Magicaborne (せるじお)
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chapter.1『一階病室』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ほう、青ざめた血、ねぇ。

 

 

 暗闇の向こうから、そんな声が響く。

 その主は、霞む視界の真ん中に居座った、朧な人影だった。

 

 

 ――確かに、君は正しく、そして幸運だ。

 

 

 声の主は男で、それもひどく年老いているらしい。反り返った庇の山高帽を被り、椅子に腰掛けている。こちらの方に向けられた相貌は、椅子に括り付けられたランタンの明かりを背にしたせいか、影になって明らかではない。

 

 

 ――まさにヤーナムの血の医療、 その秘密だけが。

 

 

 軋む車輪の響きから、男が車椅子に座っていたことを理解する。

 徐々に徐々に男は近づき、影に隠されていた顔が明らかになっていく。

 

 

 ――君を導くだろう。

 

 

 金の鎖で留められた、ケープ付きの外套を纏った男はやはり老人であり、伸び放題の髪も、手入れされていない口髭も顎鬚も、その全てが白くなっている。奇怪なことに、広い庇の下の双眸は全く白い包帯に覆われ、あれではまるで周りが見える筈もない。しかし男ははっきりと、包帯越しにこちらを見ているのだ。

 

 

 ――だが、よそ者に語るべき法もない。

 

 

 老人はさらに車椅子を寄せ、身を乗り出すようにしてこちらの顔を覗き込みながら言った。

 

 

 ――だから君、血を受け入れたまえよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――うんざりするような悪夢の後に、目覚めはやってきた。

 

 脳裏で小人が鐘でも鳴らしているかのように、ぐわんぐわんと頭痛が走り、眼が霞む。

 背をゆっくりと起こし、両手で顔を覆いながら、何度も頭を左右に振る。だが、頭の震えは酷くなるばかりで、振り払うなど叶わない。たかまる嘔吐感を押さえ込み、何度も何度も荒い息を代わりに吐き出す。吐息には、胃酸の臭気と、それと微かに鉄錆びた匂いが混じっていたが、すぐさま、より濃厚な血の匂いによって塗りつぶされる。

 辺りから漂う、噎せ返るような血の香り。鉄錆た異臭は、しかし却って意識の覚醒を促した。頭痛は徐々にひき、視界はよりはっきりと拓かれる。

 

「……」

 

 頭痛が治まると同時に少女は、『暁美ほむら』という名の少女は、自身の顔を覆っていた掌を外した。

 

「――え?」

 

 そして絶句した。ようやく見えた辺りの景色に、困惑し、混乱し、言葉を失った。

 目に飛び込んできたそれは、余りに彼女の想定とは異なっていたから。

 血臭満ち満ちた部屋は病室と見えたが、それ自体は問題ではない。いつも、何度繰り返そうとも、目覚めの場所は常に病室であったのだから。真に問題であったのは、病室の様子が全く異なっていることなのだ。

 

「……」

 

 ――ただひたすらに、鹿目まどかを救わんがために、暁美ほむらは魔法少女となった。

 契約の魔法を用い、幾度もやり直した目覚めの場所は、白く清潔な病室だった筈だ。

 果たして暁美ほむらの紫の瞳にうつるのは、湿った空気の漂う、暗く、汚れた部屋なのだ。

 

(なに……? なんなの……これは?)

 

 胸中を晒すまいと表情だけは、今や彼女の常態となった鉄面皮を保つも、その忙しなく揺れる瞳に隠しきれぬ動揺が現れていた。しかしそのことでほむらを責めれようか。悪夢に囚われ、同じ時を無数に繰り返してきたが故に、それを外れた時の衝撃は、余りに激しく、深刻だ。

 

「――」

 

 ほむらは深く息を吸い込んで、心を落ち着かせようとする。

 心臓は相変わらず高鳴ってはいるが、彼女も歴戦の魔法少女だ。

 最初の衝撃の強さを思えば、驚くほどの速さで彼女の精神は平衡を取り戻した。

 

 ――思い出せ。

 

 血まみれの手術台の上で身を起こしながら、ほむらは右手を額に押し付けながら想起する。

 何があった? 

 ここに来る『前』に、いったい何があった?

 

「ッッッ!?」

 

 必死に、『前回』のことを思い出そうとすれば、刺すような激痛が頭蓋のなかを走った。

 思わず呻くのと同時に、見覚えのない記憶が唐突に脳裏に過る。

 

 ――よろしい。これで誓約は完了だ。

 自分の顔を覗き込む、眼を包帯で覆った奇怪な老人。

 

 ――輸血をはじめようか。なあに、心配することはない。

 

 老人はどこか、嘲りを声に滲ませながら言った。

 

 ――何があっても、悪い夢のようなものさね。

 

 そこで意識は一瞬途絶え、目覚めた時には老人の姿は失せていた。

 

 代わって見えるのは、まるで底なしの海のような血溜まり。

 

 血溜まりから這い出る、黒い獣。

 

 差し出される、獣の掌。

 

 燃え盛る獣。

 

 体の上を這い、取り囲み、視界を覆い尽くす、怖気催す白い小人達。

 

 そして最後に聞こえた、鈴の音のような女の声。

 

 ――ああ、狩人様を見つけたのですね。

 

「ッッッ!?」

 

 声と共に、唐突に頭痛は脳裏より去った。

 しかし、やはり追憶は戻らない。ここに来る前、時の砂時計をひっくり返した時の記憶が、全く抜け落ちている。

 茫然とし、その余り、手術台から落ちかける。

 とっさにその縁を掴んだ時、カツンと手術台に何かが触れる音がした。

 ほむらが左手を見れば、そこにはうんざりするほどに見慣れた、小さな盾がある。……証、ほむらが魔法少女であることの証である、小さな円盾。丸い蓋によって砂時計は覆い隠され、ほむらが廻さんと試みるも、盾はびくとも動かない。そのことに戸惑うほむらに追い打ちをかけるように、新たな異変を彼女は見出した。

 

「ソウルジェムが!?」

 

 左手の甲にあるべき、紫のソウルジェムが、その姿を消していたのだ。

 慌ててかざして見れば、本来ソウルジェムのあるべき部分には、刺青とも、痣ともつかぬ奇妙な紋様が赤く刻まれているのが解る。

 それは、ほむらがこれまで見たことのない、奇妙な図像だった。

 先端を向け合う二つの三叉の間に、両者から串刺しにされるようにして目玉が置かれている、とでも言えばよいのだろうか。とかく、形容し難い奇妙極まりない図形なのは間違いがない。

 

「……」

 

 何度も左の手の甲を擦っても、謎の文様は消えることはない。

 むしろ、その赤色が深みを増したようにすら見える。

 

「わけがわからないわ……」

 

 思わず漏れた言葉は、偽らざるほむらの心情であった。

 これまでも、数え切れぬほどの理不尽に身を晒してきた彼女にとっても、今起こっていることは異常過ぎる。

 

 ここが何処なのか。

 なぜこんなことになっているのか。

 どうやってここにやって来たのか。

 ここに来る前に何があったのか。

 

 その全てが謎なのだ。

 

「……」

 

 ほむらは手術台から降りて、改めて部屋全体を見渡した。

 暗く、湿っていて、そして不潔な部屋だった。天窓はあっても、そこから見える夕陽の紅は、何ら室内を照らすのには役立ってはいない。

 刺すような血臭に満ちてはいるが、それが余りに強いがために、ほとんどほむらの鼻の感覚が麻痺してくる程だ。

 手術台の横には点滴用のスタンドが立っていたが、そこに吊るされたガラス瓶の中身も、恐ろしく濃い赤色をした血であったのだ。

 

「ッ!?」

 

 その輸血瓶から伸びた管が、自身の右手に刺さっている。ほむらは慌てて点滴針を引っこ抜く。やはり右手に巻かれていた不潔な包帯も慌てて剥ぎ取り、そこで初めて、自分の格好に気がついた。

 白と黒と紫からなる、魔法少女の装束でもなければ、見滝原の制服でもなく、病室で纏っていた寝間着でもない。鎖で留められた外套(ケープ)に、白いワイシャツに縦縞のベスト、黒いズボンにはベルトが巻かれ、そこからはサスペンダーが垂れ下がっている。手術台に寝かされていたはずだが、足には頑丈な黒い革靴が履かされたままになっていた。

 見覚えのない、まるで異邦の装束ではないか――。

 

「……」

 

 盾は既に出ているにも関わらず、変身をしている時の感触がない。

 試みに、数度念じてみるも、変化は訪れない。だとすれば、今は生身に過ぎぬということか。しかし盾の『内側』へと手を挿し入れることは可能なのだ。繰り返しの中で溜め込んだ筈の武器弾薬は、一つとして残ってはいないにしても。

 

「……?」

 

 ズボンのポケットを探ってみれば、何か硬いものが指に触れる。

 

「ソウルジェム……」

 

 ようやく見つけ出した忌まわしい魂の宝卵は、今は全く輝きを失って、黒ずんだ紫を見せているに過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 戸惑いを抑え込み、努めて冷静に病室を探るも、収穫はほとんどなかった。

 戸棚に並んだガラス瓶の中身は血か、さもなくば得体の知れない液体ばかりで、とてもその効用を確かめる気になどならない。ラベルに書かれた文字はアルファベットで、言葉は英語に似ているように思われたが、しかしほむらにはその詳細な意味を理解することはできなかった。それは、部屋の角にうず高く積まれた、ハードカバーの本の中身についても同じこと。

 唯一の収穫と言えるもの、この理解のできない状況のなかで、ただ一つほむらが理解し得たものは、椅子の上に置かれた紙切れに、書き殴られた一文だけだ。

 

 

 ――『「青ざめた血」を求めよ。さもなくば、夜はずっと明けない』

 

 

 間違いなくほむら自身の筆跡で書かれた一文は、そう読むことができた。

 相変わらず意味は解らないが、他ならぬ自分が書いたものであるならば、必ずや謎を解く鍵となる筈だ。

 

「青ざめた血、青ざめた血……」

 

 何度か声に出してつぶやいてみるが、思い当たるものはない。あるいは、『前回』に起こったことと何か関連があるのか。思い出そうとしても、やはり頭痛が生じるばかりで、何の役にも立ちはしない。

 

(前の、前はどうだったかしら……)

 

 意外なことに、こちらは全く問題なく思い出すことが出来る。その内容はうんざりするほどに、忌々しいほどに既に見知ったことばかり。

 何度も屠った魔女たちを斃し、巴マミの死を看取り、美樹さやかの自滅を知り、佐倉杏子の心中を阻めず……そして、鹿目まどかが魔法少女と化すのを、手をこまねいて見ているしかなかった。

 相変わらずの――その事実こそが心底おぞましい――、何度も相まみえた救いようのない物語の筋。その内容はほむらにはありきたりすぎて、現状を紐解くヒントとはならない。

 

 改めて、輝きを失ったソウルジェムを掌の上に載せ、見つめ、握りしめる。

 

 ――結局の所、自分のやるべきことなど変わりはしない。

 

 鹿目まどかを救う、ただその為だけに、何度でも繰り返してきた。

 ここがどこだろうと、同じこと。

 

 たったひとつの出口を探る。

 まどかを、絶望の運命から救い出す道を求めて。

 

 それは彼女だけの、密かに秘する導きなのだ。

 故に、暁美ほむらは心折れぬ。ただ「救い」の中でならば――。

 

 

 

 

 

 

 病室には二つの扉があったが、一方はかたく閉ざされていて通れない。蹴破ることも考えたが、やめて置いた。普段ならば盾のなかにしまってあるはずの散弾銃も無い今、余計なことをして体力を消耗するのは得策ではない。

 

(ずいぶんと頑丈につくってあるのね)

 

 ほむらは、その分厚い木の表面に触れながら、ふとそんなことを思った。

 病院の扉としては、むしろ強固過ぎると見えた。いったい、何のために、何を想定してこんな造りにしてあるのか。強盗か、あるいはそれ以外の何かか……。

 

「……」

 

 一方の扉も酷く重く、蝶番も錆びついているようにギシギシと鳴ったが、それでも開きはした。

 出くわしたのは相変わらず薄暗く、ひどく長い階段。ゆっくりと、慎重に降りる。

 響くのは、自分自身の足音だけ。人気はなく、酷く静かだ。

 階段を降りると、待合室のような小部屋と、さらなる病室にほむらは出くわした。自分が目覚めた場所よりも、遥かに大きい病室だ。手術台がいくつも並び、その傍らには必ず点滴スタンドが控えている。奇妙なのは、スタンドの鈎に吊るされているのは、なぜか全て輸血用の瓶だということだ。

 訝しみながらも、ほむらは部屋の奥へと進む。

 部屋の奥には、仄かなランタンの灯りが見える。今どき電灯で無いのは不思議だが、それでも灯りはほむらの心に若干の安息をもたらし――それは即座に破られた。

 

「っ!?」

 

 灯りに近づくにつれ、大きくなる異音。ほむらの意識は、すぐさま戦いに臨むものへと転じた。

 鮮烈な、真新しい血臭。咀嚼音。人ならぬうめき声。

 すぐに魔女の使い魔のことを疑った。恐らくは、誰かが既に犠牲になっている。

 

「……」

 

 手近な手術台のそばの、施術道具が置かれた金皿の上から、メスを何本か拾う。

 役に立つかは解らないが、何も無いよりは遥かにマシだ。

 足音を殺し、影に隠れながら、音の源へと歩み寄っていく。

 

 ――柱の陰から見えたのは、人を食らう黒い獣だった。

 

 その見た目は狼に似ているが、しかし蜥蜴のように地面に這いつくばるようにする様は、正常な四足獣とはまるで違っている。爛々と、白味がかかった黄色に輝く眼には、なぜか瞳を見出すことはできない。鋭い爪で餌食を抑え込み、牙で裂いて喰らっている。その餌食とは、双眸を包帯で覆った、大柄な男であった。傍らにはもうひとつ、別の男の亡骸も転がっている。

 

(大きいわね)

 

 だが今更、目の前の光景に驚くほむらでもない。魔女と戦う中で、目を背けたくなる光景など何度も見てきたのだから。むしろほむらの注意が向けられたのは、この黒獣の大きさだった。目測でも、ほむらの体の二倍以上の大きさがあるのが解る。鉤爪は恐ろしく長く、牙も鋭い。銃も爆薬もない今、挑むのは得策ではない。

 

(今はやり過ごすしかなわいね)

 

 どうも感覚的にここは魔女の結界のなかではないようだが、しかし使い魔は通常、結界の外に頻繁に出るものでもない。犠牲者二人には悪いが、すでに事切れているようであるし、静かにここを脱し、武器を入手してから戻ってくる他はなさそうだ。

 

(……やっぱり動かない)

 

 盾の時間停止を使おうと思ったが、廻るべき盾はびくともしない。

 もっと明るい所で詳細に確かめる必要がある。やはりいつまでもここにとどまってはいられない。

 ほむらは忍び足で、獣の背後をまわってやりすごそうと考えた。

 幸い、黒い獣は新鮮な餌食に夢中でこちらには――。

 

「ッ!?」

 

 獣は振り向いた。

 そしてほむらを見た。瞳なき眼でほむらを確かに見た。

 

 咆哮。

 

 メスを逆手に構えるほむらへと、獣は両手を振りかざして飛びかかってきた。

 

 

 




【ほむらのソウルジェム】:キュウべぇと契約した、魔法少女の証
――――――――――――――――――――――――――――――

上位者インキュベーターと契約した少女が手にする、輝く宝玉
これは暁美ほむらが契約した際に手に入れたもの

その実態は契約者自身の魂を具現化したものであり
濁りに満たされ、輝きを失った時、魔法少女は魔女と化す

だが血が肉体へと戻った今、ただの虚ろな容れ物に過ぎない
あるいは血の意志で満たすことで、かつての輝きと力を取り戻すかもしれない







【砂時計の盾】:暁美ほむらの「魔法少女武器」、輸血液と水銀弾の上限をなくす
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

暁美ほむらの、魔法少女としての武器
時を操るそれは、副次的な機能として、内部に無限に物資を詰め込める

本来であれば内蔵された砂時計は、一月分の時間の流れを操作し
自在に時の流れを止めることができる筈だ

今は砂時計の蓋はかたく閉じられ、廻すこともできない
人ならぬ者たちの業で造られた武器故に
再び機能させるには啓蒙を要するであろう





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chapter.2『ヨセフカの診療所ーヤーナム市街』

 

 

 

 ほむらはバックステップして、黒い獣の最初の攻撃を逃れた。しかし獣の動きは素早く、すぐさま追撃の横薙ぎが飛んでくる。

 さらに背後へと跳びながら、適当な手術台を倒して足止めに使う。獣の鋭い爪で薙ぎ払われれば、手術台はたちまち紙くずのようにバラバラになるが、それでも退く時間は稼げた。

 

「……」

 

 自身の右手をみれば、白いワイシャツには裂け目ができて、薄く血が滲み始めている。

 幸いなことに、身体能力は魔法少女のそれに遜色はない。素早いステップを特に意識することもなく繰り出すことができていた。本来の、病弱なほむらの力では最初の一撃も避けられずに獣の新しい餌になっていた筈だ。

 それでもなお、負傷は免れ得なかったのは、黒い獣の動きがひどく素早い為だった。

 

(使い魔にしては……強い)

 

 彼我の距離が開いた今、黒い獣は左右に動きながらこちらとの間合いを計っているように見える。

 これも使い魔らしからぬ動きだ。使い魔たちにはこんなことをする能は無いはず。少なくとも、ほむらはこれまでの巡回の中で一度たりとも、そんな使い魔にお目にかかったことはない。

 相手から眼を離さず、ほむらはゆっくりと後ずさる。後ずさりながら、手近な点滴スタンドを取って片手で構える。

 スタンドの先ではふらふらと輸血瓶が揺れて、黒い獣の注意がわずかにそれた。

 

「あげるわ」

 

 それを見逃す暁美ほむらではない。

 手首のスナップで輸血スタンドをふるえば、フックから外れた輸血瓶が黒い獣めがけて飛んでいく。

 獣は瓶を薙ぎ払い、次いでほむらが投げつけた輸血スタンドをも叩き落とした。だがほむらには想定済みのこと。 ――彼女の本命は別にある。左手に握り込んだメスを、投げナイフの要領で獣へと放つ。

 輸血瓶、スタンドより遥かに速く投げつけられたメスは、相手の防御のタイミングを崩し、黒獣の左目へと突き刺さった。

 獣が、苦悶の呻きをあげる。

 ほむらはそれを聞くと同時に床を蹴って跳んでいた。相手の左側、視界を潰した死角の方へと。右手には新たなメスが握られている。それを相手の首筋に突き刺すつもりだった。――獣が咆哮する。

 

「ッ!?」

 

 ほむらは咄嗟に左手の盾を構えた。あのワルプルギスの夜の攻撃すら防ぐ、小さくとも強固な盾。獣の鋭い爪の一撃を防ぐことも容易い。そう、盾はよい。だが、過信することなかれ。

 

「ガッ!?」

 

 爪の鋭さを防いだとしても、獣の膂力から出る勢いまでは盾は防いでくれないのだ。

 ほむらの体は宙を浮き、手術台を巻き込みながら、まるで重みなどないかのように吹き飛んだ。

 

「――」

 

 肺に加わった衝撃に、一瞬呼吸が止まって身動きすらできなくなる。

 視界には火花が散り、思わず瞼を閉ざしそうになるのを堪え、必死に黒獣を見る。

 獣はトドメを刺ささんと疾駆してきている。ほむらの視界に、狼然とした獣の顔が一面に映り込む。

 眼の一方は確かに潰れている。しかし、その大きな耳にはどちらも健在だ。獣は音でこちらの動きを読んだのだ。

 ほむらは必死に力を振り絞り、迎撃のために立ち上がろうとした。肉体は意志に応え、緩慢な動きながらも確かに立ち上がる。獣は目前に迫っていて、ほむらの血肉を喰らうために、顎門を大きく開いていた。

 メスでの迎撃は――間に合わない。刃渡りが短すぎて、相手の懐に飛び込まねばならないが、それは自ら餌食になりに行くことに等しい。ほむらは痛みに覆われ、軋む体の一部分、左手に全神経を集中した。相手の牙が、自身の身へと届く前の、僅かな瞬間、ほむらは左手を、盾を横薙ぎに振るった。 

 横っ面に不意の一撃をもらった黒い獣は、怯み、一瞬その動きを止める。

 

 ほむらは、その隙を逃すことなく、右のメスを黒獣へと突き入れようとした。

 突き入れようとした――はずだった。

 

「――え?」

 

 右手に握っていた筈のメスはいつの間にか手放され、ほむらは殆ど無意識的に、獣の胸元へと貫手を突き出していた。果たして目の錯覚か、まるで右の掌自体がまるで肥大化したかのようにも見えた。

 右手は、肋骨をへし折り、筋肉を引き裂いて、獣の胸へと鋭い切っ先のように沈み込んだ。

 指先が、心臓に触れる。震えている。脈打っている。肉の温かみが、血潮の熱さとうねりが、掌へと伝わる。

 ほむらの指はごく自然と、獣の心臓を掴み、思い切り引き千切っていた。

 噴水のように、間欠泉のように血が吹き出し、撒き散らされ、ほむらの頬を真っ赤に染める。

 血の温度は体温であり、肌にぶつかる血潮は恐ろしく熱い。熱湯をかけられたかと錯覚するほどに。

 

「――え?」

 

 斃れた黒獣と、右掌に残った心臓の残骸――当たり前のようにほむらは、手にした心臓を握りつぶしていた――とを何度も見比べる。

 戸惑い。困惑。ほむらの胸中を満たすのはそんな想い。

 自分が為したことの悍ましさを今更ながら自覚し、ほむらは何度も何度も手を振って血を払い、ケープで残りを拭い取った。

 暁美ほむらは合理主義者だ。魔女を狩る時も、最も手間をかけずに、最短時間で仕留めることを心がけている。

 そんな自分が、無意識のうちに繰り出した残虐極まる手口に、慄然とした。

 まるで内なる何者かが、勝手に動き出したような感触だった。

 ほむらはソウルジェムが失せた後に残された、奇妙な図像を改めてみやった。

 ――いったい自分の内に、何者が潜むというのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院の中には、他に生きるものは何一つとして居なかった。

 あるのは死体ばかり。ほむらはこれ以上とどまる意味はないと、出口を探す。

 

「……はぁ……はぁ」

 

 呼吸が乱れ、動悸は激しい。

 先の黒獣との戦いのなかで、あちこちぶつけたせいか、体中が酷く痛む。

 手術台の角にぶつかったせいか、背中の何箇所かで肉が裂け、血が流れているのを戦い終わって知った。

 魔法少女の力を使えば本来手当は容易いが、今はそれもできないでいる。

 病院内部の道具や薬は使う気にはなれなかった。全く、医療機関とは思えない程に、ここは汚く穢れている。

 

「……」

 

 出口へと向かう道すがら、新しい亡骸を見つけた。

 その亡骸が、抱えている何かが眼についた。

 輸血用の瓶だ。点滴スタンドにかかっていたものに比べると小ぶりで、持ち運びに適している。

 

「……」

 

 何故か、それから目が離せない。惹き寄せられ、釘付けになる。

 歩み寄り、拾い上げ、つぶさに見つめる。

 瓶の蓋には注射針が取り付けられ、それを使って体内に血が流し込めるような構造になっている。

 ほむらは、その針の先から、視線を逸らすことができないでいる。

 

「――」

 

 おもむろに、ほむらはその針の先を自身の右腿へと向けると、思い切り突き刺したのだ。

 血が体内へと流れ込み、体が猛烈に熱くなる。

 『生きる力』とでも評すべきか、より根源的な生命力が、その感覚が五体を駆け巡る。

 

「あ、あ、あ――」

 

 背中が、特に傷めていた背中が特に熱を持っている。

 未知の感覚にほむらはその場で崩れ落ち、声にならない声で喘ぐ。

 

「……はぁ……はぁ」

 

 異様な感覚は徐々に消えていき、破鐘を叩くようだった心音も少しずつ収まっていく。

 心身が落ち着いた所で、ほむらは崩れた体を起こし、独り愕然とした。

 自身の行いが、その行いがもたらしたものが、信じられない。

 背中の痛みは消え、流血も止まっている。喜ぶべきものかもしれないが、それを為したのは得体の知れない輸血液なのだ。しかも自分は、自分の意志で、その輸血液を自分の体に入れたのだ。

 

「どうなってるの……」

 

 ほむらは、そう呆然と呟くしかなかった。

 いったい、自分に何が起きているのか。

 謎が、ほむらの精神を苛むが、どうにもならない。ただ前に進むほかはないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 出口を開けば、小さな庭のような所に出た。

 幾つも墓石が並ぶ、病院にはふさわしからぬ場所を抜け、ようやく正門らしき鉄扉を見つける。

 扉は重かったが、しかし無事に開く。ここでようやくほむらは病院より出て、初めてその景色を目撃する。

 

「――」

 

 薄々感づいていたことではあっても、実際に対面するとなると心の震えを抑えきれない。

 林のように聳え立つ、天を突くように尖ったゴシック様式の屋根、屋根、屋根。

 石畳、レンガ造りの壁。建物の意匠は、それを模したものとは異なる、本物の風格を讃えている。

 血のような紅い夕陽に照らされた街並みは、どう見ても見滝原のものではなかった。

 

「……まどか」

 

 それが神か聖母の御名であるかのように、ほむらは呟いた。

 ああ果たして、この異界から逃れる術などあるのだろうか。

 ヒントは一つだけ。自分ではない自分自身が書き残した、一文だけだ。

 

 ――『「青ざめた血」を求めよ。さもなくば、夜はずっと明けない』

 

 ならばこそ、この名も知らぬ街で、それが何なのかも知らぬ何かを、探すしかない。

 「青ざめた血」を、この悪夢から抜け出すために。

 

 

 

 

 

 夕陽の下を、道なりに歩く。

 病院から出て進むことの出来る道は、ここ以外にはなかったからだ。

 他は閉ざされた鉄扉や、打ち捨てられた馬車に阻まれて、進むことはできない。

 何が待つかも解らず、警戒心を最大限にたかめて、ほむらは歩む。

 しばらく進むと、何か重いものを――恐らくは金属製のものだ――引きずる音がした。

 やはり路上に放置された馬車の陰から見れば、左手に斧を引きずり、右手に燃える松明を掲げた、背の高い姿が見えた。

 庇の広い黒い帽子に、黒い外套を纏った姿は、現代日本人のほむらから見ると酷く時代がかっている。

 手に斧を持っているのも気にかかるが、それ以上にほむらの注意をひくのは、男の体の大きさだった。

 女子中学生としては比較的背の高いほむらと比べても、頭一つ分以上に大きいのだ。殆ど巨人と言っていい。

 

「……」

 

 見知らぬ街で、初めて出会った人間であるが、これに声をかける勇気は暁美ほむらにもなかった。

 故にやり過ごすつもりで、物陰に身を隠そうと試みる。

 

 ――カラン。

 

 だが迂闊にも、つま先がなにかに当たって、それを蹴り飛ばしたらしい。

 舌打ち一つして視線を向ければ、大柄の男はほむらのほうへと振り向いていた。

 男の顔はひどい毛むくじゃらで、眼の部分には包帯が巻かれているが、それは半ば解けて、双眸が顕になっている。

 その瞳は、左右共に「溶けて」いた。

 ほむらにはひと目で解った。眼の前の男は、既に人ではない、と。

 

この穢れた鼠女が(You plague-ridden rat)!』

 

 男は、呪詛を叫びながら、ほむらめがけて襲いかかってきた。

 

 





盾パリィはほむほむ独自のスキルです。
ゲームが違うじゃねーかとは言わないお約束。


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chapter.3『ヤーナム市街』

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 ほむらは荒い息を吐きながら、顔にべったりとついた血を拭おうとした。 

 しかし既に手も甲も袖も全てが血まみれで、ただ顔に血をさらに塗りたくったのみだった。

 彼女の手には大きな斧があり、足元には3つの死体が転がる。いずれも背が恐ろしく高く、毛むくじゃらの、瞳の溶けた異相の持ち主ばかりで、ついさっきまで、ほむらへと呪詛を叫びながら襲いかかってきた連中だった。

 

 ――『消えろ(Away)! 消えろ(Away)!』

 

 ――『呪われた獣女が(Cursed beast)!』

 

 ――『全部、テメェのせいだ(It's all your fault)!』

 

 恨み言など、既に慣れたものな筈だったが、人の形をしたものにこうもあからさまな憎しみと殺意を向けられるとなると、ほむらと言えど多少は消耗する。それでも綺麗に三人とも斃しているのは流石は歴戦の魔法少女だった。

 

「……」

 

 三人を仕留めた武器は、最初に襲いかかってきた男から奪い取った斧だった。

 大きく頑丈なつくりの斧だったが、既に刃はこぼれ柄は折れかけている。所詮は血迷った群衆が手にした武器に過ぎない。魔法少女が用いるには、余りにも脆い。

 ほむらは斧を投げ捨てながら、改めて三人の男たちの亡骸を観察した。

 どう見ても、既に人の身ではない。かといって、魔女の使い魔とも違う。ほむらが連想したのは、病院の一階で遭遇した黒い獣のことだった。巨大化し、体毛が生え立ち、瞳が溶けたその姿は、獣化しつつある人間とでも評すべきなのだろうか。

 

「……なんなのよ」

 

 ひとりでにつぶやきが漏れた。この街全体が、魔女の結界か何か、とでも言うのだろうか。

 

「……」

 

 相手が魔法少女達ばかりとは言え、人殺しが初めてという訳でもない。

 しかしほむらは、何度も何度も、ケープで血の汚れを拭った。既にケープ自体が血まみれで、取れることはなかったけれども。

 

(行き止まりね)

 

 感傷を振るい捨て、ただ進むべき道を探す。

 一方は行き止まり、道すがらの鉄扉は固く閉ざされて開くのは難しい。

 屍が抱えていた火炎瓶――物騒なそれに見知ったものを見て、ほむらの心は不思議と安心した――を盾の内側にしまい込みながら、視線を巡らせれば地面に設置された大きなレバーが注意を惹いた。

 引っ張れば、何かの仕掛けが動いて眼の前の建物にかけられていた金属製の梯子が降りてくる。

 見上げれば梯子が恐ろしく高い所まで伸びているのが解った。一瞬迷って、手にかける。他に選択肢はない。

 カツン、コツンと靴が梯子を打つ音を聞きながら、ゆっくりと慎重に登っていく。

 魔法少女と言えど高所から備えもなく落ちれば怪我もすれば傷つきもするのだから。

 

 ――大きな遠吠え。

 

「っ!?」

 

 驚いて、一瞬体が宙に舞いかける。慌てて力強く梯子を握り直す。

 

(今のは?)

 

 ほむらは真っ先に魔女を想起した。あの怖気催す叫び声は、病院で戦ったような“小さな”獣のものではない。

 より大きく、より恐ろしい何かのものだ。

 

「……」

 

 気を取り直し、梯子を登りきる。

 出た先には幸いにも獣もいなければ、あの獣じみた男たちもいない。

 何故か道の真中に先にランタンを吊るした鉤棒が突き出している。

 特に注意も払わず、ほむらは右手に伸びた道を進んだ。

 

 何処かから、咳の声が聞こえる。酷いものだが、少なくとも獣の雄叫びでも呪詛の叫びでもない。

 まともな人間もどこかにいるらしい。ほむらは、その事実に僅かに安堵した。

 

 

 

 ――『テメェの脳みそを叩き潰してやる(I'll mess up your brain)!』

 

 ――『獣め(Beast)! 穢れた獣め(You foul beas)!』

 

 ――『消え失せやがれ(You are not wanted here)!』

 

 

 

 そしてそんな小さな安堵などは、呪詛の洪水を前にすれば簡単に消え失せた。

 斧が、鎌が、鉈が、熊手が、松明が、呪いの声とともに、ほむらへと次々と振り下ろされる。

 あるいは盾でしのぎ、あるいは地を蹴ってかわし、血の雨に降られながら、ほむらは男たちを屠る。

 屍の山を積み重ねながら、魔法少女は石畳の道を進む。

 背の高い家屋は覆いかぶさるように少女の心を押しつぶさんとする。

 空からは灰が溶けない雪となって舞い落ちてくる。独特の香の匂いが、焼ける肉の臭いや血の臭いと混じり合って、鼻を裏側から貫き、頭が震える。

 

『あんた、よそ者だろう? すまんが、関わり合いになりたくないんだ、帰ってくれ!』

 

 人の気配を感じ、扉を叩けば、返ってくるのは拒絶の言葉。

 

『……よそ者が。獣狩りの夜だ、お前に開ける扉など無い。消えちまいな!』

 

 それはほむらに対する侮蔑と嫌悪を全く隠すことがない、吐き捨てるような言葉だった。

 まともな人間は確かにいた。しかし、その性根はまともとは程遠い。

 ほむらは言葉の中身を努めて無視して、分析に集中する。

 少なくともここは、魔女の結界のなかではないらしい。住民たちの言葉は、魔女の口づけを受けたものとは違う、確かな意志が感じられる。だからこそ、現状の謎は深まるばかりだ。

 

「……」

 

 心をすり減らしながら、それでも道を進めば、やや大きな広場のような所に出た。

 広場の中央では巨大な薪が焚かれ、空より舞い落ちる灰の源は、ここと知れた。

 燃やされているのは、ほむらが病院で戦った、あの黒い獣。磔にされ、その身を炎に焼かれている。

 焚き火の周りには、これまでほむらが遭遇した男たちとは桁違いの、夥しい群衆がたむろしていた。

 

この街は終わりだ(This town is done for)……』

 

誰のせいか、みんな知ってる(We all know who's at fault)……みんな、知ってるんだ(We know precisely who it is)

 

呪いだ、みんな呪われてる(Cursed, we're all cursed)……』

 

なにもかもおしまいだ(We're finished)……』

 

 群衆から漏れるのは、怨嗟ばかりだった。

 ほむらは声を聞き流し、群衆の人数を探る。

 焚き火の強い灯りのせいで、その向こう側の人数が把握できないが、少なくとも十人以上はいる。

 こちらの武器は拾った火炎瓶が幾つかと、斃した相手から奪ったカトラス――刀身の分厚いサーベル状の剣だ――ばかり。

 ほむらは別の道を探るのが得策だと考えた。この戦力では、あの数に挑むのは無謀以外の――。

 

この臭い(This stench)……余所者の臭いだ(mells like you, stranger)……』

 

 ほむらの算段は群衆たちの側から突き崩された。

 一人がほむらのほうを向けば、次々と、男たちは溶けた瞳で見据えてくる。

 呪いの声が、折り重なり、斧を引きずる音が、松明の燃える音が、続いて鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 ほむらは旧式の――巴マミが使うマスケット銃によく似ている――ライフル銃にもたれかかりながら、荒れた呼吸を何とか整えようとしていた。

 ただでさえ血に穢れ、傷み始めていた衣服は、裂け、千切れ、穴があき、血どころか埃にもまみれている。

 背中には鉈の切り傷が斜めに走り、脇腹と左足に銃創がひとつずつ。

 盾より取り出した輸血液を右腿に刺し――ほむらは、最早ごくごく自然に、得体のしれぬ血を体内に挿れていた――何とか戦いの傷を回復させようとする。

 急速に回復する細胞の熱さと、傷の痛みが重なり合い、凄まじい吐き気となってほむらを襲う。

 何度も、何度もえずいた。胃の中身を吐き出さないのが、不思議なぐらいだった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 どうやって死闘を切り抜けたのか、殆ど覚えてはいない。

 斧を、熊手を、鉈を、鎌を次々と奪い取り、元の持ち主へと突き立て、切りつけた。

 松明で顔面を焼き、奪い取ったライフルで心臓を、あるいは顔面を打ち抜き、銃床で頭蓋を砕いた。

 銃は単発式で、撃つたびに装填しなくてはならない。その隙をつかれ、狂った犬が左足に噛み付いた。盾で首を殴り、骨をへし折って屠った。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 満身創痍。襲ってきた群衆を残らず殺し、生き延びたのがほむら自身不思議なぐらいだった。

 しかし代償は大きく、血を挿れてもなお、視界はかすみ、体は糸の切れた傀儡のように自由が利かない。

 

 ――哄笑、哄笑、哄笑。

 

 不快感を催す、笑い声が、視線の先の扉から響いて来る。

 ほむらは足を引き摺るようにして、その家へと歩み寄った。

 拳で戸を叩きながら、懇願する。ほむらにはらしからぬ行動だが、それだけ彼女の消耗は激しかった。

 

「お願い……なかにいれて」

『なんだい……余所者じゃないか』

 

 返ってきたのは、全くの拒絶の声。

 

「お願い……」

『獣狩りの夜にほっつき歩いて、可哀そうなことだよ』

「なかに……」

『ああ、可哀そうにねえ……アハハハハハハハ!』

 

 嘲笑ばかりが響き、扉が開くことはない。

 流れ出る血は体力を失わせ、扉の前で膝をつく。さらなる嗤いが、ほむらに浴びせかけられる。

 

「……」

 

 唇の端を噛みながら、ほむらは立ち上がった。

 誰にも頼れない。自分には、当たり前のことだった筈だ。

 気を取り直し、進み続ける。小さな階段を降りて、噴水のある新たな広場に出た。

 

 ――呻きと、殴打。

 

 聞こえてきたのは、先の焚き火の広場でも聞こえた異音だった。

 噴水の向こうに、大きな木の扉を叩く、新たな人影が見える。

 いや、果たして人影と呼んで良いものか。身の丈は2メートルを超え、3メートルはあるかもしれない。肩は盛り上がり、体は膨れ上がり、それは殆ど羆のようであった。

 

「……」

 

 ほむらは、やはりやりすごそうとしたが、やはりそれは叶わなかった。

 この街の連中は、揃って勘がいいのか耳が良いのか、人影がほむらのほうを振り返る。

 なるほど、大きさを除けば、一応は真っ当な人型を保っている。その異常過ぎる大きさを除けば、だが。

 手には何処から持ってきたのは、ほむらと同じ大きさはありそうな石像を、まるで鈍器のように構えていた。

 

(残弾は……装填済みのを入れて三発)

 

 斃した群衆から奪い取った、ライフル用の弾丸を数える。

 弾丸は、この街の全てがそうであるように奇妙な造りをしていた。

 鉛ではない。鋼でも、鉄でもない。どうやって個体化しているか解らないが、どうも水銀であるらしい。しかも濃厚な血の臭いを放っている。なぜこんな奇妙な弾丸を使っているのかは知らないが、威力は確かにある。

 ほむらは近づく大男へと向けて、ライフル銃を構えた。

 ようやく手にした、使い慣れた武器の感触が、彼女の心に落ち着きを取り戻させる。

 

「止まりなさい」

 

 意味があるかは解らないが、一応警告だけはした。

 だが銃を向けられているにも関わらず、大男は何の恐れもなしに、ほむらへと近づき続ける。

 

「……」

 

 大男の心臓に照準を合わせ、引き金に指をかけ、ほむらはそれを素早く弾いた。

 ほむらが引き金を弾くのと、大男がほむら目掛けて走り出すのは、全くの同時であった。

 

「!?」

 

 弾丸は大男の肩の分厚い肉に吸い込まれ、肉を砕き血を飛び散らせるも、その動きを止めるに至らない。

 ほむらは慌てて跳び退こうとするが、大男の動きは、その巨体に似合わず俊敏であった。

 巨大な肩が、大きな石像が、ほむらの体に叩きつけられる。

 

「が――っ!?」

 

 ほむらの小さな体は、重さなどないかのように吹き飛び、噴水へと叩きつけられる。

 銃は掌からこぼれ落ち、石畳の地面に落ちて音を立てながら回り、遠ざかっていく。

 

「かはっ――」

 

 全身がバラバラになったかのような衝撃。呼吸が止まり、口から出てくるのは意味のない喘ぎだけ。

 もしもほむらが魔法少女でなかったなら、即死してもおかしくないほどの衝撃。

 震える手足で藻掻き、何とか立ち上がろうとするが、力が入らず崩れてしまう。

 その間にも、大男は間近まで迫っていた。

 ほむらは何とか顔だけ上げて、大男を見た。両手で石像を掲げ、振り下ろそうとする、まさにその寸前だった。

 

「あ――」

 

 何とか、しなくては、ならない。

 しかし意識ばかりが素早く廻って、体は全く動けない。

 今はソウルジェムがない。ソウルジェムがない今、肉体に致命的なダメージを負ったらどうなる?

 死ぬ? 死ぬのか? そのままここで? 死んでしまうのか?

 

「――」

 

 石像が、石像が、振り下ろされようとしている。

 なのに、体が動かない。

 視界が真っ暗になり、ただ映るのは、桃色の髪をした少女の姿だけ。

 

(まどか――!)

 

 絶望。絶望が胸を満たし、情けも容赦もなく、石像は振り下ろされ――銃声。

 

「!?」

 

 大男の頭に、銃弾が突き刺さり、その体が大きくよろめく。

 ほむらの視界を過る、黒い影。

 不思議な刃鳴り。空を裂く流れ星を思わせる、鋭い音が響けば、大男の胸には二枚の刃が突き立てられ、石像を掲げたまま、仰向けに斃れる。

 

「――なんだい。こんな夜に、お嬢ちゃんが独りで出歩いてるから、何事かと思えば」

 

 大男を一撃で仕留めた影が、ほむらを見下ろす。

 瞳のない、黒い陰になった双眸が、魔法少女を見下ろしている。

 

「この月の香り……アンタ、狩人かい? それも、外から来たみたいだね」

 

 木彫りの、まるで鳥のような嘴を持った仮面が、ほむらを見下ろしている。

 その両手には歪んだ刃の短剣が各々握られ、不意に吹いた風に、烏羽の外套が音立てて舞う。

 

 ――鴉羽の狩人狩り、アイリーン。

 

 血のような夕陽の下、暁美ほむらは彼女とこうして出会った。

 

 

 



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chapter.4『ヤーナム市街ー狩人の夢』

 

 

 

 

 

 ――最初、その異形な姿は恐ろしげですらあった。

 

 奇妙な嘴をもった仮面に顔は全く覆われ、その下の素顔を僅かにも窺うことはできない。

 先の尖った帽子も黒ならば、身を覆う烏羽のマントは無論烏羽玉の黒だ。

 両手には歪んだ刃の短刀が握られ、切っ先からは仕留めた大男の血の雫がしたたる。

 

 ほむらは、血のような夕陽を背に佇む、烏羽の怪人を見上げた。

 仮面の両眼にあたる部分は陰になっていて、その下の瞳すらほむらからは見ることができない。

 ただその声色だけから、かろうじてこの怪人物が女性であることは知れた。

 

「どうした? 狩人ともあろうものが、ちょいとばかしどつかれた程度でお寝んねかい?」

 

 ハスキーな、独特の調子のある声で、烏羽の女はからかうように言った。

 ほむらはハッとして、立ち上がろうと藻掻く。だが体中にわだかまった痛みがそれの邪魔をする。

 いつもの鉄面皮は、常になく苦痛に歪み、額には汗が滲んでいる。それは血と溶け合って一層ほむらの顔を汚す。それでも、ほむらは弱音を一言でも漏らすこともなく、身を起こそうと努めた。

 だが、魔法少女の時はたやすくできた、苦痛を遮断する力が失われた今、たかが立ち上がるだけのことが、傷ついたほむらには酷く堪える。

 

「……やれやれ」

 

 刃と刃が重なり合うような涼やかな金属音が鳴ったかと思えば、いったいどんな「仕掛け」か、左右の手に各々握られていた筈の二本の短剣は、魔法のように一振りの短剣へと変じていた。

 

「手を貸すかい?」

 

 開いた手を、烏羽の女が差し出してくる。

 その声にはもうからかいの調子はない。 

 そっけないが、自分のことを気遣っていることがほむらにも解った。

 

「……必要ないわ」

 

 ほむらは手袋に包まれた掌をしばし見つめ、掠れた声で答えた。

 暁美ほむらは手を差し伸べられるのが苦手だった。忌まわしい、古い記憶を思い出してしまうから。

 

 ――もう、誰にも頼らない。

 

 だらかこそ、ほむらは自力で立ち上がろうとし、痛みを堪えながら半ば身を起こしつつあった。

 

「あ――」

 

 不意に、力が抜ける。

 落ちるようにして、ほむらは石畳の地面に座り込んだ。

 足が痙攣し、上手いように動かない。ほむらは焦り、体を持ち上げようとするが上手くいかなかった。

 

「まったく」

 

 烏羽の女は溜息をひとつつくと、ほむらの手を強引に握ると、恐ろしい怪力でその体をひっぱり上げた。

 

「しっかりするんだよ」

 

 そう言う烏羽の女の声には、仄かな暖かさがあった。

 

「こんな所でチンタラしてたら奴らの餌さね」

 

 だがその暖かさは即座に消え失せ、冷徹なる言葉に取って代わった。

 

「もう誰も人じゃあない。人を喰らう獣どもだからね」

 

 この言葉が、ほむらの心には何故か強く響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひとたび血を体に入れれば、恐ろしいほどの速さで痛みは消え、真っ直ぐに立ち上がることができた。

 死んだ大男の死体から輸血液の瓶を抜き取り、盾のなかにしまい込む。

 武器として使われていた石像には……流石に手は伸びない。ほむらが使うには、これは大きすぎるし、何より彼女の戦闘スタイルには合わない。

 しかし狂った群衆たちから奪い取った得物も銃も、戦いの中で壊れ、失われてしまっている。

 

「……アンタ、その体たらくでも狩人なんだろう? 『仕掛け武器』はどこかになくしちまったのかい?」

「『仕掛け武器』……?」

 

 聞き慣れぬ単語に、ほむらは眉をしかめた。

 仕掛け武器。

 言葉通り、何か特別な仕掛けがある武器ということか。

 しかしほむらが今思い当たるものなど、目の前の烏羽の女が使う奇妙な短刀ぐらいしかない。

 二本の剣が、魔法のように一本に変ずる。まさしく仕掛け武器と呼ぶにふさわしいではないか。

 

「……つくづく、世話のやける後輩だね」

 

 ほむらの表情と、その後の沈黙をどう受け取ったのか、烏羽の女は背中の方に手をまわしたかと思えば、まるで魔法か何かのように、巨大な鉄塊を手にしていた。

 

「使いな。あたしにはどうせ無用のものさ」

「ちょ」

 

 その鉄塊を、まるで紙くずかのように軽く放り投げる。

 ほむらは、ノコギリのようなギザギザの刃が生えたそれを、冷や汗垂らしながら掴み取った。

 恐ろしく重い。しかし不思議なことに、投げられた紙くずを受け取るような軽い感触で、ほむらは鉄塊を握る。

 

「元の持ち主はとうに死んでる。弔ってでもやろうかと思ったが……同じ狩人に使ってもらうほうが余程マシじゃないかね」

 

 ほむらは投げ渡された鉄塊を改めて見つめた。

 言うなれば、巨大なノコギリである。

 奇妙なのは取っ手と刀身とが座金と太いピンによって繋がれている点だ。

 まるで折りたたみナイフような構造ではないか。

 烏羽の女に手ほどきを受けながら、一定の動作を施せば、果たして、まさに折りたたみナイフのようにギザギザの刃が留め金より解き放たれ、巨大な鋸は、巨大な『ノコギリ槍』と化した。

 

 ――『ノコギリ槍』。

 

 それ以外に何と評すことができようか。

 長い柄に、先の鋭く尖った刀身という形状はまさしく槍であり、そして刃には血肉を削りとるギザギザが生えている。恐ろしいほどの殺意と、害意に満ち溢れた武器ではあるまいか。

 

「それは『工房』が拵えた獣狩りの為の道具……つまり狩人の武器、狩人たちのための武器」

「『工房』?」

「そうさ。まぁ、今となっちゃ、もうずっと前のことだけれどね」

 

 烏羽の女は、若干の感傷を滲ませながら仮面の下で苦笑する。

 

「本当なら『獣狩りの銃』も欲しい所だけれど……生憎、そこまで面倒は見きれないね。後は、自力でなんとかするんだよ」

 

 言うだけ言うと、烏羽の女はほむらへと背を向け、そのままどこに去ろうと言うのか歩き去ろうとする。

 

「待って」

 

 その背中を、ほむらは呼び止めた。

 

「なんだい? まだ何かあるのかい?」

 

 不機嫌さを隠さぬ烏羽の女に、ほむらは久しく使うことのなかった言葉を投げる。

 

「ありがとう」

「……」

 

 あるいは相手にとっても、久しぶりに聞く言葉だったのかもしれない。

 戸惑いの沈黙が流れ、烏羽の女は苦笑いを滲ませながら言う。

 

「出来の悪い後輩への餞別だよ。とくに……今夜は特に、ひどい夜だからね」

「……名前」

「ん?」

「あなたの名前を、聞いておきたい」

 

 烏羽の女は、ほむらへと向き直り、やはり苦笑の調べをのせて言った。

 

「名前ね。今更名前など何の意味があろうものか。……でも呼び名がないのも面倒か」

 

 一拍の間。

 

「アイリーン。それがあたしの名さね」

 

 それでも彼女はそう名乗った。

 

「ほむらよ」

 

 魔法少女も、そう名乗り返す。

 

「覚えておくよ」

 

 今度こそ、烏羽の狩人狩り、アイリーンは立ち去った。

 最後に、謎めいた言葉をほむらに残して。

 

「あんた、『夢』を見るんだろう?……『人形』の嬢ちゃんに、ばばあがよろしくってね」

 

 その意味を問う間もなく、彼女の姿は素早く消え失せたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アイリーンと別れたほむらは、群衆たちや狂った犬を避けながらも、街を彷徨う。

 ノコギリ槍は仕掛けを動かして槍状にして、両手でそれを構える。

 柄の長さから考えるに、本来この武器は片手で扱う武器なのであろう、ということは解っていたものの、今や銃もなく、ほむらの左手の盾は直接腕に備わっている。武器の両手持ちも不可能ではないし、慣れぬ武器だ、片手でこれを振るうにはまだ不安があった。

 がらくたの向こうに道を見出し、跳び降りる。

 それなりに高い段差を降りることができるのは、ひとえに魔法少女故か、あるいは血のなせる業か。

 吠える狂犬の檻の間を抜け、階段を昇り、昇り、閉ざされた扉に行き着く。

 

「……?」

 

 しかし、試みにドアノブを握って見れば、それが開くことにほむらは気がついた。

 扉の向こうは灯りもなく、真っ暗な屋内であった。

 その闇の奥に、微かに見えた人影。その影はカトラスを手にし、それをほむらへと振りかぶらんとしている。

 

 ――地面を、蹴る。

 

 ステップひとつでカトラス男の懐に飛び込み、思い切りノコギリ槍を前へと突き出す。

 鋭い切っ先は何の抵抗もなく、服を、皮を、肉を裂いて進み、最後は背中を突き破って反対側まで達した。

 その間にもノコギリはさらに血肉を削り、獣の強靭な肉体を以てしても耐えざる傷を負わせていた。

 

「ハッ!」

 

 鋭く息を吐くと同時に、再び床を蹴って後退する。

 深く突き刺さった刃が引き抜かれ、さらなる血肉を削り取り、撒き散らし、ほむらの頬に降りかかる。

 常人ならば即死するほどの一撃だが、獣はまだ生きて、なおもカトラスを振り下ろそうとしている。

 ほむらは仕掛けを動かし、刃を納めると同時に斬りかかる。

 下から上へ、逆袈裟に切り上げ、肉を抉る。返す刀で、今度は逆、上から下へと斜めに切り下げる。

 獣は重い鉄塊を続け様に叩きつけられ、刻まれ、抉られ、怯み、動くこともできない。

 

呪われた獣め(Cursed beast)……』

 

 そう断末魔を最後に残し、獣は斃れた。

 カトラスが床に当たって、金が鳴る音が響く。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 あとに残ったのは、喘ぐほむらの呼気だけだ。

 しかしじきにそれもおさまって、音は闇の中へと吸い込まれた。

 

この街は終わりだ(This town is done for)……』

誰のせいか、みんな知ってる(We all know who's at fault)……みんな、知ってるんだ(We know precisely who it is)

呪いだ、みんな呪われてる(Cursed, we're all cursed)……』

なにもかもおしまいだ(We're finished)……』

 

 ささやき声が、どこからか聞こえてくる。

 見れば暗闇の向こうに、階段のシルエットがある。ささやきはその上から聞こえてくるが、わざわざ階段を駆け上がって獣を狩りに行く元気は、今のほむらにはない。むしろ、彼女の心を捕らえるのは、ノコギリ槍のことだ。

 この殺意を害意に満ちた鉄塊を、自分はペーパーナイフでも振るうかのように、軽々と操ってみせた。

 それは、意識しての行動ではない。殆ど自然に、体は動いていた。

 銃に、現代兵器に慣れた自分が、こんな武器を使いこなした事実に、ほむらは驚いていた。

 ああ全くもって、自分の内側に、何者が潜むのか。 

 あるいはそれは、体内に注ぎ込んだ、血のなせる業かもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 入ってきた扉の向こうに、もうひとつ扉が見えた。

 それを開き外に出れば、新たな獣が襲ってきたので、これを屠る。

 振り下ろされた斧を盾で弾き、相手が怯んだ所に、拳を突き入れる。

 腸を掴み、奥の奥からかき乱し、引っ張り出す。

 何の感動も後悔もなく、機械的に獣を屠ったあと、その亡骸を踏み越えて階段を昇る。

 出くわした、軋む柵状の鉄扉を開けば、見覚えのある場所にでた。

 

 響き渡る咳の声。

 そして――何故か道の真中に突き出た、先にランタンを吊るした鉤棒。

 

 最初は見過ごした筈のランタンに、ふと興味が惹かれた。

 何故か脳裏を過るのは、アイリーンが残したあの言葉。

 

 ――「あんた、『夢』を見るんだろう?……『人形』の嬢ちゃんに、ばばあがよろしくってね」。

 

 ほむらが手を翳すと、ランタンが灯り、紫の光を辺りに放ち始める。

 手を翳せば、意識が遠のき始める。

 体が薄くなり、希薄化し、陽炎のように消え失せる。

 まるで眠りに落ちるように、ほむらの意識は途絶え――……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――『狩人の夢』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





【Name】暁美ほむら
【装備:頭部】なし
【装備:胴体】異邦の服
【装備:腕部】なし
【装備:脚部】異邦のズボン
【右手武器1】ノコギリ槍
【右手武器2】なし
【左手武器1】砂時計の盾
【左手武器2】なし
【所持アイテム】火炎瓶、石ころ
【ソウルジェム発動】???


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chapter.5『狩人の夢―大橋』

 

 

 

 

 

 

 指先が冷たい石に当たる感触で、目が覚めた。

 瞼を開けば、石畳の地面と緑の植え込みがうっすらと見える。

 うつ伏せの体を起こし、意識にかかった眠りの靄を、頭をふって振り払う。

 霞のかかった視界が少しずつクリアになるのに対し、頭脳の覚醒は遅々としていた。

 

 だからこそ、驚きは遅れてやってきた。

 

 風景が一変している事実を遅ればせながら認識し、ほむらは慌てて立ち上がり、辺りを見渡す。

 さっきまで、自分はあの血の匂い立つ街に居た筈だ。それがあのランタンに手を翳したかと思えば、見知らぬ場所で目覚めている。傍らにあったノコギリ槍を構え、辺りを警戒する。

 

 ほむらの警戒を嘲笑うかのように、皮肉にも、辺りに広がる景色は静謐で、かつ美しかった。

 その様相を一言で評すならば、「隠れ家」という言葉が最もふさわしいだろう。

 石畳の路は二筋の階段に分かれ、両者が向かうのは丘の上の小さく西洋然とした家だ。白い花が咲き乱れ、木々は生い茂り、明け方めいた青みがかった夜空には、大きな大きな満月が輝いている。 階段沿いに幾つも墓石が立ち並び、霧(けぶ)る彼方には、得体の知れぬ柱石が幾つも天突き連なっていた。

 

 嗚呼、何と美しい光景であろう。

 嗚呼、何と妖しい光景であろう。

 

 眼の前に広がる景色が美しいからこそ、ほむらの胸中で警戒心はどんどん膨れ上がる。

 ここは余りに静か過ぎる。静かすぎるのだ。街にあれほど溢れていた血の匂いも、怨嗟の声も、叫びも、嘆きもま

るでない。不自然なほどに、感じ取ることができない。

 

「……」

 

 ノコギリ槍を展開し、構える。盾を翳し、不意打ちに備える。

 耳を澄まし、いかなる物音も聞き逃すまいとする。しかし、聞こえるのは風の音と、それにそよぐ草木の触れ合う音だけ。何人(なんぴと)の気配も、この場からは感知できないのだ。

 

「……」

 

 暫時、構えたまま、待つ。だが何事も起こらない。

 他に詮方もない。ほむらは構えを時、この不思議な世界をぐるりと見渡した。

 草花あふれる美しい庭園。苔むし、朽ちて欠けた墓石、あるいは枯れ、あるいは茂る木々。月。石畳。階段。水盆。人形。……人形?

 ほむらは、右手の階段の傍ら、少し高くなった段差上に捨て置かれた人形のことに、この時初めて気がついた。

 その大きさと精巧さに、声もなく驚き、歩み寄ってつぶさに観察する。

 フランス人形を思わせる、精緻につくられた人形である。

 だが驚くべきはその大きさで、今は腰掛けているが、仮に立たせればほむらの倍の背丈はあるだろう。

 銀髪の下にある相貌は少女というよりも女性を象ったもので、美しくもどこか冷たい。人形故に当然ながら焦点の合わぬ瞳で、ここではない彼方を見つめていた。

 

「……」

 

 不意に、まどかであればこの人形にどんな感想を持つだろうかと、考える。

 まどかは可愛いもの好きだったが、マミに惹かれたように、こういった大人びた美にも興味を示すかもしれない。

 

(……くだらない感傷ね)

 

 ほむらは脳裏に浮かんだ桃髪の少女の幻影を消しながら、人形から目線を外し、階段を昇ろうとした。

 

 ――そこで不意に、ズボンの裾を掴まれた。

 

「!?」

 

 驚いて足首の方へと眼を向ければ、ズボンの裾を掴む、小さな手が見えた。

 

「――」

 

 声にならない絶叫が、ほむらの喉より迸り出る。

 そこに居たのは、いつかの悪夢で(まみ)えた、怖気催す白い小人たちであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法少女になる前か、あるいはなったばかりの頃のように、ほむらは不覚にも腰を抜かしてしまっていた。

 それだけ、足元の小人たちの姿がおぞましいものであったからだが、全くの予想外の不意打ちであったことが一番の原因であろう。病室で目覚めて以来、精神をすり減らすことばかりが立て続いたのも大きのかもしれない。

 ノコギリ槍は掌からこぼれ、石畳の上を転がり、人形の座る段差にぶつかって、更に明後日の方向へと跳んだ。取り戻すには地面を這うしか無い。だから盾のなかに手を突っ込み、武器になりそうなものを探す。火炎瓶を取り出し、ほむらは小人達へと投げつけようとし――て、手をとめた。

 

『――』

『――』

『――』

 

 落ち着いてみてみれば、小人達は何やら名状し難い声で囁くばかりで、害意を感じる行動をとっているわけでもない。むしろしきりに手をゆらゆらと振っているばかりで、最初に掴んで以降は、ほむらの体に触れようともしない。

 

『――』

『――』

『――』

 

 ほむらには、小人たちが手招きし、何かを訴えかけているという風にだんだんと思えてきた。

 キュウべぇと違って、不気味ながらも愛嬌のある小人たちの仕草に、ほむらの警戒感は消えていく

 立ち上がり、恐る恐る小人たちに歩み寄ると、彼ら――あるいは彼女らは、何か大きなものを地面から引っ張り出し、ほむらのほうへと掲げてみせた。

 

「これは……」

 

 そのシルエットに、ほむらは見覚えがあった。

 烏羽の狩人狩り、アイリーンが手にしていた拳銃によく似ている……いや、間違いなく全く同じだ。

 

 ――『獣狩りの短銃』

 

 銃把を手にし、引っ張りあげると、小人達は地面のなかへと溶けるように消えた。

 改めて詳細に見ると、えらく旧式の燧石式の短銃である。銃口が末広がりになっている形状は喇叭銃(ブラウンダーバス)のそれを思い出させるが、装填機構は意外にも近代的な構造で、ちょうど中折れ単発式散弾銃のように、ロックを外して折り曲げれば銃身後部より直接弾丸を装填できるようになっている。

 人ならぬ獣を相手することを想定してなのか、短銃としては、過剰なほどの大口径である。ちょうど、ライフル用の弾丸すら装填できそうな程に。

 ほむらは盾のなから、獣と化した群衆から奪い取った水銀の弾丸を取り出し、試みに装填してみる。小銃用の弾丸にも関わらず、すんなりと弾は短銃に収まった。

 何度か銃把の握り具合を確かめたり、構えてみたりする。

 ――狙い撃つための銃ではない。ほむらは即座に確信した。

 照星も照門もないこの短銃は恐らく、獣に肉薄し至近距離から大口径の弾丸を叩き込むためのものだ。

 まさに『獣狩りの銃』……『仕掛け武器』と対をなすための銃と言える。

 

 ほむらは短銃をズボンのベルトに差し込むと、別の手招きする小人達へと歩み寄った。

 今度の小人たちがほむらへと手渡したのは、意外なことに、何かの装束の一式だ。

 

 ――『ヤーナムの狩帽子』

 ――『ヤーナムの狩装束』

 ――『ヤーナムの狩手袋』

 ――『ヤーナムの狩ズボン』

 

 帽子、上着、ズボン、手袋の三つ揃えならぬ四つ揃えを手渡し、やはり小人達は溶けるように消えた。

 生地が恐ろしく分厚く、恐らくは革製の装束一式は、闇に紛れるためか限りなく黒に近い焦げ茶色だった。

 古風な三角帽子(トライコーン)に、顔を隠すマスク、ケープ付きのダブルボタンコートに、やはり分厚い手袋。ズボンには動きやすさを考慮してか薄めの、しかし硬いゲートルで補強が施されている

 ほむらが連想したのは、やはりあの獣の街で遭遇した、アイリーンのことだった。

 彼女の身にまとっていた装束も、一見奇妙でありながら、戦いに対し実用的に造られていることにほむらは気づいていた。あの烏羽は返り血を振るい落とすための細工でもあり、奇妙な仮面もまた血を防ぐためにある。今自分が手にしている装束も同様で、防御力と素早さ、隠密性、そして返り血への対策を想定し、実によくつくられていると言えた。

 

「……」

 

 ほむらは視線を下ろし、自身の今の装束に目をやった。

 不思議なことに、あれほど大量に降りかかり、染み込み、最早落とし難くなっていた血は、一滴たりとも見出すことはない。おろしたてのように綺麗になっているのだ。だからこそ解るのは、あの街の獣たちを相手するには、今の格好は余りにも軽装に過ぎるということ。

 獣に挑むとすれば気休め程度のものであろうが、それでもこの小人たちに渡された装束のほうが余程頼りになりそうだった。渡し手の得体のしれなさを踏まえても、着替えたほうが良さそうだとほむらは考える。

 左手の盾が自由に消したり出したりできない為に、どうやって着替えたものか――ひとまずケープを外しながら考えるほむらはふと、視線を感じて振り返った。

 

 ――石畳の下からはいでた小人たちが、ほむらの着替える様子を眺めている。

 

「……」

 

 ほむらが睨みつけると、小人達は再び、地面の下に溶けるように消えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 苦心して着替え終わり、この奇妙な場所を一通りほむらは歩き回った。

 丘の上の家は扉が全て閉ざされ、なかに入ることはできない。

 美しい庭園にも例の小人たちが所々にいるだけで、何の変哲もない。

 辺りは霧なのか雲なのか解らないが、白い靄に包まれて遠方は窺えず、唯一見つけた出口らしきものも、鉄扉がかたく閉ざされて通ることができない。

 

 ――八方塞がりである。

 

 水盆の小人や、石畳の小人たちに尋ねても、謎めいたささやきを漏らすばかりで助言は得られない。

 獣がいないが為に心は休まるが、しかし休んでばかりはいられないのだ。

 一刻も早く見滝原に帰ること。その為に、その鍵となるかもしれない『青ざめた血』を求めること。それが今のほむらがなすべきことなのだから。

 

「……?」

 

 途方にくれて、人形の横に座り込んでいたほむらは、不意に気がついた。

 幾つも並んだ墓石のひとつに、光っているものがある。一番右端の墓石で、その土台の部分で、白い小人たちが手招きしている。この奇妙な場所に至ったきっかけが、光るランタンに触れたことだった思い出す。

 ほむらは跪き、手招きする小人達へと右の掌を翳した。

 

 ――やはり、意識が遠のき始める。

 

 体が薄くなり、希薄化し、陽炎のように消え失せる。

 まるで眠りに落ちるように、ほむらの意識は途絶え――……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――『ヤーナム市街』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほむらの『目覚め』は、やはり例のランタンの傍らで起こった。

 例の奇妙な庭園での時と異なり、立ったまま、完全に覚醒した状態でのことだった。

 あたかも、最初からこの場に立ち尽くしていたかのような、そんな場面の転換。

 

「……」

 

 しかし戸惑いは、顔を隠す分厚いマスクに阻まれて見えることはない。

 ほむらは、辺りを睥睨し、進むべき道を探る。

 右手の広場に通じる路は、既にあらかた探索が済んでいた筈だ。しかもコチラ側は獣と化した群衆が大勢いた。避けたほうが良さそうである。故に左の、鉄扉を開いて新たに通れるようになった左側に進むとしよう。まだ、例の家屋の二階の探索も済んではいない筈――。

 そんなことを考えながら左のほうへ進もうとしていたほむらの耳に、もう何度目かの咳の声が響く。初めてほむらは、それがすぐ隣の、赤く輝き香りが漏れるランタンが掲げられた家のなかからだと気がついた。そしてその家の主もまた、ほむらの姿に初めて気がついたようだった。

 

「ああ、獣狩りの方ですね。それに……どうやら、外からの方のようだ」

 

 鉄格子の嵌められた窓の向こうから聞こえてきたのは、理性的な印象の若い男の声だった。

 

「私はギルバート。あなたと同じ、よそ者です」

 

 ――それがほむらとギルバートの出会いになった。

 

 ギルバートとの出会いは、ほむらにとってはこの上なく有益なものだった。

 親切心か、余所者同士の共感か、あるいは病人故に会話に飢えていたのか。理由はいざしらず、彼は色々なことをほむらに教えてくれたのだ。

 

「『青ざめた血」』、ですか? うーん……すみませんが、聞いたことはありません。けれど……」

 

 特に重要なのはほむらにとっても謎めいた言葉である、「青ざめた血」にまつわるヒントをくれたことだった。

 

「それが特別な血であれば、訪ねるべきは『医療教会』でしょう」

「『医療教会』?」

「ええ。このヤーナムの街の血の医療と、その特別な血の知識を独占している者たちです」

 

 ――ヤーナム。

 ほむらは初めてこの獣の街の名を知った。だが聞き覚えのない名前だ。

 

「ここ、ヤーナムの市外から谷を挟んだ東側に、聖堂街と呼ばれる医療教会の街があります。そして、聖堂街の最深部には古い大聖堂があり、そこに医療教会の血の源がある――という、噂です」

「その聖堂街に向かうにはどうすれば良いのかしら?」

「この市街から聖堂街に向かうには、大橋を使うほかありません。大橋はここの近くから階段で昇ることができるでしょう」

 

 ――『大橋』。

 ほむらの次なる目的地が、明確に定まった。

 ごほごほと、明らかに病状が重いと解る咳を交えながら、なおもギルバートは話続けた。

 

「ヤーナムの街は、よそ者に何も明かしません。常であれば、あなたが近付くことも叶わないでしょうが……『獣狩りの夜』です。むしろ、好機なのかもしれませんよ」

「……そうね。ありがとう」

 

 ほむらは、相手から見えているかは解らないが、窓へと向けて軽く一礼をして踵を返した。

 立ち去ろうとして、足をとめ、振り向きながら最後に付け加える。

 

「もしも、聖堂街で何か、あなたの病気を和らげるものが見つかったら、その時は知らせるわ」

 

 この陰気なヤーナムの街では、親切とは稀なものであるらしい。

 アイリーン同様、ギルバートもまたほむらの言葉に唖然とし、言葉をなくしている。

 暫時してから、ギルバートは苦笑いをしながらこう返したのだった。

 

「ありがとう。でも、私のこと気にしなくて構いません。どうせこれは、不治の病なのですから……」

 

 それを自ら示すように、ギルバートは大きくまた咳き込むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開いた鉄扉を通り、階段を降り、新たに湧いて出た獣の群衆を屠り、ほむらは進む。

 例の家屋へと入り、真っ暗な部屋を横切り、階段へと向かう。

 やはり真っ暗な二階にはガラクタが並び、その陰には獣と化した群衆が二人隠れていた。

 相手がほむらでなければ、不意打ちもできたかもしれないが、歴戦の魔法少女の眼は誤魔化せない。ノコギリ槍で手早く屠り、光の差し込む出口へと向かう。

 

 果たして、出口から伸びた階段を昇れば、目当ての『大橋』に出た。

 市街地を巡るなかで、大橋は既に何度か眼にしていた。故に、ここを昇ればそこに出れるのではという確信があったのだ。

 

「……」

 

 ほむらは、夕陽の下で辺りを見渡した。聖堂街へと向かう方角を探していたのだ。

 だが、そこで見出したのは――。

 

「はぁっ! てりゃぁぁぁぁぁっ!」

 

 ――獣と戦う他の誰かの姿であった。

 

「!?」

 

 唐突に現れた誰かの死闘に、ほむらは目を見開いた。

 病室でほむらを襲った、あの黒い獣が誰かと戦っているのだ。

 

 手にした武器は長柄の巨大な斧。

 それを両手で構え、ぐるぐると風車のように廻し、黒い帽子の広い庇で風を切り、マフラーのように首に巻いた白布をたなびかせる。

 

「終わりだよ!」

 

 決着はすぐについた。

 唸る斧の刃を避けて、後退した黒い獣目掛け、黒服を纏った誰かは斧の先についた尖ったスパイクで片手突きを繰り出す。突きを顔面に受け、呻く黒獣目掛けて、空いた左手で腰元に吊るした短銃を抜き放ち、至近距離で引き金を弾いた。

 飛び出してきたのは、何故か散弾だ。一層怯む黒い獣へと、即座に短銃を手放し、両手で振りかぶった斧を、思い切り振り下ろした。

 

 ――ぐしゃり。

 

 肉が裂け、血が爆ぜる音が響き、黒い獣は動かなくなった。

 

「――ったく、どこもかしこも獣ばっかりじゃないか」

 

 上がった呼気に、黒いケープのかかった肩を上下させながら、その狩人は独りつぶやく。

 その声に、ほむらは聞き覚えがあった。いや、声だけではない。その鮮血のような、あるいは燃えるような長い髪も、後ろでリボン――ほむらの記憶と違って、白いリボンを使ってだが――で乱暴に結んだ髪型も、ほむらには見覚えがあった。

 

「アンタも、そう思うだろ?」

 

 黒服の狩人はほむらのほうへと振り返った。

 ほむらは、自身の考えが正しかったことを知る。

 身にまとった装束に、操る得物こそ違えども、犬歯のような八重歯を剥き出しに、血にまみれた獰猛な笑みを浮かべたその顔は、ほむらには懐かしく、見慣れた顔だったのだ。

 

「あなた……佐倉杏子」

 

 その名を呼べば、黒服の狩人は驚き、そして帽子とマスクの間から覗く、ほむらの紫の瞳をみて、驚いた様子で言った。

 

「あぁ!?……って、アンタいつぞやのイレギュラーじゃないか。なんだってこんな所に」

 

 ――果たして、黒服の狩人こそは、風見野の魔法少女、佐倉杏子に他ならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 









【Name】暁美ほむら
【装備:頭部】ヤーナムの狩帽子
【装備:胴体】ヤーナムの狩装束
【装備:腕部】ヤーナムの狩手袋
【装備:脚部】ヤーナムの狩ズボン
【右手武器1】ノコギリ槍
【右手武器2】なし
【左手武器1】砂時計の盾
【左手武器2】獣狩りの短銃
【所持アイテム】火炎瓶、石ころ
【ソウルジェム発動】???


【Name】佐倉杏子
【装備:頭部】神父の狩帽子
【装備:胴体】神父の狩装束
【装備:腕部】神父の狩手袋
【装備:脚部】神父の狩ズボン
【右手武器1】ガスコイン神父の獣狩りの斧
【右手武器2】なし
【左手武器1】ガスコイン神父の散弾短銃
【左手武器2】なし
【所持アイテム】小さなオルゴール
【ソウルジェム発動】???



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chapter.6『大橋』

 

 

 

 

 ――オーケストラの響き渡るなか、佐倉杏子は最後の戦いに臨む。

 

 相対するは、『人魚の魔女』。かつて美樹さやかと呼ばれた少女の成れの果て。

 身の半分は魚と化し、魂は失せ、最後に残ったどす黒い想いの残滓が鎧兜に我が身を牢した姿は、恐ろしい以上にいたましかった。

 杏子は決意する。

 我が身と引き換えにしてでも、魔女を――否、さやかを止めなければならない。

 リボンをとり、髪留めを外し、祈りの姿勢をとる。

 

「コイツは、私が引き受ける」

 

 自らの身体を盾とすべく、背にした二人、ほむらとまどかに決然と言い放つ。

 我が身を魔力の炎で燃やし、魂をも燃え尽きさせんと、全ての力を祈りに込める。

 魔力の槍は林の如く湧き立ち、蛇節槍は生き物のように動き、杏子の体を乗せて穂先を鎌首よろしく持ち上げる。魔女の、さやかの、瞳のない眼と正面から見つめ合う。

 

「心配すんなよさやか」

 

 寂しい微笑みを投げかけながら、祈りの姿勢を解く。

 手に赤い光が宿り、彼女の得物たる仕掛け槍が現れる。

 

「独りぼっちは、寂しいもんな」

 

 握り込んだ髪留めが掌のなかで熱を持つ。

 心臓のように脈動し、命の鼓動を打つ。

 

「いいよ、一緒にいてやるよ」

 

 口づけを一つし、髪留めを投げる。

 そこに宿った赤く輝く宝石こそは、佐倉杏子の魂そのもの。

 

「さやか……」

 

 宙空のソウルジェムへと穂先を擬し、鋭い槍先から魔力を迸らせる。ソウルジェム内部の魔力とそれは呼応し、魂の宝石を内側より砕きながら、爆ぜるようにして広がる。

 言葉通り、命を賭しての杏子の一撃は、美樹さやかだった魔女を確かに屠った。

 かくして佐倉杏子の魂も肉体も、人魚の魔女を道連れに、この時空からは完全に消え去った筈だった。

 

 いや、ある意味では消え去ったといえるかもしれない。

 杏子の魂は見滝原から確かに消え失せ、しかし消滅することなく、彷徨い、そして――悪夢に囚われたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――目覚めは唐突に訪れた。

 

「へ?」

 

 些かマヌケな声が漏れ出し、瞳は見覚えのない天井を捉える。

 しばらく現実を現実と認識できず、呆然とする。

 

「!?!?!?」

 

 余りの驚愕に言葉すら無くし、ベッドの上で跳ね起きる。

 シーツがズレ落ち、質素なつくりの寝間着姿があらわになる。

 

「あ? あ? あ?」

 

 ぱくぱくと金魚のように喘ぎ、何度も何度も左右の掌を握ったり閉じたりする。

 指の先の感触はこの上なく現実的で、我が身が幽霊でも幻でもない、確かな実体であることを教えてくれる。

 

「……なんで?」

 

 最初に出てきた言葉は、問いかけだった。

 当然だろう。彼女の認識では、間違いなく自分は死んだ筈だったのだから。

 そう、間違いなく自分は死んだ。さやかを道連れに、自らソウルジェムを爆ぜさせた筈なのだ。

 

 にも関わらず、自分は生きている。

 この上なく、五体満足で生きているのだ。

 

「……」

 

 ぺたぺたと、自分の体を何度も触ってみる。

 怪我一つなく、全くもって見慣れた自分の体だ。……いや、一箇所だけ、おかしな部分がある。

 

「なんだよコレ……」

 

 杏子は自分の胸元を訝しげに睨みつけた。

 魔法少女に変身した際に、ソウルジェムが収まっていた場所だ。今はソウルジェムの代わりに、血のような赤い色の、奇妙な紋章が浮かんでいる。先端を向け合う二つの三叉の間に、両者から串刺しにされるようにして目玉が置かれている、とでも言えばよいのだろうか。とかく、形容し難い奇妙極まりない図形なのは間違いがない。

 

「消えねぇぞ……気持ち悪いな、もう」

 

 ごしごしと模様を拭ってみるが、古傷のように赤みを増すばかりで、全く消える様子もない。

 故に杏子の意識は謎めいた文様に集中し、だからこそ、近づく足音に気づくことはなかった。

 

「あ」

「あぁっ?」

 

 幼い声に驚いて、声のする方を見れば、水盆を手にした少女の姿が目にうつった。

 白いリボンをした、可愛らしい少女である。呆然と、杏子の顔を見つめている。

 暫時、見つめ合い、変化は唐突に訪れる。

 

「おとーさーん! おかーさん! お姉ちゃんが起きたよー!」

「ちょ、ま」

 

 少女は水盆を放り出すと、大声を出しながら駆け去ってしまったのだ。

 呼び止める杏子の声は届くことはなく、独り残され、途方に暮れて、床へとぶち撒けられた水に眼を落とす。

 しばらくすると、少女が駆け去ったほうから、大きな足音が響いてきた。

 それは、とてもとても大きな足音だった。

 

「うぎゃぁっ!?」

 

 足音の主が姿を現した時、杏子が無礼にもそんな悲鳴をあげてしまったことを、誰が責められるだろう。

 現れた男は、天井に頭が触れるかと思うほど背が高く、ボサボサの白髪をかき乱し、その瞳は包帯に覆われていたのだから。客観的に見て、人に悲鳴をあげさせるに充分な、奇怪なる出で立ちではないか。

 

「……」

 

 大男は杏子の反応に、不満げに鼻を鳴らしたものの、咎め立てることはなかった。

 ――これが佐倉杏子とガスコイン神父との出会いであり、彼女と神父一家との、短くも濃密な日々の始まりになったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――『大橋』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見慣れぬ装束に身を包んだ佐倉杏子は、ほむらのことに気づくなり、驚き言った。

 

「あぁ!?……って、アンタいつぞやのイレギュラーじゃないか。なんだってこんな所に」

 

 ――イレギュラー。

 この言い回しに、ほむらは帽子の下で眉をしかめた。

 杏子がほむらのことを『イレギュラー』と呼ぶのは決まって、彼女が巴マミと決別し、しかも和解に失敗した時間軸でのことなのだ。つまり今ほむらの目の前にいる佐倉杏子が、その時間軸からやって来た彼女であることを示しているのだ。これは、ほむらにとって喜ばしい事態ではない。このタイプの時間軸の杏子は決まって、利己的な生き方を()()()()()()()()。だからこそ巴マミと再び手を取り合うこともできず、美樹さやかと衝突を繰り返すのだ。

 つまり、状況次第では敵となりうる可能性を孕んでいるということなのだ。

 

「……そう構えんなって。アンタとやりあう気はないよ。よりによって、こんなひどい夜にさ」

 

 しかし杏子はほむらへとそう笑いかけると、斧の『仕掛け』を動かせば、それを片手用のものへと変形させ刃を下げた。害意を否定するジェスチャーである。

 

「お互い、因果なことに巻き込まれちまったもんだよね。おっ死んだかと思えば、天国でも地獄でもなく、獣の街に迷い込むなんてさ」

 

 腰に手を当てながら、自嘲気味に微笑む杏子の言葉から、ほむらは彼女が自らの死を自覚していることを知った。恐らくは、美樹さやかと心中でもしたのだろう。幾度となく、ほむらが見送ってきたパターンだ。

 

「……もしかして、マミやさやか、それに、まどかって言ったっけ? あの娘もヤーナムに来てたりすんのかい?」

 

 これは、ほむらにも気にかかる問いかけだった。

 自分のみならず、杏子までもがこの異常事態に巻き込まれているのだとしたら、巴マミや美樹さやか、場合によってはまどかがこのヤーナムの街に迷い込んでいたとしてもおかしくはない。もしそうだとすれば、まどかと一刻も早く合流をせねばならないだろう。

 

「……残念だけど、今の所顔見知りと会ったのは、あなたが初めてよ」

 

 しかし口惜しいことに、ほむらはそう言って首を横にふるしかないのだ。

 

「そうかい……てっきり、さやかの馬鹿も迷い込んでるもんかと思ってたけど、このぶんじゃどうにもはっきりしないね」

 

 杏子はと言えば然程期待していなかったのか、あっけらかんとした様子だった。

 ほむらには、なんとも見慣れぬ様子の彼女だった。

 魔法少女としての誇りを持ち続けるでもない、やさぐれ利己主義に走るでもない、憑き物が落ちたかのような、あっさりとした表情をしている。あるいは一度『死』を経ることで、何か悟るものでもあったのかもしれない。

 

「ところで……今のアンタはアタシと同じ、狩人なんだってのは解るけど、いったぜんたい、こんな所で何してんのさ?」

 

 杏子からの問いに、何と答えたものか、ほむらは思案した。謎めいた現状に対する答えを、誰よりも欲しているのはほむら自身なのだ。未だ何一つ、自分が今、このヤーナムに居る意味を、明らかにしてはいないのだ。

 

「……『青ざめた血』という言葉を、聞いたことがあるかしら?」

 

 だからほむらは、敢えて問い返した。

 どうも杏子は、自分よりも先にこのヤーナムに迷い込んだらしい。だとすれば、何かを知っているかもしれない。

 

「『青ざめた血』……? 何だよそれ? 新しい輸血液かなんか?」

 

 しかしほむらのあては外れた。杏子は眉をしかめたのみで、期待した答えは返ってこなかった。

 

「――その『青ざめた血』を探すために、聖堂街に向かう道を探しているのよ」

 

 それでもほむらは気落ちすることはなかった。

 この忌々しいヤーナムの街で、見知った相手と言葉を交わせることが、この上なく心を落ち着けてくれたから。

 

「聖堂街、ねぇ。奇遇だね。アタシもちょうど向かってた所のなのさ」

 

 杏子は、彼女の左側の空を見上げた。

 ほむらも釣られて見れば、ことごとく高く、先の尖ったヤーナムの屋根のなかにあって、一際高い屋根が聳え立っている姿が見えた。どうも、あれが聖堂街であるようだ。

 

「今夜はハッキリ言って異常さ。獣避けの香を焚いてても、獣どもが襲いかかってきやがる。ヤーナム中央街じゃ、安全なとこなんてもう何処にもない。でも、聖堂街なら、まだ逃げ込める場所があるんじゃないかってね」

()()()()? あなたが?」

 

 杏子らしからぬ言葉に、ほむらが問えば、赤毛の魔法少女は視線を逸らし、頬を指先でぽりぽり掻いた。

 

「まぁ、こっちにも色々とあってね」

「……」

 

 ほむらは詳しくは問わなかった。

 杏子は若干強引に話題を変える。

 

「どうだい? 目的地は同じだし、お互い魔法少女――じゃないな今は、お互い狩人同士だ。協力し合うっていうのは」

 

 これは、ほむらにとっては渡りに船だった。

 ヤーナムの街は、異邦人が独りで歩むには、あまりに陰気に過ぎる。

 

「こちらからも、よろしくお願いするわ」

 

 ほむらの答えに、杏子は八重歯を見せながら笑った。

 

「お近づきのしるしってやつだ。受け取れよ」

 

 ――『油壺』

 

「アンタなら、アタシよりもうまく使えそうだからさ」

 

 ほむらは受け取った餞別を、盾の中にしまった。

 よもや杏子の言う通り、受け取った油壺をうまく使ってみせる破目に陥るとは、この時は知るよしもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大橋の半ばで、例の大男と巨大で地を這うカラスの群れと出くわしたが、二人はいとも容易く片付けることができた。歴戦の魔法少女が二人だ。得物こそ彼女らの普段のものと違うとはいえ、この程度の相手に遅れをとるわけもない。

 

「意外ね」

「なにがさ?」

 

 獣狩りの斧にこびりついた血を振り払う杏子の姿に、ほむらはポツリと言った。

 

「斧とか、そういう武器を使うイメージが、あなたにはなかったから」

 

 魔法少女としての佐倉杏子は槍使いだ。しかも、多節槍という、トリッキー極まりない武器を得物としている。

 実際、その獰猛な性格に反して、彼女の戦闘スタイルはむしろ技巧派だ。そんな彼女が、殺意をそのまま形にしたような、刃も分厚い斧を使っているのは、はっきりいって奇妙ですらある。

 

「こう見えて、意外と繊細な武器なんだけどね。まぁ、見た目だけなら確かにそう思うのもしかたないか」

 

 杏子は、その刃に刻まれた、謎めいた文字を眺めた。

 ほむらにはしかし、杏子がそんな文字列を実際には見ていないように思えた。

 柄の曲がった斧を通して、誰かの幻影を見ているように、ほむらには思えたのだ。

 

「……行こう。こんな所で時間使ってもしょーがないじゃん」

 

 ほむらの視線に気づいた杏子は、大橋の奥へと歩みを再開した。その後に、ほむらは続く。

 暫し歩けば、大橋の端に辿り着いた。

 

「……閉ざされているわね」

「クソッ! 無駄に頑丈につくりやがって! コレじゃぶち破って行くこともできやしない!」

 

 そこで二人を待ち受けていたのは、下ろされた巨大な鉄扉であった。

 獣を阻むためか、恐ろしく頑丈に造られ、ほむらと杏子が力を合わせたとしても、破れそうにはない。

 杏子は思い切り鉄扉を蹴飛ばすが、重い金属音を鳴らすだけビクともしなかった。

 

「この高さじゃあ、乗り越えるの無理っぽいね……ったく、別の道を探すしかないか」

「そのようね。引き返しましょう」

 

 二人だけの力では、いかんともし難い。引き返すより他なかった。

 ほむらも杏子も、嘆息を交えながら、踵を返した――その時であった。

 

 ――咆哮。

「「!?」」

 

 突如鳴り響いた獣の吠える声に、二人は立ち止まり、互いに顔を見合わせる。

 声は恐ろしく大きく響いた。つまりはその主は、すぐ近くにいることを示している。

 

「……少し前、同じ声を聞いたわ」

「奇遇だね。あたしもさ。しかも前の時と違って――」

 

 ほむらと杏子は、振り返り、頭上を見上げた。

 空を巨大な影が飛び抜ける。

 

「――ひどく、近い」

 

 地響きに、大橋が揺れる。

 二人が向き直れば、巨大な、余りに巨大な獣の姿が見える。

 鹿のような巨大な角を生やしたその獣は、二人の姿をみとめるや、再び咆哮をあげた。

 

 ――『聖職者の獣』

 

 そう呼ばれる、恐ろしい獣が、二人の魔法少女へと今、襲いかかろうとしていた。

 

 

 



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chapter.7『聖職者の獣』

 

 

 

 

 

「――はぁっ!? ヴィオラ母さんが独りで出ていっただぁっ!?」

 

 杏子が素っ頓狂な声で問うのに、白いリボンの少女は涙目で頷いた。

 マスクを外し、枯れた羽根が特徴的な狩人の帽子を床に投げつけ、舌打ちしながら壁を拳で叩いた。

 

「……ガスコインのおっさんを探してか?」

 

 杏子が問うのに、少女は再度涙目で頷く。

 

「くそっ! くそっ!」

 

 左手で髪を掻き乱しながら、毒づく。

 愛用の槍を乱暴に立てかけ、椅子に座って考える。

 

 ――予兆はあった。

 

 ガスコインの様子はここ数日おかしかったし、それをヴィオラも案じていたのだ。

 だがガスコインはベテランの古狩人だ。神父を狩人の師として仰いでいた杏子は、かつて巴マミと決別したあともその実力を信じ続けたように、ヴィオラほどガスコインのことを心配してはいなかった。だから、やたら単独で動きたがる――彼の言い分によれば、杏子に狩りの経験を積ませるためらしい――ガスコインに合わせて、杏子は別行動をとっていたのだ。

 それが、このザマだ。 自分は、さやかのことから何も学んでいない。

 

「なんでアタシが帰って来るまで待ってられなかったのさ!」

 

 杏子が叫んだ言葉はしかし、自分に向けている言葉のように響いた。

 なぜ自分は、もっと早く帰ってこれなかったのか、という意味を込めた。

 

「お母さん……お姉ちゃんがお父さんと一緒にいると思ってて……」

 

 少女がグスグスとは涙混じりに言うのを聞きながら、杏子は家に帰ってきたばかりながら、即座に再出立の準備を始めた。

 獣狩りの散弾銃用の水銀弾を補充し、棚に並んだ輸血瓶を幾つか掴み取り、スローイングナイフを懐に忍ばせる。神父のかつての相棒が好んで使ったという飛び道具を、杏子もまた好んで使っていた。

 

「ちょっとおっさんとヴィオラ母さん探してくる! しばらく帰んないかもしれないから、その間、獣避けの香、しっかり焚いとくんだぞ!」

「待って!」

 

 少女にキツい口調でそう言い残して、槍を携え駆け出そうとする杏子を、少女は慌てて呼び止める。

 

「キョウコお姉ちゃん、これ持っていって!」

 

 少女が手渡して来たのは、掌の上に収まる小さなオルゴールだった。

 杏子はこのオルゴールのことを知っている、ガスコインが好んだ、夫婦の思い出の曲の入ったオルゴールだ。

 

「お母さん、相変わらずおっちょこちょいだから……あんなに持っていかなきゃ、って言ってたのに、忘れていっちゃって……」

 

 ――例え、私たちのこと忘れてしまっていたとしても、この曲を聴けば思い出すはず。

 ヴィオラがふと漏らした言葉を思い出し、杏子は何故か強い不安にかられた。

 あれほどしっかりとした古狩人が、愛する家族のことを忘れるなどするものか!

 

「……二人見つけたら、できるだけ早く戻る。ちゃんと留守番してろよな!」

 

 オルゴールを受け取ると、今度こそ杏子は再び、ヤーナムの市街へと繰り出していった。

 

(待ってろよおっさん達!)

 

 血を払う為に取り付けられた、短いマントを風に舞わせながら、杏子の姿は夜に紛れていく。

 

 ――かつて魔女を狩ることを生業としていた少女が、獣狩りの狩人へと転ずるのには、さしたる時間を要しなかった。

 

 得体の知れない自分を受け入れてくれた、ガスコイン一家にせめてもの借りを返すためと、杏子は神父の稼業に身を投じたのだ。

 装束を真紅に輝く魔法少女のものから、暗闇に溶け込む真っ黒な狩人のものへと変じ、左手には神父から譲られた散弾銃を、右手には使い慣れた多節槍を携え、佐倉杏子は獣を狩った。

 槍は、このヤーナムへと迷い込んだ時に、一緒にやってきたものであるらしい。少女が自分を見つけた時、傍らに転がっていたそうだ。

 獣狩りに、必ずしも適しているとは言えない得物だったが、杏子はそれで充分に上手くやった。少なくとも、気難しいガスコインに弟子――いや、新しい相棒として認められる程度には。

 

 ガスコイン家の少女は、杏子のことを慕った。

 杏子は否応なく、かつて自分の咎で死に追いやってしまった妹のことを想起する。 

 

 だからこそ、杏子は夜のヤーナムの街を走る。

 少女の為に、自分を受け入れてくれた優しい母のために、そしてその不器用な姿に、どことなく父の姿を重ねてしまう神父の狩人のための。

 

 どんな結末が自分を待っているのか、そのことを知る由もなく――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――『大橋』

 

「おいおいマジかよ」

 

 杏子が冷や汗を浮かべながら、そう呟いた。

 ほむらもまた、彼女と同じ気持ちであった。全く、冗談のような光景なのだから。

 

 今までほむらが遭遇してきた獣たちとは、段違いの大きさだ。

 人の体のゆうに数倍はあろうかという巨獣なのだ。

 今までも、巨大な魔女とは何度となく戦ってきた。しかし魔女たちの姿がいずれもどこか現実離れしているものだったのに対し、目の前の獣はなまじ見慣れた動物たちとの類似性が見出だせるだけに、その異常性が一層強く感じられるのだ。

 ヘラジカのような巨大な双角に、恐竜を思わせる細長く尖った頭部。

 肋の浮き出た痩せた体躯に、不釣り合いに膨れ上がった左手。右手は左に比べれば細いが、その指には左右いずれも漏れなくナイフのような鋭い鉤爪が生えている。

 白い体毛が外套のように風に揺れ、棚引く。

 その姿は一種美しくもあり、同時におぞましくもあった。

 

 ――咆哮。

 

 鳥の声のように甲高く、しかしそれ以外は全く鳥のものとは異なる、形容し難い遠吠えを天に向けて放てば、いずれの獣もそうであったように、明確な敵意を背負って地響き立てて歩み寄る。

 その巨大な左手の拳を地面につけながら、ゆっくりと、しかし巨体ゆえの素早さで二人へと近づいてくる。

 

「……アタシがまず突っ込む。アンタは援護しな」

「いいのかしら」

 

 ほむらが問うのに、杏子は獰猛な笑みで応える。

 

「獣の相手は慣れてるんだ。特にこういうデカブツはね」

 

 そう言えば、彼女は獣に臆することなく地を蹴って走り出す。

 魔法少女時代の杏子も素早かったが、狩人としての彼女もそのスピードでは負けていない。

 獣は、迫る杏子に向けて左拳を振り上げる。その巨大な拳で、叩き潰そうというのだろう。実際、獣の膂力であれをふるえば、人間など容易く四散させられるように思える。

 だが、彼女は佐倉杏子、歴戦の魔法少女なのだ。大ぶりの一撃を貰うほど、彼女の動きは鈍くはない。

 

「たぁっ!」

 

 獣の足元目掛け杏子は跳び込ように身を投げる。残像を獣の拳が潰した時には、杏子は身を転がしながら巨獣の背後に廻っていた。

 

「こっちだよウスノロォッ!」

 

 杏子は獣の臀部目掛けて、思い切り斧を振るった。

 スイングを効かせた一撃は、獣の分厚い皮膚を裂いて血を撒き散らす。

 巨獣は呻き、振り返りながら右手を振るうが、既に杏子の姿はそこにはない。素早くステップして後退すると同時に、仕掛けを動かし、斧を両手で構える。

 その動きに、ほむらは見覚えがある。彼女は長柄斧を振るいながらも、その動きは多節槍のものを応用しているのだ。

 

「そーらぁっ!」

 

 バトンか何かのようにクルクルと大斧を廻すと、迫る巨獣の左手が地面に触れた瞬間に、彼女は地面を蹴り横薙ぎの一撃を振るう。相手の掌が地面に触れて、一瞬動きが止まった所を逃さない一撃。勢いをつけた斧の刃は、獣の左腕に深々と突き刺さる。

 

 ――悲鳴。

 

 獣は左手の傷を押さえながら、泣き叫ぶように吠えた。

 効いている。巨大な相手だが、斃せない相手ではない。

 

「はっ!」

 

 ほむらは相手の注意が杏子と自身の傷に向いている隙を逃さず、地面を二度蹴って肉薄する。

 仕掛けを動かし、ノコギリを槍へと変えて、そのギザギザした幅広の刀身を振り下ろす。

 広い背中の肉をノコギリは抉り取り、血を撒き散らし、獣をより一層哭かせる。

 

 ――やはり効いている!

 

 ほむらは更なる追撃を仕掛けるべく、仕掛けを動かし得物を鋸と化し、ラッシュを仕掛けようとする。

 

「馬鹿! 深追いすんな!」

 

 杏子の警告は正しかった。

 獣は傷ついた左手を振るうことで、背後のほむらに応じたのだから。

 

「!?」

 

 咄嗟に盾を構えるが、やはり獣の爪の鋭さは防げても、衝撃までは防ぎきれない。

 重い一撃に体は体重がないかのように吹き飛び、橋の石畳に背中を打ち付けられる。

 

「かは――」

 

 肺を強打し、呼吸が一瞬止まる。

 呼吸が止まれば動きも止まり、獣は獲物の動きが止まるのを逃しはしない。

 振り返って、標的をほむらへと変える。

 

「こっち見ろよバケモノ!」

 

 散弾が、獣の背部を叩く。

 杏子は動けぬほむらを獣越しに見て、素早く援護に廻った。

 銃身を折り曲げ、素早く再装填を済ませれば、次の散弾を獣へと放つ。

 二度の射撃を受け、巨獣は杏子へと振り向かざるを得ない。

 獣が杏子へと襲いかかる間に、ほむらは咳き込みながらなんとか立ち上がった。

 

「たぁっ! てりゃぁっ!」

 

 杏子は斧の先端のスパイクを槍のように使って、素早い突きのヒット・アンド・アウェイを繰り返す。

 短いスパイク故に獣へのダメージこそ少ないが、相手は苛立ち、一層大振りな攻撃を繰り返しては、素早い杏子の動きに翻弄される。

 

「……」

 

 ほむらは悟る。

 狩人としての力量は、今は杏子のほうが遥かに勝っている。自分が無闇に仕掛けても、それは彼女の負担になるだけだ。ならば、どうする。

 

(自分が出来ることを……するしかないのよ)

 

 ほむらは盾の中を探り、二つのモノを取り出した。

 杏子から貰った油壺と、道中で拾った火炎瓶。爆薬に詳しいほむらの知識が、この二つに呼応する。

 

「はっ!」

 

 ほむらは油壺を投げ、若干の間を置いて火炎瓶を投げた。

 二つが宙空にあるうちに、素早く獣狩りの短銃を抜く。片眼を瞑り、照準を合わせる。

 

「フッ――」

 

 気合の呼気と共に、引き金を弾く。

 銃弾は油壺と火炎瓶を同時に撃ち砕き、油と燃える油が合わさり、巨獣の背中を容赦なく焼き、爛らせる。

 

 ――悲鳴。

 

 獣の絶叫を聞きながら、ほむらは再度同じ攻撃を繰り返す。

 燃え盛る炎は、今度は獣の相貌を焼き、その悲鳴をより激しいものへと変える。

 

「……」

 

 ほむらは追撃の銃撃を、獣の頭目掛けて放った。

 燃える頭にそれは突き立ち、相次ぐ痛みに遂に獣は体勢を崩した。

 

「!」

 

 下りてきた頭を、見逃すほむらではない。

 自身の目線の高さまで下がった巨獣の頭部、その側頭部目掛けて、躊躇いなく拳を突き出す。

 

 ――ずぶり。

 

 指先は容赦なく獣の肉に突き刺さり、ほむらが力を込めれば、確かに血肉を掴む。

 そのまま思い切り引っ張れば、ごっそりと、それを為したほむら自身が怖気を催すほど、獣の肉を毟り取って血を撒き散らす。

 獣は絶叫し、傷みに悶える。

 しかし狩人は獣に容赦する筈もなく、杏子は好機とばかりに大きな背中へと斧を振りおろす。

 

「終わりよ」

 

 ほむらは仕掛けを再起動し、鋸を槍として、両手で構え思い切り獣へと突き出した。

 それは、杏子が斧を水平に構え力をため、二度連続する回転斬りを放ったのと、ほぼ同時だった。

 

 ――断末魔。

 

 巨獣は最後に大きく啼くと、夥しい血と、蒼い光の奔流となって、まるで幻だったかのようにこの世から失せた。

 その存在が幻影ではなかったことを示すかのように、最後に、地面に落ちた狩人証が残されていた。

 

 ――『剣の狩人証』

 

 それはかつて医療教会の工房が発行した、狩人証の一つだった。

 銀の剣は、教会の狩人の象徴でもある。

 ルドウイークを端とする医療教会の狩人は また聖職者であることも多かった。

 そして、聖職者こそがもっとも恐ろしい獣になる――。

 

 

 

 

 ――『YOU HUNTED』

 

 

 

 

 

 



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chapter.8『大橋―狩人の夢』

 

 

 

 

 ――絶叫と共に、拳を突き出す。

 

 指先はガスコイン神父――否、かつて彼()()()獣の腹部へと、深々と刺さった。

 鼓膜を破るほどの咆哮が響き渡るなか、杏子は双眸に涙を滲ませながらも、掌を引き抜いた。

 スプリンクラーのように血を撒き散らしながら、獣と化した古狩人は斃れる。

 

 ――ヴィオラ。

 

 そう、神父は断末魔のなかで愛する妻の名を呼んだ。

 青い光の奔流が四散し、倍以上に膨れ上がったガスコインの体は夢のように失せる。

 

「――」

 

 杏子は声もなく泣いていた。

 膝をつき、地面を掻き毟る。

 

 雪のように灰が舞い落ちるオドンの地下墓には、斧でぐちゃぐちゃに叩き潰された獣化せし群衆の死体が転がり、やや離れた所に、美しい金色の髪をした、女性の亡骸も横たわっていた。その胸元の真っ赤なブローチは、彼女がガスコインの妻であり、杏子を姉のように慕う少女の母親であるという事実を、情け容赦無くさらけだしている。

 

 ――結局、杏子は間に合わなかったのだ。

 

 ヴィオラは狂った群衆たちにより命を落とし、ガスコインは狂い、杏子すらをも獣とみなし襲いかかってきた。

 必死に、説得は試みた。激しい攻撃の最中を縫って、預かった想い出のオルゴールを鳴らしてみたりもした。

 

 だが、結論から言えば全ては無意味だった。

 

 自己防衛の為に斧と槍とを交わすなか、不意に神父は大きく呻き出し、人ならぬ獣と化した。

 獣の病。ヤーナムを覆う、忌まわしい厄災。その哀れな犠牲者たちを葬送の刃で送ってきた古狩人ですら、その業から逃れることはかなわなかったのだ。

 ひとたび獣となってしまえば、もうどうにもならない。

 魔女と化した魔法少女を救い得ないのと同様に。

 

「神様、なんでだよ。いつもどうしてアタシは――……」

 

 父を、家族を、死に追いやり。

 先輩と慕ったマミとは決別し――彼女は独り死んだ――、さやかを救うこともできなかった。

 こうして迷い込んだ街で、新たに得た()()

 救いたかった。助けになりたかった。だから狩人となった。

 ちょうど、父を助けるために魔法少女になったように。

 なのに――。

 

「……」

 

 ソウルジェムを漆黒に染め、魔法少女を魔女と化すのに充分な絶望が、少女の心を満たす。

 しかし皮肉にも、今や彼女は狩人だ。

 血の医療により、より強靭になった肉体は、杏子に狂うことすら許さない。

 

この穢れた鼠女が(You plague-ridden rat)!』

テメェの脳みそを叩き潰してやる(I'll mess up your brain)!』

獣め(Beast)! 穢れた獣め(You foul beas)!』

消え失せやがれ(You are not wanted here)!』

 

 背後から、新たなる呪詛が聞こえてくる。

 墓地の入り口から、新手の獣の群れが、未だ自分が獣となったことすら気づかぬ群衆達が、血の匂いを嗅ぎつけて押し寄せて来たのだ。

 あるいは、彼らに我が身を任せてしまうという、そんな選択肢もあった。

 

「……ああそうかい」

 

 だが、杏子は立ち上がり、誰に言うでもなく呟いた。そんな楽な選択肢を、自分は選ぶ資格を持たない。

 彼女の得物、多節槍は、獣と化けるガスコインの一撃に仕掛けを砕かれ、鎖を千切られて地面に転がっている。獣狩りの散弾銃は弾切れだ。

 

「解ったよ」

 

 遺っているのは、ガスコインが獣と化すと同時に手放した、かつて彼が愛用した二つの狩り道具。

 獣狩りの斧。そして特別に仕立てた散弾式の、獣狩りの短銃。

 杏子は、その両方を拾い上げようとした。

 

「狩れば良いんだろうさ、獣を」

 

 その前に、彼女は神父の亡骸が失せたあとも、一面に広がったままの血痕の、その真中に転がるモノを取り上げる。ガスコインが、マフラーのようにいつも巻いていた白布であった。そのうす汚れた首巻は、よく見れば美しい刺繍が施されていることがわかる。袂をわかってもなお、あるいは自身が狩人であることの証のためにか、首に巻き続けていた医療教会の象徴たる聖布。

 

「獣の病が絶える……その日まで!」

 

 佐倉杏子は今、その白布を()()する。

 左手で自身の首に巻き付けると同時に、右手では獣狩りの斧を握り、仕掛けを動かす。

 斧を槍のように構え、いつも彼女がそうするように、くるくる手業で廻してみせる。

 

 涙はうせ、八重歯を牙のように剥き出し、杏子は迫る獣へと相対する。

 

 彼女にはなさねばならぬことが二つある。

 

 獣を狩ること。そして一人の少女を、ガスコインとヴィオラの娘たる、白いリボンの少女を守ること。

 全てを失い続けてきた自分に、最後に遺された、たったひとつの、みちしるべ。 

 

 彼女は狩らねばならない。

 遺された、小さな命を守るために。

 彼女は狩らねばならない。

 犠牲者たちの、戦友たちの遺志が、せめて天に、あるいは狩人の夢に届くように。

 

 ――それだけが、ことごとく全てを台無しにしてきた自分に、せめて出来る唯一のことだと思えた。

 

 ――咆哮。

 

 獣のように叫びながら、獣目掛けて佐倉杏子は駆ける。

 そんな彼女の懐で、虚ろな容れ物となった筈のソウルジェムが、流される血を、その遺志を吸って、その真紅の輝きを取り戻し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――『大橋』

 

「……」

 

 ほむらは、巨獣が消え失せたあとに残った、首飾りのようなものを拾い上げた。

 『剣の狩人証』――というその名を、ほむらは知らない。ただ、それが銀の剣を模したものであるらしいということ、凝った意匠から、貴重あるいは大事なものであったらしいということを察するのみだ。

 

「なんとかなったな」

 

 杏子が仕掛けを動かし、斧を片手に戻しながら言った。

 歴戦の魔法少女である彼女は、既に歴戦の狩人でもあるらしい。

 浴びているのは返り血ばかりで、怪我らしい怪我もなく、息もあがっていない。

 

「それで? これからどうする?」

 

 そして、今しがた仕留めた巨獣のことなどうでもいいかと言うように、彼女は封鎖された大橋の端を改めて見上げていた。時間を繰り返せば繰り返すほど、暁美ほむらにとって魔女狩りとは単なる作業と化していったが、日々の糧に魔女や使い魔を狩る杏子にもまた、そんな所があったのを思い出す。

 

「どうするもなにも、ここが使えないのなら、別の道を探すしか無いわ」

 

 狩装束についた血を払い、帽子の下からそのまま出した長い黒髪も、右手でいつものように撥ね上げる。

 確かに、巨獣を斃した所で、ただ危機を脱したというだけで、状況はなにも変わってはいないのだ。

 しかし、この大橋が使えないとすれば、どうやって聖堂街に入ったものだろう。

 

「……ギルバートにもう一度聞いてみるしかないわね」

「ギルバート?」

「親切な人よ。ここまでの道も、彼から教えてもらったわ」

「ヤーナムで親切な人たぁ、珍しいねぇ」

 

 胡散臭いと、杏子が顔をしかめる。

 ほむらも内心同意だった。このヤーナムの街は余りに冷たく、陰気で、よそよそしい。

 

「私達と同じ、余所者よ」

「ああ、なるほど」

 

 この答えには、杏子は納得した様子だった。

 ほむらはそんな反応から、自分と同じような苦労を彼女もしてきたことを察した。

 

「ギルバートの家はこの橋を引き返して――」

 

 そこで、ほむらは気がついた。

 唐突に言葉を止めたことに、訝しんで杏子も、ほむらと同じ方向を見る。

 

「……あんなの、あそこにあったか?」

「いいえ。さっきまでは何もなかったわ」

 

 ほむらは首を横に振る。

 二人が見つけたのは、何故か道の真中に突き出た、先にランタンを吊るした鉤棒。

 ギルバートの家の前にあったものと、全く同じもの。

 あの奇妙な、閉ざされた庭園への入り口に他ならない。

 

「あなた、あれと同じものをこれまで見たことは?」

「……いや」

 

 杏子は首を横に振る。

 ほむらは、彼女に自分の見たものについて簡単に説明をした。

 

「獣の病だけじゃねぇのかよ……なんなんだよ、この街は……」

「同感ね。本当に、なんなのかしらこの街は」

 

 言いつつほむらが手を翳すと、ランタンが灯り、紫の光を辺りに放ち始める。

 

「げぇっ!? きもちわるっ!?」

 

 杏子の言葉でほむらも初めて気がついたが、ランタンの掛かった鉤棒の根本に、地面から湧き出た例の白い小人達が群がっている。ほむらは既に見慣れているが、確かに、出し抜けにあの奇怪な顔を幾つも見せられたら、杏子のような反応も不思議ではない。

 

「見た目はああだけど、敵意はないようね。前に贈り物をもらったわ」

「マジかよ……」

 

 杏子は不審げだった。

 

「……こうして私達の前に、新たにコレが現れたのにも、何か意味があるかも知れないわ。ギルバートの所に行く前に、もう一度、あそこに行ってみようと思うのだけれど、あなたはどうするのかしら?」

 

 ちょっと考えて、赤毛の魔法少女は首を横に振る。

 

「やめとくよ。あたしにはちょっと得体が知れない。それに……あたしはあたしで、寄り道したい所があるからね」

「じゃあ、お互い用事を済ませたら、またこの大橋で合流するというのはどうかしら? 捜し物なら、手分けしたほうがどのみち早いわ」

「そうすっか……じゃあ、コイツを渡しておく」

 

 杏子が懐から取り出したのは、小さなベル状の鐘であった。

 

「これは?」

「『小さな鐘』……とかそんな名前だったよ確か。おっさんが言うには、他の狩人と協力したい時、連絡を取り合うのに使うんだとか」

「……おっさん?」

 

 ほむらの当然の問いを受けて、一瞬、杏子は顔を強張らせた。

 

「――こっちの話だ。とにかく、そいつを鳴らせば、同じような鐘を相手が持っていた場合、どこにいようと、どんだけ離れてても一緒に鳴り合うんだそうだ。まぁ、実際に使ってる所を見たことないから、ホントの所はよくわかんないんだけどね」

 

 ひとまず、ほむらは小さな鐘を受け取った。

 青みがかった、なんとも言えない不思議な色をしている。どんな金属で作られているのか、まるで見当がつかない。

 

「試しに鳴らしてみるぞ」

 

 杏子が同じような鐘を――大きさがほむらのものよりも大きい――を鳴らしてみると、不思議なことに、確かに小さな鐘も共鳴して不思議な音色を奏で始める。つくづく、このヤーナムの街には驚かされることばかりだ。

 

「うまくいったな。これで別行動も問題ないってわけだ」

「そのようね。それじゃあ」

「ああ、また」

 

 そうして杏子とは一旦別れた。

 ほむらとしては、杏子は実に協力しやすい相手だった。

 彼女はマミほど理想主義者でもなく、さやかほど感情的でもない、理知的で、冷静に損得の勘定もできる。

 この謎だらけの街を探る上では、最適のパートナーと言えるだろう。

 

(マミ、さやか、そして……まどか。あなたたちも、このヤーナムの街に迷い込んでいるかしら)

 

 そんな問いを抱き、あるいはその答えを手に入れることを期待して、ほむらはランタンに手を翳す。

 翳せば、前の時と同じように、意識が遠のき始める。

 体が薄くなり、希薄化し、陽炎のように消え失せる。

 まるで眠りに落ちるように、ほむらの意識は途絶え――……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はじめまして。狩人様」

 

 ――動き出した『人形』が、そう言って出迎えたのだ。

 

 

 



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chapter.9『助言者、ゲールマン』

 

 

 

 

 

 

 

 

「はじめまして。狩人様」

 

 その鈴の音のような声を聞いた時、ほむらは面食らって固まってしまっていた。

 眼の前にいる『人形』は確かに、打ち捨てられて石段の上に腰掛けていた筈だった。

 それが今や生き物のように立ち上がり、挨拶し、ほむらのほうへと一礼している。

 

「……」

 

 ほむらの手は、自然と短銃の銃把へと伸びていた。

 これまでの経験のなかでは、こういう超常の手合はおしなべて碌でもない連中であったのだから。

 

「私は人形。この夢で、あなたのお世話をするものです」

 

 しかし人形は、相変わらずの動かぬ美しい顔で、静かにそう告げるばかり。

 礼儀正しく、耳心地のよい声だった。そこからは、いかなる悪意も読み取ることはできない。

 

「『ゲールマン様』にお会いしましたか? あの方は古い狩人、そして狩人の助言者です」

 

 人形は、赤い手袋――花に蔦の柄が美しく、白いレースが端から延びている――に包まれた掌を、墓石立ち並ぶ階段の先の小さな屋敷のほうを指さした。その指は、人形らしく、あからさまに関節が指と指の間に陰を作っていた。

 

「あの屋根の下で、ゲールマン様がお待ちのはずです。さあ、狩人様……」

 

 人形に促されて屋敷のほうを見れば、かたく閉ざされていた筈の扉が、全て開け放たれているのが見えた。

 あの開け放たれた扉の向こうに、ゲールマン、とやらがいるらしい。

 

「……」

 

 ほむらは警戒心を抱きつつも、人形に促されるまま、階段を昇る。

 ともかく、望んでいた『変化』が起きているのは間違いないのだ。

 何が待つにしても、それを確かめぬわけにはいかない。

 

「やあ、君が新しい狩人かね」

 

 開け放たれた扉をくぐった時、ほむらを出迎えたのは落ち着き払い、最早枯れ果てたという印象すら抱かせる声だった。

 

「ようこそ『狩人の夢』に。ただ一時とて、ここが君の家になる」

 

 声の主は、車椅子の老人であった。

 杖と、右足の義足を足置きの上に突いた、草臥れた格好の老人なのである。

 ()天蓋(クラウン)もひしゃげた古帽子に、端がほつれ、千切れ、爛れたようになったマント、皺だらけの上着、薄汚れたズボン。お世辞にも綺麗とは言い難い装束だが、老人には不思議な気品のようなものがあって、薄汚い格好もそれを損なうことはなかった。

 

「私は――……ゲールマン。君たち狩人の、助言者だ」

 

 何故か老人は、奇妙な間を空けながらそう名乗った。

 あたかも、自分の名すら一瞬、忘れてしまったかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲールマンがほむらに対し語った情報は、殆ど最低限度のものと言ってよかった。

 

「今は何も分からないだろうが、難しく考えることはない。君は、ただ、獣を狩ればよい。それが、結局は君の目的にかなう。狩人とはそういうものだよ。直に慣れる」

 

 魔法少女に関しての、あの隠し事だらけのキュウべぇの説明すら凌ぐ、説明とすら言えない説明である。

 

「説明になってないわ」

 

 故にほむらは、こう言ったのだ。

 

「――全てを語ることに、いったい、何の意味があろうものかね」

 

 しかしゲールマンは、諭すように応えるだけだった。

 

「ここは夢……夢に理屈を求めるなど、愚かしいだけじゃあないかね」

「……」

 

 相変わらず、なにも説明しない物言いだった。

 にも関わらず、その深遠な声で語られたそれは、理論を超えた不可思議な説得力を有していたのだ。

 

「君は、この()()()()狩人の悪夢に囚われた。逃れたければ…… 獣の病蔓延の原因を絶つしかない。つまり、狩りを全うするのだよ。狩人として、ね」

 

 一瞬、その静かな声に、明らかな憎悪が走った。

 それでほむらも気がついた。あるいは、ゲールマン自身が、この夢に囚われているのかもしれないと。

 

「狩り……とやらを全うすれば、私は戻れるのかしら? 本来、私のあるべき場所へと」

 

 ゲールマンは静かに頷いた。

 

「君は夢を忘れ、朝に目覚める。……解放されるのだ、この狩人の夢から」

「……『青ざめた血』とは?」

 

 ほむらは、ずっと気になっていた謎めいた言葉について訊いた。

 ゲールマンの答えは、やはり曖昧模糊としたものであったが。

 

「宇宙は空にある。空を見つめたまえ。君もいずれ、青ざめた血の空を見出すだろう。故に……かねて、血を恐れたまえよ」

「……」

 

 ほむらは詳細に意味を問うのを止めた。

 訊いた所で、答えが返ってくることは期待できなかった。

 

 

 

 

 

 

 その後、ほむらはゲールマンからこんなことを教わった。

 曰く、この場所は、元々は狩人の隠れ家であったということ。

 曰く、血によって、狩人の武器と肉体を変質させる、狩人の業の工房だということ。

 曰く、今は幾つかの器具は失われているということ。

 曰く、残っているものは、すべてほむらの自由に使ってよいとのこと。

 

「君さえよければ、あの人形もね」

 

 最後に、ゲールマンはそう付け加えた。

 ほむらには、意味のよくわからない言葉だった。

 人形を、いったい何に、何のために使うというのだろうか。

 

「……これが、何か解るかしら?」

 

 ゲールマンは話すべきことは全て話し終えたという様子なので、ほむらは最後に左手の甲を見せて問う。

 そこにはソウルジェムが失せたあとに、例の、奇妙で見覚えのない(しるし)が相変わらず浮かんでいる。

 

「!」

 

 ゲールマンはここで、初めてその表情に変化を見せた。驚いたのか、両眼を大きく見開いている。しかし、続けて出てきた言葉は、例の静かで落ち着いた調子のままだ。

 

「それは『月』だよ」

「……『月』?」

 

 謎めいた言葉である。

 ほむらが首を傾げれば、ゲールマンは頷き、言葉を続けた。

 

「かつてビルゲンワースの学徒、筆記者カレルは、人ならぬ声の表音となる秘文字を遺した。『月』とは、いわば感応する精神。故に、呼ぶ者の声に、応えることも多いと聞く」

「???」

 

 ほむらはには意味不明であった。

 ビルゲンワース? 

 筆記者カレル?

 人ならぬ声?

 いったい、何についてゲールマンは話しているというのか。

 

「ビルゲンワースは、古い学び舎。大いなる、朽ちた夢の痕。今や、眠りを守る断絶であり、故に神秘の前触れでもある。君がそれを求めるならば、その先を目指したまえよ」

 

 話は終わりとばかりに、ゲールマンは言葉を打ち切った。

 これ以上は、何も聞き出せないであろう。

 ほむらは、意味は解らずとも、この謎めいた老人の言葉を、残らず記憶にとどめた。

 

 

 

 

 

 

 

 ほむらがゲールマンのもとを辞し、墓石並ぶ階段を降りれば、そこで人形はほむらのことを待っていた。

 

「狩人様」

 

 人形は、鈴のなるような声でほむらを呼び止めた。

 

「血の遺志を求めてください。 私がそれを、普く遺志を、あなたの力といたしましょう。 獣を狩り、そして何よりも、あなたの意志のために。どうか私をお使いください」

 

 ――君さえよければ、あの人形もね。

 ゲールマンの、謎めいた言葉が、ほむらの脳裏で反芻される。

 

「ゲールマンは言ったわ。『血によって、狩人は肉体を変質させる』と。それを、あなたが為すというのかしら」

 

 人形は、上品に頷いた。

 

「血の遺志を、あなたの力としましょう。血が、人の強さを支えるのですから」

 

 ほむらは一瞬、彼女が何を為すのか、試みたくなった。

 しかし、キュウべぇ、あるいはインキュベーターという悪しき前例を思い出し、止まった。

 代わりに、例の不気味な白い小人たちについて、ほむらは人形に尋ねた。

 

「ああ、小さな彼らは、この夢の住人です。あなたのような狩人様を見つけ、慕い、従う。言葉は分かりませんが、かわいらしいものですね」

 

 最後の言葉に、ほむらは不本意ながら同意だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほむらが夢より去ったあとも、ゲールマンの体は珍しく、工房のなかにあった。

 

『……やれやれ、随分と、わけのわからない展開になってきたね』

 

 その背中に、不意にかかる声。

 それは少年のようでもあり、少女のようでもある。

 

『先に言っておくけど、ボクは()()()と契約した記憶はない。それなのに、彼女らは契約の証を、その身に宿している』

 

 小動物のような足音を鳴らしながら、声の主はゲールマンの前へと廻った。

 助言者は、例の真意の読めぬ瞳で、声の主を見つめるのみだ。

 

『興味深いじゃないか。少なくとも、この停滞した現状を打破する、きっかけになりうるかもしれない』

 

 期待するような口調ながら、声は恐ろしいほどに無感動だった。

 まるで感情など、最初から存在していないかのように。

 

『君自身、それを望んでいるんじゃないのかな? 助言者、あるいは――』

 

 声の主は、ゲールマンへと振り返った。

 そして、その紅く、丸く、無感動で、何ものも映さぬ瞳を、車椅子の老人に向けるのだ。

 

『最初の狩人、ゲールマン』

 

 声の主は、赤い瞳の持ち主は、白い体躯を持ち、長い耳と尻尾の持ち主でもあった。

 暁美ほむらがその姿を見れば、憎悪と共に、その名を呼んだだろう。

 

 ――キュウべぇ、あるいは、インキュベーター、と。

 

 



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chapter.10『オドンの地下墓』

 

 

 

 夢から目覚めるような唐突さで、ほむらの体はヤーナムへと舞い戻る。

 

(……ちゃんと、望み通りの場所に出たわね)

 

 しかし彼女が現れたのは大橋の灯りのもとではなく、ギルバートの家の前の広場の灯りの所であった。

 ゲールマンや人形との邂逅は収穫も多かったが、反面、今必要な、今すぐ必要な情報は得られなかった。だとすれば、大橋に戻る前の手土産に、ギルバートからの情報を携えて行くのも良いかと考えたのだ。

 狩人の夢からヤーナムへと戻るために、前にもそうやったように墓石の前でほむらは手を翳した。

 ここで彼女は思ったのだ。自分は少なくとも二つの灯りを知っている。ならば、強く想った方へと自分は飛べるのではないかと。その予測は、見事に的中した。

 

「なるほど……」

 

 大橋が封鎖されていることを伝えれば、ギルバートは暫し黙考した後、新たな道をほむらへと教えた。

 

「であれば、『下水橋』はどうでしょうか?」

「下水橋?」

「ええ。大橋を挟んで市街の南側に、なんというか、あまりよくない地域があるのですが……。 そこから、聖堂街に下水橋が架かっていたはずです」

 

 げほげほと激しく咳き込んだあと、ギルバートは付け加えて言った。

 

「常であれば、よそ者が入り込むような場所ではありませんが……あなたにとって、今は貴重な機会でもある。そうでしょう?」

 

 ほむらは、そうね、と静かに同意する。

 ギルバートには一貫して、ほむらを気遣う様子が見える。

 それは異邦人同士の共感がさせるのだろうが、ほむらは、彼がほむらに感じている以上の親しみをギルバートへと抱いている。彼女もまた心臓が悪いために、長らく病床の上にあった身の上だ。故に、ギルバートの心境は痛いほどに理解できた。彼の為にも、自分はやはり聖堂街へとゆかねばなるまい。

 

「またくるわ」

「私のことは……お気になさらずとも……」

 

 咳き込むギルバートに背を向けて、ほむらはヤーナム市街へと繰り出していく。

 杏子と合流する前に、大まかな道順を把握しておく必要があるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――下水橋は、下水、というだけあって街の底のほうにあるらしい。

 

 階段を下り、獣を狩り、梯子を下り、獣を屠り、更に梯子を下り、更に獣を斃す。

 道中、ほむらが出くわしたのは、より酷く獣化した、群衆の成れの果てであった。

 ただでさえ大きかった身の丈はさらに膨れ上がり、毛むくじゃらになって、臭い息を吐く。足の鉤爪を石畳に突き立てながら、松明と大鋸を手に、餌食を求めて徘徊する。最早言葉も忘れたのか、口から飛び出すのは意味のない雄叫びばかりだ。

 

 しかしほむらも、いい加減に獣に慣れてきたこともあって、短銃とノコギリ槍とで、これを容易く片付ける。

 

 他にも、下水の中を這い回る動く異形の腐乱死体や、屍肉を喰らいすぎたためか、飛ばず地面に腹を摺るカラスがほむらへと次々と襲いかかるが、もともとが歴戦の魔法少女だけあって、難なく次々と屠っていく。

 悪臭漂う下水を撥ね飛ばしながら、黒い長髪を棚引かせ、少女は突き進む。

 使者たちから贈られた、狩装束は実に良く機能していた。

 血しぶきと、鼻を突く臭いの数々から、それはほむらを守っていた。

 

「……」

 

 しかし、目の前に現れたトンネルの向こうからは、マスクを通してなお鼻を突くような、強烈な臭いが漂ってきていた。トンネルの中には灯りひとつなく、真っ暗で、濃厚な闇が蟠っている。

 

(居るわね)

 

 それでも、ほむらにはトンネルの奥に何かが鎮座しているのが解っていた。

 魔法少女も狩人も、闇に潜むものたちを相手取ることには変わりない。故に視えるし、聴こえるのだ。膨れ上がった黒い影に、嫌悪感を催す荒い鼻息が。

 

「……」

 

 さて、どうしたものか。

 トンネルの右の壁には梯子があり、こちらを昇っていくという選択肢もある。だが梯子は恐ろし高さで、これを昇っている間は背中が完全に無防備になる。空を飛ぶ獣がいないとも限らない。こちらはこちらで危険であるようにほむらには思える。

 では、ここで一旦引き返して、大橋で杏子と合流すべきだろうか。既に、単なる道の下見の域を超えて遠くに来すぎてしまっている。引き返し、彼女と合流してから、二人で進むべきではないだろうか。

 

(……もう少しだけ)

 

 ほむらは、敢えてトンネルへと踏み込むことを選んだ。

 もうここまで来てしまったのだから、あと少しばかり先に進んで、下水橋の終端が実際に聖堂街に通じているのか、それを確かめようと思ったのだ。それに、杏子から貰った鐘はまだ鳴っていない。だとすれば彼女も、彼女の用事がまだ終わっていないのであろう。つまり、時間はまだある。――それに、トンネルの高さを見るに、大橋で遭遇した、あの巨獣に並ぶバケモノが奥に居るとも思えなかった。独りでも、仕留められる筈だ。

 

 下水を蹴って、ゆっくりとほむらは進む。

 トンネルの奥のなにかも、近づくほむらに気づいたのか、鼻息をより荒くして動き始めていた。

 彼我の距離が縮まる。徐々に、何かの姿があきらかになる。

 

「……豚?」

 

 豚だった。

 この上なく豚だった。

 ただしその体躯は恐ろしく巨大で、小型のトラックはありそうで、口は人間一人飲み込めそうな大きさだ。

 ――ふと、ほむらは思い出す。豚は雑食で、ごくごく当たり前に肉を喰らうのだと。病床のなか茫洋と眺めていた、TVの画面から、そんな話が流れてくるのを。

 

(マズイ!)

 

 豚が嘶くのを聞いて、ほむらはトンネルの出口のほうを振り返る。

 駆け戻るには既に、奥に入りすぎてしまっていた。つまり退くことはかなわない。

 

「くっ!」

 

 豚はイノシシと殆ど変わらないのだと、既に内容もおぼろげな番組は言っていたような気がする。

 果たして、目前の巨大な豚は、イノシシよろしく突っ込んでくる。

 トンネルは広くはないが、突進を躱しうる、僅かな空隙が見えた。

 ほむらは前に横に跳び、突き出た鼻先を避けた。

 ぬめぬめした穢れた肌が、狩装束の表面を擦る。それだけでも凄まじい衝撃を体に感じるが、とにかく、直撃の回避だけはすることができたのだ。

 ほむらは反転し、突進を終えてこちらに臀部をさらした豚の姿を見た。

 

「……」

 

 隙だらけのその臀部目掛けて、拳を突き出そうとして――余りの穢らわしさに、盾のうちより血に汚れた包帯を取り出し、右拳に巻く。その上で、思い切り突き出した。

 内臓を抉られ、豚は豚らしく醜い悲鳴をあげ、そしてそのまま息絶えた。

 包帯は、豚の腸に引っかかったのか、手袋から外れてしまったらしい。ちょうど良かった。元々、用が済んだら捨てるつもりであったのだから。

 豚が失せたあと、落ち着いてトンネルのなかを探れば、やや広い空間へとほむらは辿り着いた。

 そこでは、豚の犠牲者たちと思しき亡骸が転がっている。

 そのなかには、服装から察するに、かつて狩人であったと思しきものも混じっていた。

 

「……?」

 

 ほむらは、その亡骸に何故か注意惹かれた。

 死体漁りなど、する趣味もないはずなのに、狩人の屍が、首から下げているものから、何故か目が離せない。

 

 ――それは、ノコギリを模したような首飾りであった。

 

 ノコギリめいたギザギザが生え、表面には謎めいた文字が浮き上がっている。

 宝飾品と言うには余りにも剣呑すぎる意匠に、ほむらは故なく惹かれる。

 果たしてそれは、体内に挿れた、怪しげな血の仕業であったのだろうか。

 ほむらは亡骸から首飾りを取り外し、自身の首に下げた。

 

 重ねていうが、ほむらには死体漁りなどする趣味はない。

 

 それでも、これは()()せねばなるまいと、何故か強くそう、ほむらには想えたのだった。

 

 ――『ノコギリの狩人証』。

 かつて工房が発行した、狩人証。工房に認められた、獣狩りの狩人の証。

 もはや工房は無く、証を求める組織もないが、ただ水盆の使者たちだけが、そこに意味を見出すだろう。

 

 

 

 

 結局、トンネルの奥は排水用の穴が空いているばかりで、道はなかった。

 幸いなことに、正面に道はなくても、横道はある。

 その横道を潜れば、またも酷く高い梯子に出くわす。

 ほむらは、三角帽子の下で眉を顰めた。結局、大梯子を登らない限り、奥には行けないらしい。

 しかし先程の梯子と異なり、こちらの梯子は下水橋の陰になっている部分が多い。ここまで来たのだからと、ほむらは思い切って昇ることにする。

 カツン、カツンと、踵と梯子で金属音を立てながら、ほむらはひたすらに昇り、昇る。

 昇りきった所で、下水橋の上にでたらしい。

 そこでは群衆の一人と、例の大男が、何やら罠らしいものを動かしているのに、ほむらは出くわした。

 木の盾持ちの群衆が、松明で何やら、人ほどの大きさの球に火を灯し、大男が自慢の怪力でコレを押す。

 燃える大玉は下水橋の上の通路を走り、そこを封鎖するように並んでいた、別の群衆を巻き込んでなおも転がった。大玉は、群衆を踏み潰して、下水橋の切れ目から落ちて消えた。ほむらが見るに、大玉が落ちた先は、先に自分が昇るのを見送った、最初の大梯子の所であるらしい。

 

 ――あるいはあの梯子を昇っていれば、踏み潰された群衆と同じようになっていたかもしれない。

 

 そう想えば肝が冷えた。

 冷えたからこそほむらは、念入りに、群衆の一人と大男とを相次いで屠ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 より獣化の酷い群衆を新たに二人ほど仕留め、ほむらは階段を昇った。

 昇った所で、薄暗い墓地に出た。

 墓石が、夥しく、不規則に並び、その真中には、曰くありげな石像が斜めに立っている。

 石像の台座の傍らに、人影がひとつある。

 

(狩人!?)

 

 ほむらは、その人影の格好から、そのことを理解した。

 人影は、ほむらと同じような三角帽子を被り、黒いストールのかかった外套を纏い、手袋をはめ、ブーツを履いていた。右手には、ほむらのノコギリ槍とよく似た、しかしよくよくみれば刃の長さが短く切っ先のない、鉈めいた別の得物を下げ、左手にはこれはほむらと同じ獣狩りの短銃を握っていた。

 その狩装束は、ほむらの纏ったものと一見似ているようだが、意匠が大きく異なっている。

 三角帽子からは羽飾りが伸び、なにより、全体に独特の黄味がかかっていた。

 

「――」

 

 その狩人は、ほむらが声をかけるまえに、自らその双眸を向けてきた。

 ほむらは後悔した。

 杏子と合流してから、ここに来なかったことを後悔した。

 

 帽子とマスクの間から覗く二つの瞳は、いずれも血走って、狂気に満ちている。

 殺意が、匂い立つ程に溢れかえっている。

 ほむらがノコギリ槍を構えるのと、黄色い狩人、『古狩人ヘンリック』がほむら目掛けて駆け出すのは、殆ど同時のことだった。

 

 

 





豚にリボンエンチャしたバクスタ致命を決める魔法少女


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chapter.11『古狩人ヘンリック』

 

 

 

 

 ――銃声が鳴り響き、赤毛の魔法少女が斃れ伏す。

 

 

 ()()の生み出したリボンが、三つ編みに赤縁眼鏡の少女を捕らえる。

 長く、しなやかな、黄色いリボンであった。

 

「ソウルジェムが魔女をうむなら……」

 

 彼女は、泣き叫びながら、マスケット銃を構える。

 白く美しく、エングレーブも鮮やかな旧式の小銃。しかし込められたるは魔弾。

 同じ魔法少女を、一撃で屠るには充分。

 

「みんな死ぬしかしないじゃない!」

 

 彼女は、よい魔法少女だった。

 魔女狩りに優れ、慈悲に溢れ、使命に酔っている。よい魔法少女だ。

 

「あなたも! わたしも!」

 

 だからこそ、彼女は涙を滲ませながら、己が後輩に銃口を向けるのだ。

 彼女らを、この救いなき修羅道に誘ったのは、他でもない、自分であるのだから。

 彼女は、自分自身と、同胞たちの運命に決着をつけるために、引き金に力を込めた。

 

 果たして、それを弾ききる前に、魔法の矢が彼女の髪飾りを射抜き砕く。

 髪飾りは、ソウルジェムである。

 故に彼女は一撃で絶命した。

 そう、その筈だった。

 絶命した、筈、だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――彼女は、気がつけば暗い森のなかにいた。

 呆然と、夜風に、その黄色い髪を揺らす。

 焦点の合わぬ瞳で、闇を見つめる。

 彼女は、座り込んだまま、微動だにしなかった。

 その装束は見滝原中学校の制服へと変わり、にも関わらず右手にマスケット銃を握ったまま、彼女は地面に力なく座り続ける。

 

 もう、何もかも、どうでもよかった。

 彼女は、よい魔法少女だ。魔女狩りに優れ、慈悲に溢れ、使命に酔っている。

 なればこそ、裏切られた時の衝撃は凄まじい。

 彼女は自覚していた。自分は、ずっと、ペテンにかけられていたのだと。

 秘められた悪意に気づきもせず、何も知らぬ少女たちを、地獄へと誘っていたのだと。

 

 失望、そして慚愧。

 彼女は虚ろな目で、ただただ虚空を見つめる。

 

 ――新鮮な肉の臭いに、蛇たちが集まってくる。

 

 蛇たちは、各々球のように絡まり合いながら、彼女へと地面を這いにじりよる。

 舌を何度も出しては引っ込め、その長い牙を剥き出しにして、彼女を喰らわんと躙り寄る。

 しかし彼女は動かない。要するに、彼女は死ぬ気であったのだ。

 

 信じていた、全てに裏切られた。

 友と信じていた契約者に、正しいと信じていた魔法少女の使命に。

 果たして、契約者は魂を弄び、自分が狩りたてていたのは同胞たちの成れの果て。

 孤独に耐え、戦い続けたのは、いった何のためだったのか。

 

 自分は、ふた親と共にあそこで死んでいるべきであったのだ。

 だとすれば食欲もあらわに彼女を取り囲む蛇たちのことは、むしろ歓迎する心持ちすらしてくる。

 いずれにせよ、今の自分には逃げる気力すら残されていはしないのだ。

 

 蛇が、人の身の丈以上はある大蛇が、鎌首を持ち上げ、舌を炎のように揺らしながら、大口を開いた。

 丸呑みにしようというのだろう。彼女は虚ろな瞳で見上げた。

 

 ――閃光、そして異音。

 

 彼女が見上げる前で、何かが視界を通り過ぎたかとおもえば、大蛇の鎌首が落ちていた。

 血が、穢れた蛇の血が撒き散らされ、彼女の頬を、髪を、制服を真っ赤に染める。

 綺麗な白い肌も、よく整えられた黄色い髪も、白を貴重としたお洒落な制服も、揃って血に塗れる。 

 

 視界を通り過ぎたのは、大鉈を手にした人影であった。

 三角帽子を被り、黒いストールのかかった外套を纏い、手袋をはめ、ブーツを履いていた。三角帽子からは羽飾りが伸び、なによりひと目をひくのは、装束全体にかかった独特の黄味であった。

 黄色い三角帽子の人影は、大鉈を片手で軽々と振るい、次々と蛇たちを斬り捨てていく。

 

 彼女がそんな様を呆然と眺めていれば、反対側からは何かを叩き潰す音が響く。

 

 視線を向ければ、大きく分厚い刃が、絡まりあった蛇球を、数匹まとめて裂き潰している様が見えた。

 槍のような長柄の両手斧で蛇を屠るのは、両眼と口元だけを晒し、他全てを隠す緑の覆面をした、やはり血まみれのエプロン姿の大男だった。黄色い三角帽子の男とは対称的な、力強く凶暴な一撃で、蛇をまとめて潰し殺していく。

 

 彼女を取り囲んでいた蛇たちは瞬く間に殲滅された。

 二人の男は武器をおさめ、彼女を見下ろす。

 彼女は相変わらず、呆然と二人の男を眺めた。

 

 

「ほう、お前、新顔だな? 」

 

 

 不意に、男たちの間を通って、新たな人物が姿をあらわした。

 その人物は、いまだ座り込んだままを、その奇怪な隻眼で見下ろした。

 

「それに……見たところ月の香の狩人か」

 

 その人物は、はっきり言って怪人であった。

 身を包むのは、青い色の軍服かあるいは官憲の制服と思しき装束で、奇妙な所はない。

 ケープのついた、シングルボタンの詰め襟。腰元にはランタンをベルトで留め、手には白い手袋をはめ、右手には杖を突いている。しかし、それらはこの怪人のある部分が余りに強烈であるがために、全く印象に残ることはない。

 問題は、その頭だった。

 その頭は、逆さにしたバケツのような鉄兜に覆われ、その内側を全く窺うことはできない。

 円筒形の鉄兜には隙間がまるでなく、唯一片目だけでかろうじて外を見れるような、小さなのぞき穴が開いている。その穴は余りに小さく、内なる瞳を彼女が見るのは不可能だった。

 鉄兜の男は、自ら名乗った。

 

「ああ、俺はヴァルトール、『連盟』の長だ 」

 

 

 ――おそらく、慈悲はあるのだろう。

 

 

 この日、彼女は尽きぬ使命を手に入れた。

 汚物の内に隠れ蠢く、人の淀みの根源を、すべて踏み潰し、根絶すること。

 もはや「虫」などいないと分かるまで、狩りと殺しを続けるという使命を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっ!?」

 

 ほむらは、襲いかかってきた狩人の素早さに、思わず呻く。

 稲妻を思わせる黄色い装束から来る印象を裏切ることもなく、瞬く間に狂気の狩人は間合いを詰めた。

 真っ直ぐに、ほむらの両眼を見つめる、帽子とマスクの間から覗く二つの瞳はいずれも血走って、相変わらず濃密な狂気に満ちている。殺意が、匂い立つ程に溢れかえっている。

 いかなる言葉がけも無意味だと、ほむらは否応なく思い知らされる。

 

 ――咆哮。

 

 凄まじい叫びとともに繰り出されたノコギリの一撃を、かろうじてほむらは同じノコギリで受け止める。

 ギザギザの刃同士が触れ合い、擦れ合い、目もくらむような火花と耳をつんざくような異音が響き渡る。

 だが武器は同じくしても、いかんともしがたいのは圧倒的膂力の差。

 狂った狩人がノコギリを振り抜けば、その力でほむらの体は紙くずのように吹き飛ばされ、墓石に背中をぶつけてようやく止まる。

 

「かはっ!?」

 

 肺を強打し、身動きができない。

 それでもほむらは殆ど反射的な動きで、短銃を引き抜き、狂った黄色い狩人の追撃に備えた。

 

「……?」

 

 追撃は来なかった。

 狂った狩人は、大股開きで大地を踏みしめながら、威嚇する獣のようにまたも咆哮する。

 相手の不可解な動きのおかげで、逃れるための時間ができた。

 墓石から背中をはなし、牽制の短銃を放ちながら、ステップで距離をとる。

 狂った狩人は、謎の咆哮をあげた時とはうってかわっての即座の反応をみせた。彼もまた素早く地面を蹴ってステップすると、ほむらの水銀弾は何もない空間を通り過ぎていく。むしろ黄色い狩人は手投げナイフのようなものでほむらへと反撃し、その素早い飛来に、ほむらは盾で凌ぎあるいは避けざるを得ない。

 

 ――駆動音。

 

 ほむらがナイフに気を取られていた間に、黄色い狩人は仕掛けを起動し、ノコギリを展開する。

 やはり、ノコギリ槍とよく似ている。大きな違いは、刀身の長さと、その先端が平たく尖っていないこと。呼ぶなれば『ノコギリ鉈』の名がふさわしいだろうか。

 大鉈と化した得物を片手に、狩人は地面を何度も蹴って瞬く間に、ほむらへと肉薄した。

 牽制の銃撃は何れも空を撃ち、何の効果もあげはしない。まるで、ほむらの弾道が解っているかのような動き。

 

 ――何かの能力、魔法少女の魔法のようなものを使っている訳ではない。

 

 ほむらもまた歴戦の魔法少女。故に理解できる。この狂った狩人の動きは、どこまでもその積み上げた業のなせるものであると。

 

 嗚呼、だからこそ、恐ろしい。

 

 三度(みたび)の咆哮と共に繰り出された大鉈の振り下ろしを、ほむらは盾で受け止めた。

 衝撃に、体が揺れる。それでも、彼女は受け止めた。

 しかし、そんなことは承知とばかりに、次なる一撃が繰り出される。受け止められた一撃は盾の表面を引っ掻いたが、その勢いのまま狩人は体を回転させ、遠心力を上乗せした一撃を新たにほむらへと放つ。

 今度の一撃には、盾が弾かれ、ほむらの動きが止まる。

 

(まず――!?)

 

 盾が弾かれるのを見逃す訳もなく、狂った狩人は仕掛けを再起動、大鉈をノコギリと変じ、間合いを詰めてギザギザの刃を斬り上げる。

 

「がっ!?」

 

 ほむらは呻きながらノコギリ槍を出鱈目に振るいながら後退する。

 腹に熱さを感じる。刃は分厚い狩装束を裂き、肉まで達したらしい。

 溢れ出る血潮を感じる。血を、血を体内に挿れねば――!

 

「っっっ!?」

 

 後退を図るほむらに、その窮地を逃さんと狂気の狩人は追撃する。

 左右斜めから交互に襲いかかるノコギリの刃を、ほむらは盾とノコギリ槍で凌ぐがやっとで、血はその間もほむらの体から流れ出る。

 

(血を、血を――)

 

 しかし輸血液を取り出す暇もない。

 ほむらは、止めどない連撃に、逃げるも攻めるもかなわなくなっていた。

 絶体絶命の窮地。

 

 しかし好機は、唐突に訪れる。

 

「!?」

「!?」

 

 突然鳴り響いた銃声。

 狂気の狩人の背中が裂け、血しぶきがあがる。

 殆ど同時に、ほむらも狂った狩人も各々の背後へと向けて跳んでいた。

 間合いが開いた隙を逃さず、ほむらは盾より取り出した輸血液を体内へと挿れる。切り傷が急速に回復し、体が焼けるように熱くなる。

 

 ほむらが体勢を立て直している間、狂った狩人は自分を撃った相手を探していった。

 血走った双眸を四方に向け、ついに見つけたのか、また獣のように雄叫びをあげる。

 ほむらもまた、謎の射手の方を、狂った狩人に従って見た。

 

 墓石の間を歩み寄ってくるのは、何やら背の高い黒い陰だった。

 

 ――いや、背が高いのではない。そう見えたのは、頭に被ったトップハットのためだったのだ。

 工房の用意する、標準的な黒い狩装束の1つから、血を払う短いマントを取り去ったものをまとい、淑女然とした様式美を愛する狩人たちの帽子を被っている。

 右手には、先端の尖った硬質の杖を持ち、左手にはエングレーブも鮮やかな、白い銃身の長銃をぶら下げていた。

 ほむらには、特に、その長銃に見覚えがあった。

 そして、トップハットの下からのぞく、あふれる黄色の巻き毛。

 間違いない。

 

「あなた……巴マミ」

 

 ほむらが呼びかければ、トップハットの乱入者は、驚いた様子でほむらのほうを見た。

 

「あなた、もしかして、暁美さん?」

 

 美しい声でそう言った、ほむらよりも若干年長の落ち着いた相貌は、間違いなく巴マミ――暁美ほむらにとっては師の一人とも言える先輩魔法少女その人のものであった。

 

 

 

 






【Name】巴マミ
【装備:頭部】トップハット
【装備:胴体】狩人の装束(マント無し)
【装備:腕部】狩人の手袋
【装備:脚部】狩人のズボン
【右手武器1】仕込み杖
【右手武器2】なし
【左手武器1】トモエ=マミの長銃
【左手武器2】なし
【所持アイテム】連盟の杖
【ソウルジェム発動】???


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chapter.12『狩人狩り』

 

 

 

 

 

 巴マミの装束は、ほむらの知る彼女のものとは正反対になっていた。

 

 かつて憧れの先輩魔法少女であった彼女の身を包んでいたのは、白と黄色を基調とした優雅なものだった。

 白い羽飾り踊るベレー帽。豊かな肢体を包むのは白いブラウスに白い腕帯、コルセットに裾の広がった黄色いスカート……。魔法少女の名に、この上なくふさわしい装束。

 

 果たして、思わぬ再会で(まみ)えた巴マミの体を包むのは、爪先から山高い帽子まで、黒の一色なのだ。

 

 ほむらの纏ったヤーナムの狩装束と、若干似た印象を受けるのは、恐らくは同じ目的、すなわち獣狩りのために誂えられたものだからだろう。

 高い襟に、脛の半ばまで伸びた裾のロングコート。腕には手甲、足には脛当てをつけているが飾りは控えめでひと目を惹くことはない。まるで我が身を街角の陰に隠すための装束だ。いや、実際そうなのだろう。ほむらは、夜に紛れ、密かに獣を狩るための装束と予想する。

 

 そんな闇色の装束に相反する、白く輝く長銃は、魔法少女としてのマミの武器だった。

 本来両手持ちにすべき得物を左手に下げ、右手には何故かステッキを握っている。

 貴族めいた金色の巻き毛の上に、まるで夜会にでも出るためかのように、被っているのは山高帽なのだ。

 ほむらの狩帽子と違って、血を避けるための工夫も、防御の仕掛けもない、ただの山高帽。それはマミに、黒い長外套やステッキと相まって、紳士ならぬ淑女然と印象を与えていた。

 

 そしてほむらには、そんな衣装が実にマミらしいものと思えるのだ。

 

 巴マミという少女は、ある種の()()()を重んじる所がある。

 果てのない時の回廊のなかで、マミや杏子、さやかにまどかといった馴染みの顔ぶれ以外の魔法少女たちとも、幾度となく邂逅したほむらだけに、これは断言できることだ。

 どこか芝居めいた優雅な戦闘スタイル。まるで歌劇のように技の名を叫ぶ。そんな魔法少女は他にいない。

 恐らくマミにとっては、様式美であれ、あるいは美であれ正義であれ、それらこそが人らしさであり、孤独な魔法少女を人に留めるよすがであったのだろう。狩人になった今も、それは変わりないということなのかもしれない。

 

「――色々と、お話したいこともあるけれど」

 

 ほむらに向けるマミの視線には、親しみがあった。

 ――ひどく、なつかしい。

 もう誰にも頼らないと決めたその時から、彼女とは距離を置かざるを得なかった。

 単に疎遠ならまだしも、疎まれ、敵視されることが殆どだった。

 決意に冷たく固まっていた心に感傷が走り、そして違和感も同時に湧き始める。 

 

 ほむらへと向けられる、マミの視線に微かに視える()()の理由は何なのかと。

 

「今は無理ね」

 

 僅かに揺れるマミの瞳は、ほむらから外れ、狂った黄色い狩人のほうへと向けられた。

 狂ってはいても、やはり歴戦の狩人なのだろう。新たに現れたマミへと狂気の視線を向けつつも、ほむらの方へも短銃の銃口をしっかりと向けている。

 覆面の下から獣めいた唸り声をあげつつ、いかに攻撃するべきか、その機会を狙っていると見えた。

 

「ねぇ、暁美さん。再会してばかりで悪いのだけれど……その格好、あなたも今は狩人、ってことで良いのよね?」

「……ええ」

 

 狂った狩人から目を離すこともなく、ノコギリ槍の仕掛けを動かしながらほむらは答える。

 

「協力して貰えないかしら。ヘンリック……古狩人の相手は、私一人では荷が重いから」

 

 ヘンリック。

 それがこの恐るべき狩人の名か。

 

「……あなたを殺そうとした私がこんなことを言うのは、虫が良いって解ってるわ。それでも、少なくとも今だけは私と共闘してほしいの」

「……」

 

 マミの言葉からほむらは、彼女がいつだったかの、さやかの魔女化から真実を知り、杏子を殺し、自分やまどかをも手に掛け、心中しようとした時の彼女だと察した。

 ならば、マミの怯えも納得できる。

 彼女のことだ。罪悪感で、動転しているに違いない。

 矜持から、山高帽の下の相貌は平静を保ってはいたとしても。

 

「……わかったわ」

「本当?」

「ええ。今回は、あなたに助けられたのも確かだから。借りは、つくらない主義なのよ」

 

 彼女の知っている自分とは違う話し方に、マミが戸惑うのも構わず、ほむらはノコギリ槍を構えつつ言う。

 

「もう、気にしてはいないわ」

「――え?」

「過ぎたことだからよ。もうずっと前に」

 

 本音だった。

 ほむらにとっては本当に、ずっとずっと前のことに過ぎない。

 

「それより――来るわよ!」

 

 ほむらの言う通り、狂った狩人、ヘンリックが再び動き出す。

 彼は短銃をマミへと素早く向けて撃つと同時に、ほむらへと向けて駆け出したのだ。

 恐らくは、自分のほうが与しやすいと思ったのだろう。図星なだけに、ほむらはマスクのしたで顔を顰める。

 

「暁美さん! 退いちゃ駄目! 攻めるのよ!」

「!」

 

 迫るヘンリックから間合いをとろうとしていたほむらに、そんなマミの助言が飛ぶ。

 それに従い、ほむらは盾を構えつつ真っ向ヘンリック目掛けて踏み込めば、その大鉈が完全に振りかぶられる前に古狩人の真正面へと辿り着く。

 勢いが充分に乗る前に振り下ろされた大鉈と、盾で受け流すと同時に、ほむらとヘンリック、二人の体が交差する。

 すれ違い、互いに跳んだ先で即座に振り返る。

 しかし再度ほむらへと肉薄せんと大地を踏みしめたヘンリックは、唐突に背後目掛けて跳んだ。

 なにもない空間を、散弾が貫く。マミの長銃の援護だった。

 

「狩人の戦いは素早いわ。退けば退くほど不利になる。傷つくのを恐れず、前に出るのよ!」

 

 そうほむらへと向けて叫びながらも、マミはヘンリック目掛けて散弾を連射する。

 ヘンリックは素早く、墓石を盾にしながらステップを繰り返す。

 この間合からでは効果があがらぬとマミは射撃を切り上げ、右手の仕込み杖を剣のように構えて駆け出した。

 

「暁美さん! 援護して!」

 

 マミの強い言葉に、ほむらは殆ど反射的に短銃を構え、ヘンリックへと引き金を弾いていた。

 そして、またも思う。

 ――ひどく、なつかしい。

 嗚呼、今の巴マミはまるで、かつて先輩魔法少女として尊敬し、憧れた頃の彼女ではないか。

 その背中には、久しく忘れていた、あの頼もしさが見えるのだ。

 

「たぁっ!」

 

 ほむらの銃弾を避けながらもヘンリックが次々と投げつける、細かいギザ刃のついた投げナイフを、マミは杖を振るって叩き落とす。

 牽制は無意味と悟ったか、咆哮をして狂った古狩人もまた大地を蹴る。

 マミとヘンリックの間合いが縮まり、互いの得物が届くには、まだ僅かに遠い場所で、マミをは杖を振るった。

 何故空振りする間合いで、杖を振るうのか。ほむらの疑問は、次の瞬間には霧消した。

 

「!?」

 

 最初は、杖が伸びたように見えた。

 だが魔法少女――ならぬ狩人の視力は、すぐにその正体を捉える。

 仕掛けにより刃は分かれ、まるで鞭のように伸びたのである。

 その鋭い先端は黄色い狩装束を貫き、血の花を咲かせる。

 マミは鞭と化した杖を生き物のように振るい、ヘンリックを着実に追い詰めていく。

 杖を得物とするという、奇妙以外の何ものでもない選択に、ほむらは納得がいった。

 巴マミは銃撃を主とするために忘れられがちであるが、彼女本来の武器はリボンなのだ。

 撓る鞭は、まさしく彼女のための武器と言える。しかし彼女が仕込み杖を武器としたのは、それだけが理由ではあるまい。

 武器を杖に擬し、獣に対するに鞭を振るう様は、様式美の類である。それは実に巴マミ的だ。

 

(……見とれている場合じゃないわ)

 

 狩人としても先輩らしいマミの動きは、確かに見事なものだが、相手は古狩人という。事実、徐々にヘンリックはマミの仕込み杖の動きに順応し、的確にノコギリ鉈で防ぐようになってきている。その事に、マミ自身明らかに焦っていた。

 ほむらは牽制の銃撃を加えながら、仕掛けを動かし、槍を鋸へと戻して駆ける、駆ける、駆ける。

 

「かはっ!?」

 

 振るわれる鞭撃の合間を縫って放たれたヘンリックの銃弾は、マミの腹腔へと突き刺さる。

 狩人ならば、血を挿れれば容易く治る傷だが、しかしヘンリックがそれをさせる筈もなく、マミへと大鉈を振るおうとした所で、ほむらが二人の間に割って入った。

 

「退きなさい、巴マミ」

 

 鋸と鉈がぶつかり合って火花を上げる。

 しかしほむらは僅かに足を沈めることで、相手に膂力からくる衝撃を殺しつつ、盾を構えて相手の胸元へと跳びこんだ。

 ヘンリックは、盾に合わせて鋸の一撃が来ると思っていたのだろう。それを弾かんとする古狩人の目論見を外して、ほむらは盾を相手の胸元へと叩きつけたのだ。

 

「!?」

 

 実際のダメージはどうあれ、相手の虚を突くことはできた。

 ヘンリックの胸元に密着した盾を、再度押すことで、反作用にほむらの体が離れる。同時に、叫ぶ。

 

「今よ!」

 

 マミは長銃を両手で構え直し、ヘンリックの心臓に擬していた。

 彼が身を捩るよりもはやく、引き金は弾かれる。

 銃口から飛び出したのは、今度は散弾ではなくて、空気を捻るように回転し輝きながら突き進む単弾であった。

 銃弾は標的の心臓を貫き、古狩人の体は大きくゆらぐ。

 

「暁美さん!」

 

 マミに言われる直前に、ほむらの体はすでに動き出していた。

 仕掛けを動かし、槍を両手に構え、体ごとぶつかるように、ヘンリックの腹めがけて切っ先を突き出した。

 鋭い尖端は狩装束を貫き、皮を破り、肉を裂いた。

 いかに狩人と言えど、いかんともし難い傷。

 

 ――絶叫。

 

 断末魔の雄叫びをあげ、ヘンリックの体は力を失い、遂には青い光の奔流となって消え失せた。

 ちょうど、大橋であの巨獣を狩った時と、同じように

 

「……さようなら」

 

 マミが押し殺した声で漏らすのを、ほむらは確かに聞いた。

 

 

 

 

 

 

 ――『YOU HUNTED』

 

 

 








【トモエ=マミの長銃】:巴マミの「魔法少女武器」
―――――――――――――――――――

巴マミの、魔法少女としての武器
彼女の本当の能力はリボンの操作だが、これはそのリボンから編まれた武器である

単発式であり、本来は使い捨てられる武器であるのだが
狩人としてのマミはその銃身内に直接、血の弾丸を生成するため、何度でも使用できる

弾丸の生成には若干の血を要する反面、その弾種すらも自由に決めることができる
散弾銃としてはルドウイークの長銃に、長銃としては貫通銃に準じる性能を有する

獣狩に似合わぬ優美な銃は、彼女の人としての矜持の具現化である



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chapter.13『連盟』

 

 

 

 

 古狩人ヘンリックが失せた後には、大橋の巨獣同様、夥しい血痕だけが遺されていた。

 

「……」

 

 マミは、その血痕を見下ろしていた。

 

 いや、見下ろす、などという次元ではなく、穴が空くほどに、凝視している。

 異様な様子に、怪訝そうにほむらがその横顔を覗き込めば、慌ててマミは視線を血痕から逸らした。

 その瞳は動揺に揺れている。まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……暁美さん、ひとつ聞いても良いかしら?」

 

 何かを誤魔化すかのように、マミは唐突にほむらへと問いかける。

 しかし相変わらず、その取り繕った表情の下から、心の震えが透けて見えた。

 

「なにかしら」

 

 それには敢えて言及することなく、ほむらは極々平然と応じた。

 巴マミという少女は、強いと同時に脆い。その脆さを、ほむらはよく知っている。

 

「あなたは……その……()()()()()()()()()()()なのかしら?」

「……」

 

 そして巴マミという少女は、愚かであると同時に鋭い。

 キュウべぇに騙され操られてこそあれ、決して白痴ではなく、むしろその真逆、確かな理知の持ち主なのだ。

 だからこそ、魔法少女としてのマミは、ほむらにとって厄介な存在であり続けた。

 真実を知らなければ、その実力がほむらの動きを阻み、真実を知れば、その実力で破局を誘う。

 

 ――だが、今やお互い狩人だ。

 

 真実は、思考の瞳を啓きこそすれ、破局をもたらすなど最早ないことであろう。

 

「ええ。私はあなたを知っているけど、あなたは私を知らないわ。私は、あなたとは違う時間から来た暁美ほむらなのだから」

 

 長い黒髪に蟠った、血を指で撥ね飛ばしながら、ほむらは真実を語る。

 

「……あなたは時を操る魔法少女。そして、時々、私達が知り得ぬことを語っていた。もしかしてあなたは、時を旅する魔法少女だったのかしら」

「……そうよ」

 

 ああ、やはり。マミは鋭い少女である。

 独り既に、真実へと思い至っていたらしい。

 

「……私たち、騙されていたのね」

「ええ」

 

 キュウべぇの詐術を知り、陰鬱な表情で呟くマミに、ほむらは頷き言った。

 

「愚かね、巴マミ」

 

 ――言って、後悔した。

 もう、ずっと前のことなのだ。彼女に殺されかけたのも。

 それを蒸し返して、こんな皮肉を吐くのは、自分のなかにある()()への愛憎の故か。

 いずれにせよ、今、この場で言うべき言葉ではなかった。

 

「そうね」

 

 しかし、巴マミは素直に首肯するばかりだった。

 ほむらは気づく。彼女は、魔法少女を導く魔法少女であった。なればこそ、その慚愧の念は、自分の比ではないのかもしれないと。

 

「でも……ならばこそ、『淀み』を直視しなくちゃいけないのね。過去の過ちを繰り返さないためにも」

「……?」

 

 『淀み』。

 何やら、ほむらの知らない単語が、マミの口から飛び出した。

 マミは、狩人としてもほむらの先輩である。それゆえに、知りうることもあったのだろうか。

 

「……夜にありて迷わず、血に塗れて酔わず。名誉ある連盟の狩人よ。獣は呪い、呪いは軛。そして我らは、淀み断つ剣とならん」

 

 謎めいた言葉を、マミは口走る。

 自分に言い聞かせるように、小さく小さく呟く。

 

「――ごめんなさい。こっちの話よ」

 

 ほむらが問う前に、マミのほうから、話は一方的に打ち切られた。

 これ以上、何を訊いても答えないという様子であったので、ほむらは話題を転換した。

 

「佐倉杏子も、このヤーナムに迷い込んでいるわ」

「佐倉さんが!?」

 

 マミの表情が一転明るくなるのに一瞬驚き、しかし即座にほむらは納得する。

 杏子とマミの付き合いは、自分たちのそれよりも実はずっと長いのだ。彼女にとっても、杏子という存在は、ある種特別なものであるのだろう。

 

「今は別行動をとっているけれど、ゆくゆくは合流する予定よ」

「そう……佐倉さんが……」

 

 マミは嬉しそうに表情を綻ばせ、はたと何かに気づいて、思案顔となった。

 

「美樹さんや、鹿目さんも……もしかしてこのヤーナムに――」

「……」

 

 それは、ほむらにとっても懸案事項であった。

 しかし、現時点では何一つ、それを知る情報はない。

 残念ながら今の所は、あなたと佐倉杏子以外とは遭遇していないと告げれば、マミは残念そうな様子だった。

 

「ねぇ、この謎めいた街で、私達はどこまでも異邦人に過ぎない。互いに、協力し合うのが得策じゃないかしら」

 

 ――ほむらは出し抜けに、髪を掻き上げながら、提案をする。

 

 本音だった。

 マミは腕利きの魔法少女であったが、狩人としてもそうであるらしい。

 魔法少女の時と違って、やたらと隠し事せねばならない訳でもない。

 杏子と違ってやや理想主義者のきらいはあるが、話せば通じる理性もある。背中を任せるのも、悪くはない。

 それに――ヤーナムの街は、異邦人が歩むには、やはり、あまりに陰気に過ぎる。

 

「そうね。佐倉さんとも会いたいし……助け合いましょう、狩人同士」

 

 マミは心底嬉しいといった印象で、微笑む。

 

「私も佐倉杏子も、聖堂街への道を探しているわ。巴マミ、あなたはなにか知らないかしら?」

 

 この問いにマミは、墓地の奥、階段の上を指差し言う。

 

「ここはオドンの地下墓。あの階段の先、鉄の扉の向こうにある梯子を昇れば、オドン教会に着く筈よ。オドン教会は人気のない廃教会だけれど、それでも聖堂街の中心に位置しているの。最も、今夜は獣狩りの夜だから、大聖堂への門はかたく閉ざされているでしょうけど」

 

 ――なるほど、ここまで来た甲斐が、あったというもの。

 些か単独で遠くに来すぎたかとも思っていたが、マミから得られた情報を思えば問題にすらなるまい。

 

「大聖堂への門とやらは……何か開くすべはあるのかしら」

「そうね……」

 

 マミは若干思案し、推測を交えながら語った。

 

「今は殆ど壊滅状態だけれど、本来ならばこんな夜には、医療教会の狩人たちがヤーナムの街に繰り出していったの。そんな医療教会の狩人たちを率いていたのが『狩長』。この『狩長』の持つ特別な印だけが、大聖堂への門を開いたのだと聞いてるわ。狩長の帰還は、狩りの成就を意味するものだから」

 

 また、新たなる有益な情報だ。

 『狩長の印』とやらがあれば、大聖堂への道は開けるという。

 ギルバートは言っていた。聖堂街の最深部には古い大聖堂があり、そこに医療教会の血の源がある――と。

 

「『狩長の印』……ね。わかったわ。私や佐倉杏子は、きっとそれを探すことになると思うけれど、あなたはどうするつもり?」

 

 マミは少し考えてから、答えた。

 

「……私は私で、やらなくてはいけないことはあるのだけれど、それは急がなくてはいけないものでもないし。良いわ。しばらくは同行させてもらうわね」

 

 先輩魔法少女の答えは、Yesだった。

 杏子をここに連れてもう一度来るとほむらは告げ、同時にマミはどうするのかと問う。

 

「私は、ここで待つわ。少し……独りで考えたいこともあるから」

 

 何気ない調子で言うマミの瞳は、またも揺れていた。

 感づいたほむらが血痕のほうに視線を向ければ、誘われてマミもその方を見て、慌てて視線を逸らした。

 ほむらは察した。マミは、あの狂った黄色い狩人の名を知っていた。彼女と彼の間には、なにがしかあったのだろうと。

 

「じゃあ、後で」

「ええ。また後でね、暁美さん」

 

 別れ際、最後にほむらは問いを発した。

 

「巴マミ……『青ざめた血』という言葉を、聞いたことは」

「……いいえ。生憎だけど、覚えはないわ」

 

 逆に、マミもまた別れ際の最後の問いを返してくる。

 

「……暁美さん。あなた、血の淀みに蟠った『虫』を見たことはある?」

「?」

 

 当然、そんなものを見た記憶はない。

 そう答えれば、マミは「そう……」と呟くばかりだった。

 

 そして、魔法少女――今や、少女狩人と化した二人は、暫し別れるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 独り、オドンの地下墓に残ったマミは、相変わらずヘンリックの、同じの『連盟』の狩人であり、彼女にとっては狩人の師とも言える古狩人の血痕を見つめていた。

 見つめ、見つめ、見つめる。穴が空くほどに、瞳はおろか脳すら震えだす程に、凝視する。

 それでも、見えるべきもの、淀みに潜む『虫』を、マミは見出すことができなかった。

 

「――ッ!?」

 

 いたたまれなくなって、瞳を逸らす。

 ヘンリックは確かに狂っていた。狂い、獣と堕っした同士を狩るのも、連盟の一員の務め。

 それを知りつつも、それを認めつつもなお、虫を見いだせぬ事実に、マミのなかの罪悪感が疼く。

 

 独り、ヤーナムへと迷い込んだマミを、連盟は受け入れた。

 居場所を失い、使命を失い、生きる意味を失っていたマミに、連盟は、その長ヴァルトールは、使命を授けた。

 

『我ら連盟の最終目標は、すべての「虫」を踏み潰し、人の淀みを根絶すること 』

 

 あるいは幻想とも、夢とも言える、不可解な使命。

 

『きっと、誰にも理解されぬだろう。だからこそ、俺は同士たちを愛するのだ 努々、忘れないでくれ』

 

 だが幻想にこそ、誓いが必要なのだ。

 マミは誓い、使命を受け入れた。それが、自分にとっての新たなる導きと思えたから。

 

『ほう、お前。どうやら、 「虫」 を潰したようだな。俺は連盟の長、そんなことは、目をみれば分かるものなのさ』

 

 にもかかわらず、マミには虫を見出すことが出来ない。淀みはどこまでも淀みで、それ以外の何ものでもない。

 それでも、連盟の長は、マミが既に『虫』を見出していると、そう言ったのだ。

 

『だが、よかったよ。これでお前も、本当の連盟の仲間――同士だ。さあ、この杖を貰ってくれ。我らの血塗れの使命、その誓いの証しだ』

 

 長の鉄兜に空けられた、小さな覗き穴。その向こうの瞳は、マミから見ることは出来ない。

 あるいは、ヴァルトールは気づいているのかもしれない。マミがいまだ、『虫』を見ることができないでいることに。

 それでもなお、彼女に同士の杖を渡したのは、彼の慈悲か、それとも、かつての自分のように、仲間を求めてやまぬ寂しさが故か。

 そんな長の想いに応えるためにも、マミは連盟の使命に励んだ。

 師たるヘンリックが、古い相棒の死を知って狂い、淀みに落ちた時、長が同士を狩ると決めた時、だからこそマミは、血まみれの任務を志願したのだ。

 だが、己の手を、かつての同士の血に染めてもなお、『虫』を見出すことはできない。

 

「――」

 

 後輩の前故に、懐かしい魔法少女の前故に、取り繕っていた表情が崩れ、涙が溢れ出す。

 しゃがみ込み、声もなく泣きはらす。

 

「――なんだい、一足、遅かったってわけかい」

 

 唐突に、背中越しに聞こえた声に、マミは涙を拭いながら立ち上がり、身を翻す。

 

「古狩人ヘンリック……あれは、あたしの獲物、だったっていうのにね」

 

 腕を組みながら、ハスキーな声で話すのは、その顔を奇妙な嘴をもった仮面で覆い、先の尖った黒帽子に、やはり黒い烏羽の外套を纏った怪しげな姿。

 それは、烏羽の狩人、狩人狩りアイリーンに他ならなかった。

 

 

 

 



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chapter.14『オドン教会』

 

 

 

 

 暁美ほむらは、狩人の夢を経て、大橋へと舞い戻った。

 彼女の予測は当たっていた。狩人の夢を経れば、直接歩いて向かうよりも遥かに素早く目的地にたどり着けるのではないかと。

 言葉を交わすこともなく、現れては去るほむらの姿に、人形はどこか寂しげな視線を送っていた。

 それを無視して、ほむらは墓石の前で念ずる。彼女の体は、念ずるままに大橋へと跳んだ。

 

「――よう。ちょうど良かった。こっちも、今ついた所なのさ。鐘を使うまでもなかったね」

「佐倉杏子……」

 

 跳んだ先で、神父姿の魔法少女――ならぬ少女狩人と再会する。

 

「杏子で良いよ。肩肘張るのは性に合わないからね」

 

 血の匂い立つ狩装束に身を包み、肩に仕掛けを動かし長柄とした大斧を負って、あっけらかんと言う。

 しかし血臭に反して、黒い神父服には真新しい血痕も見えない。それは恐らく、彼女の手際が恐ろしく良いからなのだろう。そう、ほむらは推測する。

 

「巴マミと会ったわ」

「……はっ?」

 

 唐突にほむらが告げれば、一瞬、呆けた顔を見せた後、驚きに露悪的な表情を崩した。

 

「巴マミって、あの巴マミのことだよな?」

「あの巴マミ以外に、どんな巴マミがいるというのかしら」

「マジかよ」

 

 杏子は、まるで目の前に巴マミが既に居るかのように、バツが悪いと視線をあらぬ方に逸らす。

 そんな様子からほむらは、目の前の彼女が、オドンの地下墓で出会ったマミとは違う時間軸から来たことを確信する。自分の推測が正しければ、あのマミは彼女の時間軸の佐倉杏子を殺している。殺されたことを忘れるなど、あり得ようはずもなく、こんな反応は見せない筈だ。

 

「先に言っておくけれど……これから出会うことになる巴マミは、あなたの知っている巴マミとは違う巴マミだってことを、頭に入れておいて」

「……はぁっ!?」

 

 あらぬ方に向けられていた視線が、ほむらのほうへと舞い戻る。

 彼女には意味不明な言葉を告げたために、杏子の顔には怪訝が満ち溢れている。

 

「なんだよそれ。わけわかんないんだけど」

「訳が解らなくても、解ってもらうしかないわ。今、ヤーナムの街に迷い込んでいる巴マミは、あなたの知っている巴マミとは違うということを。きっと、実際に話してみれば解るはずよ。話が噛み合わないだろうから」

 

 杏子の顔は疑問符まみれになっているが、ほむらは敢えて意に介さなかった。

 どのみち、直接会って言葉を交わせば、嫌でも解ることであるのだから。

 

「それじゃぁなんだい? 今目の前にいるアンタはあたしの知らないアンタだとでも言うのかい?」

「その可能性はあるわ」

「はぁっ?」

「私はあなたを知っているけど、あなたは私を知らない……そういうことがあり得るって言っているのよ」

「……意味わかんねぇ」

 

 杏子は、考えることを放棄したらしい。呆れた表情で天を仰いでいる。

 ほむらとしても、そちらほうが有り難い。口でここでどれだけ説明しても、解ってもらえるとは思えなかったから。

 それよりも――。

 

「それよりも……私はあなたの後ろのその娘のことが気になっているのだけれど」

「あ……ああ」

「……」

 

 ほむらが気になったのは、杏子の背中に隠れる見知らぬ少女のことだった。

 故に強引に問い、強引に話題をかえる。

 杏子の体にしがみつき、僅かに顔の半分を覗かせているその少女は、顔の半分だけみても美少女と知れた。

 少女は怯えた瞳で、無言のままじっとほむらの姿を窺っている。

 

「前にあなたが言っていた、寄り道とやらがその娘なのかしら」

「まぁね」

 

 杏子がその髪をわしわしと掻けば、少女は恐る恐る隠れていた背中から身を晒した。 

 身の丈は杏子のちょうど半分かそこらと言った所だろうか。やはり、可愛らしい少女である。その髪を、黒いリボンで綺麗にまとめている。

 

「……あなた、そのリボン」

 

 ほむらには、少女の黒いリボンに見覚えがあった。

 それは、杏子が常に彼女の髪を纏めるに使っていたものだった。果たして今の彼女は、白いリボンを使っている。

 

「取替っこしたのさ。なぁ」 

 

 杏子が言うのに、少女は静かに頷いた。

 えらく無口な少女である。 

 いや、単に無口なのではなくて、怯えているのだろう。その肩は緊張に強張り、瞳は動揺に揺れている。その小さな手は杏子の神父服の、外套の裾を強く握りしめていた。

 

「……獣避けの香も長くはもたない。こんなとこに長居は無用だよ」

 

 杏子は再度、少女の髪を掻きながら言った。

 二人の姿は姉妹そのもののようであった。

 

 ほむらは、ギルバートから聞き、実際に歩いて確かめた道筋を杏子たちに告げると、三人並んでオドンの地下墓へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたは――狩人狩りの!?」

 

 マミは、突如現れた怪人の姿に驚き、その正体に気づいて再度驚いた。

 思わず後ずさったのは、今目前にしているのが『狩人狩り』ならばこそだ。

 

 ――狩人狩り。

 

 その存在について、マミはヘンリックより聞き知っていた。

 『狩人狩り』……それは血に酔い、狂気に堕ちた狩人を狩る狩人。狩人専門の殺し屋。

 代々密かに、一代にただ一人、受け継がれていく秘められた使命。それが狩人狩り、

 

 ヘンリックは、確かに狂っていた。淀みに呑まれ、血に酔っていた。

 だとすれば、狩人狩りがこの場に現れるのも、道理というものだった。

 

「そうとも。狩人狩りは、あたしの仕事さね。……お嬢ちゃん、狩人なんだろう? 狩人は獣を狩れば良い。狩人狩りなど、あたしに任せておけば良いのにさ」

「……」

 

 なるほど、常の狩人であれば、彼女の言うことも最もである。

 しかし、今や巴マミは連盟の狩人なのだ。

 連盟の使命は、人の内に潜む「淀み」の根絶であり、そのために「虫」を潰し潰し潰し、潰し尽くすこと。

 かつて連盟員「マダラスの弟」は愛する毒蛇の内に「虫」を見出し、そして、弟は兄を殺したという。

 例えかつての同士であろうとも、「淀み」に呑まれれば狩るのが掟だった。

 おのが手を、かつての同士の血で汚すのも、厭うことはない。

 

「――それが、私の、なすべきことだから」

 

 マミは俯き、今にも泣き出しそうな震える声で呟いた。

 

 ――彼女は、義務感の強い魔法少女だった

 

 なればこそ、魔法少女が魔女となると知った時、杏子を殺し、ほむらやまどかを殺そうとした。

 血迷ったがためではない。血迷った者に、一番の腕利きを不意討ちで斃し、次いで時を操る少女を封じ、その上で残る一人と合わせてまとめて仕留めるなどと、戦略的な思考が出来るはずもない。

 巴マミは、狂ってしまうには理知的過ぎたのだ。だからこそ、彼女はどの時間軸においても苦しむ破目になる。狩人になっても、それは変わらない。

 

「……まったく。しっかりおしよ!」

「きゃあっ!?」

 

 狩人狩りは、うつむくマミの尻を、思い切り平手で叩いたのだ。

 分厚い外套とズボンの生地に阻まれて、殆ど痛みは感じなかったが、臀部を平手で叩かれるなど、いったい何年ぶりであるだろう。

 マミは何よりも驚き、そして恥ずかしがった。

 お尻を撫でながら、赤面している。

 

「小娘の癖に、慣れないことに手を出すからそうなるのさ。汚れ仕事など、このばばあの仕事なんだからね」

 

 そんなマミの様子が面白かったのか、狩人狩りはくつくつと仮面の下で笑う。

 マミは、嘴の仮面を睨みつけながらも、その実、さほど怒ってはいない自分に気がついた。

 むしろ、気分は恐ろしく軽くなっている。それは、こうして年上の女性に叱れたり、発破をかけられるのが、酷く久しぶりなせいかもしれなかった。

 

「お嬢ちゃんも余所者……それも、月の香の狩人なんだろう。ほむらと、おんなじね」

「!?……暁美さんのことを!?」

 

 マミは驚いた。

 この狩人狩りは、既にほむらのことすらも知っているらしいから。

 

「こうも異邦人ばかり現れるとは、今夜は単にひどいだけじゃなくて、なにやら曰くがあるみたいだね。面倒なかったよ」

 

 狩人狩りは言うだけ言うと、現れた時と同じ唐突さで去った。

 最後に、マミにこう言い残して。

 

「夢見るは一夜……せいぜい、貴重に使うことだよ。人形ちゃんによろしくね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほむらと杏子、そして少女の三人がオドンの地下墓へとようやく辿り着いた。

 新たに湧いてでいた獣たちから、少女を守りながらの道行き故に、少々時間はかかったが、誰も怪我一つない。いや、途中でまた遭遇した大豚は、何故か少女を執拗に狙ったので、少々危なかった。だがそれも、ノコギリ槍と獣狩りの斧で無事屠った。

 

「待たせたわ」

 

 ほむらが髪に滴る血を払いのけながら言えば、墓石の間で何か物思いにふけっていたらしいマミが顔を向ける。

 マミは、ほむらの傍らの杏子の姿に即座に気づき、顔を強張らせると、ゆっくりと三人のほうへと歩み寄る。

 

「佐倉さん……」

 

 マミは顔を俯かせているため、山高帽の広い庇に隠された瞳を見ることはできない。

 杏子はそれでも、居心地が悪いと、目線を逸らしていた。

 だからこそ、とっさの反応ができなかった。

 

「ご――ごめんなさぁい!」

「お!? おわ!?」

 

 マミは杏子へと抱きつくと、山高帽が転げ落ちるのも構わず、その胸元へと顔を埋めたのだ。

 呆気にとられる杏子を抱きしめたまま、マミは謝罪の言葉を繰り返しながら涙を流す。

 

「ごめんなさい! ごめんなさい! わたし……わたし!」

 

 マミにとっては自然であり当然な行動。

 杏子からすれば不自然を通り越して意味不明な行動。

 ようやくほむらの言っていた意味を理解した杏子は、とまどった顔で助けを求めてきた。

 ほむらは無視した。別に害のあるものでもない。

 ただヤーナムの少女だけが、マミの背中を擦りながら、泣かないで、夜の次は朝だから、と励ましていた。

 

 

 

 

 

 

 マミが落ち着いた所で、若干の情報交換の時間。

 アイリーンとの邂逅をマミが語れば、ほむらは静かに驚いた。

 しかしそれだけのこと。彼女の神出鬼没さと、その知識の深さに驚きこそすれ、現状を解く鍵にはならない。

 やはり、進むほかはないのだ。

 少女四人は、鉄扉を押し開いて潜り、階段を昇った。

 階段の先には水たまりがあり、水たまりの先には長梯子がある。

 四人だけに、梯子を昇るのは時間がかかったが、無事に四人とも昇りきった。

 昇りきった先は、図書室のような部屋で、そこでほむらは、久方ぶりに判読できる書き走りに出くわした。

 

 ――『ビルゲンワースの蜘蛛が、あらゆる儀式を隠している』

 ――『見えぬ我らの主も。ひどいことだ。頭の震えがとまらない』

「……」

 

 ゲールマンから聞いた言葉をそこに見出し、意味は解らずとも、取りあえずは記憶する。

 マミや杏子、少女へと新たなる発見を告げることなく――現状、これを敢えて告げる意味はない――ほむらを先頭に一行は階段を更に昇り、分厚く重い扉を開けば――。

 

 

 

 

 

 

 ――『オドン教会』

 

 

 



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chapter.15『ヤーナム聖堂街』

 

 

 

 

 

 ほむらが先頭に立ち、力を込めて、重い扉を押し開ける。

 空から、天窓を通して降り注ぐ夕日に、一瞬目がくらむ。

 満ち満ちた獣避けの香の匂いは、嗅覚を麻痺させるほどに濃厚だ。

 

 ――『オドン教会』

 

 ほむら達四人は、いよいよ目的地、聖堂街へと辿り着いたのだ。

 無論、ここはまだその外れに過ぎないのではあるが。

 

「……大きいわね」

「ええ。今はもう、無人という話だけれど」

 

 恐ろしく高い天井を見上げながら呟くほむらに、マミが同意する。

 

「……なんだ?」

「……」

 

 教会を前にして、独り過去へと想いをはせていた杏子の袖を、掴み引っ張ったのは黒いリボンの少女である。

 彼女が指差す方へと視線を向ければ、そこには赤い塊が蹲っているのが確かに見えたのだ。

 杏子につられて、ほむらもマミも、その赤い塊のほうを見る。

 

「――ん? あんた達……もしかして、獣狩りの狩人さんか?」

 

 その赤い、布製とおぼしき塊が、不意に動き出して声を発したのには、ほむらも、マミも、杏子すらもが魂消た。少女は声にならない悲鳴とともに、杏子の体を強く抱きしめ、杏子もまた少女を庇うように前に出た。

 赤い塊が動けば、それは実は人であったことが明らかになった。

 黒ずんだ肌の、痩せこけたその男の瞳は濁っており、ひと目で彼が盲人とほむら達は知れた。

 

「すまない、香のせいで、匂いがわからなかったよ」

 

 盲人は、見えざるを瞳でほむらたちのほうを見渡した。

 妖しく黄色く光る、濁った瞳に、黒いリボンの少女は一層強く、杏子の体を抱きしめた。

 

「でも、よかった。あんたが狩人なら、お願いがあるんだ」

 

 そして唐突に、出し抜けに、出合い頭に、盲人は、ほむら達へと話し始めたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どう思う?」

 

 杏子は、疑念を隠すことのない視線で、盲人を覗き見ながら言った。

 ほむら達は盲人からやや離れた所で、彼から出た提案と要請をどうすべきか、話しあっているのだ。

 盲人の相手は、黒いリボンの少女に任せている。相手が子どもとあってか、盲人は実に楽しそうな様子だ。

 

「正直、あたしはあいつを信用できないね」

「私も同じ意見よ」

「私には、悪い人には見えないのだけれど……」

 

 杏子が吐き捨てるように言えば、ほむらは即座に同意する。

 マミだけが異論を述べるが、ほむらに言わせれば彼女の人を見る目はあてにならない。

 マミは愚か者ではないが、理想主義者でお人好しである。だからこそ、キュウべぇの詐術に落ちたのだ。

 

「でも……入り口が開きっぱなしなのに、獣が入ってくる気配もないのは事実じゃないかしら。実際、獣避けの香はちゃんと焚かれているわ」

 

 実際、マミの言う通り獣避けの香を焚いた壺は夥しく並べられていて、匂いで鼻がおかしくなりそうな程だ。

 獣は、その影さえ見えず、ヤーナムの街の真ん中ととは思えぬ静寂に満ちている。

 

「……いや、それでもあたしには信用出来ないね」

「私も、やはり同じ意見よ」

 

 それでも、二人は疑いを消し去ることは出来ないのだ。

 とてもではないが、盲人の言うように、黒いリボンの少女をこの教会に預ける気になどならなかったのだ。

 

 オドン教会の住人たる盲人が、ほむら達に語り、頼んだ内容を要約すれば次のようになるだろう。

 今夜の獣狩りの夜は異常であり、香を焚き、備えを万全にしている筈の家々すら獣の餌食になっている。どこも安全な所などないが、このオドン教会だけは別である。だからこそ、街の生き残りを見つけたならば、ここに連れてくるか、来るように促して欲しい――こんな所であろう。

 

 杏子は、少女を預けられる安全地帯を求めて聖堂街にやって来た訳であり、だとすれば盲人の申し出は渡りに船ですらある。だが、ここが安全地帯であるのか、その確信がまるで持てないのだ。はっきり言って、あの盲人は怪しすぎた。

 

「でもこの先、他に安全そうな場所があるという保証も無いんじゃないかしら?」

「そりゃぁ……そうだけれど」

 

 マミの言う通り、この先に他に安全地帯がある保証もなく、無防備な少女を連れてこれ以上、獣溢れるヤーナム市街を歩き回るのも得策と思えない。しかし杏子は不満げだった。彼女にとっては少女の身の安全こそが再優先事項であり、決して妥協できない部分であったからだ。

 

「じゃあ、こうしましょう」

 

 これ以上話を続けても埒が明かない。

 ほむらは、できれば戦力分散の愚を避けたかったが、敢えて別行動を提案した。

 

「私は、この聖堂街で探すものがある。だからここを探索するついでに、より安全そうな避難場所を探すわ。その間、佐倉杏子、あなたはここに残って盲人を監視しながら、あの娘を守れば良いわ。もしもっと良い避難場所が見つかったら、その時は知らせるから」

「良いのか?」

「構わないわ」

 

 黒髪を払いながら、ほむらは頷く。

 

「ヤーナムの街は狭く、入り組んでいる。あまり大人数で動くのも、却って互いの邪魔になるわ」

 

 実際、ほむらの見た所、三人程度が限度であろう。

 それ以上になると、互いの得物の間合いに互いに入ってしまうから、むしろ獣と対する際に危うさが増すだろう。

 

「巴マミ。あなたはどうするのかしら?」

「……」

 

 マミは少しばかり黙考してから、答えた。

 

「暁美さんに同行するわ。私の目的地も、確か聖堂街から通じていた筈だから。その通り道を、私も探したいし。それに……大勢は駄目でも、一人よりも二人のほうが良いと思うの」

 

 かくして、方針は決まった。

 四人は、一時の別れ、二人ずつになって、それぞれの行動を開始する。

 

 

 

 まずは正面に開いた入り口から、二人の少女狩人は聖堂街へと繰り出した。

 

「……静かね」

「ええ」

 

 はっきり言って、異様な静けさだった。

 ヤーナム市街にはああも溢れていた獣の気配が、ここではまるでしない。

 まるで、ここの住民全てが死に絶えてしまったかのような、そんなことを思わせるほどの静寂が広がっているのだ。

 

人気(ひとけ)がないのは解るけど、獣の気配すらないのは、はっきりいって異常だわ」

 

 マミが言うのに、ほむらは静かに首肯した。

 血の匂いに慣れすぎたのだろうか、それが感じられないのが、むしろ不安を誘うのだ。

 

「とにかく……もう少し探して――」

「ッ!?」

 

 ほむらは、マミの言葉の途中で、唐突に背後を、厳密にはオドン教会の屋根のほうへと眼を向けた。

 そして、何もない、何の変哲もない屋根と空とを睨みつける。

 

「暁美さん……? どうしたの?」

「いえ――なんでもないわ」

 

 マミが心配そうに覗き込むのに、ほむらは首を横に振った後、正面へと向き直った。

 恐らくは、気のせいなのだろう。

 確かに屋根の上から、自分たちへと向けられる、視線を感じたと思ったのだが――。

 

 

 

 

 

 

「これは……一体」

「なんなの、かしらね」

 

 暫し歩き、ほむらとマミは、何故にこうもこの街が静かなのか、その訳を知った。

 二人が見下ろしているのは、あるゆる意味で異様な死骸である。

 服装それ自体はまともである。白い帽子に、白いケープつきの外套、首にはなにやら鐘を下げている。

 しかし、まず第一に、大きさが異様だ。ほむらはともかく、女子中学生としては比較的背の高いマミと比べてもなお大きく、目測でも2メートル半……いや、3メートルはあるかもしれない。

 第二に異様なのは、その顔だ。骸骨のように頬がこけていて、その肌は既に死骸であることを割り引いてもなお青白い。そしてあらぬ虚空を見つめる双眸には瞳がなく、墨でも流し込んだかのように黒一色なのだ。

 結論付けると、人に似てはいるが、人ではない。かといって獣とは違う。正体不明の、異様な死体だ。

 

「これ……何を使ったのかしら?」

「ギザギザした傷跡から見るに……ノコギリ鉈か、ノコギリ槍を使ったようにも見えるけど」

「いいえ違うわ。刃と刃の間隔が明らかに広いし、それにこの肉の爆ぜかた、もっと重いものによるものよ」

 

 異様な大男は、首がありえない方向を向いて絶命している。

 その首の根元にはばっくりと裂けた傷があり、肉は吹き飛んで骨まで晒している。

 恐らくは、ノコギリのようなギザギザのついた、分厚い鉄の刃で殴られたと見える。無骨で、力に任せるそのやりくちは、洗練とは言い難い。

 

「狩人かしら? でも、医療教会の狩人達は、その狩長も含めて既に壊滅したと聞いたけれど」

「私達や、狩人狩りのように、組織に属さない狩人かもしれないわ」

 

 ほむらもマミも、辺りをきょろきょろと見渡したが、その謎の狩人の姿は見えなかった。

 

「協力……できるといいのだけれど」

「ええ」

 

 応えながらも、ほむらは何となく不吉な予感を抱いていた。

 この異様な傷跡は、それをなした狩人の異様性を示しているような、そんな想いを一瞬抱いたのだ。

 

 ――そして、その予感は一層膨らんだ。

 

「もっと酷いわね」

「そうね」

 

 今度見つけた死骸は、さっきと同じような大男のもの――であると思われるが、ふたりとも確信が持てない。

 なぜならそれは酷く焼け焦げ、ぐちゃぐちゃになっていたからだ。

 まるで、手榴弾かその類の爆薬が、至近距離で爆発したかのように。

 さらに言えば、爆発に加えて、叩きつけるような強力な力も加わったらしいのが、損傷の具合から解った。

 

「行き止まり……かしら」

「そのようね」

 

 オドン教会の正面入り口から見て、右側の大階段を昇り終えると、踊り場と巨大な鉄門の前に出た。

 しかし大橋の鉄扉同様、固く閉ざされて、まるで通れる気配はしない。

 そして踊り場には、さっき大男と同じような死骸がさらに二体、転がっていた。

 どちらも、白装束を切り裂かれ、深い裂傷により斃れている。

 恐らくは、鋭く大きな、日本刀かサーベルのように、湾曲した曲刀によって受けた傷だろう。

 これまた、ほむらもマミも知らない、新たな得物によるものであると思われた。

 

「得物は三つ。恐らく、狩人達は三人組ね」

「それも、揃いも揃って血の気が多いようね」

 

 ほむらもマミも、胸中の不安が一層大きくなるのを感じた。

 あるいは、この聖堂街を、血に酔った狩人達がうろついているのかもしれないと。

 

 

 

 

 

 

 他に行くべき道もなく、二人は一旦オドン教会に戻った。

 

「……えらい早かったな、おい」

 

 ジト目でそんなことを言う杏子は、少女を膝の上に載せながら、どこから調達してきたのか、何やら菓子めいたものを二人して齧っている。よく見れば、例の盲人も美味しそうに同じように頬張っていた。

 こっちはこっちでうまくやっているのを確認すると、危険な狩人が徘徊しているかもしれないと警告をして、二人は今度は左側に空いた入り口から外に出る。右側にも扉はあったが、これは固く閉ざされてびくともしなかった為だ。

 

 またも同じような大男が、またも同じような傷を負って二人ほど死んでいるのに出くわしたのは、真ん中に井戸のある小さな広間だった。広場からは二筋の階段が延びている。一方は細く急な昇りで、一方は広く緩やかな下りとなっていて――。

 

「!」

「!」

 

 ほむらとマミは顔を見合わせた。

 右手、昇りの階段の上の方から、なにやらチリンチリンと、鐘のような音がしたのだ。

 

「……」

「……」

 

 二人は静かに各々の得物を、ノコギリ槍に短銃、仕込み杖に長銃を構えると、ゆっくりと階段を昇り始めた。

 ほむらが前を行き、マミが長銃でいつでも援護できるように備える態勢だ。

 しばし進むと、進行方向先に、巨大な影がのっそりと姿を現した。

 

「――」

「――」

 

 二人は絶句した。

 現れた巨人の巨大さと、その巨大さにも関わらず、人のシルエットを保っているという事実に。

 単に巨大な獣であれば、ほむらは大橋で、マミは禁域の森で何度と無く見ている。

 しかし目の前の巨人は、明らかに獣とは異なっている。異様な姿ではあっても、人形(ひとがた)を保っているのだ。

 手にはほむらやマミの体躯を遥かに超える大きさの大斧を持ち、その刃を石畳の上に引きずっている。

 顔を仰ぎ見れば、例の異様な大男達とよく似ていた。骸骨のように頬がこけ、青白い肌で、眼は真っ黒で瞳がない。

 チリンチリンと、首に下げた鐘が、巨人が一歩踏み出すたびにけたたましく鳴った。

 

(暁美さん、どうする?)

(さぁ、どうしようかしら)

 

 二人は顔を見合わせ、囁きを交わした。

 巨人は巨人であり、その点異様ではあるが、獣には見えない。

 そこに一縷の望みがある。もしかすると、会話することができるかもしれないのだ。

 

(……私が話しかける。巴マミは援護を)

(わかったわ。任せて)

 

 ほむらは意を決して、巨人に話しかけることにした。

 歩みだすほむらの背後で、マミは長銃に散弾ではなく大口径弾を装填し直しつつ、両手で構える。

 

「ちょっと……良いかしら」

 

 ほむらの声に、巨人は振り向いた。

 瞳なき眼でほむらを暫し見て、そして大斧を振りかぶった。

 

「跳んで!」

 

 ほむらの警告に、マミは即座に応じた。

 ほむらが巨人の右側へ、マミは左側へとそれぞれステップした。

 巨人の左右を二人がすり抜けるのと、鉄塊めいた刃が、石畳を砕くのはほぼ同時のことであった。

 散弾のように飛び散る欠片が、分厚い狩装束に当たって音を立てる。

 

「足よ!」

「わかってるわ!」

 

 ほむらはノコギリ槍の仕掛けを動かしながらの、いうなれば『変形攻撃』を繰り出した。

 遠心力の乗った、鋭く、かつギザギザの刃は巨人の左足を削る。

 同時に、巴マミが仕込み杖を鞭へと変えながら、思い切り巨人の右足へと振るったのだ。

 左右同時の、しかも脚部への攻撃。巨人は、呻きながら体勢を崩す。

 

「暁美さん!」

「わかってるわ」

 

 ほむらはノコギリ槍を再度変形させながら、巨人の懐へと回り込み、飛び込む。

 同時にマミは巨人の背中を駆け上り、その後頭部へと、長銃の銃口を擬していた。

 

 息は、ぴったりと合っていた。

 

 ほむらの渾身の一撃が、ノコギリの刃が巨人の肺腑を抉った時、マミの長銃は巨人の頭を撃ち穿っていた。

 巨人の股ぐらをほむらが転がりぬけ、マミが大きな背中から飛び降りた時、巨人は落命して斃れ、光の奔流となって消えていた。

 

 暁美ほむらと巴マミ。

 反目しあうことが多かった二人だが、伊達に師弟関係ではない。

 その連携は、芸術的ですらあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨人が現れた門を抜け、見晴らしの良い場所にでた。

 そこで既に見慣れたヤーナムの大男達を二人、地面を這うカラスを数羽、手早く二人は片付ける。

 道を進んだ先では、またも巨人と――得物は大斧ではなく鉄球だったが――出くわし、これも連携して素早く斃した。

 階段を下り、さらに進んだ先は行き止まりであったが、そこに据えられていた木箱の中に、二人は、ついに目当てのものを見出した。

 

 

 ――『狩長の印』

 

 

 小さな、布製の印。それこそは、二人の求めていたものに他ならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





【狩長の印】:大聖堂の円形広場に至る、門を開く鍵となる
―――――――――――――――――――――――

かつて教会の狩人、その長が持ったという布製の印
大聖堂の円形広場に至る、正門を開く鍵となる

本来であれば長の持つべき印は、大橋の門の裏側へと秘された
教会最後の狩長は恐れたのだ。己が獣と化し、その印が汚れた血に染まることを
故に隠した。印が、狩長の名誉が、次なる狩人へと引き継がれることを願って

果たして、全ては狩長の思った通りになった










実際、教会の使いって割と謎めいた存在だと思う
まず教会所属なのに聖布がついていない。教会の大男にすら、それらしいの付いてるのに
獣化した人間とも違うし、瞳のない黒ずんだ眼から見るにトゥメル人?
そもそも何で襲ってくんのアイツら。やっぱメンシスの儀式の影響で狂ってるのかしらん?


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chapter.16『アリアンナ』

 

 

 

 

 

 ――鉄塊が、墓石を粉微塵に砕いた。

 

 

 僅かでも遅ければ、自分もそうなっていた所だと、ほむらは血避けのマスクの下で冷や汗を流す。

 仕掛けを起動し、ノコギリを槍と変じて、その幅広く長い刀身を横薙ぎに振るう。巨躯に見合わない、青白く細長い足へ、その脛へとギザギザの刃が吸い込まれる。血が、肉が削られ、散らされる。

 巨人は、呻きながらも今度は大斧を斜めに持ち上げた。足元のほむらを、薙ぎ払おうというのだろう。

 

「はっ!」

 

 石畳を蹴り、斜め前方に跳び、地面を転がる.

 真後ろを、重く分厚い刃が通り過ぎ、その風圧に舞い乱れる長髪の端がうねり、踊る。

 

「――ッ!」

 

 転がる勢いで振り返りながら立ち上がったほむらの視界に飛び込んできたのは、今度は逆方向に斜めに構えられた大斧だった。もう一薙ぎして、今度こそほむらの体を両断するつもりだ。しかし、激しい動作の直後の若干の硬直故に、即座に地面を蹴って逃れることができない。

 

 ――マズイ!

 

「暁美さん!」

 

 巨人の背中、大きな白マントが雹の雨でも受けたかのようにはためく。

 呻く巨人の注意は背後へと向けられ、その黒帽子の下の顔面へと新たな散弾が叩きつけられる。

 マミだ。自分の標的であった巨人を仕留め、援護に駆けつけたのだ。

 

「こっちよ!」

 

 三度目の散弾の直撃に、巨人の殺意は完全にほむらからそれ、マミへと向けられている。

 マミの作ってくれた隙を逃すまいと、ほむらは巨人の右側、巨人が大斧を構えているのと反対側へと回り込む。

 その間にも、巨人は大斧を大上段に構え、思い切りマミへと振り下ろしていた。

 

「遅いわよ!」

 

 大斧が捉え得たのは、マミの残像だけだった。

 巨人の左側、ほむらとは反対側に跳び込み、仕込み杖を鞭と変じる。振り下ろし攻撃に合わせて下がった巨人の頭部目掛け、マミは鋼の鞭を振るう。

 呻き、ならぬ、叫び。鞭は、巨人の右目を薙ぎ、切り刻んでいたのだ。

 

「たぁぁぁっ!」

 

 マミは瞬時に鞭を杖へと戻し、その持ち手を指の間で挟み込むようにして構えると、残る巨人の右目目掛けて思い切り突き出した。鋭い杖の尖端は、茄子のように真っ黒な眼球を潰し、貫く。

 叫び、ならぬ、慟哭。巨人は痛みに震える。

 

「今よ!」

 

 マミが叫ぶより前に、既にほむらは動いていた。

 ノコギリ槍を両手で脇に構え、踏み込む勢いに乗せて刃で弧を描く。

 三日月のような剣閃、ならぬ槍閃は巨人の背中をえぐり、肋骨を断ち切り、臓腑を切り裂いた。

 致命傷である。

 巨人は、よたび、光の奔流となって消えた。

 

「……はぁ……はぁ」

「……やった……わね」

 

 二人の少女狩人の息はともにあがっていたが、既に辺り一帯の敵は斃し尽くされていた。

 大聖堂の円形広場を占拠していた二人の巨人も、ほむらとマミの手になればご覧の通りだ。

 

 『狩長の印』をかざせば、確かに鉄扉は開いた。

 快哉し、さぁいざ大聖堂へ――と喜び勇んだ二人に、今までは死体でしかお目にかかってこなかった大男たちや、つい数分前に斃したばかりの巨人と同じ巨人がさらに二体、立ちふさがってくる。

 大男の放つ火炎放射に、長い黒髪の先を焼かれながれもこれをしとめ、先の鋭い杖を振るってくる大男にはマミが散弾をお返しし、動きが崩れた所で内臓をえぐった。

 巨人は二体もいたために、ほむらとマミ、それぞれが一体ずつ請け負ってこれを斃す。だが実際には、先に一体を斃したマミと、残りの一体を共闘して仕留めた形だ。

 

「ヤーナムの獣達は、恐ろしく素早いわ。狩人の装束が、速さを意識して防御よりも軽さを重視しているのもそのせいよ。だからこそ、一撃を避けたからといって油断しちゃだめよ」

「……」

 

 狩人としも、ほむらにとってマミは先輩である。

 彼女もそうと知った今、こうして助言をしてくれるわけだが、それが何ともほむらにはこそばゆいような、妙な気分にさせられるのだ。ほむらにとって、マミを魔法少女の師として仰いだのは、もうずっと前のことなのだから。

 

「……まぁでも、お互い無事で良かったわ」

 

 ほむらの無表情をどう受け取ったのか、マミは少し寂しげに微笑みながら言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――それで、どっちに行くべきかしら」

 

 ほむらが言っているのは、円形広場の半ばと、その入口近くにそれぞれある横道のことだ。

 円形広場から、恐らくは大聖堂に通じているらしい大階段への道は、新たなる鉄扉に閉ざされてしまっている。

 こちらは、狩長の印をかざしても、開く様子はない。だとすれば、二人が進むべきは横道のいずれかだ。

 

「二手に分かれる……のは、得策じゃないわね」

 

 マミの言う通り、この未知の領域で別行動をとるのは愚の骨頂だ。互いに歴戦の魔法少女とは言え、獣が相手では勝手も違う。ここは安全を期し、多少時間を食うことになっても、二人で動くほうが安全だろう。

 

「それじゃあ、入り口近くの道から二人で行くべきね」

「なぜ、そっちと選んだのかしら?」

「別に。ただ、あそこから例の大男達が出てきたから、どこかに通じてるかもと思っただけよ」

 

 結局の所、勘で選ぶしか無い二者択一だ。マミは、ほむらの提案に従った。

 

「……なんだか、きな臭いわね」

「そうね」

 

 霧だろうか、蒸気だろうか。

 とにかく、視界を遮るような白い靄が道を進み、階段を降りるたびに厚みを増していく。同時に、湿った臭気も増していく。端的に言うと、実に生臭い。

 

「巴マミ」

「なにかしら?」

「あなた、辛くはないの?」

 

 ほむらが言うのは、臭いのことである。

 顔の半ばを覆う血避けのマスクが臭気もある程度防いでくれるほむらと違い、トップハットを被ったマミの鼻を遮るものはない。マスクを通してもこの臭気だ。マミはさぞかし辛いはずだと、ほむらは思うのだ。

 

「……確かに臭いわ。それでも、私は()()が良いのよ」

 

 マミは、広い庇の縁に人差し指を這わすと、敢えて作ったらしい気取った笑みをほむらに返す。

 その様は、様式美を好む実に巴マミらしい仕草だった。

 

 ――悲鳴。

 

「!?」

「!?」

 

 取り留めのない戯言を中断し、ほむらもマミも共に走り出す。

 今聞こえた悲鳴は、女性のものだった。それも、理性を感じさせる声だったのだ。

 まともな生存者だ。助けないわけにはいかない!

 

 大急ぎで階段を二人は駆け下り、間一髪で間に合った。

 獣化が進み、毛むくじゃらの怪物と化したかつての群衆の一人が、ちょうど手にした農具のようなものを、躓いて転んだと思しきに女性に、今まさに振り下ろそうとしている所だったのだ。

 

「マミ!」

 

 ほむらがノコギリ槍を構えて突っ込むのと同時に、マミが背後で長銃を放った。

 大口径弾は螺旋軌道を描きながら獣の背中に突き刺さり、その注意を女性から無理やり逸らさせる。

 臭い息を吐く、獣の顔面目掛けて、ほむらは至近距離で短銃を撃つ。弾丸は眼と眼の間に辺り、獣は得物を取り落とし、長く伸びた手で顔を掻き毟る。

 

「ふっ――!」

 

 ノコギリの刃を、がら空きの土手っ腹へと体ごとぶつかるようにして叩き込む。

 ギザギザの生えた刃は、柔らかい腹の肉を破って、容易く腸へと達し、これをずたずたに引きちぎる。

 ばっくりと開いた傷口目掛けて、短銃を手放した左手を突っ込んだ。手袋越しに、肉と血の熱さが指へと走るや否や、ほむらは思い切りはらわたを鷲掴み、勢いよく手を左へと振るった。

 斃れる獣が女性を押し潰さないように、わざわざ左の家屋の壁へと叩きつけられた獣は、臓物と血を撒き散らしながら絶命する。ほむらが掴み獲った獣の内臓を忌まわしげに投げ捨るのと同時に、短銃が石畳に落ちてカランと音を立てた。

 それは、ほむらの背後から襲いかからんとした新手の獣を、マミの仕込み杖が刺し殺したのとも同時のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう。あなた達のおかげで助かったわ」

 

 最初は恐怖故か、喘いでばかりで話すこともおぼつかなかった女性も、暫時すれば落ち着きを取り戻し、艶のある感謝の笑みをほむら達へと贈った。

 胸元の大きく開いた、仕立てのよいえんじ色のドレスに、白い可愛らしい靴。

 肩口までの長さの金髪に、線は細くとも充分に成熟し、色気づいた大人の美貌。

 一見して、『夜の女』と解る女性だが、しかし彼女の物腰には不釣り合いな優雅さがあった。

 

「私はアリアンナ。見ての通り、この通りで男を相手に商売をしているの」

「ほむらよ」

「マミです。よろしくおねがいします、アリアンナさん」

 

 無愛想なほむらに対し、大人の女性が相手とあってかマミは礼儀正しく名乗った。

 

「……それにしても、こんな小さなお嬢ちゃん達が狩人とはね。助けてもらっておいてなんだけど、世も末ね」

「全くだわ」

「ちょっと」

 

 アリアンナの皮肉っぽい言葉に、ほむらは即応し、マミは嗜める。

 

「でも、あなた達がいてくれて良かったわ。さもなきゃ私、今頃獣の胃袋のなかだもの」

「なぜ、こんな夜に外に出ようなんて思ったのかしら」

 

 ほむらの、当然過ぎる問いに、アリアンナが返した答えは意外なものだった。

 

「こんな夜だからよ。獣避けの香も、もうなくなりそうだったから、不安になってた所で、あなたたちとは別の狩人が、安全な避難所を教えてくれたのよ」

 

 ほむらとマミは顔を見合わせる。

 ()()()()。実に興味深い言葉ではないか。

 

「彼女、『ヨセフカの診療所』が安全だって教えてくれたの。だから、残りの香で焚いて何とかそこまで行こうと思ったのだけれど……まさか扉を開けたすぐその先で獣と会うとは思っていなかったわ」

「『ヨセフカの診療所』?」

「ええ。ヤーナムの街の南の端にある、医療教会の診療所なんだけれど」

「!」

 

 ほむらには覚えがあった。

 それは恐らく、自分がこのヤーナムの街で初めて目覚めた、あの病院のことではあるまいか。

 

「……そこよりももっと近くて安全な場所があるわ。オドン教会よ。あそこには狩人がいて、そこを守っているわ」

「本当!?」

 

 アリアンナが喜んだのは、オドン教会の場所を知っているからだろう。あの病院に比べれば、確かに遥かに近い。

 

「あなたをそこまで案内するわ。その代わり、あなたに教えてほしいことがある」

「何かしら?」

「あなたに、ヨセフカの診療所のことを知らせた、狩人についてよ」

 

 マミもほむらと同じことが気になっていたらしく、横で静かにアリアンナの答えを待っていた。

 アリアンナはちょっと思案してから答えた。

 

「扉越しだったけれど……あなた達と歳のころは同じだったわね。医療教会の黒装束を着て、黒い色の髪の、琥珀色の眼をした片目の女の子よ。右目は、黒い眼帯が覆っていたわ。手には、何かこう、獣の爪みたいな武器を持ってたいたわ」

「――ッ!?」

 

 アリアンナの答えに、マミは首をかしげるばかりだったが、ほむらは違っていた。

 彼女の語った狩人の特徴は、ほむらに否応なく、思い出したくもない忌まわしい記憶を想起させるものだった。

 

 黒い髪。

 黒い装束。

 隻眼、眼帯。

 琥珀色の瞳。

 爪のような武器。

 

 そうした特徴から、ほむらが思い起こすのは、ただ一人の魔法少女。

 

 ――呉キリカ。

 

 あの忌まわしい、まどかを殺した最悪の女、『美国織莉子』のしもべとも言える少女を、ほむらは想起していた。

 

 



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chapter.17『教区長エミーリア』

 

 

 

 

 

「――暁美さん?」

 

 マミの声に、ほむらの心は思考の海から現実へと意識を引っ張り戻された。

 つい一瞬前まで脳裏を満たしていた忌々しい記憶を、強引に振り払い、小さく「なんでもないわ」と呟く。

 ――呉キリカと、美国織莉子。

 

 彼女らの出現は気まぐれで、数え切れぬ程の周回のなかでも、実際に遭遇したのは片手で数えられる程度でしか無い。しかし、そんな彼女らが現れた時はいつも、ほむらにとって最悪の結末が決まってもたらされたのだ。なぜなら彼女らの行動の目的は決まって、『鹿目まどかの殺害』であったのだから。

 

「巴マミ。呉キリカ、美国織莉子。この二人の名前に覚えは?」

「?」

 

 マミは首をかしげるばかりだった。

 隠し事をしてるようにも見えないし、その理由も見当たらない。本当に知らないらしい。

 

「あら? あなた、あの片目の小さな狩人さんとご知り合い?」

「……」

 

 ほむらが名前を出したので、アリアンナが気になったのか訊いてくる。マミも、隣で興味深そうな様子だ。

 さて、何と答えたものか。あの忌々しい人殺しの片割れが、このヤーナムで何をやっているのかは知らないが、どうせろくなものであるまい。

 

「あの女は悪党よ。もしも次出会う機会があっても、絶対に信用してはだめ。必ず、策略があるはずだから」

「え?」

「暁美さん?」

 

 努めて冷静に言おうと思ったにも関わらず、声には隠しようのない憎悪が載ってしまった。

 いつも鉄面皮、声も静かで平坦と、まるで感情を窺わせないほむらが見せた、唐突な悪意。

 アリアンナは戸惑い、マミはもっと戸惑っている。

 しくじった――と思う。しかし、どうしてあの女たちを許すことができようか。

 まどかを、鹿目まどかを殺した女たちのことなどを!

 

「とにかく! 今はオドン教会に向かうのが最優先よ。 あなたをそこまで送り届けるわ。だから、ゆめヨセフカの診療所に行こうだなんて、思わないことね。いったい、どんな罠が待っているか、知れたものじゃないわ」

 

 強引に話を打ち切って、ほむらは来た道を戻り始める。

 アリアンナは戸惑いながらも、その背中に従い、最後にマミが殿となって歩き始め――ようとした。

 

『――つくづくバカな女だ。股だけでなく、脳みそまで緩いと見える』

 

 唐突に、三人の背後からしわがれた声が響いてきた。

 独特の訛りのある、男の声である。そこに込められたあからさまな嘲りに、まずマミが眉をしかめながら振り返り、アリアンナがやや慣れた様子で続き、最後にほむらが何事かと駆け戻ってくる。

 声の源は、獣避けの香の匂い立つ、赤いランタンを下げた、鉄格子の窓からだった。

 

『よそ者の言葉を信じるなんてな。そういうやつは、決まって悪意の塊さ』

 

 偏屈さが滲み出る声だった。

 マミの顔はどんどん険しくなり、アリアンナは溜息を吐き、ほむらは何事かと静かに推移を見守る。

 

『お前ら。よそ者だろう。よそ者が獣狩りなど、どうせ碌なことじゃあるまい。そんな連中の言葉を信じるなど、股開きは、どこまでも股開きと見える』

「ちょっと! あなた!」

 

 アリアンナより先に、怒り出したのはマミだった。

 窓の、鉄格子のむこうの老人に、頭に湯気を立てながら食って掛かる。

 

「なんなんですか、その言い方は! 謝ってください!」

『事実を言ってなにが悪い。なんだ、嘘がばれるのが怖いのか? そうだろう、そうだろう。よそ者とて、知恵者を知恵者と知ることだけは、褒めてやるぞ』

 

 しかしマミの怒りなど何処吹く風、顔も見えぬ老人は、これは愉快と哄笑をあげるばかりだ。

 アリアンナは頬を膨らませるマミに、もういいわと制止をかけようとするのだが――それより先に、怒りに震える肩に手をかけたのは、ほむらだった。

 

「巴マミ、気にすることはないわ。()()()のことなど放っておいて、さっさとこんな所から立ち去るべきよ」

『……何だと?』

 

 ほむらが吐き捨てるように放った言葉に、老人の声の調子が変わる。

 あからさまな怒りが、そこには籠もっている。

 

『お前……俺を馬鹿にするのか』

「馬鹿を馬鹿と言ってなにが悪いのかしら」

『なんだと!?』

 

 ほむらの辛辣な言葉に、老人は声を荒らげる。

 眼鏡を投げ捨て、迷いを振るい払ってから、ほむらの心は氷のように凍てついていたのだが、この時は珍しく、苛立ちを隠すこともなく言葉には毒を盛る。呉キリカという忌まわしい存在が、珍しく彼女の感情を波立てていたからだろう。苛立ちの腹いせのように、偏屈な老人に思ったままの皮肉を叩きつける。

 

「今夜は普通じゃないわ。にも関わらず、そうやって部屋のなかに怯え縮こまって、黙って獣に喰われるのを待っているのが、愚かでなくてなんなのかしら。例え多少危険を冒してでも、より安全な場所へと逃れようとするのが、本当の知恵者のなすべきことよ」

『……』

 

 ほむらの歯に衣着せぬ物言いには、老人すら言葉を無くし、マミは戸惑い、アリアンナは居心地が悪そうだった。

 言うだけ言って気が済んだのか、プイとほむらは踵を返して、スタスタと歩き始めてしまった。マミはおろおろと慌てて窓とほむらの背とを何度も交互に見返し、アリアンナはひとまずほむらに続こうとゆっくりと歩き始めていた。

 

『待て!』

「……何かしら?」

 

 老人が大声で呼び止めるのに、ほむらは不機嫌さを隠すこともなく、しかし律儀に返事して振り返った。

 

『……お前のような卑怯なよそ者が、どんな嘘をその売女(ばいた)に吹き込んだんだ?  俺をだましたいんだろう? さあ、聞いてやるぜ』

 

 ほむらは、再度吐き捨てるような、取り付く島もない調子で答えた。

 

「さぁ? ヨセフカの診療所にでも、オドン教会にでも、好きな方に行けばいいじゃない。 賢んでしょ? ならどっちが良いかは、自分で考えることね」

 

 言うだけ言うと、今度こそほむらは老人のことを一顧だにせず、ずんずんと早歩きにオドン教会へと向かう。

 そのほむらの決断的な有様に、マミも従わざるを得ず、アリアンナも一度窓をほうを振り返りつつも、ほむらとマミノ二人に従い進んだ。

 

 ――ほむらは知らない。

 彼女の、突き放した態度が、却って一人の老人の命を救ったなどとと。

 

 

 

 

 

 三人は、さしたる障害もなくオドン教会へと辿り着いた。

 杏子も、今度は。

 

「……えらい早かったな、おい」

 

 ――などという皮肉を、杏子も今度ばかりは吐くことはなかった。

 新たなる教会の住人の出現に、盲人が快哉をあげたからである。

 アリアンナは春を売るのが稼業だけに、不気味な盲人にも極々普通に挨拶を交わし、彼を喜ばせた。

 

「おお、狩人さん! ……あの人は、俺なんかに、話しかけてくれたんだ。いや、そりゃあ、ほんの少しだけどさ……でも、女の人だぜ? 優しいんだ」

 

 杏子は彼のことを警戒していたし、ほむら自身も懐疑の眼で見ていたが、こうした反応を見るに、謀略や策略などなど、単なる善良な人間としか思えなくなる。

 しかし――魔法少女、否、今や狩人と化した少女よ、畏れ給え。かつてあのインキュベーターは、ヌイグルミのような愛らしい姿で少女たちを騙した。ゆめ、油断は禁物である。ほむらは自戒する。

 

「それじゃ、任せたわよ」

「お願いね、佐倉さん」

「へいへい。せいぜい、任されてやるよ」

 

 杏子にアリアンナを預けるや否や、ほむら達は即座に出立しようとした。

 神父姿の少女狩人が見送る後ろで、白いリボンの少女が色々と問いかけるのに、アリアンナが困った顔を見せるのを流し目に見ながら、二人はオドン教会を後にする――つもりであった。

 

「……?」

「あれは……」

 

 ほむらとマミは、オドン教会に二つ開いた出口、その左側に、朧な人影を見た。

 人影はすぐに具体的な姿を結び、その正体を二人の前にさらけだす。

 

「どうだ、嘘吐きのよそ者め。俺は騙されなかったぞ!」

 

 いかにも見た目に偏屈さが現れている老人は、その声から、例の窓の向こう側の人物としれた。

 二人共驚いていたが、特にほむらは唖然としていた。

 正直、彼女はしくじったと思っていた。

 感情に任せて喋ったばかりに、全てを台無しにしたと思っていた。

 

 ――しかし、偏屈な老人には、偏屈な言い方こそが有効である。

 まこと、失敗は成功の母である。

 

 

 

 

 

 

 

 来た道を戻り、また進む。

 道中の獣は狩り尽くし、今度は狩人が二人連れであるから、すんなりとアリアンナ達と出会った場所まで辿り着くことができた。

 暗く、湿った隘路を通り、ほむらとマミはさらに奥へと進む。

 

 途中、段差の上から狙撃を受けたり、獣と化した群衆達に襲われたりもしたが、これも難なく退ける。

 

 梯子を昇り、塔の上に出て、梯子を下り、 屋根の上を歩き、さらに梯子を下る。

 狂った犬をほむらが始末している間に、訳のわからない呻きを上げながら襲い来る大男達をマミが斃す。

 

 段差の上からくる更なる、二人には未知の銃の攻撃――それは、二発同時に降り注いだ――に、恐ろしげな大鎌を持った大男の襲撃……さらにそこに巨人の攻撃も加わる。

 しかしこれらも、二人共血まみれになりながら凌ぎ、切り裂き、削り切り、内臓を抉る。

 

 ほむらとマミは階段を昇り、獣を屠り、遂に頂上まで至った。

 

 ――大聖堂である。

 

 遂に、目指していた場所までやって来たのだ。

 装飾も鮮やかな、大聖堂に相応しい門扉が二人を出迎える。

 

「……」

「……」

 

 少女狩人達は、顔を見合わせた。

 重く巨大な扉を、力合わせて押し開く。

 幸い、鍵はかかっておらず、狩人の力なれば、容易く開いた。

 

 

 ――聖血を得よ。祝福を望み、よく祈るのなら

 

 

 さらなる階段が、二人を待ち受ける。

 その両隣には、槍のような、鋭い角のような、先の尖った螺旋を抱える、奇怪な像が連なっている。

 

 

 ――拝領は与えられん 拝領は与えられん

 

 

 薄暗く、不気味な段差の向こうからは、何やら祈りの声が響いてくる。

 どうも、女の声であるらしい。

 

 

 ――密かなる聖血が、血の渇きだけが我らを満たし、また我らを鎮める

 

 

 囁くようなその調子には、熱意はあっても狂気は感じない。

 ほむらのなかで、俄然期待が昂まる。獣たちのとの死闘を経て、ここまで来た甲斐はあった。

 この声の主、医療教会の大聖堂の長ならば、ほむらの探し求める『青ざめた血』についても、何かを知っているに違いない。

 

 

 ――聖血を得よ。だが、人々は注意せよ。君たちは弱く、また幼い

 

 

 ほむらを先にし、マミが続く形で階段を昇る。

 念のためにと、ほむらはノコギリ槍を、マミは長銃をそれぞれ構える。

 

 

 ――冒涜の獣は蜜を囁き、深みから誘うだろう

 

 

 階段を昇りきると、巨大な長方形の広間に出た。

 左右に円柱が立ち並び、いかにも大聖堂という趣だ。

 

 

 ――だから、人々は注意せよ。君たちは弱く、また幼い

 

 

 最奥には、豪奢な祭壇があった。

 巨大で、金色であり、意匠の精巧さが距離を置いても明らかだ。

 何かを求めるかのように天に両手を差し出す像達が祭壇の左右に配置され、直上には何故か首のない、壺を両手で抱え、求める人々に向けて何かを滴らせている巨像があった。

 祭壇の真ん中には、何かが安置されている。それはほむら達の距離からはよく見えない。

 

 

 ――恐れをなくせば、誰一人、君を嘆くことはない

 

 

 祭壇の前に跪く、一つの人影がある。

 白い、修道士のような衣服を身にまとい、頭までもローブで覆っている。

 声の主は、彼女であった。ほむらは歩み寄り、声をかけようとした。

 

 しかし、それは叶わないことだった。

 

 ――絶叫。

「!?」

「!?」

 

 ほむらも、マミすらもが不意の叫びに驚き、動きを止める。

 白いローブの女性は喉から血が迸るかと思うほどの叫びをあげ、その体を仰け反らせる。

 苦しげに、藻掻く体は瞬く間に膨れ上がり、遂には白布を突き破って、血を撒き散らした。

 祭壇の首のない巨像に、絵の具のように流血が浴びせられる。

 

 女性の姿は、ものの数秒の内に、全く変貌した。

 

 全身は白く長い毛で覆われ、頭には鹿のような角が生え、手には黒く鋭い爪が伸びる。

 膨れ上がった肉体は、あの大橋の巨獣を凌ぐほどの巨大さに至っていた。

 巨獣が、振り返る。

 長く伸びた口と鼻は、犬か鹿を思わせるシルエットを作っている。

 その両眼は、白い布に覆われて見えない。

 口には、牙がびっしりと生え揃っていた。

 

 ――咆哮。

 

 これを聞いてほむらもマミも覚悟を決めた。

 あの女性は完全に獣と化してしまった。それも巨大で、あからさまに凶暴だ。

 ここで、斃すしか手はない!

 

 ――『教区長エミーリア』

 

 かつてそう呼ばれた、より恐ろしい聖職者の獣は、ほむらとマミへと襲いかかってきた!

 

 

 



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chapter.18『大聖堂―大橋/禁域の森』

 

 

 

 

 白い長毛を振り乱しながら、巨獣は吠える。

 顔を天井の方へと向けて、狼が月に吼えるように咆える。

 もとが女性であるせいだろうか、どこか甲高く、物悲しい咆哮は大聖堂の壁に反響し、ほむらの、そしてマミの耳朶を激しく打つ。

 

「――ッッ!」

 

 三角帽子とマスクの間で、ほむらは思わず表情を歪めた。

 遠吠えは空気を震わせ、鼓膜ばかりか狩装束やその下の肉体までもを揺るがせている。

 

 ――獣の病。

 

 ヤーナムを覆う獣達が、魔法少女が魔女と化すように、人だった存在が獣へと堕した存在であるとは、ゲールマンから既に聞かされていたことだった。

 しかしほむらにとっては、実際に目の前で人が獣と化す様を見るのは、実は初めてのことなのだ。

 まどかが魔女と化す様に出くわした時ほどの衝撃こそないものの、鉄面皮の下でほむらは動揺していた。

 

 加えて、巨獣の叫びの凄まじさ――思わず足を止めてしまいそうになるが、ほむらは堪えて前進を続けた。

 相手は今や獣だ。隙を見せれば、たちまちその餌食になってしまうだろう。前へ、攻め続けるしかない。

 魔女と化した魔法少女を救い得ないのと同じように、獣となった人は救えない。覆しえない。

 せめて、慈悲の刃で葬り送る他はないのだ――。

 

「暁美さん!」

 

 マミの警告を聞くよりも速く、ほむらの体は動いていた。

 巨獣が組んだ両拳を高く高く掲げている。マミは愚か、先行するほむらとも、あの巨獣の(かいな)を以てしても届き得ぬ、間合いの外側。

 警告か? 

 威嚇か? 

 ――否だ。これまでの経験で、ほむらは嫌というほど知った。ヤーナムの獣たちは、常の獣たちがするような動きはしない。何故ならば奴らは、害意、殺意、食欲に満ち溢れ、愚直なまでのストレートさで餌食へと向かってくる。

 だとすればあの構えは、間違いなく攻撃のためのもの!

 

「くっ!?」

 

 ほむらが右へと跳んだ直後に、塵埃と石片を巻き上げながら衝撃の波が走った。

 髪の毛が掻き乱され舞い踊り、直撃は避けたにも関わらず、体が吹き飛ばされるのを感じる。

 ノコギリ槍の鋭い切っ先を床へと引っ掛け、そこに刻まれた美しい装飾を削り取りながら勢いを殺す。何とか、壁に激突する前に体の動きを止める。見れば、マミもまた吹き飛ばされたのか、地面に跪くような格好をしている。

 

 ――巨獣は、ただ拳を組んで、それを振り下ろしただけなのだ。

 

 それでいて、この衝撃!

 ほむらは冷や汗が覆面の下で浮かぶのを感じながら、ノコギリ槍を構え直した。

 マミもまた、仕込杖の仕掛けを動かし、より間合いの広い鋼の鞭へと変形させる。

 大橋で戦った巨獣も恐ろしい相手だったが、この大聖堂の獣はそれ以上の驚異だ。いや、今の所、ほむらが遭遇してきた獣どものなかで最も強力な相手かもしれない。白く長い長毛を振り乱す姿は、一種幻想的ですらあるが、なればこそ、その姿の裏側に潜む凶暴さこそを恐れねばならない。

 

「来るわ!」

 

 マミに警告を発しながら、ほむらは床を蹴って前へと跳んだ。

 巨獣が、その巨大な脚に力を溜めるのが見えたからだ。果たして、ほむらの予想通り巨獣は跳躍し、ちょうどその下を潜り抜ける形で、少女狩人二人は大聖堂の奥へと素早く駆けた。

 背後で超重質量が着地に地面を揺らすのを足裏から感じながら、ほむらとマミは素早く身を翻す。

 巨獣は、着地の衝撃に動きが止まっている。好機!

 

「ハッ!」

 

 それは余人がいれば、黒い影のように見えたかもしれない。

 それ程に、ほむらの動きは素早く、未だ振り向かぬ巨獣の臀部目掛けて肉薄していた。

 立て一直線に、ノコギリ槍を振り下ろす。鈍い肉の感触が、長い柄を通してほむらの掌に伝わる。

 

 ――絶叫。

 

 痛みに湧き出る叫び声すら、その大きさにほむらは頭蓋が揺さぶられる心持ちだった。

 大橋の時は開けた場所での戦いだったが、ここは大聖堂とは言え閉所だ。

 獣の大音声は反響し、空気はおろか狩装束すらをも震えさせている。

 当然、それは鼓膜を、頭脳を揺さぶるが、ほむらは強い意志で耐えた。

 

「はぁっ!」

 

 さらに踏み込みながら仕掛けを起動、槍をノコギリへと戻しながら、より近い間合いでの二連撃を放つ。

 さらなる血が、さらなる肉が吹き出し散らばり、巨獣の白い毛が真っ赤に染められていく。

 

「!」

 

 巨獣は、その巨体に見合わぬ恐ろしい速度で跳んでほむらから距離をとり、着地すると同時に振り返った。

 白布で覆われているために双眸は見えないが、その耳まで裂けた口の端が吊り上がり、牙が剥き出しになっている所を見ると、相当に怒っているらしい。今やほむらは、この巨獣の標的となったのだ。殺意溢れる咆哮こそが、その何よりの証拠だった。

 

「――こっちよ!」

 

 だがすかさず、マミの攻撃が巨獣の無防備な背部へと向けられる。

 撓る鋼の鞭は、ほむらが攻撃し傷ついた臀部をさらに削り、巨獣は不意打ちに呻いた。自身の背部へと身を捻りながら左手を振るうが、マミは素早く退き、むしろ退きながらも眼の前の横切る左手へも鞭を振るった。絶妙なタイミングで差し込まれた反撃に、巨獣は左手に深い傷を負い、大きく大きく哭く。

 

 マミが作り出した攻撃のチャンスを、逃すほむらではない

 

 盾の中へと手を突っ込み、火炎瓶と油壺を取り出す。

 攻撃目標をマミへと変えた巨獣の背中では、先端が血に濡れた長毛がさざなみのように動いている。あれならば、よく燃えそうだ。

 油壺を、次いで火炎瓶とを投げ、短銃を抜く。前に大橋の巨獣に向けてやった時と、同じ要領。

 片目を瞑り、引き金を絞る。水銀の銃弾は、油壺と火炎瓶とを、相次いで射抜き、これらを割り、巨獣の背中へと内容物をぶち撒けさせる。

 

 ――絶叫。

 

 白く美しい毛は今や枯草の叢のように、瞬く間に火を燃え広がらせ、巨獣の体を焼く。

 血が、肉が焼ける嫌な臭いが大聖堂に充満し、その神聖な気配を容赦なく汚す。

 

「巴マミ!」

「ええ!」

 

 ほむらは槍と化したノコギリ槍を、マミは鞭と化した仕込み杖を、それぞれ大きく構えながら疾駆する。

 速力と、最大に勢いを溜め込んだ一撃を向けるのは、今や臀部ではなく、無防備なその左右の脚だ。

 

「貰ったわ!」

「行くわよ!」

 

 ほむらは巨獣の左足首を、マミは右足首を、それぞれ薙ぎ払う。

 背中の猛火に気を取られていた巨獣にはこれを避ける術はなく、哭き喚きながら体勢を崩し、崩れ落ちる。

 ちょうど跪くような格好になり、その大きな顔が低く降りてくる。

 

「一気に決めさせて……もらうわよ!」

 

 マミは素早く鞭の先を地面へと突き、仕掛けを解除して杖へと戻す。

 一瞬で握り方を変えれば、目の前へと突き出さされた巨獣の頭、その首元へと思い切り杖を突き立てた。

 人ならば、否、人ならぬ獣といえど、普通であれば必ず致命傷になる箇所への、鋭い一撃。

 

 これでトドメ、マミはおろか、ほむらですらそう思った。

 ――思っていた。

 

「っ!?」

「まだなの!?」

 

 巨獣は怒りの咆哮とともに暴れまわる、両手を激しく振るい、掌を床へと叩きつける。 

 ほむらは即座に飛び退き、マミもぎりぎりの所で脱出に成功し、転がるようにして間合いを取る。

 

 巨獣は満身創痍だった。

 ようやく鎮まった火に美しい体毛は焼け焦げ、あるいは血に赤黒く汚れ、体中傷だらけになっている。

 それでも、獣はまだ行きている。普通ならば致命傷の傷を負いながらも、間違いなく生きている。

 嗚呼、恐るべきかな、畏るべきかな、ヤーナムの獣よ。――そして、聖職者こそがもっとも恐ろしい獣になる。

 

 間合いを取り、次の手を考えていた二人の少女狩人達の前で、巨獣はまるで獣らしからぬ構えをとった。

 膝立ちのまま、背筋を正し、両掌を組んで、顔を俯かせる。まるで、祈ってでもいるかのように。

 

 ――獣の体が、白く光り輝く。

 

「!?」

「!?」

 

 ほむらもマミも驚きにその動きを一瞬とは言え止めてしまったのは、目の前にした怪異の故だ。

 美しく光り輝く獣は、まさかその祈りが通じたとでもいうのか、みるみるうちの負った傷を回復し始めたのだ。

 毛が生え変わり、傷が塞がり、血が失せていく。大きく切り裂かれていた両足すらもが、既に殆ど治っている。

 

「――ッッッ!」

「暁美さん!?」

 

 ほむらはこうしてはいられないと、焦りながら駆け出した。

  マミが制止するが、聞き入れない。これ以上回復させるために、カタをつけねばならない! 一挙に獣を屠るべく、殆ど飛ぶ勢いでほむらは跳ぶ。

 

「相手は獣よ! 深追いしちゃだめ!」

 

 マミの言う通りであった。

 相手が魔女ならば、逃げられる前に一気に決着をつけるのも誤ってはいない。

 何故なら傷ついた魔女は逃げ出すし、逃げだのびた地で傷を治すべく余計に人を喰らうからである。

 しかし、今、ほむらが相対しているのは獣なのだ。ヤーナムの獣は逃げない。どこまでもどこまで、食欲と殺意の赴くまま餌食へと食らいついてくる。迂闊に仕掛ければ、反撃は必至なのだ。

 

 

「!?――ガハッ!?」

 

 果たして、マミの警告通りになった。

 祈りを解いて振るわれた横殴りの一撃は余りに素早く、直線的な動きのほむらに避けるのは無理だったのだ。

 強烈な一撃にほむらの小さな体は紙くずのように吹き飛び、石壁へと叩きつけられる。ぐしゃりと嫌な音が鳴り響き、壁にぶつかった左肩がへし折れたのが解った。拳を受けた右側も殆ど感覚が失われている。それでも、崩れ落ちて起き上がれないなかを必死に藻掻き、震える右手で輸血瓶を盾より引っ張り出す。

 

「暁美さんから、離れなさい!」

 

 回復をはかるほむらにトドメを刺そうとする獣を、マミは長銃の銃撃で撹乱する。

 散弾と大口径弾とを使い分け、頭や腕や脚など、様々な所を狙うことで獣の注意を引きつける。

 ほむらが輸血液を右股から針を通じて体に注ぎ入れるなか、マミは銃撃を続け獣を誘い続ける。あるいはそれは、罪悪感からの行動だったのかもしれない。一度は手に掛けようとしたほむらのことを、今度こそは救わねばならないと。――だが、想いは時に焦りを生むものだ。

 

「巴マミ!」

「え――って、しまった!?」

 

 ようやく立ち上がったほむらの警告は遅きに失していた。

 巨獣の誘導に熱中していたマミは、背後に柱が迫っていたことに気づかなかったのだ。

 退路がないと彼女が悟った瞬間、動きを止めたマミの体を、巨獣は掴み取り、持ち上げる。

 

「あ――」

「待って!」

 

 意味がないと心のどこかで知りつつも、ほむらは思わず獣へと叫んでいた。

 当然、聞き入れられるわけもなく、巨獣はマミの首目掛けて大きく開いた顎門を閉ざした。

 

 ――細い少女の首には鋭い牙が何本も突き刺さり、容易く噛みちぎられる。

 

 頭と泣き別れになった体が床へと転げ落ち、落ちると同時に青白い光の霞となって消え失せる。

 ちょうど、古狩人ヘンリックが斃された時と同じように。 

 

「くぅぅぅぅぅ!」

 

 激痛に耐えながらほむらはノコギリ槍を構え、例え独りでも、なんとか巨獣と対決しようとした。

 しかし輸血液の力で何とか折れた骨をなおしたばかりのほむらの動きは鈍く、逆に巨獣は追い詰められていたことが嘘のように、殆ど完全にその体は回復しきっていた。

 

 動きの差は、歴然としていた。

 だから、巨獣が地面を蹴って跳んできた時も、ほむらは反応することができなかった。

 

「あ――」

 

 振り下ろされる、指組まれた掌に、ほむらは目を見開いた。

 視界はいっぱいになり、衝撃が走った。

 

 ほむらの瞳には、青白い燐光が、小人のように舞い踊るのが見えた。

 意識は途絶え、真っ暗になり――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――『大橋』

「……え?」

 

 

 ――『禁域の森』

「なんで? 私、死んで……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ほむらとマミは、それぞれ灯りの傍らで目覚めた。

 これまですべてのできごとが、まるで悪夢であったかのように

 

 

 

 

 



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chapter.19『人形』

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――マミの目覚めは唐突に訪れた。

 

「!?」

 

 聞こえるのは、風にそよぐ草葉のざわめき。

 眼に映るのは、鬱蒼とした木々と、その下に蟠った闇、闇、闇。

 居るものの感覚を乱す、迷路のような入り組んだ森。

 今や見慣れた、怖気催す風景。

 

 ――『禁域の森』

 

 その名で呼ばれる、蛇たちの棲家。マミが、このヤーナムで最初に目覚めた場所。

 

「なんで? 私、死んで……」

 

 自分は、ついほんの数秒前まで、聖堂街の大聖堂のなかにいた筈だった。

 ほむらと共に、医療教会の聖職者より変じた巨獣と戦っていた筈なのだ。

 想起すれば覚えているのは、視界を覆い尽くす鋭い牙の数々。

 巨獣の顎門は閉ざされ、全部真っ暗になり、首筋に――。

 

「ッッッ!?」

 

 首元に巻かれたスカーフをマミは慌てながら解き、何度も何度も皮膚に触れ、傷がないかを確かめる。

 手袋越しの感触は曖昧で、それらも慌てて外すと、改めて幾度となく首に触れ、触り、擦った。

 奇妙なことに、掠り傷ひとつない。これまですべてのできごとが、まるで悪夢であったかのように。

 

「本当に――全て長い夜の悪夢だったとでも、いうのかしら」

 

 巴マミは呆然とし、異常な状態に心臓が恐ろしく速く鳴り響くのを感じていた。

 現実感が消え失せ、慄然たる感覚だけが、冷たく背骨を走り抜けた。

 ああ、かつての同士たるヘンリックを手に掛けた哀しみも、ほむらや杏子との再会の喜びも、全て幻だった――とでもいうのだろうか。そうは思えない。そうは思えないがしかし、この現状故に、そんな発想が脳裏を過る。

 考えれば考える程、意識は思考の泥濘へと沈み込んでいく。

 嫌な想定が脳裏を満たし、質量を増していく。

 呼気も激しくなり、いよいよ目の前が見えなくなる。

 

 ――しかし、この森は危険に満ちた場所でもある。ただ呆けているわけには、いかないのだ。

 

 今、目の前に確かにある現実を前に、まずマミは手袋を嵌め直す。

 続けて地面に転がっていたトップハットを拾い、被り直しながら乱れた装いを糺そうとした。

 いつもの格好を取り戻すことで、精神の平衡を取り戻そうとしたのだ。巴マミらしい、様式美である。

 狩装束のコートが埃にまみれているのを、露払いをするように払い落とす。――そして、気がついた。

 

「……?」

 

 マミは狩装束のポケットのなかに、何かが入っている感触を得た。

 

「!……これは」

 

 掌を突っ込み、取り出してみれば、出てきたのは小さな布製の印であった。

 

「『狩長の印』……」

 

 間違いない。それは確かに、狩長の印である。。

 ほむらと二人で聖堂街で見つけ、確かに大聖堂の円形広場に至る、正門を開く鍵となったものだった。

 使い終えてポケットに入れっぱなしにしていたが、その実在こそが、この上ない現実感をマミへと取り戻させる。

 嗚呼、やはり幻などではなかったのだ。

 

「でもじゃあ、なんで……」

 

 確かに、あれは致命傷だった。

 首に感じた牙の感触を思い出し、肩を震わせると同時に、疑問を膨らませる。

 手は無意識にまた、首元へとのび、何度もそこを擦っていた。

 

「もしかして……」

 

 マミは今は見えぬ、首に刻まれていた謎めいた紋章のことを思った。

 普段はスカーフで覆われて見えることもないが、今はあらわになっていることだろう。

 かつて水面に映った影に見た、首の半ばに浮かぶ血のような赤い色の、奇妙な紋章。先端を向け合う二つの三叉の間に、両者から串刺しにされるようにして目玉が置かれている、とでも言えばよいのだろうか。とかく、形容し難い奇妙極まりない図形なのは間違いがない。

 

 ――『お嬢ちゃんも余所者……それも、月の香の狩人なんだろう。ほむらと、おんなじね』

 ――『夢見るは一夜……せいぜい、貴重に使うことだよ。人形ちゃんによろしくね』

 

 かつて烏羽の狩人狩りが言っていた言葉が、マミの脳裏で反芻される。

 ()()()()()()……特にこの言葉が気にかかる。まさしく、大聖堂での死と禁域の森での覚醒は、あたかも夢のようではないか。

 

「……」

 

 マミは首の印の辺りを何度も撫でると、スカーフを巻き直し、金の鎖で外れないように留めた。

 今ここで、独りで考えて何になるだろう。どのみち、今は答えなど見つかる見込みなどない。だとすればまず第一に為すべきは、聖堂街が大聖堂へと舞い戻り、ほむらを助けることだ。

 

(でも――)

 

 マミの最大の懸念は、大聖堂までの道程のことだった。

 彼女がヤーナム市街へとこの森から向かうのに使った道筋は酷く遠回りで、大勢の獣を相手取らねばならない。しかし今は、そんなことをしている時間はどこにも――。

 

「!」

 

 黙考しつつ視界を巡らせるマミは、ふと見えた奇妙なモノに心を惹かれた。

 苔むし草生えた地面から、立木のように伸びる先にランタンを吊るした鉤棒。

 あんなもの、前からあったろうか。マミにはまるで見覚えがない。

 

「……」

 

 予感めいた衝動に突き動かされ、マミが手を翳す。

 すると、ランタンが灯り、紫の光を辺りに放ち始める。さらに手を翳せば、意識が遠のき始める。

 体が薄くなり、希薄化し、陽炎のように消え失せる。

 まるで眠りに落ちるように、意識は途絶え――……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――『狩人の夢』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは!?」

「あなたも来たのね、巴マミ」

 

 地面から湧き出るように、まるで拡散していた粒子が集まって実体を形成するように、前触れもなく青白い光と共に出現したマミの姿に、ほむらは無感動に呼びかけた。

 巨獣に殺され、大橋に目覚めたほむらは、マミよりも幾分か情報を得ていたためか、然程驚きもなく現状を受け入れていた。そもそもほむらは今まで幾度となく、鹿目まどかを救うために()()()()()()()少女なのだ。こういう現象には体が完全に慣れきっていたのだ。

 

「暁美さん!?」

「ようこそ、狩人の夢へ。巴マミ」

 

 大橋から大聖堂へと戻ろうと、歩き出した直後に、ほむらは気がついたのだ。

 オドン教会に至った時、今後の方針を三人で決める傍らで、ほむらはあの場所にもあった灯りを灯していたのだ。灯りから狩人は夢へと飛ぶことができる。ならば狩人の夢を経由することで、灯りと灯りの間を、ちょうどテレポーテーションでもするかのように、空間を超えて移動できるのではないか――ほむらはそう考え、灯りに手を翳し、夢へと跳んだ。そこにマミもまたやってきたという訳なのだ。

 

「ここは……一体?」

 

 ほむら自身が初めてこの場所を訪れた時と同様に、マミもまた茫然として辺り一帯を見渡している。

 そんなマミに対しほむらは、相変わらずの突き放した調子で言い放つのだ。

 

「ここは狩人の夢よ。それ以上でも、それ以下でもないわ」

「……夢?」

 

 当然と言えば当然だが、マミはほむらの説明では何も理解できていない様子だった。

 しかし、ほむらはそれを意に介さない。この場所が何なのか。それをマミに告げる役目は、自分ではない。

 

「そうとも、ここが狩人の夢。ただ一時とて、ここが君たちの『家』となる」

 

 そしてほむらの予期した通り、亡霊のような唐突さで、助言者は姿を現した。

 マミは電撃でも受けたかのような素早さで、ほむらは悠然と、声の主へと振り返る。

 

「ようこそ、新しい狩人。それにしても、二人同時に新たな狩人がこの夢に集うなど、今まではなかったことだ」

 

 人形に車椅子を押された、隻脚の老人、ゲールマンの姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一通り、ほむらにもしたのと同じような説明をゲールマンはマミへと告げた。

 

「……」

 

 マミは新たに知らされた情報の数々に戸惑い、それらをまだ消化しきれていない様子だった。

 なのでほむらは、マミが独り思考に沈んでいる間に、ゲールマンと人形に、新たな問いを発していた。

 

「少し、いいかしら」

「なにかね?」

 

 ゲールマンが、相変わらず何を考えているか解らない、曖昧な表情でほむらを見つめている。人形は、人形だけに表情を一切動かすこと無く、無機質な瞳をほむらに向けたまま、小さく可愛らしく首を傾げた。

 

「血によって、狩人は肉体を変質させる。そして、その人形がそれをなす……そういう話だったわね」

「おっしゃる通りです、狩人様」

 

 ほむらの問いに答えたのは、人形のほうであった。

 

「私が血の遺志を、普く遺志を、あなたの力といたしましょう」

「それは今、この場で可能なことかしら?」

 

 ほむらがこう問うたのは、大聖堂の巨獣がためである。

 あの巨獣の力、特にあの回復能力は凄まじく、現状では挑むのには力が足りない感触をほむらは抱いていたのだ。あるいは、オドン教会の杏子を加えて三人で仕掛ければ斃せるかもしれないが、彼女にはあの場を守ってもらわねばならない。ほむらとマミ、二人であの巨獣を斃すには、新たなる力を得る他ない――ほむらは、そう確信していた。

 

「ええ、狩人様」

 

 人形は肯定し、続けて言った。

 

魂の器(ソウルジェム)を、お出しください」

「!?」

「!?」

 

 そして、続けて出てきたこの言葉には、ほむらはおろかマミまでもが驚いた。

 ――ソウルジェム。なんと忌まわしき響きか。その単語を、ヤーナムの街にて聞くことになるとは。

 

「待ちたまえよ」

 

 ほむらが、マミが、半ば反射的に各々の得物を構えたのに対し、ゲールマンは静かに制した。

 

「君らが殺気立つのも解らなくはないが、()()はただ、己の務めに従っているに過ぎない。害意など、最初からありはしないさ」

「……知っているの? ソウルジェムのことを」

 

 ゲールマンは頷いた。

 

「もとより、ヤーナムの街は夢と現実の境目が曖昧なばかりか、次元と次元の境目すら曖昧な土地。使者を通じ、鐘の音を通じ、異なる次元の狩人達が集う場所。だとすればソウルジェムを知っていたとして、何もおかしなことはない」

 

 事実、今、自分たちが居る場所は『夢の中』なのである。

 ほむらは、考えるのを放棄した。

 条理の通じぬのがヤーナムだ。論理的に考えても、疲弊するばかりで益はない。

 

「ソウルジェムを出したまえ」

 

 ほむらはゲールマンの言葉に素直に従った。それを受けてマミも、戸惑いながらもソウルジェムを取り出す。

 

「これは……」

「ソウルジェムが!?」

 

 ほむらの記憶が正しければ、このヤーナムに目覚めて以来、この忌まわしい魂の宝卵は全く輝きを失って、黒ずんだ紫を見せているに過ぎなかった筈だ。それがどうだ。今や、血のような赤みを帯びた紫色に、光輝ているではないか。

 マミの掌の上にあるソウルジェムも、やはり赤味がかった黄色に煌々と輝いていた。

 

「本来、血の遺志とは狩人の体に宿るもの。しかし、ソウルジェムとは魂の器……ならば、その内側に遺志が宿るのも、道理ではないかね」

 

 だとすれば、この赤色の正体は、屠ってきた獣達――というよりも、そうなる前の人間たちの血の遺志の色だとでもいうのだろうか。

 

「現実に死し、夢に蘇る代償に、血の遺志はその死血の残り香(BLOOD ECHOES)を残して全て失われるが、君たちのソウルジェムは別だ。その器に応じただけの血の遺志が、内を満たすまで宿り続ける。少なくとも、あまねく遺志を、おのが力とする程度には残っているだろう」

 

 ゲールマンが視線で促せば、人形は車椅子のハンドルを手放し、ほむら、そしてマミのほうへと歩み寄った。

 

「では遺志をあなたの力としましょう。少し近づきます。目を閉じていてくださいね」

 

 ほむらは、人形のほうへ輝くソウルジェムを差し出した。

 人形がその固い指をソウルジェムに添えれば、青白い光が溢れ出し、ほむらと人形とを染める。

 ほむらは瞼を閉ざし、念じた。

 

 

 死者に、敬意と感謝あれ。

 なればこそ、その力を、我が身に宿し給え。

 

 

 ――果たして、その通りになった。

 ほむらは、体内に何か得体の知れないものが流れ込むのを感じた。

 ちょうど、はじめてキュウべぇと契約し、魔法少女となった時のような、そんな感触。

 奇妙な高揚感、浮遊感。同時に、血を受けて盾が、音を立てて動き出す。

 

 

 ――『廻る砂時計の盾』

 

 

 時の砂時計は、再びその砂の流れを進め始めたのだ。

 

 



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chapter.20『古人呼びの鐘』

 

 

 

 

「あら、またお嬢ちゃんの勝ちね」

「やった! ねぇもう一回! もう一回やっても良い?」

「ええ。今夜は長いから。時間だけはたっぷりとあるわ」

 

 にわかに人の気配の増えたオドン教会の一角で、黒いリボンの少女がアリアンナと何やらゲームに勤しんでいる。

 盲人はそんな二人の明るい声を聞いて愉しんでいる様子だが、例の偏屈な老人は隅っこで何が不満なのかブツブツと小声でぼやいているようだった。

 

「……」

 

 かくいう杏子は久しく見ていなかった少女の笑顔に、僅かだが安堵する心持ちであった。

 まだ夜明けは遠く、獣は声はとめどない。何一つ改善している言えない現状だが、それでも、両親を亡くしたばかりの少女が、少しでも前向きになってくれるのなら、それが杏子には嬉しかった。

 少女と娼婦が遊戯の道具としているのは、特に輝きを放つ雑多な硬貨たちだった。獣狩りの夜に商うものなど皆無であり、今となっては夜道の道標くらいにしかならないものである。それでもなお、風見野に居た頃の習慣で、杏子はついつい拾っては懐に溜め込んでしまう。二人が使っているのは、そうして杏子が集めたものの一部だった。

 

 ――咆哮。

 

「!?」

「ッ!」

「……」

 

 まただ。

 またも聞こえた遠吠えに、少女とアリアンナは肩を震わせ、斧の柄を握る杏子の掌には自然と力がこもる。

 さっきから時折、哭き叫ぶように甲高い獣の咆哮が、遠くから響いてくるのである。その大きさから、その主は、大橋で杏子がほむらと共に戦ったあの巨獣に匹敵――いや、それ以上の体躯の持ち主と想定できる。

 

「また、大聖堂のほうね……」

 

 アリアンナが呟くのに、杏子の表情が険しくなる。

 声の主はまだ遠く、すぐさまこのオドン教会に至る類の危機ではないとは解る。しかし、その大聖堂とは他でもない、ほむらとマミが向かった先なのだ。

 

 まさか――とも思う。まさかあの二人が獣に敗れたのではないか、そんな想像が杏子のなかに自然と溢れる。

 

 ほむらは別としても――杏子からすれば彼女はどこまでもイレギュラーであり、その全体像を把握しかねる所があるのだ――マミは魔法少女としても歴戦のベテランであった。まだ狩人としての彼女の力量を見る機会はなかったが、その佇まいは堂に入っており、恐らくは魔法少女時代と然程変わるものではないのだろう。そんなマミがよもや、と杏子は思うが、忘れてはならない。少なくとも、()()()()()()()()は結局、魔女の毒牙に斃れているのだ。歴戦の古狩人であり、自身の師とも言えるガスコイン神父すら結局は血に呑まれたように、どうしてマミが獣に斃れないと言い切れるだろう。

 

「……」

 

 杏子は立ち上がると、落ち着き無くグルグルとその場を歩き回った。

 場合によっては、自分独りでここを守っていかねばならないかもしれない。そんな懸念が膨れ上がる。

 今は良い。獣避けの香も充分に焚かれているせいか、獣は一匹たりとも寄り付いて来ない。しかし、これからもそうだとどうして言い切れる? もしも、獣の大群がここに押し寄せてきたとしたら――。

 

 ――嫌な想像ばかりが満ちる杏子の脳裏に、鋭い刃のように刺さったのは、突如響き渡った靴音だった。

 

 杏子は斧の仕掛けを起動し、それを槍のような長柄へと変じて、靴音の源、オドンの地下墓へと通じる階段のほうへと向けた。そんな杏子の有様に、アリアンナは少女の手を引いて物陰へと向かい、盲人はオロオロと左右へと見えぬ目を向けた。

 

 靴音は大きさを徐々に増し、最後には具体的な人間の姿をとって、杏子の前に姿を現した。

 その姿に警戒をといて杏子は斧の尖端を下げると同時に、怪訝そうな顔をした。

 

「なんでそっちから来るのさ?」

「色々とあったのよ……ホント、色々とね」

 

 靴音の主は、暁美ほむらであった。

 彼女に続いて、マミもまた元気な姿を見せる。

 二人の姿に安堵する杏子だったが、さらに後から現れた人物、特に最後に現れた自分には顔を顰めるのを通り越して、露骨に表情に戸惑いと驚愕とをみせた。

 ほむらとマミとに続いて現れたのは、ふたつの人影。

 一方は、白っぽい服を着た老婆であり、その装束はヤーナムでは良く見る類のものであり、別に問題はない。

 しかしもう一方のほうはと言えば、その姿を見た十中八九が絶句するものだった。

 

 身を包むのは、青い色の官憲の制服と思しき装束で、奇妙な所はない。

 問題は、その頭だった。

 その頭は、逆さにしたバケツのような鉄兜に覆われ、全く肌を露出ささせないばかりか、髪の毛一本とて見えはしない。

 怪人。この言葉以外で評することの難しい怪人である。

 

 ――『連盟の長、ヴァルトール』

 

 杏子はまだ知らないが、そう呼ばれる異邦人の古狩人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

【廻る砂時計の盾】:暁美ほむらの「魔法少女武器」、輸血液と水銀弾の上限をなくす

         :また発動により、僅かだが時の流れを止め、その中でほむらだけが動くことができる

 

数々の獣との戦いを通し、ほむらが啓蒙を得た今、盾の砂時計は再び廻り始めた

盾を回転させ、砂時計を動かすことにより、僅かであるが、時の流れを止めることができる

 

時を止めることが可能なのは、瞬き程度の僅かな間であり、一見それは気休めにも見える

しかし素早さがものを言うのがヤーナムの狩りなのだ

獣を屠るには充分な時間と言えよう

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人形が血の遺志を力としたことで、生まれ変わったかのような感覚をほむらは得ていた。

 自分が感じているのと同じ、奇妙な高揚感に戸惑っているらしいマミの不安げな表情もハッキリと見える。

 五感が研ぎ澄まされ、力が五体に満ち満ちてくる。

 

 ――あるいは、今ならば、あの大聖堂の巨獣を斃し得る。そんな根拠のない錯覚を確信と感じる程に。

 事実、ほむらは未だ気がついてはいないが、その盾の砂時計を閉ざしていた蓋が再び動き始めているのだ。

 それは確かに、暁美ほむらが狩りを全うする上で助けとなる力だった。

 

「……今宵は月も近い。獣狩りは、長い夜になるだろう」

 

 しかしほむらとマミの高揚を破るように、ゲールマンは相変わらず穏やかな調子の、一方で金属のような寒気を備えた声で、二人へと告げたのだ。

 

「もし獣が君の手にあまり、大きく恐ろしいのならば、求めるべきものが二つある」

 

 そしてそれは、ほむら達の今後の行動の方針を決定づけるものでもあった。

 

「『聖杯』、そして『秘文字の工房道具』だ」

 

 なぜなら、続けて語られた言葉の数々は、少女狩人二人へと多くの示唆を与えるものであったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ」

「また後で、ヤーナムで会いましょう」

 

 若干の論議の後、二人はひとまずオドン教会、次いで大聖堂へと戻り、あの巨獣を討伐すべきであるということで意見の一致を見ていた。

 体感的にはまだそれほど時間は経ってはいないが、しかし、あの巨獣が全く放置されているという事実は揺るがない。大聖堂からオドン教会は間近という訳ではないが、あの巨獣が外に出て暴れ出せばその程度の距離は問題とならないだろう。杏子も歴戦の狩人だが、彼女独りで守りべき人々を抱えての戦いは限りなく難しい筈だ。ゲールマンから得た新たな情報はひとまず置いておいて、聖堂街への帰還こそ急務だろう。

 

 ――にも関わらず、ほむら、マミと二人揃って敢えて寄り道を経てからヤーナムでの合流を約束するのは、相応の理由があってのことである。

 

 ほむらとしてはあの巨獣を斃すには、自分とマミに加えて、杏子の助けも必要だと考えていた。

 しかし彼女にはあの教会を守るという重要な役割がある。ならば、どうするべきか。とにかく、人手が足りない。

 

 ――「私に、ひとつ心当たりがあるわ」

 

 ここでマミが発した一言で、方針は定まった。

 マミは灯りを通じて彼女の言う心当たりの人物とやらのところへと跳び、ほむらとはヤーナムで落ち合う。

 何故ほむらまでヤーナムに向かうのかと言えば、どの道、マミと合流するまでは動くに動けないから、この機会を利用してギルバートの様子を覗い、可能ならば連れ出そうと考えたのだ。ついでに、他のマトモなヤーナムの住民を道すがら探しても良い。

 

 あの巨獣の体格から考えるに、大聖堂より外に出るには大聖堂自体を破壊する必要がある。

 それを考えれば、この程度のことを済ます時間は残っている筈だった。

 

 まずほむらが、次いでマミが目覚めの墓石の前で念じる。

 体が薄くなり、希薄化し、陽炎のように消え失せる。

 まるで眠りに落ちるように、ほむらの意識は途絶え――……。

 

 

 ――『ヤーナム市街』

 

 

 再び、血の街へと舞い戻ったのだ。

 目覚めた灯りのそばでは相変わらず、鉄格子窓の向こうでギルバートが咳き込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……んでもって、結局、ギルバートって奴は病気が酷すぎて動けなくて、代わりにその婆さんを連れてきた訳か」

 

 頷くほむらの後ろの、前に来た老人と同じぐらいに偏屈そうな老婆のほうを、杏子は見た。

 ヤーナム人らしい、余所者への敵意と疑いを隠すこともない視線を、真っ向ぶつかり合う。

 

「なんだい! 失礼な小娘だね! 人の顔をジロジロ見てさ全く!」

 

 異邦人に探るように見られたというだけで気分を害したのか、老婆はそのまま怒り肩に早足で杏子とぶつかりそうな間近を通り抜け、盲人の呼びかけにも応ぜず、アリアンナと少女とを睨みつけると、適当な椅子を見つけては座り込んでしまった。

 

「何だありゃ」

 

 ――と、声には出さずに視線で問えば、ほむらは何処吹く風で、マミは困ったような顔を返すしかなさそうだった。

 まぁ良い、あの手の輩は、ヤーナムでは珍しくない。

 むしろ、気がかりなのは、もうひとりの新人物のほうである。

 

「ほぅ……お前が言っていたキョウコか。優秀な、狩人だそうじゃないか」

 

 鉄兜の裏側から、壮年の男の声が響いてきた。

 どんな狂気じみた声が飛び出してくるかと思えば、存外、静かな調子である。

 ただ少女狩人三人の中では一番ヤーナムに長く居る杏子だからかもしれないが、鉄兜の男の口調には、独特の訛りがあるように聞こえた。

 

「……アンタ、もしかしてヤーナムの外から来たのかい?」

「ほぅ? 解るか?」

「まぁ、何となく、だけどね」

 

 鉄兜の男は、何がおかしいのかクツクツと笑うと、静かに名乗りを上げる。

 

「ああ、俺はヴァルトール、『連盟』の長だ。ほむらとお前は連盟の同士ではないが、同士たるマミの仲間でもある。だとすれば協力するのも、やぶさかではない」

「『連盟』?」

 

 初めて聞く言葉に、杏子はマミのほうを見た。

 マミは()を横にしているせいか、若干緊張した面持ちで、しかし何処からともなく杖を取り出すと、声も高らかに言った。

 

「――夜にありて迷わず、血に塗れて酔わず。この狩りの夜に横たわった『淀み』を断ち切る、その為に結成された狩人達の協約よ。連盟に加わる者たちは等しく同士として、使命を果たすために協力し合うの」

「『淀み』? 使命? ……よくわかんないけど、ようは医療教会の狩人みたなもんか?」

「頭のイカれた医療者共なんぞと、同じにされるのは心外だ」

 

 杏子の問いに、横から口を挟んだのはヴァルトールだった。

 声は相変わらず静かだったが、その裏には聞くものの心胆を寒からしめる冷たい気迫があった。

 

「わ、悪かったよ。ただ、ガスコインのおっさんも、昔、医療教会に入ってたみたいなこと言ってたから。ヘンリック爺さんと組む前のことらしいけど」

「……ヘンリック爺さん?」

 

 ヴァルトールの突然の態度の急変に、戸惑いながら杏子が言うのに、今度はマミが反応した。

 それはヴァルトールも同様のようで、瞳の見えぬ覗き穴を、杏子のほうへと興味深げな仕草と共に向けた。

 

「もしかして……古狩人のヘンリック? 黄色い狩装束の?」

「!……なんでマミが知ってんだ!? 爺さんは随分前に狩人止めたって……」

「なるほど」

 

 二人の話を横で聞いていたヴァルトールは何か、思い当たる所がある様子だ。

 

「すると、お前が噂のガスコインの弟子か。まだ若いが、優秀な狩人だと聞いていた。同士、ヘンリックからな」

「!」

「二人共、実に惜しかった。良い狩人だったが……人の世は汚れ、穢れに満ちている。そして淀みを直視し、狂ったのだ。実に惜しいことだが」

「……」

 

 ガスコインは口数が多い方ではなく、その友たるヘンリックは輪をかけて寡黙な男だった。

 故に杏子には、彼らについて知らないことがたくさんある。

 本来それは、これから知ることだった。これから知りたいと思っていたことだった。

 もう、それは叶わない。

 

「……ヴァルトールは古狩人。その腕前はマミが保証するわ。そして、ここを、オドン教会を守ってくれるそうよ」

 

 一様に言葉を無くしてしまった時、独り今まで黙していたほむらが口を開いた。

 相変わらずこのイレギュラーは冷静沈着として、いつもどおりの鉄面皮――と言っても、その殆どは覆面で覆われ、紫色の冷たい双眸以外は隠れているのだが――で、いつもどおりの静かな声を放つ。

 

「同士の願いとあれば、聞き入れるのも当然だろう。……それに今夜は酷く長い。ただでさえ夜は汚物に満ち、塗れ、溢れかえっている。ならばこそ、連盟の同士たちの為にも、俺も動かねばならぬだろうさ」

 

 ヴァルトールも静かに肯定する。

 

「杏子、大聖堂の獣を狩るわ。協力して」

「……ま、ここで待ってるのも飽きたしな」

 

 ヴァルトールがヘンリックの仲間と聞けば、ここを任せるのも悪くはない。

 それに、杏子自身、あの大聖堂より響く獣の声が大いに気にかかっていた所なのだ。

 

「いいさ。一緒に行こうじゃん。マミでも手が余る獣なんだろ?」

「ええ。悔しいけれど」

 

 いかに巨獣と言えど、狩人が三人も集うならば。

 大聖堂の獣を狩るために、杏子は二人に同行することを決めた。

 

「ならば早速行きましょう。声の調子から見るに、まだ大聖堂に居座ってるらしいけれど……いつ外に出るか解らないわ」

 

 ほむらがスタスタと歩き出せば、マミがそれに続き、杏子もそれに従った。

 

「ヘンリックお爺ちゃんの、お知り合い?」

「ああ……」

 

 よく知った名前を聞いて、黒いリボンの少女が勇気を出して、鉄兜の怪人に話しかけるのを背中に聞きながら、杏子は扉を潜ろうとした。

 

「ひとつだけ、いいことを教えてやろう」

 

 そこで、出口の横を陣取っていた、例の偏屈老人が唐突に話しかけてきた。

 

「なんだ?」

「あの鉄兜には注意した方が良いって話さ」

 

 助言の内容もまた、唐突であった。

 

「なんでさ?」

「ずっと前に事だが……一匹の獣を追い、ヤーナムを訪れた外の役人どもがいた。連中は皆獣の餌食となったが、一人だけ生き残ったやつがいて、そいつは獣を喰らったという話しさ。居丈高で、俺達を馬鹿にする外の連中が闇に血の躯を晒す。なんとまぁ、溜飲の下がる話だが、あの鉄兜男の格好を見ろ。ありゃどう見ても役人のものだが、ヤーナムのじゃない。……あるいは奴こそが、獣を喰らった生き残りかもしれん。獣喰らいなど、信用できるはずもないだろう」

 

 杏子は振り返り、流し目に、少女と話すヴァルトールの姿を見た。

 確かにその格好は、鉄兜を除けば警官のようでもあった。

 

「アドバイス、どうも」

 

 しかし杏子は結局、そう気のない返事をして、ほむらとマミに続くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三人の少女狩人が集えば、道中の獣――大男たちなど――は難なく片付けられた。

 大階段を昇り、開かれた鉄扉を潜り、踊り場に出る。

 

「……あら?」

「なんだ、ありゃ?」

 

 まずマミが、次いで杏子が()()に気づいた。

 踊り場の一角、その隅に、何か赤い光が蟠っている。

 ほむらが近づいて見れば、狩人の夢に見た例の白い小人達――人形が言うには『死者』――が何やらう蠢いているのが見える。

 

 

 ――「それは、音が次元を跨ぐ共鳴の一つ。獣血がこびりついた、欠片の鐘だ」

 

 

 ほむらが思い返すのは、狩人の夢へと行った時のこと。

 『聖杯』、『秘文字の工房道具』に加えて、使者達が差し出すそれを前に、ゲールマンは言った。

 

 

 ――「使者達に託された想いの、その側で鐘を鳴らせば、音色は古い狩人たちにに届くだろう。

 

 

 血まみれの鐘は、杏子がガスコインから授かったものと同様、距離を超え次元を超え、狩人同士を結ぶ。

 

 

 ――「獣狩りの夜だけは、ずっと変わらないのだから」

 

 

 そう、ゲールマンは言っていた。

 ほむらは、盾の内から『古人呼びの鐘』を取り出し、試みに鳴らしてみる。

 

 応えは、すぐに返ってきた。

 赤い光の蟠りは揺れ動き、その内側から、明確な人の姿が、青い光と共に現れ、形を作る。

 

「嘘――」

 

 その格好は、ほむらの知るものとは、余りに異なっている。

 その得物は、ほむらの知るものとは、余りに異なっている。

 その髪型は、ほむらの知るものとは、まったく異なっている。

 

 それでもなお、ほむら達の前に現れた少女は、他でもない。

 

「まどか」

 

 鹿目まどか、その人に他ならなかった。

 

『――久しぶり、ほむらちゃん』

 

 まどかは、まどかの共鳴体(ファントム)は、そうほむらへと微笑みかけたのだ。

 

 

 







【Name】鹿目まどか
【装備:頭部】マリアの狩帽子
【装備:胴体】マリアの狩装束
【装備:腕部】マリアの狩手袋
【装備:脚部】マリアの狩ズボン
【右手武器1】シモンの弓剣
【右手武器2】落葉
【左手武器1】なし
【左手武器2】なし
【所持アイテム】星見盤、小さな髪飾り
【ソウルジェム発動】???



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chapter.21『実験棟/大聖堂』

 

 

 

 

「私たちも、もうおしまいだね」

 

 まどかは、自分の横で、自分と同じように横たわるほむらへと、そう話しかけた。

 粉々に砕け散り、隆起と陥没でズタズタに引き裂かれた、かつてのアスファルトの上には、水道管が破裂したのか浅く水に覆われている。

 空から涙のように降り注ぐ雨。雨雲はじきに晴れるだろう。雲間から、陽光が差し込んでいるのだから。

 しかし今や晴れようとする空の下にあるのは、破壊しつくされた見滝原の街だった。

 

 ――『ワルプルギスの夜』。

 

 空前絶後の、超弩級の魔女。

 それは最早、意志を持った災害であった。

 結界すら必要としない、生きる嵐に挑んだのは、まどかとほむらの二人。魔法少女が二人切り。無謀。その言葉以外、何を言えるだろう。それでも、やるしかなかった。

 

「グリーフシードは?」

 

 だが、その結果は最初から解りきっていたものへと帰結した。

 台風と洪水と大地震に同時に襲われたかのような、見滝原の惨状。二人の姿は、それと大差なかった。

 魔法少女の姿を保つことが出来ず、傷んだ見滝原の制服のまま、水に身をなかば沈め、空を仰いでいた。

 それぞれの掌のなかにある、彼女たちのソウルジェムは、共に黒ずみ、いつ魔女化が始まってもおかしくはない。

 

「そう」

 

 まどかが、()()()()()()()――横に振られた顔を見たほむらは、視線は雨注ぐ空へと向けたまま、言った。

 

「ねぇ……私たち、このまま二人で、怪物になって……こんな世界、何もかもメチャクチャにしちゃおっか?」

 

 その声には諦念と、その裏返しの暗い怨念が漂っていた。

 

「 嫌なことも、悲しいことも、全部無かったことにしちゃえるぐらい、壊して、壊して、壊しまくってさ……。 それはそれで、良いと思わない?」

 

 まどかは、やけっぱちなほむらの、語りかけと言うよりはモノローグに近いそれに、言葉では応えなかった。

 言葉で応える代わりに、最後に残ったグリーフシードを、ほむらの掌中のソウルジェムへと押し付ける。

 

「さっきのは嘘。1個だけ取っておいたんだ」

 

 それは、死んださやかのグリーフシードだった。

 

「そんな……何で私に!?」

「私にはできなくて、ほむらちゃんにできること、お願いしたいから」

 

 まどかは今や未来を失い、だが救いを忘れぬからこそ、思いをほむらへとに託す。

 時間を巻き戻す彼女ならばあるいは、この世界の悲惨を打破できるかもしれないのだから。

 

「もう一つ、頼んでいい……?」

 

 次なる時間軸に生きる、自分たちへの救いを託し終えてから、まどかはほむらへと言った。

 それが、残酷な願いであると承知しながらも、これを託せる相手は、やはりほむらしかいなかった。

 

「私、魔女にはなりたくない。嫌なことも、悲しいこともあったけど、守りたいものだって、たくさん、この世界にはあったから」

「まどか!」

「ほむらちゃん、やっと名前で呼んでくれたね。嬉しいな」

 

 せめてでも、ほんの僅かでも、自分を殺めるほむらの心が軽くなることを祈って、まどかは最後に告げた。

 無論、その言葉は、言葉そのままにまどかの本音でもあったのだ。

 

 ――嗚咽。

 

 ほむらは、黒光りする大きな拳銃を取り出し、まどかのソウルジェムへと突きつける。

 眼鏡の少女が漏らす涙は、雨の中へと溶けて消えた。

 自分の命も、すぐにそうなる。そう思うと哀しいが、まどかは敢えてほむらへと微笑んだ。

 引き金に掛けられた指に、力がこもるのが解った。

 

 まどかは祈った。

 彼女が、愚かな自分たちをいつか救ってくれることを。

 そして自分の魂が、せめてマミや杏子、そしてさやかの居る場所へと届くようにと。

 

 銃弾が、まどかの魂の容れ物(ソウルジェム)を撃ち、砕く。

 これで、彼女は確かに死んだ筈だった。

 魔女となることなく、望み通りの死に方を、友の手で遂げた筈だった。

 

 ――しかし、運命の女神はどこまでも阿婆擦れで、悪意に満ちている。

 

「――え?」

 

 死したまどかが蘇り目覚めた場所は、薄暗い、石造りの牢獄。

 螺旋階段を軸に、うず高く、天まで伸びよと築かれた巨塔。

 そこは狂気と熱意とが作り出した、歪んだ信仰の結実。人の業の結晶。

 

 ――『実験棟』

 

 血を恵み、獣を祓医療教会の実態を、この上なく示す、魔女ならぬ、インキュベーターならぬ、他でもない人の作ったおぞましいビルゲンワースの末裔。

 まどかはまだ、それを知らない。

 地獄に迷い込んだことを、まだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まどか」

『――久しぶり、ほむらちゃん』

 

 ほむらは、マミは、杏子は、目の前に突如現れた、見慣れぬ姿のまどかの姿を、まじまじと見つめた。

 魔法少女としてのまどかは、白、赤、ピンクの三色を基調とした可愛らしいもので、おそらくは『魔法少女』という単語を聞いて、世の人が連想する姿に最も近いものだった。

 所が、今のまどかの装束はどうだろう。全くもってほむらのなかの彼女のイメージと、相反するものではないか。

 前は赤いリボンで二つにまとめてあった髪も、今は黒いリボンで小さく一筋にまとめられていた。その上に載るのは、小ぶりな、灰色がかった黒い三角帽子(トライコーン)。ほむらの纏ったヤーナムの狩装束のそれと違う、やはり灰色の羽飾りすらついた上品な作りになっている。

 

 ――いや、帽子以外の装束のすべてが、どこか貴族的な優美さを備えた作りになっているのだ。

 

 黒、白、灰の三色に彩られた狩装束は、装飾的なマントを始め、翠のブローチに、灰色がかった白いネッカチーフに、銀糸の刺繍を彩った、ごく貴族的な衣装となっていた。ほむら達は知らないが、ヤーナムの、それも(いにしえ)を知るものが見れば、カインハースト的と評すべき意匠であるのだった。

 右手に携えたのは、奇妙な波打つ刃を持った片手用に曲剣に、腰に負うのは、何やら日本刀めいた――それも双身刀という奇剣に類するたぐいの――異邦の息吹を感じさせる仕込み刀であった。

 銃は、一切に身に帯びてはいない。

 

『ほむらちゃん、眼鏡とったんだ』

「え……ああ、そうよ」

 

 まどかが微笑みながら言うのに、呆然としていたほむらは、慌てて返答し、同時に急遽思考を廻し始めた。

 眼鏡をかけた自分、まだ幼く、未熟だった自分。そんな自分を知るまどかは、無数の巡回を経てもなお、限られている。それは、極々最初の、ほんの数回の繰り返しかのいずれかである筈だ。

 

『ごめんね。あの時は、ほむらちゃんに、嫌な想いをさせちゃって』

「!?」

 

 マミと杏子は、まどかの言う意味が解らず顔を見合わせているが、ほむらには違う。

 彼女には瞬時に解った。今、自分の眼の前にいる彼女は、他でもない、自分が殺めた――。

 

「――」

『ほむらちゃん?』

 

 ほむらが、顔を俯かせ――三角帽子と覆面故に、顔を僅かに下げれば表情は見えない――た為に、まどかはほむらに言葉で問うた。ほむらは、しかし答えることはない。答える代わりに。

 

「まどかぁぁぁぁぁっ!」

『わ!? わ!?』

 

 ほむらは、まどかの胸元へと跳びつき、その体を抱きしめた。ほむらは泣いていた。泣くより他なかった。眼の前の彼女は、間違いなく、自分がその手にかけた彼女であったのだから。

 抱きついた勢いは凄まじく、まどかはよろよろと倒れそうになり、ほむらの被っていた帽子は外れて地面の転がってしまっていた。

 

『……』

 

 しかし、まどかは言葉もなく、ただほむらを抱きしめ返し、嗚咽する彼女の頭を撫でた。

 その様に、マミと杏子は言葉を無くすと同時に、この上ない奇妙さを抱いていた。

 ほむらの頭を掻き抱くまどかの姿。それは彼女らの知るまどかの姿――マミにとっては後輩の魔法少女、杏子にとっては素質備えた一般人――とは、余りに違っているものであった。

 慈愛に満ちた、その視線は同時にひどく達観していた。いかなる揺らぎも見られぬ、優しくも乾いた双眸。

 まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()かのような――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『落ち着いた?』

「ええ」

 

 ほむらは落ちた帽子を拾い、埃を叩いて払ってから被り直す。

 まるで何事もなかったかのように、一転、普段の鉄面皮へと戻ったほむらは、黒髪の端を撥ね上げる。

 

「どうということはないわ」

 

 ――目を真っ赤にして大いに泣きはらした後で、どうということはないわはないだろう。

 マミも杏子も内心そう思ったが、二人共、敢えて言わないことにした。

 

「鹿目さん……あなたも、今は狩人ということなのかしら?」

 

 敢えて言わない代わりに、マミは気になっていたことを目の前のまどかへと問う。

 青色がかったおぼろの姿のまま、まどかは頷いて肯定した。

 

『見ての通り鐘の音を通じての、遠く離れた場所からの共鳴体(ファントム)としてですけど』

「その……ファントムってのは何なのさ」

 

 今度は杏子が問えば、まどかは即座にこれに答える。

 

『鐘の音は次元を跨ぐから、()()()()()()()は、これを特別な合図にした――そう前に教えて貰ったんだけど、とにかく鐘の音を通じて使者さんたちが、共鳴し合う別々の世界を繋げてくれるんだって。でも、人間の体のままだと、次元を超えることはできないから、想いだけが飛んで、飛んださきで形をつくる。そう聞いたよ、杏子ちゃん』

「……杏子ちゃん?」

 

 杏子にとっては、まどかはさやかの一友人であり、魔法少女ではない一般人であった。

 彼女の時間軸では、最後の最後こそ、さやかの為に協力し合った間柄とは言え、然程親しかった訳ではない。

 ちゃん呼びは、別に嫌な気もしないが、なんともこそばゆい。

 

『ごめんね? なれなれしかった、かな?』

「まぁ別にかまやしないけど」

 

 慌ててまどかが謝ってくるのに、杏子はそっけなくも優しい調子で返した。

 そんな二人の姿に、マミもまた何とも形容しがたい、微妙な表情を見せている。

 彼女にとってのまどかは同じ魔法少女の戦友であり、大事な後輩であり、同時に杏子とも仲間同士であった筈なのだ。だからこそ、互いに出身の世界が違うというのを頭で理解していても、心理的には違和感を覚えてしまうのだった。

 

「鹿目さんは……見滝原では、その……」

『はい、魔法少女でした』

「!」

 

 まどかの返事に、マミの心がくしゃりと歪む。

 魔法少女は、魔女になる。だとすれば、そんな道に彼女を誘った自分は――。

 

「ごめんなさい、私――」

 

 まどかは、マミの言葉を手で制して、首を横に振った。

 

『いいんです、昔のことは。ここはもう、見滝原じゃないですから』

 

 そうなのだ。今や、ここは血の匂い立つ街、ヤーナムなのだ。

 自分たちももはや、魔法少女ではなく、獣の狩人なのだ。

 

『それよりも、こうして私が呼ばれたってことは……いるんですね? みんなの手にも余る、獣が』

 

 そして、そんなまどかの言葉が、三人の意識を現状へと向き直させた。

 

『狩りましょう。そうするしか、ないのなら』

 

 まどかは言った。

 その瞳は、間違いなく歴戦の古狩人のそれだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いるわね」

 

 大聖堂の重い扉を再びくぐれば、奥の方から確かに獣の呻きが聞こえてくる。

 まだ、動かずに、居座っている。だがそれも、()()()()、だ。

 ひとたび動き出せば、オドン教会の安全も保証はない。

 一刻もはやく、狩るしかないのだ。

 

 四人となった少女狩人は、静かに大聖堂の奥へと進む。

 その最中、一番右を歩いていたほむらは、ふと、石に刻まれた言葉を見留た。

 

 ――血の秘儀を継ぐ者、血の施しの主たる者よ。

 ――祭壇の聖蓋に触れ、師ローレンスの警句をその身に刻みたまえ。

 

 意味深な言葉である。故に、一瞬、ほむらも立ち止まる。

 

『ほむらちゃん?』

 

 急に足を止めたほむらに、まどかが問いかける。

 

「……なんでもないわ」

 

 ほむらは正面に向き直って、再び歩き始めた。

 意味深な言葉だが、今は重要ではない。

 

『狩りましょう。そうするしか、ないのなら』

 

 まどかの、言った通りなのだ。

 今は獣を、狩るしかないのだから。

 

 

 



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chapter.22『時計塔のマリア』

 

 

「――ッッッ!?」

 

 冷たい石畳の感触に、まどかはもう何度目となったかも解らない目覚めを迎えた。

 床から身を起こせば、怖気催す程に見慣れた、石造りの階段が目に入る。

 身に帯びた見滝原中学校の制服は、()()()()()()()()()がまるですべて夢だったかのように汚れ一つない。

 

 ――だが、脳は確かに記憶している。

 

 噎せ返るような血の臭い、嘔吐誘う酸の臭気。

 頭部が肥大化した、患者たちの嘆き、呻き、そして叫び。

 ついには頭部のみとなった患者たちの、狂気の言葉の数々。

 そして、頭のイカレた医療者達。その実験の跡、跡、跡。

 今は綺麗に見えるこの制服が血に塗れ、その下の血肉ごとズタズタに引き裂かれた事実を。

 

 激しく振るわれた掌が、いくつもいくつもいくつも、群れなして襲いかかってくる。

 投げつけられた酸の瓶。振り下ろされた輸血スタンド。

 体に流し込まれた毒液。

 吹き付けられた穢れた血。

 肥大化し、地を這う頭部から生えた触手は、まどかの体を串刺しにする。

 

 自分は確かに死んだ。もはや数えることも諦めた死を確かに迎えた。

 幾度となく繰り返される死に、もはや死因すらハッキリとしない。記憶が混濁している。

 

 しかし、確かなこともある。

 

 今までもそうだったように、何度死を迎えようとも、この場所で――、実験棟の入り口でまたも目覚めるのだ。

 

「……やだ」

 

 立ち上がる、気力もない。

 座り込んだまま、まどかは両手で顔を覆い、呟いた。

 

「もうやだ……」

 

 絶望にひび割れた、掠れきった喘ぎ。

 既に求めた所で救いなどないと思い知らされているにも関わらず、それでも言葉は自然と迸る。

 

「やだよぉ……もう、こんなのやだよぉ……」

 

 嗚咽は、止めどなく溢れ出た。

 涙を流し、肩を震わせる。しかしまどかを励まし、慰め、守ってくれる存在は、ここには誰ひとりとしていない。

 孤独。どうしようもない、孤独の無残さ残酷さ。それがまどかの心をずたずたに引き裂く。

 

「ぱぱぁ……ままぁ……マミさん……ほむらちゃん……助けて……助けてよ……ううう……」

 

 しかし、まどかの呼び声は、誰にも届くことはない。

 階段を昇った先の、螺旋階段の上に数多彷徨う狂った患者たちの叫び声が、応ずるようにむなしくこだまするだけ。

 

 まどかは、友に自分の命を委ね、見滝原という地獄から逃れた筈だった。

 そんな彼女を待っていたのは、忌まわしい過去を苗床に創り出した、この世ならぬ地獄の悪夢だった。

 『狩人の悪夢』に、それが生み出した『実験棟』に、まどかは囚われたのだ。

 

 振り返れば深い穴。

 降りることは適わず、身を投げても死してここに戻ることは既に確かめている。

 結局は、塔を昇る他ないのだ。この地獄から逃れたければ。

 

「助けて……誰か……誰か……助けて……」

 

 それでも、まどかの口から漏れるのは、嗚咽と嘆きのみ。

 当然だ。既に彼女は、数限りない脱出を試みてきたのだ。

 結果は、やはり数限りない、死の累積。

 

「えっえっえっえっ……えっえっえっえっ……」

 

 遂には嘆きも尽きて、嗚咽のみとなる。

 この地で再び目覚めて以来、まどかの肉体は単なる少女だった頃に戻り、魔法少女への変身も出来ない。

 ただの少女が、寸鉄も帯びずに脱出できるほど、この地獄は容易くはない。

 

「えっえっえっえっ……えっえっえっえっ……」

 

 実際、まどかは狂気の瀬戸際にいた。

 数限りない苦痛と死と、対面してきた狂気の数々が、彼女の正気を削り続けてきたのだから。

 

「……――」

 

 あるいは、狂ってしまえれば楽であったろう。

 それでも、彼女は狂えないである。ただ、その精神の()()なるが故に。

 

「――」

 

 まどかは嘆くのを止めた。泣くのを止めた。

 涙を拭い、絶望に心の九割九分を支配されながらも、立ち上がり、絶望の入り口を睨みつける。

 

 鹿目まどかは、本質的に()()()()である。

 ならばこそ彼女はほむらを惹きつけ、その身に因果を宿す破目になったのだ。

 ならばこそ――ここではない別の時間軸で――彼女は救いの少女、円環の理を司る聖女となり得たのだ。

 何故ならば、その身に因果の力を宿したのはほむらの循環が故なれど、最後にその身を捧げたのは、他でもないまどかの意志なのである。 

 

 鹿目まどかは狂えない。狂うという救いを、彼女の強い心は拒絶する。

 

「……行かなきゃ」

 

 だとすれば、選ぶべき道は一つしかない。

 この狂気の塔に、血の医療に人に人を超える夢に狂った者達の妄執の具現化に、挑むのだ。

 武器もなく、力もなく、ただ折れざる心を持つだけの少女が。

 たった、独りで――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そう、たった、独りで。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 螺旋なす階段の最上段。

 狂気の棟の最上段に、まどかは辿り着いていた。

 制服は血に塗れ、ズタズタで、下着すら赤く穢れている。肉は裂け、血は迸り、満身創痍である。

 それでも、彼女はここまで辿り着いた。その理由は、彼女の頭に被ったものにある。

 

(ううう……気持ち悪い。気持ち悪いよ、やっぱり)

 

 まるでまどかの頭は、今まで彼女が遭遇してきた患者たちの、肥大化した頭部と同じ有様になっているのだ。

 無論、自然とそうなった訳もない。

 彼女が道中で見出した、聖堂の患者、その肥大した頭部の1つ。その内に、丁度人が被れるほどの空洞があるが、正気であればこれを被ろうとは思うまい。

 だが正気のまま、まどかはこれを被った。

 患者たちに紛れ、その中を進み、密かに上層を目指したのだ。

 彼女の試みは成功したが、しかし、まどかの心は穏やかではない。

 

 ――耳をすませば、聞こえてくるのだ。

 湿った音が、しとり、しとり。水の底からゆっくりと、滴るように。

 それはまどかの正気の表面を酸のように灼く。心穏やかな筈もない。

 

 まどかは我慢をし、患者の頭部を被ったまま、重い扉を押し開けた。

 薄暗かった塔内とは一転、灰色の、それでも陽光差し込む外への入り口が開く。

 

 夥しい、向日葵(ひまわり)に似た、白い花弁の華に溢れた庭園が、まどかを出迎える。

 向日葵に似つつも、どこかおぞましく、見る人を不安にさせる白い花は、名を星輪草という。

 その星輪草の世話でもしているつもりなのか、一心不乱に、地面をいじくり廻している何やら、人ならぬ姿がある。相手が狩人であればそれも――医療教会が『失敗作』と呼んでいた――いきり立ち、襲いかかってきたかもしれない。だが、今この庭園に迷い込んだのは、狩人ならぬ一人の少女であり、しかもその頭には患者の頭部を被っている。まどかは、一患者へと擬態し、青白い肌の()()の傍らを通り過ぎる。静かに、敢えて緩やかな歩みで、通り過ぎる。

 人形(ひとがた)ではあっても、ヒトならざる異形の姿に、まどかは怖気に心を震わせる。

 あの巨大な腕を振るわれれば、自分の体など容易く八つ裂きにされてしまうだろう。だから必死に、これまで瞼の裏へと焼き付く程に目にしてきた、聖堂の患者たちの動きを真似て歩く。

 

 ――異形は、まるで反応を見せなかった。

 

 まどかは星輪草の庭を無事に通り抜け、奥の扉へと辿り着いた。

 今まで見たことないような、巨大な扉は僅かに開いていて隙間が見える。

 まどかは身を滑り込ませるようにして、その奥へと入り込んだ。

 

 短い階段の向こうは、恐ろしく大きな広間であった。

 見上げれば天井からは鐘が吊り下がり、部屋の最奥の壁面には穴の開いた文字盤らしきものが見える。

 言うなれば、巨大な時計塔の裏側である。

 文字盤に開いた大きな穴からは、外からの陽光が差し込んで、明かりもないのに部屋の中は明るかった。

 

 故に、まどかには見えた。

 広間の最奥で、椅子に腰掛けた人影が。

 

「!?!?」

 

 その姿は、悪夢へと迷い込んでから初めて、まどかが見るマトモな姿をした人影であった。

 

「あ……あ……」

 

 人!人!人!

 まどかは患者の頭を投げ捨てると、足をもつれさせながら、人影めがけて全力で走った。

 近づくにつれ、人影は女性であり、麗人であり、瀟洒な姿としれた。

 まるで眠るように、椅子にもたれかかっていることも。

 

 そして――。

 

「!?」

 

 その左手から、血の雫を滴らせていることも。

 

 ――絶句。

 

 まどかは胸を張り裂かんばかりの憔悴の奔流に身を焦がしながら、女性めがけて殆ど跳ぶように駆け寄った。

 確かめたかった。彼女が生きていることを確かめたかった。

 何故ならば、彼女がここで初めて(まみ)えた人だったから。

 

 まどかは、麗人の左手を取ろうとした。

 だが、それよりも素早く、女性の右手が動き、まどかの手を掴み、その顔へと引き寄せてくる。

 

 女性は、非人間的なまでに美しかった。

 まどかが今まで会ってきた、どの女性とも違っていていた。

 

「し――」

 

 女性が何か言おうとした。だが、まどかはその言葉を皆まで聞くことはなかった。

 

「うわあああああああああああああん」

「!?」

 

 まどかは泣き叫びながら、女性へと抱きついたのだ。

 

「な、な、な?」

 

 まどかの見せた反応が余りに意外だったのか、女性は戸惑っている。だが、まどかはそれに気づかない。気づけるような心情ではない。

 

「よかった……よかった……よかったよ。生きててよかったよ」

 

 感無量。

 喜びと感動で胸は満たされ、それで思考もいっぱいになっている。

 

「わたし、わたし、心細くって、寂しくて、でもあなたがいてくれて!」

「……」

 

 意味をなさぬ言葉も、その感情の奔流が故。

 女性は、そんなまどかの想いを感じ取ったらしい。

 

「そうとも。私はここにいる。確かに、ここに居るよ」

 

 優しい声で、言ったのだ。

 

「ううう……ううう……うわああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 まどかは女性の――時計塔のマリアの胸に顔を埋めながら、慟哭した。

 それに対しマリアは、慈母の表情を浮かべながら、まどかの体を抱きしめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着いたかい?」

 

 マリアが問いかければ、少女は涙でぐしゃぐしゃになった表情そのまま、うんうんと頷いた。

 委細に見れば、目の前の少女は狩人でないと知れた。

 どうも、どこかの学徒であるらしい。しかしマリアがそこが何処かまでは知らない。

 

「……話してごらん。今まで、何があったかを」

 

 マリアが優しく問えば、堰を切ったように、少女は、鹿目まどかは話し始める。

 キュウべぇのこと、魔法少女のこと、ほむらのこと、実験棟で見聞きしたこと。

 

「そうか」

 

 マリアは、まどかの肩を引き寄せ、再びその小さな体を抱きしめる。

 

「大変だったね」

 

 まどかは、再びマリアの胸に顔を埋め、嗚咽した。

 マリアは、優しく優しく、そんなまどかを掻き抱き続けた。

 

 故にまどかが気づくことはない。

 マリアの瞳に浮かぶ、好奇の狂熱に。

 

 

 

 

 



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chapter.23『シモンの弓剣』

 

 

 

 大聖堂の長い階段を昇りきれば、広間の最奥に確かにあの巨獣の姿があった。

 白く長い毛の先を石畳の上に放射状に広げ、跪くような格好で、背を向け屈み込んでいる。

 広間の最奥には金色に輝く、絢爛たる祭壇が座し、巨獣の格好はまるで祈りを捧げているようだった。

 ちょうど、彼女が人間だった時と、同じように。

 

「……でけぇな」

 

 ほむらやマミと違い、大聖堂の巨獣――かつて教区長エミーリアであった獣を初めて見る杏子は、大橋で遭遇した獣よりもさらに巨大な姿に、しかし恐れ一つ顔に浮かべることもなく、口に咥えた楊枝を吐き捨て言った。それは単に、事実を声に出して確認しただけ、といった調子の声だった。まどかを除けば、少女狩人たちのなかで、一番大型の獣を狩った経験を杏子は有しているのだから。

 

「厄介なのは、大きさもそうだけど、驚異的な自己回復能力よ」

「速攻で片付けないと、前の時の二の舞になるわね」

 

 ほむらとマミは先の戦闘から得た警告を各々発しながら、各々の武器を仕掛けを起動する。

 ノコギリは槍となり、杖は鋼の鞭と化す。より大型の獣を狩るのに適した形態だ。

 

「はっ! 要はぶっ潰しちゃえばいんでしょ。そんならいつもと結局やることは変わんないじゃん」

 

 杏子は不敵に笑い、八重歯を剥き出しにすれば、片手斧を長柄斧へと変じ、小さく廻して肩に負う。

 

「相手に回復する隙を与えない、連携攻撃が重要よ。大丈夫かしら」

 

 マミが問えば、杏子はやはり挑発的な笑みを返す。

 

「アタシを誰だと思ってんのさ。魔法少女としちゃアンタが先輩かもしれないけど、狩人としちゃどうかね」

 

 相変わらずの、露悪的な軽口。

 杏子には古狩人めいた風格があるのを、マミは感じていた。

 ちょうど、敬愛する同士だった、ヘンリックのものと良く似た――。

 

『まず、私が仕掛けます。ほむらちゃん、杏子ちゃん、マミさんはそれに合わせて攻撃を始めてください』

 

 まどかの声に、マミの思考は中断され、慌てて彼女は頭を左右に振って迷いを振り払った。

 獣狩りに感傷は禁物だ。なぜなら獣はことごとく素早く、血に飢えていて、強く、恐ろしいのだから。

 

「……まどかの武器は、その曲剣なのかしら?」

 

 ほむらが、不意に問う。

 言われて、マミも若干の違和感を覚えた。

 

 魔法少女時代の武器と、狩人としての得物が一致しないのは別に妙なことでもない。

 

 マミの記憶によれば爆薬使いで、お世辞にも接近戦が得意とは言えなかったほむらが、今ではノコギリ槍を難なく使いこなしているし、杏子の得物も同じ長柄武器とは言え、仕掛けの多節槍から獣狩り用の大斧へと変わっている。マミ自身、魔法少女時代は飛び道具が主だったのが、今は杖を剣のように振るい、また、リボンの操作を応用して仕掛けの鞭を操っている。

 対するにまどかは、魔法少女としては弓使いだった筈だ。その彼女が、敢えて曲剣を武器としているのには、確かに妙な感覚である。(杏子はそもそもまどかが契約しなかった時間軸の出身者なので、違和感もなにもない)

 

『……ううん。ちょっと、違うかな』

 

 まどかは首を横に振って否定すると、曲剣の仕掛けを起動した。

 

「!」

「まぁっ!」

「なんだそりゃ!」

 

 三人の少女狩人が驚いたのも無理はない。曲がった剣の大きな刃は、仕掛けにより弓に転じたのだ。これほどの仕掛けを持った仕掛け武器は早々有りはしない。

 

 ――もう、ずっと前のことだ。医療教会、最初期の狩人として知られるシモンは銃器を忌み嫌った。

 そんな彼のために、教会の工房が誂えた特注品。今は、まどかの仕掛け武器となったものだった。

 

『弓で獣に挑むなんて、馬鹿げてると思われるかもしれないけれど……』

 

 まどかはそう言葉こそ自嘲的なものを選びながらも、実際は、声に確かな矜持を湛えつつ言った。

 

『これは、ある古狩人さんから貰った、大切なものでもあるから』

 

 まどかが言うのと同時に、高まる殺気に気がついたか、巨獣エミーリアが振り返る。

 

『仕掛けます……合わせて!』

 

 どこからともなく取り出した矢を番え、まどかはエミーリア目掛けて放つ。

 

 ――それが、狩りの開始の符牒となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まどかが矢を放つのと同時に、ほむらは地面を蹴って走り出した。

 矢がエミーリアの顔面へと突き立ち、巨獣が呻くのと同時に、ほむらは盾へと手を伸ばす。

 

 盾を、廻す。

 砂時計が、その流砂の滴りを止める。

 瞬間、時の流れもまた止まる。

 

 走るマミも、咆える杏子も、二の矢をつがえるまどかも、そして巨獣エミーリアもが完全に静止している。

 

「――」

 

 ほむらは黙々と、止まった時のなかを駆け抜ける。

 時間が止まっている時間はひどく短い。限界が来れば、自然と砂時計はもとに戻ってしまう。啓蒙を得たとしても、所詮は超常の力だ。今のままでは、制御にも限界があると見える。

 故にほむらは急いで盾の中に手を差し込むと、油壺を都合三つほど取り出し、投げた。

 続いて、火炎瓶を取り出した所で、盾が逆方向に廻り、砂時計が戻る。

 

 問題ない、既に仕掛けは済んでいる。

 

「――時間が!?」

「暁美さん、やったのね!」

 

 背後で、杏子とマミが殆ど同時に叫ぶ声が聞こえる。

 同時に、三つの油壺が巨獣へと叩きつけられ、その白く美しい毛を黒い油で汚す。

 

「灼けなさい」

 

 ほむらは、火炎瓶を力強く巨獣へと投げつけた。

 投げつけられた炎は、毛に染み込んだ油へと点火し、瞬く間に燃え広がる。

 

 ――巨獣が、哭く。

 

 確かに、あの巨体に対しダメージを与えているが、しかし問題は恐るべき自己回復能力。

 

「佐倉さん!」

「応さ!」

 

 再攻撃の為に退くほむらの両隣を、黄色と赤の閃光めいて走るのは二人の少女狩人。

 鋼の鞭が縦一直線に振るわれるのと同時に、分厚い斧の横薙ぎがエミーリアの脛へと思い切り突き立つ。

 立て続けに、まどかの放った二の矢が、情け容赦無く、呻く巨獣の顔面へと突き刺さる。

 

 ――巨獣が、さらに哭く。

 

『ほむらちゃん!』

「なにかしら」

 

 退いたほむらに、まどかが声をかける。

 マミと杏子が交互に左右からエミーリアを攻撃し、その注意をそらしている間にさらなる攻撃を仕掛けようと思っていたほむらは、攻撃を中断し、まどかに向き直る。

 

『さっきのやつ、時間を止めて、油を投げつけるの、もう一回出来ないかな』

「何か、策があるの?」

『ちょっとね。すこし、試してみたいから』

 

 まどかが力強く頷くのに、ほむらは胸に一抹の痛みを覚えた。

 その顔は、ほむらにとってはひどく懐かしい類のものだった。彼女にとって、もうずっと前のこと。まだ、赤い縁の眼鏡をかけて、三つ編みを結っていた、未熟な頃の自分。そんな自分には、太陽のように輝かしく見えた、魔法少女としてのまどかの相貌。かつて自分の憧れた、自信と誇りに満ちた顔。狩人としてのまどかもまた、そんな顔をしていたのだ。

 

「仕掛けるわ」

『わかった。合わせるよ』

 

 しかし、獣狩りに感傷は禁物だ。

 ほむらは相変わらずの鉄面皮をマスクの下で浮かべながら、まどかの指示に従って動く。

 幸い獣はマミと杏子に気を取られて隙だらけだ。ましてや、時間を止めれば格好の的でしかない。

 

 ――盾を廻す。

 

 時間が凍り、ほむらを除く全てが、凍てついたように動きを止める。

 盾のなかのストックに若干の心もとなさを覚えながらも、それでもまどかに応えんと油壺を引っ張り出し、投げる。

 既に焼け焦げ、血に汚れた白い毛へと目掛け、油壺が飛び、そして宙空で止まる。

 

 ――盾が逆方向に廻る。

 

 再度、黒い油はエミーリアへと浴びせかけられ、ほむらはまどかの方を振り返った。

 

「!?」

 

 まどかは、みたび矢を弓剣へと番えている。しかし、その矢の有様が、さっきまでとあからさまに変わっていた。

 赤黒く、怪しげに紅に輝く大きな矢は、まるで鮮血が固まってできたかのようである。

 

『ごめんなさい。でも、あなたが獣となった以上、狩るよりしか、他にはないから』

 

 放たれた矢は、狙いをあやまたず、標的へと真っ直ぐに突き刺さる。突き刺さると同時に、爆ぜる。

 

「!?」

「!?」

「!?」

 

 まどかを除く三人の少女狩人は、一様に驚きの顔を浮かべた。

 放たれた矢は、血しぶきとなって爆ぜた。赤黒い血に、白い獣の獣をまみれさす。

 まみれさすと同時に、血はその色そのままの紅に燃えが上がり、撒かれた油ヘと引火、一層激しい勢いで燃え広がったのだ。

 

 ――巨獣が、いよいよ哭く。

 

 まどかの見せた、余りに不可思議な技に、ほむら達は一瞬動きを止めそうになるが、獣の声に現実に立ち返る。エミーリアが激しく傷ついた以上、今こそが集中攻撃を好機。その好機を逃せば、巨獣は自ら窮地を脱してしまう。事実、エミーリアは例の祈りのような姿勢へと移ろうとしていた。止めなくては――そう思い、ほむらは地面を蹴ろうとする。

 

「悪いけど、させないわ!」

 

 そんなほむらよりも素早く、動いたのはマミだった。

 言葉と共に迸り出た何かが、巨獣の体に巻き付き、締め上げる。

 

「マミ、それ!」

「魔法少女の頃みたいには動かせないけど、獣の動きを止めるぐらいなら!」

 

 杏子が驚きの声をあげたのが、マミが右手に掲げ持った、彼女のソウルジェムであった。

 赤味がかった黄色に輝くソウルジェムから、まるで触手のように、まるで見捨てられた上位者の先触れのように、幾条ものリボンが生えだし、エミーリアの手足に巻き付いているのだ。巨獣は祈りの姿勢をとることが出来ず、悲しげに吠え、藻掻いている。

 

「余り長くは持たないわ! 鹿目さん、暁美さん、佐倉さん!」

 

 マミが呼ぶのに、三人の少女狩人は即座に応じる。

 まどかはまたも血の矢を番え――狩装束のポケットに入れられた、ソウルジェムが怪しく輝く――、ほむらはノキギリ槍を両手に構え、杏子は大斧を思い切り振りかぶって跳んだ。

 

『はっ!』

「喰らいなさい!」

「くたばりな!」

 

 三方向からの、異なる種類の攻撃。

 その全てが強力極まりなく、これにはいかに巨獣であろうとも、既に炎に焼かれ傷ついた体では抗する術もない。

 

 ――絶叫。

 

 断末魔の雄叫びとともに、エミーリアの体は崩れ、血しぶきが散り、青い光の奔流と消えた。

 

 

 

 

 ――『YOU HUNTED』

 

 

 

 





【マミのソウルジェム】:キュウべぇと契約した、魔法少女の証
――――――――――――――――――――――――――――――

上位者インキュベーターと契約した少女が手にする、輝く宝玉
これは巴マミが契約した際に手に入れたもの

その実態は契約者自身の魂を具現化したものであり
濁りに満たされ、輝きを失った時、魔法少女は魔女と化す

だが血が肉体へと戻った今、ただの虚ろな容れ物に過ぎない
されど今やその虚無は血の遺志に満たされ、煌々と輝いている
マミが啓蒙を得た今、それは彼女の意志に応えるだろう
彼女が願った、『命を繋ぐ』という心のまま


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chapter.24『祭壇の聖蓋/捨てられた古工房』

 

 

 

 

 教区長エミーリア――()()()獣は滅びた。

 血を撒き散らし、青い光となって、嘘のように消えていく。まるで、大橋の獣を斃した時と同じであった。

 

「やったな」

「ええ」

「……」

 

 その様に、杏子は犬歯を剥き出しに笑い、マミはおもむろに頷き、ほむらはいつものように黒髪の端を撥ねた。

 

『――かねて、血を恐れたまえ』

 

 ただひとり、まどかだけは地面に跪くと、両手を握って、獣の失せた虚空へと祈りを捧げていた。

 まどかが呟く警句に、ほむらは覚えがある。それは前に、ゲールマンもまた述べた言葉なのだ。

 

「まどか――」

 

 そのわけを、ほむらは問おうとした。

 

「――っっっ!?」

 

 問おうとして、絶句した。

 まどかの体が輝いている。青白く輝き、そして朧になっていく。

 

 ――別れの時なのだ。

 

『獣を狩った以上、共鳴は終わり……ここで、いったんサヨナラだね、ほむらちゃん、みんな』

「まどか!」

「オイ!?」

「鹿目さん!?」

 

 消え行くまどかの姿に、ほむらが泣きそうな声で叫べば、杏子もマミもまた驚きの声を挙げる。

 

『大丈夫。きっと、すぐにまた会えるから。だって――』

 

 まどかは、最後にこう言い残して消えたのだった。

 まるで、最初から全てが、長い夜の夢だったかのように。

 

『――狩人は、ひとりじゃないから』

 

 

「……」

 

 まどかが消えた跡を、暫し呆然とほむら達は眺める。

 もとより、共鳴による一時の共闘に過ぎないのは、ゲールマンより聞いてほむらもマミも知っていることだった。

 しかし、懐かしい――ほむらにとってはそんな言葉だけであらわせるものではない――魔法少女の戦友の姿が、あたかも幻のように失せてしまったのには、言語化出来ない感慨というものがあるのだ。

 

「おい」

 

 最初に自失より脱したのは、三人のなかで最もまどかとの繋がりの薄い杏子だった。

 

「なんか、落ちてるぞ」

 

 そんな彼女が指差す先を二人が見れば、確かに床の上に転がる、光る何物かが見えた。

 ほむらが歩み寄り、拾い上げてみる。それは、金のペンダントであった。

 

 

 ――血の秘儀を継ぐ者、血の施しの主たる者よ。

 ――祭壇の聖蓋に触れ、師ローレンスの警句をその身に刻みたまえ。

 

 

 何故か、大聖堂の階段の傍らに、刻まれた走り書きを思い出す。

 黒い長髪の少女狩人は、巨獣が祈りを捧げていた祭壇へと向けて、歩み寄る。

 

「あ、おい!」

 

 無言で歩き始めたほむらに、杏子が追いすがる。何故かマミは、床をじっと見つめたまま、動かない。故に二人して、大聖堂の祭壇の間近までやってくる。

 

 ――祭壇には、謎めいた頭蓋が鎮座していた。

 

 その大きさから見るに、人のものではない。

 縦に細長い顎門は、明らかに獣のものである。口には鋭い牙も生え揃っている。

 かつて左目だったであろう部分は大きく欠損し、血も肉も皮も失せているのに、黒い頭髪のみがまだこびり付いていた。

 ほむらは、刻まれた言葉に従って、祭壇の頭蓋に手を伸ばし――見たのだ。

 それは、頭蓋の主たる獣が、医療教会の始まりとなった男が見た、追憶の一景。

 

 

 

 

 

 

 

 ――ウィレーム先生、別れの挨拶をしにきました。

 

 ――ああ、知っている。君も、裏切るのだろう?

 

 ――相変わらず、頑なですね。でも、警句は忘れません。

 

 ――我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。知らぬ者よ。

 

 ――かねて血を恐れたまえ。

 ――かねて血を畏れたまえ。

 

 ――お世話になりました。

 

 ――恐れたまえよ、ローレンス。

 

 

 

 

 

 

 

「っ!?」

「わっ!?」

 

 ほむらは現実へと舞い戻り、慌てて頭蓋から手を離し、殆ど飛び退くように後ずさる。

 余りにもその勢いが強かったために、殆ど背後の杏子と衝突する間際で、彼女も思わず驚き声をあげていた。

 

(……今のは?)

 

 しかしほむらは、そんな杏子を意に介することなく、たった今、自分自身が見たものについての思索に囚われていた。彼女が見た幻影(ヴィジョン)は、どうも誰かの追憶であるらしかった。恐らくは、この頭蓋骨の主が、かつて人間だった頃の。

 

(ウィレーム……)

 

 ――ウィレーム先生

 追憶の中の、安楽椅子の老人は、確かにそう呼ばれていた。

 その佇まい、その呼称から、から、老人は学者の類であるらしい。

 

(ローレンス……)

 

 追憶の主が、老人より呼ばれていた名前。

 大聖堂階段脇に刻まれた一文にもあった名前である。恐らくは、この頭蓋骨の獣が、人だった頃の名前。

 

 ――『聖堂街の最深部には古い大聖堂があり、そこに医療教会の血の源がある――という、噂です』

 

 かつてギルバートがほむらへと語ってくれた言葉が脳裏で反芻される。

 だとすればこの頭蓋骨、かつてローレンスと呼ばれた男の成れの果てこそが、血の源だというのだろうか。

 その名には『師』と冠されていたことから察するに、このローレンスこそが医療教会とやらの開祖なのだろうか。

 

(ウィレーム、ローレンス……)

 

 ほむらは二人の名を繰り返し、同時に、その二人が同時に発した、同じ警句を想起する。

 

『かねて血を恐れたまえよ/かねて血を畏れたまえよ』

 

 二人の微妙な語調の違いから、それぞれが発したニュアンスは異なったものであるように、ほむらには思えた。

 しかし、今ほむらの注意を惹くのは、その事ではない。

 ウィレームとローレンス、二人の発した警句と、全く同じフレーズを呟いた二人のことだ。

 

『――かねて、血を恐れたまえ』

 

 一人はまどか。

 

『宇宙は空にある。空を見つめたまえ。君もいずれ、青ざめた血の空を見出すだろう。故に……かねて、血を恐れたまえよ』

 

 そして、もう一人はゲールマン。

 二人は、間違いなく何かを知っている。特にゲールマン。彼にはより一層の注意を要するだろう。

 

(何を……知っているというの)

 

 あの夢の老人は、元より妖しげな人物ではあった。ほむらのなかで疑念が一層確かなものになる。

 問い詰めねばなるまい。無論、それは困難なことであろうけど。

 

「――それにしてもさぁ」

 

 杏子の声に、ほむらはようやく思索の海の底から舞い戻った。

 

「この様子じゃぁ、医療教会が完全にくたばってるってのは間違いないみたいだな」

「……ええ」

 

 杏子の言う通り、このヤーナムでは特別な地位を占めていたらしい医療教会とやらは、既に組織としての体をなしてはいないらしい。医療教会所属の狩人組織が壊滅したとは既にマミから聞き知っていたことだが、その母体自体が、既に死に体であったようだ。

 

「期待外れだったけど、まぁ結局は避難所自体は見つかったから、結果オーライ、かな」

 

 もとより杏子は、あの黒いリボンの少女の安全のために聖堂街へとやって来たのだ。

 ほむらとしても、大聖堂で得た収穫は大きい。

 

「もうここに長居する理由はないようね」

「だな。一旦、帰りますか」

 

 ほむらと杏子は、祭壇に背を向けて、大聖堂の入り口へと向けて歩き出す。

 

「……」

 

 そこで二人は初めて、マミがずっと黙して、床をじっと見つめていたことに気づいた。

 

「マミ?」

「……」

 

 杏子が呼ぶのにも、応えない。

 

「マミ」

「……」

「マミ!」

「……」

「おいマミ!」

「っ!? え、えと、何かしら、佐倉さん」

 

 何度もその名を呼ばれて、マミは初めて杏子のほうへと振り返った。

 

「いや、なんか床をじっと見つめてるからさぁ。どうしたもんかねと」

「……何でもない。何でもないのよ」

 

 全くもって、『何でもない』ことはないであろう表情でマミは呟く。

 杏子も、ほむらも深くは尋ねなかった。

 今やマミは『連盟の狩人』。見滝原には無かった新たなナニカを、今のマミが背負っていることは、二人にも察することができたのだから。

 

「行くわよ」

「だってさ。戻ろうよ、マミ」

「……そうね」

 

 三人の少女狩人は、連れ立ってオドン教会へと戻る。一行の最後尾をなすのは、巴マミだ。

 

「……」

 

 二人に遅れてくるマミに、ほむらが振り返る。

 マミは、教区長エミーリアだった獣が失せたあと、残った血痕の上に足を置いていた。

 そして踏みにじった。何かを、踏み潰すように。

 ほむらには奇妙だった。何故ならば、ただ血痕が広がるばかりで、そこには踏み潰すようなものは丸でなかったのだから――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――まどかは、薄暗い部屋の中で目を覚ました。

 

「マミさん、杏子ちゃん、ほむらちゃん」

 

 今や懐かしい戦友親友達の名前をまどかはつぶやき、そのつぶやきは沈黙のなかへと溶ける。

 共鳴が解かれた今となっては、まどかは再び独りだ。

 

「……」

 

 背中を預けていた壁から身を起こし、立ち上がる。

 辺りを見渡せば、哀しいほどに何一つ変化はない。

 薄暗さも、うず高く積もった埃も、祭壇に捧げられた、へその緒のような、しかしそう非ざる異形も

 そして――。

 

「ただ今、マリアさん」

 

 まどかが呼びかけたのは、師とも言える古狩人――の姿を模して造られたと見える、大きな人形。

 

 ――『捨てられた古工房』

 

 悪夢を抜け出したまどかの身は今、この打ち捨てられた小さな牢獄のなかにあった。

 

 

 




今回は繋ぎなので短め
アメコミ(正確にはイギリスだけど)版ブラッドボーン買いました
実に良かったです


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chapter.25『旧市街/ヘムウィックの墓地街/医療教会の工房』

 

 

 

 

 ――掌にのせられ、差し出された真紅のソウルジェム。

 元より赤かったそれは、血の趣を得て一層光輝いて見える。

 実際、魂が抜け出した今、その虚ろを満たすのは血の遺志――死血に宿る偏執にも似た遍く遺志なのだ。ならばこそ、ソウルジェムが赤黒く輝くのも当然のことであった。

 

 人形の冷たく固い指が、魂の器に触れる。

 ソウルジェムが一層強く、白く赤く光、輝き、始める。

 

 夢に依る狩人は、血の遺志を自らの力とする。死者に感謝と敬意のあらんことを。

 

「――終わりました、狩人様」

 

 言われて、杏子は瞼を開いた。

 自分を見下ろす、背の高く可憐な、そして血の温かみは全くない青白い美貌が見える。

 『人形』。名は体を表すと言うが、その意味ではこの上ない名前である。

 

「どうかしら?」

「佐倉さん、調子はどう?」

 

 左右から杏子の顔を覗き込むのは、右がほむら、左がマミである。

 

「……なんか、妙な感じだ」

 

 杏子は奇妙な高揚感と、体中の血が熱くなる感覚に、大きく戸惑っていた。

 体内に何か得体の知れないものが流れ込む感覚。体が軽くなったような浮遊感。

 ちょうど、はじめてキュウべぇと契約し、魔法少女となった時のような、そんな感触。しかし、何かが決定的に異なる。それはおそらく、変化したのが魂ではなく肉体そのものだからだろう。

 既に二人から聞いたように、確かに肉体が変質したのを杏子は感じていた。

 

 ――三人の少女狩人がいるのは、狩人の夢のなかであった。

 

 エミーリアを斃した一行だが、より強く、より大きな獣の出現に、一同は揃って更なる力の必要性を感じていた。

 特に、その想いが深かったのが杏子だった。彼女のみ、狩人の夢を訪れていない。故にほむらやマミのように、再び輝き出したソウルジェムの力、魔法少女としての力を、使うことができないでいる。

 故に意を決して、二人と共に狩人の夢を訪れたのだ。彼女には守らねばならない人がいる。なればこそ、強くならねばならないのだ。

 

「過去、多くの狩人様がこの悪夢を訪れました。ここにある墓石は、すべて彼らの名残です」

 

 人形が言うのに、杏子たちは改めて辺りを見渡した。

 確かに、この狩人の夢は墓石だらけである。いったい……どれ程の狩人がここを訪れたのか。想像するだけで、背筋が寒くなる。

 

「しかし……一度に複数の、それも三人もの狩人様がここに集うのは、全くもって初めてのことです」

 

 三人の少女狩人は、互いに顔を見合わせた。

 自分たちはいずれも異邦人である。そのことが、何か長く続いていた、一つの法則を崩したような、そんな感覚だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――それにしてもさ」

 

 暫時続いた沈黙を破り、不意にそう言ったのは杏子だった。

 

「これからどうするよ?」

 

 そうなのだ。

 そのことが、今一番の問題なのである。

 

 ほむら達が狩人の夢に訪れた時、ゲールマンは既に姿を消していた。

 

『あのかたは、既に存在も曖昧ですから』

 

 人形がそう言うのだから、そうなのだろう。

 元より、常人に非ざる気配を帯びた老人ではあったが、やはりただの人間ではないらしい。

 しかし、彼を色々と問い質したいほむらからすれば、期待はずれでもある。

 

「取り敢えず、そのゲールマンって爺さんが探せって言ってたのが『聖杯』と『秘文字の工房道具』ってやつなんだろ」

「ええ」

 

 杏子が言うのに、ほむらは頷いた。

 もし獣が手にあまり、大きく恐ろしいのならば、求めるべきであると隻脚の老人が告げたモノ。

 それが『聖杯』と『秘文字の工房道具』。

 

『聖杯は神の墓を暴き、その血は狩人の糧になる。――聖体を拝領するのだ』

 

 ゲールマンは相変わらず謎めいた言葉で『聖杯』について告げた。

 ようするに、より大きな力をもたらす血の遺志を得る手段ということなのか。

 

『かつてビルゲンワースの学徒、筆記者カレルは、人ならぬ上位者の音を記録し、それをカレル文字と称した。このカレル文字を脳裏に焼き、その神秘の力を得ること……それを可能とするのが、秘文字の工房道具。もっともそれは、今は失われてしまっているがね』

 

 いよいよ以て意味不明のが、『秘文字の工房道具』についてのゲールマンの云いだ。

 上位者? 文字を脳裏に焼く? 魔法少女として幾つもの不可思議に対面してきたほむらにも、訳がわからない。

 

 だが、あのゲールマンが言うのである。

 そのいずれもが、手に入れるに足るモノであることは間違いない。

 

 

 暁美ほむらは、「青ざめた血」を求め、狩りを全うし、この悪夢から抜け出すために。

 

 

 巴マミは、連盟の狩人の一員として、全ての淀みを絶つために。

 

 

 佐倉杏子は、古狩人の後継者として、獣を狩り、愛すべき人を守るために。

 

 

 それぞれ求めるのだ。さらなる力を手にするための手立てを。

 

「ゲールマンが言うには、聖杯は『谷あいの市街』に、秘文字の工房道具は『墓地街』にそれぞれあるそうよ」

 

 そう二箇所なのだ。これが問題だ。

 

「2・1で二手に別れようさ」

「戦力分散は余り賢いとは言えないんじゃないかしら」

 

 当然、こういう問題が生じてくる訳なのだ。

 あるいはここでまどかが居れば、2・2に別れるという選択肢もあったろうけれど、残念ながら今や少女狩人は三人なのである。

 

「手分けしたほうが早いじゃん」

「今夜は長いわ。慎重に行くべきよ」

 

 杏子は分散派、マミは集中派であるらしい。

 ほむらはと言えば、どちらでもないし、どちらであっても構わない。

 一匹狼が長いほむらは単独行動に馴れているからだ。しかし、それは幾度となく繰り返し経験を積んだ見滝原でのこと。このヤーナムでも同様に通じる保証は、どこにもありはしない。ならばまとまって動くほうが良いのだろうか。とは言えヤーナムの街路は狭く、元より複数行動に向いていない場所であるのもまま事実だった。

 

「慎重にねぇ……」

「なに?」

「いやさぁ」

 

 杏子がちょっと小馬鹿にした調子で言うのに、マミは少々ムッとしたようだった。

 だが杏子の口から続けて出てきた言葉には、マミもハッとして言葉を失う。

 

「どうせ今夜一晩は、何度死のうが死にゃしないんだろ? だったら慎重も糞もないだろうさ」

 

 事実、ほむらもマミも一度エミーリアに殺され、実際に甦ったのだ。

 何事もなかったかのように、全ては夢であったかのように。

 

「――その通り」

「!?」

「!?」

「!?」

 

 杏子の言葉に応じたのは、マミでもほむらでもなく、しわがれた老人の声だった。

 電撃を受けたような驚愕に、三人は跳ぶように後ずさり、振り返る。 

 見えたのは、ほむらとマミはよく見知った姿だった。

 

「夢見るは一夜。されど月近く長い夜ならば、狩りを全うしない限り、決して明けることはない」

 

 草臥れた帽子。端が裂け、ほつれた外套。年季の入った装束。

 深く刻まれた皺。曖昧な、真意を見せぬ微笑。明晰なる双眸。

 そして半ばから失くなった片足。車椅子。そしてステッキ。 

 

「つまり、逃れられぬということだ。この忌々しい、狩人の悪夢から」

 

 狩人の助言者、ゲールマン。

 彼は唐突に消えたかと思えば、唐突に今、現れたのだった。

 新たなる助言を、告げる、そのために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――レバーを思い切り引けば、階下で棺状の石が動くのが見えた。

 手すりがなかったので、そのまま一階へと飛び降りる。柱の陰から獣と化した群衆の一人が、鉈のようなものを振るってくるが、まず短銃で体勢を崩し、次いでノコギリ槍で臓腑を抉る。手首にひねりを加えれば、血の泡を吐き出しつつ獣は痙攣し、糸が切れた傀儡のように力を無くした。

 蹴り飛ばす勢いで、死体からノコギリ槍を引き抜く。

 石棺が動いた後には、地下へと続く入り口が開いていた。

 狭い通路、長い階段。先は薄暗く、見通しは悪い。何がその先に待っているか、知れたものではない。

 しかし黒髪の少女狩人は恐れることもなく、早足に階段を降りる。

 降りた先は、薄暗く、天に掌を捧げ、何かを乞い願うかのような格好の石像が、幾つも置かれている。

 

「……」

 

 それらを一瞥し、何の感慨も抱くこともなく、三角帽子の覆面の少女狩人は次の道を探す。

 すぐさま道は見つかり、彼女は右へと曲がった。右へと曲がって、新たなる広間に出て、そして、獣の亡骸と出くわした。

 亡骸は、ズタズタに破壊されていた。切り裂かれ、焼け焦げ、叩き潰された、恐らくはかつて目覚めた診療所や、大橋で相対したのと同じタイプの黒獣――の残骸である。

 ヤーナムの狩装束に身を包んだ少女狩人には、見覚えのある光景だった。聖堂街で見た、異様な大男達の死骸。あれらに刻まれた、死に至る傷跡と、まるで同じモノが、この獣の死骸には見て取れるのである。

 

 ――嫌な予感がする。

 だが、歩みを止めるわけにもいかない。

 

 少女狩人は、そのまま先へと進み、梯子を降り、木の階段を降りる。

 目的地は、谷間の街だという。

 下へ下へと下り続け、次なる広間へと至った。

 広間の奥の、大扉は開け放たれている。

 石畳の地面には、真っ二つに裂けた、紙切れが転がっていた。

 黒髪の少女は、二つの切れ端を繋ぎ合わせ、そこに書かれていた文面を読んでみる。

 

 ――『これより棄てられた街。獣狩り不要、引き返せ』。

 

 その警告は、どうやら無視されたらしい。

 恐らくはこの警告文が貼られていたと思しき大扉が、完全に開け放たれていることが、その証明だった。

 

 黒い長髪の、ヤーナムの狩装束に身を包んだ少女狩人は、警告を無視した先人に倣い、大扉を潜った。

 

 ――『旧市街』。

 

 不可思議なことに、未だ夕陽が鮮やかな赤い空が、暁美ほむらを出迎えた。

 

 

【Name】暁美ほむら

【装備:頭部】ヤーナムの狩帽子

【装備:胴体】ヤーナムの狩装束

【装備:腕部】ヤーナムの狩手袋

【装備:脚部】ヤーナムの狩ズボン

【右手武器1】ノコギリ槍

【右手武器2】なし

【左手武器1】廻る砂時計の盾

【左手武器2】獣狩りの短銃

【所持アイテム】火炎瓶、油壺、古人呼びの鐘、金のペンダント

【ソウルジェム発動】時間停止

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 足元の大きく丸い隆起部分を踏めば、確かに何かの仕掛けが動いた音がした。

 

「うわお!?」

 

 恐ろしい勢いで、床が動き出す。

 激しく上昇する勢いに、赤毛の少女狩人は、思わず転びそうになるほどだった。

 瞬く間に、床は高い塔の上階へと達し、仕掛けが止まる。へこんでいた隆起部分が再びせり上がってくる。なるほど、恐らくはコレをもう一度踏めば、再び下階へと降りる仕組みか。

 

「……これ、あぶねぇんじゃねーのか」

 

 転落その他、想定しうる事故の数々を想定し、神父姿の少女狩人は肝を冷やした。

 もとより、このヤーナムの建物はどれも高低差が激しかったりと住む人に優しくないつくりだが、このエレベーターの構造などはその最たるもののように思える。

 

 ――まぁ、ヤーナムの謎めいた仕掛けの昇降機のつくりに、思いを馳せている場合ではない。

 

 長く赤く、白いリボンでひとつに纏められた髪の端を左右に揺らしながら、少女狩人は慎重に進む。

 短い廊下の奥には部屋が見えて、そこに備わった窓からは、既に高い空が見えている。

 

 ――異音。

 

 耳朶がそれを捉えた瞬間、少女は前方へと強く跳んでいた。

 背後を走り抜ける熱い射線と、狭い部屋の中を反響する銃声とを感じる。

 

 車椅子に座った老人が、呪詛を叫びながら、ハンドルを回している。

 回転する銃身からは次々と銃弾が吐き出され、石壁を幾つもの穴を穿ち、石粉に破片が撒き散らされる。

 

「反則だろが!?」

 

 あんな武器がヤーナムにあったのかと驚愕しつつも、少女の体は狩人らしく反撃に移りつつあった。

 次弾を装填しようとする老人目掛けて、踏み込みつつ思い切り片手斧を横薙ぎに振るった。

 振るわれる勢いに合わせて仕掛けを動かせば、柄はまるで魔法のように長く延び、まだ間合いの外だった筈の老人の首を、一撃で断ち切った。

 

「しかしまぁ……」

 

 もはや火を吹くこともなくなった回転式機関銃(ガトリングガン)を、頭のない死骸を改めて見直し、杏子は顎に手をやって呟いた。

 

「この様子なら……色々と期待できそうじゃん」

 

 より強力な、新たなる仕掛け武器を、である。

 何せ彼女、佐倉杏子がゲールマンの助言に従い、オドン教会を昇ってきたのは、まさしくそのためなのだ。

 

 ――『医療教会の工房』。

 

 その先に、教会の工房があるはずなのだから。

 

 

【Name】佐倉杏子

【装備:頭部】神父の狩帽子

【装備:胴体】神父の狩装束

【装備:腕部】神父の狩手袋

【装備:脚部】神父の狩ズボン

【右手武器1】ガスコイン神父の獣狩りの斧

【右手武器2】なし

【左手武器1】ガスコイン神父の散弾短銃

【左手武器2】なし

【所持アイテム】小さなオルゴール、白いリボン

【ソウルジェム発動】???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄色い髪の少女狩人は、地面に落ちていたトップハットを拾い上げ、ついていた土や埃を払い被り直す。

 そして太い幹の木に背中を預け、深呼吸をひとつ。文字通り、やっと一息つけた格好だった。

 

 ――『いまや夜は汚物に満ち、塗れ、溢れかえっている』

 

 連盟の長、ヴァルトールの言葉が、少女の脳裏に反芻する。

 汚物かどうかは知らないが、しかし、確かにこのヤーナムが淀みに満ち溢れているのは確かだろう。

 足元に転がる、異形の犬の亡骸を見下ろしながら、少女はそう思う。

 

 全くもって異様な姿形だ。

 針金などを用いて、先の鋭い刃の類を幾つも括り付けられた、殺意溢れる姿の黒犬なのである。

 ヤーナム市街でも犬は恐るべき敵だったが、この墓地ではこんな改造犬が何頭も歩きまわっており、かつそのかつての飼主だったらしい長銃持ちの群衆も大勢いて、相手にするのは実に骨が折れた。

 

 しかし、彼らも相手が悪かった。

 

 様式美を重んずる少女狩人は、誰よりも長銃の扱いに長じ、射撃戦ではそうそう遅れを取ることはない。

 事実、散弾で犬の動きを止めつつ、木々の間を走り、墓石を盾としながら、一人一人、着実に頭を大口径弾で貫いて、仕留めていく。少女狩人の長銃は水銀弾を用いる群衆達と違い、血を直接弾丸へと変えて発射するため、連射力でも勝り、簡単に弾種も換えられる。

 肉薄する犬も、硬い杖かあるいは鋼の鞭の餌食となった。

 

 あれほど鳴り響いていた銃声も、犬の咆える声も今や全く聞こえず、墓地は死者の棲家に相応しい静かさだ。

 

「……」

 

 若干の休憩を終えると、少女狩人は山高帽の庇に指をかけ、角度を直してから再び歩き始めた。

 ここは既におぞましいほどに墓石の並ぶ墓地であるが、目当ての墓地街はここではない。

 さらに奥へ奥へと進んだ先、大きな木の扉の向こう側にある筈なのだ。

 

「……あった」

 

 目当ての扉は見つかった。

 意を決して、扉を押す。妙に重たく、油を差していないのか蝶番が軋むが、それでも扉は開いた。

 

 鴉が、不吉に鳴きながら一斉に空へと飛び立つ。

 どこからともなく、数々の笑い声が、狂気の笑い声がこだまして来る。

 

 ――『ヘムウィックの墓地街』。

 

 不吉極まる魔女の町に、かつて魔法少女であり、今や連盟の少女狩人たる巴マミは挑む。

 ビルゲンワースの見出した、その神秘の一端とまみえるために。

 

 

【Name】巴マミ

【装備:頭部】トップハット

【装備:胴体】狩人の装束(マント無し)

【装備:腕部】狩人の手袋

【装備:脚部】狩人のズボン

【右手武器1】仕込み杖

【右手武器2】なし

【左手武器1】トモエ=マミの長銃

【左手武器2】なし

【所持アイテム】連盟の杖

【ソウルジェム発動】黄色いリボン

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ゲールマンの助言に従い、三人の少女狩人は三手に別れた。

 

 暁美ほむらは、旧市街へと。

 

 佐倉杏子は、医療教会の工房へと。

 

 巴マミは、ヘムウィックの墓地街へと。

 

 それぞれ向かい、挑むのだ。

 

 より強く恐ろしい獣に打ち克つために、より強く恐ろしい狩人となるために。

 

 



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chapter.26『古狩人デュラ』

 

 

 

 

 

 

 まるで血の海を泳いでいるかのようだ。

 

 夕陽の赤に照らされて、ほむらはそんなことをふと思った。

 聖堂街ではすでに陽は落ちつつあったように記憶しているが、ここではなぜか相変わらず紅い景色のままだ。

 この旧市街は谷間にあると聞く。あるいは太陽の覗きかたが違うのかも知れない。

 

 ――『これより棄てられた街。獣狩り不要、引き返せ』。

 

 守られなかった警告文を思い出す。

 それが貼られていたであろう扉は既に開かれ、誰かが踏み込んだあとであったのだ。

 見ず知らずの他の狩人か、あるいは烏羽の狩人狩りか、はたまたまどかか、あるいは憎き呉キリカか。

 いずれにせよ、誰が待つにせよ、進まなくてはならないことは変わりない。

 

(……それにしても)

 

 ほむらは思わず、マスクの上から鼻を覆うように掌を被せた。

 既に眼以外はことごとく覆面で隠されているため、臭いも余程酷いもの以外は遮断されている筈だ。

 にも関わらず、鼻腔を刺すようなこの痛み! 他でもない、この悪臭のせいである。

 あるいは血の遺志により肉体を変質させた影響か、あるいは狩人になったがために嗅覚が鋭くなったのか――。

 

「……」

 

 いずれでもないことに、ほむらはすぐに気がついた。

 パチパチと、何かが燃える音にその方を見れば、この耐え難い悪臭の源がそこにあったのだ。

 

 ――磔にされた獣が、火炙りになっている。肉が、血が、脂が焼けている。

 悪臭も、当然である。同様のものが、左右を見渡せば幾つも立ち並んでいるのだから。

 似たようなものはヤーナム市街でも見たが、ここではその数が段違いだ。この最初の広間だけでも、ざっと5つはある。

 

 

 ――『だが今やそこは⋯、獣の病が蔓延し、棄てられ焼かれた廃墟、獣の街であると聞く』

 

 ――『狩人に相応しい場所じゃあないかね』

 

 

 ふと悪夢で聞いたゲールマンが言葉を思い出す。

 成る程、確かに彼の情報は、間違っては居ないらしい。

 焼ける臭いに血の臭い、そして噎せ返る程に溢れた獣臭。まさしくここは獣の街に他ならない。

 

  ――『旧市街』。

 

 医療教会に見捨てられ、焼き捨てられた、オールド・ヤーナム。

 その最奥に、『聖杯』は鎮座しているという。

 

 ほむらは、その聖杯のあるという、古い教会を目指し、進むべき道を探った。

 正面を進めば、手すりの崩れたバルコニー。左に進めば小さな橋がある。

 崩れたバルコニーから見下ろせば、跳んで降りられそうな所に足場がある。しかし、一度降りれば戻る手立ても見えないので、ひとまずは左に進むことにした。

 

「……」

 

 橋の半ばで、新たな死骸と出くわした。しかし、今度は焼かれている訳でも磔にされているわけでもない。

 まだ新しい、肉にも血にも温かみが残った死骸なのだ。故にほむらは亡骸の状況を、詳しく検分することにする。

 恐ろしく鋭い刃物で、袈裟懸けに斬られたようであるらしい。鋭いだけでなく分厚い刃は心臓まで達しており、この獣は殆ど即死であったろう。獣は、かつて人だった獣は、酷く獣化が進んでいるようで、それだけ人間離れした力を持っていたはずだ。それをかくも仕留めるとは……間違いなく、この一撃を為した狩人は、良い腕の狩人と言えた。

 

 橋を渡りきれば、今度はさらに四つの亡骸と出くわす。

 うち二つは、橋の半ばの獣と全く同じ屠られかたをしていたが、残り二体は異なる。

 一匹は、何かキザキザした形の、重いものを叩きつけられたらしく、表面の皮肉が激しく抉れ、骨すらのぞいている。

 もう一匹のほうはと言えば、もはやかつてそれがかろうじて獣だったであろうことが、かろうじて解るという程度までに、完全に爆散させられていた。爆発と同時に、余程強烈な衝撃を受けなければ、こうはなるまい。

 

「……」

 

 聖堂街で見かけた、大男達の死体に見えた痕跡と、全く同じものであり、この旧市街への道中でも、やはり同じようにして斃された黒獣の屍をほむらは目撃している。

 三人組の狩人たち。どうやら、あの警告文を破って、この旧市街に先に乗り込んだのは、この謎めいた連中で間違いがなさそうだ。

 果たして、敵か、味方か。

 いずれにせよ、この残虐極まる手口から、血に酔った連中であることだけは確かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遮るもの何一つ、誰一人ない道を、独り進む。

 道すがら出くわすのは、既に見慣れた手口で斃された獣の死骸ばかりで、生きている姿にはまるでお目にかかれない。それは好ましいことではある一方、恐ろしいことでもある。正体不明の狩人三人組が、敵に回った場合想定される脅威の度合いが、留まることを知らず肥大化し続けているのだから。

 一層強い悪臭を放つ黒煙の傍らを――よく見れば燃えているのは薪ではなく、積み重ねられた死骸の山だ――通り過ぎながら、道なりに、下へ下へと、より谷底へとほむらは降りていく。

 階段をくだり、暗い屋根の下を抜け、壺の立ち並ぶ、屋根破れた広間を通り、手すりもない危ない橋を通れば、さらなる開いた扉の奥へと足を踏み入れる。

 入って右を見れば、すぐに次の出口が見つかった。ほむらの身の丈二倍はありそうな大獣――の亡骸を避けて進めば、今までのなかで一番煙と悪臭に溢れた場所にでた。

 積み重ねられた死骸が燃え、さらに獣の躯が覆いかぶさって、臭いは覆面越しにも耐え難いほどだった。

 街路樹めいた立木の横を抜ければ、木の足場へと繋がっていた。足場は下り坂状になっており、途中で二手に分かれ、一方は上り、もう一方は下りだが、一見して下りのほうがより先へと通じていそうである。それにしても、いったいこの街はどこまで下れば良いのだろうか。

 そんなことを思いながら、ほむらは足場へと踏み出し、その半ばまでを下った。

 

 その時で、あった。

 

『――貴公』

「!?」

 

 不意に背後より呼ばれ、ほむらは前へ振り返りながら跳び、着地した時には既に盾を翳し、ノコギリ槍を構え終えていた。その反応速度は素晴らしいものであったが、しかし幸いにも飛んできたのは声のみで、襲いかかる影はひとつもない。

 

「貴公、狩人か……ならば、頼みたいことがある」

 

 硬質な、太い男の声だった。

 だがほむらのより鋭くなった聴覚は、確かに捉えている。本来は力強いものであったろう男の声が、掠れと震えを帯びていることを。それは傷を、それも深手を負った者特有の声であった。

 

「……」

 

 ほむらは敢えて言葉では応えず、ノコギリ槍を構えたまま声のほうへと歩み寄る。

 足場の分岐点、そこからのびた上り階段を進めば、相変わらず薪のように燃える死体の煙に溢れた、天に掌突き出す像並ぶ踊り場へと出た。

 

「貴公は……まだ狂ってはいないようだな。僥倖だ……まだ、希望はあったようだ」

 

 声の主は、煙の向こう側にいるらしい。

 死体の山を踏み越えれば、手すりに背中を預け、座り込んだ()()に出会った。

 狩人とほむらは断定したのは、男の出で立ちがあからさまに狩人だったからである。

 

 端のささくれ立った、どこか狼を思わせる帽子。

 

 血を避けるためなのだろう、灰に塗れた、灰色の狩装束。

 

 力の抜けた左掌の上にのっかった、獣狩りの散弾銃。

 

 そして右手に備わった、異形の仕掛け武器。ほむらが今まで一度も眼にしたことがないような、異形の武器。

 ――杭打機、とでも評すれば良いのだろうか。太く鋭く、銛のような杭と、それを打ち出すためであろう見るからに複雑そうな装置の二つから成っている。一見して、扱うのが容易でないのは解る。

 

 そんな武器を得物とする男だけに、歴戦の古狩人であろうことは明らかだった。貫禄に溢れた佇まいも、それを証明している。

 しかし――。

 

「血は、挿れたのかしら?」

「既にな……だが見ての通り、気休めにしかならんよ」

 

 ――その腹部へと斜めに走った裂傷は、どう見ても致命の一撃であった。

 頑丈であるはずの狩装束すらも、バックリと裂ける衝撃だ。標的が狩人と言えど、血肉を爆ぜ飛ばすには充分であったろう。

 

「……もしかして、相手は三人組の狩人達?」

「ほう……知っていたのか」

「直接、会ったことはないけれど……連中の痕跡なら嫌というほど見たわ」

「だろうな……相対すれば、そう無事では済むまいよ」

 

 脂汗を浮かべながら、灰色の古狩人は苦笑した。

 ささくれだった狩帽子で目元を隠しているため、ほむらから見えるのは黒い髪の毛と顔の下半分だけだが、それでも頬に刻まれた深い皺や、灰色がかった髪の色などから、ゲールマンほどではないにしても相当な古狩人であることは解った。

 

「あれは……普通の狩人ではない。血に酔い、獣を追い、そして悪夢に去っていった……正真正銘の古狩人たちだ。もうずっと、前の時代の。……だが奴らは悪夢に囚われ…… その中を永遠に彷徨っている、そう聞いたのだがな。……どうして、迷い出てきたものか」

「……」

 

 灰色の古狩人の話す内容を、ほむらは完全には理解できなかった。

 それは彼女がまだヤーナムで夢見、目覚めたばかりの少女狩人であり、古狩人の時代を知らない故だ。

 

「……とにかく、マズい連中がうろついている、という訳ね」

「そうだ。私の仲間がまず挑んだが、返り討ちにあった。そして私も……何とかその場で狩られることだけは避けたが……最後に貰った傷が、少々深すぎたようだ」

 

 それでも、現状を理解するには充分だった。

 

「同じ狩人同士とはいえ……私はもはや、()()()でしかない。独りで相手するには、少々荷が重すぎた」

 

 灰色の元狩人は自嘲気味に言うが、ほむらは逆にこの男の力量を、その何気ない言葉から感じ取っていた。

 ここに至るまでの無数の獣を、一方的に虐殺してきたと思しき三狩人を相手取り、独り逃げ延びたのである。それは、只者に出来ることではなかった。

 

「貴公……出会って早々で悪いが、頼みがある」

「なにかしら」

 

 何を頼まれるかは、薄々察しがついたが、敢えてほむらは訊いた。

 

「あの、血に酔った古狩人達を、狩ってほしい。私にはもう、果たせぬことだ」

 

 灰色の元狩人から出た言葉は、まさしく予想の通りであった。

 

「狩人狩りなど、忌まわしいばかり……それを承知で、敢えて頼む。あれは、見過ごしてはならんものだ」

「……わかったわ」

 

 ほむらは頷いた。無論、善意からではなく、危険で狂った狩人を、放置するのは得策では無いと考えたが為だ。

 

「でも、あなたが勝てなかった相手に、私が勝てるのかしら」

 

 当然の問いに、灰色の元狩人は呻きながら頷く。

 

「貴公、夢を見るのだろう? かつての私と同じように。その月の香が何よりの証拠だ」

「……」

 

 この男も、何かほむらの知らないことであり、同時に知りたいと願うことについて通じているようである。

 だが、委細を問うのは無理であろう。元狩人の顔には、あからさまな死相が浮かび始めていた。

 

「……これは、後輩への餞別さ。いずれにしろ、私にはもう不要なものだからな」

 

 灰色の元狩人が、震える手で手渡したものを、ほむらは受け取った。

 それは首飾りであり、小さなガラス瓶に、粒状にした黒色火薬を詰めたものへと鎖を繋いだものと見えた。

 

 ――『火薬の狩人証』。

 

「水盆の使者たちに見せると良い……きっと、応えて、くれる、は、ず、だ……」

 

 灰色の元狩人は血反吐を撒き散らした。

 ひと通り咳き込んだ後、最後の力を振り絞ったのか、淀み一つなく言い尽くした。

 

「……すぐ近くに、上に登る梯子がある。塔の最上階に向かい、私の置き土産を、取りに行くと良い。あるいは貴公の役立つかもしれん」

 

 そして、再度血を吐き咳き込んだ。

 終わりの、時なのだ。

 

「夢見るは一夜……悔いの――」

 

 

 灰色の古狩人は、途中で言葉を途切れさせ、そのまま俯き、動かなくなった。

 その体が、青緑色の光に包まれたかと思えば、花が散るように、光の粒が散り、跡形もなく消え失せたのだった。

 

「……」

 

 ほむらは、古狩人が失せた痕を見つめながら、ふと気がついた。

 あの灰色の古狩人の、名前を聞きそびれたことを。そしてもう、聞くことはできないのだ。

 ほむらは遺言に従って踵を返し、塔を登る梯子を目指した。

 

 その掌に名も告げず去った古狩人――古狩人デュラ――の狩人証を握り込みながら。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古狩人の助言に従い、二つの長梯子を登りきれば、時計塔の屋上についた。

 ヤーナムの高層建築の多くに言えることだが、何故か手摺はなく、危なっかしいことこの上ない。

 

「あれは――」

 

 しかし暁美ほむらの注意を惹くのは、そういった事実ではない。

 手摺もない時計塔屋上外周の一角に、設けられた一つの銃座。そこに備わった一座の銃砲。

 

「ガトリング砲!?」

 

 ほむらが驚き言ったその通りに、銃座に鎮座しているのは、ハンドルがついた回転式機関砲。

 デュラの三人の仲間、最も若い一人が手持ちできるよう無理矢理に改造したものの、改造前の姿。

 それが今、ほむらの前に現れたのだった。

 

 

 



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chapter.27『血に酔った狩人の瞳』

 

 

 

 

 ――獣のむくろが、うず高く、山をなしている。

 

 

 

 燃える大きな獣が、ひどく高い天井より鎖で吊るされた大広間の真ん中に、まだ()()()死骸が数多く積み重ねられているのである。切り裂かれ、叩き潰され、爆ぜ燃えた死体からは鮮血が滴り落ち、石床の上に血の池と血の川とをがひろげていた。

 赤が、鮮血の赤色が、炎に照らされて煌々と輝いている。悪臭が、燃える肉と錆びた鉄と穢れた汚物の臭いが、これほどの広間にも関わらず息つまる程に充満している。

 

「……」

 

 ほむらは、殆ど無感動にそれらを見つめた。既に、こうした地獄は見馴れたものになっているのだから。

 ヤーナムでも、そして見滝原でも。ワルプルギスの通った後は、等しく惨憺たるモノゆえに。

 デュラの塔を降り、先を進んでさらに階段を下って下って下ったほむらを待っていたのは、下ったぶんの高さを誇る大天井と、大天井から吊り下がった燃える大獣に、広い床の上に積み上がった獣共の死体の山だった。

 

(感じ取れるのは……獣の血の臭いばかり)

 

 今のほむらの嗅覚ならば、この鼻を突くほどに充満する血の臭いのなかの、その微かな違いすら感じ取ることが出来る。しかし漂っているのは吐き気催す獣の血の臭気ばかりで、それ以外のものはまるで感じ取れない。つまりこの屍の山をつくった下手人達は、一滴の血も垂らしてはいないということなのだ。げに恐ろしきは、古狩人を討った古狩人三羽烏。いったいどれ程の力量を持つというのだろうか。

 

「……」

 

 されど暁美ほむらは意に介すること無く先を目指す。

 目指す先に何が待とうと、ほむらの為すべきことは変わらない。

 聖杯を得る。狩りを全うするために。

 狩りを全うする。青ざめた血に相まみえ、悪夢を破るために。

 青ざめた血を求める、この獣の街を脱し、見滝原へと戻るために。

 見滝原に戻る、鹿目まどかを救うために。

 暁美ほむらは振り返らず、ただただ前へと歩み続けるのだ。

 

 

 道なりに進めば、薄暗い辻へと出た。

 道は正面と左に延びている。

 そこで、黒獣の死骸二つと、狩人の亡骸に出くわした。

 

 ――壁を背にして、血溜まりに腰を沈めている。

 

 黒いフードに、濡れたようなマントの狩装束。

 デュラがそうだったように、腹に追った深い深い致命傷。

 半ばでへし折れ、打ち捨てられたノコギリ槍。そしてその左手に握られているのは――。

 

(……ここにも)

 

 つい先程、自分が回収したばかりのモノと、同じものが死せる狩人の左手に握られている。

 ガトリング砲。それも、古狩人デュラに託されたものと違い、無理やり片手用に改造されたと思しき代物だ。

 残念ながら、既に壊れているのは見るからに明らかである。しかし、装填された水銀弾のほうはどうか。

 

「やっぱり」 

 

 想像通り、弾丸のほうは無事であった。

 ほむらは目を閉じて短く黙礼を告げたあと、放たれることもなかった弾丸の数々を受け継ぎ、盾の中へと仕舞い込んだ。恐らくは、彼が狙っていたであろうモノを狩るために。

 

 ――それは狩人の有り様である。すなわち血の遺志を継ぐ者だ。

 

 ほむらは知らぬが、死せる狩人はデュラの仲間であった。仲間の内、もっとも若い独りであった。

 悪夢に囚われ、それでもなお獣と化した人々のために戦った狩人より、ほむらは継承する。

 この、忌まわしい夜を明けさせる為に。

 

 

 

 

 

 

 まっすぐの道は、大扉に阻まれて進むことはできなかった。だとすれば左に向かうしか無い。

 そこを進めば、燃える獣の磔が、林のごとく地面から生えている様に出くわした。

 その向こうには、何やら教会めいたものが見える。

 

「……これは」

 

 教会の入り口の前には、ズタズタにされた大きな獣の死体が転がっているのもだ。

 灰色の血に塗れた獣は、手足を切り裂かれ、長い牙の生えた相貌は、生きていればあり得ぬ方向を向いていた。あからさまに、首の骨がへし折られている。

 

 ――古くはトゥメルの時代に生まれ、灰血病の時代、古狩人の時代を経ても尚、生き続けた血に渇いた獣。

 

 ほむらはそれを知らぬが、しかし目の前に横たわった骸が、ただならぬ獣のものであることは即座に理解できた。

 細長い鉤爪の生え備わる右手は半ばで斬り落とされ、左足は焼け焦げているばかりか殆ど肉は裂け骨は砕け、ほとんど千切れかかっていた。

 例の三人組の仕業だ。やはり、辺りに漂うのは獣血の臭気ばかり。連中の流した血は一滴もないのは、明らかである。

 

「……」

 

 最早、進むべき先は古びた教会と思しき建物しかない。その扉は、既に開け放たれている。

 ほむらは意を決して、足を前へと踏み出した。ただし、気配を消した、忍び足で。

 

 

 踏み込んだのは、ほむらは知らないが、『聖杯教会』と呼ばれるいにしえの伽藍であった。

 あらゆるものが古び、朽ちつつある、かつての神の社。

 敷石はずれ、歪み、オウトツを成し、隙間からは草すら生えている。

 表面のあちこちが欠けた円柱が、縦二列に幾本も連なる、細長い構造をしている。いわゆる、バシリカ形式というやつだ。

 細長いバシリカの奥には、古びた祭壇が見えた。

 

 ――同時に、祭壇の前に集った、三人の古狩人の姿も。

 

 ほむは太い円柱の陰に、身を隠した。

 まだ距離があるためか、古狩人達に気づかれた様子はない。

 

「……」

 

 物陰から、静かに探る。

 

(……やはり数は3)

 

 ここに至るまでに嫌という程見せられた獣の死骸や、灰狼の狩人の証言から相手の数は既に解っていた。

 しかし、実は姿を隠した四人目が、伏兵がいないという保証もなかったのだ。その可能性は、今ようやく失くなった。

 

(それにしても……)

 

 実際に見れば、あれほどの所業をやってのけたのも納得な連中である。

 薄汚れ、所々朽ちた、古臭い狩装束に身を包み、ともすれば乞食のように見窄らしく映ってもおかしくはないその姿は、全身には満ち溢れた殺気と威容故に、まるでそうとは見せない。手にした得物も、ことごとく血まみれで、肉がこびり付いているのだ。

 

 あるいは三日月状の湾曲する大刃を畳まれた、一見ノコギリ槍にも似た形の曲刀。

 あるいは硬い獣肉をすら断ち切るであろう、キザキザ生えた分厚い鉄の鉈。

 あるいは何故か撃鉄のようなものが備わった、殺意が具現化したかのような巨大な金槌。

 

 一人目は、庇の小さな帽子に、短い裾の爛れたケープを負った狩装束。

 二人目は、庇の大きな帽子に、裏地の赤も鮮やかなロングコートの狩装束。

 三人目は、冗談のような大きさの大トップハットに、コートにマントの仰々しい狩装束。

 

 一人目は、左手に何も持たず。

 二人目は獣狩りの散弾銃を。

 三人目は燃える獣狩りの松明を、それぞれ携えていた。

 

 三人の古狩人達はほむらに監視されているとも知らず、無防備な背中を向けて、全員祭壇へと向き合っていた。何やらゴソゴソと、祭壇に向き合って、妖しげな動きを見せていた。

 

「……」

 

 ほむらは砂時計の盾の時間停止を駆使し、少しづつ一本ずつ、柱の陰を移動し、前へ前へと進む。

 足音ひとつない移動に、三人の古狩人も気づいた様子はない。

 ほむらは、より間近で、三人の様子を探ることができた。

 だからこそ、見ることができた。

 

「!?」

 

 声もなく驚愕すれば、見えたものはなんであろう、右手に曲刀を構えた狩人が、空いた左手で何かを握りしめ、掲げているではないか。それは、どう見ても、金属で作られた杯と見えた。

 

 ――『聖杯』。

 間違いない。色は鈍くくすみ、あからさまに古びた姿だが、見る人の眼を惹き付ける妖気が漂っている。

 渡すわけには、いかない。狩りを全うし、悪夢を破るためには。

 

 ほむらは、盾を廻し、砂時計を止める。

 同時に、時間が止まり、その中で動きうる者はただ暁美ほむらだけとなる。

 

 狩人の力を全て込めて、地面を蹴り飛ばして跳ぶ。

 向かう先は円柱の一つで、ちょうど三角跳びの要領で、柱の表面を踏み台に、さらにさらに宙へと飛び上がる。

 ほむらは古狩人の一人、右手に曲刀を、左手に聖杯を持った男の頭上へと至った。

 

 ちょうど、時間停止の限界が来る頃合いだ。

 ほむらは、ノコギリ槍の仕掛けを動かし、刃を展開し槍状とした。両手で構え、ギザギザの刃を古狩人の左腕へと向ける。時間が再始動すると同時に、自分の体は落下を開始する。その勢いで古狩人の左腕を切断し、泣き別れの腕ごと聖杯を奪取する。これが、ほむらの思い描いていた絵図。 

 

 果たして砂時計は戻り、時の砂は再び落ち始める。

 同時に、ほむらの体もまた重力に従って落下を開始する。

 

 全くの不意討ち。

 常ならば、この攻撃を避けることなど不可能である。

 ああ、いったい誰が、音もなく気配もなく肉薄した相手の、それも意識の普段向かぬ直上からの攻撃を避けることなどできようか。常ならば――。

 

「っ!?」

 

 ――不可避のはずの一撃は、空を切った。

 ノコギリ槍の刃は、虚しく石畳をたたき、鋭い切っ先に石片が四方へ散る。

 

 標的の古狩人は、十メートル近く離れた場所に居た。

 目測を誤った訳ではない。狙いを間違えた訳でもない。

 古狩人は、ほむらのノコギリ槍がその身に触れる一瞬前、ほんの一瞬前に、その姿を掻き消したのだ。

 

(時間停止!?)

 

 ほむらは真っ先にそのことを疑ったが、即座に違うと気がついた。

 何故ならば、彼女の網膜は確かに、地面を蹴り飛ばして後方へと跳ぶ古狩人の残像を留めていたからだ。

 すなわち、恐ろしいほどの加速。残像すら残るほどの加速。

 それは恐ろしく厄介だった。狩人としての力量が、単純に段違いであることの証左に他ならないのだから。

 

『Bloooood!』

『Beaaaaasts!』

 

 左右二人の古狩人が、その間に現れたほむらへと得物を振るう。

 迫る鉄塊二つに対して、ほむらは時を止める暇もなき故に、身を沈め、転がるようにして何とか逃れる。

 迫る追撃には、盾より出した火炎瓶で応じ、燃え盛る炎を囮に、ほむらはさらにまろび距離を取った。転がる勢いで立ち上がれば、一列を成し、殺気も剥き出しに歩み寄る三古狩人の姿が見えた。

 

 

 ――『悪夢の古狩人』

 ――『悪夢の古狩人』

 ――『悪夢の古狩人』

 

 

 瞳の溶けた、血走って煌々と輝く真紅の双眸をほむらへと向け、獣じみた臭い息を吐きながら狩人達は迫る。 恐らくは、ほむらに姿も獣としか見えていないのであろう。その姿、その気配から血に酔い、狩りに呑まれたのは明らかであった。

 

 ――不意討ちは失敗した。

 ならば正面切って戦う他あるまい。

 

 ほむらは改めて、迫る強敵へとノコギリ槍を構えるのだった。

 

 

 




オリジナルボス戦
狩人の悪夢の赤目狩人達と同時に戦います
ちょうどヤーナムの影戦みたいな感じです


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chapter.28『ローゲリウスの車輪』

 

 

 

 

 ほむらはジリジリと迫る古狩人達の姿を、正面から観察し直した。

 特に、それぞれの得物に彼女は注目する。狩装束に関して言えば、三人共ほむらのものとは意匠こそ違えども、機能という面では明らかに同一だからだ。つまり頑丈ではあっても堅固ではなく、防御力よりもむしろ速度を重視した造りになっているということ。身を以て知っているが故に、これらを見る必要性はない。重要なのは、連中の武器なのである。

 

(……どれも、まだ見たことがない仕掛け武器のようね)

 

 折り畳まれた時のノコギリ槍に似た、しかし刃は鋭く真っ直ぐな湾曲を描く曲刀。

 分厚く、みるからに凶悪このうえない、ギザギザの生えた鉄の大鉈。

 撃鉄状の機構を有する、作り手の殺意をあらわな大金槌。

 既に、それらによって積み上げられた犠牲者達こそ見飽きているが、それらが実際に動く様は全くの未知だ。

 時間停止があるが為に、ある程度()()()()()戦いがほむらには可能。ならば最初は敢えて見に廻る。動きの素早い狩人同士の戦いならば、本来は悪手のこの戦法、ほむらにとっては容易い有効打となる。

 

(飛び道具は真ん中の散弾銃だけ)

 

 これはほむらにとっては幸いな状況だ。元より、ほむらが得意とするのは中距離から遠距離での戦い。狩人になってからは得物の都合から白兵戦に興じてきたが、新たなる()()を継承した今、よりかつての戦い方に近いものが可能になった。ならば、時間停止と同時に連なった柱を利用し、相手を翻弄しつつ射撃戦を展開するのみ。

 それが、ほむらの弾き出した算段。

 機を見て、盾のうちより新たなる得物を抜き放つ――そのつもりであった。

 

『You filthy beast!』

 

 真ん中の古狩人が、雄叫びと共に()()()を起動する。

 一個の鉄塊と見えた大鉈に亀裂が走り、一瞬、それが鞭のように撓って伸びたのだ。

 

 ほむらは、そのギミックに見覚えがあった。

 少女狩人としての、巴マミの得物。時に鋼の杖に、時には(くろがね)の鞭と化す、変幻自在の仕込み杖。

 ただし眼の前の古狩人が手にしているのは、洗練とも様式美とも程遠い、無骨極まる大質量体。

 

『Diiiiiiiiiiie!』

 

 黒い血しぶきのようなものを撒き散らしながら、古狩人は分厚い鉄塊の鞭を振るった。

 ほむらの予想を遥かに凌ぐ間合いのそれが、小さな体へと叩きつけられる寸前に、僅かに右へと後ずさることにより避ける。激しい打撃に石床が砕かれ、散弾銃のように破片が飛び散り、狩装束の硬い表面を霰のように打つ。

 すぐさま古狩人は大鞭を振り戻し、第二撃をほむらへと叩き込む構えだ。そうはさせまじと、ほむらは短銃を抜き撃ちにしながら、地面を蹴ってさらに十歩ほど後退する。

 

 ほむらは退きながら納得していた。

 伊達に古狩人が三人組んでいるのではない。揃って近接戦闘型と見たのはとんだ早合点だった。

 あの真ん中の古狩人が鞭と散弾銃で遠距離中距離の間合いを制す。それと連携して動くのは――。

 

(きた!)

 

 曲刀の古狩人と、大金槌の古狩人が、同時に駆け出す。

 左右からの同時攻撃か、あるいは。

 

(速度差を生かしての連続攻撃!)

 

 連中が仕掛けてきたのは後者であった。

 曲刀狩人の姿がぶれたかと思えば、瞬く間に、いや瞬く以上の速さでほむらへと肉薄している。

 咄嗟に盾を構えれば、斬り上げられる一撃がその表面を撫で、鋭い刃が火花を散らせる。

 

「ッ!?」

 

 強い衝撃に、眼の上にまで火花が咲きそうな勢いであった。

 だが血の遺志を力とし、より強くなった今のほむらの膂力ならば、古狩人の一撃すらも何とか受け止めた。

 続く左右の連撃も、僅かに腕を動かすことでことごとく防ぎ、逸らす。防ぎ、逸しながら、反撃の機を窺う。

 

(今!)

 

 ほむらは相手の一撃に合わせて盾を振るい、逆にその体勢を崩さんと試みた。

 しかし――逆にほむらの盾のほうが空を切り、勢い余ってたたら踏む。

 相手は、例の謎めいた高速移動で素早く退いていたのだ。彼が退くのと入れ替わりに、ほむらへと猛進するもの一人。

 

『Booooooooom!!!!!!!!!!』

 

 大金槌の古狩人だ。左手の松明は炎の尾を引き、右手の大金槌は火の粉を撒き散らし紅に輝いている。

 

(撃鉄が!?)

 

 例の、謎めいた撃鉄が起こされている。露わになった炉には真っ赤な火が灯っている。

 道中で散々見た、爆発に砕かれた屍の数々――その訳を、ほむらは今知った。

 

 古狩人が跳び、燃える金槌が振りかぶられる。

 体勢を崩したほむらには、それを避けるすべはない。がら空きの頭へと目掛け、大金槌は振り下ろされ――そのまま虚空を突き破り、地面にぶつかって、爆発で大穴を穿つ。

 

「……危なかった」

 

 すり抜けた手応えと、見失った獲物の姿に、周りを見回す古狩人達の姿を柱の陰から見ながら、思わずほむらは呟いていた。ぎりぎり時間停止が間に合ったが、流石に反撃する暇もなかった。流石は古狩人といった所か、血に酔い狂い果てたとしても、狩りの感覚は失ってはいない。流れるような、見事な連携だ。

 

(あの連携を崩さない限り、勝機はないわね)

 

 だが問題は、最初に狙うべきは三人の内の誰かということだ。

 曲刀の古狩人は例の妙な加速があって奇襲は難しい。

 爆ぜる金槌の狩人は、その攻撃は恐ろしいが、見る限り戦闘スタイルは直線的で、搦手を得意とするほむらにはむしろ与しやすいと見える。

 だとすれば――。

 

「……」

 

 ほむらは、ノコギリ槍を腰元のベルトに括り付けると、盾のなかへと拳を差し入れ、例のものを掴みだした。

 左手で取っ手を握り、右手でハンドルを握りながら、柱の陰から姿をあらわす。

 

「喰らいなさい」

 

 一斉に赤い視線を向けてくる古狩人たちへと、ほむらは言い放つと同時に、右手でハンドルを廻した。

 束ねられた四本の銃身が回転し、矢継ぎ早に銃弾を吐き出していく。

 灼ける火線が空気を焦がし、途切れること無く駆け抜ける。

 

 ――古狩人デュラが旧市街で用いた設置型機関砲。

 助言に従いほむらは、それを弾倉ごと引っ剥がして、盾の中へと入れて持ってきたのである。

 

 ヤーナムで用いられる他のどの銃砲にも出せぬ圧倒的連射力で弾幕を張る。

 ほむらから見れば旧式に類する手動回転式機関銃であり、どうしても両手が塞がってしまうのが難点ではあるが、この卓越した火力を思えば、そんな欠点は些事にすぎない。

 歴戦の古狩人達ですら、この猛烈なる射撃を前にすれば、物陰に身を隠し、ただ凌ぐしかない。

 三人の古狩人は左右へと各々跳んで、柱の陰へと逃れる。右に二人、左に一人と、分断された形だ。

 

 ――それこそが、ほむらの狙い。

 

(かかった!)

 

 目論見通り、一人分断されたのは例の鞭鉈持ちの古狩人だ。

 唯一の飛び道具持ちであり、遠距離を攻撃する術を持った相手だ。この男さえ仕留めれば、あとの二人の相手はより容易に進められる筈。

 ほむらは即座にガトリング銃を格納すると、古狩人たちが動き出す前に時を止めた。

 不動なる世界のなかを駆け抜け、標的の背後に廻ると同時に、右手にノコギリ槍を構えながら、左手で短銃を抜き放つ。引き金を弾くと同時に、再度地を蹴る。銃弾は相手へと命中する直前で、縫い留められたように空中で静止し、先に放たれた銃弾へとほむらの体が追いつく。

 

 そこで、砂時計が元に戻った。

 

『Gha!?』

 

 動き出した銃弾に不意を撃たれ、古狩人の背中は無防備となる。

 そんな背中に、鋭いノコギリ槍の尖端が突き刺さり、そのまま肉を貫き、腹を破って反対側に抜ける。

 

『Ahaaaaaaaa……――』

 

 ほむらが捻りを加えれば、内臓をノコギリに切り刻まれ、古狩人は覆面の隙間から血反吐を漏らした。

 背を蹴り飛ばし、勢いで刃を引き抜けば、断末魔をあげつつ古狩人は青い霞となって消え失せる。

 これで一人。残りは二人。

 

『More blood!』

 

 仲間を斃されたからといって、怯むような連中でもない。

 大金槌の狩人は、その肩で撃鉄を起こせば、新たなる火を炉で灯し、即座に攻撃の態勢をとった。

 ほむらは慌てることもなく、盾を廻し、時間を停止させる。時空を歪ます魔法が生み出す、無限大の空隙(ポケット)に手を突っ込めば、目当てのものが幾つも出てくる。

 それらを同時に投げつければ、銃弾同様、標的の間近で動きを止めた。

 盾が、逆方向に廻る。静止していた飛来物も、再び動きを取り戻す。

 

『!?』

 

 それは、幾つもの火炎瓶であった。

 大金槌の狩人へと次々と衝突し、割れ、内容物をぶち撒ける。

 狩装束は頑丈故に、この程度の衝撃で古狩人の体が傷つく筈もない。

 しかし撒き散らされた内容物、可燃性の液体は、燃える炉にまで、松明にまで飛び散ったのだ。

 

 かくして一人の古狩人が、一個の篝火と化す。

 絶叫し、もがき苦しみながらも、得物を手放さないのは、流石は古狩人。

 しかし狩人同士の動きは素早い、身を焼く炎に気を取られ、動きを止めたのが命取り。

 ほむらはよたび時間を止めれば、その間にガトリング銃を取り出す。時間の限界いっぱいまでハンドルを廻し、銃身を回転させ、銃弾を吐き出す。無数の水銀弾が、動きを止めた炎の前で勢揃いする。

 砂時計が戻れば、無数の銃弾は一斉に古狩人へと突き刺さった。

 狩人同士の戦いでは通常、銃撃は決定打となることは稀だ。しかし同時に数えきれない水銀弾を叩き込まれたとあれば、話は別だった。

 ズタズタに引き裂かれながら、古狩人は衝撃に壁へと叩きつけられ、その衝撃にその体は殆ど爆発四散する。

 火の粉舞い散る中、ほむらは黒髪の端を指先で跳ね上げる。

 

 残るは、一人。曲刀の古狩人だけだ。その血に赤く染まった瞳を、ほむらの紫の瞳が真っ向見据える。

 この奇妙な技を身に着けた古狩人だけは、時間停止を用いても一撃で斃すのは困難であろう。何故なら、この古狩人は時間が再始動した直後に、こちらの一撃を受ける前に見てから避けることが可能なのだから。

 

(ならば、時間停止中に、回避不能な四方からの攻撃を――)

 

 そこまで考えて、ほむらは考えを改めた。

 現状、一度に停止できる時間は魔法少女だった頃よりも短くなっている。

 完全包囲攻撃を完成させるには、時間が足りない。ならばどうする?

 

 攻めあぐねるほむらの前で、古狩人は仕掛けを起動して見せた。

 折り畳まれていた刃が展開され、巨大な曲刀へと姿を変える。

 恐らくはいかなる方向のいかなる間合いからの攻撃にも対応できるよう、自身の間合いを広くしたのだ。やはり血に酔ってはいても、古狩人にはかわりない。

 

「……」

『……』

 

 真っ向、見つめ合いながら、互いにじりじりと間合いを詰める。

 狩人同士らしからぬ、睨み合いであり、静かなる対峙。

 

 そんな奇妙な状況は、唐突に打ち破られる。

 

 古狩人の姿が、ぶれる。

 攻撃を予期し、ほむらは盾を構えるが、再び古狩人の姿が見えた時、それは遠のいてた。

 古狩人の予期せぬ動きへの疑念は、巨大な何かの飛来と、それが地面に打ち付けられた時の轟音により掻き消された。

 破片と共に砂埃が盛大に撒き散らされ、ほむらは思わず目をつむった。

 一瞬とは言え塞がれる視界を前に、盾を構えつつ後ずさり、古狩人の奇襲に備えるが、杞憂に終わる。恐らくは、相手もまた同様だったのだろう。晴れた砂埃の向こうで、さらに間合いを開いた姿が見えたのだ。

 謎の飛来物は落下の衝撃にさらに跳ね、落ち、跳ねるを繰り返し、廃教会最奥の祭壇に衝突して止まった。

 故にその正体が、初めてほむらにも解った。解ったからこそ、むしろ困惑した。

 

「……車輪?」

 

 そう、車輪だ。

 古めかしく、木と鉄でできた、ちょうど昔話の馬車の一部を為すような大車輪だ。

 車輪は酷く分厚く、その表面には何故か真ん中を走るように立て一直線の切り込みが刻まれていた。

 ちょうど、そこで車輪が二つに分かれでもするかのように。

 

「たぁぁぁぁぁぁっ!」

『!』

「!?」

 

 車輪が飛んできた方から、雄叫びが聞こえる。

 雄叫びといっても、それは若い少女のものであった。

 ほむらも、古狩人も声のほうを向けば、異形なる人影が、地面を強く大きく踏み鳴らし、勢いよく駆け寄ってくるのが見えた。

 

 この奇妙なる街、ヤーナムを基準にしてもなお、奇妙と言える姿だった。

 顔を包むのは、表面に絡み合う蔦蔓(つたかずら)の如き文様を浮かべた銀色の兜。しかもそれは覗き穴も見えず、その相貌を完全に覆っている。

 首元襟元には白いレース。金の刺繍の入った黒革の外套に、血のような赤地の上衣に脚衣。全くもって、この上なく貴族的な、同時にどこか退廃的な装束。両手を包むのは銀の手甲。両手に握られているのは、より奇妙なことにどうも日本刀と見えた。腰元には、その鞘も見える。

 

 相手を斬る前から既に刃に血を滴らせる長刀を、走る怪人は叫びとともに振り下ろす。

 狙いは曲刀の古狩人だが、例の奇妙な加速を使いもせず、軽く身をずらすことで一撃を避ける。

 怪人は意に介すること無く、刃で地面をたたきながら、その勢いでさらに奥へと駆けた。

 向かう先は、祭壇に突き刺さった車輪。そこに備わった取っ手を握り、駆ける力をそのまま込めて、一息に持ち上げ担ぎ上げる。例の日本刀は、左手にだらりとぶら下げられていた。

 

「――はっ!」

 

 怪人は古狩人のほうを見れば――顔の向きから、ほむらは推測した――仮面の下で鼻で嗤う。

 

「よく避けたと思うけどさぁ! 次はそうはいかないよ!」

「!?」

 

 顔は見えずとも、その声にほむらは聞き覚えがあった。

 彼女にとっては、あまりいい思い出が多いとは言いかねる、その声の主は。

 

「……美樹さやか」

 

 そう、彼女に他ならない。

 不意に呼ばれて、怪人は仮面を声の方に向け、ここで初めてほむらの姿に気づいたのか隠れても解る驚きを体全体に浮かべた。

 

「転校生じゃんか!? なんでここに!? てか、アンタも狩人ぉっ!?」

 

 それはこちらが聞きたいと、ほむらが思うのと同じ言葉を、仮面の怪人、美樹さやかは言ったのだ。

 

 

 

 

 




 
【Name】美樹さやか
【装備:頭部】カインの兜
【装備:胴体】騎士装束
【装備:腕部】カインの籠手
【装備:脚部】騎士の脚衣
【右手武器1】ローゲリウスの車輪
【右手武器2】なし
【左手武器1】千景
【左手武器2】なし
【所持アイテム】女王の肉片
【カレル文字】穢れ
【秘儀】???
【ソウルジェム発動】???



全狩人の夢、両手で二つの仕掛け武器持ち
ゲームシステム的には無理でも、文章媒体ならば可能なのです


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chapter.29『血の女王、アンナリーゼ』

 

 

 

 

 

 ――あたしって、ほんとバカ。

 

 それが少女、美樹さやかの人間――否、魔法少女としての最期の言葉になった。

 既にドス黒く穢れた、かつては空のように青かったソウルジェムは砕け散り、瞬く間に魔女の核、悲嘆の種子(グリーフシード)へと変化(へんげ)する。

 さやかの瞳は光を失い、その体は単なる抜け殻と化して力なく斃れ伏す。

 吹き荒れる魔力の、憤怒の、憎悪の、嫉妬の、悲哀の、そして絶望の奔流はあたかも嵐のようで、辺り一帯の何ものをも吹き飛ばしていく。

 

「さやかぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 それは魔法少女であろうとも例外ではない。

 別の時間軸においても、幾度となくさやかの死を見送ることになる赤毛の魔法少女、佐倉杏子もまた、濁流のように押し寄せる波動に、手摺に捕まってかろうじて吹き飛ばされるのを凌いでいるに過ぎない。

 彼女の呼び声は、決してさやかに届くことはない。何故ならば、美樹さやかは既に死んでいるのだから。

 

 さやかの魂は雲散霧消し、何処となく消え失せる。

 

 円環の理の働かぬこの時空においては、たださやかの魂はそうなる他、道はない。

 その筈である。

 その筈であった。

 

 消え伏せようとしてた魂は、渦巻く魔力の奔流のなか、ふと開いた時空の裂け目に触れる。

 その裏側に潜む、姿()()()()()()に触れる。

 

 ――かくして、運命の歯車は狂い始めたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へ――?」

 

 最初に覚えたのは浮遊感。自分の体が、宙に浮いているかのような感触。

 まだ霞む視界に映るのは、高い天井。石造りの天井。そこから吊り下がった豪奢なシャンデリア。

 だが、ただでさえ遠くに見えたそれらは、今や急速に遠ざかりつつある。

 

 そこで気がついた。

 自分は宙に浮いてなどいはしない。

 今たしかに、重力に従って落下しているのだ。

 

「っっっ!?」

 

 空中で、墜落に備えんと、身をよじろうとした時は既に遅かった。

 背中に衝撃が走ったかと思えば、肺を強打されて呼吸ができなくなる。

 息が止まり、息を吹き返す。息を吹き返したかと思えば、激痛が体中を走り回る。

 

「あががががががががががっ!?」

 

 落ちた先は石床であったらしい。

 カーペットらしきものが一枚間に挟まったとは言え、その程度で落下の衝撃を受け止められる筈もない。

 

「いだだだだだだイタイイタイタイタイ」 

 

 じたばたと床の上で藻掻き、呻き、ごろごろと転がる。 

 痛みがおさまるまでには、かなりの時間を要した。

 真紅のカーペットの上で大の字になり、荒い息を何度も吐きながら、何とか混乱した意識を整える。

 

 現在地……不明。こんなお城みたいな場所に見覚えはない。

 ここに至った経緯……不明。まだ記憶が混乱していて、まるでここに来るまでの経緯が記憶にない。

 何もかもが意味不明で、理解不能だ。例えば、どうして自分が見滝原中学校の制服を着ているのかも解らない。登下校の途中に、ここへと迷い込んだのか? いや、そもそも自分は駅のホームで死んで――。

 

「……あ」

 

 そこで、美樹さやかの意識は完全に覚醒し、現状を思い出したのだ。

 まどかとの決別。ほむらのとの対峙。杏子との最期の会話。

 そして、自分は絶望し、確かに魔女となった。

 ヒトとしての自分は、確かにあそこで死んだ筈なのだ。

 

「……なんで?」

 

 さやかは遥か真上のシャンデリアを眺めながら、呆然として呟いた。

 記憶が戻っても、むしろ現状の意味不明さの度合いは一層悪化したのみだ。何故、自分は死んでない?

 

「……」

 

 ようやく体がマトモに動かせるレベルまでに痛みが失せたので、さやかは上体を起こし、自分の周囲を見回してみる。しかし真実が明らかになることもなく、怪訝がその相貌を満たすに留まった。

 全くもって自分には縁のなさそうな絢爛たる空間であると、さやかは思う。こういうのは仁美向けではないかとも。

 真紅のビロードの絨毯に、無数に立ち並ぶ男女の石像。そのどれもが高価であると見ただけで解る代物で、何となく恐縮してしまう。何度見ても豪華なシャンデリア。高い天井を持った、縦長の壮大なる空間。一方はどうやら階段になっているらしい。ならばもう一方はと見れば、見目麗しいステンドグラスを背にして二つ並んだ玉座が二つ。一方は空だが、もう一方は――。

 

「……え」

 

 さやかはようやく、ずっと自分のことを見つめていたらしい、玉座の上の人物の存在に気がついたのだ。

 いや、見つめていたかは定かではない。何故ならばその人物は、頭をすっぽり鉄の仮面で覆っているのだから。

 

 その人物は、手摺にもたれかかるような、けだるげな姿を見せていた。

 肩も露わなドレスは、周囲の調度の豪華さを思えば簡素なほどだが、しかし着る者の佇まい故か違和感もなく、むしろ際立った存在感を醸し出している。

 肌は血の気が失せているかと思うほどに青白く、長い髪は金糸めいた輝きを放っている。

 顔は仮面故に見ることはできないが、その体つきから察するに女性であるらしかった。

 

「……」

 

 生唾を飲み込み、意を決して、さやかは立ち上がって女性へとゆっくりと歩み寄った。

 その格好から考えるに、マトモな人間とも思えないが、しかし、この理解できない現状を理解するためには、ひとまず手近な誰かに聞くほかはない。問いたださねばならない。例えば――ここは地獄なのか天国なのか、とか。

 何故か何本もの燭台や、あるいは直接絨毯の上に置かれた太い蝋燭の間を抜けて、さやかは歩み寄る。

 

「……」

 

 目前にしてみると、女性の持つ威厳に圧倒されて、言葉が出てこない。仮面で顔を隠しているために視線が窺えないせいもあるが、こうして座っているだけでなんとも言えない威圧感を謎の女性は放っているのだ。ふと、さやかはお嬢様だった恋敵のことを思い出す。彼女ももまた、その生まれ良さからくる独特の雰囲気を持っていたが、あるいはあれを何万倍も強めれば、目の前の仮面の女性のようになるかもしれなかった。

 

「あの――」

 

 しかしこうして黙っていては事態は進展しない。

 ままよと、さやかは思い切って自ら声をかけようとした。

 

『無礼者』

 

 かけようとして、この一言で言葉を失った。

 静かな声。落ち着いた声。怒鳴られたわけでも脅されたわけでもない。

 にもかかわらず、さやかは圧倒された。これまでさやかが出会ってきた、いかなる種類の人間とも違う。何という威厳か。だがそれも当然だろう。魔法少女とは言えさやかはごくごく普通の女子中学生。正真正銘の王侯貴族と、一対一で会うことなどある筈もない。

 

『穢れとて、私は女王。礼儀を知らぬ獣風情に、賜う言葉など持っておらぬ』

 

 獣、とまで罵倒されているのに、さやかは腹を立てるどころかむしろ恐縮してしまった。

 まるで、怖い教師か両親に叱責でもされた時のような心持ちだ。いや、それらよりも遥かにひどい。

 何かとんでもないことをしでかしてしまったかのような、そんな感覚に、顔が青くなる。

 

『故なくばそのまま去り、あるいは、我が前に跪くがよい』

 

 ……そう言われた所で、いったいどうすべきというのか。さやかは混乱し、困惑する。

 去る、という選択肢はない。去ろうにも、どこに行けば良いのかすら解らないからだ。

 だからこの謎めいた女性に話しかけねばならないのだが、普通にやっても駄目そうなのは解りきっている。

 ならば、どうする?

 

(……跪く、跪く。跪く?)

 

 目の前の女性は、こんなお城みたいな凄い部屋に住んでいるからには大金持ちには違いない。

 仁美は気さくな性格だったし、恭介は幼馴染で気安い間柄だった。故に、さやかはセレブレティな方々向けの礼儀作法など知る機会もなかった。

 

「いやぁ、その、あのですね――」

 

 そのむねを、さやかは何とか伝えようと試みた。

 

『二度も言わせるか。礼儀を知らぬ獣風情に、賜う言葉など持っておらぬ』

 

 そしてにべもなく切り捨てられ、いよいよもって、さやかは進退極まった。

 立ち去るという選択肢は思い浮かばない。眼の前の怪しい女性の迫力に呑まれて、いったい彼女に何と返すべきか――そんなことばかりを考えてしまう。

 考えあぐねて、さやかは遂に、()()()()()()()()にすることにした。

 

「す――」

 

 さやかは両膝を、両掌を床につき、頭を垂れながら叫んだ。

 

「すいませんでしたぁ!」

 

 ――いわゆる、土下座である。

 お世辞にも勉強が出来る方とは言えないさやかだが、どうも跪くという言葉の意味を正しく理解しかねたらしい。

 

『……』

 

 さやかの頓珍漢な行動には、自称通り女王めいた佇まいの女性も、呆れ果てたのか言葉を無くしている。

 

『……愚か者』

 

『それは跪く、ではなく、ひれ伏す、であろう』

「え? あ、そうなんですか?」

 

 やはり素っ頓狂なさやかの応えに、女性はもはや溜息をつくほかはなかった。

 鉄仮面を通してなお伝わる、完全に呆れ返った女性の態度に、さやかは今度は赤面した。

 

『……左足は床につけたまま、右膝を立て、背をかがめるのだ』

 

 暫時、気まずい沈黙が流れた後に、女性は不意にさやかへと優しく説く。

 のそのそと、さやかは言うとおりにして姿勢を直し始めた。

 

『頭を垂れ、右手を水平に伸ばし、掌を広げ、天井へと向け給えよ』

 

 戸惑いながらも、さやかは指示された通りの格好を、ようやくつくることができた。

 そこで初めて、女性は口調を優しげなものへと変えて、さやかへと改めて語りかけ始めたのだ。

 

『貴公、訪問者。月の香り――はすれども、狩人ならざる道化者よ。私はアンナリーゼ。この城、カインハーストの女王』

 

 アンナリーゼ。

 それが彼女の名前

 

『さて、謎めいた訪問者よ。最早唯一となった血族の長、孤牢鉄面の虜たる私に、いったい何用かな?』

「……」

 

 問いに、さやかは答えない。

 答えられる筈もない。

 

「いや、その……そもそもですね」

 

 さやかは俯かせた顔に冷や汗を浮かべながら、愚かと思われるのを承知で敢えて言った。

 

「カインハースト、ってどこですか? 外国?」

『……』

 

 女王は、再度絶句した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『なるほど、貴公、訪問者と言うよりは放浪者……当て所なき異邦人というわけか』

 

 さやかが、訥々と語ったものを、ひと通り聞き終えた後、女王アンナリーゼは納得したように言った。

 

「その……信じてくれるんですか?」

『無論』

 

 さやかがおずおず訊けば、鉄面の女王は頷いた。

 

『貴公は、突如としてこの玉座の間にあらわれた。それは、今やあり得ぬことなのだ。あの教会の言うところの()()()が健在である限り、なんぴととて、ここに立ち入ることは叶わぬ。まるで夢幻のごとく、かの場へと直に現れでもせぬかぎり。果たして、貴公はそのようにしてここに来た。それも生身のまま。たとえ師ウィレームであったとて、そのような術は持ち合わせてはおらぬのだから』

「?」

 

 アンナリーゼの言葉の意味が、さやかにはよく解らない。

 解らないが、どうか納得してもらえたことだけは理解できた。

 

『――貴公、サヤカといったな』

 

 アンナリーゼは、ずいと身を玉座から乗り出し、さっきまでとは違う、どこか熱を帯びた声で言う。

 

『人にして人ならず……それど獣にも狩人にもあらざる者か……フフフ。これは、実に愉快だ』

 

 妖しげな声。

 普通ならば――特に今は、キュウべぇという詐欺師に騙されたばかりなのだ――警戒感を覚えてもおかしくない言葉にも、それを紡ぎ出す声色の魅惑に囚われ、警戒心を抱くこともできない。

 さやかは、何故か頬が赤くなるのを感じる。

 

『無為な夜にも倦んだというもの。……貴公』

 

 そして女王は決定的な言葉を告げる。

 

『穢れた我が血を啜り、我ら一族の呪いに列したまえよ』

 

 それは誘い。

 穢れた血族への誘い。

 教会の仇となり、血の病の隣人となることへの。

 あるいはそれは、インキュベーターとの契約にも似た、ヒトならざるモノへの片道切符。

 

「――」

 

 それでもさやかは、誘蛾燈に惹き寄せられるかのように、女王の足元へと歩み寄り、改めて跪く。

 

『啜りたまえ 穢れた血だ。故に貴公に熱かろう』

 

 言葉通り、温度に由来するモノとは異なる熱さが喉を満たし、体中に染み渡っていく感覚が走る。

 

『これで、サヤカは我が血族。今や私たち、たった2人ばかりだがな』

 

 かくして、契約は完了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 何故に、さやかは血族となったのか。

 何故に、アンナリーゼはさやかを血族としたのか。

 そのわけは、共に同じ。

 すなわち、『寂しさ』から来る行動。

 

 恋破れ、騙され、友と決別し、命すら投げ捨てた少女。

 一族全てを戮し、ただ独り無人の玉座に牢された女王。

 

 余りにも何もかもが違う二人も、ある一点で全く等しい。

 ――『孤独』であるという、その点においてだ。

 

 二人は半ば無意識的に惹かれ合い、そして新たな血族が生まれた。

 そのことが、何を意味するかも知らず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――おお、これは、カインハーストの印章!」

 

 

「 聞いたことがあります。かつてカインハーストの貴族どもは、こうした気取った、招待状を用いたと」

 

 

「素晴らしい! あなたに感謝します。ああ、これも、師の思し召しでしょうか! 血の加護に感謝を お互い、この街を清潔にいたしましょう――()()()殿()

 

 

 今や最後の処刑隊となった青年は、目の前で上品な笑みを浮かべる少女へと感謝の礼をした。

 その笑みの裏に、どんな思惑があるかも知らずに。

 

 

 

 



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chapter.30『廃城カインハースト』

 

 

 

 真っ暗な夜空の下。

 雪がしんしんと降り注ぐなか。

 

「どぉぉりゃぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 さやかは手にした細身の長剣を、裂帛の気合と共に突き出した。

 風切る切っ先の速度は殆ど弾丸のそれで、常人ならば避けるはおろか視認すら難しいであろう。

 だが――。

 

「って、また外した!?」

 

 ――さやかの一撃は空を切って、降り積もった雪を突き崩し、虚しくそれを四散させるばかり。

 標的は白雪を蹴り飛ばしながら、見た目通りの()()()()()()()で、後方へと跳び退いている。

 相手は素早い。すぐにでも、その長い腕の繰り出す素早い反撃が来るに違いない。

 

「くぅっ!」

 

 会心の突きを躱され、崩れる体勢。それを何とか立て直しながら、左手で腰元より短銃――銃身が細長く、まるで芸術品かのような細工が施された代物――を引き抜く。

 同時にさやかは、右手の得物に備わった、()()()()()()()()

 ガチリという金属音。長剣の剣身が可動し、横へと滑るようにずれ動く。かくして露わになったのは、隠されていた一門の銃口。ナックルガードの下に備わった、引き金には既に指がかかっている。

 左右二つの銃口を並べ、さやかは同時にそれらを撃ち放った。

 

 右手に持つは騎士剣と短銃とを組み合わせた、奇怪にして優美な仕掛け武器――『レイテルパラッシュ』。

 左手に持つは『エヴェリン』――女性の名を冠された、意匠にも凝った逸品たる銃。

 共に、かつてカインハーストの騎士たちの愛用した、獣狩りの道具たちであり、今や唯一の騎士となった美樹さやかの武器なのだ。

 

 古くから血を嗜んだカインハーストの貴族たちは、故に血の病の隣人である。

 獣の処理は、彼らの従僕たちの密かな役目であった。

 それは一族全てが戮し、女王が孤牢鉄面の虜となった今もなお、変わることはない。

 血族となったさやかに下された最初のつとめ。それは獣と化して城外を徘徊する、かつての貴族たちの成れの果てを処理すること。

 

「っ!? 外した!?」

 

 ならばこそさやかは今、寒風吹きすさぶ降雪下にて、異形の怪物、通称『血舐め』と対峙しているのだ。

 

「くそうっ! やっぱ銃は勝手が違う!」

 

 仕掛けを再起動し、レイテルパラッシュを通常の騎士剣モードへ戻す。

 エヴェリンを腰帯(サッシュ)へと差し込めば、柄を両手で握る。魔法少女時代の戦闘スタイルである。

 

 元より魔法少女としても技量も才能も高いとは言えないさやかである。

 慣れぬ大仰な服装に、慣れない装備。易々と戦える筈もない。

 

 アンナリーゼよりお仕着せられた騎士の装束も、まるで御伽噺の登場人物のさながらであり、懐古主義的で大袈裟である。往年の騎士たちであれば、それを獣の血に塗れた退廃芸術と嘯き、美と名誉を見出したかもしれない。しかし良くも悪くも普通の女子中学生のさやかからすれば、最初こそ豪奢な衣装に喜んだものの、いざ戦うとなれば動きにくいだけであった。

 

 ましてや相対する『血舐め』は、初心者狩人が相手取るには余りに厄介な獣なのである。

 

 蚤と人とを掛け合わせれば、あるいはこんなバケモノが生まれるのかもしれない。

 昆虫のように異様に長い手足をかさかさと動かし、雪の上を蠢く姿はおぞましく、顔を覆う白い長髪の裏側から蛇のような赤い舌がチロチロとのぞく。どれほどの血を吸ったのか、蚊のように大きく膨れ上がった腹部。その体の構造から、かろうじてかつては人であったことだけはさやかにも解った。

 

『――今や堕ちた、かつての同胞たちに。始末をつけるのだ、さやか』

 

 アンナリーゼの言葉が、脳裏で反芻する。

 さやかはレイテルパラッシュの柄を強く握りしめ、血舐めの隙を探る。

 巨体ながら、動きは素早い。しかし攻撃自体は直線的だ。うまい具合に初撃を躱し、横に回り込んで――。

 

「――って!?」

 

 攻撃の算段に意識をとられたさやかの隙を、逆に血舐めのほうが見逃さなかった。

 後ろ足で雪を蹴り飛ばし、蚤のようにジャンプして、一瞬で間合いを詰めてくる。

 逃れようとしたさやかに巨体が激突し、思い切り体が吹き飛ばされる。

 

「がぁっ!? このぉっ!」

 

 雪の絨毯のおかげで、着地時のダメージはさほどでもない。

 さやかは即座に立ち上がり、反撃を加えようとした。

 

「へ?」

 

 加えようとした所で、長い腕の横薙ぎがきた。

 獣の膂力で繰り出された一撃は、さやかの首元へと吸い込まれる。

 

 ――衝撃。

 

 さやかは、自分の首の骨が折れる音を聞いた。

 体は力を失い、意識は急速に遠のいていく。

 瞬く間に、目の前が真っ暗になって――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おわぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 ――さやかの体は、またも空中に投げ出された。

 受け身をとる時間もなく、そのまま背中から血の女王の間の床へと墜落する。

 

「あだぁっ!?」

 

 墜落の衝撃は背中や背骨のみならず、背筋を貫通し肺にまで至った。

 げほげほと咳き込むながら、赤い絨毯の上をゴロゴロと転がる。

 

『またか、さやか』

 

 そんな様を見てか、女王アンナリーゼは鉄面の下で深く溜息をつく。

 長い孤独に倦んだ女王には、最初こそ床に転げ落ちるさやかの様は愉快だったものの、こう何度も続けば流石に呆れのほうが勝ってきたようだ。しかしそれも当然で、さやか自身、もう何度目の墜落か、数えるのを止めた程なのだから。

 

 さやかが血舐めに殺されるのは、はじめてのことではない。

 既に何度と無く死に、死ぬたびにこの玉座へと戻ってきているのだ。

 

 ――『それは……その身に刻まれた、月のカレルがためであろう』

 

 アンナリーゼはその訳を、このように推測している。

 見滝原の制服から騎士装束へと着替える時にさやかが初めて気がついたのは、ちょうどへその辺り、魔法少女だったころにソウルジェムがあった場所に浮き上がった、奇怪な赤い紋様の存在だった。

 それは、さやかがこれまで見たことのない、不可思議な図像だった。

 先端を向け合う二つの三叉の間に、両者から串刺しにされるようにして目玉が置かれている、とでも言えばよいのだろうか。とかく、形容し難い奇妙極まりない図形なのは間違いがない。

 それを血の女王は、月のカレル、と呼んだ。

 

 ――『月は悪夢の上位者がしるし……フフフ』

 

 さやかの身に刻まれたしるしを見た時、アンナリーゼは妖しく笑って言ったものだった。

 

 ――『さやか、異邦人ににして我が血族よ。貴公との出会いは、あるいは僥倖であったかもしれん』

 

 長い夜、孤独に囚われた女王は当初、そうさやかに神秘的な期待を寄せていたものであった。

 だが、今や女王が鉄面の下に浮かべるのは、呆れに憐憫、嘲弄、そして不出来な血族への情愛であった。

 

『やれやれ……貴公。いったいいつになったら、最初のつとめを果たせるのやら』

「いやぁ……そのぉ……あははははははは」

 

 さやかは、立ち上上がりながら器用に跪き、女王に教えられた通りの礼法を守ってから言葉を返す。

 口調のほうはと言えば敬語ではないが、それはアンナリーゼが不要と言ったからである。

 使い慣れぬさやかのたどたどしい敬語に、血の女王は却って閉口させられたからだった。

 

『貴公。我が唯一の血族よ。カインハーストの名誉を余り穢してくれるなよ。穢れても我らは貴族なのだから』

「……はい」

 

 さやかは顔を伏せ、恐縮する他はない。

 舌に心臓を貫かれ、踏み潰され、叩きつけられ、死んでは戻り、死んでは戻り。

 最早、死の恐怖すら感じなくなっている自分に、恐怖と羞恥とを同時に感じているのだ。

 それでもなお、彼女は与えられた使命を果たさんとしている。

 

『だが……不出来とは言え、我が血族。騎士が騎士としてつとめを果たせるよう、手立てをなすが主の義務』

 

 それを知ってか、アンナリーゼは呆れを隠すこともなく、しかし温かみのある言葉と共にさやかを招き寄せる。

 

『得物を変えてみよ。さすれば、あるいは上手くいくやもしれん』

 

 血の女王は、玉座の傍らに立てかけられた一振りの剣を、差し出されたさやかの手のひらの上に載せた。

 それは、さやかには見覚えのある意匠をした得物であったのだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつ来ても降り止まぬ雪の下。

 いつ来ても変わらぬ夜空と満月とを背負い、さやかは玉座を後にする。

 振り返れば、もう女王の間は陰も形も見えない。

 いったいどういう技術なのか、夢幻に秘匿され階段は姿を消し、ただ塗り込められた壁のみが見えるのだ。

 

 血の女王が言うには『幻視の王冠』なくして、この幻影を破り、真実の姿を見ることは叶わぬらしい。その『幻視の王冠』は、かつてアンナリーゼを除く全ての血族を殺し尽くした狩人『ローゲリウス』が被ってるのだという。

 

 そして、さやかがその『ローゲリウス』の傍らを通るのも、既に数えきれない程の回数になっていた。

 

「よっす、お爺ちゃん」

『……』

 

 玉座に座り、俯き、干からびた老人へとさやかは冗談めかしてさやかは声を掛けるが、当然、何も返ってはこない。

 さやかはそれを気にすることもなく、老人の横を通り過ぎたのだ。

 老人は動き出すことも、立ち上がることもない。

 これもまた、いつも変わらざることであった。

 

 ローゲリウスが動かぬのは、既に幻が破られてしまい、今や滅するさやかを意味が無いと思っているのか。

 あるいは彼女が身にまとった月の香がゆえか。

 それはさやかはつゆ知らぬ事であり、知らぬが仏なのでもあった。

 

 

 

 

 

 ローゲリウスの座を後にし、階段を下り、自分でかけた縄梯子を登って屋根の上をつたい、古の落とし子たちに見送られ、カインの召使いたちが延々と床や壁を磨くのを横目に見ながら、亡霊たちの嘆き声の間を小走りに駆け抜ける。

 カインハーストは既に滅んだ地だ。ここにいるのは過去の残滓か、あるいは死人ばかりである。

 

 ――何と今の自分に、似つかわしい場所であろうことか。

 

 さやかは、そんなことを考えながら、歩く。

 

 裏切られた。 恋破れた。絶望し、友を傷つけた。そして――遂には、自分は死んだ。

 にも関わらず五体も満足に、命を拾った自分はここで二度目の生を歩んでいる。

 しかし、何度殺されようと、まるで夢のように蘇る今の自分のことが、さやかには()()()()()とは思えない。

 

「……まるで、ゾンビじゃん」

 

 誰に対するでもなく、呟く。

 そう、確かに今の自分は、ある意味では魔法少女だったころよりも遥かにゾンビらしい。

 

「まぁ……でも」

 

 ――ただ死んだままでいるよりは、ましか。

 そんな風に、思う。

 

 見滝原での経験は、ついこの間まで極々普通の女子中学生だったさやかにとっては、それまでの人生で築いてきた価値観を崩壊させるほどの深刻さをもっていた。

 だからであろうか。カインハーストでの異常な日々を、さやかは実にあっさりと、あっけらかんと受け入れることができていた。

 いや、むしろ愉しんでいると言っても良い。

 女王にかしずき、それに尽くす今の生活は、孤独を忘れさせてくれるのだ。

 今や自分は、唯一の血族。アンナリーゼの、ただ一人の騎士。

 故にさやかは、意気揚々と死地へと向けて歩むのだ。あるいは、血に、戦いに酔っているだけなのかもしれないが、今のさやかにはそれすら些末なことであった。

 

 

 

 

 エントランスを抜け、再び門前の岩場へとさやかは姿を現した。

 血舐め達が徘徊しているのを確認し、改めてさやかは、腰に新たに帯びた得物へと視線を落とす。

 

 細工も鮮やかで、素晴らしい意匠の柄はさやかの見慣れたものとは違うが、しかしそれは確かに日本刀であった。かつてレイテルパラッシュ同様に、女王の近衛騎士たちが用いたという異邦の武器。

 抜き放てば、薄く反った刀身には複雑な波紋が刻まれていて、妖しいほどに美しかった。

 

 さやかは、右手に新たなる得物『千景』を構え、左手にはレイテルパラッシュを握る。

 

 血舐めの一体が、さやかに気付く。

 レイテルパラッシュの仕掛けを起動。引き金を弾くと同時に、血の女王の少女騎士は、雪を蹴って宙に舞った。

 

 

 



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chapter.31『血の歓び』

 

 

 放たれた銃弾は血舐めへと命中するも、その巨体は僅かに怯むばかりだった。

 だが、もとよりさやかは銃で相手を斃しうるとは考えてはいない。もしそれが可能ならば、とうの昔に使命は果たされている。故に、さやかの狙いは一つ。相手の動きを一瞬でも止めること。

 

 ――狙いは既に達成している。

 

 雪煙を曳きながら、さやかは夜空に身を躍らせる。

 一直線に獲物へと目掛けて、薄く反った刀身の、鋭い切っ先を突き出す。

 体ごとぶつかるような刺突の一撃は、顔を覆い隠すように伸びた灰色髪の向こう側へと淀みなく吸い込まれる。

 手応え。確かな手応え。

 得物が肉を切り裂く感触が、柄を伝って手のひらを走る。

 

 ――絶叫。

 

 血舐めがその身を震わせ、喉より悍ましい声を迸らせる。

 その声が鼓膜を破らんばかりに震わせるのに、さやかは顔をしかめ、しかめながらも千景の柄を強く握り、思い切り鋭い刃を引いた。

 日本刀の威力は、()()()()()にこそ発揮される。それはこの千景もまた同様であったようだ。

 剃刀めいた利刃はバターでも斬るかのように、何の抵抗もなく獣の顔面を縦に割り、より強く哭かしめる。

 

(いける!)

 

 さやかは、数え切れぬ程の血舐めとの対峙のなかで、初の確信を得ていた。

 好機を逃すまいと、千景を引き斬った勢いそのまま、右を軸足に体を回転させる。

 マントの赤い裏地が炎のように翻れば、踏み込んだ左足に合わせてレイテルパラッシュが奔る。

 

「これで!」

 

 仕掛けを解かれ、騎士長剣となったレイテルパラッシュの間合いは長い。剣尖は狙いを過たず千景の開いた裂け目へと突き刺され、さらにその奥を穿ち抉る。

 

「トドメだぁ!」

 

 切っ先は、脳まで達していた。

 血舐めは断末魔をあげ、青い光となって四散する。

 そしてその青い光の一部が自分の体へと、否、懐中に入れた空っぽのソウルジェムへと吸い込まれるのを感じる。

 

「いやっった――」

 

 喉から、快哉が飛び出す。

 ついに、ついに成し遂げたのだ!

 やはり、魔法少女だった時の得物により近い、千景を手にしたことが大きかったのだ。

 これで堂々と、主の前に参上し、狩りの成果をたてまつれるのだ!

 私はやったんだ! さやかはそう歓声を挙げ、両手を天へと掲げたい気持ちだった。

 いや、実際掲げようとした。掲げようとしたのである。

 

「――あ」

 

 掲げようとした所で、新手の血舐めが目前に迫っているのに気がついた。

 一体目を斃した時の光の奔流と、喜びの感情の余り接近に気づかなかったのだ。

 そして不注意の代償は、酷く高くついた。

 

 さやかが最後に見たのは、自分の隙だらけの首筋目掛け、横薙ぎの一撃が叩き込まれる様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「またぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――さやかの体は、みたび空中に投げ出された。いつものように、血の女王の間へと戻されてしまったのである。

 しかし流石に何度も同じ目にあっている故か、今度は空中で藻掻き何とか受身の態勢を整える。その甲斐もあってか、真っ逆さまに床に墜落することもなく、両手の得物を投げ出し、うまく手をついて身を転がし、着地の衝撃を和らげる。

 

「っはぁ! あぶなっ!」

 

 赤い絨毯の上を何度かでんぐり返りして、さやかは何とか()()するのだけは避けた。

 豪奢な装束に絡みついた埃を払い、手放した得物たちを拾って鞘へと戻す。

 

『――ほう』

 

 その様を玉座で眺めていた血の女王は、即座にさやかの見せた変化に気がついた。

 動きが、あからさまに良くなっている。

 その機敏さは間違いなく、水を得た魚ならぬ血を得た狩人のもの。

 

『さやか、我が血族よ。その身に纏った血の香り……どうやら、ようやく仕留めたと見えるな』

「!……いやーそれほどでも!」

 

 ようやくかけられた褒め言葉に、さやかは赤くなり、右手でうなじのあたりを照れくさげに掻いた。

 そんなさやかの様子に、アンナリーゼも微笑ましげな様子で、仮面の下で上品に笑う。

 

『やはり武器を代えたのが正解であったか……我ながら慧眼かな』

 

 血の女王の手招きに応じ、さやかは軽く叩いて衣装の皺を整えてから、いつものように歩み寄り跪く。

 

『血の遺志を得て、真に狩人となった今の貴公ならば使いこなせよう。いよいよ使命に励むが良い』

 

 さやかの差し出された手のひらの上に、アンナリーゼから新たなる賜り物が載せられる。

 軽い感触を訝しみ、見てみればギョッとした。

 

 それは、一振りの骨片であったのだ。

 

『貴公、古き遺志を継ぎ、血の狩人として凱旋したまえよ。カインハーストの名誉のあらんことを』

 

 ――『古い狩人の遺骨』

 今やその名も失われた古い血の狩人は、老ゲールマンの時代に属していた。

 最も古い女王の近衛騎士であり、カインハースト独自の業に加え、初期狩人の独特の業「加速」の使い手でもあった。その遺骨、遺志から古い業を引き出す――穢れたその遺志を継ぐ、新しい騎士に相応しいものだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【Name】美樹さやか

【装備:頭部】なし

【装備:胴体】騎士装束

【装備:腕部】騎士の手袋

【装備:脚部】騎士の脚衣

【右手武器1】千景

【右手武器2】なし

【左手武器1】レイテルパラッシュ

【左手武器2】なし

【所持アイテム】なし

【カレル文字】穢れ

【秘儀】『加速』

【ソウルジェム発動】???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――千景の刃は、血を吸ってより赤く紅に妖しく輝く。

 何度も喰らった横薙ぎも、今はさやかの残像を掴むばかり。

 颶風が如き唸りを帯びて、目にも留まらぬ速さで、さやかは駆ける。

 ただ吹き飛び舞い上がる雪煙だけが、姿なき風のようなさやかの存在を教えてくれる。

 

「ひとつ!」

 

 『加速』を載せた千景の一撃は、一撃で血舐めの頭を胴体と泣き別れさせた。

 光と成って失せた血舐めの向こうから新手が襲い来る。だが、さやかの姿は既になく、ただ銃声のみがこだまし、新手の血舐めへと水銀弾が突き刺さる。

 

「ふたつ!」

 

 怯んだ新手には、すかさず千景の横薙ぎとレイテルパラッシュの突きが連続して浴びせられ、斬撃と刺突の二連撃には頑丈な貴族の成れの果ても耐えることは能わない。

 

「みっつ!」

 

 さやかは相手方の攻撃を待つこともなく、今度はレイテルパラッシュを背中の方へ差したかと思えば、千景を一旦鞘へと戻し、次いで()()()()()自分から掛けた。

 気づけば千景の薄く反った刀身、そこに刻まれた波紋には血がまとわりついている。しかもそれは、さやか自身の体から流れ出た血であるのだ!

 一見すれば拵えが奇妙で優美な以外、構造的には単なる刀の域を出ないように見える千景であるが、実はカインハーストが誇る列記とした仕掛け武器なのである。

 その機能は、その使用者自身の血を吸い、刀身に這わせることで、緋色の血刃を形作ること。だがそれは、自らをも蝕む呪われた業である。血は刃を研ぎ澄ますばかりではなく、使用者の命を吸う吸血鬼であり、同時に彼我の区別なく身を冒す劇毒をはらんでいる。

 

 ――されど、さやかには委細問題ない。

 

「よっつ!」

 

 血刃は新たな血舐めを一撃でしとめ、返す刀で、背後より迫っていたもう一体を斬りつける。

 額に受けた一撃に怯むのを逃さず、相手の顔を斬り上げ、真っ二つに割る。

 

「いつつ!」

 

 さやかは振り返りながら千景を片手で振り抜き、刃に這う血を払い飛ばした。

 血は劇毒を帯びている。これを浴びただけでも血舐めは呻き、動きを止める。今のさやかには、一瞬の相手に隙も永遠に等しい。左手に握り直したレイテルパラッシュの剣尖が、流星のように走り、さらなる血の遺志をさやかへともたらす。

 血の遺志はソウルジェムへと吸い込まれ、その青い輝きを一層、より一層に取り戻していく。

 そして魂の器は、込められていた本来の力を蘇らせていた。

 

 美樹さやかは上条恭介を『癒す』ことを求め、インキュベーターと契約を結んだ。

 だからこそ、彼女の魔法少女としての力は『癒やし』であり、常人ならばたちまち死に至るような傷すらも、負えばたちどころに治してしまえるのである。

 

 千景の流血も、毒も、さやかには全く問題はない。

 女王との契約と、血の遺志を得たことにより、さやかはその力を完全に復活させ、いやむしろ『加速』の業を、狩人の業を得たことにより、より強く生まれ変わったのである。

 

 元よりさやかは戦士として熟練しているとは言い難い。

 むしろ、殆ど素人といってよく、故に魔法少女としては魔女相手に苦戦を強いられた。

 

 だが狩人とは、すなわち血の遺志を継ぐ者である。

 遺志を、業を継承し、肉体を変質させ、より強く悪夢に目覚める。

 魔法少女としては決して強いとは言えなかったさやかは、狩人としてその力を目覚めさせたのだ。

 

「むっつ! ななつ! やっつ!」

 

 さやかは次々と、血舐めたちを狩り立てていく。

 身のこなしは素晴らしく、剣の腕は冴え渡っているが、同時にその青い瞳には確かなる赤色が宿り始めている。

 

 さやかは狩人として覚醒した。

 覚醒したからこそ、今や血に、狩りに酔っている。

 元よりカインハーストの狩りは退廃芸術にたとえられるほどに血みどろなのだ。

 今のさやかには返り血すらも甘露となる。

 

 さらなる獲物を求めて、さやかは奥へ奥へと駆けていく。

 血の悦びに加え、女王よりの称賛を想えば、彼女の気持ちはいよいよはやる。

 

 ――ならばこそ気づけない。

 

 廃城へと近づく、馬車の蹄の、車輪の音に。

 その車中で息を荒くし、殺意と使命に溢れ、輝きと熱望の名を持つ金色三角を戴く一人の狩人の存在に。

 

 さやかは、女王を守るべき近衛騎士は、気づくことができない。

 自身の不覚が何をもたらすかも知らず、さやかはただ狩りに没頭する。

 

 

 ――『師よ、ご覧あれ!私はやりました、やりましたぞ!』

 

 

 そのことがもたらした結末に、程なく対面するとも知らず。

 

 

 

 




あけましておめでとうございます
いささか遅い上に、分量も少ないですが


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chapter.32『血族狩りアルフレート』

 

 

 

 

 吹き荒れる吹雪のなか、二つの『善』が激突する。

 ともに同じ正義を頂き同じ使命に殉じた筈の二人の処刑隊が、永き年月を超えて、敵味方として邂逅する。

 

「――嘆かわしいことです」

 

 しかし互いに迷いは一切ない。

 殉教者たる処刑隊の長は、かつてこう言ったのだ。

 

  ――善悪と賢愚は、何の関係もありません だから我々だけは、ただ善くあるべきなのです、と。

 

 対峙する二人は、一方はその言葉を発した当人であり、また一方はその教えを奉ずる者なのである。

 迷いなどない。ただ善きことをなすべきのみ。それが、処刑隊なのだ。

 

「師よ。偉大なる師よ。かくも穢れ、呪われた地に囚われるなど……解放いたします。列聖の殉教者として、師を祀らんがために」

 

 涼やかな青年の声で述べるのは、輝きと熱望の名を持つ金色三角の奇妙な兜の男。

 それは処刑隊の象徴であり、穢れに対する不退転の覚悟、黄金の意思を見せつけるものである。

 故に青年は挑む。自ら師と呼ぶ殉教者へと。救いの重石として、この地の果ての獄に囚われた男へと。

 寒々とした玉座から、師がはたして何が見ていたのかを知るために。

 

 殉教者がその巨大な杖を掲げると同時に、血族狩りの青年は肩に負った車輪の仕掛けを動かした。

 車輪が回れば、その隠された、素晴らしい本性が明らかになる。

 

 かつてカインハーストの貴族たちは遠国の処刑人の手袋が血を触媒に召喚する、怨霊の乱舞を愉しんだという。あるいは、これは在りし日の再現か。赤黒い怨霊が、吹雪の下を乱れ、舞い踊った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――さやかは、廊下を疾駆する。

 息も荒く血まみれの装束を棚引かせ、無人の静寂を激しい靴音でかき乱す。

 

 ()()()()()

 

 何一つ、聞こえては来ない。

 生者はおろか、死者の影すらない。

 

 ――何かあった!

 

 さやかは既に確信していた。確信すればこそ、さやかは走るのである。

 女王のもとへ、アンナリーゼのもとへ、最後に残った、たったひとつの道標のもとへ。

 

 城外全ての血舐めを狩り尽くし、初めて生きて門を潜ったさやかは、得意の絶頂にあった。

 遂に、遂に使命を果たせたのだ。いったい女王からは、どんな言葉をかけてもらえるだろうか――もとより他人への心理的依存の強い傾向のあるさやかだ、ましてや今や、彼女にとってアンナリーゼは絶対的存在である。称賛を想像するだけで、自然と顔には笑みが浮かんできていた。

 

「……?」

 

 だが、その笑みが怪訝にとって代わられるのに、然程の時間は要しなかった。

 違和感が歓びを覆い尽くし、全く染め上げる。

 さやかは考え、違和感の原因に思い至った。

 

 静かだった。

 静か過ぎた。 

 

 あれほど深く哀しく響き渡っていた、亡霊たちの啜り泣きも。

 あれほど丹念に床を磨いていた、召使いたちの衣擦れの音も。

 あれほど甲高く耳障りだった、古の落とし子たちのあげる咆哮も。

 

 何一つ聞こえない。

 

「!」

 

 その理由に気づいた時には、さやかは走り出していた。

 護るべき存在、仕える主人を目指して、無人と化したカインハースのただなかを、ただ上を目指して。

 

 彼女は殺戮の嵐の過ぎ去った後の、死の静寂だけが残る城内を、最上階を目指して駆け抜ける。

 

 さやかは知らないが、彼女が対面している光景は正しく、かつてのカインハーストの再現であった。

 あの忌まわしい、あるいは栄光ある、処刑隊の襲撃の夜の再現である。

 揺るがぬ正義と善に彩られ、迷わぬ殺意を宿した運命の車輪は、穢れた血族たちを一片の慈悲もなく轢き潰した。ただ独り、血の女王を鉄面に牢して。そして今や、処刑隊の正義は最後に残った女王へと向けられようとしている。

 さやかは襲撃者の正体を知らないが、自らの主に危機が迫っていることは理解できた。

 

(はやく!)

 

 さやかは走る。

 床石が割れんばかりの強さで、踵が潰れんばかりに地面を蹴る。

 

(はやく!!)

 

 さやかは走る。

 筋が張りつめ、腱がちぎれんばかりに体を酷使し、常人には出せぬ速さで走る。

 

(はやくっ!!)

 

 さやかは走る。

 酷使は限界を超え、毛細血管が破れ、筋繊維が切断される。

 だが、その都度ソウルジェムは光り輝き、またたく間に生じた傷を治癒させる。

 自壊と再生とを繰り返しながら、秘儀を用いずして『加速』に迫る速度で、さやかは老人が玉座で待つ屋根の上へと登った。

 

「っ!?」

 

 目的地へと至り、さやかは息を呑む。

 あの干からびた老人の姿は消え失せ、常に彼が項垂れていたあの玉座は木っ端微塵に破壊されている。

 いや、そんなことは些事だ。もっと重要なことがある。

 

 かつて玉座の裏にあったもの。

 塗り込められた壁――その幻が、失せている。

 本来あるべき姿、血の女王の間を擁する大天守が――直接見るのは、さやかですら初めてだ――、その真実の姿を晒している。

 今やさやかにとって、最も大事な彼女への道が、その入口が、ぽっかりと口を開けている。

 

「――」

 

 声もなく絶叫し、さやかは再び走り出す。

 右足のない騎士甲冑たちの間を抜け、階段を駆け昇る。

 

 そこで、彼女は見た。

 

『師よ、ご覧あれ!私はやりました、やりましたぞ!』

 

 一度聞けば解る、丸出しの狂気に満ちた声をあげる、黄金の三角形。

 

『 この穢れた女を、潰して潰して潰して、ピンク色の肉塊に変えてやりましたぞ!』

 

 両手を水平に掲げ、呵呵快笑するその異形の向こう側に、さやかの考える最悪のモノが見える。

 

『 どうだ、売女めが! 如何にお前が不死だとて、このままずっと生きるのなら、何ものも誑かせないだろう!』

 

 血の女王の玉座へとぶち撒けられた、ピンク色の肉片、肉片、肉片。

 

『 すべて内側、粘膜をさらけ出したその姿こそが、いやらしい貴様には丁度よいわ!』

 

 血の痕を尾のようにひいて、転がる鉄面の首。

 

『 ヒャハ、ヒャハッ ヒャハハハハハハァーッ!』

 

 響き渡る歓声に、さやかの心は凍てつき、顔からは血の気が引く。 

 

『 ヒャハ、ヒャハッ 私はやったんだあーっ! ヒャハハハハハハァーッ!』

 

 顔色に反比例するように、その胸には真っ赤な炎が灯る。

 憤怒と憎悪の高鳴り――。

 

 気がつけば千景を抜き放ち、飛びかかっていた。

 背を向けた相手への、完全なる不意打ち――の筈であった。

 

『――おっと』

 

 だが、さやかの一撃は空を切った。

 切っ先が絨毯を裂き、石床を叩いた時には、既に『血族狩りのアルフレート』は回避と同時に振り返り、その得物、血と肉とに汚れた車輪を構え終えていた。

 

『穢れた鼠がまだ一匹、遺っていましたか』

 

 さやかは咄嗟に空いた手でレイテルパラッシュを抜き放とうとしたが、それよりも相手の動きのほうが遥かに速かった。仕掛けが動き、車輪が廻る。

 へばりついた肉と血とが触媒となり、赤い瘴気が、夥しい怨霊たちが溢れ出す。

 自分自身の同朋の、成れの果てにまみれた車輪を叩きつけられ、さやかの意識は一撃で途切れた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『売女めが! 汚れた売女めが!』

 

 アルフレートは、青い霞となって消え失せつつある最後の血族――さやかへと吐き捨て言った。

 待ちに待った歓喜の時を、絶頂の瞬間を、穢されたのである。

 囚われた師を介錯し、その師の果たせなかった宿願を達成する――二度とは得られぬ、至福の刻。それを邪魔されたのである。

 

『――まぁ、良いでしょう』

 

 しかし、そんな怒りはすぐに過ぎ去った。

 気分を害されはしたが、しかし相手は血族、一匹でも取り逃がせば処刑隊の栄光が穢されるのである。それを想えば、ここで始末できたのは僥倖かもしれない。

 

『……』

 

 アルフレートは落ち着きを取り戻し、改めてじっくりと、念願の()()を、飛び散り散らばった血の女王だったモノを眺め、深く息をつく。

 為すべきことは為した。あとは師を正しく、列聖の殉教者として祀るだけである。

 アルフレートは踵を返す。一刻も早く、この穢れた地を離れ、聖堂街へと戻るために。

 見るも無残な惨状に――彼にとってはこの上なく晴れ晴れとした戦果に背を向け、早足に歩き出す。

 辺りには獣の気配も、血族の存在も感じない。故に、アルフレートの背中は全く無防備だった。

 

『――っ!? がぁぁぁぁぁぁっ!?』

 

 その背中に唐突に叩きつけられたのは、波紋の浮かぶ鋭利な刃。

 得物を手に、前方にまろび跳び、着地と同時に体を反転さえれば、金のアルデオの下でアルフレートは目をむいた。

 ああまるで夢のように。醒めぬ悪夢のように。

 捻り潰し、屠った筈の青髪の血族が、アルフレート自身の血で染まった利刃を手にそこにいる。

 全く、傷一つない姿で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつものように空中に身を投げ出されると同時に、さやかは千景を抜き放っていた。

 空中で何とか体の向きを制御し、落ちる勢いもそのままに、血刃を襲撃者の背中へと振り下ろす。

 歩き、遠ざかりつつあった背中故に、さやかの掌には浅い手応えしかなかったが、それでも一撃を入れたことに変わりはない。

 

『血が! 血が出たじゃあないですか!』

 

 金の三角頭は、その白い衣を己の血で染め、不意討ちに狼狽した声をあげつつも、既に右手に車輪、左手に銃を構えて、反撃の態勢を整えていた。

 左手の銃は初めて見るが、見滝原にいたころ、さやかが敬愛していた先輩魔法少女、巴マミが使うような長銃である。かなり大型である所から推測するに、高威力な銃火器かもしれない。一撃で人間を紙くずのように叩き潰す右手の車輪同様、本来ならば警戒を要する得物である。

 

 だが――。

 

「はぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 空いた左手で『古い狩人の遺骨』を掲げ、そこに秘められた神秘を開放すれば、一直線にアルフレート目掛けてさやかは突っ込んだ。戦略も戦術もない、ただひたすらに、憎き仇へと向けて突撃する。

 感情に赴くままの、単純極まる攻撃である。歴戦の狩人であるアルフレートを相手取るには、その動きは余りに単純に過ぎた。

 

『みっともない! 報いあれ!』

 

 ならばこそ、『加速』の秘儀を使ってなお、血族狩りに一矢報いることは能わない。

 完璧に拍子をとられ、さやかの突撃に合わせて振るわれた車輪に、またも頭蓋を叩き潰される。

 さやかの肉体は青い光と散って、拡散する。

 

 直後、またもさやかは夢のように蘇る。

 

『!?』

 

 車輪は正しい運命である。

 だからこそ、処刑隊は迷わない。にもかかわらず今、アルフレートは確かに心乱された。

 たった今仕留めた血族が、青い光を纏ってみたび眼の前へと出現したがために。

 

「ナメるんじゃないわよ!」

 

 さやかは、再び『加速』の秘儀を用いてアルフレートへと肉薄する。

 そしてまたも、迎撃されてさやかの肉体は青い光と消える。

 

「負けない!」

 

 消えた直後にさやかは復活する。

 今度は秘儀を使うこともなく、右手に千景、左手にレイテルパラッシュの二刀流で突貫する。

 

「負けるもんかあ!」

 

 それを叩き潰されながらも、甦ったさやかは更に突貫する。

 

「これで!」

 

  それを叩き潰されながらも、甦ったさやかは更に更に突貫する。

 

「とどめだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 それを叩き潰されながらも、甦ったさやかは更に更に更に突貫する。

 度重なる怒涛の攻撃に、アルフレートの防御にも隙が生じ、さやかはそこを容赦なく突く。

 

『がはっ!?』

 

 千景の刃が深く血族狩りの肉を切り裂き、血を撒き散らす。

 好機。ようやく訪れた好機。

 これを逃す、さやかはない。

 

「死ぃぃぃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 波紋浮かぶ利剣は、血族狩りの狩人の右手首を斬り落とした。

 床へと転がる、ローゲリウスの車輪。さやかは左手でコレを拾い上げる。

 恐ろしく、重い。腕の筋繊維が、引っ張られ、千切れるのを感じる。

 

 しかし、そんな時にこそ、ソウルジェムは輝く。

 

 生じた傷を再生しながら、さやかは車輪を振りかぶり、思い切り振り払った。

 アルフレートの体に、その胸板に、車輪が直撃する。

 肋骨がひしゃげ、心臓が潰れ、肺が爆ぜる。

 いかに狩人と言えど、夢の狩人でなければ、耐える叶わぬ一撃。

 

『師の祀りを、よろしく、お願いします――』

 

 そう言い残して、アルフレートの体は光となって失せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 呆然と、さやかは立ち尽くす。

 思考が停止し、ただ茫洋と、阿呆のように立ち尽くす。

 

 仇を討ったさやかに残されたのは、ただ女王が失せたという事実のみ。

 その圧倒的現実を前に、為す術もありはしない。

 

『――やぁ、さやか』

 

 そんな彼女へとかけられる声。

 振り返ったさやかは、そこでさらに茫然自失とした。

 自分を見つめる、赤い宝石のような双眸。

 白い、小動物のような体。

 

『彼女を、血の女王を、蘇らせたくはないかい?』

 

 それは、かつて見滝原で、インキュベーターと呼ばれていた存在だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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chapter.33『トゥメルの聖杯』

 

 

 

 

 投げつけられた車輪と共に、現れた銀の仮面の怪人物。

 顔は見えずとも、その声にほむらは聞き覚えがあった。

 彼女にとっては、あまりいい思い出が多いとは言いかねる、その声の主は。

 

「……美樹さやか」

 

 そう、彼女に他ならない。

 

「転校生じゃんか!? なんでここに!? てか、アンタも狩人ぉっ!?」

 

 顔を覆う兜は美しくも厳かで、高貴なる風格を備えているが、その下から飛び出した素っ頓狂な声はやはりいつもの美樹さやかであった。

 

「……」

 

 敢えて言葉は返さず、血に酔った古狩人への注意を外すこともなく、改めてさやかの姿を一瞥する。

 今の彼女の姿は魔法少女だった頃のさやかのものとは大きく異なっている。

 どちらかと言えば露出が多く、青と白と基調とした装束は、全身を隙間なく覆う赤と黒のものへと変じている。肩にかかるのも、白いマントから裏地の赤い黒ケープへと変わっている。

 得物は左手に下げたものこそ元来の武器とよく似たサーベル――というよりも日本刀――然とした代物だが、右手に持つのは一体それをどう使うのか、いやそもそも本来武器なのからすら怪しい巨大な車輪なのである。

 

 マミも杏子もまどかも、このヤーナムへとやって来て大きく変わった。

 そしてさやかもまた、例外ではないらしい。

 

「……まぁ良いや。その格好、とりあえず医療教会の狩人じゃないみたいだし」

 

 内面的な意味でも、さやかのほうは何がしか変わったと見える。

 ほむらの知るいつものさやかならば、いつまでも騒いでそうな状況にあって、瞬時に平静さを取り戻し、油断なく古狩人のほうへと顔を向けている。その視線、表情は銀の兜のせいで明らかでない。

 

「ひとまず、協力しあわない? お互い狩人で、獲物も同じみたいだし」

「……」

 

 ほむらは、またも返事もせずに再度一瞥した。

 自分の知る美樹さやかは腹芸の出来るタイプではなかったが、しかしここはヤーナムであって見滝原ではない。

 彼女の声の、いつにない底冷えする響きが、ほむらには気がかりなのだ。

 

 ――いや、違う。そんな自分のなかに浮かんだ懸念の言葉は、全て誤魔化しに過ぎない。

 

『あのさあ、キュウべえがそんな嘘ついて、一体何の得があるわけ?』

『はあ、どっちにしろ私この子とチーム組むの反対だわ』

『どうしてかな。ただ何となく分かっちゃうんだよね。あんたが嘘つきだって事』

『いつも空っぽな言葉を喋ってる。今だってそう』

『あたしの為とか言いながら、ホントは全然別な事を考えてるんでしょ?』

 

 脳内で反芻される、拒絶の言葉の数々。

 思い返すだけで、はらわたの底が冷たくなる。

 

 彼女とは()()()()。 

 ありとあらゆる面で、人間として合わない。

 それはコレまでの数限りない巡礼の旅のなかで、嫌という程思い知らされたことだった。

 

 これまでの擦れ違いの数々は何も彼女一人が原因でないことも解っている。

 悪い人間ではない。それは、まどかの一番の友人――このことが、ほむらには一番に癪に障る――であることからも明らかだ。

 ならばこそ、ほむらは純粋にさやかのことを憎むこともできず、鬱屈とした想いを胸にしまい込むしかない。

 

「……解ってるわよ。怒ってるんでしょ?」

 

 マスクの下で、言葉もなくどろどろとした黒い感情を波立たせているほむら。

 その無言をどう解釈したのかはわからないが、さやかが発した言葉は意外なものだった。

 

 バツの悪そうな、どこか詫びるような調子の声。

 ほむらにとっては、初めて聞く類の声。

 

「あんたの忠告を無視して、まどかも傷つけて……きっと、あたしが魔女になった後も、迷惑かけたんでしょ?」

「……」

 

 言葉の内容から、幾度か遭遇した魔女化した後の美樹さやかであるらしいのに、ほむらは気づいた。

 マミやまどかと違って、具体的な時間軸まではわからないが、しかし、この言葉を聞くに間違いはあるまい。

 

「あんたが、どうしてここにいるかも解んないけど……それは……私のせいかも知れないし――」

 

 ほむらからすれば目が丸くなるような、さやかからの謝罪の言葉。

 だが、その全てが発せられることはなく、中断を強いられる。

 

「――ってああもう! ひとが喋ってるところを!」

 

 最初は予期せぬ乱入者を前に様子見をしていたらしい古狩人が、折りたたんた曲刀を手に、さやかへと襲いかかったのだ。

 どうやらほむらとさやかの会話に痺れを切らしたらしい。

 

『You filthy beast!』

「くっ! このこの!」

 

 激しく金属同士がぶつかり合い、その音は壁や柱に反響してハウリングする。

 獣のごとき狩人の雄叫びと、さやかの苦しげな呻きが交差する。 

 

 車輪を盾のように構え、怒涛の連撃を防いではいるが、さやかのほうが明らかに劣勢である。

 相手の素早い動きに、左手の刀で反撃を挿し込む暇もないようだ。

 勢いに押され、あからさまに後ずさっているが、背後は壁で逃げ道もない。

 

「……はぁ」

 

 覆面の下で、嘆息をひとつ。

 見滝原であれ、ヤーナムであれ、さやかは何だかんだでまどかの友なのだ。

 事情はどうあれ現状がどうあれ、助けない、というわけにもいくまい。

 実に、ほむらには不本意なことであるけれど。

 

 ほむらは同士討ちを避けるべくガトリング砲をしまうと、すばやく左手で短銃を抜き、引き金を弾く。

 横槍を突く形の銃撃を、しかし赤目の古狩人はたやすく避けた。

 

「!――サンキュー、ほむら!」

 

 だが、元よりさやかを助けるためだけに放った一発であり、相手を退かせられればそれで充分なのだ。

 さやかは態勢を立て直し、素早い相手に対するためか、一旦車輪を石畳の上に下ろす。

 

「気をつけて。相手は素早いわ。僅かな間だけど、目にも留まらぬ速さで『加速』できるようよ」

「……『加速』?」

 

 さやかは、次なる攻撃のためじりじり歩み寄ってくる古狩人に顔を向けたまま言い返した。

 そして懐から何かを取り出す。

 

(――骨?)

 

 ほむらにはそう見えた。

 半ばで折れた、大腿骨と見える骨であるのだ。

 

「それって――」

 

 さやかは骨を掲げた。

 骨は僅かに光り、不可視の何かが、騎士装束の狩人少女の周囲に迸る。

 

「――こういうのじゃぁないっ!」

 

 瞬間、さやかの体は古狩人の目の前へと跳んでいた。

 

「!?」

 

 ほむらもこれには驚いた。

 なにせ古狩人の見せたのと寸分変わらぬ動きを、さやかが見せたのだから。

 

「ちっ!」

 

 振り下ろされた真っ向唐竹割りの剣閃を、さやかと同じ動きで古狩人は躱してみせる。

 後退した古狩人を追撃すべく、更にさやかは姿が消える程の速さで駆ける。

 意匠の異なる曲刀同士がぶつかり合い、弾かれたように二人の狩人の体が反対方向に跳ぶ。

 

「くらえ!」

 

 さやかは空いた方の手を背後にまわし、新たな得物を抜き放った。

 抜き放たれたのは細身の騎士剣。しかし仕掛けがひとたび動けば、隠れた銃口が顔を出す。

 

 三連射。

 しかし血と水銀の銃弾は古狩人の身を穿つことはない。

 

「……」

 

 ほむらは静かに、さやかと古狩人の高速の攻防を静かに観察していた。

 残像を見出すほどの高速で互いに動き、刃を交え、銃撃が飛ぶ。

 しかし、互いに決定打は放てないでいる。

 

 さやかは時折、例の謎の骨をまた取り出し、それを翳さなくてはならない。

 恐らくは『加速』の術をかけ直すためなのだろうが、その度に攻撃が中断され、攻めきれないでいる。

 

 古狩人もまた飛び道具を持たぬ為にさやかが『加速』をかけ直す隙をうまく捉えられない。

 例の銃と剣とが一体化した奇妙な得物の放つ弾丸に、突撃を阻まれてしまっているからだ。

 

 一方は術をかけ直す必要があり、一方はそれを必要としない。

 にも関わらず、均衡を保つ銃弾はいずれ尽きるであろう。

 最終的にどちらが勝利するかは、言うまでもない。

 

「美樹さやか」

「!――なによ転校生! こっちは取り込み中なんだけど!」

 

 さやかは戦闘中に集中を乱されたせいか、ほむらの呼びかけに怒鳴り返す。

 ――全く、自分から共闘を申し出ておいて、いざ戦闘が始まれば夢中になってそれを忘れたらしい。

 ほむらは怒鳴り返すこともなく、平静に応じた。

 

「私が機会を作る。合わせなさい」

「!?」

 

 ほむらはそれだけ言うと、盾を廻し、時間を止めた。

 地面を蹴って、動きを止めた古狩人へと肉薄する。

 曲刀を構え、油断なく立つその姿の周囲に火炎瓶を、道中で拾った投げナイフを、手当たり次第にばらまく。

 魔法少女だった頃に比べ、止めていられる時間は短い。必殺と呼べるだけの仕込みをするためには、まるで足りはしなかった。だがそれも、問題はない。

 

『!?』

 

 古狩人は一瞬だけ赤い双眸を見開いたものの、すぐに加速の業で避けられるものは避け、払えるものは曲刀で払う。一撃たりとも、ほむらの放った数々の武器は命中しなかった。

 だがやはり、問題はない。

 

「今よ!」

 

 ほむらが叫んだ時には、さやかは既に動いていた。

 地面に下ろしていた車輪のもとへと加速し、既にそれは両手で構えられている。

 仕掛けが起動され、秘匿されていた真の姿が顕になる。

 

 車輪から溢れ出した、赤黒い怨霊の数々。

 ほむらは知らぬが、それは今やさやかの同朋となった血族たちの残り香であり、車輪の表面に染み付いた血は、彼女の仕える血の女王のものである。

 

「どぉぉぉぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 さやかは、車輪を両手で掲げ、振りかぶり、そして投げつけた。

 『加速』の業で走り、勢いを加えられた車輪は砲弾のように宙を駆け抜け、ほむらの攻撃に動きを止められた古狩人へと、過つことなく命中する。

 

『!?』

 

 がら空きの胸板へと車輪は衝突し、紙くずのように古狩人の肉体を吹き飛ばす。

 壁に叩きつけられ、そのまま四散する。

 血と肉とが拡がり、青い光が溢れ出す。

 

 ――からん、と音を立てて、遺された古びた杯が、床の上に転がった。

 

 

 

 

 ――『YOU HUNTED』

 ――『トゥメルの聖杯』 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 ほむらは古狩人の失せた後、遺った杯へと手を伸ばした。

 

 ――『聖杯は神の墓を暴き、その血は狩人の糧になる。――聖体を拝領するのだ』。

 

 この単なる古びた金属製の杯としか見えないものが、地下への鍵となるとゲールマンは言った。

 故にほむらは、床に転がる聖杯へと手を伸ばす。

 

 そこで、銀色の篭手に包まれた指先と、ほむらの指先が触れた。

 

「……」

「……」

 

 ほむらが顔を上げれば、銀色の兜と見つめ合う格好になる。

 その内側のさやかが、どんな顔をしているのかはまるで解らない。

 

「なんで、アンタがこれを欲しがるのよ?」

 

 その声は訝しげであった。

 さやかはなおを続け、言った。

 

 

 

 

「アンタも、()()()()()()()()に何か言われたわけ」

 

 

 

 

 その言葉は、ほむらには聞き捨てならぬものだった。

 

 

 



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chapter.34『火薬の狩人証』

 

 

 

 赤い双眸はガラス球のようであって、人形の瞳がそうであるように、いかなる感情も映さない。

 口元はネコ科動物めいた緩やかな弧を二つ描き、まるで微笑んでいるかのようだが、よく見ればそこには一切の動きがなく、したがって表情もまるでありはしない。

 一見すれば可愛らしい、小動物めいたその姿も、注意を払えば耳から伸びる触手など、悍ましいその本性を垣間見させている。

 

 そう、この姿は偽装だ。

 餌となる少女を、油断させ、誘い出すための虚飾だ。

 

『――やぁ、さやか』

 

 少女のような、少年のような、幼い声。

 これもまた罠だ。かつて自分を、騙してみせた詐欺師の声だ。

 

『彼女を、血の女王を、蘇らせたくはないかい?』 

 

 さやかは返す言葉もなく、千景を抜き放てば一直線に駆け、キュウべぇへと刃を突き立てた。

 バターにナイフを挿れるような容易さで利刃は顔面を、キュウべぇの赤い二つの目の間を貫いた。

 手首にひねりを加えれば、ぐちゃりと小さな頭は真ん中からひしゃげ、勢いよく刃を引き抜けば四散した。

 

 飛び散ったのは、白いナニか、である。

 血もなければ、肉もない。ただの白い、潰れたゼリーのような何かがへばりついてるだけなのだ。

 

 その様に、さやかは得心がいった。

 ああやはり、尋常の生物ではなかったのだ。

 恐らくは人を騙すために創られた――。

 

『ひどいじゃないか、さやか』

 

 背後からのあり得ざる呼び声に、さやかの思考は中断させられる。

 振り返る間もなく、不意に聞こえてきた足音は、さやかの傍らを通り過ぎて、散らばった死骸へと歩み寄る。

 果たして、それはキュウべぇであった。

 

『代わりはいくらでもあるけど、無意味に潰されるのは困るんだよね。勿体ないじゃないか 』

 

 新たに現れたキュウべぇ、さやかによって四散させられた残骸を顔色一つ残さず貪る。

 その余りに非現実的な光景に、非現実な光景にも慣れた筈のさやかも、思考を停止してしまう。

 

『――きゅっぷい』

 

 自分自身の残骸を全て食べ終えれば、特徴的な鳴き声と共にキュウべぇは振り返った。

 無機質な赤い双眸に見られ、ようやくさやかは自分を取り戻す。

 

「キュウべぇ……アンタ……」

 

 何か言おうと思ったが、あまりの出来事に言葉も出てこない。

 金魚のように口をパクパク開けるさやかの姿に、キュウべぇは小首をかしげるような仕草を見せた。

 

『あれ? どうして君がボクの名前を知っているのかな? 君からすれば、初対面の筈だけど』

「!?」

 

 飛び出してきた言語道断な台詞には、さやかも唖然とする他なかった。

 コイツ、自分が騙して契約させた相手の顔を忘れるとは、どういう了見だ!

 

「ちょっと! アンタと私が初対面ってどういうことよ!」

『……? そのままの意味じゃないか。いや、確かに妙な部分はあるんだけれどね』

 

 キュウべぇは逆方向に首を傾げながら、さやかの怒りを受け流しつつ答える。

 

『ボクは君と契約したつもりはない。にも関わらず、君は契約の証をその身に宿している』

「そうよ! このソウルジェム! アンタに貰ったもんじゃないのよ!」

 

 さやかの糾弾にも、キュウべぇはさらに首を傾げるばかりで、その様は殆ど首が回転せんばかりである。

 

『なんのことだい? それに……どうして君がソウルジェムを持っているんだい?』

 

 眼前に突き出された『魂の器』を見てもなお、キュウべぇは様子は相変わらずであり、これにはむしろさやかは不審を覚えるに至る。この忌まわしい詐欺師は相手を煙に巻くような詭弁を弄する事はあっても、こんなあからさまなしらばっくれをするような手合ではなかった筈だ。

 

 だとすれば――()()()()()()()には本当に、何一つ理解していないということなのか。

 

「アンタ……ホントに私と初対面?」

『さっきからそう言っているじゃないか。ボクは君を知っているが、こうして直接会うのは初めてのことさ』

 

 詐欺師の物言いには嘘の響きはなかった。

 認めがたいことだが――コイツは真実を話しているらしい。

 

「だったら、なんで私のことを知ってんのよ!」

『君が契約の証を、その身に宿しているからさ。ボクは契約した記憶が無いにも関わらずね』

 

 契約の証。

 キュウべぇの言うそれに、さやかは覚えがあった。

 

 ――『それは……その身に刻まれた、月のカレルがためであろう』

 

 アンナリーゼの言葉が、脳裏で反芻される。

 

 見滝原の制服から騎士装束へと着替える時にさやかが初めて気がついたのは、ちょうどへその辺り、魔法少女だったころにソウルジェムがあった場所に浮き上がった、奇怪な赤い紋様の存在だった。

 

 それは、さやかがこれまで見たことのない、不可思議な図像だった。

 

 先端を向け合う二つの三叉の間に、両者から串刺しにされるようにして目玉が置かれている、とでも言えばよいのだろうか。とかく、形容し難い奇妙極まりない図形なのは間違いがない。

 

 それを血の女王は、月のカレル、と呼んだ。

 

 ――『()()()()()()()()()()()()()()……フフフ』

 

 さやかの身に刻まれたしるしを見た時、アンナリーゼは妖しく笑って言ったものだった。

 悪夢の上位者――意味は聞きそびれ今も解らないが、その響きはキュウべぇに相応しいモノだ。

 

「……月のカレルってやつ?」

『……ああ、確かに、君たちのお仲間の一人は確かにそう呼んでいたね。もうずっと、前のことだけれど』

 

 詐欺師は首肯した。相変わらず、言葉には誤魔化しも嘘の臭いも一つとて無い。

 

「……それで」

 

 だからこそ。

 

「アンタ、ついさっき言ったわよね」

 

 さやかは聞いてしまった。

 

「アンナリーゼ様を……蘇らせる方法があるって」

 

 相手を詐欺師と知って、それでも聞いてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――美樹さやか」

 

 ほむらは、黒髪の長い端を指先で跳ね上げながら、言った。

 

「貴女はどこまで愚かなの?」

 

 嘆息とともに、ほむらはそう言った。

 さやかは、バツ悪気に顔をそらす。

 

「……しょうがないじゃん。他にしようもないんだから」

「だからといって、同じ過ちをするのは馬鹿者のすることよ」

 

 ほむらはバッサリと切り捨て、さやかは呻くしか無い。

 場所は未だ『聖杯教会』。二人が居るのは、その最奥の祭壇の前。

 銀の兜を脱いださやかは祭壇にもたれかかり、ほむらは新たに現れた灯りの傍らに佇む。

 

 さやかがキュウべぇから言われた中身を、ほむらは既に粗方聞き出していた。

 キュウべぇがこのヤーナムにいたという事実も衝撃ながら、ほむらの興味を惹いたのはヤツの喋った内容だ。

 

『見捨てられた上位者を探し出すんだ。それが血の女王を蘇らせる鍵になる』

 

 ()()()

 ゲールマンの言葉の中にもあった単語である。

 それがあのキュウべぇの台詞から飛び出したのだ。

 いよいよもって、これが重要なキーワードであることは明らかだ。

 

『見捨てられた上位者は、オドン教会をのぼった先か、あるいはイズの地にいるだろうね』

 

 ――オドン教会をのぼりたまえ。

 これもまた、ゲールマンの助言のひとつであった。

 では、もう一つのキーワード、イズの地とは?

 

『イズは宇宙に最も近い地さ。この地に至る手段はひとつだけ――聖杯が必要だ』

 

 かくして、キュウべぇの助言に従い、さやかはこの旧市街を訪れたのである。

 

「……アンタには解らないかも知れないけど、アタシには何より重要なことなのよ」

 

 ほむらは、さやかの言うアンナリーゼのことは解らない。

 会ったこともないし、見滝原の繰り返しのときには、現れなかった人物であるから。

 だが――ほむらにも、かけがえのない誰かを助けたい心は理解できる。

 

「だからこそよ」

 

 理解できるからこそ、言わずにはいれない。

 

「だからこそ、あんな奴の口車に乗ってはいけないのよ」

「……だから、わかってるって」

 

 しかし、さやかは不満げな表情であった。

 ほむらは、ため息をつけば、おもむろにさやかの腕を強引に握る。

 

「いいえ。わかってないわ。わかってないからこそ」

 

 胡乱げなさやかの視線を受けながら、ほむらは灯りに手をかざす。

 

「貴女は、もっと皆とも話し合うべきなのよ」

 

 さすれば、二人の体は『狩人の夢』へと跳んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『はじめまして、狩人様』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さやかが人形の存在に驚き、目を点にしながら話し合っている傍らで、ほむらはふと、水盆へと目をやった。

 水盆の使者たちが――気のせいだろうか、数が増えている気がする――手招きしているのが見える。

 

 ――『水盆の使者たちに見せると良い……きっと、応えて、くれる、は、ず、だ……』

 

 名も告げず消え去った古狩人――ほむらは知らぬ、デュラという名を――の遺言を思い出し、盾のうちより取り出した『火薬の狩人証』を掲げてみせる。

 

 果たして水盆の使者は、新たな狩装束と、新たな仕掛け武器をほむらに差し出した。

 

 ――『灰狼の帽子』

 ――『煤けた狩装束』

 ――『煤けた狩手袋』

 ――『煤けた狩ズボン』

 

 衣装は、あの灰色の古狩人を思わせる、年季の入った一式。

 仕掛け武器は、なんと四つもあった。

 選べ、ということであるらしい。

 

「……」

 

 ほむらは暫時考えた末、彼女は知らないが、いずれも工房の異端『火薬庫』の作になる、特異な仕掛け武器をひとつ選びとった。その名は――。

 

 ――『爆発金槌』

 

 そう言った。

 

 

 

 



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