ひとますせ腰を抜かしてしまってい彼女を起こして、それからカトレアの事について話せるところまでは話してみよう。

 そう思った彼女が手を差し伸べる直前、その真横がスッとルイズのものでない女性の手が差し伸べられた。

 えっと思ったシエスタが顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべるカトレアがルイズの横に立っていた。

 

 最初はその差し出された手の意味が良く分からず、ほんの数秒間硬直していたシエスタであったが、

 すぐにその手が自分に向けられてる事に気が付いたのか、彼女は慌てて立ち上がりカトレアに向けて勢いよく頭を下げた。

「も、もうしわけありません!貴族様の御手を煩わせるような事をしてしまい…」

「いえ、私の方こそ御免なさいね。色々驚かせてしまったようで…」

「え…?そ、そんな滅相も…!……ん、あれ…?」

 謝罪を途中で止めたカトレアの言葉に、シエスタは尚も食らいつくようにして謝ろうとする。

 その時に下げたばかりの頭を上げようとした直前、彼女はカトレアの顔を見てハッとした表情を浮かべた。

 

 暫し顔を上げた状態のまま固まったシエスタは、ゆっくりと彼女へ質問をした。

「もしかして…ミス・フォンティーヌさん…なのですか?」

 その言葉にカトレアの隣にいたルイズはえっ?と言いたげな表情を浮かべ、次いでシエスタの方へと視線を向ける。

 どうしてシエスタがちいねえさまの事を…?そんなルイズの疑問を解決させるかのように、カトレアはニコリと微笑んでこう言った。

「ふふ…ようやく思い出してくれたのね。タルブ村のお嬢さん?」

「…!やっばり、貴女さまだったのですね!」

 その口から出た言葉にシエスタは満面の笑みを浮かべ、先ほどとは打って変わってカトレアと優しい握手を交える。

 カトレアの両手を自分の手で包み込むようにして握手して、互いに優しくも柔らかい笑みを浮かべ合う。

 

 突然の事に今度はルイズが驚く番となり、霊夢達もカトレアの言った言葉に目を丸くしていた。

「…今のは何かの聞き間違いか?今シエスタの事を、タルブ村のお嬢さんだって…」

「えぇ、言ってたわね。そこん所は私の耳にもハッキリと聞こえたわ」

『いや~…こいつはおでれーた。良く世界は広いよう狭いって言葉を耳にするがねぇ~』

 これには霊夢だけではなくデルフも驚いているのか、彼女に続いて鞘から刀身を少しだけ出して呟いた。

 それに続く…というワケではないが、カトレアの発言に驚いていたルイズも和気藹々と再会を喜ぶ二人を見ながら口を開く。

「まさかあの村の名前を今になって聞くだなんて…思ってもみなかったわ」

 タルブ村…それは今のルイズ達にとって、一つの契機とも言える事態が重なり合った場所だ。

 多数の羽目らと戦い、霊夢がガンダールヴとして力を発揮してワルドと死闘を繰り広げ、キュルケ達に霊夢らの正体がバレ…。

 そして…――――――今まで長い間休眠状態であった、自分の虚無がその力を見せてくれた場所なのだから。

 

 まさかあのシエスタが、あの村の出身者などとルイズ達は夢にも思っていなかったのである。

 驚きの中にある彼女たちをよそに、シエスタは久しぶりに見るカトレアとやりとりをしている。

「心配しましたよミス・フォンティーヌ。急にゴンドアから姿を消してしまったんですから、領主のアストン伯様も心配してましたし」

「それは御免なさいね。本当は挨拶でもして立ち去ろうと思ってけど、あの時はアストン伯も多忙そうだったから」

「それならそうと言ってくれれば、アストン伯様もちゃんと時間を取ってくれたと思いますが…」

「わざわざ私なんかの為に時間を取らせるのも悪いと思っただけよ」

 その話を横で聞いていたルイズは、今になってカトレア失踪の秘密を知る事となった。

 やはりというか何というか…、相も変わらず自分の二番目の姉は色々と人を心配させているらしい。

 昔から彼女はこうであった。自分の事など気にしないでと言いつつ、勝手にフェードアウトしてしまう事が多かった。

 

 別の領地から父や母、姉の知り合いたちが遊びに来た時も気づいたらフラッと自室に戻ってしまう事があり、

 自分がいては迷惑になってしまうと思っているのか、パーティの類にも殆ど出た事が無いのである。

 更に父から領地を受け賜わっており、それに合わせて名字も変えている所為で彼女がヴァリエール家の人間だと気づかない人たちもいるのだ。

 本人もわざわざ進んでヴァリエール家の者だと名乗らないため、相手も「あーヴァリエールの隣の…」という認識しか持たずに接してしまう。

 結果的に初めて彼女を前にして、その特徴的な髪の色を見てもしや…と思い尋ねたところで発覚する…という事も度々あるらしい。

 

 恐らくシエスタの言っている件も、あの戦いの後処理に追われていたアストン伯の事を思ってなのだろう。

 本人は最善を尽くしたと思っているのだろうが、自分を含めて周りの人間を酷く心配させてしまうのが彼女の短所でもあった。

 それを幼少期の頃から知っていたルイズは安堵のため息をついてしまい、相変わらずな姉に注意をする。

 

「シエスタの言うとおりですよ、ちいねえさま?私だって凄く心配したんですから」

「あら、御免なさいねルイズ。確かに色々と大変だったけど、こうして無事にいられるなら何よりよ」

「そんな事無いですよ!だって大変だったっていっても…あんなに怪物だらけな状況になってて………あ!」

 自分の注意を笑って誤魔化すそうとする彼女に注意するあまり、ルイズは自分の口が滑った事に気が付いてしまう。

 そしてルイズの言ったことで気づいたのか、カトレアとシエスタは彼女に怪訝な表情を向けている。

 

 タルブ村を襲った怪物…つまりキメラに関してはまだ世間に公表されていない。

 平民はおろか、この劇場内や街中にいる貴族たちですらあの村に起こった出来事を知らないのだ。

 その事実を知っているのは軍部かその他の関係者…つまりタルブ村にいた人々ぐらいなものである。

 カトレアとシエスタの二人は、あの夜ルイズ達がタルブにいたという事実をまだ知らない。

 もし知られてしまったら、シエスタはともかくカトレアからは間違いなく「何て危険な事を…!」とお叱りを受けるだろう。

 どうしようかと考えるハメになったルイズが思わず霊夢達へ視線を向けようとした時、背後から声が聞こえてきた。

 

「カトレア―…ってあれ?アンタ達、何処かで見た様な…」

 初めて聞く声ではないが、まだ聞き慣れていない女性の声にルイズだけではなく、霊夢達もギョッとしてそちらへ視線を向ける。

 カトレアとルイズの背後…劇場二階の貴族専用のお手洗いへと続く曲がり角の前で、巫女装束を着た女性――ハクレイが立っていた。

 その左手で見た事の無い幼女の手を引いて出てきた彼女は、カトレアの傍にいるルイズ達を見ながらそんな事を聞いてくる。

「……ッ!」

 その姿を視認した直後、微かな頭痛を感じた霊夢が痛みで目を細めてしまう。

 まるで直接脳を針でチョンチョンと刺されているかのような、決して無視できない程度の頭痛。

 痛みのあまり思わず人差し指で額を抑えていると、魔理沙とデルフがその異変に気が付いた。

「ん?おいおいどうした霊夢、急に辛そうな様子なんか見せて」

「別に…何でもないわよ。ただちょっと、急に頭が痛くなったというか…」

『急に?…って、そういや前にもこういう事なかったけか?』

 一人と一本の心配を余所に、霊夢は急な頭痛と戦いながらもハクレイの方をジッと睨み付ける。

 相手もそれに気づいたのかハッとした表情を浮かべて、彼女の方へと顔を向けてきた。

 

 暫しジッと見つめていたハクレイであったか、何かを思い出したのか「あぁっ!」と声を上げた。

「…やっぱり!アンタ達、タルブ村でカトレアを助けに来たっていう子と一緒にいた――――…って、イタァッ!?」

 最後まで言い切る直前、突如前方から投げつけられた空き瓶が彼女の額に直撃する。

 瓶が割れる鋭い音が周囲に、次いでハクレイが勢いよく仰向けに倒れる鈍い音が辺りに響き渡った。

 彼女が手を繋いでいた幼女――ニナは突然の事に「え、えぇ…!?」と目を丸くして驚いている。

 これには霊夢と魔理沙、それにデルフだけではなく流石のカトレアも両手で口を押えて驚愕するしかない。

 一体何が起こったのか瓶が投げつけられたであろう方向へと目を向けると、そこには荒い息を吐く妹の姿があった。

 

「そういえば…アンタもあの時いたのよねぇ…!」

「る、ルイズ!?あなた、何を…ッ」

 そこら辺に置いてあった空き瓶を投げつけたであろう彼女は、右手を前に突き出した姿勢のまま一人呟く。

 彼女の傍には空き瓶の持ち主であった青年貴族が、何が起こったのかとルイズとハクレイの二人を必死に見比べている。

 明らかに自分の妹が投げつけたのだと理解して、カトレアも大声を出してしまう。

 魔理沙は隠そうとするどころか自らカミングアウトする形となってしまったルイズに、あちゃ~と言いたげな苦笑いを浮かべていた。

「あららぁ…ここぞという所で、私達の知ってるルイズが出ちゃったな」

「出ちゃったな…じゃないですよ!?あわわわ…と、とりあえずお医者様を呼ばなきゃ…!」

『いやぁ~それには及ばないぜ?見ろよあの女を、頭に瓶が当たったっていうのにピンピンしてるぜ』

 魔理沙とは対照的に慌てるシエスタを宥めるかのようにデルフがそう言うと、

 痛みに堪えるかのような呻き声を上げつつ仰向けに倒れていたハクレイがヒョコッと上半身を起こしたのである。

 

「イテテテッ…!ちょっと、いきなり何すんのよ?」

「…!アンタねぇ、それはこっちのセリフよ!」

 当たった個所が多少赤くなっているものの、ハクレイは何もなかったのかのように平然としている。

 それが癪に障ったのか、いつもの調子に戻ったルイズはズカズカと足音を立ててハクレイの元へと歩いていく。

 鬼気迫る表情で歩く彼女は余程怖ろしいのか、周りにいた貴族たちは慌てて後退り彼女へ道を譲ってしまう。

 ハクレイの傍にいたニナもヒッ…と小さな悲鳴を上げて、彼女の背中へそさくさと隠れた。

「折角人が隠し通そうとしたところに…何で!空気を読もう…って事ができないのよぉ!」

「く、空気…!?空気って一体何の…って、あわわわわ!」

 ハクレイの抗議など何するものぞと言わんばかりにルイズは彼女のアンダーウェアを掴み、強引に揺さぶって見せる。

 ルイズの腕力が凄いのか、それともハクレイの体重が軽いのかただ為すがままに揺さぶられていた。

 

 ニナがそれを見て泣きそうな顔になり、周りの貴族達や霊夢らが流石に止めようと思ったところで…

「る、ルイズッ!止めなさい!」

「え…キャッ!」

 カトレアの制止する言葉と共に、ルイズの体がひとりでに浮き始めたのである。

 丁度地面から五十サント程度であったが、それでも彼女の凶行を止めるには十分であった。

 これにはルイズも堪らず悲鳴を上げてしまい、空中でジタバタと手足を動かすほかない。

 突然の事に霊夢達もハッとした表情を浮かべ、次いでカトレアの手にいつの間にか杖が握られている事に気が付いた。

 

 どうやら妹の凶行を止めようと、自ら杖を用いて魔法を行使したようだ。

 カトレアの『レビテーション』によって宙に浮かされたルイズはまともな抵抗ができぬまま、姉の傍へと飛んでいく。

 そうして自分の近くまで来たところで魔法を解除し、ようやく地に足着けたルイズの両肩をやや強く掴んで叱り付けた。

「駄目じゃないのルイズ、彼女は私の大事な付き人なのよ?それをあんな乱暴に…」

「うぅ…!で、ですが…」

「ですがもヘチマもありません!」

 しかし叱り付けると言っても、大勢の人から見ればそれは出来の悪い生徒を諭す教師のように優しい叱り方である。

 それでもルイズには効いたのか、グッと口から飛び出しそうになった抗議の言葉を飲み込みつつジッと堪えていた。

 

「あ、やっばり貴女も…あの!私の事、憶えてますか?」

「んー?………あっ、アンタは確か…シエスタだったわよね。無事だったの?」

 珍しいカトレアからの叱りを受けるルイズとは別に、霊夢達はハクレイの傍へと寄ってきていた。

 一方のハクレイは自分の方へと近づいてくる少女達に狼狽える中、シエスタが真っ先に彼女へ話しかける。

 少し前に面識があったと言うシエスタの顔を見て、アストン伯の屋敷の地下で出会った時の事をすぐに思い出した。

 そしてハクレイの口から出た相手の名前を耳にして、後ろに隠れていたニナもヒョッコリと顔を出し、パーっと輝かしい笑顔を浮かべる。

 

「あっ!シエスタおねーちゃん!」

「ニナちゃん!良かったぁ、貴女も無事だったのね」

 まさかの再会に両者ともに笑顔を浮かべ、次いで互いに手を取り合って喜んでいる。

 その光景を余所に、魔理沙デルフ…そして霊夢の二人と一本は今になって知った事実を前に呆然としていた。

「……なぁ霊夢。ハルケギニアって幻想郷よりずっと広いと思うが、意外と狭いもんなんだなぁ~」

『いやいや、これは流石に狭いというか…運命の悪戯か何かだと思った方が良いと思うぞ?』

 苦笑いを浮かべ、シエスタとニナの二人を見つめる魔理沙に対しデルフが呆然とした様子で言う。

 確かにこの剣の言うとおりだろう…と、痛む頭を手で押さえながらも霊夢はルイズとカトレアの方へと目を向ける。

 

 まずはじめに彼女の姉がタルブへと赴き、あの戦いに巻き込まれた。

 それより前に送った手紙が原因で、ルイズと自分たちはタルブへと赴く羽目となり、

 何やかんやであの戦いが終わった今――――あの村にいた人間と剣が一堂に会しているのである。

 世界は思ったよりも狭いと言うにはあまりにも狭すぎて、もはや偶然に偶然が重なった結果と解釈した方がまだ説得力があるくらいだ。

「もしも、これが運命の悪戯とかなら…帰ったらレミリアのヤツを問い詰めてやるわ」

 今頃幻想郷で夏を堪能しているであろう紅魔館の主の事を思い浮かべつつ、視線を前へと向ける。

 彼女の目線の先、そこにいたのは…体を起こして自分を見上げる霊夢に気付くハクレイであった。

 互いに細部は違えど紅白の巫女装束を身にまとい、向かい合う姿はまるで…そう――――姉妹の様にも見えた。

 

「…で、少し訊きたいんだけど―――――アンタは一体、誰なのかしら?」

「前にも聞いたわね、その質問」

 何時ぞやの時と同じセリフを耳にして、ハクレイは怪訝な表情を浮かべてそう返すほかなかった。

 

 

 何やら上が騒々しい…。薄暗い天井を見上げながら一人の初老貴族はそう思った。

 どんな事が起こっているのか…とまでは分からないものの、その騒々しい気配だけが天井をすり抜けてくる。

 気配の出所からしてロビーに面した二階からだろうか、それとも一階のロビーなのか。

 先ほど自分とぶつかってしまった少女達の事を思い出そうとしたところで、耳障りな男の声が横槍を入れてきた。

「おや、どうかなされましたかな?」

「……いや、何も。ただ上が騒々しいなと気になっただけだ」

 顔に滲み出ている欲の皮が声帯にまで悪影響を与えているかのような声で尋ねられ、初老貴族は首を横に振る。

 彼の目の前にいる商人風の男は、そのネズミ顔にニンマリとした笑みを浮かべつつ中断してしまった話を続けていく。

 

「では、約束通り貴方の雇い主が゙我々゙に渡したい物を持ってきてくれたという事なのですね?」

「ああ。…これがお前たちの欲しがってる゙書類゙だ」

 初老貴族はそう言って懐に手を入れると、封筒に入れた書類を一枚ネズミ顔に差し出した。

 ネズミ顔は貴族の背後と自分の周囲を見回した後、サッと見た目通りの素早い手つきでその封筒を受け取る。

 そして目にも止まらぬ速さで封を切ると書類を一枚取り出し、これまた目を忙しくなく動かして物凄い勢いで流し読んでいく。

 最後に書類の右端に押された白百合の印がある事を確認してからサッと封筒に戻し、そのまま自分の懐へと入れた。

 

 ネズミ顔はもう一度周囲を見回してから、封筒を渡してくれた初老貴族に笑みを浮かべながら礼を述べる。

「ヘヘ…こいつは上々ですな、まさかここまで質の良い情報を用意してくれますとはねぇ」

「用意したのは私ではなぐ雇い主゙の方だ。…それに、タダでソレを渡すワケではないのは…知っているだろ?」

「そりゃあ勿論」

 おべっかを使っても尚表情崩さない初老貴族にムッとする事無く、ネズミ顔は腰のサイドパックからやや膨らんだ革袋を取り出す。

 それを素早く彼の前に差しだし袋の口を開けると、その中に入っているモノを拝見させる。

 ネズミ顔の持つ革袋の中身は、今にも袋から零れ落ちちそうな程のエキュー金貨であった。

 

「コイツば運び屋゙をやってくれた貴族様の報酬でさぁ。この袋の分だけで、平民の六人家庭が優に一年は暮らせますぜ」

 そう説明するネズミ顔から袋を受け取りつつ、中の金貨が本物であると確認してから懐へと入れる。

 貴族が袋を受け取ったのを見て、ネズミ顔はヒヒヒ…と卑しくも小さな笑い声を上げた。

 その笑い声に顔を顰めながらも、初老貴族は暖かくなった懐を触りつつ聞き忘れていた事を口にする。

「私の分の報酬は貰ったが゙雇い主゙の分の報酬は、無論忘れてはいないだろうな?」

「えぇそれは勿論。あのお方が我らの国へ…ついで『最後の手土産』を持参して来られたのならば、それ相応の褒美と領地を与えましょうぞ」

 とても一商人が与える事のできないような事を言うネズミ顔の言った言葉の一つに、初老貴族は怪訝な表情を浮かべる。

 

「…『最後の手土産』?それは初耳だな」

「おぉっと、口が滑ってしまいしたな。しかしながら、我々も詳しくは聞いておりませんのであしからず」

 …どうやら自分の゙雇い主゙…もとい守銭奴のタヌキ男は色々と秘密を抱えているらしい。

 自分に取引を持ちかけてきた時のふてぶしさを思い出しながら、初老貴族は両手を挙げてそう言うネズミ顔との話を続けていく。

「これで互いに取引は済んだ。後はそちらで言われた通り…」

「分かっておりますよ。アンタはこのままロビーから…で、私はこのまま踵を返して下水道へ…」

 ネズミ顔の言葉に初老貴族は彼の肩越しに見えている、灯りのついていない曲がり角を見やる。

 

 自分の背後で賑わう劇場の一部とは思えぬ程、その角は暗かった。

 この角を曲がって少し歩くと突き当りに大きな扉があり、そこを通ると下水道へと続く道がある。

 本来は有事の際の避難用通路の一つとして造られたものなのだが、今では通路の灯りすら消して放置されていた。

 更に従業員たちも滅多によりつかない為か何処か埃っぽく、通路の端には木箱や予備のイスなどが無造作に置かれている。

 もはや緊急用の避難通路と言う役割は果たせておらず、とりあえずといった感じで倉庫代わりにされてしまっていた。

 そして初老貴族…もとい彼を゙運び屋゙に指定しだ雇い主゙は敢えてここを取引場所として指定したのである。

 

「いやーそれにしても、まさか劇場でこんな取引を大胆に行えるとは…あのお方はこの場所を良く知っておられる」

 ネズミ顔は懐にしまった封筒を服越しに摩りながら、ヘラヘラと笑っている。

 彼が初老貴族から受け取った封筒とその中に入っていた書類の正体…、それは軍からの報告書であった。

 主に王軍の所属から、新しく大規模編成される陸軍の所属となる軍艦の各状態を纏めたものだ。

 船体の状況や武装と設備の変更から、転属に伴う名称変更まで事細かに書類に記載されている。

 中には専門家が読めばその艦の弱点が分かるような事まで書かれており、本来ならば安易に持ち出されるものではない。

 

 実際この書類も全て写しであり、本物は王宮の中枢部にて厳重な金庫の中に眠っている。

 彼がこうして封筒に入れて持ち出せたのは、゙雇い主゙がその書類を確認できる権限を持っているからだ。

 それでも写した事がばれれば、あの地位にいたとしても逮捕からの裁判は絶対に免れないだろう。

 自身に降り掛かるリスクを考慮したうえで、それでもあの゙雇い主゙はこれを取引材料として用意したのである。

 目先の欲に目が無い単なるバカか、捕まらないという自身を持ったヤツでなければここまでの事はできないに違いない。

 

 そしてそれを大金と引き換えに受け取ったネズミ顔の商人も、決して只者ではない。

 この国とも親交が深かったアルビオン王家を討ち、貴族中心の政治体制を敷く事になったかのレコン・キスタからの使者。

 今や神聖アルビオン共和国と大仰に呼ばれる白の国からやってきた、諜報員の内一人なのである。

「先の戦いで艦隊の半分を失ったものの、この書類があれば奴らも我々の苦しみを知る事となるでしょうなぁ…ヘヘ」

 ネズミの様な前歯を見せて笑う男の口ぶりからして、そう遠くない内に何かしら仕掛けるつもりでいるらしい。

 何せ国の平民を盾にした卑劣極まる戦法で王権を打倒しており、更にラ・ロシェールでは不意打ちまでしてきた卑劣漢の集まりである。

 トリステインがガリアやゲルマニアと同じ王軍から陸軍主導の体制へと移る前に、痛手を負わせたいのだろう。

 

 正直初老貴族にとって、彼らの思想自体理解し難いものであった。

(我ら貴族にとって王家とは何物にも代えられない存在、それをないがしろにして何が貴族なのだろうか?)

 目を鋭く細めて睨んでいるのを見て何を勘違いしたのか、ネズミ顔は卑しい笑みを浮かべたまま話しかけてくる。

「どうです?この際貴殿もクロムウェル陛下の治める神聖共和国で働いてみませんかな?」

「あぁいえ結構。このような事に手を染めた身であっても、私はあくまでトリステイン王国の貴族ですので」

 何を言っているのかと悪態をつきたいのを堪えつつ、彼はネズミ顔の提案を一蹴する。

 大体、わざわざ国名に゙神聖゙などという肩書きを付けている時点でまともでは無いと公言しているようなものだ。 

 

 誘いをあっさりと断られつつ、それでもネズミ顔はニヤニヤとした笑みを顔に貼り付けながら話を続けていく。

「ヒヒ…売国行為なんぞに手を染めておいて良く言いなさる。この国もいずれ我らが共和国の一つになるというのに…」

「…むぅ」

 痛い所を突いてくる相手に彼は目を細めるものの、これ以上話しを続けるのは流石に危険だと判断した。

 ゙雇い主゙曰く、ここにはあまり人が来ないそうだが…だからといって話し声を出し続けて良いというワケではない。

 こんな暗い場所でヒソヒソと話し声が聞こえたら、余程用心深い人間でもなければ誰かと訝しんで近づいてくるかもしれないのだ。

 それに、こんな貴族と呼ぶにはあまりにも容姿と態度が卑しいヤツを相手にするのも疲れてきたのである。

 

 初老貴族は軽く二人を見回して周囲に誰もいないのを確認すると、尚も笑っているネズミ顔に解散を告げる事にした。

「とにかく、お互い受け取るモノは受け取ったんだ。これ以上、ここに長居するのは危険だろう」

「んぅ?…確かにそうですなぁ。では今回はここでお開きという事で…」

 相手も彼の言う事の意味を理解したのだろう。軽く辺りを見回してからそう言って、スッと踵を返して歩き始める。

 

 下水道へと続く曲がり角を曲がる際、彼は相手が結構な猫背であったことに気が付いた。

 顔はネズミだというのに猫のように背中を若干丸めて歩く姿は、さながら商人の姿をした浮浪者である。

 貴族たるものならば歩く時の姿勢はおろか、普通に立っている際にも猫背にならないよう厳しい教育をうけるものだ。

 彼自身も幼少の折には両親から厳しく教えられてきたこともあって、今でも猫背にならないよう気を付けている。

 それだというのに、今自分の前を立ち去ろうとしているネズミ顔の何とみすぼらしい後ろ姿か。

 

(貴族は貴族でも、私とは住んできた世界が違うのだろうな…最も、その事を考えたくはないがな)

 最初から最後まで貴族として認めたくない男であったネズミ顔の背中から視線を逸らし、彼もまた踵を返す。

 視線の先には、陽光に照らされた廊下。賑やかな喧騒が聞こえてくる劇場内の通路がある。

 横切る人影はないものの、きっとここを出て角を一つでも曲がればすぐに劇や芝居を観賞しに来た人々に出会えるだろう。

 

 色々と気にかかかる事はあるものの、ひとまず゙雇い主゙から頼まれた仕事を済ませる事は出来た。

 後は報告を済ませてから駅馬車を予約して、手に入れたこの金貨を持っであの店゙へ行けば…『アレ』が手に入る。

 年だけ無駄に取って、領地も金も無い自分には今まで手の届かなかった『アレ』で…遂に長年の『悲願』を達成できるのだ。

(姫殿下とこの国にはとても失礼な事をしてしまったが…全て終わった暁には、自首を――――…ッ!?)

 

 その時であった。背後の曲がり角から、あの卑しい男の悲鳴と激しい足音が聞こえてきたのは。

 何かと思って背後を振り返ると、あのネズミ顔の男が曲がり角から慌てて姿を現した所であった。

 角から完全に姿が出た所で足がもつれたのか、大きなを音を立てて仰向けに倒れてしまう。

 何が起こったのかと聞く前にネズミ顔は隠し持っていた杖を抜いて、曲がり角の方へと突きつけながら叫びだした。

「ち…近づくんじゃねェ!俺はめ、メイジなんだぞ…ッ!?」

 

 身分を隠しての潜入だというのに杖を抜き、鬼気迫る表情を下水道の方へと向けて叫ぶネズミ顔。

 どうしたのかと声をが蹴る隙すら見つからない状況に、彼はただジッと曲がり角の方へと目を向けるしかない。

 ふとその時、曲がり角の向こうから何やら聞き慣れぬ音が聞こえてくるのに気が付いた。

 まるで液状の何かに命を吹き込み、それを引き摺らせているかのような普段決して耳にしないであろう異音。

 それを聞いて只事ではないと判断したのか、彼もまた専用のホルスターから使い慣れた杖を抜く。

 

 握りやすいようグリップに改良を加えてある一本の相棒を角の方へと向けつつ、ネズミ顔の元へ近づいていく。

 コイツを助けるのは癪であったが、もしも彼の身に何か起これば今回頼まれた仕事はパーとなってしまう。

 せめてここから逃げる手伝いでもしてやろうと思い、腰を抜かしたヤツに立てるかどうか聞こうとした。

「おいお前、どうし………た?」

 しかしその直前で曲がり角の向こうを見てしまい、呼びかけを最後まで言い切る事ができなかった。

 …正確には、曲がり角の向こう側…下水道へと続く扉の前にいた『ソレ』を目にして。

 

 

 ―――――それは、正に晴天の霹靂とも言うべき突然の出来事であった。

「……ん?」

 二度…いや三度目となるハクレイとの体面を果たしていた霊夢は、不穏な気配を感じ取る。

 すぐさまハクレイから視線を逸らした彼女は、どこからその気配が漂って来ているのか探ろうとした。

 二階のラウンジ…自分たちを興味深そうに眺める貴族たちの中には、その気配の根源は感じられない。

 ならば下かと思った彼女はスッとその場を離れて手すりの方へと近づは、一階ロビーを見下ろし始める。

「…?どうしたんだ霊夢。急にそんな顔つきになって…」

「ちょっと黙ってて。………あっちかしら?」

 魔理沙の呼びかけに対しぶっきらぼうに返すと、彼女から見て左の方へと視線を向け、少し身を乗り出してみる。

 二階からでは多少見難かったものの、どうやら左の方にも奥へと通じる通路があるようだ。気配はそこから漂ってくる。

 後ろで黒白が「ひでぇ」と苦笑いするのを余所に、少し身に言って見ようかと思った所で…、

 

「どうしたのよ?」

「え…うわっ!」

「うぉっ…と!」

 ヌッ…と横から自分の顔を覗いてきたハクレイに驚き、思わず後ずさってしまい、背後にいた魔理沙とぶつかってしまう。

 次いで魔理沙の手に持っていたデルフが床に落ちて、鞘越しの刀身から『イテッ!』というくぐもった悲鳴が聞こえてくる。

「…そこまで驚くモノかしら?」

「普通は誰でも驚くモノだっつーの!…ッたく!」

 あくまで故意ではなかったと言いたいハクレイに、霊夢は驚いたのを誤魔化すように悪態をつく。

 完全によそ見していたとはいえ、まさか見ず知らず(?)の相手にここまで近づかれるというのは、初めての事であった。

 滅多に見せないであろう霊夢の驚くさまを見て、カトレアに夢中であったルイズも異変に気が付いたのだろうか、 

 少しカトレアに待っててと言った後、イヤな目つきでカトレアの付き人を睨む霊夢に話しかけた。

 

「一体どうしたのよレイム?」

「あぁ、ルイズ。…イヤ、ちょっと私の勘違いであって欲しい気配を感じてね…」

 その言葉に気配?と首を傾げるルイズに霊夢はえぇ…と返し、だけど…と言葉を続けていく。

 

「もしもこれが勘違いじゃなかったら、今すぐにでも手を打たないと…大変な事になるわね」

 そう言った彼女の表情が、いつも見せる気だるげなモノか真剣味を帯びたモノへと変わっていく。

 今霊夢が感じ取っている不穏な気配…。それは決して、この王都…ましてや劇場の中で察知してはいけない物。

 この世界に住む人や亜人達とも相容れないであろう異形達の発する、人工的に造られたであろう『無感情な殺意』。

 それを彼女は今劇場の一階の左方…そこから入れる通路からジワリジワリと感じ取っていたのだ。

 

 

 

 それは暗い中で一見すれば、ゴミ捨て場にあったようなローブを身に纏った人間に見えた。

 どこかの下級貴族がもう流石に駄目だと思って捨てた様な、浮浪者しか見向きしない様な襤褸の塊。

 頭からその襤褸をすっぽりと被った『ソレ』は、ズリ…ズリ…と黒いブーツで床を引きずりながらこちらへと向かってくる。

 ブーツだけではない。ローブの隙間から垣間見える『ソレ』の手や顔は、黒いペンキに塗れているかのように黒い。

 そして何よりも異常だったのはその黒々とした『ソレ』顔の部分で黄色く光る、二つの目玉にあった。

 …大きい。人間のものにしては大き過ぎるであろうその目玉は、クリケットボールぐらいあるのだろうか。

 それを爛々と輝かながら近づいてくる光景を見れば、だれだってネズミ顔の様な反応を見せるに違いない。

 

 事実、それを目にした彼自身も何とか喉から出そうになった大声を堪えたのだから。

 杖を持っていない方の手で口を押さえつつ、彼は今度こそ取引相手へと声を掛けた。

「おい、何だコイツは?」

「し、しらねェよ…!曲がり角を曲がった先に立ってて…あ、あぁあの目で俺を睨んできたんだ!」

 声を裏返しながら叫ぶ彼に手を差し伸べつつ、初老貴族は得体の知れない『ソレ』に話しかけた。

「おい貴様!どこの誰かは知らんが、人間ならば今すぐにその正体を現せ!」

 手を差し伸べられたネズミ顔が「か、かたじけいな!」と礼を述べるのを聞き流しつつ、相手の出方を待つ。

 相手が平民ならば、心配する事無く指示通りに従うだろう。

 

 しかし相手は予想通り全くいう事に応じず、尚も足を引きずりながらこちらへと向かってくる。

 まるで冬の時期に上演するようなホラー劇に出てくるゾンビみたいに、無言でこちらへと迫りくる『ソレ』。

 ただ黄色い目玉を光らせて闇の中にいるだけで、中々の恐怖を醸し出していた。

 既に奴との距離は一メイルを切ろうとしており、流石に焦った彼は杖を持つ手に力を込めて言った。

「止まれ、止まるんだ!これ以上近づけばどうなるか分かるだろう!?」

「…へ、ヘヘッ!そうでさぁ、こっちはメイジ二人なんだ!怖がることなんて何もありゃあしねえッ!」

 

 

 それまで腰を抜かして怯えていたネズミ顔が一転して、強気な態度で『ソレ』に杖を突きつけた。

 性格はともかくとして、杖の持ち方からして実践慣れしているであろう彼の物を合わせて、相手は二本の杖を突きつけられている事になる。

 平民でなくとも並大抵の貴族ならば、この時点で杖を抜くよりも先にまずは両手を上げて平和的な対話を望むだろう。

 余程自分に自信があるか、もしくは有利不利が分からぬ馬鹿でもなければ抵抗する気なんてなくなる筈なのだ。

 …それでも尚、自分たちのへと近づいてくる『ソレ』は決してその体を止めようとはしない。

 

 メイジを二人相手にしているというのに、それでも尚微動だにせずゆっくりと…しかしかく実にこちらへと迫りくる。

 これはマズイ。何かは良く分からないが、自分たちはとんでもないモノを相手にしているのかもしれない。

 直感的にそう感じた初老貴族は『ソレ』に向けていた杖を下ろすと、ネズミ顔の肩を叩いて逃亡を促そうとした。

「おい…何だか知らんがコイツはマズイ気がする。ここは一気に走って逃げた方が…」

「…へ、ヘッ!何かは知りはしませんが、生き物ならば魔法は効く筈だ!」

 しかし肝心のネズミ顔自身は退く気など毛頭ないのか、杖の先を向けたまま口の中て呪文を詠唱し始めた。

 口内詠唱…それも高等軍事教練で覚えさせられるレベルの早く、正確な詠唱で魔法を構築していく。

 

 逃げようと提案した初老貴族が止める間もなく、ネズミ顔の持つ杖の周りを冷気が帯び始める。

 大気中の水分を『風』系統の魔法で冷やし、氷結させて一本の氷柱へと変化させていく。

 それを一本につき三秒で生成し、十秒経つ頃にはすでに三本の氷柱が出来上がり、ネズミ顔の周囲を浮遊していた。

 『風』系統と『水』系統の合わせ技であり、『ファイアー・ボール』や『ウィンド・ハンマー』に次ぐ攻撃魔法…『ウィンディ・アイシクル』。

 詠唱の力量しだいによっては無数の氷の矢を放ち、硬度も自由に調節できる攻撃特化の魔法である。

 

 攻撃準備は既に整ったのか、余裕を取り戻したネズミ顔は杖のグリップを握る手に力を込めて狙いを定めた。

 狙いはもちろん自分たちへ近づく襤褸を纏った正体不明の相手であり、その黄色く大きな二つの目玉。

 彼の周りを浮遊していた氷柱も一斉にその先端を『ソレ』へと向けて、主の命令を今か今かと待っている。

 まさかここでぶっ放すつもりか?そう思った初老貴族は咄嗟にネズミ顔を止めようとした。

「おい、よせッ!こんな所で魔法を放てば流石に音で気づかれる…!!」

「心配しなさんな、ぜーんぶアイツに当てりゃあ良い。氷柱が肉に刺さる程度なら、そう大きな音は出ませんぜ」

 中々に物騒な事を言い放った後、相手の制止を振り切る形でネズミ顔は氷柱へと一斉発射を命じる。

 瞬間、それまで『ソレ』に向けられていた三本の氷柱が目にも止まらぬ速さで目標目がけて発射された。

 

 人の手で投げられたダーツよりも速く、拳銃から放たれた弾丸よりも僅かに遅いスピードで氷柱は飛んでいく。

 その鋭く尖った先端の向かう先にいる『ソレ』は、避けようという素振りすら見せていない。

 最も、避けようと思った所で一メイルあるか無いかの距離で放たれれば避けようなど無いのだが。

 他の二本より僅かに先行していた一本の氷柱が『ソレ』の右肩を襤褸と一緒に貫き、鈍い音が暗闇に響き渡る。

 次いで二本目が『ソレ』の左肩を容赦なく貫き、最後の三本目が勢いよく胴体へと突き刺さった。

 それがトドメとなったのか、それまで杖を突きつけられても微動だにせず迫ってきていた『ソレ』は体を大きく仰け反らせてしまう。

 流石の初老貴族もおぉ…!と声を上げた直後、『ソレ』は氷柱が突き刺さったままの状態で仰向けに倒れてしまった。

 

 魔法の氷柱から漂う冷気によって、夏場だというのにヒンヤリとした空気が流れる暗い廊下。

 ドゥ…と鈍い音を立てて倒れた『ソレ』を見てネズミ顔は笑みを、初老貴族は目を丸くして見つめていた。

「…やったのか?」

「やったかどうかはまだ分かりはしませんが、確かな手ごたえはありましたぜ」

 相手の不安げな問いに、倒れた相手に杖を向けたままネズミ顔は得意気に返事をする。

 確かに彼の言うとおり、三本の氷柱が見事刺さったヤツ…『ソレ』は仰向けになったままピクリとも動かない。

 当たり所が悪かったか、もしくは死んだふりをして油断を誘おうとしているのか…。

 そのどちらかもしれないし、ひょっとすればもう死んでしまっているのかもしれない。

 

 ひとまず自分たちに迫ろうとしていた危機を拭い去れた事に、初老貴族は溜め息をついて安堵したかったが、

 すぐに今の状況下でこれはマズイと判断したのか、やや焦った表情を浮かべてネズミ顔に話しかけた。

「しかし、コイツは不味い事になってきたな。やむを得なかったとはいえ人殺しとは…」

「まぁ仕方ありませんさ。それに相手がどうあれ、場合によっちゃあ口を封じなきゃいけませんでしたしねぇ」

 相手の正体が未だ分からぬ中、殺めてしまった事に少なくない罪悪感を抱く貴族に対し、ネズミ顔は平気な顔をしている。

 確かに彼の言う通りなのだろうが、それでも『口封じ』で平然と人を殺せると宣言する事に対しては同意できなかった。

 一難去って再びその顔に笑みを取り戻したネズミ顔をややキツめに睨み付け、首を横に振って忘れる事にした。

 

「お前さんに対しては色々と言いたい事はあるが…ひとまずはお前が手に掛けた相手を………ん?」

 その時であっただろうか、 自身の耳に何かが溶ける様な音が聞こえてきたのは。

 まるで氷の塊を充分に熱した鉄板の上に置いた時の様な、水の塊が水蒸気を上げながら溶けていくあの特徴的な音が。

 ネズミ顔にもそれは聞こえているのか怪訝な表情を浮かべた彼と顔を見合わせてしまう。

 それからすぐに気が付いた。音の出所が自分たちの背後、先ほど地面へと倒れた『ソレ』から聞こえてくる事を。

 先ほど倒れた『ソレ』の足元から出ていた異音に次ぐ新たな異音に、初老貴族は何かと思って音が聞こえてくる背後へと振り返る。

 

 彼らは目を見開き、口を大きく開いて絶句するほか無い。

 振り返った先で起こっていた光景は、二人の想像の域を遥かに超えていたのだから。

 そして、灯りの消えた廊下からロビーにまで響く男たちの悲鳴が聞こえたのは、それから間もない事であった。

 

 

 

 

 ルイズ達にとってそれは突然の事で、霊夢にとっては自らの『嫌な予感』が的中した事を意味していた。

 突如、それまで文化的で平和な雰囲気が漂っていた一階ロビーから物凄い叫び声が響き渡ったのである。

 通常業務を行っていた窓口の嬢や警備員、平民貴族問わず劇を見に来た御客たちはビクッと身を竦ませた。

 ロビーの一角にあるレストランからは謎の絶叫を後追いするかのようにカップの割れる音が二度、三度と聞こえてくる。

 各所に設置されたソファーに腰をおろし休んでいた者たちはギョッとし、中には慌てて立ち上がる者さえいた。

 

 劇場は一階、二階ともに沈黙に数秒間支配され、次いで一階にいた者たちは悲鳴が聞こえてきた方へと顔を向ける。

 彼らが視線を向けた先にあったのは、普段は従業員さえ滅多に使わない非常用通路があった。

 華やかなロビーの左端にある、灯りの消えた薄暗い廊下は絶叫など無かったと言わんばかりに沈黙を保っている。

 それがかえって不気味さを増しており、傍にいた者たちは恐る恐るといった感じで廊下の入口から離れようとする。

 やがて静寂から小さなざわめきが生まれ、劇場各所に配置されていた警備員たちが次々とロビーにやってきた。

 当然二階のラウンジにいた貴族達も何だ何だとざわめき始め、中には従業員に説明を求む者さえいる。

「お、おいそこの君!今の悲鳴は…な、何なのか説明したまえ!」

「あ…その、いえ…申し訳ございません貴族様。我々に皆目見当がつきません…」

 しかしながら彼らも全く事情を把握できておらず、頭を下げて謝るしかないという状況であり、

 何人かは「ただ今調べております」や「至急警備の者が原因を究明致しますゆえ…」といった返事をしている。

 

 その時であった、ふと一階を見下ろせる手すり付近から何人かの小さな悲鳴が聞こえてきたのは。

 何だと思った者達が後ろを振り向こうとした直前に、先ほど場を騒がせていたヴァリエール家の令嬢が「レイム!」と叫び声を上げ、

 それとほぼ同時に、あの紅白服の少女―――令嬢がレイムと呼んだ者――がいつの間にか手にしていた剣と一緒に手すりを飛び越えたのである。

 これには流石の貴族達も目を丸くせざるを得ず、先陣に倣うかのように驚きの声を上げる者までいた。

 いくら館内とはいえ二階から一階までかなりの高さがあり、勢いよく手すりを飛び越えれば軽傷では済まない。

 しかし…これから一階で悲惨な事が起きると予見した彼らの意に対して、飛び越えた本人である霊夢は気にも留めていなかった。

 彼女にとってこれくらいの高さから飛び降りて無事に着地する事など、息を吸って吐くのと同じくらい簡単なのだから。

 

 二階の手すりを飛び越えて空中に身を躍らせた彼女は、足を下へ向けてロビーへと落ちていく。

 上の悲鳴で気が付いたのか、自らの着地地点にいる何人かの下級貴族たちが慌ててその場から下がろうとする。

(こういう時は落ちてくる私を拾い上げてくれる人が一人でもいそうな気がするんだけど…現実って厳しいわねぇ~)

 博麗霊夢にしてはやけにロマンチストな事を想像しつつも、彼女は自らの能力をコントロールして着地の準備を瞬時に整える。

 長年の妖怪退治と異変解決で培ってきた経験と、先天的であり鋭利過ぎもする才能がそれを可能にする。

 そして地面まで後一メイルという所で彼女の体は重力の縛りから逃れ、ふわり…とその場で浮いて見せたのだ。

 

 これには慌ててその場から離れた下級貴族や、遠巻きに見ていた平民たちがおぉ…!と驚きの声を上げた。

 『フライ』や『レビテレーション』が使えるメイジであれば彼女と同じような事はできるが、それでも並大抵のメイジにはできない。

 高速詠唱や口内詠唱の高等技術が無ければ、両足の骨を折って無残な姿を衆目に晒す事になってしまうからだ。

「よっ…と!……あっちね」

 そんな大衆の視線など気にする風も無く降り立った彼女は、手に持っていたデルフを背負うと悲鳴の聞こえてた方へと視線を向けた。

 悲鳴が聞こえて来たであろう場所には、一階にいたであろう警備員や従業員たちが様子を見ようと集まってきている。

 

 霊夢はそちらの方へ素早く体を向けると、床を蹴り飛ばすようにして走り出した。

 自称魔法使いの癖に結構な体力馬鹿である魔理沙よりかは劣るものの、それなりに速く走れる自信はある。

 まるで亀かナメクジの様に、ゆっくりと廊下へ入っていこうとする警備員たちの間を通って、彼女は一足先に薄暗い廊下へと入り込む。

「ん?…あ、おい君!待ちなさい!」

『あー無理無理。ウチの相棒はそういう呼びかけに対して全然聞かんからねぇ』

 背後から止めようとする警備員の呼びかけをデルフが代わりに答えつつ、霊夢は恐れもせずに廊下を一直線に進む。

 その彼に続いてもう一人が呼び止めようとしたところで、彼女の姿は曲がり角の向こうへと消えてしまった。

 

(それにしても、明るいのと暗いのとどっちが良いかって聞かれたら、やっばり明るい方がいいわね)

 まるで日の暮れた路地裏みたいな薄暗い廊下を走りながら、ふと霊夢はそんな事を思った。

 節電か何かなんだろうか、灯りの点いていない廊下はまるで同じ劇場の中とは思えない位雰囲気が違う。

 しかも最初の角を曲がってからというものの、使っていない椅子や大きな木箱が廊下の端に無造作な感じで置かれている。

 恐らくずっと前に置かれたままなのだろう、それ等には決して薄くない量の埃が積もってるいるのが一目で分かる。

 ロビーや二階のラウンジが普通の劇場ならば、今いるここはさながら閉館して暫く経った廃墟の様である。

 とはいえ、仕事の都合上そういう暗い所に赴く事が多い彼女にとっては屁でも無い程度の暗さだ。

 

 霊夢は廊下の端に置かれた荷物を避けて進んでいたがそれが鬱陶しくなってきたのか、ゆっくりと体を宙に浮かせた。

 それからチラリ後ろを見遣り、誰もついてきていないのを確認して「よし」と呟いてからそのまま前へ進み始める。

 廊下の天井と、一定の間隔で左右の壁に取り付けられているカンテラとの距離に気を付けつつ、スイスイと飛んでいく。

『おいおい、大胆な事をするねぇ?誰かに見られたらどう説明するんだい?』

「別に誰も見てないんだから飛んでるじゃないの。…っていうか、結構な数の人間が飛べるんだしどうとても説明つくわよ」

 面倒くさがりな霊夢の言い訳にデルフは暫し黙ったのち、「そりゃそうか」と一言だけ呟いた。

 

 やがて邪魔な障害物も疎らになった所で着地した彼女は、目の前にある曲がり角を睨み付ける。

 そして目を数秒ほど閉じて何かに集中した後でチッ…と舌打ちし、苦虫を噛んだ様な表情を浮かべて言った。

「クソ…!さっきまでこの近くから気配が感じ取れたんだけど、かなり薄くなっちゃってるわね」

『つまり、もうこの劇場内にはいないってコトか?』

「何処かに隠れてる可能性も否めないけど、私相手にこう短時間で隠れられるとは思えないけど……って、ん?」

 昨日に続き、気配の主をまたもや見失ってしまった事に悪態を付きつつ、霊夢は前方の曲がり角へと足を進める。

 少なくともあの角の向こうに何か証拠でもあればいいなと思っていると、ふと場違いな空気が自分の体を過った事に気が付く。

 

 冷たい、まるで三月初めの朝一番に頬を撫でてくる風の様に冷たかった。

 詳しい月日は知らないものの今のハルケギニアは夏真っ盛り、そんな空気が流れるワケがない。

 突然の冷風に思わず身構えた霊夢に続くようにして、デルフもその場の空気が変わった事に気が付く。

『なんだぁ?この季節感ゼロな冷たい空気は?』

「確かに。いくら建物の中とはいえ、まるで氷の様に冷たいわね」

『…気を付けろよレイム。お前さんも気づいてると思うが、この風…あの角の曲がった先から流れてきてるぜ』

 デルフの言葉に「御忠告、どうも」と返しつつ、彼女は左手を右手の袖の中に入れつつ曲がり角を目指して歩き始める。

 確かに彼の言うとおり、今この廊下に流れている季節はずれな冷たい風は曲がり角の向こうから流れてきている。

 そこな『何があるのか』はまだ分からないものの、少なくとも『何もない』という事はなさそうだ。

 

 デルフは抜かないものの、いつでも行動に移せるよう身構えたまま曲がり角へと進む。

 一歩進むごとに冷気はその強さを微かに増してゆき、夏用の巫女服を通して体を冷やしてくる。

 暑いから一転し、寒いと訴えてくる体を半ば無視しつつ霊夢はいよいよ角を曲がろうとする。

 そこで一旦足を止めて、軽く深呼吸して息を整えた後…思い切って角の向こうへと飛び出した。

 …しかし、その先に広がっていた光景は彼女が想像していたものよりも遥かに異常であった。

 

 曲がり角の向こう、劇場から避難用の下水道通路へと続いているその廊下。

 角の向こうまで届くほどの冷気を放っていたであろう原因は、突き当りにある扉の近くに転がっていた。

 何故それが原因だと思ったのか、霊夢でなくともそれを見た者ならば誰もがそう思うだろう。

 それは真夏だというのにまるで酷く吹雪く雪山に放置されていたかのように、氷や霜に塗れていたからだ。

 元の形が何なのか分からない程の状態になっているソレの体からは、凍てつくような冷気が漂ってくる。

 

 夏場だというのに寒い程の冷気を放つという事は、恐らく魔法で形成されたものなのだろう。

 最初はその『何か』が気配の主かと思っていたが、すぐにそれは違うと判断できるほどに気配を全く感じないのだ。

 となれば、先ほどまでいたであろう気配の主が廊下に転がっている『何か』を氷漬けにしたのであろうか。

 そんな事を考えつつその『何か』が何なのかを調べようとした直後、目の前でその『何か』が動いたのである。

 スッと足を止め、右袖の中に入れていた左手で針を取り出した彼女はいつでも攻撃できるよう警戒した。

 まるで不格好な芋虫の様に鈍い動きを見せる『何か』は、動く度に纏わりついた氷や霜が音を立てて剥がれていく。

 暗く静かな廊下に響き渡る中、霊夢は落ち着き払った態度で目の前の『何か』がどういう行動を取るのか待っていた。

(気配からして化け物の類じゃなさそうだし、けどもしもこれが…人間だとするならば…)

 脳裏にそんな考えを過らせたのがいけなかったのか、その『何か』は自らの頭と思しき部分をゆっくり上げたのである。

 流石の霊夢もそれには多少驚くなかで、頭を上げた『何か』の顔を見て目を見開いて後ずさってしまう。

 

「…!」

『コイツは…コイツは確か…』

 それを同じく目にしたであろうデルフも、狼狽えるかのような言葉を漏らしてしまう。

 原型が分からぬ状態まで氷に覆われた体になってしまった今、唯一自由であった頭を動かして霊夢達を見つめる『何か』。

 その正体は名こそ分からぬままであったが、その年を取った顔はついさっき見た覚えのあるものであった。

 一階のロビーで自分とぶつかってしまったあの初老の男性貴族、その人だったからだ。



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第九十七話

 日中ハルケギニアの空を照らし、気温を上げていた太陽が暮れようとしている時間。

 人々の中には空を見上げ、赤みを増していく太陽と、薄らと見えてきた双月を眺めながら帰路につく者もおり、

 これからが本番と言わんばかりにテンションが上がり、友人たちと今夜は何処の酒場に行こうかと相談する若者たちや、

 そして街中の惣菜や市場には夕食の惣菜や材料が並び、それを求めて足を運ぶ老若様々な大勢の人たちがいた。

 ブルドンネ街の酒場では日中寝ていた人々がようやく目をさまし、今夜の開店準備に勤しみ始めている。

 店によっては待ちきれない呑兵衛たちが固く閉じた扉の前で屯して、下らない雑談に花を咲かせて笑っている。

 その中には下級貴族や異国から来た観光客たちもおり、今夜もこの街は大賑わいする事間違いなしであろう。

 しかし、その日のブルドンネ街はそれよりも少し前からある場所が賑わっていた。

 

 とはいっても、そこは実質的にブルドンネ街の一部と言って良いタニアリージュ・ロワイヤル座であった。

 地図上ではチクトンネ街に入っているものの、王都で一番の劇場があるせいで日中と言わず年中賑わっている。

 チケットは安いものの、酒場の安いワインや料理と女の子に金を使う連中にとってかなり無縁な場所である事は間違いない。

 一方で、その連中からチップと称してお金を貰っている女の子達にとっては、数少ない娯楽とスイーツを一度に楽しめる場所となっている。

 

 だが、その賑わいは普段多くの人が目にしている喜びや嬉しさに満ちたものではない。むしろ喧騒に近かった。

 ついさっきまで人々が上っていた階段には何人もの衛士達がおり、槍や剣を片手に周囲を警戒している。

 劇場前の噴水広場には何頭もの馬が留められており、時折衛士の一人がそれに跨って街中へと走っていく。

 馬だけではなく、街中から掻き集められたのかと言わんばかりの数になった衛士達が集結し、劇場とその周辺に屯しているのだ。

 彼らに占領された広場は自然的な封鎖状態となり、ここを通ろうとした人々は何事かと困惑するしかない。

 中には急ぎの用事で通ろうとした者たちが、半ば喧嘩腰で衛士を問い詰めたりしていた。

 

「おいおいふざけんじゃねェよ?こっちは急ぎで、こっから回り道すんのにいくら時間が掛かると思ってんだ!」

「申し訳ありませんが今は通行止めをしていますので、迂回してください」

 

 衛士達は研修で教えられた言葉を高性能なガーゴイルのように発しつつ、通行者達を止めている。

 中には平民の衛士なんて怖くないと、無理やり通ろうとした者たちもいたが…それは無謀と言うより馬鹿に近い行為だったらしい。

 軽い気持ちでロープを超えた者は、例え下級貴族であっても衛士達に身動きを封じられ、その手をロープで縛られていった。

「え!?…ちょっ、俺が悪かったよ…悪かったって!?だから逮捕だけは…」

「黙れこの野郎!一々手間取らせやがって。…おい、コイツを最寄りの詰所に連れてけ」

「ま、待て待て!僕はこうみえても貴族なんだけど!?」

「残念ですが今は貴族様であっても、現場に不法侵入した場合一時的に拘束するよう命令が出ていますので…」

 

 平民も貴族もまとめて捕縛されて連行される光景を見て、人々は誰もロープを超えようとはしなくなった。

 大人数で突撃すれば無理やり通れるかもしれないが、それをすれば衛士達と全面的にぶつかる事になる。

 そうなれば殴られ蹴られて逮捕されるだろうし、誰もがそんな痛い目に遭ってまで通りたいとは思っていなかった。

 何人かは諦めて踵を返したが、残った人々は野次馬として何が起こったのか探ろうしていた。

 

 劇場のロビーへと続く扉の前には、誰も開けるなと言わんばかりに黄色く太いロープが張られていた。

 ロープには黄色の下地に黒い文字で『立ち入り禁止!』と書かれた看板が下がっており、その周囲を更に数人の衛士達が警備している。

 :現場の指揮を執っているであろう中年の衛士が一人の部下を呼びつけて、何やら会話をしていた。

 

 

 

「…それで、魔法衛士隊は出てくれるのか?三十分前から進展を聞いてないぞ」

「はっ!先程の報告ではド・ゼッサール隊長率いるマンティコア隊の一個分隊が増援として来るとの事ですが…」

「この時間帯の交通事情でも、魔法衛士隊なら十分くらいで来るか?」

 首に掛けた紐付きの懐中時計で時刻を確認しつつ、早いとこ彼らが来てくれる事を祈っていた。

 ここ最近不穏な事件が続いている王都であったが、今回の件に関してはそれとは明らかに格が違っている。

 

 まず事件が発生したのはここタニアリージュ・ロワイヤル座であった。それも、真昼間から堂々と。

 しかも被害に遭ったのは貴族であり、それが事件を大事にさせる原因ともなった。

 今現在の被害者の状態といい、その被害者の近くにいたといゔ少女゙の狂言といい、衛士達だけでは対処できるものではない。

 劇場従業員からの通報で現場に急行した最寄詰所の隊長はそう判断し、各詰所と魔法衛士隊にまで応援を要請したのである。

 結果的に本部を含めて計四つの詰所とマンティコア隊から各一分隊の増援が派遣され、劇場周辺が衛士達によって占拠されてしまったのだ。

 

 部下から報告を聞いた隊長はふぅ…と一息ついてから、スッと空を見上げる。

 そろそろ上空からマンティコアに跨った貴族たちが現れてもおかしくなかったが、一向にその姿は見当たらない。

 事件の起きた場所が場所だけに貴族の増援が欲しいというのに、そういう時に限って中々来ないものなのだろうか?

 そんな事を思いながら、通報で食べ損ねた遅めの昼飯の事を思い出しながら彼は懐からパイプを取り出しつつ言った。

「全く…こんな忙しい時期に限って、どうしてこう連日奇怪な事件が起こるんだか…」

「奇怪な事件…?先日の下水道の件ですか?」

 部下の言葉に彼は「あぁ」と頷きつつパイプに煙草を詰めると口に咥え、懐からマッチ箱を取り出す。

 そしてマッチを一本取り出すとそれを箱の側面で勢いよく擦るが、一回だけやっても火はつかない。

 

 二回…三回…と必死に擦り。ようやく四回目でマッチ棒の先端に火が点いた。

 小指よりも小さい火種を絶やさぬよう注意を払いつつ、それをパイプに詰めた煙草に着火させる。

 モクモクと火皿から煙をくゆらせ始めたのを見てから彼はマッチの火を消して、足元へと投げ捨てた。

 その一連の行動を見ていた部下は苦笑いしつつ、地面に捨てられたソレを広いながら上司に話しかける。

「相変わらず火付けの悪い道具ですな。まぁ便利といっちゃあ便利ですがね」

「そこのカンテラや松明で着火なんてしてたら、俺が先に火傷しちまうよ。…あぁ、それは捨てといてくれ」

 妙に扱いの荒い上司の命令に彼は「了解、了解」と言いながら背後にあったゴミ箱へとマッチ棒を投げ捨てる。

 

 そんな時であった、煙をくゆらせて一服していた彼に背後から話しかけてきた女性がいたのは。

「相変わらずの煙草好きですねぇ、タニアリージュ担当のアーソン隊長殿」

 快活かつ、鋭さを秘めた女性に自分の名を呼ばれた隊長――アーソンは、フッと振り返る。

 そこにいたのは、王都の衛士達の間ではすっかり有名人となった女衛士のアニエスが近づいてくるところであった。

「あぁアニエス、お前さんも来てたのか。それならすぐに話しかけてくれば良かったのに」

「すいません。実は私個人でどうしても片付けておきたい用事がありましたので…今来た所なんです」

 立場的には上司の一人であるアーソンに軽く敬礼しつつ、アニエスは劇場ロビーへと続く入り口へ視線を向ける。

 

 つい数時間ほど前までは大勢の人で溢れかえっていたロビーを、衛士達が忙しそうに走り回っている。

 ある者は何人かの部下に指示を出し、またある者は従業員や警備員達に事情聴取を行っている。

 アニエスたち衛士にとって見慣れた光景であったが、まさかこれをこの場所で見る事になるとは思っていなかった。

 場所が場所だけに、入り口から見ているとまるで演劇の一シーンの様に見えてしまう。

 そんな事を考えつつ、ふと気になった事ができアニエスはそれをアーソンに聞いてみる。

「そういえばアーソン隊長、劇場内にいた客たちはどこへ…?」

「今回の件で関係ありそうな人間以外、全員帰したよ。俺的にはそれは不味いと思ったんだが…」

 彼女に質問に対し、口元からパイプを放した彼は気まずそうな表情を浮かべる。

 大方、劇場に来ていた貴族の客たちのが中に脅しまがいの文句を言った者が何人かいたのだろう。

 平民には滅法強い自分たちだが、貴族が相手となると余程の事が無い限り頭が上がらくなってしまう。

 つい先ほど出たような命令が無い限り、下級貴族であっても任意同行を拒まれてしまう事も多々ある。

 

 自分たち衛士の世知辛い事情を知っていたアニエスも渋い表情を浮かべつつ、肩を竦める。

「全員に聞き込みするとなると時間が掛かりますからね、仕方がありませんよ…それで、被害者の情報は?」

 ひとまず話を置いておき、彼女は今回の事件の要である被害者の事を聞いてみる。

 それに対し答えたのはアーソンの横にいた隊員であり、彼は脇に抱えていた資料をアニエスへと差し出す。

 少し小さめの張り紙サイズの薄い木版にピン止めされている書類には、一人の貴族の情報が書かれている。

 アニエスはルを右から左へと走らせて流し読みすね最中に、隊員は補足するかのように付け加えてきた。

「゙まだ゙本人の意識が残っているので名前からの特定は容易でした。…といっても、自分の様な安月給の衛士でも気が滅入るものでしたがね」

「領地無し…今はシュルピスのアパルトメントで病気の妻を介護しつつ給金暮らしか。…これは酷いな」

 

 報告書に書かれていた内容は、貴族であっても決して裕福にはれないという現実を記していた。

 彼の名はカーマン。領地は無く、今はシュルピスの南側にあるアパルトメント『イオス』の三階の一室に妻と暮らしている。

 年は五十後半。とある三流家名の末っ子として生まれ、二十代の頃に雀の涙ほどの金貨を貰って領地から追い出される。

 その後はトリステイン各地を放浪しつつ日雇い仕事で金を溜めて、三十代前半で今の妻と出会い、交際を経て結婚。

 結婚後は定職に就こうと意気込んでトリステイン南部の一領地で国軍に志願し、国境沿いの砦に配属されていた。

 しかし四十代の米に妻が病気で倒れたのを切欠に退役し、退職金と共にシュルピスへと引っ越す。

 それから今に至るまで日々病状が悪化する妻の介護に明け暮れ、今は僅かな給付金で生きているのだという。

 

 報告書を読み終えたアニエスは悲哀に満ちたため息をつきつつ、アーソンへと話しかける。

「…それで、被害者は今どこに?」

「最初に発見された避難用通路だ。…というより、下手に動かせんのが現状だがね」

「…それは一体、どういう意味で?」

 やや意味深な言葉にアニエスは首を傾げたが、すぐにその理由を知る事となった。

 

 彼女が案内されたのは、一階ロビーの左端の避難通路の奥であった。

 忙しなく同僚たちが行き交っていて狭くなったソコを横断して、暗い廊下をアーソン達と共に歩く。

 そこにも衛士達の姿があり、聞き込み調査や書類の確認をしながら横切っていく。

 入ってすぐの時は単に暗い廊下だなーと思っていた彼女であったが、すぐにそれは変わってしまう。

 

 

 

 歩いて数分暗い経ったであろうか、廊下の至る所に物が置かれているのが見えるようになった。

 小さな物は使えなくなった椅子や大きなものは雑用品が入っているであろう木箱。

 本来なら倉庫か物置にでも入れておくような雑多な道具が、これでもかと放置されている。

 流石の衛士達もこれには四苦八苦しているのか、皆一応に物を避けながら歩いていた。

「これで避難通路なのですか?どう見てもすぐに通り抜けられるような感じではありませんが…」

「まぁ長い事使われていなかったらしいからな。そりゃー物置にするのは流石に駄目だとは思うが」

 アニエスの言葉にそう答えつつ、アーソンはこの頃ふくよかになってきた体を補足しつつ廊下を進んでいく。

 

 やがて物置と化していた部分を通り過ぎ、一旦従業員用の明るい通路を渡って現場へと急ぐアニエス。

 再び暗い廊下へと踏み入れると、壁に文字の刻まれたプレートが埋め込まれているのに気が付く。

 埃を被ったそれは丁寧な字で『この先、避難用下水道』と書かれており、もう現場が目前だという事を知る。

 確かに、周りにいる数人の衛士達はその場で待機して周囲を警戒していた。

「アニエスこっちだ。この曲がり角の向こうの先に被害者がいる」

「あ、はい」

 ふと前にいたアーソンに声を掛けられた彼女は返事をしながら頷き、そちらの方へと足帆進める。

 丁度曲がり角の手前で足を止めた彼と彼の部下は、アニエスに見てみろと言わんばかりに視線を右へずらしていく。

 

 この先に被害者がいるのだろうか?アニエスはそんな事を思いつつ、軽い足取りで角を曲がる。

 自分が常駐する詰所内や、巡回や非番時に街の角を曲がるかのようないつもの動作でもって。

 …しかし、その角の向こうにあったのはおおよそ彼女の現実からかけ離れた光景が広がっていた。

 

 最初、それを目にした彼女はソレを見て『氷の彫刻』かと勘違いしてしまった。

 何故ならば暗い廊下に転がっているそれは氷に包まれており、一見すればそれが人だとは思えなかったからだ。

「何だ、アレ?」

 アニエスは素直に思った言葉を口にすると、二人の衛士が見張っているソレへと近づいていく。

 手足の様な突起物は見当たらず、唯一目につくのは造りものにしては精巧過ぎると言っていいほどリアルな男の頭。

 まるで甲羅から首だけを出した亀のような状態のソレを見て、誰が人だと思うだろうか

 しかし彼女はすぐに気が付く、これがどれだけ悲惨な状態に陥った人間の姿なのであると。

 出来る限り傍へ寄って正体が何なのか知ろうとする前に気付けたのは、ある意味運が良かったと言うべきか。

 

「……?………――――……ッ!これは…」

 アニエスがようやく気付いたのは、その頭がゆっくりと瞬きをしてからだ。

 そして同時に、薄い氷に包まれたその頭の目が未だその輝きを失っていない事に気が付く。

 つまるところ、これはまだ人として生きている状態なのだ!この様な悲惨な姿であっても。

 ソレへ背中を向けて極力見ない様にしている見張り達の前で狼狽える彼女へ、アーソンが声を掛ける。

「気づいたか?」

「き、気づいたか…ですって?これ…これは一体何が?」

 初見の物ならば誰もが思うであろう疑問を言葉にしたアニエスに、彼はソレから目を逸らしつつ答えていく。

「詳しい事は良く分からんが、かなりの威力を持った風系統と水系統の合わせ魔法を喰らったようだ。

 手足は第一発見者が見た時点で無かったらしい。…相手は余程のメイジで、しかも相当イカレてる奴だな」

 半ば憶測であったが、アーソンはこちらに向かって顔を向ける七割り氷漬けの男を一瞥する。

 

 

 見えてるかどうかも分からぬ目を此方へと向け、僅かに凍ってない唇を動かして何かを喋ろうとしていた。

 それに気付いた彼はハッとした表情を浮かべ、「ドニエル!」と少し後ろに控えていた若い衛士を呼びつける。

 仲間たちと何やら話していたであろう三十代半ばの衛士すぐにアーソンの元へと駆け寄り、スッと綺麗な敬礼をした。

「被害者がまた喋ろうとしている、至急何を言ってるか調べてくれ」

「了解、暫しお待ちを」

 この現場では隊長である彼の言葉に従い、肩から下げていた小型バッグからメモ帳と羽ペンを取り出す。

 そして被害者の傍で屈むと口許へ耳を近づけ、微かに聞こえてくるであろう声を必死に聞き取り始めた。

 耳を傾ける一方で、ペンを持つ手は忙しなく動いて、メモ帳にスラスラと何かを記している。

 

「あれは何を?」

「文字通りの聞き取りさ、といっても…一方的に喋ってる事を書き連ねてるだけだがな」

 首を傾げそうになったアニエスにアーソンはそう返して、ついで詳しく話してくれた。

 手足を失い体の外側もほぼ凍り付き、唯一動かせる頭も決して無傷とは言い切れない状態だ。

 そんな中で意識すらハッキリしていないのか、ここ数時間の内何回か助けを求めるかのように喋り出すのだという。

 呟いた中に自身の名前が入っていたおかげで彼が下級貴族だと分かったものの、得られた有用な情報はそれだけだ。

 後は記憶すら混濁しているのか、ワケの分からない事を呟いているだけらしい。

 詳しい事は分からないが、平民であっても彼が手遅れなのは何となく分かるような状況だ。

 

「……ひょっとすると、このまま楽にしてやったほうが良いのでは?」

「俺もそう思うが、最終的な判断は魔法衛士隊の隊長が来てからだ」

 聞く度に嫌気がさしてくる被害者の情報にアニエスが思わず苦言を呈したところで、聞き取りは終わったらしい。

 メモ帳と羽ペンをしまい、立ち上がったドニエル隊員かアーソンとアニエスの許へと寄ってくる。

「聞き取り終わりました!」

「御苦労、それで…本名の次に有用な情報は得られたか?」

 隊長の言葉に若い彼は少しだけ苦渋に満ちた表情を浮かべた後、首を横に振る。

 自分たちとしては、被害者にこのような仕打ちをした容疑者の事を知りたかったが…どうやら高望みであったらしい。

 軽くため息をつくアーソンを見てこれは言わなければいけないと感じたのだろうか、ドニエルは言葉を続けた。

「ただ一言だけ、気になる事を粒呟いていまして…」

「気になる事?」

「『自分を最初に見つけてくれた黒髪の子は何処か?』…と」

 その言葉を聞いてアーソンは苦虫を噛んだかのような表情を浮かべ、背後の廊下へと視線を向ける。

 急に視線を変えた彼に訝しむアニエスをよそに、彼は頭の中にその゙黒髪の子゙の顔を思い浮かべた。

 第一発見者として警備員に捕まり、狂犬の様に騒ぎ立てていたあの少女の顔を。

 

 最初に彼女と再会した時、霊夢は何かの冗談かと思いたくなってしまったのは確かな事であった。

 とはいってもついこの間事件現場にいるのは見かけたし、いずれは鉢合わせるだろうと思ってはいた。

 王都は案外広いようで狭く、しかも今街で起きている奇怪な出来事は衛士達もかなり首を突っ込んでいる。

 であるならば、遠からず二度目の体面を果たすであろうと何となく予想していたのだ。

 最も、それが今日の出来事になってしまうという事だけは予想しきれなかったが。

 

 そして霊夢と同じように、アニエスもこれは何の悪戯かと目の前にいる少女達を見つめている。

 アーソンの命令で第一発見者だという少女を連れて来いと言われ、ここへと足を運んできた。

 一階ロビーから階段を上り、ラウンジへと着いた彼女の前に見知った顔が大勢いたのである。

 まさかこんな所で再会すると思っていなかった…という気持ちは、霊夢もまた同じであった。

「…まさか、アンタとこうして顔を合わせる日がまたくるなんてね…」

「奇遇だな。私も今そんな事を思っていたところさ」

 霊夢とアニエス。互いに鋭く細めた目で互いを睨み合い、一言ずつ言葉を述べ合う。

 傍から見れば実に殺伐としているだろうが、不思議な事にそこからは敵意というものは感じられない。

 二人して普段からこんな感じだからなのだろう、すっかり自然体と化してしまっている証拠であった。

 

「何も知らない人が遠くから一見したら、何時殴り合いが始まってもおかしくない光景って言いそうね…」

「で、でもルイズ…いくら何でもアレは見ててちょっとハラハラしてくるわ…」

 それを少し離れた所から呆れた風な様子で見つめるルイズに対し、傍らのカトレアは心配していた。

 劇場一階ロビーの階段を上がってすぐの所にある、二階貴族専用のラウンジ。

 ちょっとした談話スペースであるそこは、数時間前の賑わいはとっくに消え去ってしまっている。

 今は第一発見者とその関係者として、霊夢とルイズ達はそのラウンジに閉じ込められていた。

 まぁ閉じ頃られているといっても、衛士達が周囲を囲んで見張っているだけなのであるが。

 幸い二階にもお手洗いはあり、今はカトレアの連れであるハクレイがニナをトイレに連れて行ったばかりである。

 喉が渇けば一階から水差しを持ってきてくれるとも言っていたので、一応不便な箇所は見当たらなかった。

 それでも、第一発見者である霊夢にとってこれは納得の行かない事であった。

 

「私に犯人を追わせずにルイズ達ごと監禁して、それで今あの悲惨な男に会わせたいだなんて…随分身勝手じゃないの」

「知るかよ。第一、お前が第一発見者だって事をついさっき知ったばかりだぞ」

 霊夢の苦言に対してそう一蹴して返すとその場で踵を返し、階段の方へと歩いていく。

 ついて来いと言いたげなその背中を見て察したのか、霊夢もその後を続く。

 自分達を後に、アニエスに連れられてロビーを後にする彼女を見て今しか無いと思ったのか。

 それまで敬愛する姉の傍らにいたルイズが立ち上がり、アニエスに「待ちなさい!」と声を掛けてきた。

 

「第一発見者としてレイムを連れていくのは良いとして、ついでだから私も連れていきなさい!」

「ルイズ、いきなり何を言いだすの貴女は?」

 突然一歩前へ進み出て名乗りを上げた妹に、カトレアは驚いてしまう。

 事情をよく知らぬカトレアでも、衛士達の話を盗み聞きして何となくだが状況は知っていた。

 この劇場で何らかの事件が発生し、それが一筋縄ではいくような簡単な事件ではないのだと。

 ラウンジからロビーを見下ろし、慌ただしく行き交う衛士達や彼らから事情聴取を受けている従業員たちの姿を見て何となく理解する事はできた。

 そしてこれまた色々とワケがあって、ルイズがハクレイと良く似たレイム…という子を使い魔として召喚した事も教えてくれていた。

 

 使い魔と主は一心同体、余程の事が無ければ互いに離れる事が無いというのは常識である。

 しかし…だからといって何も゙見てはいけない様な物゙を、わざわざ見に行く必要があるのだろうか?

 やや過剰にも見える程動員されている衛士達とその物々しさから、カトレアは何か異常な事が起きたのだろうと察してはいた。

 それを知って知らずか、使い魔の後を追おうとしているルイズを彼女は制止したのである。

 そして後を追われようとしている霊夢も彼女の言いたい事を察したのか、後をついてこようとしているルイズを止めようとした。

「別にアンタまで来なくていいじゃないの。呼ばれたのは私だけなんだし…っていうか、何でワザワザついて来ようとするのよ?」

「でも…!…あ、ちょっと…!」

 スパスパと鋭利な刃物のような言葉を投げかけてくる霊夢に反論しようとしたルイズであったが、

 その前にアニエス他、階段の前で待機していた二人の衛士に周りを囲まれてその場を後にしようとする。

 

「すいませんが暫し彼女を借ります。そうお時間は掛けないので…」

「…と、いうわけでちょっくら現場に行ってくるからデルフの事宜しく頼むわよ~」

 待ったと言いたげに手を伸ばしたルイズにアニエスが詫びの言葉を入れ、霊夢が暢気そうに魔理沙への言葉を残していく。

 霊夢の代わりに再びデルフを持っていた魔理沙がそれに応えるかのように、元気そうに右手を振って返事をする。

「おぉーう!隙が出来たら私も抜け出してお前ン所へ行くからな~」

『相変わらず知的そうな姿しといて法律ってモンを知らないねぇ、お前さんは?』

 楽しげな顔で物騒な事を言う魔理沙にデルフは呆れつつ、視線をチラリとルイズの方へと向ける。

 そこでは先ほどから少し離れた場所で様子を見ていたシエスタが、彼女と話をしている最中であった。

 

「さっきは何であんな事を言ったんですか?わざわざ事件現場に赴く…だなんて」

「レイムから聞いたでしょ?被害者らしい貴族の男が、一階で肩をぶつけてしまった初老の男だったって」

 シエスタからの質問に対し、ルイズは行けなかったことへの不満を露わにしつつ思い出す。

 数時間前…まだ劇場がいつもの活気で賑わい、ルイズたちがカトレア一行と出会う前の事…。

 その時霊夢とぶつかり、彼女の不遜な態度にも怒らなかった紳士の鑑とも言うべきあの初老の貴族。

 霊夢曰く、その彼が言葉にするのも醜い状態で廊下に転がっているのだという。

 

 シエスタがその事を思い出して顔を青くするのを余所に、ルイズは言葉を続ける。

「アイツが嘘を言ってるとは思わないけど…信じろって言われてもそう信じれることじゃないでしょ?」

 数時間前に出会い、軽く一言二言言葉を交えた紳士が今や被害者という扱いを受けているのだ。

 現実とは思えない出来事を眼前にして、ルイズは本当の事を自分の目で知りたいのだろう。

 例えそれが吐き気を催す程酷い状態であったとしても…それを現実だと受け入れる為に。

 

 確かに彼女の言う事も分からなくはないと、魔理沙は少なくない共感を得た。

「まぁルイズの言うとおりだな。私だって気になる事を調べられないていうのは、何だか癪に障るんだよなぁ」

「でも…レイムさんが言ってたじゃないですか?結構酷い状態だったって…」

「ソレはソレ…所謂自己責任ってコトでいいじゃないか?ルイズだって覚悟して行きたいって言ったんだし」

 シエスタの反論に普通の魔法使いはそう返し、ルイズの方へ顔を向けて「だろ?」と話を振ってくる。

 突然の事に多少反応が遅れたものの、魔理沙からの問いにルイズは緊張した面もちで頷く。

 

「ま、まぁそれは当然よ。…吐くかどうかは、直接見てみないと分からないけど…」

 ルイズの返答を聞いて魔理沙はニヤリと笑い、彼女の肩をパシパシと軽く叩いて見せた。

「…な?この通り本人はとっくに覚悟決めてるんだぜ」

『まぁ吐いても別に文句は言われんだろうさ。白い目で見つめられそうだけどな』

「…なんで決めつけてくるのよ。後、私の肩を無暗に叩かないでくれる?」

 

 デルフの余計なひと言に文句を言いつつも、肩を叩いてくる魔理沙の手を払いのける。

 のけられたその右手を軽くヒラヒラと動かして悪い悪いと言いつつ、黒白は話を続けていく。

「…でもま、ここからは出られそうにないし何もできない事に代わりはないけどな」

『絵空事は好きに思い描けるが、それを忠実に実行する事程難しい事はないってヤツだよ』

 あっけらかんと事実を述べてくる彼女とデルフにムッとしつつ、ルイズは不屈の意志を露わにする。

「でもこのまま大人しくしてたら手遅れになっちゃうじゃないの。何かいい方法は無かったかしら…?」

「ルイズ…貴女、本当に行くつもりなの?」

 そう呟いて周辺を警備している衛士達を見つめていると、それまで黙っていたカトレアが言葉を投げかけてきた。

 敬愛する姉の言葉にルイズはスッと顔を向けると、それを合図にしたカトレアが喋り出す。

 

「そこの黒白…マリサさんの言う事には私も賛同できるわ。私だって、色んなことを自分の目で見てみたいもの。

 けれど…貴女が今から目にしたいというモノは、おおよそ誰もが見てみたいと言うようなものじゃないかもしれない…というのも事実よ」

 

 やや遠回し的ではあるものの、彼女の言いたい事は何となく理解する事はできた。

 確かに、自分これから目にしたいというモノは並の人間が物見気分で目にするようなものではないだろう。

 むしろ平和な社会ではおぞましいモノとして忌避され、目をそむけて見ない振りをする類のものかもしれない。

 世の中にはそういうモノを見て興奮する人間がいるらしいが、 当然ルイズにそのような趣味は全く無い。

 実際にソレを見てしまえば顔を真っ青にして卒倒してしまうかもしれないし、吐いてしまうかもしれない。

 

 それでもルイズは知りたかった…否、霊夢の傍に生きたかったのである。

 自分と魔理沙たちには上辺だけを語り、自分の私見を述べる事を控えた彼女だけが知ってるであろう事実を

 突拍子も無く何かを感じ取り、脇目も振らずに現場へと直行した彼女が何を感じ取ったのか。

 これまで抱えてきた幾つかのトラブルを自分たちにはあまり語らず、あくまで個人の問題として片付けてきた霊夢。

 彼女は何かを知っているに違いない。この劇場で起きた、奇怪な事件の裏に隠された真実を。

 

 …とはいえ、彼女の元へ辿り着くには今のところ色々と大変なのは火を見るより明らかだ。

 どうやら魔法衛士隊が現場に到着するまでの間は、自分たちはこのラウンジで待機する事になっている。

 一階へと通じる階段にはもちろんの事、それ以外の劇場のあちこちに衛士達が屯している。

 その間を巧妙に掻い潜って霊夢の元へ行くとなると…かなり無理なのは明白であった。

 貴族の強権で無理やり…というワケにもいかない。そんなのが通じたのは四十年も前も昔の事である。

 今では許可さえあれば、平民の衛士でも学生相手ならば『公務執行妨害』の名のもとに拘束できてしまうのだ。

 

 最も、それは学生側も相当暴れなければ滅多にそうならないし、ルイズ自身ここで暴れようなどという気は微塵も無い。

 ただ…いつもの態度で通しなさいと言っても、彼らは決して道を譲ることは無いだろう。

 簡単には通してくれそうにも無く、ましてや実力行使などもってのほかで八方塞りと言う状況。

 それでもルイズ自身諦めきれないのは、色々と異世界からやってきた者たちの悪影響を受けたからであろうか?

 手段が思いつかぬ中、それでも何かないかと考えているルイズを見て、魔理沙は微笑みながら話しかけてきた。

「なんだなんだ?普段はあんなに仲が悪そうなのに、いざってなるとアイツの事が気になって仕方がなくなったのか?」

「え?…ち、違うわよこの馬鹿。…っていうか、何でそんな想像ができるのよ」

 突然魔理沙にそんな事を言われたルイズは一瞬慌てながらも、すかさず反論を投げ返す。

 しかしそれを受け取った魔理沙は何故か怪訝な表情を一瞬だけ浮かべ、またすぐに笑みを浮かべて見せる。

 今度は先ほどとは違い、他人の良からぬ秘密を知った時の様な嫌らしい笑顔であった。

「あぁ~…成程な、そういうことか。…つまり、お前さんにはソッチの気があるってことか?」

「…?そ、ソッチ…?」

 今度はルイズが黒白の言葉の意味をイマイチ理解できずにいると、デルフが余計な一言を挟んでくれた。

 

『いやー娘っ子、多分お前さんの考えてた事とマリサの考えてた事は全然違うと思うぜ~』

「え?それって一体…」

 魔理沙の腕に抱かれるデルフはルイズが首を傾げるのを見て、もう一言アドバイスする事にした。

『つまり…魔理沙が言いたいのは、お前さんはレイムの事―が…あり?―――いでッ…!?』

「うおぉッ…!?」

 しかしそのアドバイスは最後まで言い切る前に理解したルイズに勢い掴まれ、床に叩きつけられた事で途切れてしまう。

 二階のラウンジに鞘に収まった剣が勢いよく叩きつけられ、派手で重厚な音が周囲に響き渡る。

 これには流石の魔理沙も驚いたのか、地面に横たわる(?)デルフを見捨てるかのように後ずさってしまう。

 周りにいた衛士達や様子を見ていたシエスタ、カトレアも何事かと一斉にルイズの方へと視線を向ける。

 

 地面に転がるデルフをやや怖い目つきで睨むルイズへ向かって、カトレアが驚きながらも話しかける。

「ちょ…ちょっとルイズ、貴女どうしたの?」

 敬愛する姉からの呼びかけに彼女はハッとした表情を浮かべると、すぐに顔を上げて応えた。

「あ、いえ…ちいねえさま。大丈夫…大丈夫です、何の問題もありませんわ」

 インテリジェンス―ソードを思いっきり床へ叩きつけて、挙句に怒りのこもった目で睨みつけていて何が大丈夫なのか。

 久しぶりに見たであろう妹の癇癪に狼狽えるカトレアを見て、流石に剣相手に怒り過ぎたと思ったのだろう。

 ルイズは自分で床に叩きつけたデルフを拾い上げると、軽く咳払いしてから彼に話しかけた。

 

「…コホン。とにかく、私はマリサが思ってるような意味で言ってないって事は理解しておきなさい」

『あぁ、肝に銘じとくぜ。…イテテ、だけど流石にアレはキツイぜ』

「身から出た錆ってヤツよ。アンタ自身は憎たらしいくらいにピッカピカだけどね」

 今回ばかりはいつも涼しい顔をしているデルフも、苦悶の呻き声を上げている。

 まぁあれだけ激しい仕打ちを受けたのだから、無理も無いだろう。

 珍しく反省の様子も見せる彼を目にして、ある意味事の発端者である魔理沙がちょっかいを掛けてきた。

「まぁ日頃から色々と毒を吐いてるしな。これを機に自分を改めてみたらどうかな?」

「…その言葉、デルフに代わって私がそのまま返してやるわ」

 デルフ以上に反省の色を見せぬ黒白に呆れつつも、ルイズは直前に考えていた事へと意識を切り替えていく。

 魔理沙とデルフの所為で脱線しかけていた直面の問題を思い出し、その事で再び頭を悩ませる。

 とはいえ、彼女が思いつく限りの事は既に考え切ってしまっている。

 それらは全て上手く行くという可能性は低く、結局の所ここで大人しくしているのが一番ベストな選択だろう。

 ルイズ自身できればそうしていたかったが、同時に霊夢が目にしたモノを自分の目でも確認したかった。

 探究心と好奇心、それに使い魔であり共に異変を解決する間柄となった筈の霊夢に置いて行かれるという微かな怒りが心の中で混ざっていく。

 そう簡単に発散できないその感情を心の中で渦巻かせて、ルイズはやるせないため息をついてしまう。

 溜め息に混じる感じとったのだろうか、ルイズの表情を察してやや真剣な顔をした魔理沙が話しかけてくる。

 

「…その様子だと、霊夢に置いてかれた事が結構ショックだったそうだな」

『娘っ子の性分から考えりゃあ、自分だけ隠し事されててレイムだけが知ってるってのが気に食わんのだろうさ』

「ふ~ん…。まぁ霊夢のヤツって、大体自分だけで抱え込んだ問題を大抵は自分の力だけで解決しちゃうからな」

 これまで幻想郷の異変で幾度と無く霊夢の活躍を見てきた魔理沙には分かるのか、デルフの補足にウンウンと頷いている。

 いつもは神社の縁側でお茶飲んでグータラしてるあの巫女は、何かが起こった時だけは機敏に動き回るのだ。

 そして基本的には誰にも頼らず単独で黒幕の元へと飛び、チャッチャと異変を解決してしまうのが博麗霊夢という人である。

 だから今回の件も、ルイズや自分には頼らずさっさと片付けようとする未来が思い浮かんでしまう。

 最も、ここはハルケギニアなので幻想郷とは勝手が違うだろうが…それは些細な問題であろう。

 

 そんな風に一人何かに納得する魔理沙を余所に、ルイズは自らが抱えているデルフへと話しかける。

「デルフ、アンタもここから理由を付けて出られそうな案とか思い浮かばないかしら?」

『ここを出るどころか、そもそも手足が無い剣のオレっちにソレを聞くのかい?ふぅー…』

 自分一本だけでは身動きすらままならないデルフはルイズの要求に対して、暫し考え込むかのような溜め息をつく。

 カチャ、カチャ…と喋る度に動いている留め具の部分を適当に鳴らしてから――ふと、ある事を思い出した。

 

『…なぁ娘っ子。お前さん、とりあえずここから出てレイムの元へ行きたいんだったっけか?』

「…?そうだけど」

 何を今更再確認などと…そう言いたげな様子を見せるルイズにデルフは言葉を続ける。

『だったら一つ…行けるかどうかは知らんがそういう事ができそうな方法があるぜ』

「え?それ本当なの?」

『あぁ。…でもその顔から察するに、あんま信じて無さそうだな』

 剣の口(?)から出たまさかの言葉に、ルイズはやや半信半疑な様子を見せていた。

 何せありとあらゆる方法を考えて駄目だったというのに、今更どんな方法があるというのだろうか。

 

 そう言いたげな雰囲気が空けて見えるルイズの顔を見て、デルフは『まぁ聞けや』と更に話を続けていく。

『その方法は…まぁ、スッゴい今更かもしれんが、お前さんはとっくにその方法を『持って』るんだよ』

「…はぁ?」

 やや躊躇いつつも留め具から出したその言葉に、ルイズの表情は「何を言っているのだこの剣は」という物へと変わる。

 対してデルフの方はルイズの反応を大体予想していたのか、まぁそうなるわな…と思いつつ喋り続けた。

『忘れたのかい?…ホラ、ちょっと前に大切な友人から貰ったあの゙書類゙の事を』

「…?゙書類゙…って―――――…あっ」

 デルフの留め具から出だ書類゙という単語を耳にして、ようやく彼女も思い出したらしい。

 ハッとした表情を浮かべたルイズはひとまずデルフを魔理沙へと渡し、次いで慌てた様子で自身の懐を探り始めた。

 

 ルイズとデルフのやり取りを見ていた魔理沙も、それでようやく思い出したのか。

 「あぁ」と感心したかのような声を上げ、ポンと手を叩いてからニヤリと笑って見せた。

「そういや…そういのも貰ってたっけか?今の今まで使い道が無かったから、流石の私も忘れかけてたぜ」

「まぁ、そりゃ…モノがモノだから無暗に使うワケにも…いかないわよ!」

 魔理沙の言葉にルイズは懐を漁りつつ、目当てのモノを『魅惑の妖精』亭に置いてきてない事を祈っていた。

 今彼女が探しているものは…もしも何か、最悪の事が起こったらいつでも使えるようにと直に持っていたのである。

 ブラウスのポケットを探り終えたルイズは少しだけ顔を青くしつつ、次にスカートのポケットへと手を伸ばしたところ―――

 

「……あったわ」

 ポケットへと突っ込んだ指先に触れる羊皮紙の感触に、彼女はホッと安堵しつつ呟いた。

 すぐさまそれを人差し指と親指で摘み、慎重かつ素早くポケットの中から取り出して見せる。

 それは数回ほど折りたたまれた羊皮紙であり、見た目でも分かる程の紙質の良さは決して安物ではないと証明している。

 微かに震えだした指先で慎重に紙を開いていくと、それは一枚の゙書類゙へと姿を変えた。

 その゙書類゙を見て魔理沙もパッと嬉しそうな表情を浮かべ、ルイズの肩を数回叩いて喜んでいる。

 

 その書類はかつて、ルイズがアンリエッタ直属の女官となった際に貰ったものであった。

 女官としての仕事を行っている最中、不都合な事があった際に提示すれば特別な権限を行使できる魔法の一枚。

 今まで特に使い道が思い浮かばず懐へ忍ばせ続けていたその魔法を、ルイズは今正に取り出したのである。

 

「おぉ、やっぱり持ってたのか!でかしたなー、ルイズ」

「あ、当たり前じゃない…ってイタ、イタ!ちょっとは加減にしなさいよこの馬鹿!」

 魔理沙としては加減したつもりなのだろうが、ルイズにとっては結構痛かったらしい。

 自分の肩を乱暴気味に叩く魔理沙の手を払いのけつつ、ルイズは改まるかのように咳払いをしてみせた。

「コホン…とりあえず、この書類の権限を上手い事使えば階段前の彼らは通してくれるかも…」

「それでダメなら、ダメになった時の事は考えてるのかい?」

「流石に通してくれないって事はないかもしれないけど…まずはやってみなきゃ始まらないわよ」

 いざ見せに行こうというところで不安なひと言を掛けてくる魔理沙を睨みつつ、ルイズは階段の方へと歩いていく。

 その間にも数回咳払いしつつもサッと身だしなみを整え、ついで軽い呼吸でもって自身の意識をサッと切り替えてみせた。

 三人の衛士達が槍を片手に階段の近くで待機しており、何やら軽い雑談をしている最中だ。

 やがてその内一人が近づいてくるルイズに気が付き、すぐに他の二人も彼女の方へと視線を向ける。

 

 何か言いたい事でもあるのかと思ったのか、真ん中にいた一人が近づいてくるルイズに話しかけた。

「ミス・ヴァリエール。何か我々に御用がおありでしょうか?」

「あぁ、自分から話しかけてくれるなんて気が利くわね。悪いけど、ここを通してもらえないかしら」

 話しかけてきた衛士に軽く手を上げつつ、ルイズはサラッと本題を要求する。

 その突然な要求に二十代後半と見られる若い衛士は数秒の無言の後、口を開いた。

「…?お手洗いでしたなら、二階にもあった筈ですが…」

「お手洗いじゃないわ。私も一階に下りて、事件現場を視察に行きたいの」

「あぁすいません。そうでした…って、え?」

 ある意味大胆すぎるルイズの要求に話かけた衛士はおろか、横にいた二人も目を丸くしてしまう。

 例え衛士であっても、それなりの地位を持つ貴族の命令はある程度聞かなければならない。

 それがヴァリエール家のものであるなら尚更だが、今回だけは特別として命令を聞く必要は無いと言われていた。

 通してくれと要求された衛士はその事を思い出すと慌てて首を横に振りつつ、ルイズに通せない事を伝えようとする。

「も、申し訳ありませんが特別命令が発布されておりまして、許可が無い限り誰も通すなと厳命されているんです…」

「あらそうなの?でも大丈夫よ、私もアナタたちにここを通しなさいと命令できる立場にいるんですもの」

 ルイズはあっけらかんにそう言うと、先ほど取り出した書類をスッと彼の前に差し出して見せた。

 衛士は目の前に出されたその一枚へと視線を移し、そこに記されている内容を声を出さずに読んでいく。

 幸い彼は衛士の中でもそれなりに高い地位にいるので、文字の読み書きはできる方であった。

 

 横にいた同僚たちも何だ何かと横から覗き見し、やや遅れつつも内容に目を通していく。

 やがて記されていた内容を読み終え、最後にそれを記入した者の名とそれに寄り添うかのように押された白百合の印へと目を通す。

 確認し直すかのように何回か瞬きをした後、書類を見せるルイズに向けて改めて敬礼をした。

「し、失礼いたしました!」

 それと同時に後ろにいた同僚たちも続いて同じように敬礼したのを見届けてから、ルイズは口を開く。

「一目で分かってくれれば大丈夫よ。…じゃ、後ろにいる黒白も一緒に連れていくからそこんトコはよろしくね」

「は、はい!お気をつけて!」

 サラッと自分を連れて行く事も許可できたルイズに、魔理沙は嬉しそうな表情を浮かべている。

 

「コイツは嬉しいねぇ。てっきりシエスタたちと一緒に御留守番かと思ったが」

「アンタだって一応ば関係者゙何だし、第一アンタだって見に行きたいんでしょ?」

「まぁ嘘じゃないと言えば嘘になるな。どっちにしろ助かったよ」

 一言二言言葉を交えた後で魔理沙はデルフを脇に抱えると、近くに置いてあった自分の箒を手に持った。

 喧しくて中々重い剣とは違い無口で軽い相棒を右手に、いざルイズの傍へと行こうとする。

 そんな時であった、それまで一言も発さず状況を見守っていたシエスタが言葉を投げかけてきたのは。

「ま、待ってください二人とも!一体どこへ行くんですか!?」

「何処って…そりゃお前、霊夢の元に決まってるだろ?後、被害者になったっていう貴族がどういうヤツなのかも見に行くがな」

「え?でも、でも何でワザワザ見に行こうとするんですか?後でレイムさんに聞けばいいじゃないですか…」

 知り合いの呼び止めに魔理沙が足を止めてそう返すと、彼女は首を横に振りつつ言った。

 まぁ確かにシエスタの言うとおりであろう。しかし彼女は未だ、霊夢という良くも悪くも独り走りが好きな少女の事を良く分かっていない。

 

 自身の言葉を常人らしい正論で突き返された魔理沙は頬を左の小指で掻きつつ、何て言おうか迷っていた。

「う~ん…そうだな。…これは私の経験則なんだが、霊夢のヤツだとあんまりそういう事をせがんでも言ってくれる人間じゃないしな」

「と、いうと…」

『つまり、あの紅白が見聞きしたことをそのまま教えてくれる保証は無いってマリサのヤツは言ってるのさ』

 ま、オレっちの目にはそこまで酷いヤツには見えんがね?最後にそう付け加えたのは、デルフなりの優しさなのであろうか。

 それに関しては特に意義は無いのか魔理沙も「ま、そういう事さ」で話を終えて、再びシエスタに背を向ける。

「それに私自身気になったモノは自分の目で見て、耳で聞きたい性分なんでね。…ま、知識人としての性ってヤツだ」

「アンタの何処が知識人なのよ?」

 顔だけをシエスタへと向けて自慢げに自分を上げる魔理沙に、ルイズは冷静に突っ込みを入れた。

 それでもまだ納得が行かないのか、シエスタは首を横に振りつつ「それでも…」と縋るように言葉を続ける。

 

 

「それでも、やっぱり変ですよ!レイムさんも言ってたでしょう?被害者の貴族様はかなり酷い状態だって。

 周りにいる衛士さん達の話を聞く限りでは、あの人は嘘を吐いてないって事も何となくですが分かります…

 それでも、それでもレイムさんと同じ場所へ行くんですか?わざわざ、誰もが目を背けたくなるようなモノを見に…」

 

 やや過剰とも思えるシエスタの引きとめに、流石の魔理沙もどう返せばいいか迷ってしまう。

 まさかここまで自分とルイズの事を心配してくれるなんて、流石に想定の範囲外であった。

 ルイズ本人としても、シエスタの言う事は平民、貴族を抜きにしても真っ当な言葉である事には違いない。

(確かに…わざわざ事件現場を見に行く学生ってのも、やっぱりおかしいんでしょうね)

 わざわざアンリエッタから貰った書類を使ってまで見に行こうとする自分と魔理沙は、さぞや奇異に見えるのだろう。

 そんな事を思いつつ、それでも尚現場へ赴きたいルイズが魔理沙の代わりにシエスタへ言葉を返す。

 

「…何だか悪いわねシエスタ。平民のアンタにそこまで言われるとは思わなかった。

 正直、アンタの言ってる事は至極マトモだし少し前の私なら、わざわざ見に行こうなんて思いもしなかったし…」

 

 申し訳ないと言いたげな笑みを浮かべるルイズに、シエスタは「じゃあ…」と言い掛けた言葉を飲み込む。

 最後まで聞けなかったが彼女の言いたい事は分かる。――じゃあ、どうして?だと。

 その意思を汲み取ったルイズはほんの数秒シエスタから視線を外した後、それを口に出した。

「どうして…?と言われたら、そうね…多分、言っても分からないし無関係のアンタに言ったら駄目なんだと思う…」

「言ったら、ダメ…って?」

「文字通りなのよ。理由を言ったら、多分非力なアンタまで厄介な事に巻き込まれちゃうから」

 視線を逸らし、言葉を慎重に選びながらしゃべるルイズにシエスタは首を傾げてしまう。

 数秒程度の無言の後、ルイズはシエスタの方へと顔を向けてそう言った。

 その言葉を口にした声色と、真剣な表情は決して冗談の類を言ってるとは思えない。

 平民であり物騒な出来事とはあまりにも無縁なシエスタにもそれは分かる事ができた。

 

 ルイズの言った事に目を丸くして半ば呆然としているシエスタに、話しは異常だと言いたいのか。

 彼女へ背中を向けると「じゃ、また後で」という言葉を残して階段を下りようとする。

「待ちなさい、ルイズ」

 しかし、その直前であった。それまで沈黙を保っていたカトレアが、自分の名を呼んだのは。

 先ほどの自分と同じくいつもの柔らかさを抑えた低音混じりの声で呼び止められた彼女は、思わず振り返ってしまう。

 いつの間にかシエスタの横にまで移動していた姉は、先ほどの声とは裏腹に心配そうな表情を浮かべてルイズを見つめていた。

「ちぃねえさま…」

 その表情とあの声色で、彼女が今の自分を心配しているのは痛い程分かっている。

 けれども互いに何を言って良いか分からず、暫し見つめ合ってから…ルイズが「ごめんなさい」という言葉と共に踵を返した。

 

 そして急いでこの場から離れようとやや急ぎ足で、やや大きな音を立てて階段を下りていく。

「…あ、おいちょっと待てよ!」

『―…と、まぁそんな感じでこの場は後にさせてもらうぜ。トレイに言ってるお二人にもよろしく言っといてくれ』

 黙って様子を見ていた魔理沙はハッとした表情を浮かべ、デルフと箒を手に彼女の後を追っていった。

 その彼女の腕の中でデルフは後ろにいる二人にそう言いつつ、魔理沙と共に一階へと下りて行ってしまう。

 後に残されたのは呆然とするシエスタと心配そうな表情を浮かべるカトレアに、どうすれば良いのか分からない数人の衛士達。

 一階では下りてきたルイズ達に何事かと駆けつけた衛士達が声を上げ、暫し揉めた後に急いで道を譲っている。

 ガヤガヤと騒がしくなる一階とは身体に、二階ラウンジには沈黙が漂っている。

 皆が皆どのような事を言っていいのか分からぬ故に誰も喋らず、それが更なる沈黙を作っていく。

 そして、そんな彼らの中で第一声を上げたのは…先ほどまでここにいなかった二人の内一人であった。

「…何だか、色々と厄介な事があったそうね」

 聞き覚えのあるその女性の声に、カトレアがハッとした表情で振り返る。

 ラウンジの奥、トイレへと続く曲がり角の手前にその女性―――ハクレイは立っていた。

 用を足し終えたニナと手を繋ぐ一方で、真剣な表情を浮かべてラウンジにいる者たちを見つめていた。

 

 

 

「…それにしても、人の縁っていうのは色々と数奇なモノよね~」

 アニエスを先頭にして再び現場へと向かう最中、霊夢はそんな一言をポツリと漏らしてしまう。

 しっかりと明りが灯された一階通路のど真ん中で放った為か、通路を行き交う衛士たちの何人かが二人の方へと視線を向ける。

 それにお構いなく歩き続けるアニエスは、暢気に喋る霊夢に「あんまり大声で喋るなよ」と注意しつつ彼女の話に言葉を返していく。

「私の方こそ驚いたぞ。まさかこんな所でミス・フォンティーヌやお前達と再会できるなんて夢にも思っていなかったんだ」

「…そんでもって、彼女らが私達の知り合いだったって事もでしょう?」

 自分の言葉に付け加えるかのような霊夢の一言に、アニエスは「まぁな」とだけ返しておくことにした。

 そこから暫し無言であったが、このまま黙っているのはどうなのかと思った霊夢がアニエスへ話しかける。

 

「そういえばアンタ、どうしてタルブにいたルイズのお姉さんやシエスタの事を知ってたのよ?」

「…ん?あぁそうか、お前さんには話しておくべきか」

 霊夢からの疑問に対してアニエスはそえ言ってから、軽く深呼吸した後でざっくばらんに説明をしてくれた。

 あの村の周辺で戦争が始まる直前に、一時的に衛士隊から国軍へ入るよう命令が届いたこと、

 命令通りに軍へと入って新兵たちの仮想上官として訓練を行い、簡単な任務を遂行している内に何と戦争が勃発。

 不可侵条約を結ぼうとしたトリステイン空軍はアルビオン艦隊の不意打ちに驚きつつも、これを何とか回避、

 一方で訓練中であった国軍は空軍の援護と称して用意していた大砲で砲撃し、地上から敵艦隊を攻撃したのだとか。

 

「へぇ~…あそこでそんな戦いが起こってたのね」

「…最も、あそこで貴族平民問わず決して少ない数の将兵がワケの分からん連中に襲われて命を落としたがな」

「ワケの分からん連中…?何よソレ、そっちの方が気になるわね?」

「…あぁイヤ、スマン。そっちの方は教えられない事になっている」

 アニエスからの話を聞いていた霊夢は納得したように頷きつつ、同時に彼女の言う『ワケの分からん連中』の正体を既に知っていた。

 つまりアニエスは軍の一員としてあのタルブにいて戦争に参加し、そして奴らの放ったキメラに襲われたのだろう。

 霊夢が一人ウンウンと微かに頷いて納得する中で、アニエスは話を続けていく。

 結果的に突如現れたその『ワケの分からん奴ら』に襲われて地上部隊は敗走し、アニエスと幾つかの部隊はタルブ村まで後退。

 そしてアストン伯の屋敷の地下へと村民たちと共に避難し、そこでカトレア一行と出会ったのだという。

 

 その後は夜を待ってから、隣町にまで後退したであろう仲間たちを呼ぶ為に彼女を含めた兵士たちが脱出を決行。

 周辺の山を越える為の水先案内人として、偶然にもその中で最も若く丈夫であった地元民のシエスタが選ばれたのだという。

「…成程、アンタとシエスタはそこで顔を合わせってるってワケね」

「正確に言えば、そこで二度目だったんだが…まぁその話は後でいいだろう」

「…二度目?」

 アニエスの意味深な言葉に、霊夢は思わず首を傾げてしまう。

 それを余所にアニエスは話をそこで切り上げ、彼女を後ろに更に廊下を進んでいく。

 

 

 

 

 その通路は数時間前に霊夢が通った廊下とは違いしっかりと掃除が行き届いており、雰囲気も暗くはない。

 あの不気味な通路があったとは思えぬ程ちゃんとした場所でも、それでもあの通路とはほんの少し距離がある程度であった。

 霊夢自身はこの通路へ入る前にアニエスからの説明で、一応は現場へと続いているという事だけは教えてもらっていた。

 最初は自分をだまして尋問か取り調べでするつもりかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 多少遠回りにはなるらしいが、それでも時間を計ればほんの数秒程度の差しかないのだとか。

「あともう少し歩いたら通路の横に扉があるから、ソレを通って現場近くの廊下にまで出るぞ」

「…ん、分かったわ」

 忙しそうに劇場内を行き来する衛士達を横目で見つめながら、霊夢は右側の壁へと視線を向ける。

 確かにアニエスの言うとおり、自分たちから見て通路右側の壁に古めかしい扉が取り付けられていた。 

 

 見ただけでも年季の入りが分かるソレのノブをアニエスが手に持ち、捻る。

 そのまま前へと押し込みドアを開けると、ドアとドアの間に出来た隙間から男達の話し声が聞こえてきた。

 恐らく見張りについている衛士達なのだろう。言葉遣いだけでも何となくその手の人間だと分かってしまう。

(見張っている最中に無駄話などと…まぁでも、それぐらいなら特に咎める事じゃあないな)

 アニエスは心の中で肩を竦めつつ、そのまま無視してドアを開けようとした…その時であった。

 彼女が今最も意識の外に追いやりたかった『問題』を彼らが口にしてしまったのは。

「…そういえば、お前さぁ。昨日配られたポスターの顔ってさぁ、やっぱり…」

「しー、それはあまり言わん方が良いぞ。俺たちの仲間なんだし、アイツと親しいアニエスもここにいるんだしな」

 最初こそソレを無視して開けようとしたアニエスの手がピタリと止まり、ドアを少し開けた状態のまま固まってしまう。

 後ろにいた霊夢もその話し声を耳にしており、一体何を話してるのかと気になったのだろうか、

 アニエスの横に移動するとそこから少し耳を傾けて、 何を話しているのか聞き出そうとしていた。

 

 衛士達は扉を開けてすぐ右にいるのだろうか、話し声がやたら大きく聞こえてくる。

 声からして二人。互いの口ぶりから結構親しい間柄のようだ。

「…それにしても、アニエスのヤツも大変だろうなー。何せ隊長が行方不明で、おまけにミシェルが指名手配されてるしな」

「っていうか、何であんなすぐに指名手配が出たんだろうな。普通ならもっと時間掛かるだろうに」

「そこだよな?ってか、ウチの所の隊長もその指名手配に首を傾げてたなー…だって結構マジメだったし」

「だよな。俺なんて今年の初めに、警邏中に油売ってたら思いっきり尻を蹴飛ばされたよ」

「ははは!お前さんらしいぜぇ~」

 まるで場末の酒場でしている様な会話に、流石のアニエスも我慢できなくなったのか、 

 危機を察した霊夢がスッと身を引くのと同時に、思いっきり開け放って見せた。

 

 丁度扉の近くにいた一人の衛士が急に開いたソレを見て身を竦ませつつも、彼女の名を叫んだ。

「おぉっ…!?な、何だよアニエス!危ないじゃねぇか!」

「悪かったな。勤務中だというのに下らん話しをしていた連中がいたもんでな、少し驚かせてやったんだよ」

 驚く同僚に詫びを入れたアニエスは次いで右の方へと視線を向けて、そこにいた二人の衛士を睨み付ける。

 二人して二十代半ばだろうか、まだ入って一年であろう彼らはドアの向こうから姿を現した彼女に驚いていた。

「え…!ちょっ…いたのかよお前!」

「…このままお前らの間抜け面に思いっきり拳を埋めてやりたいが…今は仕事中だ。…私の気が変わらんうちに持ち場へと戻れ」

「わ…わかった、わかったよ!」

 驚く二人に人差し指を突き付けるアニエスにビビったのか、もう一人がコクコクと頷きながらその場を後にした。

 残った一人も彼の背中を追い、そのままロビーの方へと走り去ってしまう。

 その情けない背中を見つめつつも、霊夢は静かに怒っているアニエスに話しかけた。

 

「やけに怒ってたわね、何か気になる事でもあったの?」

「仕事中に油を売っていたのもあるが…今はちょっとな、忘れておきたい事を思い出されたんだ」

「忘れておきたい…?」

「今の仕事に集中できんって事だよ」

 またもや首を傾げそうになった霊夢にそう言って、アニエスは踵を返して廊下の奥へと進んでいく。

 先ほどとは違い明りの殆どない、薄暗いその廊下を。

 その後ろ姿を見つめる霊夢は、何かしらの事情があるのだろうという事だけは何となく理解していた。

(気になるっちゃあ気になるけど…今はそれを一々聞ける程時間の余裕は無さそうね)

 今抱えている『何か』を記憶の片隅に置いている彼女に声を掛けられる前に、霊夢はその後をついていく。

 もう一度この薄暗い廊下の向こうにいる、氷漬けにされた男の許へ。

 

 アニエスと霊夢が下水道へと続く通路がある曲がり角へ辿りついたのは、それから一分も経ってないであろうか。

 曲がり角の手前には見張りであろう若い衛士と隊長らしき中年の衛士がおり。それに加えて魔法衛士隊員も二人ほどいた。

 薄く安そうな鎧を纏った衛士達とは違い、ある程度上質な服にマンティコアの刺繍が入ったマントを羽織っている。

 こに至るまで平民の衛士達ばかり見てきた霊夢は、見慣れぬ貴族たちを指さしながらアニエスに聞いてみた。

「誰よアイツら?アンタ達のお仲間?」

「そうとも言うな、所属は物凄く違うが。…今回事件の起きた場所と被害者が原因で、ここに派遣されてきた魔法衛士隊の連中だ」

 霊夢の質問にそう答えるていると、中年衛士のアーソン隊長と話していた魔法衛士隊の隊長らしき男が近づいてくる二人に気が付いたらしい。

 貴族にしてはヤケに穏やかな表情を浮かべた彼は、わざわざアニエスたちの方へと近づいてきたのだ。

 

 それに気が付いたアニエスはその場で足を止めると、近づいてくる隊長にビッ!見事な敬礼をして見せた。

 突然の礼に何となく足を止めてしまった霊夢は少し驚いたものの、それを真似して敬礼する程彼女はマジメではない。

 敬礼もせず、ましてや頭を下げる事も無く見物に徹する事にした巫女さんを余所にアニエスは彼の名前を口にした。

「魔法衛士隊所属マンティコア隊隊長ド・ゼッサール殿!わざわざお越し頂き、誠に恐縮です!」

「やぁ、君が噂のラ・ミラン(粉挽き)かい?…成る程、噂に違わぬ鋭い美貌に…何より、体も十分に鍛えてある。女だてら良い衛士だ」

 返す必要も無いというのに、わざわざ敬礼を返しつつもゼッサールはアニエスの満足そうに頷いてみせる。

 そして、彼が粉挽きと呼んだ彼女の横に立って此方を見つめている霊夢の存在に気が付いてしまう。

 

「おや?君は…確かどこかで見たことがあったかな?」

 先に現場に到着していた衛士達や、自分たち魔法衛士隊隊員たちとは明らかに見た目や雰囲気が違う。

 そんな少女を無視できるはずも無く、質問を飛ばしてきたゼッサールに霊夢は少し面倒くさがりながらも軽い自己紹介をした。

「まぁお互い初対面じゃないのは確かね。…名前は博麗霊夢、それを聞いたら思い出すでしょう?」

「…レイム?…レイム、レイム…レイ……ん、アァッ!」

 自己紹介を聞き、暫し彼女の名を反芻していたゼッサールはすぐに思い出す事か出来た。

 それは今から少し前、アルビオンが急な宣戦布告を行ってきた際の緊急会議で王宮に呼び出された時…。

 大臣や将軍たちの終わりの無い会議の最中に突如乱入してきた、紅白の少女が彼女であった。

 確かあの時は自分とは縁のあるヴァリエール家の御令嬢がいた事も、記憶に残っている。

 

 思い出したと言いたげな表情を浮かべるゼッサールを見て、霊夢は「どうよ?」と聞く。

 それに「あぁ」と頷いて見せると、二人が知り合いだという事に気が付いたアーソンが彼の方へと顔を向ける。

「ゼッサール殿、この少女の事を見知っていて…?」

「ん、…あ、あぁ!まぁな、少し前に知り合う出来事があってな…まぁ友達って呼べるほど親しくもないがね」

 訝しむ彼とアニエスに片目を竦めつつそう言うと、自分を見上げる霊夢を指差しながらアーソンへと聞いた。

「…で、彼女が被害者を最初に発見した少女なのかね?」

「え、えぇ。駆けつけた警備員たちが被害者の眼前にいた彼女を見ております」

 ゼッサールからの問いに 軽く敬礼しながら答えると霊夢も思い出したかのように「そうなのよぉー」と相槌を打ってきた。

 

「最初、私を容疑者だと勘違いしたのか手荒な事をしようとしてきたのよアイツラ?

 全く失礼しちゃうわ。相手が化け物ならともかく、この私が人殺しなんてするワケないのに…!」

 

 失礼極まりないわね!最後にそう付け加えて一人怒っている彼女を見てゼッサールは思わす苦笑いしてしまう。

 いきなり容疑者扱いされて怒るのは当たり前だろうが、警備員たちも人を見て判断するべきであっただろう。

 何がどう間違えれば、こんなに麗しい見た目をした彼女を人殺しなどと呼べるのであろうか。

 最初に見かけたときは少し遠くからでイマイチ分からなかったが、こうして間近でみれば何と可愛い事か。

 この大陸では珍しい黒髪とそれに似合う紅く大きいリボンに、異国の空気を漂わせている変わった服装。

 彼自身の好みではなかったが、それでもこのハルケギニアでは一際珍しい姿は彼の目を引き付けたのである。

 しかし、あまりに観すぎてしまったせいか、少し前の出来事を思い出して怒っていた霊夢に気付かれてしまった。

 

 

「全く……って、何ジロジロ見てるのよ」

「え?あ、いや…失礼した。こうして間近で見てみると変わった身なりをしていると思ってね」

「…何だか久しぶりに指摘された気がするわ」

 一貴族とは思えない程丁寧なゼッサールからの指摘に、霊夢は苦々しい表情を浮かべてしまった。

 

 その後、霊夢達はアーソンとアニエスに連れられて生殺し状態となっている被害者ことカーマンの前に立っていた。

 全身のほぼ氷に覆われ、まるで芋虫のような状態となってしまった貴族を見て、流石のゼッサールは息を呑んでしまう。

 彼も最初にそれを見たアニエス同様死んでいるかと思ったが、ぎこちない動作で顔を上げたソレと目が合ってしまったのである。

 予想外の見つめ合いに視線を逸らす事も出来ない彼は、そのまま背後にいるアニエスへと質問を投げかけた。

「これが…被害者の貴族殿かね?」

「はい、既に死んでいられるようにも見受けられますが…まだ辛うじて生きてはおります」

「生きてはいるって…しかし、これでは…」

 自身の質問に答えたアニエスの言葉に、彼は信じられないと言いたげな表情を浮かべてようやく視線を逸らした。

 職業上悲惨な状態となった死体は幾つも見てきたつもりだが、この様な状態になってまで生きている者など初めてみたのである。

 無理も無い、何せここ数十年のトリステインではこの様な状態になる者が出来るほどの戦争などなかったのだ。

 幸い吐き気を堪える事はできたが、もはや安楽死させるしかない者からの直視というものは中々辛いモノがある。

 一方の霊夢はというと、その視線をジッと足元に転がる老貴族…ではなく、一番奥に見える大きな扉に目を向けていた。

 自分を取り押さえた警備員たちが下水道がどうこうと言っていたので、恐らくあの扉の向こうは外に通じているのだろう。

 正直な所、今の霊夢は自分が最初に見つけた初老の貴族の事よりもそのドアの向こう側が気になって仕方が無かった。

 

(彼にこんな仕打ちをしたであろうヤツは気配からしてここにはいないだろうし…やっぱり、あの扉から外へ出たんでしょうね)

 最初にここへきた時にもとりあえずその扉を開けようとしたのだが、駆けつけた警備員たちに止められてしまっていた。

 それでも無視して開けようとして、ドアノブを捻った所で更にやってきた警備の者達に取り押さえられてしまったのである。

 その後はデルフを取り上げられて頭を押さえつけられながら、警備室に連行されそうになったのは今思い出してもハラワタが煮えくり返ってしまう。

(まぁあの後すぐに追いかけてきてくれたルイズのお蔭で助かったけど…結局ドアの向こうには行けずじまいだったのよね…)

 今からでもドアの前にいる警備員を押し退けていけないものかと、そんな無茶を考えていた彼女の肩を、何者かが掴んできた。

 ドアの方へと注目し続けていた彼女は「ひゃっ!?」と驚いてしまい、慌てて振り返ってみるとそこには怪訝な表情を見せるアニエスがいた。

 

「…ど、どうした?そんな急に、驚いて…」

 どうやら急に驚いたのは彼女も同じだったのか、ほんの少し身を竦ませている。

 驚かされた霊夢は溜め息をつきつつも、ジト目でアニエスを睨みつけた。

「そりゃーアンタ、人が考え事してる時に肩なんか叩かれたら誰だって驚くわよ?」

「む、そうだったのかそれはスマン。…それよりも、先にお前を連れて来いと言ってきた貴族様の顔を見てやれ」

「貴族さま?…って、あぁ」

 アニエスの言葉に視線を床へと向けた彼女は、あの初老の貴族が自分の方へ顔を向けているのにようやく気がついた。

 今にも砕け散ってしまいそうな程魔法で生み出された氷に包まれた彼の顔は、醜くもどことなく儚さが垣間見える。

 恐らく彼自身も気づいているのだろう。自分はもう長くは生きられない事と、死が間近に迫っているという事も。

 そして彼は最初にここへ来た霊夢を呼びつけたのだ。その少女の姿に反して、鋭い目つきを見せていた彼女を。

 死にかけの状態に瀕したカーマンは、自分を見下ろす少女へ向けてその口をパクパクと微かに動かしていく。

 凍り付いていく顎の筋肉を懸命にかつ慎重に動かし、ひたすら霊夢に向かって口を動かし続けている。

 まるで望遠鏡越しにしか見えない程遠くにいる人間が覗いている者に向けて行うジェスチャーの様に、その動きには必死な気配があった。

 

「……よっと」

 そして彼の視線と口の開閉から何かを感じ取ったのか、彼女は突然その場にしゃがみ込んだのである。

 床に転がる彼とできるだけ視線を合わせた後、自身の左耳を彼の口元へと傾けていく。

 突然の行動にアーソンは一瞬止めようかどうか迷い、結局はそのまま見守る事にした。

 アニエスやゼッサールも同じなようで、周りにいる他の衛士達同様これから彼女が何をするのか気になってはいた。

 耳を傾け、自らの話を聞いてくれようとする霊夢へ向けてカーマンは蚊の羽音並のか細い声で喋り出したのである。

「―――、――――…?」

「……私は単なる通りすがりの巫女さんよ。…まぁ今はワケあってこの国にいるけど」

 カーマンが一言二言分の小さな言葉を出した後、その数倍大きい声で霊夢が返事をする。

 アニエス達には彼が何を言っているのかまでは聞き取れないが、ここへ彼女を呼び出したからには何かワケがあるのだろう。

 そう思ったアニエスは霊夢に続いてしゃがみ込み、彼女の隣で話を聞こうとソット耳を傾けたのである。

 

「―――――、―――――」

「いや、見てないわ。私が駆け付けた時にはもう誰もいなかったし…」

 続けられる問いに霊夢は首を横に振るのを見た後、彼は更に質問を続けていく。

「――――、――――――――」

「…成程。確かに、ここから逃げようとって思うならそこしかないわよね?」

 風前の灯の様な彼の小さな言葉に彼女は納得したようにうなずき、下水道へと続く扉を注視する。

 そして数秒ほどで視線を元に戻したところで、再び彼女に話しかけた。

「―――――、―――――――――」

「…?ズボンの右ポケット…?ここかしら…」

「あっ…おい、勝手に被害者に触るんじゃない」

 何かお願いごとでもされたのか、急に彼のズボンの方へと手を伸ばしそうとた霊夢をアニエスが咄嗟に制止する。

 すんでの所で停止した所で彼女は後ろにゼッサールへと顔を向けて、「どうします?」と指示を仰いだ。

 ゼッサールはほんの数秒悩んだ後、先にズボンへと手を伸ばした霊夢に何を言われたのか聞いてみた。

「スマン、彼は今何と…?」

 ゼッサールからの問い霊夢は彼を無言で睨み付けたものの、あっさりと話してくれた。

「…自分はもう長くない。だから死ぬ前に頼みたい事があるから、ポケットを探ってくれ…って言ってたのよ」

「そうか…頼む」

 霊夢を通して初老貴族の要求を聞いた彼は、アニエスの肩を軽く叩いて許しを出す。

 これをOKサインだと判断した彼女はコクリを頷いてから、霊夢に代わってズボンの右ポケットを探り始める。

 

 薄い氷に包まれたズボンはとても冷たく、今にも自分の手までも凍ってしまいそうな程だ。

 夏であるにも関わらずその体はゆっくりと温度が下がり、薄らと肌に滲んでいた汗すらもひいていく。

 このまま探し続けていたら本当に凍ってしまうのではないかと思った矢先であった、アニエスが「…あった」という言葉と共に何かをポケットから取り出したのは。

 それは霜の点いた革袋で、袋越しにも分かる出っ張りから中身が何なのかは容易に想像できた。

 霊夢に代わって袋を取り出したアニエスが念のため口を縛っていた紐を解くと、中から金貨が数枚程零れ落ちた。

 慌ててそれを拾うと掌の上に置いて、様子を見ていた他の三人にもその金貨を見せてみる。

「…これって金貨?袋の中にもまだ結構な量が入ってるけど」

 霊夢が袋の中にある残りの金貨を見つめていると、再び初老貴族が何かを言おうとしているのに気が付く。

 少し慌てて耳を傾けると、彼はか細い声で彼女に何かを伝え始めたのである。

 

 先ほどとは違い、それは少しだけ長く感じられた。

 頭の中に残された理性を総動員させたかのように、彼は霊夢の耳に遺言とも言える頼みごとを伝えていく。

 正直なところ、それを聞くのが霊夢でなくとも良かったかもしれない。

 しかし霊夢自身はそれを聞き捨てる事無く耳を傾け、彼が残りの命を消費して喋る事を一字一句受け止めている。

 その表情に決してふざけたものなどなく、ただ真剣かつ静かに聞き届けていた。

 

 やがて言いたい事は終わったのかカーマンが口を動かすのをやめると、霊夢はスッとアニエスの方へと顔を向ける。

 彼の言葉が気になったアニエスは「どうした?」と霊夢に尋ねると、彼女は彼が言っていた事を口にした。

「そのお金でブルドンネ街三番通りの裏手にピエモンっていう男がやっている店があって、そこで三番の秘薬を買ってほしいと言っていたわ…」

「秘薬?その袋の中の金貨でか?」

「一応店自体は存在しています。…あの男、違法かつ高値を吹っかけてきますが秘薬生成の腕は本物です」

 霊夢を通じて語られるカーマンからの言葉に、ゼッサールは袋の中身を一瞥しながら怪訝な表情を浮かべる。

 そこへすかさず街の地理に精通したアーソンが補足を入れた事で、ゼッサールはある程度納得することができた。

 確かに彼…もとい少女の言うとおりブルドンネ街の三番通り裏手には、そういう名前の男がやっている秘薬店は存在する。

 非合法なうえにバカみたいな値段で秘薬を売っているが、表通りで売っているポーション屋よりも効果があるというのは結構な数の人が知っていた。

 最も、その秘薬を調合するのにサハラ産の麻薬を使っている…という黒い噂もあるにはあるのだが。

 

 今は多忙で無理だが、いずれは徹底的に調べてやると改めて意気込むアーソンを余所に、

 アニエスはそれだけではないと、霊夢にカーマンの言っていた事は他にはないかと尋ねていた。

「…それで、そこで秘薬を買ったらどうすると言っていた?」

 その問いに霊夢はコクリ頷いて「もちろんあったわ」と答えた後、少し言葉を選びつつもしゃべり始めた。

 

「あぁ~、確か…しぇる…じゃなかった、シュル…ピス…だったかしら?ここから少し離れた場所にある街にあるアパルトメントまで届けて欲しいって…。

 名前は―――…そう、『イオス』だったわ。そこの三階の一室に住んでる自分の奥さん…アーニャっていう人に、届けてくれないか…って私に言ってきたわ」

 

 慣れない発音に戸惑いつつも、最後まで言い終えた霊夢にアニエスは「そうか」とだけ返す。

 彼女にはカーマン氏の身元は話しておらず、本来なら自分たちしか知らない情報の筈であった。

 という事は、今話してくれた事は全て彼から伝え聞いたことであるのは間違いないだろう。

 霊夢をとおしたカーマンの遺言を聞き終えたアニエスは、スッとアーソンとゼッサールの二人へと視線を向ける。

 どうしますか?―――視線を通して伝わる彼女の言葉に答えたのは、同じ衛士隊のアーソンではなく、魔法衛士隊のゼッサールであった。

「彼もまた私と同じくトリステインの貴族。ならばその願いを応えてやるのが死にゆく者への弔いとなりましょう」

「…でしたら、秘薬の方は?」

「えぇ、住所さえ教えていただけたら私が秘薬を買い、そして彼の奥方へ届けます」

 我が家名と、貴族の誇りにかけて。最後にそう付け加えると、彼は人の良さそうな笑みを浮かべて言葉を続ける。

 

「…とは言いましても、一貴族がそんな酔狂な事をするかと疑われればそまでですがね」

「いいえ、貴方なら信用できます。確証はないですが、信頼できる人だ」

 軽い自虐とも取れるゼッサールの言葉にアニエスは首を横に振ると、彼に金貨の入った革袋を差し出してみせる。

 一衛士からの賞賛に彼はただ「そうか、ありがとう」とだけ返し、数秒の間を置いてその革袋を受け取った。

 掌の上にズシリとした微かな重みを感じつつ、渡されたソレを開けて再度中身の確認を行う。

 ちなみに、最初にアニエスが紐解いた際にこぼれ出た分は受け渡す直前に戻している。

 それでも念のためにと彼女の方へと視線を向けるが、それは相手も察しているのか大丈夫と言いたげに頷いて見せた。

 

 受け取るモノをしっかりと受け取った後で、ゼッサールは自分を見上げる初老の貴族へと視線を向ける。

 いつ息を引き取ってもおかしくない彼は、呆けた様な表情を浮かべていた。

 

 一体彼が今何を考えているのか分からぬが、それでもゼッサールは死にゆく同胞に対しての礼儀を欠かさなかった。

 軍靴鳴らしてつま先を揃え、腰から抜いたレイピア型の杖を胸元で小さく掲げた彼は落ち着き払った声で彼に別れを告げる。

「では少し時間は掛かるかもしれませぬが…貴方の遺言、しっかり叶えてみせましょうぞ。カーマン殿

 自分と比べれば家は低く、決して裕福な生活では無かったものの、貴族として大先輩である彼への告別の言葉。

 その言葉と顔を見て本気だと理解できたのか、呆けた表情から一変して穏やかな笑みを氷の張りつく顔に浮かべた彼は必死に口を動かし―――

 

 ――…あ・り・が・と・う…。

 

 声無き言葉を彼に送った直後、その顔に穏やかな微笑みを浮かべたまま―――カーマンはその頭をガクンと項垂れさせた。

 直後、氷に大きな罅が入った時のような耳障りな音と共に彼の後頭部に、大きな一筋の亀裂が入る。

 それを見た霊夢は思わす「あっ…!」声を上げた彼の傍に寄ろうとするが、寸前にその足が止まってしまう。

 彼女だけではない、アニエスやアーソン…ゼッサールを除くその場にいた衛士達も息を呑んでカーマンの遺体を見つめている。

 正確には亀裂の入った彼の後頭部の隙間から夥しく溢れ出てくる、おぞましくも明るい赤色の血を。

 まるで切込みを入れた果実から溢れ出る果汁の様にそれは彼の耳を伝い、赤い絨毯を鮮やかな赤で染めていく。

 

 一切の動きを止めた彼に代わるかのように流れ出る鮮血が、薄暗い赤の上を伝って小さな血だまりを作る。

 それを黙って見降ろす霊夢達の背後、突如として陰惨な光景には似つかわしくない活発な声が聞こえてきた。

「通るわよ…って、いたわ!こっちよマリサ!」

「おぉそっちか…やれやれ、ちょっと遠回りした気分だぜ」

『気分も何も、実際遠回りしてたとおもうぜ』

 目の前に広がる光景とは剥離した少女達の声とそれに混じる男の濁声に、アニエスたちは思わず背後を振り返ってしまう.。

 それに一歩遅れる形で霊夢も振り返ると、そこには案の定聞きなれた声の主たちがいた。

 見慣れぬ書類一枚を片手に握った彼女は息を荒く吐きながら、じっと自分を睨んでいる。

 その彼女の背後、廊下の曲がり角からはいつものトンガリ帽子を被った魔理沙がヒョコッと顔を出している。

 直接目にしていないが、先ほどの濁声からして彼女の手には鞘に収まったデルフが握られているのが様に想像できた。

「ルイズ…それにマリサも?」

「おぉこれはミス・ヴァリエール…って、どうしてこんな所へ?」

 二階のラウンジに閉じ込められていたルイズと魔理沙の姿を見て霊夢は怪訝な表情を浮かべ、

 前もって事件の報告を聞いていたゼッサールも、目を丸くして驚いている。

 

「ミス・ヴァリエール!一体どうして…!?」

「おいっ!どこのどいつだ、彼女らを二階から出した馬鹿はッ!」

 そんな二人に対して、現場を任されていた衛士の二人は目の端を吊り上げて怒鳴り声を上げた。

 アニエスは怒りよりも先に困惑の色を浮かべて、ここまでやってきたルイズ達を見つめている。

 一方でアーソンは曲がり角の向こう側にいるであろう部下たちに聞こえる程の怒号を上げた。

 その怒声に部下である一人の衛士が慌てて彼の前に駆けつけ、敬礼の後に事の詳細を彼に教えよとする。

「は、はっ!実はミス・ヴァリエールはアンリエッタ王女殿下から特別な書類を貰っている事が判明しまして…」

「特別な書類?王女殿下から…?」

 若干体を震わせる彼の報告にアーソンではなくゼッサールが驚くと、タイミングよくルイズがその書類を見せようとした。

 

 

「はい。実は私、姫殿下から女官として行動できる為の特別な許可……を……?」

 手に持っていた書類を掲げてゼッサール達に見せようとしたルイズはしかし、途中でその言葉を止めてしまう。

 その鳶色の瞳はただ真っ直ぐとアニエスたちの後ろ、霊夢のすぐ背後にある死体を見据えていた。

 途中で言葉が止まったルイズを見て訝しんだ魔理沙もすぐにその死体に気付き、息を呑んでいるようだ。

 「マジかよ…」と彼女にしては珍しい反応を見せて、視界の先で床に転がる白く赤いソレを見つめている。

 

「ルイズ」

 言葉を失い、ただただ死体を見つめているルイズを見て流石に心配してしまったのか、

 真剣な表情を浮かべたままの霊夢が彼女の名を呼ぶと、それに呼応するかのようにルイズは口を開く。

「ね、ねぇレイム?…もしかしてそこに転がってるのは――――」

「そうね。確かにお昼頃にぶつかった初老の貴族その人…だったわ」

 最後まで言い切る前に、やや残酷とも思える淡々とした感じで言葉を返した瞬間、

 ルイズの手から滑り落ちた書類が廊下の絨毯へと落ちる静かな音が、静かくて暗い天井に吸い込まれていった。

 

 

 王都の中心部に位置するトリステインの王宮は、日が暮れても暫くは多くの人が外へと続くゲートをくぐっていく。

 ゲートの前は厳重に警備されており、王宮所属の平民衛士や貴族出身の騎士たちが通る者の持ち物チェックなどを行っている。

 やや過剰とも思えるセキュリティであったが、場所が場所だけにそれを大っぴらに批判出来る者はいなかった。

 今日もまた多くの貴族たちが従者に鞄を持たせつつ持ち物を受けて、呼んでいた馬車に乗って自宅に帰っていく。

 彼らの大半は王宮内で書類仕事を行っており、街の近郊に建てられた豪邸を買ってそこで暮らしている。

 領地の運営等は代理任命した他の貴族に一任しており、彼らはもっぱら王宮で書類と睨めっこの日々を続けていた。

 

 そしてその貴族たちの列とはまた別の列には、いかにも平民と一目でわかる者達が書類片手に並んでいる。

 書類は往復可能な当日限定の通行手形であり、それを手にしている彼らは王宮の警護を一人された衛士達であった。 

 朝から働き、つい一時間前に夜間警備の者達と交代した彼らはこれから街で安い飯と酒で乾杯しに行く所なのである。

「ホイ、通行許可証。今から二時間、目的は夕食だ」

「あいよ。……それじゃあ、この前お前らが美味い美味いって絶賛してた屋台飯買って来てくれよ」

「おう、分かったよ」

 顔見知りである夜間警備の同僚の手で書類に印を押してもらい、ついでそれを折りたたんで懐へとしまう。

 次に持ち物検査をし、持ち出し厳禁の物を所持していない事を確認してからようやく外へと出られるのである。

 これで暫しの間自由となった彼らは一人、あるいは数人のグループを組んで次々と繁華街の方へと歩いていく。

 彼らの足が向かう先は唯一つ、美味い飯と安い酒に綺麗な女の子他達が大勢いるチクトンネ街だ。

 

 トリスタニアが昼と夜で二つの表情を持つのと同じように、王宮もまた夜の顔を見せていく。

 昼と比べて警備員の数が三割増しとなり、一部のエリアは固く施錠されて出入りを禁止される。

 庭園や渡り廊下にはかがり火が灯され、衛士や騎士達が槍や杖を片手に警備を行っていた。

 王宮内部の警備人員も増えて、槍型の杖を装備する騎士達が隊列を組んで絨毯の敷かれた廊下を歩いていく。

 鉢合わせてしまった侍女たちは慌てて廊下の隅に下がって道を譲り、通り過ぎる騎士達に頭を下げた。

 

 その光景を上階の廊下から眺めていたのは…この王宮に住まう若く麗しき姫君、アンリエッタであった。

 ほんの少し手すりから身を乗り出して廊下を歩いていく騎士達を眺めていると、後ろからマザリーニ枢機卿の声が聞こえてくる。

「殿下、騎士団長殿から夜間警備の準備が完了したとの事です」

「…そうですか。でも報告しなくて大丈夫ですよ枢機卿?私はしっかり見ていましたから」

 マザリーニからの報告にアンリエッタはそう返すと手すりから身を放しと、彼を後ろに付けて自らの寝室へ向けて歩き始める。

 

 距離にすればそれ程遠くはない所にアンリエッタの新しい執務室があるのだが、そこへ至る過程が大変であった。

「…!一同、アンリエッタ王女殿下に向けて敬礼!」

「「「はっ!」」」

「…夜間警備、ご苦労様です。その調子で頑張ってくださいね」 

 途中すれ違った衛士達は立ち止まると勢いよく敬礼し、

「貴女は先週入ったばかりの新入りさんでしたね。どうですか、ここでの仕事は?」

「え?…えっと、大丈夫ですけど…」

「そうですか。…もし分からない事があれば、遠慮なく先輩方に質問してもよろしいですからね」

「いえ、そんな…こうして姫殿下に心配して頂けるだけでも、お気持ちを十分に感じられますから…」

 顔を合わせた侍女が新入りの者だと気づけば、ちゃんとやれているかどうか聞いてあげている。

 聞いてあげる…とはいっても単に一言二言程度であったが、それでも王族の者に話しかけられる事は滅多に無い事なのだ。

 衛士達はもとより、侍女は不可思議な申し訳なさとしっかりとした嬉しさを感じていた。

 

 そんな風に通りがかる者達に一々声を掛けていくと、自然と時間がかかってしまう。

 本当なら歩いて十分で辿り着くはずの執務室の前に辿り着くのに、十五分も掛かってしまった。

「ふぅ…少し前なら然程時間も掛からなかったけど。…けれども、不思議と不快とは思わないわね」

「臣下に気を配るのも王女の定めというものですが、流石に衛士や侍女にまで一々声を掛けるのは」

「あら?少なくともあの人たちは政や会議の大好きな方々よりもずっと私に役だっていますのに?」

 ドアの前でそんな会話を一言二言交えた後に、アンリエッタはドアの前にいる騎士に向かって軽く右手を上げた。

 それを合図に騎士はビシッと敬礼した後にドアの鍵を上げるとノブを捻り、なるべく音を立てぬようにドアを開けた。

 

 ドアを開けてくれた騎士にアンリエッタはニッコリと微笑みを向け、そのまま執務室へと入っていく。

 それに続いてマザリーニも主に倣って頭を下げて入室すると、騎士はソッとドアを閉めた。

 

 今後女王となる彼女が書類仕事をする際に使われる執務室は、歴代の王たちが仕事をしてきた場所である。

 立派な暖炉に書類一式とティーセットを置いても尚スペースが余る執拗机に、着替えを入れる為の大きなクローゼット。

 入り口から右を向けば壁に沿って大きな本棚が設置されており、収まっている本には埃一つついていない。

 そして執務の合間にやってきた客をもてなす為の応接間は勿論、今は閉じられているもののバルコニーにはロッキングチェアまで置かれている。

 極めつけは部屋の隅に設置された天蓋付きのダブルベッドであった。シングルではなく、ダブルである。

 執務室…にしてはあまりにも豪華過ぎる執務室を見回してみたアンリエッタは、少し呆れたと言いたげなため息をついてしまう。

 

「今日で五回目のため息ですな。何か執務室にご不満でも?」

「いえ、不満…というワケではないのだけれど…正直執務室にあのような大きなベッドは必要ないのではなくて?」

 相も変わらず今日一日のため息を数えている枢機卿にも呆れつつ、彼女は部屋の隅に置かれたダブルベッドを指さす。

「シングルならまだ分かりますよ。でもダブルで天蓋付きだなんて…あからさま過ぎて破廉恥ではありませんか?」

「…私も詳しくは知りませぬが、歴代の王の中には名家の女性と親密になる必要もありました故…」

 隠すつもりの無いマザリーニからの言葉に、アンリエッタ思わず顔を赤くしてしまう。

 そして何を思いついたのか、ハッとした表情を浮かべると恐る恐る彼に質問をしてみた。

「歴代…とは、私の父も?」

「いえ。もし入っていたとしたら、先王の死因が病死ではなく王妃様との揉め事になっておりますよ」

「それを聞いて安心しました。…あぁいえ、あまり安心はできませんが」

 アンリエッタは父である先王があのベッドの上で゙極めて高度な交渉゙を行っていない事に安堵しつつも、

 これから自分があのベッドの置いてある部屋で執務をするという事に、多少の抵抗を感じていた。

 

 ひとまずマザリーニには明日にでもベッドをシングルかつシンプルな物に変えるよう頼んでいると…ふとドアがノックされた。

 アンリエッタがどうぞと入室を許可すると、ドアを開けて入口に立っていた騎士が失礼しますと言って入ってきた。

 怪訝な表情を浮かべた彼は敬礼をした後で気を付けの姿勢をして、アンリエッタに入室者が来ている事を報告する。

「殿下、お取込み中すいません。ただ今姫様に報告があるという事で貴族が一名来ておりますが如何いたしましょう?」

「それなら問題ありません。彼を通して上げてください」

「え…あ、ハッ!了解しました!」

 思いの外早かったアンリエッタからの許可に騎士は慌てて敬礼する。

 そして再び廊下へと出ると、彼と交代するかのように痩身の中年貴族が身を縮みこませて入ってきた。

 黒いマントに黒めの服装と言う闇夜にでも紛れ込むのかと言わんばかりの出で立ちをしている。

 

 年齢は五十代後半といった所か、一見すれば四十代にして老人と化しているマザリーニと同年齢に見えてしまう。

 ややおっとりしと雰囲気を醸し出す顔には緩めの微笑みを浮かべて、アンリエッタ達に頭を下げて挨拶を述べた。

「夜分失礼いたします。姫殿下、それに枢機卿殿も…」

「そう過剰に頭を下げずともよろしいですわ『局長』殿。…わざわざ忙しい中呼びつけたのは私なのですし」

 薄くなってきた頭頂部を見つめつつ、アンリエッタは自らが『局長』と呼んだ痩身の男へもう少し態度を崩しても良いと遠回しに言ってみる。

 しかし痩身の男は頭を上げると「いえ、滅相もありません」と言って自らの謙遜をし続けてしまう。

「私の所属する部署を立ち上げてくれた貴方の御父上である先王殿の事を思えば、つい自然と言葉を選んでしまうものなのです」

「…そうですか。私の父の事を思っての事であれば、そう無下にはできませんね」

 自身の父であり、歴代の王の中でも若くして亡くなった先王が再び出てきた事に、アンリエッタは神妙な表情を浮かべてしまう。

 平民に対して比較的優しい政策を取っていた先代のトリステイン国王は、有能であれば例え下級貴族であっても重要な地位に就かせていた。

 今こうして夜分に部屋へと呼びつけた痩身の彼も、その時に創立された『特殊部署』の指揮担当として採用されたのである。

 

 その後、一言二言の言葉を交えた後で三人は応接間のソファに腰を下ろしていた。

 一番最初に入室したアンリエッタが指を鳴らして点灯させた小型のシャンデリアが、部屋を眩く照らしている。

「ふむ、この応接間に入るのも久々ですなぁ。長らく人が入っておらぬようですが、しっかり手入れが行き届いてる」

「そうですな…ところで殿下、あの剥製に何か気になる所でも?」

「あぁいえ。鷹や極楽鳥はともかくとして…風竜の仔なんて一体どこで手入れたのかと気になりまして…」

 マザリーニはふと、アンリエッタが応接間のの飾りとして置かれている剥製に視線が向いている事に気が付いた。

 彼女の趣味ではなかったが壁や部屋の隅には、鷹や仔風竜の剥製が躍動感あふれる姿勢で飾られている。

 良く見てみれば、隅に置かれている台座付きのイタチの剥製は毛皮の模様を良く見てみると幻獣として名高いエコーであった。

 注文したのか、はたまた歴代の王の誰かが直接狩ってきたのか…今となっては知る由も無い。

 

 ちょっとした見世物小屋みたいね…。あちこちに飾られた剥製に思わず目を奪われていると、

 それを見かねたであろうマザリーニが咳払い…とまではいかなくとも彼女に声を掛けた。

「あの、殿下…気になるのは分かりますが、今は局長殿の報告を聞くのが先かと」

「…あ、そう…でしたね。失礼いたしました」

「いえいえ。何、そう焦る必要はまだありませぬのでご安心を」

 枢機卿からの指摘でハッと我に返れた彼女は慌てて頭を下げてしまう。

 それに対して痩身の男――局長も頭を下げ返した後、ゴソゴソと自らの懐を探り始める。

 暫しの時間を要した後、彼がそこから取り出したのは幾つかの封筒であった。

 

 全部計三枚、どれも王都の雑貨店で売られている様な手製の代物である。

 星や貝殻のマークが散りばめられたそれらは、痩身かつ五十代の男には似つかわしくないものだ。

 それを懐から取り出し、テープ目の上に置いた局長は落ち着き払った声でアンリエッタに言った。

「ここ最近、タルブでの会戦終了直後から『虫』の動向を探った各種報告書です。どうぞ御検分を」

「…………わかりました」

 彼の言葉にアンリエッタは一、二秒ほどの時間を置いてからそれを手に取ってみる。

 糊付けされた部分を指で剥がして封筒を開けると、中には三、四回ほど折りたたまれた紙が入っていた。

 

 一見すれば手紙に見えるその一枚を、アンリエッタは丁寧に開いていく。

 やがてそれを開き終える頃には、彼女の手の中にはちゃんとした形式で書かれた報告書が完成していた。

 そこに書かれていたのは局長が『虫』というコードネームをつけている相手の、ここ最近の動向が書かれている。

 アンリエッタがそれを読み始めると同時に、局長は静かにかつ淡々と報告書の補足を入れ始めた。

 

「これまでの『虫』は自身に火の粉が及ばぬよう、細心の注意を払っておりましたが…ここ最近はそれに焦りが生じております。

 財務庁口座内にある預金の移動や分散などの額にその焦りが見られ、会戦後に引き出し額が右肩上りになっているのが分かりますか?」

 

 局長の説明にも耳を傾けつつ、報告書に書かれている事を目に入れながらもアンリエッタはコクリと頷く。

 報告書に書かれているのは『虫』が財務庁に預けている口座預金が、やや激しく減り続けている事に関して書かれている。

 不可解な口座からの引き出しに次いで、その金を国内外の各所にある銀行等に預けているのだ。

 正確な額こそは調査中であるが、すでに『虫』が国の口座内で暖めていた全預金内の五分の三以上はあるのだという。

 それだけの額を持っているとなると…王族を別にすればかのラ・ヴァリエール家の全財産に相当するとも言われていた。

 そしてこの国随一名家を引き合いに出せる程の大金が幾つかの手順を経て、国内外へと移動していく。

 今後軍の再編などで財政を盤石にしたいトリステインとしては、この悪事を見逃す事など到底できなかった。

 

「これまでは複雑な手順、そして幾つものルートを経て幾つかの外国へ送金しており、追跡が困難だったのですが…

 先週からはまるで開き直ったかのようにそれらを全て単一化させて、一つの外国の財務庁へとせっせと送金しております」

 

 そんな説明を後から付け加えつつ、局長は懐から一枚のメモ用紙を取り出しテーブルに置く。

 アンリエッタとは報告書から目を離し、マザリーニもそちらへと視線を向けてメモに何が書かれているのか確認する。

 用紙に書かれていたのは四つの時刻であり、一見すれば何を意味しているのか分かりにくい。

 しかしマザリーニはこの時刻に見覚えがあったのか、もしや…と言いたげな表情を浮かべて局長を見遣る。

 分からないままであったアンリエッタが「これは…」と尋ねると、局長はまず一言だけ「移動手段ですよ」とのべた後に説明していく。

「王都発ラ・ロシェール行きの駅馬車と、中間地点にある道の駅で馬を借りれる時刻、そしてラ・ロシェールから出る商船の出航時間…」

 そこまで聞いてようやくアンリエッタは気が付いた。このメモに書かれている時刻に、『何か』が運ばれていたという事を。

「…!運び出す者への指示…という事ですか?しかし、これを一体どこで…」

「それもつい先週です。『虫』の館から急いで出てきた不審人物を局員が追跡し、落としていったそれを拾い上げたのです」

「御手柄ですな。…それで、その不審人物はどうしたのですかな?」

 自分たちが知らぬ間に思わぬ情報を提供してくれた彼に礼を述べつつ、マザリーニはその後の事を聞いてみる。

 しかし、それを聞かれた局長は残念そうな表情を浮かべると、その首を横に振りながら言った。

「どうやら追跡されていたのを『虫』側も気づいたのでしょう。道の駅にいた仲間と思しき男に胸を刺され、即死でした」

 その言葉に二人が思わず顔を見合わせた後、局長は自分の考えと合わせて事の経過を報告した。

 

 今回の件で殺されたのは二年前に『虫』の小間使いとして働いていた平民で、最近金に悩んでいたらしい。

 恐らくそこを元主の『虫』にそそのかされたのだろう。早い話、こちらの動きを探る為の捨て駒にされたのである。

「『虫』は我々の存在を知っている側。自分のしている事が御法度だと自覚していれば確実に監視されているだろうと警戒する筈です」

「だから今回、その元小姓を利用して監視がついているかどうか確認しようと…?」

 信じられないと言いたげなアンリエッタの言葉に、局長はゆっくりと頷いた。

 その頷きを肯定と捉えた彼女は目を丸くすると、狼狽えるかのように右手で口を押さえてしまう。

 

 此度の件の機密上『虫』と呼称してはいるが、その『虫』と呼ばれる者に彼女は色々と助けられてきたのだ。

 先王の代から王宮勤めで功績を上げて、幼子だった自分を抱いてくれたという話も彼や母の口伝いで聞いている。

 普段の仕事も宮廷貴族としては至極真面目であり、今やこの国の法律を司る高等法院で重要な地位に就いている身だ。

 その地位も貧乏貴族であった若い頃から築き上げてきた業績があってこそであり、並大抵の金を積んでも手に入る物ではない。

 アルビオンとの戦争が本格的に決まった際には、色々と言い訳を述べて遠征を中止するよう提言してきたが、それも全て国の為を思っての事。

 歴史を振り返れば、遠征の際には莫大な出費が掛かるもの。事実今のトリステインには自腹で遠征をできる程の財力は無い。

 今は財務卿や同席している枢機卿がガリア王国に借金の申請をしており、これから数十…いや半世紀は借金の返済に追われる事だろう。

 

 下手をすれば自分の自分の子の代にも背負わせてしまうであろう借金の事を考えれば、彼が遠征に反対する理由も何となく分かってしまうというもの。

 だからアンリエッタも彼――『虫』の事を内通者として疑いつつも、心の中では違うと信じていた。信じていたのだ

 しかし、その儚い希望は局長の報告によって、いとも容易く打ち砕かれてしまったのである。

 

「……………。」

「殿下…」

 残念そうに項垂れるアンリエッタを見て、マザリーニは「そのお気持ち、分かります」と言いたげな表情を浮かべてしまう。

 流石の局長もこのまま話を続けていいのかと一瞬躊躇ったものの、心を鬼にしてなおも報告を続けていく。

「そ、それでは続きですが…その元小姓を殺した男は、逃げようとした所を駐在の衛士に取り押さえられましたが…目を離した隙に」

「…隠し持っていた毒を飲んで自殺、でよろしいですね」

 気を遣いつつも報告を続けていく局長はしかし、最後の一言を顔を上げたアンリエッタに奪われてしまう。

 直前まで項垂れていた彼女の顔は苦々しい色を浮かべてはいるが、疲れているという気配は感じない。

 

 前に進もう、という意思を感じさせる瞳に一瞬局長は唖然とした後、慌てつつも「あ、そうです」と思わず口走ってしまう。

 その言葉にアンリエッタは小さなため息と共に頷き、報告書の最後の行に目を通した。

「小姓を殺し、服毒自殺した男は身分証明できる物を持っておらず身柄不明。…これはプロとみて良いのでしょうか?」

「プロ…と言っても自殺できる度胸のあるプロの鉄砲玉と見てください。男については追々こちらで調べるとして…ここで二枚目に移りましょう」

 アンリエッタの質問にそう答えると、局長はテーブルに置いていた二枚の封筒の内もう二枚目を手に取って彼女に渡す。

 ドラゴンとグリフォンのイラストが描かれた男の子向けの封筒を開き、アンリエッタは中に入っている報告書を取り出した。

 そして一枚目と同じように開き、最初の数行を読んだところでギョッと驚いてしまう。

 封筒の中に入れられていた羊皮紙には、彼女が予想していなかった内容が書かれていたのだから。

 驚いた彼女を見てマザリーニもその羊皮紙の内容へと目を向け、次いで「これは…」と言葉を漏らしてしまう。

 ただ一人、この手紙を持ち込んだ局長だけは落ち着き払った態度で二人からの言葉を待っていた。

 

 それに気づいたのか、アンリエッタはスッと顔を上げると手に持った羊皮紙を指さしながら彼に聞いた。

「あの、局長これは…」

「明日の午後から明後日の夕方、殿下がシャン・ド・マルス練兵場の視察があると聞き、此度の『作戦』を提案致しました」

 局長からの返答にアンリエッタは何も返せず、もう一度羊皮紙へと目を戻すほか無かった。

 彼女が今手に持つその紙の上には、穏やかとはいえないその『作戦』の手引きが書かれている。

 どんな言葉を口にしたら良いか分からぬ彼女へ、局長は申し訳なさそうな表情を浮かべて言葉を続けていく。

 

「『虫』がある程度焦りを見せていると言っても、ヤツは未だにその化けの皮を脱ごうとする気配はありません。

 今回提案した『作戦』はいわば貴女を使った囮作戦。奴と、一時的に奴の配下になっている連中を炙り出す為のものです。

 殿下には視察を終えた後、道中休憩を取る予定である道の駅で私の部下と共に王都へいち早く戻って貰います。」

 

 文面にも書かれてはいたが、いざこうして書いた本人の口から言われるとまた違うショックを受けてしまう。

 大胆かつ急な作戦にアンリエッタが何も言えずにいると、それをフォローするかのようにマザリーニが局長に質問した。 

「しかし、それでは護衛を担当する魔法衛士隊や騎士隊のもの、ひいては王都警邏の者が騒ぎますぞ…」

「大いに結構。いなくなったときには王都中で殿下の大捜索『ごっこ』をしてもらいたい」

 ――――何せ、それがこの『作戦』の狙いなのですから。

 マザリーニからの質問で局長は最後に一言加えた後、この『作戦』の主旨を説明していく。

 

 

「今回提案した作戦において重要なのは、今も尚高みの見物をしている『虫』を表に引きずり出す事です。

 先ほども話したようにヤツは今焦りを見せておりますが、狡賢く知略に長けている故に今はまだ鳴りを潜めています。

 ですが奴といえども、王家である貴女が奴の知らぬ存じぬ所で消えれば、いくら『虫』といえどもそこから来るショックは相当なものでしょう

 そして今、『虫』の手元にいる配下の大半はこの国の出身ではなく、かの白の国――あのアルビオンからやってきた連中です。

 彼らは今現在『虫』の指示で動いていますが、それは本国からの指示だからであって、彼ら自身は『虫』に忠誠を誓ってはいません。

 その気になれば今は派手に動かない『虫』の意思を無視して大胆な行動に移れるでしょうが、『虫』はそれを望んでおれず絶らず彼らを牽制している。

 アルビオンの者たちも、一向に動かない『虫』に痺れを切らしかけている。……そんな現在の状況下で、殿下が失踪した!などという情報が流れれば…」

 

 局長が最後に口にした自分の失踪と言う言葉を聞いて、アンリエッタはようやく彼の言いたい事に気が付く。

 ハッとした表情を浮かべ、羊皮紙を握る手に自然と力が入り、その顔には微かだが怒りの色が滲み出てくる。

「つまりはこの私を釣り餌に見立てて、双頭の肉食魚を釣ろうという魂胆なのですね?」

「そういう事です。衛士隊や騎士隊の者達には、盛り上げ役として頑張ってもらいます」

 流石にこれは怒るだろうと思っていた局長は、微かな怒りを見せるアンリエッタに頭を下げつつ言った。

 黙って聞いていたマザリーニも流石に怒るのは無理も無いと思ってはいたが、同時に効果的だという評価も下していた。

 影武者を用意するという方法もあったであろうが、相手が『虫』ならばそれがバレてしまう可能性が高い。

 そうなればすぐに仕組まれた計画だと気づかれて、作戦が台無しになってしまう。

 

「……分かりました。多少…どころではない不安は多々残りますが、貴方の事を信用すると致しましょう」

「ありがとうございます殿下。我々も最善を尽くして此度の作戦を成功させてみせますゆえ」

 まだ怒っているものの、一応は納得してくれたアンリエッタに局長は深々と頭を下げる。

 確かに彼女の不安は仕方ない物だろう。作戦の概要を見たのならば尚更だ。

 そんな作戦に彼女は協力してくれるというのだ、失敗は絶対に許されない事となった。

 

 局長は作戦の人員配置をどうしようとかと考えを巡らせつつ、下げていた頭をスッと上げる。

「では詳しい事は明日の朝一番に…それでは最後となりましたが、その三枚目の封筒を…」

 彼はテーブルに置かれた最後の一枚…先の二枚よりも二回り大きい茶色の封筒を手に取り、アンリエッタへと手渡した。

 彼女はそれを受け取り封を切る、その前に気が付いた。封筒の中に入っているのは一枚の紙ではない事に。

 恐らく自分の指の感触が正しければ、最低でも十枚ぐらいだろうか?少なくとも数十枚の紙が入っている気がした。

「あの、局長。これは…?」

「先月殿下から許可を頂いた、当部署の人員を増加に関して、我々が在野から探し当てた者達のリストです」

 自分の質問にそう答えた局長の言葉に、アンリエッタは今度こそ封を切って中身を取り出してみる。

 

 案の定、中に入っていたのはこの広い世界のどこかにいるであろう人間の個人情報が書かれた紙であった。

 最初に目に入ってきたのは、用紙の左上に描かれた褐色肌の男の似顔絵であり、顔立ちからして四~五十代のゲルマニア人であろうか?

 似顔絵の下には詳しい個人情報が記載されており、その一番上の行には彼の名前であろう『オトカル』という人名が書かれていた。

 個人情報もかなり詳細に書かれており、彼が元ゲルマニア陸軍の軍事教官で現在は早めの余生を過ごす為ドーヴィルで暮らしている様だ。

 それと同じような似顔絵と個人情報でびっしり覆われた紙が最初の彼を合わせて、十二枚も封筒の中に入っていたのである。

 アンリエッタは十秒ほど書類を見た後に次の一枚を捲り、もう十秒経てば捲り…

 それを繰り返して局長の持ってきた書類を確認していると、それを持ってきた本人が口を開いた。

 

「殿下も知ってはおられますが我が部署では貴族、平民の身分は必要ありませぬ。唯一求めているのはいかに゙有能゙か?それだけです。

 最初の一枚目の元教官は平民ですが、現在もゲルマニア南部の紛争地帯で活躍している幾つかの精鋭部隊を育て上げた有能な教官であります。

 そして今姫様が確認している女性貴族は元『アカデミー』の職員で、方針に反する『魔法を用いた対人兵器』を自作したとしてクビになり、現在は王都の一角にある玩具屋で働いてます」

 

 局長の説明を聞きつつもアンリエッタは書類と睨めっこし、マザリーニも「失礼」と言ってその中から一枚を抜き出して読み始める。

 確かに彼の言うとおり、この書類に名前が載っている人間の経歴は貴族や平民といった枠組みを超えていた。

 現在服役中である開錠の名人に思想的にはみ出し者となっているが総合的に優秀な成績を持つ魔法衛士隊の隊員に、平民にして貴族顔負けの薬学知識を持っている女性。

 一体どこをどう探せばこれだけのイロモノを集められるのかと聞きたくなるほど、多種多様な特技を持つ変わり者たちがピックアップされていた。

 今現在国内にいる無名の人材たちを眺めつつ、アンリエッタは思わず感心の言葉を口に出してしまう。

「それにしても良くこれだけ探せましたね。特に条件付けはしていませんでしたから、ある程度幅が広がったのもあるでしょうが…」

「情報を探る事は我々の十八番ですので。この時の事を想定して常に一癖も二癖もある人物にはマークをしておりましたので」

 成程、どうやら自分から許しを得る前にある程度人材探しをしていたのか、随分と用意周到な人だ。

 並の宮廷貴族より準備万端な局長に感心しつつ、アンリエッタは一旦書類から顔を上げて満足気のある表情で頷いた。

 

「分かりました。貴方の部署はこれまで日陰者でしたし、ここまで調べてくれていたのなら私から言う事はありません」

「では人材確保はこのまま進める方針で?」

「えぇ、お願いします。ただ、軍に属している者については少し上層部の将軍方とお話する必要はありますが」

 王女から直々の許しを得た局長ホッと安堵した後に、慌てて頭を下げると彼女に礼を述べた。

 アンリエッタはそれに笑顔で返してから、一足遅れて書類を見ているマザリーニはどうなのかと促してみる。

 老いかけている枢機卿も先ほどの彼女と同じく書類から一旦視線を外し、それから局長を見てコクリと頷いて見せた。

 それを肯定と受け取ったのか、局長は枢機卿にも礼を述べるとすぐさまこれからの方針を話していく。

「それでは軍属の者以外に関しては我々からアプローチをかけます故、軍部との説得は何卒朗報を期待いたします」

「分かりました。今の将軍方なら、今回の増員計画にも賛成してくれる事でしょう………って、あら?」

 

 アンリエッタもアンリエッタ局長とそんな約束を交えた後再び書類へと目を戻し、ラスト一枚の人物が女性である事に気が付いた。

 まるで収穫期の麦の様に金色に輝く髪をボブカットで纏め、鋭い目つきでこちらを睨んでいるかのような似顔絵が印象的である。

 経歴からして平民であるのはすぐに分かるが、王都にあるいちパン屋の粉ひき担当から王都衛士隊の隊員という経歴は変に独特であった。

 しかし衛士になってからの業績は中々であり、女だというのにも関わらず衛士としては非常に優秀という評価が書かれている。

 他の九人と比べればやや地味ではあるが、その経歴故に気になったのかアンリエッタは局長に彼女の事を聞いてみる事にした。

「あの局長殿?彼女は…」

「ん?あぁこの人ですか。実は彼女は私が見つけましてな、彼女には是非とも我々の元で『武装要員』」として働いて貰いたい思ってましてな…確か愛称は、ラ・ミランと言いましたかな?」

「ラ・ミラン(粉挽き女の意)…?」

 愛称と言うよりも蔑称に近いその呼び名を思わずアンリエッタが復唱すると、局長はコクリ頷きながら言葉をつづけた。

「ラ・ミランのアニエス。王都の平民や下級貴族達の間では下手な男性衛士よりも怖れられております」

 

 

 

 

 

――――貴女、少し長めの旅行をしてみる気はないかしら?

 あの八雲紫が夜遅く帰ってきた魔理沙の元に現れるなり、そんな事を聞いてきたのは午前一時を回った頃だろうか。

 何の前触れも無く人様の家の中、しかもベッドの上に腰かけていたのである。まぁ何の前触れも無く人の目の前に現れるのはいつもの事だが。

 パジャマに着替えて、歯も磨き終えて髪も梳き、眠たくなるまで読もうと思っていた本を片手にした彼女は最初何て言おうか迷ってしまった。

 何せこれから入ろうとしたベッドを事実上占拠されてしまったのだ、旅行とは何か?と質問すれば良いのか、それとも抗議すれば良いのか良く分からず、結局のところ…

 

「人がこれから寝ようって時に、何やら面白そうな話題を持ちかけてくるのは反則じゃないか?」

「あら失礼、今からの時間帯は私たちの時間帯だって事を忘れてないかしら」

 そんなありきたりな会話を皮切りにすることしかできず、しかし彼女が持ちかけてきた話をスムーズに聞く事が出来た。

 結果的にそれが功をなしたのか、晴れて霧雨魔理沙は霊夢と共にルイズのいるハルケギニアへと赴く事となったのである。

 

 

 

 

 

 朝のブルドンネ街は、昨晩の華やかさがまるで一時の夢だったかのように静まっていた。

 夕暮れと共に開き、夜明けと共に終わる店が多い故に今の時間帯のブルドンネ街と比べれば一目瞭然の差があった。

 それでも人の活気は多少なりとあり、繁華街に店を持つ雑貨屋やパン屋などはいつも通り商売をしている。

 通りの一角にあるアパルトメントの入り口では大家が玄関に水を撒き、たまたま通りかかった野良猫がそれを浴びて悲鳴を上げる。

 そこから少し離れた広場では主婦たちが朝一番の世間話に花を咲かせ、その後ろを小麦粉を満載した荷馬車が音を立てて通っていく。

 もしもこの国へ始めて来た観光客が見れば、この街が夜中どんなに騒がしくなるかなんて事、想像もつかないに違いないだろう。

 

 そんな極々ありふれたハルケギニアの街並みを見せる日中のブルドンネ街の一角にある店、『魅惑の妖精』亭。

 夜間営業の居酒屋であり、他の店と比べて可愛い女の子達が多い事で有名な名店も、今はひっそりとしている。

 ここだけではない。この一帯にある店は殆どがそうであり、まるで時間が止まったかのように活気というものがない。

 店で働く人々は皆家に帰ったか、もしくは店内にある部屋で軽い朝食を済ませてベッドで寝ている時間帯だ。

 『魅惑の妖精』亭もまた例に漏れず、住み込みの店員達は皆今夜の仕事に備えてグッスリと眠っている。

 その店の屋根裏部屋…長い事使っていなかったそこに置かれたベッドの上で、霧雨魔理沙は目を覚ました所であった。

 

「………九時四十五分。てっきり一、二時間ぐらい経ってるかと思ったが、あんがい寝れないもんなんだな」

 黒いトンガリ帽子をコートラック掛けている意外、いつもの服装をしている彼女は持っていた懐中時計を見ながら呟く。

 ルイズと霊夢の三人で朝食を済まし、そのすぐ後に用事があると言って出て行った二人と見送ってから丁度四十五分。

 特にする事が無かったのでベッド横になっていたら自然と眠っていたようで、今二度寝から目覚めたばかりなのである。

 しかし寝起き故にハッキリしない頭と妙に重たい瞼の所為で、ベッドから出たいという欲求が今一つ湧いてこない。

 いっその事このまま三度寝を敢行しようかとも思ったが、流石にそれは怠け過ぎだろうと自分に突っ込んでしまう。

(流石に三度寝となるとだらけ過ぎになるし、寝ている最中にどちらかが帰ってきたら何言われるか分からんしな)

 そういうワケで魔理沙は一旦軽く体の力を抜いて一息つくと、勢いをつけて上半身を起こした。

 

「ふぅ…ふわぁ~…」

 ウェーブとはまた違う寝癖が一つ二つ出ている髪を弄りながら、彼女は口を大きくあけて欠伸をする。

 次いでゴシゴシの目を擦るとベッドから降りて、朝の陽光が差す窓を開けてそこから通りを見下ろした。

 霊夢が綺麗にしてくれた窓際に右肘を置いて顔だけを窓から出すようにして、外の空気を口の中に入れていく。

 横になっていた時と比べて瞼は随分と軽くなった気はするが、頭の方はまだまだ重いという物を感じを否めない。

「うぅ~ん、まぁ一時間もすりゃ直ってるだろうし…なぁデルフ、って…あいつは霊夢が持っていっちゃったか」

 二度寝から目覚めたついでにデルフと下らない世間話をしようかと思った所で、今はここにはない事を思い出す。

 ただ一人取り残された普通の魔法使いはため息をつくと、顔を上げて王都の青空を仰ぎ見て呟いた。

「あれから二日経ったが…街が広いせいかあんな事があったっていうのに平和なもんだぜ」

 澄んだ青空に白い雲、その下にある平和な街並みを交互に見比べながら、彼女は思い出す。

 二日前にこの街最大の劇場で起きた、異様かつ奇怪な殺人事件が起こったという事を。

 

 …二日前、ここ王都最大の劇場タニアリージュ・ロワイヤル座でその事件は起こった。

 男性の下級貴族が一人、劇場内で奇怪的な惨殺死体となって発見されたのである。

 被害者は無残にも手足をもがれ、更に夏だというのにも関わらず全身をほぼ氷で覆われているという状態で。

 当然警備員たちが発見したその直後に劇場は緊急封鎖、公演予定だった劇は全て中止となってしまった。

 最初こそ責任者と駆けつけた衛士隊の指示で全員が外に出れなかったが、一部の貴族が開放を強請してきた為に止むを得ず開放。

 結果的に残ったのは、第一発見者とその関係者だけであった。

 そしてその第一発見者こそが博麗霊夢であり、関係者は魔理沙とルイズ達である。

 

 一昨日の騒動を振り返りつつ、その時がいかに大変だったのか思い出した魔理沙は溜め息をついてしまう。

「全く、もう二度と無いかと思ってたが…まさか一度ならず二度までも取り調べを受けるなんて…」

 現場検証が終わり、被害者の遺体を最寄りの詰所に搬送した後霊夢達一同は当然の様に取り調べを受けるハメになってしまった。

 ルイズやその姉であるというカトレアという名の女性は普通に聞き込みだけで済んだが、全員が衛士達の思うように進むワケがない。

 魔理沙は先に取り調べのキツさを知っていたので、答えられる事に関しては素直に答えてスムーズに事を済ませることができた。

 折角の休日を台無しにしてしまったシエスタは常に半泣き状態だったらしく、逆に心配されたというのは後で聞いた。

 カトレアと一緒にいたニナという女の子の取り調べはしても意味が無いと衛士は判断したのか、別の部屋で迷子担当の女性衛士と一緒にいたらしい。

 そして魔理沙自身も気になっていたあの霊夢と何処か似ている巫女服の女も、答えられる分の質問にはあっさり答えてすぐに終わった様である。

 しかしその一方で霊夢は強面の衛士達に囲まれても尚我を失わず、強気な態度でもって彼らと論争したのだという。

 一緒にいたデルフ曰く、最初こそ大人しくしてたらしいのだが、取り調べ担当者の威圧的な態度が気に入らなかったらしい。

 まぁ霊夢らしいといえば霊夢らしい。お蔭で一時間で終わる筈だった取り調べは三時間近くまで延長される事になってしまった。

 

 結果的にその日は二十二時辺りに解放され、カトレア一行とはその場で別れる事となった。

 ルイズはカトレアから今現在の所在地を聞き、ついで姉もまた妹に所在地を聞いて目を丸くしていたのは今でも覚えている。

「…珍しいわねルイズ?貴女がそんな所に泊まっているだなんて」

「え?えーと、まぁその…これには色々とワケがありまして…」

「ふふ、別に怪しがってるワケじゃないのよ。若いうちは色んな場所へ行っておけば良いと思っただけ」

 そんなやり取りをした後で劇場前の詰所で解散、ルイズ一行は絶賛営業中だった『魅惑の妖精』亭へと帰ってこれる事が出来た。

 店の方でも今日起こった事件の事が話題になっていたのか、帰って来るなり店長のスカロンと娘のジェシカが詰め寄ってきたのである。

 ジェシカはともかくスカロンは奇怪な叫び声を上げて自分たちを抱擁しようとしてきたので、入って早々慌てて避ける羽目になってしまった。

 ルイズはおろかシエスタまで一緒になって避けた後で、「あぁん、酷い!」と嘆きつつも彼は無事に帰ってきてくれた事を喜んでくれた。

 

「もぉお~心配したのよ貴方たちィ!…でも、その様子だと取調べだけで済んだ様でミ・マドモワゼルも安心したわぁ~!」

「結構大事だったらしいけれど…、まぁアンタ達ならシエスタも含めて無事だろうとは思ってたよ」

 スカロンのオーバーすぎる喜びの舞いと、それに対して落ち着きを見せているジェシカを見て本当に親子かどうか疑ってしまう。

 何はともあれ無事に帰ってきたその日は夕食を摂る元気も無く、四人とも死んだように眠るほかなかった。

 …それから二日が経った今日、朝のブルドンネ街はいつも通りの静けさを取り戻している。

 

「何もかもいつも通りならそれはそれで良いんだろうが、霊夢はともかくルイズはどうなんだろうなぁ~…」

 頭上の空から眼下道路へと視線を変えた魔理沙は、朝早くから外出しているルイズの事が気になってしまう。

 昨日はあんな事件があったという事で凹んでいたのか、一日外に出ず屋根裏部屋で考え事をしながら過ごしていたのを思い出す。

 

 流石に死体を間近で見てしまったという事もあって食欲も無かったが、それは仕方ない事だろう。

 仕事柄そういうのを見慣れている霊夢はともかくとして、あれだけ損壊した死体を見たのだ。

 むしろそれを見た翌日からガツガツと平気な顔して飯食ってる姿を見たら、逆に心配してしまうものである。

 しかし今日の朝食に限っては、少し無理をしてでも口の中に食べ物を突っ込んでいたような気がしていた。

 ジェシカが用意してくれていたサンドウィッチを一口食べてはミルクで半ば飲み込むようなルイズの姿は記憶に新しい。

 今朝見たばかりの出来事を思い出した魔理沙は、ふと彼女が何処へ行くために外出したのか何となく分かってしまった。

 

「もしかしてアイツ、一昨日教えてもらったお姉さんのいる所へ行ったのかねぇ?」

 劇場で出会ったルイズの姉カトレア。ウェーブの掛かった桃色の髪以外は、ルイズとは正反対の姿をしていた女性。

 衛士隊の詰所で別れる直前に互いの居場所を教え合っていた事を、魔理沙は思い出す。

 魔理沙と霊夢はその場所について聞き覚えは無かったものの、どうやらルイズはその場所を知っているらしい。

 姉からその場所を聞いたルイズは、納得と安堵の表情を浮かべていたのである。

 それが何処にあるのか魔理沙には皆目見当がつかなかったものの、恐らくはこの王都内にいる事は間違いないだろう。

 でなければ学院のマントをバッグに詰めた以外、軽い服装で街の外なんかに出るワケはないのだから。

 一体何の用があってそこへ赴くのかは良く知らないが、きっと久方ぶりの姉妹二人きりの時間としゃれ込みたいのだろう。

 

 今の自分には全く無縁なそれを想像してしまい、それを取り払うかのように慌てて首を横に振る。

「はぁ…全く、縋れるお姉さんがいるヤツってのは羨ましいねぇ。………って、お姉さん?あれ?」

 自分の口から出た『お姉さん』という単語を耳にして、魔理沙はふと思い出した。

 カトレアとは別に出会ったことのある、ルイズのもう一人の姉―――エレオノールの事を。

 ルイズよりもややキツイ釣り目と、彼女以上の平らな胸と顔を除けばカトレア以上に似てない箇所が多かったルイズのもう一人の姉。

 王宮でルイズの頬を抓っていた光景を思い出した魔理沙はカトレア比較してしまい、思わずその顔に苦笑いを浮かべてしまう。

「あぁ~…何というか、アレだな。ルイズのヤツって優しい姉と厳しい姉の両方がいて色々と恵まれてるんだなぁ~…」

 改めて自分とは全く正反対なルイズの家庭環境に、普通の魔法使いは何ともいえない表情を浮かべてしまう。

 これまで聞いた話から察するに両親は健康だろうし、飴と鞭の役割を担ってくれるお姉さんたちもいる。

 家がお金持ちというのは共通しているのだろうが、正直魔理沙本人としてはそれはあまり口にしたくない事であった。

 

 実家の事を思い出しそうになった魔理沙はハッとした表情を浮かべると、急に自分の頬を軽く叩いたのである。 

 パン!と気味の音を立てて気合を入れなおした彼女は、考えていた事を忘れる様にもう一度首を横に振る。

「あぁヤメだヤメ!家の事を思い出してたらあのクソ親父の事まで思い出すからもうヤメヤメ!」

 自分に言い聞かせるかのように叫びつつ、二度三度と頬を軽く叩き、何とか忘れようとする。

 その叫び声に気づいてか通りを歩く人々の何人かが顔を上げて、一人頬を叩く魔理沙を見て怪訝な表情を浮かべて通り過ぎていく。

 

 その後、魔理沙が落ち着けるようになったのは数分が経ってからであった。 

 やや赤くなった頬を摩りつつ、ベッドに腰を下ろした彼女は溜め息をついて項垂れていた。

「はぁ…何だかんだで私も相当疲れてるっぽいな。…ルイズはともかく、霊夢があんなにいつも通りだっていうのに」

 まだまだ一日はこれからだというのに疲れた気がして仕方がない彼女は、ふとここにはいないもう一人の知り合いの事を思う。

 多少落ち込んでいた所を見せていたルイズ違い、流石妖怪退治を専業とする博麗の巫女と言うべきだろうか。

 彼女や自分よりも被害者を間近で見ていたにも関わらず、昨日は朝から夜までずっと外で飛び回っていたというのだ。

 恐らく被害者を無残な目に遭わせたヤツの正体を何となく察したのであろう、そうでなければ彼女がここまで積極的になるワケがない。

 しかも大抵は部屋に置きっぱなしで合ったデルフも持って行っている辺り、結構本腰を入れて探しているのだろう。

 

 魔理沙自身も、被害者の損壊具合を聞いて相手は人間ではないのだろうと何となく考えてはいた。

 こういう時は彼女に負けず劣らず自分も探しにいくべきなのだろうが、生憎な事に肝心の『アテ』がここにはない。

 幻想郷ならばある程度土地勘も聞くので何かが起こった時には何処を捜すべきか何となくわかるものの、ここはハルケギニアだ。

 まだ王都の広さになれない魔理沙にとっては、何処をどう探していいか分からないのである。

 霊夢ならばそこらへん、持ち前の勘の良さと先天的才能でどうにもなるのだろうが、自分はそこまで勘が良くないという事は知っている。

 無論、並みの人よかあるとは思うのだが…霊夢のソレと比べれば文字通り月とスッポン並みの格差があるのだ。

「…まぁ、そういう考えはアイツからしてみれば単なる言い訳に聞こえるんだろうなぁ~」

 そう言いながら魔理沙は窓から離れ、そのまま階段を使って一階にある手洗い場へと下りていく。

 このまま屋根裏部屋に居ても、仕方がないと思ったが故に。

 

 少しして用を済まし、手洗い場から出てきた彼女はハンカチで手を拭きながら備え付けの鏡で髪型を整えていく。 

「全く気楽なモンだよ。ま、それを含めて全部博麗霊夢の強みの一つってヤツなんだがね」

 目立っていた寝癖を手早く直すと再び屋根裏部屋へと戻り、新しい服を用意してソレに着替えて始める。

 それを手早く終えるとそこら辺の木箱の上に置いていた帽子とミニ八卦炉を手に取り帽子の中に仕舞う。

 ミニ八卦炉を中に収めたトンガリ帽子は妙に重みが増すものの、それを被る本人にとっては既に慣れた重さであった。

「今の所アイツが何を捜してるのかまでは、良く知らんが…知らんから私も無性に気になってくるぜ」

 そして壁に立てかけていた箒を手に取ると、先ほどまで寝起き姿であった魔理沙がしっかりとした身だしなみをして佇んでいた。

「まぁ特にすることは無いが…無いからこそいつも通りアイツの後を追ったってバチは当たらんだろうさ」

 最後に持ち運んでいた鞄の中から幾つか『魔法』入りの小瓶を取り出しポケットに詰め込んでから、再び一階へ戻っていく。

「鬼が出るか蛇が出るか?…いや、この世界なら竜も出たっておかしくはないぜ」

 先ほどまで沈みかけていた自分の気持ちを、水底から引き上げる様な独り言を呟きながら。

 

 軽快な足取りで静かな一階へ辿り着いた彼女は、ふと厨房の方にある裏口を通ってみようかなと思った。

 いつも出入りに使っている表の羽根扉は目の前にあり、そのまま五、六歩進めば通りに出られるというのにも関わらず。

 所謂というモノなのだろう。それとも今日だけは普段と違う場所から店の外に出たいと考えたのだろうか。

「…まぁこの店の裏手には入った事ないからな、一目見ておくのも一興ってヤツかな」

 自分を納得させるかのように呟きながら羽根扉の方へと背を向けて、彼女は厨房の方へ入っていく。

 綺麗に掃除されたタイル張りの床を歩き、フックに掛けられた調理器具などを避けつつ裏口へ向かって進む。

 やがて二分と経たない内に厨房は終わり、魔理沙は店の裏側へと入った。

 どうやら裏口だけではなく、ちょっとした物を置くための廊下も作ってあるらしい。

 表の二階と比べてやや埃っぽさが残る廊下の左右を見渡してみると、左の方に外へと続くドアがある。

「…ふーん、成程。食材とかは全部あそこの裏側から運び入れてるってコトかねぇ?」

 そんな事を一人呟きながら少し広めの廊下を進み、裏口の前でピタリと足を止めた。

 丁度扉の真ん中にはガラス窓が嵌め込まれており、そこから店の裏にある路地裏を覗き見る事が出来る。

 やや大きめに造られている道からして、やはりここからその日の食材を搬入しているのだろう。

 道の端で丸くなっている野良猫以外特に目立つモノが無いのを確認してから、彼女は普通のドアを開けた。

 途端、朝早くだというのにすっかり熱せられた外の空気が入り込み、廊下の中へと入り込んでくる。

 一瞬出るかどうか躊躇ったものの、すぐにそんな考えを頭の中から追い出して彼女は外へと出ようとした。

 

 今も尚微かに残る頭の中のもやもやを忘れようと、いざ王都の真っただ中へと踏み込もうとした彼女は、

「キャッ…!」

「うぉッ!?…っと、ととッ」

 ドアを開けた途端、突如横から走ってきた何者かと接触してしまい、最初の一歩が台無しになってしまった。

 

 走ってきた何者かは小さな悲鳴をあげて後ろに倒れ、魔理沙は手に持っていたドアノブのお蔭で倒れずに済んだ。

 それでも崩してしまった態勢を直しきれずそのまま地面にへたり込むと、一体何なのかとぶつかってきた者へと視線を向ける。

 夏真っ盛りだというのに頭から鼠色のフードを被っており、先程の悲鳴からして女性だというのは間違いないだろう。

 しかし顔までは分からないので、もしかすれば少女の美声を持った少年…という可能性もあるにはあるだろう。

「イッテテテ…どこの誰かは知らんが、走る時ぐらいはしっかり前を見てもらわないと困るぜ」

 苦言を漏らしながら立ち上がった魔理沙はローブ姿の何者の元へと近づき、そっと手を差し伸べる。

「す、すいません…急いでいたモノで………あっ」

「お………え?」

 自分からぶつかってしまったのにも関わらず親切な魔理沙に礼を言おうと顔を上げた瞬間、頭に被っていたフードがずり落ち、素顔が露わになる。

 手を差し伸べられるほど近くにいた魔理沙はその下にあった素顔を見て、思わず目を丸くしてしまう。

 

 ルイズだけではないが、まさかこんな場所で再開するとは思っていなかった魔理沙は思わずその者の名を口に出してしまう。 

「アンタもしかして…っていうか、もしかしなくても…アンリエッタのお姫様?」

「……お久しぶりですね、マリサさん」

 魔理沙からの呼びかけにその何者―――アンリエッタはコクリと頷きながら魔理沙の名を呼び返す。

 しかしその表情は緊張と不安に満ちていた。これから起こる事が決して良い事ではないと、普通の魔法使いに教えるかのように。



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第九十八話

「ふーむ…いやぁ全く。こういう時はどうすりゃあ良いのかねぇ?」

 霧雨魔理沙は考えあぐねている、今日一日をこれからどう過ごせば良いのかと。

 気温は高し、されで外は天晴れと叫びたくなるほど快晴であり、ずっと屋根裏部屋の中で過ごすのは損だと感じてしまう。

 こういう時は多少暑くとも外へ出て思いっきり汗をかき、帰ったらシャワーなり水浴びをしてサッパリしたくなる。

 少なくとも彼女はそう思っていた。今はこの場にいない霊夢とルイズはそういう人間ではないが。

 それに今日は外へ出て調べものをしようと思っていた所であり、ついさっきも裏口から外へ出ようと思っていた所なのである。

 しかしタイミングが悪いというべきか今日の運気が下がっていたかどうかは知らないが、それは成し得なかった。

 別に裏口のドアにカギか掛かっていたワケでもなく、ましてやドアを開けた先の路地が汚物やゴミに塗れていたわけではない。

 鍵はちゃんと開いていたし、路地は近年王都で台頭し始めている清掃業者のおかげで十分と言えるほど綺麗にされている。

 

 じゃあ何故彼女は外へ出ず、こうして屋根裏部屋に戻ってきているのか?答えはたった一つ。

 それは突然の来訪に対応せざるを得なかったからである、絶対に無視したり蔑ろにするべきレベルでない人物の。

 あの霧雨魔理沙が…否、きっと霊夢以外の人間――ルイズやこの世界の者たち―ならば絶対に驚愕してしまうだろう。

 そして誰もが信じないだろう。まさかこんな繁華街の一酒場の屋根裏部屋に、かのアンリエッタ王女がいるという事など。

 

 一体何故来たのか?そもそも何の目的でこんな所までやって来たのか…その他色々。

 ひとまず聞きたい事が多すぎて何を最初に言えば良いのか分からない魔理沙に、ベッドに腰かけるアンリエッタが申し訳なさそうに口を開く。

「いきなりですいませんマリサさん。…私としてはちゃんと事前に知らせてから来たかったのですが…」

「ん?あぁ別に気にするなよお姫様。まぁ、急に来られたのは本当にビックリしたが、ルイズがいたらそれだけじゃあ済まなかったろうし」

 今に項垂れてしまいそうなアンリエッタにフォローを入れつつ、魔理沙はふどもしも゙の事を考えてしまう。

 もしもこここにルイズがいたのならば、今頃急にやって来たアンリエッタの前で会話もままならない程動揺していたに違いない。

 しかし、霊夢ならばそれこそいつもの素っ気無い態度で彼女に『何しに来たのよ?』と言う姿が目に浮かんでくる。

 

 今は有り得ぬ゙もしも゙の事を考えていた魔理沙はすぐさまそれを隅へ追いやり、ひとまずアンリエッタに話しかけた。

「しかし、アンタも物好きだよな?ワザワザ私達を呼びつけるんじゃなくてそっちから来るだなんてさ」

「その事については申し訳ありません。けれど、本当に複雑な事情がありまして…」

「……複雑な事情、ねぇ?まぁ外の騒がしさを考えれば、何か厄介ごとに巻き込まれた…ってのは分かるけどな」

 アンリエッタの言葉に魔理沙はそう言いながら窓の方へと近づき、そこから通りを覗き見てみた。

 先程まで静かな朝を迎えていたチクトンネ街の通りはアンリエッタが来てから五分と経たず、数十人もの男女を騒々しくなっている。

 それもただの平民ではない。ボディープレートと兜を装備し、その手に市街地戦向けの短槍を手にした衛士達だ。

 

 彼らは二人一組か四人一組となって行動しており、路地や通りを行き交う平民に聞き込み調査を行っていた。

 中には扉が閉まっている酒場のドアを強めにノックして店の人間を起こしてまで聞き込んでいるのを見るに、相当力が入っている。

 隊長と思しき衛士が何人かの部下に命令か何かを飛ばしており、それを聞いて敬礼した彼らは急ぎ通りを走り去っていく。

 一体何を…いや、誰を捜しているのか?その答えを既に魔理沙は知っていた。

「もしかして、じゃなくても…色々と複雑な事情がありそうだな」

 その言葉にアンリエッタは何も言わず、ただ黙って頷いて見せる。

 やっぱりというかなんというか…、思わぬところで面倒事に巻き込まれたモノだと魔理沙は思った。

 思いはしたが、しかしその顔には薄らとではあるが笑みが垣間見えている。

 

 ―――今この王都で何かが確実に起きているのだ。それこそお姫様が直接動かねばならない程の事が。

 

 一昨日の出来事と合わせて、改めて何かが起きつつある場所に自分がいるという状態に、彼女は喜んでいたのだ。

 自身ありげな笑みを浮かべた魔理沙はアンリエッタの横に腰を下ろすと、親しい友人に話しかける様な調子で口を開いて見せる。

「にしてもさぁ、一体何用で来たんだよ?ルイズと霊夢は野暮用でいないしさぁ。私に出来る事なんて限られてるとおもうが?」

「それは…」

 魔理沙からの質問にアンリエッタは暫し悩んだ後、ここまでやってきた目的の一端を魔法使いへ告白する事となった。

 今この場で説明すべき事をし終えるのに、五分以下の時間があれば十分である。

 

 アンリエッタから事情を聞き終えた魔理沙は、これは増々厄介ごとにっにてきたと改めるほかなかった。

「…成程。…とにもかくにもアンタがここへ来た目的は何となく分かったぜ」

 そう言って溜め息をついた彼女はベッドから立ち上がり、暫し何かを考え込むようなそぶりを見せつつも、先ほど彼女に言われた事を思い出す。

 青天の霹靂…と例える程でも無かったが、それでも 一昨日までは何となく平和な日々を過ごしていた魔理沙には到底信じられない様なお願いであった。

 アンリエッタが魔理沙に頼んできた事、それはエスコート。つまりは護衛の仕事であった。

 護衛…それもこの国で最も重要な地位を持つ少女の護衛である。失敗すれば生きてはこの国から出られないであろう。

 そんな重要な仕事をアンリエッタ親しい間柄であるルイズ…にではなく、魔理沙に直接頼んできたのである。

 

 さすがの霧雨魔理沙もこれには二つ返事で了承しかねるのか、一人気難しそうな顔を浮かべんて悩んでいた。

 如何に彼女と言えども、この国の象徴たる少女に自分の護衛をして欲しいと頼まれればこうもなるだろう。 

 暫し考え込んでいた魔理沙であったが、痺れを切らした彼女は自分に守ってほしいと頼み込んできた王女からの意見を聞くことにした。

「けれど本当に私で良いのか?ルイズならアンタか頼み込んできた仕事をこころよく引き受けてくれそうなモンだが?」

 その質問に暫しの沈黙が続いた後…『えぇ』と肯定し、少し離れた所から自分と見つめ合う魔理沙に向かって言う。

「はい。…というよりも、ルイズには今回の事をなるべく黙っていたいのです」

「ルイズにはナイショ…だって?」

 彼女の口から出た信じられない言葉を耳にした魔理沙は思わずその言葉を反芻してしまう。

 霊夢と一緒に見ても十分中の良かった二人の内片方の口から出るとは思っていなかった言葉である。

 

 それからまたもや数秒程の無言を間に挟み込んでから、魔理沙が意を決してアンリエッタにワケを聞いてみる。

「なぁ…一体どういう事が説明してくれないか。わざわざルイズにまで秘密にする事って一体…?」

 魔理沙からの質問に対し、深々と頭を下げつつもアンリエッタは全てを語る事まではしなかった。

「今はまだ多くを語れません。…ただ、もしルイズを今の段階で関わらせてしまえばあの娘を深くガッカリさせてしまうのよ」

「だったら尚の事アイツを頼った方が良いんじゃないか?何かワケがあったのは分かるが、通りの騒ぎを見れば無断で抜け出したのか何となく分かるぜ?」

 相も変わらずルイズを大切に思いつつも何処か不器用なアンリエッタの言葉に、魔理沙は外を指さしながら言う。 

 それでもアンリエッタは理由を言えないのか、申し訳なさそうな表情で首を横に振るばかりであった。

 

 中々に口が堅いお姫様相手に、流石の魔理沙もこれ以上はダメだと判断したのだろうか。

 参ったと言いたげに大きな溜め息一つついてから、軽く両手を上げつつ「わかった、わかった」と言って彼女の願いを聞く事にした。

「とにかく今のアンタが結構なワケありで、尚且つその理由をルイズに話す事はできないが…私には護衛役になってくれ。そう言いたいんだな?」

「一方的な願いだというのは承知しております。短くとも今夜中には、ワケを話せると思いますので、どうか…」

 渋々といった感じで自分の願いを承ってくれた魔理沙に対して、アンリエッタは申し訳なさそうに頭を下げながら礼を述べた。

 

 王家、それも実質的にはこの国のトップである少女が下げた頭からは、本当に申し訳ないという悲痛な思いが漂ってくる。

 流石の魔理沙でもそれを感じ取って、本当なら今すぐにも理由を打ち明けたいという彼女の気持ちが伝わってきてしまう。

 ましてやこの国の人間ではない自分にこんな対応を見せてくれているのだ、それを無下にできるほど霧雨魔理沙は非道ではなかった。

 

 バツの悪そうな表情を浮かべる魔理沙は頬を少し掻きつつも、頭を下げているアンリエッタに声を掛けた。

「んぅー…まぁいいや。アンタには色々と貸しがあるし、何より最後まで隠しっぱなしにする気はなさそうだしな」

 その言葉にアンリエッタは顔を上げ、一転して明るい表情を浮かべて見せた。

「…!それじゃあ…」

「暇を潰そうと思っていた矢先にこれだからな。丁度良い暇つぶし替わりにはなるだろうさ」

「マリサさん、あり…ありがとうございます」

 やっと嬉しそうな反応を見せてくれたアンリエッタにそう言ってみせると、彼女は優しく魔理沙の手を取って握手してくれた。

 常日頃森の中へと入り、キノコや野草を採取して、色々な薬品に触れてきたが、それでも毎日のケアを欠かさずにしている自分の手と比べ、

 アンリエッタの手はとても柔らかくて綺麗で、その肌触りだけで生まれや育ちも自分とは全く違うのだと、魔理沙は改めて認識してしまう。

 

 その後、魔理沙は改めてアンリエッタから護衛の詳細を聞く事となった。

 長くても短くても今日中に夜中まで衛士や騎士達に捕まることなく、街中で潜伏できる場所で一緒にいて貰いたいとの事。

 最初魔理沙は「隠れるなら街の外へ出た方が見つかりにくいだろ?」と提案してみたが、それは却下されてしまった。

 アンリエッタ曰く外へと通じる場所は全て厳重な警備が敷かれており、正規の出入り口には魔法衛士隊までいるらしい。

 その為外へ隠れる事は不可能であり、実質的に彼らが巡回する街中に隠れるほかないのだという。

「何も二、三日隠れるワケではありませんから、どこか彼らの目が届かない場所があれば良いのですが」

「とはいっても相当難しいぜ?アンタを捜してるのなら、そういう場所まで目を通せるだけの人員は出してるだろうしな」

 二人してベッドに腰を下ろして考えていると、ふと窓の外から激しくドアをノックする音が聞こえてきた。 

 

 その音を耳にして魔理沙は思い出す。衛士達の何人かが、店を閉めている酒場のドアを叩いていた事を。

 まさかこの店までおってきたのか?…彼女はベッドから腰を上げるとすぐさま窓から外を見下ろしてみる。

 しかし『魅惑の妖精』亭の入口には誰も立っておらず、もしや…と思って右隣りの店へと視線を向ける。

 案の定その店の入り口には三人ほどの衛士が立っており、先頭に立っている男性衛士がドアを強めにノックしていた。

 店の店主は寝ているのだろうかまだ出てこないのだが、衛士達の様子を見るに何時ドアを蹴り破られても可笑しくは無い。

 そして店の中へと押し入り、粗方探し終えた暁には――この店にも同じことをしてくるのは明白であった。

 アンリエッタは彼らに見つかってはいけないと言っている以上、するべき事はたったの一つしかない。

 

「ひとまず、この店…と言うより一帯から離れた方が良さそうだな」

「そうですね。…あ、でもすいません…今私が着ているドレスが…」

 魔理沙の言葉にアンリエッタも続いて頷いたものの、ふと自分の着ている服の事を思い出した。

 一応上からフードを被っているものの、衛士達の目に掛かればすぐに看破されてしまうだろう。

 現にドレススカートの端っこであるフリル部分がはみ出ており、これではフードの下からドレスを着ていますと主張しているようなものである。

「…そっか、まぁ持ってないのは一目でわかるが、着替えとかは?」

「すみません。何せここまで連れてきてくれた者達からなるべく身軽になるよう言われたので着替えの持ち合わせは…」

 一応ダメ押しで着替えの有無を確認した魔理沙であったが、案の定というか予想通りの答えが返ってくる。

 まぁお姫様の着替えとなると、どれも繁華街の中では目立ってしまうだろうから使えなかったかもしれない。

 

「とはいえこのままドレスで出ていくのは危ないし、何かお姫様が着れるような服は――――…ありそうだな」 

 魔理沙はそんな事を考えつつもとりあえず屋根裏部屋を見渡してみると、ふと隅に置かれた三つの旅行用鞄に気が付いた。

 三つとも大きさは大体同じであるものの、外見を見れば誰の鞄なのかはすぐに分かる。

「…?どういたしました?」

「あの鞄なら姫様でも着れるような服があるだろうし、ちょっくら調べてみるぜ」

 魔理沙はそう言って鞄の方へと近づくと、一番右に置かれた高そうな旅行鞄へと手を伸ばす。

 如何にもこの世界でブランド物として扱われていそうな高い旅行鞄の持ち主はルイズである。

 ルイズの制服…少なくともシャツとプリッツスカートだけならばアンリエッタが身に着けても怪しまれる心配は少なくなるかもしれない。

 そう思って鞄を開けようとした魔理沙はしかし、寸での所である事に気が付いてしまう。

 

 ――――ちょっと待て?アンリエッタの体格的だと色々無理じゃないか?主に胸囲的に。

 

 ふとそんな考えが脳裏を過った後、思わず魔理沙はバッと振り返ってみる。

 そこにはタイミングよくフードを脱いで、見慣れたドレス姿になったばかりのアンリエッタが立っていた。

 見比べるまでも無くルイズ以上…もしかするとあのキュルケよりも僅差で勝っている程大きな胸がドレス越しに主張している。

 魔理沙自身あまり他人の胸でどうこう言った事はなかったものの、その圧倒的大きさに思わず唸ってしまいそうになった。

 そして胸だけでなくヒップやウエストもバスト程主張していないが、ルイズ以上だというのは一目で分かってしまう。

(ルイズの鞄から服を取り出す前に確認しといて良かったぜ…)

 

 親友の体で悲惨な目に遭いかけた危機からルイズの服を救って見せた魔理沙は、その左隣にある鞄へと目を向けた。

 茶色字でいかにも手入れしていなそうな鞄であり、取っ手付近には墨で『博麗霊夢』と目立つような書かれている。

 流石にアンリエッタにあの巫女服を着せるのは目立つ目立たない以前に怒られるような気がした、主にルイズと霊夢の二人に。

 どっちにしろ、アンリエッタ程胸の大きくない霊夢の服ではサイズが合わなくで色々危うい゙事になるのは火を見るより明らかだ。

 霊夢の巫女服なんて着せられんわな…そう思った魔理沙はしかし、ここで少し前の出来事を思い出した。

 そう…あの日、ルイズが姫様との結婚式があるからといって巫女服しかない霊夢にプレゼントしたあの服を。

(あれなら…何とか行けそうかな?どっちにしろ私の服じゃあ姫さまのサイズに合いそうにないしな)

 

 左側に置いていた自分の鞄には触れぬどころか視線も向けぬまま、魔理沙は霊夢の鞄へと手を掛ける。

 手慣れた動作でロックを外すと鞄を開き、そこに入っているであろう目当ての服を捜して巫女服やら茶葉の入った缶やらをかき分けていく。

 紅と白、紅と白…と紅白しか目立たない鞄の中では、対称的なモノクロカラーのソレはすぐに見つける事ができた。

「おぉあったぜ!これを探してたんだよコレを」

「あのマリサさん?コレ…とは私の着替えの事でしょうか?」

 鞄を少しだけ探り、両腕に抱え上げたのが何なのか気になったアンリエッタは魔理沙の肩越しに彼女の言ゔコレ゙覗き見てみる。

 それは鞄の中をほぼ占領していた紅白の中では一際目立つ、白いブラウスと黒のスカートであった。

 

 白と黒、というのは魔理沙の服と似てい入るがこちらの方が大分涼しげに見える。

 ふと彼女が空けていた鞄の中にも視線を向けてみると、スカートと同じ色をした帽子まで入っていた。

 

「まぁ、随分とシンプルだけど良さげな感じね。…ところでマリサさん、ひよっとしてそのか鞄の持ち主って…」

「あぁコレか?まぁ中を見てみれば分かるが霊夢の鞄だよ。巫女服だらけだから誰にでも分かると思うけどな」

「そうですか…って、えぇ!?それって少しまずいのでは…」

「大丈夫だって安心しろよ。霊夢のヤツもソレはそんなに着る事はないし、秘密にしてればバレはしないさ」

 鞄の中を覗き見した際に一瞬だけ見えた巫女服に気付いたアンリエッタの質問にね魔理沙は笑いながら答えて見せる。

 それから少し遅れで驚いて見せたアンリエッタは、魔理沙が手に持っている霊夢の服を見て至極当然の事を聞いた。

 しかし魔理沙はそれに対して笑いながら大丈夫と言いつつ、アンリエッタにその服と帽子一式を手渡した

 

「……うーん、分かりました。私自身文句を言える立場にはありませんもの」

 魔理沙に代わって霊夢の服を腕で抱える事になったアンリエッタは暫し躊躇ったものの、止むを得なしと意を決したのだろうか、

 その目に強い眼差しを浮かべてそう言ってのけた彼女は、ひとまず着替えをベッドの上に置いてからドレスへと手を掛ける。

 そして勢いをなるべく殺さぬよう遠慮なくドレスを脱ぎ、その下に隠れていた胸を揺らしつつも下着姿に早変わりして見せた。

 ソレを近くで見ていた魔理沙は改めて思った。やはり彼女は、脱いだ先にある体は流石に王家なのだと。

「……やっぱデカいなぁ」

「―――…?」

 小声で呟いた為聞こえはしなかったものの、珍しい物を見るかのような目で此方を凝視する彼女が気になるのか、

 怪訝な表情を浮かべつつも、アンリエッタは魔理沙から手渡された霊夢の服へと着替え始めた。

 

 結果として彼女が服を着るのはスムーズに終わったものの、その後が大変であった。

 要点だけ言うと、霊夢とアンリエッタのサイズが微妙に合わなかったのである。主に胸囲が。

 

「何だか…ちょっとサイズが小さめなんですのね…?」

「マジかよ」

 折角着終えたというのに胸の部分がやや窮屈そうに張りつめているブラウスを見て、魔理沙は思わず唖然としてしまう。

 いつも一緒にいる三人の中では霊夢が比較的大きいと思っていただけに、微妙なショックを覚えていた。

 それを余所に少し窮屈気味にしていたアンリエッタであったが、それもほんの一瞬であった。

「…ま、いいわ。別に着れないってワケじゃないのだし」

 いいのか!結構寛容なアンリエッタの判断に、魔理沙は思わず内心で突っ込んでまう。

 まぁ本人が良しとするならそれでいいのだろう。着られている服としては堪ったものではないだろうが。

 しかしここで魔理沙が一息ついた隙を突くかのように、アンリエッタは「こうしたらもっと良いかも…」と言って胸元を触り始めている。

 

 一体何をしようかと視線を向けた時、そこには丁度シャツのボタンを一つ二つと外す彼女の姿が目に入ってきた。

 無理にボタンを留めていたせいでシャツによる束縛が緩くなっていき度に、胸の谷間が露わになっていく。

 三つ目を外そうとした所で流石にこれ以上は不味いと判断したかの、ボタンを二つ外した所でアンリエッタは満足そうにうなずいて見せた。

 王族の人なのに随分と大胆な事をするなーと驚く一方であった魔理沙は、同時に彼女が取った行動に成程なーと感心してしまう。

 ボタンを外したことにより、清楚なデザインであったシャツが胸の谷間を強調しているかのような…いかにも夜の女が着そうな服へと早変わりしている。

 実際にはそういう風に見える、程度であるが…こうして見直してみると繁華街で暮らしている水売りの女性にも見えなくない。

 

 そして何よりも面白い事は、そんな服を着ているにも関わらずアンリエッタの美しさが殆ど崩れていないという事にあるだろう。

 むしろドレスの時と比べて扇情的な雰囲気を醸し出しているので、男にとって大変目のやり場に困るのは間違いなしだが。

 感心の目を向ける魔理沙に気付いたのか、アンリエッタは少しだけ顔を赤くすると自分の胸元を見ながら喋り出す。

「多少無理はあるかもしれませんが、人の借りものですし…何よりちょっとした変装になるかと思いまして…」

「へぇ~…王族の人だからけっこうお淑やかだと思ってたが、中々どうして似合っているじゃないか?」

「え?そ、そうでしょうか…?その、こういう服は初めて着ますので正しいのかどうかはわかりませんが…ありがとうございます」

 流石に自分でも恥ずかしいと感じているのか、照れ隠しするアンリエッタに魔理沙は苦笑いしつつ賞賛の言葉を送った。

 何故かそれに困惑しつつも、アンリエッタは恐る恐るといった感じで礼を述べたのであった。

 

 その後、もしも衛士達がここまでやってきた時に見つかっては不味いという事でドレスとフードは隠す事なった。

 屋根裏部屋に元々置いてあった木箱の中で幾つか蓋の開くものがあったが、中は案の定埃に塗れている。

 蓋を開けた途端に舞い上がる埃を見て二人は目を細めたものの、それに怯むことなくアンリエッタはフードを箱の中へと入れた。  

「私の目から見てもそのフード含めて結構上等なモノそうだが、こんな場所に入れといて良いのか?」

 いくら本人が良いと言ったとはいえ、流石の魔理沙も明らかに特注品であろう高級ドレスを埃だらけの環境に置いておくのはどうかと思ったのだろうか。

 最初にフードを入れたアンリエッタは、再び舞い上がる埃に軽く咳き込みつつも頷いてみせた。

「ゴホ…構いませぬ。もしも見つかってしまった後の事を考えれば…ケホッ!…ドレスの一枚や二枚、ダメになったとしても…コホンッ!安いものですわ」

「……そうか」

 やはりワケあり、それも相当なモノだと改めて理解した魔理沙は手に持っていたドレスを箱の中へと入れる。

 この国の象徴である白百合の様な純白の色のドレスには埃が纏わりつき、その白色を汚していく。

 それを見下ろしつつも蓋を閉めようとした魔理沙は、ふとアンリエッタが呟いた独り言を耳にしてしまう。

 

「埃に纏わりつかれる純白のドレス……皮肉ね。今この国と同じ状況に置かれるだなんて」

 悔しさがありありと滲み出ている表情でドレスを見下ろす彼女を横目で見やりつつ、魔理沙は蓋を閉めていく。

 彼女は一体何に対して悔しみを感じているのか?そしてこの国の今の状況とは一体?

 やはり単純な面倒事ではなさそうだなと魔理沙は感じつつ、同時にこれは大事になるかもしないという危惧を抱いたのであった。

 

 

 

 

 …このタイミングで最愛の姉であるカトレアとの再会を果たすなんて、運命の女神と言うヤツはどれだけ悪戯好きなのだうろか?

 ここ最近のルイズはそんな事を考えながらも、何もせずにじっと過ごしていた。

 無論、事前にカトレアがこの街に滞在しているという事は知っていたし、いずれは本腰を入れて探すつもりであった。

 しかし今は姫様から仰せつかった任務があるし、何よりも魔理沙が戦ったという正体不明の怪物の件もある。

 更に最悪な事に、一昨日あのタニアリージュ・ロワイヤル座でその存在を裏付けるかのような惨殺事件さえ起こったのだ。

 昨日は死体を見たショックで何もできなかった自分とは違い、霊夢は事件の謎を追って街中を飛び回っていたという。

 ならば自分も落ち込んでいるワケにはいかず、彼女と一緒に王都に潜んでいる゙ナニガを捜し出すべきなのである。

 

 それが霊夢を召喚した者として、そしてガンダールヴの主として自分が果たすべき責務というものではないのだろうか?

「――――…だっていうのに、私はこんな所で何をしてるのかしら?」

「…はい?」

「あ、な…何でもないわ!」

 検問という事で通るのに身分証明が必要という事で学生手帳を渡した後、許可が出るまで待っている最中にぼーっとしてしまっだろう。

 ここに至るまでの過程を軽く思い出すのに夢中になってしまったあまり、口から独り言が漏れてしまったようだ。

 学生証の写しを摂っていた詰所の下級貴族の怪訝な表情を見て、ルイズは何でもないと言わんばかりに首を横にふっしまう。

 何でも無いというルイズの言葉に肩を竦めながらも、見張りの彼は身分証明の確認が済んだ事をルイズへ告げる。

「お待たせいたしましたミス・ヴァリエール。どうぞ、横のゲートを通って中へお入りください」

 学生手帳を返した下級貴族はそう言って詰所内の壁に設置されたレバーの持ち手を握って、それを下へと下ろしていく。

 

 するとルイズの目の前、彼女をここから先へ通さんとしていたかのように立ちはだかっていた通行止めのバーが、上へと上がっていく。

 細長くやや部厚めの木で出来たバーが上がる様子を眺めつつ、ルイズは衛士代わりの下級貴族に礼を述べた。

「ありがとう。こんな所にヴァリエール?って感じで疑われるのを覚悟していたから助かったわ」

「いえいえ、何せ今年の夏季休暇はここに『特別なお方』がお泊りになっておりますからね」

 あの人の家元を考えれば、ヴァリエール家の者がここにいると勘づくのは分かっていましたよ。

 最後にそう言ってルイズに軽く敬礼をしてくれたのを見届けた後、ルイズはゲートを通ってその向こう側へと入る。

 そしてそこで一旦足を止めて背後を振り返ると、彼女は一人ポツリと呟いた。

「『風竜の巣穴』…か。確かにパンフレット通り…良い景色が一望できそうね」

 王都の街並みを一望できる小高い丘の下に建てられたリゾート地の入り口で、ルイズはホッと一息つく。

 

 ルイズがここへ来た理由は一つ、一昨日別れたカトレアに会いに行くためである。

 別れ際に彼女からここの居場所と、ご丁寧にもどこの別荘に泊まっているという事も教えてくれた。

 わざわざ教えてくれなくとも場所さえ教えてくれれば自力で探せそうなものだが…と、当時のルイズは思っていたのである。

 しかし、それが単なる迂闊であったという事は初めてここを訪れたルイズは身を持って知る事となった。

「ちょっとした規模のリゾート地かと思ったけど。…成程、こうも同じような建物ばかりだと迷っちゃうわよね…」

 カトレアから手渡されたメモと地図が載ったパンフレットを片手に道を歩く彼女は、似たようなデザインが続く別荘を見てため息をついた。

 一応細部や部屋の様相が違うという事はあるだろうが、外見だけ見ればどれも似たようなものである。

 それが何件も続いている為、中庭に誰も出ていなければ何処に誰がいるか何て分からないに違いない。

 

 幸い各別荘の入口には数字が書かれた看板が刺さっており、何処が何番の別荘だと迷う事は無いだろう。

 ルイズはメモに書かれている「12」番の看板を捜して、別荘地の奥へ奥へと進んでいく。

「今が五番で次が六番だから…って、この先道が二つに分かれてるのね」

 「5」番目の看板が目印の、オリーブ色の屋根が目立つ別荘の前で足を止めたルイズは、ふと前方に分かれ道がある事に気が付く。

 次の別荘は隣にあったものの、どうやら七番目と八番目の別荘は左右に分かれているらしい。

 右の方には『8』が、左には『7』の番号が振られた別荘がそれぞれ宿泊施設としての役目を果たしている最中であった。

 どちらの別荘にも貴族の家族が泊まりに来ているようで、右の別荘の芝生では幼い兄弟が楽しそうにキャッチボールをしている。

 ボール遊びといってもそこは貴族の子供、平民の子から見れば結構アクロバティックな球技と化していた。

 

 思いっきり上空へと投げたボールを受け取る子供が『フライ』の呪文を唱えて見事にキャッチし、次いで空中から投げつける。

 それを先ほど投げた子が『レビテーション』の呪文を唱えて勢いを殺し、難なくボールを手にしてみせる。

 兄弟共に楽しそうな笑み浮かべて汗を流して遊ぶ姿は、例え魔法が使えるとしても平民の子供と大差は無い。

 それを若干羨むような目で見つめていたルイズは、左の別荘の方へも視線を向けてみる。

 左の別荘の芝生ではこれまた幼い姉妹が魔法の練習をしており、子供用の小さな杖を一生懸命振って魔法を発動させようとしていた。

 ルイズが今いる位置からでは聞き取れなかったが、彼女たちの周囲で微かなつむじ風が起こっている事から恐らく『風』系統の練習なのだうろ。

 子供の幼い舌では上手く呪文を唱えられないのであろう、必死に杖を振る姿がなんとも昔の自分にそっくりである。

 ただ違う所は一つ。彼女らは一応風を起こしているのに対し、自分はどれだけ杖を振っても成果が出なかった事だ。

 

(あの時自分の系統が何なのか気付いてたら…って、そんな事考えても仕方ないわよね)

 幼少期の苦い思い出を掘り越こしてしまった気分にでもなったのであろう、ルイズは沈んだ表情を浮かべつつも首を横に振って忘れようとする。

 自分がここを訪れた理由は一つ。幼少期の苦い思い出を堀り越こす為ではなく、カトアレに会いに行く為だ。

 

 その後、すぐに気を取り直したルイズは芝生で遊んでいた子供たちの内、魔法の練習をしていた姉妹に聞いてみる事にした。 

 最初こそ怪しまれたものの、今日はマントを身に着けていた為不審者扱いされずに何とか道を聞く事ができた。

 どうやら「12」番の看板が刺さった別荘は彼女たちがいる左側にあるようで、二人して道の奥を指さしながら教えてくれた。

 ルイズは「そう、助かったわ。ありがとう」とお礼を言って立ち去ると、姉妹は揃って「じゃあねぇ!」と手を振りながら見送ってくれた。

 彼女も笑顔で手を振りつつその場を後にすると、左側の道路を奥へ奥へと進んでいく。

 

 その間にも何人かの宿泊客達と出会い、軽い会釈をしつつも「12」番の看板目指して歩き続ける。

 やがて数分程歩いた頃だろうか、もうすぐ行き止まりという所でようやく探していた番号の看板を見つける事ができた。

「十二番…ここね」

 少しだけ蔓が絡まっている看板に書かれた数字を確認した後、ルイズは臆することなく芝生へと入っていく。

 綺麗に切りそろえられた芝生、その間を一本の線を走らせるようにして造られた石造りの道をしっかりとした足取りで歩くルイズ。

 他と同じような造りの二階建ての別荘からは人の気配があり、ここを利用している人たちが留守にしていないという何よりの証拠である。

 看板は合っている、留守ではない。それを確認したルイズはそのまま道を進んで玄関の方へと歩いていく。

 一分と経たない内に玄関前まで来た彼女は軽く深呼吸した後、ドアの横に付いた呼び鈴の紐を勢いよく引っ張った。

 

 直後、ドア一枚隔ててチリン、チリン…という鈴の音が聞こえ、誰かが訪問してきたという事を中の人々に知らせてくれる。

 呼び鈴を鳴らし終えたルイズはスッと一歩下がった後に、このドアを開けてくれるであろう人物を待つことにした。

 すると、一分も経たない内に呼び鈴を聞きつけたであろう誰かが声を上げたのに気が付く。

「…~い!少々お待ちォー!」

 ドア越しに軽快な足音を響かせてやってきた誰かは、ゆっくりとドアを開けてその姿を現す。

 その正体は市販のメイド服に身を包んだ、四十代手前と思われる女性の給士であった。

 薄黄色の髪を短めに切り揃え眼鏡を掛けている彼女は、ドアの前に立っていたルイズを見て「おや」と声を上げる。

「おやおや、これは貴族様ではございませぬか?…して、この別荘に何か御用がおありでしょうか?」

 丁寧に頭を下げつつも、ルイズがどのような目的でこの別荘のドアを叩いたのか聞いてくる給士の女性。

 ルイズは丁寧かつ仕事慣れした彼女の挨拶に軽く手を上げて応えつつ、単刀直入にここへ来た目的を告げた。

「今ここを借りているち…カトレア姉様に会いに来たの。ルイズが来たと伝えて頂戴」

「…ルイズ!?…わ、分かりました。すぐにお呼び致しますので、どうぞ中へ…」

 基本的に宿泊している貴族の名を明かすことは無いこの場所において一発で名前を当て、尚且つルイズという名を名乗る。

 この国の重鎮であるヴァリエール家の事を多少は知っていた給士はハッとした表情を浮かべ、すぐさまルイズを家の中へと招いた。

 

 カトレアが現在泊まっている別荘の中へと入ったルイズは、給士の案内でハイってすぐ左にある居間へと通される。

 大きなソファーと応接用のテーブルが置かれたそこには彼女とは別にカトレア御付の侍女が一人おり、部屋の隅の観葉植物に水をやっている所であった。

 丁度その時ルイズに対し背を向けていたものの、ルイズはポニーテルにした茶髪と鳥の羽根を模した髪飾りを見てすぐに誰なのかを知る。

「ミネアさん、ミネアさん。お客様が来られましたよ」

「あっはい……って、ルイズ様!?ルイズ様ですか!」

 給士がその侍女の名前を口にする彼女――ーミネアはクルリ振り向き、ついでその後ろにいたルイズを見て素っ頓狂な声を上げてしまう。

 そりゃまさか、こんな所で自分の主の妹様にお会いする等と誰が予想できようか。

 驚きのあまりつい大声を出してしまったミネアはハッとした表情を浮かべて「す、すまいせんつい…!」と謝ろうとした所で、ルイズが待ったと手を上げた。

「別に良いわよミネア。貴女が驚くのも無理はないかもしれないんだから」

「あ…そ、そうですか…。でも驚きました、まさかルイズ様とこんな所でお会いするだなんて…」

 ルイズが学院へ入学する少し前に、地方からカトレア御付の侍女として採用されたミネアとの付き合いは決して長くは無い。

 けれども無下にできるほども短くも無く、こうして顔を合わせば親しい会話ができる程度の仲は持っていた。

 

 その後給士の女性は居間起きたばかりだというカトレアを呼びに二階へと上って行き、

 居間で彼女を待つ事となったルイズにミネアは紅茶ょご用意いたしますと言って台所へと走っていった。

 結果居間のソファに一人腰を下ろしたルイズは、すぐに下りてくるであろうカトレアを待つ間に今をグルリと見回してみる事にした。

 全体的に目立った装飾は施されていないものの、貴族が泊まれる別荘というコンセプトを考えれば確かに泊まりやすい場所には違いないだろう。

 最近の貴族向けのホテルではいかに豪勢な装飾を施すかで競争になっていると聞くが、ここはそういう俗世の嗜好とは無縁の場所らしい。

 どらかといえばあまり装飾にこだわらず、街から少し離れた静かな場所で休みを過ごしたいという人には最良の場所なのは間違いないだろう。

 

 そんな風に素人なりの考えを頭の中で張り巡らしていたルイズの耳に、彼女の声が入り込んできた。

「あら、こんな朝早くから一体誰が来たのかと思ったら…やっぱり貴女だったのねルイズ!」

「ちぃねえさま!」

 慌てて腰を上げて声のした方へ顔を振り向けると、そこには眩しくて優しい笑顔を見せるカトレアの姿があった。

 いつものゆったりとした服を着て佇む姿に何処も異常は見受けられず、あれから二日間は何事も無かったようである。

 最も、ルイズとしてはあれ以来何か変な事があったのなら驚いていたかもしれないが、それも単なる杞憂で済んでしまった。

 まぁ何事も無ければそれで良く、ルイズは何事も無い二番目の姉の姿を見てホッと安堵しつつ、彼女の傍へと近寄る。

 カトレアもまるで人に慣れた飼い猫の様なルイズを見て安心したのか、近寄ってきた彼女の体をそのまま優しく抱きしめてしまう。

 

「あぁルイズ、私の小さなルイズ。いつ見ても貴女は愛くるしいわねぇ」

「ちょ…ち、ちぃねぇさま…!う、嬉しいですけど…!何もこんな所で…ッ」

 突然抱きしめられたルイズは嬉しさと恥ずかしさからくる照れで頬が赤面しつつも、姉の抱擁を受け入れている。

 服越しに感じる細めの体と優しい香水の香りに、自分とは比べ物にならない程大きくて柔らかい二つの胸の感触。

 特に胸の感触と圧迫感の二連撃でどうにかなってしまいそうな自分を抑えつつ、ルイズはカトレアからの愛を受け入れ続けている。

 これがキュルケや他の女の胸なら容赦なく押し退けていたが、流石に自分の姉相手にひんな酷いことは出来ない。

 むしろここ最近苦労続きの身には何よりものご褒美として、彼女は顔に押し付けられている幸せを安らかに堪能していた。

 そしてふと思う。今日は自分一人だけで姉のいる此処へ訪問するという選択が正しかったという事を。

(ここに霊夢たちがいなくて、本当に良かったわ…死んでもこんな光景見られたく無しいね)

 

 その後、互いに一言二言の会話を交えたところで準備を終えたミネアがティーセットをお盆に載せて戻ってきた。

 朝と言う事もあって軽い朝食なのだろうか、小さいボウルに入ったサラダとベーグルサンドがお盆の上にある。

 カトレア曰く「食材等もここの人たちが用意してくれてるの」と言っており、今の所不自由は無いのだという。

 確かに、サラダに使われてる野菜や焼き立てであろうベーグルを見るに食材には気を使っているのが一目でわかる。

 平民にも食通が多いこの国では貴族の大半は美味しい物を食べ慣れており、酷い言い方をすれば舌が肥えているのだ。

 そうした貴族たち専門の宿泊地で食材に気を使うというのは、呼吸しないと死んでしまうぐらい常識的な事なのであろう。

 

 姉からの説明でそんな事を考えていたルイズの耳に、今度は元気な幼女の声が聞こえてきた。

「おねーちゃん!……って、この前の小さいお姉ちゃん?」

 カトレアと比べてまだ聞き慣れていないその声にルイズが声のした方―――厨房の方へと顔を向ける。

 するとそこに、顔だけをリビングへと出して自分を見つめている幼女、ニナの姿があった。

 彼女は見慣れぬ自分の姿を見て多少驚いてはいるのか、そのつぶらな瞳が丸くなっているのが見て取れる。

 カトレアはリビングへとやってきたニナを見て、嬉しそうに笑い掛ける。

「あぁニナ。今日は私の大切で可愛い妹が朝早くから来てくれているの。ついでだから、一緒に朝ごはんを頂きましょう?」

「え?…う、うん」

 いつもは元気な返事をするであろうニナは、見慣れぬルイズの姿を見つめたまま曖昧な返事をする。

 その姿はまるで元からいた飼い猫が、新参猫に対して警戒しているかのようであった。

 

 カトレアもニナの様子に気が付いたのか、優しい微笑みを浮かべつつ言葉を続けていく。

「大丈夫、怯える事なんてどこにもないわよ。こう見えても、ルイズは私より気が利く子なんですから」

「ちょっ…急に何を言うのですかちぃねえさま?」

 やや…どころかかなり持ち上げられてしまったルイズは、カトレアの唐突な賞賛に赤面してしまう。

 嬉しくも恥かしい気持ちが再び胸の内側から込み上がる中で、ついつい姉に詰め寄っていく。

 カトレアはそんなルイズの反応を見てクスクスと笑いつつ、呆然とするニナの方へと顔を向けながら一言、

「ね、そんなに怖くは無いでしょう?」と不安な様子を見せるニナに言ってのけた。

 ニナもニナでそれである程度ルイズを信用するつもりになったのだろうか、コクリと小さく頷いて見せる。

 それを見て良しとしたカトレアもコクリと頷き返してから彼女の傍へと近寄り、優しく頭を撫でながら「良い子ね」と褒めてあげた。

「それじゃ、頂きますをする前に手を洗いに行きましょうか?」            、 

「……うん」

「あ、私も一緒に…」

 カトレアの言葉に頷くと、彼女の後に続くようにして洗面場の方へと歩いていく。

 それを見ていたルイズもハッとした表情を浮かべて席を立つと、若干慌てつつも二人の後を追って行った。

 

 その後、成り行きで三人仲良くてを洗い終えたルイズ達は居間で朝食を頂く事となった。

 スライスオニオンとハムの入ったベーグルサンドとサラダは朝食べるのにうってつけであり、紅茶との相性も良い。

「どうしらルイズ?味は保証できると思うけど、量が少なかったらパンのおかわりもあるけど…」

「あ、いえ。大丈夫ですよちぃ姉さま、私はこれくらいでも十分ですし…それに御味の方も、とても美味しいです」

 勿論実家のラ・ヴァリエールや魔法学院での朝食と比べれば品数は少ないが、ルイズ自身朝はそれ程食べるワケではない。

 自分の質問に素早く答えたルイズにカトレアは微笑みつつ、サラダのドレッシングで汚れたニナの口元に気が付く。

「あらニナ、そんなに慌てて食べなくてもサラダは逃げませんよ?」

「ムグムグ……はぁ~い!あ、じじょのおねーさん!パンのおかわりちょーだい!」

 カトレアは無論小食であるので問題は無く、食べ盛りであるニナは少し物足りないのか侍女達からおかわりのパンを貰っている。

 貴族らしくお淑やかに頂くルイズ達とは対照的にがっついているニナの姿に、侍女達は元気な子だと笑いながらバゲットから焼きたてのパンを皿の上へと置く。

 ニナはそれにお礼を言いつつ置かれたばかりのパンを掴むとそのまま齧りつく…事は無く、一口サイズに千切って口の中へと放り込む。

 きっとカトレアから教わったのだろう。この年の子供で平民だというのに食事のマナーを覚えているニナに流石のルイズも「へぇ…」と感心の声を上げてしまう。

 

 それを耳にしたであろうカトレアが、妹の視線の先にニナがいる事で察したのか嬉しそうな笑みを浮かべながら言った

「偉いわねニナ。妹のルイズが貴女の綺麗な食べ方を見て感心してくれてるわよ?」

「え、ホントに?」

「え?いや…そんな、別に…ただ平民の子供だからちょっとだけ感心だけよ」

 まるで本当の母親のように褒めてくれたカトレアの言葉に、ニナは嬉しそうな瞳をルイズの方へと向ける。

 ニナが褒められたというのに何故か気恥ずかしい気持ちになってしまったルイズは、照れ隠しのつもりで手に持っていたサンドウィッチに齧り付いた。

 シャキシャキとした食感と仄かな甘味のある玉葱と少し厚めにスライスされたロースハムの旨味、

 そしてベーグルに塗られたマヨネーズの酸味を口の中で一気に感じつつ、ルイズは久方ぶりなカトレアとの朝食を楽しんでいた。

 

 

 朝食が済んだあと、侍女たちが食器を片づける中でニナは中庭の方へと走っていった。

 何でもカトレアが連れてきている動物たちもそこにいるようで、餌やりは既に終わっているのだという。

「やっぱりというか、なんというか…連れてきていたんですね?」

「えぇ。何せこんな長旅は初めてだから、あの子達にも良い教養になると思ってね」

 侍女が出してくれた食後の紅茶を堪能しつつ、ルイズはお茶請けにと用意された見慣れぬ焼き菓子を一枚手に取った。

 元はトンネルの様な形をした菓子パンであり、表面には雪の様に白い粉砂糖が降りかけられている。

 それを侍女に六枚ほどスライスしてもらうと、生地の中にナッツやレーズン等のドライフルーツが練り込まれている事にも気が付いた。

 

 トリステインでは見た事の無いお菓子を一切れ手に取ったルイズはすぐにそれを口にせず、暫し観察してしまう。

 それに気が付いたのか、カトレアは微笑みながらルイズと同じく一切れを手にしながらそのお菓子の説明をしてくれた。

 何でもゲルマニアやクルデンホルフを初めとしたハルケギニア北部のお菓子らしく、始祖の降臨祭の前後に食べられるのだという。

 

「本来は降臨祭の三、四週間ほど前に焼き上げてそこからからちょっとずつスライスして食べていくらしいわよ。

 それでね、降臨祭が近づくにつれてフルーツの風味がパンへ移っていくから、ゲルマニアでは…

 「今日よりも明日、明日よりも明後日、降臨祭が待ち遠しくなる」…っていう謳い文句で冬には大人気のお菓子になるらしいの」

 

 カトレアからの豆知識を耳にしつつ、ルイズは大口を開けて手に持った菓子パンをパクリと齧りついてしまう。

 いかにもゲルマニアのお菓子らしく表面は固いものの、内側のパン生地はしっとりしていて柔らかく、そしてしっかりと甘い。

 恐らく長期保存の為に砂糖やバターを一般的なお菓子よりも大量に使っているという事が、味覚だけでも十分に分かってしまう。

 そこへドライフルーツの甘みも加わってくると甘みと甘みのダブルパンチで、口の中が甘ったるい空間になっていく。

「どうかしら、お味の方は?」

「は、はい…その、とっても甘くてしっとりしていて…でもコレ、甘ったるいというか…甘いという名の暴力の様な気が…」

 平気な顔して一切れを少しずつ齧っているカトレアからの質問にそう答えつつ、ルイズは齧りついた事に後悔していた。

 本場ゲルマニアではどういう風に齧るのかは知らないが、多分姉の様に少しずつ食べるのが正しいのだろう。

 少なくともトリステインの繊細かつ味のバランスが取れたお菓子に慣れきったルイズの舌には、この甘さはかなり辛かった。

 

「ン…ン…、プハッ!…ふうぃ~、とんでもない甘さだったわ」

 その後、齧りついた分を何とか飲み込む事ができたルイズはコップに入った水を一気飲みしてホッと一息ついていた。

 ルイズと違い少しずつ齧り取っていたカトレアはそんな妹のリアクションを見て、クスクスと楽しそうに笑っている。

「あらあら、貴女もコレを初めて食べた私と同じ轍を踏んじゃったというワケなのね?」

「ま、まぁ…そういう事みたいですね。正直ゲルマニアの料理は色々と食べてきましたが、あんなに甘ったるいのは初めてでしたわ」

 決して自分を馬鹿にしているワケではないと分かる姉の笑いに、ルイズも釣られるようにして苦笑いを浮かべてしまう。

 ハルケギニアでは比較的新しい国家であるゲルマニアには、他の国よりも名のある保存食が多い事で有名である。  

 

 ひとまずルイズは一切れ飛べた所でもう大丈夫だと言って、カトレアは残った菓子パンを下げるにと侍女に告げた。

「もしお腹が減ったら貴女たちで分けて食べても良いわよ。…ついでに後一枚だけ残しておいてくれたら助かるわ」

 ようやく手に取った一切れを食べ終えたカトレアの言葉に、菓子パンの乗った皿を下げる侍女はペコリと一礼してから居間を後にする。

 周りにいた侍女たちにももう大丈夫だと言って人払いさせた後、彼女はルイズと二人っきりになる事ができた。

 ニナは中庭で動物たちと一緒に遊んでおり、暫くはここへ戻ってくる事はないだろう。

 ご丁寧にドアを閉めてくれた侍女の一人に感謝しつつ、ルイズはゆっくりとカップに入った紅茶を飲んだ。

 これも宿泊場の支給品なのだろうが、中々グレードの高い茶葉を用意してくれたらしい。

 朝食の後に食べてしまった甘ったるいあの菓子パンの味を、辛うじて帳消しにしようとしてくれる程度には有難かった。

 

 暫し食後の紅茶を堪能していると、何を思ったのかカトレアが話しかけてきたのである。

「さて…貴女がここへ来たのは、何も会うのが久しぶりな私の顔を見に来たってワケじゃないのでしょう?」

 紅茶が半分ほど残ったカップを両手に、カトレアは一昨日の出来事を思い出しながらルイズに質問をした。

 いきなりここへ来だ本題゙を先に言われてしまったルイズは、どんな言葉を返そうか一瞬だけ迷ってしまう。

 確かに彼女の言うとおりだ。ここへ来た理由は、久しぶりに顔を合わせる家族に会いに来ただけ…というワケではない。

 

 ルイズはどんな言葉を返したらいいか一瞬だけ分からず、ひとまずの自身の視線を左右へと泳がせてしまう。

 しかしすぐに言いたい事が決まったのか、決心したかのようなため息をついた後で、カトレアからの質問に答えることにした。

「信じて貰えないかもしれませんが…一昨日の事は、色々と複雑な事情があったからこそなんです」

 霊夢や魔理沙たちの事を、カトレアには何処から何処まで喋れば良いのか分からない今のルイズには、そんな言葉しか考えられなかった。

 そんな彼女の姉は妹の返事に「『信じて貰えないかもしれない』…ねぇ」と一人呟いてから、ルイズの方へとなるべく体を向けつつも話を続けていく。

「荒唐無稽でなければ、貴女の言う事は大概信用できるわよ?」

「ちぃねえさまなら本当に信じてくれるかもしれませんが…でもやっぱり、ねえさまに話すのは危険だと思うんです」

「…!危険な事、ですって?」

 ルイズの口から出た「危険」という単語に、カトレアはすかさず反応してしまう。 

 

 少しくぐもってはいるものの、中庭の方からニナの笑い声が微かに聞こえてきた。

 それよりも近い場所からは侍女たちが後片付けしている音が聞こえ、二つの音が混ざり合って二人の耳に入り込んでくる。

 今の二人にとって雑音でしかないその二つの音を聞き流しつつも姉妹は見つめ合い、それからまずルイズが口を開いた。

「いや、別にねえさまに直接身の危険が及ぶとか、そういうのではありませんが…でも、もしかしたらと思うと…」

「身の危険って…、誰が好き好んで私みたいな病人を襲うというのかしら?」

「あまり自分の身を軽く考えてはいけません。ちぃねえさまだってヴァリエール家の一員なんですから!」

 自嘲気味に自分を軽視するカトレアに注意しつつも、ルイズは更に話を続けていく。

 

「ねえさまも見知っているとは思いますが、レイムとマリサの二人とは今切っても切れない様な状態にあります。

 何故…かと問われれば答えにくいんですが…今本当に、色々な問題を抱えちゃってるんです…」

 

「レイム、それにマリサ…うん、覚えているわ」

 愛する妹の口から出た人名らしき二つの単語を耳にして、、カトレアは一昨日の出来事を思い出す。

 あの時、確かにルイズの近くにはそういう名前の少女が二人いたのを覚えている。

 時代遅れのトンガリ帽子を素敵に被っていた金髪の少女がマリサで、中々にフレンドリーであった。

 いかにも物語の中に出てくるようなメイジの姿をしていたが…、

 どちらかと言えば平民寄りであり、初見であるニナや自分にも気さくな挨拶をしてくれていた。

 

 そしてもう一人…黒髪で見た事も無い異国情緒漂う――もう一人の居候とよく似た格好をした、レイムという名の少女。

 あの時はマリサと比べ口数も少なく、考え事をしていたかのようにじっとしていたあの少女。

 彼女が背負っていたインテリジェンスソードが、代わりと言わんばかりに喧しい声で喋っていた事は覚えている。

 ハルケギニアでも見慣れた姿をしていたマリサとは何もかも違っていた、レイムの姿。

 今はこの場に居ない『彼女』を何故かしきりに睨んでいた事も、同時に思い出す。

 

「しかし、あの二人と貴女にどんな縁ができちゃったのかしら?私、そこが気になってくるわ」

「…少なくとも、あの二人がいなかったら一昨日の事件にもそれほど関わりたいとは思わなかったかもしれません」

 …何より、命が幾つあっても足りなかったかも…―――と、いう所までは流石に口にできなかった。

 いくらなんでも済んだこととは言え、霊夢達には命の危機を何度も救ってもらっている…なんて事までは言えない。

 逆に言えば、アイツラの所為で色々と危険な目に遭っている…という考えは否めないが。

(まぁこれまでの経緯を全部言っちゃうと、ねえさまが心配しちゃうしね)

 いざカトレアと対面した今は、霊夢達との経緯を何処からどう詳しく話せばいいか悩んでいた。

 春の使い魔召喚の儀式で霊夢を召喚してしまい、それから命がけでアルビオンまで行って戻ってきた所か?

 彼女たちがこの世界の人間ではなく、幻想郷とかいう異世界に住んでいるという所からか?

 

(…駄目ね、何処から話しても多分ねえさまには余計な心配をさせちゃうわ)

 今振り返ってみても碌な目に遭っていない事を再認識しつつ、ルイズは頭を抱えたくなった。

 霊夢一人だけでも結構大変な毎日だったというのに、そこへ来て幻想郷と言う彼女の住処まで半ば強引に拉致され、

 挙句の果てに何故か自分の世界と関係してその世界が崩壊の危機を迎えているという、自分には重荷過ぎる事を説明され、

 更にその原因を引き起こしている黒幕はハルケギニアに居ると言われて、なし崩し的に霊夢と異変解決に乗り出す事となり、

 そこへ更に状況を悪化させるかのようにスキマ妖怪が魔理沙を連れてきて、魔法学院の自室には三人の少女が住むことになった。

 三人いるおかげで部屋は手狭り、魔理沙が持ってきた大量の本が部屋の二隅を今も尚占領されている。

 

 そして自分たちを戻ってきたのを見計らっていたかのように訪れる、危機、危機、危機!

 奇怪な異形達にニセ霊夢、そしてアルビオンのタルブ侵攻と虚無の使い魔ミョズニトニルンに…ワルド再び。

 これだけでも頭の中が一杯になりそうなのに、王都では奇怪な事件が現在進行中なのである。

 我ながら大きな怪我を一つもせずにここまで生きて来られたな…ルイズは自分を褒めたくなってしまう。

 しかしその前に思い出す。今はそんな事を一人で喜ぶよりも、先にするべき事をしなければならないのだと。

 ふと気づくと、自分の横にいる姉は何も言わずに考え込んでいる自分の姿に怪訝な表情を見せている。

 自分だけの世界に入ろうとしていたルイズはそこで気を取り直すように咳払いしつつ、話を再開していく。

「ま、まぁとにかく!あの二人とは色々あり過ぎて…どこから説明すれば良いのかわからないんです」

 これは本当であった。正直霊夢達が来てからの出来事が濃厚過ぎて、どこからどう話しても結局カトレアに心配を掛けてしまう。 

 とはいえこのまま何も言わず…かといって幻想郷の事を話そうものなら、彼女もまた今回の件に首を突っ込ませてしまうに違いない。

 一体どうしようかと今もまだウジウジと悩むルイズを見て、カトレアは何かを思い出したのだろうか?

 あっ…小さな声を上げると手に持っていたティーカップをテーブルに置くと…パン!と自らの両手を合わせてみせた。

 何か思いついたのだろうか?大切な姉を巻き込みたくないというルイズの意思を余所に、妙案を思いついたカトレアはルイズに話しかける。

「そうだわルイズ!私、アナタと再会したら聞きたいとおもってた事があったのよ?」

「…?き、聞きたい事…ですか?」

 突然そんな事を言われたルイズは半分驚きつつも、姉の口から出た言葉に興味を示してしまう。

 カトレアも『えぇ』と嬉しそうに頷くとスッと顔を近づけて、『聞きたい事』を口にした。

 

「私の家にいるもう一人の居候から聞いたのだけれど…貴女はその二人と一緒に゙あの時゙のタルブにいたのよね?

 なら、この機会に教えてくないかしら?貴女達がどうしてあんな危険な場所へ赴いて、何をしようとしていたのかを…ね?」

 

 ルイズとしては彼女の口から出ることは無いだろうと思っていた言葉を聞いて、何も言えずに固まってしまう。

 …あぁ、そういえば今ねえさまの所にあの巫女モドキがいるんだっけか?そんな事を思い出しながら、ルイズはどう説明しようか悩んでしまう。

 

 

 

 

 朝だというのに夏の陽光に晒されて、今日も水準値よりやや高い気温に包まれた王都トリスタニアがブルドンネ街。

 こんなにも暑いというのに平常通りに市場はオープンし、今日も多くの人々がこの街を出入りしていた。

 タオルやハンカチに日傘などを片手に狭い通りを歩く市民らの顔からは、これでもかと言わんばかりに汗が滲み出ては流れ落ちていく。

 夏に入ってからというものの、街中のジュースやアイスクリームを販売するスタンドの売り上げは日々右肩上がり。

 今日も木陰に設置されたジューススタンドには、キンキンに冷えた果汁百パーセントのジュースを目当てに人々が列を作っている。

 とある通りに面したレストランでも、冷製スープなどが話題のメニューとして貴族平民問わず話のタネになっていた。

 更にロマリア料理専門店ではそれに触発されてか、冷たいパスタ…つまりは冷製パスタという創作料理が貴族たちの間で話題となっている。

 そのロマリアからやってきた観光客たちからは困惑の目で見られていたが、それを気にするトリステイン人はあまりいなかった。

 

 どんなに暑くなろうとも、その知恵を振り絞って何とか耐え凌ごうとする人々でひしめきあうブルドンネ街。

 その一角…大通りから少し離れた先にある小さな広場に造られた井戸の前で、霊夢はジッと佇んでいた。

 額や髪の間から大粒の汗を流しながら一人呟いた彼女の視線の先には、井戸の横に設置された看板。

 ガリア語で『飲み水としてもご利用できます!』と書かれた看板を睨み付けながら、背中に担いだデルフへと声を掛ける。

「デルフ…この看板で良いのよね?」

『んぅ?あぁ、飲み水としても使えるって書いてあるから、問題なく飲めると思うぜ?』

 ま、保証はせんがね。と釘を刺す事を忘れないデルフの言葉に頷きつつ、霊夢は井戸の傍に置かれた桶を手に取った。

 それを井戸の中へ躊躇なく放り込む。少しして、穴の底から桶が着水する音が聞こえてくる。

 

 それを聞いて小声で「よっしゃ」と呟いた彼女は、ロープを引っ張って滑車を動かし始めた。

 カラカラと音を立てて滑車は回り、井戸の中へと落ちた桶を地上へと引っ張り上げていく。

 やがて水を満載した桶が井戸の中から出てくると、霊夢は思わず目を輝かせてその桶を両手で持った。

 袖が濡れるのも気にせず中を覗き込むと、驚く程冷たく澄み切った水が桶の中で小さく揺れ動いている。

 思わず上げそうになった歓声を堪えつつも、彼女は桶を器に見立ててゆっくりと中の水を飲み始めた。

 ゴクリ、ゴクリ…と喉を鳴らす音が広場に聞こえた後、満足な表情を浮かべた博麗の巫女がそこにいた。

 

 

「いやー!生き返った生き返った!やっぱこういう時は冷たいお茶か…次に冷たい水よねぇ~」

 数分後、井戸の横にある木の根元に腰を下ろした霊夢はそう言って、傍らに置いた桶をペシペシと叩いて見せた。

 中には数えて四杯目となる水がなみなみと入っており、彼女に叩かれた衝撃でゆらゆらと小さく揺れ動いている。

 本来ならば桶の独占は禁止されているものの、幸いな事にこの広場には彼女とデルフ以外誰もいない。

 それを良い事に霊夢は今この時だけ、井戸の桶をマイカップみたいに扱っていた。

「今回は有難うねデルフ、アンタのおかげでそこら辺で干からびてるトカゲやミミズの仲間入りせずにすんだわ」

 潤いを取り戻した彼女は満面の笑みを浮かべて看板を呼んでくれたデルフに礼を言いつつ、片手で水を掬っては鞘から出した彼の刀身に水を掛けている。

『そりゃーどうも。…ところでいい加減、オレっちの刀身に水かけるのやめてくんね?』

「何でよ?アンタ体の殆どが金属なんだから一番涼みたいんじゃないの?」

『そりゃまぁ冷たいのは冷たいが、できればその桶に水一杯張ってさーそこに突っ込んでくれるだけでいいんだが…』

「そんな事したら私が水を飲めなくなっちゃうから駄目」

 デルフの要求を笑顔で拒否した霊夢は、それから暫くの間デルフの刀身に水を掛け続けてやった。

 

 それから三十分程経った頃、ようやく満足に動けるだけの休息を取った彼女は左手に持った地図と睨めっこをしていた。

 ルイズの鞄から無断で拝借しておいたこの地図は、王都トリスタニアのものである。

 主な通りやチクトンネ街とブルドンネ街の境目の他、御丁寧にも旧市街地の通路も詳細に描かれていた。

 霊夢はそれと空しい睨めっこを続けつつ、ついさっき特定できた現在地からどこへ行こうかと悩んでいる最中である。

 

「んぅ~…。何でこう、道が幾重にも分かれてるのかしらねぇ?人里なら路地裏でも単純な造りしてるってのに…」

『人が多く住めばその分家や建物を増やさなきゃならんしな。その度に新しくて小さな道が幾つも生まれていくもんなのさ』

 幻想郷の人里とは人工も規模も圧倒的過ぎるトリスタニアの複雑的で発展的な構造に苦虫を噛んだかのような表情を見せる霊夢に対し、

 桶に張った水に刀身を三分の一程刀身を入れているデルフは落ち着き払った声でそう返す。

 殆ど鞘に入れられていた事と太陽の熱気の所為で熱くなってしまった刀身を冷ますには持って来いであろう。

「…そうなると、考え物よねぇ。発展っていうヤツは」

 

 デルフの言葉に霊夢は嫌味たっぷの独り言を呟きつつ、食い入るように地図上に記された路地裏を見回していく。

 大通りや人通りの多い地域は分かりやすいが、路地裏や脇道等は結構複雑に入り組んでいる。

 主要な通り等はあらかじめ名前付いているらしく、すぐ近くの大通りには『サミュエル通り』と黒字で大きく書かれている。

 勿論霊夢に読める筈も無いのだが、辛うじて文字の形と並びだけで何となく区別する事は出来ていた。

 一昨日シエスタに案内してもらった公園が隣接する小さな通りにも名前があるらしい。

 名前があるならまだマシであったが。生憎これから調査の為に入るであろう街中の裏路地には名前など全く持っていなかった。

 まるで土から芽生え出てくるよう芽のように名前の付いた通りからいくつも生まれる小さな道には誰も興味を示さないのであろう。

 何時の頃かは知らないが、きっと大昔に名前を貰えなかった道はそのまま一つ二つと増えていき…結果、

 地図で記されているような、幾重にも分かれた複雑な裏路地群を形成していったのであろう。

 そんな事をふと考えてしまっていた霊夢はハッとした表情を浮かべると、咳払いして気を取り直しつつもう一度視線を地図へと向ける。

 ブルドンネ街とチクントネ街、そして旧市街地も合わせれば実に百に近い数の裏通りや路地が存在している。

 そしてこの広い街の何処かにいるのである。今現在霊夢とデルフを、この炎天下の下に曝け出している奴らが。

 

 アンリエッタから渡され、霊夢が増やした金貨を盗んでいった少年に、一昨日劇場で惨殺事件を起こしたであろう黒幕という二つの存在。

 明らかに人間がやったとは思えない手口で殺されたあの老貴族の事を思うと、どうしても体が動いてしまうのである。

 そして件の少年に関しては…この手で金を取り戻したうえで鉄拳制裁でもしない限り、死んでも死にきれない。 

 

 こうして行方をくらましているスリ少年を捜しつつ、惨殺事件の黒幕をも探さなければいけなくなった霊夢は、

 こんなクソ暑い炎天下の中を、デルフと共に動かなければいけなくなったのである。

「…全く、季節が春か秋なら手当たり次第に探しに行けるんだけどなぁー」

『おー、おっかねえな~?となるれば、あの小僧も間が良かったって事だな』

 日よけの下で忌々しく頭上の太陽を見上げる霊夢の言葉に、デルフは刀身を震わせて笑う。

 彼の言うとおり、霊夢達から見事お金を盗むのに成功したあの少年は本当にタイミングが良かったのだろう。

 幻想郷以上に暑いトリスタニアの夏では霊夢も思うように動けず、それが結果として少年の発見を遅れさせている。

 最も、この前魔理沙に見つかったらしいので恐らくそう遠くない内に見つかるに違いない。

 そうなったら何が起こるのか…それを知っているのは始祖ブリミルか制裁を加えると宣言している霊夢だけだ。

 

 遅かれ早かれ捕まるであろう少年の運命に嗤いつつ、デルフはついでもう一つ彼女が抱えている問題を口にする。

『それにあの子供だけじゃねぇ。この前の貴族を返り討ちにしたっていうヤツも探さないとダメなんだろ?』

 デルフの言葉に霊夢はキッと目を細めると「そりゃそうに決まってるじゃない」と返した。

 一昨日、タニアリージュ・ロワイヤル座で起きた貴族の怪死事件についてはまだ人々に知らされてはいないらしい。

 昨日は閉館していたモノの、今朝仮住まいを出てすぐに其処の前を通りかかると、平常通り多くの人々でごった返していた。

 あんな事が起きたというのに、たった一日空けただけで大丈夫だと責任者は思ったているのだろうか?

 幻想郷の人里で同じような事件が起きたら一大事で、諸悪の根源が捕まるか退治されるまで閉館し続けるのは間違いないだろう。

 そして博麗の巫女である自分が呼ばれて、それに釣られるようにして鴉天狗がスクープ目当てで飛んでくる。

 

 そんなもしもを一通り考えた後、ここが改めて幻想郷とは違う常識で動いてるのだと再認識せざるを得なかった。

 人が死んでいるというのに何も知らされず、人々はいつものように劇を見て満足して帰っていく。

 その姿はあまりにも暢気であり、例え真実を知っても彼らは其処で死んだ初老の男の事など気にも留めないだろう。

 中にはお悔やみを申し上げる者もいるだろうが、きっと大半は「あぁ、そんな事があったんだ」で済ませてしまうに違いない。

 あのカーマンと言う貴族の男はそんな光景をあの世から眺めて、一体何を思うのだろうか。

 自分の死で街中がパニックにならない事を安堵するのか、それとも人を何だと思っていると怒るのだろうか?

「…仮に私なら、まぁ怒るんだろうなぁ」

『え?何が?』

 思わず口から独りでに出た呟きを聞いてしまったであろうデルフに、霊夢は「ただの独り言よ」と返す。

 そレに対しデルフはそうかい、と返した後無言となり、半身浴(?)を楽しむ事にした。

 霊夢は霊夢で腰を下ろしたまま空を見上げて、自分に礼を言って死んでいったカーマンの事を思い返す。

 病気を患った妻の為に薬を買えるだけの金を用意したところで、無念の死を遂げた初老の彼。

 そんな彼の事を思うと、やはりあのような目に遭わせた存在を見過ごすワケにはいかないのである。

 

「見てなさいよ。相手が化け物だろうが人間だろうが…タダじゃあすまさないんだから」

 夏の空を見上げながら、霊夢はまだこの街の地下にいるかもしれないもう一人の黒幕、

 窃盗少年よりも厄介なこの黒幕が何処にいるのかは、カーマンの最期の言葉で大体の目星は付けている。

 そこは王都の真下、地上よりも入り組んでいるであろうラビュリンスの如き地下下水道である。

 彼が死の間際口にした言葉で、少なくともあのような仕打ちをした存在が地下に逃げたという事だけは分かっていた。

 地図に記されていないものの、いま彼女らが腰を下ろす地面の真下にもう一つの世界が存在するのである。

 

 霊夢としては今抱えている二つの問題の内、厄介な地下の方を先に済ませたかった。

 少年の方も気になって仕方がないが、そちらと比べれば文字通りの犠牲者が出ない分後回しに出来る。

 あの初老の貴族を殺したモノが何であれ、あんな殺し方をする以上マトモなヤツではないだろう。

 これ以上被害が出る前にヤツが潜んでいるであろう地下世界へと一刻も早く潜入して正体を確かめた後、対処する必要があった。

「もしも相手が人間なら縛り上げて衛士に突き出してやるけど…何かそうならない気がするのよねぇ」

『おいおい、縁起でも無い事言うなよ?って言いたいところだが…まぁ確かにそんな気がしてくるぜ』

 意味深な霊夢の言葉にデルフも渋々と言った感じで肯定せざるを得なかった。

 

 霊夢とデルフ―――――特に霊夢は長年異変解決をこなしてきた経験がある故に、その気配を感じ取っている。

 ここ最近、王都トリスタニアでは人々の見てない所で何か良くない事が連続して起こっているという事を。

 それは日中や夜間の軽犯罪が多発している事ではなくそれより深い、まず並みの人間が感知できない不穏な『何か』だ。

 相次いで発生している怪死事件に、魔理沙が街中で出くわしたという正体不明の妖怪モドキ。

 それらがどう関係しているかはまだ説明は出来なかったが、それでも彼女はこの二つが決して無関係ではないという確信を抱いていた。

 博麗の巫女として長い間妖怪や怪異と戦い続けてきた彼女だからこそ、そう思っているのかもしれない。

 しかし、彼女とは違いハルケギニアの存在であるデルフも彼女と同様の事を思っていたようである。

 

『お前さんも思ってるかどうかは知らんが…なーんか最近、変な事がたて続けに起こってると思わないか?』

「あら、奇遇じゃない。私も同じような事を考えていた所よ…っと!」

 意外と身近な所にいた賛同者…ならぬ賛同剣の言葉にほんのちょっと喜びつつ、博麗霊夢はようやくその重い腰を上げた。

 夏の日射で奪われた体力を取り戻した彼女はその場で軽い体操をした後、桶に入れていたデルフを手に取る。

「…というワケで、これから地下へ突入するつもりだけど…勿論一緒に来てくれるわよね?」

『オレっちに拒否権なんか無いうえでそれを言うのか?…まぁいいぜ、お前さんはオレっちの『ガンダールヴ』だしな』

 水も滴る良い刀身を太陽の光で輝かせながら、デルフは拒否しようがない霊夢の問いにそう答えて見せた。

 

 かくして霊夢とデルフは王都の地下を調べる事にしたのだが、事はそう上手く運ばない。

 彼女らが地下へと入る為にそこら辺の適当な水路から入る…という事自体が難しくなっていたからだ。

 

「やっぱりいるわよね?こんなクソ暑いのに律儀だこと」

 井戸のあった広場を抜けて、ブルドンネ街の一通りにそって造られている水路の傍へと来ていた。

 そこはアパルトメントや安い賃貸住宅が連なっている住宅街があり、その真ん中を縫うようにして水が流れている。

 平民や下級貴族が主な住民であるこの地区も今は日中の為か、閑散としている。

 今は人気の少なくて寂しげな場所となっているが、霊夢としてはそちらの方が有難かった。

 何せこの通りを流れる川には、地下水道へと続く大きなトンネルがあるのだから。

 この王都に数多く存在する地下へと続く入口の内、一つであった。

 

 あの井戸のある広場から最短で来れる場所であり、穴の大きさも十分なので入るにはうってつけの場所である。

 しかし、霊夢本人はというとその穴へと飛び込まず歯痒そうな表情を浮かべて道路の上から眺めていた。

 その理由は一つ。彼女よりも先にやって来ていたであろう衛士達が数人、地下へと続くトンネルを見張っていたからである。

 先ほど彼女が口にした「やっぱりいるわよね?」というのも、彼らに対しての言葉であった。

 デルフも鞘から刀身を少しだけ出して、彼女がついた悪態の原因を見て口笛を吹いて見せた。

『ヒュー!流石衛士隊と言った所か、平民の集まりと言えどもお前さんの一歩先を行ってたようだねぇ』

「平民がどうのこうの何て私は興味ないけど、でもあぁやって集まられると素通りできないじゃないの」

 軽口を叩くデルフを小声で叱りつつ、霊夢は地下へと続いているトンネル前にいる衛士達を観察してみる。

 

 数は五、六人程度が屯しており、装備している胸当てや篭手等は夏用の軽装型であろうか。

 男性ばかりかと思いきや、その内三人が女性の衛士でありトンネルの入り口近くの陰で休んでいるのが見える。

 兜の代わりに青色のベレー帽を頭に被っている。まぁこんな猛暑日に兜なんか被ってたらすぐに立てなくなるだろうが。

 武器は手に持っている槍と腰に差している剣だけのようで、やろうと思えば強行突破など簡単かもしれない。

 しかし、人数が人数だけに何かしらの不手際を起こししてしまうとアッと言う間に取り押さえられてしまうだろう。

 そうなればまた詰所につれて行かれるのは確実だろうし、面倒な取り調べをまたまた受ける羽目になるのだ。

 

 一昨日夜の事を思い出して苦い表情を浮かべる霊夢に、デルフが話しかける。

『この分だと、衛士さん方も犯人が地下にいると踏んで他の入口もこんな感じで見張ってるような気がするぜ』

「確かにね。…でも、それにしたって今日はヤケに厳重過ぎない?」

 ここへ来る途中、霊夢は複数人で街中を移動する衛士達の姿を三度も見ている。

 真剣な表情を浮かべて人ごみの中を歩いていく彼らの様子は、明らかに『何か』を捜しているかのようであった。

『衛士がか?確かに、特にこれといったイベントのある日でも無さそうなのにな』

 

 霊夢が口にした疑問にデルフも同意した所で、反対側の道路から他の衛士の一隊が来るのに気が付く。

 五人一組で街を警邏している最中なのだろう。水路にいる仲間たちと同じ装備をしている彼らは同僚たちに声を掛けた。

「おーい!そっちはどうだー?」

「成果なしだ!そっちはー!?」

 自分たちを見下ろしながらそう聞いてきた男性衛士に対し、水路にいる女性衛士の一人が言葉を返しつつ質問も返す。

 それに対し男性衛士は大袈裟気味に首を横に振ると、女性衛士は額の汗を腕で拭いつつ彼との話を続けていく。

「最新の情報だとチクトンネ街でそれらしい人影が目撃されたらしいから、そっちの方へ回ってみてくれー!」

「わかったー!水分補給、忘れるなよー!」

 そんなやり取りの後、道路側の衛士達は水路にいる同僚へと手を振りながらチクトンネ街の方へと走っていく。

 対する水路側の衛士達も全員、走り去っていく仲間に軽く手を振りながら見送っていた。

 

 大声でやり取りしていた衛士師達に通りがかった通行人たちの内何人かが何だろうと騒いでいる。

 その輪に混ざるつもりは無かったものの、霊夢もまた彼らが何を言っていたのか気になってはいた。

「人影…って言ってたから探し人なのは確実だけれども…まさか一昨日の犯人を?」

『どうだろうな。王都のど真ん中で貴族を殺したヤツが相手なら、あんな風に悠長にしてるワケはなさそうだが』

「でも、他に理由は無さそうじゃない?」

 デルフの疑問を一蹴しつつも、霊夢は踵を返してその場を後にしようとする。

 ここが使えないと分かった以上やるべきことは唯一つ、下見していた他のトンネルへと行く事だ。

 

「ひとまず私達は地下へ行かなきゃダメなんだから、まずは安全な入口を見つける事を優先しないと…」

『…ここがあんな感じで見張られてるとなると、他のも粗方警備の衛士がついてると思うがね』

「ここは馬鹿みたいに大きいのよ?そしたらどっか一つだけでも見落としてる場所があるでしょうに」

『王都の衛士隊がそんなヘマやらかすとは思えんが…まぁオレっちはただの剣だし、お前さんの行きたい場所に行けばいいさ』

 自分の意思をこれでもかと曲げぬ霊夢の根気に負けたのか、デルフの投げやりな言葉に「そうさせてもらうわ」と彼女は返す。

 まぁデルフがそんな事を言わなくても決して足を止める気は無かったのだろう、そさくさと大通りの方へと戻っていく。

 

 大通りを挟んで南の方に二か所、そこから更に西を進んだ通りに同じような地下へと通じるトンネルがあるのは知っていた。

 とはいえ流石の霊夢でも大通りから近い場所はとっくに衛士達がいるだろうと、何となく予想だけはしている。

 しかし、だからといってこのまま命に係わる程暑い地上を捜しても見つかるものも見つからない。

 今探している相手は地下に潜んでいると知っているのだ。だとしたら何としてでもそこへ行く必要がある。

「どっか警備に穴空いてる箇所とか、あればいいんだけどなぁ~…」

 建物の陰で直射日光を避けて歩く霊夢は一人呟きながら、暑苦しいであろう大通りへと向かっていく。

 一体全体、どうしてこの街に住んでる人々はあんなぎゅうぎゅう詰めになりながらもあの通りを使うのだろうか?

 冬ならともかく、こんな真夏日にあんなすし詰め状態になってたら、何時誰かが熱中症で死んでもおかしくは無い。

 

 そんな危険な場所を今から横断しようとする事実で憂鬱になりかけた所で、ふと霊夢は思いつく。

「…いっその事、こっから次のトンネル付近まで飛んで行こうかしら?」

 主に空を飛ぶ程度の能力、名前そのままの力にしてあらゆる重圧、重力、脅しすら無意味と化す能力。

 博麗の巫女である霊夢に相応しいその能力を行使すれば、あの大通りを苦も無く横断できであろう。

 さすがに飛び続けていれば怪しまれるかもしれないか、この街は屋上付きの建物が結構建てられている。

 屋上や屋根を伝うようにして飛んで行けば、そんなに怪しまれない…かもしれない。

 この王都では余程の事が無い限り使わなかったが、今正に空を飛ぶべきだと霊夢は思っていた。

 

 決意したのならば即行動、それを体現するかのように霊夢は自身の霊力を足元へと集中させていく。

 彼女の体内を流れるその力を感知したのか、それまで静かにしていたデルフは『おっ?』と声を上げて反応する。

『何だい?こっから次の目的地まで一っ飛びするつもりかい?』

「そのつもりよ、こんな照り返しで限界まで熱くなってる道路の上に立っていられないわ」

 頭上に浮かぶ太陽をに睨み付けながらそう答えると、彼女の体はフワリ…と宙へ浮いた。

 ここら辺の動作は幼少期からやっているお蔭で、今では息を吸って吐くのと同じくらい簡単にこなしてしまう。

 足が地面から数十サント離れたところで、霊夢は周囲に人がいないかどうか確認する。 

 幸い通りは閑散としており、ここから五分ほど歩いた先にある大通りの喧騒が聞こえてくるだけだ。

 準備を済ませ、目撃者となるであろう他人もいない事を確認した後、いよいよ霊夢は飛び上がろうとする。

 

「ん…―――…!」

 既に体を浮かせ、後は入道雲の浮かぶ青く爽やかな空へ向かって進むだけでいい。

 幻想郷と然程変わりない色の空へといざ飛び上がろうとしたその時――――霊夢はその体の動きをビクリと止めた。

 突如脳内を過った微かな、それでいて妙に鋭い痛みのせいで飛び上がるタイミングを失ってしまう。

 霊夢は突然の頭痛に急いで地面に着地すると、右手の指で右のこめかみを抑えてしまう。

 これにはデルフも驚いたのか、鞘から刀身を出して唐突な頭痛に悩む彼女へと声を掛ける。

『おいおい!いきなりどうしたんだよレイム?』

「ン…わっかんないわ。何か、こう…急に頭痛がして…――――…ム!」

 

 急な頭痛に困惑する中、デルフに言葉を返そうとした最中に彼女は気が付く。

 別段体に異常は無いというのにも関わらず起こる急な頭痛の、前例を体験している事に。

 つい二日前、あのタニアリージュ・ロワイヤル座でも体験したこの痛みの原因が、あの゙女゙にあるという事も。

 そして今、霊夢は感じ取っていた。すぐ後ろ…建物建物の間に造られた細道からその゙女゙の気配を。

 突然過ぎる上にタイミングが悪過ぎる出会いに、霊夢は軽く舌打ちしてしまう。

(何の用があるか知らないけど…ちょっとは空気ってモンを呼んでくれないかしら…?)

 

 他人に対して無茶な要求をする博麗の巫女に続いて、デルフもまた背後の気配に気が付く。

 慌てて視線(?)を背後へ向けた直後、その気配の主が横道から姿を現した姿を現したのである。

『…おいおいレイム、こいつぁはとんでもないお客さんのお出ましだぜ?』

「えぇそうね。…っていうか、アンタに言われなくても気配の感じでもう分かってるんだけどね」

 デルフの言葉にそう返すと、霊夢は未だジンジンと痛む頭のまま…後ろへと振り返る。

 そこにいたのは彼女が想像していた通り、あの刺々しい気配の持ち主―――ハクレイであった。

 

「二日ぶり…と言っておきましょうか、私のソックリさん…っていうか、偽物さん?」

「…二日ぶりに顔を合わす人間に対して、その言い方はないんじゃないの?」

 好戦的な霊夢の買い言葉に対し、暑さで若干バテているかのようなハクレイは気怠そうな様子でそう返す。

 炎天下の猛暑に晒された王都の片隅で、二人の巫女は再び相見える事となった。



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第九十九話

「どうしたものかしらねぇ…」

 カトレアは悩んでいた、半ば強引にルイズから聞いた『これまで起きた事』を聞いてしまった事に対して。

 玄関に設置してある壁掛け時計の時を刻む音が鮮明に聞こえ、それが彼女の集中力を高めていく。

 一方で、姉のカトレアに『これまで起きた事』を説明し終えたルイズは彼女の反応を窺っている。

 すっかり温くなってしまったカップの中の紅茶を見つめつつ、時折思い出したように一口だけ啜る。

 今振り確かいないこの居間の中で、妹は姉の動向をただ見守るほかなかった。

 

 そんなルイズの心境を読み取ったのか、やや真剣な表情を浮かべて見せる。

 そして彼女の前で反芻して見せる。妹が口にし、自分が今まで聞いたことの無かった数々の単語の内幾つかを。

「ゲンソウキョウという異世界にヨウカイ、ケッカイに異変…」

 初めて聞いた単語を言葉にして口から出してみると、横のルイズか生唾を飲み込む音が聞こえてくる。

 恐らく自分の言ったことを嘘かどうか、見極められていると思っているのだろう。

 まぁそれは仕方がない事だろう。普通の人にこんな事を話したとしても本気で信じてくれる者はいないに違いない。

 精々酔っ払いか薬物中毒者の戯れ言として片づけられるのが精いっぱいで、それ以上上には進まないだろう。

 

 しかしカトレアは信じていた。愛する妹が口にした異世界の存在を。

 現に彼女はその証拠であろう少女達を間近で見ているのだ、博麗霊夢と霧雨魔理沙の二人を。

 彼女たちの存在感は、同じハルケギニアに住んでいる人たち…と呼ぶにはあまりにも変わっている。

 それを言葉で表すのは微妙に難しいが、彼女たちは異世界の住人か否か…という質問があれば、間違いなく住人だと答えられる。

 考えた末に、確かな確信を得るに至ったカトレアはルイズの方へ顔を向けると、ニッコリ微笑んで見せた。

「ち、ちぃねえさま…?」

「大丈夫よルイズ。貴女の言う事にちゃんとした証拠がある事は、ちゃんと知っているつもりよ」

「…!ちぃねえさま…」

 微笑み見せるカトアレからの言葉を聞いて、ルイズの表情がパッと明るくなる。

 彼女が小さい頃から見てきたが、やはり一番下のこの娘は笑顔がとっても似合う。

 

 そんな親バカならぬ姉バカに近い事を思いつつ、カトレアは言葉を続けていく。

「それで貴女は春の使い魔召喚の儀式でレイムを召喚して、それが原因でゲンソウキョウへいく事になったのよね?」

 先ほど簡潔に聞いたばかりの事を改めて聞き直すと、ルイズは「えぇ」と頷きつつその事を詳しく話していく。

 幻想郷はその異世界の中にあるもう一つの世界であり、その世界とは大きな結界で隔てている事、

 そしてその結界を維持するためには霊夢の力が必要であり、彼女がいなくなった事で結界に異変が生じた。

 それを良しとしない幻想郷の創造主である八雲紫が霊夢を助けるついでに、自分まで連れて行ってしまい、

 結果的に並大抵の人間が味わえない様な、不可思議な世界への小旅行となってしまったのである。

 

 そこまで聞き終えた所で、ルイズはカトレアが嬉しそうな表情を浮かべている事に気が付いた。

「あらあら!聞く限りでは結構楽しい体験をしてきたのね。異世界だなんて、どんな大貴族でも行ける場所じゃないわ」

「え?え、えぇ…そりゃ、まぁ…考えたらそうなんでしょうけど…」

 先ほどの真剣な表情から打って変わった素っ頓狂な事を言う姉に困惑の色を隠し切れずにいる。

 まぁ確かに良く考えてみれば、ハルケギニアの歴史上異世界へ行ったという人間がいた記録は全くない。

 そもそもそうして異世界自体は創作や架空の概念であり、現実にはありえない事の筈…なのである。

 そう考えてみると、確かに自分は初めて異世界へと赴いたハルケギニアの人間という事になるだろう。

 

 しかしルイズは思い出す、あの幻想郷にたった丸一日いただけでどれほど散々な目に遭ったのかを。

 瀟洒なメイドには挨拶代わりにナイフを投げつけられ、あっちの世界の吸血鬼に限りなく迫られる…。

 あれが向こうの世界流の歓迎…とは思わないが、流石にあんな体験をしてもう一度行きたいとは思う程ルイズは優しくない。

(一応ちぃねえさまにはそこの所は話してないけど…やっぱり心の中にしまっておいた方がいいわよね?)

 流石にその時の事まで話したら心配させてしまうと思ったルイズは、再度心の中に仕舞いこんだ。

 そして一息つくついでに温くなった紅茶を一口飲んだところで、カトレアが再度話しかけてくる。

 

「…でも、その向こうの世界で更なる問題が発生してその問題を解決する為に、あの二人が貴女の傍にいるっていう事ね?」

「あ、はい!その通りですちぃねえさま。私はその…まぁ唯一彼女たちを知っているという事で協力を…」

 その言葉にルイズが頷きながらそう言うと、今度は笑顔から一転気難しい表情を浮かべたカトレアはため息を吐いた。

「それでも危険だわ。何か探し物だけをするっていうのならばともかく…あの時のタルブ村にまで行くなんて事は流石に…」

「ねえさま…」

 憂いの色を覗かせる顔であの村の名前を口にしたカトレアに、ルイズは申し訳なさそうに顔を俯かせてしまう。

 カトレアとしては正直、どんな形であれルイズと親しくしてくれる人が増えただけでも嬉しかった。

 本来は優しいとはいえ普段は長女や母、そして父譲りの硬さと厳格さで他人に甘える事は少ない。

 風の噂で聞いた限り、魔法学院では魔法が使えない事で『ゼロのルイズ』というあんまりな二つ名までつけられているらしい。

 そんな彼女に理由や性別はどうあれ、付き添ってくれる人達ができた事は家族の一人としてとても嬉しかった。

 

 しかし…だからといって彼女を…愛するルイズを戦場へ連れて行って良い理由にはならない。

 例え彼女自身が望んだこととは言え、できる事ならば王宮へ残るよう説得してもらいたかった。

 結果的に無事で済んだから良かったとルイズは言うが、それはあくまで結果に過ぎない。

 カトレア自身戦争には疎いが、あの時のタルブ村はハルケギニア大陸の中で最も危険な地域と化していた。

 ラ・ロシェールとその周辺に展開していた軍人たちは大勢死に、タルブや街の人々にも犠牲が出ているとも風の噂で耳にする。

 そんな場所へ自由意思だからと妹を連れて行った霊夢達を、カトレアは許していいものかと悩んでいる。

 

「いくら私が心配だからとはいえ、あの時のタルブ村がどれ程危険なのか…王宮にいた貴女は知ってる筈でしょう?」

「は、はい…けれどねえさまの事が心配で…」

「貴女は私と違って未来は未知数なのよ。そんな希望溢れる子が命を賭けに出すような場所へ行ってはダメでしてよ」

 厳しい表情で言い訳を述べようとするルイズの言葉を遮り、カトレアは妹を優しく叱り付ける。

 これが姉のエレオノールならもっと苛烈になっていたし、母なら静かに怒りながら突風で彼女を飛ばしていたかもしれない。

 父も叱るであろうが…きっと今の自分と同じように優しく叱る事しかできないだろう、父はそういう人だ。

 

 だからカトレアもそれに倣って優しく、けれども毅然とした態度でルイズを叱り付ける。

 頭ごなしに否定し、威圧するのではなく抱擁しつつもしっかりとした理屈を語るかのように。

 そう意識して叱ってくるカトレアのそんな意図を、ルイズも何となくだが理解はしていた。

 けれども、あの時感じた姉への心配は本物であったし、いてもたってもいられなかったというのもまた事実。

 しかし常識的に考えれば悪いのは自分であり、今のカトレアは悪戯好きな生徒を諭す教師と同じ立場。

 どのような理由があったとしても、今の自分は戦場へ行ってしまったことを叱られる身でしかない。

 反論もせず、叱られる仔犬の様に縮こまってしまうルイズを見てカトレアはホッと安堵の一息をついた。

 言いたい事はまだまだあったものの、一つ上の姉のように叱りに叱り付ける何て事は自分には到底真似できない。

 それにルイズも見た感じ反省はしているようだし、これで危険な事にも手を出すことは少なくなるに違いない。

 他人からして見ればやや甘いと見受けられる裁量であったが、カトレア自信はルイズが反省さえしてくれればそれで良かったのである。

「まぁでも、今回は無事に帰ってこれたようですし。私としてはこれ以上叱る理由は無いわ」

「…!ちぃねぇさま…」

 ションボリしていたルイズの顔に、パッと喜色が浮かび上がり思わずカトレアの方へと視線を向けてしまう。

 何歳になっても可愛い妹に一瞬だけ照れそうになった表情を引き締めつつ、姉は最後の一言を妹へと送る。

 

「ルイズ。もしも貴女の周りにいるあの二人が危険な事をしそうになったら、その時は貴女が止めなさい。いいわね?」

「…え!?あ、あの二人って…レイムとマリサの二人を…ですか?」

 その一言を耳にして、大人しく話を聞いていたルイズはここで初めて大声を上げてしまう。

 突然の事に多少驚いてしまったものの、カトレアは「えぇ」と頷きつつそのまま話を続けていく。

「あの二人だって年は貴女とそれほど差は無いのでしょう?いくら戦えるとっても、そんな年端の行かない子供が戦うだなんて…」

「いや…でも、あの二人は何と言うか…住む世界が違うから…その…そこら辺のメイジよりスゴイ強くて…」

 何故か余計な心配をされている霊夢達についてはそんなモノ必要ないズは言おうとしたが、それを遮るかのように姉は言葉を続ける。

 

「強い弱いは関係無いのよ、ルイズ。どんな事であれ、荒事に首を突っ込むのは危険な事なの。

 どんなに強い戦士やメイジでも戦いの場に出れば、たった一つの…それも本当に些細な事で命の危機に晒されてしまうのよ。

 …だからね、もしもあの二人が何か危険な事をしようとしたら…貴女は絶対に彼女たちを止めなければいけないの」

 

「ち、ちぃねえさま…」

 カトレアのしっかりとした…けれどもあの二人には間違いなく火竜の耳に説教な言葉にルイズは何も言えなくなってしまう。

 姉の言っていること自体は真っ当である。真っ当であるのだが…如何せんあの二人に関しては本当に止めようがない。

 一度これをやると決めたからには、坂道発進するトロッコの如く一直線に走るがのように考えを事を実行へと移す。

 そして最悪なのは、アイツラが魔法学院で威張り散らしてるような上級性すら存在が霞むような圧倒的な『我』の強さを持っている事だ。

 仮にあの二人にカトレアの話したことをそのまま教えても…、

 

――――ふ~ん?で、それが何よ?私が自分で決めた事なんだから他人に指図される覚えはないわ

――――――成程、じゃあ私はその言葉を厳守させてもらうぜ。お前の姉さんが傍にいたらな

 

  …なんて言葉で終わってしまうのは、火を見るよりもずっと明らかだ。

 姉にはすまない事なのだと思うが、それが博麗霊夢と霧雨魔理沙という人間なのである。

(すみませんちぃねえさま…流石にあの二人に諭しても無駄なんです)

 ニコニコと微笑むカトレアにつられて苦笑いを浮かべるルイズは心中で姉に謝る。

 いずれはカトレアもあの二人の本性を知る機会があるかもしれないが、流石に無駄な事だと直接喋ることは無い。

 だからルイズは口に出さず心の中で謝ったのだが、それとは別にもう一つ…姉との約束を守れそうにない事への謝罪もあった。

 

 恐らくこれから先…もしかしてかもしれないが、タルブ以上の『危険』に自分たちは突っ込んでいく可能性が高い。

 タルブで出会ったキメラ達に、それを操るシェフィールドという虚無の使い魔のルーンを持つ女の存在。

 誰が主人…つまり虚無の担い手なのかまでは分からないが、もう二度と会えないという事は無いだろう。

 いつか何処か…そう遠くない内に互いに顔を合わせてしまい…そのまま穏便に済む事が無いのは確実である。

 そして一番の問題は、その出会いが人の大勢いる所で起きてしまった場合…、

 

 村と街を丸ごとキメラで占領し、多くのトリステイン軍人を血祭に上げて尚涼しい顔で笑っていた女だ。

 何をしでかすか分からない。恐らく真っ先に動くのは霊夢と自分…そして魔理沙であろう。

 

 だからきっと、姉との約束は果たされないだろうという申し訳なさで胸がいっぱいになってしまう。

 それが表情に出ないよう耐えつつも、自分が今の状況から逃げられない程の使命を背負っている事を改めて痛感する。

 博麗の巫女を召喚した結果、幻想郷の結界に重大な生じ、その原因がここハルケギニアにあるという事、

 そして霊夢を召喚できる程の凄まじい系統…『虚無』の担い手という、一人の少女には重すぎる運命。

 二つの重く苦しい使命の事に関しては、絶対にカトレアには話す事は無いのだとルイズは決意する。

 幻想郷での異変の事に関しては大分ソフトに話していた為、本当の事までは話していなかった。

(ねぇさまはねぇさまで大変な毎日を過ごしている…だからこの二つの事は、隠しておこう…何があっても)

 

 改めて決意したルイズが一人頷いた、その時…中庭の方からニナの喜色に溢れた声が聞こえてくるのに気が付く。

 ルイズとカトレアが思わず顔を上げた直後、間髪入れずにニナがリビングへと走りながら入ってきたのであった。

「キャハハッ!ねぇ見ておねーちゃん、四葉のクローバー見つけたよ!」

 黄色い叫び声を上げながらカトレアの傍へと寄ってきた彼女は、土だらけの右手をスッとカトレアの前へと突き出してくる。

 突然の事にカトレアとルイズは軽く驚いていたが、その手の中には確かに四葉のクローバーが一本握られていた。

「あら、綺麗なクローバーねぇ」

「ふふ~!でしょ?」

 

 確かにカトレアの言うとおり、ニナの持ってきたクローバーは見事な四葉であった。

 ニナが嬉しがるのも無理はないだろう、仮に自分が見つけたとしても少しだけ嬉しくなる。

 ルイズはそんな事を思いながら彼女の手にあるクローバーをもっと良く見ようとした…その時であった。

 ふとキッチンの方から様々な動物たちの鳴き声と共に、雑務をしていた侍女たちの叫び声が聞こえてくる。

「きゃー!お嬢様の動物たちがー!」

「あぁっ!コラ、待ちなさい!それは今日のお昼ご飯の材料…」

 

 ドタン、バタンと騒がしい音動物たちの鳴き声が合わさりが別荘の中はたちまち大騒ぎとなる。

 ここからでは直接見えないものの、侍女たちのセリフからして何が起こっているのかは容易に想像できた。

 突然の騒ぎにルイズは目を丸くし、ついでクローバーを持ってきたニナが顔を真っ青にさせているのに気が付く。

 そう、彼女はついさっきまで動物たちのいる中庭で遊んでおり、その中庭からクローバーを持ってきた。

 余程見つけた時に感激したのだろう。是非ともカトレアに診せたいという気持ちが勝って慌てて別荘の中へと入った。

 中庭と屋内を隔てる窓を開けっ放しにした事を今の今まで忘れていた…というのはその表情から察する事ができる。

 

 クローバー片手に今は顔を青くしたニナの背後には、未だニコニコと微笑むカトレアの姿。

 ルイズは何故かその表情に恐怖を感じてしまう。何といえばいいのであろうか…そう、笑っているが笑っていないのだ。

 まるで笑顔のお麺の様にそれは変に固まっており、何より細めた目をニナへと全力で注いでいる。

 幾ら年端のいかぬニナといえども、カトレアが心からか笑っていないという事は看破しているようだ。

 とうとう冷や汗すら流しつつも、「お、おねーちゃん…?」と恐る恐るではあるが勇敢にも話しかけたのである。

 返事は意外な程早かった、というよりも…ニナが口を開くのを待っていたかのように彼女は口を開く。

 

「あらあら、ちょっと大変な事になっちゃったわねぇ。まさか動物たちが入ってきてしまうなんて……

 今の時間は侍女さんたちがキッチンで料理の下準備をするから閉めていたというのに、おかしいわねぇ?」

 

 わざとらしく小首を傾げながらそう言うカトレアに、ニナは「うん、うん!そ…そうだよ!」と必死に頷いている。

 薄らと瞼を開けたカトレアの目は明らかに笑っておらず、ただジッと首歩を縦に振るニナを見つめているだけだ。

 それを横から見ていたルイズは口出しする事など出来るワケもなく、ただジッと見守るほかない。 

 もはやニナに逃げる術などなく、どうしようもない袋小路に追い込まれた所で、カトレアは更に言葉を続ける。

「まぁ鍵は掛けていなかったし、中庭で遊んでいた貴女が゙うっかり開けっ放じにしたままだったら、あるいは…」

「え…へ?え、えぇ!?わ、私が…に、ニナちゃんと閉めたよぉ~?何でそんな事を―――」

 いきなり確信を突かれたことに対して、咄嗟に誤魔化そうとしたニナであったが、

 何も言わず、彼女の眼前まで顔を近づけたカトレアによって有無を言わさず沈黙してしまった。

 

 この時ルイズは見ていた、カトレアの顔は常に笑っていたのを。 

 いつも見せる笑顔とは明らかに違う感情の籠っていない笑みに、流石のニナも狼狽えているようだ。

 そんな彼女を畳み掛けるように、ニナの眼前に顔を近づけたままカトレアは質問した。

「ニナ」

「は…はい?」

「貴女よね?クローバー私に見せたいと思って、ドアを閉めずに屋内へ入ったのは?」

「……………はい」

 

 ――――普段から怒らない人間が怒る時こそ、最も恐ろしい。 

 以前読んだ事のある本にそんな言葉が書かれていた事を思い出しつつ、ルイズもまた恐怖していた。

 あんな感情の無い笑みを浮かべられて近づかれたら、そりゃコワイに決まっている。

 始めてみるであろうかなり本気で怒っている(?)カトレアの姿を見ながら、ルイズは思った。

 

 

 

 霊夢は思っていた。この世界の運命を司っているであろうヤツは、超が付くほどの性悪だと。

 前から薄々と思っていたのだが、何故かこのタイミングで出会う事となったハクレイの姿を見てその思いをより強くしていく、

 確かに彼女の事も探してはいたのだが、今は彼女よりも他に探すべきものが沢山あるという時に限って姿を現したのだ。

 まるで朝飯に頼んだ目玉焼きが何時までたっても来ず、夕食の時に今更その目玉焼きが食卓に並んだ時の様な複雑な心境。

 目玉焼きは欲しかったが、わざわざ夜中に食べたい料理ではないというのに…と言いたげなもどかしさ。

 それは今、自分の目の前に姿を現したハクレイにも同じことが言えるだろう。

 探している時には全く姿を現さなかった癖に、何故か探してもいない時には自ら姿を現してくる。

 

「全く、どうしてこういう時に限ってホイホイ出てくるのかしらねぇ…?」

「それを他人に面と向かって言うのって、結構勇気がいるんじゃないの?」

 そんな複雑の心境の中で、更にジンジンと痛む頭に悩まされながらも霊夢はハクレイに向かって喋りかけた。

 対するハクレイも、汗水垂れる額を袖で拭いつつ、売り言葉に買い言葉な返事を送る。

 炎天下が続く王都の一角で、双方共に予期せぬ出会いを果たした事をあまり快く思ってないらしい。

 霊夢はハクレイを見上げ、ハクレイは霊夢を見下ろす形で互いに睨み合っている。

 しかし…下手すれば、街のど真ん中で戦闘が起こるのか?と言われれば、唯一の傍観者であるデルフはノーと答えただろう。

 

 一見睨み合っている二人ではあるが、互いに敵意を抱くどころか身構えてすらいない。

 霊夢もハクレイも、予期せぬ邂逅を果たしたが故に単なる睨み合いをしているだけに過ぎないのである。

 そしてその最中、霊夢は改めて相手の服装をじっくりかつ入念に眺め、調べていた。

 

 ――――こうして改めて見てみると何というか、…飾り気が無さすぎで渋すぎるわね…

 自分のそれとよく似たデザインの巫女服を見つめながら、霊夢はそんな感想を抱いてしまう。

 今自分が着ている巫女服を簡易的にデザインし直した感じ、良く言えばスッキリしているが、悪く言えば作り易い安直なデザインである。

 余計な装飾はついておらず、戦闘の際に破損しても直しやすいだろうし追加の服も安価で発注できるだろう。

 ただ、霊夢本人の感想としては「悪くは無いが、酷く単純」という余り良いとは言えない評価を勝手に下していた。

 何せアンダーウェアの上から直接スカートと服を着ているだけなのである、シンプルisベストにも程がある。

(いや、妖怪退治をするっていうならそういうデザインで良いんでしょうけど…私は着たくないわね。特にアンダーウェアとかは)

 下手すれば水着にも見て取れる彼女の黒いアンダーウェアをチラチラ見ながら、そんな事を考えていた。

 

 ―――――何というか、地味に華やかね…

 一方で、ハクレイもまた霊夢の服装を見てそんな感想を心の中で抱いていた。

 自分とは対称的な雰囲気を放つ彼女の巫女服は、年頃の女の子が程よく好きそうな飾り気を放っている。

 スカートや服の小さなフリルや黄色いタイに頭のリボンが目立つその服と比べてみれば、いかに自分の服が地味なのか思い知らされてしまう。

 とはいっても別に羨ましいと感じることは無く、むしろ『良くそんな服で戦えたわねぇ…』と霊夢本人が聞いたら憤慨しそうな事を思っていた。

 ただしそれは侮蔑ではなく感心であり、殴る蹴るしかできなかった自分とは全く別のスマートな戦い方をしていた事は理解している。

 飛んだり飛び道具を投げたりするような戦い方であれば、あぁいう服でも戦闘に支障をきたさないのは容易に想像できる。

 でも自分も着たいかと言われれば、正直あまり好みではないと言いたくなるデザインだ。

(私にフリルなんて合いそうにないのよねぇ?まぁコイツみたいに小さい子なら似合うんだろうけど…結構、涼しそうだわ)

 夏場にはイヤにキツいアンダーウェアに窮屈さを覚えつつ、ハクレイは霊夢の服を見てそんな事を考えている。

 

 もしも、ここに心を読む程度の能力の持ち主がいれば、きっと二人の心の中を読んで苦笑いを浮かべていたであろう。

 こんな炎天下の中で極々自然に出くわし、そのまま互いを睨み付けつつ勝手に服の品評会を始める始末。

 二人してこの暑さで頭がやられたのかと疑いたくなるようなにらみ合いは、しかし他人が見ればそうは思わないだろう。

『…あ~お二人さん、睨み合うのは良いが…せめてもうちっと涼しい場所で睨み合おうや』

 その他人…というか霊夢が背負うデルフも、流石に心の内側まで読めないらしい。

 馬鹿みたいに暑い通りのど真ん中でにらみ合い続ける二人に、大丈夫かと言う感じで声を掛ける。

 

「…ん?あぁ、そういえば…ったく!せっかく涼んだっていうのに台無しになっちゃったじゃないの…!?」

「…?なんで私の所為になるのかしら」

『そりゃそうだな。こんなに暑けりゃどんなに涼んでも外にいるなら変わらんよ』

 この呼びかけが功をなしたのか、それまで黙ってハクレイをにらみ続けていた霊夢がハっと我に返る。

 そしてついさっき井戸の水で涼んできた体が再び汗まみれになっているのに気が付いて、ついついハクレイに毒づいてしまう。

 傍から見れば勝手に汗だくになった霊夢が同じ汗だく状態のハクレイに理不尽な怒りを巻き散らしているだけに過ぎない。

 現にハクレイは一方的に怒られる理不尽に違和感を感じる他なく、流石のデルフもここは彼女の肩を持つほかなかった。

 

 ――――結局のところ、真夏の太陽照り付ける通りで突っ立っていたのが悪い…という他ないだろう。

 不意の対面とはいえ、せめて太陽の光が直接入らない通りで出会っていたのならばまた結果は違っていたであろう。

 霊夢としても後々考えれば場所を変えればいいと思ったが、汗だくになってしまった後で考えても後の祭りというヤツだ。

 せめて次はこうならないようにと気を付けつつ、またさっきの場所へ戻って汗を引かせるしかないであろう。

 対して彼女よりも前に汗だくになっていたハクレイは、元々涼める場所を探していた最中であった。

 …と、なれば。二人の足が行き着く場所は自然とさっきの井戸広場なのである。

 

『―――――…で、結局さっきの井戸広場へとUターンってワケかい』

 霊夢に担がれて、何も言わずにあの井戸がある小さな広場へともどってきたデルフは一言だけ呟く。

 その呟きには明らかに呆れの色がにじみ出ていたが、当の霊夢はそれを聞き流してまたもや地下の冷水でホッと一息ついていた。

「はぁ~…。やっぱり水が冷たいモンだから、癖になりそうだわ~」

「確かにそうよね、こんな街のど真ん中でこんな良い水が飲めるなんてね…ンッ」

 そんな事をつぶやき続ける霊夢から少し離れたベンチに座っているハクレイも、同意するかのように頷いて見せる。

 ついでその両手に持っていた井戸用の桶を口元へ持って行き、中に入った水を飲んで暑くなっていた体の中を冷やしていく。

 地上とは温度差が大きすぎる地下水道の水はとても冷たく、ひんやりとしている。

 それを口に入れて飲んでいくと、たちまちの内に火照っていた喉がその温度をさげていく。

 

「――…プハァッ!…ふぅ、確かに生き返るわね」

「でしょ?まさに砂漠の中のオアシスって感じよねぇ~」

 ま、砂漠なんて見たことないんだけどね。すっかり上機嫌な霊夢も井戸桶で水をぐびぐびと飲んでいく。

 そこら辺の酒場の大ジョッキよりも一回り大きい桶の中に入った水は、少女の小さな体の中へとどんどん入っていく。。

 ハクレイはともかくとして、あの霊夢でさえ苦も無く桶いっぱいに入った水を飲み干そうとしている。

『一体あの小さな体のどこに、あれだけの量の水が入るっていうんだよ…』

 彼女のそばに立てかけられたデルフはいくら暑いからと言って飲みすぎな霊夢の姿に、戦慄が走ってしまう。

 そんな事を他所に、中の水を飲み干した霊夢はホッと一息ついてから桶を足元へと置いた。

 

 暑さから来る怒りでどうにかなりそうだった霊夢は、冷静さを取り戻した状態でハクレイへと話しかける。

「そういえば…なんであんな所にアンタまでいたのよ?」

「…?別に私があそこにいても良いような気がするけど…ま、教えても別に困ることはないか」

 炎天下で出会ったときとは違い大人し気な霊夢からの質問に対し、ハクレイは素直に答えることにした。

 そこへすかさずデルフも『おっ、ちょっとは面白い話が聞けるかな?』という言葉を無視しつつ、あそこにいた理由を喋って行く。

 少し前に、一人の女の子にカトレアから貰ったお金を盗まれてそのまま返してもらって無いという事、

 カトレアは別に大丈夫と言っていたがこのままでは申し訳が立たず、何としても見つけて返してもらう為に街中を探し回っている事、

 かれこれ今日に至るまで探しているが一向に見つからず、挙句の果てに朝からの炎天下で参っていた所だったらしい。

「…で、そんな時に私と鉢合わせてしまっちゃった、ということなのね?」

 壁に背中を預けて聞いていた霊夢が最後に一言述べると、ハクレイはそうよとだけ返した。

 最後まで話を聞いていた霊夢であったが、正直言いたいことがたくさんありすぎて頭をついつい頭を抱えてしまう。

 そういえば財布を盗まれたあの晩に空中衝突してしまったが、偶然……と呼ぶにはあまりにも奇遇すぎる。

(まさか向こうも金を盗まれていたなんて、何もそこまで同じじゃなくたって良いんじゃないの?)

 この世界の運命を司る神を小一時間ほど問い詰めたい衝動にかられつつも、霊夢はこれが運命の悪戯なのかと実感する。

 このハルケギニアという異世界で、財布を盗まれた巫女姿の女同士がこうして顔を合わせる事など天文学的確率…というものなのであろう。

 流石に盗んだ相手の性別は違うものの、そんな違いなど些細な事に違いはない。

 デルフもデルフでこの偶然には驚いているのか、何も言わずにただジッとしている。

 

 頭を抱えて悩む霊夢の姿に、「どうしたの?大丈夫?」という天然気味な心配を掛けてくれるハクレイ。

 そんな彼女を他所に一人顔を挙げた霊夢は大きなため息を一つついてから、心配してくれる彼女のほうへと顔を向けた

「…まぁ、アンタの苦労もなんとなく理解できたわ。ま、お互いここでお別れだけど…精々捕まえられるよう祈っておくわ」

「一応、礼を言うべきなのかしらね?…あっ、でもちょっと…待ちなさい」

 巫女のくせにそんな事を言ってその場を後にしようとした所、軽く手を上げて見送ろうとしたハクレイが霊夢を止めた。

 ちょうどデルフを背中に戻したところであった彼女は、何か言いたい事があるのかとハクレイのいる方へと顔を向ける。

 

「ん?何よ、何か言いたいことでもあるワケ?」

「怪訝な表情浮かべてるところ悪いけど、まぁあるわね。…なんでアンタは人にだけ喋らせといて自分はとっと逃げようとしてるのかしら?」

「……あっ、そうか。……っていうか、喋る必要はあるのかしら?」

「いや、普通に不公平だっての」

『まー、普通に考えればそうだよなぁ~』

 ハクレイの言葉に霊夢は目を丸くしてそんなことを言い、ハクレイがそれに容赦ない突っ込みを入れる。

 そんな二人のやりとりを見て、デルフは暢気に呟くしかなかった。

 

「……とまあ、そんなこんなで私は色々と忙しい身なのよ」

 その言葉で霊夢が説明を終えたとき、井戸のある広場には決しては多くはないが何人もの人々が足を運んでいた。

 専業主婦であろうか女性がその大半をしめていたが、その中に紛れ込むようにして男性の姿も見える。

 ほとんどの者は水を汲みに来たのだろう、井戸のそれよりも一回り小さい桶を持ってきている者が何人かいた。

 彼らは井戸の隣で話し込む霊夢たちを横目に井戸から水を汲んで、自分の家の桶に入れていく。

 桶の大きさからして近所に住む人々なのだろう、何人かが見慣れない少女たちの姿を不思議そうに見つめている。

 中には日の当たらぬところで子供たちが地面や壁に落書きをしたり、談笑に花を咲かせている主婦たちの姿も見えた。

 それはこの一角に住む人たちにとって何の変哲もないあり触れた日常の光景で、こんな夏真っ盛りにもかかわらずそれは変わらない。

 ただし、今日は霊夢たちが先にいた為か何人かの市民がチラリチラリと見やりながら談笑していた。

 

 周囲から注がれる視線に霊夢が顔をしかめようとした時、それまで黙って聞いていたハクレイが口を開いた。

「なるほどね。アンタもアンタでいろいろ忙しそうね」

「……え?まぁね、一つ問題を解決しようとする所で放っておけない事が起きるんだから堪らないわよ」

 ややワンテンポ遅れているかのようなハクレイの言葉に霊夢はため息をつきながら返す。

 実際、お金を盗まれた件よりも地下に潜伏しているであろう謎の相手をどうするかが最優先事項となってしまっている。

 下手すれば、劇場で死んだあの下級貴族と同じような殺され方で命を落とす人々が出てくるかもしれない。

 その為にも唯一の手掛かりがあるであろう地下に潜ってできる限り情報を探り、最悪見つけ出して倒さなければいけない。

 だが運命というヤツは今日の彼女にはより一層厳しいのか、一向に地下へ潜れるチャンスというものに恵まれないのである。

 

「なんでか知らないけど警備は厳しくなってるわ、外は暑いわで……正直イヤになりそうだわ」

『今お前さんの今日一日の運勢を占い師に見せたら、きっと最悪って言われるぜ』

 前途多難にも程がある現状に頭を抱えたくなった霊夢に追い打ちをかけるかのように、デルフが刀身を震わせながら言う。

 それが癪に障ったのか彼女は「ちょっと黙ってて」と言いつつデルフを無理やり鞘に納めると、それを背中に担いですっと腰を上げた。

「…と、いうことで私は地下に潜れる所を探さないといけないからここらでお別れにしましょうか」

 ――いい加減、ジリジリと微かに痛むその頭痛ともおさらばしたいしね。

 その一言は心の中で呟きつつその場を後にしようとした霊夢は、ハクレイの「ちょっと待ちなさい」という言葉に煩わしそうに振り返る。

「まさかと思うけど、その変にお喋りな剣だけと一緒に探すつもり?」

「……それ以外誰がいるっていうのよ。まぁ手伝ってはくれそうにないけど、丁度いい話し相手にはなるんじゃない?」

『ひでぇ。剣だから喋る事と武器になる事以外役に立たないのは事実だが……それでもひでぇ』

 霊夢とハクレイの双方からボロクソに言われたデルフは、悔しさの為か鞘に収まった刀身をカタカタと震わせている。

 そんな彼に対して霊夢は「動くなっての!」と怒鳴ったが、ハクレイは逆に興味がわいたのかデルフの傍へと近寄っていく。

 

「……それにしても、意思を持っている剣とはねぇ。アンタ、寿命とかあるのかしら」

『?……いんや、オレっちのようなインテリジェンスソードは寿命とかは無いね。だから一度生まれれば後は戦い続けるんだよ』

 ――『退屈』という悪魔との戦いをな。いきなり質問してきた彼女に軽く驚きつつも、やや気取った感じでそう答える。

 それに対してハクレイは「へぇ~?」と興味深げな表情を浮かべて、何の気なしにデルフへと手を伸ばしていく。

 一方で霊夢は「ちょっとぉ~人の背中で何してるのよ?」と明らかに迷惑そうな表情を浮かべている。

 しかし、そんな霊夢の言葉が聞こえていないかのようにハクレイはスッと撫でるようにして、優しくデルフの鞘へと触れた。

 ――その直後であった。彼女とデルフの間に、霊夢でさえ予想しきれなかった事態が起こったのは。

 

 

 ハクレイの人差し指が最初にデルフの鞘に触れ、そのまま中指、薬指も鞘へと触れた直後、

 ――――バチンッ!…という音と共に、デルフの鞘と彼女の指の間で青い電気が走ったのである。

 

「――――……ッッ!?」 

『ウォオッ!?』

 突然の事に驚愕の声を上げつつもハクレイは咄嗟に後ろへと下がり、デルフは驚きのあまり鞘から飛び出してしまう。

 まるで黒ひげ危機一髪ゲームの黒ひげのように飛び出た剣は、幸いにも地面へと突き刺さった。

 対してハクレイは余程ビックリしたのか、数歩後ずさった所でそのまま尻餅をついてしまっている。

 周りにいた人々は突然の音と稲妻を見て何だ何だとざわつきながら、霊夢たちの方へと一斉に視線を向けていく。

 そして唯一二人と一本の中で無事であった霊夢は、状況の把握に一瞬の遅れが生じていた。

 無理もない、なんせ急に刺激的な音が聞こえたかと思えば、鞘から飛び出したデルフがすぐ近くの地面に刺さっていたのだから。

「――――……っえ?…………何?何なの?」 

 目を丸くし、キョトンとした表情を浮かべた彼女は一人呟いてから、ハッとした表情を浮かべてデルフへと走り寄る。

 ようやく状況を把握できたらしい彼女はすぐにデルフを地面に引き抜くと、何も言わない彼へと何が起こったのか聞こうとした。

「ちょっとデルフ、今の何よ……っていうか、何が起こったの?」

『……』

「デルフ?……ちょっとアンタ、こんな時に黙ってたら意味ないでしょうがッ!」

 霊夢の問いかけに対して、デルフは答えない。あのデルフリンガー、がだ。

 いつもなら何かあれば鞘から刀身を出して喋りまくるあのデルフが、ウンともスンとも言わなくなったのである。

 まるでただの剣になってしまったかのように、彼女の呼びかけに応じないのだ。

 

 ついさっき、何かが起こったというのにそれを知っているデルフは黙っている。

 自分が知りたい事を知らせない、それが癪に障ったのか霊夢は苛立ちつつもデルフに向かって叫んでしまう。

「アンタねぇ……いっつも余計な所で喋ってるくせに、こういう肝心な時に黙ってるてのはどういう了見よ!?」

 デルフの事を知らない人間が見れば、暑さで頭をやられた異国情緒漂う少女が剣に向かって叫んでいる光景はハッキリ言って異常だ。

 現に周りにいた人々はその視線を霊夢へと向き直しており、何人かが自分の頭を指さしながら友人や家族と見合っている。

 中には「衛士に通報した方がいいんじゃない?」とか言っていたりと、状況的にはかなり不味いことになり始めていく。

 それを察したのか、はたまた本当に今の今まで気を失っていたのか……金属質なダミ声がその剣から発せられた。

 

『――…あー、何か…何が起きた?』

 耳障りな男のダミ声が剣から聞こえてきたのに気が付いた人々は驚き、おぉっと声を上げてしまう。

 何人かが「インテリジェンスソードだったのか…!」と珍しい物を見つけたかのような反応を見せている。

 そしてそのデルフを持っていた霊夢はハッとした表情を浮かべると、怒った表情のままデルフへと話しかけた。

「……ッ!デルフ、この野郎!やっと目を覚ましたわね!?」

『あ~……いや、別に気絶してたワケじゃないんだが……まーとりあえず、落ち着こうな……――な?』

 いつもとは違い、口代わりの金具をゆっくりと動かしながらしゃべるデルフに霊夢はホッと安堵する。

 だがそれも一瞬で、デルフの言葉でようやく周囲の視線に気が付いた彼女は、軽く咳払いした後に急いで彼を鞘に戻す。

 鞘に戻した後で、改めて咳ばらいをした彼女は今度は落ち着き払った様子で早速刀身を出した彼へと質問をぶつけてみる。

「一体全体、急にどうしたのよ?なんかバチンって凄い音がアンタから出て、気づいたら鞘から飛び出てたし…」

「……んぅ、オレっちにも何が起こったのかさっぱりで……それより、ハクレイのヤツは大丈夫なのか?」

 質問に答えてくれたデルフの言葉に霊夢も「そういえば……」と思い出しつつ背後を振り返ってみる。

 するとそこには、少なくない人に周りを囲まれているあの女性が立ち上がろうとしている所であった。。

 どうやら彼女はあの音の正体を間近で見ていたのか、今だショックが抜けきってないような表情を浮かべている。

 周りの人たちはそんな彼女を気遣ってか「大丈夫かい?」などと優しい心配をかけてくれていた。

 対するハクレイはそれに一言のお礼を返すことなく立ち上がったところでふと感づいたのか、霊夢はスッと傍へ走り寄る。

 この時デルフは彼女にも大丈夫?どうしたの?って言葉を掛けるのかと思っていたのだが…。

 そんな彼の予想を真っ向から打ち破るような言葉を、霊夢は真っ先に口にしたのである。

 

「ちょっとアンタ、コイツに何か細工でもしようとしてたんじゃないの?」

「え?………細工、ですって?」

 てっきり大丈夫か?何て一言を期待していたワケではなかったが、今のハクレイの耳にはやや棘のある言葉であった。

 まぁでも、確かに持っていた本人がそう思うのも無理はないだろうと理解しつつ、どんな言葉で返せばいいのか悩んでしまう。

 こういう時は咄嗟に反論するべきなのだろうが、はてさてそれでこの場が丸く収まるかどうか……。

 明らかに自分に非があると疑っている霊夢を前にして、ひとまずハクレイが口を開こうとするより先に、デルフが霊夢を窘めようとする。

『まぁまぁレイム、落ち着けって。別段オレっちは何処も弄られてなんかいやしないぜ?』

「デルフ?でもアンタ、それじゃあ何で勝手に鞘から飛び出したりしたのよ」

『え?あ~……いや、その……それはオレっちにも説明しにくいというか……何が起こったのかサッパリなんだよ』

 

 ハクレイを庇おうとするデルフは、霊夢からのカウンターと言わんばかりの質問にどう答えていいか悩んでしまう。

 彼自身、今起こった事を何と答えて良いのか分からいのか珍しく言葉を濁してしまっている。

 霊夢も霊夢で、そんなデルフを見てやはり「何かがある」と察したのか、ハクレイへと詰め寄っていく。

「やっばり……アンタが何かしでかしたんじゃないのかしら?ん?」

「わ、私は別に何も……っていうか、アンタの言い方って明らかに私がやってる前提で言ってるでしょ?」

「何よ、なんか文句でもあるワケ?」

「大ありよ!」

 ジト目で睨みつけながら訊いてくる霊夢に顔を顰めつつも、ハクレイはひとまず自分は何もしていないということをアピールする。

 それに対してすっかりハクレイが怪しいと思っている霊夢は、強硬な態度を見せる相手に対してムッとしてしまう。

 ハクレイもハクレイで負けておらず、尚も自分がデルフに何かをしたのだと疑っている霊夢を睨み返している。

 

 たったの一瞬、奇妙な出来事が起こっただけで緊迫状態に包まれた広場に緊張感が伝染していく。

 正に一触即発とはこの事か。彼女たちの周りにいる人々がいつ爆発してもおかしくない睨み合いから距離を取ろうとしたその時……。

 その勝気な瞳でハクレイを見上げ睨んでいた霊夢の背中から、デルフの怒号が響き渡ったのである。

『だぁーッ!待て、待て二人とも!こんな長閑な所で決闘開始五秒前の空気なんか漂わせんじゃねぇ!』

 まるで夕立の落雷のように、耳に残るダミ声の怒号に霊夢やハクレイはおろか他の人々も皆一斉に驚いてしまう。

 特に彼を背負っている霊夢には結構効いているのか、目を丸く見開いて驚いている。

 ハクレイも先ほどまで霊夢を睨んでいた時の気配はどこへやら、目を丸くしてデルフを見つめている。

 さっきまで険悪な雰囲気に包まれていた二人の警戒心が上手く吹き飛んだのを見て、デルフは内心ホッと安堵した。

 

(――ダメ元で叫んでみたが……どうやら、上手くいったようだな) 

 周囲の視線が自分に集まってしまったのは仕方がないとして、デルフは霊夢へと話しかけていく。

「まぁ落ち着けよレイム。意味が分からないのは分かるが、それはオレっちやハクレイだって同じことさ」

「んぅ~ん。何かイマイチ納得できないけど、まぁアンタがそこまで言うんなら、そうなのかもね」

 まだハクレイが何かしたのだと疑っている様な表情であったが、何とか説得には成功したらしい。

 先ほどまでの険悪な雰囲気を引っ込めた霊夢に、デルフは一息ついて安堵する。

 ハクレイもまた喧嘩寸前の所を止めてくれたデルフに内心礼を述べていた。

 

 その後、二人と一本は騒然とする広場を後にして表通りへと続く場所へと姿を移していた。

 理由はただ一つ、互いに探しているモノを探しに行く前に、別れの挨拶を済ませる為である。

 先ほどいた広場でしても良かったのだが、色々とひと騒動を起こしてしまったせいで人の目を集めすぎた。

 だから変に居心地の悪くなったそこから場所を変えて、丁度表通りとつながる横道で別れる事となったのである。

「――じゃ、アンタとはここでお別れね」

 デルフを背負った霊夢は背中を壁に預けた姿勢のまま、前にいるハクレイに別れを告げる。

 大勢の人が行き交う表通りを見つめているハクレイもその言葉に後ろを振り向き、小さく右手を上げながら言葉を返す。

「そのようね。ま、何処かで再会しそうな気はするけど」

「……何か冗談抜きでそうなりそうだから言わないでくれる?」

「そこまで本気っぽく言われるとちょっと傷つくわねぇ」

 おそらく、そう遠くないうちにそうなりそうな気がした霊夢は嫌そうな苦笑いを浮かべて肩を竦めてみせる。

 彼女がルイズの姉の傍にいる内は、最悪明日にでもまた顔を合わせる事になるだろう。

 

『まぁまぁ良いじゃねぇか。少なくとも敵じゃねぇんだから、仲良くしとくに越したことはないぜ』

 本気かどうか分からない霊夢に対し、苦笑いを浮かべるしかないハクレイを見てデルフがスッと口を開いた。

 彼自身、言った後で少しお節介が過ぎたかと思ったが、同じくそれを理解していたであろう霊夢が「それは分かってるわよ」と返す。

「まぁ何やかんやで助けてくれた事もあるから一応は信用してるけど、記憶喪失や名前の事も含めてまだまだ不安材料も多いしね」

「そこを突かれるとちょっと痛くなるわねぇ。相変わらず記憶は戻らないし、しかもアンタも゛ハクレイ゛だなんてねぇ」

 彼女の言う不安材料がそう一日や二日で解決できるものではない事を理解しつつ、ハクレイもまた肩を竦めて言う。

 唯一今回の接触で分かった事と言えば彼女――霊夢の上の名前が自分と同じ゛ハクレイ゛であったという事だけである。

 しかしそれで何かが解決するという事も無く、じゃあ私はその少女と同じ゛ハクレイ゛の巫女なのか……という確証までは得られなかった。

 霊夢自身も自分より前の代の巫女のことなど知らないので、彼女が博麗の巫女なのかという謎を抱えることになってしまっている。

 とはいえ、髪の色はともかく服装からして、間違いなくこことは違う世界から来た人間だという事は容易に想像できる。

(少なくともこの世界の人間じゃないだろうけど……やっぱり藍の言ってた先代の巫女……って彼女なのかしら?)

 以前街中で紫の式が話してくれた先代博麗の巫女の事を思い出した霊夢は、しかしそれを否定する。

(ま、どうでもいいわよね?仮にそうだとしてもそれが何だって話だし、それに本人が記憶喪失だからすぐに分かる事じゃないから……)

 

 ――まーた厄介事が一つ増えちゃっただけなんだしね。心の内で一人ため息をつきながらも、霊夢はハクレイの方を見据えながら喋る。

「まぁアンタの事は追々調べるとして、アンタもアンタでせめて自分が博麗の巫女なのかどうか調べておきなさいよ」

「あんまりそういうのに期待して欲しくないけど……まぁ私も調べられる範囲で調べて……――――ん?」

 変にプレッシャーを掛けてくる霊夢からの無茶ぶりに苦笑いを浮かべていたハクレイは、ふと背後からの違和感に怪訝な表情を浮かべる。

 一体何なのかと後ろを振り向いてみると、そこには自分のスカートを指で引っ張っている少女の姿があった。

 最初はどこの子なのかと思ったハクレイであったが、その容姿と顔が目に入った瞬間に゛あの時の事゛を思い出す。

 今こうして霊夢と出会い、炎天下の中このだだっ広い王都を歩く羽目となり、ニナに水浸しの雑巾を顔に当てられた元凶となった、少女の姿を。

「貴女――……ッ!」

「え?何?どうしたのよ……って、あぁ!」

 全てを思い出し、目を見開いたハクレイの姿に霊夢もまた少女の姿を見て声を上げる。

 彼女もまた少女の姿に見覚えがあったのだ。あの時、自分に屈辱を与えた少年を兄と呼んでいた、その少女の事を。

 霊夢が声を上げると同時に少女も声を張り上げて言った。今すぐ逃げ出したい衝動を抑えつつも、彼女は二人の゛ハクレイ゛に助けの声を上げたのだ。

 

「あの、あの……ッ!お金、盗んだお金を返すから……私の――――私のお兄ちゃんを助けてくださいッ!」



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第百話

 それは時を遡って、丁度二日前の夕方に起こった出来事である。

 場所は丁度ブルドンネ街の中央から、やや西へ行ったところにある大通りを兄のトーマスと一緒に歩いてた時らしい。

 陽が暮れるにつれて次々と閉まっていく通りの店を横切りながら彼女――妹のリィリアは兄から今日の゛成果゛を聞いていたのだという。

「今日は中々の大漁だったぜ。まっさか丁度上手い具合に道が封鎖してたもんだよなぁ~?理由は知らないけど」

「それでその袋いっぱいの金貨が手に入ったの?凄いじゃない!」

 リィリアはそう言って兄を褒めつつ、彼が右手に持っている音なの握り拳程の大きさのある麻袋へと目を向ける。

 袋は丸く膨らんでおり、中に入っている金貨のせいで表面はゴツゴツとした歪な形になっていた。

 何でも急な封鎖で立ち往生していた下級貴族から盗んだらしく、銀貨や新金貨がそこそこ入っているらしい。

 兄が盗んだ時、リィリアは危険だからという理由で゛隠れ家゛にいた為彼がどこにいたのかまでは知らない。

 とはいえ妹として……唯一残っている家族の身を案じてかどこで盗んだのか聞いてみることにした。

 

「でもお兄ちゃん、道が封鎖してたって言ってたけど……一体どこまで行ってきたの?」

「チクトンネの劇場前さ。あそこは夕方になったら金持った平民がわんさか夜間公演の劇を見に集まってくるしな」

「え?チクトンネって、この前変な女の人たちに追われてた場所なのに……お兄ちゃんまたそこへ行ったの!?」

 トーマスの口から出た場所の名前を聞いたリィリアは、数日前に見知らぬ女の人から財布を盗んだ時のことを思い出してしまう。

 あの時は手馴れていた兄とは違い初めて人の財布を盗んだせいか、危うく捕まりそうになってしまった苦い経験がある。

 最後は偶然にも兄と合流し、自分を追いかけていた女の人と兄を追いかけていた空飛ぶ女の子が空中で激突し、何とか撒く事ができた。

 しかし゛隠れ家゛に戻った後に待っていたのは大好きな兄トーマスからの称賛……ではなく、説教であった。

 以前から「お前は俺のような汚れ事に手を突っ込むなよ?」と釘を刺されていた分、その説教は中々に苛烈であった事は今でも思い出せる。

 

 その日の夜はゴミ捨て場で拾った枕を濡らした事を思い出しつつ、リィリアは兄に詰め寄った。

「お兄ちゃん、昨日ブルドンネ街で大金持ってた女の子の仲間に追われたって言ってたのに、どうしてまたそんな危ない場所に行くのよ!」

「だ……だってしょうがないだろ!王都は他の所よりも盗みやすいんだ、稼げる時に稼いでおかないと……」

 年下にも関わらず自分に対してはやけに気丈になれるリィリアに対し、トーマスは少し戸惑いながらもそう言葉を返す。

 それに対してリ彼女は「呆れた」と呟くと、兄に詰め寄ったまま更に言葉を続けていく。

「その女の子たちが持ってた三千エキューもあれば、十分なんじゃないの!?」

「お前はまだ子供だから分かんないかも知れないけどさ、お金ってあればある程生きていくうえで便利なんだぜ?」

 開き直っているとも取れる兄の言葉に、リィリアはムスッとした表情を兄へと向けるほかなくなる。

 

 卑しい笑みを浮かべて笑う兄の顔は、かつて領地持ちの貴族の家に生まれた子どもとは思えない。

 しかしそれを咎めることも、ましてや魔法学院にも行ってない自分にはそれを改めよと説教できる資格はないのだ。

 自分が丁度物心ついた時に両親が領地の経営難と多額の借金で首を吊って以来、兄トーマスは自分を守ってきてくれた。

 両親の親族によって領地から追い出され、当てもない旅へ出た時に兄は自分の我儘を嫌な顔一つせず聞いてくれたのである。

 お腹が減ったといえば農家の百姓に頭を下げてパンを貰い、山中で喉が渇いたと喚けば自分の手を引いて川を探してくれた。

 そして今は自分たちが大人になった時の生活費を゛稼ぐ゛為に、わざわざ盗みを働いてまで頑張ってくれているのだ。

 

 

 自分は――リィリアはまだ子供であったが、兄のしていることがどんなにダメな事なのか……それは自分が財布を盗んだ女の人が教えてくれた。

 しかし、だからといって兄の行いを妹である自分が正す事などできるはずもない。

 いくらそれが悪い事だからといっても、これで自分たちは糧を得てきたのである。今更それをやめて生きていく事など難しすぎる。

 ここに来る道中行く先々で色んな人たちから冷遇を受けてきたのだ。やはり兄の言う通り、大人は信用できないのかもしれない。

 自分たちの事など何も知らない大人たちはみな一様に、上っ面だけの笑顔を浮かべて可哀そうだ可哀そうだと言ってくる。

 兄はそんな大人たちから自分を守りつつ、遥々王都まで来た兄は言った。――ここで俺たちが平和に暮らしていけるだけの金を稼ぐんだ。

 得意げな表情でそんな事を言っていた兄の後姿は、それまで読んだ事のある絵本の中の騎士よりも格好良かったのは覚えている。

 

 結局、することはいつもの盗みであったがそれでも他の都市と比べれば倍のお金を手に入れる事ができた。

 懐が暖かくなった兄は余裕ができたのか、屋台で売られているようなチープな料理を持って帰ってきてくれるようになった。

 持ち帰り用の薄い木の箱に入っている料理は様々で、サンドウィッチの時もあればスペアリブに、魚料理だったりスモークチキンだったりと種類様々。

 王都の屋台は色んな料理が売られているらしく、また味が濃いおかげで少量でもお腹はとても満足した。

 偶に安売りされてたらしい菓子パンやジュースも持って帰ってきてくれたので、王都での生活はすごく充実していた。

 本当ならここに住めばいいのだが、兄としてはもっともっとお金を稼いだ後でここから遠く離れた場所へ家を建てて暮らすつもりなのだという。

 

「ドーヴィルの郊外かド・オルニエールのどこかに土地でも買って、そこで小さな家を建てて……小さな畑も作ってお前と一緒に暮らすんだ。

 貴族としてはもう生きていけないと思うけど、何……魔法が使えれば地元の人たちが便利屋代わりに仕事を持ってきてくれるだろうさ」

 

 そう言って自分の夢を語る兄の姿は、いつも陰気だった事は幼い自分でも何となく理解する事はできた。

 今思えば、きっと兄自身も自分のしている事が後々――それが遠いか近いかは別にして――返ってくるであろうと理解していたに違いない。

 それでもリィリアは応援するしかないのだ。自分の為に手を汚してまで幸せをつかみ取ろうとしている、最愛の兄の事を。

 ……しかし、そんな時なのであった。そんな兄妹の身にこれまでしてきた事への――当然の報いが襲い掛かってきたのは。

 

 

「全くもう!ここで捕まったらお兄ちゃんの幸せは無くなっちゃうんだから気を付けないと!」

「分かってるって――…って、お?あれは……――」

 通りから横へ逸れる道を通り、そのまま隠れ家のある場所へと行こうとした矢先、トーマスの足がピタリと止まったのに気が付いた。

 何事かと思ったリィリアが後ろを振り返ると、そこにはうまいこと上半身だけを路地から出した兄の姿が見える。

 一体どうしたのかと訝しんだ彼女は踵を返し、彼の傍へ近寄ると同じように身を乗り出してみた。

「どうしたのよお兄ちゃん?」

「リィリア……あれ、見てみろよ。ここから見て丁度斜め上の向かい側にある総菜屋の入り口だ」

 兄の指さす先に視線を合わせると、確かに彼の言う通り少し大きめの総菜屋があった。

 幾つもある出来合いの料理を量り売りするこの店は今が稼ぎ時なのか、仕事帰りの平民や下級貴族でごった返している。

 その入り口、トーマスの人差し指が向けられているその店の入り口に、何やら大きめの旅行カバンが置かれていた。

「旅行カバン……?どうしてあんな所に?」

「さぁな。多分何処かの旅行客が平和ボケして地面に直置きしてるんだろうが……チャンスかも?」

「え?チャンスって……ちょ、ちょっとお兄ちゃん!?」

 トーマスの口から出た゛チャンス゛という単語にリィリアが首を傾げそうになった所で、彼女は兄のしようとしている事を理解した。

 妹がいかにもな感じで置かれている旅行カバンを訝しむのを他所に、懐から杖を取り出したのである。

「お兄ちゃん、ダメだよあのカバンは!あんなの変だよ、こんな街中でカバンだけ放置されてるなんて絶対変だって……!」

「大丈夫だって、安心しろよ。この距離と通りの混み具合なら、上手くやれる筈さ」

 妹の静止を他所に兄は呪文を唱えようとした所でふと何かを思い出したかのように、妹の方へと顔を向けて言った。

 

「リィリア、もうちょっと奥まで行って隠れてろ。もしも俺が何か叫んだ時は、形振り構わずその場から逃げるんだぞ」

「お兄ちゃん!」

「大丈夫、もしもの時だよ。……今夜はこれでお終いにするさ、何せお前と俺の将来が掛かってるんだからな」

 この期に及んでまだ稼ぎ足りないと言いたげな兄の欲深さに、リィリアは呆れる他なかった。

 それでも彼が自分の為を思ってしてくれていると理解していた為、言うことをきくほかない。

 「もう……」とため息交じりに言う妹がそのまま暗い路地の奥へと隠れたのを確認した後、トーマスは詠唱した後に杖を振る。

 するとどうだ、トーマスの掛けた魔法『レビテーション』の効果を受けた旅行カバンが、一人でに動き出した。

 最初こそ少しずつ、少しずつ動いていたカバンはやがてその速度を上げ始め、一気に彼のいる横道へと向かっていく。

 ずるずる、ずるずる……!と音を立てて地面を移動するカバンに通りを行く人の内何人かが目を向けたが、すぐに人込みに紛れてしまう。

 通行人の足にぶつからないよう上手くコントロールしつつ、尚且つ気づかれないようなるべく速度を上げて引き寄せる。

 そうして幾人もの目から逃れて、旅行カバンは無事トーマスの手元へとやってきたのである。

「よし、やったぜ」

 軽いガッツポーズをしたトーマスは、そのままカバンの取っ手を掴むと妹が入っていた暗い路地の奥へと入っていく。

 流石に今いる場所で盗んだカバンを開けられないため、少し離れた場所で開ける事にしたのだ。

 

 そして歩いて五分と経たぬ先にある少し道幅のある裏路地にて、二人は思わぬ戦果の確認をする事となった。

「お兄ちゃん、そろそろ開きそう?」

「待ってろ。後はここのカギを……良し、開いた」

 防犯の為か二つも付いていたカバンの鍵を、トーマスは手早く『アンロック』の魔法で解錠してみせる。

 小気味の良い音と共に鍵の開いたそれをスッと開けると、まず目に入ってきたのは数々の衣服であった。

 どうやら本当に旅行者のカバンだったようだ、王都の人間ならばわざわざ自分の街でこれだけの服は持ち歩かないだろう。

 トーマスとリィリアは互いに目配せをした後、急いで幾つもの服をカバンから出し始める。

 この服を売りさばく……という手もあるが物によって値段の高低差があり過ぎるうえ、選別する時間ももどかしい。

 だから二人がこの手の大きな荷物を盗んでから最初にする事は、金目のものが入っているかどうかの確認であった。

 

「おいリィリア、見ろ。見つけたぞ!」

 カバンを物色し始めてから数分後、先に声を上げたのはトーマスの方であった。

 彼はカバンの中に緯線を向けていた妹に声を掛けると、服の下に隠れていた小さめの革袋を自慢気に持ち上げて見せる。

 そして二度、三度揺すってみるとその中から聞こえてくるジャラジャラ……という音を、リィリアもはっきりと聞き取ることができた。

 何度も聞き慣れてはいるが耳にする度に元気が湧いてくる音に、妹は自身の顔に喜びの色を浮かべて見せる。

 

「凄い、まさか本当にあっただなんて……」

 喜ぶと同時に驚いている彼女に「そうだろう」と胸を張りつつ、トーマスは袋の口を縛る紐を解く。

 二人の想像通り、袋の中から出てきたのはここハルケギニアで最も普及しているであろうエキュー金貨であった。

 少なくとも五十エキューぐらいはあるだろうか、旅行者が何かあった時の為に用意しているお金としては十分な額だろう。

「小遣い程度にしかならないけど……今夜はお前と一緒に美味しいものが食えそうだな」

「もう、お兄ちゃんったら」

 思いもよらないボーナスタイムで気を良くする兄に、リィリアは呆れつつもその顔には笑顔が浮かんでしまう。

 リィリアは兄の言葉に今から舌鼓を打ち、トーマスは妹の為に今日は安い食堂にでも足を運ぼうかと考えた時――その声は後ろから聞こえてきた。

 

「あー君たち、ちょっと良いかな?」

「……ッ!」

 背後――それも一メイル程の真後ろから聞こえてきたのは、若い男性の声。

 二人が目を見開くと同時にトーマスはバッと振り返り、妹をその背に隠して声の主と向き合う形となった。

 そこにいたのは二十代後半であろうか、いかにも優男といった風貌の青年が立っていたのである。

 青年は前髪を左手の指で弄りつつも、野良猫のように警戒している二人を見て気まずそうに話しかけてきた。

「……あ~、そう警戒しないでくれるかな?ちょっと聞きたいことがあるだけだから」

 青年の言葉に対して二人は警戒を解かず、いつでも逃げ出せるように身構えている。

 特にトーマスは、気配を出さずにここまで近づいてきた青年が『ただの平民ではない』という認識を抱いていた。

「何だよおっさん?俺らに聞きたい事って……」

「おっさんて……僕はまだ二十四歳なんだが、あぁまぁいいや。……いやなに、本当に聞きたい事が一つあるだけだからね」

 警戒し続けるトーマスのおっさん呼ばわりに困惑しつつも、彼はその゛聞きたい事゛を二人に向けて話し始めた。

 

「実はさっき、僕が足元に置いていた筈の荷物が消えてしまってね。探していた所なんだよ……あ、失くした場所はここから近くにある総菜屋の入り口ね?

 それでね、適当な人何人かに聞いてみたら路地の中に一人でに入っていった聞いて慌てて後を追ってきたんだが……君たち、知らないかい?」

 

 男は優しく、警戒し続ける二人を安心させようという努力が垣間見える口調で、今の二人が聞かれたくなかった事を遠慮なく聞いてきた。

 リィリアはその手で掴んでいる兄の服をギュッと握りしめつつもその顔を真っ青にし、トーマスの額には幾つもの冷や汗を浮かんでいる。

 彼の言う通り自分たちはその荷物とやらの行方を知っている。いや、知りすぎていると言っても過言ではない。

 何せ彼が探しているであろう荷物は、先ほどトーマス自身が魔法で手繰り寄せて盗み取ったのであるから。 

 つい先ほどまで有頂天だったのが一変し、窮地に追い込まれた兄妹はこの場をどう切り抜けようか思案しようとする。

 だがそれを察してか、はたまた彼らがクロだと踏んだのか男は彼らの後ろにあったカバンを見て声を上げた。

 

「ん、あれは君たちの荷物かい?」

「へ?あ、あぁ……そうだよ」

 てっきりバレたのかと思っていたトーマスはしかし、男の口から出た言葉に目を丸くしてしまう。

 どうやら男はこんな場所に置かれていたカバンと自分たちを見て、それが自分の荷物だと思わなかったらしい。

 よく言えば重度のお人好しで、悪く言えば単なるバカとしか言いようがない。

 きっと自分たちがまだ子供だから、盗みなんてするはずが無い…思っているのかもしれない。

 もしすればこのまま上手く誤魔化せるのではないかと思ったトーマスであったが……――世の中、そう甘くはなかった。

「そうか、そのカバンは君たちの物なのか~……ふ~ん、そうかぁ~」

 トーマスの言葉を聞いた男はそんな事を一人呟きつつ、懐を漁りながら二人のそばへと近寄りだした。

 更に距離を詰めようとしてくる男に二人は一歩、二歩と後退るのだが、男の足の方が速い。

 

 兄妹のすぐ傍で足を止めた男はその場で中腰になると、懐を漁っていた手でバッと何かを取り出して見せる。

 それは一見すれば極薄の手帳のようだが、よく見るとそれが身分証明書の類である事が分かった。

 表紙には大きくクルデンホルフ大公国の国旗が描かれており、その下にはガリア語で゛身分証明゛と書かれている。

 男はそれを開くとスッと兄妹の前に開いたページを見せつけながら、笑顔を浮かべつつ唐突な自己紹介を始めた。

 

「自己紹介がまだだったね。僕の名前はダグラス、ダグラス・ウィンターって言うんだ。まぁ詰まるところ、旅行者ってヤツさ」

「……そ、それがどうしたってんだよ?俺たちと何の関係が……」

「――君。その鞄の右上、そこに小さく彫られてる名前を確認してみると良いよ」

 

 自分の反論を遮る彼の言葉に、トーマスの体はピクリと震えた。

 リィリアもビクンッと反応し、相も変わらずニヤニヤと笑う男の様子をうかがっている。

 対する男――ダグラスはニコニコしつつも兄妹の後ろにあるカバンを指さして、「ほら、確認して」と言ってくる。

 仕方なくトーマスはゆっくりと、自分の服にしがみついている妹ごと後ろを振り返り、カバンを確認した。

 丁度都合よく閉まっていたカバンの外側右上に、確かに小さく誰かの名前が彫られている事に気が付いた。

 最初はだれの名前がわからなかったかトーマスであったが、目を凝らさずともその名前が誰の名前なのかすぐに分かった。

 

――ダグラス・ウィンター

 

 血の気が引くとはこういう事を言うのか、二人してその顔は一気に真っ青に染まっていく。

「ね?その名前、実は俺が彫ったんだよ。いやぁ、中々の手作業だったんだ」

 心ここにあらずという二人の背中に、聞いてもいないというのにダグラスは一人暢気にしゃべっている。

 しかしその目は笑っていない。口の動きや喋り方、表情に身振り手振りで笑っている風に装っているが、目だけは笑ってないのだ。

 限界まで細めた目で無防備に背中を見せるとトーマスと、警戒しているリィリアが次にどう動くのかを窺っている。

 無論トーマスとリィリアの兄妹もダグラスの冷たい視線に気が付いており、動くに動けない状態となっていた。

 トーマスは咄嗟に考える。どうする?今すぐ妹の手を取ってここからダッシュで逃げるべきか?

 既に自分たちが盗人だとバレてしまっている以上、どうあっても誤魔化しが効かないのは事実だ。

 ならば未だ狼狽えている妹の手を無理やりにでも取って、脱兎の如く逃げ出すのが一番だろう。

 幸いこの路地は程よく道が幾つにも分かれており、上手くいけば彼――ダグラスを撒ける可能性はある。

 これまで足の速さと運動神経の良さのおかげで、バレたときにはうまく逃げ切れていたし、何より魔法も使える。

 今回も大きなミスをしなければ、背後にいる得体の知れない観光客から逃れることなど造作もないだろう。

 

(唯一の不安材料は妹だけど……けれど、今更置いて逃げる事なんかできるかよ)

 盗みがバレたせいで未だ目を白黒させているリィリアを一瞥しつつ、トーマスは自身の右手をベルトに差している杖へと伸ばす。

 同時に左手をそっと妹の方へと動かして、胸元で握り締めている両手を取ろうとした――その時であった。

 ふと目の前、暗くなった路地の曲がり角から突如、自分たちよりも二回りほど大きい褐色肌の男が姿を現したのである。

 突然の事にトーマスは慌てて両手の動きを止めて、リィリアは突如現れた大男を見て「……ひっ」と小さな悲鳴を上げてしまう。

 男はダグラスよりもずっと屈強な体つきをしており、いかにも日頃から鍛えていますと言わんばかりのガタイをしている。

 筋肉男――マッチョマンと呼ぶに相応しいほど鍛えられた肉体を、彼は持っているのだ

 そんな突然現れたマッチョマンを前に二人が驚いて動けない中、その男はスッと視線を横へ向け、ダグラスと顔を合わせてしまう。

 

 そしてダグラスに気が付いた瞬間、男はパッと顔を輝かせると面白いものを見たと言いたげな声で彼に話しかけたのである。

「ん……おぉ、いたいた!おぉいダグラス!盗人はもう見つけたのか?」

「やぁマイク。ようやっと見つけたよ。まさか僕のカバンを盗むなんてね、大した泥棒さんたちだよ」

「ん?あぁ、このガキどもが犯人ってワケか!はっはっは!まさかお前さんともあろう男が、こんなチビ共に盗まれるとはな!」

「よせよ、まさか本当に盗まれるだなんて思ってなかったんだからさぁ」

 まるで一、二ヵ月ぶりに顔を合わせた親友の様に話しかけてくる褐色肌の男――マイクに対して、タグラスも同じような言葉を返す。

 そのやり取りを見てトーマスは更なる絶望に叩き落される。何ということだろう、自分は何と愚かな事をしてしまったのだと。

 冷静に考えれば確かにあのカバンは怪しかった。景気よく稼いだせいですっかり調子に乗っていた自分は、その怪しさに気づけなかった。

 その結果がこれである。自分だけではなく妹のリィリアをも危険に晒してしまっているのだ。

 

 妹を危険に晒してしまった。……その事実がトーマスに突発的な行動を起こさせきっかけになったかどうかは分からない。

 ただ愛する妹を、唯一残った肉親をせめてここから逃がそうとして、小さな頭で素早く考えを巡らせ結果かもしれない。

「……ッ!うわぁあぁあぁッ!」

「お兄ちゃん!?」

「うぉッ!?何だ、この……離せッ!」

 トーマスは自分たちの目の前で景気よく笑うマイクに向かって、精一杯の突進をかましたのである。

 無論自分よりも倍の身長を持つマイクにとっては、突然見ず知らずの子供が叫び声をあげて両脚を掴んできた風にしか見えない。

 しかし、大の男二人に至近距離まで近づかれた状態では、これが最善の方法なのかもしれない。

 ここまで近づかれては杖を取り出してもすぐに取り上げられ、最悪二人揃って捕まる可能性の方が高い。

 ならば小さな頭で今考えられる最善の方法を、一秒でも早く実行に移す他なかった。

「走れリィリア!ここから急いで逃げるんだッ!」

「え……え?でも、」

「俺に構うな!さっさと逃げろォッ!」

「……ッ!」

 兄の突然の行動に体が硬直していたリィリアは、彼の叫びを聞いて飛び跳ねるかのように走り出す。

 大男とその足を必死に掴む兄の横を通り過ぎ、暗闇広がる路地をただただ黙って疾走する。

「あっ!お、おいきみ――って、うぉ!?」

 後ろからダグラスの制止する声が聞こえたが、それは途中で小さな叫び声へと変わる。

 五メイルほど走ったところで足を止めて振り返ると、トーマスは器用にも足を出して彼を転ばせたのだ。

 哀れその足に引っかかってしまったダグラスは道の端に置いてあったゴミ箱に後頭部ぶつけたのか、頭を押さえてうずくまっている。

 ここまでした以上、何をされるか分からぬ兄の身を案じてか、リィリアは「お兄ちゃん!」と声を上げてしまう。

 それに気づいてか、顔だけを彼女の方へ向けたトーマスは必至そうな表情で叫ぶ。

 

「バカッ!止まるんじゃない!早く、早く遠くへ――……っあ!」

「この、野郎ッ!」

 トーマスが目を離したのをチャンスと見たのか、マイクはものすごい勢いで拳を振り上げる。

 振り上げた直後の罵声に気づき、彼が視線を戻したと同時にそれが振り下ろされ、リィリアは再び走り出した。

 直後、鈍く重い音と子供の悲鳴が路地裏に響き渡ったのを聞きながら、リィリアは振り返る事をせずに走り続ける。

 いや、振り返る事ができなかった。というべきであろうか、背後で起きている事態を直視する勇気は、彼女に無かったのだ。

 涙をこぼしながらただひたすらに路地裏を走る彼女の耳に聞こえてくるは、何かを殴りつける鈍い音と、マイクの怒声。

 

「このガキめ、大人を舐めるな!」

 まるでこれまでの自分たちの行動が絶対的な悪なのだと思わせるかのような、威圧的な言葉。

 それが深く、脳内に突き刺さったままの状態でリィリアは路地裏を駆け抜け、夜の王都へとその姿を消したのである。

 

 

 

 

 

「最初に言ったけど、もう一度言うわ。自業自得よ」

 リィリアから長い話を聞き終えた後、霊夢は情け容赦ない一言を彼女へと叩きつけた。

 それを面と向かって言われたリィリアは何か言い返そうとしたものの、霊夢の表情を見て黙ってしまう。

 ムッと怒りの表情とそのジト目を見てしまえば、彼女ほどの小さな子供ならば口にすべき言葉を失ってしまうだろう。

 威圧感――とでも言うべきなのであろうか、気弱な人間ならば間違いなく沈黙を保ち続けるに違いない。

 そんな霊夢を恐ろし気に見つめていたリィリアの耳に、今度は背後にいる別の少女が声を上げた。

「まぁレイムの言う通りよね。少なくともアンタとアンタのお兄さんは被害者だけど、被害者ヅラして良い身分じゃないもの」

 彼女の言葉にリィリアは背後を振り返り、ベンチに腰を下ろして自分を見下ろしている桃色髪の少女――ルイズを見やる。

 最初、リィリアはその言葉の意味がイマイチ分からなかったのか、ついルイズにその事を聞いてしまった。

 

「それって、どういう……」

「そのままの意味よ。散々人の金盗んでおいて、一回シバかれただけで白旗を上げるなんて、都合が良すぎなの」

「でも……あぅ」

 ふつふつと湧いてくる怒りを抑えつつ、冷静な表情のまま相手に言い放つルイズの表情は冷たい。

 眩い木漏れ日が綺麗な夏の公園の中にいるにも関わらず、彼女の周囲だけまるで凍てつく冬のようである。

 もしもここに彼女の身内や知り合いがいたのならば、きっと彼女の母親と瓜二つだと言っていたに違いない。

 その表情を見てしまったリィリアはまたもや何も言い返せず、黙ってしまう。

 

 ほんの十秒ほどの沈黙の後、リィリアはふとこの場にいる三人目の女性――ハクレイへと目を向ける。

 彼女もまた財布を盗まれた被害者であり、さらに言えばそれを盗んだのが自分だったという事か。

 普通に考えれば助けてくれる可能性など万一つ無いのだが、それでも少女は救いの目でルイズの横に立つ彼女へと視線を送った。

 ハクレイはというと、カトレアから貰ったお金を盗んだ少女が見せる救いの眼差しに、どう対応すれば良いのかわからないでいる。

 睨み返すことはおろか、視線を逸らす事さえできず、どんな言葉を返したら良いのか知らないままただ困惑した表情を浮かべるのみ。

 そんな彼女に釘を刺すかのように、ルイズと霊夢の二人も目を細めてハクレイを睨みつけてくる。

 ――同情や安請負いするなよ?そう言いたげな視線にハクレイは何も言えずにいた。

(やっぱり、カトレアを連れてくるべきだったかしら?)

 自分一人ではどう動けばいいか分からぬ中、彼女は自分の選択が間違っていたのではないかと思わざる得なかった。

 

 

 それは時を遡る事三十分前。丁度霊夢とハクレイの二人が互いの目的の為に街中で別れようとしていた時であった。

 色々一悶着があったものの、ひとまず丁度良い感じで別れようとした直前に、あの少女が彼女たちの前に姿を現したのである。

 ――今まで盗んだお金を返すから、兄を助けてほしい。そう言ってきた少女は、あっという間に霊夢に捕まえられてしまった。

 ハクレイとデルフが制止する間もなく捕まえられた彼女は悲鳴を上げるが、霊夢はそれを気にする事無く勝ったと言わんばかりの笑みを浮かべていた。

「は、離して!」

「わざわざ姿を現してくれるなんて嬉しい事してくれるわね?……もしかして今日の私の運勢って良かったのかしら?」

 いつの間にか後ろへ回り込み、猫を掴むようにしてリィリアの服の襟を力強く掴んだ彼女は、得意げにそんな事を言っていた。

 そして間髪いれずに路地裏へと連れ込むと、襟を掴んだままの状態で彼女への「取り調べ」を始めたのである。

「早速聞きたいんだけど、アンタのお兄さんが何処にお金を隠したのか教えてくれないかしら?」

「だ、だからお金は返すから……先にお兄ちゃんを!」

「あれ、聞いてなかった?私はお金の隠し場所を教えてもらいたい゛だけ゛なんだけど?」

 最早取り調べというより尋問に近い行為であったが、それを気にする程霊夢は優しくない。

 ハクレイとデルフが止めに入っていなければ、近隣の住民に通報されていたのは間違いないであろう。

 ひとまずハクレイが二人の間に入ったおかげでなんとか場は落ち着き、リィリアの話を聞ける環境が整った。

 最初こそ「何を言ってるのか」と思っていた霊夢であったが、その口ぶりと表情から本当にあった事だと察したのだろう、

 ひとまず拳骨を一発お見舞いしてやりたい気持ちを抑えつつ、ため息交じりに「分かったわ」と彼女の話を信じてあげる事にした。

 その後、姉の所に出向いているであろうルイズにもこの事を報告しておくかと思い。ハクレイに道案内を頼んだのである。

 

 

 彼女の案内で『風竜の巣穴』へとすんなり入ることのできた霊夢は、ハクレイにルイズを外へ連れてくるように指示を出そうとした。

 しかしタイミングが良かったのか、丁度カトレアとの話が済んで帰路につこうとしたルイズ本人とバッタリ出くわしたのである。

「丁度良かったわルイズ。見なさい、ようやっと盗人の片割れを見つけたわ」

「えぇっと、とりあえずアンタを通報すれば良いのかしら?」

「……?何で私を指さしながら言ってるのよ」

 そんなやり取りの後、ひとまず近場の公園へと場所を移して――今に至る。

 

「それにしても、イマイチ私たちに縋る理由ってのが分からないわね」

 リィリアから話を聞き終えたルイズは彼女が逃げ出さないよう睨みつつ、その意図を図りかねないでいる。

 当然だろう。何せ自分たちが金を盗んだ相手に、兄が暴漢たちに捕まったというだけで助けてほしいと懇願してきたのだから。

 本来ならばふざけるなと一蹴された挙句に、衛士の詰所に連れていかれるのがお約束である。

 いや、それ以前に衛士の元へ駈け込んで助けて欲しいと頼み込めばいいのではなかろうか?

 まだ幼いものの、それが分からないといった雰囲気が感じられなかったルイズは、それを疑問に思ったのである。

 そして疑問に思ったのならば聞けばいい。ルイズは地面に正座するリィリアへとそのことを問いただしてみることにした。

「ねぇ、一つ聞くけど。どうしてアンタは被害者である私たちに助けを求めたのよ?」

「え?そ……それは…………だから」

 突然の質問にリィリアは口を窄めて喋ったせいか、上手く聞き取れない。

 霊夢とハクレイも何だ何だと傍へ近寄って来るのを気配で察知しつつ、ルイズはもう一度聞いてみた。

「何?ハッキリ言いなさいな」

「えっと……その、お姉さんたちがあんなに大金を持ってたから……」

「大金……?――――ッァア!」

 一瞬何のことかと目を細めてルイズは、すぐにその意味に気づいたのかカッと見開いた瞳をリィリアへと向ける。

 限界近くまで見開かれた鳶色のそれを見て少女が「ヒッ」と悲鳴を漏らす事も気にせず、ルイズはズィっとその顔を近づけた。

「も、も、もしかしてアンタ!私たちの三千近いエキュー金貨の場所を、知ってるっていうの!?」

「はいはいその通りだから、落ち着きなさい」

 興奮するルイズの肩を掴んでリィリアと離しつつ、霊夢は鼻息荒くする主に自分が先にリィリア聞いた事を伝えていく。

 

「まぁ要は取り引きってヤツよ。ウソか本当かどうか知らないけど、どうやら兄貴が何処に金を隠しているのか知ってるらしいのよ。

 それで私たちから盗んだ分はすべて返すから、代わりに兄貴を助けて……次いで自分たちの事は見逃して欲しいって事らしいわ」

 

 霊夢から話をする間に大分落ち着く事のできたルイズは「成程ね」と言って、すぐに怪訝な表情を浮かべて見せた。

「ちょい待ちなさい。兄を助ける代わりにお金を返すのはまぁ分かるとして、見逃すってのはどういう事よ?」

「アンタが疑問に思ってくれて良かったわ。私もそれを聞いて何都合の良いこと言ってるのかと思ったし」

「少なくともアンタよりかはまともな道徳教育受けてる私に、その言葉は喧嘩売ってない?」

 顔は笑っているが半ば喧嘩腰のようなやり取りをしていると、二人の会話に不穏な空気を感じ取ったリィリアが口を挟んでくる。

「お願いします!盗んだお金はそのまま返すから、お兄ちゃんを……」

「まぁ待ちなさい。……少なくともお金を返してくれるっていうのなら、あなたのお兄さんは助けてあげるわ」

 逸る少女を手で制止しつつ、ルイズは彼女が持ち掛けてきた取引に対しての答えを返す。

 それを聞いてリィリアの表情が明るくなったものの、そこへ不意打ちを掛けるかのようにルイズは「ただし」と言葉を続けていく。

 

「アンタとアンタのお兄さんを見逃すっていう事はできないわ。事が済んだら一緒に詰所へ行きましょうか」

「え?なんで、どうして……?」

「どうしても何もないわよ。だってアンタたちは盗人なんですから」

 二つ目の条件が認められなかった事に対して疑問を感じているリィリアへ、ルイズは容赦ない現実を突きつけた。

 今まで見て見ぬ振りを決め込み、目をそらしていた現実を突き決られた少女はその顔に絶望の色が滲み出る。

 その顔を見て霊夢はため息をつきつつ、自分たちが都合よく助けてくれると思っていた少女へと更なる追い打ちをかける。

「第一ねぇ、盗んだモノをそっくりそのまま返して許されるなら、この世に窃盗罪何て存在するワケないじゃない」

「で、でも……それは……私とお兄ちゃんが生きていく為で、」

「生きていく為ですって?ここは文明社会よ。子供だからって理由で窃盗が許されるワケが無いじゃない。

 アンタ達は私たちと同じ人間で、社会の中で生きていくならば最低限のルールを守る義務ってのがあるのよ。

 それが嫌で窃盗を生業とするんなら山の中で山賊にでもなれば良いのよ。ま、たかが子供にそんな事できるワケはないけどね。

 第一、散々人々からお金を盗んどいて、いざ身内が仕事しくじって捕まったら泣いて被害者に縋るような半端者なんだし」

 

 的確に、そして容赦なく現実を突きつけてくる博麗の巫女を前にリィリアは目の端に涙を浮かべて、顔を俯かせてしまう。

 流石に言いすぎなのではないかと思ったルイズが霊夢に一言申そうかと思った所で、それまで黙っていたデルフが口を開いた。

『おぅおう、鬱憤晴らしと言わんばかりに攻撃してるねぇ』

「何よデルフ、アンタはこの生意気な子供の味方をするっていうの?」

『まぁ落ち着けや、別にそういうワケじゃないよ。……ただ、その子にも色々事情があるだろうって事さ』

「事情ですって?」

 突然横やりを入れてきた背中の剣を睨みつつも、霊夢は彼の言うことに首をかしげてしまう。

 デルフの言葉にルイズとハクレイ、そしてリィリアも顔を上げたところで、「続けて」と霊夢は彼に続きを言うよう促す。

 それに対しデルフも「お安い御用で」と返したのち、彼女の背中に担がれたまま話し始めた。

 

『まぁオレっち自身、その子と兄さんの素性なんぞ知らないし、知ったとしてもこれまでやってきた所業を正当化できるとは思えんさ。

 どんな理由があっても犯罪は犯罪だ。生きていく為明日の為と言いつつも、結局やってる事は他人から金を盗むだけ。

 それじゃ弱肉強食の野生動物と何の変りもない、人並みに生きたいのであればもう少しまともな道を探すべきだったと思うね』

 

 てっきり擁護してくれるのかと思いきや、一振りの剣にまで当り前の事を言われてしまい、リィリアは落ち込んでしまう。

 何を今更……とルイズと霊夢の二人はため息をつきそうになったが、デルフはそこで『ただし、』と付け加えつつ話を続けていく。

 

『今のような状況に至るまでにきっと、いや……多分かもしれんがそれならの理由はあっただろうさ。

 断定はできんが、オレっち自身の見立てが正しければ、きっとこの子一人だけだったのならば盗みをしようなんざ思わなかった筈だ。

 親がいなくなり、帰る家も失くしてしまった時点で近場の教会なり孤児院を頼っていたに違いないさ』

 

 デルフの言葉で彼の言いたい事に気が付いたのか、ハクレイを除く三人がハッとした表情を浮かべる。

 霊夢とルイズの二人は思い出す。あの路地裏でアンリエッタからの資金を奪っていった生意気な少年の顔を。

 リィリアもまた兄の事を思い浮かべていたのか、冷や汗を流す彼女へとルイズが質問を投げかけた。

「成程、ここまで窃盗で生きてきたのはアンタのお兄さんが原因だったってことね?」

「……!お、お兄ちゃんは私の為を思って……」

「それでやり始めた事が窃盗なら、アンタのお兄さんは底なしのバカって事になるわね」

 あれだけの魔法が使えるっていうのに、そんなことを付け加えながらもルイズはため息をつく。

 いくら幼いといえども、自分たちに見せたレベルの魔法が使えるのならば子供でも王都で雇ってくれる店はいくらでもあるだろう。

 昨今の王都ではそうした位の低い下級貴族たちが少しでも生活費を増やそうと、平民や他の貴族の店で働くケースが増えている。

 店側も魔法を使える彼らを重宝しており、今では平民の従業員よりも数が増えつつあるという噂まで耳にしている。

 もしも彼女のお兄さんが心を入れ替えて働いていたのならば、きっとこんな事態には陥っていなかったであろう。

 

「才能の無駄遣いって、きっとアンタのお兄さんにピッタリ合う言葉だと思うわ」

『まぁ非行に走る前に色々とあったってのは予想できるがね。……まぁあまり明るい話じゃないのは明らかだが』

 ルイズの言葉にデルフが相槌を入れつつも、リィリアにその話を聞こうと誘導していく。

 少女も少女でデルフの言いたいことを理解しているのか、顔を俯かせつつも話そうかどうかと悩んでいる。

 どうして自分たちが盗人稼業で生きていく羽目になったのか、その理由の全てを。

 少し悩んだ後に決意したのか。スッと顔を上げた彼女は、おずおずとした様子で語り始めた。

 

 両親の死をきっかけに領地を追い出され、兄妹揃って行く当てもない旅を始めた事。

 最初こそ行く先にある民家や村で食べ物を恵んでいた兄が、次第に物を盗むようになっていった事。

 最初こそ食べ物や毛布だけであったが次第に歯止めが効かなくなり、とうとう人のお金にまで手を出した事。

 常日頃口を酸っぱくして「大人は危険」と言っていた為に自分も感化され、次第に兄の行為を喜び始めた事。

 ゆく先々で他人の財産を奪い続けていき、とうとう王都にまでたどり着いた事。

 そこで兄は大金を稼ぎ、二人で暮らせるだけのお金を手に入れると宣言した事。

 そして失敗し、今に至るまでの出来事を話し終えたのは始めてからちょうど三分が経った時であった。

 

「……なんというか、アンタのお兄さんって色々疑いすぎたのかしらねぇ?」

 三人と一本の中で最初に口を開いたルイズの言葉に、リィリアは「どういうことなの?」と返した。

 ルイズはその質問に軽いため息をつきつつも座っていたベンチから腰を上げて、懇切丁寧な説明をし始める。

 

「だって、アンタのお兄さんは大人は危険とか言ってたけど。普通子供だけで盗んだ金で家建てて生きていくなんて無茶も良いところだわ。

 それに、普通の大人ならともかく孤児院や教会の戸を叩けたのならきっと中にいたシスターや神父様たちが助けてくれた筈よ?」

 

 ルイズの言葉にリィリアは再び顔を俯かせつつ、小声で「そいつらも危険って言ってたから……と話し始める。

「お兄ちゃんが言ってたもん、大人たちは大丈夫大丈夫って言いながら私たちを引き離してくるに違いないって」

 以前兄から教わった事をそのまま口にして出すと、ルイズの横で聞いていた霊夢がため息をつきつつ会話に参加してくる。

「孤児院や教会の人間が?そんなワケないじゃないの、アンタの兄貴は疑心暗鬼に駆られすぎなのよ」

「ぎしん……あんき?」

『つまりは周りの他人を疑い過ぎて、その人達の好意を受け止められないって事だよ』

 デルフがさりげなく四文字熟語を教えてくるのを見届けつつ、霊夢はそのまま話を続けていく。

 

「まぁ何があったのか大体理解できたけど、それで非行に走るんならとことん救いようがないわねぇ

 きっとここに至るまで色んな人の好意を踏みにじってきて、そのお返しと言わんばかりに金を盗って勝ったつもりになって……、

 それで挙句の果てに屁でもないと思っていた被害者にボコられて捕まったんじゃ、誰がどう考えても当然の報いって考えるわよ普通」

 

 肩を竦めてため息をつく彼女の正論に、リィリアはションボりと肩を落として落胆する。

 流石の彼女であっても、ここにきてようやく自分たちのしてきた事の重大さを理解したのであろう。

 デルフも『まぁ、そうなるな』と霊夢の言葉に同意し、ルイズは何も言わなかったものの表情からして彼女に肯定的であると分かる。

 しかしその中で唯一、困惑気味の表情を浮かべてリィリアを見つめる女性がいた。

 それは霊夢たちと同じく兄妹……というかリィリアに直接お金を奪われた事のあるハクレイであった。

 少女に対し批判的な視線と表情を向けている霊夢とルイズの二人とは対照的に、どんな言葉を出そうか悩んでいるらしい。

 

 確かに彼女とそのお兄さんがした事が許されないという事は、まず変わりはしない。

 けれどもルイズたちの様に一方的になじる気にはなれず、結果喋れずにいるのだ。

 下手に喋れずけれども止める事もできずにいた彼女であったが、何も考えていなかったワケではない。

 幼少期に兄と共に苛酷な環境に身を置かざるを得なくなり、非行に走るしかなかった少女に何を言えばいいのか?

 そして兄と共に二度とこんな事をしないで欲しいと言わせるにはどうすれば良いのか?それをずっと考えていたのである。

 彼女はここに来てようやく口を開こうとしていた。一歩前へと踏み出し、それに気づいた二人と一本からの熱い視線をその身に受けながら。

 

「?どうしたのよアンタ」

「……あーごめん、今まで黙ってて何だけど喋っていいかしら?」

 軽い深呼吸と共に一歩進み出た自分に疑問を感じたルイズへ一言申した後、リィリアの前へと立つハクレイ。

 それまで黙っていたハクレイの言葉と、かなりの距離まで近づいてきたその巨躯を見上げる少女は自然と口中の唾を飲み込んでしまう。

 何せここにいる四人の中では、最も背の高いのがハクレイなのだ。子供の目線ではあまりにも彼女の背丈は大きく見えるのだ。

 唾を飲み込むついで、そのまま一歩二歩と後ずさろうとした所で、ハクレイはその場でスッと膝立ちになって見せる。

 するとどうだろう、あれ程まで多が高過ぎて良く見えなかったハクレイの顔が、良く見えるようになったのだ。

「……え?あの」

「人とお話をする時は他の人の顔をよく見ましょう。って言葉、よく聞くでしょう?」

 困惑するリィリアに苦笑いしつつもそう言葉を返すと、ハクレイは若干少女の顔を見下ろしつつも話を続けていく。

 

「私の事、覚えてるでしょう?ホラ、どこかの広場でボーっとしてて貴女に財布を盗まれた事のある……」

 霊夢やルイズと比べ、年頃らしい落ち着きのある声で話しかけてくる彼女にはある程度安心感というモノを感じたのだろうか。

 それまで緊張の色が見えていた顔が微かに緩くなり、自分と同じくらいの視点で話しかけてくるハクレイにコクコクと頷いて見せた。

「うん、覚えてるよ。だからまず最初にお姉さんに声を掛けたの。だってもう片方は怖かったから……」

「おいコラ。今聞き捨てならない事をサラッと言ってくれたわね?」

 自分の方を見つめつつもそんな事を言ってきた少女に、霊夢はすかさず反応する。

 それを「やめなさいよ」とルイズが窘めてくれたのを確認しつつ、ハクレイは話を続けていく。

「さっき、貴女のお兄さんを助けてくれたらお金はそっくりそのまま返すって言ってたわよね?」

「……!う、うん。私、お兄ちゃんがどこの盗んだお金を何処に隠しているのを知って……――え?」

 

 食いついた。そう思ったリィリアはパっと顔を輝かせつつ、ハクレイに取り引きを持ち掛けようとする。

 しかしそれを察したのか、逸る彼女の眼前に右手の平を出して制止したのだ。

 一体どうしたのかと、リィリアだけではなくルイズたちも怪訝な表情を浮かべたのを他所にハクレイはそのまま話を続けていく。

「別にお金の事はもう良いのよ。私がカトレアに貰った分だけなら……あなた達が良いなら渡してあげても良い」

「え?それ……って」

「はぁ?アンタ、この期に及んで何甘っちょろい事言ってるのよ!?」

 三人と一本の予想を見事に裏切る言葉に、思わず霊夢がその場で驚いてしまう。

 ルイズは何も言わなかったものの目を見開いて驚愕しており、デルフはハクレイの言葉を聞いて興味深そうに刀身を揺らしている。

 まぁ無理もないだろう。何せ彼女たちから散々許されないと言われた後での言葉なのだ。

 むしろあまりにも優しすぎて、ハクレイにそんな事を言われたリィリア本人が自身の耳を疑ってしまう程であった。

 流石に一言か二言文句を言ってやろうかと思った矢先、それを止める者がいた。

『まぁ待てって、そう急かす事は無いさ』

「デルフ?どういう事よ」

 突然制止してきたデルフに霊夢は軽く驚きつつも自分の背中にいる剣へと声を掛ける。

『どうやら奴さんも無計画に言ってるワケじゃなそうだし、ここは見守ってやろうや』

 何やら面白いものが見れると言いたげなデルフの言葉に、ひとまず霊夢は様子を見てみる事にした。

 彼女の後ろにいるルイズも同じ選択を選んだようで、二人してハクレイとリィリアのやり取りを見守り始める。

 

「え……?お金、くれるの?それで、お兄ちゃんも助けてくれるっていうの……?」

 相手の口から出た言葉を未だに信じきれないのか、訝しむ少女に対しハクレイは無言で頷いて見せる。

 それが肯定的な頷きだと理解した少女は、信じられないと首を横に振ってしまう。

 確かに彼女の思う通りであろう。普通ならば、金を盗まれた相手に対して見せる優しさではない。

 盗まれた分のお金は渡し、更には兄まで助けてくれる。……とてもじゃないが、何か裏があるのではないかと疑うべきだろう。

 リィリア自身盗んだお金を返すから兄を助けてほしいと常識外れなお願いをしたものの、ハクレイの優しさには流石に異常を感じたらしい。

 少し焦りつつも、少女は変に優しすぎるハクレイへとその疑問をぶつけてみる事にした。

「で、でも……そんなのおかしいよ?どうして、そこまで優しくしてくれるなんて……」

「まぁ普通はそう思うわよね。私だって自分で何を言っているのかと思ってるし」

 彼女の口からあっさりとそんに言葉が出て、思わずリィリアは「え?」と目を丸くしてしまう。

 そして疑問に答えたハクレイはフッと笑いつつ、どういう事なのかと訝しむ少女へ向けて喋りだす。

 

「私が盗まれた分のお金はそのまま渡して、ついでにお兄さんも助けてあげる。それを異常と感じるのは普通の事よ。

 だって世の中そんなに甘くないのは私でも理解できるし、そこの二人が貴女のお願いに呆れ果ててるのも当り前の事なんだし」

 

 優しく微笑みかけながらも、そんな言葉を口にするハクレイへ「なら……」とリィリアは問いかける。

 ――ならどうして?最後まで聞かなくとも分かるその言葉に対し、彼女は「簡単な事よ」と言いながら言葉を続けていく。

「あなた達の事を助けたいのよ。……まぁ二人にはそんなのは優しすぎるとか文句言われそうだけどね」

 暖かい微笑みと共に口から出た暖かい言葉に、それでもリィリアは怪訝な表情を浮かばせずにはいられない。

 何せ自分は彼女に対して財布を盗んだ挙句に魔法を当ててしまったのだ、それなのに彼女は助けたいと言っているのだ。

 普通ならば何かウラがあるのではないかと疑うだろう。リィリアはまだ幼かったが、そんな疑心を抱ける程には成長している。

「でも、そんなのおかしいわ?だって、私はお姉ちゃんに対してあんなに酷いことをしたのに……」

 疑いの眼差しを向けるリィリアの言葉に対して、ハクレイは「まぁそれは忘れてないけどね?」と言いつつも話を続けていく。

 

「だから私は今回――この一度だけ、あなた達の手助けをするわ。一人の大人としてね。

 あなた達兄妹が泥棒稼業から手を洗って、まともに暮らしていくっていうのなら……今後の為を思ってあなた達に私の――カトレアがくれたお金を託す。

 何なら孤児院や、身寄り代わりの教会を探すのだって手伝おうとも考えてるわ。少なくともそこにいる人たちならば、あなた達を助けてくれると思うから」

 

 ハクレイはそう言った後に口を閉ざし、ポカンとしているリィリアへとただ真剣な眼差しを向けて返事を待っている。

 少女は彼女の言ったことをまだ完全に信じ切れていないのか、何と言えばいいのか分からずに言葉を詰まらせている。

 それを眺めている霊夢は彼女の甘さにため息をつきたくなるのを堪えつつも、最初に言っていた言葉を思い出す。

 ――この一度だけ。つまりは、あの兄妹に対して彼女はたった一度のチャンスをあげるつもりなのだろう。

 彼女が口にしたようにバカ野郎な兄と共にまともな道を歩み直せる、文字通りの最後のチャンスを。

 

 ルイズもそれを理解したようだったが、何か言いたそうな表情をしているに霊夢と同じことを考えているらしい。

 確かに子供といえど犯罪者に対して甘すぎる言葉であったが、犯罪者であるが以前に子供である。

 自分と霊夢は少女を犯罪者として、彼女は犯罪者である以前に子供として接しているのだ。

 だから二人して甘々なハクレイに何か一言突っついてやりたいという気持ちを抑えつつ、リィリアの答えを待っていた。

 そして件の少女は、ハクレイから提示された条件を前に、何と答えれば良いか迷っている最中であった。

 今まで兄と共に生きてきて、大事な事を全て決めてきたのは兄であったが、その兄はこの場にいない。

 だから自分たち兄妹の事を自分が決めなければいけないのだ。

 リィリアは閉まりっぱなしであった重い口をゆっくりと開けて、自分を見守るハクレイへと話しかける。

「本当に……本当に私たちの、味方になってくれるの?」

「アナタがお兄さんと一緒になってこれから真っ当に生きていくというのになら、私はアナタ達の味方になるわ」

 少女の口から出た質問に、ハクレイは優しい微笑みと真剣な眼差しを向けてそう返す。

 そこには兄の言っている「汚い大人」ではなく、本当に自分たちの事を案じてくれる「一人の大人」がいた。

 そして彼女はここにきてようやく思い出す、これまでの短い人生の中で、今の彼女と同じような表情と眼差しを向けてくれた人たちが大勢いたことを。

 

 ある時は通りすがりの旅人に果物やパンを分けてくれた農民、そしてタダ配られるスープ目当てに近づいた教会の人たち。

 ここに至るまで通ってきた道中で出会った人々の多くが、自分たちの事を本当に心配してくれていたのだと。

 しかし兄は事あるごとに彼らを見て「信用するな」と耳打ちし、その都度必要なものだけを奪って彼らの親切心を踏みにじってきた。

 兄は自分よりも成長していた、だからこそ自分たちを領地から追い出した親戚たちの事が忘れられなかったのだろう。

 結果的にそれが兄の心に疑心暗鬼を生み出し、他人の善意を踏みにじる原因にもなってしまった。

 

 その事を兄よりも先に理解したリィリアは、目の端から流れ落ちそうになった涙を堪えつつ――ゆっくりと頷いた。

 ハクレイはその頷きを見て優しい微笑みを浮かべたまま、そっと左手で少女の頭を撫でようとして――。

「…って、何心温まる物語にしようとしてるのよッ!?」

「え?ちょ……――グェッ!」

 二人だけの世界になろうとした所で颯爽と割り込んできた霊夢に、見事な裸絞めを決められてしまった。

 あまりに急な攻撃だった為に何の対策もできずに絞められてしまったハクレイは、成すすべもない状態に陥ってしまう。

 突然過ぎた為か流れそうになった涙が完全に引っ込んでしまったリィリアは、目を丸くして見つめている。

 それに対してルイズは彼女の傍に近寄りつつ、「気にしなくていいわよ」と彼女に話しかけた。

「まぁあんまりにもムシが良すぎるから、ただ単にアイツに八つ当たりしてるだけなのよ」

「え?八つ当たりって……あれどう見ても絞め殺そうとしてるよね?」

「大丈夫なんじゃない?ねぇデルフ、アンタもそう思うでしょう?」

『イヤイヤ、普通は止めろよ!?ってか、そろそろヤバくねぇかアレ?』

 霊夢から無理やり手渡されたのであろう、ルイズの言葉に対し彼女の右手に掴まれたデルフが流石に突っ込みを入れる。

 確かに彼の言う通りかもしれない。自分より小柄な霊夢に絞められているハクレイはどうしようもできず、今にも落ちてしまいそうだ。

 デルフの言う通りそろそろ止めた方がいいのだろうが、正直ルイズも彼女の横っ腹にラリアットをかましたい気分であった。

 確かにあの兄妹は犯罪者であるが以前に子供だ、牢屋にぶち込むよりも前に救済をしたいという気持ちは分かる。 

 しかしだからといってあの時金を盗まれた時の屈辱は忘れていないし、自分たちの他にも大勢の被害者がいるに違いない。

 それを考えれば懲役不可避なのだろうが、やはり本心では「まだ子供だから」という気持ちも微かにある。霊夢はあるかどうか知らないが。

 ともかくハクレイはその「まだ子供だから」という元で兄妹にチャンスを作り、兄妹の一人であるリィリアはそれを受け入れた。

 まだ納得いかない所は多々あるがそれをハクレイにぶつける事で、ルイズと霊夢の二人もそれに了承したのである。

 

 

 ひとまずは満足したのか、虫の息になった所でようやく解放されたハクレイを放って、霊夢はリィリアと対面していた。

 ハクレイと似たような顔をしていながらも、彼女よりも怖い表情を見せる霊夢に狼狽えつつも、少女は彼女からの話を聞いていく。

「じゃあ先にお金は返してもらうとして、アンタのバカお兄さんを助けたらルイズの紹介する教会か孤児院に入る事、いいわね?」

「う、うん……それで、他にも盗まれたお金とか一応……あなた達に渡す、それでいいの?」

「そうよ。アンタたちが他の人たちから盗んだお金は私たちが……まぁ、その。責任もって返すことにするわ」

 多少言葉を濁しつつもひとまず条件を確認し終えた所で、今度はルイズが話しかける番となった。

 彼女は言葉を濁していた霊夢をジト目で一瞥しつつもリィリアと向き合いは、咳払いした後真剣な表情で喋り始める。

 

「まぁ私たちはそこで伸びてるハクレイと違ってあなた達に甘くするつもりはないけど、貴女は反省の意思を見せてる。

 その貴女がお兄さんを説得できたのならば、私もアナタたちがやり直すための準備くらいはしてあげるわ。

 でも忘れないで頂戴。貴族である私の前で約束したのならば、どんな事があっても最後までやり遂げる覚悟が必要だってことを」

 

 わざとらしく腰に差した杖を見せつけつつそう言ったルイズに、リィリアは慎重に頷いた。

 その杖が意味することは、たとえ幼少期に親を失い貴族で無くなった彼女にも理解できた。

 リィリアの頷きを見てルイズもまた頷き返したところで、彼女は「ところで」と話を続けていく。

 

「一つ聞きたいんだけど、どうして私たちを頼る前に衛士の所に行かなかったのよ?

 いくらアンタ達がここで盗みをやってるって情報が出てても、流石に子供が誘拐されたとなると話しくらいは聞いてくれそうなものだけど……」

 

 先ほどから気になっていた事を抱えていたルイズからの質問に、リィリアは少し考える素振りを見せた後に答えた。

「えっとね……実はあの二人を探す前にね、今日の朝に詰め所に行ったの」

「え?もしかして、子供の戯言だとか言われて追い返されたの……?」

 人での少なくかつ教育の行き届いていない地方ならともかく、王都の衛士がそんな雑な対応をするのだろうか?

 そんな疑問を抱いたルイズの言葉に対して、リィリアは首を横に振ってからこう言った。

「うぅん、何か詰め所にいた衛士さんたちが皆凄い忙しそうにしててね。私が声を掛けても「ごめんね、今それどころじゃないんだ」って言われたの」

「忙しい……今それどころじゃない?」

「あぁ、そういえば今日は朝からヤケにばたばたしてたわねアイツら」

 何か自分の知らぬ所で大事件が起きたのであろうか?首を傾げた所で霊夢が話に入ってきた。

 彼女の言葉にルイズはどういう事かと聞いてみると、朝っぱらから街中で大勢の衛士が動き回っていたのだという。

 

「何でか知らないけどもう街の至る所に衛士たちがいたり、走り回ってたりしてたのよ。

 しかもご丁寧に下水道への道もしっかり見張りがいたから、おかけでやるつもりだった捜索が台無しよ。全く……」

 

 最後は悪態になった霊夢の言葉を半ば聞き流しつつも、ルイズはそうなのと返した後ふと脳裏に不安が過る。

 この前の劇場で起こった事件もそうだが、ここ最近の王都では何か良くないことが頻発しているような気がしてならない。

 そういう事を体験した身である為、ルイズは尚現在進行中で何か不穏な事が起きている気がしてならなかった。

 

 街中の避暑地に作られた真夏の公園の中で、ルイズは背筋に冷たい何かが走ったのを感じ取る。

 その冷たい何かの原因が得体のしれない不穏からきている事に、彼女は言いようのない不安を感じていた。



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第百一話

 その日、王都トリスタニアにはやや物騒な恰好をした衛士たちが多数動き回っていた。

 夏用の薄いボディープレートを身に着けた彼らは、市街地専用の短槍や剣を携えた者たちが何人も通りを行き交っている。

 それを間近で見る事の出来る街の人々は、何だ何だと横切っていく彼らの姿を目にしては後ろを振り返ってしまう。

 街中を衛士たちが警邏すること自体何らおかしい所はなかったが、それにしても人数が多すぎた。

 いつもならば日中は二、三人、夜間なら三、四人体制のところ何と五、六人という人数で通りを走っていくのだ。

 イヤでも彼らの姿は目に入るのだ。しかも一組だけではなく何組も一緒になっている事さえある。

 

 正に王都中の衛士たちが総動員されているのではないかと状況の中、ふと誰かが疑問に思った。

 一体彼らの目的は何なのかと?そもそも何かあってこれ程までの人数が一斉に動いているのかと。

 勇敢にもそれを聞いてみた者は何人もいたが、衛士たちの口からその答えが出る事はなかった。

 それがかえってありもしない謎をでっちあげてしまい、人々の間で瞬く間に伝播していく。

 曰く王都にアルビオンの刺客が入り込んだだの、クーデターの準備をしている等々……ほとんどが言いがかりに近かったが。

 とはいえありもしない噂を囁きあうだけで、誰も彼らの真の目的を知ってはいない。

 もしもその真実が解決される前に明かされれば、王都が騒然とするのは火を見るよりも明らかなのだから。

 

 朝っぱらからだというのに、夜中程とはいえないがそれなりの喧騒に包まれているチクトンネ街。

 ここでもまた大勢の衛士たちが通りを行き交い、通りに建てられた酒場や食堂の戸を叩いたりしている。

 一体何事かと目を擦りながら戸を開けて、その先にいた衛士を見てギョッと目を丸くする姿が多く見受けられる。

 更には情報交換の為か幾つかの部隊が道の端で立ち止まって会話をしている所為か、それで目を覚ます住人も多かった。

 煩いぞ!だの夜働く俺たちの事を考えろ!と抗議しても、衛士たちは平謝りするだけで詳しい理由を話そうとはしない。

 やがて寝付けなくなった者たちは通りに出て、ひっきりなしに走り回る衛士たちを見て訝しむ。

 彼らは一体、何をそんなに必死になって探し回っているのだろう?……と。

 

 そんな喧騒に包まれている真っ最中なチクトンネ街でも夜は一際繁盛している酒場『魅惑の妖精』亭。

 本来なら真っ先に戸を叩かれていたであろうこの店はしかし、まだその静けさを保っている。

 あちこちで聞き込みを行っている衛士たちも敢えて後回しにしているのか、その店の前だけは素通りしていく。

 基本衛士というのはその殆どが街や都市部の出身者で構成されており、それ以外の者――地方から来た者――は割と少数である。

 つまり彼ら衛士の大半も俗にいう「タニアっ子」であり、当然ながらこの店の知名度はイヤという程知っている。

 この店の女の子たちが抜群に可愛いのは知っている。当然、その女の子たちを雇っている店長が極めて゛特殊゛なのも。

 もしも今乱暴に戸を叩けば、あの心は女の子で体がボディービルダーな彼のあられもない寝間着姿を見ることになるかもしれないからだ。

 想像しただけでも恐ろしいのに、それをいざ現実空間で見てしまった時にはどれだけ精神が汚されるのか……。

 衛士たちはそれを理解してこそ敢えて『魅惑の妖精』亭だけは後回しにしてしているのだ。

 しかし、彼らの判断は結果的に彼ら自身の『目的』の達成を遅らせる形となってしまっていた。 

 

 

 『魅惑の妖精』亭の裏口、今はまだ誰もいないその寂しい路地裏へと通じるドアが静かに開く。

 それから数秒ほど時間をおいて顔を出したのは、目を細めて警戒している霧雨魔理沙であった。

 夏場だというのに黒いトンガリを被る彼女は相棒の箒を片手にそろりそろりと裏口から外の路地裏へと出る。

 それから周囲をくまなく確認し、誰もいないのを確認した後に裏口の前に立っている少女へと合図を出した。

「……よし、今ならここを通って隣りの通りに出られるぜ」

「わかりました……、それでは行きましょう」

 魔理沙からのOKサインを確認した少女――アンリエッタは頷きながら、彼女の後をついてゆく。

 その姿は、いつも着慣れているドレス姿ではなく黒のロングスカートに白いブラウスというラフな格好だ。

 

 ブラウスに関しては胸のサイズの関係かボタンを全て留めていないせいで、いささか扇情的である。

 彼女はその姿で一歩路地裏へと出てから、心配そうに自分の服装を見直している。

「……本当にこの服をお借りして大丈夫なんでしょうか?」

「へーきへーき、理由を話せば霊夢はともかくルイズなら許してくれるさ。あ、帽子はちゃんと被っといた方がいいぜ?」

 元々霊夢の服だったと聞かされて心配しているアンリエッタに対し、魔理沙は笑いながらそう答える。

 彼女の快活で前向きな言葉に「……そうですか?」と疑問に思いつつも、アンリエッタは両手で持っていた帽子を被る。

 これもまた霊夢の帽子であるが、幸い頭が大きすぎて被れない……という事はなかった。

 服を変えて、帽子まで被ればあら不思議。この国の姫殿下から町娘へとその姿を変えてしまった。

 最も、体からあふれ出る品位と身体的特徴は隠しきれていないが……前者はともかく後者は特に問題はないだろう。

 本当にうまく変装できてるのか半信半疑である本人に対し、コーディネイトを任された魔理沙は少なからず満足していた。

 念の為にとルイズ化粧道具を無断で拝借して軽く化粧もしているが、それにしても上手いこと変装できている。

 恐らく彼女の顔なんて一度も見たことのない人間がいるならばこの女性がお姫様だと気づくことはないだろう。

 少なくとも街中で彼女を探してあちこち行き来している衛士達は、その部類の人間だろう。ならば気づかれる可能性は低い。

 単なる偶然か、それとももって生まれた才能なのか?アンリエッタの変装っぷりを見て頷いていた魔理沙は、彼女へと声を掛ける。

「ほら、そろそろ行こうぜ。ま、どこへ行くかなんてきまってないけどさ」

「あ、はい。そうですね。ここにいても怪しまれるだけでしょうし」

 自分の促しにアンリエッタが強く頷いたのを確認してから、魔理沙は通りへと背を向けて路地裏の奥へと入っていく。

 アンリエッタは今まで通った事がないくらい暗く、狭い路地裏から漂う無言の迫力に一瞬狼狽えてしまったものの、勇気を出して足を前へと向ける。

 二人分の足音と共に、少女たちは太陽があまり当たらぬ路地裏へと入っていった。

 

 それから魔理沙とアンリエッタの二人は、狭くなったり広くなったりを繰り返す路地裏を歩き続けていた。

 トリスタニアは表通りもかなり入り組んだ街である。それと同じく路地裏もまた易しめの迷路みたいになっている。

 かれこれ数分ぐらい歩いている気がしたアンリエッタは、ふと魔理沙にその疑問をぶつけてみることにした。

「あの、マリサさん?一体いつになったら他の通りへ出られるんでしょうか?」

「ん……あー!やっぱり不安になるだろ?最初私がここを通った時も同じような感想が思い浮かんできたなぁ~」

 不安がるアンリエッタに対しあっけらかんにそう言うと、軽く笑いながらもその足は前へと進み続けている。

 前向きすぎる彼女の言葉に「えぇ…?」と困惑しつつも、それでも魔理沙についていく他選択肢はない。

 清掃業者のおかげで目立ったゴミがない分、変に殺風景な王都の路地裏を歩き続けた。

 

 しかし、流石に魔理沙という開拓者のおかげで終着点は意外にも早くたどり着くことができた。

 数えて五度目になるであろうか角を右に曲がりかけた所で、ふとその先から人々の喧騒が聞こえてくるのに気が付く。

 アンリエッタはハッとした先に角を曲がった魔理沙に続くと、別の通りへと続く道が四メイル程先に見えている。

 何人もの人々が行き交うその通りを路地裏から見て、ようやくアンリエッタはホッと一息つくことができた。

 そんな彼女をよそに「ホラ、出口だぜ」と言いつつ魔理沙は先へ先へと足を進める。

 それに遅れぬようにとアンリエッタも急いでその後を追い、二人して薄暗い路地裏から熱く眩い大通りへとその身を出した。

 

「……暑いですね」

 燦々と照り付ける太陽が街を照らし、多くの人でごったがえす通りへと出たアンリエッタの第一声がそれであった。

 王宮では最新式のマジックアイテムで涼しい夏を過ごしていた彼女にとって、この暑さはあまり慣れぬ感覚である。

 自然と肌から汗が滲み出て、帽子の下の額からツゥ……と一筋の汗が流れてあごの下へと落ちていく。

 これが街の中の温度なのかとその身を持って体験しているアンリエッタに、ふと一枚のハンカチが差し出される。

 一体だれかと思って手の出た方へと目を向けると、そこには笑顔を浮かべてハンカチを差し出している魔理沙がいた。

「何だ何だ、もう随分と汗まみれじゃないか。そんなに外は暑いのか?」

「……えぇ。ここ最近の夏と言えば、マジックアイテムの冷風が効く屋内で過ごしていたものですから」

 魔理沙が出してくれたハンカチを礼と共に受け取りつつ、それで顔からにじみ出る汗を遠慮なく拭っていく。

 そうすると顔を濡らそうとしてくるイヤな汗を綺麗さっぱり拭き取れるので、思いの外気持ちが良かった。

 

「マリサさん、どうもありがとうございました」

 汗を拭き終えたアンリエッタは丁寧に畳み直したハンカチを魔理沙へと返す。

 それに対して魔理沙も「どういたしまして」と言いつつそのハンカチを受け取ったところでアンリエッタがハッとした表情を浮かべ、

「あ、すいません。そのまま返してしまって……」

「ん?あぁそういえば借りたハンカチは洗って返すのがマナーだっけか。まぁ別にいいよ、そんなに気にしなくても」

「いえ、そんな事おっしゃらずに。貴女にもルイズの事で色々と御恩がありますし」

「そ、そうなのか?それならまぁ、アンタのご厚意に甘えることにしようかねぇ」

 肝心な時にマナーを忘れてしまい焦るアンリエッタに対して魔理沙は大丈夫と返したものの、

 それでも礼儀は大切と教えられてきた彼女に押し切られる形で、魔法使いは再びハンカチを王女へと渡した。

 

 預かったハンカチは後日洗って返す事を伝えた後、アンリエッタはフッと自分たちのいる通りを見回してみる。

 日中のブルドンネ街は一目見ただけでもその人通りの多さが分かり、思わずその混雑さんに驚きそうになってしまう。

 今までこの通りを通った事はあったものの、それは魔法衛士隊や警邏の衛士隊が道路整理した後でかつ馬車に乗っての通行であった。

 こうして平民たちと同じ視点で見ることは全くの初めてであり、アンリエッタは戸惑いつつも久しぶりに感じた゛新鮮さ゛に胸をときめかせてすらいる。

 老若男女様々な人々、どこからか聞こえてくる市場の喧騒、道の端で楽器を演奏しているストリートミュージシャン。

 王宮では絶対に聞かないような幾つもの音が複雑に混ざり合って、それが街全体を彩る効果音へと姿を変えている。

 

 アンリエッタはそれを耳で理解し、同時に楽しんでいた。これが自分の知らない王都の本当の顔なのだと。

 まるで子供の様に嬉しがっていた彼女であったが、その背後から横やりを入れるようにして魔理沙が声を掛けた。

「あ~……喜んでるところ悪いんだが……」

 彼女の言葉で意識を現実へと戻らされた彼女はハッとした表情を浮かべ、次いで恥かしさゆえに頬が紅潮してしまう。

 生まれて初めて間近で見た王都の喧騒に思わず゛自分が為すべきこと゛を忘れかけていたのだろう、

 改めるようにして咳ばらいをして魔理沙にすいませんと頭を下げた後、彼女と共にその場を後にした。

 暑苦しい人ごみを避けるように道の端を歩きつつも、アンリエッタは先ほど子供の様に喜んでいた自分を恥じている。、

「すいません。……何分、平時の王都を見たのはこれが初めてでした故に……」

「へぇそうなのか?……それでも何かの行事で街中を通るときはあると思うが?」

「そういう時には大抵事前に通行止めをして道を確保しますから、自然と私の通るところは静かになってしまうんです」

 アンリエッタの言葉に、魔理沙は「成程、確かにな」と納得している。

 良く考えてみれば、今が夏季休暇だとはいえ人々で道が混雑する王都を通れる馬車はかなり限られるだろう。

 いかにも金持ちの貴族や豪商が済んでいそうな豪邸だらけの住宅地に沿って作られた道路などは、馬車専用の道路が造られている。

 それ以外の道路では馬車はともかく馬自体が通行禁止の場所が多く、他国の大都市と比べればその数はワースト一位に輝く程だ。

 実際王宮から街の外へと出る為には通りを何本か通行止めにしなければならず、今は改善の為の工事が計画されている。

 魔理沙も馬車が通りを走っているのをあまり見たことは無く、偶に住宅街へ入った時に目にする程度であった。

「こんなに人ごみ多いと、馬車に乗るよか歩いたほうが速いだろうしな」

 すぐ左側を行き交う人々の群れを見つめつつも呟いてから、魔理沙とアンリエッタの二人は通りを歩いて行く。

 

 やがて数分ほど歩いた所でやや大きめの広場に出た二人は、そこで一息つける事にした。

「おっ、あっちのベンチが空いてるな……良し、そこに腰を下ろすか」

 魔理沙の言葉にアンリエッタも頷き、丁度木陰に入っているベンチへと腰を下ろす。

 それに次いで魔理沙の隣に座り、二人してかいた汗をハンカチで拭いつつ周囲を見回してみた。

 中央に噴水を設置している円形の広場にはすでに大勢の人がおり、彼らもまたここで一息ついているらしい。

 ベンチや木の根元、噴水の縁に腰を下ろして友人や家族と楽しそうに会話をしており、もしくは一人で空や周囲の景色を眺めている者もいた。

 そんな彼らを囲うようにして広場の外周にはここぞとばかりに幾つもの屋台ができており、色々な料理や飲み物を売っている。

 種類も豊富で食べ物は暖かい肉料理から冷たいデザート、飲み物はその場で果物を絞ってくれるジュースやアイスティーの屋台が出ている。

 どの屋台も売り上げは上々なようで、数人から十人以上の列まであり、よく見ると下級貴族らしいマントを付けた者まで列に並んでいた。

 魔理沙はそれを見て賑やかだなぁとだけ思ったが、彼女と同じものを目にしたアンリエッタは目を輝かせながらこんな事を口にした。

「うわぁ、アレって屋台っていうモノですよね?言葉自体は知っていましたが、本物を見たのは初めてです!」

「え?あ、あぁそうだが……って、屋台を見るのも初めてなのか!?」

「えぇ!わたくし、蝶よ花よと育てられてきたせいでそういったモノに触れる機会が今まで無くて……」

 

 アンリエッタの言葉に一瞬魔理沙は自分の耳を疑ったが、自分の質問に彼女が頷いたのを見て目を丸くしてしまう。

 思わず自分の口から「ウッソだろお前?」という言葉が出かかったが、それは何とかして堪える事ができた。

 魔理沙は驚いてしまった半面、よく考えてみれば王家という身分の人間ならば本当に見たことが無いのだろうと思うことはできた。

(子はともかく、親や教育者なんかはそういうのをとにかく低俗だ何だ勝手に言って見せないだろうしな)

 きっと今日に至るまで王宮からなるべく離れずに暮らしてきたかもしれないアンリエッタに、ある種の憐れみを感じたのであろうか、

 魔理沙は座っていたベンチから腰を上げると、突然立ち上がった彼女にキョトンとするアンリエッタに屋台を指さしながら言った。

「折角あぁいうのが出てるんだ。何ならここで軽く飲み食いしていってもバチは当たらんさ」

「え?え、えっと……その、良いんですか?」

 突然の提案に驚いてしまうアンリエッタに「あぁ」と返したところで、魔理沙は自分が迂闊だったと後悔する。

 確かに豪快に誘ったのはいいものの、それを手に入れる為のお金を彼女は持っていなかったのだ。

 

 今日もお昼ごろになった所で用事を済ませたルイズや霊夢と合流して、三人一緒にお昼を頂く筈であった。

 その為今の彼女の懐は文字通りのスッカラカンであり、この世界の通貨はビタ一文入っていない。

 それを思い出し、苦虫を噛んでしまったかのような表情を浮かべる普通の魔法使いに、アンリエッタはどうしたのかと声を掛ける。

「あ……イヤ、悪い。偉そうに提案しといて何だが、今の私さ……お金を全然持ってなかったのを忘れてたぜ」

「……!あぁ、そういう事なら何の問題もありませんわ」

 申し訳なさそうに言う魔理沙の言葉に王女様はパッと顔を輝かせると、懐から掌よりやや大きめの革袋を取り出して見せた。

 突然取り出した革袋を見てそれが何だと聞く前に、アンリエッタは彼女の前でその袋の口を縛る紐を解きながら喋っていく。

 

「実は私、単独行動をする前にお付きの者に何かあった時の為にとお金を用意してもらったんですよ。

 とは言っても、ほんの路銀程度にしかなりませんが……でも、あそこの屋台のお料理や飲み物なら最低限買えるだけの額はあると思うわ」

 

 そう喋りながらアンリエッタは紐を解いた袋の口を開き、中にギッシリと入っているエキュー金貨を魔理沙に見せつける。

 何ら一切の悪意を感じないお姫様の笑顔の下に、一文無しな自分をあざ笑うかのように黄金の輝きを放つエキュー金貨たち。

 てっきり銀貨や銅貨ばかりだと思っていた魔理沙は息を呑むのも忘れて、輝きを放ち続ける金貨を凝視するほかなかった。

「……なぁ、これの何処が路銀程度なのかちょいと教えてくれないかな?」

「…………あれ?私、何か変な事言っちゃいましたか?」

 呆然としつつも、何とか口にできた魔理沙の言葉にアンリエッタは笑顔のまま首を傾げる他なかった。

 やはり王家とかの人間は庶民とは金銭感覚が大きく違うのだと、霧雨魔理沙はこの世界にきて初めて実感する事ができた。

 

 ひとまず代金を確保する事ができたので、魔理沙はアンリエッタを伴って屋台を巡ってみる事にする。

 食べ物と飲み物の屋台はそれぞれ二つずつの計四つであったが、それぞれのメニューは豊富だ。

 最初の屋台は肉料理系の屋台で、いかにも屋台モノの食べやすい料理が一通り揃っており、香ばしい匂いが鼻をくすぐってくる。

 スペアリブや鶏もも肉のローストはもちろんの事、何故かおまけと言わんばかりにタニアマスの塩焼きまで並んでいる。

 もう一つはそんなガッツリ系と対をなすデザート系で、今の季節にピッタリの冷たいデザートを売っているようだ。

 今平民や少女貴族たちの間で流行っているというジェラートの他にも、キンキンに冷やした果物も売りの商品らしい。

 横ではその果物を冷やしているであろう下級貴族が冷やしたてだよぉー!と声を張り上げている姿は何故か哀愁漂うが印象的でもある。

 下手な魔法は使えるが碌な学歴が無い彼らにとって、こういう時こそが一番の稼ぎ時なのであった。

 

「さてと、メインとなるとこの屋台しか無いが、うぅむ……どのメニューも目移りするぜ」

「た、確かに……私も見たことのないような名前の料理がこんなにあるなんて……むむむ」

 すっかり王女様に奢られる気満々の魔理沙は、アンリエッタと共に屋台の横にあるメニューを凝視している。

一応メニューの横にはその名前の料理のイラストが小さく描かれており、文字が分からなくてもある程度分かるようになっている。

 無論アンリエッタは文字の方を見て、魔理沙はイラストと文字を交互に見比べながらどれにしようか悩んでいた。

 屋台の店主とバイトであろうエプロン姿の男女はそんな二人の姿を見て微笑みながら、その様子をうかがっている。

 

 それから数分と経たぬ内、先に声を上げたのは文字を見ていたアンリエッタであった。

「私はとりあえず……この料理にしますが、マリサさんはどうしますか?」

 彼女はメニュー表に書かれた「羊肉と麦のリゾット」を指で差しつつ、目を細める魔理沙へと聞く。

 そんな彼女に対して普通の魔法使いも大体決めたようで、同じようにメニューの一つを指さして見せる。

「んぅ~そうだなぁ、大体どんな料理なのかは絵を見れば察しはつくが……ま、コレにしとくか」

 そう言って彼女が選んだメニューは真ん中の方に書かれた「冷製パスタ 鴨肉の薄切りローストにレモン&ソルトペッパーソースを和えて」であった。

 いかにも屋台向けな料理の中でイラストの方で異彩を放っていたからであろう、上手いこと彼女の目を引いたのである。

 メニューが決まれば後は注文するだけ、という事でここは魔理沙が鉄板でソーセージを焼いていた男にメニューを指さしながら注文を取った。

 

「あいよ、その二つでいいね?それじゃあ出来上がりにちょっと時間が掛かるから、その間飲み物でも頼んできな」

「成程、隣に飲み物系の屋台がある理由が何となく分かったぜ。じゃあお言葉に甘えさせてもらうよ」

 

 まさかの協力関係にある事を知った魔理沙は手を上げて隣の屋台へと足を運ぼうとした所で、彼女から注文を聞いた店員が慌てて呼び止めてきた。

「っあ、お嬢ちゃん!ゴメンちょいと待った!ウチ前払いだったから、悪いけど先にお金払っといてくれるかい」

「お、そうか。じゃあそっちのア……あぁ~、私の知り合いに頼んでくれるかい?」

「あ、は……はい分かりました。それじゃあ私が――」

 危うく名前を言いかけた魔理沙に一瞬ヒヤリとしつつも、アンリエッタは金貨入りの革袋を取り出して見せる。

 幸い顔でバレてはいないものの、流石に名前を聞かれてしまうとバレる可能性があったからだ。

 何せ実際に顔を見たことがなくとも、自分の肖像画くらいは街中で見かけたことがある人間はこの場にいくらでもいるだろう。

 先に名前の事で相談しておくべきだったかしら?……軽い失敗を経験しつつも、アンリエッタは生まれて初めてとなる支払いをする事となった。

 

「えぇっと……お幾らになるでしょうか?」

「んぅと、リゾットとパスタだから……合わせて十五スゥと十七ドニエだね」

「え?スゥと…ドニエですか?」

 一般的な屋台価格としてはやや強気な値段設定ではあるが、それなりのレストランで出しても大丈夫な味と見栄えである。

 それを含めての強気設定であったが、値段を聞いたアンリエッタは目を丸くしつつも革袋の中からお金を取り出した。

「あの、すいません……今銀貨と銅貨が無いのですが……これは使えるでしょうか?」

「ん?え……エキュー金貨!?それもこんなに!?」

 そう言って差し出した数枚の金貨を見て、店員は思わずギョッとしてしまう。

 新金貨ならともかくとして、まさか一枚あたりの単位が最も高額なエキュー金貨を数枚も屋台で出されるとは思っていなかったのだ。

 調理や盛り付けをしていた他の店員たちも驚いたように目を見開き、本日一番なお客様であるアンリエッタを注視した。

 一方でアンリエッタは、突然数人もの男女からの視線を向けられた事に思わす動揺してしまう。

「え?あの……ダメでしたか?」

「だ…ダメ?あ、いえいえ!充分ですよ……っていうかそんなにいりませんよ!この一枚だけで充分です!」

 そう言って店員はアンリエッタが取り出した数枚の内一枚を手に取ると、「あまり見せびらかさないように」とアンリエッタに小声で注意してきた。

 

「ここ最近ですけど、何やらお客さんみたいに大金を持ち歩いてる人を狙って襲うスリが多発してるそうなんですよ。

 犯人の身元は未だ分からないそうですから、お客さんもこんなに大金持ち歩いてる時は気を付けた方がいいですよ?」

 

 親切心からか、店員が話してくれた物騒な事件の話にアンリエッタは「え、えぇ」と動揺しつつも頷いて見せる。

 それに続くように店員も頷くと彼は「店からお釣り取ってくる!」と仲間に言いながらその場を後にして行った。

 その後、別の店員から注文の品ができるまでもう少し待ってほしいとと言われた為、魔理沙と共に飲み物を決めることにした。

 暫し悩んだ後でアンリエッタが決めたのはレモン・アイスティーで、魔理沙はレモンスカッシュとなった。

 

「はいよ、コップに入ってるのがアイスティーでこっちの大きめの瓶がレモン・スカッシュね!」

「有難うございます」

 アンリエッタは軽く頭を下げて、魔理沙が飲み物の入ったそれぞれの容器を手にした時であった。

 先ほど料理を頼んだ屋台から自分たちを読んでいるであろう掛け声が聞こえた為、急いでそちらへと戻る。

 すると案の定、アツアツのドリアと冷静パスタが出来上がった品を置くためのカウンターに用意されていた。

 

「はいお待ちどうさん!ドリアの方は熱いから気を付けて!あ、食べ終わったお皿はそこの返却口に置いといてね」

「あっはい、分かりました。はぁ、それにしても中々どうして美味しそうですねぇ」

 ツボ抜きしたタニアマスを串に通しながらも快活に喋る女性店員から説明を聞きつつ、二人は料理の入った木皿を手に取った。

 オーブンから出したばかりであろうドリアは表面のチーズがふつふつと動いており、焼いたチーズの香ばしくも良い匂いが漂ってくる。

 対して魔理沙の冷製パスタも負けておらず、スライスされた鴨肉のローストと特性ソースがパスタに彩を与えている。

 どうやらトレイも一緒に用意されているようで、魔理沙たちはそれに料理と飲み物に置いてどこか落ち着いて食べられる場所を探す事にした。

 広場には人がいるもののある程度場所は残っており、幸いにも木陰の下に設置された木製のテーブルとイスを見つけることができた。

 

「良し、ここが丁度いいな。じゃ、頂くとするか」

「そうですね……では」

 脇に抱えていた箒を傍に置いてから席に座り、トレイをテーブルの上に置いた魔理沙はアンリエッタにそう言いながらフォークを手に取った。

 木製であるがパスタ用に先が細めに調整されたそれでいざ実食しようとした、その時である。

 ふと向かい合う形で座っているアンリエッタへと視線を移すと、彼女は湯気を立たせるドリアの前で短い祈りの言葉を上げていた。

「始祖ブリミルよ、この私にささやかな糧を与えてくれた事を心より感謝致します……―――よし、と」

 短い祈りが終わった後、小さな掛け声と共にアンリエッタはスプーンを手に取って食べ始める。

 久しぶりにこの祈りの言葉を聞いた魔理沙も思い出したかのように、目の前のパスタを食べ始めていく。

 

 暫しの間、互いに頼んだ料理に舌鼓を打ちつつ。三十分経つ頃には既に食べ終えていた。

「ふい~、美味しかったなぁこのパスタ。冷製ってのも案外イケるもんだぜ」

 レモンスカッシュの残りを飲みつつも、ちょっとした冒険が上手くいった事に彼女は満足しているようだ。

 アンリエッタの方も頼んだドリアに文句はないようで、ホッコリした笑顔を浮かべている。

「いやはやこういう場所で物を食べるのは初めてでしたが、おかげでいい勉強になりました」

「その様子だと満更悪く無かったらしいな?美味しかったのか」

「えぇ。味は少々濃い目で単調でしたが、もうちょっと野菜を加えればもっと美味しくなると思いました」

 マッシュルームとか、ズッキーニとか色々……と楽しそうに料理の感想を口にするアンリエッタ。

 魔理沙は魔理沙でその姿を案外美味しく食べれたという事に僅かながらの安堵を覚えていた。

 あんなお城に住んでいるお姫様なのだ、てっきり口に合わないとへそを曲げるかと思っていたのだが、

 中々どうして庶民の料理もいける口の持ち主だったようらしく、こうして心配は無事杞憂で済んだのである。

 

(ま、本人も本人で楽しんでるようだしこれはこれで正解だったかな?)

 初めて食べたであろう庶民の味を楽しんでいるアンリエッタを見ながら、魔理沙は瓶に残っていた氷をヒョイっと口の中へと入れる。

 先ほどまでレモン果汁入りの炭酸飲料を冷やしていたそれを口の中で転がしつつ、慎重にかみ砕いてゆく。

 その音を耳にして何だと思ったアンリエッタは、すぐに魔理沙が氷を食べているのに気が付き目を丸くする。

「まぁ、氷をそのまま食べているの?」

「んぅ?あぁ、口の中がヒンヤリして夏場には中々良いんだぜ。何ならアンタもどうだい?」

「ん~……ふふ、遠慮しておきますわ。もしもうっかり歯が欠けたら従徒のラ・ポルトに怒られちゃいますから」

「なーに、かえって歯が丈夫になるさ。まぁ子供の頃は何本か折れたけどな」

 暫し考える素振りを見せた後で、微笑みながらやんわりと断るアンリエッタに、魔理沙もまた笑顔を浮かべもながら言葉を返す。

 真夏の王都、屋台の建てられた広場で休む二人は、まるで束の間の休息を満喫しているかのようだ。

 傍から見ればそう思っても仕方のない光景であったが、そんな暢気な事を言ってられないのが現実である。

 何せ今、王都のあちこちにアンリエッタを探そうとしている衛士が徒党を組んで巡回している最中なのだから。

 そしてアンリエッタは今のところ――本来なら自分の身を守ってくれる彼らから逃げなければいけない立場にある。

 どうして?それは何故か?詳しい理由を未だ教えられていない魔理沙は、ここに至ってようやくその理由を聞かされる事になった。

 

 

 軽食を済ませてトレイ等を返却し終えた二人は、日中はあまり人気のない裏通りにいた。

 活気があり、飲食店や有名ブランドの店が連なる表通りとは対照的な静かな場所。

 客足は少々悪いが静かにゆっくりと寛げる食堂に、素朴な手作りの日用雑貨や外国製の安い服がうりの雑貨屋など、

 観光客ではなくむしろ地元の人々向けの店がポツン、ポツンと建っているそんな場所で魔理沙はアンリエッタから『理由』を聞かされていた。

「獅子身中の虫だって?」

「はい。それもそこら辺の虫下しでは退治できないほどに成長した、アルビオンの息が掛かった厄介な虫です」

「……成程、つまりはあのアルビオンのスパイって事か。それも簡単に倒せない厄介なヤツだと」

 最初にアンリエッタが口にした言葉で、魔理沙は゛虫゛という単語の意味を理解することができた。

 獅子身中の虫――寄生虫を想起させるような言葉であるが、本来は国に危機をもたらすスパイという意味で使われる。

 そして彼女の言葉を解釈すれば、そのスパイはそう簡単に豚箱にぶちこめるレベルの人間ではないようだ。

 

 同時に魔理沙は気が付く、彼女を探し出している衛士達から逃げているその理由を。

「まさか?今街中をうろつきまわってる衛士たちってのは、そいつの手先って事か?」

 思いついたことをひとまず口にした魔理沙であったが、アンリエッタはその仮説に「いいえ」と首を横に振った。

「彼らは上からの命令を受けて、あくまで純粋に私を保護する為に動いているだけです」

「そうなのか?じゃあこうして人目のつかない所をチョロチョロ動き回る必要は無さそうだが……事はそうカンタンってワケじゃあないってか」

 アンリエッタの言葉に一度は首を傾げそうになった魔理沙はしかし、彼女の表情から複雑な理由があると察して見せる。

 魔理沙の言葉にコクリと頷いて、アンリエッタはその場から見る事の出来る王宮を見上げながら言った。

「酷い例えかもしれませんが、これは釣りなんです。私を餌にした……ね」

「釣りだって?そりゃまた……随分と値の張った餌だな、オイ」

 

 自分では気の利いた事を言っているつもりな魔理沙を一睨みみしつつも、彼女は話を続けた。

 今現在この国にいる少数の貴族は神聖アルビオン共和国のスパイ――もとい傀儡として動いている事が明らかになっている。

 無論彼らの動向はほぼ掴んでおり、捕まえること自体は容易いものの彼らを捕まえたとしても敵の情報を知っているワケではない。

 しかし一番の問題は、その傀儡を操っているであろう゛元締め゛がこの国の法をもってしても容易には倒せない存在だという事だ。

「この国の法を……って、王族のアンタでも……なのか?」

「流石にそこまでの相手ではありません。しかし、今すぐ逮捕しようにも手が出せない相手なのです」

 この国で一番偉い地位にいる少女の口から出た言葉に、流石の魔理沙も「まさか」と言いたげな表情を浮かべている。

 そんな彼女に言い過ぎたと訂正しつつも、それでも尚強大な地位にいるのが゛元締め゛なのだと伝えた。

 誇張があったとはいえ、決して規模が小さくなってない゛元締め゛の存在に魔理沙は苦虫を噛んでしまったかのような表情を浮かべてしまう。

「……最初はちょっと面白そうな話だと思ってた自分を殴りたくなってきたぜ」

「貴女を半ば騙して連れてきた事は謝ります。ですが自分への八つ当たりは、過去へ跳躍する方法が分かってからにしてくださいな」

「んぅ~……まぁいいさ。どうせ過去の私に言って聞かせても、結果は同じだと思うしな?」

 

 そんなやり取りの後、アンリエッタは再びこの国に蔓延るスパイについての話を再開する。

 アルビオンから情報収集を頼まれたであろう゛元締め゛がまず行ったのは、傀儡役となる貴族たちへの声掛けであった。

 ゛元締め゛が最適の傀儡と見定めた貴族は皆領地経営で苦しみ、土地持ちにも関わらずあまり金を稼げていない貧乏貴族に絞っている。

 お金欲しさに領地に手を出して失敗している者たちは、その大半が楽して大金を稼ぎたいという邪な思いを持っているものだ。

 彼らの殆どはその土地ではなく王都に住宅を建てて暮らし、儲からない領地と借金を抱えて日々を暮らしている。

 そういった人間を探し当てるのに慣れた゛元締め゛は、前金と共に彼らの前に現れてこう囁くのである。

 

―――この国の機密情報を盗み取ってアルビオンに渡せば億万長者となり、かの白の国から土地と欲しい褒美を貰えるぞ……――と。

 

 無論これを聞かされた全員がそれに賛同する筈はないだろう、きっと何人かは゛元締め゛を売国奴と罵るだろう。

 しかし゛元締め゛は一度や二度怒鳴られる事には慣れており、シールのように顔に張り付いた不気味な笑みを浮かべて囁き続ける。

 こんな国には未来はない、いずれは大国に滅ぼされる。そうなる前にアルビオンへとこの国を売り渡し、今のうちの将来の地位を築くべき――だと。

「おいおい……いくら何でもそれはウソのつき過ぎだろ?ちよっと物騒だが、別に無政府状態ってワケでもないだろうに」

 そこまで聞いたところで待ったを掛けた魔理沙であったが、彼女の言葉にアンリエッタは自嘲気味な笑みを浮かべてこう返した。

 

「知ってますか?このハルケギニア大陸に幾つかある国家の中に、王家の者がいるのに玉座が空いたままの国があるそうですよ?

 王妃は夫の喪に服するといって戴冠を辞退し、まだ子供の王女に任せるのは不安という事で年老いた枢機卿にすべてを任せてしまっている国が……」

 

 不味い、被弾しちまったぜ。――珍しく自分の言葉を間違えた気がした魔理沙は、知り合いの半妖がくれた黒い飴玉を口にした時のような表情を浮かべて見せた。

「あー……悪い、そういやここはそういう国なんだっけか?」

 わざとらしく視線を横へ逸らすのを忘れが申し訳なさそうに謝った魔法使いは、件の飴玉を口にした時の事も思い出してしまう。

 おおよそ人が食べてはいけないような味が凝縮されたあの飴玉を食べてしまった時の事と比べれば、この失言も大した事ではないと思えてくる。

「まぁそんな状態もあと少しで終わりますので心配しないでください。それよりも先に片付けねばならない事があるのですから」

 とりあえずは謝ってくれた魔理沙にそう返しつつ、アンリエッタはそこから更に話を続けていく。 

 

 自分が仕える国から機密情報を盗み出せば、大金と褒美を得られるぞ。

 そんな甘言を囁かれても、大半の貴族は囁いた本人を売国奴として訴えるのが普通であろう。

 しかし゛元締め゛は知っていたのだ、例えをトリステイン貴族でなくなったとしても金につられてくれるであろう貴族たちの所在を。

 ゛元締め゛はそうした貴族達だけをターゲットに絞り、根気よく説得しては自分の手駒として情報を集めさせたのである。

 一方で傀儡となった者たちはある程度情報を集めた所で゛元締め゛からアルビオン側の人間との合流場所を知らされる。

 そしてその合流場所へと行き観光客を装った彼らから報酬を受け取り、情報を渡してしまえば立派な売国奴の出来上がりだ。

 

 後は逮捕されようが殺されようが構いやしないのである。今のアルビオンにとって、この国の貴族は本来敵として排除するべき存在。

 ましてや金に目が眩み機密情報を平気で渡すような輩など、信用してくれと言われてもできるワケがない。

 結局、゛元締め゛の言いなりになっている貴族たちは目先の利益に問われた結果、最も大事な゛信用゛を失ってしまったのである。 

 

「そんならいくら尻尾振ったって意味なくないか?第一、貴族ってそんなに金に困ってるのか?」

「王家である私やヴァリエール家のルイズはともかく、貴族が全員お金に困らない生活をしてるってワケではありませんしね」

 下手すればそこら辺の平民よりも月に消費するお金が多いのですから、アンリエッタは歯痒い思いを胸に抱いてそう言う。

 国を運営していくのに綺麗ごとでは済まない事は多いが、日々の生活に困窮する貴族の数は年々増えつつある。

 最初こそそれは学歴がなくまともな職にもつけない下級貴族たちが主流であったが、今では中流の貴族たちもその中に入ろうとしていた。

 

「領地経営だって軽い気持ちでやろうとすれば必ず痛い目を見て、そこで生まれた負担金は経営者の貴族が支払ねばなりません。

 想像と違って上手くいかない領地の経営に、身分に合わぬ浪費でどんどん手元から無くなっていく財産に、そこへ割り込むかのように増えていく借金……。

 今ではそれなりの地位にいる者たちでさえお金が無いと喘いでいる今の世情を利用して、゛元締め゛は甘い蜜を吸い続けているのです」

 

 華やかな王都の下に隠れる陰惨な現実を語りながらも、アンリエッタはさらに話を続ける。

 そうして幾つもの人間を駒として操り、アルビオンに情報を渡す゛元締め゛本人は決してその尻尾を出すことは無い。

 自らは舞台裏の者としての役割に徹し、例え傀儡たちが死のうともその正体を露わにすることはなかった。

 ……そう、ヤツは決して表舞台には姿を現さないのだ。――余程の゛緊急事態゛さえ起こらなければ。

 

「――成程、アンタがやろうとしている事が何となく分かってきた気がするぜ」

「何が分かったのかまでは知りませんが、私の考えている通りならば後の事を口にする必要はありませんね?」

 ゛緊急事態゛という単語を聞いた魔理沙は彼女の言わんとしている事を察したのか、ニヤリとした笑みを浮かべてみせた。

 一方のアンリエッタも、魔理沙の反応を見て自分の言いたい事を彼女が察してくれたのだと理解する。

 両者揃ってその口元に微笑を浮かべ、互いに同じことを考えているのだと改めて理解した。

「成程な、釣りは釣りでも随分とドでかい獲物を釣り上げる気のようだな?」

「まぁ、あくまで餌役は私なんですけね?」

 最初こそ自分を殴りたいと言って軽く後悔していた魔理沙は、今やすっかりやる気満々になっている。

 権力を隠れ蓑にして他人を操り、自分の手は決して汚そうとしない゛元締め゛を釣りあげるという行為。

 ヤツは余程の事が起こらない限り姿を見せない。そんな相手を表舞台に引きずり出すにはどうすればいいのか? 

 

 その答えは簡単だ。――起こしてやればいいのである、その余程どころではない゛緊急事態゛を。

 例えばそう、何の前触れもなくこの国で最も重要な地位についている人間が失踪したりすれば……どうなるか?

 護衛はしっかりしていたというのに、まるで神隠しにでも遭ってしまったかのように彼らに気取られず姿を消してみる。

 するとどうだろうか、絶対かつ完璧であった護衛の間をすり抜けて消えてしまった要人に彼らは大層驚くだろう。

 一体どこへ消えたのか騒ぎ立て、やがて油に引火した炎のように騒ぎはあっという間に周囲へ広がっていく。

 やがて要人失踪の報せは他の要人たちへと届き、各地の関所や砦では緊急事態の為通行制限がかかる。

 

 そのタイミングでわざと教え広めるのだ、要人の姿をここ王都で目撃したという偽の情報を。

 当然それが仕掛けられたモノだと気づかない第三者たちは、そこへ警備を集中配置して情報収集と要人確保の為に動く。

 そこに来て゛元締め゛は焦り始めるのだ。――なぜ、こんなタイミングであのお方は姿を消したのだと。

 恐らく彼は自分の味方へと疑いを向けるだろう。この国の王権を打倒せんと企んでいるアルビオンの使者たちを。

 彼らは味方だがこちらの意思で完全に動いているワケではない、彼らには彼らなりの計画がしっかり用意されている。

 もしもその計画の中に要人の誘拐もしくは暗殺が入っており、尚且つそれを自分に知らせていなかったら……?

 まるで底なし沼に片足を突っ込んでしまった時のように、゛元締め゛はそこからずぶずぶと疑心暗鬼という名の沼に沈むほかない。

 

 疑いはやがて確信へと変貌を遂げて、本人を外界へと引きずり出すエネルギーとなるだろう。

 それ即ち、アルビオンの人間と直接話し合うために゛元締め゛自らがその体を動かして外へと出るという事を意味するのだ。

 今まで自分に火の粉が降りかからぬ場所で多くの貴族たちを動かし、気楽に売国行為をしていた゛元締め゛。

 しかし、ふとしたキッカケで彼らに疑いを持ち始めた゛元締め゛は、自ら動いてアルビオンの人間たちに問いただしに行く。

 それが仕組まれていた事――そう、要人が消えた事さえ彼を表舞台に上がらせる為の罠だという事にも気づかず。

 そして食いついた所で釣りあげてやるのだ。強力な地位を利用して国を売ろとした男と、それに関わる者たち全てを。 

 

「それが今回、私に仕える者が提案した『釣り』のおおまかな流れです」

 表の喧騒から遠く、時間の流れさえゆったりとしたものに感じられる人気の無い路地裏で、アンリエッタは今回の作戦を教え終えた。

 そんな彼女に対して珍しく黙って聞いていた魔理沙は面白そうに短い口笛を吹いたのち、「成程な」と一人頷く。

「餌も上等なら、釣り針や竿も最高級ってヤツか?この国の重役なら絶対に動揺すると思うぜ?」

「それはそうでしょうね。何せ今はこの王都に通常よりも倍の衛士たちが入ってきていますから」

 魔理沙の言葉にアンリエッタそう返しつつ、ふと表の通りから聞こえてくる喧騒に衛士達の走り回る音も混じってきているのに気が付く。

 規律の取れた軍靴が一斉に地を踏み走る音靴は、彼らが六人一組で行動している事を意味する音。

 きっとそう遠くないうちにも、この路地裏にも捜査の魔の手が伸びるのは間違いない。

 

 アンリエッタは魔理沙と目配せをした後で自ら先頭に立ち、隠れ場所を探しつつ街の中を進んでいく。

 途中表通りへと繋がっている場所を避けつつ、彼女は衛士に見つかってはいけない理由も話してくれた。

 

「ここまでは計画通りです。しかし……もしここで衛士達に見つかり、捕まってしまえば全てが無に帰してしまいます。

 恐らく私が確保されたという報告は、すぐにでも゛元締め゛の耳に届く事でしょう。そうなれば後はヤツの思うがまま、

 アルビオンの使者とすぐに仲直りした後で、持てるだけの情報を持たせて彼らを白の国へと送った後で、すべての証拠を隠滅――

 そして持ち帰った情報で彼らはわが国で戦争を始めるつもりなのです。ゲルマニアやガリアの僻地で起きているモノと同じ形式の戦争を……」

 

 戦争だって?――王女様の口から出た物騒な単語に、流石の魔理沙も眉を顰める。

 トリステイン自体が幻想郷程……とは言わないが相当平和な国だというのは彼女でも理解している。

 平和とはいっても化け物に襲われたりこの前はあのアルビオンとかいう国が攻めてきたりしたが、それは一般大衆にはあまり関係ないことだろう。

 現にこの街に住んでる人々はかの国と実質戦争状態にあるというのに、いつも変りなく暢気に暮らしている人間が大半を占めているのだ。

 そんな平和なこの国で――彼女の言い方から察するに最低でも国内で――戦争が起こるなどとは、上手いこと想像ができないでいる。

 

 それに魔理沙自身、ちゃんとしたルールに則った争い……つまりは弾幕ごっこが戦いの基本となった幻想郷の出身者という事もあるだろう。

 深刻な表情をして国で戦争が起きるかもしれないと呟くアンリエッダの言葉に肩を竦め、信じられないと言うしかなかった。

「おいおい戦争って……いくらなんでも、そこまで発展したりはしないだろ?」

「確かに貴女の言う通りです。王政の管轄領地やラ・ヴァリエ―ルなどの古くから仕える者たちの領地で起こりえないでしょう、――しかし

「しかし?」

「管理の行き届かない領地、つまりは僻地で戦争が起きる可能性は決して無いとは言い切れないのですよ」

 深刻な表情のまま言葉を終わらせたアンリエッタに、魔理沙は口から出かかった「マジかよ」という言葉を飲み込む事はできなかった。

 そしてふと思った。この世界では、ふとした拍子や失敗で簡単に戦争が起こってしまうのではないのかと。 

 

011

 

 そんな気味の悪い事を考えてしまった魔理沙は、アンリエッタに続くようにして自らも重苦しい表情を浮かべてしまう。

 いつも何処か得意げなニヤつき顔を見せてくれている彼女には、あまりにも不釣り合いかつ真剣な顔色である。

 今の彼女の表情を霊夢やアリス、パチュリーといった幻想郷の知人が見ればきっと今夜の夜空は物騒になるだろうと誰もが笑うに違いない。

 幸か不幸か今はそんな奴らもいないので、彼女は恥かしい思いをすることもせず気兼ねなく真剣な表情を浮かべることができていた。

 アンリエッタはアンリエッタでこれからの作戦の成否で国の運命が掛かっていると知っているためか、魔理沙以上に真剣な様子を見せている。

 魔理沙と出会う前はサポートがいてくれたおかげで何とか王都まで隠れる事はできたが、ここからが正念場というヤツなのだろう。

 お供の魔法使い共々衛士たちに捕まり、正体がバレてしまえば――最悪敵である、あの゛男゜にこちらの出方を読まれる恐れがある。

 

 元締め――もといあの゛男゛は馬鹿でもないし、間抜けでもない。秀才であり、なおかつ政敵との戦いにも打ち勝ってきた強者だ。

 でなければこの国であれだけの地位――トリステイン王国の法と裁きを司る高等法院の頂点に立てはしないだろう。

 無論スパイとして発覚する以前に賄賂の流通があったという話は聞くが、それだけで検挙できるのならここまでの苦労はしない。

 一度は地の底に這いつくばり、血の涙も枯れてしまう程の努力を積み重ねてきた末の結果とも言うべき輝かしくも陰影が残る功績。

 自らの欲と目的を達成するためには殺人すら含めたありとあらゆる手段を尽くし、自分に都合の悪い情報は徹底してもみ消してのし上がっていく。

 彼の裏の顔を知ろうと迂闊にも接近し過ぎてしまい、文字通り消された密偵の数は恐らく二桁近くに上るであろう。

 その一方では法の番人として国の法整備や裁判等に尽力し、先代の王や若かりし頃の枢機卿が彼を百年に一度の人材と褒めたたえている。

 表と裏。人間ならばだれしも持っているであろう二面のギャップが激しすぎる彼は、そう簡単には捕まらないであろう。

 だからこそこの事態をチャンスにして捕まえ、そして聞き質さなければいけない。

 

 ―――――幼子であった頃の自分を、まるで本物の父親に様にあやしてくれた貴方の笑顔は作り物だったのかと。

 

(その為にも今は絶対に捕まらないよう、気を付けないと……)

 愛するこの国の為、どうしても聞き出さなければいけない事の為、アンリエッタは改めて決意する。

 

 アンリエッタからこの任務の大切さを今更聞き、重責を負ってしまった事を実感している霧雨魔理沙。

 二人して人気のない裏路地で屯する形となり、アンリエッタはこれからどう動こうかという相談をしようとしていた――が、

 そんな彼女たちを不審者と判断しないほど、トリスタニアは平和ボケしているワケではなかった。

 それは二人の背後、裏通りから大通りへと続く路地から何気ない会話と共にやってきたのである。

「バカ言ってんじゃねえよ?大金張ったルーレットでそんな命知らずみたいな芸当できるワケが……ん?」

「だからさぁ、本当なんだって!そりゃもう信じられない位正確に……って、お?」

 ギャンブル関係の話をしながらやってくる二人組の男の声を聞いて咄嗟に振り向いたアンリエッタは、サッと顔が青くなる。

 彼女に続くようにして魔理沙もまた振り向き、丁度自分たちに気づいた男たちと目を合わせる形となってしまった。

 

 声の正体はこの王都にも良くいるようなチンピラではなく、むしろそのチンピラにとっては天敵ともいえる存在。

 お揃いの軽い胸当てに夏用の半袖服と長ズボンに、市街地での戦いに特化した短槍を手に街の治安を守るもの。

 鎧の胸部分に嵌め込まれているのは、白百合と星のエンブレム。そう、トリスタニアの警邏衛士隊のシンボルマークだ。

 二人そろってそのエンブレムの付いた胸当てを身に着けているという事は、彼らが衛士隊の人間であることは間違いない。

 自分たちの姿を見て足を止めた衛士達を前に、アンリエッタはすぐに魔理沙の手を取りその場を去ろうと考える。しかし、

「あーちょい待ち。そこの黒白、確かぁ~キリサメマリサ……だったっけ?」

「え?確かに私だが……何で知ってるんだよ?」

 間が悪く、彼女の手を取ろうとした所で衛士の一人が魔理沙の名前を出して呼び止めてきたのだ。

 魔理沙は見知らぬ他人に名を当てられて目を丸くしており、片方の衛士も「知り合いか?」と相棒に聞いている。

「いえ、ちょっと前にこの子が取り調べられましてね、その時の調書担当が自分だったんだよ」

「――あぁ、そういえばいたなアンタ。随分前の事だったから記憶に残ってなかったぜ」

 彼の言葉で思い出したのか、魔理沙が手を叩きながら言った所で衛士は彼女の隣にいるアンリエッタにも話しかけた。

 

「で、そこにいる君は誰なんだい?ここらへんじゃあ見たこと無さそうな雰囲気だけど?」

「あ、その……私は――」

 まさか話しかけられるとは思っていなかったアンリエッタは、どう返事したらいいか迷ってしまう。

 衛士の表情から察するに、ちょっとしたナンパ程度で声を掛けたのではないとすぐに分かる。

 あくまで仕事の一環として――少なくとも今伝えられている事態を考慮して――声を掛けたのは一目瞭然だ。

 もう片方の衛士も言葉を詰まらせているアンリエッタに、怪訝な表情を見せている。

 迷っている時間は無い。そう直感したアンリエッタに、魔理沙が救いの手を差し伸べてくれた。

「悪い悪い、衛士さん。こいつは私の知り合いなんだよ」

「知り合い?」

「あぁ、今日王都に遊びに来るっていうから私がちょっとした観光役をやらせてもらってるんだよ。なぁ?」

 いつもの口調で衛士と自分間に入ってきてくれた魔理沙の呼びかけに、アンリエッタは「え、えぇ!」と相槌を打つ。

 その様子に衛士二人は怪訝な表情を崩さず、しかし「まぁそれなら良いが……」という言葉に安堵しかけた所で、

 

「じゃあ突然で悪いが、その帽子外して俺たちに顔を見せてくれないかい?」

 一番聞きたくなかった質問を耳にして、アンリエッタは口から出そうとしたため息を、スッと肺の方へと押し戻す。

 まさか言われるとは思っていなかったワケではない、それはポカンとした表情を衛士達に向けている魔理沙も同じであろう。

 少なくとも今の彼らにとって、帽子を目深に被った少女何て誰であろうが職務質問の対象者となるに違いない。

 かといって帽子を外して堂々と街中を歩くのは、「私を捕まえてくださーい!」と市中で裸になって踊りまくるのと同義である。

 裸になるか帽子を被るか、たとえ方は少々おかしいが誰だって帽子の方を選ぶのは明白だ。

 だからアンリエッタも帽子を被り、ちゃんと変装までしたうえで――衛士たちに職質されるという不運に見舞われた。

 

 今日の運勢は厄日だったかしら?いつもならお抱えの占い師から聞く今日の運勢の事を現実逃避の如く考えようとしたところで、

 それまで黙っていた魔理沙もこれは不味い流れだと察したのか、自分の頭の上にある帽子を取りながら衛士達に声を掛けた。

「帽子か?そんなもんいくらでも取ってやるぜ?ホラ!」

「お前じゃねえよ、バカ。ホラ、お前さんの後ろにいる黒帽子を被った連れの子さ」

 霧雨魔理沙渾身(?)のギャグをあっさりと切り捨てた衛士の一人が、丁寧にアンリエッタを指さして言う。

 もしも彼らが今ここで彼女の正体を知ったら、きっと彼女を指した衛士は間違いなく土下座していたに違いない。

 しかし悲しきかな、今のアンリエッタにとって自らの正体を晒すのは自殺行為である。

 よって幸運にも彼は何一つ事実を知ることなく、余裕をもってアンリエッタ指させるのであった。

 

 魔理沙の誤魔化しをあっさりとすり抜け、自分に帽子を外しての顔見せ要求する冷静な衛士達。

 これには流石のアンリエッタも何も言い返せず、ただた狼狽える事しかできない。

 しかし、時間が待ってくれないように衛士達も一向に「イエス」と答えてくれない彼女を待つつもりは無いらしい。

 指さしていない方の衛士が怪訝な表情のままアンリエッタへ一歩近づきながら、彼女の被る帽子の縁を優しく掴みながら言う。

「……黙ってるっていうのなら、こっちは不本意だが無理やり帽子を取るしかないが?」

「……ッ!?そんなの、横暴では――ッ!?」

 咄嗟に彼の手から逃れるように叫ぶと後ろへ下がり、まるでぎゅっと両手で帽子の縁を掴む。

 まるで天敵に出会ったアルマジロの様に見えた魔理沙であったが、流石にそれをこの場で言えるほど空気が読めないワケではなかった。

 

 とはいえ流石にここは間に入らないとまずいと感じたのか、再びアンリエッタの前に立ちはだかり何とか衛士を宥めようとした。

「まぁまぁ落ち着いてくれって!この暑さでイライラしてるのは私だってよ良く分かるぜ?」

「暑さでイライラがどうのこうのじゃないんだ。あくまで仕事の一環として彼女の顔をよく見ておきたいだけだ」

「そんな事言って、ホントは美人だったらナンパしたいだけだろ?例えば……今日一緒にランチでもどう?……ってさ?」

 魔理沙はここで相手の注意をアンリエッタから自分に逸らそうと考えたのか、煽るような言葉を投げかけていく。

 流石にナンパという単語にムッとしたのか、独身であろう衛士は目を細めると「馬鹿にするなよ」と言いつつ、

 

「俺は二児の父親で、ついでに今日の昼飯は女房が作ってくれたベーコンとチーズのサンドウィッチとマカロニのクリームソテーなんだぞ?」

「……おぉ、スマン。アンタの事良く知らずにナンパとか言って悪かったぜ」

「おめぇ!何奥さんとのイチャイチャっぷりを告白してんだよッ!」

 

 独身どころか既にゴールインしていたうえに愛妻弁当の自慢までされてしまい、流石の魔理沙も訂正せざるを得なくなってしまう。

 一方で指さしていた衛士は何故か彼に突っかかったのだが、所帯持ちの相方は「僻むんじゃねぇよ」と一蹴しつつ魔理沙へと向き直る。

「とにもかくにもだ、別に持ち物検査までしようってワケじゃないんだ。そこの嬢ちゃんが自分で自分の帽子を外すくらい何て事無いだろう?」

「まぁそりゃそうなんだが…ってイヤイヤ、そこがさぁちょいとワケありでダメなんだよなぁ~これがさぁ……」

 衛士として正論を容赦なくぶつけてくる相手に対して、魔理沙は何とかそれをかわそうと次の一手を考えようとする。

 しかし、どう考えても今の状況を上手いことかわせる方法などあるワケもなく、彼女が言い訳を口にする度に衛士たちは顔をしかめていく。

(まぁ逃げる手立てはいくらでもあるんだが、そうなると絶対後で碌な目に遭わないしなぁ~……あぁでも、そういうのも面白そうだなぁ)

 右手に握る箒を一瞥しつつ、アンリエッタの前では絶対言ってはいけない事を心中で呟いていた――その時であった。

 

 まず先手を打って逃げようかと考えていた魔理沙と狼狽えるアンリエッタが、上空から落ちてくる゛ソレ゛に気が付く。 

 一方の衛士達も上から落ちてきた゛何か゛が視界の端を横切って地面へ落ちていくのに気が付き、一瞬遅れてそちらへと目を向ける。

 瞬間、四人の人間がいる細いに植木鉢の割れる音が響き渡り、鉢の中で育てられていた花と土が地面へとぶちまけられていた。

 それが植木鉢だったと四人ともすぐに理解できたが、問題はそれがなぜ上空から落ちてきたのかだ。

「……?何だ、コレ……植木鉢?――って、うわっ!何だアレッ!?」

「…………?上に誰か――って、ウォッ!?」

 まず最初に魔理沙が首を傾げ、彼女に続くようにして家族持ちの衛士が頭上へと視線を向け――二人して驚愕する。

 何故ならば、先に落ちてきた植木鉢に続くようにして建物の屋上から分厚い布が風で舞い上がったハンカチのように落ちてきたのだから。

 

 ハンカチと例えたが、ここがハルケギニアであっても流石に大人二人を容易に隠せるサイズはハンカチではない。

 恐らく雨が降った際に濡れたら困る物を覆い隠す為の布として、屋上に置いていたものであろう。それがヒラヒラと広がりながら落ちてきたのだ。

 布はその大きさながら落ちるスピードは思ったよりも速く。魔理沙は咄嗟に背後にいたアンリエッタの手を取って後ろへと下がる。

「……ッ!まずい、下がれッ!」

「きゃっ……」

 アンリエッタが悲鳴を上げるのも気にせず後ろへ下がった直後、布は彼女たちが立っていた場所へと舞い落ちた。

 それだけではない。丁度彼女たちが立っていた所よりも前に立っていた衛士達も、もれなくその布を頭からかぶる羽目になったのである。

「うわわッ、な……何だこりゃっ!」

「クソッ!おい、お前らそこにいるんだろ?何とかしてくれッ!」

 布は以外にも大きさに見合ったそれなりの重量をしていたのか、衛士達を覆い隠したまま彼らを拘束してしまったのだ。

 まるで絵本に出てくる子供だましのお化けみたいに、頭から布を被った姿で両手らしい二つの突起物を出して動く衛士達。

 姿をくらますなら今しかない……!そう判断した魔理沙はアンリエッタの手を取り何も言わずに彼女と共にこの場を去ろうとした直前、

「おい君たち、裏通りへ出たら僕が今いる建物の中へ入ってくるんだ!」

 先ほど植木鉢と思わぬ助っ人となった布が落ちてきた建物の屋上から、透き通る程綺麗な青年の呼び声か聞こえてきた。

 突然の呼びかけに二人は足を止めてしまい、思わず声のした頭上へと顔を向ける。

 するとどうだろう、逆光で顔は見えないものの明らかに若者と見える金髪の青年が、建物の屋上から半ば身を乗り出してこちらを見つめていた。

 アンリエッタは思わず「誰ですか?」と声を上げたが、魔理沙だけは青年の声を聞いて「まさか……?」と言いたげな表情を浮かべる。

 彼女には聞き覚えがあったのである。その青年の、少年合唱団にいても不思議できないような綺麗な声の持ち主を。

 

 屋上の青年は魔理沙たちが自分の方へと視線を向けたのを確認してから、次の言葉を口にした。

「近辺にはすでに多数の衛士達が巡回している、捕まりたくないなら大人しく僕の所へ来るんだ!いいね?」

「あ、ちょっと……まさかお前――って、おい待てよ!」

 言いたい事だけ言った後、魔理沙の制止を耳にする事無く彼は踵を返して姿を消した。

 屋上があるという事は建物の中へと入ったのだろうが、それはきっと「中で待っている」という無言の合図なのだろう。

 魔理沙は内心聞き覚えのある声の主の指示に従うがどうか一瞬だけ考えた後、思わずアンリエッタへと視線を向ける。

 

「……何が何やら全然分かりませぬが、逃げ切れるのならば彼のいう通りに従った方が賢明かと思います!」

「正気かよ?でもお互い様だな、私もアイツの指示に従うのが良さそうだと思ってた所だぜ」

 アンリエッタの大胆な決断に一瞬だけ怪訝な表情を見せた魔理沙は、すぐにその顔に得意げな笑みを浮かべてそう言った。 

 二人はその場で踵を返すとバッと走り出し、未だ巨大な布と格闘している衛士達を置いてその場を後にする。

「お、おい何だ!一体何が起こってるんだ!?」

「クソ!おい、誰でもいいからコレをどかすのを手伝ってくれ!」

 狭い通りに響き渡る衛士達の叫び声で他の人が来る前に、少女たちは自らの背を向けて立ち去って行った。

 

 再び裏通りへと戻ってきた魔理沙たちは、衛士達の声で早くも集まっている人たちを尻目に隣の建物へと入る。

 そこはどうやら平民向けのアパルトメントらしく、玄関には騒ぎを聞きつけたであろう平民たちが何だ何だと出てきている最中であった。

 ちょっとした人ごみができている場所を通りつつ中へと入ることができた二人へ、声を掛ける者が一人いた。

「こっちだ、こっちに来てくれ」

「ん?あ、そっちか」

 魔理沙は一瞬辺りを見回した後で、先ほど声を掛けてくれた青年がいる事に気が付く。

 こんな季節だというのに頭から茶色のフードを被っており、その顔は良く見えないものの口元からして笑っているのは分かった。

 築何十年と立つであろう古い木の廊下をギシギシと鳴らしつつ、魔理沙とアンリエッタの二人は青年の元へと駆け寄る。

「どこのどなたか存じ上げませんが、助けていただき有難うございます。……あ、その――今はワケあって帽子を……え?」

 まず初めにアンリエッタが頭を下げて礼を述べようとしたところで、フードの青年は右手の人差し指を口の前に立てて「静かに」というサインを彼女へ送る。

 その意味をもちろん知っていたアンリエッタが思わず目を丸くして口を止めると、次いで左手の親指で背後の廊下を指さした。

 

「ここは人が多すぎます。この先に地下を通って外の水路へと出れますので、詳しい話はそこで致しましょう」

 

 

 

 そうして共同住宅の奥にあった下へと階段の先にあったのは、古めかしい地下通路であった。

 上の建物と比べても明らかに長年放置されていると分かる通路を、魔理沙とアンリエッタの二人は興味深そうに見回してしまう。

「まさかただの共同住宅の下に、こんな通路があるだなんて……」

「あぁ、しかも見たらこの通路。一本じゃなくて迷路みたいになってそうだぜ?」

 軽く驚いているアンリエッタに魔理沙がそう言うと、彼女は普通の魔法使いが指さす方向へと視線を向ける。

 確かによく見てみると通路は一直線ではなく三つほど横道があり、単純な構造ではないという事を二人に教えていた。

 そんな二人を横目で見つつ、青年はさりげなく彼女たちに自分の知識を披露してみる事にした。

「五百年前、ブルドンネ街の拡大工事で造られた緊急避難用の通路を兼ねた防空壕……とでも言いましょうか?」

「……!避難用、ですか?確かに私も、そういった場所があるという話は聞きましたが、まさかここが……」

「えぇ。当時のハルケギニアは文字通り戦乱の世でしたからね、王都にもこういった場所が造られたんですよ」

 ――ま、結局目的通りの使われ方はしませんでしたけどね。最後にそう言って青年は笑った。

 アンリエッタはかつて母や枢機卿から聞かされていた秘密の隠し通路の一端を目にして、驚いてしまっている。

「マジかよ?この通路は築五百年って、どういう方法で造ったらそんなに保てるんだ……」

 対して魔理沙の方はというと、五百年という月日が経っても尚原型をほぼ完全に留めているこの場所に、好奇心の眼差しを向けていた。

 

 その後、二人は青年の案内でそれなりに入り組んだ通路を五分ほど歩き続ける事となった。

 地上と比べれば空気は悪かったものの、ところどころに地上と通じているであろう空気口があるおかげで酷いというレベルまでには達していない。

 最も、一部の通路は地面が苔だらけで歩きにくかったりと天井の一部が崩れ落ちていたりと散歩コースとしては中々ハードな通路であった。

 それでも青年の案内は正しく、更に十分ほど歩いた所でようやく外の光を拝める場所へと出る事ができた。

「さぁ外へ出ました。ここならさっきの衛士達も追ってくることは無いでしょう。とはいえ、油断はできませんけどね?」

 青年がそう言って指さした場所は、確かに人気のない静かな通りの中にある水路であった。

 魔理沙がとりあえず頭上を見上げてみると、先ほどまでいた裏通りとは微妙に違う街並みが見える。

 恐らくここも王都の中、それもブルドンネ街なのであろうが、魔理沙自身は見える建物に見覚えはなかった。

「ここは?」

「東側の市街地だ、昔から王都に住んでいる人たちが住人の大半さ。……とりあえず、ここから出るとしようか」

 魔理沙の質問にそう答えると、青年は傍にあった梯子を指さして二人に上るよう指示を出す。

 

 そうして青年、魔理沙、そして最後にアンリエッタの順で梯子を上り、三人は東側市街地へと足を踏み入れる。

 確かに彼の言う通りここには地元の者しかいないのだろう、他の場所と比べて人気はあまり感じられない。

 一応水路に沿って立ち並ぶ家や共同住宅からは人の気配は感じられるが、家の中でのんびりしているのか出てくる気配は全くなかった。

 以前シエスタが案内してくれた裏通りと比べても、まるで紅魔館の図書館みたいに静かだと思ってしまう。

 とはいえそこは街の中、よくよく耳を澄ましてみれば色んな音が聞こえてくることにもすぐに気が付く。

 遠くから聞こえてくる繁華街や市場からの明るい喧騒と小さな水路を流れる水の音に、時折家の中から聞こえてくる家庭的な雑音。

 それらが上手い事重なり合って聞こえてくるが、それでも尚ここは静かな所だと魔理沙は思っていた。

 

 そんな彼女を他所に、アンリエッタはローブの青年に改めて礼を述べていた。

「誠に申し訳ありませんでした。どこのどなたか存じ上げませぬが、まさか助けて頂けるなんて……」

「いえ、礼には及びませぬよ。困っている女の子を見捨てるのは、僕の流儀に反しますからね」

 帽子は被ったままだが、それでも下げぬよりかは失礼だと思ったのか軽く会釈するアンリエッタ。

 それに対し青年もそれなりに格好いいヤツしか言えないような言葉を返した後、「それよりも……」と彼女の傍へと寄る。

「僕は不思議で仕方がありませんよ。貴方ほど眩いお方が、どうして街中にいたのかを……ね?」

「……?それは一体、どういう――――ッア!」

「あ!」

 青年の意味深な言葉にアンリエッタを首を傾げようとした、その瞬間である。

 一瞬の隙を突くかのように青年が素早い手つきで彼女の被る帽子を掴むや否や、それをヒョイっと持ち上げたのだ。

 まるで彼女の髪の毛についた落ち葉を取ってあげたように、その動作に全くと言っていい程迷いはなかった。

 流石の魔理沙も突然の事に驚いてしまい、一拍子遅れる感じで青年へと詰め寄る。

 

「ちょ……おっおい何してんだよお前!?」

「別に何も。ただ、彼女みたいな素敵なお方がこんな天気のいい日に黒い帽子何て被るもんじゃないと思ってね?」

 詰め寄る魔理沙に青年は何でもないという風に言い返して、自身もまた被っていたフードを上げたその顔を二人へと晒して見せた。

 夏だというのにやや厚手であったフードの下から最初に目にしたのは、やや白みがかった眩い金髪。

 ついでその髪の下にある顔は声色相応の美貌を持つ青年のものである。

 一方で自分の予想が当たっていた事に対して、魔理沙は喜ぶよりも先に青年を指さしながら叫んだ。

「あー!やっぱりお前だったか!?」

「ちょ……マリサさん!あまり大声は――って、あら?貴方、その目は?」

 思わず大声を上げてしまう魔理沙を宥めようとしたところで、アンリエッタはふと青年の目がおかしいことに気が付く。

 右の瞳は碧色なのだが左の瞳は鳶色で、つまりは左右で目の色が違うのだ。

 所謂オッドアイという先天的な目の異常であり、同時にハルケギニアでは「月目」とも呼ばれている。

「月目……ですか?」

 それに気が付いた彼女は、知識の上で知ってはいても初めて見る月目につい口が開いてしまう。

 すぐさまハッとした表情浮かべたものの、青年は「いえ、お気になさらず」と彼女に笑いかけながら言葉を続ける。

 

「生まれつきのモノでしてね、幼少期はこれで色々と貧乏クジを引いたものですよ。ま、今では自分のアイデンティティの一つなんですがね?」

 何より、女の子にもモテますし。最後に一言、そう付け加えて青年こと――ジュリオ・チェザーレは得意げな笑みを浮かべて見せた。



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第百二話

「―――……ん、んぅ~……――ア、レ?」

 少年――トーマスが目を覚ました時、まず最初に感じたのは右の頬から伝わる痛みであった。

 ヒリヒリと微かな熱を持ったその痛みは目を覚ましたばかりにも関わらず、彼の目覚めを促してくる。

「……くそ、イッテなぁ――――って、あ?」

 余計なお節介と言わんばかりに目を細めながら、ついでトーマスは自分の体が今どういう状態に陥ってるのか気づく。

 両手を後ろ手に縛られているらしく、両手首から伝わる感覚が正しければロープ……それも新品同然の物で拘束されているようだ。

 まさかと思い慌てて頭だけを動かして何とか足元を見てみると、手と同じように両足首もロープ縛られている。

 幸い頭だけは動かせたが、不幸にも彼の窮地を救う手立てにはならない。

「クソ、マジで監禁されちまってるのかよ……」

 悪態をつく彼が頭を動かして見渡しただけでも、今いる場所が何処かの屋内だという事は嫌でも理解できた。

 自分の周りには古い棚や木箱が乱雑に置かれており、少なくとも人が寝泊まりする様な部屋ではないのは明らかである。

 窓にはしっかりと鉄格子が取り付けられており、そこから入ってくる太陽の明かりが丁度トーマスの足を照らしていた。

(どこかの建物の中にある物置かな?……それも廃棄されて相当経ってる廃墟の)

 妹と共に色々な廃墟で寝泊まりしてきたトーマスは部屋の雰囲気からしてここが廃墟ではないかと、推測する。

 確かに彼の推測は間違ってはいない。ここはかつて、とある商人が街中に作らせた専用の倉庫であった。

 

 主に外国から輸入した家具や宝石を取り扱っており、当時のトリステイン貴族たちにはそこそこ名が知られていた。

 しかし、ガリア東部での行商中にエルフたちと麻薬の取引をしたことが原因でガリア当局に拘束、逮捕された後に刑務所入りとなってしまった。

 今はエルフから麻薬を購入したとしてガリアの裁判所から終身刑が言い渡され、トリステイン政府もそれを了承した。

 今年で丁度九十歳になるであろうその商人の倉庫だった場所は、今や少年を閉じ込める為の監獄と化している。

 

 上手いこと予想を的中させていたトーマスはそんな事露にも気にせず、とりあえずここから脱出する方法を模索しようとする。

 しかし、頭だけは動けても両手両足を縛られている状態では動きたくても動けないのが現実であった。

(クソ、せめて足が自由ならなぁ)

 手足を縛られている状態ではこうも満足に動けないという事を、トーマスは初めて知ることになった。

 精々頭を動かしながら身をよじる事しかできず、まるで疑似的に手足を切り落とされたかのような不安を感じてしまう。

 しかし、よしんば足が拘束されていなくとも自分がここから脱出できる可能性はかなり低いに違いない。

 見たところロープを切れるような道具は見当たらず、あったとしてもここに投げ込んだ連中が持って行ったに違いない。

 そこで彼は思い出してしまう、恐らくここへ連れ込んだであろうあの大人たちの姿を。

(畜生、アイツらめ……!何が大人を舐めるな!だよ?それはこっちのセリフだっての)

 気を失う直前、自分を気絶させた男の言っていた言葉を思い出し、苦虫を噛んだ時のような表情を浮かべてしまう。、

 

 もしもここから出られたのならば、妹の元へ戻る前にアイツらへ仕返ししてやらなければ気が済まない。

 いくら自分が子供でも、あそこまでコケにされて泣き寝入り何て、微かに残るプライドが許してくれないのだ。

 ――とはいえ、今の状態でそんな事を考えても取らぬ狸の皮算用のようなものである。実行に移すためにはここを脱出しなければいけないのが現実だ。

「……でも、その前にこの縄を何とかしないと――って、ん?」

 自分の手足を縛る忌々しいロープをどうにか外せないかと考えようとしたところで、ふと彼はこちらへ近づいてくる気配に気が付く。

 徐々に近づいてくる靴音から人間、それも複数人が一塊になって近づいてくるようだ。

 ――まさか、アイツら様子を見に来たのか?そう思ったトーマスはひとまず目を開けて気絶した振りをする。

 

 

 それから一分と経たぬうちに、男たちの乱暴な会話が聞こえてきた。

「へへっ、ようやく捕まえられたぜ!この裏切り者がッ」

「それでどうするんですかコイツ?気絶してるとは言え目ェ覚ましたら厄介になるかもしれませんよ?」

「一応何かあった時に口を封じたい奴を入れておく部屋があるから、そこにぶち込んでおこう。杖はちゃんと没収しておけよ!」

 そんな会話をしながら男たちはドアの前で足を止めると、扉を閉めているであろう鍵を外して重たい鉄の扉を開けた。

 ギイィ~!……という耳障りな音が部屋に響いた後、自分が横たわっているのに気が付いたであろう男の内一人が声を上げる。

「へ?おい、このガキは何だよ?」

「昨日ダグラスの荷物を盗んだってガキじゃねぇの?まだ気を失ってるみたいだが……」

「おいお前ら、そんなヤツは放っておけ。今はこの女をぶち込むのが先だ」

(女……?いや、まさか……)

 彼らのやり取りに嫌な想像が脳裏をよぎった後、男たちは何か重たいものを持ち上げる様な音がして――直後、彼らが部屋の中に『何か』を投げ入れてきた。

 一瞬の間をおいてその『何か』は、ドサリと運の良いトーマスのすぐ背後の床を転がる事となった。

 

 何て乱暴な、と男たちに抗議したい気持ちを抑えつつもトーマスは声を堪えるのに必死であった。

 しかし投げ入れられた女の方はついさっきまで気を失っていたのだろうか、地面に横たわった所で初めてその声を耳にした。

「う!……ぐぅ」

(女の人の声、でもこれは妹じゃない……もっと年上だ)

 幸いにも嫌な想像が想像で終わったことに安堵しつつ、トーマスは女が身内よりも年上だという事を理解する。

 できれば体を後ろへと向けて確認したいが、気配からして男たちがドアの前にいる為迂闊な事はできなかった。

「にしたってこのガキ、昨日からここにぶち込まれてるんならそろそろ目ェ覚まして騒ぎそうなモンだがな」

「どうせ寝てるだけだろ。まぁ俺達にはあんま関係が無いから無理に起こす必要もないだろ。んじゃ、そろそろ閉めるぞ」

(……っへ、そうバカみたいに騒いで逃げれるなら苦労はしねぇよバカ)

 起きているとも知らず自分に生意気な言葉を投げかける大人たちをトーマスは鼻で笑う。

 それからすぐにドアの閉まる音が室内に響き渡り、男達の靴音は遠くの方へと向かっていき、やがて聞こえなくなった。

 

 もう大丈夫かと思いつつも、それから一分ほど待ってからようやくトーマスは口を開くことができた。

 閉じていた口から新鮮な空気を吸っては吐き、上手くやり過ごせたことに安堵する。

「はぁ、はぁ……!クソッ、アイツらまたやって来るんだろうな。次は――」

「――次は、何をされるっていうんだ?お前みたいなそこら辺の子供が」

 突然の声に自分の心臓が大きく跳ね上がった様な気がしたトーマスは、目を見開いて硬直してしまう。

 そしてすぐに声が背後から聞こえてきたことに気が付き、丁度自分の横に転がっている女性の方へと体を向ける。

 それは彼の予想通り、自分の妹ではなかったが。明らかにそこら辺のいた町娘という感じの人間でもない。

 青い髪をボブカットでまとめている彼女の服装は、おおよそ王都の男たちをその気にさせるような女らしいモノではなかった。

 軍用の装備一式、それもこの町の警邏を行っている平民衛士隊のモノであるのは一目瞭然である。

 

 トーマス自身何度も間近で見たことのある衛士達が身に着けている服や装備などは、何となくではあるが覚えていた。

 その記憶通りの装備を身に着けている青髪の女性はトーマスにラ中を見せたまま、彼に話しかけてくる。

「何をやったかは知らないが、あいつらに絡まれたって事は相当怒らせるような事をしたっていう事か?」

「……は!それはこっちのセリフだぜ。アンタだってそこら辺の町娘には見えない、その装備って衛士隊のものだろ?」

 質問を質問で返す形になってしまったが女性はそれに怒る事は無く、数秒ほど時間を置いて「元、だ」と声を上げる。

「ワケあって色々とアウトな事をしてしまってな、多分今はお尋ね者として同僚たちに追いかけられてる身だ」

「何だよそれ?汚職とか横領でもやったの?」

「……まぁ、そうなるな。本当は穏便に済ますつもりが、酷いことになって雇い主が私の事を血眼になって探してる筈だ」

「雇い主って……アンタ、俺よりめっちゃヤバそうじゃねえか」

 上には上がいるというが、まさか自分よりも危険な事に手を染めた人間が目の前に出てくるとは。

(まぁそれを言うなら、オレやこの女をつれてきた連中も同じようなモンか……)

 たった一回スリに失敗しただけで、こうも危険なヤツと同じ部屋で監禁されるとは夢にも思っていなかった。

 

 罪悪感は無かったものの、これから自分はどうなるのかと考えようとした所で、女か゛声を掛けてきた。

「さて、私の事は一通り話したんだ。次はお前が私に話す番だろう?」

「俺が?多分アンタと比べたら随分つまらない理由で連中に捕まっちまったんだよ」

「つまらくても、お前みたいな子供が奴らに捕まったんだ。どういった理由でそうなったのか、話してくれても構わんだろう?」

 そう言いながらも女性は器用に体を動かし、同じく横になっているトーマスと向き合った。

 その時になって初めて彼女の顔を見た少年は、想像と違っていた事に思わず困惑した表情を浮かべてしまう。

「……?どうしたんだ、そんな不思議そうなモノを見るような目をして」

「いや、てっきり殴られてる痕とかあるのかなーって思ってさ」

「あんなチンピラみたいな連中でも、一応は貴族の端くれって事だよ。やってる事は盗賊並みだけどな」

 貴族の端くれ?あのチンピラみたいな言動してたやつらが?トーマスの頭の中に新たな疑問が生まれる中、女性は「あ、そうだ」と言って言葉を続ける。

 

「お互い名も知らぬままだと色々不便だろう。私はミシェル、元トリスタニアの衛士隊員さ」

「…………お、俺はトーマス。ただのトーマスだよ」

 こんな状況の中にも係わらず、勇ましい微笑みを浮かべながら自己紹介をしたミシェルを前にして、少年もまたそれに続くほかなかった。

 何処とも知らぬ廃屋の中、本来ならば捕まえ、捕まえられる立場の二人は身動き一つ取れぬ状況の中で何となく互いに自己紹介をする。

 それはとても奇妙なところがあったが、鉄格子から入ってくる陽の光がその場面にドラマチックな彩を添えていた。

 

 時刻は午前を過ぎ、昼の十二時へと差し掛かろうとしている時間帯。

 昼飯時だと腹を空かせた街の人間や観光客たちは、ここぞとばかりに飲食店を目指して街中をさまよい始める。

 店側も店側でここぞとばかりに店先に看板を出し、ランチタイムの始まりを通行人たちに知らせていく。

 屋台もここ一番の賑わいを見せ始め、中には入り口まで続く長蛇の列ができる店もある程だ。

 通りは様々な店から漂う美味しい トーマス自身何度も間近で見たことのある衛士達が身に着けている服や装備などは、何となくではあるが覚えていた。

 その記憶通りの装備を身に着けている青髪の女性はトーマスにラ中を見せたまま、彼に話しかけてくる。

「何をやったかは知らないが、あいつらに絡まれたって事は相当怒らせるような事をしたっていう事か?」

「……は!それはこっちのセリフだぜ。アンタだってそこら辺の町娘には見えない、その装備って衛士隊のものだろ?」

 質問を質問で返す形になってしまったが女性はそれに怒る事は無く、数秒ほど時間を置いて「元、だ」と声を上げる。

「ワケあって色々とアウトな事をしてしまってな、多分今はお尋ね者として同僚たちに追いかけられてる身だ」

「何だよそれ?汚職とか横領でもやったの?」

「……まぁ、そうなるな。本当は穏便に済ますつもりが、酷いことになって雇い主が私の事を血眼になって探してる筈だ」

「雇い主って……アンタ、俺よりめっちゃヤバそうじゃねえか」

 上には上がいるというが、まさか自分よりも危険な事に手を染めた人間が目の前に出てくるとは。

(まぁそれを言うなら、オレやこの女をつれてきた連中も同じようなモンか……)

 たった一回スリに失敗しただけで、こうも危険なヤツと同じ部屋で監禁されるとは夢にも思っていなかった。

 

 罪悪感は無かったものの、これから自分はどうなるのかと考えようとした所で、女か゛声を掛けてきた。

「さて、私の事は一通り話したんだ。次はお前が私に話す番だろう?」

「俺が?多分アンタと比べたら随分つまらない理由で連中に捕まっちまったんだよ」

「つまらくても、お前みたいな子供が奴らに捕まったんだ。どういった理由でそうなったのか、話してくれても構わんだろう?」

 そう言いながらも女性は器用に体を動かし、同じく横になっているトーマスと向き合った。

 その時になって初めて彼女の顔を見た少年は、想像と違っていた事に思わず困惑した表情を浮かべてしまう。

「……?どうしたんだ、そんな不思議そうなモノを見るような目をして」

「いや、てっきり殴られてる痕とかあるのかなーって思ってさ」

「あんなチンピラみたいな連中でも、一応は貴族の端くれって事だよ。やってる事は盗賊並みだけどな」

 貴族の端くれ?あのチンピラみたいな言動してたやつらが?トーマスの頭の中に新たな疑問が生まれる中、女性は「あ、そうだ」と言って言葉を続ける。

 

「お互い名も知らぬままだと色々不便だろう。私はミシェル、元トリスタニアの衛士隊員さ」

「…………お、俺はトーマス。ただのトーマスだよ」

 こんな状況の中にも係わらず、勇ましい微笑みを浮かべながら自己紹介をしたミシェルを前にして、少年もまたそれに続くほかなかった。

 何処とも知らぬ廃屋の中、本来ならば捕まえ、捕まえられる立場の二人は身動き一つ取れぬ状況の中で何となく互いに自己紹介をする。

 それはとても奇妙なところがあったが、鉄格子から入ってくる陽の光がその場面にドラマチックな彩を添えていた。

 

 時刻は午前を過ぎ、昼の十二時へと差し掛かろうとしている時間帯。

 昼飯時だと腹を空かせた街の人間や観光客たちは、ここぞとばかりに飲食店を目指して街中をさまよい始める。

 店側も店側でここぞとばかりに店匂いに包まれて、それに食指が触れた者たちはさぁどの店にしようかと辺りを見回す。

 そんな光景が見渡せるトリスタニアの南側大通りに設けられた広場で、霊夢は欄干に寄りかかる様にして眼下の水路を眺めていた。

 年相応と言うにはやや大人びた表情を見せる彼女の顔には、ほんの微かではあるが不満の色が見え隠れしている。

 背後から聞こえてくる賑やかで喜色に満ちた喧騒を無視するかの様に、一人静かに流れる水路を見つめている。

 そんな彼女の様子を見て耐えきれなくなったのか、足元に立てかけていたデルフが鞘から刀身を少しだけ出して彼女に話しかけてきた。

『どうしたレイム、お前さんいつにも増して落ち込んでるようだな。さっきまでそれなりにやる気満々だったっていうのに』

「デルフ?いや、どうしてこう世の中っていうのは私に色々と難題を押し付けてくるのかなーって考えてただけよ」

『……まぁ、色々あって本当にやろうとしてた事が後回しになっちまったていう所では同情しちまうね』

 落ち込む様子を見せる『使い手』の言葉を聞いて、今のところ中立だと自覚していたデルフもそんな言葉を出してしまう。

 今の彼女の状況は、本当にやろとしていた事が色々なトラブルがあった末に全く別の仕事にすり替わってしまったのだ。

 最初こそまぁ仕方なしと思っても、落ち着いた今になって振り返ってため息をつきたくなるという気持ちは何となく分からなくもない。

  

「そもそも私の専門は妖怪退治とかであって、悪党退治とかじゃないのに……しかも助けを頼んできた方も悪党とかどういう事なのよ?」

『まぁ化け物も悪党も何の関係も無い人に危害を加えるって共通するところがあるから良いんじゃないのか?』

「人間相手だと一々手加減しなくちゃいけないじゃない。それが一番面倒なのよねぇ」

 霊夢の刺々しい言葉を聞いてデルフは「おぉ、怖い怖い」と刀身を震わせて静かに笑った。

 丁度その時であっただろうか、背後から聞きなれた少女の声が自分を呼び掛けてくるのに気が付いたのは。

「レイムー今戻ってきたわよー」

 その呼びかけに振り返ると、右手を軽く上げながら小走りで近づいてくるルイズの姿が見えた。

 

 

 左腕には抱えるようにして茶色の紙袋を持っており、少し遠くから見ただけでも決して軽くないのが分かる。

 霊夢は欄干から離れると、足を止めたルイズに傍まで来つつ「わざわざ悪かったわね、お昼ご飯」と労いの言葉を掛けた。

「私に適当なお金渡してくれれば、そこら辺の屋台で適当に見繕うくらいの事してあげたのよ?」

「アンタに一任したらしたで、色々変なモノ選んできそうでちょっと怖かったのよ」

「失礼な事言ってくれるわね?さすがの私でも飲み物は全部お茶で良いかって思ってたぐらいよ」

「そういうのが一番怖いのよ」

 お互い刺々しくも軽い微笑みを交えてそんなやり取りをした後、霊夢がその紙袋を受け取った。

 見た目通り紙袋の中身はそれなりに重量があったようで、腕にほんの少しの重みが伝わってくる。

 ふと紙袋に視線を向けると、何やらエビやホタテといった海鮮物を描いたイラスト――もといスタンプがついている事に気が付く。

 

「そういやアンタ、この袋の中って何が入ってるのよ」

「ちょっとここから数分歩いた所に美味しそうな海鮮料理屋があったから、そこでテイクアウトしてきたのよ」

 そう言って彼女は霊夢がもっている紙袋の口を開けると、分厚い包み紙にくるまれた料理を取り出して見せる。

 お皿代わりにもなるのだろうその包み紙の隙間からは、確かにエビや魚といった海の幸の匂いが微かに漂ってきた。

 更にそういった海鮮物を甘辛なソースで炒めたのであろう、鼻腔をうまい具合にくすぐってくるので思わず嬉しくなってしまう。

 あれだけ大量の店があるというのに、その中からこれを選んできたルイズに霊夢は「悪くないわね」と素直な感想を漏らした。

 ルイズもそれに「ありがとう」と返して包みを紙袋に戻したところで、ふとある事が気になった霊夢はルイズにそのまま話しかける。

「そういえばアンタ、お金はどうしたのよ?手持ちが少なくなってきたって言ってなかったけ?」

 その質問にルイズは何やら意味深な笑みを浮かべつつも、ふふふ……と笑って見せた。

「こういう時に家族が傍にいてくれるっていうのは、こんなにも心強い事なのね」

「は?アンタ何言ってるの?」

 意味の分からない答えに霊夢が怪訝な表情を浮かべた所で、ルイズは懐から小さな革袋を取り出した。

 初めて見るその革袋に彼女が首をかしげたところで、ルイズは誰にでも分かる説明を入れていく。

 

「今日ちぃねえさまの所を出るときにね、せめてこれだけでも持っていきなさいって言われて金貨を何枚か渡してくれたのよ」

 そう言って得意げに革袋を揺らして見せるルイズに、霊夢もまた得意げな笑みを浮かべる。

「あぁー成程、家族っていうのはそういう意味だったのね。何よ?アンタも結構器用な性格してるわねぇ」

「アンタと一緒にしないでくれる?私の場合はただ単に私の事を大切に思ってくれる人が身近にいるっていう安心からの笑みなのよ」

『まぁ何はともあれ、娘っ子のお姉さんのおかげで昼飯がありつけるんなら感謝しとくに越した事はないな』

 それまで傍観していたデルフも二人の会話に入り、和気あいあいとした空気が完成しようとした所で――

 横槍を刺してくるかのように、二人の背後から何か大きなモノが着地する音が聞こえてきたのである。

 思わずギョッとした表情を浮かべた二人が後ろを振り向くと、そこにはこの面倒くさい事態を招いてくれた張本人ことハクレイとリィリアの二人がいた。

「ごめん、ちょっと時間が掛かったけど戻ってきたわよ。ホラ、もう下りなさい」

「ふ、ふぇ……」

 その内の一人であるハクレイはそう言いながら、背負っていたリィリアを地面へと下ろした。

 彼女以上にこの事態の元凶であるリィリアは相当怖い体験をしてきたのか、両足が微かに震えている。

 きっとここに戻ってくるまでハクレイと一緒に屋根伝いに飛び回っていたであろう事は、容易に想像できた。

 

 それを想像してしまったルイズはおびえているリィリアに軽く同情しつつも、ハクレイに話しかける。

「ご苦労様。ところで、ここに着地してくる時はどこから飛んできたの?」

 ルイズからの質問に、ハクレイは暫し辺りを見回してから「あっちの塔から」と指さしたのは、南側の時計塔であった。

 それを聞いてそりゃおびえるワケだと納得しつつも呆れてしまい、やれやれと首を横に振る。

「そりゃまあ、アンタの背中の上なら大丈夫だろうと思うけど。この歳の子には滅茶苦茶恐怖体験じゃないの?」

「いや、その……アンタたちがどこにいるのか探してたついでにそのまま降りてきたから……ごめん、やっぱり怖かった?」

 ルイズの言葉でようやく自分の失態に気が付いたハクレイからの呼びかけに、リィリアは怯えながらも頷く事しかできないでいた。

 その様子を見ていた霊夢は「何やってるんだか」とため息をついて見せた。

 

 その後、気を取り直してお昼ご飯にしようという事で場所を替える事にした。

 先ほど買い出しに出た際にルイズが良さげな場所に目を付けていたようで、歩いて五分と経たぬうちにたどり着くことができた。

 場所は飲食店が連なる通りの手前にある小さな横道、そこを歩いた先には猫の額ほどの広場があったのである。

「えーっと…あぁここだわここ。ホラ、丁度良く木陰の下にテーブルと椅子があるでしょう」

「私個人の感想かもしれないけど、この街って結構多いわよねこういう場所」

「そりゃアンタ、ここがトリステイン王国の首都……だからかしらねぇ?」

 そんなやり取りをしつつもテーブルが綺麗なのを確認してから、買ってきた昼食をパッとテーブルに広げた。

 紙袋から昼食の入った包み紙を四つ取り出してそれぞれに渡してから、ここへ来る前に買っておいたドリンクも手渡していく。

 ルイズとリィリアはジュースで、霊夢とハクレイには最近人気になりつつあるというアイスグリーンティーであった。

 そしてリィリアに続きハクレイもルイズから飲み物を受け取った時、キンキンに冷えた瓶の中に入っている液体の色を見て顔をしかめて見せる。

 

「……ねぇ、何これ?なんだか中に入ってる液体が薄い緑色なんだけど」

「お茶よ。アンタレイムとよく似てるんだから好きでしょう?」

「…………??」

 ルイズの言葉にハクレイが顔を顰めつつ霊夢の方を見てみると、確かに彼女の持っている瓶の中身も同じ薄緑色であった。

 改めてお目に掛かる事になった良い匂いのする包み紙を手に持ちつつ、霊夢が「そういえば、これって何なの?」とルイズに質問する。

「ふふん、まぁ開けてからのお楽しみよ」

 霊夢の質問に何故か得意げな様子でそう返してきたルイズに訝しんだ霊夢は、早速自分の分の包み紙を開けて見せる。

 すると中から出てきたのは、やや長めに切ったバゲットに具材を挟み込んだサンドイッチであった。

『ほぉ~、サンドイッチだったか』

「その通り。店先を通った時に店員に「試しに如何?」って試食したときに凄い美味しかったのよ」

 そう言ってルイズも自分の分のサンドウィッチの入った包み紙を外していく。

 ハクレイとリィリアも彼女に続いて包み紙を外し、中から出てきたバゲットサンドが意外と大きかった事にリィリアは息を呑んでしまう。

「へぇ、意外と食べ応えありそうじゃない。貴女はどう、食べきれそう?」

「え?う、うん……大丈夫、だと思う」

 ハクレイからの問いにリィリアは不安を残しつつもそう答えて、自分の眼科にあるサンドウィッチを見回してみる。

 軽くトーストしたバゲットに切り込みを入れて、その中に海老やら魚を色とりどりの野菜と一緒に炒めた物が挟み込まれている。

 具材自体も塩コショウで味付けしただけのシンプルなものではないという事は、匂いを嗅かがずともすぐに分かった。

 

 それに気が付いた霊夢はバゲットの中を開きつつも、ルイズにそれを聞いてみる事にした。

「この色とスパイシーな匂い、ソースが結構強いわね……っていうか、色からしてソースの圧勝よね?」

 霊夢の言う通り、ソースと一緒に炒められたであろう具材はややオレンジ色に染まっている。

 匂いもただ単にスパイシーだけだという単純さはなく、それに紛れてフルーティな甘さも漂ってくる。

「そうなのよ。何でもドラゴンスイートソースっていう創作ソースで、トリステイン南部が発祥の地って聞いたわ」

 結構甘辛くておいしかったわよ?ルイズはそう言いつつ真っ先に口を開けてサンドウィッチを口にした。

 白パンと比べてかなり硬いバゲットを、ルイズは何の苦もなく一口分を噛みちぎる。

 そして口の中でモゴモゴと咀嚼し、飲み込んだところでホッと一息つく。

「あぁこれよこれ。基本辛いんだけど、酸味が効いてる旨味と甘みは試食で食べたのと同じだわ」

 

 珍しく鳶色の瞳を輝かせながら一言感想を述べてくれた彼女は、すぐに手元のジュース瓶を手に取って口に入れる。

 その様子を見て他の三人はまぁ食べても大丈夫かと判断したのか、各々手に持っていたソレを口にした。

 猫の額ほどしかない街中の広場にて咀嚼音が響き渡ると同時に、三人はそのソースの味を知ることになる。

 最初にそれを口にしたのは、初めて口にするであろう味に困惑の表情を隠しきれていない霊夢であった。

「うわ、何コレ?最初に唐辛子とかの辛味が来て、その後に蜂蜜……かしら?それ系の甘味が来るわねぇ」

『成程、名前にスイートってついてるのはそれが理由か』

 口直しにお茶を飲む霊夢の傍らでデルフが一人(?)納得する中、他の二人もそれぞれ感想を口にしていく。

「まぁ何て言えばいいかしら、甘辛?っていうのかしらねぇ、海鮮だけじゃなくて肉料理とかにでも合いそうな気がするわ」

「か、辛い……」

 ハクレイはルイズと同じで特に違和感は感じていないのか、フンフンと機嫌良さそうに頷く横で、

 まだまだ子供であるリィリアにとっては早すぎた味なのだろう、甘味や旨味より若干強い辛味に参ってしまっていた。

 

 その後、何やかんやありつつ十分ほどで食べ終えたところで霊夢は「アンタもアンタで、変わったモン買ってきたわねぇ」とルイズに言った。

「……?どういう意味よソレ。あの後何やかんやで完食したじゃないの」

「まぁ文句の類じゃないわ。実際あのソースといい中の具材もしっかりおいしかったしね」

 てっきり批判されるかと訝しんで目を細めたルイズに言いつつ、彼女は食べたばかりのサンドイッチの味を思い出す。

 確かにソース自体の個性は相当強かったものの、それに負けないくらい中に入っていた具材も美味しかった。

 千切りにしたキャベツとパプリカに人参、それに一口サイズにした白身魚とロブスターのフライ。

 それらが上手いことあの甘辛ソースと絡みつつ、それでいてそれぞれの味が損なってはいなかったのは覚えている。

 土台であるバゲットもほんのり甘く、サンドイッチにしなくともそれ単体で食べても美味いパンだというのは霊夢でも理解していた。

「具材本来の味を残したまましっかりソースと絡んでたから、そこそこ美味しかったのよね。後、野菜も新鮮だったし」

「でしょ?正直トリステイン人の私も初めて口にするソースだったけど、新しくて美味しい発見に今の気分は上々よ」

 そんなこんなで両者ともに満足している中で、静かに食べ終えていたハクレイもお気に召したようで、

 包み紙の隅に残っていたソースを指で掬って舐めとる姿に、ヒィヒィ言いつつ食べ終えたリィリアは若干引いていた。

「舐めたい気持ちはわかるけど……コレ、結構辛いよ?」

「そう?まぁもうちょっと大きくなったら分かるわよ。きっと」

『街の雰囲気がちょいと物騒だっていうのに、ここは平和で良いねェ』

 各人各様な反応を示しつつ、昼食を終えた彼女たちを眺めながらデルフはポツリ呟く。

 それは本心から出た感想なのかそれとも皮肉のつもりで口にしたのか、彼の真意を問いただすものはいない。

 しかしデルフの言葉通り、昼食時の賑やかなトリスタニアの街中に不穏な空気が混じっているのは事実であった。

 

 多くの人で賑わい、美味しそうな匂いと空気を漂わせる通りを何人もの衛士達が人々に混じって移動していた。

 彼らは街中を警邏するには不似合いな程――此処では重武装とも言える格好で――しきりに周囲を見回しながら足を前へと進める。

 その内の何人かは別の通りからやってきた仲間衛士達と鉢合わせると、情報交換を交えた報告を互いに行う。

 互いに身を寄せ合い、通行人に聞かれないよう小声で話し合う姿は彼らの横を通る人々に疑心を抱かせる。

 大抵の者たちはすぐにそれを忘れて通り過ぎるが、好奇心旺盛な人はわざわざ彼らに近づいて何かあったのかと聞き質そうとする。

 しかし衛士達はそれどころではないと言いたげに彼らを手で追い払い、中には「あっちへ行ってろ、邪魔だ」と乱暴な言葉を口にする者もいた。

 人々は何て乱暴な……と顔を顰めつつも、衛士を怒らせても碌な事は無いと知っている為渋々その場を後にしていく。

 通行人を追い払い、話すべきことが済んだら再び彼らは二手や三手に分かれて街中へと散っていくのだ。

 

 そんな光景をデルフだけではなく、ルイズや霊夢たちもここへ来るまでの間に何度も目にしている。

 一体彼らはそこまでの人数を動員して何をしているのかと気になったと言われれば、彼女たちは首を縦に振っていただろう。

 しかし、優先的に非行少年の救出と財布事情を解決せねばならない二人にとって、それは後回しにしてもいいと判断していた。

 まさか衛士達がリィリアの兄を捕まえる為だけにここまで必死になってるとは思えなかったからだ。

――というか、たかだかスリしかしてないような子供相手に総動員なんかしたら必死過ぎって事で後世の笑いものにされるわよ

――――逆にそこまでして捕まえようとしてるのなら、捕まえる瞬間がどんなモノか見てみたいわね

 ここに来るまでの道中、妹の目の前でそんな不吉かつ暢気な事を口にしていた二人であったが、

 もしもここで、ルイズが興味本位で衛士達に何があったと聞いていれば、今頃彼女たち――少なくともルイズはハクレイ達を置いてその場を後にしていただろう。

 

 賑やかな喧騒に包まれながらも昼食を終えた霊夢は、瓶に入っていたお茶を名残惜しそうに飲み終えた。

 最初は瓶入りで大丈夫かと訝しんでいた彼女であったが、幸いにもそれは杞憂だったらしい。

 店の人間がルイズに手渡すまで氷入りの容器に入れられていたであろうそれは、キンキンに冷えつつも美味しかった。

 ちゃんとお茶と本来の味を残しつつも冷たいそれは、熱い街中で頂く飲み物としては間違いなく最高峰に違いない。

 そんな感想を内心で出しつつも飲み終えてしまった彼女は、残念そうに瓶をテーブルに置くと早速他の三人と一本の話を切り出した。

「――さてと、昼食も食べ終えたしそろそろ面倒ごとを片付ける時間にしましょう」

「あ、そうだったわね。……で、ハクレイ?」

「んぅ?あぁ、大丈夫よ。アンタたちの言った通りこの子と一緒に怪しい場所に目星をつけてきたから」

 霊夢の言葉に食後のジュースで和んでいたルイズも気持ちを切り替えて、ハクレイに話を振っていく。

 丁度リィリアが食べきれなかった分を完食した彼女は紙ナプキンで口を拭いつつ、懐から丸めたタウンマップを取り出した。

 

 

 ルイズが昼食の買い出しに向かい、霊夢がデルフと一緒に暇を潰していた間、ハクレイはリィリアを連れて情報収集に出かけていたのである。

 探した場所は彼女が兄トーマスと最後に別れた場所を中心に、建物の屋上や路地を歩き回って探していた。

 時折道行く人々に妹の口から兄の特徴を伝えて、見ていないかと聞きつつも彼の行方を追っていくという形だ。

 当初は時間が掛かるのではないかと疑っていたハクレイであったが、それは些細な心配として済んでしまったのである。

 

 テーブルの真ん中に丸めたソレを広げて、広大な王都の中の一区画を指さした。

 そこはブルドンネ街とチクントネ街の丁度境目にある、大型の倉庫が立ち並ぶ倉庫街である。

 ブルドンネ街でもチクトンネ街でもないこの一帯は四角い線で囲まれており、その中に長方形の建物が全部で八棟もある。

 霊夢はすぐに他の場所と違うと感じたのか「ここは?」と尋ねると、ルイズがすかさずそれに答える。

 

 

「倉庫街ね。主に王都で商売している豪商や商会の人間がここの倉庫とかで商品の管理を行ってるのよ」

「倉庫街?じゃあこの四角い線で囲ってる建物全部が倉庫なの?随分リッチよねぇ」

「まぁ全部が全部機能してるってワケじゃないわよ、確か今使われてるのは……五棟だけだった筈……あ」

 肩を竦める霊夢の言葉にルイズが使われている倉庫の数を思い出し、そして気が付く。

 同じタイミングで彼女もまた気が付いたのか、納得したような表情を浮かべてハクレイへと視線を向ける。

 

「つまり、その使われていない三つのどこかに……」

「その通りね。まだどこかは把握しきれていないけど、八つ全部を調べるよりかは楽でしょ」

「じゃ、次にやる事は……そこがどこなのか、ってところね」

 ハクレイは得意げに言ったところで、霊夢はおもむろに右の袖の中から三本の針を取り出して彼女の前に差し出した。

 一瞬怪訝な表情を見せたがすぐにその意図を察したのか、ハクレイは彼女の手からその針を受け取り、それで地図に描かれた倉庫を三つ刺していく。

 テーブルの上に置かれた地図、その上に描かれた倉庫へと勢いよく針を刺す姿を見て、ルイズは不安そうな表情を浮かべる。

 何せ彼女がハクレイに貸していた王都の地図は、彼女が魔法学院へ入学して以来初めて街の書店で買った思い出の品だったからだ。

 魔法学院に入る生徒の大半は地方から来るためか、入学してやっと王都へ入れたという者も決して少なくはない。

 ルイズは幼少期に何度か王都へ行ってはいたが何分幼少の頃であり、工事などで変わっている場所も多かった。

 だからルイズも他の生徒たちに倣いつつ、ヴァリエール家の貴族として良質な羊皮紙に地図を描いてもらったのである。

 値は張ったが特殊な防水加工を施している為水に強く、実際街で迷ってしまった時には自分の道しるべにもなってくれたのだ。

 そんな思い出の品に、情け容赦なく力を込めて針を刺すハクレイを見て不安になるのは致し方ないことであった。

「ちょ、ちょっとレイム。あのタウンマップ結構質の良い紙で作ってるから高かったんだけど?」

「大丈夫よ。針の一本二本刺した程度で使い物にならなくなるワケじゃないし」

「えぇ?いや、まぁそうなんだけど……っていうか、そこは三本って言いなさいよ?まぁでも、インクで丸つけられるよりかはマシよね」

 半ば諦めるような形で呟いた所で、針を三本差し終えたハクレイが「できたわよ」と声を掛けてきた。

 その声に二人はスッと地図を除き込むと、確かに三棟の倉庫にそれぞれ一本ずつ針が刺されている。

 倉庫街はブルドンネとチクトンネのそれぞれ二つの街へ行ける出入口が用意されており、

 一本道を挟み込むようにして左右四棟ずつの大きな倉庫が建てられている。

 

「最初はここ。ブルドンネ街からみて左側の一番手前の倉庫。新しい感じがしたけど入り口の前に「空き倉庫」っていう看板が立ってたわ」

 ハクレイは説明を交えながらそこを指さすと、ルイズが「なら空き倉庫で間違いないわ」と言った。

「ここの倉庫は基本広いけど、使うには王宮に高額の賃貸料を払わないといけないから」

『まぁこういう馬鹿でかい倉庫を建てときゃ、大規模な商会とかは金払ってでも喜んで借りたいだろうしな』

 デルフの相槌が入ったものの、それを気にする事無くハクレイは他の二つをぞれぞれ指さしつつ説明を続けていく。

 彼女曰く、あと二つの倉庫は明らかに長年使われていない分かる程ボロボロだったらしい。

 まるで竜巻が通った後と例えられるほど、もう倉庫としては機能し得ない程だという。

「あくまで私の感想だけど、あそこまでボロボロだと人を隠す場所としても不向きだと思うわ」

『まぁそこは直接オレっち達が見て判断するとして、そこは簡単に入れる場所なのかい?』

 デルフの言葉にルイズが首を横に振りつつ、「ちょっと難しいかもね」と否定的な意見を出した。

 

「先に見てきてくれた二人ならもう知ってると思うけど、あそこって使用してる人間以外が入れないよう警備の人間がいるのよ」

「へぇ、倉庫番まで用意してくれるなんてアンタんとこの国って随分優しいのね」

「そんなモンじゃないわよ。連中はあくまで商会とか商人が金で雇ってるだけの人間で、まぁ形を変えた傭兵団よ」

 ルイズ曰く、国に直接警備の依頼をすると維持費がバカにならない為安上がりな傭兵団に商品の見張りをさせているのだという。

 一応トリステイン政府も商人たちと協議したうえでこれを認めており、倉庫街周辺に傭兵たちがうろつくようにもなったのだとか。

「まぁ協議って言ったって、大方言葉の代わりに賄賂が飛び交ったんでしょうけどね」

「それにしても、そんな奴らを見張りに立たせて商品でも盗まれたりしたらどうするのよ?」

 ハクレイの口から出た最もな質問に、ルイズはピッと人差し指を立てながら答えて見せる。

「だからこそ傭兵団を雇ってるのよ。もしも仲間の内誰か一人でも盗みを働いたら、そいつら全員が信用を失う事になるわ」

『アイツらは商人だから情報の流通も早い。奴らが盗人っていう情報も早く伝わるって事か』

 

 恐ろしいねぇ!と刀身を震わせて笑うデルフを放っておきつつ、ルイズはハクレイとの話を再開する。

「人数はどれくらいいたか、わかってる?」

「大体目視できただけでも外に二十人程度ね、未使用の倉庫周辺ににも数人が警備についてた」

「団体様じゃないの。仕方ないとはいえ、まずはアンタのお兄さんを救うためにソイツらを何とかしないとダメじゃない。面倒くさいわねぇ」

 人数を聞いた霊夢が何気ない気持ちでリィリアにそう言うと、彼女は申し訳なさそうに顔を俯かせてしまう。

 恐らく暗に「アンタのせいで大変な目に遭いそうだわ」と言われたのだと勘違いしたのだろうか?

 いくら彼女たちが悪いとはいえそれは言い過ぎだろうと思ったルイズは、目を細めつつも彼女に文句を吐いた。

「アンタねぇ?いくら何でもそこまでいう事は無いでしょうに。もうちょっとオブラートに包みなさいよ」

「……アレ?私何か悪い事でも言った?」

「――アンタはもうちょっと言い方に気を付けた方が良いと思うわよ」

 謂れのない非難に首をかしげる霊夢を見て、ルイズは勘違いしてしまった自分を何と気恥ずかしいのかと責めたくなった。

 そんなルイズの言葉の意味が分からぬまま怪訝な表情を浮かべる霊夢は、他の二人と一本に思わず聞いてしまう。

 

「私、何か悪い事でも言ったの?」

『自分の言った事が微塵も他人を傷つけないと思ってないこの言い方、流石レイムだぜ』

「少なくとも年下の子供相手に掛ける言葉じゃないって事だけは言っておくわ」

 ハクレイとデルフからも駄目出しされた彼女は、更に怪訝な表情を浮かべるしかなかった。

 

 

 並大抵の人間が、今から一時間後に自身の身に何が起こるかという事を完全に予測する等不可能に近いだろう。

 メモ帳に書かれたスケジュールがあっても、それから一時間までの間にアクシデントが起きる可能性がある。

 例えば近道が工事中で仕えなかったり、急な病で病院に搬送されたり、もかすれば交通事故に巻き込まれて――。

 そうなればスケジュール通りこなす事は難しくなるだろうし、最悪スケジュールそのものを変更せざるを得ない。

 それは正にギャンブルに近い。丁か半、一時間後に何かが起こるかそれとも起こらぬのか……蓋を開けねば分からない。

 しかし、世の中賭博みたいな構造では思うように社会の歯車が回らなくなるのは火を見るより明らかだろう。

 だからこそ人々はスケジュールを完璧にこなす為、大小さまざまな努力をして一時間後の出来事を確実なモノとする。

 近道が使えないのならば、いつもより早く家を出て多少遠回りになっても一時間後に目的地に辿り着けるよう頑張る。

 きゃうな病にはならないよう普段から健康に気を使い、病院とは無縁な生活を送る事を常に心掛ける。 

 そして不慮の事故に巻き込まれないためにも身の回りを警戒して、確実に目的地へと到着する。

 完全に予測する事が不可能ならば、自らの努力でもって不確実を確実な現実へと変える。

 そうして人々は弛まぬ努力をもって社会を作り上げてきたのだ。

 

 しかし、どんなに排除しようとしても゛予測できない、不確実な未来゛というモノは必ず人々の傍に付いて回る。

 まるで人の周りを飛び交う蚊のように、隙あらば生きた人間に噛みつき、予測できないアクシデントを引き起こす。

 現に今、アンリエッタと魔理沙の二人の身はその゛予測できない゛状況下に置かれているのだから。

 

 ブルドンネ街の繁華街、下水道から流れてくる大きな水路の傍にあるホテル『タニアの夕日』。

 その玄関前まで歩いてたどり着いたアンリエッタ、魔理沙、そして先頭を行くジュリオの三人はそこで足を止めた。

「さ、到着しましたよ二人とも」

 自信満々な表情と共に歩みを止めてそう言ったジュリオは、すぐ横に見える大きなホテルを指さして見せた。

 彼の言う二人とも――アンリエッタと魔理沙はそのホテルを見て、互いに別々の反応を見せる事となる。

「あぁ~、安全な場所ってのはここの事だったか」

「え?あの……ここって、ホテルですか?」

 一度ここを訪れた事があった魔理沙は久しぶりに見たようなホテルの玄関を見て納得しており、

 一方のアンリエッタは今の自分には全く無縁と言って良いであろう場所に連れて来られて困惑しきっていた。

「その通り。ホテルの名前は『タニアの夕日』、ブルドンネ街との距離も近く交通の便に優れているホテルです」

 アンリエッタの怪訝な表情を見て、ジュリオは咄嗟にホテルの簡単な紹介をしたが……

「……あ、いえ。そんな事を聞いたワケではありませんよ。どうして私をこんな所にお連れしたのですか?」

 彼女は首を横に振り、若干不満の色が滲み出させたまま彼の真意を問いただそうとする。

 しかし、ジュリオはこの国の王女の鋭い眼光にも怯むことなく肩を竦めながらこう返した。

「あぁ、その事でしたか。その答えでしたら……直接私が止まっている部屋へ来て頂ければ分かりますよ」

 そう言いながら彼はホテルの入り口まで歩くと、重々しいホテルのドアを開けて二人に手招きをする。

 しかしこれにはアンリエッタは勿論、ここまで彼を信用していた魔理沙までもが怪訝な表情を浮かべて自分を見つめている事に気が付く。

 

(……やっぱり、疑われちゃうよな)

 内心そんな事を呟きながらも、ジュリオ自身もここで信用しろというのは無理があると思っていた。

 『お上』からの指示とはいえ、ちゃんと手順を踏んでアンリエッタ姫殿下と接触するべきだったのではないだろうか。

 今が絶好のタイミングだとしても、アポイントメントも無しに連れてくるというのは礼儀に反するというヤツだろう。

 とはいえ、あの『お上』が絶好とまで言ったのである。多少の無茶を通すだけの代価は確実に取れるに違いない。

(まぁ、二人の状況とここまで連れてきた以上後はこっちのもんだし、『お上』に会ってくれれば彼女たちもワケを察してくれるだろう)

 

 ――少なくとも、アンリエッタ姫殿下はね。

 

 内心の呟きの最後に一言そう付け加えつつ、彼はもう一度肩を竦めながら二人に向けて言った。

「すまないが僕にも色々事情がある。けれど、この先に待っている人は絶対に君たちを助けてくれるさ」

 

 

 アンリエッタからエスコートの依頼を受けて、彼女を伴いながら街中を彷徨っていた霧雨魔理沙。

 ふとした拍子で衛士達にアンリエッタの素性がバレると思った矢先、ジュリオの助太刀を事なきを得る事となる。

 しかし謎多き月目の彼は驚く事にアンリエッタの正体を知っており、しかもその事について全く驚きもしなかった。

――お前、どうしてお前がアンリエッタの事知ってるんだよ?

―――おや?外国人の僕がこの国のお姫様の事を知らなかった思ってたのかい?それは心外だなぁ

――――いやいや!そういう事じゃねぇって!?どうしてお前がアンリエッタが変装してた事を知ってたって聞いてんだよ!?

 最後には言葉を荒げてしまった魔理沙であったが、ジュリオはそんな彼女に「落ち着けよ」と宥めつつ言葉を続けた。

――実は僕も、この白百合が似合うお姫様に用があったんだよ

――――私に……ですか?一体、あなたは……

 自分の正体をあっさりと看破し、更には用事があるとまで言ってきた謎の少年の存在。

 アンリエッタが彼の素性を知りたがるのは、至極当り前だろう。

 そしてジュリオもまた、彼女にこれ以上自分の正体を隠そう等という事は微塵も考えていなかった。

――申し遅れました。僕はジュリオ・チェザーレ、しがないロマリア人の一神官です

 彼はアンリエッタの前で姿勢を正した後、恭しく一礼しながら自己紹介をした。

 アンリエッタはその名を聞き軽く驚いてしまう。ジュリオ・チェザーレ、かつてロマリアに実在した大王の名前に。

 かつては幾つかの都市国家群に分かれていたアウソーニャ半島を一つに纏め上げ、ガリアの半分を併呑した伝説の英雄。

 その者と同じ名前を持つ少年を前にして固まってしまうアンリエッタに、頭を上げたジュリオはさわやかな笑顔で言葉を続けた。

 

――色々と僕に聞きたい事はあるでしょうが、今しばらく私についてきてくださらないでしょうか?

――――……ついていくって、一体何処へ……!?

――今夜貴女と彼女が泊まれる安全な場所へ、ですよ。今のあなた達では、こんや泊まる所を探すのも一苦労しそうですからね

 

 

 その後、ジュリオはアンリエッタと魔理沙を連れてここ『タニアの夕日』にまで来ることができた。

 東側の住宅地からここまで移動するのには、それなりの苦労と時間を要するものであった。

 地上の道路や裏路地の一角には衛士達が最低でも二人以上屯しており、怪しい人間がいないが目を光らせていたのを覚えている。

 恐らく魔理沙たちを逃がした際の騒ぎが伝達されたのだろう、そうでなければ末端の衛士達があんなに警戒している筈がないのだ。

 

(トリステイン側も必死なんだろうな。もしもの時に探しておいた地下道がなけりゃあ危なかったよ)

 途中何度か地下の通路を通ってショーットカットや遠回りの連続で、早一時間弱……ようやくホテルにたどり着くことができた。

 今のところ周辺には衛士達の姿は見当たらない。恐らく街の中心部から外周部を捜索場所を移したのかもしれない。

 何であれ、ここまでたどり着けたのは前もって計画していたルートを用意していた事よりも、運の要素が強かったのであろう。

 

 ともあれ、こうして無事に二人を――少なくともアンリエッタを連れて来れた事で自分の仕事は成功したも同然であろう。

 最も、そのお姫様には相当警戒されてしまっているのだが……まぁこれはやむを得ない事……かもしれない。

(全く、あの人も無茶な事命令してくれたもんだよ……ったく!)

「さ、とりあえず中へどうぞ。外にいては衛士達に見つかるやもしれません」

 内心では自分にこの仕事を任せた『お上』――もとい゛あの人゛に悪態をつきつつも、

 警戒する魔理沙たちの前でさわやかな笑顔を浮かべつつ、ホテルのドアを開けて彼らを中へと誘う。  

 新品のドアを開けた先には、綺麗に掃除された『タニアの夕日』のロビーが広がっている。

「…………」

「………………」

「おや?入らないのですか?」

 しかし悲しきかな、ジュリオに警戒している二人は険しい表情を浮かべたまま中へ入ろうとはしなかった。

 思ってた以上に警戒されてるのかな?そう考えそうになったところで、二人は互いの顔を見合う。

「アレ……どうする?」

「色々疑わしき事はありますが、ここまで来たのなら……やむを得ないでしょう」

「……だな」

 一言、二言の短いやり取りの後、彼女たちは渋々といった様子でホテルの入り口を通った。

 通るときにジュリオを鋭い目つきで一瞥しつつも、二人は慎重な様子のままロビーの中へと入っていく。

 色々問題はあったものの、魔理沙たちはジュリオからの誘いに乗ったのである。

「……ま、結果オーライってヤツかな」

 少女たちの背中を見つめつつ、ジュリオは二人に聞こえない程度の小声でそう呟く。

 とはいえ、入ってくれればこちらのモノだ。彼は安堵のため息を吐きつつも二人の後へと続いた。

 

 全四階建ての内最上階に部屋がある為、一同は階段を上って部屋まで行く羽目になった。

 しっかりと掃除の行き届いた階段を、三人は靴音を鳴らしながら上へ上へと進んでいく。

 やがて散文もしないうちに最上階までたどり着いた所で、先頭にいたジュリオが魔理沙たちから見て右の廊下を指さす。

「部屋の名前は『ヴァリエール』。この部屋一番のスイートルームですのでご安心を」

「私が『ヴァリエール』という部屋の名前を聞いて、貴方を信用できるほどのお人好しに見えますか?」

 魔理沙以上に自分へ警戒心を向けているアンリエッタからの返事に、彼はただ肩を竦める。

 軽いジョークのつもりだったのだが、どうやら彼女の警戒心を随分強めてしまっていたらしい。

 コイツは思ったより重大な事だ。そう思った所で今度は魔理沙が突っかかるようにして話しかけてきた。

 

「おいジュリオ、ここまで来たんならもうそろそろ話してくれても良いだろ?」

「話す?一体何を?生憎、僕のスリーサイズは本当に好きになった女の子にしか教えない事にしてるんだ」

「ちげーよ、何でお前がアンリエッタの正体を知ってて、しかもこんに所にまで連れてきたかって事だよ!」

 自分のボケに対する魔理沙の的確な突っ込みと質問に、ジュリオは軽く笑いながらも「そろそろ聞いてくると思ったよ」と言葉を返す。

 

「まぁ確かに、もう話してもいい頃だが……部屋も近い、良ければそこで話そうじゃないか?

 僕と君たちがここにいるまでの経緯を一から話すよりも先に、この廊下の先にある部屋の前にたどり着いちゃうからね」

 

 そう言って彼は先程指さした方の廊下の突き当りへ向かって歩き出し、二人もその後をついて行く。

 確かに彼の言う通り、彼がワケを話すよりも部屋までたどり着く方が早かったのは間違いない。

 元々この最上階には二部屋しかないのだろう。廊下の突き当りの手前には、観音開きの大きな扉があった。

「こちらです、では……」

 その言葉と共にジュリオはドアの前に立つと身だしなみを軽く整えた後、スッと上げた右手でドアをノックする。

 コン、コン、という品の良いノックを二回響かせて数秒後、ドアの向こうにある部屋から少女の声が聞こえてきた。

「ど……どちらさまでしょうか?」

「お届け゛者゛を持ってきた、ただのしがない配達屋さ」

 その言葉から更に数秒後、少し間をおいてから掛かっていたであろうドアのカギを開く音が聞こえてきた。

 軽い金属音と共にドアノブが勝手に回り、部屋の中から銀髪の少女をスッと顔を出してきた。ジョゼットである。

 まるで初めて巣穴から顔を出した仔リスのように不安げな様子を見せていた彼女は、目の前にいたジュリオを見てパッと明るい表情を見せた。

 

「や、ジョゼット。ちゃんとあのお方の注文通りお届け゛者゛を連れてきたよ」

「お兄様!って……あっマリサ!」

「よ、ジョゼット。……っていうか、お届け゛モノ゛って……」

 久しぶりに会ったような気がしたジョゼットに呼びかけられて、思わず魔理沙も右手を上げてそれに応える。

 ジョゼットも数日ぶりに見た魔理沙に微笑もうとした所で、彼女の横にいたアンリエッタに気が付き、怪訝な表情をジュリオに向けた。

「あの、お兄様……この人が、その?」

「あぁ。……そういえば、あの人は今?」

「待っていますよ。そこにいね人と食事でもしながら……という事でついさっき自分でランチを頼んでました」

「ランチを自分で?うぅ~ん……あの人、付き人がいないと本当に自由だなぁ」

 そんなやり取りを耳にする中で、アンリエッタは彼らが口にする゛あの人゛という存在が何者なのか気になってきた。

 少なくともこんなグレードの良いホテルでランチを気軽に頼める人間ならば、少なくとも平民や並みの貴族ではない。

 では一体何者か?その疑問が脳裏に浮かんだところで、彼女と魔理沙はジュリオに声を掛けられた。

 

「さ、どうぞ中へ。ここから先の出来事は、あなたにはとても有益な時間になる筈です。アンリエッタ王女殿下」

 

 

 流石最上階のスイートルームというだけあって、『ヴァリエール』の内装は豪華であった。

 まるで貴族の邸宅のような部屋の中へと足を踏み入れた二人は、一旦辺りを見回してみる。

(流石に公爵家の名を冠するだけあって、部屋もそれに相応なのね)

 アンリエッタは王宮程ではないものの、名前に負けぬ程には豪華な部屋を見て小さく頷いた一方、

 以前ここへ来たことのある魔理沙は、以前見たことのある顔が見当たらない事に怪訝な表情を浮かべていた。

「んぅ……あれ?セレンのヤツ、どこ行ったんだ」

「セレン?その方は一体……」

『こちらですマリサ』

 聞きなれぬ名前が彼女の口から出た事に、アンリエッタが思わず訪ねようとした時であった。

 部屋の入り口から見て右の奥にあるドア越しに、青年の声が聞こえてきたのである。

 その声に二人が振り向くと同時に、後ろにいたジュリオとジョゼッタが二人の横を通ってそのドアの前に立つ。

 まるで番兵のように佇む二人は互いの顔を見合ってからコクリと頷き、ジュリオが二人に向かって改めて一礼する。

「さ、どうぞこちらへ」

 

 短い言葉と共にドアの横へと移動する二人を見て、アンリエッタはドアの傍まで来ると、スッとドアノブを掴み――捻った。

 すんなりとドアノブが回ったのを確認してから彼女はゆっくりとドアを押して、隣の部屋へ入っていく。

 次いで彼女の後ろにいた魔理沙もその後に続き、ドアの向こうにあった光景に思わず「おぉ」と声を上げてしまう。

 そこはダイニングルームであったらしく、長方形のテーブルの上には幾つもの料理が並べられていた。

 恐らくジョゼットが言っていたランチなのだろう、ホウレン草とカボチャのスープはまだ湯気を立てている。

 そして部屋の一番奥、上座の椅子に背を向けて座っている青年を見て魔理沙は声を上げた。

「おぉセレン、お前そんな所で格好つけて何してんだよ」

「あぁマリサ。イエ、少しばかり緊張していたもので……何分貴方の横にいるお方がお方ですから」

 魔理沙の呼びかけに対し青年はそう返した後ゆっくりと腰を上げて、彼女たちの方へと体を向ける。

 瞬間、一体誰なのかと訝しんでいたアンリエッタは我が目を疑ってしまう程の衝撃に見舞われた。

 思わず額から冷や汗が流れ落ちたのにも構わず、彼女は咄嗟に魔理沙へと話しかける。 

「あ、あのッマリサさん!こ、この方は……!?」

「私がさっき言ってたセレンだよ。――――って、どうしたんだよその表情」

 アンリエッタの方へと何気なく顔を向けた魔理沙も、彼女の顔色がおかしい事に気が付く。

 そんな彼女を気遣ってか、上座から離れてこちらへと近づくセレンは「大丈夫ですよ」とアンリエッタに話しかける。 

 

「此度ここに来たのは、あくまで私事の様なものです。ですから、肩の力を抜いてもらっても……」

「……っ!そんな滅相もありません、あ、貴方様を前にして、そんな……ッ!」

 近づいてくるセレンに対し、アンリエッタは何とその場で膝ずいたのである。

 それも魔理沙の目にも見てわかるような、相手に対して敬意を払っている事への証拠だ。

「え?え……ちょ、何がどうなってるんだよ?」

 何が何だか分からぬまま自分だけ放置されているような状況に魔理沙が訝しんだところで、

 彼女のすぐ近くまでやってきたセレンは申し訳なさそうな表情で彼女に言葉をかけた。

「マリサ、私はここで貴女にウソをついていた事を告白せねばなりませんね」

 彼はそう言って一呼吸置いた後、穏やかな笑顔を浮かべながら自らの本名を告げる。

 

「貴女に名乗ったセレン・ヴァレンはいわば偽名。ワケあって名乗らざるを得なかった名。

 そして私の本当の……母から貰った名前はヴィットーリオ、ヴィットーリオ・セレヴァレと申します。」

 

 セレン――もといヴィットーリオの告白に、この時の魔理沙はどう返せば良いか分からないでいた。

 しかし彼女はすぐにアンリエッタの口から知る事となるだろう、彼の正体を。

 この大陸に住む全ての人々の心の支えにして、魔法文明の礎を気づいたともいえる祖を神として崇めるブリミル教。

 その総本山としてハルケギニアに君臨する、ロマリア連合皇国の指導者たる教皇に位置する者だという事を。



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第百三話

 トリスタニアのローウェル区に、その倉庫街は存在している。

 巨大な四棟の倉庫と、そこを囲うようにして建てられている古めかしい住宅街だけの寂しい場所。

 住宅街には主に日雇いや工房の使い走りに、王都の清掃会社に勤めている人々等が利用している。

 丁度ブルドンネ街とチクトンネ街に挟まれるよう位置にあるが、この時期に増える観光客は滅多にここを通らない。

 ガイドブックなどに治安があまり良くないと書かれている事が原因であったが、主な原因は倉庫の周辺にあった。

 一本道を挟み込むようにして左右に四棟ずつ建設されている倉庫は、王都の商会や大貴族などが利用している。

 

 彼らは主に家に置ききれない財産や商売道具などをここで保管しており、当然それを警備する者たちがいる。

 しかし彼らはちゃんととした教育を受けた警備員ではなく、金さえ詰めば喜んでクライアントの為に戦う傭兵たちであった。

 粗末な鎧や胸当てを身を着けて、槍や剣で武装して倉庫周辺をうろつく彼らの姿はそこら辺のチンピラよりもおっかない。

 トリステイン政府直属の警備員を雇う代金が高い為、少しでも倉庫の維持費を浮かせる為の措置である。

 傭兵たちも相手が権力のある連中だと理解している為、倉庫から財宝をくすねよう等と考えて実行に移す者はまずいない。

 クライアント側も仕事に見合うだけの給料をしっかりと渡しているため、互いに良好な関係をひとまず築けているようだ。

 

 しかしその傭兵たちに倉庫街全体を包む程の寂れた雰囲気が、この地区を人気のない場所へと変えていた。

 今では観光客はおろか、別の地区に住んでいる人々も――特に子連れの親は――ここを通らないようにしている程だ。

 多くの人で賑わう華やかな王都の中では、旧市街地や地下空間に匹敵するほどの異質な空間となっていた。

 

 そんな人気のないローウェル区の一角を、ルイズ達四人の少女が歩いていた。

「ここがローウェル通り、名前だけは知ってた分こんなに静かな場所だなんて思ってもみなかったわ」

『確かに、別の所なんかだと多少の差はあれどここまで寂れてはいなかったしな』

 通りに建ち並ぶ飾り気のないアパルトメントを見上げながら、先頭を行くルイズは半ば興味深そうに足を進めていく。

 その人気の無さには、デルフもそれに同意の言葉を出すほどであった。

 彼女らの中では最年少であるリィリアは、今までいた場所とあまりにも違うの人気の無さを五感で体感しているのかしきりに辺りを見回している。

 通りそのものはしっかり掃除されているものの、一帯に住む人々は家の中にいるのか外には殆ど人がいない。

 偶に何人か見かける事はあったが大抵はここを通り慣れている別地区からの通行人で、自分たちの横を素知らぬ顔で通り過ぎていくだけ。

 散歩どころか水撒きする者もいない通りは、汗が出るほど暑いというのにどこか不気味であった。

 

 ここに来るまで、ブルドンネ街の通りから幾つかの道を曲がり、五つ以上の階段と坂を上り、三本以上の橋を渡ってきた。

 たったそれだけで、つい少し前までいたブルドンネ街とは正反対に静かすぎる場所へとたどり着けてしまう。

 同じ土地にある街の中だというのに、まるで異国に来てしまったかのような違和感を感じる人もいるかもしれない。

 しかし看板や標識を見れば、否が応でもここがトリスタニアの一角であると分かってしまう。

 明確に人の住んでいない旧市街地とは違い、家の中から出ずに姿を現さない住民たち。

 もはや異国というよりも、人のいない裏世界へと迷い込んでしまったかのような静けさが通り全体を包んでいた。

 

「しっかし、ここって本当人気が無いわねぇ。なんでこんなに静かなのよ?」

 自分の隣を歩く霊夢の呟きが自分に向けて言われた事だと気づいたルイズは、すぐさま脳内の箪笥からその知識だけを取り出して見せる。

「う~ん……確かここら辺は、街の清掃会社とか家具工房で雑用とか……所謂出稼ぎ労働者が大半だったような気がするわ」

「出稼ぎ労働者……ねぇ。私からしてみれば、わざわざこんな暑くて人だらけな街へ働きに行く事なんて考えられないわね」

「しょうがないでしょう。地方で稼げる仕事なんて、それこそ指で数える必要がないくらい少ないのよ」

 出稼ぎする、もしくはせざるを得ない者達の気持ちを理解できない霊夢に対し、ルイズは苦々しい表情を浮かべて言葉を返す。

 今のご時世、農業や地方の仕事で食べていける場所ならまだしもそれすらままならない地方もあるにはある。

 もちろん数は少ないが、不作や自然災害などで作物の収穫が減ってしまった土地がハルケギニア全体で増えつつあるのだ。

 その為に仕事が減り、仕事が減ってしまったが為に手に入る賃金も減り、その日の食事にすら困窮してしまう。

 

 

 トリステインをはじめ、名のある国々はその点まだマシと言えるだろう。

 一番酷いのは、ガリアやゲルマニアからある程度の独立を許された第三世界の小国などは文字通り悲惨な事になってしまう。 

 中途半端に独立してしまったが故にまともな援助を受けられず、ちょっとした天災で大飢饉が起こってしまう事など珍しくもない。

 飢饉や大災害が起これば瞬く間に暴動が起こり、結果的にはその小国を収める一族郎党が制裁の名の元に晒し首にされてしまう。

 独立を認可した大国がおっとり刀で正規軍を出す頃には、小国そのものが瓦解した後で残っているのは暴徒と化した連中のみ。

 まともな人々は争いを逃れる為に家族や恋人を連れて国を逃げ出し、流浪の民として通れもしない国境周辺を彷徨うしかない。

 難民を受け入れているロマリアへ行けるならまだ良い方で、大抵の難民は何処へも行けず山の中で獣や亜人の餌になってしまう。

 酷い場合はゲルマニアやガリアの国境地帯に埋設された地雷で吹き飛ばされたり、遠距離狙撃仕様のボウガンの的になる事もある。

 

 だからこそ、出稼ぎ労働で故郷に送金できるトリステインなどの名のある国々はマシなのである。

 パスポートを持っていても、出国する事すらままならない様な名もなき国があるのだから。

 

 

「確か倉庫があるのは、あぁ……あっちの角を曲がった先だわ」

 暫し人気のない地区を五分ほど歩いたところで、ルイズは道の角に建てられている標識を見上げて呟く。

 彼女の言葉についてきていた霊夢たちも足を止めて見上げてみると、二メイル程ある細い柱の上に看板が取り付けられているのに気が付いた。

 当然霊夢とハクレイの二人には何が書かれているのか分からなかったが、文字が読めない人が見ることも想定しているのか、

 文字の上にしっかりと倉庫らしき建物の絵が描かれており、一目で倉庫が曲がり角の先にあると分かるようになっていた。

 先に気が付いたルイズはすっと曲がり角から頭だけを出してのぞいてみると、ウンウンと一人頷きながら霊夢たちに見たものを伝える。

 

「確かに倉庫があるけど、正面突破は無理そうねぇ」

「え?……あぁ、確かにそうね」

 納得したようなルイズの言葉に怪訝な表情を浮かべた霊夢も、ルイズと同じように曲がり角の先を見て……頷く。

 標識通り、確かに曲がり角の先には砂浜に打ち上げられ鯨と見紛うばかりの倉庫が見ている。

 しかしその倉庫へ近づく為の道路には大きな鉄の扉が設置され、更に武装した傭兵たち数人が屯している。

 肌の色も装備も違う彼らは武器を片手に談笑しており、時折反対側の手に持った酒瓶を口につけては昼間から酒を楽しんでいる。

 街で見かける衛士達と比べてだらしないところはあるものの、酒を嗜みつつも決して自分達に与えられた任務をサボってはいない。

 ルイズの言う通り、彼らに軽く挨拶をしてワケを話しても通してはくれなさそうだ。

 強行突破すればいけない事も無いだろうが、大きな騒ぎに発展しまう恐れがある。

「相手が人間じゃないなら、全治数か月レベルのケガさせても平気なんだけどなぁ」

「コラ、何恐い事言ってるのよ」

 

 思わず口に出してしまった内心をルイズに咎められつつも、霊夢は「でも……」とハクレイの方へと顔を向けた。

 その向けてきた顔にすぐに彼女の言いたい事を察したハクレイは、コクリと頷いてから口を開く。

「ちょうど倉庫の隣に隣接してる通りにアパルトメントがあるから、私ならそっから飛び移れるかもしれないわ」

 毅然とした表情でそう言う彼女の後ろで、リィリアは怯えた表情を浮かべていた。

 

 ひとまず一行はその場を離れ、丁度倉庫の真横にある住宅街へと足を運んだ。

 そこには倉庫を囲う壁と住宅街側の道を隔てるようにして水路が造られており、魚が生きていける程度に澄んだ水が静かに流れている。

 水路の幅は五メイル程あり、仮に泳いで渡ったとしても階段や梯子などは無い為にどうしようもできない。

 鉤縄や『フライ』が使えれば問題ないだろうが、生憎今のルイズは鉤縄を持ってないし魔法に関してはご存知の通り。

 普通の魔法が行使できるリィリアならば一人で飛んでいけるだろうが、彼女一人を壁の向こうへ行かせるのは危険すぎる。

 それに万が一水路と壁を突破できたとしても、壁の向こう側の警備は相当厳重なのは容易に想像できてしまう。

 今は工事中で使われていないが、外部からの侵入者を発見するための櫓まで作られているのには流石のルイズも驚いていた。

「成程、確かに防犯設備はしっかりしてるわね。櫓が工事中だったのは幸い……と言うべきかしら」

「コレって倉庫というよりかはちょっとした砦じゃないの?よくもまぁ街中にこんなモノ作って……」

 呆れたと言いたげな霊夢の言葉に頷きつつも、ルイズは次にハクレイの言っていたアパルトメントへと視線を向けた。

 

 彼女の言った通り、確かに水路傍の住宅街に四階建てのアパルトメントはあった。

 しかし今は誰も住んでいないのか建物の壁には無数の蔦が張り付いており、幾つもの亀裂まで走っている。

 こんな人気のない場所にあんなモノを建てても誰も住まないだろうし、家賃も平均以上だったに違いない。

 大方二十年前の都市拡張工事の際に作られた建物の一つであろう、その手の建物の大半は今や街中の廃墟と化している。

 今も繁栄を続ける王都の陰を見たルイズは目を細めていると、そちらに目を向けているのに気が付いたハクレイに声を掛けられた。

「どうする?私の時は単にあの上から覗いただけだったけど、こんな真昼間から入り込むの?」

「うぅ~ん、普通なら夜中に侵入するのがセオリーなんだろうけど……こういう場所だと逆に人数が増えそうなのよねぇ」

 日中ならともかく、夜間は流石に侵入者を警戒して人員を増やすのは分かり切った事だ。

 と、なれば……やはり日中から堂々と侵入――――というのも相当危険な感じがする。

 

 今からか夜中か、その二つの選択肢を前にルイズは悩みそうになった所で今度は霊夢が話しかけてくる。

「どっちにしろ侵入するつもりなんだし、それなら人数が少ない時間に入った方が楽で済むんじゃないの?」

「アンタねぇ、そう簡単に言うけど入る事自体困難……なのは私達だけか」

 ガサツな巫女の物言いに反論しようとした所で、ルイズは彼女が空を飛べる事を思い出す。

 確かに彼女ならばハクレイはおろか並みのメイジよりも簡単に空を飛んで、水路と壁を越えられるだろう。

 文字通り壁を飛び越えてあの巨大な倉庫の上に着地すれば、後は自分たちよりも簡単に倉庫を探せるに違いない。

 櫓が工事中の今ならば、地上に見張りにさえ気をつけていれば見つかる可能性は限りなく低いだろう。

 それに気づいたのはルイズだけではなく、その中でデルフが彼女に続いて声を上げる。

『まぁお前さんなら見つかる心配何て殆ど無いだろうしな』

「まぁね。私自身、色々と片付けなきゃいけない事もあるから手っ取り早く済ませたいし」

 デルフの言葉に相槌を打ちつつ、霊夢は今から飛ぶ立つつもりなのか軽い準備運動をし始めた。

 どうやら彼女の中では、既に単独潜入は決定事項らしい。これには流石のルイズも止めようとする。

 

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!別に私はアンタに「見てこい」とか「飛んで来い」なんて事言ってないんだけど?」

「そんなん分かってるわよ。さっきも言ったように、やりたい事が沢山あるから夜中まで待ってられないってだけよ」

 最後にそう言った後、ルイズの制止を待たずして霊夢はその場で地面を蹴ってフワッ……と飛び上がる。

 まるで彼女の周囲だけ重力が無くなったかのように空中に浮かぶ霊夢は、そのまま水路の方へと向かっていく。

 止めきれなかったルイズが水路と道路を隔てる欄干で立ち尽くしている所へ、霊夢の背中で静かにしていたデルフが声を掛けてきた。

『まぁそう心配しなさんな娘っ子。レイムの奴ならオレっちも見てるし大丈夫さ。……多分ね』

「あ、ちょっと待ちなさい!アンタ今゛多分゛って口にしなかった?」

 咄嗟に止めようとするルイズに背中を見せつつ、彼女はデルフはフワフワと浮いたまま水路を渡っていく。

 静かに流れる水路の上を浮かびながら渡る霊夢の姿は、どこか現実離れな光景に見えてしまう。

 それを住宅地側から見るしかないルイズはハッと我に返り、次いでハクレイの方へと顔を向けて言った。

「こうしちゃいられないわ。こうなったら、私たちもアイツに続く形で入るわよ!」

「え?まさか今から侵入するの?」

 ルイズの急な決定に驚いたのは、ハクレイではなくその隣にいたリィリアであった。

 目を丸くする少女の言葉に、ルイズは「当り前じゃないの」と当然のように言葉を返す。、

 

「いくら何でもアイツ一人だけ行かせるのは色々と不安なのよ。分かるでしょ?」

「え?ふ、不安ってどういう……」

 言葉の意味を汲み取り切れない少女の不安な表情を見て、ルイズはそっと彼女の耳元で囁く。

「アンタのお兄さん。私とレイム相手に何したか知ってるでしょうに」

 その一言で、幼いリィリアはルイズの言いたい事を何となく理解できたらしい。

 あの倉庫の何処かにいるかもしれない兄の身に、霊夢という名のもう一つの危機が迫っている事を。

 それをあの少年の唯一の身内が悟ったのを見て、ルイズは苦虫を噛むような表情を浮かべつつ言葉を続ける。

「まぁアンタのお兄さんにはしてやられたけど、流石にレイム一人に任せても良い程憎いってワケじゃあないしね」

 自分自身彼にやられた事を忘れていない……と言いたげな事を口にした所で、スッとハクレイの方へと顔を向けた。

 

「じゃ、早速で悪いけど私とこの子を向こう側まで連れてってくれないかしら」

「……それは構わないけど、アイツみたいにそう簡単にひとっ飛び……ってワケにはいかないわよ」 

「それは分かってるけど、それしか方法がない分どうやっても跳んでもらわなきゃ向こう側へは行けないわ」

 ルイズからの頼みに対し一応は了承しつつも、ハクレイはフワフワと飛んでいく霊夢を見やりながら言った。

 やり方としては霊夢のような方法がスマートかつベストなのだろうが、確かに人二人を連れてあそこまで跳ぶというのはかなり酷なものだろう、

 かといってそれ以外に方法が思いつかないため、ルイズも気持ちやや押す感じでハクレイに迫っていく。

 ……たとえベストでなくとも。そう言いたげな彼女の雰囲気にハクレイは渋々といった感じでため息をついた。

「まぁ物は試しってヤツよね。……とりあえず、ここじゃ無理だから場所を替える事にしましょう」

 そう言ってからハクレイは霊夢に背を向け、近くにあるあの廃アパルトメントへと向けて歩き始める。

 彼女の行き先を見て、これから何が始まるのか察したルイズとリィリアは互いの顔を見合ってしまう。

「……もしかして、また『跳ぶ』の?」

「アンタはお兄さんを助けたいんでしょう?やれる事が少ない以上、覚悟はしときなさい」

 顔を真っ青にする少女に対し、覚悟を決めるしかないルイズも肩を竦めながらハクレイの後を追った。

 

 

 その頃になってようやく倉庫と外を隔てている外壁の傍までたどり着いた霊夢に、背後のデルフが呟く。

『お、向こうも動き出したな。こりゃ近いうちに一緒になれそうだぜ』

 彼の言葉にふと後ろを振り向くと、確かにルイズを先頭にハクレイとリィリアが何処へか向かって移動している所であった。

 恐らくあのアパルトメントに向かっているようで、成程あの四階建ての屋上から跳んでくるつもりなのだろう。

 言葉にしてみると結構トンデモであるが、リィリアを背負ったまま時計塔の頂上から無傷で降りてきたハクレイなら余裕かもしれない。

 まぁ彼女たちの事は彼女たちに任せるとして、今は自分がやるべき事を優先しなければいけない。

 再び外壁へと顔を向けた彼女はそのまま上へ上へとゆっくり上昇し、そっと頭だけを出して壁の向こうを見てみる。

 

 顔を出して覗き見たそこは丁度倉庫と倉庫の間にある道だったようで、影の所為で暗い道が十メイル程伸びている。

 これなら大丈夫かな?と思った時、すぐ近くにある右側倉庫の扉が開こうとしているのに気が付き、スッと頭を下げた。

 扉が開く音と共に複数人の足音が聞こえ、それからすぐに男のたちの喧しい会話が聞こえてきた。

「んじゃー今から昼飯買って来るけど、お前ら何にするんだ?俺はサンドウィッチにするが」

「俺、あの総菜屋の豚肉シチューと黒パンでいいや。ホイ、これにシチュー入れてきてくれ」

「俺は海鮮炒めでいいや。ホラ、あの総菜屋の向かい側にある看板にロブスターが描かれてる店。あ、あと辛口で」

 他愛ない、どうやらお昼ご飯のリクエストだったようだ。耳を澄ましていた霊夢は思わずため息をつきたくなってしまう。

 この分だと聞く必要はないかな?そう思った直後、海鮮炒めをリクエストしていた男の口から興味深い単語が出てきた。

「そういや、あの盗人のガキと裏切り者の分はいいのか?ガキを捕まえてきたダグラスのヤツがとりあえず食べさせとけって言ってたが」

「あ?そういえばそうだったな……どうする?」

「適当で良くね?総菜屋の白パンとミルクぐらいでいいだろ」

 それもそうだな。そんな会話の後に「じゃ、行ってくる」という言葉と共に買い物を頼まれた一人の靴音が遠くへ去っていく。

 残った二人はその一人を見送った後「戻るか」の後にドアを閉める音と、次いで鍵の閉まる音が聞こえた。

 

 男たちがその場にいなくなったのを確認したのち、壁を飛び越えた霊夢はそっと地面に降り立つ。

 レンガ造りの道にローファーの靴音を静かに鳴らした後、彼女はすぐ右にある扉へと視線を向ける。

 そして意味深な微笑を顔に浮かべた後、背中のデルフに「案外ツイてるわね」と言葉を漏らした。

「まさかこうも探してる場所の近くまですぐ来れるなんて。そう思わない?」

『表は傭兵だらけだと思う分、確かに楽っちゃあ楽だな。けれど、そっから先はどうする?』

 ひとまずここまでは上手く進んでる事を認めつつも、デルフはこの先の事を彼女に問う。

 先ほど聞こえた音からして、ドアのカギは閉まっているだろう。ドアノブを捻って確認するまでもない。

 

 見たところ侵入者対策か倉庫の窓もほとんど閉じられており、この道から入れる場所は無い。

 唯一表の道に出れば入り口はあるだろうが、恐らくあの光の先には警備の傭兵がうじゃうじゃいるに違いないだろう。

 この道から入れる場所といえば、道から十メイル以上も上にある天窓ぐらいなものだろう。普通ならそこまで近づくのは容易ではない。

 しかし……空を飛べる程度の能力を有する霊夢にとって、五メイル以上の高さなど大した難所ではなかった。

「まぁ天窓が全部閉じてるって事はあるかもしれないけど、この季節で倉庫を閉じ切ってるワケがあるわけないしね」

『つまりお前さん専用の入り口ってワケね。良いねぇ、ますます先行きが明るくなるな』

 機嫌が良くなっていく霊夢の言葉にデルフが返事をした所で、彼女は自分の身を浮かせて飛ぼうとする。

 自分がこの街でするべき事は沢山あるのだ。今回の件は手早く済ませて、そちらの方に取り掛からないと……

 

 

 そんな事を考えながら、いざ倉庫の一番上へと飛び立とうとした……その直前である。

 ふとすぐ背後から、何か石造りの重たいモノが地面を擦りながら動く音が聞こえてきたのだ。

 彼女はそれと似た音を神社に置いてある料理用の石臼などで聞いた事があった為、そう感じたのである。

 そんな異音を耳にした彼女は飛び立とうとした体を止めて、ついつい後ろを振り返ってしまう。

 彼女の背後にあったのは何の事は無い、地下に続いているであろう古い石造りの蓋であった。

 レンガ造りの地面とその蓋は材質が明らかに違い、恐らくここの地面を整備されるよりも前にあったのだろう。

 その蓋は誰かが通ったのだろうか取り外されており、その下に続く薄暗い穴がのぞけるようになっていた。

 穴が一体どこに続いているのか……諸事情で王都の地下へ行きたい霊夢にとって興味のある穴であったが、

 今は先に済まさなければいけない事があるので、名残惜しいが入るのは後回しにする事にした。

 

『どうした?』

「ん~……何でもないわ。そこの蓋が開くような音がしたんだけど……気の所為かしら?」

 デルフからの呼びかけにそう返した後、今度こそ上に向かって飛び立とうとした――その直前。

 自身の背後――あの穴のある場所から何かが動く音が聞こえてきたのだ。

 今度は気のせいではない。ハッキリと耳に伝わってくるその音に、霊夢は咄嗟に身構え――振り返る。

 視線の先、上に被せられていた石の蓋が取り外された穴の中から――誰かがジッとこちらを見上げていた。

 左右を小高い倉庫に挟まれ、昼間でも影が差す暗い道の下にある穴から、ジッと見つめる青い瞳と目が合ってしまう。

「うわッ!」

『ウォオッ!?』

 先ほどまで見なかったその目に油断していた霊夢は驚きの声をあげてしまい、次いで後ずさってしまう。

 しかし、それがいけなかった。後ずさった先――鍵の閉まった裏口の戸に鞘越しのデルフをぶつけてしまったのである。

 結果デルフまで悲鳴をあげてしまい、喧騒とは無縁な倉庫に二人分の悲鳴が響き渡る。

 

 ――まずい!思わず声が出てしまった事に気が付き、両手が無いデルフはともかく霊夢は思わず口を手で隠す。 

 一瞬の静寂の後、夏の日差しが差す表から警備の傭兵たちであろう複数人の喧騒がものすごい勢いで近づいてくるのに気が付く。

 これはさすがに不味いか。油断してしまったばかりに招いてしまった失敗に、ひとまず壁の向こう側に戻ろうとしたその時、

「おい、この穴の中に入れ」

 先ほど青い瞳が覗いていた穴の中から、聞きなれた女性の声と共にスッと籠手を着けた手が霊夢の靴を掴んできたのである。

「え?アンタ、その声――って、うわっ!」

 その声の主が誰かなのか言う暇もなく、彼女は穴の中にいた誰かの手によってその穴へと引きずり込まれてしまう。

 すぐに「ドサリ」という倒れる音が聞こえたかと思うと、すぐその後に籠手を着けた手が再び穴の中から現れ、今度は脇にどけていた石の蓋へと手を伸ばす。

 蓋の下には地下側から開ける為であろう取っ手を手に持ち、明らかに女と分かる細腕にも拘わらずすぐにそれで穴を閉めてしまった。

 

 穴を閉めて数秒後、すぐに表の方から傭兵たちの靴音がすぐそばまで近づいて止まる。

 軽装の鎧を付けていると分かる金属質な音が混じっている靴音と共に、彼らの話し声が蓋越しに聞こえてきた。

 

 

「おい、今ここから悲鳴が聞こえてきたよな?」

「あぁ。確か女の子っぽい声に――変なダミ声の男……かな」

「けど何にもいないぜ?」

「気の所為かな?にしてはやけにハッキリ聞こえたが」

 年齢も言葉の訛り方もそれぞれ違う傭兵たちの会話たけでも、彼らが様々な国から来たと分かってしまう。

 時折聞き取りづらい訛りを耳にしつつも、先ほど霊夢を穴の中に引きずり込んだ者はすぐそばで自分を睨む彼女へと視線を移す。

 暗闇越しでもある程度分かる何か言いたそうな表情を浮かべていた彼女であったが、流石に今は騒ぐべき状況ではない。

 今はただ、地上にいる傭兵たちがどこかへ行ってはくれないかと思う事しかできないでいる。

 しかしその思いが届いたのか否か、あっさりと傭兵たちは靴音を鳴らしながらその場を去っていった。

 

 靴音が完全に遠のいた所で、それまで我慢していた霊夢はようやく口を開くことができた。

 彼女はキッと目つきを鋭くすると、自分を穴の中に引きずり込んだものを睨みつけながら悪態をついた。

「……ッ!アンタねぇ、何でここにいるのか知らないけど。もう少しでバレるところだったじゃないの」

「それは悪かったな。……まさかお前みたいなヤツが、こんな所にいるなんて予想もしていなかったからな」

 霊夢のキツく鋭い言葉に対し、その者もまた鋭い言葉でもって対応する。

 両者、互いに暗い穴の中で険悪な雰囲気になりそうなところで、デルフが待ったをかけてきた。

『おいおいレイム、今は喧嘩してる場合じゃないだろ?それはアンタだって同じだろ?』

 デルフの言葉に両者睨み合いつつも、何とか一触即発の空気だけは抜くことに成功したらしい。

 相手に詰め寄りかけた霊夢は一旦後ろへと下がり、未だ自分を睨む人物――女性へと言葉を掛ける。

 

「――で、何でアンタがこんな所にいるのか聞きたいんだけど?良いかしら」

「私が話した後で、お前も目的を話してくれるのなら喜んで教えよう。お前にその気があるのならば」

 

 人気のない地区にある巨大倉庫。その真下に造られた地下通路と地上を繋ぐ場所で、両者は見つめあう。

 互いに「どうしてこんな所に?」という疑問を抱きながら、博麗の巫女と女衛士は邂逅したのである。

 

 

「はぁ、はぁ……流石に四階分一気に上るのはキツかったわ…」

 その頃、壁を乗り越えた霊夢に大分遅れてルイズたちもアパルトメントの屋上に到着していた。

 流石に四階分の階段を走って上るのに疲れたのか、少し息を荒くしている。

 その彼女の後を追うようにしてハクレイと、彼女の背におんぶするリィリアも屋上へと出てきた。

 後の二人も上ってきたのを確認してから一息つき、次いでルイズは屋上から一望できる光景を目にして「そりゃ誰も住まないわよね」と一人呟く。

「こんなところに四階建てのアパルトメントなんか建てたって、物凄い殺風景だから階層が高くても意味がないし」

 一体誰が建設したのやら、と思いつつ。屋上から見下ろせる殺風景な住宅街と倉庫を見てここが廃墟になった理由を察していた。

 この建物を最初に目にしたルイズの予想通り、アパルトメントには誰も住んでおらず中は荒れ放題であった。

 最低限管理は行き届いてるのかドアはすべて閉まっていたが、ここに行くまで壁に幾つもの落書きをされていたし、

 一階のロビーは野良猫のたまり場になっていたりと、管理されているのかいないのか良くわからない状態を晒している。

 ある程度綺麗にすれば今の時代買い手はつくかもしれないが、近場に店もなく中央から離れていたりと立地が悪過ぎて話にならない。

 

 

 

 生まれる時代を間違えたとしか思えない廃墟の屋上で彼女は一人考えていると、

 リィリアを下ろして屋上の手すり越しに倉庫を見下ろしていたハクレイがルイズに話しかけてきた。

「ねぇ、さっきまで壁際にいたアイツの姿が見えないんだけど?」

「え?……あ、ホントだ」

 彼女の言葉にルイズも傍へ寄り、先ほどまでいた霊夢の姿が見当たらないことに気が付く。

 あの霊夢の事だ、恐らく壁を越えて倉庫の中に侵入したのだろう。

 ならのんびりしてはいられない、自分たちも動かなければいけない。ルイズは軽く深呼吸する。

 何のこともないただの深呼吸であったが、これから行う事を考えれば覚悟を決める意味でしなければいけない。

 彼女の深呼吸を見てハクレイも察したのか、ルイズに倣うかのように軽い準備運動をしつつ話しかけてきた。

「……で、本当にするつもりなの?まぁ、するっていうならするけど」

「――本当はもうちょっとだけ猶予が欲しかったけど、そろそろ覚悟決めなきゃね」

 

 ハクレイからの質問にそう返すと、ルイズもまた軽い準備運動で体をほぐしていく。

 その場で軽くジャンプしたり、両手首を軽く振ったりしたりする動作はとても貴族の少女がやる準備運動とは思えない。

 しかし、近年では魔法学院で乗馬の他に騎射の練習が頻繁に行われるようになった為、こうした軽いストレッチを行うこと機会が増えている。

 一昔前の貴族が見たら「何とはしたない」や「お淑やかさがない」と言われるような行為も、今では立派な「貴族のストレッチ」として認知されていた。

 

 暫し軽く体をほぐした所で、ハクレイはルイズとリィリアの二人に声を掛けた。

「……さて、準備運動も終わったしそろそろ向こう側へ渡るとしましょうか」

 彼女の言葉にルイズは無言で頷き、顔を青くしたリィリアもおそるおそるといった様子で頷いた。

 それを覚悟完了と受け取ったハクレイもまた頷き、彼女はリィリアを再び背中に担ぐ。

 自分の背中にのった少女が小さな手でギュッと巫女服を握ったのを確認して、次にルイズへと視線を向ける。

 暫し彼女の鳶色の瞳と目を合わせた後自身の左腕へと視線を向けると、そっと腕を上げて見せる。

 その行動に何の意味があるのかと一瞬訝しんだ彼女はしかし、すぐにその真意に気が付き――次いで顔を顰めた。

「……まさか、私はアンタの腕に抱かれてろって事?」

「他に場所が無いわ」

 ……まぁ確かにそうだろう。ため息をつくルイズは大人しくハクレイの右脇に抱えられる事となった。

 ルイズを脇に抱え、リィリアを背負う彼女の姿はまるで子供のXLサイズのぬいぐるみを携えたサンタクロースにも見えてしまう。

 しかし今は冬でもないし、何よりこの場にいる三人はサンタクロースの存在すら知らないのでリィリアを除く二人は真剣な表情を浮かべていた。

 その理由は無論、これからやらかそうとしている事が無事に成功するようにと祈っているからであった。

 ルイズは始祖ブリミルに、そしてハクレイは誰に祈ればいいのかイマイチ分からなかったので、この場にいないカトレアに祈っていた。

 

 二人を抱えてから十秒ほど経った所で、ハクレイが重くなっていた口を開いた。

「……それじゃあ、いくわよ」

「いつでもいいわよ。飛んで頂戴」

 彼女からの事前警告にルイズはそう返し、リィリアは目を瞑ってハクレイの肩を掴む手に力を入れる。

 ルイズも彼女の右腕を掴む両腕に力を入れ、二人が準備できたと感じたハクレイは自らの霊力を足へと注いでいく。

 

 

 足のつま先から太ももまでを模して作った容器に水を注いでいくかの様に、足に溜め込まれていく彼女の暴力的で荒い霊力。

 ルイズとリィリアもそれを感じているのか、二人はハクレイの体から感じる微かな違和感に怪訝な表情を浮かべてしまう。

 そんな二人をよそに霊力を蓄えていくハクレイは、ここから倉庫までの距離を考えて霊力を調節していく。

(多すぎてもダメ、少なすぎてもダメ……まだまだ回数はこなしてないけど、ちょっとこれは難しいかな?)

 実際の所、この力を使って跳躍した回数自体はそれ程多くは無い。指を数える程度もない程に。

 本当ならば初っ端からこんな危険な事をすべきではないと思うのだが、それでもハクレイはある種の確信を感じていた。

 ――――今の自分でも、この距離を飛ぶ事など造作もない、と。

 自身過剰にも思えるかもしれないが、それでもハクレイはその確信を信じるしかない。

 既に二人は覚悟を決めているし、何よりこんな事は゛初めて゛ではないのだ。

 

 そうこうしている内に、彼女が想定しているであろう霊力が足に溜まったらしい。

 青く光り始めたブーツを見ずとも、既に準備は終わったと自らの体が告げている事にハクレイは気づいていた。

 彼女は一回だけ、短い深呼吸をした後――ルイズたちを抱えたまま屋上の手すりに向かって走り出す。

 まさか突っ込むつもりか?――手すりに気づいていたルイズは、慌ててハクレイに話しかける。

「ちょ、ちょっと!手すりがあるんだけど、あれどうするのよ!?」

「問題ないわ。むしろ丁度いい踏み台になってくれるわ」

 ルイズの言葉に集中しているハクレイは淡々とした様子でそう返しながらも、足の速度を一切緩めない。

 ブーツの底が地面を蹴る度にレンガ造り地面に罅が入り、そこから飛び散った無数の破片が宙へと舞っては落ちていく。

 一歩目、二歩目、と勢いよく足を進めていき、そして六歩目――という所で、その場で軽く跳んだ。

 無論、そんな勢いのないジャンプで跳躍するワケではなく、彼女が降り立とうとしている場所は手すりの上。

 このアパルトメントと同じように長い間放置され、錆びだらけになった手すりの上に彼女は着地し――その勢いのまま再び跳んだ。 

 

「――あっ」

 その瞬間、自らの体に掛ってくる風圧にルイズは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 重力に思いっきり逆らいながらも、風に纏わりつかれながら上昇していく自らの体。

 彼女は思い出してしまう。幼少時にとんでもない失敗をしてしまった時に、母から躾と称して遥か上空に吹き飛ばされた時の事を。

 今と同じように、あの時も重力に思いっきり中指を立てつつ飛び上がっていく自分の体には、鬱陶しいくらいに風が纏わりついてきた。 

 ちぃねえさまがセットしてくれた髪型も滅茶苦茶に乱れて、着ていたドレスはバタバタとまるで別の生き物のように動いていたのは覚えている。

 その時になって初めて知った事は風の音があんなにもうるさいという事と、自分の体が地上数百メイルの高さまで打ち上げられたという事であった。

 何の道具も無く、ドレス姿で空高く打ち上げられた時に体験した感覚と恐怖を、彼女は思わずゾッとしてしまう。

 

――――これで失敗したら、アンタに蹴りの一発でもぶちかましてやりたいわ

 

 リィリアとは違い、跳躍したハクレイの脇に抱えられたルイズは心の中で思わず叫んでしまう。

 霊夢とは違い空を飛べない巫女の脇に抱えられたまま、地上数十メイル以上を跳躍されたら誰もがそう思うに違いない。

 実際の所、ハクレイがビルから跳んだ時間はほんの五秒程度であったがルイズにとっては十秒近い体験であった。

 遥か下に見える地面に吸い込まれそうな錯覚に怯えそうになった彼女が、思わず目を瞑った……その直後。

 地面を蹴って跳び上がったハクレイの足が再び地に着き、靴が地面を擦る音が耳に聞こえてきたのである。

 その地面はレンガ造りとは違う独特な音を出し、靴が擦れる音はさながら鉄板の上にいるかのような金属質的な感じがする。

 

 

 

 その二つの音が聞こえた後、あれだけ体に纏わりついていた強い風が嘘のように大人しくなっている。

 ……一体どうなったのか?瞑ったばかりの瞼を開き、鳶色の瞳でハクレイの足元を見た彼女は思わず目を丸くしてしまう。

 耳で聞いた音は間違っていなかったのか、ハクレイが着地した場所はルイズが彼女に指定した場所であったからだ。

「……まさか、本当にぶっつけ本番で跳び切ったの?」

「言ったでしょう?問題ないって」

 信じられないと言いたげなルイズの言葉に、ハクレイは額から落ちる冷や汗を流しながら返す。

 冷製な言葉とは裏腹な様子を見せる彼女を見て、帰りは霊夢に頼もうと心に決めたルイズであった。

 

 結局のところ、二人の少女を抱えたまま跳んだハクレイは無事に倉庫の屋根へと着地する事ができた。

 ルイズは無事にここまで来れたことに関して始祖ブリミルに軽くお礼をしつつ、他の二人へと視線を向ける。

 リィリアは最初から目を瞑っていたお陰か、気づいたら廃墟から倉庫の屋上に来ていた事に多少驚いている様子であった。

 一方でここまで自分たちを連れてきてくれたハクレイは、思った以上に自分自身の技量を読み切れていなかったのだろう、

 はたまた小柄と言えども人二人を抱えて跳べた事に自ら驚いているのか、倉庫の屋上から先ほどまで廃墟を見つめ続けている。

 ルイズ自身彼女に何か一言軽い文句を言っておやろうかと考えはしたが、やめた。

 それよりも今はするべき事があると思い出して、自分たちが今いる場所の状況を確認する。

 

 倉庫の天井は光を入れる為の天窓が六つ作られており、季節の関係上六つとも開かれている。

 これなら侵入は容易だろうが、うっかり窓から身を乗り出して覗こうものならすぐに気づかれてしまうに違いない。

 何せ開いた天窓から光と大して涼しくもない風を取り入れているのだ、そんな所に身を乗り出せばすぐに影が地面に写ってしまう。

 それを見られて誰かが屋上にいるとバレれば、絶対に厄介な事になってしまう。

 それだけは避けたいルイズであったが、かといって中の様子を確かめずにぶっつけ本番で入るのは躊躇ってしまう。

 リィリアの話からして、相手は複数人の可能性が高い。そんな所へ不用心に入るのは如何に魔法が仕えるとしても遠慮したい。

 そういう時は側面の窓から確認すればいいだけなのだろうが、生憎そう簡単に覗ける程ここの倉庫は低くは無い。

「こういう時にレイムがいてくれれば良いんだけど……アイツ、どこに行ったのかしら?」

「あら?こいつは奇遇ね。私が来たと同時に私の名前が出てくるなんて」

 

 聞きなれた声が背後から聞こえてきたルイズはバッと振り返り、アッと声を上げる。

 案の定そこにいたのは、丁度顔を見えるところまで浮き上がってきた霊夢の姿があった。

「レイム、一体どこで油売ってたのよ?アンタが一番乗りしてたくせに」

「ちょっと色々と、ね?……それで、三人いるところを見るに本当に跳んできたワケね」

 ルイズの質問にそう返しつつ、屋根へと着地した霊夢はハクレイの方へと呆れた言いたげな表情を浮かべながらそんな事を呟く。

 まぁ普通に空を飛べるし、それが当り前な彼女にとって目の前にいる巫女もどきがやった事に対して「良くやるわねぇ……」と言いたい気持ちは分かる。

 というか、ルイズ自身も成功した後で同じような気持ちを抱いていたので、彼女の言いたい事は何となく分かる気がした。

「……まぁ、距離感は何となく分かってたから。難しかったのは二人を抱えた状態でどれくらい力を入れたら良いか……って事くらいかしら?」

 そんな彼女の気持ちを読み取れなかったのか否か、ハクレイは飛び移ってきた廃墟を見ながら言葉を返す。

 半ば皮肉とも取れる自分の言葉に対して真剣に返してきた事に、流石の霊夢も肩を竦める他なかった。

 

 まぁ何はともあれ、無事にたどり着けたという事実は変わらない。

 時間を無駄に掛けたくなかった霊夢は「まぁ今は本題に取り掛かりましょう」と話の路線を元へと戻していく。

 ルイズたちもその言葉に意識を切り替え、なるべく足音を立てないよう彼女の元へと近づいていく。

 まず最初に口を開いたのは、浮上してきた霊夢を真っ先に見つけたルイズであった。

「それで、どうするの?倉庫の敷地内に入れたのは良いけど、さすがに一つずつ探していくのには時間が掛かるわ」

「あぁ、その事ね。それならまぁ、うん……大丈夫だと思うわよ」

 ここへ入ってきた薄々感じていた不安を口にした彼女に対して、巫女は何故か自信満々な笑みを浮かべて返す。

 その意味深な笑顔に訝しんだルイズが「どういう事よ?」と首を傾げた所で、霊夢はルイズと他の二人に向けて説明する。

 ここへ一足先に乗り込んだ時に聞いた、この倉庫の中から出てきた男たちの会話の内容を。

 

 霊夢から説明を聞き終えたところで、リィリアは喜びを堪えるかのような表情を浮かべて口を開く。

「それじゃあ、お兄ちゃんはここに……!」

「多分、ね。まぁこんだけ大きいなら子供の一人や二人どこかに隠しながら監禁する何て容易いだろうしね」

「成程。……けれど、盗人の子供……は分かるとして、裏切り者って誰の事かしら?」

 少女の言葉に霊夢はそう返すと、今度は説明を聞いていたハクレイが質問を飛ばしてくる。

 それはルイズも同じであった、もしも彼女が質問をしていなければ代わりに彼女が口を開いていたであろうくらいに。

 その質問を聞いた霊夢は珍しく言葉を選ぶかのような様子を見せた後、面倒くさそうな表情を浮かべてこう言った。

「あぁ~……それね?それについては、まぁ……私の代わりに答えてくれるヤツがいるからソイツに聞いて頂戴」 

「「代わり?」」

 思わぬ巫女の言葉に、珍しくもルイズとハクレイの二人が同じ言葉を口にした瞬間、

 黒い鋼鉄製の爪が霊夢の背後、柵の一つもない倉庫の屋根の縁を掴んだのである。

 

 まるで猛禽類のそれを思わせるような鉄の鉤爪の下には、ロープが結ばれているのだろう、

 何者かがロープ一本を頼りに上ってくるであろうと、直接下の様子を見なくても分かる事ができた。

 突然の事にルイズは目を丸くし、ハクレイは怪訝な表情を浮かべつつもリィリアを自身の後ろへと隠す。

 対して霊夢は軽いため息をつきつつ、極めて面倒くさい事になったと言いたげな表情を浮かべていた。

 そして屋根へと上ってくる者に対してか、「ややこしい事になったわよねぇ」と一人呟き始める。

「全く、せめて来るならもう少し時間をずらして来てくれなかったものかしら?」

「……それは、お互い様だと言っておこうか」

 嫌味たっぷりな彼女の言葉に対して、上ってくる者は鋭い声色で返した時にルイズはハッとした表情を浮かべた。

 ルイズもまた霊夢と同じく聞き覚えがあったのである。まるで研ぎ澄まされた剣先の様に鋭い、彼女の声を。

 

 それに気づいたと同時に上ってくる者はその右手で屋根の縁を掴み、そして姿を現した。

 最初は顔、次いで片腕の勢いだけで上半身を出した所でルイズはアッと大声を上げそうになってしまう。

 それは不味いと咄嗟に思い自らの口を両手で塞ぎながらも、目の前に現れた人物の姿を信じられないと言いたげな目つきで見つめる。

 ハクレイは何処かで見た覚えのある顔に目を細める中、背後にいるリィリアはその人物の外見を一瞥して身を竦ませた。

 今のリィリアにとって急に姿を現した者は、文字通り天敵と言っても差し支えない者たちと同じ姿をしていたのだから。

 三人がそれぞれの反応を見せる中で、素早く屋根に辿り着いた相手に霊夢は肩を竦めながらも言葉を投げかける。

「ホラ見なさい、予期せぬアンタの登場でみんな驚いてるわよ」

「……だから、驚きたいのは私も同じなんだがな?」

 自分たちの事を棚に上げる霊夢に対してその人物――アニエスもまた肩を竦めながら言い返した。

 

 

 

――ちょっと待ちなさい、これは一体どういう事なのよ……ッ!?

 

 両手で口を塞いだまま唖然としているルイズは、心の中で叫びながらも霊夢と対面するアニエスを凝視する。

 確か彼女は王都の警邏を任されている衛士隊の一員で、これまでにも何回か顔を合わせた事があった。

 衛士隊、といっても貴族で構成されている魔法衛士隊とは違い基本平民のみで構成されている警邏衛士隊。

 平民とはいっても一応警察組織としての権限は一通り持っており、王都にいる犯罪者達にとっては厄介な存在である。

 基本的な戦闘術と体力を厳しい訓練で体得し、馬車専用道路の交通整理から犯罪捜査までこなす法の番人たち。

 その衛士隊の一員であり、前歴から「ラ・ミラン(粉挽き女)」と呼ばれ街のゴロツキ達に恐れられているのが目の前にいるアニエスである。

 では、なぜそのアニエスが自分たちの目の前――しかも倉庫の屋根の上で出会ってしまうのであろうか?

 

 これが街の通りとか街角にある店の中で出会ったというのならまだ偶然と片付けられるだろう。

 アニエスにしても何かしら用事――少なくとも自分たちとは関係の無い事――があってそこにいたという事は想像できる。

 もしかしたら一言二言言葉を掛けられるだろうが精々あいさつ程度だけ済ませて、その場を後にしていたに違いない。

 しかし、こんな明らかに雑用があって来たワケではない場所で対面したという事は――彼女もまた用事があって来たのだろう。

 少なくとも、買い物とか街の警邏とは絶対にワケが違う事をしでかしに。そしてそれは、自分たちもまた同じである。

 ここまで思考した所でようやく落ち着いたのか、両手を下ろしたルイズは軽く深呼吸した後アニエスへと話しかけた。

「な、なな……何でアンタがこんな所にいるのよ?」

「……それは私のセリフだが、後から来た私が説明した方が手っ取り早いか」

 ルイズたちより後から来たアニエスもまたルイズたちがここにいるワケを知りたかったものの、

 ここは先に話しておいた方が良いと感じたのか、その場で姿勢を低くするとルイズたちの傍へと寄っていく。 

 霊夢だけは先に事情を知っているのか、デルフと共にその場に残って空を眺めている。

 

 アニエスが自分たちの傍へと来たところで、ルイズもまたその場で膝立ちになって彼女へと質問を投げかける。

「で、何で衛士のアンタがこんな所にいるのよ?まぁ何かそれなりの用事があるのは分かる気がするわ」

「そっちの目的も後で聞きたいとして……私は、そうだな。仕事の一環とでも言えば良いんだろうか?」

「こんな所に一人仕事に来る衛士なんて見た事無いわ」

 ぶつけられた質問に対するアニエスからの回答に、ルイズはささやかな突っ込みを入れた。

 金で雇われた傭兵たちが警備する倉庫に、たった一人の衛士が何の仕事をしに来たのであろうか。

 何かしらの不正がらみで捜査に来たのなら、捜査令状と仲間たちを連れてくれば今よりもずっと簡単に倉庫の中を覗けるだろう。

 そうでないとしたらそれはやはり、あまり口にはできないような事をしに来たのであろう。

 ――まぁ、それは自分たちも同じことか。ルイズは一人内心で呟く中、アニエスは更に言葉を続けていく。

 

「まぁそうだろうな。正直、今回は半分衛士としてここに来たワケじゃあないからな」

「半分?それってどういう意味かしら」

 彼女口から突如出てきた意味深な言葉に反応したのは、ルイズと同じく聞いていたハクレイであった。

 以前一回だけ目にしたことのあった女性からの質問に、アニエスは「御覧の通りさ」と両手を横に広げながら言う。

「今日は午後から休みを取っててな、ここに来たのは仕事半分――そしてもう半分は私用なんだ」

「あら?確かに。良く見たら腰に差してるのってただの警棒……というかほぼ木剣ね」

 そんな事を喋る彼女の姿をよく見てみると、本来持っている筈の物を持っていない事にルイズが気が付いた。

 

 衛士隊が護身用として腰に差している剣を装備しておらず、その代わり一振りの警棒がそこに収まっている。

 警棒もまた衛士隊の官給品ではあるが、剣と比べて振り回しても安全なのが取り柄の武器だ。

 但しその警棒自体彼女の改造が加えられており、外見だけならば一振りのマチェーテにも見えてしまう。

 自衛用としての武器なら十二分なのだろうが、私用で使うにはやや過剰な武器に違いない。  

 

 他にも腰元を見てみると、捕縛用の縄もしっかりと持ってきているのが見える。それにここまで上って来るのに使ってきた鉤爪……。

 ゛私用で゛ここに来たというにはあまりにも物騒なアニエスの持ち物と姿を見て、ルイズは「成程、私用ね」と納得したように頷く。

「少なくとも私が考え得る平民ならアンタみたいに衛士の装備を着けたまま、物騒な道具を持ち歩いて――ましてやこんな所へ来ないと思うわ」

「だろうな。私だってブルドンネ街のバザールで買い物する時はもう少しラフな服装でしてるよ。こんな姿じゃあスパイス一袋も買えないからな」

 ルイズの言葉に何故か納得したように頷いた後、小さなため息を一つついてから言葉を続けていく。

 ここからが本題なのだろう。彼女の態度からそれを察知したルイズたちは自然と身構えてしまう。

「まぁそれ程大それた事じゃない。ここには単に、人探しに来ただけさ」

「人探し……ですって?」

 わざわざこんな場所で、どんな人物を探しに来たというのだろうか?

 それを口に出したいルイズの気持ちを読み取ったか否か、アニエスはあぁと頷きながら話を続ける。

 

「面倒なことに、その探し人はこの倉庫のどこかにいると聞いてな」

「成程。だからそんな物騒な姿でやって来たっていうワケね?剣じゃなくて木剣を携えてきたのは意外な気がするけど」

「あぁ、そいつの言葉次第で殺してしまうかもしれないからな。敢えて剣は置いてきたんだ」

「へぇ~、そうなん……――はい?」

 

 アニエスが口にした言葉を耳にして、ルイズは自分の耳がおかしくなったのかと思った。

 それを確かめる為か否か、彼女はアニエスに「今何て?」と言いたげな表情を向ける

「アナタ、ついさっき物騒な事言わなかった?」

「いや、間違ってはいないさ。ここに来るまでの間、剣を取りに戻ろうかと思っていた程には殺意があるんだ」

 ルイズの質問に対し、アニエスは表情一つ変えぬままあっさりと自らの殺意を口にする。

 その告白にルイズは思わず息を呑み、ハクレイは何も言わぬまま鋭い目つきで彼女を睨む。

 ハクレイの後ろにいるリィリアも思わず彼女の体越しに、アニエスの様子を窺っていた。

 

「言っとくけど、殺すんなら人目につかいな所でやんなさいよね?こっちは子供だって連れてきてるんだし」

「それは分かってるよ。…で、その子供が誰なのかちゃんと教えてくれるんだよな?」

 元々緊迫していた周囲が更なる緊迫に包まれる中、先に話を聞いていた霊夢は空を眺めたまま彼女へと話しかける。

 巫女の言葉に頷いたアニエスはリィリアの方へと視線を向けて、話す側から聞く側へと回った。



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