得意技は殴打、必殺技も殴打 (アッパーカット)
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見棄てられた領域にて 1 プロローグ

 

 

 

「……おお?」

 

 その出会いは偶然だった。

 “見棄てられた領域”第五階層──ろくに整備もされていない路を大量の魔鉱石を背負ってのこのこと歩いていた少年・クロウは、横合いの藪から飛び出てきた少女に目を見張った。

 

 この階層で初めて他人を見たというのがその理由の一つ。そしてもう一つクロウが目を引かれた理由は、少女そのものにある。

 

 空中に広がる金糸の髪は繊細に宙を舞い、光を織った滝のようだ。身に纏う紅のコートはきめ細やかな刺繍が施されて、一目で上等なものだと見て取れる。

 迷宮の中でも最も治安の悪いゴミ溜めのような街に住まうクロウには、二度と目にすることもないかもしれないような代物だ。

 

 だがクロウの目を惹きつけたものは、そんな些細にしてどうでもいい少女の身なりなどではなかった。──少女の見せる、あまりにも不敵な表情。それこそがクロウを惹きつけた。

 それは少女の持つどことない上品さや華奢な体つきにはひどく不釣り合いな、まるで獰猛な野生の獣が牙を剥くような、そんな表情だった。

 

 そして数瞬後、十数メートル先に少女の後を追ってきたのだろう、少女の身の丈をはるかに越える巨大な魔獣──四足型のそれが木々を折り飛ばし蹴倒しながら森から飛び出し、地面を揺らしながら着地する。

 少女に向かい合って唸り、二、三度蹄で地を掻いた魔獣は、ひときわ大きくいななくと、怒涛の勢いでこちらへと突進してきた。

 

 少女は早口で詠唱する。少女の全身を淡い燐光が覆い、急激に冷やされた空気からはパキパキと音が鳴る。

 氷を幾重にも織って目の前に現出した巨大な槍……クロウの胴体よりも太いそれを中空に掲げて、少女は叫ぶ。

 

「氷華・大葬槍ッ!」

 

 少女の手の動きとともに前へと打ち出された大質量のそれは魔獣の加速度とも相まって、恐ろしい衝突音を立てた。

 湾曲し、突き出した魔獣の巨大な牙に砕かれた氷の大槍は砕け、しかしその破片は何十もの槍へと形を変え、剣山のように魔獣へと突き刺さる。

 

「……氷華・冷血!」

 

 少女が一瞬のうちに魔法を構築する。魔獣の肉体に突き刺さった氷槍が鈍く輝き、魔獣がビクンと大きく身を震わせ、動きを停止する。少女の氷槍を触媒とした氷魔法により、突き破った皮膚の下に存在する血管を通じて、体内に冷気を直接送り込まれているのだ。

 

 だが次の瞬間、咆哮が轟く。空間の空気全てを震わせ、弾き飛ばすようなその咆哮により、少女の魔法は破られた。魔獣の行動はどこまでも単純──怒りに肉体を任せ、憤激する。

 それによる筋肉の収縮で氷槍を砕いた。……魔獣としての圧倒的な身体スペックが、その冗談じみた力技での魔法破りを可能とする。

 

 猛り、嘶き、目を濁らせてこちらへと突進する魔獣。少女はいくつもの魔法を並列展開し、矢継ぎ早に魔獣へと投げつける。

 それらは足止めとして機能するが、しかしほとんどは分厚い毛皮に阻まれて、有効打とは言い難い。

 少女は小さく舌打ちをした。

 

 

 

 数分が経過しても戦いは拮抗していた。少女が魔獣へと初撃で負わせた傷は致命傷ではないにせよ、小さくはない。初撃と同クラスの魔法で魔獣を削っていくことができれば、時間はかかるが勝利を手にすることができるはずだ。

 

 だが、それは必ずしも少女の有利を意味しない。魔獣は魔獣で少女の間断ない魔法により足止めされてはいるが、その巨大な牙を常に少女へと向けている。直撃すれば、それは容易く少女の柔肉を貫通し、致命の一撃となる。

 

 

 

 少女の背後でその戦いをぼうっと眺めていたクロウは、なかなか戦いが終わりそうになかったので少女に話しかけてみた。

 

「すまないが、いいか」

「氷華──ッ!? ……人!? こんなところに!?」

「こんなところとは失礼な。ここはおれの仕事場の近くだぞ。ところで通ってもいいか?」

 

 クロウの言葉に一瞬、少女はぽかんと口を半開きにして疑問符を浮かべる。それは張り詰めた弦が一瞬だけ緩んでふと柔らかい音を響かせるような、年相応の幼さを伺わせる表情だった。そして次の瞬間、魔獣に視線を戻した少女は慌てた口調で叫ぶ。

 

「……見ろよ! 今、戦ってるだろ!?」

「そうだな。大変そうだ」

 

 今もいくつもの魔法を並列起動して手当たり次第魔獣に投げつけている少女は、イラッとした表情でクロウを見た。あどけない造りの顔であるのに、その表情には迫力がある。

 クロウは弁解するように提案した。

 

「おれは別に、早く倒せと言っているんじゃない。通ってもいいか、と聞いているんだ。戦っているのを邪魔はしたくないからな」

「構わないが! だけどなぁ……っ!」

 

 少女は短縮詠唱で創り出した氷柱で四方から同時に魔獣を打ち据えるも、サイズからして人間の何倍にもなるその魔獣には負傷を刻んだとしても決定打にならない。まだまだ決着には時間がかかりそうだった。

 

 しかし当のクロウはそれに答えず、背に負っている巨大なカゴを下ろしてガサガサと探る。

 取り出した手には、精錬する前の魔鉱石──控えめに言っても言わずとも、見た目上はやや黒っぽいだけのただの岩を持っていた。

 

「……それをどうする?」

 

 クロウの手に持つそれをちらと見た少女の声には不信感が露わとなっている。見るからにみすぼらしいこの少年が、この取り出した石の塊をどうするのか。

 その視線に頓着せずにクロウは魔鉱石を持ち上げ、宙へと放り──

 

「こうだ」

 

 殴りつけた(・・・・・)

 

「ッ!?」

 

 軋んだそれは、ごうと風を伴って尋常ならざる勢いで飛翔する。空間を散らばっていた破砕氷の粒をさらに細かく砕きながら、弾丸のような勢いで魔獣の片目に衝突した。破られた魔獣の角膜からは血煙が上がり、魔獣は頭部を僅かに仰け反らせる。

 

「……うむ」

 

 クロウは頷いた。

 魔鉱石を失うのは惜しいといえば惜しかったが、あのサイズでは結局、大した金額にはならない。それよりは、時間通りに魔鉱石を納入する方がクロウにとっては大事だった。これでもクロウは、仕事に関してはそれなりに真面目なのだ。

 

「じゃあ、頑張ってな」

 

 絶句する少女にクロウはそう言って、魔獣に向かってのこのこと歩く。片目を奪われて狂乱する魔獣の動きは激しいが、しかしまるで柔軟性が無い。隣を通り抜けるクロウにも気付かず暴れるだけの、鈍重な動くオブジェに過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 クロウはそのままねぐらのある階層へと戻り、予定通りに魔鉱石を換金し、肉をたっぷりと食って寝た。ねぐらのボロ布に身を横たえて意識を手放す寸前、クロウは何故か、黄金と紅の少女の獰猛な笑みを思い出す。

 思い出すと妙に目が冴えて眠れない。……なぜだろうか。あの少女のどこが気になるのか。クロウはそう自問して、答えを出した。

 

「そうだ。なんだか、楽しく生きてそうな顔だったな」

 

 うむ、とクロウは頷く。人生、楽しいに越したことはない。クロウはなんの解答にもなっていないそんなことを思って、今度は一瞬で意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして二日後、街をぶらついていたクロウは、この階層に住む人口の10分の9ほどの割合で存在するチンピラどもに絡まれている少女を見つけた。

 面倒臭そうな表情をしていた少女は、しかしふと顔を上げてクロウを視界に入れると微笑んだ。その笑みはやはり、牙を剥く猛獣のような印象を与えた。

 

 二度目の出会いは偶然ではなく、必然のようだった。

 

 

 

 

 

 



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2 クロウという少年

 

 

 

 

 迷宮──地下奥深くへと続く、いつから存在していたともしれない、或いはそれこそが世界の始まりなのではないかと言われるそれは、巨大な街が丸ごといくつも収まるほどの、一層一層があまりにも広大な階層の連なりによって構成されている。

 

 階層の数は依然として知れない。……果たして百層が迷宮の最奥となるのか、或いは無限の深淵へと続くのか──その問いにはまだ、誰一人として答えを出せていない。

 

 迷宮がその名を世界に轟かせるのは、そこに出現する魔獣や、産出する迷宮特有の鉱石、そして異界の知識を匂わせる奇妙な遺物のためだ。

 

 迷宮の外には存在しない摩訶不思議な財宝の数々は、いつの世も人々の好奇心と欲望を刺激し、無謀な挑戦へと掻き立てる。

 ──すなわち、深く。より深く、さらに深く。誰も訪れたことのない、この迷宮の深奥へ。

 

 しかしながら、である。……迷宮の地上部分(・・・・)が、探索者であれば普通は足を踏み入れない領域──“見棄てられた領域”と呼ばれていることは意外と知られていない。

 全五階層から成るその領域は、外から見ればまるで天を衝く巨塔。迷宮というものをよく知らない人間であれば、或いは“見棄てられた領域”こそが迷宮であると勘違いするのも無理はない。

 

 だが実際には、“見棄てられた領域”に探索者が足を踏み入れることは少ない。

 その理由は多々存在するが、そもそもの問題、迷宮で生まれたわけでもない『外』から来たまともな探検者には、“見棄てられた領域”に足を踏み入れる理由が存在しないのだ。なぜなら彼らの最前線は頭上にではなく、常にその足元深くに存在しているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 ──と。そんなまともな探検者ならまず足は踏み入れない“見棄てられた領域”の中でも人間の住める環境の上端……はっきりと言えば行き場の無いゴロツキどもの集まる第三階層において、その住人であるクロウとおそらくはまともな探索者ではないのであろう少女は、二日ぶりに再会していた。

 

「見つけた! なあ、そこの黒髪のぬぼーっとした雰囲気のお前だ!」

「それはおれのことを言っているのか」

「あの後、探してたんだ。話してみたかったからな!」

 

 少女が屈託無くぶんぶんと手を振るので、クロウはそちらの方へと向かっていく。

 が、その途中に少女を囲んでいたチンピラどもが立ち塞がった。自分たちを舐めた態度の少女と、チンピラ達の頭越しに会話するクロウの両方が気に入らないのだろう。実にチンピラ的な理由で、チンピラ達はチンピラ活動に勤しんでいた。

 

「おうガキ。テメエに用はねえんだよ。さっさと視界から消えろや」

「やっか? お? テメー俺らに逆らうんか? あ?」

 

 拳をバキバキと鳴らし、下品にニヤニヤと笑いながらクロウに詰め寄るチンピラ達。クロウはチンピラ達の言葉に、ゆるゆると頭を振った。

 

「いや。そんなつもりはないぞ」

「お? なんだ素直じゃねーか。なら特別に有り金全部で許してやるよ」

 

 そのあまりにもチンピラクオリティの高い返答に、クロウは首を傾げる。

 

「? 何を言っているんだお前たちは」

「あ? んだテメーこら、あ?」

「お前たちがおれに用がないように、おれもお前たちに用がない。だからお前たちがおれの前から姿を消せば、お互いになんだっけ……そう、うぃんうぃんじゃないのか」

「なっ……!」

 

 目を剥くチンピラに、クロウは肩を竦めてやれやれとばかりに言う。

 

「やれやれ。これだからかしこく考えられないやつらは困る。特別におれが頭のいい解決策を教えてやったんだぞ。感謝してどこかに行くんだな」

「こ、このガキ……!」

 

 男たちが殺気立つ。背丈が自分よりも頭一つ低い少年から挑発じみた言葉を返されたのだ、ここで退けば面子が廃るというもの。

 チンピラA、チンピラB、チンピラCがその拳を振り上げる。クロウはぼうっとした表情でそれを見ているだけだ。奥からは少女が面白そうにこっちを眺めている。

 

 振り上げた拳がクロウに振り下ろされようとする、まさにその瞬間だった。唐突に響き渡ったチンピラDの声が仲間を静止する。

 

「……っ! ……まさか!? おい、やめろお前ら!」

「あぁ……!? んだコラ!? 止めんのか、あぁ!?」

「馬鹿か!? この第三階層で黒髪で、頭の緩そうなガキといえば──! ……お前らも聞いたことぐらいはあるだろ!?」

「……ッ!? お、おいそれって……!」

「おれの頭はゆるくないぞ」

「まさか……“悪鬼”……!?」

 

 その声に一瞬、周囲の喧騒が止まる。

 

「こ、こんなガキがか……!?」

「“悪鬼”……!?」

「おれの……おれの頭蓋骨は、硬いぞ」

「お、俺はずらかるぞ! ここで逃げるのは恥じゃねえ! “悪鬼”に関わってロクでもない目に遭ったやつの話は腐るほどあるんだ!」

「ま、待て! お、俺も……!」

「クソ! 覚えてろ……じゃねえ! 俺たちのことは忘れろ“悪鬼”!」

 

 捨て台詞を吐いてその場を去ったチンピラたちの後には、『……おれの頭は……硬いのに』と哀しげに呟くクロウと、ちんぷんかんぷんな表情の少女が残された。

 少女はクロウに近づいてぽんぽん、と肩を叩く。

 

「なあ。お前の名前、悪鬼って言うのか?」

「違う。おれの名前はクロウだ」

 

 クロウが足を踏み出すと、チンピラたちとの会話が聞こえていたのだろう、人垣がざあっと割れて道ができる。

 少女を引き連れて歩きながら、クロウは尋ねた。

 

「そういうお前は誰なんだ」

「ん? ……あ、名乗ってなかったか。私の名前はエウーリア」

 

 少女は屈託の無い笑みで名乗った。

 

「エウーリア・レーベルハントだ。よろしくな、クロウ」

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「粗茶だが」

「ありがとな。……なあこの茶、色が付いてないし味もしないんだが」

「? 沸かした水だから当たり前だろう」

「いや、だから水だろ!? 何をお茶ですって言って出してるんだ!?」

「お前は何を言っているんだ。沸かせばだいたいお茶だろう。しかも粗いお茶だぞ。つまり沸かした水はお茶だ。無知だなあエーウリアは」

「ば、……馬鹿にされているのか? いや……」

 

 エウーリアは少々悩み、クロウに質問してみる。

 

「クロウ、一般的にお茶とはなんだ?」

「沸かしたやつ」

「よし、把握した」

 

 エウーリアはクロウという人間の一端を知った。おそらくそもそも、クロウとエウーリアでは保有する常識が異なるのだ。

 

 階層の天蓋からこちらを照らす珠は、時間の経過で周期的にその光を陰らせる。現在のその様子を見るに、時刻は既に夕刻が近い。

 エウーリアはお邪魔したクロウのねぐらの狭さと汚さに頓着せず、普通に座っていた。迷宮にはこれ以上の悪環境などいくらでもあるので、当然といえば当然だ。

 

 エウーリアはぐいーっと豪快にお茶を飲み干して、話を切り出す。

 

「ところでクロウ、二日前のことだけどな」

「……? ……ああ、戦っていたやつか。勝ったか?」

「ああ勝った。お前のおかげでもあるな」

「おれのおかげ?」

 

 クロウは首を傾げる。あの魔獣の片眼を奪ったのはクロウだったが、自己治癒能力を持つことの多い魔獣相手には、あの程度の傷では致命的なものではなかったはずだ。無論、何の影響も与えないかと言えばそんなわけもないのだが。

 エウーリアはクロウの疑問に答える。

 

「皮が厚くて魔法が通らないのが問題だったんだよ、アレは。相性の問題って言えばいいのかな。けど、クロウが魔鉱石を眼にぶち込んでくれただろ? アレを触媒にして、内側から頭を吹っ飛ばしてやったんだ。いやあ、爽快だった」

 

 物騒なことを楽しげに話すエウーリアにクロウは頷く。

 

「そうか。よかったな」

「でさ、クロウが投げた魔鉱石を持ってこれれば良かったんだが、触媒に使った時に粉々に砕け散ったみたいでな。見つからなかったんだよ。悪いけど、金での精算でいいか?」

「いや、別に金はいらない。大した金にもならないからな」

 

 魔鉱石などと大層な名前がついてはいるが、正直なところ需要は小さい。魔力源としては、魔物から得られる魔石の方が効率がいいからだ。……というかそれ以前に、もし現物で返されたとしても、魔物の体液に塗れた魔鉱石など返されても困る。

 しかしエウーリアは首を横に振る。

 

「そんなことを言われても困るんだよ。私はいつ死んでもいいように、借りは作らないのが信条なんだ。何か私にしてほしいことはあるか?」

「いや、ないな」

「即答だな……」

 

 エウーリアはふと、クロウのねぐら……もとい掘っ建て小屋に存在するものを確認する。

 布切れをかき集めたベッド。どう見ても素人手作りの囲炉裏。水瓶。吊るしてある服の替え一式。道具なのかゴミなのか不明なガラクタがちらほら。そして小屋の隅に乱雑に積まれた小銭とボロボロの紙幣の山。

 

 ……以上だ。例外として茶を沸かした鍋が転がっているが、それ以外に炊事道具などという軟弱なものは存在しない。

 ものが少ない割に整理整頓されているわけでもなく、ただ単にこの小屋には、何一つとしてクロウの大切にしているものなど存在していないのだろうな、ということだけが伺えた。

 

 最後にエウーリアはクロウを見る。クロウはぼうっとした覇気の無い表情でエウーリアを見ているが、そこには何の意思も感じられない。よく言えば仙人のような、悪く言えば阿呆のような表情だった。なるほど、この小屋の持ち主に相応しそうな有様である。

 

 困った。クロウの欲しがりそうなものが何一つ思い浮かばない。

 

「どうしたんだエウーリア」

「クロウ、何か欲しいものは?」

「そうだな。腹が減った」

 

 エウーリアは脱力した。

 

「……とりあえず奢るよ。クロウはどこかいい店を知ってるか?」

 

 

 

 



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3 ステータスが無けりゃ迷宮にも潜れないこんな世の中じゃ

 

 

 

「親方ー」

「おうクロウ……と、誰だそいつは」

「……友達、か?」

「あってる。友達だ。……しかしまた、雑多なとこだな」

 

 エウーリアはクロウに連れられて入った店の、なんとも表現しづらい適当さに眼を見張った。一応は飲食店のように三つ四つのテーブルが並べてあるのだが、その脇には珍妙な品々……おそらくは迷宮産で使い道の見つからない遺物たちなのだろう。ガラクタが乱雑に積まれている。それが店の雰囲気を一気に怪しくしていた。

 テーブルに着いたエウーリアにクロウが説明する。

 

「ここはおれの雇い主でもあるんだ。魔鉱石をここに卸している」

「へえ、ここにね……」

「汚くて悪いな。嬢ちゃんみてえな奴が来るところじゃねえんだ。注文はなんだ?」

 

 と、親方に会話を中断される。エウーリアはきょろきょろと店内を見回してメニューが無いことを確認してから、親方に尋ねる。

 

「ここでは何が食べられるんだ、親方さん」

「おすすめは肉を焼いたやつだが」

「なるほど。なんの肉?」

「……? 肉だが?」

「いや、何の……?」

 

 親方はエウーリアに愛想笑いを浮かべながら、クロウに近寄って耳元でこそこそと言う。

 

「おいクロウ。……面倒くせえ客を連れて来たな」

「すまない親方。エウーリアは世間知らずなんだ。許してやってくれ。あ、おれは肉で」

「あいよ」

 

 “見棄てられた領域“といえば迷宮で生まれ迷宮で死ぬ、いわば骨の髄までの迷宮の住人たちが独自の文化を形成する魔境だ──と噂には聞いていたが、これがカルチャーギャップというものなのだろうか。詳細を尋ねるのを諦めたエウーリアは肉を頼み、親方が厨房に引っ込んだのを確認してからクロウとの話の本題に入った。

 

「実のところ、私はクロウに提案をしたいんだ」

「やっぱり飯は奢らない、ということか」

「……私、そんなセコい相談をしそうに見えるのか?」

「見えない。けど、それ以外に何があるんだ」

「いろいろあるだろ。……まず聞くが、クロウはどうして魔石掘りをやっているんだ?」

「どうしてといわれても困る。おれはそれ以外に何もできないからな」

 

 のんびりとしたクロウの声と対照的に、エウーリアの声には熱が篭る。

 

「“見棄てられた領域“の最上階、第五階層──あんな場所で無事にいられる人間が私やお前を含めて何人いると思っているんだ?」

「けっこういるんじゃないか?」

「いや。私の知る限りではせいぜい、手足の指で数えられない程度……結構いるな」

「な?」

「な、じゃなくてな。……勿体無いと思わないのか? クロウの力なら迷宮の奥深く……私が普段、潜っているような最前線でも十分以上に通用する。なんでこんな場所で魔石掘りなんかをするんだ?」

 

 エウーリアの言葉は世辞ではない。実際問題として、“見棄てられた領域”の魔獣……ことに第四、第五階層の魔獣は強大だ。並大抵の探索者では歯が立たない。

 しかもそれほどに強大な魔獣に立ち向かっても、得られるものはあまり無い。“見棄てられた領域”の魔獣は迷宮下層の魔獣と違って魔石を持たないし、探索して簡単に手に入るような場所に存在する遺物は既に回収されている。そして何より、更なる深淵を目指そうにも第五階層より先は存在しない。

 

 ならば、まともな探索者は深層を目指す。そこには魔獣を狩ることにより魔石という最低限のリターンが存在し、新たなる階層には手つかずの貴重な遺物、鉱石が存在することがほとんどだ。ただ魔獣が強大なだけの魔窟に足を踏み入れるには、下層があまりにも魅力的すぎる。“見棄てられた”と言うからには見棄てられるだけの理由があるのだ。

 

 エウーリアから見れば、クロウは深層に挑戦する資格をもつ人間だった。“見棄てられた領域”の第五階層を一人で闊歩できるその実力は一線級、いやそれ以上。それがほとんど金にならない魔石掘りなどに費やされるのはあまりにも無為だ。常に戦力を欲している最前線でならば、同じ危険を潜り抜けるだけで莫大な富と名誉が約束されるだろう。

 

 しかしクロウは、エウーリアの話に首を振る。

 

「探索者か。おれには無理だな」

「どうして? どうもここに愛着があるわけでもなさそうだし、一攫千金したいとは思わないのか? 男の子だろ?」

「そうだな。もしかしたら金が唸るぐらいあれば楽しいかもしれない」

「な? 一緒に金を唸らせてみないか? きっと楽しいぞ」

「でも悪い、エウーリア」

 

 やはりのんびりとした口調のクロウに、エウーリアはむくれながら聞く。

 

「なんでだよぅ……。力があるなら、使えばいいのに」

「……うむ」

 

 クロウは言うべきか言うまいか一瞬悩んで、まあいいかと思ってエウーリアに事情を告げた。

 

「実はな、エウーリア」

「なんだ?」

「おれには、ステータスがないんだ」

「……ステータスが無い?」

「そう。ないんだ」

 

 エウーリアは眉をひそめる。ステータスが低いというのならわかる。だが、無い?

 

「どういうことだ? ……迷宮に一度でも踏み入った時点で、どんな人間であってもステータスを付与される。赤ん坊でも老人でも貴族でも奴隷でも、だ」

「そうだな。だけどおれには、ステータスがないんだ」

「……待ってくれクロウ。……そうだな」

 

 エウーリアが鎧の中から一枚の紙を取り出す。灰色のその紙をエウーリアが握ると、紙の色が透明感のあるスカイブルーへと変わり、じわりと文字が浮き出る。

 

【エウーリア・レーベルハント Lv.45】

【称号  階層堕とし 相貌の愛し子】

【スキル 獅子の証明 憑霊契約】

【魔法  系統古代呪文・氷】

 

 エウーリアが手にしたのは感応紙だ。広く出回る迷宮の遺物の一種で、迷宮の中で手に取り魔力を込めると、魔力に反応して紙の色が変化し、ステータスが現れる。

 レベルは迷宮から吸い上げる力の総量を。称号は成し遂げた偉業を。スキルは錬磨した想いと願いを。魔法は現実をも凌駕する意志の形を──それぞれ体現すると言われている。

 探索者の実力にはこれら全ての要素が密接に関わってくる。レベルは体力や腕力、魔力といった探堀者としての基礎の部分を総合的に示し、スキルは特定の状況下において絶対的な不利をも覆しうる。魔法は言わずもがな、力そのものだ。

 エウーリアのステータスを見たクロウは目を見開いた。

 

「エウーリアは強いんだな。レベルはよくわからないが、称号とかスキルとか、そういうものはなかなか手に入らないと聞いたぞ」

「まあな。自分で言うのもなんだが私はそれなりに強い。レベルのおかげで外見がこんなでもそこらへんの適当な魔獣なら簡単にあしらえる。……ステータスのことを知らないわけじゃないんだな? これがステータスだということは理解しているよな?」

「あたりまえだろう。エウーリアはおれを馬鹿にしているのか」

「してない」

 

 ただちょっと、言動の正確性に疑問を感じるだけだ。

 エウーリアはクロウに感応紙を一枚渡した。

 

「じゃあクロウ、魔力を込めてみてくれ。ステータスが出てくるはずだ」

「そうか。まあやってみるか」

 

 クロウは基本的に乗せられやすいのだ。クロウは魔力とかいう特に恩恵を感じたこともない力をえいやっと込めてみる。すると……

 

「ほらな」

「……ステータスが出て来ない? 名前すら?」

 

 感応紙の色はくすみのない白へと変化し、魔力に反応していることは間違いない。だがしかし、文字は何一つ浮き出て来ない。エウーリアはクロウに問うた。

 

「待て……いつもこうなのか?」

「ああ、そうだな」

「……魔法はどうやって使っているんだ?」

「そんなものは使えないぞ」

「じゃあスキルは? クロウはどんなスキルを持っているんだ?」

「持ってない。そんなもの無くても敵を殴ることはできるからな」

「……それなのに一人であの階層に挑めるのか」

「あそこは人が少ないからな。気に入っているんだ」

 

 エウーリアは愕然と眼を見開く。『馬鹿な』と形のよい唇が無意識のうちにそう呟いた。

 要するにクロウの存在とは、それまでエウーリアの信じてきたものに真っ向から反するのだ。魔法も使わず、スキルの恩恵も無い。だというのにその身一つで怪物に立ち向かい、勝利し続けてきたのであろう少年が目の前にいる。

 ……知らず、エウーリアは身体を震わせた。クロウを真っ直ぐに見つめる。たじろぐクロウから視線を逸らさないまま、エウーリアはクロウの手を取った。

 

「お前……」

「なんだ」

「──お前、凄いな!」

「う……ん?」

 

 エウーリアはクロウの手を興奮のままにぶんぶんと振る。

 クロウは困惑していた。大抵の人間は、クロウのことを知れば知るほどに顔を背けるのだ。だというのにこのエウーリアは、眼を輝かせてクロウを見つめる。

 

「要するにさあ、純粋な身体能力だけであの強さってことだろ!? 凄いだろ! 意味わからないし聞いたことないぞ、そんなの! ……なあクロウ、私と一緒に来い! なっ!」

「お……おれの話を聞いていたのか。おれはステータスが、ないぞ」

「それだけ強ければ関係ない! むしろ面白いッ!」

「……おれにステータスがないのはおれが魔物の仲間だからだとかいって、この話をすると大抵、気味悪がられるんだが」

 

 怪物と互角の力を持つ存在を、辛うじて人として定義するための『理由づけ』──ステータスがそういった側面を持つことは事実である。

 怪物の力を持つ者は怪物に違いない──このどこまでも単純故に明快な論理を、ステータスというものの存在が皮一枚和らげてくれる。ステータスという強さの理由があるからこそ、それでも探索者は辛うじて人間として扱われる。

 

 故にクロウは、自分が悪鬼などと呼ばれて他人から避けられるのは当然かもしれない、と無意識のうちにそう思っていた。ステータスすら無く……理由もなく迷宮を自由に闊歩できる強さを持つ人間というのは、もはや単純に気味が悪いのだ。いったいそれは、理性を持つ怪物とどう違う。

 

 だがエウーリアは、そんなクロウを一言で喝破する。

 

「無知蒙昧な馬鹿は放っておけ! ……どこに行くか、そうだな、魔法耐性の妙に強い厄介なのが出て来る層に行こう! 三十六階層あたりを……いや、四十三層も」

「ま、……待て!」

 

 初めてクロウの張り上げた声に、エウーリアは不思議そうにクロウを見る。

 

「なんだよ。一緒に冒険するだろ?」

「無理だ」

「ステータスが無いから、と? そんな馬鹿げた話は聞けないな」

「エウーリアは勘違いをしている。ステータスが無いというのは、つまりだな。たぶん、おれが迷宮に()()()()()()()()ということなんだ」

「……?」

「簡単にいうとだな」

 

 クロウは非常に微妙な表情で告げる。

 

「おれは、下層に入ることができないんだ」

「……何かの言葉遊びか?」

「エウーリアは、おれの言葉を勘繰らなければならない義務でもあるのか?」

「……いや、悪い」

 

 エウーリアはバツの悪そうな表情でクロウの手を離し、席に座り込む。

 クロウはまだエウーリアの体温が残っているような気のする手のひらをぐーぱーと握りしめてみて首を傾げ、エウーリアに説明する。

 

「おれはこれでも好奇心旺盛なんだ。面白そうだと思って、下の階層にいこうとしたことがある。だが……」

「だが?」

「地上階に入ろうとした瞬間、弾き出された」

「弾き出される?」

「ああ。“見棄てられた領域”の第一階層と地上階を結ぶ場所には、でかい扉があるだろう。あれを一歩越えようとした瞬間、わけのわからない力で体が押し返されるんだ」

「……疑いはしないが、何度試してもダメだったのか?」

「ああ。暇なときを見つけて、何度もやってみた。でも、無駄だった。速いスピードで突進すればするほど、強い力で押し返されるだけだった。だから気がつくとおれは……」

「俺は?」

 

 エウーリアが促すと、クロウは深刻そうな表情で言葉を絞り出した。

 

「あの扉に押し返されて宙を舞う楽しさに、夢中になっていたんだ」

「楽しんだのかよ!」

「麻薬的な楽しさだった。なんだろうな、自分でジャンプするのとは違うんだ。空を飛ぶのはああいう気分なんだろうな」

「それちょっと羨ましいな……!」

 

 そういえば、とエウーリアは思い出した。一時期、地上階に魔物が侵入しようとしているという噂があったのだ。迷宮から魔物が漏れ出す前兆か、と多くの探索者は危機感を持って地上階を張り込み、いつの間にか噂は消えていたのだが……

 

「クロウ。最近はそれ、やってるのか?」

「いや。なぜかある時から妙に人が増え始めてな。おれは常識があるからな、飽きてきたし、迷惑になると思ってやめたんだ」

「常識というやつは難しいな……」

「エウーリアは子どもだから、まだ難しいかもしれないな」

「いや同い年くらいだろう、私とクロウは。……もうそれでいいけど」

 

 エウーリアはため息をつき、話を元に戻す。

 

「で、クロウは下の階層に行くことができないと」

「ああ、そうだな」

「なんだ、そんな……はぁ!? なんでだよ!? 一緒に冒険できないだろそれじゃ!?」

「だから、そう言っているだろう」

「……そんなぁ」

 

 エウーリアはふてくされたように机に突っ伏す。その時、親方が肉を運んできたので、クロウはエウーリアの髪をつんつんとつついた。エウーリアの髪は上等な布のような柔らかな液体のような、今までに経験したことのない感触だった。

 

「エウーリア、肉だぞ」

「ああ、来たのか。……なんだこれ」

「肉だ。うまいぞ」

「肉!? これが!? なんて動物のどの部位だ……!?」

「食わないと損だぞ」

 

 起き上がったエウーリアは、気乗りしない様子でその物体Xにフォークを伸ばす。

 

「……ッ!」

 

 肉を飲み込んだエウーリアはダンッ! と拳をテーブルに打ち付けた。

 

「……クソ! 美味いのがなんか腹立たしい!」

「情緒不安定だな、エウーリアは」

「ほぼクロウのせいだ」

「そうか、すまないな。おれの肉を一切れやろう」

 

 エウーリアはクロウのよこした肉を一口で食らった。やけ食いだった。

 

 

 



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4 壁は殴り壊すためにあるらしい

 

 

 

 

 

 がつん、がつんという衝突音が周囲に響き渡る。

 ひたすら岩壁を殴り続けるクロウに、地面に敷いた敷物に金髪を垂らしてだらしなく寝そべるエウーリアは不思議そうに声をかける。

 

「なあクロウ。道具は使わないのか?」

「道具?」

 

 クロウは壁から剥がれ落ちた魔鉱石の欠片を、ぽいと背中のカゴに投げ入れる。エウーリア程度ならすっぽりと入りこみそうに巨大なそのカゴが満杯になるのには、まだまだ時間がかかりそうだ。

 

「いや、魔石掘りが仕事とは聞いていたけど、まさか素手で掘ってるとは思わなかったからな。よく知らないがツルハシだのなんだの、もっとやりようがあるんじゃないか?」

「ああ、そういうことか。でもな、普通のツルハシは鉄でできているだろう。魔鉱石は鉄よりも硬いからなあ。まともに掘れないんだ」

「おい、それは要するに、クロウの拳は鉄より硬い魔鉱石より硬いということか?」

「なるほど。論理的に考えるとそうなるのか。エウーリアはかしこいな」

「脳が溶けそうな会話はやめてくれ……」

 

 そのとぼけた返答からは疑いたくもなるが、しかしこの杭打ちのような拳と魔鉱石の衝突音を聞くに、どうやらエウーリアの言う通り、クロウの拳は鉄よりも硬い魔鉱石よりも硬いのであった。

 

「勿体無いよな。それだけ力があるくせに……」

「しかたがないだろう。おれにはどうしようもないし、する気もないんだ」

 

 ぶつぶつと言うエウーリアに、クロウは珍しく呆れたように言う。

 あの後、下階に下ってクロウの言葉を検証したが、本当だった。クロウは地上階に到達することができないのだ。クロウが自力で入り込もうとしても、エウーリアが魔法で叩き込もうとしても、全て無駄。クロウが宙を舞うだけだった。

 エウーリアは横目でちらりと、脇に積まれた魔物の小山を見る。襲ってきた魔物の成れの果てだ。あの四足の魔物ほどの大物はいないが、それでも結構な数だ。

 

「だって実際に今日だって、私と同じくらいの数、魔物を仕留めているじゃないか。ここまで強くなるにはクロウだって並大抵じゃない努力を積んだはずだ。そこまでして手に入れた力なら、思い切り振るいたいと思わないのか? ……というかクロウは、どんな方法でその力を身につけたんだ?」

 

 その言葉にクロウは一度、壁を殴りつける手を止めて、周囲を見回す。エウーリアもつられて周囲を見る……といっても、目の前には魔鉱石の壁が広がるばかりなのだが。壁はクロウの殴る場所を中心としてすり鉢状に広く深く湾曲している。

 クロウは一度、首を傾げてから言った。

 

「……ふむ。よくわからないが、これかもしれない」

「うん?」

「おれは今までずっと、この壁を殴ってきたんだ。この場所だけ壁がへこんでるのは、おれが殴り続けて削れたせいだ。……うむ。そうして考えると、おれは結構、努力しているような気がする」

 

 エウーリアは眼を見開く。この地形そのものが、クロウの積み重ねた年月の果てにできたものだと? ……エウーリアは思わず立ち上がって壁に近づいた。その瞬間に気付く。

 

「……っ!」

 

 荒れた岩肌だと思っていた。……そうではない! 目の前の壁一面には、びっしりと拳の撃ち込まれた痕が刻まれていた。どこもかしこも──その壁は、めり込んだクロウの拳の無数の痕だけで構成されていたのだ。

 ──どれほどの。どれほどの年月と修練によりこれが成るのか。

 ステータスこそが力の証明である? ……とんでもない。エウーリアは知れず、生唾を飲み込んだ。何よりも雄弁な力の証明が、この壁一面に刻まれている。

 

「……すごい、な」

 

 エウーリアはそれ以上に何も言えない。エウーリアとて、並大抵の覚悟で迷宮に潜っているつもりはない。わざわざ“見棄てられた領域”の第五階層などという場所でたった一人で魔物と戦っていたのも、仲間との連携だけでは磨けないものがあると、そう信じたからこそだ。そして目の前に現れた少年は、まさしくその結晶だった。

 

 言葉を失うエウーリアを尻目に、クロウは再び衝突音を響かせて、壁殴りを再開する。……クロウにできることは今も昔もこれだけだ。ほかに何もやってこなかったし、きっとこの先もクロウはたったひとりで、壁を殴り続けるのだ。クロウは無意識のうちにそう信じていた。

 

 ──その瞬間、一瞬だけ、クロウの脳裏に思い描かれる光景がある。そう昔に見た場面ではない。むしろ最近、たったの一週間以内に見たものだ。

 舞う砂埃と、翻る金糸の髪。折れそうに華奢な身体は、しかし尋常ならざる熱を秘めた魂により突き動かされる。あどけないはずの少女の表情に浮かぶは獰猛な笑み。……クロウはエウーリアを初めて眼にしたあの瞬間のことを、何故か、忘れることができなかった。

 

 幻影を振り払うように頭をぶんぶんと振り、壁を殴りながらエウーリアに尋ねる。

 

「なあエウーリア。仕事を手伝ってくれるのは助かるんだが、迷宮の探索に戻らなくていいのか?」

「……」

「エウーリア?」

 

 名前を呼ぶと、エウーリアはハッとしたように答える。

 

「あ、ああ。……なんだ? 悪いな、聞き逃した」

「エウーリアがぼうっとするのは珍しいな。エウーリアは迷宮の探索が目的なんだろう。こんなにずっとここにいていいのか?」

「ああ、そういうことか。……まあ大丈夫だろ。今はそもそも休暇中なんだよ。私は体が鈍るし、武者修行したかったからここに来たんだけどな。……そうだな、たぶんあと二、三日くらいは」

「そうか」

 

 快音が響き、頭ほどの大きさもありそうな巨大な魔鉱石がごろりと掘れる。それを背中に背負うカゴに放り込み、ずしりと増した重みを感じながら、クロウはふと、エウーリアにあることを聞いていなかったと思い出す。

 

「そういえば」

「なんだ?」

「エウーリアは、どうして迷宮に潜っているんだ?」

 

 クロウは振り返ってエウーリアの顔を見る。エウーリアはきょとんとした、どこかあどけない表情だった。

 

「どうして、って……どういうことだ?」

「おれはエウーリアのことをほとんど知らないが、たぶんエウーリアが、危険を犯さなくても生きていける人間だということはわかる。それなのにどうして、迷宮に潜るんだ?」

 

 それはある意味、自分の対極に位置するからこそだろうか。クロウにはエウーリアの持つ、ある種の気品がわかる。エウーリアは根本的にどこか……言うなれば、纏う空気が違った。

 

「……そうだな」

 

 エウーリアは腕組みをして、ゆっくりと言った。

 

「迷宮に潜らなくとも生きていけるのは、クロウの言う通りかもしれない。客観的に言って……まあ『客観』なんてものがこの世に存在するのかどうかは別として、私は平穏に生きる道をブッ潰してここにいる。もしかしたら私に憤る奴もいるかもしれないな。『そんな幸運を手放すとは』とかなんとか言ってさ」

「なるほど」

「でもなクロウ、それは違うんだよ」

「違う?」

 

 エウーリアは大きく頷く。

 

「そうだ。私は……」

 

 ──その次の言葉は遮られる。突如、爆音が響いた。

 目の前に存在していた壁が砕け落ちる。クロウもエウーリアも、異常事態に一瞬だけ固まる。先に思考を復活させたのはエウーリアだった。

 

「クロウッ!」

「っ! ああ」

 

 アイコンタクトで全てが通じた。クロウは地が爆ぜるほどの勢いで踏み込み、エウーリアを抱きかかえて壁の崩落から逃れられる距離まで駆けた。

 

「助かった、クロウ!」

「いい。それより……」

 

 吹き荒れる砂埃が薄れ、その奥に存在するもののシルエットが露わになる。

 

「……樹? 精悪樹(トレント)の一種か?」

「あれはそんな名前なのか」

「私の知っているそれはここまでのサイズじゃないけどな」

 

 ──そう、それはひどく巨大だった。一般的な精悪樹の五倍はある。幹はクロウとエウーリアが三人ずついてようやく抱えこめそうな太さで、ざわざわと不自然に蠢く枝ときたら長さも量も馬鹿げている。魔物としての格は王種にも匹敵しようかという高位だ。

 

「すごいな。何千年あったらああなるんだろうな」

「感心してる場合じゃないぞ、クロウ」

「それにしてもどこにいたんだろうな? あんなにでっかいのが」

「知らないけどな。……この壁、クロウが削ってたから上が突き出した崖みたいになってるだろ? その上に根を張ってたんじゃないか? で、何かの拍子に崖が崩れてあのデカブツもここまで落ちてきたと」

「これは、あれだ。……おれはもしかして、やってしまったのか?」

「いや、そうは思わないけどな。運が悪かっただけだろ。……でも」

 

 エウーリアは小さな冷や汗を流す。視線の先では、精悪樹がぶるぶると枝を震わせる。強烈な悪寒がエウーリアの背に走る。

 

「……アイツはどうやら、怒ってるみたいだな!」

「心のせまい魔物だな」

 

 ──瞬間、樹のシルエットが爆発的に増大した。枝が膨張し、蛇のようにのたくり、こちらへと迫る。それも一つや二つではない。前方から、左右から、上方から……たった二人を叩き潰すために、どこまでも過剰な物量で津波のように押し寄せてきた。

 

「なあアイツ、クロウの悪口に反応したんじゃないか!」

「おれのせいにされても困る」

「クソ、前言撤回! クロウのせいだ! クロウのバーカ!」

 

 悪態をつきながらエウーリアは早口で詠唱し、叫んだ。

 

「──氷華・白璧!」

 

 枝が二人に接触するよりも、エウーリアの魔法が発動する方が一瞬だけ早かった。ガガガガガガッ! と凄まじい音をたてながら、二人をドーム状に囲む氷の壁を枝が削る。

 

「ぐ……!」

 

 正常に発動したはずの魔法がたったの一分も持ちそうにない。エウーリアは魔法を並列詠唱し、白璧が破壊された瞬間にさらに魔法を発動する。

 

「──氷華・無限璧!」

 

 幾重にも重なった氷のドームが二人の周りに展開する。一層目が枝の大質量に正面衝突され、ビシリと大きく亀裂が走る。だがその瞬間、その枝を巻き込む形で外側に新たな氷壁が出現する。その壁が壊される瞬間までには破損した氷壁は自動修復し、回復する。途切れる気配のない怒涛の攻撃を受けきるための、エウーリアだけが持つ編纂魔法の一つだ。

 

「おお、すごいなエウーリアの魔法は」

「このくらいはな。だが……」

 

 一息をついたエウーリアは眉をひそめる。

 

「このままだと私たちの負けだ」

「そうか? この魔法、すごく強いと思うんだが」

「私の魔力も無限じゃない。【獅子の証明】……敵が私よりも強大な時に体力や魔力が底上げされるスキルで補正を受けているが、それでもな。というかそれ以前に……」

 

 エウーリアはクロウに指を突きつける。

 

「長時間だとクロウが耐えられないだろ。この内側は普通に冷気のダメージを喰らうんだ。基本的に私一人用の魔法なんだよ、これは」

「そういえば寒い」

 

 氷室に閉じ込められるようなものであり、当然だ。エウーリアはぶつぶつと呟く。

 

「樹木系の魔物の弱点は火と相場が決まっているが、私は氷魔法しか使えないんだよなあ。……どうしたものかな」

「ふむ。ならエウーリア、こういうのはどうだ」

「ん? 何か案があるのか?」

「うむ」

 

 クロウは頷き、提案した。

 

「おれが近づいて、殴ってくるんだ」

「……だよなあ。クロウだもんなあ」

 

 哀しそうな表情をしたエウーリアに、クロウは力強く断言した。

 

「これが一番、頭のいい作戦だと思うんだが。どうだ?」

「……まあ、それ以外に無いといえば無いか」

 

 エウーリアは腹を決める。……エウーリアにも奥の手はある。だがそれを使うには少々時間がかかるし、そもそもあの巨大すぎる相手に相性の悪い氷魔法ではそれすら通用するか怪しく、与える一撃のダメージとしてはクロウの方が大きくなる可能性が高い。ならば、元々は補助適性の高い氷魔法使いとしての特性を存分に生かし、クロウをサポートした方がいいだろう。

 エウーリアは頷き、クロウに言った。

 

「じゃあクロウ、氷壁の発動をキャンセルする。その瞬間に突撃しろ」

「了解だ」

「3、2、1……行け!」

 

 氷壁に亀裂が入り、パラパラと破片が宙に散らばる。クロウは氷が光を反射して煌めき、巨大な枝がうねり悶えるその空間を、ひたすら直進した。

 ただ愚直に直進してくる無謀な挑戦者を嘲笑うように樹はクロウへと殺到し、その圧倒的な物量で押し潰し、クロウの姿を葉枝が覆い隠す。

 エウーリアが一瞬、息を止めたその瞬間──

 

 ──それら全てが吹き飛んだ。

 

 クロウの行動は単純だ。ただ、拳の一振り。だがその一振りは、無限の果てに生み出された鋼鉄を砕く一撃だ。なるほど確かに樹の物量は脅威である。一本一本がクロウの数倍以上の質量を誇るそれはが襲い来る様は、まるでこの世の終わりのようだ。だが──。

 

 たかがその程度の木の切れ端では、クロウの拳を阻むことはできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あんなデカいものが拳の一振りで吹き飛ぶのは初めて見たぞ」

 

 エウーリアは息を吐き出し、意識を集中する。クロウが枝のほとんどを引きつけている今しかそのチャンスは無い。

 氷壁をたった一枚だけ構築し、そのあまりにも頼りない防御の中でエウーリアは呟く。

 

「【憑霊契約──私に力を貸せ。困難を砕く力を。深奥を踏破する力を。代わりに私は、私に差出せる対価を払う。これは公正な契約だ。……だから、ありったけを寄越せ!】」

 

 

 

 

 



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5 栄光を戴く種

 

 

 

 

 

 

 目の前に現れる樹の塊に向けて拳を振るう。それはクロウの拳の前に簡単に吹き飛び……そして一瞬の間も空けずに、次の樹が迫ってくる。

 

「……キリが、無いな……!」

 

 上下左右、あらゆる視界が樹で埋まっていた。ざわざわと葉の擦れ合う音。ぎちぎちと枝の擦れ合う音。その渾然一体がクロウの感覚全てを埋め尽くし、溺れさせようとする。

 

 拳を振るう。囲まれる。拳を振るう。囲まれる。拳を振るう。囲まれる。

 クロウは止まらない。だが物量と質量という彼我の圧倒的な差には対抗できない。

 襲いかかる木の突端へとクロウはその硬く握り締めた拳を打ち付け、バキバキと音を立てながら粉砕する。一打一撃、クロウの拳と精悪樹の制圧力が、土埃を巻き上げ地を揺らしながら衝突する。

 徐々にクロウの前進はその勢いを緩めることを余儀なくされ、そして、ある地点で完全に拮抗した。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 実のところクロウは、この見棄てられた領域の第五階層において無敵であるというというわけではない。クロウには圧倒的な強み……常軌を逸した身体能力がある。だがそれは同時に、()()()()()()()()()()()ということでもあるのだ。

 

 クロウには魔法が使えない。だから、圧倒的な体積や手数を持つ相手には分が悪い。

 クロウはスキルを持たない。だから、格上相手に逆境を覆すことはできない。

 

 故に、クロウは常に逃走という手段を選択肢に入れている。

 相性が悪い相手には逃げればいい──それが探索者なるざるクロウの真理である。そんなクロウだ、今だって当然のように逃走という手段が頭の片隅にある。だが、何故かそれを実行に移せない。

 実力的な問題ではなく。そもそも逃走したいと思えないのだ。こんなことは初めてだった。……今のクロウの中ではっきりとしていることはたったの一つ。

 

 なんとなく。エウーリアの前では、逃げたくない。

 そう、初めて──クロウは自分の感情のために戦っていた。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 ──そしてそのツケが、すぐさまやってくる。足が止まる。幹に近づくにつれて増す枝の密度が、クロウの前進を阻む。前に足を踏み出そうとするクロウの力と押しとどめようとする枝の物量の拮抗は崩れ、逆転する。

 ずるずると、ほんの僅かに、気づかないほど僅かに、しかし確かに……クロウは押し込まれる。己の有利を確信した精悪樹はますます枝をクロウへと叩きつける。

 

「ぐ、お……!」

 

 その圧力はすでに、クロウの持つ力を大きく超えていた。みしみしと肉体が軋みをあげる。止まらない。一度押し込まれ始めた後退は止まらない。クロウの身体が軋みをあげる。

 意志も意気も、純粋な物量の前には意味を成さない。そのままクロウは耐えられず、吹き飛ばされようとし──

 

 

「悪いなクロウ、遅くなった」

 

 

 ──とん、と触れた少女の手が、瞬時に樹の枝を凍りつかせる。そして次の瞬間、枝はぴきぴきとひび割れ、砕け散った。少女は手をもう一振りし、その直線上にあった枝の全てが動きを止める。ぎぎぎ、と枝の軋む音が聞こえた。

 

「……エウーリア、か?」

「なんだよクロウ、私を見間違えるのか?」

「いや……」

 

 見間違えたのではない。見惚れたのだ。

 エウーリアの両目の瞳は淡い水の色に変化し、全身に纏う濃密な魔力で紅のコートが揺らめく。そして何よりも──エウーリアは獰猛な、美しい笑みを浮かべていた。

 

「よし、クロウ。作戦は簡単だ。私が枝の動きを止める。クロウは本体をぶん殴る。……わかりやすくていいだろ?」

「……うむ、悪くない。合理的だ」

 

 同時──()()()()()()()()、と擦過音を立てる枝はしなり、うねり……そして、ぱあんと弾かれるように動き出した。

 

「──行けクロウ! 急げよ、私のこの状態は長くもたないからなぁ!」

「任せろ」

 

 クロウは一歩を進める。そこに前後左右から襲いかかる常軌を逸した物量の樹。視界の全てが覆われるようなそれは、しかしエウーリアの魔法でその動きを停止して、ぴきぴきとひび割れ、砕け散る。

 クロウは一人、幹へと向かい走り抜け、迫り来る樹を今度は真正面から打ち砕くのではなく、横へと弾き、逸らす。その一瞬の時間でエウーリアが樹を凍らせ、動きを止めてくれる。だから背後から襲われる危険は無いという確信あっての動きだ。

 

 しかし精悪樹もされるがままではない。エウーリアの魔法により砕けた枝の先端、最も新しい断面──そこから新たに枝が成長し、今度はエウーリアに襲いかかる。

 

「ぐ……!」

 

 エウーリアは不意の攻撃に反応が遅れ、ほぼ全ての枝を再び凍らせ破壊したが、一本だけ逃し、身体を打ち据えられる。こぷ、とエウーリアの口から血がこぼれた。

 

「エウーリア!」

 

 身体能力、ひいては耐久力に秀でるクロウと異なり、エウーリアの耐久力は同レベル帯の探掘者と比べても低い。それは膨大な魔力の引き換えであり、また少女としての肉体の華奢さ故の必然でもあるのだが……一瞬、足を止めたクロウにエウーリアは叫ぶ。

 

「止まるな! この程度では死なん!」

「……だが」

「なんだクロウ、お前まさか、私を心配しているのか!? ……ハッ、そんなくだらん感傷は捨ててしまえ! お前の心配なんかいらん! 私は今、楽しいんだ!」

「……!?」

「ほら進め! 止まったら殺すぞ!」

 

 その声にクロウは進む。殺到する枝を再びエウーリアは凍らせる。砕けた断面からすぐさま成長した枝がエウーリアを襲うが、今度は紙一重でそれを避けた。

 

「ははははっ! なあクロウ、楽しいなあ! ……さっきの話の続きだ、お前の問いに答えてやる! これが、これこそが、私が迷宮に潜る理由だ!」

 

 エウーリアは嬉しそうに、どこまでも嬉しそうに笑いながら枝を破壊し、舞うようにその破片を避けながら、金糸の髪と紅のコートを靡かせて宣言する。

 

 

 

「──()()()()()()()()()!」

 

 

 

 その言葉が、前進を続けるクロウの脳に食い込んだ。思わず口から言葉が漏れる。

 

「冒……険」

「そうだ、冒険だ! ……なあクロウ、私はお前を否定しないよ。確かにお前の言う通りだ、私は迷宮なんかに潜らなくとも生きていけるだろう。名前も知らん偉い誰かに端金の代わりに差し出される生き方もあったのかもしれん! 私は強制されるそれを玩具のようだと嫌悪するけどな、だからといってそれが誰にとってもの真実じゃあないだろ!」

 

 エウーリアは砕け散る樹と再生する樹の狭間で、なおも獰猛に笑う。

 

「けれどな、それでは──今、()()()()は手に入らないんだよ! 此処には人間が存在する! 虚飾も外面も全て剥がした、剥き出しの人間が! ──此処には敵がいる! 全身全霊を傾けて、他の何一つ気にせず叩き潰すべき敵が! ……そして!」

 

 クロウの心臓が、どくりと鼓動を打つ。

 

()()()()()()()()──! この場所でなら死んでもいい、それ以外で死ねないと思えるこの私が! ……なあクロウ、私たちみたいなやつらにそれ以外に生きる意味が必要か!? 私は確信している! 此処には全てが存在する、と──! ──だから!」

 

 エウーリアは全身に擦過傷を負いながら、その柔な肢体にありったけの魔力を込めて無理矢理に動かし、美しい金髪をほつれさせ振り乱しながら、しかし力強く宣言する。

 

「だから私は冒険をするんだよ! この私の全てを懸けて──!」

 

 少女のその宣言が、クロウの中に存在する何かをビリビリと振動させる。肉体が湧き立ち、血液よりも濃厚に熱された感情が全身に満ちる。

 この感覚は、なんだ。……クロウはこの感覚を知らない。感動という単純ですらある、故に何よりも強烈なこの感情を知らない。初めて手にしたそれが、クロウの足を突き動かす。

 

 複雑に絡み合う剥き出しの根の上を身軽に跳び、気づけば目の前には樹の幹がある。それは眼前にするとなおさらに雄大で、神樹とすら見まごう大木だ。

 そのあまりの巨大さに一瞬だけ戸惑ったクロウの耳に、エウーリアの声が聞こえる。

 

「クロウ、やれ! 殴り飛ばせ!」

 

 身体が発火した。みしみしと全身の筋肉が蠕動し、右の拳へと肉体の膂力全てを集約させる。そしてそれが、全力を以って解き放たれた。

 

 ──爆音が響いた。それはまるで巨獣の一撃だ。限界まで収斂された力が生み出す、純粋にして至高の一撃。

 それは彼我の大きさの差などというくだらない差を完全に超越し、樹の繊維をバキバキと音を立てながら引きちぎる。

 

 しかしその一撃は巨木を大きく揺らしたものの、破壊には至らなかった。生木特有のしなりと粘りが、クロウの拳による破壊を留めている。

 ……これではあと何発放てば樹を粉砕できるのか、予想もつかない。歯噛みしてもう一発拳を叩き込もうとし、拳を引いたその瞬間──

 

「……っ!?」

 

 ──パキパキと、この短時間で聞き慣れた音が目の前から聞こえる。見れば放射状にヒビの入ったその樹皮の表面には氷が張り、ビシビシと音を立てている。

 

「生木は無理でも、凍らせりゃ砕けるだろ!」

 

 背後のその声に導かれるように、クロウはもう一発、全力の拳を寸分違わぬ場所に打ち込む。今度は金属が擦れ合うような不協和音が響いた。放射状のヒビは一挙に広がり、巨大な樹はその支えを失いかけてぎしぎしと傾ぐ。枝の間を吹き抜ける風は断末魔のようだ。

 エウーリアが叫ぶ。

 

「とどめだ! もう一撃、行け──ッ!」

「お……お、おおおオオォォオオッッッ!!!!」

 

 臓腑の底から、クロウは無意識のうちに咆哮する。

 ──そして放たれた拳の一撃は、樹に巨大な風穴を開けた。

 

 

 

 



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6 戦いの後に残ったものは

 

 

 

 

 

 

「あー……。……もう余力が無い」

「元気そうでがないな、エウーリア」

「当たり前だろ……。こんなデカいものを凍らせたのは初めてだ」

 

 エウーリアは呻くようにそう囁く。殴り飛ばした精悪樹は支えを失ってそのまま崩れ落ちようとし、クロウはそれに巻き込まれようとしていた。

 それを寸前で助けたのがエウーリアである。その超重量をギリギリで凍りつかせたのだ。

 

 頭上には氷柱の下がる大樹。その隙間からは光が漏れ、氷柱できらきらと反射しながら深緑を際立たせる。クロウはその絶景に目を見張っていた。

 

「……しかしすごいな。エウーリアはこんなに強かったのか」

「これは私の力じゃなくて……【憑霊契約】ってスキルだ。対価を差し出して無理矢理、魔力を借り受けるんだよ」

「対価?」

 

 エウーリアの瞳の色は薄い水色から深い翠に戻っている。エウーリアは気怠げに言う。

 

「その時その時で全然違うんだけどな……今回は『時間』みたいだ」

「うん?」

「これから、そうだな……三日くらいか? 多分眠り続けるから……」

「エウーリア?」

 

 クロウがエウーリアを揺すると、エウーリアはがくんと倒れ込んだ。慌てて抱きかかえる。エウーリアは眠る寸前の間延びした声でクロウに頼みごとをした。

 

「氷の魔法も、そんなにもたないから……私を連れて、安全な場所に移動してくれ」

「わかった。その後はどうすればいい」

「適当に……その辺に……転がしといて……」

「わかった。適当にその辺に転がしておく」

 

 そのまま眠りこもうとするエウーリアに、クロウはあることを思い出して言う。

 

「そうだ、エウーリア」

「……んぅ? ……なんだ?」

 

 クロウは驚くほど自然に、その言葉を口に出していた。

 

「楽しかった、な」

「そうか……そうだろ」

 

 エウーリアはその言葉に微かに笑い、そのまま寝息をたてた。

 

 

 

 

 

 

 

 エウーリアを抱きかかえて、樹の隙間を縫って外へと出る。

 

「はー……すごいな」

 

 崩落した崖と、凍りついた大樹。それは異郷の神話のような荘厳さを感じさせる光景だった。

 クロウはエウーリアをその辺に適当に転がしてその様をしげしげと眺める。そしてそのまま十数分ほどぼうっとしていたクロウに、後ろから何かが突きつけられた。

 

「動くな」

「ん?」

 

 普通に振り向くと、見覚えのない女が動揺しながら剣を引っ込めた。しかし剣先はいまだにクロウに向けたままだ。見ると、エウーリアにはまた別の少女が縋り付いて揺すっている。

 ……と、クロウは気付いた。この目の前の女と、エウーリアに縋り付く少女。二人とも紅のコートを纏っている。それはどうやら、エウーリアの纏うものと同じもののように思えた。

 

「お前たちはエウーリアの知り合いか?」

「……お前こそ誰だ?」

「おれか。おれは、クロウだ」

「探索者か?」

「魔石掘りだ」

 

 そのまま見つめ合う。数十秒ほど経ってから女は大きく息を吐き、剣を納めた。

 

「……どうやら互いに事情を共有する必要がありそうだ。私はエウーリアの所属するギルドの副長、ミセルだ。クロウでいいのか?」

「そうだな。それ以外の名前は、好きじゃない」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 十五分が経過した。

 

「……うむ。理解した」

「本当だな? 貴様、本当に理解したんだな? よし、言ってみろ」

 

 念押しするミセルに、クロウは自信満々に言い放つ。

 

「ああ。つまり、ミセルはエウーリアの仲間なんだな」

「結局ッ! 結局そこしか理解していないのか!? これだけ説明しても……ッ!」

「そうだな。ミセルがエウーリアの仲間なら、エウーリアを心配するのも無理はない」

「こ、これほどまで話の噛み合わない相手は初めてだ……!」

 

 ミセルは呻く。頭痛を感じながらこめかみを抑えて言った。

 

「わかった。もうそれでいい。とりあえず私たちはエウーリアの仲間……『クラウソラス』というギルドの人間で、武者修行と言い残して消えたエウーリアを探しに来た。いいな?」

「ああ。完全に理解している。同じことを何度も言うのは頭がよくないぞ」

「……落ち着くんだ、私。目の前のこれを三歳のガキだと思えば……よし。……クロウ、私はここで何が起こったのか知りたい。まず、何故エウーリアは気を失って倒れている?」

「なんだったかな。……確か、なんとか契約と言っていたな」

「ユフィ、どうだ?」

 

 エウーリアの容体を診ている少女にミセルが聞くと、少女はコクリと頷く。それを確認してミセルは言葉を続けた。

 

「それはエウーリア自身の口から聞いたのか?」

「ああ。眠る前にそう言っていたな」

「……これは確認だが、あの馬鹿げた大きさの樹はエウーリアが凍らせたんだな?」

「そうだな」

「では、クロウ。貴様はエウーリアが樹を凍らせた時、何をしていた?」

 

 クロウは思い起こした。クロウが樹を殴り倒した後、倒れ込んできた樹をエウーリアが間一髪で凍らせた。その時、確かクロウは……。

 

「うむ。側に突っ立っていたな」

「……何もせずにか?」

「うん? ……そうだな。エウーリアの魔法はとても綺麗だったぞ」

「……そうか」

 

 ミセルはクロウを観察する。……その覇気のないぼうっとした顔はどう見ても、ただの少年だった。気を失ったエウーリアの倒れる側に立つこの少年に警戒心を向けていたことが馬鹿馬鹿しくなる。

 

「……なんらかの理由で倒れてきたこの樹の下敷きになりそうだったクロウを、エウーリアが助けた。そして憑霊契約の対価として気を失った、といったところか」

「そうだな」

 

 状況から考えるにそうとしか思えなかった推測の独り言に、クロウが肯定の返事を返す。この少年に嘘がつけるとはとてもではないが思えなかったし、ならば自分の推測は正しいのだろう。ミセルはそう思うことにした。

 ユフィを振り返ると、エウーリアを魔法で空中に浮かせている。帰る準備は万端のようだった。それをぼうっと見ているクロウに、ミセルは声をかける。

 

「……クロウ。私たちはエウーリアを連れて帰ることにする。貴様はどうする?」

「? どういうことだ」

「私たちは下の階層まで戻るが、途中のお前の住む階層まで連れて行ってやろうか、とな。エウーリアが気を失ってまで助けたお前が、直後に魔物に襲われて死んでは寝覚めも悪い」

「ああ、そういうことか。でもおれは魔鉱石を運ぶからな。気にしないでくれ」

「……そうか」

 

 ミセルはそれ以上は誘わなかった。こんな階層でただの少年が、それでも魔石掘りなどという仕事をしているのだ。それなりに事情と覚悟あってのことだろう。ならば、それ以上に踏み入る気もなかった。

 

「ならば失礼する。もう会うことはないかもしれないがな。運があれば、また逢おう」

「おれは運がいいから、また逢うかもな」

 

 ミセルが歩き出すと、ユフィもクロウに一度だけ会釈して歩き出す。

 クロウは魔鉱石を拾いに崖の方へ向かおうとして、あることに気づき、ミセルを呼び止めた。

 

「ミセル」

「……なんだ? 一緒に連れて行って欲しいなら」

「エウーリアはその辺に適当に転がしておいてやってくれ。そう頼まれたんだ」

「何を言っているんだ貴様は」

 

 ほんとこの少年、わけがわからない。ミセルはため息をついて歩みを進める。クロウも今度は呼び止めようとしない。

 ミセルは言葉では言い表せない、酷い疲労感に包まれていた。そんなミセルに、ずっと黙っていたユフィがふと、言葉を発した。

 

「“悪鬼”……」

「ん? なんだ、ユフィ」

「あ、いえ。エウちゃんが悪鬼とかいうすごく評判の悪い人と一緒に行動してるって、聞き込みではそういう情報があったと思うのですが」

「ああ、そうだったな」

「でも、そんな人は見当たらないというか……あの人、クロウさんでしたか? 彼では間違ってもありえないでしょうし」

「そうだな。あれが悪鬼ならアヒルも魔物だろうよ」

 

 ミセルは頷く。多少イライラさせられたが、その程度ならまだ可愛いものだ。命を大切にしないのはどうかと思うが、それもまた人それぞれの価値観だろう。

 

「それにしても悪鬼だなんて酷いあだ名ですよね。山のような大男でしょうか」

「そうかもな。一度顔を見てみたいものだ」

 

 一行は下層へと向かう。

 ……彼女らが自分たちの勘違いに気付くのは、意外とそう、遠くない。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 ……クロウの日常に変化はない。せいぜいが魔鉱石を掘る必要がなくなり、崩れた崖の跡から拾うだけでよくなった、ということくらいだろうか。そう大した変化ではない。

 

 だというのにエウーリアがいなくなってから、クロウは妙に落ち着かない。魔鉱石を拾っていても、家に帰り着いても、眠ろうとしても、眠った後も、エウーリアと共に戦ったあの瞬間の記憶が忘れられず、脳裏に浮かび上がる。

 

 あの瞬間──クロウはそれまでの人生のどの瞬間よりも確実に、生きていた。自分の存在意義と存在価値を初めて実感できた。

 そしてなによりもエウーリアの言葉はクロウをこれまでになく強く揺さぶり、生れ出た熱量は消え去ろうとしない。

 

 ……クロウの内面に少しずつ、しかし確かな変化が現れる。クロウは寝ても覚めてもあの瞬間のことを考えていた。

 どうせ忘れられないなら、考えたほうがマシだ。クロウはずっと、自分がどうしてあの瞬間を忘れられないのかを考えていた。

 

 

 

 

 そしてその答えがふと思い浮かんだのは、エウーリアが去って三日後のことだった。

 

「そうだ──おれはもしかしたら、エウーリアを惚れさせたいのかもしれない」

 

 頬張っていた肉を飲み込み、おもむろにそう言ってみる。口に出すと、思いのほかそれは、クロウの今の心境をぴったりと表現していた。

 

「急にどうした、お前」

 

 暇そうに酒を飲んでいた親方は気味悪げにクロウを見て言葉を続ける。

 

「エウーリアってあれか、お前がこの店に連れてきた、あの貴族様みてえなガキか」

「ああ、それだ」

「馬鹿、やめとけやめとけ。あんなのは相手にするだけ無駄だよ。ああいう手合いはな、こっちを人間だと思っちゃいねえんだよ。こっちにしてもな、見てるもんが違いすぎらあよ」

 

 クロウにはエウーリアが親方の言うような人間には思えなかったが、しかし一理はあるかもしれないと思った。今のクロウでは、エウーリアとはもう二度と、会うことすらないかもしれない。

 だからクロウは、親方に聞いてみる。

 

「なあ、親方」

「ああ?」

「──おれが迷宮に挑む方法は、本当にたったの一つもないんだろうか」

 

 

 

 

 



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未だ見ぬ深奥へ 7 胡散臭い人物の胡散臭い提案

 

 

 

 

 

 見棄てられた領域、第五階層──しかしこの場所は、クロウのいつも通っている魔鉱石の採掘場ではない。クロウも始めて踏み入る場所だった。

 

「……湖以外に何もないな」

 

 周囲を見回して首を捻る。

 クロウの目の前には小さな湖が広がっていた。対岸はクロウが本気で跳躍すれば届く近さで、むしろ泉か池とでも表現した方がいいかもしれない。

 と、その瞬間にクロウは違和感に気付いた。

 

「いや。何もないのがおかしいのか」

 

 そう──この湖の周辺には、あまりにも何もなかった。

 人工物が存在しないのは当然としても、それまで散々に生い茂っていた樹木すらも生えていない。下草もほとんど生えず、湖の周囲だけがむき出しの土の色を見せている。

 しかも妙に水が澄んでいることからして、藻や水草すらも棲めない場所なのではないか、と思わせる。あまりにも生命感の存在しないその様子は、まるで湖が生命にとっての毒でも放出しているのではないかという推論を抱かせるのに十分だった。

 

 これは何かおかしい。クロウはそんなことを思いながら水に触れた。ゾクゾクするような冷たさだ。浸かれば容赦なく体温を奪うことだろう。

 

「だが親方は、湖の底と言っていたしな……」

 

 中に入らないわけにもいかない。

 クロウは親方の言葉を思い出す。それはたったの数時間前のことだった──

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「迷宮に? お前が? ……どういう風の吹き回しだ」

「だって親方、エウーリアは迷宮にいるんだ」

 

 肉を頬張りながらそんなことをのたまうクロウの言葉に、親方はため息をついた。こめかみを抑え、天を仰ぐ。

 

「言ったろ。そのなんだ、エウーリア? は多分、お前にゃ靡かねえぞ」

「そうか。じゃあ確かめないとな」

「……随分とハマり込んだみたいじゃねえか」

「なんでだろうな。おれにもよくわからない」

 

 親方はやれやれと肩を竦める。

 

「そんなもんに熱あげてどうすんだ。お前にゃいつも言ってるだろ? 恋愛ってのはよ、例えばある日空から落ちてきた女の子を、包容力たっぷりに優しく受け止めてやるようなものなんだぜ。それがお前ロマンスってもんだよ。わかるか?」

「それはあれか、つまり、おれはエウーリアを空にぶん投げて落ちてきたところを受け止めればいいのか?」

 

 何も理解していない。酷い自作自演だ。親方は頭を抱えた。

 

 ……これでもそれなりの付き合いだ。親方にはクロウが本気で下層に行きたいと思っていることが分かった。今も間抜けな顔でもぐもぐと肉を頬張っているが、たぶん本気だ。たぶん。

 しかしながら親方には、クロウの願いが……平たく言うなら女にモテたいという願いが叶うとはとてもではないが思えなかった。

 

 それなりに人生を積んできている親方には、『外』の住人と“見棄てられた領域”の住人の違いが肌で感じられる。言語にはしづらいが、なにかこう、気質として根本的に異なるのだ。

 そしてクロウは、総じてまともではない“見棄てられた領域”の住人の中にあっても、なおまともとは程遠い。これもまた客観的な事実だ。クロウは色々と、他人と関わるためには取りこぼしているものが大きすぎる。恋愛などしようものなら一時間で破綻することが目に見えている。だが……

 

「……そういう意味じゃ、お前にゃこれがチャンスなのか?」

「?」

 

 親方はクロウを見遣った。この少年が何かに執着する様子を見せたことが、今までに一度でもあっただろうか? ……否、クロウは何にも、金にすら執着しない。

 

 親方もこんな階層の住人であるからには少々クズなので、クロウの持ってくる魔鉱石をかなり安く買い叩いているが、しかし特に不満を言われたことはない。……そもそもクロウが魔鉱石の買い取り価格に注意を向けているかと言われれば、それはそれで定かでないのも確かだが。

 そんなクロウがこうまで執着するからには、エウーリアという少女の存在はクロウにとっての唯一、こだわるほどの意味を持つものなのだろう。

 

 ……親方も人の子である。クロウから搾取する程度にはクズだが、クロウが変わろうとする唯一のチャンスまでわざわざ潰そうとするほどクズではない。これまで散々に美味い汁を吸わせて貰った恩とそれなりに仲良くやってきた友情は、確かに感じているのだ。

 親方はクロウに、眉唾ものだが確実に嘘とも言い切れない、ある噂話を教えることにした。

 

「俺がこの話を聞いたのは、もう随分と昔のことなんだが……」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 ──さて、その話によれば。

 世に言う『階層転移』──その鍵が、此処に存在するらしいのだ。

 

 迷宮での移動手段は限られている。階層内であれば徒歩が基本だ。特定の飼い慣らしやすい獣が生息する階層ではそれらを利用して移動することもあるらしいが、しかしそれもあまり多い例ではない。迷宮に暮らす時点で図抜けた力を持つ人間が多いので、徒歩であろうと然程の不便は存在しない。

 これは階層内のことだけではなく、階層と階層を渡る時にも適用される。階層と階層は常に徒歩で行き交うほかはなく、離れた階層を行き来しようと思うならばそれだけの距離を自分で歩かねばならない。

 

 しかし非常に稀な現象として、『階層転移』が発生することがある。特殊な魔獣の攻撃や、或いは未発見の遺物に偶然に接触してしまったか……理由は様々だが、まるで神隠しのように、気がつけば違う階層に佇んでいるという事例が確かに存在する。

 

 無論ほとんどは法螺話か、或いは酒に酔った探索者が我を忘れたまま気がつけば階層を渡っていたなど、そういった事例がほとんどだろう。だがそれで片付けるには難しい事例も存在するわけで──嘘か真か、この湖もそんな階層転移が発生したことのある場所の一つだという。

 

 

 

「……潜るか」

 

 迷っていても仕方がない。クロウは湖に足を踏み入れる。

 どうやら底に泥が溜まっているということもなく、少々沈み込む程度でしっかりと足で踏み込めた。クロウは二歩、三歩と足を進める。

 

 水深が胸より上に来たので思いきって顔を水につけて潜る。水の澄みようは恐ろしいほどで、かなり先まで苦労なく見渡せる。同時に、少なくとも視界には生物の姿が一つもなく、ますますどこか妙な湖だという気が収まらない。

 湖の中心部まであと少し。特に何が起こる様子もない。何も起こらないことに若干の落胆を覚えつつ、クロウは足を踏み出し──何かに足を取られそうになった。足元を見る。

 

 クロウが躓いたそれは鎖だった。底の砂に紛れて視認できていなかったが、一度気づいてみれば、湖の中央あたりを中心にして何本かの鎖が伸びている。……よくよく観察すれば、それはまるで、何かを封じているかのようにも見えるのだった。

 

 クロウは悩む。こんな鎖が何の意味もなく、自然にこんな湖の中へと沈められているわけがない。そのくらいは理解できる。ならば、どうするべきか──?

 

 ──うむ。引きちぎろう。クロウは数秒悩んでそう決定した。どうせそのうち錆びて自然に切れるのだ。今切っても何かが変わるとは思えない。

 クロウは腕に力を込め、鎖を引きちぎろうとし──鎖が勝手にバキンと砕けた。

 

「……──っ!?」

 

 クロウは本能的な危険察知から後方へと跳ぶ。纏わりつく水の抵抗が邪魔だった。

 つい一秒前までクロウが佇んでいた場所に、辺り一面を照らすほどの莫大な魔力を内包する燐光が集中していた。外から見れば、湖が光っているようにも見えたことだろう。膨大なそれは水底より溢れ、揺らぐ。

 

 ──集中する燐光に見惚れて動きを止めたその瞬間、虹色の光が弾けた。

 それは水中の小さな空気の粒に乱反射し、煌めき、踊る。同時に、静かだった湖に水流が生まれる。クロウはその乱水流により水面へと運ばれ、空気を肺いっぱいに吸い込む。そしてもう一度潜ろうとし……気付く。何か、水底より浮かび上がろうとしている。

 

 潜る。空気の泡に阻まれていた視界が一気に開ける。

 クロウは手に触れたそれを掴み、水を蹴って水面へと浮かび上がった。

 頭を振るって水滴を飛ばす。クロウは、腕に抱いていたソレに話しかけた。

 

「誰だ、おまえ」

「あ、はい」

 

 けほけほと咳き込んでいたソレ──エプロンドレスに身を包んだ黒髪の少女は、目を擦りながら自己紹介した。

 

「私は精霊制御型生体機-23……ええと、個体名はミュールリーハです。ミューとお呼びください」

 

 

 

 



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8 メイドとは一体

 

 

 

 

 

「おうクロウ。どうだった。下層に行けそうな気配は……誰だその子。あの金髪の嬢ちゃんとは違うよな?」

「ああ親方。この子は……」

 

 クロウはそこで一旦言葉を切り、手を引く少女を見た。

 

「うむ。この子は、水底より湧き上がって来たんだ」

「……空から女の子が落ちてくるなら逆もあるか。そうかそうか」

 

 親方は一瞬だけ考え、クロウの言葉を精査したところでどうせ無意味だとすぐに理解を放棄した。席につくクロウに注文を取る。

 

「で? 何を食う?」

「おれはいい。で、えーと……」

 

 目を向けたクロウに少女は答える。

 

「ミュールリーハ。ミューで大丈夫です」

「そうだったな。ミューは何かを食べるか?」

「いえいえ、私は食事をとらないので」

「そうか」

 

 本人がそう言うからにはそうなのだろう。クロウが場所だけ貸してくれと言うと、親方は呆れながらのしのしと厨房の方へと引っ込む。人心地ついたクロウはぼやっとした眼をミューに向け、聞きたいことがあったことを思い出し、ストレートに口にした。

 

「そういえば、結局ミューはなんなんだ?」

「道中何度か説明したんですが……。私はあれです、一種の半生体半機械です。ロボですロボ。或いはアンドロイド。クロウさんの聞き慣れた言葉で言えば迷宮の遺物の一種、でしょうか?」

 

 ミューは雑多な店内が物珍しいのか、きょろきょろとあたりを見回しながらそう答えた。クロウは頷く。

 

「そうか。遺物か。ということは、ミューは人間じゃないのか」

「厳密に言えばそうですね。生物ではありますけど。……例えば」

 

 ミューは細かな刺繍の施された長手袋を取り、右手をクロウに差し出す。

 改めて見ればそれは華奢な腕だった。細く、小枝のように頼りなく見える。真っ白く、仕事もしたことがなさそうなすべすべとした肌をしていた。

 クロウは差し出されたそれをまじまじと見つめ、握った。

 

「ミューの手は冷たいな」

「低活動状態なので。……とりあえずクロウさん。そのまま握っておいてくださいね?」

「……?」

「えいっ」

「……っ!?」

 

 可愛らしい掛け声とともに、きゅぽん、とそんな歯切れの良い音を立てて、ミューの手首から先が抜けた。クロウは眼を丸くする。

 

「そんな……」

「おわかりいただけましたか? 私の身体は極めて生体的に設計されていながらも同時にロボ的ロマンを追求した……」

「手首を引っこ抜いて血が噴き出なかったのは初めてだ」

「そうでしょうそうでしょう。それこそ私が半生体機であることの証……って怖ぁ!? クロウさん人の手首引っこ抜くのこれが初めてじゃないんですか!?」

 

 慄くミューにクロウはやれやれと肩をすくめた。

 

「ミューは何を言っているんだ。魔獣はともかく人の手首を引っこ抜いたことなんて……」

「あ、これは早とちりを。魔獣。そう、魔獣ですよね。私ったら変な……」

「……なかった、ような……? 気が、する?」

「自信無いのですか!? 実際にそんな経験が有ろうと無かろうと大して気にしていなさそうなその精神性が闇! きょとんとした顔しないでくださいよ余計怖いですから!」

 

 あ、この人ヤバいかもしれない。ミューは今更そんなことを思いながらクロウに説明する。

 

「と、ともかくですね。これで私が人間じゃないことはわかってもらえましたか? ほら、人間の手首は引っこ抜いたら血が出ますから。血が出ない私は人間じゃないです。……いいですか? 理解してますか?」

「うむ。とてもわかりやすい説明だ。ミューは説明が上手だな」

「そ、そうですか」

 

 おかしい。わかりやすい説明と褒められているのに不安感が拭えない。

 ミューはとりあえずクロウから右手を受け取ってゴシカァン! と手首に嵌め直し、クロウに向き直った。感心したように頷いたクロウは、もう一つ質問を重ねた。

 

「ところでミューは、なんであんなところにいたんだ」

「それが一番最初に出てくる質問だと思ったんですが……。……実のところ、私にもよくわからないといいますか」

「?」

「封印されていたということはつまり、危険とみなされていた、ということではありませんか? けれど私は見ての通り、メイドです」

「メイド?」

「はい。あえて明言しますが私ほどにメイドを体現する存在はいないと言っても過言ではありません。……しかしですね、そんなハイパーメイドである私が封印される理由がわからないのですよ。メイドですよメイド。しかも可愛いロボっ娘メイド。全男子の憧れです。そんな私を封印するなんて、いったい誰が何を考えていたんでしょうか」

 

 ねえ? とばかりにミューがクロウに同意を求めてくる。クロウはメイドなるものがそもそも何であるのかよく分からなかったが、とりあえず頷いておいた。

 

「うむ。何者かが何も考えてなかったんだろうな。ミューは憶えてないのか?」

「いえその、最低限の機能維持のための魔力を捻出するためだと思うのですが……プリインストールの機能を除いて私の魔核に刻まれた記録の80%ほどが破損しているようなのですよ。……ぶっちゃけて言いますと、封印前のことがまるで記憶に残っていないといいますか」

「よく分からないが。それは大変じゃないのか」

「大変です。誰とも主従契約が成立していないようですし、このままだと魔力切れを起こしてしまいます。……それでクロウさん。ものは相談なのですが」

「なんだ」

「私のマスターになりませんか?」

「んん?」

 

 疑問符を浮かべるクロウに、ミューは説明する。

 

「クロウさんの干渉で封印が解けたということはおそらく、クロウさんなら私のマスター権限を取得できるということだと思うのですよ。……いえ、正直なところを言えば本当にクロウさんで大丈夫かは若干の不安が出てきましたが、しかし私の魔力残量的にも迷っていられません。契約しましょう」

「おれがその、マスター? になると、お前に何かいいことがあるのか?」

「それはもう。メイドは仕えてなんぼです! 安定した魔力供給に存在意義を満たす麗しき主従関係! 滾ります! ……もちろん、クロウさんにもメリットがありますよ?」

「ほう。たとえば」

「もちろん、この私が四六時中お側に仕えることです。衣食住、全ての面においてマスターを支えることを約束しましょう。健やかなる時も病める時も、おはようからおやすみまで、いやいやお休みの最中もなんならこの世果てるまで一瞬の隙間もなくパーフェクトにお世話いたします」

「……」

 

 クロウは考え込んだ。確か前に、親方から何か似たような存在について話を聞いたことがあるような気がしたのだ。そう、あれは確か……

 

「……すとーかー、か」

「スカート? ……フフフ、なかなか目の付け所がいいではないですかクロウさん。換装機能にすぐさま目をつけるとは。私のメイド服は100を越えるモデルチェンジが可能です。……好きなように着せ替えていただけますし、完全なるあなた色に染まって見せましょう。ほらほらどうですクロウさん。私を着替えさせてみたいとは思いませんかー?」

 

 ミューはそう言って、自分のスカートをチラチラと摘んで見せる。

 ……クロウはまた考え込んだ。親方から、ミューの言うような存在、そしてミューの現在の行動に類似する存在について話を聞いたことがあるような気がする。そう、確か……

 

「……変態」

「ッ! 変体機能ですか……!? ……感服しましたよクロウさん、あなたは私のマスターにふさわしい魂をお持ちのようです。しかしその、残念ながら今の私は変体機能までは備えていないのです。けれどなんらかのオプションパーツがあれば、或いは近いことも可能かと」

 

 クロウは安堵した。変態ではなかったようだ。

 ミューはクロウの手を取り、真摯な表情で言う。

 

「おわかりいただけましたか、クロウさん。この出会いはもはや必然です。……私のマスターになりませんか?」

 

 クロウは五秒くらい悩んで結論を出した。

 

「そうだな……」

 

 

 

 



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9 アクセサリー(首に付けるやつ)

 

 

 

 

「安いぞ。安いぞー」

「……あのクロウさん?」

「いきのいいメイドだぞ。よく働くぞー。早い者勝ちだぞー」

「あのっ! クロウさんっ!?」

 

 見棄てられた階層、第三階層──行き場の無い人間たちが集う、迷宮最大のスラムだ。その階層でも最も多くの住人(ならずもの)が集う市場に、クロウとミューは立っていた。

 そこには喧騒があり活気があり、しかして秩序は無かった。人が踏みしめただけの道の横に掘っ建て同然の小屋が幾多も並び、今日の食料から禁制品までを幅広く商っている。

 

 気の抜けた声で道行く客に呼びかけるクロウの肩を、ミューがガクガクと揺さぶる。

 

「これアレじゃないですか? ……もしかして私、売られるやつじゃないですか!? いいんですかソレ!? なんというかこう……モラル的にも!」

「? ミューは遺物だと、そう聞いたと思うんだが。だったら売ってもいいだろう」

「素直すぎませんか!? 確かにそう言いましたけど! そう言いましたけれどっ!」

 

 言葉が言葉通りに通用してたまるか。

 クロウについてきたらいつのまにか売られる寸前になっていた。一寸先は闇にもほどがある。

 頭を抱えるミューに、ふーやれやれと言わんばかりにクロウが肩をすくめて言う。

 

「それにな、人聞きが悪いぞ。おれはミューに誰かマスターを紹介するのに、紹介料を取ろうとしているだけだぞ。そしておれはその金で欲しい情報を仕入れる。……うむ、合理的だ。やましいところはないんじゃないだろうか」

「なんでそんなところだけ如才無いんですか!? 天然で中身が真っ黒なんですか!?」

「あ、なあそこのチンピラー。メイドはいらないか」

 

 ダメだ。そもそもミューの話を聞いてない。

 ミューはクロウの説得を試みる。

 

「ほらクロウさん、メイドさんいらないんですか!? 一生に一度のチャンスですよ!?」

「別にいらないな。今のところ必要じゃない」

「ならええと、これでも私の造形は美少女ですよ!? 控えめに見ても!」

「そうだな。たぶん、ミューはかわいいと思う。でも、それだけだな」

「なん……ですと……!?」

 

 ミューは慄いた。可愛いは正義(プリティ・オブ・ジャスティス)ではなかったのか。

 説得材料を失い言葉に詰まるミューに、クロウがぼんやりとした表情で言う。

 

「それになミュー。おれはたぶん、ミューのマスターとやらには向いてないと思うぞ」

「いえ、マスターに向いているも何も……」

「おれにはな、ステータスが無いんだ」

「……はい?」

「ミューの言う契約というのはよくわからないが、それはたぶん魔法とかスキルとか、そういうものじゃないのか? だったらおれには無理だと思うぞ」

「いえ、そんな……」

 

 ステータスが無い──?

 ……確かにその言葉が本当ならば、本契約は無理かもしれない。魔力の経路(パス)を繋ぐことができないからだ。混乱するミューに、クロウが声をかける。

 

「あとな、ミュー。周りを見てみろ」

「……周り、ですか?」

 

 ミューはそう言われて周囲を改めて見回す。

 チンピラ、チンピラ、チンピラ、チンピラ、チンピラ……チンピラしかいない。それぞれのモヒカンが高さを競い、鶏の冠のようだ。ダメだこの階層。

 とその時、ミューは気付く。

 

「……私たちの周りだけ、人が避けていませんか?」

「そうだ。おれはな、この階層では【悪鬼】なんて呼ばれている。ステータスがない、という偏見のせいだな。おれは今更気にしていないが、ミューまでおれと一緒に、そんなふうに見られたくはないだろう」

「そんな……!」

 

 一度意識してみれば、それは明確だった。声の届かないようなところで小声で話しているのだろうが、ミューはメイドなので盗み聞きが得意だ。遠巻きにこちらを見つめる人々の言葉に耳をすませる。

 

『おい、見ろよ。【悪鬼】だ。こんなところにいやがる……』

『ケッ、忌々しい……』

 

 ミューは歯噛みする。……【悪鬼】だなんて。それがこんな、ぼうっとしたただの少年に向けられていい言葉なのだろうか。ミューはさらにその話に耳を傾ける。

 

『話の通じねえくせによ、気に入らねえことがあると半殺しにしてきやがるんだぜ』

『悪夢みてえなヤツだよ。カツアゲ程度許せってんだ、なあ?』

『全くだ。人間としてのモラルってやつが欠けてやがる』

『関わり合いになりたくねえな』

 

「っ! クロウさんに人間としてのモラルが欠けているだなんて……!」

 

『今度は【悪鬼】め、ついに人身売買に手を出しやがったぜ』

『いくら俺たちでもアレはねぇわ』

『あの嬢ちゃんも可哀想にな、同情するぜ』

 

「酷い……!」

 

 ミューは思わず手を握りしめた。見ず知らずの人間にここまで言われるようなことを、クロウがいつしたというのだろうか。クロウが少女を人身売買しているだなんて、そんな根も葉もない、偏見、を……?

 ミューはそこで何か違和感を覚え、現状を確認する。数秒黙ってから叫んだ。

 

「……いや違いますよね!? 別に偏見じゃないですよね!? 現在進行形で私、売り飛ばされる寸前ですし! もしかして悪鬼呼ばわりされるのはステータスとかそういう問題ではなく、単にクロウさん自身の行いのせいなのでは!?」

「急に何を言っているんだ、ミューは」

「自覚してない! クロウさん実は自分が悪であることを自覚していないタイプの一番ドス黒いナチュラルボーン畜生ではないですか!? 道端で人身売買してたらそれは誰だって避けて通りますよ! ドン引きされて当然じゃないですか!」

「いやこれは、人材を紹介……」

「悪鬼らしさをガンガン追加していかないでください! 弁護しきれませんから!」

 

 ぜーぜーと息を掠れさせるミューを尻目に、クロウは声をかけてきたチンピラの一人に応対する。チンピラはクロウの話にうんうんと頷き、二、三の質問をした後、クロウとがっしりと握手を交わした。

 

「よかったなミュー。マスターが見つかったぞ」

「いや待ってくださいよ! こんなところで人身売買じみた真似をしているクロウさんが異常ならそれに寄ってくる人も異常に決まっているでしょう!?」

「でもこの人はほら、もうミューのために特別なアクセサリーまで用意してくれているみたいで……」

「そのゴツい革の首輪をアクセサリーと!? 正気ですか!?」

「うむ、そうだな。ミューにも好き嫌いがあるだろう。直接話して決めるか」

「話が通じてない!」

 

 叫ぶミューだったが、とりあえずは交渉のチャンスのようなので、首輪を手に持ったチンピラと会話をしてみることにした。

 

「あ、あの……クロウさんとはどういった話し合いを?」

「……」

「ちょっ、この人無言でいきなり首輪をつけようとしてくるんですけど!? いくらなんでも行動派すぎませんか!? クロウさーん!? なんでこんなぶっちぎりでヤバい人にゴーサイン出すんですか!?」

 

 本気で逃げたミューはクロウの後ろに回り、背中に縋り付いて必死の交渉を開始した。

 

「いやもう本当に勘弁してください……! 正直クロウさんは頭おかしいし人の心を持っていないと思いますけど、この人と比べたら流石にマシですから! 必要でしょうメイド!? 頷いて! なんでもいいから頷いてくださいよぉ!」

「……」

「無言で押し出さないでくださいどうしてアイコンタクトで永遠のサヨナラを伝えてくるのですか!? 私ここで見捨てられたら一生お日様の光を拝めなさそうな気がするのですけれど!? なんでもしますから! なんでもしますから何か無いんですか!?」

「……ふむ」

 

 クロウは少し考えて、ミューに聞いてみた。

 

「迷宮の地上階を通らずに下層に侵入する方法を知っているか?」

「え、知ってますよ?」

「え?」

「え?」

 

 

 



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10 ミューのパーフェクト皮算用

 

 

 

 

 

「酷い目にあいました……」

「大変だったな」

「誰のせいかわかって言ってます? 多分わかってないですね了解しました!」

「なんだろうな、馬鹿にされている気がするぞ」

 

 ミューは地面に行儀よく座り、ようやく人心地ついたようにため息をついた。

 ここはクロウの寝ぐらの掘っ建て小屋である。ミューにしつこく首輪をつけようとしてくるチンピラをとりあえず殴り飛ばし、静かな場所を求めて寝ぐらに帰ってきたのだ。

 

 クロウが茶を出すとミューはそれをひどく微妙な視線で見つめてすたすたと外へと出て行き、数分で戻ってくると、いくつかの野草を採取してきていた。

 そして数分後、クロウの目の前には、嗅いだこともない香りのする液体が注がれた器があった。

 

「どうぞ。少し苦味がありますが、気分を落ち着けるはずです」

「……! よくわからないが、味がするぞ」

「評価の基準が味があるかないかなのですか……?」

 

 本当に自分の選択は間違っていないのだろうか、この人に仕えて未来はあるのだろうか。もういっそのこと封印するなら、もう少しまともなマスターに反応して封印が解けるようにしておいて欲しかった、とさめざめ涙するミューに、クロウは器を突き出しながら聞いた。

 

「うまいな。もう一杯くれ。あと、ミューに聞きたいことがあるんだ」

「あ、はい。なんですか?」

 

 うまいという評価に少しだけ気分を持ち直したミューが茶を注ぎながら聞き返すと、クロウは頷いて言う。

 

「下層に行く方法が知りたいんだが」

「……あー、ええと、はい。それですか」

 

 ミューが微妙な表情で器を差し出すと、クロウは案外と気に入ったのだろう、二口で飲み干すと、もう一度器を突き出しながら首を捻る。

 

「どうしたんだ?」

「……その前に。クロウさんの事情について詳しく教えていただけませんか? その、『ステータスが無い』という部分について」

「ああ、そうだな」

 

 クロウは今度はちびちびと器を傾けながら、自分のことを説明する。

 ステータスのどの欄も空白であり、その強弱以前にそもそも存在すらしないこと。下層に出入りしようとすると跳ね返され、進入できないこと。

 

 若干の手間を要しながらその説明が終わると、ミューは少しの間考え込み、言いにくそうに口を開いた。

 

「あの」

「ん? なんだ?」

「……おそらくですが。クロウさんはなんらかの要因で、迷宮に『魔物と同カテゴリの存在』として認識されているのではないですか?」

「?」

「魔物にはステータスが存在しません。また、基本的に階層を跨ぐことが不可能です。これはクロウさんの症状と一致すると思うのですが……」

「……おお。なるほど」

 

 クロウは頷いた。言われてみればその通りだ。

 頷いて先を促すと、ミューは話を続ける。

 

「その仮説に従えば、クロウさんにはおそらく、三つの選択肢が存在します」

「三つもあるのか?」

「ええ、まあ実行できるかは別ですけど。まず一つ目……」

 

 ミューが指を折る。

 

「魔物が階層を跨ぐ時と同じように考えれば良いのですから、要するにクロウさんが誰かにテイムされれば良いのです。使い魔扱いとなれば、下層に侵入できる可能性はゼロではないと思います。……おすすめはしませんし、不可能だと思いますが」

「なんでだ? できそうな気がするんだが」

 

 そう聞き返すと、ミューは苦笑する。

 

「不可能というのは、クロウさんが誰かにテイムされるという部分です。テイムというのは要するに従魔契約でして、色々と方式が存在するのですが……共通して、魔物側が主人へと全幅の信頼や服従を捧げ、主人と強い繋がりを持つことが必要とされます」

「ふむ」

「要するに力で従えられる魔物相手だからこそ成り立つ方式でして、結局のところ人間であるクロウさんにはまず不可能かと。……というかですね、そんな方法が成立されてはならないのです。悪用されれば取り返しがつきませんから」

「そうか」

 

 こほん、とミューは咳払いをして、指をもう一本折り曲げる。

 

「二つ目。これはテイムの利用と比較すれば随分と現実的と言えます」

「どんなのだ?」

「いわゆるスタンピード……魔物の壊走現象を利用する方法ですね。テイムされていない魔獣が階層間を移動する方法は、ほぼこれしか存在しませんし。スタンピードに便乗すれば、階層の移動を成し遂げられる可能性はかなり高いかと思われます」

「おお、よさそうだな」

 

 身を乗り出したクロウだったが、しかし気まずげに目を逸らすミューの様子に何かを悟った。クロウは座り直して聞く。

 

「それで、なにが問題なんだ?」

「そのですね……そもそもスタンピードの発生は、一つの階層で数百年に一度起きるという程度の現象でして。生きているうちにその時期に居合わせられるかと聞かれても怪しいですし、近いうちになどと言われても、その、さらに無理が……」

「ミューの提案はあまり役に立たないな」

「それは私のせいじゃありませんよ。それでですね、三番目。現実的にはこれが一番可能性が高いかと思われるのですが……」

「ふむ、なんだ?」

 

 ミューは指をもう一本、折り曲げて言う。

 

「魔力による大禁呪……階層転移です。これはもう、ものすごくシンプルです。魔力で無理矢理空間を繋げて、強引に移動する力技ですねー。……もちろん、色々と欠点もあるのですが」

「どんな欠点だ?」

 

 落とし穴がありがちなミューの話に慣れてきたクロウがそう聞き返すと、ミューは我が意を得たりとばかりに解説する。

 

「まずは、狙った場所に出ることができません」

「最初から駄目に聞こえるんだが」

 

 クロウがその言葉に、ミューは弁明する。

 

「だって、それは仕方がないのですよ。階層転移は力技も力技……魔力のゴリ押しで移動するだけですから。イメージとしてはそうですね、濁流に呑まれて死にそうになりながらその辺の藁に縋る、というか。何を掴むかなんて気にしていられないのです。……あ、でも、ある程度の融通といいますか、流石に転移先が魔物の腹の中ということはありませんので安心してください」

「……まあ、いいか。あとはなんだ?」

「そうですね。次に、階層転移の魔法を使える人がほぼいません」

「まるで駄目じゃないか」

 

 クロウがそう言うと、ミューはドヤ顔をキメた。

 

「フフフフ……しかしこれに関しては解決したも同然です! 何故ならこの私、ミュールリーハには転移の魔法が使えるのですから!」

「そうか。すごいな。……どうしてメイドにそんな魔法が必要なんだ?」

「私はあらゆる状況に対応できるように造られていますからねぇ。例えば『はー動きたくねぇ動きたくねぇ死んでも動きたくねぇ俺が動くくらいなら世界が滅びろ魔力だけは有り余っているんだ』系のマスターが存在するとしましょう。そんな時は転移魔法の出番です」

「よくわからないが、たぶんその男は死んだ方が世のためだな」

「そうですか? 私としてはそんなマスターに仕えることができればメイド冥利に尽きるのですが。……そして最後、ある意味でこれが一番の問題といいますか」

「なんだ?」

 

 クロウが聞くと、ミューはきっぱりと言った。

 

「魔力が全然足りません」

「どこまでも駄目じゃないか。魔力が足りないというのは、どのくらいだ?」

「そうですねぇ……」

「この魔鉱石だとどのくらいだ?」

 

 その辺に転がっていた小さな魔鉱石をミューに渡すと、ミューはそれをしげしげと眺める。そしてクロウに聞いてきた。

 

「あの、クロウさん。これは無くなっても困りませんか? よければ貰い受けたいのですが」

「ん? いいぞ」

「ありがとうございます。では……」

 

 そう言うとミューはその小さな口を開けて、はむ、と魔鉱石を噛んだ。クロウが眼を丸くしていると、ぽりぽり、と音が聞こえる。食べているのだ。

 

「メイド、というのは……石を食べる生き物なのか……?」

 

 戦慄とともに問いかけると、ミューはのんびりと言う。

 

「いえいえ、こうやって魔力を補給しているのですよ。クロウさんとはステータスの関係で仮契約になりそうですし、外部からの魔力補給は重要です」

「歯が、硬いんだな」

「へ? ……いえこれは口の中で直接、魔力に精製変換しているのでよ。流石にこの硬さを噛み砕くのは無理ですねー」

 

 ミューはそんなことを言いながら口をもぐもぐと動かし、ついには魔鉱石を飲み込んだ。眼を丸くしたままのクロウに向かって言う。

 

「かなり薄味でしたから……この魔鉱石の換算だと、随分な量になると思います。それこそ小さな山一つくらいの量でしょうか?」

「山、一つ……」

 

 ミューの言葉を繰り返すクロウに、ミューは勢い込んで言う。

 

「さあさあクロウさん、これから頑張って一緒に魔鉱石を貯める生活に入りましょう! 長い長い時間をかけて主従の絆を育み、その果てに栄光を掴むのです! ……安心してください、その頃にはきっとクロウさんも私がいなければ呼吸もできないような立派なマスターになれているはずです!」

「たぶんだけどな、ミューの頭はおかしいんじゃないか」

「フフ、フフフフ……! あの絶望的状況から長期雇用契約にまでこぎつけるとは……! 流石は私、ハイパーメイド……!」

 

 悦に入っているミューの耳にある言葉が聞こえてきたのは、その時だった。

 

「あるぞ」

「えっ?」

 

 ミューはクロウをまじまじと見つめる。そして恐る恐る聞いた。

 

「あのクロウさん。……もう一回、どうぞ?」

「だからあるぞ、魔鉱石。山一つぶん」

「……えっ?」

 

 

 

 



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11 深奥へ

 

 

 

 

 

「……ありますねぇ。山一つぶん」

「足りるか?」

「……足りてしまいそうです」

 

 ミューは崩れ落ちそうな脱力を感じながら、けれども嘘はつけないので渋々と頷いた。一縷の望みをかけてクロウに提案してみる。

 

「あの、クロウさん。魔鉱石がこれだけの量あればひと財産だと思うのですが、私に傅かれながら優雅な生活を送る気はないのですか? こう言ってはなんですが、そちらの方がきっと、クロウさんも私も幸せになれると思うのですが」

「それ、楽しいのか?」

「楽しいです楽しいです。私がクロウさんから楽しさ以外の感情を根こそぎ削り取って差し上げます」

「そうか。おれはそれよりも、下層に行きたい」

「そうですか……」

 

 ミューはため息をついて、目の前の魔鉱石の山を見つめる。

 

 ──見棄てられた階層、第五階層。

 ここは数日前までクロウの仕事場、つまり魔鉱石の採掘場として魔鉱石の壁がせり立っていた場所であり……現在は精悪樹の出現に伴って盛大に崩れ、魔鉱石が山となり積み重なっている場所だった。

 

「……というかクロウさん、流石にこんなサイズの精悪樹(トレント)を討伐できるほどとは思ってませんでした」

「おれだけで戦ったわけじゃない。エウーリアがいなければ、おれは逃げていたな」

 

 ここまでの道中、クロウは通りすがりに頻出する魔物を拳の一振りで鎧袖一触にしてきていた。故にクロウの強さは理解しているつもりのミューだったが……天を衝くほどに巨大な樹の残骸を目にしては、眼を見張ることしかできない。

 

「……ここはもう、前向きに考えましょうか。下層へ到達したとしても、戦力的には問題がないということで」

「そうだな。……うん?」

 

 クロウは首を捻り、ミューに聞いた。

 

「待て。ミューもついてくるのか? おれだけを下層に送り込んでくれればいいと思うんだが」

「……!? ……そ、それはちょっと」

「駄目なのか?」

 

 クロウの言葉に、ミューは困ったように言う。

 

「……ええとですね、私はメイドです。メイドはマスターのため以外のことを何一つしません。そしてメイドはマスターにどこまでもついて行きます。クロウさんが下層に転移したいというのなら、必然的に私もついて行ってクロウさんのお世話をすることになるわけです。お分かりですか?」

「う……む?」

「言い換えれば、私を置いていくつもりでしたらクロウさんを転移させることはありません。それはもう私の本能といいますか、生態のようなものです。ですからどうしてもクロウさんが下層に行きたいのでしたら、私のマスターとして私によるお世話を受け入れる義務があるわけです」

「……わかった」

 

 クロウが勢いに押されて頷くと、ミューも安堵のため息をついた。

 人格的にはともかく、クロウはマスターとしての頼り甲斐……というか戦闘力には申し分がない。ならば従者としては文句もなし。

 ミューは少々考え込み、クロウに提案する。

 

「……ではさしあたり、準備をしましょうか」

「うむ? 今すぐに」

「下層へと転移する前に準備くらいしても損はありません。それにメイドの労働環境を整えるのはマスターの務めです。いいですね?」

「……だが、おれは金とか持ってないぞ」

 

 ミューの迫力に押されクロウは頷いたが、表情には困惑が貼りついている。実際、クロウは貯金にまるで興味がなく、寝ぐらには手に残った小銭が積み重なっているが、そう大した金額にはならない。

 クロウがそう説明すると、ミューは呆れたように言った。

 

「何を言っているのですか。あるではないですか、ここに」

「魔鉱石か?」

「違いますよ。……この精悪樹の残骸です。この樹が何千年ものかはわかりませんが、枝の一本でも売ればそれなりの金額になるのではないですか?」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 五日間、クロウとミューは精力的に動いた。

 一抱えもある太さの枝を折り、市場に舞い戻って競りにかけるとあっさりと売れた。金額にすればクロウが半年、魔石堀りとして働いたほどになるだろうか。

 

 目を白黒とさせるクロウに逐一指示を出したのはミューだ。

 というよりも最終的に、買い出しに関してはミューが行い、クロウは頷くだけのイエスマンと貸していた。

 掘っ建て小屋で路上生活に近い暮らしを送ってきたクロウには、下層に潜るにあたって必要なものなど何一つ思い当たらなかったのだ。

 

 世話になった人への挨拶もした。……もっとも親方に事情を告げただけであり、下層へ向かうと告げても冗談だと思われたのか、生返事が帰ってきただけだった。

 とりあえず魔石掘りの仕事は当分の間休業と告げたので、問題ないだろう。

 

 

 

「……ぬぁー」

「どうしたのですかそんな声を出して。……一応確認しますが、クロウさんに預けた非常用荷物の中身には問題ありませんね? 最低限の食物や水、あとは……」

「大丈夫だ。全部持ってる」

 

 クロウの声は投げやりだった。この五日間、買い物にいそしんだりミューのお世話を受けたりと今までになく文化的な生活を送っていたクロウはまだ順応しきれずに、微妙に疲れていた。

 

 見棄てられた階層、第五階層──元魔鉱石採掘場にクロウとミューは立っている。

 二人とも軽装だ。クロウは背に小さな包み……ミューに渡された緊急用の荷物を背負い、ミューに至っては手ぶらである。

 

 だがそれは、二人がたったそれだけの持ち物で下層に挑むということを意味しない。

 ミューのメイドとしての固有魔法である『収納魔法』──迷宮の遺物として時折出回る、容積以上の物品を重量を無視して持ち運べる袋などと類似した魔法により、買い込めるだけ買い込んだ品物やクロウの寝ぐらにあったもの、また転移魔法で使い切れずに余る魔鉱石など、様々な品物を持ち込むことになっていた。

 

 ミューはゆっくりと周囲を歩き回り、数カ所に目をやり小さく頷くと、歩き回るのをやめ、クロウの元へ戻ってくる。

 

「大丈夫、問題ありません。魔法陣を描き終わりました。問題なく転移魔法が発動するかと」

「そうか。頼む」

 

 クロウがそう言うとミューは頷き、その辺に落ちていた一欠片の魔鉱石を手に持った。

 

「では、その前に仮契約を。……ええと、私が詠唱するので頷いてください」

「頷くだけでいいのか?」

「はい。それで契約魔法が完成するので」

「おれは魔法が使えないんだが……」

 

 クロウは首を捻りながらも、ここ数日でミューに逆らってもあまりいいことがないと学習しているので素直に頷いた。

 

「では。……【朧な地を踏みしめるものよ、あなたは契約を望みますか?】」

「【ああ】」

 

 ミューの手に持つ魔鉱石が、僅かに魔力の燐光を漏らす。驚くクロウを尻目に、ミューは言葉を続ける。

 

「【ミュールリーハを従者とすることを望みますか?】」

「【ああ】」

 

 燐光が少しだけ強くなる。ミューはさらに続ける。

 

「【ミュールリーハに対価を与えることができますか?】」

「【ああ】」

「【ミュールリーハに真摯であれますか?】」

「【ああ】」

「【ならば──】」

 

 魔鉱石が燐光を発しながら、ほろほろと崩れる。ミューはクロウの目を見ながら言った。

 

「【──ならば、この契約が公正であることをここに宣言します。私はあなたの望む限り、あなたのものとなりましょう】」

「あ……【ああ】」

 

 そう答えた瞬間、魔鉱石は強い光を発して弾け、溶けるように消えた。放たれた光は空中を彷徨い、やがてクロウとミューの二人に吸い込まれた。

 

「……おおー」

「ひとまずはこれで仮契約が成立、と。クロウさんを転移魔法で運べます」

「どうしておれが魔法を使えたんだ?」

「そうですね、何と言えばいいのか……クロウさんが魔法を使ったというより、クロウさんに魔法を使ったのですよ。性質上、あまり強力な契約ではないですが、ひとまずはこれで問題ないかと」

 

 ミューはそう言うと、小さく笑って言った。

 

「では。これからよろしくお願いしますね、マスター」

「ああ、そうだな。よろしくな」

 

 ミューは小さく頷いて、詠唱を開始する。山と積まれた魔鉱石が鳴動し、仮契約の時と同様に、しかしそれをはるか上回る規模で魔力の燐光が溢れ出し、風を逆巻きながら空間を震わせ、満ち、溢れる。

 

 そしてミューの澄んだ声が途切れ、燐光が急激に膨張したその瞬間──クロウとミューは階層から姿を消し、未知の領域へと移動していた。

 

 

 



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12 そして誰もいない

 

 

 

 

「……おお」

「とりあえず、無事に成功しましたか」

 

 光に包まれた次の瞬間には切り替わっていた光景に感嘆の声をあげるクロウと対照的に、ミューはほうっと安堵の息をついた。

 

 周囲を観察する。基本的には、つい先ほどまでクロウ達が過ごしていた見棄てられた階層の環境とあまり変わりない。

 ごつごつとした岩肌が所々むき出しになった、あまり肥沃とは言い難い大地。遠くには植物が群体的に生い茂った森のような場所も見て取れ、耳を澄ませば水音も聞こえる。

 まずまず、整った環境の階層に転移できたと言えるだろう。

 

「階層全体が火山になっていたり、湿地になっている可能性もありましたからね……」

「迷宮にはそんな場所もあるのか」

「よりどりみどりです。海そのものの階層や砂漠の階層など、人間には適さない場所も少なくありません。……とりあえず今回は、幸運だったということで」

 

 ミューはそこで言葉を切り、クロウへと問いかける。

 

「ではまあひとまず、この辺りを探索しますか?」

「そうだな。おれはこの場所を知らないしな」

「私も知らないですけどねー」

 

 クロウとミューはひとまず近くの小高い丘を目指し、足を進めた。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「……クロウさんクロウさん」

「どうかしたか?」

「私、もしかしたらかなり困ったことに気づいてしまったかもしれないのですが」

「なんだ?」

「この階層、人がいません」

「困ったのか?」

「困りました」

 

 二十分後。二人は登った小高い丘から周囲を一望し、そんな会話を交わしていた。

 この場所からはかなりの距離を見渡すことができ、遠くには迷宮の外壁も見える。しかしながら階層を一望したミューの表情は曇り気味である。

 

「何でだ?」

「いえ、ですから。……要するにここ、まだ誰も到達していない未到達階層ではないですか?」

「なるほど。そうか」

 

 ……ダメだ危機感が無い! ミューは頭を抱えた。

 

 出現する魔物をクロウが拳の一振りで適当に排除できるということが判明したあたりまでは順調だったのだ。

 この小高い丘まで登る最中だけで十を超える魔物が現れたが、だからといってクロウが窮地に陥ることもなく、ミューは魔物が多い階層なのだという感想で済ませることができた。

 

 だが、高台から見下ろしても建造物どころか煙の一筋も立っていないところを見ると、なにやらキナ臭い予想が湧き出て来る。……人間の活動の跡というのは、こうも目立たないものだろうか?

 

 もちろん、迷宮の一層一層はそもそもが広大。この丘から一望した程度で、この階層が未到達階層であると断定することはできないことはわかっている。

 ……だがなんとなく、これはもうミューの魔核回路が弾き出す冷徹な計算という名の勘のようなものなのだが、この階層に人間が息づいている気がしないのだ。

 

 

 

 

 とはいえ……とミューは深呼吸して顔を上げる。

 いつまでも動揺していても仕方がない。どこに転移するかわからないというリスクを受け容れた上での転移で、たまたまサイコロが悪い目を出してしまった。ならばもう、これは運と諦めるほかないだろう。

 

「……まあ、今更言っても仕方ありませんか。とりあえずの選択肢は二つ、つまり階層を下るか、或いは階層を上がる。クロウさんはどうしたいですか?」

 

 するとクロウは当然のように答えた。

 

「それは上がるだろう。だって、このまま下に行ってもエウーリアはいないしな。なら上に行って、仲良くできるかどうかは知らないが他の探索者たちに合流して、もっと他の場所を……どうしたんだ、ミュー」

 

 予想以上にすらすらと並べられた言葉に驚いているミューにクロウが聞く。

 

「あ、いえ……その、ぼうっとしている割にイケイケドンドンなクロウさんの性格からして、とりあえず最深層まで行こうとか言い出すかと……。……クロウさんはエウーリアさんが関わると判断がまともになりますね」

「なにを言っているんだミューは。まるでおれがいつもはまともじゃないみたいじゃないか」

 

 やれやれと肩をすくめるクロウにミューは半笑いで応える。大人の対応だった。

 ミューとしてはここ数日でクロウと話して、ある程度はクロウの事情や人となりを理解した気でいるのだが、どうもクロウの記憶力や判断力は、クロウが対象へと抱く興味の大きさに直結しすぎているように思えてならない。

 

 ミューはこほんと咳払いをしてから言った。

 

「まあともかく、当面の目標は階層を上がり、探索者たちの到達している最深階層に合流することにしましょうか。……でですね、クロウさん」

「なんだ?」

「それを踏まえて注意というか、今のうちにあらかじめ言っておきたいことがあるのです。──あそこには、絶対に近寄らないように」

 

 ミューは視界の端に存在している、あえて言及してこなかったある領域を指差した。クロウもつられてそちらを見る。

 

 ……一見したところ、それは単なる岩山だった。この丘から見渡すだけでもいくつも存在している岩山のうちのありふれたひとつ、そう判断することもできるだろう。──ただしそれは、その岩山の壁面に光の線で巨大な“扉”が刻まれていなければの話だ。

 

 よくよく観察してみれば、その岩山の周辺だけ明らかに緑の少ない、不毛の土地である。しかもそこらを我が物顏で闊歩している魔獣たちの気配も無い。ミューにでもわかるほどのピリついた空気がその周辺には漂っている。

 ……流石に。あそこまであからさまならば、馬鹿でもわかる。

 

「あれ、絶対にボス部屋ですので。とても露骨に」

「ボス部屋?」

「階王種が出現する領域です。下の階層に向かうためには絶対に挑まねばなりませんが、上の階層に上がる分には挑む意味がありません。ですから私たちの場合は、放置安定です」

 

 その言葉にクロウが聞き返す。

 

「階王種ってなんだ?」

「ああ……“見棄てられた領域”は遥か昔に解放された階層で階王種はもういませんから、クロウさんにはピンとこないかもしれませんけど……階王種というのは、要するに一つの階層を支配する魔獣のことです。階層の掌握とはそれすなわち、その魔獣を斃すことに他ならない──一種一体の魔獣の王、と聞いています」

「はー……強いのか?」

「とても。個人で挑むような相手ではありませんし、大人数でかかったからといって勝利できる相手でもありません。階王種は大抵の場合、固有の特殊能力持ちで耐久力に優れるらしくて、挑めるのは本当に一握りの……それこそ、その時代を代表するような探索者たちくらいのものだという話です」

 

 クロウはそれを聞き、ふうんと頷いた。精悪樹に挑んだ、あの瞬間が脳裏に浮かぶ。……きっとエウーリアは、階王種に挑めるような探索者なのだろう。

 ……ならば。

 

 クロウの微妙な感情の揺れを読み取って、ミューが念を押す。

 

「本当に駄目ですよ? 駄目ですからね? ……いくらクロウさんが強くとも、強さだけでは対応できない相手が出てくる可能性が高いです。だからこそ一騎当千の探索者たちもパーティーを組むのですし。ダメ、絶対です」

「……そうか」

 

 両手で大きくバッテンを作るミューに、クロウは少し間を置いて頷いた。……基本的にクロウの意思に意見はしても反対まではしないミューがここまで言って諌めるのだ。ならば、それは本当に良くないことなのだろう。

 そのクロウの返事に、ミューは胸を撫で下ろす。

 

「それこそ、階王種に挑むのは上の階層で他の探索者たちと合流し、誰か仲間を作ってからでいいでしょう。今無理をする意味はありませんから。……基本的に階王種がボス部屋の外に出てくることもないそうですし」

「ん? ……外に出てきたこともあるのか?」

「はっきりとしたことはわかりませんけど……聞くところによると、その階層に侵入している探索者があまりにも多いとボス部屋から外に侵攻してくるとか。……まあ、私たちには関係ないかと。今のところ、クロウさんと私の二人しかこの階層にはいなさそうですし」

 

 理路整然としたミューの説明に、クロウが感心したように頷く。

 

「なるほど。ミューは物知りだな」

「……あの。敢えて気にしまいと思いながら話していましたけど、今話したこと全部、クロウさんと一緒に聞き込みをして得た知識ですからね? クロウさんも一緒に聞きましたよね? 何を初耳のような雰囲気を出しているのですか」

 

 ミューがそう指摘すると、クロウは油の切れた人形のようなぎこちない動作で視線を逸らした。たどたどしい口調で言う。

 

「……まあ。うむ、そうだったな」

「とりあえず『階王種には挑まない』……これだけは覚えておいてください。命に関わりますので。いいですね?」

「うむ。おれはミューの言うことはいつでも完璧に理解している」

 

 無駄にハキハキとしたクロウの返事からは逆に内容を理解しているのか不安になって来るが、まあいいだろう。

 ミューはこれからの行動をまとめる。

 

「……でしたらとりあえずは、そうですね。手頃な拠点でも探しに行きましょうか。上の階層へ上がる境界を見つけるだけでもそれなりに時間がかかりそうですし、一ヶ所安心して休める場所があるだけでもかなり心理的に楽かと思います」

「おれはここでいいと思うんだが。地面に草が生えていて柔らかいぞ」

「はいはい原始人レベルの生活感覚で拠点を決めるのはやめましょうね。せめて屋根くらいは求めてください。……あ、あの辺りの洞窟なんかいいかと。早速向かいましょうか」

 

 いざとなればクロウさんに岩壁でもブチ抜いてもらって拡張すればいいでしょう、などと言いながらミューはテクテクと足を進める。

 ……マスターってなんなんだろうか。早く早くと手招きするミューにクロウはそんなことを思いながら、のこのこと後に続いた。

 

 

 

 

 



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13 無駄に洗練された無駄の無い無駄な斬撃

 

 

 

 

 

「朝ですよークロウさん。朝ごはんもできてますから起きちゃってください」

 

 ゆっくりと瞼を開けると、ふかふかとした寝床には洞窟の入り口から鮮やかすぎない朝陽が差し込んでいる。耳をくすぐる柔らかい声は、クロウの枕元すぐそばから聞こえた。

 

「……」

 

 寝ぼけ眼のまま体を起こすと、ミューは手に持った冷たい水で濡らした布を差し出し、クロウが顔を拭っている間にいかなる手際かクロウの服装を整える。

 目覚め始めた空腹に訴える匂いにふらふらと起き上がり食卓へと向かうクロウの椅子を用意し、座ったクロウに甲斐甲斐しく給仕する。

 

「朝は一日の活力ですからねー、しっかり食べてください。あっ、そのスープどうですか? 珍しい薬草を見つけたので乾燥させて持ち込んでおいたのですよ」

「……うまい」

 

 夢見心地のまま言うクロウだったが、実際美味かった。鼻に抜けて来る、どこか異邦を感じさせる香りがミューの言う薬草の香りなのだろう。

 堅パンもスープに浸して食べると、ガシガシとした食感が和らぎつつも噛みごたえを残し、妙に美味く感じる。

 

「ふふふ、寝ぼけているクロウさんは素直で可愛らしくて怠け者で本当に私好みのマスターですねぇ。日中はなかなかお世話させてくれませんし。……お茶はいかがですか?」

「……のむ」

 

 すっかり好物になったお茶をゆっくりと飲み干し、ようやくクロウははっきりと目を覚ました。二、三度頭を振るってミューを見る。

 

「……おはよう」

「はい、おはようございますクロウさん。いい朝ですね」

「ところでここ、こんなんだったか?」

 

 クロウは昨日から拠点にしている洞窟をぐるりと見渡す。

 この洞窟にたどり着いた昨日のうちにミューが収納魔法で取り出した敷物やらテーブルやら並べていたのは記憶にあるのだが……今では壁には細々とした小物がかかり、天井にはいつの間にやら小さなランプが取り付けられ、全体的に雰囲気が明るくなっていた。

 少なくとも既に、今までクロウが寝床にしていた掘っ建て小屋よりも居心地がよく、生活感があることは確実だった。

 

「夜の間にちょこちょこと手を加えていたのですよ。いい生活はいい住居から。私がメイドになるからには、クロウさんには快適に過ごしていただかなければ。それがクロウさんの義務と心がけてください」

「よくわからないが、ここは過ごしやすくていいと思うぞ」

 

 別にクロウにしても不満があるわけではない。ゴキゴキと首を回して、ミューに聞く。

 

「ミュー、今日は何をしようか」

「そうですねえ……」

 

 ミューは少し首を傾げてから言う。

 

「私としてはまず生活環境を整える方向性でいいと思うのですが。割と立地の良い場所に拠点を置けたとは思いますが、それでもやはりもともと人の暮らしていた場所ではありませんし。上階層へと急ぎすぎる意味も無いですから」

「なるほど。そうだな」

「なのでクロウさんには、この周辺の魔物の掃討をお願いしてもいいですか? そのうち火に慣れれば、魔物が近寄って来ないとも限りませんし。……というか火を噴く魔物とか普通にいますので、放置しておけば逆に寄って来るかもしれません」

「わかった」

 

 クロウは頷いた。確かにミューの言う通り、この場所に腰を据えるならば、先に厄介ごとを片付けておくのも重要だ。

 クロウにしても寝泊まりまでを魔獣の出没するような場所で行っていたわけではないので、魔物に夜襲されても上手く対応できる自信はないのだ。

 

 クロウは洞窟から出て、この周囲に何があったかを思い返す。

 周辺には基本的には荒野が広がっているが、すぐ近くには森が展開しているし、河も流れている。自分たちに都合のいい環境というのは大体の場合、魔物にも都合のいい環境であり、少し離れれば魔獣がわんさかと湧いてくるに違いなかった。

 

 とりあえず肩慣らしに森にでも突っ込もうかと決め、クロウはミューに声をかけた。

 

「じゃあ行ってくる」

「あ、待ってくださいクロウさん」

 

 と、そのまま歩き出そうとしたクロウをミューが呼び止めた。

 クロウに駆け寄って、何もない空中から小さな籠と布が巻かれた長い棒状のものを引き摺り出し、渡す。

 

「どうぞ、これ」

「……おお」

 

 ……クロウはこの、収納魔法という魔法には未だに慣れることができない。

 カバンのようなものから物体を取り出しすならまだしも、ミューは今のように何もない空中からとか、地面からとか、自分の影の中からとか、存在しない胸の谷間からとか、明らかにありえない場所から物体を取り出すので、感覚的にモヤっとするのだ。

 クロウのそんな思いを裏腹に、ミューは取り出したものをクロウに押し付ける。クロウはそれらを受け取って、ミューに聞いた。

 

「これをどうするんだ?」

「籠には魔石を入れてきてください。ここの魔獣は見棄てられた領域の魔獣とは違って、魔石を持ちますから。……私の事情となって申し訳ないですけど、私はクロウさんとは仮契約なので魔力が基本的に外部補給になるのです。水の浄化用とか、いくつか魔石で動く遺物も持ってきていますし、魔石はあればあるほど助かります。……あ、それと籠にお弁当が入っているので、小腹が空いたときにでも」

 

 その言葉にクロウは、そういえばミューが昨日クロウが吹き飛ばした魔物に駆け寄り、魔物の体のどこかに付いている魔石を採っていたことを思い出した。

 

「わかった。魔石だな。あのきらきらしたやつ」

「そうです。よろしくお願いしますね? で、こちらは……」

 

 ミューが残ったもう一つの包みの布をめくると、金属の光沢が陽の光を反射する。

 

「剣です。お肉になりそうな魔獣がいたら、できればこっちで倒してください」

「なんでだ?」

「自給自足になりますから魔獣も食用にしようと思うのですが、クロウさんが殴り倒した魔獣はほとんど爆散して原型が残らないので、ちょっと。……剣ならまだ、なんとかなりませんか?」

「ふむ。でもおれは、剣なんて使ったこともないぞ」

「この機会に試しに使ってみてはどうですか? 武器なんて使えないより使えた方がいいに決まっているのですし、これから慣れていく方向性で」

 

 その言葉にクロウは少しだけ迷って、剣を腰に帯びてみる。

 

「よっ、大剣豪! できるマスターですねこれは!」

 

 剣を引き抜いて構えてみる。

 

「惚れてしまいそうです! 私の魔核もきゅんきゅんしてますよー!」

 

 ……。

 クロウは頷いた。

 

「そうだな。言われてみればまさにおれは剣を振るうために生まれてきたような気がする」

「さすがはクロウさんです。では、私は美味しいご飯を作って待ってますので」

 

 その言葉にやる気を出したクロウは籠を背負い剣を腰に帯びて、颯爽と勇んで洞窟の外に足を踏み出した。

 そして十数分後。戻ってきた。

 

「あれ、クロウさん。どうしました? この辺りには魔獣がいなかったとか?」

「いや、そうじゃなくてな」

 

 ミューが細々とした雑用の手を止めて不思議そうに尋ねると、クロウは気まずげに目を逸らす。そして、そっと背後から剣……だったものを取り出した。

 

「すまん、壊れた」

「早っ!?」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 クロウは森の中の適当な空き地にぽつんと生えた木の前に立ち、剣を抜いた。

 

「おれはとりあえず、こうして構えてみたんだ」

「わぁ。……私はあまり剣術とかわかりませんけど、堂に入った構えですね」

 

 ミューは正直にそう褒める。実際、ミューが収納魔法で新たに一本取り出した剣を構えるクロウは、始めて剣を握ったようには見えない。ある種の合理とでも言うべきか、機能美を感じさせる立ち姿だった。

 これまで拳だけで生き抜いてきたとはいえ、それが剣に全く応用できないというわけでもないのだろう。クロウはしっかりと重心を捉えた姿勢で剣を構え、その姿勢だけをみれば立派な剣豪だった。

 

「で、こうだ」

 

 瞬間、クロウは足を踏み込み、目の前の木の幹に向かって腕を振り下ろし、斬りつける。それだけでドパン、と破裂音のような音が鳴る。

 猛烈な踏み込みで土が抉れ、躍動する肉体の纏う気迫は、どこか異様なまでの力を感じさせた。

 

 ──そして振り下ろされたクロウの手には、ひしゃげた鉄クズが握られていた。

 美しい構えから一瞬で鉄クズを生産するその手腕は、さながらスクラップマシーンである。

 

「なんで!? どうしてそうなるのですか!?」

「なぜか壊れるんだ。不思議だ」

 

 クロウは剣だったものを手に握りしげしげと眺めながら、首を捻る。ミューは引き攣り笑いを浮かべながら、クロウの斬りかかった木を見る。

 

 全くの無傷だった。

 

「……あのクロウさん、これ」

「この木はすごいな。斬ったつもりだったのにまるで手応えがなかった」

「……当たるとかそれ以前に、剣そのものの強度がクロウさんの力に耐えられずに自壊しているということですか。安物とはいえ、鉄製なのですが……」

 

 ミューはそういえば、と思い返す。

 クロウの寝床にはツルハシやら、魔石掘りとして普通は持っているはずのものが全く見当たらなかった。それはきっと、使えば振るうだけで壊れてしまうからなのだろう。

 

「……しかし困りましたね。手加減とかはできないのですか?」

 

 剣は何本か持ってきていたが、補給のできない現状、そうやすやすとスクラップにされてもたまらない。聞くと、クロウは首を振る。

 

「おれは全力で殴ることしか知らないからなぁ。拳でも手加減なんてできないのに、剣だとたぶんなおさら無理だと思うぞ」

「まあ、これに関しては私が無理なことを言っていますね……」

 

 戦いにおけるクロウの拳は常に一撃必殺である。それを欠点とは言えないが、しかし今回のようにちょくちょくと困ることが出てくるのも確かだ。

 そもそも魔獣を殴る力を手加減できないからこそ剣を試させてみたのに、今度は剣を振るう力を手加減させるなど土台無理な話だろう。

 

 ミューはため息をついて言う。

 

「剣はひとまず封印しましょうか。残りの本数にもそんなにストックはないですし、木刀を作って練習をしてまで手間をかけるのも的外れですし。クロウさんは出来るだけ力をセーブしながら魔獣を殴る方針で……」

「剣の残りの本数が足りなくて困っているのか?」

「へ? そうですけど……」

 

 ミューの返答に、クロウは頷く。

 

「わかった。じゃあ、その辺で手に入れてくる」

「そ、その辺? ああ、鉄鉱石を採取してくるとかそういう……もしかしてクロウさん、鍛治ができるのですか!?」

 

 ミューが色めき立つ。クロウに鍛治仕事ができるのだとすれば、それは嬉しい誤算だった。どの程度の腕前であれ、持っていて困る技能ではない。

 未来に希望を感じて表情を明るくするミューに、クロウは首を傾げた。

 

「何を言っているんだ、ミューは」

「へ?」

「おれに鍛治なんて無理に決まっているだろう。……まあ、実はおれも手に職をつけようとしたことがある。だが、見落としていた誤算があってな……」

「なんです?」

「見棄てられた領域に、まともな腕を持つ鍛治師なんて一人もいなかったんだ」

「まあ、まともな腕を持っていればわざわざあの環境に身を置こうとしないというのはよくわかりますけれど。……しかし、ではどうやって剣を手に入れるのですか? この階層には……少なくともこの周辺には、当然ですがお店なんてありませんよ?」

 

 疑問符に溢れたミューの言葉に、クロウはやれやれと肩を竦めた。

 

「エウーリアもそうだったが、ミューも世間知らずだな」

「は、はあ……」

「おれは鍛治はできないし、この階層には店もない。なら、あと一つの方法があるだろう」

 

 クロウは森の奥を指差した。そして平坦な口調で言った。

 

「その辺に生えているのを、引っこ抜いてくるんだ」

 

 

 

 



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14 You are the bone of my sword.

 

 

 

「うむ。おれの勘ではこっちだ」

「……あのクロウさん、クロウさん?」

「なんだ?」

「本当にこう、にょきっと剣が生えているのですか? ……いえ、クロウさんを疑いたいわけではないのですが、流石に信じられないといいますか……」

 

 森に入って数十分。徐々に緑はその深さを増し、周囲には秘境とでも表現して差し支えのない、まるで文明の足跡が見えない未開の森が広がっていた。……歩いている場所にしても獣道である。当然のように魔獣と鉢合わせした。その度にクロウが殴り飛ばしたが。

 ミューの不安げな声に、クロウはのんびりと答える。

 

「そうだな。……おれの経験上、あまり人のいないところに生えていることが多いぞ」

「そ、そうなのですか? そんなものなのですか?」

 

 妙な自信に満ち溢れたクロウの言葉に、段々とミューも自信が無くなってくる。

 この広い迷宮には、未だ人々に知られていない神秘が多すぎる。もしやクロウだけの知っている、本当に剣が地面から生えているような場所も存在しているのではないか……?

 

 思考をぐるぐるとさせているミューをよそに、クロウはふと立ち止まった。

 

「うむ。この辺に生えていそうだ」

「へ? これって……」

 

 ミューはぽかんとした。なぜなら目の前にあるのは、いかにも魔物の住処になっていそうな、じめじめとした洞窟……寝ぐらにしている風に削られできたような洞窟とは違う、魔物の住処としての、いわゆる迷宮らしい場所だったのだから。

 

 構わず入るクロウに続いて、ミューも慌てて中に入る。

 中には生温い風が吹き抜け、クロウとミューの足音が大きく反響した。暗い洞窟をじんわりと照らすのは光苔で、あまり光量の多くないそれは、かえって恐怖を煽るようだった。

 時折、洞窟内に響く二人以外の生き物の音……遠くからの咆哮らしき響きや、何かがバサバサと飛び立つ音、それに僅かな水流の音。それらが洞窟内で反響するたびに、ミューはびくん、と小さく体を震わせた。

 

「……こ、これはもしかして、私は外で待っていた方が良かったのではないですか……? いえ、怖いとかじゃ全然ないんですけど。あくまでもメイドは怖がらないのですけど」

「そうか。さすがミューだな」

「そうなんですよねー。私、弱点とか無いんですよねー」

 

 そう言って微笑むミューはクロウの後をしずしずとついて行きながら、がっしりとクロウの腕を掴んでいた。それはもう、絶対にはぐれないくらいに強く。

 

「……」

 

 歩きにくかったがまあいいかと思って何も言わずに歩いていたクロウは、その時ふと、目的のものを見つけて立ち止まる。

 

「あった。これだな」

「ひ……えっ?」

 

 喉の奥を引きつらせかけたミューの声が疑問符に変わる。

 ミューはまじまじとそれを見詰めた。見た目は箱……というか、これは。

 

「……宝箱、ですか?」

「これの中に剣が生えてるんだ」

 

 クロウはそう言って、無造作に手を伸ばす。

 縁に手をかけて力を入れると、がぱ、と大雑把な音を立てて宝箱の蓋が外れた。そしてその中には、暗闇の中にあってもまばゆく輝く、宝石を散りばめた宝剣の輝きが収められている。

 それはいかにも、名のある一振りに見えた。ミューは思わず感嘆の声をもらす。

 

「ああなるほど、そういうことですか。確かに剣が遺物として宝箱の中に生えていることは珍しく……生えて?」

 

 その瞬間、あることに気づいたミューの表情がこわばる。……クロウが手に取ろうとする剣からは、明らかに何か不穏な気配がしたのだ。そう、それは例えば──

 

「それ剣じゃなくてミミッ……!」

 

 ミューが言い切る前に、()()が正体を現す。

 

 ──クロウが手に取った瞬間、宝剣の眩いほどの輝きは消え失せ、色どころか形、質感すらも変わり果てて変化する。伸び上がるそれは質量を持つ影のような姿だった。

 体積を大幅に膨張させたそれは洞窟の天井に届きそうなほどに伸長し、クロウへと覆い被さるように襲いかかる。クロウの姿は一瞬にして、それに呑み込まれた。

 

「クロウさん!?」

 

 ミミック──宝物に化けて油断した探索者を襲う、この迷宮という場所にはつきものの魔獣である。

 

 ミューはクロウに駆け寄り、ミミックをクロウから引き剥がそうとする。ミミックは本来、不定形生物だ。何にでも精巧に化けられるその肉体は、いざ獲物を取り込めば決して逃さずに軟体の網のように絡みつき、消化してしまう。

 

 ミューは慌ててクロウに駆け寄り、ミミックを引き剥がそうとし──その瞬間、ミューは気づく。

 ……このミミック、なんか痙攣してない?

 

 そしてずぽん、と何かが抜ける音とともに、例えば座布団がばたばたと振り回されるようなそんな乱雑な動きで、ミミックは収縮しながら宙を舞った。

 

「うむ。いきがいいな」

 

 目を丸くして唖然とすることしかできないミューに、クロウは手にミミックの首根っこ(?)を掴みながら、力なく震えるミミックを観察してそんなことを呟いていた。

 

「あ、あのそれ……なんですか?」

「ん? これはな、一気に箱から抜き出すと少しの間大人しくなるんだ」

「そんな習性が……ではなく! それをどうするつもりなのですか?」

 

 どうもクロウの様子から考えるに、元からミミックが目当てだったように見えてならない。だが、ミミックを捕まえてどうするつもりなのか?

 そんなミューの疑問は、クロウの次の言葉で氷解した。

 

「決まっているだろう。これを剣にするんだ」

「へ? ……!?」

 

 べちん、と音が響く。……クロウがミミックの頬(?)をシバいた音だ。

 

「おまえは剣だ。おまえは剣だ。おまえは剣だ。おまえは剣だ。おまえは剣だ。おまえは剣だ。おまえは剣だ。おまえは剣だ。おまえは剣だ。おまえは剣だ。おまえは剣だ。おまえは剣だ。おまえは剣だ。おまえは剣だ。お前は剣だ。お前は剣だ……」

 

 クロウはミミックの耳元(?)で絶え間なくその言葉を呟きながらシバき倒す。クロウがミミックの左右を張るベチベチという音が洞窟内で反響した。クロウの手に文字通り命を握られているミミックは力なく震えることしかできない。

 一瞬遅れて事態を把握したミューは、慌ててクロウの腕に縋った。

 

「ちょっ、洗脳じみてて怖いのですけど!? ……というか! もしや剣が生えてるって、箱の中に生息しているミミックを引きずり出して無理矢理剣に変形させて使うという意味なのですか!?」

「? それ以外になにがあるんだ」

「無垢な瞳でド外道なことを言わないで下さいよ!」

「だってこれ、魔物だぞ」

「モラル! モラル大切にしましょう! クロウさんに必要なのはもう強さとかじゃなくて、優しさとか慈悲とかそういうふわっとした人間らしさです! 正論を言えばいいってものではないのですよ!?」

 

 ミューがミミックを背後に庇うと、庇われたミミックは完全に戦意を喪失してプルプルガッタガタと震えていた。その様子に少し前の自分の姿を見た気がしたミューは、思わずクロウの説得を試みる。

 

「さ、流石にこれはどうかと思います! いくら魔物相手とはいえ、やっていいことと悪いことってあるでしょう!?」

「でもミュー、おれの住んでたところでは結構売ってたぞ、それで作った剣。親方のところでも時々、売っていたと思うんだが」

「ほんっと魔境ですねあの場所! 良心の麻痺した人間しかいないのですか!? ……もういいですから! そんな虐待じみた方法を使うくらいなら剣なんていりませんから!」

「うーむ……」

 

 クロウは首を傾げ、少し悩んでから、ミューに提案する。

 

「ミューはそれを剣にするのは、嫌なのか」

「……そうですけど」

「じゃあ仕方ないな。退治するか」

「容赦無いですね!?」

「だってそれ、魔物だろう」

「うっ……」

 

 ミューは冷や汗をかく。そう言われると弱かった。……実際、もともとクロウの言っていることが間違っているというわけではないのだ。基本的に魔物は敵であるし、退治するのは当たり前だ。

 しかしそれはそれとしても……少し、これは。

 

 振り返るとミミックはクロウの発する無色の凶気に充てられたのだろう、未だにガタガタと震えている。そのいっそ小動物じみた、魔物としての誇りを捨て去った様子を見れば、とてもではないが退治するのを座視する気分にはならない。

 とはいえ、口で言い聞かせただけで果たしてクロウがこのミミックを見逃すだろうか? ……そう自問自答してみると、それはかなりの低確率に思えた。何しろミューは、クロウが魔物どころか人間に対してさえ慈悲をかけている場面を見たことがない。

 

 ならば──。ミューはクロウに向き直り、宣言した。

 

「この子は私の従魔にします! だから退治はナシで!」

「……? そんな簡単にどうにかなるものなのか」

「幸か不幸かこの子はもう完璧に屈服しちゃってるっぽいですから。私と契約すれば、クロウさんが退治する必要はありませんよね?」

「そうなのか。なら、そうだな……本当に退治しなくていいのか?」

 

 クロウがもう一度だけ聞いてみると、ミューはそれをどう受け取ったのだろうか。

 ミミックをゆさゆさと揺さぶりながら、必死に語りかける。

 

「……クロウさんに媚びるのです! 可愛らしい感じに変身して必死に媚を売るのです! 私への仕打ちなどから考えて、クロウさんは殺ると言わなくてもいつのまにか殺っちゃってるタイプの人間なのですよ!? ──今、ここで! 一発うまく媚びを売っておかなくてどうするというのですか……!?」

「……」

 

 ミミックはミューのその言葉にゆらゆらと波打ちながら、耳(?)を傾ける。

 ……ミューの言葉はいつも、何か間違っている気がする。というか仮にもマスターをなんだと思っているのだろうか。そんなクロウの言葉にはならない思いと裏腹に、ミミックはミューの説得を受けて変身を始めた。

 

「頑張れ、頑張りなさい……! なんかいい感じに!」

「ミューはな、時々投げやりだと思うんだ」

 

 ミューはそんなクロウの言葉は聞き流して、目の前のミミックの変身に注目していた。ミミックは近くの人間の思考……というか望みを読み取る力があると言われている。それ故に宝箱を開く人間が思い描く『財宝』のイメージ通りに化けられるというのだが……。

 

 不定形だったミミックはすう、と伸び上がり、人型を形成する。影色だった表面は肌色になり──気がつけばそこには、ミューよりも頭一つ小さな少女が立っていた。

 身体にはミューの姿を参考にしたのだろうメイド服を纏い、しかしミューの黒髪とは異なる白銀の髪を揺らし、紺碧の瞳でクロウを無表情で上目遣いに見上げている。が、ミューのメイド服にしがみつき陰に隠れている様子を見るに、クロウへの怯えは解消されていないようだった。

 

「……おまえは」

「はい?」

 

 クロウの呟きに聞き返すと、クロウはじい、とミミックを見つめて言う。ミミックはますます怯えて、ミューにしがみついた。クロウはそれを観察して、ふと呟く。

 

「……違うな。うむ、おまえは違う」

「あの、クーちゃんと誰が違うんですか?」

「んん? ……ミューでもエウーリアでもないし、言われてみれば誰と見間違えそうになったんだろうな。親方とかだろうか。……ところで、クーちゃんってなんだ?」

「親方じゃないことは確かです。……クーちゃんはこの子の名前ですよ。ミミックのクを取ってクーちゃんです。ミーちゃんでもいいのですけれど私と紛らわしいので」

「そうか。ミューは名前をつけるのがへたくそなんだな」

「クロウさんは言葉をオブラートに包むということを知らないのですか!?」

 

 しかし実際、自分のネーミングセンスの無さは自覚があるのだろう。ミューはそこで言葉を切り、クロウに改めて聞く。

 

「どうですか? これでもまだ、退治しますか?」

「……」

 

 流石にクロウも、こうなっては退治する気はない。無意識の戦闘スイッチが切れると、ようやく無言の圧力から解放されてミューは安堵のため息を漏らした。

 あくびをしながらクロウは聞く。

 

「……まあいいか。それはクーって呼べばいいのか」

「お好きなように。私の従魔である以上はクロウさんにもマスター権限がありますので、細々したことならクーちゃんに申し付けてくださって大丈夫です。……経緯を考えるにおそらく、私が命令するよりもクロウさんの言葉の方によく従うでしょうし」

「わかった。……でも残念だな、剣が手に入らなかった」

「やめてくださいその話題を口にしながらクーちゃんを見ないであげてください、尋常でなくガタガタ震えていますから。……まあ、別に剣が必須ということもないので。どうしてもお肉が必要なら罠でも使えばいいのですし」

 

 ミューがそう言うと、クロウはポツリと呟く。

 

「……なら最初からそれでよかったんじゃないのか」

「何を言っているのですか。つまんない思春期みたいな冷めたこと言わないでくださいよ。……だって剣とか使えた方が格好いいではないですか。こう、いつもは散々怠惰にメイドに甘えて甘やかされていながらいざ剣を抜けば最強の剣士、みたいな。私的にはそういうのが理想ですねぇ。燃えます」

「ミューはバカなんだな」

 

 顔真っ赤にして反論してくるミューを放って、クロウは洞窟の出口に引き返す。

 少し遅れて付いてくる足音は、入ってきた時と違って二つに増えていた。

 

 

 



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15 迷宮ぐらし

 

 

 

 

 

「クー。頼んだぞ」

 

 拳を振り抜きいつも通り魔物をぶん殴ったクロウが背後に声をかけると、メイド服姿でクロウよりも頭二つ分小さな少女がぱたぱたと近寄ってきて、生物だったものから手際よく魔石を取り出し、後ろに背負っているカゴにちまちまと入れていく。

 

 ──既にこの階層に転移してきてから、二週間ほどが経過していた。新たにクーを仲魔として加えた生活は、滞りなく進んでいる。

 現在は上の階層へと繋がる境界を探しているところであるが、収納魔法などいう便利なものを持っていないクロウからしてみれば、探索を進めながら荷物を持ち魔石を採取し……という作業はなかなか面倒だった。

 

 そこで働くのがクーだ。名目はミューの従魔であるクーだったが、住居まわりのことに関してはミューが一人で過剰に仕事をこなしている。

 であればクーがそこに割って入る隙間は無いわけで、今現在クーはクロウについてまわり、魔石の取り出しや荷物の運搬要員として働いているのだった。

 

「……。……!」

「お、済んだのか。めしにするか」

「……」

「うむ、そうだな」

 

 クーは喋らないのか喋れないのか、言葉を発そうとしない。が、もともと言語に頼り切らない生活をしていた……悪く言えばほぼ誰とも喋らず拳で語る生活を送っていたクロウのこと、クーが言葉を話せずとも正直あまり意思疎通の程度は変わらなかった。

 むしろ気配だけで直感的に判断するぶん、言葉よりも伝わっている可能性すらあった。

 

 クロウがとん、と地を蹴り側の樹の枝に着地し腰掛けると、クーは荷物が重いのだろう、跳躍するのではなくよじよじと樹を登り、クロウの横にちょこんと腰掛ける。

 そして、背負った籠からミューに持たされているクロウ用の昼ごはんを取り出し、差し出した。

 

「ん、ありがとうな」

「……♪」

 

 褒められると、表情を動かすでもないが僅かに雰囲気が楽しげになる。初対面の剣呑さとは裏腹に、この一人と一匹の交流はそれなりに良好だった。

 枝をさわさわと揺らしながら吹き抜ける風が心地よい。クロウはミューの用意した肉を挟んだパンのようなものを頬張りながら、クーの食事の様子を見てポツリと呟く。

 

「……うまいか?」

「……」

「そうか」

 

 無表情で頷くクーにクロウも無表情で頷く。うまいらしかった。

 クーの食事はミューと同じように、魔力の補給という形だった。当初は肉でも食べるのかと考えていたクロウとミューだったが、考えてみれば、誰も訪れない宝箱の中でひたすら何年も何年も人間を騙くらかすことだけを夢見て飲まず食わずでいたわけだ。それでも生きていられるというのなら、その源は不思議エネルギーたる魔力以外には無い。

 

 なんにせよクロウからしてみれば自分以外の少女二人は食事時間にぽりぽりときらきらした石をかじっているわけで、その味に興味が向くのも仕方のないことだろう。

 一度口にしてみたが、味のしない飴玉、つまりは石ころに過ぎず、どうやらクロウには魔石グルメはまだ早いようだった。……ミューに聞くところによると、『魔鉱石は味が薄くて、魔物の魔石は味が濃い。けれどどちらもご馳走様です』らしい。

 

 昼ごはんを食べ終わると、しばらく枝に腰かけたまま、クーと二人でぼうっとしていた。葉の隙間から溢れてくる木漏れ日はじんわりとした暖かさで身体を包む。ざわざわと葉の擦れる音が遠く近く揺れていた。

 

 これはこれで、悪くない。……ずっと一人で生きてきたクロウだったが、気がつけば隣にミューやクーが座っている今の状況は、おもしろかった。

 エウーリアの言うような冒険ではないような気がするが、だからといって今の生活が悪くないと思っていることもまた、確かだった。

 

 昼過ぎまで気を抜いたままぐてっとした姿勢でぼんやりとしていて、ようやく微睡みから醒めたクロウは枝の上に立ち、クーに声をかける。

 

「おれはちょっと、この樹の天辺から景色を見てくる。クーは待っててくれ」

 

 こくりと頷いたクーをそこに残して、クロウは枝を跳びながら樹の梢までたどり着く。クーも身軽でないというわけではないのだが、流石にクロウにはついていけない。箱の中に引きこもっていた生物なので仕方がないといえば仕方のないことかもしれなかった。

 

 クロウは後方を見渡す。これまで進んできた道無き道の跡にはところどころ木が倒れ、空気が淀み、魔物をブチ殺した痕跡が転々と残っている。明白な自然破壊の跡だった。

 次いで、反対側に目をやる。もうそろそろ森の切れ目が近いようだった。けれどそこには、なにかが建っている。まるでそれは自然に造られて存在しているのではなく、何かが明白な目的を持って創り上げたような……。

 

「……ん?」

 

 澄んだ空気は遠くまでの視界を確保し、未だ到達せざる場所の様子をクロウの目に届ける。──ソレを確認したクロウは、今度は一息に地面まで飛び降りる。僅かに地面の木の葉が舞うが、柔らかな着地だった。

 幹を伝ってよじよじと地面に降り立とうとするクーをひょいと持ち上げ、地面に軟着陸させてから、クロウは告げた。

 

「向こうにあるやつ。……あれ、境界じゃないか?」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「案外早く見つかったな。ミューも喜ぶんじゃないか」

「……」

「ああそうだな。ご褒美にクーのおやつの魔石も多くしよう」

「♪」

 

 そんな会話を交わしながらクロウとクーは道を戻る。クロウはすぐさま“扉”へと突入しようとしたのだが、事前にミューから言い含められていたクーが必死にクロウを止めたのだ。そしてとりあえずミューに伝えるために、拠点へと戻っていたのである──。

 

「ミュー、ただい……!?」

 

 ──戻っていたのであるが。クロウ達を出迎えたのは、拠点の出口すぐに鎮座したクロウの身長ほどの直径を持つ巨大な岩と、それにちまちまと齧り付くミューの姿であった。

 

「……」 ←なんも言えねえクロウ

「……」 ←なんも言えねえクー

「……」 ←なんも言えねえミュー

 

 たっぷり10秒は続いた沈黙を打ち破ったのは、慌てたようなミューの叫び声だった。

 

「ちょっと……少々何か誤解をしていませんか!?」

「……いや、誤解してない。でもな、ミュー」

「は、はい……?」

「──すまない、おれの稼ぎが悪いばっかりに。そんなに腹が減っていたんだな。おれはほら、何も見てなかったから……」

「こんなくだらないところで気遣いの心を習得しないでくださいよ……! というかやっぱり誤解しているではないですか!」

 

 ミューはそう言って頭を抱え、大きなため息とともに説明した。

 

「お腹が空いたからって、外で魔鉱石のつまみ食いなんてしませんよ……。これはですね、魔鉱石を整形していたのです」

「んん?」

「クロウさんに何か武器のようなものでもプレゼントしようかと思ったのですよ。ほら、鉄ではクロウさんの力に耐えられなくとも、魔鉱石でしたらもう少しなんとかなるのではないかと思いまして」

「武器って……これがか?」

「これがです」

 

 クロウは鎮座する巨大な魔鉱石をしげしげと眺める。

 デカい。とにかくデカい。何しろ全長に至っては、クロウの身長の二倍はある。さしものクロウもこれを振り回すのは、流石に無理があった。

 ……だがよく見ると確かに一方の先端は尖っているし、使いようによっては巨大な戦槍のようにもなるだろう。

 

「もちろん大きすぎるのでもう少しサイズダウンしますが。……おそらくものすごく時間がかかるので、少しづつ進めていつかの機会にサプライズで渡そうと思っていたのです。見つかってしまいましたけどね」

 

 そう言って苦笑したミューは収納魔法でその巨大な魔鉱石をしまう。そして、自分へのプレゼントという未知の言葉の響きになんとなく心揺れていたクロウへと、不思議そうな口調で問いかけた。

 

「ところで今日はどうしたのですか? こんな時間に帰ってくるなんて初めてでは?」

「あ、ああ。それはな……」

 

 

 

 

「で、今は境界に向かっているのですね?」

「ああ。もうそんなに遠くないぞ」

 

 クロウの背から声をかけるのはミューである。歩くならばともかく、それなりの速度で移動したいならミューは足手まといなので、クロウが背負って移動していた。

 

「しかしクロウさん、よく我慢しましたね。『境界らしき場所を見つけたらひとまず、侵入する前にみんなで相談する』……約束の守れるマスターは素敵ですよ」

「ああ。おれはミューの言ったことを完全に覚えていたからな」

「えらいっ!」

 

 ミューが毎日洗っているはずなのにボサボサのクロウの黒髪を、首筋に抱きつきながら撫でくり回す。……このクロウという少年は割と、まっすぐな言葉には素直なのだ。最近それを発見して、褒めて伸ばすという教育方針を固めたミューであった。

 そしてその脇ではクーが、しらーっとした無表情で荷物を背負ったまま並走している。

 その深淵なる胸の内は窺い知れないが、きっともし喋れたなら、『私が止めたんだけどなー……』などと独り言をつぶやいていたに違いない。

 

「でもなミュー、なんで入ったらいけなかったんだ?」

「ああ、説明していませんでしたっけ。もちろん、境界だと思って侵入して何かの間違いでボス部屋やトラップの類だったらという懸念もないではないのですが……それ以前に本当にそれが『境界』だったとしても、私やクーちゃんがこの階層に取り残されてしまうのですよ」

「?」

 

 首を捻るクロウには、ミューが説明を捕捉する。

 

「えっとですね。要するに私は、一人では階層が移動できないのです。だって根本的に人間ではありませんし。それで必然的にと言いますか、階層を移動するならマスター……クロウさんと一緒に行かなければ、この階層に取り残されてしまいます。私は意思のある遺物ですから、迷宮側としても勝手に移動されては困るのでしょうね」

「はー……そうなのか。クーはどうなんだ?」

「クーちゃんはですねぇ……」

 

 ミューが首を傾げ、クロウの耳元で話す。

 

「……クーちゃんは正直、またよくわからないです。名目上は私の従魔ですので、私が階層を移動するときには一緒に移動できるはずですが、それ以外の場合となりますと。もともと魔物というのは、迷宮の階層間を移動するようにデザインされた存在ではありませんし」

「……なるほど」

 

 クロウは重々しく頷いた。……最近、頷くときには少し間を作った方が理解した感が出ることを学んだクロウである。日々成長しているのだ。

 とりあえずミューもクーもなかなか大変らしいということがわかったので、クロウ的にはそれで十分だった。

 そうこうするうちに目的の場所が近づいてくる。森の切れ目の端に立ち、そこには──

 

「わあ……」

 

 ミューが思わずといった様子で感嘆の声をあげる。

 そこには壮麗な装飾を施された、石造りの、巨大な巨大な──“扉”が存在していた。

 

 

 

 



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16 誤算

 

 

 

 

「これは……ある意味でわかりやすくていいですね」

 

 クロウの背中から降りたミューは流れるような滑らかさで軽やかにクロウの服に張り付いていた葉や雑草を取り払うと、扉に向き直る。

 何一つの人の痕跡が見えないこの階層で、突如唐突に存在する巨大な扉……それも、人の手では作れないほどに巨大な扉の威容には、驚きとともに畏敬を抱かざるを得ない。その巨大さはまるで、人ならざる何かが通過することを目的として造られたようですらある。

 

 ミューが扉に近寄る。

 

「……この石、魔力を帯びてますね。この扉全体で正確にどれほどの量かはわかりませんが、総量ではそれこそ転移魔術を使える程度には魔力を秘めているかと」

「ミューはこういうのを初めて見るのか?」

「封印される前には見たことがあったかもしれませんけど、覚えてないです。というかクロウさんは見覚えがあるのですか?」

 

 ミューの疑問形の言葉にクロウが答える。

 

「見棄てられた領域の境界も、場所によってはここと似たような雰囲気だと思うぞ。ただ、ここみたいに綺麗じゃなくて崩れたりぼろぼろだったな」

「崩れたり、ぼろぼろ……ですか」

「ああ。……と、あと一つあるかもしれない」

 

 と、ふと。たった今気づいたとばかりにクロウが言った。

 

「なんですか?」

「ミューが沈んでいた場所だ」

 

 虚を衝かれたミューに、クロウは言葉を続ける。

 

「見た目は全然違うんだけどな。なんとなくあの泉とこの扉は、空気が似ているような気がする。……なんだろうな、あんまり長居するのは良くないような、そんな感じだ」

「……あの場所、ですか」

 

 失われたミューの記憶に何かが引っかかっているような気もしたが、それははっきりとした輪郭を取らなかった。……考えても仕方がない。ミューはそこで思考を打ち切り、再び扉に目をやった。

 

「……ひとまず、開けてみますか?」

「いいのか?」

 

 ミューの提案にクロウが聞き返す。ミューは頷いた。

 

「ここが見棄てられた領域の境界に似ているというのなら、やはりこの扉がこの階層の境界である可能性が高いと思いますし、それに確かめる方法もありませんから。……本格的な引っ越しはともかくとしても、少しくらい覗いてみてもいいかと」

 

 基本的に、失ってはならないような物品はミューの収納魔法で管理しているのだ。仮に扉を潜ってから帰れないという事態に陥ったとしても、そう大した損失ではない。

 ミューのその意見に、クロウも頷いた。

 

「じゃあそうだな、開けてみよう。……実はな、最初見たときから開けてみたかったんだ」

「まぁ、扉があれば開けてみるのは基本ですからね。今回クロウさんはちゃんと我慢できましたし、ここは景気良くあの扉を全開にしちゃいましょうか」

「うむ」

 

 クロウが扉に近寄る。緩やかな階段を登り、その巨大な扉の前に立つ。

 そしてその扉に手を当て、力を込めて押し開こうとし──

 

「え?」

 

 ばちん、と大きな音がする。

 ──気づけばクロウは、宙を舞っていた。

 

「ク、クロウさん!?」

 

 驚くミューの声をよそに、クロウは空中で姿勢を整えて猫のようにしなやかに着地した。それはまるで、慣れきった運動のような滑らかな動作だった。

 

「無事ですか!? いったい何が……」

「ミュー」

 

 クロウがぼんやりとした表情でミューを見る。

 ……しかしミューは、クロウの小さな変化に気づいた。一見、いつもと同じようなただの無表情に見えるが、これは……。

 

「……たぶんこれ、おれは通れないぞ」

 

 それは、恐らく。──ミューの初めて見る、クロウの困り顔だった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「誤算でした……」

 

 拠点に戻ってきた三人は、丸い食卓を囲んで座る。クロウはミューの淹れた茶をすすり、クーはおやつの魔石をぽりぽりとかじり、ミューは頭を抱えていた。

 

 あの後、数度試してもクロウはあの扉を通れなかった。触れることすらできなかった。扉の反対側に回っても同じだ。どうしても弾き出される。

 続いてミューとクーも試してみたが、触れる以前に近づこうとすれば自然に足が止まってしまうといった有様で……要するに誰一人として、あの扉を通ることはできなかった。

 

 頭を抱えたままミューが小さく呟く。

 

「一度迷宮に入ってしまえばそれでいいものだと……見棄てられた領域では自由に階層を移動できていたのに……!」

「ミューは元気がないな。どうしたんだ」

「……っ」

 

 茶をすするクロウがそう言うと、ミューはピクンと身体を震わせ、顔を上げた。青ざめていた。

 

「……?」

「……クロウさん」

 

 普段とは違うミューの雰囲気に戸惑うクロウに、ミューは頭を下げる。

 

「ごめんなさい。これは私の失敗です。……こういった事態のことも、あらかじめ考えておくべきでした」

「……? 何を言っているんだ、ミューは」

 

 クロウが湯呑みを置いて首をかしげると、ミューは小さな声で言った。

 

「……転移という方法を勧めたのは私です。だから私には責任があります。あのとき、安易に転移という方法を持ち出すべきではなかったのです。実感として、結果としてこうなるかもしれないということを予想できたのは、あの時点で私だけだったのですから」

「……?」

「……ですからっ!」

 

 未だにピンときていないクロウに、ミューは僅かに声を震わせて言う。

 

「クロウさんは今、私を責めていいのです! この階層に閉じ込められたのは私のせいだ、と。どうして転移なんて方法を勧めたんだ、と。……そう私を罵ってくださっていいのです」

「……」

 

 クロウは冷めた茶をもう一口すすった。そしてミューの眼を見て言う。

 

「あのな、ミュー」

「はい」

「だからミューは、何を言っているんだ」

「クロウさん、私は……っ!」

「おれは、ミューの言っていることがよくわからん。……いや、この階層に閉じ込められたことはわかるんだ。入り口もないし出口もない。困ったと思う。けど、それはなんていえばいいんだろうな……」

 

 クロウは口を開こうとしたミューを遮るように、言葉を続ける。

 

「ここに閉じ込められるのは、そんなに大したことじゃないんじゃないか。だっておれはもともと、あの“見棄てられた領域”に閉じ込められていたんだ。だったら、場所がこの階層に変わっただけで、ほかには何も変わらなくないか?」

「か、変わるでしょう!? だってここには何も無くて」

「あの場所にもなにも無かったぞ」

「……っ! お、親方さんとか親しい人もいたでしょう!?」

「んん? ……ああ、思い出した。あの男か。でも、ここにはミューとクーがいるだろう」

「……まさか既に親方さんのことを忘れかけている……!? ……で、では、エウーリアさんは。エウーリアさんに辿り着くための道が途絶えたことは、どうなのですか?」

 

 ミューのその問いに、クロウは小さく唸って答えた。

 

「それは難しい質問だな。……確かに、おれがここからエウーリアに会いに行くことは大変かもしれない。どうしていいのかわからない」

「だったら!」

「でもそれも結局、昔と変わらないな。おれにはもともと、自分からエウーリアに会いに行く方法なんてなかったし……見捨てられた領域よりはここの方が、エウーリアに近いんじゃないだろうか。エウーリアは凄いからな、ここまでたどり着くのもきっとすぐだぞ」

「……随分と、エウーリアさんを信頼しているのですね」

 

 ミューがそう言うと、クロウは頷いた。

 

「ああ。あいつはなんだろうな……そうだな、とても生きているやつなんだ。だから……ああ、うむ。それとなミュー」

「……なんですか」

「おれは見棄てられた領域よりもここが好きだ。たぶんそれは、ここにはミューとクーがいておもしろいからだろうな。だから謝られても嬉しくない」

 

 クロウのその言葉にミューは眼を見開き、二、三言なにかを口にしようとして、やめた。

 立ち上がり、クロウと目線を合わせる。

 

「……謝りませんから。そこまで言うなら、私、謝りませんからね」

「そうだな、それでいいんじゃないか。クーも特になにも思ってなさそうだぞ」

「クーちゃんはそもそもこの階層の魔物ですし……」

 

 そう言ってクーに目をやったミューは思わず脱力した。

 クーが二人のやりとりにまるで興味の無い様子で、ひたすらもぐもぐちまちまと魔石を齧っていたからだ。ミューと眼を合わせると、“?”という腹立たしいほど何も考えていなさそうな顔でこちらを見返してくる。

 

「ク、クーちゃん……」

 

 ミューは思わず半笑いになった。従魔の精神状態はある程度、マスターの精神状態に左右されるという。それから考えると、この泰然自若っぷりを見るに、どうやら既にクーはミューよりも、クロウから強く影響を受けているようだった。

 なんということだ。それは要するに、ただでさえ思考がまるで読めないクロウが実質2倍になったようなものではないのか。

 

「……これは大変です。落ち込んでもいられませんね」

 

 ミューはそう独り言を呟いて、パン、と手を叩く。

 

「……では、この階層から抜け出す方法でも考えましょうか」

「ん? あるのか」

 

 のんびりとしたクロウの声に、ミューはいつものように笑って答えた。

 

「もちろんです。……メイドはマスターの望みを叶える生き物ですので」

 

 

 

 



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17 精神的強者

 

 

 

 

 

「おれはな、よく考えれば働きものじゃなかったんだ」

「はあ」

 

 階層に閉じ込められたことが判明してからおよそ十日。今日も朝飯を喰らって目を覚ましたクロウは、唐突にそう言った。呆気にとられたミューの生返事に、かつてない熱意を持って言葉を続ける。

 

「働くのは三日に二日、いやもしかしたら二日に一度くらいだった。見棄てられた領域の第五階層まで行って、気まぐれに壁を殴って、魔物を殴る。それがおれの、なんだっけ……らいふる?」

「ライフスタイル?」

「そう。それだ。それがおれの、ライフルスタイルだったはずなんだ。それ以外の時は食べて、寝て、街で殴りかかってくるやつを殴り返して、メシを食べて寝る。暴力と食事と睡眠で成り立っていたのが、あのころのおれだったと思うんだ」

「うわぁ。どう控えめに見てもならずものですね」

「なのに」

 

 クロウはグッと拳を握りしめる。

 

「気がつけばおれは、ここに来てから一日も休んでいない。毎日ずっと狩りに出て、魔物を殴っているような気がする」

 

 実際、クロウはよく働いてきた。毎日三桁に届こうかという魔物を屠り、魔石を採取するクーもてんてこ舞いだ。特に最近などは、休む間もなく魔物を狩っている。

 それというのも……

 

「転移のためには魔石が必要だからな。うむ、それはわかるんだ」

「クロウさんのお陰で、今では目標とする必要魔力量の半分ほどが集まっていますからねー。……正直なことを言いますと、いくらクロウさんでもここまでのハイペースで魔物を狩れるとは思っていませんでした」

 

 ミューが提案したこの階層から抜け出す方法は単純だ。

 

 魔石を集めて再び転移を行う。一回で失敗したのなら何度も繰り返せばいい。それは単純かつ愚直ながら、しかしある意味で、間違いなく道理に適った思考である。

 例えば折良く攻略中の階層に転移できれば、あるいは未知の遺物でクロウのステータスを偽装して作り出す方法があるかもしれない。

 確実さなどどこにもないが、しかし行動する価値はある。

 

 そう決めてから既に十日ほどが経過して、現在ではミューの言う通り、転移魔法に必要な魔力の半分ほどが集まっている。

 魔物から得られる魔石が魔鉱石よりも遥かに魔力効率が良いとはいっても、無論、これはクロウが魔物を狩るその異常なハイペースによるものだった。何しろ大抵の場合、拳の一振りでケリがつく。その気になれば、文字通りに鎧袖一触だ。

 

 ──しかし。クロウはそんな今までの経緯を全て無視して、雄々しく、そして高らかに、己の胸の内に秘めた野望を宣言した。

 

「ミュー……おれは決めたぞ。おれは休む。ミューがなんて反対しても休む。働けと言っても知らない。おれの決心は硬いぞ。本気だ。今日は絶対に休んでやる」

「あ、はい。そうですね、休養も大切です」

 

 ──そしてその言葉に、ミューはあっさりと頷いた。

 あまつさえ、腕を振り上げ硬直したままのクロウに色々と提案する。

 

「ではでは今日一日は私がお側についてお世話をいたしますので……そうですねえ、天気もいいですしピクニックにでも行きますか? それともゆっくりと魚釣りか、あるいはここでのんびりとするのもいいですね。……あ、膝枕やりましょう膝枕! 私としたことがまだ一度もクロウさんに膝枕をしていませんでした。不覚……!」

「……ミュー」

「はい?」

「おれは、休んでもいいのか……?」

 

 クロウがそう聞くと、ミューは妙な顔をした。

 

「当たり前でしょう。というか基本的にクロウさんはマスターとして、働かないくらいでいいのです。まあこの状況で本当にそうされてしまうと生活が立ち行きませんので、働いていただいていますけれど」

「……じゃ、じゃあ。なんでおれは、ずっと働いていたんだ?」

「いえ、知りませんけど。……私、クロウさんにことさらに働くように言ったことがありましたっけ?」

「……ない、な」

「早く違う階層に転移したいのか、それかクロウさんは身体を動かすのが好きなんだなーと、そんなふうに思っていましたが。違うのですか?」

 

 首を傾げるミューに、クロウは戦慄した。

 ……いつのまに。いつのまに自分は、こんな人間になってしまっていたのだろうか。

 一日丸々寝ていても気にならなかった昔の自分はどこに行ってしまったのだろうか。

 眠くもないのにボロ布団に寝転がりながら、目の前を行進するアリの列をだらだらと見続けていたかつての自分はどこに行ってしまったのだろうか。

 

 お仕事大好きなミューにすら感心されてしまうような働きものに、自分はいつのまに成り下がってしまっていたのだろうか……!?

 

 クロウはふらふらと、その辺のクッションに倒れこむ。

 

「……今日は寝て過ごす……」

「はいはい。とりあえずお茶持ってきますね?」

「……ああ」

 

 答えて数分後には、すぐにミューがお茶を淹れてきた。クロウの一番好きな、人肌よりもやや温かめの温度だった。

 ほうっと一息つき、ぼうっとしだしたクロウの横にはミューが座り、僅かに甘い匂いが鼻をくすぐった。気づけばミューが、干した果実を盛った皿をクロウに差し出している。

 

「近くに食用果実の樹を見つけたので、干してみました。お口にあいますか?」

「……甘い。うまい」

「よかったです」

 

 クロウが感想を言うとミューは柔らかく微笑み、ふと思いついたように言う。

 

「……あ、耳掃除しましょうか。ごろんってなってくださいごろんって」

「……ああ」

 

 そして二十分後。

 クロウの耳掃除を終えたミューは、小さく鼻歌を歌いながら編み物に精を出していた。その様子を見ながら、耳をふーってしてもらってぼうっとしていたクロウはぼんやりと思った。

 ……ミューはすごくよく働くな、と。

 

 ──その時。クロウは突如としたある気付きにより、カッ! と眼を見開いた。

 わなわなと震えながら、恐ろしいものを見る眼でミューを見る。

 

「ク、クロウさん?」

「……わかったぞ。なんでおれが休めないのか、わかった」

「は、はあ」

 

 クロウは拳を握りしめ、力説した。

 

「おれは。たぶん、一緒に暮らしているやつが真面目に働いているのに自分だけ休んでいることが、なんか居心地が悪いんだっ……!」

「……!?」

「今まで誰かと暮らしたことがないから知らなかった。なんていうんだろうな、よくわからないんだが、こう、妙にむずむずした気分になるんだ……!」

「どうしたのですか急に真人間のようなことを言って!?」

 

 動揺するミューに、クロウはかつてなく深刻な口調で言う。

 

「……おれは逃げていたんだ。休むことから、逃げていたんだ。働いていたほうが罪悪感がないから、だから働いていたんだ。絶対に休む、そういう決意が足りなかった。──ミュー、おれは休むぞ」

「は、はあ……」

「だからとりあえず、ミューはついてきちゃ駄目だ。休めない」

「っ……!?」

 

 ミューは呆然とした。──メイドに傅かれていながら休めない……そんな人間がまさか、本当に存在するというのだろうか?

 生まれた時からメイドにお世話され、メイド的母性の中で生の意味を見出し、そして死ぬときはもちろんメイドに手を握られながら安らかに息を引き取る……そんな人生を送ることが全人類の本懐にして野望ではなかったのか!?

 

 このままではミューのアイデンティティは崩壊である。ミューはフリーズからコンマ一秒で復帰して、必死に説得しようとする。

 

「そ、そんなこと言っちゃ駄目です! 私がついていながら休めないなんて、何か重大な精神疾患があるに決まっています! ……カ、カウンセリング! カウンセリングしましょう! 全十回のそれを終えたころにはクロウさんも私に思い切り甘やかされていないと泣き出してしまうような立派なマスターになれています! で、ですから……!」

「──待て、ミュー」

 

 クロウがスッと、手のひらでミューを押し留める。

 そして厳かに言った。

 

「おれはな、ミュー。帰ってくるぞ」

「ク、クロウさん……?」

「おれはこのままじゃ駄目だ。ミューがとても忙しそうに働いていても肩もみを要求できるような……そんな心の強い人間に、おれはなりたい。だからミュー、待っていてくれ。おれはきっと、そういう人間になってまたここに戻ってくる」

「……はうっ!」

 

 きゅんっとした。それはこれまでにミューの見た、最も格好いいマスターの姿であった。

 クロウはそんなミューを尻目に、きょろきょろとあたりを見回して言う。

 

「とりあえずクーと遊んでくる。クーはどこにいるんだ」

「ク、クーちゃんは……外に」

「わかった。行ってくる」

 

 そうしてクロウは外へ出て行く。

 ミューはその颯爽とした後ろ姿を、潤む瞳で見つめていたのだった。

 

 

 

 



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18 最強の魔物育成計画

 

 

 

 

 

「……♪」

「あ、クーだ」

「!」

 

 クロウは洞窟を出て五分ほどの場所で、きらきらひらひらした小さな生き物を夢中になって追いかける少女を見つけた。

 

 メイド服で白銀色の髪をした少女……クーはクロウの声が聞こえると、ちょうちょを追いかけるのをやめて、ぱたぱたとこちらへ寄ってくる。ちょうちょは追跡者から逃れたことに安堵し、ひらひらと逃げていった。

 

「逃していいのか?」

 

 クロウがそう尋ねると、ミューはこくりと頷く。それを見てクロウも頷いた。

 

「まあ、あれは食べてもおいしくないしな」

「……」

 

 クーはじとっとした目でクロウを見た。

 ……どうやら言うべき言葉が違ったらしい。クロウは最近、極稀にそのへんのことを理解できるようになってきていた。

 

 それはそれとして、クーは疑問符を浮かべてクロウを見上げる。クロウがいつものように荷物を持ってくるのではなく、手ぶらでいるのが不思議なのだろう。

 

「ああ、今日は狩りには出ない。クーも休みだな」

「……?」

「そうだな、暇だ。おれも何をしていいのかよくわからない」

「!」

「そうか。付き合ってくれるか」

 

 もはやクロウが一方的に好き勝手喋っているようにしか見えないのだが、実際、これでコミュニケーションが成立しているのである。

 クロウは大まかな経緯を話し、クーに聞いてみる。

 

「なあ。クーは何かしたいことがあるか?」

「……」

 

 クーはすぐには答えなかった。無表情のままクロウを見上げ、数十秒してからクロウへと目で語った。

 

「……動く? いや、でも、狩りには行かないぞ。おれは働かないと決心しているんだ」

「……! ……!」

「……?」

 

 珍しく、クーの言わんとすることがあまりよくわからない。クロウが首を傾げて聞き返すと、クーはその華奢な腕を突き出す動作をする。

 

「……もしかして、修行か?」

 

 クーはこくこくと頷いた。どうやら正解らしかった。

 他にやりたいことも思い当たらなかったクロウはその提案に賛成し、しかしなぜクーがそんなことを言い出すのかよくわからず、聞いてみる。

 

「クーは強くなりたかったのか」

「……!」

「ミューを守りたいのか。そうか、えらいなクーは」

 

 クーの無表情らしからぬやる気の見える佇まいにクロウも感化され、クーに施す修行内容を考える。

 ……だが、ここに問題があった。結局のところ修行なんてものは、自分に経験のあることしか思い浮かぶはずもないわけであって。

 

「……岩を殴ったあと魔獣を殺して、あと岩を砕いて魔獣を殴って、それと岩を壊したあと魔獣と戦って……あ、それと岩を殴ろう」

「……!?」

 

 無意識にクロウの口からこぼれた修行内容にクーは戦慄した。

 ……それで出来上がるのはただの殺戮マシーンだよ! と、クーが喋ることができれば、恐らくそんなツッコミをしていたに違いない。

 が、悲しいことにクーにはそんな技能は無い。気がついたら殺戮マシーンに育て上げられてしまっていたなんて悲劇を防ぐため、クーは考え込んでいる殺戮マシーン(ごしゅじんさま)の服の裾を必死で引っ張った。

 

「……ん? なんだクー。今な、クーの修行方法を考えていたところなんだ。とりあえずそうだな、岩を殴ろう。そしたら多分、強くなれるぞ」

 

 ドヤ顔のクロウに強い否定の意思を込めた瞳でふるふると首を振る。クーは魔物だが、弱い魔物なのだ。変身能力が武器なだけの、基本的に一発屋なのだ。クーの求める修行とはそういう物理的すぎるものではなく、もっとこう、なんか……!

 その思いが通じたのだろうか、クロウは気まずげに目を逸らして言った。

 

「……おれはこれ以外、知らないんだ」

「……」

 

 その言葉にクーも、う、と心が詰まる。

 ……そうだ。なんだかんだ言って、クロウはクーのことを考えて修行のメニューを考えてくれたのだ。いかにそれがどうかしてるとしか思えない内容だったとしてもだ。

 だったら、それを無下にするのはどうなのだろうか。クーはクロウの好意を、真っ向から否定したくはなかった。

 クーは決意を固め、クロウの眼を見る。

 

「……? なんだ、クー」

「……!」

「……や、やるのか? 岩を殴るのか?」

 

 こくりと頷く。

 底辺に近いとはいえ、魔物である。決心してやってやれないということはないはずだ。

 否……むしろこの修行をやり通し、最強の力を身につけてみせる!

 

 強い決意がクーの中で燃え盛っていた。見たところどうしようもなく無表情だったが、しかしその想いの熱量は確かだった。

 

「……修行は厳しいぞ」

 

 たぶん雰囲気に流されているのだろう、そんなことを言ってざっと踵を返し歩き出すクロウの後を、クーもまたとてとてと追う。

 その小さな胸に最強への野望を抱いて、クーは今、歩き出したのだ。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「……」

「……」

 

 クーが岩壁に向かってパンチを繰り出そうとする様を、クロウがじっと観察する。

 拳を引く。そして突き出す。そのたったの二動作から成り立つ動きは、雑魚とはいえ魔物であるクーの手にかかれば恐ろしい勢いを生み出す。

 繰り出された拳は的確に岩肌を捉え、恐ろしい勢いで衝突し、そして──

 ──ぷに、と音を立てた。拳が。

 

「……」

「……」

 

 無表情のクロウと無表情のクーが同時に顔を見合わせた。そして同時に頷き、肩をすくめ、ふーやれやれとばかりにため息をつく。そしてクロウが言った。

 

「うむ。クーには無理だな」

 

 クーもこくりと頷いた。

 熱血とか根性とか、そんな魔物にあるまじき決意的なものに浮かされそうになっていたこともあったかもしれない。けれどそれは所詮過去の話、過ぎ去ったいつかの記憶でしかなく、簡単に言うならばクーのテンションはもう下がっていた。

 

「……普通に触るときは大丈夫なのになぁ」

 

 クロウがクーの手を取り、ふにふにとつつく。その感触は確かに肉があり、骨があるように思えた。

 しかしいざその拳を岩に叩きつけるとなると、どうやらクーの腕は一時的にその構造が解除されて、人間の身体を模しただけの何か柔らかい別物に変わってしまうようなのだ。

 もともと変形することが特徴の魔物であるが故に、もはやそれはクーの意思ではなく、本能に根ざしたもののようだった。

 

 クロウはミミックソードのことを思い出す。あれは確か、一応は剣として使えるくらいには硬いのだ。つまり、硬いままでいることも無理ではない。

 

 ……クーの深層心理に、ものを殴る時には拳を硬くするようにと、本能よりも根深い暗示的なものを与えれば良いのだろうか……?

 

 クロウはそんなようなことを思い浮かびかけて、放棄した。流石にクーを相手に、野良ミミックを相手にするような非道なことはできなかった。

 

「……というかクー、お前はどうやって獲物を倒すんだ」

「……」

 

 よく考えなくてもクーの攻撃性能はゼロである。殴るとぷにっと音がするだけの拳で、一体どうやって敵を倒すというのか。

 

 クーは無言で腕を大きく広げ、背伸をするような動作をした。客観的に見てそれはどう考えても深呼吸のそれであり、常人には計り知れない魔物の叡智を感じさせる仕草だったが、クロウはその動きからクーの言わんとすることを看破した。

 

「そうか。クーは相手にまとわりつくんだったな」

 

 クーは頷く。

 その様子を見てクロウは思い出した。最初に宝箱を開けた時、クーはスライムのようにクロウに覆いかぶさって捕まえ、窒息させようとしてきたのだった。

 ……まあ、それが運の尽きというか縁の始まりで、クーは今、こうしてここにいるわけだったが。

 

「だがなクー、おれは上手にぐわーってなるやり方なんか知らないぞ」

「……」

 

 クーは微妙な視線でクロウを見る。

 ……いやまあ。クーとしても、別にそれを教えて欲しいと思っていたわけではないのだ。流石のクロウもぐわーっとなることは無理に違いない。

 

 だが、ある意味ではクロウの言うことも、方向性としては間違っていない。

 クーの求めていた修行というのは要するに、単純な戦闘能力というよりも、自分の特殊能力を伸ばすという方向性の修行だったのだから。

 

 クーは珍しくも思い悩んでいる様子のクロウの背中を、ちょいちょいとつついた。

 

 

 

 

 

 



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19 あと、目の横でピースも頼む

 

 

 

 

 

 駄目だ。クーが強くなる道筋が見当たらない。

 雑魚魔物はしょせん雑魚魔物なのだろうか……? 世知辛いこの世の真実に気づきかけたクロウは、クーにつつかれてはっとする。

 振り返るとクーは手を差し出し、ソレを見せた。

 

「……ちょうちょ、か?」

 

 クーが頷くと、クロウは不思議そうにクーの手のひらを覗き込む。そこには、つい先ほどまでクーが追いかけていたものとそっくりのちょうちょが、逃げもせずにおとなしく留まり、その鮮やかな色彩の羽を時折、開けて閉じていたのだ。

 

「捕まえたのか? ……いや」

「……」

「……これ、クーか」

 

 クーは頷く。クロウの驚いた表情を見るのは珍しい。なにせこのご主人様は、驚くとかなんとか以前に、大抵のものをあってもなくてもどうでもいいものと位置付けている。

 どうでもいいものがどうであろうと驚くには値しないわけで、そんなクロウから驚きという感情を引き出せたのは、少しだけ誇らしかった。

 

 クーが両の手のひらをゆっくりと閉じて再び開けると、ちょうちょの姿はすでに消えていた。

 それも当然、なぜならばそのちょうちょは、クーが自分のミミックとしての能力で創り出した……否、真似たものだったのだから。

 胸を張ってクロウに説明する。

 

「……。……。……! ……。……。……!」

 

 言葉にすればとてつもない分量になるであろう熱弁であった。

 ……どれだけ精巧に真似られるか、そしてどれだけたくさんのものに真似られるかは、ミミックとしての生命線と言ってよい。というかミミックには、その能力しかないのだ。

 

 だがクーのそれは今、ある意味で縛られている。従魔となったことで、本来ミミックが当たり前に備えているはずのテレパシー能力……相手の欲する姿になるという能力が、うまく働かなくなっているのだ。

 

 一番最初にこの姿になった時は上手く変身できなければ殺されるという恐怖もあってか能力の発動に成功したのだが、それ以来一度も成功していない。

 恐らくは主人の頭を不必要に覗けないようにという、従魔としての本能による現象なのだろう。赤の他人に試すことができれば良かったが、しかしこの階層に赤の他人はいなかった。

 

「……。……!」

「ふむ。おれの考えていることを覗きたいのか。いいぞ」

 

 となれば。ご主人様の了解をとってから、考えていることを覗かせてもらうしかない。

 クーは目の前のクロウに意識を集中する。今なら一時的に、クロウの考えていることを読み取れるはずだ。それをどれだけ精巧に再現できるか、それがミミックとしての修行であり腕の見せ所である。

 

「じゃあそうだな……ミューの真似」

「……」

「おお……」

 

 一瞬だけ黒い靄が現れて、それが晴れて出てきた姿にクロウは感嘆の声をあげる。

 なぜならばそれは、クロウの予想以上にミューの姿だったのだから。視覚以外に頼れば──重心の位置や表情や、そんな細かいところに注目すればクロウにも見分けられるかもしれなかったが、初見では確実に騙される。

 

「手首は抜けるのか?」

「……!?」

 

 しかしその質問には、クー扮するミューは必死になって首を振り否定した。そんなことできてたまるか。というか、ミューはできるのか。

 そんなクーの思いとは裏腹に、クロウは納得したように頷いていた。

 

「そうだな。よく考えたら手首が抜けていいことなんて一つもないもんな。うむ、クーはかしこいな。……じゃあ次はそうだな、エウーリアの真似をしてくれ」

「!」

 

 目にしたことのない人間の模倣。それこそ、ミミックの専門分野と言ってよい。

 再び黒い靄がクーを隠し、一瞬後には金髪の少女がそこに立っていた。

 

「おお……?」

 

 風に揺れる金髪。華奢な身体。どこか気品のある顔立ちに真紅の装束。……それは記憶と寸分違わぬ姿で、しかしクロウは困惑の声を漏らした。

 おかしい。どう見てもエウーリアなのに、まるでエウーリアに見えない。うまく真似られていないのかと慌てるクーに声をかける。

 

「いや、別にエウーリアと違うわけじゃないんだ。だけどな、なんか違う……」

「?」

「うーむ……なんだろうな、エウーリアってメガネとかかけてただろうか。たぶん違うと思うんだが、うむ。もしかしたらそんな気がしてきた」

「!?」

 

 クロウのイメージに従ってクーが姿を変える。縁の小さいメガネをかけて困惑するエウーリアがそこにいた。

 無論、クロウは首を傾げた。

 

「いや違うな。メガネじゃない気がする。……しっぽとか生えてただろうか」

 

 今度はメガネが消え、ふさふさのしっぽが生える。無論、クロウは首をひねった。

 

「なんだろうな……もしかしてエウーリアはメイド服とか着ていただろうか……?」

 

 クーはもはや混乱の極みである。何しろ、クロウの抱くエウーリアという人間に対する視覚的なイメージがころころ変わるのだ。現れたエウーリアはメイド服に身を包みながらもじもじとし、上目遣いにクロウを見上げていた。

 

「うむ……」

 

 クロウはそれを見て唸った。よくわからないが……いい。これはいいものだ。

 クロウの中に、言葉にはできないパトスが生まれようとしていた。それに従い、クロウは注文をつける。

 

「……多分違うと思うんだが、念のためそれでもっとあざとい格好をしてみてくれ」

「!?」

「おお……。……あとは腰をもっとこう、くいっとだな。うむ。そう、それだ」

「!?」

「うむ……他には表情をあと少し、こう、ちょっと生意気な感じで……」

「!?」

 

 クロウは注文通りのポーズをとったクーをじっくりと、それはもうじっくりと観察し、大きく頷く。

 

「……。……うむ。もう全然エウーリアじゃないと思うが、それ、いいな。おれはそれ、好きだぞ。なんだろうな、こう、うまく言葉にできないが、心に込み上げてくるものがある」

 

 精神的にある意味大幅な成長を遂げようとしていたクロウはそこでハッとし、ぶんぶんと頭を振る。違う、これは確かにいいものだが、やはり全然エウーリアではない。

 数分ほど考えたのち、クロウは一つの結論に至った。

 

「うむ。気迫というか、気配が違うな」

「……」

 

 クーは元の姿に戻り、じとっとした目でクロウを見ていた。そんなもんどないしろと。

 クロウはその視線から目をそらすように次のお題を口にした。

 

「じゃあ、あれだ。親方」

「……」

 

 クロウはぼうっとしながらクーの変身を待った。だが今度に至っては、クーは変化すらしない。いつものメイド服姿で、ただひたすら困惑している。

 そしてクーはクロウに、無言の抗議をした。

 

「……親方の見た目? ……うむ、まるで憶えてないな」

「……」

「ク、クー?」

 

 クーはいじけた。体育座りで地面に座って、顔をぷいっと背けた。

 どう考えても最初から頼む相手が間違っていたのだ。こんな知り合いの少ない、その上一ヶ月会わなければ知人の姿形を綺麗さっぱり忘れてしまうような薄情系ご主人様に特訓の協力を求めたのが、そもそも間違いだったのである。

 

 クロウはそっぽを向いたクーに一通りおろおろし、とりあえず何か食べれば機嫌が直るはずだという冷静な仮説を立て、その辺の魔獣を殴ってその魔石をクーに渡した。

 クーはすぐに魔石をぽりぽりと食べ始めて機嫌を直した。ちょろかった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「あ、クロウさん。どうでしたか? マスターとして成長できましたか? とりあえずその、今日からお食事は私があーんで……」

「ミュー」

 

 その夕方。大きめの魔石を嬉しそうに食べているクーを伴って、ふらっと帰ってきたクロウにミューが内心わくわくしながら聞くと、クロウは深刻な声で答えた。

 

「おれはな、気づいたんだ」

「はい?」

「もしかしたらな、おれは魔獣を殴っている時が一番、安らげるのかもしれない」

「!?」

「うむ、そうだな。何も考えずになにかを殴るのは、楽だな……」

「それは俗に言う修羅道ですから! 入っちゃいけない道ですから! カウンセリング! いいからカウンセリング受けましょう、ねっ!?」

 

 

 

 



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20 あっ……

 

 

 

 

「……困りましたねえ」

「うむ。なんでだろうな」

「……♪」

 

 この階層に転移してきてからそろそろ一ヶ月が経過しようとしている。そんな折、まだ昼なのに洞窟に戻ってきたクロウに連れられて、ミューは久しぶりにクロウの狩りに同行していた。……しかし、その表情は困惑に包まれている。

 ここまでクロウについて歩いてきた道のりが過酷であったというわけではない。ミューが困惑している理由はむしろ、その逆……あまりにも、平穏すぎたのだ。

 

 そんなミューに対して、クロウはいつも通りの何も考えていなさそうな表情だが、しかし声色にはやはり困ったような色が含まれている。そんな二人と対照的に、魔石を入れるはずの籠を背負うクーだけが楽しげだった。おそらくは、普段の日中は別行動のミューと一緒にいるのが嬉しいのだろう。

 

 しかしミューもクロウも、浮かれているクーを宥めようとはしない。仮に注意をしようにも、そもそも敵が出現しないというのに何に注意をしろというのか。

 周囲の森には、依然として生命の気配が溢れている。自生する野獣、空を飛ぶ鳥、草葉を揺らす虫……それらの気配は簡単に感じられるのに、いつもなら真っ先に襲いかかってくるはずの魔物の気配だけが感じられない。

 

「クロウさん……こんなに魔物が少ないだなんて、何か前兆がありましたか?」

「いや、昨日は普通に魔物が出てきていたと思うぞ。……ああでも、最近は数が減っていたような気もするな。それで遠くまで行ったりとしていた」

「そういえば確かに、ここ二、三日ほど帰りが遅いような気はしていましたが……」

 

 ミューもクロウも困惑を隠しきれない。

 無論、魔物は狩れば減る。魔物とはいっても煙や霞ではないのだ、多く退治すればそれだけで多く減ることになる。クロウは日に三桁に届こうかという勢いで魔獣を屠っているわけで、なるほど数を減らすのも道理だろう。しかし……。

 

「見棄てられた領域でも、割と魔物を殴っていたんだ。でも、こんなにはっきりと数が減ることはなかった」

「この場所で特有の現象、ということでしょうか? 今日はこの階層の魔物特有の何か習性じみた理由で潜んでいるとか……」

「でも、クーは全然そんな感じじゃないな」

「そうなのですよね……」

 

 籠を背負って歩くクーはむしろ楽しげで、調子が良さそうだ。クーはミューたちの従魔だが魔物であることには違いないわけで、例えば階層全体の魔力枯渇などの理由で魔物が死に絶えたのだとすれば、クーもある程度は影響を受けておかしくない。

 そもそも、魔物がこうまで露骨に数を減らすことがあるのだろうか? とミューは思う。魔物の発生元ははっきりとはしていないが、生殖以外にもなんらかの方法でポコポコ生まれてくるものである。だいたい魔物とはそういうものだとミューは思っていた。

 

 ミューは思案する。……唐突に帰ってきたクロウに魔獣が出現しないことを告げられた時は半信半疑だったが、しかしこうもはっきりと実感してしまえば、魔物が出現しないことはもはや確定事項だ。つまりそれは、差し迫った問題としては……。

 

 ミューはクロウを見遣って言う。

 

「クロウさん。既に魔石は転移のための必要量ギリギリ程度まで集まっています。魔物を狩ることがこれ以上は難しいのでしたら、多少無理が生じるかもしれませんが試してみますか?」

「何か不都合そうなことがあるのか?」

「具体的にはそうですねぇ……平穏な環境に転移できるかわかりません。最悪、地面に埋め込まれて転移なんてこともありえないとは……」

「駄目に聞こえるんだが」

「まあ、駄目なのですけれど。最近ではクロウさんがいれば、ある程度はその類のことも力技でなんとかなるのではないかなーと思ってきたところでして」

 

 ミューはこれまでの日々をしみじみと思い出しながらそう言った。

 まぶたの裏に浮かび上がるはクロウの戦闘記録である。襲ってきた魔物を一発の拳で叩きのめすクロウの姿、自分の身長を遥かに越す数メートルの魔獣を食糧として引きずってくる姿、はたまたはるばる上空から洞窟へと突貫してきた鳥獣を受け止め、地面に叩きつけてそのくちばしを根元から折り飛ばしたクロウの姿。

 

 どれを思い起こしても圧倒的であり、少々のことはどうにかなっちゃうんじゃないかな、と思い始めているミューである。それに対してクロウは、少しだけ悩むそぶりを見せてから反対した。

 

「……いや、それはあまり良くないと思うぞ。おれはともかく、ミューやクーはなにかがあったらもしかして死ぬんじゃないか」

「クロウさん……?」

「なんでそんな不思議そうな顔をするんだ」

「……私は今、感動しています。クロウさんが私たちのことを具体的に心配してくださる日が来るとは……!」

 

 ミューはホロリと涙ぐみそうになる。クロウはミューやクーのことを考えないわけではないのだが、基準が割とクロウ自身であるため、方向性が的外れというか明後日の方向を向いていることが多いのだ。

 しかしそんなクロウが、まともな視点で自分たちの身を案じている。……これが進歩でなくてなんだろうか。ミューはひとしきりクロウの頭を撫でてよしよしと褒め回し、その言葉に賛成する。

 

「クロウさんの言う通りですね。確かに今、余計なリスクを取る必要はありません。もう数週間かかっても問題はないのですし、そのうち魔物も出現することでしょう。時間をかけてゆっくりと魔石を集めればいいかと」

「うむ」

 

 そんなことを話しながら一行は森を行き、気がつけば上層へと繋がるあの巨大な“扉”が見える場所まで近づいていた。ミューがのびをして提案する。

 

「どうせ魔物も出ないのですし、少し休んで行きますか? ピクニックということで」

「うむ、いいんじゃないか。楽しそうだ」

「では少々準備しますので、クロウさんはちょっと待っていてください」

 

 虚空から敷物や椅子を取り出して、ミューが手際よく並べていく。見る間に過ごしやすい空間ができあがるその様子は、まるで魔法のようだった。

 

「しかしアレですねー、クロウさん」

「ん? なんだ。仕事か」

「ああいえ、そうではなくて」

 

 ミューが手伝わせてくれないのでクロウは手持ち無沙汰にミューを眺め、クーはその辺をちょろちょろしている。そんな中、ミューはふと思いついたように言った。

 

「こう静かだと、逆に何か起こりそうで怖くないですか?」

「怖い? 魔物がいないのにか」

「クロウさんと外出するときって、基本的に十分に一回は魔物に襲われてたイメージですので。それが無いとこう、なんだかしっくりこないというか、何か前兆じみていて不気味と言いますか……いえ、なんだか戦地慣れして日常に帰れない兵隊みたいな感覚で、これはこれでどうなのかなーとは思いますけど」

「前兆か。なにが起こるんだ?」

 

 何も考えずに口に出したクロウの言葉に、ミューも何も考えずに言葉を返した

 

「へ? 具体的に考えてはいませんでしたれけど、そうですねー……例えば魔物ですら逃げ出してしまうような何かが出現する前触れ……だったり、とか……」

「……」

「……」

「……」

「……そ、そんなわけないですよね! きっと魔物も繁殖期でねぐらにこもってるとか、そういう私たちにはなんの関係もないどうでもいい理由に違いありません! ね、クロウさん!」

「うむ。いったいミューは何を言っているんだ」

「ですよねー!」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 ──その五分後。

 大地が揺れ、一つの小山が割れた。その小山には光る線で巨大な扉が刻まれていたが、それが左右に砕け、内から巨大な魔物が出現した。

 

 出現したそれは銀の体毛に燃える灼眼。猿のような外見だが体躯は十メートル近くに及び、その隆々とした肉体には巨大な力を蓄えていることが容易に伺える。腕を一振りすればあらゆるものを紙屑のように吹き飛ばし、足を一踏みすればあらゆるものを塵芥のように押し潰すに違いない。

 その咆哮はびりびりと空気を震えさせ、聴くものの根源的な恐怖を煽った。

 階王種──一つの生態系の頂点に立つ、絶対者である。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「……」

 

 近くの木にミューを背負って登り様子を伺っていたクロウは、出現した階王種の威容をよそに、振り返って無言でミューを見た。そのどこか物言いたげな視線に、ミューはヤケクソ気味に叫んだ。

 

「こっち見ないでくださいよ! ……ええそうですね薄々となんとなく思ってましたよ! 『あっ今、私なんか余計なこと言ったなー』って!」

 

 

 

 

 



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21 スマッシュ・ザ・フィスト

 

 

 

 

 

 ──場面は数分前に遡る。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「……あれ、どう見てもこの階層のボスですよね」

「ああ。そんな感じに見えるな」

「なんで勝手にボス部屋から出てきてるんでしょうか」

「狭かったんじゃないか」

「そんな気ままな感じで出現していいものではないでしょうボスって……!」

「怒られても困る。おれのせいじゃないぞ」

「私のせいでもないですよ」

 

 木から降りたクロウとミューはそんな軽口を叩いていた。だがそこで会話が途切れ、クロウもミューも階王種に目を向けざるを得ない。

 ちなみにもう一人、クーはひしっとクロウの背にしがみつき、絶対に離れない構えで怯えていた。その様子を見るに、どうやらクーの場合、単純に魔物としての野生的な鋭敏さを失ってしまったがために、階王種の出現に気づけなかっただけのようである。……吠えない番犬に意味はあるのだろうか。

 

 それはともかくとして敵の観察に戻ると、階王種の身の丈はクロウの十倍……は無いにしても、軽く六、七倍はある。そしてその身長と比較しても腕や脚は太く、胸板が厚い。身体を覆う銀色の体毛を別にすれば、それはまるで……

 

「……ゴリラというか、コングというか」

「なんだそれは」

「見た目が似た動物ですよ。もっとも、背丈が全然違いますけれど」

「そうか。どうする?」

「逃げの一手です。流石にアレは、戦っていい相手じゃありません」

「うむ、おれもそう思う。だけどな……あれ、こっちに向かってないか?」

 

 う、とミューは言葉に詰まる。クロウの言葉通り、階層獣は周囲を破壊しながら移動し、時折明後日の方向へ足を進めようとするも、しかし着実にこちらへ向かってきていた。

 

「今のうちに隠れますよ! まだ見つかっていない今なら……!」

「逃げるのは無理だと思うぞ」

「……え?」

 

 その妙に冷静な言葉に、ミューは言葉を無くした。

 クロウは淡々と言葉を続ける。

 

「なんとなくな、あいつは怒ってるみたいに見える。おれたちを探している。仲間をたくさん殺したから、その復讐なんじゃないか。だから、逃げてもいつか見つかりそうだ」

「復讐……クロウさんがこれまでに狩ってきた魔物のですか!? いえ……そもそも階層獣は普通、ボス部屋から出てくることのない魔物で……!」

「でも出てきたんだ。なら、なにか理由があると思うんだが」

「……!」

 

 ミューは口ごもり、そして同時に思い出す。

 階層獣は極稀に、ボス部屋から外へと侵攻してくることがあるという。それは、探索者たちが一つの階層にあまりにも多く流入したときに発生する現象であると言われている。……この階層にはクロウとミューとクーしかいない。故にミューは、それを聞いても自分たちには当てはまらないことだと思い、楽観視していた。

 

 ──けれど、本当にそうだろうか? 例えば階層獣がボス部屋から出てくる条件が、階層に侵入していた探索者の数ではなく、その行動の結果によるものであれば──?

 

「……多数の探索者が存在するということは多数の魔獣が狩られるということで……侵入者の数ではなく、狩られた魔物の数に反応して出てくる、ということですか!?」

「なんだかわからないが、そんな気がするな」

 

 クロウの返事はともかく、それは十分にあり得ることのように思えた。

 ミューはクロウの客観的な実力を知っている。それが図抜けた、まさに一騎当千とでも言うべきものであることを。並みの探索者数百人の働きを一人で凌駕しうる、規格外であることを。

 

 ……ならば仮にクロウが言うような“復讐”によるものではなくとも、あの階層獣は確かに、自分たちを見つけ出すまで止まらないかもしれない。その目的は少なくとも、生じた不均衡を正すこと……魔物の急激な減少の原因を取り除くことなのだから。

 

 つまり、ただ逃げることに意味は無い。故に今、取るべき行動は──。

 

「転移です」「転移だ」

 

 ミューの声とクロウの声が重なった。ミューはこちらをやや引き締まった表情でこちらを見るクロウに確認を取る。

 

「すぐに転移します。行き先が多少危険だろうと、あのどう見ても強いゴリラと戦うより何倍もマシです。準備が整い次第、すぐに転移を。──いいですね?」

「おれもそう思う。だけどなミュー、転移って結構時間がかかるんじゃないのか」

「それは……」

 

 ミューは必要な時間を考える。魔石を配置する時間、魔法陣を描く時間……転移は大魔法だ。それなりの準備を行わなければ、そもそも発動すらしない。

 ──どう考えても時間が足りない。あの階層獣がこちらに辿り着いて蹂躙にかかる方が早いに決まっている。

 しかも魔法陣を描くにはそれなりのスペースがいる。見つからないはずがない。

 

「おれが行ってくる」

 

 前へと踏み出す音がした。

 慌てて顔を上げると、クロウは背中にしがみついていたクーを引き剥がし、ゴキゴキと肩を回しながら、歩き出そうとしていた。

 

「……な、何を考えているのですか!?」

「だって、時間がないなら稼ぐしかないだろう」

「論外です!」

 

 ミューはクロウの前に回り込んで道を塞いだ。

 

「クロウさんが死ぬかもしれないことを私が許せると思っているのですか!? ……いいですか、私の存在はマスターであるクロウさんあってのものです。クロウさんの存在は私にとって、世界の全てに優先します。……確かに危機的状況です。けれどそれをマスター自身の身を危険に晒すことで解決するなんて、選択肢にすらあり得ません!」

「おれはずっと戦ってきたぞ」

「獲物の狩りと、敵との戦いは違います! ……その違いを、クロウさんは私よりもよく理解しているでしょう?」

「そうだな」

 

 クロウは構わずミューに近づき、ミューの目の前で止まった。

 

「……通しませんよ」

「おれは行く、と言っているんだ」

「正直なことを言いましょう。おそらくクロウさん一人でしたら、あの階王種から逃れ続けることは難しくないはずです。……仮に私やクーちゃんという足手纏いがいなければ、という話ですが。違いますか?」

「そうだな。逃げることはできると思う。けど、どう考えてもあいつはおれを追いかける前に、お前たちを踏み潰したがるような気がしてならない」

「ですから最悪、それでいいのだと……!」

「そうか。でもな、おれは嫌なんだ」

 

 クロウはミューに手を伸ばす。改めて見てみれば、ミューの身長は自分よりも低い。そのまま、その黒絹のような髪を触ってみる。

 

「な、何を……」

「最近わかったんだけどな……おれは意外と、働くのが嫌いじゃないんだ。ここに来てから知ったんだ。おれが拳を振るうことに意味があるなんて、おれはいままで知らなかった」

「……はい?」

「つまりな、ミュー。そういうことだ」

 

 クロウはミューの頭を触るのをやめて、するりと横を抜けて前へ進む。

 そして小声で呟いた。

 

「……おれは、おれのためには命を賭けたことなんてないんだけどな」

 

 たったの二度……それが、クロウが自分よりも強いと分かりきっている相手に挑んだ回数だ。一度は一ヶ月前にエウーリアと、そして二度目は今。今回はクロウが単独で立ち向かわなければならない。しかし──クロウの進む足取りは、思いのほか軽かった。

 

「うむ。……悪くない」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 そして──現在。

 

「でかいな、お前」

 

 感心して発せられたクロウの声には返答される様子が無い。……それも当然、相手は獣だ。もっともただの獣ではなく、『その階層における最強種としてデザインされた魔獣である』という点で数多の有象無象と圧倒的に一線を画してはいたが。

 

 クロウを視認した階層種は雄叫びをあげる。

 咆哮はビリビリと大気を叩きつけ、物理的な圧すら伴う。

 

「……っ!」

 

 巻き上げられた土埃を突き破り出現した巨影が地を蹴り、コマ飛びしたかのようにクロウの眼前へと……否、頭上へと迫る。

 ──巨体の割に、速い。

 目の前に迫る強大な肉塊は恐ろしい速度と質量を伴い、狂った距離感は空気すらも歪めるようだ。()()()()()に正面から相対する馬鹿など──たった一人、ここにいた。

 

 クロウはミシミシと音がなりそうなほどに固く握り締めたその拳を、突進の勢いそのままにこちらへと突き出されるその巨大な拳に真正面から打ち付ける。

 

 衝突、轟音。

 巨大な二つの暴力の接触が、その衝突面より爆風を生む。──それが、戦いの始まりを告げる狼煙だった。

 

 

 

 

 



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22 強者は強者たる故に

 

 

 

 

 

「クーちゃんは魔石を正確に並べてください! 魔力がギリギリですから、ちょっとしたほころびがとんでもない失敗につながりかねません!」

 

 “扉”のそばのスペースには、今や大魔法陣が描かれようとしていた。

 自身も慎重に魔法陣を描きながら忙しなく支持を出すと、クーがせっせと魔石を並べていく。収納魔術だけでは魔石の並べ方を微調整できないのが歯がゆい。

 

 クーは魔物だからこそとりわけあの階層獣への恐れが強いようで、まともに動けるかと心配だったが……杞憂だったようだ。

 クロウが戦いに向かってからは必死に働いて……というかミューの剣幕に驚いているのか真剣味が伝染しているのか定かでないが、とにかく働いてくれていた。

 

「クロウさんを死なせたくはないでしょう!? 一刻も早く完成させます!」

「……!」

 

 その言葉により一生懸命になるクーを見れば、それ以上の叱咤は必要無いとわかった。

 ミューは自分も手を休めず、けれども戦場に目が向くのを抑えきれなかった。……クロウを止められなかった。その悔恨はある。だが、なればこそ次善を尽くすべきだ。

 つまり──最短で魔法陣を完成させる。

 自分の動きがあまりにも遅くて焦れる。ミューは必死に集中する。……既にクロウと階王種が接触したのか、地が揺れる。だがそれ以上の戦況をミューが窺い知るすべは、なかった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 階王種に接近したクロウは敵を見る……否、見上げる。

 猿のような……ミューの言うにはゴリラのような、銀毛を纏う怪物は、その赫く燃える眼でクロウを見下ろしていた。既に見つかっている。

 身の丈はクロウの身長のおよそ数倍、体重に至っては比べるも馬鹿馬鹿しい。かつてエウーリアと倒した精悪樹と比べればサイズは遥かに劣るだろうが、機動性、破壊力はこの敵が桁違いに高い。

 クロウには敵の肉体に詰め込まれた強大さが、本能から感じとれる。

 

 だが──それ(・・)これ(・・)とは、無関係だ。

 握った拳がゴキリ、と音を立てる。クロウはその硬く握り締めた拳を頼りに突貫する。

 

「……ッ!」

 

 同時に上方から、暴力を可視化したかのように叩きつけられる巨大な拳。その速度、迫力は予想を遥かに上回る。避けられない、ならば──地を蹴り踏み込み、さらに加速する。

 目の前の三歩先に死が迫っている。

 クロウはそこで急停止し、その制動力全てを右の拳に込めて叩きつけた。

 

 ──衝撃(インパクト)。少し遅れて音が、爆心地より生まれる。

 

「ぐ……ッ!」

 

 クロウの拳と階王種の拳が同時に弾かれた。

 

 オオォンと、とても生き物の一部同士が衝突したとは思えない、鈍く巨大な音が反響する。二つの力の激突は土塊を巻き上げ、風を伴った。

 クロウは十数歩後方まで吹き飛ばされ、地を削りながらようやく停止する。

 

 クロウの拳は迫り来る拳を弾き飛ばし、けれども弾き飛ばしただけでしかない。敵に損傷はあるまい。

 クロウにしても多少腕が痺れるだけで、致命的なダメージは無い。痛み分けといったところだろう。

 

 だが──。クロウは一瞬の交錯だけで、理解した。

 

 ──先にこちらが壊れる。

 絶対的なサイズの差は覆せない。ましてやその巨大な相手がクロウと同等の膂力を持っているのなら、ぶつかり続ければ限界を迎えるのはクロウが先だ。

 

 再び目前に迫る巨大な拳を今度は避けながら、クロウは思う。

 ──どうやって戦うんだ、コレと。

 ……勝てないなら逃げる。これまでクロウはそうして生き残ってきた。当たり前だ。何故、敵わない相手と戦わねばならない。死ぬだけだ。

 

 だが今のクロウの背後には、退けない理由がある。戦うべき理由がある。……そういうものができた自分が、クロウは嫌いではない。

 

「……なら、なんとかするしかないな」

 

 再び上空から拳が迫る。それは速度と質量の滝だった。諦観すら抱きたくなる、ある種の無機質さすらも含んだ一撃。頭上より、絶対的な破壊が無慈悲に振り下ろされる。

 

 ──激突するその瞬間、クロウは動きを変えた。岩を砕くような苛烈さから、水を斬るような鋭さへ。

 降りかかる巨大な暴力を腕で僅かに弾く。しかしその余波ですらも膨大であり、かわし切れない余波がクロウの身体を木の葉のように吹き散らす。

 

「おれは苦手なんだけどな、こういうの」

 

 ──否、違う。そうではない。クロウは衝撃に逆らわず、自分から吹き飛んだのだ。

 空中で態勢を立て直し着地したクロウは、困惑と怒気を示す階王種にどうせ伝わらないと知りつつもそう話しかけた。

 

「それに慣れてない。おれが殴り負ける相手ってあんまりいないからな。……おれはやっぱり、あまり得意じゃないな、これ。面倒だ。勝てないし」

 

 そうぼやきながらも、それしか方法が無いのだから仕方がない。

 巨獣が吼える。次の瞬間に放たれたのは絨毯爆撃のような波状連打だった。

 一撃で仕留められぬなら数を増やせばいい。その思考とも言えぬ野生の選択は当然のように最適解であり──しかし、クロウを捉えることはできない。

 

 クロウは一撃目を弾く。吹き飛び、その速度をもって二撃目を躱し、三撃目を弾いた衝撃でさらに加速しつつ進行方向を変える。

 延々と降り注ぐ拳や足、一つ一つが巨大な柱のようなそれの隙を跳ねまわり、直撃をいなし、予測不能に回避する。

 

 クロウが躱す速度は降り注ぐ攻撃の速度と等しい。しかし延々と戦い続けて身体に染み付けた戦いの記憶が、クロウの動きを身体に根付いた闘争本能のみに従う魔物では決して捉えられない軌跡へと昇華させる。

 

 ──勝てない。だが、負けない。

 それがクロウの選択した戦いだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──階王種は苛立ちを募らせていた。

 領域に無遠慮に入り込んだ無法者は、立ち向かうでもなく無様に死ぬでもなく、己の攻撃をただ淡々と捌いている。

 その動きは荒々しいようで滑らかで、驚くほどに的確だ。己では捉えることができない。

 

 巨獣に理性はなく、しかし誇りはある。一種一体の孤高の王、最強種としての誇り──その荒々しき魂が、ある概念を理解する。

 屈辱。……その言葉は知らずとも、その内包する意味はわかる。跳ねるだけの雑魚に翻弄されるものが最強と呼べるか? 笑い話にもならない。

 

 ──ならば、圧倒的にコレを殺さねばならない。

 そのための能力を、階王種は持っていた。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 既に戦いが始まって十数分。クロウは敵の攻撃を捌きながらも、徐々に余裕ができている己に気がついた。

 スタミナにはまだまだ余裕がある。拳一つ分の余裕を持っていた回避が指一本分までに狭まり、さらに皮一枚分にまで狭まる。避け切れていないのではない。徐々にクロウの見切りが正確さを増すが故だった。

 

 既に捌いた攻撃は百を数える。敵の攻撃は単調だ。拳を叩きつけ、足を叩きつける。ただ、それだけ。生物としての根本的な格、質の違いが、ただそれだけの攻撃を最強たらしめる。

 ……だが本来であれば圧倒的な暴力であるはずのそれは、魔獣と戦い続けてきたクロウの経験と、そして備わった疾さと力の前には十分な威力を発揮しない。

 

 クロウはさらに加速する。もはや階王種は完全にクロウの動きに翻弄され、一見、致命の一撃を雨霰と繰り出す巨体が有利には見えても、既にこの場の支配者はクロウだった。

 

 ──見つけた、隙だ。

 

 一が十へと引き延ばされる主観時間にクロウは階層獣の動きを本能的に、しかし正確に捉えていた。次の一瞬に繰り出される一撃を、まるで実際に目にしたかのように想起できる。

 体躯が大きいということはそれだけ小回りが効かないということでもあり──狙うはこちらを破壊しようと階層獣が拳を振り抜き腕が伸びきった、この一瞬。

 

 クロウはその巨大な拳に飛び乗った。

 振り回される拳の起点は肩。拳から腕に駆け上がれば、必ず敵と同じ目線にまで到達できる。

 

 予想外の動きに階王種が硬直する。その一瞬の隙は、クロウが敵の巨腕をその両足で駆け上がるには十分だった。

 クロウは肩口から疾走するそのままの勢いで飛び出し、巨獣の顔前へと躍り出た。ギシギシと音が鳴りそうなほどに拳を固く固く握りしめ、それを振りかぶり、鼻先へと叩きつけようとし──その瞬間、背筋を悪寒が貫く。

 

 ……一気に冷えた思考で、クロウは己が間違えたことに気付いた。

()()()()()()()()()()()()()?』

 ──馬鹿な。何を言っている。目的は時間稼ぎだったはずだ。

 

 

 

 勝利への衝動を抑え切れなかったのは、クロウがこれまで常に勝者であったから──強者であったからこそ。

 これまでクロウは勝てる敵に勝ち、勝てない敵からは逃げ、常に賢い選択をしてきた。

 それは疑いなく正解だ。何も間違っていない。だが……仮に『逃げる』という選択肢を排除した時、これまでの経験は、行動を縛る足枷と成り果てた。

 クロウは敗北を知らない。一瞬の油断と慢心が死を招くという単純な事実を、クロウは実感としては理解していない。理解する必要がなかった。

 

 ──そのツケが、大きな代償として降りかかる。

 

 クロウの拳が到達するその寸前、階王種の口蓋が大きく開く。その巨大な穴ぐらから、不可視で膨大な何かが放出された。

 クロウはそれをなんと表現していいのかわからない。咆哮、或いは音砲──とでも表現するべきだろうか。それは莫大な大気の波、()()()()()()だった。

 

 無防備に宙を漂うクロウに、その攻撃を防ぐ手立ては無かった。耳を塞いだとしても、全身が音を受けてその振動が脳に伝わり、知覚を揺らす。

 

 ──無重力感。酩酊。内臓がせり上がる感覚。五感の交錯と壊乱。思考能力すらが停止する。

 その一瞬で気を失わなかったことだけが僥倖だ。

 

 ……否、これは本当に僥倖なのだろうか?

 

 何故なら落下を始めたクロウは、己の肉体に迫り来る敵の巨大な拳を避ける術を持たず──直撃の瞬間を待つことしかできない。

 

 本能は防御を選択しようとした。だが音で狂いきった体内機能は天地も前後も判別できず、まともに身体を動かすことができない。

 ドロドロに溶けた視界が、自身と膨大な破壊との激突の瞬間を鈍く捉えるばかりで──打ち据えられた巨大な衝撃に肉体の芯を捉えられ、身体を轢き潰される感触とともに、クロウの意識は暗闇に呑まれた。

 

 

 

 



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23 枷

 

 

 

 

 

「ッ! 何ですか!?」

 

 突如として階層全体に鳴り響いた不協和音。そしてそれに続く、何かと何かがぶつかる巨大な衝突音。転移陣を構成し終えた直後のミューは、その音にとっさに振り向く。そして──目を見開いた。

 

「クーちゃん! 受け止めてください!」

「……!」

 

 ……それは冗談のような光景だった。宙を舞う人影。それは木々の頂に幾度も叩きつけられ、しかし勢いを衰えずこちらに向けて飛んでくる。見間違えようもはずもなく、それはマスターであるクロウの姿だった。

 ミューの叫び声に、クーがミミック本来の影色の不定形を取る。そして背後の“扉”へ激突しようとしていたクロウを空中で抱きとめ、ミューの眼前まで運んできた。

 

「クロウさん! クロウさん!?」

 

 反応は無かった。クロウは完全に意識を失い、身体の各部には裂傷を負っている。目にも露わな骨折は無いようだったが、口から吐いた血を見れば内臓を痛めていておかしくない。

 

「〜〜〜〜っ!」

 

 俯瞰するかのように、ミューは自分の動揺を客観視した。

 

 ──いつの間に。いつの間に自分は、クロウを無敵だと勘違いしていたのか。

 

 そこには確かに、無意識の錯誤が存在していた。クロウならば……数多の魔物を苦もなく屠るクロウならば、怪我すらもなくどんな強敵も打ち砕くのではないか。あの階王種を相手にしてすら、自分たちが足手纏いにならなければ十分に渡り合えるのではないか。

 

 ──そんなわけがないのに。

 

 クロウは強い。ミューの知る誰より、クロウは強い。だが限界が存在することも事実だ。

 だというのにミューは、最悪の場合クロウだけでもこの厄災をやり過ごせると安心し、無意識のうちにクロウの強さに甘えてしまっていた。

 ……その結果が現状だった。クロウは致命に至りかねない傷を負っている。ミューたちのために化け物を足止めし、その結果として死にかけている。

 

「あ、あ……!」

 

 その光景を認識するやいなや、ミューの行動と存在意義の矛盾が荒れ狂う。

 

 ──本来ならば身を呈してもクロウを止めるべきだった。後から恨まれてもいい。どう罵られてもいい。それでもクロウが生き残ることだけがミューにとっての勝利だったはずだ。

 だというのに自分はのうのうと動き、クロウはボロ雑巾のようになっている。それは、ミューという存在の基盤すら揺るがしかねない衝撃だった。

 あの時──クロウがこの階層に閉じ込められたとわかった時にも、似た後悔をしたのではなかったか。そしてこの先の働きで失敗を取り返そうと思ったはずだ。

 

 だというのに、また過ちを繰り返したのか──!

 

 ミューは混乱の極みにあった。思考がぐちゃぐちゃともつれ、怯えた声を出す。

 どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい。どうすればクロウに償える? どうすれば自分の過ちを無かったことにできる? どうすれば自分は正しく──……!

 

 そこでミューの思考は、唐突に途切れた。

 

 ──違う。違う、違う違う……!

 

 そうじゃない。そうではない。

 大切なことはそれ(・・)ではないはずだ。

 

 記憶が──この階層に転移してきてからの僅かな期間の、だが濃密な、クロウと過ごした記憶が河のように流れ、氾濫する。

 別にいい思い出ばかりではない。クロウには随分と迷惑をかけられたし、ついて行くだけでも苦労したし、未だに理解できない部分もある。

 けれど──その記憶の中でクロウの隣にいるのは、紛れも無い自分自身だった。生きた道具でもなく、敢えて言うなればメイドですらなく……己が、ミューがそこに居た。

 

 ──これ(・・)だ。これ(・・)こそを失ってはならないのだ。

 

 それは一種の目醒めだった。……ミューを動かすものは、その身にもとより宿る存在意義だ。

 言ってしまえばクロウに付き従うのはミューの本能によるものであり、ミューが何かをどうにかしたいから、クロウと一緒にいるわけではない──はずだ。そのはずだった。

 

 ──だが今、ミューはそれを世迷い言と断じる。

 自分の存在意義? ……笑わせる、そんなことに悩むことが今の一瞬一秒よりも大切だろうか? 従者として失敗したという事実が、クロウが死にかけているという現実よりも重要だろうか?

 ……否。もちろん否だ。

 

 今を切り抜けることを妨げるならば、己の在り方も存在意義も全て、ただの枷だ。

 そして──枷とは、打ち破るものに過ぎない。

 

「──クロウさんを治療、意識が戻り次第転移します!」

 

 おろおろとしているクーに向けて、言葉は自然と放たれた。

 自分が何であるかとか、どうあるべきかとか。

 そんなものは今のミューにとって、不純物でしかなかった。今できる最善を尽くすだけだ。

 怯えはいらないし戸惑いはくだらない。

 

 今はただ、クロウが目を開けてくれないという事実だけが酷く恐ろしいのだから──!

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 クロウを治療する傍ら、ミューはじりじりとしながら周囲に広がる森を見ていた。

 ミューの転移魔法はマスターの意識がなければ行えない。その意味でも、クロウの治療が優先だ。……敵がここに到達するまでに、間に合わせなければならない。

 

 使えるのはメイドとして備える基本の治療魔法と、折に触れて集めていた薬草だけだ。基本的に日常の怪我を治すことを前提としているミューの治療魔法は効果が低い。

 魔法陣を描く場所と時間、魔力があれば再生魔法の使用も可能ではあったが、その全ての条件が満たされていなかった。

 

 治療魔法をかけながらクロウを揺する。だがクロウは一向に目を覚まそうとしない。と、その時──巨大な物体が地を踏みしめる音がした。

 

「……やはり、追ってきましたか──!」

 

 それは当然、階王種だった。クロウを一撃で数百メートルも吹き飛ばしただけでは満足せず、その息の根を止めるために執念深く追ってきたのだ。

 巨体が草木をへし折りながら、ミューが転移魔法陣を描いた“扉”の近くから数十メートルまで迫る。ミューはその気圧されそうなプレッシャーを感じながらクロウの治療を続けるが……

 

「……近づいて、こない?」

 

 階王種は明らかにクロウの姿を視認しているというのに、それ以上に近寄って来ようとしなかった。周囲に陣取り、時折苛立ったように地を殴りつける。

 その様子からミューは、あることに気づいた。

 

「いえ……近づいて来れないのですか!」

 

 原因は一つ……“扉”しか考えられない。“扉”の周囲にはそもそも、クーのような従魔は例外として、魔物が近寄ろうとしない。

 それは魔物が勢い余って“扉”を破壊しないようにという意図なのだとミューは考えていたが、それが階層の主たる階王種にまで適用されるというのは意外であり、同時に嬉しい誤算だった。

 

 このままならクロウが目を覚ますまで時間を稼ぐことができる──ミューがそう考えたのも無理からぬこと。……しかしそれが間違いであるということを、ミューは数分後に思い知らされることになる。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「クーちゃん、あちらもお願いします!」

「!」

 

 既に“扉”の周囲は、数百匹の魔獣に取り囲まれていた。階王種が足をふみならすたび、土がボコボコと音を立てて歪な獣を形成し、その数はさらに増えてゆく。

 狡猾な敵が、黙ってクロウの回復を見過ごすはずが無かったのだ。階王種はクロウが“扉”の側にとどまると理解するやいなや、魔物を召喚し始めた。足をふみ鳴らすたびに一匹、その数は際限なく増えていく。

 

 厄介なのは、こうして召喚された魔獣は“扉”に近づくことができるらしいことだった。

 ……否、召喚の様子を見るにそもそも本当に魔獣であるかすら疑わしい。魔力で動く泥の人形──造形の正確さを除けば、そう表現するのが正しい存在なのかもしれなかった。

 今もまた、群れを成す魔獣たちはクロウを目指して接近してくる。

 

「……!」

 

 それを追い払うのはクーの役目だった。……とはいってもそこは弱小魔物たるクーのこと、多少のカラクリがある。

 

 クーは今、クロウの姿を真似ているのだ。階王種も自身でなければクロウには勝利できないと理解しているのか、クロウの姿のクーが近づくだけで魔獣を退かせ、自身の方へと釣り出そうとしてくる。

 それ故にクーは戦わずとも、威嚇だけで魔獣を追い払うことができていたのだが……限界が近かった。

 

「……! ……!!」

「持ちこたえてください、あと少し……!」

 

 ──単純な、数。

 クーには魔獣を倒すことはできず、魔獣の総数は巨大な足が踏み鳴らされるたびに着実に増えていた。

 今では百をはるかに超えるその数は追い払うだけでも容易ではなく、散発的に襲いくる今は何とかなっていても、一度に来られたらひとたまりもない。

 そしておそらく──その時は遠くない。

 

「あと少し、あと少しですから……!」

 

 ミューによるクロウの治療は確かに効果を発揮していた。出血は収まり、未だ傷だらけの身体にはそれでも血の気が戻っている。だが、肝心のクロウの意識が戻らない。

 

「……これ、で!」

 

 ミューは乾燥させたクセの強い薬草を収納魔法から適当に一掴み混ぜ合わせたものを水に溶き、即席の気付け薬としてクロウに飲ませた。クロウは呻き、薄っすらとその眼を開こうとする。

 

「……! 起きました! クーちゃん……っ!」

 

 ミューのその言葉に反応してクーが変身を解き、戻ってくるのと、痺れを切らした階王種が吼え、魔物が一斉に侵攻してきたのは全くの同時だった。

 

 ミューはあとは発動だけという段階にまで作り上げていた転移陣を起動させる。辺りには魔石から溢れる燐光が舞い、その光景に一瞬だけ魔獣たちは足を止める。

 その隙にクーが自分の胸に飛び込んでくると同時──ミューは転移魔法を発動した。

 

 

 

 



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24 悪鬼(Ⅰ)

 

 

「……ところでクロウさんは、エウーリアさんが好きなのですか?」

 

 それはつい最近のこと──階王種に襲われる、たったの数日前の夜のことだった。

 狩りはもちろん食事やその他諸々のことも終えて、あとは寝るだけの時間帯。うつらうつらとしているクーの頭を撫でながら柔らかい声で古い唄を歌っていたミューは、ふと思いついたように、寝っ転がって茶をすするクロウに尋ねた。

 クロウは間延びした声で答えた。

 

「どうしたんだ、急に」

「いえ、大したことではないのですが……。そういえばそのあたりの事情をあまりよく知らないなぁと、ふと思い立ちまして」

「そうか」

 

 クロウは少し首を捻って、言う。

 

「うむ。おれはエウーリアを、惚れさせてみたい」

「もちろんクロウさんに、ということですよね?」

「ああ、そうだ」

 

 頷いたクロウに、今度はミューが少し思案顔をして聞く。

 

「……あの。それは、好きとは違うのですか?」

「んん? ……いや、おれはエウーリアのことが好きだぞ」

「ええと。一応聞きますけど、それはこう、いわゆる男女的な意味でということですよね?」

「……うむ? なんて言えばいいんだろうな。おれはエウーリアが、きれいだと思うんだ」

 

 クロウがそう言うと、ミューは脱力したように言った。

 

「……単純すぎてわかりづらいですよね、クロウさんは」

「何がだ?」

「んー……メイドという立場からマスターに向けて言うべきことでも無いような気がしますが……。……でも、言いたいので言いましょうか」

 

 ミューはゆるい口調で言った。

 

「多分ですけれど。クロウさんのエウーリアさんへの気持ちは、少なくともまだ、恋愛感情ではないのですよ」

「ふむ?」

「好意があるのは確かだと思います。けれどきっと、それは少しクロウさんの言うようなこととはニュアンスが違って……ようするにエウーリアさんは、クロウさんにとって『憧れ』なのではないですか?」

「……憧れ」

 

 その言葉を口の中で転がすクロウに、ミューは頷く。

 

「だって『惚れさせたい』ってきっと、『認めてもらいたい』ってことですよね? 無視できない存在になりたい、とかそういう感じの」

「……そうなのか?」

 

 そのクロウの声に、ミューは慌てて首を振る。

 

「あ、いえ。ごめんなさい、なんだかどうでもいいことを口にしちゃって。別にそれで、クロウさんがどうこうという話ではないのです」

「よくわからないが、結局どういうことなんだ」

「えぇと……そうですねぇ」

 

 ミューは多少まごついて、慎重に言葉を口にした。

 

「クロウさんのエウーリアさんへの気持ちがどんなものであれ、悪いものではないと思うのです。誰かを好きになることも憧れの人に追いつきたいと願うことも、どちらも素晴らしい想いだと思いますし」

「ふむ」

「ただ、それを混同するのはよくないと思うのですよ。自分がなにをどうしたいのか、それには正面から向き合うべきかなー、と。……なので結局、私が言いたかったのは……えーと、クロウさんの目的とか野望とか、願望とかを教えてほしい、ということなのでしょうか?」

「なんで疑問形なんだ」

「だって世間話のつもりでしたし。深い考えのある話でもありませんし」

 

 ミューはそんな投げやりなことをのたまい、向き直ってクロウに聞いた。

 

「では、改めて。……クロウさんはこの迷宮という場所で、どんな望みを叶えたいのですか?」

 

 クロウはその問いにじっと考える。

 そしてポツリと口にした。

 

「わからない。けど、そうだな……」

「はい?」

「たぶんおれは、昔には戻りたくないんだ」

「昔……というと、エウーリアさんと会う前ということですか?」

 

 聞くと、珍しくクロウは口ごもった。

 

「……」

「ええと……どういうことかよくわかりませんが、今が好きならそれはそれでいいのでは?」

「……そう、だな」

 

 クロウは頷く。

 ──それは日常のひとかけら。なんてことはない、ある静かな夜のことだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 燐光が収まり、視界が開ける。そこに広がっていた光景に、ミューは──

 

「……〜〜ッ!」

 

 ──叫び出したいのを必死に我慢した。叫んでも何一つ状況は改善しない。……目の前にはまるで変わらない階王種の威容。そして無数の魔物の群れ。

 

 言うまでもない。──転移魔法は、失敗した。

 ミューは迫ってくる魔物たちを睨みつける。転移魔法失敗の原因は、この魔物たちだった。

 転移に失敗した理由は単純──魔力が足りなかった。

 無論、クロウとミューとクーを転移させるだけの魔力は、ギリギリとはいえ足りていた。ミューの描いた魔法陣にも綻びはなく、あとは起動させるだけ……のはずだった。

 

 だが、転移魔法陣に踏み入ってきた無数の魔獣の存在が全てを狂わせた。

 転移魔法においては、人二人を転移させる時の必要魔力が人一人転移させる時の二倍などということはない。使用する魔力の大部分は空間を繋げるために用いられ、転移の人数が多少増えようとも魔力消費はわずかに増えるだけだ。

 

 しかし本来はさほど気にする必要もなかったはずのそれが、今回に限っては最悪の形で影響した。魔法陣に踏み入ってきた魔獣たちは、泥でできた紛い物とはいえ個々が魔力を持つ存在だった。

 故に、それが群れをなして魔法陣に踏み入ってしまっていた時点で、魔力にそれなり以上の余裕がなければ転移など不可能。ましてや今回のようなギリギリの魔力量では、もはや転移は発動すらしなかった。

 

 精神が折れそうになる。何もかもが裏目だ。……ミューは心を奮い立たせ、叫ぶ。

 

「クーちゃん! クロウさんだけはなんとしてでも逃します!」

「……! ……!?」

「迷っている暇はありません! クロウさんにもすぐ起きてもらって──!」

 

 そう言って魔物から目を切り、クロウを見やったミューは硬直した。──そこには、上体を起こしてぼんやりとするクロウの姿があった。……無論、それだけならミューは驚かなかっただろう。

 

 ミューが驚いたのはクロウの眼だった。

 別に具体的に何がどう変化したというわけではない。数が増えているわけでも、瞳の色が変わっているわけでもない。

 けれど。開いているのに何も見ていないその瞳は、もはや感情が希薄などというものですらなく──

 

 ──どう見ても、無機物の眼だった。

 

「ク、クロウさん……?」

 

 呟くと同時──爆発的に舞い散る砂埃とともに目の前の少年の姿が消え失せ、ごうと一陣の風が吹き抜ける。

 

「っ……!?」

 

 ──まさしくそれは、一瞬だった。

 目の前に広がっていた魔物の群れ。数百もの、抗う気すらも根こそぎ刈り取られそうな数の暴力。それが、より巨大な個の暴力に食い荒らされる。

 屠られた魔獣は黒い塵へと還り、その鏖殺を成したものの周囲にまとわりつき、しかし風にさらわれて消えてゆく。──その渦から一人取り残された人影は、ゆらゆらと、奇妙に立っていた。

 

「え……?」

 

 ミューは呆然とする。

 ──なんだ、今のは?

 

 いかにクロウと言えども──否、拳しか攻撃手段を持たないクロウだからこそ、まさしく目に止まらぬほどの並外れた殲滅力など、持っていなかったはずではないのか……?

 

「……ク、クロウさん大丈夫ですか!? 身体はまだ治っては──!」

 

 自失から回復したミューが叫ぶが、しかしその人影は反応しない。魔物の群れの中でゆらゆらと奇妙に立ち尽くすだけだ。

 ──そして次の瞬間、自分たちのそばで無防備に存在している少年の姿に気づいた魔物たちが、唸りをあげ牙を剥き、殺到する。

 

「ッ! 逃げ──」

 

 ミューは言葉を失った。

 ──やはり一瞬だった。今度は注視していたはずの人影の動きは、けれどもミューには追えなかった。爆発的に広がった土煙が晴れると、群がってきていた数十の魔物たちは消え失せて黒い塵に還り、遠巻きに警戒する残りの魔獣と一つの人影だけが残る。

 人影はやはりゆらゆらと立ち、こきこきと関節を鳴らしていた。

 

「なん……ですか、これは……?」

 

 何か(・・)が起こっていた。だが、ミューにはその正体が掴めない。

 スキル? 魔法? ……クロウが? そんなことがあり得るだろうか?

 

 そしてそれ以上に──。

 

 ……ミューは唾を飲み込む。

 アレは。そもそもあの人影は──本当にクロウか?

 ミューにはわからなかった。……見慣れた姿だ。だが、それにもかかわらず、その人影はまるでクロウには見えなかった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 さて──ミューの直観はある面で正しい。その人影が、本当の意味でクロウと呼べるものかと問われれば、確かに首を傾げざるを得ない。

 

 彼のものの()は“悪鬼”。それは人の名ではなく、クロウという少年が持つ肉体の銘である。

 

 そしてまた、人影の成した暴虐がスキルや魔法によるものではないはずだというミューの洞察も正しい。

 何故ならばそれの正体は、厳密に言えばただの()()──身体の動かし方でしかなかったのだから。

 

 ──ミューは知らなかった。

 悪鬼と呼ばれる少年の、その通り名の由来を。

 ステータスが無い、モラルが無い……少年が鬼と呼ばれた理由は、()()()()()ではない。

 

 悪鬼には、悪鬼と呼ばれるだけの理由が存在する。

 年端もいかない少年(クロウ)が、見棄てられた領域に巣食う悪党どもにすら“悪鬼”と畏怖されていた絶対的な理由は、確かに存在する。

 

 ゆらゆらと立つ人影は、その無機物じみた眼で、敵だけを見る。

 

 

 

 

 

 踊れ、悪鬼。

 その四肢は何の為にある。

 

 

 

 

 

 どう、と土埃が跳ね上がる。悪鬼が躍動する。

 走った──違う。四足歩行──そうではない。

 悪鬼の動きはそんな動作よりも、はるかに合理的だった。

 

 馬鹿馬鹿しい話だ──何故、鬼が足で立つ必要がある。何故、鬼が地を這う必要がある。

 そんなくだらない動きは、動物や人間にでも任せておけばいい。四肢のうち一つで全体重を支え、その他全ての器官が破壊兵器たる悪鬼に、歩行などという非効率な動きは必要ない。

 

 ギャリギャリギャリ(・・・・・・・・・)と地を削る音。

 右腕を地に突き込むと同時、残りの四肢が──両脚が魔物を蹴散らし左腕が切り裂く。

 そして接地する一本の腕はスパイクのように地面を掴み、その体重に見合わない馬鹿げた膂力により強引に異常加速し、悪鬼はさらに速度を増す。

 

 次の瞬間にはまた四肢のどれかが地面を抉り、その他の四肢が敵を殲滅する。その度に魔物が弾け飛び、黒い塵へと還って悪鬼の暴虐の軌跡を辛うじて示す。

 その動きは酷くでたらめで、まるで規則性など無く、しかしてその無分別さこそが、肉体性能に枷をかけずに何の躊躇も無く使用する、悪鬼本来の動きだ。

 

 ──悪鬼は吼える。その叫びはまるで錆びた機械が哄笑するような、酷く耳障りな音だった。

 

 悪鬼の異形の進行はまるで勢いを落とさず、むしろその反対──秒を経るごとに、明らかに加速していた。

 触れるもの全てが四肢の前に脆く削り去られ、後方へと吹き飛ばされ、悪鬼が前進するための推進剤がわりとなる。敵が多ければ多いほど、破壊が甚大であれ甚大であるほど、加速は増大する。

 

 ──何も悪鬼を止められない。その跛行を妨げられるものはいない。悪鬼の侵撃は敵を全て殲滅するまで止まらない。

 

 その間近にいるはずのミューに理解できたことは、目の前の殺戮が人間によるものではないということだけだった。

 というよりも、それはもはや生物がもたらす破壊にすら見えず──いっそ自然災害や天災といった、矮小な生き物の生き死になど一顧だにすらしていない存在によるものにすら見えた。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 ……単純な一般論として。

 人はそう簡単に、鬼になどなれない。鬼とは魔性、相容れぬ異形……致命的なまでに人間と噛み合わない、分かり合う意味も努力も必要のない何かだ。

 

 人が人の形をしたものを、それでもなお『異形』と──鬼とみなす。それはもはや相手を絶対に理解できない何かとしか思えないときの、最後の手段に他ならない。

 

 ここに、かつて『悪鬼』と呼ばれた少年がいる。……では、なぜ彼は悪鬼と呼ばれたのか?

 

 少年が人とは思えぬ姿形であったから? ──否、彼は少なくとも、見た目はただの鈍そうな少年だ。とても魔性とは程遠い。

 では、人と思えぬ非道であったから? ──否、彼は善でなくとも悪でもない。“見捨てられた領域”の悪党どもが少年程度を非道と非難するなど、笑い話にもならない。

 

 ならば──なぜ少年は悪鬼と呼ばれたのか?

 

 答えは簡単だ。酷く簡単な事実だ。……少年が理解不能に強く、厄災の如く恐れられ──その戦い方が、文字通りに(・・・・・)人のものではなかったからだ。

 

 “悪鬼”は知っていた。

 人の形をしているだけ(・・・・・・・・・・)の肉体に詰め込まれた膂力や耐久力、その強靭さ。ただの腕の一振り足の一振りが必殺となる、超人と呼ぶにも生ぬるい尋常ならざる肉体性能。

 

 ──そしてその肉体の動きの最適解が『人の動き』ではないこと。人間の動きを半端に真似たところで、肉体が本来持つ力の発揮を阻む枷にしかならないこと。

 人ならざる力を人ならざる形で(・・・・・・)存分に振るうための最適解──悪鬼の戦い方を、肉体に棲む本能は理性以前に知っていた。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 それ一個が破壊意思の塊となり、縦横無尽に躍動し魔物を屠る悪鬼。その無形の動きには、何も追随できず、反応すらもおぼつかない。

 その無様に階王種が吼える。

 アレを放置してはならない。開かれるその巨大な口蓋より放たれる咆哮に、周囲の空気が爆ぜた。

 

 ──爆音、咆哮。それは人体であれば停止せざるを得ない、平衡感覚の一切を奪う、まさに人なる種の天敵たりうる能力だ。

 事実クロウもまたこの咆哮により停止を余儀なくされ、そのために致命に至りかねない一撃を喰らった。

 

 無論、悪鬼もまたその影響を受けて平衡感覚を消失した。もはや立つこともままならず、無様に地を這うことしかできない……はずだった。

 

 だが──悪鬼は止まらない。

 

 平衡感覚、前後左右──くだらないくだらない。なんだそれは。それが何の役に立つのか。

 

 ……根本的に前提が間違っていた。感覚が狂い、消失したにせよ──そもそもそれを頼りにしていないものが、いったいどう影響を受けるというのか。

 平衡感覚などという曖昧有耶無耶なものに頼らなくとも、悪鬼にはより間違いのない標があった。

 

 そう、それは例えば──ほら、敵を潰せばその感触が、四肢を通じて伝わってくる。

 恐怖、憎悪、悔恨、殺意──“敵”を構成する情報が、こんなにもありありと。

 

 それ以外の感覚などハナから使っていない。手の触れる範囲、足の届く範囲、殺気を向けてくる敵を斃し続ければ、いつか全ての敵を屠る──それが悪鬼の戦い方だ。

 

 分別も、理性も。

 選択も、善悪も。

 その全てが、完結した破壊現象たる悪鬼には不純物だ。

 

 群れを成していた魔物が全て黒い塵に変じ、風に攫われて吹き消える。

 僅か数十秒──それが、悪鬼が全ての魔物を屠るのに要した時間だった。

 

 悪鬼はやはりゆらゆらと立っていた。……敵はあと一つ。とびきり巨大な相手だ。だが──その程度の事実など、悪鬼の戦いにはまるで関係がない。

 

 悪鬼はその光の灯らない瞳で、最後の獲物を見つめた。

 

 

 

 

 

 



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25 悪鬼(II)

 

 

 

 

 

 魔獣は全て鏖殺した。ならば後は、デカブツだけだ。

 ──悪鬼は再び加速を始めた。走るでもなく這うでもなく、地面に接地した四肢で地面を抉り、吹き散らし、強引に加速を続ける。莫大に吹き荒れる砂埃だけが、悪鬼の移動の軌跡を示した。

 

 対する階王種は、明らかにクロウの突貫を待ち受けていた。

 ……巨獣は“悪鬼”がいかなるものであるか、朧げながら理解していた。ソレが本能に突き動かされるだけの動きであり、所詮は理性無き獣の動きであることを。賢しさも無ければ業も無い、およそ己と同種に近い動きであると本能的に理解していた。

 

 ──故に、階王種の行動は悪鬼の行動と同じくシンプルで単純だ。ただその拳を、向かって来るクロウへと最大威力で叩きつける。

 ……悪鬼が階王種に挑む戦いとは、つまるところ単純なスペックの比較に過ぎない。戦略も戦術も存在しない、およそ肉体性能に頼った化物同士の戦いである。ならば、それを迎え撃つために何の小細工を施す意味があるだろうか。単純な能力において己を上回る化物など、存在しないのだから──。

 

 だが──悪鬼は加速をやめない。疾く、より疾く。悪鬼は一瞬の躊躇もなく突貫する。

 悪鬼に恐怖などない。あるのは破壊衝動だけだ。向けられる殺意、悪意へと反応し、敵がこの世から消え失せるまで破壊するだけの存在──それが悪鬼だ。

 故に、階王種が向かってくる悪鬼に向けてカウンターで全力の拳を振るったとしても、悪鬼の前進の速度が緩むことはなく、躱すことすらもなかった。

 

「……! 駄目──ッ!」

 

 悪鬼の戦いにまるで思考が追いつかずに混乱するばかりのミューが、その光景にようやく状況を理解し、叫ぶ。いかにクロウといえど──いかに悪鬼といえど、あの大質量を防御もなく正面から食らっては、叩き潰されるだけだった。

 激突が迫る。もはや双方、回避などできない。……ミューは思わず顔を背けようとし、そして呆然とした声を唇から漏らす。

 

「……え?」

 

 悪鬼が回避行動を見せず階王種が攻撃するならば、その衝突は必須──その予想はなるほど、正しい。だがそれは決して、悪鬼の敗北を意味しない。

 ミューには見切れなかった。それはたった一つの決定的な事実、つまり──

 ──加速を続ける悪鬼にとって、既に巨獣の攻撃は鈍重な動作に等しかった、ということだ。

 

 戦いが始まって初めて、階王種が苦悶の叫びをあげた。

 理解不能、理解不能──階王種は何が起こっているのか、理解できなかった。ただ己の腕に、脚に、胴体に、肉体に、一瞬のうちに無数の裂傷が刻み込まれ、血が噴き出る。

 それは全身へと波及し、その巨体を蹂躙し、破壊する。

 

 

 

 ──悪鬼の行動は単純だった。それはもはや攻撃ですらなかった。悪鬼は敵の巨大な腕を、地面と同じものと──加速するための()()と見なした。

 

 当然の話として、回避行動など取らなくとも悪鬼に敵の攻撃は当たらない。当たるわけがない。速度において超越する悪鬼には、階王種の攻撃はゆっくりと手を差し出されただけのこととまるで変わりなかった。

 ──ならば、悪鬼には特別な動作など何も必要無い。今までと同じく、加速を繰り返すだけだ。

 

 ただ一点、変わったことがあるとすれば──足場が土から肉の塊へと変わった、ということだ。

 悪鬼は目の前に現れた肉の塊に──階王種の腕に己の腕を突き刺す。地面を加速する時とまるで同じようにそれを抉り、腕力で強引に加速し、今度は脚を突き立て、踏み込み、加速する。

 

 つまり悪鬼にとってのそれはただの移動(・・)に過ぎない。巨獣は踏みしめるための、足蹴にするための土台でしかなかった。──階王種にしてみればたまったものではなかった。

 悪鬼が移動するたびにその強靭であるはずの肉体が穿たれ、裂傷が刻まれる。そして悪鬼の動きを捉えることはできない。鈍重な巨体にとって、悪鬼の動きはあまりにも疾過ぎた。

 

 己の肉体を縦横無尽に踏みしめ、穿ち、抉る悪鬼によって、階王種は回避不可能な攻撃を一方的に喰らうことしかできなかった。

 暴れる。階王種は腕と足を振り回し、肉体を捩り、己の肉体を蹂躙し、裂傷を刻み、あまつさえ地面の代わりとする無礼な敵を振り落とそうともがいた。だが移動時に四肢を肉へと突き立て、スパイクがわりにして移動する悪鬼を振り落すことはできない。

 

 ──そしてそれは一瞬のことだった。どちゅ、と音がする。不意に階王種の右眼が潰され、ひときわ大きい鮮血が散った。

 

 オオオオオォォオオォオオオッッッ!

 ……階王種が苦痛と怒りに叫びを挙げる。無論それは悪鬼の仕業だ。足場にするにはいささか柔らかく脆かったそこを、悪鬼はなんの遠慮も呵責もなく踏み抜き、その巨大な右目はぐちゃりと音を立てて潰された。

 

 無論、それでも階王種は死なない。階王種を滅するためには、その心臓部に位置する巨大な魔石を砕かなければならない。いくら悪鬼の素早さに対応できないからといって、悪鬼の攻撃が魔石にまで至る可能性はゼロ。ならば階王種が敗北する可能性もゼロだった。だが──。

 

 ──階王種は恐怖した。

 ああ、死にはしない。死にはしないだろう。だがこの苦痛はどうだ。この全身の肉を磨り潰されるかのような苦痛は! そして最強であるはずの己は、それを防ぐことすらできない。

 階王種の気配が変化する。階王種は悪鬼を油断などできない相手だと認識した。獲物ではない、叩き潰すべき、明確な敵である、と。

 

 故に、その身に秘める正真正銘の奥の手──敵をいたぶるためでは無く、()()()()()の能力を使用することを決めた。

 

 

 

 階王種がその巨大な口蓋を開く。それは音砲を放つための予備動作と全く同じもののように見えて──けれども、実際には全く異なるものだった。

 そこに集約されるものは大気の塊などという生易しいものでは無い。奇跡の源、万物を成す雫、ある意味で階王種という生命体を構成するそのもの──魔力である。

 

 口蓋に蓄えられるそれは、もはや燐光などという生易しいものではなく。その煌々とした輝きは、怪物の代名詞にして脅威たる攻撃(ブレス)──階層一つをリソースとする王種級の怪物が、その存在を削ってまで相手を滅する時に使用する攻撃にのみ見られる極光だ。

 

 ──階王種は待った。悪鬼に蹂躙される屈辱と痛みに耐えながらひたすらにその瞬間を待った。

 もはや速度において悪鬼に対応できないことは分かりきっている。

 だが例えば、ある一瞬を狙うならば? 速度で対応するのではなく、ある一点に辿り着いた悪鬼へと、蓄えた破壊光をそのまま叩きつけるだけならば──?

 

 悪鬼が階王種の鼻先を抉ったその瞬間、ブレスが放たれる。

 

 ──一瞬、音が消えた。

 

 太陽の真下と同じ光量で周囲一帯が照らされる。

 キィィィィィン、と高い不協和音が空気を震わせ、次いで爆音に取って代わった。ブレスの纏う光熱が空気の急激な膨張とそれに伴うソニックムーブを生み、暴風が生まれる。

 

 

 

「……ッ!」

 

 その様子を見ていたミューはその光と熱、爆風に思わず顔を庇い、そしておそるおそると目を開き──ブレスがもたらした破壊の跡を見て戦慄した。

 ブレスの軌跡上に存在したものは綺麗に無くなっていた。……ミューたちのすぐそば、“扉”をほんの僅かに逸れたその一撃は、背後に広がる森の直線上に存在するものを全て焼却し、破壊していた。

 

「こ……こんなものを生身で受けたら──」

 

 ミューはそう呟き、ハッとする。──クロウは!?

 慌てて振り返る。……そこに人影があった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 ──悪鬼は生きていた。

 その速度をもってブレスの直撃は免れた。だが、次の瞬間に発生した爆風に抗う術もなく、触れるもののない空中ではさしもの悪鬼も無力。吹き飛ばされるほかなかった。

 

 幸運だったことは、階王種に悪鬼を深追いする気がなく、まずは追撃ではなく引き剥がすことを目的としたことだった。

 悪鬼は恐ろしい勢いで地面へと叩きつけられる。ズガガガガガ、と音を立てながら地面に制動痕を残し、無理矢理に停止する。悪鬼はゆらゆらと立ち、関節を鳴らし、肉体の不備を確かめる。……骨には異常が無いが、筋肉と内臓に幾らかの損傷。……つまり、まだ動ける。

 

 悪鬼は敵を排除するため、再び四肢に力を込め加速を始めようとし──不意に、目の前の人影を認識した。

 

『……! …………!』

 

 ソレは悪鬼に向かって何か音を発していた。だがその意味するところなど悪鬼には理解できない。必死の表情も、心配した声も、全て無意味と等しい。

 

 敵ではない。それは理解できる。だが、それだけだ。

 悪鬼にほんの僅かの疑念が芽生える。……敵ではないものが、何故、立ちはだかる?

 

 ──知らない。どうでもいい。

 

 生まれた疑念は瞬時に排除された。悪鬼に疑問など必要ない。悩むなら壊せ。思考の前に鏖殺せよ。……肉体を動かすその本能が、悪鬼に腕を振り上げさせた。そして、それを障害物に向かって振り下ろす。

 感慨は無い。悪鬼は再び前進しようとし──そして気付く。

 

 何故、目の前の障害物は弾け消えていない。……何故、己の腕は動いていない。

 ……異常事態だった。悪鬼は動けない。本能ならざる何かが、悪鬼を制止していた。

 

 目の前の脆いものは怯えていた。ソレは悪鬼という純粋暴力のプレッシャーに晒され、心底から恐怖しながら……しかし、退こうとしない。否、むしろ──踏み込んでくる。

 

『……! ……!?』

 

 未だにソレが発する音の意味はわからない。だが、不快ではない。

 ソレが悪鬼に近づく。震える手が悪鬼に近づく。──そして、悪鬼に触れた。

 

 どくん(・・・)、と鼓動。血が巡ることを理解する。

 悪鬼は慄いた。……知っている。これを知っている。この感触を、知っている──!

 少女の発する音が輪郭をとり、連なりとなる。それは次第に朧な意味で彩られ始め、そこに込められる意志を示し、ついには言葉となった。

 

「──クロウさん!」

 

 



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26 クロウ(I)

 

 

 

 

 

「……ミュー……?」

「……ッ! はい、はい! 分かりますか!? ミューです!」

 

 視界が色づく。聴覚が言葉を拾う。五感が意味を成し始める。

 ──悪鬼の本能がクロウの意思で塗り潰される。現実に帰還したクロウは振り上げた右手と握られた拳を見て、目の前のミューを見て、停止した。

 

「ク、クロウさん──?」

「……ミュー」

「……は、はい?」

 

 絞り出された少年の声は震えていた。

 ミューが聞いたこともないほどに弱々しい声でクロウは問う。

 

「おれは……“アレ”に? おれはミューを……」

「……未遂です。大丈夫です、私は無事なので」

「……」

「──そんなことより!」

 

 煮え切らないクロウに、ミューが指を近づける。

 

「正気の戻ったのなら考えてください! どうしますか!? ……転移魔法は失敗しました。それに関しては後でいくらでも謝ります! でもとりあえず今は、まずここからなんとかクロウさんを逃して──!」

「逃げ、る……?」

「……戦うのですか? ……先ほどまでのクロウさんを見ていると、本当に勝ってしまうのではないかと思ったことは確かです。けれどどう見てもアレは、そのうち破綻するというか……クロウさんが勝ちたいと思って戦っているようには見えなかったのですよ」

 

 ミューの言葉に、クロウは思考を乱れさせるばかりだった。

 何も意思が纏まらない。続くミューの言葉にさらに混乱が増す。

 

「……要するに、クロウさんがどうしたいか、です。戦いたいなら、できる限りサポートします。逃げるなら、なんとしてでもクロウさんを逃します」

「お、おれは……」

「私はクロウさんの決断を全力で支えます。私はマスターを失いたくないですし、仲間を死なせたくありません。だから、そのためだけに全力を尽くします。……クロウさんはどうしたいですか?」

「……っ」

「……クロウさん?」

 

 異変に気付いたミューの声に、クロウは反応できない。

 頭蓋の内側で形を成さない思考が渦巻いていた。それをそのまま吐き出す。

 

「わから、ない……」

「……へっ?」

「わからない。全然わからない。おれは何をすればいいんだ。何がしたいんだ? ……そんなこと、おれは知らない」

 

 数日前の夜のことが脳裏に蘇る。『こんな場所まで来て何を成し遂げたいのか』──クロウはミューのその質問に答えられなかった。

 千地に乱れた思考のまま、思考を吐き出す。

 

「……おれは昔のおれが嫌いだ。エウーリアは凄いやつで、あいつを追えばおれは違う何かになれると思ったんだ。だから……だから、なんなんだ。おれは何をするためにここにいるんだ。……わからない。わからないんだ」

「あの……?」

「……頭がぐちゃぐちゃする。こんなの初めてだ。……お前らを死なせたくないし、死にたくない。逃げたいし、それに戦うべきなんだ。……なんでだ。おれはやっぱり悪鬼で、こんな地面の底にまで来たってなにも変わってないからか。なら、おれは……」

「……」

「……ミュー。教えてくれミュー、確かお前が言ったんだ。……おれは何をしたくて、ここに「……ロケットパーンチッ!」──ッ!?」

 

 いきなり殴られた。クロウの思考が止まる。

 ミューの手首から先がシュゴッと音と炎を立てて分離し、クロウに一撃を入れたのだ。

 

「……まったく! いつからクロウさんはそんなに女々しくなったのですか!」

 

 信じられないものを見る目でミューを見るクロウに、ミューが近づいてきてロケットパンチしてない方の腕の指を突きつける。

 

「何をどうでもいいこと(・・・・・・・・)を気にしているのですか! 私は行動の指針を決めろと言っただけで、生き方を決めろとかそんな大層なことは今、求めていません!」

「……!?」

「感傷的でナイーブな感性を吐露するのは後です後、助かった後! 助かったあかつきにはゆっくりと聞いてあげますので、今はうっちゃってください!」

 

 その勢いにクロウは呆然としていた。思考は停止したままだ。

 ブレスの余波でその辺で目を回していたクーもいつの間にか起き出し、この女マジ? とでも言いたげな視線でミューを見ている。

 クロウがなんとか言葉を吐き出す。

 

「……で、でもな、ミュー。よくわからないが、結局はそういう……」

「そもそもちょっと前の世間話をどうして今、思い出しているのですか!? 寝る前の軽いトークだったでしょう!? なんで今更引きずっているのですか!」

「お、おぉ……」

 

 ミューの剣幕にクロウは黙ることしかできない。

 だが……何故だろうか。この暴言が何故か、妙に脳内で反響する。そのたび、思考の雲が晴れるような気がした。

 ミューはクロウに真正面から、堂々と言う。

 

「今大切なのはアレから逃げるなり戦うなりすることです! それ以外は必要ありません! 後回しして生き残った後でじっくり考えればいいんです! そしてそのために、今は全てを賭けます! いいですかクロウさん──ここはそういう場なのです!」

 

 その言葉には熱があった。己を縛るものをぶっちぎった人間特有の、異常なまでの圧力と気炎。クロウはそれに押されながら、思った。

 

 ──凄い、と。

 この少女は、こんなにも強かったのか。

 

「そもそも、クロウさんがこの地の底に何をしに来たかなんてわかりきったことではないですか……! 何故そんなことを、今さら悩み出すのですか!? 人が未知に挑む理由なんて、たった一つに決まっているでしょうが!」

 

 鼻と鼻がくっつきそうな距離でミューが言葉を突きつける。

 その声が怯えを、懊悩を、苦痛を──クロウに巣食うものを、砕く。

 

「いいですか──未来のために今を賭けることを! 不確かな、存在するかもわからない何かを得るために行動することを! 目指すものが価値あるものだと、果てにはなにかがあるのだと確信して進むことを!」

 

 ミューの瞳とクロウの瞳が同一直線上で交わる。

 ……手の震えが、止まる。

 

 

 

「きっと人は、それを“冒険”と呼ぶのでしょうが──!」

 

 

 

 その言葉はすとん、とクロウの中に落ち着いた。

 眼を見開く。自分よりも遥かに弱いはずの少女に圧倒される。

 

 ……そうだ。黄金の少女の時もそう思ったのだ。

 力ではなく、精神力ですらなく。

 彼女らはただ、無形で莫大の熱量を有する。なにものにも染まらないだけの強さを。

 故に、クロウは自分が決して持たないそれを持つ彼女らに焦がれ──憧れるのだ。

 

 クロウは大きな息をついて、ぽつりと言った。

 

「そうか。おれはここに、冒険をしにきたのか」

「違いますか?」

「違わない。……けど、変な気分だな」

「まだ何か悩んでいるのですか……!」

 

 疑問は許さないとばかりの剣幕のミューに、クロウは思ったことを言う。

 

「いや……でも、そうだな。ミュー」

「……どうしたのですか急に落ち着いて」

「おれはお前も惚れさせてみたくなった」

「……。……!?」

 

 思考がまるで追いつかず、あわあわとするだけのミューをよそに、クロウはすっきりとした頭で思った。

 

 ──なんだ、なにを悩んでいたんだ。

 

 ミューとクーを死なせない。もちろん自分も死なない。なんだか逃げたくないし、負けるのは怖い。

 ……何故、それら全てを解決するこんなにも簡単な方法を見逃していたんだ。

 

「殴ればいいだけじゃないか」

「……は、はい?」

 

 混乱から復帰しきっていないミューにぽつりとそう言うと、聞き返してくる。

 そんなミューにクロウは、いつもの口調で言った。

 

「殴り殺そう、あのデカいやつ。邪魔だ」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「……殴り殺すって──アレをですか?」

「殴れば殺せるんじゃないだろうか」

「はい? ……はい!?」

「うむ。あいつから逃げるとかより、殺した方が安心できるからな。たぶんそれが一番頭のいい解決方法だと思うんだ」

「あっこれいつものクロウさんですねー……。……あれ? なんか余計に安心できない気がしますよ、あれぇー……?」

 

 頭を抱えるミューに、クロウがやれやれと肩をすくめる。

 

「まったく、あいつさえいなければ全て解決するじゃないか。こんな簡単なことがわからないなんてミューもまだまだだな」

「いえ、勝つ見込みがあるのならそれでも良いですけれど……!」

「なんだか勝てる気がするんだ」

「クロウさんいろいろと悪化していませんか!? なにがとは言いませんが!」

 

 喚くミューをひとまず放っておいて、クロウは考える。

 階王種を殴り殺すにはどうすればいいか。

 

 まず、平衡感覚を殺す咆哮をどうやり過ごすか。……これに関しては、実のところクロウはやり過ごす方法を見出していた。

 問題は後の部分、つまり──

 

「あの光線をどうにかするのと、どのくらい殴れば殺せるかだな……」

「一応、考えてはいるのですね……」

 

 考え込むクロウの様子に疑わしげな表情ながら胸を撫で下ろすミューだったが、次の瞬間にその表情は凍り付いた。

 

 ──一際大きな、咆哮。

 

 その轟音にクロウとミューは思わず振り返る。

 そこには完全に回復した……刻まれた裂傷も、潰されたはずの右目も、その全てが治癒した階王種の姿があった。

 つい数分前までの、全身から血を流した無残な姿の影はない。……それは堂々たる威容に異様な生命力と精気を満たして怒り狂う、階層の王の姿だった。

 

「たったこれだけの時間で治っているのですか……!?」

「ああ、デカい魔獣は回復が早いよな」

「どうしてそんなに呑気なのですか!」

「だってもう、あいつは治ってるじゃないか。騒いでも仕方がないと思うんだ」

「ああ、もう……!」

 

 その時、階王種がその巨大な眼をこちらへと向ける。やはり“扉”に近づくことはできないようで、先ほどの悪鬼の姿を再現させないためか新たに魔獣を召喚することもないが、それでも明らかにクロウを睨め付けている。

 クロウたちが“扉”から離れて逃げようとしたところで、捕まることが目に見えていた。

 

「ほら、あいつも逃がしてくれなさそうだ」

「それは絶対に逃げられないという意味ではありません!」

「そうだな。……うむ、悪いミュー。おれがあいつから逃げたくないだけかもしれない」

 

 クロウがそう言うと、ミューは言葉に詰まった。そしてほんの僅かの時間逡巡し、真剣な表情でクロウに問いかける。

 

「……勝算はあるのですか?」

「ないわけじゃないと思う」

「そう、ですか……。……わかりました。クロウさんが腹を決めたのでしたら、私はそれを全力で手伝います。微力かもしれませんが、それでもできる限りのことを。なにか私にできることはありますか?」

「うーむ……」

 

 そう聞かれるとクロウは答えに窮した。

 ……正直なところ、クロウにはまだ、どうやって勝つのかという具体的な案は無いのだ。それなのに指示など出せるわけもない。

 

 というよりも……。クロウは自身の拳を見つめる。

 少なくとも現状、単純な膂力であの強大な敵にに勝利するイメージが湧かない。クロウがどれだけ強靭な肉体を持っていても、結局のところ絶対的な巨大さではまるで勝負にならない。

 

 力が必要なのだ──とクロウは思った。

 強靭(つよ)さが必要だ。(つよ)さが必要だ。

 (つよ)さが、(つよ)さが、巨大(つよ)さが──その全てが必要だ。

 

 だがクロウは、拳以外にはなにも持たない。スキルも魔法も持たず、敵に真正面から襲いかかることしかできない。クロウには、己に欠ける強さを埋める方法など──

 

「あ……」

 

 クロウの口の端から、思わず言葉が漏れた。

 脳裏をよぎるのは、ある光景だった。

 ──ある、かもしれない。存在する。自分に足りないものを補う方法が。

 

「クロウさん……?」

「……あいつに勝つ方法が、見つかったと思うんだ」

「……ッ! 本当ですか!? それはどんな……」

「うむ。まずはクーを連れてく」

 

 黙ってやり取りを聞いていたクーが、私? と首を傾げるので、クロウは頷いてみせる。そしてミューに向き直って、真摯な口調で言った。

 

「でもそれだけじゃたぶん、あいつには勝てない」

「……はい」

「だから──おれにミューの手を貸して欲しいんだ。そうすればきっと、あいつにも勝てる」

「はい! ……もちろんです! 何を「そうか、ありがとうな。行ってくる」……へ?」

 

 ミューは一瞬、思考を停止させた。クロウは既に駆け出してしまっていた。クーを小脇に抱え、階王種へと向かって走っている。

 

 一人ぽつねんと立ち尽くし、動揺したミューは追いすがるようにクロウの背へと手を伸ばして叫んだ。

 

「ちょっと……ちょっと!? 何をすればいいのですか私!? お前が俺を想う心が力になるとかそういうアレなのですか!? ここで一人祈りながらクロウさんの戦いを見守って、要所要所で『勝ってクロウ……!』とか呟いていればよいのですか……!?」

 

 ……。

 そこまで叫んでから、ミューは気付く。

 そしてクロウの作戦を理解し、もう一度叫んだ。

 

「……()()()()()()()()()!」

 

 

 

 

 



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27 クロウ(II)

 

 

 

 

 

 

 ──安全領域から駆け出し、こちらへと向かってくる、己よりも遥かに小さい『敵』の姿。……それを見た階王種は、その凶相を歪める。

 

 この階層においてあらゆる魔獣を凌駕する存在として定められている階王種であるが、唯一、その手の及ばぬ場所が階層内に存在する。──それが、“扉”だ。敵がその領域に逃げ込んでしまえば、自身の手でそれを追撃することができない。

 

 階王種は“階層で最強の個体”であると同時、“迷宮という機能の保全者”でもある。それこそが存在のコンセプトであり、覆すことのできない命題である以上、階王種は“扉"を破壊しうる行動は取ることができない。

 敵に放ったブレスでさえ、その影響を受けていた。

 本来であれば敵に直撃していたはずのブレスは、その直線上に“扉”が存在していたがために階王種の意思とは関係なくその放出を一瞬、遅らされ、“扉”を逸れると同時、獲物をも逃した。

 

 ──まあ、そんなことはどうでも良いのだ。

 

 人間的な感情に則れば、階王種はそう思った。つまり、己ですら手出しできない領域に逃げ込んでいた敵が、隠れるのをやめて向かってきた。だから、叩き潰せる。……それだけが大事なことであり、それ以外の思考は必要ない。

 

 階王種はその口蓋を開く。……ブレスではない。ブレスは絶大な威力を持つが、しかしある程度のチャージを必要とする。それよりも、あのわけのわからない動きと速力を放棄した敵相手にならば、より有効な方法がある。

 

 吼える。──咆哮が大気を弾く。高周波で震える大気がギィィン、と響く。

 

 ……実際のところ、それは人という種に絶対的な効力を持つ攻撃だった。人の大きさで人の形をした人の構造を持つ、そんな生物の動きを奪うことに最適化された、“音”という攻撃。

 それは階王種がヒトの天敵種としてデザインされていることの証明でもあった。

 

 だが──こちらに迫り来る“敵”は、その動きを鈍らせはしなかった。

 

 ──!?

 階王種は動揺する。……こちらに向かってきている敵は、人間だ。あのデタラメで破滅的な動きではない、間違いなくヒトの動きでこちらに向かってくる。

 

 ウォオオォォォオオオッッッ!

 ──雄叫びとともに、人に対して絶対的な威力を持つはずの音砲が続けざまに放たれる。

 

 “敵”の周囲の空気が続けざまの振動に揺らめき、ギギギギィィィンッ! とガラスを引っ掻くような不協和音をがなりたてる。

 ……だが、それでも敵は止まらない。

 

 と、同時、階王種は気付く。──敵を守るあの黒い靄は、何だ。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「……」

「……そんな目で見られても困るぞ、クー」

 

 背中に負った少女の形をした魔物から注がれる、なんとも言いようのない視線をクロウは感じていた。クーは無言であるが、否、無言であるだけ、弁解しなければならないような気分にクロウはなってきていた。

 

「だっておれはアレを喰らうと、動けなくなるんだ。だから……」

「……!」

「──頼む」

 

 一瞬後、咆哮により産み出された音の氾濫がクロウに押し寄せる。

 爆音は空気をビリビリと震わせ、もはやそれは音というよりもただ振動現象と表現した方が真実に近い。

 実際、耳に詰め物をしたとしても、この音の波は皮膚から浸透し人体を揺らし、行動不能を引き起こす。

 

 それはクロウにしても同じ。いかに頑強な体もまるで役に立たない。だが──。

 

 音の氾濫が一時的に収まると同時、クロウはクーの姿を脳裏に思い描く。……背に小さな重みが戻る。クーの無言の抗議にクロウは反論する。

 

「違う。仲間を盾にするんじゃない」

「……」

「役割分担だ。うむ。いい響きの言葉だ」

 

 はぁ……、と。背後から溜息のようなものをクロウは感じ取った。一応は了承したようだ。

 

 階王種がその巨大な口を開いた瞬間、クロウはイメージする。

 ──クーではない、『ミミック』の姿を。

 

 次の瞬間、クーが黒い靄のような姿に変わり、繭のようにすっぽりとクロウを包み込む。そして、音速で飛来した振動がその表面を打った。

 

「……ッ!」

 

 無論、全ての音を防げるわけではない。クー程度の体積でクロウを覆ったところで、そう大きな遮音効果があるわけではない。だが──直撃しない。

 

 音そのものが物理的な破壊力を持つわけではない。あくまでも、人体の半規管がグチャグチャに揺らされるために平衡感覚の喪失が起こる。

 ……ならばその音量に反して意外なほどに繊細なその攻撃を凌ぐためには、直撃さえしなければ十分だ。

 

「ありがとうな。……そうだな、アレを倒したら、アレの魔石を食べていいぞ」

「!」

「あ、全部じゃないぞ。ミューが怒らないくらいの量な」

 

 階王種の魔石を喰らうという提案にクーの中に眠る野生の火がついたのかは定かではないが、再び少女の姿に戻ってクロウの首筋に抱きつくクーは、目をギラギラとさせていた。

 

 再び放たれた音砲にも嬉々として対応する。

 ……階王種の攻撃が人にしか効かない、ということをクロウは知っていた。

 何しろミューもクーも──半生体ではあっても人ではないミューも、人を模していても魔物のクーも──音響攻撃に気を失ってなどいない。

 

 人を包み込み、窒息死させるミミックが、クロウ一人をすっぽりと覆うことなど造作もない。そして音砲に影響を受けるわけもない。

 耳などそもそも存在せず、平衡感覚を司る機関などというまだるっこしいものも持っていないのだから。

 

 普段は戦力と言うにも躊躇を覚えるクソ雑魚魔物であるクーだが──この瞬間のみ、階王種へと対抗するためには最高の切り札だった。

 

 ……だが、それも数十秒で終わりを迎える。

 クロウの背にしがみつくクーは、びくりと身を竦める。その理由は一目瞭然──階王種がその巨大な口蓋に、目も眩むほどに莫大な魔力を蓄え、圧縮しだしたからだった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 階王種は冷静だった。──もはや怒りという段階は過ぎ去った。あの矮小な生き物を殺し損ねる無様。あまつさえ圧倒され、恐怖すら感じるという階層の王にあるまじき振る舞い。

 

 ──十分だ。確実にアレを仕留められるなら。

 

 階王種は欲張らない。

 本来であれば踏み潰し、己の無力をたっぷりと味あわせてから絶望とともに殺したい。だがそれよりも、これ以上の無様を晒せないという矜持が優った。

 

 故に選択する攻撃方法に、一切の遊びは無い。出し惜しみなど、もうしない。

 ブレスという、保有魔力──言い換えるならば魔物としての格がその威力に直接反映される攻撃で、抵抗の隙もなく焼き尽くす。

 

 彼我の距離は既に、そう遠くない。最大出力分のチャージは完了した。

 もはや撃つのみ──その瞬間、敵は跳んだ。

 

「……ッ!?」

 

 生半可な高さではない。それまでの速力全てを注ぎ込み、上方への推進力とした跳躍。敵は階王種の頭を越えるほどの高さまで到達している。

 おそらくは、ブレスを避けようとしたのだろう。だがそれは──悪手!

 

 巨獣は勝利を確信する。

 

 空中に浮いたままの敵は身動きが取れない。ただ落下するだけだ。階王種を苦しめた、敵の持つ技術や経験、或いは速度──その全てが意味を成さない。

 

 無論、虚は突かれた。だが、それだけだ。下に向けて放とうとしていたブレスを上方に向けて撃つ、ただそれだけで全てが終了する。背後には“扉”も無く、間違いなく直撃する。

 

 ──勝った。

 

 高密度まで圧縮されたブレスが膨張し、光の濁流となる。それは敵へと一直線に向かった。

 威力と速度は避けきれるものではなく、受け切れるものではない。階王種は、獲物の姿がその光帯へと完全に呑み込まれる様をその眼に映した。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「……言葉に過不足がなさすぎて逆にわかりづらいのですよ、クロウさんはッ!」

 

 同時、後方に一人取り残された少女がヤケクソ気味にそう叫んでいた。

 目も眩むほどの光から目を逸らさず、光に呑み込まれる二人を見る。

 

 悪態は続く。

 

「私が理解できていなかったらどうするつもりだったのですか! 普通わかりませんよ、あれだけじゃ! 私だったからわかりましたけど!」

 

 そう言ってミューは一瞬黙り、もう一度繰り返す。

 

「……私はわかりましたけど!」

 

 僅かにドヤ顔であった。そのままミューは叫んだ。

 

「勝ってください、クロウさん──!」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「──応」

 

 ──ッ!?

 

 奇妙なまではっきりと聞こえたその声に階王種は瞠目する。音の発生源は上空、すぐ近く。……極大の混乱が階王種を襲う。

 

 馬鹿な。馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な馬鹿な──!

 

 チャージした魔力を全て放出し終え、ブレスは細くなり、遂には途絶える。

 熱せられ、膨張した空気による爆風が起こり、漂う靄のような魔力の燐光を吹き払う。

 その先、階王種の目と鼻の先には──高温に焼かれ、紅く燃え盛る巨大な岩の先端があった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「助かった。ミューが手を貸してくれたおかげだな」

 

 ──と。気絶したクーを尻目に、落下中のクロウは()()()()()()()()()()()()()()()を見た。

 

「さすがはミューだ。このデカい魔鉱石も、あの変なパンチもこのときを見越していたなんてな」

 

 ミューが聞いたら全力で抗議しそうなことをクロウは呟く。

 

 ……実際のところ。

 切り離した手首の先からでも収納魔術でものを取り出せるのかなどという疑念に、クロウはそもそも思い当たりもしなかった。というか、ミューの手首から先をかざせば自動的に、ミューがクロウにプレゼントしようとしていたあの巨大な魔鉱石を取り出せるものと思い込んでいた。

 さらに言えば巨大な魔鉱石の後ろに隠れたからといってブレスを本当にやり過ごせるのかなどわからなかったし、全てはぶっつけ本番だ。

 

 要するに、行き当たりばったりの作戦であったことは間違いない。

 だが同時、今、この瞬間を創り出すためにはミューとクーの協力が必要不可欠であり、またクロウと一瞬で意思疎通できなければならなかったことも真実であるわけで──。

 

 ──要するに皆、自分の仕事を果たした。

 次はクロウの番だ。

 

 とりあえず邪魔なので、ミューの手とクーを遠くにぶん投げる。腐っても魔物、空から落ちた程度では死なない。……今は、この目の前の敵だ。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 階王種は秒を経ずに混乱から復帰していた。この巨大な岩の塊を盾にして、矮小な敵はブレスを防いだ。

 

 だが──それがなんだというのか?

 

 結局それは、彼我の距離が近づいただけのことでしかない。どちらにせよ接近戦において己がこのサイズの敵になど敗北するはずがないのだから。

 ならばそれは生存の時間を伸ばしただけに過ぎず、敵からすれば"扉"の側で怯えていた方がまだマシだった。つまり所詮、これは──

 

 ──その瞬間、階王種は気付く。

 

 違う……違う!

 コレは──目の前の、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! 敵にとっては決して、ただの盾ではなく──!

 

 階王種は岩の向こうに敵の姿を幻視する。本能はその脅威を悟り──しかしながら肉体は本能に、追いつけなかった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 クロウは拳を構える。全身の筋肉が絞られ、腕がミシミシと音を立てる。過剰な力が拳に集中する。

 

 拳と魔鉱石──どう考えても衝突すれば拳が砕ける。間違いない。

 

 意味がない。効率的ではない。馬鹿馬鹿しい。……魔鉱石の塊を拳で殴りつける男を見れば、誰もが例外なくそんな感想を抱く。

 無論、それは正しい。確かにそれは無意味で、どう考えてももう少しマシなやり方がありそうな間抜けな行為で──

 

 ──ここに一人、そんなことを続けた男が、いる。

 

「……喰らえ」

 

 ──ゴゥン、とクロウの拳が巨岩を打った。

 

 それは非現実的な光景だった。

 巨岩が拳により撃ち出される。その鋭い先端は燃え盛り、溶岩のような熱と鉄のような重量は尋常ならざる破壊力を否応無く連想させる──巨獣殺しの矛だ。

 

 矛が階王種の胸の中心を穿つ。

 胸部の中央部、魔核が存在するちょうどその直上に、その切っ先が突き刺さる。焼けた先端は肉を焼き、重量が容赦なく骨格を貫く。

 

 階王種は苦痛に絶叫を挙げた。 ……存在を始めてから初めて受ける絶対暴力。しかし致命傷ではなく、未だ力のある眼光でクロウを睨みつける。

 だがクロウは退かない。退く必要などない。

 

 クロウは咆哮した。もはや思考など必要ない。

 最も使い慣れた拳という武器を、最も殴り慣れた魔鉱石という物体に向けて解放する。

 ……響き渡るは破砕音。かつて誰もいない場所で孤独に響いていたその音は、今やその先に敵を見据え、幾重にも重なり、高らかに響く。

 

 硬く握り締められたクロウの拳が唸りをあげて叩き込まれ、その度に深く、より深く、確実に矛は血肉を穿つ。

 その一撃一撃が並みの魔物を屠り、消し飛ばす獰猛な一撃。……連続して叩き込まれるソレに、階王種はある概念を知る。

 

 ──敗北。そして、死。

 

 こんなところで存在を終えることの恐怖。圧倒的強者であるはずの己が追い詰められる理不尽。……初めて味わうそれが、渾然一体となって全身を巡る。

 

 肉体を構成する全てがその感覚を拒否した。勝利への、生への執着。そして最強種としての誇りが、恐怖をも超え肉体を動かす。

 生存本能が選択させた攻撃はブレスだった。チャージは最小でいい。ただ、敵を焼き尽くすだけの火力があればいい。魔核が砕かれる前に──!

 

 階王種の口蓋に、再び魔力の燐光が収束する。ソレは既にクロウを照準に捉え、数秒のチャージを終えたら後は放たれるだけだった。

 

 同時──クロウも最後の一撃を放とうとする。

 必要なのは、巨大な魔核を再生不能に破壊し尽くす至高の一撃。クロウの全身の筋肉がメギメギと軋みをあげ、肉体が持つ全能力を拳へと集約する。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 さて。ここで疑問を一つ提示しよう。

 ──クロウにとって拳を握るという行為は、“悪鬼”としての能力を封じる枷でしかないのだろうか?

 

 無論、クロウと悪鬼の能力差を考えれば、その疑問は頷けない類のものではない。

 仮に両者が正面から戦うことを想定すれば、肉体性能は同じであっても勝者は間違いなく悪鬼だ。

 

 ならば──ならばクロウとは、悪鬼を封じるためだけの外殻に過ぎないのか?

 

 

 

 ……答えは、否。断じて、否である。

 

 ただ振るうだけで十全な能力を発揮する四肢の暴力を、全てたった一本の腕に集約するという馬鹿馬鹿しい()()()。既に強大であるものがより過剰な破壊力を求めるという()()

 

 然してそれこそは生物が生まれながらに持つ能力ではなく──人の練り上げし業。

 非力を前提とした種が足掻くために錬磨した技に、法外の膂力を搭載するという反則。

 

 ──それこそが、悪鬼では手の届かない領域の一撃へと、クロウの拳を至らしめる。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「オオオォォォオォオオオォォオオッッッ!!!!」

 

 ──ブレスが放たれるよりも一瞬だけ早く、クロウの拳は巨岩に叩きつけられた。

 

 その一撃は魔鉱石で構成される巨岩にビシビシと亀裂を走らせ、自壊へと追い込む。しかし──その先端は確かに、階王種の魔核を貫いた。

 

 ──ルオオォォォオオオオッッッ!!!!

 

 階王種の断末魔が響き渡る。

 口蓋に蓄えられた魔力が魔核を破壊される衝撃に拡散し、莫大な燐光が宙空を乱舞する。

 

 階王種はすぐには倒れなかった。

 地上に落下したクロウを赫怒の眼で見据え、その巨腕を伸ばす。だが──。

 

 魔核の崩壊と連動し、階王種の肉体も崩壊を始める。クロウを捉えようとした腕は半ばから亀裂が走り、どさりと地面に落ちる。

 

 そしてクロウを睨み据えるその眼は永遠に光を失い、その巨体は地響きをあげて地面に倒れこむ。……それが、階層の王の死に様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロウは階王種の死を確認してから仰向けに倒れた。……身体が痛む。被害は甚大だ。息をするだけで骨が軋んでいる。

 掠れ声でクロウは呟く。

 

「……おれより強いやつは、どこにでもいるんだ」

 

 そんなことは昔から知っていた。

 今回の戦いはただの無謀だ。十に一つの勝ちを拾ったに過ぎない。だが──。

 

 ──奇妙な感慨が身体を満たしていた。

 空気の味が鮮烈だ。地面の感触は痛いほど。こちらに駆け寄るミューがクロウを呼ぶ声が聞こえる。

 

 ……それは生の実感だった。クロウが初めて自分の手で掴み取ったものはたったのそれだけで──それだけで、満ち足りていた。

 

「……勝った」

 

 クロウはそう呟いて、意識を手放す。

 ──世界に語られぬ戦いが幕を下ろした。

 

 

 



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28 冒険者たち

 

 

 

 

 

「……ぬ」

「あ、起きましたか」

「ミューか……」

 

 気がつくと後頭部に触れる感触が妙に柔らかく、温かかった。

 眠気に逆らって薄っすらと目を開くと、すぐ側にはミューの心配そうな顔がある。そのままミューの膝枕の上で目をこすり、欠伸をし、伸びをして、眠気覚ましとともに強張った身体をほぐす。

 クロウは一通りそれを終えてから、こちらを覗き込むミューへと話しかけた。

 

「今、いつだ?」

「丸一日経っています。クロウさん、あの後ずっと眠り込んでましたから……」

「ああ、それで外で寝てたのか」

 

 クロウは納得した。……見ればここは外、それも“扉"の側で、すぐ横には天を衝くように巨大なソレが見える。なるほど、クロウが意識を失った状態で拠点に戻るよりは、魔物の出現しない“扉”の側でクロウの回復を待った方がいいに決まっている。

 クロウはそのまま周囲を見渡す。ぼろぼろに荒れた地面はところどころ陥没し、周囲の森には長大な破壊の跡。……そして何より、地に倒れ臥す階王種が遠目に見えた。

 

「……そうか、勝ったんだったな」

「はい。いろいろ綱渡りでしたけど、クロウさんの勝ちです。……本当に良かった」

 

 クロウさんも目を覚ましましたし、と安堵の息を吐くミューに、クロウは聞いた。

 

「クーは?」

「ああ、クーちゃんは……」

 

 ミューが顔を向けた先では、クーが巨大な魔石にかぶりついていた。夢中である。

 

「クーちゃんが率先して働いてくれて階王種の魔石の取り出しも終わりましたので、ご褒美ということで一部をあげましたけど……ダメでした?」

「いや。いいんじゃないか」

 

 そういえば階王種の魔石をやるとか勝手にクーと約束していた気がするクロウは、大きく頷いた。そんなクロウに、ふと思い出したようにミューが言う。

 

「そういえば魔石といえばなのですが……」

「ん?」

「階王種の魔石を消費すれば、転移のための魔力の半分くらいは補填できるかと思われます。あと、階王種がいなくなったことで魔物も出現し始めているようで……」

「じゃあ転移もできそうだな」

 

 ようやくミューの膝枕状態から体を起こし、関節の調子を確かめながら立ち上がったクロウがそう言うと、ミューは膝枕が終わってしまったことを名残惜しそうに見ながら頷く。

 

「ええ、そうですね。……今度こそは成功させますよー。いろいろと失敗してしまいましたから」

「別にミューのせいでもない気がするけどな」

「まあ……どちらにせよ妨害が入らなければそうそう失敗もありませんので、杞憂だとは思いますが」

「そうか。……まあ、おれがこの“扉”を通れないのがそもそもの原因なんだけどな」

 

 そう言ってクロウは、()()()()()()()()()()()

 

「……えっ?」

「……どうしたんだ、ミュー」

 

 ミューは硬直する。そしてそのまま、小さな声で呟く。

 

「……“扉”に、どうして……。階王種を倒したことが何かの影響を……?」

「ミュー?」

 

 ミューの異変に気付いたクロウが声をかけるも、ミューはやはりぶつぶつと独り言を呟くだけだった。

 

「迷宮からの承認……称号(・・)? ──“偉業”ということですか……? 迷宮というシステムがクロウさんを無視できないほどの……!」

「おーい、ミュー」

 

 クロウがミューの目の前で手をひらひらと振ると、ミューはその掌を捕まえて、勢い込んで言った。

 

「……クロウさん!」

「な、なんだ?」

「これを握ってください!」

「……あ、ああ?」

 

 ミューの勢いに押されたクロウは、ミューが収納魔法から取り出した紙切れを握る。……現れた文字に、クロウは驚愕した。

 

「これ……」

「……やっぱり! やっぱり!」

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「だからソイツだよ! あの精悪樹(トレント)を倒したのはクロウだって言ってるだろ!?」

「……あのぬぼーっとした少年がか?」

「そのぬぼーっとした少年がだよ!」

 

 憤慨するエウーリアに対して、ミセルは未だに懐疑的な視線を向けていた。

 

 ──大迷宮第71階層。

 地底奥深く、人類の到達地点──現在知られる“大迷宮”の最深階層である。

 

 つい昨日、ボスの討伐を終えたエウーリアは、ギルド『クラウソラス』のベースにて、久々にミセルと顔を合わせて話をしていた。

 

 階層は広大であり、効率よく探索しようと思えば同じギルドに所属する仲間とその階層の攻略中に顔を合わせないことも珍しく無い。

 そういった理由で久しぶりに会った友人に、エウーリアはまずは適当に階層攻略の感想やら新たな発見やらを語り合って互いの労をねぎらっていたのだが……

 

「しかしだなエウーリア、私が聞くと、あの少年は何もしていないと言っていた。お前が精悪樹を凍らせた、と。あのクロウという少年に腹芸ができるようには見えなかったのだが……」

「……あのな。ミセルはクロウと話したんだよな? 私もアイツが嘘をつかないことは知ってるけど、それとクロウの話が信頼できるかはまた別問題だと思っているんだが」

 

 エウーリアがそう言うと、ミセルは言葉に詰まる。

 

「……。……まあ、仮にそうだとしてもだ。拳一つで私たちに匹敵、或いは凌駕するという話がどうにもな。悪いがとてもではないが信じられない」

「……クソッ! 頭が硬いなこのおばさんは!」

「私はまだ二十二だぞ!?」

 

 話題が“見棄てられた領域”にて出会ったとある少年に移ると、話は途端に噛み合わなくなった。

 エウーリアからしてみれば少年の力が認識されていないのが歯痒いし、ミセルからすればエウーリアの語る言葉のほとんどが信じられない。

 実際にクロウの姿を目にし、そのいかにも大したことなさそうな風貌を知っているからなおさらだ。

 

 エウーリアは話が平行線を辿ることを理解して小さくため息をついて、ミセルに提案した。

 

「……まあいいや、これから休みに入るし、私はもう一回クロウに会いに行こう。もちろん行くよな? ミセルも」

「私はこれでも副長で忙しいのだが……」

「団長に任せろ団長に。働いてないんだから」

「……まあ、それもたまにはいい薬かもな。お前がここまで言うからには、あの少年には何かがあるのだろうし……そうだな、ついて行くとしようか。……ユフィも誘うか?」

「そうしよう。どうせ暇だろ」

 

 ……と。そんな具合に話が纏まりかけたところに、パタパタと足音が聞こえた。

 

「ミセルさん! エウちゃんも!」

「お、久しぶりだな。まあゆっくりしていけよ、どうせ暇なユフィ」

「なんだそれは……まあ久しぶりは確かだな。元気にしていたか、ユフィ?」

 

 のんびりと話しかける二人に、ユフィは息を切らして叫んだ。

 

「それどころじゃないですよぉっ! 深層からの壊走現象(スタンピード)です!」

 

 それを聞いた二人は一瞬呆け、同時に口を開いた。

 

「「……はぁ!?」」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「こっちです! 早く!」

「おいおい、マジか……!?」

「馬鹿な……!」

 

 ユフィに連れられてその現場に到着した二人は驚愕した。

 ──それは巨大な扉だ。次層に通じる巨大な、ボスを倒すことで通過することができる“扉”。

 一ヶ月ほど先であるはずの次層の探索まで開かれることはなく、沈黙しているはずのその扉が、向こう側から(・・・・・・)叩かれていた。

 

 ──オォォン、と一回叩かれるごとに“扉”は巨大な反響音を立て、大きくたわみ、パラパラと塵が舞い落ちる。そして向こう側からの扉への攻撃は、途切れる気配を見せない。

 周囲にはエウーリアやミセル、ユフィと同じく、この危機に駆けつけた探索者たちが各々の武器を構え、警戒の面持ちで“扉”を見つめていた。

 呆然としたエウーリアは、難しい表情で”扉”を見つめるミセルに聞く。

 

「ミセル。深層からの壊走現象なんてありえるのか……?」

「私の知る限りはあり得ないが……ありえないことが起こるのがこの場所だろう」

「……そりゃそうだ。私としたことが、つまらないことを聞いた」

 

 エウーリアはバツが悪そうに周囲を見渡す。

 一様に空気が重い。……当たり前だ。未知の魔物が、何の準備もできていない状態のこちらへと侵攻してくる。そして巨大な“扉”を震わせ、破壊しようとする敵が、尋常な敵でないことは明白。

 楽観視できるはずもなかった。

 

「ユフィ。これはいつから起きているんだ?」

「ついさっきです。今、階層中の探索者をかき集めているのですが……」

「……探索が終わったのは昨日だ。今は休息を取るか、上の階層へと帰還してしまった連中も多いだろうな」

「……そう、ですよね」

「私たちでどうにかする他はないだろうな。……エウーリア、【憑霊契約】は?」

「長時間はキツいな」

「昨日の今日だからな……最悪のタイミング、ということか」

 

 こちらに有利になりそうな情報は無い。何しろ当のミセルすら、愛用の長剣にはまだダメージが残っており、万全とは言い難い。……むしろ、万全な者の方が少なかった。

 ますます重くなる空気に、ユフィがふと言う。

 

「でも……扉を壊そうとするなんて乱暴な魔物ですね」

「……言われてみれば妙かもしれないな。スタンピードの時に“扉”が攻撃されたことなど無かったはずだが。スタンピードではなく、ある一体の強大な魔物が力づくで境界を越えようとしているということか?」

 

 思案するようにミセルが呟く。

 そのミセルの呟きと、断続的に響く扉を打ち付ける音。……一瞬、何か。既視感がエウーリアを襲った。

 

「どうかしたか、エウーリア?」

「……いや、何でもない」

 

 言えない。言ってどうする。扉の向こうの怪物が、ある少年と重なったことなど。

 

 ──と、その瞬間。

 一際高く、衝突音が鳴った。

 そしてその衝撃により、“扉”が吹き飛ばされるように開く。勢いよく開いた巨大なそれは一時的な突風を起こし、砂埃を巻き上げる。

 

「開いた……ッ! 総員、戦闘用意! 敵の突進に警戒、を……?」

 

 咄嗟に指示を出すミセルだったが、その声は途中で疑問符に埋もれる。

 

 ──敵の姿が、無い。

 

 徐々に晴れる砂埃の中に、想定した巨獣の姿は無い。魔獣がこちらに突っ込んで来るわけでもない。

 

 表示抜けし、弛緩したような空気に、扉の向こう側からのんびりとした声が聞こえたのはその時だった。

 

「おお、開いた」

「さすが! ……いやもう正直、いつ扉が壊れるかとひやひやしていましたが、その前に開いてくれて良かったです……!」

「! ……!」

 

 その何とも気の抜ける声に、探索者たちはどうしていいのかわからずに顔を見合わせる。

 ……最悪の想像をすれば、人語を解し操る魔物がそこにいるのだろう。だが、仮にそうだとして、それはこんな、ぼうっとした口調で話すものだろうか……?

 

 ──そして。そんな探索者たちを尻目に、エウーリアは一人、“扉”へ向けて走った。

 ……その声には聞き覚えがある。エウーリアに強烈な印象を残した少年の声だ。

 

「エウーリア!? 馬鹿……ッ!」

 

 少し遅れてミセルが飛び出してエウーリアを追い、エウーリアに追いすがる。“扉”のすぐ側でエウーリアに追いつき、その肩を掴んだ。

 

「何をしている!? どんな化物が出てくるともしれないのに一人で突っ込むなど……!「あ、エウーリアだ」……は?」

 

 ミセルは目を丸くした。

 ──なんか。

 見覚えのあるぬぼーっとした少年が、いる。

 

 二人の少女を連れる少年はミセルの存在にも気づいたようで、首を傾げながら声をかけた。

 

「ああ、おまえはなんだっけ……パセリ」

「ミセルだっ!」

「ああ、そうだった」

 

 その様子にミセルは確信する。

 間違いない。あの時の少年だ。

 少年はエウーリアに話しかける。

 

「久しぶりだなエウーリア。うむ、また会えたな。やっぱりおれは運がいい」

「……はっ!? えっ……はぁっ!?」

「ところでここ、どこなんだ。よくわからなくてな」

「ちょ、ちょっと待て……クロウか?」

 

 呆然とした状態から復帰したエウーリアがそう聞くと、クロウは不思議そうに答える。

 

「おれを見間違えるのか?」

「見間違えないが! ……お前、迷宮に潜れないんじゃなかったのか!?」

「ああ、ミューがなんとかしてくれたんだ」

 

 クロウが目を向けた見知らぬメイド服の少女が、上品に会釈する。

 何が何だかわからない。なんとかなるものなのか。

 エウーリアは混乱する思考で、もう一つ質問した。

 

「それはそれとしても、だ! ……なんで未攻略の階層から出てくるんだ!? お前、何してたんだ!?」

「うむ? エウーリア、おれは……」

 

 クロウはそこで一度言葉を切り、振り返って仲間を見て、エウーリアに向き直って言葉を続ける。

 

 エウーリアはその表情に目を見開く。なぜならクロウは、エウーリアの知る限り初めて──かすかに、だがはっきりと、笑みを浮かべていたのだから。

 

「──おれたちは、冒険をしてきたんだ」

 

 

 

 

 



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