【完結】The elder scrolls V’ skyrim ハウリングソウル (cadet)
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第1章
第一話 流れ着いた者


はじめまして。cadetと申します。
こちらで小説を投稿することは初めてですので、至らないこともあるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。




 肌を鋭く突くような寒さと、天から降りしきる雪のなかで、坂上健人は目を覚ました。

 辺りを見渡せば、背の高い松のような針葉樹林が生い茂っている。

 “ような”と表したのは、少年にその木の種類がよく分からなかったから。

 

「ここは? どこなんだ? さっきいた公園じゃ絶対ないし、そもそも今夏のはずだし……」

 

 彼はほんの少し前まで、夜の公園でベンチに座って、ぼーっとしていたはずだった。

 夏の夜ということで、寒くはなかったが、辺りを飛び交う虫がウザったかった覚えがある。

 だが、今彼がいる場所は明らかに公園などではない。

 月が昇っていたはずの夜空は分厚い雲に覆われ、綿のような雪が深々と舞い降りてきている。

 アスファルトで舗装すらされていない野道の土が、溶けた雪とともに少年の服を濡らし、極寒の強風が少年の体から容赦なく体温を奪い始めていた。

 

「な、なんだよ。訳がわかんない」

 

 口から洩れた言葉が、降りしきる雪に解けて消えていく。

 その時、それを覆っていた雲の一部が切れ、星の光が差してきた。

 そして雲の切れ目から見えた星空を見た時、少年は思わず呆然としてしまった。

 

「え……」

 

 見えた星空は、明らかに今まで少年が目にしてきた日本の空ではなかった。

 澄んだ空の輝く星々はまるで宝石のように輝いており、星々の空に浮かんだ巨大な二つの月が、星の光を浴びてその威容を誇示していた。

 地球の衛星は一つだけのはず。どう考えても日本はおろか、地球上で見える夜空ではない。

 全身に突き刺さるような寒さ、そして何より、今の自分に起きた理解不能な状況に、少年の全身が震え上がった。

 その時、少し離れた茂みがガサリと揺れる。

 

「な、なんだ?」

 

「グルルル……」

 

「な、なんだよ! お、オオカミ?」

 

 少年の目に飛び込んできたのは、黒い体毛に全身覆われた四足の獣。

 犬によく似た外見を持つ野生の獣は、少年の動揺を見抜いたように吠えると、一気に少年に跳びかかってきた。

 

「ガウウ!」

 

「う、うわあああ!」

 

 四足の獣の牙が、無防備な少年の腕に突き立てられる。

 肌を食い破る不気味な音とともに、焼けるような激痛が少年の腕に襲い掛かってきた。

 

「う、うがあ! 離せ、離せ!」

 

 あまりの激痛に少年が、反射的に食いつかれた腕を力いっぱい振り回そうとする。

 しかし、オオカミは四肢を踏ん張り、少年の腕を放そうとしない。

 さらに最悪なことに、茂みの奥から二頭のオオカミが、飛び出してきた。

 

「ガウウ!」「オオオン!」

 

 新たに出現したオオカミ二頭が、少年の両足に食いつく。

 突然命の危機に晒された緊張感から、ガチガチに強張っていた両足に走る痛み。それは張りつめた縄が千切れるように、あっという間に少年の足から力を奪ってしまう。

 

「わああああ!」

 

 思わず倒れこむ少年。

 腕を噛んでいたオオカミが少年の体に馬乗りになり、その牙をひ弱な獲物の首に突き立てようと咢を開く。

 少年は恐怖と混乱の中、自らの命を奪おうとする獣の牙を呆然と見つめていた。

 

「ギャン!」

 

 だが次の瞬間、耳を突く風切り音と共に、馬乗りになっていたオオカミの眉間に矢が突き刺さった。

 さらにヒュンヒュンと空気を斬り裂きながら、立て続けに矢が狼たちに襲い掛かる。

 思わぬ乱入者の存在。オオカミ達は咥えていた少年の四肢を離して飛び退き、矢の飛んできた方向に視線向けて警戒し始める。

 次の瞬間、横合いから飛び出してきた影が、素早くその手に携えた剣を振るった。

 

「ギャウ!」

 

 振りぬかれた剣が深々とオオカミの胴体に食い込み、臓物をまき散らす。

 さらに、乱入してきた影は最後の一匹に向かって、刃を返して薙ぎ払う。

 残っていたオオカミは素早く身を屈めて剣を躱すが、突然の横やりに驚いたのか素早く退散を決め、茂みの奥へと去っていった。

 

「う、ううう……」

 

「○×▽?」

 

 蹲る少年に、掛けられた声。

 激痛ににじむ視界のなかで少年が目にしたのは、豊かな金髪を後ろに結わえた蒼瞳の少女だった。

 外国の言葉なのか、少年には彼女が何を言っているのかさっぱり分からない。

 ただ、心配そうに覗き込んでくる蒼い瞳が、恐怖と緊張で高ぶった少年の気を静めていく。

 少女の瞳が少年の傷に向けられる。

 

「■×! ▽△×○××□!」

 

 目を見開いた少女は、自分の後ろに向かって大声を張り上げると、腰のポーチから赤い瓶を取出し、その中身を怪我した少年の手足に振り掛けていく。

 両手に走る痛みに少年が呻いていると、少女の後ろから、今度は弓と矢筒を背負った青年が姿を現した。

 

「リータ、◆○××◆」

 

「○×▽◆◆、ドルマ」

 

 リータと呼ばれた少女が慌てた様子で声をかけると、ドルマと呼ばれた青年は厳しい表情を浮かべた。

 青年は背負っていた弓と矢を少女に預けると、倒れていた少年を背負って歩き始める。

 腕と両足に走る痛み、そして命の危機という緊張感から解放された少年の意識は、深い闇へと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……」

 

 背中に当たるチクチクした感触、そして手足に走る痛みに、少年の意識が覚醒する。

 目を開けば最初に飛び込んできたのは、蝋燭に照らされた木製の天井。続いて顔を横に向けると、石畳と木製のドアに続いて、藁の敷かれたベッドの端が視界の片隅に入ってくる。

 

「ここは、どこだ?」

 

 咽るようなフィトンチッドの香りに包まれながら、健人は戸惑いの声を漏らした。

 目に入る蝋燭の明かりに手をかざすと、視界に噛みつかれた腕に包帯が巻かれているのに気づいた。

 両足を確認すると、同じように包帯が巻かれている。

 誰かが手当てをしてくれた様子だった。

 その時、木製のドアがギイッという音と共に開かれ、一人の少女が姿を現す。

 部屋に入ってきたのは、流れるような金髪をポニーテールに纏めた一人の少女。あの雪原で、健人を助けた少女だ。

 

「○×▽?」

 

 日本人離れした青の瞳に安堵の色を浮かばせながら、少女は茫然としている健人に声を掛ける。

 

「君は……誰?」 

 

「▽◆? △◆××○?」

 

 声を掛けてきた少女が笑みを浮かべている一方、健人は少女の言葉が相変わらずよく分からず、困惑の表情を浮かべていた。

 自分の身に起こった事態が理解できず、呆然とするしかない健人。少女も健人の様子を見て、心配そうな目で見つめてくる。

 

「リータ、××▽◆?」

 

「◇○◆、××○▽」

 

 奥から、太い声が聞こえてきたと思うと、ガチャリとドアが開き、二人の中年の男女が入ってきた。

 健人には中年の男女は見覚えがなかったが、二人の雰囲気は、どこか目の前の少女と似ているような気がした。

 その時、健人の鼻腔に香しいミルクの香りを捕えた。よく見ると中年の女性が湯気の立つ器を持っている。

 

「○×▽? ×◎▽□○」

 

 差し出されたのは、白濁した暖かいスープだった。なんとなくミルクの香りを漂わせる器を、健人は動揺しながらも受け取る。

 漂う香りは健人が今まで食べてきた日本のスープとは違い、どこか獣の匂いが残っていた。

 暖かい器の熱が、冷えきった健人の手を温めていく。

 困惑する健人に、中年の男女は笑いかけながら木製のスプーンを指差すと、掬うような動作を繰り返す。どうやら、食べるように促しているらしい。

 

「い、いただき、ます……」

 

 器に乗せられた木製のスプーンを手に取り、恐る恐る健人は恐る恐るスープを口にする。

 一口目はあまりに熱いスープに思わずむせてしまった。

 二口目は嗅ぎなれない獣臭に、思わず鼻がもげそうになった。

 三口目になって、ようやく少しずつ飲めるようになってきた。

 四口目は……もう止まらなかった。

 ここがどこなのか、自分がどうなったのか、健人には全く分からない。でも、スープが伝えてくる熱が、彼にこれ以上ないほど自分の生を実感させてくれていた。

 

「はふ、はふ……。ぐ、う、うう……」

 

 潤む瞳。あふれ出る涙を止められないまま、健人はスープを掻き込み続ける。

 その様子を、3人の瞳が優しく見守っていた。

 




いかがだったでしょうか?
今回は初めてという事で、さわりだけの投稿になります。
この小説は四部構成を、各部十万文字ずつ、合計四十万文字ほどを予定しています。
登場人物の紹介についても、適宜していこうと思います。
第一部に関しては既に完成していますが、他の作品やリアルの都合などで、更新が不定期になる時もありますので、ご了承ください。


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第二話 災禍の予感

 惑星ニルン。タムリエル大陸の北方、スカイリム。

 この極寒地方のヘルゲンという街の近くが、坂上健人が迷い込んだ場所だった。

 知らない惑星、聞いたことのない大陸に国名。さらに彼を茫然自失にさせた二つの月。

 次々に明らかになった事実を前に、健人は自分が今どこにいるのかを、嫌が応にも理解させられた。完全な異世界である。

 ただでさえ理解困難な事態に直面し、追い討ちを掛けるようにオオカミに襲われた健人だが、偶然その場に駆け付けた男女に助けられ、なんとか事なきを得る。

 それから三か月。怪我は完治したものの、異世界という全く知らない世界に放り出された健人だったが、今はこのヘルゲンの宿屋を経営している夫妻の世話になりながら、何とか生活していた。

 言葉の方も少しずつ習得し始め、簡単な会話ならなんとかやれるようになってきていた。

 

「ケント、地下の倉庫からハチミツ酒を十本持ってきてくれ。ホニングブリューのだ」

 

「すぐに持ってきます」

 

「ケント、そっちが終わったら調理場の方も手伝ってくれない? 今日はお客さんが多くて手が回らないの」

 

「分かりました」

 

 中年の男女に頼まれ、健人は蜂蜜酒を取りに宿の地下へと向かう。

 ティグナ夫妻。この宿屋を経営するノルドの夫婦であり、彼を助けた恩人の両親でもあった。

 夫のアストン・ティグナがお客の応対や帳簿の管理、妻のエーミナが厨房などの裏方を担当している。

 ノルドとは、タムリエル大陸に住む人種の一つで、極寒のスカイリムに適応した人々だ。

 元々ノルドの先祖はタムリエル大陸より北のアトモーラ大陸に住んでいたが、数千年前にその大陸から移住してきたらしい。

 彼らはがっしりとした体躯を持ち、寒さに適応した人種で、この極寒の地でも逞しく生きている人々だった。

 健人にとってこのスカイリムの寒さは、日本で経験した寒さとは比較にならないほどで、室内でも防寒着が手放せないほどだが、彼らノルドにとって、恵雨の月である今の季節は、寒さはかなり和らいでいるらしい。

 

「はー、はー。やっぱり寒すぎるよ……。手が凍りそうだ」

 

 宿屋の倉庫として使われている地下で頼まれた蜂蜜酒を探しながら、健人は毛皮のコートの中で身を震わせていた。

 常に火を焚いているホールと違い、暗い地下の倉庫はやはり寒い。

 吐く息を手にかけ、健人は手早く棚に置かれていた蜂蜜酒の瓶を取ってホールに戻る。

 ホールに戻ると健人は、宿のカウンターで客の応対をしているアストンに、持ってきた蜂蜜酒を届ける。

 

「持ってきました」

 

「ああ、ありがとう。カウンターの上に置いておいてくれ……って、ケント、これはブラックブライアの蜂蜜酒だ。頼んだのはホニングブリューの蜂蜜酒だよ」

 

「え? す、すいません! すぐに持ってきます!」

 

 健人はどうやらラベルに張られていた文字を読み間違えたらしく、別のお酒を持ってきてしまったらしい。

 

「慌てなくていいよ。ホニングブリューのは棚の奥だ。持ってきたお酒はそのまま置いておいてくれ。どうせ使うだろうから」

 

「は、はい!」

 

 今一度地下倉庫に戻った健人は素早く棚の奥からホニングブリューの蜂蜜酒を取り出すと、すぐにホールに戻り、カウンターの上に持ってきた蜂蜜酒を並べる。

 このタムリエルには、共通の言語が存在するが、健人はまだうまくタムリエル語を話すことはできていない。当然ながら、文字もよく読めない。

 単語や文法はなんとなく英語に似ているような気がしていたが、彼自身は学生ではあっても外国語の成績は決して良いものではなかった。

 それでも必要に迫られた際の人間の集中力というものはすさまじく、わずか三か月でそれなりのコミュニケーション能力を彼に与えてくれていた。

 とはいえ、今でも早口で言われると何を言っているのか分からなかったりする。

 ホニングブリューの酒瓶を並べ終わった健人は、そのまま厨房へと向かった。厨房では料理を担当しているエーミナの手伝いをするためだ。

 

「手伝います」

 

 厨房に到着すると、エーミナ夫人がテキパキと料理をこなしていた。暖炉で鹿肉のスープとサケのステーキを作っている

 厨房のテーブルには料理を乗せるための皿が所狭しにならんでおり、健人は付け合わせの野菜を刻み、次々と皿に盛りつけていく。

 スカイリムの料理は基本的な味付けに塩を使っており、健人が日本で食べていた料理と比べても味が単調になりやすい。

 しかし、エーミナは野に生えている花や香草、木の実などを巧みに使い、多彩な味を作り上げている。

 健人がこの世界に来た時に始めた食べたミルクスープも彼女が作ったものであり、彼女の料理はこの宿の客寄せに一役買っていた。

 

「ありがとうケント。鹿肉のスープをお願いできる? 出来たら器に盛り付けてホールに持って行って。サケのステーキはもう少しかかると思うから」

 

「分かりました」

 

 健人はエーミナの言うとおり、鹿肉のスープが入った鍋を見てみる。

 ヤギの乳と鹿肉のスープが、コトコトと音を立てていた。

 スープの中のニンジンを一欠片摘まみ、口に運ぶ。噛むとホクホクと崩れ、甘みが口いっぱいに広がる。どうやら具には十分火が通っているようだ。

 焦げ付かないようにゆっくりと鍋をかき混ぜながら、もうしばらく火にかけ続ける。

 最後にみじん切りにした香草を一つまみ入れて完成。

 スープができたら、鍋を暖炉から離してテーブルに置き、手早く器に盛りつける。

 エーミナはその間にジュウジュウと焼けているサケのステーキと向き合い、手早くひっくり返す。

 ニンニクの香りが漂うサケ肉に手早く香草を振りかけ、焼き色が付いたら皿へ。その間に健人は空になった料理鍋を素早く水で流し、再び暖炉にかけて次の料理ができるようにする。

 実は、健人は母親を早くに亡くしており、父親と二人暮らしだった。そのため、料理などの一般的な家事は大体身に着けている。

 その家事能力は、この宿の厨房でもかなり重宝されていた。料理ができるのがエーミナ一人という事が大きかったらしい。

 もっとも、やはりスカイリムで使われる食材も調味料も日本とはかなり違うため、最初は結構失敗することも多かった。

 それでも、三か月もすれば大体の料理の調理法は理解できるし、こうして厨房の手伝いくらいなら任せられるようになっていた。

 そうこうしているうちに料理が完成。

 健人とエーミナは料理を盛り付けた器と皿を持って食堂へむかう。

 食堂に到着すると、料理を待ち望んでいた客たちから次々に催促の声が上がった。

 

「おーいケント、鹿肉のスープをくれ。ついでに蜂蜜酒も」

 

「ケント、こっちはサケのステーキ頼んでから待ちっぱなしなんだぞ、早くしてくれ!」

 

「ケント~、俺のスイートロールが盗まれた~! 探してきてくれ~!」

 

「すぐお持ちします。それからスイートロールはさっき食べたでしょう。自分の腹の中を探してください」

 

 ホールに集まっているお客たちが、口々に健人の名を呼んで料理を求めてくる。

 耳を突くような大声や酔っぱらいの呂律の回らない催促にも、健人は嫌な顔一つ浮かべずにこなしていく。

 さらに泥酔している客に、それとなく水を差しだしたりする気遣いも忘れない。

健人の仕事ぶりを、ティグナ夫妻は優しく見守っていた。

 そんな中、ひときわ特徴的な人物が健人に話しかけてくる。

 

「ケント、おいらのハニーナッツはどこ? 注文したはずだけど?」

 

 声をかけてきたのは、全身を体毛に覆われた、人に似た亜人だった。

 猫をそのまま人型にした容姿、臀部から伸びる尾。この世界でカジートと呼ばれる獣人だ。

 カシト・ガルジット。

 このヘルゲンにて、帝国軍に属する兵士の一人である。

 

「いや、注文はこれで全部だ。お前のはない」

 

「なんで!? おいらもお客さんだよ?」

 

「先日のツケを払っていないからな。ツケがある以上、お前は訪問者であって、お客様にはならないの」

 

 カシトはこの酒場の常連客であり、この世界で健人が気を使う必要のない、数少ない人物だった。

 このカシトという人物を一言で言い表すなら“スキーヴァの舌野郎”である。

 大げさなことを言うが、実際は成功した例がない。

 元々、健人とカシトの出会いは、彼がこの宿屋のツケを1か月ほどため込んだことからである。

 給金が出たら払うといいながら、期日の日、彼は支払いができなかった。

 その後、色々とすったもんだの末に、カシトはツケを払い終えるまでこの宿屋の丁稚奉公をすることになり、帝国軍兵士としての軍務の傍ら、健人と一緒に一か月ほどただ働きを行った。

 そして、その奉公中に、彼は持ち前の大言壮語で色々と騒動を起こしていたのだ。

 当然ながら、その騒動に、いの一番に巻き込まれたのは、健人である。

 当時はまだスカイリムに迷い込んで一か月とちょっと。日常会話もおぼつかない健人にとって、カシトがいた一か月は、別な意味で衝撃的で忘れられない一か月となった。

 同時に、この一か月で健人のカシトに対する遠慮や気遣いなどというものも微塵に砕けて消滅したのだが。

 

「大丈夫! 来週には大きなお金入るから! がっぽり間違いなし! カシト嘘つかない!」

 

「嘘はつかないって言うけど、大げさに誇張した挙句に失敗はするだろ。この前も数百ゴールド儲かるとか言って、実際の儲けはゼロだったじゃないか……」

 

「ケント、その猫には水も出さなくていいぞ」

 

「わかりました」

 

「あ、ちょっと!」

 

 カシトの呼び止めを無視して、健人は背を向けて仕事に戻る。

 ちょっとかわいそうな気もするが、生憎と金がないのは、彼の自業自得。健人も今は一日の中では比較的忙しい時間帯で、余裕がない。

 とはいえ、少し良心が痛むことも確か。

 空のジョッキや食器を片づけながらチラリと目を向けると、カシトはまるで叱られた幼子のようにショボンとしている。

 ふさふさの尻尾は垂れ下がり、普段はピンと立っている耳は力なくペタンと、折れ曲がってしまっていた。

 

「カシト、これ」

 

「え?」

 

 スッとカシトの元に戻ると、健人は懐から数枚のクッキーを取り出し、彼に手渡した。

 

「試作品のクッキーだ。まだ店には出せないが、味見役を頼む」

 

 渡したのは試作品のハニークッキー。はちみつで甘みをつけ、スノーベリーを混ぜて焼いたものだ。

 余った食材で作った、手間のかからない簡素なもの。現代日本のクッキーとは比べ物にならないほど粗雑だが、このスカイリムでは、甘味は最上の娯楽の一つ。

 その証拠に、先ほどまで沈んでいたカシトの表情が、ぱあっと輝いた。

 

「あ、ありがとうケント! おいら大好きだよ!」

 

「むが」

 

 感極まった様子でカシトが抱き着いてくる。

 軍属というむさ苦しい職務につきながらも、鼻につくような悪臭はなく、人より若干高い体温が、じんわりと沁みてくる。

 もさもさ感満載の毛並に包まれながら、健人はむさ苦しくも、どこか満足そうだった。

 

 

 

 

 

 

 カシトからの抱擁から脱した健人は、仕事に戻る。

 クッキーをもらったカジートはホールの端で一口一口、味わうようにゆっくりと食べている。

 相当嬉しかったのか、時折耳がピンと立ったり、尻尾がピョンピョン跳ねていた。

 片付けが一段落した健人に、アストンが声をかける。

 

「お疲れケント。少し休んでくれ」

 

「え? まだ大丈夫ですよ?」

 

「いいんだ、朝からずっと働きっぱなしだろ? しばらく新しいお客さんは来ないと思うから、今のうちに少し休憩しておくんだ。今日の夜も忙しくなると思うから」

 

「分かりました。少し休みます」

 

「それからあのクッキー、もしよかったら俺にも焼いてくれ。食べてみたい」

 

「わかりました。用意しておきます」

 

 アストンが満足そうに笑みを浮かべる。

 生活に必要なあらゆる事が機械化、簡略化されている現代日本と違い、このスカイリムでは、普通に生活するだけでも大変だった。

 単純な水汲みから燃料の薪割りに火おこし、料理に洗濯、家畜の世話。

 日本でならボタン一つでできてしまうことも、スカイリムでは手間暇かけて行わなければならない。

 必然的に、朝から晩まで働き詰めになってしまう。

 肉体的にはキツイ。それでも健人は、慣れない日常作業を文句ひとつ言わずにこなしてきた。

 

「でも、ケントが料理できてよかったわ。お父さんもリータも料理はからっきしだから」

 

 厨房での仕事がひと段落したのか、エーミナが健人たちの会話に混ざってきた。

 

「う……。わ、悪かったな。不器用で……」

 

「私も最初は失敗しましたよ?」

 

「それでも、よ」

 

 空いた皿を片付けながら、エーミナは優しい微笑みを健人に向けた。

 この世界での料理法は、現代日本で行うものとは勝手が違う。

 料理に使う熱源ひとつとっても、ガスコンロのような調理専用の熱源はなく、暖炉の火を利用している。

 これは燃料の節約のためだが、そのため火力の調整ができない。

 よって、作る料理に合わせて鍋やフライパンを変え、火力の調整を行っている。

 最初は慣れない調理器具に失敗していた健人も、今では立派な厨房の戦力だった。

 アストンは料理があまり得意ではないので、この厨房で仕事をするのは、もっぱら健人とエーミナの二人だけである。

 ちなみにティグナ夫妻には一人娘がいるのだが、この娘はとある理由から完全に戦力外とみなされており、厨房に入ることすら許されていなかったりする。

 

「そういえば、リータはどうしたんですか?」

 

「ドルマと一緒に狩りに行ったわ。もう少しで帰ってくると思うけど……」

 

「最近は戦争の影響で物騒だから、心配なのだが……」

 

 リータとはアストン夫妻の娘だ。彼女は今、狩りに出ている。

 夫妻は娘が心配なのか、不安そうな表情を浮かべるが、それも無理ないことであった。

 このスカイリムはここ近年、スカイリムの実質支配していた帝国と、帝国からの独立を目指すストームクロークと呼ばれる反乱軍との戦争が勃発し、内乱状態なのである。

 その為、治安は急激に悪化。

 各地で難民が溢れ、山賊に身を落とし、近くの村や町を襲う事態も頻発しているため、どの集落も神経を尖らせている。

 そのため、ティグナ夫妻も初めは異邦人の健人を内心では訝しんでいた。

 だが、健人がタムリエルの常識はおろか、言葉すら全く知らなかったこと。何よりここ数ヶ月の間、真面目に働く健人の仕事ぶりを見てきたためか、初めのころに抱いていた警戒心はすっかり薄らいでいた。

 その時、宿の外から溌剌とした声が響いてきた。

 

「お父さん、お母さん、ただいま~」

 

「帰ってきたみたいね」

 

「今日は野ウサギ一匹と、野ヤギが獲れたよ」

 

 宿の玄関を開けて現れたのは、金髪をポニーテールに結わえた少女と、筋骨逞しい青年。

 この二人が、先ほどの話に出てきたリータとドルマ。

 リータはディグナ夫妻の一人娘で、この宿で手伝いをする傍ら、狩りで家計を助けたりしている。

 ドルマとよばれた筋骨隆々の青年はリータの幼馴染のノルドで、まだ十代ながら、彫の深い顔立ちと強面の表情、金色の不精髭が、彼を二十代にも三十代にも見せていた。

 リータは背中に弓矢を背負い、腰には鉄製の片手剣を差している。

 一方のドルマは背中には鉄製の両手剣と木製の弓矢を背負い、肩に獲物であろう山羊を担いでいた。

 少女は手にした野兎を嬉しそうに掲げ、青年は担いだ山羊を無言で近くのテーブルに乗せる。

 

「あ、ケント、手伝うね」

 

「い、いや、いいよ。リータは疲れているだろ。気にしなくていいよ」

 

「……なんで言葉に詰まるのよ」

 

「……さて、仕事に戻るか」

 

「その間は何よ~~!」

 

「ぐえ! 首、首! 締まってる!」

 

 頬を膨らませたリータが後ろから健人を羽交い絞めにして、首を絞めはじめる。

 女性とはいえ、立派な狩人であるリータのチョークスリッパーに、健人はタップを繰り返しながら、必死に逃げようとする。

 

「私だってやればできるんだからね!」

 

「そう言って鍋いっぱいに炭作ったのは誰だよ。ついでに皿を運ぶ時も必ず転ぶ癖に」

 

「ぐぬ……。ケントのくせに生意気な……」

 

「ドルマ君も、ありがとね」

 

「気にしなくていいです。おいよそ者、もっていけよ」

 

「うわ!」

 

 エーミナがお礼を言うと、ドルマは不愛想に狩ったヤギを健人に向かって放り投げた。

 健人は慌てて投げられた山羊をキャッチするが、受け止めきれずに尻餅をついてしまう。

 

「相変わらずひ弱だな。まるでエルフどもの耳みたいだ」

 

「……」

 

「面倒にならない内に、さっさと出ていけよ。よそ者」

 

 尻餅をついた健人を見下ろしながら、ドルマが侮蔑の視線を送ってくる。

 ドルマの無礼な態度に健人は思わず眉をひそめるが、何も言わずにグッと口をつぐむ。

 ドルマは森に迷い込んだ健人を助けた人物の一人であり、健人にとっては恩人の一人でもあるからだ。

 言い返さない健人に対して、ドルマもまた意気地なしと言うように眉を顰める。

その瞬間、健人の後ろに居たリータが口を開いていた。

 

「こら、ドルマ!」

 

 ドルマの言葉にリータが声を荒げる。

 

「間違っちゃいないだろ? 唯でさえストームクロークと帝国軍の小競り合いのせいで街の中がギスギスしているんだ。そんな中でよそ者に長居されるのは迷惑なんだよ」

 

「それでも、記憶を失くして行く当てのないケントにいきなり出て行けはないでしょ!」

 

 ここ三か月ほど、このヘルゲンの街で生活していた健人だったが、彼はすべての街人に歓迎されていたわけではなかった。

 むしろ彼を受け入れている人間は半数で、残り半数の人達からは、余所者として冷めた目で見られていた。

 これには複数の理由があり、一つはスカイリムでストームクロークとの内乱が起こっていること。ただでさえ政情不安な中に身元不明の人間など、警戒されて当たり前である。

 もう一つの理由は、ノルドの気質が関わっている。

 スカイリムは高い山脈や一年中降る雪などで道が寸断されることが多く、寒冷で作物も育ちにくい。そんな厳しい土地の集落は、どうしても閉鎖的になる。

 また、極寒のスカイリムに住むノルドは戦士としての力量を重んじる気風が強く、その環境に適応したためか、生まれながら恵まれた体躯を持っている。

 ノルドとしてはごく普通のリータですら、健人と身長は同じくらいであり、ドルマに至っては身長180センチを楽々超えている。

 ごく普通の日本人の体格であり、剣も握ったこともない健人は、ノルドから見れば蔑視の対象でしかなかったのである。

 もちろん、ティグナ夫妻や酒場の常連のように、健人のどんな仕事にも真面目に取り組む姿勢に好感を持っている人もいるのも事実ではある。しかし、その数はまだ多くはなかった。

 

「大体コイツ、怪しすぎるんだよ。記憶喪失なんて信じられるか? ストームクロークのスパイだって方が、よっぽど現実的だ」

 

「ドルマ!!」

 

「ふん……事実だろうが」

 

 リータに噛みつかれたドルマだが、鼻を鳴らしてリータの母が差し出したハチミツ酒を飲み始める。

 その頑なな態度が、自分の意見を撤回する気がないという事を如実に語っていた。

 

「もう、ごめんねケント」

 

「……いいよ、僕がよそ者なのは確かだから」

 

 申し訳なさそうに肩を落とすリータに、健人は気にするなと言うように首を振る。

 彼自身も、自分がこの街にとって異物であることは理解していたし、ドルマが、頑なな態度をとる理由も納得できていた。

 健人は、会話ができるようになってきた頃、ティグナ夫妻から出身地を聞かれていた。

 しかし、健人は自分が地球の日本という国の出身であることを、記憶喪失という事で隠したのだ。

 異世界の出身ですなんて言っても、信じてもらえるはずがない。

 咄嗟に口から出た嘘ではあったが、タムリエル大陸の基本的な常識すら知らない健人の姿は、リータやティグナ夫妻に対し、彼の言葉に信憑性を持たせる結果となっていた。

 しかし、当然ながら、ドルマのように健人を怪しむ者もおり、実はこれがヘルゲンの人たちが健人を受け入れられないもっとも大きな要因だった。

 それでも健人としては、自分の身に起きた現実を考えれば、こうして寝食を確保できているだけでも、十分すぎた。

 

「ケント、ドルマの事は気にするな。一週間前に来たハドバルが言っていたが、最近はストームクロークと帝国軍との戦いも激しくなってきている。

 街に駐留している帝国軍兵も増えてきたから、イラついているんだろ」

 

 リータの父が、健人を気遣うように微笑みかける。

 そばに控える彼の妻も、夫の気持ちに同意するように頷いていた。

 健人の心に、温かい熱がこみ上げる。

 そして同時に、そんな嘘を信じて自分を助けてくれたティグナ夫妻とリータに対して、出来るだけの恩返しをしたいという想いをなお強く抱くようになっていた。

 

「街にいる帝国兵が増えたのは分かるけど、何かあるのかな?」

 

「リフトの方に対する備えかもしれないけどな。あっちの首長はストームクロークを支持しているし」

 

 リータの疑問にドルマが答える。

 ヘルゲンの東の小道を進むとリフトと呼ばれるホールドがある。

 ホールドとはいわゆる一つの国、領地であり、リフトの首都はリフテン。その首長、ライラ・ローギバーは、ストームクロークのリーダーであるウルフリックを支持している。

 東の小道は大軍が通るには向かないが、ヘルゲンはスカイリムにおける帝国の一大拠点の一つであり、油断はできないのかもしれない。

 そもそも、ストームクロークが帝国に反旗を翻した理由は、第4期初めに勃発したアルドメリ自治領と帝国の戦争“大戦”の講和条約である白金協定が原因である。

 この白金協定で、アルドメリ自治領は帝国内でのタロス神の信仰禁止を要請し、帝国はこれを受け入れた。そうしなければ、さらに戦いが長引き、帝国の崩壊は避けられなくなるからだ。

 だがタロスはノルドにとっては重要な英雄神であり、人としてタイバー・セプティムと名乗っていた頃は現在の帝国の礎を築いた重要人物でもある。

 その為、英雄神の信仰を禁止されたことがノルドの怒りを買い、ひいてはストームクロークの決起につながった経緯があった。

 

「あの、タロス信仰ってそんなに大事なんですか?」

 

「大事も大事さ。何でエルフの奴らのいう事を聞いて、我らがタロスへの祈りをやめなきゃならない!」

 

 宗教というものに対して思い入れが今一ない健人が漏らした疑問に、ドルマが怒りをはらんだ声を叩き付ける。

 その怒気に、健人は思わず息を飲んだ。

 

「余所者にはわからんだろうな。我らの想いなど」

 

「……ごめん。あまりに不躾だった」

 

「ちっ……」

 

 あまりにも配慮に欠けていた。健人は素直にドルマに対して、素直に頭を下げた。

 一方、ドルマは頭を下げた健人にますます苛立ちを募らせる。

 飲んでいた常連たちも、皆一様に苦々しい表情を浮かべていた。ドルマの態度はともかく、彼らもまた白金協定に対して、同じ想いを抱えているということが、その表情にありありと浮かんでいる。

 ヘルゲンの人々の帝国に対する悪感情は、他のホールドに比べればかなり薄い。

 この街は帝国の根拠地であるシロディールと国境が近く、スカイリム最大の交易拠点であるホワイトランへの中継拠点として長年栄えてきたからだ。

 街中には帝国軍の砦もあり、だからこそ、帝国に事情について、理解を示す者は多い。

 しかしそれでも、長年の信仰を捨てることへの抵抗感は、消えないというのがこの街の現状だった。

 

「ドルマ、この街であまり声高に騒ぐな」

 

「分かっていますよ。帝国兵の前では言いません。それに、自分も分かっているつもりです。下手に大事にすれば、結果的にエルフどもに手を貸すことになることくらい」

 

 コップを拭いていたアストンがドルマを諫める。

 今白金協定を破れば、アルドメリ自治領は今度こそ帝国を潰すだろう。

 ドルマ自身も、帝国の事情は理解しているし、大っぴらにアルドメリ自治領への非難を口にはしない。

 下手をすれば、自分たちの周囲に迷惑がかかるかもしれないことも理解している。

 忸怩たる思いはあるが、それでも、幼馴染の家族に迷惑をかけたくないという思いは変わらないのだ。

 重い空気が宿屋の中に満ちる。

 その時、宿屋のドアがバン! 大きな音を立てて開かれ、血相を変えた街人が飛び込んできた。

 

「お~い! 大変だ!」

 

「いったいどうしたんですか?」

 

「ウ、ウルフリック・ストームクロークを、帝国軍のテュリウス将軍が捕まえたらしい!」

 

 そして物語は幕を開ける。

 業火と災厄、そして怨嗟の気配とともに。

 

 




というわけで、これからが本当のストーリの始まりとなります。
メインクエスト序盤からいろいろ違うスカイリム。
こんなスカイリムでもいいなと思い、書いています。
次の投稿では、オリキャラについて書こうと思います。
序盤はオリキャラの会話が多いですが、オリキャラはこれ以上は、ほぼ増えないと思いますので、ご了承ください。


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登場人物紹介

主人公

坂上 健人

日本からタムリエルに流れついた高校生。

ヘルゲンの近くで狼に襲われていたところをリータとドルマに助けられる。

ごく普通の高校生なので、剣を握った経験はなく、力量も未熟。

家族は父親だけで、母親は死別。

学校生活は特に目立たないままだったが、一時期クラスのガラの悪い連中に目を付けられたことがある。

コミュニケーションが若干苦手。

父親との仲は悪いわけではなかったが、仕事で家を留守にしがちな父親との会話は少なく、どこか遠慮しがちなところがある。

そんな境遇からか、内向的で、人とは距離を置く人間。

ただ、幼いころから何事も一人でこなしてきたために、事務的な人間関係や家事等もある程度そつなくこなせる。

 

 

リータ・ティグナ

ヘルゲンに住むノルドの少女。

健人とは同い歳で、行く当てのない健人の面倒を甲斐甲斐しく見てくれた。

ノルドとしては普通の身長だが、それでも健人とあまり変わらない。

かなり可憐な容姿をしている。

基本的に不器用。

細かい作業は苦手で、家事なども不得意。

特に料理関係をするとドジをやらかし、本人の不器用さも相まって酷い事態になる。

 

 

ドルマ

リータの幼馴染。

大剣や両手斧などの重量武器を使いこなすノルドの青年。弓なども十全に使いこなせる。

両親は生きているが、生来の気丈で強気な性格が災いし、親子間の仲は良くなかった。

そのため、自分を受け入れてくれていたリータの両親には気を許し、よく厄介になっている。

口調は悪い。面倒見もあまりよくない。

典型的なノルドであり、よそ者、かつ戦士としては未熟者の健人を不審に思っており、特に健人が自分の出生を口にしないことに、さらに不信感を募らせている。

 

 

アストン・ティグナ

ヘルゲンの宿屋を経営するノルドの男性。

リータの父親であり、彼女が拾ってきた健人を住まわせることを決めた人物である。

食堂を兼任する宿屋を経営しているが、料理の腕は今一歩。

宿屋では客の応対や、帳簿などの経理を担当している。

 

 

エーミナ・ティグナ

アストンの妻であるノルドの女性。

娘であるリータが家事については完全にポンコツなため、ティグナ家の家事一切を担っている。

宿屋では料理などを担当。

香草や木の実などを使ったオリジナルの料理を考案し、店に出しており、その味は中々のもの。

 

 

 

カシト・ガルジット

帝国軍に属していたカジート。

本人のあだ名は“スキーヴァの舌野郎”猫のくせにネズミ扱いされている。

口が軽く。色々と大言を吐くが、大抵失敗してひどい目にあっている。

帝国軍に入っているのは、飯代が浮くからという理由で、帝国に対する忠誠心はない。

帝国軍の中では種族的な要因はもとより、その言動から距離を置かれていたが、健人と出会い、それ以来何かと彼と行動を共にするようになる。

ケントとの出会いは、彼が無銭飲食した挙句、給料を取り上げられてツケが払えなくなった際に、アストンとの間を取り持ち、うまくまとめたことが理由。

それ以来、店に来ると健人によく話しかけている。

三枚目だけあり、大抵ひどい目にあっているが、それにへこたれない図太い神経の持ち主でもある。

 

 



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第三話 竜王の帰還

 反乱軍ストームクロークの首魁、ウルフリック・ストームクロークの捕縛。

 その情報は、驚愕と共にヘルゲン中に駆け巡った。

 話を持ってきた街人によると、帝国軍が僅かな手勢で隠密行動中だったウルフリックの本隊を奇襲し、捕縛を成功させたらしい。

 健人達が宿屋の外に出ると、既に反乱軍の兵を捕えた馬車が、続々と街の帝国軍砦前にやってきていた。

 到着した馬車からは青い皮のキュイラスをまとったストームクローク兵達が次々とおろされ、砦の前に並べられていく。

 そして砦前には斧を持った大男がおり、その男の前には斬首台が置かれていた。どうやらここで、処刑を行うらしい。

 砦前にはすでに重苦しい空気が満ちており、周囲には帝国兵の他に、見物人と思われる街人たちもいた。

 平和な日本では絶対に目にしない光景に、健人は思わず息を飲む。

 その時、健人の目に見慣れた人物が飛び込んできた。

 捕虜たちを下している馬車の後に並び、馬から降りる一人の帝国兵。こげ茶色の髪と彫りの深い顔立ちが特徴的なノルドだ。

 

「あれは、ハドバルさん?」

 

「ホントだ。最近うちの店に来ていなかったけど、任務だったんだ……」

 

 健人の視線の先にいるノルドに、リータも気付いた。

 ハドバルは、ここヘルゲンの帝国軍に所属しており、スカイリム派遣軍総司令官であるテュリウス将軍にも一目置かれている兵士である。

 リータの宿屋にもよく蜂蜜酒を飲みに来る常連でもあった。

 

「ハドバルさん!」

 

 馬から降りたハドバルに、リータが声をかける。

 ハドバルの視線が、駆け寄るリータ達を捉えた。

 

「リータにドルマ、それにケントか」

 

「任務だったんですね。無事でよかったです」

 

 健人に対してはしかめっ面しか見せないドルマも、ハドバルに声をかけるときは、口調は柔らかく、言葉も選んでいる。

 一戦士としても兵士としても熟練しているハドバルに対しては、ドルマも礼を失するような言動はしない。

 戦士としての生き方を重んじるノルドらしい態度だった。

 

「まあな。困難な任務だったが、テュリウス将軍のおかげで反乱軍の首魁を捕えることができたよ」

 

 ハドバルが並ぶ馬車の一台を、チラリと一瞥した。

 彼の視線の先にある馬車には、他の捕虜たちとは明らかに格が異なる鎧を身にまとった偉丈夫がいた。

 他の兵士達と比べても頭一つ飛び出る長身と、恵まれた体躯。豊かな金色の髪と髭をもつ、典型的なノルド。

 

「あれが、ストームクロークのリーダーですか?」

 

「ああ、裏切り者のウルフリック・ストームクロークだ」

 

「あの、なんで猿轡を?」

 

 よく見ると、ウルフリックだけ口を覆うよう猿轡をかけられていた。他の捕虜は両手を縛られているものの、ウルフリックのような猿轡はかけられていない。

 健人の疑問に、ハドバルが答える。

 

「ウルフリックはシャウトの使い手だから、あんな猿轡をかけているのさ」

 

「……シャウト?」

 

「ああ、お前は知らないんだったな。シャウトはノルドに伝わる極めて強力な魔法だ。ウルフリックはそれを使って、上級王トリグを殺したんだ」

 

 その結果、この内戦が勃発した。とハドバルは言葉を続ける。

 シャウト。

 現在タムリエルで主流の魔法とは違う、古代ノルド達独自の魔法。

 通常魔法とは、魔力と詠唱を必要とする。だがこのシャウトは、ただ“声”を発するだけで相手を殺傷できるほどの威力を発揮できる。

 別名“声秘術”。古代ノルド人の中には、空を震わせ、地を砕き、時を歪める者もいたらしい。

 

「古代の昔話じゃあ、この声の力で、敵の城門を砕いたなんて話があるくらい強力な術だよ。

 もっとも、エルフ由来の魔法と比べて習得は遥かに困難だし、膨大な時間もかかる。今はこの秘術を使う者は、ウルフリックを除けば、世界のノドの寺院にいるグレイビアードくらいさ」

 

「だから、ウルフリックは猿轡をされているんですね……」

 

「ああ。この場にはテュリウス将軍も来ている。彼を上級王トリグの二の舞にさせるわけにはいかないからな……」

 

 上級王トリグとは、このスカイリムすべてのホールドに対して絶対的な権力を持つ王であり、実質的なスカイリムの統治者だった人物の事だ。

 ハドバルの話では、ウルフリックは古代ノルドの伝統に従い、上級王に対して決闘を申し込み、トリグはこれを受けた。

 そして、ウルフリックはこの上級王を決闘で殺し、そしてそれがこのスカイリムでの内乱のきっかけとなっている。

 ただ声を発するだけで人を殺せるなら、両手を縛られていたところで、問題などないだろう。

 健人はそのように考え、ウルフリックがあのような猿轡を掛けられていることに納得する。

 次に健人の目に留まったのは、処刑台の傍に控えている男性。

 ノルドのように筋骨隆々というわけではないが、短く切りそろえた銀に近い白髪と、鋭いカミソリのような視線が特徴的な男性だ。

 他の帝国軍兵士とは違って明らかに格上の装いの鎧に身を包んでおり、彼もまたウルフリックと同じように、常人とは思えない風格をまとっている。

 

「あちらの豪華な鎧を着ている人がテュリウス将軍ですか?」

 

「そうだ。彼の采配のおかげで、ウルフリックを捕えることができたんだ」

 

 ハドバルの話では、ウルフリックの反乱を鎮圧するために、帝都シロディールから派遣されてきたインペリアルの将軍らしい。

 インペリアルとは、このタムリエルの主要な人族の一種であり、交渉などに長けた人たちで、主にタムリエル大陸中央部に住んでいる。

 元々は古代ノルドの先祖から分かれた人種であり、古代ではエルフたちの奴隷として扱われていたが、そのエルフたちを反乱で追い出し、自治を獲得したらしい。

 現在はノルドとは違う人種とみられているが、元々は同じ人種を起源に持つという事で、その関係は決して悪くはないらしい。

 

「なんだかストームクロークじゃない人も交じっているみたいですけど……」

 

 捕虜たちをよく見てみると、ストームクロークの鎧を纏っていない者もいる。

 

「ああ、作戦中に偶然捕まえた馬泥棒だ。それよりも、これから処刑だ。近づかないほうがいい……」

 

 ハドバルは改めて健人達に忠告すると、馬を木につないで処刑場のほうに足を進めようとする。

 その時、捕えた捕虜を下している馬車を見るハドバルの目が、わずかに細められた。

 処刑場に進めていたハドバルの足が止まる。彼の視線の先には金髪の長髪と髭を生やし、左側のもみあげを編んだノルドがいた。

 

「ハドバルさん。あのストームクロークの人がどうかしたんですか?」

 

「ああ、レイロフってやつなんだが……俺と同じリバーウッドの出身で、幼馴染なんだよ」

 

「……え?」

 

 ハドバルの言葉に、健人は思わず言葉を失う。

 一方のハドバルは、呆れたような、痛ましいような、微妙な表情を浮かべて首を振った。

 

「ウルフリックの夢想に踊らされたんだよ。馬鹿な奴だ」

 

 幼馴染がこれから殺されるというのに、ハドバルの口調には諦観の色はあれど、処刑そのものを拒むような雰囲気はない。

 ある種の達観ともいえるハドバルの反応に、健人は思わず口を開いた。

 

「あの、その……。ハドバルさんは、いいんですか?」

 

「何がだ。アイツが俺の敵になっていたことか? それとも、これから奴の処刑を実行しようとしていることか?」

 

「えっと、その……」

 

 やや強い口調のハドバルの言葉に、健人は言いよどむ。

 ハドバルの言葉からは、明らかに拒絶の色が見て取れた。

 何よりも、立派な体躯から発せられる威圧感が、言葉を挟もうとする健人の意思に冷や水をかける。

 

「どんな理由があるにしろ、あいつは帝国を裏切った。まがりなりにも、このタムリエルを平和にしてきた帝国をだ。それは絶対に許されることじゃない」

 

「それは、そうですが……」

 

 平和な日本ではまず経験することのない、本物の兵士が持つ威容が、健人の口を凍らせる。

 命と命のやり取りを繰り返したものが持つ圧力は、十代の高校生が跳ね返せるようなものではない。

 それでも、健人は口元をゆがめながらも納得していない表情だった。

 健人自身今では会うことができなくなってしまったが、彼にも家族はいるし、少ないながら友人もいた。

 もしその人達が自分の目の前で死んだら、どうだろうか? まして、自分の手にかけなければならなくなったら……。

 そんな想像が頭によぎり、健人は自分の心臓が万力で締め付けられるように痛み、同時に苦いものが口一杯に広がるのを感じていた。

 何か言わないと。そんな考えが頭に浮かび、健人は思わず口を開く。

 

「おいケント。それ以上口を開くな」

 

「…………」

 

 しかし、その最後の意思も、ドルマの言葉によって、さらに押し止められた。

 

「そんな事、ハドバルさんが考えなかったわけねえだろ。他所者のお前が考えることなんてとっくに納得して、ハドバルさんは剣を取っているんだ。

中途半端な気持ちで、この場で口を開くんじゃねえ」

 

 ドルマの言葉が、痛みに耐えていた健人の胸をさらに激しくかき乱す。

 彼の言うとおり、健人が先ほど言おうとしたことは中途半端な気持ちからだった。21世紀の日本人の大半が持つ、偽善ともいえる。

 健人自身も、今の自分の気持ちが日本人特有の甘っちょろい考えだということは理解できている。

 しかし、健人自身はどうしても納得できなかった。

 死という日本の日常からはほぼ無縁な、しかし、生きているうえで不可避な事象に対する拒絶感が、健人の胸の奥で渦巻き続ける。

 黙したまま、健人は唇を強く噛み締めていた。

 

「…………」

 

「お前、いい加減に……」

 

「ドルマ、そこまでにしろ」

 

 納得した様子のない健人に、ドルマがさらに詰め寄ろうとするが、ハドバルが間に入って押し止める。

 

「……分かりました。ハドバルさんがそういうなら、黙っています」

 

 ドルマは一瞬ムッとした表情を浮かべるが、すぐに息を吐いて後ろに下がった。

 ハドバルは下がったドルマを見てフゥ……と溜息を吐くと、健人の前に立つ。

 

「ケント、気にするな。帝国軍に身をささげると決めた時から、こんなことがあるかもしれないとは覚悟してきた」

 

 ドルマの言葉には健人に対する嫌気をありありと感じ取れたが、ハドバルの声からは別にそのような悪感情は感じられなかった。

 

「それに、アイツだって下手な同情や情けなんて望んじゃいないさ」

 

 穏やかな口調で、ハドバルは健人に語り掛ける。まるで弟に言い聞かせるような、優しい声色で。

 その言葉に、健人の強張っていた肩から力が抜ける。

 ハドバルはそれ以上何も言わず、健人達から離れて捕虜達の前へと足を進めた。

 馬車の前では小隊長らしい女性が控えている。

 そしてハドバルは懐から捕虜の名簿を取り出し、これから処刑を行う者達の名前を読み上げていく。

 

「ウインドヘルム首長、ウルフリック・ストームクローク」

 

 まず初めに呼ばれたのは、やはりストームクロークの首魁。

 ウルフリックは猿轡を嵌められたまま、処刑台の前に並んでいる捕虜たちの列に並ぶ。

 処刑台の前では、既に血糊で錆びた大斧を持った処刑執行人が待機している。

 

「リバーウッドのレイロフ」

 

 次に呼ばれたのは、ハドバルの幼馴染。

 彼らは互いに視線も交わさない。

 ハドバルは淡々と罪人となった幼馴染の名を淡々と呼び、レイロフはこれから身に降りかかる死の恐怖など微塵も感じさせず、処刑台の前に並ぶ。よく見れば、他のストームクローク兵達も、皆胸を張って前を見据えていた。

 

「ロリクステッドのロキール」

 

 次に呼ばれたのは、ボロを纏った馬泥棒。

 彼だけは他の捕虜達とは違い、明らかに脅えた様子だった。

 

「お、俺は反乱軍じゃない! やめてくれ!」

 

 “自分は処刑されるような罪人じゃない”そう喚くと、彼は一目散にその場から逃げ出した。

 後先など考えない、死の恐怖と生存本能に突き動かされた逃避だった。

 

「弓兵、逃がすな!」

 

 しかし、そんな逃亡を帝国軍が許すはずもなく、小隊長の号令によって、すぐさま控えていた兵が弓を射かける。

 

「ぐあ!」

 

 放たれた矢が勢いよくロキールと呼ばれた馬泥棒の背中に刺さり、彼はうつぶせに地面に倒れ込む。

 

「いやだ、いやだ、死ぬのは嫌だ……」

 

 刺さった矢で即死しなかったのか、ロキールは何とか逃げようともがく。しかし、駆け付けた帝国兵が、腰から抜いた剣をその無防備な背中に、無慈悲に突き立てた。

 

「っ!?」

 

 背後から心の蔵を貫かれたロキールは、血の泡を吹ふき、それでも死にたくないと呟き続ける。

 しかし、その声もすぐに擦れ、ロキールの体は数度の痙攣を繰り返し、そして動かなくなった。

 

「他に逃げたい者はいるか!?」

 

 小隊長の怒号が処刑場に響く。

 処刑場に並べられたストームクローク兵は全く動ずることなく、怒号を上げた小隊長を睨みつけていた。

 そして、処刑が開始される。

 最初に選ばれた捕虜が処刑台に送られた。

 処刑台の前には処刑人の他にも司祭がいる。処刑される捕虜に、最後の祝福を授けようというものだ。

 

「聖女マーラの名のもとに……」

 

「さっさとやれアバズレ。昼になっちまうだろうが」

 

「っ! お望みのままに!」

 

 しかし、ストームクローク兵はその祝福をあっさりと拒絶する。

 お前達からは、何も受け取る気はない! という考えを誇示するように。

 そして、処刑人の大斧が振り上げられた。

 

「祖父たちが微笑んでいるのが見えるぞ帝国。お前たちも同じことが言えるか!?」

 

 その言葉を最後に、その捕虜の命は振り下ろされた斧によって断ち切られた。

 死を前にして、その兵士が見たものはなんだったのか。

 切断された頭部がごろりと転がり、勢いよく鮮血が噴き出す。

 そして首を失くした遺体が、小隊長によって無造作に蹴り飛ばされて、処刑台からどかされる。

 

「うっ……」

 

 その光景を見ていた健人の喉の奥から、猛烈な嘔吐感が込み上げた。

 

「ケント、大丈夫?」

 

「う、うん……。だ、大丈夫……」

 

 リータが、えずく健人に心配そうな声を掛ける。

 健人は何とか声を返すが、その様子はとても大丈夫そうには見えなかった。顔面は蒼白になり、瞳は不規則に震えている。

 一方、周囲の街人達は熱に浮かされたような大声を上げている。

 

(なんて、命が軽い世界なんだ……)

 

 容易く刈り取られる命を前にして、健人は改めて自分のいる世界が血生臭く、そして無慈悲なものであることを突き付けられていた。

 彼自身、分かったつもりではあった。この世界に迷い込んですぐにオオカミに襲われて食われかけたことで、この世界が日本とは比較にならないくらい危険に満ちていることを体感していたから。

 しかし、この処刑は、今まで健人が体験してきた危険とは全くの別種のものだった。

 動物でもない、自然でもない、人が人に死を齎す場。

 それは 、まるで破城槌のように健人の脆弱な心を打ちのめしていた。まるで体を虫が這いずり回るような嫌悪感と違和感、そして拒絶感が、震えとなって健人の全身に走る。

 一方、衝撃を受けている健人を他所に、処刑は淡々と進む。健人だけ置き去りにしながら。

 

「次、リバーウッドのレイロフ」

 

 次にハドバルが読んだのは、彼の幼馴染の名前。

 ここで彼らはようやく、互いに顔を上げて視線を交わした。

 

「お前にふさわしい最後だな。レイロフ」

 

「言っていろハドバル。今日、俺はソブンガルデに行く。英雄たちの末席で、道に迷うお前の姿を笑うさ」

 

 交わす言葉はほんの僅か。レイロフは先に逝った兵士と同じように、淡々と処刑台へと歩いていく。

 処刑台の前に来たレイロフを、小隊長が跪かせ、彼の首を処刑台の上に乗せる。

 そして処刑人が大きく斧を振り上げた。

 

「っ!?」

 

 その斧が振り下ろされる前に、健人は目を背けた。

 もう見ていられなかったのだ。

 人が人を殺す。その光景が齎す嫌悪感と忌避感は、未熟な健人の心にはあまりにも重すぎた。

 だが、目を背けたその視界の端に、黒いものが映った。

 雲間から、巨大な何かが覗いたような気がした。

 健人が見えたものが何か確かめようと目を凝らした瞬間、それは雲海の隙間から姿を見せる。

 

「……え?」

 

 健人の目に飛び込んできたのは、空を切り裂きながら舞い降りてくる漆黒の翼。

 震える風が天に吹き荒れ、処刑に集中していたヘルゲンにいた人達もまた空を見上げ、その顔を驚愕の色に染める。

 

「なんだ、アレは!」

 

 舞い降りてきた巨躯が、処刑台の後ろの塔に地響きを立てて舞い降りる。

 爬虫類を思わせる体に、背中から生えた闇を練りこんだような暗黒色の翼。二十メートル以上あるその巨大な体躯は、黒炎を思わせる鋭い鱗に覆われている。

 口には名刀を思わせる鋭い牙がずらりと並び、血のように赤い瞳が健人達を睥睨していた。

 それはまさしく、創作物でしか見たことがなかった異形の姿。

 

「ドラゴンだ!」

 

 誰かが大声を上げる。その声に、あまりに現実離れした光景に固まっていた人々が、慌てふためいて逃げ出し始めた。

 処刑場は一気に大混乱に包まれ、右往左往する人達があちこちでぶつかり、怒号と悲鳴が木霊する。

 

“――ッ――ッ――――ッ!!”

 

 その竜が何かを叫んだ瞬間、空が震え、炎に包まれた。直後に天から無数の炎塊が降り注ぐ。

 落下した隕石は次々と爆発し、熱波が周囲にいた人も家も家畜も纏めて吹き飛ばす。

 人が木の葉のように吹き飛ばされ、千切れ、あらゆる物が炎に包まれていく。その光景は、さながら絨毯爆撃のようだった。

 まるで世界そのものを焼き尽くすように、炎が瞬く間に広がっていく。

 

「な、なんだよ、これ……」

 

 逃げ惑う人々の中で、健人は一人、呆然と立ち尽くしていた。

 健人はこの世界に、地球にはいない生物がいることをリータ達から聞いてはいた。

 サーベルキャットやトロールのような猛獣だけではなく、さらにはドラウグルやスケルトンといったアンデッドの存在もいる。そしてそれらの脅威が、健人を襲ったオオカミ等とは比較にならないほど危険なものであることも。

 だが、今健人の目の前にいる存在は、どう見てもそんなレベルの脅威ではなかった。

 

「衛兵、前へ!」

 

 テュリウス将軍の号令とともに、帝国兵たちが一斉に隊列を組み、塔の上のドラゴンめがけて吶喊していく。

 ドラゴンに立ち向かおうとする彼らの隊列は、まるで定規で引いた線ように乱れなく、覇気に満ちていた。

まさしく精鋭と呼べる者達。

 だがその精鋭を、漆黒のドラゴンは羽虫を払うように容易く排除した。

 

“ファス、ロゥ、ダッ!”

 

 ドラゴンが何かを叫ぶと、その口から不可視の衝撃波が放たれた。

 衝撃波は衛兵たちを飲み込み、精緻にして堅牢な隊列を紙のごとく引き裂き、塵芥のように吹き飛ばす。

 

「がっ……!」

 

 偶然、衝撃波の進路上にいた健人もまた、衛兵たちと同じように吹き飛ばされてしまう。

 彼が石畳に叩きつけられ、意識が朦朧とする中、漆黒のドラゴンは翼をはためかせ、再び空を舞い始める。

 

「弓兵と魔法兵を呼べ! ドラゴンを叩き落とすんだ!」

 

 テュリウス将軍の指示が飛ぶ。

 痛みで蹲る健人を余所に、衛兵達は飛んでいるドラゴンに対して次々と矢を射かけ、魔法を放つ。

 しかし、その攻撃は上空のドラゴンにはほとんど届かず、僅かに当たった矢も魔法も、漆黒の鱗に傷一つ付けられずにいた。

 

“ヨル……、トゥ、シュール!”

 

 逆にドラゴンは上空から炎を浴びせ、衛兵たちを瞬く間に焼き殺し始めた。

 空からは隕石が途絶えることなく降り続け、逃げ惑う人達や家を吹き飛ばし、堅牢な岩の砦を打ち砕いていく。

 その現実とは思えない光景を、健人はただ茫然と見上げるしかなかった。

 

「起きろクズ! いつまで寝てやがる!」

 

 突然、健人の手がすごい力で引っ張られる。

 彼を起き上がらせたのは、ドルマだった。怪我をしたのか顔の半分が顔を真っ赤な血に染められている。

 急に強烈な力で引かれたために足をもつれさせながらも、健人はなんとか立ち上がった。

 

「リータ、逃げるぞ!」

 

「待って、お父さんとお母さんが!」

 

「お、おい……!」

 

 リータは両親が心配なのか、自分の家の宿めがけて走り出した。

 ドルマが慌てた様子で彼女の後を追う。

 

「ふ、二人とも待って……うわ!」

 

 落ちてきた隕石によって健人の傍にあった石壁が崩れる。

 健人はとっさにその場から離れた。先ほどまで健人が立っていた場所に、崩れた瓦礫が散乱する。

 その光景を目にした健人はごくりと息を飲むと、大急ぎで二人の後を追いかけた。

 




というわけで、アルドゥインの登場です。
さらに、肝心の主人公たる囚人がいないという有様。
こんなオリジナル改変をぶち込むあたり、やはりこの小説は相当な地雷なんだと自覚します。
ところで、一話当たりの文章ですが、長くないですか?
文字数が8千から3千文字前後とかなり隔たりがあるので、少し気になるところ。


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第四話 漆黒の死

 炎に包まれたヘルゲンの街を、リータは一心不乱に駆ける。

 幸い、自宅の宿屋に炎はまだ回っていなかったが、既に火の手は宿屋の周りを包みつつある。

 宿の前に辿り着いたリータは叩きつけるように扉を開け、両親を呼んだ。

 

「お父さん、お母さん!」

 

「リータか、なんだこれは!?」

 

 アストンとエーミナもこの騒ぎには気が付いていたのか、驚きと恐怖を隠し切れない表情を浮かべていた。

 

「ドラゴンが、ドラゴンが襲ってきたの!」

 

「ドラゴンって……きゃあ!」

 

「うわああ!」

 

 突然、宿屋に衝撃が走った。次の瞬間、閃光と轟音、そしてガラガラと何かが崩れる音が宿屋の中に響き渡る。

 とっさにリータは頭を抱えるように身を屈める。

 宿屋を揺らした振動は数秒で収まり、リータは恐る恐る顔を上げる。そして、愕然とした。

 

「え……?」

 

 リータの目の前に飛び込んできたのは、食堂の中が真っ赤な炎に包まれている光景だった。

 天井には大穴が空き、崩れた屋根の残骸が炎とともに目の前に散らばっている。

 だが、何よりも彼女の眼を奪ったのは、天井の残骸と一緒に見える肌色の手。

 見慣れたしなやかな細い手が、崩れた屋根の中から覗いている。

 

「おかあ、さん?」

 

 リータが思わず一歩足を進めると、ピチャリと粘着質な音が耳に聞こえた。

 視線を下ろすと、崩れた残骸の下から、真紅の液体がジワリと滲んできている。

 

「リータ、こっちへ来るんだ!」

 

 目の前の事態に茫然自失となっていたリータの手を引き、アストンは宿屋の外に駆け出す。

 立ち込める煙をかき分けながら二人が玄関から外に出ると、リータの後を追ってきたドルマと健人が駆け寄ってきていた。

 アストンの姿を見て、ドルマが声をかける。

 

「アストンさん、大丈夫ですか!?」

 

「私は大丈夫だ。リータは……」

 

 ドルマの呼びかけに答えるアストンの傍らで、リータは崩れた宿を芯が抜けたような表情を浮かべながら見つめている。

 

「おかあ、さん」

 

「あ、あの、エーミナさんは……」

 

「…………」

 

 確かめるように訪ねてくる健人の質問に、アストンは黙って首を振った。

 エーミナの死を突き付けられ、言葉を失う健人とドルマ。

 崩れた茅葺き屋根に燃え移った炎は瞬く間に宿屋全体を包み込み、事切れたエーミナの亡骸ごと灰へと変えていく。

 

「とにかく、ここから逃げよう」

 

「わ、分かりました!」

 

「リータ、しっかりしなさい!」

 

 呆然とするリータ達を叱咤しながら、アストンは一刻も早くこの場から離れようとする。

 空から降り注ぐ隕石は未だに止む気配がない。

一刻も早くこの場から逃れなければ。生存本能がこの場からの退避を急かす。

 未だに心ここに有らずのリータの手を引きながら、アストンたちはこの場から駆け出した。

 しかし、そんな彼らの前に、絶望が舞い降りる。

 

「うわ!」

 

「あ、ああ……」

 

 地面を揺らしながら、健人たちの前に着地した漆黒のドラゴン。

 深紅の瞳がまるで虫けらを見るような色で、健人たちを睥睨している。

 漆黒の竜が、その口蓋を開いた。

 

「リータ!」

 

 反射的に動いたアストンが、リータ達を突き飛ばす。

 次の瞬間、竜の口から獄炎が放たれた。

 

「ぐ、あああああああ!」

 

 灼熱の吐息が瞬く間にアストンを包み込む。

 アストンの絶叫が響いた。

 獄炎は彼の髪の毛を一瞬で焼き払い、地面に敷かれた石畳を融解させ、白い肌を真っ黒に焦がす。

 灼熱はアストンの喉を焼き、彼の命を一瞬で焼き尽くしていく。

 

「リータ、にげ、なさい……」

 

 熱で潰された喉に生命力のすべてを注ぎ、アストンは最後の言葉を残すと、炎で真っ赤に赤化した地面に崩れ落ちた。

 

「いや、いああああああ! お父さん!」

 

「リータ、だめだ!」

 

「近づくな! もう間に合わない!」

 

 目の前で焼き殺された父親の姿にリータが絶叫をあげ、駆け寄ろうとするが、健人とドルマが彼女を押しとめる。

 リータの目の前で炭化したアストンの体は、ブレスの残り火に包まれながら、灰へと化していく。

 呆然としているリータの前で、漆黒のドラゴンが再び咢を開いた。生き残った健斗達を再び焼き払おうとしているのだ。

 健人とドルマの体が、極度の緊張と恐怖で固まる。

 だがドラゴンが放つ前に、数十もの矢が漆黒の体めがけて飛翔してきた。

 矢群は堅固な鱗によって弾かれるが、ドラゴンはブレスを中断し、目障りな闖入者を睨み付けた。

 健人達が矢群の放たれた方向に目を向けると、二十人近い帝国兵の弓矢隊が、矢を構えていた。

 弓矢隊が、再び矢を放つ。

 放たれた矢はやはりドラゴンの鱗を貫くことはできなかったが、ドラゴンの意識は完全に帝国兵の方へと移っていた。

 ドラゴンは目障りな弓兵隊をブレスで一掃しようと口を開くが、さらに三十人にも及ぶ帝国兵が、剣と盾を構えて、側面から挟み込むように漆黒のドラゴンめがけて吶喊してきた。

 三十人の帝国兵が、ドラゴンを倒そうと群がっていく。

 その光景を呆然と見ていた健人達に、駆け寄る帝国兵がいた。先ほどまで砦の広間にいたハドバルだ。

 

「三人とも無事か!」

 

「ハドバルさん!」

 

「ドラゴンは俺の隊が引き付ける。今のうちに逃げろ!」

 

 どうやらハドバルは、自分達を囮にして、ヘルゲンの市民たちが逃げる時間を稼ぐつもりのようだった。

 

「っ! ハドバルさん、竜が……!」

 

 ドラゴンが軽く羽根をはためかせる。それだけで突風が吹き荒れ、群がっていた三十人の帝国兵は、まるで木の葉のように弾き飛ばされた。

 さらに灼熱のブレスが弓兵隊に放たれ、瞬く間にその命を刈り尽す。

 反逆軍の首魁を捕らえた精鋭中の精鋭が、まるで相手にならない。

 文字通り次元の違う存在を前に。ハドバルは唇を噛みしめた。

 

“メイ……。フェン、カイン、アハス、ジョール? クリー、ドゥ、ジー!”

(愚かな、人間が我と戦う気か? 殺し、魂を食らってやる!)

 

 健人達を食らおうと、ドラゴンが口蓋を開く。

 助けに入ったハドバルが悔しさを滲ませながら呻いた。

 

「クッ……。時間稼ぎすらできないのか……」

 

 帝国兵として臣民を守ることを責務とし、粉骨砕身してきた彼にとって、守るべき民の盾にすらなれない今の状況を前にして、忸怩たる想いを漏らしている。

 健人達に至っては、もはや声を出すことすらできない。

 このまま漆黒の竜に、なすすべなく殺される。

 どうしようもない絶望を前にして、この場にいる全員が硬直してしまっていた。

 

「はあああ!」

 

 その時、裂帛の気合いと共に、瓦礫を飛び越えて一人の男がドラゴンに切りかかった。

 男が振り下ろした鋼鉄の剣はドラゴンの強靭な鱗を前に容易く弾かれる。

 

「さすがは伝説の獣。まるで城壁を殴っているみたいだ」

 

 健人達とドラゴンとの間に割り込んだその男は、己の攻撃が全く通用しなかった様子を見ても、意思を折られる様子は全くなく、ドラゴンをまっすぐ見据えたまま、鋼鉄の剣を構え直した。

 

「レイロフ! どういうつもりだ!」

 

 ハドバルが言葉を荒げ、割り込んできた男の名を叫ぶ。

 レイロフは口元に不敵な笑みを浮かべたまま、視線だけを袂を分かった幼馴染に向ける。

 

「ふん。ドラゴンとの戦いなど、これ以上ない誉れだろうが。ソブンガルデにおいても、数少ない栄誉になる」

 

 自らの死すら、栄誉だと言い放つその姿に、健人は息を飲む。

 目の前のドラゴンの力は、人知を超えている。

 空から隕石を降らせて僅か数分でヘルゲンの街を焼き尽くし、精兵達の反撃をまるで意に介さず、敵対した者も巻き込まれた者も関係なく灰燼にする力を誇っている。

 正しく天災と呼ぶに相応しい存在だ。

 そんな存在と戦うなど、正気の沙汰ではない。だがレイロフは、僅かな逡巡も見せずに、目の前の脅威と戦うと宣言した。

 

「じゃあな、ハドバル。せいぜい、みっともなく生き延びろよ」

 

 隙なく構えていたレイロフが、穏やかな視線をハドバルたちに向ける。

 その口元は何故か、満足そうな笑みを浮かべていた。

 

「……行くぞ」

 

 ハドバルが健人たちを促し、彼らは踵を返して走り始める。

 目指すは石造りの砦。

 相当頑丈に作られているのか、隕石の直撃を受けてもまだ幾分か原形を保っている。

 あの中に逃げ込めば、ドラゴンの目からも隠れられる。少なくとも、時間を稼げるだろう。

 健人が走りながら振り向くと、剣を大上段に構えたレイロフが竜にめがけて吶喊していった。

 

「スカイリムのために!」

 

 直後、ドラゴンの周辺が炎に包まれる。

 皮膚を焦がすような熱を背中に感じながら、健人たちは必死に足を動かした。

 

「馬鹿野郎が……」

 

 ハドバルがかすれるような声を漏らす。

 健人には彼の胸中を完全に理解することはできないが、それでも二人の間に言葉では表現できない強いつながりがあることは理解できた。

 健人は今一度振り返り、しんがりを受け持ったレイロフの姿を確かめようとする。

 だが彼の姿はすでに炎に包まれ、確かめることはできなかった。

 現代日本人からすれば、ただの自殺行為にしか見えないその行動。しかし、たとえ敵わずとも、自らの意思を貫き続けるその姿は、妙に健人の目に焼き付いていた。

 

 

 




というわけで、正史からの大きな変更点その2。レイロフさん死亡です。



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第五話 戦意の萌芽

 レイロフの犠牲によって、健人たちは何とか砦の中に逃げ込むことができた。

 彼らが逃げ込んだのは宿直室なのか、石造りの大きめの部屋の中に、ベッドがいくつも並んでいる。

 重厚な扉の外からはいまだに轟音が響いてきているところを見ると、漆黒の竜による殺戮はまだ続いているようだった。

 健人は荒い息を吐きながらも、震える足をなんとか落ち着かせようとする。

 それでもガクガクと震える脚は、なかなか落ち着いてくれない。

 

「ケント、大丈夫か?」

 

 ハドバルが心配そうな声をかける。

 さすが兵士として実戦を経験している彼は違うのか、その佇まいに健人のような震えは見受けられない。

 健人は一度、二度と、深呼吸を繰り返す。

 心臓は未だにバクバクと激しく鼓動を打っていたが、足の震えは徐々になくなってきた。

 

「落ち着いてきたようだな」

 

「は、はい、何とか……」

 

 幾分か落ち着きを取り戻した健人は、傍らにいる少女に目を移す。

 両親が目の前で殺されたリータは、色を失った瞳で天井を見上げている。

 

「リータ。大丈夫……?」

 

「……」

 

 声をかけるが、全く反応がない。

 健人は肩をゆすって名を呼ぶが、やはり彼女は反応を返してこない。

 まるで、人形を見ているようだった。

 

「っ!」

 

 突然、パン!という音が宿直室に響いた。ハドバルがリータの頬を叩いたのだ。

 ハドバルの行動に、健人は思わず目を見開く。

 

「ハドバルさん、何を……」

 

「…………」

 

 叩かれたリータは呆然としたまま、赤くなった自分の頬を抑えながら、ぼんやりとした表情でハドバルを見上げている。

 

「いつまで呆けているつもりだリータ。せっかくアストンさんが身を挺して救い上げた命を無駄にするつもりか?」

 

 呆然としたままのリータに対し、ハドバルはさらに言葉を重ねる。

 その言葉は、今しがた両親を目の前で殺された少女に対する言葉とは思えないほど厳しい。

 案の定、空虚だったリータの瞳が、強い激情の色を帯びてくる。

 込み上げてくる悲しみを押し殺すためだろうか。口元は強く噛みしめられ、瞳には涙を一杯に貯めている。

 空から降り注ぐ流星雨から逃れられたとはいっても、一時的なものでしかない。すぐにこの場から逃げなければならないことは、健人も理解できる。その為には、リータにはしっかりしてもらわなければならない事も。

 だがそれでも、大声をあげて泣く事すらできない彼女の姿が、健人にはとても痛々しく見えた。

 

「ドルマ、そこの棚に武器があるから、適当に持っていけ」

 

「わかりました。リータ、ほら」

 

 ドルマは武器がかけられた棚から木製の弓と矢、そして鉄製の片手剣を取るとリータに手渡す。

 ドルマ本人は手近にあった両手剣を取り、背負った。

 兵が常駐しているだけあり、武器がすぐ手にできる位置に配置してあるようだ。

 武器を渡されたリータも鼻をすすりながら、無言で渡された武器を身に着けていく。

 こうしたすぐに行動に移れる強さが彼女の持ち味なのか、それともこの厳しい土地に住む人達特有のものなのか、健人には判断がつかなかった。

 

「それとハドバルさん、治癒薬も見つけました」

 

「よし、それも持っていこう」

 

 宿直室には武器だけではなく、治癒薬も複数あったらしい。

 これはその名のとおり、怪我などをした際に治癒を促進する薬で、主に錬金術師の店で売られているものだ。

 錬金術師自体の数が少ないため、流通量こそ少ないが、帝国軍の拠点にはそれなりの数が常備されている。

 

「よそ者、お前もだ」

 

「え?」

 

 ドルマが、健人に声をかけると手にした片手剣を無造作に渡してくる。

 健人はとっさに渡された片手剣を受け取るが、まさかドルマが自分に武器を渡してくるとは思ってはいなったため、一瞬固まってしまった。

 

「勘違いするなよ。お前を信じるんじゃない。お前の身の安全なんて気にしてられないから、自分でどうにかしろって言っているんだ」

 

「え、えっと……」

 

「ケント、持っていくんだ。今この砦の中には、ストームクロークの捕虜たちも逃げ込んでいるだろう。戦わずに済めばいいが、刃を交えることになるかもしれない」

 

「…………」

 

 戸惑う健人に対して、ハドバルがフォローをする。

 ドラゴンの襲撃によって、ストームクロークの処刑は中断され、逃げた捕虜達がこの砦に逃げ込んでいる可能性は十分ある。

 

「もちろん、お前達のことは私が守る。だが、もしもの時は、その剣を使うことも覚悟してくれ」

 

「わ、分かり……ました」

 

 声を震わせながらも、健人は頷く。

 しかし、その様子からも戦う覚悟などできていないのは明らかだった。

 

「それから、盾も持っておけ。剣が使えなくても、盾があれば身を守ることは出来る」

 

 そう言って、ハドバルは盾も健人に持たせる。

 手渡された盾は円形で、木製の芯材を鉄製の枠で固定し、中心部も半球形の鉄材で補強している。

 大きさは直径60センチほど。健人の上半身を隠す程度だ。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 盾の背部に取り付けられた持ち手で保持するようだが、健人には少々重かった。

 仕方なく健人は、引きつけるようにして盾を保持する。

 ハドバルもまた、健人と同じように、棚にかけてある盾を手に取った。

 健人が持っている円形の盾とは違い、鋼鉄製の菱形で、盾の中央には帝国軍を象徴するドラゴンの紋章が描かれている。

 盾の大きさも、ハドバルの上半身を隠すほど大きい。

 

「ドルマも、その……。あ、ありがとう」

 

「ふん。言っておくが、俺はハドバルさんとは違って、お前の面倒は見ないぞ。足手まといになるなら、容赦なく置いていく」

 

 冷たい言葉を返すドルマは、それ以上話すことはないと健人から視線を離すと、ハドバルに向き直る。

 

「ハドバルさん、どうやって逃げるんですか?」

 

「この砦の地下には外に続く地下道がある。崩れていなければ、そこから逃げられるだろう」

 

 その時、轟音と共に、石作りの天井が崩れた。

 

「うわ!」

 

「くっ! みんな壁に寄れ!」

 

 数秒の振動と共に崩れた瓦礫は、幸い健人達に直撃はしなかったが、彼らが入ってきた入り口を完全にふさいでしまう。

 

「急ぐぞ。ここも長くはもたない」

 

 ハドバルに促され、健人達は神妙な表情で頷く。

 壁に掛けてあった松明を手にし、健人達は脱出口を目指して歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 砦の通路を通り、地下へと向かう健人達。

 調理場を通り過ぎ、しばらく進むと、長い地下への階段へとたどり着いた。

 ハドバルを先頭に、健人達はさらに地下へと向かっていく。

 階段の先は尋問室。いや、拷問室と呼んだほうがいいだろう。

 すでに誰もいないようだが、室内に置かれた牢の中には、ボロを着た男性の死体がある。

 死体には無数の傷がついており、手の指はあらぬ方向に曲がっていた。

 

「う……」

 

 この部屋で行われた尋問が、どんなものだったのか容易く想像できた。

 健人は牢の中の死体をみて、思わず目を背ける。

 一方、リータ達は特に気にしている様子はない。

 足早に先へと進んでいく。

 牢屋を抜け、さらに奥へと進むと、石造りの通路が途切れ、洞窟へと繋がっていた。

 流れ出る地下水が小さな川を作り、あぜ道を作りながら奥へと続いている。

 その時、洞窟の奥から誰かの声が聞こえてきた。

 

「これからどうする? もう外には出られないんだろ?」

 

 ハドバルが無言で手を掲げ、健人達に止まるように指示する。

 しばし気配を探っていたハドバルは腰を低くし、音を立てないようにゆっくりと先へ進む。

 そして通路の突き当りの角で止まり、先の様子を窺うと、健人達に向かって手招きをした。

 健人達はハドバルと同じように腰を屈め、音をたてないようにハドバルの傍まで忍び寄る。

 通路の先からは明かりが漏れており、複数の人間の気配がした。

 覗いてみると、4人ほどのストームクローク兵が、松明をもって話をしていた。

 

「はあ、はあ……。首長はどうした?」

 

「ゲホゲホ! 分からん。脱出の途中で逸れた。物見塔までは一緒だったんだが……」

 

 どうやら彼らも、健人たちと同じようにドラゴンの襲撃から逃れ、この地下道に行き着いたらしい。

 青いキュライスを煤で汚し、息を荒げている。

憔悴している様子からも、彼らも相当追い詰められている様子が見て取れた。

 彼らは帝国軍とは敵対するストームクロークの兵士。さらに、ヘルゲンは彼らの敵地であることも考えれば、精神的な負荷は健人達よりも大きいだろう。

 

「くっ、ストームクロークの脱走兵か。まいったな……」

 

 ハドバルが、舌打ちをする。

 ハドバルは帝国軍の兵士。彼らとは敵対しているし、つい先ほどまでハドバルは彼らを処刑しようとしていたのだ。

 リータ達も、ストームクローク兵と直接的に敵対してはいないが、帝国軍の支配域の住民だ。彼らから見れば、帝国軍に尻尾を振っている裏切り者とみられるかもしれない。

 見つかれば最悪、戦闘になってしまう可能性もある。

 だが、もう後にも戻れない。

 ここで戻れば、ドラゴンに殺されるだけだからだ。

 

「俺が話す。リータ達は後ろで控えているんだ。ドルマ、もし戦闘になったら、後ろを頼む」

 

「わかりました。おいよそ者、お前は岩の陰で大人しくして、絶対に出てくるんじゃねえぞ。前に出られたら足手まといにしかならないんだ」

 

 健人を睨みつけながら、ドルマが釘を刺す。

 戦場において、一番の敵は強大な敵ではなく、無能な味方だからだ。

 ハドバルが一歩前に出て、ストームクローク兵たちに声をかける。

 

「すまない。少しいいか」

 

「っ! 帝国軍!」

 

「まずい、見つかった!」

 

 帝国軍の鎧を着たハドバルの姿を認めたストームクローク兵達が武器を抜き、緊張感が一気に高まる。

 

「待ってくれ、戦う気はないんだ。ドラゴンのこともある。話を聞いて……」

 

「うるさい! ノルドでありながら帝国に尾を振る裏切者め!」

 

 話をしようとできるだけ穏やかな口調で話しかけるハドバルだが、ストームクローク兵たちは構わず、剣を引き抜いてハドバルに襲い掛かってくる。

 

「殺せ! スカイリムのために!」

 

「くっ! 話をすることすらできないか!」

 

 ハドバルは腰の剣を引き抜き、盾を構えて振り下ろされた剣を受け止める。

 だが、すぐに他のストームクローク兵3名が、右から2人、左に1人に分かれ、ハドバルの側面に回り込もうとしてきた。

 4人がかりでハドバルめがけて剣を振り下ろす。

 ハドバルは飛び退いて振るわれた剣を避けるが、さすがに多勢に無勢。このままでは斬り捨てられるのは時間の問題である。

 

「ハドバルさん、加勢します!」

 

 そこに、ドルマが割り込んできた。

 右から回り込んできた敵兵2人の剣を大剣で受け止め、はじき返す。その得物に恥じない剛力だ。

 だが、未だに相手の数は倍である。

 当然ながら、ストームクローク兵達はドルマに対しても数の利を利用して包囲戦を開始。

 2対1の状況に持ち込み、押し込もうとする。

 だがその陣を、一本の矢が切り裂いた。

 

「ぐあ!」

 

 ドルマに斬りかかろうとしていた敵兵の肩に矢が突き刺さる。

 矢を放ったのは、後ろに控えていたリータだった。

 

「リ、リータ!?」

 

「っ……」

 

 その光景に、健人は驚く。

 先ほどまで、リータは自分で歩くことがやっとだった。

 そんな彼女が、人に向けて矢を放った。明確な戦意を乗せて。

 普通に考えれば、両親を殺されて意思が弱っている人間が、そんな事が出来るわけがない。

 だが、健人が当惑している間にも、ストームクローク兵達は矢を当ててきたリータを脅威と認識し、排除しにかかる。

 

「ちい、邪魔するか、裏切り者共!」

 

「まず後ろにいる弓を持った女から始末しろ!」

 

 ストームクローク兵はハドバルとドルマを一人ずつで抑え込み、残りの2人でリータに襲い掛かってきた。

 殺意を隠そうともせず、向かってくる敵兵たち。

 

“怖い怖い怖い、殺される殺される殺される……”

 

 暴風のように叩き付けられる本物の殺意を前にして、健人の全身は凍り付いたように硬直してしまった。

 手に持っているはずの剣と盾の存在すら忘れ、恐怖に顔をゆがめる。

 だが、そんな彼の耳に、震えるように小さな声が響いた。

 

「大丈夫、私が守るから。健人を、家族を、私がちゃんと守るから……」

 

 振り返った彼女は、明らかに動揺していた。

 両親の死と、戦場の空気。立て続けにぶつけられる殺意と理不尽な殺戮。必死に崩れそうになる表情を何とか取り繕おうとし、そして失敗していた。

 まだアストン達を失ったショックから立ち直っておらず、全身がブルブルと震えている。

 それでも彼女はしっかりと両足で立ち、弓を構えて矢を放つ。

 

「当たらねえよ!」

 

「くっ!」

 

 だが、動揺を押し殺すことが出来ていないため、リータの矢は見当違いの方向へとそれてしまった。

 それでもリータは素早く矢筒から矢を引き抜き、弓に番えようとする。しかし、残っていた震えから、今度は矢を取り落としてしまう。

 

「あっ!」

 

 リータは取り落とした矢を拾わず、弓を捨てて腰の剣を引き抜こうとするが、敵兵はすでにリータを間合いに捉えていた。

 

「死ね!」

 

“しまった”

 

 彼女がそう思ったときは、すでに遅すぎた。

 リータの眼前で剣が振り上げられる。

 松明の明かりで、鈍く光る鋼の刃が、リータめがけて振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 叩き付けられる殺意の中で、健人は意識を失わないようにすることで精いっぱいだった。

 無理もない。

 元々彼は、命の危険など感じることがない、現代日本の出身だ。

 スカイリムに来てからも、ヘルゲンの町から出たことはなく、命の危険にさらされたのは、この世界に来た時にオオカミに襲われた一回のみ。

 それを考えれば、こうして立っているだけでも大したものである。

 だが、今彼の目の前では、恩人の命が斬り捨てられそうになっている。

 身寄りがなく、文字も言葉も分からなかった自分を受け入れてくれたティグナ家の人達。

 この世界での、唯一の家族。

 坂上健人は、日本では普通の学生だった。唯一普通の家族と違うのは、血の繋がった家族が父親の一人だけだったということ。

 健人の母は彼が幼いころに亡くなっており、長い間父親との二人暮らしだった。

 その父も仕事で忙しく、いつも夜遅くに帰ってくる。

 遊んでもらった記憶はほとんどない。夜遅くに帰ってきた父親も、疲れ切っていてすぐに眠ってしまう。

 父親が働いているのは、自分のためだと分かっていても、昔は精神の幼さから、複雑な感情を抱いていた時期もあった。

 だが、父親が働いているのは自分のためであり、数少ない休日では父親はできるだけ家にいて、健人と一緒にいようとしていた。

 二人とも何を話したらいいかわからず、会話こそ少なかったが、そこには不器用ながら、確かな父親の愛情が存在していたのだ。

 中学を卒業するあたりになって、ようやくそのことに気づき、高校生になってからは、父親とも少しづつ距離が近くなってきた。

 だが、そんな時に彼はスカイリムに飛ばされ、肉親に会うことができなくなった。

 唐突に陥った孤独という環境。

 しかし、彼は本当の意味で、孤独を感じることはなかった。リータたちの一家が健人を受け入れたからだ。

 アストン達と暮らした日々は、今までとは全く違っていた。

 言葉のおぼつかない自分を精一杯フォローしてくれる彼らに、健人はこの短い間、何度感謝したか分からない。

 いつか恩を返せたら……。すべては無理でも、少しでも力になれたら……。そう考えながら、宿の仕事を精一杯手伝ってきた。

 日本にいた時とは少し違うが、温かい家族。ぬくもりに包まれた、陽だまりのような場所がそこにはあった。

 だが、その家族の形も、あっという間に破壊された。

 恩人の夫妻は理不尽に殺され、そして今、最後に残った“家族”が命を奪われそうになっている。

 

「お……」

 

 認められるか? そんな理不尽。認められるか? そんな現実。

 

「お、おお……」

 

 否、断じて否だった。

 健人の胸の奥から、理不尽な現実に対する怒りがこみ上げる。

 家族を奪われてはたまるかという原始的な怒りは、雄たけびとなって腹の奥から爆発し、自由を奪っていた硬直を瞬く間に溶かした。

 そして健人に、殺意が交差する戦場の中で最初の“一歩”を踏み出させる。

 

「おおおおおおおおおおおおお!」

 

「なっ!?」

 

 盾を構えたまま、剣を振り上げた敵兵めがけて突進する。

 虚を突かれた敵兵は目標を健人に切り替えて剣を振り下ろすが、構えた盾と突進の勢いを前に弾かれた。

 

「あああああああああああああ!」

 

 健人は突進の勢いに任せるまま、敵兵二人をリータから引き離す。

 だが、勢いが強すぎた。健人は足をもつれさせてしまい、三人は近くにあった油樽を巻き込みながら倒れこんでしまう。

 

「くっ、このガキ!」

 

 健人に押し倒されるような形で倒れこんだストームクローク兵だが、素早く反撃に移ってきた。

 

「ぐあああああ!」

 

 盾の陰にいる健人めがけて、剣を振るった。

 倒れた状態から盾越しに打ち込んだために満足に力は入らなかったが、それでもストームクローク兵の剣は健人の肩に食い込み、激痛が彼を襲う。

 だが、健人も引かない。健人はストームクローク兵を押し倒したまま、手を伸ばした。

 伸ばした手の先にあったのは、放置されていたカンテラ。先ほど油樽を押し倒した時に地面に落ちたものだ。 

 鉄製の枠の中では、未だに小さな明かりが煌々と灯っている。

 

「っ、なにを……」

 

 健人はそのまま“油の広がった地面”に向かって、カンテラを叩き付けた。

 油は、先ほど健人が押し倒した樽の中に入っていたもの。元々は松明や照明に使用されていた、可燃性の高いものだ。

 舞い上がった火が、油面に落ちる。

 次の瞬間、3人を炎が包み込んだ。

 

「ぐあああああああ!」

 

「ぎぃあああああ!」

 

 ストームクローク兵が絶叫を上げながら、何度か炎から逃れようと抵抗する。

 めちゃくちゃに剣を振り回し、もがき続けるストームクローク兵。

 だが健人は己の身を焼かれながらも、決して敵兵から離れようとしない。

 

「ぐ、いいいいいいい!」

 

 歯を食いしばりながら、健人は一心に身を焼く熱と振り下ろされる剣の痛みに耐える。

 守るために、壊されないために。

 

「もういい馬鹿! さっさと離れろ!」

 

 突然、健人はものすごい力で引っ張られた。

 引っ張り上げたのは、ドルマだった。

 彼が斬り合っていた敵兵は既に倒され、洞窟の端で躯を晒している。

 

「ドルマ……。リータは……」

 

「無事だ。それよりお前……」

 

 健人の姿を確かめたドルマが、思わず顔を顰める。

 

「ケント!」

 

 リータがあわてた様子で駆け寄ってくる。怪我をした様子はない。

 健人の胸に安堵が広がった。

 

「リータ、よかった……」

 

「馬鹿! あんた何やってんのよ! あんな、無茶……」

 

 リータの涙を浮かべた嗚咽交じりの言葉に、健人は苦笑を返すしかなかった。

 健人はここにいたり、ようやく自分の体を確かめた。

 そして彼は確かめて思う、ひどい有様だと。

 肩を始めとした、剣で斬られたことによる傷跡、全身を炎が舐めたことによる火傷。満身創痍と言うほかない状態だった。

 

「ケント、傷を見せてみろ……」

 

「おい、よそ者。使え」

 

 傷を見ようとしてきたハドバルを制し、ドルマが何かを放り投げてくる。

 とっさに受け取ったものを確かめてみると、それは回復薬が入った瓶。砦で手に入れたポーションだった。

 

「早くしろ。急いでヘルゲンから離れなけりゃならないんだ」

 

「あ、ああ。ドルマ、ありがとう」

 

「…………」

 

 礼を言う健人に対して、眉を一瞬ひそめると、背を向けて離れていく。

 相変わらず変わることがない拒絶の声色と気配。

 ドルマにとって、健人は相変わらず、心を許すような存在ではないらしい。

 それでも、こうして薬を渡してくれたことが、健人は嬉しかった。

 

「ほらケント、薬塗ってあげるから、服脱いで」

 

「あ、ああ、お願い……いっ!?」

 

 焦げた上着を脱ぎ捨て、火傷を負った体を晒す。

 炎に包まれたとはいっても、盾とストームクローク兵が、健人の体を守ってくれたおかげで、重症というほどではない。

 引きつるような痛みが残っていることが、神経まで焼かれていないことの証左だ。

 それでも、リータが薬を塗りつけるたびに、刺すような痛みが健人を襲う。

 

「イタ! もうちょっと優しくしてくれよ」

 

「無理、あんな無茶したケントが悪いの」

 

 感情が焦燥から怒りに変わったのか、リータは健人の悲鳴を無視して乱暴に薬を塗りつけていく。

 健人は肌に広がるひんやりとした感覚にくすぐったさを感じていた。

 ある程度傷にポーションを塗った後、リータは残りを健人に手渡し、彼はそれを飲み干した。

 ポーションの効力が瞬く間に傷を癒し、痛みを取り払っていく。

 

「……ケント、ありがとね」

 

「家族、だからね……」

 

「……うん!」

 

 リータと健人、2人の焦燥と疲労の色はいまだに濃い。

 それでも、リータは、健人の言葉に束の間の笑顔を浮かべた。

 張り詰めるような戦場の中でのわずかな休息。しかし、その時間は、健人の心に小さな種をまいた。

 

“この残った家族を守りたい”

 

 その種がどのような実を結ぶかはわからない。

 だが今この時、スカイリムの中で、坂上健人は小さな、だが確かな一歩を踏み出した。

 

 

 

 



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第六話 リバーウッド

 洞窟を脱出した時、ヘルゲンを焼き払った黒いドラゴンが上空を通過したが、ドラゴンは健人達に気づくことなく、そのまま北西へと飛んで行った。

 その後、ヘルゲンを脱出した健人達は、その足でハドバルの故郷であるリバーウッドへと向かった。

 途中でオオカミなどの襲撃もあったが、ハドバルとドルマが特に問題なく撃退。

 リータと健人は戦いには参加していない。

 健人はまだ戦いには慣れていないし、リータは多少落ち着いたとはいえ、両親を失ったショックは未だに大きい。

 せめて、一息つける場所に行く必要があった。

 

「見えてきたぞ、リバーウッドだ」

 

「あれが……」

 

 リバーウッド村。

 ヘルゲンとホワイトランの中間に位置する村で、主に林業で成り立っている小村だ。

 村を挟むように切り立った山々が見下ろすこの村には外敵は少ないのか、外壁も村を囲むようなものではなく、せいぜいヘルゲン側の門の付近に申し訳程度に設けているくらいだ。

 村の中も穏やかな雰囲気に満ちており、災禍の影は微塵も感じられない。

 

「ここはまだ静かだな。いいか、お前たちはとりあえずホワイトランまで行くべきだ。今リバーウッドには満足な兵力は駐留していないからな」

 

 ハドバルの言葉に、健人は村を見渡してみる。

 平和な雰囲気に満ちた村なだけに、見回りをしている兵士の姿は見えない。

 ハドバルの言うとおり、先ほどのドラゴンが襲ってきたら、この村はほんの十分足らずで焼き尽くされるだろう。

 

「アルヴォア叔父さん!」

 

 ハドバルが誰かに向かって声をかけた。

 彼が声をかけたのは、正門の近くにある鍛冶場で鉄を打っている中年の鍛冶師。

 ノルドらしい大柄な体躯と、汚れたエプロン。茶色のひげを蓄え、顔を煤で汚している。

 アルヴォアと呼ばれた男性はハドバルを見ると目を見開き、手を止めて健人たちのそばに駆け寄ってきた。

 

「ハドバル!? ここで何しているんだ? 今は休暇中じゃないのか? いったい何が……」

 

「シー、頼むよ叔父さん静かにしてくれ。俺は大丈夫だから。とにかく、話は中でしよう」

 

「何事だ? それに、彼らは……」

 

「彼らは俺の友達だ。そして、命の恩人だ。ほら、全部説明するから」

 

 ハドバルはアルヴォアを促すように、彼を鍛冶場のそばにある家へと連れて行こうとする。おそらくは、その家がこの鍛冶師の自宅なのだろう。

 アルヴォアは怪訝な表情を浮かべているが、とりあえずハドバルに促されるまま、自宅の扉を開けた。

 

「みんな、悪いが叔父さんと話をしている間、宿屋で待っていてくれ。話をしたら、すぐに迎えに行くから」

 

 健人達へと振り返ったハドバルが、小さな袋を手渡してくる。

 ジャラジャラと音が鳴るその袋の中身を確かめると、いくらかのお金が入っていた。どうやら、このお金を使えというらしい。

 ハドバルの視線が、ちらりと健人の後ろにいるリータへ向けられる。

 さすがにヘルゲンでアストン達を殺された直後に比べれば幾分ましにはなっているが、両親を目の前で失ったリータの顔色は、未だ蒼白といっていい状態だった。

 さらに、ここまでの逃避行で、体力的にも消耗している。

 すこしでも、休める場所が必要だった。

 

「分かりました。それで、宿屋は何所に?」

 

「この通りをまっすぐ行った先だ。一際大きな建物で、スリーピングジャイアントって看板があるから、行けば分かると思う。宿屋に行ったら、とりあえずそのお金で少し食べておくといい」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「行くぞ。リータ、大丈夫か?」

 

「う、うん……。ありがとう」

 

 ハドバルがアルヴォアを伴い、扉の奥へと消えていくのを見送ると、健人達は言われた通り、宿屋へと向かった。

 村の中央を通る道をまっすぐ行くと、スリーピングジャイアントと刻まれた看板とともに、すぐに目的の宿屋は見つかった。

 扉を押して宿の中に入ると、ホールの中央で弾ける焚火が見える。アストンの宿屋と同じように、ホールを食堂と兼用しているようだ。

 そしてホールの奥に設けられたカウンターに、宿屋の亭主と思われるノルドの男性がしかめっ面を浮かべながら帳簿を書いている。

 

「すまん、店主。少しいいか?」

 

 ドルマが帳簿を書いている男性に声をかける。

 呼ばれた男性はドルマを一瞥すると、再び帳簿をつけ始めた。どうやら、歓迎されていない様子である。

 

「今はだれも泊めていない。それと俺は店主じゃねえ」

 

「店主じゃなかったんだ……」

 

「それに、だれも泊めていないって……」

 

「店主は用事があって出ている。俺は店番だが、その間は宿屋としてはやっていない。食堂としてならやっているから、寝たければそこら辺の椅子にでも座って寝てろ」

 

 無言のまま拒絶の意思を醸し出す店番にリータと健人は困ったように顔を見合わせる。

 

「……とりあえず、俺達はハドバルさんからここで待つよう言われたんだ。食堂としてやっているなら、とりあえずこれで食べられるものを出してくれ」

 

 ドルマがカウンターの上に、ハドバルから渡された硬貨をばらまく。

 店番の男はドルマをジロリと一瞥すると、店の奥へと消えていった。

 

「おいよそ者、お前はリータとテーブルで待ってろ」

 

 ジロリと睨みつけるような視線とともに、ドルマが手を振って健人を追い払う。

 相も変わらず、邪魔者を見るような視線。どうやらドルマは、未だに健人のことを認めてはいないようだった。

 洞窟で回復薬を渡してくれたことから、少しは認めてくれたのかと思っていた健人だが、以前と変わらぬドルマの態度に、少し落胆してしまった。

 

「あ、ああ。行こう」

 

 リータを促し、二人は近くにある席に腰を下ろす。

 

「……」

 

「……」

 

 無言のまま、重苦しい空気が二人の間に流れる。

 しばらくするとリータが唐突に、健人の服の袖を掴んできた。

 

「ねえ、ケント、どうしてかな?」

 

「え……」

 

「どうして、お父さんとお母さんは死んじゃったのかな……」

 

“それは、あのドラゴンが……”

 

 そう言おうとした健人だが、彼の口は糊で固めたように全く動かなかった。リータの顔に張り付いた能面のような無表情を目の当たりにしたからだ。

 

「なんで、どうして……」

 

 ブツブツと独り言のように、疑問を口にし続けるリータ。

 アストンとエーミナを失った直後は強烈なショックによって感情が高ぶっていたが、こうして落ち着ける場所に来たために、受けたショックが和らぎ、心が逆に不安定になりかけているのだ。

 なぜ両親が死んだのか。どうして自分は生きているのか。生きてしまったのか。

 受け入れ切れない現実が心身の許容量を超えてしまったために、答えが出ないまま、単純な疑問だけが脳裏によぎり続けているのだ。

 いや、その疑問の原因は分かっている。だが、感情が未だに両親の死を認めようとしていないのだ。

 

「リータ……」

 

 何を言えばいいのだろうか。どんな言葉をかけてあげればいいのだろうか。

 健人の脳裏にもまた、答えの出ない疑問が浮かび続ける。

 誰かの死を目の当たりにした時の経験は、健人にもある。彼は幼い頃に母親を亡くしているからだ。

 原因は病死。癌だった。

 気がついた時には手遅れで、全身に転移した癌細胞に侵され、健人の母は若くしてこの世を去った。他者など一切かかわる余地のないことが原因で。

 だから健人は、リータの気持ちも幾分か理解できた。

 大切な人の死を受け入れられないために、何かに理由を求めずにはいられない、その感情を。

 だが、健人にはリータに対して、提示する答えは持っていなかった。なぜなら、彼も母親を亡くした時に、その答えを提示されていないからだ。

 そもそも、答えを提示されても、納得などできない。

 癌だから、病気だから。理屈は分かっても、心が受け入れるかは別である。

 受け入れられなかった母親の死は、結果的には時間と、その後の生活が解決してくれた。

 母を亡くしても父は働かない訳にはいかず、家族が一人少なくなったことで増えた負担は、家事という形で健人が少しずつこなしていった。

 そうして忙しく過ごしていく内に、脳裏に浮かんでいた疑問は自然と消えていった。

 だから、健人はリータの問いかけに答えを出せない。ただ時間が解決してくれることを待つしか、彼は解決法を知らないから。

 

「…………」

 

 ただ、縋りついてくるリータの手をぎゅっと握り締める。少しでも、彼女の悲しみが紛れる事を願いながら。

 

 

 

 

 

 

 しばらくの間、健人の裾を握りしめていたリータだが、数分も経つと気持ちが落ち着いてきたのか、ようやく自分の状態を把握できるようになってきた。

 

「ご、ごめんねケント、ちょっと気持ちが落ち込んじゃってた」

 

 パタパタと手を振りながら、慌てた様子で健人から離れる。

 普段姉ぶっているからなのか、リータの頬は恥ずかしさからほんのり紅に染まっている。

 

「気にしなくていいよ、家族だからね」

 

「……うん」

 

「それに、リータが弱みを見せるのは今に始まったことじゃないからね」

 

「う……ん?」

 

「森の動物たちを仕留められるくらい運動神経抜群なのに、料理を運ぼうとすると必ず転ぶところとか、膝が破れたズボンを縫おうとして、膝裏の生地まで縫いつけちゃったりとか……」

 

「ちょ、ちょっとちょっと!」

 

「仕舞いには、店に出す予定のシチューを勝手にアレンジして食べたら、体が麻痺して緊急搬送されたりしたよね。具材はたしかカニスの根と……」

 

「キノコ……ってその話はもういいでしょ!」

 

 普段はその類まれなドジ加減から、リータは家事をする事がないが、時折衝動的に自分から家事をしようとする時がある。

 内心抱えるコンプレックスからか、それともノルド特有の負けず嫌いからなのか、その度に失敗を繰り返す彼女だが、時折とんでもない大失敗を犯す時もある。

 この麻痺シチュー騒動時もそうで、この時リータが使ったキノコは木椅子のキノコと呼ばれているものであり、錬金術で精製すれば立派な麻痺薬になるキノコであった。

 しかもこのキノコ、生成する手法と材料によっては麻痺だけでなく、全身を犯す猛毒も生成できる立派な劇物である。

 用法容量を正しく守り、きちんとした錬成ができる錬金術師なら、治癒の薬も生成できるが、上記のとおり劇物としての側面が強すぎて、治癒薬として生成する錬金術師はほとんどいないらしい。

 そんなものを使って作ったシチューを食べれば、結果は火を見るより明らか。死ななかっただけ御の字である。

 ちなみに、リータがなぜそんな代物でシチューを作ろうと思ったのかといえば、狩りから帰ってきてたまたま作り置きしていたシチューを見てしまったことが理由らしい。

 ちょっと隠し味のつもりで材料を追加し、一煮立ちさせて味見をしたら……というわけである。

 その作り置きしていたシチューは宿のお客に出すためのものだっただけに、厨房を管理していたエーミナの雷は凄まじいものだった。

 その時のことがよほど堪えているのか、その話をすると今でもリータは涙目になる。

 

「……おい、食い物、貰ってきたぞ」

 

 その時、ちょうどいいタイミングで、食事を持ったドルマが戻ってきた。

 手には固い黒パンとチーズを乗せた皿を持っている。

 

「あ、ありがとうドルマ! さ、食べよっか!」

 

「ああリータ、俺の分!」

 

 リータは恥ずかしさから逃げるようにドルマの手から皿を奪い取ると、健人の分はないといわんばかりに、乗せてあったパンとチーズを勢いよく頬張りはじめる。

 

「むぐむぐむぐ……べー! 意地悪な弟の分なんてありませ~ん!」

 

「子供か!」

 

「子供じゃありませ~~ん! お姉ちゃんで~~す!」

 

「弟の食事をぶんどるとは……。なんてひどい姉だ」

 

「…………」

 

 じゃれ合いをしている健人の横から、ドルマがジロリと睨み付ける。

 

「な、なにか?」

 

「別に……」

 

 ジト目で睨み付けてくるドルマに若干及び腰になる健人。

 相も変わらず健人に対しては厳しい態度をとっているが、リータとじゃれていたせいか、その視線もいつもよりキツい。

 その時、ギィ……と宿屋の扉が開かれたかと思うと、ドシャリと何かが落ちる音がホールに響いた。

 

「ん?」

 

 健人が何事かと視線を扉へ向けてみると、そこには泥だらけの塊があった。

 先ほどの音は泥塊の一部が床に落ちたもので、よく見れば石床に落ちた土のかけらがある。

 しかも、この土塊はただの土塊ではない。それはよく見ると土塊の下は無数の毛が生えており、もぞもぞと動いている。

 そして真っ黒な毛玉の奥からキラリと光る二つの瞳が覗いていた。

 

「「「…………」」」

 

 これがホラー映画なら、この後飛び込んできたクリーチャーに主人公たちが襲われること間違いないなしのシチュエーション。

 リータと健人は緊張からごくりと唾をのむ。

 そしてドアを開けた泥毛玉クリーチャーが動いた。

 

「ケントーーーーーー!」

 

「うおあああああ!」

 

 飛び込んできたクリーチャー(仮)は何故か健人の名を叫びながら、一直線に突撃し、彼を床に押し倒す。

 よく見ると飛び込んできたクリーチャーは怪物ではなく、健人がよく知る獣人、カシト・ガルジットだった。どうやら彼も、あのドラゴンから生き延びることに成功したらしい。

 再会できたことがよほど嬉しかったのか、カシトは万力のような力で健人を抱きしめ、頬擦りを始める。

 

「ケント、ケント! 生きてたんだね、おいら感激だよ~~!」

 

 拘束から逃れようと必死にもがく健人だが、兵士であり、優れた身体能力を持つカジートでもあるカシトの抱擁はまるでびくともしない。

 そして逃走中にカシトの体にこびりついたありとあらゆる汚物が、頬擦りとともに健人の身に降りかかる。

 ゾリゾリドロドロベチャベチャ。

 擦り付けられ、まき散らされる汚物の臭気に当てられた健人が絶叫を上げた。

 

「ぎゃあああ! 放せ! 泥と雪と涙と汗と鼻水がーーーーー!」

 

 悲鳴を上げる健人を他所に、ドルマは食事の乗った皿を手に即座に撤退。リータは呆然としたまま動けないでいる。

 そして騒がれている宿屋の店番は眉をひそめつつも健人たちには関わる気がないのか、傍観したままだった。

 

「おーい、リータ、ドルマ、ケント……って、なんでここにカシトがいるんだ?」

 

 ちょうどアルヴォアと話し終えて健人達を迎えにきたハドバルが宿屋に入ってきた。

 彼は混沌としている宿屋の惨状にため息をつくと、無言でカシトの脳天に拳を叩き落とした。

 

 

 

 

 



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第七話 覚悟の再認識

 宿屋でカシトの再会の抱擁を受けた健人は、迎えに来たハドバルと一緒に、彼の叔父であるアルヴォアの家へと戻った。

 ハドバルが話した事情を聞いたアルヴォアは、健人達を快く迎え入れてくれた。

 テーブルの上には蜂蜜酒と、アルヴォアの妻が用意した料理が並べられていた。

 焼いたパンに、湯気の立つ鹿肉のスープ、皿の上にはみずみずしい野菜と鹿肉とサケのステーキと、ボリュームも満点。

 宿屋で出された食事は簡素なもので量も少なかったことから、健人達には大変ありがたいものだった。

 

「あらためて、俺はアルヴォア。ハドバルの叔父だ。事情は甥から聞いたよ。ずいぶん世話になったな」

 

「いえ、俺達の方こそ。ハドバルさんがいなかったら、間違いなくヘルゲンでドラゴンに殺されていました」

 

「それはハドバルも同じだろう。信じられないような話だが、ハドバルの言うとおり伝説の獣が復活したのなら、生きていられただけで奇蹟だ。奇蹟なのだろうが……」

 

 何か言いたそうな表情で、アルヴォアはテーブルの傍に居る人物に目を向ける。

 

「いやー、おいらも本当に死ぬかと思ったよ、ハグハグ……」

 

 アルヴォアの視線の先にいたのは、気安い声で皿に盛られたサケのステーキにかぶりつくカシトだった。

 彼は宿屋で健人達と再会した後、彼の体にしがみついたまま、このアルヴォアの自宅までついて来てしまっていたのだ。

 ちなみに、彼の頭には握りこぶし程の大きさのタンコブが出来ている。

 

「……なんでこの猫野郎がここにいるんだよ」

 

「ひどい! おいらだって命からがらこの村にたどり着いたのに!」

 

 勝手についてきたカシトに対して、ドルマが辛辣な言葉を投げかける。

 一方、邪魔者扱いされたカシトは悲壮感たっぷりな叫びを上げ、滝のような涙を流している……ドロドロの汚物にまみれたまま。

 なんとこの猫獣人、体を洗わないままアルヴォアの家に押しかけ、いの一番にテーブルの上にあった料理に飛びついたのだ。

 

「いやまあ、カシトのいう事も分かるけどね……」

 

 確かに、必死の思いでこの村にたどり着いたことは分かる。空腹にあえいでいたことも理解できる。健人も彼と再会できたことは内心嬉しかった。

 しかし、健人としてはこのカジートに対して、もうちょっとこう空気というか、間というか、遠慮というものがないのだろうかと内心思わずにはいられなかった。

 

「カシト、せめて体くらい洗ってきなよ。まだドロドロなんだから……」

 

 健人は渡された布で服に付いた汚れを拭きながら、それとなく苦言を述べるが、カシトは相変わらずガツガツとステーキに食いついており、話を聞く様子が全くない。

 健人は仕方なく、その手を振り上げ、タンコブができているカシトの脳天目がけて振り下ろす。

 

「ギャン!」

 

 仕方ないから実力行使。

 かつて、彼がアストンの宿屋で丁稚奉公していた時に迷惑をかけられていたためか、健人もカシトに対しては遠慮がない。

 

「うう……。誰か、おいらに優しさをください……」

 

 さめざめと泣きながら蹲るカシト。その姿に、健人は妙に罪悪感が湧いてくるのを感じていた。

 一方、突然押しかけられた側のアルヴォアは溜息を吐くと、スッと親指で家の裏を指さした。

 

「いいから、さっさと裏の川で体を洗って来い。終わったら飯は食わせてやる」

 

「イエッサー!」

 

 アルヴォアの言葉に0.1秒で返答し、カシトは風のように飛び出していく。

 そんなカシトの姿に、ドルマは厳しい視線を向けている。

 そこには明確な蔑視の感情が見て取れた。

 

「いいのか? カジートのアイツを家に入れて」

 

 カジートはスカイリムにおいて、ノルド達にはあまり歓迎されていない。

 もっと言えば、忌避されているといってもいいだろう。

 これはノルドの閉鎖的な気質もあるが、カジート側にも原因がある。

 カジートはタムリエル南方のエルスウェアと呼ばれる地方に根付いている種族だ。

 一面砂漠地帯のエルスウェアでは、タムリエル大陸でも一風変わった産物が多く、カジート達は商人としてその産物を持ちこみ、タムリエル各地を巡って商売をしている。

 ただ、種族としてかなり大らかで適当なのか、法というものをあまり遵守しないカジートもいるのだ。

 また、カジートは嗜好品として、ムーンシュガーという品を好んで舐めるが、これは人間には強い幻覚作用と依存性があり、危険視されている代物だ。

 カジートにはただの嗜好品でも、人間には危険物に間違いないため、取り締まられるが、一方のカジートは生来の気質から気にせず都市内にムーンシュガーを持ち込んで食べる。

 さらにムーンシュガーを精製するとスクーマと呼ばれる強力な麻薬が生成できるが、カジートの中にはこのスクーマも都市内に持ち込もうとする者がいるため、閉鎖的なノルドと衝突することは必定だった。

 健人もヘルゲンのアストンの宿で働いていた時に、カジートに対するノルドの意見というのは耳にしている。

 何とも言えない居心地の悪さを感じながら、健人は頬を掻いた。

 

「まあ、カシトも俺たちも、生き延びられたのは奇跡なんだし、今回は別にいいさ……」

 

 ドルマが漏らした苦言に答えたのはハドバルだった。

 彼はアルヴォアと視線を交わすと、苦笑を浮かべながら肩をすくませる。

 実際、健人達がこうして生きのびることができたのは、まさに奇跡と言えた。

 軍事や兵法などは無知の健人だが、漆黒のドラゴンを迎撃した時の帝国兵の動きは整然としており、組まれた隊列も一糸乱れぬものだった。

 歩兵だけでなく、弓兵や魔法兵の練度も高く、上空を飛翔するドラゴンにも、的確に攻撃を当てていた。

 だが、それでもかのドラゴンにはかすり傷一つつけられなかった。

 ドラゴンは人間の抵抗など毛ほども気に留めず、天から絨毯爆撃のような隕石群を召喚してヘルゲンを文字通り灰にしてしまった。

 

「おじさん、俺は帝国軍に戻らなければいけない。そのためにもソリチュードに行く。この事態を収められるとしたら、それはテュリウス将軍だけだろうから」

 

 帝国兵であるハドバルとしては、自軍と合流しようとすることは当然の行動である。

 アルヴォアもハドバルの言葉を聞いて、納得したように頷く。

 

「そうか、君たちはどうするんだ?」

 

 アルヴォアが次に目を向けたのは、身寄りがなくなった健人達だった。

 ヘルゲンで家を焼かれた彼らにはいく場所がないのだ。

 実際、健人達3人は困り果てたようにうつむいている。

 

「……分かりません。これからどうしたらいいのか」

 

 その様子を見て、アルヴォアは沈痛な表情を浮かべた。

 

「まいったな……。俺たちもあまり余裕はないしな」

 

 彼らをリバーウッドで受け入れようにも、冬の間に蓄えていた食料をはじめとした消耗品はほぼ底をついている。

 今でこそ林業の村としてそれなりの生活をしているが、この村とて元々余裕があったわけではないのだ。

 それに、帝国軍の拠点であるヘルゲンが落ちたのなら、その近くにあるこの村とて、今は安全とは言い難い。この村には駐留している兵がほとんどいないからだ。

 とはいえ、このまま健人達に何も解決手段を提示しないまま放り出す気はアルヴォアにはなく、代替案は考えていた。

 

「身の安全を考えるなら、ホワイトランへ行くべきだろう。あそこはスカイリムで有数の大都市だし、ヘルゲンよりも守りはずっと強固だ。それに大きな町だから、人の集まる宿に行けば、日雇いの仕事もあるだろう」

 

 ホワイトランはスカイリムの中でも最大級の都市であり、極めて重要な交通の要衝だ。

 スカイリムのほぼ中心にあり、街道がスカイリムの各ホールドへと延びている。

さらに周囲にはこの寒冷な土地にしては肥沃な穀倉地帯もあり、気候の厳しいスカイリムの中において、季節を問わず人が行き交っている。

 人が行き交えばそこには仕事が生まれ、経済は潤い、さらに人が集まるという循環が生まれる。

 そんな土地ならば、確かに日雇いの仕事くらいは何とかなりそうだった。

 アルヴォアの意見に、ハドバルが頷く。

 

「そうだな、それに、俺もホワイトランには寄るつもりだ。ソリチュードまで行くには準備が必要だし、ホワイトランのバルグルーフ首長にもドラゴンの復活については伝えないといけない」

 

「ハドバル、すまないが、その時に首長に兵をこの村に寄越してくれるよう頼めるか?」

 

「もちろん。話はしておくよ」

 

「ありがとう」

 

「すみませんハドバルさん。またお世話になります」

 

「いいさ、気にすることはない」

 

 ドルマがハドバルに礼を言うが、ハドバルは気にするなというように手を振った。

 順調に進んでいく話し合いだが、何か懸念があるように、唐突にアルヴォアの表情が曇った。

 

「だがハドバル、大丈夫なのか? お前は帝国兵だ。バルグルーフ首長は帝国に完全に恭順したわけじゃないが……」

 

 今現在、スカイリムは帝国軍とストームクロークによる内乱状態だが、ホワイトランは中立という立場をとり、そのどちらにつくか、明確な答えを出していない。それは同時にどちらの勢力からの介入も防がなければならないということだ。

 そんな地に一介の帝国兵が行き、その地の統治者に会うなどといえば、どのようなことになるか想像に難くない。

 最悪の場合、有無を言わさず殺される可能性すらある。

 だが、ハドバルは心配ないというように笑みを浮かべた。

 

「大丈夫だろう。バルグルーフ首長は聡明な方だ。街の統治は行き届いているし、大事の前に小事を気にする方じゃない。そうでなければ、帝国軍とストームクロークの間で中立を保ち続けるなんて不可能さ」

 

 中立を選択するということは、一見楽そうな立場をとっているように見えるが、実はとんでもなく困難な選択なのだ。

 中立ということは対立している二勢力のどちらかが攻め入ってきた場合、自力のみで対処しなければならないということ。

 特に、対立する二勢力より力が劣っている場合は最悪だ。そしてホワイトランの総力は到底帝国軍、ストームクロークに及ばない。

 攻められて敗北すればすべてを奪われるし、もう一方の勢力に助力を求めれば、今まで中立という立場を標榜しただけに信用されづらく、何を要請するにしても足元を見られるのは確実である。

 それでも中立を保ち続けることができるのは、ホワイトランという土地の重要性だけでなく、統治者の能力も優れていることの証左だ。そうでなければ、とっくに帝国軍かストームクローク、どちらかの勢力下に置かれていただろう。

 アルヴォアもハドバルの言葉に納得したのか、再び笑みを浮かべて立ち上がった。

 

「じゃあ決まりだな。必要なものはあるか? こう見えてもこの村唯一の鍛冶屋だからな。必要なものは持って行っていいし、色々と道具は揃っているから好きに使ってくれ。必要があるなら、外の鍛冶場で俺が作ってやってもいい」

 

「い、いいんですか?」

 

 リータが驚いた声を漏らすが、アルヴォアは口元の笑みを深めながら、テーブルの上の蜂蜜酒を呷った。ノルドらしい豪快さだ。

 

「いいに決まっているだろ。さっきも言ったが、甥の恩人なんだ。遠慮はいらないぜ。まず初めは、そこの黒髪の兄ちゃんからかな」

 

 アルヴォアに指差された健人が、驚きの声を上げる。

 

「え、俺ですか?」

 

「ああ、一番時間がかかりそうだから、俺が手ずから揃えてやるよ。ついてきな」

 

 そういいながら、アルヴォアは家の外にある火事場へと向かっていく。

 

「え、ええっと……」

 

「ケント、遠慮する必要はない。見繕ってもらえ」

 

「は、はい!」

 

 一方、健人はどうしたらいいのか迷っている様子だったが、ハドバルに促され、アルヴォアの後を追って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルヴォアは鍛冶屋であるだけに、仕事場は自宅のすぐ隣に建てられている。

 鍛造を行うための大きな火床が作業場の中央に設けられ、火床には空気を送るための送風機も取り付けられている。

 火床のそばには金床、テーブル、砥石、皮のなめし台が置かれ、テーブルの上には金槌などの道具、なめした皮やインゴットなどの原材料だけでなく、鉄製の農具や装具等も置かれている。

 

「さて、必要なのは体を守る鎧とか外套とかだが……兄ちゃんの体つきから見るに、鋼鉄とかの重装鎧は向かないな。だとしたら革の軽装鎧だな」

 

 ハドバルは既に出来ている革製の鎧を手に取ると、健人の体に合わせて大まかな採寸を行い、余った布地の部分を手早くナイフで革を裁断していく。

 裁断した革の軽装鎧は切った部分を素早く針と糸で縫い合わせ、さらに肩や胸部などの重要な部分には革を重ね、その隙間に金属の板を入れていく。

 鎧の構造としては、主材を革として、一部に金属を使った軽装鎧になりそうだ。

 その手には迷いは一切なく、それだけで彼が熟練の鍛冶師であると同時に、一流の仕立て屋であることを窺わせた。

 

「どうして革と革の間に金属板を?」

 

「兄ちゃんは戦いの経験は無いし、ノルドじゃないだろ? 少しでも守りは堅い方がいいし、ノルドじゃないやつにこの土地の寒さは堪える。冷えた金属は体温を奪うから、皮で包んで板が冷えづらいようにしているのさ」

 

 形の合わない金属板は火床で熱し、金槌や砥石を使用して手早く形を整えていく。

 あっという間に形になっていく鎧を前にして、健人は感嘆の声を漏らしながらも、ジッとアルヴォアの作業を見つめていた。

 元々鎧自体の型は出来ていたこともあるが、作業自体は一時間もたたずに完了した。

 健人はアルヴォアから手渡された革の軽装鎧を身に着けてみる。

 鎧はしっくりと彼の体にフィットし、手足を曲げてみても不自由は感じられなかった。

 

「すみません。態々用意していただいて……」

 

「さっきも言ったが、遠慮はいらない。甥が世話になったみたいだしな」

 

 さらにアルヴォアは革製の兜と腕当て、ブーツを取り出し、健人の頭の大きさに合わせていく。

 その手さばきもやはり鮮やかで、流れるように次々と兜の形が整えられていく。

 

「いえ、俺たちの方が、ハドバルさんにはお世話になりっぱなしで、俺は大したことは……」

 

「そんなことないさ。ハドバルから話は聞いている。ストームクローク兵2人を倒したんだろ? 大したものさ」

 

「それは、偶然で……」

 

 実際、健人がストームクローク兵を倒せたのは偶然だろう。

 偶々突進した兵が倒れ、偶々近くにあった油樽が倒れ、偶々近くにあったカンテラで炎に巻き込めたに過ぎない。

 

「偶然かもしれんが、初めての戦場で一歩踏み出せる奴はそういない。君が戦ってくれたおかげで、ハドバルに向かうはずだった危険は少なくなったんだ。誇ってもいいと思うぞ」

 

「…………」

 

 彼と同じ同胞であるノルドを殺したことについて、アルヴォアが気にする様子は見受けられない。

 色々と気を使ってくれているアルヴォアだが、その性根はやはりノルドらしい果断で勇猛さを重んじるものだった。

 一方、健人は自分が人を殺したという実感を、今更ながら覚えていた。

 激情のままにストームクローク兵を押し倒し、焼き殺した時の感覚が蘇る。

 舐めるように体にまとわりつく炎と激痛、そして耳に残る悲鳴と、鼻に付く血の通った生肉の焼ける匂い。

 気がつけば、健人の手足は自然と震えていた。

 

「さて、鎧の他は剣と盾だな。まあ使うとしたら、片手剣と盾が妥当なところだが……兄ちゃんの技量から考えて、基本的に自分から相手を倒そうと考えない方がいいな」

 

「あ、あの……」

 

「兄ちゃんが何所の生まれで、今までどうやって生きてきたのかなんて知らん。その指を見れば、今まで戦いとは無縁の坊ちゃんだったことは分かる。だが、いい加減覚悟を決めておけ」

 

「っ……!」

 

「もう“初めて”は終わらせたんだ。慣れることだ。戦う事に、命を奪う事に、殺し、殺されることに。生きて、あの嬢ちゃんを守りたいならな」

 

 ここは平和な日本ではなく、公然とした力の支配がまかり通るスカイリム。

 生きるためには、時にはそれが獣であれ人であれ、自らの手で他の命を奪う必要すらある異世界だ。

 アルヴォアの突き放すような言葉に、健人は自然と肩を震わせた。

 分かっているはずだった、理解したはずだった、この世界の現実を。

 決断したはずだった。“残った家族を守りたい”と。

 だが、体に染みついた日本人としての感覚は“戦いと死こそ武勇であり栄誉”というノルドの矜持と、この異世界の現実を簡単には受け入れてくれない。

 健人は懊悩を払うように、革の腕当てをギュッと握りしめた。

 

「それから、これもあげよう」

 

 アルヴォアは手早く他の装具の調整を終わらせると、無言の健人の前に何かを差し出す。

 それは、木製の弓と数本の矢が入った矢筒だった。

 

「弓矢ですか? 実は使ったことがなくて……」

 

「使い方は連れの女の子から教わるといい。少しでも、生きるための手段は持っておくべきだ」

 

 懊悩する健人を前にして、アルヴォアが示すものは戦う手段のみ。

 人を殺したことに対する答えは何も言わない。そのような割り切りは、他者が介入する余地はない。本人が、自分で何とかするしかないと理解しているからだ。

 出来ないのなら死ぬだけ。肉体が死ぬか、心が死ぬか。そこにノルドとしていう事はないのだ。

 彼としてはノルドとして、初めての戦場で甥と共に戦って武勲を上げた青年を祝い、礼を尽くしているだけだった。

 

「こんなところだろう。装具の手直しの仕方も教えておくよ。場合によっては鍛冶の道具も必要になるだろうから、その辺りもな」

 

「……ありがとうございます」

 

 未だ懊悩は消えず。しかし、健人は既に行動してしまっている。生きるため、守るために他者の命を奪ってしまっている。

 なら、やるしかないじゃないかと、健人は胸の奥で何度も何度も繰り返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜も更けた頃の宿屋スリーピングジャイアント。

 人気のないホールの中、店番のオーグナーは灯される暖炉の火を明かりに本を読んでいた。

 その時、ギイッと入口の扉が開かれる。

 入ってきたのは革の軽装鎧を身にまとい、体を覆う外套で頭まですっぽりと覆った人物。

 体格的には女性だろうか。

 腰には護身用と思われる片手剣を差し、一見すれば、旅人のように見える。

 だが入店してきた人物が持つ片手剣はなだらかな反りがあり、柄もノルドや帝国軍がよく使う片手剣とは違い、両手でもしっかりと保持できるようになっている。

 さらに鍔には蛇が絡みついたような特徴的な拵えがあり、一見して普通の剣とは違う雰囲気を醸し出している。

 さらにこの来店者が持っているのは、布で包まれた板状のなにか。一見しても、普通の行商が扱うような商品には見えない。

 何より、この人物から醸し出されるまるで抜身の刃のような冷たい剣気が、女性をただの旅人とは一層異なるものとさせていた。

 夜遅くに訪れた突然の入店者。気難しい店番なら、ここで文句の一つでも言うかと思われる。

 しかし、店番のオーグナーは、彼女に対して健人たちに向けた憮然とした視線ではなく、どこか親密さを窺わせる目を向けていた。

 

「お帰りデルフィン。用事は終わったのか?」

 

「ただいまオーグナー。ええ、しっかりとね」

 

 デルフィンと呼ばれた女性が、外套を脱ぐ。

 外見的には40歳半ばだろうか。小じわの刻まれた白い肌に、結わえた金髪と鋭い瞳が特徴的な女性だった。

 デルフィンは持っていた包みを近くのテーブルに置くと、テーブルの上の水差しをとり、中身を煽った。

 ゴクゴクと、水を嚥下する音が爆ぜる薪の音にまぎれてホールに響く。

 

「それで、首尾はどうだったんだ?」

 

 オーグナーの問いかけに、女性は水を飲みながら、問題ないというように手にした包みを掲げる。

 

「見てのとおりよ。それから、ブリークフォール墓地にいた盗賊がこんなものを持っていたわ。多分、あの雑貨屋のものだから、あなたから返しておいて」

 

 布に包んだものとは別に、女性は懐から何かを取り出してオーグナーの前に置いた。

 それは金色の金属でできた、獣の鉤爪のような形状をしていた。

 元々この村の雑貨屋に置いてあったものであり、つい最近、盗賊に盗まれたものだった。

 

「いいけど、お前が行くべきじゃないか? 持ち帰ったのはお前だろ?」

 

「悪いけど、すぐに出かけることになるわ。オーグナー、またしばらくお店をお願いね」

 

「ああ、分かった。それから、なんだかドラゴンが復活したとかいう噂が出ているみたいだが、見たか?」

 

 ドラゴン。その言葉を聞いた瞬間、デルフィンの目の端が釣り上がった。

 

「……ええ、ヘルゲンの方から飛んでいくのが見えたわ」

 

「そうか……。何だか物騒になりそうだから、気を付けろよ」

 

「ええ、分かっているわ」

 

 手を振ってオーグナーに答えると、デルフィンはテーブルに置いた包みを無造作に持って宿屋の奥へ進む。

 彼女は主寝室を訪れると、部屋に備え付けてある箪笥の奥のスイッチを押す。

 すると、箪笥の奥の板が下りて、地下へと続く階段が姿を現した。

 デルフィンはそのまま、迷うことなく地下へ通り、秘密の部屋のテーブルに持ってきた品を置くと、ゆっくりと包みを解いた。

 包みの中にあったのは、五角形の石版、牙をもつ爬虫類の頭を思わせる意匠が施された、古い品だった。

 石板の裏には三本の爪でひっかいたような形の文字が刻まれている。

 それはある人物から頼まれていた依頼品。ホワイトランのドラゴン好きな宮廷魔術師に頼まれた古代の遺品だった。

 デルフィンは棚から一枚の大きな紙を取り出して遺品に押し当てると、上から炭をこすりつけて、遺品に刻まれた文字を写し取っていく。

 

(私達にも関係するものだったから依頼を受けたけど、その帰り道でまさか“あの伝説のドラゴン”を目の当たりにするなんてね……)

 

 紙に遺品の文字を写し終わったデルフィンは、古代の遺品の裏に刻まれた文字を指でなぞりながら、飛び去っていった漆黒の竜を思い出す。

 甦った伝説の獣。

 その存在は、彼女自身が今まで生きてきた意義が、間違いなく正しいものであるということの証明であった。

 蝋燭に照らされたその背中には、言いようのない緊張感と戦意が溢れていた。

 



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第八話 ホワイトランでの別れ

 アルヴォアの家で一晩泊めてもらった健人達は、翌日の早朝にリバーウッド村を発った。

 ハドバルとしてもアルヴォアとしても、一刻も早くドラゴン復活の報をホワイトランの首長に届ける必要があったからだ。

 ドラゴンの姿を見たという話は、リバーウッド村でも噂として流れ始めていた。

 まだ信じていない人の方が圧倒的に多いが、現実として襲われてからでは遅すぎる。

 リバーウッド村を出発した健人達は、村の北側に架かる橋を渡り、一路ホワイトランを目指す。

 そして川に沿って北上し、滝に面した街道を下っているときに、狼の群れに襲撃された。

 

「ガウウ!」

 

「ぐっ! この!」

 

 跳びかかってきた狼の身体を盾で受け止め、同時に剣を突き出す。

 突き出した剣の切っ先は狼の脇腹へと吸い込まれ、上手い具合に肋骨の隙間を通って内臓に突き刺さる。

 

「ギャン!」

 

 悲鳴を上げた狼が暴れるが、健人はそのまま盾越しに狼にのしかかり、全体重をかけて剣を押し込む。

 狼は必死に抜け出そうと暴れるが、その抵抗が逆に内臓をさらに傷つけ、致命傷となる。

 抵抗していた狼の動きが弱まり、完全に動かなくなると、健人はゆっくりと体を起こし、剣を引き抜いた。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 荒い息を吐きながら周りを見ると、他の狼はすでに掃討されていた。

 首や胴体を切り落とされ、眉間を射貫かれた狼の死体が散乱している。

 倒したのは、ハドバルとカシトが4匹ずつ、ドルマとリータが3匹ずつだ。

 4人とも特に息を乱した様子はなく、淡々としている。

 帝国軍兵として訓練を受け、戦士として優れたハドバルは当然として、やはりドルマとリータもまた、ノルドとして誇れるだけの技量をもっていた。

 意外だったのが、普段お調子者で屈強さとは無縁のよう見えるカシトが、ハドバルと同じくらいの数の狼を倒していることだった。

 帝国軍の革の鎧をまとい、両手に武骨な短剣を持ったカシトはカジート特有の敏捷な動きで、狼達を手早く処理していた。

 

「ケント、大丈夫?」

 

「あ、ああ、大丈夫だよ……」

 

 心配そうな表情を浮かべたリータが、健人の顔を覗き込んでくる。

 昨日まで明らかに憔悴した様子を見せていたリータだが、今では昨日程動揺した様子は見せていない。

 内に秘めた悲壮感を押し殺しているのだろうが、それでも狼相手に見事に立ち回る彼女の姿は、現代日本人よりもはるかに死が身近にあるノルド達の逞しさを健人に感じさせた。

 同時に、リータが健人に向けている愁いを帯びた視線に、彼は何とも言えない口惜しさを覚えていた。

 自分が残った家族を守りたいとは思っても、今の自分は到底誰かを守れるような存在ではない。逆に誰かに守られなければ、生きていけない弱々しい存在であると、見せつけられているような気がしたからだ。

 一方、彼女の幼馴染のドルマは、ケントに対しては相変わらずどこか忌避しているような視線を向けてくる。

 その変わらない視線に健人はさらに気持ちが沈みそうになるが、皮肉に満ちた言葉を口にしてこないだけマシだと思い直す。

 

「見えてきたぞ、ホワイトランだ」

 

 ハドバルの声に、健人は視線を上げた。

 広い平原の真ん中にポツンと存在する山塊。霧がかったその山肌に、重なり合うように建てられた建物が一大都市を形成していた。

 山の頂には大きな城が築かれており、雲の衣と日の光を浴びて輝いている。

 

「あれが、ホワイトラン……」

 

 まるでおとぎ話に出てくる天空の城を思わせる景観に、健人はため息を漏らす。

 スカイリム最大の交易都市、ホワイトラン。その地はもうすぐそこだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホワイトランは周囲を石壁と断崖で囲まれた天然の要害であり、都市内部に入るには正門を通るしかない。

 平野に広がる穀倉地帯を抜けて、厩の前を通り、石造りの街道を進む。

 健人とハドバルたちが正門にたどり着くと、黄土色のキュイラスを身にまとった衛兵が立っている。

 ホワイトランの衛兵は健人達に気づくと、小走りに近づいてきて声を張り上げた。

 

「止まれ! 街はドラゴン共の接近により閉鎖中だ。公用以外では通せない」

 

 高圧的な口調の衛兵。その声色には、明らかに緊張した気配が混じっていた。

 どうやらこの都市でも、ドラゴンの姿は目撃されていたらしい。

 衛兵の前にハドバルが出る。

 衛兵は帝国軍の鎧を纏ったハドバルとカシト、そして彼らの後ろに控える健人たち一瞥すると、鋼鉄の兜から覗く瞳を細めた。

 

「私は帝国軍の兵士だ。ヘルゲンでドラゴンの襲撃を受け、街が壊滅した。リバーウッドも首長の助けを求めている。この危険を一刻も早く多くの民に知らせるべきだと判断し、ここに参った次第だ。首長へお目通り願いたい」

 

「後ろの少年たちは?」

 

「ヘルゲンの生き残りだ。あの町は壊滅してしまったため、ここに連れてきた。せめて彼らだけでも街に入れてほしい」

 

「ふむ……。隊長に話してみる。少し待て」

 

 そう言って、衛兵は門の横の小扉の奥に消える。

 しばらくすると衛兵は隊長と思われる壮年の男性を連れて戻ってきた。

 衛兵隊長は健人たちの姿を認めると、あからさまな溜息を吐いて髪を掻く。

 若干頭が禿げ上がっているのは、彼の気苦労の多さゆえか、それとも年齢ゆえか。

 どうやらここでは、帝国兵であるハドバルたちだけでなく、健人たちも歓迎されていないらしい。

 

「私がこのホワイトランの衛兵を束ねるカイウス隊長だ。報告は聞いた。首長に謁見したいそうだな」

 

 衛兵隊長は気を持ち直すように姿勢を正すと、威厳を示すように胸を張ってハドバルの前に出る。

 

「事が事だけに、事態は緊急を要するようだ。ホワイトランに入ることを許可する。ついてきたまえ」

 

 とりあえずは都市内に入ること“は”許す。

 しかし、隊長自ら衛兵を率いて案内するところを見ると、万全の態勢で監視はするということなのだろう。

 帝国軍とストームクロークの戦争において、実質的にほぼ中立の立場を保持しているホワイトランとしては当然の対処だ。

 

「カイウス殿、この少年たちは……」

 

 ハドバルの言葉に、カイウスの視線が、再びケント達に向けられる。

 その視線には、相変わらず忌避するような色が見受けられた。

 

「その少年たちはホワイトランに身寄りがいるのか?」

 

「いえ、2人の少年は孤児ですし、少女の両親もヘルゲンで……」

 

 忌避するような視線の中に、健人達を探るような色が混じる。

 カイウス隊長にとっては、健人達のような親類縁者のいない難民を都市内に受け入れることは、治安維持の上で避けたいのだろう。

 もしくは、スパイである可能性を疑っているのかもしれない。

 ジッと向けられる視線に、健人はごくりと唾を飲む。

 ほかの二人もいい気分ではないのか、リータはモジモジと髪の毛をいじり、ドルマに至ってはあからさまにカイウスを睨み返していた。

 しかし、それも数秒。やがてカイウス隊長の視線から、探るような色が消える。

 

「そうか。なら、キナレス聖堂へ案内する。そこでしばらく生活して、職を探してもらうことになるが、それでいいか?」

 

 カイウス隊長からの言葉に、リータ、ドルマ、健人の3人は顔を見合わせると、了承するように頷く。

 

「わかった。仕事に関しては商店街にある宿屋のバナード・メアに行ってみるといい」

 

「ありがとうございます」

 

「「あ、ありがとうございます!」」

 

 カイウスの話では、キナレス聖堂ならとりあえず寝床は借りられるらしい。

 健人はその言葉に、胸を撫で下ろした。

 場合によっては都市外に放り出されることも覚悟していたのだ。それだけでなく、一時の住処すら提供してくれるなら、これ以上のことはない。

 ハドバルに続き、健人とリータの口からも自然とお礼の言葉が出た。

 ドルマも感謝の思いはあるのか、カイウス隊長に向かって、小さく頭を下げている。

 

「だが、そこのカジートはだめだ。悪いが、門の外で待っていてもらう」

 

「……え?」

 

 唐突なカイウスの言葉に、健人は思わず目を見開いた。

 

「あ、あの、どうしてですか?」

 

「カジートは麻薬の密売人である可能性が高い。街に入れるわけにはいかん」

 

「だ、だけど……」

 

 偏見に寄ったカイウス隊長の言葉に、健人は納得いかないといった様子で食いつく。

 健人はカシトの気質や性格を知っている。

 彼は確かのお調子者だし、色々と悪だくみをすることもあるが、決して人道に反するようなことをする人物ではない。

 

「ケント、おいらのことはいいよ」

 

「バカ! 良いわけないだろ!」

 

「ケントは知らないみたいだけど、スカイリムではカジートの扱いなんてこんなもんさ。慣れてるから大丈夫だよ」

 

「慣れているとかそういう問題じゃ……」

 

「下手なことを言ったら、ケントも締め出されるよ? おいらは帝国兵だ。ずっとこの都市にいるわけにいかない。でも健人は、しばらくここで暮らしていかなきゃいけないだろ?」

 

「でも、だからって……」

 

「いいから、ほらほら」

 

 カシトは気にするなと言うように、健人の背中を押して先を急がせる。

 健人はまだ納得できていない様子だが、一方のカシトは軽い口調の中にも有無を言わせない態度だった。

 その時、カイウスに声をかける人間がいた。

 カシトと同じ帝国軍兵士である、ハドバルだった。

 

「カイウス隊長、彼は私の部下で、ドラゴンを間近で目撃した人物です。それに、ヘルゲンで生き残っている実力者だ。スクーマを売る密売人とは違う」

 

「……ふむ、貴殿がそういうならいいだろう」

 

 ハドバルの言葉に納得したのか、カイウス隊長は報告に来た衛兵とハドバルたちを連れて、門をくぐる。

 石造りの門の先には、賑やかな街並みが続いていた。

 正門の横には鍛冶屋と思われる火床を備えた家と、通りを挟んで反対側には衛兵の詰め所。

 中央を通る大通りには、両脇を埋めるように二階建ての家が立ち並び、通りの奥には商店街と思われる喧騒が響いていた。

 

「なんだか、賑やかだね」

 

「ここはスカイリムでも最も交易が盛んな都市だ。今はドラゴンの接近で門を閉じてはいるが、それでも戦火は届いていないし、私達が守っている」

 

 そう言うカイウスの言葉には、自信と誇りに満ちていた。

 自分達がこのスカイリム最大都市の守護者であるという自負があるのだろう。

 実際、立ち並ぶ家々の規模も、商人の喧騒も、ヘルゲンとは比べ物にならないほど大きかった。

 カイウスに連れられて通りに沿って歩いていくと、ただでさえ耳に響いていた喧騒がさらに大きくなっていく。

 

「ここが商店街だ。正面に見える宿屋がさっき言ったバナード・メアだ。横にあるのは薬屋と雑貨屋。

 露店も多い。大概のものはここで手に入るだろう」

 

 円形の広場に沿って多くの露店が軒を連ね、商人達が威勢のいい声を張り上げながら、並べた商品を売っている。

 人通りも多く、皆それぞれが目的の品を吟味し、露店の主と熾烈な値切り交渉を繰り広げていた。

 

「新鮮な野菜と果物があるよ! 見ていておくれ!」

 

「今日獲ったばかりの鹿肉だ! 新鮮でうまいよ!」

 

 健人にはその光景が、どことなく故郷である日本の縁日を思わせた。

 しかし、ノルドの気風だろうか。

 日本の縁日のように、喧噪のなかに静謐さを漂わせるようなものはなく、ただただ生命力にあふれている。

 健人達が通ってきた道と広場を挟んで反対側。雑多な人ごみの隙間から、二階建てで一際大きな建物が見える。カイウスの言っていた、宿屋バナード・メアだ。

 カイウスは健人達を連れたまま、広場の外側を回るように足を進める。

 健人達は人ごみに飲まれそうになりながらも、何とかカイウスの後についていく。

 戦争の只中にある都市とは思えない、活気あふれる光景。帝国軍が常駐していたヘルゲンとは違う、のびのびと解放感に包まれた街並み。

 人々の熱気に中てられたのか、健人はついついあちこちの露店に、チラチラと目を向けてしまう。

 それはリータやドルマも同じだった。

 完全におのぼりさんである。

 そうこうしている内に、健人達は雑貨屋、薬屋の前を通り、宿屋バナード・メアの前へ。

 宿屋の中からは昼間だというのに多くの飲み客がいるのか、雑多で陽気な声が響いていた。

 宿屋の前を通り、広場の一角にある階段を上ると、再び円形の広場が目に飛び込んできた。

 広場の中心には一際大きな大樹がそびえ立ち、広場の周りを装飾が施された木製の柱と曲材が囲んでいる。

 大樹から伸びた枝は広場を覆い尽くさんばかりに広がり、四方に伸びた枝が広場全体を覆っていた。

 その偉容に、リータたちの口から感嘆の声が漏れる。

 

「うわぁ……」

 

「すごい大きな樹……」

 

「この樹はギルダーグリーンっていう樹で、カイネの祝福を受けたとされる大樹だ。詳しいことはわからんが、一年を通して花や葉が落ちることはない不思議な樹さ」

 

 カイウスのいう通り、ギルダーグリーンの大樹にはところどころにピンクの花が咲いている。

 なんとなく桜や梅を髣髴とさせる花であるが、植物学に明るくない健人には、それがどんな種類の木であるかはわからない。

 だが、少なくとも杉や松といった針葉樹林ではなく、温暖で水の豊富な地域に植生する落葉広葉樹のように見える。

 少なくとも、寒冷なスカイリムで、人が何の手も入れないにもかかわらず、樹が葉や花を保ち続けられるとは考えにくい。大抵の落葉樹は、寒くなると耐冷のために寒冷に弱い葉や、受粉のための花を落とすからだ。

 特に花は植物にとっては子孫を増やすために必要不可欠な生殖器官だが、同時に膨大なエネルギーを消費する器官でもある。

 そんな花を一年中咲かせ続けることができるなど、普通は考えられない。

 

「ねえリータ、カイネってなに?」

 

「九大神の一人、キナレスの事よ。天候、風を司る天空の神さま。私達ノルドはカイネって呼んでいるの。この街にキナレス聖堂があるのも、きっとこの樹が関係しているのね」

 

 キナレスという名前には、健人も聞き覚えがあった。タムリエル大陸で信仰される九大神の一柱。天候と風を司る天空の神だ。

 この世界においても、神々という上位存在の信仰はある。

 だが、現代の地球と違うのは、その神々の力がおおっぴらに顕現する事件が何度もあり、現実の存在として人々に認知されているという点だろう。

 この世界の魔法と呼ばれる超常の技も、神々の世界から地上に降り注ぐ力を使っているらしい。

 もっとも、健人自身はこの世界に来てから生きることに必死で、魔法について調べるような余裕はなく、詳細は全く分からないが。

 

「カイネがキナレスであることを知らないって、どんな田舎者だ? 見たところ、ノルドでもレッドガードでもインペリアルでもない。ブレトンとも違うみたいだが……」

 

「えっと……、その……痛っ!」

 

「…………」

 

 レッドガードは地球における黒人を連想させる肌が黒い人種で、ブレトンは人間とエルフの血が混じった人種である。

 しかし、日本人である健人の外観は、レッドガードのような黒い肌でもなく、背丈もそれほど高くはない。

 顔だちはブレトンに似ているところもあるが、彼らの肌は健人よりももっと白く、凹凸もはっきりとしている。

 さらには、ダークエルフを思わせる黒髪の持ち主ときている。

 思わぬところをカイウスに指摘され、思わず言葉に詰まる健人。そんな彼の脇腹を、傍にいたドルマが肘で小突く。

 下手に睨まれるような発言をしたからだろう、ドルマの瞳から、戒めるような厳しい視線が健人に向けられていた。

 健人は思わず肩を落とし、縮こまってしまう。

 

「……はあ、田舎者があちこち気になるのはわかるが、大人しくついてこい」

 

 先頭を歩いていたカイウスが、呆れたようにため息を漏らす。

 幸か不幸か、あまりにも無知で不用意な健人の言動は、カイウスの中で健人が密偵である可能性をさらに下げる結果となった。

 とはいえ、一般常識も知らない無学で厄介な存在とは映ったようである。

 そうこうしている内に、一行は公園を抜けてひときわ大きな建物の前にたどり着いた。

 

「ここがキナレス聖堂だ。ここで少し待っていろ」

 

 カイウスが中に入ってしばらくすると、彼は地味な茶色のガウンと黄土色の頭巾に身を包んだ壮年の女性が姿を現した。

 

「初めまして、このキナレス聖堂の司祭、ダニカです」

 

 恭しく挨拶をするダニカ司祭。

 神に仕える司祭らしく、控えめで穏やかな口調が特徴的な、礼儀正しい女性だった。

 

「リータです」

 

「ドルマだ」

 

「け、健人です」

 

 これからお世話になる人だけに、第一印象が大事だ。

 緊張した面持ちで、健人たちはダニカに挨拶する。

 一方、彼らの挨拶を受けたダニカは、微笑みを口元に浮かべたまま、どことなく憂いを帯びた表情を浮かべた。

 

「お話はカイウス隊長から聞きました。故郷をなくされたそうで……」

 

「…………」

 

「…………」

 

 ダリカの言葉に、リータたちは深い悲しみに満ちた表情を浮かべて下を向いた。

 

「今は内乱の影響でここでも大したことはできないかもしれませんが、しばらくゆっくり過ごして、英気を養ってください。大丈夫、明けない夜はないのですから」

 

「……ありがとうございます。よろしくお願いします」

 

 改めて頭を下げる健人。日本人特有の仕草にダニカは首を傾げるが、感謝の思いは十分伝わったのか、すぐに笑みを浮かべる。

 

「さて、次はハドバル殿だな。ついてきてくれ。首長の所へ案内しよう」

 

 事は一つ片付いた。そう言うように、カイウスがハドバルを促す。

 ハドバルはカイウスの言葉に頷くと、健人達に向き直る。

 

「……ここでお別れだな」

 

 そう、ハドバルとはここでお別れ。

 帝国兵であるハドバルにはしなければならないことがある。

 一刻も早くソリチュードへ赴き、ドラゴン復活という危機をスカイリム中に広めなければならないのだ。

 

「ハドバルさん、ここまでありがとうございました」

 

「本当に、お世話になりました」

 

 ドルマとリータが一歩前に踏み出し、ハドバルに礼を言う。

 健人もまた深々と頭を下げ、命の恩人に対しての感謝を示す。

 リータに至っては感極まっているのか、鼻をすすっていてうまく言葉が出てこない様子だ。目には今にも零れそうなほど涙が溜まっている。

 

「気にするな。俺は俺の責務を果たそうとしただけだ」

 

 口元に笑みを浮かべながら軽い調子で手を振るハドバル。しかし、その口調からはどこか達成感と安堵が窺えた。

 ただ、そのホッとした表情の中にも僅かな影が差している。

 帝国兵としての職責を完全に全うできなかったことへの後悔と、一握りでも守るべき命を助けられたことへの感謝が混ぜこぜになった、複雑な表情だった。

 しかし、その瞳には自分のすべきことを見据えた強い光がある。

 

「ケント、ちょっといいか?」

 

「は、はい……」

 

「ハドバル殿、あまり時間は……」

 

「大丈夫。すぐに終わります」

 

 先を促してくるカイウスにハドバルが少し待ったをかけると、彼は改めて健人に向き合う。

 一人の戦士として凛と立つハドバルの視線に、健人は思わず息をのんだ。

 

「いいかケント、すべての戦士の力は心で決まる。だが、その力を制するのは思考だ」

 

 ハドバルが右手を挙げ、拳でトンと健人の胸を叩いた。

 健人の脳裏に、ヘルゲンを脱出した時のことが思い出される。

 

「お前は戦士としては力が足りないが、制するための思考は優れている。腕力や技術は後からでも手に入れられるが、心はそうではない。戦士になれる者となれない者との間には、心に厳格な差が存在する」

 

「ハドバルさん……」

 

「ケント、家族を守りたいのなら、心を……魂を震わせろ。その魂の輝きが、己の強さを決める」

 

 ハドバルに叩かれた胸の奥から、じんわりと熱がこみ上げてくる。

 その熱に、健人は自分の無力感が少し、和らいだような気がした。

 

「それじゃあ元気でな。また会った時は、蜂蜜酒で乾杯といこう」

 

「その時は、俺が奢りますよ」

 

 この力強い瞳の戦士に、健人達は助けられた。

 改めて自分達の恩人の持つ強さを胸に刻みながら健人は今一度、心からの礼を言う。

 背を向けて歩きはじめたハドバルの次に声をかけてきたのはカシトだった。

 

「ケント、ここでお別れだね」

 

「カシトも行くのか?」

 

「正直に言えば、帝国軍に残っていたらドラゴンと戦わされるから、ごめんなんだけどね」

 

 カシトも、ヘルゲンを襲ってきたドラゴンのことは相当トラウマなのか、耳と尻尾をペタンと垂らし、憂鬱そうに呟いた。

 

「おいら自身、帝国に対する忠誠心はないし、ただその日の食い扶持をどうにかしようとしていただけだっただけど、今逃げ出して、後々脱走兵扱いされるのも御免だからね」

 

 健人としては何とも言えないカシトのセリフに、後ろにいたハドバルから厳しい視線が向けられる。

 ハドバルから向けられた視線に、カシトは“しまった!”と言うように、全身をブルリと震わせた。

 帝国兵であるハドバルが近くにいるところで、忠誠心はないとか言ってしまうあたり、相変わらず口が緩い男である。

 カシトは誤魔化すように、フシュフシュと鼻息を鳴らすと、改めて健人と向き合う。

 

「ケント、オイラはケントに会えて嬉しかったよ」

 

「俺はいろいろと迷惑かけられた記憶しかないけどな~」

 

 互いに言わずとも笑み浮かべるカシトと健人。

 カシトがアストンの宿屋でただ働きしている時、彼のサポートを任された健人だが、その間に健人はかなりカシトに振り回された。

 元々独自の習慣で生活しているカジートだが、カシト本人の奔放さと口の軽さにより、数々のトラブルを巻き起こしてくれた。

 酔っぱらって気の大きくなったノルドに軽口を漏らして絡まれたり、厨房から料理や酒を運ぶ際に我慢できずにつまみ食い。

 さらに繁忙期の夜に客の賭け事にいつの間にかちゃっかり参加していたり、客の酒を届けるごとに杯の中を少しづつ飲んだ結果、へべれけになってフラつき、暖炉の火が尻尾の毛に着火。

 あわやカシト本人が宿屋ごと火だるまになりかける始末。

 その度に健人がフォローに入っていた。

 

「ケントも知っているかもしれないけど、カジートはスカイリムではどこでも歓迎されないんだ。そんな俺に、健人は普通にしてくれた。とても……嬉しかったよ」

 

「カシト……」

 

「それじゃあね!」

 

 健人が感慨に耽っているうちに、カシトはさっさと別れを告げて行ってしまう。

 相変わらず落ち着きのない行動。

 健人はこんな時でも変わらないカシトにため息を漏らしつつも、どこか寂寥を帯びた目で、二人の背中を見つめていた。

 



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第九話 再来の気配

「行っちゃったか……」

 

「では3人とも、中へどうぞ」

 

 ダニカに促されて、健人たちはキナレス聖堂へと足を踏み入れる。

 聖堂の広さは百平方メートルほどで、四方にベッドが置かれており、ベッドの上には病人と思われる人たちが寝かされていた。

 

「ダニカさん、この人たちは……」

 

「この聖堂では、町の人たちの病気やけがの治療も行っています。特に今はストームクロークや山賊との小競り合いも多く、近くの野営地には盗賊や巨人が住み着いていて、怪我人が絶えないんです」

 

 ベッドに寝かされている人は、平服を着た街人もいるが、ホワイトランの衛兵の姿もある。

 病人や怪我人達は、皆一様に苦しそうなうめき声をあげており、治療にあたっている信徒達の間にもピリピリとした雰囲気に満ちている。

 

「ううう、た、助けてくれ……」

 

「ダニカ司祭、治癒をお願いします」

 

 衛兵の治療にあたっていた男性の信徒の一人が、ダニカの名を呼んだ。

 彼のケガはかなり深刻なのか、傷から流れ出た血がベッドの上を真っ赤に染めている。

 

「今行きます。すみません、すぐに戻りますので……」

 

「いや、俺達も手伝おう」

 

「そうですね。これからお世話になるんです。俺達にも手伝わせてください」

 

「……包帯を作っておきます。要らない布はありますか?」

 

「手伝ってくれるのはありがたいですが、あなた達は今ホワイトランに到着したばかりでしょう?」

 

 事態を重く見た健人達が、進んで手伝いを申し出る。

 しかし、手伝いを申し出た健人たちに、ダニカは迷ったような表情を浮かべる。

 健人たちは強大なドラゴンに襲われ、家族を失い、命からがら逃げだして、ようやく安全な場所にたどり着いたばかりだ。

 ダニカとしては、まず一旦休息をとって欲しいと考えていた。

 しかし、三人はダニカの願いを丁重に断った。

 

「いい、世話になるのは俺達だ。手伝わせてくれ」

 

「ドルマの言う通りです。名前も呼び捨てにしてください」

 

「そうです。それに、今は働いていた方が楽なんです。お願いします」

 

「……分かりました。ではケントとドルマは怪我人が暴れないように手を貸してください。リータ、包帯に使う布は奥にありますので、持ってきてください」

 

「分かりました」

 

 三人の強い申し出にダニカは折れた。

 ダニカの了承をもらった三人はすぐさま動き出す。

 健人とドルマが暴れている患者のもとに駆け寄り、リータが聖堂の奥へと走っていく。

 

「ん~~! ん~~!」

 

 怪我をしている衛兵は、一目で見ても重傷だった。

 矢はふとももに深々と突き刺さっており、血が止めどなく流れている。

 剣で切り落とされたのか、右手は上腕から先がなく、傷口にまかれた布が真っ赤に染まっていた。

 痛み止めなど存在しないのか、衛兵は激痛に激しくもがいており、そのため満足な止血ができずにいる様子だった。

 健人とドルマが暴れる怪我人の上半身と下半身を抑え、止血をしようとしている信徒の介助に入る。

 

「くそ、血が止まらない!」

 

 血が流れている主要個所は二か所。

 どちらも動脈を傷つけているのか、心臓の拍動に合わせてゴポ、ゴポと規則正しくあふれ出ている。

 駆け寄ってきたダニカが太ももに刺さっていた矢を抜いて手を患者に向けると、彼女の手の平が淡い光を放ち、衛兵の全身を包み込んだ。

“治癒の手”の回復魔法だ。

 健人は初めて目の前で展開された魔法に、目を見開く。

 この世界に来てから、魔法を目にする機会は何度かあったが、こんなに近く目の当たりにしたのは初めてだった。

 しかし、治癒の力が足りないのか、それとも出血が激しいのか、ダニカの“治癒の手”でも、血が止まる様子がない。

 

「ダニカさん、そのまま続けてください!」

 

 その時、健人は思いついたように出血している太ももの付け根を指で押さえた。

足の動脈は太ももの内側から、押さえることができる。

 健人が動脈を抑えたことで太ももの出血の勢いが弱まり、徐々に傷口を塞いでいく。

 

「っ! お前……」

 

 ドルマが驚きの声を上げる。

 そこに、ダニカの治癒の手が加わり、足の矢傷は十数秒で完全に塞がった。

 

「次は腕を!」

 

「え、ええ! ケント、お願いします!」

 

 健人は次に切り落とされた腕の脇の下を抑える。腕の動脈が皮膚の近くに走っているポイントだ。

 しかし、こちらは傷口が大きいためか、血がなかなか止まる様子がない。

 その時、聖堂の裏からリータが新しい包帯を持ってきた。

 

「お待たせ。新しい包帯よ!」

 

「リータ、こっち!」

 

 健人はリータから渡された包帯で輪を作り、出来た輪に患者の腕と近くにあった木の棒を通すと、木の棒を捩じった。

 通した木の棒が捩じられたことで輪が締まり、傷口を圧迫する。

 そこにダニカが治癒の手をかけると、切り落とされた腕の傷も塞がった。

 その光景を確認して、健人は息を漏らした。

 

「ふう……」

 

「ありがとう三人とも、助かりました」

 

「ああ、ありがとうございますダニカさん。次の患者を治療しましょう」

 

 治療を待つ患者は多い。

 ダニカ達は一つの命を救いあげることができた喜びもそこそこに、次の患者の治療に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 ハドバルはカイウスに案内され、雲地区を歩いていた。

 彼の目の前には雲地区の最上部に築かれた宮殿、ドラゴンズリーチがある。

 ドラゴンズリーチはかつての上級王オラフが、ドラゴンのヌーミネックスを捕らえたことからその名がついた宮殿だ。

 

「カイウス殿、首長はドラゴンズリーチにおられるのか?」

 

「ああ、そうだ。帝国軍とストームクロークとの戦いに加えて、ドラゴンの目撃情報。首長はとても宮殿を離れられる状態ではない」

 

 石造りの階段を上ると、巨大で重厚な門がハドバルの目の前に飛び込んできた。

 ハドバルは緊張感から、ごくりと息をのむ。

 元々平民出身の彼にとって、かのオラフ王の住んでいたドラゴンズリーチには憧れもある。

 同時に、今の彼は帝国兵。このホワイトランにとっても招かれざる客である。

 少しでも油断すれば、命を奪われてもおかしくない。

 しかし、それでもハドバルには果たすべき使命があった。

 己の責務と矜持を胸に、ハドバルはカウスの後に続く。

 

「カイウス! 帝国兵をこの宮殿に招くなんて何を考えているの!?」

 

 しかし、彼らの歩みは、門の前に控えていたダークエルフによって止められた。

 革の鎧を身に纏い、腰には剣を差した女性のダークエルフだ。

 帝国兵であるハドバル達を相当警戒しているのか、いつでも抜けるように剣の柄に手を当てて腰を落とし、隙無く身構えながら全身から剣気を発している。

 今にも斬りかかりそうな程、剣呑な気配と立ち振る舞い。何より、ピリピリと肌に感じる剣気に、ハドバルは目の前の女性が並々ならぬ戦士であると判断した。

 

「カイウス殿、彼女は?」

 

「彼女は首長の私兵であるイリレスだ。イリレス、彼は帝国兵だが、ヘルゲンの生き残りらしい」

 

 首長の私兵という言葉に、ハドバルは驚いた。

 ノルドは、ダークエルフに対していい感情は持っていない。

 このタムリエル大陸において、古代からエルフと人間は敵同士である。

 特にノルドとダークエルフは、互いの領地が接しており、歴史的に何度も直接敵対してきた記憶と歴史があるからだ。

 そんなダークエルフが一領地の王である首長の私兵に任命されるなど、ただ事ではない。

 それは、首長にとって、このダークエルフの女性の力量や精神、忠誠心が、同族のノルドと比べても秀でていることの証左だ。

 同時に、たとえ異種族だろうと、評価に値する人物は、迷いなく評価するという、首長の器の大きさも示している。

 その事実に、ハドバルはなんとしてもドラゴン復活の危機を伝えなくてはならないと、改めて決意した。

 

「……分かったわ、首長のところまで案内しましょう。だけど、私は首長の私兵。彼と彼の一族を脅かすあらゆる危険を処理することが役目よ。もし彼に危害を加えようとするなら、貴方が剣を抜くよりも早く、貴方の首を切り落とすわ」

 

 一方、カイウスから大まかな事の次第を聞いていたイリレスは、ハドバル達への警戒を続けながらも、二人を案内すると言ってきた。

 彼女が門の両脇に控えていた門番に合図を送ると、巨大な門が開かれ、ハドバルは謁見の大広間へと案内された。

 謁見の大広間は、百人が入っても有り余るほどの大きさで、二階までが吹き抜けの構造になっている。

 広間には暖を取るための巨大な火床があり、火床の両脇には長テーブル、そして最奥の壁には巨大なドラゴンの頭骨が掛けられていた。

 

“あれが、ドラゴンズリーチの由来、ヌーミネックスの骨か……”

 

 ヌーミネックスは、かつての上級王、オラフ王が捕獲したドラゴンであり、ノルドに伝わる有名な英雄譚に出てくる登場人物だ。

 そして、そのオラフ王がかつて座っていた座には、今現在、このホワイトランを治めているであろう、金色の髭を生やした偉丈夫のノルドの姿があった。

 

「お前がヘルゲンの生き残りか? それで、ドラゴンを見たのか?」

 

 偉大なるバルグルーフ。

 現ホワイトランの首長であり、このドラゴンズリーチの主。

 現在の内戦には中立という厳しくも難しい判断を下しながらも、見事に帝国とストームクロークの間を渡って見せている傑物。

 隣には執政と思われる中年の男性の姿もある。

 その王の覇気を前に、ハドバルは自然と膝をつき、頭を垂れていた。

 

「その通りです偉大なる首長よ。反乱軍ストームクロークの首魁、ウルフリックを捕らえて処刑しようとした際、ドラゴンに襲われました」

 

「ふん、帝国軍が誰を処刑しようとしたかなど、私には関係ない。今知りたいのは、ヘルゲンで何が起こっていたのかという事だ」

 

「……確かにドラゴンでした。闇夜を思わせる漆黒のドラゴンが街を焼き払い、その後は北西へ飛んでいきました」

 

「北西……なるほど、確かにホワイトランの方向だな。イリレスの報告は正しかったわけだ」

 

 ハドバルがちらりと自らの私兵に視線を移すと、イリレスは答えるように頷いた。

 どうやら、ドラゴン復活の情報を、既にこの王は得ていたらしい。

 

「それから、リバーウッドの住民が不安がっています。出来るなら兵を常駐させて頂くことは出来ないでしょうか?」

 

「なるほど、リバーウッドもヘルゲンに近い。民も不安であるだろう。だがなぜ、帝国兵であるお前がリバーウッドを気にかける?」

 

 バルグルーフが確かめるような声色と共に、見透かすような視線をハドバルに向ける。

 虚偽は許さぬ。

 言外にそう言い含めてくる視線を正面から感じ取りながら、ハドバルは一度口の中の唾を飲み込み、ゆっくりと口を開いた。

 

「リバーウッドは私の故郷です首長。この身は帝国に忠誠を誓っておりますが、それでもスカイリムを愛する気持ちは変わりません。帝国に忠誠を誓ったのも、全てはスカイリムの為なれば……」

 

「首長、今すぐリバーウッドに兵を送りましょう!」

 

 ハドバルの言葉を聞いた私兵のイリレスが、自らの王にすぐさま兵の派遣を具申する。

 ノルドの王に認められるだけあり、このダークエルフもかなり血気盛んな気質のようだった。

 一方、具申を受けたバルグルーフは、考えるように自らの顎髭を撫でると、隣に控えていた執政に声を掛ける。

 

「……プロペンタス、どう思う?」

 

「今リバーウッドに兵を向ければ、ファルクリースを刺激することになります。最悪の場合、戦いにつながる可能性もある以上、兵を送るべきではありません」

 

 ファルクリースは帝国の中心地であるシロディールと国境を接しているだけあり、帝国に対する悪感情は他のホールドと比べて低い。

 現にファルクリースの首長は帝国に対して恭順を示しており、その為、ファルクリース領であったヘルゲンには帝国の砦が設けられていた。

 対するホワイトランは、この内戦において中立の立場をとっている。

 国家間の関係において、国境付近に兵を増員することは、戦争の引き金になりかねない。

 故に、執政のプロペンタスは、派兵には反対の意見を具申してきた。

 信を置く家臣達から正反対の意見に、バルグルーフは考え込む。

 

「……私はホワイトランの首長だ。確かにプロペンタスの言うとおり、ファルクリースを刺激するかもしれない。だがドラゴンが私の領地を焼き払い、民を殺すのを黙ってみている気はない!」

 

 しかし、思案したのは数秒だけだった。

 為政者としての矜持を見せつけるように、バルグルーフは自らの決断を宣誓する。

 

「イリレス! 今すぐリバーウッドに部隊を送ってくれ」

 

「分かりました、首長」

 

「私も仕事に戻ります」

 

 そして、王の決断に、部下達もまた素早く応える。

 イリレスは部隊の編成をするために、プロペンタスは残った仕事を終わらせるために、それぞれの仕事に戻ろうとする。

 自らの提案を却下されたプロペンタスだが、その表情に不満などは一切見受けられない。

 逆に主君の決断を尊重するように、胸に手を当てて頭を下げている。

 

「そうしてくれ。帝国の兵士よ。よく知らせてくれた。名を聞かせてくれないか?」

 

「リバーウッドのハドバルです。バルグルーフ首長」

 

「よく伝えてくれた、ハドバルよ。この後、君はどうするのだ?」

 

「ソリチュードに戻り、帝国軍と合流しようかと考えております。ドラゴンに対抗するには、テュリウス将軍の力が必要不可欠と考えます」

 

「……ふむ、そうか。ホワイトランとして、帝国軍に公式な協力は難しいが、せめて装具を整えられるだけの援助はしよう。そちらのカジート兵の分も含めて、馬も手配しておく。道中、気をつけてな」

 

「は、感謝いたします。偉大なるバルグルーフ首長」

 

 この広大で寒冷なスカイリムにおいて、馬は非常に大きな労働力であり、資産だ。

 おいそれと渡すようなものではなく、場合によっては一軒の家に次ぐぐらいの価値がある。

 そんな資産を迷いなく提供するあたりが、バルグルーフの器の大きさを示していた。

 馬という思いがけない助力に、ハドバルはバルグルーフに心からの感謝を述べ、謁見の間から退室する。

 去っていくハドバルの背中を眺めながら、バルグルーフはつぶやいた。

 

「将来が楽しみな、良い若者だ。あのような若者がホワイトランの出身とは、胸躍る話じゃないか」

 

「しかし、彼は帝国兵です。馬を与えるのは、少々与えすぎなのではと思います」

 

「彼はヘルゲンに近いこのホワイトランに、一番最初に危機を伝えてくれた。

 信には信で報いる。それに、ドラゴンの脅威をスカイリム中に伝えなければならないことを考えれば、今の彼らに素早い足は必要だ。スカイリムのためには正しい判断だよ」

 

 執政であるプロペンタスとしては、馬という大きな資産を提供することには抵抗がある。

 しかし、主君の言う通り、ドラゴンの危機を素早くスカイリム中に伝えるには、馬のような速い移動手段は必須だった。

 自分より、より広い視点で決断を下す主君に対し、プロペンタスは改めて忠誠の礼をささげた。

 臣下の礼に、バルグルーフは手を挙げて答える。

 

「……さて、あとは」

 

「た、大変です! ドラゴンが西の監視塔に!」

 

 その時、焦燥した様子の衛兵が、謁見の間に飛び込んできた。

 それはこのホワイトランにも、ドラゴンの危機が迫っている証だった。

 惨劇の翼が、再び現れる。

 

 

 



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第十話 裏で察する者

 ハドバルが謁見を終える少し前。

 ドラゴンズリーチの宮廷魔術師、ファレンガーは、とある人物の訪問を受けていた。

 ファレンガーはこのホワイトランの首長に仕える高位の魔法使いであり、首長に対して魔法や呪いに関して助言を行う立場の人間である。

 

「やっと来たか。それで、見つかったのか?」

 

「ええ、ブリークフォール墓地の奥で見つけたわ」

 

 そう言いながら、デルフィンは背負った荷を机の上に降ろし、包んでいた布を解いた。

 五角形の石版が、露わになる。

 

「おお! 間違いなくドラゴンストーン! 古のドラゴンを記した遺産!」

 

 興奮した様子で、ファレンガーは机の上のドラゴンストーンに齧り付くように観察し始めた。

 顔面が接するほど近くに顔を寄せ、表面の模様や形状、傷の一つ一つに至るまで、目に焼き付けるように眺めている。

 

「見ろ、後ろに刻まれていのは、間違いなくドラゴンの文字だ! 古の時代、ドラゴンが残した神秘の文字……。ああ、美しい」

 

「ちょっと、興奮するのはいいけど、こちらの質問にも答えて」

 

「ああ、わかっているさ。それで、ドラゴン研究の第一人者であるこの私に何を聞きたいのかね?」

 

 このファレンガーという人物。高位の魔法使いにありがちな、偏屈さと頑固さを併せ持つ人物だが、同時にドラゴンに対して異常なほど執着している面があった。

 

「ドラゴン研究の第一人者というより、ただのドラゴン狂いのような気がするけど……」

 

「何か言ったかね?」

 

「いいえ、なんでもないわ。欲しいのは、この遺物についての情報。それからヘルゲンから飛び立ったドラゴンの情報よ。炎を思わせる漆黒の鱗を纏った巨大なドラゴン。なにか知っている?」

 

 デルフィンが聞きたかったのは、ブリークフォール墓地で見つけた五角形の遺物についてと、墓地から帰る際に目撃した、漆黒のドラゴンについて。

 彼女自身の存在意義にかかわることだけに、何としても知る必要があった。

 だが、ヘルゲンを襲ったドラゴンについて、デルフィンは遠目からしか見ていない。

 そのため、特徴となるのはせいぜい鱗の色くらいだった。

 

「まず、この遺物についてだが、おそらくドラゴンの墓地について書かれている。おそらく、墓地の位置が書いてあるのだろうな。

 飛んで行ったドラゴンについてだが、ドラゴンというのは伝承において、著しく特徴のある個体もある。

 だが、そもそもドラゴンの個体について調べた統計的な情報はほとんど存在しない上に、伝承におけるドラゴンはどれもが曖昧だ。

 被膜を纏った前肢などのある程度の共通した特徴を持つが、おおざっぱな外見と鱗の色だけでは何とも言えんな」

 

「そう……」

 

 やはり、個体の特定には至らないらしい。

 ファレンガーが自分の研究を漏らしたくないからなのか、それとも本当に何もわからないからなのか判別できなかったが、デルフィンは澄ました表情の裏で、内心臍をかんだ。

 ドラゴンの個体名が特定できれば、過去の自分たちが持つ情報から、ある程度の対策ができるかもしれないと思ったのだ。

 

「ふむ、やはりドラゴンは復活したのか?」

 

「ええ。この目ではっきりと見たわ」

 

「そうか! それは素晴らしい! ぜひこの目で一度見てみたい!」

 

「あなた、本気でそう思っているの?ドラゴンの復活は、人類の危機なのよ?」

 

 ドラゴンの復活。それは、タムリエルに住まう人々にとって、看過できない事態である。

 ドラゴンは太古の昔、人間たちを支配し、圧政を強いてきた。

 そして、数えきれないほどの人間を戯れに殺してきている。

 今ではその歴史を知る者はほとんどいないが、デルフィンはその事実を歴史として知っている。

 何より、彼女が持つ自身の存在意義が、ドラゴンが復活したこの事態を見逃せぬ事とし、危機感を煽り立てていた。

 

「ああ、どんな姿のドラゴンなのだろうか? 鱗の形状は? 被膜の厚さは? 体温は人より高いのだろうか……」

 

「やっぱりドラゴン狂いね……」

 

 しかし、危機感に満ちたデルフィンの警告も、ドラゴン狂いの魔法使いには通じない。

 彼らのような魔法使いが生きる意味は、己が心躍る命題を追い求めることであり、それ以外は俗世の出来事で、自分たちには関係のないことであるからだ。

 デルフィンは興奮して話を聞かなくなったファレンガーを早々に放り出し、諦めたように窓の外に目を向けた。

 その時、宮殿の扉が開かれ、ダークエルフの女戦士が率いる一隊が、宮殿を後にする様子が目に飛び込んできた。

 

(あれは、首長の副官?)

 

 宮殿を後にするイリレス達は皆緊張感に満ちた表情を浮かべており、まるで今から戦場に向かうような物々しさがあった。

 デルフィンは熱狂的なファレンガーの息もつかずにまくし立ててくる講義を聞き流しながら、ほのかに香る戦場の気配に眉を顰めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 バルグルーフとの謁見を終えたハドバルとカシトは、麓の厩の前でバルグルーフから提供された馬に跨り、去ることになるホワイトランの街並みを見上げていた。

 旅に必要な装具、食料、水などの一式も提供され、馬に括り付けられている。

 

「ふう……、これで終わりだな。急いでソリチュードに向かうぞ」

 

「……うん」

 

 名残惜しそうにホワイトランを見上げているカシトに、ハドバルが訪ねる。

 

「不満か? それともケント達が気になるのか?」

 

「……」

 

「お前は帝国兵だ。死んでいるならともかく、生きているのに原隊に復帰しなければ、脱走罪に問われるかもしれんぞ。そうなれば、最悪反逆者達と同じように死刑だ」

 

「そんな事、分かってるよ」

 

 帝国軍は正規の軍隊であり、服務にあたり守るべき規律が存在する。

 地球の軍隊でもそうだが、どの国でもこの軍規は厳粛に守らなければならないものである。

 そして、その軍規に反したものへ下される罰は、総じて重いものばかりだ。

 それも当然のこと。

 兵士とは戦闘という非常事態下で戦うことを義務付けられ、そのために国の最上位の武力を与えられた者達だからだ。

 

「……とはいえ、ヘルゲンもお前が元いた部隊もドラゴンのせいで壊滅状態だ。今お前がいなくなったとしても、誰も分からんだろう」

 

「……どういうつもりかな? オイラがもし脱走したとしても、見逃すつもり?」

 

「いや。私は帝国軍の兵士だ。それに、元の部隊が壊滅した今、お前は私の指揮下の兵という事になる。目の前で脱走されて、見逃すはずはないだろう?」

 

 命令系統において、上位の士官が全て死亡した場合、次に位の高い士官が指揮を執り、命令系統を一本化するのが通例だ。

 この場合、ハドバルとカシト、双方の位ではハドバルのほうが高いため、カシトはハドバルの指揮下に入ったことになっている。

 

「なら聞かないでほしいな~。期待させて落とすなんてひどい話だよ~。

 別にいいじゃないか。このまま帝国軍に残っていたら、あのドラゴンと戦わされちゃうんだよ? そうなったらオイラ死んじゃうよ……」

 

「分かっていたが、お前にはやはり帝国に対する忠誠心はないのか?」

 

「あるわけないじゃん。オイラが帝国軍に入ったのだって、日銭を出さなくても飯にありつけたからだし」

 

 カシトの発言に、ハドバルは呆れたように溜息を洩らした。

 このカジートは口が軽いだけに思ったことを素直に言うからか、受け取り側によっては不評を買うことが多い。

 特に、自尊心の強いノルドやエルフとは相性が悪かった。

 

「ソリチュードに着いたら、お前を除隊させてくれるよう進言する。だから、今はソリチュードに行くんだ」

 

「分かっている。ソリチュードには行くよ。きちんと除隊してから、ホワイトランに戻るさ。しかし、ノルドってのはどうしてこう頭が固くて融通がきかないんだろうね~。面倒くさいよ、本当に……」

 

 一方、カシトとしては帝国軍に義理立てする理由はなく、ヘルゲンで戦ったのだから、もう十分だろうというのが、本人の考えだった。

 元々、独自の文化を形成してきたカジートだ。

 彼らが住むエルスウェアは荒涼とした砂漠であり、そんな場所に住むカジートは家族や血族単位の生活が主なだけに、人間の作った大集団を統治するための法律や軍規などはどうもピンと来ないのだ。

 なにより、カジートはこのタムリエルでは被差別の種族。

 不老に近い長寿を持つエルフはおろか、同じ定命の種である人間からも、明確な差別を受けている。

 当然、カシトも心無い差別にあったことは、一度や二度ではない。

 さらに歴史的にもエルフ、人間の双方から、力で支配されてきた歴史があり、それは今でも根強く残っている。

 習慣、風習が違うと言えばそれまでだが、こんな背景を持つ相手に愛着など湧くはずもない。

 

「もし帝国軍に残ってくれるなら、ホワイトランが帝国軍を受け入れてくれた時、お前がこの街に駐留できるように進言するぞ?」

 

「べ~! その前にさっさと除隊するよ。いい加減軍隊生活は飽きたから」

 

「そうか……」

 

 しかし、ハドバルの声には、カシトが帝国軍を離れる気であることを、純粋に惜しむ色があった。

 自分達を差別してくるノルドからの思わぬ反応に、カシトが怪訝な目を向ける。

 

「なんか残念そうだね。普通なら“これでやっと獣臭い人間もどきがいなくなる”と言うと思ったけど」

 

「お前をよく知らぬノルドならそう言うだろうが、道中で見たお前の身のこなしと短剣の腕は確かだった。一人の帝国軍人として、お前ほどの使い手がいなくなることは正直惜しい」

 

「……ふん」

 

 ノルドは閉鎖的な種族だが、戦士としての力量を重んじるだけあり、一角の戦士には純粋に敬意を示す。

 ハドバルとしては、カシトの腕は戦士として、純粋に敬意を払うべきものだった。

 

「それに、リバーウッドからここまでくる間、お前は戦いながらケントに危険が及ばないか注意していただろう?」

 

 なにより、ハドバルがカシトを認めるに至った理由は、リバーウッドからホワイトランに来るまでの、戦士としての彼の振る舞いだった。

 ハドバルの言う通り、カシトはホワイトランに来る間、オオカミとの戦闘を行いながらも、横合いから健人に襲い掛かろうとするオオカミ達を、持ち前の身のこなしで牽制していた。

 そのおかげで、健人はオオカミとの戦いにおいて、一対一で相手に集中することができていた。

 戦いの素人である健人は気づかなかったが、リータやドルマは気づいていたし、戦いを指揮していたハドバルも当然気づいている。

 

「戦士と盗賊の違いは、己の為だけに自分の力を使うか、誰かの為に使うかという事だ。ケントの為にその短剣を振るったお前は、間違いなく立派な戦士だ。そんな人物が去っていくのを惜しいと思うのは当然だろう?」

 

「………ふん」

 

 ハドバルからの純粋な賛辞に、カシトはそっぽを向いて鼻白んだ。

 ノルドからの慣れない賛辞は、今までの人生を思い出して少々スネていたカシトには眩しかったのだ。

 

「ん!?」

 

 その時、二人の目が奇妙なものをとらえた。

 ホワイトランの正門が開き、門の奥から騎馬の一隊が出てくる。

 先頭の馬に乗っていたのは、ドラゴンズリーチの謁見の間で出会ったダークエルフの戦士だった。

 

「あれは、イリレス殿? 何かあったのか?」

 

「なんだか嫌な予感がするんだけど……」

 

 何やら不穏な空気をまといながら、イリレスが率いる騎馬の一隊は西へ向けて駆けていく。

 

「行くぞ。一体何があったのかを確かめる」

 

「ええ!? ちょっと、本気!? って、オイラを置いていかないでよ!」

 

 これ以上ないほど嫌そうな表情を浮かべるカシトを後目に、ハドバルは馬の腹を蹴る。

 駆け出していくハドバルの馬を、カシトは慌てて追いかけた。

 

 

 




ブリークフォール墓地を攻略したのは、主人公じゃなくてなんとデルフィン。
そして西の監視塔に行くのも主人公じゃなくてハドバルという展開!
原作ブレイクも甚だしいな……。


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第十一話 ハドバルの死地

 ホワイトランの西の監視塔は、広大な平原を渡る街道沿いに建てられた監視塔である。

 常駐している兵士もそれなりに多く、ファルクリースとリーチに続く街道を警備する重要な拠点である。

 その立派な石造りの監視塔は今や崩れかけ、荒涼とした有様だった。

 周りの草や備蓄してあった物資は軒並み灰になり、煙を上げ、監視塔を煤で汚している。

 

「これは……イリレス隊長」

 

「うろたえるな。今のところ、ドラゴンの姿は見当たらないわ。でも、ここにいたのは確かみたいね」

 

 動揺する衛兵を、イリレスが一喝する。

 確かに、監視塔はひどい状態ではある。

 しかし、イリレスの任務は調査だ。

 姿は見えず、どこかにドラゴンが潜んでいるとしても、なんらかの情報を見つけだし、必ず持ち帰る必要があった。

 

「散開して生存者を探しつつ、周囲の警戒を厳に。私たちが戦っている存在について、もっと情報を集める必要があるわ」

 

「イリレス殿」

 

 イリレスの一隊を追いかけていたハドバルが追いつき、駆けだそうとするイリレスに声をかける。

 

「ハドバル殿か」

 

「はい、一体どうしたのですか?」

 

「西の監視塔にドラゴンが現れたという報告を聞いて駆け付けたのだ。見たところ、本当に襲撃されていたようだが……」

 

 ハドバルはそう言うと、煙に包まれている監視塔を見て眉をひそめた。

 

「ハドバル殿は離れていてくれ」

 

「いえ、私も同行しましょう。監視塔を襲撃した不届き者がヘルゲンを襲ったドラゴンと同じかどうか、見極める必要があります」

 

「好きにしなさい。その代り、自分の身は自分で守りなさい」

 

「分かっています」

 

 返事を聞いたイリレスは、衛兵を率いて監視塔へ向かって駆け出していく。

 ハドバルも乗っていた馬を降りると、剣と盾を構えてイリレスの後を追う。

 

「ちくしょ~~! アカトシュ様、キナレス様、マーラ様、ディベラ様、ジュリアノス様、ステンダール様、アーケイ様、ゼニタール様、ついでにタロス様、お願いですから何も起こらないでよ……」

 

 後ろに控えていたカシトは、異常な頻度でやってくる騒動の予感と逃げることもできない己の立場に、すがるような気持ちで九大神に祈りをささげた。

 ここ二百年ほど不憫な神がないがしろにされている気がしないでもないが、半ばヤケになりかけているカシトは気が付かない。

 およそ二十人の衛兵と、首長付きの私兵、帝国兵士のノルドとカジートが、監視塔に近づく。

 すると、近づいてきた彼らを察知したのか、監視塔の中から一人の衛兵が飛び出してきた。

 監視塔から飛び出してきた衛兵は、よほど動揺しているのか、足をもつれさせながら、イリレスたちに近寄ってくる。

 

「だめだ、戻れ! まだ近くにいる! ホロキとトーが、逃げようとしたときにつかまった!」

 

「生存者!? ここで何があったの? ドラゴンはどこ? 答えなさい!」

 

「わ、分からない」

 

 その時、平原を覆う山々の奥から、言い知れぬ咆哮が聞こえてきた。

 

「ハドバル、この声って……」

 

「ああ、嫌な予感がする」

 

 狼ともトロールとも違う、魂の奥から恐怖を掻き立てるような咆哮に、ハドバルとカシトの額に汗が滴る。

 

「キナレス、助けてくれ。奴がまたやって来た」

 

 その時、山にかかる雲海を切り裂きながら、一頭の巨獣が姿を現した。

 ヘルゲンを襲った個体とは違う。

 緑のうろこに覆われた体躯と、まるで船の帆を思わせる皮膜を持つ両椀。背と頭に毒々しい鶏冠を持つドラゴンだった。

 ドラゴンはイリレス達を睥睨しながら、身も凍るような咆哮と共に、一気に急降下してくる。

 

「来たわ。物陰に隠れて、すべての矢を放ちなさい!」

 

 衛兵たちが岩陰に身を隠しながら、一斉に弓を放つ。

 およそ二十の矢が上空から舞い降りるドラゴンに殺到するが、ドラゴンは素早く身をひるがえして回避すると、衛兵たちを見下すように、彼らの真上を飛び過ぎた。

 巨大な質量が飛ぶことで生み出された強風が、イリレス達に叩きつけられ、彼らは思わずその場に蹲る。

 緑のドラゴンは地面にうずくまったイリレス達を一瞥すると、悠々とした様子で旋回すし、再びイリレスたちに向かって突っ込んできた。

 

「くそドラゴンめ、くらえ!」

 

 血気盛んな衛兵が身を乗り出して、正面からさらにドラゴンに矢を放とうとする。

 その兵士を視界にとらえたドラゴンが口蓋を開いた。

 

「正面に立つな! 焼かれるぞ!」

 

“ヨル……トゥ、シュール!”

 

 ハドバルがとっさに身を乗り出した衛兵を警告するが、その前にドラゴンから灼熱の炎が放たれた。

 無謀な衛兵を炎が飲み込む。

 

「ぎゃあああ!」

 

 さらに飛行状態で放たれた炎は一直線に地面を焼き、都合三人の兵士を纏めて焼き払う。

 

“ジョール、ダニーク、ディボン。アーク、ファール、ラース、ソブンガルデ。我が名はミルムルニル。定命の者よ、ソブンガルデに逝くがいい”

 

 ミルムルニルと名乗ったドラゴンは再び旋回すると、両足の爪を立てながら、衛兵たち目がけて突っ込んでくる。

 飛行速度とドラゴンの体重が合わさった足撃は、五人の衛兵を巻き込んでミンチにしながら、地面に真紅の道を描く。

 わずか数秒の間に、偵察隊の四割の隊員が死亡した。

 

“さて、次の獲物は……グウ!”

 

 しかし、隊員を下敷きにして地面を滑走したミルムルニルの動きが泊まった瞬間、雷が彼の体を浴びせられた。

 雷を放ったのは、偵察隊を率いていたイリレスだ。

 放たれた紫電が蛇のようにドラゴンに纏わりつく。

 雷が空気を焼き、鼻を突く刺激臭が辺りに立ち込める。

 ダークエルフである彼女の魔法は、人間のそれと比べても頭一つ抜けている。

 イリレスが放った雷は詠唱のほぼいらない初級の魔法だが、イリレスのそれは数人纏めて感電死させられる威力があった。

 

「今よ! 一斉に斬りかかりなさい!」

 

 イリレスの合図に合わせて、ハドバル達と衛兵たちが一斉に斬りかかる。

 ミルムルニルの周囲を囲み、振り上げた剣を叩きつける。

 しかし、ほとんどの剣は強固な鱗の前にやはり弾かれる結果に終わった。

 数撃の剣は幾分薄い鱗を貫いたり、鱗の隙間に刃を入れることに成功しているが、致命傷には程遠く、ミルムルニルは全く痛痒を見せない。

 

「ぐっ! ヘルゲンを襲ったドラゴンよりはマシだが、これでは致命傷を与えることはできん! ぐあ!」

 

 次の瞬間、ミルムルニルが翼をはためかせ、周囲を囲んでいた衛兵たちを吹き飛ばした。

 さらに体をひねって鞭のような尾を振り回し、舞い上げられた衛兵を地面に叩き付けながら、流れるような動作で首を伸ばして近くにいた衛兵をかみ砕く。

 地面に叩き付けられた衛兵達は、地面にこびり付く紅い染みへと変わり、かみ砕かれた衛兵はピクピクと痙攣する肉塊になる。

 

「くっ!」

 

“フォス……ロウ、ダー!”

 

 イリレスが再び魔法でドラゴンを牽制しようと手を向けるが、彼女が魔法を放つよりもはるかに早く、ミルムルニルのスゥームがイリレスを襲った。

 目に見えぬ衝撃波がイリレスを吹き飛ばし、彼女の体を岩に叩き付ける。

 岩に叩き付けられた衝撃で動けないイリレスに、ドラゴンが追撃のスゥームを放とうとする。

 

「ていやっ!」

 

 しかし、ドラゴンの追撃を妨げるように、カシトが攻撃を仕掛けていた。

 彼は素早い身のこなしでミルムルニルの死角である背後に回り込み、ドラゴンの背に足をかけて跳躍。

 ミルムルニル頭の真上から、短剣を相手の眼を狙って振り下ろしてきた。

 しかし、ミルムルニルは自分の体を使って強襲してきたカシトに気付くと、首を下してカシトの剣撃を躱して、逆にカシトをかみ砕こうとしてきた。

 

「うおっと! あ、あぶ、あぶな!」

 

 逆撃を仕掛けられたカシトは慌てて体を捻り、迫りくるドラゴンの鼻先を蹴って離脱する。

 軽い口調でいまいち危機感を感じさせないが、カシトとしても紙一重の回避だった。

 互いに間合いを離したドラゴンとハドバル達は、一時的に相手を窺うように睨み合う。

 しかし、どちらが優勢かは誰の目にも明らか。

 既に半数以上の兵士が殺され、生き残った兵も吹き飛ばされた時の衝撃で動けない様子だった。

 一方、満身創痍のイリレス達に比べ、ドラゴンはまるで弱った様子がない。

 

“僅かとはいえ、わが身に傷を入れられるとは。少々驚いたぞ、定命の者達よ”

 

 ミルムルニルが興味深そうな視線がイリレスたちに向ける。

 その視線に込められた喜悦の色に、イリレス達は彼我の戦力差を否が応にも自覚させられていた。

 ミルムルニルにとって、この戦いは単なる遊戯だ。

 受けた傷も、遊びの最中にちょっと指を擦りむいた程度のものでしかない。

 ほぼ無傷のドラゴンに比べ、イリレスの率いた兵は全滅状態。

 魔法もドラゴンの鱗に阻まれ、僅かに動きを鈍らせる程度の効果しかなく、剣も弓もほぼ効果がない有様である。

 

「こりゃあ無理だね。オイラはさっさとここから逃げた方がいいと思うよ!」

 

 カシトが撤退を提案する。

 イリレスも、カシトの案には賛成だった。

 ドラゴンを倒すには、あまりにも戦力が足りないし、今のイリレスの任務はドラゴンを倒すことではなく、情報を持ち帰ることだった。

 問題は、どうやって目の前のドラゴンを振り切るか。

 

「カシト、お前は逃げるといい」

 

「は? アンタはどうするのさ?」

 

「私は残る。イリレス殿とお前が撤退するまで、時間を稼ぐ」

 

 殿を買って出たのは、ハドバルだった。

 隣にいたカシトとイリレスが、驚きに目を見開く。

 

「ちょっとアンタ! 自分が何言っているか分かっているのか!?」

 

「ハドバル殿、死ぬつもりか!?」

 

「他に適任がいない」

 

 イリレスはバルグルーフの私兵であり副官だ。ホワイトランの今後を考えれば、今失うわけにはいかない。

 カシトはそもそも、戦闘技能や装備から、殿が行う遅滞戦闘には向いていない。

 この場で殿に適した人間は、ハドバルだけだった。

 

「カシト、その日暮らしのカジートのお前は、帝国軍などどうでもいいのだろう?」

 

「ああ、どうでもいいよ。特にノルドなんて、どこで野たれ死んでも気にならないし、ダークエルフもさっさと豚の肥やしになれって思うよ」

 

 興奮したのか、吐き捨てるような口調でまくしたてるカシト。

 その言葉の一つ一つに、彼が今まで生きてきた人生が凝縮されているようだった。

 

「ああ、そうだ。お前はそういう奴だ。お前が気にしているのはケントだけだ。そうだろう?」

 

「…………」

 

 沈黙が、ハドバルの問いかけを肯定していた。

 そして、カシトもまた理解していた。

 カシト達だけでは、どう頑張ってもあのドラゴンを倒せない。だがドラゴンはカシト達を殺した後、次にホワイトランを襲うだろう。

 カシトの脳裏に、炎に包まれながら、悲鳴を上げる唯一の友人の姿が浮かぶ。

 それは、カシトにとって絶対に許容できないことだった。

 

「現状の最高指揮官として、現時刻をもってお前を帝国軍の指揮下から解く。お前は自由だ」

 

「お、おい!」

 

「行け!」

 

 カシトの返答を聞かないまま、ハドバルは盾を構えてドラゴンに吶喊していった。

 

「ハドバル殿、武運を!」

 

 イリレスが踵を返して駆け出す。

 カシトは一瞬迷うように顔をゆがめたが、振り切るようにハドバルに背を向けると、イリレスの後を追って駆け出した。

 

“ヨル、トゥ、シューール!”

 

 ミルムルニルのファイアブレスがハドバルを襲う。

 地面を焼きながら疾走する炎の渦が、あっという間にハドバルを飲み込込んだ。

 

“メイ……。終わりか。せっかく待ってやったのに、あっけない……む!”

 

「うおおお!」

 

 炎の渦を突破したハドバルが、ミルムルニルに切りかかった。

 ハドバルの剣はミルムルニルの鱗に弾かれたが、自分のスゥームを突破されたことに ミルムルニルは驚愕に目を見開き、後方に跳躍して距離をとった。

 

“貴様、なぜ我が炎を受けて生きている”

 

「この盾は鋼鉄製だ。お前の吐息でも、焼くことはできんぞ」

 

“ふむ、確かにそのようだ。だが、お前の腕は無事ではあるまい?”

 

「…………」

 

 確かに、鋼鉄製の重装盾はドラゴンの炎を防いでくれていたが、灼熱の吐息に焙られた盾は高熱を帯び、ハドバルの手を盾越しに焼いていた。

 ハドバルは自分の手が焼ける匂いと、腕が千切れるような激痛を感じながらも、まるで痛痒がないかのように鼻を鳴らして構えをとる。

 敵には決して背を向けない、ノルドとしての姿がそこにはあった。

 

「感覚が無くても腕が上がれば盾も剣も使える。腕が上がらなくなれば、足で絞殺してやる。足を食いちぎられても、噛みついて戦うまでだ」

 

“ボゼーク、ジョール……その戦意やよし。定命の者よ。お前たちの力を忘れていたぞ”

 

 ハドバルの戦意に敬意を示すように、ミルムルニルが咆哮し、ハドバルに向かって駆け出してきた。

 迫りくる巨体に、ハドバルは強烈な死の予感を感じていた。

 同時に、迫りくるこの予感からは逃げられないことも理解していた。

 奇しくも、自分がヘルゲンで死んだ幼馴染と同じような運命を辿ることに、ハドバルは苦笑を浮かべる。

 

「レイロフと同じ死に方なのが唯一の不満だが、ここは死すべき故郷の地。悔いはない!」

 

 帝国軍に入った時から、ハドバルは既にノルドとして死ぬ覚悟はできている。

 後は、戦士として己の責務を全うするのみだった。

 

「スカイリムのために!」

 

 力なき者を守る。

 戦士としての矜持を胸に、死した旧友と同じ言葉を叫びながら、ハドバルは迫りくる伝説の獣を迎え撃った。

 



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第十二話 カシトの過去とドラゴンの再来

 ホワイトランへ向けて駆けるカシトの背後から、耳を裂くような咆哮が聞こえてきた。

 続いて聞こえてくる爆音と轟音に、カシトは唇をかみしめる。

 

「くそくそ! 本当にノルドって奴らはバカばっかりだ!」

 

 殿を買って出たいけ好かないノルドの顔を思い浮かべながら、カシトは吐き捨てる。

 カシト・ガルジットはその軽い言動とは正反対に、内心では他人というものを信じていない。

 それは、彼の今までの人生が、決して恵まれたものではなかったことに起因する。

 彼もまた、幼いころに家族を亡くし、厳しい現実と向き合わなくてはならなかった。

 カシトはカジートの中のシュセイラートと呼ばれる種族であり、家族でキャラバンを作り、タムリエル各地を回っていた。

 しかし、シロディールに向かう途中で山賊の襲撃に遭い、家族は離れ離れになってしまう。

 その後、彼はシロディールで浮浪児、いわゆる、ストリートチルドレンとして過ごした。

 両親も、兄弟もいない。

 故郷であるエルスウェアに帰りたくとも、子供一人ではどうにもならない。

 仕方なく、酒場の道端に捨てられた残飯をあさりながら、その日その日を何とか生きていた。

 そのような浮浪児は、珍しくない。

 たとえ捨てられるような残飯でも、浮浪児たちには命を繋ぐためのごちそうであり、当然そのごちそうをめぐっての対立がある。

 カジートであり、同年代のストリートチルドレンと比べても頭一つ抜き出た身体能力を持っていたカシトだが、徒党を組んだ相手には腕一本で勝ち続けることは困難だった。

 それでも生存競争を生き抜き、なんとか成人することができたカシトだが、カジートであり、浮浪児だった彼をまともに雇うような場所は存在しなかった。

 当時のシロディールは大戦後の破壊から復興した後に、一時的に景気が停滞していた時期だった。

 復興のための事業が終了し、儲かるような大きな仕事がなくなれば、人は皆、財布のひもを締め始める。

 その経済の停滞は、底辺の労働者であるカシトを直撃した。

 二束三文で働いても賃金をピンハネされるなんてことは毎度のことで、時には言いがかりをつけて逆に金をむしり取ろうとする者たちもいた。

 カジートだからと、不平等な境遇で働かされたことなど、一度や二度ではない。

 最後は同じ職場の仲間にあらぬ罪を着せられ、あわや牢にぶち込まれそうになる始末。

 幸いにも牢に入れられることはなかったが、脛に傷を持つカジートを雇うような場所は、シロディールにはもうなかった。

 だからこそ、カシトは帝国軍に入った。そこにしか、もう行くところがなかったのだ。

 当然、軍隊の中にも差別はある。

 それでも、食べていけるだけマシだった。

 カシトは、自分の人生を半ば諦めていたといっていい。

 そんな中、スカイリムの内乱を平定するために派遣された遠征先で、その少年と出会った。

 最初に会った時は驚かれたが、そこには敵意や嫌悪感は微塵もなかった。

 悪意のない、純粋な眼差し。

 支払いが滞って丁稚奉公をすることになった時も、彼はカシトが逃げたりするとは考えず、彼のミスを幾度となくフォローしてくれていた。

 カジートとして、言われなき悪意を向けられていた彼にとって、健人のごく普通の対応が、何よりも新鮮で、涙が出るくらいに胸に来る出来事だった。

 そして、あのノルドも、健人と同じような目をカシトに向けていた。

 純粋な、信頼の眼差しを。

 

「くそ!」

 

 軽い調子で流していた人生。

 悲嘆と諦観に満たされ、麻痺していた彼の心には、気が付けば煮えたぎるような激情が溢れていた。

 

「あれは……」

 

 その時、カシトの眼は自分たちの上空を追い越していくドラゴンの姿を捉えた。

 ドラゴンの向かう先はホワイトラン。

 地面を走るしかないカシト達と、空を飛ぶドラゴン。どちらが速いかなど分かりきっている。

 もう間に合わない。

 それでもカシトは、必死で馬を走らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キナレス聖堂で衛兵たちの治療を終えたダニカと健人たちは、消費した医薬品を補充するために市に来ていた。

 薬はアルカディアの大ガマ、包帯に使う布などはベレソア百貨店という店で手に入る。

 健人たちがまず訪れたのは、ベレソア百貨店だった。

 

「いらっしゃい。何でも売るぞ。うちの妹でもな」

 

 ここの店主、ベレソアはブレトン。

 冗談でも身内を売るとかいうあたり、かなりの商売人気質な男性だった。

 百貨店を名乗るだけあり、店内の品はかなり多彩で、鉄製のアイロンやカンテラから、塩や保存食、宝石や鍛冶に使う鉱石なども販売している。

 健人はとりあえず、必要な量の布を集めながら、先ほどキナレス聖堂で見た光景を思い出していた。

 

「あれが回復魔法か……。すごかったな」

 

 魔法のない日本出身の健人にとって、間近で見た魔法は新鮮で、興味をそそられるものだった。

 

「俺も使えるかな……?」

 

「……お前、文字読めるようになったのかよ?」

 

「う……」

 

 ドルマからの突っ込みに、健人は肩を落とす。

 魔法を使うには、魔法の詠唱などを記した呪文の書から、魔法の使い方や術式などを知り、習得しなければならない。

 しかし、健人はまだタムリエルの文字を覚えきれていなかった。

 

「ケントは魔法に興味があるのですか?」

 

 付き添いでベレソア百貨店に来ていたダニカが、健人に尋ねてくる。

 

「ええ、自分も使えれば、もっとお役に立てると思うのですが、まだ読めない字もあって……」

 

「なら、私が教えましょう。ケントは頭がいいようですし、今は読めない文字もすぐ読めるようになるでしょう」

 

「ありがとうございます!」

 

 喜ぶ健人をみて、ダニカも顔をほころばせる。

 しかし、二人の様子を見ていたドルマが口を挟んできた。

 

「魔法か。エルフ並みに貧弱なお前にはぴったりだな」

 

「ドルマ、やめなさい。ケントは貴方達の力になろうと必死なのですよ?」

 

 元々ノルドは戦士としての気質を重んじるところから、魔法などの術を使う人間を蔑視する傾向があった。

 そんなノルドの気質を理解しているダニカが、健人の決意をあざ笑うような発言をしたドルマを諫める。

 しかし、肝心のドルマはダニカには視線を向けず、じっと健人を睨みつけていた。

 そんなドルマの態度に、ダニカが眉を顰める。

 

「ドルマ……」

 

「ダニカさん。それで、魔法ってどうやって使うんですか?」

 

 さすがにドルマの態度に我慢できなくなったのか、ダニカがさらに詰め寄ろうとするが、彼女の行動は遮るような健人の声に止められた。

 健人は睨み付けてくるドルマには視線を向けず、ダニカに魔法の使い方を尋ねてくる。

 己に向けられる隔意に気づきながらも、それを受容するような健人の行動に、ダニカは戸惑う。

 一方、ドルマは健人の行動にどこか失望したような目を向けると、背を向けて百貨店の扉へ向かって歩き始めた。

 

「……俺はアルカディアの大ガマに行く。別れたほうが用事も早く終わるだろう」

 

「ケント……」

 

「良いんです。ドルマが俺を信用できないことも理解していますから。それに、気にしているわけにもいきません……」

 

 そう言う健人の声には、どこか諦観したような色があった。

 健人自身、ドルマが抱く不信感については理解している。

 自分に力がないことも、あらゆる意味で足手まといであるということも、ホワイトランに来るまでの間に身に染みて理解させられた。

 それでも、無力のままでいる訳にはいかない。

 この世界で生きていかなくてはならないし、守りたい家族が残っている。

 変わらなくてはならない。強くならなくてはならない。

 その為には、今はドルマからの不信感を気にしている余裕はなかった。

 

「それで、魔法についてなんですけど……」

 

 魔法のことをさらに尋ねてくる健人に、ダニカは戸惑いながらも、質問に答える。

 

「魔法は体内にある魔力……マジカを消費して使用します。マジカとはエセリウスからこの地に降り注ぐ力の事で……」

 

「おおう小僧、魔法に興味があるなら、いいものがあるぜ」

 

 カウンターで二人の話を聞いていたベレソアが、口を挟んでくる。

 商売の匂いを嗅ぎつけたのか、猫のように鼻をヒクつかせたブレトンの商人は、頼んでもいないのに棚の奥から一本の杖を取り出して、見せつけるようにカウンターの上に置いた。

 

「これは強力なエクスプロージョンの付呪が込められた魔法の杖だ。これさえあれば、強力な破壊魔法が使えるようになるぞ!」

 

 まるで早朝から深夜までTVで流れている健康通販のような口調に、健人の目が細くなる。

 明らかに不審を抱いていた。

 一方、ベレソアとしても健人の反応は想定内なのか、この杖がいかに有用かを、続けざまに語り掛けてくる。

 

「確かに、魔法の杖は一本で1つの魔法しか使えないが、小僧は魔法が使えるようになりたいんだろう?

 当然、今はエクスプロージョンなんて強力な魔法は使えなくても、現実に強力な魔法を目の前で見ることが出来ることは、魔法の習得でも参考になると思うぞ。

 それに、備えあれば患いなしともいう。自分が使えない魔法が、いざという時に使えるのはとても有用で……」

 

「ベレソア、そこまでにしなさい」

 

 ベレソアの販促に、ダニカが待ったをかける。

 

「嘘は言っていないぞ」

 

「嘘は言っていませんが、肝心なことも言っていないでしょう? ケント、魔法の杖は確かに使用者に魔法を使えるようにしますが、使える回数には限りがあります」

 

 付呪による魔法の杖には、例外なく使用回数というものが存在する。

 強力な魔法はそれだけ消費も早く、使用回数は少なくなる。

 エクスプロージョンは直接的な攻撃を目的とした破壊魔法の中でも、上位の魔法だ。

 当然、それだけ燃費が悪くなる。

 

「それに、使用者本人が魔法を覚えるわけではありませんので、使い切れば魂石で力を補充しなければならない」

 

「魂石?」

 

「魂が込められた石で、付呪に使われる道具です。この店の店主は、杖の買い手に補充用の魂石も売りつけることも考えているのですよ」

 

 付呪に使われる魂石は貴重品で、軒並み価格が高い。

 特に最上位となる極大魂石は、魂を充填されていない状態で、この世界で家に次ぐ資産である馬とほぼ同価格である。

 つまり、このベレソア。消費の激しい魔法の杖を売りつけた上、魂石の販売による収益も狙っていたのだ。

 さすが妹すら売りに出すと豪語する商売人。利益の追求に余念がない。

 

「なら小僧、この雷のマントのスクロールはどうだ? なんでも、ジェイ・ザルゴっていう高名な魔法使いが作ったスクロールで……」

 

「スクロールは一回こっきりの使い捨て。携帯性は良いですが、結果的に魔法の杖よりコストが掛かります。

 それに、雷のマントは周囲に雷を帯びるものですが、時間制限があり、しかも接近戦でしか使えません。ついでに、ジェイ・ザルゴなんて名前の魔法使いは聞いたことがありません」

 

「おいダニカ、営業妨害だぞ」

 

「純粋で、世間知らずのケントを騙そうとする貴方に言われたくありません」

 

 商売を邪魔されたベレソアが不満を上げるが、ダニカは彼の抗議を一蹴する。

 

「そもそも、今の俺にそんなお金の持ち合わせはないですよ」

 

 大体、健人にはそんな高価な魔法の品を買うだけの余裕はない。

 リバーウッドでいくらか装具を貰うことは出来たが、ほぼ着の身着のままでヘルゲンから逃げてきたのだから。

 健人の事情を知らないベレソアは相変わらず健人に魔法の杖を勧めてくるが、健人と ダニカは買う品を淡々と集めて、カウンターの上に置いた。

 

「ケント、あなたは商品を持って外で待っていてください。私は会計を済ませます」

 

「はい」

 

「ちぇ、せっかくのカモになるかと思ったのに……」

 

「いいから、早く会計をしなさい」

 

 新客を逃したベレソアが、不精不精といった様子で、ダニカがカウンターに置いた商品の会計を済ませていく。

 健人は買った商品を持っていた麻袋に詰めて、一足先にベレソア百貨店を出た。

 刻限はすでに黄昏時。日中は賑やかだった市場も、少しずつ様相を変えていた。

 露店を出していた人達は家路につくのか、店を片付け始めている。

 代わりに宿屋の周りには、仕事終わりに一杯ひっかけるつもりなのか、徐々に人が集まっていた。

 健人は広場の中央に設けられた井戸の縁に腰かけながら、これからのことを考えていた。

 

「ダニカさんから魔法を習得できれば、生活はどうにかなるだろう。問題は、その間の生活資金をどうするかだよな……」

 

 このタムリエルで、魔法を習得している人間は少ない。

 どんな場所であれ、絶対に需要はあるだろう。

 当面の生活費も、健人にはアストンの宿屋で働いていた経験がある。このホワイトランのバナード・メア、もしくは正門近くにある酒場、酔いどれハインツマンでも多少の仕事は貰えるだろう。

 問題は、ノルド自体が魔法に対する嫌悪感が強い事。そして、地球人である健人がこの世界の魔法を習得できるかどうかわからない点だ。

 前者についてはノルド自身の気質や、彼らの歴史における過去の遺恨もあり、健人にはどうにもならない。

 後者についても、こればっかりはもう本番で使えることを願うしかなかった。

 

「おい、よそ者」

 

 アルカディアの大ガマで薬を買っていたドルマが、薬が入っていると思われる麻袋を肩にかけながら戻ってきた。

 

「ドルマ、薬はあったの?」

 

「見ればわかるだろうが。一々訊かなきゃわからないのかよ」

 

 ドルマは不機嫌さを隠そうとしないまま、健人を見下ろしてくる。

 

「そっちこそ、一々絡まなきゃ気が済まないのかよ……」

 

 一方の健人も、変わることのないドルマの態度にいい加減腹が立ってきた。

 ドルマの不信感は理解していても、健人もまた十代の少年だ。

 精神的に成熟しきっていない上に、立て続けに襲ってきた危機によるストレスもある。

 今までは自分の出生を口にできないことに対する後ろめたさから、何も言い返せなかったが、ドルマに対してある種の割り切りをしたことで、押し込んでいた悪感情が溢れ出てしまっていた。

 

「……ああ? 何か言ったか」

 

「別に……」

 

 案の定、健人が漏らした独り言に、ドルマが突っかかってくる。

 自分の悪感情が漏れてしまったことに、健人はしまったと思いながらも、つい目をそらしてしまう。

 そんな健人の中途半端な態度が、さらにドルマをイラつかせる。

 ある種の悪循環だった。

 

「ああ、仲間のノルドじゃないか。どうかしたのか?」

 

 そんな時、知らないノルドが話しかけてきた。

 よく見ると、話しかけてきたノルドの顔は赤く、吐く息から強い酒精の臭いが漂ってくる。どうやら、このノルドはかなり酔っぱらっているらしい。

 

「俺はジョン・バトルボーン。この街と首長に長く仕えてきた、バトルボーン家の一員だ。兄弟はどこから来たんだ?」

 

 訊いてないのに名を名乗ったノルドは、酔っ払い特有の厚かましさから、ドルマの肩を組んでくる。

 あまりに気安い態度に、ドルマの眉がわずかに吊り上がる。

 

「……ヘルゲンだ」

 

「そうか! あそこじゃ、かなり美味い料理を出す酒場があるんだろ? 住んでいるホールドが違えど、同じノルドは大歓迎だ!」

 

 陽気な態度を崩さないジョンの様子から見るに、ヘルゲンが壊滅したことは、まだ聞いていないことが窺える。

 だが、美味い料理を出す酒場という言葉に、健人の顔に影が差した。間違いなく、アストンの酒場のことだろうと思ったからだ。

 ドルマもジョンが言った酒場が思い当たったのか、ピクリと肩を震わせ、口元を歪めている。

 一方、酔っぱらったジョンは変わったドルマの雰囲気には気づかない。

 酒の勢いに任せるまま、声高にノルドのすばらしさを口にしている。

 さらに間の悪いことに、ジョンの視線がドルマの隣で座っていた健人に向けられた。

 

「なんだこいつは。こんな奴、このあたりじゃ見たことないな」

 

 明らかな不信感と隔意を滲ませる声色と視線に、健人は、また絡まれるのかと、内心でため息を漏らした。

 酒に酔ったノルドに絡まれるのは、健人としても初めてではない。アストンの酒場で働いていた時にもあった事であり、その時はアストンに対する恩義から、突っかかってくるノルドに対しては事務的な笑顔でしっかりと受け流していた。

 しかし、今の健人には、自分の悪感情を抑え込むための枷がなかった。

 さらに、先ほどまでドルマから同じような視線を向けられていたこともあり、今まで胸の内で抑え込んでいた憤りが、どろりと溢れ出してしまう。

 そして、そんな悪感情ほど、人には伝わりやすいものだった。

 

「なんだその目は。我らが土地に勝手に入ってきたよそ者のくせに……」

 

 案の定、健人の目に不機嫌になったジョンが、健人に絡み始める。

 酒精で呂律の回らない口から出てくる言葉も、健人にとってはヘルゲンで聞きなれた言葉だった。

 よそ者、邪魔者、さっさと生まれ故郷に帰れ。

 耳にタコができるほど聞かされた言葉だ。

 

“俺だって、帰れるなら帰りたいさ!”

 

 そもそも、健人は望んでこの地に来たのではない。気が付いたらこの異世界に迷い込んでしまった人間だ。

 母親はすでに亡くなっていたが、それでも大事な肉親がいたし、友人だっていた。

 そんなごくありふれた、しかしながら、かけがえのない日常があったのだ。

 しかし、そんな日常は、ある日唐突に奪われた。その理由も、原因も、何もかもが分からないまま。

 理不尽な現実と、無遠慮で心無い言葉に、健人の心はささくれ立つ。

 それでも、無様に大声で泣き叫ぶことなどしないと、健人はグッとこぶしを握り締めて、グツグツと煮えたぎる憤りに蓋をする。

 一方、酔っぱらいのジョンは、睨み返しては来るものの、一向に言い返してこない健人の態度に気を大きくしたのか、さらに無遠慮な言葉で罵倒を始める。

 

「なんだよ。言い返して来いよ! このスキーヴァ野郎。こそこそ隠れて穴の奥で震えるだけが精一杯か!?」

 

「おい……」

 

「なあ、あんたもそう思……ぐえ」

 

 隣にいたドルマにまで話を振ろうとしたジョンだが、なんとドルマがジョンの言葉を遮るようにその首に手をかけていた。

 杭のように太いドルマの指がジョンの首にめり込み、ミシミシと万力で締め付けるような音が漏れる。

 突然首を絞められたジョンは驚きに目を見張っているが、そんな酔っぱらいを見つめるドルマの目には、先ほどとは比べ物にならないほどの憤怒の炎が揺らめいていた。

 ドルマの怒気に当てられたためか、ジョンの顔色が真っ青に変わる。

 

「こいつがスキーヴァなら、ペチャクチャうるせえお前は盛ったニワトリか。さっさと失せろ」

 

 静かな声色に燃えるような怒りを込めて、ドルマはジョンの体を突き飛ばすように押し出した。

 強烈な怒気に当てられ、突き飛ばされてたたらを踏んだジョンは、聞き取れないような罵声を上げると、ヨロヨロと覚束ない足取りで走り去っていった。

 

「どういうつもり?」

 

「…………」

 

 健人は突然自分をかばったドルマに、不信感ありありというような表情を向けている。

 先ほどまで酔っぱらいと同じように自分を罵倒してきた相手が突然庇ったのだ。疑うのも無理はない。

 一方、ドルマは問いかけるような健人の視線を拒絶するようにそっぽを向くと、腕を組んで黙り込んでしまう。

 相も変らぬその拒絶の色に、健人もそれ以上何も訊かず、そのまま二人は黙り込む。

 

“なんで、俺はこいつを庇った?”

 

 実のところ、ドルマ自身も、自分の行動に内心驚いていた。

 健人の事を信じられない気持ちは、今でもドルマの胸の奥にある。

 しかし、この不審な青年が、あの酔っぱらいに侮辱されることも我慢できなかった。

 なぜ自分はこのよそ者をかばったのだろうか?

 自分でもよくわからない疑問にドルマは腕を組み、顔を明後日の方向に向けながらも、横目で健人を覗き見る。

 ノルド、レッドガード、ブレトン、インペリアル。

 このタムリエル大陸のどの種族とも違う肌と、黒髪。

 鳶色の瞳と凹凸の少ない顔が、不機嫌そうな表情を浮かべている。

 ドルマは、健人の記憶喪失の話を信じてはいない。そもそも、簡単に人を信じるようなら、生きてはいけない世界だ。

 それに、アストンの宿屋で働いていた時の健人の様子も、ドルマの不信感を助長していた。

 健人が保護された当初は、彼は言葉すら分からない様子で、意思疎通すら困難だったことから、不信感はあれど、嫌悪感はそれほどでもなかった。

 だが、アストンでの宿屋で働いている間の健人は、明らかにそのような接客業を経験してきた者の立ち振る舞いだった。

 料理の作り方にしても、暖炉の火の扱いは雑だったが、発想はすごく斬新で技術を身に着けるのも早いという話を、ドルマはエーミナから聞いている。

 計算能力も高く、アストンの帳簿の確認作業に一役買っていたという話も耳にしていた。

 そのくせ、九大神の異名を知らないなど、一般常識にすら欠けている面をのぞかせる時がある。

 白痴のように無知な面と、驚くほど高度な教育を受けた形跡を併せ持つ、不審者。日常の中に、突然現れた異物。それがドルマから見た健人の姿だ。

 だからこそ、ドルマは健人を信じきれないし、彼の自分の意思を表に出さない態度にも不快感を覚える。

 その鳶色の瞳の奥に、何か秘密を隠していることを、本能的に感じ取っているから。

 だが、そんなドルマの懊悩を遮るように、大きな影が差した。

 一体何かとドルマが空を見上げると、巨大な翼を広げた怪物が、悠々と空を舞っていた。

 

「あれは……ドラゴン!?」

 

 ドラゴンに気づいた健人が、声を上げた。

 ホワイトラン上空を旋回していたドラゴンは、翼を広げて急降下してくる。

 ドラゴンが降りてくる先は、ギルダーグリーンの広場だ。

 そう、隣にキナレス聖堂がある広場である。

 

「っ!」

 

 健人とドルマは、互いに視線を交わすと、キナレス聖堂のある風地区を目指して、示し合わせたように駆け出した。

 

 

 



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第十三話 ありふれた死、戦士達の覚醒

注意。
今回のお話については、かなりドギツイシーンがあります。
人によっては嫌悪感を催す可能性がありますので、ご注意ください。


 健人達が買出しに出ている間、リータはエルダーグリームの公園のベンチに腰を降ろして、ボーっとしていた。

 夕焼けが照らし出す朱色に染まったエルダーグリームは、昼間見た時とは違い、リータにはどこか哀愁を感じさせるものと映った。

 視線を横に向ければ、仕事を終えて家路につく街人達の姿が見える。

 家へと帰る人達と、それを笑顔で迎える家族。

 ほんの少し前までリータにもあったはずの、当たり前の幸せの姿だった。

 そんなごく普通の家族の姿を目の当たりにするからこそ、この黄昏がリータには一層もの淋しさを感じさせるものになっていた。

 

「お姉さん、ゴールドを恵んでくれませんか?」

 

 ボーっと市場の様子を眺めていたリータだが、唐突に声をかけられた。

 声の聞こえてきたほうに目を向けると、金色の髪を肩くらいに伸ばした、十歳くらいの少女が立っている。

 その少女を見て、リータは思わず眉を顰めた。少女の身なりが、あまりにみすぼらしかったからだ。

 

「あなたは?」

 

 少女が着ているのは薄汚れたボロボロのチュニック。靴も破れていて、霜焼けに腫れた足の指が靴の穴から覗いている。

 どこからどう見ても、身寄りのない浮浪児だった。

 何より、リータが慄いたのは、その娘の瞳があまりにも虚ろだったからだ。

 

「私はルシア。お姉さん、ゴールドを恵んでくれませんか?」

 

「お父さんとお母さんは?」

 

 空虚な瞳で見上げてくる少女に、リータは思わずそんな問いかけをしてしまう。

 次の瞬間、空虚だった少女の瞳に暗い影が差した。

 リータは思わず“しまった”と思い、自分の迂闊さに唇と噛み締めた。

 こんな風体の少女の両親がどうなったのかなど、簡単に思いつく。そして、そんな境遇の少女が、どんな目にあってきたのかも想像に難くない。

 少なくとも、まともな環境で生活できていないことは直ぐに理解できる。

 

「二人とも死んだの……」

 

 そんなリータの予感は、悪い方向で的中していた。

 案の定、少女の両親はすでに亡くなっていた。

 しかも、少女は両親が持っていた農場を、その後からやってきた親戚に奪われて家を追い出されてしまったらしい。

 行き場のなくなった彼女は、こうして街を行きかう人たちからゴールドを恵んでもらいながら、何とか生きてきたとのこと。

 

「これからどうしたらいいか、何をしたらいいのかもわからない……」

 

 亡くした父と母を思い出したためか、空虚で何も映していなかったルシアの瞳が揺れ、悲哀の色を帯びる。

 そんな時、リータとルシアの耳に、明るい声が聞こえてきた。

 

「お母さん、今日の晩御飯は?」

 

「キャベツとリンゴのシチューよ。それから、チーズとベーコン、ニンジンのソテーも付けましょうか」

 

「ええ~。私ニンジン嫌い~!」

 

「だ~め。おっきくなるためにも、野菜もきちんと食べなさい」

 

「むう~~~」

 

 そこにいたのは笑顔に包まれた母と娘だった。

 娘はルシアと同じくらいの年ごろで、母も顔立ちが整った、美人と言える容姿を持っている。

 商店街の露店で野菜を売っていた親子だ。

 娘の好き嫌いを諌める母と、そんな母の言葉に、娘は不満げに頬を膨らませている。

 そんな親子の姿を見ていたルシアの瞳から、一筋の涙がこぼれた。

 

「ママ、パパ……」

 

 リータはベンチから立ち上がると、地面に膝立ちになり、呆然としているルシアをそっと抱きしめた。

 冷え切ったルシアの体に体温を奪われるのを感じながら、リータはルシアを抱きしめる腕に力を込める。

 

「私もね、お父さんとお母さんがいくなっちゃったの。一緒だね……」

 

「…………」

 

 沈黙が二人の間に流れる。

 片や物乞いの少女。片や家族を焼き殺された難民。

 家を親戚に追い出されたことは聞いてもリータはルシアの事はよく知らない。ルシアもリータがドラゴンに両親を殺されたことは知らない。

 双方、互いの事情は知らずとも、胸に抱く疑問は同じだった。

 

“どうして、自分はこんな目にあっているのだろうか?”

 

 出会ったばかりの2人の少女は、互いにどこかシンパシーを感じながら、傷を舐め合うように身を寄せあっていた。

 

「リータ!」

 

「ケント? それにドルマ?」

 

 唐突に掛けられた叫び声に、リータは顔を上げた。

 よく見ると、焦った様子の健人とドルマが、こちらに向かってかけてくる姿が見える。

 その時、リータとルシアを黒い影が覆った。

 

「え!?」

 

 思わず空を見上げると、黄昏に染まる太陽を、巨大な影が覆っていた。

 影はあっという間に大きくなり、その全貌をさらす。

 被膜に覆われた両腕と、剣山のような鱗に覆われた緑色の巨躯。

 長く伸びた首の先にある、蛇を思わせる頭部の口には、黒い何かを咥えている。

 それは西の監視塔を襲ったドラゴン、ミルムルニルだった。

 

「ドラゴン!?」

 

 突然現れたドラゴンは一気に急降下してくると、公園の周囲の柱をなぎ倒しながら着地した。

 ドラゴンが着地した衝撃で地面が震え、衝撃波がリータとルシアを吹き飛ばし、二人は抱きしめ合ったままゴロゴロと地面を転がった。

 石畳に叩き付けられる痛みを、歯をくいしばって耐えながら、リータはルシアを守ろうと彼女の体をギュッと抱きしめる。

 数秒間、地面を転がったリータは、公園の端に建てられている家の壁にぶつかり、ようやく止まった。

 全身に走る痛みに耐えながら体を起こすと、茫然としている健人とドルマの姿があった。

 彼らの視線は、舞い降りたドラゴンの口に向けられている。

 正確には、ドラゴンが咥えている黒い何かだった。

 

「……え?」

 

 その黒い塊は、よく見れば人の形をしていた。否、焼け焦げた人そのものだった。

 ドラゴンの巨躯でよくわからないが、おそらくは大柄なノルドの男性。

 炭化した髪は、茶色の地毛が残っていた。

 真っ黒に焦げた鎧は、よく見ればヘルゲンで見慣れた帝国軍兵士の装具だ。

 左手には帝国軍の紋章が刻まれた菱形の大盾が握りしめられている。

 

「ハド、バルさん……」

 

 それは、つい先ほど、笑顔で別れたハドバルの変わり果てた姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 再び目の前に現れたドラゴン。

 ヘルゲンを襲った個体とは違うが、それでもその巨躯から放たれる威圧感は、健人がホワイトランに来るまでに戦ってきたオオカミやストームクローク兵とは比較にならない。

 だが、健人を何よりも茫然とさせたのは、恩人であるハドバルの死だった。

 呆然とたたずむ健人の脳裏に、つい数時間前の、ハドバルとの最後の別れが思い出される。

 

“再会したら、ハチミツ酒を一緒に飲もう”

 

 無力な自分に戦士としての心構えを教えてくれたハドバル。

 この世界で常に孤独を感じ、無力感を覚えていた健人にとって、その約束は将来が見えないこの世界で、闇夜に差す数少ない光の一つだった。

 しかし、その約束は、永遠に果たされることがなくなってしまっていた。

 

「この野郎! ハドバルさんを放せ!」

 

 ハドバルの死に激高したドルマが、背中の大剣を抜いてドラゴンに斬りかかる。

 しかし、ドラゴンは吶喊してくるドルマを横目で一瞥すると、翼をはためかせ、ドルマを弾き飛ばす。

 

「ぐあ!」

 

 弾き飛ばされたドルマは広場の端まで吹き飛ばされ、近くの民家の壁に叩きつけられてしまった。

 ドラゴンは斬りかかってきたドルマには興味がないのか、咥えていたハドバルの遺体を放り投げると、視線をリータと彼女が抱えるルシアに向けた。

 二人の前に、黒焦げになったハドバルの遺体が落ち、彼が持っていた盾が地面に転がる。

 

「ひっ!?」

 

 目の前に転がった焼死体を見て、ルシアが悲鳴を上げた。

 

“スリ、アルドゥイン、オファン、ディノク、ジョーレ。主、アルドゥインの命により、お前たちを粛清する。定命の者どもよ。逃れられぬ己の運命を受け入れよ”

 

 ドラゴンが二人を噛み砕こうと、その口蓋を開く。

 

「……はっ、リータ! 逃げろ!」

 

 ハドバルの死に呆然としていた健人は、ドラゴンの狙いがリータになったことで我に返ると、二人とドラゴンの間に割り込み、盾を構えた。

 しかし、ドラゴンの咬合力は、健人の想像以上のものであり、噛みつかれた盾はメキャリという耳障りな音とともに、一瞬でひん曲がってしまった。

 

「な、なんて……がはっ!」

 

「ケント!?」

 

 さらにミルムルニルは、かみ砕いた盾ごと、健人を振り回し、その勢いのまま、彼を空中に放り投げた。

 放り投げられた健人の体が宙を舞い、市場のある平野地区へ向けて飛んでいく。

 

「あっ……」

 

 無重力空間にいるような浮遊感の後、落下し始める健人の体。

 落下の加速で狭くなる視界の中に、先ほど買い物をしていたベレソア百貨店の屋根が映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 健人を放り投げたミルムルニルは、改めてリータとルシアに視線を向ける。

 恐怖で完全に動けなくなっている二人だが、ミルムルニルがその牙を二人に突き立てる前に、それを阻止せんと、再び双方の間に割って入ってくる人物がいた。

 

「うおおおお!」

 

「ドルマ!?」

 

 先ほど、ドラゴンのブレスで吹き飛ばされていたドルマが、再びミルムルニルに斬りかかる。

 当然、ドルマの剣は鱗に阻まれ、ミルムルニルにはいかほどのダメージも入らない。

 しかし、ドルマは構わない。彼にとって必要なのは、後ろの少女が逃げるための時間を稼ぐことだからだ。 

 

「リータ、その餓鬼を連れてここから離れろ! ここは俺が何とかする!」

 

“むっ”

 

 その時、無数の矢と共に、鬨の声が響いた。

 ギルダーグリーンの広場を囲む通路と、ドラゴンズリーチへ続く階段から、衛兵たちが殺到してくる。

 その先頭に立つのは、ホワイトランを統べるバルグルーフ首長。

 

「衛兵たちよ、剣を取り、私に続け! ホワイトランを守るのだ!」

 

 バルグルーフは剣だけを携え、鎧も身に纏っていない。

 おそらく、ドラゴンの襲撃に気づいて、すぐに宮殿を飛び出したのだろう。

 しかし、そんなことは関係ないとばかりに、バルグルーフは兵たちを率いて、ドラゴンへ向けて突進していく。

 辣腕の首長も、その心根は勇猛果敢なノルドであった。

 さらに、ギルダーグリーンの広場に隣接している大きな建物から、衛兵たちとは違う、狼を思わせる武骨な鎧をまとった戦士たちが飛び出してきた。

 同胞団。

 このホワイトランを拠点としている、長き伝統を持つ、誇り高き戦士たちの集団だ。

 その同胞団の戦士たちを率いるのは、隻眼の老戦士、コドラク・ホワイトメン。

 

「古のドラゴンと、こんな所で戦うことができるとはな」

 

 狼を連想させる鎧を身に纏ったこの戦士は、スカイリムで知らぬものはいないほど高名な戦士である。

 そして、ホワイトランに存在する全戦力と、ドラゴンの戦いの火ぶたが切って落とされた。

 先の西の監視塔の時とは比較にならない数の戦士たちが、ドラゴンに殺到する。

 

「ドラゴンを殺せ!」

 

「勝利か、ソブンガルデかだ!」

 

 力強い咆哮と共に、携えた得物をたたきつける戦士達。

 数十の刃がミルムルニルに叩きつけられ、その一部が、かのドラゴンの皮膚を裂く。

 いくら致命傷には程遠くとも、数が数である。

 さすがにウザったいのか、ミルムルニルの瞳に苛立ちの色が浮かんだ。

 

「むうううん!」

 

“ゴアっ!”

 

 さらに、コドラクの強烈な一撃がミルムルニルの左足に叩きつけられた。

 堅牢な鱗がはじけ飛び、鮮血が舞う。

 ミルムルニルのうめき声が響いた。

 初めてドラゴンに痛打を与えたことに、戦士と衛兵たちの士気はさらに高まった。

 一方、首長の兵と同胞団の参戦に一時的に受け身に回っていたミルムルニルだが、ここにきて痛打を受けたことに焦れたのか、激高した様子で反撃に出る。

 

“煩わしいぞ、定命の者たちよ!”

 

「ぎゃ!」

 

「があ!」

 

 翼をはためかせて群がる兵たちを吹き飛ばし、その巨体で踏みつぶす。

 大木を思わせるほどの太い尾を鞭のようにしならせ、打ち付けて轢殺する。

 

“ヨル、トゥ、シューーール!”

 

 そして、その口蓋を開き、シャウトを放った。

 シャウト。別名スゥームとも呼ばれる、ドラゴン達の力の根源。天すらも揺るがす伝説の魔法である。

 突風を伴う炎の吐息が、直線状の衛兵たちを飲み込んで焼き殺す。

 さらに、舞い上がった炎は広場のアーチ状の建材を焼き、ギルダーグリーンに引火。

 瞬く間に、広場と巨木を、炎で包み込んだ。

 

「あ、ああ……」

 

「むう……」

 

 ミルムルニルのスゥームに、高まっていた衛兵たちの士気が、一気に低下した。

 スゥームはドラゴンが持つ古の魔法だが、その声の力は、魂に直接作用するほど強烈なものだ。

 人が使った“シャウト”ですら、使い手によっては相手を殺す可能性がある。

 ドラゴンという人間よりもはるかに高位の存在が憤怒を込めた声は、脆弱な人間の本質的な恐怖を呼び起こすには、十分すぎた。

 

「うおおお!」

 

 戦いに高揚していた衛兵たちが恐怖に陥り、コドラクやバルグルーフすらも委縮させる声。

 しかし、その声を間近で聞いてなお、折れぬ者がいた。

 ヘルゲンでドラゴンの襲撃から生き延びた人達の一人、ドルマである。

 

“まだ折れぬ者がいるか!”

 

「うるせえ! お前は、お前たちだけは、絶対に殺す!」

 

 彼がミルムルニルのスゥームを聞いても委縮しなかったのは、ヘルゲンで一度、その声を聴いていたからである。

 なにより、あのアストン夫妻を殺し、幼馴染に癒えぬ傷を与えたドラゴンに屈するなど、ドルマには死んでもごめんだった。

 

「ふ、威勢のいい若造だ。負けてられんな!」

 

 自分よりもずっと若い者が、伝説のドラゴンを前に啖呵を切ったのだ。

 そんなドルマの姿をみて、コドラクは笑みを浮かべた。

 コドラクと同じように、バルグルーフも戦意を取り戻したのか、動揺している兵士たちに檄を飛ばす。

 

「衛兵たちは同胞団を援護しろ! コドラク、ドラゴンにシャウトを使わせるな!」

 

 ドラゴンとの戦いが再開される。

 しかし、今度は先ほどと違い、主力となっていたのは、衛兵ではなく、同胞団とドルマだった。

 ドルマとコドラクがミルムルニルの正面で相対し、ドラゴンがスゥームを使おうとすれば、すぐさま妨害に入り、さらにドラゴンの側面から衛兵と残りの同胞団の戦士たちが援護をする。

 少数の精鋭を主とした戦略だ。

 しかし、同胞団に比べ、やはり力量で劣る衛兵の損害は大きい。

 突風を巻き起こす翼に足を止められ、大木を思わせるほど巨大なくせに、素早く動く尾に潰されていく。

 

「コドラク! 衛兵たちをただぶつけても、無駄死にさせるだけだ。同胞団の、他の戦士らはどうした!?」

 

「巨人退治に出払ってる! ここにいるのは我らだけだ!」

 

 先ほどのように一気に潰されることはないが、ホワイトランの戦力は徐々にすりつぶされていた。

 傷を負えど、瞬く間にホワイトランの衛兵たちを焼き殺していくミルムルニル。

 ミルムルニルが負ったダメージの中で、唯一“傷”と言っていいのは、コドラクの一撃だけだ。

 同胞団の戦士たちの力量は、衛兵とは比較にならない。

 しかし、その同胞団も今は数が少ない。大半の人員が、巨人退治に出ているためだ。

 

“驚いた。ここまで戦える戦士がまだいるとはな。しかし、それも終わりだ!”

 

 ミルムルニルが翼をはためかせ、その巨体を捩じる。

 そして、尾を振り上げ、すさまじい勢いでその場で回転した。

 それはさながら、竜巻のようだった。

 猛烈な旋風と大質量が、前線を張っていた戦士たちに叩き付けられる。

 

「ぐあ!」

 

「ごっ!?」

 

 その回転による一撃を、ドルマとコドラクはモロに受けてしまった。

 ドラゴンに接近してスゥームを封じていたことが仇となったのだ。

 さらにドラゴンは追撃を放つ。

 

“ファス……ロウ、ダーーーー!”

 

 回転で弾き飛ばされたコドラクとドルマに放たれた追撃のスゥームは、後方で指揮をしていたバルグルーフを巻き込みながら、キナレス聖堂の壁を突き破っていった。

 指揮官と主戦力を失ったことで、衛兵たちの統制が乱れる。

 その隙を、ミルムルニルは見逃さなかった。

 

「!? 退避しろ!」

 

“ヨル、トゥ、シュール!”

 

 ミルムルニルがファイアブレスを放ちながら、周りにいた残りの兵士たちを焼き殺す。

 同胞団の戦士たちは一早く、焼けたギルダーグリーンの影に身を滑り込ませたり、盾を掲げて身を守ろうとしたが、それでも負傷は免れなかった。

 

「あ、あああ……」

 

 一瞬で壊滅状態に陥った状況を目の当たりにしていたリータが、恐怖に震える声を漏らす。

 リータの体は、本人の意思とは関係なく、ガクガクと震え続けていた。

 彼女はルシアを抱いてこの場から離れようとしたが、恐怖で体がうまく動かず、さらに広場に殺到してきた衛兵達の勢いに邪魔され、この場から逃げる機会を逸してしまっていたのだ。

 幸い、彼女たちは、広場の端に逃げていたことと、広場に殺到した衛兵が多かったために、ミルムルニルの攻撃には晒されなかった。

 だが、既に周りには守ってくれていたドルマや健人の姿はない。

 目の前で睥睨してくるミルムルニルの姿に、ヘルゲンを焼いて両親を殺した漆黒のドラゴンの姿が被る。

 心が、恐怖で壊れそうになる中、彼女はルシアを抱いている腕に力を籠める。

 親であるアストンとエーミナをドラゴンに殺されたトラウマを抱えるリータが正気を保っていられるのは、偏に腕に抱いた少女の存在故だった。

 両親を失い、親戚に追い出されて孤独になったルシア。

 この少女に対して親近感を抱いたがゆえに、リータの心は崖っぷちで何とか均衡を保っていた。

 しかし、その存在は、彼女にさらなる絶望を与えることになる。

 

「ルシア?」

 

 突然、ルシアがリータの腕から離れた。

 ドラゴンの視線が、幼い少女に移る。

 

「ルシア!? 逃げなさい!」

 

「…………」

 

 ルシアに逃げるように促すリータ。

 しかし、ルシアはリータの声に応えることなく、トボトボと歩き始めた。

 目の前で見降ろしてくる、ドラゴンに向かって。

 

「何しているのルシア! 早く!」

 

 リータの焦る声が、燃え盛るギルダーグリーンの広場に響く。

 だが、リータの叫びにこたえたルシアの声は、驚くほど淡々としたものだった。

 

「いいよ、お姉ちゃん」

 

「何言っているの! いいから、早く」

 

「もういいんだよお姉ちゃん。私、疲れちゃった……」

 

 今にも消えそうなほど虚ろな声、そして枯草のようなルシアの後ろ姿に、リータの嫌な予感が一気に膨れ上がる。

 振り返った少女の瞳は、死を悟った老人のように、空っぽだった。

 少女の心は、既に壊れていた。

 両親の死、親戚から受けたむごい仕打ち、そして、浮浪児としての荒れた生活。

 そして襲ってきたドラゴン。

 絶対的な死を振りまく存在を前に、少女はすっかり生きようとする意志を失ってしまっていたのだ

 少女の背後で、ミルムルニルが歩み寄る。

 だめだ。やめて。逃げて。

 そんなリータの願いは、少女やドラゴンに届くことはない。

 少女は己の運命を諦観でもって受け入れてしまい、ドラゴンは主命を忠実に実行するのだから。

 

「お姉ちゃん。最後に、抱きしめてくれてありがとう」

 

 自分に向かって手を伸ばしてくるリータの姿を、ルシアはジッと見つめていた。

 そして、諦観で虚ろになってしまった表情にわずかな笑みが浮かばせる。

 冷え切ってしまった自分に、最後の温もりをくれた人に向けた、最後のお礼とともに。

 

「とっても、あったたかっ……」

 

 そして、巨大な影が少女を飲み込んだ。

 肉が潰れる音が、広場に響く。

 

「あ、ああ、あああ……」

 

 守れなかった少女と、守れなかった自分。そして、その命を奪った存在。

 トラウマと恐怖、そして憎悪と怒りがごちゃ混ぜになり、激痛となってリータの胸の奥で荒れ狂う。

 そして、恐怖で委縮していた彼女の心は“反転”した。

 

「あああああああ!」

 

 咆哮を挙げながら、リータはドラゴンへ向かって駆け出した。

 突然、抵抗の意思を見せた少女に、ミルムルニルは特に感慨も湧かない。

 当然だ。彼にとっては、人間の少女の抵抗など、羽虫の足掻きに等しい。

 駆けてくるリータを潰さんと、片腕を振り上げる。

 しかし、振り下ろした片腕は、空を切り、地面を抉るだけだった。

 振り下ろされたミルムルミルの腕を見るや、リータは身を低くして横に飛び、回避していた。

 同時に、地面に落ちていた衛兵の片手剣を拾い、ミルムルニルに斬りかかる。

 

“む!?”

 

 リータの剣が、ミルムルニルの翼の一部を切り裂いた。

 翼の被膜の二十センチほどが切り裂かれただけだが、ミルムルニルの声には、驚きの色があった。

 ドラゴンの被膜は、非常に柔軟性、耐刃性があり、傷づけることは非常に難しい。

 現に、先ほど衛兵たちが斬りかかったときは、傷一つつけることができていなかった。

 にもかかわらず、兵士よりも遥かに戦い慣れしていなさそうな少女が放った剣閃が、その被膜を切り裂いたのだ。

 その驚きは、少女と相対しているミルムルニルだけでなく、ドラゴンに蹂躙されていた戦士達にも共通しているものだった。

 

「よくも、よくも!」

 

 周囲が驚愕で硬直している一方、リータはまるで獣のように、ミルムルニルに斬りかかっていた。

 恐怖が反転した結果、憎悪となって噴出した激情に駆られるまま、剣を振り下ろす。

 まるで生きているように煌めく剣閃がミルムルニルの堅い鱗の隙間に滑り込み、皮膚を裂く。

 その剣技は、まるでその戦い方が自分に一番合っていることを、知っているような自然さだった。

 久しく味わっていなかった本格的な痛みに、ミルムルニルの胸の奥で、嫌な予感が鎌首をもたげた。

 

“この娘、まさか……”

 

 ミルムルニルにとって、それは既に消えたはず存在。

 伝説の中にだけ謳われる、己と同じ力を持つ定命の者。

 人間どもはとっくにその本質を忘れ、土の中に消えたはずの、ドラゴンにとって最大の脅威だった。

 

“あり得ん! ファス、ロゥ、ダー!”

 

「くう!」

 

 己の嫌な予感を振り払うように、ミルムルニルはリータを遠ざけようと、揺ぎ無き力を放った。

 放たれた衝撃波が、リータの体を木の葉のように吹き飛ばす。

 リータは空中で体を捻って着地するが、かなりの距離を開けられてしまった。

 弓もなく、魔法も使えないリータは手も足も出ない状況である。

 リータは、ドラゴンに及ばぬ自分の力の無さに歯を食いしばった。

 助けたかった、自分と同じ境遇の少女。

 何の罪もなかったその幼い少女を、このドラゴンはまるで羽虫を払うように殺したことは、絶対に許せることではなかった。

 

(“力”が……欲しい)

 

 リータはこの瞬間、今までの人生で何よりも、力を欲した。

 目の前の獣を殺す力、すべての理不尽を振り払う強大な力を。

 この瞬間、怒りと憎悪、力を欲する欲求、そして彼女の中に秘められていた“血”が、戦闘という極限環境下において覚醒した。

 脳裏に浮かぶのは、今彼女が、最も欲するものの名。

 外界に働きかけ、ねじ伏せる、この世を動かす本質的な言葉。

 

「ファス(Fus)!」

 

 それは、リータにとっては咄嗟の行動だった。

 気が付けば、当たり前のように頭に過った言葉。

 リータは自然と、その言葉を喉から押し出していた。

 シャウト。

 本来、長く厳しい修練の乗り越えなくては使えないはずの、ドラゴンの魔法。それを、リータは自然と使っていた。

 衝撃波が放たれ、ミルムルニルを襲う。

 

「馬鹿な! シャウトだと!?」

 

「リータ、お前一体……」

 

“むぅ! やはり貴様は!”

 

 リータがシャウトを使った事実に、さらなる驚愕に包まれるドルマやバルグルーフ達。

 一方、ミルムルニルは確信を得たというような言葉と共に、まるで恥辱を思い出すように、牙を軋ませた。

 同時に、再び距離を詰めようとするリータを迎撃しようと、口蓋を開く。

 リータとミルムルニルとの距離は、まだかなりある。リータのシャウトは咄嗟に放ったためなのか、その威力はミルムルニルのものと比べても弱く、その衝撃はドラゴンを少し怯ませるだけだった。

 間に合わない。

 誰もがそう確信した時、突然横合いから真っ赤な火球が飛んできた。

 火球はミルムルニルの側頭部に命中すると、瞬く間に膨張し、強烈な熱と衝撃をまき散らした。

 

“ぐあ!”

 

 思わず悶絶したミルムルニルの視界の端に、一人の小柄な黒髪の男が、大きな杖をもって駆けてくるのが映った。

 それは、戦い序盤で吹き飛ばした健人の姿だった。

 

 

 




見える、見えるぞ~!
数少ないお気に入り登録がゼロになる様がああああ! ぐふ……!

 ゲーム本編との大きな相違点として、ドラゴンの魂を吸収していない状態でのシャウトの習得描写があります。
 これについては本当に悩みました。
 シャウトを使うには、言葉の意味を知らなくてはいけない。
 しかし、ゲームのように、壁画を回る作業を小説内でするのは、少々困難です。
 また、オラフ王の伝説の中には、オラフ王がヌーミネックスとの戦闘中に、魂の吸収や、知識の習得を経ずにシャウトに目覚めた様な描写もある。
 そのため、シャウトの習得は、基本としてドラゴンソウルの吸収又は、知識の習得が前提である。
 しかし、龍の血脈を持つものは、ある種の切っ掛けや渇望などによって、秘めた”血”が覚醒し、ドラゴンの言葉を実際に聞いていた場合、シャウトを使えるようになる可能性もある……としました。 
 実際、本編中でリータは揺ぎ無き力のシャウトを聞いていますし、彼女は何よりも“力”を求めました。
 ですので、一節なら許されるかな~と……。


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第十四話 竜の血脈

 ミルムルニルに放り投げられた健人は、そのままベレソア百貨店の屋根に激突したものの、幸い、骨折などの大きな怪我には至っていなかった。

 理由は、店の修理費をケチったベレソアが、老朽化していた屋根を張り替えていなかったこと。もう一つが、ほぼ全損していたとはいえ、盾を持っていたことだった。

 健人は眼前に迫る屋根を前に、咄嗟に盾を構えた。

 激突の瞬間、強烈な衝撃が健人の全身を貫いたが、老朽化した屋根が抜けてくれたおかげで、ある程度衝撃を吸収してくれた。

 落下地点が、ベレソアの粗末なベッドの上だったことも幸運だった。

 さらに、盾が壊れた建材などから、ある程度健人の体を守ってくれたことも大きい。

 

「な、なんだなんだ!?」

 

「ケント、大丈夫ですか!?」

 

 突然屋根を壊して飛び込んできた健人に、ベレソアが狼狽えている。

 一方、会計をしていたダニカは、健人の姿を確かめると、慌てた様子で彼のもとに駆け寄り、他者回復の魔法をかけた。

 暖かい光が健人の体に刻まれた、細かい傷を癒していく。

 

「ケント、一体何が……」

 

「はあ、はあ、はあ……。ダニカさん、ドラゴンです。ドラゴンがホワイトランを襲っています!」

 

「ドラゴン!?」

 

 ドラゴンの襲撃を聞かされ、ベレソアとダニカの表情に緊張が走る。

 その時、健人の目に、棚に置かれた杖とスクロールが飛び込んできた。

 先ほど、ベレソアが健人に売りつけようとした商品だ。

 

「ダニカさん! あの杖とスクロールはどう使えばいいんですか!?」

 

「え、ええっと、術の効果をイメージすると杖が反応します。あとは使う対象に杖を向けて、放つイメージを杖に送れば発射します。エクスプロージョンは炎属性の破壊魔法なので、爆発する火球などを思い浮かべれば……」

 

「ありがとうございます! ベレソアさん、これ、借ります!」

 

「あっ! ちょっと待て小僧!」

 

 健人はベレソアが止めようとするのも聞かず、全損した盾を放り投げると、棚から杖とスクロールを持ち出し、扉へ向かって駆けだした。

 

「ケント、待ちなさい! 杖を持っていても、魔法のイメージは簡単ではありません! 貴方は早く避難を……」

 

 ダニカもまた健人を止めようとするが、彼は止まらない。

 風地区では、リータがドラゴンに襲われているかもしれないのだ。自分だけ避難など、彼にできるはずがなかった。

 ベレソア百貨店を飛び出した健人は、ドラゴンの襲撃でパニックになっている市を駆ける。

 押し合い、圧し合いしている人たちをかき分け、風地区への階段にたどり着くと、そのまま一気に駆け上がった。

 

「リータ! ……え?」

 

 そして、その光景を見て絶句した。

 リータが、ドラゴンと戦っている。しかも、一見すると、ドラゴンを押しているように見えた。

 リータの剣は、今まで傷一つつけられなかったドラゴンの鱗を貫いて、裂傷を刻み、血を流させている。

 それを、幾つもドラゴンの体に刻んでいた。

 怒り狂った獣のような覇気と、躍動感に溢れたリータの剣舞に、おもわず健人は目を奪われる。

 しかし、ミルムルニルの放った衝撃波が、接近戦を挑んでいたリータを吹き飛ばした。

 

「ファス!」

 

「リータ、君は一体……」

 

 追撃しようとしていたミルムルニルを、リータのシャウトが襲った。

 その事実に、健人は絶句する。

 しかし、リータのシャウトは威力不足だった。

 素早く体勢を立て直したミルムルニルが、今度こそリータを仕留めるためにシャウトを放とうとしている。

 

「っ! させない!」

 

 健人は杖を構え、駆け出した。

 

「イメージしろ……」

 

 爆発する火球のイメージはすぐにできた。

 なにせ、彼はタムリエルとは比較にならないほど科学技術が発達し、その恩恵を受けている現代日本の出身だ。

 技術的に中世並みか、それ以下の科学技術しかないタムリエルなら、魔法などで目にする機会に恵まれない限り、爆発という現象を目にすることなどほとんどないだろう。

 しかし、健人の世界には、ニュースや映画、ゲームやアニメだけでなく、日常の中にも、それらを想像できるだけの材料に溢れている。

 イメージは砲弾。放つは大砲。

 明確で鮮明な健人のイメージを反映するように、杖の先に人の頭の程の、大きな火球が出現した。

 

「いけえええ!」

 

 そして、引き金を引くイメージと共に、高速で火球が放たれた。

 火球はドラゴンの側頭部に着弾し、ミルムルニルが苦悶の声を漏らす。

 

“また邪魔が!”

 

 ミルムルニルの視線が、健人に向いた。

 苦痛を与えた健人に向かって、嵐のような殺意が叩きつけられる。

 

「ぐっ!」

 

 向けられる殺意に、思わず足が止まりそうになる。

 健人の脳裏に、ハドバルの言葉が過った。

 

“ケント、家族を守りたいのなら、心を……魂を震わせろ。その魂の輝きが、己の強さを決める”

 

 魂を震わせろ。

 ハドバルから贈られたその言葉を胸に、健人は喉の奥から声を絞り出した。

 

「お、おおおおお!」

 

 雄叫びをあげ、恐怖を撥ね退けながら、健人はミルムルニルに向かって駆ける。

 突き出した杖に立て続けにイメージを伝える。

 想像するのは、軍艦に積まれている速射砲。

 数秒という短い間隔で、致命的な威力を持つ砲弾を吐き出す現代兵器だ。

 健人のイメージに従い、立て続けに火球が発射される。

 その発射速度は、魔法使いが見れば驚嘆する速度だろう。

 この世界の魔法使いが、魔法の杖を連続使用するには、魔法を放つたびに、一回一回イメージを杖に伝えなければならない。

 その為、慣れたものでも数秒、慣れないものは十秒ほどの時間を要する。

 しかし、健人の発射間隔は、一秒ほど。驚異的な速度だった。

 

“な、その数は、ごあ!”

 

 ミルムルニルの顔に、次々に火球が着弾する。

 予想以上の速度での連続発射。

 さらに、込められた魔法は、破壊魔法の中でも殲滅に特化している高位の魔法、エクスプロージョン。

 その威力と衝撃は、凡百の魔法使いでは絶対に繰り出せないものだ。

 この破壊魔法の連続攻撃に、さすがのミルムルニルも体を縮めて、防御に徹するしかなくなる。

 しかし、この攻勢は長くは続かなかった。

 

「っ!」

 

 立て続けに火球を生み出していた杖が、突然沈黙する。

 あまりに立て続けに火球を生み出したために、杖に込められていた魂力が枯渇したのだ。

 健人がそもそも、破壊魔法の技術を持たないことも大きい。魔法の杖の持続性は、使い手の技量に比例するからだ。

 エクスプロージョンの連続攻撃が途絶えたことで、体勢を立て直したミルムルニルが、シャウトを放つ。

 

“ヨル、トゥ、シューール!”

 

 業火の渦が健人を襲い、瞬く間に呑み込む。

 これで邪魔者は消えた。次はあの女を……

 そう思い、ミルムルニルはリータに視線を戻そうとするが、彼の予想は完全に裏切られた。

 

「おおおお!」

 

“なっ!?”

 

 なんと、健人がミルムルニルのファイヤブレスを突き破ってきたのだ。

 その手に、帝国軍の紋章が刻まれた菱形の盾を構えて。

 健人が構える盾は、ハドバルが持っていた帝国軍の盾。

 ドラゴンの炎に焼かれながらも、かつての持ち主が抱いていた不屈の意思を体現するように、その原型を保っている。

 健人が魔法を撃ちながらミルムルニルに突進していたのは、ひとえに、この盾を拾い上げるため。

 

“腕が、焼けるように痛い。でも、やっぱりこの盾は守ってくれた!”

 

 ハドバルの体は炎に焼かれてはいたが、それでも体には無事な部分が残っていた。

 それは、この盾がハドバルの命が尽きるまで、全力で守り続けてくれていたことの証。

 だからこそ、健人はこの盾が、必ず自分をドラゴンの炎から守ってくれると信じていた。

 そして、ミルムルニルの眼前まで距離を詰めた健人は、魔法の杖を放り投げ、懐からベレソア百貨店から持ち出したスクロールを取り出して、発動させた。

 解放された魔法は、嵐のマントと呼ばれる魔法。

 術者の周囲に雷を展開し、接近してくる敵を焼く高位の破壊魔法だ。

 

“ぐおおおおおお!”

 

「が、あああああああ!」

 

 解放された魔力が雷となり、ミルムルニルに纏わりついて、彼の体を焼き始める。

 しかし、スクロールが粗悪品だったためか、使用者である健人にもダメージを与えてしまっている。

 激痛で真っ白になっていく視界と意識を、歯を食いしばって耐えながら、健人はこの戦場で切り札となった彼女の名を叫んだ。

 

「リータ!」

 

“しま……”

 

 ミルムルニルの目に、完全に距離を詰めて剣を構えているリータの姿が映った。

 健人に気を取られたために、完全に彼女の存在を失念してしまっていたのだ。

 そして、それがミルムルニルの運命を決めた。

 振り下ろされた剣の切っ先が、ミルムルニルの眼球に突き刺さる。

 地を震わせるほどの絶叫が、ホワイトラン中に響いた。

 リータはさらに、突きさした剣を支点にミルムルニルの頭に飛び乗ると、突き立てた剣を引き抜き、大上段に振り上げる。

 

「死ね! ドラゴン!」

 

“ドヴァーキン! やめろ!”

 

 懇願ともいえるような声が響いた。

 しかし、リータはミルムルニルの声を一顧だにせず、剣を振り下ろした。

 剣の刃がミルムルニルの頭蓋を割り、致命傷を与える。

 ミルムルニルの瞳孔が開き、瞳の奥から光を失ったかと思うと、かのドラゴンの体は、その場にゆっくりと崩れ落ちた。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

「ぐう、っうう……」

 

 極度の疲労と緊張から、その場に崩れ落ちるリータと健人。

 リータはドラゴンとの肉弾戦と、シャウトの余波。健人は粗悪品のスクロールによる自傷ダメージで、ボロボロと言った様子だった。

 静寂がギルダーグリーンの広場に満ちる。

 健人がふと周りを見渡してみれば、広場は戦いの余波で惨憺たる様子だった。

 つい先程まで緑に包まれていたギルダーグリーンは完全に燃え尽き、黒焦げになってしまっている。

 広場を彩っていた花も、荘厳なアーチの建材も、何もかもが焼けて崩れ落ちてしまっていた。

 

「まさか、ドラゴンを倒した?」

 

 静寂が訪れたことで、ようやく衛兵たちもドラゴンが死んだことを理解しはじめていた。

 バルグルーフやコドラク、そしてドルマも、皆驚いた様子でリータと健人を見つめている。

 

「おい、ちょっと待て!」

 

 その時、地面に横たわるドラゴンの体が、突然光を放ち始めた。

 まるで炎に焦がされるように、ドラゴンの体からパチパチと弾けるような音が鳴り、そして、直後に膨大な光の奔流が放出された。

 ドラゴンの遺体から流れ出た光の奔流は、ギルダーグリーンの広場を満たし、やがて吸い込まれるようにリータの体に飲み込まれていく。

 

「え、え? なに!?」

 

 訳が分からないと言った様子のリータ。

 やがて光の奔流が収まれば、ドラゴンは骨だけになってしまっていた。

 その光景を見ていた衛兵たちが、一斉に騒ぎ立てる。

 

「信じれらない! お前は、ドラゴンボーンだ……」

 

「ドラゴンボーン?」

 

 聞きなれない言葉を聞き、思わず健人は、その言葉をつぶやいた衛兵に問いかけた。

 

「もっとも古い話は、スカイリムにドラゴンがいた頃まで遡る。ドラゴンボーンはドラゴンを倒し、その力を奪っていたんだ」

 

 丁寧に説明してくれた衛兵の視線が、再びリータに向けられる。

 

「そうなんだろう? ドラゴンの力を吸収したんだろう?」

 

「ええっと、分からない……」

 

 リータも自分の身に起きた出来事に心当たりがないため、言葉を濁す事しか出来ない。

 

「本人に自覚はないかもしれんが、特別な力を持っていることは間違いないだろう。このドラゴンとの戦いで、君はシャウトを使っていたのだからな」

 

 その時、歩み寄ってきたバルグルーフがそう述べた。

 彼の後ろにはコドラク、そして、ドルマの姿がある。

 コドラクもドルマも、体のあちこちには切り傷と煙による煤がついているが、大きな怪我をしている様子はない。

 

「…………」

 

 ドルマは相変わらず、憮然とした表情を浮かべているが、ドラゴンとの戦闘による、濃い疲労の色が見える。

 ドラゴンボーン。

 九大神の筆頭、アカトシュの祝福を受けた、特別な人間。

 歴史の中で度々現れ、そしてその度に歴史は大きく動いてきた。

 近年でもっとも有名なドラゴンボーンは、タムリエルを統一し、第三期を開闢した、帝国の初代皇帝、タイバー・セプティムである。

 この世界での一般常識であり、またドラゴンボーンの名は、この世界のだれもが知る、特別なものだった。

 その時、雷鳴りのような轟音と共に、聞きなれない声が聞えてきた。

 

“ドゥ、ヴァー、キィーーン……”

 

 山彦のように木霊する声に、ホワイトランの人達全てが目を見開いた。

 

「これは……」

 

「グレイビアードからの召喚だ。間違いない。ドラゴンボーンを呼んでいる!」

 

 グレイビアード。

 このスカイリムで最も高い山。世界のノドと呼ばれる山に籠る、声の達人達。

 俗世とは関わりを絶ち、ただ“声”の修練のみに人生をささげる修験者。

 スカイリムにおいて、グレイビアードの言葉は、ホールドの王たる首長も無視できないほど大きい。

 そして、そのグレイビアードが、ドラゴンボーンを呼んでいる。

 それは、九大神タロスが、タイバー・セプティムという人間だった時以来の出来事だった。

 

「すまないが、君たちは宮殿に来てくれないか? ここの片づけは、衛兵たちにやらせておく」

 

 バルグルーフの言葉に、リータと健人は静かに頷いた。

 ホワイトランの首長が先導してドラゴンズリーチへの階段を登ろうとしたところで、リータはスッと一行から離れて、広場の一角へ足を向けた。

 彼女が向かった先には、物言わなくなった少女と、ハドバルの遺体があった。

 

「……ルシア、ハドバルさん」

 

 ハドバルもルシアも、遺体の原型はまだ残っている。

 つい先程まで、確かに生きていた二人の体。その傍に屈むと、リータはそっと、ルシアの髪を撫でた。

 荒れ果てた生活と炎で燻された髪が、ザリザリとリータの指に絡みつく。

 

「リータ……」

 

「守れなかった。何もできなかった……」

 

 せめて、最後くらいは、少しでも綺麗な姿で……。

 そう思いながら、リータはルシアの髪を指で梳いて整えていく。

 ゆっくり、ゆっくりと。この少女が生きていたことを、己の内に刻み込むように。

 健人もまた、ハドバルの遺体の傍に寄ると、無造作に放置されていた彼の体を起こそうとする。

 ハドバルの体はやはり重かったが、横から近づいてきたドルマが、無言で手を添えてきた。

 

「手伝うぞ……」

 

「……うん」

 

 2人でハドバルの体を起こす。

 あちこち焼けているハドバルの体だが、顔は予想以上に綺麗で、その表情もどこか安らかなものだった。

 

「ハドバルさん、ありがとうございました。この盾、お返しします」

 

 健人はハドバルの両手を組むと、その上に持っていた盾を置く。

 ドルマもハドバルの死を悼み、俯いて盾の上に手を添え、祈るように俯いた。

 

「ごめんなさい。弔いにもならないけど、敵は討ったわ……」

 

 ひとしきり、ルシアの髪を整えたリータは、悔恨の念を断ち切る様に、スッと立ち上がると、ルシアの遺体に背を向けて歩き始めた。

 

「行きましょう」

 

「……うん」

 

 バルグルーフの後を追って、リータ達は宮殿へと向かう。

 健人とドルマもまた、ハドバルに別れを告げ、彼女の後を追った。

 

「勇士たちを称えよ!」

 

「ドラゴンボーンに栄光あれ!」

 

「ホワイトランに栄光あれ!」

 

 ドラゴンが討伐されたことで、広場の周りは既に大騒ぎだった。

 生き残った兵士たちと、同胞団、そして、駆け付けた市民たち。

 その誰もが、ドラゴンを倒したリータを称えている。

 そんな彼らの熱も、恩人と罪なき少女の死を見た後の健人達には、何所か遠い出来事のようにしか思えなかった。

 

 

 



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第1章最終話 葬送と旅の始まり

というわけで、第1章のエピローグです。


 衛兵に先導され、ドラゴンズリーチへ続く階段を昇ってくるリータ達を、デルフィンは驚愕の目で見つめていた。

 

「まさか、こんな幸運に恵まれるとはね……」

 

 この部屋の主であるドラゴン狂いの宮廷魔術師は、ドラゴンが倒されたことを知り、一目散に部屋を飛び出していった。

 彼にとって、ドラゴンの襲来は、望外の幸運だったのだろう。

 それは、デルフィンにとっても同じだった。

 自分達が求め続けていた存在。それが、目の前に現れたのだから。

 

「急がなくちゃいけないわね。あのドラゴンボーンを、導くためには、色々と用意がいるわ」

 

 こうしてはいられないと言うように、デルフィンはいそいそと荷物をまとめ始める。

 彼女がここに来たのは、ドラゴン狂いの宮廷魔術師の依頼を果たすためだったが、既にその依頼も終わっている。

 この場に残り続ける必要はないし、本来彼女はホワイトランの人間ではない。

 宮殿内にいる事が広まれば、余計なトラブルになりかねない。

 とにかく今は、時間が惜しかった。

 

「ブレイズの為に……」

 

 荷物をまとめたデルフィンは今一度、今代のドラゴンボーンの姿を目に焼き付けると、スッと音もなく、部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の闇に包まれたホワイトラン。

 蝋燭の灯が二本の列を成し、厳かな雰囲気の中、布に包まれた遺骸たちが、キナレス聖堂の横に設けられた死者の間へと下りていく。

 死者の間。

 スカイリムにおける共同墓地であり、大都市には必ず設けられる、九大神アーケイの領域。

 この地の埋葬手段は多様であるが、その中でも最も一般的なのが土葬である。

 埋葬場所である死者の間にはアーケイの神官が常駐し、死者たちが亡者となって甦らないか、監視をしている。

 そこで今、ドラゴン襲撃によって亡くなった人達の埋葬が、厳かに行われていた。

 見送る人々が手に持つ蝋燭の明かりが、まるで陽炎のように揺らめいている。

 

「こういうところは、地球とも変わらないんだな……」

 

 遺体はアーケイの司祭の先導の下、涙を浮かべた親族たちに見送られながら、次々に暗い冥府に続く地下へと消えていく。

 健人はその光景を、どこか淡々とした様子で見つめていた。

 彼にとって、死者を送ることは別段初めではない。

 だが、どこか第三者として見ていることを自覚するたびに、自分がどうしようもなく遠くに来てしまっていることを思い出してしまう。

 

「リータはどうするつもりなのかな……」

 

 ドラゴンズリーチでバルグルーフ首長と話をした結果、リータはこのホワイトランの従士に任命された。

 これは非常に名誉な称号で、首長がリータをホールドにとって重要な人物であると認めた証だった。

 同時にリータはホワイトランに家と私兵を与えられることも決まった。

 また、リータはバルグルーフ首長から、ハイフロスガーへといくべきだと言われていた。

 自分がまだドラゴンボーンとして自覚が薄い彼女はその時は答えを渋っていたが、健人は彼女がハイフロスガーに行くと、何となく思っていた。

 

「俺は、どうするべきなんだろうな……」

 

「おい、よそ者」

 

 無礼な声に、健人の眉がつり上がる。

 

「……ドルマか。いい加減」

 

 健人が言い返す前に、ドルマはコップを突き出してきた。

 戸惑いながらも、健人はコップを受け取る。

 良く見えないが、コップの中には何かの液体が満たされていた。

 甘い香りが、健人の鼻につく。

 

「これは?」

 

「いいから、飲め」

 

 ドルマに促されるまま、健人はコップの縁に口を当てて中身を喉に流し込む。

 

「ごほごほ! これって酒じゃないか!」

 

「ああ、ハチミツ酒だ」

 

 それも、かなり度数が高い。

 喉を焼く強い酒精に、健人は思わずむせ返った。

 

「ハチミツ酒って、なんで……ああ、そうか」

 

 健人はそこで、自分がハドバルと交わした約束を思い出した。

 次に会ったら、ハチミツ酒を一緒に呑もうと約束していた。

 

「ありがとう」

 

「ふん」

 

 ハドバルの遺体は、既に埋葬の為にリバーウッドに送られており、もうホワイトランにはいない。

 ホワイトランに命からがら戻ってきたカシトも、ハドバルの遺体に付き添ってリバーウッドに行った。

 カシトの話では、彼はその後にすぐソリチュードに向かうらしい。

 ハドバルの代わりに、ドラゴンの脅威をソリチュードに届けると言っていた。

 ハドバルは健人にとって、リータ達と同じくらい、かけがえのない恩人であったが、カシトの方も、ハドバルに対して何か思うところがあるようだった。

 しばしの間、別れた人達を想いながら、二人は静かにコップを傾ける。

 やがて、ドルマがおもむろに口を開いた。

 

「余所者、俺はお前を信用しねえ。あんな止血や魔法攻撃ができるやつが、記憶喪失なんて信じられねえしな」

 

「…………」

 

「だが、リータがお前を気にかけているのは確かだ。だから、お前がリータを裏切らない内は黙っていてやる」

 

 そこまで言って、唐突に健人の胸倉をつかみ上げた。

 猛烈な力がかかり、健人は思わず呻く。

 

「ぐっ」

 

「だが、リータを裏切るなら、必ず俺がお前を殺してやる」

 

 ドルマは常人なら身震いするほどのプレッシャーを、至近距離から健人にぶち当てる。

 ドルマにとって、最も大切な幼馴染。それを傷つけるなら容赦はしないと、殺気まで籠めてドルマは健人を睨み付ける。

 彼は本気だ。

 もし、健人がリータを裏切るようなことをすれば、たとえそれがどんな理由であれ、ドルマは問答無用で健人を斬り殺すだろう。

 だが健人も、至近距離から睨みつけてくるドルマの視線を正面から受け止めていた。

 ドラゴンという究極の個と戦ったことで、ハドバルから教えられた戦士としての芯が、健人に根付き始めている。

 

「……分かってる」

 

 まっすぐに見返してくる健人に、ドルマは無言で手を離した。

 再び明後日の方向を向いたドルマだが、その背には健人を拒絶するような雰囲気はもうない。

 健人もまた、無言のまま、崩れた服を直している。

 互いに言葉はなくとも、二人の間に確かな誓いが生まれた瞬間だった。

 

「ケント、ドルマ」

 

 その時、死者の間から出てきたリータが二人に歩み寄ってきた。

 

「あの子の方は、もういいの?」

 

「……うん」

 

 リータは、身寄りのなかったルシアの介添人として、彼女の葬儀に立ち会っていた。

 埋葬を行う司祭に対し、リータ自身が申し出たのだ。

 何もしてあげられなかった少女に、少しでも何かしてあげたかったのかもしれない。

 リータは涙が浮いていた瞼を拭うと、改めて健人とドルマに向かい合った。

 

「決めた。私はハイフロスガーに行く」

 

 腹の奥から決意を絞り出すように、リータはそう宣言した。

 

「私がどうしてドラゴンボーンとして生まれたのか、その意味を知りたい。なにより、この力を使えるようになりたい。二度と、私やルシアのような境遇の人を作らないために」

 

 涙の跡が残る瞳には、既に両親を失った悲しみはない。

 あるのは、己の目標を定めた強い意志。

 

「分かってる」

 

「そうなると思っていた」

 

 健人とドルマは、守ると誓った少女の決意を前に、改めて己の誓いを胸に刻み込んでいた。

 

 

 




これで、第一章は終了です。
第一章は物語の発端という事で、このような形となりました。
次章開始は、第二章を書き終えてから投稿する予定ですが、物語としては、もう少し時系列が先に進んだ状態になると思います。

もしよろしければ、感想等をよろしくお願いいたします。


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第2章
第一話 イヴァルステッドへ


お待たせしました。第2章の開始です。
しかし、予定よりも文章量が多くなったため、第二章を分割することに決めました。
その為、全4章予定が、全5章予定になります。
また、分割の影響で、第2章と第3章は少し短くなる予定です。



 ホワイトランのドラゴン襲撃事件から約一か月ちょっと。

 真央の月の3日。

 健人達はホワイトランを離れ、イヴァルステッドと呼ばれる村を目指していた。

 イヴァルステッドはリフトの北西にある小さな村で、リータ達の目的地であるハイフロスガーへと続く道がある。

 リータ達の目的はハイフロスガーで、グレイビアードと呼ばれる修験者たちに会うことだ。

 彼らグレイビアードは、ドラゴンの声。すなわちシャウトの達人であり、ドラゴンボーンの力の源について、このスカイリムで最もよく知る者達だった。

 そして、ホワイトランでリータがドラゴンを倒した時、彼らはシャウトで、リータを召喚した。

 ノルド達にとって、グレイビアードの言葉は首長でも無視できないほど大きな権威を持つ。

 なにより、リータ自身がドラゴンボーンの力について知りたいと願っているため、こうしてリータ達は一路、グレイビアードがいるハイフロスガーを目指すことになったのである。

 

「うわ!」

 

 川を渡ろうとしていた健人が足を滑らせた。

 足元の岩に生えている苔に、足を取られたのだ。

 倒れそうになる健人を、後ろから伸びた手が支える。

 

「大丈夫ですか?」

 

「え、ええ……。ありがとうございます、リディアさん」

 

「いえ、お気になさらずに。従士様のご家族となれば、私にとって仕えるべき方です」

 

 健人を支えたのは、リディアという名のノルドの女性戦士だった。

 リディアはドラゴン討伐の功により、ホワイトランの従士となったリータに仕える私兵である。

 ホワイトランのバルグルーフ首長は、ミルムルニルを倒したリータを要塞にとって重要な人物と決め、彼女に従士の称号を与えた。

 従士の称号を賜ることは、そのホールドの中でもとても名誉な事であり、同時にリータは首長から自宅となる家と、彼女に仕える私兵を与えられたのだ。

 リディアはノルドらしく、戦士としての気質を持つ女性だが、同時に今まで健人が会ってきたノルドと違い、彼に対しても礼を弁え、敬う態度を取っていた。

 なんでも、彼女にとって、健人はドラゴンボーンと共にドラゴンを倒した勇士らしい。

 The一般人かつ健全な異世界人である健人としては、リディアの敬うような態度は、正直むずがゆいものがあった。

 とはいえ、今の健人としては、敬いながらも気遣ってくれる彼女の存在は非常にありがたかった。

 この世界に迷い込んだ健人の交友関係は、非常に狭い。

 彼が気兼ねなく接することが出来る相手は、リータを除けばカジートのカシト位だった。

 しかし、カシトは今この場にはいない。

 ドラゴンを倒した後にホワイトランに戻ってきたカシトだが、彼はハドバルの遺体をリバーウッドに届けてから、ソリチュードへと向かったからだ。

 

「おい、何か来たぞ」

 

 その時、ドルマの警告が響いた。

 健人たちが歩く川辺の先に、黒い影が二つ動いている。

 

「クマが二匹。親離れしたばかりの兄弟だろうな」

 

 現れたのは、二頭の若いクロクマだった。

 本来クマは単独行動で生活する獣だが、親から独り立ちした後のしばらくの間は、兄弟で生活することがある。

 ドルマの指摘通り、二頭のクマは体付きもまだ細く、親から離れてそれほど時がたっていないことを伺わせる。

 とはいえ、相手はクマだ。

 この世界でもクマは猛獣であり、不用意に森に入った人間が毎年何人も犠牲になっている。

 二頭のクマは健人達を見つけると、彼らをじっと見つめながら、ゆっくりと距離を詰めてきた。

 目線を逸らさず、かといって距離を保とうとする様子がない所を見ると、明らかにこちらを獲物とみている。

 今の季節はちょうどクマが冬眠から目覚める季節。

 長く厳しい冬を越え、体重を著しく減らしたクマは、とにかく飢えている。

 このクマの兄弟も、案の定飢えに苦しんでおり、足の遅い人間は彼らにとっては絶好の獲物だった。

 

「最初は弓で攻撃を。クマが突っ込んで来たら、私とドルマで右をやるわ。リディアとケントは左をお願い」

 

「分かりました」

 

「り、了解」

 

 木製の弓に鉄製の矢を番え、弦を引き絞る。

 この世界に来て四ヶ月弱。

 健人はホワイトランにいる間に、弓の扱い方の訓練をリータから受けていた。

 リータからの教えを思い出しながら、健人はリバーウッドのアルヴォアから貰い受けた弓に矢を番える。

 

(大切な事は腕ではなく、背中で引くこと。それから呼吸。ゆっくりと、弦を引きながら息を吸って……)

 

 すぅ……と、息を吸いながら、健人はゆっくりと弦を引く。

 引き切ったところで呼吸を一度止めて、少しずつ吐き出す。

 体から余分な力が抜け、集中力が高まる。

 視界が狭まり、外界の余分な情報が排除されていく。

 ミシミシと弓がしなる音が、耳の奥で響くのを感じながら、健人は狙いを定めた。

 

「今!」

 

 リータの指示の元、四人は一斉に矢を放った。

 四本の矢が、二頭のクマに向かって飛翔する。

 

「グアア!」

 

「グウ、グウ!」

 

 四本のうち、刺さったのは三本。

 健人が射った矢は当たりはしたが、威力不足で、クマの分厚い毛皮に弾かれてしまっていた。

 唸るような咆哮と共に、二頭が四人に向けて襲い掛かってくる。

 しかし、二頭の突進は、彼らが予想しなかった方法で止められることになる。

 

「ファス!」

 

 リータが“揺るぎ無き力”のシャウトを放つ。

 彼女がミルムルニルと戦った際に覚醒した、ドラゴンボーンの力の一端だ。

 突進してきたクマたちは、カウンターの形で揺るぎなき力の衝撃波を浴びて、思わずその場に蹲ってしまう。

 その隙に、四人は一斉に距離を詰めて、剣を振るった。

 ドルマの大剣が一匹目の肩に叩き込まれる。

 重量を武器とした刃は、クマの鎖骨を砕いてその巨体をよろめかせた。

 さらにクマの側面に回り込んだリータの剣閃が敵の頸動脈を斬り裂く。

 息の合った、素早い連携だった。

 一匹目は素早く倒せたが、二頭目は予想以上に早く体勢を立て直した。

 兄弟を殺されたことに激昂したのか、残ったクマは四人の中で最も弱そうな健人に向かって己の爪を振り下ろす。

 

「ぐう!」

 

 健人は左手に持っていた盾で、クマの爪を受け止めた。

 ギャリリリ! という耳障りな音と共に猛烈な圧力が腕にかかってくるが、健人は腰を落としてクマの腕力に耐えると、剣を腰だめにして突き入れた。

 

「ギャウ!」

 

 突き入れられた剣は厚い毛皮に阻まれ、浅く刺さるだけだったが、異物が刺さる痛みは、クマの動きを僅かに鈍らせることに成功する。

 

「お見事です」

 

 剣を突き入れられたクマが苦悶の声を上げて怯んだ瞬間に、リディアがトドメとばかりにクマの脳天に剣を叩きこんだ。

 バギャリ! と頭蓋を割られる音が響き、致命傷を負った二匹目が地面に崩れ落ちる。

 動かなくなった熊を確かめ、健人は大きく安堵の息を吐いた。

 

「良かった……」

 

「このクマは体がまだ小さいですし、ドルマ殿の言う通り、まだ若いですね。おそらく、親離れして初めての越冬だったのでしょう」

 

 リディアが淡々と今倒したクマの分析を語る。

 倒した二頭のクマの体高は大体健人と同じくらいだが、クロクマは成年期に達すると人より大きくなるらしい。

 リディアの話では、獲物を見るや奇襲ではなく正面から襲い掛かってきたところも、狩りの技術が、このクマ達はまだ未熟だった証拠らしい。

 健人が戦いの緊張を解すように大きく息を吐き、剣を鞘に納めるのを確認すると、クマを倒した一行は再びイヴァルステッドへの道を歩き始めた。

 健人達一行は、既にホワイトランの領地を離れ、隣のリフトホールドに足を踏み込んでいる。

 健人は、持っていた地図を広げて、現在地を確かめた。

 川を渡り、後は渡った川沿いを進めば、イヴァルステッドに到着する。

 

「そろそろ目的地だけど、イヴァルステッドまで、あとどの位かな?」

 

「…………」

 

「リータ?」

 

「え、ええ。もうすぐだと思うわ……」

 

 健人が隣を歩くリータに声を掛けるが、彼女の反応は芳しくない。

 どこか憂いを抱えるような反応の鈍いリータに、健人は少し不安になった。

 リータの方は、自分がドラゴンボーンだと知ってからは、どこか上の空になることが多くなってきている。

 思い出したように足の進みを速めるリータだが、彼女は時折横目で、ちらりと健人に視線を向けている。

 どこか含みがあるようなリータの視線に、健人は思い当たる節があったが、特に尋ねることはせず、あえて黙っていた。

 しばらくの間、リータの視線を無視して歩いていた二人だが、やがて焦れたリータが口を開いた。

 

「ねえ、ケント。ケントは今からでもホワイトランに戻った方が……」

 

「またその話? もう今更だと思うけどなあ……」

 

 帰った方がいいというリータの言葉に、健人は肩をすくめる。

 実は、ホワイトランから旅立つ際に、リータと健人との間でひと悶着あった。

 リータが、健人がハイフロスガーへの旅についてくることに難色を示したのだ。

 なんでも、首長の計らいで自宅を手に入れられたのだから、そこで待っていて欲しいとのこと。

 唯一の家族である健人の身を案じるのは無理のない事ではある。だが、健人はリータの提案を、真っ向から突っぱねた。

 

「でも……」

 

「リータが俺はいらない。帰れって言うなら、そうするよ」

 

 家族が危険な旅に出ようとしている中で、ただ待っていることなど、健人にはできなかった。

 残った家族を守る。

 それが、健人が誰も知らない異世界で初めて決心した事だから。

 

「う……。ドルマ……」

 

「俺に言うな。そのよそ者がどうなろうと、俺は別に気にしない」

 

 リータが助けを求めるように、幼馴染に話を振るが、ドルマは我関せずという様子で、彼女の懇願を無視していた。

 ドルマにとって、重要なのはリータだ。当然ながら、健人がどうなろうと構わない。

 だがそれは、彼が健人に対し、ある程度の信頼を置いたことの証でもある。

 それは、ドラゴン襲撃後の葬儀で、死者を悼む酒を酌み交わした時に、無言で交わした誓いが大きいのかもしれない。

 ホワイトランでの戦い以降でも、相変わらず、ドルマから健人に話しかけることは無いが、健人もそんなドルマの態度を煩わしくは思わなくなっていた。

 健人とドルマ。二人の間には単なる友情とは違う、奇妙な信頼関係が構築され始めていた。

 

「それに、俺がいなくなったら、誰が料理をするんだ?」

 

 追撃とも思える健人の言葉に、リータは再び「うっ」と押し黙ってしまう。

 このパーティーの胃袋を掌握しているのは、間違いなく健人である。

 アストンの宿屋でエーミナから教わった料理の腕はイヴァルステッドまでの道中でいかんなく発揮され、既にこの中の誰よりも上である。

 タムリエルに来て半年足らずの人間の方が、誰よりもこの世界の料理に長けているというのは考え物だが、現実にそうなのだから仕方ない。

 

「それは、私が……」

 

「「却下」」

 

「むう……」

 

 ドルマと健人が、声を合わせてリータの提案を拒絶した。

 この時だけは、健人もドルマも心は一つである。

 リータにはすでに前科が、数えきれないほどある。

 厳しい旅の真っ最中に、家事ポンコツ娘に食中毒やら麻痺毒やらをばらまかれたら堪らない。

 間違いなくパーティーが危機的状況になってしまうだろう。

 

「ケント様、料理なら私が……」

 

「リディアさんも料理自体はあまり得意じゃないでしょ」

 

「それは、そうですが……」

 

 リディアも、料理はそれほど得意ではない。

 しかし、それは出来なくはないという程度で、決して上手くはない。

 彼女は一流の戦士ではあるが、料理人ではなかった。

 実際の料理の腕については、エーミナから手ほどきを受けた健人とは歴然の差がある。

 リータの私兵としては少し思うところがあるみたいだが、健人としては自分が力になれることはたとえ料理だけでも嬉しい事だった。

 

「それに、俺がいなくなったら、魔法が使える人間がいなくなっちゃうじゃないか。それは不便だろ?」

 

 そして、健人が必要なもう一つの理由が、彼がこのパーティーで唯一の魔法使いという点だった。

 健人はホワイトランのドラゴン襲撃後に、キナレス聖堂のダニカから、魔法の指導を受けていた。

 そして、極めて短い期間で、いくつかの回復魔法を習得していた。

 これは現実世界で何年も教育機関に通っていた健人の学習能力の高さもあるが、教師役であったダニカの尽力も大きい。

 ホワイトランという大都市の聖堂を任せられているだけあり、ダニカはこのスカイリムでも上位の回復魔法の使い手だった。

 

「……まあ、素人か見習いレベルの、五分の一人前魔法使いだけどな」

 

「うるさいよ……」

 

 茶化してくるドルマに、健人は不服だと言いたげな表情を浮かべる

 健人が習得したのは見習いレベルの“治癒”と素人レベルの“治癒の手”、それから、簡単な障壁魔法である“魔力の盾”の三つだけだ。

 傷を治す魔法は、僅かな怪我が死に直結するこの世界では、非常に重宝されるだろう。

 “魔力の盾”も、魔法を防ぐ手段の乏しいこのパーティーではありがたい。

 ところが、問題がない訳でもなかった。

 魔法を行使する際、消費するマジ力が非常に多かったのだ。

 具体的には、見習いレベルの治癒魔法を十数秒使うと、魔力が完全に枯渇する程である。

 この世界の魔法は、神々の領域であるエセリウスから降り注ぐマジ力と及ばれる魔力を体内に取り込むことで行使できる。

 ダニカの話では、エセリウスから降り注ぐマジ力がどうも健人の体にうまく馴染んでおらず、術式の行使に無駄なマジカを使ってしまっているとの事。

 ダニカも魔法を使っていくうちに馴染んでいくかもしれないとは言っていたが、卓越した術者である彼女も原因については心当たりがなく、あまり自信はなさそうだった。

 だが、健人はマジ力の異常消費は、自分がニルンの人間ではない事が原因ではないかと思っていた。

 魔法の知識について、まだまだ素人の域を出ない健人だが、異世界人である自分に、この世界の理が簡単に馴染むとは思えないのだ。

 とはいえ、健人以外の全員がノルドで、すべてが戦士職の完全な脳筋パーティーでは、治癒を使える魔法使いが貴重であることには変わりなかった。

 

「見えてきたよ」

 

 川沿いを進み、上流に流れ落ちる滝の傍にある上り坂を越えると、茅葺の屋根が見えてきた。

 スカイリムの最高峰。世界のノドの麓の村、イヴァルステッドはすぐそこだった。

 

 




というわけで、第2章のプロローグでした。
みんな大好き、リディアさんの登場です。
彼女はドラゴンボーンの私兵なので、主はリータですが、主人公にも敬意を払う、出来たノルドです。
次回はイヴァルステッドとなります。
もしよろしければ、感想等よろしくお願いします。


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第二話 寄り添う者達

 イヴァルステッドに到着した四人は、すぐに宿に直行した。

 宿屋はあまり繁盛していないのか、食堂を兼ねたホールの中はガランとしていた。

 暇そうにカウンターの上に肘をついていた宿屋の主人、ウィルヘルムと名乗ったノルドは、リータの名前を聞くと目を見開き、続いて跳ねるように身を起こした。

 

「ああ、ホワイトランを救ったドラゴンボーン様ですね!」

 

「え? なんで私の事を……」

 

「もちろん、聞き及んでいます。古より復活した獣を倒した英雄! 無辜の民が住む街を襲った卑劣な野獣を倒した勇者!」

 

 リータの名前を聞いた宿屋の主は、満面の笑顔を浮かべ、高揚した様子でリータを称える言葉を大げさな仕草で語り続ける。

 まるで、アイドルに出会ったような興奮ぶりに、当人であるリータは戸惑う。

 宿屋の主であるウィルヘルム曰く、旅の商人がホワイトランのドラゴン襲撃について、詳しく語っていたらしい。

 そして、宿を挙げて歓待するというと言った主人は、当惑するリータを宿で一番いい部屋に案内していった。

 

「リータの名前がこんなに早く知られているなんて……」

 

 カウンターの前に残された健人が、ポツリとそんな言葉を漏らした。

 イヴァルステッドはハイフロスガーへと続く玄関であるが、つまるところ、ド田舎の寒村である。

 当然ながら、ハイフロスガーへと向かおうとする修験者以外が訪れることはほとんどない。

 だからこそ、健人としてはこんな田舎村にリータの名前が届いていることに、驚きを隠せない様子だった。

 

「伝説のドラゴンを倒し、その力を手に入れた従士様であるのなら、その名前が風のように広がることは、さほど不思議には思いませんが……」

 

「そう、かな?」

 

 一方、リータの偉業を誰よりも理解しているリディアは、特に不思議には思わないらしい。

 実際、健人たちはホワイトランで準備を整えるまで、一ヶ月近くの時間を要している。

 その間に、ホワイトランでの出来事を知った商人が、先にイヴァルステッドに来ていてもおかしくはないとリディアは考えていた。

 

「まあ、サービスしてくれるなら、受けない理由はないだろう」

 

 

「まあ、そうだけどね……」

 

 ホワイトランからイヴァルステッドまでの道中、当然ながらずっと野宿だった。

 慣れない旅は健人の体にも心にも確かな疲労として残っている。

 久しぶりにベッドで眠れることもあるし、歓迎してくれるなら、受けない道理はない。

 結局、健人達は宿屋で一晩を過ごし、翌日にハイフロスガーへと向かうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿屋に泊まった健人たちは久しぶりに奮発して、手の込んだ料理に舌鼓を打った。

 宿屋の主人も、家畜として貴重な鶏を丸焼きにして出すなど、普段なら出さない料理をサービスして、リータ達を持て成してくれた。

 食事を終えた後、健人は一人で宿の外に出る。

 宿屋の裏に出た健人は腰に差した片手剣を抜き、夜の帳が下りて二つの月の光が照らす宿屋の裏で、剣を振り始める。

 

「ふっ! せい!」

 

 戦士としては未だに素人の域を出ない健人。

 リータの旅に同道するために、彼は毎日こうして、剣の鍛練を行うようになっていた。

 当然、彼が夜に行う鍛練は剣だけではない。

 剣の鍛錬が終わった後は、魔法の勉強が待っている。

 

「精が出ますね」

 

「リディアさん」

 

 健人が素振りを始めてからしばらく経つと、宿屋の影から姿を現したリディアが声を掛けてきた。

 彼女は自分の腰に差した剣の柄をトントンと叩くと、口元に笑みを浮かべる。

 

「お手伝い、しましょうか?」

 

「よろしくお願いします」

 

 互いに向かい合い、武器を構える。

 健人の稽古の相手は、もっぱらリディアが行っていた。

 教えようにも、リータの剣は我流で、ドルマは両手剣使い。

 健人が使うのは盾と片手剣というのもあり、同じ武器と防具を使うリディアが適任だった。

 

「はあ!」

 

「しっ!」

 

 しばしの間、二人は剣と盾をぶつけ合う。

 模擬剣などという気の利いた物を持ち歩く余裕はない。二人とも刃引きされていない本物の剣をぶつけ合っている。

 普通なら取り返しのつかない怪我を心配するところだが、リディアと健人では、力量の差は明らかであり、ゆえに健人の剣はリディアの髪一本散らすこともできない。

 そのため、リディアは余裕をもって剣を寸止めし、健人に己の問題点を指摘している。

 数刻の間、打ち合っていた両者だが、やがて健人のスタミナ切れという形で、今日の修練は終わりを告げた。

 

「はあ、はあ……」

 

「剣の方はまだまだですが、盾の使い方はだいぶ良くなってきましたね」

 

「そ、そうですか……」

 

 リディアの指摘通り、健人の防御術は、少しずつ改善を見せていた。

 未だに筋力不足から動きは遅れ気味だが、しっかりと腰を据えて、相手の攻撃を受けることが出来るようになってきている。

 問題は攻撃面である。

 腰を据えて攻撃を受けていることもあるが、どうにも攻防の切り替えが未だに慣れていないというのがリディアの感想だった。

 

「ケント様、腰を据えて受けるだけでなく、相手の攻撃に合わせてこちらから盾をぶつけて相手の攻撃の出鼻を挫くことで、こちらの攻撃を有利に行うことが出来るようにもなります」

 

 俗に言う“シールドバッシュ”と呼ばれる技能であり、相手の攻撃を殺しつつ、こちらの攻撃に繋げる技術だ。

 実際、リディアはこのシールドバッシュが非常に上手く、ここに来るまでの鍛練で、健人は何度も攻撃の出かかりを潰されていた。

 

「剣も盾も、腕だけで扱うものではありません。全身の筋肉を活かすことで、より素早く、より自然に、強力な攻撃が可能になります」

 

「全身の動きですか」

 

 盾と剣は別に扱うのではなく、一つの動きの中で使い分けるべしと、リディアは健人に教える。

 健人としても理屈は察することができる。

とはいえ、頭の中で漠然と理解しただけで習得できるほど、剣の道は容易くはない。

 頭の中の動きと、実際の体の動きが乖離していることは、普通の人間なら当たり前である。

 また、実際の戦闘では、思考しながら戦っていては間に合わない。

 刻一刻と変わる戦況の中で、反射的に体を動かせるようにならなくてはいけない。

そして、こればっかりは気が遠くなるほどの修練を繰り返すしかない。

 正しい動きを正しく行い、正しく自分の体に染み込ませる以外に、近道はないのだ。

 

「ですが、例え動きが改善できても、やはり攻撃面での不安があります。ケント様の体格では、私達のノルドの剣術は、どうにも相性が悪いようにも思えますし……」

 

「やっぱりそうですか……」

 

 さらに、ノルドと日本人の間の体格差による相性も問題だった。

 ノルドの剣はほぼ肉厚の直剣である。

 戦い方も自分たちの恵まれた体躯を活かしたものであり、相手を防具ごと叩き潰す戦法が主流だ。

 しかし、今の健人に鉄製の防具を貫くほどの膂力はない。つまり、剣の振るい方一つとっても、ノルドの剣術は健人には向いていないのだ。

 

「分かりました。今日もありがとうございました」

 

「いえ。ケント様は、これから魔法の修練ですか?」

 

「修練と言っても、ダニカさんがくれた本を読んで、限界まで魔法を使うだけですけどね。それじゃあ、また明日」

 

「はい、お休みなさいませ」

 

 健人はリディアと別れると、宛がわれた自分の部屋に戻り、カバンの中から毎日読み返している本を取り出した。

 そして、ホールの暖炉に残っていた火種から種火を作り、貰ってきた蝋燭に火を灯す。

 健人がホワイトランを旅立つ際、ダニカは餞別として、彼に数冊の本を渡した。

 ダニカが渡したのは、魔法や錬金術、付呪に関する基本を記した本と、健人が実際に習得した回復魔法の術式を記した魔法書である。

 荷物としては嵩張るものだが、力で劣る健人にとって、魔法の知識はなによりも心強いものである。

 その為、健人はホワイトランを旅立ってから毎晩、夜遅くまでダニカから渡された本を読み返していた。

 同時に、魔法の実践もかねて、就寝する直前に魔力を限界まで使う事も忘れない。

 今の所、マジ力の効率が良くなった感じはなかったが、魔法を使う感覚を体に染み込ませるためにも、続けるべきだと思ったのだ。

 

「さて、やるか……」

 

 蝋燭の明かりを頼りに、健人は開いた本を読み始める。

 既に、何度も読み返した本だ。

 どのページに何が書いてあるか、既に頭の中に入っている。

 それでも、健人は繰り返して読み続ける。

 

「ケント、まだやってるの……?」

 

 部屋の扉を開けて、隙間からリータが顔を覗かせてきた。

 もう寝るつもりだったのか、普段は纏めている金髪をほどいている。

 

「リータか。先に休んでいていいよ」

 

「でも、明日は七千階段に挑むんだよ? ケントも早めに休んだ方がいいよ」

 

 ハイフロスガーへの道のりは長く、巡礼者の中には、途中で力尽きて凍死するものも少なくないのだ。

 リータが健人を心配するのも無理はない。

 

「それでも、やるよ。繰り返さないと身に着かないから」

 

 そう言いながら、健人は読書に戻る。

 彼にとって、夜遅くまで勉強していることは、それほど不思議な事ではない。

 教育制度が充実し、受験という人生の登竜門がある現代日本では、ごくごくありふれた事である。

 また、現代日本においては、科学技術によって恒常的な明かりには困らず、日が落ちた後、夜遅くまで起きていることは、さほど珍しくはない。

 中には、昼夜が逆転した生活を送る者もいるくらいだ。

 つまり、長時間勉強するための環境と慣習が揃っているといえる。

 一方、リータにとって、夜になっても勉強を続ける健人の姿は、ある種の驚嘆を覚える程のものだった。

 スカイリムでは、科学技術が未発達であるが故に、恒常的な明かりを得ることはほぼ不可能だ。

 その上、教育などは家庭内か、村などの共同体内に留まってしまう。

 教育の水準や範囲も総じて狭く浅いもので、高度かつ大規模な教育制度や教育機関などはない。

 また、環境的にも日常的に勉学に励むような習慣も根付いていない。

 大規模な教育機関などは、スカイリムの中ではウインターホールドにある魔術師大学位だ。

 だからこそ、リータは本を読み続ける健人の姿に感嘆を覚える。

 つまるところ、異世界レベルの文化と慣習の違いが、ものの見事に表れた結果と言えた。

 

「……ねえ、私も一緒にやっていい?」

 

 勉強する健人の姿に触発されたのか、リータが一緒に勉強したいと申し出てきた。

 

「いいけど、リータも覚える気なの」

 

「うん。私も強くならないといけないから」

 

 強くなりたい。

 それは、リータと健人、二人に共通している想いでもある。

 どちらも、無力なままの自分は嫌だと心の底から想い、立ち上がった人間だからこその感情だ。

 

「じゃあ、一緒にやろうか」

 

「うん!」

 

 リータの心情を理解しているからこそ、健人は彼女の頼みを受け入れた。

 同じ机に並んで、一つの明かりを頼りに本を読み進めていく。

 時間は限られている。

 目の前の蝋燭が尽きるまでが、今日の健人とリータに与えられた時間だった。

 宿屋の店主から貰えた明かりは、この蝋燭一本のみ。

 恒常的は明かりを得ることが困難なスカイリムでは、蝋燭一本とっても、大切な資源だからだ。

 

「ねえケント、リディアに変なことしてない?」

 

 しばらくの間、読書にふけっていた二人だが、リータがおもむろに話を振ってきた。

 

「変な事ってなんだよ」

 

「それは、その……」

 

 一体何を想像したのか、言いよどむリータに、健人は溜息を吐いた。

 

「変な事なんてできるわけないだろ。あれだけ強い人なんだぞ」

 

「ま、まあそうなんだけど、何となく気になっちゃって……」

 

「なんだそれ?」

 

 リータの意味不明な返答に、ケントはさらに首を傾げる。

 とはいえ、ケントから見てもリディアは間違いなく魅力的な女性である。

 彼女の容姿はごく普通のノルドではあるが、その教養や心根は、非常に好感が持てる女性だ。

 相手を立てる器量と配慮のある気使い。そして、一流の武技を併せ持つ女性であり、良き相手に恵まれてしかるべき魅力も持っている。

 彼女の気使いに助けられていることは、ケントも自覚しているし、感謝もしている。

 しかし、それは恋愛云々というよりも、ハドバルと同じように、尊敬できる大人といった印象が大きかった。

 

「俺は、家族の力になりたいんだ。だから今は、それ以外の事に気を向ける余裕はないよ」

 

「そっか……」

 

 健人の答えに満足したのか、彼の手のかかる義姉は口元に安堵の笑みを浮かべた。

 そして、また二人は静かな読書へと戻る。

 儚げな蝋燭の明かりが消えるまで、二人はより添って、己の力を磨いていた。

 

 

 

 

 



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第三話 グレイビアードと追跡者達

 健人達の目の前には、雪に半ば埋もれたような、石造りの寺院が佇んでいる。

 長い間、風雨にさらされてきた影響なのか、建材の石は所々欠けたりひび割れたりしており、雪崩などに巻き込まれたら倒壊しそうな雰囲気である。

 ハイフロスガー。

 世界のノドにある七千階段と呼ばれる険しい山道を越えた先に存在する、スカイリムで最も尊ばれているグレイビアードが住む寺院である。

 世界のノドはタムリエル大陸の中で最高峰の山であり、長く急勾配の山道と吹き付ける強風が、登山者の体温と体力を容赦なく奪っていく。

 吐く息が凍り付き、息を吸うだけで肺が痛むほどの厳しい登山。

 しかし、ノルドですら厳しいこの山道を、健人はリータ達の力を借りて何とか乗り越えた。

 

「ここが、ハイフロスガー……」

 

「行くぞ」

 

 先行したドルマが、重厚な扉を開けると、健人達の目の前には、広い広間が広がっていた。

 装飾などは全くない。

 寺院の中は静寂に満ちており、彼方此方に設けられた松明や火床の薪がパチパチとはぜる音だけが響いている。

 

「ほう、この時代の変わり目にドラゴンボーンが現れるとはな」

 

 唐突に掛けられた声に、リータ達は広間の奥に目を向けた。

 明かりの影から、特徴的な導師服を纏った老人が四人、姿を現す。

 

「あなた達がグレイビアード?」

 

「そうだ。お前の“声”を聞き、ここに呼んだのだ。お前が真に恩恵を授かったものか確かめるためにな」

 

 四人の老人のうち、一人が一歩前に踏み出してくる。

 重ねてきた年月を示すかのような皺に覆われた顔と、先を纏めた豊かな髭が特徴的な老人だ。

 

「私はアーンゲール師。グレイビアードの声だ。見せてみよ。我らにお前の声を味わわせよ」

 

 アーンゲールと名乗ったグレイビアードは、両手を広げて、リータにシャウトを自分に放てと誘ってくる。

 リータはしばらく逡巡した様子を見せていたが、やがて覚悟を決めたような表情を浮かべると、一度大きく息を吸いこみ、丹田に力を込めて“声”を放った。

 

「ファス!」

 

 衝撃波がアーンゲールに叩き付けられ、豊かな髭と導師服が勢いよく煽られる。

 背後にある壺が吹き飛ばされ、次々に割れていく中、アーンゲールはどこか恍惚とした表情を浮かべていた。

 

「間違いない、ドラゴンボーンだ。内なる恩恵がある。ハイフロスガーにようこそ」

 

 リータの声に特別な力を感じ取ったのだろう。

 アーンゲールはゆっくりと両手を下すと、リータに歓迎の言葉を贈る。

 

「ドラゴンボーンよ。お前は我らに何を求める?」

 

「ドラゴンボーンの力は何なのか、この力を持つ意味を知りたい……」

 

 リータがこの場所に来たのは、自分が秘めている力。ドラゴンボーンの力について知るためだ。

 竜の血脈ともいわれるこの力は、タムリエルの歴史の中で、何度も表舞台に出てきている。

 もっとも古くは、第一紀250年前後の聖アレッシアと龍神アカトシュの契約にまで遡る。

 聖アレッシアは神々であるエイドラの長アカトシュと契約し、王者のアミュレットの力によってオブリビオンの扉を閉じた。

 この契約は第三紀の終わりまで続くことになるが、この事実はタムリエルのだれもが知る確固とした史実として、認識されている。

 リータ達が生きている時代は、第四紀の201年。

 第二紀は約800年、第三紀は約400年続いており、聖アレッシアが生きた第一紀に至っては2400年程。

 つまり、数千年という遥か昔から、ドラゴンボーンという存在は、この世界に影響を与えてきたのだ。

 アーンゲールはリータの言葉を聞き、しばしの間、熟考するように顎髭を撫でると、おもむろにリータの問いに答え始めた。

 

「ドラゴンは生まれつき、声の力で外界に働きかけることが出来る。そして、倒した同族の力を吸収できる」

 

 アーンゲールの言葉では、ドラゴンの言葉はそれ自体が極めて強力な魔法の言葉であり、また、ドラゴンはどうやら同族の力を吸収できるらしい。

 健人の脳裏に、リータがミルムルニルを倒した時の光景がよみがえる。

 燃え尽きるように光ったミルムルニルの亡骸は骨だけになり、ドラゴンの遺体から溢れた光をリータは吸収した。

 その時、ミルムルニルの体から漏れ出した光は、おそらくはかのドラゴンの力。魂そのものだったのだろう。

 

「定命の者の中にも、同じような力に目覚める者もいる。それが恩恵なのか呪いなのかは、数世紀にわたる議論の的であった。そしてドラゴンボーンは危機の時に神々より遣わされたのだと信じる者もいる」

 

 どうやらドラゴンボーンの存在意義については、未だに明確な答えが出ていないらしい。

 さらにアーンゲールは、ドラゴンボーンの具体的な力についても話し始めた。

 

「才ある常人が数年かけて学んだものを、お前は数日で理解してしまう」

 

「でも、私は言葉を学んだことなんてなかったのに、シャウトを使えましたが……」

 

「そうか……。心当たりはある。ドラゴンボーンは竜の魂をその身に持つ者。おそらくだが、そのドラゴンが使っていた言葉を、お前は既に聞いたことがあったのではないか?」

 

「…………」

 

 アーンゲールの言葉に、リータは小さく頷いた。

 リータがミルムルニル戦で使っていた言葉は“ファス”。

 “力”を意味する言葉であり、外界に働きかける根本的な要因を表す言葉だ。

 そして、ミルムルニルもまた、この言葉をホワイトランでの戦いで使っていた。

 

「おそらく、お前の中の竜の魂が、お前が最も欲した“力の言葉”に反応したのだろう。遥かな昔、オラフ王がヌーミネックスと戦った時も、彼は学ばずしてシャウトを使ったという伝説がある」

 

 オラフ王とヌーミネックスの伝説は、スカイリムの中でもよく知られた話だ。

 ドラゴンボーンであるオラフ王が、ドラゴンであるヌーミネックスを、その“声”でもって屈服させたという伝説。

 その伝説の中にあるヌーミネックスとの戦いの中で、突然シャウトに目覚めたオラフ王の姿が描写されている。

 

「それでどうする? “声”について、学ぶ気はあるか?」

 

「はい。教えてください。この“力”について」

 

 即答で答えるリータの言葉に、アーンゲールは少し眉をひそめたが、やがて静かに頷いた。

 

「いいだろう。己の“運命”を遂げるために恩恵を使うにはどうするべきか、我々が最善を尽くして教えよう」

 

 グレイビアードの協力を得られることに、リータは少し安堵しつつも、アーンゲールの言葉が引っ掛かっていた。

 

「あの、ドラゴンボーンの運命って、一体……」

 

 運命。

 科学技術を基盤とした生活を送っていた健人には胡散臭いと思える言葉だが、ドラゴンボーン本人であるリータにとってはとても気になる言葉だった。

 

「ドラゴンボーン、それはお前が見つけるべきものだ。我らは道を示すことは出来るが、目的地は示せない」

 

 坦々としたアーンゲールの返答は、やはりどこか雲をつかむような捉えどころない物だった。

 声を通して修練を積む修験者ゆえの言葉なのだろうが、己が伝説のドラゴンボーンと知ったリータにとっては、遠回しなアーンゲールの言葉に、どうしても焦燥を感じてしまう。

 だが、今は気にしても仕方ない事は事実。

 リータは一度瞑目し、深呼吸をして気持ちを切り替える。

 

「……分かりました。修練を始めてください」

 

「ではお前に修練を受けるための意思と能力があるか、見せてもらおう」

 

 そして、リータの“試練”が始まった。

 アーンゲールはリータを広間の真ん中へと案内しながら“声”と“ドラゴンボーン”について、講義を行う。

 

「鍛練がなくとも、お前は既に声をスゥーム、シャウトとして放出するための一歩を踏み出している。

 叫ぶとき、お前は竜の言葉でしゃべることになる。お前の竜の血脈が、言葉を学ぶための内なる力を与えているのだ」

 

 既にリータは、シャウトを使うという事自体は出来ている。

 それはやはり、彼女の中の竜の血脈故であるらしい。

 

「すべてのシャウトは三つの力の言葉で形作られている。言葉を一つずつ習得していけば、お前のシャウトも順に強くなっていく」

 

 健人はアーンゲールの話を広間の端で聞きながら、シャウトについて考えていた。

 アーンゲールの話では、シャウトは三つの言葉を揃えることでより強力になっていくらしい。

 実際、ミルムルニルはシャウトを放つ際、三つの言葉を使っていた。

 一方、リータが使う衝撃波を放つスゥーム“揺るぎ無き力”は、まだ一節しかない。

 グレイビアードの一人が前に出て、床に向かってシャウトを放った。

 

「ロゥ……」

 

 地面に、三本の鉤爪で引っ掻いたような、奇妙な文字が現れる。

 

「これが“ロゥ”。拮抗を意味するドラゴンの文字だ。読んでみるがいい」

 

「あ……」

 

 床に刻まれた文字を見た時、リータは己の心臓がドグンと高鳴るのを感じた。

 臓腑の奥から湧き上がる熱が、全身に広がっていく。

 それは、リータが取り込んだミルムルニルの魂から、力と言葉の意味を引き出した瞬間だった。

 煮えたぎるように熱くなる体とは別に、澄んだ水のように、脳裏に力の言葉が涼やかに響く。

 

“ロゥ”

 

 拮抗、膠着、バランス。それを意味するシャウト。

 

「ウィ……ロ、カーーン!」

 

 グレイビアードの一人が、リータ達が聞いたことのないシャウトを放つ。

 続いて、うっすらと影を思わせる人形が現れた。

 どうやら、幻影を出現させるシャウトのようだ。

 

「ドラゴンボーンよ、その声を解き放ってみるがいい」

 

 生み出された幻影を指さし、アーンゲールがリータに力を使ってみるよう促してくる。

 アーンゲールが促すままに、リータは新しく覚えた力の言葉を解放した。

 

「ファス……ロゥ!」

 

 生み出された衝撃波は、先ほどアーンゲールに放ったものよりも遥かに強力になっていた。

 一撃で幻影を消し飛ばし、背後にあった壺や調度品を吹き飛ばす。

 吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた壺や調度品がガシャガシャと割れる光景に、アーンゲールは静かに頷いた。

 

「なるほど、お前の言葉は正確だ。次は、新しいスゥームをどれだけ早く身に付けられるか試してみよう」

 

 そう言うと、アーンゲールはリータ達についてくるよう促し、寺院の奥へと歩き始めた。

 広間の奥の階段を上り、大きな両開きの扉を抜けると、そこは外に続いていた。

 雪の積もった外には、一際高い塔と、奥の登山道へと続く門が見える。

 塔の手前には、なぜか鉄の扉だけが存在し、グレイビアードの一人が、門の傍で控えていた。

 

「初めにウルフガー師が“旋風の疾走”のスゥームを実演する。見ているがいい」

 

 ウルフガーと呼ばれたグレイビアードは前に出ると、奇妙な門と相対する。

 そして、門の傍に控えていたグレイビアードが門を開けた瞬間、文字通り“旋風”となっていた。

 

「ウルド、ナ、ケスト」

 

 旋風の疾走。

 術者を風のごとく前へと押しやるシャウト。

 風となったウルフガーは、瞬く間にリータ達の前から消え去り、雪上に一直線の軌跡だけを残して門を通り抜けていた。

 

「どうだ、ドラゴンボーン?」

 

 リータは突然目の前から消えたグレイビアードの速度に驚嘆しながらも、深呼吸をして己の内にある竜の魂に意識を集中する。

 先程のウルフガー師がシャウトを使っていた時に、彼が使っていた単語は三つ。

“ウルド”

“ナ”

“ケスト”

 その言葉の意味を探るため、自分が取り込んだ魂に命じる。

 力を、力の言葉を教えろと。

 内なる魂から彼女が聞いた言葉は一つだった。

 

「…………」

 

 リータは無言で前に出て、先ほどウルフガー師がやったように、奇妙な門と相対する。

 

「門が締まる前に、旋風の疾走を使って駆け抜けよ」

 

 アーンゲールの言葉を皮きりに、門が開かれた。

 

「ウルド!」

 

 刹那、リータは“風”になった。

 力の言葉が意味するままに旋風となったリータは、十メートルの距離を瞬く間に走破し、門の間を駆け抜けた。

 

「見事だ。お前の声は正確だ。これほどの速度でシャウトを使えるようになるとはな。

 まさに恩恵を授けられし者。これからが楽しみだなドラゴンボーン」

 

 アーンゲールが上ずったような声を上げる。

 厳とした表情そのままだが、頬の皴が僅かに深くなっているところを見ると、どうやらかなり興奮しているようだった。

 長年悟りを開くために修練し、鍛練を続けている者がこれほどの興奮を露わにするという事は、それだけドラゴンボーンの力が驚異的であることの証だった。

 

「さて、本格的な修練を始める前に、お前にはやって貰わなければならないことがある。

 ウステングラブの遺跡に向かい、われらの始祖、ユルゲンウインドコーラーの角笛を取ってくるのだ」

 

「爺さん、俺達には時間がない。そんな事よりも、早くリータにもっと修練を受けさせてほしいんだが……」

 

 アーンゲールの言葉に、ドルマが待ったをかける。

 リータとしても、内心ではすぐさまシャウトの鍛練を始めたかった。

 しかし、アーンゲールは首を振って、ドルマの言葉を否定した。

 

「ダメだ。これは修練の一つだ。遺跡にはシャウトを正しく使うことで進める。言葉の力を正しく使う事を学ぶ意味でも、この修練は必要だ」

 

「今この瞬間にも、ドラゴンに襲われている人たちがいるかもしれません。その人達を救うためにも、リータには早く鍛練を……」

 

「お前達の焦りは分かる。だがそれは、私達にとって問題ではない」

 

 健人もリータの修練を始めてくれるように懇願するが、アーンゲールの返答はにべもないというものだった。

 

「ちょっと待って下さい! 問題ではないっていったいどういうことですか!」

 

「我らグレイビアードは、声の道により静寂と鎮静を究めること目的とする。故に、世俗と関わることを良しとしない」

 

「でも、人が死んでいるんですよ!」

 

「人はいずれ死ぬ。遅いか、早いか、悟りを開いたか開いていないかの違いのみだ。

 それに、我らが使う“声”は、人の間で生きるには強すぎる。囁くだけで、無辜の民まで殺しかねん」

 

 グレイビアードは、日本における、修行を重ねる修行僧と同じだ。

 世俗との関わりを断ち、欲を克服し、悟りを開くことを目的とする集団。

 同時に、シャウトを争いには使わないと誓った人間達だ。

 そんな彼らにとっては、ドラゴンの復活と人類の粛清も、自然の流れの一つなのである。

 同時に、彼らが持つ力が大きすぎるというのも理由の一つだ。

 シャウトの力があまりに大きすぎるからこそ、世界のノドという世俗から隔離された地で修練を行っているのである。

 

「……分かりました。角笛を取ってきます」

 

 アーンゲールの言葉に、リータは仕方なくウステングラブへ向かうことを決める。

 彼女の返答を聞いたアーンゲールは静かに頷くと、寺院の奥へと消えていった。

 

「ウステングラブは、モーサルの北側です。一旦イヴァルステッドまで戻り、モーサルに向かう事にしましょう」

 

 リディアの提案に、リータ達は頷くと、即座に下山のための準備を始める。

 下山後、一行はウステングラブに向かうため、イヴァルステッドには泊まらず、すぐさま北へと向かって旅立って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 健人達がウステングラブへ向かうために、モーサルへと向けて旅立った数日後。

 イヴァルステッドの宿屋の主、ウィルヘルムは、奇妙な客を出迎えることになった。

 黒を基調とした仕立てのいいローブを着た、長身の男性。所々に金の刺繍が施された それを羽織る人物は、その細長く、白い顔を店主に向けながら、不遜な態度で質問をぶつけてきた。

 

「それで、ドラゴンボーンの一行はここを通ったのか?」

 

「さてね。高尚なエルフ様こそ、どうしてこんな田舎の宿屋に?」

 

「質問に答えろ。ドラゴンボーンを名乗る女はここを通ったのか!?」

 

 アルトマー。このタムリエルで最も魔法に長けた種族。

 人間たちの間ではハイエルフと呼ばれ、タムリエル大陸の西側の海に存在するサマーセット島に住むエルフだ。

 サマーセット島を拠点としてアルドメリ自治領という勢力を形成しており、その軍事力は他の追随を許さないほど強力なものである。

 このアルドメリ自治領との戦争の結果、帝国は大きな打撃を受け、結果、帝国の支配力は大きく減退。

 白金協定でハンマーフェルの南側を割譲させられた上、さらにタロス崇拝を禁止される羽目になる。

 そして、彼らはアルドメリ自治領を実質支配している組織、サルモールの人員だった。

 サルモールはエルフ至上主義を掲げた過激派であり、200年前のオブリビオンの動乱で台頭してきた経緯がある。

 また、ハイエルフは過去にノルド(正確にはその祖先であるネディク人)を奴隷にし、ノルドは今の帝国建国時にアルドメリ自治領にとある超兵器を使用して攻め込んでいたりと、両種族は古代からの怨敵同士でもあった。

 

「こんな寂れた宿屋の店主に向かって、大声を上げるなよ。思わずチビッちまう」

 

 宿屋の店主は突然やってきた迷惑な客に対して軽い言葉を返すが、内心では本当に恐怖でチビりそうだった。

 サルモールは、自分達に逆らうものに対して容赦はしない。

 特に人間に対しては、その残虐性を剥き出しにし、帝都がアルドメリ自治領に占領された時は、その血で帝都中央にそびえ立つ白金の塔が紅く染まった、なんて話すら出たくらいだ。

 

「そ、そうだなキラキラの光物でも見せてくれるなら、あまりの眩しさに何か思い出すかもしれないな」

 

「卑しい俗物め……これでいいだろう。小娘がどこに行ったのか、さっさと話すんだ」

 

 恐怖に駆られながらも、精一杯虚勢を張ろうとしているのは、ノルドのプライドの高さ故なのかも知れない。

 一方の高官は金銭の要求を馬鹿正直に受け止めたのか、豚を見るような視線を店主に向けながらも、懐から金貨の入った小袋を取り出して、カウンターの上に放り投げた。

 宿屋の主人がカウンターの上に放り投げられた小袋を恐る恐る手に取ると、ずっしりとした重さが彼の手に掛かってきた。

 

「ええっと……確か、ハイヤルマーチのモーサルの方に行くとか言っていたな。ウステン……何だったかな? そこまでは覚えてない」

 

「ふん……」

 

 サルモールの高官は宿屋の主人から一通りの情報を聞き出すと、さっさと踵を返して外に出た。

 宿屋の外には、彼に付き従っていたハイエルフの兵士が待機していた。

 宿屋の近くには彼らが乗ってきたと思われる馬が繋がれている

 兵士たちは金に似た光沢のある軽装鎧を纏っており、何事かと様子を窺ってくる村人達を、嫌悪感たっぷりの視線で睨みつけている。

 サルモールの兵士だけあり、やはりこの兵士たちも、人間達に対して蔑みの感情を隠そうとはしていなかった。

 

「目標はモーサルだ。すぐに移動するぞ」

 

 サルモールの高官の指示のもと、兵士たちは馬に乗ると、次の目的地に向かうためにイヴァルステッドを後にした。

 

「しかし、あの話は本当なのでしょうか?」

 

 兵士の一人が、高官に対して質問をしてきた。

 質問を受けた高官は、つまらない事を聞くなと言うように鼻を鳴らすと、吐き捨てるように部下の質問に答えた。

 

「真偽はこの際どうでもいい。人間どもをつけ上がらせるような存在は、邪魔にしかならん」

 

 彼らの目的は、最近噂になっているドラゴンボーンの確保だ。

 ドラゴンボーンの存在は、アルドメリ自治領にとっても無視できない。

 何故なら、第二紀の終わりにアルドメリ自治領との戦争で、彼らの魔法艦隊を完膚なきまでに壊滅させたのが、そのドラゴンボーンだったからだ。

 タイバーセプティム。後にエイドラに昇神し、タロスとなったドラゴンボーン。

 ハイエルフにとっては、許しがたい怨敵である。

 そして、この時期に再び、そのドラゴンボーンが現れた。

 しかもその人物は、ハイエルフにとって天敵ともいえるタイバーセプティムと同じノルド人。

 このような事を、エルフ至上主義のサルモールが黙って見過ごせるはずもなかった。

 早急に真偽を確認し、手段を選ばず確保するべきだという話になり、その尖兵としてこの高官達が派遣されることになったのだ。

 

「汚らわしい人間が、アカトシュの加護を受けるなど……忌々しい。いくぞ。ウステングラブの遺跡でドラゴンボーンを名乗る愚か者を殺す」

 

 しかし、命令を受けたこの高官は、ドラゴンボーンの確保など考えていなかった。

 その存在を確認でき次第、殺すつもりであった。

 ハイエルフゆえの過剰な自尊心と、かつては悪神を崇めていたくせに、龍神アカトシュの加護を受けた人間に対する嫉妬心を滾らせる。

 その金の瞳に憤怒の炎を揺らめかせながら、サルモールの一行はドラゴンボーンを追って、モーサルへと進んでいった。

 




ハイフロスガーへの道中は、文章量の都合でバッサリカット!
道中のトロールさん涙目。


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第四話 ウステンクラブ

 ハイヤルマーチはスカイリムの北側に位置するホールドであり、モーサルをホールドの首都としている。

 北西には経済的に豊かなハーフィンガルホールドがあるが、ハイヤルマーチはその領地の殆どが湿地帯であり、主要な産業は林業くらいで、経済的にはかなり芳しくない。

 ハイヤルマーチ川から伸びた広大で寒冷な湿地帯は、作物の育成には向かないからだ。

 おまけに、この湿地帯にはシャウラスと呼ばれる危険な生物が生息していた。

 巨大なハサミムシを思わせるその生物は、硬い甲殻と巨大で鋭い牙だけでなく、強力な毒も持っており、毎年何人もの人間が犠牲になっていた。

 そんな厳しい土地なのだから、経済的に貧窮するのも無理はない。

 健人達はイヴァルステッドを出発した後、ホワイトラン経由でモーサルへと入り、その後、ウステングラブへと向かった。

 そして、モーサルを出て湿地を進むこと数日。

 一行は、ようやく目的地に到着した。

 

「ここが、ウステングラブ……」

 

「ええ、見たところ、古代ノルドの墳墓のようですね」

 

 湿地帯の端に、ひっそりと設けられた墳墓。

 雪と土、そしてコケに覆われた墓は、湿地帯に常時漂う霧と相まって、不気味な雰囲気を醸し出している。

 墳墓は全体が円形をしており、中央には縦穴が掘られていた。

 縦穴には螺旋階段で下に降りられるようなっていて、螺旋階段の先には、凝った意匠が施された扉が見えた。

 

「古い墳墓にはドラウグルがいます。古代ノルド人のアンデッドで、墓を荒らすものを容赦なく排除していきます。

 それに、数多くの罠も張り巡らされています。気をつけましょう」

 

 リディアの忠告に頷き、一行はゆっくりとウステングラブの扉を開けて、中へと入っていく。

 墳墓の中は長年人が入らなかったためか、かび臭い空気が充満していた。

 しかし、長年人が入っていなかったにしては、奇妙な点がある。

 埃と土に覆われた床にいくつか真新しい足跡が残っているのだ。

 

「これは……。もしかして、先客がいる?」

 

「おそらくそうでしょう。しかも、こんな人気のない場所の墳墓に入ろうとするのは、大抵碌でもない輩です」

 

「例えば?」

 

「山賊、死霊術士、吸血鬼。まあ、殺すのに躊躇うような奴らではありません」

 

 地下へと続く道を進む健人達。

 通路は長い年月の中で、所々木の根に侵食されており、ゴツゴツとした石材が根に絡まり、あちこちから飛び出している。

 地下ゆえに気温も低く、床や壁の彼方此方も露で濡れていた。

 進み始めてすぐに、健人達は山賊の死体に遭遇した。

 体のあちこちに焼けた跡がある所を見ると、この山賊はどうやら魔法で殺されたらしい。

 死体はまだ新しく、腐敗は進んでいない。

 はっきりと確認できる苦悶に満ちた表情が、死の直前に彼が感じた恐怖を物語っている。

 注意しながらさらに奥へと進んでいくと、カン、カンと、金属で何かを叩くような音が聞こえてきた。

 よく見ると、通路の奥から明かりが漏れている。

 

「しっ……」

 

 先頭を歩いていたドルマに促され、健人達は身をかがめる。

 そして音を立てないように注意しながら、そっと明かりの先を覗き見た。

 健人達が見たのは、つるはしを振り下ろす2人の山賊と、黒いローブを着た男女。

 ローブを着た男女は向かい合って何か話をしており、山賊たちは黙々とつるはしを振るっている。

 しかし、健人はつるはしを振るっている山賊に、奇妙な違和感を覚えた。

 山賊の体に、蒼く光る線が幾重も走っている。

 しかも、なにやら「う~う~」と、言葉にならない呻き声を漏らしていた。

 健人の疑問に答えるようにリディアが口を開いた。

 

「あれは、死霊術ですね」

 

 死霊術。

 召喚魔法の系統に属する魔法で、死者に仮初の命を与え、使役する魔法だ。

 死体を操るという事で、数ある魔法の中でも強く忌避されている魔法の一つ。

 実際に、死霊魔法を研究する人間は人々のコミュニティーの中にいられず、街から離れ、野に出ていく。

 そして自らの研究に没頭するあまり、人としての道から外れていく者が多いのだ。

 このウステングラブに入り込んだ死霊術師も、そんな人道を外れた死霊術師たちであることを窺わせた。

 

「猛吹雪にあったアルゴニアンより、ノロい奴隷だな」

 

「私達の労力を減らしてくれるなら、構わないわ。私は、肉体労働は苦手なの」

 

 盗賊の死体を使役する死霊術師の声が聞こえる。

 

「どちらが先に来たのかは分かりませんが、山賊と死霊術師が闘い、山賊は殺された挙句に、労働力として使われているらしいですね」

 

 耳元で呟いてくるリディアの言葉に、リータは頷く。

 召喚魔法によって召喚された存在は、召喚主のマジカによってこの世に留められているため、基本的に召喚主の命令に従う。

 実際、目の前の死霊術師たちは、会話の片手間に、発掘を行っている死体たちにあれやこれやと命令をしていた。

 

「ううう……」

 

 その時、今までつるはしを振るっていた死体が苦しそうにもがき始める。

 直後、呻いていた死体がまるで砂のように崩れ落ちた。

 

「やれやれ、またか」

 

 召喚魔法は術者のマジカを使っているだけに、マジカが切れれば、召喚された存在は異界へと還る。

 また、死体はマジカで動かされていた影響なのか、制限時間に達した際に粉々に崩れてしまい、二度と蘇生は出来なくなる。

 青白く光る砂になった山賊の死体を前に、女性の死霊術師が不機嫌そうに眉を吊り上げる。

 

「意志の弱い連中ね。死んでも役立たずだわ」

 

 いくら相手が山賊とはいえ、死者に対して何の感慨も感じさせない言葉に、健人は嫌悪感を掻き立てられていた。

 彼ら死霊術師にとって、死とは悼むものではなく、死者は弔うべきものではない。

 死者は己の目的の探求のための道具であり、死は道具を増やすための一手段でしかないのだ。

 その時、リディアが暗がりからゆっくりと手を伸ばし、広間の奥を指さす。

 

「見てください。どうやらまだ奥があるみたいです」

 

 リディアの指摘で健人達が広間の奥に目を向けると、崩れた石材の風に、ぽっかりと空いた大きな入口がある。

 

「本当だな。という事は、奥にはまだ奴らの仲間がいるってことか?」

 

「可能性は高いとみるべきでしょう」

 

 洞窟内は音が反響しやすいが、健人達はかなり小声で話している上、死霊術師達の傍には、つるはしでガンガン音を立てている死体がいるので、気づかれてはいない。

 健人達がこの場をどうやって突破しようかと考えている時、洞窟の奥で何かあったのか、話をしていた死霊術師の二人が、広間の奥へと目を向けた。

 

「どうやら、奥にいる仲間が何か見つけたみたいだな」

 

「ここをお願いね。私は奥を見てくるわ」

 

 男性の死霊術師を残し、女性の死霊術師は奥へと歩いていった。

 残った男性は、松明の明かりを手にしたまま、黙々と働く死者たちを眺めている。

 

「チャンスだな」

 

 健人達は弓を取り出し、矢を番える。

 暗がりに身を潜めている健人達を、明かりの傍に居る死霊術師が見つけることはほぼ不可能だろう。

 

「ふっ……」

 

 四人一斉に矢を放つ。

 

「ぐあ!」

 

 四本の矢を一斉に受け、男性の死霊術師は抵抗する機会すら与えられずに、物言わぬ躯となった。

 

「おおお……」

 

 同時に、支配されていた山賊たちが、塵へと帰っていく。

 最後に塵に還る瞬間の山賊達の声は、どこか安堵の色を帯びていたように思えた。

 

「おい、よそ者。先へ急ぐぞ」

 

「分かってる」

 

 少し感傷を覚えていた健人を、ドルマが小突く。

 まだ、死霊術師たちと、彼らが操る配下が残っている。気を抜いていい時ではない。

 健人は気を張りなおし、リータたちの後に続いて墳墓の奥へと足を踏み入れた。

 広間の奥には、入り組んだ通路が続いている。

 健人達がノルドの墳墓特有の波打つような絵柄が刻まれた通路を進んでいくと、奥から金属をぶつけあうような音と、耳障りな喧騒が聞えてきた。

 

「……! っ……!」

 

「何だか騒がしいな……」

 

 再び身を顰めながら進むと、死霊術師達が、何かと交戦していた。

 死霊術師たちの正面に対峙するように立つ複数の影。

 よく見ると影は、肉の削げた体躯にボロボロになった装具を身に纏っていた。

骨と皮だけになって落ちくぼんだ眼孔には、死霊を思わせる青白い光が宿っている。

 

「あれは、ドラウグル?」

 

 ドラウグル。

 死した埋葬者たちが蘇った、この世界のアンデッドの一種。

 スカイリムの古代の墳墓でよく見かける怪物だ。

 ドラウグルは普段、他の死者と同じように動くことはなく、眠りについている。

 しかし、自分たちの眠る墓を荒らす不届きな侵入者の存在を感知すると、起き上がって、容赦なく侵入者たちを排除しようとする。

 どうやら死霊術師の連中は、音を立て過ぎたせいで、起こさなくてもいい死者まで起こしたらしい。

 思いがけぬ襲撃に死霊術師たちは必死に抵抗していたが、彼らが操っていた死者達は、瞬く間にドラウグルたちに排除されていった。

 山賊の死体がつるはしを叩きつけようとするが、ドラウグルは器用に手に持った斧の腹で、つるはしの切っ先を受け流す。

 そして、お返しとばかりに斧を山賊の脳天に叩き付け、弄ばれていた遺体を、動かぬ死体へと返している。

 さらに他のドラウグルは、翳した手から炎を吐き出し、山賊の死体たちをまとめて灰にしている。

 その光景に、健人は目を見開いた。

 ドラウグルたちの動きがあまりに洗練されているのもそうだが、魔法まで使ってくるとは思っていなかったのだ。

 

「なんで、あんな巧みに武器を操れるんだ? それに、破壊魔法も使っている」

 

「ドラウグルの多くは、古代ノルドの戦士たちです。死してなおも、その技と魔道の力は残っています」

 

 健人の質問に、リディアが答える。

 そんな間にも、死霊術師たちは一人、また一人と、確実にドラウグルたちに狩られていた。

 

「ひっ!? こ、こんなはすじゃ」

 

 最後に残ったのは、先ほど広間にいた女性の死霊術師。

 配下の死体や仲間がすべて殺されたことで恐怖に駆られ、必死に逃げ出そうとするが、自分たちの安息を乱した彼女を、ドラウグルたちは逃がすつもりはなかった。

 あっという間に逃げようとする死霊術師に追いつき、襟を掴んで床に引き倒す。

 

「お、お願い。やめ……」

 

 死霊術師は必死に懇願するが、ドラウグル達は彼女の懇願を無視し、その手に持った得物を無慈悲に振り下ろす。

 助けてくれ、やめてくれと必死に叫んでいた死霊術師だが、彼女はドラウグルの一刀の元に切り捨てられた。

 ビシャリとまき散らされた血が、青白いドラウグル達の肌を紅く染め上げる。

 野蛮な侵入者たちを排除したドラウグルたちは、唸るような声を漏らしながら、あたりをウロウロと徘徊し始める。どうやら、他にも侵入者がいないか、確かめているらしい。

 しばしの間、周りを確かめるようにうろついていたドラウグル達だが、その内のドラウグルの一体が、健人たちが隠れている方向に視線を向けた。

 そして手に持っていた得物を向けて騒ぎ始める。 

 

「見つかった!」

 

 発見されたことに気付いたドルマが、いち早く迎撃態勢を整える。

 続いてリディアが前に出て盾を構えた。

 ドラウグル達が、新たな侵入者たちを見て殺到してくる。

 

「やるぞ!」

 

 向かってくるドラウグルの数は、全部で五体。

 持っている得物はボロボロの盾や片手剣、斧などだが、人を殺すには十分すぎる殺傷力を持っているのは、証明済みだった。

 先行してきた三体のドラウグルが、ドルマとリディアに向かってそれぞれの得物を振り降ろす。

 ドルマは両手剣で、リディアは左右の手に持った片手剣と盾で、ドラウグルの攻撃を受け止めた。

 ガイン! と甲高い金属音が通路に響く。

 同時に、ドルマの脇からリータが飛び出し、ドラウグルの側面に回り込んで剣を一閃させる。

 リータの剣は腐敗していたドラウグルの防具を容易く破壊し、痩せこけた胴体を背骨ごと両断する。これで残り四体。

 続いて、手の空いたドルマがリディアに襲い掛かっていた二体のドラウグルの内一体を斬り伏せる。これで残り三体。

 さらにリディアが、空いた盾で鍔競り合っているドラウグルの側頭部を殴りつけ、よろめいたところに得物を一閃。相手の首を胴体から切り落とす。これで残り二体。

 しかしここで、後方にいた2体が動いた。

 腹に力を入れるような動作をした後、大気が震えるような“叫び”を放つ

 

“ズゥン、ハァル、ヴィーク!”

 

「これは、シャウト!?」

 

 ドラウグルがシャウトを使ってきたことに、目を見開くリータ達。

 ドラウグルが放った“叫び”は、前線を張っていたリータ、ドルマ、リディアを飲み込み、その手に持っていた得物を弾き飛ばす。

 

“武装解除”

 

 敵が持つ鉄を否定し、得物を弾き飛ばすスゥーム。

 無手となってしまったリータ達三人に向かって、ドラウグル達は手をかざし、手の平から炎を放った。

 今まで仲間がいたから撃ってこなかったが、前線の仲間が全てを討たれたことで、容赦なく撃ってきたのだ。

 

「っ! させない!」

 

 最後尾にいた健人が、一気に最前線へと躍り出た。

 駆けながら詠唱を行い、意識を集中する。

 思い浮かべるのは、弾丸すら防ぎきる防弾ガラス。その外観とは裏腹に強靭な防御力を持つ、地球の特殊ガラスだ。

 健人のイメージに従い、彼の体内のマジカが隆起する。

 それはさながら、心臓から熱水が噴き出たような感覚だった。

 胸から溢れた熱は全身へと巡り、腕を伝って手の平に集まっていく。

 集まった熱に呼応するように健人の手に光が収束する。

 薄い皮膚を破ろうと荒れ狂う感覚に耐えながら、熱に浮かされるように健人は腕を突き出し、込めていた魔法を解放した。

 

“魔力の盾”

 

 魔法に対する防御となる障壁が、前面に展開される。

 それは一見すると薄い膜のようなものだったが、ドラウグルの火炎の魔法をしっかりとせき止めていた。

 

「おおおお!」

 

 健人はドラウグルの魔法を受け止めながらも、足を止めず、一気に距離を詰める。

 健人が魔法を展開できる時間は、非常に短い。

 詠唱していた時は煮えたぎっていたマジ力の熱は、瞬く間に失われ、体を動かすのも億劫なほどの寒気が襲ってくる。

 しかし、ここで足を止めれば、一方的に焼き殺される。

 健人は必死に足を動かし、障壁を維持できなくなる直前、どうにか剣の間合いまで距離をつめることに成功した。

 しかし、それはドラウグルにとっても、自身の得物の間合いに入っていることになる。

 二体のドラウグルが、それぞれが持つ片手斧を振り上げた。

 

「させない」

 

 その時、健人の後方から飛翔してきた矢が、左側のドラウグルの眉間に突きささった。

 リータがすばやく弓へと得物を持ち替え、矢を放ったのだ。

 頭を貫かれたドラウグルの体がよろめき、眼光が絶えたかと思うと、地面に崩れ落ちた。

 これでラスト一体。

 最後に残ったドラウグルは、せめて健人だけでも排除しようと思ったのか、大上段から思いっきり、斧を振り下ろしてきた。

 

「ここ!」

 

 リディアとの訓練を思い出しながら踏み込み、腰に力を入れて体をひねる。

 同時に、構えていた盾を、押し出すように一気に振りぬいた。

 直後、甲高い激突音と共に、振り下ろそうとしていたドラウグルの得物が、腕ごと大きく跳ね上がった。

 シールドバッシュ。

 リディアとの訓練で身に付けた、盾術の技法だ。

 

「おおおお!」

 

 大きく隙をさらしたドラウグルの肩口に、剣を叩きこんだ。

 健人の剣は長年の腐敗で脆くなったドラウグルの肩当てに深々と食い込む。

 しかし、今の健人の膂力では、ドラウグルの体を防具ごと斬り伏せるには足りない。

 ドラウグルの青白く光る眼光が、健人を捉えた。

 

”やばい!”

 

 そう思った時には、弾いたドラウグルの刃が再び振るわれ、健人の眼前に迫っていた。

 全身で打ち込むように振り抜いたために、盾を戻すことも間に合わない。

 

「ふっ!」

 

 しかし、健人の頭蓋が割られる前に、リータの第二矢がドラウグルに突き刺さっていた。

 続いて、後方からドルマが追撃する。

 

「さっさと眠れ。死にぞこない」

 

 拾い直した両手剣を振り下ろし、一刀のもとにドラウグルを両断する。

 唐竹割りに打ち込まれた刃はドラウグルの頭蓋を防具ごと両断し、泣き別れになった胴体が、ドシャリと崩れ落ちた。

 

「ケント、大丈夫?」

 

「ああ、うん。まあ……」

 

 リータが心配そうな声を上げて、健人に走り寄ってくる。

 健人は、マジ力の枯渇で全身に走る寒気に震えながら、手を上げる。

 一方、ドルマは健人に対しては何も言わず、両手剣を背中に納める。

 相変わらずにべもないドルマの態度に苦笑しながらも、健人は持っていた薬を一本開け、中身を素早く嚥下する。

 この世界の薬には、枯渇した魔力を回復させるものもある。

 道中で訪れたモーサルには錬金術の素材や薬を扱っている店があり、そこで補充しておいたものだ。

 健人は全身に走っていた寒気が引いていくのを感じながら、先ほどの戦いを思い出し、ため息を漏らした。

 

「はあ、しまらないなぁ……」

 

 健人は先ほどのドラウグルとの攻防を思い出し、大きくため息を吐いた。

 相手の魔法を防げたことはいい。振り下ろされた刃を、シールドバッシュで弾けたことも練習通りだ。

 しかし、やはり最後に相手を倒しきれなかったことが痛い。

 健人自身、防具を貫くほどの膂力はないのだから、防具のない首を貫くなりすればよかった。

 訓練では頭に浮かんでいても、いざ実戦で出来なければ、意味がない。

 その結果、またリータとドルマに助けられてしまった。

 

「そんなことないよ」

 

「従士様のおっしゃる通りです。最後の方は確かに仕留めきれませんでしたが、間合いに合わせた魔法と剣の切り替えはできていました」

 

 気落ちする健人を、リータとリディアがフォローする。

 実際、健人の動きは、新米としては十分すぎるものだった。

 魔法と体術の併用……とまではいかないが、間合いに合わせた切り替えはできていたのだから。

 とはいえ、強くなりたいという気持ちが疼く健人としては、嬉しいとも残念とも言えない、微妙な心境だった。

 

「ありがとう、二人とも」

 

「おい、いつまで喋ってる。先を急ぐぞ」

 

 ドルマの声に急かされ、一行は再び墳墓の奥を目指す。

 道中、何度かドラウグルの襲撃に遭うが、問題なく撃退していった。

 問題だったのは、遺跡に設置されていた奇妙な仕掛けの数々だった。

 絵面を合わせてスイッチを押すような仕掛けはまだいい。

 厄介だったのは、仕掛けを解くのに、リータがハイフロスガーで習得した”旋風の疾走”が必要となる箇所が存在したことだ。

 しかも、その仕掛けは、解かないと絶対に先に進めないようになっていた。

 

「これって、アーンゲール師は初めから、このスゥームが必要になるって分かっていたよね?」

 

「恐らくそうでしょう。グレイビアードの方々は、この遺跡の探索も修練の一つと仰っていました」

 

 旋風の疾走で駆け抜けた通路をさらに進むと、一層広い空間に出た。

 小道を抜けると、視界に巨大な縦穴が飛び込んできた。

 縦穴は健人達の場所から底まで数十メートルほどの高さがあり、外壁の所々から噴き出した水が、下へと流れおちている。

 また、縦穴の外壁には螺旋状の道が作られ、下へと降りられるようになっている。

 

「すごい。地下に滝がある」

 

「地下水が流れ込んでできたものですね。ん、あれは……」

 

 リディアが縦穴の底に目を向けると、舞い上がった水の飛沫に隠れて、何か大きなものが見えているのに気付いた。

 一行は螺旋状の道を降りて、滝の麓までやってきた。

 滝の傍に見えたものは、明らかな人工物だった。

 円弧状に巨石を削り出したような、巨大な石壁を思わせる建造物。

 表面には三本の爪でひっかいたような文字がいくつも刻まれ、文字列の上に牙をもつ獣が描かれている。

 

「これは、石碑だね。それもかなり古い。文字は……ハイフロスガーで見た文字に似ているし、上の獣は……ドラゴン?」

 

 石壁に刻まれていた文字は、ハイフロスガーでリータがシャウトを習得した時、グレイビアードがシャウトで床に刻んだものと同じドラゴンの文字だった。

 おまけに、石壁の上部に描かれている獣は、爬虫類の頭を思わせる造様をしている。

 

「ドラゴンに関する石碑か……」

 

 ドルマが呟く中、健人は興味本位で石碑に近づき、刻まれた文字に指を這わせてみる。

 カリカリと引っかかる石の感触と、風化した石碑の塵の感触を指で感じながら、健人はふとこの墳墓が作られた意味に想いを馳せていた。

 このウステングラブは、誰かを祀る墓だ。

 その墓に刻まれた、ドラゴンを連想させる石碑を見れば、相当昔に作られたものだと分かる。

 そして、この試練を与えたグレイビアードが探すことを命じたのは、彼らの始祖の笛。

 そこまで考えれば、この遺跡がグレイビアードと何らかの深いかかわりがあることは容易に想像できる。

 気が抜けない探索中に不謹慎かもしれないが、苔がむす石壁を眺めながら、健人はふと、この文字がどんな事を伝えようとしているのか気になった。

 

「……あれ?」

 

 その時、健人はふと、風が吹いた気がした。

 健人達がいるのは、墳墓の地下深くであり、この遺跡に入ってから、風を感じたことはなかった。

 

「うっ!?」

 

「リータ、どうした?」

 

 直後、リータが頭を押さえ、呻くような声を漏らす。

 ドルマが心配そうな目でリータを見つめる中、リータはジッと目の前に佇む巨大な石碑を凝視している。

 

「声が、聞こえる……」

 

「声?」

 

 ゆっくりと足を進めるリータ。

 突然の彼女の行動に、石碑の前にいた健人が慌てて退くと、リータは彼と入れ替わるように石碑の前に立ち、同じように刻まれた文字に指を這わせ始めた。

 

「フェイム……」

 

 リータがその言葉をつぶやいた時、彼女の姿がまるで霧のように白く薄れていった。

 まるで蜃気楼のようにかき消えそうになっている姿に、その光景を見ていた健人達が一気に気色ばむ。

 何らかの罠に掛かったと思ったのだ。

 

「お、おいリータ!」

 

「従士様!」

 

 リータの身に突然起こった出来事に、ドルマとリディアが慌てて駆け寄ろうとするが、次の瞬間、二人はリータの背中をすり抜け、石碑の壁に激突した。

 

「ぶっ!」

 

「はう!」

 

 石の壁にしたたかに鼻を打ち付けた二人が、苦悶の声を漏らす。

 

「え? 何、何なの?」

 

 一方、リータは突然自分の背中を突き抜けて現れたドルマとリディアの姿に、訳も分からず狼狽えている。

 気がつけば、先ほどまで白く霞のように薄れていたリータの体は、既に元の色合いを取り戻していた。

 

「リータ、一体どうしたの?」」

 

「この壁を見ていたら、声が聞こえてきたの。グレイビアードで、シャウトを教えてもらった時と同じような気がして……」

 

「聞こえてきた声って、どんな言葉だったの?」

 

「フェイム。意味は多分、幽体だと思う」

 

 どうやら、リータは石碑に刻まれていた碑文から、シャウトを学んだらしい。

 “幽体”という意味から察するに、今学んだ言葉は、霊体化することで物理攻撃を無効化するシャウトらしい。

 

「やれやれ。そんな出鱈目な事もシャウトは出来るんだな」

 

 シャウトの幅の広さに、ドルマが感嘆の声を漏らす。

 健人の方も、今まで見てきた僅かなシャウトの中にも、炎を出したり、高速で移動したりと、人一人が出来る範囲を大きく超えた力を見せつけられてきたが、シャウトがこんな科学的に説明できない現象まで引き起こすことに、驚きを隠せない様子だった。

 通常、いくら汎用性に富んだ技術とはいえ、ある程度の限界がある。

 だが、シャウトは魔法と同じとされているが、つまるところはただの言葉なのだ。

 その広がりは、使う者達の想像力と同じ。

 そして新しい概念が生まれれば、それは“言葉”としてシャウトの中に組み込まれる。

 文字通り、無限の可能性を体現した存在なのである。

 健人が、シャウトが持つ無限の可能性に驚嘆している中、リータはどこか難しそうな表情を浮かべていた。

 

「私も驚いてるわ……。でも、このシャウト、多分そう何度も使えるものじゃないと思う」

 

「分かるのか?」

 

「ええ、何となくだけど……」

 

「どんな代償?」

 

「多分、霊体化したまま元に戻れなくなる……」

 

「それは……嫌だな」

 

 眉を顰めるリータを見るに、使いすぎると何らかの代償を伴うシャウトなのかもしれない。

 シャウトは強力な魔法だが、どんな力であれ、使いすぎれば相応の反動に襲われる。

 シャウト使いとして稀代の才を持ち、強大な力を持っていた古代の上級王ウルフハースが、過剰なシャウトの使用で死亡したのは、有名な伝説だ。

 シャウト自体が無限の可能性を内包しようと、それが真の意味で実現可能な範囲は、使い手次第という事なのだろう。

 

「まあ、新しい言葉を学べたなら儲けもんさ。先へ進むぞ」

 

 ドルマに促され、一行は再び先へ進み始める。

 ウステングラブ。その最奥まで、あと少しだった。

 

 



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第五話 追跡者達との戦い

ここ数日の内に、突然UAが跳ね上がったことに驚いております。
拙作を呼んで下さった皆さん、本当にありがとうございます!
正直うまく書いていけるか分かりませんが、少しでも楽しんで頂けるよう頑張ります。


 長い墳墓を歩いてきた健人たちは、ついに目的地に到着した。

 彼らの眼前には、今まで道中で見てきた部屋と比べても一段と広い大広間が広がっている。

広間の中央は地下水が溜まった池となっており、入り口と祭壇を隔てている。

 だが、健人達が足を進めると、まるで彼らを受け入れるように、隔てる池を渡す石橋が出現した。

 

「ここが、最奥部か……」

 

「見て。奥に台座がある」

 

 中央にかかる橋を渡り、祭壇の台座の前まで来たリータ達。

 これで終わりかと、台座の上に目を向けるが、そこには角笛と思われる品はなく、代わりに一枚の紙が置かれていた。

 

「これは……手紙?」

 

“友よ、話すことがあるが、今は危機が迫っている。サルモールの刺客が、君たちを追跡している。ここに来る頃には、刺客は既にウステングラブ内に入って、君たちが出てくる時を待っていると思われる。先の部屋の隠し通路から外に出れば、やり過ごせるだろう   -友よりー”

 

「サルモールだと!?」

 

 サルモール。

 アルドメリ自治領を支配する、エルフ至上主義の過激派。

 先の大戦で、その絶大な力を振るった、この大陸最大の勢力だ。

 そんな巨大な勢力に狙われていることに、リータ達は驚く。

 健人だけが、サルモールという名を聞いたことがないため、首をかしげていたが、リディアが説明すると、事の次第を理解したのか、深刻そうな表情を浮かべる。

 

「従士様、どうしますか?」 

 

「まず、先にあるっていう、隠し通路を確かめてみよう」

 

 この手紙が嘘である可能性もある。

 ドルマが台座の奥を調べると、

 すると、さらに奥へと続く通路が姿を現した。

 

「確かにあるな」

 

 確認したドルマが、持っていた松明の明かりで通路を照らすと、ゴツゴツとした岩の壁が、奥へと続いていた。

 

「行ってみるか?」

 

「ええ、角笛がない以上、ここにいてもしょうがないわ」

 

 現れた隠し通路を、警戒しながら進んでいくリータ達。

 この隠し通路は、脱出用として作られていたのか、道は今までの墳墓の道と違い、岩がむき出しになり、壁や地面の隙間からは様々なキノコが生えていた。

 中には自家発光するような奇妙なキノコもあったが、真っ暗な洞窟内では発光するキノコの明かりは有用で、その光量は松明の明かりがいらないほどだった。

 隠し通路を進む健人達だが、通路の出口に差し掛かった時、奥から耳障りな怒声が聞こえてきた。

 

「薄汚いノルドの娘はまだ見つからないのか!?」

 

「現在、遺跡奥を探索中です。定期連絡では、遺跡内では争った形跡が多数あり、時間の経過もさほどないとのこと。おそらく、まだ遺跡奥にいるものと考えられます」

 

 健人たちは思わず隠し通路の出口にあった岩陰に身を隠す。

 岩陰から外の様子を覗くと、ウステングラブの入り口に黒と金を基調としたローブを纏った長身のハイエルフがいた。

 彼の傍には、金色の軽装鎧を纏った兵士が控えている。

 健人にとって、初めてのエルフとの邂逅だが、その容姿は日本のサブカルチャーで見知ったエルフとは、似ても似つかない。

 タイ米のように細長い輪郭の顔に、三日月のように突き出た顎。

黄色みがかかった肌は文字の上では黄色人種のように思えるが、どちらかといえば黄痰のような、異質さを思わせる色だ。

 細長い耳が唯一、健人の知るエルフと共通しているが、人間から見た場合、お世辞にも容姿端麗とは思えない。

 健人がそんな感想を抱いている中、サルモールの高官と思われる男性は、特徴的な三日月の顔をゆがめて、ウステングラブの奥を睨みつけていた。

 

「ええい。ここまで来て、この高貴な私が薄汚い蛮族の墓に入るなど……」

 

「しかし、この遺跡の入り口は私達が抑えています。発見するのは時間の問題でしょう」

 

「なら、さっさと探せ! 蛮族と同じ空気を吸うのも嫌だというのに、この私にいつまで家畜の廃棄場にいさせるつもりだ!」

 

 どうやら、サルモールの高官は、かなりご立腹の様子だった。

 しかも、この墓に眠るノルドを蛮族だの家畜だの言うあたり、相当な差別主義者である。

 あまりに不遜なサルモール高官の物言いに、さすがの健人も額に皴が寄った。

 傍に控えている兵士も、癇癪を起こしている上司に辟易しているのか、高官の見えないところで、小さくため息を吐いている。

 しかし、この状況は健人たちにとって頭の痛い状況だ。

 完全に退路を抑えられてしまっているのだから。

 

「どうやら、サルモールがリータを追っているのは本当らしいね」

 

「でも、どうして私を……」

 

「アルトマーから見れば、アカトシュの加護を受けた従士様の存在は、目の上のタンコブなのでしょう。あれほどあからさまな態度を見る限り、出て行っても碌な目には遭いません。ほぼ確実に、私達を殺す気でしょう」

 

 アルトマーとは、ハイエルフの本来の名称である。

 そもそも、ハイエルフという呼び方自体が、人間がつけた呼び名だった。

 リディアの言葉に、健人はゴクリと唾を飲み込んだ。

 

「数は六人。高慢ちきな人参野郎も含めると七人。少し多いな……」

 

 ドルマの言葉に、リディアとリータが頷く。

 数はあちらの方が圧倒的に多い。

 おまけにウステングラブの入り口を押さえられていることも厄介だ。

 

「それに、あのサルモール高官は、恐らく高位の魔法使いです。狭い通路での遠距離戦は不利です」

 

 元々、エルフはマジ力の源であるエセリウスに繋がりを持っていた種族だ。

 遥か昔にその繋がりは永遠に断たれたとはいえ、魔法の源であるマジ力に対する高い適性は残っている。

 アルトマーは、エルフ種の中でも特に魔法に秀でた種族であり、当然ながら、彼らの魔法行使能力は人間の比ではない。

 

「幸い、先に相手を見つけたのは俺達だ。先制攻撃で出来るだけ数を減らすしかないな。いつまでもここで隠れていると、奴らの探索班に追いつかれる」

 

 とはいえ、リータたちも決して不利というわけではない。

 先に相手を発見したおかげで、先制攻撃できるアドバンテージがある。これは、戦場において勝利を決める大きな要因足りえる。

 

「そうね、やりましょう」

 

 リータたちは、先制攻撃でサルモールたちを排除することに決めた。

 先程ドラウグル相手にやった時のように、音をたてないように弓に矢を番え、息を殺して時を待つ。

 狙いは、先ほどから喚き散らしているサルモール高官。

  

「ん? 貴様らは!」

 

 だが、ここで高官の周りを固めていた兵士に偶然見つかってしまった。

 兵士の大声に、サルモール派遣部隊に緊張が走る。

 

「不味い、見つかった!」

 

「っ! ノルドの女だ!」

 

「射て!」

 

 相手が態勢を整える前に、リータたちは矢を放った。

 風切音を響かせながら、四本の矢がサルモール高官に殺到した。

 

「ぐあ!」

 

 サルモール高官が、苦悶の声を上げて、矢が突き刺さった肩を押さえて蹲る。

 当てることが出来た矢は一本のみ。

 しかも、致命傷には程遠い。

 

「くそ、浅い!」

 

 リータとドルマ、リディアは弓から素早く剣に持ち替え、隠し通路の入り口から飛び出した。

 奇襲が失敗した以上、遠距離戦は一方的に不利になる。

 ならば、相手の兵士がいるところまで一気に距離を詰めて、同士討ちを警戒させることで、相手の魔法を封じるしかない。

 護衛のサルモール兵士は、怪我をした高官に三人が付き添い、残った三人がリータ達の迎撃の為に前に出てきた。

 リータたちとハイエルフの兵士たちが、剣をぶつけ合う。

 身体能力で劣るハイエルフだが、彼らが装備をしている装具は月長石と呼ばれる鉱石を精錬して作られたもので、鉄よりも頑丈で軽い。

 軽装でありながら鉄よりも丈夫な鎧は、リータたちの剣をしっかりと受け止めている。

 とはいえ、戦士としての技能も膂力も、リータたちが上だ。

 相手の斬撃を軽々と弾き返し、晒した隙に容赦なく反撃を叩きこむ。

 たとえ相手の鎧を断ち切れなくとも、中身ごと潰せばいいとばかりに、得物を叩き付ける姿は、タムリエルの全種族から脳筋認定されているノルドらしいものだ。

 エルフの鎧にリータ達の剣を打ち込まれる度にメキャリと耳障りな音が響き、アルトマーの兵士達の顔色に冷や汗が浮かんでいる。

 いくらエルフの鎧が頑丈でもリータ達が前線の兵士を排除するのは時間の問題だった。

 しかし、ここで思わぬ邪魔が入った。

 

「おのれ! 劣等種の分際で、私に傷をつけるとは!」

 

 先ほどの先制攻撃で肩を負傷したサルモール高官が、顔を怒りで真っ赤に染めながら詠唱を開始したのだ。

 ハイエルフが持つ膨大なマジ力が解放され、瞬く間にサルモール高官の両手に収束していく。

 その光景に、リータ達だけでなく、護衛のサルモール兵士たちも驚愕に目を見開いた。

 

「ま、まってください! 前には仲間の兵士たちが……」

 

 このままでは、同士討ちになる。

 慌てて上官を止めようとするサルモール兵士だが、過激な差別主義者であるサルモール高官は劣等種と思っていたノルドに傷を負わされ、すっかり頭に血が上ってしまっていた。

 収束したマジ力を滾らせ、爆炎に変えて、怒りのまま解き放つ。

 

「死ね!」

 

 発射されたエクスプロージョンが、リディアと彼女と相対していた兵士を巻き込んで爆発した。

 リディアは爆風で吹き飛ばされ、地面にしたたかに打ち付けられる。

 彼女よりも酷い目にあったのは、上官のフレンドリーファイヤを受けたサルモール兵士である。

 背中から上官の強力なエクスプロージョンを受けたことで、魔法のエネルギーをもろに受けた兵士は、背中の半分が爆散。

 手足と頭部、そして体の前側の鎧と肋骨を残して即死した。

 

「死ね!死ね死ね!」

 

 さらに、頭に血が上ったサルモール高官は、エクスプロージョンの魔法を立て続けに放ってくる。

 リータ達も前線を張っていたサルモール兵士たちも、これにはたまらず、戦う事を放棄。

 回避に徹するしかなくなった。

 

「ちょ、マジかアイツ。敵も味方も関係なしかよ!」

 

「ごあ!」

 

「ぐえ!」

 

 残り二人のサルモール兵士が、エクスプロージョンの嵐に巻き込まれる。

 一人は吹き飛ばされた衝撃で首の骨を折り、もう一人は両足を吹き飛ばされて地面に転がった。

 

「きゃあ!」

 

 さらに悪いことに、吹き飛ばされた兵士の死体に巻き込まれたリータが下敷きになってしまう。

 サルモール高官のギラついた瞳が、動けなくなったリータに向けられた。

 爆炎弾が、リータ目がけて撃ち出される。

 

「リータ!」

 

 健人が咄嗟に、エクスプロージョンの射線上に割り込んだ。

 盾を構え、さらに“魔力の盾”を発動して、爆炎弾を受け止めようとする。

 しかし、健人の魔法はサルモール高官のエクスプロージョンに比べ、あまりにも未熟すぎた。

 

「ぐああああ!」

 

 炸裂した爆風が健人の障壁を一瞬でかき消し、盾を粉砕。

 健人の腕をズタズタに引き裂きながら彼の体をボールのように吹き飛ばした。

 

「ケント!? この!」

 

 リータが立ち上がり、怒りに染まった瞳でサルモール高官を睨みつけ、剣を腰だめに構えて駆けだした。

 サルモール高官もまた、魔法を発動し、リータを迎撃しようとする。

 追撃のエクスプロージョンが、リータめがけて飛翔した。

 

「フェイム!」

 

 リータは咄嗟に、先程覚えたばかりの“霊体化”のシャウトを使用した。

 まるで全身が氷に包まれたような悪寒と共に皮膚の感覚が無くなり、彼女の体が透けるように色彩を失くす。

 リータを消し飛ばそうとした爆炎弾は、霊体化した彼女の体をすり抜け、目標を見失って通路の壁を爆破するだけだった。

 さらにリータは、別の力の言葉を唱えようとする。

 

「ウルド!」

 

 霊体化による倦怠感が、リータの全身に広がるが、彼女は構わず続けざまに“言葉”の力を解き放った。

 旋風の疾走。

 グレイビアードから授けられた、己の体を風のごとく疾走させるスゥーム。

 瞬間、風となったリータは一気に間合いを詰め、まるで瞬間移動のようにサルモール高官の眼前に出現した。

 突然目の前に現れたリータに驚き、動きを止めた高官に、リータが剣を一閃させる。

 

「な!? ぐあ!」

 

「く、浅い!」

 

 しかし、間合いが若干遠かった。旋風の疾走とはいえ、一節では離れた距離を詰め切れなかったのだ。

 リータの剣はサルモール高官の右腕を浅く切るだけで、その命を断ち切ることはできなかった。

 リータは返す刀で、今度こそとどめを刺そうとするが、横から護衛の兵士が割り込んでくる。

 

「させん!」

 

「くっ!」

 

 振り下ろされたリータの剣を兵士の盾が受け止める。

 月長石の盾はしっかりとリータの剣を受け止め、彼女がこれ以上先に進むことを阻止している。

 

「おのれ、おのれ、おのれえええ!」

 

「な、やめ……」

 

 激昂したサルモール高官が、至近距離で魔法を発動させた。

 組み合っていた兵士もろとも吹き飛ばされ、地面に転がる。

 

「く、ううう……」

 

 苦悶の声を漏らすリータ。

 自分を守ろうとした兵士すら巻き込んで魔法を放ったサルモール高官は、トマトのように顔を真っ赤に腫れさせながら、血走った眼でリータをにらみつつ、再びその手にマジ力を収束させていた。

 今度こそ、薄汚い蛮族の娘を焼き尽くそうと、サルモール高官が収束させたマジ力を解放しようとする。

 だがその時、呆れかえった声が、戦場に木霊した。

 

「あらあら、高尚なエルフ様が、随分と見苦しい姿になっているわね」

 

 緊迫した戦場には似つかわしくない、弛緩した声に、その場にいたすべての人の動きが止まる。

 声が聞こえてきたのは、サルモールの部隊が陣取ったウステングラブの入り口のさらに奥。

 薄暗い霧の漂う螺旋階段から現れたのは、皮の軽装鎧を身に纏ったブレトンの女性だった。

 腰になだらかな反りを持つ剣を携え、この緊迫した戦場の中にもかかわらず、どこかリラックスした様子を見せている。

 

「……誰?」

 

 突然の闖入者に、緊迫していた戦場の空気が硬直する。

 闖入者に心当たりのないリータは、乱入してきた女性に首をかしげている。

 一方、サルオール高官の方は、女性の顔に見覚えがあるのか、目を見開いて、女性の顔を凝視していた。

 

「お前は……デルフィン!?」

 

 デルフィンと呼ばれた女性は、サルモール高官の驚愕の声にこたえるように肩をすくめる。

 それは緊張感に満ちた場の雰囲気には似つかわしくない仕草だった。

 




というわけで、皆さんが(殺したいほど)大好きなデルフィンさんが再び登場しました。
合流場所もリバーウッドではなくウステンクラブと、相当な原作乖離が続いております。
ゲーム上の縛りが無い事をいいことに改変しまくっていますが、分かりずらくなければいいのですが……。


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第六話 ブレイズのデルフィン

 健人達が突然登場した見知らぬ女性を訝しんでいる一方、乱入してきた女性に心当たりがあるようなサルモール高官は、興奮したまま罵詈雑言を捲し立てている。

 

「地に這いずり回るブレイズの残党風情が。まだ生きていたのか!」

 

「ブレイズ?」

 

 ブレイズ。

 健人は知らないが、それはかつて、帝国の皇帝に仕えていた、身辺警護および諜報を行う部隊の名前だった。

 先の大戦でほぼ全滅したが、その諜報能力と特殊部隊としての練度は、大陸では右に出る者はいなかったとされる精鋭部隊である。

 

「ちょうどいい、ここであのノルドの女もろとも、殺してくれる!」

 

「できるかしら?」

 

「ほざけ!」

 

 サルモール高官が素早くマジ力を練り上げ、両手に生み出したエクスプロージョンを、デルフィンと呼ばれた女性に放った。

 デルフィンに向かって爆炎弾が高速で殺到する。

 だが爆炎弾がデルフィンの体に直撃すると思われたその瞬間、サルモール高官の視界から、突然彼女の姿が消えた。

 デルフィンを見失ったサルモール高官の動きが、呆けたような顔と共に硬直する。

 もちろんデルフィンが煙のように消えたわけではない。消えたように見えただけだ。

 実際、遠くから見ていたリータ達には、その様子がよく分かった。

 デルフィンは地を這うほど腰を低く落とし、爆炎弾の下をすり抜けるように回避。同時に体の落下エネルギーを踵から前方へと爆発させ、一気に距離を詰めていた。

 リータの旋風の疾走とは違う、古武術を思わせる移動法。

 一瞬でサルモール高官の足元に踏み込んだデルフィンは、前方に進む移動エネルギーを再び踵で、上方向に変換。

 腰に差したその特徴的な刃を抜きながら一閃させ、サルモール高官の体を逆袈裟に斬り裂いた。

 

「……がっ!」

 

「ふっ!」

 

 デルフィンを見失い、茫然としていたサルモール高官の体が崩れ落ちる。

 さらに、隣にいたサルモール兵士の首筋を一閃。兜と鎧の隙間から、相手の頸動脈を斬り裂く。

 続いて、最後の兵士の眼前まで距離を詰めると、相手の膝に足をかけて跳躍し、大上段から一気に刃を振り下ろす。

 振り下ろされたデルフィンの鋭い刃は、最後の兵士の肩口から脇腹までを、鎧ごと袈裟がけに両断してしまった。

 

「高尚なハイエルフ様には、すこし手荒なご挨拶だったかしら? 生憎と、貴方のような輩にこの命をくれてやる気はないわよ」

 

 デルフィンが刃に着いた血をぬぐい、ゆっくりと鞘に納める姿を呆然と眺めながら、リータ達は彼女の技の冴えに驚嘆していた。

 サルモール兵士が身に着けていた鎧は、どれも鋼鉄よりも性能がよく、丈夫な逸品だった。

 リータ達ですら力で叩き潰すしかなかったその鎧を、このブレイズの女性は一刀両断してしまっている。

 それは、純粋な技が成した絶技。

 生まれつき戦士として才があるノルドだからこそ、デルフィンの戦闘能力がどれほどの高みにあるかを感じ取っていた。

 

「そちらは大丈夫かしら、ドラゴンボーン」

 

 デルフィンの声に、呆然としていたリータが我に返る。

 

「っ、みんな!?」

 

「大丈夫です、従士様。皆、生きています」

 

「いちち……。あの人参野郎のおかげで、髭がチリチリだ」

 

「俺も大丈……ぐっ!?」

 

 リディア、ドルマがのそりと身を起こす一方、健人は体を起こそうと手を地面についた瞬間、あまりの痛みにその場に崩れ落ちてしまった。

 健人の腕は破壊された盾の破片があちこちに突き刺さり、酷い有様だった。

 革製の小手にはめ込まれていた金属板がめくれ、突き刺さった破片から血が滴り落ちている。

 魔法で治そうにも、健人のマジ力はサルモール高官の魔法を防いだ際に尽きており、流れ落ちる血を止める手段がない状態だった。

 

「これを使いなさい」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 デルフィンが持っていた治癒薬を投げ渡す。

 リータがお礼を言うが、デルフィンは気にするなと言うように手を振っていた。

 健人はリータの手を借りながら、刺さっていた盾の破片を抜き、完全に壊れた小手を外して、もらった治癒薬を腕に振りかける。

 ジュクジュクと傷が塞がっていく感覚に顔をしかめるが、ほどなくして健人の傷は完全に癒え、リータは安堵の息を漏らした。

 健人の傷が癒えたことを確認したリータは、改めてデルフィンと向き合う。

 

「それで、私がウステングラブに残した手紙は見てくれたかしら?」

 

「貴方が、この手紙の送り主?」

 

「ええ、ブレイズのデルフィンよ。よろしくね」

 

 差し出された手を、リータはおずおずと握り返す。

 一方、デルフィンが渡してくれた薬で、一通りの治療を終えた健人だが、彼の眼はデルフィンの腰に差してある剣に注がれていた。

 両手でも扱えるような長い柄と、特徴的な緩やかな反りを施された刀身。

 斬る事、突く事に特化したその剣は、今はもう戻れなくなった、故郷の剣にあまりに酷似していた。

 

「日本刀……?」

 

 思わず、故郷の刀の名を呟いてしまう健人。

 デルフィンは聞きなれない剣の名前に、怪訝な顔を浮かべる。

 

「ニホントウ? これはブレイズソードよ」

 

「いや、えっと……。何となく見覚えがあるような気がして……」

 

「本当に? これは私たちブレイズしか使わない特殊な剣よ」

 

 ブレイズソードは、元々デルフィンが所属していた部隊であるブレイズでしか運用されていない武具だ。

 その製法も特殊で、扱い方もこの大陸で主流の剣術とは異なっている。

 そして、元々ブレイズは諜報などを行う特殊部隊。

 当然ながら、普通の一般人がブレイズソードについて知ることはほとんどない。

 

「い。いや、俺は記憶喪失で、昔の事はよく覚えていないんですよ……でも、何となく過去に見たような気がして……」

 

「……そう」

 

 一方、異世界出身であるということを、記憶喪失という話で隠している健人は、デルフィンの訝しむような視線に冷や汗を流していた。

 彼としては、故郷を思わせる剣につい言葉を漏らしてしまっただけなのだが、サルモールに追われる立場のデルフィンとしては、健人の存在に警戒心を抱いている様子だった。

 無理のない反応である。

 

「こいつの事はどうでもいいだろう。それより、お前が俺達と接触してきた理由は何だ?」

 

「ブレイズは、かつての皇帝直属の身辺警護部隊だったはずですが、全滅したはずでは?」

 

 健人を庇うように前に出てきたドルマとリディアに、デルフィンもこれ以上追及することは難しいと判断したのか、さっさと諦めて本題に入る。

 

「全滅はしていないわ。私がいるもの。私は私達の使命を果たすため、貴方に会いに来たのよ、ドラゴンボーン」

 

 ドラゴンボーン。

 つまり、彼女の目的もリータだという事だ。

 つい先ほどサルモールに襲われたという事もあり、ドルマとリディアの警戒心が一段と高まる。

 ドルマとリディアの警戒心を感じ取ったのか、デルフィンは肩を竦めた。

 

「私はあなたの敵じゃないわ。むしろ、協力できる立場よ」

 

「どうだろうな……」

 

「疑り深いわね」

 

 デルフィンとしては今直接会うのは時期尚早と考え、出来るなら陰の協力者としてある程度の信用を得てから接触したかったが、仕方ないと思い直し、とりあえず要件を話すことにした。

 

「貴方たちは、ドラゴンがどこから来たのか知っているの?」

 

 とりあえずデルフィンは、自分の有用性をドラゴンボーンに見せ、協力を仰ぐことにしたらしい。

 一方、リータ達にとっても、デルフィンの言葉は琴線に触れるものだった。

 ドラゴンがこの時期に突然出現したことについては、リータ達も内心気にはなっていたからだ。

 

「ドラゴンはどこかに隠れていたわけじゃないわ。元々死んでいたのよ」

 

「は! 死んでいたのなら、俺達を襲ってきたドラゴンは何だ? 幻だってのか? ふざけるのは大概にしろよ」

 

 自分達の生活を壊され、ティグナ夫妻という恩人を殺されたドルマが、憤りを含んだ声とともにデルフィンを睨みつける。

 一方のデルフィンは、睨みつけてくるドルマの視線を無視し、懐から一枚の地図を取り出して、リータ達に見せた。

 

「これを見て」

 

 彼女が見せたのはスカイリムの地図だった。

 地図上に黒いインクで書かれたスカイリムの所々に、赤いインクで何かを示す印が付けてある。

 

「これは、ドラゴンの埋葬塚の位置を記した地図。ドラゴンズリーチの宮廷魔術師である、ファレンガーが作ったものよ」

 

「ファレンガーさんが?」

 

 ファレンガーについては、リータ達も知っている。

 先のホワイトランのドラゴン襲撃後に、話す機会があったからだ。

 ドラゴンズリーチで話したとき、健人たちが抱いたファレンガーの印象は、鼻に付くような口調の、魔法使いらしい魔法使いというものだった。

 しかし、リータがドラゴンボーンであることを聞くと、どうか実験に協力してほしいと懇願された。

 なんでも、ドラゴンの研究において、ドラゴンボーンの存在は極めて重要らしい。

 ファレンガーはドラゴン研究に命を懸けているのか、首長が止めるのも聞かず、シャウトを使った時や、ドラゴンの魂を吸収した時の印象を尋ねてきた。

 さらには、血を小壺三つ分提供してくれと、ナイフ片手に詰め寄ってくる始末。

 あまりにも不躾で遠慮がなかったため、首長が一喝してその場は収まったが、以降、リータはファレンガーに苦手意識を覚えたのか、一切彼には近づかなくなっていた。

 

「ええ。だから、この地図については信用できるわ。彼、ドラゴンマニアだから」

 

「ああ……」

 

 ドラゴンマニアというデルフィンの言葉に、リータは目を血走らせて詰めよってくるファレンガーの姿を思い出したのか、げんなりとしている。

 

「それで、私はこの埋葬塚を調べてみたの。案の定、埋葬塚には何もなかったわ。空っぽよ」

 

「誰かが掘り起こしたってことですか?」

 

「それも、つい最近ね。しかも、塚が掘り起こされた時期は、ヘルゲンが襲われた頃。掘り起こされた塚の順番から考えて、次はおそらくカイネスグローブだけど……心当たりはない?」

 

「あの黒いドラゴン……」

 

「あいつか……」

 

 ヘルゲンを生き延びたリータ達の脳裏に、漆黒のドラゴンが浮かぶ。

 燃やされた故郷と殺された両親を思い出し、リータとドルマは唇を噛み締めた。

 

「あれは……今だから感じるけど、普通のドラゴンとは思えなかった。使っていたスゥームも、鱗の強靭さも、ホワイトランを襲ったドラゴンと同じドラゴンとは思えなかった」

 

 実際にドラゴンを見て、戦った経験があるからこそ、リータはヘルゲンを襲った漆黒のドラゴンと、ミルムルニルの能力差を敏感に感じ取っていた。

 健人たちと違い、ドラゴンボーンとして覚醒し、ドラゴンの力であるシャウトを行使できるようになった彼女だからこそ、その感覚は正確だ。

 ホワイトランを襲ったミルムルニルも確かに強大な存在だったが、ヘルゲンを襲ったドラゴンは天から隕石を召喚するなど、ミルムルニルと比べても比較にならない強大な力を持っていた。

 リータは同じような姿形でも、実際の力は犬とドラゴン並みに差があると感じていた。

 その時、健人が思い出したかのように呟いた。

 

「そういえば、ホワイトランを襲ったドラゴンが、奇妙な名前を言っていたよね。たしか、アルドゥインの命令で俺達を粛正するとかなんとか……」

 

 アルドゥイン。

 ノルドだけでなく、世界中の伝説にその名を残すドラゴン。

 ミルムルニルの言葉を思い出した健人の一言に、その場にいた全員が硬直した。

 

「アルドゥイン……」

 

「おい、マジだってのか……」

 

「あ、あの、アルドゥインって何ですか?」

 

「古いノルドの神話に出てくる伝説の竜です。世界を飲み込むほど強力なドラゴンらしいですが……」

 

 タムリエルの常識に疎い健人が取り残される中、深刻な表情を浮かべるタムリエル勢。

 リディアが丁寧に説明してくれるが、彼女もまた、信じられないという気持ちが半分と、信じたくないという気持ちが半分といった様子だった。

 

「アルドゥインは、ノルドの伝説に出てくる世界を終わらせるドラゴンの名前よ。漆黒の巨躯も、同族のドラゴンを復活させられることも、伝説や書籍に残っているアルドゥインの特徴と一致するわ」

 

 死したドラゴンの復活。

 しかもドラウグルのような不完全な復活ではなく、完全な蘇生が可能であるなら、それは実質的に不滅の軍勢を手に入れたことに等しい。

 しかも、その軍勢はシャウトと呼ばれる強力な魔法を操り、一体で街を焼き滅ぼすようなドラゴンの軍勢だ。

 どう考えても、この世界の人間側に勝ち目はない。

 

「もしアルドゥインが本当に復活しているのだとしたら、これは間違いなく世界の危機よ。

 ドラゴンは、かつて人間達を力と恐怖で支配していた。

 そのドラゴンを復活させることが出来るアルドゥインが帰ってきたという事は、ドラゴンによる恐怖の治世が再び始まるという事……」

 

 しかも、デルフィンの話では、ドラゴンは過去に人間達を奴隷として使役してきた歴史もあるらしい。

 デルフィンの言葉に、健人もようやく事の深刻さが分かってきた。

 

「確かめる必要があるわね。頼みがあるのだけれど、一緒にカイネスグローブへ来てくれないかしら。

 ドラゴンが復活するとしたら、あなたの力が必要よ」

 

 デルフィンにまっすぐ見つめられ、リータは目を細める。

 ドラゴンボーンである自分が、何者であるのか。そして、自分が何をできるのか。

 その答えを知りたいと思っているリータにとって、ドラゴンを完全に殺すことができる 自分の力を知るには、自分と同じ血を持つドラゴンたちと向き合うことは確かに必要だ。

 

「貴方は、ドラゴンボーン。竜殺しとしての運命をその身に宿した人間。私達の希望よ」

 

「リータ、俺達はグレイビアードからの試練を受けているが、どうする?」

 

 デルフィンの言葉に被せるように、ドルマがリータに尋ねる。

 現在、リータはグレイビアードからの試練を受けている真っ最中だ。

 ドラゴンの力である、シャウト。

 それを学ぶには、グレイビアードの協力が必要であり、その為にはこの試練を完遂しなければならない。

 しかし、同時にカイネスグローブの事も気がかりだ。

 カイネスグローブには人も住んでいるし、そんな場所でアルドゥインがドラゴンを復活させれば、罪のない人達がまた無残に殺されることになる。

 

「グレイビアードの試練って、ウステングラブの角笛をもって来いっていうものでしょう? これを渡すから、私の頼みを引き受けてはくれないかしら?」

 

 リータの懊悩を見透かしたかのように、デルフィンは懐から、黒く煤けた角笛を取り出した。

 どうやら、これがユルゲン・ウィンドコーラーの角笛らしい。

 実際、この角笛があったはずの場所に彼女の手紙があったのだから、この角笛をデルフィンが持っているのは当然だった。

 

「……分かりました。カイネスグローブに行きましょう。私も、あのドラゴンが何なのか、知りたいと思いますから」

 

リータは、デルフィンの依頼を引き受けることに決めた。

 気持ちを切り替えるように大きく息を吐き、デルフィンの眼をまっすぐに見返す。

 

「交渉成立ね。じゃあ、カイネスグローブに行きましょう」

 

 交渉が成立し、デルフィンは晴れやかな声で、持っていたユルゲン・ウィンドコーラーの角笛をリータに手渡す。

 リータは手渡された角笛を大事そうに懐にしまうと、手早く荷物を纏め始める。

 一度決めれば、あとは行動に移すだけだ。

 既に太陽は西に落ち始めており、素早く荷物をまとめて、移動しなくてはならない。

 

「それと、ついでだからウステングラブの入り口は塞いでおきましょうか」

 

 サルモールの部隊には先に遺跡を調べるために奥へと進んだ先遣隊がいたはずだ。

 彼らの追撃を防ぐためにも、墳墓の入り口は塞いでおく必要がある。

 健人たちはそこら辺にあった岩や材木などで入り口を塞ぐ。

 

「それから、使えなくなった装備は変えた方がいいわね。サルモールの装備なら、それなりの品質が期待できるわよ」

 

 デルフィンの言う通り、リータ達の装備はかなり損耗していた。

 特に、健人の盾はバラバラに粉砕されてしまい、小手も修復が難しいほど壊れてしまったので、代わりが必要だった。

 

「なんだか、盗賊みたいだ……」

 

「生きることは綺麗事じゃないわ。装具一つの不備が、死に直結するのよ」

 

「こいつらは俺達を殺そうとした奴らだ。そんな奴らにかけてやる慈悲なんて必要ないだろうが」

 

「分かっているよ……」

 

 死人の持ち物を漁って奪い取るという事に、何となく嫌な気分になる健人。

 他人の物。それも死者の遺留品を勝手に使うのは良くないという日本人らしい思考だが、そんな彼の考えは、デルフィンとドルマに真正面から否定される。

 健人としても、この世紀末のような世界では、デルフィンやドルマたちの考えが普通であることも理解している。

 それに、ただでさえ今の健人は足手まといなのだ。

 使えるものは何でも使わなければ、強くなどなれない。家族を守ることなど到底不可能だろう。

 そう自分に言い聞かせながら、健人はサルモールが持っていた盾を持ち上げる。

 

「うわ、軽い……」

 

 エルフの盾は、大きさの割にとても軽かった。

 小手の方は全体に金属が使われているために、革製の小手よりも少し重いが、盾の軽さを考えれば十分扱える。

 

「あれ? この盾、何だか他のと違うような……」

 

 健人は盾を構えてみて、他の物と違う事に気付いた。

 ほのかな燐光が、盾全体を覆っている。

 エルフの装具はどれも真鍮を思わせる光沢を放っているが、この盾が発している光は、これは明らかに違うものだった。

 

「これは、魔法防御の付呪が込められていますね」

 

 魔法防御の付呪は、装具に施す付呪の中でも、特に有用性の高いものの一つだ。

 この世界では大量破壊兵器に相当する魔法の威力を、減ずることができる手段だからだ。

 当然ながら、魔法防御の付呪を施した装具の値段は相応に高く、貴重な品だ。

 おそらく、盾を持っていた兵士は、このサルモール高官の副官だったのだろう。

 

「その盾は、ケント様が使ってください」

 

「俺が使ってもいいんですか?」

 

「はい。むしろケント様が持つべきです。ケント様の装具はどれも動きやすさを重視していますので、守りは少しでもある方がいいです」

 

 熟練の戦士であるリディアにそう言われれば、健人としても使う事に異論はなかった。

 健人が新しい盾の具合を確かめている一方、リータとリディアも、刃の痛んだ剣をエルフの剣と交換していた。

 ドルマは両手剣の使い手がエルフの中にいなかったため、仕方なく保留となった。

 とはいえ、彼の武器は切れ味よりも重量を優先した両手剣。

 軽量さが特徴的なエルフの片手剣とは、やや相性が悪いため、そのあたりを考慮した結果だった。

 

「準備はいいわね。それじゃあ、カイネスグローブに行きましょう」

 

 健人達が準備を終えると、デルフィンの先導で一行は一路、カイネスグローブを目指す。

 世界を食らう漆黒の翼との再会まで、あと少しだった。

 

 




当小説のデルフィンさんは、ゲームと比べても著しく強化されています。
それこそ、盗賊団や、前回襲ってきたサルモール部隊を一人で壊滅させるくらいの力量は持っています。
サルモールのブレイズ狩りを生き残ってきたのなら、その位の力量はあってしかるべきかと……。

次話はカイネスグローブ……といきたいところですが、話の流れの都合からワンクッション置く形になります。


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第七話 更なる修練を求めて

 健人達はカイネスグローブを目指すために、一路東へ向けて旅をしていたが、さすがにハイヤルマーチからイーストマーチまでの道のりは長い。

 その日、健人達は途中の宿屋ナイトゲートで一泊することに決めた。

 かなり割高な宿屋なのだが、この先ドラゴンと戦う事になるかもしれない以上、英気を養っておく必要があると考えたのだ。

 この宿屋には泊まっている客は美食家と呼ばれるオーク一人だけだったが、美食家なんて呼ばれる人物が泊まるだけあり、料理はおいしさも量も満足できるほどだった。

 食事は牛の肉と野菜をよく煮込んだビーフシチュー、鶏の胸肉のグリル、新鮮なサラダとパンだ。

 ナイトゲートの周りには大きな都市はなく、食事等の味には大抵期待できないものだが、リータ、ドルマ、リディア、そしてデルフィンの四人は、思いがけない場所での美味に、各々舌鼓を打っていた。

 

「そういえば、ケントは何所の出身なのかしら? 見たところインペリアルでもノルドでもブレトンでもないみたいだけど……」

 

 シチューにつけたパンを蜂蜜酒で流し込みながら、デルフィンは唐突にリータに尋ねた。

 リータは、少し逡巡する様子を見せていたが、口の中のものを飲み込んだ後、ゆっくりと語り始めた。

 

「分からないわ。ケントは自分の記憶がないの。私達が出会うまでの事を覚えていないらしくて、最初は言葉も通じないくらいだったのよ」

 

「そうなの?」

 

 言葉すら分からなかったという話に、デルフィンが目を見開く。

 リータの隣にいたリディアも、健人の出生は気にしていたのか、じっとリータの言葉に耳を傾けていた。

 その顔には、デルフィンと同じように驚きの色が窺える。

 リディアも、健人がまさか言葉まで通じなかったことは知らなかったらしい。

 

「そういえば、彼は今何を?」

 

「おそらく、外で稽古をしているはずです」

 

「そう、精が出るわね」

 

 リータは外で鍛錬している健人が気になっているのか、チラチラと宿屋の扉を覗き見ている。

 そんなリータの様子を横目で眺めていたデルフィンは、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「彼が心配?」

 

「ええっと、健人は私なんかよりも要領がいいですから。ちょっと前まで戦い方なんて全然知らなかったのに、今は盾の扱い方も様になってきましたから」

 

 デルフィンの質問に、リータは誤魔化すような笑みを浮かべて視線を逸らす。

 

「それもとても頭がいいですし、勉強家です。毎日夜が更けてもダニカ殿から貰った本を読んでいますし、わずかな期間で、魔法を習得するくらいなんですから」

 

「それは……すごいわね……」

 

 リータの言葉を聞いたデルフィンの目が、純粋な驚嘆の色に染まる。

 その極めて意外な反応に、リータも得意げに鼻を鳴らした。

 魔法の習得には時間がかかる。

 これは詠唱を覚えたりするだけでなく、術式の把握などに高度な知識や算術が必要となるからだ。

 また、術者の想像力も問われ、明確なイメージができない魔法は、総じて失敗することが多い。

 魔法使いの中には、そのイメージを補うために、詠唱の際の指の形などにも言及する者たちもいるくらいなのだ。

 しかし、健人はこの問題を容易く……とはいかないが、現地人から考えれば、信じられないほど短期間で乗り越えている。

 これも、あらゆる刺激に溢れた現代日本の影響だが、そんなことを知らないタムリエル勢にとって、健人はある種の天才に見えるのだ。

 もっとも、彼個人が特に天才というわけでもない。 

 生まれた環境の違いが、そう感じさせているのだ。

 その時、食事をしていたドルマが突然立ち上がった。

 

「あれ? ドルマ、どうしたの?」

 

「俺は寝る。お前もさっさと休んでおけ」

 

 憮然とした表情で部屋に帰っていくドルマをリータは怪訝な顔で見送った。

 一方、デルフィンは妙に鋭い視線で、健人がいるであろう外へと続く宿の扉を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 リータたちが宿で食事を取っている中、健人は日課の鍛錬に精を出していた。

 少しでも早くリータたちに追いつかなくては。

 そんな焦りにも似た感情に急かされるように、剣と盾を何度も何度も振るう。

 イメージするのは、ウステングラブで戦ったサルモール兵士だ。

 しかし、イメージの中での戦いでは、鍛錬として自分を追い込むことは難しい。

 イメージのなかに、自分の願望が混じってしまうからだ。

 だが、いくら甘く想定したところで、健人には自分が正規兵に勝てるというイメージが湧くことはなかった。

 眉を顰めながら、せめてイメージの中だけでもと剣を振るうが、その刃は想像の中の敵にすら届かない。

 胸の内から溢れる焦燥が、健人の剣をさらに鈍らせる。

 呼吸が乱れ、体幹の軸が揺れ、切っ先がブレる。

 エルフの盾は鉄製の盾に比べて軽く、取り回しはいいが、崩れた動きで剣を何度も振るっていれば、疲労は加速度的に蓄積する。

 雪の中、剣を振るい続ける健人だが、やがて限界に達した。

 筋肉が悲鳴を上げ、寒さと疲れで持てなくなった剣が、指から滑り落ちて雪に沈む。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

「すこし、いいかしら?」

 

「はあ、はあ、デルフィンさん?」

 

 疲労で上がらなくなった腕をだらりと下ろして息を整える健人に、デルフィンが声をかけてきた。

 何か話があるような雰囲気に、健人は首をかしげながらも、震える手で剣を持ち上げ、一旦鞘に収める。

 剣を収めた健人に、デルフィンは手招きして、ついてくるよう促す。

 健人はデルフィンが促すまま、彼女の後に続いた。

 デルフィンが案内したのは、宿屋ナイトゲートのそばにある池の桟橋だった。

 彼女は桟橋の端に腰かけ、健人に座るよう促してくる。

 健人は何の話があるのか気になったが、とりあえずデルフィンに促されるまま、彼女の隣に腰かけた。

 

「ドラゴンボーンから聞いたけど、貴方、昔の記憶がないのよね?」

 

「え、ええ」

 

 唐突な質問に、健人は思わず“記憶がないというの嘘である”ということがバレたのかと思い、全身を強張らせる。

 しかし、健人の緊張をよそに、デルフィンは考え込むように口元に手を当てると、続けざまに質問をぶつけてきた。

 

「どうして、ドラゴンボーンと旅を? ホワイトランで待っていればいいじゃない」

 

 自分の出生を怪しんでいるのではないかと考えた健人だが、どうやらデルフィン本人は健人の出生について知ることは、それほど重要視していないらしい。

 健人は自分の過去について追及されなかったことに内心安堵する。

 

「ホワイトランで待っているだけじゃあ、リータを守れません」

 

 健人の言葉を聞いたデルフィンの目に、呆れの色が浮かぶ。

 それを見て、健人も少しムキになった。

 

「デルフィンさんが言いたいことは分かります。俺が足手まといという事もわかっています。

 それでも、俺は家族を守りたいんです」

 

 健人自身も、自分がこの一行で一番の足手まといであるということは自覚している。

 この厳しい世界で生きてきた人間と、現代日本で多少の不幸に遭ったとしても、食べることには困らなかった人間とでは、あらゆる面で差が生まれることも。

 だけど、それでも健人には、諦めるという選択肢はなかった。

 子供じみた意地なのかもしれない。

 それでもリータは、彼に残された最後の家族なのだ。

 その家族が過酷な運命に巻き込まれそうなときに黙って待つなど、出来るはずもなかった。

 

「デルフィンさんはどうなんですか? どうしてリータに協力しようと?」

 

「それが、ブレイズの使命だからよ」

 

「使命……それは何ですか?」

 

「ドラゴンボーンの同行者でしかない貴方に言う必要があるのかしら?」

 

「…………」

 

 自分に対する悔しさを誤魔化すように、健人はデルフィンに同じような質問をぶつけるが、デルフィンは健人の質問を軽く流す。

 まるで相手にされていない。

 デルフィンにとって、健人はかなり特殊な存在であれど、特に気にかけるような人間ではないのだ。

 その事実を自覚し、歯噛みしつつも、健人は決してデルフィンから目は逸らさない。

 ここで目を逸らしたら、自分の信念まで嘘になるような気がしたからだ。

 そんな健人の視線に、デルフィンの頬が僅かに吊り上がる。

 

「私たちブレイズは皇帝直属の隠密組織だったけど、その本質はドラゴンガード。ドラゴンの脅威から人々を守り、そして究極のドラゴンスレイヤーであるドラゴンボーンを守る事よ」

 

 多少威圧しても目を逸らさない健人を多少見直したのか、デルフィンは少しだけ自分の本心を語る。

 ブレイズの本当の存在理由は、竜の血脈であるドラゴンボーンを守護し、補佐すること。

 帝国の歴代皇帝に仕えていたのも、偏にドラゴンガードとしての本分を全うするためだ。

 そして帝国皇帝がもっていた竜の血脈が、第三期の終わりに断絶した今、ドラゴンガードたるブレイズが守護するのは、再臨したドラゴンボーンであるリータだと、デルフィンは語った。

 

「貴方、強くなりたいのよね。はっきり言って、今のまま鍛練しても強くなれないわ。

 いえ、強くなれるかもしれないけど、それには相当な時間がかかるわ。この旅が終わるまでには、到底間に合わないでしょうね」

 

 デルフィンの言葉がグサリと健人の心に刺さった。

 彼自身も、自覚はしていたところはある。魔法にしても剣にしても、師がいない今の状況では、旅をしながらの鍛錬では限界があるのだ。

 

「ノルドの剣術は、貴方の体には合っていない。貴方の体は、ノルドのような膂力がものを言う戦い方には向いてないわ。どちらかと言うと、技を重視した戦い方が向いているタイプよ」

 

 この言葉は正しい。

 健人の体には、どう考えてもノルドの剣術は合わない。

 それは、リディアとの鍛錬でも自覚していた。

 自分の現状を改めて突き付けられ、健人は悔しさから唇を噛み締め、拳を握り締めた。

 

「……もしよければ、私の剣術をあなたに教えてあげてもいいわ」

 

 そんな健人を横目で眺めていたデルフィンの唐突な申し出に、健人は驚く。

 確かに、デルフィンの使う剣術は、健人には向いている。

 彼女はブレトンであり、ノルドのような先天的な戦士の才を持つ種族ではないが、その力量はずば抜けている。

 それは、彼女の剣術が膨大な修練を基盤とし、万人に使えるよう体系化されたものだから。

 同時に、これは健人にとっても利となる提案だった。

 強くなるために健人に一番必要なものは、剣術を含めた全てにおいて、的確に指導してくれる師の存在であるからだ。

 

「……本当ですか?」

 

「ええ、貴方がドラゴンボーンの力になりたいというのなら、協力しない理由はないわ。それに、ブレイズは盾も使うから、ドラゴンボーンの私兵から受けた教えも、無駄にはならないわよ?」

 

 ブレイズの標準装備には盾も含まれている。

 当然ながら、デルフィン自身も盾を十全に扱うことはできるのだ。

 

「どうして、鍛錬をしてくれるんです? ブレイズの剣術とか、教えてもいいんですか?」

 

「あなたを鍛える理由も、ドラゴンボーンの為よ。彼女はあなたを気にかけているみたいだし、これからの戦場に足手まといを連れていく余裕はないでしょうね。その為にも、貴方には少しでも早く力をつけてもらわなければならない。

 後者についても、問題ないわ。ブレイズは隠密組織だけど、すでに瓦解しているから、今更門外不出とか意味はないわ」

 

 健人はデルフィンの思いがけない提案に、しばしの間、黙考する。

 デルフィンの剣術の腕や戦闘技量は、疑いようがない。

 健人たちが苦戦したサルモール兵たちを、瞬く間に駆逐したのだ。その剣の技量。健人から言えば刀の技量は、今のリータ達と比べても頭一つ以上飛び抜けていると感じた。

 さらに、彼女はサルモールのブレイズ狩りも生き残ってきている。

 聞いた話では、サルモールがブレイズを狩り始めたのは大戦からの話。

 つまり、彼女は何十年もサルモールの目を逃れてきた、生粋の隠者でもある。

 生き残るための知識や技能にも当然長けているだろう。

 戦うこと、生き残ること。この事に関して、彼女の右に出るものはそういないだろうと確信できる人物だ。

 この弱肉強食な世界で、一人では生き残ることすら難しい健人にとっては、これ以上ない指南役だ。 

 

「……分かりました。よろしくお願いします」

 

 もちろん、少し前に会ったばかりの人物に師事することに、不安がないわけではない。

 デルフィンの態度に、何か含むものがあるのも感じてはいた。

 しかし、健人は強くなるために、頭に浮かんだ懸念を蹴飛ばしても、強くなることを選択した。

 健人の答えに、デルフィンが笑みを浮かべる。

 

「決まりね。なら、この剣を渡しておくわ」

 

 そう言って、デルフィンは自分が腰に差しているものとは別のブレイズソードを手渡してきた。

 健人は鞘から抜いて、刀身を確かめてみる。

 やはり、日本刀に似ている。

 鍔や拵えに微妙な違いがあるが、やや反りのある刀身や、波打つような特徴的な刃文は完全に日本刀と同じものに見えた。

 もしかしたら、製法も似ているのかもしれない。

 この異世界に、日本刀と同じような作りの剣があることに改めて驚きながら、健人は抜き身の刀を鞘に戻した。

 

「使い方も、手入れの仕方も、明日からきちんと教えるわ。まあ、カイネスグローブでの一件が片付くまでには間に合わないでしょうから、本格的な鍛練が始まるまでは、今まで使っていた剣を使いなさい。」

 

「分かりました」

 

「それじゃあ、おやすみなさい」

 

 話は終わり。

 そう告げるように、デルフィンは立ち上がると、スタスタと宿屋に戻っていく。

 健人は自分の手にあるブレイズソードを見つめながら、改めて強くなることを、自分自身に刻み込んでいた。

 

「ケント……」

 

「リータ」

 

 その時、ナイトゲートの陰からリータが姿を現した。

 どこか愁いを帯びたリータの顔に、ケントは胸が締め付けられるのを感じる。

 一方、リータはしばしの間瞑目していたが、やがてスタスタとケントの隣まで歩いてくると、ストンと隣に腰を下ろした。

 

「ねえケント。やっぱりデルフィンさんに弟子入りするの?」

 

「やっぱり聞いてたの?」

 

「うん、ごめんなさい……」

 

 盗み聞きしていたことが後ろめたいのか、リータは遠くに視線を向けたまま、肩をすぼめて小さくなる。

 伝説のドラゴンと正面切って戦うことができる勇ましさとは正反対の、どこか年相応のリータの姿に、健人は思わず笑みを浮かべた。

 

「弟子入りはするよ。このまま足手まといは嫌だから……」

 

「ケントは、足手纏いなんかじゃないよ」

 

 自分を足手纏いといった健人の言葉に、リータが気に入らないとばかりに頬を膨らませる。

 

「わかっている。それでも俺は、強くなりたいんだ」

 

 ノルドでは戦士としての力量が尊ばれる。

 だからこそ、リータも強くなりたいと思っている健人の気持ちが理解できる。

 だが、ケントの気持ちが理解できる一方、リータは自分の胸の奥で、言いようのない淀みがこみ上げてくるのも感じていた。

 どこか浮世離れしていて気弱だが、優しく、常に一生懸命な人。リータに残った、唯一の家族。

 そんな彼が消えてしまいそうな予感が、リータの胸の奥で渦巻いていた。

 

「へっくし!」

 

 その時、健人がくしゃみをした。

 突然のくしゃみに、目をばちくりさせていたリータだが、やがて口元に笑みを浮かべる。

 

「汗をかいたまま外にいるからだよ。ほら、中に入ろう」

 

「うん。さ、寒い……」

 

「もう、しょうがない弟だなぁ……」

 

汗をかいたまま、スカイリムの寒風が吹きすさぶ外に居続ければ、体が冷えるのも当然だ。

 どこか抜けている義弟の姿に笑いを堪えながら、リータは自分の着ていた外套を震える健人に羽織らせると、彼の腕を引いて立ち上がらせる。

 そのまま二人は寄り添うように、ナイトゲートへ向けて歩き始めた。

 

「ねえ、ケント、ホワイトランに……」

 

“戻ってはくれないのか?”

 

 リータの胸の奥で疼く淀みが、再び喉の奥から漏れてきそうになる。

 だが、義弟の決意を聞いてしまった今、リータは己の淀みを言葉として紡ぐ事ができなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 健人とリータが話をしている一方、宿屋に戻ったデルフィンを出迎えたのは、リディアだった。

 玄関の扉を入ったホールでリディアは腕を組み、厳しい視線をデルフィンに向けている。

 

「……どういうつもりですか?」

 

 彼女もまた、健人とデルフィンの会話を聞いていたのだろう。

 真意を問い詰めるようなリディアの言葉に、デルフィンは肩をすくめ、軽い調子で返す。

 

「どういうつもりとは? 私は必要だと思ったから彼に提案しただけよ」

 

「良く言います。どんな教え方にしたって、間に合うはずはありません」

 

 リディアの言葉は、健人の鍛錬の核心を突くものだった。

 武術の動きを体に馴染ませるには、膨大な量の訓練と時間が必要だ。そのどちらもが、今の健人には足りていない。

 つまり、彼は戦士としては“普通の鍛錬”ではどう頑張っても、この旅の中で大成することはできないという事だ。

 

「仲間に対して、随分な言いようね。まるで彼に“これ以上は無理だから諦めなさい”と言っているみたいよ?

 それに、学習能力の高い彼のことだから、思わぬ成長を遂げるかもしれないわ」

 

 デルフィンのその言葉に、リディアの視線が一層厳しくなる。

 それはつまり、デルフィンは普通ではない鍛練を健人に課すかもしれないという事だ。

 それこそ、鍛練の途中で死ぬことも当たり前とされるようなものを。

 

「もし、ケント様に危害を加えるなら……」

 

 リディアの手が、自然と腰に差した剣に伸びる。

 既に、デルフィンはリディアの刃圏に入っている。

 リディアがその気なら、それこそ一息でデルフィンを斬り殺す事が出来る距離だ。

 

「安心しなさい。私は貴方と同じ、ドラゴンボーンに仕える人間よ。

それに、過保護は毒よ? 彼も、それを望んでいないでしょう?」

 

 しかし、デルフィンは向けられる殺気を特に気にした様子は見せず、ポンと軽くリディアの肩を叩く。

 余裕すら見せたデルフィンに対し、リディアは動けない。

 戦士としてのリディアの本能が、無防備なはずのデルフィンに対し、最大級の警報を鳴らしていた。

 それは、デルフィンがこの状況でもリディアを打倒できるほどのものを持っており、同時に戦士として、デルフィンがリディアよりも高みにいることの証左でもある。

 何より、リディアが動けなかったのは“健人が守られることを望んでいない”という言葉が、真実であることを敏感に感じ取ったからだ。

 リディアはリータの私兵であり、彼女と彼女の家族を、命を賭して守ることが使命である。

 しかし、戦士でもあるリディアは、強くなりたいという健人の願いもまた、十分に理解できてしまうのだ。

 ノルドにとって、強くなることは至上命題であり、戦士が戦いの中で命を落とすことは名誉だ。

 そして健人は今、家族を守れる戦士となることを願っている。

 そのノルドとしての在り方と、私兵としての使命が、リディアの胸の奥でぶつかり合っていた。

 

「それじゃあ、おやすみなさい」

 

 懊悩するリディアをよそに、デルフィンはさっさと隣を素通りして、宿屋の奥へと戻っていく。

 手を振って自室に帰っていくデルフィンの背中を、リディアは睨みつける事しかできなかった。

 




いかがだったでしょうか。
今回のお話は閑話としての意味合いが強いですが、同時に次章にも繋がる色々なフラグが立っています。

第二章はおそらくあと二話くらいで終わるかと思いますが、楽しんで頂けたら幸いです。


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第八話 カイネスグローブ、アルドゥインとの再会

 カイネスグローブは、イーストマーチホールド、ウインドヘルムの南側に位置する、小さな村だ。

 この村は鉱山の村であり、クジャク石と呼ばれる鉱石が取れる鉱山がある。

 クジャク石は精製しただけでは割れやすいが、月長石と組み合わせて鍛造すると、武具として非常に優れた素材となる。

 また、その碧がかった独特の光沢と美しさから、碧水晶と呼ばれており、武具としてだけでなく、美術品の素材としても非常に価値が高い。

 故に、原材料であるクジャク石の価値も高く、結果としてカイネスグローブという村ができた経緯がある。

 その村は今、恐怖と混乱に包まれていた。

 吹き荒ぶ吹雪の中、悲鳴と怒号が飛び交っている。

 

「どうやら、当たりみたいね」

 

 デルフィンの冷静な声が、健人の耳には妙に遠くに聞こえた。

 健人達は逃げまどっている村人の女性を捕まえ、話を聞こうとする。

 

「ドラゴンはどこに行ったの?」

 

「ええっと……。あの黒いドラゴンは街の上空を飛んで、ドラゴンの古墳に降りていきました」

 

「その古墳は何所?」

 

「鉱山の入口がある丘の上です」

 

「っ!」

 

 村人の話を聞いて、居ても立ってもいられなくなったのか、リータが駈け出した。

 慌てて健人達が後を追う。

 

「リータ!」

 

「行こう!」

 

 駆けだしたリータを追うために、健人達は吹き荒ぶ風を切り裂きながら、村の中央通りを駆け抜け、鉱山の入り口の脇の山道を通り抜ける。

 木々が生い茂る林を抜けると、広々とした空間が健人達の目に飛び込んできた。

 だだっ広い広間の中央に、円形の皿を思わせる盛り土がある。

 あれが、おそらくドラゴンの古墳だろう。

 古墳の上空には、かつてヘルゲンで見た漆黒のドラゴンが悠々と旋回している。

 炎を連想させる鱗と、血のように真っ赤に染まった瞳を持つドラゴン。

 

「いた、間違いない。ヘルゲンを襲ったドラゴンだ!」

 

「アル、ドゥイン……!」

 

 押し殺した声を漏らしながら、リータは上空のアルドゥインを、怒りに満ちた目で睨みつけている。

 

「なんて大きな奴なの……。静かにして。アイツが何をしているのか見てみましょう」

 

 初めて間近でアルドゥインを見たデルフィンが驚嘆の声を漏らすが、すぐに冷静になり、健人達に隠れるように促す。

 彼女の言葉に従い、健人達は近くにあった大岩の影に身を潜めた。

 上空を旋回していたアルドゥインは、やがてゆっくりと高度を落とし、古墳の上でホバリングすると、古墳に向かって何やら叫び始めた。

 

“サーロクニル! ジール、グロ、ドヴァー、ウルセ!”

 

 地響きのような声が、カイネスグローブ中に響き渡る。

 自分たちに向けられた言葉ではないにもかかわらず、健人達の全身に重りを背負ったような重圧感が圧し掛かる。

 生物の本能的な恐怖を呼び覚まされたのか、周りにいた動物たちや、地中で息を潜めていた小動物までもが、一斉に逃げ始める。

 健人達があまりの威圧感に息をすることすら忘れそうになる中、リータだけは、上空のアルドゥインを射殺さんばかりに凝視していた。

 

“スレン、ティード、ヴォ!”

 

 アルドゥインが、何か波動を伴ったシャウトを放った。

 放たれたシャウトは古墳の中に吸い込まれるように消えると、続いて爆音と共に、地面が吹き飛んだ。

 土砂が舞い上がる中、姿を現したのは、ドラゴンの骨。

 まるでスケルトンのように動く骨だが、やがて光と共に、肉体が形成されていく。

 雪を思わせる美しい皮膜が両腕を覆い、脈動する筋肉が骨格を覆い始める。

 背中には氷柱を思わせる棘が屹立し、純白の鱗が全身を覆う。

 

「これは、思ったよりも深刻だわ……」

 

 ドラゴンの復活に、デルフィンが重苦しい声を漏らした。

 伝説に伝わる、アルドゥインの力。

 その一端を目の当たりにし、事態の深刻さに唇を噛み締めている。

 アルドゥインの再来と、ドラゴンの復活。

 想定していた最悪の事態が現実であることに、恐々としている健人達を尻目に、アルドゥインと復活したドラゴンが何やら話し始めた。

 

“アルドゥイン、スリ! ボアーン、ティード。ヴォクリハ、スレイセジュン、クルジーク?”

 

“ジヒ、サーロクニル、カーリ、ミル”

 

「何言っているんだ?」

 

 ドラゴンの言葉が全く分からないドルマが、尋ねるようにリータに視線を向ける。

 当のリータも、ドラゴンが交わしている言葉はまだ知らないものらしく、厳しい表情を浮かべたまま、首を振っていた。

 その時、アルドゥインの視線が、ドラゴンから健人達が隠れている大岩に向けられた。

 隠れていることがバレたのか? 

 そんな疑問と緊張感が健人達の間に流れる中、リータがおもむろに、隠れていた岩陰から身を乗り出し、アルドゥインの前に姿を晒した。

 

“フォル、ロセイ、ドヴァーキン? ズーウ、コラーヴ、ニド、ノル、ヴドブ、ド、ハイ”

 

 アルドゥインが、何らかの言葉をリータにかける。

 だが、肝心のリータは、アルドゥインが何を言っているのか、さっぱり分からなかった。

 彼女が習得した言葉は、ごく僅か。ドラゴンの会話を理解するには至っていない。

 ただただ、両親を殺したドラゴンを、怒りに満ちた瞳で睨みつけている。

 

“言葉の意味を知らぬと見える。自らドヴァーを名乗るとは何たる不届き者よ”

 

 そんなリータを、アルドゥインは取るに足らぬ存在と断じた。

 シャウトは、ドラゴンの力そのものだ。

 アルドゥインから見れば、龍の血脈を持ちながら、スゥームを満足に使えないリータは、そこらにいるただの定命の者と何も変わらなかったのである。

 まるで塵芥を見るような怨敵の態度が、リータの怒りに油を注ぐ。

 湧き上がる怒りはリータの中のドラゴンソウルを隆起させ、彼女の内に秘めた超常の力を引き出していく。

 力を、もっと力を。

 彼女の渇望に答えるように、高まる力が最高峰に達したその時、リータは喉から“力の言葉”を押し出した。

 

「ファス、ロゥ!」

 

“揺るぎ無き力”

 

 押しかかる絶望と理不尽を撥ね退けるためにリータが欲した力が顕現し、アルドゥインに襲い掛かる。

 大気を震わせながら疾駆する衝撃波が、今まさに、漆黒の竜をとらえようとしたその瞬間……。

 

“ッ!”

 

 瞬く間に霧散した。

 そよ風のように散っていく自分のシャウトに、リータは呆然としている。

 無理もない。

 リータのシャウトを潰した時、アルドゥインは声すら発していなかった。

 ただ、喉を震わせただけ。

 それだけで、リータの渾身のシャウトをかき消したのだ。

 

“メイ。フェン、アロク、アーラーン、ウンスラード、ズー、ダール、フォディズ、スゥーム”(愚かな、不滅の我に、このような稚拙なスゥームで牙を向こうとするとは)

 

 ドラゴンの王、全てを食らうもの。

 伝説にその名を刻むドラゴンの王は、稚拙で脆弱なドラゴンボーンとその仲間たちを、王らしい傲慢さをもって睥睨する。

 そして、竜王アルドゥインは、復活させたばかりのドラゴン、サーロクニルに命を下した。

 

“サーロクニル、クリイ、ダー、ジョーレ”

 

“ヤー、スリ!”

 

 定命の者たちを殺せ。

 主の命を受けたサーロクニルが、リータたちに襲い掛かる。

 アルドゥインの言葉は理解できずとも、その態度と気配で戦いの雰囲気を察していたデルフィン達もまた、得物を構えて迎撃の姿勢を取っていた。

 一方、配下に命令を下したアルドゥインは、もはやリータ達の事などどうでもいいと判断したのか、翼をはためかせて嵐の向こうへと飛び去って行く。

 

「っ……! 待ちなさい!」

 

「リータ、今は目の前のドラゴンに集中しろ!」

 

 相手にすらされなかったリータが、激高した声を上げるが、彼女たちの眼前には、サーロクニルが今まさにシャウトを放とうとしていた。

 

“フォ……コラ、ディーン!”

 

「っ! ウルド!」

 

 フロストブレス。

 極寒の吐息が、リータたちに襲い掛かる。

 リータは咄嗟に旋風の疾走を使用して、フロストブレスの射線上から離脱。

 健人達は岩陰に身を潜めて、冷気の直撃を避ける。

 

「ぐうう……」

 

 直撃でなくとも、極寒の吐息は体温を一気に奪い取る。

 ピキピキと髪が凍り付いていく。

吐息が放つ冷気に晒された全身に刺すような痛みが走り、思わず健人は呻いた。

 直撃を受けたら、悲鳴すら発することも出来ずに凍死してしまうかもしれない。

 しかし、サーロクニルのシャウトも永遠に続くわけもない。

 数秒の後に、氷の嵐は唐突に止んだ。

 

「行くぞ!」

 

 ドルマの掛け声に呼応するように、リディア、デルフィンが岩から飛び出して弓を構え、矢を放つ。

 

「ファス、ロゥ!」

 

 リータは“揺るぎなき力”のシャウトを浴びせるが、サーロクニルは素早く空中に退避した。

 目標を失った矢と衝撃波が、むなしく地面を抉る。

 

“我が声は長きにわたり封じられていた。だがスリが戻った今、今度はお前たちが土に還る番だ、ジョーレ”

 

 空中に飛翔したサーロクニルが、再びフロストブレスを放ってくる。

 目標はやはりリータだ。

 ドラゴンにとって、この場で最も脅威なのは、ドラゴンの魂を滅ぼすことができるリータである。

 真っ先に狙うのも、当然だった。

 リータが地面を転がってサーロクニルのシャウトを躱しているうちに、ドルマ達が立て続けに矢を放つが、元々強固な鱗を持つドラゴンに対しては、やはり効果が薄い。

 常に制空権を取られているこの状況では、圧倒的にドラゴン側が優勢だった。

 このような時、最も頼りになるのは、やはり高威力の破壊魔法だ。

 現に、ホワイトランでは、健人が魔法の杖に込められた魔法で、ミルムルニルを完全に足止めしている。

 おまけに、爆発系や雷系の魔法なら、矢のように距離によって威力が大きく減衰することもない。

 しかし、この場ではあの魔法の杖もなく、破壊魔法に長けた人間は一人もいない。

 さらに状況が悪いことに……。

 

“ウルド、ナー、ケスト!”

 

「なっ!?」

 

 上空から、翼を広げたサーロクニルが、足の爪を立てながらリータめがけて“旋風の疾走”で突進してくる。

 巨大な質量と、頑丈さを武器にした質量爆弾だ。

 しかも、その速度はリータの旋風の疾走と比べても明らかに速かった。

 

「ウルド!」

 

 リータは咄嗟に、再び旋風の疾走を使ってその場から飛びのく。

 直後にサーロクニルが高速で地面に着地。

 轟音と共に地面が揺れ、四方八方にまき散らされた衝撃波が健人たちを襲う。

 

「うわああああ!」

 

「ぐうううう!」

 

 舞い上がる突風に揉みくちゃにされる健人たちをしり目に、サーロクニルは着地の反動を使って、再び上空に飛翔する。

 飛翔したサーロクニルは、再びフロストブレスを吐き、隙を見つけては旋風の疾走による突撃を加えてくる。

 ブレスによる牽制と、質量爆弾による重撃を前に、健人たちは翻弄される。

 着地の瞬間を狙おうにも、撒き散らされる衝撃波と石礫が、接近を阻み、その間にサーロクニルは素早く空に退避するということを繰り返す。

 打つ手がない状況に、健人達は陥っていた。

 

「くっ! このままじゃジリ貧だわ」

 

 その時、健人の目に森の木々が飛び込んでくる。

 

「リータ! こっち!」

 

 健人は、リータの手を取って森に向かって走る。

 森に隠れれば、生い茂る木の葉によって、上空からは簡単には見つからないと考えたのだ。

 ケントの意図に気付いたのか、ドルマ達も健人の後に続いて、駆け出す。

 

”臆病者め、逃げるか!”

 

 リータ達を逃がすまいと 後方から飛んできたサーロクニルがフロストブレスを吐きかけてくる。

 背中から迫る極寒の冷気に呑まれまいと、健人たちは必死に足を動かした。

 もし、背中から襲ってくる冷気の嵐に飲まれれば、間違いなく異世界人の氷像の出来上がりである。

 幸いにも、健人達の退避は間一髪、間に合った。

 サーロクニルのフロストブレスは、森の木々を凍らせるだけで終わり、健人達を飲み込むことはなかった。

 背中から凍てつく波動を感じながら、健人達は何とか、森の中に逃げ込むことに成功した。

 

 



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第2章最終話 より強くなるために

 カイネスグローブの森に逃げこみ、一時的にサーロクニルの目から逃れた健人たちは、どうやってあのドラゴンを倒すか、対策を考えていた。

 状況は芳しくない。

 上空を抑えられ、こちらには攻撃手段がない状態である。

 

「どうする?」

 

「上空を抑えられているから、逃げるのは無理でしょうね」

 

「それに、下手に長引かせると、ドラゴンの狙いが私達からカイネスグローブの住人に変わる危険もあります」

 

 カイネスグローブに危険が及ぶ可能性を示唆され、リータは無言で立ち上がった。

 ドラゴンに家族を殺された彼女にとって、リディアの懸念は看過できるものではない。

 

「待ちなさいドラゴンボーン。何か手はあるの?」

 

「ないですけど、ドラゴンが街を襲うかもしれない以上、ここで隠れているなんてできません」

 

「止めなさい。打開策がないまま外に出れば、ただ殺されるだけだわ」

 

今にも駆けだしそうなリータをデルフィンが諫める。

 

「だからと言って、放置はできません。シャウトを使える私なら、あのドラゴンの突進を躱せます」

 

「躱せたとしても、反撃する余地がないでしょう。あなたが回避に使うシャウトは方向転換できないみたいだし……」

 

 デルフィンの指摘に、リータは歯噛みする。

 彼女の言う通り、旋風の疾走は一方向に急加速するシャウトだ。

 当然、勢いのある加速のせいで、方向転換はできない。

 サーロクニルは着地の際の反動を利用しているが、地面を走るリータには不可能な芸当だ。

 リータもそんな事は理解している。

 でも、たとえ諫められたとしても、リータはこのまま逃げるなどという選択を取る気は微塵もなかった。

 敵に後ろを見せず、こうと決めたら決して退かないノルドらしさが出ているといえばそうだが、この場においてはよくない傾向だ。

 今のリータは冷静ではない。

 両親を殺したアルドゥインに自分のシャウトが全く通用しなかったことが、彼女の焦燥を掻き立てていた。

 

「なら、急降下してくるところを“揺ぎ無き力”のカウンターで……」

 

「あの大質量の突進を跳ね返せるだけの威力が、今のあなたのシャウトにあるのかしら? 失敗すれば、間違いなく潰されるわ」

 

 リータの“揺ぎ無き力”は、最大で二節。

 揺るぎ無き力は、一説では敵の城門を吹き飛ばしたなどという伝説があるほど強力な衝撃波を放てるが、それは歴戦のシャウト使い達が束になってこそ、成し遂げられた業。

 ドラゴンボーンとはいえ、シャウト使いとしてはひよっ子のリータには、ドラゴンほどの超大型の生物の突進を跳ね返すなど、まだ無理な領域だ。

 そもそも、サーロクニルの旋風の疾走は、リータのものと比べても明らかに加速力が違いすぎた。

 百メートル以上の高度から、数秒で地面に到達するほどの速度である。

 どう考えても、時速百キロ以上の速度は出ている。自動車並みか、それ以上の速度だ。

 現代日本で考えれば、戦車が時速百キロメートル以上で激突してくるのと、ほぼ同じ。

 さらに速度だけでなく、その加速力も脅威だ。

 どんな自動車や飛行機、はたまた宇宙ロケットだって、最高速までは数秒から数十秒の時間がかかるのに、旋風の疾走による加速は、ほぼノータイム。

 戦車ほどの大質量が、一瞬で時速百キロ以上に加速し、突進してくる。悪辣極まりない攻撃だ。

 

「霊体化で躱して反撃すれば……」

 

「でも、霊体化は攻撃すれば実体化するし、出来て一撃だ。それでドラゴンの飛行能力を奪えなかったら、今度こそ空から一方的に攻撃されて終わりだと思う」

 

 臍を噛むように顔を顰めてリータの言葉に、今度は健人がダメ出しをする。

 霊体化を使えば、確かに回避と同時に反撃ができる。

 しかし、サーロクニルが上空に退避する時間を考えれば、攻撃のチャンスはほとんどない。出来て一撃だろう。

 それであの巨大なドラゴンの飛行能力を奪うことは難しい。

 そして、失敗すれば、ドラゴンは反撃を警戒し、今度こそ上空から降りてこなくなるだろう。

 そうなれば、リータ達に勝ち目はない。

 

「どうしたもんか……」

 

 悩ましげに呟いたドルマの一言が、この場にいた全員の気持ちを代弁していた。

 

「ケント様はなにか思い浮かびませんか?」

 

「……え? 俺ですか?」

 

「はい、ケント様なら何か名案が思い浮かばないかなと……」

 

 リディアから突然話を振られた健人は、思わず呆けたような声を漏らした。

 リータたちも、どこか期待を込めるような視線で健人を見つめてくる。

 仲間たちからの思わぬ視線に、健人は顎に手を当てて考え込む。

 サーロクニルの武器である上空からの強襲。

 ドラゴンの最大の利点が空を飛べることであるなら、その強みを奪うことが敵を倒すうえでの必須事項となる。

 だが、健人たちの攻撃では上空のドラゴンに満足な打撃を与えることは難しいし上、サーロクニルは強襲時に、着地の反動をうまく使って逃げてしまう。

 

(なら、十分な着地ができる余地を奪ってしまえばいい。問題は、それをどうやって行うかということだけど……)

 

「ええっと……深い川に誘い込んで落とすとか、突進の時にバランスを崩させるとか、落とし穴に嵌めるとか……」

 

 必要な手段はいくらか思いつくが、どれも現実的ではなかった。

 カイネスグローブの近くにはダークウォーター川と呼ばれる大きな川が流れているが、健人たちがいるのは森の中だ。おそらく川に出るまでに上空のドラゴンに見つかることは確実である。

 突進時にバランスを崩させることは、空の上の敵に満足な攻撃ができない健人達には不可能。

 落とし穴は、そもそも掘っている時間がない。

 八方ふさがりという状況。だが、健人の話を聞いていたデルフィンが、何かを思いついたように頷いた。

 

「そうね、悪い考えではないわ」

 

「……え?」

 

「ドラゴンボーン、一つ提案があるわ」

 

 活路を見出したというようなデルフィンの声に、健人達は目をパチクリさせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 サーロクニルは、上空を滑空しながら、獲物を探していた。

 叩きつけてくる吹雪と、スカイリムを囲む山々に懐かしさを感じながら、眼下の森を睥睨する。

 サーロクニルの心は、これ以上ないほど高揚していた。

 ようやく、永年に渡る屈辱の日々が終わったと。

 これからは再びこの大空を自由に飛び、自分を殺して冷たい土の中に閉じ込めた人間達への復讐が出来ると。

 主であり、長兄であるアルドゥインの帰還。それはサーロクニルにとって、再び自分たちドラゴンの時代が訪れたことの証左だった。

 だが、サーロクニルの胸の奥に、一抹の不安要素がある。

 ドヴァーキン。定命の者たちが、ドラゴンボーンと呼ぶ存在だ。

 不滅であるはずの、ドラゴン達を殺し、その力と知識を簒奪する盗人。

 サーロクニルがまだ死ぬ前にも存在した、翼を持たぬドラゴンもどきだ。

 かの者はたとえスゥームでその名と運命を縛ろうが、必ず主であるドラゴン達に仇をなしてきた。

 そして、今代のドラゴンボーンも、従属することはないとサーロクニルは判断している。

 だからこそ、受けた主命は、迅速に終わらせる必要があった。

 

“ドヴァーキンめ、隠れても無駄だぞ”

 

 脆弱な定命の者たちは、その弱さにふさわしく、ドラゴンたちと比べて体躯も小さい。

 しかし、その小さな体躯は隠れることにはこれ以上ないほど適している。

 サーロクニルの眼下には鬱蒼と茂る森が広がっている。

 吹雪が吹いていることもあり、人間が隠れるには絶好の環境だ。

 しかし、その程度でこのサーロクニルが獲物を逃がすことなどありえない。 

 彼はドラゴン。

 この世界の生物の頂点に立ち、超常の力を操る理不尽の化身なのだから。

 

“ラース、ヤハ、ニール!”

 

 オーラウィスパー。

 どのような形の命であれ、その存在を看破できるようになるスゥーム。

 サーロクニルの視界に、木の陰で一塊になる4つの影が映った。

 

“そこか!”

 

 翼を折りたたみ、一気に降下する。

 見つかったことに気付いたのか、影が慌ただしく動き始める。

 サーロクニルの目に、木の影から覗く金髪が映った。

 最優先目標である、ドラゴンボーンの髪だ。

 振り向いた彼女とサーロクニルの視線が交差する。

 

“ウルド、ナー、ケスト!”

 

 目標を見つけたサーロクニルがシャウトを唱えた。

 降下していたサーロクニルの速度が、旋風の疾走によってさらに跳ね上がる。

 吹きすさぶ雪が線となって、彼の視界の外へと押しやられていく。

 風を切り裂いて降下する中、サーロクニルは後ろ足を上げ、着地態勢を整えると、その勢いのまま、リータに向かって突進した。

 だが、既にサーロクニルの姿を確認していたドラゴンボーンが、旋風の疾走を唱え、その場から離脱する。

 取り逃がしたことを悟ったサーロクニル。

 しかし、次撃で仕留めればよいと思いなおし、着地に備える。

 

“逃がさな……なに!?”

 

 ところが着地の瞬間、サーロクニルの足元が突然崩れた。

 まるで薄氷を踏み抜いたように体が沈み込み、崩れた土砂が足元を覆い隠していく。

 慌てて翼をはためかせ、その場から飛び上がろうとするが、崩れた足場では踏ん張りがきかず、彼の体はそのまま地面に埋まっていく。

 サーロクニルが踏み抜いたのは、鉱山の坑道だ。

 カイネスグローブは古くから鉱山で生計を立てているだけあり、村の周辺にはこのように廃れた坑道がいくつも存在する。

 サーロクニルの突撃はそのあまりの威力ゆえに、地下にあるその坑道を、数本まとめて踏み抜いてしまったのである。

 

「今よ!」

 

「おおお!」

 

「ええい!」

 

 デルフィンの掛け声とともに、リディアとドルマが斬りかかる。

 下半身が半分近く埋まってしまったサーロクニルは翼をはためかせて二人を牽制するが、その間隙にデルフィンが正面から切り込んできた。

 両腕が塞がっているサーロクニルは、抜いたブレイズソードを腰だめに構え、吶喊してくるデルフィンを噛み砕こうと首を伸ばす。

 

「ふっ!」

 

 サーロクニルの鋭い牙が眼前に迫る中、デルフィンは踏み込んだ右足の力を、意図的に抜いた。

 重力に従って沈み込んでいく体を感じながら、同時に力を抜いた右足とは逆に、左足に力を入れる。

 力の均衡が崩れたデルフィンの体は、沈みながら滑るように右に流され、ドラゴンの致死の牙を逃れながら、翼の下へと潜り込む。

 

「せいや!」

 

 両足の筋肉を張り、沈み込んだ体を跳ね上げながら、ブレイズソードの切っ先を鱗の隙間に突き入れる。

 目標は、サーロクニルの左腕肩部。

 鋭いデルフィンの突きは、サーロクニルの肌と筋肉を貫き、その先にある関節に達した。

 サーロクニルの激痛に悶える咆哮が、カイネスグローブに響く。

 確かな手ごたえに、デルフィンの口元が吊り上がる。

 だが、相手はタムリエルの生物の頂点に立つドラゴン。致命傷にはなっていない。

 サーロクニルが怒りに燃えた瞳でデルフィンを睨みつけ、今度こそかみ砕こうとしてくる。

 デルフィンはやむを得ず、突き刺したブレイズソードを手放し、素早くその場から離脱する。

 デルフィンの回避は、間一髪間に合った。空を噛んだ牙が、ガキン! と耳障りな音を立てる。

 

「くっ! さすがはドラゴン。一筋縄ではいかないわね」

 

「それでも、翼は潰した。これで……」

 

 俺たちの切り札の番だ。

 そんなドルマたちの想いに応えるように、腰の剣を抜いたリータが、サーロクニルの前に立つ。

 ここにきてサーロクニルは、初めて今代のドラゴンボーンと正面から相対した。

 

「ファス、ロゥー!」

 

 リータの“揺るぎ無き力”がサーロクニルに襲い掛かる。

 未だ二節の、未熟と言えるスゥーム。

 だがそのスゥームには、アルドゥインの配下たるサーロクニルをして、悪寒を感じさせる“熱”があった。

 純粋な敵意と憎悪。古の時代に、ドラゴン達を蹴落とした人間たちと同じ、復讐に燃える者の熱だ。

 

“ドヴァーキン! お前の声など及ばないぞ!”

 

 ドラゴンらしい傲慢さを思わせる声を上げながら、サーロクニルは翼を広げて己を鼓舞する。

 瞬間、リータがサーロクニルめがけて駆け出した。

 サーロクニルがスゥームを使う間もなく間合いを詰め、その手に握った刃を振るう。

 鮮血が舞い、サーロクニルの悲鳴が響く。

 ドラゴンキラーとしての本能のままに、リータが剣を振るう度に、サーロクニルの体に裂傷が刻まれていく。

 リータの剣は、ホワイトランでミルムルニルと戦った時よりも、明らかにキレを増していた。

 ドラゴンボーンとしての本能と、力を求めるリータの熱が竜殺しとしての彼女を、さらなる高みへと押し上げようとしている。

 サーロクニルの表情に、焦りの色が浮かぶ。

 彼はドラゴンボーンの存在は知っているが、実際に戦った経験はない。

 同族から聞かされていたドラゴンボーンの力を目の当たりにしたサーロクニルの第六感が、けたたましい警報を鳴らし続けていた。

 

「死ね!」

 

 怒りを感じさせる声とともに振り抜かれた剣が、サーロクニルの体に一際深い裂傷を刻み込んだ。

 荒々しくサーロクニルの体を削り取って行くリータの剣に、ついにサーロクニルが音を上げた。

 

“フェイム、ジー、グロン!”

 

「なっ!?」

 

 サーロクニルがシャウトを唱えた瞬間、彼の体がまるで幻のように透けていく。

 振り下ろした剣が、まるで霞を切ったように素通りした。

 “霊体化”

 己の肉体を霊魂のみとすることで、魔法を含めたあらゆる攻撃を一時的に無効化するシャウト。

 渾身の一撃を外されたリータは、勢い余って、そのままサーロクニルの霊体を通り抜ける。

 慌てて振り返ろうとするが、その前に実体化したサーロクニルの尾が、リータの体を捉えていた。

 

「がっ!?」

 

 ボールのように跳ね飛ばされたリータの体が、地面に激突。

 衝撃でリータの体が動かなくなった隙に、サーロクニルが追撃を放つ。

 

“フォ、コラ、ディーン!”

 

「リータ!」

 

 最大級のフロストブレスが、リータを襲う。

 だが、その射線上に、健人が割り込んだ。

 魔法防御が施されたエルフの盾を構え、僅かなマジ力をひねり出す。

 サルモールの部隊と相対した時のように、全力で障壁を張り、真正面からサーロクニルのフロストブレスを受け止める。

 

「ぐ、うううう!」

 

 しかし、魔法防御が施された盾と、障壁の魔法を併用しても、サーロクニルのシャウトは強力過ぎた。

 極寒の息は瞬く間に健人の体から体温を奪い取り、その命も飲み込もうとする。

 サーロクニルの殺意が乗せられたシャウトは、彼の数千年の怒りを余すことなく健人に叩き付けてくる。

 

(これは、憎しみと、痛みと……)

 

 傲慢で思い上がった人間どもよ、分相応の死に落ちるがいい!

 押しつぶされそうになるほどの殺意と憎悪。自分を殺した人間達への積年の憎しみ。そして、サーロクニルが人間達に殺されたときの痛みが、そのシャウトには込められていた。

 シャウトは、物理的だけでなく、精神的にも、さらには魂にすらも影響を与える。

 この瞬間、健人は肉体だけでなく、精神的にも殺されそうになっていた。

 

(だけど、それでも……!)

 

 サーロクニルの痛みと憎しみ、そして絶望を感じながらも、健人は迫りくる死に抗っていた。

 死にたくない。死んでたまるか。

 何より、後ろにいる彼女を、殺されてたまるかと。

 確かに、サーロクニルの憎しみは察することが出来る。

 ドラゴンは本来、不死の存在だ。

 肉体は死んで動けなくとも、魂はそこにあり続ける事を考えれば、サーロクニルは光も何も感じない冷たい地面の下に、数千年も押し込められていた事になる。

 もしそうだったのなら、例えサーロクニル自身に殺される理由があったとしても、自分を殺した人間を恨むだろう。自分を地下に押し込んだ人間達を絶滅させることすら考えるに違いない。

 それでも、健人は今ここで殺されてやるわけにはいかないのだ。

 向けられる殺意に対する反骨心と、家族を守りたいという想いが、健人に限界以上のマジ力を引き出し、サーロクニルの殺意と憎悪を受け止める。

 しかし、それも続かない。

 精神よりも、肉体が限界を迎えた。

 体温を奪われた体が、彼の意思とは関係なく、膝を折ろうとする。

 だが、サーロクニルの殺意が健人を殺す前に、一陣の風がサーロクニルのフロストブレスに飛び込んだ。

 

「ウルド!」

 

 リータが旋風の疾走で飛び出す。

 剣を肩から突き出すように構えながら、一直線にサーロクニル目がけて突撃する。

 サーロクニルのシャウトに込められていた憎しみは、健人だけなく、リータにも届いていた。

 いや、ドラゴンボーンとして覚醒しているリータの方が、より鮮明に、サーロクニルの憎悪を感じ取っていた。

 しかし、サーロクニルの憎悪に対して彼女が抱いた感想は、健人が抱いたものとは違っていた。

 

(憎い? だから何? 数千年も前のカビの生えた恨みなんて、私には関係ない!)

 

 彼女が胸に抱くは、サーロクニルと同じ憎しみ。

 家族を奪ったアルドゥイン、ひいては、ドラゴンそのものに対する強い殺意だ。

 殺意には殺意で、剣には剣で。

 ドラゴンボーンの血と、己の抱く憎しみが導くままに、リータはサーロクニルの心臓めがけて疾駆する。

 だが、まだ足りない。

 この殺意の吹雪を突破するには、疾さがまだまだ足りていなかった。

 

(力を、もっと力を! この吹雪を斬り裂く“暴風”と“大嵐”を!)

 

 力を渇望する心が、リータのドラゴンソウルから力の言葉を引きずり出す。

 聞こえてきた言葉は二つ。

 先のグレイビアードとの修練では、聞き取れはすれど、その意味は浮かばなかった言葉。

 

「ナー、ケスト!」

 

 継ぎ足された力の言葉が、リータの体をさらに加速させる。

 文字通り一陣の嵐となったリータは、サーロクニルのフロストブレスを消し飛ばしながら疾走し、その胸に掲げた剣を突き立てた。

 

“がああああああ!”

 

 サーロクニルの絶叫が、カイネスグローブに響く。

 完成された旋風の疾走により勢いを増した突きは、サーロクニルの強靭な鱗と筋肉を貫いて心の蔵を突き破り、噴出した血がリータの体を真っ赤に染めた。

 絶叫を上げたサーロクニルの体が崩れ落ち、炎に包まれる。

 舞い上がった光はリータの体に吸い込まれ、やがてそこには骨だけになったサーロクニルの遺骸だけが残されていた。

 その遺骸を無感動な瞳で見下ろしながら、リータは剣を鞘に納める。

 

「はあ、はあ……。リータ、大丈夫?」

 

 リータの背後から、健人が声をかけてくる。

 その声はか細く、弱々しいものだった。

 

「ええ。健人は? 大丈夫……じゃなさそうだね」

 

「うん。感覚がない……」

 

 振り返ったリータの目に、負傷した健人の姿が飛び込んでくる。

 その姿は、お世辞にも無事とはいいがたい姿だった。

 健人の顔は赤く腫れ上がり、体もあちこち凍り付いている。

 特に、障壁を張る際に突き出していた腕の方は酷く、小手を外すと赤く腫れ上がった両手が出てきた。間違いなく重度の凍傷になっている。

 リータは直ぐに自分の小手を外すと、素手で健人の両手で包み込む。

 柔らかいリータの手の温もりが感覚のなくなった健人の手に染み渡っていく

 

「ちょ、リータ!」

 

「いいから、大人しくして」

 

 突然手を握りしめてきたリータに、健人が慌てふためくが、リータは構わず、健人の手を握りしめ続ける。

 リータの脳裏に、ヘルゲンを脱出した時の健人の姿が重なる。

 あの時、戦いの経験が全くない健人は、リータを守るために、襲い掛かってきたストームクローク兵の前に飛び出した。

 そして、ホワイトランでもウステングラブでも、この少年は常にリータに襲い掛かる危険の前に自分を晒し続けていた。

 怯えながらも、震えながらも、彼女を守ろうと盾を構えて、浅くない傷を負いながら。

 その姿が脳裏に蘇り、リータの胸をキシリと締め付ける。

 

「いつも、怪我してばっかりだね」

 

「ごめん、まだ弱くて……」

 

「弱くてもいいよ。でも、死なないで……」

 

 健人のその言葉を、リータは首を振って否定した。

 弱くたっていい。強くならなくたっていい。ちょっと常識外れだって全然かまわない。

 ただ、死んでほしくない。

 それだけは耐えられない。

 健人が強くなろうとしている理由を、リータは知っている。

 その気持ちはとても嬉しいし、彼の気持ちを感じるだけで、胸がポカポカする自分がいる。

 だがそれでも、リータは健人に傷ついてほしくなかった。

 ナイトゲートでは何とか堰き止めていた淀みが、今になって溢れていた。

 

「リータ」

 

 俯いているリータをあやすように、健人はゆっくりと語りかける。

 

「俺はさ、ヘルゲンではリータに守ってもらってばかりだった」

 

 健人の脳裏によみがえるのは、この世界に来たばかりの頃の光景。

 言葉が通じず、常識すらわからず、途方に暮れている彼を、リータは付きっきりで世話をしてくれた。

 分からない言葉を一つずつ教え、道具の使い方を教え、常識を説いてくれた。

 何より、異世界で孤独となっていた彼の傍に付き添ってくれていた。

 健人にとって、それがどれほど救いになっていた事か。

 

「そんな事、ない。ヘルゲンから逃げるとき、助けて、もらってる……」

 

「ああ、そうだったね」

 

 恥ずかしさを誤魔化すように頬を掻く健人。

 しかし、その柔らかい苦笑も、すぐに消える。

 

「でも、俺が弱いままなのはだめだ。この世界は、優しくない。強くないと、生き残れない……」

 

 スカイリムは、厳しい土地だ。

 元々の厳しい気候と、政情不安。何よりも、蘇る災厄が、この土地で生きていくことを、さらに厳しいものにしてしまっている。

 健人自身、日本で生きてきた常識が、ここでは通用しないことは理解している。

 日本では、強くなくとも生きていけた。しかし、ここでは強くなければ、生きていくことすらままならない。

 誰かを守りたいと思うのなら、尚の事だ。

 

「俺は、強くなる。家族を守れるくらい、リータに心配かけなくてもいいくらい、強く……」

 

「……うん」

 

 やはり、リータがいくら止めても、健人の意思は変わらない。

 彼は、唯一残った家族を守るために、自分は大丈夫だと証明するために、これからもリータの旅に付いて来ようとするだろう。

 

(力を、もっと、力を……。私から家族を奪う、ドラゴン達を殺す力を……)

 

 だからこそ、リータはもっと強くならないといけなかった。

 健人が戦いに出なくてもいいように、彼よりもずっと強くならなくてはいけない。

 サーロクニルの魂を取り込み、一層熱を帯びるようになった己のドラゴンソウルを感じながら、リータはドラゴンへの憎悪と、力への渇望をより高めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サーロクニルを倒したリータ達は、カイネスグローブの宿屋「ブレイドウッド」で一泊した。

 宿屋に入った時、ホールの中はガランとしていて、リータ達以外にいるのは宿屋の主人であるイドラだけだった。

 ほかの住人たちはドラゴンの襲撃におびえ、一目散に逃げだしてしまったらしい。

 イドラは勇猛果敢なノルドはいないのかと憤慨していたが、リータ達が泊まりたいと申し出ると、豪快な笑みを浮かべて、無料で部屋と食事を提供してくれた。

 戦闘で疲弊していたリータ達は各々の部屋に入ると、すぐさま眠りに落ちてしまう。

 翌日、宿の前でリータ達は向かい合い、これからの方針を確認していた。

 

「それで、今後の事だけど……。私達は一度ハイフロスガーに戻るわ。この角笛を届けないといけないし……」

 

 リータはユルゲンウインドコーラーの角笛を届けるため、ハイフロスガーへと戻ると言った。

 そこで、グレイビアードから本格的に声の修練を受けるつもりなのだ。

 

「私は少しサルモールを探るわ、準備を整えたら、ソリチュードへ行くつもりよ」

 

 一方、デルフィンは何故かソリチュードへ向かうと宣言した。

 

「ソリチュードへ?」

 

「ええ、サルモールのエレンウェン特使が主催する晩餐会があるの。外部の人間を招いてのパーティーだから、うまく潜り込めると思うわ」

 

 ソリチュードはこのスカイリムで経済的も栄え、先代の上級王が在位していたホールドだ。

 上級王とは、このスカイリムで実質的に頂点に立つ王であり、七つある各ホールドから選出される。

 現在、この上級王は空位の状態であり、これがスカイリムの内乱に拍車をかけている経緯もある。

 また、ソリチュードはスカイリムにおける帝国軍の中心拠点であり、同時にサルモール大使館があるホールドでもあった。

 

「なんでまたサルモールを?」

 

「残念だけど、私たちにはアルドゥインに対抗するための情報が足りないわ。サルモールなら、少しは有益な情報を持っているかもしれないし」

 

「持っているのか?」

 

「期待はしていないけど、何もしないよりはマシよ」

 

 肩をすくめながら軽い調子で述べるデルフィンだが、それが簡単なことではないことは分かり切っている。

 しかし、同時にサルモールは、この大陸で間違いなく最大の勢力。

 持っている情報も、個人で掴めるものとは比較にならない量と質が期待できる。

 

「それで、しばらくケントを預かるわ。彼から直々に鍛えてほしいと頼まれているし、いいわよね?」

 

 リータ達の視線が、健人に集まる。

 問い掛けるような仲間達の視線を受け、健人はデルフィンの言葉を肯定するように頷いた。

 

「ケント様、よろしいのですか?」

 

「うん。デルフィンさんの腕は確かだし、戦い方も俺には合っていると思う。何より、強くなりたい」

 

 ナイトゲートでデルフィンに詰め寄っているだけに、健人の決意を聞いても、リディアの顔色にはどこか不安げな色が残っている。

 不安があるのはリータも同じであった。

 

「……分かった。気を付けてね?」

 

「ああ、リータ達も」

 

 しかし、リータはその不安を再び押し殺し、これから修行へと赴く健人を見送ることに決めていた。

 彼がやるべき事を定めたように、リータもまた己のやるべきことを見出していたからだった。

 

「グレイビアードでの修練が一段落したら、ソリチュードで落ち合いましょう。晩餐会は三か月後よ」

 

 デルフィンの言葉では、晩餐会は三か月後、南中の月に行われるらしい。

 その間に、健人は強くならなくてはならない。

 健人が決意を新たにしている中、ドルマがズイっと前に出てきた。

 

「おいよそ者」

 

「なんだよ」

 

 相も変わらず威圧的な視線で睨みつけてくるドルマに対して、健人もツッケドンな返事を返す。

 しかし意外なことに、ドルマの口から続くいつもの罵詈雑言は、思ったほど強くはなかった。

 

「……いや、何でもない。精々足掻いておけ」

 

「そっちこそ。いつの間にか俺のほうが強くなっているかもしれないぜ?」

 

「はっ! 無理だな。どう考えても時間が足りねえよ」

 

 時間が足りない。

 全員が理解していたが、あえて誰も指摘しなかった事を、ドルマは平然と健人に突き付けた。

 口元を吊り上げ、煽るようなドルマの態度に、リディアとリータが、眉を顰める。

 

「それでもやるさ。やらなきゃいけないんだからな」

 

 しかし、健人はそんなドルマの言葉を即座に跳ねのける。

 迷いのない、決意に満ちた健人の声を聞き、ドルマはすぐに表情を改めた。

 沈黙が、健人とドルマの間に流れる。

 しばしの間、視線を交わしていた健人とドルマだが、やがてドルマが「そうか……」と一言つぶやくと、二人は示し合わせたかのように背を向け、歩き始めた。

 

「デルフィンさん行きましょう」

 

「ええ」

 

 健人の声に促されるように、デルフィンが後に続く。

 最後に健人は、歩き振り返り、リータ達に手を振る。

 

「皆、またソリチュードで会おう」

 

「う、うん! またソリチュードで!」

 

 ソリチュードでの再会を約束しながら、リータは小さくなっていく健人を見送る。

 やがて健人とデルフィンの姿が見えなくなると、リータは振っていた手を力なく下した。

 

「ねえ、ドルマ」

 

「なんだ?」

 

「私、強くなる。今度こそ、ケントが戦わなくてもいいように、私と同じ人を増やさないために、ドラゴンを皆殺しにする」

 

「……そうか」

 

 ソリチュードでの再会を約束しながら、健人とリータは別々の道を歩み始める。

 空には日が昇り、暖かくなり始めた日差しがそれぞれの道を照らしている。

 季節は春から夏へ、徐々に移ろい始めていた。

 

 

 

 

 




お疲れ様でした。
これで、第2章は最終話となります。
強くなるためにデルフィンに弟子入りした主人公と、シャウトを学ぶためにハイフロスガーへと戻るリータ。それぞれの道が、ここで一度別れることになります。
第3章は現在執筆中ですが、執筆が終わり次第、投稿しようと思います。

もしよろしければ、第2章の感想等、よろしくお願いいたします。
それではまた。


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第3章
第一話 デルフィンとの鍛練


お待たせしました。第三章の投稿を開始します。


 カイネスグローブでサーロクニルを倒したリータ達は、一度ハイフロスガーへと戻るために、イヴァルステッドを旅立った。

 リータ達が再び世界のノドを登る一方、健人もまたイヴァルステッドから離れ、デルフィンからの鍛錬を受けていた。

 場所はハイヤルマーチの中心の街、モーサル。

 かつてウスングラブに向かう際に一度滞在したこの街が今の健人とデルフィンの寝床であり、この街の郊外の霧に包まれた森が、彼らの鍛練の場になっていた。

 

「うわ!」

 

 健人の袈裟懸けを、デルフィンは盾を巧みに使って刃筋を滑らせた。

 さらにデルフィンは体を落しながら体を回転させ、お返しとばかりに盾を薙いで健人の足を払う。

 

「体が硬い。全身を柔らかく使いなさいと言ったはずよ」

 

「がっ!」

 

 足を刈られて倒れ込んだ健人の腹に、デルフィンは容赦なく蹴りを叩き込む。

 健人を強くするために行われているこの鍛練だが、それは率直に言って、行き過ぎとも言えるような鍛錬法だった。

 基本的なブレイズソードの扱い方を学んだ後はずっと模擬戦。

 デルフィンは未熟な健人を容赦なく打ち据えながら、様々な技を実践で見せつつ、彼の問題個所を強制的に矯正するというやり方を取っていた。

 

「ぐう……」

 

 腹を蹴られ、悶絶している健人を、デルフィンは冷たい目で見下ろす。

 デルフィンの戦い方はブレイズソードを使うだけでなく、盾や短剣、さらには周囲の環境を含めた、あらゆる要素を使う。

 その辺の生えた木や岩を使って相手の行動を制限し、逆に枝やツタを使って、自分はより複雑かつ機敏な動きで健人を翻弄する。

 模擬戦の中で相手の欠点を矯正していくという鍛練は、以前に健人がリディアと行っていた時と同じだ。

 使っている得物も実剣。

 違うのは、デルフィンは一切寸止めを行っていないことだった。

 つまり、矯正するたびに健人の体には、裂傷が刻まれていることになる。

 

「立ちなさい。それとも、この程度で音を上げるのかしら?」

 

「この!」

 

 立ち上がった健人が、思いっきり大上段から刀を叩きつけようとする。

 しかし、デルフィンは溜息と共に、右手に持ったブレイズソードを掲げた。

 刀の柄を上に、刀身を体に沿わせるように斜めに掲げ、左足の膝の力を抜いて、体幹の軸を迫る斬撃から逸らす。

 すると、健人の斬撃は、斜めに掲げられたデルフィンのブレイズソードの刃筋を滑りながら逸れていった。

 

「甘い」

 

 デルフィンはヤケクソに振るわれた剣を片手で容易くいなし、勢い余ってたたらを踏んだ健人の背中を振り向きざまに蹴り飛ばした。

 背中から蹴り飛ばされ、健人の体が地面を転がる。

 とはいえ、健人もデルフィンにボコられながらも、段々と慣れ始めるころだ。

 地面を転がりながらも素早く立ち上がりブレイズソードを構え直す。

 しかし次の瞬間、健人の視線の先にいたデルフィンの姿が、急に霞のように消え失せた。

 突然消え失せたデルフィンに健人が動揺した瞬間、健人は自分の体が後ろに引っ張られるのを感じた。

 

「がっ!」

 

 視界が回り、次いで強烈な衝撃が背中に走る。

 背後に回り込んだデルフィンが、健人の襟をつかんで地面に投げ倒したのだ。

 

“影の戦士”

 

 隠形術における最高峰の技術。

 体さばきや視線の誘導など、あらゆる技術を用いて影のように自らの気配を拡散、消失させ、相手の視界から己の存在を“ないものと認識させる”技術である。

 さらにデルフィンは、おまけとばかりに、返す刀で地面に倒した健人の腹を刺した。

 

「ぐあああああ!」

 

「また感情に流された。怒りや激情だけで勝てるのは、物語の中の英雄だけよ。そんなことが出来る人間は、現実には存在しないわ。激情を冷たい理性で包んで御してこそよ」

 

 刺した剣を少し捻り、更なる痛みを健人に与えると、デルフィンはすばやく突き刺した剣を引き抜く。

 刺さっていた剣の切っ先が抜かれた事で傷口が開き、血が止めどなく流れ始める。

 あまりの激痛に健人は悲鳴も上げられず、その場で体を丸めた。

 

「何やっているの、早く治療しなさい。深くならないように刺したし、内臓にも達していないわ。治療のやり方は教えたでしょう?」

 

 弟子が重傷を負っても、デルフィンは健人を助けようとはしない。

 ただジッと、弟子が治療を終えて起き上がるのを待つだけだ。

 

「はあ、はあ、はあ……ぐうううう!」

 

 腹に穴が空いた痛みと、血が失われていく虚脱感の中で、健人は必死に手を動かす。

 腰のポーチから針と糸を取り出し、革の鎧の端を噛みながら、空いた穴を縫い始める。

 

「う、ううううう……」

 

 デルフィンが刺した傷は、彼女の言う通りそれほど深くはない。あえて深くまで刺さなかったのだ。

 彼女が痛みを与えるのは、あくまで健人の動きの矯正が目的だ。動けなくなるほどの傷を負わせることはない。

 健人は傷の奥から外へ針を刺し、糸を絡め、結んでいく。

 針を刺すたびに走る疼痛。通した糸が腹の内側に擦れる鈍痛に顔を歪めながらも、健人は何とか傷口を縫い終わる。

 最後に、治癒の回復魔法を傷にかけた。

 縫いつけられた傷口が急速に塞がっていく。

 細胞分裂の活性化による痒みが襲ってくるが、出血多量で死ぬよりはマシである。

 しかし、健人の魔法効率では、マジ力が足りない。

 健人は先程と同じようにポーチから瓶を二つ取り出し、瓶の蓋を開けて一気に煽る。

 一つはマジカを回復する薬。もう一つが回復魔法の効果を一時的に高める薬だ。

 一本目の素材は赤い花、モラタネピラ、熊の爪、二本目は塩と小さな枝角で作られた薬で、錬金術の鍛錬も兼ねて健人自身が作ったものだ。

 モーサルほどの街には大概、錬金術師の店があり、そこには薬を作る為の設備が一通りそろっている。

 デルフィンは健人に錬金術の訓練も施すため、実際に使う薬を作らせ、鍛練においてその薬を使わせていた。

 もちろん、修行の密度や時間を延ばすために、鍛練前にもスタミナを底上げさせる薬も飲ませている。

 健人がもう一度、治癒の魔法を己に使う。

 マジ力の回復、さらに魔法効率を高める薬が健人の魔法の効果を一時的に高め、治りかけていた傷が完全に塞がる。

 

「ッ!ア! はあ、はあ……」

 

「治療は終わったわね。素振りをして体をほぐしたら、次は座学よ」

 

「は、はい……」

 

 重傷と言っていい傷を癒したばかりの健人に、デルフィンは容赦なく次の課題を言い渡す。

 健人は出血でだるい体をノロノロと起こし、地面に落ちたブレイズソードを拾って素振りを始める。

 この素振りは、模擬戦で強張った体をほぐし、崩れた型を修正するために行うもの。

 素振りを終えると、健人達はモーサルへと戻り、次の修練のための準備を始めた。

 デルフィンの鍛錬は剣だけではなく、薬や毒などの錬金術、回復魔法以外の魔法知識、隠形術などを始めとした、生き残るためのスカウトの知識等、多岐に渡る。

 そして、強くなるための鍛錬は、昼も夜も続けられる。

 実際、カイネスグローブからモーサルまでの道中も、朝と夕方はブレイズソードの扱い方と型の基本を学び、昼は超長距離ランニング、夜は焚火の明かりで座学という有様だった。

 無論、モーサルに滞在している今も、体力作り、戦闘術、座学の無限ループは続いている。

 健人は、戦いの経験が少ない。武術の土台もない。知識が足りない。何もかもが足りない。

 この世界での経験が圧倒的に足りない以上、それを補うだけの勉強量と厳しい鍛錬による大量のインプットとアウトプットが必要だった。

 そして、実際にそれは多少なりとも成果を上げていた。

 ここでの鍛練の中で、健人は回復魔法以外にも簡単な錬金術と変性魔法、破壊魔法、錬金術を身に着けた。

 身を隠す術も学び、鍵開けの技術も学んだ。

 どれも最も簡単な見習いレベルの代物だが、戦いの選択肢が広がったことは、大きな事だ。

 ブレイズソードの扱いも、まだまだ素人に毛の生えたレベルだが、健人の体の動き自体は目に見えて改善されていており、魔法が存在しない地球では絶対に行われない命がけの鍛錬の日々が、確実に彼を強くしている。

 このような無茶な鍛練を行えた理由は、様々な要因がある。

 大量の治癒の薬を作れる錬金設備の整った環境、健人が初級とはいえ、回復魔法を習得していたこと。

 なにより、師であるデルフィンが、健人の限界ギリギリを見極める腕を持つことが、このような厳しい鍛練を可能にしている。

 デルフィンは生粋の戦闘者であり、隠者、そして諜報員だ。

 その力量は、このタムリエル大陸を見渡しても間違いなく最上位に食い込む。

 でなければ、何十年もサルモールに追われながら、生き延びることなどできはしない。

 そんなデルフィンの鍛錬に食いついていこうとする健人を、デルフィンは内心感心しつつもどこか悩まし気に見つめていた。

 

(確かに驚異的な吸収力。少し、惜しいわね……)

 

 デルフィンから見ても、この勤勉な弟子は、間違いなく強くなる。

 どこか良いところのお坊ちゃまを思わせる軟弱な体の癖に、忍耐力は異常なほど高い。

 デルフィンが課している修業は、並の戦士や兵士では、間違いなく音を上げるものだ。

 おそらく、子供の頃から精神的に何かを耐える事に慣れているというのが、デルフィンの見解だ。

 

(記憶がないと言っていたけど、ウソなのは間違いないわね。まあ、私の目的の脅威にはならないみたいだけど……)

 

 ドルマが健人の記憶喪失を信じていないように、デルフィンもまた健人が記憶喪失とは思っていない。

 そもそも、記憶とは人の人格を形成する土台であり、その土台がない人間が耐えられるような鍛練ではない。

 同時に、優れた諜報員であるデルフィンは、健人が“身内の死”に対して、本能的な忌避感と恐怖心を抱いていることも察していた。

 だが、デルフィンは健人の過去を問い詰めない。

 記憶が有ろうが無かろうが、健人が本気でリータの力になろうとしている事くらい、洞察力の鋭いデルフィンには手に取るように分かるからだ。

 ズタボロになりながらも食いついてくるだけでなく、キチンと成長している所は、デルフィンもそれなりの好感を抱く。

 

(ドラゴンボーンとケント。どう見ても、成長速度が違い過ぎる。やはり、時間が足りないわね)

 

 だが同時に、デルフィンはこの弟子が大成するには、どうしても時間が足りないと感じていた。

 ドラゴンボーンであるリータは、内に秘めた血の力で、今頃驚異的な速度でシャウトを身につけているだろう。

 一方、健人も成長速度はかなり早いが、それでもドラゴンボーンには及ばない。

 さらに強大になっていくドラゴンボーンに対して、アルドゥインもより強大な刺客を差し向けてくる。そうなれば、健人がいずれ旅に付いていけなくなることは目に見えている。

 

(それでも、ドラゴンボーンが一番気にかけて、心の支えにしているのがこの少年。なら、せめて人間相手なら生き残れるくらいには鍛えておかないといけないわね)

 

 この少年がもし死んでしまえば、ドラゴンボーンの精神に大きな影を残す。

 デルフィンにとって、重要なのはリータであり健人ではないが、ドラゴンボーンが一番気に掛け、心の支えにしているのがこの不可思議な少年なのだ。

 そもそも、デルフィンが健人の鍛練を引き受けたのは、偏にドラゴンボーンとの繋がりを確保するためである。

 だからこそ、デルフィンは健人を手放さないし、生き残れるように、そして一人前になれるよう全力で教練を施す。

 上手く行けば、ブレイズの一員として、確保できるかもしれないという思いもあった。

 

(ケントはドラゴンボーンの鎖。それでも、彼女自身に比べれば優先順位はずっと低い)

 

 しかし、デルフィンは健人がドラゴンとの戦いの中で、死ぬこと自体を想定していないわけではない。

 そしてドラゴン戦における健人の死は、デルフィンの目的にはそれほど大きな影響はない。

 ドラゴンとの戦いの中で、もしもこの少年が死んでしまえば、ドラゴンボーンの精神は間違いなく不安定になるが、同時にドラゴンへの憎悪をさらに高ぶらせるだろう。

 その憎悪の先をうまく誘導してやれば、ドラゴンボーンはさらに強くなるかもしれない。

 現状では、健人の死はドラゴンボーンへの影響が大きすぎて取れる手段ではないが、どのような場合でも、目的を達するためのあらゆる手段を考えるのが、諜報員である彼女のやり方だ。

 健人を全力で鍛える。しかし、その弟子がもし死ぬなら、それは仕方ない事と割り切っているのだ。

 

(ケントには悪いけど、世界のため。そして、私達の使命を果たすには、必要な事……)

 

 そこまで思考したデルフィンは、新しく渡した付呪の本を読む健人からスッと視線を逸らして外に出る。

 健人の鍛練だけが、デルフィンの仕事ではない。

 アルドゥインの情報を手に入れるために、サルモール大使館のあるソリチュードに向かわなければならない。

 その為の足や大使館へ侵入するための手段の確保をしなければならないのだ。

 また、ドラゴン目撃の情報も、ドラゴンボーンに伝える用意をしておかなければならない。

 

「ケント、私はソリチュードに向かう下準備をしてくるわ。少しモーサルを離れるけど、貴方は鍛練を続けなさい」

 

「は、はい!」

 

「それから、今は大切な時期。必要以上に街に出て目立つのは控えておきなさい」

 

 デルフィンは現在、サルモール大使館への潜入準備のほかに、各地で集めたドラゴンの目撃情報を、ドラゴンボーンに伝える準備もしている。

 ドラゴンを倒して魂を吸収すれば、ドラゴンボーンはさらに強くなる。

 彼女がアルドゥインに対抗できるように協力することも、デルフィンの使命だ。

 誰かのために、ひたむきに強くなろうとする健人の姿に、デルフィンは内心湧き上がる罪悪感を覚えながらも、それを己の使命感で塗りつぶす。

 全ては、ブレイズの為に。

 そう、生きながらえてきた理由を、胸の奥で反芻させていた。

 




サルモール大使館に侵入する準備が整うまで、モーサルでの修行の日々となります。
陰鬱で幽玄な雰囲気が漂うモーサル。個人的にここの自宅は、ファルクリースのレイクビュー邸に並んで大好きな立地でした。


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第二話 埋葬

 

 モーサル。

 ウステングラブに向かう際に立ち寄った、ハイヤルマーチホールドの都市。

 薄暗い霧に覆われ、陰気な空気が漂っているこの寂れた街が、今の健人とデルフィンが滞在している場所だった。

 晩餐会のある南中の月まではまだ時間がある。

 また、健人を鍛えるには、ある程度の居住環境が整った場所が好ましいこともあった。

 ソリチュードはサルモールの影響が強すぎるため、サルモールに追われているデルフィンが長期滞在するには向かない。

 しかし、ウインドヘルムやドーンスター、ウィンターホールドでは、ストームクロークが厄介だし、ソリチュードから距離が離れすぎている。

 そのため、ストームクロークと帝国の緩衝地帯であるモーサルに滞在することになった。

 健人達が滞在しているのは、モーサルの宿屋“ムーアサイド”である。

 デルフィンが支度を整えて宿を出た後、座学として渡された本を読み終えた健人は、次の用事を済ませるために、街に繰り出そうとしていた。

 

「おおケント、出かけるのか?」

 

「ええ、“魔術師の小屋”にちょっと……」

 

「ほう、相変わらず真面目だな」

 

 吟遊詩人のオークが話しかけてくる。

 彼はこの宿屋に滞在している吟遊詩人で、名をルーブクという。

 オークは本来戦闘に長けた種族で、彼らもまた戦いを神聖視する傾向があるが、この吟遊詩人のオークはそんな普通のオークとはかけ離れた性格をしていた。

 それはタムリエルでは被差別種族のオークの癖に、吟遊詩人などをしている事からも察せられる。

 もっとも、その歌声も美声とはかけ離れており、特徴的なドスの利いた声でバラードなんて歌われた日には、上手くいく交際も破局しそうな気がする。

 半面、戦歌などを歌う時には、その肚に響く重低音がいい雰囲気を醸し出してくれるのも事実ではあった。

 宿屋の外に出た健人は外套を羽織ると、モーサルの周囲に広がる湿原へと足を向ける。

 健人はここで、錬金術に必要な素材を集めていた。

 モーサルの湿原は農耕には向かないが、キノコや地衣類等、錬金術の素材となるような植物は、数多く群生している。

 実際、街を出て少し歩くだけで、健人の目に様々な素材が飛び込んできた。

 

「デスベルに青い花、赤い花に紫の花。それに巨大地衣類っと……」

 

 見つけた素材は一通り集め、背負った雑嚢に入れていく。

 

「あれは、マッドクラブか。ちょうどいい、狩って行こう」

 

 素材採集ついでに目についたカニを狩り、獲物を紐で縛って背負う。

 マッドクラブは水辺の砂地に生息するカニで、食料にも錬金術の材料にもなる、優れた素材だ。

 とはいえ、背嚢と巨大なカニを背負った姿は、はた目から見てちょっと怪しい。

 一時間ほど素材を集めると、さすがに荷物が重くなってきたため、健人はモーサルに戻ることにした。

 モーサルに戻ると、健人は集めた素材を引き渡すために、この街の錬金術師が経営している店“魔術師の小屋”に向かう。

 健人は集めた素材をこの店で売って、さらに店の雑事を行ってモーサルでの滞在費を稼ぐと共に、錬金術の実践をさせてもらっていた。

 経営しているのは錬金術師なのに、店の名前が魔術師というのはどういう事なのかと健人も疑問を抱いたが、世話になっている店に野暮なことを言うのも何だろうと思い、その辺の疑問は胸の奥にしまっている。

 

「ラミさん、こんにちわ」

 

「ああ、来たのねケント。また素材を持ってきたのかしら?」

 

「はい。鑑定と買取りをお願いします」

 

「分かったわ。ちょっと待っていて」

 

 ラミと呼ばれたノルドの女性に挨拶した健人は持ってきた素材を渡すと、さっそく仕事へと取り掛かる。

 彼女はこの店の主人であり、彼女自身も錬金術師だ。

 ラミは物の数分で、手際よく健人が渡した素材の鑑定を終わらせる。

 

「終わったわ。こっちが素材の買い取り代金。それで、今日も錬金していくの?」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

「熱心ね、いいわよ。後片付けはやっておいて。出来た薬は、いい物なら買い取るわ」

 

「はい!」

 

 そういうと、ラミは素材の代金としてカウンターの上に広げた硬貨を数枚引き、代わりに素材を並べた棚から、青い花、紫の花、赤い花、モラタネピラ、クマの爪、ラベンダー、ニンニク、塩、小さな枝角、小麦を取り出し、健人に渡す。

 健人は素材を受け取ると、錬金台に向き合い、薬の生成を始めた。

 作るのは体力回復及び向上の薬、スタミナ回復及び上昇の薬、回復向上の薬、マジ力回復の薬だ。

 どれも、デルフィンとの鍛練で使われる薬で、健人は買った素材をすべてその場で使い切り、出来るだけの数の薬を作る。

 健人はまず、各素材を乳鉢ですりつぶして、混ぜ合わせ始める。

 各素材の配合比率はすでに覚えているが、素材の鮮度や生育状態によって、必要な成分の含有率が変わってくる。

 そのため、少しずつ調整しながら、潰した素材を混ぜていく。

 次に、フラスコ状の蒸留機に混ぜ合わせた素材と水を入れ、マジ力を加えつつ熱していく。

 熱された溶液はやがて沸騰し、マジ力と熱によって精製された揮発性の成分が蒸気となって水と分離する。

 健人は素早く氷の魔法を使い、蒸気が出てくる漏斗の先を凍らせる。

 これにより、蒸気となった揮発性の成分は冷却され、濃縮された液体となる。

 健人は素早く完成した薬をボトルに集めて栓をする。これで完成だ。

 

「ふう、出来た……」

 

 錬金術で作られた薬はマジ力を使って生成するためか、非常に日持ちする。

 それこそ、年単位で効力が保つというのだから、健人としては驚きである。

 一つの薬を作った後、健人はすぐに次の薬の精製を始める。

 この世界の錬金術は、その精製方法において、地球の化学の授業で行われた実験と似通っている部分が多分に存在する。

 素材をすりつぶし、熱した水や油で素材の成分を抽出。

 蒸留して濃縮し、集めた各成分を掛け合わせて、薬を完成させる。

 抽出や濃縮、掛け合わせの各過程でマジ力を使用する場合もあるが、基本的な手法は中学や高校で行われる化学実験に酷似しているため、健人が各作業の工程に慣れるのは早かった。

 また、錬金術で使われるマジ力は破壊魔法と比べれば、その消費量は極めて微量で、マジ力の効率が悪い健人にも、問題なく使う事ができた。

 

「ふ~ん……」

 

 一方、ラミは健人が錬金術を行う様子を眺めながら、感嘆の息を漏らしていた。

 彼女達から見れば、モーサルに来るまで全く錬金術の経験がなかった素人が、数週間で初歩的とはいえ、薬の生成を行えるようになっているのだ。

 驚くのも無理はない。

 

「出来ました。ラミさん、見てもらえますか?」

 

「ええ、いいわよ」

 

 健人の錬金が一通り終わる。

 ラミは内心浮かんだ驚きを一旦納め、健人が作った薬を検分し始めた。

 

「薬の量は問題ないわね。精製過程の手捌きも問題ない。でも、まだ少し成分濃度が安定していないわ。精製時のマジ力が安定していないのが原因ね」

 

「そうですか……」

 

「まあ、濃度の問題だけだから、水で薄めるなり、もう一度蒸留したりすれば問題なく使えるわ」

 

 ラミは、モーサル唯一の錬金術師であり、彼女自身、かつてこの街を訪れた聖堂の治癒師と呼ばれる凄腕の錬金術師から学んだ身だ。

 彼女から見れば、健人が作った薬は多少の粗はあれど、製品として十分な品質であった。

 精密な共通規格を基とした機械による大量生産ができないこの世界では、あらゆるものが手製で作られている。

 そのため、同じような種類の商品でも、手製による誤差があるのは当たり前なのだ。

 健人は取りあえず、完成した薬の大半はラミに引き取ってもらい、代わりに各種の薬やゴールドを貰った。

 

「そういえばラミさん。宿屋の裏にある廃屋は何ですか?」

 

 健人が今泊まっているムーアサイドの西側には、焼け落ちた廃屋が存在していた。

 廃屋は炎に焼かれて完全に倒壊しているが、まだ片づけられていない所を見ると、焼け落ちてからそれほど時間が経っていないことが推察できた。

 

「ああ、フロガーが、奥さんや娘と一緒に住んでいた家よ。火事があって、奥さんと娘は亡くなってしまったのだけど……」

 

 どこか言い淀むラミの態度に、健人は首をかしげる。

 

「何かあるんですか?」

 

「ここだけの話、どうやらその火事はフロガーがやったんじゃないかって言われているの。実際、フロガーは奥さんと娘を亡くしたのに、すぐにアルバっていう別の女性と恋人になっているし……」

 

 ラミの話では、以前は一人娘を抱えた一家が生活していたが、火事でその一人娘のヘルギと母親が焼死してしまったらしい。

 これだけなら、不幸な出来事として片づけられるが、その後、妻と娘を失った夫のフロガーが、すぐに別の女と同棲を始めたため、その火事は夫のフロガーがやったことではないかと街の人達は思い始めているらしい。

 しかも、このアルバという女性、美人ではあるがかなりの好き者らしく、街のあちこちの男性に声をかけているらしい。

 

「フロガーさんは何て?」

 

「奥さんがクマの油を火の中にこぼしたせいだと言っているわ。でも、多くの人がフロガー自身が火を点けたと思っている」

 

 それだけではなく、最近モーサルでは揉め事が絶えないらしい。

 帝国に対する反乱は起きるし、首長が奇妙な魔術師を街に迎え入れたりしている。

 さらには、奇妙な声が沼地から聞こえてくるらしく、フロガーの家が火事になったのは、その後との事。

 唯でさえ閉鎖的な街が、相次ぐ不穏な出来事に見舞われ、今では住民同士で疑心暗鬼になっている有様らしい。

 

「そうですか……」

 

 健人は今モーサルが抱える問題を聞かされ、眉間に皺を寄せる。

 事情を話すラミ自身、不安を抱えているのか、その表情はこの街を覆う霧のように曇っている。

 健人は胸の奥に嫌な予感を浮かぶのを自覚しながらも、とりあえず薬の代金を受け取り、泊っている宿屋への帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 ラミの店を後にした健人は、宿屋に帰る途中で、火事にあったという廃屋を見に行ってみた。

 遠目からは見たことはあるが、改めて間近で火事の現場を目の当たりにした健人は、その惨状に眉を顰める。

 屋根は完全に焼け落ちて消失しており、壁も柱などの接している一部を除いて、灰となっている。

 唯一家の中央にある石造りの暖炉だけが、かつてこの家に人の営みがあったことを感じさせてくれていた。

 

「ここが火事の現場か……え?」

 

 廃屋の中に入り、辺りを見渡す健人。

 すると、彼の目に信じられない光景が飛び込んできた。

 

「嘘だろ、ゆう、れい?」

 

 それは、蜃気楼のように、薄く漂う、人型の光だった。

 背の高さは健人の腰位で、丈の長いチュニックと思われる服を着ている。

 幽霊など、地球では想像上の存在としか認知されていないものだ。

 しかし、その影ははっきりと人の形をしており、その視線を侵入者である健人に向けてきた。

 

“誰? お父さんなの?”

 

「君は……」

 

 予想外の出来事に襲われた健人は、相手の名前を聞き返してしまう。

 

“ヘルギ。でもお父さんが、よそ者とは話をしちゃダメだって。あなたは、よそ者?”

 

「お父さんの名前は、フロガー?」

 

“そうよ! よかった! お父さんの名前を知っているのなら、よそ者じゃないのね”

 

 健人が父親の名前を知っていたためか、ヘルギの警戒心は一気に薄れた。

 

(一気に気安くなった……。ちょっとこの子、警戒心薄すぎない?)

 

 健人の方も人生初の幽霊との邂逅だというのに、あまりにも純粋な子供の幽霊の反応を前にして、全身から一気に力が抜けていくのを感じた。

 健人はとりあえず、ヘルギの隣に座り込む。

 焼けた床がミシリと軋む音が、静かな風の中に響いた。

 しばしの間、沈黙が流れるが、健人は思い切って彼女が亡くなる原因となった火事について訪ねてみる。

 

「ねえヘルギ、この家で一体何があったんだい?」

 

“分からないわ。寝ているときに煙で目が覚めたの。熱くて、怖くて、だから隠れたの。そうしたら、寒くなって、暗くなったんだ。怖くもなくなったの”

 

 ヘルギの話を聞く限り、寝ているときに火事に遭い、怖くて隠れたまま、死んでしまったらしい。

 つまり、彼女は火事の原因について、何も知らないということだ。

 

(まあ、俺もこの事件に深く関わる必要はないんだけど……)

 

 必要がないどころか、むしろ距離を取るべき立場である。

 今の健人は修行中の身だ。

 しかも、数か月後にサルモール大使館に潜入しなければならない。

 確かに、彼女の境遇には同情してしかるべきだろう。

 しかし、健人は今代のドラゴンボーンの仲間だ。

 そして、驚異的な速度で成長しているリータについていくには、修練の時間は一分一秒だって惜しいのだ。

 

“でも寂しい……”

 

 しかし、そんな健人の後ろめたい気持ちは、ヘルギが漏らした一言を前に霧散した。

 健人の脳裏に、子供のころの情景が思い起こされる。

 母親が亡くなった後の、誰もいない家の中で一人、唯一残った家族である父親の帰りを待っていた時のこと。

 当時の健人はまだ満足に家事もできず、ただテレビを見て時間を潰すしかなかった。

 楽しそうなBGMと共に、画面の前で明るく話をするキャラクター達。

 しかし、母の死で心に空虚を抱えていた健人には、その明るさはかえって自分が感じる寂寥感を掻き立てるだけだった。

 

「……少し、遊ぶか?」

 

 そんな昔の光景を思い出した健人の口は、自然とそんな言葉をヘルギに向けていた。

 ヘルギの顔に、ぱあっと花が咲く。

 

“いいの!?”

 

「ああ、いいよ。何する?」

 

“かくれんぼ! でも、夜まで待って。もう一人お友達がいるんだけど、夜になるまで来れないの”

 

「そのお友達と一緒に遊びたいの?」

 

“うん!”

 

 友達と聞いて、健人は同じ幽霊かと考え、同時に少し不安になる。

 しかし、ここまで言ってしまったら、今更やっぱり止めますとは言えないくらいは健人もお人よしである。

 ついでに言えば、ここはドラゴンだのドラウグルだの幽霊だのが出てくるファンタジー世界だ。今更幽霊が一体増えたところで不思議ではないし、別にいいやという、ある種の開き直りもあった。

 

「分かった、いいよ」

 

“やったあ! それじゃあお兄さん、夜になったら私を見つけて。また夜にね!”

 

「え!? ちょ……」

 

 またね! と手を振ったヘルギは、健人の言葉も聞かずに消えてしまった。

 

「見つけてって……ノーヒントで?」

 

 一体どこを探せばいいのだろうか?

 健人は手掛かりのない状態でスタートしてしまったかくれんぼに、思わずそんな言葉を呟いた。

 とはいえ、彼女は死人だ。

 生前の縁が深い場所にいるかもしれないと、健人は思い直す。

 

「……確か、ヘルギのお父さんの名前、フロガーって言っていたよね」

 

 ヘルギの父親。

 街の人は彼が自分の家に火をつけて妻と娘のヘルギを殺したと言っているが、実際の所、健人は彼の人となりを知らない。

 

「会ってみるか……」

 

 健人は踵を返して、街の方へと足を向ける。

 かくれんぼなど、小学生以来である。

 子供っぽい遊びではあるし、相手は良く知りもしない幽霊。

 しかし、厳しい修練の日々を送っていた健人は、気が付けば、自分の心が少し躍っているのを感じていた。

 

 

 




というわけで、健人、モーサルのメインクエスト”埋葬”に巻き込まれるフラグが立ちました。

以下、登場人物紹介

ヘルギ
モーサルのメインクエスト”埋葬”の中心人物の一人。
イベント開始時点で、火事によって故人になっている。

フロガー
モーサルのメインクエスト”埋葬”の中心人物の人。ヘルギの父親。
火事で家族が死んですぐに、アルバという女性と一緒に生活を始めたことから、放火を疑われている。

ラミ
モーサルの錬金術の店、魔術師の小屋のオーナー。
ゲームではゴールドで錬金術の手ほどきもしてくれるトレーナーでもあった。
彼女の家の二階には、ちょっと人には言えない薬もあったり……。

ルーブク
モーサルの吟遊詩人。珍しいオークの吟遊詩人でもある。
重低音の赤のラグナルが聞きたい方はどうぞ、モーサルの宿屋“ムーアサイド”まで(宣伝



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第三話 吸血鬼

 フロガーの名前をヘルギから聞いた健人は、幽霊少女の父親を捜して伐採場を訪れた。

 街の人の話では、ヘルギの父親はここで木こりの仕事をしているらしい。

 伐採場は水車を利用して、巨大な一本の木の幹を丸ごと切断してしまうほど大きなもので、街の中でもよく目立つものだった。

 そんな伐採場の傍で、斧で薪を割っている壮年の男性がいた。

 健人はとりあえず、その男性に声をかける。

 

「すみません、フロガーさんはどなたですか?」

 

「フロガーは私だ、一体なんだい?」

 

 どうやら、話しかけたこの男性が、フロガーらしい。

 健人はとりあえず、彼の家で見たヘルギの霊について話をすることにした。

 

「実は、娘さんの亡霊が貴方の家の廃墟にいたんですが……」

 

「本当か? そいつはすごい」

 

 フロガーの返答は、何の感情も感じさせない、そっけないものだった。

 

「……それだけ、ですか?」

 

「それだけとは? 今はアルバがいる。死んだヘルギの事は、もう気にしていない」

 

 健人はもしかしたら、突然話しかけてきたよそ者である自分を警戒しているのかと思ったが、どうやらフロガーの態度を見る限り、本当にヘルギに対して、何の感情も抱いていないらしい。

 死んだ娘に対するあまりの態度に、健人の眉が自然と吊り上がる。

 そんな健人の不快感を察したのか、フロガーの表情が険しくなった。

 

「アルバはあの火事以降、街で白い目で見られていた私に良くしてくれた。もういいだろう! 帰れ!」

 

 眉を顰めた健人の表情を見ていたフロガーが、感情を高ぶらせて罵声を放つ。

 瞳は怒りに濁り、近づくもの全てが敵だと言わんばかりの視線で睨み付けてくる。

 今にも持っている斧を叩きつけてきそうな怒気を前に、健人は頭を下げて退くしかなかった。 

 

 

 

 

 

 

 フロガーに追い返された健人は、その後しばらく街の人達から話を聞いてみたが、大した話は聞けなかった。

 フロガーの一件は街の皆も関わりたくないのか、皆一様に詳しい話をしたがらなかったのだ。

 健人がよそ者であることも、住民の警戒心を余計に刺激してしまった。

 とはいえ、健人にとって重要なのは、今日の夜にヘルギと遊ぶことであり、彼女が亡くなった事件を解決する事ではない。

 所詮、健人はこの街の来訪者で、よそ者であることに変わりはないし、まだ旅路の途中である健人も、この街に根を下ろす気はないのだ。

 健人は日が落ちてから、とりあえず夜の街に出て、辺りを散策してみることにした。

 

「暗くなった。そろそろかな」

 

 日が落ちれば、あるのは星と月の明かりだけだ。

 健人は明かりとなるカンテラを手に宿屋を後にすると、とりあえず北側の橋を渡り、街の外周を一周してみることにした。

 健人が宿屋を出て橋のたもとに差し掛かった時、大きな声が闇夜の奥から聞こえてきた。

 

「ラレッテ! どこだ!」

 焦燥に駆られた、誰かを探す男性の声。

 続いて、一つの松明の光が、闇夜の奥から近づいてくる。

 現れたのは、彫りの深い顔立ちの、壮年のノルドの男性だった。

 厳つい顔にさらに皺を寄せた表情を浮かべ、誰かを探すように視線を周囲に巡らせている。

 ノルドの男性は健人に気付くと、速足で近付いてきた。

 

「すまない、俺はこの街の伐採場で働いているソンニールという者だ。ラレッテは、私の妻は見なかったか?」

 

「いえ、見ていませんが……どうかしたんですか?」

 

 ソンニールと名乗ったこの男性は、ラレッテと呼ばれる女性の夫であり、いなくなった妻を探しているらしい。

 しかし、健人は思い当たる節がないため、彼の問い掛けに首を振る。

 

「そうか、ラレッテ、どこだ! ちくしょう。フロガーの家族に関わったばっかりに……」

 

 フロガーの名前が出てきたことに、健人は驚く。

 

「あの、ラレッテさんはフロガーさんの家族と親しかったんですか?」

 

「ああ、よく彼らの家に行っていたよ。ヘルギの事は特に気に入っていたみたいで……」

 

 健人の脳裏に、ヘルギが言っていた“友達”という言葉が過る。

 

「あの、ソンニールさん。亡くなったヘルギは、どこに埋葬されたんですか?」

 

「……どうしてそんな事を?」

 

「奥さん、ヘルギと親しかったんですよね? 奥さんが居なくなったことに関して、何か手掛かりがあるかもしれません」

 

 不審な火事で死んだヘルギと、亡くなった娘を何とも思わない父親。そして、突然消えたヘルギと親しい女性。

 あまりにも怪しい話だ。

 

「えっと……確かヘルギの亡骸は、彼女の家の裏にある丘の上に埋られたが……」

 

 ソンニールの言葉を聞いた健人はすぐさまフロガーの家跡に向かって駆けだした。

 この世界に来てから、見舞われ続けた数多の困難。それに直面した時と似た嫌な感覚が、健人の胸に去来していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 フロガーの家跡に来た健人は、焼け落ちた家の裏手に回り込む。

 彼の後ろには、後を追ってきたソンニールの姿もある。

 

「なあ、アンタ。どうしてこんな事を……」

 

「シッ、静かに。誰かいます」

 

 健人の視線の先には、焼けた家の裏にある丘で灯る明かりがあった。

 近づくと、地面に松明が刺してあり、松明の傍にある岩にはなぜか剣が立てかけてある。

 炎が照らすその場で、誰かが一心不乱に土を掘っていた。

 揺れる光が照らしたその人物は、ほっそりとした体付きで、女性であることを窺わせる。

 健人の後ろで同じ光景を見ていたソンニールが、その女性を見て喜びの声を上げた。

 

「ラレッテ? ラレッテ!」

 

「あの人がラレッテさん?」

 

 健人が確認する前に、ソンニールはラレッテに向かって駆けだしていた。

 自分に近づいてくることに気付いたラレッテが、土を掘るのをやめて顔を上げる。

 ラレッテの瞳が、駆け寄ってくるソンニールと健人を映す。

 その瞳は血のように紅く染まり、まるで害虫を見るような目を健人達に向けていた。

 健人の胸に去来していた嫌な予感が、一気に高まった。

 

「ラレッテ、よか……」

 

 ラレッテの視線の奥に潜む害意に気付かないソンニールが、妻の元に駆け寄り、抱きしめようとする。

 だが、その前にラレッテは傍の岩に立てかけていた剣を取り、ソンニールに斬りかかってきた。

 

「うわあああああ!」

 

「ソンニールさん! 下がって」

 

 ラレッテの害意を察していた健人が、盾を構えながらソンニールを押しのけ、振り下ろされたラレッテの剣を受け止める。

 健人の盾とラレッテの剣が激突した瞬間、女性が振るった剣戟とは思えないほどの衝撃が、健人の腕に襲い掛かる。

 

「ぐう! いきなり攻撃してくるなんて! いったいどうなってんだ!」

 

 ラレッテの予想以上の剛力に驚きながらも、健人は何とかラレッテの剣を何とか押し止めることに成功する。

 

「ラレッテ!? いったい何が……」

 

 一方、ソンニールは突然襲い掛かってきた妻に、動揺を隠しきれない様子だった。

 その時、ソンニールはようやく自分の妻の瞳を見た。

 血に染まった真紅の瞳が、ソンニールに自分の妻に起こった出来事を連想させる。

 

「まさか、ラレッテ、君は吸血鬼に?」

 

「吸血鬼?」

 

 吸血鬼。

 地球から来た健人は本での知識でしか知らないが、この世界の吸血鬼は血を求め、他人を自分と同じ血を吸う化け物に変える、常闇に生きる種族だ。

 その能力、魔力は人のそれとは隔絶しており、また寿命もなく、殺されない限り永遠に生き続ける不老の怪物でもある。

 

「ぬあああああ!」

 

「くっ!」

 

 健人が悩む間もなく、吸血鬼となったラレッテは更なる斬撃を浴びせようとしてくる。

 悩んでいる暇はない。

 デルフィンとの鍛練で鍛えられ始めていた健人の戦闘意識が、即座に迎撃に出る。

 ラレッテの剣の威力は凄まじいが、剣の扱い方は素人同然だ。

 この世界に来てからそれなりに修羅場を乗り越えてきた健人にも、彼女が繰り出す斬撃の未来図がハッキリと見えていた。

 

「はあ!」

 

 再び打ち下ろされそうになる斬撃をシールドバッシュで潰し、腰のブレイズソードを引き抜いてラレッテの首めがけて一閃させる。

 

「ごあっ」

 

 健人の斬撃はラレッテの喉を深々と切り裂き、鮮血が勢いよく噴き出す。

 彼女は信じられないというように目を見開いて吐息を漏らす。

 さらに健人は振り抜いたブレイズソードの切っ先を返し、ラレッテの心臓めがけて突き刺した。

 心臓を貫かれたラレッテの体から力が抜け、地面に崩れ落ちる。

 

「ああ、ラレッテ。そんな……」

 

 妻が吸血鬼になっていた事、何より妻が目の前で死んだことにショックを受けたのか、ソンニールはラレッテの傍に駆け寄り、彼女の遺体に縋り付く。

 健人は苦々しい思いでその光景を見ていたが、ふとラレッテが掘り起こしていた物に目が向いた。

 ラレッテが地面から掘り起こしていたのは、木製の棺だった。

 子供がちょうど収まるくらいの棺が、地面から半分くらい顔を覗かせている。

 

「この棺、子供のもの?」

 

“見つかっちゃった! ラレッテも私を探していたんだけど、貴方にも見つけて貰えて嬉しいわ”

 

 棺の中から聞こえてきたのは、間違いなくヘルギの声だった。

 埋められたままだったはずの彼女が喋れることは、普通ならあり得ない。

 健人の脳裏に、吸血鬼となっていたラレッテの姿が浮かぶ。

 

“ラレッテは私とお母さんを燃やすようにアルバに言われていたけど、やりたくなさそうだった”

 

「アルバ……確か、フロガーさん一緒に住んでる……」

 

 ヘルギの話では、家を燃やしたのはラレッテだったらしい。更にそれを指示したのは、今フロガーと一緒に住んでいるアルバとの事。

 

“首にキスされたら、火に触ってもいたくないくらいに体が冷たくなったの”

 

 首にキスをされた、という言葉に、健人は顔を顰める。

 おそらくラレッテは、焼かれて死体となったヘルギを吸血鬼にしようとしたのだろう。

 

“ラレッテは私を連れ去って匿おうとしたんだけど、できなかった。私、完全に燃えちゃったんだもん”

 

 だが、ラレッテの企みは失敗したらしい。

 いくら吸血鬼でも、完全に燃えてしまった遺体を蘇らせることは出来なかったのだろう。

 

“ありがとう、お兄ちゃん。ラレッテを止めてくれて。私、疲れたから、少し眠るね”

 

「ああ、お休みヘルギ」

 

 安堵と寂寥感を覚えさせる言葉を最後に、ヘルギが納まる棺は完全に沈黙した。

 彼女が幽霊となった理由は、彼女を吸血鬼にしようとしたヘルギの力だったのかもしれないし、訳も分からず死んでしまったヘルギの未練だったのかもしれない。

 だが、もうその理由はどうでもいいものになっていた。

 彼女はこうして、再び恐怖のない眠りにつくことが出来たのだから。

 健人は最後に棺をゆっくりと撫でながら別れを告げると、未だにラレッテの遺体の傍に跪くソンニールに声を掛けた。

 

「ソンニールさん……」

 

「ラレッテはいなくなる直前、アルバに会うと言っていた。信じたくないけど……」

 

 何かを覚悟したような表情を浮かべながら、ソンニールは立ち上がる。

 

「確かめましょう。アルバの家はどこですか?」

 

「村の南だ」

 

 健人はソンニールの言葉に頷くと、アルバの家を目指して歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 アルバの家の前に来た健人とソンニール。

 互いに視線を交わして頷くと、ソンニールがゆっくりと扉に手をかけた。

 

「鍵がかかっているな」

 

 扉はしっかりと施錠されており、開けることは出来なかった。

 

「ソンニールさん、少しすみません」

 

「開けられるのか?」

 

「分かりません。でも、やってみます」

 

 健人は懐から鉤状のロックピックを二本取り出し、鍵穴に射し込む。

 彼はデルフィンとの鍛練の中で、鍵開けの技術も学んでいた。

 座学の際に、彼女はタイプ別のカギをいくつか健人に渡し、鍵開けの練習もさせていたのだ。

 この世界のカギは、地球で使われているものと比べて精粗の差はあれど、基本的な構造はシリンダー錠と大差はない。

 鍵穴が付けられた円筒形のパーツに、適合するカギに合わせたピンが取り付けられているタイプだ。

 鍵を開ける方向に力を掛けながら、シリンダーを止めているピンを一個一個解除していくことで、開けることが出来る。

 精密なカギになればなるほど解除は困難になるが、この扉に使われている鍵は、鍵開け見習いの健人でも何とか解除できそうなものだった。

 それなりの時間を開錠に費やすことで、入口の扉の鍵は開けることができた。

 健人とソンニールは、扉を開け、ゆっくりとアルバの家に入る。

 

「誰も、いない?」

 

 アルバの家は一階が居間とキッチン、寝室を兼ねた一部屋のみだったが、部屋の中には、目的の人物の姿はなく、気配もなかった。

 だが、部屋の中央には地下へと続く階段があり、健人達はさらに奥を目指して階段を下りて行った。

 地下にある部屋も一部屋だけだったが、その部屋の内装はあまりにも異様なものだった。

 中央に据えられた、大の大人が一人すっぽりと入るだけの棺。

 部屋のあちこちには乾ききった血の跡が散乱し、錆鉄に似た異臭を放っている。

 健人はむせ返る異臭に、思わず鼻をつまんだ。

 

「血の匂いがすごい。これは、棺か。それにこれは、日記?」

 

 棺の傍には赤い基調の日記が落ちていた。

 日記の中には、アルバが吸血鬼であることが克明に書かれていた。

 彼女はモヴァルスと呼ばれる吸血鬼に仕えていて、ソンニールの妻を吸血鬼にして手駒とし、衛兵を一人一人誘惑して吸血鬼にして、この街を乗っ取る計画だったらしい。

 また、昼の間に棺で寝ている自分の護衛に選んだのがフロガーであり、彼を洗脳したのはいいものの、彼の家族が邪魔になったから、吸血鬼にしたラレッテに殺すよう指示もしていた。

 

「どうやら、正体がバレる前に引き払ったみたいですね。おまけに、このモーサルを乗っ取る計画まで書いてある」

 

 しかし、ラレッテがヘルギに執着し、暴走したことで彼女の計画は破綻した。

 邪魔になったフロガーの家族を事故に見せかけて殺すつもりが、ラレッテが家に火を放って殺すという、あまりにも軽率な行動をしたのだ。

 健人はとりあえず、証拠となるアルバの日記を懐にしまう。

 

「ソンニールさん。この日記を首長に見せましょう。対策を取る必要があります」

 

 健人の言葉に、ソンニールは頷くと、二人はアルバの家を後にし、首長の家を目指した。

 

 

 




う~ん、展開的に移動が多いため、文が切れ切れになってしまった。


以下、登場人物

ソンニール
モーサルの伐採場で働くノルド。
妻のラレッテが行方不明になり、夜な夜な妻を探して街中を駆け回っていた。

ラレッテ
ソンニールの妻。ゲームではストームクロークに参加するといって夫であるソンニールの元を去って行ったが、この小説では何も言わずに行方不明になっている。
フロガーの家を焼いた実行犯であり、アルバに吸血鬼にされた被害者でもある。
フロガーの娘であるヘルギに執着しており、彼女を吸血鬼にしようとしていた。

アルバ
吸血鬼であり、フロガーを誘惑し、自分の棺を守る見張りに仕立て上げた。
ラレッテを吸血鬼に変え、フロガーの家族を殺すよう仕向けた張本人でもあるが、実行犯であるラレッテがヘルギに執着し、フロガーの家を焼くという行動は予想外だった。
ちなみに、彼女の日記を見ると、強いノルドの男が好みらしい。
月夜にモヴァルスと逢引した際に吸血鬼にされ、以降、彼に仕える吸血鬼となった。




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第四話 殲滅戦

 アルバの企みの証拠となる日記を手に、健人は首長の家を訪れ、モーサルの首長であるイドグロッド・レイブンクローンに謁見していた。

 健人から渡されたアルバの日記を読み、イドグロッド首長は大きく溜息を吐く。

 イドグロッド首長は歳を召した老婆であるが、その眼光は鋭く、首長の地位を背負うだけの意志の強さが垣間見える女性だった。

 

「アルバが犯人だったとはねえ。それで、フロガーはどうしたんだい?」

 

「アルバの家にはいませんでした。おそらくアルバと一緒に逃げたか、それとも殺されたか……」

 

 しばしの間、玉座にて瞑目し、沈黙していた首長だが、やがて意を決したように健人に視線を向けた。

 

「ねえ、もう一つ頼みを聞いてくれるかい?」

 

「頼み、ですか?」

 

「モーサルはまだ危険な状態だ。モヴァルスは前世期に死んだとされているが、どうやら生きていたらしいねえ」

 

 イドグロッド首長によれば、モヴァルスは二百年以上前から生きている吸血鬼で“不死の血”と呼ばれる昔の書物に出てくるほどの危険な化け物らしい。

 

「それで、腕の立つ戦士を集めてモヴァルスの隠れ家を一掃させる。それについて行って、力を貸してほしいのさ」

 

「しかし、俺はそれほど腕は立ちませんよ?」

 

「そんな事はないだろう? こんな狭い街だ。アンタが街のはずれですさまじく強い剣士を相手に、信じられないほど辛い鍛練をしていることは、知っているさ」

 

 モーサルは閉鎖的な街だ。

 さすがに、よそ者の話は広まるのが早い。

 それにしても、一介の街人だけでなく、ホールドの首長まで知っているのは、流石田舎という事だろうか。

 娯楽や話題の乏しいこの街では、異邦人である健人は、話の種にもってこいだったのかもしれない。

 

「何のためにそれほど辛い鍛練をしていのかは分からないが、力になってくれないか? むろん、できる限りの報酬は約束しよう」

 

「……分かりました」

 

 悲壮な瞳で頼み込んでくるイドグロッド首長に、健人はしばらく考え込んだ後、小さく頷いた。

 話が大きくなってきたが、これからしばらくはモーサルに留まる身なのだ。

 滞在中に吸血鬼に襲われるなど、ご免である。

 何より、健人の脳裏に、ヘルギの最後の言葉が過っていた。

 寂しさと安堵を醸しながらも、ようやく眠ることができた女の子。その安息ぐらい、守ってやりたいと思ったのだ。

 

「ヴァルディマー」

 

「はい首長」

 

 首長に呼ばれ、一人の屈強なノルドの男性が現れた。

 蓄えた髭と禿げ上がった頭が特徴的で、毛皮と鋼鉄の鎧に身を包んでいる。

 腰にはメイス背中には盾を背負っており、力強い眼光を放つ瞳が、この男性もまた一角の戦士であることを窺わせる。

 

「彼はヴァルディマー。モーサルでも腕の立つ戦士の一人だよ。ヴァルディマー、この青年と協力して、吸血鬼モヴァルスを討伐しなさい」

 

「了解しました、首長。異邦の戦士よ、よろしく頼む」

 

「戦士……というには未熟者ですけど、こちらこそよろしく」

 

 ヴァルディマーが差し出してきた手を、健人は握り返す。

 その時、玄関の扉が開かれ、ソンニールが入ってきた。

 彼は木の伐採で使っていたと思われる斧を持っている。

 

「ラレッテは死んだ。妻の為に敵を討ちたい! ラレッテの復讐を!」

 

「首長」

 

「行かせておやり。このままでは彼も収まりがつかないだろうからね。ただ、もう一人、討伐に参加してもらう。ファリオンを連れて行きなさい」

 

「ファリオンを、ですか?」

 

「ああ、彼は優秀な魔術師だ。吸血鬼のことにつても詳しい。力になるだろう」

 

 話によると、このファリオンというのが、錬金術師のラミの言っていた怪しい魔術師らしい。

 しかし、イドグロットはこの魔術師に信頼を置いている様子だった。

 健人としても、腕の立つ魔術師の協力は必要であるし、何よりも人手が欲しい。

 夜中に首長の家に呼び出されたファリオンは不満そうだったが、事の次第を聞いてすぐに吸血鬼退治を了承した。

 そして健人とヴァルディマー、ソンニールとファリオンの四人は、吸血鬼退治のために、闇夜の中、モーサルを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 健人、ヴァルディマー、ファリオン、ソンニールの4人はモーサルの湿原を超え、モヴァルスの隠れ家と思われる洞窟までやってきていた。

 夜はまだ明けていないが、東の空がうっすらと明るくなり始めている。

 

「そろそろ夜明けだ。吸血鬼共にとっては、鬼門の時間だ」

 

 健人達に同行したファリオンが呟く。

 彼はスカイリムでは珍しい、レッドガードの魔術師だ。

 南方出身の種族らしく、浅黒い肌が特徴的な男性だ。

 驚くことに、健人がお世話になっている宿屋ムーアサイドの女店主、ジョナと姉弟らしい。

 召喚魔法を身に着けているらしく、少しでも力になればと、首長が協力するよう要請したのだ。

 

「分かりました。皆さん、これを」

 

 健人は取り出した薬を、ヴァルディマー達に渡す。

 

「これは?」

 

「体力とスタミナを向上させてくれる薬です。相手は吸血鬼ですから、念のため……」

 

 渡したのは、健人がラミの店で錬成した薬だ。

 これから戦いに行くのだから、できるだけの備えは必要と思い、持ってきたものだ。

 ヴァルディマーとソンニールは納得し、健人の薬を手に取って嚥下する。

 ファリオンはしばらくの間、しげしげと健人の作った薬を眺めていたが、やがて頷くと、小瓶の蓋を開けて一気に飲み干した。

 

「ほう、悪くない薬だな」

 

「ありがとうございます。それじゃあ、行きましょう」

 

 健人が先頭になって、洞窟の入り口をくぐる。

 洞窟は入るとすぐに大きな縦穴になっていて、木製の階段が縦穴の底まで続いている。

 暗い底を覗き込んでみると、健人の目に縦穴の底で動く影が映った。

 

「あれは、クモか」

 

「フロストバイト・スパイダーだな。強力な毒を持っていて、噛まれると凍傷になったような激しい痛みに襲われるぞ」

 

 フロストバイト・スパイダーは、スカイリムの森で時折見かける巨大蜘蛛だ。

 普段はこうした洞窟に巣を作り、籠っているが、時折餌を求めて外を徘徊し、旅人などが鉢合わせることがある。

 肉食性の蜘蛛で性格は獰猛。スカイリムでも危険な動物の一種に数えられている。

 幸い、縦穴の底にいるのは一体だけ。

 健人とヴァルディマーは背負った弓を取出し、矢を番えた。

 上から大蜘蛛の頭に狙いをつけて、矢を放つ。

 二人が放った矢は大蜘蛛の頭に直撃。ギイイイ! と耳障りな悲鳴を上げ、絶命した。

 

「よし、先へ行きましょう……」

 

 縦穴を降り、先へ進もうとするヴァルディマー達。

 しかし、健人が自分が仕留めた大蜘蛛の前で立ち止った。

 

「ケント殿、どうしました?」

 

「これは毒を持っているって言いましたよね。どこにあるんですか?」

 

「口の中にある牙、その根元に毒腺があるが……」

 

「少し待ってください。毒を持って行きます」

 

 ファリオンが指摘すると、健人は短剣を取り出してフロストバイト・スパイダーの牙の根元に、短剣を突き立てた。

 外殻に沿って短剣を入れ、支えとなる筋肉を切断すると、牙は思ったよりも簡単に取れた。

 取れた牙の根元には、袋状の器官がついている。

 健人はその袋を短剣で慎重に牙から取り外し、毒液を先ほど中身を飲んで空いていた小瓶に詰めた。

 

「よし、ヴァルディマーさん、矢を」

 

 そして、ヴァルディマーと自分が持っている矢の矢尻に、今採取したばかりの毒液を塗りたくる。

 フロストバイト・スパイダーの毒がどのような分類に属し、どの位の毒性があるのかは健人には分からないが、蜘蛛は基本的に、自分よりも小さな生物を狩り、餌とする。

 その為に使われる毒なら、フロストバイト・スパイダーと同じ、やや小さい人間にも有効だろうと考えたのだ。

 しばらく先に進むと、炎が揺らめく明かりとともに、見張りをしていると思われる人影が姿を現した。

 見張りは武装しており、革製の鎧と片手剣を腰からぶら下げている。

 

「あれは、吸血鬼ですか?」

 

「いや、おそらくは吸血鬼に仕える従徒だ。奴隷として飼われた人間だよ」

 

 吸血鬼は人にとっては恐ろしい化け物ではあるが、同時にその強大な力に魅せられる人間もまた存在する。

 そんな人間は自らを吸血鬼にしてもらうために、吸血鬼の奴隷となり、仕えるのだそうだ。

 ヴァルディマーが無言で弓を構え、矢を放つ。

 

「ぐあ!」

 

 放たれた矢が喉に突き刺さり、矢じりに塗られていた毒が従徒の体を侵す。

 吸血鬼の従徒はゴプリと血を吐き、蹲ってビクビクと痙攣し始めた。

 まだ生きているようだが、喉を毒に犯された所為で声を出すことが出来なくなっている。

 ヴァルディマーが痙攣している吸血鬼の従徒の元に歩み寄り、メイスで頭を潰してとどめを刺す。

 

「吸血鬼の従徒は、身も心も吸血鬼に魅入られている。殺した方が後腐れはない」

 

 割り切ったようなファリオンの言葉が、健人の耳に響く。

 しばらく先に進むと、今度は広間に出た。

 広間の中央には穴が掘られ、中には人間と思われる無数の死体が放り込まれている。

 

「この死体の山……」

 

「吸血鬼の犠牲者だな」

 

 どうやらここは、吸血鬼のゴミ捨て場らしい。

 穴の中の遺体は皆、恐怖と苦悶に満ちた表情で血の気の失った死に顔を晒している。

 しかも、穴の中にいる死体は女性が多く、着ている服装などからも、戦士や盗賊でない一般人だと推察できた。

 健人の胸に、言いようのない憤りが蘇る。

 

「これ以上犠牲を出さないためにも、先を急ぎましょう」

 

 健人はモヴァルスを知らない。

 イドグロッド首長の言っていた書籍“不死の血”に書かれている内容は、本を首長から見せてもらって一通り頭に入れたが、あくまで二百年も前のものだ。

 吸血鬼が化け物である実感が薄い日本人であっても、これだけの数の死体を目の当たりにすれば、ここにいる吸血鬼を放置した場合、モーサルがどんな運命を迎えてしまうのかは容易に想像がついた。

 健人は表情を引き締め、先に続く通路を進む。

 通路はやがて、二又のY字路に突き当たった。

 

「道が分かれているな」

 

 左側の道は狭く、右側は広い。おそらく右側の道が最奥への道と思われるが、左側の道の先からは明かりが漏れており、人がいる痕跡が確認できる。

 

「私とソンニールで左を行く。そちらの二人は右へ行け」

 

「大丈夫ですか? 相手が強力な吸血鬼であることを考えたら、戦力の分散は悪手じゃ……」

 

 ファリオンがここで二手に分かれることを提案してくる。

 健人がファリオンの提案に、難しい表情を浮かべた。戦力の低下を懸念してのことだ。

 

「心配するな。私は召喚術師だ。手足となる眷属は自分で呼べる。

 何より、探索に穴を空けて、モヴァルスに逃げられる事こそ避けたい。

 それに、ヴァルディマーも魔術師だ。イザという時は、派手な音が出る魔法を使えば直ぐに分かる」

 

「……分かりました。気を付けてください」

 

 モヴァルスは二百年以上生きているが、それは彼が強力な吸血鬼であると同時に、狡猾で用心深いという事でもある。

 自分の存在が露呈した今、反撃ではなく逃走を選ぶ可能性もある。

 健人もファリオンの懸念を理解し、ここで二手に分かれることにした。

 ファリオン達と別れてからしばらく先に進むと、ひときわ大きな広間に行きついた。

 漂ってくる鉄臭さに、健人は鼻を抑えた。

 中央には大きな長テーブルが置かれ、テーブルの上には食事を並べる大皿が並び、さながら貴族のダイニングルームのような印象を抱かせる。

 しかし、皿の上の食事は、おおよそまともな人間が食するようなものではなかった。

 血の滴る腕や足、内臓や肋骨などが盛り付けられていたのだ。

 そんな凄惨な卓上の奥、ひときわ大きな椅子に腰かける大柄な人影があった。

 

「あれを……。誰かいますね」

 

「モヴァルスですか?」

 

「おそらく……。それに、隣にいるのはアルバで間違いないようですね」

 

 黒と紅を基調とした服を身に纏ったモヴァルスと思われる人物。

 その隣には、モーサルで暗躍していたアルバの姿もある。

 

「アルバ、失態だな」

 

「申し訳ありません、モヴァルス様」

 

 モヴァルスは頭を下げて許しを請うアルバに視線すら返さない。

 トントンと椅子の肘を指で叩いていることから、かなり苛立っている様子が見える。

 

「予定が変わった。手勢を作れなかった以上、このアジトは引き払う。準備はしておけ。お前がモーサルから連れて来た男はどうした?」

 

「縛り上げて監禁しています」

 

「殺せ。足手まといだ」

 

「はい」

 

 淀みなく返答を返したアルバが、部屋から出ていく。

 おそらくはモーサルから連れてきた男、フロガーを始末しに行くのだろう。

 モヴァルスはアルバの背中を見送ると、テーブルの上に置かれた杯の中身を煽り、溜息を吐き、洞窟の天井を見上げた。

 その様子を見ていた健人とヴァルディマーは互いに頷き、そっと広間に侵入して左右に分かれ、それぞれ手近にあった岩の陰に隠れた。

 今、この洞窟の広間にいるのはモヴァルス一人。人の気配はほとんどない。

 先のアルバとの会話や日記の内容から察するに、ラレッテを使ってモーサルの衛兵を吸血鬼に変え、ここに呼ぶつもりだったのだろうが、まだ手勢を作れてはいない様子だった。

 なら、ここでモヴァルスを倒せば、この事件は解決する。

 しかし、奇襲をするには位置が悪い。

 健人たちが隠れている岩陰は、モルヴァスのちょうど正面に位置しているからだ。

 健人とヴァルディマーは暗い岩陰に身をひそめながら、機会を窺う。

 そしてその機会は、思った以上に早く訪れた。

 

 ガシャン!

 

 何かが割れる音とともに、アルバが出て行った先から、怒号と喧騒が聞こえてきた。

 おそらく、二手に分かれていたファリオン達が、アルバと交戦状態になったのだろう。

 

「なんだ!」

 

 騒音を聞きつけたモヴァルスの意識が、通路の穴に向けられる。

 次の瞬間、健人とヴァルディマーは動いた。

 

「今!」

 

 健人が素早く身を乗り出し、矢を放つ。 

 ヴァルディマーはアイススパイクの魔法を詠唱。左手に氷柱を作り出し、モヴァルス向けて撃ち出した。

 矢と氷柱は正確にモヴァルスを捉えていた。一直線に目標に向かい着弾する。

 だが次の瞬間、矢はモヴァルスの手につかみ取られ、氷柱は半透明の膜に阻まれて砕け散った。

 続いて、紫電が舞い散った氷片の霧を切り裂き、ヴァルディマーへ向けて疾走してきた。

 

「うわ!」

 

「ぐっ!」

 

 ヴァルディマーは盾を掲げ、紫電を受け止める。

 雷が走ってきた先には、掴み取った矢をへし折るモヴァルスの姿があった。

 

「ち、障壁か!」

 

「バカめ! 貴様らの不意打ちなど、とうに察していたわ」

 

 吸血鬼は暗闇に生きる種族。そんなモヴァルスにとって、暗がりに身を隠した健人たちを見つけることなど造作もなかった。

 モヴァルスの紫電は途切れることなく、ヴァルディマーに叩きつけられ続ける。

 吸血鬼であるモヴァルスの魔法は、ヴァルディマーと比べても強力だった。

 モヴァルスが、雷の魔法にさらなる魔力を注ぎ込む。

 紫電が勢いを増し、ヴァルディマーの盾を食い破ろうとしてくる。

 ヴァルディマーは障壁魔法である“魔力の盾”を展開。盾と障壁魔法を併用して、モヴァルスの紫電を何とか受け止めていた。

 しかし、モヴァルスの魔法に押され、ヴァルディマーの障壁が徐々に軋み始める。

 このままでは押し切られる。

 マジ力を必死に引き出すヴァルディマーの脳裏に、そんな予感が走る。

 だが、モヴァルスの雷がヴァルディマーを盾ごと貫く前に、モヴァルスの横から突っ込む影がいた。

 

「ケント殿!?」

 

「はああああっ!」

 

 モヴァルスの側面に回り込んだのは健人だった。

 体勢を低くしたま、魔法の鍔迫り合いを続けるモヴァルスの元に飛び込んだ健人は、腰だめにしたブレイズソードをモヴァルスに向かって斬り上げる。

 

「ふん、ぬるいな!」

 

 モヴァルスが右手で腰の片手剣を引き抜き、健人の斬撃を容易く弾き返す。

 相手は二百年以上の時を生きた吸血鬼。見習い剣士である健人の太刀筋を見極めることなど造作もなかった。

 お返しとばかりに、モヴァルスが健人の腹を蹴りつける。

 

「ぐっ!」

 

 健人は咄嗟に盾でモヴァルスの蹴りを受け止めたが、あまりの力に吹き飛ばされてしまい、広間のテーブルに激突。

 悪趣味な食事をぶち撒ながら、地面に転がった。

 しかし、健人が斬りかかったことで、モヴァルスの魔法は中断された。

 その隙に、今度はヴァルディマーがメイスで殴りかかるが、今度は左手でもう一本、片手剣を引き抜き、ヴァルディマーの打撃を弾き返した。

 

「双剣使い……」

 

「ええ、しかも相当な使い手です」

 

 左右の手に同じ長さの片手剣を構えるモヴァルス。

 その様は、魔法を使っていた時よりも様になっていて、なおかつ、冷や汗が出るほどの威圧感を醸し出していた。

 

「当然だ。私は本来“こっち”の方がはるかに得意だ」

 

 間髪入れずに、モヴァルスが健人に斬りかかってくる。

 その速度は、目視では到底追いつかないほど速い。

 

「ぐううう!」

 

 袈裟懸けに振るわれた右手の剣を、健人は本能的に盾を使って受け流そうとした。

 強烈な負荷が健人の左手にかかるが、体ごと回転させることで何とか逸らす。

 しかし、モヴァルスの攻撃が一度で終わるはずもなく、二度、三度と立て続けに斬撃が繰り出されてきた。

 

「ケント殿!」

 

 押し込まれる健人を助けようと、ヴァルディマーが加勢に入ろうとする。

 しかし、モヴァルスは左手に剣を持ったまま詠唱をこなし、再びヴァルディマーに雷撃を浴びせた。

 加勢に入ろうとしたヴァルディマーの足が止まる。

 

「来い、犬ども!」

 

 モヴァルスが叫ぶと、広間の奥から、真っ黒な四足の獣が飛び出してきた。

 ぱっと見た外見は犬そのもの。だが、その頭部についた口は犬とは思えないほど巨大で、まるでナイフのような歯列がむき出しになっている。

 

「なっ!?」

 

「デスハウンドか!」

 

 デスハウンド。

 吸血鬼によって生み出され、調教された犬であり、その名にふさわしい獰猛さと凶悪さを持つ怪物だ。

 

「デスハウンド。そこのノルドを足止めしろ!」

 

 飛び出してきたデスハウンドは全部で三体。

 そのすべてが、モヴァルスの命令に忠実に従い、ヴァルディマーへと襲い掛かった。

 

「くそ! この犬っころが、邪魔をするな!」

 

「ヴァルディマーさん!」

 

「人の心配をしている余裕があるのか?」

 

「くっ……」

 

 デスハウンドによってヴァルディマーが足止めされた結果、健人はモヴァルスと一対一になってしまった。

 モヴァルスの鋭い斬撃が、立て続けに健人に襲い掛かる。

 健人は咄嗟に、すり足で後ろに下がりながらモヴァルスの剣を受けるが、それは薄氷上を全力疾走するような行為だった。

 いなしながら受けたとしても、盾を構える腕がしびれるほどの衝撃が襲い、ミシリと金属が悲鳴を上げる音が聞こえてくる。

 

(エルフの盾とはいえ、このまま受け続けたら潰される。このままじゃジリ貧だ!)

 

 胸の奥からこみ上げる焦燥。それを抑え込みながら、健人は全神経をモヴァルスの動きに集中させていた。

 右から袈裟懸けに振るわれたモヴァルスの剣を、盾を斜に構えて受け流し、返す刀で切り上げられた左の剣を、健人は左足を引いて躱す。

 さらに、頭上から再び襲ってきた右の剣を、今度は右足を引きながら側面から盾をぶつけて逸らし、突き入れた左手の剣を上からブレイズソードを叩きつけつつ横に跳んでいなす。

 ほんの僅か、紙一重の誤差やミスが、死に直結する暴風のようなモヴァルスの剣舞。それを健人は反射的な行動で躱し、いなし続けていた。

 生死の境を綱渡りするような行為中で、健人の集中力がさらに研ぎ澄まされていく。

 

「はあ!」

 

「む!?」

 

 幾合かの激突の後、健人とモヴァルスの戦闘の趨勢に若干の変化が表れ始めてきた。

 徐々に健人が、モヴァルスの動きに対応できるようになってきたのだ。

 横なぎに払われたモヴァルスの斬撃を、腰を落として避けつつ、盾で相手の足を払おうとする。

 さらに、薙いだ盾を一旦下がって躱したモヴァルスに踏み込み、相手の首をブレイズソードで斬り裂こうとしてきた。

 それは、つい昨日までの健人なら到底できなかった水準の行動。

 デルフィンが健人の体躯に合わせて仕込んだ刀術、反射のレベルでの戦闘行動。それがモヴァルスという明らかな格上との死闘によって、恐ろしい速度で最適化され、昇華され始めていた。

 健人の急成長を目の当たりにしたモヴァルスの口元が歪む。

 

「面白い。少しだが、お前に興味が湧いてきたぞ!」

 

 モヴァルスの剣速が更に上がる。

 先ほどが暴風なら、これはもはや竜巻と言っていい速度だった。

 何とか受け流していた健人だが、ここに来て明らかにモヴァルスの動きに遅れ始めた。

 

「くそ……ぐっ!」

 

 左の切り上げを受け流しきれず、健人の上体が浮く。明らかな隙を晒してしまった。

 追撃の突きが健人に迫る。

 

「しまっ……」

 

 全力で跳ね上げられた盾を引き戻し、モヴァルスの隙を受け流そうとする健人。

 何とか盾を引き戻すことには成功したものの、完全に受け流すことは到底できなかった。

 

「がああ!」

 

 更に悪いことに、ここに来てついに盾も限界を迎えた。

 モヴァルスの剣が健人の盾を貫き、脇腹を浅く裂く。

 幸い串刺しは免れたものの、完全に健人の足は止まってしまっていた。

 

「捕まえたぞ!」

 

「ちぃい!」

 

 頭上に振り上げられたモヴァルスの剣を見て、健人は即座に盾を放棄し、後ろに跳ぶ。

 致命の唐竹割りは避けられたが、モヴァルスは剣に突き刺さった健人の盾を、剣を振るって放り捨て、追撃してくる。

 健人は何とかブレイズソードだけで受け流そうと試みるが、唯でさえ速度の違う相手。圧倒的に手数が足りなかった。

 数撃で健人は防御を崩され、その左肩に刃を突き立てられる。

 

「があああああ!」

 

「中々面白かったが、私はかつて、シロディールの戦士ギルドで教導役もやっていたのだ。この程度の剣で倒されるものか」

 

 健人の肩を貫いたモヴァルスは、右手の剣を手放し、そのまま彼の首を締めあげながら吊り上げる。

 肩と首に走る激痛に、健人の手に携えられていたブレイズソードが、カラン……と音を立てて地面に転がった。

 

「ぐっ、がぁ……」

 

 強烈な圧迫感と苦痛、そして息苦しさに健人の視界は狭まり、明滅を繰り返す。

 目の前には、深紅の瞳で苦痛に歪む健人を楽しそうにのぞき込むモルヴァスの顔があった。

 

「さて、せっかくの晩餐が台無しになってしまった。代わりは、お前の血で補うとしよう。ついでに、お前を眷属としようか。なかなか面白そうな素材だ」

 

 モヴァルスが健人の血を吸おうと、真っ赤に染まった口を開いた。

 鋭く、醜悪な犬歯が露わになる。

 

「ケント殿!」

 

「そこで大人しく見ていろノルド。この小僧を吸血鬼に変えた後は、お前を小僧の餌にしてやる」

 

 健人の危機にヴァルディマーが何とか助けに入ろうとするが、その進路を阻もうと、デスハウンドが跳びかかってくる。

 

「ええい、邪魔だ!」

 

 跳びかかってきたデスハウンドの頭をメイスで潰し、駆け寄ろうとするヴァルディマーだが、残り二頭に側面から邪魔に入られて近づけない。

 必死に助けに入ろうとするヴァルディマーを嘲笑しながら、モヴァルスは健人の血を吸おうと顔を近づける。

 健人の手が、ピクリと動いた。

 

「馬鹿が……」

 

「なんだ、まだ意識が……ごあ!」

 

 次の瞬間、健人はモヴァルスの口に自分の右拳を叩きこんだ。

 虫の息だったはずの健人の予想以上のしぶとさに、モヴァルスの瞳が驚きで見開かれる。

 

「ぐむうううう!」

 

「血が飲みたいんだってな。たっぷり飲ませてやるよ!」

 

 そして健人は、モヴァルスの口内に手を突っ込んだまま、その拳に握った“小瓶”を握りつぶした。

 そして、モヴァルスの口の中を、名状しがたい痛みが暴れ始める。

 

「が、があああああ! ごぅううううう!」

 

 まるで口の中に焼けた火箸とウニを同時に突っ込んで咀嚼したような激痛。

 モヴァルスは思わず健人の体を離し、後ろに下がってのた打ち回り始めた。

 健人が握りつぶしたのは、フロストバイト・スパイダーの毒を詰めた小瓶。この洞窟の入り口で採集したものだ。

 フロストバイト・スパイダーの毒は、肌の上からでも焼けるような激痛を伴う。それを口の中でぶちまけられたことを考えれば、このモヴァルスの反応も無理はない。

 とはいえ、健人も無傷ではない。

 小瓶を潰す過程で毒は健人の手にも付着しているし、砕けた小瓶の破片が手の平に食い込み、傷口から毒が健人の体を犯し始めている。

 さらに、痛みのあまりモヴァルスが反射的に口に力を入れたためか、ガラスの破片だけでなくモヴァルスの牙も掌に突き刺さっており、右手は血で真っ赤な状態だった。

 当然、モヴァルスが受けた激痛が、健人の右手にも走っている。

 デルフィンの寸止めなしの鍛錬がなかったら、耐えられない痛みだ。

 それでも、激痛にのた打ち回るモヴァルスの姿に、健人は胸がすく思いだった。

 

「ぐ……。毒入りの血はどうだよ。このモグラ野郎」

 

「くそガキがあああああ!」

 

 激高したモヴァルスが、健人に斬りかかってきた。

 怒りで瞳をギラつかせながら、自分に傷を負わせた健人をブチ殺そうと、全力で剣を振り下ろす。

 健人は痛みで鈍る両手に鞭を打ち、足元に落ちている愛刀を拾い上げて掲げる。

 

「ケント殿、駄目だ!」

 

 モヴァルスの剣を受けようとしている健人の姿を見て、ヴァルディマーが悲鳴にも似た声を上げた。

 健人とモヴァルス。二人の間にある膂力の差は、どう考えても埋めようのないものだ。

 さらに健人は、その腕に浅くない傷を抱えている。

 ヴァルディマーの脳裏に、ブレイズソードごと体を両断される健人の未来が映る。

 

「ぐっ!」

 

「なっ!」

 

 だが、ヴァルディマーが見た未来は、全く違う形を見せた。

 振り下ろされるモルヴァスの剣。それに合わせるように、健人の体が横に流れ始めた。

 健人が体を落としながら左足の力を抜き、右足には力を入れたことで体幹の均衡が崩れ、横に滑るように移動し始めたのだ。

 

(全身を、柔らかく……!)

 

 さらに健人は、痛みで感覚が鈍る両手でブレイズソードの柄を保持しつつ、自分から迎えるように剣の柄を掲げながら、刃を体に沿わせるように斜に構える。

 それは、デルフィンが健人との模擬戦で見せてきた受け流しの型。

 豪速で振るわれたモヴァルスの剣は刀の側面を流れるように逸れていく。

 怒りに染まっていたモヴァルスの表情が、驚愕のものへと変わった。

 

「ああああああああ!」

 

 ここに来て初めて相手が見せた、明確な隙。それを逃さんと、健人は全力で吠えた。

 手首を返し、脇を締め、足首から脳天までの関節すべてを動員して、モヴァルスの首目掛けて刀を振り下ろす。

 振り下ろされた刃はモヴァルスの延髄から食い込み、ザンッ! と骨を切断して喉へと抜けた。

 鮮やかに切断された首が転がり、頭を失った体が地面に崩れ落ちる。

 モヴァルスはその顔を驚きに染めたまま、その意識を永遠の闇へと落としていった。

 

「はあ、はあ、はあ……うぐ!」

 

 モルヴァスを倒した健人だが、彼の体も限界だった。

 ブレイズソードを手放し、その場に座り込んでしまう。

 そこに、デスハウンドを片付けたヴァルディマーが歩み寄ってきた。

 

「見事です、ケント殿」

 

「ヴァルディマーさんは、大丈夫ですか?」

 

「はい、お陰様で。それよりも、そちらの治療をしましょう」

 

「よか……ぐう!」

 

「ケント殿!」

 

 思い出したように痛みがぶり返してくる。

 流れ続ける血の熱と、暗くなる視界。消えていく意識の中で、健人の脳裏に犠牲となった少女の顔が浮かぶ。

 

“ありがとう、お兄ちゃん”

 

 満足そうな笑みを浮かべた少女の声を感じながら、健人の意識は闇の中へと消えていった。

 




というわけで、吸血鬼退治までのお話でした。
綱渡りのような戦闘の果てに、何とかモヴァルスを倒した健人君。
次話はモーサルでの最後のお話となります。

以下、登場人物紹介

モヴァルス・ピクイン
モーサルのクエスト“埋葬”の最終ボスであり、作中でも強力な吸血鬼の一人。
元々は戦士ギルドで訓練師を務めるほど優秀な戦士であり、かつてはタムリエル中の吸血鬼を退治して回る吸血鬼ハンターでもあった。
しかし、不意を突かれて吸血鬼に血を吸われ、自身が吸血鬼になってしまう。
アルバを吸血鬼に変え、モーサルを乗っ取ろうとした、今回の事件の黒幕。
靴集めが趣味なのか、数多くの靴を持っており、彼の靴も隠密効果を高めるユニーク防具扱いになっている。



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第五話 悲しき事件の終わり

「ここは……」

 

 目が覚めた健人の目に飛び込んできたのは、木製の天井。

 続いて、仕立てのいいふかふかな布団が全身を暖かく包み込む感触だった。

 

「目が覚めたみたいね」

 

 健人が視線を横に向けると、ベッドの傍にたたずむデルフィンの姿があった。

 

「デルフィンさん。ここは……」

 

「首長の屋敷にある寝室よ。貴方、吸血鬼退治で大怪我負って運び込まれたのよ。覚えていないの?」

 

「モヴァルスを倒したところまでは覚えていますが、それ以降は、まったく」

 

 健人はモヴァルスを倒した直後に意識を失った。

 デルフィンの話では、負った傷による出血と毒のせいで、危篤状態だったらしい。

 幸い、吸血鬼のアジトに毒消しの薬があったことと、ファリオンが回復魔法を使ってくれたおかげで一時的に持ち直し、モーサルに帰るまで何とか間に合ったのだ。

 ちなみに、モヴァルスの一味であったアルバは、ファリオンとソンニールが倒したらしい。

 フロガーもアルバを倒したことで、正気に戻ったとの事。

 どうやらアルバはフロガーを誘惑する過程で、何らかの魅了の魔法を使っていたらしい。

 その魔法もアルバが死んだことで解けた。

 

「よくもまあ、あのモヴァルスを倒せたわね。あの吸血鬼はかつてシロディールの戦士ギルドで教導役を務めていた腕の持ち主よ?」

 

「ええ、ですから、普通に斬り合っても勝てないとは思っていました……」

 

 モヴァルスについて記した書籍“不死の血”を読んでいたことから、健人は自分とモヴァルスとまともに剣で打ち合っても勝てないと推察していた。

 だからこそ、健人はモヴァルスに真面な剣を振らせないように誘導した。

 追い詰められたフリをしてモヴァルスに毒を飲ませ、怒らせ、相手の剣から術理を奪い取る。

 未熟な自分に手傷を負わせられたら、プライドの高いモヴァルスなら我慢がならないだろうという考えから編み出した戦術である。

 健人の立てた戦術を聞いて、デルフィンは溜息を吐いた。

 悪くない手ではある。相手が格上と分かり切っているなら、それに合わせた戦術を組むのは基本だ。

 ただ、健人が考えたこの戦術、あまりにも綱渡りの要素が多すぎる。

 戦士ギルドで教導役をしていたモヴァルスと、それなりに打ち合える技量、肩を貫かれても戦意を失わない精神力、最後に、追い詰められた状態で、怒りでタガの外れた相手の斬撃をいなせるだけの技量。

 どれもが、デルフィンから見ても健人にはまだ無理だと思えていた要素だ。

 だが、この青年はそれを成した。

 ぶっつけ本番で、明らかな格上を相手にして。

 戦士としても腕の立つデルフィンだからこそ分かる。自らの弟子が、この実戦の中で、数段先を行く成長をしたことを。

 

(まったく、前々から思っていたけど、妙な発想する上に無茶をする。もっとも、考え出した戦術を自分で実行できるくらいの実力は身についたということかしら……)

 

 弟子の所業に呆れつつも、内心では成長を喜んでいたが、まだ彼女には健人に言っておかなければならないことがあった。

 

「さてケント、私は確かこう言ったわよね。私が帰るまで、大人しくしていなさいって。それなのに、何をしているのかしら?」

 

 デルフィンが話を切り替える。

 笑みを浮かべつつも、その瞳には秘めた怒りが爛々と輝いていた。

 

「え、ええっと、怒っています?」

 

「どうして怒らないと思うのかしら?」

 

 デルフィンと健人は、この後サルモール大使館に潜入する。

 当然ながら、目立つような行動は極力避けなければならない。

 今回の健人の行動は、本来の目的からは大きくかけ離れているし、逆に目的遂行を阻害する行為でしかない。

 デルフィンが激怒するのも当然だった。

 

「ヘルギの最後の言葉を聞いたら、無視できなかったんです。あの子、やっと眠れるって言っていました」

 

「ヘルギって、あの燃えた家の娘でしょう。

 例えそれでも、無視すべきだったわ。私達はやるべき事がある。吸血鬼にしても、すぐにこの街に襲い掛かってくるわけでもなかったでしょうに……」

 

「…………」

 

 健人の想いも、デルフィンはにべもなく一蹴する。

 今回の吸血鬼討伐と、それに繋がる一連の健人の行動はどう見ても理に合わないのだから仕方ない。

 健人もそれは自覚しているため、押し黙るしかなかった。

 

「モヴァルスは強力な吸血鬼だった。今回は幸い勝利を手に出来たけど、貴方は「そこまでにしておやりよ」」

 

 さらに健人に言い含めようとするデルフィン。だが、そんな彼女を止める声が寝室に響いた。

 

「弟子が心配なのは分かるが、結果的にこちらは救われたんだ。彼自身も、自分が無茶をしたことは理解しているさ」

 

 話に割って入ってきたのは、モーサルの首長イドグロッド。彼女の後ろには、健人と一緒に戦ったヴァルディマーの姿もある。

 このハイヤルマーチホールド最高責任者の登場に、デルフィンも仕方ないというように肩をすくめて下がった。

 ヴァルディマーと視線が合った健人が頭を下げると、彼はこれ以上ないほど礼儀正しく深々と礼をしてくる。

 健人はそんなヴァルディマーの態度に首をかしげる。

 しかし、脳裏に受かんだ疑念が解決する前に、イドグロッドが健人に声をかけてきた。

 

「体は大丈夫かい?」

 

「は、はい」

 

「それはよかった。アンタはモヴァルスに噛まれたたことで吸血鬼に成りかかっていたんだけど、間に合ってよかったよ」

 

「うえ!?」

 

 そう、実は健人は、モヴァルスに毒を飲ませた際に噛まれた為、サングイネア吸血病に掛かっていた。

 この病は吸血鬼に噛まれることで感染し、適切な治療をしなければ、感染者は吸血鬼になってしまう病である。

 そして当然ながら、この病は通常の治療薬や毒消しでは治せない。

 吸血鬼を退治しに行って、自分が吸血鬼になってしまうなど、お笑いにもならない事態なりかけていた事に、健人は思わず素っ頓狂な声を漏らした。

 

「幸い、どこかの親切なお弟子さんが、錬金術師の店に治療薬の素材を売っていたみたいでねえ。アンタの容態を知って、大至急ラミに薬を作らせたんだよ」

 

「治療薬の素材? ……あっ」

 

 健人は、自分が仕留めたマッドクラブを思い出す。

 あれは確か、吸血病を治す特効薬の原材料になったはずだ。

 どうやらその素材を使い、この街の錬金術師であるラミが薬を作ってくれたらしい。

 そこまで話したところで、いたずらっぽい笑みを浮かべていたイドグロッドが、急に真剣な顔つきになった。

 

「さて、ケント。アンタはこのモーサル、そしてハイヤルマーチに、極めて大きな貢献をしてくれた。私はこのホールドの首長として、君の誠意に報いなければならない」

 

「いえ、俺は……」

 

「ゆえに、私は首長として、君に従士の称号を与えたいと考えている」

 

 日本人らしい謙遜をする前に、イドグロッドがとんでもないセリフを口にしてきた。

 

「……え?」

 

「受け取ってくれるかい?」

 

 一瞬彼女が何を言っているのか理解できなかった健人。返事すらできずに呆けてしまう。

 数秒の間、意識を飛ばしていた健人が、ようやくイドグロッドの言葉を理解したものの、どうしたらいいか分からずあちこちに視線を彷徨わせている。

 

「従士となれば、君にはこのモーサルで土地を買う権利と、専属の私兵が与えられる。私兵には、このヴァルディマーがなる予定だ」

 

「……ヴァルディマーさんは、いいんですか?」

 

 健人はイドグロットの後ろに控えているヴァルディマーに問いかけるが、彼はむしろ願ったりといった様子で笑みを浮かべた。

 

「敬称など付けず、ヴァルディマーとお呼びください。我が身、我が命すべてでもって貴方を守りましょう。どうか、貴方様に仕えさせていただきたい!」

 

「え、ええ……」

 

 これ以上ないほどの敬意をもって、健人の問いに答えるヴァルディマー。

 どうやら彼の中で、健人の株はストップ高の様子だ。

 健人はこの部屋に彼が入ってきた時の畏まった態度の真意を理解したが、他者から傅かれたことなどない身の彼にとって、ヴァルディマーの尊崇してくる態度は健人の困惑を一層助長させるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の帳が下りたモーサル。

 普段なら静寂の闇に包まれるこの街も、今日だけは焚火の明かりが無数に灯り、にぎやかな喧騒に包まれていた。

 首長の家の前には各々の家が持ち寄ったイスやテーブルが所狭しと並び、あちこちで料理や酒が振る舞われている。

 吸血鬼の騒動が一件落着となり、街の皆の顔は付き物が落ちたかのほうに晴れやかだった。

 一方健人は、飲みなれない酒の入ったコップを片手に、宴の端で物思いにふけっていた。

 

「盾がパーになった。どうしようかな……」

 

 健人が愛用していたエルフの盾は、モヴァルスとの戦いで穴が開き、使い物にならなくなった。

 しかし、悪い事ばかりでもなく、付与されていた魔法防御の付呪はファリオンのアルケイン付呪器で取り出し、健人が取り込んでいる。

 アルケイン付呪器は装備の破壊と引き換えに、術者に付与されていた術式を取り出し、術者本人に刻み込むことができる。

 これにより健人は、魂石と付呪器、適切な装備があれば、魔法防御の付呪を付与することができるようになった。

 さらに、モヴァルスの隠れ家にあった魔法装具も持ち出し、破壊して術式を手に入れている。

 戦力強化という意味では、決して悪くない成果といえるだろう。

 

「よかったの?」

 

 ワイン片手に歩み寄ってきたデルフィンが、声をかけてくる。

 

「何がですが?」

 

「従士の件、受けてもよかったじゃない。保留なんて……」

 

 健人は結局、従士となることを辞退した。

 自分のことで精一杯であり、モーサルの力になることが難しい事。

 これからサルモール大使館に探りを入れなければならない事。

 なにより、従士という肩書が持つ重圧が、重すぎると感じたからだ。

 

「俺には荷が重すぎますよ。それに、デルフィンさんも賛成してくれると思ったんですけど?」

 

「こんな大事になったのなら、今更隠そうとしても無理でしょ。

 それにこの件で、モーサルの首長とはよい関係を築けるわ。弟子が勝手に動いたことには怒るけど、その功績まで否定する気はないわ」

 

 それだけ言って、デルフィンはワインの注がれた杯に口をつける。

 

「フロガーさん、どうなるんでしょうね」

 

「さあ? モーサルは閉鎖的な街だから、これから苦労するでしょうね」

 

 アルバに操られていたフロガーは、殺される直前、ソンニールとファリオンに助けられた。

 操っていたアルバが倒されたことで正気には戻ったものの、これから先、モーサルで生活していけるかどうかは分からない。

 

「まあ、それでも何とかなるんじゃない?」

 

「え?」

 

 デルフィンがスッと指差す方向に目を向けると、そこにはフロガーを宴の席に引きずってきたソンニールの姿があった。

 フロガーは何か叫びつつソンニールを振り払おうとするが、彼は構わず自分の席の傍にフロガーを座らせると、コップを持たせてなみなみと酒を注いだ。

 そして自分の杯にも酒を注ぎ、一気に飲み干した。

 フロガーもそんなソンニールの態度に、おずおずとコップに口をつける。

 フロガーが酒を飲み干すと、ソンニールが再び酒を注ぐ。

 

「吸血鬼に身内を奪われた者同士、思うところがあるのでしょうね」

 

 やがてフロガーもソンニールに酒を注ぎ始め、いつしか二人は騒がしい宴の中で、二人だけの酒盛りを始めていた。

 片や吸血鬼に復讐をした者、片や吸血鬼に操られた者。

 この事件において互いの立ち位置は違えど、二人は吸血鬼に家族を奪われた者同士でもあった。

 フロガーの行く先は暗い。しかし、まったくの暗闇というわけでもない。

 そんな予感を感じさせる光景だった。

 

「まあ、よかったですよ。それはいいとして……」

 

 フロガーとソンニールの酒盛りを見るついでに、健人は周りを見渡してみる。

 宴の席の中央では、いつの間にか男達による腕試しが行われていた。

 しかも、腕相撲とか重量挙げとかではなく、素手による殴り合いというガチの腕試しである。

 今戦っているのは、ベノアという青年と、イドグロッド首長の従士アスルフルだった。

 

「やれ、ベノア! 気取ったアスルフルのケツにトナカイの角を刺してやれ!」

 

「アスルフル! 負けるんじゃないよ! その臆病者のタマ捩じり取って、スローターフィッシュの釣り餌にしてやりな!」

 

 酒が入っているせいか周りを取り巻く観衆も熱狂し、日本の公共の場ではとても口にできないセリフが雨後のタケノコのようにポンポン出てくる。

 大声で騒いている観衆の中にはイドグロッド首長や、錬金術師のラミの姿もある。

 イドグロッドは骨付き肉とエールを入れたコップ。ラミは串焼きと……紫色の怪しい小瓶を持って騒いでいる。

 健人としては首長が脳溢血で倒れたりしないか心配になる光景だ。

 ついでに、ラミが手に持っている小瓶も気になる。

 紫色の、どう見ても怪しい小瓶の中身を呷りながら叫んでいるのだ。健人としては、頼むからその小瓶の中身が懸念するものでないことを願うばかりだった。

 

「ノルドのお祭りは、いつも蜂蜜酒を飲みまくり、殴り合いをすることが相場と決まっているのよ」

 

「そんなお祭りいらない……」

 

 健人はノルドが蛮族と言われるようになった理由が分かった気がした。

 個人の武勇を崇拝するノルドらしいといえばそうだが、健人としては言いようのない脱力感と共に、肩を落とすようなものである。

 とはいえ、日本にも、奇怪奇妙な祭りは数多存在する。

 丸太に乗って坂を駆け下りたり、神様を乗せるはずの神輿を時速数十キロでかっとばしたり、子宝に恵まれるようにと公共の場では憚られるような形の神輿を煉り回したりと、中々のフリーダムぶりである。

 つまるところは、どこの国でも世界が違えど、人間騒ぐときは皆一緒ということだった。

 

「おい! そこにいるのは邪悪な吸血鬼を倒した英雄じゃないか! 一勝負しようぜ!」

 

「ほら、お呼びよ」

 

「ええ……」

 

 勝負が終わったのか、先ほどまで戦っていたベノアが次の相手に健人を指名してきた。

 厄介事の到来に、へたりこみそうになったところで、デルフィンがこれ以上ないほど見事に健人の手首を極めて無理やり立たせ、ドンと背中を押す。

 背中を押されてたたらを踏んだ健人は広場の中央、簡易闘技場ともいうべき場所に放り込まれてしまった。

 今日の宴の主役の登場に、モーサル中の人達が歓喜の声を上げる。

 

「なんでこうなってんだ?」

 

「どうした? 怖気づいたのか? ほら、かかってこいよ」

 

「…………」

 

 勝つ自信があるのか、ベノアがこれ以上ないほどいい顔で挑発してくる。

 ダダ下がりのテンションが一周回ってヤケになった健人は、無言で近くのテーブルの蜂蜜酒とエールとワインの瓶を手に取り、全部を豪快にラッパ飲みし始めた。

 強烈な酒精が喉を焼き、頭が朦朧としてくるが、もうこの際知ったことか! と一気に飲み干す。

 普段は理性的にふるまおうが、健人もまた、地球では世界中から奇天烈民族に認定されている日本人である。

 一度タガが外れれば、行くとことまで行ってしまうのはノルドと一緒であった。

 

「そう来なくっちゃな! 行くぜ!」

 

 やる気になった健人に、ベノアが挑戦的な笑みを浮かべて威勢よく突っ込んでくる。

 健人は見え見えのストレートを体を捻って躱すと、突き出されたベノアの手をつかんで引っ張る。

 

「ふん!」

 

「ごあ!」

 

 さらに手を引いた勢いのまま腰を落とし、中学の時に体育の授業で習った背負い投げの要領でベノアを投げ飛ばした。

 放り投げられたベノアは地面に背中から叩き落され、目を回す。

 モヴァルスとの戦いで何か掴んだのか、健人自身も驚くほど自然に体が動いた。

 英雄の勝利に観客たちが一際大きな歓声を上げる。

 

「さすが従士様」

 

「……従士じゃねえです」

 

 労ってくるヴァルディマーに呂律の回らない返事を返しながら、健人はもう一杯蜂蜜酒を呷り、次はどいつだとばかりに手招きする。すっかり酔っ払いとして出来上がっていた。

 そして乱入してくる多数の挑戦者。

 最終的にこの腕試しはモーサルの男達全てを巻き込んだ乱闘騒ぎに発展し、収拾がつかないまま、男達全員が倒れるまで続けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 乱闘騒ぎの中で暴れる健人を眺めながら、デルフィンは一人、感傷的な溜息をもらす。

 飛躍的な成長を遂げた弟子は、喧騒のど真ん中で、次々と現れる挑戦者たちを片っ端から組み伏せている。

 酒が入って色々とタガが外れているらしく、普段の物静かさが嘘の様だった。

 

「そういえば、こんなに騒がしいのは久しぶりね……」

 

 サルモールから追われ続けた数十年、彼女の心が休まる日はなかった。

 帝都を追われ、タムリエル各地を這いずり回りながら生き抜いてきた間、一時も気を抜くことはできなかった。

 このスカイリムに来て、リバーウッドのスリーピングジャイアントで過ごしていた時期が、彼女にとっては一番穏やかだったと言えるのかもしれない。

 ふと、デルフィンの脳裏に、リバーウッドに残してきた人嫌いなオーグナーの顔が浮かぶ。

 ぶっきらぼうで、無口な癖に、臆病なノルドらしからぬ人物だった。

 店はリバーウッドを出ていくときに譲り渡してしまったが、本人はまだ“店主じゃない”と言い張っているだろう。

 オーグナーの顔を思い浮かべたデルフィンの口元が、自然と笑みを浮かべる。

 しかし、その笑みはすぐに消えた。彼女の脳裏に、かつての仲間達の死が蘇ったからだ。

 デルフィンは大戦を経験したブレイズ。そしてブレイズという組織は、その大戦で壊滅した。

 その大戦で、サルモールは宣戦布告がてら、帝国にサマーセット島に潜入していたブレイズ百人分の首を送り付けてきた。

 それは、デルフィンが苦楽を共にした仲間達の首でもあった。

 当時、デルフィンはサマーセット島に潜入していたが、彼女はたまたま帝都に呼び戻されていたために、難を逃れた。

 サルモールに殺された百人の仲間達の顔は苦悶にゆがみ、そこかしこに拷問の跡が見て取れた。

 目を焼きつぶした跡、耳を削いだ跡、歯をへし折り、頬を砕いた痕。

 サルモールの人間に対する暴力的で、陰湿な性格が、これ以上ないほど示されていた。

 大戦期、デルフィンは何度もサルモールの刺客に命を狙われたが、彼女は怒りと憎悪をもってその刺客を撃退し、鏖殺してきたのだ。

 そして大戦が終わってもサルモールの追跡は終わらず、その因縁が彼女の人生に影を落とし続けている。

 

「私の意思は変わらない。すべては“ブレイズ”と“ドラゴンボーン”のために……」

 

 その凄惨な記憶と過去が、彼女の平穏を許さない。

 ブレイズのために、仲間達のために、必ずや使命の完遂を。

 デルフィンは胸の奥で、僅かに灯った安らぎを握りつぶしながら、過去の仲間たちに向けて、改めて誓いを立てていた。

 

 




今回でモーサルの事件は終了。
次はメインクエストに戻り、サルモール大使館侵入となります。

以下、登場人物紹介

イドグロッド・レイブンクローン
ハイヤルマーチホールドの現首長である老婆。
未来を予知するような発言が多く、変人にみられる時もある。
帝国側についているが、何よりも彼女が優先しているのはハイヤルマーチであり、モーサルである。

ヴァルディマー
ゲーム上では従士となったドヴァキンの私兵となる人物。
私兵の中では珍しい魔法使いであるが、片手剣、重装スキルの持ち主であり、盾を持たせれば盾役もしっかりこなせる。
本小説ではモヴァルス討伐の際に健人と共闘。
モーサルの為に命を懸けてくれた健人に心酔し、彼の私兵になることを誓っている。
もっとも、健人が従士の称号を受け取っていないため、保留となっている。




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第六話 ソリチュード

 太古の上り坂。

 ヘルゲンとファルクリースの中間に位置する遺跡に、リータ達の姿はあった。

 グレイビアードにユルゲンウインドコーラーの角笛を渡したリータは、グレイビアードにドラゴン語で歓待された後、声の修業を行った。

 修業を始めて数日で複数の言葉を覚え、アーンゲールから驚愕と共に称賛された。

 一つの言葉を覚えたら次の言葉を、さらに次をと、声の習得を続けようとするリータ。

 しかし、イヴァルステッドでリータ達との連絡役としていたリディアから、ドラゴン目撃の情報を受け、こうして山を下り、ドラゴン退治に訪れたのだ。

 

“グオオオオオオオン”

 

 鼓膜が破れるかと思えるほどの咆哮が、太古の上り坂に響く。

 相手はブラッドドラゴン。

 ホワイトランを襲ったミルムルニルによく似た容貌を持つドラゴンだ。

 

“ヨル……トゥ、シューーール!”

 

 上空から急降下してきたドラゴンが、リータめがけてファイヤブレスを叩きつけようとしてきた。

 炎の激流が、小さな人間の少女を飲み込まんと疾駆する。

 

「ファス……ロゥ、ダーーー!」

 

 だが、その激流は、少女の“声”に容易く消し飛ばされた。

 グレイビアードにて最後の三節目が加えられ、さらに強力になった揺ぎ無き力がファイヤブレスを消し飛ばし、急降下してきたドラゴンを捕らえる。

 

“グォオオ!?”

 

 真正面から衝撃波を食らったドラゴンは体勢を崩して落下。地面に激突。

ガリガリと土を削りながら、ドラゴンは地に落とされた。

 そこに、リータは一気に駆け寄る。

 

「はああああ!」

 

 上空から落下し、衝撃で目を回しているドラゴンに素早く接近し、その刃を振るう。

 強靭な鱗を削り、皮膚を裂き、翼を斬り裂き、肉を抉る。

 

「リディア!」

 

「はい、従士様!」

 

 飛行の能力を奪ったところで、リディアが背負っていた鋼鉄製の両手斧をリータに投げ渡す。

 片手剣だけではドラゴンの命を絶つのは難しいと考えたリータが、新たに選んだ得物だ

 リータは片手剣を放り棄て、両手斧をキャッチすると、そのまま疲弊したドラゴンの頭に飛び乗り、最後に止めと脳天に両手斧を打ち込んでその命を絶った。

 命を絶たれたドラゴンは炎に包まれ、光の奔流となってリータに注がれる。

 骨になった竜の亡骸を、リータは無表情のまま睨みつけていた。

 ドラゴンの魂を完全に飲み込むと、リータはゆっくりと両手斧を降ろし、続いて、太古の上り坂の石碑に歩み寄る。

 この石碑は、以前ウステングラブで見た石碑と酷似していた。

 石の壁にはドラゴン語が刻まれ、リータには刻まれた文字から風が唸るような音が聞こえてきていた。

 ゆっくりと石碑に歩み寄り、刻まれた言葉を読み取ると、リータの内にあるドラゴンソウルが、言葉の意味を教えてくる。 

 言葉の習得が終わったリータに、私兵であるリディアが駆け寄ってきた。

 

「従士様、お疲れ様です。どのような言葉を学ばれたのですか?」

 

「“ラーン”動物という言葉。多分、近くの動物に語り掛けて、力を貸してもらうシャウトだと思う」

 

 リータは持っていた両手斧をリディアに返し、放り棄てた片手剣を拾う。

 新たな言葉を習得したリータ。しかし、その表情は氷のように無表情のままだった。

 

「これで、ファルクリースの人達は大丈夫かな?」

 

 太古の上り坂の眼下に広がるファルクリースの森を見下ろしながら、リータがつぶやく。

 彼女はこの太古の上り坂に来る前、補給のために一度ファルクリースに寄っている。

 その時、ファルクリースのシドゲイル首長からも、この太古の上り坂に巣食ったドラゴンの討伐を依頼されていた。

 

「はい、シドゲイル首長の懸念もそうですが、住民がドラゴンに襲われる危険は払拭できたかと」

 

「そっか、よかった……」

 

 先ほどまで無表情だったリータの顔に、ようやく安堵の笑みが浮かぶ。

 彼女にとって、シドゲイル首長の依頼などは関係がなく、自分と同じ境遇の人間が出なかったことが、何よりも嬉しかった。

 

「……凄いな」

 

 そんなリータの様子を遠目から眺めていたドルマの口から、そんな独白が漏れた。

 ドラゴンを殺すまでの鮮やかとも思える手並み。

 スカイリムを恐怖と混乱に陥れているドラゴンをこうも容易く屠るようになった幼馴染の姿に、ドルマは何とも言えない、複雑な気持ちを抱く。

 ドラゴンスレイヤー。

 ノルドとして、最高の誉れであると同時に、そんな幼馴染の姿に羨望と誇りを抱く。

 だが同時に、瞬く間にドラゴンを屠るまでに強くなった幼馴染に、言いようの無い不安も抱くようになっていた。

 

「ドルマ、どうかしたの?」

 

「いや、何でもない。そういえば、あのよそ者は今何やっているんだ?」

 

 浮かんだ懊悩をごまかすように、ここにいない健人の話題を振る。

 リータの唯一残った家族。

 正直言って、ドルマが健人に抱く感情は複雑だ。

 身の上を語ろうとしない健人に不信感を抱いたこともあるし、ドラゴン相手に怯まなかった健人に内心感嘆したこともある。

 だが何より、彼自身が一番“気持ちを抱いている女性”に、最も気を向けられていることが、ドルマが健人に抱く心証をより複雑なものにしている。

 そんなドルマの複雑な気持ちを知ってか知らずか、リディアとリータは健人の話で盛り上がっていた。

 

「デルフィンさんの話では、モーサルにいるみたいだけど……」

 

「彼女の報告では、モヴァルスと呼ばれる強大な吸血鬼を倒したとのことです。モーサルのイドグロッド首長は従士の称号を賜るつもりだったそうですが、健人様は保留されたと」

 

 リータの言葉をリディアが引き継ぐ。

 リータ達は、デルフィンから定期的に手紙を受け取っていた。

 手紙にはドラゴンの目撃情報や、健人の近況を書かれていた。

 そこには当然、モーサルの吸血鬼騒動についても書かれている。

 どのように騒動に巻き込まれ、どのように戦い、勝利したか。

 簡潔で明瞭なデルフィンの報告、そして相変わらずの健人の無茶ぶりに、ドルマは溜息を漏らす。

 

「軟弱なくせに、よく死ななかったもんだな」

 

「ドルマ殿、不謹慎ですよ」

 

「ふん……」

 

 憎まれ口を叩くドルマを、リディアが諫める。

 リディアとしては、主の義弟。自身にとっても弟子のような存在の躍進に、終始嬉しそうだった。

 

「また、無茶してる……」

 

 一方、リータは健人の近況を聞いて、悲しむように唇を噛んでいた。

 吸血鬼と正面から戦い、油断させ、相手の得意分野でワザと怒りを買い、隙を突く。

 傍から見ても綱渡りと分かる健人の戦い方に、リータの焦燥が募っていく。

 むろん、健人がどうしてここまで無茶をしたのか、その理由をリータは知っているし、健人が強くなっていることは素直に嬉しい。

 だが、それは健人がより厳しい戦いの場に身を投じていくことも意味している。

 だからこそ、喜びよりも悲しみと焦燥が先立ってしまうのだ。

 

 

「従士様、デルフィンの報告では、ロリクステッドに西にドラゴンの塚があるそうです。それに、イリナルタ湖やマルカルス付近でもドラゴンの目撃情報があるそうですが……」

 

「ファルクリースに戻って首長に報告したら、直ぐに行く」

 

 ドラゴン。

 その言葉を聞いたリータの意識が切り替わる。

 手紙には健人の近況だけでなく、ドラゴンの目撃情報も纏めて書かれていた。

 

「しかし従士様は、今しがたドラゴンを倒されたばかりです。一度ファルクリースに戻った後は、しばらくお休みになられては……」

 

「そうしている間に、村や街が焼かれる」

 

 休息を求めるリディアの言葉をリータは切って捨てる。

 確かに、世界のノドから太古の上り坂に来るまで、リータは強行軍で進んできた。

 馬車なども使ったが、それでも疲労は確実に残っている。

 しかし、そんな疲労など、リータには関係ない。

 ドラゴンを殺す。そして、健人を戦いに出なくていいようにする。

 その想いが、今のリータを突き動かしていた。

 

「……だが、食料や装備の手入れは必要だ。お前の剣、もう限界だろ?」

 

「……」

 

 しかし、そんなリータの様子を横から見つめていたドルマに、彼女の威勢はくじかれた

 実際、ドラゴンと戦ったリータの剣は、もう限界だった。

 質の良いエルフ製の剣ではあるが、ドラゴンとの戦闘ですっかり刃がこぼれ、刀身にも歪みが生じ始めている。

 強靭なドラゴンの鱗や骨を刻み続けたのだから、無理もない。

 とどめを刺すのに使った鋼鉄製の両手斧の刃も潰れており、こちらも修理が必要だった。

 

「どのみち、武器がなければ戦えん。鎧や盾も限界。鍛冶屋に造ってもらう間は、ファルクリースからは動けねえよ」

 

「……分かった。でも、時間が惜しいのは確か。リディア、どれだけお金がかかってもいいから、徹夜で仕上げさせて」

 

「分かりました。従士様の命ずるままに」

 

 話が纏まったところで、リータ達は下山の準備をする。

 

「ほれ……」

 

「え……わぷ」

 

 ドルマが自分の外套をリータの頭にかぶせてやる。

 リータの外套はドラゴンとの戦いの最中に地面に落ちて、雪と泥でぐちゃぐちゃになってしまっていた。

 スカイリムの寒冷な大地は厳しい。

 汗をかいた状態のまま放置すれば、ノルドでも低体温や凍傷を負ってしまう危険がある。

 

「体が冷える。被っとけ」

 

「うん。ありがとう、ドルマ」

 

「ああ、気にすんな」

 

 かぶせられた外套の端を摘まみ、俯いたまま礼を言ってくるリータ。

 ドルマは好いた相手からの感謝に一時の喜びをかみしめつつも、内心の懊悩を飲み込んでいた。

その後、ファルクリースでシドゲイルの歓待を受けたリータは褒美として黒檀の装具を受け取り、その武具で立て続けにドラゴン達を屠って行くこととなる。

このドラゴン退治でリータの名は真の意味でスカイリムに轟くことになった。

そして彼女達は健人達と合流するため、ソリチュードを目指す事になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ソリチュード。

 スカイリム北西に存在するハーフィンガルホールドの首都であり、スカイリムの中でも文化的に帝国の影響を色濃く受けた都市だ。

 この都市は湾の中に作られた街で、海から吹く北風を山脈が遮っているおかげで、スカイリムの北部にありながら穏やかな気候が保たれている。

 また、湾内に作られた港は北からの荒波を遮り、スカイリムの中でも大型の船舶が停泊可能な数少ない港であった。

 同時に、この港は東帝都社と呼ばれる大規模交易会社が牛耳っており、タムリエル各地との交易で莫大な財を生んでいる。

 この財と比較的穏やかな気候により、ソリチュードの経済力はスカイリム屈指のものとなっていた。

 そんなソリチュードを訪れた健人は、その華やかな街並みに目を奪われていた。

 

「うわぁ……すごいな」

 

 整然と敷き詰められた石畳、そびえる白亜の巨壁。そのどれもが、健人がタムリエルに来てから、最も巨大な建築物である。

 モーサルで修業を積み、その街で起こった吸血鬼の陰謀を止めた健人は、アルドゥインの情報を集めるために、サルモール大使館に潜入しようとしていた。

 

「確かに、ソリチュードはスカイリムでも屈指の大都市だけど、それでも内乱の影があるわ」

 

「え?」

 

「見てみなさい」

 

 デルフィンが指さす先には数十人からなる人だかりができていた。

 ガヤガヤと騒がしく、時折怒号が飛ぶその様子は、尋常ではない雰囲気を醸し出している。

 

「あれは……」

 

 まるで、熱に浮かされたように騒ぐ市民たちの様子に、健人はなんとなく既視感を覚えていた。

 

「公開処刑よ」

 

 デルフィンの言葉に、健人は“やっぱり”と心の奥で呟く。

 処刑台を囲む聴衆と、罪状を告げる審問官。

 処刑台に挙げられた罪人は己の正当性を叫び、聴衆は罵声を浴びせる。

 健人自身、ヘルゲンで見た光景だった。

 ヘルゲンでの処刑は反乱軍であるストームクローク兵だったが、今健人達の目の前で行われている処刑は、そのストームクロークを幇助した市民の処刑らしい

 罪人の名はロッグヴィル。

 何でも上級王トリグを殺したウルフリックが、ソリチュードから逃げる際、閉ざしていた門を開けた人間らしい。

 市民は叫ぶ「この人殺し!」と。

 罪人は叫ぶ「上級王を決闘で決める。それがノルドのやり方だ!」と。

 健人は、そんな彼らの主張を冷めた目で見つめていた。

 このスカイリムにおいて、上級王の存在は文字通りの“要”だ。

 各ホールドの独立意識が強いスカイリムを纏めるには絶対に必要だからだ。

 同時にスカイリムは、現在の帝国が建国した時からもっとも親密な同盟者でもある。

 帝国がオブリビオンの動乱とサルモールとの大戦で揺らいでいる今、そのもっとも近しく、強大な軍事力を持つスカイリムが揺らげば、大陸の混乱はさらに広がり、多くの民が疲弊して、さらに戦火が広がるという悪循環を生み出してしまう。

 つまるところ、上級王トリグを殺したウルフリックの行動は、タムリエル全土の勢力図を考えれば、軽率な行為でしかない。

 だが、同時にそこまで帝国に対し、ノルドの不満が溜まっていたともいえる。

 帝国も帝国で、内側からサルモールに侵食されつつある。白金協定がその最たるものだ。

 

(ウルフリックに挑発されたのかもしれないけど、トリグもノルドの気質や内外の事を考えれば、決闘の申し入れを断るなんて出来なかったんだろうな……)

 

 ままならない。

 健人はそんな事を考えながら公開処刑を眺めていたが、彼自身、自分の心が驚くほど凪いでいることに、内心驚いていた。

 そうこうしているうちに処刑は佳境を迎えていた。

 処刑台の前に跪かされた囚人の首に、処刑の斧が振り下ろされる。

 肉を断つ音と共に、歓声が上がる。

 相変わらず、この世界では処刑すら娯楽の一つのようだった。

 

「意外ね」

 

「何がですが?」

 

「もっと取り乱すと思ったわ。人の死に慣れていないみたいだし」

 

「否が応でも慣れますよ。処刑を見るのはヘルゲンでもう経験済みです。それに、人殺しも……」

 

「そう」

 

「それで、これからどうするんですか?」

 

 この潜入任務でカギとなるのは、健人だ。

 デルフィンはサルモールに顔を把握されているため、今回の潜入任務は不適格。

 リータ達はまだ合流できていないし、彼女もまたサルモールに顔を知られているため、無理がある。

 一方、健人の顔はタムリエルでは見かけない容姿だが、サルモールに知られているわけではない。

 その上ノルドでないため、初対面のエルフからは、ドルマたちと比べれば警戒されにくい。

 

「開催されるパーティー会場には、招待状があれば入れるわ。でも、そこから先に行くには協力者が必要。それに、招待客に扮している以上、武器の類は持ち込めないわ。貴方には、これからその協力者に会ってもらう」

 

「協力者ですか?」

 

「ええ、名前はマルボーン。ウッドエルフで、この街の酒場で落ち合う予定よ」

 

 ウッドエルフはボズマーとも呼ばれ、アルトマーと同じくエルフ種の一種だ。

 タムリエル大陸のヴァレンウッドと呼ばれる地方に住んでいるエルフであり、自然崇拝の意識が強いエルフである。

 しかし、その自然崇拝が行き過ぎた結果、植物を傷つけることを極端に忌避し、肉食のみの生活をしたり、同族食いを行ったりするウッドエルフもいる。

 ちなみに、エルフ種ではあるが、彼らの住むヴァレンウッドは他国からの攻撃を過去に何度も受けており、特にアルトマーやカジートとは幾度も刃を交えている。

 そのため、ウッドエルフとハイエルフの間に、エルフだからという仲間意識は、ほとんどなかったりする。

 

「マルボーンに会ったら、話をして、彼に大使館で使う装具を渡しなさい。いい、くれぐれも余計なものは持ち込まないように」

 

 デルフィンの言葉に、健人は頷く。

 潜入に必要なものはデルフィンのアドバイスの下、最低限に纏めて、背嚢に入れてある。

 晩餐会に招待された人間は、サルモールにとっては自分たちの影響力を高めるための上客ではあるが、同時に招かれざる侵入者である可能性もあって警戒せざるを得ない。

 当然、招待客の一挙手一投足に目を光らせているだろう。

 

「それから、パーティー会場を出たら、警備をかいくぐってエレンウェンの私室を目指しなさい。おそらく大使館の最上部、空中庭園の先にあるはずよ」

 

「私室に到着したらどうすれば?」

 

「エレンウェンはスカイリムにおけるサルモールの活動を統括する最高責任者よ。恐らく、彼女の部屋にはドラゴンに関する何らかの報告書があるはず。それを探して」

 

「脱出するにはどうすればいいんですか?」

 

「サルモール大使館は、スカイリムにおけるサルモールたちの主要拠点。大使館の土地は実質的に治外法権の領域だし、他国は干渉できないから、当然、口を憚られるようなことをする尋問室もある。

 そう言った場所は、大抵ゴミ捨て場があるわ」

 

「ゴミ捨て場?」

 

「そう。用済みになったカナリアや、懐かなかったワンちゃんを捨てるゴミ捨て場よ。確認したけど、外に繋がっているのは間違いないわ

 

 要は、死体を捨てる廃棄場だ。

 デルフィンの話を聞く限り、相当の数の死体があるのかもしれない。

 怖気が走るような生々しい話に、健人は頬を引きつらせる。

 

「ただ、ゴミ捨て場の落とし戸には鍵がかかっているから、脱出の際は鍵を探して。用途から考えて、尋問室からそれほど離れていない場所にあるはずよ。」

 

「そうですか……分かりました。とりあえず、そのマルボーンさんに会ってきます。デルフィンさんは?」

 

「私はあなたの衣装を用意しておくわ。準備が出来たら、街の外で落ち合いましょう」

 

 踵を返して立ち去っていくデルフィンを見送った健人は、目的の酒場へ向かった。

 ウィンキング・スキーヴァー。

 目的の宿屋は華やかなソリチュードにも相応しい、石造りの綺麗な建物だった。

 入口の扉を開いて中に入ると、外壁と同じ石造りのホールが健人の目に飛び込んでくる。

 綺麗な外観にふさわしく、ホールの中も今まで健人が見てきたどの宿屋よりも小綺麗で、賑やかだった。

 昼間にもかかわらず、暗がりを照らす蝋燭の火と、綺麗な細工が施された窓ガラスから差し込む日の光が交差し、店の中を明るく照らしている。

 店内の各所に置かれた丸テーブルには様々な人達が集い、酒を飲んだり食事をしたりと、思い思いの時間を楽しそうに過ごしている。

 そんな中、健人の目に、賑やかな店内に隠れるように、隅のテーブルに腰を落ち着けて杯を傾けている一人のウッドエルフが目に映った。

 壁に背を預け、まるで店の中を観察するように辺りを見渡す男性を見て、健人は彼がマルボーンだと思い、彼が座るテーブルに足を運んだ。

 

「デルフィンさんに言われてきた。マルボーンさんか?」

 

「そうだが、彼女がお前を」

 

 マルボーンは健人の頭の上から爪の先までをねめつけるように観察する。

 マルボーンにしても、この計画は非常にリスクが大きい。計画を実行する人間を確認することは当然のことだ。

 その眼にはどこか迷いや疑問を抱いていると思われる光があったが、仕方ないと言うように首を振り、決意を固めた。

 

「彼女を信じるしかないか。こちらで必要なものを密かに大使館に持ち込んでおく。他には何も持ち込まないようにしてくれ。サルモールの警備は厳重だからな」

 

「準備は出来ています。必要なものはこれです」

 

 健人が背負っていた背嚢を手渡すと、マルボーンは素早く席を立つ。

 

「いいだろう。これを大使館の中に持ち込んでおく。これで失礼するよ。心配するな、パーティーでまた顔を合わせるだろう」

 

 急くような口調でまくし立てたマルボーンは、健人の荷物を持って足早に店を出て行った。

 健人は立ち去っていくマルボーンの背中を眺めながら、彼が座っていた席に腰を下ろした。

 マルボーンとの接触を悟られないためにも、少し時間をつぶしてから店を出るつもりだった。

 座った席から、店内を見渡す。

 

「なあ、聞いたか? 世界のノドから降りてきたドラゴンボーンが、太古の上り坂に巣くっていたドラゴンを倒したってよ」

 

「その情報、古いぜ。最近じゃロリクステッドを襲ったドラゴンを殺して、その魂を吸い取ったらしい」

 

 話し込む人たちの話題は、最近出現し始めたドラゴンの話題だ。

 ヘルゲンやホワイトランが襲われたこともあり、ドラゴン復活の噂は瞬く間にスカイリム中に広がっている。

 実際にドラゴンの目撃情報や襲撃を受けたという話も上がっていることが、スカイリム中の人たちが、ドラゴンの脅威を認め始めている証左だろう。

 同時にそれは、アルドゥインが確実に自分の戦力を増強してきているということでもあった。

 そして、ドラゴンを狩るリータの存在も、稲妻のような鮮烈さでもって、スカイリム中を駆け巡っている。

 今やリータの名を知らないものは、スカイリムにはいないと断言できるほど、彼女の名前は広まっていた。

 

「聞いた話じゃ、ドラゴンボーンはノルドの女らしい。金髪の美女で、お供に二人の同族を従えているらしい」

 

「さすがは同胞。われらノルドの誇りだ!」

 

 話し込む人たちを眺めながら、健人は自分の胸の奥がチクリと痛むのを感じた。

 饒舌にドラゴンボーンのことを話す人たちの会話の中に、健人は出てこない。

 リータたちがドラゴン退治を始めたとき、健人はモーサルで修行の日々を送っていたのだから。

 只人たちの会話が、健人にリータとの間に開いた距離を感じさせていた。

 健人はテーブルに残された杯を手に取り、残っていた中身を呷る。

 焼けるような火酒がのどを焼く感覚に眉を顰めながら、健人は30分ほど時間をつぶした後に店を出た。

 店を出た健人は正門からソリチュードの街を出て、麓の農家まで足を運ぶ。

 そこには、すでに準備を終えたデルフィンが、馬車のそばで彼の帰りを待っていた。

 

「大使館に持ち込みたい装備はマルボーンに渡しておいた?」

 

「ええ、しっかりと」

 

「良かったわ。これが晩餐会の招待状よ。

 招待状の名前はリヒト・ウェイナだから、大使館ではこの名前を名乗りなさい」

 

「分かりました」

 

 デルフィンは健人に晩餐会の招待状を手渡すと、続いて馬車に乗せてあった荷物の蓋を外し、中から豪奢な装いの服を取り出した。

 

「さあ、これを身に着けて。他の装備は預かるから」

 

「デルフィンさん。リータは……」

 

「おそらくもうすぐこのソリチュードに着くでしょうね。心配しなくても大丈夫よ、サルモールには近づいていないし、ケント程危険な目には遭っていないわ」

 

 世界のノドでシャウトの修練を積んでいたリータだが、既に世界のノドを降りて、ソリチュードに向かっている。

 正確には、ソリチュードの近くにある祠で合流の予定だが、健人としては、リータが再びサルモールに襲われないか心配でもあった。

 

「それより、今は自分の身を心配しなさい。必要な情報を手に入れて、必ず帰ってくるのよ」

 

「分かっています。それじゃあ、行ってきます」

 

 デルフィンの忠告に、健人は浮かんだ懸念を一端胸の奥深くへとしまい込んだ。

 この潜入任務のキーは健人であり、今から自分達を襲ってきたサルモールの懐に潜り込まなければならないのだから。

 衣服を着替え、準備のできた健人が馬車に乗り込むと、馬車はサルモール大使館を目指して出発した。

 




というわけで、サルモール大使館潜入ミッション開始です。
本当は前半部分は前話に入れたかったのですが、尺の都合でこちらに入れました。
続きは25日の夜か、26日に投稿予定です。

以下、登場人物紹介

マルボーン

メインクエスト“外交特権”にて、サルモール大使館潜入時に主人公に協力してくれるウッドエルフ。
サルモール大使館で働いてはいるものの、故郷の家族をサルモールに皆殺しにされており、サルモールを強く憎んでいる。


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第七話 外交特権

第七話、投稿です。
いや~年末ですね。一年が本当に早い。

それでは、本編どうぞ!


 日が落ち、空が夜の闇に包まれた頃、健人はサルモール大使館に到着した。

 サルモール大使館はソリチュード北側の山の上に、ソリチュードを見下ろすように建てられている。

 乗ってきた馬車から降りた健人は、顔に叩きつけてくる強風に手をかざしながら、大使館の正門へと足を進める。

 

「サルモール大使館へようこそ。招待状をお見せください」

 

「これです」

 

 正門を警備していたサルモール兵にデルフィンから渡された招待状を見せる。

 衛兵は丁寧なしぐさで招待状を受け取り、中身を確認し始める。

 健人としては内心、見咎められないか不安で仕方なかった。

 

「ありがとうございます。お入りください」

 

 笑顔で招待状を返され、心の中で安堵の息を漏らしながら、健人は大使館の中へと足を踏み入れた。

 正門の扉を潜ると、直ぐにパーティー会場に繋がっており、健人の正面には壮年のアルトマーの女性が立っていた。

 

「ようこそ。お会いしたのは初めてですね。スカイリムのサルモール大使のエレンウェンです」

 

 エレンウェン。

 スカイリムのサルモールを統括する、最高責任者であり大使だ。

 彼女は穏やかな笑みと共に優美な礼をしてくる。

 その所作は健人には見覚えのないものだったが、相手を敬って好印象を抱かせるような、上流階級としても相応しい完璧なものだった。

 

「リヒト・ウェイナと申します。今宵はお招きいただき、ありがとうございます」

 

 今度は健人がエレンウェンに対して名乗る。

 名乗る名前は当然、デルフィンが用意した偽名であるが、その礼の所作はデルフィン仕込みのものである。

 デルフィンはこのような所作の仕込みも健人にきちんと施していた。

 パーティーの格式がどうであれ、初対面では最初の礼が何よりも肝心。

 他者に対する印象のほぼ全ては、外見と所作、声で決まるからだ。

 

「ああ、招待客リストで、お名前を拝見しました。もう少し、貴方の事をお聞かせください。なぜ、このスカイリムに?」

 

 エレンウェンは、健人の礼には特に違和感を覚えなかったようで、笑みを崩してはいない。

 しかし、外交官としての彼女の眼は、見慣れぬ客人である健人を見透かそうと、冷たい光を放っている。

 健人の喉が、自然と唾を飲み込む。

 横に設けられたカウンターから、第三者がエレンウェンに声がかけてきた。

 

「大使夫人、申し訳ありません。少しよろしいですか?」

 

「何、マルボーン」

 

 エレンウェンに声をかけてきたのは、ウィンキング・スキーヴァーで話をしたマルボーンだった。

 彼は一瞬だけ健人に視線を向けると、すぐにエレンウェンに視線を戻す。

 

「いえ、アルトワインが切れましたので、補充して良いのかと……」

 

「もちろん。言ったはずよ。つまらない事で私の邪魔をしないようにと」

 

「はい、大使夫人」

 

「失礼します。後ほど改めてお目にかかりましょう。どうぞ、お楽しみください」

 

 マルボーンに会話の腰を折られたエレンウェンは、次の招待客に挨拶するために、その場を後にした。

 健人はホッと息を吐き、ゆっくりとマルボーンが担当しているバーのカウンターに近づく。

 

「中に入れたようだな。衛兵の注意を逸らしたら、後ろの扉を開けてやる。そうしたら行け。お互い、今日を生き残れることを祈ろう」

 

 話を聞かれないように声を抑えて、かつ手早く要件を伝えるマルボーン。

 健人は一度パーティー会場に目を向ける。

 

「何か、飲み物は貰えます? さすがにパーティーの場で何も持っていないのは……」

 

「さあどうぞ、最高級のコロヴィアン・ブランデーです」

 

「ブランデーか……うっ」

 

 マルボーンが、銀の杯に蒸留酒をなみなみと注いで渡してくる。

 強力な酒精の香りが、健人の鼻を刺激し、健人は思わず眩暈を感じた。

 とはいえ、これで姿形は完全にパーティーを楽しむ富裕層の格好だ。

 後はどうにかして、パーティー会場の裏手に入り込む隙を作ればいい。

 健人はいざ気合を入れなおし、賑やかなパーティー会場に足を踏み入れようとした。

 しかし、その足はすぐさま引っ込められることになる。

 

「あれは、プロペンタス執政?」

 

 パーティーの参加者の中に見知った顔を見つけ、健人はそっと柱の陰に隠れた。

 偽名を名乗っている今の健人が、自分の本名を知っている人間と出会うのは良くないと考えたからだ。

 柱の影からパーティー会場を眺めつつ、衛兵の眼を逸らす方法を考えながら、手に持ったブランデーに口をつけていたその時、健人はさらに予想外の人物と目が合ってしまった。

 

「おや、君は……」

 

「ん? ぶっ!」

 

 目が合ったのはモーサルの首長、イドグロッドだった。

 予想外の人物の登場に、健人は思わず啜っていたブランデーを吹き出してしまう。

 イドグロッドの方も健人の姿を見て驚いているのか、その老いて落ちくぼんだ瞳をこれ以上ないほど見開いていた。

 

「イドグロッド首長。どうしてここに……」

 

「それは私のセリフだよ。モーサルは一応、この内戦では帝国派だからね。そういうケントこそ、どうしてこの晩餐会に?」

 

「今の自分は健人ではなく、リヒトです。ちょっと色々ありまして……」

 

 静かに近づいてきたイドグロッドが、小声で健人に問い掛けてくる。

 一方、健人としても事の事情を話す訳にもいかず、適当な言葉で誤魔化すしかない。

 

「そうかい……」

 

 イルグロットは、健人が偽名を名乗っていることに一瞬額に皺を寄せるも、すぐに意味ありげな笑みを浮かべた。

 

「それじゃあリヒト、初対面の君に、ここにいる人達について話しておこう。

 あっちにいるのはサルモールのタロス狩りの指揮官。こっちには金にがめつく、黒い噂の絶えないソリチュードの従士。そっちにいるのは……」

 

「プロペンタス執政。ホワイトランを統治する、バルグルーフ首長の右腕ですね」

 

「そう、他のホールドの首長はこうして晩餐会に直接赴いているけど、ホワイトランは首長自身は出向かず、しかし自分が最も信頼する執政を送るあたりに、バルグルーフの意図が滲み出ているよ」

 

 ホワイトランは帝国とストームクロークとの内戦において中立を維持しているが、こうして帝国との繋がりを完全には断たないあたりが、彼らの今の立場を物語っている。

 

「ここは魔窟さ。周りは毒蛇だらけ。皆、腹の中に一物も二物も抱えている。表面は春の小鳥のように明るく囀っているが、裏ではフクロウのように爪を研いでいる」

 

「あの、イドグロッド首長。ちょっと会場の眼を引き付けられませんか?」

 

 健人としては、事情も話さずイドグロッドに協力を仰ぐことは不義理に感じていたが、素直に全てを話す訳にもいかない。

 一方、イドグロッドは健人の提案を聞いて、悪戯を思いついた悪童のような笑みを浮かべた。

 

「ふ~ん。何をするつもりなのかは知らないが、随分と面白いことを考えているみたいじゃないか」

 

「あの、イドグロッド首長?」

 

 老獪な首長の顔から、突然悪ガキを思わせる顔に変わったイドグロッドに、健人は思わず唖然とした表情を浮かべた。

 健人の脳裏に、モーサルの宴で騒いでいた首長の姿が蘇る。

 

「まあまあ、任せておきな。年寄りも悪いもんじゃないよ。こういう時、ババアはある程度お目こぼしをしてもらえるんだからねえ」

 

 呆然としている健人をよそ目にイドグロッドは、それはもう楽しそうな笑みを浮かべて、会場へと戻っていく。

 健人はその背中をハラハラしながら見送った。

 口調からある程度は自重すると思われるが、正直自信がない。

 健人の不安をよそに、イドグロッド首長はパーティーに参加している一人の男性の元に向かった。

 男性はかなりの飲兵衛なのか、酒気を帯びた赤ら顔で、陽気な歌を歌っている。

 その男性の前に立つイドグロッド。

 すると彼女は、これでもかと目を見開いて鬼気迫る表情を浮かべると、彼女は会場中に響くような大声を上げ始めた。

 

「ここにいる! その目の奥で、蛇共がのたうち回っている。あっちに行け!」

 

 切羽詰まった大声で会場中の目を引くイドグロッド。

 全身を戦慄かせ、瞳はまるで何かに取りつかれたかのように白目を剥き、ひび割れた樹皮を思わせる顔に更なる皺を寄せている。傍から見てもホラー映画に出てきそうなほど怖い。

 

「なんだと! 蛇だって! どこだ!」

 

 一方の酔っ払いの男性はよほど蛇が苦手なのか、コップを持ったまま右往左往し始めた。

 ついには盃に入った酒を辺りにまき散らしながら、ありもしない蛇を払おうと暴れ始める。

 

「立ち去れ蛇よ。二度と迷惑をかけるな!」

 

「やめろ! 蛇は、蛇はダメなんだ!」

 

 イドグロッドの煽りはさらに高まり、同時に酔っ払いの焦りもつのる。

 ついには、酔っぱらいは逃げ出そうと千鳥足で駆け出し、周囲の来客を巻き込みながら、テーブルに激突。

 ドンガラガッシャンと、せっかくの豪華な食事や酒を床にぶちまけてしまう。

 慌てた様子で酔っぱらいに掛けよる衛兵と、それでもなおも暴れる酔っ払い。

 そして彼らの前に両手を広げて仁王立ちしている、白目を剥いた老婆。

 

(うわぁ……)

 

 傍から見ても酷い絵面だ。

 酒に溺れた酔っ払いと電波を受信した(ように見える)老婆のコラボレーションである。

 そんな中、騒ぎを聞きつけたエレンウェンがやってきた

 

「ねえラゼラン。もう騒ぎは起こさないと誓ったはずよね?」

 

「ああぅ、ちがぅんだエレンウェン。これは、何かのまちがぃで~」

 

 会場中の意識は、今や二人に釘づけだ。

 この隙に、健人は素早くマルボーンがいるカウンターに駆け寄り、開かれた奥の扉に身を滑り込ませた。

 

「これまではまあまあだ。抜け出す姿を見られていなければいいがな」

 

 マルボーンの話では、預けた装備品は厨房の隣の食糧庫に置いてあるらしい。

 そのまま健人はマルボーンが促すまま、彼の後についていく。

 厨房を通る際に料理人である女性のカジートに咎められたが、マルボーンは女性が違法であるムーンシュガーを食べていることを匂わせて黙らせることで、健人は食糧庫に入ることが出来た。

 食糧庫の片隅には、大人が一抱えもする大きな木箱が置かれていた。

 

「道具はその箱の中だ。巡回兵に気付かれないように出たら鍵をかける。しくじるなよ。もしバレたら、二人とも終わりだ」

 

 健人は頷き、箱の中の装備品を取り出して素早く着替えた。

 用意した装具は、愛用している革の鎧とエルフの小手にブレイズソード。鋼鉄の短剣に、ポーションやロックピックなどを入れたポーチだ。

 また革鎧の靴には、隠密能力を高める付呪が施してある。

 これは元々、モヴァルスの隠れ家で見つけた靴に付呪されていた魔法効果を抜き出し、健人が施したものだ。

 モヴァルスの靴は健人にはサイズが合わず、その為付呪されている効果を習得する方を健人は選んだ。

 付呪については、健人の力量が未熟なために隠密向上の効果は元の物よりも低い。

 しかし、モーサルの魔術師であるファリオンの協力もあり、劣化しているとはいえ、それなりの効果はある品に仕上がっている。

 また、本当なら盾や弓も用意したかったが、盾はモヴァルスに破壊されているし、隠密行動をするには嵩張るので、今回は持ってきていない。

 装備を整えた健人は、静かに食糧庫奥の大使館内に続く扉を潜る。

 彼の背後で食糧庫への扉が閉じられ、カギがかけられた。

 これで、もう退くことはできない。

 大きく息を吐き、健人は気配を消しながら、音をたてないようにゆっくりと進みはじめる。

 だが、ほんの数メートル進んだところで、先にある扉の陰から人の話し声が聞こえてきた。

 

(いきなりか……)

 

 そっと先を覗き見ると、巡回兵と思われる二人のハイエルフが話をしている。

 健人はとりあえず、二人の巡回兵が移動するまで、扉の陰に身を潜めることにした。

 

「今朝、ローブを纏って歩いている連中を見たか? 奴ら、何者なんだ?」

 

「いや、奴らはアリノールから来た上級魔術師だ。あのお方がついにドラゴンの来襲に危機意識を持ったのだろう」

 

 巡回兵たちの会話の中にドラゴンの単語が出てきたことに、健人は耳をそばだてた。

 どうやら、サルモールもドラゴンの襲撃については憂慮しているらしい。

 

「確か、この前も魔術師で編成された大隊が襲撃を受けて壊滅していたな」

 

「ああ、僅かな生き残りの話では、黒い巨大なドラゴンだったらしい」

 

 黒い巨大なドラゴンという言葉に、健人の眉が自然と吊り上がる。

 

(アルドゥインか……。サルモールも被害を受けているのか……)

 

 アルドゥインの攻撃対象は、人間だろうとエルフだろうと関係ないらしい。

 その後、五分程話し込んでいた巡回兵だが、思い出したように警備へと戻っていった。

 

(よし、先に進もう)

 

 大使であるエレンウェンの部屋は、健人が考えるに、この建物の最も高いところにあることが推察された。

 巡回兵が立ち去ったのを確認した後、健人は静かに、しかし素早く扉から身を乗り出し、上へ続く階段を上る。

 階段を上り、さらに先を進もうとしたところに、今度は他の巡回兵が正面からやってきた。

 下手に階段へ戻れば、先の巡回兵に見つかる恐れがある。

 

(使うか……)

 

 健人はポーチから二本の小瓶を取り出し、内一本の蓋を開けて中身を嚥下する。

 すると、彼の体が透けるように透明になった。

 健人が飲んだのは、錬金術で作った透明化する薬だ。

 効果時間は十数秒しか保てないし、足音なども消すことはできないが、巡回兵の目をやり過ごすにはもってこいの薬だ。

 健人は足音を立てないように、向かってくる巡回兵の脇で身をかがめて音を立てないようにすり抜け、距離が離れると同時に、一気に駆けて奥の扉に飛び込んだ。

 飛び込んだ扉の先は外に繋がっていた。

 夏とは思えないほど寒く、どす黒い雲に覆われた空と、肌を引き裂くような風が叩き付けてくる。

 どうやら天候は、徐々に荒れ始めているらしい。

 健人が出てきた場所は、どうやら大使館の屋上に作られた空中庭園のようで、庭園の奥にはこれまた立派な建物が鎮座している。

 

(あれが、デルフィンさんが言っていたエレンウェンの私室だな)

 

 庭園内にはこれまたかなりの数の巡回兵が警備についており、奥の建物が、この大使館でも需要な場所であることが伺えた。

 健人は残っていた透明化の薬を飲み、透明化したまま一気に庭園を抜けると、目的の建物内に侵入する。

 建物内に入り、入り口の扉を閉めたところで、透明化の薬の効果が切れた。

 

(危ない。間一髪だった)

 

 侵入した部屋はとても広い応接間があり、奥には豪奢な執務机が見えた。

 どうやら、ここが健人の目的地である、エレンウェンの執務室で間違いないようだ。

 しかし、健人が薬の効果が間に合ったことにホッとしたのも、つかの間だった。応接間の奥から、懇願するような大声が聞こえてきたのだ。

 

「その金が必要なんだ! 自腹を切っているんだよ」

 

「黙れ、思い上がるなギシュール。お前はもっとも使える奴だが調子に乗るな。もう少し、扱いやすい情報提供者は他にもいる」

 

 執務室内にも他の人がいたことに、健人は慌てて近くの家具の陰に隠れた。

 話し声は、応接間にある仕切りの奥から聞こえてきた。

 話をしているのは、サルモールの高官と、ノルドの男性。

 会話の内容から考えても、後ろ暗い事を話していることが推察できる。

 

「でも、他にそんな役に立つ情報を持ってくる奴は他にはいないだろ? 

 エチエンが話したんだろう? あんた達が捜している爺さんの居場所を知っているって」

 

「奴の話を確認したら、残りの金をやろう。約束通りにな。さて、仕事がある。残りの報酬が欲しいのなら、邪魔はするな」

 

「な、なあ。アンタを助けてやれると思う。奴と話してみよう俺は信頼されているんだ」

 

「一緒に下に降りて欲しいという事かギシュール? 奴の拘束具を緩めて、同じ独房に押し込めてやろうか? 何を聞いてもいいぞ。どんな返答をするか、見物だな」

 

「い、いや、その……外で待っているよ」

 

 エチエン、爺さん、独房。

 健人は聞こえてくる会話の内容を頭に刻み込む。

 やがて会話をしていた二人は別れ、ノルドの男性はそそくさと部屋を後にし、サルモール高官はお供の兵士一人を伴って、部屋の奥へと消えていった。

 人の気配が消えたことを確かめ、健人はゆっくりと家具の影から出ると、素早くエレンウェンのものと思われる執務机に駆け寄り、調べ始める。

 

“サルモール調査:ウルフリック”

“サルモール調査:デルフィン”

 

 様々な書類が目を引くが、その中でも特に興味深い書物が出てきた。

 

“ドラゴン調査:現在の状況”

 

 エレンウェン第一特使宛てに送られた、ドラゴンに関する報告書だ。

 報告者はルリンディル第3特使。

 報告書には、サルモールが調べた、ドラゴン復活の現象についての調査経過が書かれていた。

 しかし、ドラゴン復活に関して明確な原因を示す記述は一切なく、逆にサルモールも必死になって情報を集めようとしている事しか書かれていなかった。

 

「サルモールもまだドラゴンについては何も知らないのか。それに、ルリンディル第3特使、さっき話をしていたエルフか?」

 

 ただ、報告書にはサルモールは手掛かりになりそうな人物を特定し、大使館に連れてきているらしい。

 健人の脳裏に、先程のサルモール高官。おそらく、この報告書を書いたルリンディル第3特使と思われるハイエルフの姿が思い起こされる。

 彼らは、執務室の奥の階段を下りて行った。おそらく尋問室は、その階段の奥にあるのだろう。

 健人はとりあえず、執務机にあった報告書をいくつか纏めて懐に納めると、奥の階段を下り、尋問室を目指した。

 




というわけで、エレンウェンの私室まででした。

モヴァルスの靴はユニークアイテムで、使い手の隠密能力を向上することが出来ます。
前回のモヴァルス討伐の際に、健人に渡された報酬の一つで、健人はこれはアルケイン付呪器で破壊し、術式を取り込んでいます。
ゲーム上ではユニーク系の装備は破壊できませんでしたが、本小説では、ある程度のユニークアイテムは破壊できると考えて構築しています。
勿論、デイドラクラスの装具は破壊できませんが……カミソリとか破壊出来たらエライことになる……。


以下、登場人物紹介

エレンウェン
スカイリムのサルモールを実質指揮する最高権力者。内乱で混乱するスカイリムを監視し、サルモールの都合の良いように誘導しようとしている節が見受けられる。
大戦中は軍の尋問官だったらしい。
ちなみに、彼女が尋問した人物の中には、スカイリム作中でも重要な人物が存在する。


ラゼラン
パーティー会場で酔っぱらっている人物。酒を渡すと騒ぎを起こすのを協力してくれるが、今回は主人公がイドグロッドに頼んだため、ただの被害者になってしまった。
まあ、頼んだ場合でもエレンウェンに怒られて追い出されるのだが……。


ルレンディル第3特使
ドラゴン調査の過程で、エズバーンの存在を突き止めた人物。
ゲーム中でも、報告書の中で、彼の名前を確認することが出来る。


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第八話 華やかなパーティーの裏で

注意!

本話の最後から、この小説のオリジナル展開に入ります。



 尋問室に入った瞬間、健人の耳に低く縋るような声が届いてくる

 

「よせ、頼む! 他には何も知らないんだ。もう全部話したじゃないか!」

 

 扉を潜ってすぐの右側には手すりがあり、下の階を覗き込めるようになっていた。

 眼下には独房と檻の中に入れられた囚人、先程上に上階にいたサルモール高官と兵士一人がいる。

 囚人は独房の中で檻に繋がれ、彼の前にはサルモールの兵士がメイスを持って立っている。

 

「静かに、ルールは分かっているだろう。話かけられた時以外はしゃべるな。これからルリンディル氏が質問する」

 

「やめてくれ……。頼む、もう洗いざらい話したんだ」

 

 囚人を前にした兵士がメイスを振り上げる。

 

「やめてくれええええ!」

 

 肉を殴打する音が、二、三度、独房に響いた。

 初めて目の前で行われる拷問を前に、健人は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 兵士がひとしきり殴った後、ルリンディルと呼ばれたサルモール高官が、囚人に話すよう促す。

 

「もう一度、最初からだ」

 

「はあ、はあ……リフテンに住んでいる年寄りがいる。彼がアンタの探しているエズバーンかもしれないが、断言できない。ちょっとイカれて見えた。知っているのはそれだけだ」

 

(エズバーン? 報告書にあった、ドラゴン復活の情報を知っている人か?)

 

「それで、その老人の名前は?」

 

「名前は知らない。もう何度も言った通り……あああああ!」

 

 再び、兵士のメイスが振るわれる。

 のたうち回るような囚人の悲鳴が、再び響く。

 

「どうすればいいか分かっているな。質問に答えればいいんだ。その老人はどこにいる?」

 

「言った通り知らない! ラットウェイで見かけただけだ。あそこに住んでいるのかもしれないが、確かなことは分からない!」

 

 ラットウェイ。

 リフテンのどこかにある場所の名前らしい。

 

「今のところ、それで質問は全部だ。非協力的な態度は相変わらずだな、失望している。次はもっと協力した方がいいぞ」

 

「これ以上どうしろと? もう洗いざらい話したんだ。なあ、自由にしてくれたらリフテンまで案内するよ。実はそこに……」

 

「黙れ、囚人!」

 

「ぐああああああ!」

 

 最後の一撃を加え、兵士が独房から出てくる。

 健人は尋問が終わったことで、ルリンディルが再び上に戻るかもしれないと考えた。

 このまま上に向かう扉の前に居たら、鉢合わせてしまう。

 すぐに移動しようとしたその時、運悪く健人が立っている床が音を立てて軋んだ。

 

「ん、誰だ? っ!」

 

(見つかった!)

 

 ルリンディルの視線が、上から様子を覗いていた健人を捉えた。

 見つかったと気付いた健人。考えるよりも先に体が動いた。

 素早く手すりを乗り越えるとブレイズソードを抜いて逆手に構え、刃の切っ先を相手に向けたまま、体ごとぶつかるようにルリンディルに跳びかかる。

 

「侵入……ごあ!」

 

「ぐう!」

 

 ブレイズソードの切っ先は鎧を纏っていないルリンディルの体を貫通し、そのまま床に深々と突き刺さって、彼の体を磔にしてしまった。

 健人の方も、着地の際に体勢を崩して倒れ込む。

 

「ルリンディル特使! おのれ!」

 

 残ったサルモール兵士が、激昂して手に持っていたメイスを振り上げ、健人に襲い掛かってきた。

 ルリンディルを貫いたブレイズソードはかなり深く床に刺さっており、引き抜くのは容易ではない。

 健人は即座に剣を抜くのを諦め、代わりに右手で腰から短剣を逆手で引き抜く。

 さらに、両足に力を入れ、振り下ろされるメイスに合わせて自分からサルモール兵士に向かって突っ込んだ。

 間合いの内側に滑り込まれたことで、サルモール兵士のメイスの威力が減ずる。

 健人は左手の小手で振り下ろされたメイスの柄を抑えて、相手の打撃をいなしながら、右手の短剣をサルモール兵士の首に突き立てた。

 

「グッ、ごぷ……」

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 首を貫かれたサルモール兵士が、血の泡を吹きながら崩れ落ちた。

 健人は暴れ馬のように荒れる呼吸と心臓を鎮めようと、胸に手を当てて、しばしの間、目を瞑った。

 奪った人の命、戦闘の緊張と興奮で荒れる呼吸。

 血を流して事切れたルリンディルとサルモール兵士の姿が、ヘルゲン脱出の際に己が焼き殺した兵士達に重なる。

 だが、数度の深呼吸で、健人の心臓はすぐに平坦な鼓動を刻み始めた。

 

「アンタ、一体……」

 

「……話は後。拘束を解くぞ」

 

 茫然とした囚人の声に、健人は冷淡な返事を返し、硬直していた体をゆっくりと動かして囚人を拘束していた拘束具を外した。

 

「あ、ああ、感謝するよ」

 

 思わぬ助けに感謝を述べる囚人。

 健人は脳裏に浮かんだ過去の光景を思考の片隅に追いやり、ルリンディルに突き刺さったブレイズソードを回収してから、彼の遺体を探ってみる。

 すると、一本の鍵と一冊の書物が出てきた。

 鍵はおそらく、デルフィンから聞いた、この部屋から脱出するための落とし戸の鍵だろう。書物の方はルリンディルがまとめたと思われる報告書だった。

 健人は報告書の冊子を開き、中身を読んでみる。

 

“サルモール調査:エズバーン”

 

 報告書にはエズバーンはかつてのブレイズの一員で、サルモールは彼がドラゴンについての記録を持っていると考え、最優先の捕獲対象に認定している事が書かれていた。

 そして、エズバーンは現在、リフテンに潜伏しているらしいことも。

 サルモールの報告書を読んだ健人は、先程の尋問で気になった事を囚人に尋ねてみる。

 

「なあ、エズバーンという奴についてだが……誰か来た、隠れろ」

 

 だが、健人が囚人にエズバーンについて尋ねようとした時、コツコツと、誰かが上階の階段を下りてくる音が聞こえてきた。

 誰か他の大使館の人間が、この尋問室にやって来たのだ。

 健人と囚人はとりあえず、ルリンディルとエルフの兵士、二人の遺体を暗がりへと隠した。

 ガチャリと上階へ続く扉が開かれる。

 入ってきたのは二人のサルモール兵士と、健人が大使館に侵入するために協力したウッドエルフ……マルボーンだった。

 マルボーンは両手を縛られ、二人の兵士に挟まれる形で尋問室へと降りてくる。

 

「よく聞け、お前は囚われの身だ。共犯者もすぐに捕まえる。降伏して洗いざらい話すか、共犯者と仲良く死ぬか、どちらかだ」

 

「好きにしろ。自分は死んだも同然……」

 

「黙れ、裏切り者!」

 

 協力者であるマルボーンが、このままサルモールに捕まったままである事は、健人達にとっても良くない。足が付く可能性がある。

 しかも、マルボーンを拘束した兵士達が尋問室の異常に気付くのは避けられない。

 死体は隠したが、床にはルリンディル達が流したばかりの血が残っているからだ。

 拷問を行っている場所だけあり、尋問室の彼方此方には赤黒い血の跡も残っているが、ルリンディルの血は流したばかりで固まってすらいない。

 健人は右手にブレイズソードを保持し、同時に詠唱を開始。マジ力を捻りだし、左手に魔法を構築する。

 

「ん? これは……」

 

 案の定、マルボーンを連行してきた先頭の兵士が床の異常に気付いた。

 先頭の兵士の意識が床に向いた瞬間、健人は暗がりから飛び出した。

 相手が剣を抜く隙を与えぬまま、ブレイズソードを先頭の兵士の首めがけて一閃させる。

 

「がっ!」

 

「伏せろ!」

 

 健人の呼びかけに、マルボーンは咄嗟に身を屈める。

 続いて健人が左手の魔法を解放。

 素人クラスの破壊魔法である“火炎”が、マルボーンの後ろにいたサルモール兵士に襲い掛かった。

 だが、さすがは魔法に長けたハイエルフ。

 咄嗟に“魔力の盾”を使い、健人の火炎を防ぐ。

 しかし、その魔法は元々囮だった。健人自身、自分の脆弱な魔法が簡単にハイエルフに通じるとは思っていない。

 健人はその隙に間合いを詰め、刀を横薙ぎに振り抜き、サルモール兵士の鎧に守られてない内股を切り裂いた。

 

「ぐああああ!」

 

 足を切られたサルモール兵士が、四つん這いに蹲る。

 刀を振り抜いた健人は素早く刃を切り返し、上段からサルモール兵士の首めがけて刀を振り下ろした。

 切断された首がごろりと転がり、頭を失った胴体から勢いよく血が噴き出す。

 健人は自分が斬った死体から出来るだけ目を背けつつ、マルボーンに声を掛ける。

 

「……大丈夫ですか?」

 

「あ、ああ、助かったよ。だがこれで、サルモールから一生狙われ続けるだろうな。それだけの価値があったならいいが……」

 

 マルボーンの言葉に、健人も言葉に詰まる。

 今ここで、健人は四人の命を奪った。

 ヘルゲンで、そしてモーサルで経験しているとはいえ、粘つくような嫌悪感は消えない。

 

「……とにかく、脱出しましょう。死体を片付ける落とし戸から、外に出られるはずです」

 

 湧き上がる嫌悪感を押し殺しながら、健人は腰のポーチにあるポーションでマジ力を回復させ、落とし戸に手をかける。

 死体を廃棄する落とし戸の蓋には鍵がかかっていたが、ルリンディルのローブのポケットに入っていた鍵で解除できた。

 落とし戸の扉を開けると、風が下から吹いてきた。外に繋がっていることは間違いないなさそうだった。

 手近にある椅子を壊して松明を作り、梯子を下りて暗い穴の先に向かう。

 穴の底にはサルモールの犠牲者たちの遺体が散乱していた。

 白骨化した死体だけでなく、齧られた跡もあるところを見ると、どうやらここで破棄された死体を食べている動物がいることが推察できた。

 大型の捕食動物の可能性もあることから、健人達は出口を目指し、足早に駆ける。

 しばらく洞窟を進んだ先に、出口が見えてきたが、外はまだ暗く、吹雪いており、松明に照らされた雪が横殴りに飛んでいるのが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 賊の侵入を聞いたエレンウェンは大使館の尋問室で、煮えたぎるような怒気を露わに、その場に集まった警備兵たちを睨み付けていた。

 

「これはどういう事かしら?」

 

 静かに、しかし、有無を言わせぬ圧力を伴った声が、その場に集った兵達を脅えさせる。

 このスカイリムで、サルモールにとって最も重要な拠点。その一つに、こうも容易く浸入され、重要な文書を盗まれた上に要人を殺された。

 エレンウェンにとっては絶対に許容できない事態であり、その苛立ちが状況を未然に防げなかった警備兵たちに向けられる。

 誰もが委縮している中、エレンウェンの前に出たのは、碧水晶の鎧を纏ったハイエルフの偉丈夫だった。

 

「申し訳ありません。エレンウェン第一特使。どうやら賊はパーティーの参加者に扮して侵入し、重要文書をいくつか持ち去ったようです」

 

「それは分かります。すぐに追いなさい。そして、侵入者を私の目の前に連れてくるのです。尋問は私がします。

 殺された同胞への慰めとこの館で狼藉を働かれた汚名、この館に入り込んだ愚か者に同胞達が味わった数千倍の苦痛を、私が与えることで禊とするのです」

 

「はっ! 続け!」

 

 部隊長と思われる偉丈夫の呼びかけに、部下が一斉に続く。

 

「至急、いなくなった参加者を確認しなさい。私は無くなった文書から、侵入者の狙いを特定します」

 

 追撃部隊が、健人達の脱出した落とし戸に次々と入っていく中、エレンウェンは侵入者の特定のため、残った部下にパーティー参加者の確認を命じ、自分は見えざる敵の正体を看破すべく、自らの執務机に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 健人達が洞窟から脱出した出口の先には、デルフィンが馬車を用意して待ち構えていた。

 デルフィンは無事だった健人達を出迎えると、労うように笑みを浮かべる。

 

「とりあえず、生きて帰ってきたようね。マルボーン、無事?」

 

「ああ、何とか。それじゃあ、俺はこれで消えるよ。お互い、もう会う事はないだろうがな」

 

「ええ、助かったわ。ありがとう」

 

 それだけの言葉を交わすと、マルボーンはどこかへと走り去っていった。

 健人は一瞬、マルボーンも一緒に逃げないのかと考えたが、今後サルモールに追われることを考えれば、相手の注意を逸らすためにも別れて行動する方が効率的なのだろう。

 助け出した囚人もいつの間にかいなくなっている。

 元がどんな仕事をしていた人間だったのか健人には分からないが、逃げ足は相当速いようだった。

 

「それで、成果はあった?」

 

「これを」

 

 デルフィンが成果を尋ねてきたので、健人は懐に納めていたサルモールの各報告書を、彼女に手渡す。

 デルフィンは素早く中身を確認し、そして驚愕とも呆れとも取れるような溜息を洩らした。

 

「まさか、サルモールが何も知らないなんてね。おまけにエズバーンが生きていたなんて。死んだと思っていたわ、あの変人」

 

「変人……」

 

 この女傑が変人という辺り、健人はそのエズバーンという人物はどんな人だったのだろうかと首を捻る。

 しかし、サルモールが血眼になって追いかけている以上、重要な人物であることは間違いない。

 

「エズバーンは、ブレイズの公文書保管人だったわ。サルモールが大戦で私達をボロボロにする前にね」

 

 ブレイズは帝国の皇帝直属の諜報部隊。

 そんな機密だらけの組織で、公文書の保管を任されていたという事は、そのエズバーンという人物は相当量の知識と秘密を持っていることは間違いない。

 サルモールが血眼になって追いかけるのも納得できる。

 

「リフテンのラットウェイ……行ってみるしかないわね。幸い、コネはあるし」

 

「コネ……一体、そのラットウェイには何が?」

 

「ラットウェイの先には、盗賊ギルドの本拠地があるわ。ええ。スカイリムで色々と動くには都合のいい、互いに利益を共有できる相手よ」

 

「盗賊ギルド……」

 

「ちなみに、ドラゴンボーンとの連絡を取るのにも、一役買ってもらっているわ」

 

 盗賊ギルド。

 名前からして、明らかに犯罪者の集団であることが推察できる。

 しかも、デルフィンは“スカイリムで動くには都合がいい”と言った。

 つまり、スカイリム中に根を張るだけの大きな組織という事だ。

 そんな組織と伝手がある自分の師に、健人は改めて驚嘆した。

 だがその時、健人達が脱出してきた洞窟の奥から、金色の鎧を纏った集団が出てきた。

 

「いたぞ! 侵入者だ」

 

「っ!サルモールの追跡部隊!」

 

 姿を現したのは、大使館内の異常を察したサルモールの追跡部隊だ。

 尋問室にあったルリンディルたちの遺体や、囚人が消えている事から侵入者の存在に気付き、健人達の脱出路から追ってきたのだ。

しかも数が多い。

 合計で十人以上。高位の魔法使いであることを推察される黒いローブや、他の兵士とは明らかに格が異なる碧水晶の鎧を纏った兵士もいる大部隊だ。

 

「数が多い! 逃げるわよ」

 

 デルフィンが馬車に飛び乗り、馬に鞭を入れた。

 嘶きを上げて駆け出す馬車の荷台に、健人は慌てて飛び乗る。

 

「逃がすな!」

 

 追跡部隊の隊員たちが、一斉に魔法を唱え始めた。

 極寒の吹雪の中、健人の背中に氷柱を突き立てられたような悪寒が走る。

 

「デルフィンさん、後ろから魔法が……!」

 

「っ! 飛び降りなさい!」

 

 荷台を引き、鈍重な馬車に殺到してくる無数の魔法を回避する術はない。

 健人はデルフィンの指示のまま、荷台の縁に足を掛けて飛び降りた。

 次の瞬間、サルモール兵達の高位魔法“エクスプロージョン”が馬車に着弾した。

 

「うわあああああ!」

 

 爆風に煽られ、荷台が爆散。荷馬は焼かれながら吹き飛ばされて絶命した。

 更に悪い事に、流れ弾が街道周囲の木を巻き込み、燃え盛ったまま倒れこんで、健人とデルフィンを分断してしまう。

 

「デルフィンさん、無事ですか!」

 

「逃がすな! 追え!」

 

「くそ!」

 

 デルフィンの安否を確かめたいが、後ろからはサルモールの追跡部隊が迫っている。

 健人は止むをえず、追跡部隊を巻くために森の中へと駆け出した。

 

 




というわけで、外交特権のクエスト最後にサルモール追跡部隊に追われるというオリジナルの展開となりました。

ここから、今章の物語はかなりメインクエストから外れていくことになります。
メインクエストに沿わないことに賛否両論あるかと思いますし、オリジナルの展開は二次小説にはいかがなものかとも思いますが、よろしくお願いいたします。


以下、登場人物紹介

囚人
前話でチラリと出てきた、エチレンという人物。本編では名乗っていないため、囚人になっている。
ラットウェイにいるエズバーンを知っている盗賊ギルドの人間。サルモールに捕えられ、拷問の末にエズバーンの存在を話してしまった。

サルモール追跡部隊長
本小説のオリジナル展開である、追跡部隊の隊長。
以前ウステンクラブで襲ってきた部隊の隊長とは違い、碧水晶の鎧をまとった、剣士風の人物。


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第九話 逃亡

 漆黒の闇に包まれた空間。

 唸る吹雪の轟音のみが響く洞窟の中で、“彼”は目を閉じたまま、己の持つ超常の感覚に身を委ねていた。

 脳裏に浮かぶ幾重もの光群が螺旋を描き、大樹の枝葉のように四方八方へと飛んでいく。

 無秩序に飛び交う光群。だが、その光は時折、まるで示し合わせたかのように一点に集まり、螺旋を描くと、再び四方へと飛んでいくということを繰り返している。

 “彼”が光群を見つめれば、様々な情景が浮かんでくる。

 根源神の出現と戦い、失われた十二の世界と、消え去った根源神。

 新たに生まれた神と、世界の創造。

 創造された世界の中で、足掻くように生きる命。

 エルノフェイの分裂。

 黒く荒れる海を命がけで旅をする、人の先祖達。

 緑豊かな孤島群に聳え立つ白亜の城と、そこに攻め込もうとする巨大な人造神。

 砕かれた杖を巡る災禍。

 砂漠の地で蘇る魔人、堕ちた現人神と、英雄の生まれ変わり。

 鏡のような湖畔に立つ、巨大な尖塔。最後の王と、その友の物語。

 そして、原初の竜王と人竜の戦い。

 この世界が始まってからのすべての情景が、彼の脳裏には浮かんでいた。

 やがて、再び光群が集まり、螺旋の渦を作り始める。

 だがそこに、光ではない“無”の空間が存在していた。

 “無”の存在は光の周りを迷うようにうろついていたが、やがて一つの大きな光に惹かれるように寄り添うと、共に螺旋の渦へと身を投じていく。

 

(……来た)

 

“彼”はゆっくりと、閉じられていた瞳を開き、己のもつ一対の翼を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大使館でドラゴンに関する情報を得た健人だが、脱出の際に追ってきたサルモールの追跡部隊に追いつかれ、森の中に逃げ込んだ。

 幸い、吹雪によって視界は劣悪のため、追跡部隊は健人の姿を簡単に捉えることはできない。

 しかし、吹き付ける風は健人の体から容赦なく体温を奪っていき、徐々に健人の足を鈍らせていた。

 

「くそ! 侵入者はどこだ!」

 

「探せ! まだ遠くにはいっていないはずだ」

 

「はあ、はあ、はあ……くそ、まだ追ってくる」

 

 追ってくるサルモール部隊はまだ諦めておらず、健人の背後からは喧騒が聞こえてくる。

 逃走手段である馬車を吹き飛ばされた健人は徒歩で逃げるしかない。

 とにかく、今は距離を稼ぐことが必要だ。

 健人は必死に足を動かし、追跡部隊から離れようとする。

 だが同時に、健人はこのまま逃げ切ることは難しいとも考えていた。

 季節的には夏だが、寒冷なスカイリムの中でも北に位置し、かつ北海からの風を遮る山には雪が降る時があり、この森にも地面には積もった雪がまだ残っている。

 その雪に、どうしても足跡が残ってしまうのだ。

 

「どうにかして、足跡をつけないように逃げないと……」

 

 緊張と激しい運動で回らない頭を必死に巡らせ、健人はサルモールから逃げる手段を考える。

 

「見つけたぞ!」

 

「くそ!」

 

 しかし、健人が打開策を見つける前に、ついにサルモールの追跡部隊に追いつかれてしまった。

 健人の姿を見つけたと同時に、サルモールの兵士が破壊魔法であるアイススパイクを放ってきた。

 氷晶の槍が、健人に向かって撃ち出される。

 撃ち込まれた魔法が健人の足元に突き刺さり、足を止めさせられた。

 その間に、サルモールの部隊は健人を取り囲む。

 

「追いついたぞ。ネズミめ」

 

 健人を取り囲んだサルモール兵が、剣を抜く。

 数は五人。健人の前後左右を固めるように一人ずつ陣取り、健人を囲む兵士たちを俯瞰する形で、一人が後方に待機している。

 皆一様に敵意と殺意に満ちた目で、健人を睨みつけていた。

 

「その剣、ブレイズか。

 降伏しろ。大人しく捕まって仲間の居場所を吐けば、楽に死なせてやる」

 

 後方で待機していた兵士が、居丈高に降伏勧告をしてきた。

 他のエルフ兵士と違い、華美な碧色の鎧と剣を身に帯びている。

 彼が纏っているのは、碧水晶の装具。

 エルフの一般兵士の装具よりも高価で、武具の性能も魔法の付与能力も高い逸品だ。

 おそらく、この追跡部隊の部隊長だろう。

 健人としてはブレイズではないと言いたいところだが、言ったところで信じられるはずもない。

 

「……結局、殺すのかよ」

 

「当然だろう。我らサルモールに逆らった愚か者に、死を与えるのは絶対だ」

 

 愉悦の混じった笑みを浮かべるサルモール部隊長。これから健人を甚振るのを楽しみにしているようだ。

 死んでたまるかという生存欲求と、サルモール部隊長への反骨心から、健人は無言でブレイズソードを構える。

 反抗の意思を見せた健人に、不気味な部隊長の笑みが更に歪む。

 

「よかろう。ならば、痛みと絶望の中で死ぬがいい!」

 

 サルモール小隊長が手を振ると、健人を囲んでいた四人の兵士が一斉に切りかかってきた。

 四人の兵士が健人を斬り殺そうと踏み込んできた瞬間、健人は、右側から襲い掛かってくる兵士に向かって、自分から踏み込んだ。

 自分を囲む兵士の“円”を崩すために、一点突破を図ったのだ。

 とはいえ、相手は大使館を守るサルモールの正規兵。健人の突撃には動じず、タイミングを合わせてエルフの剣を唐竹に振り下ろしてきた。

 

「ふっ!」

 

 だが、健人は素早く刀を掲げ、相手の剣筋を斜めに受けながら、体の重心を横にずらして相手をいなす。

 同時に背後に回り、その背中を向かってくる兵士めがけて思いっきり蹴り飛ばした。

 

「うわ!」

 

 たたらを踏んだサルモール兵士が、他の兵士一人を巻き込んで倒れこむ。

 この隙に、健人は残り二人を相手取る。

 右の兵士の斬撃を逸らしながら左の兵士の剣に叩き付けて巻き込み、そのまま体当たりで体勢を崩して足を払うと、サルモール兵士一人が倒れこんだ隙に位置を入れ替える。

 そのまま森という障害物の多い環境を最大限利用し、常に動き回り、的を絞らせないよう一対一を心がける。

 モーサルの森でデルフィンと行ってきた鍛錬が活かされていた。

 

「こいつ、ちょこちょこと鬱陶し……うわ!」

 

 苛立ちで突出した兵士に向かって急加速し、その手を引っ掴んで地面に引き倒すと、腰の短剣を引き抜いて、相手の太ももの内側に突き立てる。

 太ももの内側には動脈が走っている。キチンとした治療を行わなければ、いずれ失血死だ。

 さらに、重傷を負った仲間を見て、他の兵士たちの動きが明らかに鈍る。

 正規の軍事訓練を受けた兵士とはいえ、仲間を見捨てることは難しい。

 彼らは秩序ある集団となるために厳しい訓練を受けるが故に、仲間意識が非常に強いのだ。

 殺してしまえば相手の怒りを買うだけだが、負傷兵にしてしまえば、仲間を助けなければという意識が怒りの間に滑り込む。

 これもまた、健人がデルフィンに教え込まれた集団戦の手法の一つだった。

 相手集団の意識が僅かな躊躇に囚われた瞬間、健人は地面を蹴り、全力でサルモール部隊長めがけて駆け出した。

 健人を囲んでいた包囲網は既にバラバラだ。彼とサルモール部隊長の間には、いつの間に一直線の空間が出来上がっている。

 

「っ! 隊長!」

 

 自分たちが釣り上げられていた事に気づいた兵士が悲鳴にも似た声を上げる。

 相手の指揮官を倒してしまえば、部隊は瓦解する。

 間合いに踏み込み、健人は腰に構えたブレイズソードを横薙ぎに一閃させる。

 振り抜かれた刃が、サルモール部隊長の体を捉える……はずだった。

 

「ぐっ!」

 

 ガァン! という強烈な衝撃とともに、健人の剣戟が弾かれる。

 弾かれた健人が体勢を立て直して、改めて相手を確かめると、サルモールの部隊長が右手に持った片手剣を振りぬいた姿が見える。

 どうやら、健人の剣が自分の体に届く直前に、腰に差した剣を一瞬で引き抜いて迎撃したらしい。

 

「なるほど、侮りすぎていたな。だが、それはそちらも同じようだ」

 

「くっ……」

 

 健人の顔に苦渋の色が浮かぶ。

 健人には、彼がいつ剣を抜いたのか、ほとんど見えなかった。

 部隊長の体がブレる。

 同時に、背筋に氷柱を突っ込まれたかのような悪寒が健人を襲った。

 部隊長が、一気に間合いを詰めて、右手の碧水晶の片手剣を袈裟懸けに振り下ろす。

 健人は感じた悪寒を振り払うように、剣を掲げて部隊長の剣を受け止めた。

 

「この私が、上級魔術師どものような魔法一辺倒の愚か者だと思ったか? この鎧と剣は、伊達で身に着けているのではないぞ」

 

「ぐううう!」

 

 片手で振るわれたとは思えない衝撃が健人を襲う。

 いくら健人の剣が軽いとしても、このエルフ部隊長の剣は速すぎる。

 さらに部隊長は、軽やかに連撃を放ってきた。

 上下左右だけでなく、突きも交えた変幻自在な剣が、健人に襲い掛かる。

 健人とはすり足で後ろに下がりながら、何とか迫りくる剣を弾き落としていく。

 その剣の冴えは性質こそ違えど、モヴァルスに匹敵しているように見えた。

 

「ほう、上手いな。ブレイズらしい巧みさだ。だが、まだ甘い」

 

「隊長!」

 

「お前たちは怪我人を守れ。こいつに怪我人を人質にされてはかなわん」

 

 加勢に入ろうとする配下の兵を押止める部隊長。

 健人が先ほどのように、配下の兵を利用して逃亡することを防ぐためだ。

 健人とサルモール部隊長、互いの優劣は先の数撃にて明らかであり、部隊長にはこのまま健人を捕縛できるだけの確信があるのだ。

 この部隊長は、ウステングラブで戦ったサルモール部隊長とは明らかに違った。

 人間に対する蔑視感情はあれど、戦場では相手を過小評価せず、健人の力量を正確に見抜こうとしてくる。

 戦士として力量、そして指揮官としての冷静さを兼ね備えた、優秀な人物だ。

 そして、その指揮官の確信は、正しかった。

 健人は何とか致命傷だけは防いでいるが、部隊長の変幻自在な剣は、徐々に裂傷を刻み、健人を確実に追い詰めている。

 このままではいずれ押し切られることは、火を見るより明らかだった。

 

「くっ!」

 

「むっ!」

 

 追い詰められた健人が、思いっきり地面を蹴り上げた。

 舞い散る雪と土砂が、部隊長の視界を遮る。

 サルモール部隊長は冷静に、後方に退避し、様子を伺う。

 双方、相手を確認できない状態なのだ。押されていた健人は踏み込むか、逃げるしかない。

 逃げるなら魔法を撃ち込めばいいし、距離を開ければ踏み込んできても十分対処できる。

 サルモール部隊長がそう考えているとき、舞い散る雪を切り裂いて、小さい黒い影が部隊長に向かって飛び込んできた。

 

「甘いな」

 

 サルモール部隊長は、飛び込んできた影を小手で弾き飛ばす。

 次の瞬間、ガシャン! とガラスが割れるような音とともに、ビシャリと液体が舞う。

 

「これは、ポーション?」

 

 部隊長が弾き飛ばしたのは、薬の瓶を入れていた健人のポーチだった。

 割れた小瓶から舞った薬液が、サルモール部隊長の腕から下半身を濡らす。

 適当な道具を投げつけて、その隙に逃げるつもりなのか?

 サルモール部隊長がそんな疑問を抱いたその時、彼の視界に詠唱を終えた健人の姿が映った。

 

「魔法か! バカめ、選択を間違ったな!」

 

 サルモール部隊長は内心で健人の失策を嘲笑いつつ、素早く詠唱を終え、障壁を前面に展開する。

 サルモール部隊長が展開した魔法は“魔力の砦”。

 精鋭をさらに超えた熟練者にしか使えない、上級の障壁魔法だ。

 当然ながら、健人の魔法とは比較にならない防御力を誇っている。

 魔法でハイエルフに敵う種族は存在しない。

 かつてエセリウスと繋がっていた彼らの魔力適正は、人間とは比較にならないほど高いのだ。

 遠距離でハイエルフと戦うことは、人間には自殺行為。

 ゆえに、戦うなら魔法が使えないほど接近するしか活路がない。雪で双方の視界を塞いだ時点で、健人がこのサルモール部隊長に勝つには、吶喊するしか選択肢がなくなっていたのだ。

 その場に留まって魔法勝負など、愚の骨頂である。

 だが健人は構わず、構築した魔法をサルモール部隊長めがけて撃ち放った。

 放った魔法は“雷撃”。

 素人レベルの破壊魔法だ。

 

「無駄だ! そんな貧弱な魔法、この私には通用しないぞ!」

 

 当然ながら、健人の劣悪な魔法は、サルモール部隊長の障壁を前に四散する。

 だが、健人の魔法が障壁の前に弾かれて散り、その稲妻が地面に落ちた瞬間、信じられないことが起きた。

 散った雷が地面を伝い、蛇のようにサルモール部隊長の足に絡みついたのだ。

 

「なっ!? ぐあああああ!」

 

 突然の激痛に、サルモール部隊長が苦悶の悲鳴を上げる。

 原因は、健人が“割らせた”ポーション。

 溢れた薬液を伝い、雷撃がサルモール部隊長に襲い掛かる。

 さらに、ここでハイエルフの魔力適性が仇になった。

 ハイエルフは魔法に適した種族だが、その適性の高さゆえに“魔力を介した攻撃に弱い”という特性がある。

 ゆえに、健人の貧弱な魔法でも、サルモール部隊長には思わぬ痛手となっていた。

 

「はああああ!」

 

「くっ!」

 

 雷撃の魔法で明らかに動きの鈍ったサルモール部隊長に、健人が躍りかかる。

 サルモール部隊長は咄嗟に右手に持った碧水晶の片手剣を突き出すが、辻風を思わせた剣戟も、今では微風のように精彩を欠いており、健人に容易く捌かれた。

 突き出された剣に刃筋を沿わせ、ギャリリリ!と耳障りな音と火花を立てながら、健人は相手の懐に飛び込む。

 そして相手の剣に沿わせていたブレイズソードの刃を返し、サルモール部隊長の首筋めがけて剣を振るう。

 

(殺られた)

 

 サルモール部隊長の脳裏に、己の死が確信となって浮かぶ。

 だが、サルモール部隊長の確信は、現実のものとはならなかった。

 

「隊長おおおおおおお!」

 

「っ!」

 

 端で二人の戦いを見守っていたサルモール兵士の一人が、己の剣を健人に投げつけてきたのだ。

 上官の命令を無視した、体裁も何もない、しゃにむに投げられた剣。

 健人は思わず、左手をブレイズソードの柄から離し、自身に迫る剣を小手で弾き飛ばしてしまう。

 そして、それはこの刹那の攻防の中において、明らかな隙だった。

 

「おおおおおお!」

 

「がっ!」

 

 手にしていた剣を放り出し、高貴な種族を自称するハイエルフに似つかわしくない裂帛の気合で、サルモール部隊長は健人を殴り飛ばす。

 続いて、詠唱を開始。

 その手に溢れんばかりの紫電を具現させた。

 

「ぐぅう!」

 

 隆起したサルモール部隊長のマジ力が、威圧感を伴う風となって健人に圧しかかる。

 健人は反射的にサルモール部隊長めがけて駆け出し、もはや枯渇したマジ力の最後の一滴までをひねり出して障壁を構築する。

 一撃で破壊されるだろうが、構わない。

 サルモール部隊長は剣を手放してしまった。健人の剣を防ぐ手段はない。

 たとえ防ぎきれなくても、一撃耐えれば、剣を持っている健人の勝利だ。

 だが、考えた健人の予想は外れた。

 放たれた紫電は、健人の障壁には当たらず、脇を抜けて背後の地面に着弾。

 方向を変え、健人の背中に襲い掛かってきた。

 

「ぐあああああああ!」

 

 チェインライトニング。

 その名の通り、着弾した場所から鎖のように連鎖的に目標へと襲い掛かる精鋭レベルの破壊魔法だ。

 健人が編み出した策のお株を奪うような魔法運用。

 直撃したチェインライトニングの痛みに、健人は膝をつく。

 手から滑り落ちたブレイズソードが、雪の地面に落ちた。

 サルモール大使館からここまで続いた極限の緊張の連続と、極寒の中での逃走と戦闘により、魔力とスタミナが枯渇し、疲労の極みに達していた健人。

 何とか体を起こそうとするが、彼の意志に反し、体は地面に倒れこみ、動けなくなってしまう。

 

「はあ、はあ……これで終わりだ。ブレイズのネズミ」

 

 健人を無力化した部隊長が、汗をにじませながら歩み寄ってくる。

 すまし顔を取り繕おうとしているが、極限の緊張感に晒されていたのは、彼も同じ。その顔には色濃い疲労が見て取れる。

 

(部下がいなかったら、地面に倒れていたのは間違いなく私だった……)

 

 サルモール部隊長自身、内心で健人の力量に感嘆していた。

 このまま鍛え続け、さらに幾つかの修羅場を乗り越えれば、間違いなく世に名を轟かせる戦士になる。

 囲まれた際の素早い判断と手際の良さ、敵の特性を逆手に取った戦術、何よりも、その戦術を現実にできるだけの力量。

 既に彼は、一対一においては健人に敗北していた。

 間合いを詰められ、自分の死を確信させられたのだから。

 だからこそ、サルモール部隊長は、この青年をこのまま逃がす訳にはいかなかった。

 優秀な戦士は、どんな高価な装備よりも貴重だ。

 人族に対して、蔑視感情があるサルモールではあるが、同時にこの部隊長は、一角の戦士に成りえる者に対し、正当な評価も下せる傑物であった。

 

「お前は脅威だ。まずは両手足の腱を切った上に舌を切って魔法を封じ、その上で尋問してやる。エレンウェン特使の拷問は地獄だ。恨むなら、ブレイズに組し、サルモールに喧嘩を売った己を恨め」

 

 直接相対した故に、健人の脅威を誰よりも理解した部隊長。

 だからこそ、逃がさない。慈悲もくれてはやらない。

 酷いようだが、サルモールの為に全力でその戦士の芽を潰すことが、この奇妙な顔立ちの戦士に対する礼儀だと思っていた。

 だが、そんなサルモール部隊長の思惑は、実行されることがなかった。

 

“ゴアアアアアアアア!”

 

 魂すらも引き裂くのではと思えるほどの咆哮が、森に響く。

 姿を現したのは、色あせた金色の鱗を纏ったドラゴン。

 猛吹雪をものともせず、上空からサルモール部隊長達を見下ろしていたドラゴンは急降下すると、地面に倒れた健人を挟む形で、サルモール部隊長の前に着地した。

 

「ドラゴン。まさかこんな近くにいたとはな……。撤退だ。引くぞ」

 

 負傷した部下を抱えている今、部隊長はドラゴンと戦っても勝てないと判断した。

 出来るなら自分に死の確信を抱かせた戦士にトドメを刺しておきたかったが、いつドラゴンが襲い掛かってくるかわからない以上、無理はできなかった。

 素早く撤退の命令を下し、怪我を負った部下を無事な兵士に任せながら、部隊長は殿を務める。

 後ずさりをしながら、ゆっくりとドラゴンと距離を取り、やがて十分距離を取ったところで、部隊長は素早く身を翻して森の奥へと消えていった。

 逃げていくサルモールを見送ったドラゴンは、その瞳を自分の足元で横たわる健人に向ける。

 その瞳は、まるで冬の夜のように澄んでいた。

 

“見つけたぞ、異なる者。揺蕩う定命の者、無の存在、私の“運命”よ”

 

 消えかかる意識の中で、そんな言葉が健人の耳に響いてきた。

 健人が意識を失ったことを確かめたドラゴンは、健人に顔を近づけると、彼の体を優しく咥え、吹雪が止まぬ空へ向かって羽ばたいていった。

 

 

 

 

 




というわけで、本格的なオリジナル展開の開始です。
今回のお話の冒頭部分の情景は“子供向けのアヌの伝記”等を参考に構築しました。
エルノフェイは、その伝記に記されていた、エルフの大本の種族名です。


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第十話 奇妙なドラゴン

このお話で、当小説最後のオリキャラが出ます。


 サルモール大使館から脱出する際に健人と逸れたデルフィンは、リータ達との合流地点である祠へと移動していた。

 祠はソリチュードとドラゴンブリッジをつなぐ街道を北側に向かった先にある。

 祠の上には羽の生えた女性を象った像が置かれているが、祠全体は雪に覆われ、すっかり寂れた雰囲気を醸し出している。

 そんな祠の傍で、デルフィンは悩ましげに頭を掻いていた。

 

「参ったわね。完全に逸れたわ……」

 

 元々、サルモール大使館の潜入が終わった後は、この祠の前でリータ達と合流する予定だった。

 しかし、デルフィンがこの合流地点に来てから半日あまり経ったものの、健人がやって来る気配はなかった。

 そんな中、健人よりも先に、リータ達が祠に到着した。

 

「おい」

 

「ああ、来たのね」

 

 鋼鉄の鎧に身を包んだドルマが、デルフィンに声をかける。

 後ろには、健人の家族である少女や、彼女の従者であるリディアの姿もある。

 デルフィンから見ても、ドルマもリディアも、ドラゴン退治の旅路の中で成長している様子が感じ取れた。

 

「それにしても、随分と変わったわね、ドラゴンボーン」

 

 だが、デルフィンの目を一番引いたのは、ドラゴンボーンたるリータの姿だった。

 全身を覆う、漆黒の重装鎧。黒檀製の全身鎧を身にまとった彼女の姿は、端から見ても豪奢で目を引くものだろう。

 背中には黒檀の弓、従者にも黒檀の斧を背負わせており、腰の剣も黒檀の剣に変わっている。 

 ファルクリースのシドゲイル首長が、ドラゴン退治の報酬として用意した一品だった。

 だが、デルフィンが何よりも今までの彼女と違うと感じたのは、その身に纏う覇気。

 まるで、ドラゴンと間近で対峙した時のような強烈な威圧感だった。

 完全なる竜殺しとなったリータを前に、デルフィンは自分の口元が自然と吊り上がるのを感じた。

 

「……ケントはどこ?」

 

 リータの視線が、義弟を探してあちこちを彷徨う。

 顔の前面を負う兜のせいで、リータの表情はデルフィンには見えず、声色も淡々としたもののように聞こえるが、デルフィンはその抑揚のない言葉の裏に、ドラゴンボーンの焦燥を感じ取っていた。

 

「最後の最後でミスってサルモールの追撃部隊に追われたの。大使館からここに来るまでの森で逸れたわ」

 

「であるのなら、貴方はなぜこんな所にいるのですか?」

 

「仕方ないじゃない。私も馬車を失くして、おまけに吹雪に見舞われたのよ。視界はほとんど無いし、自分の身を守るだけで精一杯だわ」

 

 リータの後ろに控えていたリディアがデルフィンに食って掛かるが、デルフィンは彼女の抗議を、肩をすくめて受け流す。

 

「ケントを探しに行く」

 

 一方、リータは睨みあう二人を放置し、健人を探そうと、彼が行方不明になった森を目指して歩き始める。

 

「そういえばドラゴンボーン、気を付けて。最近ソリチュードの北で、見たことのないドラゴンが目撃されている。くすんだ金色のドラゴンらしいけど……」

 

「なら狩る。ケントも必ず見つける」

 

「そう、分かったわ。ケントと逸れた位置と時間を考えれば、捕まったとしてもフラーグスタート砦までは行っていないでしょう。今から急げば間に合うと思うわ。殺されていなければね」

 

 フラーグスタート砦はソリチュードの北側。混沌の海に面する海岸に建てられた砦であり、今ではサルモールの拠点となっており、サルモールがタロス狩りで捕えた囚人たちを収容している場所でもある。

 その中では、異端狩りの為に、日夜囚人に対して苛烈な拷問が行われている。

 

「あなたは……」

 

 デルフィンの不躾な言葉に、リディアが再び気色ばむ。

 そんな時、はるか遠くにある山の稜線から、空に向かって飛び去る何かの影が、リータ達の目に映った。

 

「あれは」

 

「ドラゴン、だな。それに咥えているのは……」

 

 飛び去って行くのは、くすんだ金色の体躯を持つドラゴン。おそらく、デルフィンが噂で聞いたドラゴンで間違いない。

 ドラゴンボーンとして覚醒したリータの視力が、ドラゴンが咥えたものに注がれる。

 それは、力なく項垂れている、健人の姿。

 まるで死んでいるように動かない健人の姿を目の当たりにし、リータの黒檀の小手がミシリと音を立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピチョン、ピチョン。

 水が滴る音に、闇に飲まれていた健人の意識が徐々に戻ってくる。

 

(俺は、一体……。死んだのか?)

 

 ピチョン、ピチョン。

 闇に包まれた視界、全身を覆う寒気と倦怠感は、健人に己の死を感じさせる。

 脳裏によみがえるのは、まだ自分が地球にいたころの光景。

 学校に行き、学び、バイトをして家に帰り、家事をする。そんなルーティンワークのような、しかし、もう送る事が出来なくなった日本での日常。

 友達は、学校でもバイト先でも多くはなかった。

 同級生のガラの悪い者たちに絡まれたこともある。

 灰色の青春といえばそうだが、それでも母親を早くに亡くした健人にとって父親が生きていてくれる事は何より嬉しかった。

 

“え、お前が料理をしたのか? 凄いじゃないか!”

 

 初めて料理を作った時、普段は物静かな父親が、満面の笑みを浮かべて喜んでくれたこと、初めて作った豚の生姜焼きは焼きすぎてかなり苦かったこと。

 二人だけの食卓の中で、母が死んでからようやく笑顔になれたこと。

 

(今わの際になって、走馬燈を見ているのか?)

 

 次々と思い起こされる、日本での日々。

 脳裏に蘇る懐かしい光景が、寂寥と望郷を湧き立たせる。

 

“目が覚めたか”

 

 だが、懐かしい情景の中に、健人の知らない他者の声が響いた。

 死に際の走馬燈を見ていたと思っていた健人は、驚きとともに、ようやく自分がまだ生きていることに気が付いた。

 

(俺はまだ、生きている?)

 

 背中に感じる硬い感触と冷たさ。おそらく仰向けに寝かされている。

 ゆっくりと瞳を開けると、穴の開いたすり鉢を逆さまにしたような岩の天井が目に飛び込んでくる。

 天井の穴から見える空は未だにドス暗い雲に包まれ、横殴りの吹雪が舞っていた。

 

「ぐっ……」

 

 寒さで感覚の鈍った両手に力を籠め、健人はなんとか身を起こす。

 そこで健人は、ようやく自分に語り掛けてきた存在に目を向け、そして驚きに言葉を失った。

 そこにいたのは、色褪せた金色の鱗を纏ったドラゴンだった。

 

「ドラゴン!?」

 

 自分に話しかけてきた相手の正体に驚き、咄嗟に腰に手を延ばす。

 だが、伸ばした手は空を切った。腰には鞘だけが差さっており、肝心の剣はなかった。

 先のエルフ追撃部隊との戦いの場に落としてきたのだ。

 武器を失ったことに健人は口元をゆがめながらも、油断なく相手のドラゴンを見据える。

 

“我が名はヌエヴギルドラール。この洞窟に永く住む、老いたドラゴンだ。ようやく会えたな、異邦人よ”

 

「異邦人って……」

 

“その言葉の通り、この世界の外からきた人間という意味だ”

 

 ヌエヴギルドラールと名乗ったドラゴンの言葉に、健人は警戒を忘れ、驚きのあまり目を見開いて固まってしまう。

 このタムリエルに流れ着いてから、健人は自分が異世界出身であることは誰にも言っていないし、声にも出したこともない。知る者など、誰一人いないはずである。

 にもかかわらず、このドラゴンは健人のこの世界の人間ではないことを看破していた。

 

“我はドラゴン。時の竜神、アカトシュの子。故に、この世界の時の流れには敏感だ。お主の“時”は、この世界に生きる者達とは明らかに異なっている”

 

 どうやらこのドラゴンは、健人に流れる“時”を読むことで、彼が異世界の人間であることに気づいたらしい。

 時の流れなど、健人には到底理解できない感覚での話。

 健人が困惑している中、ドラゴンは未だに敵意なく、どこかキラキラとした、興味深そうな瞳を健人に向けている。

 

「……どうして、俺を助けたんですか」

 

“我は長い時を、この洞窟で過ごしてきた。もう、季節がどれほど廻ったのか分からぬくらい。先も言ったが、お主はこの世界とは違う“時”の存在。故に、話をしてみたいと思ったのだ“

 

「ドラゴンと話なんて……!」

 

“不思議か? ドラゴンが対話を望むのは?”

 

 ヌエヴギルドラールの言葉に、健人は黙り込む。

 目の前のドラゴンの言う通り、健人は今までドラゴンが交渉できるような存在とは思ってもみなかった。

 健人はこの世界におけるドラゴンと人間との確執について、デルフィンから聞いている。

 太古の昔に人を含む生物を支配してきたドラゴン、そのドラゴンに反抗し、殺しつくした人間。到底、話し合いができる間柄とは思えない。

 

“人間には理解できないかもしれないが、我々は元々話好きだ。我々のスゥームは本来自らの意思を具現し、種族の関わりなく相手に意思を伝えるためのもの。ただその力はあまりに強く、人間やエルフと違い、戦いと口論が乖離していないだけ“

 

 ヌエギヴルドラール曰く、スゥームは一種の“真言”であるらしい。

 真言とはその名の通り、真理や摂理そのものを表し、世界に直接干渉する言葉。

 エルフ由来の魔法のように、マジ力を必要としないにもかかわらず、超常の現象を具現できるのは、スゥームが“真言”であることの証とのこと。

 

(だからグレイビアードの人達は、シャウトで悟りを開こうとしているのか……)

 

 健人は改めて、この世界において、シャウトが持つ意味の大きさを感じ取っていた。

 時の龍神であるアカトシュ。その子供たちであるドラゴンが、最も尊ぶ力にして言葉。

 

“さて、我らの事を話したのだ。そちらも話をしてはくれまいか?”

 

 健人が改めてシャウトの異質さを実感している中、ヌエヴギルドラールは待ちきれないといった様子で、健人に話を促してきた。

 

「話って、なにを……」

 

“産まれた時の事、異世界での話、この世界に来てからの事、何でも構わぬ。こうして出会えたからには、ティンバーク……世間話を楽しもうではないか”

 

 健人は自分がいるドーム状の洞窟を見渡す。

 洞窟の外壁には、目の前のドラゴンが通れるくらいの大きな穴と、人が一人やっと通れるくらいの横穴がある。

 小さな横穴を通れば外に出ることができるかもしれないが、天井の穴から見える吹雪を見る限り、出ても下手すれば遭難してしまうだろう。

 吹雪が止むまでは出られないのなら、少しぐらいなら話をしてもいいかもしれない。

 

「そう、だな……」

 

 健人はそれから、ヌエヴギルドラールに地球について話をした。

 自分が以前いた地球がどんな星なのか、日本という国でどのような生活をしてきたのか。

 そんな話の一つ一つに、ヌエヴギルドラールは大きな興味を示していた。

 特に興味を示したのは、宇宙産業や航空技術についてだった。

 

“ほほう、人が空どころか、星の海まで旅立つか……。なんとも、摩訶不思議なものだ。それで、どのようにして定命の者は空を飛ぶのだ?”

 

「基本的には鳥と同じだよ。鉄の翼を作って、それに風を受けて浮力を生んで……楽しいのか?」

 

“うむ! 興奮するぞ。兄弟達とすらほとんど喋らなかった我だが、このティンバークは本当に楽しい! ドヴの本能が歓喜しているぞ!”

 

 少し話してみて健人は分かったが、このドラゴン、非常に感情が動きに出る。

 健人の話を聞き始めてから、ずっと翼がバサバサと小刻みに羽ばたいているのだ。まるで餌をねだる小鳥のように。

 その度にバフバフと風が巻き、砂が舞い上がっている。

 

「そういうお前は、こんなところで何をしているんだ?」

 

“何もしておらんよ。あえて言うなら、“時”を読むくらいだ”

 

「時を読むって?」

 

“たとえるなら、川の流れを読むようなものか。水がどこから湧きだし、どこを流れ、どこで留まり、どこへ行くのか。その流れを鳥のように、天を見るように俯瞰しながら見ているのだ”

 

「???」

 

 健人の脳裏にはてなマークが乱舞する。

 未来を見ていると言われても、人間には理解不能な話である。当然ながら、一般人である健人に分かるはずもない。

 

”ふむ、まあ、人間には理解しがたい感覚かもしれんな。それで話を戻すが、人はどうやって星の海を旅しているのだ?”

 

「あ、ああ。それは……」

 

 再び始まる地球談義。

 基本的な地理や歴史、電化製品やインターネットなどの文明機器。生息している動物や、国の社会構造まで、ヌエヴギルドラールはあらゆる話題を振り、健人はそれに答え続けた。

 

「ふふ……」

 

“どうかしたのか?”

 

「あ、いや、こんな風にドラゴンと普通に話をしているなんて、なんか不思議で……」

 

 ヌエヴギルドラールとの対話の中で、健人は思わず笑みを漏らす。

 ドラゴンとの世間話。

 健人としても、普通に考えて絶対にやらないといえる行動だった。

 ドラゴンは彼の恩人である、アストン夫妻を殺した。

 それがヌエヴギルドラールでないことはとうに分かっていたとしても、ドラゴンという言葉を聞けば、胸の奥に強い憤りを覚える。

 だがこの時、健人は自分でも驚くくらい、ヌエヴギルドラールの“世間話がしたい”という言葉を自然に受け入れていた。

 この世界に迷い込んでから、リータにすら言えなかった自分の秘密。それを知られただけでなく、興味を持って尋ねてきてくれた事で、胸のつかえが取れたからなのかもしれない。

 もしくは、ずっと戦いや鍛錬の日々で凝り固まっていた心が、この短い世間話の中で解けたのか。

 

“であろうな。我は、兄弟たちから見れば変わり者だからな”

 

「変わり者?」

 

“うむ、お主の言うところの“ニート”という奴だろうか? 我の兄弟達はほとんどが力を求め、外に出でブイブイ言わせているのだが、我はどうもそういう気にはならなくてなぁ~“

 

「ブイブイって、いつの言葉だよ。というか、そんな地球の言葉、教えたっけ?」

 

 どうしてこのドラゴンは、そんな死語を知っているのだろうか。

 シャウトとか魔法とか、いい加減この世界の非常識には慣れてきた健人だが、この珍妙なドラゴンの言葉に、力が抜ける思いだった。

 

“とはいえ、外に出て一山当てようとした兄弟は大抵シマがぶつかった挙句、喧嘩になる。人間の街が一つ二つ消えたところで、長兄が出張って、山を一つくらい焼き尽くすほどの折檻をして収まるのが常であったなぁ”

 

「何それ怖い……」

 

 健人は改めて、ドラゴンの常識に眩暈を覚える。

 兄弟喧嘩の仲裁の代償が山一つなんて、なんて酷い世界だろうか。

 

“そんな兄弟たちの戦いに巻き込まれるのが嫌でなぁ。この洞窟に引きこもっていたのだが、一度引きこもってしまうとこう……出る機会を逸するというか”

 

「つまり、出不精になった?」

 

“ン、ンン……そうこうしている内に、外では数千年の時間が過ぎていたらしい。いや、数万年か? とにかく、そんな感じになっていたのだ!”

 

「こ、この竜……」

 

 このドラゴン、よく見ると、体の彼方此方に苔が生えている。

 しかも、先ほどの羽ばたきでも落ちる様子がない。よほど鱗にがっちりと根を張っていると見える。

 

“うむ、五百年くらい洗っておらん。一応地底湖はあるが、面倒くさくてなぁ……”

 

 健人の恩竜は生粋のニートだった。しかも、自分の家でも部屋の移動すらしたくない、プロフェッショナルニートである。

 傲慢で威厳のあるドラゴンのイメージがガラガラと音を立てて崩れ去っていくのを感じた。

 

「……取りあえず、地底湖に行くぞ。体を洗う」

 

“え~、面倒なのだがなぁ……”

 

 綺麗好きな日本人として、このドラゴンの不精はどうにかしないといけない。

 健人は奇妙な使命感に駆られながら、ブーたれるドラゴンの頭を引っ張り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 地底湖に来た健人とヌエヴギルドラールは、とりあえず出不精のドラゴンを地底湖に浸からせると、岸で火を焚き始めた。

 地底湖には発光するキノコがあちこちに生えており、湖全体をほのかな明かりで照らし出している。

 バッシャバッシャと行水を始めるドラゴンを横目に、乾いた苔を着火剤に火をおこし、ついでに手近にある岩を持ち上げ、ガチンコ漁法の要領で、地底湖にいる魚を取ろうと試みる。

 この湖はどこかの川に繋がっているのか、よく見ると魚の影があちこちに見えるのだ。

 灯火の魔法で足元を照らしつつ、浮かんできた魚を回収し、焚火で焼き始める。

 そうこうしている内に、行水を終えたヌエヴギルドラールが戻ってきた。

 しかし、僅かな行水程度で体に生えた苔が落ちるはずもなく、健人は仕方なく、近くにある平たい石でガリガリとコケを削ぎ落す。

 しばらく黙々と苔を削り続けることになったが、おかげでヌエヴギルドラールの体はすっかり綺麗になった。

 

「つ、疲れた……」

 

“うむ、五百年ぶりにスッキリした。感謝するぞケントよ”

 

「そうですか。それはようござんした」

 

 疲労から返事も投げやりになっている。

 その時、健人の腹がグ~~と鳴った。

 チラリと焼いていた魚を見る。

 魚の油がパチパチと跳ね、皮に良い塩梅の焼き色がついている。そろそろ食べごろだろう。

 魚を火から外し、思いっきりかぶりつく。

 ジワッと魚の油が口いっぱいに広がり、ほろりと崩れた肉が臓腑に落ちる。

 空腹というスパイスを加えて、言いようのない旨さが脳天を直撃していた。

 

“グ~~”

 

 また腹の音が耳に響いた。

 相当エネルギーを消費していたのが分かる。

 

“グ~~、グ~~”

 

 立て続けになる腹の音。魚を食べても鳴り止まない音に、健人はいよいよ首をかしげる。

 健人は隣に視線を向けた。

 

“グ~~、グ~~、グ~~”

 

 ニートドラゴンが健人を見ている。

 正確には、健人が持っている焼き魚を見ている。

 先程からなる腹の音は、目の前のドラゴンから聞こえてきていたようだ。

 健人の眼が窄まる。

 

「……おい」

 

“い、いや、気になってなどいないぞ? 初めて見る焼き魚がこんなにも美味そうなのかとか、食べてみたいな~とか、思ってなどいないぞ? うん”

 

 視線を彷徨よわせながら涎を垂らしているニートドラゴンに健人は肩を落とし、仕方ないというように焼いていた魚数匹を目の前に放り投げてやった。

 

”ほむほむ……おおう、これが焼き魚というやつか! この幸福感と充足感! これが“旨い”という感覚なのだな!”

 

「今まで何を食べてきたんだよ……」

 

“その辺に生えているコケとかだな。元々永遠を生きるドヴにとって、食事とはより大きな力を得るためか、趣味の域を出ない。故に我は普段、その辺の岩に生えている植物なら何でも食べていた”

 

“こうして首を回せばコケが食べられるから便利なんだ~”と、態々首を回して食べる真似をし始める。

 このニートドラゴン、自分の体で自家栽培もやっていたらしい。

 焼き魚すら食べたことがないというこのドラゴンに、健人は思わず「お前生まれてから何やっていた」と問い詰めたくなる。

 しかし、焼いただけの魚とはいえ、旨い旨いと喜びながら頬張るヌエギヴルドラールの姿に、健人はそんな言葉を吐く毒気すらすっかり抜かれていた。

 

「そういえば、さっきの昔話で、長兄がどうとか言っていたな」

 

“ああ、アルドゥインの事か”

 

「アル、ドゥイン……」

 

 アルドゥイン。

 その名前を聞いた瞬間、健人は全身がざわつくような感覚を覚えた。

 恩人を、家族を、そして姉を苦しめる忌竜。

 今の健人達が旅を続けている理由にして元凶だ。

 

「アルドゥインの事、教えてくれないか?」

 

 雰囲気の変わった健人を一瞥したヌエギヴルドラールは、咀嚼していた焼き魚を飲み込むと、ゆっくりと話を始めた。

 

“彼はアカトシュの長子。時の竜神の力を最も色濃く受け継いだ竜王だ。同時に、この世界を滅ぼすことを運命づけられた竜でもある”

 

「特別な竜なのか?」

 

“普通の人間が、アルドゥインに抵抗することは不可能だろう。彼はその役目柄、強力な不変、不滅の力を、その体や鱗に纏っている”

 

「不滅の、肉体……」

 

“たとえ、どれほど強力な武器や魔法であろうと、アルドゥインの鱗は貫けない。あれはその名が示す通り“全てを食らう存在”として生み出されたのだからな”

 

 ヌエヴギルドラールの話が本当なら、誰もアルドゥインに勝つことはできない。

 不滅の鎧を持つということは、たとえリータがどれほどのシャウトを身に着けようと、全く通じないという事だ。

 

“それに、ドヴァーキン……ドラゴンボーンと呼ばれているケントの姉も、アルドゥインやこの世界の運命に大きく関わっている”

 

「何でリータの事を知っている?」

 

“言ったであろう。我はここで“時”を見ていたと。時の流れを読めば、はるか遠くの出来事も手に取るように分かる。アルドゥインの帰還も、ドラゴンボーンの覚醒もな。

 そして今世界の行く末を決める大きな流れの中に、其方の義姉の姿を見たのだ”

 

 そしてヌエヴギルドラールは、リータが“ドヴァーキン”の名が示す通り、竜を狩る子として、彼女が望むと望まざるとに関わらず、ドラゴンと関わる運命にあると告げた。

 

「……今リータは何を?」

 

“数多の同胞を刃で殺し、その魂を取り込んでいる。肉親を殺したドラゴンへの憎しみに身を焼きながら。

 あの様子では、このままでは彼女はアルドゥインを倒すことは諦めない。

 そして、そのままアルドゥインと戦い、死ぬだろう”

 

「リータが死ぬ? 馬鹿な事を言うな!」

 

“ニス、ボヴール、ディズ、ディノク。運命の流れは、未来をそう示した。変えようのない、絶対の流れだ”

 

「そんな、そんな事……」

 

 健人は、改めてドラゴンの出鱈目さを自覚するとともに、アルドゥインの強大さやリータの運命を聞かされ、懊悩する。

 決して傷を負わない、文字通りの無敵のドラゴン。そんな不滅のドラゴンを仇として倒そうとするリータ。

 頭でどれだけ否定しようが、アルドゥインにどんな攻撃も通じない以上、リータに勝ち目はない。無論、健人の助力など無意味だろう。

 だが、たとえどんな理由があろうと、リータがドラゴンと戦うことをやめようとしない事も、健人は分かってしまう。

 両者が戦えば、結果は明らかだ。

 健人の脳裏に、アルドゥインに噛み砕かれるリータの姿が、これ以上ないほど鮮明な未来の光景として映る。

 どうすればいいのだろうか? どうすれば、残った唯一の家族を守ることが出来るのだろうか?

 少しでも強くなって力になれればとも思った。

 デルフィンに弟子入りし、強力な吸血鬼との死闘を乗り越えた。

 実際、この世界に来たばかりの時と比べれば、健人の実力は飛躍とも言っていいほどの伸びを見せている。

 だが、そんな健人の意志や力は、アルドゥインとリータを絡め取る運命の前には、吹けば飛ぶ程度のものでしかなかったのだ。

 なぜなら、彼はこの世界の運命の流れとは、全く関係のない存在だから。

 健人は無力感に苛まれ、思わずその場に座り込んで肩を落としてしまう。

 

“ケント……”

 

 肩を落とす健人を見て、ヌエヴギルドラールが心配そうな声をかけてくる。

 健人が暗い顔を上げると、ズイッと顔を寄せてきたドラゴンが、口にくわえた何かを手渡してきた。

 

「何だこれ……」

 

 手渡されたのは、綺麗に骨だけになった焼き魚。

 欠片ほどの食べ残しもなく、頭や背骨、小骨だけを綺麗に残している。

 

“お代わりを頼む”

 

 無駄な器用さを発揮したニートドラゴンは、遠慮のない要求をし、シリアスな空気を全部ぶち壊いてきた。

 

「……自分で取ってこい」

 

“しかしなぁ、我はドラゴン特有の欲がない。その代わり、力もない。熊はおろか、カニにも負ける! 故に、採ってきてくれ!”

 

「こ、このニートドラゴン……」

 

 自分からカニにも負けると豪語する辺りが、このドラゴンの性格を物語っている。

 というか、それでいいのか生態系の頂点と、健人は額に手を当てて天を仰いだ。

  

“頼むよケント~~。数万年の竜生で初めて美味いという感情を知ったのだ!”

 

 健人が渋り始めると、ニートドラゴンは頭を下げて、ズリズリと健人に這い寄ってきた。

 数十メートルの厳つい巨体が縋り寄ってくる様は、傍から見れば非常に滑稽な光景だ。

 しかし、本心から懇願しているのは確かなのか、ドラゴンの癖に妙に庇護欲を掻きたてるような瞳をしている。

 健人はなんだか、ホワイトランで別れたお調子者のカジートを思い出した。

 彼も困ったときは、上目づかいで縋り付いてきた。

 

「分かった、分かった! ちょっと行ってくるから、そんなにすり寄るな!」

 

“おお! さすがケント、面倒見の良い。感謝するぞ! 我は広間に戻っているから、よろしくな!”

 

「調子のいいこと言って……」 

 

 溜息を吐いて、健人は再び地底湖に向かう。

 先程まで浮かべていた暗い表情は、少しだけだが和らいでいた。

 ヌエヴギルドラールは魚を採りに向かう健人を見送ると、踵を返して広間に戻っていく。

 だがその表情は、先ほど健人に縋り付いていた時とはまるで違う、どこか達観したような表情を浮かべていた。

 

“ゼイマー……。やはりこの場所に気付いて会いに来るか、兄よ……”

 

 健人に聞こえないほどの小さな声で呟きながら、ヌエヴギルドラールは己の運命を察していた。

 

 




第三章も残り2話か3話くらいです。

以下、登場人物紹介

ヌエヴギルドラール

本小説オリジナルのニートドラゴン。
ドラゴンの癖にドラゴン特有の欲がほとんどない稀有な竜。
パーサーナックスのように欲を抑えているわけではないので、弱体化していないが、元々が弱すぎるために引きこもっている。
健人が異世界出身であることを、初めから察している様子だった。



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第十一話 孤独な竜と人

 空を覆っていた吹雪も、徐々に晴れてきている。

 健人を咥えて飛び立つヌエヴギルドラールを見たリータ達は、かのドラゴンを追っていく過程で、健人がサルモール追跡部隊と戦った場所に来ていた。

 

「どうやら、ケント様はここでサルモール兵と戦ったようですね」

 

 リディアの言葉に、リータは頷く。

 この場所では炸裂した魔法の痕跡、雪に残る血痕、なによりも、雪に埋もれかけていた健人のブレイズソードが見つかっていた。

 リータは健人のブレイズソードを拾い上げ、彼の身を案じるように一撫ですると、その剣をリディアに託した。

 

「あのドラゴンがここに来ていたのは間違いないな」

 

 雪には健人達の戦闘痕の他に、明らかに超大型の生物がいた痕跡が残っていた。

 同心円状に吹き飛ばされた雪と、地面に残る鉤爪状の足跡。明らかにドラゴンと分かる痕跡だ。

 

「ドラゴンの飛んでいった方向を考えれば、さらに森の奥になるけど……」

 

「っ! 従士様、上を!」

 

 その時、巨大な影がリータ達の上空を通り過ぎた。

 漆黒の鱗と翼、紅眼を持つ巨竜アルドゥインだった。

 アルドゥインはリータ達には気付かず、はるか高空を悠々と飛び去ると、森の奥にある険しい山の稜線に消えていった。

 奇しくもそれは、健人を連れ去ったドラゴンが消えた方向と同じ。

 

「あれは、アルドゥイン。いったい何処に向かって……」

 

「あそこに何かあるみたいね。行ってみましょう」

 

 デルフィンの言葉に頷くと、リータ達は目的の山を目指して歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再び地底湖で採った魚を焼きながら、健人は懊悩に流されるままにうな垂れていた。

 

「リータが死ぬ。そんな事、信じられるかよ……」

 

 頭で何度も否定しようと試みるが、“真言”によって伝えられた言葉は健人の魂そのものに、ヌエヴギルドラールが見た未来が真実であると刻み込んでいた。

 

「俺は、どうすればいいんだろうな……」

 

 一番に思い付いたのは、リータに戦いを辞めさせること。

 だが、両親を殺されたリータに復讐を辞めさせることは難しいし、何より、彼女は自分と同じ境遇の人間を作らないために戦いに身を投じると決めた。自分から剣を引くとは思えない。

 例えリータに戦いを諦めさせても、アルドゥインは人間に対する虐殺を止めようとはしないだろうし、リータの運命がアルドゥインと結びついているのなら、いずれ両者は相対することになる。

 そうなれば、戦いは避けられず、リータはアルドゥインに殺されることになり、結局はヌエヴギルドラールが示した運命通りになる。

 答えの出ない迷路に迷い込んだ思考に疲れた健人は、懊悩を振り切るように頭をグシャグシャと掻くと、眼前の地底湖に目を向けた。

 澄んだ湖面が自家発光するキノコの光に照らされ、まるで夜空を見上げているような、幻想的な光景が広がっている。

 何もない静寂中に響く、薪の音と水が滴る音が、荒れ狂う健人の心を鎮めていく。

 

「あのニートドラゴン、本当に変な奴だな」

 

 幻想的な地底湖を眺めながら、健人はふとそんな言葉を吐いた。

 ヌエヴギルドラール。

 この洞窟の中でずっと一人、誰にも会うことなく過ごしてきた、異端のドラゴン。

 焼き魚すら食べたことがないという生粋の引きこもりの癖に、外界の情報に通じている竜。

 しかも、話を聞く限りでは、過去や現在だけでなく、未来すら見通しているフシがある。

 かのドラゴンは、健人が異世界出身であることを、会いもしないで感知した。

 本人はカニにも劣ると言っているが、間違いなく超常の生物たるドラゴンとしての力を持っている。

 その癖、健人との僅かな会話すら、小躍りして喜んだりもする。

 何とも奇妙で、よく分からないドラゴンだ。

 

「ドラゴンはエーミナさん達の仇。なのに……」

 

 この世界に迷い込み、右も左も分からなかった健人を匿ってくれたティグナ夫妻。

 ヌエヴギルドラールは、そのティグナ夫妻を殺したアルドゥインと同じドラゴンだが、健人はリータのように、ドラゴンという種族全体への深刻な憎悪を抱くまでには至らなかった。

 ヌエヴギルドラールの態度があまりに気安過ぎることもあり、手のかかる友人に振り回さている時のような、呆れつつも心安らぐという奇妙な感覚だけが残っている。

 

「食い意地が張っているのはカシトと一緒。ついでにお願い事も一緒ときた。図体も歳も違うくせに、精神年齢が一緒ってどういうことだよ」

 

 世間話を楽しむ様子なんて、まるで玩具を手にした子供か、餌をねだる雛のようだった。

 実際、こうして魚を採っているのだから、餌をねだられたというのは比喩にもならない。

 また健人は、ヌエヴギルドラールがリータの運命を聞かされて動揺している自分を気遣って、あんな態度を取っていることも理解していた。

 どうしてあんな事を聞かせたのだと思うところもあるが、同時にそんな気遣いが、少し健人の懊悩を紛らせてくれたことも事実であった。

 

「そういえば、友達とかって、俺、ほとんどいなかったな」

 

 日本にいた時は、家事やバイトなどで色々と忙しかったこともあるし、ガラの悪い連中に目を付けられ、同級生から距離を置かれていたこともある。

 幸い、クラス替えでガラの悪い連中は他にターゲット見つけたのか、健人に絡んでくることはなくなったが、その時には健人自身も特に友人を作ろうとは思わなくなっていた。

 

「あのニートドラゴンは、一体何を見ているんだろうな……」

 

 先ほど出会ったばかりの健人とヌエギヴルドラール。

 時間としてはほんの数時間程度にもかかわらず、健人はあのドラゴンに親近感を抱いていた。

 ドラゴンに友愛を感じるなど、この世界の人間から見れば、イカれたとしか思われないだろう。

 

「リータは、ヌエギヴルドラールの事を知ったらどうするかな。殺そうとするのか、それとも……」

 

 自分と同じ境遇の人を作らないようにと、強くなることを誓ったリータ。

 そんな彼女が、ドラゴンへの憎しみに囚われているとは考えたくなかった。

 でも、彼女がそうなってしまうだけの理由も理解できてしまう。

 もし、ヌエヴギルドラールの存在をリータが知ったら、どうするのだろか?

 健人の脳裏に、凄惨な光景が浮かぶ。

 

「あいつ、こんな洞窟で、一人ぼっちだったんだよな」

 

 静寂と僅かな燐光だけが支配する地底湖。

 何も見えず、何も聞こえず、隣には誰もいない孤独な世界。

 

「死んでほしくないな……」

 

 気が付けば、健人はそんな言葉を漏らしていた。

 達観していて、突き放すような言葉を吐く癖に、焼き魚一匹に一喜一憂し、気落ちした健人の気を紛らわせようと慌てるドラゴン。

 健人自身と同じように、孤独の中で生きてきた竜。

 そんな奇妙なドラゴンに対する親近感に、健人はもう、ドラゴンという種に対して怒りだけの単純な感情だけを抱くことはできなくなっていた。

 

「よし、もういいだろう」

 

 気が付けば、魚は焼けていた。

 健人は気持ちを切り替え、焼けた魚を持ってヌエヴギルドラールの所に向かう。

 だが、広間の手間に来た時、健人の耳にニートドラゴンではない第三者の声が聞こえてきた。

 

“ロズ、ヴォ、デネク。オニク、ゼイマー、ヌエヴギルドラール(こんな所にいたのか、ヌエヴギルドラール。)”

 

 全てを睥睨するような重苦しい威圧感を伴う声。

 それは、健人が初めて目にした竜であり、世界を飲み込む運命を持つといわれるドラゴンの王。

 アルドゥインは洞窟の一段高い足場に降り立ち、見下ろす形でヌエヴギルドラールに話しかけている。

 

“ゼイマー、アルドゥイン、リ゛ングラー。フォド、グリンド、ラード(久しぶりだなアルドゥイン。いったいどれほどぶりなのか)”

 

“ヴォ、ホゥズラー。エヴェナール、ズレン、アクァラ、エン、ジュネイス、ターゾカーン、(もはや数えることなど意味はない。我らがこのタムリエルに来る前から、すでにお前は姿を消していたからな)”

 

 アルドゥインに見つかったら不味いと考え、健人は慌てて近くの岩陰に隠れた。

 息を殺して岩陰に身を潜めた健人には気づかないまま、二頭の竜は話を続けている。

 

“ボヴール、ダール、フェイン。ブリー、アーク、エヴギル。ファール゛、ムル、コス、ケル。ドック、ボディス、フェイン、ムル、ボガーン、ゼイマー(その理由も分かる。お前は我らの中で、最も時を読む事に長けていた。それこそ、星霜の書を使わず、未来のすべてを見通すほどにな。多くの兄弟は、その力を欲した)”

 

“ボディス、ズー、ムラ゛ーグ?(私の力を欲しているのか?)”

 

 ヌエヴギルドラールの言葉を否定するように、アルドゥインは鼻を鳴らす。

 

“フント、フォディ、ドヴァー。フェン、ヘト、セィヴ、ヒ、フロド、ウル゛、ヴォド。ズゥー、ドヴァー、ウンスラード。ニス、クロン、ズゥー、ドロク、ムラ゛ーグ(最下級のドラゴンにすら劣るお前の力など、当てにしていない。ここに来たのは、数千年か数万年ぶりに外に出たお前の様子を見に来ただけだ。それに、我は不滅にして最上のドラゴン。我に勝てる者など、このニルンに存在せん)”

 

 ドラゴン語で会話しているため、健人に話の内容は理解できないが、アルドゥインはドラゴンの王らしい傲慢さと尊大さをもって、ヌエヴギルドラールの言葉を否定しているように見える。

 一方のヌエヴギルドラールは、アルドゥインに対し、含むような視線を送っていた。

 

“アルドゥイン、ゴヴェイ、ティード。ニス、ディヴォン、ヴェン……(アルドゥイン、時は流れている。もう、昔のようには……)”

 

“ズー、アルドゥイン。ダール、ズー、ドレ、クロン、ジュン、ラヴィン(我はアルドゥイン。我に敵など存在しない。帰還した今、再び我がこの世界の主となる)”

 

 それだけを言い放つとアルドゥインは翼をはためかせ、天蓋の穴から飛び去って行った。

 

“ニ、クレ、アルドゥイン。ベイン、ボルマー、ダーマーン、ブリー、コガーン、ディボン、ハバ、ドゥカーン(その傲慢さも我欲も変わらぬのだな、アルドゥイン。父アカトシュが我らに授けた恩恵、その真の価値を傲慢で嘲るとは……)”

 

 アルドゥインを見送ったヌエヴギルドラールが、呟くようにそんな言葉を漏らした。

 アルドゥインが去ったことを確かめた健人が、岩陰から出てくる。

 

“ああ、ケント。帰ってきていたのか”

 

「あのドラゴン、アルドゥインか……」

 

“そうだ、不滅の絶対者。遥かな昔、人との戦いで封印され、そして帰還した、我らの長兄にして王。どうやら、引き篭もっていた我が外に出たことを察し、心配して様子を見に来たらしい”

 

「心配って……」

 

 心配して様子を見に来た。その言葉に健人は驚く。

 健人が見てきたアルドゥインは、傲慢で容赦のない破壊者である。

 本竜曰く落ちこぼれで引き篭もりのヌエヴギルドラールを心配する様な性格とは思えなかった。

 

「それに、封印されたっていうのは?」

 

“言葉通りの意味だ。アルドゥインは古代に反乱を起こした人間によって、封印されていた。ケル……星霜の書を使い、時の牢獄の中に閉じ込められたのだ。強大なアルドゥインに対抗するには、当時の人間にはそれしか手段がなかったのだ”

 

 そしてヌエヴギルドラールは、今ではほとんど知られなくなった古代の竜戦争。

 人とドラゴンとの長い戦いについて、健人に語り始めた。

 ドラゴンによる治世と、それに反抗した人間たちの歴史。

 ドラゴンに反逆した人間たちは例外なく惨い殺され方をしたが、それを哀れに思った九大神の一柱、天空神キナレスが介入したことで、流れが大きく変わった。

 

“古代のノルドは、カーン……キナレスの言葉に心を入れ替えたパーサーナックスからシャウトを学び、人はドラゴンの支配から逃れようと力を蓄え、それはやがて竜戦争と呼ばれる、人とドラゴンの全面戦争へと繋がっていく”

 

「パーサーナックス?」

 

“かつてのアルドゥインの右腕だったドラゴンだ。多くの人を苦しめたが、キナレスに諭され、その後の竜戦争で人にシャウトを教えた。彼がいたからこそ、人は滅びることがなかった。

 今では世界のノドの頂上で瞑想しながら、グレイビアード達に声の道を説いている”

 

 グレイビアードの師にドラゴンがいたことに、健人は驚く。

 世界のノドといえば、健人が一度登った、タムリエル最高峰の山だ。

 しかも、ヌエヴギルドラールの話では、未だに存命でいるらしい。

 

“シャウトを学んだ人間達は、シャウトを自ら昇華させ、竜戦争の決戦の折に、アルドゥインを地面に引きずり降ろした。だが、アルドゥインを倒すことはできず、やむを得ず封印したのだ。偉大なるケル……。星霜の書を使って”

 

「星霜の……書。さっきも言ってたが、どんな書物なんだ?」

 

“この世界の運命、全てが記された書。この世の理を超える力を発揮する、神々ですら容易に触れることができない、この世界の要だ”

 

 次々とヌエヴギルドラールの口から出てくる、アルドゥインとの戦いにおける核心に、健人は唯々戸惑いながらも、かの竜の言葉に耳を傾け続ける。

 

“もし、不滅の肉体を持つアルドゥインに人が立ち向かえるのだとしたら、唯一可能性があるのは“ドラゴンレンド“であろう。定命の者が作り上げた、不変、永遠の存在を殺すための言葉。アルドゥインを空から引きずり下ろしたスゥーム……”

 

 アルドゥインを倒せる可能性のあるシャウト。

 その存在を口にするヌエヴギルドラールに、健人は眼を見開く。

 

「どうして、それを俺に教えるんだ?」

 

“さあ、どうしてかな……。友の行く末が、気になったから……ではいけないか?”

 

「友って……俺が?」

 

“そなたとのティンバークは、楽しかった。短い間だったが、ニルンに生を受けてから、最も充実した時間であった。”

 

 友人。その言葉に、健人の胸の奥が、ズクンと大きく脈打ち、まるで陽だまりのような温かさが、全身を包み込む。

 だが、その温もりは、ヌエヴギルドラールが続けて語った言葉によって、一気に鎮静化させられた。

 

“だがそろそろ、嵐は止む。そうしたら、私の命も終わりの時を迎える”

 

「……え?」

 

 自分は死ぬと言い放ったドラゴンの言葉に、健人は硬直した。

 ヌエヴギルドラールの言葉を理解するのに数秒の時を要し、理解してなお、荒れ狂う感情がかのドラゴンの言葉を否定し続ける。

 思考は霧がかかったようにかすみ、全身から冷や汗が滲んでくる。

 

“ドヴァーキンが、この洞窟の近くまで来ている。彼女の刃で私は殺され、魂は彼女の糧として消えるだろう”

 

 動揺し続ける健人を諭すように、優しく語り掛けるヌエヴギルドラール。その声色には擦り切れた諦観と、穏やかな静寂の色に染まっていた。

 

「な、何を言っているんだよ。死ぬって……」

 

 必死にヌエヴギルドラールの言葉を否定しようと、頭の中で言葉を探す健人。

 だが、そんな彼をさらに追い込むように、ヌエヴギルドラールの視線が、洞窟の入り口に向けられた。

 

“来たか、ドヴァーキン”

 

 ヌエヴギルドラールの視線を追うように、健人が洞窟の入り口に目を向けると、そこには真っ黒な重装鎧を纏った女性の姿があった。

 

「リータ……なのか?」

 

 ずっと望んでいた、家族との再会。

 だがその再会は、感動や温もりに包まれたものではなく、酷く寒々しいものになってしまった。

 黒檀の鎧を纏った女戦士は、冷たい殺意を振りまきながら、腰の剣を引き抜いた。

 

 




ニートドラゴン、健人にメインクエストで必要となる秘密のほとんどをしゃべっちゃいました。

第三章はエピローグを含めて残り二話。
明日、投稿します。まさか大晦日に第三章のラストを投稿することになるとは……。

登場人物紹介

ヌエヴギルドラール(その2)

ドラゴンの中でも特に時を読むことに長けており、その力は星霜の書を使わずに未来を見通すほど強力なものである。
ドラゴンの中でも間違いなく最上位の時詠みの能力であり、時詠み以外の能力が脆弱という事もあり、過去にドラゴンからだけでなく、人からも追われた過去がある。


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第十二話 ヌエヴギルドラール

 冷たい殺意を全身から放ちながら、腰の剣を抜いたリータ。

 顔全体を黒檀のフェイスマスクで覆っているため、その表情は読み取れないが、兜のスリットから覗く瞳は、爛々とした憎悪と殺意に染まっていた。

 

“こうして顔を合わせるのは初めてだな、ドヴァーキン。我はヌエヴギルドラール。どうだ? 我とティンバークでも……”

 

「ドラゴンと話すことなんて、何もない」

 

“クロシス……。そうか、それは残念だ……”

 

 ヌエヴギルドラールの語り掛けを一蹴し、歩み寄ってくるリータ。

 彼女の視線が、ドラゴンと自分の間に立っている健人に向けられる。

 

「ケント、退いて」

 

 冷徹な声。ともすれば自然と身を退いてしまいそうになるほどの威圧感。

 相対しただけで健人は理解した。リータがドラゴンボーンとして、自分とは比較にならないほどの成長をしてきたことを。

 だが、気圧されこそすれど、健人の足はその場に留まっていた。

 否、むしろ友人だと言い放つ後ろのドラゴンを庇うように、リータに向かって一歩踏み出していた。

 

「リータ、聞いてくれ。こいつは確かにドラゴンだが、俺を助けてくれたんだ。俺達が見てきたドラゴンとは違う」

 

「違わない。そいつはドラゴン。私達の敵……」

 

 ヌエヴギルドラールは違うという健人の呼びかけも、リータには届かない。

 無理もない。彼女はヌエヴギルドラールがどんなドラゴンであるのか、全く知らないのだ。

 

“ケント、いいのだ。初めから分かっていたことだ。数千年ぶりのアルドゥインの来訪も、ドヴァーキンが私を殺しに来ることも”

 

「やっぱり、アルドゥインの手駒なのね」

 

 ヌエヴギルドラールの口から出たアルドゥインの名に、リータの殺気がいよいよ剣呑さを増してくる。

 

「ちがう! アルドゥインは確かにこの洞窟に来たが、こいつに戦いに参加しろとは言わなかった! むしろこいつは戦い自体が嫌で、誰にも会わずにこの洞窟に潜んでいただけなんだ」

 

 今にもヌエヴギルドラールに斬りかかりそうなリータの様子に、健人は堪らなくなって声を荒げてしまう。

 

「ケント、もう一度言う。そこを退いて」

 

 しかし、いくら健人がリータに呼びかけても、ドラゴンを滅ぼすと決めたリータの足は止まらない。

 背筋が凍るほどの威圧感は変わらず、むしろ兜から覗く瞳は、一層鋭くなっている。

 強烈な決意と憎しみに染まった瞳が、健人を貫く。

 その視線は、まるで健人を問い詰めているかのようだった。自分との約束は何だったのか

と。

 

「確かに、俺は君の力になるって決めた。だけど、これは違う。これじゃあ、リータが……「ウルド」っ!?」

 

 健人が言葉を言い切る前に、リータが動いた。

 旋風の疾走を使って、一瞬で間合いを詰めると、健人の喉元に剣の切っ先を突き付ける。

 

「ぐっ!」

 

「そこを退かないなら、無理やり退かせる」

 

 突きつけられた刃が、鼻スレスレを横なぎに払われる。

 健人が思わず半歩退いた瞬間、リータが間合い詰めて襟を掴み上げ、そのまま片手で健人を力任せに投げ飛ばす。

 

「がっ!?」

 

 岩に叩き付けられ、肺から空気が漏れ出す。

 人一人を軽く投げ飛ばすリータの膂力に驚きつつも、健人はリータを止めようと再び彼女に突進し、体当たりの要領で彼女を押しとめようと試みる。

 

「ビクとも、しない・・・・・・。うわ!?」

 

 体格で言えば、健人とリータはそう大差はない。

 だが、リータは微動だにしないまま、健人の体当たりを受け止め、逆に再び彼を投げ飛ばす。

 しかも、健人が怪我をしないように、ワザと加減し、洞窟の端に溜まった砂の上に落とす手加減も加えるほどである。

 健人自身も、この僅かな邂逅で、リータと自分との間に横たわる実力差をまざまざと体に刻み込まれていた。

 例え、健人が今持つすべての術を使っても、リータには全く及ばない。

 今の彼女なら、モヴァルスやハイエルフの部隊長も羽虫を払うように倒せるだろう。

 

「く、ううう……」

 

 それでも、今のリータにヌエヴギルドラールを殺させるわけにはいかない。

 家族に友人を殺させたくない。友人となったドラゴンを殺されたくない。その一心で、健人は挫けそうになる己を叱咤し、立ち上がる。

 だが、健人が三度リータの前の立ちはだかろうした時、彼の行く先にノルドの青年が割り込んできた。

 

「ドルマ……」

 

 割り込んできたのは、リータの幼馴染。

 彼はリータを止めようする健人を、怒りに満ちた目で睨み付けていた。

 

「リータ、早く終わらせろ」

 

「……分かった」

 

「くっ」

 

 ドルマに促されたリータが、再びヌエヴギルドラールの元に向かおうとする。

 何とか彼女を止めようとするが、ドルマの怒りに満ちた視線が、健人の足を止めさせた。

 

「お前、裏切ったな」

 

「裏切ったって……」

 

 ドルマが背中の大剣を引き抜き、切っ先を健人に突きつける。

 自分に向けられた明確な殺意。何よりも“裏切り”という言葉に、健人はたじろぐ。

 

「エーミナさんやアストンさん達を殺したドラゴンに味方をする奴は、俺たちの敵だ」

 

「味方をしているんじゃない! こいつは助けてくれた恩人なんだ。少しでいいから話を聞いてやってくれって!」

 

「言ったはずだ。リータを裏切ったら、俺がお前を斬り殺すとな!」

 

 踏み込んできたドルマが、殺意を乗せた刃を健人に向かって振り下ろす。

 脳天から体を両断しそうなほどの豪剣が迫る中、健人は咄嗟に体を横に逸らした。

 大剣の刃が健人の鼻先をかすめる。

 

「ドルマ!」

 

「黙れ! 裏切者!」

 

 ドルマは続けて、胴体を切り飛ばす勢いで大剣を薙ぐ。

 健人は後方に跳躍し、腹に迫る刃を躱した。

 しかし、ドルマの剣は止まらない。

 持ち前の膂力を存分に生かし、絶え間なく斬撃を繰り出していく。

 その剣速は、以前イヴァルステッドで別れた時よりも遥かに速い。

 リータだけでなく、ドルマもまた、ドラゴン退治の旅路の中で、戦士として一枚剥けていた。

 下がりつつも、体捌きで何とかドルマの剣撃を躱し続ける健人だが、彼は今、武器となる得物を持っていない。このままでは斬り殺されるのは目に見えていた。

 

「くっ!」

 

 押し切られる。

 本能的にそう察した健人は、薙ぎ払われた大剣を、腰を落として避けつつ、足元にあった岩を手に取ってドルマに向かって投げつけた。

 ドルマが反射的に剣を引いて、投げつけられた岩を弾く。その隙に、健人は全力でドルマに向かって踏み込んだ。

 踏み込んできた健人を切り捨てようと、ドルマが大剣を振り下ろす。

 健人は左手を掲げ、振り下ろされた両手剣の根元、腹の部分めがけて左腕の小手を使い、シールドバッシュの要領で殴りつけた。

 健人を捉えていた刃が横に逸れ、洞窟の床に叩き付けられる。

 

「ぐっ!」

 

「うっ!?」

 

 強烈な衝撃が腕に走り、健人は痛みで思わず苦悶の声を漏らす。

 だが、ドルマもまさか健人に小手で自分の剣を弾かれるとは思わなかった上、勢いよく剣を岩の床に叩き付けてしまった衝撃で、次の動作が遅れた。

 健人は一気に間合いを詰めると、右手でドルマの襟、左手を股の間に差し込み、両足の力を入れて、一気にドルマの体を持ち上げると、地面に叩き付けた。

 

「なっ……がっ!」

 

 まさか健人に押し倒されると思っていなかったドルマが、驚愕と苦悶の声を漏らす。

 ドルマが両手剣使いとして成長していたのは間違いないが、健人もまた、数百年を生きる吸血鬼相手に、一対一で勝利を収めるほどの成長を見せた、立派な戦士だ。

 健人は倒れこんだドルマにさらに馬乗りになって、その体を押さえつける。

 

「こいつ!」

 

「がっ!」

 

 倒されたドルマが拳を振り上げ、健人の顔を捉えた。

 衝撃と共に頬に激痛が走り、視界がゆがむ。

 

「っ……逃げろ!」

 

 ドルマに殴られつつも、健人はヌエヴギルドラールに逃げるよう叫ぶ。

 だが、肝心のドラゴンは、歩み寄ってくるリータを静かに眺めるだけで、微動だにしない。

 

「何やってんだ。早く逃げろよ!」

 

 必死にヌエヴギルドラールに呼びかけるが、やはりドラゴンは動こうとしない。

 穏やかに、静かに歩み寄ってくるドラゴンボーンを見つめている。

 只々、自分に降りかかる運命をすべて受け入れた、老人の瞳で。

 抵抗の意思も恐怖も、怒りも憎しみも感じさせないヌエヴギルドラール。

 その静謐な気配に、リータが初めてドラゴンに尋ねた。

 

「抵抗しないの?」

 

“ああ、意味がない行為だ。私が何をしようと、何を話そうと、君は私を殺す。それが、私の運命だ”

 

「そうよ。たとえ貴方が健人を助けたのだとしても、アルドゥインに与していないのだとしても、ドラゴンはいつ裏切るか分からない」

 

“ああ、それは正しい。ドラゴンを信じないことは、正しい事だ……”

 

 ドラゴンを信じないことは正しい。

 それは、このタムリエルで誰もが頷く常識であり、ドラゴンも人も、すべからく頷く理だった。

 かつて、圧政で人を支配しながら、同族同士でも殺し合ったドラゴン。そのドラゴンを虐殺することで、自由を手にした人間。

 両者の間の確執を、端的に表した言葉だ。

 

「正しくなんてないだろ! 俺には散々説教をしたくせに、他人には何も語らず消える気かよ! ふざけんな!」

 

 だが、そんなこの世界の常識を、健人は一蹴する。

 

“ケント……”

 

「生きたいだろ! 死にたくないだろ! 俺は死んでほしくないんだよ! お前にもリータにも! それが悪いことなのかよ!」

 

「っ!」

 

 ここにいる日本人は、只々、友と家族に死んでほしくないだけだった。

 小さな、小さな、閉じた世界からの叫び。

 だが、その声は何よりも純粋で、透き通った“魂”の叫びだった。

 健人の声に後ろ髪を引かれたかのように、ここに来て初めてリータの足が止まった。

 

「っ……いい加減にしろ! よそ者!」

 

 このまま、こいつに話をさせてはいけない。

 そんな逼迫した予感に急かされるように、ドルマがこれ以上ないほどの力で健人を殴り飛ばした。

 フラついた健人を力で無理やり引きはがし、襟を掴み上げて再び殴り飛ばす。

 殴り飛ばされた健人は背中を強かに打ち、咽かえった。

 

「ゲホゲホ……。リータ、頼む、待って……」

 

 荒い息を吐き、背中の痛みに顔を歪めても、健人は懇願するような声で必死にリータを止めようとする。

 リータは抜いた剣を、ゆっくりとヌエヴギルドラールに向けた。

 狙いは心臓。

だが、どこか迷いを抱えるように、その切っ先はわずかに揺らいでいる。

 

 

「……ウルド、ナー、ケスト!」

 

 健人の呼び止めを振り切るように、旋風の疾走を唱えるリータ。

 一瞬で加速した彼女の体は、一つの矛先となり、深々とヌエヴギルドラールの胸に突き刺さり、その心臓を破壊した。

 

「・・・・・・さようなら」

 

 剣を突きいれたまま、リータは最後に一言、自分の懊悩を振り払うように、ヌエヴギルドラールに別れの言葉を口にする。

 リータが剣を引き抜くと、傷口から赤々とした血が噴き出した。

 胸に走る激痛。そして、痛みの熱とは裏腹に、冷えて脱力していく体の重みを感じながら、ヌエヴギルドラールは地面に倒れ伏す。

 流れ出た血が、地面をまるで泉のように真っ赤に染め上げていく。

 体の熱が抜けていくのに従い、彼が感じる痛みもまた消えていった。

 ヌエヴギルドラールに残ったのは、静寂のみ。

 彼にとっては慣れ親しんだ、孤独で静謐な感覚だった。

 

“これで終わり。全ては運命の流れのままに……”

 

 自らの死。この流れを、ヌエヴギルドラールはすべて理解していた。

 吹雪の中で、健人を助けた時から、彼は自分の死を運命の流れからの読み取り、受け入れていたのだ。

 元々、彼は今ここで死ぬ運命ではなかった。遥かな時の先、この世界が終る時に、彼の死は訪れるはずだった。

 

“今、巡る時を、願う者”

 

 それが、彼の名を示すスゥーム。

 その名の通り、彼は“時”を読むことに長けたドラゴン。彼は思考した瞬間に、その未来を見渡してしまう。

 だからこそ、彼は自分の運命がどうあがいても変えられないことを知り、生まれた瞬間に絶望して、洞窟の中に引きこもった。

 そして、静寂の中で、ただ時を読み、この世界が終わった後を只管に夢見続けていた。

 世界、ひいてはこの宇宙が終わった後の事は、誰にも分からない。その領域ならば、彼にとって、唯一自由に未来を思い描ける。

 誰にも会わず、何事にも関わらず、定められた運命を受け入れ、この世界が滅んだ後の世界を夢見続けることだけが、彼が得られた唯一の喜びだったのだ。

 だが、健人の存在がそれを変えた。

 異世界から流れ着いた異邦人。ヌエヴギルドラールが運命を読むことのできない、触れて会話ができる初めての存在。

 彼と関わることで、自分の死が早まることは理解していた。

 だが、初めて知る眼前の“未知の存在”がヌエヴギルドラールを掻き立てた。ドラゴン特有の欲が、初めて嘶きを上げたのだ。

 残りの悠久の時を犠牲にしても、彼と話をしてみたかった。

 そして、初めての友人との会話は、これまで見てきたどの運命よりも輝いていた。

 彼とのティンバークの時間は、決して長くはない。

 ほんの少し、僅かな時間の逢瀬。

 だが、その刹那の時間は、残りの寿命すべてと比べてなお、眩かった。

 後悔はなかった。

 死を前にして、ヌエヴギルドラールの心は、彼自身でも驚くほど穏やかなものだった。

 だが、彼がそう思って満足したまま逝こうとした時、静謐に染まったヌエヴギルドラールの瞳が、自らの名を叫ぶ健人の姿を捉えた。

 健人の表情は悲しみや後悔で、グチャグチャになっている。

 消えたはずの胸の痛みが、ズキンとぶり返してきた。

 

“クロシス……ああ、すまないケント。そんな顔をさせたくはなかった”

 

 友に対してもう何もできない自分を自覚し、ヌエヴギルドラールの心に僅かな後悔が生まれた。

 傍で自分を見下ろしてくるドラゴンボーンにも、申し訳ない気持ちが生まれる。

 

“君にもすまない事をしたな、ドヴァーキン。要らぬ業を背負わせてしまった……”

 

 健人とリータ。今から2人に降りかかる試練を想い、ヌエヴギルドラールは小さく謝罪の言葉を漏らした。

 ヌエヴギルドラールが健人と会わなければ、リータは彼を殺さずに済んだだろう。健人との間に、罅を入れることもなかった。

 死が迫っているからなのか、健人が関わっているからなのか、彼の時詠みの能力でもその未来を見通すことはできなかった。

 だが、例え見通せたとしても、彼の体はもう動かない。

 魂はドラゴンボーンに囚われ、彼女の力の一部となっていく。

 

“最後の最後で未練ができてしまった。ドラール、ロク、コガーン、スゥーム。願わくば、我の最初で最後の友に、声の導きがあらんことを……”

 

 この世界全ての存在に対し、友への幸運をスゥームで祈りながら、ヌエヴギルドラールの意識は深い闇の中へと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ああ……」

 

 灰となり、骨だけになったヌエヴギルドラールの遺骸を前に、健人は膝をつく。

 彼の後ろでは、落ちた大剣を拾い上げたドルマが、裏切り者の健人を粛清しようと、その刃を振り上げていた。

 

「じゃあな、裏切り者」

 

「ドルマ、そこまで」

 

 だが、ドルマが剣を振り下ろす前に、リータが待ったをかけた。

 

「リータ、だがこいつはお前を裏切って……」

 

「別にいい。気にしていないし、もう彼とは一緒には行かない」

 

 一緒には行かないという言葉に、呆然としていた健人の体が、びくりと震えた。

 

「ケント、ドラゴンに与した貴方の力は要らない。ホワイトランに帰って」

 

「…………」

 

 淡々と、しかし冷徹に健人を否定したリータは、腰の剣を鞘に納めると、そのまま踵を返して立ち去っていく。

 ドルマは怒りをこらえるように唾を吐き捨てると、大剣を背中に納めてリータの後に続いた。

 

「……リディア、ケントをホワイトランまで連れて帰って。目を離さないように」

 

「従士様……」

 

 リータは去り際に健人の後をリディアに託すと、洞窟の入り口へと消えていった。

 リディアが、何か言いたそうに自らの主を見つめるが、リータはその視線を無視して、洞窟から立ち去っていく。

 リディアの隣で事の成り行きを見守っていたデルフィンもまた、何も言うことはないというように弟子を一瞥すると、その場を後にする。

 困惑したままのリディアは、項垂れる健人を前に、只々狼狽えることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先に洞窟から出たリータは、雪の覆われた森の中を、足早に歩いて行く。

 次の目的地、リフテンまでの旅路を急いでいるように見えるが、冷たい黒檀の兜の奥からは、押し殺すような呻き声が漏れてきていた。

 

「ぐ、ううう……」

 

(ごめん、なさい……)

 

 ともすれば漏れてしまいそうになる言葉を、唇を噛みしめて必死に押し殺す。

 リータは相対した瞬間に理解していた。

 健人の成長と、彼の想いを。相も変わらず、何も変わっていない、純粋で優しい、義弟の姿を。

 そんな彼の想いを、彼女は全否定した。否定せざるを得なかった。

 ドラゴンとの対話。それはドラゴン殲滅を誓った彼女にとって、絶対に許容できないことだった。

 胸に抱くドラゴンへの憎悪も、アルドゥインがこの洞窟に来ていたという事実も、それを後押しした。

 何より、リータの家族を想う心が、何も変わっていない健人がこれ以上戦いに出ることを拒んだ。

 リータ達がやろうとしていることは、アルドゥイン、ひいてはドラゴンとの全面戦争だ。

 それは、終わりのない戦いであり、そこに身を投じると決めた以上、リータは自分が普通の人として生きてはいけないという運命を、本能的に理解していた。

 それは、彼女の持つ“竜の血族”としての力の一端だったのかもしれない。

 だからこそ、せめて健人だけは、普通に生きて欲しかった。

 ドラゴンボーンである自分は、もう普通に生きることはできない。

 でも健人なら、よき伴侶に恵まれ、この世界で小さいながらも幸せを手にして生きることができる。

 その為には、今ここで、健人の心を折る必要があったのだ。

 

「なんで、あんなに穏やかに逝けるのよ……」

 

 もう一つ、リータの心を抉ったのは、ヌエヴギルドラールの最後の言葉だった。

 

“君にもすまない事をしたな、ドヴァーキン。要らぬ業を背負わせてしまった……”

 

 恨みや憎しみ、懇願ではない、ただただ、こちらの身を案じた謝罪の言葉。

 リータは、ヌエヴギルドラールの力を知らない。彼が、自分の死を初めから受け入れていたことも分かっていない。

 だが、そんな事を知っていたとしても、この洞窟に住んでいた奇特な竜の最後は、リータの心に深い楔を打ち込んでいた。

 

(殺したのよ!? せめて恨みなさい! なじりなさい! そうすれば、私も憎しみで刃を振り下ろせたのに!)

 

 本当は、リータは頭蓋を貫いてトドメを刺すつもりだった。でも、出来なかった。

 そして今、彼女が抱いていた邪悪なドラゴンという幻想は、粉々に砕かれていた。

 全ては、ヌエヴギルドラールが最後に、リータを案じる言葉を彼女自身に投げかけたから。

 残ったのは全身を覆う虚脱感と、深い後悔。

 だが、膝を折りそうになる心を必死に叱咤し、リータは既に己に喉まで込み上げる弱音を飲み込んだ。

 

「ドラゴンボーン」

 

 背後からデルフィンが声を掛けてくる。

 

「……何?」

 

「健人が持ってきた情報のおかげで、リフテンに私の同胞がいることがわかったわ。

 彼なら、アルドゥインについて、私たちが知らない情報も持っているはずよ」

 

「そう。なら、行く……」

 

 リータは自分の内で荒れ狂う懊悩を無理矢理抑え込みながら、努めて淡々とした口調を心がける。

 健人の後の事はリディアに託した。

 無責任だろう。なじられて然るべきだ。

 それでも、リータはもう退けない。退く訳にはいかない。その道を今、自分で断ち切ったのだから。

 その結果、己に降りかかる運命は、全て己で受け止めなくてはいけない。それが、この厳しい世界で生きる者の義務だからだ。

 洞窟から出てきたドルマとデルフィンを伴って、リータは一路、リフテンを目指す。

 その胸に、煮えたぎる憎悪と後に退けなくなった後悔、そして虚ろな闇を抱えたまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前を歩くリータとドルマを眺めながら、デルフィンは二人に聞こえないように小さく溜息を漏らした

 

(まさか、こうなるとは予想外だったわ)

 

 デルフィンとしても、今回のドラゴンとの遭遇は予想外だった。

 しかも自らの弟子が、この僅かな時間の間にドラゴンと友誼を交わすなど、想像できるはずもない。

 

(でもまあ、悪くはないわね。これでドラゴンボーンは、その使命を全うしてくれる。おまけに、お節介な従者も消えてくれるわ)

 

 だが、この結末はデルフィンにとって決して悪い結果ではない。

 今後、健人はホワイトランで生活し、リータは健人と離れてドラゴン退治の旅を続けることになる。

 つまり、デルフィンがリータをコントロールするための“健人という鎖”は機能したまま、リータは離れた弟を守るために、ドラゴンボーンとして今まで以上にドラゴン退治に精を出す事になる。

 それは、デルフィンにとっては喜ばしい事でもあった。

 ドラゴンを殺すことが人類のためであり、ドラゴンボーンの使命であると信じているからだ。

 また、口五月蠅いリディアはドラゴンボーンの命令でパーティーを離脱せざるを得なくなった。

 デルフィンはこれで、ある意味リディアの役目を引き継いだ形になる。これは彼女にとって思わぬ幸運だ。

 そのドラゴンボーンを支え、万難を排してドラゴンを戦えるようにすることこそ、デルフィンの使命。

 その使命を果たす為に、デルフィンはドラゴンボーンに接触し、スカイリム中に根を張る盗賊ギルドとのコネを利用し、さらには自ら健人を鍛えるという役目を提案したのだ。

 場合によっては、ドラゴンに健人の命を奪わせ、ドラゴンボーンを焚き付けることも考えていたくらいだ。

 

「まあ、仕方ないわね。せいぜい、普通に生きなさい、ケント」

 

 ドラゴンと友誼を交わした健人が、この旅路に交ざることはもう無い。

 心折られた彼も、これから先、剣を取ることは無理だろう。

 自ら鍛え、驚異的な成長をしてくれた弟子が脱落したことに、少し寂しさは感じるものの、同時に彼の命を生け贄にしなくてもいいという事実に、小さな安堵も感じていた。

 

 




と言うわけで、第十二話完了です。
今更ですが、第三章は正直、非常に辛いお話です。
元々第二章の後半部分のお話ですが、成長しても報われるとは限らない、自分の心からの言葉も伝わらないこともある。そんな場面をイメージして書いていました。
正直、低評価やお気に入り登録者が激減することも考えましたが、それでもタムリエルの世界は厳しく、運命や過去の遺恨に縛られている事も考えて、このような展開となりました。
第三章のエピローグも、今日中に投稿します。


以下、登場人物紹介


ヌエヴギルドラール(その3)

彼の名を示すスゥームは
“Nu”“Evgir”“Draal”
であり、それぞれが
“現在”
“季節、巡る時”
“祈る、祈願する、懇願する”
で構築されている。
その名の通り、時を読むことに長けているが、あくまでも“祈る者”であり、実質的な力は非常に乏しく、自ら運命を変えるほどの力を持ち得なかった。
故に、彼の竜生は諦観に彩られることになる。
彼自身、健人と出会った時点で自分がリータに殺される未来を読んでいたが、ドラゴンボーンに殺されることを承知で健人を助け、彼と友誼を結んだ。
最終的には自らの運命に身を任せ、リータの手で屠られることになる。
生を受けてから死の間際まで運命と諦観に彩られた竜生であったが、今生の終わりの際に未練が生じ、生涯唯一の友である健人の運命を案じていた。



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第3章最終話 黙したままの別れ

第3章のエピローグです。


 リータから決別を言い渡された健人は、リディアに連れられるまま、ソリチュードにやってきていた。

 吹雪はすっかり止み、空は青々と晴れ渡っているが、健人の心はまるで真冬の湖のように凍りついたままだった。

 目の前で家族の手で殺された、友達のドラゴン。

 更に、これまで必死に足掻いてきたすべてを否定された健人は、呆然自失となって、何かを思考する気力すら削がれていた。

 

「ケント様、私は馬車を手配してきますので、ここでしばらくお待ちください」

 

 リディアが健人を連れてきたのは、ソリチュードの正門近くにある農園。

 ここから馬車に乗って、ホワイトランに帰るつもりなのだ。

 

「それから、これを。ケント様の剣です」

 

 リディアが手渡してきたのは、健人が落としたブレイズソードだった。

 無言のまま、しかし決して受け取ろうとしない健人に、リディアは無理やりブレイズソードを握らせると、腰を下ろして視線を合わせ、健人の手をギュッと握りしめた。

 

「ケント様、従士様は、貴方様のことを大変心配していらっしゃいました。助力は要らないと申しましたのも、貴方様の身を想えばこそでございます。どうか、それだけは勘違いされないでください」

 

 言い聞かせるように呼びかけるリディアの言葉に、健人の手が僅かに動いて、手渡されたブレイズソードを握りしめた。

 健人が剣を受け取ったことを確かめたリディアは、今度こそ馬車を手配するために、駆け出していく。

 一人になった健人は地面に座ったまま、呆然と空を見上げていた。

 

「俺、何でここにいるんだろう……」

 

 約束を果たすために、強くなろうとした。そして、それなりには強くなった。

 しかし、その強さは何も守れなかった。

 自分の事情を知ってくれている、おそらく唯一の存在。

 数少ない友人といえた存在すら、助けられず、家族との約束も拒絶された。

 健人の脳裏に、背を向けるリータと、怒りの瞳で見下ろすドルマの姿が思い出される。

 ここに居たくない。自分がいた地球に帰りたい。

 それが無理なら、せめて誰も知らない、どこか遠くへ……。

 そんな追いつめられた気持ちに急かされるように、健人は立ち上がり、フラフラと目的地もなく彷徨い始めた。

 眼下には、大きな港がある。

 ソリチュードは元々タムリエル各地と行き交いする船があり、この交易がソリチュードの経済を支えている。

 そんな港に停泊している大小様々な船の中の一つに、健人は足を向けていた。

 健人が向かったのは、今まさに出港準備をしている船だった。

 船の型は地球でいうところのヴァイキングのロングシップ船によく似た幅広の船腹をもつ帆船で、船の側面には漕ぐためのオールが用意されている。

 おそらく行き交う船が多い湾内では変針に手間のかかる帆走はせず、人力で漕いで湾外まで出るつもりなのだろう。

 

「お前、何をしている」

 

 ボーっと見つめてくる健人に気付いた船乗り。おそらく船長と思われるノルドの男性が、健人に話しかけてくる。

 

「この船に、乗せてもらえませんか?」

 

「あ? 何言ってやがる。そんな話……」

 

 船に乗せてほしい。

 突然の申し出に、怪訝な顔を浮かべた船長は、馬鹿馬鹿しいと断ろうとする。

 船は元来、非常に狭い世界であり、新参者に対しては警戒心が強い。

 よく知りもしない第三者が、出港直前に乗せてくれといったところで、了承するわけがない。

 だが、まるで枯葉のようにやつれた健人の表情を見て、船長は声に詰まってしまった。

 

「お願いします。仕事は何でもしますから……」

 

「……まあ、ちょうど船員が一人降りて足りないところだ。一番下っ端としてなら、いいだろう。船代は、仕事の賃金と相殺だ」

 

 船長の言葉に健人は頷くと、そのまま桟橋を渡って船に乗り込む。

 船員の一人が健人にオールを漕ぐようにと、空いた漕ぎ手の席に座らせた。

 漕ぎ手の椅子は適当な木箱で、専用の椅子があるわけではないようだった。

 

「よしお前ら! 出港だ!」

 

 もやいを解き、船が離岸すると、合図に合わせて漕ぎ手がオールで水を掻き始める。

 健人も他の漕ぎ手に倣い、拙いながらも櫓を漕ぎ始めた。

 

「そういえば、この船はどこに行くんです?」

 

「お前、行先も知らずに乗ろうとしたのかよ……。この港で荷物を積んだ後は、ドーンスター、ウインドヘルムを経由して、さらに東に行く」

 

 健人は前で漕いでいた船員に、行き先を尋ねる。

 尋ねられた船員は健人が行き先すら知らずに船に乗り込んできたことに呆れ、荒々しい口調でありながらも、丁寧に教えてくれる。

 

「東、ですか?」

 

「ああ、最終的な行先は、ソルスセイム島だ」

 

 ソルスセイム島。

 それはスカイリム北東に存在する島であり、スカイリムと同じ寒冷で厳しい気候に晒されながらも、ノルドとは少し違った風習が根付いた土地だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 健人の乗る船が今まさに出航しようとしていたその頃、ソリチュードの正門前で、一人のカジートが不満の声を上げていた。

 

「にゃー! なんでオイラはまだ帝国軍にいなきゃいけないんだ!」

 

 カシト・ガルジット。

 以前ヘルゲンに配属されていた帝国兵士であり、アルドゥインの襲来を生き延び、ホワイトランの西の監視塔でドラゴンと戦った経験のある腕利きの戦士だ。

 彼はミルムルニルとの戦闘で亡くなったハドバルの遺体をリバーウッドに届けた後、ドラゴン復活の事実を帝国軍に伝えるためにソリチュードに戻り、自らが闘ったドラゴンの脅威を報告した。

 本来であるなら、カシトはドラゴンの報告を終えた後に退役するはずだったのだが、なぜか彼は未だに、こうして帝国軍でこき使われている様子だった。

 

「喚くなカシト。お前は数少ない、ドラゴンとの戦闘経験者だ。そんな人材を放逐できるわけないだろ」

 

 カシトの不満に答えたのは、帝国軍のリッケ特使。

 彼女はスカイリムの帝国軍を指揮するテュリウス将軍直属の部下であり、右腕と呼ばれている人物だ。

 カシトは今、ホワイトランでのドラゴンとの戦闘経験を買われ、リッケ直属の部下になってしまっていた。

 

「おいらは、もう、上官から、帝国軍の指揮下から外すと言われてるの! 自由の身なの!」

 

 リッケはテュリウス将軍直属の副官だけあり、そんな彼女の配下に抜擢されたことを考えれば、間違いなく大出世である。

 リッケやテュリウス将軍としても、ドラゴンとの戦闘経験がある兵士は貴重だ。

 部下として囲い、その経験を活かしたいと考えるのは当然のことである。

 なまじ、カシトが戦士としても優秀だったことも災いした。

 しかし、カシトとしてはドラゴンの報告をしたら晴れて退役。そうしたらホワイトランの健人の所に行けると思っていただけに、カシトはこれ以上ないほど不満顔だった。

 

「だが、ハドバルがお前の指揮をしていたのは、それが緊急時だったからだ。こうして帝国軍に帰還したからには、元の部隊に再配属されるのが当然だ」

 

「オイラが守りたいのはケントなの! 帝国じゃないの!」

 

「誰だ。そのケントっていうのは……。まあ、少なくともドラゴンをどうにかするか、兵役期間が終わらない限り、帝国軍を抜けるのは無理だな。諦めろ」

 

「むうう……」

 

 元々帝国に対する忠誠心など欠片も無いだけに、現状はカシトにとっては不満でしかない。

 とはいえ、ここで脱走するのは、ハドバルの最後の気遣いを無碍にするような気がして、できそうにもなかった。

 割と他種族の常識には囚われないカジートだが、彼らは義理や人情、恩義をとても大切にする種族でもある。

 カシトも、命を捨てて自分を逃がそうとしてくれたハドバルに対しては、内心無碍にできないくらいの恩義を感じている。

 だからこそ、不満を抱きながらも、未だに帝国軍に残っているのだ。

 

「ほら、次の任地へ行くぞ。場所はドラゴンブリッジだ」

 

 リッケに促されながら、カシトは諦めたように大きく肩を落とす。

 

「はあ、ホワイトランは遠いなぁ。何時になったら自由になるんだよぅ……ん? あれ?」

 

 その時、カシトの目が信じられないものを見つけた。

 厳つい船乗り達に混じって、オールを漕ぐ小柄な青年。

 周りの漕ぎ手と比べても拙いオール捌き。カジートとして優れた視力を持つカシトの目に、その青年は非常によく目立っていた。

 彼が見たのは、今まさに港を出港したロングシップに乗り、櫓をこぐ友人の姿。

 

「ケント? ケント!?」

 

 一瞬、自分が見たものが信じられなかったカシト。ゴシゴシと目を擦ってもその友人の姿が消えなかったことに、思わずその場で飛び上がって喜ぶ。

 

「ケント、ケント! オイラだよ! ちょっ、その船待って!」

 

 大声を張り上げて健人の名を呼ぶカシト。

 しかし、肝心の健人にはカシトの声は届いていないのか、全く気付く様子がない。

 そうこうしている内に、健人の乗った船はどんどん水路を進み、ソリチュードから離れていく。

 健人に自分の声が聞こえていないことに気づいたカシトは、慌てて健人の乗る船を追いかけようと駆けだした。

 

「あ、おいこら! カシト、戻ってこい!」

 

「リッケ、ゴメン! オイラ今この瞬間、帝国軍を辞めるよ!」

 

「はあ!? ちょっと待て! そんなことできるわけ無いだろ! そもそも、お前はこれから任務が……」

 

「ケント~~~!」

 

「ちょっ! こら、待ちなさい!」

 

 突然大声を上げで走り出したカシトに面食らったのは、彼の上司であるリッケ特使だ。

 慌てて呼び止めるも、肝心のカジートは上司の制止などどこ吹く風というように、港目指して全力ダッシュしていった。

 

 

 




これで、第三章は終了となります。
リータと仲違いし、決別を言い渡された健人。失意に落ちた彼は船に乗ってスカイリムを離れ、ソルスセイム島へ。
はい、DLCドラゴンボーン。ひいては、感想などでも切望されていたデイドラとの遭遇フラグが立ちました。



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第4章
第一話 流れ着いた先


お待たせしました。第4章の投稿を開始します。
これまでと違い、執筆しながらの投稿ですので、更新は不定期となりますが、最後まで読んでいただけたら幸いです。


 ソルスセイム島。

 モロウウィンドのヴァーデンフェル島の北に位置する島。

 降りしきる灰の交じった雪が、健人の乗る船、ノーザンメイデン号の甲板に落ちて、灰色のシミを作っている。

 健人は降りしきる灰雪の中で、遠くにある灰雪の元凶を眺めていた。

 レッドマウンテン。

 タムリエル最大の火山であり、ここ数百年間、灰とマグマを噴出し続けている活火山だ。

 その巨大な山体はソルスセイム近海でもはっきりと見え、吹き出す煙が天を覆うさまは、さながら終末期を思わせる光景だった。

 

「着いたぞ。ここがレイブン・ロックだ。あんまり居たいとは思えないがな。それでケント、ここで降りるのか?」

 

 ノーザンメイデン号の船長であるグジャランドが、健人に尋ねてくる。

 健人達が乗る船は、今まさにソルスセイムの港に入港しようとしていた。

 港町の名前はレイブン・ロック。

 タムリエルに根を下ろす種族、ダンマー達の街だ。

 ダンマーはエルフ種の一種であり、ダークエルフとも呼ばれる、灰色の肌と紅い瞳が特徴的な種族だ。

 

「はい……。お世話になりました、船長」

 

 船から降りる事をはっきりと述べた健人。彼の言葉に、船長であるグジャランドが残念そうな表情を浮かべる。

 

「なあ、ケントもしよかったら、このままこの船の船員として留まらないか?」

 

「え?」

 

 引き留める船長の言葉に、健人は少し驚いた様子を見せる。

 

「お前は料理の腕もいい、錬金術もできるし、頭もいい。腕っぷしもすげえし、気も利く。俺としては、このまま残ってもらいてえんだが」

 

 ノーザンメイデン号での健人の役目は、一番下っ端がやるような雑用の仕事だった。

 縄や船具、船体の保守作業、料理の下準備、帆を動かしたり櫂を漕ぐ手勢等がそうだ。

 それらは小さな仕事ではあるが疎かにはできず、何よりも手数が必要な仕事だ。

 航海が始まった当初、健人の仕事は料理長と甲板員の補佐だったが、彼の料理の腕はエーミナ仕込みである。

 すぐに料理長の目に留まり、メニューの考案に従事することになった。

 さらに健人は、拙いながらも回復魔法と錬金術を扱える。

 錬金術は専用の錬金台がないため、大した品を作ることはできないが、応急処置用の薬程度なら、料理用の鍋でも作れる。

 薬は一応常備されてはいるが、荒れる海の上では容器の損傷などで薬がダメになることは珍しくない。

 小さな怪我が命取りになりかねない荒海に生きる船乗りたちにとって、材料があればすぐに薬を作れる健人の存在は、非常に大きかったのだ。

 厳しい船の世界は、実力こそが最も重要視される。

 特にノーザンメイデン号のような、私有の船を自分達で動かしている船員達はそうだ。船をいかに効率的に運用できるかが、自分達の利益や責任に直結するからである。

 また、健人の腕っぷしも、ノルドの船乗りたちには好印象だった。

 快楽の少ない船の上では小さな娯楽も貴重だ。腕っぷし自慢のノルドたちにとって、腕試しや賭け事が娯楽に変わるのも当然と言える。

 そんな中で、ノルドから見れば小柄な健人は船員達が予想しえない活躍を収めた。

 賭け事はそもそも健人が所持金をほとんど持っていないこともあり、参加することはなかったが、腕試しと称したド突き合いでは、持ち前の柔術で体格のいいノルド達を何人も抑え込んだ。

 知識も豊富で、魔法や薬学に長け、腕っぷしもある。

 今や健人は、ノーザンメイデン号にとっては逃したくない人材になっていた。

 

「……すみません」

 

 しかし、健人はグジャランドの提案を丁寧に断った。

 船の中での生活は、素人の健人には厳しいものだったが、同時にその厳しさが、健人の胸の内にある虚無感を幾分か紛らわせてくれたのは確かだった。

 たが、それは所詮、紛らわせただけで、解決したわけでも忘れさせたわけでもなかった。

 胸の内に巣食う空虚感が消えない内は、たぶん何をしても、途中でダメなるだろうという予感が、健人の中にはあったのだ。

 

「そうか、少し残念だが、お前がそういうなら仕方ないだろう。ほれ」

 

 心底残念そうといった様子で、船長はうな垂れるが、すぐに背筋を伸ばすと、懐からかなり大きな袋を取り出して健人に手渡した。

 

「あの、これは?」

 

 突然手渡された袋。

ジャラジャラと金属がこすれ合う音と、ずっしりとした重みが健人の手にかかる。

 

「船での労働の賃金だ。これから先、色々と入り用だろう?」

 

「でも、賃金は船賃で相殺のはずじゃあ……」

 

 健人がノーザンメイデン号に乗る際に交わした契約は、賃金は乗船料と相殺という話だった。

 当然、健人は自分の懐に入ってくる金などないと考えていた。

 

「さっきも言ったが、お前は錬金術が出来たし、料理も旨かった。俺達も船の中で旨い飯が食えるとは思わなかったからな。十分以上に働いてくれた分、上乗せした。他の皆も納得している」

 

 チラリと健人が甲板上で作業をしている船員達に目を向けると、彼らは皆一様に小さく笑みを浮かべて頷いてくれた。

 

「……ありがとうございます」

 

「ああ、幸運を祈るよ」

 

 健人は船長と船員達に一礼すると、船と桟橋を繋ぐ艀から、桟橋へと渡った。

 これで、健人はノーザンメイデン号の船員ではなくなった。

 リータに否定され、自暴自棄になった自分を受け入れてくれた船。

 船の世界で認められた事は少なからず嬉しかったが、心に突き刺さった棘は消えてくれなかった。

 心に残った虚無感と、僅かなもの悲しさを内に秘めたまま、健人は街へと続く桟橋を歩く。

 その時、街の方から二人の兵士を伴って歩いてくる男性が健人の眼に留まった。

 赤と茶色を基調とした、豪華な装いの服を着たダークエルフの男性。後ろに控える兵士は、黄土色の甲虫の殻を思わせる鎧を身に纏っている。

 

「見覚えのない顔だな。」

 

「貴方は?」

 

「この街を統治しているレリル・モーヴァイン評議員の補佐をしている、エイドリル・アラーノだ。レイブン・ロックは初めてなのだろう? 目的を聞かせてもらおう」

 

「別に、何も……当てもない旅路です」

 

 エイドリルと名乗ったダンマーの男性。

 おそらく、この街の高官と思われる人物からの質問に、健人は素直に目的がないことを告げる。

 元々釣り目のエイドリルの眉が、さらに釣り上がる。

 仕事も不明、目的も不明の人物が自分達の街に来たら、怪しんだり不快に思うのも当然だ。浮浪者は治安を著しく悪化させる要因の一つだからだ。

 健人はこの時点で、街から出て行けと言われることを覚悟した。

 

「そうか。まあいいだろう。当てのない旅というのなら、ここで仕事を探すのも手だろう。ただし、レイブン・ロックはレドラン家の統治下にあることだけは覚えておいてもらいたい。ここはモロウウィンドだ。スカイリムではない。ここにいる限り、我々の法に従ってもらう」

 

「分かりました」

 

 意外な事に、エイドリルは健人にすぐに街から出て行けということはなかった。

 彼は街の統治を管理する人間である以上、自分自身も街の法をきちんと順守する人物らしい。

 エイドリルの方も、健人が素直に従う事に少しは安堵したのか、釣り上げていた眉を元に戻した。

 健人はついでとばかりに、この街で少し気になったことを尋ねてみた。

 

「すみません。あの岩は何ですか?」

 

 健人が尋ねたのは、街の西側に張り出すように突き出た海岸。そこに屹立している大きな岩の事だった。

 柱を思わせる岩の周りには造りかけと思われるアーチ状の構造物があり、周囲ではこの街の人間と思われる人達が作業をしている。

 

「大地の岩だな。このソルスセイム島に古くからある岩だ」

 

「何か、岩の周りに造りかけの建造物があるようですが、あれは一体……」

 

「…………」

 

「エイドリルさん?」

 

 岩を見つめたまま、突然黙りこくったエイドリルに、健人が怪訝な表情を浮かべる。

 

「い、いや、すまない。ボーとしていた。それで、何の話だ?」

 

「ですから、あの岩に作られ始めている建造物について……」

 

「…………」

 

 エイドリルは再び岩を見つめて押し黙る。

 よく見ると、後ろに控えている兵士達も、岩を見つめたまま固まってしまっていた。

 

「あ、あの……」

 

「い、いや、すまない。ボーとしていた。それで、何の話だ?」

 

「……いえ、何でもありありません」

 

 エイドリル達の奇妙な様子に訊く事を躊躇った健人は、それ以上尋ねることを諦めた。

 一方、エイドリルは先ほど硬直した事など全く覚えていない様子で、この街に来た新参者への忠告を続ける。

 

「そうか。宿が必要だというのなら、街の中央にあるレッチング・ネッチ・コーナークラブのゲルディス・サドリを訪れるといい。場合によっては、仕事も貰えるだろう」

 

「ありがとうございます」

 

 礼儀正しく一礼した健人の仕草に、エイドリルは目を見開いて驚いていた。

 一介の浮浪者が、見事な帝国式の礼をしてきたからだ。

 この所作は、デルフィンがサルモール大使館に潜入する時に必要だと思って身に着けさせたもの。

 健人は内心してやったりと得意になり、すぐさま眉を顰める。

 こんな小さな仕返しをした程度で得意になった自分自身に嫌悪感を覚えていたのだ。

 あまりにも小さい。友を守れず、リータとの約束も守れなかった自分を糊塗しているようなものだった。

 健人は湧き立つ嫌悪感を振り切るように、エイドリルの横をすり抜けて街へと目指す。

 チラリと横目で、街の西端にある大岩を見つめる。

 健人の脳裏に、先ほどの硬直したエイドリルの姿が蘇った。

 

(俺には、関係ないよな?)

 

 先ほどの尋常ではないエイドリルの様子に、この世界に来てから時折胸に疼いていた嫌な予感が去来する。

 だが、既に心折られている健人は、浮かんだ予感から逃げるようにその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 奇妙な旅人と会った後、エイドリルは本来の目的である船の船長に声をかけていた。

 

「グジャランド。何かあったのか? 心配したぞ」

 

 エイドリルとグジャランド。

 互いに船主契約を結んだ者同士であり、グジャランドはこのレイブン・ロックに必要な積み荷を届けることで、エイドリルからゴールドを得ていた。

 本来であるなら依頼達成という事で、彼も貰える硬貨に喜ぶと思われたが、その表情はどこか気まずさを含んだものだった。

 

「ああ、それが、ちょっと遠出する羽目になってな。早速だが、頼まれた荷を持ってきた。だが……」

 

「だが、何だ?」

 

「この荷物は同意していた金額の倍かかってしまった。俺にはどうすることもできない」

 

 倍の出費という話に、エイドリルが真紅に染まった目を見開く。

 

「バカな。そんなゴールドがないのは分かっているだろう」

 

「聞いてくれ。東帝都社が一方的に値を釣り上げてきた。価格がまた上がったんだ。値が上がったのは俺のせいじゃない」

 

 グジャランドの言葉に、エイドリルは唇を噛み締めた。

 東帝都社は、元々帝国肝いりの会社だ。

 帝国の為に利益を只管に貪る、トロールのような存在である。

 貨幣という、人類が決して捨てることのできない道具で以って、タムリエル中に展開している彼らの影響力は計り知れない。

 

「ここ数年、奴らは我々から最後の一滴まで搾り取ろうとしている。レリルに話してみよう。全力を尽くすしかない」

 

「わかったエイドリル。急ぐ必要はない。払える時でいい。それから、さっき会った少年だが……」

 

「彼が、どうかしたのか?」

 

「いや、この航海でとても世話になった奴だ。アイツがいなかったら、俺の船員も何人か怪我で船を降りることになっていたかもしれん。もし何かあったら、力になってやってくれ」

 

「大したやつなのか?」

 

「ああ、腕は立つ。アンタの精兵でも、相手にならないんじゃないか? それに知識も豊富だ。錬金術や魔法も使えるな」

 

 グジャランドの言葉に、エイドリルは目を見開き、続いて考え込むように口元に手を当てた。

 

 

 

 




今回は第4章のプロローグということで、ソルスセイム島に到着した直後を書きました。
今後の更新については、とりあえず書き貯めた分は毎日投稿する予定です。


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第二話 レイブン・ロック

 桟橋からレイブン・ロックの街に入った健人は、砂の舞う街の中で、目的の宿屋を探していた。

 レイブン・ロックの街並みはスカイリムで見てきたものとはまるで違う。

 砂の混じった風が舞い、巨大な甲虫の殻と思われる建材で建てられた家々が軒を連ね、道の橋には真っ赤なアロエのような植物が生えている。

 砂の舞う光景は何となく、地球に居た頃にテレビで見た中東や中央アジアの砂漠地帯を思わせる光景だが、明らかに地球の砂漠とは植生の異なる植物や異彩を放つ建物が、健人にこの街がスカリムとは全く違う異邦の地であることを、これ以上ないほど感じさせていた。

 おまけに、砂漠を思わせる光景だが、気温は低い。

 ソルスセイム島自体が、タムリエルの中でも北に位置しているだけに、風や空気には、北国独特の冷たさが残っている。

 健人は街をさ迷い歩く中、目的の宿屋を見つけると、日本人にはつらい寒さから逃げるようにその扉を潜った。

 

「いらっしゃい。お客さん。レイブン・ロック一の宿屋、レッチング・ネッチ・コーナークラブへようこそ。もっとも、宿屋はこの街ではここしかないんだけどな」

 

 扉を潜り、正面に見えた階段を降りると、陽気な雰囲気を醸し出すダンマーの男性が、健人を出迎える。

 ダンマーの男性は、この宿屋「レッチング・ネッチ・コーナークラブ」の店主、ゲルディス・サドリと名乗った。

 店内は健人が降りてきた階段の左側にカウンターが設けられ、カウンターの裏には酒樽が幾つも用意されている。

 店内は丸いテーブルや椅子が乱雑に置かれていて、ソリチュードのような優美さとは無縁だが、天井から吊るされた丸いランタンに照らされた店内は温かい光に包まれており、どこか場末の居酒屋を思わせる安堵感に満たされていた。

 

「一泊したいんですが、いいですか?」

 

「もちろん、いいぞ。お客さんは歓迎だ。部屋は奥の通りの突き当りにある。食事はどうする?」

 

「お願いします」

 

 ゲルディスがいるカウンターにゴールドを支払い、泊まる部屋のカギを受け取った健人は、そのままカウンターの椅子に腰かけて食事をすることにした。

 ゴールドを受け取ったゲルディスは、しばらくの間、カウンターの裏で料理を準備していたが、すぐに香り立つ器を持って健人の前に戻ってきた。

 

「ほれ、アッシュヤムのシチューに、ホーカーのローストとパンだ」

 

 出されたのは、焼いた肉とシチューにパンという、ごくシンプルなものだった。

 ホーカーとは、地球でいうところの鰭脚類に属する海牛によく似た動物だ。

 パンもスカイリムで食べられていたものと大差ないもの。

 異彩を放つのは、アッシュヤムと呼ばれる芋を使ったシチューだった。

アッシュヤムは“灰の芋”の名の通り、モロウウィンドで栽培されていた芋である。

 灰の中でも育つ生命力を持つ植物であり、ダンマーにとって主食ともいえる作物だ。

 健人はまずはアッシュヤムのシチューに匙を差し、そっと口に運ぶ。

 トロトロになるまで煮溶かされたアッシュヤムのうま味と、熱々のシチューの熱が、一緒くたになって臓腑に落ちる。

 具材にはアッシュヤムだけでなく、ホーカーの肉も使われており、植物の持つうま味と肉の煮汁が混ざり、舌の上で暴れまわる。

 健人は思わず感嘆の息を漏らした。

 船旅の上での食事といえば、硬いパンと塩漬けの肉、それから腐敗防止のために酒精を入れられた水くらいだ。

 健人が料理をできたために、簡単なシチューや揚げ物等も作ってきたが、それでも健人から見れば味気のない食事だった。

 そんな粗末な食事が続いていたこともあるが、異国情緒に溢れるこの宿の料理は、スカイリムの料理しか知らない健人にとっては、とても新鮮なものだった。

 

「それからスジャンマはどうだい?」

 

「スジャンマ?」

 

「サドリ・スジャンマ。俺特製の、この店自慢の酒だ」

 

「それじゃあ、それを下さい」

 

 健人の注文に笑みを浮かべたゲルディスが、棚から一本の酒を取り出し、カウンターに乗せると、中身をコップに注いで健人に差し出してきた。

 渡されたコップの中の酒から湧きたつ豊潤な香りを嗅いだ後、ゆっくりと杯を傾ける。

 

「くっ……かなり強い酒だな」

 

 でも旨い。

 何より、この酒精の強さが、今の健人にはありがたかった。

 この世界に来る前には酒を飲む習慣などなかったこともあり、健人はスカイリムに来てからも、機会がない限りは酒を飲むことはなかった。

 だが、それなりに長い船上生活の中では、飲料水にすら腐敗防止の酒精が混ぜられており、それを飲んでいる内にすっかり酒を飲む事が習慣付いていた。

 否、手放せなくなったのだ。

 酒が無いと、どうしようもないほど深く落ち込んでしまうからだ。

 リータが健人に言い放った“要らない”という言葉、自分を友人と言ってくれたヌエヴギルドラールを守れなかった事実。それが胸の奥で、ザクザクと無数の鋭利な針となって突き刺さり続けるのだ。

 健人は胸に走る痛みを忘れるように、コップの中のスジャンマを一気に飲み干す。

 焼けつくようなアルコールの熱が、胸に走る痛みを一瞬だけ忘れさせてくれた。

 

「この島は、どんな島なんですか?」

 

 コップの中のスジャンマを飲み干した健人は、とりあえずレイブン・ロックという街について、店主のゲルディスに尋ねてみた。

 これからしばらくは、この街に滞在することになる。

 その為にも、この街について知っておく必要があるのだ。

 

「ああ、元々ここは、スカイリムに属していたが、レッドマウンテンの噴火で、ダンマーが譲り受けたのさ。

 ここレイブン・ロックは黒檀の鉱山として栄えたが、鉱山が枯渇した今じゃあ、すっかり閑古鳥が鳴いている。

 それから、北にはスコールという民族の村がある」

 

「スコール?」

 

「ノルドとよく似た人族だが、また違う風習が根付いた村さ。もっとも俺たちダンマーから見ても閉鎖的で、あまり交流はないけどな」

 

 ゲルディスはソルスセイム島の地図を引っ張り出し、健人に丁寧に説明してくれた。

 スコールという民族は、元々ソルスセイム島の先住民族で、ダンマーがレイブン・ロックに住む前からこの島で生活しているらしい。

 また、このソルスセイム島は元々スカイリムの領土だったらしい。

 だが、数百年前に隕石が落下し、レッドマウンテンと呼ばれるタムリエル最大の火山が大噴火を起こした。

 この大噴火によって、モロウウィンドは壊滅的な被害を受け、さらにモロウウィンド南側から、アルゴニアン達が襲来。

 アルゴニアンは元々、ダンマーによって奴隷と扱われていた過去があり、レッドマウンテンの災害に乗じて、侵攻を開始した。

 凄惨な戦いの果てにアルゴニアンの撃退には成功したものの、モロウウィンドは壊滅状態。

 そのため、当時のスカイリム上級王との交渉の末、ソルスセイム島をダンマーの避難民を受け入れる土地として割譲されたのだ。

 

「……それから、仕事はありますか?」

 

 あと一つ、健人が聞きたかったのは、日雇いの仕事があるかどうかだった。

 今はノーザンメイデン号で貰った賃金があるが、いつまでも有るものではない。

 この街でしばらく生活する以上、収入が必要だった。

 

「いや、黒檀の鉱山が枯渇して以来、大した仕事はないよ。精々、そこら辺の野原や森で、狩りをするか、ボートで漁をするくらいだ」

 

 元々、このレイブン・ロックには、黒壇と呼ばれる鉱物が採掘できる鉱山が存在した。

 黒壇は武具としてだけではなく、付呪の素材としても最高の鉱物であり、その値段は鉄の十倍近く、金より高価である。

 その為、このレイブン・ロックは第三期に建設されてから、鉱山の町として大きな繁栄を手にした。

 しかし、第四紀の初めにレッドマウンテンの噴火により、防衛を担っていたフロストモス砦が壊滅。

 さらに黒壇の鉱山が数十年前に枯渇。今では狩猟や漁業、農業で、どうにか生計を立てているのが現状らしい。

 つまるところ、街の外に出て狩りをするか、魚を獲るか、鍬を振るくらいしか金を手に入れる手段はなさそうだった。

 

(なら、明日の朝にでも、仕事をくれそうな街の人を回ろう。無理なら、狩りや採集をするしかないな)

 

 健人が明日の予定を考えている時、ゲルディスが気になることを言ってきた。

 

「だけど、最近は町の外は物騒だ。砂の怪物が出たり、ドラゴンが復活するくらいだ」

 

 ドラゴンという言葉に、健人は眼を見開く。

 先ほど酒と一緒に飲み干した苦々しさが、喉の奥から込み上げてくるのを感じた。

 

「ドラゴン……この島にもいるんですか?」

 

「ああ、最近、島の北の方で見たという話を聞いている。物騒な話さ」

 

 脳裏に蘇る、スカイリムに残っている家族と、殺された友人の姿。

 健人はぶり返してきた胸の痛みを忘れるために、黙したまま、再び傍に置かれたスジャンマの瓶に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 レイブン・ロックに来てから、二週間目の朝。

 健人はレッチング・ネッチ・コーナークラブを出ると、仕事を探して街の人達に声をかけた。

 健人がこの街に来てから半月ほど経っている。

 彼は一日に何度も街の広場に赴き、仕事を探していたが、結果はどこも芳しくなかった。

 

「悪いけど、手は足りているよ」

 

「外来の人間に手を貸してもらう必要はない」

 

 レイブン・ロックは元々、鉱山で成り立っていた街だけに、その産業が廃れてしまった今、経済活動自体が委縮してしまっており、仕事の担い手は余っているのが現状だった。

 鉱山労働者すら余っているのに、よそ者の健人にお鉢が回ってくるはずもない。

 だが幸い、この日は違った。

 街の錬金術師であるミロール・イエンスから、ネッチゼリーを採集して欲しいという依頼があったのだ。

 健人は直ぐに宿屋で装具を整えると、昼前からネッチを探して、レイブン・ロックの街から外に出た。

 

「それで、ネッチってどんな生物なんだ? 一応、イラストは描いてもらったけど……」

 

 ネッチは見た目からして、どんな生き物か判断しづらい生物である。

 一応、依頼主のミロールにネッチがどんな生物なのか絵を描いてもらったが、健人にはどう見てもエイリアンにしか見えない。

 胴体はアルマジロのような甲殻を持ち、足の代わりに触手が生えていて、おまけに宙に浮いているときた。

 宙に浮いている時点で、地球人には理解できない生態を持つ生物であることが確定である。

 健人としては捕まって体液を吸い尽くされたり、卵を植え付けられたりしないか心配だが、話によるとこのネッチ、非常に大人しいらしい。

 

「嫌だぞ。ミイラになるのも、エイリアンの苗床になるのも……」

 

 地球でその手の類の映画や映像も見ているだけに、現地人に“大人しい”といわれても、健人としては不安が募る。

 そうこうしながら海岸線を歩いていくと、波打ち際で浮遊している三つの影が、健人の目に飛び込んできた。

 

「いた。あれがネッチか。本当に宙に浮いているよ……」

 

 健人の視線の先では、どう見ても未確認生物としか思えない奇妙な生物が三匹、浜辺に浮いている。

 外観は貰ったイラスト通りである。甲殻を背負った胴体、足代わりの触手、そして胴体からちょこんと突き出た小ぶりな頭部。

 三匹の内、二匹は番いの大人なのか、人間の倍ほどの大きさがある。

一方、三匹目は小柄なネッチであり、先の二匹の傍に寄り添っていることからも、子供であることが推察できた。

 健人は浜辺の砂丘の陰に身を潜めながら、三匹の様子を観察する。

 

「さて、ネッチゼリーの採集と言われたけど、どうしよう。狩るしかないと思うんだけど……」

 

 今の健人が遠距離での戦闘に使えるのは素人クラスの攻撃魔法くらいである。

 リータと別れてからすぐにノーザンメイデン号に飛び乗ったために、弓などはスカイリムに置いてきてしまっていた。

 ネッチが人の倍ほどの体格であるから考えても、健人の魔法で仕留めきれるとも思えない。

 しかも、相手は三匹。

 ネッチの性質などは聞いてはいるものの、どう考えても、正面から戦うのは無謀である。

 相手を観察しながら健人が考え込んでいるその時、子供のネッチの頭部が、健人がいる砂丘に向けられた。

 

「ん、見つかったのか? いや、近づいてきた?」

 

 砂丘を眺めていた子供のネッチが、フヨフヨと浮遊しながら、健人のいる砂丘に近づいてきた。

 見つかったことに気づいた健人は、仕方なく立ち上がり、腰のブレイズソードを抜いて子供のネッチの前に姿を現す。

 抜いたブレイズソードを構え、神経を研ぎ澄ませる。

 子供とはいえ、野生生物の膂力は侮れない。おまけに相手は浮いており、触手のような腕を持っている。

 相手がどんな反応をするか不明である以上、十分な警戒をしておく必要がある。

 健人が警戒心を露わに剣を構える一方、子供のネッチは首をかしげるように体を揺らすと、そのままフヨフヨと健人に近づいてくる。

 あまりにも無警戒な子供のネッチの行動に、健人もどうしたらいいか一瞬判断に迷った。

 そして、健人が迷った間に、子供のネッチが興味深そうに、健人が構えているブレイズソードの刀身に触手の先を絡ませた。

 

「っ!?」

 

 子供のネッチの予想外の行動に、健人は思わず触手を振り払おうと、両腕に力を込めた。

 だが、健人の剣は、まるで万力で固定されたようにビクともしなかった。

 

(っ! 引けない。なんて力だよ!?)

 

「くっ!」

 

 ネッチの予想以上の力に、健人はとっさに剣を手放し、後ろに飛んで詠唱を開始する。

 だが、子供のネッチは、健人と自分が取ったブレイズソードを交互に眺めるとフルフルと体を震わせ、自分が奪った剣の柄を差し出してきた。

 

「……返すのか? おいおい、警戒心無さすぎるだろ」

 

 まるで、“返すよ!”というようなネッチの行動に健人は首を傾げつつ、差し出された柄を握る。

 

「って、うお!」

 

 すると、またネッチが力を入れて、健人の剣を奪い取った。

 再び体をフルフルと震わせ、剣の柄のほうを差し出してくる。

 

「遊んで、いるのか?」

 

 健人の言葉が理解しているのかどうかは分からないが、子供のネッチは催促するように体を震わせている。

 健人が再び柄を握る、子供ネッチが奪う、体を震わせる、柄を差し出して催促する。

 こんな行動が数度繰り返される。

 さすがに健人も、このネッチが遊んでいることは理解した。

 何となく幼児を相手に遊んでいるような感覚に、健人の頬も自然と緩む。

 

(ちょっと、可愛いかも……)

 

 どう見てもキモい外見の生物だが、無邪気な姿を見せられている内に、健人もこの未確認生物が少しだけ可愛く思えてきた。

 とはいえ、彼の今日の依頼はネッチゼリーの採集。つまり、このネッチをどうにかして狩らないといけないのだ。

 

「狩らないと採集できないよな。何だろう、すごい罪悪感が……」

 

 引っ張り合いで剣を手放す度に無邪気に喜んで“もっともっと!”とせがんでくる子供ネッチの姿に、健人は自分がこのネッチの家族にしようとしたことを思い出し、物凄い罪悪感を覚えていた。

 健人が懊悩しながらそんな遊びを数分続けていると、親ネッチが響くような低い声を発した。

 親の鳴き声に呼ばれたのか、子供ネッチは名残惜しそうに健人を眺めると、剣に絡めていた触手を放して、両親のもとへと向かっていく。

 途中で健人に振り返って、体を震わせると、別れを告げるように一鳴きして、三匹はそのまま海岸線の向こうまで飛んで行ってしまった。

 

「ネッチゼリーは取れなかったけど……ま、いいか」

 

 ネッチゼリーの採集には失敗したが、健人としてはそんなことが気にならないくらい、晴れやかな気持ちだった。

 ネッチの子供との戯れを、健人自身も驚くくらい楽しんでいたらしい。

 リータに拒絶されてからささくれ立っていた心が少しだけ、楽になった気がした。

 

「おいそこの兄ちゃん、持っているものを全部出しな。そうすれば命だけは助けてやる」

 

 そんな穏やかな雰囲気をぶち壊すように現れたのは、身なりの汚い三人のおっさんだった。

 ダンマーとインペリアルとノルドという、人種もバラバラな三人は、盾やら剣やら、傍から見ても物騒な物を健人に向けて、ニヤついている。

 明らかに強盗とか山賊とか追剥ぎとか、その手の類のイケナイ人達である。

 

「…………」

 

「へへ、ブルっちまっているのか? 安心しな、おとなしく身ぐるみ全部置いていくなら、命だけは助けてやるぜ」

 

 せっかくネッチとの戯れで穏やかな気分のところに、氷水をぶちまけられた健人が押し黙っているのを怯えているのだと勘違いしたのか、強盗団達がいきり立つ。

 

「ったく……。どこにでもいるんだな、こういうのは。もしかしてあの親ネッチ、こいつらの事に気づいていたのか?」

 

 とはいえ、害意のある第三者の接近に気づかなかった時点で、健人自身にも問題がある。

 この強盗団達はアホなことに声をかけてきたが、相手が慎重な腕っこきだったら、一方的に不意打ちされていたかもしれなかったのだ。

 警戒心が無かったのは子供のネッチではなく、自分の方だったと、健人は額に手を当てて天を仰いだ。

 

(心地いい場所にいて、少し、弛んでいたな)

 

 ノーザンメイデン号と、レッチングネッチ、そして、先ほどの心穏やかな子供のネッチとの戯れ。

 心折られてささくれ立っていた健人にとっては、砂漠の中で見つけたオアシスのような時間だった。

 だからこそ、こんな三下の接近にも気づかないほど弛んでしまっていたのだろう。

 健人は、大きくため息を吐きながら、己を戒める。

 ここはタムリエル。穏やかな日常のすぐ裏に、死が蔓延っている世界なのだ。

 健人が自戒した瞬間、長い船旅の中で錆びついていた健人の戦闘意識が目を覚まし、カチリと入れ替わる。

 全身から余計な力が抜け、世界最高峰の隠者仕込みの戦闘者の顔が表に出てくる。

 

「出さねえなら仕方ねえ。死にな」

 

 飛び掛かってきた盗賊団のダンマーが、上段から思いっきり剣を振り下ろしてくる。

 明らかなテレフォンスラッシュを、片足を引いて体を半身にしただけで躱した健人は、そのまま左手で強盗団の顎を打ち抜いた。

 

「がっ……」

 

 脳を揺さぶられ、意識を失ったダンマーが砂の上に倒れこむ。

 

「て、てめえ!」

 

「やっちまえ!」

 

 激高した残りの強盗団が、健人に躍りかかる。

 しかし、健人には微塵の焦りも存在しない。

 ワザと盾持ちのノルドに自分から突っ込み、体当たりを敢行。

 強盗団のノルドが足を踏ん張って自分の突進を受け止めた瞬間、盾の端を掴んで下に回り込み、両足を刈る。

 

「うわ! ぶべ!」

 

 もんどりうって倒れたノルドの顔を踏み抜き、意識を刈り取る。これで残り一人。

 

「死ねやああああ!」

 

 背後から振り下ろされた剣に合わせるように、体を前方にスライドさせながら振り返り、ブレイズソードを掲げる。

 振り下ろされた相手の剣の軌道にブレイズソードを添わせながら、タイミングよく手首を返し、切っ先を振り上げる。

 すると、強盗団の剣はすっぽ抜けるように彼の手から離れ、宙を舞った。

 

「……へ?」

 

 突然両手から剣の感触がなくなった強盗団が、呆けたような声を漏らした。

 元々、握りが甘いところに、タイミングよく健人が力を加えたことで、本人の意図しない所で剣が飛ばされたのだ。

 

「あ、あれ?」

 

 呆けている強盗団に、健人はブレイズソードの切っ先を突き付ける。

 ひ弱なウサギと思っていた相手は、実のところ、爪を隠した鷹だった。

 健人の放つ殺気に、呆けていた強盗団はようやく相手との実力差を理解し、降参と言うようにオズオズと両手を上げた。

 

「あのネッチの親子から剥ぎ取るのは罪悪感にまみれるけど、お前らなら別にいいよな。さっきの言葉をそのまま返す。身ぐるみ全部置いていきな。そうすれば命だけは助けてやる」

 

 是非もなし。

 唯一意識を保っていた強盗団員は、即座に自分から下履き姿になった。

 

 

 




今回は初日の続きと二週間後のお話。
ちょっと中途半端な時間分けですが、文字数の都合という事で……。


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第三話 激昂

 強盗団を倒した健人は三人を捕縛し、そのままレイブン・ロックに移送して憲兵たちに引き渡した。

 賞金もかかっている強盗団であり、また彼らが持っていた装具も健人のものになったため、健人には予想外の収入となった。

 武具自体も、あの間抜けな強盗団が使っている割には上等な物だった。売ればかなりの値段になる。

 とはいえ、強盗団の装具はすべてを売ることはせず、盾や鎧の類はそのまま装備することにした。

 強盗団の装具は、キチンと呼ばれる昆虫の甲殻を粘着剤で張り付けたもので、軽量のわりに非常に防御力がある。

 盾については頑強さだけなら、以前に健人が使っていたエルフの盾よりも頑丈だ。

 また、鎧も小手もキチン製のものに変えた。

 黄金色のエルフの小手は目立つというのもあるし、スカイリムでの度重なる戦闘で、傷んできているというのもある。

 出来るなら直したいが、月長石が手に入らないと直せないため、キチンの小手と交換することにしたのだ。

 兜の方はそもそも強盗団が装備していなかったため、以前のかぶとを継続して使用する事になった。

 問題はブーツである。

 健人のブーツは隠密能力向上の付呪がかかっており、これは健人としても貴重なのだが、このソルスセイムにはアッシュホッパーという昆虫も出てくる。

 アッシュホッパーの大きさは人の膝ほどだが、昆虫だけに咬筋力が強い。

 革の装具では食い破られる可能性もあるため、迷いはしたが、最終的にキチンのブーツに変えることにした。

 大きさの調整は、レイブン・ロックの鍛冶屋、グローバーマロリーに依頼しており、明日には受け取れる予定だった。

 一日の仕事を終えた健人は、そのままレッチング・ネッチ・コーナークラブへ。

 余った収入で纏めて一週間ほどの宿を取り直し、そのまま食事をすることにした。

 

「はははは! それで結局、ネッチは狩れなかったんだな」

 

「ええ、まあ……」

 

 食事をしていた健人の話を聞いて、ゲルディスが笑い転げる。

 

「あんた、狩人には向いていないな。それにしても、ネッチの子供と遊んだなんて、ずいぶんと豪胆なことをしたんだな」

 

「そうなんですか?」

 

「ああ、ネッチは普段はおとなしいが、怒ると手が付けられなくなるくらいに暴れる。特に子連れのネッチは危険だ。警戒心は強いし、熊だって子連れのネッチには手を出さないくらいだからな」

 

 健人は、子供のネッチと力比べした時を思い出す。

 子供のネッチでも、健人の膂力を軽々凌いでいたのだから、大人のネッチの腕力はそれ以上だろう。

 確かに、襲われたら危険と言える。

 

「しかも、ネッチと遊んだついでに強盗団の捕縛ときた。そんな頓珍漢な話、ここしばらく聞いたことないな。ぷ、くくく……」

 

 腹を抱えて笑いを堪えようとしているゲルディスだが、笑いを押し殺しきれていない。

 元々、この店自体が“レッチングネッチ”なんて奇妙な名前の店なのだ。健人の行動は、このダンマーの店主のツボにはまったらしい。

 一方、笑われた健人は何とも言えないという表情で、手に持った杯を傾けていた。

 中身は当然、この店自慢のスジャンマである。

 

「あの三人の強盗団は、いったい何者なんですか?」

 

 笑い転げるゲルディスを見て溜息を吐いた健人。

 取りあえず、今日自分が捕縛した罪人達について、ゲルティスに尋ねてみる。

 

「このレイブン・ロック周辺を根城にしている強盗団のメンバーさ。レイブン・ロックには衛兵や“ブルワーク”があるから大丈夫だが、街の外に出る商人や市民、狩人なんかがたまに被害に遭う、面倒な奴らさ」

 

 ブルワークとは、レイブン・ロックの街の入り口に建てられた巨大な外壁だ。

 この街の防衛の要だったフロストモス砦がレッドマウンテンの噴火で壊滅した後に、防衛のために作られた壁である。

 健人が捕らえた強盗団は、ブルワークとレドランの衛兵により、レイブン・ロックを襲う事はないが、外壁の外に出た市民などを襲うらしい。

 

「へえ……」

 

 ゲルディスの話を聞きながら健人が酒を嗜んでいる最中、健人はチラリと自分の背後を覗き見た。

 骨削の鎧を纏ったレドランの衛兵三人が、ニヤニヤと健人を眺めていた。

 ここ二週間の間に、何度かこの店で見かけるレドランの衛兵である。

 どうやら、強盗団を捕らえて賞金を貰った健人について、あれやこれやと話をしているらしい。

 

「ゲルディスさん、後ろの衛兵たちは……」

 

「あ? ああ、見ないほうがいいぜ、衛兵という立場を使って、色々とあくどい事をしている奴らだからな」

 

 ゲルディスの話では、後ろの三人の衛兵は、かねてから色々と問題を起こしている衛兵達らしい。

 健人もゲルディスの話を聞いて、出来るなら後ろの三人とは関わり合いになりたくはなかった。

 背中に刺さる、粘つくような視線を振り払うようにスジャンマを飲み干す健人だが、どうやら問題の衛兵たちは、健人の願いとは逆の行動をとり始めた。

 

「おい、ずいぶんと景気がいいみたいだな。これは徴収が必要だな」

 

 三人のレドラン衛兵の内、一人が健人の背後から声を掛けてくる。

 明らかに挑発と取れる言葉に、健人は無視を決め込み、席を変えて離れようとするが、残りの二人が健人の左右に回り込み、逃げ道を塞いできた。

 

「……何の話です?」

 

「この街で生きるなら、税を納めるのは当然だろう? お前は盗賊団を捕らえて、収入を得た。ゆえに、税を取り立てるのだ」

 

 仕方なく、健人は振り向いて話しかけてきた衛兵と向き合う。

 正面の衛兵に賛同するように、左右の二人が下卑た笑みを浮かべながら頷いてくる。

 体格や配置、徴税という名の言いがかりに賛同してきた様子からも、おそらくは健人の正面にいる衛兵がリーダー格であることは容易に想像がつく。

 

「徴税官でもない貴方達に払う理由はないです」

 

 健人としては、言いがかりでしかない衛兵の言葉など、聞く気はさらさらない。

 なぜ、苦労して自分が得た報酬を、こんな衛兵にくれてやる必要があるのか。

 酒が入って普段の理性が鈍化していることもあるが、なによりも、人の努力や成果を平気な顔で横取りしようとするこの衛兵達の態度が、健人の神経を逆なでしていた。

 

「逆らうつもりか? 俺たちはレイブン・ロックの衛兵。モーヴァイン議員の栄えある精兵だ。お前程度の浮浪者が逆らうなど……」

 

「おい、俺の店で揉め事は止めてくれよ」

 

「うるさいぞゲルディス。この小僧よりも先にお前をしょっ引いたっていいんだぞ。その新しい酒を造るのに、どれだけの金を使った? 叩けば色々と出てくるかもな」

 

 三人の衛兵を止めようとしたゲルディスを、リーダー格の衛兵が黙らせる。

 関係のないゲルディスまで脅そうとするその行動に、健人の機嫌は滝のごとく急降下していく。

 

「…………」

 

「それにしてもちっこいな。本当に強盗団のメンバーを捕らえたのか?」

 

「元々強盗団の仲間で、仲間を裏切って売ったんじゃないか?」

 

 怒りに押し黙る健人を、観念したのかと勘違いした衛兵たちが、調子に乗って健人をあざ笑い始める。

 それだけでなく、ついには健人が強盗団の一員ではないかとバカげたことを言い始める始末。

 ここに来て、健人の危機感が一気に跳ね上がった。

 こいつらは、徴税と称して健人の報酬の一部だけでなく、罪人に仕立て上げて、健人の所有物全てを奪い取る気なのだ。

 こんな見知らぬ土地で、身ぐるみすべて失う事は、文字通り死活問題だ。

 健人の意識が、瞬間的に戦闘モードに切り変わる。

 

「なるほど、あり得るな。これは取り調べが必要だ」

 

 不良衛兵たちが、健人を捕らえようと実力行使に出た。

 右の衛兵が手を伸ばし、健人を拘束しようとしてきたのだ。

 健人は右側から延びてきた衛兵の手を引っ掴み、捻りあげてカウンターに押し倒す。

 顔面をカウンターに叩き付けられた衛兵が、苦悶の声を漏らした。

 

「これは、衛兵の公務執行の妨害だな。大人しく牢屋に来てもらうぞ」

 

 健人の抵抗を確認したリーダー格の衛兵が、笑みを深める。

 これで、衛兵としても暴れた旅人を拘束したという大義名分が出来た形になってしまった。

 

「がっ!?」

 

 だが、衛兵の予測と違ったのは、健人の力量だった。

 健人は左手でカウンターに押し倒した衛兵を拘束したまま、右手で自分が飲んでいたスジャンマの瓶を引っ掴み、そのまま左から襲ってきた衛兵の顎を殴り飛ばした。

 硬い鈍器で顎を撃ち抜かれた衛兵が周囲のテーブルを巻き込みながら、もんどりを打って倒れ込む。

 そのまま右手の瓶で拘束した衛兵の頭に打ち下ろし、昏倒させる。

 これで、残りはリーダー格の衛兵のみ。

 ついさっきもやったような戦闘行動。健人の脳裏に自分が捕まえた馬鹿な強盗団達が蘇り、ついついため息が出てしまう。

 

「貴様!」

 

 瞬く間に部下が倒されたことで激高したのか、それともため息をついた健人の姿に馬鹿にされていると思ったのか、リーダー格の衛兵が腰に差した剣に手を伸ばす。

 だが、リーダー格の衛兵が剣を抜く前に健人が踵に力を入れ、一瞬で加速して衛兵の懐に入りこんだ。

 

「なっ!?」

 

 驚いた相手が剣を抜くよりも早く、逆手でブレイズソードを半ばまで抜き、そのまま刀身を、剣を抜こうとした衛兵の右手に押し付ける。

 

「……抜けば、お前の腕が落ちるぞ」

 

「貴様、栄えあるレドランの衛兵であるこの私を……」

 

「……うるさい」

 

 追い詰められても悪あがきをする衛兵。

 健人は無表情のまま、左手を相手の脇の下に差し込み、関節を極めながら体裁きで相手を床に投げ飛ばす。

 

「ぎっ!?」

 

 地面に倒された痛みで声を漏らすレドラン衛兵。

 健人はブレイズソードを鞘から完全に抜き放つと、そのまま地面に倒れ込んだ衛兵の顔面スレスレに切っ先を突き立てる。

 僅かに掠めた刀身が、リーダー格の衛兵の頬に赤い線を刻んだ。

 

「ひっ!?」

 

「レドランがなんだ。俺には別にどうだっていい」

 

 剣呑な気配をこれでもかと撒き散らしながら、健人は自分を脅そうとしてきた衛兵たちを見下ろしていた。

 この店に来ていた客の誰かが、ゴクリと唾を飲む音が響いた。

 

「そこまでだ」

 

 低く、重厚な声が、張り詰めた空気を破る。

 声に反応した健人が、反射的にブレイズソードの切っ先を声が聞えてきた方向に向ける。

 そこには、レドランの衛兵と同じ骨削の鎧を纏ったダンマーが佇んでいた。

 ただ、健人が抑え込んだ衛兵とは違い、その瞳には強烈な理性の光が宿っている。

 背中には月長石で作られていると思われる両手斧を背負い、その重厚な得物に相応しい覇気を纏っているように見えた。

 

「誰だ?」

 

「私はこのレイブン・ロックの衛兵達を束ねる、モディン・ヴェレス隊長だ。これは一体どういう騒ぎだ」

 

 介入してきた戦士に健人が名を尋ねる。

 どうやらこのダンマーの戦士は、このレイブン・ロックの衛兵たちの長であるらしい。

 健人の足元で委縮していた衛兵が、自らの隊長に懇願の声を上げる。

 

「た、隊長! この不審者、私たちが質問していた時に、突然剣を抜いて……」

 

「黙っていろ。お前はここ最近、問題行動が目立っている。私の耳にも入っているぞ。後で詳しく話をしてもらうからな」

 

「なっ!?」

 

 だが、不良衛兵の喜びは、すぐさま絶望に落とされた。

 どうやらこの衛兵の問題行動は、ヴェレス隊長の耳にも入っていたらしい。

 

「さて、部下が非礼をしたかもしれないが、生憎と私は今来たばかりでね。その剣を下ろしてはくれないか?」

 

「…………」

 

 ヴェレス隊長が宥めてくるが、健人はブレイズソードを降ろさない。

 剣呑な瞳でヴェレス隊長を睨みつけたまま、ゆっくりと腰を落とす。

 それは明らかに、戦闘が開始されることを念頭に置いた行動だった。

 レドランの衛兵に対する不信感が、健人に戦闘態勢を解かせることを拒んだのだ。

 これに頭を抱えたのは、ヴェレス隊長だ。

 

「……参ったな。剣を下ろして話をしてくれないと、この街の治安を預かるものとしては、君を力ずくで排除しなければいけなくなるのだが?」

 

「……どうせ、話を聞く気なんてないだろうが」

 

「むっ?」

 

 話を聞く気がないと言い放つ健人の雰囲気に、ヴェレス隊長が怪訝な声を漏らす。

 言葉の内容だけを見れば、先のレドランの衛兵に対する不信感だけと取れるが、この言葉を言い放った時の健人の雰囲気は、ヴェレスから見ても、明らかにそれだけではない様子だった。

 

「俺が何を言ったって、何をしたって……」

 

 唇を噛み締めながら、健人は押し殺すようにそう漏らした。

 彼の胸に去来するのは、スカイリムで己に突き付けられた現実に対する絶望感と、拒絶感。

 守りたいと願った家族に拒絶され、さらにはその家族に友人を殺された。

 自分を拒絶したリータに対する複雑な感情、何より、友人を守れなかった自分自身に対する嫌悪感と失望感が、健人にヤケっぱちじみた行動をとらせていた。

 

「ふむ、君が何をその胸に抱えてこの街に来たのかは知らないが、少なくとも君は、強盗団を捕らえてこの街に貢献してくれた人間だ。そんな人間を、力づくで捕らえるのは、私の真意ではない。それは理解してもらいたいのだが……」

 

 ミシミシとヴェレスに突き付けたブレイズソードの柄が軋む。

 溢れ出す感情に翻弄され、健人は自然と得物の柄を力一杯握り締めていた。

 健人自身も、こんな八つ当たりみたいなことをしても意味のない事は理解していた。

 ただ、追い詰められた状況で、感情と理性が乖離し、今まで我慢して耐えてきたことが溢れ出しただけなのだ。

 そして、一度吐き出してしまえば、沈静化するのは直ぐだった。

 健人はがっくりとうな垂れるように肩を落とすと、ゆっくりとブレイズソードを鞘に納め、自らの得物をヴェレスに手渡した。

 

「ありがとう。すまないが、一緒に来てもらう。いいかね」

 

「はい……」

 

 否もない。

 いくら感情が昂ぶっていたとはいえ、罪を犯していないヴェレスに剣を向けたのは事実なのだ。

 

「ゲルディスさん、すみません。騒がせました」

 

「い、いや、それはいいんだが……」

 

 ペコリと頭を下げてゲルディスに謝罪した健人は、気絶したレドラン衛兵三人を連行するヴェレス隊長の後に続いて、宿屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 衛兵の詰め所へと案内された健人は、とりあえず一晩牢屋に入れられることになった。

 宿屋で暴れたことは事実なので、健人自身も納得している。

 むしろ、頭を冷やせるので、本人としてはありがたかった。

 

(酒に飲まれたってこともあるけど、情けない話だよな……)

 

 リータとの確執も、ヌエヴギルドラールを守れなかったことも、そもそもこの街の住人には何の関係もない。

 それに、拒絶されたと言っても、ソリチュードから逃げ出したのは完全に自分の都合である。

 それにソリチュードでリディアから言われた言葉を考えれば、リータ自身も健人を貶めるつもりではなく、只々健人の身を案じての行動であることは、直ぐに分かることだ。

 

「ううううううあああああああ……」

 

 健人は頭を抱えて、牢屋の中でゴロゴロと転がる。

 正直、酒に酔って暴れただけに、健人としては非常に情けなく、恥ずかしい話である。

 気がつけば、牢屋の外には、この街の執務間であるエイドリル・アラーノが来ていた。

 彼の後ろには、護衛と思われる衛兵二名が付き従っており、また、酒場で顔を合わせたヴェレス隊長もいる。

 その手にはブレイズソードなどの健人の荷物を持っていた。

 

「はあ、この街で騒ぎを起こすなと言ったはずだが?」

 

「すみません……」

 

「いや、今回は我々レドランの衛兵にも問題があった。あの衛兵は、即刻解雇し、レイブン・ロックから追放となった」

 

「そうですか……」

 

 エイドリルとしても、レドランの衛兵が狼藉を働いていたという事実は、頭の痛いものである。

 エイドリルは一度溜息を吐くと、ポケットから鍵の束を取り出し、健人の牢屋の鍵を開けて外に出るよう促してくる。

 

「出てもいいんですか?」

 

「ああ、今回の件は、元々は私達レドランの衛兵が起こした問題だ、罰金なども科さない」

 

 そう言いつつ、エイドリルが促すと、彼の後ろに控えていた衛兵が、健人の荷物を渡してきた。

 

「だが、ヴェレス隊長にまで剣を向けたことは問題だ。君の事はノーザンメイデン号の船長であるグジャランドからも頼むと言われているし、今回はこちらに非があるから不問とするが、今後は慎重に行動してもらいたい。むろん、こちらも衛兵の規律の引き締めは行う」

 

「わかっています。ご迷惑をおかけしました」

 

 今一度、ぺこりと頭を下げて謝罪した健人は、渡されたブレイズソードを腰に差し、衛兵の詰め所を後にした。

 健人が扉の向こうへと消えるのを見送ったエイドリルが、傍にいたヴェレス隊長に、つい先ほどまで大人しく牢屋にいた珍しい旅人について尋ねてみた。

 

「どうだ、ヴェレス。彼の力量は?」

 

「今回追放した隊員は、性根はともかく、腕は確かです。それを考えれば、彼がわが隊の隊員を複数相手取れるほどの力量を持つことは確実かと」

 

 今回、健人が制圧した不良衛兵の三人は、レドランの衛兵の中でも上位の実力者である。

 それを、瞬く間に制圧したことを考えれば、その力量を疑う余地はない。

 碌な技術もない盗賊三人を捕まえたことも、十分納得できるほどの実力だ。

 

「なるほど、グジャランドが言っていた、腕が立つというのは本当か……」

 

「はい。しかも、自制心も高い様子です。恐らく何らかのトラブルでこのレイブン・ロックに落ち延びてきたのでしょう」

 

 ヴェレス隊長から見ても、健人の力量は相当なものだ。

 だが、何より彼が健人を見て思ったのは、非常に自制心が強い人物であり、同時に何らかの理由で精神的に追い詰められた状態で、このレイブン・ロックに流れ着いた人物であるということだった。

 自分の命を狙った盗賊は殺さずにいたし、何よりも精神的に高ぶった状態で喧嘩を吹っ掛けてきた不良衛兵たちをも制圧するに留めていた事が、ヴェレスにそのような推察を抱かせていた。

 

「少なくとも、この街に危害を加える可能性は低いかと」

 

 レッチング・ネッチ・コーナークラブで健人と相対したとき、彼が口にしていた“話を聞く気なんてないだろう”という言葉が、ヴェレス隊長の耳に蘇る。

 何らかの問題を抱えているようだが、現状でレイブン・ロックに仇を成すような人物である可能性は低い。

 

「そうか……。レリルに危害が及ばないなら、とりあえずは安心ということか」

 

 ヴェレスの言葉に、エイドリルもホッとしたように息を吐いた。

 レリルとは、このレイブン・ロックの統治者である、レリル・モーヴァインというダンマーのことだ。

 レリルはエイドリルにとって親友であり、己が命を賭して仕える主でもある。

 レリルはモロウウィンドで最も大きな勢力を誇る、レドラン家の一員であり、同時に評議員でもある重要人物だ。

 過去には敵対勢力に雇われた暗殺集団に襲われたこともあるため、エイドリルの心配は尽きない。

 彼の使命は、レリルに危害を及ぼす可能性のあるすべての要因を排除することなのだ。

 とりあえず、健人の危険度を下げることが出来たエイドリルは、一安心ということで、衛兵の詰め所を出て、仕事に戻ろうとする。

 だがその時、彼の傍につき従っていた衛兵とヴェレス隊長が、突然頭を抱えてふらつき始めた。

 

「うっ……」

 

「ヴェレス、どうした? うあ……」

 

“間もなく時が訪れる……”

 

 ふらつくヴェレスを心配したエイドリルが、手を伸ばそうとするが、その瞬間、彼の意識もまた、深い霧の中へと落ちて行った。

 その耳の奥から響く、“声”に導かれるように。

 



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第四話 無力感に流されながら

 健人が衛兵の詰め所を出ると、空には既に太陽が昇っていた。

 新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、大きく背を伸ばす。

 

「はあ……。何やってんだ俺は。情けない……」

 

 今回の一件は、健人にとっても苦いものだった。

 酒に酔ってずいぶんと恥ずかしい醜態を晒してしまった。

 

「もう、忘れなきゃいけないんだ。忘れなきゃ……」

 

 とはいえ、懊悩自体が消えたわけでもない。

 脳裏に蘇るスカイリムでの出来事、それを忘れようとすればするほど、相変わらず苦々しい思いが喉元までこみあげてくる。

 とはいえ、いつまでも懊悩しているわけにもいかない。

 収入が不安定な今、少しでも仕事をして貯蓄する必要がある。

 

(船長の顔にも泥を塗ってしまったな……)

 

 ノーザンメイデン号は、既にレイブン・ロックを離れている。

 報酬に関しては折り合いが直ぐについたのか、数日と経たずに再びスカイリムへと向けて出港していった。

 健人はとりあえず、一度宿屋に戻ってから街の広場に行ってみようと思い、レッチング・ネッチ・コーナークラブを目指す。

 目的の宿屋の前まで来たとき、宿の扉が開いて、一人のダンマーが姿を現した。

 

「あれ? ゲルディスさん。いったいどこへ……」

 

 宿屋のオーナーであるゲルディスは、健人には気づかないまま、どこか朦朧とした様子で、街の通りを広場に方へと向かっていく。

 ゲルディスの様子に奇妙な違和感を覚えた健人は、彼の後を追ってみることにした。

 宿屋を出たゲルディスは、広場を抜けて、街の西側に突き出た海岸へ。

 そこには、健人がこの街に来てから目の当たりにした、奇妙な岩と、その周りを囲む作りかけの構造物がある。

 作りかけの構造物の周りには、相も変わらず街の人達が作業をしており、その作業員の中に、ゲルディスも交じっていった。

 

「これは、エイドリルさんが言っていた大地の岩。一体何が……」

 

 この街に来てから、この岩に抱いていた嫌な予感ゆえに近づいていなかった健人だが、こうして近くで目の当たりにすると、その異様さがよく分かった。

 

「ここは彼の祠……」「人々は忘れてしまったが……」「ここで我々は苦役する」

 

 作業に従事している人達の表情は虚ろで、まるで夢でも見ているような雰囲気だ。

 なによりも、その口からは奇妙で理解しがたい言葉が紡がれ続けており、一心不乱に大地の岩を囲む構造物を作り続けている。

 

「原因は、この岩か?」

 

 中央にそびえる大地の岩の前まで歩み寄った健人。

 嫌な予感は相変わらず消えない。

 この岩に関わることに躊躇する心が、健人にこれ以上足を踏み出すことを拒んでいる。

 やっぱり帰ろうか?

 そんな心理が鎌首をもたげ、スッと元来た道へと戻ろうとしたとき、健人の目が思いがけない人物達の姿を捉えた

 

「エイドリルさんやヴェレス隊長まで……」

 

「その記憶は消え去らない」

 

「我々は夜を取り戻す」

 

 彼が目にしたのは、つい先ほど、衛兵の詰め所で別れたエイドリルとヴェレス隊長だった。

 彼らもまた、多くの作業員たちと同じように、奇妙な言葉をつぶやきながら、構造物の建築作業に加わっていく。

 ここにきて、健人は腹を決めた。

 ダンマーの街であるレイブン・ロックでは健人はいい顔はされていない。

 それでも、この街で良くしてくれたゲルディスやヴェレス隊長が誰かに操られているような状況を看過することは、出来なかった。

 意を決して、健人は大地に岩に触れる。

 

“ゴル、ハー、ドヴ……”

 

「うあ……」

 

 次の瞬間、健人の意識は真っ暗な闇の中へと引きずり込まれていった。

 

「世界は記憶することになる」

 

 黒に塗りつぶされた視界の中で、口だけが自然と言葉を紡ぎ続ける。

 塗りつぶされた視界の所々に虫食いのような穴が開き、健人は今自分が何をしようとしているのかが見えていた

 体は勝手に槌を握りしめ、建材となる大岩に振るわれる。

 

「かつて見えなかったお前の目も、かつて怠惰だった我々の手は今、今や、私の意思を伝えている」

 

 疑問も、疑念も思い浮かばない。

 それが正しく、当たり前のことだと認知してしまっている。

 だが、闇に包まれた視界は、まるで目の前を彗星が横切ったように、突然クリアになった。

 

「はっ……!」

 

 突然回復した自意識に、健人は思わず数歩後ずさった。

 手には朦朧とした意識の中で振るっていた土木作業用の槌が握りしめられている。

 その槌と、目の前で加工された建材が、つい今しがたまで自分の身に起こっていたことを、健人に自覚させていた。

 

「驚いたな。岩に触れた後は、他の連中のように、何者かに操られていたようだったのに。どうやらお前は、他の連中とは違うようだな」

 

 突然背後から掛けられた声に、健人は反射的に振り返る。

 声をかけてきたのは、老獪そうな一人のダークエルフだった。

 レイブン・ロックでは見たこともない奇妙な文様が描かれたローブを纏った男性。

 ローブの肩と小手にあたる部分にはキチンの甲殻が取り付けられ、首や体にはターバンのような赤い布を巻きつけている。

 

「貴方は……」

 

「私か? 私の名はネロス。テルヴァンニ家において、いや、このタムリエルで最も優れたマスターウィザードだ」

 

 ネロスと名乗ったウィザード、つまり魔法使いは、己を最も優れたと自称するだけの豪胆さをもって、健人に名を名乗る。

 まるで、自分がどれだけ高名で偉大か知っているだろう? とワザと問いかけているような自己紹介だった。

 

「これは一体、どういう事ですか? ゲルディスさんや街の皆に一体何が……」

 

「さあな。だが、ここしばらく前から、このソルスセイムを得体のしれない力が覆っている。その力に操られ、何かを作ろうとしているのだろう」

 

 淡々としたネロスの口調。

 その声色には、レイブン・ロックに起こっている現象に対する憂慮は含まれていないように健人には感じ取れた。

 

「止めないんですか?」

 

「止める? 何故だ? そんなことしてしまったら、この現象の帰結を見ることが出来なくなるではないか」

 

 どうやらこのネロスという人物は、健人が感じたとおり、レイブン・ロックの住人に対する心配は微塵もなく、只々人が操られているという現象に対する興味しかない様子だった。

 健人の胸の奥から、言いようのない憤りが湧き上がる。

 

「人が、操られているんですよ?何とも思わないんですか!?」

 

「だから、それが何だというのだ? 別に助けを求められたわけでもない。

 どうにかしたいと思うなら、自分でやる事だ。一々他人につっかかるのは、お門違いというものだろう」

 

「操られているのなら、助けを求めようもないでしょう!」

 

「ふむ、確かに言うとおりだ。しかし、私はこの興味深い現象を止める気はない」

 

 いくら健人が声を荒げても、ネロスの口調は相変わらず超然としている。

この類の頑固者は多少のことでは梃子でも動かないだろう。

 レイブン・ロックを覆う深刻な事態に対して、無干渉を決め込んでいるネロスに対して、憤りを覚えるものの、健人は早々に説得を諦めた。

 とりあえず健人は、手に持った槌で、大地の岩を壊そうと試みる。

 彼自身が大地の岩に触れたら操られたことを考えれば、この岩に原因があると考えるのは自然なことだ。

 この大地の岩を壊せば、街の人は元に戻るかもしれないと考えたのだ。

 

「……ぐっ!」

 

 だが、振り下ろされた槌は岩を砕くどころか、逆に槌自体が粉々に砕け散ってしまった。

 

「無駄だ。この岩はソルスセイムの地と深くつながった特別な岩だ。この地から湧き立つ力の集約点。人の身で壊せるものではないし、もし壊してしまった場合、この島がどうなるか見当もつかん。

 海に沈むか、それとも別の世界に飛ばされるか。それはそれで面白そうだがな」

 

 この土地自体の力が集約しているなら、一個人である健人にはどうすることもできない。

 健人の胸の奥底で燻っていた無力感が、再び鎌首をもたげる。

 

「そもそも、よそ者のお前がどうして彼らの心配をする。

 お前は、恐らくホーカーの尻を追いかける船乗りか、旅人という名の浮浪者だろう。どう見てもダンマーではないからな。ということは、この街の住人にもあまりいい顔はされなかっただろう」

 

「煩い……」

 

 そんな健人の懊悩を知ってか知らずか、これ以上ないほど見事なタイミングでネロスが傷口に塩を塗りこんできた。

 込み上げてくる無力感と、虚ろな空虚感に飲まれそうになる。

 

「なんだ、図星を指されて怒ったのか? それはすまなかったな。ついつい本音が出てしまうのだ」

 

「…………」

 

 壊れて柄だけになった槌を放り捨て、健人は踵を返す。

 

「おや、諦めるのか?」

 

「だから、煩いと言っている」

 

 相変わらず人の神経を逆なでるネロスに恨み節を吐きながら、健人は覚束ない足取りで大地の岩を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大地の岩を後にした健人は、その足で鍛冶屋を訪れ、頼んでいた装備を受け取ると、レイブン・ロックの街を出た。

 やはり、街の中の幾人かが操られた状態で作業し、他の人間はそれに気がつかないようになっているようだ。

 健人としても、あの大地の岩にいても自分にできることはなさそうだったし、何よりも未だに胸の奥で燻る無力感と虚無感を、少しでも癒したかった。

 街を出た健人はひたすらに北へと歩き続けた。

 途中で廃墟となった家や灰に埋もれた森を通り過ぎると、やがてスカイリムでもよく見かけた白い雪が積もる山肌が見えてきた。

 灰が降る範囲を超えたということは、同時にレイブン・ロックからかなり離れてしまったことを意味している。

 

「少し遠出しすぎたな……」

 

 肌を裂くような寒気の風を感じながら、健人はもう少しだけ登ってみようと、足を動かす。

 このソルスセイムの中央にそびえる山。気晴らしで登るにはちょうどいいと思ったのだ。

 だが、山頂近くまで来たところで、健人の目に見たこともない遺跡が姿を現した。

 黒い岩で作られた、巨大な遺跡。

 円形の闘技場を思わせる建造物が、山頂近くの山肌から顔をのぞかせている。

 

「ここは……神殿? それに周りにあるのは、ドラゴンの骨?」

 

 見たこともない遺跡に近づいてみると、遺跡の外壁には、どこかの神殿を思わせる装飾がびっしりと施されている。

 その装飾は、何となく、大地の岩の周辺に建てられていた構造物に似ている気がした。

しかも、遺跡には何者かが建てたと思われる木製の櫓などが設置されている。

 何よりも健人の目を引いたのは、遺跡の周りに散乱した無数のドラゴンの骨だ。

 ざっと見ただけでも、十体以上のドラゴンの遺骨が、遺跡の周りに散乱している。

 遺跡自体が土に半ばまで埋もれていることを考えれば、ここで死んだドラゴンの数は、もっと多いかもしれない。

 明らかに長い間、土の下に埋もれていたと思われる骨と、今ソルスセイムで起こっている現象と関係があると思われる遺跡。

 健人の脳裏に、己がレイブン・ロックで操られた光景が思い出される。

 

(ここから離れよう)

 

 櫓を半ばまで登ったところで、健人はそう思い、元来た道を引き返そうとする。

 だがその時、誰かが叫ぶ悲痛な声が響いてきた。

 

「皆お願い、目を覚まして!」

 

「声?」

 

 遺跡の中央から聞こえてきたと思われるのは、必死に誰かに呼びかける女性の声だった。

 誰かいるのかと思い、少し逡巡した後、健人は櫓を登ってみる。

 遺跡は、やはり古代のコロセウムのような円形のすり鉢状の構造をしており、中央にはレイブン・ロックにあった大地の岩とよく似た形状の岩が屹立している。

 その岩の周辺ではレイブン・ロックと同じように、何者かに操られた人達が、遺跡の修復をしていた。

 違うのは、操られている人達はダンマーではなく、厚い灰色の毛皮の服を纏った人族であることだ。

 そして、その人族の傍で、必死に呼びかけている女性がいる。

 女性はスカイリムでは見たこともない銀色の装いをした重装鎧を纏っており、両腰には同じ色の金属で作られた片手斧を二本、携えている。

 健人の気配を察したのか、女性の視線が、遺跡の上から見下ろしている健人を捉えた。

 視線が合ったことに気付いた健人は、面倒なことになったと思ったが、このまま立ち去るのもどうかとも考え、遺跡の階段を下りて女性に歩み寄った。

 

「誰? いったいどうやって正気を保ったままこの神殿に……いえ、この際誰でもいいわ。お願い、力を貸して!」

 

「力を貸してくれって言われても……」

 

 突然、切羽詰まった様子で助力を求めてくる女性に、健人は狼狽える。

 見たところ、この女性はノルドと同じ身体的特徴を持っている。

 高めの身長と、金色の髪、色素の薄い肌。

 この島に住むノルドかと思ったが、身に付けている鎧は明らかにスカイリムで見てきたものと違っていることに、健人は首を傾げる。

 

「レイブン・ロックの人達の力を借りたら?」

 

「無理よ! 彼らはこの力に対する防御方法を持っていない。私も父に貰ったペンダントがなかったら、ここに来るのは無理だったわ!」

 

 健人は女性の胸に、キラリと光るペンダントを見つけた。恐らくそのペンダントが、この島を覆っている奇妙な力を防いでくれているらしい。

 この島を襲っている事態を今一理解していない健人だが、どう考えても厄介事だろう。

 その時、ガコン! と何かが動く音とともに、遺跡中央の螺旋階段から、ヒトデかイカを思わせる奇妙な仮面を被ったローブ姿の二人が、姿を現した。

 

「いたぞ! 我らを嗅ぎまわっているスコールの娘だ!」

 

「ミラークの手下ね。村の皆を返してもらうわ!」

 

(スコール? 彼女が? それにミラークって……)

 

 スコールといえば、ゲルディスから教えてもらった、ソルスセイム島の先住民族だ。

 さらに健人は、ミラークという名前に耳をそばだてる。

 おそらくは、この事態の関わる人物なのだろうが、健人が確かめる前に、仮面人の二人が、スコールの娘と呼ばれたノルドの女性に襲い掛かろうとしている。

 おまけに仮面人の敵意は、ノルドの女性の隣にいる健人にも向けられた。

 

「あの見慣れない小僧はどうする?」

 

「スコールの娘と一緒にいる奴だ。まとめて始末してしまえ」

 

「おいおい、俺は関係ないだろ……くっ!」

 

 仮面を被った二人組は、それぞれが腰に携えたメイスを抜き、ファイアボルトの魔法を撃ち放ってきた。

 健人は横に跳んで炎弾を躱すが、どうやらこの二人に敵認定された以上、戦うほかない様子だった。

 

「仕方ないか」

 

 健人は背中に背負った盾と腰のブレイズソードを引き抜いて構える。

 戦いが避けられない状況に、健人の意識が切り替わる。

 詠唱を終えた仮面人が、再びファイアボルトを放ってきた。

 

「死ね!」

 

 放たれたファイアボルトを、手入れを施してもらったキチンの盾で受け止める。

 受け止める際に、魔力の盾で威力を減衰させることも忘れない。

 はじかれて砕け散り、舞い散る炎の欠片を視界の端に眺めながら、健人は踵に力を込めて一気に間合いを詰める。

 驚きに身を震わせた仮面人がメイスを振るうが、その動きは明らかに遅い。

 

「温い魔法に、メイスの軌道も見え見えだ」

 

 シールドバッシュで振り下ろされたメイスを弾き飛ばし、首に一閃。

 切り落とされた首が、遺跡の床にごろりと転がった。

 隣に視線を向けると、ノルドの女性の方も、手にした斧を仮面人の脳天に振り下ろして始末していた。

 

「がっ……」

 

 頭蓋を割られた仮面人の体から力が抜け、グッタリと横たわる。

 叩き込んだ斧を引き抜き、スコールの女性は付着した血を払うと、腰の留め金に手に持った二本の斧を納める。

 見たところ、この女性は両手に二つの斧を持つ二刀流のようだが、彼女の体からは魔法と思われる淡い燐光が輝いている。

 おそらくは、変性魔法のオークフレッシュやストーンフレッシュに相当する、魔力の鎧を術者に纏わせ、防御力を底上げする魔法の類と思われる。

 健人はまだ変性魔法を身に付けてはいないが、知識自体はデルフィンとの講義で知っていた。

 

「珍しいな。ノルドが戦いにおいて魔法を使うなんて」

 

「ノルドじゃないわ。私たちはスコール。そっちも、大した腕ね」

 

 純粋に健人の力量に感嘆したのか、裏表のない笑みを口元に浮かべたスコールの女性が、健人に賛辞を送ってくる

 しかし、健人は無力感に苛まれているためか、素直に彼女の賛辞を受け取れなかった。

 

「別に、こんな程度じゃな……」

 

 しばし、両者の間に沈黙が流れる。

 気まずそうに頬を掻いていた女性だが、気を持ち直し、改めて健人に助力を懇願してきた。

 

「……それはそうと、答えを聞かせてくれない? お願い、力を貸して」

 

「…………」

 

 力を貸すべきかどうか、一瞬逡巡する健人。

 無力感に苛まれている健人だが、同時にこのままではいけないとも思っている。

 今一度、自分自身に問いかけるように瞑目し、深呼吸した健人は、改めて自分を見つめてくるスコールの女性を向き合う。

 力強く、芯のある光を宿した瞳。

 だが、その瞳の奥に、僅かな不安の影が揺れているように見えた。

 そして、その彼女が抱く影が、燻っている健人の背中を押した。

 

「……分かった。その代わり、そっちが知っていることについて話してもらう。いいな?」

 

「ええ、もちろん! 私はスコールの呪術師、みね歩きのストルンの娘、フリア。貴方の名前は?」

 

「健人、ただの健人だ」

 

 助力を受けてくれた健人に晴れやかな笑顔を返すフリア。

 懊悩はいまだ消えず、虚ろな無力感は健人の胸の奥でザクザクと鋭い棘を突き立てている。

 だが健人は、虚ろな虚無感の奥で、未だに小さく震え続ける“熱”を感じ取っていた。

 その熱が、今この場でフリアに協力することを決めた。

 胸の深奥で燻るそれが何なのか、健人にもまだよく分かっていない。

 それでもこの瞬間、健人はもう一度、小さな、しかし大きな始まりの一歩を踏み出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 スカイリムのウインドヘルム。

 ウルフリックストームクロークの統治下にあるこの都市の港町に入港していたノーザンメイデン号は、荷を積んで再びソルスセイムに向かおうかとしたその時、奇妙な客を乗せることになった。

 それはフードと皮の鎧を纏ったカジート。

 出港準備が整うノーザンメイデン号の傍で、彼は船が接岸した桟橋の先に佇みながら、彼の親友がいるであろう大海原の先を眺めている。

 

「それじゃあ船長、お願いね」

 

 カジートの名前は、カシト・ガルジット。

 持ち前の口八丁手八丁で帝国軍から別行動する許可をもぎ取り、こうして健人を追ってソルスセイム島を目指すところだった。

 元々、健人を追ってきただけあり、彼がソリチュードで乗った船を探してウインドヘルムにたどり着き、こうして目的の船を見つけたというわけだ。

 

「わかった。それにしても、ケントの知り合いとはな」

 

「へへっん。オイラの親友はすごいんだぜ?」

 

「ああ、知ってるよ。いいからさっさと乗りな。すぐに出港だ」

 

「ホイホイ了解」

 

 ノーザンメイデン号のグジャランド船長が、健人の知り合いと名乗るカジートに船に乗るよう促す。

 もやいを解き、ノーザンメイデン号は再びソルスセイムへ向けて出港した。

 

「ケント、もう少しだからね……」

 

「おらカジート、いいからさっと艪を漕げ」

 

 カシトがソルスセイム島への思いを抱いているまさにその時、カシトは巨大なオールの傍に座らせられ、さっさと漕ぐように命令された。

 

「あれ? オイラ船代払ったよ?」

 

「たった百ゴールドで足りるわけないだろ。足りない分はしっかり働いて払うんだな」

 

 カシトがグジャランドに払ったゴールドは、ソルスセイムまでの船代には到底及ばなかった。

 彼は資金をウインドヘルムに来るまでに、ほとんど使い果たしてしまったのだ。

 もっとも、その理由がドーンスターの宿での賭け事や、途中で出会った同族キャラバンでの賭け事など、すべてがギャンブルで消えていただけに、同情などできるはずもない。

 

「あの、オイラ、ケントの知り合い……」

 

「あいつの親友なら、尚の事しっかり働きな。アイツは十分以上に働いてくれたぜ」

 

 カシトは健人の親友であることを理由に船代をまけてもらおうと試みるが、グジャランドに一蹴された。

 健人が船員生活中に、グジャランドの期待以上の働きをしていたことも、カシトの期待を打ちのめす原因となった。

 

「みゅう……」

 

 情けない鳴き声を漏らしながら、カシトは尻尾をしゅんと垂らして櫂を漕ぎ始める。

 この後、彼は慣れない船上生活で様々なトラブルを招いた結果、グジャランドから直々に“何もするな”と言われ、完全なお荷物として船倉に閉じ込められる羽目になるのだが、それはまた別のお話である。

 

 

 

 

 

 



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第五話 脅威の影

 仮面人が出てきた扉は遺跡の奥へと続いており、健人とスコールのフリアは、この島を包む力の正体を探るべく、遺跡の奥へと足を踏み入れた。

 

「この島で、何が起こっているんだ?」

 

「ハッキリとしたことは分からないけど、私の父の話では、ソルスセイムにミラークが戻ってきたと言っていたわ。正直、普通に考えたらありえないと思えるけどね」

 

「なぜ?」

 

「ミラークは、もう死んでいるからよ。何千年も前にね」

 

 ミラーク。

 先ほどの仮面人のセリフにも出てきた名前だ。

 しかし、数千年前に死んでいるという話に、健人は首を傾げる。

 

「ミラークは、竜戦争時代のドラゴンプリーストよ。この遺跡はミラークの聖堂。彼の権勢を示すために作られた、巨大な神殿」

 

 フリアの話では、ドラゴンプリーストとはその名の通り、ドラゴンに仕える神官であり、ドラゴンから力と名前を与えられることで、絶大な力と権力を誇っていた人間の事らしい。

 かつて、地上のすべてを支配していたドラゴンが、己の統治を円滑に進めるために選んだ代弁者であり、生贄の選定や実質的な統治を任されていた。

 また、ドラゴンプリーストを介したドラゴンの統治は苛烈で容赦のないものだったらしく、無数の生贄が捧げられ、逆らう者たちは“力”を与えられたドラゴンプリーストや、ドラゴン自身の“声の力”ですべて焼き滅ぼされたらしい。

 

「ドラゴンプリースト……ここでもやはりドラゴンか。じゃあ、遺跡の周りにあるドラゴンの死骸は、一体……」

 

 ここで健人の脳裏に疑問が浮かぶ。

 ドラゴンプリーストがドラゴンに仕える神官であり、ミラークもまたドラゴンに仕えていたというのなら、この遺跡にまわりにあった無数のドラゴンの死骸は何だったのだろうか? と。

 

「よくは知らないけど、ミラークはドラゴンを殺して、その力を奪えたらしいわ。まるで伝説のドラゴンボーンみたいにね。そしてドラゴンの権勢が最も強かった時代に、ドラゴンに対して反旗を翻したらしいわ……」

 

「っ!」

 

 ドラゴンの力を吸収できる。

 健人にとっては心当たりのありすぎる話に、思わず眉をひそめた。

 しかも、ドラゴンに反旗を翻したということは、聖堂の周りの死骸はすべて、その時の戦いで殺されたドラゴンだろう。

 あれだけの数のドラゴンを相手取り、殺しきれるような存在など、健人には思い当たる節がない。

 当然ながら、ヌエヴギルドラールの洞窟で相対した、今代のドラゴンボーンであるリータにも不可能のように思えた。

 

「とにかく、今はこの遺跡を調べましょう。今のところ、村の仲間にも、樹の岩にも、何もできなさそうだから。注意して、聖堂の中にはトラップも多いと思うわ」

 

「分かった……」

 

 樹の岩とは、このミラーク聖堂の中央にある、大地の岩と酷似した岩のことである。

 元々このミラーク聖堂は、土の中に埋もれおり、樹の岩だけが地表に出ていたが、最近の地殻変動で、樹の岩の下にあった遺跡が露わになったらしい。

 遺跡の先に進むと、最初に見えたのは会議室と思われる円卓。

 その部屋の通路を挟んで向かい側には、燃え盛る焚火と炎に炙られる檻を収めた部屋があった。

 

「火がついているってことは、さっきの仮面人がまだいるのかな?」

 

「おそらくいるでしょうね。これを見て」

 

 フリアが円卓の卓上に置かれている羊皮紙を取り、健人に手渡してきた。

 そこには聖堂の周りを嗅ぎまわるフリアを始末するように指示された命令書と、命令を下したと思われるミラーク教団の名前が記されていた。

 

「ミラーク教団……」

 

「ミラークがドラゴンに反旗を翻したときに作り上げた、自らを神格化させた教団の事よ。彼らが身に着けているのはミラークがドラゴンに反旗を翻したときのローブを象ったもの。おそらくこの聖堂は、その教団の根拠地みたいね」

 

 命令書を懐にしまった健人は、フリアに続く形で遺跡の奥へと向かう。

 途中でミラーク教団のローブを纏った狂信者が数人襲ってきたが、フリアと健人に一蹴された。

 フリアの戦い方は両手に斧を持った超攻撃型ともいえるもので、変性魔法で己の防御力を上げ、相手に攻撃を与える間もなく圧倒するという、なんとも勇ましいものだった。

 

「ミラークはおそらく、樹の岩を介して、ソルスセイムの土地の力を手に入れようとしているのでしょうね」

 

「分かるのか?」

 

「なんとなく。こう見えても、呪術師の父に色々と習ったから」

 

 数多くの罠を抜け、信者たちを倒しながら先に進んだ健人たち。

 一際大きな両開きの扉をくぐると、大きな縦穴が目に飛び込んできた。

 螺旋状の縦穴の中央には幾つもの檻が天井から吊り下げられ、中には白骨化した遺体が放置されている。

 

「この部屋で何が起きたのか、考えたくはないわね。檻の中に、どれほどの気の毒な人たちが閉じ込められたのか」

 

 ドラゴンの苛烈な統治を想像させる光景に、健人は息を飲む。

 健人もスカイリムでは、ウステングラブなどの遺跡に潜った経験があるが、竜戦争時代ほどの昔の遺跡に入るのは初めてだ。

 ウステングラブはどちらかと言うと試練の為の遺跡という感じだったが、ミラークの聖堂内は、ドラゴンの統治による凄惨な時代を、色濃く感じさせる。

 

「ミラークの手で、どんな拷問を受けたのか、そして何の為にそんな事をしたのか」

 

「ドラゴンの為か、それとも自分の為か……」

 

 人間に対して苛烈ともいえる統治を行ったドラゴン。そして、そのドラゴンに仕えながらも反旗を翻したミラーク。

 彼が何を思い、ドラゴンに反逆したのかは健人には分からないが、この遺跡の中の所業や、今まさにソルスセイムで行われている洗脳が彼によるものなら、少なくともミラークはドラゴンに対し、より以上の恐怖で以って対抗しようとしたことは想像に難くない。

 

「ミラークがどんな理由で反乱を起こしたのかは分からない。でも彼の道は、険しいものだったのでしょうね」

 

 フリアの言葉に、健人は静かに頷いた。

 ドラゴンに対して反逆する。それがこの世界において、どれだけ厳しい道であるのかは、実際にドラゴンと戦った経験がある健人には嫌と言うほどわかる。

 それに彼には、ドラゴンを滅ぼすと決めた義姉がいるのだ。

 この過去に行われたであろう凄惨な儀式の跡を垣間見れば、健人にもミラークが定めた道の険しさは想像できた。

 だが、今健人達は、この島を覆う力の正体を確かめるためにここに来ている。

 いつまでも立ち止まっているわけにもいかない。

 健人とフリアは互いに視線を合わせて頷くと、縦穴の奥へと足を踏み入れた。

 縦穴の先はさらに通路が続いていた。

 ウステングラブと比べても深く、長い通路。さらに道中に仕掛けられているトラップの数も尋常ではない。

 自動式の圧力感知型が主な罠だったが、毒や吊るし丸太、無数の針を射出する物など、その種類は多岐に亘る。

 逆に言えば、それだけ奥には知られたくないものがある事が推察できる。

 

「この道、いったいどこまで続いているのかしら。ミラークの力が凄かったのは聞いているけど、これほどの権勢を誇っていたなんて……」

 

 しかも、道中には明らかに最近人が入った形跡がある。

 土埃がほとんどない場所や、まだ新しい蝋燭、更には保存食など、ミラーク教団の信者がここで生活していたことが感じ取れる状況証拠が山のようにあるのだ。

 襲い掛かってくる信者やドラウグル達を倒しながら、奥へ奥へと道なりに進んでいく健人とフリア。

 そして二人は、道の先に一際明るい灯りがともされているのに気づいた。

 ついに最奥に到達したのか。

 意を決して、健人とフリアが明かりに近づいていくと、二人の目に巨大な影が飛び込んできた。

 

「ドラゴンの骨? 吊るされている……」

 

 二人の目に飛び込んできたのは、剥製のように天井からつるされたドラゴンの骨だった。

 しかも、完全な形で残っている骨である。

 ドラゴンの骨の周りは円形の祭壇になっており、周囲には正面に一つ、右側に、二つの石棺が壁に立てかけられている。

 まるで標本のようにつるし上げられている竜骨。ここまでの道の広さを考えれば、巨大なドラゴンが入れるはずもない。

 この骨は明らかに、死んで骨にされた後に、ここに運び込まれてきたのだ。

 

「ミラークが、竜教団を裏切ったことは知っていたけど、死骸をこんな風に晒すなんて。ドラゴンが知ったら、完全に激怒したはずよ……どうかしたの?」

 

「風の音が、聞こえる」

 

「風?」

 

「ああ、以前も確か、聞いたような……」

 

 地下で感じることのない、風の音。その音は、竜骨標本の左側。薄暗い影がある場所から聞こえてきていた。

 そこにあったのは、ウステングラブでも見かけた形の石壁だった。

 石壁にはドラゴン語と思われる爪で引っ掻いたような様な文字が刻まれており、ウステングラブで見かけたものと同質の石壁であることが推察できた。

 

「竜の言葉? いや、ここがドラゴンプリーストの神殿なら、あっても不思議じゃないけど……」

 

 だが健人は、その石壁に刻まれた言葉に、妙な感覚を覚えていた。

 ウステングラブで見かけた時とは、少し違う感覚。

 耳に響く風の音に交じって、何か聞きなれない音が混じっているような気がするのだ。

 

“ム…………”

 

「ん? なんだ? 気のせいか……?」

 

 一体何が耳に響いて来ているのか確かめようと健人が石壁に近づくが、健人が傍に近づくと石壁はまるで何もなかったかのように沈黙した。

 何がどうなっているのかわからず、首を傾げる健人。

 その時、地鳴りのような振動が、ミラーク聖堂全体に響いた。

続いて祭壇の奥の壁に置かれた石碑の蓋が、音を立てて開かれる。

 

「っ! ドラウグル!」

 

 現れたのは、三体のドラウグル。

 特に健人とフリアの危機感を煽ったのは、正面の石棺から現れたドラウグルだった。

 天を突くような一対の角を持つ漆黒の兜をかぶり、同じような黒に染められた防具と片手剣を持つドラウグル。

 纏う雰囲気も明らかに異質なもので、死しているにもかかわらず、背筋が凍るほど強烈な覇気を纏っている。

 

「こいつ、ただのドラウグルじゃない!」

 

「デス・オーバーロード! ドラウグルの中でも最も危険な奴よ、気を付けて!」

 

 ドラウグル・デス・オーバーロード。

 ドラウグルの中でも最高位に属するアンデッド。過去の英雄が死者となって蘇った存在だ。

 その力量は凡百なドラウグルなど歯牙にもかけず、一体で精兵の部隊を容易く滅ぼす、死の化身。

 アンデッドとして、間違いなく最高峰に位置する難敵の一種だ。

 

「番人というわけか!」

 

 デス・オーバーロードが大きく胸を反りかえらせる。

 敵のその行動に強烈な悪寒を感じた健人とフリアは、反射的に通路の端に飛んで壁に張り付いた。

 

“イーズ、スレン、ナス!”

 

「フロストブレス!? いや、違う……」

 

 放たれたのは、かつて相対したドラゴン、サーロタールが使用したシャウトにも似た、極寒の吐息。

 ただ、こちらはフロストブレスに比べて遥かに強い冷気を放っていた。

 通路の中央を駆け抜けた極北の吹雪は、瞬く間に床を凍らせ、進行方向の床に剣山のような氷の氷柱を無数に作りあげる。

 “氷晶”のシャウト。

 一瞬で対象を凍らせ、行動不能にするスゥームだ。

 

「気を付けて、マトモに浴びると全身氷づけにされるわ!」

 

「ああ、似たようなのを体験済みだ!」

 

 息を合わせたように、健人とフリアはドラウグル達に向かって駆けだす。

 強大な存在であるデス・オーバーロードを前にしても、健人とフリアは怯まない。

 いや、怯んだ時点で、即座に死が自分に舞い降りることを理解しているのだ。

 デス・オーバーロードのシャウトをこの狭い通路の中で躱すことは困難であり、同時にその威力から防ぐことも難しい。

 ならば、相手の剣の間合いに入ろうと、接近するしか活路がないのだ。

 そうして、二対三の戦いが始まった。

 健人とフリアを囲むように展開しようとするドラウグル達。

 そうはさせじと、狭い祭壇内を目一杯広く使い、相手を逆に押し込もうとする健人達。

 祭壇の間は、先のない行き止まりの構造になっている。

 幸い、デス・オーバーロードと違い、他二体のドラウグルの動きは、決して速くはない。

 デルフィンの地獄のような鍛練を乗り越え、モヴァルス、そしてサルモールの精兵と渡り合った健人なら、問題なく対処できるレベルだ。

 

「ふっ!」

 

 配下のドラウグルでデス・オーバーロードの射線を遮りながら、相手の側頭部に盾による一撃を加える。

 体勢を崩した相手に対し、そのまま流れるようにブレイズソードを突き入れて胸板を貫き、すぐさま抜きながら一閃。

 斬り捨てられた配下のドラウグルの体が力を失い、持っていた剣が地面に落ちる。

健人はすぐさまデス・オーバーロードとの間合いを詰めるべく疾走する。

 しかし健人の眼前に、手のひらを向け、今まさに発動直前の状態となったデス・オーバーロードの姿が飛び込んできた。

 

「氷雪の魔法!? しまった!」

 

 健人は咄嗟にキチンの盾を前に突き出す。

 ドラウグルの武器はシャウトだけではない。生前習得した魔法を使う個体も存在する。

 そして、今の健人達の相手は、そのドラウグルの中でも最高位に位置する、デス・オーバーロード。シャウトと魔法を同時に使う事など、造作もなかった。

 発動されたのはアイスストーム。

 フロストブレスにもよく似た、直線上を薙ぎ払うように氷の吹雪が駆け抜ける氷雪の破壊魔法だ。

 効果範囲は“フロストブレス”や“氷晶”には及ばなくとも、その威力は紛れもなく一級。

 障壁魔法を展開する暇すらなかった健人に、強烈な冷気の渦が叩きつけられる。

 

「ぐっ!」

 

 瞬く間にスタミナが奪われ、健人の動きが鈍る。

 健人の隙をフォローすべく、もう一体のドラウグルを斬り捨てたフリアが背後からデス・オーバーロードに斬りかかるが、デス・オーバーロードは素早く刃を切り返してフリアを迎撃。

 その枯れた体躯に見合わぬ腕力でフリアの斬撃を弾き飛ばすと、その腹に強烈な蹴りをかました。

 

「ぐっ!」

 

 フリアが苦悶の声を漏らし、女性としては大柄な体が一瞬浮き上がる。

 しかし、今度は冷気から回復した健人が、再びデス・オーバー‐ロードに斬りかかる。

 デス・オーバーロードは、アンデットは思えぬ機敏さと器用さを見せ、足元に落ちていた倒れた仲間の剣を蹴りあげて取ると、薙ぎ払われた健人のブレイズソードを弾く。

 

「くそ! 死体のくせになんて器用な奴!」

 

「手を止めないで! このまま押し切るわ!」

 

 二人で挟み撃ちにしながら、この難敵を討ち取ろうとする健人とフリア。

 一方のデス・オーバーロードは、かつての英雄の力量そのままに、数千年前の死体とは思えぬ鮮やかな剣舞で二人の剣撃を凌ぎ続ける。

 しかし、手数は圧倒的に健人達が勝る。

 二本の剣に対し、三本の刃と盾。

 デス・オーバーロードは健人とフリア、二人の猛攻を防ぎ続けているが、攻勢に出る事はできず、倒されるのは時間の問題のように見えた、

 だが、二人の思惑は、デス・オーバーロードの“声”によって破られることになる。

 

“スゥ、ガハ、デューーン!”

 

 激しき力。

 己の得物に風の刃を纏わせ、その威力や速度を劇的に高めるスゥーム。

 先ほどのフロストブレスとは違う、接近戦の為のシャウト。

 高められたその速度で持って、デス・オーバーロードは嵐のような剣戟を繰り出し始めた

 

「くそ、マズイ……」

 

 滑らかに流れるような、しかし、濁流のように繰り出される双剣。

先程まで追い込んでいた健人とフリアが、今度は逆に一方的に押し込まれる形となる。

 激しき力による圧倒的な攻撃速度は、三本の刃と一つの盾を、二本の剣で容易く押し返すことを可能にしていた。

 

「くっ、捌き、きれなくなる……」

 

 数十合もの剣戟が交わされる中、先に動きが鈍り始めたのは健人だった。

 先ほどのアイスストームで、著しくスタミナが削られたことが原因だ。

 健人の動きが鈍ったことを察したデス・オーバーロードが、健人を先に始末すべく猛攻をかけ始める。

 デス・オーバーロードの剣を受け止めていたキチンの盾が軋み、裂傷が刻まれる。破壊されるのは時間の問題だった。

 

「この……ぐっ!?」

 

 デス・オーバーロードの意識が健人に向いたことで、叩きつけられる圧力が緩くなったフリアが、一気に決着をつけようと踏み込もうとするが、彼女の動きを察したデス・オーバーロードは器用に後ろ蹴りを放つ。

 咄嗟に双斧を交差させて受け止めるが、デス・オーバーロードの膂力の前に、フリアは僅かに後ろに後退する羽目になる。

 そしてその数秒の空白が、僅かな間、趨勢を一気にデス・オーバーロード側に傾けた。

 “激しき力”によって増強された膂力と速度をもって、デス・オーバーロードが健人に猛攻を仕掛ける。

 もはや視認すら困難な斬撃の雨が、健人に襲い掛かる。

 健人はデルフィンによって培われ、モヴァルスとの戦闘で開花した反射的な防御行動で、何とかデス・オーバーロードの猛攻を凌ごうとするが、スゥームで強化されたこのドラウグルの剣は、モヴァルスと比べても比較にならない速度だ。

 超高速の斬撃が、健人の防御を瞬く間に削り、そしてほぼ同時に繰り出された袈裟斬りと切り上げが、ついに健人の盾を大きく上にはね上げた。

 がら空きの胴体が、デス・オーバーロードに晒される。

 

“殺される……!”

 

 健人がそう直感した瞬間には、がら空きの銅を薙ぎ払う黒檀の剣が、健人の目には映っていた。

 明確な死を目の前に、健人の目には自身に迫る黒檀の剣が、恐ろしいほどにゆっくりに見える。

 

「させない!」

 

 だが、黒檀の剣が健人の胴体を両断する直前に、デス・オーバーロードの背後から、片手斧が投げつけられた。

 フリアがデス・オーバーロードの注意を逸らすために、手に持っていた双斧の一つを投げつけたのだ。

 デス・オーバーロードが、反射的に半身を逸らし、左手の剣を背後に迫っていたフリアの斧を弾き飛ばす。

 ドラウグルの猛攻が、ここに来て一時的に止まった。

 

「ああああああ」

 

 健人が盾を構えたまま、咄嗟に踏み込んで体当たりを敢行する。

 剣も魔法も相手の独壇場なら、さらにその内側まで踏み込むしかないと本能的に察したが故の行動だ。

 密着状態になった健人とデス・オーバーロード。この状況を嫌ったのか、デス・オーバーロードが風の纏った剣を逆手に構えて、健人の頭上から振り下ろす。

 

「っ!?」

 

 健人は盾を掲げたまま身を低くし、盾の陰に身を滑り込ませる。

 振り下ろされた剣が盾越しに健人の肩を軽く裂き、刀身に纏わりついた風が鎧の一部を弾き飛ばす。

その瞬間、痛みと共に全身の力が抜けるような虚脱感が襲ってくるが、健人は歯を食いしばって痛みと虚脱感に耐えながら、さらに押し込んでデス・オーバーロードの猛攻に歯止めをかけようとする。

 デス・オーバーロードの体が、ふわりと浮いた。

 

(軽い?……そういうことか!?)

 

「フリア、思いっきり突っ込んでこい!」

 

「は、はあ? いったい何を……」

 

「いいから早く!」

 

「グウウウウ」

 

 突然の健人の指示に一瞬戸惑うフリア。一方、デス・オーバーロードは健人の思惑を理解したのか離れようとするが、健人は右手のブレイズソードを手放し、相手の兜の角をつかんで逃がさない。

 

「はあああ!」

 

 雄叫びを上げながら思いっきり加速をつけて、フリアはデス・オーバーロードと健人めがけて突撃する。

 次の瞬間、女性としては少々大柄なフリアが、健人とデスロードに激突した。

 フリアとデス・オーバーロード。二人分の体重、そして突進の勢いが、強烈な負荷となって健人の両足に襲い掛かる。

 

「くうう……ああああああ!」

 

 押しつぶれそうになる足に必死に力を込めながら、相手の重心を制御し、圧し掛かってくる力の方向を、柔術の要領で変化させる。

 さらに健人は、デス・オーバーロードの股に右足を差し込み、そのまま腰に相手の体を乗せ、差し込んだ右足を振り上げる。

 デス・オーバーロードが必死に逃れようと抗うが、健人とフリアに両側から挟み込まれている以上、逃げようがなかった。

 

「この、倒れろおおおお!」

 

 柔道の内股を思わせる要領でデス・オーバーロードを宙に浮かせた健人は、右手で相手の兜をつかんだまま、顔面を石床に生えた、剣山のように逆立つ氷柱めがけて叩き落した。

 

「ガウウウゥウゥ……」

 

 グシャリと肉が潰れる音が、祭壇の間に響く。

 顔面を複数の氷柱に貫かれたデス・オーバーロードの目から、命の光が失われる。

 己のシャウトが作り出した氷原によって二度目の生を絶たれたドラウグルの体は、今度こそ永遠の眠りについた。

 

「ふう、ふう、ふう……シャウトの余波で出来た氷柱を使うとか……随分と綱渡りね」

 

「はあ、はあ、勝ったからいいだろ。助かったよ。フリアが相手を抑えてくれなきゃ無理だった」

 

 戦いの緊張感から解放された健人とフリアが、軽口を叩き合う。

 デス・オーバーロードの体裁きは軽業師のように軽やかだった。フリアが背後から抑え込まなければ、逃げられていただろう。

 

「よく、投げられると思ったわね」

 

「あいつの体、思った以上に軽かったからな。まあ、干からびているんだから当然なんだけど……」

 

 健人がこの策を思いついたのは、体当たりをした際に、予想以上に相手の体が軽いことに気づいたからだ。

 そもそも、人間の体は7割が水で出来ている。

ドラウグルは腐敗防止の為、例にもれず、水分がほとんどないミイラ状態になっているため、いくら鎧を身に着けているとはいえ、軽いのは当然だった。

 荒い息を整え、立ち上がる健人とフリア。

 その時、健人の目にデス・オーバーロードが使っていた剣が飛び込んできた。

 健人は石床に落ちた剣を拾い上げる。

 

「黒檀の剣か……」

 

 武器としても、付呪の素材としても、ごく一部を除き、最高位の剣。

 おまけに刀身には何らかの付呪が込められているのか、淡い燐光を放っている。

 

「持っていったら? 予備の武器は必要でしょ?」

 

「そうだな、何か有用な付呪が手に入るかもしれないし……」

 

 付呪された剣を持っていくことを決めた健人は、鞘を取り外そうと、デス・オーバーロードの体に手を伸ばす。

 

「……ん?」

 

 鞘の留め具を外し、ベルトごと鞘を外そうとしたその時、デス・オーバーロードの体から、小さな鍵が地面に落ち、チャリン……と小気味いい音を立てた。

 

「なんだ、この鍵」

 

 地面に落ちた鍵を手に取って眺めてみる。

 鍵は普通のものとは違い、錠前を解除する鍵のピンが鍵芯から円状に突き出ており、鋭角な角度も付けられている。

 一目見て、特別な鍵であることがわかる。

 

「見たところ、特別な鍵みたいだけど……ちょっとまって」

 

 健人の手から鍵を受け取ったフリアが、デス・オーバーロードが眠っていた棺に近づいていく。

 何かを探すように棺の中を矯めつ眇めつしていたフリアだが、棺の背板の中に小さな穴を見つけ、そこに鍵を差し込んで捻った。

 すると、ガチャリとロックが解除される音とともに、棺の背板が両開きになり、さらに奥の通路が姿を現す。

 

「やっぱり、このドラウグルの入っていた棺、隠し扉になっているわ」

 

「ということは、こいつはこの隠し通路を守る門番だったってことか……」

 

「恐らくそうでしょうね。これほどの腕を持つ戦士をドラウグルに仕立てて守るものっていったい……」

 

「……行ってみよう。この先に、ミラークとかいう奴の力の秘密があるかもしれない」

 

 健人の言葉にフリアは頷く。

 デス・オーバーロードの剣を右の腰に取り付けた後、二人は慎重に隠し扉をくぐり、聖堂のさらに奥を目指した。

 




ゲーム上では、付呪された武器に“激しき力”のシャウトは使えませんが、本小説では使えるという設定です。
また、激しき力も攻撃速度だけでなく、纏わりついた風で攻撃力も上がるというオリジナルの設定を組み込んでいます。
これは、確かゲーム中の書物の中に、激しき力についての描写に、刃を研ぎ澄ませるという文言が入っていたため加えた設定です。



次話は直ぐに投稿されるはずです。


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第六話 二人のドラゴンボーン

 隠し扉の先は大食堂を思わせる広い部屋であり、さらに奥にもう一つの隠し扉が隠されていた。

 二つ目の隠し扉は螺旋階段へとつながっており、健人達はさらに地下深くへと足を踏み入れる。

 これほど厳重かつ綿密に施された隠匿に、健人もいよいよ最奥が近い予感がしてきていた。

 螺旋階段を降りると、奇妙な形の灯篭が健人達を出迎えた。

 

「なんだ、この灯篭は?」

 

 まるで、深海魚の頭か、魚卵を思わせる奇怪な灯篭。

 気味の悪いレリーフが施されていることもあり、その異様さは思わず全身に鳥肌が立つほどだった。

 

「ハルマモラの眷族ね。確か、ルーカーとかいう魚頭の巨人よ」

 

「ハルマモラ?」

 

「ええ、知識の悪魔。あなた達の言葉では、ハルメアス・モラという名前よ」

 

 ハルメアス・モラ。

 この世界に存在する、デイドラロードと呼ばれる、神々と等しい力を持つ存在の一柱。

 神々と言われても、宗教が日常生活に浸透しすぎて無自覚になっている日本人である健人には想像がつかないが、知識としてならデルフィンから教えられている。

 知識を求めるデイドラロードであり、彼の持つ領域の名は“アポクリファ”。無尽蔵の知識を内包した領域だ。

 十六柱存在するデイドラロードの中でも特異な容貌をしており、その姿は消える泡や、鋏を持つ触手などと例えられ、運命の流れや星読みなどから過去や未来を読み解き、知識や記憶という財宝を所有していると言われている。

 神という言葉や存在に馴染みのない健人でも、埒外の存在であることを察せられる権能だ。

 そもそも、星読みや知識を司る存在は、地球の神話の中においても、非常に強力な存在として描かれている。

 知識の神として有名な神といえば、エジプトのトト神や北欧神話のオーディンやミーミル、日本神話のスクナビコナなどである。

 詳しい神格は知らずとも、サブカルチャーなどでは一度は聞いたことがある名前だ。

 

「ミラークの聖堂にハルメアス・モラの眷族の像があるってことは……」

 

「恐らく、ハルマモラもミラークと何らかの関りがあるということね」

 

 ドラゴンに反逆をしたミラークが、己の力を蓄えるために、デイドラロードと関りを持った。

 そう考えるのは、自然なことと言える。

 もし知識と未来視の能力を持つ存在の協力を得られるなら、強力極まりない力を手にできるだろう。

 健人は、ドラゴンボーンの持つ常軌を逸した成長力を知っている。

 ミラークがもし生きているとしたら、彼は竜戦争から数千年もの間、力を蓄えていたことになる。

 その力は今、いったいどれほどの領域に達しているのか、想像もできない。

 健人は改めて、ミラークとその背後にいるであろう存在の強大さを自覚し、息を呑む。

 とはいえ、ここまで来た以上、引き返すことはできない。

 健人は意を決して、先を目指す。

 そしてついに健人達は、聖堂の最奥に到達した。

 

「なんだ、この気味の悪い部屋は」

 

「この部屋、闇の魔法が働いている、注意して」

 

 最奥の部屋は、一言で言って“異様”としか表現できない部屋だった。

 全体としては古代ノルドの様式がところどころ残っているが、内壁にはアーチ状のレリーフが刻まれ、部屋の中央の床には円形の祭壇が設けられている。

 祭壇には木根が網目状に張った床が張られ、祭壇の下が透けて見えており、眼下にはまるで底なし沼のような空間が広がっている。

 そして、その祭壇の上には、ここに来るまで目にしてきたハルメアス・モラの眷族を思わせる像が彫刻された台があり、台上にはこの部屋で一番“異質”といえる、真っ黒な本が置かれていた。

 

「この黒い本は一体……」

 

「奇妙な本ね。これが探しているものかも……」

 

 まるで漆を塗ったような黒い背表紙の本は、健人にはまるで瘴気を思わせる黒い霧を放っているように見えた。

 緊張で体を強張らせつつも、健人はゆっくりと祭壇に上がり、その黒い本の前に立った。

 すると突然、風もないのに、その本の背表紙が開かれた。

 書かれていたタイトルは“白日夢”。

 バラララ! と、すごい速度でめくられるページに、健人は思わず後ずさる。

 

「い、いったい何が……うわ!?」

 

「ケント!?」

 

 続けて出現したのは、醜悪な濃緑色の触手。

 黒い本から飛び出した触手は健人の体に巻き付くと、健人が抵抗する間もなく、彼の意識を暗い深淵へと連れ去っていった。

 

 

 

 

 

 朦朧とする意識と視界の中で、健人は耳に響く奇妙な声を感じた。

 

「間もなく時が訪れる……」

 

 それはまるで、待ち焦がれた故郷を前にした旅人のような、哀愁と郷愁、そして切望を込めたような声。

 徐々にはっきりとしてくる健人の視界と共に、声の主の姿や周囲の状況が、徐々にはっきりとしてくる。

 空は気味の悪い緑色の雲に覆われ、雲の隙間から巨大な触手が顔を覗かせている。

 周囲の建物や床はまるで木の根を出鱈目に編んだようなものであり、建材の所々に泥で固められた本が埋め込まれている。

 そして健人の目の前には、金の肩飾りや刺繍が編み込まれたローブやブーツを身に着けた男性の背中が映っていた。

 ローブの男性の両隣には襤褸を纏った異形が浮いており、さらに奥には濃紺色のドラゴンが控えている。

 

「ん? 誰だ!」

 

「がっ!」

 

 背後の健人に気が付いたのか、ローブの男性が振り向き、紫電を放ってくる。

 叩きつけられた雷による激痛が健人を襲い、彼に膝をつかせる。

 

「ここに入り込むとは、何者だ」

 

 雷を放ったローブの男性が、侵入者である健人を睥睨しながら近づいてくる。

 その男は、海の怪異を思わせる奇怪な仮面をかぶっており、素顔はまるで分らなかったが、その“声”には、抗いがたい重圧が込められていた。

 いや、どちらかというと、この男性は健人が突然現れたことに戸惑っているようにも聞こえた。健人が重圧を感じたのは、それだけこの男性の声が異質かつ強力であることの証だ。

 そして、そんな重圧を感じる“声”の持ち主について、健人は一人しか心当たりがなかった。

 

「お前が、ミラーク……ソルスセイム島を襲う異変の元凶なのか?」

 

 ミラーク。

 今このソルスセイムで起こっている異変の元凶であるドラゴンボーン。

その名を口にした瞬間、健人にはローブの男性が驚きでピクリと体を震わせたように見えた。

 

「そうだ、私こそがミラーク。この世界で最初の、そして最も強大なドラゴンボーンだ」

 

 そして、奇怪な仮面の男は、己がこの島の人々を操っている元凶であると名乗った。

 突然相対した元凶の姿に、健人は思わずゴクリと唾を飲んだ。

 一方、地に伏した健人を見下ろすミラークは、健人を眺めながら何か考え込むように口元に手を当てている。

 やがて得心が言ったというように上げていた手を下すと、健人に向かって信じがたい言葉を口にした。

 

「お前は……ああ、“ドラゴンボーン”だな。感じるぞ」

 

「な、に? 一体、何を言って……」

 

 ドラゴンボーン。それはリータやこの仮面男の存在を示す名前だ。

 竜神アカトシュの加護を受けた、時代の担い手たる存在。

 常軌を逸した能力と成長を見せる、この世界の特異点だ。

 当然、この世界とは本来関りのない人間である健人には当てはまるはずもない。

 世界最初のドラゴンボーンに“お前はドラゴンボーンだ”と言われた健人の頭は、混乱の坩堝に叩き落とされる。

 そんな健人の混乱をよそに、ミラークは新たに現れたドラゴンボーンを品定めするように眺めると、やがてつまらないというように、息を吐いた。

 

「だが……生まれたばかりの赤子ではないか」

 

 健人を取るに足らない存在と断じたミラーク。

 その声色には、無力な同族を嘲る色があからさまに含まれている。

 ドラゴンボーンとは、竜の魂をその身に宿す人間。スゥームという真言を操る人型のドラゴンだ。

 そしてドラゴンにとって強さとは、スゥームの強さと同じであり、当然、今の健人には全く使えない力である。

 世界最初のドラゴンボーンとして、この世界で最も長くスゥームと触れてきたミラークから見れば、シャウトを一言も扱えない健人の姿は、まさしく言葉を話せない新生児と同じだったのである。

 

「ドラゴンボーンの真の力など、お前には分かるまい」

 

「お前、何で、ソルスセイムの人達を操って……」

 

「何故それをお前ごときにいう必要がある? それに力なき者が我のために奉仕するのだ。むしろ、喜ばしく思ってほしいくらいだ」

 

 力があるものこそが、全てを支配する。

 ドラゴンらしい言葉だが、それをドラゴンボーンが口にすることに、健人は納得と違和感が同居する、奇妙な感覚を覚えていた。

 しかし、その奇妙な感覚も、すぐに怒りに塗りつぶされた。

 力による支配を容認するその姿に、この世界で理不尽な目に遭い続けた健人の記憶を呼び起こす。

 アルドゥインによって惨殺されたティグナ夫妻。

 ミルムルニルによって焼き殺されたハドバル。

 静かに暮らしていたモーサルを力で支配しようとしたモヴァルス。

 己の傲慢を他種族に押し付けるサルモール。

 そして、自分のリータ(家族)に殺されたヌエヴギルドラール(友達)。

 今までこの世界に迷い込んできてから、目にしてきた悲劇と憤りを思い出し、健人の腹の底から、マグマのような怒りがこみ上げる。

 怒りは圧し掛かるミラークの無言の重圧を一時的に跳ねのけ、当惑に揺れていた瞳に光が戻り、崩れ落ちた彼の体に一時的な活力を呼び戻す。

 だがその健人の怒気も、眼前に佇む伝説のドラゴンボーンの前では、そよ風のようなものだった。

 

“ムゥル、クァ、ディヴ!”

 

 ミラークが、力の言葉を叫ぶ。

 放たれた強力な声と共に、全身に圧し掛かっていた重圧感が、一気に増す。

 スゥームによって隆起したミラークのドラゴンソウルは、虹色の光麟となって彼の体を包み込み、光り輝く鎧を形成する。

 それは、ミラークが有するドラゴンソウルの力そのものが現出した光景だった。

 ドラゴンアスペクト。

 自らのドラゴンソウルを隆起させ、己の能力を劇的に高めるスゥーム。

 溢れ出たドラゴンソウルが心理的だけでなく物理的な圧力となって、健人を押しつぶす。

 

「ぐ……がっ、は……」

 

 まるで、アルドゥインと間近で相対したような圧力を前に、健人は息をすることすら出来なくなり、その場で体を震わせることしかできなくなる。

 

「お前など、何の障害にもならん。所詮無力な赤子でしかない。だが、見逃す理由もない。始末しろ」

 

 ミラークの指示に反応したのか、彼の両隣に控えていた襤褸を纏った異形が、前に出てくる。

 襤褸を纏った異形は四本の腕とタコを思わせる容貌を持ち、己の主の指示を忠実に実行した。

 

「ぐっ、ああああああああああ!」

 

 力の波動が立て続けに健人の体を襲い、その命を奪わんとしてくる。

 健人の悲鳴が、アポクリファに響く。

 叩き付けられる衝撃に激痛が走り、キチンの鎧がメリメリと異音を上げ、装甲となっていた殻が剥げていく。

 ミラークは己の配下が侵入者を排除し始めたのを確かめると、これ以上用はないというように、控えていたドラゴンの背に乗り、その場を飛び去って行った。

 健人は去っていくミラークを睨みつけながらも、やがてその視界は全身に走る痛みを前に真っ白に漂白されていった。

 健人も意識だけは失うまいと唇を食い破るほど必死に噛み締めながら抗うが、彼には抵抗する力は既に残されていなかった。

ここで死ぬのか。

 白く染まった視界がやがて暗黒に飲まれていく中、そんな言葉が健人の脳裏に浮かぶ。

 やがて意識そのものが闇に飲まれていく。

そしてついに、意識の尾が立たれるその瞬間、聞いたこともない耳障りな声が健人の脳裏に響いてくる。

 

“フフフ、力を求める者が、また一人、わが領域に足を踏み入れたか。歓迎するぞ、異界のドラゴンボーン……”

 

 誰とも知らない、しかし、忘れることのできない声を聴きながら、健人の意識は今度こそ闇の中へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その存在は遥かな高空。ムンダスと呼ばれる宇宙を超えた先から、その星を眺めていた。

 ニルン。彼らが不死を対価に作り上げた、小さな箱庭。

 箱庭の中では、彼らが生み出した子供達が、時に戦い、時に愛を育み、時に憎しみの果てに無益に死をまき散らしながら果てていく。

 その全てが、彼には楽しく、悲しく、喜ばしく、そして愛おしかった。

 だが、楽しんでばかりいるわけにもいかない。

 彼は自らが司る理から、再び、愛しい大地に視線を向け続ける。

 彼が最初に生み出した子供たちは、随分と数を減らしたが、今まさに、滅ぶかどうかの瀬戸際に来ていた。

 彼が作り上げた、最高傑作の帰還。

 ある目的のために彼が最初に作り上げたその子供は、死した他の子供達を蘇らせ、英雄達の魂を食らいながら、再び己の権勢を取り戻そうとしている。

 そして、彼自身が祝福を与えた定命の者もまた、己の運命と試練に立ち向かいながら、来るべき決戦の時の為にその“声”を磨いている。

 そんな中、彼は今また一つ、自らの子の命が尽きるのを感じた。

 元々弱々しいが、同時に自分の力をある意味最も色濃く受け継いだ息子。

 決して何も語らず、誰とも向き合うことがなかった可哀そうな子供。その傍には、彼自身も見たことがない小さな穴が存在していた。

 我が子の傍にいた小さな穴の正体は、異質な小人。

 本来干渉する必要すらなく、自然に消え去り、修復されるはずの穴だ。

 だが、愛しい子供が最後に願った。

 この小さな友人に祝福を……と。

 その願いを受けて、大いなる父は、ほんの僅かな祝福を、我が子の生涯の友人となったその小人に与えた。

 それは、彼が時代の変わり目に与えてきた祝福と比べても、小さな、小さな恩恵でしかない。

 小さな種火は例え芽吹いたとしても、その小人に分相応の小さな幸せを運ぶ機会を与える程度のものでしかなかった。

 だがそれは、間違いなく竜神の祝福。そしてその小人は、この世界の理では存在しえない異質な魂だった。

 異質な魂に埋め込まれた小さな祝福は、無力感に苛まれる小人の叫びを糧に、竜神すら見通せない穴の奥で異質な変化を遂げ、今まさに真の意味で、このタムリエルに生れ落ちようとしていた。

 

 

 




というわけで、本小説最大の転換点の一つです。
正直に申しまして、このお話のミラークのセリフを書きたいがために3章くらい書いてきたようなものです。
同時に、投稿予定の分もここまで。書き溜めたらまた投稿しますので、お待ちください。


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第七話 スコール村

 自分の死を半ば確信していた健人の意識は、パチパチと薪が爆ぜる音と共に覚醒した。

 ゆっくりと開かれた瞳が、木の梁を幾重にも重ねた天井を映す。

 

「ここは……」

 

 自分が生きていることを実感した次に健人の脳裏に浮かんだのは、この場所は何所なのかという事だった。

 ミラーク聖堂で見つけた黒の書。

 あの本を開いた瞬間に、健人は緑の霧の空と、無数の本が積み重なった沼地の空間に飛ばされた。

 そこで出会ったのは、今ソルスセイムを覆う奇妙な力の元凶。世界最古にして、強大な力を持ったドラゴンボーン、ミラークだった。

 そして、己の領域に侵入した健人を、ミラークは配下の異形に始末することを命じた。

 全身を引き裂かれるような力の波動を叩きつけられ、健人は意識を失い……。

 そして気が付けば、誰かの家と思われる建物の中で、ベッドに横たわっている。

 上半身を起こして周囲を見渡すと、思った以上に広い広間が飛び込んできた。

 しかも、健人が寝ているベッドは吹き抜けの二階にあるらしく、下へと続く階段がフロアの両脇に設けられている。

 その時、トントンと、下の階へと続く階段を誰かが上ってくる音がした。

 

「目が覚めたかしら?」

 

 姿を現したのは、気の強そうなノルドの女性。

 ただ、彼女が身に付けている服は、大量の灰色の毛皮が使われており、ミラーク聖堂で操られていたスコール達の服と同じものだった。

 

「貴方は……」

 

「私はファナリ。このスコール村の代表よ」

 

 意識を失っている間に、スコール村に連れていかれていた事を知り、健人が当惑の表情を浮かべる。

 一方、スコールの代表と名乗ったファナリという女性は、顎に手を当てながら、観察するような視線を健人に向けてくる。

 

「スコール村……。どうして俺は、スコールの村に……」

 

「フリアが気絶した貴方を背負ってきたのよ。気が付いたばかり悪いのだけれど、ストルンに会ってもらえないかしら?」

 

 どうやら意識を失った健人を、フリアが助けてこの村まで連れてきてくれたらしい。

 フリアの名前を聞いて、健人は再び部屋を見渡し、共闘したスコールの戦士の姿を探すが、彼女の姿は見当たらず、目の前のファナリ以外の気配は感じない。

 どうやら、この部屋にはいないようだった。

 

「ストルンって、確かこの村の呪術師で、フリアのお父さんですか?」

 

「ええ。ストルンは今、この村を襲う邪悪な力を防ぐために、結界を張っているんだけれど、その彼が気絶した貴方を見て、起きたら会わせるように私に頼んできたのよ。

 どうやら彼は、貴方に何かを感じたみたいね」

 

 ストルンの名前自体は、健人はフリアの自己紹介の時に聞いていた。

 スコール村の呪術師だ。

 この場合の呪術師とは、もちろん魔法などの使い手という意味もあるのだろうが、同時に村の賢者としての役割でもあるのだろう。

 そのストルンが、健人に会いたいと言っている。

 

”ああ、ドラゴンボーンか。感じるぞ”

 

 健人の脳裏に、黒の書の中でミラークに言われた言葉が蘇った。

 

「分かりました。会います。ストルンさんは何所に?」

 

「この村の広場にいる。案内するわ」

 

 クイッと顎をしゃくって外を示すファリナ。

 健人は無言で毛皮の布団をはがし、ベッドから降りて扉へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 外では既に日が暮れ、西日が差していた。

 村は周囲を囲むように家々が立ち並び、中央には水汲みの為の井戸を設置した広場が設けられている。

 井戸の手前には広い空間があり、そこで数人のスコールの民たちが、円陣を組んで座り込みながら、何かを唱えていた。

 円陣の中には、フリアの姿もある。

 彼らの周囲からは不可思議な淡い光が立ち上っており、上空へと登った光は村を囲むように、光の壁を作り上げている。

 おそらくこれが、先程ファナリが言っていた、ミラークの力から村を守るための結界だろう。

 

「すごい……」

 

 一つの村を囲むほどの巨大な魔法障壁など、健人は見た事はない。

 その余りに酷い魔力効率故に、障壁も数秒しか展開できない身である健人からすれば、この村を囲む結界は、思わず感嘆の声を漏らしてしまうほど素晴らしいものだった。

 

「こっちよ」

 

 スコールの結界に目を奪われていた健人だが、ファナリに促され、慌てて彼らの元に駆け寄る。

 健人が円陣に近づくと、術の補佐をしていたと思われるフリアが立ち上がり、笑みを浮かべて近寄ってきた。

 

「よかったケント、目が覚めたのね」

 

「ああ、意識を失った俺をここまでは運んでくれたんだってね。ありがとう」

 

「いいのよ。貴方は本来、関わる必要のない私達に協力してくれたんだから」

 

 安堵と親愛を込めて微笑むフリアの姿に、健人は自分の胸の奥で燻っていた、小さな熱が高まるのを感じた。

 リータ達と一緒にいた時にも感じた、親愛の感情。

 自然と健人の口元にも笑みが浮かぶ。

 

「さ、こっちに来て。父も貴方に会いたがっていたわ」

 

 フリアがそっと健人の手を取り、健人を円陣の中央に案内する。

 円陣の中央に色素の抜けた金髪をした、壮年の男性が膝をつき、只管に祈りを捧げている。

 円陣の中央にいることからも、この男性がスコール村を覆う結界を展開している術師であることが推察できる。

 

「娘が世話になったな、異邦の旅人よ」

 

 祈りを捧げながら、壮年男性は健人に語り掛けてくる。

 その声色にはまるで巌を思わせる重厚さと落ち着きを感じさせるものだった。

 

「貴方がスコール村の呪術師の……」

 

「みね歩きのストルンという。

 目が覚めたばかりで悪いが、君に聞きたいことある。あの黒の書、ハルマモラの領域へ続く書物の中で、何を見たのか、話してくれないか?」

 

「分かりました」

 

 健人は黒の書の中で見た出来事を、ストルンに語っていく。

 ミラークとの邂逅し、彼自身の口から、ソルスセイムの人達を操っているのを確かめた事。

 そして、ミラークの配下の異形に殺されかかり、意識を失ったこと。

 

「やはり、ミラークは復活しようとしていたのか。恐れていた通りだった」

 

 ストルンにとっては、的中してほしくなかった予想だったのか、彼の顔に刻まれた皺がさらに深まる。

 

「そなた達がミラークを見た聖堂は、はるかな昔にミラークがドラゴンと凄惨な戦いを繰り広げた場所だ、伝説にも出てくる。

 さらに言えば、竜よりも厄介なものが埋もれているともいわれている。想像もつかなかったが、娘が持ってきたこの書物を見て、そして、そなたからミラークの話を聞いて確信した。

 私の懸念が現実になったということを。ミラークはまだ死んでおらず、ついに復活するのだと」

 

 そういいながら、ストルンは懐から一冊の黒い書物を取り出すと、健人に手渡してきた。

 ミラーク聖堂で、健人が見つけた黒の書だ。

 漆黒の表紙に刻まれた奇怪な文様は、相も変わらず嫌悪感を催すものであり、冊子全体から黒い瘴気があふれているようにも見える。

 健人は受け取った書に眉を顰めながらも、すぐに腰のポーチに入れる。正直に言って、あまり持っていたいと思わなかったのだ。

 

「ミラークが復活した場合、どうなるんですか?」

 

「おそらくは、その力で、このソルスセイムを支配しようとするだろう。

 ミラークの統治は極めて過酷であり、その厳しさはドラゴンよりも遥かに苛烈だった。

 そして、ドラゴンの魂を持つ彼もまた、他のドラゴンの例にもれず、より大きな力を求めていたという」

 

 力を求めるドラゴンの本能。

ドラゴンボーンであるミラークもまた、その本能を色濃く持っていたらしい。

 健人の脳裏に、ドラゴン殲滅を誓ったリータの姿が思い出される。

 

「彼が死んでからの長い間に、蓄えてきた力は尋常ではあるまい。おそらくその支配力は、ソルスセイムだけに留まらず、タムリエルすべてに及ぶだろう。

 そうなれば、かつての凄惨な力による支配が、再び復活することになる」

 

「父さん、どうしたら……」

 

 父親の話を横で聞いていたフリアが、不安そうな声を漏らす。

 この時健人は、アポクリファでミラークに言われた言葉を、ストルン達に伝えるかどうか迷っていた。

 アポクリファに落ちた健人に対し、ミラークはこう言った。“ああ、ドラゴンボーンか”と。

 普通に考えればあり得ない。

 しかし、相手はこの世界最初にして最古のドラゴンボーン。その身に宿る力について、人の中では誰よりも知りえている人物。

 そんな人間が、ドラゴンの力について間違えるとも思えない。

 同時に健人は、己の身にいったい何が起こっているのか、不安にもなっていた。

 まるで、自分が自分ではないのではという思考、意識の焦点が定まらない気持ち悪さが、胸の奥底で渦巻いている。

 しばしの間、黙して逡巡していた健人だが、こみ上げる不安感に後押しされる形で、口を開いた。

 

「ミラークは、俺をドラゴンボーンだと言っていました」

 

「……え?」

 

「それは……本当なのか?」

 

 健人の言葉に、ストルンとフリア、そして、その場にいたスコールの人達が、驚きの表情を浮かべた。

 

「本来ならあり得ない。それは、リータ……俺の義姉のはずです。自分には、一体何が何やら……」

 

 ドラゴンボーン。

 神々の長であるアカトシュの祝福を受け、時代に変わり目に現れるといわれる、特別な人間。

 竜を殺し、その力と知識を奪い取り、驚異的な成長を遂げる人にして人ならざる者。

 そんな存在であると言われた健人は、信じられない気持ちが半分、信じたくない気持ちが半分といった様子で、首を振った。

 

「しかし、ありえませんよ。やっぱり。

俺は以前、グレイビアードやドラゴン達がシャウトを使っているのを何度も聞いています。ドラゴンボーンである義姉はすぐに使えましたが、俺にはサッパリ分からなかった」

 

 実際、健人はリータと旅をしている間、何度もドラゴンと遭遇し、彼女がシャウトを身に付ける場面に遭遇している。

 健人自身もシャウトの文字や意味を聞いたことはあるが、シャウトが使えるようになる様子はさっぱりなかった。

 だからこそ、健人は自分がドラゴンボーンであることを、全く信じられなかった。

 

「ふむ、だが其方には、確かに何らかの祝福を感じる……」

 

 一方、この村の呪術師であるストルンは、健人の言葉を否定するような言葉を口にした。

 この村を覆う結界を見ればわかる通り、彼は優れた魔法使いだ。

 そんな彼が、健人に対して、何か特別なものを感じるといった。

“いったい、今の自分はどうなっているのだろうか?”

 益々増してくる不安に、健人は思わず唇を噛み締める。

 

「確かめる方法はある。今の君がドラゴンボーンであるなら、力の言葉を学べるということだ。

 サエリングズ・ウォッチに行くといい。そこには、遥か昔にミラークが学んだという言葉があるそうだ。

 もし君がドラゴンボーンであるなら、その言葉を学べるだろう。そしてそれが、君が何者であるかの証明になるはずだ」

 

 ドラゴンボーンであるかどうか、それを確かめる方法。

 それは、ドラゴンの言葉を僅かな間に習得できるということだ。

 もし健人が、かつてミラークが学んだ言葉を身に付けることができるなら、それこそが彼がドラゴンボーンであることの動かしがたい証になる。

 具体的な方法を提示された健人だが、未だに踏ん切りがつかない様子で、視線を彷徨わせている。

 もし、自分がドラゴンボーンだった場合、一体どうすればいいのだろうか?

 リータに心折られ、戦う理由をなくした健人には、自分が何をしたらいいのか皆目見当がつかないのだ。

 

「俺がドラゴンボーンだった場合、どうなるんですか?」

 

「それは分からない。我らにとって破滅になるのかあるいは救いになるのか、あるいはその両方か……」

 

 だったら、証明なんてしない方がいいのではないだろうか?

 何も聞かなかったことにして、ソルスセイム島を出ていけばいい。そうすれば、これ以上苦しい思いをしなくて済む。

 健人の胸に、後ろ向きで弱い気持ちが沸き上がる。

 これ以上痛い思いをしたくない。それは、一人の人間としては当然で、なおかつ、己の身を守るためのあたりまえの感情。

 だが、そんな弱い気持ちに抗うような熱が、胸の奥でくすぶっているのも事実だった。

 それが何なのかは、健人自身にもよく分からない。

 突然、地球での日常を奪われた理不尽に対する怒りか、無慈悲なこの世界に対する憤りなのか、それとも何か他の感情なのか。

 ただ、胸の奥で疼く熱が、サエリングズ・ウォッチに行くべきだと叫んでいる。

 

「もし、俺がドラゴンボーンでなかったら……」

 

「この村は終わる。既に時は残り少ない。操られていない我らの仲間も、すでに大きく数を減らしている。己の身を守れるのも、あと僅かな時間だろう」

 

 淡々とストルンは、健人の質問に答える。

 その声色には、健人に強制しようとする意志は微塵もない。

 淡々と、健人の質問に答えているだけだった。

 健人は改めて、目の前の老いた呪術師と視線を交わす。

 まるで、月光のように静かな、しかし決して揺らぐことのない光が、その老人の目には宿っていた。

 その瞳はどことなく、亡くなった友竜であるヌエヴギルドラールに似ているように見えた。

 そしてその強い瞳が、健人の胸に疼く熱を後押しし、彼に一歩を踏み出させた。

 

「……サエリングズ・ウォッチは、何処ですか?」

 

 サエリングズ・ウォッチの場所を尋ねる健人の言葉に対し、ストルンは小さく肯いた。

 

「この村を出て、西の方に行ったところの崖にある。今では長年の風雪でかなり埋もれてしまっているが、それでも近くに行けば分かるだろう」

 

「サエリングズ・ウォッチには、私が案内するわ! ケントは土地勘がないから、案内するには、スコールの民がついていかないと。父さん、いいわよね」

 

 協力するという健人の言葉に、フリアが嬉しそうな表情を浮かべて立ち上がると、サエリングズ・ウォッチまで案内することを志願してきた。

 健人としても、フリアの案内に否はない。むしろ、彼女の力量を知っているが為に、心強かった。

 

「分かった、彼を頼むぞフリア」

 

 ストルンも了承し、健人はフリアと一緒に行くことが決まった。

 

「もしミラークの言葉を学ぶことができたら、それを風の岩に使うのだ。おそらく、島を覆うミラークの力の一部を打ち消すことができるだろう」

 

「風の岩……レイブン・ロックにあった、あの岩と同じものですか?」

 

「そうだ。この島には太古から、大地の力の集約点となる岩が六つ存在している。風、大地、水、樹、獣、太陽と呼ばれる岩だ。ミラークの力もおそらく、この岩を介してソルスセイム島を覆っている」

 

 健人自身、その言葉には納得できるところがあった。

 レイブン・ロックでの状況を見れば、ミラークはこのソルスセイム島の穴ともいえる岩の周りに己の祠を建てようとしていることは間違いない。

 おそらくは、住民だけでなく、地脈の力を完全にコントロールすることで、己が復活できる環境を整えようとしているのだろう。

 

「分かりました。それから、もし良ければ薬とか必要な準備をさせてもらえませんか? 出来れば材料とかも……」

 

 サエリングズ・ウォッチに行くことを決めた健人だが、場所がミラーク関連の場所なら、彼の信者もいることが想像できる。

 数の多い敵を相手にするなら、こちらも万全の準備が必要だ。

 健人自身、逃げるようにレイブン・ロックから飛び出しただけに、薬などの各種消耗品が足りていないのが現状だった。

 

「私の家に必要なものはある。中にある材料や魂石も、好きに使っていい。フリア、案内しなさい」

 

「ええ。こっちよケント」

 

 自宅に案内するフリアの後ろに続き、健人は己が寝かされていた建物の横にある、小さな小屋に足を踏み入れた。

 ストルンの自宅で必要な設備と素材を借りた健人は、必要となりそうなポーションを次々と作っていく。

 作るポーションは体力、スタミナ、マジ力回復に、耐性上昇の薬という定番のもの。

 その手並みも慣れたもので、瞬く間に種類の違う薬を揃えていく。

 デス・オーバーロードと戦闘やアポクリファで破損したキチンの鎧は、鞣した革を当てがい、縫い合わせて補強する。

 修理というには心もとないが、やらないよりはマシである。

 さらには、渡された魂石も使い、自分の装具に必要と思われる付呪を施す。

 今までは十分な魂力をもつ魂石が手に入らなかったためにできなかった付呪も、ここぞとばかりに使用する。

 ブーツに隠密向上、盾に魔法防御向上、小手に回復上昇、そして、胴の鎧にスタミナ向上を施す。

 残ったのは、ブレイズソードのみ。

 健人はここで、聖堂で手に入れた黒檀の片手剣を取り出した。

 調べて分かったのだが、この剣に付呪されていたのは、体力吸収の魔法効果。

 切り裂いた相手の体力を吸収して剣の持ち主に還元する、健人が知る中では突出した効果を持つ魔法効果を持つ付呪だ。

 健人は一瞬、この武器を分解して術式を取り出そうと思ったが、黒檀の剣は予備の武器としては上等すぎるくらいの代物だ。

 使い慣れない剣だが、武器としての性能が高いのは間違いない。

 刀身もブレイズソードに似た緩やかな曲線を持っている。

 

「少し、試してみるか」

 

 健人は黒檀の片手剣を、ブレイズソードを振る時の要領で振ってみる。

 ブレイズソードと比べるとやや重く、体が少し流されるが、普通の直剣に比べれば振るいやすい。

 近くにあったジャガイモを放り投げ、軽く一閃。斬られたジャガイモが二つに分かれ、綺麗な断面を見せて床に転がる。

 斬った時に感じる加重や感触、そして切れ味も全く問題ないようだ。

 健人は、黒檀の剣をそのまま予備の武器として持って行くことを決めた。

 付呪された体力吸収の魔法効果も、長期戦で効果を発揮してくれるだろう。

 淡い燐光を纏う刀身を鞘に納めて腰の後ろに差すと、健人はスコール村を後にした。

 外は既に闇に包まれており、星々の明かりとオーロラの幻想的な光が、雪に埋もれた森を照らしている。

 

「ありがとう、ケント……」

 

「突然何?」

 

「父さんや私の話を信じてくれて。そして、村人を助けるために協力してくれて。私たちスコールは外界との接触をほとんど断ってきたし、出会った時のことを考えれば、私の言う事を信じてくれるとは思わなかったの……」

 

 人が他者を信じるには、いくつかの条件が存在するが、健人とフリアが出会った状況を思い返せば、彼女の考えは当然だろう。

 まず、健人はスコールでもノルドでもない。また、二人の間にあらかじめ面識も存在しない。この時点で、健人が信じる理由の大半は消える。

 さらに言えば、ミラーク聖堂で出会った時、フリアは操られた仲間を助けようと声をかけている状況だった。

 フリアが明らかに厄介ごとを抱えている人間と分かる状況で、手を差し伸べてくれる人間がどれだけいるだろう。

 さらに極めつけは、出会った直後に、彼女を排除しようとした刺客に命を狙われたという点だ。

 フリアとの距離を取るのに、これ以上の理由はない。

 協力してくれない可能性の方が高かった事はフリア自身理解しているし、逆を言えば、それでも助けを求めるほど切羽詰まっていたともいえる。

 だからこそ、フリアは健人が自分を信じてくれたことが嬉しかった。

 

「……俺も、確かめたいことがあるだけだ。それに、俺自身も、どうしてあの時、君に協力すると決めたのか、よく分かっていないんだ」

 

「それでも、よ」

 

 健人自身も、どうしてミラーク聖堂でフリアと出会った時、彼女に協力すると決めたのか、自分の心が理解しきれていない。

 心折れはしたが、このままではいけないとも思ったのは確かだ。

 だが、最後に彼女の手を取らせたのは“自分の胸の奥で疼く何か”としか健人には言いようがなかった。

 謙遜というにはいささか歪んだ返事を返した健人だが、それでもフリアは、健人に対する感謝を述べるように、隣で満面の笑みを浮かべてくる。

 笑顔を絶やさないフリアの視線に気恥ずかしさを覚えた健人は、彼女の視線から逃れるように、目の前に広がる森の先を見据えた。

 

「案内、よろしく頼む」

 

「ええ、任せて!」

 

 全幅の信頼を向けてくるフリアの声に、久しく感じていなかった心地よさを感じながらも、健人は己の存在を確かめるために、サエリングズ・ウォッチへとむけて歩き始めた。

 

 



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第八話 サエリングズ・ウォッチ

 サエリングズ・ウォッチは、スコール村の北西に存在する古代ノルドの遺跡である。

 海に面した断崖絶壁に建てられたこの遺跡は、北からの荒々しい風に数千年間晒されながらも、その原型のいくらかを保っている。

 普段は叩き付けるような風の音と、荒れる波音しか響かないはずの遺跡では、所々にたいまつと思われる明かりが灯り、幾つもの人影が外敵を警戒するように彼方此方を行き交っている。

 フリアの案内でサエリングズ・ウォッチに到着した健人は、岩の影から遺跡の様子を観察していた。

 

「あれ、どう思う?」

 

「どう見ても、ミラーク教団でしょうね。しかも、何体かドラウグルの姿もあるわ。どちらも、ミラークの尖兵と考えるべきでしょうね」

 

「やっぱりか……」

 

 予想していたとはいえ、またミラーク教団と闘わなければならない事態に、健人は頭を抱えた。

 しかし、この厳重な警備は、同時にこの遺跡がミラークにとっては重要な場所であることを証明しているともいえる。

 地上に復活するための要所である、大地の岩等の地脈の穴以外の場所に、人員を割いていることを考えれば、ストルンの言っていた通り、ここにミラークの力の秘密の一端がある可能性は高まったといえるだろう。

 

「問題は、どうやってあいつらを排除するかだけど……」

 

「数が多すぎるわね。参ったわ……」

 

 サエリングズ・ウォッチにいると思われるミラーク教団の人数は、十人前後。さらに同数ほどのドラウグルが徘徊している。

 普通、ドラウグルは自らが眠る遺跡に侵入する存在を許しはしないが、双方が敵対することなく周囲を巡回しているところを見ると、おそらくはどちらもミラークに命じられて、この場を守っていることが推察できた。

 サエリングズ・ウォッチの外観は崩壊した外壁と最上部に祭壇と思われるものが設えてあるだけであり、内部に入れるような目ぼしい出入り口は存在しない。

 周囲を巡回している信者たちは何も持っていないが、ドラウグル達は剣や斧、メイス、戦槌などで武装している。

 敵の配置としては遺跡上部には信者が多く、下部にドラウグルが集中しており、おそらくは信者が魔法等での遠距離攻撃を担当、ドラウグルが近接戦闘及び壁役の担当なのだろう。

 遠くから遺跡の外観を観察していた健人が、遺跡最上部で指揮をしていると思われる人物の姿をとらえた。

 他の信者と違い、より大きな仮面と手に何らかの杖を持っている信者が、手を振りながら声を張り上げているように見えた。

 風の音が強すぎて健人にはどんな指示をしているのか分からなかったが、一目見て、この場で最も上位の権限を有している人物と察せられた。

 

「あれは……。この場所の守護を任されている指揮官か?」

 

「おそらく、そうでしょうね」

 

 健人の考えに、フリアが同意する。

 とりあえず状況は理解した健人達は、どうやってこの遺跡に侵入するかを考え始める。

 崖を背にした遺跡周囲に、身を隠せるような物影は少ない。

 正面から近づけば、間違いなく見つかるだろう。

 おまけに、相手の数は三十人近く。どう考えても多勢に無勢である。

 だとすれば、奇襲しかない。

 健人は自分達の手札と相手の数や脅威度などを念頭に入れながら、思考を加速させる。

 

「…………」

 

「ケント、何を考えているの?」

 

「なあ、この崖を伝っていけば、上まで行けるよな?」

 

 健人は遺跡の背後にある崖を眺めながら、そんな言葉を呟いた。

 サエリングズ・ウォッチは確かに険しい山肌に沿う形で建てられている為、崖を伝っていけば遺跡最上部に行ける。

 ただし、海から常時吹いている強風に煽られたら、滑落する危険がある。

 

「行けるけど、本気? 落ちたらタダじゃすまないわよ」

 

「分かっている。でも、正面からじゃ確実に見つかる以上、これしかないよ。それに、最初から峰を伝っていくわけじゃない。反対の斜面は比較的なだらかだ。それから、ちょっと教えてほしい事があるんだけど」

 

「なに?」

 

「君が使っている変性魔法って、自分にしか使えないの?」

 

「……え? ええ、基本的に自分の鎧に別の鎧を重ね着するような魔法だから……」

 

「なら、教えてくれ。魔法自体のイメージは大体出来ているから、呪文や術式を教えてくれれば使えると思うから」

 

 健人の言葉に、いよいよフリアの表情が険しくなってくる。

 魔法は術式を学んだからと言って、簡単に習得できるようなものではない。

 フリア自身も父であるストルンから魔法を学んだ身ではあるからこそ、魔法の習得の難しさは理解している。

 にもかかわらず、健人は呪文を教えてくれれば使えるだろうと断言した。

 この短い間にも、フリアは何となく、健人の人となりを理解している。

 確信の持てないことについては、断言しないタイプの人間だ。大言を吐くような人物でもない。

 だからこそ、作戦を考えている健人の思惑が理解しきれず、フリアは当惑してしまう。

 

「えっと……。何考えているの?」

 

「奇襲する方法」

 

 ついでに言えば、フリアはなんとなく、背筋が寒くなるような嫌な予感が鎌首をもたげている気もしていた。

 

「……どういうこと?」

 

「ちょっと考えがあって……。とりあえずフリア、その斧でちょっと木こりをしてきてくれ」

 

「……え?」

 

 フリアの腰の斧を指さしながら、伐採作業を催促してくる健人。

 思いもしなかった健人の言葉に、フリアは思わず呆けた声を漏らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東の空から昇る朝日に、サエリングズ・ウォッチの防衛指揮官は深く息を吐いた。

 彼はミラーク教団の長であり、主であるミラークの命令で、この重要な遺跡の防備を行っていた。

 教団長はミラークが最初に支配したダークエルフであり、この時代、最もミラークの力をその身に受けた定命の者だ。

 彼はレッドマウンテンの噴火で故郷を追われ、スカイリムではノルド達に蔑まれ、最終的にこのソルスセイムにたどり着いた。

 しかし、この島のレイブン・ロックも収入源だった鉱山が枯渇し、生活に困窮した彼は、盗賊に身を窶すしかなくなっていた。

 盗賊として生きてきた生活は一寸先が分からない、新月の闇夜を歩くようなもので、常に不安を抱えていた。

 しかし、ミラークの“祝福”を受けてから、彼の心は不満も不安も感じなくなった。

 当然、彼が受けたのは“祝福”ではなく“服従”のシャウトである。

 不安と不満で疲弊した心は、容易くミラークの術の虜となった。

 新生ミラーク教団最初の信徒になった彼は、ミラークの力に心酔した同胞たちを集めて、ミラークの聖堂を占拠。

 手始めに樹の岩をその手中に収め、ミラークのスゥームがソルスセイム中に響くように、工作をしていた。

 本来であるなら、教団長は聖堂内で指揮を執るのだが、偶々自分が島中の岩を視察に訪れている間に、侵入者が聖堂に入り込み、留守を守っていた仲間が全滅。

 主の秘宝すら持ち去られてしまい、何とか聖堂内を立て直そうとした時、樹の岩から聞こえた主の声により、この遺跡を守れという命が下った。

その為、残った配下を連れてサエリングズ・ウォッチにやってきたというわけだ。

 吹きすさぶ強風が、教団長のローブをはためかせる。

 ひり付くような極寒の風も気にならないくらい、教団長はこの使命に意気込んでいた。

 

「必ずや、同胞の仇に鉄槌を! 救世主ミラークの復活のために!」

 

 彼としては、聖堂内が侵入者によって汚されたのは、最大の汚点だ。

 気炎を吐きながら、教団長は眼下にいる己の配下たちを見下ろす。

 教団長は、ミラークを救世主だと信じて疑わない。

 スゥームによって支配されている彼を、奴隷と見るような者もいるだろう。

 だが、骨の髄まで支配されているこの教団長には、外聞等どうでもいい事だった。

 この世界で生を受けてから、常に感じていた不安から解放されたのだ。大事なのは、その一点のみ。

 不安や絶望に苛まれた人間が、容易く詐欺師の手にかかるのと同じだ。

 彼らは自分が救われるのならば、たとえそれが悪鬼羅刹の類や、ドラゴンのような獣であろうと構わないのだ。

 たとえそれが自らを奴隷に陥れるものなのだとしても、目先の不安が無くなるのならばそれでいい。

 すべてはミラークのために。そして、彼が作る理想郷と、そこで生を謳歌できるであろう己のために。

 道具となり果て、支配を受け入れた奴隷に相応しい視野の狭さ。

 萎縮し、硬直しきった心は、自らの行いが如何に人道に外れ、周囲に害悪をまき散らすかを考えることが出来ない。

 そして、妄想に縛られるがゆえに、彼は背後に忍び寄る危険に気付くのが遅れた。

 教団長の背後から、パラパラと石が転がり落ちる音が聞こえてきた。

 背後の断崖に目を向けると、小さな石が幾つも崖から転がり落ちている。

 いったい何事かと視線を上に向けた瞬間、背後にそびえる崖の上から、空中に飛び出す二つの影があった。

 初めは鷹か海鳥でも飛んでいるのかと思った教団長だったが、急激に大きくなっていく影を目で確認したところで、影の正体に気付き、驚きの声を上げた。

 

「なっ!?」

 

 飛び降りてきたのは、なんと健人とフリア。

 二人はパラシュートなども使わず、サエリングズ・ウォッチの背後にある崖の上から飛び降りるという方法で、奇襲を仕掛けてきたのだ。

 どう考えても落下死するとしか思えない行動。

 だがよく見ると、健人とフリアの胴体にはロープが巻かれており、崖の頂上に通して、崖の反対方向に延びている。

 ロープの先は二股に分かれ、先はフリアに頑張ってもらって斬り倒した大木の端に延びている。

 これは、雪と横向きに並べた木と雪の抵抗で、崖から飛び降りた際の落下速度を抑えるための装置だ。

 パラシュートなどの布が大量に必要なものなど作っている暇がなかった健人が、別の方法で落下速度を調整できないかと考えて作った代物である。

 もちろん、降下装置の細かな調整など出来ない為、ぶっつけ本番である。

 

「貴様は!」

 

「ふっ!」

 

「ぐ、があ……」

 

 教団長が迎撃の態勢を整える前に、健人が落下の勢いそのままにブレイズソードを教団長の胸めがけて突き刺す。

 続いて襲い掛かってきた強烈な衝撃と共に地面に押し倒され、教団長の意識は一瞬で落ち、その命を散らした。

 

「フリア!」

 

「ええ、任せて!」

 

 教団長の隣に控えていた信者はフリアが圧し掛かり、斧を振り下ろして頭蓋を割っている。

 

「あなたってホント変なこと考えるわね! おかげで死にかけたわ!」

 

「無事だったんだからいいだろ! それより次」

 

 異常に気付いた他の信者が、血相を変えて祭壇に駆け上って来る。

 遺跡最上部の教団長とその副官を瞬く間に殲滅した健人とフリアは、腰に結えていたロープの端を勢い良く引く。

 すると、2人の胴体の鎧にまき付いていたロープが、はらりと解けて地面に落ちた。

 

「き、貴様ら!」

 

「邪魔!」

 

「がああ!」

 

 自分を縛っていたロープの束縛から素早く自由になった二人は、掛け上ってきた信者たちを次々と屠っていく。

 今、健人達はサエリングズ・ウォッチ最上部の祭壇に陣取っており、この祭壇に向かうには、狭い通路と階段を登らなくてはならない。

 必然的に、祭壇の入口では、二対一の状況が作られることになる。

 祭壇の入口では自分達が不利だと気付いた信者たちは、一端下がろうとするが、背後から別の信者やドラウグル達が詰め寄って来る為、下がることもできない。

 そして、動きの鈍った信者たちから、健人と刃とフリアの斧の餌食になっていく。

 健人の作戦は、崖の上から飛び降りて、相手の指揮官を一撃で屠るというシンプルなもの。

 もっとも、強風吹き荒れるサエリングズ・ウォッチの崖の上から奇襲を掛けるなど、普通に考えても正気の沙汰ではない。

 とはいえ、健人自身は可能であり、かつ有効だと思ったから、この作戦を実行した。

 この作戦のミソは主に二つ。

 一つめは、自分達が安全に遺跡最上部の祭壇に降りる為の、落下速度を軽減する降下装置と安全措置。

 降下装置は作戦決行前にフリアの斧で木を切り倒し、それを素材に丸太とロープを用意して作った。

 積った雪との摩擦で速度を抑えるもので、地球でも似たような装置は、氷河を歩く冒険家が、クレバスに落ちた仲間を助ける際に用いている。

 また、安全措置として、2人はフレッシュ系の変性魔法で魔力の鎧を纏い、不意の衝撃や激突に備えている。

 健人はフレッシュ系の変性魔法を覚えていないため、最も簡単な魔法の呪文をフリアから教えてもらい、修得した。

 これは減速によってロープが体に食い込んだり、崖の所々に突出した岩などとの激突による怪我を最小限に抑えるためのものだ。

 手製の降下装置をぶっつけ本番で使うのだ。このくらいの安全措置がないととてもじゃないが、この作戦は実行できない。

 二つめは時間。

 日出直後に奇襲を仕掛けることで、昇る太陽に敵の目を向け、崖の上に意識が向かないようにした。

 また、サエリングズ・ウォッチは北東方向に開けており、ちょうど健人達が奇襲しようと思っていた崖は、遺跡を挟んで反対方向であったことも幸運だった。

 

「まったくもう! 信じられないわ! 落下コースがあと体一つ逸れていたら、私は岩にぶつかってミンチだったのよ!」

 

「その為の変性魔法だろうが! それに、無事だったんだからいいだろ! そんなことより手を動かせよ!」

 

「動かしているわよ! ついでに口も動かしているだけ!」

 

 あと一つ問題があるとすれば、この滅茶苦茶な奇襲作戦を一緒に実行する事になったフリアだろうか。

 厳しい雪原で生きてきた彼女にとって、クレバスや崖への落下や滑落は、最も危険な状況の1つだ。

 少なくとも、自分からそんな状況になろうとは思わないくらい、恐怖心や警戒心が身に染みついている。

 一方の健人は、知識としては知っているし、崖から飛び降りるのは彼としても恐怖を禁じ得ないものだったが、健人自身、その辺りの恐怖心は押し殺せるようになっているし、勝つためには割と無茶をする傾向がある。

 この辺りはモヴァルスとの戦いで熟成されたものだが、そんな彼が実行したこの作戦は、雪原の民としてのフリアの恐怖心をこれ以上ないほど刺激していた。

 具体的には、下半身が少し緩くなって、洪水になりかける一歩手前位まで、フリアは追い詰められていた。

 

「そもそも、何でそんなに直ぐに魔法が使えるようになるのよ! 私だって父さんから小さい頃から習ってやっと出来るようになったのに!」

 

「いや、そんなこと言われても……」

 

 そんな目に遭ったものだから、捲し立てる彼女の口が止まるわけもなく、さらに興奮を募らせたフリアの言葉は、健人に対する愚痴に変わってくる。

 ちなみに、健人が今回フリアから学んだ変性魔法は、素人クラスの“オークフレッシュ”である。

 フリアが使用している精鋭クラスの変性魔法である“エボニーフレッシュ”とは性能面や修得難易度で段違いの差があるのだが、今のフリアには関係ない様子だった。

 いくら健人でも、精鋭クラスの魔法ともなれば、容易に習得などできない。

 おそらく、彼女自身も魔法の習得に相当苦労したのだろう。

 健人持ち前の魔法習得速度の早さが、フリアの激情に油を注ぐ形になっている。

 

「バカバカ! ケントのバカ!」

 

 ついには会話の体を成さないレベルにまで劣化したフリア。

 耳元でがなり立てられる健人は辟易した様子で、上がってくる信者たちを片づけている。

 そうこうしている内に、敵の数はドンドン減っていく。

 

「だから、そんなこと言っている場合かよ。それよりも、駆け下りて遺跡の中腹へ!」

 

「分かっているわよ!」

 

 敵を倒し切る前に、信者たちの後退が完了しつつある。

 健人達は後退しようとする信者達を追撃する為に、階段を駆け降りる。

 祭壇から降りる階段は遺跡の壁の内側に設けられている為、後退を完了した信者たちの魔法は届かない。

 一方的な状況で、どんどん敵の数を減らしていく健人とフリア。

 しかし、十人ほど倒したところで、ドラウグルが前線に姿を現した。

 

「フリア、もう一度上に!」

 

「ええ!」

 

 健人とフリアは一端階段を上り、再び階段の上で昇って来るドラウグル達を迎撃する。

 ただ、幾人か信者を逃がしてしまったことと、射線を遮る壁がない事で、祭壇近くにいる二人に向かって、下から魔法が撃ち込まれるようになってしまった。

 

「ちっ、信者達を倒し切れなかったのが痛い」

 

「それでも数は少ないし、威力もたかが知れているわ。崖から飛び降りさせられるよりはマシよ!」

 

「……結構根に持つタイプなんだな」

 

「何か言った!」

 

「いや、何にも……」

 

 また愚痴の吹雪に見舞われたらたまらない。

 健人は“沈黙は金”とばかりに口をつぐみ、只管に目の前の戦いに集中する。

 ドラウグル達の数は多いが、デス・オーバーロードのような規格外の強者は存在しなかったため、次々と健人達に討ち取られていく。

 おまけに、下の信者たちもそうそう簡単に当たらないことに気づいてきたのか、撃ち込まれる魔法も散発的に、かつ、少なくなっていった。

 これなら問題なく勝てる。

 そんな予想が健人とフリアの脳裏に浮かんだその時、遠くの空から、嘶きの様な叫びが響いてきた。

 鷹ともフクロウとも違う、低く全身に響くような声に、フリアだけでなく、その場にいたミラーク教団の信者や、死体であるドラウグル達ですら動きを止めていた。

 熱を帯びていたはずの戦場に、一瞬だけぬるま湯のような静寂が停滞する。

 

「ん、なに? この声……」

 

「まさか……」

 

 立て続けに響いてくる声。

 徐々に徐々に近づいてくる嘶きに、停滞の中で戸惑っていたフリアや信者、ドラウグル達の緊張が増す。

 一方、その咆哮にこれ以上ないほど既知感を抱いていた健人は、顔を青くして、声が響く空を見上げている。

 そして、空に厚く浮かぶ雲海を引き裂きながら、咆哮を響かせていた元凶が姿を現した。

 

「やっぱりドラゴンかよ!」

 

 現れたのは、サーロクニルによく似た白いフロストドラゴン。

 純白の翼を広げて雲海を切り裂きながら、一直線に健人たちがいる遺跡めがけて降下してくる。

 

「くそ! そういえばゲルディスさんが、島の北側でドラゴンの目撃情報があるって言ってたっけ!」

 

 降下してきたドラゴンは健人達とドラウグル、そしてミラーク教団信者の直上を通過し、緩やかに旋回を繰り返しながら、サエリングズ・ウォッチを見下ろしている。

 

「あれが、ドラゴン……」

 

 初めて見るドラゴンの姿に、フリアが驚嘆の声を漏らしている。

 ミラーク教団の信者たちも、突然現れた空を飛ぶ超常の生物に、茫然とした様子で空を見上げている。

 

“バハ、フェント。忌まわしき裏切り者の痕跡がまだ残っていたか”

 

 しばらく上空を旋回していたドラゴンが、突然急降下してきた。

 明らかに攻撃行動と見える動作に、健人を含めたその場にいるすべての人間に緊張感が走った。

 

 




健人の無茶ぶりに振り回されるフリア。
崖からの奇襲は、ゲームでも皆さんも一度はやったことがあるのではないでしょうか?
もっとも、霊体化が使えないので、下手をしたら落下死確実。フリアの憤りも当然といえます。
そんな作戦を実行する当たり、健人もいい具合に染まってきたと言えるでしょう。作者の悪ノリともいいますが……。

そして、サエリングズ・ウォッチ名物のドラゴンさんの来襲と、三つ巴の様相を呈してきました。

次のお話は明日投稿予定です。



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第九話 片鱗

“ヨル、トゥ、シューーール”

 

「うわ」

 

「きゃあ!」

 

 ドラゴンの口から吐き出された火炎が、舐めるようにサエリングズ・ウォッチの遺跡を縦断する。

 幸い、健人とフリアは直撃を免れたものの、巻き込まれた信者とドラウグルが、業火に飲まれたままのたうち回り、やがて地面に倒れて動けなくなる。

 

「くそ! あの忌まわしいワームを撃ち落とせ! ドラウグル共はそこの薄汚い侵入者どもを殺せ!」

 

“忌まわしい定命の者ども。裏切り者の残骸と纏めてソブンガルデに送ってやる!”

 

 信者達はドラウグルに健人達を殺すように指示し、その名に従ってドラウグルが再び健人達に襲い掛かる。

 一方のドラゴンは、地上から飛ばされる破壊魔法をヒラヒラと躱しながら、健人も信者達も関係なくブレスを吐きかけてくる。

 

「三つ巴かよ。面倒なことになった……うわ!」

 

 健人が階段を上ってきたドラウグルと斬り結んでいると、ドラゴンのブレスが真正面から二人を纏めて薙ぎ払おうとしてきた。

 健人は慌てて横に飛んでファイアブレスを避ける。

 彼と鍔競り合っていたドラウグルはファイアブレスに飲まれて一瞬で火だるまになった。さすがノルドの乾物、よく燃える。

 だが、燃え尽きた同胞の遺骸を踏み越えて、別のドラウグルが倒れた健人に斬りかかる。

 そのドラウグルを、フリアが横から斬り捨てた。

 

「でも、私たちには都合がいいわ。せいぜい利用させてもらいましょう」

 

「だけど、上空にドラゴンがいる内は俺達に攻撃手段がない。何とか消耗させて地上に引きずり降ろさないといけないから、何か手を考えて打撃を与えないと……」

 

 健人の言う通り、ドラゴンはずっと上空からブレスを吐き続けるだけで、地上にいる人間を焼き殺せる。

 ドラゴンが制空権という絶対優位を手にしている以上、上空に満足な攻撃手段がない健人にはどうしようもない。

 健人達が自分に有効な攻撃手段がないことをドラゴンもわかっているのか、ドラゴンも攻撃対象を魔法を使えるミラーク教団信者達に集中している。

 しかし、ミラーク教団信者達も負けてはいない。

 時間が彼らに冷静さを取り戻させたのか、魔法で障壁を張る役と上空に攻撃する役を分担することで、一応ドラゴンに対して抵抗して見せている。

 

「……チャンスだな。悪いけど、奴らを利用させてもらおう」

 

 健人はすぐさま方針を決めると、今まで階段の上で防衛に徹していた方針を転換、自らドラウグルへ向けて駆け出した。 

 

「ちょっとケント!?」

 

 突然の方針転換に、フリアが驚きの声を漏らす。

 

「時間が惜しい! 上空のドラゴンが焦れる前に、ドラウグル達を殲滅する!」

 

「だから、説明を……ああ、もう!」

 

 実戦では健人に振り回されっぱなしのフリアが、頭を抱えながら後に続く。

 攻勢に出た健人は、手始めに上がってきたドラウグルを蹴飛ばし、階段下に叩き落す。

 蹴飛ばされたドラウグルは、同じように上がろうとしてきたドラウグル達を巻き込みながら、下へと転がり落ちていく。

 続いてフリアが階段下で団子状態になったドラウグル達に躍りかかり、双斧を振り下ろしてなます切りにしていく。

 突然の方針転換にもきちんと対応してくれるフリアに、健人は笑みを浮かべる。

 ミラーク聖堂でも思ったことだが、健人とフリアは想像以上に息が合う。

 互いの呼吸というか、感覚が妙にマッチするのだ。

 

「うおおおりゃあ!」

 

 とはいえ、さすがはノルドの親戚筋であるスコールの女戦士。

 雄叫びを上げながら動けないドラウグルに容赦なく斧を振り下ろす姿は、気の弱い子供が見たら夜叉か物の怪かと思うほどおっかないものである。

 健人はとりあえず、彼女を怒らせることは極力避けようと心に誓いつつ、自分もドラウグルを始末して回る。

 ドラウグル殲滅が終わると、地面には彼らの遺体と、彼らが使っていた両手剣や戦槌、弓などが転がるだけとなった。

 健人は近くに落ちていたドラウグルの両手剣を拾い、サエリングズ・ウォッチの外壁の上から、ゆっくりと上空のドラゴンめがけて魔法を撃ちまくっているミラーク教団信者たちの背後に回り込む。

 

「ちょっと、どうするつもりなのよ……」

 

「今あいつらは互いの姿しか見えてない。信者達は上空のドラゴンに魔法を当てようと必死だし、ドラゴンはプライドが高いから我慢が効かない。その内、直接的な攻撃に切り替えてくるだろう。その脇腹を狙う」

 

 案の定、上空のドラゴンは拮抗したこの状況に苛立ったのか、翼を広げて急降下すると、低空を滑空するように突っ込んできた。

 後ろ足を前に突き出し、突進してくるフロストドラゴン。

 今まで上空からチマチマとブレスを浴びせるだけだったドラゴンのこの行動に、信者たちが一斉に逃げ出す。

 逃げ切れなかった信者はそのまま雪と岩にすり潰され、轢き殺されなかった運のいい信者は、地面に降り立ったドラゴンにかみ砕かれるか、尻尾に弾き飛ばされて崖下へと落とされる。

 一気に阿鼻叫喚の巷に叩き込まれた信者達。

 ドラゴンは溜まった鬱憤を晴らすように、嬉々として信者達を焼き、潰し、かみ殺していく。

 息を殺して隠れていたフリアが、喜悦交じりに人を殺すドラゴンを見て、ギリッ……と奥歯を噛みしめる。

 この光景が、かつてドラゴンによって齎された圧政を物語るような気がしたのだ。

 一方の健人は、じっと無言で機会をうかがっている。

 そして、逃げ遅れた信者が、健人が隠れている外壁のすぐ傍でへたり込み、その信者を見つけたドラゴンが、悠々とした足取りで近づいてくる。

 

「今!」

 

 健人は外壁から空中へと身を乗り出し、ドラゴンの死角となる真上から一気に躍りかかった。

 その手には先ほど拾った、ドラウグルの両手剣が携えられている。

 健人の目標は、ドラゴンの翼の付け根にある関節部分だ。

 膂力に乏しい健人の腕力では、ドラゴンの鱗を突破することは難しい。

 だからこそ、自らの体重と剣の重み、そして重力による加速を最大限に使い、一点突破で堅牢なドラゴンの鎧を打ち砕こうとしているのだ。

 一直線に落ちた健人は、その刃を目標である翼の付け根に、寸分たがわず打ち込んだ。

 天然の鎧である鱗が弾け飛び、刃の切っ先が皮膚に僅かに突き刺さる。

 

“ぐお!”

 

 突然肩に走った痛みに、ドラゴンが苦悶の叫びを上げながら暴れ狂う。

 だが、筋肉まで貫くことはできなかったのか、ドラゴンが飛翔しようと翼をはためかせ始める。

 このまま飛び上がらせてしまえば、ドラゴンの背に乗っている健人は叩き落されることになる。

 

「浅いか! フリア!」

 

「ああもう! 今日は飛び降りさせられてばっかりね!」

 

 だが、ドラゴンの体が宙に浮く前に、外壁から飛び降りたフリアが、中途半端に突き刺さった両手剣の柄尻に、振り上げた双斧を叩き込んだ。

 強烈な衝撃が両手剣に走り、刃が一気にドラゴンの肩関節にめり込む。

 

“ゴアアアアアアアアアアアアアアア!”

 

 先ほどとは比較にならない悲鳴が、サエリングズ・ウォッチに響いた。

 強固な鱗を破られていたため、浅く突き刺さっていた刃は一気に関節近くまで達し、その翼の機能のほとんどを奪い取った。

 あまりの激痛にフロストドラゴンが暴れ、背中に乗った健人とフリアを振り落とす。

 地面に転がりながらも、健人とフリアは素早く立ち上がり、ドラゴンと相対する。

 フロストドラゴンの瞳には、自らを傷付けた矮小な人間に対する憤怒がありありと浮かんでいる。

 

“わが身を傷付けるとは、許さんぞ! 愚かな定命の者よ!”

 

「怒らせたわね。どうするの?」

 

「どの道、戦わないと目的は達せられない。なら、戦うさ」

 

 健人がここに来た目的。己の正体を確かめるためには、このドラゴンは邪魔でしかない。ドラゴンも、目についた人間を見逃す気は最初からない。

 互いに倒すしか、選択肢はないのだ。

 健人の胸の奥で疼く熱が、ドクンと脈打つ。

 拍動が木霊する度に体の芯から湧く潜熱が彼の身体中を巡り、泡立つような興奮が全身を包み込む。

 それはあたかも、孵る直前の卵にも似ていた。

 

“ヨル……トゥ、シューール”

 

 ファイアブレスが健人達に向けて放たれる。

 直線上の雪を一瞬で蒸発させながら突進してくる業火を前に、健人は迷わず前に出て盾を構える。

 

「フリア、後ろに!」

 

 健人の呼びかけに、フリアは素早く健人の陰に隠れる。

 盾を突き出した健人は素早く詠唱をこなし,魔力の盾を生み出して、灼熱の吐息を受け止める。

 魔法防御の付呪を施された盾とマジ力で生み出された障壁はドラゴンのブレスを正面から受け止め、竹を割ったように炎の吐息が横に逸れていく。

 放たれ続けるファイアブレスを受け止めながら、健人は自分の体に違和感を覚えていた。

 

(なんだ? 魔法を使っているのに、体が怠くならない……)

 

 魔力効率の非常に悪い健人は、低位の魔法でも数秒でマジ力が尽きてしまう。

 普段なら魔法を使った時点ですぐさま全身を倦怠感が覆い、寒気と眩暈を感じるのだが、戦闘前に使い慣れないオークフレッシュを使い、そしてここで数秒間障壁を維持しているにもかかわらず、マジ力が枯渇する様子がない。

 確かに、自分の体からマジ力が抜けていく感覚はある。

 このまま魔法を使い続ければ、いずれマジ力が尽きるであろうことは確信できるが、体から魔力が抜けていく速度が、今までと比べても非常に遅くなっている。

 その速度は、以前がチーターなら、今は野を駆け回る小鹿と思えるほど。

 確かに、小手に施された回復向上の付呪によって回復魔法の効率は上がっているが、それを差し引いたとしてもあまりにも効率化が進みすぎている。

 

(これも、自分がドラゴンボーンだと知ったからなのか?)

 

 ドラゴンボーンとは、竜殺しの能力であり、シャウトと呼ばれる真言をすぐさま理解する能力だが、その祝福が健人に予想しえない何らかの影響を与えてことは想像できる。

 もしかしたら、アカトシュの祝福によって、この世界のマジ力に健人の体が馴染むようになったのかもしれない。

 だが、そこまで考えたところで、健人は首を振って湧き上がった思考を隅に追いやった。

 今は戦闘中だ。己が身に起こっている事を考えるのは、生き残った後でいい。

 掲げた盾の陰から獄炎の向こうにいるであろうドラゴンを見据えながら、健人は手に持ったブレイズソードを握りしめる。

 十秒ほどの間、続いたファイアブレスだが、やがて勢いを無くして霧散した。

 

「いくぞ!」

 

「ええ!」

 

 炎の時が途切れた瞬間、健人とフリアは一気にドラゴンめがけて踏み込んだ。

 同時に示し合わせたように左右に分かれ、挟み込む形でドラゴンめがけて斬りかかる。

 健人かフリアか、どちらを迎撃するか一瞬迷ったドラゴンだが、すぐに目標をフリアに定めて首を伸ばし、その顎を開いて彼女をかみ砕こうとする。

 戦士として膂力に優れ、ドラゴンの甲殻を貫ける可能性があるのは、フリアの方だ。

 健人の力では、どう頑張ってもドラゴンの強靭な鱗を貫けないことを見抜いているが故の行動だった。

 

「ぐぅ!」

 

 眼前に迫ってきた巨大な口を前に、フリアは咄嗟に横に飛んで躱した後、目の前の双斧を横殴りに叩きつける。

 顔面に走る衝撃に僅かに顔を仰け反らせたフロストドラゴンだが、仰け反った首を鞭のようにしならせ、薙ぎ払うようにフリアに叩きつけた。

 

「がっ!?」

 

 ボールのように跳ね飛んだフリアが遺跡の外壁に強かに叩きつけられ、苦悶の声を漏らす。

 魔力の鎧を纏っていたために重傷こそ免れている様子だが、叩きつけられた衝撃で全身が痺れているのか、その場から動くことにも四苦八苦している。

 

「フリア! くっ!」

 

 彼女は相当強く壁に叩きつけられた。

 魔力の鎧を纏っているものの、内臓が破裂している可能性もある。

 不味い! と感じた健人が、気を引こうとドラゴンの左側面から一気に躍りかかる。

 

“退いていろ! 邪魔なジョールめ”

 

「ふっ!」

 

 翼をはためかせて近寄ってくる健人を振り払おうとするフロストドラゴン。

 健人はスライディングで地面と皮膜の隙間をすり抜け、ドラゴンの脇腹付近に滑り込む。

 

「確か……ここ!」

 

 スカイリムでサーロタールと相対した時のデルフィンの行動を思い出しながら、健人は前腕の付け根にある鱗の隙間に刃を突き込んだ。

 鱗の隙間に入りこんだ刃を通して、ザクリと肉を割った感触が伝わってくる。

 

“ぬぅ! 貴様!”

 

 腕に走る痛みにドラゴンがわずかに呻くが、すぐに憤怒に染まった瞳で健人を睨みつけると、その鋭い牙を健人に向けてきた。

 

「くそ、俺の力じゃ浅すぎる!」

 

 膂力の乏しい健人の突きでは、やはりドラゴンに十分な痛打を与えるものにはなりえない。

 健人自身わかっていた事だが、こうして事実を突きつけられるとつい悪態をついてしまう。

 自分の力の無さに健人は唇を噛み締めるが、ドラゴンの攻撃を前に、すぐさま反射的に対応する。

 踵に力を入れて体を横に滑らせ、ドラゴンの噛みつきを回避しながら刃を返し、斬り上げを放つ。

 だが、やはり健人の刃はドラゴンの鱗を前に空しく弾かれる。

 狙いを定めていない斬撃は意味がない。

 健人の斬撃に痛痒を感じないドラゴンが、再び怒りに任せて健人に躍りかかる。

 巨大な質量の突進を前に、健人は顔を引きつらせながらも、奥歯を噛み締めて盾を構える。

 だが、双方の間に割って入ってきた影が、ドラゴンの横っ面に巨大な質量を叩きつけた。

 

「お返しよ、トカゲ野郎!」

 

“ゴアッ!”

 

 割って入ってきたのは、先ほどドラゴンに弾き飛ばされたフリア。

そして薙ぎ払われたのは、ドラウグルが持っていた戦槌だった。

 彼女が使い慣れた双斧の代わりに持ってきたのは鋼鉄製の古代ノルドの戦槌だが、その質量は折り紙付きである。

 双斧を巧みに操るフリアの膂力から繰り出された一撃の強烈な衝撃に、ドラゴンの首が仰け反る。

 

「いちち。ちょっと痺れちゃったじゃないよ!」

 

「あれでちょっと痺れた程度で済むのかよ……」

 

 フリアの頑丈さに、さすがの健人も閉口する。

 もし吹き飛ばされたのが健人だったら、回復魔法か薬による治療が必須になるだろう。

 北の民の頑強さに改めて感心している中、再びドラゴンがその牙と爪を二人に振り下ろしてくる。

 噛みつきから右前足を振り下ろし、続いて左前足を薙ぎ払う。

 ドラゴンの攻撃は絶え間ない嵐に変わった。おまけに図体がデカいだけに、範囲も広い。

 健人とフリアは再び左右に分かれて相手の注意を分散することで、この嵐を凌いでいるが、スタミナが違いすぎるためにジリ貧になることは目に見えている。

 そもそも、相手は生態系の頂点に座すドラゴンだ。矮小な人間とは生命力の基準が違う。

 

「く……」

 

 回避を始めてから数十秒後、少しづつ、フリアの動きが鈍り始めた。

 いくらフレッシュ系の魔力の鎧とノルドの鎧で身を固めていても、先ほどドラゴンからくらった一撃はフリアの体の芯に影響を残している。

 さらにここで、フロストドラゴンが一手、布石を打ってきた。

 

”ラーン、ミラ、タースゥ!“

 

 ドラゴンのシャウトがサエリングズ・ウォッチの空に響くと、舞い散る雪をかき分けて複数の影が戦場となっている遺跡の広場に飛び込んできた。

 

「なっ、クマ!?」

 

「それだけじゃない、オオカミまで!」

 

 健人たちとドラゴンの戦闘に割り込んできたのは、大きなユキクマ。地球にシロクマに似た白い体毛を持つ猛獣である。

 おまけにクマの後ろには、四匹の狼が付き従っている。

“動物の忠誠”

 近くにいる獣を従わせるシャウトだ。

 集まってきた獣全てが、フロストドラゴンがシャウトによって集めた手勢である。

 

“獣ども! その人間の女を抑え込め!”

 

「くっ!」

 

 ドラゴンの命に従い、動物達がフリアに躍りかかる。

 一対二でどうにか保っていた均衡が、ユキクマを始めとした獣たちの参戦によって一気に崩れる。

 おまけに、今フリアが持っているのは使い慣れた双斧ではなく、取り回しずらい戦槌。

 ユキクマがフリアの体にのしかかり、オオカミが回り込んでフリアの足に噛みつき、その動きを封じる。

 

「くぅ……ああああ……」

 

 そして、動きの取れなくなったフリア目掛けて、ドラゴンが大きく息を吸い込む。

 ドラゴンの意図を察した健人が慌てて斬りかかるが、健人の斬撃はやはり強固な鱗を突破することができない。

 

「この!」

 

 ならばと、再びドラゴンの下に滑り込み、比較的薄い鱗の隙間にブレイズソードを突き入れ、皮膚を切り裂こうと試みる。

 突き入れた刃から再び、ザクリと皮膚を貫く感触が返ってきた。

 だが健人がこのまま刃を突きいれ、より深く肉を貫こうとしたその時、ドラゴンが突然、体重をかけて健人を押しつぶそうとしてきた。

 

「なっ……!」

 

 健人は慌てて剣の柄から手を放し、ドラゴンの下から飛び出す。

 間一髪、ドラゴンの腹の下から退避した瞬間、ズドンという衝撃が舞い、続いてバキン! という耳障りな音が響いた。

 

「剣が……」

 

 それはドラゴンにのしかかられたブレイズソードが折れてしまった音だった。

 刀身が半ばから折れた刀の柄が、地面に転がる。

 折れた刀身のもう一方は、ドラゴンの鱗の隙間にガッチリと喰い込んでしまっている。

 得物を失い、茫然としている健人を尻目に、ドラゴンはフリア目掛けて灼熱の吐息を吐き出した。

 

“ヨル……トゥ、シューール!”

 

「あああああ!」

 

「フリア!」

 

 自分を拘束している猛獣達もろとも炎に包まれ、フリアが悲鳴を上げた。

 

 




ドラゴン戦開始。
健人の魔法効率ですが、すさまじく上昇したというよりも、今までがあまりに酷過ぎただけで、ようやく普通より少し劣る位になった程度です。
小鹿でも人間より足は速いですからね……。


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第十話 竜の覚醒

 得物を失い、茫然としていた健人は、フリアの悲鳴に我に返り、慌てて彼女の傍に駆け寄った。

 彼女の体に纏わりつく炎に雪をかけて消そうと試みる。

 

「フリア、しっかりしろ!」

 

 幸い、炎はすぐに消えた。鎧を纏っていたおかげで、直接燃える面積が少なかったこと、集まっていた動物達が、結果的に盾の役目を果たした事が幸いした。

 しかし、それでもフリアの怪我は深刻だった。

 特に顔を始めとした露出していた部分の火傷が酷い。

 健人はすぐさま手持ちのポーションをフリアに掛けた上で、自分も回復向上のポーションを嚥下し、回復魔法を唱えてフリアの火傷を癒す。

 ポーションの効能と付呪による能力の底上げによって効果を増した回復魔法が、瞬く間にフリアの火傷を消していく。

 向上した魔力効率のおかげで、普段は数秒で息切れする回復魔法も、彼女の体が癒えるまで使うことができていた。

 しかし、火傷を負った時の痛みのせいか、フリアは気を失っており、意識を取り戻す様子はない。

 

「息は、してくれている。よかった……」

 

 健人がフリアの顔に手を当てると、かすかな息が手に当たった。

 どうやら、意識は無くとも呼吸はしっかりしているらしい。

 健人はとりあえず、フリアが確かに息をしていることを確かめて安堵の吐息を漏らした。

 

“別れは済んだか? 定命の者よ。安心しろ、お前を殺した後に、その女もソブンガルデに送っておいてやる”

 

 健人が振り返ると、口元を愉快そうに歪ませたドラゴンが、悠々と健人たちを見下ろしていた。

 

「なんで、今俺を殺さなかった」

 

 健人がフリアを助けるまで、軽く数十秒から一分近くの時間を要している。

 背中を向けて無防備な健人など、いったい何十回殺せるかわからないほどの大きな隙だ。

 にもかかわらず、このドラゴンは健人を殺そうとしなかった。

 健人の問いかけに、ドラゴンは厭味ったらしい口調で答える。

 

“何、矮小な定命の者が必死に同族を助けようとするのが滑稽でな。少し眺めてみたくなったのだ”

 

 本竜曰く、喜劇を見ている気分だったらしい。

 生態系の頂点であるドラゴンから見れば、健人達の反抗など、子犬が噛みついてきた程度の認識でしかない。

 そして、自分達に逆らった愚かな子犬を叩きのめし、這いつくばる様を、このドラゴンはゆっくり眺めようとしているのだ。

 ドラゴンらしい傲慢さと、嗜虐心にあふれたセリフに、健人の怒りが募る。

 そんな健人の怒りを助長するように、ドラゴンは健人の傍で横たわるフリアを一瞥すると、鼻息を漏らした。

 

“どうせすぐに死ぬのだから、放っておけばいいものを、態々助けようとするとはな。これが喜劇でなくて何だというのだ”

 

「っ! この!」

 

 あまりに傲慢なドラゴンの言葉に、健人の堪忍袋の緒が切れた。

 予備として腰に差していた黒檀の片手剣を引き抜き、踵に力を入れてドラゴンめがけて踏み込んだ。

 全身から怒気をまき散らしながら斬りかかってくる健人を、ドラゴンはただ活きのいい玩具を見るような目で見下ろしている。

 ドラゴンの顔面目掛けて、黒檀の片手剣を振るう。

 しかし、やはり力が足りず、健人の斬撃は強固なドラゴンの鱗を前に弾かれる。

 

「くっ!」

 

 弾かれ悔しそうに顔をゆがめた健人を、フロストドラゴンの牙が襲う。

 咄嗟に噛みつきを交わした健人の傍でドラゴンの口蓋が閉じられ、ガチン!と音が鳴る。

 躱す刹那、健人の目に愉悦に歪んだドラゴンの目が映った。

 

「くっ! あああああ!」

 

 負けてたまるか。こんな命を命と思わないやつに、負けてたまるか!

 ドラゴンと一対一という絶望的な状況に折れそうになる心を必死に叱咤しながら、健人は懸命に剣を振るうが、やはりドラゴンの鱗を突破する事が出来ないでいた。

 

(この戦い方じゃダメだ。デルフィンさんの剣は対人用の剣。ドラゴン用じゃない。そもそも俺の力じゃドラゴンの鱗は突破できない)

 

 健人がデルフィンから学んだブレイズ流の刀術は、対人戦を主眼に置いている。

 これは、ドラゴンボーンをドラゴン以外の脅威から守るために作られている事もあるが、何より、訓練の相手が人間であるデルフィンのみだった事に起因している。

 しかし、健人はそれでも、ドラゴンに対応できないとは思わなかった。

 剣術とは元を辿れば、いかに自分に対する危険を減らし、いかに効率よく相手を切り殺すかを追求した術理であり、道具である。

 そして道具であるなら、応用が利かないはずがない。

 そもそも、無いならば新しい術理を作り出すか、既存の術理を組み合わせるかして対応すればいい。

 実際、デルフィンは己の剣術の術理を組み合わせてサーロクニルの翼を奪っているし、健人も形だけは真似できた。

 ならば出来ないはずはない。

 ドラゴンの猛攻を何とか躱しながら、健人は隙を窺う。

 そして、その機会は訪れた。

 自由に動くドラゴンの右前足の薙ぎ払いに合わせて、一気に懐に滑り込む。

 懐に飛び込んできた健人めがけて、今度は器用に首を曲げて噛みつこうとしてくる。

 迫りくるドラゴンの牙を前に、健人は踏み込んだ左足に力を入れ、体幹を捻って即座に反対方向に身体を滑らせる。

 相手の右の死角から、左の死角へ。ドラゴンから見れば、瞬間的に左右に視界を振られた形だ。

 ドラゴンの首が体スレスレを舐めていく様を横目で確かめながら、健人は黒檀の片手剣をくるりと回して逆手に構えると、ドラゴンの左目に向かって突きを放った。

 狙いは、鱗に覆われていない、露出した柔らかい眼球。

 健人の突きは正確にドラゴンの瞳めがけて疾走し……。

 

「なっ!?」

 

 健人の姿を確かめもしないまま、器用に首を持ち上げたドラゴンに避けられた。

 

“バカめ、目を狙うなど、考え付かないわけがなかろう。狙いが正直すぎるわ!”

 

 健人の突きを避けたドラゴンが、再び健人に牙を剥く。

 渾身の突きを躱された健人は咄嗟に体を捻り、左手の盾を突き出すが、ドラゴンは盾ごと健人の左腕を噛み潰した。

 

「が、ああああああ!」

 

 グシャリと肉がつぶれる音と共に、耐えきれないほどの激痛が健人を襲う。

 健人の左腕を咥えたドラゴンは、そのまま健人の体を振り回すと勢いをつけて、彼の体を宙に放り投げた。

 

「がっ!」

 

 雪の積もった地面に叩きつけられ、呻き声をあげる。

 ドラゴンに噛みつかれた健人の左腕はグシャグシャだった。

 肉は鋭い牙で引き裂かれ、折れた骨が露出している。

 外見的な傷の深さに比べて、痛みはあまりない。

 単純にあまりに深い傷の為に、脳内麻薬が出て痛みを感じづらくなっているだけだっだ。

 心臓の拍動にわせてゴプ、ゴプと溢れ出る血が、傷の深刻さを物語っている。

 健人は唇を噛みしめながら、震える左手で折れた骨を戻し、なけなしのマジ力をひねり出して回復魔法をかける。

 折れていた骨が繋がり、傷が塞がる。

 だが、そこまでが限界だった。

 魔法効率が多少改善したとしても、この激戦での魔法の連続使用によって、健人のマジ力は完全に枯渇した。

 戦いによる疲労と出血によって増していた倦怠感が、マジ力の枯渇によって、一気に消耗しきった健人の体にのしかかる。

 何とか回復の為のポーションを取り出そうとするが、ポーチに伸ばした手はむなしく空を切り、パサリと雪の上に落ちた。

 健人の身体にはもはや、ポーションを飲む活力すら残されていなかった。

 

“終わりだ、定命の者。他者に縋らなければ戦えないとは、やはり定命の者たちは弱いな”

 

 健人の限界を悟ったフロストドラゴンが、悠々と近づいてくる。

 その声色にはもはや健人を警戒する色は全くない。

 既に限界を迎えた彼に、注意を払う必要などないのだ。

 

“それでも、我の退屈と鬱憤を少しは癒すことはできた。よくやった……と言いたいが、貴様程度に我が翼を傷つけられたことは我慢ならん。襤褸切れのように食いちぎって殺してやる”

 

 愉悦と憤りに染まった瞳で、ドラゴンは己の口蓋を開いた。

 名剣を思わせる牙の剣山が、ぼやける健人の視界いっぱいに広がる。

 このまま、このドラゴンに噛み砕かれて、肉塊に変わる。

 また何も出来ず、無力でちっぽけで、何も守れないままここで死ぬ。

 そんな未来を確信しながら、健人は結局何も出来ない己の無力さに唇を噛みしめる。

 破れた唇から流れた鉄錆の味が舌の上に広がり、彼の瞳から一筋の涙が零れた。

 

(力が、欲しい……!)

 

 無力な自分を変える力が。もう一度立ち上がる力が欲しい!

 一度折れたからこそ、力への渇望は以前よりもより大きく燃え上がる。

 そんな健人の叫びに呼応するように、心の臓がドクン! と一際大きく拍動した。

 その瞬間、死を前にしたちっぽけな小人の心の叫びは、彼の奥で胎動していた熱を覆う最後の殻をぶち破った。

 

“ム…………”

 

 声が聞こえる。

 胸の奥、拍動する熱のさらに奥深くから、“力の言葉”が聞こえてくる。

 それは、健人の無力感が引き出した言葉。

 彼は胸の奥から響いてきた言葉を、無力感で“震える心”で受け止める。

 言葉を受け止めた健人の心はその震えを増し、“言葉”から更なる熱を呼び込みながら、その言葉の真の“意味”を彼の内側に響かせる。

 

「ム……」

 

 健人の唇が、聞こえてくる言葉を紡ごうと動く。

 それは、限界まで震えている心を解き放つ最後の行程。

 己の心を世界に示し、具現するために壊さなければならない最後の堰だ。

 健人は口の中に溜まった血を吐き出し、痺れる喉に鞭を打ちながら身を起こし、その声を響かせんと天を仰ぐ。

 

「っ、ムゥル(力を)!」

 

 その言葉を叫んだ瞬間、健人の全身を覆う倦怠感が斬り裂かれ、一気に晴れた。

 胸の奥で留まっていた熱を堰き止めていた最後の枷が外れ、爆発的な熱が全身を瞬く間に廻り、無尽蔵とも思える活力が湧きだす。

 続いて、濁流の様な光が全身から溢れ出し、健人の全身を包み込むと、やがて光は両腕に収束し、虹色に輝く光の小手を形成した。

 彼が叫んだ言葉は“ムゥル”。

"ドラゴンアスペクト"

 内在する力、内なる力を表すスゥーム。ミラークが見せたシャウトを構成する言葉の一つ。

 もう一度無力な自分を変えたいと、魂を震わせた健人が引き出した、力の言葉だ。

 

“な、なんだと!”

 

 突然発現したスゥームに、ドラゴンが当惑の声を洩らす。

 健人は全身を巡る活力に任せて跳ね跳ぶと、思わず後ずさったドラゴンの顎めがけて、その拳を叩きこんだ。

 

「ああああああ!」

 

“ゴアアア!!”

 

 ズドン! と、まるでトラックが衝突したような激突音とともに、ドラゴンの首が跳ね上がる。

 衝撃でドラゴンの堅牢な鱗が砕けて宙を舞い、名剣を思わせる牙が何本かへし折れて雪に落ちる。

 

“こ、この!”

 

 あまりの衝撃で一瞬意識を失いかけたドラゴン。直ぐに首を振って意識を取り戻そうとするが、健人がその隙を見逃すはずもなく、すかさずその側頭部を蹴り抜いた。

 

“ごっ!?”

 

 再び強烈な激突音が響き、横に蹴り飛ばされたドラゴンの頭が雪の地面に擦れて大きな溝をつくる。

 縦に横にと頭を振られたフロストドラゴンは、フラフラと足元もおぼつかない様子だった。

 完全に効いている。

 ドラゴンが意識を立て直す前に、健人は再びドラゴンの懐に踏み込むと、その鱗に挟まっていたブレイズソードの刀身を左手で引っ掴み、そのまま一気に押し切った。

 先ほどまで岩を思わせる硬さを誇っていたドラゴンの鱗が、まるで熱したバターのように容易く切り裂かれる。

 さらに健人は、続けざまに右手の黒檀の片手剣を今しがた開いた傷跡めがけて振り抜いた。

 刻まれた傷が一気に広がり、肉が裂け、噴水のように血が噴き出す。

 

“ゴガアアアアアア!”

 

 深く肉を切り裂かれたドラゴンは激痛に耐えかねたように、悲鳴を上げ、その巨体を仰け反らせる。

 さらに健人は、折れたブレイズソードを短刀のように構えると、仰け反ったドラゴンの胴体めがけて連撃を打ち込んだ。

 左の折れたブレイズソードが鱗を紙のように斬り飛ばし、右の黒檀の剣が肉ごと肋骨を切り裂く。

 右の剣と左の剣が一つの生物のように連なりながら、ドラゴンの巨体を削り取る。

 その速度は、ミラーク聖堂で相対したデス・オーバーロードが、“激しき力”を使って繰り出してきた双撃に匹敵していた。

 瞬く間に鮮血が舞い、まるで濃霧のような血雨を生み出す。

 健人は双剣術を扱ったことはないが、敵からその怒涛の連撃に苦しめられたことは何度もあった。

 モヴァルス、デス・オーバーロード。

 その難敵達の剣の軌跡は、健人の脳裏と体にはっきりと刻み込まれている。

 そしてデルフィンが健人に施した訓練は、反射的に、思い通りに体を動かせるようになる訓練。

 デルフィンの特訓や強敵たちとの戦闘で身に着けた反射レベルの戦闘行動と技術が、激増した身体能力と合わさり、嵐のような怒涛の連撃を可能にしていた。

 

”がぁ、っ! ウルド!“

 

 あまりにも強烈な連撃を前に、ドラゴンは“旋風の疾走”を一節だけ唱え、高速で健人から距離を取った。

 ぶつける対象を失った剣が空を切り、慣性で健人の体が揺れる。

 

“ハア、ハア……。なんだ、何なのだ、一体!”

 

 距離を取ったドラゴンは己の胸と左翼に走る痛みも忘れ、突然激変した目の前の人間に目を奪われていた。

 幽鬼のように身体をふらつかせながらも、ドラゴンから見ても信じられないほどの威圧感を醸し出している定命の者。

 体力吸収の付呪が込められた剣の剣身に付着したドラゴンの血が、湯気のように立ち昇り、健人の体から洩れる虹色の燐光と混ざりながら、彼の体へと消えていく。

 血の気を失いかけていた健人の体に、瞬く間に生気が戻り始める。

 光を取り戻した健人の瞳が、委縮するドラゴンの姿を映している。

 

“あの光は、ドラゴンソウルそのもの……まさかお前は、ドヴァーキンなのか!?”

 

 衝撃で揺れるドラゴンの瞳が、先程までは唯の獲物だった健人を捉える。

 光輝く小手。それ紛れもなく、ドラゴンソウルと同じ輝き。

 剥き出しの竜の魂が放つ光そのものだ。

 だが、時を司る竜神の子には、その竜魂の光に紛れて見える、異質な“魂”が垣間見えていた。

 まるで理解できない、深淵を思わせる異質な存在。

 目の前の人間がドラゴンボーンであることは理解した。

 しかし、その燐光に紛れる理解できない異質な存在が、彼に今までにないほどの恐怖感を覚えさせている。

 

“いや、違う。お前は、お前は……一体なんだ!?”

 

 健人の視線が、殺気を伴ってドラゴンに向けられる。

 理解できない異質な存在から向けられた敵意が、このフロストドラゴンの焦燥感をこれ以上ないほど煽る。

 

“ヨル、トゥ……”

 

 命の危険を感じたドラゴンが、今度こそ健人を排除しようと、全力のファイアブレスを唱え始める。

 向けられる害意を前にして、健人の脳裏にドラゴンアスペクトとは違う声が響く。

 その声に導かれるまま、健人はドラゴンが炎の吐息を放つ前に、己の内から引き出した“声”を叫んでいた

 

「ウルド!」

 

“旋風の疾走”

 瞬間、健人の体が風のように疾走した。

 ドラゴンがファイアブレスを吐き出すよりも早く、健人が距離を詰める。

 先ほどドラゴンが自身で体現したような、瞬発力重視の単音節による踏み込み。

 目覚めたばかりの健人のドラゴンソウルは、ドラゴンアスペクトによって、かつて聞いたことのあるシャウトの意味を己に埋め込まれた"血"から即座に引き出し、使えるほどにまで隆起していた。

 ドラゴンの瞳が、再び驚愕と共に見開かれる。

 そして、煌めく剣閃が走った。

 

“なっ!? があああ!”

 

 健人の剣戟が、ドラゴンの右翼を付け根から両断した。

 関節に滑り込むように正確に放たれた斬撃は堅牢な鱗を易々と切り裂き、柔軟な筋肉を関節の軟骨もろとも断ちきっていた。

 ドラゴンの右肩の傷口から、膨大な量の血が溢れだす。

 溢れだした血を黒檀の片手剣に啜らせながら、健人は左のブレイズソードの切っ先を返した。

 さらなる一撃を加えるつもりなのだ。

 

“ぐうう……があああああああああ!”

 

 だが、健人が剣を切り返すよりも先に、ドラゴンがその巨体で健人を押しつぶしにかかった。

 片翼を切り飛ばされながらも、戦意を失わないのは、さすが悠久の時の中で闘争に明け暮れているドラゴンと言える。

 しかし、健人もまた覚醒した竜の血脈である。

 即座に重傷を負ったドラゴンの捨て身とも思える行動に柔軟に対応していた。

 体を横に滑らせてドラゴンの側面に逃れながら、右の黒檀の片手剣を一閃。

 硬質な鱗ごとドラゴンの右目を斬り裂いてその光を奪いながら、素早く左の折れたブレイズソードを逆手に持ち替え、すり抜けざまに空いた眼孔に叩き込む。

 突き込まれた刀身が眼球だけでなく、ドラゴンの視神経を完全に破壊する。

 しかし、右目を奪われながらもドラゴンは止まらない。

 勝つために、自分が殺されるより早く、相手の命を奪う。

 単純明快な真理を実行すべく、極限の闘争の中で最適な行動を取っていた。

 しなやかな尾を振り、その反動で素早く体を向き直して、その顎に健人を捉える。

 

「っ……!」

 

 頭から飲み込むように覆いかぶさってくるドラゴンの牙が、健人の視界一杯に広がっていた。

 

“死ねぇえええ、ジョールゥ!”

 

 ズドン! と体当たりの要領で健人に食らいついたフロストドラゴンが、その咢を閉じる。

 無数の剣山を思わせる牙に、健人の体は今度こそズタズタになる……そのはずだった。

 

“なっ……”

 

 閉じられるはずのドラゴンの顎は、中途半端な状態で止められていた。

 否、ミシミシと骨が軋むような音を立てながらも、少しずつ少しずつその顎が開かれていく。

 

「ぐ、ぎぎぎぎ……」

 

 閉じられるはずのドラゴンの顎を、健人は上顎を両手で、下あごには左足を差し込んで押し止めている。

 ドラゴンアスペクトによって激増した身体能力は、ドラゴンの突進を受け止め、その咬筋力を上回るまでに強化されていた。

 押し止められたドラゴンの力が、刹那の驚愕で緩んだ瞬間に、健人は手に携えていた黒檀の片手剣を薙ぎ、ドラゴンの口輪筋と咬筋を舌もろとも斬り飛ばした。

 口を閉じる筋肉が斬られたことで、ドラゴンの力がさらに緩む。

 健人は素早く、ドラゴンの上顎の裏めがけて黒檀の片手剣を突き刺し、トドメとばかりにその剣柄を右膝で蹴りあげた。

 

“ごっ……!”

 

 上顎の裏から突き立てられた剣は一瞬でドラゴンの骨を貫き、脳に到達。

 貫いた刃と衝撃がやわらかい脳髄を滅茶苦茶に破壊し、その機能を完全に停止させた。

 頭脳を壊され、力を失ったドラゴンの体が健人の体の上に崩れ落ちる。健人はドラゴンの体に圧し掛かられる形で、地面に倒れる。

 続けて、ドラゴンの体が燃え上がり、光の濁流となって健人の体に流れ込む。

 

「グッ、が……」

 

 ドラゴンの魂が健人の体に流れ込んでいくにしたがって、健人の脳裏に無数の言葉の羅列が浮かび上がる。

 そして、自分の胸の奥に、自分ではない別の何か、このドラゴンの魂が紛れ込んでくる感覚に、健人は思わず呻き声を上げた。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 光の奔流が収まると同時に、健人の腕を纏っていた光鱗が、霞のように霧散した。ドラゴンアスペクトの効果が切れたのだ。

 健人の全身に、再び強烈な脱力感が戻ってくる。

 骨だけになったドラゴンの死体から何とか出ようとするが、激戦とドラゴンアスペクトの反動によって疲弊した健人の体はピクリとも動かなかった。

 全身が鉛になったような疲労感の中で、意識を失いそうになる健人だが、その時、広場の片隅で蹲っていたフリアが目を覚ました。

 

「う、ケント?」

 

「フリ、ア、大丈夫……か?」

 

 気が付いたものの、意識は未だに朦朧としているのか、フリアは手を額に当てて俯いている。

 健人は何とか声で無事を伝えようとするが、口から出た声は笹の音のように擦れていた。

 

「え、ええ。ごめんなさい、意識を失っていたわ。ドラゴンは……」

 

 首を振って意識を持ち直したフリアの眼が、骨だけとなったドラゴンの遺骸を捕えた。

 彼女の瞳が、驚愕で見開かれる。

 

「すごい、まさか、本当に倒せるなんて……やっぱり、あなたは、ドラゴンボーンなのね」

 

「ああ、そうみたいだ……ところで、これ、除けてくれないか?」

 

「え、ええ……ちょっと待って」

 

 ドラゴンの死体の下敷きになっている健人を助けようと、フリアはドラゴンの頭蓋骨の下に手を入れて持ち上げ、体重をかけて頭蓋骨を健人の上からズラして除ける。

 

「ありがとう……うっ」

 

 圧し掛かっていた障害物がなくなったことで、健人は立ち上がろうとするが、やはり戦闘における疲労は深刻だった。

ドラゴンアスペクトの反動もまた、健人の体に深い疲労の爪痕を残している。

 極限の疲労状態で無理に立ち上がろうとした結果、健人の体はふらついて、再び地面に倒れこみそうになる。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 倒れそうになった健人の体を、フリアが慌てて支える。

 

「ごめん、体に力が入らない……」

 

「いいわ。しばらくこうしていましょう。健人の体はまだ動けないみたいだし」

 

「いや、この遺跡にあるっていう、ミラークの痕跡を探そう。おそらく、近くにあると思う」

 

 確信を含ませた健人の言葉に、フリアが驚きの表情を浮かべる。

 

「わかるの?」

 

「ああ、このドラゴンの魂を取り込んだためなのか、ドラゴンボーンだって自覚したからなのかはわからないけど、声が聞こえるんだ」

 

 あのフロストドラゴンを屠して魂を吸収した時から、健人の耳にはこの遺跡に響きわたる声が聞こえてきていた。

 声の内容はまだはっきりとは聞き取れないが、そう遠くない距離に声の発生源があるように思えた。

 

「声?」

 

「ああ……」

 

 そう言って、健人はサエリングズ・ウォッチの最上部。健人とフリアが最初に奇襲を仕掛けた祭壇を指さした。

 フリアは肩を組んで健人の体を支えながら、示された場所に健人を連れてくる。

 奇襲を仕掛けた時には気にする余裕はなかったが、この祭壇にもまた、ドラゴンの文字が刻まれた壁が存在していた。

 健人の眼には、その壁に刻まれた文字の一つが、脈動するような光を放ちながら、風を生み出しているように見えた。

 同時に、健人の脳裏に響いていた声が、その意味と共にはっきりと刻まれていく。

 

「ゴル……」

 

「それが、ミラークの力?」

 

「ああ、意味は“大地”。相手の意思を挫き、従わせる服従のシャウトだ」

 

「……使えるの」

 

「ああ、使い方も分かる。やっぱり、ドラゴンボーンなんだな、俺は……」

 

 改めて自分の正体を知り、健人は何とも言えない様子で天を仰いだ。

 自身がドラゴンボーンであったことへの歓喜はない。

 胸に去来するのは、この力があの時、あの洞窟の中であったら、自分はヌエヴギルドラールを殺そうとするリータを止められたのではないかという思い。

 はっきり言って意味のない想像だ。

 既に健人の友だったドラゴンは、彼の家族の手で殺されてしまっている。

 健人自身、この想像が自分の胸に巣食う後悔と無力感からきていることも理解している。

 

(だけど、今は……)

 

 僅かに残る後悔と無力感、そして、一つの命を奪ったという苦々しい感情を飲み込みながらも、健人はこれからやるべきことを見据える。

 

「フリア、風の岩に行こう。ストルンさんの言う通りなら、この声で村人を解放できるはずだ」

 

 ストルンは、この声の力をソルスセイム島の力の集約点である岩に使えと言った。

 ミラークの力の一端を手に入れた今、次は“風の岩”に向かわなければならない。

 

「分かったわ。でもケント、その前に少し休みましょう」

 

「だが……」

 

「村人の事を心配してくれるのはありがたいわ。でも、ダメ。今のケントの体には休息が必要よ。何か暖かいものを作るから、少し待っていて」

 

 先を急く健人を諌めたフリアは、健人の体をドラゴン語の壁にもたれさせると、傍で火を焚き始めた。

 鉄のコップを火にかけ、雪を杯に入れて溶かすと、懐から取り出した葉を入れて煮立たせる。

 数分の間煮立たせた杯を火から外すと、煮立たせていた葉を取り出して健人に杯を差し出す。

 

「これは……」

 

「杉の葉で煮出したお茶よ。栄養は取れないけど、体は温まるわ」

 

 杯を受け取った両手から、器の熱がじんわりと伝わってくる。

 そっと杯に口をつけて中身をすすると、豊潤な香りと共に、暖かい液体がするりと臓腑に落ちた。

 味も香りもまさしくお茶そのもので、じんわりと染み渡る熱と香りが、健人の体に蓄積した疲労を優しく溶かしてくれる。

 

「フリア……」

 

「何?」

 

「ありがとう……」

 

 健人は満願の笑みを浮かべながら、フリアに礼を言う。

 

「いいのよ。怖い思いさせられたけど、助けられているわ」

 

 肩を竦めながらも、健人の笑みに釣られるように、フリアもまた笑顔を浮かべた。

 

「でも、二度とこんな無茶な作戦はダメよ。もしやったら、ロープ無しで崖から突き落とすから」

 

「……善処するよ」

 

 断崖絶壁からのノーロープバンジーなんて、健人としても絶対にゴメンである。

 あれは必要だったから実行したのであって、出来る限りの安全策も考慮したのだと、彼は内心で言い訳していた。

 しかし、笑顔の裏にこれ以上ないほど凄みを漂わせるフリアに、健人はもう一度同じ作戦をしたら、間違いなく言葉通りに突き落とされる未来を思い浮かべてもいた。

 有無を言わせぬフリアの笑顔に、健人は満願の笑みを恐怖で引きつらせながら、残りのお茶をすする。

 まだ先は長く、道は険しいだろう。

 だが今は、この柔らかく暖かいお茶を、健人はゆっくりと味わいたかった。

 

 

 

 

 




必殺のフィニッシュムーブ返し。何度エンシェントドラゴンや伝説のドラゴンにあのパックンチョされる攻撃を食らったことか……。
そして健人、ドラゴンボーンとして覚醒しました。
彼が最初に身に付けたシャウトは、ドラゴンアスペクト。
スカイリムの中でも人気のシャウトで、DLCと絡ませるならこれしかないだろうと思っていました。

ストックがこの時点で尽きました。
同時に、この章も二分割が必要なのではと思う今日この頃……。



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第十一話 風の岩の開放と独白

 サエリングズ・ウォッチで一時の休息を取った健人とフリアは、その足で風の岩へと向かった。

 風の岩はスコール村の西、雪と岩に囲まれた、なだらかな丘陵に存在している。

 健人たちが風の岩に到着すると、そこにはレイブン・ロックで大地の岩周辺で建てられていた祠と同じものが造られている最中だった。

 

「ここは彼の祠……」

 

「すべては失われてしまったが……」

 

 特徴的なスコールの防寒具を着込んだ村人たちが、祠の周囲で一心不乱に槌を振り下ろし、ミラーク復活の要を造り続けている

 その光景は、レイブン・ロックで見た光景と同じもの。

 家族同然の仲間たちが操られている姿を見つめながら、フリアは辛そうな表情を浮かべる。

 健人にはその瞳が、うっすらと潤んでいるようにも見えた。

 

「みんな……。健人、お願い」

 

「ああ」

 

 フリアの願いを受けて、健人は祠と向き合う。

 大きく深呼吸をして、己の内にある魂に語り掛ける。

 取り込んだドラゴンソウルは、今でも健人の胸の奥で胎動している。

 必要な言葉はサエリングズ・ウォッチで手に入れた。学んだ言葉の意味も理解した。

 ならば、出来るだろうという確信が健人にはあった。

 健人は、胎動するドラゴンソウルの更なる内側に意識を向け、学んだスゥームを引き出そうと試みる。

 

“従え、服従しろ……”

 

「っ!?」

 

 次の瞬間、健人は強烈な“従わせたい”という、強迫概念にも似た欲求が胸の奥から湧き上がるのを感じた。

 スゥームを使うということは同時に、そのスゥームに宿る概念を己の内に取り込むということ。

 健人が感じたのは、服従のシャウトを作り上げたミラークの情念。

 強力な“服従”の概念を持つ言葉は、圧倒的な全能感と麻薬のような陶酔感をもって、健人を飲み込もうとしてくる。

 ギリッと、奥歯をかみしめながら、健人は逆に、自ら湧き立つ強迫概念を飲み込む。

 彼の内で胎動するドラゴンソウルが教えていた。

 拒絶してはいけない。概念も含めた言葉の意味を全て飲み込まなければ、声を発したとしても意味はないと。

 

(大事なのは、何を従えようとするか……)

 

 健人が従え、打ち消したいのは、この岩を汚す力そのもの。決して、この場にいる囚われた人達ではない。

 成すべき事は、無理やり意思を奪い取り、無実の人達を奴隷とするこの鎖を断ち切ることだと心を震わせ、強い意志で“服従のシャウト”を逆に従わせる。

 そして、震える心が示すままに、言葉によって導かれる未来を脳裏に描き、声という形をもって外界に解き放った。

 

「ゴル!」

 

 健人がシャウトを放つ。

 世界が震え、放たれた光が風の岩に吸い込まれていく。

 健人が放った服従のシャウトは、岩を汚染していたミラークの服従のシャウトを包み込む。

 続いて、地鳴りのような音が響き、風の岩を囲んでいた祠の表面に無数のひびが入ったかと思うと、突然爆発した。

 

「うわ!」

 

「なに!?」

 

 突然の爆発に、思わず驚きの声を上げる健人とフリア。

 衝撃で四散した建材は、瞬く間に霧となってい消えていく。

 続けて、ミラークのシャウトで操られていた人達が、糸の切れた人形のように、その動きを止めた。

 そして、ロボットのような生気のない瞳に意志の光が宿り、当惑した表情で辺りを見回し始める。

 

「あ、あれ? 私達は一体……」

 

「みんな、よかった!」

 

 自意識を取り戻した村人達。

 フリアは感極まった表情で駆け寄ると、一人一人の頬に手を当てて、覗きこむように様子を確かめて回る。

 興奮しているのか、その手つきは少し荒々しかった。

 操られていた人達は自分たちの置かれた状況に当惑してはいるものの、皆一様に怪我などをしている様子も、体調を崩しているようにも見えない。

 一人の村の仲間の無事を確認する度に、フリアの顔に安堵の笑みが浮かび、感極まった様子で村人達を抱きしめている。

 そんな彼女の様子を眺めながら、健人は言いようのない達成感を感じていた。

 

「バルドール、大丈夫?」

 

 村人達の様子を確かめて回っていたフリアが最後に声をかけたのは、立派な髭を蓄えた壮年の男性。

 バルドールと呼ばれた男性はフリアの問いかけに頷くと、彼女の後ろに控えている健人に視線を向けた。

 

「ああ、大丈夫だが……。フリア、一体何が起こっているんだ? それに、その男は誰だ?」

 

「彼は私の友人で、協力してくれる仲間よ。詳しいことは父のストルンが話すけど、貴方たちは操られていたの。古代のドラゴンボーン、ミラークによって」

 

「ミラーク? 名前は聞いたことはあるが、本当なのか?」

 

 バルドールの言葉に頷くと、フリアはこれまでの状況を操られていた村人たちに説明し始めた。

 古代のドラゴンボーン、ミラークが、復活の為にソルスセイムの岩をその声の力で穢し、人々を操っている事。その裏にいるであろう、知恵の悪魔、ハルマモラの事。

 事情を聞かされたバルドールを初めとした村人たちは、皆一様に深刻な表情を浮かべている。

 

「そうか、俺達に何が起こっていたのかはっきりしたよ。

 どうも最近おかしいと思っていたんだ。眠っている間、誰かの声が聞こえているような気がしていた。

 朝起きたら体が異常に疲れていることもあったし……そういう事だったんだな」

 

 得心が行ったというように、バルドールは額に手を当てて天を仰ぐ。

 彼自身、操られていた間の記憶はないが、祠で作業をした際の疲労など、体に違和感はあったらしい。

 自分達の身に起こっていた出来事を聞かされたバルドールたちだが、チラリとフリアの後ろにいる健人に視線を向けると、皆頷いて、ゾロゾロと健人の周りに集まり始めた。

 

「え、ええっと、何ですか?」

 

 突然周りを囲まれたことで、健人は驚きと戸惑いの表情を浮かべる。

 周りを囲んでいたスコールの民達の中から、バルドールが健人の前に一歩踏み出すと、その厳つい表情に更なる真剣味を漂わせながら、口を開いた。

 

「ありがとう、異邦の旅人よ。君のおかげで、私達は悪魔の呪縛から逃れることが出来た。本当に、ありがとう……」

 

「……え?」

 

 バルドールの口から出た言葉は、健人に対する感謝の言葉。

 嘘や偽りどころか、回りくどい遠回りな言い回しなど一切入らない、直球のお礼である。

 健人の人生で、これほどまでに真っ直ぐな礼を言われたことなど、ほとんどない。

 厳しい雪原で生きる民として、常に死を身近に感じ取ってきたからこそ言える、本当の意味での“感謝の言葉”だった。

 

「い、いえ。その……」

 

 一方、礼を言われた健人は、自分の周りを囲むスコールの民たちから向けられるお礼の言葉に、しどろもどろと言った様子を見せている。

 モーサルでの吸血鬼騒動を収めた時もそうだが、やはり彼自身、このような状況には慣れないらしい。

 しかし、彼が浮かべている戸惑いの表情の中には、どこか喜びを覗わせる色があった。

 人情味の薄い日本の現代生活に慣れているからこそ、健人には彼らのストレートな言葉は不慣れであり、同時に何よりも心の芯に響くのだ。

 

「俺はスコールの鍛冶師のバルドール・アイアンシェイパーだ。何か力になれることはあるか?」

 

 健人の前に出ていたバルドールが、何か助力が出来る事はないかと健人に尋ねる。

 バルドールが鍛冶師と聞いた健人は、自分の身に着けていた鎧などに目を落とした。

 アポクリファで異形に受けた魔法で損壊したキチンの鎧だが、先のドラゴンとの戦闘でこれまた酷い有様になっている。

 仮止めしていた布地や装甲は剥がれ、左手の小手はボロボロ。

 盾に至っては噛み砕かれたせいで、完全なスクラップだ。

 早急に、代わりの防具を用意する必要がある。

 

「壊れた装具なんかを直していただければ……あ、あとそれから」

 

 健人は腰に差していた、折れたブレイズソードを取り外し、バルドールに差し出した。

 ドラゴンの眼孔に打ち込んだ刀身を含めて、折れた剣はサエリングズ・ウォッチを離れる際に回収していたのだ。

 

「この剣、直りますか?」

 

 バルドールは差し出されたブレイズソードを鞘から抜き、日の光に当てて刀身を確かめはじめる。

 鍔元から剣の中ほどまでの剣身の腹を、凄みを効かせた瞳で確かめると、刃を返して反対の刀身を確かめる。

 さらに鞘の中に差し込んでいた折れた切っ先を取り出し、轢断した個所を確かめると、二つの剣身を合わせて、歪みを確かめるように鍔元から覗きこむ。

 

「なんだ、ずいぶんと珍しい剣だな。だが、使われている技術は相当高度だ。この剣はなんだ?」

 

「ブレイズソードという剣です。直せそうですか?」

 

 健人の質問に、バルドールは難しそうに口元を歪める。

 一拍置いて息を吐きだすと、バルドールは抜いていたブレイズソードを鞘に戻した。

 

「無理だな。完全に芯から折れてしまっている。それに見えづらいが、刀身にも無数の傷がある。直すのは不可能だろう」

 

「そうですか……ドラゴンに潰されたから、無理もないか」

 

 健人自身も予想はしていたが、やはり修理は無理のようだった。

 しかし、実際に直せないという言葉を聞くと、落胆の声が漏れてしまう。

 

「ドラゴン?」

 

「ええ、サエリングス・ウォッチで遭遇したわ。ケントが倒したけど」

 

「ドラゴンを倒したのか!?」

 

 バルドールの瞳が、驚きで見開かれる。

 周りのスコールの村人達も、ドラゴンを倒したというフリアの話に、皆一様に当惑している様子だった。

 

「ええ、彼はミラークと同じドラゴンボーン。その魂を喰らい、声の力を行使できる人間よ」

 

「まさか……いや、風の岩を浄化できたのなら、当然か……」

 

 健人は、自分がミラークと同じドラゴンボーンであると知ったスコール村の人達の反応が気になった。

 自分達を操った人物と同じ存在であることが知られたのだ。もしかしたら手の平を返される可能性もある。

 

「大丈夫だ、異邦の旅人よ。君は私達を助けてくれた恩人だ。私達を操った、あのミラークとは違う」

 

 しかし、そんな健人の心配を察したのか、バルドールが健人の肩を叩いて、人懐っこい笑みを浮かべた。

 よく見ると、他の村人達からも、悪意は感じられない。

 健人は己の心配が杞憂であった事に、ほっと胸を撫で下ろした。

 

「今使っているのは、そっちの剣か?」

 

 バルドールの視線が、健人の腰に差してあるもう一つの剣に注がれた。

 

「え、ええ。予備の武器ですが……」

 

 健人は黒檀の片手剣もベルトから外し、バルドールに見せた。

 バルドールは先ほどと同じように剣を鞘から抜くと、再び矯めつ眇めつするように、その刃を確かめる。

 

「ふむ、黒檀の片手剣か。いい武器だが、少々お前さんには合わないな」

 

「分かりますか?」

 

「こう見えて鍛冶師だ。この折れた剣を見れば、どんな奴がどんな風に使っていたかすぐに分かる」

 

 しばらく黒檀の片手剣を見つめていたバルドールだが、やがて剣を鞘に戻して健人に返す。

 健人は受け取った剣を腰のベルトに戻しつつも、悩ましげな表情を浮かべている。

 彼がこのタムリエルで身に付けた技量を十分発揮するには、やはりブレイズソードが必要だ。

 剣の振り方、体の動かし方などは、その基盤にブレイズであるデルフィン仕込みの闘術がある。

 戦士として、一皮も二皮も剥けている今の健人なら、普通の直剣でもそれなりに戦えるだろうし、体力吸収が付呪された黒檀の片手剣という希少な剣が手元にある。

 だが、それでも健人としては、自身が十全に扱える得物が欲しかった。

 

「この折れた剣だが、直す事は出来ないが作り方は大方予想できる。折れた剣と同じ新しい剣を作ることはできるだろう。時間はかかるだろうが、君に相応しい武器を私が必ず作ろう」

 

「本当ですか!?」

 

「ああ」

 

 そんな健人の不安を察していたのか、バルドールがブレイズソードを作ることを約束してきた。

 ブレイズソードはブレイズだけが使用している剣なだけに、もう手に入らないと思っていた健人の喜びも一入だった。

 

「ありがとうございます!」

 

「礼は要らない。助けてくれた礼だ。スコールに味方してくれた友のために、俺も全力で槌を振ろう」

 

 そう言ってバルドールが差し出してきた手を、健人はしっかりと握りしめた。

 健人と固い握手を交わしたバルドールは、改めて健人の折れたブレイズソードを預かると、解放された村人たちを引き連れてスコール村へと戻って行った。

 健人とフリアはもう少し、この風の岩を調べる予定だ。

 ミラークの力が残っている可能性を危惧しての事だ。

 風の岩の安全を確認した後、健人とフリアは一度ストルンの元に戻り、事情を説明した後、残りの岩を浄化するつもりだ。

 

「剣、よかったわね」

 

 去っていくバルドール達を見送りながら、フリアが徐に声を掛けた。

 彼女の言葉に、健人は小さく頷く。

 

「ああ。もう手に入らないと思っていたから、嬉しかったよ。それに……」

 

 フリアがチラリと横目で健人の顔を覗き見ると、彼の瞳から、一筋の涙が零れ落ちていた。

 

「ケント……。どうしたの?」

 

「ごめん、少し感極まった」

 

 健人は溢れた涙を親指で拭い、再び自分たちが助けた村人達の背中に視線を向ける。

 まるで救われたのは自分であるかのような光を宿した健人の瞳に、フリアは思わず目を奪われた。

 

「俺はリータに……家族に要らないと言われて、飛び出して、この島に来たんだ」

 

 去っていく村人達の姿を眺めながら、健人は滔々と、このソルスセイム島に来ることになった事情を話し始めた。

 

「俺はさ、家族がいなかった。いや、父親はいたけど、ほとんど会えないような生活だった。その父親とも会えなくなった俺を、リータ達は受け入れてくれた」

 

 寄る辺を無くした自分を受け入れてくれたティグナ夫妻。

 自分を家族同然に扱ってくれたリータ。

 ヘルゲンでの平和な生活の中でできた、小さな幸せの中で、少ないながらも友人も出来た。

 その恩人達をドラゴンの王であるアルドゥインに殺され、彼らの忘れ形見を守りたくて、強くなろうとした。

 

「俺を助けてくれた人達に何かしたくて、力になりたくて、彼女が死ぬ姿を見たくなくて、必死に頑張って……」

 

 強くなりたくて、旅の途中で出会ったデルフィンに弟子入りし、死んでもおかしくない鍛錬と実戦を潜り抜けた。

 強くなっていく自分を実感しつつも、張り詰めた糸のように摩耗していく自分自身を感じていたが、それでもやめようとは考えなかった。

 それは偏に、残った唯一の家族を守りたいがためだった。

 ヘルゲンから逃げる羽目になってからの道のりは険しく、いつ死んでもおかしくはなかったが、自らの寄る辺が何もないこの世界で、少しずつ、居場所ができ始めてもいた。

 

「そんな時に、あの友達に出会った……」

 

 ヌエヴギルドラール。

 ドラゴンのくせにドラゴンらしからぬ友人を思い出し、健人の涙腺が再び緩む。

 

「出会った友達はドラゴンで、でも、全然ドラゴンらしくなくて。カジートの友達みたいにバカ騒ぎして……」

 

 ドラゴンが友達だったという言葉に、フリアは目を見開く。

 スコールの民である彼女としても、ドラゴンと友人になるような人間がいたという話は聞いたことはない。

 大抵は、竜戦争以前のドラゴン統治時代のようにドラゴンに従わされるか、かのタイバー・セプティムやミラークのようにドラゴンを従えるかのどちらかだ。

 友人という対等な関係を結ぶ人間など、聞いたことはなかった。

 そんなフリアの驚きをよそに、健人は言葉を続ける。

 

「そんな友達を、ドラゴンボーンになったリータは殺した。俺も、友達が殺されるのを、見ている事しかできなかった。だから、バルドールさん達を助けることができて、本当に良かった……」

 

 自分達の家へと帰って行くスコール村の人たちを眺めながら、健人は笑顔を浮かべながらそう呟いた。

 ずっと胸の奥で燻り、身を焼いていた無力感と虚無感。それがようやく、癒えたような気がしたのだ。

 そんな彼を横目で眺めながら、フリアはどうして自分がこんなに彼を信頼しているのか理解した。

 友人とはいえ、ドラゴンが殺されたことすら涙を流す健人。彼は他者の判断に、種族や属する集団を見ていない。

 唯々、その人となりを見ている。

 人によっては甘い、世間知らずと看做されるような気質だが、過去の因果が複雑に絡み合っているこの世界では、あまりにも異端で……そして、同時に眩しいもの。

 スコールとして、ノルドやダンマー達よりもさらに閉鎖的な生活をして、自らの属する集団の因果を知るからこそ、その眩しさはフリアの胸を打った。

 

「ごめん、少し情けないところを……どうかしたの?」

 

「……え?」

 

 話し終えた健人に声を掛けられ、フリアはようやく自分が健人の顔に見惚れていることに気づいた。

 キョトンとした無警戒な瞳が、フリアを見つめてくる。

 フリアは急激に、自分の顔が熱くなっていくのを感じた。

 

「なんだか、少し顔が紅い気が……」

 

「……気にしないで、冷たい風に当てられたのよ。それより、風の岩を調べましょう」

 

「え? あ、ああ」

 

 顔の熱を誤魔化すように踵を返し、風の岩へと足早に向かうフリア。

 後からついてくる健人の足音に気恥ずかしさと頼もしさを感じながら、風の岩を確かめる。

 幸いな事に、風の岩を汚染していた力は綺麗に浄化されていたが、調べている最中、フリアは健人に顔を向けることが出来なかった。

 

 

 




というわけで、風の岩の浄化完了。
本来、ゲーム上で出てくるはずのルーカーは省略。いきなり出すより、もう少し筋道を立てて出そうと思った次第です。


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第4章最終話 岩の開放を目指して

悩みましたが、話数が十分になりましたので、今回で一応、第4章を締めようと思います。



 オブリビオン、アポクリファの中に存在する、黒の書“白日夢”の領域。

 この領域の中央に聳え立つ尖塔の頂上で、ミラークは仮面で隠した顔を、驚きの表情に変えていた。

 タムリエルに復活するために、ソルスセイムに満たした服従のシャウト。その一部が、打ち消されたのを感じ取っていたのだ。

 

「我が力が、打ち消された?」

 

 数千年に渡り、力を蓄えてきたミラークのシャウトは、ソルスセイムを覆いつくすほど強力なものだ。

 たとえ一部であっても、それがかき消されたことは、彼を驚嘆に打ち震えさせるのに十分なものだった。

 

「まさか、ドラゴンボーン? あの赤子に我が力が打ち消せるとは思えぬが……だがこうして、ソルスセイムに広げた我が力は確かに減じている」

 

 ミラークの脳裏に浮かぶのは、先日、この領域に迷い込んできた奇妙なドラゴンボーン。

 確かに、アカトシュの祝福を受けた人間だったが、あまりにも未熟で、ミラークの力を打ち消すことなど到底できない弱者であった。

 しかし、今ソルスセイムにおいて、ミラークのシャウトを消せるような存在は彼だけだ。

 予想外の邪魔が入ったことに、ミラークは仮面の下で奥歯を噛みしめ、憤怒の表情を浮かべる。

 

「ハルメアス・モラが気付くのも時間の問題だ。その前に計画を完遂せねば……いや、もう感付いている可能性もあるな」

 

 健人がアポクリファに迷い込んだ時、ミラークは配下であるシーカーに、侵入者であったドラゴンボーンを排除するように命じたが、その死は確認できていない。

 排除を命じたシーカーの話では、トドメを刺す直前に、霞のように掻き消えたとのことだった。

 普通ならあり得ない。

 オブリビオンだろうがタムリエルだろうが、死は死だ。

 命を失ったその場所に躯を晒すことは変わらない。

 考えられるのは、第三者の介入。そして、このアポクリファでそんなことが出来るのは本当に極一部の存在だけだ。

 このアポクリファの領域の主にして神の存在が、ミラークの脳裏によぎる。

 己を騙し、この世界に囚えた邪神に、ミラークは額の皺をさらに深くした。

 ハルメアス・モラは知識欲に取りつかれたデイドラだ。

 未知に飢えている邪神であるが故に、どんな事態になろうと直接的な介入は控え、しばらくは静観する傾向がある。

 だが、時が来れば迷わず手を出してくると、ミラークは踏んでいる。

 

「クロサルハー! クリィ、セィグ、ブルニク、ジョール!(我が道を遮る邪魔者を見つけ出して殺せ!)」

 

 時間がない。

 ミラークは、アポクリファからソルスセイムにいる配下に届く声で、健人の排除を命じる。

 

「私は、必ず取り戻して見せる。“名”に縛られた私の運命を……」

 

 自由になる。己の運命を勝ち取る。

 ミラークは毒々しい雲に覆われたアポクリファの空を見上げながら、独白する。

 数千年間押し込められていた怨嗟を吐くように漏らしたミラークの言葉は、白日夢の領域に静かに溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風の岩を解放し、一度スコール村へと戻った健人は、再びストルンの元を訪れていた。

 自宅である小屋の前で瞑想していた彼は、健人の姿を確かめると、巌のような頬に僅かな笑みを浮かべて出迎えてくれた。

 

「風の岩を解放したのだな。空気が変わったのを感じる」

 

 スコールの呪術師である彼は、島に起きた変化を敏感に感じ取っていた。

 健人が風の岩を穢していたミラークの力を打ち消してくれたおかげで、服従のシャウトから解放されたスコール村。

 既に村を覆っていた障壁は解かれ、解放された村人達は、帰りを切望していた家族の元へと帰っている。

 ストルンは村人を解放してくれた健人に礼を言うと、スコールの代表の一人として、改めて健人に助力することを約束した。

 

「風の岩を解放して村人の呪縛を解けたのなら、ソルスセイム全体についても解き放てるだろう。

 それだけでミラークの企みを完全に食い止められるとは思わないが、足止めにはなるかもしれん」

 

「足止めだけ……なんですか?」

 

 時間稼ぎしかできないというストルンの言葉に、健人は臍を噛む。

 

「ああ、ソルスセイムの岩は全部で六つあるが、樹の岩はミラーク聖堂の内部に封じられてしまっている。ミラークの影響を直接取り払わない限り、解放は無理だろう」

 

 健人としては全ての岩を浄化すれば解決するかと思っていたが、どうやら話はそう簡単なことではないらしい。

 要となる岩をすべて解放するには、直接ミラークをどうにかするしかないそうだ。

 そもそも、六つの岩全てを浄化したとしても、元凶となるミラークはアポクリファに留まったままなのだから、当然と言える。

 

「なら、どうすれば完全にミラークを止めることができるんですか?」

 

 何とかミラークを止める方法はないのだろうか?

 健人としては、この島の歴史に最も精通しているストルンであるなら、何らかの知識を借りられるのではと思っていたが、健人の期待と裏腹に、ストルンは首を振った。

 

「それについては力になれそうにない。この村にいる誰もがな。ミラークが学んだ力について、もっと学ぶ必要があるだろう」

 

「黒の書……」

 

 健人の手が、自然と腰のポーチに仕舞っていた黒の書に伸びる。

 はっきり言って、健人としてもあまり思い出したくない物だ。

 ストルンとしても、この黒の書については思うところがあるのか、厳しい表情を浮かべている。

 

「うむ、あの書がミラークの力の根源なら、黒の書についてもっと知らねばならない。

 だが、あの書は邪悪で、自然に反するものだ。私はスコールの魔術師として関われないし、関わりたくない。だが、ダークエルフのウィザード、ネロスであれば……」

 

「ネロス、あの人か……」

 

 ネロスの名前を聞いた瞬間、健人の脳裏にレイブン・ロックで出会った偏屈なウィザードの姿が浮かんだ。

 

「彼はしばらく前に我らの元を訪れ、黒の書について尋ねてきた。

 この書について、かなり多くの事を知っているようだ。知りすぎているのかもしれん」

 

 どうやらネロスは、一度このスコール村に訪れたことがあるらしい。

 タムリエルで最も優れたウィザードを自称していた変わり者と思っていたが、ストルンの話を聞く限り、その腕と知識は相応に突出しているもののようだ。

 

「ネロスは島の南にある、テルミスリンと呼ばれる巨大なキノコの家に住んでいる。訪ねてみるといい。

 だが気を付けるのだ、ドラゴンボーン。別の何かが動き始めている」

 

 ストルンの言葉に小さく頷くと、健人とフリアは外に出た。

 南中に上った太陽から降り注ぐ燦々とした光が、賑わいを取り戻した村を包み込んでいる。

 

「フリア、黒の書とミラークについて、どう思う?」

 

 健人はストルンと話をしている間、すっと黙り込んでいたフリアに質問を振ってみる。

 フリアもまた、黒の書についてはあまりいい感情を持っていないため、その表情はやはり硬い

 

「分からないわ。スコールの言い伝えでは言及されてないから。でも、ミラークと黒の書に繋がりがあるのは間違いないわ」

 

 フリアの視線が、黒の書を収めた健人の腰のポーチに注がれる。

 その瞳は冷たく、やはり黒の書に対してはストルンと同じように、隔意を持っていることが露わになっている。

 

「正直に言って、私も父さんも、村の皆も、黒の書とは関わりたくない。あの力は、風の岩を毒しているものと同じ力を源としているわ」

 

 スコール村の人間として、自分たちの生活、習慣、生き方を尊んできたフリアにとって、黒の書の存在は唾棄すべきものだ。

 健人はその力の源となったであろう存在に、思いを馳せる。

 

「ハルメアス・モラ、か……」

 

 知識のデイドラ、星読みの邪神。

 ミラークの背後にいるであろう存在は、未だに明確な動きを見せていない。

 

(そもそも、デイドラって一体なんだ? デルフィンさんからは基礎知識は学んでいるけど……)

 

 健人はデイドラについて、デルフィンから基礎知識は叩き込まれているものの、確固とした存在として実在し、タムリエルに大きな影響を与えていることについての自覚は薄い。

 そもそもデイドラは、この世界に生きる人達にとっても、到底理解しがたい存在である。

 時に慈悲を、時に混沌を、時に災厄を巻き散らす。

 デイドラの意味は“祖でない者”。

 その名の通り、ニルン創造に関わらなかった神々の事だ。

 その神格は千差万別であり、各デイドラロードの性質はあまりにも違いすぎるため、タムリエルの人々は各デイドラロードを“良きデイドラ”“悪しきデイドラ”と呼び、ある程度の分類をしている。

 良きデイドラの代表格が、暁と黄昏のデイドラ、アズラである。

 ダークエルフが信仰する神の一柱であり、彼らにとっての守護神でもある。

 しかし、その性格の苛烈さはデイドラに相応しいもので、もし約定を違えれば、約定を違えた個人だけではなく、種族全体にも及ぶ呪いをかけることもある。

 悪しきデイドラの代表格と言えば、メエルーンズ・デイゴン。

 破壊を司る神格を持ち、二百年前のオブリビオンの動乱を引き起こしたデイドラだ。

 歴史の中でも幾度かタムリエルに侵攻してきている。

 実際、このデイドラが引き起こしたオブリビオンの動乱が、今の帝国の弱体化とスカイリムの混乱につながっており、その影響力は計り知れない。

 だが、ハルメアス・モラはそのどちらにも属していない。

 書物の中では知識と星詠みを司る神格として描かれており、深淵の知識の貯蔵庫、アポクリファを領域に持つ。

 健人自身もハルメアス・モラの領域に迷い込んだ一人であり、その世界の様相を目にしているが、はっきり言って、長居したいと思える世界ではなかった。

 しかし、彼の持つ深淵の知識を求めて数多の探求者がアポクリファに消えていることは事実であり、あのミラークにも力を貸していた事やスコール達が“知識の悪魔”と呼んでいる事を考えれば、決して善なる神ではないのは明白だ。

 

「ええ、用心しないといけないわ。この書が導く先は、ミラークが歩んだものと同じなのよ」

 

 フリアの警告に、健人はしばしの間瞑目して考え込んだ。

 自分がこの島ですべき事は、この島を覆うミラークの力を打ち消し、かのドラゴンボーンの企みを止める事。

 既に健人は、覚悟を決めている。見て見ぬふりをして、逃げる気はとうに無くなっていた。

 自分がドラゴンボーンになったという事もあるが、何よりも操られている人達の姿や、弱者に力を振るって支配する事を躊躇わないミラークの姿が、健人を奮い立たせる根源になっていた。

 健人の脳裏に、タムリエルでの苦々しい思い出が蘇る。

 辛い記憶が痛みと共に、胸の奥で渦巻く不安をより大きく膨れ上がらせる。

 敵はあまりにも強大で、成り立てのドラゴンボーンである健人との地力の差は歴然だ。

 これから先、どんな未来が待っているのか、健人には全く見えない。

 まるで暗闇の中で、底無しの井戸を覗きこんでいるような不気味さが漂っている。

 

(それでも、立ち上がろう。足掻こう。歯を食いしばって、もう一度“強く”なろう)

 

 それでも健人は、逃げ出す気は微塵もなかった。

 胸が締め付けられるあの光景を繰り返さないために、今一度挑戦しよう。

 改めて決意を胸に灯しながら、健人はポーチに忍ばせた黒の書に手を伸ばす。

 スコールの人達の不安は理解できる。

 それでも、この事態を解決する手がかりを得られる可能性が少しでもあるのなら、健人の心に躊躇いは無かった。

 

「それでも……それでも、今はこの書が唯一の手掛かりだ。ミラークの企みを止めるなら、やるしかないよ」

 

「ええ、わかっているわ……」

 

 フリアとしても、ミラークの企みを止めるには、黒の書と関わるしかないことは理解している。

 それに、この島の問題に、本来部外者であった健人を巻き込んだ負い目もあった。

 

「……とりあえず、今は解放できる岩を浄化していこう。その後、ネロスのところに行ってみよう」

 

「……そうね、それが一番かしら」

 

 当面の指針を決めた二人は、次の岩を開放するために、ハルメアス・モラの存在に一抹の不安を抱えながらも、スコール村を後にした。

 目的地は、ソルスセイム島各所に存在する岩。そしてテルミスリン。

 健人は目的地を改めて確かめた後、フリアと共にスコール村を後にした。

 その胸に、強くなる決意を再び胸に秘めて。

 だが、健人はこの時、まだ知る由もなかった。

 “強く”なるために、更なる“力(ムゥル)”を……。

 取り込んだスゥームの囁きが、静かに、彼の背後に忍び寄っている事を。

 

 

 

 

 

 

 健人が風の岩を浄化し終えたその頃、カシトを乗せたノーザンメイデン号は、再びレイブン・ロックへと戻ってきていた。

 レイブン・ロックの港に入港し、はしけが桟橋に渡され、スカイリムで積んだ荷が屈強な海の男たちの手で降ろされていく。

 そんな荷降ろしをしている男たちに交じって、今にも死にそうなカジートが、荷を背負いながら這いずるような足取りで船倉から出てくる。

 

「ううう……きぼち悪いよぅ……」

 

 役立たずとして船倉に押し込められていたカシトは、荒れ狂う北の海の洗礼によって、完全にグロッキーになっていた。

 無秩序に揺れる船で、閉鎖的な船倉に閉じ込められたのだから無理もない。

 あまりにも長い間船酔いに晒されたためか、船が港に入ってしばらく経っても、カシトの体には視界が回って胃がひっくり返るような感覚が残っており、その全身からは冷や汗を滲ませていた。

 しかし、今彼はグジャランドから最後くらいは仕事をしろと命令され、荷運びとして扱き使われていた。

 

「おいカシト、さっさと働け! 航海中は役立たずだったんだから、せめて荷下ろしくらいきちんとやりやがれ!」

 

 船員達の容赦ない檄がカシトに向けられるが、カシト本人は船酔いの影響がまだ抜け切れておらず、その足取りは覚束ない。

 しかし、航海中は完全にお荷物だったのだから、せめて荷運びぐらいは役に立ってもらわないと、船側としても採算が取れない。

 結局、カシトは一人で船倉の荷の半分以上を運び出す羽目になり、荷役が終わったところで、ようやくお役御免となった。

 

「ううう、オイラもう限界……」

 

 疲労のあまり桟橋に倒れ込み、動けなくなるカシト。

 彼自身も帝国兵としてそれなりの鍛錬を積んできたが、勝手の違う海の上での慣れない生活や、長時間の船酔いによる消耗、そして荷役の重労働ですっかりくたびれ果てていた。

 

「おいカシト、ちょっと来い」

 

 そんなカシトに、ノーザンメイデン号の船長であるグジャランドが声をかける。

 今一番聞きたくない人物の声に、カシトは耳をペタンと畳んで、ダンゴムシのように体を丸めた。

 

「まだ荷物あるの? オイラもう限界だよ~」

 

「荷物はあれで最後だ。ちげえよ」

 

「なら他に何? オイラ少し休んだら、直ぐにケントを探しに行くのに~」

 

 カシトは体を丸めたまま、器用に首だけを上にあげて、グジャランドを見上げる。

 そんなカシトの情けない姿に、グジャランドは溜息を吐く。

 

「分かっている。もう仕事は十分だ。船から降ろしてやる。その前に……ほれ」

 

「……何、これ?」

 

 カシトが手渡されたのは、二枚の外套。

 きめ細かなトナカイの外皮を使っているらしく、かなり上等な代物だ。

 何よりカシトの目を引いたのは、渡された外套が、淡い魔力の燐光を纏っていること。

 それは間違いなく、この外套が何らかの付呪が施された一級品であることの証拠だ。

 

「耐冷気の付呪が掛けられた外套だ。俺達ノルドと違って、お前はカジートだから、この島の寒さは堪えるだろ」

 

 耐冷気の付呪が施された装具は、氷結系の破壊魔法の効果を減じてくれるが、この寒冷なスカイリムの冷気もある程度防いでくれる。

 スカイリムやソルスセイムを旅する南方の民にとっては、垂涎の品だ。

 同時にカシトは、どうしてこんな貴重な品をグジャランドが持っているのかも気になった。

 彼の脳裏に浮かんだ疑問に気付いたのか、グジャランドが口を開く。

 

「そいつは、ウインドヘルムの東帝都社の廃墟に残っていた魂石で作って貰った品だ。

言っておくが、一枚はケントの外套だ。本来はあいつへの土産品だよ。

冬も近いからな。あれば便利だろ?」

 

 健人の為に作ったという外套を見て、カシトは眉を顰める。

 グジャランドの言葉と高価な贈り物の裏に、何か悪意を潜ませていないかどうか気になったのだ。

 カシトは健人と別れてから、彼がどのような旅を乗り越え、どのような技術を身に付けてきたのか直接目にはしていない。

 だが、この船に乗っている間の健人については、グジャランドや他の船員たちから話を聞けていた。

 はっきり言って、船員達から聞いた健人の姿は、カシトが知る健人よりも遥かに成長していた。

 錬金術と回復魔法を習得し、付呪や他の魔法もある程度修めている。

 さらには、この屈強なノルド達を、腕試しで抑え込むほどの体術も身に付けているらしい。

 カシトが知る健人と、グジャランドが見て来た健人。

 かつての無力な健人を知るが故に、話を聞いた時のカシトの驚きは、言いようの無いほど大きいものだった。

 

「なに? 船長もケントを狙ってるの?」

 

 同時に、カシトは健人の身が心配になった。

 船員達から話を聞くだけでも、カシトは健人が、自分の能力を他人からどう見られているか分かっていない点が多いと感じていた。

 カシトから見た健人という人間は、他の人間達と比べて純粋というか、世間知らずというか、タムリエルの常識から考えて変なところでズレがある。

 それはヘルゲンで交友していた時もそうだし、ノーザンメイデン号で船員をしていた時の話を聞いた時も感じた事だった。

 健人は船員として働いている最中、持前の錬金術で、簡易的な薬を幾つも作り、回復魔法で怪我人を治療しているが、当然ながら、健人の行った仕事の価値は船賃だけで納まるようなものではない。

 普通なら自分から相応の対価を要求してしかるべき仕事である。

 人格的に優れた船長なら自分から割増しで報酬を出すだろうし、船員として確保しようとするだろう。

 実際、グジャランドはそうした。

 一方、そんな多彩な仕事をこなした健人は、それを“普通の船員が行う仕事の範疇”又は“無償で船に乗せてもらった船賃分の仕事”だと判断していた。

 カシトとグジャランド、カジートとノルドという、この世界でも性質が全く違う種族である二人から見ても、健人の行動や思考はありえない。

 それはひとえに、時給数百円のバイトですら正社員並みに働いた挙句、同じ世界の外国人にすら奇妙奇天烈な目で見られる日本人故の思考や行動が原因で引き起こされたズレだったりするが、それを知らないカシトとグジャランドに分かるはずもない。

とはいえ、多彩な技量をもつ健人は、商人や軍の高官等、人を使う立場の人間から見れば、喉から手が出るほど欲しい人材だ。

 故に、変なところで騙されて、要らぬ業を背負うのではないかと、カシトとしては心配になっているのだ。

 

「先行投資と言え。あいつと縁があれば、薬とか格安で作ってくれそうだからな。余った薬とかは商品になるし、スカイリムが内乱中の今、いい薬には高値がつく。

それに、あいつ付呪も出来るって言っていたからな。こっちでも色々と作ってくれそうじゃないか」

 

「…………」

 

 グジャランドの話を聞いている内に、どんどんカシトの目がつり上がっていく。

 話を聞く限りでは、グジャランドは健人の技量をいいように利用しようとしている風にも聞こえるからだ。

 そもそも、カシト自身、健人と別れていた間に、彼に何か良くない事が起こったことは確信していた。

 本来ホワイトランにいるはずの健人が、こんなタムリエル大陸のはずれの島に来ていることこそ、その証左である。

 それが何かは分からないが、おそらくはリータ関係であることは、日ごろから考えの浅いカシトにも推測できた。

 

「ふん、そんな警戒するな。スカイリムに戻ることがあるなら、俺達と繋がりは別に悪い話じゃねえだろ?

 もしあいつが薬とかを入れてくれるなら、スカイリムに戻る時はタダで乗せてやるよ。もちろん、お前もだ」

 

「船長、オイラを出汁にする気? オイラは大概の事は気にしないし、多少の悪事も笑って流すけど、もしケントを罠に嵌めるようなことしたら……」

 

 だからこそ、カシトは親友がそんな辛い目に遭っているのが我慢ならない。

 カジート特有の鋭い瞳が、グジャランドを睨みつける。

 普段の頼りなく、どこか気だるさを漂わせているカシトの雰囲気が一変し、一角の戦士としての顔が覗く。

 

「俺達は海の男だ。商売の話はするが、信を裏切る真似はせん」

 

 そんなカシトの雰囲気にグジャランドはどこか得心がいったように、口元を釣り上げると、眉を綻ばせた。

 

(このおっさん、オイラを試したな……)

 

 笑みを浮かべたグジャランドを見た瞬間、カシトは自分がこの船長に試されたのだと理解した。

 同時に、グジャランドがこんなことをした理由も察しがつき、思わずため息を漏らす。

 航海中、カシトはほとんど役に立たず、船倉で死んだように放置されていた。

 グジャランドから見れば、カシトの方が、勤勉な健人に寄生している害虫に見える。

 だからこそ、こんな価値のある外套を手渡して、その反応を見て確かめるつもりだったのだ。

 船乗りは気難しいが、厳しい自然の中で常に死と隣り合わせだからこそ、仲間を誰よりも大事にする。

 グジャランド達にとって、既に健人は“身内”なのだ。

 もし、カシトが受け取った外套を見て邪な反応を少しでも見せていたら、おそらくこの街から出る前に屈強な男たちに囲まれて、誰も知らぬ間に海に捨てられていたかもしれない。

 

(実際、他の船員たちもじっとこっちを見ているしね~)

 

 船の荷を降ろし終え、当直以外自由となった船員達は、各々が報酬を受け取り、少ない休みを満喫しに街へと繰り出す。

 しかし、カシトは桟橋に降りた船員達の何人かが、じっとカシトとグジャランドの様子を観察しているのに気付いていた。

 グジャランドが手を振ると、観察していた船員達は船長とカシトから視線を外し、肩を組んで街へと消えていく。

 どうやら、もう警戒はされていないらしい。

 

「……とりあえず、この外套はケントに会えたら渡しておくよ~」

 

「絶対に渡せよ。もしお前がケントを連れずにソルスセイムを出ようとしたら、エイドリルに言ってお前を牢にぶち込んでやるからな」

 

「覚えとくよ~」

 

 なんだかんだで色々と言っているが、つまるところはグジャランドも健人のことが心配なのだった。

 カシトはとりあえず、グジャランドの本音を聞けた事、無事にソルスセイムに到着した事に満足しながら、レイブン・ロックの街中へと足を進める。

 

「変な匂いのする街。ダンマーはデイドラ信仰の民だけど、なんだか違う……」

 

 スンスンと鼻を鳴らしながら、カシトは街に漂う奇妙な気配に眉を顰める。

 元々デイドラ信仰をしているダンマーの街は、帝国やスカイリムの街とは明らかに違う雰囲気を醸し出している。

 だがカシトには、ダンマーの灰の匂いとは違う、どこか気だるく、甘い香を焚いたような香りが鼻についた。

 

「ま、どうでもいいか、それより、ケントを探さないと!」

 

 しかし、カシトは頭の端に浮かんだ違和感を、直ぐに放り捨てた。

 彼にとって、ダンマーの事などどうでもよかった。大事なのは、この島に来ている親友の安否である。

 カシトはグジャランドから手渡された外套の一枚を羽織り、もう一枚を丸めて背負うと、まずは情報収集とばかりに、広場へと突撃して行った。

 この後、街の鍛冶屋と宿屋の店主から、健人がレイブン・ロックの街を出てから帰ってきてないことを聞かされたカシトは、慌てて親友の跡を追って街を出た。

 その結果、大地の岩を浄化しに来た健人とすれ違いになり、しばらくの間、カシトは健人を探してソルスセイム中を駆け回った挙句、色々な騒動の種をばら撒くことになるのだが、それはまた別のお話である。

 




これで、第4章は一応終了。
第5章で、ソルスセイム編を終わらせたいところです。
本当は第4章で全てをソルスセイム編を終わらせたかったのですが、またしても長くなってしまった……。
色々削っていますが、やはり長くなってしまう……。


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第5章
第一話 大地の岩の浄化


お待たせしました。第5章の投稿を開始します。
とはいえ、執筆しながらの投稿になりますので、ペース自体は以前のように毎日投稿とはいかないと思いますので、ご容赦ください。
出来るなら、週一では投稿したいですが……。
取りあえず、ストック分を出していきますので、よろしくお願いします。


 スカイリムのリーチホールド。

 マルカルス近くの街道を進んでいたリータ達はドラゴンと遭遇し、これを排除していた。

 天を舞うドラゴンはリータの“揺ぎ無き力”で叩き落とされ、その刃で命を刈り取られる。

 

“ガアアア……”

 

「これで終わり……」

 

 ドラゴンの魂を簒奪しながら、リータが振るっていた黒檀の剣を鞘に納める。

 そんな彼女の姿を見つめながら、デルフィンは満足そうにつぶやいた。

 

「順調のようね」

 

「これが、ドラゴンボーン……」

 

 デルフィンの隣に佇んでいた老人が、驚きと歓喜に打ち震える。

 

「どう? 希望が見えてきたでしょ」

 

「ああ! これならやれる。アルドゥインを倒して、世界を救えるかもしれない!」

 

 この老人の名前はエズバーン。

 サルモールが血眼になって探していた、ブレイズの元公文書管理官だ。

 健人と別れた後、ハーフィンガルホールドからリフテンへと渡ったリータ達は、リフテンの下水道であるラットウェイで潜伏しているエズバーンと合流。

 サルモールの追跡部隊を排除した後、彼の提案に従って、アルドゥインの秘密が残されていると言われる古のブレイズの聖堂“スカイヘブン聖堂”を探していた。

 エズバーンの話では、スカイヘブン聖堂はリーチのカース川の付近に存在しているらしい。

 

「スカイヘブン洞窟までは、どのくらい?」

 

「おそらくはそう遠くない場所にあるだろう。食料なども考えれば、一度マルカルスに寄った方がいいだろうな」

 

 現在、リータ達がいるのはリーチの東。サンガード砦付近である。

 街道沿いに行けばリーチの首都であるマルカルスに通じているため、一度マルカルスで補給をする予定だった。

 その時、エズバーンと今後の予定を確認していたデルフィンの目が、リータを見つめるドルマを捉えた。

 彼はドラゴンの魂を吸収しているリータの背中をジッと見つめている。

 

「どうしたの? そんなに彼女が変わっていくのが怖い?」

 

「……何の話だ」

 

 デルフィンの質問に、ドルマがぶっきらぼうに返事を返す。

 

「別に。なんだかすごく不機嫌そうだから」

 

「あの裏切り者のことを思い出していただけだ……」

 

「そう? それだけじゃなさそうだけど?」

 

 デルフィンの言葉にドルマが眉を吊り上げる。

 明らかに不機嫌になっている事が分かる表情だ。

 険悪な雰囲気が漂う両者。

 しかし、そんな二人の間に割って入るように、淡々とした声が響く。

 

「何の話をしているの?」

 

 声をかけてきたのは、ドラゴンの魂を吸収しきったリータだった。

 ドラゴンの魂を吸収しきったドラゴンボーン。

 ガシャガシャと黒檀の鎧を鳴らしながら、何やら剣呑な雰囲気のデルフィンとドルマに近づいてくる。

 

「ケントの事よ。今頃どうしているかしらね」

 

 健人の名前を出され、リータは兜の下で息を飲む。

 黒檀の全身鎧をまとっているがゆえにその表情は窺い知ることはできないが、明らかに動揺したことを思わせる沈黙が流れた。

 

「ケントは……」

 

「ん?」

 

「ケントは、元気なの?」

 

「ええ。今はホワイトランで大人しくしているそうよ」

 

「そう……」

 

 深く息を吐くように漏らしたリータの声が、草原の風に流されて消えていく。

 寂しさと安堵を混ぜた複雑な感情が、秋の草原に漂っていた。

 

「何か、聞きたい事や伝えたい事はある?」

 

 デルフィンは兜越しにリータの顔を覗き込むと、確かめるように尋ねる。

 リータは考え込むように一拍を置くと、やがてデルフィンの言葉を否定するように小さく首を振った。

 

「いい、無事で、元気にしてくれているなら、それでいい……」

 

 どこか深い疲労と諦めを混ぜたような言葉。

 リータはそれだけを言い切ると、今しがた倒したドラゴンの遺骸などは完全に無視して、先を目指して足を進める。

 リータを見つめていたドルマもまた、何かに耐えるように唇をかみしめると、彼女の後を追って歩き始めた。

 

「やれやれ、若いわね」

 

 デルフィンは、どこか遠くまぶしいものを見るような声を漏らしながら、先を行く二人の背中を眺めていた。

 あのような純粋な想いなど、悲惨な大戦を戦い抜き、サルモールに追われ続けたデルフィンはとっくの昔にすり減ってしまっている。

 

「デルフィン、ケントとは誰の事だ?」

 

 一方、件の人物の事を知らないエズバーンが、デルフィンに質問をぶつけてくる。

 

「ドラゴンボーンの弟よ。そして私の、弟子……みたいなものかしらね」

 

 ドラゴンボーンに弟がいたこと、そして、その弟をデルフィンが弟子にしていたという話に、エズバーンは目を見開く。

 

「あのドラゴンボーンに弟が……それに、お前に弟子とはな。もしやその弟も……」

 

「言っておくけど、ドラゴンボーンと血の繋がりはないわ。ノルドでもないし、インペリアルでもブレトンでもレットガードでもない人間。当然ドラゴンボーンではないわ」

 

「もしかして、アカヴィリの……」

 

「いえ、ツァエシではないわね。全く分からないわ」

 

 まるで出自が知れないというデルフィンの言葉に、エズバーンが表情を険しくする。

 彼もまた、隠密部隊ブレイズの生き残りであり、その中でも最も機密に接してきた人間だ。

 出自の知れない不審者など、真っ先に警戒すべき存在。

 普通に考えれば、そんな存在を弟子として内に取り込むことなど愚行である。

 

「……何者だ?」

 

 だが同時に、エズバーンはデルフィンの見識に最上級の信頼を置いている。

 共に戦った仲間であることもそうだし、彼女がかつて大戦期にサマーセット島に潜入していた実績もあり、ここまで生き延びてきた強者であることもそうだ。

 それだけの信頼感があるからこそ、エズバーンはデルフィンが、ドラゴンボーンと近づくためにその弟を利用し、同時に監視していたことも理解している。

 また同時に、そんなデルフィンが本気で教えを施そうとするほど、その弟が有望であったことも。

 

「まあ、出身は怪しいけど、少なくとも誰かを陥れることが出来るような性格じゃないわね。良くも悪くも、お人好しよ。ドラゴンと友達になるくらいには、ね……」

 

「それ、は……。なるほど、生き辛そうな者だな」

 

「ええ……」

 

「そうか……」

 

 エズバーンはデルフィンと話すだけで、健人の大まかな人となりを理解していた。

 ただでさえ厳しい自然にさらされているだけでなく、内戦で人心の荒れたスカイリムにおいて、健人の気質はお世辞にも生きやすいとは言えない。

 人類の天敵と言われるドラゴンと友人になるほどとなれば、もはやお人よしを通り過ぎて愚者と蔑まれても仕方ないとも言える。

 ドラゴンは信用できない。それが、ブレイズ、ひいてはこの世界の人間の共通認識だ。

 当然ながら、健人の行為はドラゴンガードであるブレイズとしては、到底認めるわけにはいかない行為である。

 逆に言えば、そんな愚行を犯したにもかかわらず、未だにドラゴンボーンが心配するほどの善人であるだろうということも理解できる。

 エズバーンも、件の健人なる人物がホワイトランには居ない事に気づいていた。

 デルフィンは、健人がホワイトランにいると、リータには嘘をついている。

 リディアから健人が行方不明になった仔細は得ているが、あえてそれをドラゴンボーンに隠しているのだ。

 理由は当然、ドラゴン討伐、そしてアルドゥインとの闘いを見据えてのことである。

 デルフィンとエズバーンにとっての最重要なのは、アルドゥインの討伐であり、ドラゴンボーンとしてのリータに仕え、その障害を排除することである。

 デルフィンにとって、ドラゴンと友誼を結んだ健人は、既にリータの前からは排除すべき対象になっていた。

 

(だからこそ、心が死んだままでいて欲しいのだろうな……)

 

 エズバーンはデルフィンの言葉の端から、彼女が弟子に対し、内心では心配していることを気付いている。

 だが同時に、ブレイズのために生きてきた女傑は、絶対に健人をドラゴンボーンから遠ざけようとすることも。

 弟の現状を知らず、唯々復讐に身を焦がすリータ。

 ノルドとして幼馴染の生き方を肯定し、貫こうとするドルマ。

 そして、ドラゴンボーンに仕える者として、己が思う最上を成そうとする者たち。

 三者三様の旅は、どこか歯車が噛み合わないまま続いていく。

 エズバーンは先を行くリータとドルマ、そしてデルフィンの後を追いながら、マルカルスの山々を見上げた。

 夏が終わり、山肌を薙ぐ風が少しづつ寒くなってきている。

 スカイリムに、冬の気配が忍び寄ってきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風の岩を浄化した後、健人はフリアと共にレイブン・ロックを目指した。

 ソルスセイムで最も多くの住人が住んでいるレイブン・ロック。

この街にある大地の岩の浄化は急務であったからだ。

 街に入ろうとすると、外壁で警備をしていた衛兵から驚きの目で見られた。

 健人の容姿はこのダンマーの街では目立っていたし、騒動も起こしている為に彼の顔を覚えている者は多い。

 健人がレイブン・ロックを出てから相応の時間が経っているために、この衛兵は健人がとっくに死んでいるものと思っていたのだろう。

 健人は警備をしているレドランの衛兵にぺこりと頭を下げ、フリアと一緒に街の中へと入ると、街の中央通りを歩きながら大地の岩を目指す。

 街の通りや広場では採れた野菜や魚を売りに来たダンマー達が行き交い、商人達との白熱した値段交渉を繰り広げている。

 しかし、元々大量の鉱石を運ぶための荷置き場として機能していた広場は、鉱山が枯渇した今となっては広すぎて、立ち並ぶ店舗もまばらだ。

 賑やかながらもどこか寂れた雰囲気が満ちた広場の先には、問題となっている大地の岩が屹立している。

 大地の岩の周りでは相変わらずミラークの祠が作り続けられているし、時折広場にいた人が、突然夢遊病のようにフラフラと大地の岩へ向かって歩いていく。

 

「やっぱり、この街もスコール村と同じ状態ね……」

 

「ああ、大地の岩にいこう」

 

 覚束ない足取りで大地の岩へと向かう人達を追いかけながら広場を通り抜けて、大地の岩へと向かうフリアと健人。

 海岸線の先にできた砂丘の上に立つ大地の岩の側に近づくと、突然健人の目が窄められた。

 

「ゲルディスさん、エイドリルさん……」

 

 健人の目が、このレイブン・ロックで知り合ったゲルディスとエイドリルの姿を捉えたのだ。

 この二人は健人にとって、印象深い人物たちだった。

 二人は操られている他の人達と同じように、虚ろな瞳で淡々とミラークの祠を作り続けている。

 

「ここは彼の祠……」

 

「ここで我々は苦役する……」

 

 自分の店の由来となったネッチの話を楽しそうに聞いてくれていたゲルディス。

 騒動を起こした際の言葉は少し厳しかったが、それでも騒動を起こした健人に正しい法に則った処理をしてくれたエイドリル。

 かつてこの街で世話になっていた人達の変わり果てた姿に、健人は唇を噛み締めた。

 

「ケント……」

 

 フリアが健人の肩を叩き、意識が過去に沈んでいた健人を引き戻す。

 健人は、はっと我に帰ると、気持ちを切り替えるように大きく息を吐いた。

 

「分かってる。やるぞ」

 

 胸の奥で渦巻く憤りが促すままに、健人は一歩前に踏み出し、己の内に意識を集中させる。

 引き出すのは、レイブン・ロックを襲うこの事態を引き起こした元凶と同質の力。

 健人の意思に反応したドラゴンソウルが、ドクン! と力強く拍動し始める。

 目覚めたドラゴンソウルから滲み出す力が熱となって、健人の全身をめぐり、声の力が体の内で響き始める。

 

「すぅ……」

 

 深く息を吸い、意識をさらに研ぎ澄ませる。

 ドラゴンソウルの拍動はさらに高まり、さらなる熱を引き出し始める。

 そよ風が旋風に、旋風が嵐となり、健人の内部で暴れまわる。

 そして、荒れ狂う力が臨界に達したその瞬間、健人は“声”と共に、一気にその力を解放した。

 

「ゴル!!」

 

 放たれたスゥームが、大地の岩に吸い込まれる。

 続けて、地鳴りのような音と共に、岩を囲んでいた祠に罅が入り、爆散した。

 爆散した祠は霧のように細かく砕けて掻き消え、虚ろだったレイブン・ロックの人達の瞳に光が戻り始める。

 

「……あれ? 俺はどうしてここに?」

 

「ここは、私は一体……」

 

 意識を取り戻したゲルディスとエイドリルが、当惑した表情で辺りを見回している。

 二人が自我を取り戻したことを確かめた健人は、ホッと胸を撫で下ろし、小走りで二人に駆け寄った。

 

「ゲルディスさん、エイドリルさん、無事ですか?」

 

「ケント? お前、無事だったのか!? 部屋を取ったままいなくなったから、いったいどうしたのかと思ってたんだが……」

 

「色々あったんです。エイドリルさんは……」

 

「私は大丈夫だ。それよりも、私たちは一体どうしていたんだ? そちらのスコールの女性は何者だ?」

 

 エイドリルの怪訝そうな視線が健人の後ろに控えているフリアに注がれる。

 スコールとダンマーは同じ島に住んでいるとはいえ、交友と呼べるようなものは殆どないのだから、無理もない。

 

「キチンと事情は話します。この島を覆っている異常な事態についても。取り敢えずは……」

 

 とりあえず落ち着ける場所で、今ソルスセイム島に降りかかっている危機について話そう。

 健人がそう思って、エイドリルに言葉をかけようとした瞬間、フリアが突然逼迫した大声を上げた。

 

「っ! ケント、後ろ!」

 

「後ろ? って、え?」

 

 突然のフリアの大声に、いったい何事かと健人が顔を上げると、大地の岩が屹立している根元から、巨大な影が盛り上がっていた。

 盛り上がった影はどんどんその高さを増し、ついに健人の身長の二倍以上の高さになった。

 そして次の瞬間、まるで水風船が割れるように影が弾け飛び、中から緑色の毒々しい水をまき散らしながら、巨大な人影が姿を現した。

 魚の頭を無理やりくっつけたのではと思える頭部、ヒレを思わせる水かきのついた両足と、ナイフのように鋭い背びれを持つ背中。

 体の皮膚には所々、魚鱗を思わせる鱗が飛び出し、鎧のように全身を覆っている。

 

「ゴアアアアア!!」

 

 巨人の口から、レイブン・ロック中に響くほどの巨大な咆哮が放たれる。

 巨人という存在はスカイリムにもいるが、健人の目の前にいる巨人は、明らかに普通の巨人とはかけ離れた容貌をしていた。

 

「な、なんだこいつ!?」

 

「ルーカーよ! ハルマモラの眷属! ミラーク聖堂でこいつを模った灯篭を見たでしょ!」

 

「こいつが!? で、でかい!」

 

 ルーカー。

 巨人と比べても遜色ない膂力と、硬い鱗に覆われたアポクリファの原住生物。

 当然ながら、健人は初見の生物である。

 以前健人が探索したミラーク聖堂の深部には、この生物の頭部を模した明かりた数多く見受けられた。

 しかし、健人はここまででかい生物だとは思っていなかった。

 ルーカーの身長は、健人がざっと見た目測で3から4メートル近くある。

 当然ながら、その力も相応に驚異的なものに違いない。

 

「ゴオオオオ!」

 

 ルーカーが咆哮を上げながら、健人に向かって突進。

 その鋭い爪をもった巨碗を振り上げ、エイドリルやゲルディスごと健人を引き裂こうとしてくる。

 

「くっ、エイドイルさん、ゲルディスさん、掴まってください! ウルド!」

 

「お、おいケント……こいつは一体……うわ!」

 

 健人はとっさに二人の体を抱えると、旋風の疾走を一節だけ唱えて後方に跳躍した。

 ルーカーの爪は旋風と化した健人達の体を捕えることはなく、むなしく宙を斬る。

 

「い、今のは一体……」

 

 目の前に化け物が迫っていたと思ったら視界が回り、一瞬で遠くに退避していた事にエイドリルとゲルディスが当惑している。

 健人は狼狽えている二人を地面に降ろすと、腰に差していた黒檀の片手剣を抜いた。

 

「やるぞフリア! エイドリルさん達は退いてください。後は俺とフリアがどうにかします」

 

 健人の言葉にこたえるように、フリアが彼の隣に立つ。

フリアは変性魔法であるエボニーフレッシュを使用し、腰に差していた双斧を構える。

 

「あ、ああ……。す、すまない……」

 

 戦闘者として高位に属する二人の剣気に当てられたのか、エイドリルは緊張でゴクリとつばを飲み込むと、ゲルディスと一緒に後ろに退いた。

 正気に戻った他のレイブン・ロックの市民も、ルーカーの出現に我先にと逃げ出している。

 とりあえず、これで市民を戦闘に巻き込んでしまう心配はなさそうだった。

 

「フリア、この魚頭の巨人、どう思う」

 

「どう考えてもミラークの先兵でしょうね。風の岩を解放した時にはいなかったわ。おそらく、健人に風の岩を浄化されたから慌てて配置したんでしょうね」

 

 風の岩を浄化した際には、このような番人はいなかった。

 だとすれば、この巨人を大地の岩に配備した存在は、ミラークでほぼ間違いないだろう。

 

「逆に言えば、ここを浄化されるのは、やはりミラークにとっても痛手ということで間違いないんだな」

 

 対抗策をとってきたということは、岩の浄化がミラークにとって不利になる行動である事は、これで証明されたといえる。

 ならば、健人達が後やることは単純だ。この番人を排除することである。

 

「ゴファアア!」

 

「来るわよ!」

 

 耳障りな咆哮を上げながら、再びルーカーが突進してくる。

 健人とフリアは全身の神経を研ぎ澄ませながら、異形の巨人を迎え撃った。

 




というわけで、今回はリータの現状と健人の大地の岩の浄化まででした。
次回はルーカー戦です。


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第二話 ミラークの先兵

今回は大地の岩での攻防戦となります。


 大地の岩から出てきた異形の巨人、ルーカー。

 主であるミラークの敵を目の当たりにした彼は、一直線に健人とフリアにめがけて突進し、先ほどと同じように腕を振り上げて一閃した。

 ケントとフリアは息を合わせたように同時に踏み込むと、素早く両脇に広がって振り下ろされた爪を避ける。

 

「ふっ!」

 

「せい!」

 

 振り下ろされた爪を避けると同時に、二人は手に持っていた得物を一閃。

しかし、すり抜け様に薙ぎ払った二人の斬撃は、ジャリン! という耳障りな音とともに、鎧のような鱗に阻まれた。

 

「ち、硬いな!」

 

「はあああ!」

 

 外見が魚じみているだけあり、ルーカーの皮膚は分厚い鱗に覆われている。

 予想以上に固い相手の鱗に、つい健人の口から悪態が漏れた。

 一方、健人と共に背後に回ったフリアはルーカーの背に再び斧を振り下ろすが、やはり再び硬質な音とともに刃が弾かれる。

 フリアの膂力をもってしても、この巨人が纏う鎧を突破することは難しいようだ。

 

「グル……」

 

 背後に回られたルーカーは、振り向きざまに健人とフリアを纏めて薙ぎ払おうと腕を振り回す。

 鋭い爪を持つルーカーの拳が、健人の眼前に迫る。

 健人は眼前に迫るルーカーの手の平を、軽く身を反らして躱した。

 轟音が健人の耳に響き、頬を勢いよく風が駆け抜ける。

 その巨大な体躯に相応しい腕力で振り回された腕は、並の人間が振るう大槌を遥かにしのぐ威力を秘めている。

 軽く掠っただけでも並みの鎧を弾き飛ばし、肉を割いて骨を砕くほどの膂力だ。

 しかし、ルーカーと対峙する健人の顔に、焦りや緊張といった様子はまるで見られない。

 

(振り向きざまに薙いだ右腕を返し、そのまま左腕を袈裟懸けに振るい、最後に両手を上から叩きつける……単純な動きだな)

 

 理由は単純明快。

 ルーカーの動作は、その膂力に反して、あまりにも稚拙だったからだ。

 地面に叩きつけられたルーカーの両腕が巻き上げた土砂を後ろに退いて避けながら、健人はそう独白した。

 ズドン! と地面が揺れたのではと思える轟音が響くが、健人は冷静に、土砂を突き破って突進してきたルーカーを見据えている。

 健人めがけて突っ込んできたルーカーは両腕を広げ、覆いかぶさるように圧し掛かろうとしてくる。

 

「正面から斬って通せないなら、薄いところだな」

 

 掴みかかってくるルーカーを前に、健人は両足に力を籠める。

 流れるような滑らかな、しかしながら力強い踏み込みで前進。

突進してきたルーカーの脇をすり抜けながら、黒檀の片手剣を再び一閃させた。

 狙いは今しがた振り上げられたルーカーの上腕の内側。

 ルーカーの前腕には小手を思わせる分厚い鱗が多いっているが、上腕はむき出しの皮膚が露出している。

 自身と相手の速度を上乗せされた健人の斬撃は正確にルーカーの右上腕部に滑り込み、その肉を深々と切り裂いた。

 

「グルオオオオオ!」

 

 肉を裂かれたルーカーが苦悶の悲鳴を上げた。

 さらにフリアが追撃とばかりに、ルーカーの脇腹に片手斧を叩き込んだ。

 体格に恵まれたスコールの民の膂力が、衝撃と激痛を伴ってルーカーの体に食い込む。

 しかし、相手はそもそも人間とは比較にならない生命力を持つデイドラ。

 叩き込まれた痛みに屈することなく、むしろ怒りを滾らせて、先ほど以上に暴れ始める。

 嵐のように振り回されるルーカーの両腕が、ミラークの祠を作るために積み上げられた石材を打ち壊し、砕けた破片が宙に舞う。

 健人とフリアは再び後退。ルーカーの間合いの外へと逃れた。

 

「怒らせちゃったわね!」

 

「あいつからしたら、仕事の邪魔された上に怪我まで受けた訳だからな。当然だ!」

 

「知ったことじゃないわ。さっさと始末して、全創造主の御下に送ってやるわ!」

 

「相変わらず恐ろしいことで……」

 

 スコールからすれば、自分達の土地を汚した張本人に仕える下っ端などにくれてやる慈悲などないのだろう。

 とはいえ、ノルドの親戚筋らしい相方の苛烈な檄に、健人は思わず心の内が漏れるのを禁じえなかった。

 フリアが血に濡れた片手斧を構え、戦意を溢れさせている中、突然ルーカーがその身を仰け反らせると、深海魚のリュウグウノツカイを思わせる顎を開いた。

 

「ゴロロロロロ!」

 

「っ、毒が来るわ! ケント、避けて!」

 

「うわ!?」

 

 濃緑色の毒々しい液体が、ルーカーの口から放たれ、健人に襲い掛かる。

 健人は咄嗟にその場を飛びのいて毒液を躱す。

 地面にぶちまけられた毒液は鼻につく刺激臭を周囲にばらまきながら、ジュウジュウと耳障りな音を立てて地面を変色させていく。

 全身に被ったら、目も当てられない状態になること間違いない光景だった。

 どうやらこのルーカーは、巨人に匹敵する膂力だけではなく、致死レベルの毒すら持ち合わせているらしい。

 

「汚いものをまき散らすんじゃないわよ!」

 

 ルーカーが毒持ちであることをあらかじめ知っていたフリアは、怯むことなく激高しているルーカーに躍りかかる。

 踏み込んだフリアに合わせて、健人も遅れずに前に出る。

 再び交差する二人と一体。

 ルーカーは相変わらず膂力にものを言わせた力押しを敢行。

 健人とフリアは大ぶりの攻撃の隙間を狙って刃をねじ込もうとするが、そうはさせじと、ルーカーは毒液を吐いて牽制する。

 先ほどの豪風のような腕撃と相まってまき散らされる毒液に、健人は辟易とした声を漏らした。

 

「酔った船乗りと同じくらいタチ悪いな! ノーザンメイデン号の皆といい勝負だ!」

 

 健人の脳裏に蘇っていたのは、ソルスセイム島に来るまでに船員として乗っていた船の仲間達。

 仕事が終われば水の代わりに酒を飲み、健人に料理の催促をして、そして酔いつぶれていく海の男達だ。

 気性の荒い船員達の中には酒癖が悪い奴もいて、酔うと奇声を上げて喧嘩を始める者もいた。

 そしてそんな悪酔いした連中は、大概暴れた後には全員トイレの世話になるが、中には間に合わなかった奴らもいる。

 そんな中でまき散らされた汚物を処理するのは、一番下っ端だった健人の役目であった。

 大声を上げる、暴れる、吐くの三拍子。見事に健人の目の前のデイドラに一致していた。

 逆に、これほど強大な異形を前にしても余裕を持っていられるほどの成長を、健人はしていたともいえる。

 さらに、今の健人にはフリアの存在がある。

 彼女の動きに合わせるように立ち回る健人は、ルーカーの猛攻をものともせずに、左右から二人がかりで、鱗で守り切れない細部に攻撃を重ねはじめた。

 息を合わせた二人の攻勢を前に、ルーカーは瞬く間にその身に追う傷の数を増やしていく。

 戦場の様相は、明らかに健人とフリアに傾いていた。

 翻弄されているルーカーは、二人の体を捉えることができていない。

 しかし、この状況の脇から横やりをかけてくる者たちがいた。

 

「グオオオオオオ!」

 

 耳を震わせる咆哮が、大地の岩の海岸に響く。

 声のした方に健人たちが視線を向けると、今相対している異形と同じ姿の巨人が、海から現れてきていた。

 

「っ! ルーカーがもう一体だと!?」

 

「ただのルーカーじゃない、ルーカー・センチネルよ!」

 

 ルーカー・センチネル。

 その名の通り、ルーカーの歩哨であり、上位種である。

 どうやらミラークは、きちんと保険も用意していたらしい。

 

「フリア、こいつは頼む! 俺はあっちのルーカーをやる!」

 

「ちょっとケント!?」

 

 上位種の登場に、即座に健人が迎撃に動いた。

 巨人クラスの大型相手に挟まれることを避けるためだ。

 ルーカー・センチネルが自分の間合いに入ってきた健人めがけて右腕の爪を振り下ろした。

 健人は即座に、体幹を横に流しながら振り下ろされた爪を躱し、すり抜けざまに脇腹を切り裂こうとする。

 しかし、健人の斬撃は、ルーカー・センチネルが差し込んだ左腕の鱗に弾かれた。

 さらにルーカー・センチネルは健人の剣を弾いた左腕で、彼の体を押しのけると、返す刀で右腕を薙いできた。

 

「くっ! 上位種だけあって動きに無駄がない!」

 

 薙ぎ払われたルーカー・センチネルの腕。

健人は上体に迫る爪を、腰を落として避けながら独白した。

 上位種だけあり、このデイドラは戦いの駆け引きというものを理解している様子だった。

 相手が体格の劣る人間であろうと侮るようなことなしない。

 冷静に、無駄なく己の主の外敵を排除しようとしてくる。

 しかし、健人も負けてはいない。

 虚を突くような緩急を混ぜたルーカー・センチネルの攻勢を、的確に回避していく。

 だが、そんな健人は突然、横合いから襲ってきた衝撃波に吹き飛ばされた。

 

「くっ! 今度はなんだ!?」

 

 砂の地面を転がりながらも受け身を取って立ち上がった健人の瞳には、先ほどルーカー・センチネルが上がってきた海岸から、別の異形達が姿を現すのが見えていた。

 

「あいつらは、アポクリファにいた……」

 

「シーカーまでいたなんて……マズいわね」

 

 現れたのは、ルーカーと同じくアポクリファに住む異形であるシーカー達だった。

 元は知識を求めてアポクリファに入り込んだ人間と言われている異形達は、その身に纏う魔道の力を再び引き出し、不可視の力場を己の周りに作り、健人達にめがけて撃ちだし始めた。

 足を止められては不味いと察した健人とフリアは跳び退いて衝撃波を躱すが、同時にこれは健人達の趨勢が一気に不利に傾いたことを意味する。

 ルーカーたちの膂力に加えて、シーカー達による魔法の横やりが入ってくるのだ。

 だがその時、緊迫した戦場に、健人達でも異形達でもない声が響いた。

 

「総員突撃! レイブン・ロックの街を、悪しきデイドラの手先から守るのだ!」

 

 同時に、無数の矢が宙を舞い、シーカーめがけて殺到する。

 シーカー達は襲ってきた無数の矢を準備していた魔法で吹き飛ばしたが、同時に先程の声に導かれたかのように、鬨の声が大地の岩の海岸に響き始める。

 健人とシーカー達が声の聞こえてきた街の方へと視線を向けると、黄土色の鎧を纏った兵士達が、勢いよくなだれ込んで来ていた。

 

「あれは……レイブン・ロックの衛兵達!?」

 

「ヴェレス隊長!」

 

 健人とデイドラたちの戦場に現れたのは、この街を守るレドランの衛兵達だった。

 先頭に立つのは、彼らを纏めるモディン・ヴェレスである。

 おそらくは、避難したエイドリルが呼んだのだろう。

 健人の服従のシャウトによって暗示から解かれたヴェレス隊長は、この街を守るため、同じ鎧を纏った部下たちを纏め、事の元凶であるこの大地の岩へと駆けつけてきたのだ。

 

「いくぞ! この化け物をオブリビオンに叩き返すのだ!」

 

 レドランの衛兵達は、手負いのルーカー、そして魔法で健人たちを苦しめていたシーカー達へ向かって一斉に襲い掛かる。

 自分達が狙われていることに気づいたシーカー達は、即座に狙いをレドランの衛兵たちに切り替えたが、衛兵達もまた、魔法に長けたダークエルフ。

 シーカーの衝撃魔法を魔力の盾で弾き飛ばしながら、一気に間合いを詰めて斬りかかった。

 元々後衛であり、接近戦は不得手としているシーカー達は、瞬く間にその数を減らしていく。

 手負いのルーカーの方も、フリア一人持て余していたのに、レドランの精兵が参戦してきたことで、あっという間に追い詰められていた。

 味方の不利を悟ったルーカー・センチネルが、シーカー達の救援に行こうと駆け出す。

 

「行かせないぞ!」

 

 しかし、その前に健人が立ちはだかる。

 

「グオオオオ!」

 

「ふっ!」

 

 邪魔者を排除しようと袈裟懸けに振り下ろされたルーカー・センチネルの爪に合わせて、健人は黒檀の片手剣を薙ぎ払う。

 激烈な負荷が健人の両腕にかかるが、健人は地面を踏みしめた両足と体幹を総動員して、圧し掛かる力を受け流す。

 この異形の巨人を、シーカー達の救援に向かわせるわけにはいかない。

 その為には、今まで回避に徹していた健人は戦術を一転し、足を止めて打ち合わなければならない。

 健人とルーカー・センチネルとの膂力の差は絶大だ。一撃二撃ならともかく、数十も攻撃を繰り出されたら、健人もどこまで捌き切れるか分からない。

 おまけにこのルーカーは、戦う上での駆け引きも理解している。相応の牽制も混ぜてくるなら、捌くのはさらに困難になるだろう。

 

「グオオオオオ!」

 

「ふっ!」

 

 しかし、健人は弾ける牽制の攻撃だけを的確に捌き、防ぎ切れない強力な腕撃のみを回避することで、その足止めを成していた。

 ルーカーは巨人に匹敵する膂力を持つだけに、一般人はおろか、複数の兵士でも対処が難しい化け物だ。

 並の防具でその膂力を受け止めることは難しいし、数に任せて押し切ろうとしても、下手をすれば隊列ごと吹きとばされて潰される。

 抑えられるかはともかくとして、どんな精兵だろうと、頬を掠める死の豪風に本能的な恐怖を刺激されることは避けられない。

 さらにルーカー・センチネルは健人と接近戦を演じながら、ルーカーと同じように毒液まで吐き掛けてくる。

 しかし、健人には轟音を立てて迫りくる剛力や致死の毒液を前にしても、動揺は一切ない。

 不意打ちで吐き出された毒液をしゃがんで回避し、お返しとばかりに巨人の太ももに剣を叩きつける。

 

(体が軽い。まるで鳥になったみたいだ)

 

 健人はこの戦いの中で、己の内の中の熱がさらに高まっていくのを感じていた。

 まるで自分が風になったかのような解放感。

 視界に映る相手の動きはまるで高感度カメラで捉えたように鮮明に映り、その腕が吹き飛ばす砂粒や吐き出す毒液の一粒一粒すら読み切る。

 頭はまるで清流のように澄み渡り、眼前の巨人の動きの未来図を描き、最適な動きを導き出す。

 体はまるで羽が生えたように自在に動き、心の臓はまるで滾るマグマのように無尽蔵の熱い血液を全身に巡らせる。

 このタムリエルに流れ着いてきてから遭遇してきた数多の困難と、デルフィンとの鍛錬、数多くの難敵との戦闘経験、そして覚醒した竜の血脈が健人の内で混ざり合い、彼の技量の位階を急激に引き上げ始めていた。

 しかし、このまま時間だけを稼いでいればいいというわけでもないのも事実だ。

 ここで足止めを食らうわけにはいかないルーカー・センチネルは、最終的に自分の身もいとわず健人を突破しようとするだろう。

 健人としても、今の状態でこの巨体を即座に屠ることは難しい。この巨人は、その体躯に見合うだけの膨大な生命力も有していることが、本能的に分かるからだ。

 

「すう……」

 

 だから健人も、とっておきの切り札を切る。

 力に乏しい健人の欠点を埋める一手。覚醒したドラゴンボーンである彼の“力”を、最も引き出してくれる“言葉”を。

 

「ムゥル!」

 

 健人が発した声に導かれるように、虹色の光が彼の体から沸き上がり、光鱗の小手を形成する。

 ドラゴンアスペクト。

 内にあるドラゴンの魂を隆起させ、その能力を爆発的に高めるスゥーム。

 ドラゴンボーンとしての健人を象徴する力だ。

 

「オオオオオオ!」

 

 急激に増大した健人の覇気を前に、ルーカー・センチネルが耳を割くような咆哮を上げ、健人を無理やり突破しようと一気に攻勢に出た。

 

「……いくぞ」

 

 攻勢に出たルーカー・センチネルを前に、健人もまた一歩も引く気はないというように地面を踏みしめ、剣を構える。

 接近戦とはつまるところ、バランスの削り合いであり、先に体勢を崩した方が、死を誘う一撃を受けることになる。

 健人が素早く異形の巨人を屠るには、突進してくる巨人のバランスを即座に崩し、致命となる確実な一撃を入れなければならない。

 

「……ふっ!」

 

 一撃目、薙ぎ払われたルーカー・センチネルの右爪を、横に寝かせた黒檀の片手剣で受け流す。

 二撃目、突進の慣性を活かしたまま、体当たりの要領で押し出された巨人の左腕を、シールドバッシュの要領で突き出した剣身で弾き返す。

 三撃目、ルーカー・センチネルは受け流された右腕の爪を引き戻し、高々と振り上げて健人の脳天に振り下ろしてきた。

 

「ここ!」

 

「グオ!?」

 

 黒檀の片手剣を突き出すように両手で構えて体幹を捻り、頭上に迫る一撃に合わせて振り上げる。

 捩じる様な回転を加えられた健人の刃は、ガィン! と甲高い音を立てながら、振り下ろされた爪の勢いを左上方向に流しながら弾き飛ばす。

 異形の巨人の状態が浮き、無防備な胴体が晒される。

 健人は迷うことなく跳躍し、ルーカー・センチネルの首に刃を突き立て、一気に引き裂いた。

 

「グルゥウウウ!」

 

「はあ!」

 

 首から毒々しい血を流しながら、異形の巨人が擦れた声を漏らす。

 健人は追撃とばかりに巨人の膝に足をかけて再跳躍しながら、逆袈裟に胴体を一閃。強固な鱗を紙のように斬り裂きながら血の花を咲かせる。

 さらに重力に従って落ちるまま、相手の背後に着地しながら背中を裂き、止めとばかりに着地と同時に逆手に持ち直した黒檀の片手剣を、異形の巨人の心臓めがけて突き刺した。

 

「ゴォ……」

 

 命の源を絶たれたルーカー・センチネルの体が、ゆっくりと力を失い、崩れ落ちていく。

 健人は静かに、心臓に突き刺した刃を引き抜きながら、残心を納める。

 相手の命が完全に断たれていることを確認すると、刃に付着した血を払い、鞘に納める。

 健人がルーカー・センチネルを倒すのとほぼ同時に、手負いのルーカーやシーカーたちも地面に倒れ伏す。

 次の瞬間、爆発的な歓声が、大地の岩に響いた。

 



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第三話 解放されたレイブン・ロック

 大地の岩を解放し、ミラークが配置した番人を倒した健人とフリアは、この街の代表であるレリル・モーヴァインの家に招かれた。

 謁見の部屋では、一番奥の中央の椅子にこの街の代表であるモーヴァイン議員が座り、その両隣を腹心であるエイドリルと彼の奥方であるとシンディリ・アラーノが固めている。

 彼の自宅は街の代表が住むにはこじんまりとしたもので、レイブン・ロックの逼迫した経済状態を表しているようだった。

 しかし、健人とフリアを出迎えたモーヴァイン議員は、そんな厳しいレイブン・ロックの状態をおくびにも出さず、静かに微笑んで街の恩人たちを出迎えた。

 

「そんな事態になっていたとはな。レイブン・ロックを代表して、感謝の意を示そう」

 

「いえ、お礼を言われることではありません」

 

「スコールとしても、今のソルスセイムを覆う事態を放置することはできませんでしたから……」

 

 ひとしきり自己紹介と挨拶を済ませた健人とフリアは、レリル・モーヴァインに単刀直入に質問をぶつけてみた。

 聞くことは当然、ミラークに関連した事柄である。

 

「お聞きしたいのですが、ミラーク、もしくはハルメアス・モラや黒の書について、何か知っていることはありませんか?」

 

「いや、私もそれらについては詳しくはない。我らダンマーも、ハルメアス・モラと関わろうとする者は少ないだろう」

 

「そうですか……」

 

 ダンマーはデイドラ信仰で知られている種族だが、全てのダンマーが全てのデイドラを信仰の対象としているわけではない。

 特にレドラン家は武家としての側面が強い為、知識のデイドラであるハルメアス・モラは信仰の対象にはなりづらいようだ。

 同時に、今ソルスセイムを覆っている危機についても、新しい情報は持っていない様子だった。

 そもそもつい先ほどまで操られていたのだから、新しい情報を持っている可能性は元々少なかった。

 

「だが、テルミスリンにいるネロスなら、何か知っているかもしれない。彼はダンマーの大家の中でも、最も知識欲の強いテルヴァンニ家に属している。おそらく何か手がかりが知っているだろう」

 

「ありがとうございます。やっぱり、テルミスリンに行くしかないですね……」

 

「確かにマスターネロスは人格には問題があるが、彼はダンマーの中でも随一の魔法使いであることは本当だ。少なくとも魔法の腕について、自らを呼称する彼の言葉に偽りはない」

 

 結局、ダンマー達の意見も、テルミスリンのネロスに助力を仰ぐのが一番だということだった。

 健人はこの街で出会った偏屈なダンマーの老人を思い出し、大きくため息を漏らした。

 何かと人の神経を逆なでる人物だっただけに、健人としてもできるなら会いたくない人物だ。

 しかし、この街を治め、ダンマーが誇る大家の一員であるレリル・モーヴァインの言葉が、ネロスの魔法の腕や知識は保証できると断言している上、今の健人達は少しでも情報や活路が欲しい。

 ならば、答えは決まっていた。

 

「それで、君たちはこれからどうするのだ?」

 

「とりあえず、まずは残った岩の解放ね。その後にテルミスリンかしら?」

 

「ええ、とにかくミラークの力について、もっと調べていこうと思います」

 

「そうか、分かった。少し待ちたまえ、渡すものがある」

 

 ミラークの情報を知るために、テリミスリンに赴く。

 そう断言した健人とフリアにレリルは頷くと、出ていこうとする彼らを止め、おもむろに取り出した羊皮紙に何かを書き込み始めた。

 羊皮紙に何かを書き込み終わると、彼は蜜蝋を入れた容器を取り出し、傍にあったロウソクで温め始める。

やがて温められた蜜蝋がドロドロに溶けたのを確認すると、羊皮紙に蜜蝋を数滴落とし、指に嵌めていた指輪を外して蜜蝋に押し付け、印を押した羊皮紙を健人に差し出してきた。

 

「これは?」

 

「今日、君達が成した事を証明するための書だ。大地の岩で起こった仔細と、君たちの功績、そして私の家紋が押してある。ネロスは疑り深いし偏屈な男だが、レドラン家の一員である私の家紋を無視することはできないだろう。彼の助力を得る一助になると思う」

 

 レリル・モーヴァインは、このレイブン・ロック、ひいてはソルスセイムを治めるダンマーの領主だ。

 その家紋を使って印を押したということは、この街の領主、ひいてはレドラン家が、健人とフリアの功績を認め、ネロスに協力するように正式に要請したということだ。

 これはネロスの協力を得る上で、間違いなく大きな一手となる。

 健人は差し出された羊皮紙を恭しく受け取ると、丁寧に懐に収めた。

 

「あ、ありがとうございます。それでは、失礼します」

 

 受け取る際に声が少し上ずってしまっていたが、とりあえずこれで、健人達の目的はまた一つ前進した。

 健人はレリルに一礼すると、静かにモーヴァイン家の邸宅を後にする。

 扉の向こうへと消えていった健人を見送ったレリルは口元に笑みを浮かべると。隣でずっと謁見の様子を見守っていた腹心に目を向けた。

 

「彼が、君が言っていた異邦人かい、エイドリル」

 

「はい」

 

 レリルは健人について、エイドリルからある程度の報告は受けていた。

 とはいっても、健人の報告をレリルが受けたのは少し前、健人がレイブン・ロックを初めて訪れたころの話で、その時はこの街の恩人としてではなく、一介の異邦人という形での報告だった。

 当然ながら、健人がこの街で巻き込まれた騒動や事の顛末、ヴェレス隊長の健人に対する印象なども、聞いている。

 

「なるほど、良い人物のようだ。自らの功績を誇らず、我らダンマーに貸しを作ったにも関わらず礼を忘れない人物など、珍しい」

 

 初めて健人と相対したレリルの印象は、かなりの好印象だった。

 ダンマーはデイドラを信仰するが故に、九大神を信仰する他種族からは蔑視される傾向が強い。

 また、先のオブリビオンの動乱を起こしたのがデイドラだけに、一時期デイドラや魔法に関する事柄は忌避されていたこともある。

 その悪感情は当然、ダンマーにも向けられた。

 レリルもそんな自分たちの種族の業は理解していたために、恩が出来たことをいいことに高圧的な態度を取られる可能性も考慮していた。

しかし、肝心の健人の言葉は、決してダンマーをなじるようなものはなく、協力を受けられたことを喜ぶ色しかなかった。

寂れた鉱山の街を統べる領主としては、珍しく謀を警戒する必要のない対話だった。

 

「そうですね。歓迎すべき稀人かと……」

 

「エイドリルが手放しで褒めるのも珍しいな」

 

「ふふ、いつも眉間をこんな風にしていますものね」

 

 レリルの隣に控えていたエイドリルの妻であるシンディリ・アラーノが、可笑しそうに自分の指で眉を吊り上げて夫の真似をした。

そんな彼女の隣では、主であるレリル・モーヴァインが、面白そうに含み笑いを押し殺している。

 そんな妻と主を見て、エイドリルは深々と溜息を漏らした。

 

「レリル、シンディリ、揶揄わないでほしい」

 

「分かっているよ」

 

「ごめんなさい、あなた。とても珍しいものが見れたから、つい……」

 

 ミラークの影響から解放されたとはいえ、枯渇した鉱山の街、レイブン・ロックの問題は山積みだ。

 難事は絶えることがなく、経済的にも心理的にも苦しい毎日だった。

 しかし、常に苦しいばかりでもない。

 ほんの一時の安らぎ。それだけで人はまた立ち上がれる。

 小さな領主の家の中に、久方ぶりに安堵に身をゆだねた三人の笑い声が響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 モーヴァイン邸から出た健人達を出迎えたのは、この街の宿屋、レッチング・ネッチ・コーナークラブの店主、ゲルディス・サドリだった。

 モーヴァイン邸の前で目的の人物を待っていたゲルディスは、健人の姿を確かめると、手を挙げて彼の名を呼んだ。

 健人もまた、ゲルディスの姿を確かめると、頬に笑みを浮かべる。

 

「よう、ケント」

 

「ゲルディスさん、大丈夫ですか?」

 

「ああ、おかげさんでな。なんだか頭もすっきりしたよ。世話になったな」

 

「いえ、気にしないでください。俺もゲルディスさんにはお世話になりましたから」

 

 健人はレイブン・ロックに来たばかりの頃、ゲルディスの店で部屋を取っていた。

 スカイリムからソルスセイムに逃げてきたばかりの時という事もあり、当時の健人は精神的に余裕がなかったが、このあけすけで遠慮のない宿屋の店主のおかげで随分と楽になった自覚があった。

 一方、ゲルディスは相変わらず下手に出てくる健人の態度に、思わず顔を綻ばせる。

 

「律儀だな。これからどうするんだ?」

 

「とりあえず、島にある他の岩を解放してから、テルミスリンに向かおうと思います。この事態を解決するのに、マスターネロスの協力が要るみたいですから」

 

「そうか、あのテルヴァンニ家のウィザードは色々と変な噂もあるし、気を付けろよ」

 

「ええ、肝に銘じます」

 

 ゲルディスもネロスについては良い話を聞いていないのだろう。

 その時、ゲルディスが何かを思い出したように手を叩いた。

 

「そうだ。そういえば、最近お前を尋ねてきた奴がいたんだけど、知り合いだったのか?」

 

「俺を訪ねてきた人?」

 

 訪問者の存在に、健人は怪訝な表情で首をかしげる。

 元々異世界人である健人に知り合いはほとんどいない。

 脳裏に浮かぶのはせいぜい、ソリチュードで振り切ってきた義理の姉の従者であるリディアくらいだ。

 

「ああ、確か名前は、カシト……とか言ったか?」

 

「……え!?」

 

 しかし、ゲルディスの口から出てきた名前は、健人が全く予想していない人物のものだった。

 カシト・ガルジット。

 かつてヘルゲンで一緒に働いた同僚であり、色々と世話を掛けさせられたカジートだ。

 彼はホワイトランがミルムルニルに襲われた後、帝国軍に合流するために健人と別れている。

 そんな彼が、なぜこの島にいるのだろうか? 

 健人の表情に大きな驚きと歓喜が浮かぶ。

 

「やっぱり、知り合いか?」

 

「ええ、ヘルゲンにいた時の友人です。でも、何でソルスセイムに……。それで、カシトは何所に?」

 

「さあな。健人の居場所を聞いて、帰ってきていないことを知ったら、大慌てで街から出ていったよ。行先については知らないな」

 

 健人は頭を抱えた。

 ソルスセイムは島ではあるが、その広さはスカイリムの一ホールドに並ぶほど大きい。

 簡単に人一人を見つけられるような狭い島ではないのだ。

 

「そう……ですか。分かりました。ありがとうございます」

 

「ああ、俺もあのカジートに会えたら、無事だって伝えとくよ」

 

 ゲルディスが伝言を申し出てくれたことに、健人は少しだけ安堵した。

 この街は、ソルスセイムの中でも最も大きな街だ。

 カシトが再び戻ってくることも、十分に考えられるし、その時に連絡が取れるなら願ってもいないことだ。

 

「よろしくお願いします。それじゃあ、俺はこれで……」

 

「休んでいかないのか? アンタなら、連れも含めてタダでいいぜ」

 

 踵を返して、街の外へ向かおうとする健人を、ゲルディスは思わず押し止めた。

 彼は今しがた、街の脅威を排除し、戦闘を終えたばかりだ。

 見たところ怪我などはないようだが、少しくらいは休憩をして行ったほうがいいと思ったのだ。

 しかし、健人はゲルディスの提案を丁寧に固辞する。

 

「いえ、すぐにでも他の岩を回りたいので、これで失礼します」

 

 そう言い切った健人の隣にいたフリアもまた頷いた。

 ゲルディスはそのしっかりとした健人の返答に、驚きに目を見開く。

 彼が見てきた健人は、すさまじい力量を持ちながらもどこか不安定で、それはさながら今にも消えそうな生霊を思わせた。

 しかし、今の健人にはまるで砂嵐をものともせずに進むシルトストライダーのような存在感がある。

 少し見ない間に、いったいこの少年に何があったのだろうか? とゲルディスは当惑に揺れる瞳で健人を見つめる。

 しかし、その表情もすぐに穏やかなものに変わる。

 

(多分、こっちが本物の此奴なんだろうな……)

 

「わかった。ちょっと待っていろ」

 

 健人にここで少し待つように言うと、ゲルディスは自分の店の中へと消えた。

 数分して店から出てきたゲルディスは大きな袋をもっており、その袋を無造作に健人に手渡す。

 

「これは?」

 

「店で使う食材や保存料、調味料だ。助けてもらったんだ。これくらいはさせてくれ」

 

 健人が袋の中身を多あしかめてみると、中にはアッシュヤムやニンジン、干し肉などが一杯に詰まっていた。

 二人なら、しばらくは食べていける量である。

 

「ゲルディスさん、ありがとうございます」

 

 健人が礼を言うと、ゲルディスは少し気恥しそうに頬を搔き、気にするなというように手を振る。

 

「気を付けてな。アンタにアズラの加護があらんことを……」

 

「ゲルディスさんも、気を付けて」

 

 ゲルディスにペコリと頭を下げた健人は、次の岩へと向かうためにレイブン・ロックの出入り口へと足を進めた。

 ブルワークの門をくぐったところで、フリアが徐に声をかけてくる。

 

「それで、ケントはどうするの? その友達、先に探す?」

 

「……いや、まずは岩を浄化しよう。カシトの事は気になるし、少し心配だけど、大丈夫だよ。あいつ、何だかんだで強いし」

 

 実際、カシトは強い。

 彼と共に戦ったのは、リバーウッドからホワイトランへ向かう道中で遭遇したオオカミくらいだが、彼はその時、帝国軍の精兵であるハドバルと同じくらいのオオカミを仕留めている。

 普段の気の抜けた態度からは想像もできないが、当時のリータやドルマよりも強者なのだ。

 しかし、カシトの力量を自覚しても、健人は自分の胸の奥に浮かぶ一抹の不安を拭い切れないのも事実だった

 そんな力量をすべて台無しにする騒動を引き起こすのも、カシトがカシトたる所以であるのも事実だったからだ。

 

「……多分」

 

「ちょっとケント……」

 

 そんな事を考えていたからだろうか。不安になった健人の胸中が、つい口から溢れてしまう。

 健人が漏らした言葉を聞いて、フリアがジト目で健人を睨み付けた。

 

「と、とにかく! 今はどうしようもないから、次の岩を目指そう!」

 

「……ええ、そうね」

 

 取って付けたように言いつくろう健人に、フリアがため息を押し殺したような顔を浮かべる。

 実際のところ、広大なソルスセイム島において、カシトの正確な居場所がわからない以上、探しようがないのは事実である。

 

(大丈夫……だよな?)

 

 今一度、己の内に問いかけながら、健人はレッドマウンテンから噴き出す灰に染まった空を見上げる。

 健人の目には空を覆う雲に“大丈夫!”と言うようにキラリと歯を輝かせてサムズアップする友人の姿が浮かんでいたが、過去の彼の所業に巻き込まれてきた健人としては、胸の奥の不安を加速させるものでしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここどこーーーーー!」

 

 健人がレイブン・ロックの街をミラークの力から解放している頃、カシトは島の北側にある氷の洞窟で迷子になっていた。

 健人を探してレイブン・ロックの町から飛び出したはいいものの、健人の手がかりなど何もないカシトがまっすぐにスコール村やミラーク関連の遺跡にたどり着けるはずもなかった。

 島の西側に沿って北上したカシトであったが、途中で吹雪に遭ったのが不運だった。

 彼はやむを得ず近くの洞窟に逃げ込むも、洞窟は意外と深く、奥へ奥へと行く内にすっかり迷ってしまっていたのだ。

 カジートは目がよく、暗闇でも周囲を見ることには事欠かないが、だからと言って洞窟で迷った状態ですぐに脱出できるかというと話が別である。

 何度も何度も行き止まりにぶち当たり続け、精神的にも肉体的にも疲労が蓄積している。

 そして今しがた、最も長い通路の先にあったのは、またまた行き止まり。

 今までで最も長い通路だっただけに外に出られると期待していたカシトは打ちひしがれ、その場に腰を落としてしまう。

 

「うう、寒いよう、お腹減ったよう、ケントに会いたいよう……」

 

 シクシクと目に涙を浮かべて地面に丸まりながら、弱音を吐く。

 人間大の猫が丸まっているような様は端から見ても少し異様で、同時に哀愁を湧き立たせるものだった。

 同時に、空っぽの腹が食べ物を催促して“グ~!”と抗議の声を上げた。

 あまりに空腹だったカシトはこの際何でもいいとばかりに、近くにあったものに手を伸ばす。

 

「ああ、ケントのハニークッキー……むぐ!? かひゃい……」

 

 かつて親友がくれた甘味を思い出しながら、適当に拾った物をかじるが、歯には無機質で硬質な感触が返ってくるのみ。

 この洞窟は氷で閉ざされているが、明らかに何者かの手が加えられており、中にはなぜか皿や壺など、一見よくわからないものであふれている。

 しかし、生憎とカシトが求める食料は見当たらない。

 カシトはさめざめと涙を流しながら、今しがた齧った物に目を向ける。

 

「……なに、これ。骨? 見た事ない形の頭蓋骨だけど、何だろ」

 

 それは奇怪な形の頭蓋骨だった。

 ヤギのような角があるが、額にはまるで石をはめ込むような窪みがついている。

 一体これは何かとカシトが矯めつ眇めつしていると、突然耳障りな大声が洞窟に響いた。

 

「ムワサスーー!」

 

「うわ、一体何!?」

 

 大声とともに現れたのは青い肌をした緑色の小人だった。

 小人は驚くカシトを見て、もう一度大声を張り上げる。

 

「ムワサスーー!」

 

「む、むわさす?」

 

 おそらく挨拶をしているのだろうと判断し、カシトはつたないながらも彼らの言葉をまねて挨拶をしてみる。

 その挨拶が通じたのか、5人の小人の中でひときわ大きな体躯の小人が前に出てきた。

 

「オマエ、ダレ、ダ?」

 

「オイラ? オイラはカシトだよ」

 

 彼は何かの毛皮で作った服をまとい、手には小ぶりの石槍を携えている。

 リークリング。

 ソルスセイム島に住む青い肌を持つ小人であり、独特の文字や言葉を使う種族だ。

 リーダー格のリークリングが纏う服は他のリークリングと比べても豪華であり、頭には動物の骨でできた兜を被っている

 リークリングは特に人食いの習慣があるわけではないが、元々が人間やエルフ、亜人と比べても異彩を持つ文化を有しているため、接触が控えられてきた。

 もちろん、中には血を見るような衝突をしたこともあるため、今すぐ襲われないからと言って、油断はできない。

 カシトが内心でどうやって逃げようか算段をつけていると、配下のリークリングの内の一体が突然大声を上げ始めた。

 

「オウ、サマ! オウ、サマ!」

 

 大声をあげていたリークリングが指さしていたのは、カシトが持つ頭蓋骨。

 それに気づいた他のリークリングもまた、大声をあげて騒ぎ始める。

 

「オウ、サマ! オウ、サマ!」

 

「王様? 一体何のこと?」

 

 彼らが言う王様に皆目見当もつかないカシトが首をかしげる中、リーダー格のリークリングが突然カシトの手を取って引っ張り始めた。

 

「オマエ、オウサマ、ミツケタ! コイ!」

 

「ええ? おいらケントを探さないといけないんだけど……」

 

 一刻も早く健人を探し出したいカシトにとっては、リークリングに時間を取られることは避けたい。

 元々文化体系がまるで違う種族だ。下手に関わり合いを持つべきではないというのが、カシトの考えである。

 もし逃げるのが難しかったら、手に持った頭蓋骨を渡してさっさと立ち去るつもりだった。

 

「オマエ、オウサマ、ミツケタ、コイ!」

 

「だから、オイラはケントを……」

 

 そんな時、再びカシトの腹の虫が泣いた。

 言いようのない沈黙が、カシトとリークリングの間に流れる。

 

「うう、お腹減ったよう……」

 

「コイ、タベモノ、アル。オウサマ、ヨミガエル。タベモノ、タベラレル。コイ!」

 

「食べ物!? よし、オイラ付いて行くよ! さあ行こうすぐ行こう今すぐ行こう!」

 

 食べ物という言葉を前に、カシトの警戒心はあっという間に霧散した。

 頭蓋骨を渡して去るという選択肢も、速攻で頭の中から消え失せた。

 彼らが案内するにまかせるまま、意気揚々と後に続くカシト。

 この後、彼は自分の愚かさに恨み節をぶちまけながら、すさまじい化け物と無数のリークリングに追われる羽目になるのだが、それはまだ健人が知らない話である。

 

 

 




大地の岩浄化後のレイブン・ロック。そして健人、カシトの存在を知るお話でした。
次話はおそらくテルミスリン。他の岩の浄化はすっ飛ばす予定です。
ちなみに、次話以降は更新未定。それほど時間がかからずにお届けできたらと思いますが、リアル次第なのでご容赦を。


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第四話 テルミスリン

 レイブン・ロックを発った後、健人とフリアは島の西側の水の岩と、ミラーク聖堂南東にある獣の岩を浄化した。

 その後、テルミスリンへと向かいながら太陽の岩を浄化。

 当然ながら、ミラークは他の岩にも番人を配置しており、健人達は岩の浄化の度にルーカーと戦う羽目になったが、健人とフリアの前に一蹴された。

 そして二人は今、テルミスリンへと続く灰の大地を進みながら、岬の端に聳える巨大なキノコを見上げていた。

 

「ここがテルミスリンか……」

 

「相変わらず、奇妙な形の家ね」

 

「キノコの家って、物語とかでは聞いたことあるけど、実際に見ると……デカいな」

 

 十階建てのビルの相当するのではと思えるほど巨大なキノコは、獣の岩からでもよく見えていた。

 今の健人達はテルミスリンの麓まで近づいている為、尚の事、その巨大さが目に留まる。

 健人やフリアは知らないが、この巨大キノコはモロウウィンドに自生している特殊なキノコを、テルヴァンニ家最高の秘術をかけて育てたものである。

 元々テルヴァンニ家はダンマーの五大家の中でも魔法研究に特化した大家であり、その魔法技術力はタムリエル大陸の中でも突出している。

 だが同時に、テルヴァンニ家はあまりにも魔法研究に没頭しているため、他家からはかなり忌避されている一面もあった。

 健人はとりあえず、一際大きなキノコの麓まで歩いていき、キノコの茎に設けられていた扉を叩いて、中に入ってみる。

 

「失礼します……。なんだこれ、魔法陣?」

 

 健人の目に飛び込んできたのは、上へと続く長い縦穴。そして、縦穴の床一面に描かれた大きな魔法陣だった。

 魔法陣からは蛍のような燐光がわずかに漏れ出しており、起動していることが窺える。

 見たこともない魔法陣を前に逡巡する健人だが、後ろから魔法陣の様子を覗き見ていたフリアが、おもむろに陣の中に足を踏み入れた。

 

「きゃ!」

 

「フリア!? うわ!」

 

 魔法陣に足踏み入れた瞬間、フリアの体が浮き上がり、あっという間に縦穴の上へと昇っていく。

 突然の出来事に驚いた健人も、咄嗟にフリアの体をつかもうと陣の中に足を踏み出してしまった。

 健人が“しまった!”と思った時には、一瞬の浮遊感とともに、彼の体はフリアと同じように縦穴を昇り始めていた。

 しかし、彼の体が浮いていたのはほんの数秒。魔法陣の力で縦穴を昇らされた健人とフリアは放り出される形で、テルミスリン縦穴の頂上に降り立った。

 縦穴の頂上で咄嗟に着地した健人が見たのは、円形の広間。

 あちこちにテーブルや付呪台、錬金台が置かれ、魂石や書籍が散乱した、いかにも不精な研究者の部屋と言った空間だった。

 部屋の奥には豪奢なローブを纏った気難しそうなダークエルフ、ネロスが、付呪台の傍で何か作業をしている。

 ネロスは浮遊エレベーターを昇ってきた健人達の姿を確かめると、これ見よがしに眉間にしわを寄せた。

 

「塔に招いた覚えはないがな、一体何者だ?」

 

 威圧的な態度を隠そうともせず、作業を止めて、自宅に侵入してきた不審者を確かめるネロス。

 健人の顔を確かめると、ネロスは眉間に依った皴を幾分緩め、意外なものを見たような表情を浮かべた。

 

「ほう、お前か。テルヴァンニ家のマスターウィザードの私に不遜な態度を見せ、岩の浄化をして私の観察の邪魔をしていた者が、態々テルミスリンを訪れるとは、どういう風の吹き回しだ?」

 

 健人は自分がネロスに覚えられている事に、少し驚いた。

 この人物の性格上、ほんの少し話をしただけの人間の事を覚えているとは思わなかったのだ。

 

「お久しぶり、というべきなんですかね? というか、なんで俺達が岩の浄化をしているって知っているんです?」

 

「ふん、私の執事がレイブン・ロックで聞いてきたからに決まっているだろう。せっかく興味深い事象だったのだがな……」

 

 心底残念だというネロスの態度には、相も変わらず他者の被害への配慮など微塵も感じられない。

 そんなネロスの言動に、健人の隣にいるフリアが眉をひそめたのを感じていた。

 スコールの民、ひいては、ソルスセイムを降りかかるミラークの脅威から救いたと願っているフリアにとって、ネロスの言動は癇に障るものであることは間違いない。

 とはいえ、それを言葉にしないあたりは、彼女もネロスの重要性を心得ているといえた。

 

「それで、いい加減この邸宅に来た理由を聞かせてくれないか? 邪魔者がいては研究に支障が出る」

 

 相も変わらず高圧的なネロスの口調に、健人もすぐに用事を終わらせたほうがいいと考え、おもむろに腰のポーチに忍ばせていた黒の書を取り出した。

 

「この本について、知っていることを聞かせてほしい」

 

 健人が持つ黒の書を見た瞬間、不機嫌だったネロスの瞳に、強い興味の色が灯る。

 

「ほう、黒の書か。これは珍しい。中も見たのだろう? 目を見ればわかる」

 

「見たというより、引きずり込まれたんだ。それより質問に答えてほしい。この書について何か知っているのか?」

 

「無限の知識を内包した書。正確には、知識を内包した領域へと続く書だ。ハルメアス・モラが世界中にばら撒いた物で、私も持っている。危険なものだが使い方によっては有用だ。」

 

 ネロスもこの書を持っているという話を聞き、健人はこれである程度の情報が得られる確信を得た。

 魔法研究に命を捧げているような人物が、この書について調べないはずはない。

 一方のフリアは押し黙りつつも、どこか警戒心を持ってネロスを眺めている。

 黒の書はスコールにとっては忌まわしい力の源であるが故に、彼女の反応も無理はない。

 健人はとりあえず、単刀直入に黒の書を求めている理由について、ネロスに話すことにした。

 

「この書とミラークの関係、奴の力について、すべてが知りたい。奴と相対するには、奴の力についてもっと知らなければならないんだ」

 

「ミラークというと、街民達が口にしていたあの名前だな。ハルメアス・モラと何らかの関係がある者がこの島に干渉していることは知っていたが、この島の中央にある聖堂と同じ名前の者だったとはな」

 

「あの聖堂の主について知っているのか?」

 

「当然だ。史上最初のドラゴンボーンにして、竜族に反旗を翻したドラゴンプリーストの事だろう」

 

 ネロスもミラークについてはある程度推察していたようだが、彼は健人が思っている以上に、古代のドラゴンボーンについて知っている様子だった。

 健人の質問に答えたネロスは、今度は自分の番とばかりに、健人に問いかける。

 

「なぜ、その力を追い求める? 奴はドラゴンボーン。この世界で最初にアカトシュの祝福を得た、世界最初の竜の血脈だ。その力は到底、並の人間が体得できる領域ではない」

 

「俺が、ドラゴンボーンだからだ」

 

「ほう……」

 

 ドラゴンボーン。その言葉を聞いた瞬間、ネロスの瞳にさらなる興味の色が浮かんだ。

 先程までのネロスの興味は健人の持つ黒の書だけに向けられていたが、ここにきて健人本人にも興味を示し始めた。

 怠惰で鬱陶しさを全面に出していた雰囲気は既になく、その瞳はねめつける様に健人を見つめている。

 健人は無遠慮に突き刺さるネロスの視線をあえて無視しながら、レリル・モーヴァインから渡された書を懐から取り出し、ネロスに手渡す。

 ネロスは押された家紋を見て“ふん”と鼻を鳴らすと、無造作にレリルがしたためた書を広げて読み始める。

 書を読み終えると、ネロスはレリル・モーヴァインの書簡を丸めて健人に放り投げた。

 

「なるほど、どうやら嘘は言っていないようだ。黒の書を読んだ……いや、呼ばれたことを考えれば、お前がドラゴンボーンであることは真実なのだろう。ハルメアス・モラは未知の知識や存在には強い興味を示すからな。おまけに、あの石頭のレドランの家に取り入るとは。なるほどなるほど……」

 

 レドラン家は武家としての思想やダンマーの伝統を重んじる大家のため、魔法研究一辺倒のテルヴァンニ家とはそもそもそりが合わない。

 魔法に対してあらゆる手段、それこそ、人目に憚れるようなことも場合によっては容認するテルヴァンニ家からみれば、レドラン家のダンマーは保守的過ぎるのだ。

 一方でレドラン家も、ダンマーとしての伝統を重んじすぎるが故に、他種族を認めることはほとんどない。

 しかし、レドラン家のレリルがしたためた書の中では、健人について、ネロスが考えていた以上に褒め称えられていた。

 排他的なレドラン家の評議員に認められたその事実も、ネロスの健人に対する興味を刺激していた。

 

「ミラークの力について書かれた書はこの島にあるが、私は持っていない。だが、心当たりはある。チャルダックだ」

 

「チャルダック?」

 

「島の東にある、水没したドワーフの遺跡だ。ドワーフは知識を追い求めた種族で、かの星霜の書からも知識を得ようと奮闘している。当然、黒の書についても研究していた」

 

 ドワーフ。

 この世界ではドゥーマーと呼ばれている種族。

 地球から来た日本人ならば、トールキンの指輪物語に出てくるような顎髭生やした小さなおじさんたちを思い浮かべるかもしれないが、このタムリエルにおけるドワーフとは、エルフ種の一種である。

 彼らはこの科学技術が未熟な世界において、常識を超えた技術力を持っていた種族であった。

 そして同時に、既にこの世界から完全に姿を消した種族でもある。

 ドワーフが姿を消したのは、第一期、ダンマーとの戦争中のことだったらしい。

 理由は未だに不明だが、彼らドワーフはその戦争の最中、一夜にして一人残らず、ニルンから姿を消した。

 その事実は確固とした歴史であり、数多の文献に記されているが、その原因について書かれた書物は、健人が知る限り聞いたことはない。

 だが、彼らがこの世界での常識を超えた技術力を持っていたことは間違いなく、彼らの遺跡の中では、未だに稼働しているものも数多く存在している。

 同時にそんな遺跡には、侵入者を迎撃するためのシステムも生きており、不用意に中に入った者の命を容赦なく刈り取っている。

 健人もドワーフの遺跡の危険性については、デルフィンの講義で聞いていた。

 

「……よし、そこに行こう」

 

 健人はドワーフの遺跡に潜った経験はない。

 しかし、たとえ経験がないからと言って、引き下がるつもりもない。

 元より、健人はドワーフなどよりもよほど危険な存在を相手取らなければならないのだから。

 

「だが、お前達だけでは遺跡には入れない。扉はあるが、私が閉ざしたからな」

 

 だが、そんな健人の決意にネロスが水を差す。

 

「どうしてそんなことを?」

 

「あれは有用な遺跡だ。お前たちのような無知な輩が入り込んで荒らされてはたまらないからな。私がカギとなるものを取り外し、遺跡を封じたのだ。ついでに言えば、前に遺跡に行った際に、汚れ役を行う小間使いが必要だと思ったことも大きいな」

 

「ああ、そうですか……」

 

 遺跡を封印したというネロスのセリフに、健人は一瞬、彼がドワーフの遺跡の危険性を鑑みて遺跡を封印したのかと思ったが、やはりこのダンマーが遺跡を封じたのは、自分の研究の為だったらしい。

 ついでに丁稚奉公を必要とする辺り、家格と研究意欲とプライドが高い五大家のマスターウィザードらしいといえる。

 ネロスのセリフに思わず健人が肩を落としている中、肝心のマスターウィザードは懐から奇妙な四角い箱を取り出した。

 金色を基調とした奇妙な彫刻を施されたその箱は、健人が文面で見たドワーフ関連の遺跡によく出土する物品と似通った特徴を持っている。

 

「これがそのカギとなっている制御用のキューブだ。お前たちがどうしてもと言うのなら、協力してやってもいいぞ。条件があるがな?」

 

「条件とは?」

 

「簡単なことだ。私を同道させ、その黒の書を私にも見せることだ」

 

 自分にも黒の書を見せろと言ってくるネロスに、健人は眉を顰める。

 

「危険な書だと言っていなかったか?」

 

「確かに、黒の書は無知な者が扱うには過ぎたものだ。だが、知識は知識。故に有用だ。使い方さえ理解していればな」

 

 暗に“お前には使いこなせるのか”と聞いてくるネロスに、健人は額の皺を深める。

 健人があの書を見たのはほんの僅かな間のことだ。

 書に引きずり込まれてからすぐにミラークに追い出されたために、黒の書の詳細まで調べている時間はなかった。

 危険性についても、迂闊に触れてはいけない代物だと分かっていても、その詳細まで知ってはおらず、かなり漠然としているのも事実だ。

 だが同時に、健人は知らないからこそ、知らなければならないと考えていた。

 元より、ミラークと相対する道が平坦な道程だとは思っていない。とうに決意は固めていた。

 

「それでも、俺は黒の書を読みます。そう決めていますから。フリア、この偏屈爺さんの話、受けようと思うけど、いいか?」

 

ミラークを止めるために、彼の力の源を知り、そしてもう一度“強く”なる。

 かつて味わった挫折を糧に、もう一度立ち上がると、胸に刻んだ決意を今一度思い出しながら、健人は試すようなネロスの視線を正面から受け止めつつ、相方に問いかける。

 

「是非もないわね。仕方ないわ」

 

 フリアもまた健人の決意を理解し、そして己のやるべき事を定めていた。

 スコール村の皆を、そしてソルスセイムを守るために、恩人であるドラゴンボーンと共に戦うと。

 即答ともいえる健人とフリアの言葉に、ネロスは満足そうに笑みを浮かべ、浮遊エレベーターのほうへと歩き始めた。

 

「決まりだな。では、行こうか」

 

 先を行くネロスの背中を見つめながら、健人とフリアも互いに視線を交わし、無言で頷くとマスターウィザードの後に続いてテルミスリンを後にした。

 目的地はチャルダック。

 かつて百の塔の街と呼ばれた、ドワーフ有数の大遺跡である。

 

 




今回はテルミスリンへの訪問と、ネロスとの再会になりました。
人を食ったようなネロスの言動や性格が再現できているといいのですが……。

文章量の都合で、今回は少し短いです。
正確には、次のお話が少し長くなったために切りが悪くなったのです。
ですが、次の話もほぼ完成していますので、時間をかけずにお届けできるかと思います。


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第五話 バルドールとカシト、新たなる刃

今回はカシトサイドのストーリー
本来は前話に入れるお話でしたが、長くなったために分割しました。


 時間は少しさかのぼり、健人がテルミスリンに向かう前の話。

 彼らがまだ島の岩を浄化している頃、カシトは命からがらリークリング達から逃げ切り、スコール村に到着していた。

 正確には、リークリング達と命を懸けた追いかけっこをしている最中に、村の外に出ていたバルドールを始めとしたスコール達に命を救われ、村まで連れてこられたのである。

 

「助かったよ~。ありがとう!」

 

「しかし、寒さが苦手なカジートがこの村の周辺まで何をしに来たのかと聞いてみれば、まさかケントを探しに来ていたとはな」

 

 ハムハムと手渡されたパンを一心不乱にかじるカシトを眺めながら、彼を助けたスコールであるバルドール・アイアンシェイパーは、鍛冶の用意をするため、自宅の工房に備え付けられている溶鉱炉に燃料となる薪を入れて火をつけていた。

 バルドールが、このカジートと健人が知り合いであることが分かったのは単純だった。

 このカジート、リークリング達に槍を投げつけられる中、必死の形相で逃げながら只管に健人の名前を連呼していたのだ。

 それこそ、雪崩を誘発してもおかしくないくらいの大音量で。

 普段は余所者に対して寛容ではないスコールだが、自分達を助けてくれた恩人の知り合いとなれば話は別である。

 とりあえずバルドール達は、カシトを追いかけていたリークリングを追い払って、彼を救出。スコール村に案内し、食事などの世話をしたのだ。

 

「しかし、リークリングに追われるなんて運がなかったな。最近、この島に脅威が迫っているせいか、リークリング達もピリピリしているんだ」

 

「そ、そうなんだ……。た、助かったよ……」

 

 バルドールはこの島に迫っている脅威、ミラークについてカシトに語る。

 一方、カシトはバルドールの話を聞きながらも、自分が復活させてしまったリークリングの王についてどうすればいいか分からず、狭い額に焦燥の汗を浮かべていた。

 食べ物に釣られたカシトは、崩壊して氷に閉ざされたリークリング達の城まで案内され、洞窟で見つけた頭蓋骨をリークリング達が促すままに玉座に返した。

 彼らの話では王様が復活するといっていたが、いくら王と言っても、短身痩躯のリークリング達なのだから、王様と言っても大したことはないだろうと高を括っていたのだ。

 ところが、現れたのは並の巨人をはるかに上回る巨大な雪男の幽霊。

 痩せた子供のようなリークリングとは似ても似つかない、大男だった。

 そして、茫然としていたカシトの傍で、カシトを案内したリークリングはこう言った。

 

“ワレラガオウ、カースターグサマ、タベモノノニエ、ササゲマス”

 

 そう、リークリング達は初めからカシトを生贄として捧げるために、連れてきたのだ。

 リークリングに嵌められたことに気づいたカシトは、全力で逃走を開始。追手と命を懸けた壮大な鬼ごっこをする羽目になった。

 幸いだったのは、復活したリークリングの王は、まだ幽霊であるためか、自分の城から動けなかったことである。

 彼を城外まで追いかけてきたのは配下のリークリングだけで、そのおかげでバルドール達だけで対処が出来た。

しかし、復活したリークリングの王については、カシトは話をしていない。

 ここに来るまでに話す機会を逸したというのもそうだし、明らかに厄介ごとを持ちこんだ人間と思われて、健人の手がかりも得られないまま村を追い出されるのも不味かった。

 とはいえ、復活したカースターグはそのまま残っているため、スコールたちからすれば、間違いなく厄介事が増えたことになる。

 

「しかし、お前さんどうしてリークリングに追われていたんだ?」

 

「ふ、吹雪にあって彼らの洞窟に迷い込んじゃったんだよね。そ、そうしたらあの青い小人達に槍持って追いかけられて……」

 

「ああ、ミラークのせいで、島中ピリピリしているからな……」

 

「そ、それにしても、オジサン鍛冶師だよね。外は危険だと分かっていたのに、どうして村の外にいたの?」

 

 結果、解決策を見いだせなかったカシトは、全力で話を逸らし、見なかったことにした。

 “臭いものには土をかけろ”の精神で、自分は何も見ていないという事にしたのである。

 考えが浅いといわれるカジートらしい行為だった。

 ミラークの脅威で各種族が緊張感に包まれている現状も、カシトがリークリングに追われていた状況に、バルドール達が違和感を抱かない一因になっていた。

 カシトはとりあえず追及を逃れたことに内心でホッとしていた。

 一方、バルドールはこの危険な時期に村の外に出ていた理由について、カシトに説明し始める。

 

「ケントの為に作る武具の素材が尽きちまってな。人手を借りて心当たりを探しに行ってたんだよ。まあ、当たりだったがな」

 

 火箸で薪の位置を調整し、炉に入る空気量を調整しながら、バルドールは近くの作業台に置かれた複数の大きな袋を指さした。

 どうやらあの袋の中に、健人の武具を作るための素材が入っているらしい。

 健人の武具と聞いて、カシトは目を輝かせる。

 

「ケントの武具!? なになに、何を作るの!?」

 

「まあ、一番は剣だな。健人の剣はドラゴンとの戦いで折れちまってるし……」

 

 溶鉱炉の調整を終えたバルドールは、素材を入れていた袋から、漆黒の原石を取り出す。

 

「それって、黒檀の原石?」

 

「ああ、せっかくだから、前に健人が使っていた剣よりも、もっといい素材で剣を作ってやろうと思ってな」

 

「あれ? でも剣を作るにしては、袋の数が多すぎない?」

 

「ケントの鎧に使うものもあるのさ。まあ、剣以外は素材の形を調整して組み上げるのが主だから、こっちの剣よりもすぐに出来るだろうがな」

 

 そう言いながら、バルドールは素材となる黒檀の原石を溶鉱炉に投入。

 高温の溶鉱炉の中で溶けた黒檀は純度を劇的に増し、インゴットとして炉口から取り出される。

そしてバルドールは、取り出したインゴットを、火床で再び熱し始めた。

 カシトはその様子を、目を輝かせて眺めていた。

 鍛冶については知識も興味もないカシトだが、スコール一の鍛冶師であるバルドールの気合、そして何より、これから健人の武具が作られると聞き、好奇心を刺激されたのだ。

 バルドールは二つのインゴットを熱していた。

 本来剣を鍛造する場合、一塊にしたインゴットを熱した後、叩いて成型する。

 しかし、今熱しているインゴットは二本。

 しかも、なぜか微妙にインゴットの色合いが違っている上、バルドールは熱して伸ばしたインゴットを何度も何度も二つに折り曲げ始めた。

 

「なんか、普通の剣の作り方じゃないね」

 

「まあな。あいつの剣を調べたら、面白い作り方をしていた。あいつに合った剣を作るにはそれを再現する必要があるのさ」

 

(とはいえ、これは以前の健人の剣を作る以上に困難だろうがな)

 

 バルドールがブレイズソードを調べた際、彼は健人の剣に配合の違う二つの金属を組み合わせて作られていることを看破していた。

 刀の耐久性を高める粘りのある芯材と、切れ味を増す硬質な刃材。

 さらに、その鍛造過程も独特で、何度も何度も熱した素材を折り曲げた形跡があった。

 健人のブレイズソードはこの二つを絶妙な技術で組み合わせ、剣としての性能と強度、粘り強さを落とすことなく高めている。

 

(異なる素材に多層構造。これがこの剣の特筆すべき点であることは間違いないが……どれだけ腕のいい鍛冶師が作ったんだ?)

 

 バルドールは黒檀という最高位の素材で、その技術を再現しようとしている。

 しかし、それはバルドールをしても困難ともいえるものだった。

 黒檀はその特性上、余計な不純物が混ざった場合、使い物にならない屑となってしまう。

 つまり、普通の鉄のように炭素を混ぜて粘りを増した素材として使用することはできないのだ。

 また、加工過程の火力も重要で、少しでも火力が足りなければ成形できないし、純度を増した素材も、低温で何度も叩けば、ひび割れて使い物にならなくなる。

 

(普通、黒檀に不純物は混ぜられない。だが、例外はある……)

 

「何? その氷みたいな岩?」

 

「…………」

 

 バルドールが取り出したのはスタルリムと呼ばれる魔法の氷。

 全創造主の力が大地に集まり結晶化した鉱物であり、黒檀に負けず劣らずの素材だ。

 この鉱物の鍛造技術はタムリエルの中でもスコールしか持っていない。

 バルドールもその技術を有しているが故に、この不思議な魔法の氷の特性について熟知している。

 バルドールはこのスタルリムを、黒檀に混ぜて使うつもりなのだ。

 

(このスタルリムは、おおよそ黒檀とは似ても似つかないが、その鉱物特性は非常に似通っている。それにこの氷は、全創造主の力が宿っている。私の考えが正しければ、スタルリムは黒檀と互いを蝕むことなく、その性質を補い合うはずだ)

 

 黒檀とスタルリム。性質がよく似通う二つの金属がこの島にある事実が、バルドールに自身の仮説を確信させる大きな要因になっていた。

 また、黒檀は低温下では割れやすくなるが、スタルリムは元々決して溶けることのない魔法の氷。

 バルドールは黒檀の脆い一面を、スタルリムは補うと考えたのだ。

 

(後は、気を付けるのは火力だが……これはキツイな)

 

 黒檀やスタルリムを加工するためには、鉄や碧水晶とは比較にならないほど高い火力を必要とする。

 おまけに、加工にかかる時間も膨大だ。当然、その間火を落とすことはできない。

 現にバルドールの額から流れた汗は、地面に落ちるとジュッ……と音を立てて瞬く間に消えてしまう。

 だが、バルドールは一切迷うことなく、燃え盛る炎に向き合い、長年の相棒である槌を握りしめる。

 バルドールは目的の剣を作る為に三日三晩を要し、その間只管炉の前で槌を振るい続けた。

 そして、彼はついに二本の刃を作り上げた。

 一振りは黒檀の比率を高くした、黒檀のブレイズソード。

 もう一振りはスタルリムの比率を高くした、スタルリムの短刀である。

 黒檀のブレイズソードはその刀身に流麗な刃文を描くだけでなく、所々に粉雪を思わせる青い輝きを抱いており、その鋭さは鉄片を刃に落としただけで真っ二つに切り裂くほどだった。

 スタルリムの短刀はスタルリム製の武具特有の武骨なイメージはまるでなく、まるで清流を思わせる鮮やかな刀身をしていた。

 その刀身には漆黒の鎬が刻まれ、透けた刀身から内側の芯材を覗き見ることができる。

 短刀には似つかわしくない頑強さを誇り、もしスタルリムを豊富に用いたこの刃に氷の付呪を施せば、その威力を何倍にも増してくれるだろう。

 これほどの名剣なら、銘を付けるべきなのだろうが、バルドールはこの剣達の銘をまだ掘ってはいない。

 この剣達の主となる健人の意見も聞くべきだと思ったからだ。

 さらにバルドールはこの類稀なる剣を鍛え上げた後、再び一晩かけて健人の鎧と盾を作り上げた。

 そして、剣を作り始めてから十日後。

 度を越えた鍛造による極度の疲労を癒したバルドールは、カシトと共にスコール村を発とうとしていた。

 

「さて、行くぞ」

 

「本当に一緒にテルミスリンに行くの? いや、案内してくれるのは嬉しいけど……」

 

「この剣と鎧をケントに届けなきゃいけないからな。案内はついでさ」

 

「ま、オイラは健人に会えればそれでいいけどね! 護衛は任せてくれていいよ」

 

「ああ、よろしくな」

 

 大荷物を持ったバルドールをカシトが護衛する形で 二人はスコール村を後にし、テルミスリンへと赴く。

 彼らが目的地であるテルミスリンに到着したのは、健人達がチャルダックへ出発した半日後のことだった。

 

 




カシト、命からがらリークリングから逃げ切るも、肝心の事は隠すことに決めました。
カースターグは城から出られないので、ミラークの脅威が去るまでは大丈夫でしょう。
まあ、ミラーク事変が解決したら今は引きこもっているリークリング達も外に出るようになるでしょうから、話は別ですが……。

そしてもう一つは、バルドールの武具作成。
黒檀の特性と鍛造については、スカイリムにある書籍の中の文面を参考にしています。
ただ、不純物が多いと屑になるという話は、どのような形で使えなくなるのかが明記されていなかったため、その辺は想像で補いました。
黒檀の産出については、レッドマウンテンの火山活動が関係しているようですし、そこにかつてあった強大な力や、その黒檀がソルスセイムにも多い事実。
そして、スタルリムはソルスセイムにしかないなど、色々妄想が膨らむ設定が多数ありましたことから、スタルリムとの合金について考えました。


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第六話 チャルダック 前編

 

 テルミスリンから北へ向かった、ソルスセイム島の東側の海岸。

 北海の荒波が打ちつける波頭に、その遺跡は存在した。

 百の塔の街、チャルダック。

 かつてドゥーマー達の手によって繁栄していた街は、今では波間に覗く、僅かな数の尖塔を残すだけとなっていた。

 外壁は長年の波の浸食を受けてフジツボや海藻が覆い、おそらく空中回廊であったであろう通路は崩れかけたまま放置されている。

 かつての荘厳さと、どこかもの悲しさを感じさせる遺跡は、水平線に落ちていく太陽と相まって、幻想的で静謐な雰囲気に包まれている。

 

「ここがチャルダックだ。中は複数の階層に分かれていて水没している場所もある。

 遺跡内のポンプを動かせば、先に進むことができるだろう」

 

 チャルダックの遺跡は中央に一際大きな尖塔が海面から突き出しており、周囲を囲むように崩れた塔が軒を連ねている。

 幸い、中央の尖塔へと続く空中回廊は崩れていないのか、ネロスは慣れた様子でそちらへと足を進めていく。

 中央の尖塔の前には少し大きな広間があり、檻を思わせる覆いで塞がれた巨大な門と、何かを置くための台座が据え付けられていた。

 ネロスが懐からテルミスリンで見せた制御用キューブを取り出して台座に嵌めると、制御用キューブが青い光を放ち始める。

 続いて門を塞いでいた檻が音を立てて動き、塞がれていた門の全容を健人たちの前に曝した。

 健人はドゥーマーの遺跡に入った経験はない。

 初体験の緊張感に、思わず唾を飲み込む。

 一方、この手の遺跡に慣れているネロスは、悠々とチャルダックの門をくぐり、中へと足を進めていく。

 健人とフリアがネロスの後に続いて門をくぐると、半円形の巨大な部屋が二人の目の前に広がっていた。

 

「ここが閲覧室だ」

 

 部屋のあちこちには人の胴体よりも太いパイプが張り巡らされていた。

 パイプは部屋の奥へと続き、何かの装置と思われる台座へと繋がっている。

おそらくはこの機械が恒常的に動いていたのだろう。

 だが、健人の目を引いたのは、半円形の部屋の中央にある、床に填め込まれた円形のガラス。

 ガラスの床の下には、今の健人が追い求めていた黒い背表紙の本が鎮座していた。

 

「こんな所に黒の書が……」

 

「腹立たしいほど近くにあるが、生憎とどんな魔法でも開けることが出来ないのだ。書を取り出すには、遺跡内部の装置を動かし、この部屋に蒸気を供給する必要がある」

 

 部屋の奥に会った装置をネロスが動かそうとするが、動力が来ていないのか、装置はウンともスンとも言わない。

 ネロスは忌々しそうに閲覧室に張り巡らされたパイプを睨みつけると、閲覧室の横にある小部屋へと歩き始める。

 

「口で言うほど簡単ではないだろうな。ボイラーはこっちだ」

 

 健人とフリアはとりあえず、ネロスに促されるまま後に続く。

 閲覧室の横の小部屋には調度品と呼べるようなものは何もなく、岩の床から何かのスイッチと思われる棒が迫り出している。

 ネロスがその棒を倒すと、一瞬の浮遊感とともに、小部屋の床が下へ通り始めた。

 健人とフリアの瞳が、驚きに染まる。

 特に、地球でその手の装置に乗ったことのある健人の驚愕は一入だった。

 エレベーター。人や荷物を高層階へと運ぶ運搬装置。

 テルミスリンの浮遊装置も健人には驚くべきものだったが、まさか地球とほぼ同じ機械仕掛けの昇降装置が、こんな遺跡に存在するとは思っていなかった。

 

「まさか、エレベーターがあるなんて……。それにボイラーに蒸気ってことは、この遺跡って蒸気機関で動いているのか? 魔法ではなく態々蒸気を使うなんて、なんだか非効率的なような気もするけど……。いや、蒸気タービンなら別か?」

 蒸気機関というと、日本人は蒸気機関車のようなレシプロタイプの蒸気機関を思い出してしまうかもしれないが、蒸気機関を始めとした外燃機関自体は、今でも発電などで用いられている。

 火力発電や原子力発電などで使われている、蒸気タービンがそれだ。

 

「ケント、どういうこと?」

 

「これだけ大規模な遺跡となると、個人の持つマジ力で動かせると思えないから、人の力に依らない装置が必要だ。なら、蒸気機関を使ってもおかしくない。でも、どうやって蒸気を作り続けるんだ? それだけのエネルギー供給はどこから……」

 

 ここで問題となるのは、蒸気を生み出す熱源である。

 現代の発電装置は、重油の燃焼や核物質の崩壊熱を熱源としているが、どれも有限で、寿命のあるものだ。恒久的に膨大な熱を得られるものではない。

 

「まあ、アイレイドでもない限り、この規模の遺跡を魔法で動かすことは不可能だろうな。

 ドワーフは治金技術にも優れていた。溶岩に埋めても解けない金属を使い、地下のマグマにパイプを通し、無尽蔵の蒸気を自動で得る技術も持っていたのだ」

 

 健人の疑問に答えたのは、ネロスだった。

 蒸気タービンは、電気を生み出す機関の外部に熱源がある、外燃機関である。

 ドワーフはマグマを熱源に蒸気を得て、地熱発電を行っていたらしい。

 さらに、ドワーフの技術は地球の地熱発電の更なる発展版ともいえる。

 地球の地熱発電は地下のマグマによって暖められた地下水の蒸気、もしくは噴き出す高温の温泉を取り出して蒸気を得ているが、この世界のドワーフは溶岩から直接蒸気を得ていたのだという。

 

「マジかよ。どんな技術力を持っていたんだ……」

 

 なまじ現代日本の知識があるだけに、健人にはドワーフが持っていたあまりにも高度な技術力に、当惑を覚えていた。

 地球でも、地下のマグマから直接熱エネルギーを得る手段は確立されていない。

 そもそも、マグマが存在する地下深部は膨大な圧力と熱により、大半の金属がその形を保っていられない。

 また、地下のマグマにパイプを通すということは、パイプに通る装置自体も強烈な圧力と熱に晒されることになる。

 だがこのチャルダックはドワーフ達が消えてから今日まで、未だに稼働している状態にある。

 つまりそれは、地下からの熱エネルギー供給が、数千年経っても正常に行われていることの証左だ。

 地下のマグマの熱と圧力に数千年単位で耐えられる金属と装置。

 もしその金属の一片でも地球に持ち帰ることができるなら、あちらの世界であらゆる分野で革命が起こるだろう。

 それが理解できているからこそ、健人は現在進行形で眩暈を覚えているのだ。

 

「ドワーフの遺跡に使われている金属は、大半が数千年経ってもほとんど経年劣化しない。彼らが姿を消してから、未だにこのような施設が稼働していることを鑑みても、彼らの技術には敬意を覚える。

 それにしても……」

 

「……ん? なんだよ」

 

 ねめつけるようなネロスの視線が、健人に向けられる。

 ネロスの視線を感じた健人は、居心地悪そうに眉をひそめた。

 

「意外だな。無知な若造と思っていたが、思いの他、面白い考察をしてくる。お前、どこの出身だ? この大陸で、マジ力に依らない装置についての見解を示す人間はほとんどいない。特に、これだけ大規模な遺跡を動かすものとなると皆無だろう。

 見たところノルドでもインペリアルでもレットガードでもないようだが……」

 

 ネロスの目には、これ以上ないほど健人に対する興味が窺えた。

 現代日本の知識を持つ健人の予想外の考察に触れたことで、これまで以上に好奇心を刺激されたらしい。

 

「俺の出身なんてどうでもいいだろ」

 

「ということは、自分自身がこの大陸で異端であることは自覚しているわけか。ふむ、大陸出身ではないドラゴンボーン。ハルメアス・モラがお前に興味を示すのも納得だな」

 

 “聞くな”と突き放すつもりだった健人の態度は、逆にネロスの推理を加速させ、その好奇心をさらに掻き立てる結果になってしまった。

 面倒臭くなったと、漏れるため息を隠そうともせず、健人は肩を落とす。

 そうこうしている内に、下降していたエレベーターが停止した。どうやら、下の階に到着したらしい。

 エレベーターから降りると、健人達の目の前にまるで監視モニターのような四角い枠を持つ長い机がズラリと並んでいた。

 地球の液晶画面のようなモニターはないが、四角い枠内には何やら図面と思われる絵が描いてあり、さらに枠内で無数の歯車が規則的に動いている。

 さらに監視モニターの先を進むと、水没した巨大な縦穴が広がっていた。

 監視モニターがあった階層からは水没した縦穴に続く通路があり、下にはまだ遺跡の施設があることをうかがわせる。

 

「……そんなことより、どうしてこの街は水没しているんだ?」

 

「言い伝えによると、古代にノルドがこの街を攻めた時、ドゥーマーは敵を諦めさせるためにこの街を沈めたらしい。私は疑っているがな。

 だが、この街がドゥーマーの技術の粋を集めて作り上げられた事は間違いない。今ではこの有様だが……」

 

 下の階層へと続いているであろう通路。その入り口の脇には、チャルダックの門のそばにもあった制御用の台座が二つあった。

 ネロスは制御用の台座に近づくと、持っていた制御用キューブを台座に乗せる。

 

「見ての通り、街の下層はほとんど水没している。だが、希望がない訳ではない。見ろ」

 

「水が引いていく」

 

 制御用キューブが台座に置かれた瞬間、ゴゴゴ……という音とともに、縦穴を満たしていた水が引き始めた。

 どうやら、この台座は遺跡の排水ポンプを動かすための物らしい。

 

「そうだ。この制御用のキューブを使えば、ポンプを動かし、水を排出することができる。遺跡に溜まった水を抜けば、下層の探索ができる。それに、あれを見ろ」

 

 ネロスが指さした先には、他と比べても一際太い4本のパイプが、水面から部屋の天井へ向かって伸びていた。

 

「あのパイプ、上層に通じている?」

 

「ああ、おそらく、閲覧室に蒸気を送るものだろう。あれを動かせば、本の保護ケースを開けられる」

 

 さらにネロスは、天井へと繋がっているパイプの根元を指さした。

 4本のパイプの根元には何やら太い円柱形の装置が取り付けてあり、さらに制御用の台座が設けられている。

 

「あれはボイラーだ。制御用の台座は5つ。ボイラーを動かすのに4つ、上層に蒸気を送るポンプを動かすのに1つ。つまり、残り4つのキューブを集める必要がある」

 

 ネロスの話では、上層に蒸気を送るためには、合計5つのキューブが必要らしい。

 健人達にボイラーを見せた後、ネロスは先ほど通ってきた部屋にあった監視モニターらしい机を覗き込む。

 

「ふむ、残りのキューブは下層に移されているのか。多分、この街を放棄する際に浸水に対処しようとしたのだろうな」

 

 ネロスが機械仕掛けのモニターを眺めながら、遺跡内のキューブの保管場所を把握する。

 やはりあの机は、この遺跡の監視モニターだったらしい。

 

(ということは、この大部屋は間違いなく、この遺跡の制御室なのだろう。俺達が入ってきたのは、この施設の最上階だったんだろうな……)

 

 遺跡全体が水没していることを考えれば、健人の推察はおおよそ正しいといえる。

 中に入るために、この施設のカギともいえる制御用キューブが必要だったことを考えても、健人の推察を補強する理由になっていた。

 

「ふむ、興味深いな。つまりレッドマウンテンでの動乱が起こる前に、この街は放棄されていたのか。もしくはドゥーマーの従者達が、創造主が消えた後も街を保全しようとしたのか……。

 とりあえず、近くにあるキューブから手に入れるぞ」

 

 そういいながら、ネロスは制御室の脇にあった扉に向かい始める。

 扉はこの施設に入ってきたときと同じような檻で封鎖されていたが、傍にあった制御用台座にキューブを置くと、封鎖はすぐに解除された。

 先に進むと二股の通路が存在し、片方の通路はパイプから噴き出す炎で塞がれていた。

 炎で塞がれた通路の手間には制御用の台座に置かれたキューブが存在し、健人がキューブを外すと、通路を塞いでいた炎も治まった。

 

「これが、制御用のキューブか」

 

「意外とすぐに見つかったわね」

 

「他のキューブもこの位簡単に見つかるといいが、ドゥーマーの事だ。そう上手くはいくまい」

 

 炎が収まった通路を健人が覗いてみると、丸焦げになった巨大ネズミの死体が散乱している。

 

「スキーヴァか?」

 

「どうやら、遺跡の防衛システムに引っかかったらしいな」

 

 おそらく、この遺跡のどこかにあった穴から内部に侵入し、そしてこの通路でトラップに引っかかったのだろう。

 健人達が丸焦げになったスキーヴァを一瞥してから、先へ進もうとした時、突然、ガコン!という、何らかの作動音が通路に響いた。

 

「なに、今の音……」

 

 突然通路に響いた音に、健人とフリアが警戒心を高ぶらせる。

 耳をすませば、先ほどまで炎で塞がれていた通路の先から、ガシャガシャと耳障りな金属音が複数聞こえてくる。

 金属音は徐々に大きくなってきており、音の発生源が健人達に近づいていることが考えられた。

 何者かが近づいてきている事に、健人とフリアが無言で得物を抜いた。

 そして、薄暗い通路の先から、音の発生源が姿を現した。

 黄土色の金属によって構成された、小さな体躯。

 六本の足で地面をけりながら進んでくる姿は、まるで蟻か蜘蛛思わせる。

 大きさは人の膝程くらいだが、数が多く、見えるだけでも5体存在している。

 

「ふむ、ドワーフ・スパイダー・ガーディアンか。ドゥーマーの遺跡を守る玩具だな。この通路の防衛機能を司っていたキューブが外されたことで起動したのだろう」

 

 健人達が見たのは、ドワーフの遺跡を巡回するオートマトンの一種、ドワーフ・スパイダー・ガーディアンだった。

 魂石を動力源に動くドゥーマー製の自動人形で、監視ドローンのような役目を負っている。

 どうやらネロスの言う通り、台座からキューブが外されたことで、異変を察知して確認に来たらしい。

 

「私達に気づいたみたいね。来るわよ!」

 

 侵入者である健人達に気づいたのか、接近してくるドワーフ・スパイダー・ガーディアンの速度が上がった。

 さらに臨戦体制に移行した自動人形達は健人達との距離を詰めると、一斉に跳びかかってくる

 

「ち、硬い!」

 

 跳びかかってくる機械蜘蛛を黒檀の片手剣で弾き飛ばしながらも、健人は手に帰ってくる固い衝撃に、思わず舌打ちした。

 全身に金属を使っているだけに、ドワーフのオートマトンは総じて固い。

 切れ味を重視した健人の得物との相性は最悪と言えた。

 一方、膂力に優れたフリアは、振り下ろした片手斧で機械蜘蛛の胴体を力づくで叩き潰している。

 

「金属の守護者か。厄介ね……」

 

「気を付けることだ。ドワーフ・スパイダー・ガーディアンは力こそないが、動力源から供給される魂力で雷撃を放ってくることもあるぞ」

 

 健人達の背後にいたネロスがそんな言葉を発した瞬間、機械蜘蛛の胴体のパーツが開き、眩い一条の紫電が健人に向かって放たれた。

 

「うわ!」

 

 咄嗟に身をかがめて紫電を回避した健人。しかし雷撃を放ったドワーフ・スパイダー・ガーディアンは、第二撃の準備に入っていた。

 再び機械蜘蛛の胴体に紫電の光が灯る。

 

「くそ! ウルド!」

 

 健人はとっさに“旋風の疾走”を唱え、一気に機械蜘蛛との間合いを詰めて、露出した核に片手剣を突き刺した。

 

「はあああああ!」

 

 突き刺した片手剣を思いっきり捩じり、機械蜘蛛の動力源である魂石を破壊する。

 紫電を放とうとしたドワーフ・スパイダー・ガーディアンはガクガクと痙攣し、やがて完全に沈黙した。

 

「止まった……」

 

「こっちも終わったわ」

 

 健人が雷撃を放った機械蜘蛛を倒している間に、残りのガーディアンはフリアが片付けていた。

 愛用の斧を腰にしまう彼女の足元には、見事に胴体がひしゃげた機械蜘蛛の残骸が広がっている。

 

「ドワーフのガーディアンは総じて頑丈で疲れを知らない。おまけに使われている金属の影響か、雷撃以外の魔法は効果が薄い。だから小間使いが必要なのだ」

 

「ただの小間使いができるような仕事じゃないわよ!」

 

「何を言う、きちんと出来ていたではないか?」

 

「そもそも、俺達はお前の小間使いじゃないんだが……」

 

 後ろで見ているだけだったネロスの言葉に、フリアが甲高い声で文句を述べる。

 実際、小間使いが出来るような仕事ではない。

 雷撃を打ち出してくる機械仕掛けの猟犬など、戦闘技能のない一般人が相手できるはずもない。

 さらに悪いことに、機械蜘蛛たちが現れた通路の先から、今度はゴロゴロと何かが転がるような音が複数聞こえてきた。

 

「ち、またかよ!」

 

 先ほどのドワーフ・スパイダー・ガーディアンとは違う音だが、少なくともこの遺跡の防衛機能の一種であることは予測がつく。

 姿を現したのは、直径80センチ位の丸い球体型のオートマトンが六体。

 おそらくは何らかの走行機能が備わっているのか、先ほどの機械蜘蛛とは比較にならない速度で健人達に向かってきている。

 一見すると、ただの球体の機械。

 しかし、近づいてきた球体群は、健人たちとの距離を詰め始めると、一気にその形態を変化させた。

 球体上部の殻が左右に分かれ、人型ロボを思わせる上半身が球体内部からせり出してくる。

 人型ロボの腕には鋭い剣やボウガンと思われる発射機が据え付けてあり、明らかに戦闘を意識した機械である事を窺わせた。

 

「ドワーフ・スフィア。人型のオートマトンだな。監視を担っていた自動人形が倒されたことで、本格的な番兵をよこしてきたか。それでどうする?そこのスコールの娘はともかく、お前は倒せるのか?」

 

「……やらなきゃ死ぬ。なら、倒すさ。あんたも働けよ」

 

「やれやれ、肉体労働は得意ではないのだがな」

 

 面倒くさそうに溜息を吐いたネロスだが、次の瞬間、隣にいた健人が目を見開くほど膨大な魔力がその体から放たれた。

 放出した魔力はネロスの詠唱とともに彼の右手に集約し、眩いばかりの光を放ち始める。

 詠唱の終了と共にネロスが魔力を充填した右腕を振り下ろすと、風のない遺跡内部につむじ風が吹き、一体の砂のゴーレムが姿を現した。

 

「砂の、ゴーレム? 召喚魔法か?」

 

「アッシュ・ガーディアン。私の研究成果の一つだ」

 

 現れたのは、砂の精霊。

 召喚魔法と呼ばれる魔法によって生み出された先兵だ。

 召喚魔法によって呼ばれる精霊は、その難度や属性によって、大きく力が異なる。

 ネロスが召喚した砂の精霊は、召喚魔法でも精鋭魔法クラスに位置する雷の精霊と同格の魔力を持っていた。

 さらにネロスは、左手にも魔力を充填し、近づこうとしてきたドワーフ・スフィアに向けて左手を掲げると、おもむろに構築した魔法を放った。

 次の瞬間、先ほどのドワーフ・スパイダー・ガーディアンの雷撃とは比較にならない強烈な雷光が走った。

 目標となったドワーフ・スフィアに直撃した雷撃は、ズドン!と雷が至近距離に落ちたような轟音を立てながら、機械仕掛けの人型を吹き飛ばす。

 

「今のはサンダーボルトか? なんて威力だ……」

 

 ネロスの驚異的な威力の雷を浴びたドワーフ・スフィアは遺跡の壁に激突。

 鼻につくオゾン臭を伴った煙を上げて、完全に機能停止している。

 サンダーボルトは、破壊魔法の中でも最上位に近い熟練クラスの魔法だ。

 魔法のランクとしては、かつて健人がミルムルニルに対して使った魔法の杖に込められていたエクスプロージョンよりも上位である。

 腕の立つ破壊魔法の使い手でも極一部しか使えない、真の意味での破壊魔法を体現していると言える。

 

「さて、お前も働いたらどうだ? 相方に負担をかけるのは本意ではあるまい?」

 

「分かっている……さ!」

 

 ネロスの挑発に答えるように、健人は前線に向けて駆け出す。

 前線では錬成魔法の鎧を纏ったフリアが、3体のドワーフ・スフィア相手に奮闘している。

 

「ふっ!」

 

 健人はフリアの右側面に陣取っていたドワーフ・スフィアの首筋に、黒檀の片手剣を振り下ろすが、やはり硬質なドワーフ製のガーディアンの体を切ることはできなかった。

 

「くっ! 俺の力じゃ満足にダメージを与えられないか……なら!」

 

 自分の膂力が足りないなら、他で補えばいいとばかりに、健人は己の内に問いかける。

 欲するのは刃。あらゆる盾、あらゆる鎧、あらゆる武器を斬り裂く、鋭い刃だ。

 健人の求めに、彼の内で息づくドラゴンソウルが答える。

 言葉は知っている、意味も今知った。ならば、その“力”は既に健人のものとなっている。

 

「スゥ、ガハ、デューーン!」

 

 唱えたのは“激しき力”のシャウト。

 かつてミラーク聖堂の番人が使っていた、極限まで己の刃を研ぎ澄ます風のスゥームだ。

 健人の力の言葉によって生み出された風が、鋭い刃となって黒檀の片手剣の刀身に纏わりつく。

 

「なるほど、あれがシャウトか……」

 

「はあ!」

 

 健人が風を纏わせた刃を振るう。一息で十を超える斬撃が繰り出され、速度と鋭さを増した剣が、ドワーフ・スフィアの体を瞬く間に斬断する。

 さらに健人は、フリアの背後をすり抜けながら、左側面のドワーフ・スフィアを一刀両断して残骸に変える。

 前線3体の内、二体を瞬く間に失ったドワーフ・スフィアだが、機械らしい無機質さでもって、戦闘を継続しようとする。

 後ろに控えていた二体のドワーフ・スフィアが、立て続けに矢を放つ。目標はもちろん、前線になっている健人とフリアだ。

 しかし、健人は自分に向かってくる矢を、体幹をずらして躱すと、風を纏わせた刃を一閃。

 フリアに殺到していた矢群を、一撃で斬り裂き、吹き飛ばす。

 その間に、フリアとアッシュ・ガーディアンが前衛を担っていたドワーフ・スフィアを破壊。

 さらにネロスの雷撃魔法が、ボウガン持ちのドワーフ・スフィアを黒こげのスクラップに変え、ドワーフ・スフィアの部隊は全て沈黙した。

 

「なるほど、少しは使えるようだな。安心したぞ」

 

「あんたこそ」

 

「当然だ。私はテルヴァンニ家のマスターウィザードだぞ」

 

 相も変わらず鼻持ちならないネロスだが、このウィザードの実力は疑うべくもなかった。

 ネロス自身も、シャウトという希少魔法を目の当たりに出来たが嬉しかったのか、その声色にはどこか喜悦の色が含まれている。

 とりあえず、前哨戦を終えた健人達。

 3人は残骸となったオートマトンたちを尻目に、残りのキューブを探し出すため、遺跡の奥へと足を踏み入れていった。

 

 




というわけで、今回はチャルダック編。
チャルダックは遺跡自体も長いので、あと一、二話くらい使うと思います。


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第七話 チャルダック 中編

今回はチャルダック二話目。


 チャルダックの遺跡は海面下に縦横無尽に広がっており、中には水没したままの通路も存在するため、探索は困難を極めた。

 崩れていたり、海水で塞がれた通路で足止めされる上に、無機質なガーディアン達が前触れもなく襲ってくる。

 幸い、遺跡の排水設備は生きていたため、健人達は手に入れた制御用キューブを使って排水設備を上手く活かしながら先へ先へと進んでいった。

 上層の探索が終了した時点で、手に入れたキューブは3つ。

 ネロスの話では、最後のキューブは浸水した制御室の先にあるらしい。

 健人達は一旦制御室に戻り、制御室の排水設備を動かして下層への道を開く。

 下層は元々水没していたために床全体が泥に覆われていた。

 制御室下部の出口から下層に入って先に進むと、これまた大きな部屋が健人の目に飛び込んできた。

 部屋は制御室の排水ポンプを動かした後も半ばまでが浸水したままになっていて、部屋の中央を川が横切っているような状態になっている。

 部屋を囲うように迫り出した通路には、巨大な一枚板の橋が直立していた。

 

「あの一枚板は橋だな。恐らく制御用の台座とキューブで動くのだろう」

 

 そう言ってネロスは、健人達がいる入口のちょうど真上にある、一段高い台を指差した。

 台の上には、制御用の台座が三つ存在している。

 健人はネロスから制御用のキューブを受け取ると、制御用台座にキューブを置いてみる。

 台座が稼働すると、三つの橋の内一つが降りた。

 今度は別の台座にキューブを置くと、先程の橋が上がり、他の二つが降りる。どうやら、どの台座にキューブを置くかで、橋を架けるか決めているらしい。

 何度か台座にキューブを置き直し、三つの橋がきちんと降りるように調整する。

 三つの橋が降りると、先へ進めるようになり、健人達がさらに奥へと進むと、再びポンプを動かす台座があった。

 ポンプを起動すると、部屋の中央に溜まっていた水が排水され、一際大きな扉が姿を現す。

 

「この先に最後のキューブがあるのだろう。私はここで台座を見ているから、見てきてくれ」

 

「分かった」

 

 健人とフリアが頷いて、ネロスを置いて先に進む。

 扉の先は小さな部屋に繋がっており、奥に制御用の台座に乗ったキューブがあった。

 

「あれか……」

 

「っ!? ケント、待って!」

 

 部屋に入ろうとした健人をフリアが制止した瞬間、石の床から刃が突き出し、健人の鼻先を掠めた。

 

「え? うわ!?」

 

 目の前を剣が掠めた健人は驚き、咄嗟に後ろに跳ぶ。

 床から突き出した刃は二つに分かれると、コマのように回転しだす。

 

「これってトラップか?」

 

「ええ、制御用キューブを許可なく持ち去ろうとする輩を仕留める為のものでしょうね」

 

 一つのトラップが発動したことに触発されたのか、床だけでなく壁や天井からも、無数の刃が突き出し、ガシャンガシャンと耳障りな駆動音を立て始めた。

 そして小さな部屋の中は、あっという間にトラップの刃で埋め尽くされてしまう。

 

「参ったわね。入り込む隙間がないわ」

 

 ネズミ一匹通さないとばかりに荒れ狂うトラップ達を前に、フリアは頭を抱えた。

 これでは制御用キューブを取りには行けない。中に入れば即座にミンチ確定である。

 フリアが難しい顔をしている一方、健人は口元に手を当てて考え込むように、規則正しい動作を繰り返すトラップ群を見つめていた。

 

「フリア、俺がやってみる」

 

「ちょっとケント、いくらなんでも無理よ。あの刃の森、スキーヴァだって入れないわ」

 

 小部屋内のトラップは規則的な動作を繰り返すだけなので、タイミングを計れば避けることは難しくない。

 しかし、床だけでなく、天井や壁からも飛び出す刃が、機械的な隙を補い合っている。

 フリアの言う通り、単純にタイミングを計れば通り抜けられるようなトラップではなかった。

 

「いや、行ける。任せてくれ」

 

 だが健人は、ある種の確信をもって、道を塞ぐトラップ群と相対した。

 すぅ……と深く息を吸い、己の内に息づくドラゴンソウルから“言葉の意味”を引き出す。

 思い浮かべるのは、かつてウステンクラブで見聞きし、そしてフロストドラゴン、サーロタールが使っていたシャウト。

 

「ファイム……ズィ、グロン!」

 

 霊体化。

 己の存在を幽界に移すことで、物理攻撃を無効化するシャウト。

 あまりに使いすぎた場合、霊体になったまま戻れなくなるかもしれないという危険なシャウトだが、キューブのところまで駆ける数秒間であるなら問題はない。

 とはいえ、一体どれほどの時間霊体になったら元に戻れなくなるか不明である以上、健人は全速力でキューブ目指して走った。

 そして、彼がキューブを手に取るのと同時に、霊体化の効果が切れる。

 

「よし! 取った」

 

 同時に、あれほど五月蠅い稼働音を鳴らしていたトラップ群も、ぴたりとその動きを止めた。

 どうやら、この制御用キューブが、この部屋のトラップを動かしていたらしい。

 

「ん?」

 

 トラップは止まった。だが健人は、地鳴りにも似た妙な振動を感じ取った。

 続いて、石の床の所々にある排水溝から、勢いよく水が噴き出した。

 

「ケント! 水、水が増えてきてる!」

 

「げ!? あの台座、排水ポンプの制御もしてたのか!?」

 

 トラップを制御していたキューブは、同時にこのエリアの排水ポンプも動かしていたらしい。

 ポンプの一つが停止したことで排水能力が足りなくなり、許容量を超えた水が逆流し始めたのだ。

 あっという間に増していく水かさに、健人とフリアは大慌てで部屋を脱出。

 ネロスがいる大広間に戻ろうと扉に手をかけるが、先程までキチンと開閉してくれていたはずの扉は、何故か大岩のようにびくともしない。

 

「扉、開かない!」

 

「こじ開けろ! でないと死ぬぞ!」

 

 フリアが扉の隙間に斧を打ち込み、テコの原理で無理やりこじ開けようと試みる。

 健人また彼女と同じように黒檀の片手剣を扉の隙間にねじ込む。

 水かさは既に健人たちの腰まで来ている。一刻も早く扉を開けなければ溺れ死んでしまうだろう。

 健人とフリアは必死に体重をかける度に、ミシミシと耳障りな音が響き、少しずつ隙間が大きくなっていく。

 そして、健人とフリアが一際大きな力を入れたその瞬間、ミキャ! という音とともに、突然扉の隙間から水が噴き出しだした。

 

「え……?」

 

「っ!? フリア、伏せろ!」

 

 健人がフリアを水の中に押し倒した瞬間、固く閉ざされていたはずの扉が勢いよく開き、まるで池の底を抜いたような汚水が一気に通路になだれ込んできた。

 どうやら、扉を挟んだ向こう側の方が、水位が高かったらしく、扉に大きな圧力が掛かっていたようだ。

 健人達が底蓋となっていた扉に隙間を作ったことで圧力の拮抗が崩れ、逃げ道を見つけた場所に一気に水が押し寄せたのだ。

 幸いだったのは、水位の違いによる濁流がすぐに治まったという事。

 水位が安定して流れが収まった後、濁流に流された健人とフリアは必死に泳ぎ、何とか通路が水没する前に脱出することに成功した。

 

「ぜえ、ぜえ……」

 

「はあ、はあ……」

 

 何とか大広間まで戻ってきた健人とフリアだが、さすがに体力が限界だった。

 特に重装鎧を纏っていたフリアの息は荒い。

 そんな息も絶え絶えな二人に近づいてきたネロスは、首尾を聞いて満足そうに笑みを浮かべる。

 

「戻って来たか。遺跡の考察をしている間につい言い忘れていたのだが、制御室でキューブの位置を確認した時に罠があったのだ。中々帰ってこなかったからもしかしたらと思っていたが、よくやったぞ」

 

「罠があるのを知ったのなら、忘れる前に最初から言えよ……」

 

「その“つい”で私達、溺れかけたんだけど……」

 

 ネロスは部屋の中にあるトラップも知っていたらしいが、どうやら遺跡に対する考察をしている間に忘れたらしい。

 

「すまんな、お前達を待っている間に思い出したのだが、確かに危険ではあるが、お前達の方が体力もあるからな。適材適所で問題ないと思ったのだ。それに、いい加減汚水の中を歩くのは御免なのでな。

 それに、お前達が溺れかかったのは罠のせいではなく、キューブを外して排水ポンプを止めたからだ。今までこの遺跡を見てきたのなら、予想できただろう?」

 

「トラップ機能と排水設備が同じ台座で連動している時点で同じ罠だろうがこの、くそダンマー……」

 

「いつか絶対にそのローブ剥いで雑巾にしてやる……」

 

 自身のミスを認めても一片の悪気も感じさせないネロス。

 どや顔のダンマーを前に健人とフリアの殺意を高ぶらせ、いつか絶対に仕返ししてやると心に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後のキューブを手に入れた健人達は、上階に蒸気を送るために制御室に戻った。

 ネロスは手に入れたキューブとボイラーの最終確認をしており、健人とフリアは横でネロスの作業を見守っていた。

 ネロスが制御用キューブで一つのボイラーを起動させると、ボイラーは唸りをあげて、振動し始め、パイプから余剰蒸気とともに熱が排出される。

 一つのボイラーが問題なく動作することを確かめたネロスは、残り三つのボイラーも確認しながら、順に起動させ始める。

 規則正しい機械音が制御室に響く中、ネロスが唐突に口を開いた。

 

「お前達はミラークを止めると言っていたが、生半可な道ではあるまい」

 

 唐突な語り掛けに、健人とフリアは首をかしげる。

 

「奴はハルメアス・モラから力と知識を得ているし、黒の書を生み出したハルメアス・モラも、決して代償なしに何かを与えたりはしまい」

 

 作業に集中していたネロスの視線が、健人に向けられる。

 ダンマー特有の鋭い真紅の瞳。その奥にある好奇心に、健人は心理的な圧迫感と不快感を覚え、眉をひそめた。

 

「お前もミラークと同じようになるかもしれん。力に目が眩んだドラゴンボーンが二人か。面白いことになるかもしれんな」

 

「俺は、あいつみたいになるもんか!」

 

「どうだかな? 誰もがそう言いながら、力に溺れる。弱さを知っているからこそ、弱者に戻りたくないと足掻く。現にお前も、弱いままではいたくないと足掻いているのではないか? だからこそ、黒の書を求めている」

 

 自分はミラークのようにはならないと言い張る健人だが、ネロスは淡々と、そして正確に健人の痛いところを突いてくる。

 “強くなりたい”とは、言い換えれば“弱いままでいたくない”という事だ。

 確かに健人は現在、ドラゴンボーンとして急激に成長している。

 ドラゴンアスペクトだけではなく、激しき力、霊体化など、スカイリムで聞いてきたシャウトの意味を、己の内のドラゴンソウルから次々と引き出し始めている。

 シャウトという真言を使いこなすドラゴンとして、間違いなく急成長していることの証左だ。

 だが、それでもミラークは強すぎる。

 彼がドラゴンボーンとして生きてきた年月は数千年。その月日は、決して一朝一夕に覆せるものではない。

 健人は今、ミラークに対抗するために強くなろうとしており、服従のシャウトに対抗するには黒の書を使うしかない。

 だが、その道はミラークも辿った道である。

 服従のシャウトを習得し、こうしてミラークが使っていたと思われる黒の書に近づくにつれ、自分もミラークのようになるのではないかという不安が、健人の胸の内で徐々に膨らんでいっているのも事実だった。

 

「ケントはミラークとは違うわ。適当なこと言わないで!」

 

「適当ではない。その葛藤も含めて、このドラゴンボーンがどうなるか非常に興味深いのだ」

 

 フリアが健人をかばうようにネロスに食って掛かる。

 スコールは頭が固いと思っているネロスは、フリアの激昂を意に介さず、再び作業に戻っていく。

 しかし、作業は続けても、ネロスの口は閉じることがなく、ある種の確信を帯びた声で自論を展開し続けた。

 

「そもそも、なぜミラークはドラゴンに反旗を翻した?“忠誠”という言葉を与えられたにもかかわらず」

 

「何が、言いたいんだ?」

 

「ドラゴンは、自分達に仕える神官に、褒美として特別な名前と仮面を与え、より強大な力を行使できるようにした。そして“ミラーク”とはドラゴンの言葉で“忠誠”を意味する」

 

 ドラゴンプリーストはドラゴンに仕えるにあたり、主人であるドラゴンから特別な名前と強大な力を秘めた仮面を下賜された。

 名前とは、その存在を示す最も端的で、かつ本質的なものであり、スゥームはこの世界において“真言”に相当する言語。

 その強大な力を秘めた言葉によってつけられた名前は、一介の人間を強大な力の行使者に変えるには、十分すぎるほどの存在力を持っている。

 

「だから、どういう事よ?」

 

 ネロスの話をうまく理解できないフリアがイラついたような声を漏らすが、健人は何となくネロスの言いたいことが理解できた。

 

「ドラゴンの言葉は力の言葉。力を与えるのに“忠誠”の言葉は相応しくない、と言いたいのか?」

 

 力を与えるなら、それに相応しい言葉を名前として与える“ファス”“ヨル”“フォ”。

 力を体現する言葉は、それこそ膨大に存在するのだから。

 しかし、件のドラゴンボーンが与えられた名は“ミル”“アーク”。

 前者は忠誠、後者は導くという意味だ。

 二つの言葉をつなげれば、忠誠へと導く、という意味になる。

 

「ああ。“忠誠へと導く”とは、まるで、ミラークという名を与えられた人間を縛るための名前のようではないか? 現にミラークはその名をつけられた反動なのか、ドラゴンに対して反乱を起こしている。今はハルメアス・モラに仕えているが、果たして本意はどうなのだろうな……」

 

 忠誠という名を与えられたドラゴンプリーストが、史上最初のドラゴンボーンとして覚醒し、主であるドラゴンに対して反乱を起こす。

 皮肉な話であるが、同時に、シャウトという真言が歪んだ形で使われた結果であるように健人には思えた。

 そして、ミラークというドラゴンボーンが、未だに自分自身を“ミラーク”と名乗っていることにも疑問が浮かぶ。

 

「ソルスセイムの異変は、ミラークの独断だと?」

 

「それは分からん。だが、ミラークは一度主であるドラゴンを裏切っている。ハルメアス・モラに対して隔意を抱いていても不思議ではあるまい。まあ、憶測にすぎないが……」

 

「…………」

 

 もしも、ミラークという名前が一種の洗脳の為につけられた名前であるなら、彼がドラゴンに反乱を起こした理由もある程度説明できる。

 ドラゴンボーンとして覚醒し、声の力に目覚め、自分につけられた名前の意味を知れば、何故自分にそんな名が付けられたのか、必ず気づくだろう。

 最初はドラゴンの言う通りにドラゴンプリーストとして人類を弾圧していたのかもしれないが、その中で小さな疑念を抱いてもおかしくない。

 小さな疑念はドラゴン達に仕え、人々の虐殺を先導している間に積もり続け、やがて臨界点を迎えた。

 もちろん、この話はネロス本人の言う通り、全て憶測しかない。

 しかし健人には、この話は驚くほど、ストンと心の中に落ちた。

 それは、自分がこの世界で理不尽な目にあってきたからなのかもしれないし、ミラークと同じ人型の竜としての本能が、そう思わせたのかもしれない。

 

「それで、お前はどうするのだ?」

 

 改めて、ネロスが健人に問い掛ける。

 お前は、その力で何をするのか。どんなドラゴンになるつもりなのだと。

 まるで体の内側だけでなく、心の奥まで覗きこもうとしてくるようなネロスの視線に、健人は不気味さと不快感を覚える。

 

「……どうもしない。ミラークを止めるだけだ」

 

「ふん、そうか……」

 

 それでも、健人はネロスの視線を正面から受け止めながら、ミラークを止めると断言する。

 だが、その言葉を発するまでの間には、わずかな逡巡を伺わせる間が存在していた。

 健人の答えを聞いたネロスも、なぜかそれ以上追及する事はなく、作業に戻る。

 ネロスの推測は、ある種の確信的な何か含んでいたが、ミラーク本人が語ったわけでもなく、確定的な証拠があるわけでもない。

 それに、ミラークの真意はどうであれ、彼の服従のシャウトはソルスセイムにとって、破滅的な脅威であることに変わりがない。

 ミラークがソルスセイムを自分の力で覆いつくし、人々を操ろうとする限り、健人達には戦うしか選択肢は存在しないのだ。

 健人も、その事実は分かっている。

 しかし、彼の胸の奥には、小さな疑念がシコリとして生まれていた。

 

「これが、最後のポンプだ……」

 

 ネロスが最後のポンプを動かす。

 ボイラーは既に起動しており、このポンプが動いたことで、上層へと蒸気が送られているはずだ。

 ようやく目的が果たせる。

 健人達の間に安堵の空気が流れたその瞬間、制御室全体が轟音を立てて揺れ始めた。

 

「な、なんだ!?」

 

 健人達の目に飛び込んできたのは、制御室の浸水している側の壁が開かれ、中から巨大な人型が姿を現す光景だった。

 人型の身長はルーカーと比べてもさらに大きい。

 

「なに!? この巨大なゴーレムは!?」

 

「ドワーフ・センチュリオンだな。この遺跡の最終防衛機能だろう。おそらく黒の書の閲覧室に蒸気を送ったことで起動したのだろうな」

 

 巨大ロボットを彷彿するオートマトン、ドワーフ・センチュリオン。

 今までのオートマトンとは比較にならないほどの巨大さと出力を誇る、遺跡の番人。

 ドワーフ達が残した、最も危険な遺物の一つだ。

 開いた壁は跳ね橋のように健人達がいるボイラー付近の床に架かり、ドワーフ・センチュリオンが侵入者である健人達めがけて、ズシン! ズシン!と音を立てて疾走してきた。

 

 




というわけで、ポンプは動かせましたが、最後の番人が登場しました。
ミラークの背景について、ネロスが憶測を語ります。
同時に、健人の胸の奥に渦巻く疑念や不安が、徐々に顕在化し始めました。


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第八話 チャルダック 後編

今回はドワーフ・センチュリオン戦の続きになります。
また、毎回誤字報告をしてくれる読者の方々、本当にありがとうございます。
この場をお借りして、お礼申し上げます。


 巨大な体躯にふさわしい歩幅と出力で、あっという間に健人達との間合いを詰めてくるドワーフ・センチュリオン。

 健人、フリアもまた素早く得物を抜き、ネロスは詠唱をこなす。

 突進してくるドワーフ・センチュリオンを最初に迎え撃ったのは、ネロスのアッシュ・ガーディアンだった。

 灰の嵐を吹きかけ、続いて滑るように間合いを詰めると、ドワーフ・センチュリオンの胴体めがけて腕を薙ぎ払う。

 しかし、ドワーフ・センチュリオンはアッシュ・ガーディアンの殴打に痛痒すらも感じないのか、淀みない動作でその腕を振り上げ、灰の精霊の上に振り下ろす。

 巨大な槌の形をした腕はアッシュ・ガーディアンを一撃で粉砕し、その体をただの砂へと返した。

 その隙にネロスがサンダーボルトを浴びせるが、ドワーフ・センチュリオンは僅かに身じろぎしただけで、直ぐに進行を再開する。

 

「さすがドワーフの最終防衛機能。私の魔法も大した効果がないな。アッシュ・ガーディアンも足止めにならん」

 

 距離を詰めてきたドワーフ・センチュリオンが、再び腕を振り降ろす。

 前衛を担っていた健人とフリアが打ち下ろしの軌道から退避した瞬間、巨大な槌が先程まで健人達がいた床に打ち込まれ、粉砕された無数の岩片をまき散らす。

 

「ぐっ!?」

 

 体にぶち当たる岩片に、健人は思わず顔をしかめる。

 さらにドワーフ・センチュリオンは、両腕を水平に薙ぎ払う。

 健人とフリアはさらに後退。相手の間合いの外に一時退避し、敵の強撃をやり過ごす。

 その間に、再びネロスがサンダーボルトを放つ。

 ネロスの放った轟雷が、再びドワーフ・センチュリオンに命中するが、やはりダメージを与えた様子はない。

 

「ふむ、やはり効果がないな。機体各部の絶縁処理は完璧のようだな。」

 

「なら接近戦しかないな!」

 

「ええ!」

 

 ネロスの魔法が効かない様を見て、健人とフリアは思いきって前に出る。

 後衛として一番の火力を持つネロスの魔法が効かなかった以上、他に選択肢がない。

 おまけに、健人達が今いる場所は、ボイラー装置があった足場であり、それほどスペースがない。

 押し返さなければ、瞬く間に追い詰められる。

 もちろん、それは非常に危険な行為だ。

 しかし、健人とフリアはドワーフ・センチュリオンの腕撃の間合いに迷いなく踏み込み、鮮やかな動きで振り回される槌を躱して斬撃を叩きこむ。

 巨躯の人型の敵は、二足歩行をしていることから、間合いの内側に入ればその脅威は半減する。

 巨人やルーカーであるなら、間合いの内側に入ってきた敵を掴んで、力づくで圧殺することも出来るのだろうが、ドワーフ・センチュリオンの両手は槌の形状になっていて、掴むなどの細かい事は出来ない。

 岩の浄化の際にルーカーと戦ってきた経験が活きていた。

 しかし、健人やフリアの攻撃もまた、大した効果を上げることはできなかった。

 相手はルーカーよりも遥かに硬い金属製の体を持つ巨大オートマトン。

 関節部も当然金属製で、斧や剣では効果がない。

 健人とフリアが攻めあぐねていると、ドワーフ・センチュリオンの頭部。口にあたる部分からガシュ、ガシュっと蒸気が漏れ出した。

 

「っ! 避けろ!」

 

 ネロスの警告に反応した健人とフリアが、反射的にその場から飛び退くと、次の瞬間、高温の蒸気が、ドワーフ・センチュリオンの口から噴き出した。

 高温の蒸気は、触れるだけで危険だ。

 晒された皮膚は瞬く間に爛れ、吸い込めば喉を焼き、呼吸困難に陥れる。

 健人とフリアはドワーフ・センチュリオンの側面に回り込んで吐き出された蒸気を回避したが、元々狭い足場の中では、動ける範囲も限られる。

 健人は振り回される巨大オートマトンの腕を必死に回避しながら、打開策に思考を巡らせる。

 破壊魔法は効果が薄い。ウィザードとして最高峰のネロスの魔法がほとんど効かなかった時点で、この機械仕掛けの巨人を破壊魔法だけで黙らせることはほぼ不可能だ。

 物理攻撃も、大して効いていない。

 フリアならば、今までのオートマトン位なら腕力で破壊できるが、これだけ巨大なオートマトンとなると、さすがに無理がある。

 外側を壊すことはほぼ不可能。

 ならば、何とかして内部を破壊するしかない。

 

「ネロス! こいつの動力源はどこだ!」

 

「胸の装甲の下だ! そこにダイナモコアと呼ばれる動力源がある。だが生半可な手段では装甲板は突破できんぞ!」

 

 健人はドワーフ・センチュリオンの胸部に目を向ける。

 胸部には巨大な装甲が隙間なく張り付けてあり、各部をボルトでしっかりと止めているように見える。

 

「貫けないなら、引きはがす!」

 

 健人は素早くドワーフ・センチュリオンの右側面に回り込む。

 側面に逃げた健人を迎撃しようと、巨大オートマトンが右腕を振り上げるが、健人は黒檀の片手剣の切っ先を掲げ、突きの体勢を取る。

 ドワーフ・センチュリオンの腕が振り下ろされた。

 ドワーフ・スフィアも一撃でペシャンコにするほどの一撃が、健人の脳天に迫る。

 だがドワーフ・センチュリオンの腕撃が健人の脳天を捉えるその瞬間、健人はおもむろに力の言葉を解放した。

 

「ウルド!」

 

 切っ先を掲げたまま、旋風の疾走で一気に加速。

 狙いは振り上げられた腕の根本、脇の下だ。

 健人の刃は正確にドワーフ・センチュリオンの右脇、腕の付け根に精確に吸い込まれた。

 

「ぐっ!」

 

 ガイン! と硬質な激突音と共に、慣性によって放り出された健人の体が宙に舞う。

 健人は空中で素早く体を入れ替えて、四肢を地面につけるように着地するが、彼の手に黒檀の片手剣はない。

 フレームの隙間を正確に縫うように突き入れられた健人の剣は、ドワーフ・センチュリオンの右の脇の下に完全に固定されてしまっていた。

 

「ギ、ギギ……」

 

 異物が関節駆動部に挟み込まれた所為か、ドワーフ・センチュリオンの動きが目に見えて鈍る。

 二足歩行を日常的に行う人間には意識しづらいが、二足歩行と言うのは自然界の中でも極めてバランスの悪い行為だ。

 重心が高い上に接地足が二本しかない二足歩行は、普段の歩くという行為ですら、実は極めて緻密な全身のバランスによって成り立っている。

 ドワーフ・センチュリオンは片腕が満足に動かなくなったことで、体全体のバランスが取れなくなっていた。

 現にドワーフ・センチュリオンは左腕を振り回して戦闘を継続しようとしているが、右半身の機能低下が著しいのか、右腕を引きずるような体勢になっている。

 

「フリア、何とか斧を脇腹の装甲に打ち込んでくれ!」

 

「え、ええ! 分かったわ!」

 

 健人の要請に素早く応えたフリアが、自分の斧をドワーフ・センチュリオンの右脇腹に叩き込む。

 右脇腹には装甲の繋目がある。

 装甲自体が固くとも、その接合部はどうしても強度が落ちてしまうのは自明の理だ。

 現にフリアが幾度か斧を打ち込むと、メキャリ! と耳ざわりな異音と共に装甲を止めていた鋲が飛び、斧の刃が装甲の隙間にめり込んだ。

 更にフリアは打ち込んだ斧をこねり、装甲の隙間を広げていく。

 

「ガガガ……!」

 

「フリア! 避けろ」

 

 自らの装甲をはがそうとするフリアを迎撃しようと、ドワーフ・センチュリオンが彼女に蒸気を吐きかける。

 フリアは打ち込んだ斧を放棄して地面に身を投げ出し、吐き出された蒸気を回避する。

 しかし、右半身を機能不全にされたドワーフ・センチュリオンは、蒸気による攻撃に重点を置き始めた。

 四方八方に蒸気を吐き出し、健人とフリアを近づけまいとする。

 健人とフリアは素早く蒸気の範囲から離脱するが、元々ボイラーが設置されていた足場は狭い。

 吐き出された蒸気が瞬く間に狭い足場を覆い始める。

 このままでは高熱の蒸気に晒され、蒸し焼きになってしまうだろう。 

 

「ガシュガシュ……」

 

 さらに大量の蒸気を吐き出さんと、ドワーフ・センチュリオンの口部が動く。

 障壁を張る魔力の壁では防ぎきれない。あれは前方にのみ障壁を張る魔法。

 高圧、高温の蒸気に体全体を覆われてしまえば、蒸気は障壁を回り込み、健人達を焼くだろう。

 ならば、“押し返す”しかない。

 健人は再び、自分の内側に息付くドラゴンソウルに語り掛ける。

 力が欲しい。求める声の意味を教えてほしいと。

 健人の内に取り込まれたドラゴンソウルが、健人の求めに呼応する。

 脳裏に、言葉の意味が浮かんだ。

 

「ファス……」

 

 それは、彼の義姉が一番最初に身に付けたスゥーム。

 力を最も体現した、言葉の一つだ。

 ドラゴンとしての健人の魂が力を欲して震え、その響きに呼応したドラゴンソウルが、引き出した力をさらなる高みへと押し上げる。

 体の内で響き合う魂の熱は瞬く間に臨界を迎え、紡がれる言葉と共に、押し出されるように現実世界に現出した。

 

「ロゥ、ダーーーー!」

 

 揺るぎ無き力。

 紡がれた力の言葉により生み出された衝撃波が、ドワーフ・センチュリオンが吐き出した蒸気を押し返し、足場を埋め尽くしていた蒸気もろとも吹き飛ばす。

 

「ふっ!」

 

 蒸気の晴れた足場を、健人がドワーフ・センチュリオン目がけて疾走する。

 目標は、フリアが突き立てたまま放棄した片手斧。

 しかし、ドワーフ・センチュリオンが、再び蒸気を吐き出さんとしている。

 だが、巨大オートマトンが再び蒸気を吐き出す前に、巨大な影が健人の脇を疾駆し、ドワーフ・センチュリオンの頭部を掴んだ。

 先行したのは、ネロスが再召喚したアッシュ・ガーデイアン。

 元々召喚魔法で呼ばれていた灰の精霊は、召喚者のマジ力が十分残っていれば、再び召喚できるのだ。

 再召喚されたアッシュ・ガーディアンは、ドワーフ・センチュリオンの頭部を無理矢理あさっての方向に向け、吐き出した蒸気を無効化させる。

 

「何をするのか知らんが、さっさとやれ、ドラゴンボーン」

 

 相も変わらず癪に障る口調のネロスの言葉を背中に浴びながら、健人は疾駆し、フリアが打ち込んだ斧を抱きかかえるように引っ掴む。

 しかし、ドワーフ・センチュリオンは、今度は残った左腕で健人とアッシュ・ガーディアンを薙ぎ払おうとしてきた。

 

「ふっ!」

 

 だが、ドワーフ・センチュリオンの腕が薙ぎ払われる前に、フリアが左腕に飛びつき、押し止める。

 

「ケント、早く!」

 

「ムゥル!」

 

 フリアの呼びかけに答えるように、ドラゴンアスペクトを使用。

 魂の隆起に伴って現出した光の小手。

 健人は劇的に高まった腕力で思いっきり装甲の隙間に打ち込まれた片手斧を引っ掴むと、抱きかかえるように体に固定する。

 

「ウルド!」

 

 そして、旋風の疾走を発動。

 次の瞬間、バキン! と甲高い音と共に、ドワーフ・センチュリオンの胸部装甲が弾け飛んだ。

 健人の体に固定されたまま、旋風の疾走によって無理矢理加速されたフリアの斧は、脆くなっていた接合部の鋲を、引っかけていた装甲板諸共、力ずくで引き剥がしたのだ。

 引き剥がされた装甲の穴からは、紅く光る動力部が見て取れる。

 

「ネロス!」

 

「よくやったぞ、ドラゴンボーン!」

 

 健人の叫びと共に、ドワーフ・センチュリオンの頭を抑えていたアッシュ・ガーディアンが、その腕をむき出しになった動力部に突き立てた。

 メリメリ! という金属が捩じ切れる音がドワーフ・センチュリオンの胸部から響き、巨大オートマトンの体がビクビクと痙攣する。

 そして、アッシュ・ガーディアンが勢いよく突き入れた腕を引き抜くと、ドワーフ・センチュリオンは糸の切れた人形のようにその場に倒れこむ。

 アッシュ・ガーディアンの手には、赤く光るドワーフ・センチュリオンの動力部が握られていた。

 

「ふむ、倒したか」

 

「ふう、寿命が縮むかと思ったわ」

 

 最後の番人を倒したことに、フリアが安堵の声を漏らす。

 

「それが、動力部か?」

 

「ああ、ダイナモコアと呼ばれる、ドワーフ・センチュリオンの動力源だ。これは、この手の類の巨大オートマトンにしかつけられていないもので、非常に興味深いものでもある。ドワーフ関連の研究者なら、喉から手が出るほど欲しいであろうな……」

 

 一方、健人とネロスは、アッシュ・ガーディアンが引きずり出したドワーフ・センチュリオンの動力部を眺めていた。

 紅く光る靄が漏れだす回転部を抱いた、地球儀のような動力部。

 ダイナモコアと呼ばれるその装置は、ドワーフの技術によって作られた動力部であり、未だに解析ができない動力源でもある。

 健人としても少し興味が惹かれるものではあるが、目下の目的は、黒の書を手に入れる事だ。

 健人は改めて、パイプの伸びたボイラーに目を向ける。

 

「それで、これで閲覧室に蒸気が行ったのか」

 

「ああ、ボイラーもポンプも正常に動いている。これで、閲覧室にある黒の書を手に入れる事が出来るだろう」

 

「そうか、良かった……」

 

 ネロスの言葉に、ケントもようやく一息つくと、ドワーフ・センチュリオンの脇の下に打ち込んだ黒檀の片手剣を回収し、鞘に納める。

 そして三人は、目的を果たすためにエレベーターに乗り、閲覧室へと戻った。

 閲覧室に戻ってみると、室内の機械が規則正しい機械音を奏でていた。

 どうやら、きちんと蒸気が供給されているらしい。

 ネロスが閲覧室のスイッチを押すと、保護カバーが開き、黒の書を安置していた台が精出してきた。

 

「いよいよだな。苦労が報われるといいが。さて、最初は譲ろう。読んでみるがいい」

 

 ネロスに促されるまま、健人は黒の書を手に取ってみる。

 

「わかっていると思うが、それは非常に危険なものだ。多くの人間の正気を奪ったとも言われている。ハルメアス・モラに会ったら、よろしく伝えてくれ」

 

「ケント、気を付けて……」

 

 二人の言葉に小さく頷くと、健人はおもむろに黒の書を開いた。

 題名は“手紙の書き方に関する見識”

 表紙を開いた瞬間、無数の気色悪い文字の羅列が健人の瞳に飛び込んでくる。

 そして、本から無数の触手が飛び出し、彼の意識を深淵の奥底へと引きずり込んでいった。

 

 

 

 

 

 

「ぐっ……」

 

 グルグルと回る意識と視界の中で、健人は自分が目的の世界に戻ってきたことを察していた。

 アポクリファ。

 ハルメアス・モラが持つ、無限の知識が内包された世界。

 健人は視界が完全に元に戻り、意識がはっきりしたところで、再び周りを見渡してみる。

 空は相変わらず薄暗い緑色の雲が覆い、樹脂を固めたような床と無造作に積み上げられた尖塔が、毒々しい沼の上に屹立している。

 ただ、今健人が立っている場所は、以前に彼が迷い込んだ広い広間のような場所ではなく、狭い小島の上だった。

 さらに、この小島は周囲を壁でおおわれており、外に出られるような出口も見当たらない。

 健人はとりあえず、周囲の状況を確認してみる。

 周囲の壁は木の皮を網目のように張り巡らせた感じの壁だが、一か所だけほかの壁と違う場所が存在していた。

 その壁は本来まっすぐに立ててあるはずの壁を、あえて丸く丸めたような形をしており、壁の前には何やら気味の悪い台座が存在している。

 更に網目状の壁の向こう側には、なにやら尾を振る蛇のような通路が存在している。

 台座の形を一言で言うなら、黒色の気味の悪い花だろうか。

 毒々しい黄痰色の三つの花弁が開き、花の中心からは雌しべのような茎が一本生えている。

 しかし、生命体特有の気配は感じられず、何か装置のような無機質さを漂わせている花だった。

 健人が恐る恐る、花の中心に生える茎に触れてみる。

 すると、茎の先にあった球がするりとは花の中に消え、開いていたか弁が閉じた。

 同時に丸まっていた樹皮のような壁が開き、まるでかけ橋のように、蛇のように蠢く通路に架かる。

 どうやらこれは、橋を架けるための装置だったらしい。

 先が見えたことで健人がとりあえず、先へと進もうとしたその時、健人の全身に強烈な悪寒が走った。

 まるで、無数の氷柱を突き立てられたかのような感覚に、全身が強張る。

 

「何だ、これは!?」

 

 健人の目の前の空間が歪み、毒々しい無数の泡と触手の群れた姿を現した。

 空間に広がった泡の染みの中心から、一際大きな瞳が現れる。

 ゆっくりと瞼が見開かれ、∞の形をした奇妙な瞳が、目の前の健人を睥睨していた。

 

「知識を追い求めるものは、遅かれ早かれ、我が元を訪れる」

 

 今まで感じたこともない強烈な圧力。

 汗腺から一気に汗が吹き出し、自然と息が荒くなっていく。

 それはまるで、ライオンと相対したネズミになったかのような感覚。

 ミラークと出会った時に感じた時と比べても遥かに強力な重圧を前に、健人は息をすることすら忘れ、視線さえ動かせなくなりそうだった。

 しかし、ゴクリと唾を飲み、喉の奥に力を入れて折れそうになる心と体を踏みとどまらせる。

 これまで経験してきた困難と、ドラゴンボーンとしての自覚と急成長が、デイドラロードという、このタムリエル最高峰の超越存在との対面でも、意識を保つだけの胆力を与えていた。

 

「ハル、メアス・モラか……?」

 

「そうだ。私が、ハルメアス・モラ。運命の王子であり、人を手に入れし者、運命を司る者……」

 

 絞り出すように漏らした健人の言葉に、ハルメアス・モラは淡々とした返事を返す。

 

「ここはアポクリファ。全ての知識が貯蔵されている。歓迎するぞ“異世界”のドラゴンボーン」

 

「っ!? 異世界って……なんで……」

 

 異世界、その言葉に、健人は思わず我を忘れて問い返そうとする。

 何故このデイドラロードは、自分がこの世界の出身ではないことを知っているのだろうか? と。

 

「無限の知識を収めた私の図書館で、知識欲を満たすがいい。もっとも、見つけられればの話だが。この領域の最奥部に来たその時、お前の問いに答えるとしよう」

 

 しかし、健人が疑問を口にする前に、ハルメアス・モラはまるで泡が消えるように、空間に溶けて消えていった。

 健人の目の前に残ったのは、蠢く通路へと架かる橋のみ。

 彼の脳裏にはミラークの事情と力、そして “異世界”という言葉が残響のように残っていたが、健人は一旦その疑問を胸の奥にしまい込む。

 最奥部に来たら答えると言ったのなら、健人としては先を進むしか選択肢はない。

 

「……行くぞ」

 

 架け橋の先に広がる毒の沼地と通路、そして尖塔を見つめながら、健人はミラークの力と真実を確かめるために、未知なる異界の領域へと足を踏み出した。

 

 




健人、ついにハルメアス・モラと対面しました。
次回は、黒の書“手紙の書き方に関する見識”での話になるかと思います。


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第九話 黒の書“手紙の書き方に関する見識”

 健人がアポクリファを探索している頃、カシトとバルドールはテルミスリンへと到着していた。

 二人が到着した時、テルミスリンにあるネロスの実験室では、魔法の研究をしているダンマーの男性がいた。

 彼の名前はタルヴァス。

 ネロス唯一の直弟子である彼は、ネロスの研究室である魔導書を読んでいた。

 その魔導書は彼としても貴重で非常に興味深い物であり、これから実際に使ってみる予定の魔法だった。

 しかし、その実践はカシト達の訪問によって中断されてしまい、タルヴァスは突然の訪問者に内心で早く帰ってくれと思いながら応対していた。

 

「ええ!? 健人はここにいないの!?」

 

 カシトはタルヴァスに健人の居場所を尋ねてみたところ、健人は既にタルヴァスの師と一緒にテルミスリンへと向かったと言われた。

 

「ああ、マスターネロスと一緒にドワーフの遺跡であるチャルダックに行ったよ。半日くらい前の事だから、行けば会えるんじゃないか?」

 

「やれやれ、ドワーフの遺跡か。何もなければいいのだがな……」

 

 ドワーフの遺跡は今でも数千年前の罠やガーディアンが生きている、非常に危険な遺跡だ。

 バルドールもその危険性は知っているからか、彫りの深い顔にさらに深い皺を刻み、難しい表情を浮かべている。

 

「その辺りについては何とも言えないかな。マスターネロスがついているから、多分大丈夫だと思うけど……」

 

 ネロスの直弟子であるタルヴァスは、ネロスが以前に一度チャルダックを訪れていることを知っているため、カシトやバルドール程の不安は抱いていない。

 とはいえ、ネロス達が遺跡の深部を目指していることは知っているため、確信的な事は言えなかった。

 

「仕方ない。その遺跡とやらに行ってみるか……。カシト、どうした?」

 

 とにかく、ここにいても仕方がない。

 行き先が分かっているなら、とりあえず行ってみた方がいいだろうと考えたバルドールがカシトに視線を向けると、カシトは部屋の奥に鎮座している複数の魔法の杖をジッと見つめていた。

 

「ねえ、ここは魔術師の家だよね?」

 

「あ、ああ。当然。テルヴァンニ家だけでなく、モロウウィンド中に名を馳せるマスターネロスの自宅だぞ。何を言っているんだ……」

 

「マスターネロスとかどうでもいいけど、あの杖は売り物?」

 

 カシトが部屋の奥に鎮座している魔法の杖達を指差す。

 杖の数は少なくとも十以上あり、それぞれが異なる色の力強い光を放っている。

 どの杖も高位の魔法が付呪されていることが見て取れ、一、二本あれば、家が建つほど高価な物であることが窺えた。

 カシトが指差した杖を見て、タルヴァスがギョッとした表情を浮かべる。

 

「え? だ、だめだ! アレはマスターネロスが自ら付呪した杖だぞ! 売れるわけないだろ!」

 

 杖を付呪したのは、件のマスターウィザード、ネロスだったらしい。

 タルヴァスからすれば、自らの師の作品であり、当然ながら勝手に売れるような代物ではない。

 おまけにネロスの性格はかなり辛辣で冷淡だ。

 テルヴァン二家の魔法に対する執着を知っているだけに、師の意思に反するような行為がバレれば、一体どんな目に遭わされるか分からない。

 ネロス本人に自覚はないが、彼はレイブン・ロックでも“カニに話しかけていた”とか“かつて見習い弟子の心臓を抉り取った”とか散々言われる程のマッドマジシャンである。

 そして直弟子であるタルヴァスも、そんな外聞を否定できないほど、ネロスの所業は奇異で酷いものだという自覚があった。

 そんなネロスの機嫌を損ねるなど、タルヴァスに出来るはずもない。

 

「ええ? 別にいいでしょ。何せそのマスターネロスが行ったのはドワーフの遺跡だよ。開けてビックリ罠まみれのドワーフ遺跡。ケントが一緒である以上オイラも行かなきゃいけないし、何があってもおかしくないし、念のために持っていきたいんだどな~?」

 

 一方、そんなタルヴァスの心情など知らないカシトは、ものすごい軽い口調で“持って行きたい”と宣う。

 相も変わらず、遠慮のないカジートである。

 

「別に返さないなんて言ってないよ。ちょっと貸してほしいだけ! ダメ?」

 

「駄目だ駄目だ! 渡せるわけない!」

 

 当然ながら、タルヴァスがカシトの要求を呑むはずもない。

 唾を吐きながら、テルミスリン中に響くような大声でカシトを威嚇する。

 一方、カシトはそんなタルヴァスの態度を前にして、少し困ったような表情を浮かべた。

 カシトとしては健人の身が心配だから、出来るだけの準備をしていきたいのだ。

 彼は人伝で健人の成長を聞かされはいても、その実感はやはり薄い。

 彼にとって健人のイメージは、やはりヘルゲンで一緒に生活していた時のものなのだ。

 それに、彼にとって健人は誰よりも大切な恩人だ。

 人種差別の中でストリートチルドレンとして生きてきたカシトは、守るべきものとそうでないものを明確に分けるし、守ると決めたものの為なら外聞や汚名など気にしない。

 それを気にしていては、自分の本当に大切なものを守れないと知っているからだ。

 だからこそ、危険な遺跡へと向かった健人を守れる可能性が一パーセントでも上がるなら、何でもすると決めていた。

 

「そんな言い方しちゃっていいの? オイラ見ちゃったんだけどなー」

 

「な、何をだよ……」

 

 作意を含ませたカシトのセリフに、タルヴァスは嫌な予感を覚えていた。

 彼がカシトの狙いに気付く前に、カシトはつい先程までタルヴァスが読み耽っていた魔導書を素早い動作でつかみ取ると、これ見よがしにタルヴァスの目の前に掲げる。

 

「ほら、この本!」

 

「あ! そ、それは!」

 

 あっという間に魔導書をスられたタルヴァスが動揺の声を上げる。

 カシトがスったのは、アッシュ・ガーディアンの召喚方法が書かれた魔導書だった。

 

「アッシュ・ガーディアンの魔導書。多分、そのネロスって人のだよね。これ、君が見てもいい物だったの?」

 

「と、当然だろ!? 私はマスターネロスの直弟子だぞ!?」

 

 自分は読んでもいいんだと言い張るタルヴァスだが、その声色には明らかに動揺の色が浮かんでいた。

 実際、タルヴァスはネロスからアッシュ・ガーディアンの召喚を許されてはいない。

 タルヴァスもまたテルヴァン二家のウィザードであり、魔法に対する知識欲は並以上に持ち合わせている。

 故に、彼は師の魔法を記した魔導書を内緒でこっそり写し、身に着けてしまおうと考えていたのだ。

 直弟子であることを盾に言い逃れようするタルヴァスだが、魔法研究一辺倒の彼の言い訳が、口の達者なカシトに通じるはずもない。

 タルヴァスの動揺を、カシトはしっかりと見抜いていた。

 さらに言えば、カシトはテルミスリンを訪れた段階で、タルヴァスがカシト達との話を早く終わらせたいと思っていることも察していた。

 また、カシトから見ると、いくら研究に没頭しているウィザードとはいえ、タルヴァスの口調はどちらかというと、後ろめたいことを知られたくないという色が見え隠れしていた。

 

「本当に? この家には君以外にも住んでいるダンマーもいたよね。その人に聞いてみようか?」

 

 このテルミスリンに住んでいるのは、ネロスとタルヴァスだけではない。

 執事も家事手伝いもいる。

 当然ながら、その二人も普段のネロスとタルヴァスの会話も聞いているだろうから、タルヴァスがアッシュ・ガーディアンの召喚を許されているかも知っているだろう。

 

「や、やめてくれ! 分かった分かったよ! ただ、マスターネロスの杖じゃなく、僕が付呪したものにしてくれ」

 

 観念したタルヴァスだが、さすがに師匠の杖を勝手に売るわけにはいかない。

 自分に与えられた部屋から、自分が付呪した杖を幾つも持ち出し、カシトの目の前に広げる。

 タルヴァスが持ってきた杖はテルヴァン二家のマスターウィザードの直弟子が施しただけあり、師であるネロスの杖程ではないが、並のウィザードが施した魔法の杖よりも出来はいい。

 しかし、ネロスの杖が欲しかったカシトとしては、不満タラタラと言った様子だった。

 

「ええ……。分かったよ。じゃあ、これと、これと、これと……」

 

「ちょ! そんなに持っていくのか!?」

 

 とはいえ、貰えるなら遠慮しないのがカシトである。

 タルヴァスが持ち出してきた杖は十を超えるほどあるが、次々と目についた杖を片っ端から手に取って脇に抱えていく。

 そんなカシトの無遠慮な略奪を前に、タルヴァスは頭を抱えた。

 

「当然でしょ。見たところ、ネロスって人の杖より出来は良くなさそうだし」

 

「ま、待ってくれ! ここにある杖はマスターネロスに頼み込んでようやく作ることを許された物なんだ。もう少し遠慮してくれないか!?」

 

 せめてもう少し遠慮してくれ。

 そんなタルヴァスの必死の叫びも、商魂逞しい……もとい、容赦のないカジートが聞き分けるはずもない。

 

「執事さーん。このお弟子さんがマスターネロスの魔導書を勝手に見て……」

 

「分かった分かった! もう好きに持って行ってくれ! そして早く出て行ってくれよ!」

 

「ありがとう! 大丈夫、ちゃんと返すから! カジートはこの恩は忘れないよ!」

 

「忘れてもいいから、さっさと消えてくれ……」

 

 結局、カシトはタルヴァスの杖の九割を借りると、ホクホク顔でテルミスリンを後にした。

 そんな彼の後ろで、影を背負って項垂れるタルヴァスを、バルドールが憐憫の色を浮かべた目で眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 どこまでも毒の沼地と無造作に放り棄てられた本の尖塔が屹立するアポクリファの中で、健人は自分の時間感覚が曖昧になるほど歩み続けていた。

 幸い、道はほぼ一本道で迷う事はなかったが、オブリビオンの一領域であるこの場所に住む現住生物と遭遇し、何度も戦闘をする羽目になったし、不気味な仕掛けも幾つもあった。

 戦闘時に戦った相手はルーカーとシーカーだが、共にソルスセイム島の岩の浄化時に戦った相手であり、その対処法も既に健人の中では確立されていた。

 一つ一つの仕掛けを解除し、戦闘をこなしながら先へと進むと、通路の行き当たりには必ず、台座に置かれた大きな本が存在していた。

 見開かれたページには蠢く気色の悪い文字が書かれおり、その本に触れると、別の場所に飛ばされる。

 そんな事が何度か繰り返された。

 しかし、どこまで続くかもわからない道程と、敵の数がどれほどかも分からない状況は、健人の精神と肉体に多大な負荷をかけていた。

 どれほど歩いたのだろうか?

 一時間? 二時間? それとも日を跨いだか?

 太陽の光が差さず、薄暗い緑色の靄に包まれた空では昼か夜かも分からない。

 それでも健人は持ち込んだポーションや回復魔法など、己が身に着けた魔法や錬金術で作ったアイテムを駆使して、先へと進み続ける。

 そして健人はついに、最深部と思われる場所にたどり着いた。

 彼の目の前には、まるで蕾のように閉じられた巨大な塔と思われる構造物があり、近くにはここに来るまでに何度も見た気味の悪いスイッチがある。

 健人がスイッチを起動させると、蕾のように閉じていた花弁が開き、花弁を通って渡れるようになる。

 蕾の中心には今までの物よりもひときわ大きな台座と、この世界に来ることになった黒の書と瓜二つの書物が鎮座していた。

 

「ここが、最深部か?」

 

 健人がそう言って台座の上の書に触れると、書はひとりでに開き、蠢く文字が記されたページを曝け出した。

 同時に、この世界に来た時にも感じた強烈な圧迫感が、健人を襲う。

 

「お前は、我が領海に足を踏み入れ、運命の元、これまでたった一人しか手に入れていない禁断の知識のあるこの場所に辿り着いた……」

 

「ハルメアス・モラ……」

 

 空間に再び出現したハルメアス・モラが、毒々しく、粘りつくような声で健人に語り掛けてくる。

 まるで、心の奥底に汚水が染み込んでくるような感覚に、健人は惑わされまいと唇を噛み締めた。

 

「よく来たな、異世界のドラゴンボーン。お前がこのタムリエルに流れ着いてから、私はずっとお前を見ていた」

 

「どうして、俺が異世界の人間だと分かった」

 

「私は星読みの力を持つ。過去から未来へと流れていく星々の光の中で、小さな影を見つけた。それが、お前だ……」

 

 ハルメアス・モラが持つ、星読みの能力。それはヌエヴギルドラールや時の龍神が持つ、時読みの能力と似ている。

 彼らは三次元の存在が知覚できない時間軸を、まるで樹形図のように読み取ることができる。

 そして、彼らの感覚では、時の流れは川の流れに似ていた。

 彼らの感覚では人や動物、エルフや亜人等、この世界に生きるものは全てその時の流れの中で揺蕩うように浮かび、流されながら生きている。

 しかし、ある時その川の流れの中に、本来あるべきではない異物が紛れ込んだ。

 それが、坂上健人。

 この惑星ニルンが存在する宇宙、ムンダスの外から紛れ込んだ地球人だった。

 

「本来であるなら、時の流れの中で自然に消え去るだけのはずだった異物。しかし、それは友となった竜の死後、竜神から送られた小さな力を抱き、徐々に変化し始めた」

 

 しかし、いくら他宇宙の異物とはいえ、世界が持つ潮流には影響はない。存在の規模があまりに違いすぎるからだ。

 大河の中に木の葉が一枚落ちたところで、川の流れは変わらないのと同じこと。

 時の流れと比べてあまりに矮小な健人は、時の中で生きる他の存在と同じように修正されて生きていくか、もしくは埋没して消滅するかしかないはずだった。

 だが、アカトシュの加護がその異物に小さな変化を与えた。

 流されるだけだったはずの木の葉は川を泳ぐための鰭と尾を持つ小魚と化し、世界の流れの中で必死に泳ぎ始めた。

 

「アカトシュからすれば、死した息子の最後の願いを叶えてやる程度の感覚だったのかもしれない。だがその祝福が齎した変化は、今まで私が見てきた、どの人間とも違うもの。故に、お前に興味が湧いてきたのだ」

 

 知識のデイドラロード、ハルメアス・モラには、今の健人は小魚から大きく成長し、またさらに大きな進化を迎えようとしているように見えた。

 ボコボコと泡立つように出現する無数の瞳が、健人を睥睨し続けている。

 

「お前が何を求めたかは分かっている。ドラゴンボーンの力を使い、世界を己の意思の元に従わせたいのだろう?」

 

「違う! そんなことは思っていない! 俺はミラークの力で覆われたこの島をどうにかしたいだけだ!」

 

 ハルメアス・モラの言葉を否定するように、健人が声を荒げる。

 健人がこのアポクリファに来た理由は、ソルスセイムから服従のシャウトの影響を取り去る為に、服従のシャウトの使い手であるミラークの力を知る事だ。

 当然ながら、世界を自分の意思に従わせようなどとは思っていない。

 だが、そんな健人の言葉を鼻で笑うように、ハルメアス・モラからの視線の圧力が増す。

 

「本当にそれだけか? お前が力を求める理由。それを本当に自分で理解しているのか?

 己が抱える無力感。それから逃れたい。故に力を求める……。

 力とは、己の意思を貫くための要素。世界とは己の周囲を構成する全て。

 であるなら、力でミラークを止めたいと願っているお前は、己の世界を己の力で従わせたいと願っているという事だ。

 それに、このニルンに来てから誰がお前の言葉を受け入れた? 姉か? 師か? 誰もいない。もし届いていたのなら、お前の友は姉に殺されることはなかっただろう」

 

 否定できない。

 ハルメアス・モラの言葉はある種の真理を突いていた。

 力とは、つまるところ、己の意志を貫くためには必要不可欠な要素だ。

 実力の伴わないサラリーマンのプレゼンテーションやビジネスがまるで役に立たないのと同じように、力の伴わない言葉に意味はない。

 健人自身の無力感が癒えたのも、フリア達を助けることで己の存在意味をもう一度確立できたことも大きいが、ドラゴンボーンとして覚醒し、無力な日本人では無くなったからである事が根幹に存在する。

 確かに、ここまで急速に力を付けてきたのは、彼の努力無しにはあり得ない。いくら才があろうと、それを伸ばす努力なくして、人は成長しないのだ。

 だが、立ち上がろうと決めたその意思の裏に、健人自身も自覚していなかった負の面があったことは否めない。

 だからこそ、健人はハルメアス・モラの言葉を否定できなかった。

 

「……確かに、俺の声はリータには届かなかった。お前の言う通り、目を背けていた面もあるだろう。それでも、もう一度立ち上がると決めたんだ」

 

 だがそれでも、今の健人は簡単には揺らがない。

 一度折れたからこそ、己の痛い面を突かれても、かつてのように両足から崩れ落ちることもない。

 それに、ハルメアス・モラの圧力に飲まれてたまるかという反骨心もあった。

 己の指摘に動揺はしても芯は揺らがない健人の姿に、ハルメアス・モラは満足したような声を漏らす。

 

「フフフ、勘違いをするな。邪魔をしに来たのではない。手助けしてやろうというのだ……」

 

 手助けしてやるというハルメアス・モラの言葉に、健人は眉間の皺をさらに深くする。

 

「……ミラークはあんたの手下なんじゃないのか? こうしてソルスセイムを服従のシャウトで覆ったのも、あんたの指示じゃないのか?」

 

 健人からすれば、ミラークはハルメアス・モラの眷属だ。

 ネロスから、ソルスセイムを覆う事態はミラークの独断行動である可能性を示唆されていたとはいえ、簡単にそれを鵜呑みにするわけにもいかない。

 

「それは違う。確かにミラークは私に忠実に仕え、見返りを得た。だが、我が支配の中で落着きを無くしつつある」

 

 しかし、ハルメアス・モラの言葉は、ネロスの推論を肯定するものだった。

 

「お前たちの世界に戻りたい。ミラークという己の名の呪縛を打ち払い、自分の運命を取り戻したいと願う奴の心が、今の事態を生み出したのだ」

 

「スゥームの呪縛……」

 

「そうだ。ドラゴンはドラゴンボーンである彼を縛り、従える為に、奴の名前を奪い、“ミラーク”という名を与えた。

 そして、ミラークはそのドラゴンの支配から逃れたいと願い、私と契約し、力を得た」

 

 ミラークの願い。

 それは、かつての自分の名を取り戻し、自由になること。

 スゥームというこの世界でも特筆すべき真言によって縛られた己の運命を取り戻すということ。

 その為に、ミラークはハルメアス・モラに仕えてきたと、件の邪神は健人に語った。

 

「お前は、理不尽なこの世界に対して怒りを抱いている。その怒りはミラークと同質のものであり、かつての彼と同じように、力を欲してもいる。己の意思を突き通すための力を……」

 

「…………」

 

 健人が内に抱いた怒り。もう一度立ち上がると決意した彼の心の奥底で、意図的に見ないようにしてきた一面。

 それもまた、ミラークの怒りと同質のものだとハルメアス・モラは断言する。

 少し不幸だったかもしれないが、日本であった穏やかな生活を突然理由もわからないまま失い、さらにこの世界で出来たもう一つの家族も失った。

 唯一残った義理の姉には否定され、友情が芽生え始めていたドルマには裏切り者と言われて刃を向けられた。

 責任の所在など誰にあるとも分からない。誰に当たればいいか分からないからこそ、行き場を失い、知らず知らずのうちに心の奥底に溜まっていた淀み。

 己の負の面を今一度自覚し、沈黙を保ちながらも、健人は宙に浮かぶ無数の瞳から向けられる視線を、正面から受け止めていた。

 

「ここに必要な知識がある。お前も、それを探しに来た」

 

 健人の沈黙を無視し、ハルメアス・モラは言葉を続ける。

 宙に浮かんだのは、三本の爪でひっかいたような、ドラゴンの言葉。

 汚濁のような濃緑色で描かれた文字から、言葉の意味が強制的に健人の脳に刻み込まれる。

 

「ぐっ!?」

 

 脳みそをこねくり回されたかのような激痛が健人を襲う。

 あまりの痛みに健人はその場に膝をつき、歯を食いしばって激痛に耐える。

 刻まれた文字はハドリム。

 意味は“精神”。

 ミラークの服従のシャウトの二節目の言葉だった。

 

「二番目の力の言葉だ。この力があれば、定命の者の意思を自由に従わせることができる。それと、もう一つ……」

 

「がぁ!」

 

 さらにもう一つ、健人の脳裏に言葉が刻まれる。

 再び襲ってきた激痛に、健人は息も絶え絶えといった様子だった。

 刻まれた文字はクゥア。

 意味は防御、鎧。

 ドラゴンの鎧たる鱗を再現し、現出させるシャウトであり、ドラゴンアスペクトの二節目を構成する言葉だった。

 

「ドラゴンアスペクトの二つ目の言葉だ。このシャウトもまた、ミラークがドラゴンの支配から逃れるために編み出したもの。ここまで辿り着いた褒美にくれてやろう……」

 

 ハルメアス・モラが押しつけてきた二つの言葉を強制的に理解させられてしまった健人は、頭を無数の針で刺されたような痛みを震える足に必死に力を入れ、荒い息を吐きながらも何とか耐える。

 そして頭痛が徐々に引いていくにしたがって、今しがた知ったばかりのシャウトを脳裏で反芻してみる。

 人類最初にして最大のドラゴンボーン、ミラークが求めたスゥームだけあり、声に出さずとも、内から確かな熱を感じるほどの力を秘めた言葉だった。

 

「だが、これでは足りない。ミラークは最後の力の言葉を知っている。この言葉がなければ、奴に勝てる望みはない」

 

「そんな事、戦ってみなければわからないだろう」

 

「いいや、分かる。お前も理解しているはずだ。理屈ではなく、ドラゴンボーンの本能としてな。奴と己との力の差は、すぐに思い知るだろう」

 

 お前はまだミラークには勝てないと、確信をもって答えるハルメアス・モラ。

 知識のデイドラロードの言葉に健人は眉を顰めるが、同時に彼もハルメアス・モラの言葉を内心では否定できなかった。

 

「奴の言葉は竜族すらも従える。それだけの強制力を、あやつの言葉は持っている。これに対抗するには最後の言葉を知り、服従のシャウトを本当の意味で、己の内に取り込む必要がある」

 

 ミラークの言葉はドラゴンすら従えるほどの力を持つ。

 実際に“白日夢”の領域で相対した時、ミラークの背後には彼に付き従うドラゴンがいた。

 さらに言うなら、健人が大地の岩で操られた時、ミラークの声はアポクリファからソルスセイム中に拡散している状態だった。

 もしも、面と向かい合った状態で“服従”のシャウトを直接その身に受ければ、いくらドラゴンボーンとして覚醒した健人でも操られる公算が大きい。

 ミラークの服従のシャウトに耐えるには、ハルメアス・モラの言う通り、言葉の意味を知らなければならないという確信が、健人の胸の中には浮かんでいた。

 

「ミラークは私に忠実に仕え、見返りを得た。お前になら、奴と同じ力を与えてやってもいいが、どんな知識にも代償が必要だ」

 

「必要ない。自分で探す」

 

「ははは! 人の一生を何百回繰り返したところで、我が蔵書を探しきれるはずもなかろう。それに、そんな時間があるのか?」

 

 ハルメアス・モラの正確な指摘に、健人は臍を噛む。

 確かに、時間は少ない。

 いくら岩の浄化を進めても、肝心のミラークは健在。

 浄化した岩も、いつ再び服従のシャウトに汚されるかわからない。

 おまけに、最後の岩は直接浄化できない状態にされてしまっている。

 

「ミラークが反逆したのなら、なぜ自分で始末しない」

 

 健人は一縷の望みをかけ、なぜ自分で始末しないのかとハルメアス・モラに問いかけた。

 ミラークがこのデイドラロードに反意を抱き、意図しないところで動いているというのなら、放置しておくのは、このデイドラロードの威厳に関わる。

 上手く話を誘導できれば、ハルメアス・モラ自身にミラークを討たせることができるかもしれない。

 

「反逆ではない。ミラークは私の元から自由になりたいだけだ。それに、奴が自由になれば、私の影響をより広く、ニルンに広めることができるだろう。私としては、別にどちらでも良い事だ……」

 

 だが健人の希望は、ハルメアス・モラの僅かな言葉で否定された。

 そもそも、デイドラロードを縛るものなどこの世界にはほとんど存在しない。

 伝説のドラゴンボーンとて、デイドラロードにとっては久方ぶりの娯楽の対象ぐらいの感覚なのだ。

 また、大半のデイドラロードは、より大きな楽しみを求め、ニルンにより大きな影響を与えようと暗躍する。

 未知の知識を求めるハルメアス・モラにとっても、ニルンに対する影響力を高めることは、より多くの未知を知る機会へと繋がる。

 ハルメアス・モラにとっては、より多くの知識を得られるなら、ミラークが自由になろうと構わない。

 結局、ミラークを止めることを目的として行動し、かつ、それが可能なのは、服従のシャウトを身に付けられる健人だけなのだ。

 

「これは、正式な取引だ。私が求めるものを持ち帰れば、最後の力の言葉をくれてやる」

 

「…………」

 

 ハルメアス・モラが提示してきた契約を前に、健人は逡巡する。

 相手は知識を司る邪神。

 迂闊な言葉で言質を取られ、どのような理不尽な契約を持ち掛けられるか分かったものではない。

 しかし、そんな健人の迷いを無視して、ハルメアス・モラは淡々と要求を述べる。

 

「知識の代償は……知識だ。スコールは、長年にわたり、我に秘密を隠し通している。その知識を、わが蔵書に加える時が来た」

 

 スコールの秘密を暴き、それを差し出せ。

 未知の知識を求めてやまないハルメアス・モラらしい要求だった。

 

「スコールが拒んだら、どうするつもりだ」

 

「我が手下のミラークなら、力を得るために、何としてもスコールの知識を差し出す手を考えただろう。奴を超えたいのなら、お前もそうすることだ」

 

「スコールを救うために、俺にスコールを差し出せと!? ふざけるな!」

 

 スコールを差し出す。

 それは今の健人にとって、己が戦う理由を差し出すことに等しかった。

 健人はこのタムリエルに迷い込んで、数多の理不尽の中で叩き潰されてきたからこそ、同じように理不尽な力で苦しんでいるスコール達を見過ごせなかった。

 それが結果として、健人にドラゴンボーンとしての能力を覚醒させることになり、こうして彼らをミラークの呪縛から解き放つ可能性が見え始めていたのだ。

 健人にとってハルメアス・モラの要求は、到底受け入れられる物ではない。

 しかし、デイドラロードであるハルメアス・モラにとって、定命の者の事情など知ったことではなかった。

 

「スコールの呪術師をよこせ。奴らが持っている知識を手に入れてやろう……」

 

「待て、呪術師? まさか、ストルンさんのことか!? 俺にあの人を差し出せと言うのか!?」

 

「望むと望まざるとにかかわらず、お前には我に仕えてもらう。我が書をスコールの呪術師に読ませろ。お前がやるのはその位で構わん。後は私自ら、その秘密を手に入れてやろう……」

 

 健人の叫びなど気にも留めず、宙に浮かんでいたハルメアス・モラは徐々に己の体を虚空へと溶かしていく。

 

「お前はすぐに思い知るだろう。ミラークと自分との力の差をな。そして、必ず私の元に戻ってくる。運命の流れに、定められるまま……」

 

 去り際に意味深な予言だけを残し、最後の泡がチュポンと宙に波紋を残して消え去った。

 黒の書の最深部に取り残された健人は、しばしの間、唇から血を流すほど歯を噛み締めていたが、結局何も打開策を思いつくことができず、仕方なく書に触れて現実世界へと帰還するしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「行ったか。フフフフ……」

 

 健人が去った後の黒の書“手紙の書き方に関する見識”の中で、ハルメアス・モラは己の策の成功を確信していた。

 

「クゥア、ハドリム。私の贈り物を受け取ってくれた彼は、果たして私のミラークとどう相対するのか……」

 

 彼の脳裏に浮かぶ未来の光景。

 それは二人のドラゴンボーンが、アポクリファの最上部で相対している姿だった。

 片やこの世界最初のドラゴンボーン、片やニルンに迷い込んだイレギュラードラゴンボーン。

 最古と異端の運命の戦い。これを前にして、ハルメアス・モラは己の興奮を隠しきれなかった。

 

「思った以上に強い精神を持っていたな。良い事だ。少し心の隙を突けば、大概の人間は自らの矛盾に潰れるのだが……」

 

 ハルメアス・モラとしては、最初に健人が見ようとしていなかった負の面を突き付けるだけで、ある程度は崩せると踏んでいた。

 人間は、己が無意識の内に見ようとしていない面を突き付けられると動揺し、拒絶反応を示す。

 自己矛盾は容易く精神の芯を脆くし、自らの自重で折れる。

 しかし、健人の心の芯は思った以上に強く、僅かな動揺を見せただけで直ぐに立て直してみせた。

 その事実に、ハルメアス・モラは喜悦の声を漏らす。

 

「たが、仕込みはした。“鎧”に“精神”。

 二つの言葉を取り込んだ彼は、必ずその“言葉”の影響を受ける」

 

 シャウトは外界だけでなく、それを取り込んだ当人にも影響を与える。

 内在する力を示す“ムゥル”を取り込んだ健人が、異常な速度で力をつけていることも、全ては取り込んだシャウトが内から健人に影響を与えているがためである。

 

「“精神”に“鎧”を纏った彼は、さらに強くなった。しかし、心の鎧は必ず精神の硬直を引き起こす。心の硬直は視野狭窄と焦燥を招き、必ずや彼を再び我が元へとやって来させるだろう」

 

 健人がこの黒の書“手紙の書き方に関する見識”の中で身に付けた“精神”と“防御”の言葉。

 この二つは確かに彼の力を高めるだろうが、同時にそれは彼の心を縛る重石にもなる。

 シャウトは元々、真言たる言葉を組み合わせることで無限ともいえる効果を発揮する。

 急成長している健人ではあるが、未だにミラークに及んでいない。

 そんな健人の心の隙を突く為に、ハルメアス・モラは意図的にこの二つの言葉を同時に健人に刻み込んだのだ。 

 

「もうすぐだ。もうすぐ裁定の時が訪れる……」

 

 布石は全て打った。

 ミラークとの力の差を知り、そして彼は必ずより大きな力を求めるだろうと。

 そして、ミラークと健人が相対した時こそが、裁定の時となる。

 ミラークが勝ち、ニルンに更なる影響力を広げるか、それとも異端のドラゴンボーンが勝り、異界の知識を手に入れられるか。

 どちらにしても、ハルメアス・モラには最上となる結果である。

 

「さあ、私に未知を見せてくれ、愛しい我がドラゴン達よ……」

 

 知識のデイドラロードは己が集めた知識の海の中で、これから起きるであろう未知なる戦いに想いを馳せていた。

 

 

 




というわけで、カシト、ネロスの弟子であるタルヴァスから強引に魔法の杖をぶんどりました。タルヴァスさんは泣いていい……。
ゲーム上では、タルヴァスはテルミスリンに行くと、外でネロスに内緒でアッシュ・ガーディアンの召喚をしようとして失敗し、その後始末を主人公に頼んできますが、そのエピソードを元にかなり手を加えて構築しました。
皆さんがどんな反応をするのか少し不安です……。

健人はハルメアス・モラと対面しました。
ついでに、服従のシャウトの二節目だけでなく、ドラゴンアスペクトの二節目もゲット。
ハルメアス・モラ、健人に直接会えたのがよほどうれしいのか、大盤振る舞いです。
しかし、何やら不穏な空気が……。

追記、前半部分を若干変更。


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第十話 クロサルハーの襲来

 アポクリファの最深部で黒の書に触れた健人は、気が付けばチャルダックの閲覧室へと戻ってきていた。

 規則的な機械音が響く半円形の部屋が、健人の目に飛び込んでくる。

 

「ケント、戻ってきたのね! ……大丈夫?」

 

「あ、ああ……」

 

 アポクリファからニルンへと帰還した健人を迎えたのはフリアだった。

 顔面蒼白な健人の様子に何やら不穏な気配を感じ取ったのだろう。

 心配そうな瞳で、健人の顔を覗き込んでいる。

 あまりにも憔悴した様子の健人に、フリアが手を伸ばし、そっと頬に触れてくる。

 頬に伝わってくるフリアの指の感触に、健人の脳裏にハルメアス・モラからの言葉が蘇る。

“スコールの秘密を差し出せ”

 目の前の女性を裏切れという言葉が脳裏によぎり、健人は思わずフリアの手から逃れるように後ずさる。

 

「……ケント?」

 

 健人の様子に違和感を覚えたフリアが怪訝な表情を浮かべる。

 ふと健人の視界の端に、湯気の立つポットがかけられた焚火が目に映った。

 相当時間が経ってしまったことが伺える光景だった。

 

「……フリア、俺は一体どれだけ黒の書にいたんだ?」

 

「え? 大体丸半日くらいかしら、心配したのよ」

 

「ごめん、時間が掛かった……」

 

「戻ったか! どうだったのだ!? この手の書物は、見る者にとって内容が大きく異なるのだ!」

 

 どこか奇妙な健人の態度をフリアが問う前に、健人の帰還に気付いたネロスがフリアを押し退けて健人に詰め寄ってくる。

 黒の書に興味を抱いていたネロスの事だ。黒の書に入った健人の帰還を、今か今かと心待ちにしていたのだろう。

 相も変わらず傍若無人なネロスだが、今はその強引さが少しありがたかった。

 

「……ハルメアス・モラに会った」

 

「それにしては驚くほど正気を保っているな。それで、一体何を言われたのだ?」

 

「それは……」

 

 肝心の内容を尋ねられ、健人は一瞬迷う。

 ハルメアス・モラから持ち掛けられた取引。服従のシャウトを構成する最後の言葉を得ることの引き換えに出された条件である、スコールの秘密を明け渡すということ。

 そしてその秘密を握っているのは、スコールの呪術師であるストルンであり、フリアは彼の娘である。

 健人にとっては、契約の条件を口にすることすら憚れるような気がした。

 しかし、黙っていることはそれ以上の裏切りだった。

 

「奴は……スコールの秘密を明け渡せと言ってきた」

 

 スコールの秘密という単語に、ネロスは首を傾げ、フリアは眉を顰める。

 

「スコールの秘密? 彼らにハルメアス・モラその人が欲しがるような秘密があるとは思えないが……あるのか?」

 

「……ええ、呪術師の一族が代々、ハルマモラから守ってきた秘密があるわ」

 

 ネロスに本当に秘密があるのかと問われたフリアは、腕を組み、眉間の皺を深くしながら十秒近く沈黙した後に、実際にハルメアス・モラがつけ狙っていた秘密をスコールが隠していることを告げた。

 フリアの話を聞き、ネロスが小さく頷く。

 

「なるほど、本当のようだな。だが、その程度でミラークの力を知れるなら、お安い条件だな」

 

 お安い条件と軽い口調で述べたネロスの言葉が、フリアの逆鱗に触れた。

 掴み掛るようにネロスに歩み寄ったフリアが、射殺すような視線を向ける。

 

「………私達が何代も何代も守り続けてきたものを、お安いだなんて勝手に決めつけないで!」

 

 激昂したフリアの大声が、閲覧室に響く。

 しかし、至近距離でフリアの怒声を浴びても、ネロスは淡々とした態度を崩さない。

 彼から見れば、ソルスセイムを覆い尽くすほどのミラークの力とスコールが抱えてきた秘密は等価値とは思えず、スコール側であるフリアの色眼鏡が多分に加わっていると思っていたからだ。

 

「実際にミラークの力と比べてもどうなのだ?」

 

「だから、言えないと言っているでしょ! もし言える様なものなら、悪魔に目を付けられていながら、何世代も秘密に語り継ぐと思うの!?」

 

「ふむ、それほどのものという事か……」

 

 デイドラロードに目を付けられながらも、秘密を隠し通した。

 その事実を指摘され、ネロスはスコールの秘密という話にフリアの色眼鏡が加わっているという自分の憶測を修正した。

 おそらく、スコールの秘密とは、スコールのあり方だけでなく、このソルスセイム島の根幹に関わるようなものなのだろう。

の根幹に関わるようなものなのだろう。

 実際、このソルスセイムという島は、他の地域と比べても特に異質な島だ。

 地脈の起点となる岩が多数屹立している事や、レッドマウンテンに近い事。

 実際、数百年前にも、この島は別のデイドラロードの影響を多分に受けている。

 ネロス自身も、この島に何らかの秘密があると見越したからこそ、移住してきたのだ。

 フリアの怒声に自らの考えを改めたネロスは、今一度、事の中心にいるもう一人の人物に目を向けた。

 

「それで、どうするのだドラゴンボーン。

 ミラークに対抗するにはスコールの秘密をハルメアス・モラに渡さなければならない。しかし、このスコールの娘はおそらく頑として譲らんと思うぞ」

 

「……それは」

 

「…………」

 

 健人とフリアの間に、言い知れぬ緊張感が漂う。

 しかし、片やスコールの秘密を必要とするドラゴンボーン。片やその秘密を肝心のハルメアス・モラから守ろうとする一族の娘。

 ここに来て、健人とフリア、互いの立場が非常に曖昧なものとなった。

 健人がフリアを見つめると、彼女もまた健人をまっすぐと見返している。

 スコールの秘密は譲れない。

 フリアの瞳は、そんな彼女の内心を如実に語っていた。

 だが、双方が答えを口にする前に、閲覧室の外から耳を裂くような咆哮が響いてきた。

 

“グオオオオオオオオオオオ!!!”

 

 健人とフリアにとっては聞きなれてしまった咆哮。

 睨み合うように見つめ合っていた二人は互いに驚きに目を見開くと、弾かれた様に出口の門へと駆け出し、蹴破るように外に出て空を見上げる。

 暗雲立ち込める空には、映えるような金の鱗を輝かせたドラゴンが舞っていた。

 

「ドラゴン!?」

 

「エルダードラゴンか。ドラゴンの中でも相当な上位種だ」

 

 エルダードラゴン。

 健人が今まで相対してきたドラゴンの中でも最上位に位置する竜種。

 チャルダック上空で何かを探すように旋回し続けていたドラゴンは、遺跡から出てきた健人達を確かめると、彼らを睥睨するように上空でホバリングし始めた。

 

“ズゥー、クロサルハー。スリ、ミラーク、フェン、クリィ、ゴゥエイ、ブルニク、ジョール。ドィロク、ファール、フェント、ディル!(我はクロサルハー。主、ミラークが邪魔者を排除しろと命じられた。恐怖をその身に刻みながら死ね!)」

 

「主ミラーク? ミラークの手先か!」

 

 クロサルハー。

 ミラークに付き従う従属竜の一体。

 ソルスセイムの力の集約点である大岩を解放されたミラークが、邪魔者である健人を排除するために送り込んだ刺客。

 宣戦布告と共に、刺客であるドラゴンは胸を張り、首を大きく仰け反らせる。

 同時に“偉大な”ドラゴンの名に相応しい強烈な圧力が、地上の健人達に圧し掛かってきた。

 

「来るぞ!」

 

 健人とネロスが詠唱を開始。

 障壁を前方に張り、クロサルハーのシャウトに備える。

 

“ヨル……トゥ、シューーール!”

 

 業火のシャウトが放たれ、健人達に襲い掛かる。

 エルダードラゴンに属するクロサルハーのシャウトは、アルドゥインを除き、健人が相対してきたどのドラゴンよりも強力だった。

 健人の障壁は瞬く間に破砕されてしまうが、ネロスの障壁が何とかクロサルハーのファイアブレスを防ぎきる。

 シャウトを放ち終わり、上空を通過するクロサルハーを見上げながら、健人は奥歯を噛み締めた。

 

「くそ、こんな足場の悪い開けた場所じゃあ、嬲り殺しだ」

 

 健人達が今いる場所は、チャルダックの正門前。

 チャルダック自体が元々ほとんど海に没しているため、動けるスペースは正門前を除けば崩れかけの空中回廊くらいで、ほとんど足場がない。

 おまけに遺跡が海上にあるため、周囲が非常に開けていることから、上空からは健人達の姿が丸見えになる。

 

「不味いわね。場所が悪いわ。遺跡の中に退避する?」

 

「遺跡の出入り口はここだけだ。あのドラゴンを倒さない限り、脱出は不可能だな」

 

 健人達が調べた限り、この正門以外で出入口は確認できなかった。

 海面下には別の出入口があるのかもしれないが、そこは海の底。海上に出れば上空から狙い撃たれることは変わらない。

 

「ネロス、魔法であいつを撃ち落とせないか!?」

 

「やれるかもしれんが、相手はドラゴンだ。先ほどのように防御に回す魔力まで余裕があるかは分からんぞ」

 

 ネロスもエルダードラゴンとの交戦経験はない。

 相手の生命力がどの程度であるのか不明である以上、出来るだけ攻撃の為に魔力を温存しておきたいというのが本音であった。

 ついでに言えば、チャルダックの遺跡を踏破するために、ネロスも相当魔力を消費したし、健人も黒の書の中でポーションの類は使い果たしている。

 いくら半日で魔力を回復させたとはいえ、相手は空中を飛び回っていることも考えれば、地上に引き摺り下ろせるかは微妙なところだった。

 だが健人達が対抗策を編みだす前に、クロサルハーが再び健人達に向かって急降下してきた。

 再び襲い来るであろうシャウトを前に、健人は迎撃のためにあえて前に出る。

 

「ケント!?」

 

「ファス、ロゥ、ダーーー!」

 

 防御するだけの余裕がないなら、マジ力に依らない攻撃で迎撃するしかないと、健人は急降下してくるクロサルハーに向かって“揺ぎ無き力”を放つ。

 強烈な衝撃波なら、ファイアブレスを蹴散らせるだろうと考えての判断だった。

 

“ファス、ロゥ、ダーーー!”

 

 しかし、クロサルハーが放ったのは健人と同じ“揺るぎ無き力”だった。

 正面から激突した二つの衝撃波は互いに交差するように正面激突すると、互い違いにすり抜け、各々の獲物へと向かって飛翔する。

 健人が放った衝撃波をクロサルハーは素早く身を翻して躱す。

 一方、健人は空を飛ぶクロサルハーほどの機動力を持っていないが故に、向かってくる揺ぎ無き力を躱しきれなかった。

 

「どわあああ!」

 

「ケント!?」

 

 クロサルハーの揺ぎ無き力の直撃を受けた健人は、吹き飛ばされて足場の縁から空中に放り出されてしまう。

 海に落ちそうになる健人に、フリアが慌てて跳びかかって何とかその手を掴み取った。

 

「す、すまん!」

 

「いいから、早く上がって!」

 

 フリアの手を借りて健人は一秒でも早く足場に這い上がろうとするが、間の悪いことに、健人の腰に吊っていた剣帯の留め具がピンと音を立てて外れてしまった。

 固定具が外れた剣帯は、黒檀の片手剣ごと重力に従って健人の腰からすり抜ける。

 

「っ、剣が!」

 

 咄嗟に手を伸ばして掴み取ろうとするが間に合わず、黒檀の片手剣は鞘ごと波間から顔を除かせている遺跡の柱の隙間に落ちてしまう。

 剣は岩場の隙間に挟まって海の中に落ちることは免れたが、これでは簡単に取りに行くことはできない。

 さらに不味い事に、間一髪で海への落下を免れた健人が見上げる視界の端に、金色の翼がはためいた。

 体勢を崩した健人に向かって、三度急降下してくるクロサルハーがいたのだ。

 

「っ! フリア、上だ!」

 

「しま……」

 

 すぐにでも足場の上に這い上がろうとする健人だが、急降下してくるクロサルハーの方が早い。

 明らかに間に合わない。

 せめてフリアだけは……。

 そう思い、フリアの体を突き飛ばそうとする健人だが、彼が腕に力を入れる前に、視界の端から走った紫電がクロサルハーの体に直撃した。

 

“ぐお!”

 

「何だ!?」

 

 雷撃を受けて体勢を崩したクロサルハーは進路を横に逸れながらも、素早く翼をはためかせて飛び上がり、戦いの中で横槍を入れてきた不届き者に目を向けた。

 そこにいたのは、一人のカジート。

 背中にまるで孔雀のように多数の杖を差し込んだ頭の悪そうなカジートが、腕を突きあげながらクロサルハーに向かって罵声を上げている。

 

「おいコラ、そこのクソトカゲ! オイラの親友に何しやがるってんだい!」

 

「カシト!? どうしてここに!?」

 

 健人が驚きの声を上げる。

 彼を救ったのは、ホワイトランで別れて以降、会うことが出来なくなっていたカジートの友人、カシト・ガルジットだった。

 健人はカシトがソルスセイムに来ている事は聞いてはいたが、行方が分からなかったために、こんな遺跡で会うとは思っていなかった。

 

「ケント大丈夫!? オイラが助けに来たよ……ってどわああああ!」

 

 一方、ようやく願っていた健人との再会を果たした上に、これ以上ない程ナイスなタイミングで助けに入ったカシトはニへラ~と浮かれた笑みを浮かべていたが、当然ながらそんな闖入者をクロサルハーが見逃すはずもない。

 クロサルハーの怒りのファイアブレスが放たれ、カシトは大慌てでその場から逃げ出した。

 邪魔者を焼き殺そうとファイアブレスを放ち続けるクロサルハー。

 カシトは灼熱の炎から逃れようと必死に走り回るが、当然ながらそんな状況では、せっかく借りた魔法の杖に意識を集中することは出来ず、反撃などする余裕はなかった。

 

「ちょっと、タンマ、待って、暴力反対!?」

 

 先程までのカッコよさを僅か十秒で投げ出し、更には自分も暴力に訴えたことを棚に上げて、カシトは必死に逃げ回る。

 

「何だ、あの頭の悪そうなカジートは……」

 

 ネロスの呟きに、健人は思わず“まあ、そう見えますよね”と漏らしそうになる。

 ドラゴン戦だというのに、相も変わらず気が抜けそうになる親友の姿に健人が脱力していると、チャルダックの空中回廊の影から、ドラゴンに見つからないように身を屈めて近づいてくる人物がいた。

 

「ケント、無事か」

 

「バルドールさん、どうしてここに」

 

 ドラゴンの目を逃れて近づいてきたのは、大きな荷を背負ったスコールの鍛冶師、バルドール・アイアンシェイパーだった。

 バルドールは驚きの表情を浮かべて硬直している健人とフリアにピカピカと光る頭皮と同じような笑みを浮かべる。

 

「こいつを持ってきたのさ」

 

 背負った荷物を下ろし、中身が見えるように広げて見せる。

 荷物の中から出てきたものに、健人とフリアは目を見開く。

 

「これは……」

 

「黒檀のブレイズソードとスタルリムの短刀、それから、ドラゴンスケールの盾と軽装鎧。ケントの武具だ。スコール一の鍛冶師特製の装具だぜ?」

 

 それは、今まで健人が見てきたどの防具と比べても異質な武具だった。

 ブレイズソードを模した大小の刀が二振り。

 黒檀のブレイズソードを手に取ってゆっくりと鯉口を切ってみると、鮮やかな漆黒の中に煌めく雪を抱いた流麗な刀身が目に飛び込んでくる。

 鎧や盾は分厚く硬質なドラゴンの鱗で仕上げられており、そっと触れれば、驚くほどなめらかで、まるで生きているかのような熱が感じられた。

 鎧の背には中央と左右の肩甲骨付近に留め具があり、盾や矢筒、弓などを背中に固定し、素早く切り替えられるようになっていた。

 盾は健人の体格に合わせてやや小ぶりに仕上げられているが、顔などの露出部を防ぐには十分な大きさに仕上がっている。

 

「このドラゴンの鱗って……」

 

「ああ、サエリングズ・ウォッチでケントが倒したドラゴンの鱗だ。こいつを取って帰る途中で、あのカジートを拾ったのさ」

 

 そう言って、バルドールはグイっと親指で、現在進行形でドラゴンから逃げ回っているカシトを指さした。

 健人の鎧を作るにあたり、バルドールが目を付けたのが、ドラゴンの鱗だった。

 最初は黒檀で作ろうかとも考えたが、黒檀は重量があり、軽装鎧には向かない。

 力ではなく、体捌きや刀術を巧みに使って戦う健人の防具は、軽装鎧が適している。

 そしてドラゴンの鱗はその硬質さとは裏腹に非常に軽く、軽装鎧を作るには最高の素材だった。

 バルドールが作り上げたドラゴンスケールの鎧と盾はこのタムリエルで間違いなく最高位に位置する防具であり、極めて高い防御力と羽のような軽さを併せ持ち、生半可な武器はもちろん、下位のドラゴンの攻撃でも傷一つ付けられない品に仕上がっていた。

 

「ケント、急いで武具を身に着けて。時間稼ぎは私とネロスでするわ。バルドール、弓はある?」

 

「ああ、あるぜ」

 

 健人が呆然と自分のために作られた武具に見入っている中、フリアが覇気を揺らめかせながら、バルドールから手渡された弓矢を手に立ち上がる。

 その瞳には煌々とした戦意に満ちていた。

 一方、ご指名を受けたネロスは腕を組んだままため息を吐いていた。

 

「また私をこき使うつもりか? 相変わらず不躾で無遠慮な小間使いだ」

 

 実際、ダークエルフ五大家の一角において、最高位のウィザードに対してここまで無遠慮に働かせようとする者は皆無だったし、むしろネロスは使役する側だった。

 フリアとしてもそんな事は承知の上であるが、相手はドラゴンである。

 サエリングズ・ウォッチで実際にドラゴンと戦闘して死にかけたフリアだからこそ、今はネロスの小言を聞く気は皆無だった。

 

「うるさい、今は猫の手も借りたいのよ! テルヴァンニ家一の魔法使いなんでしょ! 半日休んでも魔力が回復しない普通の魔法使いなわけ?」

 

「小娘が、言ってくれるな。いいだろう。我が秘奥、見せてくれる!」

 

 クロサルハーは今、逃げ回るカシトを狙っているため、フリア達からは意識が逸れている。

 時間を稼ぐために駆け出したフリアが挑発混じりの言葉をかけると、ネロスもまた珍しくやる気を出したのか、その真紅の瞳に熱意を宿しながら、フリアの後を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 健人を助けようと、タルヴァスからぶんどった(カジート曰く借りた)魔法の杖で横からドラゴンにちょっかいを掛けたカシトだが、現在進行形で絶体絶命の状況だった。

 

“ヨル、トゥ、シューーール!”

 

「うわちゃちゃちゃちゃ!」

 

 上空からホバリング状態のクロサルハーから向けられたファイアブレスが、カシトに襲い掛かる。

 自分の体を飲み込んで有り余る業火の奔流を前に、カシトは背負った杖を突き出して魔法を発動させる。

 込められていた魔法は“魔力の砦”。

 熟練者クラスの上位魔法である。

 とはいえ、回復魔法についてはサッパリ覚えのないカシトが、そんな上位魔法が付呪された杖を満足に使えるはずもない。

 杖の魂力は瞬く間に消費されていく。

 カシトはこのまま炎を吹き続けられては堪らんと、雷の魔法である“ライトニングボルト”が付呪された杖も取り出してクロサルハーに向けて発動するが、相手は普通のドラゴンとは一味違うエルダードラゴン。

 見習いクラスの破壊魔法が大した効果を上げるはずもなく、多少体を身じろぎさせるが、直ぐに十倍返しとばかりにさらに苛烈なシャウトをカシトに浴びせ返してくる。

 地面を転がりながら這う這うの体で杖を掲げ、再び魔力の砦を発動させてシャウトを防ぐが、カシトがジリ貧なのは目に見えて明らかだった。

 

「無理無理無理!もう無理~~。ケント助けて~~!」

 

 悪循環に陥ったカシトが杖を掲げたまま悲鳴を上げるが、展開されている障壁の光が、徐々に薄くなっていく。

 このままではそう時間もかからずにカジートの丸焼きが完成してしまうだろう。

 だが“魔力の砦”を付呪した杖の魂力がいよいよ少なくなってきたその時、横合いから強烈な“サンダーボルト”がクロサルハーに直撃した。

 

“グオオオ!“

 

「え!?」

 

 ライトニングボルトを遥かに上回る威力に、ホバリングしていたクロサルハーは思わず身を翻して上空に退避する。

 サンダーボルトの破壊魔法を放ったのは、当然ネロスである。

 上空のクロサルハーを一時追い払ったネロスは、地面に倒れているカシトの傍に駆け寄ると、彼が持っていた魔法の杖を奪い取るように引っ手繰った。

 

「おい猫! その杖をよこせ!」

 

「あ、おいらの杖!?」

 

 引っ手繰ったライトニングボルトの杖を掲げ、クロサルハーに向かって杖を発動させようとする。

 しかし、破壊魔法の技能がほぼ皆無のカシトが使いまくった為に魂力の尽きた杖は、ウンともスンともいわない。

 ネロスはほかの杖も試してみるが、軒並み魂力不足に陥っていた。

 

「ち、碌に力が残っていない。素人が無暗に使うからこうなる!」

 

「し、仕方ないだろ! これ使わなかったらオイラ死んじゃうよ!?」

 

 悪態をつきながら魂力の尽きた杖を投げ捨てるネロスに、カシトが涙目で反論する。

 実際、この杖がなかったら、健人とフリアは仲良くバーベキューされていたし、カシトもカジートの丸焼きになっていた。

 しかし、相手は話を聞いても無視する事で有名な偏屈マスターウィザード。相手の都合など考えない点では、カシトすら上回る超絶自己中ダンマーだった。

 

「この杖、タルヴァスの物だな。貴様、なぜ私の杖を持ってこなかった!? 丁稚の癖に使えない奴だな!」

 

「お宅の弟子が貸してくれなかったんだよ!? それに丁稚!? オイラはあんたの召使いじゃないよ!? この傲慢ダンマー!」

 

「貴様、テルヴァンニ家随一のマスターウィザードであるこの私に……」

 

 おまけに、いつドラゴンに丸焼きにされてもおかしくないこの状況。

 逼迫した危機的状況であることが二人の頭から相当冷静さを奪っている。

 そんな二人に割って入ってきたのは、フリアだ。

 上空のクロサルハーにバルドールから受け取った弓矢を放ちながら、危機的状況下でも言い争いをする愚か者二人の脳天に、器用に踵落としを振り下ろす。

 

「ごあ!」

 

「ギャン!」

 

「やかましい! 湿潤型陰湿菌糸に口から生まれたような騒音カジート!」

 

「き、菌糸……」

 

「さすがのオイラも口から生まれたって言われたのは初めて……」

 

 仲良く頭を抱えながら、フリアの罵倒に思わず閉口するネロスとカシト。

 しかし、状況は待ってくれない。

 ネロスのサンダーボルトを警戒して一時退避していたクロサルハーが戻ってきて、ホバリングしながら胸を大きくのけ反らせた。

 再びシャウトを放とうとしているのだ。

 

「言い争いしている場合じゃないでしょ! 来るわよ!」

 

「チッ、カジート! 貴様はその”魔力の砦“の杖を使え! いいか、絶対に詠唱を邪魔させるなよ!」

 

 言うが早いか、ネロスは即座に詠唱を開始する。

 これまでネロスが使ってきた“サンダーボルト”と比べても、比較にならないほど長い詠唱。

 ネロスの奥の手と呼べる魔法なのか、彼の体から可視化できるほどの魔力が噴き出し、渦のように円を描いていく。

 ネロスの指示を耳にして、カシトは咄嗟に杖を構えて魔法を発動させた。

 クロサルハーのファイアブレスが三人に襲い掛かる。

 カシトが魔法の杖で展開した障壁は、上空から放たれたシャウトを正面から受け止め、防がれた炎の奔流は二つに分かれて疾走し、タイル状の遺跡の床を舐めていく。

 取りあえず、一撃は防げた。

 しかし、魂力の尽き掛けた杖はすでに限界だった。

 

「ちょ、わわわ! 無理、もう杖の魂力が切れる!」

 

 障壁の光はあっという間に小さくなり、フッと幻のように消え去る。

 上空では、クロサルハーが再びシャウトを放つ用意をしている。

 

“ヨル、トゥ、シューーール!”

 

 魔力の守りを失くした三人に、再び放たれた獄炎の奔流が迫る。

 防ぐ手立てを失い、茫然自失とするカシト。彼の横で、フリアが動いた。

 

「ふん!」

 

 魔法で防げないなら物理的な盾で防げばいいとばかりに、フリアは遺跡の床板の隙間に斧を打ち込み、一気に引き上げる。

 長年の風浪で繋ぎ目が脆くなっていた床板は、フリアの怪力にあっという間に剥がれて持ち上がった。

 

「嘘……なんて怪力女……」

 

 畳返しならぬ、石床返し。

 大人三人が隠れても有り余るほどの大きさの床板を一人で引っぺがしたフリアに、カシトがあんぐりと口を開けている。

 フリアは持ち上げた床板を盾のように構え、クロサルハーのファイアブレスを受け止めた。

 瞬く間に石床が熱を持ち、フリアの手を手甲越しに焼いてくるが、直接炎に焼かれる事態は避けられた。

 その間に、ネロスの詠唱が完了した。

 膨大なマジ力が精緻な術式と詠唱に従って大量の電子に変換され、強烈なイオン臭と共に術者であるネロスの周囲に纏わりついている。

 

「我がテルヴァンニ家の秘術、食らってみるがいい!」

 

 高々と両手を掲げ、集約された雷をクロサルハーへと向かって放つ。

 極太の紫電が一塊になり、まるで竜の咆哮のような轟音を奏でながら、一直線にクロサルハーへと向かって疾走していく。

 ライトニングテンペスト。

 サンダーボルトのさらに上位、達人クラスに位置する、文字通りの最上位の破壊魔法だ。

 

“ゴアアアアアアアアアアアアアアアアア!!”

 

 ネロスのライトニングテンペストは、クロサルハーのファイアブレスを真っ二つに切り裂き、余波で海水を蒸発させながら、件のドラゴンの胸部に直撃した。

 鮮やかな金の鱗が弾け飛び、肉が焼ける匂いが噴き出す。

 余波の雷が海面を焼き、膨大な量の蒸気をまき散らす。

 極太の極雷砲撃を受け、クロサルハーが悲鳴を上げながら落下していった。

 

「すごい……」

 

「ち、魔法自体の威力はともかく、シャウトと海水の蒸気で威力が減衰したか……」

 

“グオオオオオオオオオオ!”

 

 ネロスの言葉を肯定するように海面に激突する直前、クロサルハーは翼をはためかせて、何とか海への落下を回避した。

 いくらネロスと言えど、チャルダック内で消費したマジ力を完全には無視できず、更にはクロサルハーのシャウトと立ち上った蒸気がライトニングテンペストの威力を減衰させてしまった。

 一方、予想外の痛手を受けたクロサルハーはその瞳に激烈な怒りを宿してネロス達を睨みつけると、一気に加速して三人めがけて突っ込んで行く。

 低空を高速で飛翔するドラゴンの起こす暴風が海面の白波を砕き、飛沫を上げる。

 激怒しながら自分達目がけて突っ込んでくるクロサルハーを眺めながら、ネロスは参ったと言ったように、はあ……と大きく息を吐いた。

 

「魔力が尽きてしまった。そっちはどうだ? スコールの娘」

 

「……駄目ね、矢は全部弾かれたわ。まったく、相変わらず嫌になる頑丈さね」

 

 フリアがお手上げというように、空になった矢筒と弓を放り捨てる。

 彼女もまたバルドールが持ってきた鋼鉄の矢を幾度となく射かけてみたが、全く効果はなかった。

 

「オイラの杖も限界……」

 

 先程まで勢いよく雷を吐き出していた杖も、今では先端からパチパチと小指の爪程度の火花を出す程度まで魂力を使い果たしていた。

 ネロスはマジカが尽き、フリアの持つ弓矢や、魂力の尽きた魔法の杖程度では、ドラゴンの突進は止められない。

 もうダメだー! とカシトが頭を抱える一方、ネロスとフリアは驚くほど冷静な瞳で、襲い掛かってくるクロサルハーを睨みつけていた。

 

「不覚であるし、不満はあるが、致し方ない。後は“奴”に任せよう」

 

「ええ、そうね……。少し、口惜しいけど」

 

「奴って……誰?」

 

 ガシガシと頭を掻きむしっていたカシトが、ネロスとフリアの言葉に首を傾げる。

 次の瞬間、チャルダックが沈む海面一帯に、強烈な“声”が響いた

 

「ムゥル、クゥア……!」

 

「……ケント?」

 

 強烈な気配と共に、カシトの視界の端に映り込んだ、虹色の燐光。

 それは、ドラゴンスケールの装具に身を包み、上半身を光鱗で覆った健人が、クロサルハーを追いかけるように空中回廊を疾走してくる姿だった。

 

 

 




ドラゴンスケールの鎧
バルドールが健人の為に作った軽装鎧。
極めで硬質でありながら、非常に軽量なドラゴンの鱗が使われており、軽装鎧として最上位の鎧でもある。
背中には中央と肩甲骨付近の合計三か所に止め具があり、盾や弓、矢筒なとをワンタッチで取り外しが出来るようにしてある。

ドラゴンスケールの盾
バルドールが健人の為に作った盾。
健人の体格に合わせてやや小ぶりに仕上げられているが、取り回しがしやすく、顔などの露出部を守るには十分な大きさが確保されている。
また、ドラゴンの鱗を使っているために非常に硬く、並大抵の武具では傷一つ付けられない。


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第十一話 力の差

 ドラゴンスケールの鎧に身を包んだ健人は、違和感なく全身にフィットする鎧に感嘆の声を漏らしていた。

 

「ケント、着心地はどうだ?」

 

「全然苦しくないです。それに、すごく軽い……」

 

 そのゴツい外観に反して、ドラゴンスケールの鎧は驚くほど軽かった。

 それに全身を無理なく包み込んでくれる鎧のフィット感は、言い知れぬ高揚感を湧き立たせる。

 ドラゴンスケールの盾も、健人の体格に合わせて調整してあるためか、とても手になじむ物だった。

 何度か背中の留め具につけたり外したりして感触を確かめてみるが、無理なく、素早く扱うことができる。

 腰に差した二本の刀も含め、これなら盾を投げ捨てることなく素早い武器切り替えができるだろう。

 これだけの装具を作り上げ、担い手に一度着つけただけでその出来を実感させるあたり、バルドールの鍛冶の腕はやはり傑出しているものだと健人は実感していた。

 

「これなら大丈夫です。行けます」

 

「そうか、鍛冶師の俺が出来るのはここまでだ。後は、お前に任せるよケント。全創造主の加護があることを願っている」

 

「ありがとうございます。行ってきます」

 

 今一度、贈られた鎧を一撫でして、健人は海岸付近での戦いに目を向けると、一気に駆け出した。

 海岸線付近でギリギリの攻防を重ねているフリア達と、上空から悠々とシャウトを浴びせるクロサルハー。

 長大なネロスの詠唱が終わり、反撃とばかりに放たれた極大の雷撃がクロサルハーに直撃したが仕留めきることはできなかった。

 逆に激高したクロサルハーがカシト達に向かってその牙を突きたてんと、三人のいる場所めがけて海面スレスレを疾駆している。

 今すぐにでも、クロサルハーの意識をこちらに向ける必要があった。

 健人の脳裏に、ハルメアス・モラの言葉が蘇る。

 

“お前は、理不尽なこの世界に対して怒りを抱いている。その怒りはミラークと同質のものであり、かつての彼と同じように、力を欲してもいる”

 

 怒りを抱き、力を求めている。

 健人自身が見ようとしてこなかった負の面。

“お前はミラークと同じだ”と指摘された事実を思い出し、健人はギリ……と奥歯を噛み締めた。

 誤魔化すことも、目を背けることももう出来ない。

 突き付けられた事実はジクジクと、健人の心を軋ませてくる。

 だが、ハルメアス・モラによって己の負の面を突き付けられたとしても、健人の胸の内にある芯は変わらない。

 

「それでも、今は力が……」

 

 欲しい。強くなりたい。

 そうでなければ、自分が大切だと思うものが失われる。

 再び目の前に舞い降りた理不尽、否定しようのない純然たる事実を前に、健人は湧き上がる嫌悪感を飲み込みながら、シャウトを唱える。

 

「ムゥル、クゥア……!」

 

 叫ぶのは、ドラゴンアスペクト。

 “鎧”の意味を内包した二節目までを唱えられたスゥームは健人の魂から更なる力を引き出し、上半身を覆う光鱗となって現出する。

 同時に、爆発的に高められた脚力が、駆け出した健人の体を一気に加速させる。

 今は力を。更なる力を。

 己の内なる声が示すまま、石床を踏み砕き、空中回廊を一気に踏破する。

 

“っ!来たか、ドヴァーキン!”

 

 健人の強大な気配を察したクロサルハーは、首を横に回し、己を追いかけるように駆ける健人を確かめると、クルリと空中で身を翻し、体ごと健人と相対する。

 胸を大きくのけ反らし、シャウトを放とうとしている。

 

“ファス、ロゥ、ダーーーー!”

 

 クロサルハーの“揺ぎ無き力”が再び健人に襲い掛かる。

 健人が今いる場所は、狭い空中回廊の残骸の上だ。

 吹き飛ばされれば海面に一直線に落ち、自由の利かない海の上で今度こそなぶり殺しにされるだろう。

 懊悩はある。胸の奥にできたシコリは毒となり、健人の行動を縛ろうとしてくる。

 

「それでも、今は、力を!」

 

 迷えば死ぬ。ならば、今はその一切を断ち切ろう。

 自らの迷いを振り払おうと魂を震わせ、新たに受け取ったドラゴンスケールの盾を掲げながら、健人もまた、己の声を解き放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロサルハーが放った“揺ぎ無き力”のシャウト。

 自分自身に襲い掛かってくる強烈な衝撃波を前に、健人はドラゴンスケールの盾を掲げる。

 

「ウルド……ナー、ケスト!」

 

 唱えるは旋風の疾走。

 ドラゴンアスペクトで激増した脚力と相まって、健人の体がズドン! と衝撃波を伴いながら、一気にクロサルハーめがけて撃ち出される。

 あまりの加速に視界の端が引き伸ばされていく中、健人の体はクロサルハーの揺ぎ無き力と激突するが、あまりの加速で撃ち出されたために一瞬で衝撃波を突き破り、空中のクロサルハーに踊りかかる。

 健人は素早く左手の盾を背中の留め具に引っ掛けながら、右手で腰の黒檀のブレイズソードを引き抜く。

 鮮やかな刃文を描く刀身が日の光の下に晒され、人目を惹きつける妖しい反射光を放ちながら、滑らかな軌跡を描いでクロサルハーの背に突き立てられる。

 

“ゴア! 貴様!”

 

 クロサルハーの背中に刃を突き立てた健人は、そのままもう一本のスタルリムの短刀を逆手で引き抜き、先程と同じようにドラゴンの背中に突き立て、体を固定する。

 

「アイツ、飛んでいるドラゴンに体当たりして飛び乗りおったぞ……」

 

「相変わらず無茶するわね……」

 

 飛んでいるドラゴンの背に飛び乗るという奇想天外な行動を実行した健人に、ネロスとフリアが溜息交じりの声を漏らしている、

 一方、今の健人の実力と常軌を逸した行動を目の当たりにしたカシトは、ホゲーと、口をあんぐり開けて呆けている。

 

“矮小な定命の者め、我が背に刃を突き立てるとは何たる不遜! 振り落としてくれる!”

 

「ぐっ!」

 

 健人に飛び乗られたクロサルハーは、背中の闖入者を振り落とそうと縦横無尽に飛び回る。

 激しく左右に体を揺らし、急上昇と急降下を繰り返す。

 空中に螺旋を描きながら海面スレスレで水平飛行、さらに遺跡の空中回廊を縫うように飛び回る。

 視界がグルグルと回り、急激な加減速と旋回によるGが健人を襲うが、ドラゴンアスペクトで上昇した身体能力でクロサルハーの背に打ちこんだ二本の剣をがっしりと掴んで離さない。

 

“ええい、しつこい奴め、ならば!”

 

 むやみやたらな飛行を続けるだけでは健人を振り落とせないと悟ったクロサルハーは、翼をはためかせて一気に加速した。

 海面から突き出したチャルダックの尖塔の一つめがけて飛翔すると、おもむろに空中を背を丸めて“旋風の疾走”のシャウトを発動させた。

 

“潰れろ! ウルド、ナー、ケスト!”

 

 クロサルハーの体が加速し、背中にいる健人を尖塔に叩きつけようとしてくる。

 

「ファイム!」

 

 だが、尖塔に激突する直前、健人が“霊体化”のシャウトを一節だけ唱えて、物理攻撃の一切を無効化した。

 時間は一秒にも満たないが、高速で尖塔へと向かっていたクロサルハーは止まることも避けることもできずに尖塔に激突した。

 

“なっ!?グゥアアアアア!”

 

 衝突した尖塔の外壁が砕け、衝撃で塔そのものが崩壊する。

 崩れる瓦礫と土煙に巻かれながら、クロサルハーは海岸近くの地面に激突。

 ゴロゴロと衝突の慣性で地面を転がりながらも、爪を地面に突き立てて削りながら体勢を立て直す。

 健人もまた地面に降り立ち、舞い上がった土煙を切り裂くようにクロサルハーめがけて駆け出していた。

 

“ヨル……”

 

 クロサルハーの全力でシャウトを放とうとしている気配を感じ、健人は左手のスタルリムの短刀を鞘に戻し、背負っていた盾を取り出して構える。

 

“トゥ、シューーール”

 

 次の瞬間、クロサルハーのファイアブレスが放たれ、獄炎が健人を包み込んだ。

 だが、“鎧”のシャウトを纏った健人には、クロサルハーのファイアブレスは通用せず、痛痒すら与えられない。

 健人は盾を構えたまま一気に炎の奔流を駆け抜けると、自らの炎を突き破ってきた人間に目を見開いているクロサルハーの左眼球に、黒檀の刃を突き立てた。

 

“ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!”

 

 目に刃を突き立てられ、暴れるクロサルハーの首を左手で無理矢理抑え込みながら、健人は今一度黒檀のブレイズソードを捻って内部を抉り、一気に引き抜く。

 左目から鮮血を吹き出しながら、クロサルハーが大きく仰け反る。

 健人は再び盾を背に戻し、スタルリムの短刀を引き抜きながら、シャウトを唱える。

 

「スゥ、ガハ、デューーン!」

 

 “激しき力”のシャウトが発動し健人の双刀が風の刃を纏う。

 

「トドメだ……」

 

 健人は風の刃を纏った双刀を構え、グッと腰を落として跳躍、剥き出しのクロサルハーの首めがけて躍りかかる。

 黒檀のブレイズソードとスタルリムの短刀が、風の刃を纏いながら閃く。

 一太刀で硬質な鱗と柔軟な筋肉を切り裂き、二太刀目で首の骨の隙間に短刀を滑り込ませて延髄を切断。

 最後の三太刀目でクロサルハーの首を完全に切断した。

 空中に跳躍した健人が地面に着地して風の刃を纏わりつく血液ごと払い、抜身の双刀をゆっくりと鞘に納めると、首を失って力をなくしたクロサルハーの体がズシン! と地響きを立てて崩れ落ちた。

 

「な、なに? 一体、これ、どういう事?」

 

 ドラゴンボーンとしての健人の力を目の当たりにしたカシトが驚きの声を漏らす中、クロサルハーの遺骸がパチパチと音を立てて燃え上がり始める。

 ドラゴンの魂がドラゴンボーンに取り込まれる際に起こる現象だ。

 だがその時、燃え盛るクロサルハーの遺体の前にズドン! という炸裂音とともに閃光が弾けた。

 

「なっ、なんだ!?」

 

 弾けた閃光が収まると、そこには仮面をつけた一人の人間が腕を組んで佇んでいた。

 海洋生物を思わせる金色の仮面と、藍色のローブを纏った人物。

 アポクリファで健人が遭遇した、この事変の元凶たるドラゴンボーンだった。

 

「ミラーク……」

 

「あれが……」

 

「ほう……」

 

 初めてミラークの姿を目の当たりにしたフリアが気色ばみ、ネロスが興味深そうな視線を向ける。

 健人もまた突然現れたミラークに警戒心を露にしながらも、腰を落とし、いつでも剣を抜けるように構えている。

 

「見たところ、精神体のみでニルンに来ているようだな。本体はまだ、おそらくはアポクリファにいるのだろう」

 

「精神体?」

 

 よく見ると、ミラークの体はほのかに光を放っており、どこか幻影のようにも見える。

 ネロスの話が本当なら、本体はまだアポクリファに囚われているのだろう。

 一方、ミラークは健人に倒され、炎に包まれつつあるクロサルハーの遺体を一瞥すると、フリア達を一切無視し、目の前の同族に視線を戻した。

 

「クロサルハーを倒したか。存外、成長していると見える。だが、お前の魂はまだそれほど強くないようだな」

 

 次の瞬間、クロサルハーの体から炎と共に現出したドラゴンソウルが、倒したはずの健人にではなく、ミラークに注がれ始めた。

 本来なら、クロサルハーの魂は彼を打倒した健人に注がれるはずである。

 予想外の光景に、健人達は目を見開く。

 

「なっ!?」

 

「ドラゴンの魂を吸収するには、強い精神を必要とする。こうして、倒してもいない私が魂を吸える時点で、お前の精神が私よりも劣る証明だ」

 

「くっ!?」

 

 お前は弱い。

 目の前で証明された現実を否定しようと健人が黒檀のブレイズソードの柄を掴む。

 しかし、その前にミラークが動いた。

 

「ゴル、ハー、ドヴ!」

 

「なっ!?」

 

 健人が腰の刃を抜き放とうとした瞬間、ミラークの“服従”のシャウトが健人に襲い掛かった。

 脳裏に刻まれたのは“自らの刃で仲間達を切り裂いた後、己の喉元に突き立てろ”という命令。

 思わず刃を振り抜いてフリア達に斬りかかりそうになる自分自身に驚きながらも、健人は舌を噛んで頭に刻まれた命令に抗う。

 

「ぐっ、ぐぐぐ……」

 

「ふむ、仲間諸共自害するように仕向けたのだが、存外抵抗できると見える。だが、所詮若造だ。私の敵ではない。ファス、ロゥ、ダーーーー!」

 

 口元から血を滴らせながらも服従のシャウトに抗う姿に、ミラークは素直に感嘆の声を漏らしたが、己との力の差を再び健人に見せつけるように“揺ぎ無き力”を服従のシャウトに抗うことに手一杯な健人に叩きつけた。

 

「がっ!?」

 

 ピンボールのように吹き飛ばされた健人の体は背後に岩にぶつかり、さらに宙を舞って地面に叩きつけられる。

 ドラゴンアスペクトのシャウトも効果時間が切れたのか、健人の体を覆っていた光鱗も霧散した。

 

「随分と姑息な時間稼ぎをしたようだが、所詮は悪あがきにすぎん。間もなく私は復活する。その時こそ、このソルスセイム、そしてタムリエルの運命は我が物となるのだ」

 

 ミラークの精神体が、再び閃光と共に消えていく。

 やがて光が完全に収まると、そこには骨と化したクロサルハーの遺体だけが残されていた。

 

「ケント、大丈夫!?」

 

「……ああ、体は、大丈夫だ」

 

 いの一番に健人に駆け寄ったのは、カシトだった。

 カシトは地面に倒れていた健人に肩を貸して起こすと、久方ぶりの親友との再会に満面の笑みを浮かべた。

 

「久しぶりだね! ケント、すごく強くなっていたんだね。オイラ驚いちゃったよ」

 

「ああ、久しぶり。強くなったか、どうなんだろうな……」

 

 相も変わらずあまり物事を深く考えないカシトは、ミラークの事も気になってはいたものの、それ以上に健人との再会出来た事が喜ばしかった。

 カシトは純粋に健人の成長と再会を喜んでいるが、肝心の健人の表情は暗い。

 自分の力は、未だにミラークには届いていない上に、服従のシャウトに抗うのが精一杯だった。

 あのザマでは、到底ミラークには勝てない。

 なんとなくは想像してはいたものの、こうして現実として叩きつけられたことで、健人は胸に杭を打たれたような焦燥感を味わっていた。

 

「なるほど、あれがミラークか。さすがは人類最初のドラゴンボーンといったところか。あのシャウトを直接浴びてしまえば、私ですら精神を保っていられる自信はないな」

 

 傲慢で自分の力に絶対の自信を持つネロスですら、ミラークの服従のシャウトの前では正気を保っていられる自信はないらしい。

 沈黙が健人達の間に流れる。

 

「スコール村に戻ろう……。ストルンさんに話をしてみる」

 

「っ! 待って! それは……」

 

 スコール村に戻る。

 健人の言葉に宿る意思に、フリアが思わず声を上げた。

 しかし、実際に目の前でミラークの姿と力を前にしたフリアも、閲覧室の時のように声高に反対の意を唱えることは難しい様子だった。

 

「っ…………」

 

 懊悩を押し殺すように歪んだフリアの表情が、彼女の葛藤を物語っている。

 健人とフリアは互いに目を合わせることができないまま、己の無力感に身を震わせていた。

 

「お~い、大丈夫か?」

 

「バルドールさん……」

 

 その時、チャルダックの門前にいたバルドールが健人達に合流してきた。

 彼の手には、健人が落した黒檀の片手剣が握りしめられている。

 

「ケント、お前が落とした黒檀の片手剣、拾っておいたぞ……。どうしたんだ?」

 

 健人とフリアの間に流れる言いようのない重苦しい空気を察したバルドールが、怪訝な表情を浮かべる。

 

「道すがら話します。行きましょう」

 

 バルドールから受け取った黒檀の片手剣を背中の留め具にかけながら、健人は首を振った。

 彼の声に促されるように、一行はスコール村へと足を進め始めた。

 その胸に隠し切れない懊悩を漂わせながら。

 肌を裂くような冷たい風が、彼らの行く末を示すように吹き付けてくる。

 空には分厚い雲が漂い始め、嵐が来そうな空模様をしている。

 裁定の時は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アポクリファ、白日夢の中央に屹立する巨大な塔の頂上で、ミラークは再び相対した異質なドラゴンボーンを思い返していた。

 

「まさか、我が服従のスゥームに抗えるほどの精神力を持っているとは……」

 

 服従のシャウトを浴びながらも、その強制力に抗って見せた健人。

 表情や態度には決した表には出さなかったが、ミラークはその姿に、言いようのない戦慄を覚えていた。

 ありえないと。

 彼がほんの少し前にこのアポクリファに迷い込んだ時、彼はまだ覚醒すらしていない状態だった。

 取り込んだドラゴンソウルの量も、ミラークには遠く及ばない。

 にもかかわらず、健人は腹心の上位ドラゴンを倒し、ミラークが直接浴びせた服従のスゥームに抵抗してみせた。

 それは躍進とか飛躍という言葉ですら表現できないほどの成長速度だった。

 

「あれほどの成長速度、ハルメアス・モラが手引きしたとしても早すぎる。運命は、あの小僧を選ぶのか?」

 

 ミラークは己の半生を思い返しながら、アポクリファの薄暗い空を見上げて独白していた。

 彼の記憶がある限り、彼は“ミラーク”以外の自分の名前を知らない。

 本来つけられた人間としての名は、ドラゴンによって“ミラーク”の名をつけられた時点で、両親の記憶ごと消されてしまった。

 記憶を消された彼を育てたのは、彼から名を奪ったドラゴン。

 彼の養父はミラークを人間としてではなく、ドヴァーとして育てた。

 全ては、ドラゴンによる治世をより円滑に、効率的に進めるため。

 だが、そうしてドラゴンに従うドヴァーとして生きていくことに、ある時、疑問が浮かんだ。

 なぜ、自分と同じ姿の生き物を、同じ姿をした自分が殺しているのだろうか?

 ドヴだからか? しかし、自分の姿は養父とあまりにも姿形が違いすぎる。

 彼は養父のような“剛力”も“鱗”も“翼"も無いドラゴン”だった。

 小さな疑問は坂を転がる雪玉のように大きくなっていき、やがてその疑問は養父へと向けられる。

 ある時、彼は養父に尋ねてみた。なぜ自分は、自分と同じ姿の生き物を殺しているのだろうか? と。

 そして養父はこういった。

“それが、お前の名が示す運命だ”と。

 最初はそれで納得した。

 しかし、納得したつもりにはなっても、彼もまた人間であり、積もり続ける疑問はやがて臨界点を迎える。

 そして自らの名の真の意味を知り、疑問や養父に対する忠誠は怒りへと変わった。

 そして彼は怒りのまま、養父だったはずのドラゴンを殺し、その魂と力を簒奪した。

 彼の怒りはドラゴンに従う人間達にも向けられた。

 ドラゴンに従うしかない人間の弱さそのものが許せなかったし、ドラゴンが絶対の権勢を誇っていた時代、ドラゴンに対抗するには、それ以上の力による恐怖が必要不可欠だったのだ。

 そして、彼は怒りのまま力を求め、自らに接触してきたハルメアス・モラと契約し、養父の異変を察知したドラゴンと、それに盲目的に従う人間達を虐殺し、服従のシャウトで屈服させていった。

 その時、彼は運命が自分に味方しているのだと感じていた。

 しかし、待ち受けていたのはハルメアス・モラという、自分ですら比較にならないほど強大な看守に仕え、アポクリファという監獄に閉じ込められるという未来だった。

 自由と自らの運命を求めながらも、結局彼は自らの名に縛られた。

 そして数千年間、アポクリファで力と知識を蓄えつつ、今度こそ自由になるべく行動を起こせば、彼の間に立ちはだかったのは、おおよそ信じられない成長速度をみせる異質なドヴだった。

 彼の脳裏に、再び牢獄に縛られた己の姿が思い起こされ、彼はそんな悪夢を振り払うように頭を振った。

 

「っ! そんなはずはない! 私は必ず運命を取り戻す!」

 

 彼の行動原理は全て、自分を縛り付ける運命への反逆だ。

 ミラークは健人と名乗っている同族もまた、ハルメアス・モラに目を付けられ、自分と同じように運命に翻弄されている人間だと見抜いている。

 だが彼は、自分と同じように抗う者を踏みつぶしたとしても、必ず自由を手に入れると己に定めていた。

 アポクリファのどこかで自分を睥睨しているであろうデイドラロードを睨みつけながら、ミラークは吠える。

 今一度自分の運命(名前)をこの手に……と。

 




やっとここまで書けた。後はクライマックスまで一直線!といきたいところですが、果たしてどうなるやら……

ミラークの過去については、完全にオリジナルです。
ゲーム中ではミラークの過去は断片的なので、作者独自に肉付けしてます。


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第十二話 導かれた絶望

 チャルダックでクロサルハーの襲撃を退けたものの、ミラークの幻影にドラゴンソウルを横取りされた健人達。

 ミラークとの力の差をまざまざと見せつけられた健人は、彼に対抗する力を求め、一路、スコール村へと向かっていた。

 ハルメアス・モラが持ちかけてきた取引。

 スコールの秘密と引き換えに、ミラークに対抗する為の最後の力の言葉を教えるという話を、ストルンに相談するためだ。

 同行者の中には、健人とようやく再会できたカシトと、健人の装具を持ってきてくれたバルドール。そして、ネロスの姿があった。

 チャルダックでの目的をすでに終えたネロスだが、どうやら健人の行く末が相当気になるらしく、そのままスコール村までついていくと言い張ったのだ。

 これについては、健人もフリアも相当驚いた。

 この偏屈なウィザードの事だから、目的の黒の書を確かめたらさっさとテルミスリンに帰ると思っていた。

 そして、チャルダックを出発してから数日。

 健人達はスコール村まであと一歩と言うところまで近づいていた。

 

「ソリチュードで船に乗っている健人を見た時は驚いたけど、こうして会えてよかったよ!」

 

「ソリチュードってことは、ノーザンメイデン号に乗った時か……」

 

 カシトから渡された外套の裾で口元を覆いながら、このソルスセイムに来た時のことを思い返していた。

 この外套には対冷気の付呪が施されており、非常に暖かかった。

 元はノーザンメイデン号の船長であるグジャランドが健人に渡すために、カシトに預けたものである。

 

「そうそう! 慌てて追いかけたんだけど、上官のリッケが煩くてさ~。ソリチュードでヘルゲンの事を報告したら退役のはずだったのに、やれ原隊復帰だの、やれドラゴン戦に備えろ! だの、嫌になっちゃうよ!」

 

 ヘルゲンで一緒にいた時と同じマシンガントークに、健人は苦笑を浮かべる。

 相も変わらず無駄口の多い友人ではあるが、今の健人にとっては、カシトの遠慮のなさは正直ありがたかった。

 一方、カシトの口煩さに辟易としているのは、ネロスである。

 魔法研究者であるがゆえに思索に耽っていた彼だが、カシトの大声で邪魔されたために、かなり不機嫌な様子だった。

 

「ふん、相変わらずカジートというのは口煩くてかなわんな。静かに思索に耽る事もできん」

 

「ベー! というか、なんでテルミスリンのお爺さんもまだ一緒に来ているのさ」

 

 ネロスという大魔術師を前にしても、カシトのペースは変わらない。

 これ見よがしに舌を出しながら、尻尾を立てて威嚇している。

 カジート特有の遠慮のなさも相まって、傲岸不遜なネロスに劣らぬ口の悪さだ。

 ちなみに、カシトが借りたタルヴァスの杖は、ネロスにしっかりと回収されている。

 言われなければそのまま借りパクする気満々だったのか、返す時のカシトは終始不満そうだった。

 ついでに言うなら、ネロスはネロスで返してもらった後、杖を眺めながら弟子の杖の出来栄えにあれこれ文句をつけていたりする。

 

「そこのドラゴンボーンに興味があるからに決まっているだろう? 観察対象としてはこれ以上ない存在だ。正確には、ミラークを含めた二人のドラゴンボーンにだが……」

 

 これ見よがしに健人を指さして観察対象と言い切られた健人としては複雑だ。

 チャルダックやクロサルハーとの戦闘や、ミラークの真意を推察していたことを考えても、魔術師としてこれ以上ないほど頼りになるのだが、いかんせん性格に問題がありすぎる。

 

「少しはそこのスコールの娘を見習ったらどうだ? チャルダックを出てから一言もしゃべらん。きっと私の思索を邪魔するまいと考えてのことだろう」

 

「…………」

 

 次にネロスが指さしたのは、フリアである。

 かのウィザードが言う通り、チャルダックからここまで、フリアはずっと沈黙したまま、ピリピリと張りつめたような威圧感を漂わせていた。

 健人とフリアの視線が噛み合う。

 互いに無言のまま見つめあうが、そこには甘い雰囲気など微塵もなく、ただただ言い知れぬ緊張感だけが沈殿していた。

 

「いや、お爺さん。あの娘さん、どう見ても気を使ったとか、そんな雰囲気じゃないよ? もし本気でそう思っているなら、カジートはお目目腐ってると思うな~」

 

「…………」

 

 ネロスのズレた言動に肩をすくめながら、カシトはチラチラと横目で健人に視線を送っている。

 どうやら、会話に交じってきて、少しでも場の雰囲気を和らげて欲しいらしい。

 しかし、健人はカシトのサインに気付いていないのか、沈黙したままフリアと視線をぶつけあっている。

 

「け、ケント~。聞いてる?」

 

「…………」

 

 カシトが自分のサインに気付いてくれない健人に焦れて自分から話を振ってくるが、肝心の健人は無反応。

 やがて健人とフリアは、互いに示し合わせたように視線を外すと、他の三人を無視して先へと歩き始めた。

 

「あうう……」

 

 完全に無視される形になったカシトがガックリと肩を落とす。

 そんなカジートを見て、バルドールが溜息を漏らした。

 

「まったく、下手に場を明るくしようとするから道化になるんだ」

 

 カシトとしては、健人に再会できたのは本当に嬉しかったし、健人もそう思ってくれていると思っていた。

 実際、健人もカシトと会えたことは嬉しかった。

 だがそれ以上に、ミラークに及ばなかった己の力の無さに焦っている様子だった。

 

「でも、鍛冶屋のオジサンとしてはどうなのさ……」

 

「そうだな。フリアは自分の父親から、スコールの呪術師としての教えをずっと受けてきたし、あいつも後継者として、それを受け入れていた。俺自身、ハルマモラとの取引など怖気が走る。スコールの民としては、決して受け入れられない話だな」

 

 バルドールはスコールの民として、この場にいる誰よりもフリアの立場や背負っているものを理解している。

 彼としても、ハルメアス・モラとの取引など、唾棄すべき話である。

 健人自身は言葉にはしていないが、カシトもまた、彼がハルメアス・モラの話を鵜呑みにはしていないことは察していた。

 

「ケントも“力をくれてやる”って話、内心では疑っていると思うな~」

 

「だが、他に方法がないのも確かだ。相対して分かったが、ミラークの服従のシャウトは力の過多など関係なく、相手の意思をそのまま操る。対抗策がなければ、結果は明らかだ」

 

 一方、テルヴァンニ家の魔術師として、事の成り行きを観察することを目的としたネロスは冷静だった。

 ネロスの言葉を聞いて、バルドールとカシトは複雑な顔を浮かべた。

 あまりにも強力なミラークの服従のシャウトを目の当たりにした彼らも、健人やフリアの懊悩を理解できるが故の表情だった。

 

「もっとも、今のドラゴンボーンが服従のシャウトを身に着けたとしても、勝算は低いだろうがな」

 

「そんな事、やってみなけりゃ分からないよ」

 

 ムスッとした顔で抗議の声を上げるカシトを無視しながら、ネロスもまた健人とフリアの後を追って歩き始める。

 

「そもそも、この状況自体が、ハルメアス・モラが望んだことだろう。己のドラゴンボーンと、新たなドラゴンボーンの戦い。その行く末に興味がないはずがない」

 

 ある意味、ネロスはハルメアス・モラと同じ興味を、健人とミラークに対して抱いている。

 故に、彼はこの一行の中で、知恵の悪魔の考えに一番理解を示していた。

 知識を求めるとは、未知のものに対する好奇心がその原動力にある。

 ネロスもまた、人並外れた好奇心を持つが故の言葉だった。

 もっとも、一介の定命の者であるネロスと、悠久の時を揺蕩う邪神とでは、その好奇心の強さにも雲泥の差があるのは確かだ。

 ネロスも、自らとハルメアス・モラとの存在規模の差は理解しているが故に、彼自身も邪神の企み全てを察しているわけではない。

 

「……まあ、相手は知識と星読みを司るデイドラの王子だ。他に妙案もない。もうすぐ賽も投げられるだろう。その時に分かるだろうさ」

 

 それだけを言い切ると、ネロスもまたスコール村へと向かって歩き始める。

 ネロスの端的なその言葉が、今の一行の心情全てを物語っていた。

 カシトとバルドールはネロスの言葉に複雑な表情を浮かべつつも、三人の後を追う。

 

「……ついたぞ」

 

 そして彼らの前に、ノルド達の特徴的な装飾が施された、尖がり屋根の家屋が見えてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 スコール村に到着した健人達は、その足でストルンの元を訪れた。

 彼らがストルンの家を訪ねると、彼は自宅の前で座り込み、天を仰ぎながら瞑想をしていた。

 健人がゆっくりとストルンに近づくと、彼は皺ばんだ瞼をゆっくりと開き、静謐に満ちた瞳を健人に向けた。

 健人はあまりのも静かなストルンの瞳に、ゴクリと息を飲む。

これから語ろうとしている話は、スコールの呪術師であるストルンからすれば、口にすることも憚られるような話だ。

 しかし、事は既にスコールに及んでいる話である。黙っていることは出来ない。

 健人は緊張感を解すように一度大きく深呼吸をして、ゆっくりと口を開く。

 

「ハルメアス・モラと話しました。スコールの秘密を知りたがっているようです」

 

 健人はストルンに、ミラークの力の元凶と、求めてきた取引について話す。

 ハルメアス・モラ。

 スコールでの呼び名はハルマモラ。

 知識の悪魔の名の通り、長年にわたってスコールの秘密を暴こうとしてきたその邪神の名を聞き、ストルンは大きく息を吐いた。

 

「そうか、ハルマモラその人がか。なるほど、やはり、彼がミラークの力の元凶か。彼が我々を騙して、秘密を開示させようとした逸話は幾つもある。今まで我々が守ってきたものを再び奪おうとしてきたわけだ」

 

 元々、この島を覆う力についてある程度の推察をしていたストルンだが、健人には彼の声色が、どこかこの未来を察しているかのような落ち着きと諦観が混じっているように感じられた。

 そんなストルンの様子を見て、健人の胸の奥に言いようのない苦さが鎌首をもたげる。

 

「スコールの秘密とは、いったい何ですか? ハルメアス・モラが欲しがるものとは一体……」

 

 胸の奥で沸き上がり始めた苦々しさを無視しながら、健人はストルンにスコールの秘密について尋ねてみる。

 ストルンはその豊かな顎髭をひと撫ですると、おもむろにスコールの秘密について語り始めた。

 

「全創造主がソルスセイムをスコールに与えて以来、呪術師から呪術師へと伝えられてきた古代の伝承だ。風との話し方、大地の声の聞き方、それが我らの秘密だ。力や熟練に関連したものではない」

 

「ソルスセイムに関わるものでは?」

 

「ソルスセイム島そのものというよりは、この島と私達の関係を作る上でなくてはならないものだ。この島は、多く大地の力の穴がある。それらはこの島と密接に関わるが故に、この知識はソルスセイムで生きていくには非常に有用なものだ」

 

 スコールの秘密は、いわば自然との調和を行っていく上で大きな力となるようなものだった。

 このソルスセイムは、スカイリムと比べても厳しい自然環境だ。

 特にスコール村がある島の北部は、薪集めですら死者が出るほどの吹雪に見舞われることが多々ある。

 また、この島には大地の岩を始めとした地脈の穴といえる場所が数多あり、それらからは、ソルスセイムを覆う力が常に湧き出している。

 スコールの秘密は、これら地脈の声を聴くためのものなのだ。

 もしも、ソルスセイムで生きていくにあたり、風との対話法を知っていれば、これから来るであろう吹雪に備えることができるだろう。

 また、大地との会話法は、雪崩や氷河の滑落を予見できるかもしれない。

 この秘密は、大地の力が特に集約したこのソルスセイム島で長年過ごしていたスコールがいつの間にか体得したのか、それとも全創造主とやらがスコールに授けたのかは、健人にはわからない。

 実際にどの程度の事が成しえるかも不明である。

 しかし、この厳しい環境の中で、何世代も生を繋いできたスコール達の、文字通り命の結晶であることは間違いない。

 

「しかし、問題は力の桁や優劣ではない。奴は秘密を集めて隠す性分なため、秘密その物の価値は問題ではないのだろう。力の使い方や有用性よりも、奴が有していない知識その物をスコールが有しているという事実が、奴の衝動を掻き立てている」

 

「だが、大地の声を聴く、という力は、使いようによってはどのように利用できるかど分からん。知識はその使い方によっては、予想外の力を発揮することは多々ある。スコールが力や熟達に関係ないと言ったところで、ハルメアス・モラや他の力ある存在が使えば、信じられないような災禍を引き起こす可能性もあるやもしれんな……」

 

 強大な力となるようなものではない言い切るストルンに、ネロスが釘を刺した。

 あり得る可能性を口にするその言葉は、スコールへの警告も含んでいる。

 ネロスの言葉を否定しきれるようなものはない。

 神と大地。矮小な人間が語り、憶測を並べるにはあまりにも存在規模が違いすぎるからだ。

 おまけに、今回のミラークが行った惨事は、まさに地脈の力を悪用した結果、引き起こされている。

 ミラークはシャウトの力を使ったが、それがスコールの秘密に取って代わっていたとしても不自然ではない。

 スコールの“聴く”力が、いつ“行使する”力に変わっても不思議ではないのだ。

 そのことを理解しているのか、ストルン自身もまた、ネロスの言葉に沈黙している。

 しばしの間、ストルンは瞑目して考え込んでいたが、やがて覚悟を決めたのか、瞑想を止めてゆっくりと立ち上がると、徐に天を仰いだ。

 

「……太古からの敵に民の秘密を明け渡す役が回ってくるとはな。奴と対峙できる力が今の私にあるかどうかは分からない。樹の岩は汚されたままで、大地は未だ不安定だ。だが、残りの岩が解放されているならば、可能かもしれん。これ以上は望めんか……」

 

「本当に、ハルメアス・モラに秘密を話すんですか?」

 

 ネロスの憶測を聞けば、スコールの秘密が予想外の災禍を招く可能性を思い浮かべるのは間違いない。

 それでもストルンは、健人の問い掛けにしっかりと頷いた。

 

「そうだ。スコールの言い伝えでは、ハルマモラに秘密を明け渡す日についても語られている。ハルマモラが我々に勝利する日がな……」

 

 スコールの呪術師の間で連綿と伝え続けられていた口伝。

 その中には、ハルメアス・モラがスコールの秘密を手にする時についても語られているらしい。

 その事実に、健人だけでなく、フリアもまた目を見開いている。

 どうやら彼女は、予言や言い伝えのすべてをストルンから聞かされていたわけではないようだ。

 

「呪術師としては秘密を守るだけではなく、明かすべき時を判断するのも責務だ。今がその時ではないだろうかと考えている。

 フ……もしこれが誤りなら、ご先祖様に許しを請うしかないな」

 

 己のすべきことを見定めた、ある種の達観した瞳で、ストルンは健人を見つめてくる。

 その静寂に満ちた瞳が、健人の胸をズグンと抉った。

 

「本を渡してくれ。私が直接、ハルマモラと話をしよう。そして取引を守るよう、念を押すとしよう」

 

 本を渡してくれ。そう述べてきたストルンに、健人は姉に殺された友竜の姿が被って見えていた。

 本当にこれでいいのだろうか? 

 健人の心に迷いが生じる。

 ヌエヴギルドラールとストルンは違う。

 あのドラゴンは生きることそのものを諦めていたが、ストルンの瞳にあるのは己の使命を全うしようとする強い意志。これから先も命が繋がれていくことを願う、優しい想いだ。

 しかし、健人は胸の奥で疼く嫌な予感を、どうしても拭えなかった。

 あの時のように、何か取り返しのつかない事態になるのではないかという悪寒が、健人に黒の書を渡すことを躊躇わせた。

 

「……本当に、いいんですか? 言葉にはしていませんでしたがハルメアス・モラは、何か企んでいるような気がします」

 

「その点は同感だ。この代償を価値あるものにしてくれると、信じている」

 

 代償。それは、スコールの秘密だけで終わるのだろうか?

 その様な考えが脳裏によぎり、健人は黒の書を取り出しはしたものの、ストルンに手渡すことはできなかった。

 だが、ハルメアス・モラとの契約を履行せねば、ミラークに対抗することは不可能である。

 懊悩しながら、唇を噛みしめる健人の姿に、ストルンは微笑む。

 

「君は、優しいドラゴンだな。その優しさはこの世界では儚いのかもしれないが、無くさないでほしいものだ……」

 

 そう言って、ストルンは健人の手からスッ……と黒の書を取り上げると、ゆっくりと村の中央にある広場、かつて、結界を張るために祈りをささげていた場所へと歩き始めた。

 

「父さん、やめて! この本は邪悪よ! 私に教えてくれた事、全てに反しているわ!」

 

「やらねばならんのだフリア。ミラークの影からソルスセイムを解放するには、これしかない」

 

 父の姿と覚悟を見て、フリアが悲鳴にも似た叫びを上げる。

 しかし、ストルンが歩みを止めることはない。

 彼はすでに、呪術師として己の役割を見出し、覚悟を決めていた。

 懊悩に揺れる健人や、呪術師として未熟なフリアに止められる覚悟ではない。

 

「全てが変わらなければならない時は来るものだ。生きていれば、永久に変わらぬものなどない。私のことは心配するな娘よ。これは、全創造主が私に定めた運命なのだ」

 

 祈りの場にたどり着き、振り返ったストルンは、優しく娘に言い聞かせる。

 運命。

 スコールの呪術師として、そして父親として娘を優しく諭すのその姿は、自分の父と会えなくなった健人にとってはとても眩しく見えた。

 父の覚悟を知ったフリアは、それ以上声を荒げることはなく、ただ小さく頷いた。

 

「傍にいるわ、いつものようにね……」

 

「この書のマスターが何を用意しようと、私は受け止めてみせよう」

 

 そしてストルンは、意を決して黒の書を開いた。

 開かれた黒の書のページが毒々しい光を放ちながら、脈動し始める。

 そして次の瞬間、書の中から突き出た触手が、ストルンの体を貫いた。

 

「ぐ、あ!」

 

「父さん!」

 

「ストルンさん!?」

 

 健人とフリアが悲鳴を上げる中、空中に濃緑色の泡に包まれた無数の瞳が現れ、歓喜に満ちた声を響かせた。

 

「スコールがついに、私に秘密を明け渡す……」

 

 ストルンを貫いたハルメアス・モラは、彼を弄ぶように触手をのた打ち回らせ、その度にストルンの口から苦悶の声が漏れる。

 健人とフリアが慌ててストルンの元に駆け寄り、彼の体から触手を引き抜こうとするが、ハルメアス・モラの触手はガッチリとストルンの体を貫いており、ビクともしない。

 体を貫かれたストルンが、ゴポリと血を吐きながら、見下ろしてくるハルメアス・モラを睨みつける。

 

「き、貴様、嘘を……」

 

 ストルンが漏らした嘘という言葉に、健人が反応して激高した声を上げた。

 

「どういうことだ! 秘密を渡すだけのはずだろう!」

 

「嘘ではない。秘密は貰っていく。この者の魂と共にな……」

 

 スコールの秘密を手に入れるために、ストルンの魂を抜き出すと言い切るハルメアス・モラ。

 そして、知恵の邪神の“嘘ではない”という言葉に、健人は目を見開く。

 

「これが、私と彼との契約だ。私はこう言ったぞ。お前は秘密を持っている者を私に差し出す。そして私がその秘密を手に入れ、対価として力を与える……と」

 

 ハルメアス・モラが語る健人の役目は“秘密を渡す”ことではなく、“秘密を知る者を差し出す”のみ。

 そしてその秘密は、ハルメアス・モラ自身が手に入れる。

 そう、ストルンに書を読ませた時点で健人の役目は終わりであり、秘密の入手方法は、あくまでハルメアス・モラが決める事だった。

 

「もっとも私が呪術師から秘密を手に入れる方法については、語る必要はなかったな……」

 

「があああああああああああああ!」

 

 そして、黒の書が一際強い光を放つと、ストルンの悲鳴がスコール村中に響き、彼の胸から白く淡い光を放つ光球が引きずり出された。

 それは、ハルメアス・モラがストルンの体から引きずり出した、彼の魂そのもの。

 知恵の邪神はスコールの秘密を知るストルンの魂を、アポクリファの領域に引きずり込む事で、秘密を手に入れるつもりだったのだ。

 

「くっ!?」

 

 そうはさせないと健人が手を伸ばすが、実体のないストルンの魂は健人の手をすり抜け、黒の書の中へと消えてしまう。

 

「父さん! 何てこと!」

 

 貫いていた触手が引き抜かれ、ストルンの体が崩れ落ちる。

 フリアが彼の体を受け止めるが、ストルンの体はズタズタに引き裂かれており、見るも無残な状態だった。

 

「ドラゴンボーンよ、頼んだ贈り物を持ってきてくれたな。

 お礼に約束を守ろう。オブリビオンの王子として、恥じぬようにな。ミラークに挑戦するための、必要な力の言葉をやろう」

 

 ハルメアス・モラの声に反応するように、ストルンの遺体がビクリと細動し、続いて、切り裂かれた胸に緑色の刻印が現れる。

 その刻印は、爪で引っかいたようなドラゴンの文字であり、服従のシャウトを構成する際の最後の一節だった。

 

“ドヴ”

 

 ドラゴンに連なる系譜を意味するその言葉が、健人の魂に刻まれる。

 脳裏に浮かぶ言葉の意味と、言いようのない怒りに、健人は奥歯をかみしめる。

 そんな健人の姿を見つめていたハルメアス・モラは、これ以上ない程の満足感を漂わせる声で呟いた。

 

「お前は、彼の好敵手になり、その糧か、後継者になるだろう。運命の流れに、定められるまま……」

 

「っ! お前!」

 

 激昂した健人が腰の黒檀のブレイズソードを引き抜いて、ハルメアス・モラに斬りつけるが、ハルメアス・モラの体は瞬く間に空間に溶け、健人の刃は空しく空を斬った。

 

「父さん……」

 

 引き裂かれた父の亡骸を抱きしめながら、絶望と哀愁に満ちたフリアは、唯々項垂れている。

 物言わなくなったストルンの遺体に、キラリと光る滴が落ちた。

 

「フリア……」

 

「行って……。父さんが犠牲になったのは、ミラークを殺して、彼のマスターの影をこの地から消し去るためよ! 行って! 必ずミラークを殺して! 必ず……」

 

 悲痛なフリアの叫びを聞き、健人は自分が招いたこの悲劇に怒りを禁じえなかった。

 ギシリと握りしめられた拳が、ドラゴンスケールの小手を軋ませる。

 周りをよく見れば、スコール村の人達が健人を見つめていた。

 皆、事の成り行きを見ていたが故に、健人を見る目には、どこか言いようのない怨嗟に満ちている。

 スコール達の憤りの視線を一身に浴びる健人。その傍に、カシトがそっと寄り添う。

 スコールと健人の間に割って入ったカシトの手は、腰の短剣に添えられていた。

 もし、スコールが健人に牙を向くなら、容赦なく短剣をスコール達に突き付ける気なのだ。

 

「ケント、大丈……」

 

「カシト、後を頼む」

 

 だが、健人はカシトを制するように手を上げると、黒の書“白日夢”を取り出した。

 健人が何をする気なのか察したカシトが何かを言う前に、彼は白日夢の冊子を開く。

 次の瞬間、健人は黒の書を通して、アポクリファの白日夢の領域へと引きずり込まれていった。

 一瞬で暗転する視界。

 霞がかった視界が徐々に戻ると、健人の目に、ミラークと初めて会った広場が飛び込んできた。

 周囲には人影はおろか、ルーカーもシーカーも見当たらない。

 広場のはるか先には、天を突く巨大な塔が聳え立っている。

 健人は遠くに立つ塔を睨みつけながら、自分に対して、今までの人生でこれ以上ない程激怒していた。

 フリアの父親を死なせてしまった罪悪感と後悔。

 健人の脳裏に、ヌエヴギルドラールとの死別が明確に思い出される。

 あの時感じた無力感。それが、何倍にも増して健人の心を責め立てていた。

 

「行くぞ……必ずミラークを、殺す」

 

 今の健人に出来ることはもはや、ミラークを殺し、ソルスセイムを覆う脅威の根源を絶つ事しかなかった。

 口に中に広がる、赤錆にも似た血の味を嚥下しながら、強烈で明確な殺意と憎悪を胸に、健人は白日夢の領域を進み始めた。

 

 



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第十三話 黒の書“白日夢”

 黒の書“白日夢”の領域を進む健人。

 “白日夢”の領域は“手紙の書き方に関する見識“と同じく、通路の奥にある転移の書物を読むことで先へと進むことができた。

 ただ、白日夢の領域を進む中で特徴的だったのは、他の黒の書とは違う奇妙な書物が道中にあった事だ。

 

「骨無き、四肢?」

 

 その書物は台座の上に丁寧に置かれ、その辺に投げ捨ててある書とは明らかに違う扱いをされていた。

 健人はその書を取って、中を読んでみる。

 

のたうつ沢山の手足

すり抜ける水面を捕らえようとする手

手を伸ばしてその顔に触れよ

心に火をつけ、生身を剥きだせ

 

「なんだこれ? 明らかに知識を記した書物じゃない」

 

 その書は、知識を記したものではなく、何か別のものを書き記したものだった。

 健人が白日夢の領域をさらに進むと、似たような書物がいくつも見つかった。

 

「検索するハサミ」

ばきんと折れ、ぐいっと引き

ぎゅっと締め、ばりっと割れる

マテガイの殻を砕いている

被験者が心弱り命尽きるまで

その体を縛りつけるために

 

「覗き見る瞳」

軽やかな感覚でこの世を受け入れるものは

外面の輝きを追い求めることも出来る

彼らは一番大事なものを全て奪い取る

知りえた細事をつたえんがために

 

「剥き出しの歯列」

突き出た骨、引き裂きすり潰せ

湿った灼熱の深淵で

逆らう骨から肉を剥すうちに

体は食べる支度ができる

 

「これは全部、ハルメアス・モラの姿形と、その行いを示す書か……」

 

 健人が見つけた四つの書物は、ハルメアス・モラの造形を表し、同時にかの邪神の行いを端的に示した書物だった。

 検索し、覗き見て、骨と心を折り、深淵の奥で咀嚼する。

 正しく、ソルスセイムを覆う一連の事変……いや、健人がこの世界に来てから、ハルメアス・モラが彼に対して行おうとしている事だった。

 己の知識欲を満たしてくれる者を探し出し、監視し、干渉して抵抗の意思を折って、アポクリファに幽閉するという。

 

「なるほど、後は俺の骨を折って、深淵に引きずり込むだけってことか……どうでもいい」

 

 どこか他人事のように呟きながら、健人はさらに先へと足を進めると、やや開けた広間に出た。

 広間の中央には、二体の異形が、侵入者である健人を睨みつけている。

 

「シーカーと、ルーカー……。センチュリオンじゃないな。上位種か?」

 

 シーカーとルーカー。

 黒の書関連の事件の中で幾度となく戦ってきた相手だが、健人の目の前に立ちはだかっている二体が纏う雰囲気は、今まで戦ってきた相手と明らかに違っていた。

 ルーカーはこれまで見てきたどの個体よりも巨大で、全身のほとんどを硬質で分厚い鱗が覆っている。

 シーカーが纏う魔力も別格で、明らかに精緻に練り上げられた魔力を纏っていた。

 ルーカーの守護者、そしてハイ・シーカー。

 どちらも、このアポクリファでは最高位に近い力を持つ者達だった。

 

「関係ない。邪魔をするなら殺すだけだ」

 

 だが、相手がどんな敵だろうと、今の健人には関係がなかった。

 健人が腰の黒檀のブレイズソードを抜くと、彼の戦う意思に反応したのか、前衛を務めるルーカーの守護者が前に駆け出し、ハイ・シーカーが後ろで魔力を猛らせて詠唱を始める。

 間合いを詰めてきたルーカーの守護者がその腕を振り上げるが、健人は迫りくる巨腕を一瞥しただけで、淡々と戦闘行動を開始した。

 

「ウルド……」

 

 旋風の疾走を一節だけ唱え、瞬間的に加速。

 ルーカーの側面を駆け抜けざまに刃を一閃させ、ルーカーの守護者の硬質な鱗ごと右足を深々と切り裂く。

 さらに、バランスを崩したルーカーの守護者の背に飛び乗り、背後から首に刃を突き立てると、突き刺した刀の柄を掴んだまま巨人の背を蹴り、宙返りの要領で飛び降りつつ、丸太の様に太い首を一気に切り裂いた。

 

「ゴウゥゥ……」

 

 首を半分ほど切り裂かれた異形の巨人が、切断面から毒々しい色の血を吹き出しながら倒れ伏す。

 

「ギィル!? ギィ!?」

 

 あっという間に倒されたルーカーの守護者の姿に、ハイ・シーカーに動揺が走る。

 相手が狼狽えている内に健人は即座にハイ・シーカーとの間合いを詰め、刃を一閃。

 放とうとした魔法諸共ハイ・シーカーの両腕を切り落とし、左の拳を叩きつけて顔面を粉砕する。

 崩れ落ちたシーカーの体は霧となって消え失せ、後にはシーカーが纏っていた襤褸のみが残されていた。

 健人は今しがた自分が斬り殺した命を一顧だにすることなく、さらに先を目指して歩みを進める。

 やがて健人は、巨大な縦穴にたどり着いた。

 縦穴の中央には緑色の光を放つ巨大な一本の支柱が聳え立ち、傍には転移装置となる書がある。

 しかし、転移装置の書は何かに封印されているのか、健人が触れてもウンともスンとも言わなかった。

 

「何か、仕掛けがあるのか……」

 

 健人が周囲を見渡してみると、縦穴の内周沿いに、四つの台座が設置してある。

 台座にはそれぞれ、触手、ハサミ、瞳、歯列の絵が彫ってある。

 

「なるほど、悪趣味で単純な仕掛けだが……」

 

 健人は、これまでの道中で拾った四つの本を、それぞれ対応した台座に置く。

 すると、縦穴の中に光が走り、封印されていた転移装置が輝き始めた。

 健人が転移装置に近づいて確認すると、開かれたページにのたうつ様な文字が浮かんでいる。

どうやら、きちんと起動した様子だった。

 

「これは、知恵比べというよりは、儀式的なものだろうな。こうなっても構わぬほどに知恵を求めるか……といったところか」

 

 四肢を砕かれても、骨を折られても、歯列にかみ砕かれようと知識を求める。

 禁じられた知識に対する、止め処ない好奇心を確かめるための儀式。

 そして、健人も禁じられたミラークの服従のシャウトを求めた結果、この場所に来ることになった。

 

「そう考えると、皮肉が効いているな……」

 

 だが、今更引き返す気など、健人には微塵もない。

 ミラークを倒し、ソルスセイムを覆う影を払い、フリアの願いを叶える。

 己自身が引き起こした悲劇。その始末をつけるために、健人は転移装置の書に触れた。

 

 

 

 

 

 

 転移装置によって飛ばされた通路をさらに進むと、開けた大広間にたどり着いた。

 道はここで行き止まりなのか、先に進めるような転移装置も通路も存在しない。

 だが、大広間の最奥には、意外なものがあった。

 

「言葉の壁か……」

 

 そこにあったのは、間違いなく、古代ノルドの遺跡にあるようなドラゴン語を記した言葉の壁だった。

 他の言葉の壁と違い、ドラゴン語が刻まれた壁画の背後には、のたうつナメクジのような模様が何十も這い回っているが、刻まれている言葉は間違いなく力の籠ったスゥームであった。

 刻まれた詩の一文字から発せられる光が、健人の体に吸い込まれていく。

 

「ディヴ……翼無きドラゴン、か」

 

 刻まれていた言葉は“ディヴ”。

 ドラゴンアスペクトの最後の一節を構成するスゥームだった。

 意味は、翼無きドラゴン。

 力と鱗、そしてドラゴンをドラゴン足らしめる“声の力”を高める力の言葉だ。

 

“グオオオオオオオオオオ!”

 

 健人がドラゴンアスペクトの三節目を習得したその時、耳をつく咆哮と共に、健人の頭上を一体の黒いドラゴンが通過していった。

 

「あのドラゴンは、ミラークと一緒にいた……」

 

 健人はそのドラゴンに見覚えがあった。

 初めてこの白日夢の領域に迷い込んだ時、ミラークの背後に控えていたドラゴンだ。

 ウツボのような突き出た顎と、黒い皮膜を帯びた背びれが特徴的な竜。

 サーペントドラゴンと呼ばれる竜種であった。

 エルダードラゴンのさらに上位に位置し、一体で国を亡ぼす事すら可能な、高位のドラゴンである。

 おそらく、ミラークに命じられて健人を殺しに来たのだろう。

 健人の頭上をフライパスしたサーペントドラゴンは、地上から見上げてくる健人を確かめると、大きく上昇して旋回した後、翼を畳み、一気に急降下してきた。

 

「試すか」

 

 上空から迫りくるドラゴンを見上げながら、健人は習得した力を引き出そうと魂を震わせる。

 捻りだすのは、意思を挫く力。

 ストルンの命と引き換えに得た、服従のシャウト。

 

“叛意を折り、従属させろ”

 

 内なる声が響き、健人の胸の奥で強烈な支配欲が鎌首をもたげるが、健人は湧き上がる支配欲を、それ以上の“決意”でもって握りつぶし、ミラークの力そのものに狙いを絞ってシャウトを放つ。

 

「ゴル、ハー、ドヴ!」

 

 放たれた服従のシャウトは急降下してきたサーペントドラゴンに直撃。

 レンズのように歪曲した光が弾けた後に、急降下してきたドラゴンは一瞬体をふらつかせると水平飛行へと入り、健人の頭上で旋回し始めた。

 しばらくの間、ゆっくりと上空を旋回していたサーペントドラゴンだが、やがて高度を落すと、羽ばたきながら健人がいる広間に着地した。

 

“やあ、スリよ。我はサーロタール。お前のスゥームは達人の域にある。乗れ、ミラークの元に運ぼう”

 

「ミラークの居場所を知っているのか?」

 

“ああ、そうだ。奴はこのアポクリファの中央にある、あの一番高い塔の上にいる”

 

 そう言って、サーロタールと名乗ったドラゴンは広場から見える一際大きな塔を指し示すように首をしゃくった。

 そして、健人の前に己の首を差し出すように頭を下げ、乗るように促してくる。

 健人は一瞬迷ったものの、ゆっくりとサーロタールの背に手を伸ばすと、そのまま目の前のドラゴンの背に乗った。

 健人が乗ったことを確かめると、サーロタールはその黒い翼を広げてはためかせ、大空へと飛翔する。

 健人を乗せたサーロタールは瞬く間に数十メートル上昇すると、水平飛行に入り、一路、ミラークがいるであろう尖塔を目指す。

 健人の眼下には毒の海が何所までも広がり、彼方此方から気味の悪い触手が海面から突き出してのたうち回っている。

 空の色はあまりにも気味が悪く、相変わらず気が可笑しくなりそうな程毒々しい雲に覆われていた。

 

「ミラークに付き従っていたのは、奴のスゥームの所為か?」

 

 健人はおもむろに、サーロタールにミラークに付き従っていた理由を尋ねてみた。

 

“そうだ。私は長い間、奴のスゥームに操られていた。奴の声はそれほどまでに強力だった”

 

 健人の言葉を肯定するサーロタール。

 やはり、ミラークがドラゴンを従えることが出来ているのは、服従のシャウトの力故のようだ。

 

“だが、それをお前のスゥームは打ち消したのだ。お前なら、あのミラークとも相対できるだろう”

 

 ミラークと相対できる。

 サーロタールの確信に満ちたその言葉に、健人は今一度、己が取り込んだ服従のシャウトについて想いを馳せていた。

 “従え”と、凄まじい力による支配を強制するシャウト。

 その言葉を取り込んだ健人は、ミラークがそのシャウトを得た際の意思を、完全に把握していた。

 支配を強要する意思の裏にあるのは、激烈な怒りだ。

 服従のシャウトだけではない。ドラゴンアスペクトのシャウトにも、その言葉の深奥にはミラークの怒りが込められていた。

 それは正に、健人自身が、今感じている激情と同じもの。

 ミラークと同じ怒りに身を焦がしている自分自身を顧みて、健人の口から皮肉めいた苦笑が漏れる。

 

“着いたぞ”

 

 サーロタールの言葉に、健人は我に返る。

 気が付けば、健人達は塔のすぐ傍まで来ていた。

 健人を乗せたサーロタールはゆっくりと塔の外壁に沿って上昇し、頂上へと到達する。

 塔の頂上では、ミラークが戻ってきた眷属竜を見上げていたが、その背に乗る健人を確かめると、仮面の奥の瞳を大きく見開いていた。

 サーロタールが塔の頂上に着陸し、健人は彼の背から飛び降りる。

 塔の頂上は一面の広間になっていて、その広さは直径数十メートルはあるかと思えるほど広かった。

 

「サーロタールよ。そうも簡単に惑わされるのか……」

 

“惑わされたのではない。解放してもらったのだ。このドヴにな。お礼に、力を貸すと決めたのだ”

 

 サーロタールが塔の頂上に着陸すると、かのドラゴンの帰還を待っていたかのように、上空に他の二体のドラゴンが現れた。

 新たに出現した二体のドラゴンは、しばしの間上空を旋回していたかと思うと、頂上の縁にある足場に降り立ち、健人と、彼をここまで連れてきたサーロタールを睥睨し始めた。

 

「あの二体のドラゴンは……」

 

“ミラークの眷属竜だ。我と同じように、ミラークに操られている”

 

 どうやらミラークは、サーロタールやクロサルハー以外にも、眷属としているドラゴンがいたらしい。

 見下ろしてくる二体の眷属竜の瞳には裏切ったサーロタールに対する怒りの炎が映っているが、健人にはその瞳の奥に、服従のシャウトによる濁った毒の光が垣間見えているような気がした。

 

「ゴル、ハー、ドヴ!」

 

 眷属竜を見上げていた健人に、ミラークが服従のシャウトを放つ。

 ミラークの服従のシャウトは健人に命中して弾けるような光を放ったものの、シャウトを受けた健人には何の変化もない。

 操られる様子のない健人の姿を見て、ミラークは鼻を鳴らした。

 

「ふん、服従のシャウトを完全に身に着けたのか……。

 ならば、力で排除するしかないな。クルジークレフ、レロニキフ!」

 

 ミラークの合図とともに、膨れ上がっていた二体の眷属竜の戦意が弾け、彼らは上空へ飛び上がった。

 ミラークの命令に従い、健人を排除するつもりなのだろう。

 

“ここは任せろ。お前はミラークに集中するのだ”

 

「サーロタール、頼む」

 

“ゲ、スリ。心得ている、主よ”

 

 飛び上がった二体の眷属竜を見たサーロタールが、迎撃に上がる。

 三体のドラゴンはアポクリファの空の上で炎と冷気を吐きながら、互いの尾を食い合うように交差し始める。

 ミラークは自らの眷属竜達が戦う様を一瞥すると、宿敵となった健人に視線を戻し、滔々と語り始めた。

 

「アポクリファの頂上で、二人のドラゴンボーンが見えるか……ハルメアス・モラが望んだのだろう。でなければ、赤子同然だったお前がここに立てるはずもない」

 

 ミラーク自身、ハルメアス・モラが介入してくるのは時間の問題だと思っていた。

 そして、健人というドラゴンボーンの存在を知り、ソルスセイムに広めた服従のシャウトがかき消されていく中で、彼はハルメアス・モラの干渉を確定視していくことになった。

 

「だが、それだけではない。お前は異質だ。私が知るどのドラゴンよりも。だが、その力の源を知れば、ハルメアス・モラに対抗できるかもしれん……」

 

 健人の異端性。

 ミラークですら、完全には読み解くことができない可能性の塊。

 いくらドラゴンボーンであったとしても、覚醒してから健人が身に着けてきたシャウトは、ミラークが血をにじませるような渇望の果てに生み出したもの。

 到底簡単に身に着けられるはずもなく、そしてその声の力を己の血肉にした健人は、もはやミラークをして、無視できない存在であると認めざるを得ないものだった。

 

「俺は、お前の過去を知らない。何があったかも分からない」

 

 一方、健人はそんなミラークの独白を聞き流しながら、ここに来た理由を語る。

 それはまるで、ミラークに聞かせるためではなく、己自身の意思を確かめているようだった。

 健人は服従のシャウトやドラゴンアスペクトを習得していく過程で、ミラークが抱いた強烈な怒りと力に対する渇望を知った。

 しかし、彼がそのような強烈な怒りを抱くに至った経緯は知らない。

 シャウトに込められていたのはミラークの思いであり、過去ではないのだ。

 

「だけど、お前を止めるために、命を投げ出した人がいた。死ぬと分かっていても、己の責務を全うした人がいた。その人をそんな状況に追いやった原因の一端は、俺だ……」

 

 だが、ミラークの過去がどうであれ、既に健人自身も、もう後に退けない所まで来てしまっている。

 彼は服従のシャウトの最後の一節を手に入れえるために、結果的にストルンを犠牲にしてしまっている。

 たとえ彼にその意思がなくとも、ハルメアス・モラの策略にはめられた結果だとしても、それで自らの行いに自己弁護できるほど、健人は厚かましくはなれなかった。

 何より、犠牲になったストルンは言っていた。

 “この犠牲を価値あるものにしてほしい”と。

 そして、彼の娘が慟哭の中で願った。

 “ミラークを殺せ”と。

 だからこそ、健人は己の命に代えても、その願いをかなえなければならない。

 

「俺は、お前を、殺す。俺自身のエゴで……」

 

「ふん、今更なんだ。この世界、全ての戦いはエゴのぶつかり合いだ。どんな屁理屈や論理で装飾をしようが、それが本質だ」

 

 健人がミラークの言葉を流したように、ミラークもまた健人の独白を一蹴する。

 彼にとって、健人の懊悩は既に通り過ぎた道だ。

 己の運命を取り戻すために、今更他者を踏みにじることに一片の迷いもない。

 所詮、この世界は力がすべてだ。

 どれほど綺麗な想いや、清冽な志があったとしても、弱ければ蹂躙され、穢される。

 そして、強者も弱者も等しく、犬畜生へと落とされるのだ、と。

 

「ああ、そうだな……」

 

 ここにきて、健人もまた、ミラークの言葉を否定しようとは思わなかった。

 タムリエルで目にしてきたあらゆる悲劇と争いを脳裏に思い返し、全身から溢れんばかりの戦意を滲ませながら、ゆっくりと腰の黒檀のブレイズソードを引き抜く。

 漆黒の刀身に雪を散りばめたような刃が、アポクリファの毒々しい光を受けて、鈍い光を放っていた。

 

「そうだ、その剥き出しの殺意。飾ることない激情と魂の咆哮。それこそ、ドラゴンの力の本質だ」

 

 戦意を猛らせる健人の姿を前に、ミラークもまた、健人を真なるドヴァーと認め、腰から一本の片手剣を抜いた。

 この毒に満ちたアポクリファを体現したような、おどろおどろしい刀身を持つ片手剣。

 のたうつ様な触手の形をした柄と、覗き見る単眼を模したような鍔を持つ、異形の魔剣だった。

 

「お前は死ぬ。そして私は、お前の魂の力でソルスセイムに帰還する。再び己の運命の主となるのだ!」

 

「俺はお前を殺す。彼女達の願いを叶えて、俺自身の、ケジメをつけるために!」

 

 此処に来て、もはや人の言葉に意味はない。

 彼らはドヴァーキン。

 真言によって強大な力を行使する、人にして人ならざる者達なのだから。

 

「「ムゥル……」」

 

 これより先は人ではなく、ドラゴンとしての対話(戦い)。

 唱えるは、自らが最も“力”を発揮できる言葉。

 彼らが力を求める発端となった真言であり、核となるスゥーム、ドラゴンアスペクト。

 

「「クゥア、ディヴ!!」」

 

 戦意に震える魂は燐光となって現出し、溢れたドラゴンソウルが渦を巻きながら立ち昇る。

 濁流のように噴き出した燐光は即座に術者に収束し、一介の人間を、光の鱗を持つ翼無きドラゴンへと変える。

 相対する二頭のディヴ(翼無きドラゴン)。

 アポクリファの頂上で、最初のドラゴンボーンと異端のドラゴンボーンの戦いが、ついにその幕を開けた。

 




というわけで、黒の書”白日夢”の領域のお話でした。
次回からついに、ミラーク戦となります。
いや、ここまで長かった……。
次回のお話は現在執筆中ですが、ミラーク戦は一話では終わらないと思います。
ですので、ある程度書き切ってから投稿すると思いますので、また少し時間が空くかと思います。

それではまた。


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第十四話 ファーストドラゴンボーンVSイレギュラードラゴンボーン

お待たせしました。対ミラーク戦前編です。
調整が終わりましたので投稿しました。
話の切りの関係で少し短めですがご容赦を。
残りも調整が終わり次第投稿します。
後、試験的にアンケート機能を使ってみました。もしよければ、ご回答ください。


 ドラゴンアスペクトを発動した健人とミラークは、同時に構え、動き出す。

 健人は即座に体を落して踵に力を籠め、体の落下エネルギーを前方への推進力に変えて、一気に間合いを詰めようとする。

 

「ヴェン、ガル、ノス!」

 

 前に出ようとする健人を見て、ミラークがシャウトを放つ。

 それは、健人が今まで聞いたことのない言葉で構成されたスゥームだった。

 

“サイクロン”

 

 強烈な竜巻を発生させ、進路上の何もかもを吹き飛ばすシャウト。

 真言によって生み出された局地的な竜巻が、健人を吹き飛ばさんと襲い掛かる。

 

「ファス、ロウ、ダーーー!」

 

 聞いたこともないシャウトを前に、一瞬眉を顰めた健人だが、向かってくる竜巻を前に即座に迎撃に出た。

 揺ぎ無き力のシャウトを、ミラークのサイクロンに叩き付ける。

 渦を巻く風は横合いから叩き付けられた衝撃波に打ち砕かれ、健人が放った衝撃波もまた、攪拌された風の中に千切れて消えていく。

 舞い散った風の残滓を突っ切り、健人がミラークめがけて疾走する。

 

「ウルド!」

 

 一方、ミラークは旋風の疾走を一節だけ唱えて健人と間合いを離すと、空いた左手にマジ力を収束させた。

 明らかに魔法を使うと思われる動作に、健人はさらに加速し、空いた距離を詰めようとする。

 だが健人が距離を詰める前に、ミラークの左手に集約したマジ力は眩いばかりの紫電を帯び、今にも弾けそうな程隆起し始めた。

 その時間、僅か一秒ほど。

 

「っ!?」

 

 あまりにも早い術式構築に、健人が目を見開く。

 そして次の瞬間、ミラークの手の平から熟練者クラスの破壊魔法、サンダーボルトが健人に向かって打ち放たれた。

 健人は即座に背中のドラゴンスケールの盾を取り出して構え、放たれた紫電を受け止めた。

 

「ぐううう!」

 

 受け止めた瞬間、強烈な衝撃と共に、健人の体が押し止められて足が止まる。

 弾けた雷が盾に取り付けられたドラゴンの鱗を焦がし、焼けつくような臭いが健人の鼻につく。

 健人が何とかサンダーボルトを受け止めた一方、ミラークは更なる追撃を放とうと、再び左手に強烈な雷を生み出していた。

 

「ッ、早すぎる!」

 

 ミラークが紫電を抱いた左手を突き出した瞬間、健人は即座に横に跳ぶ。

 放たれた轟雷が一筋の閃光となって、健人の脇を掠めていく。

 あまりにも早い詠唱……否、ミラークは詠唱などしていない。

 彼は魔術師のごく一部しか行使できない熟練者クラスの魔法を、無詠唱で連続行使しているのだ。

 

「私の力が服従のシャウトだけだと思ったのか? このアポクリファで磨いた知識や魔導の力は、あのヴァーロックにも劣るものではない!」

 

 ヴァーロック。

 かつてミラークがまだタムリエルにいた時、彼のもっとも強大な敵となったドラゴンプリーストの名前だ。

 彼の魔法はあまりにも強力であり、彼が行使した魔法によってソルスセイムはタムリエル大陸から切り離されたと言われるほどの魔術師だった。

 無詠唱自体、健人はこの世界に来てから見たことがない。

 健人はヴァーロックの名前は知らなかったが、ミラークの無詠唱魔法を見れば、彼の魔法の腕はネロス並みか、それ以上であることが即座に理解できた。

 

「むん!」

 

 三度目の雷撃が健人を襲う。

 しかし、このまま唯やられるだけの健人ではない。

 彼もまた、このソルスセイムにおいて急成長したドラゴンボーン。

 服従のシャウトを身に着けられたのは、それに相応しいだけの下地が出来ていたが故だ。

 再び盾を構え、ミラークのサンダーボルトを受け止めつつ、シャウトを唱える。

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

 旋風の疾走。

 ミラークが唱えたものよりも長い三節のシャウトで、サンダーボルトを盾で受けつつ、一気に間合いを詰める。

 

「むっ!?」

 

「はあ!」

 

 剣の間合いにミラークを捉えた健人が、右手の黒檀のブレイズソードを薙ぎ払う。

 ミラークもまた奇怪な魔剣を掲げて健人の斬撃を受け止めるが、左手に展開した魔法は霧散してしまう。

 ギリギリと鍔競り合う健人とミラーク。

 双方の力は互角なのか、鍔競り合いは拮抗し、両者は全く動かない。

 

「はっ!」

 

「ふっ!」

 

 両者が弾かれた様に半歩退き、返す刀で互いに得物を振るう。

 交差する刃。

 魔法による蹂躙から一転、今度は接近戦へと移行した。

 健人が盾でミラークの剣撃を弾きつつ反撃の刃を振るい、ミラークが鮮やかに刃を返して健人の刃をいなす。

 激突する二本の刃と盾が甲高い音を響かせながら火花を散らし、高速の刃が渦を巻く。

 互いに足を止めながら打ち合う様は、さながら二体のドラゴンが互いの首を噛みあう姿を思い起こさせる。

 

「むっ!?」

 

 互角に推移していた接近戦の均衡が、徐々に崩れ始める。

 健人が少しずつ、ミラークを押し込み始めたのだ。

 両手に装具を持ち、攻防を切り替えられる健人に対し、ミラークは一本の刃で攻撃と防御を両立させなければならない。

 手数の差が如実に出てきた結果だった。

 

「ふん、装具の差か。だがその程度、覆せぬはずが無かろう! ティード、クロ゛、ウル゛!」

 

「っ!?」

 

 ミラークが唱えたのは、健人が未だ知らぬ二つ目のシャウト。

 次の瞬間、ミラークの手数が急激に増加する。

 健人の刃は出かかりから弾かれ、返す反撃の刃が光鱗を纏ったドラゴンスケールの鎧を掠める。

 

「これは……」

 

 先程まで健人が徐々に押し込んでいた攻防が一転、あっという間にミラークが健人を攻め立て始めた。

 ミラークの気勢を削ごうと繰り出したシールドバッシュも薙ぎ払いも容易く躱していなされ、それ以上の斬撃が健人に襲い掛かる。

 繰り出される斬撃の嵐をすり足で退きながら捌きつつ、明らかに速度が増加したミラークの姿に健人の思考が高速で回る。

 攻撃速度を高めるスゥームで最初に彼が思いつくのは、得物に風の刃を纏わせる“激しき力”だ。

 だがミラークが持つ魔剣に風の刃は付与されておらず、剣撃の速度だけでなく体裁き、更には思考すらも加速している片鱗が見られる。

 

(激しき力じゃないなら、他のシャウトだ、アイツが発したシャウトの意味は……)

 

 健人は先程ミラークが唱えたシャウトを思い出す。

 ティード、クロ゛、ウル゛。

 どれも健人が聞いたことがない言葉だ。

 だが、それは今の健人が知らないだけだ。知らないのならば、今知ればいい。

 言葉の意味が知りたいという健人の意思に反応して、隆起していた彼のドラゴンソウルが即座に言葉の意味を健人に囁く。

 

“時間減速”

 

 時間、砂、永遠の言葉で構築されるスゥームであり、自らと周囲の時間を乖離させる言葉の力だ。

 

「ティード、クロ゛、ウル゛!!」

 

「っ!?」

 

 言葉の意味を知った瞬間、健人もまた時間減速のシャウトを唱え、ミラークと同じ時間速度に己の身を投じる。

 即座にシャウトを身に着けて唱えた健人の姿に、ミラークが目を見開く。

 

「はあああ!」

 

「ぐうぅ!?」

 

 剣撃による攻防は、再度逆転。

 ミラークと同じ時間速度に身を置いた健人が、再び攻勢に転じる。

 盾でミラークの剣撃をはじき返し、振り上げた逆袈裟斬りがミラークの光鱗を散らす。

 

「なるほど、確かに驚異的な成長速度だ。だが、この程度で私に届くものか! スゥ、ガハ、デューーン!」

 

「っ、な!?」

 

 時間減速中のミラークが“激しき力”のシャウトを唱える。

 スゥームの効果発動中にスゥームを重ね掛けするという驚異的な行動に、健人が目を見開く。

 魔剣に風の刃を纏わせたミラークが、激しき力の名に相応しい剣戟の嵐を健人に浴びせ始める。

 高速で叩きつけられる刃の圧力が黒檀のブレイズソードを軋ませ、纏わりつく風の刃がドラゴンスケールの盾を削る。

 健人は両手の盾と黒檀のブレイズソードを振るい、何とかミラークの猛攻をいなし続けるが、その内の一撃が健人の頬を浅く裂いた。

 

「ぐっ!」

 

 次の瞬間、倦怠感が健人の体を襲う。

 まるで血を抜かれた様な気怠さに、健人は眩暈を覚え、思わず体がフラついてしまった。

 

「くっ、その剣の力か!」

 

 健人の倦怠感は、ミラークの魔剣に付呪されているスタミナ吸収の効果が原因だ。

 一時的にごっそりとスタミナを削られた健人の動きが鈍る。

 その隙をミラークが逃すはずもなく、彼は片手剣の柄を両手で持つと、大上段からの一撃を繰り出してきた。

 

「ぐう!?」

 

 健人はミラークの強烈な一撃をドラゴンスケールの盾で何とか受け切ったものの、あまりの衝撃に数メートルほど後ろに流される。

 だが、それだけでは終わらない。

 ミラークが更なる追撃を繰り出さんと、その場で魔剣を薙ぎ払った。

 

「むん!」

 

 明らかに間合いの外から振るわれた刃。届くはずもない斬撃だが、次の瞬間、健人の背筋に強烈な悪寒が走る。

 

「っ!?」

 

 ミラークが魔剣を振るうと、突如として魔剣の刀身が伸び、しなやかに弧を描きながら健人の首筋に迫ってきた。

 咄嗟に黒檀のブレイズソードを薙いで繰り出された剣撃を弾くが、“激しき力”によって刀身に纏わりついていた風の刃が、強烈な衝撃を健人の腕に返してくる。

 

「ぐうっ、鞭!? いや、蛇腹剣か!?」

 

 ミラークが振るう度に刀身を伸ばし、激しき力の付呪も相まって、強烈な斬撃を与えてくる魔剣。

 変幻自在にしなる刀身の様子は鞭そのものだが、触れたものすべてを削る鋭い刃は蛇腹剣を思わせる。

 明らかに間合いの外から高速で振るわれる凶器を前に、健人はさらに後ろへと追いやられていく。

 更にミラークが、左手にマジ力を収束させ始めた。

 健人の背筋に、まるで焼きゴテを押し付けたかのような熱が走る。

 ミラークの猛攻を何とか凌いでいるこの状況では、彼の強力無比な破壊魔法を防ぐ余裕も、躱す隙も無い。

 ミラークの左手に収束したマジ力は、即座に元素に変換され、凍てつくような氷の嵐を顕現させる。

 そしてミラークが左手を突き出した瞬間、極寒の吹雪が健人めがけて疾走した。

 アイスストーム。

 かつてミラーク聖堂でデス・オーバーロードが使用した破壊魔法。

 だが、ミラークのアイスストームは、デス・オーバーロードと比較しても巨大な嵐だった。

 

(まともに食らえば体が凍る。なら、無効化して突っ切るしかない!)

 

「ファイム、ジー、グロン!」

 

 健人は即座に霊体化のシャウトを使用し、物理攻撃を無効化して一気にアイスストームを突っ切る。

 霊体化の効果が有効な内に剣の間合いまで距離を詰め、再び接近戦に持ち込む気なのだ。

 遠距離、中距離ではミラークの独壇場だ。

 シャウトと破壊魔法、そして鞭状の魔剣を変幻自在に使いこなすドラゴンボーンに対し、健人が持つ遠距離手段はシャウトと素人クラスの破壊魔法のみ。

 到底、太刀打ちできるものではない。

 だが、氷の嵐を突っ切った健人の目に、信じられない光景が跳びこんできた。

 

「ファイム、ジー、グロン……」

 

「なっ!? 霊体化? なんで……」

 健人の目に自分と同じように霊体化したミラークが目に映り、健人は思わず当惑の声を漏らした。

 霊体化はその名の通り、肉体を霊体に変える事で、物理攻撃の一切を無効化するスゥームだ。

 だが同時に、自身も一切攻撃が出来なくなり、攻撃を行うには霊体化を解除しなければならない。

 防御的なスゥームであり、攻撃には一切役に立たないシャウトだ。

 だが、ミラークの次の行動に、健人は目を見開いた。

 膨大な魔力がミラークの体から立ち昇り、渦を巻き始める。

 そして、今まで無詠唱で魔法を行使してきたミラークが、何故か詠唱を開始していた。

 詠唱を必要としなかったミラークが、詠唱を必要とする事実。

 そして、霊体化という攻撃を一切無効化するスゥームの使用が、健人に強烈な危機感を抱かせた。

 

「まさ、か、長文詠唱!? しまった、嵌められた!」

 

 それは、ミラークが詠唱を必要とするほど強烈な破壊魔法をこれから使うという事。

 霊体化を先に使ったのは健人であり、明らかに先に健人の方が先に霊体化が解除される。

 つまり、健人は霊体化したまま詠唱を続けるミラークを止める手段が一切なく、更に霊体化で躱すことも不可能になっているのだ。

 

「終わりだ」

 

「ぐっ!」

 

 そして健人の霊体化の効果が切れた瞬間、ミラークが両手に生み出した炎塊を地面に叩き付ける。

 次の瞬間、業火を伴った猛烈な爆風がミラークを中心に全方位に飛び散った。

 ファイアストーム。

 破壊魔法の最上位、達人クラスの魔法が発動し、生み出された爆風は瞬く間に健人を飲み込み、吹き出た炎は広場の縁から塔全体を包み込むだけでなく、さらに毒の海までを津波のように蹂躙していった。

 

 

 




ミラーク
タムリエルにおける最初のドラゴンボーン。DLC3のラスボス。
本小説において著しい強化を受けている。
具体的には、コイツだけMOD入りゲーム仕様

具体例
使用魔法の追加と無詠唱化、高威力、広範囲化。
魔法の構築速度がほぼゲーム仕様。おまけに達人魔法も使ってくる。
達人魔法も、ネロスがカシトとフリアの援護を受けて時間稼ぎを行い、ようやく使用できたのに対し、ミラークは単独かつ十秒足らずで発動可能。
おまけに霊体化のシャウトを使うことで、誰も詠唱を止められなくなっている。
さらに、魔法の範囲、威力共に極大化。ただでさえマップ兵器みたいなファイアストームが、マップ全体攻撃と化している。つまり逃げられない。
凌ぐには霊体化のシャウトくらいしかないが、霊体化を使った時点でミラークも霊体化を使うために、下手をすると自分が霊体化→ミラーク霊体化→自分の霊体化が切れる→ファイアストームのコンボが確定する。

シャウト能力の強化
プレイヤーが行っていたシャウトの多重使用が可能に。
時間減速と激しき力の多重使用など、プレイヤーのみが行っていた行動が可能になっている。
まあ、ゲーム本編でも霊体化と旋風の疾走を連続使用しているからこの程度は問題ないかと。
全てはドラゴンアスペクトの所為なんだーーー!

武器の性能強化
ミラークの剣の間合いの増大及び、任意伸縮が可能に。
ゲーム中では鞭状になっても片手剣の間合いしかなかったミラークの剣が相応の間合いを誇るようになり、かつ伸縮自在で、近距離でも普通の剣として使用可能に。

魔法の性能強化、シャウトの多重使用、変幻自在な魔剣。これらにより、健人は全ての間合いで優勢を完全に潰された形になっている。


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第十五話 這い上がるもの

お待たせしました。ミラーク戦中盤です。




 ミラークの塔だけでなく、毒の海までをも舐めるように広がっていった爆炎だが、やがてその勢いを無くし、火の粉を残して四散していった。

 あらゆるものが焼き尽くされた塔の頂上では、この強烈な爆炎の津波を引き起こしたミラークが、舞い散る灰と火の粉を眺めながらあたりを一瞥していた。

 

「終わったか、呆気なかったな」

 

 周囲には動くものは見当たらず、床には燃え尽きた灰と、焼けついて燻ぶる煙だけが残されている。

 到底生きている者がいるとは思えない光景だった。

 

「……ん?」

 

 だがその時、広間の縁に吹き飛ばされていた灰の塊の一つが、もぞりと動いた。

 続いて灰の塊が盛り上がり、バラバラと落ちていく。

 

「はあ、はあ、がは、ごほ……」

 

 崩れる灰の中から姿を現したのは、ファイアストームの直撃をくらった筈の健人だった。

 肺を少しやられたのか、息も絶え絶えといった様子で荒い呼吸を繰り返している。

 

「ほう、まだ生きていたのか」

 

 健人が生きていたことに、ミラークが若干驚きを含んだ声を漏らす。

 彼の見立てでは、いくらドラゴンアスペクトの鎧で身を守っていたとしても、ファイアストームの獄炎は耐えきれないと踏んでいた。

 

「回復魔法の障壁……ではないな。氷晶のシャウトか。あえて自爆することで、爆風と熱を防ぐ。随分と綱渡りな方法を思いつくものだ」

 

 健人が生き残った理由は、彼が以前、ミラーク聖堂で聞いていた氷晶のシャウトを自分に向けて使ったことが理由だ。

 ミラークがファイアストームを発動させる直前、健人は咄嗟に膝を立ててしゃがみ込むと、衝撃に備えるために盾をかざした。

 さらに、自分の内にあるドラゴンソウルから氷晶のシャウトの意味を引き出し、自分の足元の地面に向かって、氷晶のシャウトを放った。

 本来氷晶のシャウトは直線状に飛び、進路上の敵を瞬く間に氷の結晶で包みこんで、 動きを封じながら冷気ダメージを与えるシャウト。

 しかし、地面に向かって放たれた氷晶のシャウトは半球状に広がる形で健人の体を包み込み、彼を氷の結晶で覆った。

 その為、健人はファイアストームの爆炎による熱ダメージから、逃れることができたのだ。

 とはいえ、健人も無傷では済まない。

 炎上ダメージの代わりに氷晶のシャウトによる冷気ダメージを負っているし、爆風にしよる衝撃までは完全には防げなかった。

 身を低くしていたために塔の外に放り出されることは防げたものの、吹き飛ばされた健人は背中を大広間の縁にしたたかに打ち付け、結果として内臓に損傷を負ってしまっていた。

 

「かはっ……」

 

 血の混じった唾が、咳と共に口から漏れ出す。

 健人は肺の痛みを押し殺しながら回復魔法を唱え、内臓の傷と凍傷によるダメージを癒す。

 幸い、体の痛みはすぐに引いてくれたが、冷気ダメージによるスタミナ疲労は深刻だった。

 

(身体が……重い)

 

 両足に力を入れて何とか立ち上がる健人だが、全身が細かく痙攣していた。

 そんな状態の健人をミラークが見逃すはずもなく、再び鞭状の魔剣が健人に向かって振るわれた。

 

「ふん!」

 

「ぐっ!?」

 

 上段から振り下ろされた鞭刃を、盾を掲げて防ぐ。

 ファイアストームの直撃を受けてボロボロになっていた盾が、何とか鞭状の刃を防ぐが、ミラークは二度三度と魔剣を振るい、健人を執拗に攻め立て続ける。

 既にミラークが掛けた“激しき力”の効果は切れているが、それでも魔剣が打ち付けられる度に、盾が悲鳴のような軋みを上げる。

 

「亀のように縮こまりおって……」

 

 鞭刃の魔剣を振るっていたミラークがクイッと手首を返すと、鞭状の魔剣が健人の左手に絡みつく。

 

「なっ!?」

 

「むん!」

 

 ミラークが勢いよく腕を振ると、鞭状の剣身を通して伝搬した衝撃が、勢いよく健人の左手を引っ張り、掲げていた盾を無理矢理側面に引き落とす。

 結果として、健人の防御姿勢が崩れ、さらにミラークが腕を振ると、鞭状の剣身を通して伝わった衝撃が健人の体を地面に引き倒した。

 ミラークが三度魔剣を振るう。

 すると左手を拘束された健人の体は勢いよく振り回され、そのままミラークを挟んで反対側の縁の壁に叩きつけられた。

 

「があ!」

 

 衝撃でミラークの魔剣が健人の左手から外れ、壁に叩きつけられた健人の体が床に放り出されてゴロゴロと転がる。

 ドラゴンアスペクトの光鱗は未だに健人の体を包み込んでくれているが、彼の体の芯に刻まれたダメージは深刻なのか、ギシリと手足を僅かに動かすだけで、体を起こす事すら困難な様子だった。

 

「弱いな。確かに成長速度やシャウトを学ぶ早さには驚かされるが、その程度では私の数千年の月日には遠く及ばん」

 

 立ち上がることすら出来ないほどに打ちのめされた健人を眺めながら、ミラークはそう独白した。

 現実として、いくら健人がドラゴンボーンとして覚醒し、驚異的な成長をとげているとしても、そもそも経験が違いすぎる。

 ミラークが積み上げてきた数千年という年月は、さながら巨大な山脈のようなものだ。

 いくら同じ竜の血脈とはいえ、たった一人の人間の経験で容易に覆せるものではない。

 ミラークにとっては、この白日夢の領域で相対した時点で、ある程度予想できる結末であった。

 

「まだ、だ……」

 

 だが、ミラークと己の力の差を体の芯まで刻まれても尚、健人は立ち上がろうともがいていた。

 奥歯が砕けるほど歯を食いしばり、力の入らなくなった両腕を叱咤しながら、何とか身を起こす。

 

「まだ、俺は死んでいない。終わってなんていない……」

 

 掠れるような声を絞り出しながら、震える両足で立ち上がった健人が、顔を上げた。

 どこか遠くを見るようなその表情に、ミラークが仮面の下で怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「分かってたさ……」

 

「……何?」

 

「俺の力がお前に及ばないなんて事、とっくの昔に分かっていたさ。それでも……」

 

 健人自身も頭の中では理解していた。自分とミラークとの間に存在する、数千年という絶対的な年月の差を。

 それでも、感情が引き下がることを拒絶した。

 ストルンを死に追いやったという事実が、彼に理性での判断に否を突き付けていたのだ。

 だが、こうしてまざまざとその圧倒的な差を見せつけられてしまえば、茹で上がった頭も強制的に冷やされる。

 

「死ねば楽になれるぞ。この世界、少なくとも死は悪いものではないだろう」

 

「そうだな、そうなのかもしれない。俺のいた世界と違って、この世界はつらくて悲しいことばかりだ……」

 

 死ねば楽になれるぞと言い放つミラーク。健人もまた、その言葉を否定できなかった。

 生きる事は、苦しむ事と同意だと、地球の偉人の誰かも言っていような気もする。

 ミラークの言葉の通り、生きるということはつらく、苦しい事の連続だ。

 たとえ必死になって鍛え、学び、挑戦しても報われないことなど山のようにある。

 努力が実を結ぶことは稀で、やっと手に入れた小さな成果も、理不尽に奪われることも多い。

 そして運命とやらは理由もなく、まるで賽子の出目のように唐突に、大切なものを奪っていく。

 十数年という、ミラークから見れば遥かに短い人生を思い返しながら、健人は天を仰いだ。

 

「……この世界?」

 

 健人の言葉の一端に違和感を覚えたミラークが首をかしげる一方、健人はアポクリファの空を見上げながら、滔々と言葉を紡ぐ。

 

「それでも、諦めるなんてことはできない。そんな道は、とっくに無くなっている……」

 

 大切なものを失い、それでもと足掻き、さらに多くを失った人生。

 諦められたら楽なのだろう。足を止めてしまえば、苦しみから解放されるのだろう。

 実際に足を止め、逃げたからこそ、健人はその安堵感を狂おしい程欲してしまうと理解している。

 だが、その安堵の裏には、常に後ろ暗い感情がついて回った。

 失ったからこそ、失わせてしまったからこそ、背中にへばり付いてくる悪感情は、過去への後悔と未来への不安、何よりも自分への失望感を、これ以上ないほど掻き立ててしまう。

 

「……後悔なんて意味がない。先なんて、考えていられない」

 

 足掻き、失い、怒り、そして逃げた。

 だからこそ、健人は思う。

 逃げたからこそ、もう一度向き合わなければならない。

 先の事など考える意味はない、過去に捕らわれている暇などない。

 母、アストン、エーミナ、ハドバル、ヌエヴギルドラール、ストルン。

 健人の脳裏に、地球にいた頃、そしてタムリエルに来てから、失った人達の顔が浮かぶ。

 彼の目の前で死んでいった人達、そして、彼を生かそうと命を張ってくれた人達。

 そして、もう会えなくなった人達の顔が、再び折れそうになる健人を奮起させる。

 足を止め、逃げたからこそ、その逃げた時の分、自分は必死に生きなければならないのだと。

 

「今だ、今この瞬間に、俺は強くならなくてはならない」

 

 言葉にする事などできない感情が、胸の奥で震えていた。

 それはもはや、怒りでも悲しみでも、後悔でもない。

 そして、只々無尽蔵に湧き上がり、震え続ける“想い”が、再び健人の体に熱を呼び込む。

 

「この胸の震えが止まる、その瞬間まで!」

 

 疲弊した体を精神力だけで持ち直し、健人は再びミラークに立ち向かおうと駆け出す。

 圧倒的な力の差を理解しながらも足掻こうとする健人の姿に、ミラークは舌打ちしながらも、迎撃せんと魔力を猛らせる。

 

「ふん、気持ちだけで何が変わるものか!」

 

 力こそがすべて。そう言い切るように、ミラークが再び左手に雷を収束させ、轟雷を放つ。

 放たれたサンダーボルトを健人は盾で何とか受け止めるが、やはり足を止められる形になる。

 ミラークが再びサンダーボルトを放とうと魔力を集め始めたその時、健人が盾の陰から黒檀のブレイズソードを保持したまま右手を突き出した。

 健人の右手には魔力が集められ、そこにはミラークと同じように雷の光が宿っている。

 どうやら、駆け出した瞬間から詠唱をしていたらしい。

 だが、その光はミラークと比べれば、まるで蛍の光のように弱々しいものだった。

 次の瞬間、健人の右手から紫電が走る。

 放たれたのは、見習いクラスの破壊魔法、ライトニングボルトだったが、狙いすら定まらず、明後日の方向へ飛んで弾け、広範囲の床に散るように消えてしまった。

 

「馬鹿が、そのような幼稚な雷の魔法など、効くわけなかろう。そもそも満足に狙いも定められんか」

 

 あまりにも弱々しい健人の破壊魔法を、ミラークが嘲る。

 そもそも、健人の見習いクラスの魔法など、直撃したところでドラゴンアスペクトを纏っているミラークに効くはずもない。

 ミラークが再び、サンダーボルトを放つ。

 既に気力だけで体を動かしている健人だ。いつ限界が来てもおかしくない。

 精神という最後の柱を折らんと、ミラークの轟雷が健人に襲い掛からんと疾駆する。

 

「なっ!?」

 

 だが、ミラークが放ったサンダーボルトは、なぜか直進せず、大きく弧を描いて地面にぶつかり、バシン!と弾けて消えていった。

 当惑したミラークがさらにもう一度サンダーボルトを放つが、これもまた狙いを大きく逸れ、床に命中して四散してしまう。

 

「ッ、何故だ! なぜ悉く私の魔法が逸れる!」

 

「知らないのか!? 雷っていうのは、通りやすいところを通るものなんだ! あらかじめ別の雷魔法で射線をイオンの通り道で遮ってやれば、雷は自然とそっちに流れる!」

 

 雷とは、一定の電圧が存在する環境で起こる自然現象だが、大前提として“落ちやすいところに落ちる”という特性がある。

 正確には、電気的に抵抗の少ない場所を通るのである。

 雷が高いところに落ちやすいというのも、これが理由だ。地面よりもより高いところの方が、高空から地表に落ちる上で抵抗が小さいのだ。

 健人はこの性質を利用し、あらかじめ自分の雷系魔法で空気中に細いイオンの通り道を作った。

 ミラークのサンダーボルトは、そのイオンの通り道に沿う形で、地面に誘導されてしまっていたのだ。

 

「ちい、ならば別の魔法で!」

 

 サンダーボルトが逸らされるなら雷以外の魔法で攻め立てようと、ミラークは熟練者クラスの灼熱の火球、ファイアボールを放ち始める。

 

「ウルド!」

 

 だが、健人は旋風の疾走を一節だけ唱え、迫り来るファイアボールを躱す。

 回避先にミラークがアイスストームを放つが、健人は即座に横に跳んで回避。

 アイスストームは威力の反面、速度があまり出ないため、容易く躱される。

 ならばと、ミラークは再びファイアボールを放とうとするが、健人もまた一節のみの旋風の疾走で、ファイアボールの射線から退避していた。

 

「ウルド!」

 

「くっ! ちょこまかと……」

 

「ドラゴンアスペクトを使っている今なら、単音節のシャウトならそれほど間隔を開けずに使える! 雷魔法と比べて足の遅い氷魔法や炎魔法で捉えられるかよ!」

 

 健人はあえて短音節の旋風の疾走を連続して使い、間合いを詰めようとしていた。

 ドラゴンアスペクトによる恩恵。最後の言葉である“ディヴ”が齎す効果。

 それは、術者のスゥームの行使能力を引き上げるというもの。

 ドラゴンアスペクトによってシャウトの行使能力を引き上げた今の健人は、ミラークに劣らぬシャウトの行使能力を得ている。

 故に、彼は短音節のシャウトを、極めて短い時間間隔で連続使用することが可能だった。

 

「ならば、魔法にスゥームを重ねるだけだ。ヨル……」

 

 当然、ミラークも即座に対策を打ってくる。

 シャウトと破壊魔法を重ねることで、健人の旋風の疾走後の僅かなクールタイム中に攻撃を重ねようとしていた。

 

「ヴェン、ガル、ノス!」

 

 だが、その前に健人がミラークに向かって、攻撃を目的としたシャウトを放ってきた。

 放ったシャウトはサイクロン。

 先ほどミラークが使っていた、竜巻を巻き起して相手を吹き飛ばす風のシャウトだ。

 健人は一度聞いた段階で既に、サイクロンのスゥームを構築する言葉の意味を引き出し、理解していた。

 

「っ! また私のシャウトか。本当に学ぶのが早いな……だが、それでは及ばん!ヴェン、ガル、ノス!」

 

 健人のシャウトの習得速度に改めて驚嘆しながらも、ミラークもまたサイクロンを唱る。

 正面から、激突した二つの竜巻が渦を巻き、一際大きな土埃を巻き上げながら四散した。

 ミラークが追撃のためのエクスプロージョンを構築し、突き進んでくるであろう健人を迎撃せんと身構えが、土煙が晴れると、そこにいたはずの健人の姿は消えていた。

 

「っ? いない、上か!」

 

 ミラークが視線を上げると、上空から見下ろしてくる健人が視界に映った。

 彼は激突した二つのサイクロンの乱流にあえて自分から突っ込んで、そのまま吹き飛ばされる形で上空高くへと跳躍していたのだ。

 健人の姿を確かめたミラークは、即座に左手に構築していたエクスプロージョンを上空の健人めがけて放つ。

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

 迫りくる爆炎球を前に、健人はエクスプロージョンの射線から体の軸を僅かにずらして、旋風の疾走を唱える。

 シャウトによって、斜め下方向に強烈な加速を得た健人はエクスプロージョンと高速ですれ違い、ミラークの斜め前方の地面に盾ごとぶつかる形で激突した。

 

「ぐう!」

 

 ギャリギャリと火花を散らしながら勢いよく滑走し、ミラークの足元に滑り込む健人。

 滑りながら頭から突っ込む形になった体を入れ替え、両足を地面につけて立ち上がろうとする。

 

「隙ありだ!」

 

 しかし、両足を地に着けて立ち上がろうと力を込めたその時、タイミングを見計らったミラークの斬撃が、懐に飛び込もうとする健人に襲い掛かる。

 健人は肩口に迫る斬撃を前にして、意図的に踏ん張っていた片足の力を抜いた。

 

「ふっ!」

 

 頭上から振り下ろされた鞭状の魔剣の軌道から、健人の体が逸れていく。

 両足の力の均衡をあえて自ら崩し、さらに滑走の勢いと絶妙なバランスを取りながら、滑るようにミラークの唐竹割りを躱す。

 さらに、斜めに掲げたブレイズソードの剣身が、ミラークの斬撃の軌道を柔らかく弾く。

 自らの体がミラークの剣の軌道から外れたその瞬間、健人は再び足に力を込めて流れるように滑走の方向を調整し、一気に踏み込む。

 それは健人が師事したブレイズ特有の、滑らかな体重移動と柔軟な剣裁きを活かした闘法だった。

 

「む!?」

 

 瞬く間に目の前に迫った健人の姿に、ミラークは素早く伸びていた魔剣を引き戻して剣状に変え、健人の袈裟切りを受け止める。

 再び鍔競り合う健人とミラーク。その様はこの戦いが始まった時と瓜二つ。

 故に、唱えるシャウトも同じだった。

 

「「ティード、クロ゛、ウル゛!」」

 

 互いに時間減速のシャウトを唱え、異なる時間速度に身を投じる。

 

「スゥ、ガハ、デューン!」

 

 ミラークは異なる時間の中で激しき力のシャウトを唱え、再び己の魔剣に風に刃を施す。

 灰色に染まるミラークの視界の中で、健人は左手の盾を背に戻し、腰からスタルリムの短刀を引き抜いていた。

 

(ふん、守りに入れば飲まれると分かり、苦し紛れの双剣を取り出すとは、判断を誤ったな)

 

 ミラークはその姿に、内心で勝利を確信した。

 いくら双剣で手数を増やしたところで、激しき力の攻撃速度の方が遥かに上回るからだ。

 

「スゥ、ガハ、デューーン!!」

 

 だが、健人もまたミラークと同じように時間減足の中で激しき力のシャウトを唱えてきた。

 自分と同じように効果的にシャウトを組み合わせ始めた健人の姿に、ミラークは臍を噛む。

 

「ぐぅ! もうこの技術も手にしたのか!?」

 

「はあああ!」

 

 同じ三節の完全なドラゴンアスペクトを使う者同士、そのシャウト行使能力はほぼ同等である。ミラークに出来て健人にできない道理はない。

 激しき力によって目を見張るほどの加速を得た健人の双刀が、嵐のようにミラークに襲い掛かる。

 あまりに高速で振るわれる鋼と風の刃。

 ミラークは守勢に徹して何とか凌ごうとするが、健人の刃を受けるたびに、ミラークの魔剣がミキリ、と悲鳴を上げる。

 

「むう!?」

 

「ぜい!」

 

 右の黒檀のブレイズソードを袈裟懸けに叩きつけられ、左のスタルリムの短刀がミラークの魔剣を跳ね上げた。

 がら空きになった胴体に、返す刀で振るわれた黒檀のブレイズソードが薙ぎ払われる。

 

「ちい! ファイム! ウルド、ナー、ケスト!」

 

 接近戦はもはや自分の優勢は保てないと悟り、ミラークは霊体化と旋風の疾走を使用し、離脱。

 距離を取った上でエクスプロージョンの魔法を展開し、健人めがけて放つ。

 

「ファス、ロゥ、ダーーー!!」

 

 しかし、健人は即座に揺ぎ無き力のシャウトでエクスプロージョンを迎撃。

 炸裂した爆発球と揺ぎ無き力の余波を浴びながら、ミラークは苛立ちを募らせていた。

 

「っ、何だ、その声は。なぜそんなにも……」

 

 叩きつけられる健人のスゥームの中に感じた彼の感情。

 それを前に、ミラークは仮面の下で奥歯を軋ませた。

 魂の叫びであるシャウト。その声の力の中には、術者の感情や思いが込められている。

 ミラークは、叩き付けられるシャウトに込められた健人の感情に、言いようのない苛立ちを募らせていた。

 ミラークは、己を縛り付けたこの世界全てに対して憤怒を燃やしている。

 そんな彼だからこそ、健人の抱く怒りを踏みにじると宣言しつつも、その激情にどこか共感を抱いていた。

 だが、健人のスゥームの中に込められていた激情は、ミラークが想像していた怒りとはまるで違っていた。

 

「なぜ、そんなにも自分自身に怒れる!」

 

 健人の声の中にあった想い。

 もはや単一の感情だけは語れないその激情の中でミラークの目を最も引いたのは、やはり怒気の感情であるが、そのほとんどが健人自身に向けられていた。

 この世界やハルメアス・モラに対する怒りもあるが、それ以上の激情が彼自身に向けられている事実。

 それが、ミラークにこれ以上ないほどの不快感を抱かせる。

 

「お前は憎いはずだ! この世界が! 自分を縛る運命の鎖が!」

 

 双刀を携えながら向かってくる健人を睨みつけながら、ミラークは悲鳴にも似た咆哮を上げる。

 ミラークが憎んできたのは、すべて自分以外の存在だった。

 本当の名を奪い、道具としたドラゴン達、そんなドラゴン達に従うしかなかった弱い人間、そして契約を餌に己をアポクリファに縛り付けたハルメアス・モラ。

 だからこそ、彼は世界のすべてを憎み、世界を己の意思に従わせる力を欲した。

 

「ああ、そうだ。この世界は俺が望んで落ちた世界じゃない! この世界は、ほんの僅かに抱いた、ちっぽけな願いすら叶えてはくれなかった!」

 

 ミラークの激昂に応えるように、健人もまた己の胸の内を吐露する。

 健人が双刀を振り下ろし、その斬撃をミラークが火花を散らしながら受け止める。

 真正面から向き合う二人の視線が絡み合う。

 

「いつだってそうだ。世界は理不尽で、無慈悲で、いつも大切なものを奪っていく!」

 

 健人も、この世界の理不尽さを知っている。

 だが同時に、そんな厳しい異世界の中で、小さな喜びや幸せがあったことも確かだった。

 自分を助けてくれて、家族として受け入れてくれた人達がいた。

 弱い自分に、生きるための強さを説いてくれた人達がいた。

 自分を否定したけど、それでも想ってくれた姉がいた。

 スカイリムから遠く離れたソルスセイムまで、自分を探しに来てくれた友がいた。

 イジけて迷っていた自分を、それでも信じてくれた仲間がいた。

 だからこそ、健人はミラークのように世界全てを呪うことはなかった。

 だが結果として、彼の怒りは自分自身へと向けられることになった。

 それが、一時は彼の歩みを止めさせた事もあった。

 

「だが俺は、そんな世界以上に、そんな小さな願いすら叶えてやれなかった、叶えられなかった自分自身が憎い!」

 

 だが、そんな風に逃げて迷い、悩み、崩れたからこそ、立ち上がる事が出来た魂は、より一層の輝きを放つ。

 

「だから、俺の魂が叫んでいる。弱い俺自身を変えるために、今ここで、全てを飲み込んで強くなれと!」

 

 今この瞬間に強くなれ。

 それは、健人の魂が心の奥底でずっと叫び続けていた言葉であり、彼が急成長を続ける力の源だった。

 己の声が導くままに、健人はミラークの魔剣を弾き、己の刃を振り下ろす。

 その一撃は、確実にミラークの体を捉えていた。

 

「だが惜しい、時間切れだな」

 

 だが、健人の刃がミラークに届く瞬間、健人の光鱗が空中に四散した。ドラゴンアスペクトの効果が切れたのだ。

 

「なっ、ドラゴンアスペクトが……」

 

「終わりだ……」

 

 ミラークが速度と膂力を急激に失った健人の双刀を容易く弾き、袈裟懸けの一撃を叩き込む。

 魔剣の刃はドラゴンスケールの鎧を切り裂き、健人の体に深い傷を刻み込む。

 

「がっ……」

 

 斬られた衝撃で健人の体が引き飛ばされ、傷口から噴水のように血が噴き出す。

 健人の体から、急激に力が抜けていく。

 ここまでの激戦と大量出血、そしてドラゴンアスペクトの反動が一気に襲い掛かってきたことで、彼の体は急激に衰弱し始めていた。

 

「純粋に時間の差が出たか。ドラゴンアスペクトが体に馴染んでいたら、結果は逆だったかもしれんな」

 

 己が斬り捨てた健人を一瞥しながら、ミラークはそう独白した。

 ドラゴンアスペクトを習得してから数千年間修練したミラークと、つい最近身に付けたばかり健人では、その効果時間に明らかな差が存在していた故の結末だった。

 

「己を変えるために強くなれ、か……。似ているようで、違うな。私達は」

 

 自分と健人との違いを思い浮かべながら、ミラークは一歩一歩、ゆっくりと健人に近づく。

 後は健人に完全に止めを刺し、彼の魂を吸収するのみ。

 己の求めた自由が目の前にあることに歓喜しつつも、ミラークは僅かな寂寥感も覚えていた。

 考えてみれば、ここまで濃密な“会話”をしたことは、アポクリファに囚われてから数千年間、彼は経験したことがなかった。

 彼の会話はすべて、己が服従のシャウトで従えた弱い者達か、ハルメアス・モラという主人にして看守のみ。

 正面から、自分の声を聞き、言葉を返してくれる同等の存在はいなかった。

 孤独は人を殺すというが、それはドラゴンにも当てはまることだった。

 かつて、ドラゴンズリーチに囚われたドラゴンが、己の名前すら思い出せなくなったように。

 

「だが私の魂はこう叫んでいる。この世界を自分の魂で塗りつぶせと……」

 

 胸の奥に疼く僅かな人間らしさを感じながらも、彼は己の道を曲げることはなかった。

 自らの意思で世界を塗りつぶす。それが、彼が導き出した、自分自身の願いであり、答えだったから。

 

「見事だ。強き魂を持つドラゴンボーンよ。ここまで力を付けた貴様に敬意を示そう。わが糧となり、この世界を塗りつぶす力の一部となるがいい」

 

 ここまでたどり着き、自分と同等の対話をしてくれた同族に精一杯の敬意を示しながら、ミラークは己の大敵に止めを刺すために近づいていく。

 だがそんな彼の目の前に、信じられない光景が目に飛び込んできた。

 

「馬鹿な、あの傷で立てるはずが……」

 

 健人が、立っていた。

 傷口から血を流し、焦点の定まらない目で荒い呼吸を繰り返しながらも、確かにその足で立ち上がっていた。

 

「はあ、はあ……」

 

 よく見れば、深々と斬られた傷口に当てられた手から、ほのかに柔らかい光が放たれている。

 陽光を思わせる特徴的な光は、回復魔法特有の魔力光だった。

 

「なけなしの回復魔法を使う魔力は残っていたか。もっとも、もう限界であろうがな」

 

 回復魔法による止血効果で、健人の胸から流れ出していた血がピタリと止まった。

 しかし、ミラークの推測通り、そこまでが健人の限界だった。

 柔らかな魔力光が尽き、健人の腕がだらりと垂れ下がる。

 度重なる激戦と負傷で体力とスタミナを削り切り、ドラゴンアスペクトの反動が襲う体で、さらに魔力まで使い尽くした。

 文字通り、今の健人は死に体だった。

 先程まで嵐のように力強く振るわれていた双刀も今では両手の小指に引っ掛かっている程度。

 もはや、意識も定かではないのだろう。

 虚ろな瞳は下を向き、ミラークが近づいてきている事にも気付いていない様子だった。

 せめて、一太刀で終わらせてやろう。

 そう思い、ミラークが己の剣を振り上げた瞬間、健人の唇が小さく動いた。

 

「モタード……」

 

「む?」

 

「ゼィル ゙……」

 

 聞き覚えのない言葉が、ミラークの耳に小さく響く。

 次の瞬間、まるで火山の噴火のように噴き出した虹色の閃光が、ミラークを吹き飛ばした。

 




前話のアンケートの回答ありがとうございました。
ちょうどいいというご意見が多かったのはホッとしましたが、第二位がチーズって……みんなそんなにチーズが好きか……私もだ。
意外にも、もっと強くしてくれと言うご意見も多かったことに驚きました。私個人としてはかなり強くしたつもりだったのですが……。
もっとスキルなども強調して欲しかったという事でしょうか?

今回のアンケートは閑話についてです。よろしくお願いいたします。


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第十六話 真なる声の片鱗

今回でミラーク戦は終了です。

閑話についてですが、皆さん書いても良さそうなので、いつお見せできるかは分かりませんが、本編の執筆に問題ない程度に書いていこうと思います。


 朦朧とした意識の中で、健人は己の死を確信していた。

 もう既に、体の感覚は無くなっていた。

 極度の疲労と大量出血、ドラゴンアスペクトの反動、そして、魔力の枯渇。

 己の活力全てを絞り出してなお、ミラークには届かない。

 だがそれでも、健人の気持ちはまだ折れてはいなかった。

 溢れんばかりの想いは、未だに胸の奥で燃え続けている。

 

“心を……魂を震わせろ。その魂の輝きが、己の強さを決める”

 

 脳裏に浮かぶのは、戦士としての気構えを最初に教えてくれた恩人の言葉。

 魂の輝き。

 自分の肉体が限界を迎えている事など意識の彼方に放り捨て、健人は己の内側に意識を埋没させていく。

 自分の想いは自覚している。それこそ、今も己自身を焼き尽くさんばかりに猛っている。

 だが、何かが足りない。

 まるで1ピースを無くしたジグゾーパズルのような違和感が、健人の胸に渦巻いている。

 

“怒りや激情だけで勝てるのは、物語の中の英雄だけよ。そんなことが出来る人間は、現実には存在しないわ”

 

 己に戦士としての技術を授けてくれた師の言葉が蘇る。

 その通りだ。想いだけでは意味がない。

 健人は足りないのは何かを、必死に己の内に問いかける。

 

(自分の想いを外に示すのは力……。いや、言葉そのもの……)

 

 必要なのは震える魂を現出させる言葉。

 自分という内にある熱を外の世界に伝えるための要素(ファクター)だ

 ドラゴンアスペクトではない。あれはドラゴンの魂を昂ぶらせるための言葉。

 本質的に、健人自身が、己の魂を震わせるための言葉ではない。

 ゴクリと、口の中に溜まった血を嚥下する。

 

「震わせろ(モタード)……」

 

 健人が真に求めた力の言葉。それを欲した瞬間、彼の口が自然と“力の言葉”を紡ぎ始める。

 

「魂(ゼィル ゙)を……」

 

 小さく擦れて、他者には聴き取れぬほどの声量。

しかし、声という形で紡がれた瞬間、健人の世界は一変した。

 彼の胸の奥で押し込められていた熱が、一気に全身を駆け巡り、更に虹色の光という形で外へと現出する。

 

「な、なんだと!?」

 

 爆発的に弾けた燐光はミラークを吹き飛ばし、溢れんばかりの光でミラークの塔を包みこむ。

 それは、健人の魂、ドラゴンソウル、そしてアカトシュの祝福が、シャウトによって真に隆起した結果“生み出された”力。

 指向性もない単純な力はそれを生み出したシャウトが示すように、ミラークの塔全体を包み込み、震わせていた。

 

「ムゥル……、クゥア、ディヴ!」

 

 健人がドラゴンアスペクトを叫ぶ。

 無秩序に溢れ出していた力の燐光は、主の声によって導かれるように集まり、再び光の鎧を形成する。

 構築された光鱗は上半身だけでなく下半身すらも覆い、その姿は正に翼無きドラゴンそのものであった。

 

「“この世界”という言葉に……震わせろ(モタード)……。っ! そうか、お前の力の源は、そういう事だったのか!」

 

 目の前で現出した魂と、構築された光鱗を前に、ミラークは戦慄を帯びた声を上げる。

 彼から見ても、今の健人が纏うドラゴンアスペクトは、自らのものと比べても遥かに力強さに溢れていた。

 

「ハルメアス・モラが求めたのも当然だ! そうであるなら、お前は間違いなく、この世界の特異点足りえる!」

 

 今の健人の姿にある種の確信を抱きながらも、ミラークは魔剣を振り上げ、力の言葉を紡ぐ。

 

「ティード、クロ゛、ウル゛! スゥ、ガハ、デューン!」

 

 時間減速、激しき力。

 二つのシャウトを重ね合わせ、ミラークは更に強大となった坂上健人というドラゴンボーンと切り結ぶ。

 

「あああああああああああ!」

 

「おおおおおおおおお!」

 

 衝撃波を伴うほどの炸裂音を響かせながら、ぶつかり合う刃。

 しかし、二人の剣戟は僅か数合でその趨勢が明らかになった。

 

「はああああああああああ!」

 

「があ!」

 

 重ねるように繰り出された健人の双刀が、ミラークの斬撃を彼の体ごと弾き飛ばす。

 魂の真なる隆起を起こした今の健人は、今までと比べてもあらゆる能力が爆発的に増大していた。

 時間減速と激しき力、二つのシャウトを重ね合わせたミラークを、真正面からの容易く一蹴するほどに。

 弾き飛ばされたミラークを追って、健人が駆け出した。

 踏み込んだ床が粉砕され、爆発的な加速が健人の体を前へと押し出す。

 その速度はまるで風を切る隼のようで、旋風の疾走と比べても遜色ない加速だった。

 

「ファイム! ウルド、ナー、ケスト!」

 

 ミラークが霊体化と旋風の疾走を重ね合わせ、再び距離を取る。

 明らかに逆転した趨勢に、ミラークの口から焦りの声が漏れる。

 

「ぐう……まだだ、まだ終わっていない! クルジークレフ、レロニキフ、ジー、ロス、ディ、デュ!」

 

 ミラークが眷属竜の名を読んでシャウトを叫ぶと、上空でサーロタールと戦闘をしていたクルジークレフとレロニキフの二頭が、断末魔の声を上げた。

 突然力を失い、落下し始めた二頭の竜が炎で包まれ、溢れ出したドラゴンソウルがミラークに注がれる。

 

“魂簒奪”

 

 服従のシャウトで従属させたドラゴンの魂を奪い取り、己の力に変えるシャウト。

 ミラークは配下であるドラゴンの魂を取り込み、力を増した健人に対抗するつもりなのだ。

 

“クオオオオオオ!”

 

 戦闘をしていたクルジークレフとレロニキフが死んだことで、自由となったサーロタールがミラークに襲い掛かる。

 

“我を囚われの身に落とした借りを返してやる! フォ、コラ、ディーーーン!”

 

「邪魔だ、サーロタール!」

 

 上空からサーロタールが降下しながらフロストブレスを吐きかけるが、ミラークは素早く伸縮自在の魔剣を一閃。

 サーロタールの首に魔剣を巻き付け、かのドラゴンの首を一息に斬り落としてしまった。

 首を切断されたサーロタールの肉体から炎が猛り、溢れ出したドラゴンソウルがミラークに吸収されていく。

 力を増したミラークのドラゴンアスペクトはさらにその光を増し、溢れんばかりの存在感と威圧感を全身から滲み出していた。

 先程屠った、かつて眷属だったドラゴンの事など一顧だにせず、ミラークは己の宿敵のみを見つめている。

 

「お前の魂の震え、それに呼応した竜の魂とアカトシュの祝福! それらがまるで螺旋を描くように共鳴しながら、互いを強め合っている!」

 

 史上最古のドラゴンボーンの瞳には、今の健人の奥底で渦巻く存在達が、はっきりと見て取れた。

 彼が見たのは、虹色の燐光の中心に穿たれた黒点。その深淵の中にある三つの光。

 一つは、虹色の燐光の源。健人がサエリングズ・ウォッチで取り込んだ、ドラゴンの魂そのものだ。

 もう一つは、アカトシュの祝福。本来ドラゴンではない人に竜の力を与える呪い。

 そして、何よりもミラークの目を引いたのは、健人自身の魂の姿だった。

 

「そうなのだろう!? 異界のドラゴンボーン! この世界の外から来た異邦者! アカトシュも耄碌したか!? とんでもない人間に祝福を授けたものだ!」

 

 ドラゴンソウルとアカトシュの祝福を飲み込む形で存在する黒点、その深奥に、この世のものとは思えない明らかな異質な魂が存在している。

 そして、異質な魂は今まさにアカトシュの祝福とドラゴンソウルを巻き込みながら相互に猛り狂うように震え、螺旋を描きながら無尽蔵に力を引き出し続けている。

 それは正に“共鳴”と呼ぶに相応しい現象だった。

 

“ハウリングソウル”

 

 異種の存在同士を響き合わせるスゥーム。

 健人の胸の内でずっと燻り続けていた“震える”“魂”の想いが、真言という明確で力のある言葉で形を得た結果、この世界に生み出された、文字通り健人の“声”だった。

 

「いや、違うな。お前自身が、アカトシュの祝福をそれほどまでに強大に育てたのだな!」

 

 そして、健人のあまりに異質な魂、そして、響き合う事で無尽蔵に力を引き出し続ける“声の力”を目にし、ミラークは宿敵の出自と、彼の力の正体について理解していた。

 

「お前の前では、私の服従のシャウトですら霞むだろう! 根源すら異なる魂、存在すらしないはずの異端の魂が、ドラゴンの魂と共に叫ぶスゥーム、それがどれほど強大になるかなど、想像すらできん!」

 

 ミラーク自身も、今の健人を目の前にして、彼がこれから先どれほど強大になるのか想像も出来なかった。

 そもそも、異世界の魂など、想定できるはずもない要素だ。

 シャウトや技術の習得速度も異常だったが、ミラークから見ても、今の健人の魂から生み出され、溢れ出す力はもはや言葉に出来ないほど異質過ぎた。

 

「だが、それでも私は自分の運命を取り戻す! ミラークという忌まわしい名を消し去り、己の名前を取り戻すのだ!」

 

 だがそれでも、ミラークは己の心を叱咤し、強大な存在となった宿敵に相対する。

 

「ストレイン、ヴァハ、クォ!」

 

 唱えるのは、彼が持つ中で最大にして最も広域殲滅に特化したシャウト、ストームコール。

 アポクリファの空にスカイリムの嵐が吹き荒れ、瞬く間に出現した積乱雲が、渦を巻きながら紫電を纏い始める。

 

「天の雷! これだけの量の雷撃、耐えきれるか!?」

 

 ミラークの宣誓に応えるように、空一面を覆う雲から、無数の雷撃が健人めがけて撃ち降ろされ始めた。

 その数はあまりに膨大で、まるで驟雨のように健人めがけて襲い掛かる。

 

「ぐっ!?」

 

 あまりにも膨大な数の雷雨は、今の健人をしても躱しきれるものではなかった。

 数本の雷が健人の体を打ちのめし、健人の口から苦悶の声が漏れる。

 さらに強固となった光鱗が人を容易く感電死させるほどの雷撃の威力を、多少動きを鈍らせる程度にまで減衰させるが、それでも無視できない威力を誇っている。

 更にミラークは膨大な量の魔力を猛らせ始めた。

 ミラークの両腕に魔力光が灯り、その光が徐々に炎に変わっていく。

 間違いなく、桁外れの威力を誇ったファイアストームを再び放つつもりなのだ。

 

「ウルド!」

 

 ストームコールとファイアストーム。

 極大ともいえる二つの術を前に、健人は旋風の疾走を一節だけ唱えて空中に跳躍しながら、自ら雷の驟雨の中に身を投じていた。

 さらにスタルリムの短刀を腰に納め、背中から既にボロボロになったドラゴンスケールの盾を取り出すと、右手の黒檀のブレイズソードを突き立てる。

 黒檀の刃は損傷した盾を容易く貫く。

 

「スゥ……グラ、デューーン!」

 

 健人は黒檀のブレイズソードで己の盾を貫いたまま“激しき力”のシャウトを唱える。

 刀身を包み込むように生み出された風の刃が、ボロボロになった盾を粉微塵に砕き、粉砕された破片が刀身に纏わりつく。

 次の瞬間、天から降り注いだ雷群が、一斉に黒檀のブレイズソードに落ちた。

黒檀のブレイズソードの刀身が、眩いばかりの雷光を帯びる。

 ドラゴンスケールの盾を作る際に、繋ぎ合わせの為に使われていた鉄が風の刃で微塵に砕ける。

 粉々に砕かれた鉄は異種金属である黒檀と共に強力な磁界を帯びる媒体となり、天から降り注いだ無数の轟雷をその刀身に押し込める。

 

「なっ!?」

 

 天からの無数の雷撃を受け止めるという無茶苦茶な行動を実現した健人を前に、ミラークの思考が一瞬停止する。

 そしてその間に、健人は目が潰れんばかりの雷光を抱いた刃を振り下ろしていた。

 

「ぜええええい!」

 

「がああああああああ!」

 

 振り下ろされた刃の軌跡に沿って薙ぎ払われた雷光が、ミラークの体を捉える。

 霊体化を使えなかったミラークは己のスゥームの雷撃群を纏めた一撃を受け、思わずその場に蹲る。

 そう、今のミラークは、霊体化を使えなかった。

 天候操作という桁外れのスゥームがもたらす負荷は、ミラークをして無視できないものであり、シャウトの連続使用が出来なかったのだ。

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

 軽やかに着地した健人が、踏み込みながら旋風の疾走を唱える。

 激増した脚力に旋風の疾走の加速を加え、一直線にミラークめがけて踏み込んでくる。

 受け止める媒介を失った健人に天から無数の雷が再び降り注ぐが、超高速で踏み込む健人を捉えきれず、疾駆する彼の背後に着弾して空しく散るのみだった。

 

「はああああああああ!」

 

 健人の渾身の一太刀がミラークに襲い掛かる。

 ミラークは魔剣を掲げて健人の刃を防ごうとするが、突進の勢いを重ねる形で放たれた斬撃はミラークの魔剣を半ばから両断し、鎧となっていた光鱗を切り裂く。

 

「クレン(壊れろ)!」

 

「なっ!?」

 

 さらに健人の“真言”に反応するように、付呪されていた風の刃が炸裂した。

 展開されていたスゥームに意味を追加し、効果を派生させる技術。

 ミラークが使うスゥームの連続使用に連なる技術によって、激しき力の風の刃がミラークの至近距離で炸裂した。

 咲き乱れる花弁のように散った無数の風の刃が、斬り裂いた魔剣を粉砕しながらミラークに襲い掛かる。

 

「がっ!?」

 

 風の刃が炸裂した衝撃で、ミラークのドラゴンアスペクトの光鱗が吹き飛ばされる。

同時に彼の体は吹き飛ばされ、大広間に縁に激突して停止する。

 

「ぐ、ウィルムの鎧が……」

 

 ミラークの視界には、力なく散っていく虹色の光鱗の先で、スタルリムの短刀を引き抜いて双刀となった健人が、トドメを刺さんと踏み込んでくる姿が映っていた。

 ここに来て、ミラークは健人が己の力を真に上回ったことを理解した。

 眷属竜の魂を取り込みながらも、己の持つ最大のスゥームも魔法も武器も全て潰された。

 健人の“共鳴”のシャウトによって高まり続ける彼の力はあまりに絶大で、自らのドラゴンアスペクトも吹き飛ばされたミラークには、既にこの強大なドラゴンボーンを止める手段は残されていなかった。

 

「今は、お前の方が強い……」

 

 自らの敗北を認め、ミラークは即座に保険であった魔法を発動させた。

 毒々しい水がミラークの体を包み込み、転移魔法が発動。彼の体を別の場所へと飛ばす。

 

「なっ!? どこに……」

 

 振りぬいた刃が空を切り、目標を見失った健人は周囲を見渡す。

 術者であるミラークが逃走したためか、天を覆っていた嵐も治まっていたが、肝心のミラークの姿はどこにも見えなかった。

 

「があ!?」

 

 だがその時、ミラークの苦悶の叫びが響き、逃走したはずのミラークが空中に出現した。

 彼の体は触手に絡め捕られる形で空中に固定されており、その姿は磔にされているようだった。

 

「ミラーク、逃げられると思っていたのか? ここで、私に隠し事はできない……」

 

「ハルメアス・モラ……」

 

 突如として響いたハルメアス・モラの声。

 気がつけば、全天を覆うように泡立つ無数の瞳が出現し、健人とミラークを睥睨していた。

 

「まあいい、新しいドラゴンボーンが、私に仕えてくれるだろう。お前の役目も終わりだ……」

 

 大広間の彼方此方にあった沼地から無数の鋭い触手が出現し、その切っ先をミラークに定める。

 ハルメアス・モラはここで、ミラークを処刑する気なのだ。

 己に反抗したドラゴンボーンを放置するつもりなど、初めから彼にはなかったのだ。

 

「初めから最後まで、こいつの掌の上のままか……」

 

 健人との戦いに敗れ、疲弊したミラークは、更にここに来てハルメアス・モラが介入してきた事で、己の死を悟ってしまった様子だった。

 深い諦観の念を漂わせた言葉をつぶやきながら、己を倒したドラゴンボーンを見下ろす。

 

「私のように献身が報われることを祈ろう。最後の忠告だ、ドラゴンボーン。ハルメアス・モラはいずれお前も騙し、私と同じ目に遭わせるだろう……」

 

 ミラークを貫かんと、掲げられた触手に力が籠る。

 このハルメアス・モラの手足に貫かれて、死を迎える前に、ミラークは遺言のように、健人に忠告を残す。

 

「さらばだ……我が宿敵」

 

 最後にミラークの口から出た言葉は、彼自身が驚くほど穏やかなものだった。

 ハルメアス・モラの触手がミラークの体を貫かんと迫る。

 だが、毒々しい触手がミラークの体を貫く直前、無数の銀閃が宙を舞った。

 

「なっ!?」

 

 走った銀閃はミラークを貫こうとした触手を、彼を拘束していた触手諸共切り裂く。

 唐突に宙に放り出されたミラークが地面に倒れ込む。

 ハルメアス・モラは己の裁定に割って入ってきた闖入者に、眉を顰める。

 

「……ほう、逆らうつもりか? わが勇者よ」

 

「俺は初めから、お前の勇者になった覚えはないぞ、ハルメアス・モラ……」

 

 ハルメアス・モラの処刑を邪魔したのは、双刀を携えた健人だった。

 眩いばかりの光鱗を纏った翼無きドラゴンは、宙に浮かぶ無数の瞳から向けられる怪訝な視線を受け止めながら、睨み返すようにかの邪神がいる空を見上げている。

 

「お前の目的はミラークを殺し、彼のシャウトの影響をソルスセイムから消し去ることのはずだ。違うか?」

 

「……服従のシャウトの影響を消すことはそうだ。フリアも、ミラークを殺せと言っていた。だがもう一つ、俺がフリアから頼まれたのは、お前の影をソルスセイムから消し去る事だった」

 

 フリアの願いはミラークを殺して、ハルメアス・モラの影響をソルスセイムから払う事。

 そしてミラークの服従のシャウトは元を辿ればミラークではなく、ハルメアス・モラの力だ。

 つまり、ミラークを殺したところで、ソルスセイムが抱える問題は解決しない。

 ハルメアス・モラ。正確には彼がソルスセイムにばら撒いた黒の書を排除しない限り、この邪神はいずれ必ず、再びソルスセイムにその魔の手を伸ばす。

 ならば、健人が本来闘うべきはミラークではなく、ハルメアス・モラという事だ。

 

「それから、お前の持っているストルンさんの魂、返してもらうぞ」

 

 健人のもう一つの目的は、スコールの秘密と共にハルメアス・モラに囚われた、ストルンの魂を解放すること。

 その為には、やはりハルメアス・モラと相対する必要があった。

 不遜な要求とも取れる健人の言葉に、彼の姿を傍で見上げていたミラークは目を見開く。

 明らかに健人が、ハルメアス・モラと事を構えるつもりだったからだ。

 

「お前、ハルメアス・モラと戦う気なのか?」

 

「……ああ、そうだ」

 

 ミラークが信じられないという声を漏らす一方、健人はこれ以上ないほどはっきりとハルメアス・モラへの宣戦布告を口にした。

 

「……本気か? 相手はハルメアス・モラだ。この世界で逆らえる者のいない、デイドラ十六柱の一柱だぞ?」

 

 神々が身近なこの世界において、人々は神が持つその強大な力を、嫌が応にもその魂に刻まれている。

 

「俺の生まれた世界じゃ神様だって死ぬ。神殺しの英雄の伝説なんて、ありきたり過ぎるくらいある」

 

 無茶苦茶で論理の通らない理屈だが、デイドラの強大さが理解できないわけではない。

 むしろ、ミラークと同じ領域まで力を高めたからこそ、デイドラの強大さは嫌が応にも理解できてしまう。

 

「確かに、お前を殺せば服従のシャウトの影響は消えるだろう。一時的にソルスセイムは平和になる。だが、それでは俺は俺のケジメをつけられない。フリアとの約束も本当の意味で果たせない」

 

 デイドラロードとは、文字通り次元違いの存在だ。

 アリとゾウなどという生易しい差ではない。そもそもの存在規模が違いすぎる。

 彼らは文字通り、このニルンの中で一つの概念を司る存在。

 言うなれば、この世界そのものなのだ。

 

「俺は必ず、フリア達との約束を果たす。その為に、ここに来たんだ!」

 

 ただ、相手の力の多寡は、今の健人の想いを止める理由にならない。

 己の内なる魂が叫ぶままに、健人は己を鼓舞するように、黒檀のブレイズソードを振るう。

 流麗な刃が、まるで健人の言葉を体現するように、内に抱いた雪の光でアポクリファを満たす毒々しい光を跳ね返していた。

 

「フ……なぜ、今この場にあのスコールの魂があると思う?」

 

「単純だ。秘密を知りたくて堪らないお前が、手に入れたばかりの知識を簡単に倉庫の奥底にしまうものか。自分が眺めるために、そしてまた俺に言うことを聞かせるために持っていると考えるのが自然だ」

 

「確かに……私は今ここに、あのスコールの魂を持っている」

 

 健人の言葉を肯定する言葉をハルメアス・モラが呟くと、虚空から毒々しい触手に絡め捕られた小さな光の塊が出現した。

 間違いなく、この白日夢の領域に来る前に、ハルメアス・モラが奪い取ったストルンの魂だった。

 

「だが、言うことを聞かぬ猟犬には、躾が必要だな……」

 

 ハルメアス・モラはこれ見よがしにストルンの魂を健人に見せつけると、強大な魔力を生み出し、転移魔法を発動させた。

 健人の周囲で風船が破裂したような音が三回響き、続けて巨大な人影が出現する。

 

「ルーカーの守護者が三体……か」

 

 ハルメアス・モラの声に応じるように、転移魔法で飛ばされてきたのは、三体のルーカーの守護者だった。

 異形の巨人はこの世界の神であるハルメアス・モラの意思に従うように、健人を囲むと、一斉に襲い掛かる。

 

「しっ!」

 

 だが、襲い掛かったルーカーの守護者は一瞬で解体された。

 円を描く様に走った銀閃が硬質な鱗ごと三体分の胴体を両断し、続いて返された無数の太刀がルーカーの巨体を粉微塵の肉片に変える。

 

「ミラーク、お前はどうする?」

 

 ヒュン! と刃についた緑色の血を払い、ストルンの魂を人質にするように掲げるハルメアス・モラを睨み返しながら、健人は後ろで項垂れるミラークに問いかける。

 

「…………」

 

「名前なら、自分でつければいい。誰も止めないし、止める権利もない」

 

 名前とは、自らを定義づける言葉であり、己の在り方、生き方の指針ともなる言葉だ。

 ミラークの本来の名前は、もう時の彼方に消え去っている。

 今更それを探す事など不可能だろう。

 だが、もしも“忠誠”と名付けられた己の名が忌まわしいのなら、己が望む名を新しく自分でつければいいと健人は語った。

 

「お前の魂は、今何を求めている?」

 

「私は……」

 

「茶番はそこまでだ……」

 

 迷うミラークの前で、健人を取り囲むように複数の漆黒の淀みが生まれ、覗き見るような単眼が出現する。

 おそらくは、ハルメアス・モラの分け身か、端末だろう。

 単眼が健人を睨み付けると、巨大な炎塊が形成され、一斉に健人めがけて撃ち出された。

 健人が迫る炎塊を迎撃しようと構えた瞬間、彼の脇から紫電が走り、撃ち出された炎塊と単眼を次々と撃ち抜いていく。

 

「チェインライトニングか、相変わらず凄い精度……」

 

「私もヤキが回ったな。こんな絶望的な戦いに身を投じるとは……」

 

 正確無比な破壊魔法に健人が感嘆の声を漏らす。

 彼の後ろでは、先ほど破壊魔法を行使したミラークが、呆れ交じりの言葉を吐きながら立ち上がっている。

 その声には、どこか吹っ切れたような清々しさがあった。

 立ち上がったミラークは自然と健人の隣に並び、同じように自分たちを睥睨するハルメアス・モラを睨み上げる。

 

「忠実だった老犬すら牙を剥くか。ならば、その首を折るしかあるまい」

 

「どんな忠犬も、完全に見捨てられたと分かれば牙を向くものだ。もっともお前に対する忠誠は初めから微塵もなかったがな」

 

 看守にして主だったハルメアス・モラに明確な宣戦布告を叩きつけながら、ミラークは己が認めたドラゴンボーンの隣に立つ。

 二人が戦う理由は同じ。

 運命を切り開け。

 縛られた因果の鎖を断ち切れ。

 己の内なる魂が震えるままに、二人のドラゴンボーンは共に、知識の邪神に相対した。

 




というわけでミラーク戦は終了です……ミラーク戦は。
次回はハルメアス・モラ戦。これが最終戦となるでしょう。
オンラインでもデイドラロードと戦っていたから、別にいいよねと自分に言い訳していますが、不安です……。

ついでに、本作品のタイトルになっているスゥームの登場。以下、説明。

”ハウリングソウル”

motaad,sil
”震える””魂”で構築されるシャウト。
異種の存在同士を共鳴させるスゥームであり、効果は共鳴させる対象によって変化する。
今回は健人が自分の魂とドラゴンソウル、アカトシュの祝福を共鳴させた結果、ドラゴンアスペクトの効果を劇的に引き上げることになった。
健人が自身の胸の内で響いてきた”魂”の”震え”を形にしようとした結果生まれた、彼自身のオリジナルスゥーム。
しかし、まだ二節であり、不完全な状態である。


最近チートのタグが必要な気がしてきた……。
今回のアンケートはオリジナルシャウトについて。また、もしよければ感想等もお願いいたします。


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第十七話 偽りの頂点を超えて

お待たせしました。ハルメアス・モラ戦、前編です。
誤字報告をしてくださる方々、改めて、この場をお借りしてお礼申し上げます!



「仕置きだ、わが勇者よ……」

 

 共に並び、知識の邪神に宣戦布告をした健人とミラークだが、ハルメアス・モラが戦いの始まりを宣誓した瞬間、空中に再び無数の単眼が出現した。

 同時に、健人とミラークの前に汚濁に満ちた水たまりが複数出現する。

 汚水の塊が次々に盛り上がったかと思うと、ドシン! と腹に響く音とともに、多数のルーカーとシーカーが姿を現した。

 

「グオオオオオオオオオ!」

 

 ハルメアス・モラに召喚されたルーカーが耳障りな咆哮を上げながら前線を構築し、シーカーの軍勢と無数の単眼がマジ力を高め始める。

 明らかに自分で手を下すつもりのないハルメアス・モラの行動に、ミラークが憤りをにじませた言葉を漏らす。

 

「自分の手ではなく、手下の配下共に嬲らせながら殺すつもりか。相変わらず陰湿な奴だ!」

 

「ウルド!」

 

 デイドラの群れを前にして、健人は即座に旋風の疾走を唱えて前衛となっているルーカーの軍勢に吶喊し、手にした双刀を振るう。

 最も近いルーカーの首を一太刀で斬り飛ばし、崩れ落ちる体に足をかけて跳躍する。

 後続のルーカー達が健人を捕らえようと手を伸ばすが、健人は空中で体を捻りながら回転させ、伸ばされた後続のルーカー達の手を微塵切りにする。

 さらに着地と同時に体を沈め、地面ぎりぎりを這うように駆け抜けながら、ルーカーの足や胴体を斬り裂いていく。

 ルーカー達が地を這うように駆ける健人を潰そうと腕を振るうが、ドラゴンアスペクトとハウリングソウルによって激増した身体能力を十全に使いこなす健人を捉えられるはずもなく、逆に近くの仲間を振るった爪で裂くなどの同士討ちが頻発。

 同士討ちが発生したことでルーカー達の動きが鈍り、さらに健人の攻勢が加速する。

 

「はああ!」

 

「ゴアアアア……」

 

 一閃が煌めく度にルーカーの断末魔の悲鳴が響く。

 一体でも帝国軍正規兵の隊列を一方的に蹂躙できるはずの化け物の群れは、異端のドラゴンボーンが振るう刃によって、まるで雑草が刈られるように、瞬く間に駆逐されていった。

 

「むっ!?」

 

 だが、敵も健人の猛攻を黙ってみているわけではない。

 後方に待機している無数の単眼とシーカー達が多数の魔法を構築していた。

 各々が炎、氷、雷の魔法を展開し、ルーカーを駆逐し続ける健人に向けて一斉に射出し始めた。

 まるでロケット花火のつるべ撃ちのように、色とりどりの魔法群が健人に向かって飛翔していく。

 

「さっさと下がれドラゴンボーン。でないと黒焦げになるぞ」

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

 自分の背後から聞こえてくるミラークの声と同時に、健人は旋風の疾走で後方に退避する。

 次の瞬間、一筋の強烈な雷の閃光が健人の背後から放たれ、向かってくる多数の魔法もろとも単眼とシーカーの群れを薙ぎ払い、一瞬で消滅させる。

 さらに放たれた雷の閃光は、無数の魔法群と敵軍を薙ぎ払ってなお減衰することなく直進し、遠くにあった尖塔を切り裂いて倒壊させる。

 むせ返るようなイオン臭に包まれ、轟音を響かせて倒壊していく塔を眺めながら、健人は呆れにも似た声を漏らした。

 

「ライトニングテンペストか。それにしたってなんて威力だ……」

 

「言った筈だぞ。私の魔法はヴァーロックにも劣らぬとな」

 

 ライトニングテンペスト。

 クロサルハーとの戦いでネロスも使っていた達人魔法だが、ミラークのライトニングテンペストは、かの自称大魔法使いと比較しても比べ物にならない程すさまじい威力だ。

 地球の構造物に例えるなら、地上数十階建てのビルを魔法一発で倒壊させたことになる。

 相も変わらずヴァーロックという名の人物を引き合いに出すミラークに、健人は感嘆と呆れの混ざった複雑な表情を浮かべる。

 

「ヴァーロックっていうのが誰なのか俺には分からないけど、頼りになるよ」

 

 健人との戦いで己の武器を失ったミラークだが、その魔法行使能力は健在である。

 彼は元ドラゴンプリースト。戦士のように戦うこともできるが、強力な魔法とシャウトで相手を殲滅することが、彼の本分である。

 

「ふん、お前もな。あのルーカー共に怖気づくことなく吶喊し、一方的になます斬りにしていくとはな」

 

 一方、ミラークもまた健人の戦闘術の技量に素直に感心していた。

 今、健人を包み込んでいるドラゴンアスペクトは、彼の“ハウリングソウル”によって著しい強化が施されている。

 だが同時に、その高い身体能力に振り回される可能性もあった。

 いつも乗用車に乗っていた人間が、いきなりF1クラスのレーシングカーに乗ってしまったようなものだ。

 当然ながら、普通はその速度差に翻弄され、驚異的な能力も持て余す結果になる。

 踏み込む速度が違えば、刃を振るうタイミングも違う。

 手にかかる感触も、体幹の制御も、歩法による重心の移動も何もかもが変わってくるはずだ。

 にも拘らず、ミラークからから見ても今の健人は、激増した身体能力に振り回されることなく、むしろ十全に使いこなしている。

 

(おそらく、剣の術理を教えた師も、並大抵の剣士ではあるまい。それ以上に驚愕すべきは、やはりこのドラゴンボーンか……)

 

 完全にドラゴンボーンとして覚醒した健人を横目で覗き見ながら、ミラークは言い知れぬ昂ぶりを覚えていた。

 

「追加が来たか」

 

 その時 ハルメアス・モラが再び転移魔法を行使したのか、再び汚水の破裂音と共に、ルーカーとシーカーの群れ出現した。

 転送された十数体のルーカーとシーカー達は健人とミラークを円で囲むように配置されており、全方向から一斉に襲い掛かってくる。

 

「ウルド!」

 

 突進してくるルーカーを前に、即座に健人が動く。

 まず正面のルーカーを単音節の旋風の疾走で駆け抜け様に両断し、背後のシーカーを一閃。

 すぐさま振り向き、側面と背後のルーカーがミラークに襲い掛かる前に、再び旋風の疾走を唱えて、左翼の敵軍の進路上に割り込むと“激しき力”のシャウトを唱えた。

 

「スゥ、ガハ、デューーーン!」

 

 双刀に纏わりついた風の刃が、疾風の剣速を嵐へと変える。

 刃圏に入ってきたルーカーは一瞬で解体されて血風に変えられ、放たれた魔法も斬り裂かれ、叩き落とされる。

 前衛を務めていたルーカーを瞬殺した健人は、旋風の疾走に匹敵する加速力を単純な肉体能力だけで実現し、瞬く間にシーカーの軍勢に飛び込んで知識に魅入られたデイドラを一刀の下斬り捨てる。

 かつて人だったであろう哀れな異形の群れは、僅か数太刀で耳障りな悲鳴だけを残して霧散させられた。

 

「ふむ、こちらも負けてられんか」

 

 一方、ミラークは右手にチェインライトニングを構築して、背後にいるシーカー群に射出。

 同時に左手で構築した術式を、迫りくるルーカー達の足元に放り投げる。

 

「ガギイイイィイ!」

 

「ゴゥウウゥウ……」

 

 正確無比なチェインライトニングが次々とシーカー達を貫き、討ち取っていく。

 そして、直進してきたルーカー群が、ミラークが足元に仕込んだ術式を踏み抜いた瞬間、閃光と共に強烈な爆発が発生した。

 

 炎の罠

 

 侵入してきた敵対者に反応して爆発を引き起こす罠魔法。

 魔法式の地雷と呼ぶに相応しい魔法の炸裂がルーカー達の足と胴体を吹き飛ばす。

 さらにミラークは、再び両手に術式を纏わせ、右側面の敵に向き合いながら、両手を腰だめにして重ねるように構えた。

 両手に重ねた術式が紫電を放ち、融合しながらその眩いばかりの光を放ち始める。

 

「ゴオオオオ!」

 

「遅い、除け」

 

 腰に構えた光が極大に達した瞬間、ミラークは構えていた両手を突き出し、待機させていた魔法を解放した。

 次の瞬間、極太の閃光が迫りくるルーカーの群れを貫き、背後で魔法を放とうとしていたシーカー達に着弾。

 衝撃で複数の襤褸を纏ったデイドラ達を焼き尽くしながら塔の外へと弾き飛ばす。

 ミラークが放った魔法は、熟練者クラスのサンダーボルトだが、その威力は明らかに健人と戦っていた時よりも強力であった。

 “二連の唱え”と“二連の衝撃”

 両手に展開した同一魔法を融合し、その威力と衝撃力を倍以上に高める技術。

 健人に得物を破壊されて追い詰められたミラークではあるが、その健人という極めて強力な前衛に支えられて魔法戦に集中できるようになった今、むしろこれからが本領発揮とばかりに、轟雷を撃ちまくっていた。

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

「ヨル、トゥ、シューーール!」

 

 健人が激増された身体能力と旋風の疾走で縦横無尽に駆けてルーカー達を蹂躙し、ミラークが数千年分の鬱憤を晴らすようにファイアブレスと破壊魔法を連射してシーカー群を塵芥のごとく焼き尽くす。

 先ほどまで死闘を演じていた二人のドラゴンボーンは、まるで数多の戦場を共に駆け抜けた戦友のような連携を見せ、ハルメアス・モラの配下達を狩りつくしていく。

 

(不思議な感覚だ……)

 

 共に戦う健人を横目で覗き見ながら、ミラークはふと自分の胸の奥で昂る高揚感に戸惑いを感じていた。

 それは、今まで彼が経験したことのない感覚。

 隣に立って共に戦う者がいる事実がもたらす高揚感に困惑しながらも、生まれて初めて感じる安堵と同族意識に、不思議と口元が緩む。

 周囲のルーカーの軍勢をひとしきり潰し終えた健人が、小休止とばかりミラークの後ろに戻る。

 互いに背中合わせで油断なく構えながら、ミラークはふと背中を預けている健人に声を掛けた。

 

「おい、異世界人。ふと疑問に思ったのだが、あれだけのルーカーを前に迷うことなく吶喊するあたり、異世界の人間はノルドと同じく血の気が多いのか?」

 

「いや、違う。むしろ俺の民族は向こうの世界では戦争しないことで有名で……あれ? 俺が異世界出身ってなんで分かったんだ?」

 

 ミラークは“戦争をしないことで有名な民族”という健人の言葉に、思わず仮面の下で目を見開いた。

 彼から見た健人の戦いは、戦争と無縁な人間が成せる戦闘ではないし、まして彼がミラークとの戦いで見せた成長は、戦意のない人間ができる飛躍ではなかったからだ。

 一方、どうして自分の出自を知られたのか疑問を覚えた健人が問い返すが、ミラークは何を今更と言うように、大きく息を吐く。

 ミラークから見れば、健人の異質さは一目瞭然であり、彼の魂がこのタムリエルはおろかニルンの出自ではない事はとっくに察している。

 

「お前の異質な魂は明らかにタムリエル由来のものではないからな。先の戦いであれだけシャウトを交わし、それだけ隆起している魂を見せられれば簡単に分かることだ」

 

 そもそも、ドラゴンの戦いは、真言と魂を巡る闘争だ。

 真言という魂の力が鍵となる力を使う以上、戦いの中で健人がミラークの魂やその感情を感じたように、ミラークもまた健人の魂と感情を、嘘偽りのない本心を曝け出すレベルで感じ、理解している。

 ミラークからすれば、健人の魂の異質さは、理解して当然の話。

 この辺りの双方の意識の齟齬は、力はともかく真言使いとしては若葉マークの健人と、数千年間シャウトを研鑽してきたミラークとの感覚の違いが如実に出た結果だった。

 

「……で、どうなんだ?」

 

「しつこいな。戦争しないことで有名っていうのは本当だよ」

 

「信じられんな。いくら私でも突進してくる巨人の群れを前にして、相手の気勢を削がないまま突撃はせん」

 

 ミラークなら、突撃してくる異形の巨人集団を前に、正面から飛び込むような真似はしない。

 接近戦をするにしても、シャウトか破壊魔法で機先を制した上で踏み込むだろう。

 一方、健人はそんな事を一切せず、真正面から突撃して一方的に蹂躙していった。

 出来ると分かっていても、実際に実行できるかどうかは別であり、傍から見ても尋常でない胆力を求められる行動を即座に取る健人を見たミラークが、健人と彼の種族、ひいては地球人そのものに妙な先入観を抱くのも無理はなかった。

 

「というわけで、このまま前線はお前に任せるぞ。血の気の多い異世界人」

 

「だから違う! 訂正させろ!」

 

 健人が必死に抗議の声を上げる。

 ハウリングソウルの影響で精神が昂っているためか、はたまたノルド並みに血の気が多いといわれたことが相当不服なのか、普段よりも言動が荒い。

 しかし、日頃は穏やかでも、一度スイッチが入ると別人のように変わるのが日本人である。

 また長い日本史を見ても、平和だったのは江戸時代と第二次世界大戦後の数十年間だけで、かなりの年月を内戦などに明け暮れている。

 特に元々金の産出国であり、銃火器などの保有量も莫大であった戦国時代頃の日本の経済力や軍事力は世界的に見ても頭一つ分以上突き抜けていたし、第二次世界大戦の時は文字通り周辺各国ほぼすべて敵に回して戦い抜いているため、ミラークの評価は決して間違っていなかったりする。

 とはいえ、タムリエルにおける脳筋民族代表であるノルドと同等の扱いをされた健人としては堪ったものではない。

 だが彼の必死な不服申し立てを遮るように、増援のデイドラ勢が転送されてくる。

 転送されてきたデイドラ勢は三度、主命を果たそうと健人とミラークに向かって突進してきた。

 

「ほら来たぞ」

 

「ええい、邪魔だ!」

 

 三度現れたデイドラの群れに、もはや反射の領域で反応した健人が斬りかかり、瞬く間に殲滅していく。

 ミラークもまた炎と雷を両手に宿し、強烈な破壊魔法でデイドラの群れを駆逐しながらも、異形の巨人の群れの中で縦横無尽に駆ける健人に、もう何度目になるか分からないため息を漏らしていた。

 

「やはり戦闘民族ではないか。アルドゥインといい、こいつといい、アカトシュはやはり人を選ぶのが苦手と見える……」

 

「その龍神に最初に選ばれたのはお前だろうが!」

 

 喧々諤々と言い争いをしながらも、瞬く間にハルメアス・モラが送り込んできた第三群目を駆逐していく健人とミラーク。

 健人がルーカーの群れで構築された前衛を崩し、空いた隙間を縫うように放たれたミラークの破壊魔法が後衛のシーカー達を貫いて消滅させる。

 二人の連携はまるでワルツを踊っているように噛み合い、相乗しながらその殲滅力を高めていく。

 

「ミラーク、魔力は大丈夫なのか!?」

 

「問題ない。私はこのように……」

 

 健人が破壊魔法を唱え続けるミラークの魔力枯渇を案じたその時、後衛のシーカーが放った衝撃魔法がミラークに襲い掛かった。

 ミラークは心配ないというように手を突き出し、障壁魔法を展開すると、後衛のシーカーが放った魔法を受け止めて四散させる。

 さらにその時、ミラークの障壁に激突して四散した衝撃魔法の魔力が、ミラークの体に吸収された。

 

「相手の魔法の魔力を吸収できるからな!」

 

「マジか……」

 

 吸収シールド。

 回復魔法の技術の一つであり、障壁で防いだ相手の魔力を吸収して、己の魔力に還元することができる。

 健人が驚く中、シーカーの破壊魔法の魔力を吸収したミラークは、お釣りを返すぞ! と言うように、反撃のエクスプロージョンでシーカー達を吹き飛ばす。

 

「そういうお前はどうなんだ、息が上がってきているぞ!」

 

 驚きの表情を浮かべる健人を煽るようなセリフを吐いたミラークだが、直後にズドン! という轟音と共に、ルーカーの守護者が彼の背後に転送されてきた。

 

「むっ!?」

 

 おそらくはハルメアス・モラが不意打ちのつもりで送り込んだのだろう。

 健人とミラークの意識が最初に転送されたデイドラ群に向いている間に、背中を刺すつもりだったのだ。

 ルーカーの守護者が、反応の遅れたミラークを叩き潰さんと腕を振り上げる。

 健人に己の得物であった魔剣を真っ二つに斬られたミラークには、咄嗟の接近戦となった時、相手の攻撃を防ぐ手段がない状態だ。

 

「ふっ!」

 

 だが、ルーカーの守護者の爪が振り下ろされるよりも早く、健人がミラークとルーカー守護者の間に割って入り、振り下ろされた腕を斬り飛ばす。

 

「そういうお前は魔法に意識を割き過ぎだ! 転移魔法で背後を取られているぞ!」

 

 返す刀でルーカーの守護者の首を撥ねながら、健人がお返しとばかりに口元に笑みを浮かべる。

 

「お前がいるなら何も問題あるまい」

 

「う……」

 

 反撃のつもりが、思った以上に素直な返事をミラークから返され、健人は何も言えなくなり、思わず視線を明後日の方向に逸らしてしまう。

 健人が言いようのない気恥ずかしさを覚えている中、ミラークは右手にマジ力を集中させ、意識下で用意していた術式を行使した。

 

「それから、ついでだ」

 

「回復魔法?」

 

 ミラークが唱えたのは、熟練者クラスの“大治癒”の回復魔法。

 自分を含めた周囲の味方の傷をほぼ全快させる極めて高位の魔法だが、健人が驚いたのは、治癒効果だけではなかった。

 ミラークと戦っていた時の傷は元より、体に残っていた筈の疲労までもが、一瞬で快癒したのだ。

 本来傷を治癒するだけの回復魔法で疲労などのスタミナも回復させるのは、高位術者の証である。

 また、先ほどミラークが使った吸収シールドは、さらに高位の回復魔法技術であったはずだ。

 

「お前のシャウトでより強力になったドラゴンアスペクトだが、反動も相応のはずだ。違うか?」

 

「……まあ、な」

 

 実際のところ、今の健人の体に圧し掛かっていたスタミナの消耗は、非常に大きかった。

 どうやら、ドラゴンアスペクトとハウリングソウルの効果で身体能力が激増している反面、スタミナの消費も激しくなっているらしい。

 

「一体お前は、どれだけの種類の魔法技術を習得しているんだよ、まったく……」

 

 健人が改めてミラークの持つ魔法技術の高さに感嘆していた時、彼の目が、毒々しい色の雲の奥から自分達のいる塔に向かってくる無数の影を映した。

 ドラゴンボーンとして異常に強化された健人の視力が、向かってくる影の正体を捉える。

 

「おい、なんか飛んでこの塔に向かってくるシーカー達がいるぞ!」

 

 それは、遠くの空から健人たちがいる塔へと向かって飛んでくるシーカーの群れだった。

 まるで紙の上に飛ばした墨のように現れたシーカーの群れは瞬く間にその数を増やしていく。

 

「シーカーだけではないな。ルーカーの群れも毒の海を泳いできている」

 

 ミラークの言葉に健人が海面にも目を向けると、ルーカーのものと思われる無数のヒレが、毒の海を櫛の歯で切るように向かってくる光景が飛び込んできた。

 それはさながら、クリーチャー系ディザスター映画を彷彿とさせる。

 当然ながら、健人達のいる塔に向かってくる敵の数は、転移魔法で送られてきていた数とは比較にならない。

 先ほどは一度に戦った敵の数は精々十数体だったが、今度は明らかに百を超える大軍団である。

 

「ハルメアス・モラの奴、一々転送していたら俺達に各個撃破されると踏んで、この塔を囲んで数で圧倒するつもりだな!」

 

「おそらく、招集したのはこの塔の周辺のデイドラだけではないな。白日夢全域の配下を集めているはずだ。いずれ、これ以上の大軍が押し寄せてくるぞ」

 

 ミラークの言葉を肯定するように、塔を囲むデイドラの軍勢は少しずつその数を増やしているように見えた。

 気が付けば、上空高くに再び出現したハルメアス・モラの単眼の群れが、再び健人とミラークを睥睨している。

 

「ふむ、まだ叛意は折れていないようだが。さて、いつまで持つかな? わが勇者よ……」

 

「だから、お前に勇者扱いされる理由はない! いいさ、邪魔をするなら全て倒すだけだ!」

 

 未だにペットを躾けるように語りかけてくるハルメアス・モラに、健人が声を荒げる。

 その戦意には如何程の陰りもなく、瞳は唯々前だけを見据えている。

 

「おい、異界のドラゴンボーン」

 

「なんだ?」

 

「お前の……名前は?」

 

 唐突に向けられたミラークからの質問に、思わず健人は隣にいるミラークに目を向けた。

 己の名と運命を取り戻すために足搔き続けたミラークにとって、名前は何よりも重要なものだ。

 健人もまたその事をシャウトを介した戦いという対話の中で感じ取っている。

 仮面の奥から向けられる視線が、まっすぐに健人を見据えていた。

 ミラークが己の人生でただ一人認めた好敵手。

 唯一対等と呼べる者と共に戦うことで生まれた、ミラーク本人も上手く表現できない高揚感。

 それが、彼に隣で戦う戦友の名前を求めていた。

 

「……健人だ」

 

「そうか。なら、ケントよ。続きと行こうか」

 

「ああ!」

 

 健人が己の意を高ぶらせるように双刀を一振りし、ミラークがその身に宿る絶大な魔力を滾らせる。

 向かってくるは百を超えるデイドラの軍勢。

 戦いは、無数のデイドラ勢と、たった二人による攻城戦へと移行した。

 




というわけで、ハルメアス・モラ前編でした。
お仕置き気分の邪神さん、配下を向かわせて高みの見物。
前回のアンケートありがとうございます。
オリジナルシャウト、思った以上の方々に受け入れてもらえているようで、少しホッとしています。
ただ、ハルメアス・モラ戦に関してはまた長くなりそうな予感が……。
今回もアンケートを入れておきます。もしよろしければ、ご回答ください。よろしくお願いいたします。


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第十八話 真の頂を目指して

お待たせしました。ハルメアス・モラ戦中盤です。
今回は文章上の都合で少し短いです。


 健人達がいる塔を囲むように進軍してくる、数百に及ぶデイドラ勢。

 蜂の群れを思わせるシーカーの軍勢が塔の頂上にいる二人めがけて殺到し、塔の下では基部に辿り着いたルーカー達が次々と塔の壁を這い上がり始めている。

 

「ファス、ロゥ、ダーーー!」

 

 健人は頂上の縁から眼下を覗いて這い上がってくるシーカーの群れを確かめると、“揺ぎ無き力”のシャウトを上ってくるルーカー勢に叩きつける。

 強烈な衝撃波に飲まれたルーカー達が塔の外壁から弾き飛ばされ、下から登ってくる後続を巻き込みながら落下していく。

 地面に叩きつけられたルーカーは汚らしい臓物をまき散らしながら絶命していくが、 ルーカーの軍勢は叩き落される仲間の事は一切顧みずに、死した仲間達の屍を踏み越えながら、まるで砂糖に群がる蟻のように押し寄せ、塔の頂上を目指して登り続ける。

 ミラークもまた飛んでくるシーカー勢を長射程のライトニングテンペストで薙ぎ払うが、シーカー達はかなり間隔を広く取って向かってくる為、上手く減らす事ができていなかった。

 

「ヨル……トゥ。シューーール!」

 

 健人がミラークの討ち漏らしたシーカー達を迎撃しようとファイアブレスを放つ。

 真言として吐き出された炎の渦は一直線にシーカー群に突入し、十数体を纏めて火だるまに変えるが、やはり広域に散らばっているシーカー達を一掃することはできない。

 

「グオオオオオオオオ!」

 

 さらに、いつの間にか塔の反対側から登ってきたルーカーが頂上に到達し、健人とミラークに襲い掛かってきた。

 健人は強化された身体能力で塔を上ってきたルーカーに吶喊して瞬殺した上で、後続のルーカーを“揺ぎ無き力”で纏めて塔の頂上から叩き落す。

 とりあえず上ってきたルーカー達を排除した健人が、再び塔の縁から眼下を見下ろすと、塔を包み込むように上ってくるルーカーの軍勢は、既に大半が塔の中ほどまで登り切っていた。

 

「ミラーク、シーカー達は頼む。俺は下のルーカーをどうにかする」

 

「どうにかすると言うが、どうやってこの頂上から……って、おい!」

 

 言うが早いか、健人は迷うことなく塔の縁から跳躍し、空中に身を躍らせた。

 重力に引かれた健人の体が落下し、視界に塔を這い上がってくる数百のルーカーの群れが迫ってくる。

 

「ファス、ロゥ、ダーーーー!」

 

 落下しながら“揺ぎ無き力”のシャウトを放つ。

 塔の外壁に沿って直進していく衝撃波がよじ登ってくるルーカー達を纏めて引き剥がし、叩き落していく。

 

「落ちろ!」

 

「グギャウ!」

 

 健人は“揺ぎ無き力”の余波を受けながらも、片手で何とか外壁にしがみ付いていたルーカーに目をつけて着地し、蹴落としながら体の軸をずらして、外壁に沿うように再跳躍。

 外壁にへばりついているルーカーの群れの背中に容赦なく双刀を振るい、その命を刈り取っていく。

 しかし、飛ぶための翼をもっていない健人は、空中で方向転換ができない。

直線に跳躍するだけでは、健人の体はすぐに空中に放り出されることになってしまう。

 

「ウルド!」

 

 だが健人は、空中で“旋風の疾走”を一節だけ唱え、無理やり方向転換。

再びよじ登っていくルーカーの群れに再突入し、両手に携えた刃を振るい、塔の頂上を 目指すルーカーを斬り裂いて眼下に叩き落していく。

 ついでに大きくて重いルーカーの体を器用に足場にしつつ、三度跳躍する。

 まるでピーラーでニンジンの皮を剥くように、ルーカー達を叩き落していく健人。

 “ハウリングソウル”と“ドラゴンアスペクト”によって激増した身体能力とシャウト行使能力は、翼を持たない健人が、足場のない断崖絶壁で空中戦を行えるほどの能力を授けていた。

 

「数だけは多いな、まるでナミラの眷属のようだ」

 

 一方、ミラークは塔の頂上でシーカー達を迎撃していた。

 ミラークのライトニングテンペストの被害を受けず、自分達の魔法の射程距離に到達したシーカー勢が、次から次へと衝撃魔法をミラークに撃ち出し始める。

 

「無駄だ」

 

 だが、シーカー達が放った魔法はミラークの障壁魔法に阻まれて四散。

 逆に吸収シールドの技能でシーカー群が放った魔法の魔力をミラークは逆に吸収し、反撃の破壊魔法で敵軍を消し飛ばす。

 しかし、いくらミラークがシーカー達を落としても次から次へと現れるシーカー達は、確実にその数を増やしていた。

 

「手が足りんな。なら、相応の力を使うまでだ」

 

 言うが早いか、ミラークがシャウトを唱える。

 使う力は、最も広域殲滅に特化したスゥーム。

 この状況において、圧倒的な数の差を覆す可能性を持つシャウト。

 

「ストレイン、ヴァハ、クォ!」

 

 ミラークがストームコールのシャウトを唱えた瞬間、健人達のいる塔を中心とした超巨大な積乱雲が発生する。

 渦を巻く雲の層が強烈な雷を発生させ、毒々しい雲に覆われたアポクリファの空を瞬く間にスカイリムの嵐で塗りつぶしていく。

 蓄えられた無数の紫電が、眼下のデイドラ勢めがけて撃ち落され、範囲内のシーカー達を焼き尽くしていく。

 

「ち、ストームコールでも止めきれんか!」

 

 だが、ハルメアス・モラが招集した配下のデイドラ勢は、既にミラークのストームコールでも殲滅しきれないほど膨大な数に及んでいた。

 数百だったデイドラの数はいつの間にか数千を超え、万に届こうかというほどに増えていた。

 自分達の損害も顧みずに直進してくるデイドラ達の姿は、ある種の不気味さを掻き立てる。

 ミラークが持つ最大級の殲滅特化シャウトでも止められないシーカーの軍勢。

 それを前にミラークが焦燥の声を漏らした時、ミラークとは別の声で紡がれたストームコールがアポクリファに響いた。

 

「ストレイン、ヴァハ、クォ!!」

 

 天候操作という強大なシャウトを唱えたのは当然、ミラークに匹敵するドラゴンボーンとして成長した健人である。

 ミラークのストームコールを二度も聞いた彼は、既にその言葉の意味を、己の内で隆起している竜の魂から引き出していた。

 塔の外壁でルーカー達を叩き落していた健人は、まだルーカー達が進出していない塔の上部付近の外壁まで一時退避し、スタルリムの短刀を外壁に突き刺して体を固定。

 その上で、ミラークのストームコールに重ねるように、己のストームコールを唱えていたのだ。

 重なった二つのストームコールは、驟雨のごとき雷雨をさらに激しいものへと変える。

 超広域に間隙なく撃ち落とされる雷雨は、まるで分厚い壁のように塔の全周を覆い、一撃で百匹のシーカー達を纏めて消し炭に変え、万に届こうかという軍勢を押し止める。

 塔を中心に発動したストームコールの余波は、塔を登ろうとしていたルーカーの軍勢にも波及し、雷撃に撃たれた不幸な巨人が後続の仲間たちを巻き込みながら落下していく。

 ハルメアス・モラが召喚した万の軍勢は、たった二人が守る塔すら落とすことができずに、無残に討ち取られていた。

 だが、ルーカーとシーカーの軍勢は、このムンダスにおいて絶対者として君臨する邪神、ハルメアス・モラに魅入られ、絶対の忠誠を誓った者達。

 己の命など微塵も顧みることなく、最後の攻勢に出た。

 

「あれは……」

 

 塔の外壁に佇んでいた健人が、雷雨の奥にその存在を見た。

 巨大な雲を思わせる程に密集したシーカーの軍勢。

 バッタの蝗害を連想させるデイドラ群はさらに一点に集合し、巨大な蛇のようにのた打ち回り始めた。

 それはさながら、襤褸を纏った巨大な蛇。

のた打つシーカーの巨蛇は毒の海にその頭を突っ込み、泳いでいたルーカー達すらも飲み込みながら、健人達のいる塔めがけて向かってくる。

 

「っ!? 戻れケント! あれは拙い!」

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

 向かってくるデイドラの集合体を前に、健人が即座に旋風の疾走で塔の頂上へ戻る。

 頂上から見れば、向かってくるデイドラ集合体の異質さが、改めてよく分かった。

 健人とミラークのストームコールが既に何百何千とデイドラ集合体を撃っているが、痛痒を感じた様子がない。

 目を凝らして見ると、集合体を包む襤褸の隙間から、巨蛇の表面に取り込まれたルーカー達が鱗のようにへばり付いているのが見えた。

 雷の直撃で鱗となっているルーカー達が剥がれ落ちるが、即座に集合体の中に取り込まれている残りのルーカー達が穴を塞ぐ。

 無数に寄り集まって、まるで巨大な蛇のごとく一つの生物と化したデイドラの集合体は、今度こそ主神の命を果たさんと健人達に向かって突撃してくる。

 

「くそ! こっちに突っ込んでくるぞ!」

 

「私がやる!」

 

 ミラークが詠唱を開始する。

 持ちうる全ての魔力を両手に展開した術式に叩き込み、向かってくる巨蛇を迎撃せんと咆える。

 立ち上る魔力が渦を巻きながら収束し、ミラークの全身が強烈な紫電を纏い始めた。

 

「貫け!」

 

 ライトニングテンペスト。

 達人魔法の中で最高位の極雷が、迫りくるデイドラ集合体に直撃する。

 今、シーカー達はストームコールの被害を最小限にするために、極度の密集状態になった上でルーカー達を取り込んでいる状態だ。

 貫通力に優れるライトニングテンペストなら、上手くいけばここでデイドラの軍勢を一掃できるかに思われた。

 

「っ!?」

 

 だが、そうはならなかった。

 仮面の下のミラークの表情が、驚愕に染まる。

 正面から激突する形になったライトニングテンペストとデイドラ集合体。

 だが、ミラークの極雷はデイドラ集合体を貫くことはできず、四方に散りながら集合体の外皮を舐めるのみだった。

 よく見れば、集合体の前面にルーカー達が連なり、まるで盾のようにライトニングテンペストを受け止めている。

 ミラークの極雷は数十階建ての塔すら倒壊させるほどの威力があり、ルーカーの盾は瞬く間にその数を減らしていくが、表層のルーカー達が息絶える前に、集合体内部で新たに作られた盾が次々と前面に迫り出してきていた。

 

「ぐううう……!」

 

 このままでは先にミラークの魔力が尽きる。

 そう判断した健人は、即座に駆け出していた。

 

「ケント!?」

 

 前に飛び出した健人の姿に、ミラークが驚きの声を上げる。

 健人のシャウトでも、ミラークのライトニングテンペストに匹敵するだけの火力を瞬間的に出すことはできるだろう。

 だが、ミラークのように持続的な照射はできない。

 そのようなシャウトを、健人はまだ学んでいないのだ。

 だが、問題はない。

 既に健人は、必要となる力の言葉を知っている。

 それは、今この瞬間にも、彼の深奥で猛り続けるスゥーム。

 あらゆるものを震わせるそのシャウトなら、あの堅牢で醜悪ながらも一つの生物のように振る舞う集合体の統率を揺るがせることができるはず。

 

「モタード……ゼィル゛!」

 

 ハウリングソウル。

 今この瞬間も己の内側で響かせているその声を、外界へと向かって叫ぶ。

 文字通り魂すらも震わせる強烈な真言は、声という形で発せられた瞬間、強烈な振動波となって集合体を飲み込む。

 多少集合体の動きを鈍らせ、堅牢な盾に綻びを作れればいいと思っていた健人だが、次の瞬間、たった二節のハウリングソウルは予想以上の効果を発揮した。

 集合体の盾となっていたルーカー達の装甲が全て弾け、柔らかい肉質がまるで電子レンジにかけた卵のように破裂する。

 しかも、健人のハウリングソウルの影響は前面に展開していたルーカーだけでなく、集合体全体に波及していた。

 巨蛇の表面や盾となっているルーカー達だけでなく、予備として巨蛇の体内に納められていたルーカー達や集合体を構築していたシーカー達が次々に爆散し始める。

 さすがにその巨体全てを爆散させることは出来なかったが、健人のハウリングソウルによってルーカーの盾はすでに役立たず同然なものとなり果てた。

 そして、その巨体をミラークのライトニングテンペストが貫く。

 健人のシャウトで機能不全に陥っていた巨蛇は、今度こそ命脈を絶たれ、爆発四散。

 残ったデイドラ達もストームコールの雷撃によって、死に絶えていった。

 やがて、全てのデイドラ達の動きが消えると共に、ストームコールの効果時間が切れ、全天を覆っていた雷雨が晴れていった。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

「ぜぇ、ぜぇ……」

 

 健人とミラークの荒い呼吸が、静寂を取り戻した塔の頂上に流れて消えていく。

 押し寄せってきていた万を超えるルーカーとシーカーの軍勢は、すべて倒されていた。

 気が付けば、シャウトと魔法の余波で塔は半壊状態。

 外壁のあちこちに穴が開き、頂上の一部は崩れ落ちている。

 塔の基部周辺には無数のルーカーの死体が折り重なり、毒の海にはシーカー達が纏っていた襤褸が数えきれないほど漂っている。

 

「まさか、この領域にいた我が配下の全てを倒しきるとはな……」

 

 空に漂う多数の単眼が、健人とミラークに驚きに満ちた視線を向けている。

 その声色にも、純粋な驚嘆に満ちていた。

 

「見事、という他ないな。だが、ここまで暴れられて、放置することはできん」

 

 だが、その声色もすぐに平坦で、抑揚のないものへと変わる。

 今までは興味と好奇に身を委ねていたハルメアス・モラが、白日夢内の配下全てを殺されたことで、ついに重い腰を上げたのだ。

 次の瞬間、アポクリファの空を覆う雲海を斬り裂くように、巨大な単眼が空から降りてきた。

 巨大な単眼の周囲には泡のように浮かんでは消える無数の小さな目があり、その瞳は瞬く間にアポクリファの空全域を覆いつくす。

 

「ふ、ついに本体のお出ましか……」

 

 今まで健人達の周囲に浮かんでいた単眼とは比較にならない大きさの巨大な瞳を見上げて、ミラークが呟く。

 次の瞬間、本体の巨眼にある∞を思わせる瞳孔が怪しい光を放ち始めた。

 すると、ハルメアス・モラの前面の空間に、幾重にも重なるような曲線で形作られた光の球体が現れ、さらに空中に巨大な魔法陣が描かれる。

 球形に折り重なる魔法陣は純白の光を放ち、唯々優美で静謐な光を放っている。

 一方、球形の魔法陣を抱き、全天を覆う魔法陣はどこまでも毒々しい光を帯び、陣の彼方此方には濁った汚泥を泳ぐ蛭のように、無数の意味不明な文字が羅列されている。

 

「なんだ? あの巨大な魔法陣は……」

 

 見たこともない巨大な二つの魔法陣。

 空中に展開されたそれは、オブリビオンというニルンとは異なる世界での出来事である事を鑑みても、明らかに異質だった。

 ミラークの魔法も強大だったが、ハルメアス・モラが展開した魔法陣は、明らかに人の領域を超えた規模の魔法を使う事を想定された陣だった。

 

「っ! 来るぞ! ケント、こっちに来て障壁の影に……なっ!?」

 

 ミラークが上空に向けて障壁を展開しながら、健人に退避するようにせっつく。

 しかし次の瞬間、なぜかミラークが展開した障壁が霧のように掻き消えた。

 

「ぐっ、これは……」

 

 続いて、強烈な倦怠感が健人とミラークの体に襲い掛かる。

 何事かと上空に目を向けてみれば、ハルメアス・モラが展開した魔法陣に向かって四方八方から魔力の源である精霊光が集まっている。

 

「まさか、ハルメアス・モラが周辺一帯全ての魔力を……」

 

「“消し飛べ”」

 

 ハルメアス・モラが宣言した瞬間、その言葉を形とするように強烈な衝撃波が上空から襲い掛かり、ミラークの塔を一撃で粉砕した。

 

 

 




というわけで、ハルメアス・モラ戦中盤でした。
ハルメアス・モラの戦闘シーンは本編中では存在しないのでほぼ全てオリジナルをぶち込んでいます!

次のお話はほぼ書き終わっていますので、そうそう時間もかからず投稿できると思います。



ハウリングソウルについて

ハウリングソウルは共鳴させる対象によって効果が異なり、前回は健人は己の内に向けてシャウトを放って自身の能力を激増させたが、今回のお話では外界に向けて放つことで、強烈な振動波を発生させている。


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第十九話 ハウリングソウル

ハルメアス・モラ戦後編です。


「ぐっ、が……」

 

 崩れ落ちたミラークの塔の瓦礫の中から、健人が這い出して来る。

 上空から放たれた衝撃波と塔の残骸にもみくちゃにされながら落下した健人だが、体に纏ったドラゴンアスペクトの光鱗がその被害を最小限に収めてくれた。

 しかし、当然ながら、全くの無傷というわけではない。

 落下した衝撃と体のあちこちを瓦礫にぶつけた影響で、全身が油の切れたブリキ人形のようにギシギシと軋んでいた。

 体全体に、まるで鉛の塊を背負ったような倦怠感が覆っており、体を起こすことさえも一苦労する様子だった。

 

「ミラーク、無事か!?」

 

 健人は何とか体を起こし、隣で戦っていた戦友を探そうと周囲を見渡すが、周りには瓦礫が散乱しているだけで、ミラークの姿はない。

 

「う、うう……」

 

 だがその時、積みあがった瓦礫の一角から、ミラークの呻き声が聞こえてきた。

 健人が慌てて瓦礫を退かし始める。

 ドラゴンアスペクトの効果はまだ続いている。本来なら重機を使わなければ動かせないような瓦礫も、今の健人なら動かすことができた。

 崩れた建材の隙間から、ミラークが被っている特徴的な仮面が見えてくる。

 

「いた! 大丈夫……か」

 

 大急ぎでミラークの体に圧し掛かっている瓦礫を退かす健人だが、目に飛び込んできた光景に思わず言葉を失った。

 

「ガハッ! ここに来て、このザマとはな……」

 

 鋭利な瓦礫が、ミラークの腹を貫いている。しかも複数。

 ミラークの体の下には流れ出した血が広がり、大きな血溜を作っていく。

 幸いまだ息はあったが、明らかに致命傷と思える傷だった。

 

「喋るな! 今、回復魔法を……発動、しない?」

 

 健人が重傷を負ったミラークに向かって手をかざし、回復魔法を唱えようとするが、魔法が発動する様子は微塵も無かった。

 健人の表情が驚愕と焦燥に染まる。

 だがミラークは何故健人の魔法が発動しなかったのか、既に理解している様子だった。

 

「無駄だ。ハルメアス・モラが私やお前を含め、この白日夢の領域全ての魔力を吸い上げてしまった。もう魔法は使えん……」

 

「そんな……っ!?」

 

 この世界の魔法とは、エセリウスから降り注ぐ魔力を肉体が貯め込み、それを消費して発動する。

 術者本人の魔力が尽きても、しばらくすれば体が徐々に周囲の魔力を取り込んで回復していくが、そもそも取り込むべき魔力が周囲になければ、回復しようがない。

 健人は空を見上げ、全天を覆う巨大な魔法陣に目を向ける。

 ミラークの言う通り、自分達だけでなく、白日夢全体の魔力が喪失したというのなら、原因はあの魔法陣しかありえなかった。

 

「あの魔法陣は一体……」

 

「あれ程、の、魔法陣。おそらく、魔術神の知識……の一端……ガハッ!」

 

「マズい、回復魔法は使えなくても、今はとにかく止血を……」

 

 ハルメアス・モラが展開した魔法陣についてミラークが言を吐こうとするが、口から出たのは生々しい鮮血だった。

 健人が慌ててミラークの腹を抑えて止血しようとするが、そんな行動をハルメアス・モラが許すはずもなかった。

 

「ミラークにかまけている暇はないぞ、我が勇者……」

 

 突如として空中に出現した穴から、鋭い触手が飛び出して健人を襲う。

 健人は咄嗟に手に持っていた黒檀のブレイズソードで触手を切り払うが、空中に空いた穴は瞬く間に数十に及び、穴から飛び出してきた無数の触手が健人に襲い掛かってきていた。

 

「くそ、ティード、クロ゛、ウル゛! スゥ、ガハ、デューーーン!」

 

 健人は時間減速と激しき力のシャウトを唱えて己の肉体時間と剣速を加速させ、迫りくる無数の触手群を斬り払う。

 たとえ魔力がない空間だろうと、魂の力を直接具現するシャウトであるならば行使できる。

 ハルメアス・モラが叩き付けてくる触手の群れは、まるで剣の結界を思わせる双刀の乱舞よって阻まれるが、彼の表情に浮かぶ焦りの色は徐々に濃くなっていっていた。

 一見、健人はハルメアス・モラの攻勢を防ぎ切れているように見えるが、触手の数は徐々に増えてきている。

 健人の脳裏にさらに数を増した触手に押し切られる光景が浮かぶが、それでも彼はかまわず、触手による多重攻撃を迎撃し続ける。

 だが、必死の抵抗を続ける健人を嘲笑うように、ハルメアスモラはおもむろに己の本体の触手を、健人めがけて振り下ろした。

 

「受け止め切れるか? 避ければ後ろのミラークが死ぬぞ」

 

「ぐっ……おおおおおおおお!」

 

 家ほどの太さを持つ巨大な触手が、健人に襲い掛かる。

 健人は双刀を掲げて叩きつけられた触手を正面から受け止めた。

 強烈な負荷が健人の全身に襲い掛かり、掲げた黒檀のブレイズソードが、ミシリと軋む。

 あまりの圧力に健人は思わず膝を崩してしまうが、それでも咆哮を響かせながら全身の筋肉に鞭を打ち、ハルメアス・モラ本体の触手を弾き返す。

 

「ふむ、さすがは我が勇者、存外に粘る。だが、無駄だ“吹き飛べ”」

 

「なっ!? がっ!?」

 

 だが、ハルメアス・モラがたった一言“吹き飛べ”と呟いただけで、健人の足元から強烈な衝撃波が吹き上げ、彼の体を空中に吹き飛ばした。

 突然打ち上げられた衝撃に苦悶の声を漏らしながらも、健人は空中で体勢を立て直して着地し、反撃とばかりに“揺ぎ無き力”のシャウトを唱える。

 

「ぐっ……ファス、ロゥ、ダーーー!」

 

 放たれた不可視の衝撃波が、健人の周囲を取り囲む触手群を弾き飛ばしながら、一直線にハルメアス・モラ本体向かって疾走する。

 

「“かき消えよ”」

 

 しかし、健人が放った“揺ぎ無き力”も、ハルメアス・モラが再び一言呟いただけで霧散した。

 揺ぎ無き力程度のシャウトでは、通用しないと察した健人は、己の中で最大規模のシャウトの一つを唱える。

 

「ちぃ、ストレイン、ヴァハ、クォ!」

 

 唱えたのはストームコール。

 健人の叫びに呼応した空がスカイリムの嵐を再び具現し、無数の雷が上空で漂うハルメアス・モラ本体に向かって牙を向く。

 

「“散れ”」

 

 だが三度ハルメアス・モラが呟くと、全天を覆う魔法陣が怪しい光を放ち、次の瞬間、ストームコールによって作られた大嵐を、向かってくる雷もろとも霧散させた。

 

「嘘だろ……」

 

「魔術神マグナスの知識の一端、お前達のシャウトとは違い、魂の力ではなく精霊力で世界を直に操る理だ。

 この英知を、我が術式でアポクリファ全域に適用させた以上、人間ごときの力の言葉など通用しない……」

 

 己の持つ最大規模のシャウトを難なく四散させられ、健人の口から唖然とした声が漏れる。

 ハルメアス・モラが持ち出した魔法陣は、かつてニルンを創造する上で、魔術神マグナスが持ち出した術の一欠片だった。

 

“マグナスの紙片”

 

 創造された世界の法則を、魔術神マグナス自身が調整するための術式であり、全天を覆う魔法陣は、マグナスの術式をアポクリファ中に適用させるために、ハルメアス・モラが構築したものである。

 

「アカトシュの妨害があるタムリエルならとかく、このアポクリファは我が領域。

 故に、アポクリファに存在するものはこの魔法陣で全て私の自由となる。“眷属よ、甦れ”」

 

 ハルメアス・モラがつぶやくだけで、健人とミラークが全力を賭けて屠ってきた万を超えるルーカーとシーカー達の死体が息を吹き返す。

 粉砕され、焼き尽くされ、原形を失い、塵ほども残らず消滅させられた者達でさえ、まるで逆再生の動画を見ているかのように甦っていった。

 

「終わり……だな」

 

 再び健人とミラークを囲んだデイドラの軍勢。

 そして、上空から得意気な瞳で睥睨してくるハルメアス・モラを前に、ミラークが諦めの言葉を漏らした。

 完全に消耗しきった健人と、重傷を負い、魔法を封じられて回復不可能となったミラーク。

 対するハルメアス・モラは、人が扱える領域を遥かに超えた万能かつ強大な力を見せつけながら、瞬く間に失った己の眷属を復活させた。

 状況はもはや絶望的だった。

 

「まだ、だ。まだ、終わってない……」

 

 ストームコールと、ドラゴンアスペクト、そしてハウリングソウルの消耗で息も絶え絶えになってきた健人が“それでも”と刀を構え、戦意を見せる。

 だが、既にその肉体は限界が近いのか、掲げた刃の切っ先は不自然に揺れていた。

 

「いや、終わりだ。異界のドラゴンボーンよ。ミラークを助けずにその魂を食らっていれば、このような事にはならなかっただろうがな」

 

 喜悦を含んだ声を漏らしながら、ハルメアス・モラは健人の健気な抵抗の意思をあざ笑う。

 ハルメアス・モラとしては、健人がミラークに勝った時点で、彼をミラークの後継者として、自分に仕えさせるつもりだった。

 その為に服従のシャウトの契約を迫り、ドラゴンアスペクトの言葉を授け、スコールの呪術師を殺して、後に退けなくさせた。

 後は彼にミラークの力を吸収させて従属心を植え付けるだけだったのだが、予想以上に健人の反骨心が強くなりすぎたために、敵だったはずのミラークを助けるという行動まで起こしてしまった。

 

「今からでも遅くはないぞ? ミラークを殺し、その魂と力を吸収して我に仕えよ。忠義に励めば、それに相応しい報酬も約束しよう……」

 

 だからこそ、ハルメアス・モラはここで再び健人を己に仕えさせようと、契約を持ちかける。

 ミラークを殺してその力と魂を奪い、後継者として己に仕えろと。

 

「……お断りだ」

 

 だが、ハルメアス・モラの提案を、健人は即座に拒絶した。

 彼の意思は、とっくに決まっていた。

 例え力で押さえつけようが、蠱惑的な誘惑で唆そうが、彼は既に、命を賭して己のすべき事を定めてしまっていたのだ。

 

「言ったはずだ。俺は、俺自身のケジメを付けるためにここに来た。たとえ四肢を砕かれても、絶対にお前の思い通りになんてなってやらない!」

 

“ソルスセイムを、ハルメアス・モラから解放しろ!”

 

 それが、今の健人が魂を震わせる原動力。

 故に、ハルメアス・モラに対する答えは否。

 たとえ絶望的な力の差を突き付けられようと、健人は胸の奥で震え続ける魂のままに、己の答えを高々と咆える。

 

「ならば、スコールの呪術師のように、お前をアポクリファに閉じ込めた上で殺し、その魂を抜き出すとしよう。

 まずはその邪魔な人格を壊し、異界の知識も一滴残らず絞り出す。

 その上で、残りカスもアポクリファの深奥に納めて眺める事としよう」

 

 改めて健人の答えを耳にして、ハルメアス・モラはついに彼を殺すことを決める。

 再び襲い掛かる無数の触手群。

 さらに復活したシーカーとルーカーが健人を取り囲み、一斉に襲い掛かってきた。

 全方向から叩き付けられる無数の触手と爪、そして魔法。

 ハルメアス・モラから魔力を供給されているのか、精霊力が完全に枯渇したアポクリファ内でも、シーカー達は問題なく魔法を展開していた。

 

「おおおおおおおおお!」

 

 健人は咆哮を上げながら、触手を切り裂き、振り下ろされる爪を腕ごと両断し、叩き付けられる魔法を消し飛ばすが、ハルメアス・モラだけでなく復活したデイドラ勢まで攻勢に加わったこの状況では、儚い抵抗に過ぎなかった。

 無数の触手の内の一本が健人の体を捕らえ、強かに打ち据えながら吹き飛ばす。

 周囲のルーカーとシーカーを巻き込みながら倒れた彼にさらに複数のルーカーが覆いかぶさる。

 

「“潰れろ”」

 

「どけ! ウルド!」

 

 ハルメアス・モラが押さえ込んだルーカー達ごと、健人を潰そうとしてくる。

 邪神の声をそのまま体現するように空間が歪み、不可視の力が健人を押し潰そうとしてくるが、彼は圧し掛かっていたルーカー達を力づくで押しのけ、旋風の疾走で離脱。

 周囲を取り囲むデイドラ達を一顧だにせず、即座にハルメアス・モラに反撃しようと、空中へと跳躍する。

 宙に浮く無数のシーカー達が衝撃魔法を放ってくるが、健人は鮮やかに身を翻し、逆に宙に浮くシーカー達を足場にしながらハルメアス・モラ本体めがけて跳躍を繰り返す。

 

「“重力の枷よ”」

 

 シーカー達を足場にしながら向かってくる健人を前に、ハルメアス・モラはアポクリファに存在する重力を操り、健人を地面に叩き落とす。

 ハルメアス・モラの重力干渉に巻き込まれた眷属が百体ほど纏めて地面に落ちるが、邪神は眷属が巻き込まれるのも構わず、無数の触手を叩きつける。

 健人もまた迫りくる触手を払おうと、懸命にブレイズソードを振るい続ける。

 だが、刀がハルメアス・モラ本体の触手と幾度か激突した後、突然刀身がバリン! と甲高い音を立てて砕けてしまった。

 

「なっ!?」

 

 ミラークとデイドラの軍勢、そしてハルメアス・モラとの闘いの中で、ついに刀が限界を迎えたのだ。

 愛刀が粉砕された為に、健人の戦闘意識に一瞬空白が紛れ込む。

 そして、その隙をハルメアス・モラが逃すはずもなく、無数の触手が健人を貫かんと切っ先を向けて迫ってきた。

 

「しま……」

 

 思わず隙を晒してしまった健人が、何とか迫りくる触手を躱そうとするが、既にハルメアス・モラの攻撃は回避不能な距離にまで迫っていた。

 だが、ハルメアス・モラの触手が健人を貫くより先に、強烈な“声”がアポクリファに響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ケント……ぐっ!?」

 

 ミラークもまた健人の抵抗し続ける姿を見て、必死に魔力をかき集めて彼を何とか助けようともがく。

だが、ミラークの魔力はすでに完全に枯渇しており、さらに腹を貫いた瓦礫は崩れた他の瓦礫にガッチリと挟み込まれているためか、少し身を揺らすだけで、その場から動く事すらできない有様だった。

 

「もう、爪の先ほどの炎も出せぬか……」

 

「ミラーク……」

 

 その時、ミラークの耳元で不快な囁き声が響いてきた。

 ミラークが失血で朦朧とする視界を横に向けると、気味の悪い単眼が瀕死の彼を覗き見ていた。

 

「ハルメアス……モラ」

 

 突如として言葉を掛けてきたハルメアス・モラにミラークは悪寒を覚える。

 そして、そんな彼の悪寒が的中したのか、ハルメアス・モラは信じられない言葉を彼に掛けてきた。

 

「私との契約は既に絶たれたが、また新たな契約を結んでも良いぞ? もちろん、タムリエルに帰還することも許そう……」

 

「なん、だと……」

 

 死を前にして突如として降って湧いた話に、ミラークは思わず自分の耳を疑った。

 デイドラロードが、裏切った配下を生かしておくはずはない。

 まして、自由を与えるなどあり得ない話だ。

 

「条件はただ一つ。あの異界のドラゴンボーンを殺せ。奴の魂を我に捧げよ。さすれば、お前は自由だ……」

 

 ハルメアス・モラがミラークを自由にする代償として提示してきたのは、ミラークを庇うように戦っている健人だった。

 健人を殺せ。さすればお前は自由だと、ハルメアス・モラは蠱惑的な誘惑をミラークの耳元で囁く。

 

「なるほど……そういう事か。結局、私は誰かを裏切る運命だと、そう言いたいのか……」

 

 裏切りを重ねた自分の人生を思い出しながら、ミラークは自嘲するように天を仰ぐ。

 

「ふざけるなよ……」

 

 だが、次の瞬間に彼の胸中に湧き上がってきた感情は、こんな下らない契約を持ちかけてきたハルメアス・モラに対する怒りだった。

 自らが自由になる為だったら、あらゆるものを踏みつぶして行くと決めていたはずのミラーク自身が驚くほどの激情が、致命傷を負って力を失っていくだけの体の奥底から溢れ出していた。

 

「そうか、ならば、お前の魂も同じように潰してしてやろう。

 どの道、もうお前には抵抗する力は残されていない。その場で異界のドラゴンボーンが死ぬ様を眺めながら、己の人生の無意味さを嘆いているがいい……」

 

 元々ハルメアス・モラ自身も期待していなかったのだろう。

 ミラークの拒絶を聞いても特に執着する様子もなく、スゥ……と送り込んだ端末をかき消していく。

 ハルメアス・モラとの再契約を拒絶したミラークは再び体を動かそうともがくが、今度は指一つ動かなかった。

 腹部の致命傷から大量の血を失った彼の体は、既に身動き一つできないほど衰弱しきってしまっていた。

 体が衰弱したことで痛覚すら機能を失ったのか、腹部に走っていた激痛もいつの間にか消えていた。

 視界も明滅を繰り返しながら、徐々に薄れてきている。

 

「ここまで、か……」

 

 ミラークは己の死が避けられないと分かり、自嘲にも似た声を漏らす。

 だが、彼は思った以上に、自分の胸の内は晴れやかであることに気がついて、口元に笑みを浮かべた。

 自分の死を前にして、ミラーク自身は後悔とか禍根の念に囚われると思っていたが、胸に浮かぶのは、自分を長年閉じ込めたハルメアス・モラの誘惑を蹴り飛ばしてやった爽快感と、不思議な安堵。

 ミラークは改めて、目の前でハルメアス・モラに抗い続ける健人に目を向ける。

 絶望的な状況に陥ろうが、彼の魂は陰る事無く輝き続け、その震えをさらに増し続けている。

 そんな健人の後姿を眺めながら、ミラークは初めて自分の人生を受け入れることが出来たような気がしていた。

 初めて、自分と対等に言葉を交わした異世界人。

 ひたすらに奪われたものを取り返そうとし、背負わされた運命から逃れようとした人生を思い返しながら、遠く、本来なら到底見えることのないはずの出会いに、ミラークは初めてアカトシュに胸の奥で感謝を捧げた。

 

”名前なら、自分でつければいい……“

 

 ミラークの脳裏に健人の言葉が蘇る。気が付けば、ミラークは自然と彼のスゥームを口にしていた。

 

「モタード……ゼィル゛」

 

 擦れる様な声で発した力の言葉が、ミラークの残っていた命に火を灯し、死に瀕した肉体に最後の息吹を蘇らせる。

 そしてミラークは、最後の言葉を綴り始めた。

 

「“ズゥー、メイ、ディヴ。サーロ ゙、ディヴォン、フォラ ゙ース、クロン。ガーロト、カー、ゼィン。ニヴァーリン、ムズ”」(我は墜ちた翼なきドラゴン、己の弱さ故に力に溺れ、魂を穢し、数多の罪を背負った罪人)

 

 それは、友へと捧げる祝詞。

 弱さ故に力を求め、道を見失い、罪を重ねた自分と共に戦ってくれた者に向ける感謝の言葉。

 

「“セィザーン、クロン。オンド、ディル、セィヴ、コプラーン”」(我が力は既に尽き、もはや死して屍を晒すのみ)

 

 避けようのない死を前にしながらも、ミラークはまだ己に出来る事があると気付いていた。

 今にも消えそうになる意識を必死に繋ぎ止めながら、ミラークは数千年間の人生の中で、最初にして最後の祈りを紡ぎ続ける。

 

「“ヌズ、ズゥー、ゼィル゛、ロ ゙ス、ヘト。ディヴォン、ニス、セィヴ、ソブンガルデ。フェン、ドラール、クリル ゙、ザーン、ラード、ティード……”」(されど、わが魂は未だここにあり、既にソブンガルデに行く事は許されざる身であるものの、今わの際に最後の声を響かせん……)

 

 これが、ミラークが紡ぐことができる最後のスゥーム。

 彼の目の前で、ハルメアス・モラの攻撃を捌こうとした健人のブレイズソードの刀身が砕け散った。

 思わず隙を晒してしまった健人に、ハルメアス・モラの追撃が迫る。

 

「“ナール ゙、スレイク、ド、カーン。ナール ゙、スレイク、ド、ショール。アールク、ナール ゙、スレイク、ド、クルゼィクセウス!”」(カイネの名の下に、ショールの名の下に、そして古き神々の名の下に!)

 

 最後の力を振り絞り、声を張り上げる。

 ミラークの叫びを耳にした健人が振り返り、彼を貫こうとしていたハルメアス・モラの触手の動きが止まる。

 今わの際の言葉を紡ぐミラークの姿を見た健人の瞳は、驚愕で見開かれていた。

 

「“フェン、ドレ、コス、ファードン、セィル゛! アール ゙、フィック、ミル、アーク。オファン、ユヴォン。エヴェナー、ヴロ ゙ム。クロン、ファードン、ホコロン。モタード、ム、スゥーム、ラヴィン!”」(今ここに、我は友の半身とならん! 我が名、ミラークの名に相応しく、全てを捧げ、闇夜を照らし、我が友の障害悉くを塵芥に帰し、共に世界を震わせん!)

 後は頼むぞ、わが主……ジー、ロス、ディデュ!」

 

 そしてミラークは、己自身に魂を捧げるシャウトを掛けた。

 魂簒奪。

 服従のシャウトで無理矢理従えた眷属竜に、その魂を捧げさせたシャウト。

 ミラークはかつて魂を奪うために使ったシャウトを、今度は己の魂を捧げるために使う。

 術者であるミラークの肉体が燃え上がり、祝詞に従い、彼の魂が主と定めたドラゴンボーンに注がれていく。

 己の魂が燃え上がる虹色の炎の中で、ミラークは己の最初にして最後の主に、微笑みかける。

 世界の全てを憎み、否定し続けた一人の男。

 “忠誠”という運命に翻弄された彼は最後に、自らの名と主を定め、魂と意思を託せる友のために、己の全てを捧げきった。

 

 

 

 

 

 

 

「ミラーク!」

 

 全身に注ぎ込まれるミラークの魂と燃え盛る彼の体を前に、健人は思わず戦友の名を叫んでいた。

 ハルメアス・モラもまたミラークの予想外の行動に驚いていたのか、健人を貫こうとしていた触手も動きを止めていた。

 

「退け! ウルド!」

 

 健人は動きの鈍った触手の群れを左手のスタルリムの短刀で弾き飛ばし、旋風の疾走を唱えてミラークに駆け寄る。

 健人はミラークの体に手を伸ばして、彼の体を起こそうとするが、健人の手はまるで霧を掴むように、ミラークの体をすり抜けてしまう。

ミラークの体は既に燃え尽き、残された僅かな魂だけが幻影という形で現世にとどまっているだけだった。

 

「ミラーク、お前、何をやって……」

 

「…………」

 

 覚束ない健人の問いかけに、ミラークは仮面の下で満足そうに笑みを浮かべていた。

 やがて、うっすらと残っていた彼の姿はまるで幻のように消え去り、燃え尽きた肉体と、彼が身に着けていた仮面だけが残されていた。

 

「まさか、ミラークが自分からお前に魂を捧げるとはな。一時の情に絆されるあたり、存外安い男だったようだ……」

 

「っ!?」

 

 ミラークの死を前に呆然としていた健人の耳に、ハルメアス・モラの嘲りの声が響く。

 知識の邪神は長年己に仕えていた眷属の死を悼むこともなく、唯々己の欲求のままに、健人と彼に連なる全てを蹂躙しようとしていた。

 

「さて、それでは、お前をこのアポクリファに幽閉するとしよう。ミラークと同じように悠久の時の中で、その精神と肉体、そして魂も完全に我のものとなるのだ」

 

 全天を覆うハルメアス・モラの魔法陣が、これまで以上に怪しい光を放ちながら、脈動するように明滅を繰り返す。

 ハルメアス・モラはこの白日夢の領域全てを、健人を幽閉するための檻とするつもりなのだ。

 オブリビオンからニルンへ干渉することは難しいが、オブリビオンそのものを閉じることはさほど難しくない。

 さらにハルメアス・モラは、持ち出した“マグナスの紙片”までも利用し、白日夢の領域自体に“ケント・サカガミを閉じ込めるための牢屋”としての機能も付加させ、時間や空間だけでなく、次元そのものまでもが凍り付いた領域へと変えようとしている。

 それは、かつてミラークを幽閉した時とは比較にならないほど強固な牢となるだろう。

 

「……あ、あああ」

 

 明滅を繰り返していた全天術式が一際強い光を放ち、次の瞬間、アポクリファの空はまるで凍り付いたように灰色に染まる。

 続いて、健人を取り囲んでいたルーカーとシーカーの軍勢も、毒の海も、まるで時を止めたように固まった。

 ハルメアス・モラが健人を閉じ込める為に展開した全天術式が発動し、その効果を発揮したのだ。

 全てが氷のように凍てついた世界で動けるのは、アポクリファの主であるハルメアス・モラと、この世界では完全な異物である健人のみ。

 マグナスの紙片とハルメアス・モラの全天術式は、あくまで彼に帰属する世界や魂に影響を及ぼすもの。

 アポクリファでは完全な異物である健人に直接干渉することは出来ないが、小さな人間が干渉出来る領域はとうに超えた封印が、白日夢の領域には施されていた。

 

「あああああああああああああああああああああ!」

 

「悲嘆の叫びか。絶望に落ちた人間の叫びは、また甘美なものだ……」

 

 健人の絶叫が、次元の閉じた白日夢の領域に響く。

 既にハルメアス・モラが定めた世界法則は白日夢の領域に適用され、健人は完全に脱出することが不可能となっている。

 いくら異物である彼が“マグナスの紙片”の影響を受けないとはいっても、この白日夢の領域は完全に凍り付いてしまっていた。

 後は、このドラゴンボーンの肉体を滅し、魂を手に入れるのみ。

 そしてそれは、今のハルメアス・モラにとっては造作もない事だった。

 いくらミラークの魂を手に入れたと言えど、“マグナスの紙片”を操るハルメアス・モラへの攻撃は全て無意味なものへと変えられてしまう。

 異世界の知識を持つ、力あるドラゴンボーンの魂を手に入れたことに、ハルメアス・モラは歓喜の声を上げていた。

 

「……むっ?」

 

 だがその時、アポクリファの主人たるハルメアス・モラが、奇妙な違和感を察知した。

 異世界のドラゴンボーンを閉じ込めるために展開した全天術式。

 悠久の時を牢屋として機能させるための、動くはずのない術式の一部分が、僅かに震えていた。

 巨大な魔法陣のごく一部に発生した違和感は、徐々にその震えを増し、魔法陣全体に伝搬し始める。

 それに従い、時間も空間も凍り付いたはずのアポクリファに、ゴゴゴ……と地鳴りのような音が響き始める。

 

「なんだ、これは。アポクリファが、震えている? まさか、ありえない。マグナスの紙片を用いた我が領域内で、我の意図しない現象が起こるはずが……」

 

 動くはずのない世界が、動き始める。

 それは、ハルメアス・モラからすれば絶対にありえない現象だった。

 起こりえない事象を前に、初めてハルメアス・モラの余裕が崩れる。

 その動揺は今までハルメアス・モラが経験したことがないほどのものであり、知識と星読みの王にして運命の王子が、懇願にも似た声を漏らすほどだった。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 ハルメアス・モラの懇願を否定するように、健人の咆哮と共鳴するように震える全天術式。

 ミラークの死を目の当たりにし、そして彼の魂と願いを託された健人の魂は、凍り付いて停滞した世界そのものを砕くのではと思えるほどに猛り狂う。

 

「っ! ミラークの置き土産か、小賢しい! 世界よ!」

 

 予想外の事象を前に、ハルメアス・モラは慌てて“マグナスの紙片”に命じ、白日夢の領域をさらに強固に閉じようと、己の全魔力を捻りだして全天術式に叩き込む。

 だが、いくらハルメアス・モラが魔力を注ごうと、アポクリファ全域に伝搬していく震えは止まらない。

 健人とミラークの共鳴し合う強大な魂は、今までとは比較にならないほどの力を引き出し続ける。

 生み出される力はもはや健人の体に収まり切れなくなったのか、虹色の光の濁流となり、無秩序に荒れ狂う。

 その規模はハルメアス・モラにして、悪寒を覚えるほどのものだった。

 

「モタード、ゼィル゛……」

 

 健人の口が、真言を紡ぐ。

 ハウリングソウル。

 異種の存在同士を震わせるスゥームが、指向性のない無秩序な力に方向性を与えていく。

 だが、ハウリングソウルは未だ二節までしか構築されていないシャウト。

 最大の力を発揮するための三節目は、未だに紡がれたことはない。

 しかし、極限状態の健人の口は、自然と最後の言葉を発しようと動いていた。

 彼が願ったのは、己とミラークの魂の叫びを世界に響かせる事であり、ハウリングソウルの三節目を構築するための言葉は、既にかの戦友によって示されていた。

 そして、ハウリングソウルの最後の言葉が紡がれる。

 

「ラヴィン!」

 

 意味は“世界”。

 ミラークが最後に示した、震える己の魂を真の意味で外界に解き放つための最後の一節。

 次の瞬間、解放されたハウリングソウルは、不可視の振動波となり、ハルメアス・モラ本体に襲い掛かる。

 ハルメアス・モラが魔力を捻りだして“マグナスの紙片”と“全天術式”に健人と彼のシャウトを抑え込むように命じるが、共鳴のスゥームによって、彼の命じた“停滞”と“絶対”の意味を崩された術式は機能不全に陥り、逆に健人のシャウトによって端から自壊していく。

 

「な、なんだと!? 我が知識の粋を結集した陣が!?」

 

 ハルメアス・モラが驚嘆を露にしている中、健人のハウリングソウルがついにハルメアス・モラ本体を捉えた。

 不可視の振動波がハルメアス・モラの肉体を引き裂き、本体周囲に浮かぶ無数の目を粉砕していく。

 そして端から自壊していた全天術式が完全に崩れ、マグナスの紙片がまるで熟れた果実を潰したように破裂する。

 さらに健人のシャウトはハルメアス・モラ自身が全天術式に注いだ魔力すらも震わせ、超高位の術式が崩壊したことで無秩序に炸裂するマジ力は、共鳴のシャウトと共に邪神の肉体をさらに砕いていく。

 

「が、バカ、な……」

 

 それは、星読みの邪神ですら読めなかった結末。

 アポクリファ全体に響き渡った健人のシャウトは邪神が定めた檻を完全に破壊し、ハルメアス・モラの本体を、白日夢の領域ごと粉微塵に粉砕した。

 次の瞬間、無音の閃光が炸裂し、健人と砕かれたハルメアス・モラ、白日夢の領域を包み込む。

 そして健人の意識は、真っ暗な闇の奥へと消えていった。

 

 

 




やっとここまで書けました!
いや、長かった……
表題の“ハウリングソウル”も含め、これで健人のオリジナルスゥームが完成しました。
ついでに、ソルスセイム編もほぼ完結。後はエピローグで、第5章は終わりとなります。
以下、今話のオリジナル要素の説明


 マグナスの紙片

 ハルメアス・モラが展開した球形型積層魔法陣。本小説オリジナルの術式。
 元々は魔術神マグナスが構築した、膨大な精霊力により世界法則を調整するための術式。
 あくまでも調整を行うための術式であり、完全な無から有を作ることは到底出来ないが、後述の全天術式との併用により、行使者であるハルメアス・モラが所有している魂や、アポクリファ内部に限定すれば、死した眷属を瞬く間に蘇らせ、重力や空間等すらも世界規模で自在に操れる。
 空中に光る球状の魔法陣の内部に、曲線を伴った式が幾重にも重ねられており、その外観はとある大学クエストに出てくるアーティファクトに非常に酷似している。
 ハルメアス・モラが遥か昔に手に入れた最高位術式の一つであり、切り札。



 ハルメアス・モラの全天術式

 これもまた本小説オリジナル。
 アポクリファの空全てを覆い尽くすほどの術式。
 マグナスの紙片の効力をアポクリファ全てに拡大、適用させるための術式であり、同時にマグナスの紙片をハルメアス・モラが制御するための術式でもある。
 外観は黒の書やオグマ・インフィミウムに記載されている魔法陣に酷似しており、幾重もの円形の陣の中に、ハルメアス・モラ特有の、蛭がのたうつ様を思わせる無数の文字が羅列している。


 ハウリングソウル
 “Motaad、sil、Lein”

 共鳴させる対象によって効果の内容も変化し、また共鳴させる対象がどれだけ異質かで効果の規模が変化する健人のオリジナルスゥーム。
 ミラークの魂と祝詞により三節目の“世界”の言葉が加わったことで、完全となった。
 共鳴の効果がさらに増しており、もしもこのムンダスにおいて完全な異物である健人が魂を震わせ、全力で三節目まで唱えて発動させた場合、タムリエルの世界法則すら揺るがしかねない効果を発揮する。
 現に彼の“声”はマグナスとハルメアス・モラという絶対者が組んだ法則すらぶち壊し、半ば自爆に近い形とはいえ邪神の本体を砕き、アポクリファの一領域を塵に返した。
 ドラゴンレンドと違い、ドラゴン、人を問わず唱えることは出来るが、誰も健人程の効果を得ることは出来ないシャウト。



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第5章最終話 スカイリムへの帰還

 真っ暗な闇の奥で彷徨っていた健人の意識が、徐々にその輪郭を取り戻していく。

 共鳴したミラークの魂と共にハルメアス・モラの領域を本体ごと潰した健人は、そのままオブリビオンの虚空に投げ出されたはずだった。

 

“凄まじい事を成し遂げたな。デイドラロードを退けるなど、この長いタムリエルの歴史でも一体どれほど稀な事なのか……”

 

「ミラーク……」

 

 気が付けば、健人の目の前に呆れ混じりの苦笑を浮かべたミラークがいた。

 どこか幻のように霞んでいるミラークの姿に、健人は己もまた死を迎えたのかと思い、瞑目した。

 

「俺は、死んだのか?」

 

“いや、お前は生きている。アポクリファの領域が破壊されたことで虚空界に放り出されそうになっていたが、お前の仲間のウィザードが拾い上げたようだ”

 

「そうか……」

 

 どうやら、健人自身はまだ生きているらしい。

 しかも、オブリビオンの狭間に飛ばされそうになった健人を、ネロスが拾い上げてくれたそうだ。

 オブリビオンに落ちた彼をネロスがどうやって拾い上げたのか疑問が浮かぶが、詳細に説明されても理解できるか分からなかった。

 健人は改めて自分の周囲を見渡そうとしてみるが、どうにも視界が動かない。

 ミラークの周りの背景もボヤけており、良く見えない。

 まるで身動きできない夢の中にいるようだった。

 そんな健人の思考を肯定するように、ミラークが頷く。

 

“現に、ここはお前の深層意識の中だ。夢というのも間違いではない。

 それから、これは忠告だが、あのシャウトは早々使わない方がいい。デイドラロードを退ける程の力だ。反動も相応にある”

 

 これ以上ない程の真剣味を漂わせるミラークの言に、健人は息を飲む。

 健人が使ったハウリングソウルは、デイドラロードを領域ごと粉砕するという桁外れの力を発揮したシャウトだ。

 相応に反動があることは想像に難くない。

 シャウトの使い手として桁外れの力量を誇っていた歴史上の人物、ウルフハース王が、シャウトを過剰に使用した反動で死んだのは有名な話だ。

 

“現にこうして話をしているが、お前の体に残った負荷や、反動による傷は尋常ではない。外ではお前の仲間達が必死になって看病していたであろうし、我らが戦ってから相当な時間が経っているはずだ”

 

 ハウリングソウルを放った直後に気を失ったために、自身が負った反動については本当に実感のない健人だが、こうしてミラークから直接聞かされたことで、自分がいかに綱渡りな行動をしたのかを理解した。

 とはいえ、健人には後悔などの後ろめたい感情は全くない。

 あの時、自分はどんな状況になろうと、自分の答えも行動も変えなかっただろうという確信があったからだ。

 死んだのなら死んだで、しょうがないと笑って受け入れただろう。

 

“共鳴のシャウトによって増大していくその力は、人一人の体に納まるものではない。故に、増していく力に主の器が耐えられるようになるまで、我が魂の枷となる”

 

 その言葉に、健人は目を見開く。

 ミラークは健人がウルフハース王のような事態に陥らないために、アポクリファの一領域を砕くほど力を増した健人のリミッターになると言っているのだ。

 

“私の持っていた魔法やシャウトに関する知識も、お前に引き継がれるだろう。今は全て使いこなすことは出来ぬだろうが、これから先の大きな力となってくれるはずだ”

 

 ミラークが真言を用いて魂を捧げたためだろうか。

 彼の持っていた魔法技術やシャウトに関する知識も、通常通りにドラゴンソウルを吸収するよりも鮮明に、健人に刻み込まれるらしい。

 だが、健人にはミラークから引き継ぐ事になる知識よりも、彼自身がどうなってしまうかの方が気になった。

 

「枷……。お前は、どうなるんだ?」

 

“既に私は死んだ身だ。枷となった時点で、私の表層意識は消えるだろう。恐らく、話をする事ももうない”

 

「…………」

 

 ミラークは既に死んでいる。

 己の持つ全てを、真言によって健人に捧げたからだ。

 だが、消えると断言するミラークの声色は、これから消滅することが分かっている人間とは思えないほど穏やかで、達成感に満ちたものだった。

 その安堵に満ちた声色に、健人は喉元まで出かかった悲嘆の言葉を飲み込んだ。

 ここでその言葉を口にする事は、この最後の別れに相応しくないと感じたからだ。

 

“感謝する。我が主よ。私は最後に、己の名を受け入れ、人生の意味を見出すことが出来た”

 

「名前……」

 

“ああ。私の意識は消えるだろう。だが、たとえ魂だけだとしても、友であり主であるお前の傍にあると決めたならば“ミラーク”こそが我が名に相応しい”

 

 自らの名を誇るように口にするミラークの声色には、これ以上無いほどの清々しさに満ちていた。

 自らの名を自らで見出したミラークの声に、健人の喉元で押し止められていた悲嘆の言葉は、スッと潮が引くように消えていく。

 

「俺もだ。ミラークが居なかったら、俺は間違いなく、ハルメアス・モラに囚われていた。本当に、ありがとう……」

 

 最後の別れの言葉は、未来を想いながら……。

 そんな思いを互いに抱きながら、二人は最後の言葉を交わす。

 

「“ドラール、ロク、コガーン、スゥーム”」

 

 空に響く声の恩寵を……。

 互いに真言にて今生の別れを済ませると、ぼやけていたミラークの姿は徐々に幻のように消えていき、ついに光の粒子となって健人の前から姿を消した。

 そして、健人の意識もまた、夢から覚めるように浮き上がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 健人がゆっくりと目を開くと、そこに飛び込んできたのは、初めてスコール村を訪れた際に見えた天井だった。

 パチパチと薪が爆ぜる音が下の一階から聞こえ、小さな窓からは明るい太陽の光が差し込んできている。

 自分の体に目を落とすと、腕や足だけでなく、全身に包帯が巻かれ、まるで埋葬されたドラウグルのようになっていた。

 ミラークの言う通り、ハウリングソウルの反動は、健人の体に深刻な傷を与えていたようだった。

 出血も相当な量だったのだろう。

 ベッドの傍に置かれた台の上には替えられた包帯が山のように置かれているが、そのほとんどに落としきれなかった赤黒い血の跡が残っていた。

 健人がギシギシと軋む体に鞭を打って身を起こすと、ちょうど健人の容態を見ようと階下から上がってきたネロスが、意識を取り戻した彼を見て声をかけてきた。

 

「気がついたようだな」

 

「ネロス……。俺は、どのくらい眠っていたんだ?」

 

「三週間ほどだ。まったく、この私の時間を一月近くも奪ったのだ。相応の働きで返してもらわんとな」

 

 三週間。

 看護が無ければ余裕で死んでいるほどの期間だ。

 傍の台に置かれた包帯に付着していたであろう血の量と眠っていた日数を聞いて、健人はようやく自分がどれだけ危険な状態であったかを実感した。

 科学的な医療技術が未発達なタムリエルで、これだけの重傷を負ったことを考えれば、生きているのが奇跡といえるだろう。

 

「俺をオブリビオンから拾い上げてくれたんだってな……。ありがとう」

 

「ふん、私がお前を助けたと、どこで知ったのやら……。まぁいい。デイドラロードを退けるという歴史的事件を目の当たりにできたのだ。妥当な対価だろう……」

 

 明らかに健人とハルメアス・モラとの戦いを見ていた事が窺えるネロスの口調に、健人は思わず驚愕の表情を浮かべる。

 

「……見ていたのか?」

 

「ああ。恐らくハルメアス・モラは、お前が屈する姿をスコール達に見せつけることで、タムリエルでの帰る場所を無くすつもりだったのだろう。ご丁寧に村中に見えるよう大画面でみせてくれたよ」

 

 スコール村の全員が健人とハルメアス・モラとのやり取りを全て見ていたのなら、もし健人が少しでもハルメアス・モラに屈していた場合、スコールは決して健人を助けようとはしなかっただろうと、ネロスは言葉を続ける。

 どうやら、こうして健人が手厚い看護を受けられたのは、彼が最後の最後までスコールとの約束を守り、ハルメアス・モラに屈しなかったかららしい。

 健人は死んだストルンの事を思い出し、どこかソワソワした様子で辺りを見渡し始める。

 

「フリア達は?」

 

「ああ、あのスコールの娘達なら、呪術師の埋葬を済ませた後は、日常の仕事に戻って……」

 

「ケントおおおおおおおお!」

 

「うわちゃあああーーーーー!」

 

 ネロスがフリア達の近況を話している最中に、耳を割くような大声が響いた。

 続いて、階下へと続く階段から人型の影が飛び出し、ベッドから動けない健人を強襲する。

 

「よかった、よかったよーーー! オイラこのままケントが死んじゃうかと思ったーーーーーー!」

 

 強襲してきたのは、健人の親友であるカシトだった。

 意識不明だった健人の意識が戻った事がよほど嬉しいのか、本人が絶対安静の重傷患者である事も忘れて力いっぱい抱擁し、ゾリゾリと頬ずりを繰り返す。

 

「ぎゃああああ、放せカシト! 手加減しろ! 身体が痛い! 髭も痛い!」 

 

 手加減なしのカシトの抱擁に健人が悲鳴を上げた。

 体中の骨がミシミシと悲鳴を上げ、硬い髭と体毛が容赦なく包帯の上から傷口に突き刺さる。

 あまりの激痛に健人は本気で抵抗するが、弱りきった体が獣人の抱擁から逃げられるはずもない。

 

「止めなさい、このバカジート! ケントがまた寝込むでしょうが!」

 

 そんな健人を助けたのは、村中に響くほどの健人の悲鳴を聞いて、慌てて駆け付けたフリアだった。

 重傷患者に抱き着いて殺しかけているカジートに容赦なく拳を振り下ろし、引きはがして階下に放り投げる。

 宙に投げ出されたカシトの体は一直線に燃え盛る暖炉に突っ込み、炎に包まれた下手人は“水、水!”と叫びながら全速力で井戸のある外へ飛び出していった。

 

「全く! 今のケントは絶対安静って言っていたのに!」

 

「ええっと……」

 

「ネロス! 貴方もどうして止めなかったのよ!」

 

「あの考えの浅いカジートを止める事は私のような優れたウィザードの仕事ではないからな。というより、止める暇もなかった」

 

 思った以上に元気一杯というか、すさまじい覇気を纏うフリアの姿に、思わず健人は尻込みして声をかける機会を逸してしまう。

 一方のフリアは未だに激おこプンプンなのか、健人の傍にいてもカシトを止めなかったネロスにまで火の粉が飛んでいる。

 ネロスもネロスで火に油を注ぐようなことを言うものだから、いよいよもってフリアの気配が剣呑なものになっていく。

 具体的には、腰の斧を取り出して人体伐採をやりそうなほどの怒気である。

 

「あ、あの……!」

 

 さすがにこれ以上険悪な雰囲気にさせるわけにはいかないと、健人は思い切って声を張り上げる。

 怒りに染まったフリアの顔がぐるりと回って健人に向く。

 健人はその般若のごとき怒り顔に思わず顔が引きつりそうになったが、当のフリアは意識を取り戻した健人の姿を目の当たりにして、その怒り顔を驚きの表情へと変えた。

 そして、驚嘆に目を開いたフリアの瞳が、ジワリと潤む。

 

「グス……。よかった、気が付いてくれて……」

 

「ああ、っと、その……」

 

 先ほどまで怒り心頭だった少女は一変、グスグスと涙を流しながら、普段の勇ましさが嘘のようにしおらしくなってしまう。

 一方、涙ぐむフリアを前にして、健人は何を言ったらいいのか分からず、オロオロするばかり。

 この場で健人とフリアを取り持ってくれそうなネロスは、面倒だというように肩をすくめて階下へと消えてしまう。

 いよいよもってどうしたらいいか分からなくなった健人。

 どんな言葉を掛けたらいいか思考を巡らせるが、あいにくと女性を慰めた経験などない健人に気の利いた言葉が掛けられるはずもなく、何とも言えない奇妙な空気が二人の間に流れていた。

 

「……ありがとう」

 

 そんな空気を最初に払ったのは、フリアの方だった。

 彼女はベッドの上で狼狽える健人の近くまで寄ると、微笑みながら感謝の言葉を述べる。

 

「……え?」

 

 礼を言われるとは思っていなかった健人が、思わず驚きの声を漏らす。

 健人は、ある意味ストルンの死を招いた人間の一人だ。

 ミラークの服従のシャウトに対抗するために、健人はハルメアス・モラが持ちかけてきた取引について話してしまい、それが結果としてストルンの死に繋がった。

 健人自身もストルンを殺してしまった自覚があるだけに、フリアに対しては未だに後ろめたい気持ちがある。

 

「父の願いを叶えてくれて。それから、ごめんなさい。父の死に動揺していたとはいえ、酷い事を言ったわ」

 

 だが、後悔しているのはフリアも同じだった。

 健人の人の善さは、彼が関わる必要のないスコール村の危機に立ち上がってくれた事で知っていたはずだし、彼が悪意からストルンにハルメアス・モラとの取引について話した訳ではないことも頭では理解していた。

 だが、現実として目の前に突き付けられた父の死が、彼女から冷静さを奪っていた。

 結果として健人は追いつめられるようにアポクリファに赴き、ミラーク、そしてハルメアス・モラと戦うことになってしまったのだ。

 ネロスの話を鑑みるに、実際に彼女は健人とミラーク、そしてハルメアス・モラとの戦いをその目で見ている。

 だからこそ、健人に対して抱く罪悪感は誰よりも深かった。

 

「いや、俺もあの時は、ハルメアス・モラとの契約が必要だと半ば思い込んでしまっていた。お互い様だよ」

 

 そんな彼女の後悔を察したからこそ、健人もまた自分の後悔を口にして、禊ぎを行う。

 ここで、互いのわだかまり全てを、水に流すために。

 そんな健人の言葉を聞いて、笑みを深めたフリアが、そっと身を寄せて健人の背中に手を回してきた。

 

「ちょ、フリア!?」

 

 突然抱き着かれたことに、健人が驚きの声を上げる。

 先ほど自重しないカジートに組み伏せられた時とは違い、優しく、労わるような抱擁が、健人の体と心に染み渡るような温もりを伝えていく。

 

「改めて、お礼を言わせて、スコールの友よ。私達を、そして父の魂をハルマモラの魔の手から救ってくれて、本当にありがとう」

 

「ストルンさんは……」

 

「大丈夫、父はちゃんとハルマモラから解放されて、全創造主の元へ逝ったわ。私もスコールの呪術師だから、分かるのよ」

 

 ストルンの魂を解放できた。

 その事実を聞かされ、健人はようやく肩の荷が降りた気がした。

 自分のケジメをきちんと果たせた。その達成感と安堵感が、この島で彼の胸に突き刺さった棘全てを洗い流していく。

 どれだけ寄り添っていたのだろうか。

 互いに申し合わせた訳でもなく、静かに離れた二人は、互いに顔を赤らめながら俯く。

 

「そ、それで、ケントはこれから、どうするの?」

 

「スカイリムに戻るよ。まだ、やるべき事を残していたから……」

 

 そう、健人はまだやるべきことを残している。

 スカイリムで別れた家族。彼女ともう一度会わなければならない。

 

「そう……。分かったわ。冬の間は、私の家に泊まっていって。歓迎するわ」

 

 スカイリムに戻るという健人の言葉を聞いたフリアの顔に、一瞬寂しさを漂わせた影が過るが、すぐに笑顔を浮かべて、冬の間は泊まっていくように健人に促す。

 

「ああ、ありが……ん? 冬の間? あれ、船は?」

 

 一瞬、フリアの提案に頷きそうになった健人だが、レイブン・ロックから船が出ていることを思い出し、フリアに問いかける。

 

「? 何を言っているの? 冬の間は流氷で港が閉鎖されるから、ソルスセイムからは出られないわよ? 季節的にはもう冬に入っているし、船も出ていないんじゃないかしら?」

 

 ちなみに、今は黄昏の月。

 地球で言えば11月に相当し、既に暦の上では冬である。

 海は荒れに荒れており、海で作られた海氷が港を覆いつくしてしまう季節だった。

 スカイリムやソルスセイムでは毎年よくある光景であり、この間は、よほど大きな港でない限り、船の入出港が不可能になる。

 どうやら既に健人は、流氷が消える春までスカイリムには戻れないらしい。

 

「……マジ?」

 

 予想外の出来事に思わず健人の口から日本語が漏れる。

 この後、健人は船が出られるようになる春までソルスセイムに留まる羽目になり、その間に様々な厄介事に巻き込まれたり首を突っ込んだりすることになったのだが、それはまた別の物語である。

 

 

 

 

 

 

 

 虚空界、オブリビオンと呼ばれるその領域に、無数の残骸が漂っている。

 かつて白日夢と呼ばれるアポクリファ領域があったその場所は、無数に千切れた紙片が漂うだけの次元になっていた。

 その暗闇に包まれた空間に、波紋が広がる。

 小さな波紋は少しずつその大きさを増していき、やがて生まれた大きな揺らぎの中から、巨大な単眼が姿を現す。

 知識のデイドラロード、ハルメアス・モラ。

 ニルンを創造したエイドラと違い、不死の概念を有したままのデイドラロードは、たとえ死んだとしても、時の中で復活を遂げることができる。

 健人のハウリングソウルで砕かれたハルメアス・モラもまた、こうしてオブリビオンの虚空に復活を遂げていた。

 復活したハルメアス・モラは千々に砕かれた白日夢の残骸を前に、己の触手を広げ、元に戻るように命じる。

 しかし、彼の命令に反し、揺蕩う残骸はピクリとも動く様子がなかった。

 

「やはり、白日夢の知識は失われ、領域は我の支配から完全に切り離されたか……。だが、そんな事はもはやどうでもよい」

 

 白日夢という、膨大な知識を有していた領域全てを失ったにもかかわらず、ハルメアス・モラの声色には一切後悔がない。

 

「素晴らしい……。なんと素晴らしい贈り物か……」

 

 むしろ逆に、ハルメアス・モラはこれ以上ない程の歓喜の声をオブリビオンに響かせながら、ウネウネと全身の触手を震わせ、巨大な瞳を見開いている。

 彼は興奮していた。これ以上ないほど満足していた。

 未知なる魂の共鳴現象に、未知なる力を発揮した人間が齎した結果に。

 彼は知識を求めるデイドラロード。

 坂上健人という異世界人は、絶対と思われていた事象を覆すほどの力と可能性を見せた。

 それはハルメアス・モラが追い求めていたもの、無数の未知なる知識を生み出す源泉に他ならない。

 

「よくやった、我が勇者よ。お礼に、失った白日夢の知識と領域は全てお前にくれてやろう。好きに使い、己の糧とするがいい……」

 

 知識の代償は知識。

 そう言って憚らない彼だからこそ、ハルメアス・モラは白日夢の領域の知識が失われたことに憤慨などしない。

 むしろ、嬉々として白日夢の全てを健人に与える。

 既に白日夢の領域は消し飛び、内包されていた知識は大半が失われたが、取り出す方法がないわけではない。

 そして、そのカギは未だ件のドラゴンボーンの手の中にある。

 己が見出したドラゴンボーンが齎した結果に大満足しているハルメアス・モラは、かつて白日夢とニルンを繋いでいた黒の書ごと、その領域にあった全ての知識の所有権を健人に譲渡する。

 件のドラゴンボーンはもはや、ハルメアス・モラを完全に敵視している。

 今後、どのような接近を試みようと、彼は絶対に誘惑には乗ってこないだろう。

 だが、それでも構わない。

 干渉する手はいくらでもあるし、ハルメアス・モラは悠久の時の中で揺蕩う存在。時間など腐るほどある。

 

「さあ、行くがいい、異界のドラゴンボーン。また私に、心躍る未知を見せてくれ……」

 

 だから、今はただ見守り続ける。

 絶対を覆す力を手にしたドラゴンボーンが、新たなる未知を見せてくれること夢見ながら。

 

 

 

 

 

 

 

 再び巡ってきた恵雨の月。

 健人がこのタムリエルに迷い込んで、一年以上が過ぎていた。

 そしてこの日、流氷が完全に消えたレイブン・ロックの港から出港したノーザンメイデン号に、健人とカシトの姿があった。

 

「いよいよ出港か。長かったような、短かったような……」

 

 冬の間、ソルスセイムで生活した健人とカシト。

 彼はスコール村のフリアの家に世話になりながら、レイブン・ロックと交易を行って生計を立てていた。

 また、その間に様々な鍛錬を行い、今まで身に着けてなかった技術も身につけ、同時に色々な出来事に巻き込まれた。

 苦労ばかり重ねてきたが、それに見合うだけの嬉しい出来事も沢山あった。

 レイブン・ロック鉱山が復活し、荒廃しかけていた街が再び息を吹き返した。

 ソルスセイムに残っていたミラークとドラゴンプリーストの痕跡を探りながら他の黒の書を探索し、ハルメアス・モラの脅威を本当の意味で取り除こうと奔走した結果、一定の成果を上げることが出来た。

 結果として、健人はここ数か月間、休む事も殆どなく働き詰めの毎日だったが、彼としては今までの人生で一番充実していた時間だった。

 

「ケント、よかったの? せっかくこのソルスセイムに慣れてきたのに……」

 

「ああ、向こうでやる事が残っているからな」

 

 隣で佇むカシトが、改めて健人にスカイリムに戻るのか尋ねるが、健人はハッキリとカシトの問いかけに頷いた。

 彼はまだ、やるべきことが残っている。

 ミラークの魂と力、そして意思を受け継ぐ後継者となった今、真に言葉を交わすこと事無く、黙したまま別れた家族に会わなければならない。

 この時代のもう一人のドラゴンボーンであるリータの意思を、今一度確かめる為に。

 だからこそ、健人はこの島に留まり続けるわけにはいかないのだ。

 

「……この島で色々あったな」

 

 ソルスセイム島であった出来事を思い出しながら、健人は徐々に小さくなっていくレイブン・ロックの港を振り返る。

 ミラークの反乱に巻き込まれ、ドラゴンボーンとして覚醒し、最終的にハルメアス・モラと戦うことになった。

 ハルメアス・モラとの戦いの後も騒動は続き、レイブン・ロック鉱山に残っていた鉱脈を見つけた結果、ダンマー五大家の争いに巻き込まれてモラグ・トングと戦う羽目になった。

 モラグ・トング討伐の礼でレイブン・ロックの家を貰ったらフリアが何故か不機嫌になり、さらにその後リークリングが勢力を広げようと挙兵するという騒動まで起こった。

 

「そうだね~。デイドラロードと戦う羽目になったり、モラグ・トングと戦う羽目になったり、リークリングと戦う羽目になったり……」

 

「リークリングはお前が元凶だけどな」

 

「被害を拡大させたのはケントだけどね」

 

「…………」

 

 カシトの言葉に健人は押し黙る。

 健人が目を覚ましてから二か月後、どこかのカジートが蘇らせてしまったカースターグと呼ばれるリークリングの王が、配下の兵を連れて挙兵するという事件があった。

 この際に健人は、ソルスセイムにかなり甚大な被害を齎してしまっている。

 人的被害がなかったのが奇跡だったが、この事件は健人にとってはトラウマなのか、思わず手に持っている物に力が入る。

 そして、健人が手に持っていた艶やかなローブがミチミチと軋み始めた。

 

「それから、そのテルヴァンニ家のローブ、どうするの?」

 

 カシトが指差したのは、今現在健人に握りしめられて軋みを上げているローブ。

 凝った意匠と特徴的で豪奢な色彩が施されたそれは、出港の際にネロスから手渡されたものである。

 なんでも、テルヴァンニ家にとって由緒正しいものであり、家の一員であることを示す極めて重要な衣装とのこと。

 これを渡すときのネロスはこれ以上ないほど得意げで、健人が歓喜して疑わないだろうというような表情だったが、健人としては、非常に微妙な表情を浮かべざるを得ないものだった。

 実はソルスセイム滞在中、健人はネロスから様々な魔法の手ほどきを受けていた。

 ミラークから受け継いだ知識や技術をきちんと身に付けるには、ネロスのような優れたウィザードの師は絶対に必要だったのだ。

 そして、今の健人は限定的ながら精鋭クラスの魔法も習得し、ミラークの持っていた魔法技術も少しずつではあるが体系化し、習得できる可能性が生まれてきていた。

 この島に来たばかりの事を考えれば、驚くべき飛躍である。

 とはいえ、そもそも健人の体質が変わったわけではないため、魔力効率の悪さは相変わらず。

 精鋭魔法より上位の魔法の習得はまだまだ出来ていないし、そもそも習得できても、錬金術や付呪の補助無しには使用する事は不可能だろうというのが、ネロスの見解だった。

 ネロスのおかげで健人はさらに大きく成長できたことは事実である。

 とはいえ、その為に彼は無茶苦茶なネロスの要求に四苦八苦させられたし、ネロスに起因した厄介事にも巻き込まれたことも事実ではあった。

 

「……このローブ、いるか?」

 

「要らないよ!」

 

 この島で受けたネロスの理不尽な要求を思い出しながら、健人はおもむろにテルヴァンニ家のローブをカシトに差し出すが、コンマ一秒足らずで拒絶の返答が返ってきた。

 どうやらカシトにとっても、テルヴァンニ家のウィザードとの日々は思い出したくないもののようだった。

 気が付けば、船は港の入り口に差し掛かっていた。

 これで本当にソルスセイムとはお別れになる。

 ふと健人が左手に聳えるレイブン・ロックの外壁“ブルワーク”を見上げると、海へと突き出た縁の先に、スコールの鎧を纏った一人の女性が立っていた。

 見送るように手を振る彼女に、健人もまた大きく手を振って返す。

 手を振っていたスコールの女性、フリアは手を振り返してくる健人の姿を見て、口元に浮かべた笑みを深めていた。

 

「よかったの?」

 

「ああ、これでいい。それに、もう会えなくなったわけじゃない。生きていれば、また会えるさ」

 

 フリアにも健人にも、やるべき事がある。

 スコールの呪術師である彼女は、命を落としたストルンの代わりに、スコール村の導き手の一人にならなくてはいけない。

 健人もまた、スカイリムでやり残した事がある。

 健人とフリア、二人の道はここで別れるが、彼らの胸の奥に寂寥感は全くなかった。

 二人は声を交わさぬ別れの中、唯々掛け替えのない仲間にして家族の門出を前に、互いのこれからの幸運を祈りながら前を見据える。

 

「さあ、戻ろう。スカイリムに」

 

 向かうは西。

 健人とカシトを乗せたノーザンメイデン号は帆を広げ、波を切り裂きながら、一路、スカイリムへと針路を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 第四期202年、栽培の月。

 世界のノドの頂上で、一人の少女と一頭のドラゴンが対峙していた。

 

「よく来たな、私は、パーサーナックスだ……」

 

 パーサーナックス。

 グレイビアードのマスターにして、人類にシャウトを授けた功労者。

 数千年間に渡って瞑想していた老龍と向き合うのは、今代のドラゴンボーン、リータ・ティグナ。

 彼女は家族の敵と同族のドラゴンを前に、ゆっくりと己の剣の柄に手を伸ばしていた。

 

 




これで、本当にソルスセイム編が終了となります。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます! 
この後は再び、スカイリムに舞台が戻ります。
ミラークから引き継いだ魔法技術関係については、ゲームでいうとPerk習得画面が見れるようになった、という感じです。
どんな魔法体系にどのような技術があるかは把握できましたが、健人ではまだスキルも習得ポイントとも足りないといった感じです。
何より種族デバフの影響が大きすぎる……。
さて、健人がソルスセイム滞在中に起きた出来事については、一応概略として簡単に一纏めにして放り込んでおこうかと思っています。
ただ、閑話として書いて欲しいという方もいるかもしれませんし、実際に書くこともあるかもしれないので、どこまで纏めておけばいいのか悩ましいところです。
閑話で書く場合はネタバレの心配もあります。(もっとも、最終話でかなりネタバレしてしまっていますが)
ですので、簡単にアンケートを取り、それで方向性を決めようと思っています。
また本編優先で執筆しますので、閑話希望の場合、いつ書けるか分かりませんので、その辺りはご了承を。
ちなみに、本編を続ける過程で出てしまうネタバレもありますので、その辺りもご容赦を。
改めまして、DLCドラゴンボーン編、いかがだったでしょうか?
少しでも皆さんの読書ライフに潤いをもたらすことが出来たのなら幸いです。
それではまた。


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第5章後の概略

 こちらは第5章終了後の主人公達について、登場人物紹介の形式で概略を載せています。
 第5章及び閑話のネタバレ満載なので、まだ読んでいない方はお勧めしません。



 

 

 坂上 健人

 

 ドラゴンボーンとして覚醒し、ハルメアス・モラとの戦いの中でミラークの魂と力すらも吸収。

 ミラークがスゥームを祝詞として紡ぎ、自らの意思で魂を捧げたことで、彼が持っていた魔法や技術に関する知識もある程度引き継ぎ、更にソルスセイム滞在中はネロスから様々な魔法の教えを受けていたため、魔法関係がかなり成長している。

 ただし、健人本人の体質が変化したわけではないため、魔力効率は相変わらず悪く、おまけにミラークの魔法技術はあまりにも高度過ぎて、現在の健人では大半の魔法や技術が使用不能の状態。

 具体的には回復魔法の一部スキルと精鋭魔法を何とか使えるようになった程度。達人、熟練者クラスの魔法は、付呪や錬金術等の助力無しには使うのが非常に困難である。

 

 また、ハウリングソウルによって生み出される力はあまりにも強大過ぎて反動がすさまじく、現在はミラークの魂がリミッターとして抑え込んでいる。

 その為、現在の状態ではハウリングソウルを三節目まで唱えても、アポクリファを砕いた時ほどの出力は出ない。

 それでも、ミラークが持っていたシャウトに関する知識や力は問題なく行使できるため、現状で間違いなく、タムリエルにおける最高の単体戦力の一角であることは疑いようがない。

 ちなみに、ミラーク事変解決後のソルスセイム滞在中に、健人はレイブン・ロック鉱山の問題解決やモラグ・トングの撃退、ソルスセイムに残った黒の書及びドラゴンプリースト探索、カースターグ討伐等、様々な活躍を収めている。

 鍛練についてはバルドール・アイアンシェイパーから鍛冶を、ネロスから各種魔法の訓練と教育、付呪器や錬金術具の制作方法を学んでいる。

 またバルドールと協力して、破損したドラゴンスケールの装具も作り直し、折れた黒檀のブレイズソードに代わる新たな刃も作り上げている。

 作り上げた武具にもネロスの協力の元、各種の強力な二重付呪が施された。

 最終的に、健人の持つ武具の価値は、ソリチュードの邸宅を複数買えるほどにまで高まる。

 しかしこの装具に使われた材料はほぼ現地調達が可能だったため、実際には付呪に使う魂石とデイドラの心臓ぐらいしか購入する必要がなかった。

 ちなみに、ネロスは健人がソルスセイムを離れる際に、テルヴァンニ家のローブを渡しているが、健人本人としては顔が引き攣る思いだった。

 

 また、健人はソルスセイム各所に残る黒の書を探索し、ハウリングソウルによって破壊して回ろうとした。

 だが、白日夢以外に所有していた黒の書“手紙の書き方に関する見識”を破壊した後はハルメアス・モラが対策を施したのか、それ以降に発見した黒の書は、健人に見つかった段階で霞のように消えてしまった。

 ちなみに、ネロスが持っていた黒の書も健人に発見された段階で消失し、件のマスターウィザードを憤慨させる結果になった。

 

 

 

 壊れた黒の書“白日夢”

 

 健人によって破壊されたアポクリファ領域へと続く書。

 本来はオブリビオンゲートとしての機能を有した書であるが、内部の白日夢の領域が破壊された為、機能不全に陥っている。

 だが、この書を調べたネロスによれば、どうやらこの書のゲート機能はまだ部分的に活きており、その上所有権は既にハルメアス・モラではなく、健人に移っているらしい。

 その為、他の人間が開いてもただの怪文書が書かれただけの奇天烈書にしかならないが、健人が開くと、白日夢の領域にあった知識の断片をそのページに映し出すようになってしまっていた。

 しかも、この書だけ何故かハウリングソウルで破壊できず、シャウトを浴びせると活性化して無意味な知識や白日夢内のアイテムを出鱈目にまき散らそうとする厄介な代物と化した。

 以下、撒き散らされた知識及びアイテムの一部抜粋

・炎と闇:死の同志たち

・ウィザーシンズ

・ウルフハース王 五つの歌

・氷の精霊召喚の魔導書

・念動力の魔導書

・マルカルス収支一覧

・帝国軍ヘルゲン配置表

・ああ、ディベラ様!

・アルゴニアンの侍女第三巻構想

・正しい赤のラグナルの歌い方

・愛しいあの娘へのラブレター

・各種魂石

・ファイアストームのスクロール

 

 ソルスセイム滞在中に健人が巻き込まれた、もしくは首を突っ込んだ主な事件、出来事の一部抜粋

1、レイブン・ロック鉱山の問題解決とモラグ・トングの撃退、セヴェリン邸の獲得。

2、ソルスセイムに残っている黒の書及びドラゴンプリースト探索

3、ネロスの依頼によるイルダリの探索

4、カースターグ討伐

5、???(本小説オリジナル事件)

等々その他多数

 

 

 

 ミラーク

 

 史上最初のドラゴンボーン。

 かつてドラゴンの統治の中で、竜の血脈であることを利用され、名と記憶を奪われ、代わりに“ミラーク”という名を与えられて利用された。

 自らの名を奪った主君であるドラゴンを父親と呼び慕っていたが、苛烈な統治の中で己の名に疑問を抱き、利用されていることに気付いて怒りから自由を求め、反乱を引き起こす。

 その後、力を求めてハルメアス・モラと取引をして服従のシャウトを手に入れるが、アポクリファに閉じ込められてしまう。

以降、数千年に渡ってハルメアス・モラに利用された。

 内に秘めた怒りからハルメアス・モラから離反を企てるが、健人の介入で失敗し、ハルメアス・モラに利用しつくされた挙句に粛清されそうになる。

 自らの人生を諦観に飲まれたまま終えるはずだったが、健人が敵であったはずのミラークを助け、ハルメアス・モラにケンカを売ったことで、彼の魂に感化されて同じようにハルメアス・モラに牙を向く。

 最終的にはハルメアス・モラとの戦いの中で死亡したものの、今わの際に自らの名を受け入れ、己の全てを後継者であり、主と定めた健人に託した。

 その表層意識は消えたものの、魂は今でも健人に寄り添い、主を守っている。

 

 

 

 

 ハルメアス・モラ

 

 ミラークの反乱を利用して、健人をミラークの後継として自分に仕えさせようとするが大失敗。

 半ば自滅に近い形で自身の本体を白日夢の領域ごと砕かれた挙句、その領域と知識を永遠に失った。

 とはいえ、本神は異世界とニルンの魂同士による共鳴現象という、全く見たことのない事象を目の当たりにした事に非常に満足しており、失った白日夢の知識も当然の対価と認識している。

 また、ハウリングソウルを見せてくれた健人に対し、失われた領域の知識を唯一サルベージ出来る黒の書の所有権を、本人の知らない所で勝手に渡している。

 ただ、他の黒の書はまだ渡す気は無いし、壊されると再生に長い年月がかかるため、健人に発見された時点で回収している(ただし、回収後もニルンに戻すにはそれなりに時間がかかる)。

 このハルメアス・モラの行動のおかげで、ソルスセイムは結果的に邪神の魔の手から開放されることになる。

 

 

 

 

 フリア

 

 スコールの呪術師として、正式にストルンの跡を継いだ。

 健人がソルスセイムに滞在中は自宅の一室を貸して、彼と共に一冬を過ごしている。

 また、彼がソルスセイムに残っている黒の書の探索時も同行し、共に様々な冒険を乗り越えた。

 健人にとってはもう一人の家族といえる女性であるが、フリアとしては健人を男性として意識している一面もあった。

 ちなみに、健人が滞在中に彼の料理にハマり、それが原因でもう一人の同居人と猫熊戦争を繰り広げることになる。

 

 

 

 カシト・ガルジット

 

 健人を追ってソルスセイムに来たカジート。

 ソルスセイムを出られない冬の間、健人と共にソルスセイム中を回り、共に冒険を行った。

 しかし、トラブル誘因体質なのは相も変わらず、かなりの数の余計な案件を健人にもたらすことになる。

 ソルスセイム滞在中の一大事件であるモラグ・トング撃退、カースターグ討伐はこいつが元凶。

 とはいえ、その大半の案件は結果として無事に解決し、健人の名声を高める結果ともなったので、健人本人としては怒るに怒れない。

 ちなみに、人的被害はともかく、ソルスセイム島そのものに直接的な被害を最ももたらしたのはカシトではなく健人であり、カースターグ討伐はその最たるものだった。

 

 

 

 ネロス

 

 ダークエルフのテルヴァンニ家のマスターウィザード。

 健人がソルスセイム滞在中に相当な無理難題を押し付け、結果、健人はスカイリムに帰れない冬の間、島中を東奔西走する羽目になった。

 そして、苦労して成果を持ち帰っても、褒め言葉の十倍は不平不満苦言を漏らされた。

 とはいえ、健人の事を気に入っているのは本当なのか、頼んでいないのにテルヴァンニ家のローブを渡し、家の一員だと言ってくる。

 健人にとっては迷惑千万だが、彼は健人が歓喜していると思って疑わない。

 ツンデレなのか、捻デレなのか。それとも、観察対象を確保しておきたいのか……。

 ちなみに、押し付けられたローブは、壊れた黒の書と一緒に最上位の危険物として扱われていたりする。

 




というわけで、今回は空白期の概略です。
ちなみに、この後のあとがきには色々と問題のある内容が含まれていますので、閲覧は自己責任でお願いします。






 オリジナル書籍“ああ、ディベラ様!”の内容

 我が魂の導き手であり、母なる包容力をもって接し、慈しんでくれる美の女神ディベラについてはいくら書いたとしても私の私腹は尽きない。まず何と言ってもその胸元(以下、検閲削除
 私は●●●(黒く塗りつぶされている)に対して、●●の抗いがたい意思を感じずにはいられず、また彼女が有する神秘の●●●●であり●●●を●●●することについては●●●。
 彼女に貰った筆で●●●●●●が●●●●●●●…………。




 アルゴニアンの侍女第三巻構想の内容一部抜粋。

 私の素晴らしい著書であるこの書の第三巻を書くに当たり、備忘録として書き残しておこうと思う。
 掃除、パン、楽器と来て、主人に仕える侍女としてすべきことは何だろうか?
 そこで私は考えた。その一文をここに残しておこうと思う。

「見事に磨かれた槍だ」

「あ、ありがとうございます旦那様」

「だが、槍は磨くだけでは意味がない。きちんと使ってみなければならんだろう。そのためには実地訓練が一番だ。
 主の訓練に付き従うのも侍女の務めだ」

「だ、旦那様、一体何をなさるのですか? 訓練なら中庭で行うのがよろしかと思いますが……」

「何、問題はない。訓練はここでもできる。それとも、外の方が好ましいか? 随分と好き者なのだな。
 安心しろ、私の槍は正確無比だ、どんな時も、どのような場所でも、どんな体勢でもキチンと的を穿つだろう。それとも、弓矢の方がいいか?」

「い、いけません旦那様、磨いたばかりなのにまた汚してしまいます!」

「汚れたのならならばまた磨けばいい。さあ、実地訓練をはじめるぞ!」

 ……ダメだな、ありきたりすぎる。
 もっと奇抜な、人の目を惹く、忘れられない物語にすべきだ。
 とりあえずこれは書き残しておいて、他の場面を考えてみよう。


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第6章
第一話 ドラゴンレンドを求めて


お待たせしました。第6章を開始します。
第5章の閑話は、現在制作中ですが、一体いつになるのやら……。


 第4期202年、栽培の月。

 リータはスカイリムの中央、世界のノドに佇むグレイビアード達の寺院であるハイフロスガーを訪れていた。

 リータがブレイズ最古の寺院である、スカイヘブン聖堂において見つけた壁画。

 そこには、過去にドラゴンの支配による圧政から、アルドゥインを封印する事で人の時代が訪れた事、そして今日のスカイリム反乱の中でアルドゥインが復活し、ドラゴンボーンが現れるまでの予言が描かれていた。

 ブレイズの元公文書管理官であり、リフテンのラットウェイで合流したエズバーンが調べた結果、その壁画の中にアルドゥインを倒すための秘策が描かれていた。

 竜戦争において活躍した三英雄。

 黄金の柄のゴルムレイス。

 隻眼のハコン。

 古きフェルディル。

 彼ら三英雄がアルドゥインを地に落とし、封印している光景の中で、口からシャウトが放たれている様子が描かれていることが、その決め手になっていた。

 そして、アルドゥインを地に落とすシャウトの存在を知ったリータは、この世界で最もスゥームを知る者達、すなわちグレイビアードの助力を得ようと、三度、ドルマと共にハイフロスガーを訪れることを決めた。

 リータ一行がイヴァルステッドに着くと、デルフィンとエズバーンはイヴァルステッドに残った。

 ブレイズの二人曰く、自分達が付いて行ったらグレイビアード達は警戒して、アルドゥインを落すシャウトについて教えてくれないだろうとの事。

 

「アルドゥインを落としたシャウトが知りたい」

 

「どこでそれを知った?」

 

 シャウトの師であるアーンゲールに開口一番でアルドゥインを落とした力の言葉について尋ねると、彼はこれ以上ないほど強張った表情を浮かべ、同時に心の臓が凍てつくような怒気の籠った声を発した。

 シャウトという超常の力を操る者の怒気を含んだ声は、その口が紡いだ言葉がドラゴン語でなくとも、常人の意識を奪うほどの威圧感を叩きつけてくる。

 

「ブレイズに聞いた」

 

 しかし、同じシャウトを操り、数多のドラゴンの魂を食らったリータは、アーンゲールの怒気をそよ風のように受け流す。

 一方、ブレイズの名前を聞いたアーンゲールは、得心がいったような表情を浮かべながら、同時に呆れ果てたように肩を落とした。

 

「なるほど、ブレイズか。よく分からないことに首を突っ込むのが得意な奴らだ……」

 

 額に皺を寄せながら、アーンゲールはブレイズの名を吐き捨てる。

 その声にはブレイズに対する嫌悪感がこれ以上ないほど籠っており、同時に弟子であるリータがそんな者達とつるんでいた事実に対する憂いと怒りが込められていた。

 一方、そんな師の激昂を前にしても、リータの表情はピクリとも動かない。

 ガラス玉のように冷淡な光を抱く彼女の瞳には、アーンゲールがアルドゥインに対抗するためのシャウトを知っているのかいないのか、それだけしか映っていなかった。

 

「お前は私の傍で何も学ばなかったのか!? このままブレイズにドラゴンを倒すだけの只の道具として使われたいのか!?」

 

 グレイビアードが示す声の道。

 それはシャウトを単なる戦いの道具ではなく、悟りへの道を模索するための道しるべとしたもの。

 グレイビアード自体が、開祖であるユルゲン・ウインドコーラーが戦争に疲れ、シャウトを戦いに使う事を忌避したことから始まった寺院だけに、力のみを求める今のリータやブレイズに対する言葉は厳しい。

 

「彼らが何を企んでいようが関係ない。アルドゥインを落とすシャウトを教えて」

 

 だが、リータにとっては声の道などどうでもよかった。

 彼女が剣を取った理由はひとえに、家族である健人を守ること、そして、アルドゥインに対する復讐を遂げることだ。

 その為なら何だってするし、邪魔をするならサルモールや帝国、ストームクロークと相対する事だって厭わない。

 実際、彼女はエズバーンとリフテンのラットウェイで合流した際、彼を捕らえようとしたサルモールの部隊を皆殺しにしていた。

 アルドゥインを倒せる可能性を前にして、諦めるなどという選択肢は彼女にはない。

 

「それに、あの人達が私を利用していることは知っている。だけど同時に、私も彼らを利用している。少なくとも、デルフィン達はアルドゥインに対抗するための道筋を示した」

 

 そんなリータだからこそ、ドラゴンを地に引きずり落とすシャウトの存在を示したブレイズは、たとえその腹の中に仄暗い思惑があろうと、一定の価値がある集団と認識している。

 

「ブレイズはドラゴンボーンに仕えると言うが、それは違う。奴らがドラゴンボーンに仕えたことなど一度もない! ブレイズは常にドラゴンボーンを智の道から遠ざけてきた」

 

 一方、そんなリータの言葉に、アーンゲールの態度はさらに硬化する。

 彼らグレイビアードは、声の力を戦いに使う事を否定した集団だ。

 当然、ブレイズとは水と油。完全に対極の立場を取っている。

 

「ブレイズが私に仕えているかどうかは問題じゃない。アルドゥインは殺さなければいけない。それは貴方達も分かっているはず」

 

 リータ自身もブレイズの全てを信じられるとは思っていない。

 ブレイズは元々諜報機関であり、デルフィンもエズバーンも重要な秘密を徹底的に守り続けることで生き残ってきた者達だ。

 そんな彼らが、いくら主であるドラゴンボーンに仕えるとはいえ、己の持つ秘密全てを曝け出しているとは到底思えない。

 だが、そんな彼らの秘密主義を飲み込んだ上で、リータは彼らの存在を有用だと思っている。

 現に、スカイリムに跋扈するドラゴンの情報を集めてリータに届けていたのは、デルフィンの持つ情報網だった。

 

「私の願いは関係ない。このシャウトは過去に一度使われているが、アルドゥインを倒すことは出来なかった」

 

「だから……」

 

「アルドゥインが倒される運命ではなかったと考えたことはないか? 太古にかのドラゴンを打倒した者達も、滅びの日を遅らせただけだ、止めたわけではない。

もし世界が終わるのであるのなら、それもいいだろう。終わらせて、再生させてやればいい……」

 

 アーンゲールにとっては、アルドゥインに滅ぼされることも、それが世界の流れであるなら当然と受け止める。

 グレイビアードはシャウトによって悟りを開こうとする者達。

 そして悟りを開くとは、我欲を捨てる事と表裏一体だ。

 雑念が無く、執着がなくなった状態。そうなれば当然、己の命にすら執着を持たない。

 

「ふざけないで……。あのドラゴンが生きていることが正しいと言うの!?」

 

 だが、そんな事をリータが認められるはずもない。

 グレイビアードのあり方は、つまるところ、どれだけ人が死のうが構わないという事だ。

 健人を守るために、彼を拒絶して修羅道を歩むと決めたリータには、当然認められるはずもない。

 

「私の考えも既に話した。お前が智の道に戻るまでは、何も教えるわけにはいかん!」

 

 アーンゲールもまたリータの考えを認めない。

 ドラゴンを殺す修羅として生きようとするドヴァーキンは、彼から見てもあまりにも危険すぎた。

 だがアーンゲールがリータに背を向けて立ち去ろうとしたその時、アーンゲールを押し止めるようなシャウトがハイフロスガーに響いた。

 

”アーンゲール、レック、ロス、ドヴァーキン、スタルンデュール、レック、フェン、ティンヴァーク、パーサーナックス“

(アーンゲールよ、彼女はドラゴンボーン、ストームクラウンだ。彼女はパーサーナックスと話すべきだ)

 

 ドラゴン語でアーンゲールに語り掛けたのは、グレイビアードの一人、アイナースだった。

 アイナースはドラゴンボーンの頼みを拒絶したアーンゲールを制する言葉をかけてくる。

 だが、ブレイズの存在を聞かされて頭に血が上っているアーンゲールは、アイナースの言葉に憤り含んだ声を返した。

 

“アイナース、ドヴァーキン、グロン、ラゴール゛。ニ、フェント、グリント、パーサーナックス!”

(アイナース師よ、ドヴァーキンは怒りに囚われている。パーサーナックスに会わせるべきではない!)

 

“ドヴァーキン、セィヴ、レヴァク、ゼノス。ラゴール゛、アグ、ナーンスル、コス、ニス、アーヴ、ム”

(神々は彼女を選んだ。その選ばれた者の怒りに誰が焼かれるかは、私達が手を出すべきことではない)

 

「…………」

 

 だが、アーンゲールの憤りを含んだ言葉は、アイナースのさらなる声によって鎮められる。

 もしもアルドゥインによって世界が滅ぼされることが運命であるならば、ドラゴンボーンによってドラゴンが殺し尽くされる事もまた運命であると。

 アイナースの言葉に、アーンゲールは目を見開き、そして張りつめていた糸が切れたように肩を落とした。

 そして背を向けていたリータに向き直ると、おもむろにリータが求めるシャウトについて語り始める。

 

「ドラゴンボーンよ、お前が求めるシャウトについてだが、我々には分からん」

 

「分からない? どういう事?」

 

「お前が求めるシャウトが“ドラゴンレンド”と呼ばれている事は知っている。だが、その声は私たちの道には不要なものだ。故に、我らは知る必要がないのだ」

 

 先ほどまであれだけ頑なに語ろうとしなかったアーンゲールが、突然質問に答え始めたことにリータは内心驚きながらも、目的だったシャウトについての情報を聞き逃すまいと耳を聳てる。

 アーンゲールの話では、ドラゴンレンドとはドラゴンの苛烈な統治に反旗を翻した人間が作り上げたスゥーム。

 その言葉の一言一句に至るまでが、ドラゴンに対する憎しみに満ち溢れているらしい。

 そのような言葉は、悟りを開くことを目的としたグレイビアードにとって忌むべきもの。

 故に、グレイビアードはドラゴンレンドの言葉について、学ぶことはないらしい。

 

「だが、彼なら……パーサーナックスなら知っているだろう」

 

「パーサーナックス?」

 

「我々、グレイビアードの師だ。彼はこの山の頂で隠居している」

 

 この老獪なグレイビアードの老人達に、さらに上を行く師がいた事を聞かされ、リータは目を見開く。

 アーンゲールを含め、グレイビアードは皆、老齢の域に達している。

 老い先短いであろう彼らのさらに上を行く師は、アーンゲール達よりも高齢であることは容易に想像がつく。

 そんな老人が、厳しい風雪に晒される世界のノドの頂上で長く生きていけるとは思えなかった。

 

「……なら、行く」

 

「……ついてこい」

 

 だが、グレイビアードがその声で己の師の存在を肯定するなら、パーサーナックスと呼ばれる声の達人は、確かに存在しているのだろう。

 グレイビアードは必要ない事は、はっきりと声に出して拒絶する。

 その辺りは、秘密主義なブレイズよりはよほど信頼できた。

 リータとドルマは、再び背を向けて歩き始めたアーンゲールの後に続く。

 案内されたのは、以前に旋風の疾走を学んだ外の広間。

 アーンゲールは広間を渡り、さらに奥にそびえる門へと二人を案内した。

 

「ここは……」

 

 案内された門の先には、侵入者を阻むような強烈な嵐が、まるで結界のように吹雪いていた。

 門全体は強烈な風による過冷却で無数の氷柱に覆われ、嵐の先にある地面や岩壁も悉くが凍り付いていた。

 

「ここより先はパーサーナックスが住まう世界のノドの頂上へと続く道があるが、見ての通り強烈な嵐によって塞がれている。これから、この嵐を進むためのシャウトを授けよう」

 

 そう言いながら、アーンゲールは下を向き、凍り付いた石床にシャウトを放つ。

 

「ロク、ヴァ、コール……。このシャウトで、この嵐の先に行けるだろう」

 

 床に刻まれたアーンゲールのシャウトが、リータに力の言葉を囁いてくる。

“晴天の空”

 “空”“春”“夏”の言葉によって構成された、天を覆う嵐を吹き飛ばすスゥームである。

 晴天の空をリータに授けたアーンゲールは、自らのやるべき事は済んだと、寺院へと戻っていく。

 

「どうして……」

 

「うむ?」

 

「どうして教えるんですか? 貴方は、決して教えないと言っていたのに……」

 

 アーンゲールの突然の変心。

 立ち去ろうとする師の背中に、リータは思わず質問をぶつけていた。

 リータ自身、自分が師に対して失礼極まりない態度を取ったことは自覚している。

 それは偏にアルドゥインに対する見解の違いと、かのドラゴンに対する怒りから引き起こされたことである。

 リータ自身も、自分が憎しみに染まっていることも内心では意識しているが、それでも自分が取った道に誤りはないと思っている。

 彼女のドラゴンに対する怒りと力に対する渇望は、彼女自身が制御できない程大きい。

 現実としてリータはドラゴンを皆殺しにすることを心に誓い、義弟と友誼を交わした恩竜すら手にかけた。

 だが、アーンゲールの突然の変心が、リータの心に猛る復讐の炎にわずかな隙間を生み出していた。

 

「アイナース師の言葉を聞いていただろう? 私は……そうだった。お前は、私達ほど言葉に熟達していなかったのだな。すまない、お前がシャウトを習得する速度を見て、つい忘れてしまっていた」

 

 何を今さら、というようにかぶりを振ったアーンゲールだが、リータが自分よりもまだドラゴン語自体に精通していないことを思い出した。

 確かに、リータのシャウトを習得する速度は、目を見張るものがある。

 だが、それは所詮力を行使するための“道具”としての使い方である。

 ドラゴンボーンはドラゴンの言葉を瞬く間に理解する。だがそれは、ドラゴンボーンが真にその言葉の意味を求めた時のみなのだ。

 魂と意思を、真に相手に伝えるための“真言”としての扱い方を、彼女は今まで殆どしてきていない。

 言葉の意味を引き出す時も、その言葉が現実にどのような力を発揮するかを追い求めていた。

 それ故に、対話の中で使われるドラゴン語については、どうしても粗が目立ってしまう。

 そもそも、彼女がグレイビアードに師事していた期間は短かった。

 いくらドラゴンボーンでも、全ての単語を網羅し、覚えきれるはずもない。

 

「お前は、神々に選ばれた人間だ。人類とドラゴン、その行く先を決める者として」

 

「そんな事は……」

 

「ある。だからこそ、お前はドラゴンボーンとしての力を与えられた」

 

 リータ自身は、自分が神々から選ばれた人間であるという自覚は殆どない。

 今の彼女にとって重要なことは強くなることで、神に選ばれた人間として神々の意思を喧伝する事でも、優越感に浸ることでもないからだ。

 だが、現実として、彼女はアカトシュに選ばれた。

 星霜の書に綴られる、最後のドラゴンボーンとして。

 

「そんなお前が、この先どのような決断を下そうと構わぬ。それもまた世界が出した答えの一つなのだ。その答えを前にしながら、私は己の感情で世界を見る目を鈍らせた。それは、私の未熟故の過ちだ」

 

 そして、悟りを開こうとするグレイビアードにとって、もしアルドゥインに世界が滅ぼされることが運命なら、ドラゴンボーンの手によってドラゴンが皆殺しにされることも運命なのだ。

 悟りとは、俗世から解脱し、真の意味で精神の安寧を得ること。

 大事なことは自らを運命にゆだね、心静かに受け入れること。

 それこそが、シャウトによって悟りを開こうとするグレイビアードが、グレイビアードたる本質。

 彼らがリータに協力することは、ひとえに彼女が神々に選ばれた存在であり、リータを通して世界の運命を垣間見ているが故だ。

 

「…………」

 

 アーンゲールの言葉、そして、振り返った師の静謐を湛えた瞳に、リータは何も言えなくなる。

 ただ怒りのまま、自分を否定してくれた方がまだ気が楽だった。

 彼女の脳裏に、怒りのままに振るった刃を無抵抗で受け入れたドラゴンが思い起こされる。

 かの竜も、今わの際にアーンゲールと同じような瞳をしていた。

 

「さあ、行くがいい、ドラゴンボーン。その目で世界を見て、己の答えを探るがいい」

 

 それだけを言い残し、アーンゲールは寺院の中へと消えていく。

 背中を見つめるリータの瞳は、まるで迷子の様に揺れていた。

 それでも、リータは無理矢理にでも己の動揺を押し殺す。

 揺れていた瞳は再びガラスのように無機質なものへと変わる。

 

「ドルマ、行ってくる」

 

 数泊の沈黙の後、リータはついてきたドルマに別れを告げ、パーサーナックスの元へと続く山道に向き合う。

 ここから先はリータが進む道。声の修練を行っていないドルマが付いて行くわけにはいかない。

 

「……ああ、気をつけろ」

 

「うん、ありがと……」

 

 背中から掛けられる幼馴染の言葉に励まされながら、リータは晴天の空を唱える。

 放たれたシャウトは門の先を覆いつくしていた嵐を吹き飛ばし、細い山道が姿を現す。

 腰の黒檀の剣と背中の黒檀の両手斧をガチャリと鳴らしながら、彼女は細い山道へと向かっていった。

 

 

 




というわけで、今回はリータサイドのお話。
二章分も健人サイドに使ったので、もう二話ほど、リータサイドのお話が続きます。


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第二話 各々の想いと思惑

というわけで、第二話。
今回はドルマとデルフィンサイド。
続きは明日にも投稿します。


 

 リータを見送った後、ドルマはグレイビアードの寺院の広間で、彼女の帰りを待っていた。

 椅子に腰かけ、篝火を前に、彼は自ら大剣の手入れを行う。

 刃を磨き、留め具を確かめ、油を施しながら、ドルマはパーサーナックスに会いに行った幼馴染に思いを馳せる。

 去り際に見た彼女の迷子のような瞳を思い出し、ドルマの胸に苦々しい思いが沸き上がっていた。

 ドルマにとって、リータは家族であり、想い人である。

 彼女と共に過ごした年は十を超え、彼女の両親がいない今、最も長い年月を共に過ごした間柄である。

 ドラゴンと戦うことを選んだリータ。

 彼女が伝説のドラゴンボーンとして目覚めた時、彼は歓喜すると同時に嘆いた。

 ドルマから見ても、リータは元々戦いに向いている人間ではない。

 戦いと死に名誉を抱くノルドではあるが、その中でも彼女と彼女の両親は変わり者だった。

 身寄りがなく、さらには過去も定かではない居候を家族として迎え入れたことなど、その典型例といえる。

 己の人生、そして戦いに誇りを抱き、余所者に警戒心が強いノルドとして、そして内乱で人心が荒れているスカイリムにおいては、愚行と思える行為だ。

 だが、その優しさにドルマもまた助けられた人間の一人だった。

 実の両親と折り合いが悪かったドルマにとって、リータ達が本当の家族だった。

 リータと違い、ドルマは典型的なノルドだ。

 故に復讐を肯定し、ドラゴンを殺す事に何ら躊躇はない。

 そして、こうして伝説のドラゴンボーンと肩を並べてドラゴンと戦えるなら、ノルドとしては本来諸手を挙げて歓喜すべきである。

 だが、今のドルマの心を占めるのは、アルドゥインに対抗する手段を得られるかもしれないという歓喜よりも、復讐に邁進する幼馴染に対する憂いであった。

 そして、そんな“軟弱な想い”に囚われる自分自身に対しての怒りもまた込み上げてくる。

 そんな軟弱な奴はホワイトランに送り返された“落伍者”だけでいい。そうでなくてはならないのだと。

 一体何時から、こんな風に憂う様になってしまったのか。

 ドルマが己の憂いの原点を探っていけば、それは鬱蒼としたコケに覆われた巨大な洞窟にたどり着く。

 忌まわしいドラゴンに刃を向ける幼馴染。そして、彼女の前に立ちはだかる裏切り者。

 

“思い起こせば、リータが明確に復讐に邁進するようになったのは、あの裏切り者と別れた時からか……”

 

 その時の光景を思い出し、ドルマの胸の奥に健人に対する怒りが再び込み上げる。

 ドルマ本人は認めないだろうが、彼は内心では健人のことを認めていた。

 戦士としては未熟も未熟。そこいらにいる野生のヤギにすら負けそうなほど貧弱だったが、彼はリータやドルマにはない機転の良さを持っていた。

 頭もよく、常人なら長い年月が必要な魔法も、すぐに習得していった。

 そして最後は、油断していたとはいえ、素手でドルマを組み伏せるまでに成長していた。

 そんな健人の姿を見て、ドルマは彼なら、自分とは違う方法でリータを守れるのではないかと思っていた。

 だからこそ、仇であるはずのドラゴンを庇った健人が許せない。

 無論、健人に彼らを裏切る意思はない。

 健人はただ、自分の友人と姉に殺し合いをさせたくなかっただけだった。

 だが、ドラゴンを庇うという行動そのものが、ドラゴンは人類の天敵であるという認識を持つタムリエルの人々の反発を買ってしまう。

 そして、ドルマはその表面的な態度はともかく、内心では健人を認めていただけに、彼の行動に対する拒絶反応も激しかったのだ。

 健人の裏切り行為が、ただでさえ不器用なドルマの精神をさらに硬質なものへと変えていた。

 

「俺は絶対に、リータを裏切らない……」

 

 リータを守る。

 自らの行動原理であり、この旅をつづける根本的な理由。

 例え友と思っていた相手に裏切られようが、ノルドとして、一度掲げた誓いは破らない。

 だが、ドラゴンを庇った健人の行動に対する反発心。そして、そんな裏切り行為を行った健人が未だにリータの心を占めている嫉妬から、彼は気付けない。

 その頑なさと黙して語らぬその行動が、いずれ悲劇に繋がるかもしれないということに。

 

 

 

 

 

 

 イヴァルステッドの宿屋、ヴァイルマイヤー。

 かつてリータ達が世界のノドを登る際に一泊したこの宿屋に、デルフィンとエズバーンは泊まっていた。

 彼らがリータ達と共にハイフロスガーに向かわなかったのは、ブレイズがグレイビアードとは決定的に相容れない間柄だからだ。

 

「エズバーン、何しているの?」

 

「アルドゥインの壁画に関しての資料を纏めているところだ。

もしかしたらあのドラゴンについて、まだ知らない情報が隠されているのではと思ってな」

 

 店の店主が笑顔で差し出してきた蜂蜜酒を受け取りながら、デルフィンはエズバーンの隣に腰かける。

 この宿屋の店主ウィルヘルムは以前にリータが訪れた際、彼女がドラゴンボーンである事に気付いて歓待したことがあり、今現在リータ一行に加わっているデルフィン達にも妙に好意的であった。

 その好意の裏には、以前にサルモールの部隊に脅され、リータの情報をしゃべってしまった事への後ろめたさも多分に含まれている。

 デルフィン自身もこの宿屋の店主が抱く後ろめたさには気付いており、故にちょっと宿屋の裏で“お話”して、釘を刺してはあったりする。

 

「今頃ドラゴンボーンは、グレイビアードと会っている頃か……」

 

「ええ、願わくば、彼らが、若しくはかのドラゴンが、アルドゥインを落とすシャウトを知っていることを願うわ」

 

 ブレイズはグレイビアードの師であるパーサーナックスが、ドラゴンであることを知っている。

 ブレイズは元々アカヴィリからタムリエルに渡ってきたドラゴンスレイヤーの集団であり、ドラゴンを殺すことを使命にしているが故に、歴代のドラゴンボーンを守ってきた。

 当然、ドラゴンについてはこのタムリエルで、どんな組織よりも深い知識を有している。

 

「しかし、お互い良く生きていたものね」

 

「ああ、いつ死んでもおかしくなかった。曇王の神殿にサルモール達が押し掛けてきた時も、追われるスキーヴァのように穴倉から穴倉へと逃げ回っている時もそうだった」

 

「ええ、まったくそうね……」

 

 ブレイズは第四期初めの大戦中に、サルモールによって甚大な被害を被った。

 構成員はほぼ捕らえられ、拷問の末に殺された。

 四散し、逃げのびた生き残りも、サルモールの執拗なブレイズ狩りの中で次々に息絶えていった。

 サルモールがそれだけ長い間執拗にブレイズを狩り続けていたのは、それだけ彼らがサルモールに与えた被害が甚大であるからに他ならない。

 そしてデルフィンは、サルモールの破壊工作の中で最前線に立っていた精鋭中の精鋭。

 エズバーンは、ブレイズの機密の塊である公文書の管理官。

 サルモールにすれば、双方共に最重要の捕縛対象であり、最も警戒されている危険人物である。

 デルフィンとエズバーンが生き延びてきたのは、他の生き残りのブレイズ達とほとんど接触してこなかったからだ。

 だが同時に、孤独な日々はどんな屈強な人間であろうと、その心を蝕んでいく。

 見えない刺客に何十年も四六時中追い回されてきたデルフィンとエズバーン。

 だからこそ、こうして再会出来た二人は声高に叫ばずとも、仲間と過ごす静かな時間を、これ以上ない程喜んでいた。

 

「ドラゴンボーンはグレイビアードの助力を得られただろうか……」

 

「さあね。彼らの頭の固さと言ったら、まるで白痴のトロールのようだから……」

 

 ドラゴンを殺し尽くす事を己に科したドラゴンボーンは、まさにブレイズが望んでいた存在である。

 だが、グレイビアードの助力が必要な今の状況では、少々不安が残ることも事実である。

 下手をすれば、グレイビアードの助力を得られないかもしれない。

 グレイビアードはスカイリムのノルドの誰もが奉ずるような者達だが、その権威や力でもって俗世と関わる事はない。

 だが、その姿は、デルフィン達には自らの運命に尻込みした者達として映る。

 自らの力と意思、そして身を裂くような選択の果てに生き延びてきたブレイズ。

 世界が滅ぼされることも運命として受け入れているグレイビアード。

 グレイビアードはブレイズを蛮族の集団とみるだろうし、ブレイズもグレイビアードを、力を持ちながら何もしない臆病者達と取る。

 当然ながら、交わるはずのない者達だ。

 デルフィンもグレイビアードの立場は理解しながらも、納得は絶対にしない。

 リータが上手く目的となるシャウトについて情報を貰えればいいが、こればかりはデルフィンは手を出せず、神に願うしかなかった。

 

「それで、かのドラゴンについてはどうするのだ?」

 

「グレイビアードが今のドラゴンボーンに対して、パーサーナックスについてどこまで話すかは分からないけど、彼がかつて人間たちを虐殺した張本人の一人ということを聞いていないなら、おそらく上手く行くと思うわ」

 

 パーサーナックス。

 竜戦争を生き延びた数少ないドラゴン。

 そして、かつての竜統治時代に、人間に対して最も苛烈な虐殺を行った竜。

 キナレスに諭され、かつて人々を震撼させた野心家の影は消えているが、グレイビアードと違い、それでもこの大罪を犯したドラゴンは殺すべきだというのが、ブレイズの主張である。

 もちろん、表立ってパーサーナックスを殺そうとは言わない。

 しかし、ブレイズはかつてのパーサーナックスの所業を忘れることなく、数千年間、影からその隙を狙っていた。

 グレイビアードもブレイズの思惑は察しており、寺院に近づくことすら拒絶反応を示すだろう。

 グレイビアードの協力が必要な現状では、デルフィン達がハイフロスガーに赴くのは吉ではない。

 その時、デルフィンの隣にフードを被った男が座った。

 座った男は何も言わずに懐から一冊の封筒を取り出し、手の平で隠すように卓上に置いて滑らせる。

 そして男は蜂蜜酒一杯も飲まずに即座に立ち上がり、宿を出ていった。

 デルフィンは目の前に滑り込んできた封筒を取り、封を開けて中身に目を通す。

 

「またか?」

 

「ええ、ドラゴンボーンの私兵からの手紙よ。ソルスセイムへ家出したケントを追って、今はウィンドヘルムにいるみたいね」

 

 封筒の中身は、リディアからドラゴンボーンに宛てた手紙だった。

 手紙にはソリチュードからソルスセイム行きの船に乗った健人を追って、ウィンドヘルムにいる現状がしたためられている。

 デルフィンは時々、こうしてリディアから健人の現状を手紙で受け取っていた。

 なぜデルフィンがリータ宛の手紙を受け取っているかというと、手紙の運送を行っているのが、デルフィンのコネのある盗賊ギルドだからである。

 元々、サルモールに追われている一行である。普通に手紙のやり取りをしていたのでは、簡単に足がついてしまう。

 だからこそ、彼女は高い金を盗賊ギルドに払って、秘密裏に手紙のやり取りを行えるようにしていた。

 

「確か、ソリチュードで飛び出したお前の弟子を追って行ったという話だったな?」

 

「ええ、ドラゴンボーンには話していないけどね。話す必要もないし……」

 

 また、デルフィンは手紙の窓口を限定することで、ドラゴンボーンに余計な情報が渡らないようにもしていた。

 健人が行方不明になった事など、その最たるものである。

 ドラゴンボーンに仕えるブレイズとして、主の害になる要因は極力排除する。

 この場合の彼女の主とは、もちろん“ドラゴンを殺す者”としてのリータである。

 彼女は、これがリータにとっても人類にとっても、最上であると信じている。

 復讐。それはリータが願う道であり、デルフィンもまた胸に抱く思いであるからだ。

 

「それに、ドラゴンボーンのおかげで、人々も希望を持ち始めている。悪い事ではないわ」

 

 今のリータは正しくデルフィン達が、そして、ドラゴンの影に怯えるスカイリムの人々が望んだドラゴンボーンとなっていた。

 ドラゴンを殺す者、そして人類に希望を与える者。

 現実にリータがドラゴンを殺し続けることで彼女の名声は高まり、ドラゴンの復活に怯えていたスカイリムの人達は徐々に希望を持ち始めていた。

 もちろん、当初はドラゴンボーンの出現に懐疑的な者達も多かった。

 だが、スカイリム各地を回る中で、現実としてドラゴンを倒し続けるリータの姿は、噂が真実であると気づかせるには十分なインパクトがあった。

 

「いいのか? お前の弟子なのだろう?」

 

「弟子ではあるけれど、既に脱落した者よ。それに、ドラゴンボーンが殺しまわっているとしても、今のスカイリムはまだまだドラゴンだらけだわ。

 何より、アルドゥインをまだ倒せていない。

 ダンマーの支配下にあるソルスセイムの方がサルモールの目も届きにくいし、幾分かマシでしょう……」

 

 デルフィンの中では、既に健人は落伍者となっていた。

 だが、それが悪いとは彼女は思わない。

 彼女から見ても、健人は優しすぎた。ドラゴンと友誼を結ぶほどのお人よしである。

 戦士としての資質はともかく、血生臭い、怨嗟に塗れた影の世界を生きるには、あまりにも不適格な人格をしている。

 

「……もし、その弟子が戻ってきたら?」

 

「ありえないわね。既に心が折れていたわ」

 

 デルフィンの経験上、戦場で心折れた者がもう一度立ち上がれることはほぼない。

 表面上はどんなに取り繕おうが、その心の芯には隠しようのない傷が残っているからだ。

 そして人とは、どれだけ威勢を張ろうが、強烈な自己防衛本能を持っている痛がりである。

 トラウマは過剰な自己防衛本能を誘発し、結果的に極限状況を忌避する“ごく普通の人間”になるのだ。

 

「……もし、それでも戻ってきたら?」

 

 もし、それでも立ち上がることができたのなら、その心の芯は今までとは比較にならない程強いものになるだろう。

 男子三日会わざれば刮目して見よ、とはよく言うが、強烈な覚悟と集中力でもって困難を乗り越えた者は、間違いなく急激な成長を遂げる。

 そして、デルフィンは健人の“戦士としての”素養自体は、決して否定しない。

 それは、彼をほぼ一から育てたデルフィン自身が一番分かっている事だった。

 

「ドラゴンボーンと共にドラゴンと戦うのなら歓迎するわ。でも、もしもまた立ちはだかるなら、その時は私が潰すわ。ブレイズの為に……」

 

 だからこそ、彼女は健人に立ち上がって欲しくなかった。

 健人が今一度立ち上がった時、彼がどうするのかが、否が応にも脳裏に浮かんでしまうから。

 頭に浮かぶ光景をかき消すように、デルフィンはコップの中の蜂蜜酒を飲み干した。

 甘いはずの蜂蜜酒が、どことなく苦く感じられていた。

 




というわけで、今回はドルマとデルフィンサイドのお話。
何だろう、こっちサイド書くと鬱になる……。
前書きにも書きました通り、続きは明日にでも投稿します。
ついでに、次回更新時に第5章から第6章の間の概要を、適当な所に挟み込む予定です。


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第三話 老竜の導き

お待たせしました。
ついに皆さん大好きな御爺ちゃんこと、パーサーナックスの登場です。
同時に、書き溜めていた分はこれで終了。
続きは書き終わり次第投稿します。

ついでに、このお話投稿時に、第5章から第6章までの空白期の概略を、登場人物紹介の形式で入れておきました。
閑話は……いつ書き切れるかなぁ……(遠い目



 世界のノドの頂上。

 ノルドですら瞬く間に低体温症で動けなくなるほどの風を晴天の空で吹き飛ばしながら、リータは山道を駆け抜け、ついにその場所に到達した。

 山頂に到着した彼女を出迎えたのは、年老いたドラゴン。

 まるで氷河で削られた山脈のように、皹割れた鱗。

 かつては荘厳で力に満ち溢れていた体躯はやせ細り、風を切り裂いた皮膜は破れてボロボロになっている。

 

“ドレム、ヨゥ、ロク……よく来たな、ウンドニーク。私が、パーサーナックスだ……”

 

「ドラゴン……!」

 

 ドラゴンの出現に、リータの胸の奥で燻る憎悪が瞬く間に燃え上がり、戦闘意識が一気に昂ぶる。

 反射的に腰の黒檀の剣に手を伸ばし、引き抜こうと力を籠める。

 

“その目で世界を見て、己の答えを探るがいい……”

 

「…………」

 

 だが、その刹那の間に、リータの脳裏にアーンゲールの言葉が蘇る。

 そして、去り際の静謐に満ちた彼の瞳が、憎悪に流されそうになっていたリータの意識を瀬戸際で食い止めた。

 目の前のドラゴンは、自らをパーサーナックスであると名乗った。

 それは間違いなく、グレイビアードが称える大師父の名前。そして、ドラゴンレンドを知るはずの者の名だった。

 

“ここに何をしに来たのだ、ヴォラーン。なぜ瞑想の邪魔をする?”

 

 パーサーナックスが奇妙な侵入者に問いかける。

 今のリータは黒檀の鎧を身に纏い、腰には黒檀の片手剣、そして背中には黒檀の両手斧を背負っている。

 どこからどう見ても戦いを生業とする凄腕の傭兵にしか見えず、さらにはドラゴンの存在に気付いて反射的に戦闘態勢を取ってしまっていた。

 どれだけ贔屓目に見ても、対話をしに来た訪問者の恰好ではなく、暗殺者とか襲撃者とか鉄砲玉という表現が正しい風体だ。

 

「…………」

 

 だが、自らの姿が誤解を招いてしまっていたとしても、ドラゴンという仇敵を前に、リータは中々戦闘態勢を解くことができなかった。

 それはもはや本能と呼べるほどのもの。

 リータ本人も、まさかグレイビアードの師がドラゴンであるなどと想定できるはずもない。

 

“ふむ、ドヴァーキンか。喉を使って話をしているのだから、分かるはずだが……ああ、すまない。そうだった。年長者である私から話をするべきだったな”

 

 リータが自分の理性と本能の狭間で硬直している中、反応のないリータに首を傾げた老竜は、頓珍漢な方向に勘違いしていた。

 リータは知らないが、ドヴ……つまり、ドラゴン族同士が会話を行うときは、まず年長者が己のスゥームを披露するという慣習がある。

 得心が行ったように頷いたパーサーナックスは、おもむろに首を上げ、その口蓋を天に向けた。

 

「え?」

 

“ヨル、トゥ、シューーール!”

 

 そして、ファイアブレスのシャウトを空に向かって放った。

 強烈な炎が強風を切り裂き、紅い一条の線を雲に覆われた空に刻む。

 

“私の声は聞かせた。さあ、お前の血に秘められた声を聴かせてくれ、ドヴァーキン”

 

 さあ話してくれと、パーサーナックスはリータに己と同じシャウトを使うように促してきた。

 もちろん、パーサーナックスが盛大な勘違いをしているが故の状況であるが、目の前の老竜の的外れな行動にさしものリータも毒気を抜かれていた。

 はあ……と溜息を兜の中で吐きながら、腹に力を入れて力の言葉を引き出す。

 引き出すのは当然、今しがたパーサーナックスが唱えたシャウト“ファイアブレス”である。

 普通の人間なら相手の生死を気にするが、相手はドラゴン。

 そして、ドラゴンに対する気遣いなどリータにはない。

 故に、遠慮なしに全力全開のシャウトをパーサーナックスに叩きつける。

 

“ヨル、トゥ、シューーーール!”

 

 放たれた炎の奔流が世界のノドの頂上に積もる雪を一瞬で溶かし、パーサーナックスの巨体を飲み込む。

 燃え盛る炎が鱗を舐める感覚に、パーサーナックスは歓喜の声を上げた。

 

“ああ、正に! ソッセドヴ、ロス、ムル。お前の中で竜の血脈が強く流れているのを感じる。

 何と苛烈で、鮮烈で、激しいスゥームか。強い、怒りに満ちた声……。同じ種族の者と話をするのは、ずいぶんと久しぶりだ”

 

「貴方達ドラゴンと一緒にしないで」

 

 パーサーナックスに同族と呼ばれた事に、リータがこれ異常なほど冷たい声を漏らした。

 家族をドラゴンに殺されたリータにとっては、到底認めたくない言葉であるからだ。

 

“その怒りは正しい。私は血で血を洗うような支配を繰り返したドラゴンだ。殺意を向けられるのは当然といえよう……”

 

 だが、パーサーナックスもまた、リータの憤りに満ちた言葉を否定しなかった。

 むしろ、その怒りの感情を懐かしむように、空を見上げながら、何やら語り始める。

 

“お前のような怒りを抱く者を、私は何人も見てきた。そんな彼らにもスゥームを教えた”

 

「何を、言っている……」

 

 パーサーナックス。

 かつて人間がドラゴンに反旗を翻した竜戦争において、人類側に立った数少ないドラゴンの内の一体。

 リータは知る由もないが、彼こそがドラゴンに支配されていた人間達に、反旗を翻すための力を与えた最初の功労者であり、同時に最も苛烈な統治で人類を虐殺した忌竜でもあった。

 

“私はかつて、私を殺そうとする者達にスゥームを教えた。そう、遠い……遠い昔の話だ。

 クロシス、話が逸れた。それで、この老体に何を聞きたいのだ? ドヴァーキン”

 

 ここに来た目的を尋ねられ、リータは覚悟を決めるように深く深呼吸する。

 ひりつくような空気が肺を焼き、澄んだ空気が怒りに染まりそうになる頭を冷やしていく。

 

「……アルドゥインを落とすシャウトを知りたい」

 

 万感の思いを込めて、リータはドラゴンレンドについて尋ねる。

 アルドゥインに対抗できるかもしれない希望。

 かつて一度あるアルドゥインと相対した時、彼女のスゥームはただ喉を鳴らしただけで吹き飛ばされた。

 その時の光景が、リータの脳裏に蘇っている。

 それからリータは自らの力の無さを再確認し、ただ只管に強くなろうとした。

 そして現に彼女は、数多くのドラゴンを殺し、その力を吸収していた。

 だが、より多くのドラゴンの魂を吸収していく中で、彼女はアルドゥインが他のドラゴンと決定的に違うということに気付いていた。

 それは、強大になっていくドラゴンソウルが、彼女に齎した天啓のようなものといえる。

 

“ふむ、ドラゴンレンドか。アルドゥインとドヴァーキンが共に戻ってきたのだ。当然であろう。

 しかし、お前が求めるスゥームのことについては知らない。クロシス。私には知りようがないのだ”

 

「知りようがない? どういう事よ」

 

“ドラゴンレンドは、お前と同じジョーレ、定命の者がドヴ……ドラゴンを倒すために作ったのだ。我らのハドリンメ、心では、その概念すら理解できない”

 

 パーサーナックスによれば、ドラゴンレンドは人間による、人間のためのシャウト。

 そしてシャウトを使いこなすためには、言葉の奥に秘められた意味を知らなければならないが、ドラゴンレンドの概念はシャウトを最も使いこなす種族であるはずのドラゴンですら理解できず、習得することはできないらしい。

 当然ながら、概念が理解できないならば、パーサーナックスが教えられるはずもない。

 

「……なら、どうすれば」

 

 いよいよもって詰んできた状況に、リータの焦燥が募る。

 下を向き、拳を握り締めるリータを前に、パーサーナックスが考え込むように喉を鳴らした。

 

“ふむ、確かに、私はドラゴンレンドを教えることはできないが……”

 

「……何を知っている?」

 

 パーサーナックスの言葉の裏に含意を感じたリータが、老竜に詰め寄る。

 彼女は全身からドヴ特有の強烈な威圧感を醸し出している。

 ともすれば再び、腰の剣に再び手を伸ばしそうな雰囲気だ。

 

“ドレム。時が来れば分かる。さて質問がある。なぜ、このスゥームを習いたいのだ?”

 

「あなたには関係ないこと」

 

“ニド、もしお前の問いに答えて欲しければ、まずはお前から答えよ”

 

 冷たさと威圧感を伴ったリータの声。

 並の人間なら聞くだけで平伏してしまいそうな圧力が込められた言葉も、パーサーナックスはまるで柳のように受け流す。

 その柔らかながら、確固たる巌のような老竜の声に、リータは不快そうに表情を歪めながらも、ドラゴンレンドを求める理由を話し始めた。

 

「アルドゥインを倒すため。それが何?」

 

 正確には、アルドゥインを含めた全てのドラゴンを倒すこと。

 それが、リータの戦いだ。

 当然その中には、目の前の老竜も含まれている。

 刃を抜いて斬りかからないのは、この竜がドラゴンレンドについての秘密を持っており、そして何より、リータがまだドラゴンレンドを習得していないからだ。

 同時にリータは、自分の胸の奥に残るシコリが、何かを訴えているようにも感じられていた。

 もしも、この場でドラゴンレンドが習得できていたら、彼女はすぐさまパーサーナックスに斬りかかっていただろう。

 

“アルドゥイン……、ゼイマー。世の長子にありがちな、有能で、貪欲で、そして厄介な兄か。

 だが何故だ?何故お前がアルドゥインを止めなければならない?”

 

「ドラゴンボーンである私しか、アルドゥインを止められないからよ」

 

 ドラゴンは、生態系の頂点に座すに相応しい超生物である。

 城壁を思わせる堅牢な鱗に自由に空を飛ぶ翼、そして変幻自在かつ強力無比なシャウト。

 彼らがもたらす災禍は、地震や竜巻のような自然災害に匹敵する。

 そして、並の人間がいくら集まったところで、倒せるような存在ではない。

 そのドラゴン達の頂点に立つアルドゥインともなれば、もはや抵抗することすら無意味である。

 リータ自身も、もしドラゴンボーンとして覚醒しなかったら、心に傷を負ったまま日常の中に埋没していっただろう。

 両親の死と復活したドラゴンの影に怯えながら、小さな一人の人間として生き、そして死んでいったはずだ。

 だが、彼女は伝説のドラゴンボーンとして覚醒し、ドラゴンと同等の力を身に着けることが出来た、出来てしまった。

 それが、彼女に復讐という選択肢を現実的なものとして認識させ、より大きな力を求めさせた。

 求めた力を手にする度に復讐心は増し、さらに大きな力を欲していく。

 ドラゴンに相対できるのは、同じシャウトを使いこなせる人間だけであり、強力なシャウトの使い手がこの時代の中で皆無である以上、実質的にアルドゥインと戦えるのはリータだけなのだ。

 

“しかし、クォスティード……、予言が伝えるのは、可能性であって必然性ではない。

 クォスティード、サーロ、アーク。また“出来る事”が常に“すべき事”であるとは限らない”

 

 だが、そんなリータの覚悟に、パーサーナックスは疑問を投げかける。

 アルドゥインを倒すドラゴンボーンの予言。

 書物としても伝説としても伝えられるその予言であるが、時の流れに身を置くドラゴンにとって、予言は可能性の示唆でしかない。

 彼らは時の流れを、他のどんな種族よりも敏感に感じ取る。

 予言や運命というのは、後に起こる事への保険や後付けの単語である。

 また、出来る事を成し続けることが、必ずしも最上の結果を生み出すとは限らない。

 反対に、最悪の結果を招くことはままある。

 木を切れるからと森を伐採し続けて、水害を誘発するなど、その例は枚挙にいとまがない。

 

“運命より他に動機はないのか? お前は唯、宿命にもてあそばれるだけの存在なのか?”

 

「運命なんて信じない。私は唯、家族を守るためにドラゴンを殺し、アルドゥインを殺す」

 

 問い詰めるようなパーサーナックスの言葉に、リータもまた語気を強めて返す。

 リータの瞳の奥に揺らぐ炎。何より、シャウトを用いずとも、発せられた人の言葉からあふれ出す憎悪に、パーサーナックスはその瞳を窄ませた。

 

“やはり怒りか。だが、怒りの炎は己をも焼き尽くす。ラゴール゛、アグ、ズゥー。その炎は若しやもしたら、お前が守ろうとするものをも焼き尽くすかも知れん”

 

 憎悪に満ちたリータの言葉。自分自身すら焼き尽くすのではと思える苛烈な怒りの声の端々に、パーサーナックスは諭すように語り掛ける。

 その言葉に、リータの顔が曇った。

 唸りを上げる狼を思わせるその表情が、パーサーナックスの言葉が的を射ていることを示している。

 リータは現に、一緒に戦おうとしていた家族を傷付け、その意思を折っている。

 一方、パーサーナックスは、今のリータが復讐の炎に身を焦がそうとも、彼女が完全に悪鬼羅刹に堕ちないでいる理由が、彼女が守ろうとしている存在にある事を察していた。

 

“それにアルドゥインは奴なりの理由で、自分は勝てると信じている。ロック、ムル”

 

 だからこそ、パーサーナックスはこのドラゴンボーンに、己の知る秘密を語ろうと決めた。

 怒りに身を焼かれているとはいえ、彼女にはまだ守ろうとする存在がいる。

 何より、パーサーナックスは己の罪を自覚している者だ。

 彼は大きすぎる野心と残酷な心を持つ大君主。

アルドゥインの右腕として采配を振るい、人間達を虐殺したドラゴンだった。

 キナレスに諭されたとはいえ、彼自身は今でも、己の名によって定められた本質に苦しみ続けている。

 自らの本質が醜いものであるという自覚があるだけに、例え憎悪に身を焦がそうと、誰かを守ろうと身を粉にして強くなろうとするリータの姿は、パーサーナックスには眩しく映っていた。

 

“奴は傲慢だが、愚かではない。ニ、メイ、リニック、グト、ノル。愚かさとは無縁だ。生まれながらに最も賢く、最も先を見通している”

 

 己の本心を内に秘めたまま、パーサーナックスは言葉を続ける。

 アルドゥインは傲慢ではあるが、暗愚には程遠い存在であるらしい。

 時の竜神、アカトシュの長子に生まれ、絶大な力と未来を見通す知恵と頭脳を併せ持つ、ドラゴンの中で、最も強大で賢き存在なのだと。

 

“しかし、この長話の悪癖に良く付き合ってくれた。クロシス。では、お前の問いに答えよう”

 

 老竜の言葉通り、リータは己の答えを話した。ならば、老竜自身も答えを提示しなければならない。

 この同族の身を焦がす炎が、少しでも和らいでくれることを願いながら、パーサーナックスはドラゴンレンドを学ぶ為の方法をリータに話し始める。

 

“私はドラゴンレンドについては教えられない。だが知る方法なら示せる。

この場所はかつて、アルドゥインと我が弟子たちが死闘を繰り広げた場所。この地で弟子達はドラゴンレンドとケル……星霜の書を用いて、アルドゥインを封印した”

 

「星霜の書……」

 

 星霜の書。

 学のない平民であるリータでも聞いたことがある、この世界で最も貴き遺物。

 星霜の書、又の名をエルダースクロール。

 この世の全ての過去と未来が記された、このムンダスにおけるアカシックレコードそのものである。

 

“ふむ、お前たちの言葉で何と呼んだらいいか……ドヴの言葉にはそれがあるが、ジョーレの言葉には無い”

 

 星霜の書とは、定命の者達が付けた名称である。

 当然ながら、エルフやカジートにも、星霜の書を示す単語は存在するが、パーサーナックス曰く、その表現はどれも星霜の書の一側面しか表していないらしい。

 

“言うなればそうだな、時を超えた秘宝なのだ。存在はしないが、常に存在するもの。ラー、ワーラーン。つまり、創造のかけらなのだ。”

 

 雲を掴むようなパーサーナックスのセリフに、リータは首をかしげる。

 

“お前達がいう星霜の書の数々は予言書として用いられている。お前の予言も、ある星霜の書の中にあるものだ“

しかしそれは、ケルに備わっている力の一部だ。ソファース、ストレイク”

 

 アルドゥインを倒すことを運命づけられた、最後のドラゴンボーン。

 つまりはリータの存在も、元々星霜の書に記されていた事である。

 数百年前のオブリビオンの動乱や、モロウウィンドのレッドマウンテン噴火もそうだ。

 そしてこのエルダースクロールが示した運命は、このタムリエルはおろか、ニルン全体に極めて大きな影響を与え続けてきた。

 だがパーサーナックスによると、この予言ですら、星霜の書が持つ力の一側面でしかないらしい。

 

“古代ノルドの英雄たちは、この世界のノドの頂上でアルドゥインと戦い、そして星霜の書の力を用いてアルドゥインを消し去ろうとした。

 だが、アルドゥインを消すことは出来ず、時の彼方に放逐するのみに留まった。

 そしてその時に星霜の書を用いたために、ここでは時が、砕けてしまった。ティード、アラーン。時の傷跡だ”

 

 ここ、世界のノドの頂上は、アルドゥインと人類の古戦場である。

 パーサーナックスから聞かされた事実に、リータは目を見開く。

 ブレイズの壁画で見たアルドゥインとの決戦の場が、まさにこの場所だったからだ。

 パーサーナックスが世界のノドの頂上の一角に視線を向ける。

 雪が舞い落ちるその場所は、降り注ぐ太陽光を、まるで水面に波紋ができた時のように歪めていた。

 時の傷跡。

 ドラゴンについての全てが記された星霜の書が引き起こした歪みが、確かにそこに存在していた。

 

“アルドゥインの封印に使われた“竜”の星霜の書を、時の傷跡に持ってくるのだ。そうすれば、時が開き、お前を過去に送る事が出来るかもしれん。壊れた時間の、彼岸にな。

ドラゴンレンドは、生み出した者達から習うがいい”

 

「その星霜の書はどこに?」

 

 となれば次の目的は一つ。

 ドラゴンについて記された星霜の書を見つけ出すことである。

 だが、リータの質問に、パーサーナックスは申し訳なさそうに首を振った。

 

“クロシス。いや、この地に住み始めて以来の長き間に何が起きたのか、ほとんど知らないのだ。恐らく、お前の方がよく知っているだろう”

 

「魔法関係となると……ウィンターホールド?」

 

 ウィンターホールドは、スカイリム北東に位置するホールドであり、ウインドヘルムのさらに北に存在する。

 このホールドにはスカイリム唯一の魔法研究兼教育機関である、ウィンターホールド大学が存在する。

 

“己の直感を信じろ、ドヴァーキン。その血が道を示してくれる”

 

 これで、聞くべきことはすべて聞いた。

 リータは踵を返し、元来た道を帰ろうとする。

 だが、数歩歩いたところで、リータは徐にパーサーナックスに声をかけた。

 

「私は……あなたの兄弟を殺した」

 

「ふむ?」

 

「ヌエヴギルドラールと名乗ったドラゴン……」

 

 ヌエヴギルドラール。

 リータが手にかけたドラゴンの中でも異色のドラゴンであり、そして健人と決定的な決別の原因となった竜。

 刃を向けられ、殺されるまで抵抗らしい抵抗を何一つせず、死に際ですら、リータに対して“要らぬ業を背負わせた”等という言葉をかけてくるほど、異質な竜だった

 そして、未だにリータの胸の奥で残り続けるシコリでもあった。

 もし、この老竜が兄弟の死を知ったらどう思うだろうか。

 怒りのままに復讐をしようとするだろうか?

 リータとしては、怒りのままにシャウトをぶつけて欲しかった。

 そうすれば、目の前のドラゴンを殺す理由ができる。

 いくら理性的な態度や振る舞い、言葉をかけてこようが、ドラゴンはドラゴンなのだと証明できる。

 そして“ドラゴンは信用できない”という自分の考えを堅持できただろう。

 

“クロシス……ああ、そうか。あの兄弟も逝ったのか。ゼイマーが死ぬことには、やはり慣れぬ……”

 

 だが、パーサーナックスの返答は、リータが願っていたものとはまるで違っていた。

 

“彼の事だ。自らの死も理解していたのだろう。優しい兄弟だった。同時に、哀れな弟だった。クロセィス、ラーズ、キン。生まれながらに全てを見通してしまっていた彼に、私は何もしてやれなかった……”

 

 彼は、唯々兄弟の死を悼んでいた。

 その声色には、兄弟を殺したリータに対する怒りや負の感情は微塵もない。

 リータは知る由もない。

 ヌエヴギルドラールが、どれだけ諦観と絶望に満ちた竜生を送ってきたかを。

 パーサーナックスが、どれだけ過去の己の所業と己の本質を嘆いているのかを。

 そして、そんな奇妙で無力なドラゴンにとって、リータの弟がどれだけ救いになっていたのかを。

 

“聞かせてくれ、ドヴァーキン、彼は最後に、笑っていたか?”

 

「……知らないわ。ドラゴンの表情なんて、分かるわけないでしょ」

 

 リータに、彼らの事情も心情も理解できない。理解したくない。

 だがそれでも、この頂に住まう老竜の瞳や、死の間際のヌエヴギルドラールの言葉、何よりも友達のドラゴンを守ろうと自分の前に立ちはだかった健人の姿が、リータに認めたくない現実を突きつける。

 

“俺は死んでほしくないんだよ! リータにもお前にも! それがそんなに悪いことなのかよ!”

 

“君にもすまない事をしたな、ドヴァーキン。要らぬ業を背負わせてしまった“

 

 脳裏によみがえる弟とヌエヴギルドラールの声を思い出しながら、リータはギシリと拳を握り締める。

 

「なんで……またそんな目で、私を」

 

 思わず漏れてしまったその声は、世界のノドに吹きすさぶ強風にかき消される。

 だが、復讐心に打ち込まれた楔は消えるどころか、さらに深く食い込み、心に刻まれたヒビを広げていく。

 これ以上、このドラゴンの前にはいられない。

 自らの自己認識が壊れてしまう前に、この場を離れなくては。

 リータは背中から向けられるパーサーナックスの視線から逃げるように歩を速めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 健人を乗せたノーザンメイデン号は、一月近い航海の後に、目的となっている街に到着していた。

 ウィンドヘルム。

 スカイリム最古の、そしてタムリエル最古の、人間の街である。

 この街はかつて、タムリエルに最初に入植した人間が建てた街であり、同時にエルフと人の長きに渡る戦いを見てきた街でもある。

 他のホールドの首都と比べでも段違いの歴史を誇っているためか、石造りの外壁や家々には、古代ノルド独特の装飾が随所に施されており、文字通り街全体が一つの遺跡といえるような街であった。

 ノーザンメイデン号が街の南に設けられた港の桟橋に接舷し、タラップが下ろされると、健人は感慨深そうに大きく息を吐いた。

 

「ついにスカイリムに帰って来たな……」

 

 健人はついに、この地へと戻ってきた。

 全身にドラゴンスケールの鎧と耐冷気の付呪を施した外套を纏い、背中には鎧と同じドラゴンスケールの盾、そして腰に蒼と黒の二つの刃を差して。

 よく見れば外套だけでなく、彼が纏う全身の装具全てに付呪が施されているのか、鎧や腰に差した刃もほのかな燐光を纏っている。

 彼が纏う装具の中で一際目につくのが、腰に差した黒い刃。

 刀身は見えずとも、拵えと鞘には特徴的な黒と紅の装飾が施されており、それがどのような素材の刃であるかを如実に示していた。

 

「で、カシトは大丈夫か?」

 

「おおうぇえええっぇえぇ……」

 

 健人の隣では、船酔いでダウンしたカシトが、タラップから身を乗り出して胃の中身を海面にぶちまけていた。

 相も変わらず船に弱いカシト。

冬が終わり、荒れていた海も少しずつ治まってきていたとはいえ、やはりカシトには船旅は堪えた様子だった。

 

「結局、カシトは船には慣れなかったな」

 

「オイラはカジート、海の上で生活するような体じゃないんだよ……うぷ……」

 

「やれやれ……」

 

 健人は船が港に着いたにもかかわらず、未だにえずいているカシトの背中をゆっくりと撫でてやる。

 ついでに腰のポーチから水袋を取り出し、カシトに渡してうがいをさせる。

 船酔いで吐いた後はうがいをしないと、残った胃液が喉を焼いてしまう。

 健人がこうして船酔いでダウンしたカシトを看病するのも、もう何度目になるか分からない。

 今ではすっかり看護役が板についてしまっていた。

 

「おうケント、最後の最後までカシトの御守りか?」

 

 そんな健人に、ノーザンメイデン号の船長であるグジャランドが声をかけてきた。

 

「ええ、まあ。グジャランド船長、またお世話になりました」

 

「いやいや、世話になったのは俺達だ。ケント達がレイブン・ロック鉱山の鉱脈を見つけてくれたおかげで、俺達も船に金の生る荷を腹一杯積めるようになったんだからな」

 

 そう言いながら、グジャランドはニカッと、その強面に似合わない笑顔を浮かべる。

 ソルスセイム滞在中のレイブン・ロックで、健人はある鉱夫の依頼を受け、その過程で未発見の黒檀の鉱脈を発見した。

 黒檀の鉱脈が枯渇したことで経済的に貧窮していたレイブン・ロックにとって、これはまさに砂漠の中でオアシスを見つけたに等しい。

 新しい黒檀の鉱脈が見つかった事で廃れていたレイブン・ロックは一気に活気づき、冬の間中、まるでお祭り騒ぎのように黒檀を掘りまくっていた。

 レイブン・ロックを統治しているモーヴァイン評議員の話では、見つかった鉱脈は予想以上に巨大で、今後何年にも渡り、安定的な採掘が見込めるらしい。

 そして、掘り出した黒檀の鉱石を運ぶグジャランド達も、当然この恩恵を受ける事が出来る。

 グジャランドが上機嫌なのも当然と言えた。

 

「ケント達はこれからどうするんだ?」

 

 リータの名は、既にドラゴンキラーとしてスカイリム中に広まっている。

 以前にカイネスグローブでサーロクニルを屠っていることから、同じホールドの街であるウィンドヘルムでもその名声は轟いていた。

 だが、スカイリムは冬の間雪に閉ざされるため、人の往来が難しくなる。

 比較的温暖な南のホールドはともかく、イーストマーチやドーンスター、ウィンターホールドの街道も雪と氷に覆われ、簡単に往来できない。

 春になり、街道を覆っていた雪も溶けてきてはいるが、それでも各都市を行きかう人はまだ少なく、他のホールドの情報も古く、ちぐはぐなものが多い。

 健人がリータの現状について、詳細な情報を集めるのは難しい状況と言えた。

 

「難しいかもしれませんが、取りあえずウィンドヘルムで準備してリータについて情報を集めようと思います。それから、安全な拠点探し、ですか……」

 

「その“壊れた黒の書”だっけ?」

 

 うがいを終えたカシトが徐に健人の腰のポーチを指差した。

 

「ああ、こいつをどうにかする事を考えないと……」

 

 健人はため息をつきながら、カシトに指差されたポーチに収めた危険物を叩く。

 そこには、彼が最も警戒している邪神のアーティファクトが収められていた。

 黒の書“白日夢”。

 健人とミラーク、そしてハルメアス・モラが激戦を繰り広げた領域を繋いでいた書だ。

 ハルメアス・モラとの戦いの後、健人は所持していた黒の書をどうにか処分できないかと、あれこれ考えて試行していた。

 黒の書はその形態こそ書物の形をしているが、実の所、異世界を繋ぐオブリビオンゲートそのものである。

 当然、生半可な方法で壊せるものではない。

 しかし、ハルメアス・モラのニルンへの干渉を防ぐには、黒の書の破壊は絶対に必要だった。

 ソルスセイムに対する、ハルメアス・モラの介入を防ぐこと。それが、健人がストルン、そしてフリアと約束である。

 結論として、黒の書の破壊は可能だった。

 カギとなったのは、健人のオリジナルスゥーム、ハウリングソウルである。

 黒の書は異世界間をつなぐゲートの役割を持ち、オブリビオンとニルンを繋ぐ道を作り、安定させている。

 その安定をハウリングソウルで崩したのだ。

 ゲートが不安定化すると、オブリビオンとニルンを繋ぐ道も不安定化し、結果的に黒の書は自壊。まるで水底の栓を抜いたように、虚空へと消えていった。

 今の健人のハウリングソウルは、ミラークの魂が枷として機能しているため、ハルメアス・モラと戦った時ほどの出力は出ない。

 しかし、弱体化した代わりに制御が容易になったハウリングソウルは、黒の書程度の小型のオブリビオンゲートなら無力化することができるようになっていた。

 その後、健人はソルスセイム中の残った黒の書の探索を行い、見つけた書を破壊しようとした。

 だが、ハルメアス・モラも簡単に黒の書を壊させる気はないのか、健人が見つけた段階で、発見された黒の書は霞のように消えてしまった。

 ネロスの話では、おそらくハルメアス・モラ側からゲート機能を停止したために、黒の書そのものがニルンに存在できなくなったらしい。

 もっとも、時間を掛ければ壊れたゲートも復旧するだろうし、ハルメアス・モラはまた黒の書を送り込んでくるだろうとのこと。

 時間稼ぎしかできないことに健人は落胆したが、ネロス曰く“どんなに早くても百年はかかる”らしい。

 ちなみに、ネロスが持っていた黒の書も健人が見つけた段階でハルメアス・モラに消されてしまったため、件のウィザードを憤慨させたとかなんとか。

 

「結局、それだけ壊せなかったからね~」

 

「ああ……」

 

 そうして黒の書がソルスセイムから姿を消していく中で唯一残ったのが、今の健人が持つ黒の書“白日夢”である。

 正確には“壊れた黒の書”というべき代物。

 かつて健人とミラーク、そしてハルメアス・モラが戦いを繰り広げた白日夢の領域は、健人のハウリングソウルとハルメアス・モラの超高位魔法が相互干渉した結果、粉砕された。

 その為か、この黒の書は機能不全を起こしており、オブリビオンゲートとしての機能も、ハルメアス・モラとの戦いに決着がついた段階でほぼ失われていた。

 しかし、領域内でハウリングソウルを受けた影響か、はたまたそれ以外の何らかの要因が関わっているのか、何故かこの書だけ健人のハウリングソウルで壊せなかった。

 それどころか、ハウリングソウルを浴びせるとゲート機能が活性化し、おそらく白日夢内にあったであろう知識やアイテムを出鱈目にまき散らす厄介な代物と化していた。

 幸い、まき散らされたのは本や魂石、スクロールの類であり、実害はフリアの家の周りが滅茶苦茶になった程度。

 しかし、スクロールの中には高位魔法を付呪した品も混じっており、白日夢内の禁呪や危険極まりない知識が出てこないとも限らない。

 その為、健人はリータともう一度会う以外に、この書を安全に封印できる場所を探す必要があった。

 

「知識を得るための本としては有用だけどね~」

 

 ただ、この壊れた黒の書は、健人が普通の本として使う分には問題がなかった。

 この壊れた黒の書は健人が開くと、おそらく白日夢内に残されていたと思われる知識を、そのページに示すようになっていたのだ

 ちなみに、他の人間が使っても、妙な言い回しの文章が出てくるだけの奇天烈書と化してしまう。

 ネロスの話では、おそらくこの書の所有権が健人に移っていることが、これら一連の妙な現象を引き起こす原因らしい。

 健人はその話を聞いて眩暈を覚えた。彼自身が白日夢を略奪した意識がない以上、オブリビオンゲートの所有権の譲渡は、間違いなくハルメアス・モラが自発的に行っているはずだ。

 確かに、知識本としては有用だろう。

 無限ともいえる知識を内包した、白日夢の知識を引き出せる書物。

 その機能はタムリエル版ウィキペデイアというべきだろうか。

 

「冗談じゃない。危険すぎて開く気にもならんわ……」

 

 とはいえ、この書の中で文字通り散々な目に遭ってきた健人にとっては、表紙を開くことすら鳥肌が立つ様な代物である。

 健人としては今すぐに海に捨てたい衝動に駆られるが、ネロス曰く、この手の類のデイドラアーティファクトは持ち主を定めた場合、どれだけ遠くに捨てようが、いずれ持ち主の元に必ず戻るという。

 この話をネロスから聞いた時、健人は思わず膝から崩れ落ちた。

 クトゥルフ系邪神ストーカーからの捨てられないプレゼントなど、厄事以外の何物でない。

 捨てられないのならば、次善策としては封印しかないが、レイブン・ロックの街中にあるセヴェリン邸は封印には適さない。

 そもそも、セヴェリン邸自体、ソルスセイムからスカイリムに戻る際にモーヴァイン評議員に売り払っていた。

 スカイリムに戻ると決めた以上、健人個人では管理しきれないからである。

 その為、今は邪神からのプレゼントという特級の爆弾を持ち歩くしかなかった。

 

「そこの船員! ちょっといいか!? 少し尋ねたいことがある! ソルスセイムから来たノーザンメイデン号とはこの船か!?」

 

 その時、甲高い女性の大声が、ノーザンメイデン号が停泊している桟橋に響いた。

 話し込んでいた健人とカシトが声のした方に目を向けると、一人の屈強なノルドの女性が、先に下りたノーザンメイデン号の船員に話しかけている。

 

「ん? なんだ?」

 

「あれ? この声って……」

 

 何やら切羽詰まった様子の訪問者に、思わず健人達も声のした方に目を向けた。

 健人としては、どこか懐かしさを感じる声。

 まさかな……と思って向けた視線の先にいた女性を確かめ、健人は思わず目を見開いた。

 そこにいたのは、健人が良く知るノルドの女性。

 彼に盾術の基本を教えてくれた、師の一人、ホワイトランのリディアがそこにいたからだ。

 

「……リディアさん?」

 

 思わず彼女の名を呟いた健人の声が耳に届いたのか、リディアの目が健人達に向けられる。

 続いて、彼女の瞳が大きく見開かれた。

 

 

 




と、いうわけで、今回はパーサーナックスの登場でした。
このお話を書いていて思った事……おじいちゃん話長すぎんよ……。
流石、話を聞いていると日付が変わるほどの話好き。
色々と端折っても、パーサーナックスとの会話だけで一万文字近い文章量でした。

そして私も、このお話を読んでくれた皆さんに“この長文の悪癖によく付き合ってくれました”と申し上げたい。



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第四話 リディア・パニック

今回はリディアさんとの再会。
割と説明が多いので、文字数がかなりの増えました。
最近一話当たりの文字数が増えてきたので、心配です。読み辛くなければいいのですが……。


 その日、リディアはウィンドヘルムの港に向かう道を駆けていた。

 街の宿屋の店主から、探していた船がこの街の港に着いたこと知らされたからだ。

 ノーザンメイデン号。

 彼女が捜していた人物をソルスセイムへ乗せて行った船。

 ソリチュードで健人を見失った彼女は、必死になって彼が何所に行ったのかを探し回った。

 リータに否定され、心折れた健人が自暴自棄になってどんな行動をとるか分からない。

 最悪の光景が脳裏に浮かび、それがリディアをさらに焦らせた。

 そして、何とか農場で働いていた薪割りから港に向かう健人の姿を見たという話を聞き出し、急いで港に向かったものの、健人を乗せた肝心の船は既に出港してしまっていた。

 リディアは急いで港にある東帝都社から健人が乗ったノーザンメイデン号の行き先を聞き出し、後を追おうとした。

 ところが、ソルスセイム行きの船はノーザンメイデン号のみ。

 当時はレイブン・ロックの鉱山が枯渇していた状況であり、東帝都社は追加の船を送る事はしていなかったため、リディアは自力でノーザンメイデン号を追うしかなかった。

 しかし、健人が船に乗っていることを突き止めるまでに時間がかかってしまった。

 相手は船、リディアは徒歩。到底追いつけるはずがない。

 カシトと違い、健人の目撃情報を見つけるのに手間取ってしまったタイムロスも深刻な影響を及ぼした。

 ドーンスターでも追いつく事が出来ず、ウィンドヘルムまで来るのにも時間がかかってしまった。

 一度スカイリムに戻ってきたノーザンメイデン号の出港にも間に合わず、そこで本格的な冬が到来し、流氷によりレイブン・ロック行きの船は停止。

 完全に足止めを食らってしまったのだ。

 

「ケント様!?」

 

「うわ!?」

 

 そんな状況だったものだから、目的の人物と再会出来たリディアの心境は、さながら迷子を見つけた母親のようなものだった。

 港中に聞こえるのではないかと思えるほどの大声で健人の名を呼び、傍に駆け寄る。

 一方の健人は、まるで獲物を見つけたサーベルキャットのような俊敏さで迫ってくるリディアの姿に、思わず腰が退けてしまっていた。

 

「え、ええっと、その……」

 

「ご無事でしたか!? 今まで何をしていらしたのですか!? いえ、そもそもどうしてソルスセイムに……」

 

 健人に駆け寄ったリディアは、もう逃がさないとばかりにがっちりと彼の肩を掴み、これまでの鬱積を晴らすように捲し立てる。

 健人はここにきてようやく、自分がソリチュードでリディアに何も言わずにノーザンメイデン号に飛び乗ったことを思い出した。

 普段から冷静な私兵としての姿を崩さないリディアが、一心不乱に言葉を捲し立てるその姿を見れば、彼女が行方不明になった健人をどれだけ心配していたかなど、想像に難くない。

 

「あ、ああっと……すみません」

 

「謝れば済むというものではありません! 一体どれほど私が心配したか、どれほど探し回ったか、お分かりですか!?」

 

 よほど健人の身を案じていたのか、涙を浮かべながら捲し立てるリディアの様子に、健人の心は申し訳なさで一杯になる。

 健人がソリチュードでノーザンメイデン号に飛び乗った頃を考えれば、彼女は半年以上も健人を探し回り、そして待っていてくれた事になる。

 その事実に、健人も何を言っていいか分からない。

 

「いやその、本当に……」

 

「とにかく! ホワイトランに戻りますよ!」

 

 とりあえず、健人が額の皮が擦り切れるまで土下座して謝り倒そうとしたところで、リディアが有無を言わさず、彼の手を引いて行こうとする。

 

「……え!? あの、ちょっと待って!」

 

「待ちません! さあ!」

 

「ちょっと、ちょっと! ノルドのお姉さん! オイラの親友の手を離しちゃ貰えないかな!? そもそもアンタ誰だよ!」

 

 そこに待ったをかけたのは、先程まで船酔いでダウンしていたカシトである。

 突然親友の手を取って連れ去ろうとしているノルドに、髭を逆立てて威嚇し始める。

 カシトとリディアは面識がない。

 故に、最初から双方の警戒心MAXであった。

 

「私は彼の姉に仕える私兵です。その手を離しなさいカジート。邪魔をするのですか?」

 

「おうおう、いきり立っちゃって。邪魔をしているのはアンタの方さ。ケントにはケントでやる事があるんだよ。

 それに、姉の私兵? ケントを捨てた糞ノルドの駒に、おいらの親友を連れて行かせると思うのかい?」

 

 片や、いきなり親友の手を掴んで連れ去ろうとするノルド。

 片や、突然割って入ってきた親友を名乗る見知らぬカジート。

 おまけにリディアがリータの存在を仄めかしたために、カシトの警戒心がさらに跳ね上がる。

 カシトとリディアの間に剣呑な空気が立ち込め、今にも自分の得物を引き抜かんばかりに張り詰める。

 

「スト~ップ! 二人とも待った!」

 

 さすがにこの空気は不味い。

 ここでの刀傷沙汰、しかも親友と恩師の血みどろの戦闘など見たくはないと、健人が二人の間に割って入る。

 

「リディアさん、ソルスセイムで何があったか話しますから、少し落ち着いてください。カシト、彼女は大丈夫だから」

 

「……まあ、ケントがそう言うなら大丈夫かな」

 

 健人に諫められ、先にカシトが矛を収める。

 リディアもまた腰の剣に伸ばした手を引っ込めた。

 

「……分かりました。聞きたいことが沢山あるのは確かです。この街のキャンドルハースホールという宿屋へ行きましょう」

 

 リディアの提案に健人も頷き、彼女の後に続く。

 健人が歩きながら周りを見渡すと、よく目につくのは、衛兵とアルゴニアンの姿だ。

 アルゴニアンはブラックマーシュと呼ばれる土地出身の亜人であり、二足歩行する爬虫類を思わせる外観をしている。

 アルゴニアン達は荷揚げや荷卸しを行っているように見えるが、彼らの周りには常に衛兵の姿がある。

 その様子に、健人は首を傾げた。

 

「ケント様、こう言っては何ですが、ウィンドヘルムではノルド以外の人種は歓迎されていません。

 エルフやカジート、アルゴニアンはもとより、時にはレッドガード等も白い目で見られています」

 

 ウィンドヘルムは古いノルドの街なだけあり、ノルド以外の種族に対しては特に排他的だ。

 現在、この街に住む主な種族は、ノルドの他にはダークエルフ、そしてアルゴニアンがいるが、後者二つの種族はあからさまな排斥を受けている。

 ダークエルフは灰色地区と呼ばれるスラムに押し込められ、アルゴニアンに至ってはそもそも街に入れてすらもらえない。

 歴史的にノルドの仇敵であるダークエルフですら街には入れているのに、アルゴニアンには街の外にある港の一角に押し込められているあたりが、ノルドの他種族への排他意識がどれだけ強いかが理解できる。

 

「リディアさん、もしかしてウルフリックは……」

 

「はい、この街に戻ってきています。従士様やケント様の話を考えるに、ヘルゲンでのアルドゥイン襲撃からは生き残ったようですね」

 

 それだけ厳しい排他政策が続いていることが、健人の脳裏にある人物を思い起こさせる。

 ウィンドヘルムの首長、ウルフリック・ストームクローク。

 苛烈なノルド至上主義を掲げる、反乱軍ストームクロークの首魁。

 そして、このスカイリムを混乱に陥れた元凶ともいえる男だ。

 大戦時は帝国軍に参加して奮戦していたようだが、白金協定によるタロス崇拝の禁止に反発し、当時の上級王であったトリグを殺した人物である。

 健人もヘルゲンで拘束されていた彼の姿を見ている。

 アルドゥインに襲撃されたあの状況下で生き延びているかは疑問だったが、どうやらしっかりと生還していたらしい。

 健人は今一度、港を巡視している衛兵に目を向ける。

 彼らの監視の目は、港に入ってくる船に乗った同族よりも、同じ街で働くアルゴニアンに向けられていた。

 その光景が、健人は何とも言えない感情を呼び起こす。

 

「……今の俺にはどうにもならないか」

 

 とはいえ、今の健人にはどうにもできない。

 健人自身は、スカイリムの内乱については特に介入する気はないし、ノルドの他種族への蔑視感情は長年の積み重なった歴史的背景がある。

 一朝一夕にどうにかなるような問題ではないのだ。

 そうこうしている内に、健人達は港と街を隔てる門の前に到着する。

 門には衛兵が配置されており、やってきた健人とカシトを蔑むような目で警戒し始めた。

 まずは明らかに目立つカジートであるカシトを見て眉を顰め、続いて隣にいる健人を見て怪訝な表情を浮かべる。

 特に衛兵は健人が纏うドラゴンスケールの装具を見て、明らかに懐疑的な視線を健人に向けていた。

 健人が持つ装具は、最上級の素材と技術、魔法を用いて作られた、超一級品と言っていい武具である。

 ただ、ドラゴンの鱗という明らかに逸脱した素材が、衛兵にその武具が真にドラゴンの素材であるか疑念を抱かせる。

 そもそも、この衛兵は実物のドラゴンを目にした事はなかった。

 ドラゴンの脅威が迫っている事は知っていても、実際にその姿を目の当たりにしたことが無ければ、ドラゴンの素材の真贋は分からない。

そしてこの街の衛兵も住人も、ほぼ全てがドラゴンと遭遇した経験がなかった。

 さらにその鎧を纏うのはノルド、ブレトン、レットガード、インペリアルのどれにも当てはまらない、のっぺりとした顔の黄色人種。

 他種族に対して排他意識が強い街の衛兵が警戒するのも、当然と言えた。

 

「お疲れ様です」

 

「リディア殿、お疲れ様です! 彼らは……」

 

 そんな衛兵の前に出たのは、この街で数か月過ごしてきたリディアである。

 緊迫した空気を弛緩させるような気軽な挨拶に、衛兵は張りつめていた緊張感を幾分か和らげ、リディアに説明を求める。

 

「私が探していた人達です。大丈夫、犯罪をするような人ではありません」

 

「そうですか……分かりました。おい余所者、この街で騒ぎを起こすんじゃないぞ」

 

 リディアの説明に納得した衛兵が、門を開ける。

 訝しむような視線は変わらないが、それでもあからさまな警戒心を抱いていた衛兵が街に入れてくれたことに、健人もカシトも少し驚いていた。

 

「リディアさん、この街の衛兵に顔が利くんですか?」

 

「ええ、ソルスセイムへ向かう船を待つ間、この街での滞在費を稼ぐために盗賊退治などをこなしていましたので、街の衛兵に顔が利くようになってしまいました」

 

 内乱によって人心が荒れている今のスカイリムでは、盗賊などの犯罪者による被害は後を絶たない。

 さながら台所に出てくる黒いヤツ並みに、退治しても退治しても湧いてくる。

 その為、首長から出される盗賊退治の依頼も途切れることが無かった。

 一方、リディアは優れた戦士であり、また仁義に厚く、忠誠心も高い。

 その為、ウィンドヘルムに滞在中に宿屋から出される盗賊退治の依頼を次から次へとこなしていたら、いつの間にか、この街の大半の衛兵と顔見知りになっていたらしい。

 ウィンドヘルムの街中に入ると、古い石垣の壁が隔てる通路が目に飛び込んでくる。

 長年の風雪により風化した外壁が、この街が過ごしてきた年月を物語っているように見える。

 街中に入った健人達が、さあ目的の宿屋を目指そうとしたその時、カシトがおもむろに待ったをかけてきた。

 

「ケント、おいらはここで一旦別れるよ」

 

「え? 何でだ?」

 

「そこのお嬢さんが泊まってる宿って、ノルドばっかりでしょ。カジートのオイラは息が詰まっちゃうよ。そんな宿に泊まるくらいなら、灰色地区のダークエルフの酒場の方がマシだからね」

 

 灰色地区は一言で言って、スラム街といっていい場所である。

 治安も悪く、おおよそ余所者が長時間留まるには向かない場所だ。

 元々はレッドマウンテンの噴火から避難してきたダンマー達が集まった場所である。

 ダンマー達は天災とアルゴニアンの侵攻から命からがら避難したものの、ウルフリックによってこの街の一角に押し込められ、過酷な労働の中で酷使されている。

 ただし、ウルフリックにとっては、ダンマーは古の時代からの仇敵であり、隣接した国である以上領土問題などの小競り合いも多かった。

 当然ながら、ダンマーに対する領民の感情も良いものではない。

 さらに統治の面から考えても、難民を放置すれば、治安を極端に悪化させる大きな要因になる。

 ならば、たとえ懐に入れることになろうとも、街の一角に押し込めてしまった方が管理しやすい。

 ダンマーとしても、ソルスセイムに渡れればよかったのだろうが、レイブン・ロックが受け入れられる人数にも限りがある。

 故に、行き場を失った者達が生きていけるのは、この灰色地区以外にはほぼ無いのが現状であり、そこでの暮らしに耐えられなくなった者達は街を出て、盗賊へと身をやつすしかないのである。

 

「いや、おいお前……」

 

「大丈夫、明日の朝にはそっちの宿に行くから。それじゃあね!」

 

 健人の言葉を聞くことなく、カシトは手を振りながら灰色地区へと続く道へと駆け出していく。

 あっという間に道の角に消えていった友人に、健人は思わず溜息を吐いた。

 

「……行っちゃったよ」

 

「随分と騒がしいご友人ですね」

 

「ええ、まあ。その分トラブルも多いんですがねぇ……不安だ」

 

 相も変わらず自由なカシトの行動に肩を落とす健人を、リディアが横目で眺めている。

 健人の様子を覗き見るリディアの瞳には、健人の変化に対する驚きが含まれていた。

 港の桟橋で再会した時は突然の出来事に驚いていたために気付いてなかったが、リディアはここに来てようやく、健人の身に起こった変化の一端を、己の瞳で確かめることになっていたのだ。

 リディアが見てきた健人は、どこか切羽詰まった、生き急いでいる印象がある人物だった。

 だが、今の健人には以前にはなかった心の余裕が感じられた。

 全身を纏う鎧や腰に差したブレイズソードも、一目で常軌を逸した業物と分かる。

 しかも、分不相応な装具を身に纏っている雰囲気は微塵もなく、むしろそれほどの装具が相応しいと、自然に思えてしまうほど様になっていた。

 

「……せっかくご友人が時間を作ってくれたのです。まずは宿屋へ行って、話を聞かせてください」

 

「分かっています。行きましょう」

 

 これは、相当な出来事があったことは間違いない。

 そんな確信を抱き、内心浮かぶ驚嘆を押し殺しながら、リディアは健人を目的の宿に案内する。

 だがこの後、リディアは健人から聞かされた事実を前に、予想をはるかに上回る驚愕の渦に自身が叩き込まれる羽目になってしまう事になるとは、この時予想していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ウィンドヘルムの宿屋、キャンドルハースホール。

 酒場の火床の上に建てられたキャンドルが、絶えることなく燃え続けている事から名付けられた宿屋で、この街で随一の大きさを誇る大衆宿である。

 その宿屋の二階の酒場にある丸テーブルで向かい合いながら、リディアは健人からソルスセイムでの出来事について話を聞いていた。

 

「……はぁ? ケント様、ご冗談ですよね?」

 

 だが、リディアが健人から聞き出した話は、想像の斜め上に飛んだ上で地下深くにテレポートするような内容だった。

 覚悟はしていた。

 しかし、健人の口から語られた話は、心の準備をしていたリディアをして、真正面から受け止めることは難しかった。

 

「いやいや、本当ですって。疑う気持ちもわかりますが、この鎧も倒したドラゴンの鱗から作って貰ったもので……」

 

「まあ、ケント様はドラゴンとの交戦経験がありますから鎧の方に関してはまだ分かりますが、ケント様がドラゴンボーンでハルメアス・モラと戦ったって……」

 

 ソルスセイムに一人渡ったら、現地人と協力して狂信者集団と戦うことになり、さらに黒の書と関わって史上最初のドラゴンボーンであったミラークと遭遇。

 ミラークから自分がドラゴンボーンであると聞かされ、ソルスセイム島に残るミラークの痕跡をたどりながらドラゴンと戦い、シャウトを身に付け、最終的にはミラーク、そしてその背後にいたハルメアス・モラと戦った。

 リディアは自分の想像をはるかに超えた現実を叩きつけられ、眩暈を覚えながら、思わず近くにいた給仕に注文を出していた。

 

「すみません、蜂蜜酒をください……」

 

「リディアさん?」

 

 リディアは給仕が持ってきた酒杯を手に取り、一気に中身を嚥下する。

 

「んく、んく、んく……すみません、もう一杯」

 

 杯になみなみと注がれた蜂蜜酒を一息に飲み干し、お代わりを注文する。

 給仕が持ってきた杯を受け取り、再び呷る。

 

「あ、あの……」

 

「んく、んく、んく……」

 

 飲む、飲む、飲む。

 都合十度、リディアが杯を飲み干した時点で、さすがに健人が待ったをかけた。

 

「そ、そろそろ抑えた方が……」

 

「大丈夫です、まだ十杯目です」

 

「いやいや、大丈夫じゃないですって!」

 

 給仕から渡された十一杯目に口をつけようとしたところで、健人がリディアの杯を取り上げた。

 お酒に強いノルドとはいえ、これ以上は良くない。

 一気飲みは体に害にしかならないのだ。

 血中のアルコールが急激に上昇すると、体が一気に昏睡状態に陥り、さらに延髄のマヒを引き起こす。

 神経系のマヒは呼吸困難を引き起こし、最悪の場合死に至る。

 さらには、吐瀉物が気管に詰まって窒息死という可能性もある。

 現実として、日本では年に一万人以上が急性アルコール中毒で病院に搬送されている。

 健人としては、姉同然の女性にそんな醜態をさらさせたくない。

 

「返してください! こんな話、飲まなきゃマジメに聞いていられません!」

 

 一方、この街で再会するまで、健人のことが心配でならなかったリディアは健人の制止を聞く様子がない。

 まるで上司から無茶な仕事を押し付けられたOLのように、お酒返して!と連呼しながら健人が取り上げた杯に手を伸ばす。

 丸テーブルで向かい合ったまま、健人は伸ばされる手をヒラリヒラリと避けるが、健人の話でタガの外れたリディアは止まらない。

 無理もない。

 健人自身、自分が話したソルスセイムでの出来事は荒唐無稽で、吟遊詩人の装飾過多な歌の方が、真実味があると思ってしまうような話なのだ。

 とはいえ、リディアがここまでヤケッぱちになっているのは、その話を信じられる根拠が、彼女なりにあるからに他ならない。

 健人が身に着けた鎧と盾、それは間違いなく、ドラゴンの鱗で作られている。

 ドラゴンの鱗や骨は、装具の素材としては破格といえるものだが、それを全身に纏える程の量を確保するなど、一体誰にできるのだろう。

 さらに、腰に差した二本の刃。特に、黒と紅のブレイズソードからは、リディア自身が思わず目を見開くほど異質な気配が漂ってくる。

 さらには、それらの装具全てに高度な付呪が施されている。

 また、全身に鎧を纏い、二本の剣を携えながらも、ここに来るまでの健人の足取りには、ブレが全くなかった。

 リディアは、健人がまだ無力だった頃を知る数少ない人物だ。

 だからこそ、別れる前と今とで、健人の纏う気配や剣気が明らかに違うことに気付いている。

 一流は一流を知る。

 今の健人が纏う剣気は、一流のノルドの戦士であるリディアをして、絶対に勝てないと確信できるほどのものだった。

 

「そもそも、どうして! そのような事に! なっているのですか!」

 

「いや、うん。自暴自棄と放っておけないというお節介が化学反応を起こしまして……反省していますのでその怒気を納めていただけませんでしょうか?」

 

「だったらお酒返してください! 飲ませてください!」

 

「いやいや、ダメですって! 一気飲み反対!」

 

 実際、リディアがノルドの優れた身体能力を生かして、何としても酒を取り戻そうと掴みかかっているが、健人が持つ杯に触ることすら出来ないでいる。

 椅子に座ったまま逃げられない体勢でそれを成すということは、それだけ健人の技量が、リディアを上回っていることの証左であった。

 とはいえ、一流の技巧を使いながらやっていることは、単なる酒の奪い合い。

 なんとも情けない光景である。

 

「ああ、くそ、喉が渇くな……」

 

「あ!」

 

 仕方なしに、健人は自分の左手でリディアの両手を絡めて極めると、持っていた杯に口をつけ、中身を一気に飲み干した。

 蜂蜜独特の甘みと、アルコールの酸味が喉を焼く。

 

「ぷは……。うん、やっぱり船に積みっぱなしの酒より美味しいな」

 

「ううう、私のお酒ぇ……」

 

「そんな恨めしそうな目で見なくても」

 

 健人に酒を飲み干されたリディアが、がっくりと項垂れた。

 丸テーブルに隠れてしまうのではと思えるほど肩を落としながらも顔だけを上げ、猛烈な抗議の視線を向けてくる。

 涙目になりながらう~う~、と唸る様は、どことなく幼く見える。

 処理限界を超えた健人の話を聞かされ、一時的に精神が幼くなっている様子だった。

 

「恨みごとの一言も言いたくなります! ケント様は私がどれだけ心配したか……」

 

「ああ、うん。すみません、その事は本当に悪かったと思っていますから……」

 

 そして再び始まるリディアの説教。

 とりあえず謝罪の言葉と相槌を打ってお茶を濁そうとする健人だが、それが興奮しているリディアにさらなる燃料を投下する結果となる。

 

「大体、ケント様は、ご自分の体や心を軽視し過ぎです! 今回だけでなく、修行中に吸血鬼と戦ったという話を聞かされた時、私や従士様がケント様の無茶をどのような気持ちで……聞いていますか!」

 

「聞いています、聞いていますから!」

 

 もはや酔っ払いに絡まれているような状況。

 実際、リディアの顔はほんのりと赤くなり始めている。先ほど飲んだ酒の酒精が回り始めているのだ。

 酩酊状態になったら、まともな会話は成立しない。

 健人はとりあえず、リディアに水を飲ませながら、リータの現状を聞くことにした。

 

「それでリディアさん、リータは何所にいるんです?」

 

「……分からないのです」

 

「……え?」

 

「去年の冬前に、マルカルスでドラゴンを倒したという話は聞きました。しかし、その後従士様の話は全く出てこず、行方も分からないのです」

 

 くぴくぴと渡された水に口をつけながら、リディアは現状を語り始める。

 リディアの話では、秋の終わりごろにマルカルスでドラゴンを倒した情報があったが、それ以降はリータの行方は分からないらしい。

 無理もない。

 ついこの前まで、ほぼ全土が雪に覆われていたスカイリムでは、鮮度のある情報など得られない。

 それに、リータはサルモールに追われる身だ。

 情報の漏洩を防ぐためにも、必要最低限の情報しか手紙に書かないことは十分あり得る話だ。

 だが、何か思うところがあるのか、リディアの顔にはこれ以上ないほどの不信感がありありと浮かんでいた。 

 

「従士様には、ケント様がソリチュードで行方不明になった旨を、何度も手紙で伝えておりました。しかし、それについての返答も“そちらに任せる”の一点張りで……」

 

 リディアの不信感の根源。それは、健人が行方不明になった旨の手紙を何度も出したにも関わらず、リータが健人を探すなど、それらしい行動をしていないという点だった。

 内心では、もしかしたらドラゴン退治に手を焼いているのかとも思ったが、マルカルスのドラゴン退治以降、リータがドラゴンを倒したという情報は入ってこなかった。

 

「……そもそも、手紙ってリータに届くんですか? 彼女はサルモールに追われているから、手紙を届けるのは難しいと思うんですけど」

 

「あのデルフィンというブレイズが持っているコネを使って、盗賊ギルドに仲介を頼みました。

盗賊ギルドはスカイリム中に独自の情報網を持っています。この街にも盗賊ギルドの連絡員がいますので」

 

 それに、リータとの連絡に使っている情報網は通常の商人などではなく、裏の世界に関わる盗賊ギルドである。

 当然ながら、彼らは冬の間も綿密な情報交換ができる情報網を持っている。

 ソルスセイムのように物理的に遮断された環境でないなら、彼等は情報を伝える事が出来る。

 冬の間は都市間を行き交う人は極端に減るとはいえ、全くのゼロではないのだ。

 

「ただ、従士様の行方に関しては情報を聞き出すことはできませんでした。知らないのか、それとも私には知らせないようにしているのか……」

 

 そんな高度な情報網を使いながら、リータの動向が全くつかめない事が、リディアの不信感を煽っていた。

 

「ここまで長期間連絡がない事も考えると、デルフィンが何らかの形でケント様についての情報を握りつぶしていると考えられます。

 あのデルフィンという女は、ドラゴンボーンである従士様の御力を自分の為に利用している節が見受けられました」

 

 リディア自身も、デルフィンの思惑が気にはなっていた。

 そもそも、デルフィンはウステングラブでサルモール追撃部隊に遭遇した際に協力したことから一行に加わったが、その時からリディアはデルフィンを警戒していた。

 そして、健人は知らないが、彼がデルフィンに弟子入りする際にも、リディアはデルフィンと一悶着起こしている。

 

「……そうですか」

 

 一方、リディアの話を聞き終えた健人は、顎に手を当てて考え込む。

 その様子を、リディアは緊張感で強張った瞳で見つめていた。

 彼女の脳裏に蘇るのは、健人と己の主が相対している姿。

 二人が決定的な決別をした時の光景が、思い起こされていた。

 もしも、再びリータと会う事が出来たら、健人は何をするのだろうか?

 主の旅を、もう一度支えてくれるのだろうか? それとも……。

 そんな不安が、リディアの脳裏に浮かんでいた。

 

「あの、ケント様は、これからどうするのですか?」

 

「リータに会いに行きます。もう一度話をしてみたいんです。彼女がどんな答えを出しているのか?」

 

 己の内なる不安に急かされたリディアの質問に、健人はおもむろに答えを口にする。

 

「もしも、リータが怒りに飲まれたまま戦いを続けるなら、それを止めます」

 

 それは、リディアにとっては胸が痛くなるような言葉だった。

 リータを止める。

 その言葉の裏には、もう一度彼女と相対する意思が、明確に込められていた。

 

「ドラゴンのため、ですか?」

 

「いえ、リータの為、そして、俺自身の為です。怒りに流されるまま力を求めて剣を振るえば、その先には後悔しかありませんから。リータやドルマは、余計なおせっかいと怒るかもしれませんけどね……」

 

 そう言いながら、健人は苦笑を浮かべる。

 健人自身に、ドラゴンを守ろうとする意志は特にない。

 また、ドラゴンに対する怒りの感情そのものも否定していない。

 だが、怒りに飲まれたまま殺し合いをすることには、これ以上ないほどの危機感を抱いている。

 怒りは強大な力を引き出す原動力だが、その制御は容易ではなく、また同時に容易く道を誤らせる。

 現に彼は、ソルスセイムの人達を操ろうとしたミラークやハルメアス・モラ、何より、無力な自分に対する怒りから、道を踏み外しかけた経験がある。

 あの時、ヌエヴギルドラールの前で相対した時のリータには、己の内に秘めた怒りを制御できているとは到底思えなかった。

 そこまで言い切った健人が、ふと視線を目の前の女性に戻した時、リディアの瞳には健人とリータが相対することへの不安がありありと浮かんでいた。

 

「とにかく、今はリータの行き先を調べましょう。盗賊ギルドがダメなら、他の情報網を当たるしかないですね……」

 

 不安そうな顔を浮かべるリディアを安心させる為に笑顔を浮かべながら、健人はとりあえずの方針を提案する。

 今のリータの状況が分からない以上、健人としてもどうするかを決める事はできない。

 全ては再び見えてからなのだ。

 

「可能なのでしょうか? 正直に申しまして、私にはどこを当たればいいか見当も付きません……」

 

「俺の方は一応、あるにはありますが、今リータがそこにいるかと言われるとちょっと確信はないです……」

 

 完全に情報が遮断されたが故にリータの行方について心当たりが浮かばないリディアだが、健人には指標となるような情報を持っていた。

 ヌエヴギルドラールが漏らしていた言葉。

“ドラゴンレンド”そして“パーサーナックス”

 ドラゴンレンドは太古の竜戦争においてアルドゥインを倒す切り札となったシャウト。

 そしてパーサーナックスは、人にシャウトを教えた最初のドラゴンであり、今はグレイビアードの師として、世界のノドの頂上にいるはずだ。

 ドラゴンボーンとして覚醒した今の健人なら、グレイビアードもパーサーナックスに会わせてくれるかもしれない。

 だが同時に、世界のノドにリータが居る保証もない。

 少なくとも、ドラゴンレンドかパーサーナックスについての情報が無ければ、世界のノドには向かわないだろう。

 しかし、他にアルドゥインに対抗する手掛かりがある場所は、健人には想像つかなかった。

 リータの動向を見極めるためにも、情報の確度を上げておくべきだろうか。

 それに、壊れた黒の書の封印も考える必要がある。

 

「おい、またこの街に余所者が来たのか!?」

 

 一番効率的な行動は、何だろうか。

 健人がそんな思案に耽っていた時、突然酒場の喧騒を切り裂くような大声が響いた。

 




ウインドヘルムで声高に余所者云々騒ぐというと……。
最後に割って入ってきた人物については、皆さん想像がつくのではないでしょうか。


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第五話 花売りの少女

いかん、最近悪い癖がまた出てきたような気がしてならない。
もう五話目。早いとこ先に話を進めないと……。


「おい、またこの街に余所者が来たのか!?」

 

 健人が大声のした方に目を向けると、酒の入った杯を片手に赤ら顔を浮かべた五人のノルドが、健人を睨みつけていた。

 その中の一人。一際体が大きくて、偉そうな態度を全身から滲ませている男が前に出て、健人とリディアの座る丸テーブルに近づいてくる。

 

「招かれてもいないのに我々の街にやってきて、我らの食料と酒を食らい、臭い汚物をまき散らすのか。

 見たところストームクロークに協力するために来たわけでもないんだろ」

 

 前に出てきた男の言葉に賛同するように、後ろに控えていた取り巻き達ががなり立てはじめる。

 男達の暴言に、酒場にいた他のノルド達の視線が、健人達に集まり始めた。

 衆人達は騒ぎ始めた男達に眉こそ顰めたものの、特に割って入ろうとする気はないように見える。

 それは周囲のノルド達が大なり小なり、この男達の言葉に共感していることを意味している。

 ウィンドヘルムは古いノルドの街であり、それ故にノルドの気質が、風化した石材の芯にまで染みついたような場所である。

 他種族に対しては排他的で、特に今のウィンドヘルムは帝国との内乱やモロウウィンドから逃げてきたダンマーの難民達ともトラブルを抱えているため、余所者に対しては特に神経質になっている。

 

「ずいぶんと立派な鎧だな。ドラゴンの鱗? は! こんな物、偽物に決まっているだろ! 大方古いトロールか犬の骨を削ったんだろうな」

 

 酔っていることもあるのだろうが、何も言い返さない健人にチンピラ達はさらに調子に乗って、罵詈雑言を捲し立て始める。

 ノルドは誇り高いが故に、自分達以外の種族に対する蔑視感情が強いが、ここまであからさまに赤の他人を扱き下ろせる精神に、健人は内心呆れ返っていた。

 

「まあ、お前みたいなチビには誇り高いストームクロークの兵士になるのは無理だろうがな。

 それだけ豪華な見せかけの鎧を作れるなら、細工師になればいいんじゃないか? そっちの方がお似合いだろう! ハハハ!」

 

「リディアさん、この人は?」

 

 漏れそうになる溜息を必死に押し殺しながら、健人はリディアにチンピラのリーダーと思われる人物について尋ねた。

 

「ロルフ・ストーンフィストという男です。典型的なノルド主義の、器の小さい男ですよ。兄弟がウルフリックの右腕なので、街のチンピラを集めて頭を気取っているだけです」

 

「リディア! お前……」

 

 バッサリと斬り捨てるリディアのセリフに、元々赤みを帯びていたロルフの顔が、まるで茹蛸のように一気に真っ赤になった。

 あまりの怒りのためか、それとも暖炉に揺らめく炎のためか、頭から湯気すら立っているように見える。

 見た目通り、かなり頭に血が上りやすい人間のようだ。

 

「チッ、そんな事より、ここはノルドの街だ。余所者はサッサと消えな! 

 なあ、リディア、お前が探していた奴って、そんな痩せたニンジンみたいな奴だったのか?」

 

「……私の主の弟君を侮辱する気か?」

 

 今度はリディアが剣呑な視線をロルフに向け始めた。

 戦士としての自制心もしっかりと有しているリディアだが、己が仕えると定めた人物を貶されて黙っているような質でもない。

 目の前のチンピラ達とは比較にならない、研ぎ澄まされた覇気が、ロルフ達の表情を引き攣らせる。

 

「う、いや、そ、そういう訳じゃねえよ。ただ、こいつがサルモールのスパイかどうか気になっただけだ。アイツら、台所のスキーヴァ並みに厄介で卑怯な連中だからな。知らずに利用されていてもおかしくねえだろ?」

 

「はあ……」

 

 よりによってサルモールのスパイ扱いである。

 サルモールからはむしろ追われている身である健人としては、思わず失笑を浮かべてしまう話だ。

 おまけに、ロルフの腰の引けたその姿が、さらに健人の失笑を誘う。

 リディアだけでなく、ハドバルやドルマなど、芯の通った心を持つノルドを知っているだけに、気後れしていつの間にか手下のチンピラがいる場所まで後退っているロルフの姿に、ついに内心で押し殺していた溜息を漏らしてしまった。

 

「てめぇ、何だ、その溜息は……」

 

「あ、すまない。つい漏れた」

 

「っ! この!」

 

 只でさえ短そうな堪忍袋の緒が微塵切りになったのか、ロルフが右手を振り上げて健人に飛び掛かる。

 感情に任された、素人丸出しの特攻。

 健人は突き出された拳の軌道に、つい今しがた飲み干した杯を割り込ませた。

 ロルフの拳が杯の中にガポッと嵌る。

 驚きに目を見開くロルフを他所に、健人は椅子に座ったまま、極めたロルフの右腕を捻じり、体を崩して床に放り投げる。

 大柄なノルドの体が年季の入った木床に倒れこみ、一緒に放り投げられた杯がコロコロと床に転がった。

 

「てめえ!」

 

「やっちまえ!」

 

 ロルフが投げ飛ばされた事に、取り巻きが激高して健人に襲い掛かる。

 健人は再び大きく溜息を吐くと、椅子に座ったまま向かってくるノルド達に向かって右手を上げた。

 左から二番目のチンピラが繰り出したテレフォンパンチに右手を添わせ、円を描く軌道を宙に刻みながら、右側の二人目掛けて力の方向を逸らす。

 チンピラ四人は馬鹿正直に規則正しく横一列になって向かって来た為、右側の二人は健人にいなされたチンピラに巻き込まれる形で邪魔される。

 

「うわ……!」

 

「ぎゃ!」

 

 さらに、元々酒に酔っていたために足元すら覚束かず、三人はあっという間にロルフと同じように床に転がってしまう。

 

「こいつ!」

 

 残った左端の男が健人の胸倉に掴み掛り、拳を振り上げる。

 だが健人は、椅子に座った中腰の体勢を維持したまま、椅子をその場に残し、まるで氷の上を滑るような滑らかな動きでチンピラの懐に潜り込む。

 そのまま突き出された相手の右手を取って引きながら、相手の重心を腰に乗せると、少しだけ脚に力を入れて相手の体を宙に浮かせ、右足で軽く足を刈る。

 重心を浮かせられたチンピラは空中で一回転しながら、ドシン、ガラガラと隣のテーブルを巻き込みながら投げ飛ばされた。

 投げ飛ばされたチンピラは背中を強かに打ったのか、咽るような咳を繰り返している。

 己と相手の重心の掌握は、武術の基礎である。

 簡単に体を制されて投げられる辺りが、ソルスセイムで活躍した健人と、立場的に弱い者達にしか力を振るえないロルフ達との差を如実に示している。

 とはいえ、健人としては頭が痛い状況である。

彼は以前にレイブン・ロックの酒場で暴れたために、一晩牢に入れられた経験がある。

 あの時も、今回と同じように、非があったのは相手側だった。

 だが、地元の有力者であるエイドリルの取り成しや、衛兵が起こした不祥事という事もあってお咎めなしになった。

 しかし、このウィンドヘルムでは有力者との繋がりなどなく、騒ぎの中心にいた異邦人ともなれば、何もされずに解放されるという保証は皆無である。

 既に穏やかに事を収めることは不可能かもしれないが、それでも出来るだけ大事にはならないようにと、健人は思考を巡らせる。

 一方、そんな健人の事情など知らないロルフ達は、どうしようかと悩む健人の態度に馬鹿にされていると感じたのか、再び立ち上がって健人に向かってくる。

 仕方なく、健人は拳で殴るなどの外傷が残るような戦い方は避け、只管にロルフ達を転がしまくる。

 健人としても、なんでこんなチンピラに気を使っているのかと思わないでもないが、全ては円滑にトラブルを治める為。

 そう心の中で反芻しながら、誰か止めに入ってくれることを願いつつ、跳びかかってくるノルド達を捌き続けた。

 

「おいロルフ! 余所者相手になに手間取ってんだよ!」

 

「うるせえ! これから本気出すんだよ!」

 

「兄ちゃんいいぞ! やっちまえ!」

 

「その腐れノルドの髭を引き千切ってやりなさい!」

 

 そんな健人の願いとは裏腹に、周囲の人間達は勝手にヒートアップ。

 余所者を内心で嫌っているノルドがロルフ達の情けない姿に憤慨し、元々ロルフの行動に憤りを抱いていた他のノルドやダークエルフの吟遊詩人が健人を応援し始める。

 

「ケント様! もっと、もっとです! 拳を頬に抉り込んで、顎を砕いてやってください! 倒れても容赦しちゃダメです! 股間を思いっきり踏みつけて砕いてやるんです!」

 

 そんな衆人観衆の中で一番苛烈な発言をしているのが、酒の入ったジョッキ片手に騒いでいるリディアだった。

 先の一気飲みの酔いが、完全に回っている。一体股間の何を砕いてやれと言うのか。

 さらに、折角取り上げた酒もまた持っているという有様。

 向かってくるチンピラの拳は一発も当たっていないのに、健人は思わず眩暈を覚えた。

 

「……誰だよ、あの酔っ払いにまた酒を渡したのは!」

 

 よくよく周りを見れば、この騒ぎに乗じて酒場の店員達が酒を観衆達に注ぎまくっている。

 さらには、彼方此方のテーブルで賭けの胴元まで始めていた。

 さすが商売人……と言いたいのだが、生憎と現実は非情だった。

 大事にしたくなかった自分の思いとは正反対の方向に爆走していく周囲に、ついに彼は腹を決めた。

 

「ああもう、喧嘩売ってきたお前らが悪いんだから覚悟しろよ!」

 

 体を落し、落下エネルギーを踵で前方へと爆発させながら、健人は自分の体を五人の死角に滑り込ませ、一気に間合いを詰める。

 同時に、死角に入られたことで、ロルフ達の視界から健人の姿が瞬間的に消えた。

 達人級の体術を持つ人間の踏み込みを、素人が見切れるはずもない。

 距離を詰めた健人は、ロルフの取り巻きの二人の顎を砕かないように掌底で打ち抜いて昏倒させ、残り二人も内臓破裂を避けるように、絶妙な力加減で腹に肘と蹴りを叩き込んで悶絶させる。

 

「ひっ!?」

 

 あっという間に四人を沈黙させた健人に、ロルフが恐怖に染まった悲鳴を漏らす。

 だが健人は構わず、ロルフの手を捻りあげ、背負い投げの要領でロルフを投げた。

 ドシン! と一際大きな音が酒場に響き、床に叩き付けられたロルフは衝撃で気絶。

 わずか数秒足らずの出来事に、酒場の喧騒が一瞬鎮まる。

 だが一拍を置いて、周囲の観衆が目の前で起こった出来事を理解した瞬間、爆発的な歓声が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、結果的に俺達が宿を出ていくことになった訳ですが……」

 

 ロルフ達を難なく制した健人だが、結果として彼は宿屋から出ていくことになってしまった。

 正確には、宿屋の主人から一時的に宿の外に出て、時間をつぶしてこいと言われたのだ。

 ウィンドヘルムでも特に大きな大衆宿での騒ぎだっただけに、衛兵が駆け付けてくるのも時間の問題。

 元々は絡んできたロルフ達が悪いのだが、彼の兄弟はウルフリックの右腕。例え衛兵にしょっ引かれても、大した罰は受けないだろうと言われたのだ。

 そして、そのロルフを気絶させたのが今日この街に来たばかりの余所者ともなれば、変な解釈をされて面倒な事態になる可能性もあるとの事。

 その話を聞いて、健人は酔っぱらっているリディアを連れて直ぐに宿屋の外に出ることに決めた。

 似たような経験があるだけに、行動も素早かった。

 そして、健人達が宿屋を後にするタイミングで入れ違うように、衛兵がキャンドルハースホールに駆け付けて来た。

 後ほんの少し宿屋を出るのが遅かったら、見とがめられて厄介なこといなっていたかもしれない。

 宿屋の主人も、ちょっとした腕試し程度だと誤魔化しておけば、衛兵も口うるさく注意するだけで帰るだろうと言っていたので、夕暮れ頃に戻れば問題ないだろうと思われた。

 

「ケント様~。見てくださいよ! こんなにお酒貰っちゃいました!」

 

「ああ、良かったですね……。くそ、衛兵が帰るまで宿に戻れないって……いっそ、このままカシトと合流してウィンドヘルムを出るか?」

 

 完全に酔っ払いになっているリディアが、嬉しそうに麻袋を掲げる。

 中身はパン、ベーコン、チーズ、そしてワインが数本入っている。

 宿屋の主人も、さすがに絡まれただけの健人に外に出るよう言うのは申し訳ないと思ったのか、厨房から酒やツマミになりそうな食料を渡してくれていた。

 この酒で暇つぶしをしてくれという事なのだろう。

 

「はあ、街に着いてさっそく面倒ごとになるって、ついてないな」

 

 未だに酒精が残っているリディアのテンションは、相も変わらずセクンダ(この世界における二つの月の一つ)辺りまで行っていて帰ってくる様子がない。

 仕方なく、健人は陽気なリディアを連れながら街の西に向かう。

 西側は商店街になっていて、鍛冶場や錬金術の店、更に雑貨屋や肉、野菜などを売る露店が軒を連ねていた。

 ちょうど時間ができたので、ここで旅の為の保存食などを探そうかと思ったのだ。

 だが健人が露店へと足を進めようとしたその時、小さい、擦れる様な声が、健人に話しかけてきた。

 

「お花、お花を買ってくれませんか?」

 

「ん?」

 

 健人に話しかけてきたのは、十歳程のノルドの少女だった。

 ぼさぼさに荒れた長い鳶色の髪と、裾がほつれた赤いチュニックを身に纏っている。

 

「君は?」

 

「私はソフィ、ここでお花を売っているの。お兄さん、お花、買ってくれませんか?」

 

 そう言いながら、少女は手に持ったかごを健人に見せるように差し出してきた。

 青、赤、紫。

 色とりどりの花が、この寒々しいウィンドヘルムに似つかわしくない、華やかな花壇を作り上げている。

 中には花だけでなく、色鮮やかなスノーベリー等も混じっている。

 おそらく、今日の内に街の外に出て摘んできたのだろう。よく見れば、葉も花弁も瑞々しく、一枚も萎びていない。

 健人は今一度、目の前の少女に目を向ける。

 口元に笑みを浮かべながらも、目の淵は揺れている。健人がこの花を買ってくれるかどうか、不安なのだろう。

 顔の彼方此方も土で汚れ、よく見れば顔色も良くないように見える。碌に食べていないことが伺えた。

 

「君、ご両親は?」

 

「っ!?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ソフィの目が大きく見開かれる。

 その反応を見て、健人は少女の置かれた環境を察し、表情を曇らせた。

 こんな幼い少女が、薄汚れた格好で、碌にお金にならない花を売る。その状況を考えれば、この少女がどんな境遇にあるのか、簡単に想像できる。

 

「2人とも、死んだの。お母さんは私が小さい時に、お父さんはストームクロークの兵士だったけど、冬の間に出て行ったきり、帰ってこなかった……」

 

 案の定、彼女は孤児だった。

 父親が亡くなったと分かったのは一か月前。

 真冬に放り出されなかったことが幸いなのかもしれないが、このような極寒の土地で放り出された幼子の運命など、分かり切っている。

 

「ケント様、このご時世、このような浮浪児は珍しくありません……」

 

 陰鬱な少女の境遇に、さすがのリディアも一時的に元のキリっとした戦士の顔に戻っていた。

 リディアのいう事も分かる。

 世が乱れた時、最初に犠牲になるのは、子供や老人など立場の弱い者達からだという事も理解しているつもりだ。

 現に、比較的温暖で地理的にも安定しているホワイトランでも、孤児はいた。

 しかし、こうして孤独に苛まれている幼い子供を目の当たりにして、仕方ないと納得しきれるほど、健人は達観していないのだ。

 

「パパ、ママ……」

 

 両親の事を思い出してしまったのだろう。

 瞳には今にも零れそうなほどの涙を溜めながらも、必死に泣くまいと鼻をすすりながらしゃくりあげている。

 父と母を呼ぶ痛々しいソフィの声が、健人の胸に突き刺さっていた。

 彼もまた、両親を失った人間だ。

 父親は地球で生きているのだろうが、もう会う事は不可能と言えるだろう。

 己の境遇を思い出して重ねながら、健人は少女と目線を合わせるようにしゃがみ込む。

 

「辛い事を尋ねてしまってごめんな。お詫びと言っては何だけど、そのお花、全部買おう。それから……夕飯もご馳走しよう」

 

「え?」

 

「ケント様……」

 

 健人の言葉に、少女が驚いたように顔を上げる。

 おそらく、こんな風に声を掛けて、気を使ってくれる大人はいなかったのだろう。

 一方、リディアは何とも言えない、複雑な表情を浮かべている。

 彼女としても、こんな小さな子供を放っておく事は心苦しいのだろう。

 だが、同時にこのような浮浪児全てを救うことはできないと理解もしている。

 たとえ食事を与えてこの少女が一日生き延びることはできても、明日もそうだという保証はない。

 おまけに、健人もリディアも、このウィンドヘルムに残るわけにはいかない。まだ親の庇護が必要な子供の責任を負うことは難しい。

 酷い言い方をすれば、関わらないことが賢明、ということなのだろう。

 しかし、それでも健人は、首を振ってリディアの考えを否定した。

 たかが一日、されど一日。

 無責任な行いなのかもしれないが、それでも精一杯生きて欲しいと願うことは、間違ってはいないはずだと。

 

「まあ、いいじゃないですか。これも人助け。それに、どのみち時間をつぶさなきゃいけないんです。こちらのレディと夕食を共にするくらい、いいと思いませんか?」

 

「はあ、しょうがないですね。分かりました、御心のままに……。それにしても“レディ”とか、ケント様には似合わない言葉ですね」

 

「……放っておいてください。自分でも似合わないと自覚しているんですから」

 

 デルフィンから帝国式の礼儀作法を体に叩き込まれた健人ではあるが、貴族の社交界で飛び交うような歯が浮く言葉は慣れない。

 先ほどは緊張している場の空気を紛らわせようと思って言っただけである。

 リディアもそれを理解しているから、容赦なく弄ってくる。

 気が付けば、先程まで暗い表情で今にも泣き崩れそうだったソフィは、いつの間にかポカンとした顔を浮かべている。

 そんなソフィの表情の変化に健人は笑みを浮かべ、彼女に手を差し伸べる。

 ソフィはおずおずと手を伸ばすものの、健人の手に触れそうになったところで手を引っ込めてしまう。

 彼女としても、迷っているのだ。

 手を伸ばしては引っ込め、引っ込めては伸ばす。

 しばしの間、逡巡していた彼女の手を、健人の方からそっと握る。

 朝早くから花を摘んでいた少女の手は、まるで氷のように冷え切っていた。

 

「とりあえず、市場で材料を買おう。いいか?」

 

「う、うん……」

 

 優しく少女の手を引きながら、健人はリディアと共に市場を回る。

 傍で買い物をする二人の男女を眺めながら、少女の目には、まだ幸せだった頃の情景が思い起こされていた。

 その時も、父に手を引かれて、この街で夕飯の買い物をしていた。

 それは、一人になってからは思い出すことを止めていた記憶。

 鋭い氷柱となって胸に突き刺さるだけになったはずの記憶。

 だがこの時、少女の胸に去来したのは、鋭い痛みではなく、懐かしさ。

 冷たい風で冷え切った手を温めてくれる大きな手が、彼女の胸に刺さった棘を、少しずつ取り払っていた。

 

 




というわけで、今回は酒場での騒動とDLCハースファイアで登場する孤児との邂逅でした。
もう一話分完成していますので、そちらは明日か明後日に投稿します。
そして、いつの間にかお気に入りが1000件近くに……。
この小説を読んで下さった皆さん、本当にありがとうございます!

以下、登場人物紹介

ロルフ・ストーンフィスト
ゲーム内では、石拳のロルフと呼ばれているノルド。
ノルド至上主義を掲げる典型的な人物で、ウインドヘルムに入ってすぐにダークエルフに詰め寄って”灰色ネズミ”などの暴言を吐いている。
実はウルフリックの右腕であるガルマルとは兄弟であり、彼もゲーム中では“石拳のガルマル”と呼ばれている。
兄弟二人して”石拳”と呼ばれていることから、本小説では“石拳”の部分は苗字と判断し、本名をロルフ・ストーンフィストとしている。

ソフィ
ウインドヘルムで花売りをしているノルドの少女。
母は幼い頃に亡くなり、ストームクロークの兵士だった父とも死別した。
その後、何らかの理由で住んでいた家を追われ、以降浮浪児として生きていかなければならなくなる。
その境遇の悲惨さから、ウインドヘルムを訪れる度に花を買い占めるドヴァキンがいるとかいないとか……。
本小説では健人と出会い、並行世界のドヴァキン達に願ったのと同じように、花を買ってくれるように頼みこんでいる。




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第六話 風上の暗雲

 キャンドルハースホールの近くにあるタロス神殿。

 そこの前で、先ほど騒動を起こしたロルフは憤懣やるかたない様子で、石床に積もった残雪を蹴り散らしていた。

 

「くそ、くそ、くそ! あの余所者め!」

 

 つい先ほどまで、彼は酒場で騒動を起こしたことを、衛兵からこっぴどく怒られていた。

 自分は悪くない。あの余所者に礼儀を教えていただけだと言い張ったが、今まで相当な数の騒ぎを起こしてきただけに、今回はさすがに見過ごしてもらえなかった。

 ついでに言えば、リディアの存在も、衛兵がロルフ達を見過ごさなかった理由である。

 リディアはウィンドヘルム滞在中に、多数の盗賊退治の依頼をこなした。

 中には衛兵達と共に行った任務もあり、リディアの腕や仁義に厚い人柄は衛兵達のよく知るところである。

 実のところ、彼女は衛兵達の間では隠れた人気者であり、同時に背中を預けるに足る人物として、尊敬もされている。

 そんな人物の探し人に喧嘩を売ったものだから、衛兵たちのロルフ達の印象は最悪である。

 さすがに首長の右腕の弟を牢屋に入れることは難しかったが、担当した衛兵はロルフ達をこれ以上ないほど厳しい口調で嗜めていた。

 目立つような怪我人も発生しなかったためにすぐに解放されたものの、一時とはいえ衛兵に拘束された事実は、ロルフのプライドを酷く傷つけていた。

 

「あいつはサルモールのスパイに決まっている! なんで俺が捕まって、あのチビは自由に街をウロついているんだよ! そっちを捕まえるべきだろうが!」

 

 追い詰められたロルフは、もはや根幹たる理由が存在しない主張すら口にし、それを自己肯定し始める有様だった。

 この手の類の思考が凝り固まった人間は、自分を冷静に客観視できない。

 あらゆる事を勝手に自分の都合のいいように解釈し、世の中がその通りに回っていないと気が済まず、さらには自分の都合のいい妄想を持ち出して肯定し始める。

 彼の後ろでは取り巻きだったチンピラがいるが、彼らもまた捕まった事が不満げな様子だった。

 この手の類のチンピラもまた、反省というものをしていない様子だった。

 

「おい、サルモールのスパイを探してこい。他の奴らは武器を持ってこい。衛兵が役に立たないなら、俺達でネズミ退治をするしかねえ」

 

 だからこそ、全てが自分の思い通りにいかなかった時、彼らはタガの外れた行動を取り始める。

 ノルド至上主義がまかり通るこの街で、権力を持つ家柄だった彼を諫める人物がいなかったことが、彼らの転落への始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 市場で食材を買い揃えた後、健人はソフィに彼女の寝床まで案内してもらっていた。

 時刻は既に夕方近く。

ソフィに案内された場所は、キャンドルハースホールと灰色地区を繋ぐ通路の端にある、小さな路地だった。

 周囲の三方を壁に囲まれた、数人が入れるかどうかというスペース。

 そこにある屋外の石床の上が、彼女の寝床だった。

 よくもまあ、こんな小さな子供がこんな場所で一か月生きてこられたものである。

 一か月前に父親が死んだことを知ったと考えれば、父と一緒に住んでいた家に案内されるのではと思っていたが、何らかの理由で家を追い出されたのかもしれない。

 予想以上に彼女を取り巻く環境は悪かったようだ。

 

「じゃあ、用意をするから、少し待っていてくれ」

 

「う、うん……」

 

 リディアに薪を集めるよう頼み、健人はとりあえず、近くにあった民家の戸を叩く。

 

「すみません! 誰かいらっしゃいますか!」

 

「何だ、余所者……」

 

 出てきたのは、これまた気難しそうなノルドの男性。

 おそらくこの家の主人と思われるその男は、鎧を纏った健人を明らかに警戒心に満ちた目で睨み付けている。

 

「突然すみません、実は、鍋や食器を貸していただけないかと」

 

「……そんなもの、どうする気だ」

 

「あそこで少し炊き出しをしようと思いまして。貸していただけるなら、とびっきりのシチューをごちそうできますけど、どうです? もちろん、お金はいりません」

 

「…………」

 

 民家の主人は健人と、彼が指差した場所にいるリディア、そしてソフィの順に視線を動かすと、黙り込んだまま家の奥へと消えていった。

 そしてしばらくした後、健人の注文通り、その手に一抱えもする大きな鍋を持ってきた。

 大きさは、直径と深さが80センチほど。

 十数人分は余裕で作れそうなほどの大きさの鍋であり、鍋の中にはもう一つ、小さな鍋が入っていた。

 ここに、渡す分のシチューを入れろという事だろう。

 他にも木製の器や皿、匙なども入っている。

 

「ありがとうございます。それほど時間がかからずできると思いますので、しばらくお待ちください」

 

「ふん……」

 

 健人が礼を言っても、鍋を貸してくれた男性は何も言わず、家の中へと来ていった。

 とりあえず、目的のものは借りられたので、健人はソフィの元に戻る。

 リディアが既に薪を集めておいてくれていたので、あとは調理するだけだった。

 

「何、作るの?」

 

「とりあえず、体の温まるものだな」

 

 健人はおもむろに火をおこし、借りてきた鍋に水を入れ、近くにあった平たい石と一緒に火にかける。

 湯が沸くまでに市場で買ってきた食材を一口大に切り、鍋の中へ投入する。

 ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎ。

 それから、市場で買ってきた牛肉も細かく切り分けて加熱した石の上で一度よく火を通し、鍋に入れる。

 出てきた灰汁を取りながら、さらに小麦粉を自前のフライパンで炒め、そこに牛乳を投入してホワイトソースもどきを作る。

 鍋に入れた具が煮えて火が通ったところで、フライパンで作っていたホワイトソースもどきを投入。

 コトコトと煮立つ白濁したシチューが、食欲を刺激してくる。

 さらにここで健人は、荷物の中から瓶詰めの粉末を取り出した。

 

「お兄さん、それは何?」

 

「ん? 魔法の調味料、かな?」

 

 焦げ付かないようにかき混ぜながら、ここで持ち出した粉末を軽く振りかけてひと煮たちさせる。

 途端に、芳醇な香りが鍋から湧き立ってきた。

 

「ふあぁああ……」

 

 傍で健人の料理を見ていたソフィが、湧き立つシチューの香りに感嘆の声を漏らしている。

 匂いに釣られたのか、鍋を貸してくれたノルドの家主もドアの影から健人達の様子を盗み見ている。

 健人が鍋に入れたのは、野菜や海藻、香草、塩、香辛料などを乾燥させ、細かく粉末にして瓶詰めにしたものである。

 いわゆる万能調味料モドキ。

 日本でも手作りコンソメ等で紹介されており、肉や魚の臭みを消し、スープなどにまろやかさを出してくれる物だった。

 さらに健人は、小麦粉に瓶詰めの万能調味料モドキを混ぜてサケの切り身に塗し、パン、ベーコンと一緒に焼き始める。

 ベーコンとサケの油が跳ね、その油をパンが吸い込んでいく。

 そのパンの上に薄く切ったチーズを乗せてやれば、油を吸ったパンの上でチーズがトロリと溶けていく。

 

「コク……」

 

 ソフィが待ちきれないというように、唾を飲み込んでいる。

 その時、健人には聞きなれた声が、三人がたむろする路地裏に響いた。

 

「あ~! 何かいい匂いがすると思ったら、やっぱりケントが料理してる!」

 

「カシト? お前、灰色地区の酒場に行ったんじゃないのか?」

 

 声を掛けてきたのは、街に入ってすぐに別れたカシトだった。

 

「いやね、ちょっと酒場で一緒になったウッドエルフと飲んでいたんだけど、少しトイレに行きたくなっちゃってね。

 外に出て用を足そうとしたら、健人の料理の匂いが漂って来たからこっちに来たんだ!」

 

「お前、ここから灰色地区までそれなりの距離があるんだぞ。なんで気付けるんだ?」

 

「ヘン! おいら達カジートは鼻も利くんだぜ!」

 

 ピスピスと鼻を鳴らしながら、カシトは得意げに胸を張る。

 健人達が今いる裏路地は、ウィンドヘルムの中でも灰色地区には近い方にあるが、それでも強い風が吹き荒れる中、健人の料理の匂いを嗅ぎつける辺り、このカジートの嗅覚は本当に優れているのだろう。

 もっとも、単に食い意地が張っているだけなのかもしれないが。

 

「というわけで、オイラにも健人のご飯を頂戴! ちょうどメシ時だし!」

 

「悪いけど、この料理はこの娘用だ。残りはこの鍋を貸してくれた人用。お前に出せる量はそんなにないぞ」

 

 荷物の中から取り出した木の皿に焼いたパンやサケを乗せ、木の器に出来たクリームシチューを取り、ソフィに手渡す。

 

「さあ、どうぞ」

 

「えっと、うんと……」

 

 しかし、ソフィは目の前の料理を前に、逡巡したように視線を右往左往させている。

 食べていいよと言われているのに、中々踏ん切りつかないらしい。

 だが空腹には勝てなかったのか、おずおずと器を手にとって、匙を入れる。

 そして、健人特製のクリームシチューを口に入れた時、ソフィの瞳が大きく見開かれた。

 

「はあぁぁぁ……」

 

 口に広がる肉の旨味と、ホロホロに煮えた野菜の甘味。

 とろみのあるシチューは寒い外気に晒されても、内側にしっかりと熱を保ち、冷えきった体を内側から温めてくれる。

 本当に久しぶりの、まともな食事。

 何より、空腹という最高のスパイスが、ソフィに健人のクリームシチューをより一層美味しいものに感じさせていた。

 

「美味しい! 美味しいよ!」

 

「そうか、良かった。一杯あるから、好きなだけ食べてくれ。リディアさんも、どうぞ。ついでにカシトも」

 

「ありがとうございます。久しぶりのケント様の食事!」

 

「へっへ~ん。全部食い尽くしてやる!」

 

 メインキャストが食べ始めたことから、健人はリディアとカシトにもシチューをよそって手渡した。

 二人はさっそく、ワインと一緒に健人の料理を堪能し始める。

 リディアとしても、久しぶりのケントの食事にありつけたからか、ただでさえ高いテンションが二割増しになっていた。

 

「コラカジート! それは私のサケです! 返しなさい!」

 

「早い者勝ちだもんね~! って、ああ、おいらのチーズパン!」

 

「横から人の物を取った貴方が悪い!」

 

「あ、あははは……」

 

 酒の魔力と相まって大人気ない喧嘩を始める二人の大人。

 そんな二人を前に、ソフィは苦笑を浮かべている。

 温かい食事と飾らないカシトとリディアの空気に、ソフィも少しずつ緊張がほどけているようだった。

 健人はようやく笑顔になってくれたソフィの姿に安堵すると、鍋の中のシチューを小鍋に分け、鍋を貸してくれた家に向かった。

 玄関から出てきた男に、出来たばかりのシチューを入れた小鍋を手渡す。

 

「鍋、ありがとうございました。どうぞ」

 

「あ、ああ。ところでアンタ。あのシチューはまだ作れるのか?」

 

「ええ。調味料がまだあれば、ですが」

 

 そう言いながら、健人は懐からシチューにつかった万能調味料モドキを取り出して見せる。

 

「そいつは?」

 

「野菜、海藻、キノコ、香草とかを乾燥させて粉砕したものです。あのシチューやサケのムニエルに使ったものですね」

 

「なるほど、随分と贅沢な物だな……」

 

 贅沢な物。

 その言葉に、健人は何とも言えない気持ちになる。

 この調味料は元々、野菜くずや錬金術で薬を作る過程で余った素材を再利用したものだ。

 エルフイヤーリーフやフロストミリアム、食用に出来る各種キノコなどがそうだ。

 とはいえ、一般人がこれだけ多種多様な香草や調味料を、一回の料理に使う事はあまりない。

 厳しい環境のスカイリムでは、料理の美味しさを楽しみたくとも、エネルギー摂取を最優先しなければならない時も多い。

 特に、今は戦時。

 作られた作物は兵士達に優先的に回されるため、市場に出回るのは質の落ちた品が多い。

 実際、健人も市場で見ているときは、傷んだ野菜が目についた。

 この家主の話を聞く限り、冬が明けたばかりというのもあるのだろうが、今のウィンドヘルムの食糧事情が芳しくないのは、間違いないだろう。

 

「お前、あの子をどうするんだ?」

 

 おもむろに家主が向けてきた質問に、健人は一瞬言葉に迷う。

 

「……この街に誰か養ってあげられる人は」

 

「いないな。もしそうなら、俺だってどうにかしてる。分からねえか?」

 

 どこか苛立ちの混じった家主の言葉には、健人に対してというよりも、無力な自分に対する憤りに聞こえた。

 この家主も、家の前で寒さに震える幼子に思うところがなかった訳ではないのだ。

 

「俺達ノルドは、常に冬の厳しさの中で生きている。俺もその厳しさの中で家族を守るには、こうするしかねえのさ」

 

 ただ、彼の家に、他人を助けてやれるだけの余力がないのだ。

 吐き捨てるような言葉を言い放った後、主は家の中へと戻っていく。

 男性の背中を見送った健人は、何とも言えない感情を抱きながら、カシト達の元に戻った。

 

「ケント、長かったね。何か言われていたの?」

 

「いや、ちょっと世間話をしていただけさ」

 

 戻ってきた健人が火の傍に腰を下ろすと、ソフィがシチューをよそって健人に差し出してくれた。

 

「……はい」

 

 緊張した様子で器を差し出すソフィ。

 健人は初々しい彼女の様子に笑みを浮かべながら、差し出された器を受け取る。

 

「ありがとう」

 

「あっ……うん!」

 

 健人がよそった器を取ってくれたことに、ソフィは満面の笑みを浮かべると、ストン……と健人の隣に座り込み、再び食事の続きを始めた。

 その距離は、市場で買い物をしていた時より、幾分か近づいている。

 健人は隣で笑顔を浮かべたまま食事を続けるソフィを眺めながら、彼女がよそってくれたシチューに口をつける。

 妹がいたら、こんな感じだったのかもしれない。

 そんな考えを脳裏に浮かべながら、健人は先ほどノルドの家主に言われた言葉を思い返していた。

 

「さて、どうするかな……」

 

 健人自身、この世界に一人放り出され、訳が分からないまま命の危機に晒された経験がある。

 孤独である事がいかに辛く、心が凍り付いていくことであるかも実感している。

 できることなら、この娘が身を寄せられる場所を見つけてあげたいと思っているが、生憎と健人は旅の途中であり、この街に長くはいられない。

 どうすればいいだろうか?

 自分が作ったシチューを食べながら、健人は思考の海の中へと潜っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィンドヘルムの西、ペイルホールドの南東にあるヨルグリム湖。

 その近くの墳墓の上空で、アルドゥインは配下であるドラゴンを蘇らせようとしていた。

 

“ヴィントゥルース! ジール、グロ、ドヴァー、ウルセ!”

 

 ここに眠るドラゴンは、アルドゥインをして、一目を置く存在。

 名を、ヴィントゥルース。

 太古の昔の竜戦争の最中に、古代ノルドの英雄達によって討ち取られ、ここに葬られた伝説のドラゴン。

 墳墓自体は既に風化していても、この世界で最も強大なドラゴンたるアルドゥインには墳墓の下で未だに猛り狂う兄弟の憎悪が、はっきりと感じ取れていた。

 

“スレン、ティード、ヴォ!”

 

 アルドゥインがシャウトを墳墓に放つ。

 脈打つ波動が墳墓の中へと消えていくと、突如として地面が爆発。

 墳墓の下から、ドラゴンの骨が姿を現す。

 アルドゥインのシャウトによって再び息を吹き返したヴィントゥルースは、光と共に、その身に肉の体を纏い始める。

 広げた翼骨に皮膜が蘇り、アルドゥインの鱗と比べても薄い、淡黒色の竜鱗が全身を覆う。

 復活したヴィントゥルースは、徐に自らを蘇らせた長兄を見上げた。

 

“アルドゥイン。パーロック、ゼイマー。コス、ヒン、ダール゛”(アルドゥイン、傲慢な兄よ、戻ってきていたのか)

 

“ゲ、ヴィントゥルース。ガロード、ティード、リングラー。ヌツ、ヒン、ズー、ダール゛、フェン、ドレ、ムツ、ナークリーン。”

(その通りだ、ヴィントゥルース。時間がかかったがな。だが、我が帰還した以上、再びこの世界は我らの物となった)

 

 アルドゥインとしては、この強大な力を持つ弟を蘇らせることには、少し不安も抱いていた。

 ヴィントゥルースは、傲慢なアルドゥインも認める程の力を持つドラゴンである。

 ドラゴンですら使い手の少ない上位のシャウトを使いこなし、その名に相応しいだけの魂と意思の強さを持つ。

 だが、強大な力を持つこの兄弟は、その力に反し、非常に激高しやすいドラゴンだった。

 その名前に“激怒”の言葉を持つためだろうか。

 生前もその怒りの炎は人間達だけでなく、時には同族であるドラゴンにも向けられた事がある。

 アルドゥインとしても復活させることには躊躇するような者。

 しかし、それでもアルドゥインは、今は少しでも力が必要だと感じていた。

 

(時が震えた。ここではない、遠いどこかで。何が起こったのかは分かるが、誰がやったのかは分からん……。だが、何だ、この胸騒ぎは……)

 

 理由は、このタムリエルより遥かに離れた地で起きた何か。

 まるで、世界そのものを震わせんと響いた、強大な声の波動。

 世界の外側で起きた出来事であるが故に他のドラゴン達は気付かなかったようだが、アカトシュの長子として、支配するために生まれた種の最上位に座すドラゴンは、その“震え”を敏感に感じ取っていた。

 同時に、その震えが己の内に潜む何かを呼び起こしているようにも感じていた。

 己の深奥から込み上げる存在。それが何かはアルドゥインにも分からない。

 まるで霞がかかったように、その存在はぼやけて輪郭すらはっきりしなかった。

 だが、己の持つ竜の血が、切実に訴えていた。

 力を蓄えろと。

 その為には、この扱い辛いドラゴンも蘇らせておく事が必要だと。

 

“アルドゥイン?”

 

 突然黙り込んだアルドゥインに、ヴィントゥルースが声を掛ける。

 

“ニ、ドレ、ダーマーン。ルー、ログ、ヴィーング、クリィ、ダー、ジョーレ、ファー、ドィロク、ゼィル゛、ラゴール゛、トール、スゥーム”

(お前が気にする必要はない。今はその翼で空を駆け、魂に刻まれた怒りのスゥームを、裏切りの定命の者達に存分に振るうがいい)

 

 ただそれだけを言うと、アルドゥインは再び翼をはためかせ、空を覆う雲の中へと消えていく。

 ヴィントゥルースも、アルドゥインの様子は気にはなった。

 常に傲慢で、周囲に何が起ころうと己の態度を変えなかったアルドゥインが見せた、一瞬の逡巡。

 だが、その逡巡も、己の内に渦巻く怒りの炎に飲み込まれる。

 彼は竜戦争の際に殺されたドラゴン。

 今まで支配してきた人間が裏切り、互いに凄惨な報復を繰り返してきた。

 その時の光景は、数千年経っても、彼の瞼に焼き付いている。

 ヴィントゥルースは去っていくアルドゥインを見送ると、蘇ったばかりの翼を広げた。

 

“エヴェナール、ジョール! オンド、ズー、ラゴール゛、スゥーム、サドン、クロ゛!”

(人間に滅びを! 我が怒りの吐息で、その魂すら灰に還るがいい!)

 

 彼の名は、ヴィントゥルース。

 輝く、槌、激怒の名を持つ、強大な伝説のドラゴン。

 彼は“激怒”の名に相応しい咆哮を上げると、数千年ぶりに己の翼で空へと舞い上がる。

 ヴィントゥルースの激烈な声に反応したのか、空は一気に曇り、強風が吹き荒れはじめる。

 そして、かのドラゴンは己の記憶に従い、一路、東へ向けて飛び去った。

 向かう先はウィンドヘルム。

 彼の記憶の中で、最も人間が蔓延っていた場所。古からの、ノルドの街である。

 

 




というわけで、今回は前回の続き。
以下、登場人物紹介

ヴィントゥルース

輝く、槌、激怒の名を持つ伝説のドラゴン。
非常に強大な力を持つ竜で、竜戦争の折に古代ノルドの英雄たちによって倒され、ヨルグリム湖付近(ペイルホールド南東の端)に葬られた。
非常に気性が荒く、人間だけでなく同族にもその怒りの矛先を向けたことがある。
その性格から、アルドゥインも復活させることを躊躇していた。


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第七話 暴竜の襲来

 用意した料理をひとしきり食べ終わった健人達だが、借りてきた食器を返し終わっても、まだ路地に留まっていた。

 理由は、食後すぐに夢の中へと旅立ってしまった一人の少女がいたからである。

 空腹が満たされた少女は今、健人の膝に頭を預け、眠りについている。

 いくら火を焚いているとはいえ、路上で眠るにはまだ寒い。

 時折肌寒そうに震わせて体を丸める少女に、健人は自分の耐冷気の付呪が施されたマントをかけてあげる。

 少女の額に寄っていた皺が解け、安堵に満ちた笑みが口元に浮かぶ。

 そんな少女の寝顔を眺めながら、健人達は微笑んでいた。

 

「その子、寝ちゃったね……」

 

「疲れていたのでしょう。こんな子供が一人で生きていくには、この土地は厳しすぎます。

 ケント様、それで、どうするのですか?」

 

 リディアの問いかけに、健人は押し黙る。

 健人達は数日後にも、ウィンドヘルムを去るのだ。

 健人の旅は長く、子供を連れて行くには厳しすぎるものだ。

 だが、ここに置いていけば、おそらくこの少女は死ぬだろう。

 凍死か、餓死か。そう遠くない未来、それはかなり高い確率で訪れる。

 

「一番は、孤児院に預けることです。確かリフテンにありましたから、そちらまで馬車で送ってもらえるようにすれば問題ないかと思います」

 

「それは、確実なんでしょうか?」

 

「何とも言えません。今はどのホールドも困窮しています。特にストームクローク方についたホールドは、帝国からの援助を受けられませんから……」

 

 このスカイリムにも孤児院があるが、長く続く内乱で疲弊し、どの孤児院も一杯なのが現状だ。

 そしてリフテンは、リフトホールドだが、そちらはストームクロークを支持した勢力である。

 当然、ソフィが入れる保証はないし、入れたとしても健やかに成長できる可能性はさらに低い。

 

「ケント様がホワイトランに戻ってくださるなら、問題ないとは思いますが……」

 

「ふ~ん、健人に旅を諦めろって?」

 

「…………」

 

 もう一つの解決方法は、健人がソフィを連れてホワイトランに戻ること。

 だがリディアの提案に、カシトが眉を顰めて、やや厳しい口調で突っかかる。

 確かに、ソフィの身を案じるなら、そうするべきだ。

 しかし、ホワイトランに戻れば、リータと会うことはほぼ不可能になるだろう。

 最後に会った時のリータの様子を見れば、彼女がアルドゥインとの戦いを途中で放り出すとは考え難い。

 そして健人も、自分の旅をこのまま放りだす気は微塵もなかった。

 だがリディアは、突き付けられるカシトの視線をあえて無視し、健人にさらに切り込んでくる。

 

「ケント様、お聞かせください。ケント様は従士様が憎しみに囚われたまま戦うなら止めるとおっしゃっていましたが、もし従士様を止めたら、その後はどうするのですか?」

 

「…………」

 

「従士様は、予言に記されたドラゴンボーン。もし従士様をお止めになられたのなら、アルドゥインはどうするおつもりなのですか?」

 

 それはリディアから健人に向けられた戒めの言葉。

 リータを止める。その覚悟は良いだろう。だが、そのあと残ったアルドゥインはどうするのか?

 リータは既に、スカイリムの希望となっている。

 ドラゴンを屠り、再びドラゴンの支配を取り戻そうとするアルドゥインと相対し、人間の時代を守護する者。

 その旅路はもはや、一家族の問題ではない。

 たとえどれだけ強くなろうが、中途半端な覚悟の者が割り込んでいい戦いではないのだ。

 リディアから向けられる視線には、剣呑な戦意や敵意すら混じり始めている。

 彼女はリータに、その命を以って仕える者。故に、例え主の弟でも、リータの従者として、今の健人を見極めないわけにはいかないのだ。

 

「その時は……」

 

 リディアから向けられる声色は冷え切り、叩きつけられる戦意は、健人の精神を完膚なきまでに押しつぶそうとしてくる。

 同時にこれは、警告でもある。

 だが健人は、ともすれば斬られるのでは錯覚するほどのリディアの戦意を、正面から受け止めていた。

 彼もまた、リディアの行動の奥に潜む真意を察していたから。

 

「その時は、俺がアルドゥインと戦います。暴走する彼女を止めただけで後は知らないと放置するほど、厚顔無恥ではないつもりです」

 

 だからこそ、健人はリディアの戦意を正面から受け止めた上で、己の心の内をはっきりと述べる。

 アルドゥインと戦う。その覚悟を込めて。

 かつてこのスカイリムを旅していた時は、健人はリータを守りたいと思い、彼女の旅に同道した。

 もちろん、その意思は今でもある。

 だが同時に、今の健人には、それ以外の事にも思いを馳せるようになっていた。

 そして、憎しみと、殺戮、報復に彩られたタムリエル大陸の中で、健人は己の立ち位置を、己の意思で定めようとしていた。

 それは、ソルスセイムでの一連の出来事が、彼に与えた変化でもあった。

 

「……失礼しました。無礼な質問、ご容赦ください」

 

 健人の答えを聞いたリディアが、深々と頭を下げる。

 頭を下げられた健人もまた、手を振って彼女の謝罪を受け入れた。

 

「ただケント様、覚えておいてください。ドラゴンを一匹助ければ、一つの都市から恨まれます。二匹助ければ一つのホールドから恨まれるでしょう。

 憎しみに流されたまま戦うのは良くないと言われるお気持ちがわかりますが、現実として、人は己や大切な人達を奪い、傷つけたドラゴンを憎みます。その事は、胸に留めておいてください」

 

 念を押すように述べられたリディアの言葉に、健人は小さく頷いた。

 それは、健人が己の道を行く中で、あり得る可能性でもある。

 憎しみに流されるまま戦う者達を止める。それは、ともすれば本来守るべき人間達と相対する可能性も示唆している。

 激しい憎しみは、一朝一夕には消えない。

 ともすれば、それがドラゴンを助けた健人に向かう可能性もある。

 そして、その先にあるのは両勢力からの孤立である。

 人間同士でさえ、二つの勢力に分かれて疑心暗鬼になっているのだ。

 人間側でも、ドラゴン側でもない。そんな異端を受け入れられるほどの余裕は、この世界にはないのだ。

 だが、それでも健人は、リータにもう一度会うと決めた。そして、彼女が憎しみに囚われているなら、それを止めると。

 ならば、後は行動するだけだ。先の事は、その後に考えればいい。

 何事も、成すには行動しなければ始まらないのだ。

 前に進む。その確かな意思を込めた視線でもって、健人はリディアの詰問の答えとする。

 そして次に、健人はチラリと隣に座るカシトに目を向けた。

 

「……オイラとしては、ケントが旅を続けようと続けまいと、どっちでもいいんだけどね。オイラはケントの背中を守るだけさ」

 

 健人が“いいのか?”と視線で問いかけるが、カシトは小憎たらしい笑みを口元に浮かべ、“何を今さら”というように肩をすくめるのみだった。

 親友の無言の肯定に、健人は深く感謝した。

 

「それで、ソフィについてはどうするのですか?」

 

 健人は自分の膝で眠る少女に目を戻す。

 ピクリと、ソフィが身震いしたように見えた。

 

「……一応、考えがあります。旅路としては遠回りになるかもしれませんけど、その“覚悟”の部分も含めて、やっておいて損はないと思うことがあります」

 

「どのようなものですか?」

 

「まずは……」

 

「おい、サルモールのスパイ! 宿屋にいないと思ったら、こんな所に居やがったのか!」

 

 ケントの言葉を遮るように響いた大声。

 その場にいた健人達が、誰かと思って声の聞こえてきた方に目を向ければ、キャンドルハースホールで騒動を起こしたロルフ達がいた。

 彼らの手には錆び付いた鉄の剣やまき割り用の斧、鉄の短剣が握られており、一目で苛烈な報復に来たことが窺える。

 ロルフの大声に、眠っていたソフィも飛び起きる。

 そして、ロルフ達から滲み出る不穏な空気を感じ取り、怯えるように健人の背中に隠れた。

 

「なんだ、またお前らか……」

 

 一方、剣呑な敵意を振りまくロルフや、彼らが持つ武器に怯えているソフィと違い、健人の心はまるで朝方の川辺のように凪いでいた。

 この男、ソルスセイムでミラークやらハルメアス・モラ、モラグ・トング等、錚々たる敵と戦う羽目になっていたため、今更武器を突き付けられた程度では動揺しない。

 むしろ、闇討ちなどせずに堂々と正面からくる彼らに、ある種の感嘆と呆れという、相反する感情を抱くほどである。

 

「ケント、こいつら何? それにサルモールのスパイって……」

 

「宿屋で俺に突っかかってきた連中。ロルフ・ストーンフィストとかいう奴が集めたゴロツキ。

 どうやら、報復に来たみたいだな。なんで俺がサルモールのスパイ扱いになっているかは知らないよ」

 

 ソフィを背中で守りながら、健人はカシトの質問に肩をすくめる。

 ここまでくると、もはや溜息も出ない。

 頭に血が上っていることを差し引いても、ロルフ達の行動は支離滅裂だった。

 酒場での騒動で、健人との力量差は否が応にも理解したはずである。

 健人が刀を始めとした武器を所有し、帯刀していることも。

 そして徹底的に報復するなら、息を潜め、暗くなってから闇討ちすべきである。そちらの方が、報復が成功する可能性が高い。

 単純に腕試しで負けたことが悔しいなら、今一度拳での勝負に出ればいい。

 武器を持って集団で囲む行為が周囲からどう見られるのか。

 ノルドの誇りとやらに照らし合わせれば、自らがどの様な行動をすべきなのか、おのずと理解できるはずである。

 しかし、ロルフはこのような裏路地で、集団で、さらに明らかに殺傷を目的とする武器を持ち出してきた。

 つまるところ、彼らに初めから誇りなどなく、ただ感情だけで動くトロールであったということなのだ。

 いくら健人でも、武器まで持ち出して害を加えようとする輩に与える慈悲はない。

 恐怖から背中に縋り付いているソフィを安心させるために、そっと頭を撫でてから、教育上大変よろしくないチンピラどもを排除しようと、ソフィを隣にいるリディアに預けて剣を抜こうとする。

 

「ケント様はここでお待ちを。ノルドの誇りを勘違いした挙句、街中で剣を抜くような連中、貴方様が手を出すまでもありません」

 

 だがその前に、リディアがチンピラ共の前に踏み出す。

 彼女もまた、害を加えようとする輩を排除する事には躊躇いはない。

 その手はしっかりと、腰に差した剣の柄にそえられていた。

 

「リディア! お前、サルモールのスパイに与するのか!」

 

「その短絡かつ、卑劣な思考には呆れるな。もっとも、ガルマルと違い、器の小さいお前の事を考えれば、不思議ではないが」

 

「こ、この雌トロール……」

 

 あ、死んだ……。

 ロルフのそのセリフが耳に入ってきた瞬間、そんな言葉が健人の脳裏に浮かんだ。

 ピシリ、という空気がヒビ割れるような音と共に、背中越しからでも感じ取れるほどの殺気が、リディアの体から滲み出る。

 これは不味い。

 今更チンピラ達の身の安全などどうでもいい健人だが、ソフィに血生臭い光景を見せるのはよろしく無いだろう。

 

「リディアさん、ソフィの目の前ですので……」

 

「大丈夫です。とりあえず、腕の一、二本で勘弁してやります。ああ、ついでに股間の腕も切り落としてしまうかもしれませんが、命を残すぐらいの慈悲はかけてやりますよ」

 

 チンピラの何人かが、顔を青くして股間を抑えた。

 リディアは「武器を捨てれば、その顔をトロール顔に整形するくらいで勘弁してあげますよ」と 上品な口調で語っているが、言葉の内容は完全に蛮族のそれである。

 戦おうが全面降伏しようが、どの道チンピラ達が血生臭い目に遭うのは避けられなさそうである。

 せめて、ソフィには見せたり聞かせたりしないようにしようと、健人は振り向いてソフィの体を抱きしめて目と耳を塞ぐ。

 だが、リディアという猛獣が解き放たれる前に、双方の間を甲高い鐘の音が響き渡った。

 

「なんだ?」

 

 ゴーンゴーンゴーン……。

 突然鳴り始めた鐘。

 ウィンドヘルム中に響く警鐘に、いきり立っていたチンピラ達も、構えていたリディアやカシトも当惑し始める。

 次の瞬間、閃光が走った。

 紫電を纏いながら疾走した閃光は、風を切り裂きながらウィンドヘルムの南側外壁の頂部に着弾。

 外壁の上部を吹き飛ばしながら、破片を街中に散乱させた。

 

「な、何? 何なの!?」

 

 ガラガラと吹き飛ばされた外壁の破片が舞い散る中、当惑するリディアやチンピラ達の上空を、襲撃してきた存在が高速で通過する。

 次の瞬間、強烈な風圧が地上にいる人達に襲い掛かった。

 叩きつけてくる強風に眉をしかめながら、健人は外壁を吹き飛ばした存在に目を向ける。

 淡黒色の翼、躍動感あふれる筋肉と年月を経た巌を思わせる鱗を纏った体躯。

 それは間違いなく、この大陸で最上位に位置する生物だった。

 

「ドラゴン……」

 

 空を見上げた健人の呟きに続くように、街の彼方此方から悲鳴や怒号が飛び交い始める。

 

「ドラゴンだ! ドラゴンが来たぞ!」

 

「逃げろ! 逃げるんだ!」

 

 上空を通過したドラゴンの姿を見たチンピラ達が、一斉に騒ぎ始める。

 街中を歩いていた住人達も、突然のドラゴンの襲来に、一気にざわめき始める。

 

“ズゥー、ヴィントゥルース。フォラーズ、ジョール、ティヴォン、ドル゛、ヴォルミン、オニク、ディノク!”

(我が名はヴィントルゥース。裏切りの人間どもよ、その罪を死でもってあがなうがいい!)

 

「ヴィントゥルース……。あのドラゴンの名前か……」

 

 上空からドラゴン語で宣告される、死の宣告。

 たとえその言葉の意味は分からずとも、ドラゴンから放たれる殺意を、外壁の破壊というこれ以上ない形で叩きつけられた人々は、ドラゴンから逃れようと、我先にと走り出し始める。

 それは、先ほどまで意気揚々と武器をチラつかせていたチンピラ達も同じ。

 健人への憤りなど何処に行ったのか、隣にいる仲間すら押しのけ、生存本能に急かされるまま駆け出していた。

 だが、そんな彼らに、無情な死が降り注ぐ。

 

“クォ、ロゥ、クレント!”

 

 上空のドラゴンの口から放たれた雷のブレスの奔流が、逃げようとしたチンピラの集団を瞬く間に飲み込み、焼き尽した。

 サンダーブレス。

 雷、均衡、壊された、という力の言葉によって構築されたスゥームである。

 チンピラ集団を飲み込んだサンダーブレスはそのままウィンドヘルムの街を縦断し、街の区画を区切っていた石の外壁を粉砕。まるでドリルで掘削したような巨大な溝を穿つ。

 さらに余波で舞い散った雷は家の木材に着火し、燃え始めた家々がサンダーブレスの着弾跡に沿って炎の壁を作り出す。

 

「ひ、ひ、ひぃ……」

 

 チンピラたちの中で唯一生き残ったロルフが、あっという間に命を絶たれた手下たちの姿に腰を抜かしている。

 どうやら自身の取り巻きに押し飛ばされたおかげで、ブレスの直撃を受けずに済んだらしい。

 バタバタと地面を這いつくばりながら、物言わぬ躯となった仲間達とは逆方向に逃げ出そうとしているが、完全に腰が抜けている為、バタバタと不格好にその場でもがくだけになっている。

 一方、上空のドラゴンは翼をはためかせて優雅に旋回すると、北側から再びウィンドヘルムを目指して飛翔してくる。

 外壁の上で警備をしていた衛兵達が矢を射かけるが、不意打ちに等しいこの状況では、満足な数の矢を射かけることは不可能である。

 ドラゴンの飛翔速度は全く衰えない。

 そして、再び放たれるサンダーブレスが、ウィンドヘルムの街を縦断する。

 人が、家が、石壁が弾け飛び、血と悲鳴がまき散らされる。

 

「あ、あ、ああ……」

 

 ドラゴンの脅威を目にしたソフィが、恐怖で身を強張らせている。

 健人は、あまりの恐怖で茫然自失になっているソフィを安心させるように、その頭を一撫ですると、両手でソフィの手を取る。

 

「リディアさん、王の宮殿へ行きましょう! ソフィを安全な所へ連れていく必要があります!」

 

「は、はい!」

 

「ケント、後ろ!」

 

「く!?」

 

 だが、健人達が駆け出そうとしたその時、背後にそびえていた外壁が崩れ出した。

 おそらく、ヴィントゥルースの初撃で、外壁を構築する石材の接着面に罅が入っていたのだろう。

 健人は咄嗟にソフィとリディアを突き飛ばし、反動で逆方向へと跳躍する。

 幸い、健人にもリディア達にも怪我はなかったが、崩れた石材によって道が塞がれ、二人と分断されてしまった。

 

「ケント様!」

 

「お兄さん!?」

 

「リディアさん、俺達の事は無視してソフィを連れて王の宮殿へ! ドラゴンの方はこっちで何とかします!」

 

 リディアとソフィが健人達を案じるように声を上げるが、健人は自分達を無視して、王の宮殿を目指すように言い含める。

 幸い、ドラゴンのブレスによる火事は、リディア達から見て王の宮殿側には発生していない。

 上手く小道を抜けていけば、王の宮殿に辿りつけるだろう。

 あれだけ強固な城なら、ドラゴンの攻撃にもある程度耐えられるし、ドラゴンが襲ってきている現状、最も安全な場所は王の宮殿くらいしかない。

 

「しかし!?」

 

「カシト、外壁に上がるぞ。手を貸してくれ」

 

「あいあい!」

 

 呼び止めるようなリディアの言葉を無視して、健人とカシトは駆け出す。

 カシトが崩れなかった南側の外壁に背をつけて手を組み、健人が組まれたカシトの手に足をかけて跳躍。

 健人が外壁に飛び乗ったのを確認すると、カシトもまた外壁の石の隙間に足をかけて跳躍。

 先に上った健人が差し出した手を掴み、カシトを外壁の上へ引き上げる。

 外壁の上では、残った衛兵達がドラゴンに対して必死の抵抗をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死ね! ドラゴン!」

 

「ありったけの矢を射かけろ! これ以上俺達の街を破壊させるな!」

 

 ドラゴンの二撃目を生き延びた衛兵達が弓矢で応戦している。

 だが、ドラゴンの鱗は鋼鉄の矢で抜けるような軟なものではない。

 さらに、空を飛ぶドラゴンに矢を当てるのは簡単なことではない。

 衛兵達は数を頼みに弾幕を張るが、当たった矢もカンカンと空しく弾かれるだけだった。

 一方、ドラゴンは相手の攻撃が自分にダメージを与えられるようなものでない事を確信したのか、西側の外壁の傍で滞空しながら、シャウトを放ち始める。

 

“クォ、ロゥ、クレント!”

 

「ぎゃああああああああああ!」

 

 放たれたサンダーブレスに、五人の衛兵が飲み込まれた。

 悲鳴が木霊し、雷で全身を焼かれた衛兵達が、外壁の足場から弾き飛ばされていく。

 

「くそ! 弓矢がまるで効いていないぞ!」

 

「諦めるな! 次の衛兵、前へ! 盾が無ければその辺の戸板でも剥いで持ってこい!」

 

 空いた穴を埋めるように、次の衛兵が前に手で盾を構える。

 だが、衛兵達が使う鉄の盾程度では、ヴィントゥルースのサンダーブレスの前には蝋の盾と同じだった。

 強力な紫電の渦は瞬く間に鉄の盾を溶解し、身に付けた鎧ごと衛兵達を焼き尽くしていく。

 戦闘が始まって五分足らず。

 既に百人以上の衛兵が、このドラゴンの前に屍を晒していた。

 

「ドラゴンのブレスが強力すぎる! 俺達の装備じゃ太刀打ちできん!」

 

「目だ、目を狙え! あそこなら鱗はない!」

 

 誰かが叫んだその言葉に一縷の望みをかけて、衛兵達は一斉にヴィントゥルースの目を狙って矢を射る。

 しかし、衛兵達の矢はドラゴンの眼球すら貫けなかった。

 逆に、ドラゴンは目に当たる矢群を、鬱陶しそうに首を振って薙ぎ払うと、外壁の足場を薙ぐようにサンダーブレスを吐きかけた。

 

「があああああ!」

 

「こ、こんな理不……」

 

 ある者は断末魔の悲鳴を上げながら、ある者はドラゴンと自分たち圧倒的な差に絶望しながら、その命を刈り取られていく。

 まるで野原で焼かれる雑草のように駆逐されていく仲間達の姿が、強固な結束で結ばれているはずの衛兵達に動揺を走らせる。

 無理もない。彼らの大半は、今日初めてドラゴンと相対した。

 お伽噺で聞くドラゴンは、人間達によって必ず倒される。

 だが、彼らの目に映るドラゴンの威容を前に、彼が抱いていたお伽噺のドラゴン像は完膚なきまでに打ち壊されていた。

 そして、自分達は唯、邪悪なドラゴンに駆られるだけのネズミのごとき存在であることも、まざまざと見せつけられていた。

 

「あ、ああ……わあああああ!」

 

 一人の衛兵が、恐怖に負けて逃げ出した。

 臨界点を超えた恐慌は一人、また一人とその心を蝕み、やがて櫛の歯が抜けるように、隊列から脱落する衛兵が増えていく。

 

「う、ああ……」

 

「逃げろ! こんな奴、敵うわけない!」

 

 未だに戦意を失わない勇猛果敢な衛兵達が、それでも自分達の街を守ろうと奮闘するが、何割かの衛兵は恐慌状態に陥り壊走。

 逃げ惑う衛兵が他の衛兵の動きを妨げ、さらに犠牲者を増やすという悪循環に陥っている。

 全滅は時間の問題。そんな空気が衛兵達の間で瞬く間に広がっていた。

 

「「「おおおおおおおおおおおお!」」」

 

 だが、ヴィントゥルースが外壁上の衛兵隊にトドメを刺そうとした正にその時、勇ましい鬨の声が、ウィンドヘルムに響いた。

 

“……アーム?”

(……む?)

 

 ヴィントゥルースと外壁上の衛兵隊が眼下を覗くと、街を縦断するように燃え盛る炎に道を作るように、巨大な鉄の板が炎を切り裂いて倒れ込んだ。

 上部が緩いカーブを描いた、奇妙な鉄板。そしてその鉄板を踏み越え、声高らかに、蒼いキュライスを纏った戦士達が飛び出してくる。

 帝国に反旗を翻した、ストームクローク兵達。

 その先頭に立つのは、彼らを纏めるリーダーにしてイーストマーチホールドの主、ウルフリック・ストームクロークと、その副官、ガルマル・ストーンフィストだった。

 

「邪悪なドラゴンよ、そこまでだ!」

 

「首長だ! 首長が兵を連れてきてくれたぞ!」

 

 自らの君主が、ドラゴンとの戦いに先頭に立つ。

 その姿に、瓦解しかけていた衛兵達の士気が一気に高まる。

 ウルフリックは自らを、そして己の部下達をさらに鼓舞するように、腰の剣を天に掲げる。

 

「我が名はウルフリック・ストームクローク! このスカイリムの真の上級王! ドラゴンよ、よくも我らの街を焼いてくれたな、その狼藉の対価として、貴様の首を置いて行ってもらうぞ!」

 

“メイ! フィン、コス、セジュン、ドー、ケイザール、ブルニク、ジョール!? エヴェナール、ワー、アグ、カー、ヴォス、ゼィル!゛”

(愚か者が! 人間風情がスカイリムの王を名乗るつもりか!? その傲慢、魂ごと焼き滅ぼしてくれる!)

 

 明らかに君主と思われるウルフリックの登場と、王を名乗るその口上が、ヴィントゥルースに更なる怒りを猛らせる。

 ヴィントゥルースの感覚では、人間は被支配種族である。

 そんな矮小な者達が“王”を名乗る事を、このドラゴンが見逃すはずがない。

 だが、ドラゴンがシャウトを放つよりも先に、ウルフリックが己のシャウトをヴィントゥルースに向けて放っていた。

 

「ファス、ロゥ、ダーーー!」

 

“!?”

 

 揺ぎ無き力のシャウトが、ヴィントゥルースに襲い掛かる。

 定命の者が力の言葉を使ったことに、ヴィントゥルースの瞳が一瞬驚愕と共に見開かれる。

 かつて、このドラゴンを倒した者達も、シャウトを修めた戦士達だった。

 本来ドラゴンの力であるはずのシャウトを使う彼らに敗れた過去が、同じ力を使うウルフリックを前にして、これ以上ない程の殺意をヴィントゥルースに抱かせる。

 だが、ウルフリックのシャウトはヴィントゥルースの巨体を僅かに揺るがせただけだった。

 ヴィントゥルースがウルフリックに向かって報復のシャウトを放つ。

 

“クォ、ロゥ、クレント!”

 

「ガルマル、我らの盾を!」

 

「おう!」

 

 ウルフリックが声を上げると共に、傍に控えていたガルマルの背後から、巨大な鉄板が姿を現す。

 その形は、先程炎の壁を乗り越えた際に足場に使われた鉄板と同じもの。

 細長い楕円形を、四分の一に割ったような形の分厚い鉄板。

 大人数人ほどもある巨大な鉄板は、屈強な二十人のノルドの戦士達に支えられ、自分達の王と仲間達を守るように、正面からヴィントゥルースのサンダーブレスを受け止める。

 

「王の宮殿を守っていた扉だ。貴様のシャウトでも簡単には破れんぞ!」

 

 ウルフリックが持ち出してきたのは、王の宮殿の正門にあった扉そのものだった。長い年月の間、厳しいスカイリムの冬と脅威の影から王の城を守っていた扉は、その威容に相応しい守りでもって、王に仇なす邪悪なドラゴンの吐息を防ぎきる。

 鉄の盾故に、持ち手には強烈な雷撃の余波が襲い掛かるが、皮を張った小手と、盾の下面を地面に接地することで、地中に雷撃を流し、感電を未然に防いでいる。

 

「戦士達よ、剣を掲げろ! 弓を構え、矢を放て! 忌まわしいドラゴンが飛べなくなるまで、攻撃の手を緩めるな!」

 

「「「おおおおお!」」」

 

 ウルフリックの檄に、士気をこれ以上ない程高めた戦士達が、ヴィントゥルースに攻撃を加え始める。

 無数の矢だけでなく、ウィンドヘルムの宮廷魔術師であるウーンファースも攻撃に加わる。

 巨大な扉を盾にしながら、驟雨のごとき矢と魔法が、ヴィントゥルースに降り注ぐ。

 

“ザーロ゛、タフィール! クレン、ファール゛、パー、ジョーレ! ストレイン、ヴァハ、クォ!”

(矮小な盗人どもめ! 全てを打ち壊してくれる! ストレイン、ヴァハ、クォ!)

 

 だが次の瞬間、ヴィントゥルースを中心に、強烈な衝撃が四方八方に走った。

 あまりの衝撃に先頭にいたウルフリック達がよろめくだけでなく、後列にいた弓兵隊や魔術師たちの攻撃までもが滞る。

 そして、絶望が彼らの頭上に顕現した。

 渦を巻く雲、突如として降り始めた豪雨。そして、天を走り回る無数の紫電。

 ストームコール。

 殲滅型のシャウトとしては最上位に位置するシャウトが発動し、ウルフリック達に襲い掛かった。

 

「ぎゃあああああああああ!」

 

「がああああああ!」

 

 頭上から降り注ぐ無数の雷に、精緻を誇っていたストームクロークの隊列が、瞬く間に食い破られていく。

 巨大な門の盾も、街中に降り注ぐ無数の雷を防げるはずもない。

 さらに言えば、屈強なノルド二十人がかりで何とか持ち上げ、支えていた盾だが、ストームコールの雷はその持ち手達にも牙を向いていた。

 持ち手に数が減り、支えきれなくなった盾がズシン! と音を立てて、残った持ち手達ごと地面に倒れ込む。

 その間にも天から落ちる多数の雷は、ストームクロークの兵士だけでなく、街の家々の屋根にも着弾し、ウィンドヘルムの街から次々と火の手が上がってくる。

 

「くそ、門の盾を持ち上げろ! このままでは一撃で薙ぎ払われるぞ!」

 

 盾を失えば、纏まっているウルフリック達はヴィントゥルースの強力極まりないサンダーブレスに、一撃で消し飛ばされるだろう。

 だが、必死に盾を持ちなおそうとするウルフリック達を尻目に、ヴィントゥルースは追撃の準備に入っていた。

 

「ウルフリック、来るぞ!」

 

“クォ、ロゥ……”

 

 ヴィントゥルースの舌が、力の言葉を紡ぐ。

 どう見ても、盾を引き上げることは間に合わない。

 ウルフリックを含めた全ての戦士達が、ドラゴンの吐息に焼かれる己の姿を幻視した。

 そんな人間達の絶望を見て、ヴィントゥルースはその凶悪な風貌をさらに歪める。

 彼にとって、自らを殺して地の底に幽閉した人間達が醜態を晒している姿は、この上なく痛快だった。

 

(泣け! 叫べ! 貴様らの断末魔のみが、我が怒りを鎮めると知れ!)

 

 数千年に渡る積年の恨みをシャウトに込め、激怒の名に相応しい暴虐さでもって解き放とうとする。

 

(逃げる臆病者も、立ち向かう勇者も関係ない。只々我が怒りをスゥームに込めて解き放ち、目につく全てを薙ぎ払い続けてくれる!)

 

 ヴィントゥルースは今、明らかに怒りに飲まれ、戦いの中で血に酔っていた。

 彼は、竜戦争時代のドラゴンである。

 ドラゴンが人間達を支配し、治めていた時代を生きたドラゴンであり、人間達の苛烈な反逆をその身に受け、死という形で数千年もの間、幽閉されたドラゴン。

 元々ドラゴンの中でも苛烈な性格であり、敵対者はたとえ同族だろうと容赦をしなかった暴竜である。

 そんなヴィントゥルースが、裏切り者である人間達に対し、数千年に渡る憎悪をぶつける事に躊躇うはずもない。

 むしろ自ら進んで人間達を虐殺し、血と悲鳴のカクテルが齎す陶酔に身を委ねる。

 兵士も民も、女も子供も、若者も老人も関係ない。

 只々、すべてを焼き、壊し、食らいつくす。

 アルドゥインすら認めるその力をもってすれば、この人類最古の都市とて、一時間足らずに灰燼にできるだろう。

 現にその災禍は、ヴィントゥルースの前に顕現しつつある。

 そして、その未来は、現実のものとなっただろう。

 

 

 

 

 この街に、タムリエル史上最大級のイレギュラーがいなければ。

 

 

 

 

「ロク、ヴァ、コーール!」

 

 ヴィントゥルースの物でも、ウルフリックの物でもない第三者の力の言葉が、ウィンドヘルムに響く。

 次の瞬間、街の全天を覆っていた雷雲が、瞬く間に消し飛ばされた。

 

(な、なんだと!?)

 

 この街全てを覆い尽くしていた自分の力が一瞬で吹き飛ばされたことに、ヴィントゥルースは思わず我を忘れ、快晴となった空を見上げた。

 天には見えなかったはずの星々が瞬き、それがヴィントゥルースに目の前で起きた現実を突きつける。

 

「ファス、ロゥ、ダーーーーー!」

 

 そして、戦闘と虐殺に陶酔していたドラゴンの目を覚まさせるように、再び強烈な“声”がウィンドヘルムに響いた。

 横合いから叩きつけられた強烈な衝撃波が、ウルフリックのシャウトでもビクともしなかったヴィントゥルースの巨躯を押し流す。

 

“グオオオオオォォ!”

 

 首と翼を引っ掛けるような形で、外壁の上に着地した。

 衝撃で焼き尽くされた衛兵の死体が吹き飛び、外壁の石材が崩れる。

 地面に落とされたヴィントゥルースが、一体何事かと首を振って衝撃波が襲ってきた方向に目を向けると、二人の定命の者が、こちらに向かって駆けてくる姿が目に飛び込んできた。

 その二人の内の一人、同族の鱗を鎧として纏う定命の者を見た瞬間、ヴィントゥルースは全身が粟立つ様な感覚を覚えた。

 それは、数万年を超える生の中で、彼自身が殆ど味わったことのない感覚。

 極めて強大な脅威を前にした時に感じる、危機感そのものであった。

 




というわけで、ウルフリック奮闘するも、ヴィントゥルースに一蹴されました。
そして、健人、戦闘に介入。
次回はスカイリムで久しぶりのドラゴン戦になります。
以下、登場人物紹介等……。

ウルフリック・ストームクローク。
苛烈なノルド主義を掲げる反乱軍、ストームクロークのリーダー。
ノルド以外を認めないような施政を敷いており、言動も他種族を認めない物言いが多いが、実は止むに止まれぬ事情があるような様子も結構ある。
ゲーム本編では、受け取り手によって評価がハッキリと別れる人物。


ガルマル・ストーンフィスト
ロルフの兄であり、ウルフリックの右腕。
彼もまた、苛烈なノルド主義に相応しい言動をしているが、かなり現実的に物事を見て、それに即した自分を見せている面もある。
かなりのやり手であり、戦士としても指揮官としても、そして政治家としても、その力量は本物。



ヴィントゥルース その2

彼が得意とするシャウトは雷系のシャウトであり、ストームコールを始めとした、使い手のほとんどいない非常に強力なシャウトも使いこなす。
それだけの知性と力を持っているものの、いかんせん勘気が酷く、性格に難がありすぎる為、同族達からは“暴竜”と嫌厭されていた。

サンダーブレス
ヴィントゥルースのオリジナルシャウト。
雷、均衡、壊される、という力の言葉で構築されている。
”電”気的な”均衡”が”壊される”という意味であり、強烈な雷の奔流を叩きつけるスゥームである。
ゲーム本編に雷系のブレスが無かったことから、作者が追加したシャウト。


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第八話 ウインドヘルム対竜戦 前編

 外壁上を駆けながら街を半周し、健人はようやく戦場となっているウィンドヘルム西側に到着した。

 ヴィントゥルースのストームコールによって街のあちこちからは火の手が上がり、ウルフリックが率いる援軍も隊列を乱され、統制を失いかけている。

 まずは、上空から降り注ぐ雷の雨をどうにかする必要がある。

 健人は素早く、己の内で燃え盛るドラゴンソウルに問いかける。

 この街を覆う雲海を吹き飛ばす。その為の力の言葉が知りたいと。

 彼の内なる魂は、主の求めに応じ、蓄えた知識から力の言葉を引き出して囁く。

 告げられた力の言葉を練り上げながら、健人は空を覆う雷雲を睨み付け、腹の底から一気に力を解放した。

 

「ロク、ヴァ、コーール!」

 

 放たれた“晴天の空”が天に響き、瞬く間にヴィントゥルースのストームコールを散らしていく。

 己のシャウトが散らされた事に驚いたのか、ウルフリック軍に向けたヴィントルゥースの攻撃が止まる。

 さらに健人は追撃のシャウトを放つ。

 

「ファス、ロゥ、ダーーーーー!」

 

 強烈な衝撃波が、外壁の縁の石材を吹き飛ばし、驚きで硬直していたヴィントルゥースに襲い掛かる。

 

“グオオオオオォォ!”

 

 横から強烈な力を叩きつけられたヴィントルゥースは体勢を崩して落下したものの、外壁に引っかかる形で何とか着地した。

 ヴィントルゥースの目が、揺ぎ無き力を叩きつけた健人に向けられる。

 健人の姿を捉えたヴィントルゥースの瞳は驚愕に見開かれ、続けて強烈な憤怒に染まり始める。

 どうやら、横やりを入れたことで、かのドラゴンの怒りを買ったようだ。

 だが、それは健人にとっては好都合。

 ドラゴンの注意がこちらに向けば、その分リディアとソフィに向かう危険が減るからだ。

 

“ゲンドウ、ドー、コド、スゥーム! オンド、クリフ、タフィール、ガイン、アーン、エヌーク!”

(またシャウト使いの戦士か! 盗人風情がもう一人、我の前に立ちはだかるとはな!)

 

 激怒したヴィントゥルースが首を大きく仰け反らせる。

 明らかにシャウトを放とうとしている動きだ。

 

「カシト、後ろに!」

 

「はいよ!」

 

 カシトに自分の影に入るように指示し、健人は背中からドラゴンスケールの盾を取り出し、同時に自分の魔力をひねり出す。

 ヴィントゥルース。

 輝き、槌、激怒の名を持つドラゴンは内なる声でその口腔に紫電の塊を生み出し、闖入者に向けて、雷の砲撃を放つ。

 

“クォ、ロゥ、クレント!”

 

 放たれた雷のブレスは、外壁上の通路幅一杯に広がり、一瞬で健人とカシトを飲み込んだ。

 

(な、なんだと!?)

 

 だが次の瞬間、ヴィントルゥースの瞳が、再び驚愕に見開かれる。

 彼の目に飛び込んできたのは、自らの力を象徴するシャウトを押しのけながら吶喊してくる、健人の姿だった。

 ヴィントルゥースのサンダーブレスは、健人を基点にまるで川を割ったように二つに別れ、ウィンドヘルム外壁上部の足場を抉り取っていくのみ。

 健人が掲げる盾の前面には、半透明のシールド魔法が展開し、ヴィントルゥースのサンダーブレスから健人を守っている。

 魔力の砦。

 ソルスセイム滞在中にネロスから学び、身に付けた、健人が使える数少ない精鋭クラスのシールド魔法。

 健人が身に着けているドラゴンスケールの兜には、マジ力上昇と、回復魔法向上の効果が付呪されており、体質的に魔力消費の激しい健人でも、十分な効果時間を確保している。

 さらに、ドラゴンスケールの盾が、健人の守りをさらに強固なものとする。

 健人が所有するこの盾にも、ネロスの手によって、防御上昇、そして魔法耐性上昇の二つの付呪が施されている。

 数百年間、研鑽と研究に明け暮れたダークエルフの付呪と魔法は、ドラゴンスケールの装具と相まって、ヴィントルゥースの強力無比なシャウトを正面から弾き返すほどの守りを健人に与えていた。

 

「カシト!」

 

「てい!」

 

 ヴィントルゥースのシャウトを防ぎきった健人。

 彼の背後に隠れていたカシトが腰の短剣を逆手に引き抜き、健人の背中を足場にして跳躍し、ヴィントルゥースに飛び掛かる。

 引き抜いた短剣から、赤い炎が噴出する。

 腰から抜かれたカシトの短剣は、黒と白の特徴的な刃文が描かれた黒檀の短剣であり、レイブン・ロック鉱山で採掘された黒檀の原石を精製し、健人とバルドールが作った品だった。

 刀身には炎攻撃の付呪が施され、小ぶりな短剣には不足しがちな殺傷力を補っている。

 

“オオオーーーー!”

 

 だが、宙に飛ぶというあからさまな攻撃行動を、ヴィントルゥースが許すはずもない。

 即座に首を伸ばし、その強靭な顎と鋭い牙でカシトを噛み砕こうとしてくる。

 

「うわっと!」

 

 迫りくるヴィントルゥースの牙を、カシトはカジートらしい俊敏さと器用さを発揮し、空中で身を翻して躱した上で鼻面を蹴りつけて、牙の届く範囲から逃れる。

 空中で再跳躍したカシトとヴィントルゥースの視線が交わる。

 そして、ドラゴンの牙から逃れたカジートの口元に、“してやったり”というような笑みが浮かんだ。

 

「ウルド……」

 

“っ!?”

 

 ヴィントルゥースの視界の下端に、高速で滑り込んでくる影が映りこんだ。

 踏み込んできたのは、先ほどサンダーブレスを防ぎ切った健人である。

 カシトの最初の攻撃行動は囮であった。

 彼らの目的は初めから、ヴィントゥルースを健人の刃圏に捉える事。

 単音節の旋風の疾走で間合いを詰めた健人が腰に差したブレイズソードを引き抜きながら、伸び切ったヴィントゥルースの首筋めがけて刃を一閃させる。

 

「せええええい!」

 

“グゥ!?”

 

 ヴィントゥルースは咄嗟に首を引き戻して、健人の斬撃を躱そうとするが、完全には躱しきれなかった。

 健人の刃がヴィントルゥースの鱗をあっさりと切り裂き、その下の皮膚と肉を裂く。

 首筋に走った痛みに、ヴィントゥルースは驚愕に目を見開いた。

 

「はあ!」

 

 だが、健人の攻勢はさらに続く。ブレイズソードを振り抜いた体勢のまま跳躍し、体を半回転させながら左の盾をヴィントゥルースの目に叩きこむ。

 

“グギャゥ!?”

 

 ご丁寧に盾の前面ではなく、硬質な盾の縁を眼球に叩きこまれたヴィントゥルースは、その体を大きくのけ反らせた。

 さらに言えば、彼らが戦っているのは狭い外壁上の通路である。

 ヴィントゥルースの巨躯は狭い外壁の通路で戦うに大きすぎ、さらに度重なるサンダーブレスの余波で脆くなっていた足場は、ヴィントゥルースが体をのけ反らせるのと同時に限界を迎えた。

 

“グオ!?”

 

 外壁の足場が崩れ、ヴィントゥルースの体が落下していく。

 いくらドラゴンでも、体勢が崩れた状態で足場を失えば、即座に空中に飛びあがることは困難だ。

 重力に引かれるまま、ヴィントゥルースの体は瓦礫と共にウィンドヘルム市街の中へと落ちてく。

 

「ふっ!」

 

 さらに健人は、左の盾を背中に戻しながら、外壁の縁から跳躍。

 腰に差したもう一つの刃を引き抜きながら、落下するヴィントゥルースに追撃を試みる。

 

「はあああああああ!」

 

“グオオオオオオオ!”

 

 落下しながら振るわれた二本の刃が、黒と青の軌跡を描きながら、ヴィントゥルースの胸部に十字の裂傷を刻む。

 ドラゴンの絶叫が響き、二人はそのまま眼下の市街地へと落ちていく。

 健人に追撃を加えられたドラゴンの体は、そのまま真下にあった邸宅を押しつぶしながら、地面に激突。

 一方、健人は斬撃の反動と共に空中で体を捻りながら落下地点を調整し、ヴィントゥルースが落ちた邸宅の隣に立っていた家の屋根に着地。

 前廻り受け身の要領で落下の衝撃を殺しながら、再跳躍して地面に降り立つ。

 健人が降り立ったのは、ウィンドヘルム北西部の住宅街。この街の有力者達が居を構える、高級住宅街であった。

 綺麗な着地を決めた健人は、不意の攻撃に備え、手にした二本のブレイズソードを油断なく構える。

 双刀の刃には、斬り裂かれたヴィントゥルースの傷口から溢れた生命力と魔力が絡みつき、柄を通して健人の体に流れ込んでいた。

 健人が持つ二本の刃。

右手に持つのは、漆黒を基調とした刃文を抱く刀身に、血脈のような深紅の筋が刻まれた長刀。

 漆黒の長刀は、そのおどろおどろしい外見に相応しい威圧感を醸し出し、見る者全てを圧倒する。

 デイドラのブレイズソード。銘を“エッジ・オブ・ブラッドエッセンス”。

 “血髄の魔刀”の名を冠した刃は、敵対者から生命力とスタミナを強奪し、担い手に還元する強力な刀である。

 かつて健人が使用していた黒檀のブレイズソードを作る過程でデイドラの心臓を使用し、その強度と付呪による魔法効果を、劇的に引き上げることに成功した魔刀だった。

 左手に持つ刃はスタルリムの短刀。

 万年氷を思わせる澄んだ刀身を抱く、蒼の刀身が印象的な刃であり銘を“フローズン・ティアードロップ”という。

 “落氷涙”の名を持つこちらも、かつて健人が愛用していたスタルリムの短刀に付呪と改良を加えた逸品。

 体質上、魔力不足に陥りやすい健人のために作られた刃であり、強力な氷攻撃と魔力吸収の付呪を施した魔刀である。

 健人は己に体にヴィントゥルースから奪った生命力と魔力が自分の体に流れ込むのを感じながら、ヴィントゥルースが落下した場所を睨みつける。

 そこは舞い上がった土と粉砕された瓦礫の粉が朦々と立ち込めており、ドラゴンの姿を確かめることはできない。

 だが、この程度で大人しくなるようなドラゴンでない事は、分かり切っていた。

 

「ラース」

 

 健人が一節だけオーラウィスパーを唱えると、土煙の奥にいるヴィントゥルースが、赤光となって健人の視界に映る。

 シャウトでヴィントゥルースの姿を確かめた健人が、さらなる追撃を掛けようと踏み込んだ。

 だが次の瞬間、赤く光るヴィントゥルースの体が大きく捩じられた。

 健人の首筋に猛烈な悪寒が走る。

 健人は己の直感が命じるまま、その場に這いつくばるように伏せた。

 直後に、瓦礫の煙を切り裂きながら、巨大な尾が先程まで健人の上半身があった場所を薙ぎ払った。

 強烈な風圧が煙を吹き飛ばし、衝撃で飛ばされた瓦礫の破片が、健人の体を強かに打って来る。

 

“オオオオオオオオオオオ!”

 

「っ!?」

 

 尾を薙いだ勢いで振り返ったヴィントゥルースが瓦礫の煙の中から姿を現し、その口腔に紫電の塊を生み出していた。

 健人の斬撃を受けた胸部は深々と斬り裂かれ、十字傷の一本は凍結し、もう一本からは夥しい量の出血が認められる。

 だが、ヴィントゥルースは傷口から出血が激しくなるのも構わず、攻撃を優先していた。

 健人は次に来るであろう攻撃を前に、両足に力を込めてその場から跳躍する。

 

“クォ、ロゥ……クレント!!”

 

 極太のサンダーブレスが、健人が伏せていた場所を貫いた。

 さらにヴィントゥルースは首を振り、横に飛んでシャウトを避けた健人を焼き尽くそうとレーザーのような雷を振り回してくる。

 

「くっ、おおおおおおお!」

 

 健人は全力で駆け、強力な雷の奔流から逃げる。

 先ほど外壁から着地した際に足場にしていた邸宅の塀に足をかけて跳躍、二階の屋根に手をかける。

 ビリビリと背中に迫る焼けつくような静電気を感じながら、屋根に掛けた手で体を邸宅の壁に引きつけて再跳躍。

 すぐ背中に迫っていた雷流を空中で身をひるがえしながら避けきって、地面に降り立つ。

 薙ぎ払われたサンダーブレスは健人が足場にした邸宅を、裏にそびえ立つ外壁もろとも貫き、豪華で風情のある屋敷を瓦礫と炎の山へと変える。

 咄嗟とはいえ、カジート顔負けの軽業を披露した健人だが、彼の視界にはさらに追撃を放とうとしているヴィントゥルースの姿が映っていた。

 

「ファス、ロゥ、ダーーー!」

 

 相手の攻勢を潰さんと、健人が再び揺ぎ無き力を放つ。

 自らの魂と意思で世界を押し返すシャウトが、ヴィントゥルースがシャウトを唱えるよりも早く顕現し、ドラゴンの巨体に正面から直撃。

 ヴィントゥルースが両足の爪を立てて抵抗したにもかかわらず、その巨躯を二十メートル近くも後退させた。

 

「すぅ……ふう」

 

“グウウウ……”

 

 カジート顔負けの軽業を披露した健人と、機先を潰されたヴィントルゥースは、ここで改めて互いの姿を正面から確かめる。

 

(ヴィントゥルース。輝く、槌、激怒か……なるほど、名前に相応しい威圧感だ。サーロタール以上のドラゴンだな)

 

(この定命の者は、何者だ? 我らに等しい声の力を持つ者……人間……なのか? まさか……)

 

 健人から見ても、ヴィントゥルースの力はアルドゥインやミラークを除けば、今まで見てきた中で間違いなく最強のドラゴンだ。

 健人はヴィントゥルースの淡黒色の体躯に、アルドゥインの姿を幻視し、ヴィントゥルースは己の巨躯を押し戻した健人の声の力と、その魂の色に違和感を覚える。

 ヴィントゥルースは竜戦争の頃に殺されたドラゴンであり、この時期はちょうど最初のドラゴンボーンが反乱を起こした時期に当てはまる。

 ヴィントゥルースはドラゴンボーンという存在は小耳に挟んだ事はあれど、その存在が持つ力を直に確かめたことはない。

 だが、彼の目の前に立ちはだかる人間が使うシャウトは、ドラゴンの言葉を学ぶことに多大な時間を要する定命の者が使うには、明らかに強力すぎる。

 キナレスと裏切り者のパーサーナックスによって、人間に齎されたスゥーム。

 だが、人間が使うシャウトとドラゴンが使うシャウトでは、その規模も精粗も大きく異なる。

 人が使うシャウトに込められる意思は、どうしても粗く、曖昧な事が多い。これは、そもそも人間が会話の中で、ドラゴンシャウトを使う事がない故だ。

 言葉とは、相手との意思のやり取りを行う上で必須となる根幹ツール。

 そもそも、シャウトと言う“真言”を操るようにできておらず、その経験も満足にない人間のシャウトが、簡単にドラゴンの使うシャウトに及ぶはずもない。

 だが、ヴィントゥルースの目の前に立つ人間が放つシャウトは、極めて正確で、同時にヴィントゥルースでさえ圧されるほどの強烈な“意思”が込められていた。

 

(ドヴァーキンか……我らの父から祝福を受けた、我らと同じ力を持つ人間、そして、竜族を狩る子……)

 

 ドヴァーキンという竜の言葉は、二つの意味を持つ言葉に分けられる。

 “先天の竜”そして“竜族を狩る子”である。

 生まれながらに竜であり、そして同族を狩る事を運命づけられた者。それが、ドラゴンボーンの本質たる言葉である。

 そして、ヴィントゥルースの眼前のドラゴンボーンから叩き付けられた意思は、“暴れるのを止めろ”というもの。

 その強烈な意思を前に、ヴィントゥルースは先程の脳裏に浮かんだ疑問と思考を、すぐさま頭の端に放り捨てて憤る。

 ふざけるなと。

 人間風情が、支配者である自分にこのような抗議をぶつけてくるなど、不遜極まりないと。

 

「ヴィントゥルース。貴方に恨みはないし、出来るならこのまま去って欲しいと思っているんだが?」

 

 健人がヴィントゥルースに去るように告げるが、ヴィントルゥースはその言葉を一切無視する。

 そもそも、ヴィントゥルースは人間の言葉がよく分からないし、理解しようと思わない。

 竜の統治時代、彼は自らの配下を持たない竜だった。

 唯々己の力の研鑽のみを求め、只管に長兄のように強くなろうとしたドラゴンだったのだ。

 ドラゴンの中には人間やデイドラを利用して力を得る者達もいたが、ヴィントゥルースは力で劣る人間を、もっと言うならば他者の力を借りるなど、自らのプライドが許さなかった。

 何より、彼の本質からくる憤怒の炎は、容易く他者からの言葉を押し流す。

 だからこそ、人の言葉で語りかけてくる健人の言葉は、人の言葉を理解しようとしないヴィントゥルースには届かない。

 彼の時間は、あの竜戦争の頃で止まったままなのだから。

 

“ダイン、サーロト、スゥーム、ヌツ、コス、ジョーレ! ニヴァーリン、ニクリーネ! ブルニク、クリード、クレ、ラヴィン、コド、デズ、ウド、ニス、ヴィーク、ム!”

(なるほど、相当強い声を持っているようだが、所詮は人間! 卑劣な裏切り者共よ! 我らが倒せぬからと偉大なるケルすら用い、世界を歪めた罪人どもが!)

 

「……退く気はない、いや、話をする気すらないか。仕方ない、行くぞ!」

 

 その手に携えた長刀を一振りし、健人は再びヴィントルゥースめがけて踏み込む。

 ウィンドヘルムで権力を持つ者達の居住区で、二頭のドラゴンが再び激突を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 ウルフリックを始めとしたストームクローク兵、そしてウィンドヘルムの衛兵達は、その戦いに唯々魅入られていた。

 人類最古の街を瞬く間に火の海に変えた強大なドラゴン、ヴィントゥルース。

 そのドラゴンを相手に、互角以上に戦いを繰り広げる一人の戦士。

 明らかにノルドではない、だがインペリアルでもブレトンでもレッドガードでもない。

 ドラゴンの鱗で作られた鎧、そして黒紅と蒼の二本の刀を振るう異邦人は、卓越した剣技と強大なスゥームをもって、古のドラゴンを追い詰めていく。

 

“グオオオオオ!”

 

「はああああああああああ!」

 

 噛みついてきたヴィントルゥースの牙を躱し、健人が刃を一閃。

 ヴィントゥルースの強固な鱗が切り裂かれて血が噴き出すが、致命傷には程遠いのか、ヴィントゥルースはそのまま首を振り、健人の体を弾き飛ばす。

 

“クォ、ロゥ……クレント!!”

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

 弾き飛ばされた健人に追撃のサンダーブレスが迫るが、健人は先ほど見せた軽業師のごとき動きと旋風の疾走により、雷の奔流を回避しながら再び間合いを詰め、刀を振るう。

 

「あの男は一体何者だ……?」

 

 ストームクローク兵士の誰かが、そんな言葉を呟いた。

 ウィンドヘルムを僅か十分程度で火の海に変えたドラゴンを相手に戦える戦士。

 彼らの目の前で繰り広げられる戦いは、正に神話の中でしか語られないもの。

 その鮮烈な光景を見ていた戦士達が、誰かが漏らした一言をきっかけとして騒めき始める。

 

「まさか、ドラゴンボーン?」

 

「でも、ドラゴンボーンは同族の女だったんじゃないか!?」

 

「じゃあ、あれはどう説明するんだ!? どう見てもシャウトを使っている! しかも複数!」

 

 目の前で繰り広げられる人知を超えた戦いに騒ぎ始めた兵士達の声は、徐々に大きくなっていく。

 ドラゴンボーンが現れたという話は、既に知られている。

 だが、彼らの目の前で戦う男は、明らかに聞いていたドラゴンボーンの特徴とは一致しなかった。

 

「狼狽えるな! ドラゴンと戦ってくれているというのなら、少なくとも敵ではない! 今は負傷者の救助と、隊列の再構築を急ぐのだ」

 

「は、ハッ!」

 

 騒めく兵士達をウルフリックが一喝し、彼の言葉に我を取り戻した兵士達は、副官であるガルマルの指揮の下、隊列の再構築に乗り出す。

 兵士達が地面に倒れた門の盾を持ち上げ、負傷者を後方の王の宮殿に運び始める。

 そんな中、この緊迫した戦場に似つかわしくない、気の抜けた声が、ウルフリックにかけられた。

 

「ちょっといいかい?」

 

 声をかけてきたのは、先ほどまで外壁上でドラゴンの気を引いたカシトだった。

 突然話しかけてきたカジートにウルフリックは警戒心を露にするが、カシトが先程ドラゴンに強襲をかけていた人物の一人だと思い至り、憮然とした態度を崩さぬまま、件のカジートに向きなおる。

 

「……何だ、カジート」

 

「悪いけど兵を退いてくれないかな? お宅の兵がいると、ケントが本気出せないんだよね~」

 

 首長を前にしても礼儀を弁えないカシトの物言いに、近衛兵の何人かが眉を顰めるが、ウルフリックは構わずに話を続ける。

 

「ケントとは、あそこで戦っている者の事か?」

 

「そ、ケント・サカガミ。この時代に生まれた、もう一人のドラゴンボーンさ」

 

 ドラゴンボーンと断定したカジートの言葉に、再び兵士達が騒めき始める。

 中には信じられないというような言葉を口にする兵士もいたが、ウルフリックはこのカジートの言葉に嘘はないと確信していた。

 今は破門されているが、ウルフリックもまた、声の力を学んだ人物の一人。

 たった一つの言葉を身に付けるのに、どれだけ長く厳しい修練が必要なのかは身に染みて理解している。

 そして、今ドラゴンと戦っている青年は、遠目から見ただけではあるが、かなり若いように見受けられる。

 そしてかの青年は、ウルフリックが見ただけでも複数のシャウトを行使し、その全てをウルフリック以上に使いこなしていた。

 そんな人物は、伝説のドラゴンボーン以外には考えられない。

 

「……それは出来ん。あの竜を放置はできない。ここは我らの街だ。我らの手で守る」

 

 だが、だからと言って戦いから退けという言葉を簡単に受け入れられるかというと、そういう訳でもない。

 この街は、ノルドの街であり、兵士達にはそれを守るのは自分達であるという自負がある。

 また、ウルフリックは反乱軍のリーダーとして、簡単には退かない強いリーダーである事を誇示する必要もあるのだ。

 

「だから、それが邪魔なんだって。あの戦いに介入できるような人材、この街にいるの?」

 

 だが同時に、目の前で繰り広げられるドラゴンボーンの戦いに加勢できるような強力な人材がいないことも確かである。

 反乱軍は常に、あらゆる“モノ”が枯渇している。

 食料、人材、資金。

 現状、不必要に減らせるような戦力は微塵もないのが現状なのだ。

 

「……残念だが、いないな。だが、それは問題ではない。我らはノルド、勇猛果敢にドラゴンと戦い、死してソブンガルデに行けるなら、それは本望だ」

 

「なら、今街に取り残されている住民も見捨てるかい?」

 

「……ウルフリック、街に広がる火の手も心配だ」

 

 ウルフリックの副官であるガルマルもまた、カシトの意見には首を縦に振らざるを得なかった。

 ヴィントゥルースのストームコールが齎した火災は、街の彼方此方から火事を引き起こしている。

 迅速に行われたドラゴンの強襲は、街の人達が退避する時間を与えなかった。

 ヴィントゥルースのサンダーブレスはウンドヘルムの街を4つに切り裂き、中には炎の壁に囲まれてしまい、避難できなくなった区画も存在する。

 特に西側の被害は大きく、アーケイの聖堂から南西方向の地区は完全に孤立している。

 このままでは、街の人間のほとんどが焼け死んでしまうだろう。

 それを防ぐためにも、街に広がった炎を一刻も早く消さなければならない。

 ウルフリックとしても、ウィンドヘルムの主として、炎に包まれた街に取り残された民達の救出は必須である。

 

「……いいだろう。兵達を後退させる。ただし、必ずあのドラゴンを仕留めろ。いいな」

 

 結局ウルフリックは、兵を退かせろというカシトの要求を飲んだ。

 だが対価として、必ずドラゴンを仕留めろと強い口調で、カシトに詰め寄る。

 この場から兵を退く以上、ドラゴンの排除は絶対条件だ。このドラゴンが暴れまわっていては、この場所から全ての兵を退かせることは不可能だからだ。

 だが、ウルフリックの態度は、本来ならドラゴンと戦ってくれている健人やカシトに対して不遜と思われるものであり、同時に兵を退かせることは、そもそもカシト側にはどうでもいい事で交渉の材料にはならない。

 だが、そんな無茶苦茶な理屈でも押し通せてしまうのが、この世界の王という存在なのだ。

 そもそも、王の権力が絶対であるこの世界において、例え恩を与えられようと、殊勝な態度で接してくれる王はほとんどいない。

 王とは常に、傅かれる者なのだ。

 弱気な王に従う民等いなく、同時に数多の者達を従えるその姿こそが、王の権力を絶対のものとして周囲に認知させている。

 反乱軍の旗頭として“強き王でなければならない”ウルフリックには、弱気な態度を見せられない理由が数多あり、だからこそ王としての強硬な態度で、ドラゴンの排除を絶対に確約しなければならなかった。

 

「自分達が倒せない癖に、なんでそんなに偉そうなんだよ。ほんと、ノルドってムカつくなぁ……」

 

 だが、ウルフリックの強硬な態度が、カシトの神経を逆撫でてしまう。

 カシトにとってはウルフリックの立場など知ったことではないし、満足にお礼も言えないノルドに礼を尽くす必要など感じない。

 むしろ、ドラゴンと戦えない自らの力の無さに憤っているウルフリックや兵士達の傷口に、塩を塗り込んだ上で思いっきり抉る。

 

「貴様!」

 

「おい、止めろ!」

 

 吐き捨てるようなカシトの物言いが癇に障った兵士が、カシトに詰め寄ろうとするが、隣にいる同僚に止められる。

 激高した兵士を止めた同僚も、詰め寄ろうとした兵士を抑えながら、己の力が及ばぬ悔しさに口元を歪めている。

 勇猛果敢に戦い、勝利と死が名誉のノルドであるが、今の彼らは戦いの場で死ぬことすらできない。

 今彼らが死ねば、炎に焼かれそうになっている民を救う者が居なくなるからだ。

 炎に包まれ、滅びかけている自分達の故郷、ドラゴンとの戦いでは足手纏いにしかならない現実。それらが、彼らの矜持を粉々に粉砕していた。

 

「……我らの街を燃やされ、我らの民と兵達を殺されたのだ。当然の権利だろう」

 

「権利? 報復の間違いでしょ。オイラ達に本来関係ない復讐の片棒を担げと?

 結果的にそうなるかもしれないけど、それにしたって随分な物言いだよね。オイラ達、この街に来てから大したもてなしも受けてないってのに。

 ああ、そう言えば健人はもてなされたって言っていたね。言いがかりと暴力で。確かもてなしてくれたのは、ロルフ、ストーンフィスト……だったっけ?」

 

「…………」

 

 ノルドの力を誇りながらも街を守れなかったストームクローク兵達にとって、カシトの言葉は心臓を槍で貫かれるような、致命の一撃となっていた。

 さらにロルフ・ストーンフィストの名が、カシトに突っかかっていた兵士達をさらに追い詰める。

 カシトはこう言っているのだ。

 普段は異種族を排斥しておきながら、危機に陥ったらその異種族に助けられて当然だとでも言うのかと。

 子供でも分かる矛盾を突き付けられ、さらに追い詰められるストームクローク兵達。

 だがそれが、ノルド至上主義を掲げ続ける彼らが、これから向き合う現実であり、目の前で続いていた種族間問題を放置していた結果なのだ。

 話を聞いていた兵士達の視線が、助けを求めるように自分達のリーダーであるウルフリックと、ロルフの兄弟であり、首長の副官であるガルマルに向けられる。

 二人の彫りの深い表情筋はまるで岩のように動かず、カシトもその心中を察することはできない。

 しかし、無言の沈黙が、カシトの物言いを内心では肯定していることは確かだった。

 押し黙ったウルフリック達を見て、兵士達もまた肩を落とし、カシトはこれ以上理不尽を押し付けられることはないだろうと判断する。

 

「……まあ、あのドラゴンはケントがどうにかするんじゃないかな? どの道、そろそろ決着がつくよ」

 

 そう言い切って、カシトは視線を戦場へと戻した。

 彼の言葉に促され、ウルフリックもまた戦いが続く戦場を見つめる。

 

「ぜえええい!」

 

“グ、ガアアアアア!”

 

 健人の刃がヴィントゥルースの体に新たな傷を刻み、一際激しいドラゴンの絶叫が響く。

 雷と刃が乱れ合う戦場では、既に戦いの趨勢が決まりかけていた。

 

 




ヴィントゥルース戦前半です。やっぱりバトルは一話に納まらなかった……。
後半はカシトによるウルフリックフルボッコタイム。
ノルド主義も、さすがにドラゴンと言う災厄の前ではまるで役に立たない有様でした。

以下、用語説明。

エッジ・オブ・ブラッドエッセンス
別名”血髄の魔刀”。
命名者はネロス。
健人がソルスセイム滞在中にバルドールとネロスの協力を得て制作したデイドラのブレイズソード。
健人の継戦能力を高めるために、強力な体力吸収とスタミナ吸収の付呪が込められている。

フローズン・ティアードロップ
別名”落氷涙”。
命名者はフリア。
魔力不足に陥りやすい健人の為に、強力な魔力吸収と、素材に適した氷攻撃の付呪が施されたスタルリムの短刀。

ドラゴンスケールの装具
以前健人が使っていたドラゴンスケールの装具には、ネロスの手により、各種の二重付呪が施されているが、基本的には回復魔法以外、健人のスペックを底上げするものになっている。
これは、健人の魔力効率の悪さから、他系統の魔法にリソースを注ぐよりも、まずは健人本人の能力を上げた方が効率的だと判断された為。
その為、他系統の付呪の恩恵を受けたいときは、アクセサリー等で補う必要がある。

兜  マジ力上昇 回復上昇
鎧  軽装上昇 体力上昇
小手 片手剣上昇、防御上昇
脚  隠密上昇 スタミナ上昇


黒檀の短剣
カシトが使う黒檀の短剣。
バルドールが制作し、健人が付呪を行った。
元々は健人が練習目的で付呪したもので、その中で一番出来の良かったものをカシトが気に入り、以降、彼の愛剣になっている。
短剣の攻撃力を補うために、炎攻撃の付呪が施されている。


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第九話 ウインドヘルム対竜戦 後編

どうしてドラゴン、激しき力を使わないの?


 健人とヴィントゥルース。

 双方の戦力分析において、この趨勢は約束されたものだった。

 人間には到底及ばぬ巨躯を誇り、強力無比なシャウトを使おうが、かのドラゴンの前に立ちはだかったのは史上最初のドラゴンボーンの知識と魂を受け継ぎ、知識と星詠みを司るデイドラロードを退けた存在。

 故に、地上と言う彼のフィールドで、ヴィントゥルースが勝てる道理はない。

 ウィンドヘルムの街を文字通り切り裂いたサンダーブレスも、至近距離を高速で動く目標を捉えることは出来なかった。

 

「ふっ!」

 

“グアアアアーーーー!”

 

 今再び、健人の刃がヴィントゥルースの体を斬り裂き、ドラゴンの口から苦悶の声が響いた。

 既にヴィントゥルースの体には無数の裂傷が刻まれている一方、健人の体には傷一つない。

 憎悪に流されるまま健人と戦ってきたヴィントゥルースだが、ここまで傷を負えば、否が応にもこの場での不利を認めざるを得ない。

 だが、だからと言って、ヴィントゥルースも引き下がる気は微塵もない。

 彼は、伝説のドラゴン。

 ドラゴンの中でも、アルドゥインを除けば最上位に位置する高位のドラゴンなのだ。

 

“ニド、ニド、クレ! ファス!”

(まだ、まだだ! ファス!)

 

「っ!?」

 

 負けてなるものかと戦意を滾らせながら、ヴィントゥルースは地面に向けて単音節の“揺ぎ無き力”を叩きつける。

 崩れた瓦礫がヴィントゥルースの衝撃波で舞い上がり、健人の視界を塞ぐ。

 直後に、ヴィントゥルースは翼を広げ、その巨体で健人を押しつぶさんと吶喊する。

 健人が気付いた時には、ヴィントゥルースの巨体は彼の眼前に迫っていた。

 シャウトは間に合わない。

 そう判断した健人は、両足に力を入れて跳躍、刀で突っ込んでくるヴィントゥルースの突進をいなしつつ、その頭上を跳び越えようとする。

 だが、それはヴィントゥルースの打った布石であった。

 健人が跳躍して頭上を取った瞬間、ヴィントゥルースもまた地面に両足を叩き込んで跳躍し、頭突きの要領で健人に上にかち上げる。

 体にかかる衝撃と浮遊感の中で、健人はヴィントゥルースがその口腔を自分に向けてくる光景を見た。

 

「っ!? ファイム!」

 

 サンダーブレスが来るのかと思い、即座に単音節の霊体化を唱える。

 だが、ヴィントゥルースはサンダーブレスのシャウトを唱えなかった。

 先ほどまで高速で行われていた戦闘に、奇妙な空白が入り込む。

 同時に浮遊感が収まり、健人の体が重力に引かれ始めた。

 

「っ、フェイントか!」

 

 来なかった追撃とその裏の意図を察し、健人は咄嗟に左手のスタルリムの短刀“落氷涙”を腰に戻して盾を構えた。

 同時に魔力を引き出してシールド魔法を展開する。

 直後、タイミングを見計らったかのような衝撃波が健人に襲い掛かった。

 

“ファス、ロゥ、ダーーー!”

 

 三節を揃えた強力な“揺ぎ無き力”が、健人の体をさらに上空高くへと吹き飛ばす。

 健人の体は一気に地上十メートル程まで押し上げられ、強烈な加速による負荷が骨をきしませる。

 上空高くへと弾き飛ばされたことに、健人は歯噛みした。

 空中では自由が利かない。おまけに、霊体化のシャウトを使わされてしまった以上、落下の際には相当な衝撃を受ける事が予想される。

 さらに、上空へと飛ばされた健人に、飛翔してきたヴィントゥルースが攻撃を仕掛ける。

 食らいつかんと迫るドラゴンの牙を、体を捻って躱した健人だが、下から振り上げられた尾に弾かれ、再び上に弾かれる。

 

“スゥ、ガハ、デューーン!”

 

 ヴィントゥルースが“激しき力”のシャウトを唱える。

 人が使えば、その手に持つ得物に強力な風の刃を纏わせるシャウトだが、シャウトは 元々ドラゴンが使う力であり、本来の担い手が使う激しき力は、さらに応用性に富んでいた。

 激しき力を唱えたヴィントルゥースの翼に洗練された風の刃が纏わりつき、その運動性能を劇的に高めるだけでなく、翼自体を巨大な剣と化す。

 そして風の刃をその身に纏ったヴィントゥルースは、健人に向かって突進を開始した。

 

「ぐっ!……三段構えかよ! スゥ、ガハ、デューーン!」

 

 健人は自らも激しき力のシャウトを唱え、“血髄の魔刀”に風の刃を付した上で、身体の真芯を捕らえられないようにヴィントゥルースの突撃を弾く。

 空中では踏ん張りがきかないため、健人の体はピンボールのように弾かれるが、刀身に纏わせた風の刃でヴィントルゥースの“激しき力”の刃を相殺し、なんとか突進の威力を逸らす。

 だがヴィントゥルースは、健人に受け流されるのも構わず、空中で何度も何度も、執拗に健人に向かって体当たりを繰り返す。

 ヴィントゥルースが飛ぶ軌跡は空中で奇麗な球形を描きながら、その内側に健人を押し留め続け、徐々に高度を上げていく。

 風の球体に捕らわれた健人の体は弾かれる度に空中で踊り、強烈な衝撃が体に圧し掛かる。

 繰り返されるヴィントゥルースの突撃は、まるで健人の体でお手玉をしているように空中で留め置き、彼に反撃の機会を与えない。

 

「ぐっ!? こいつ、ずっと俺を空中に……このままじゃ不味い!」

 

“ゴルド、コス、ヒン、デネク、ヌツ、ロ゛ク、ヒン、ドヴァー! クリィ、トゥズ、セ、ヴェン!”

(地上は貴様の領域だが、空は我らドラゴンの領域! このまま嬲り殺しにしてくれる!)

 

 弾かれる度に体に掛かる衝撃とグルグルと回り続ける視界の中、健人は必死に高速で飛翔するヴィントゥルースを捕捉し、両手に携えた盾と刀でバランスを取りながら、巨大な質量と風の刃を伴った突進を逸らし続ける。

 だが、このままでいずれ限界が来ることは目に見えていた。

 人間の体は空を飛ぶようには出来ていないし、ここは空というヴィントゥルースの領域。

 人間が人間のまま踏み込むには過ぎた、ドラゴンの本領が発揮される場所なのだ。

 さらに、既に健人の体はかなり上空まで吹き飛ばされてしまっている。

 この場で霊体化を使ってヴィントゥルースの攻撃の網を抜けたところで、地上に落ちるまでに霊体化の効果が切れてしまうだろう。

 そうなれば、落下死は確実である。

 

“グオオオオオ!”

 

「くっ!?」

 

 背後から突進してきたヴィントゥルースに、健人はドラゴンスケールの盾と、風の刃を纏った刀を振るって迎撃する。

 体を捻って初動を生み出し、盾を振り下ろして勢いをつけ、同時に体を入れ替えながら刃を上から叩き付ける。

 ヴィントゥルースと健人の“激しき力”が激突点で鬩ぎ合い、健人の体は上へ、ヴィントゥルースは下を飛び抜けていく。

 飛び抜けたヴィントゥルースはすぐさま急旋回。健人の死角に跳び込みながら、再び突撃を開始する。

 

(あいつは闇雲に体当たりを仕掛けているわけじゃない! 同時に必ず、俺が上に弾かれるようにしている。タイミングと来る方向を読み切れば……)

 

 空中で激しい機動を繰り返すヴィントゥルース。

 健人は視界の端に入るウィンドヘルムの街から、自らが向いている方角とヴィントゥルースの突撃方向を導き出す。

 

(北、東、西、南……)

 

 自然落下する健人を空中に留め続けるためにも、ヴィントゥルースは攻撃を続けなければならないし、離脱、突撃を繰り返している今、来る方角とタイミングを計るのは難しくない。

 

「っ、そこか!」

 

 ヴィントゥルースの動きを見切った健人が視線を動かせば、そこには今まさに突撃しようと接近してくるドラゴンの姿があった。

 健人に機動を読まれたヴィントゥルースだが、その速度を一切緩めることなく、眼光には絶対の自信が窺えた。

 事実として、今の健人は絶対的に不利な状況だ。

 だが同時に、その状況は健人に切り札の一つを切らせることを決意させた。

 人が人のままでは闘うことが出来ない領域にいるなら、人としての限界を突破出来る力を使うしかないと。

 

「ムゥル、クゥア、ディヴ!」

 

 ドラゴンアスペクト。

 健人の体から虹色の燐光が吹き出し、瞬く間に光の鎧を構築する。

 剥き出しになり、激しく昂ぶる健人のドラゴンソウルが、翼無きドラゴンとして彼が持つあらゆる能力を劇的に高め、ヴィントゥルースが覚えていた威圧感を、何倍にも膨れ上がらせた。

 もはや物理的な力を持つのではと思えるほどの圧倒的な威圧感が、虹色の眼光を伴ってヴィントゥルースに叩き付けられる。

 健人の視界に、ヴィントゥルースが驚きに目を見開く姿が映った。

 

「ぜえええええい!」

 

 自らが導き出したタイミングに合わせ、健人は全身の筋肉を全力で稼働させる。

 激しき力とドラゴンアスペクトの効果で、高速で動く刃を振り回し、全身を回転させながら落下の軌道を無理矢理逸らす。

 同時に順手に構えていた血髄の魔刀を逆手に持ち替えながら、左の盾を突っ込んできたヴィントゥルースの右翼に叩き付ける。

 盾と剣、二つを持つことの利点は、防御と攻撃を容易に両立できることである。

 ヴィントゥルースの突撃と風の刃の盾で受け流しながら、健人は血髄の魔刀をドラゴンの右翼に突き立てた。

 強化された膂力による突きがヴィントゥルースの激しき力の風を破り、刀身が皮膜を貫く。

 同時に、血髄の魔刀に付されていた風の刃が、ヴィントゥルースの皮膜をズタズタに切り裂いた。

 

“オンド、ロク! グオオオオオ!”

(貴様! グオオオオオ!)

 

 ヴィントゥルースが離脱しようと慌てて翼をはためかせるが、それが逆に破れた皮膜の傷をさらに広げてしまう。

 空中で体勢を崩したヴィントゥルースは、そのまま錐揉み状態に陥り、落下。みるみる高度を落していく。

 

“アム……ニス、クレ!”

(クッ……おのれ!)

 

 しかし、さすがはドラゴンと言うべきだろうか。

 片翼をズタズタにされて落下しながらも、ヴィントゥルースは器用に体を捻り、体勢を立て直そうとしていた。

 傷ついた翼をできるだけ広げ、少しでも落下速度を落としながら降下する。

 あまりの速度に翼に強烈な気圧差が発生し、翼端が雲を曳く。

 右翼の皮膜を裂かれたといっても、それは一部であり、左翼も残っている今、体勢を立て直せば、何とか飛行を続けることはできるだろう。

 

(このまま降下し、地上スレスレで旋風の疾走を使い、空に上がる。そのまま上空から焼き殺して……)“グオ!?”

 

 次の行動を思案していたヴィントゥルースだが、突如として自分の背中に衝撃が走ったのを感じた。

 反射的に視線を自分の首元に向け、そして目を見開く。

 そこには、“虹に輝く竜鱗”を纏った健人が、同じく虹の光を抱いた瞳でヴィントゥルースを見下ろしていた。

 

「捕まえたぞ、くそトカゲ……」

 

“ドヴァーキン……!”

 空中で器用に落下方向を調整していた健人は、翼を広げて落下速度を落としていたヴィントゥルースの背中に飛び降りていた。

 健人はそのまま竜の頭に飛びついて角を引っ掴んで頭を押さえると、全力でシャウトを唱える。

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

“ガアアアアアアアア!”

 

 激烈な加速が、ヴィトゥルースの首に掛かる。

 繊細に調整されていたはずの降下は、健人の旋風の疾走による加速で無理矢理変えられ、ヴィントゥルースの巨躯は飛行機の胴体着陸のように地面に落下した。

 落ちた場所は、ウィンドヘルム正門付近、キャンドルハースホール西側の通り。

 轟音が響き、ウィンドヘルムのゴツゴツとした石床が吹き飛ばされる。

 滑空していた状態だったため、地面に激突したヴィントゥルースは健人に頭を抑えられたまま、石床を吹き飛ばし、地面を抉りながら滑走していく。

 ガリガリとヴィントルゥースの顔と胴体が地面を削る音が響き、翼がキャンドルハースホールの外壁を破壊し、尾が中央通りと市場を隔てる石壁とタロス神殿の門を叩き壊す。

 落下の衝撃をモロに食らったヴィントゥルースと違い、ドラゴンアスペクトを使っていた上、ヴィントゥルースの体をクッションにした健人には、落下の衝撃はそれほどでもない。

 しかし、万事うまくいったのかと言われると、そんな事もなかった。

 

「……ヤバい」

 

 ヴィントゥルースの頭を押さえつけていた健人の目に、王の宮殿前の広間へと続く門が飛び込んできた。

 ウィンドヘルムの中央通りと王の宮殿前の広間の間には、この街でも一際大きな壁がそびえている。

 その大壁が、健人の目の前に迫っていた。

 滑走するヴィントゥルースの速度は速く、明らかに止まれそうにない。

 健人が慌ててヴィントゥルースの頭部から飛び降りようと踏み出した瞬間、ヴィントゥルースの体が大壁に激突し、一際盛大な轟音がウィンドヘルムに響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィンドヘルムの王の宮殿には、避難できた市民達が大挙して押しかけていた。

 ヴィントゥルースの強襲があまりに迅速だったため、その人数は決して多くはない。

 だが、宮殿の正門の扉をウルフリック達が盾として外して持って行ったため、避難できた彼らの耳にも、ドラゴンとの戦闘音がハッキリと聞こえてきていた。

 

「ドラゴンが、ドラゴンが襲ってくるなんて……」

 

「怖い、怖いよう……」

 

「大丈夫、大丈夫だから……ひっ!?」

 

 避難できた彼らだが、その表情は暗い。

 子供はドラゴンという天災に怯えきっており、母親が必死になだめようとするが、その母親の表情も、石壁の奥から轟音が聞える度に不安と恐怖に引きつっていた。

 避難民の周りには城に待機を命じられた衛兵もいるが、彼等もまた体を忙しなく動かしており、ドラゴンに襲撃を受けたこの状況に恐怖を感じていることが窺えた。

 そんな避難民の中に、リディアとソフィもいた。

 何とか炎を掻い潜って王の宮殿に辿りついた二人だが、彼女達もまた避難民に交じり、心細げに寄り添い合っている。

 

「お兄さん……ひう!」

 

 健人の身を案じたソフィが扉の無くなった正門からその様子を窺うが、再び轟音が響き、恐怖に身を縮こまらせる。

 

「……大丈夫ですよ」

 

 リディアはそんなソフィを抱きしめ、その背中を優しく叩いてあやすが、フルフルと身を震わせる少女の震えは止まる様子がない。

 戦士として一流であるリディアですら恐怖を感じるドラゴンの嘶きは、未だにウィンドヘルムの空から響いてきている。

 リディアとしては、出来る事なら、今すぐに健人の元に馳せ参じたい。

 だが彼女は、健人からソフィを守ってくれと頼まれている。

 その命を無視してこの場を離れるわけにはいかなかった。

 リディアはふと、扉を失った門から、城の外を眺めた。

 彼女の視線の先には、市街と王の宮殿とを隔てる大壁がある。

 元々窓などが少なく、扉を無くした門の先も巨大な壁がそびえている為、リディアには戦闘の様子を窺い知ることはできないが、ドラゴンに襲われた街の様子は、ある程度察することができた。

 空から落ちていた雷の雨は治まったが、街のあちこちから上がり始めた火の手は、徐々にその勢いを増してきている。

 いずれは、この城にも飛び火するかもしれない。

 いや、その前にドラゴンがこの城を打ち崩し、生き埋めにされる可能性もあるだろう。

 そんな彼女の不安を具現化したように、次の瞬間、轟音と共に門の奥の大壁が粉砕された。

 巨大な影が石床を削り飛ばしながら、城への方へと向かってくる。

 

「っ!? 皆、門から離れて!」

 

 リディアは咄嗟にソフィを抱き上げ、出来る限り城の正門付近から離れる。

 次の瞬間、すさまじい破砕音が、王の宮殿内に響いた。

 

「きゃああああああ!」

 

「な、何だ! なっ!?」

 

 岩が粉砕される音と同時に、避難民達の悲鳴が木霊する。

 城内に入り込んだ瓦礫の煙が一部の避難民の視界を遮り、さらにパニックを助長する。

 しかし、城内は広く、入り込んだ煙も僅かであったために、避難民達の混乱は一時的に治まる。

 だが、城内に入りこんだ土煙が晴れ、巨大な黒い影が姿を現した時、人々は悲鳴を上げることすら忘れ、茫然とその黒い影を見上げていた。

 

“グルルル……”

 

「ドラゴン!?」

 

 舞い上がった瓦礫の中から姿を現したのは、今まさにこのウィンドヘルムを襲っていたドラゴンだった。

 艶を帯びていた右翼の皮膜は切り裂かれ、体のあちこちからは大量の血を流している。

 明らかに深手を負っている状態だが、ウィンドヘルムを地獄へと変えた張本人の登場は、命からがら避難してきた民達の理性を吹き飛ばすには十分すぎた。

 

「不味い! 早く避難を……「うわあああああああああ!」」

 

 衛兵が誘導する間もなく、避難民たちはパニックを起こし、この場から逃げ出そうと四方八方へ駆け出し始める。

 秩序など微塵もない、只々生存本能に焚きつけられた逃避。

 無秩序なパニックは避難を誘導しようとする衛兵達の動きを阻害し、あっという間に収拾が不可能なほど、城内は混沌と化した。

 押し合い、へし合いしながら、倒れた女子供や老人も構わず踏み越え、ドラゴンから一歩でも離れようとする避難民。

 衛兵達は避難民の濁流に飲まれ、何もできない。

 そして、城内に飛び込んできたドラゴンが、地面に伏せていた首を、ゆっくりと持ち上げた。

 憎悪に染まっているドラゴンの瞳が見開かれ、眼下で逃げ惑う避難民達に向けられる。

 

「くっ! おおおおおお!」

 

 避難民を押しのけ、何とかドラゴンの前に立った勇敢な衛兵数名が、ドラゴンに向かって吶喊する。

 少しでも民が避難する時間を稼ごうとしたのだろうか。それとも、手傷を負ったドラゴンを見て、ここで倒すしかないと決意したのだろうか。

 いずれにしろ、彼らの意志は気高く、そして無意味なものだった。

 ヴィントゥルースの尾が振られ、衛兵達を薙ぎ払う。

 巨大な尾を叩きつけられた衛兵達は一撃で即死し、吹き飛ばされて城内の壁に叩きつけられ、無残な屍を晒すことになった。

 

「あ、ああ……」

 

 衛兵がまるで虫を払うように一蹴された事実が、その場にいた人間全てに、脳裏に刻まれたばかりの恐怖を呼び起こす。

 パニックで逃げまどっていた避難民達は、まるで足を氷漬けにされたように固まる。

 本来、彼らを守るはずの衛兵達ですら、無残な肉塊と化した仲間達を目にして、恐怖で動けない様子だった。

 数千年分の怨嗟を帯びたヴィントゥルースの眼光に睨まれたソフィもまた、逃げることすら出来ずにその場で硬直してしまう。

 

「ソフィ! 早く逃げなさい!」

 

 衛兵ですら硬直する中、ドラゴンの前に飛び出したのは、この中で唯一ドラゴンとの戦闘経験があるリディアだった。

 彼女はソフィの体を自分の背後に庇い、盾を構えてドラゴンと対峙する。

 

「お姉さん!?」

 

 自分からドラゴンと対峙しようとするリディアに、ソフィが悲痛な声を上げる。

 

“グオオオオオオオオオオオ!”

 

 ヴィントゥルースの怒りの咆哮が響き、その舌が力の言葉を紡ぎ始める。

 

“クォ、ロゥ……”

 

「あっ……」

 

 紡がれ始めたサンダーブレスの言葉を前に、ソフィは己の死を確信した。

 ソフィにはドラゴンの言葉は分からないが、ドラゴンから向けられる怒りと殺意は、リディアでもどうにもならないものだと、子供でも理解できた。

 リディアが盾を構えて自分を庇ってくれているのは見えていたが、先ほど衛兵が瞬殺されたのを見ていたし、ウィンドヘルムを火の海に変えたこのドラゴンの力を考えれば、とても防ぎ切れるとは思えなかったのだ。

 

(ああ、私、ここで死んじゃうんだ……)

 

 首にかけられた死神の鎌を前に、ソフィは自然と己の死を受け入れていた。

 それは、かつてホワイトランで死した少女が、死に際に抱いた感情と同じ。

 追いつめられた境遇と、逃れようのない絶望が生み出した諦観そのものだった。

 

(お兄さんはどうしたんだろう? 死んじゃったのかな……?)

 

 自分を守ろうとしてくれた人。父親以外で、本当に親身になってくれた人。

 この寒く、心まで凍り付く冷たい街で、彼だけが天涯孤独となったソフィの手を取ってくれた。

 作ってくれた料理も、今まで食べたことが無いほど美味しいものだった。

 だがそれ以上に、自分の為に作ってくれたという事実が、何よりも嬉しかった。

 あんなに優しくしてもらった経験は、殆どなかった。

 凍り付いた心を溶かしてくれた彼の温もりを思い出し、同時にこの想いも自分の死と共に無くなってしまうのだと確信させられる。

 茫然とした表情を浮かべるソフィの瞳から、ポロリと一筋の滴が流れ落ちる。

 それは、無慈悲な運命を前に何もかも奪われた少女に最後に残った、悲しみの涙だった。

 だが、その悲しみは、“これで終わり”と思い込んだ彼女の心が生み出したもの。

 全ての意識が闇に呑まれるまで、結末は誰にも分からない。

 

「……え」

 

 城内にいた誰もが自分の死を悟ってしまっていた時、ヴィントルゥースと避難民の間に、突如として巨大な影が飛び込んできた。

 細長い長方形に似た形の影は、轟音を響かせながらドラゴンと避難民の間の床に突き刺さり、ヴィントルゥースのサンダーブレスを完全に防ぎ切る。

 飛び込んできた巨大な影は、この王の宮殿の扉の片割れ。

 ウルフリックが炎の壁を突破する際に、橋として使用した宮殿の扉だった。

 

「悪いが、殺させるわけにはいかないな……」

 

「あ……」

 

 門の盾に続いて、少女に温もりをくれた少年の声が、ドラゴンとソフィ達の間に割って入ってきた。

 健人の声が耳に届いた瞬間、絶望に凍り付いていたソフィの心は瞬く間に溶けていく。

 目を向ければ、そこには光り輝く鎧を纏った青年の姿があった。

 落下した場所に門の扉の片割れを見つけた健人は、劇的に強化された膂力に任せて、門の扉をヴィントゥルースと避難民の間に放り投げたのだ。

 まるで伝説の英雄を思わせる威風堂々とした姿に、ソフィやリディア、そして他の避難民達は、先程の絶望も忘れて見入っていた。

 

“ゴァアアア!”

 

「ふっ!」

 

 ヴィントゥルースが咆哮を上げ、己の大敵を迎撃しようと力の言葉を紡ごうとする。

 だが、ヴィントゥルースがシャウトを発動する前に、光鱗を纏った健人が一気に間合いを詰めていた。

 シャウトを使わずに、突如として眼前まで間合いを詰めていた健人に、ヴィントゥルースが目を見開く。

 次の瞬間、健人の拳が振り抜かれ、強烈な衝撃がヴィントゥルースの顎に走った。

 ドゴン! と、まるでは破城槌が叩きつけられたような衝撃と音が、王の宮殿内に走る。

 健人の強烈な拳打をモロに食らったヴィントゥルースの首は、弾かれ、宮殿の壁に激突した。

 

“ガ、アア、アァァ……”

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

 さらに健人は、ダメ押しとばかりに旋風の疾走を発動し、ヴィントゥルースの頭めがけて体当たりを敢行。

 その頭部を再び宮殿内壁に叩きつけ、同時に再び角を掴んで、地面に押し付けると、ヴィントゥルースの頭部を踏みつけて、血髄の魔刀の切っ先を突き付けた。

 

「……決着、だな」

 

 刃をヴィントゥルースの眼前に突き付けながら、健人は戦いの終わりを宣言する。

 ドラゴンを組み伏せ、刃を突き付けるその姿。

 その光景を前に、少女はおとぎ話でしか知らなかった英雄の存在を確信した。

 

 




 というわけで、第八話でした。
 今回悩んだのは、シャウト”激しき力”について。
 このシャウトを使う場面では、ドラゴンが激しき力を使ったらどうなるか悩んだ結果、このような形に。
 実は、オリジナルシャウトを使う案もあり、投稿直前までどちらで文章を構築するか悩みました。
 激しき力を構築する単語に多少の違和感もあり、しかしヴィントゥルースはもうオリジナルシャウトを一つ持っている。
 どっちが良かったのかは分かりません。そもそも、激しき力を原作のドラゴンが使わんのが悪い!(無茶振り
 以下、未使用となったオリジナルシャウトの説明。


 翼を押す風
 空気、風、洗練という文字で構成されるシャウト。
 ドラゴンの翼に纏わりつく風の流れを操作して飛行能力を高め、同時に空気の刃による攻撃能力を付加する……予定だった本小説オリジナルシャウト。
 ちなみに、このシャウトの元ネタである激しき力は、空気、戦闘、洗練の三文字によって構築されている。
 この”戦闘”の文字が引っ掛かりを覚えた元凶……。


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第十話 宣誓

 決着はついた。

 健人はヴィントゥルースを組み伏せながら、足元のドラゴンに向けて宣言する。

 ヴィントゥルースは度重なる裂傷と、落下によるダメージ、そして、頭部に連続で叩きこまれた衝撃で脳震盪を起こしており、もはや戦える状態ではない。

 肉体に残ったダメージは深刻なのか、何とか立ち上がろうともがいているものの、その抵抗はもはや足の爪でガリガリと宮殿の床を削るだけで、起き上がる事すら不可能な様子だった。

 

“ジョール、メイ、ジョール、メイ……”

(人間め、人間め……)

 

 だが、肉体は限界を迎えていても、ヴィントゥルースの戦意は未だに折れていなかった。

 数千年分の憎悪はヴィントゥルースの瞳の奥底で燻ぶり、鈍い鉛色の眼光となって健人に向けられている。

 さらに、宮殿にドラゴンが突っ込んでいく光景を見たのか、カシトと後退していたウルフリック、ガルマル率いる軍勢が、王の宮殿まで戻ってきた。

 

「避難民は無事か!」

 

「ドラゴンは、ドラゴンはどうなった!?」

 

 宮殿内に駆け込んできたウルフリックとガルマル達は、ヴィントゥルースに刃を突き付けている健人を見て、驚愕の表情を浮かべていた。

 おそらく彼らは、健人が落下死したと思っていたのだろう。

 健人が飛ばされた高度は、最終的に地上百メートル遥かにを超えていたのだから、死んだと思うのも無理はない。

 健人は宮殿内に飛びこんできたウルフリック達を一瞥すると、すぐに足元のヴィントゥルースに視線を戻した。

 

「まだ戦う気か? これ以上戦って何になる……」

 

“ズー、フェン、ディル……。ニヴァーリン、ブルニク、ジョーレ……。ヌズ、オリン、フル゛、ドゥー、ズゥー、ゼィル゛。ニス、エヴォナール、ズー、ラゴール、ドヴァーキン!”

(我はまた死ぬのか……。また卑怯な罪人共の手にかかって……。だが、たとえ魂を滅ぼしても、我が憎悪は決して消えぬぞ、ドヴァーキン!)

 

「はあ、やっぱり話を聞く気が……いや、お前、そもそも人の言葉を知らないのか?」

 

 どうにもかみ合わないヴィントゥルースとの会話に、健人は彼が人間の言葉を理解していない可能性に気が付いた。

 思い出してみれば、戦闘中に交わした会話の中でも、どこか的外れな言葉が出ていたような気がする。

 そもそも、定命の者を見下しているドラゴンが、態々人間の言葉を自分から学ぶとは考えにくい。

 もしドラゴンが人間の言葉を学ぶとしたら、何らかの理由で人間と関わる必要があったドラゴンだけだろう。

 そして健人が見る限り、このヴィントゥルースが、今まで人間と関わる必要があったとは考えにくい。

 健人から見ても、彼は極めて力のあるドラゴンであり、同時にドラゴンの中でもプライドが高いように見える。

 

(さて、どうするか……)

 

 ヴィントゥルースが戦闘不能な状態であることは明らかだ。傷は深く、体も碌に動かせない。

 健人が突き付けた刃を突き刺すだけで、命を絶つことができるだろう。

 ヴィントゥルースが漏らした、“また卑怯な罪人の手にかかって”という言葉は、彼が以前、一度人間の手で殺されており、そして復活したことを意味している。

 であるなら、彼はサーロクニルと同じように、数百年若しくは数千年前に殺されたドラゴンであり、アルドゥインに復活させられたという事になる。

 ならば、本来彼の憎悪を負向けるべき相手は、彼を殺した太古の人間達であり、今を生きているウィンドヘルムの人達ではない。

 このドラゴンの行為は完全に八つ当たりであり、ウィンドヘルムの人達に非は全くないのだ。

 

「殺せ……」

 

「ん?」

 

 健人が思考の海に沈んでいると、避難民の誰かが、ヴィントゥルースを殺せと呟いた。

 

「殺せ! そのドラゴンを殺せ!」

 

「そうだ! 殺せ!」

 

「俺達の街を、家族を焼いたその罪を償え!」

 

 発露した憎悪の種は瞬く間に広がり、避難民だけでなく衛兵達の中にも、ドラゴンを殺せと叫ぶ者達が現れ始めた。

 憎しみの叫びは健人と倒れ伏すドラゴンを包み、ビリビリと肌が泡立つ様な強烈な圧となる。

 健人も、これだけの災禍を振り撒いたヴィントゥルースが、ウィンドヘルムの人々に殺されることは無理もないとも思う。

 だが同時に、このドラゴンを殺して終わり、というのは、どこか違うと感じてもいた。

 ドラゴンと人間。

 生きる時間があまりにも違う両者。その間に横たわる意識の隔たりは大きい。

 人間は都合よく過去と今を切り分けて考えるが、ドラゴンは現在、過去、未来を全て一本の川と捉え、同一の物と考える。

 ヴィントゥルースが人間に憎悪を抱くのは、彼が今の人間達を、確執があった過去の人間と繋がっている同一の存在と見ているからであり、一方、ウィンドヘルムの人達がドラゴンを殺せと言えるのも、過去のノルド達の行為と今の自分達の行為を、都合よく切り離して考えているからだ。

 今のウィンドヘルムのノルド達とて、清廉潔白とは言い難い。

 現に、健人はその歪みの一端を、この街に来た僅かな間に味わっている。

 

“クリィ、ズゥー、ドヴァーキン! ル゛ン、ゼィル、ロズ、アグ、ヒン、スレン、バー、ラゴール!”

(さあ殺せ!ドヴァーキン! 我を殺し、魂を食らい、我が憎悪でその身を焼かれるがいい!)

 

 殺せ、殺せとヒートアップし始めた人間達に同調するように、ヴィントゥルースまでもが健人に自分を殺せと挑発し始めた。

 互いに反目する癖に、こんなところで同じ言葉を言い放つ両者に、健人は段々怒りが込み上げてきた。

 ドラゴンと人間、どちらも向いている方向が違うだけで、結局言っている事が全く同じなのだ。

 敵を殺せ。それだけなのである。

 

「ナーロ゛ト!!」

(黙れ!!)

 

 五月蠅い、黙れ! と、健人は腹の底から力を込めながら、ドラゴン語で大声を発した。

 真言で放たれた“力の言葉”はシャウトを理解していない者にも、その心に健人の意思を直接を叩きつける。

 ドラゴンを殺せと叫ぶ衆人の騒めきも、ヴィントゥルースの挑発も、健人の“真言”の前に沈黙を余儀なくさせられた。

 健人が、周囲のノルド達を見渡せば、誰もが驚きと困惑の目を健人に向けている。

 彼らから見れば、ドラゴンは死んで当然の存在なのだ。故に、ドラゴンをすぐに殺そうとしない健人に、戸惑いを隠しきれない様子だった。

 そんな中で、唯一、健人を見守るような視線を向けてくるのは、リディアだった。

 彼女は、憎悪に呑まれたまま戦うならそれを止めると宣言した健人の意思を知っている。

 同時に、彼女はドラゴンを助ければ、それに比例して人の恨みを買うとも忠告してくれた。

 ここは分岐点。

 坂上健人というドラゴンボーンが、このスカイリムで何を成そうとするのか。それを、己と世界に宣言する時なのだ。

 だが、どんな高尚な理由があれど、行動には正負を合わせた結果が伴う。

 自ら行動を起こす者は、それを自覚しなければならない。

 

「ふう……」

 

 今一度、健人は大きく深呼吸し、このスカイリムに迷い込んでからの事を思い出す。

 放り出され、拾われ、そして突き放された。

 悲しみと怒りからやけっぱちになり、間違いも犯した。それでも捨てきれないものがあった。

 健人がこれから行おうとすることは、この世界では簡単には受け入れられない事だ。

 その変化の歪み、痛みは、確実に健人に向けられるだろう。

 もしかしたら、道半ばで、ふとした拍子に、最悪の結果を招くかもしれない。

 

(だけど、それでも……)

 

 譲れないものがある、消してはいけないと心から感じる想いがある。

 だから健人は、これから自らが起こすであろう行動、その結果全てを飲み込む決意を、新たに己の胸に刻み込む。

 全てを飲み込んで強くなる。

 ミラークと相対した時に、己に刻み込んだ誓いを思い出しながら、胸の奥震える魂が命ずるままに。

 己の意思を今一度確かめた健人は、目の前に組み伏せたヴィントゥルースに目を向ける。

 このドラゴンに言葉を届けるには、人の言葉では無理だ。

 健人は今一度、自分の内に眠る友人の魂に声を掛ける。

 このドラゴンと話がしたい。だから、必要な言葉を教えてくれと。

 健人の意思に反応し、ミラークの魂が呟く。

 その声に導かれるように、健人の口は自然と自分の意思を、ドラゴンの言葉として紡ぎ始めた。

 

「ヴァーリン、ゼィンドロ! ヴィントゥルース、ズー、ダイン、ヒン、ラゴール!」

(この戦いの勝者が宣言する! ヴィントゥルース、お前の憎悪は俺が預かる!)

 

 憎悪と怒りに目を眩ませたドラゴンと、過去の人間の所業により、その業を背負わされたウィンドヘルムの人達。

 彼らの怒りを消す事などできない。だが、互いの怒りは複雑に絡み合っているように見えて、微妙なすれ違いがある。

 そのすれ違いを自覚しないまま、互いに殺し合いを続けていては、結局同じことの繰り返しになる。

 

「フル、ズー、ガイン、フェント、オファン、バハ、ヒン、ラゴール! ドレ、ニ、クリィ、ナーン、ジョール!」

(故に、お前が怒りをぶつけるべき相手は人の中で俺のみとなる! それ以外の人間に手をかけることは許さない!)

 

 それは、全て互いの無知によるものだ。

 人間はドラゴンを理解していないし、ドラゴンは人間を理解しようとしない。

 今必要なのは、互いを理解するための機会と時間だ。

 だが、怒りに呑まれたままの両者はそれも不可能。ならば、無理矢理にでも時間を作るしかない。

 

“ドレ、ニ、フォラーズ! クロン、ムズ……”

(ふざけるな! 定命の者ごときが我に……)

 

「ナーロ゛ト! ズー、ケール゛! デネク、ヴァーリン、フェント、クロン、ロトムラーグ!」

(黙れ! この戦いの勝者は俺だ! 文句はその声と力で示せ!)

 

 当然ながら、ヴィントゥルースが声を荒げるが、健人はその抗議を無理矢理叩き潰す。

 ドラゴンも、人間も、この世界はおおっぴらに力を持つ者が全てを押し通す世界だ。

 ならば、一時にでもその道理に従い、力を示す。

 かつてソルスセイムで、自らの意志を押し通すためにデイドラロードに喧嘩を売った時と同じように、今度はこの世界に向けて、己の意思を示すために。

 

「ホゥズラー、ヒン、スタードナウ! ドレ、ニ、ヴォーダミン、ズー、ダイン、ヒン、ラゴール……」

(理解したのなら行け! そして忘れるな、お前の憎悪は俺が預かった……)

 

 回復魔法で最低限の治癒を施し、健人は押さえつけていたヴィントゥルースを解放する。

 ヴィントゥルースは忌々しそうに健人を睨みつけるが、ドラゴンアスペクトを纏い、圧倒的な力の差を見せつけた健人を前に観念したのか、視線を逸らして、城に空いた大穴から外へと飛び出した。

 

“ドヴァーキン、ジョール、メイ、ルン、ズゥー、ラゴール! クアーナール、ヴィーク、ヒン、ムル! クリィ、ゴル、ハバ、ドー、スレ゛イク!」

(ドヴァーキン、我の怒りを食らおうという傲慢な者よ! 我は必ずお前を倒す! そしてその暁には、この世界の人間すべてを我が雷で焼き殺してくれる!)

 

「ナーンティード、フェン、クリフ。ロニト、ファー、ヒン、ルース、クリフ、ロトムラーグ、ボスアークリン」

(いつでも来い。お前の怒りに、俺も“声”で以って答えよう)

 

 数度上空を旋回しながら言い放たれた宣誓に、健人もまた“声”でもって答える。

 ヴィントゥルースは今しばらく地上から見上げる健人を見つめていたが、やがて翼を翻し、立ち昇る煙の奥へと消えていった。

 

「なぜ逃がした……」

 

 ウィンドヘルムの民たちを代表して、ウルフリックが健人に問いかける。

 その声色には押し殺した怒りが込められており、健人の行動に対する憤りが如実に感じられた。

 

「アイツはおそらく、遥か昔に人間に殺されたドラゴンだ。故に人を恨み、この街を襲った」

 

「ならば、今ここで殺すべきだった」

 

「それを理解した上で、あいつの憎悪は俺が預かった。今後、俺が殺されない限り、ヴィントゥルースが人を襲うことはない」

 

「そんな話、信じられるか!」

 

 初めてこの街を襲ったドラゴンの名を知ったウルフリックが眉を顰める中、怒りを抑えきれなかった衛兵の誰かが、健人とウルフリックの間に割り込むように声を荒げた。

 その瞳に爛々と燃え盛る憎悪の炎が、健人に向けられる。

 

「アイツはシャウトで宣言した俺の言葉に、シャウトでもって答えた。ドラゴンにとって、シャウトは特別だ。そうでしょう? ウルフリック首長」

 

 ウルフリックもまた、このウィンドヘルムでシャウトを良く知る人間の一人だ。

 故に、本来の担い手であるドラゴンにとって、スゥームが持つ意味もよく理解している。

 

「……ああ、お前が言う通り、ドラゴンがスゥームで人を襲わないと宣言したのなら、そうなのだろうな」

 

「ふざけるな! じゃあ家族を殺された俺達は、このまま引き下がれと言うのか!?」

 

「なら、今からアイツを追いかけて殺すか? それはもう無理だ。それに、今はそんな暇はない」

 

 それ以上話をしている時間がないと言い放ち、健人は踵を返して城の外に出ていこうとする。

 

「……どこに行く気だ! 逃げるのか!」

 

「街に広がった火を消しに行く。このままじゃ最悪の場合、火災旋風が起きて街全体が火の海になるぞ」

 

 ウィンドヘルムの街は未だにあちこちから火の手が上がっているし、ヴィントゥルースが作り上げた炎の壁は健在だ。

 これ以上火事が広がった場合、火災旋風を巻き起こす可能性もある。

 火災旋風はその名の通り、大規模な火事によって巻き起こされた強烈な上昇気流が、周囲の空気を飲み込みながら火の手を広げ、あらゆるものを焼き尽くしながら吹き飛ばしていく自然現象だ。

 生み出される突風は秒速百メートルを超える。

 日本の気象観測において、台風と判断される低気圧の最大風速が秒速十七メートル以上であることを考えれば、火災旋風の突風がいかに危険であるかが理解できる。

 さらに、突風の温度は千度近くになり、高温の空気に触れるだけで物は発火し、人は焼かれながらあっと言う間に窒息死する。

 これが都市部で起きた場合、その被害は計り知れない。

 日本の関東大震災や東京大空襲でも複数発生しており、黒田区の横網町公園付近で発生した火災旋風では、四万人が一度に亡くなっている。

 

「今大事なのはドラゴンを殺す事じゃない。少しでも多く、生きている人を助ける事だ。俺の言葉に納得できないなら、そこにいろ」

 

 ウィンドヘルムは石造りの外壁に区分けされていた。

 普通の火事なら、外壁が延焼を防いでくれるが、ヴィントゥルースの強襲により、今では全区域で火事が同時に発生している。

 一刻も早く、消火を行う必要があった。

 

「……確かにその通りだ。その前に確認したい。お前は本当に、ドラゴンボーンなんだな?」

 

「ええ、なんでドラゴンボーンに成ったのかは知りませんが……」

 

 健人がドラゴンボーンであることを肯定したことで、怒りに震えていたウィンドヘルムの人達に動揺が走る。

 彼らもドラゴンボーンが現代に現れたことは聞いていたが、件の人物は同じノルドの女性だと聞いていた。

 だが健人はどう見てもノルドではない。

 タイバーセプティムを始め、ドラゴンボーンはノルド達の英雄だ。

 そして内乱で荒れたこのスカイリムにおいて、同じノルドの中からドラゴンボーンが現れた。

 その事実が、この街のノルド達にどのような影響を与えていたのかは、想像に難くない。

 

「ちなみに、私は二人目です。一人目はノルドの女性で、私の義理の姉ですよ」

 

「……そうか」

 

 健人がドラゴンボーンであることをあらかじめ聞かされていたウルフリックは、城内の衛兵達よりも動揺は少なかった。

 健人はウルフリックが納得したのを見て、ドラゴンアスペクトを解除し、未だに騒めく他の人達を無視して足早に城の外へと向かう。

 

「ガルマル、兵士を連れてドラゴンボーンと共に火を消せ」

 

 ウルフリックは副官のガルマルにドラゴンボーンを手伝うように命じ、彼の命に従って、ガルマルが配下の兵を引き連れて健人に続く。

 

「ガルマル・ストーンフィストだ。よろしく頼むぞ、ドラゴンボーン」

 

「……ストーンフィスト?」

 

 早足で歩きながら城の外へと向かっていた健人だが、ストーンフィストの名を聞き、怪訝な表情を浮かべながら振り返る。

 以前にキャンドルハースホールで健人に突っかかってきた上、その後に凶器すら持ち出して襲ってきたノルドと同じ名前だったからだ。

 

「このオジサン、ケントに突っかかってきたあのノルドの知り合いみたいだよ」

 

「ああ、弟が迷惑をかけたようだな。その辺りは後できちんと埋め合わせをする。だから今は……」

 

 現に、このガルマルは、ロルフ・ストーンフィストの兄である。

 トコトコといつの間にか健人の隣に戻ってきていたカシトの説明を、ガルマルは肯定し、謝罪をするように目を伏せた。

 同じ名を持つ兄弟とは思えぬ殊勝な態度のガルマルに、健人は内心驚く。

 やはり、一ホールドの主の補佐を担う人物となれば、その内心を表に出すかどうかはさておいて、キチンとした分別はつくのだろう。

 

「分かっています。この事態に小さい諍いを持ち出すつもりはありません」

 

 健人としても、この街が消滅するかどうかという事態に、そんな小さな諍いで足を引っ張るようなことはしない。

 ガルマルの謝罪を受け終わると、彼の後ろから、一人の衛兵が前に出てきた。

 

「私は、この西側の城壁を防衛していた小隊長です。先の戦いではお世話になりました」

 

「西側の城壁……あの衛兵達を率いていたのは」

 

「はい、私になります」

 

 小隊長の言葉に、彼の配下と思われる衛兵達が頷いた。

 ヴィントゥルースの襲撃で多くの仲間を失っていた彼らは、一時的にガルマルの指揮下に入っているらしい。

 

「……気にならないのですか? ドラゴンを逃がしたことが」

 

「思うところがないのかと言われれば嘘になりますが、貴方が居なければ、そもそもこの街を守り切れませんでした。

 この街を救ってくれた貴方がそうするというのなら、私が言うべきことはありません。何より、今は街で助けを求める人達の方が気になります」

 

「そうですか……」

 

 実際にドラゴンと戦って仲間を亡くした衛兵達。

 健人はそんな彼らが、そのドラゴンを逃がした自分にはいい感情は持っていないだろうと思ったが、彼らを纏める小隊長の声には卑屈さは一切なく、例え力及ばずとも、この街を守る者としての自信と誇りが感じられた。

 自らの職務に誇りを持つからこそ、己のプライドの為ではなく、己が守る街の為に最善を尽くそうとする。

 そのように言葉と行動で宣言する彼は間違いなく、健人が知る、真のノルド達と同じ精神をその胸に抱いていた。

 

「それでケント、どうするの?」

 

「まずは、東側から行く。ダークエルフの居住地からだな」

 

 ダークエルフの救助に行くと聞き、ガルマルは考え込むように自分の顎髭を撫でた。

 スラムとなっている灰色地区には、入り組んだ道も多い。

 被害の状況が把握しづらく、生存者の居場所の特定も難しいだろう。

 つまるところ、迅速な消火が必要なこの状況で、最も時間を要する可能性が高い地区なのだ。

 現に、ガルマルも、衛兵の小隊長や隊員も、健人の後ろで首を傾げている。

 

「……何故だ?」

 

 ガルマルが代表して衛兵達の疑問を代弁するのを背中で聞きながら、健人は早口で答える。

 

「確かに、あそこはスラムです。なら、燃える物が山積み状態のはず。火の手が広がるのも早い。生存者の把握も難しいでしょう。

 ですが、私は複数のシャウトを覚えているし、消火、生存者の把握に活かせるシャウトも使えるから問題ありません。

 それに、あそこを素早く鎮火できれば、ダークエルフの魔法を他地区の消火に当てられます。意見はありますか?」

 

「……よし、いいだろう」

 

 健人の考えを聞いたガルマルもまた即座にダークエルフの救助に賛成の意を示す。

 兵士達も、健人の説明に納得した。

 現に、消火用の高圧ホースやポンプなどがないこの世界で、氷雪系の破壊魔法から噴き出される冷気は火を消し、同時に強烈な炎から発せられる熱を防いでくれる。

 火事の現場では、意外と役に立つのだ。

 そうして、健人達は灰色地区へと続く道の前、ヴィントゥルースが残した炎の壁の前まで来た。

 

「フォ……コラ、ディーーン!」

 

 フロストブレスを唱え、灰色地区へと続く道を塞いでいた炎の壁を消し飛ばす。

 健人達が灰色地区へと足を踏み入れると、そこではダークエルフ達が必死の消火活動を行っていた。

 魔法を使える者は氷雪の破壊魔法で、使えない者は桶で汲んだ水や雪を、必死で燃えている家屋に掛けている。

 だが、いくら氷雪系の破壊魔法でも、素人や見習いクラスの魔法では効果が低い。

 おまけに灰色地区は道が入り組んでいる上、障害物も多い。

 崩れた家もあり、生存者が何所にどれだけいるかも分からない状態だ。

 

「おい!」

 

「うわ! 誰だアンタ!?」

 

「この場所の救助に来た者だ」

 

「アンタらが……」

 

 救助に来たという健人と、その隣にいるガルマル、そして後ろの衛兵達を見て、ダークエルフの男性は眉を顰めた。

 明らかに信用されていない。

 おそらく、火事場泥棒をしに来たとでも思われているのだろう。

 災害時に、本来街を守るべき衛兵達が暴徒と化した例は、歴史を辿ればいくらでもある。

 

「ラース゛、ヤァ、ニル!」

 

 問答している時間も惜しかった健人は、おもむろにオーラウィスパーのスゥームを唱える。

 まだ生きている生存者の生命力が赤光となり、健人の視界に映ってきた。

 

「この崩れた家の下に二人いる。それから、そこの酒場に三人だ」

 

「よし、行け!」

 

 手始めに、健人は手近の崩壊した家と、瓦礫に門を塞がれた酒場を指差す。

 健人の指示に従い、ガルマルが衛兵達に救助を命じた。

 ガルマルの命令に従い、衛兵達がノルド自慢の腕力を存分に発揮し、瞬く間に瓦礫を退かしていく。

 

「お、おい、アンタ……」

 

「ふん!」

 

 ダークエルフ達が困惑している中、健人は一番大規模な炎を上げている家屋の壁を蹴り壊して中に侵入する。

 炎の奥に、まだ生きている生存者の反応を確認したからだ。

 炎に包まれた家の中で倒れていたのは、ダークエルフの母親と子供の二人。

 健人は自分の鎧に氷雪の破壊魔法を掛けながら、一気に親子の元に駆け寄る。

 息はか細い。だが、まだ生きている事は確認済みだ。

 健人は倒れている二人を抱え込むと、再びシャウトを放つ。

 

「フォ!」

 

 脱出方向の炎を、単音節で威力を調整したフロストブレスで吹き飛ばし、健人は一気に燃える家の外へ。

 抱えた親子を近くのダークエルフに託し、健人は燃える家屋内に生存者がいないことを確認した上で、今度は全力のフロストブレスを叩き込んで鎮火させる。

 その後も、健人とガルマル達は、ウィンドヘルムの衛兵を引き連れ、灰色地区の消火を続けた。

 健人の強力なシャウトが、本来なら消火に丸一日かかるような大火も即座に消すことができたため、その速度は迅速を極めていた。

 

「よし、この地区の火事は、大方鎮火できたな……」

 

 目立つような炎は瞬く間に消えた。

 後に残っているのは、燃え残った灰や瓦礫から立ち上る煙のみ。

 

「あ、ああ。ありがとう……」

 

「いや、こっちも頼みがあって、灰色地区から消火したんだ」

 

「他の地区の消火に手を貸してほしい、か?」

 

「ああ、ダークエルフの魔法があれば、消火ももっと捗るだろう。ノルドとの確執は理解している。だが今は……」

 

「……分かっている。我らは同じような危機を、二百年前に経験している。その時に、全てを無くした。

 再び同じ目に遭うところだったのを助けられて、力を貸さないなんてことは出来ないさ」

 

 レッドマウンテンの噴火で、全てを失ったダンマー達。

 絶望を味わった経験があるからこそ、このような危機的状況の時に、彼らは自分達が何をすべきなのかを心得ていた。

 

「……ありがとう」

 

「気にするな。それに、こうして話をしているのも時間が惜しいだろう?」

 

「ああ、そうだな。大きな炎は俺がシャウトで消す。ダンマー達は消しきれない細かい所を消して、ノルド達の救出活動を助けてくれ」

 

「分かった。任せておけ」

 

 そうして、健人は協力してくれる新たな仲間を連れて、他地区への消火に向かう。

 彼の後ろにガルマルとカシトが続き、その後にノルドの兵士達とダークエルフ達が続く。

 歴史的にも、そして現在も、互いに確執のある両者。だがこの時、彼らの目は隣の異人ではなく、眼前に広がる危機だけを見据えていた。

 

 




というわけで、第十話目でした。
次回で、ウィンドヘルムのお話は終了かな? やっと話を先に進められる。


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第6章最終話 幼き家族の誕生

予想以上にウインドヘルム編が長くなったので、再び章を分割!



 ダークエルフ達が使う氷雪の破壊魔法は、街を炎から守る上で大きな力となった。

 健人の予測通り消火効率は跳ね上がり、生き延びた人達も加わることで、さらにその速度は増した。

 健人達が消火活動を開始してから二時間後、ヴィントゥルースが齎した大火災は、その全てが完全に消し止められていた。

 ウィンドヘルムという大都市を襲った大火の規模を考えれば、信じられないほどの速度である。

 生存者の救助も健人がオーラウィスパーのシャウトを使う事で迅速に行われ、不眠不休で救助活動が続けられた結果、日が変わり、朝になるまでにはほぼ全ての救助活動を終えていた。

 残ったのは遺体の回収くらいであり、救助活動を終えた健人達は城内に割り当てられた部屋で仮眠を取った。

 そして目が覚めた健人は、カシトと一緒に出迎えに来た兵に連れられ、ある人物と面会していた。

 

「ご苦労だったな、ドラゴンボーン。ウィンドヘルムの主として、礼を言おう」

 

 ウルフリック・ストームクローク。

 健人はヘルゲンで処刑場に送られそうになっている彼を一度見ているが、こうして面と向かい合って話をするのは初めてである。

 彼の隣には執政のヨルレイフと副官のガルマルが控えている。

 面会した場所はウルフリックの私室。

 現在、王の宮殿の大広間は避難してきた避難民で埋まっているためだが、功績を上げた健人と面会するには人気が少ない。

 この部屋にいるのは、健人とカシト、そしてウルフリックとガルマル、ヨルレイフのみ。

 王の私室という特別な場所に案内しながらも人気を避けている辺り、健人という存在が、いかにウルフリックにとっては扱い辛い存在であるかを窺わせる。

 

「街を救ってくれた褒美を送ろう、受け取るがいい」

 

 ウルフリックの隣に控えていたヨルレイフが、恭しく報酬の入った袋を健人に手渡してくる。

 その大きさは、両手に納まるくらい。

 ドラゴンを退けた報酬にしてはやけに軽いものだった。

 

「なんだ、随分少ないね~」

 

「カシト……謹んで頂きます。ウルフリック首長」

 

 カシトの文句を聞き流したウルフリックが頷くのを確かめ、健人は素早くに受け取ったものを懐にしまう。

 街を救った英雄にしては殊勝な健人の態度に、執政のヨルレイフはほう……と感嘆の声を漏らした。

 事を荒立てるのを嫌う日本人らしい態度であるが、健人としては報酬も辞退したかった。

 これだけの災禍に見舞われた街から報酬を分捕るのは気が引けたのだ。

 だがこのような権力者からの褒美となれば、受け取らないのも後々問題となる事を考えると、出された物を突き返すことも出来なかったのである。

 

「……出来る事なら、宴を開きたいところだが、今はそんな暇も余裕もない。街の被害も大きく、渡せる報酬も少ない事を許して欲しい」

 

「いえ、多くの民が家を追われているこの状況です。私への報酬よりも、少しでも早く避難民に必要な物資が行き渡る事が肝要かと……」

 

 ウルフリックの言葉に、健人もまた礼儀正しい口調で返す。

 

「ドラゴンボーンの高潔な心に感謝しよう。だが、ドラゴンを倒した者に対して渡すには、あまりの報酬が少なかったことも事実。

 故に首長として、君をウィンドヘルムの従士に任命し、この街で土地を買う権利を与えよう。また私ができる限りで、ドラゴンボーンが求めるものを出来る限りの望みを叶えようと思う。

 何か望むものはあるか?」

 

 しかし、ウルフリックとしても、ドラゴン撃退と言う戦果に対して十分な報酬を用意できないということは体面にかかわる問題だ。

 だからこそ、ウルフリックは従士という名誉職と土地を買う権利を健人に与え、さらに彼が願う望みをかなえると言ってきた。

 健人の活躍は既にウィンドヘルムの民の多くに知られている。

 ドラゴンを逃がしたことに関しては、一部の民が反発してはいるものの、ヴィントゥルースを撃退したその力と功績は疑いようがなく、従士となるための要件は満たしている。

 

「ありがとうございます。では、もう一人のドラゴンボーン、リータ・ティグナについての情報を求めます。

 従士については、私はウィンドヘルムに留まるわけにはいかず、土地に関しては資金的な理由から、どちらも後の機会とさせて頂きたい」

 

「分かった。首長の権限において、君が望む時ウィンドヘルムの従士に任命し、同時に土地を買う権利を与えよう」

 

 従士の称号については、明確に帝国と敵対しているウィンドヘルムの従士になってしまった場合、従士の名でウィンドヘルムに縛られる可能性がある事から、健人は辞退した。

 ウルフリックもドラゴンボーンという戦力は欲しいだろうが、ヴィントゥルースを正面から倒した健人は自分の身に余る戦力と考えているのか、特に引き留める様子もなく健人の願いを受け入れた。

 ウルフリックとしては、とりあえず健人に対して出来る限りの報酬を与えようとする態度を見せることが出来た時点で、自分の権威は十分示せたと言える。

 

「それから君の姉だったか?」

 

「ええ、血は繋がっていませんが。私は彼女に会わなければなりません」

 

 土地に関しては、“壊れた白日夢”という爆弾持ちの健人にとっては、街中の家は好ましくないことからやんわりと辞退した。

 実のところ、資金云々というのは、健人が断るための方便である。

 ウルフリックには資金が足りないと言った健人ではあるが、意外な事に、実は彼はちょっとした小金持ちなのだ。

 なぜなら、レイブン・ロックのセヴェリン邸をモーヴァイン評議員に売り払ったりしていたからだ。

 他にも健人はちょっとした収入の当てがあり、今はそれほどお金には困っていない。

 だからこそ、代わりに健人が欲したのは情報。姉であり、同じドラゴンボーンであるリータの居場所に関する情報だった。

 

「ふむ、残念だが、そちらの方ではあまり力にはなれそうにない。冬前にリーチで何かを探しているという話を聞いたことがあるくらいだな。後は、件のドラゴンボーンは既に、リーチを離れているという事くらいだ」

 

 ウルフリックもリータの居場所に関しては知らないらしい。

 だが健人としては、リータがリーチホールドから去ったことが分かっただけ御の字だ。

 最悪の場合、一度リーチまで行って足跡を追わなければならない可能性もあったのだ。

 問題は、彼女の行き先だ。

 ドラゴンレンドを求めて世界のノドへ向かったか、もしくは別の場所を目指しているのか。

 その情報を得なければならない。

 

「そうですか。時間も惜しいですので、私は直ぐにこの街を去ろうと思っています。出来る事なら……」

 

「街の正門先の厩を訪ねれば、馬車もあるだろう。しばらくすれば、新しい情報も入ってくるだろう。もし入れば、そちらに最優先で送ろう」

 

 ウルフリックも健人が求めている情報については、最優先で送ってくれると約束してくれた。

 彼としても、金銭や物資に依らない報酬は懐を傷めない事から、歓迎している様子だった。

 

「ありがとうございます。ウルフリック首長、少しお尋ねしたいことがあります」

 

「ふむ、なんだ?」

 

「今回の災禍、多くの建物が焼かれました。ですが、それでも被害は最小限度にとどまったと思われます」

 

「……そうだな。それは疑いようがない。お前のおかげだとガルマルから聞いている」

 

「確かに、私は微力を尽くしました。ですが、街の消火が迅速に行えたのは、ダークエルフ達の協力があったからです。

 彼らの魔法がなければ、これほど迅速な消火と救助活動は不可能だったでしょう」

 

「……何が言いたいのだ、ドラゴンボーン」

 

「言葉にする必要はありません。功には褒美を、仁には義を。望むのはそれだけです。それでは、私はこれで……」

 

 ウルフリックの返答を聞かずに、健人は一礼して、謁見をしていたウルフリックの私室を後にする。

 廊下に出て扉を閉めたところで、健人は安堵から大きく息を吐いた。

 

「ふう……」

 

 健人としては、三人目の首長との対面であった。

 ホワイトラン、モーサル、そしてウィンドヘルム。

 レイブン・ロックのモーヴァイン評議員との対面を含めれば、四人目。

 首長という立場が領主、もしくは国王だと考えれば、地球にいた時には考えれられないほどのコネクションを持ったことになる。

 とはいえ、気質がまっとうな地球の一般市民である健人には、権力者との対面は何度やっても気が滅入るものであった。

 受け取った報酬が入った小袋を懐から出して放り投げて弄びながら、今一度大きく息を吐く。

 空中で舞う小袋からはカラカラと軽い音が響いてくる。

 どうやら金銭ではなく、宝石などの貴金属が入っているらしい。

 荷物をできるだけ少なくしたい健人としては、旅をする上で嵩張らない宝石などは、報酬としてありがたい。

 

「それにしても、ドラゴンを撃退した割に報酬がシケてるよね~」

 

「言うな。この街の惨状を考えたら、しかたないさ」

 

 とはいえ、袋の中の宝石はどう見積もっても、ヴィントゥルースという強大なドラゴンを撃退した報酬には見合わないだろう。

 ヴィントゥルースのシャウトで壊滅的な被害を受けたウィンドヘルムは、復興に多大な金子を必要とする。

 だからこそウルフリックは従士の称号や土地を買う権利等を代わりに提示してきたのだ。

 健人としても、あれだけの被害を受けた街から報酬をふんだくるのは気が引ける。

 

「でもあの首長、称号とか権利とかを差し置いても、健人のそんな性格も含めてワザと報酬少なめにしたんじゃない?」

 

「多分な。でも、その辺はどうでもいいよ。街の中の土地を買っても今は活かせないし、資金に関しては今、それほど困っていない。それよりも、リータ達に関する情報を得られる可能性を高める方がいいさ」

 

「首長は何とか権威と資金を保ち、ケントは情報を得る、か。まあ、落としどころはそんな所だろうね」

 

 今回のドラゴンとの戦闘で、ウルフリック達はかなりの被害を被った。

 破壊された街は元より、ドラゴンに対して有効な手段を取れなかった事も、ウルフリックの威厳に影を残すこととなるだろう。

 だがウルフリックは、健人に称号と土地を買う権利を与えようとすることで、多少ではあるが、己の威厳を保つことに成功した。

 ウルフリックの執政下であり、帝国との戦争中であることを考えれば、本来ならノルドであっても、他所の人間に土地を買う権利が与えられるはずもない。

 当然、従士の称号は言わずもがな。

 今までのウィンドヘルムの状況を考えれば、法外と呼べる報酬なのだ。

 

「カシト、俺の最後の一言は余計だったかな?」

 

「どうだろうね。でも、今のウルフリックは健人の言葉を無視することは難しいと思うよ。でもまあ、その辺の問題はどの道、この街の人間達がどうにかしないといけない話だね。

 オイラ的には、別に態々言う必要もなかったと思うけど……」

 

 ノルドが支配し、他の全ての種族が冷遇される街の支配構造。だがそれらは、今回のドラゴン襲撃で大きな影響を受けた。

 そしてドラゴンの襲撃は、この街の支配構造だけでなく、ストームクロークが掲げていた大義の根幹であるノルド主義にも巨大な楔を打ち込んだ。

 ウルフリックが掲げていた理想だけでは、自分達の街を守り切れないと証明されてしまったのだ。

 そしてウィンドヘルムは大打撃を受け、経済活動はほぼ停止状態。

 今後の見通しは暗く、物資は慢性的な枯渇状態になる事はほぼ確定だ。

 これから先、この街は、あらゆる困難に見舞われる事になるだろう。

 それはノルドだけで解決できることではなく、ましてダンマーやアルゴニアンだけでも不可能だ。

 これから彼らが向かう道は暗い。選択を誤れば、即座に破滅の坂道を転がり落ちる結果になるだろう。

 だが、災いは転じれば福になることもある。

 この困難を乗り越えるために、ノルド、ダンマー、アルゴニアン達のあらゆる力が試されることになるのだ。

 同時に、この街で健人ができることはもうなくなった。

 彼は強大な戦力ではあるが、食べ物を作ることも、崩れた建物を直すこともできない。

 後は、この地に生きる人たちが頑張っていくしかないのだ。

 

「そうか……。さて、あと一つ、やるべきことをやっておこう」

 

 健人はカシトを連れて王の宮殿の広間へと向かう。

 王の宮殿の広間とその正門前には、多くの避難民達で溢れている。

 特に宮殿内の謁見の間には、怪我人が所狭しに並べられていた。

 今では落ち着いているが、少し前までは城の宮廷魔術師や、回復魔法を使える者達が、必死の治療を行っていた。

 回復魔法を使えない者も、ノルドやダンマー、アルゴニアンなどの種族に関係なく、傷を負った者達を必死で癒していた。

 扉を無くした王の宮殿正門をくぐれば、崩れた外壁と急ごしらえのテント、そして瓦礫を片付けている人達が見えてくる。

 テントの傍では大鍋で炊き出しが行われ、作業が一段落した者達が代わる代わる食事を取っており、食事を終えた者から再び作業に戻っていく。

 そこでも、ノルドもダンマーもアルゴニアンも関係なく、皆が出来ることを精一杯こなしていた。

 今までならダンマーやアルゴニアンに拒絶反応を示していたストームクロークや衛兵たちも、何も言わずに彼らと一緒に作業をしている。

 

「…………」

 

 健人にはその光景が、この街にこれから降りかかる闇を払う光になってくれることを願わずにはいられなかった。

 だがその時、城から出てきた健人は、自分に向けられる憤りと憎しみに染まった視線に気づいた。

 向けられる視線を追えば、そこには宮殿の広間でヴィントゥルースを抑え込んだ際に、健人に詰め寄ってきた衛兵達がいる。

 彼らの廻りにいる人達から向けられる視線も、どこか複雑な感情が入り混じったものだった。

 おそらくは、宮殿内で健人がドラゴンを逃がしたことを聞いたのだろう。

 ノルド、アルゴニアン、ダンマー等、この街に住むすべての人種がいるが、特にノルド達から向けられる視線は迷いや戸惑いに満ちたものが多い。

 自分達を助けてくれたが、元凶となるドラゴンを逃がした者。

 無論、健人がいなければ被害はもっと大きく、この街が壊滅していたことはほぼ間違いないし、彼らもこれだけの被害を前にしてその事実に気付いていないはずがない。

 だが、理性で分かっていても、感情は近視眼的に元凶を求めずにはいられず、同時に彼らの目が“ドラゴンを逃がす”という行為を行った健人に向けられるのは必然といえた。

 

「…………」

 

 針の筵のような視線の雨を、健人は正面から受け止める。

 彼としては、この状況は想定していたことだった。

たとえ憎まれようとも、それでも声を上げると決断した。そして行動を起こした以上、その結果は甘んじて受けなければならない。

 だがその時、戸惑いの視線を向ける者達の中から、一組のノルドの夫婦が歩み出てきた。

 

「ありがとう。君のおかげで、妻を失わずに済んだ。本当にありがとう……」

 

「え……」

 

 歩み出てきた夫婦は健人の前に立つと、満面の笑みを浮かべて健人の手を取り、深々と頭を下げてきた。

 その夫婦に触発されたのか、ダンマー、アルゴニアンだけでなく、他のノルドの中にも、城から出てきた健人に駆け寄り、礼を述べてくる者達が出始めた。

“ありがとう!”“貴方のおかげで生き延びることが出来た”“もしも今度ウィンドヘルムに来ることがあったら、何か礼をさせてほしい”

 中には今度産まれてくる子供に健人の名前を付けさせて欲しいという者もいた。

 無論、宮殿前にいた全ての人が健人に礼を言ったわけではない。中には衛兵と同じように、怒りの視線を向けてくる者もいる。

 しかし、いっそウィンドヘルムに住む全ての人達に恨まれる事を覚悟していた健人としては、彼らから贈られたお礼の言葉は、思わず困惑の声を漏らしてしまうほどのものだった。

 確かに、ドラゴンを逃がした健人を恨む者もいる。だが同時に、感謝してくれる者もいるのだ。

 その当たり前の事実に気付かされ、健人は鼻の先がツンとしみる感覚と共に、自然と笑みを浮かべた。

 

「ケント様、お疲れ様です。ウルフリック首長とのお話は終わりましたか?」

 

 城から出てきた健人達を見つけたリディアが、周囲の喧騒をかき分けるように出てきてケントの側に歩み寄ってくる。

 彼女の傍にはソフィの姿もあった。

 

「ええ、終わりました。ソフィも大丈夫かい?」

 

「う、うん……」

 

 はにかむように俯いたままのソフィに、健人は膝を立てて目線を合わせる。

 これから健人は、彼女に聞いて確かめなければならないことがあった。

 

「さて……ソフィ、君はこれからどうする?」

 

「……え?」

 

 唐突に振られた質問に、ソフィが戸惑いの声を漏らした。

 

「君にはいくつか選択肢がある。この街に残るか、それともリフテンの孤児院に行くか……」

 

「……」

 

 これから先。

 そんな事、ソフィは考えたことはない。今まで一日一日を生きるのが精一杯だった彼女に、自分の未来を考えられる余裕などなかった。

 当然ながら、健人の質問に押し黙り、何も言えなくなってしまう。

 健人に尋ねられた事でソフィはようやく自分のこれからについて考え始めるが、当然ながらすぐに結論など出るはずもない。

 しかし、それでも彼女は一か月近く、この厳しい街で生きてきた少女だ。

 提示された選択肢をすぐに自分の頭の中で反芻するが、どれもしっくりと来ない。

 ウィンドヘルムに残る……最後の肉親がなくなり、辛い思い出しかないこの街に残りたいとは思わなかった。

 リフテンの孤児院へ行く……リフテンには行ったことがない。孤児院にいる人もどんな人かわからない。そんな場所に行くのは、不安しかなかった。

 考えても結論が出なかったソフィは、寂しさとやるせなさを秘めた瞳で、健人を見つめた。

 冷え切った自分の心と体を温めてくれた人。

 ドラゴンを逃がしたことを悪く言う人もいたが、彼女にとって健人は英雄だった。

 出来る事なら、この人と一緒に行きたい。でも、ソフィには自分からその言葉を口にはできなかった。

 なぜなら、彼は自分から見てもあまりにも遠い存在であり、提示された選択肢の中に健人についていく、というものはなかったから。

 たとえ大人であろうとも、提示された選択肢以外の道を選ぶ勇気のある者は少ない。

 それでも、ソフィの願いは彼女が口に出さずとも、その瞳は雄弁に彼女の願いを叫んでいた。

“一緒に行きたい!”と。

 口に出来ない願いを秘めたソフィの眼差しに、健人は静かに口を開く。

 

「もしくは……俺達と一緒に行くか?」

 

 健人が口にした言葉が一瞬信じられず、ソフィは思わず目を見開く。

 

「……いいの?」

 

「見てしまったからね。今更見捨てるなんてことは出来ないよ。ただ、道中は長いし……とても危険だ。それに獣も出るし、俺に至ってはこの街を襲ったドラゴンに襲われる身だ。それでも、一緒に……」

 

「っ!?」

 

「わっ!……っと」

 

 健人の言葉を言い切る前に、ソフィは健人に抱き着いていた。

 彼女の喜びを示すように、首に回されたか細い手にギュッと精一杯の力が込められる。

 

「行く……」

 

「そうか、分かったよ。これからよろしく、ソフィ……」

 

「うん、お兄ちゃん」

 

 健人は抱き着いてくるソフィの背をポンポンと叩きながら、彼女を抱き上げて立ち上がる。

 健人に抱き上げられ、首筋に顔を埋めるソフィの顔は、安堵と喜びに満ちた表情を浮かべていた。

 

「リディアさんは……」

 

「もちろん、ご一緒します。それで、どこへ向かうのですか?」

 

「……モーサルです。リータがリーチから出た事は分かったので、リーチに近いホールドで情報を探そうかと思います。

それからもう一つ、どうしてもやっておかないといけない事があるんです」

 

 ソフィを抱き上げながら、健人は次の目的地について語る。

 モーサル。

 かつて健人が修行を行っていた場所であり、霧に包まれた幽玄の街である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 健人が去ったウルフリックの私室では、首長のウルフリックと執政のヨルレイフ、副官のガルマルが今後について話し合っていた。

 

「良かったのですか? あのドラゴンボーンを従士に任命できれば……」

 

「私としても彼の力は惜しい。だが彼は有能な戦士ではあれ、私に忠実な戦士にはならないだろう。

 それに力でドラゴンボーンをこの街に留めることは出来ないし、今のウィンドヘルムは、彼を受け入れられるようにはなっていない」

 

 ヨルレイフがドラゴンボーンを手中に収めなかったことに異議を唱えるが、彼の言葉はウルフリックに止められた。

 ウルフリックにとっても、ドラゴンボーンは希望になりえるが、使い方を誤れば自分の権威を落とし、ウィンドヘルムに崩壊を招く可能性がある。

 これはドラゴンボーンそのものが反乱を起こすと言うよりも、ノルドではない異種族である彼を旗頭として、ダンマーとアルゴニアンが反旗を翻す可能性だ。

 ウルフリックとしては、健人の性格が反逆や反乱を起こすようなものとは考えにくいと思っているが、ノルドに対して常日頃から不満を抱いてきたダンマーとアルゴニアン達は別だ。

 ウルフリック自身も他種族を排斥することで自分の権威を確立してきたことは自覚があるだけに、事を誤ると即座に自分の首が飛ぶことも理解している。

 

「とにかく、一刻も早く破壊された街を直さなければならん。今から頭が痛いのう……」

 

「はあ……全くです」

 

 ガルマルの呟きに、ヨルレイフが同意する。

 取りあえず、今は破壊された街の修復を終えることが急務である。

 幸い、元々石造りの家が多いウィンドヘルム。

 サンダーブレスによる被害は別として、火の廻りは健人達の尽力により早期に消火できた。

 ストームコールで焼けた家はその被害は屋根などに集中しており、屋根に空いた穴などをどうにかすれば、とりあえず住むことは出来る。

 問題となりそうな灰色地区の被害も街の西側に比べれば軽微であり、一般人のノルドが住む住宅地も半分近い家がまだ人が住めそうな程度の被害で収まっている。

 逆に酷かったのが市場や高級住宅地などで、特に北西の高級住宅地の建物は、健人とヴィントゥルースが闘ったことでほぼ壊滅状態だった。

 

「幸い、街道の雪は解け始めている。リフテンとドーンスターに援助を求めるしかないな……」

 

「はあ、支払いを考えただけでも頭が痛いですな……」

 

 執政のヨルレイフは援助の見返りを考え、頭が痛そうに額に手を当てて天を仰いだ。

 

「早急に始めねばならん。街の修復が終わるまでは、ダークエルフもアルゴニアンも我が民達と同じように扱うのだ。今異種族に反乱を起こされるわけにはいかん」

 

「幸い、港の施設は無事だ。アルゴニアンはそう問題ないだろうが、問題はダークエルフか……」

 

「そうだ。今サルモールや帝国に付け入る隙を与える訳にはいかない。この危機を乗り越えるために、頼むぞ」

 

 ウルフリックの言葉に、ガルマルとヨルレイフが臣下の礼で答える。

 

(この機会を、帝国もサルモールも逃すはずがない。それでも私は……)

 

 北の街の首長は内心から湧き上がる不安を、厳つく、憮然とした表情で押し殺しながら、今一度、己の守るべきものを胸の奥で反芻していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真央の月の1日。

 地球の暦に当てれば6月に当たる月の始りの日、リータ達はスカイリム北の混沌の海を訪れていた。

 正確には、混沌の海に広がる氷原である。

 すでに季節は春になっているが、北の混沌の海に面するこの場所にはまだ分厚い雪や氷が残っている。

 リータ達がこの地に来たのは、もちろん、ドラゴンレンドの為だ。

 ドラゴンレンドを手に入れるために必要な星霜の書。それを見つけるために、とある人物を探してこの地に来たのだ。

 そしてリータとドルマは、目的の人物を見つけていた。

 

「掘れよドゥーマー! はるけき彼方へ。お前の失われた未知なるものを知り、私はお前たちの深淵まで至る」

 

 セプティマス・シグナス。

 ウィンターホールド大学で最も星霜の書について知る人物であり、同時に自分の研究に没頭するあまり大学を出奔した奇人であった。

 リータとセプティマス。二人が対面している脇の陰で、黒い泡がコポリと湧きたっていた。

 




というわけで、ウインドヘルム編は終了です!(ヤケ
いや、ほんとに長くなっちゃったよ。こんなに長くする気なかったのに……。
そしてようやく登場したリータはセプティマスと邂逅しています……。
とりあえず、続きは次章ということで、今回はここまで! ああ、ちっくしょう!



そして気が付けば、この小説を一年以上書いていた……。


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第7章
第一話 ウィンターホールド


というわけで、第7章開始です。


 ウィンターホールド。

 スカイリムの北東。

 イーストマーチホールドよりさらに北に位置する、極寒の地。

 ここは北の海に隣接する形で造られていた街だったが、オブリビオンの動乱の後、大崩壊と呼ばれる災厄に襲われ、街の半分以上が海に滑落してしまった。

 多くの人が亡くなり、深い傷を負ったこの街は、かつての栄えていたホールドの首都としては信じられないほど寂れてしまった。

 街のあちこちに手付かずの廃墟が並び、街を歩く人たちの顔は暗い。

 そんな街を訪れたリータ達は、寂れた街の中央通りに面した宿屋で、今後の予定について話し合っていた。 

 

「それじゃあ、ドラゴンボーンとドルマは大学へ行って、星霜の書に関する情報を当たる。

 私はここで、盗賊ギルドから来る情報を洗うわ」

 

「ウィンターホールド大学……。魔術師達が捜している星霜の書の場所を知っていればいいがな……」

 

 ドルマがどこか願うような口調で、溜息を吐いた。

 ここで情報を得られなければ、ドラゴンレンドを探す道は暗礁に乗り上げることになる。

 それに、見知らぬ他人に魔術師たちが協力してくれるかどうかもわからない。

 ドラゴンボーンであるリータの名を出せば協力してくれるかもしれないが、戦士としての気質を重んじるノルドが住むスカイリムにおいて、魔術師たちは正当な評価をされないことが殆どだ。

 大抵のノルドは魔術師というだけで、胡散臭いものを見るような目を向けてくる。

 これは、ノルドの気質だけでなく、二百年前のオブリビオンの動乱が、魔術師達の手によって引き起こされたことも大きい。

 故に、ノルドであるリータに協力してくれない可能性もある。

 

「とにかく、行ってみよう。行かなきゃわからない」

 

 だが、何事も頼んでみなければ分からない。

 リータの言葉にデルフィンが賛同するように頷いた。

 

「そうね……。それからドラゴンボーン、確かめたいことがあるのだけど」

 

「何?」

 

「パーサーナックスについてよ。彼から色々話を聞いたと思うけど、一つ確認しておきたいことがあるの。グレイビアードは、パーサーナックスの過去について、あなたに話したかしら?」

 

 パーサーナックス。

 その名を耳にした瞬間、リータは自分の胸の奥がざわつくのを感じた。

 リータが今まで出会ってきたドラゴンとは明らかに違う、ドラゴンらしからぬドラゴン。

 世界のノドの頂上で数千年以上も瞑想し続けている老竜の姿は、リータには健人との確執を産んだヌエヴギルドラールと被って見えていた。

 だが、同時に疑問も浮かぶ。

 なぜデルフィンが、この場で態々老いたドラゴンを話題に出したのか。

 

「パーサーナックスの過去?」

 

 あの老竜の過去については、リータは何も聞いていない。

 世界のノドの頂上で瞑想を続け、あの地を訪れる旅人や弟子となったグレイビアードにシャウトを教えているだけだと思っていた。

 さらに言えば、自分を殺しに来た人間にすらシャウトを教えていたという変わり者だとも。

 

「その様子じゃ聞いていないみたいね。彼はかつて、アルドゥインの副官だったわ」

 

「……え?」

 

「……本当なのか?」

 

 デルフィンから聞かされた事実に、リータは信じられないというように目を見開き、ドルマも訝しむように眉を細めた。

 信じられないというような反応を示すリータとドルマだが、デルフィンの傍に控えていたエズバーンが、彼女の言葉を肯定する。

 

「デルフィンの言う事は間違いではない。しかも、人間に対して最も苛烈な統治を施して、数えきれないくらいの人間を虐殺したドラゴンだ。

 パーサーナックスの名を構築するシャウトの意味は知っているか?」

 

「……」

 

「野心を持つ、残酷な大君主。それが、パーサーナックスという言葉が持つ意味だ」

 

 もしかしたら、自分達の知るドラゴンとは違うのかもしれない。

 そんな期待を裏切るようなパーサーナックスの過去を聞かされたリータの天秤は、より一層大きく揺らぎ始めた。

 まるで、このウィンターホールドの荒れ狂う海に弄ばれる小舟のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィンターホールド大学は、このスカイリムで唯一、魔法を研究している研究機関であり、教育機関である。

 オブリビオンの動乱でシロディールの魔術師ギルドが閉鎖された今、この大陸でも数少ない魔法研究機関であるが、元々エルフ由来の技術である魔法を扱う機関として、スカイリムのノルド達からはいい目では見られていない。

 さらに、二百年前のオブリビオンの動乱や、その後のウィンターホールド都市部の崩壊の際に、大学部分の建物だけ崩落を免れたなどの理由から、様々な言いがかりをつけられ、今やノルド達からは完全に忌避されてしまっている大学でもある。

 ウィンターホールド都市部崩落の際に残っただけあり、この大学の建物は海から突き出た基部の上に乗っかり、陸地とは橋一本で繋がっているだけという奇妙な状態になっている。

 しかし、その歴史は閉鎖されたシロディールの魔術師ギルドよりも古く、第一紀には既に建設されており、非常に長い歴史を持つ大学でもあった。(ちなみに、ノルドがスカイリムに入植した時代は、第一紀以前のメレシック時代)

 ちなみに、第一紀では、入植したノルドがここ、ウィンターホールドで攻めてくるエルフを追い返しまくっていたらしい。

 そんなウィンターホールド大学を、リータとドルマは訪ねていた。

 目的は、ドラゴンについて記述された星霜の書についての情報を得る事。

 大学の入口では女性のウィザードが番をしていた。

 名前はファラルダ。

 ハイエルフの女性であり、この大学で破壊魔法を担当している教官らしい。

 最悪、追い返される事も想定していたリータ達だったが、自分がドラゴンボーンであることを伝えてシャウトを披露すると、番をしていたファラルダは快くリータ達を大学内に入れてくれた。

 どうやら、シャウトを使うリータに興味を惹かれたらしい。

 ファラルダに案内されながら、二人は今にも崩れそうな橋を渡り、大学内へと入る。

 

「おや、そちらの方々はどなたですか?」

 

 橋を渡った先の大学の正門前で、三人は初老に近いブレトンの女性に呼び止められる。

 女性の名はミラベル・アーヴィンといい、この大学の責任者であるアークウィザードの補佐役らしい。

 ファラルダがミラベルにリータ達の来訪とその理由について説明している間、リータは先程聞いたパーサーナックスの過去を反芻しながら、なんとも言えない嫌な気分が込み上げてくるのを感じていた。

 湧き立つ感情は怒り、不信、そして失望。

 パーサーナックスの過去を隠していたグレイビアード。

 話してくれなかったパーサーナックス。

 聞かされていなかった事実を知ってしまい、同時にグレイビアードやパーサーナックスに対する信頼が揺らいでいることが、リータにザワザワと体の中を虫が這い回るような不快感を与えていた。

 

(何を私は失望した気になっているのよ。ドラゴンなんて、初めから信じられないって分かっていたはずじゃない……)

 

 パーサーナックスも、所詮は卑劣なドラゴンでしかなかった。

 そう考え、沸き立つ怒りのまま吐き捨てようとするリータだが、ザワつく全身の不快感は消えず、喉の奥から込み上げる言葉もどこか空々しく、何故か声に出すことが出来ない。

 パーサーナックスが敵意剥き出しだったリータにも敵意を返さず、終始諭すような口調も変わらなかった事、何よりも、純粋に話し相手が来たことを喜んでいた老竜の姿が、リータの脳裏で無抵抗のまま殺されたヌエヴギルドラールと被り、怒りで振り切ろうとする彼女の心を、ギリギリで押しとめていた。

 

「…………」

 

 内心揺れ動く感情を押し殺そうと無表情になっているリータの隣では、ドルマが気難しそうな表情を浮かべて、彼女の横顔を覗き見ていた。

 ふと、ドルマの視線に気づいたリータが、何かを言いたそうに口を開くが、その口から声が出る事は無く、言いようのない気まずい空気だけが流れていく。

 

「待たせたわね。さあ、大学の中を案内するわ、お客さん」

 

 大学の責任者の一人に話を付けたファラルダが戻ってきて、案内を再開する。

 リータは湧き上がる不信感と言いようのない感情を飲み込み、ファラルダの後を追って歩き始める。

 ドルマもまた、どこか余裕のないリータの様子に眉を顰めるも、二人の後に続いた。

 三人が向かったのは、この大学の図書館であるアルケイナエウム。

 アルケイナエウムの中は紙とインクの臭いで満ちており、大量の書物が棚や机の上だけでなく、その辺の手すりにすら山のように並べられている。

 その光景に、リータとドルマは思わず息を飲んだ。

 自動印刷などの技術がないこのタムリエルにおいて、書物は貴重である。

 これだけの書が積み上げられている光景など、二人は見たことがない。

 思わずリータは、手近にあった書を手に取って読んでみる。

 本の中身は、小難しい魔法理論がページ一杯に羅列されていて、何が何やらサッパリ分からない。

 

「やっぱり、よく分からないや……」

 

 小難しい本を読むと、リータはどうしても義弟の姿を思い起こしてしまう。

 夜遅くまでロウソクの火を頼りに本を読み耽る彼の後姿は、今ではもうずいぶん霞んでしまっていた。

 

「どうかしたのか?」

 

 隣でリータと同じように、アルケイナエウムの蔵書に目を奪われていたドルマが、声を掛けてきた。

 今ここに、デルフィンとエズバーンはいない。

 ドラゴンやアルドゥインの情報を整理するために、盗賊ギルドの連絡員と接触し、貰った情報を整理しているからだ。

 

「うん、ちょっとケントと一緒に勉強していた時の事を思い出しちゃって……。ケントは難しい魔導書も直ぐに理解していったけど、私はダメだったなぁ……って」

 

 突き放して、拒絶して、思い出さないようにしていたはずだった。

 でも、瞼に焼き付いた健人の姿は、今でもこうして時折、唐突に脳裏によみがえり、彼女の胸を締め付けてくる。

 パーサーナックスの事で揺れ動いている今の彼女に、脳裏に浮かぶ傷付けた義弟の姿は、心に堪えた。

 

「知るか。そもそも俺もお前も学なんてねえんだ。自分じゃどうにも出来ない事に一々悩むのはバカのすることだぞ」

 

 一方、ドルマはリータの弱音をバッサリと切り捨てた。

 情けも同情も気遣いも一切ない乱暴な言葉を、頭を叩くように正面から叩きつけたのだ。

 

「……もしかして、私の事、バカって言ってる?」

 

「自分からドラゴンを殺すためにスカイリムの端から端まで廻ってんだ。バカじゃなきゃできねえよ」

 

「……むう」

 

 リータが頬をぷくりを膨らませて、憤慨する。

 普通の人達なら、ドルマの物言いに対して、弱っている女性になんて言葉を叩きつけているんだと憤慨するだろう。

 だが、そこにはキツイ言葉を向けられた当人であるはずのリータには不満げに頬を膨らませているが、ドロドロした険悪な雰囲気は微塵もない。

 それはリータが、回りくどい上に口下手なドルマの真意を理解しているから。

 馬鹿にしたような態度でしか、頭ごなしの厳しい言葉でしか、誰かを気遣い、励ますことが出来ない彼の性根を理解しているから。

 健人とは形の違う、長い年月が積み上げてきた信頼だった。

 

「ねえドルマ、良かったのかな?」

 

「何がだ」

 

「ケントの事……」

 

 だからリータは、健人が居なくなった今、こうして自分の胸に抑えきれない弱音を、つい漏らしてしまった。

 ドルマも、伊達に彼女の幼馴染をやっていない。

 リータの苦悩を察しつつ、またこの旅の意義も十分すぎる程理解している。

 

「アイツはドラゴンを助けようとした。俺達を裏切ってな」

 

 ドルマは典型的なノルドである。

 頭が硬く、簡単に意見を曲げたりはしないが、同時に戦士として、何よりも友としての信義を示した者には、血の繋がりよりも強固な友誼を結ぶ。

 それは、同族からも距離を置かれるほど難儀な性格に育ってしまったドルマとて変わらない。

 でなければ、ホワイトランで同族のノルドに絡まれた健人を助けていないし、彼を馬鹿にした同族に対しても怒りを抱かなかっただろう。

 彼自身今にして思えば、ヘルゲンから脱出する際に、健人がストームクローク兵に殺されそうになったリータを命懸けで庇った時から、彼の事を心のどこかでは認めていたのだろう。

 だから尚の事、ドルマはドラゴンを庇った健人を許せなかった。

 ドルマにとっても、ティグナ夫妻は本当の父と母のような存在だった。

 そんな存在を奪ったドラゴンを庇った人間を、彼が許せるはずもない。

 だが逆に言えば、それ程の激しい怒りを抱くほど、ドルマは健人に期待していた。

 ドラゴンボーンとして、厳しい戦いに身を投じることを決めたリータを、自分と同じく支えてくれる存在になってくれるのではと。

 

(今更ながら、俺はあいつを認めていたんだろうな……)

 

 健人と別れてから半年。

 それだけの時間を空けたからこそ、ドルマも当時は気付かなかった己の心の内に気付くことが出来るようになっていた。

 

「でも、ケントの目は、変わっていなかったよ……」

 

「分かっているさ。いや、分かるようになった、だろうな」

 

 そして、少し冷静になれば、あのヌエヴギルドラールの洞窟で相対した健人の目が、ホワイトランで誓いを交わした時と何も変わっていない事に気付けるようになる。

 だが、既に健人は彼らの前からいなくなった。彼らが、その願いを拒絶したから。

 だからと言って、今更旅を止めることは出来ないし、ヌエヴギルドラールを庇った健人が、リータに余計な危険を招きかねない因子になる事は否定できない。

 

「だが、たとえアイツがドラゴンに操られていなくても、ドラゴンを助けるって事が、どれだけヤバイ事態を起こしかねないか、分かってんだろうが」

 

「…………」

 

「ドラゴンは残虐で、傲慢で、狡猾だ。ドラゴンに対する切り札であるお前を殺すために、アイツ自身が利用されかねないんだぞ?」

 

 リータはこの世界で唯一、不滅と言われるドラゴンの魂を吸収して、真に殺すことが出来る存在だ。

 当然ながら、ドラゴンに対する脅威としてこれ以上の存在はなく、何としても排除してくることが予想された。

 そこには当然、ドラゴンに気を許した健人が利用されて、リータが害される可能性もある。

 そう思えば、健人とリータを離すことが、ある種の最善の方法であることは疑いようがなかった。

 こう考えれば、最悪の場合、健人の殺害すらも脳裏に浮かんだドルマの考えを誰が否定できるだろうか。

 当時は怒りに任せて絶縁を叩きつけて殺そうとしたドルマであるが、時間が経って冷静になった今でも、リータから健人を離したことは決して間違いではなかったと思っている。

 

「うん、やっぱりドルマ、もうケントが昔の事を黙っていた事とかに怒っていないんだなって……」

 

「……お前、何言ってやがるんだ?」

 

「だって、前だったらケントの事、裏切り者ってしか言わなかったじゃない。今じゃ“アイツ”に戻ってるし。

それに、ケント自身が利用されかねないって、逆に言えば、健人を利用させたくないって事でしょ?」

 

「……今の話の趣旨はそこじゃねえだろ?」

 

「……違うの?」

 

「はあ、全く……」

 

 幼い頃からそうだが、リータは時折思考が明後日の方向に飛ぶ事がある。

 だが、リータの指摘が全て的外れかと言われると、そんな事もなかった。

 ドルマ自身も今気づいたことだが、過去を話そうとしなかった健人に対する不信感はかなり薄れてきていた。

 それは、健人のリータを守ろうとする意志に嘘偽りがない事に気付いていたことも大きいし、半年以上も顔を合わせていない事も大きい。

 人間は往々にして、燃えるような怒りを持続させることは難しい。

 何らかの要因が無ければ、たとえ本人は内心では許すことが出来なくても、心のどこかである程度は折り合いをつけるのが常なのだ。

 とはいえ、たとえ自分自身で気付いたとしても、ドルマがそれを簡単に言葉にして認めるかと言うと、そんな事は無い。

 たとえ想いを寄せる幼馴染でも……いや、だからこそ、彼は素直になれない。

 仲間として、友として認めていたとしても、恋敵としては話は別なのだ。

 

「ふん、あのひ弱で情けない顔を見なくなったから、そう感じただけだろ。

どちらにしろ、アイツとお前の道は分かれたんだ。置いてきた奴のことを一々気にしてんじゃねえよ」

 

 リータが手に持っていた本をその辺テーブルの上に放り捨てると、ドルマは先を急ぐようにアルケイナエウムの奥へと進み始めた。

 刺々しい幼馴染の言葉。

 だが、この心ないようにも聞こえる遠慮のかけらもない言葉だけが、ドラゴンボーンとして常に気を張り詰め、数多のドラゴンの魂を取り込んできたリータにとって、唯一帰る場所を思い起こさせてくれるものだった。

 人間が怒りを持続させることは難しい。

 なぜなら怒りとは、強烈なストレスに対する防御機能であり、そのような状況から脱すれば、自然と治まるようになっている。

 だが、そのような高ストレス環境下に持続的に置かれた場合は話が別になる。

 逃れることのできない環境に置かれた人間は精神的、肉体的に変化を強要され、様々な反応を示す。

 それは、ドラゴンボーンであるリータも同じだ。

 ドラゴンを殺す事を決意して戦い続けた彼女は、既に宿屋のポンコツ店員ではなく、タムリエル大陸の中でも最上位の戦士へと成長し、シャウトという強力無比な力すら身に着けた。

 だが、ドラゴンボーンとして肉体や技量を急激に身に付けたとしても、精神は別だ。

 彼女の強力なシャウトは例外なく怒りからもたらされるものであり、強烈な怒りは確かに復讐の対象たるドラゴンを屠るほどの力を彼女に与えたが、同時に彼女自身の心を蝕み、疲弊させていった。

 そして、守るべき家族であった健人と決別した事が、さらに彼女の心に大きな傷を穿ってしまっている。

 さらには、その決別の切っ掛けとなったヌエヴギルドラールとよく似たパーサーナックスとの出会いと、そこから芽生えた不信感と動揺。

 ドラゴンは人間の敵であるという思いを否定するような存在と再び出会い、揺らぎ始めたリータの信念は、かの竜の過去を知り、更に大きく揺らいでしまっていた。

 

「ねえ、ドルマ。私が……」

 

 もしも、旅を止めたいと言ったらどう思う?

 足元が崩れ、道に迷い、見えない闇の中を歩いているような不安感から、リータはついそんな言葉を漏らしそうになってしまう。

 リータは今自分が言いそうになった言葉に驚愕し、全力で口を噤む。

 それだけは出来ない。それだけは許されない。

 家族の想いを踏みにじっても、ドラゴンボーンとしての使命を全うすると一度決めたはずだと、リータは自分自身に今一度言い聞かせる。

 もはや引き返す道などない。自ら、その道を閉ざしたのだと。

 そう思い込もうとするリータだが、それでも心の奥底では、あのヘルゲンで両親や健人、ドルマと一緒に過ごしていた、幸せだった時の光景が過っていた。

 

“アーフ、アーフ……!”(おのれ、おのれ……!“

 

“クリィ、クリィ……!”(殺す、殺す……!)

 

「っ……」

 

 だが、思い返された光景も、直ぐに霞の奥底に隠れてしまう。

 代わりに、耳に響くのは怨嗟の声。

 取り込まれ、知識を吸い出されてすり潰されたドラゴン達が叫ぶ、憎しみの囁き。

 

「……どうかしたか?」

 

「ううん、何でもない」

 

 五月蠅い、黙れ。

 耳の奥底から響くドラゴンたちの怨嗟を、それ以上の怒りで塗りつぶしながら、リータはドルマの背中を追う。

 猛り狂う憎しみと怒りに震えながらも、硬く、凍り付いた心のまま。

 この後、彼女たちは星霜の書に関する研究を行っていたセプティマス・シグナスという男の存在を知り、彼を追って二人で、ウィンターホールド北の氷原を目指すことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 リータとドルマがウィンターホールド大学で星霜の書に関する情報を集めている時、デルフィンは宿屋の一室で、盗賊ギルドの構成員が持ってきた情報を精査していた。

 帝国軍やストームクローク、そしてサルモールの動きから、ドラゴンの襲撃情報。

 そして、アルドゥインの動向について。

 一年近い旅の中で、盗賊ギルドの連絡員から集積した情報は既にかなりの量になっており、最近はドラゴンの動きも活発になってきていた。

 デルフィンの隣にはエズバーンもおり、彼もラットウェイやスカイヘブン聖堂から持ち出した資料やメモを纏めている。

 

「デルフィン、パーサーナックスの真実を知ったドラゴンボーンは、相当動揺していたみたいだが……」

 

 ページを捲る以外の音がない部屋の中に、唐突にエズバーンの声が響いた。

 デルフィンがチラリと自分の横に目を向ければ、手を止めたエズバーンが彼女を見つめている。

 

「無理もないわね。でも、心のどこかで納得はしていたはずよ。彼女はドラゴンの残虐さを、その目でしっかりと見てきた人間ですもの」

 

「グレイビアードがパーサーナックスの過去を話していない事も、私達にとっては好都合だが……よかったのか? これで」

 

「どういう意味?」

 

 どこか迷いを抱えているようなエズバーンの口調に、デルフィンもまた手を止めて、彼に向き直る。

 

「パーサーナックスは確かに死ぬべきだ。私もそう思う。だが、曲がりなりにもそれなりに信頼してくれるドラゴンボーンに対して、その虚を突くような形になったのは……」

 

「エズバーン、私達はブレイズよ。ドラゴンを狩るべく生まれたドラゴンボーンを守り、その道の先駆けとなるべき存在。迷いは自分達、ひいては、私達が守るべき人達の死に繋がるわ。大戦の時がそうだったでしょう……」

 

 エズバーンの言葉を遮るように、デルフィンが言葉を重ねる。

 大戦中、サルモールと血で血を洗う戦いを繰り広げたブレイズ。

 その一員であった彼女やエズバーンの脳裏にも、その時の悲惨な光景は未だに焼き付いている。

 

「でも……そうね。貴方の言う通り、少し卑怯だとは私も思うわ。今はアルドゥインに集中するべきで、パーサーナックスの事は後でもどうにかなる。

 でも、結局最後は殺し合うことにあるでしょうし、ここに来るまでに死んだ仲間達の為にも私達は引き下がれない。そしてドラゴンボーンが私達に協力してくれる今、この機会を逃す手はないわ」

 

 パーサーナックスはグレイビアードだけでなく、歴代の皇帝が秘密裏に保護してきたドラゴンであるが、その血塗られた過去と内に秘めた危険性から、ブレイズは常にかのドラゴンを討伐する機会を窺っていた。

 アルドゥインという最悪の脅威を討伐する事が最優先なのは変わらないが、二百年間失われていたドラゴンボーンという存在意義が戻ってきた今、パーサーナックスの討伐も考えるべきだとデルフィンは思っている。

 アルドゥインの討伐と、パーサーナックスの排除。それは正しく、ブレイズが長年成し遂げられなかった悲願でもあった。

 勿論、デルフィンもエズバーンも、パーサーナックスの功績は認めている。

 あの老竜が齎したスゥームが、非力な人類が竜戦争に勝利するための一因になった事も。

 だが、それでパーサーナックスの罪が消えるわけではない。

 今は大人しくしているが、その名と過去が持つ宿業は消えず、何時またその残虐な本性を曝け出すか分からない。

 そして、その宿業を絶つためにも、かの老竜は殺すべきだというのが、ブレイズ達の考えであり、同時に“ドラゴンは信用できない”というこの世界の常識に則った、極めて当たり前の考えだった。

 

「……そうだな。ブレイズの前身たるドラゴンスレイヤー達がこの大陸に来た時から、いや、パーサーナックスがドラゴンとして生まれた時から、既に交わる余地などなかったのかもしれんな」

 

 そうして二人は押し黙ると、再び情報の整理に戻った。

 精査すべき情報は沢山ある。

 だが、その中で、デルフィンは奇妙な情報を見つけた。

 その情報に目を通した彼女の目に、困惑と疑念の色が浮かんだ。

 

「どうしたデルフィン、難しい顔をして」

 

「……ウィンドヘルムがドラゴンに襲われたらしいわ。ドラゴンの名前はヴィントゥルース」

 

「ヴィントゥルース!? 竜戦争時に名が出てくる極めて強力なドラゴンだな。

 ウィンドヘルムは……壊滅しただろうな」

 

 ヴィントゥルースの名に、エズバーンが難しい表情を浮かべた。

 このドラゴンは、ブレイズの資料の中にも記されていたドラゴンであり、竜戦争の頃に殺された極めて強力な力を持つドラゴンのはずだった。

 そのドラゴンが本当にウィンドヘルムを襲ったのなら、ほぼ間違いなく、ヴィントゥルースはアルドゥインの手によって蘇らせられ、かの街を襲ったのだろう。

 ストームクロークの本拠地とも呼べるウィンドヘルムだが、ドラゴンに襲われて無事であるはずがない。

 エズバーンはウィンドヘルムがヘルゲンと同じように壊滅したと思い、痛ましそうに顔を伏せた。

 

「いえ、街自体の被害は大きいけど、壊滅はしていないわ。襲撃してきたドラゴンは撃退できたらしいし……」

 

 だが、デルフィンによれば、街は大きな被害こそ被ったものの、壊滅してはいないらしい。

 予想外の情報を耳にし、エズバーンの瞳が驚きに見開かれる。

 

「まさか……ヴィントゥルースは竜戦争時代のドラゴンだ。

 古代の英雄達が奇襲を行い、束になって掛かってようやく倒した伝説のドラゴンだぞ。

 いくらウルフリックがシャウトを使えたとしても、ドラゴンボーンではない彼が撃退できるはずは……」

 

「いえ、この情報によれば、撃退したのはウルフリックじゃない。カジートを連れた一人の放浪の戦士らしいわ」

 

「一人の戦士?」

 

 伝説のドラゴンを撃退したのは、ウルフリックのシャウトでも、ストームクロークの兵力でもなく、たった一人の人間である。

 エズバーンは、その事実をすぐに受け止める事が出来なかった。

 年老いた自分の耳が信じられず、思わず確かめるように聞き直してしまう。

「ええ、その戦士はこう呼ばれているらしいわ。ドラゴンボーン……って」

 

「馬鹿な……」

 

 だが、次にデルフィンの口から出た言葉は、さらなる驚愕をエズバーンに叩きつけてきた。

 ドラゴンボーン。

 それは、彼らが仕えるべき存在の名であるが、既に今代のドラゴンボーンは出現している。

 同じ時代に二人もドラゴンボーンが生まれるなどということは、非常に考え辛く、到底信じられなかった。

 

「そして奇妙な事に、この戦士はブレイズソードに酷似した曲剣を持っていたらしいわ」

 

 ブレイズが壊滅して以来、ブレイズソードの持ち主はほとんどいない。

 元々ブレイズソードはその性能の良さに反し、数が少ない。

 これはブレイズに所属する者しか渡されていなかったこともあるし、大戦でブレイズが壊滅した後、サルモールが執拗にブレイズを狩り立てた事も大きい。

 元々の担い手が数を減らし、さらに持っているだけでサルモールに目を付けられかねない事を考えれば、生き残ったブレイズも堂々と表立ってブレイズソードを腰に差すはずもない。

 

「……デルフィン、まさかと思うが、この戦士はお前の……」

 

「あり得ないわ。確かにケントは行方不明になっているけど、ドラゴンボーンなら今までに兆候があったはず。

 現に、途中まで同じ旅をしていた彼女が覚醒しているのだから、もしケントがドラゴンボーンであるなら同じように覚醒するか、旅の途中で見聞きしたシャウトを何らかの形で理解するなりしていたはず」

 

 ブレイズソードを携えた戦士。

 以前にデルフィンから弟子の存在を聞かされていたエズバーンが、思わず脳裏によぎった推測を口にしそうになるが、その前にデルフィンが否定の言葉を被せた。

 デルフィンが見ていた限り、健人がリータ達と旅をしている最中にドラゴン語を理解しているような様子は、微塵もなかった。

 同時に、健人がドラゴン語を理解していたとしても隠す理由がないし、そもそも健人本人もデルフィン相手に隠し事ができるような器用なタイプでもなかった。

 

「……他に情報は無いのか?」

 

「いえ、どうやらウィンドヘルムに潜入していた盗賊ギルド構成員がドラゴンの襲撃に巻き込まれたせいで死んだらしくて、確実な情報収集が困難な状況だったらしいわ」

 

 もしも本当にドラゴンボーンであるなら、確かめる必要がある。

 だが、情報を記した手紙の中には、ウィンドヘルムを救った戦士についてのそれ以上の情報はなかった。

 ドラゴンボーンであるか否かを最も確実に判断する方法は、ドラゴンの魂を吸収して滅することが出来るかどうかだ。

 だが、どうやら事の次第を直接見た盗賊ギルド構成員が戦闘に巻き込まれて死亡したせいで、情報の確度を上げる事が出来なかったらしい。

 

「倒した、殺した、という事ではなく、撃退と言っていたという事は、彼らはその戦士がドラゴンの魂を吸収している所は見ていないわけか……」

 

「でも、この戦士がドラゴンボーンだという話は、複数の街の人達が話していたらしいのよ。

 少なくとも、そう思えるだけの理由があるという事だと思うわ」

 

 件の人物が確実にドラゴンボーンとは言えない。

 だが、ウルフリックやストームクロークさえ手古摺ったドラゴンという最悪の獣を撃退できるだけの戦士であることは分かる。

 それは間違いなく、この世界で最高位に位置する戦士の証明であり、同時にドラゴンキラーとしてリータの名声を高めてきたデルフィンにとっては目の上のたん瘤となる存在だった。

 その戦士がどのような信義に基づいて戦う者であれ、その存在は調べる必要がある。

 

「デルフィンどうするつもりだ?」

 

「確かめるわ。エズバーンはここに残って。ドラゴンボーンとの繋ぎをお願い。

 でも、もう一人のドラゴンボーンと思われる戦士については、情報を伏せておいて。確実なことが言えないし、余計な情報を与えて混乱させる必要もないわ」

 

「わかった。ドラゴンボーンには上手く言っておく。正直、この極北の風は身に堪えるから、なるだけ早くして欲しいがな」

 

「ええ、分かっているわ」

 

 そう言って、デルフィンはフードを被ると、足早に宿屋を後にした。

 遅い春を迎えても肌に突き刺さるような寒気を浴びながら、彼女は件の戦士がいたウィンドヘルムを目指す。

 脳裏に浮かんだ、かつての弟子の姿をチラつかせながら。

 




直ぐにセプティマスの場面に跳びたかったのですが、どうしても書く必要がある内容だったために一話挟み込むことにしました。

リータ、聞かされていないパーサーナックスの過去を聞かされて動揺。
デルフィン、新しいドラゴンボーンの情報を掴む。

スカイリムをプレイした人なら噴飯もののクエストを思い起こさせる内容でした。


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第二話 地の底へのカギ

 セプティマス・シグナス。

 かつてウィンターホールド大学にて星霜の書について研究していた魔術師であり、そして混沌の海の氷原に向かい、行方不明になった人物。

 星霜の書の情報を求めてウィンターホールド大学を訪れたリータ達だが、肝心の星霜の書の在処についての情報は得られなかった。

 だが、ウィンターホールド大学の図書館を管理する人物からセプティマスの事を聞き、リータとドルマは件の人物を探すためにこうして氷原に赴いた。

 見つけたセプティマスは、氷原に掘られた穴の中におり、巨大な四角い金属の塊に向き合って奇声を上げながら何かをしていた。

 

「掘れよドゥーマー! はるけき彼方へ。お前の失われた未知なるものを知り、私はお前たちの深淵まで登る」

 

 セプティマスが向かい合っていた金属の塊の大きさは小屋ほどもある巨大な物で、そのほとんどが氷の下に埋没していた。

 唯一剥き出しの前面には円状のパーツが幾重にもはめ込まれており、その塊が持つ真鍮にも似た光沢と精緻な真円は、この金属があきらかにドゥーマーの手によって作られたものであることを窺わせた。

 

「貴方がセプティマス?星霜の書について詳しいと聞いた。本当?」

 

 手を大きく広げて奇声を上げるセプティマスに、リータが声をかける。

 

「星霜の書か、もちろんだ!

 だがここにはない。帝国が持って行って姿をくらませた。あるいはそう思っているだけなのかもしれん。彼らが見たものを持ってな。あるいは見たと思っていたものを持って。

 だが私には心当たりがある。忘れられたもの。没収されたもの。だが私には取りに行けない。かわいそうなセプティマスはな、何故なら手の届かないところに行ってしまったからだ」

 

「……何言っているんだ? このおっさん」

 

 意味不明な言葉を捲し立てるセプティマスに、ドルマが首を傾げた。

 己の研究に没頭した知識人の中には、己の頭の中に浮かんだ考えを無意識に口にしてしまうような者もいるが、このセプティマス程支離滅裂で言葉の意味を捉え辛い事を口走る者はそういない。

 

「で、星霜の書は何処にあるの?」

 

「この次元だ、ムンダス、タムリエル、相対的に言えば、すぐそばにある! 宇宙論的な尺度でいえばすべてが近隣にある!」

 

 下手に話を長引かせたら、肝心の情報が把握し辛くなる。

 そう判断したリータが早々に本題である星霜の書の在処について尋ねるが、肝心のセプティマスの返答は全くもって役に立たないものだった。

 誰も宇宙規模の話をしろと言っていない。

 リータは内心湧き上がる苛立ちにこめかみをヒクつかせる。

 彼女もこの氷洞に入った際にセプティマスの叫びを聞いた時から予感はしていたが、やはりこの人物との認識のズレは早々どうにかなるような物ではなさそうだった。

 

「星霜の書を手に入れるのに手を貸してくれるの? 貸してくれないの? はっきりして。時間がないのよ」

 

 とはいえ、いつまでもこの人物の無駄に壮大で理解しがたい演説を聞いている余裕は、リータには無かった。

 やや強い口調でセプティマスに言い寄ると、彼の瞳の焦点がようやくリータ達を捉えた。

 

「積み木はお互いを支えあっている。セプティマスはお前が欲しいものを与え、お前は私が欲するものを持ってくるのだ!

 このドゥーマーの傑作が見えるだろう? 彼らの偉大なる知識の深淵だ」

 

 セプティマスが指差すのは、この氷洞の中で一際目立つ、何かの箱と思われる金属の塊。

 その風貌が示す通り、やはりこの箱はドゥーマーが作り上げたらしい。

 

「セプティマスはこの箱を開けたい。だが箱を開けられるドゥーマーはもはやタムリエルには存在しない! いや、もしかしたら違う次元にいるのかもしれないが、愚かなセプティマスには彼らがどこに行ったのか知る術がない!」

 

 セプティマスの望みは、このドゥーマーの巨大な箱を開ける事。

 正確には、その奥にある物が欲しいらしい。

 それが何かとリータが尋ねると、セプティマスはギョロついた目を一際大きく見開きながら、更に早い口調で捲し立てる。

 

「心臓、そう、神の心臓だ! 既に失われたと言われていたが、私は違うと確信している!」

 

 神の心臓。

 リータには何の神の心臓なのか分からないが、この狂人のような人物が追い求めるものという事は、大概碌なものではないだろうと予測した。

 そして実際、この世界に存在した神の心臓は、彼女の予測通り相当危険なものだった。

 時の中に埋もれ、歴史の裏側へと消えていった存在。

 神の心臓。それは文字通り、かつてこの世界を作り上げた神の一柱、ロルカーンの心臓である。

 ロルカーン。

 ムンダス創造の発起人にして、アカトシュに並ぶ創生神。

 しかし、エイドラを騙し、彼らの魂をニルンに結びつけたことで、エイドラは不死ではなくなった。

 さらに、ロルカーンはかつては神々の領域であるエセリウムと繋がっていたエルフ達を、その精霊界から完全に切り離してしまった。

 エルフ達から見れば、絶対的な悪神であり、永遠の敵対者。

 しかし、エルフ達と敵対してきた古代の人間にとっては人類の守護神であり、英雄神でもあった。

 トリックスターであり、創生神であるこの神の神格を示す名は多い。

 ロルカーン、ロークハン、セプ、月神獣、失われた神、不在の神、人の神、試練の神、悪神、蛇神、運命の太鼓。

 その数多の呼び名の中で、ノルド達が呼ぶ名が“ショール”である。

 かつては人類の英雄神として、人の信仰を一身に受けていたロルカーン。

 しかし、第一紀に聖アレッシアとアカトシュが契約を結んでムンダスとオブリビオンの間に障壁を張ってデイドラを封じ込めた事で、人の信仰にアカトシュが入り込み、その重要性には陰りが出始めている。

 それは、彼が九大神に数えられていないことからも明らかだ。

 そして、最も重要な事は、このロルカーンの心臓は神々を騙した代償に抜き取られ、矢と共に放たれてこのタムリエルに落ちたと言われている事だ。

 だが、その心臓を見つけた者はいない。

 もしかしたら神の心臓の発見者はいるのかもしれないが、少なくともその存在は後世には伝わっていなかった。

 セプティマスは、その心臓を見つけたという。

 

「だがドゥーマーは星霜の書の読み方を残してくれた。読めば目が潰れてしまう書の読み方をな! ブラックリーチ、ドゥーマーの眠る街の上にある鋳造物、秘された知識に満ちた尖塔、ムザークの塔だ」

 

 もし本当にこのドゥーマーの箱の中に神の心臓があるのなら、セプティマスの興奮した様子も頷けるが、リータとしては本当の話なのか疑問を覚える話である。

 しかし、セプティマスはリータ達の様子など目に入らないのか、相も変わらず興奮した様子で自論を捲し立てている。

 あまりに早口で理解しきれないリータだが、重要な単語だけは拾うことが出来た。

 ブラックリーチ、そしてムザークの塔である。

 

「ブラックリーチのムザークの塔? そこはどこにあるの?」

 

「暗闇の底だ。アルフタンド、その底にある錠がかけられた境界を越えた先に、ブラックリーチはある」

 

 アルフタンド。

 そこが、ブラックリーチの入り口らしい。

 ようやく手がかりを得られたリータは、直ぐにでも向かおうと踵を返すが、セプティマスの声が彼女を止めた。

 

「これを持って行くのだ。ブラックリーチとアルフタンドの境界を開く錠、星霜の書が納められた深淵の鋳造物へと向かうための鍵だ」

 

 セプティマスが取り出したのは、相当古いものであることが伺える、奇妙な文様が施された球形の遺物だった。

 アチューンメント・スフィア。

 セプティマスの言葉から推測すれば、ドワーフの遺跡の深部にある、何らかの装置を起動させるための物らしい。

 

「それからこれもだ。ムザークの塔の鋳造物を動かすための物。鋳造物は塔にある空のドームを使い、星霜の書に記された知識を引き出し、この辞典に刻むこむための物だ。故に、鋳造物を動かすにはこの空の辞典が必要となる」

 

 セプティマスはもう一つ、別の遺物を手渡してきた。

 先程渡してきたアチューンメント・スフィアとは違い、四角い、小さな金庫か小物入れを連想させる品。

 セプティマスが言うには、これは中身が記されていない、空の辞典らしい。

 辞典という言葉に、リータは首を傾げる。

 彼女が連想する辞典とは書物の形態をとっている物だが、どう見ても知識を収めるような品には見えない。

 彼女の隣にいるドルマも、胡散臭そうな目でリータの手の中の小箱を見つめていた。

 

「空の辞典?」

 

「そうだ。私達にはそれは唯の四角い置物にしか見えないが、ドゥーマーにとって巨大な知識の図書館になりえる。星霜の書を手に入れるには、必要なものだ。

このセプティマスを信じろ。さすればお前は星霜の書を手に入れられる」

 

 しばらくの間、何度も手にある空の辞典とセプティマスに交互に視線を動かしていたリータだが、やがて仕方ないというように大きく溜息を吐くと、受け取ったアチューンメント・スフィアと空の辞典をしまった。

 星霜の書については、ほとんど情報がないのだ。

 他に確かな情報源もない。

 アルドゥインが配下のドラゴンを復活させ終われば、本格的に人間とドラゴンとの戦争が始まるだろう。

 古の竜戦争の再来だ。

 そうなれば、間違いなく多くの血が流れる。

 犠牲となる人の中に、リータに唯一残った家族が含まれるかもしれない。

 そうさせない為に、彼女は剣を取り、ドラゴンボーンとして生きると決めた。

 人を救い、竜を殺す定命の者の英雄として。

 唯一の家族の心を折り、拒絶してまで。

 ウィンターホールドで漏らしかけた弱い心を胸の奥深くに押し込めながら、リータは手がかりとなる品を受け取り、用は済んだと元来た道を帰り始める。

 セプティマスも既に件のドワーフの金庫の前に戻り、先程話をしていたリータの事など既に忘れたかのように、研究に没頭している。

 だがリータが氷洞の坂道を上り、入口の梯子に通じる通路の出口に差し掛かった時、それは唐突に彼女達の前に姿を現した。

 

「っ!?」

 

「リータ、どうし……何だ、あれは」

 

 目の前に現れた存在に気付いたリータが、目を見開く。

 突然立ち止まったリータに首をかしげたドルマもまた彼女が見つめる先に視線を移し、そしてその表情を曇らせた。

 彼らがこの穴へと入ってきた入り口。そこに黒い膿のような泡が溢れていた。

 浮かんでは消えていく泡の奥からは数本のどす黒い触手が生えている。

 明らかに尋常ならざる力が干渉してきた証。

 そしてその溢れる膿の奥から、心の臓を毒に浸そうとしてくるような、不気味な声が響いてきた。

 

「近くにこい、面前へ」

 

 明らかに人間とは思えぬ威圧感を伴った声に、ドルマの額から冷や汗が溢れ出る。

 ドルマとて、ここに来るまで幾度もの修羅場をくぐっている人間だ。

 唯の口だけの戦士が、リータのドラゴン殺しの旅に付いて行けるはずもない。

 だが、そんな彼がたった一言、自分に向けられてすらいない言葉を聞くだけで気圧されていた。

 それ程の存在感が、その深遠から響く声には込められていたのだ。

 一方、そんな圧力が秘められた声を向けられたリータは、黒檀の兜の奥で眉を顰めながらも、毅然と一歩、足を踏み出していた。

 

「……誰?」

 

「私は、ハルメアス・モラ。運命の王子であり、深遠なる知識の管理者である」

 

 ハルメアス・モラの名を聞いた瞬間、兜の下でリータは眉を顰めた。

 その名は、この世界に君臨するデイドラロードの一柱の名前。

 常人には到底抗う事のできない力を秘めた、星読みの王子にして禁断の知識を司る者の名前である。

 

「……何の用?」

 

 なぜ、デイドラロードがこんなタイミングで接触してきたのだろうか。

 脳裏に浮かぶ疑問の答えを探して視線を巡らせたリータの視界の端に、先程まで話をしていたセプティマスが映った。

 ハルメアス・モラは数多の知識を有し、対価を払った者にその禁断の知識を分け与えるが、大抵の人間はその知識に飲まれ、狂人になってしまうという。

 先ほど話をしていたセプティマスの様子は、明らかに常軌を逸していた。

 そんなセプティマスの狂気の理由が、ハルメアス・モラと取引をしたことであるのなら、説明が付く。

 

「お前はセプティマスと接触した。彼は私の配下であり、信徒である。彼が探し求める知識は私への供物でもあるが、その知識を手に入れる手助けをするであろうお前にも、話をしておかなければと思ってな……」

 

 リータの推測を読み取ったのか、彼女の思考を肯定する発言がデイドラロードからもたらされた。

 話をしに来たというハルメアス・モラに、リータは額に寄った皺をさらに深くする。

 

「挨拶? デイドラロードが態々そんなことをするなんて、ずいぶん暇なのかしら?」

 

「いや、そうでもない。セプティマスは彼の興味を優先し、私は私の興味を優先している。そしてお前も、お前の求めることを優先している。互いの利害が一致するなら、悪い話ではないし、お前が自分の使命を全うするには必要な事だ。ドラゴンを殲滅するというな……」

 

 ドラゴンの殲滅という言葉を耳にして、リータの青い瞳が僅かに窄められた。

 彼女の全身から、剣呑な覇気が溢れ出す。

 だがハルメアス・モラは敏感に気付いていた。高まる警戒心の隙間から覗くリータの瞳の奥に、僅かな興味が走ったことを。

 

「リータ、聞くな! こいつは……」

 

 明らかに何らかの取引を持ち掛けようとしているハルメアス・モラに、ドルマが二人の間に割り込もうとする。

 ドルマとて、ドラゴン殲滅には賛成だ。

 だが、デイドラロードとの取引など、ロクなものではない。

 現に彼らは、ハルメアス・モラと取引をしたセプティマスという実例を見てしまっている。

 あの明らかに常軌を逸した狂人と同じようにリータがされるなど、ドルマが受け入れられるはずもない。

 

「少し黙れ、定命の者よ。我は今、ドラゴンボーンと話をしているのだ」

 

 だが、二人の間に割り込むには、ドルマはあまりにもあまりにも役者不足だった。

 のたうつ濃緑色の触手が、割り込もうとしたドルマの喉に絡みつき、強烈な力で締め上げはじめる。

 

「グッ、がぁ……!」

 

 万力で締め付けられたような痛みが喉に走り、ドルマは思わず地面に膝をついた。

 突然苦しみ始めたドルマに、リータが慌てて駆け寄る。

 

「ドルマ!? この、止めなさい!」

 

 リータが腰の黒檀の片手剣を引き抜いて、ドルマの喉に絡みついた触手に振り下ろす。

 だが、リータの刃が触手を切り裂く前に、ハルメアス・モラは素早くドルマの喉に絡みつけた触手を引っ込めた。

 

「そう声を荒げるな、ドラゴンボーンよ。分を弁えぬ愚か者に、警告しただけだ」

 

「が、はあ、はあ……ぐ」

 

「ドルマ、大丈夫!?」

 

 声を荒げるリータだが、ハルメアス・モラはまるで“咆える犬を躾けたのだ”というような軽い口調の言葉を返すだけ。

 荒い呼吸を繰り返すドルマの背中をさすりながら、リータはハルメアス・モラを睨み付ける。

 

「さて、こうしてお前の前に現れたのは、お前に契約を持ちかけるためだ。

 お前はアルドゥインを倒すための力を欲している。

 ドラゴンレンドがそうだが、それだけではアルドゥインに勝てる保証はない。そうでなければ、星霜の書は使われなかった。

 故に、セプティマスに協力し、私が欲する知識を私に差し出すなら……ドラゴンレンド以上の、さらなる力をお前に与えてやろう。どうだ?」

 

 先程リータが抱いた力への興味を見抜いているからこそ、ハルメアス・モラはここぞとばかりに彼女の力への渇望を刺激するような言葉を掛ける。

 ドラゴンレンド以上の力。

 リータの内にあるドラゴンの本能。力への欲求が鎌首をもたげ、麻薬にも似た強烈な渇望が湧き上がる。

 

「……お断りよ。消えなさい」

 

 だがそれ以上に、幼馴染を傷付けたハルメアス・モラに対する怒りが上回った。

 自分の身内を傷付けたハルメアス・モラへの怒りは湧き上がる力への興味を容易く塗りつぶし、ハルメアス・モラの神意を撥ね退ける。

 

「ほう? 意外だな。先程は我の話に興味を持ったと思ったのだが……。

弟を守るために修羅となったにしては、刹那の時しか生きられない定命の者が随分と悠長なことだ」

 

「……その無駄口を閉じなさい!」

 

 言うが早いか、リータは背中の両手斧の柄を掴み、目の前の深淵めがけて振り下ろした。

 唸り声にも似た風切り音を伴って振り下ろされた黒檀の両手斧が、ハルメアス・モラの深淵を両断する。

 轟音が氷洞の中に響き、泥沼にも似た深淵は、弾けるように四方へ飛び散った。

 

「ふふ、心地よい憤怒だ。その意思の強さ、我が勇者を思い起こさせる……」

 

 だが、所詮リータ達の前に現れた深淵は、ハルメアス・モラがニルンに干渉するための端末でしかない。

 刃を振り下ろされて現身を砕かれても、ハルメアス・モラは不機嫌になるどころか、むしろ痛快と言った様子でその粘着質な声を上ずらせていた。

 

「我が、勇者?」

 

「ふむ、この様子では契約は無理か。まあ、いいだろう。いずれ我が勇者との道は交差する。その時を楽しみにしておこう……」

 

 一方、リータはハルメアス・モラの“我が勇者”という言葉が頭に引っ掛かっていたが、問い詰める前に、砕かれたハルメアス・モラの現身は意味深な言葉を残し、霧のように霧散してしまった。

 

「何なの、一体……」

 

 リータが思わず漏らした呟きは、冷たい氷洞の中に響いて消えていく。

 その疑問に答えられるものは、ここには誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的の人物との邂逅を終えたハルメアス・モラは、オブリビオンの己の領域で、分け身を粉砕したリータを覗き見ながら、己の思考を巡らせていた。

 

「さて、我が勇者の姉との邂逅は済んだ。中々に興味深いが……あの様子では、な……」

 

 エルダースクロールの予言に記された、世界を食らう者と相対する運命を背負った戦士。この時代に生まれるべくして生まれた正当なドラゴンボーン。

 彼が目をかけ、同時に反旗を翻した異端のドラゴンボーンとは違う、本当の意味でこの世界からの祝福を受けた寵児を前に、ハルメアス・モラは内心喜びながらも、同時に少し物足りなさを感じていた。

 確かに強い。

 単純な戦士として、そしてドラゴンボーンとして、数多の竜を食らったリータの力はハルメアス・モラから見ても、伝説の竜の血脈として恥じないものだろう。

 だが、この後彼女に待ち受ける“異端のドラゴンボーン”との邂逅を考えると、彼女はまだ尖り切れていない。

 それでは、ダメなのだ。

 既に彼が予見した流れから、逸脱し始めている時の流れの中で踊ってもらうには。

 

「時を震わせるための要素は既にそのほとんどが揃った。だが、まだ足りぬか……」

 

 少し、テコ入れをする必要がある。

 そう感じているハルメアス・モラだが、生憎と今の彼には現世に干渉するための黒の書は大きく数を減らしてしまった事で、現世への介入が難しい状態だった。

 それに、アポクリファもまだ少し不安定であり、現世への干渉がしづらい状態だ。

 実のところ、端末一つ送るのも一苦労だったりする。

 どこぞの誰かが大暴れしたせいで、アポクリファを構築していた領域の一つが、完全に破壊され、ハルメアス・モラも砕かれた肉体を急速に再構築したことが原因だ。

 モラ本人は大層満足していたが、彼以外のアポクリファにいるデイドラはそうではない。

 白日夢の領域を失ったことで混乱したアポクリファでは、彼の部下達がてんやわんやの状態である。

 

「ブラックリーチか。確かあそこには……なるほど、既に用済みになるかと思っていたが、より有効な使い道が出来たか……。黒の書は我が勇者の手で消されたが、あの書の代わりになりそうなものはもう一つある」

 

 しかし、全く手がないかと言われると、そんな事もない。

 そして、その手段を担う存在も、彼の目の前にいる。

 

「セプティマス、我が信徒よ」

 

 リータ達が氷洞から出ていくのを確かめた後、ハルメアス・モラは己の信徒に声を掛ける。

 このドワーフの遺物を見つけてから、ハルメアス・モラはこの知識と好奇心に囚われた男に声を掛けていなかった。

 それはハルメアス・モラ自身がセプティマスに興味を無くしていたから。

 だが、この男に新たな利用価値が生まれたというのなら、話は別である。

 

「おお! 我が主よ、この白痴のセプティマスに知識を! 神の心臓を手に入れるための知恵を授けて下され!」

 

 一方、セプティマスはようやく聞けた主の声に、歓喜と狂気に満ちた声を上げた。

 ハルメアス・モラにとってセプティマスは唯の道具だが、セプティマスにとってはこの世の知識全てを授けてくれる偉大な存在にして、唯一信じる神であった。

 

「敬虔なるお前に、知識を授けてやろう。だが、知識には対価が必要だ」

 

「もちろん、心得ております。このセプティマス、貴方様が求めるなら、女子供でも贄として捧げる所存です!」

 

 知識の悪魔に魅入られたセプティマスは、とっくの昔にまともな倫理観など捨てきっていた。

 ハルメアス・モラが願うなら、彼は喜んで女も子供も手にかけ、その心臓を笑いながら抉り出すだろう。

 深々と頭を垂れたセプティマスの前に、一冊の書物が現れる。

 それは縫い合わせた人の革を表紙に使い、作られた書物。

 遥かな昔、エルフのとある魔術師にハルメアス・モラ自身が作らせた、黒の書とは違う形で生まれたアーティファクト。

 オグマ・インフィニウム。

 オブリビオンゲートとしての機能は無いが、表紙を開いた者に望む力を与える禁断の書である。

 

「これに我が示す言葉を刻み、ブラックリーチへと向かうのだ。そこで、己の務めを果たせば、お前が求める神の心臓についての知識を授けてやろう」

 

「はは~! 偉大なる我が主よ。このセプティマス、必ずや貴方様の求めに堪えて見せましょう!」

 

「ふふ、期待しているぞ……。さて、我が勇者が齎す未知は、この度はどのような物であろうか……」

 

 神の心臓が“既に失われている”とは知らず、思うが儘に動く手駒の言葉を聞き、ハルメアス・モラは満足そうな声を響かせる。

 確かに、今代のドラゴンボーンは興味があるが、今のハルメアス・モラには彼女の存在はそれほど重要ではない。

 彼が最も注目しているのは、ハルメアス・モラ自身が“我が勇者”と呼ぶ存在。坂上健人である。

 リータに干渉するのも、健人が見せるであろう未知なる未来を知りたい、あわよくば、自分も関わりたいという彼の好奇心が齎した行動だった。

 健人が見せたシャウト、ハウリングソウル。

 それが齎すかもしれない未知なる未来に、ハルメアス・モラは完全に魅入られていた。

 知識で人を誘惑してきたデイドラロードが、弄んできたはずの一人の人間に魅入られる。

 自らの不可思議さに笑いながらも、ハルメアス・モラは深淵の底で、その時が来るのを楽しみに待っていた。

 





ロルカーン

ムンダス創造の発起人にして、数多の神々を騙して“創造”の儀式を行った神。
騙された神々は魂をニルンに繋ぎ留められ、不死を奪われた。
その報復として彼は心臓を抜き取られ、抜き取られた心臓は矢に番えられて天高く放たれたらしい。
その心臓が落ちたのが、モロウウィンドにあるタムリエル最大の火山、レッドマウンテンである。
非常に多くの名を持ち、この世界のあらゆる神話の中に必ず登場する二柱の内の一柱。
ロルカーン、ロークハン、不在の神、セプ、運命の太鼓などの多数の名を持つが、その中でのノルド達の呼び名が“ショール”であり、彼の領域こそが“ソブンガルデ”である。



神の心臓
前記のロルカーンの心臓そのものであり、極めて強大な力をもっていた。
具体的には、この心臓の力を受けた定命の者が、デイドラロードの一角を真正面からボコれるほど。
タムリエルの歴史に非常に大きな影響を及ぼした存在であり、TESⅢにおける最重要の遺物である。



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第三話 底知れぬ氷穴への入口

いつも感想、誤字報告ありがとうございます。
少し遅れましたが、第三話を投稿します。


 ウィンターホールドに戻ったリータとドルマは、同じくウィンドヘルムから帰って来ていたデルフィンと合流し、アルフタンドへ向かった。

 アルフタンドはウィンターホールドの南の街道を南東に進み、アンソール山の北を通った先にある大氷河の只中にあった。

 氷に包まれた山肌や突き出す氷柱、刻まれたクレバスに道を遮られながらも、リータ達は目的の遺跡に到着した。

 そこには氷に覆われた地面の中から、白亜と真鍮色の塔が複数突き出ている。

 明らかにドゥーマーの建造物と思われるものを目にし、目的地に到着したことを確信したリータ達だが、いざ遺跡に近づいてみると、彼らの目に妙な物が目に飛び込んできた。

 木で作られた小屋と、布製のテント。

 遺跡近くの氷河には木製の足場が組まれ、遺跡の奥へ続く道が掘られている。

 小屋とテントは既に崩れ、その用を為せなくなってはいるものの、それは明らかに、最近まで誰かがこの遺跡にいた証拠であった。

 

「これは……」

 

「どこかの墓荒らしが先に来ていたみたいね。見たところ、帝国の物みたいだけど……」

 

 デルフィンが足元の雪を蹴り飛ばすと、帝国の紋章が描かれた盾が出てきた。

 ストームクロークの勢力下であるアルフタンドに帝国の部隊が来ていることに、リータ達は驚く。

 とはいえ、小屋やテントの数を見れば、来ていた人間はそう多くはない。

 ここにいた人間は、おそらく十人前後だろうというのが、デルフィンの予想だった。

 

「彼らの目的は分からないけど、用心しましょう」

 

 デルフィンの言葉に頷きながら、リータ達は足場を通り、氷河に穿たれた穴から、アルフタンドの遺跡の奥を目指す。

 この穴は明らかに遺跡に元々あった穴ではなく、後から掘られたもののようだった。

 地表部分に目立った入り口は見当たらない事から、リータ達はここから遺跡の奥を目指すことに決めた。

 リータ、ドルマが穴の奥へと進み、デルフィン達が後に続く。

 だが、デルフィンがいざ入口を潜ろうとしたその時、一番後ろにいたエズバーンが前の二人に聞こえないほどの小さな声で、デルフィンに問いかけてきた。

 

「デルフィン、調べていた事は分かったのか?」

 

「ええ、ウィンドヘルムでドラゴンを撃退したのは、私の弟子で間違いなさそうよ。

 身に付けた装具はまるで違うけど、黒い髪やどの人族にも当てはまらない容姿とかの特徴がほぼ一致していたわ」

 

 チラリと先に進んだリータ達が戻ってきていないことを確認したデルフィンが、エズバーンの問い掛けに答える。

 デルフィンがウィンドヘルムでドラゴンを退けた戦士について調べた結果は、その人物は健人に間違いないというものだった。

 健人の容貌は、アジア系の顔立ちが皆無なスカイリムでは非常に目立つ。

 顔の特徴から健人本人を特定することは、そう難しいことではなかった。

 

「そうか……。ドラゴンボーンかどうかについてはどうなのだ?」

 

「ドラゴンの魂は取り込んでいないから、確証が取れたわけじゃない。ただ、複数のシャウトを使っていたという目撃情報が複数あったし、ドラゴンを倒した戦士本人が、自分がドラゴンボーンだと宣言していたそうよ」

 

 ドラゴンソウルを吸収していなかったとしても、複数のシャウトを使い分けていたのが真実なら、健人がドラゴンボーンであることは、ほぼ確定だとデルフィンは考えていた。

 そして、それはエズバーンも同じである。

 シャウトは強力な魔法ではあるが、人間が身に着けるには、才ある者でも長い年月を必要とする。

 半年前までシャウトなど全く使えなかった健人が、複数のシャウトを身に着けたというのが真実であるなら、それこそが彼がドラゴンボーンであることの証明と言えた。

 

「なるほど、もしそれが本当なら、ほぼ確実にドラゴンボーンだろうな……それで、どうするのだ?」

 

 確かめるようなエズバーンの言葉に、デルフィンが一瞬だけだが、眉をひそめた。

 

「……何も変わらないわ。私達に協力するなら良し。しないのなら放置。立ちふさがるなら……排除するわ」

 

「……出来るのか?」

 

「戦いの様子を聞く限り、相当な力を身につけているわ。それこそ、私達のドラゴンボーンと同等ぐらいには。でも、彼は私の教え子よ。なら、手はあるわ」

 

 エズバーンの言葉を一蹴するデルフィンだが、それでも老人の顔には隠し切れない不安の色が漂っていた。

 彼らブレイズにとって、ドラゴンボーンは仕えるべき主であるが、それは彼らブレイズの存在意義が“ドラゴンボーンに仕える事が最良”と判断しているからだ。

 そして、エズバーン達が定めているブレイズの存在意義は“ドラゴンを殺し、殲滅すること”である。

 そしてその存在意義こそが、彼らをアルドゥインという脅威に立ち向かわせる原動力であり、同時に彼らをドラゴン殲滅という妄執へと駆り立てる元凶でもあった。

 地位も名誉も誇りも、何もかも無くした彼らが唯一縋れるもの。それが、自分達ブレイズがドラゴンキラーの末裔であるという矜持だった。

 もちろん、デルフィンも最初から、ドラゴン殲滅を存在意義としていたわけではない。

 大戦終結から十年程までは、仲間達を虐殺し、自分達の全てを奪い取ったサルモールへの憎悪の方が、彼女を生かす力になっていただろう。

 だが、人は怒りを持続させることは難しい。

 そして、例え鋼の心で怒りを持続させたとしても、時の流れは残酷だ。

 身を焼く程の憎悪も、時間が過ぎていく内に、その堅固な心と共に摩耗していく。

 そして、人は年老いていくと、こう考えるようになる。“自分の人生に意味はあったのか?生かされた自分達は、何か意味のある存在だったのか?”と。

 そんな時、あの事件が起きた。

 アルドゥインの帰還とヘルゲンの崩壊、ドラゴン達の復活とドラゴンボーンの再臨。

 その事実が、ブレイズ達にドラゴンキラーとしての本質を取り戻させ、同時に枯れ木となっていた彼らの心に、再び炎を灯した。

 枯れ木の心は“己の存在意義”という、求めるにはあまりにも重い枷を掛けられながらも燃え上がり、彼らを妄執へと突き進ませ続ける。

 

「それに、英雄を殺すのは、伝説の竜じゃない。いつだって、私達のような影に生きる者よ」

 

 だからこそ、彼らはその妄執の奥底にある、自分達が戦う本当の理由に気付けないでいた。

 そして、話に集中し過ぎていた彼らに、もう一つ、不測の事態が訪れてしまう。

 

「どういう事だ?」

 

 先に進んでいたはずのドルマが戻ってきて、問い詰めるような視線をデルフィン達に向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デルフィン達がもう一人のドラゴンボーンの存在に注視している一方、リータとドルマはハルメアス・モラが漏らしていた“我が勇者”という言葉が気にかかっていた。

 氷穴の道を先に進んでいたリータが、おもむろにドルマに問いかける。

 

「ねえドルマ、あのハルメアス・モラが言っていた“我が勇者”って、一体誰なのかな……?」

 

「さあ、見当もつかない。だが、あの邪神の配下という事は、ロクでもない輩だろうな」

 

「そう、だよね……」

 

 デイドラロード、ハルメアス・モラ。

 デイドラ十六柱の中でも特に邪悪とされる四柱には数えられていないものの、九大神を信仰する者達の中では、デイドラロードは総じて邪悪な存在とされている。

 そして、現実にそのデイドラロードと言葉を交わした二人も、ハルメアス・モラに対しては九大神を信奉する者達が抱く感情と同じく、潜在的に邪悪なものであるという印象を抱いていた。

 セプティマスの氷洞の中でのやり取りの間、ハルメアス・モラは常にこちらを見透かすような気配を醸し出し、話をしている間の二人は、まるで寄生虫に体を痛みなく蝕まれているような不気味さを覚えていた。

 同時に、それほどの存在であるハルメアス・モラが態々“我が勇者”などと強調している存在がいる事にも、二人は強い警戒感を抱いていた。

 

「……今は、星霜の書を手に入れる事だけに集中しろ。これから先、ドワーフの遺跡に潜るんだ。余計な事に気を取られていると、取り返しのつかないことになる」

 

「うん……」

 

 だが、ドルマはハルメアス・モラに対する警戒は一旦置いておき、目の前の問題に注力すべきとリータに言い含めた。

 ドワーフの遺跡には数千年の歳月を経ても稼働している罠や警備の機械人形が存在し、総じて危険な遺跡と認識されている。

 これからリータ達は、その遺跡の深部へと潜らなければならないのだ。

 しばらく二人が進むと、最近誰かが来たと思われる痕跡を見つけた。

 それらは遺跡の入口にあったテントや小屋を建てた者達の物と思われ、周囲には燃え尽きた焚火の跡や鍋、食料、寝袋などが散乱している。

 

「上の奴らが、ここに来てキャンプを張ったのか?」

 

「多分……。天気が悪くなって避難してきたのかな?」

 

「おそらくな……」

 

 二人はとりあえず、この広間に残された品を確かめ始めた。

 先に遺跡に潜った者達がどんな存在であるか確認したかったし、これから先に進む遺跡についても、何らかの情報が残っているかもしれないと思ったからだ。

 そうして調べ始めた二人は、しばらくして一冊の手帳を見つけた。

 その手帳は日記であり、この遺跡を見つけた調査隊や、この遺跡を探していた目的について書かれていた。

 

「どうやら、調査隊のリーダーの日記らしいな。調査隊はやっぱり帝国の部隊で、主要な人員は全部で七人。他にも多少労働員を雇っていたようだが、随分と少ない……」

 

「スラ、ウマナ、ヴァリエ、エンドラスト、ヤグ、ジダール、ジェイ……人種も年齢も職種もバラバラ……」

 

 手帳には、遺跡調査中に嵐に襲われ、急いで今リータ達が通ってきた穴を掘り、荷物を持って避難したことが書かれていた。

 だが、逃げる過程で氷河が崩れたり、耐えきれなくなって飛び出した労働員が風に吹き飛ばされたりと、少なくない犠牲者が出たようだった。

 また、この調査隊はデルフィンが予想した通り帝国の部隊で、どうやら調査隊の隊長は名声目的でこの遺跡に来たようだった。

 ストームクローク勢力下に、名声目的で態々少人数の人員で来る辺り、この部隊長は相当権力意識が強いことが察せられる。

 だが、肝心の遺跡については何の情報も書かれていなかった。

 手帳を調べた後、リータとドルマはとりあえず、他に残されていた遺品にアルフタンドについての情報がないか調べることにした。

 だが、遺品を調査し始めてから五分程経ったところで、ドルマはまだデルフィン達が追い付いてこないことに気付いた。

 

「……それにしても、あいつら遅いな。リータ、少しこの場所を調べてくれ。俺は戻って、ブレイズの奴らを呼んでくる」

 

「うん」

 

 とりあえず遺品の確認をリータに任せ、ドルマはデルフィン達を呼びに元来た道を戻り始める。

 遺跡に入ってから時間はそれほど経っていない。

 デルフィン達のいる場所に戻るのはすぐだった。

 だがそこで、ドルマは信じられない会話を耳にすることになる。

 

「なるほど、もしそれが本当なら、ほぼ確実にドラゴンボーンだろうな……それで、どうするのだ?」

 

「……何も変わらないわ。私達に協力するなら良し。しないのなら放置。立ちふさがるなら……排除するわ」

 

(ドラゴンボーン? 一体何の事だ?)

 

 図らずも聞いてしまったエズバーンとデルフィンの会話。

 その中に出てきたドラゴンボーンと言う言葉に、ドルマは思わず壁の影に身を隠して、聞き耳を立ててしまう。

 ドラゴンボーンとはリータの事であるが、先ほどからドルマの耳に聞こえてくる二人の会話は、明らかに第三者の事を語っていた。

 

「……出来るのか?」

 

「戦いの様子を聞く限り、相当な力を身につけているわ。それこそ、私達のドラゴンボーンと同等ぐらいには。でも、彼は私の教え子よ。なら、手はあるわ」

 

 教え子。

 その単語がドルマの耳に入ってきた瞬間、彼の脳裏に忘れられない人物の顔が蘇った。

 突如として現れた闖入者にして、リータの義弟。そして、この旅からは脱落したはずの人間。

 自らの耳が捉えた言葉が信じられず、ドルマの思考は一瞬真っ白に漂白されてしまっていた。

 

「それに、英雄を殺すのは、伝説の竜じゃない。いつだって、私達のような影に生きる者よ」

 

 話を終えたデルフィンがドルマの隠れている岩陰に近づいてくる。

 思考停止に陥りかけていたドルマは、今しがた聞いた話を確かめるべく、ゆっくりと隠れていた岩陰から出て、デルフィンの前に己の姿を晒した。

 

「おい、どういう事だ……」

 

 眉を顰めながら睨みつけてくるドルマに気付き、デルフィンは仕方ないと言うように肩を竦める。

 

「ケントが戻ってきたわ。彼女と同じドラゴンボーンになって」

 

 自分の聞き間違いではないのか?

 そんな甘い考えは、淡々としたデルフィンの言葉に否定された。

 健人がドラゴンボーンである。

 その事実を改めて突き付けられたドルマは、その表情を動揺の色に染めた。

 

「っ!? 何、だと……」

 

 あり得ない。

 思わずそんな言葉を叫びそうになるドルマの機先を制し、デルフィンが声を被せる。

 

「静かにしなさい。氷穴の中は音が響く。ドラゴンボーンに聞かれるわよ」

 

 リータに聞かれる。

 その言葉を耳にして、ドルマは反射的に自分の口を手で塞いだ。

 同時に、その情報を今の今まで隠していたデルフィン達に対する不信感が込み上げる。

 睨みつけていたドルマの視線がさらに剣呑なものになった。

 

「なぜ黙っていた」

 

「黙っていたわけじゃないわ。話す機会がなかっただけよ。エズバーンに話したのだって、たった今よ。盗み聞ぎしていたのなら分かるでしょ?」

 

「…………」

 

「安心して頂戴。今更ここまで来て、ドラゴンボーンを裏切るなんてことはしないわ。ドラゴンを殲滅することを誓った彼女は、間違いなく私達が望んだドラゴンボーンですもの。不肖の弟子と違って……ね」

 

 言い聞かせるように語るデルフィンだが、ドルマの厳しい表情は変わらない。

 かなり長い期間を一緒に旅をしている間柄の両者だが、ドルマは未だにデルフィンに対しては“信用”は出来ても“信頼”は出来ないでいた。

 デルフィンとエズバーンは元ブレイズとして、確かに有用な知識を与えてくれた。

 だが、元諜報員としての彼女達は、ドラゴンボーンに仕えると言いながらも一歩引いた態度を取り続けた。

 ドルマやかつて一緒に旅をしていたリディアに対しては特にその傾向が強く、常に含みある態度を取るデルフィン達は、ノルドとしての目線を持つ彼らから見れば、腹に一物を抱えた信用ならない人物として映る。

 もっとも、諜報員として常に利害関係を意識するデルフィンと、ノルドとしての在り方と情を手放せないドルマ。

 双方の意識がかみ合わないのは必然と言えた。

 二人が今まで目立った対立をしてこなかったのは、互いの存在がリータにとって必要だと双方が認識していたからだ。

 健人が居なくなった現在、リータのメンタルをまかりなりにも維持できているのは、ドルマの存在が大きい。

 そして、元々一般人であるリータとドルマには、デルフィン達の知識と情報網は絶対に必要なものだ。

 ドラゴンレンドの存在を示唆したのも、ブレイズ達が長年秘匿してきた知識を、デルフィンやエズバーンが突き止めてくれたからこそである。

 例えノルドの在り方に縛られているドルマとはいえ、デルフィン達の必要性は理解している。

 だからこそ、ドルマは胸の奥に渦巻く不信感を飲み込み、デルフィンに今一番確かめたい質問をぶつけた。

 

「本当に、アイツがドラゴンボーンになったのか?」

 

「ええ、多分ね。どうしてそうなったのか、誰からシャウトを学んだのか、確証は取れていないけど9割9分、間違いないでしょうね」

 

 間髪入れずに肯定されるデルフィンの言葉に、様々な感情が脳裏を駆け抜ける。

 困惑、疑念、憤り、怒り、安堵、罪悪感。

 ウィンターホールドでリータに気付かされた、自身も気づいていなかった健人に対する内心。

 それを既に自覚してしまっていたからこそ、ドルマの胸の奥からは複雑な、苦々しい気持ちが込み上げる。

 

(どういう事だ? アイツがドラゴンボーンになったって……まさか……)

 

 だがその時、ドルマの脳裏にハルメアス・モラの“我が勇者”という言葉が蘇った。

 ハルメアス・モラがリータに契約を持ちかけた際、かのデイドラロードはリータの存在だけでなく、弟である健人の事についても知っているようなそぶりを見せていた。

 

(そして、あのデイドラロードはこうも言っていた……“いずれ、我が勇者との道は交差する”って)

 

 ハルメアス・モラと健人には、何らかの繋がりがあるのではないか。

 しかも、デイドラロードが今代のドラゴンボーンであるリータに契約を持ちかけながらも、容易く引き下がる位の深い繋がりが。

 ハルメアス・モラの“我が勇者”と健人が、ドルマの中で一本の線で結ばれる。

 直感的で、明確な根拠に欠けた推論ではあるが、ドルマにはそれが不思議とそれが真実であるような気がしてならなかった。

 まるで口の中に雑草を一杯に詰め込んで食んだ様な息苦しさが胸いっぱいに広がり、ドルマは奥歯を噛みしめる。

 

「それから、この事はドラゴンボーンには内緒よ。今は星霜の書を手に入れることが先決。余計な心配はかける必要はないわ。そうでしょ?」

 

「……ああ、分かっている」

 

 言えない。言えるはずがない。

 もしもドルマ自身が予想した推測が正しければ、リータが苦汁を舐めながら決断したことが、全て無意味と化したという事になる。

 すなわち、健人がドラゴンボーンとして覚醒し、さらにハルメアス・モラに魅入られたという事だ。

 そして、もし健人がハルメアス・モラの眷属となったのなら、その正気は失われている事が容易く予想できる。

 ブラックリーチの道を示したセプティマスの、常軌を逸した様子が思い出される。

 ハルメアス・モラの力は強大だ。たとえドラゴンボーンとなった存在でも、抗うことは難しい。

 特に、大事な人に傷つけられ、心が弱っていた健人ならば、ハルメアス・モラがその心を惑わせることは容易い。

 この世界にとっての常識的な考えで、健人がハルメアス・モラの手に落ちた可能性を思い浮かべたドルマは、もし自分の推測が正しかった場合、健人を今度こそ本気で殺すしかないと考え始めた。

 同時に、その可能性はかなり高いとも予想していた。

 デイドラロードとは、この世界においてそれだけ絶対的な存在なのだから。

 

(もし俺の予想が本当なら……やるしかない)

 

 今のリータに、健人を会わせるわけにはいかない。

 だが同時に、もし健人がドラゴンボーンとして覚醒し、ハルメアス・モラから力を得ていた場合、ドルマは自分の手には余るとも考えていた。

 盗み聞きしたデルフィンの話の中には、ドラゴンボーンとして覚醒した健人がウィンドヘルムを襲ったドラゴンを退けた話もあった。

 そうであるならば、正面からの戦闘では絶対に勝てない。

 だが、ドルマはデルフィンの“余計な心配をかける必要はない”という言葉の裏に隠された意味を、しっかりと理解していた。

 

 すなわち、必要なら正面からではなく、搦手で秘密裏に処理するのだ……と。

 

 その意味を理解しているからこそ、戦友と認めていた相手にそのような卑怯な手を使おうとしている自分自身に、ドルマは言いようのない不快感と憤りを抱く。

 でも、それでも必要な事ではある。

 そして、もし健人がハルメアス・モラに魅入られたのだとしたら、それは自分達にも責任がある。

 ドルマは、リータを本気で守ろうとしていた健人の意志を折った一人であり、縋ろうとした彼を裏切り者と罵って殺そうとした人間なのだ。

 

(今さら、友などと名乗る資格は俺にはないな……)

 

 ウィンターホールドで、リータに己の気持ちに気付かされた時から、ドルマの胸には後悔が渦巻いていた。

 健人を友として認めていながらも、荒々しい言葉しかかける事しかできなかった自分の情けなさ、そして、裏切られたと思い込むあまり、リータに心を折られた友に刃を向けた軽率さに、ドルマは強烈な自己嫌悪に苛まれていた。

 肝心な時に自らの気持ちに気付けなかったからこそ、その後悔は尚の事、ドルマを苦しめる。

 そして、ドルマは今再び、友に刃を向けるような約定を認めた。

 ドルマは確信した。もし死ねば、自分は間違いなくソブンガルデには行けず、オブリビオンに墜ちるだろうと。

 

(でも、それでも……)

 

 守りたいと想う人がいる。守ると決めた人がいる。

 その人の為ならば、友殺しの汚名も被ろう。

 

「もし、ケントを殺すことになったら、俺が最初に囮として相対する」

 

「本気? 今の彼は間違いなく、あなたなんて歯牙にもかけないくらい強いわよ?」

 

「分かってるさ。それでも、リータには必要なことだ、そうだろ?」

 

 強く、悲壮な決意を胸にデルフィンに背を向け、ドルマは元来た道を戻る。

 デルフィンもまたそれ以上何も言わず、ドルマの言葉に無言の肯定を返しながら、エズバーンを伴って氷穴の奥を目指す。

 ドルマが先に来ていた調査隊のキャンプ跡に戻ると、遺品を調査していたリータがドルマ達に駆け寄って来た。

 

「あ、戻ってきた。何かあったの?」

 

「いや。何でもない……」

 

 何処か様子のおかしいドルマに、リータが首を傾げる。

 黒檀の兜の奥から覗く蒼い瞳が、ドルマを見つめてきた。

 無垢で信頼に満ちた視線を向けられ、ドルマは思わず目を背けてしまう。

 

「……ドルマ?」

 

「待たせてごめんなさいね、ドラゴンボーン。

エズバーンが少し眩暈を起こしたから、様子を見ていただけよ。年寄りなんだから、無理せずウィンターホールドで待ってればいいのに……」

 

「まあ、年寄りなのは否めないな。無理なようだったら、上で待っているよ。見たところ、食料などは残っているみたいだからな。

無論、付いていける所まではついて行こう。ドワーフの遺跡については、過去に見たブレイズの資料の中にも幾つかあったから、力になれるはずだ」

 

 微妙な雰囲気が流れ始めた二人の間に、デルフィンとエズバーンが割って入ってきた。

 デルフィンは先にこのアルフタンドに来ていた調査隊について、リータに新しく分かったことが無いか尋ねる。

 

「それでドラゴンボーン、何か分かった?」

 

「ええっと……帝国の調査隊なのは間違いないみたい。人数も、そんなに多くないみたいだけど、遺跡については何も……」

 

「仕方ないわね。先に進みましょう、ドラゴンボーン」

 

「……あっ」

 

 デルフィンはリータの手を取り、先に進むよう促してくる。

 リータの瞳が“まだ聞きたいことがある”というように、ドルマに向けられる。

 

「……先に行けリータ。俺はこの爺さんの面倒を見ながら、後ろを警戒しつつ、後に続くさ」

 

「う、うん……」

 

 だがドルマは、リータの願いを無視し、デルフィンと共に先に進むよう言い放った。

 ドルマの低く、淡々とした抑揚のない声に、リータも何も言えなかった。

 豹変した幼馴染の様子に、リータは言いようのない疎外感を覚える。

 

(どうして話してくれないの……)

 

 思わず漏らしそうになったリータの独り言は、声になる前に凍り付き、誰にも聞かれることなく消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドルマが悲壮な覚悟を決め、リータとすれ違いながらもブラックリーチを目指している中、モーサルを目指していた健人が何をしているかと言うと……。

 

“クリフ、ズー! ドヴァーキン!”(勝負だ! ドヴァーキン!)

 

「またお前かヴィントゥルース! いつでも勝負を受けると言ったのは俺だけど、今は小さい娘連れてんだ! 少しは遠慮しろ!」

 

「ふええぇぇぇん!」

 

 ゲーセンで連コインしてくるゲーマーのごとく襲撃してくる問題児ドラゴンに頭を悩ませていた。

 

 




 ドシリアスなリータサイド、ドシリアルな健人サイド。

 ハルメアス・モラの一言が、ドルマに”健人がデイドラロードに魅入られたのでは?”という、とんでもない予想を立てさせてしまいました。
 そして、結果としてリータとの間にヒビが入ることに……う~んちょっと急ぎすぎたか?

 今後はまたちょっと健人サイドに入り、直ぐにリータサイドに戻る予定。


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第四話 ストーンヒル山脈の麓で

お待たせしました! いや遅くなって申し訳ない。ちょっとドタバタしていました。


 健人達はウィンドヘルムからペイルホールドを抜けて、ハイヤルマーチホールドへ向かっていたが、モーサルまではそれなりに距離がある。

 おまけにソフィがいる以上、徒歩などでは時間がかかりすぎると判断した健人は、迷うことなく馬車を使う事を決めた。

 幸い、春の雪解けが始まるこの季節、街道に積もる雪は徐々にその姿を消し始めており、馬車などの往来も可能になっていた。

 馬車での旅は通常の徒歩での旅と変わらない。

 日が落ちる前に野営の準備をし、火を起こして交代で番をしながら朝を待つ。

 そして、朝日と共に再び、目的地へ向かって出発するのだ。

 ウィンドヘルムを出てから二週間程。

 健人は今、ヨルグリム湖北の街道を通り、ストーンヒル山脈東の街道をさらに北へと向かっていた。

 ストーンヒルと呼ばれる山脈を迂回すれば、モーサルまですぐそこである。

 ただ、問題がいくつかあった。

 一つは、周辺に出没する山賊である。

 唯でさえ内乱の影響で治安が悪化し、野盗の数が増えている上、中には放棄された砦を占領している山賊もいる。

 砦という拠点を手に入れた山賊は一気に数を増やし、近くを通る商人や罪のない一般人を誰彼構わず襲っていた。

 当然、健人達もこの山賊達の襲撃を受けた。

 健人、リディア、カシトがあっという間に制圧したが、様相の異なる山賊に三度も襲われた辺り、政局の不安定さから来る経済と人心の荒廃が、どれだけ治安の悪化をもたらしたかを端的に示していた。

 

「さて、今日はこの辺りでキャンプかな?」

 

「そうだね。それじゃあオイラとケントは、周りに何かないか見てくるよ」

 

「はい、私とソフィはテントと火の用意をしておきますので」

 

「い、行ってらっしゃい。お兄ちゃん、気を……付けてね」

 

「ああ、行ってくるよ」

 

 止めた馬車から降りた其々が、其々の仕事をこなし始める。

 健人とカシトは周囲を探索しながら危険な動物や山賊の痕跡がない事を確認し、リディアとソフィはテントと薪の用意をする。

 街道から少し離れたところで、健人とカシトはそれぞれ二手に分かれ、周囲を確認。

 オオカミやクマの足跡や糞、山賊などの痕跡がないかを確かめる。

 一応、火の番を兼ねて見張りは交代で行うが、どのような危険があるのか、確認しておくに越したことはない。

 幸いにして、この周囲に人や肉食の獣の気配はなかった。

 ついでに二人は、晩御飯のおかずを増やそうと猟を開始。ウサギを三羽と鹿一頭を仕留めた。

 健人のオーラウィスパーで隠れ場所を探り当ててあぶり出し、素早いカシトが捕まえるというコンボである。

 オーラウィスパーは生命力を直接視認できるシャウトのため、ウサギのような隠れる小動物を狩るにはもってこいだし、鹿なども予め相手の場所が分かれば、逃走ルートに先回りできる。

 さらに、もし逃がしそうになった時は、健人が旋風の疾走や雷撃などの破壊魔法を使えば逃げる獲物を仕留める事は十分可能だ。

 大量の獲物を仕留めた二人は、意気揚々とキャンプに戻る。

 キャンプではリディアが馬に水と草を与え、ソフィが石で焚火の為の火床を組み、薪を集めて火を起こして料理の準備をしていた。

 

「おかえりなさいませ」

 

「あ、お帰り、お兄ちゃん」

 

 帰ってきた健人とカシトを確かめたソフィが、小走りで駆け寄ってくる。

 

「ああ、ただいま」

 

 健人がソフィの頭をなでると、彼女は嬉しそうに頬をほころばせる。

 撫でていた手が頭から離れると、彼女は健人の腰にキュッとひっつきながら、一緒に焚火の元へと向かう。

 健人がソフィを預かり、一緒に旅をするようになってから、彼女はこうしてよく健人にくっつく様になった。

 まるで唯一の肉親を失った孤独感を埋めたがるように、健人の熱を求めてすり寄ってくるのだ。

 馬車の中では常に健人の隣に座って裾を握ってきて、キャンプを張れば外回りに行かない限り、トテトテと側をついて回り、離れない。

 さらには、寝る時に同じベッドロールに包まりたがる。

 その様子は何となく、子猫を連想させる微笑ましいものではあるのだが、同時にここまでベッタリだと、健人としては少し不安にもなる。

 本来なら少し諫めるべきなのかもしれない。

 だが妹という存在がいなかった健人は、突然できた妹分に“まあ父親を亡くしてあんな寒空の下に放り出されたんだから、仕方ないよな~”と、ついつい甘えることを許してしまうのだった。

 

「それじゃあソフィ、手伝ってくれ」

 

「うん!」

 

 健人とソフィが料理を始める。

 仕留めてきたウサギと鹿を健人が解体し、その間にソフィがキャベツやニンジン、じゃがいも、リーキなどを切り、パンを作る。

 パンの生地自体は朝方に仕込んでいるため、後は形を整えて焼くだけだ。

 生地を発酵させるための酵母はスノーベリーから作っており、この酵母はソフィも作れる。

 ソフィは父親が出ている間、金銭面以外は一人で自活していたため、料理を初め、簡単な裁縫などもきちんとできる。

 食うだけの猫やぶきっちょ戦士よりも、家事面ではよほど戦力になった。

 そんなソフィの様子を見て、将来はいいお嫁さんになるだろうと考えてしまうあたり、健人も既に結構な兄バカ(親バカ?)になりつつあった。

 そうこうしながらも、獲物の解体は進む。

 解体が終われば、後は調理だ。

 健人は懐から小瓶を取り出す。

 濃褐色の液体が入った小瓶に、健人のそばで野菜を切っていたソフィの目が留まる。

 

「お兄ちゃん、それ何?」

 

 ソフィが健人の持っている小瓶について尋ねてきた。

 近くで薪を作っていたカシトも気になったのか、健人の手にある小瓶を覗き込んでくる。

 

「オイラも見たことないね。何かの薬?」

 

「いや、これは魚醤だ。ノーザンメイデン号の食糧庫の奥にあったイワシの塩漬けから作ったんだ。まあ、船長達には不評で今まで出せなかったんだけど……」

 

 魚醤。

 イワシなどの小魚を塩漬けにして作られる調味料の一種。

 アミノ酸や核酸、ミネラルなどを豊富に含んでいるため、非常に深い味わいと濃厚なうま味が特徴の調味料だ。

 元々この魚醤は、ノーザンメイデン号の食糧庫の中で忘れ去られていた塩漬けのイワシから健人が作ったものだった。

 

「魚醤? ってくさ! ナニコレ! 腐ってるよケント!?」

 

 小瓶の蓋を開けて臭いを嗅いだカシトが、思わず身を仰け反らせる。

 カシトの隣にいたソフィも、鼻を抑えて涙目になっていた。

 二人の反応に、健人も仕方ないなと言うように苦笑を浮かべた。

 実際、魚醤は非常にうま味のある調味料だが、微生物の発酵過程によっては鼻につく臭いが出てしまうのが難点だった。

 

「まあ、発酵も腐敗も元々は同じものだしな。もうちょっと臭いを抑えられたらよかったんだけど……。大丈夫だ、熱を加えたら臭いは消えるよ」

 

 発酵も腐敗も、微生物の働きによってタンパク質などが分解される工程は同じである。

呼び方が違うのは、単に人の役に立つか立たないかの違いでしかない。

 ただ、この特徴的な臭いは熱を加えれば消えるため、煮物や炒め物に使うと、臭いが消えた上でグンと味が良くなる。

 実際、健人がウサギ肉と野菜に魚醤を使って炒め始めると、先ほどまでの鼻の付く発酵臭は消えていき、代わりにふわりと、酒を温めた様な濃厚な香りが立つ。

 ごくりと、誰かが唾を飲む音が健人の耳に聞こえた。

 彼がチラリと横目で妹と親友の様子を覗き見ると、二人とも先ほどの警戒に満ちた反応が嘘のように涎を垂らしながら、健人の料理を覗き見ている。

 二人とも餌を待つ猫のようであった。実際、一人は猫獣人だが。

 その様子を見て、健人は思わず含み笑いを漏らす。

 健人は今度はシカ肉を取り出し、ジャガイモ、ニンジンと一緒に再び炒め、炒めた具材に沸騰した湯に入れ、コンソメもどきと魚醤、塩で味を調えてシチューを作る。

 シチューを煮立たせながら、健人はさらにすり潰したニンニクと香草の粉末をバターに混ぜてソフィが作っているパンの上に乗せると、焚火の炎にかざして焼く。

 そうこうしている内に、料理は完成。

 今日のメニューはウサギ肉の炒め物と、シカ肉のシチュー、ガーリックパンである。

 

「それじゃあ、食べようか。リディアさん、できましたよ」

 

「はい、これはまた、美味しそうですね」

 

 馬の世話とテントの設営等を終え、武器の手入れをしていたリディアが、焚火の側にやって来た。

 用意した料理を木皿に盛って並べ、四人はそれぞれ焚火を囲む。

 焚火を挟んで健人の右方向にカシトが、左方向にリディアが、そして、健人の左隣には、ソフィがちょこんと座っていた。

 

「さあ、どうぞ」

 

 健人に促され、各々がそれぞれの料理に手を付ける。

 カシトが最初に手に取ったのは、ウサギ肉の炒め物だ。

 魚醤特有の鼻につく臭いは消え去っており、代わりに年代物のワインを思わせる芳醇な香りが立ち上っている。

 口に入れて噛めば絶妙な火加減によって炒められた野菜が、シャキシャキとした歯ごたえを返し、魚醤と肉のうま味が口の中いっぱいに広がる。

 

「ハムハム……ん~! 美味い! ケント、この炒め物、腐れ汁を使っているとは思えないほど美味しいよ~!」

 

「腐れ汁言うな! まあ、臭いが強かったのは確かだけど」

 

「このシチューもいいですね。濃い目の塩気が旅の疲れに染み渡ります」

 

「今日の料理に使った魚醤……調味料は元々塩漬けした魚から作られますからね。薄めても塩味はかなり強めになります」

 

 リディアが手に付けたのは、シカ肉のシチューだ。

 煮込む時間が足りなかったために肉は薄くスライスして入れているが、魚醤の塩気が旅の疲労を溶かしてくれる。

 ミネラルが豊富な魚醤は、体を整えることにも適している。

 保存食によって栄養が偏りがちな旅の中では、かなり重宝するだろう。

 

「ん、ん……!」

 

 ソフィが食べているのはガーリックパンだ。

 よほど気に入ったのか、小さな口一杯に頬張っている。

 バターとすり潰したニンニク、乾燥させた香草を混ぜた物をつけて焼いただけだが、ニンニクも優れた強壮作用があるし、乾燥させれば保存も効く。

 こちらも旅にはうってつけの食材だし、バターと香草との相性もいい。

 軽く炙ってやるだけで、食欲をそそる香りが立ち上るようになるし、バターの油分が主張の強いニンニクと、香草の香りを上手く纏めてくれる。

 日本の優れた調味料や食文化に慣れた健人にはそれでも物足りないが、元々味付けに乏しい食事が主なこの世界の住人には、どれも頬が落ちるほどの品だった。

 

「ソフィ、焦りすぎだ。パン屑、ついてるよ……」

 

「あっ……。あう……」

 

 健人が手拭いでソフィの口回りついたパンくずと油を拭ってやると、ソフィはボッと顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 

「お、お兄ちゃん、恥ずかしい……」

 

「ああ、ゴメンな。少し無遠慮だったな」

 

「…………」

 

 健人が苦笑を浮かべてソフィの口を拭いていた手拭いを離す。

 ソフィは顔を赤らめながら身を縮こませるが、健人が食事に戻ると、彼の気が付かないようにスッと健人との距離を近づけていた。

 そんな二人を眺めながら、リディアとカシトは笑みを浮かべる。

 

「なるほど。ふふ、ケント様も隅に置けませんね……」

 

「ニヤニヤ……」

 

「ん? 二人とも一体何? 特にカシト、その顔、なんだか凄く腹立つんだけど」

 

「いや、何でもないよ。今夜は問題なさそうだね! 周囲にも山賊の気配はないし、今日はゆっくりできそう……」

 

「ああ、いい加減、寝ている最中に起こされるのは勘弁願いたいよ」

 

 ウィンドヘルムを出て二週間。

 交代で休みを取りながらモーサルを目指しているが、今健人達がいる場所は、帝国軍とストームクローク両陣営のちょうど境界付近である。

 山賊たちの中でも、治安の悪化した政情に付け込んでドジを踏んだりした、脛に傷があるような極悪人達が根城にするにはちょうどいい場所だ。

 

「山賊も面倒だけど、健人の場合もう一人、頭の痛い相手がいるからね~」

 

「ああ、まあな。一人と言うか一頭と言うか……ん?」

 

 カシトの言葉に同意しながら、器の中のスープを啜っていた健人だが、遠くの空から嘶きが聞こえてきたような気がした。

 同時に、首筋にビリッと電気が触れた様な感覚が走る。

 

「……あれ? この音って」

 

「イヤな予感がする……」

 

 ドラゴンボーンとしての直感と経験が、これ以上ない程警鐘を鳴らしている。

 もっとも、それはここ最近ではよくある事であり、生憎と健人はこの嘶きに非常に聞き覚えがあった。

 直後にストーンヒル山脈に掛かる雲が、まるで切り裂かれたように二つに分断され、雲の奥から覗く空から、有翼の影が姿を現す。

 

“クリフ、ズー! ドヴァーキン!(勝負だ! ドヴァーキン!)”

 

 雲を割って急降下してきたのは、ウィンドヘルムに甚大な被害をもたらしたドラゴン、ヴィントゥルースだった。

 

「またお前かヴィントゥルース! いつでも勝負を受けると言ったのは俺だけど、今は小さい娘連れてんだ! 少しは遠慮しろ!」

 

 ここ最近、一番健人の頭を悩ませている問題。

 それは、定期的に伝説のドラゴンが健人にケンカを売ってくるようになった事である。

 ウィンドヘルムで健人に敗れ、スゥームで制約を掛けられたヴィントゥルースだが、その制約を破らんと、頻繁に勝負を挑んでくるようになったのだ。

 ウィンドヘルムを出てから二週間。これが三度目の襲撃であった。

 一度目は一週間前。傷を癒した直後に健人と勝負しようと、夜にも拘らず野営キャンプを襲撃してきた。

 二度目は、健人達一行が山賊に襲われている最中、健人と山賊の間に割り込む形で襲撃してきた。

 そして三度目。傷を癒すための時間を除けば、ほぼ二日に一回襲撃してきている計算になる。

 普通の人間でなくても絶望するような襲撃頻度だった。

 健人としても彼の憎悪を預かると宣言したのは自分なので、今更ヴィントゥルースの挑戦を拒む気はなかったが、今は幼いソフィを連れているため、気持ちとしてはもう少し遠慮して欲しかった。

 一応、本竜の名誉の為に言っておくが、山賊と戦った時も、ヴィントゥルースは健人のみを攻撃し、山賊には一人の怪我人も出していない。その辺りは、妙に律儀というが、しっかり健人との誓約を守っていた。

 ちなみに、山賊は確かにヴィントゥルースの被害は受けなかったが、ドラゴンの襲撃で混乱している最中にカシトとリディアに討ち取られている。

 その辺りは本当に彼らに慈悲はなかった。

 最も、ヴィントゥルースが襲撃してこなくても、その場合は健人が彼らに牙を向くので、山賊達の運命は結局変わらなかっただろう。

 ヴィントゥルースの襲撃を確かめた健人は素早く駆け出し、キャンプを張っている場所から離れる。

 

“クォ、ロゥ、クレント!”

 

 キャンプから離れた健人めがけて、ヴィントゥルースのサンダーブレスが放たれた。

 健人は背中のドラゴンスケールの盾を取り出し、シールド系魔法の魔力の砦と併用してサンダーブレスを受け止める。

 

「にぎゃあああぁぁああ!」

 

「ふええぇぇぇん!」

 

 防がれて四散した雷と衝撃波が四方八方に飛び散り、余波に巻き込まれたカシトが悲鳴を上げ、ドラゴンの威圧感に怯えたソフィが泣きじゃくる。

 既に一度健人に敗れているヴィントゥルースだが、その強力なシャウトや威圧感は健在であるし、ソフィはウィンドヘルムで怒りに飲まれたヴィントゥルースの姿を間近で目の当たりにしてしまっている。

 彼女が怯え、泣きじゃくるのも無理はない。

 だが、当時の彼女がヴィントゥルースから受けた影響は、かの竜の姿を前にして死を受け入れてしまうほどだった事を考えれば、泣き喚く程度で済むようになったとも言える。

 

「お前、二週間で三度目って、流石に多すぎないか? いやまあ、お前の憎悪を預かると言ったのは俺だけど……」

 

 ヴィントゥルースのサンダーブレスをドラゴンスケールの盾と魔力の砦で受け止めながら、健人は思わず呟いた。

 まるで対戦ゲームに負けたことが悔しくて連コインするゲーマーのようである、と。

 

“ウォト、コス、ドレニング!? ニ、パール、グラー、ドヴァーキン! クリフ、ボス、アークリン!”(どうした!? 覇気がないぞドラゴンボーン! 真面目に戦え!)

 

「しかたない。また正面から叩き潰してやる。今度は負け惜しみを言うなよ! ムゥル、クァ、ディヴ!」

 

 ドラゴンアスペクトを唱え、虹色の竜鱗を纏いながら、健人はヴィントゥルースめがけて踏み込んだ。

 この一人と一匹の戦いは周囲に大規模な雪崩を引き起こし、甚大な被害をもたらしながらも二十分程で決着が付き、ヴィントゥルースは雪原に叩き落とされることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ストーンヒル山脈に響いていた戦闘音が鎮まり、黄昏に静寂が戻る。

 轟音が響いていた中心地には崩れた雪や倒れた倒木が折り重なり、まさに台風一過と言った有様だった。

 

「ぶふ……。うえぇぇ……。死ぬかと思った」

 

 モゾモゾと雪の下から、雪まみれになった健人が這い出して来る。

 この雪は街道にあったものではなく、ストーンヒル山脈の斜面に残っていた雪が崩落したものだった。

 ヴィントゥルースと戦闘していた健人だが、戦闘中に雪崩が発生したのである。

 雪解けの季節にシャウトという爆音を響かせるドラゴンが二匹も大暴れすれば、当然ともいえる。

 しかし、よくよく山の斜面を見てみれば、健人が戦っていた場所の山肌には丸い切り口の切り株が並び、生えていたはずの木は綺麗に刈り取られていた。

 戦闘の中でヴィントゥルースが“激しき力”を翼に纏わせた状態で滑空して行ったため、まるで芝刈り機に刈られた雑草のように刈り尽されたのだ。

 結果、障害物がなくなったことで、雪崩は勢いを落すことなく、麓にいる健人に容赦なく襲い掛かった。

 それが、ヴィントゥルースの作戦でもあった。

 飛べない健人を飲み込むほどの雪崩を発生させて生き埋めにするつもりだったのだ。

 とはいえ、健人も黙ってやられるはずもなく、低空を滑空して木を切り倒していたヴィントゥルースに揺ぎ無き力をぶち当てて撃墜。

 更に、再び上空へ逃げようとするヴィントゥルースをドラゴンアスペクトの腕力で無理やり地面に引き倒し、ついでとばかりに雪崩の盾にした。

 結果、一人と一匹は引き起こされた雪崩に容赦なく飲み込まれた。

 

“ガー! コス、ドレ、バナール……。クリィ、ズゥー、ドヴァーキン!”(おのれ! またこの私を辱めるか……さあ、今度こそ殺せ、ドヴァーキン!)

 

 雪の中から首だけをチンアナゴのように出したヴィントゥルースが騒ぎ立てる。

 周囲の被害だけを見れば間違いなく天災と言えるだけの規模なのだが、その珍妙な姿は、ただ只管に脱力感を漂わせるだけのものだった。

 ちなみに、チンアナゴとは砂の中から頭だけを出して餌を取る魚の事で、その名の通りアナゴという蛇によく似た魚の仲間である。

 

「ウォト、コス、ヒン? フェン、ニ、ウスナーガ? ワール゛、ワー、ボヴール、サーロ゛、キル……」(お前何なの? もうちょっと自重とかないの? こっちはソフィがいるんだけど……)

 

“アーン、サーロ゛、ジョール、ロ゛スト、ワー、ヒン、ディヴォン、ファー、サーロト……!”(ふん、弱い定命の者がどうなろうと我の知った事はないわ……!)

 

 健人が所構わず襲撃してくるヴィントゥルースに苦言を漏らすが、ヴィントゥルースの口から出てくる言葉は、相も変わらず人間へと憎しみと侮蔑に満ちている。

 健人に敗れた事で、ヴィントゥルースは人を襲う事はしていない様だったが、同時に心変わりも全くしていない様子だった。

 

「ズル、ジョーレ……」(人の言葉を覚える気は……)

 

“ニド! ニ、ドレ、アロク、ワー、ロ゛スト、スモリン。ディヴォン、ディノク、コターヴ、サーロ”(ない! 定命の者の言葉など、覚える気など毛筋ほども湧かんわ。それに死ぬなら、弱く生まれる者が悪いのだ)

 

 弱く生まれるのが悪い。

 すなわち、力を持つ者こそが正しい。

 ドラゴンとして、そしてこの世界に生きる者として、ごくごく当たり前の考え方。

 

“トル゛、コス、サーロ゛、フェント、コス、サーロト、ドヴ。クアナール、アル!”(そして、弱いのならば強くなればいい。全てを従えるほど強くな!)

 

「…………」

 

 弱いのならば、強くなれ。

 そのあまりに一方的な見方に健人は溜息を漏らしながらも、同時にどこか違和感も覚えていた。

 健人はドラゴンが時の竜神であり、九大神の筆頭であるアカトシュの子であることを知っている。

 ヌエヴギルドラールと初めて出会った時に、その事を聞かされているからだ。

 そして、その後にドラゴンの治世が至った結末も聞かされている。

 ドラゴン達は持て余した力への渇望と支配欲に突き動かされ、それは被支配種族への苛烈な支配と、ドラゴン同士での抗争に発展した。

 この話を聞いた当時はヌエヴギルドラールの呆けた口調に誤魔化されて聞き流してしまっていたが、よく考えれば神々の、それも九大神筆頭に作られた支配種にしては、あまりにも杜撰な結末だ。

 同時に、その結末はドラゴン達の歪さも浮き立たせる。

 支配種として作られながらも、その支配欲に翻弄されるドラゴン達。

 なぜドラゴンは、このような存在になったのだろうか。

 ドラゴン自体が、アカトシュにとっては元々失敗だったのか? だからこそ、ミラークというドラゴンボーンがドラゴン支配時代の末期に現れたのか?

 それとも、初めからこうなる事は織り込み済みだったのか?

 そもそも、なぜそれだけ強い支配欲を持っているのか?

 神ならぬ健人には、その理由はさっぱり想像できず、唯々答えの出ない想像が頭の中に膨らみ続ける。

 だが、支配欲に翻弄された結果として、ドラゴンは被支配種だった人間に反旗を翻され、滅びた。

 傲慢で、貪欲で、歪で、だがどこか哀愁を漂わせる種族。その在り方と結末に、健人は鈍い痛みを覚えていた。

 

「アイツには、一体何が見えていたんだろうな……」

 

 ヌエヴギルドラールは、スゥームの本質を“種族の関わりなく相手に意思を伝えるためのもの”と語っていた。

 だが、支配欲に突き動かされる今のドラゴン達の姿は、ヌエヴギルドラールが語るスゥームの本質からはあまりにもかけ離れている。

 誰よりも先を見通しながら、誰よりも濃い諦観の色を纏っていた友人のドラゴンを思い返しながら、健人は空を見上げる。

 空には徐々に星々が輝き始め、太陽は今まさに、ストーンヒル山脈の峰へと沈もうとしていた。

 

「ヴィントゥルース、ズー、ロ゛スト、ガアン、ロアン。ウォト、ドレ、ヌスト、ドック、ムル」(ヴィントゥルース、一つ聞きたい。お前たちドラゴンは、なぜそこまで貪欲に力を求める?)

 

“ウォト、ヒン、フン。コス、サーロト、キンボク、フィック、ドヴァー。ズー、フェント、ロスト、ソス、ドー、ドヴァー”(今更何を言う。力を求める事はドラゴンの本質だ。その血が示す神髄は、お前の中にもあるはずだ)

 

 確かに、力に対する渇望は健人の中にもある。

 その力に対する渇望が、ソルスセイムで健人の大きな成長を促したことも確かだ。

 だが、今聞きたいのはそれではない。

 力は目的を達するための手段のはずだ。

 ヴィントゥルースの言葉は、手段と目的が逆転しているドラゴンの歪さを、より健人に印象付けていた。

 

 

「ゲ、クレ、ロ゛アン。ウォト、コス、フェント、セィヴイング、コスティ、ウ゛ル、ティード」(分かった、質問を変えよう。お前は、長い時の先に一体何を見ているんだ?)

 

 ドラゴンは、時の流れを、他のどんな種族よりも繊細に感じ取る。

 かつてヌエヴギルドラールは、時の流れを川の流れのようなものだと言っていた。

 そして、その流れを空から見下ろす鳥のように眺めているのだとも。

 支配するために生み出されながらも、欲に囚われ、力を求めずにはいられないドラゴン達。

 “真言”であるスゥームを与えられた種族としては、あまりにも歪なその在り方。

 そんな彼らの欲の本質に、健人は迫ろうとした。

 ドラゴンは元々、支配するために生み出された種族でもある。

 ならば、健人が知る中でも特に力を求めるドラゴンの一頭であるヴィントゥルースは、その力で何を求めているのだろうか?

 

“……ズー、セィヴ、ブリト、ヴィンタース”(……我に見えるのは“輝き”だ)

 

「ヴィンタース?」(輝き?)

 

“ゲ。ヴィンタース、ド、ロ゛ク、モロケイ。(そうだ。天の頂に煌めく、眩いばかりの輝き。それを求めている。あれは……)

 

「アルドゥイン?」(アルドゥインか?)

 

“頂”という言葉で健人が思いつくのは、ドラゴン族の頂点であるアルドゥインだが、どうも健人の言葉に対するヴィントゥルースの反応は薄い。

 

“ゼイマー? ニ、コス。ドル……”(長兄? いや、そうではない。確かあれは……)

 

 ストーンヒル山脈の峰に消えていく夕日を見つめながら、ヴィントゥルースは押し黙る。

 騒がしく喚き散らすことの多いドラゴンが黙りこくったその様子に、健人は首を傾げる。

 

「ヴィントゥルース?」(……ヴィントゥルース?)

 

“ドル……”(あれは……)

 

 呼びかけてくる健人の声にも反応を示さず、心ここにあらずといった様子で遠くを見つめるヴィントゥルース。

 強い激情を映していたはずの瞳は曇ったガラス細工のように霞み、全身からこれでもかと撒き散らしていた威圧感が、蜃気楼のように消えていく。

 それはまるで、今しがた空を染めている黄昏ように弱々しく、現実味のない光景だった。

 ヴィントゥルースの様子が気になり、健人が改めて声を掛けようとしたその時、幼い声が崩れた雪原に漂ってきた。

 

「お兄……ちゃん」

 

「ソフィ、それに皆……」

 

 声が聞こえてきた方に健人が目を向けると、避難していたソフィやカシト、リディア達が居た。

 現れた定命の者達に、虚空と見つめていたヴィントゥルースの瞳に再び強い激情の色が戻る。

 

「決着、付いたみたいだね」

 

「ああ、まあな……」

 

 雪崩に巻き込まれたとはいえ、健人自身はドラゴンアスペクトの守りとヴィントゥルースと言う盾により無傷である。

 一方、ヴィントゥルースは雪に埋もれて首だけの状態。明らかに健人の勝利である。

 健人は今一度、横目でヴィントゥルースの様子を窺うが、既に彼は先程見せていた黄昏の空を思い起こさせる姿ではなく、ウィンドヘルムを壊滅させた暴竜の顔に戻っている。

 

「ヴィントゥルース、ロ゛ス、トル゛、テイ……」(ヴィントゥルース、さっきの話だけど……)

 

“テイ? ウォト、ロ゛ス、テイ?”(話? 何の話だ?)

 

 もう一度、先の続けようとする健人だが、肝心のヴィントゥルースは先程の話など覚えていない様子で、姿を見せたカシト達を睥睨している。

 強烈な違和感が、もどかしさと共に健人に胸に刻み込まれる。

 一方、ヴィントゥルースは 勝負に負けたことに憤りながら、八つ当たり気味の視線をソフィ達に向けていた。

 

「う、うう……」

 

“グルルル……”

 

「ひう……」

 

ヴィントゥルースの怒りの視線と唸り声に怯えたソフィが、健人の腰にしがみつく。

 

「よしよし、怖かっただろうな」

 

“ホヴール、メト、ザーロ゛、ニヴァーリン、タフィール……”(脆弱なスキーヴァのように、穴に隠れていればいいものを……)

 

 ヴィントゥルースの文句を聞き流しながら、健人はソフィの頭を撫でで恐怖に脅える彼女をあやす。

 健人にあやされながら、ソフィは健人の腰に顔を埋めていた。

 

「ソフィ、怖かったら帰ってくるのを待っていてもいいんだよ?」

 

「でも、お兄ちゃんが、心配で……うう……」

 

 健人とヴィントゥルースの戦いによる被害は、相当広域に及んでいるし、振るわれた力は正しく天災と言っていい程のものだ。

 家族を亡くして孤独の中で彷徨っていた少女が、新しくできた家族が再び消えてしまう事に怯えるのも無理はない。

 そしてその恐怖こそが、荒れ狂うドラゴンの力を前にしても、彼女がこの場に戻って来た理由でもある。

 健人もまた孤独の中で生きてきた故に、ソフィの気持ちも痛いほど理解できる。

 とはいえ、これは健人が背負うと決めた業でもある。

 故に、健人はただ、泣きじゃくる少女の頭を撫でる事しか出来なかった。

 

“ルー、ニヴァーリン、ヴォルン、ヴァーデン……バイン”(ふん、強者に縋る事しか出来ぬ弱者……虫唾が走るわ)

 

「ひぅ……!」

 

 そんな健人とソフィを揶揄するように、ヴィントゥルースが鼻を鳴らす。

 ヴィントゥルースのソフィが小さな悲鳴を上げ、さらに健人に体を密着させるように腕に力を入れて身を縮こまらせる。

 負けたからってこんな小さな娘に八つ当たりするヴィントゥルースに、健人は頭痛を抑えるように天を仰いだ。

 

「フル。ナーンスル、フィロク、コティン、オダ?」(そうかい。取りあえず、その雪の中から出てきたらどうだ?)

 

“…………”

 

「アールコス、ニス、フィロク?」(もしかしてお前、出られない?)

 

“…………”

 

 先程からずっと首だけの状態だったために健人も不思議に思っていたが、どうやらこのドラゴン、本当に雪から出られなくなっているらしい。

 よくよく考えてみれば、ヴィントゥルースが切り倒した大量の樹も雪崩によって流されている。

 実のところ雪の下はヴィントゥルースの体を抑え込む形で、複数の木々が圧し掛かっている状態だった。

 おまけに流された木々が上手い具合に広範囲に渡って絡み合ったのか、雪の重さを合わさり、ドラゴンの怪力でも、単純な力だけでは出られない様子。

 ドラゴンの巨体が悪い形で裏目に出た結果だった。

 

「はあ……」

 

“ウォト、トル゛、バナール! ウォ、ドレ、ファーヌ! ズー、ヴィントゥルース! ゾク、ムル、ドヴァー、エヴェナー、アルドゥイン!”(なんだ、その溜息は! 我を誰だと思っている! 我はヴィントゥルース! アルドゥインを除けば、ドラゴンの中でも最強のドラゴンなのだぞ!)

 

「最強にしては、随分とマヌケな絵面だけどな……」

 

 自称最強に一番近いドラゴン(笑)の醜態に、健人は失笑を浮かべる。

 傍で二人の会話を聞いていたカシト達も含み笑いを漏らしており、先程までヴィントゥルースに怯えていたソフィもいつの間にか恐怖を忘れ、何を言ったらいいか分からない微妙な表情を浮かべていた。

 

“ガー! オンド、ズー、ムル! エール、ドゥー、ヴァーリン! スゥ、ガハ、デューン!”(ええい! なら見せてやる! 誓約を破る事になっても知らんぞ! スゥ、ガハ、デューン!)

 

「ちょ、お前! ファス、ロゥ、ダーー!」

 

 自らの醜態に顔を真っ赤にしたヴィントゥルースが、ヤケクソ気味に“激しき力”を唱え、風の刃で自分の体に圧し掛かっていた木々を雪もろとも吹き飛ばす。

 勢いよく飛び散った木片や雪を健人が慌てて“揺ぎ無き力”で吹き飛ばしている間に、ヴィントゥルースは空中へと飛翔。

 翼をはためかせ、空中でホバリングしながら健人達を見下ろす。

 

“ドヴァーキン、ヒン、クァナール、ダール、アーン、クリフ、ヌズ、ジンド、ラ゛ート、クリフ!”(ドヴァーキン、今回は我の負けだが、次こそは我が勝つ! その時まで首を洗って待っていろ!)

 

 負け惜しみを吐き捨てながら、ヴィントゥルースはストーンヒル山脈のむこうへと飛び去っていく。

 

「やれやれ、最後はまた捨て台詞か……。三人とも大丈夫?」

 

「ああ、大丈夫だよ」

 

「お兄ちゃん、あのドラゴン、何を言っていたの?」

 

「うん? 次は俺が勝つって……」

 

「…………」

 

 抱き着いてくるソフィの指が、ギュッと強く健人の外套を掴んだ。

 その瞳に映る不安の色を優しく解くように、健人は再びゆっくりとソフィの頭を撫でる。

 いつの間にか太陽はストーンヒルの峰に消え、星々とオーロラが天を覆い始める。

 目的地であるモーサルへは、あと少しだった。

 

 




次回はもう一度健人サイドの予定です。


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第五話 称号授与

お待たせしました! 今回は再び健人サイドです。




 馬車に乗ってウインドヘルムからペイルホールドを抜けてハイヤルマーチホールドへと入った健人達は、ようやく目的地に到着した。

 今彼らがいるのは、ハイヤルマーチホールドの首都、モーサル。

 相変わらず霧に包まれている幽玄な街を丘の上から一望してから、健人はふと分厚い雲に覆われた空を見上げた。

 

「ケント、どうかしたの?」

 

「いや、ちょっとヴィントゥルースの事が気になっていてな」

 

「あのドラゴン? 何が気になるの? 確かにストーンヒル山脈からここに来るまでに襲ってくる頻度は減ったけど、それでも健人を倒すの、諦めてないみたいだよ?」

 

「いやまあ、そうなんだけど……」

 

 ストーンヒル山脈からモーサルに来るまで約二週間。ヴィントゥルースは二回ほど襲撃を掛けてきた。

 だが、その頻度は最初の一週間と比べればはるかに少ない。

 確かに旅をしている中で襲われるのは気が休まらないから良いのだが、正直、健人はストーンヒル山脈でヴィントゥルースと会話した時の様子が頭に引っ掛かっていた。

 健人がヴィントゥルースに「何を求めているのか?」という質問をしてから、かのドラゴンが見せた、彼らしくない様子。

 ブツブツと何かを呟きながら、彫像のように固まりながらも、数秒後には何事もなかったかのように振る舞っていたヴィントゥルースの様子が、健人に違和感を抱かせていた。

 その時、健人は不意に身についていた外套が横から引っ張られるのを感じた。

 健人が隣に目を向けると、モーサルの街並みを見つめながら不安そうな表情を浮かべたソフィが、ギュッと健人の外套を掴んでいる。

 彼女は見慣れない風景と人達に、緊張しているのだろう。見知らぬ土地に来たのだから無理もない。

 健人はヴィントゥルースの事を一旦頭の片隅に置いて、ソフィの緊張を解そうと、その頭を優しく撫でる。

 彼女の髪はまだ少しごわつくが、初めて出会った時よりも幾分か艶を取り戻しているように見える。

 子供には少し厳しい旅ではあったが、馬車を使えたし、食料は十分確保できた。

旅の中でも毎日お腹いっぱい食べられたことで栄養状態が改善されたことが、ソフィの体調が良くなってきた一番の理由だった。

 

「大丈夫、ここの首長はちょっと変な人だけど、悪い人じゃないから」

 

「……うん」

 

 健人に撫でられ、少し緊張が解けたソフィが小さく頷く。

 何度か彼女の頭を撫でていた健人だが、やがて彼女の背を押し、カシトとリディアを伴って、首長の邸宅に向かう。

 首長の邸宅であるフルムーン邸の前には二人の衛兵が門番をしており、彼らは近づいてくる健人達の姿を確かめると、道を遮るように立ちはだかる。

 

「待て、ここは首長の館だ。お前たちは一体何の用で……って、ケント殿!?」

 

 訪問者が誰なのか確かめようと声かけてきた門番は、健人の顔を確かめると、その兜の奥の目を見開き、驚きの声を上げた。

 健人はこの街の襲撃を目論んでいた吸血鬼を倒し、その企みを阻止した英雄として名が通っている。

 また、吸血鬼を倒した後の宴で催しとして行われた腕試しでも、街の男達を相手に無双していた。

 故に、彼ら門番も健人の顔をしっかり覚えている。

 

「どうも、首長はいます?」

 

「はっ! 邸宅内で執務を行っております」

 

「会えますか?」

 

「話を通してきますので、少しお待ちを。おい!」

 

 健人の対応をしていた門番が、もう一人の門番に目配せすると、彼は首長の館、フルムーン邸の中へと大急ぎで駆けこんでいった。

 しばらくの間、健人達が待っていると、フルムーン邸の扉がギィ……と音を立てて開き、一人の屈強なノルドが姿を現した。

 綺麗に切りそえられた豊かな髭と、腰に下げたメイス。そして、左手に盾を携えた戦士。

 彼は健人もよく知る人物であり、同時に戦友と呼べる人物だった。

 

「お久しぶりです、従士様」

 

 出てきたヴァルディマーが歓喜の笑みを浮かべながら、深々と臣下の礼をする。

 健人は相変わらず自分の事を“従士様”と呼んでくる彼の様子に苦笑を浮かべながら、少し困ったように頬を掻く。

 

「お久しぶりですヴァルディマーさん。俺、まだ従士じゃないですよ?」

 

 ヴァルディマー。

 吸血鬼モヴァルスと戦った際に共闘したノルドの戦士。

 ノルドの中では珍しい破壊魔法を使う人物であり、魔法と盾、メイスを巧みに使い分ける歴戦の戦士である。

 そして同時に、健人の忠誠を誓い、私兵となる事を宣誓した人物であった。

 当時は健人が従士になる事を固辞したために私兵とはならなかったが、それでも彼の忠誠は微塵も揺るがず、いつか健人がモーサルの従士になる時は、彼の私兵になる事を固く誓っていた。

 

「でも、こうして戻って来られたということは、そういう事なのでしょう?」

 

 まだ従士になっていないと言う健人に対し、ヴァルディマーもまた笑顔を崩さぬまま、確かめるような言葉をかける。

 そして健人も、その言葉を否定しなかった。

 

「ええ、まあ……イドグロッド首長に会えますか?」

 

 健人がモーサルに来た理由。

 それは、先延ばししていた従士の称号を受け、スカイリムでの立場を確立させることだった。

 健人はソルスセイムではともかく、スカイリムでの確固たる立場がない。

 リータやデルフィンと別れている今、彼女たちを探しに行くにしろ、情報を手に入れるにしろ、何らかの立場、権威が必要となる場面が出てくる可能性は大いにある。

 その為には、以前に棚上げしていた従士の称号を受ける事が、最も手っ取り早かった。

 とはいえ、ウィンドヘルムのように明らかに色々と制約が多くなりそうなホールドで従士になると、後々色々と不都合も出てくる可能性があった。

 その点、モーサルの微妙な立場はケントには好都合だった。

 ハイヤルマーチは、一応帝国サイドの陣営であるが、湿地帯が多いハイヤルマーチは元々大規模な軍隊が進軍するには向かない土地であり、攻めるにも守るにも向いていない。

 その為に内乱では帝国、ストームクローク双方に緩衝地帯とされており、交通の要衝であるホワイトランほど戦略的な価値は高くなく、逆の意味で結果的に中立に近い立場になっている。

 

「はい、話は通っております。どうぞ……」

 

 嬉しそうに口元に笑みを浮かべたまま、恭しく礼を見せたヴァルディマーが健人達を邸宅の中へ案内する。

 謁見の部屋に置かれた玉座には、老齢な女性の首長が、訪れた健人達を見て笑みを浮かべていた。

 

「お久しぶりです。イドグロッド首長」

 

「おやおや、誰かと思えば、モーサルの英雄じゃないか。久しぶりだね~。今日はどうしたんだい? それにカジートと……これはまぁ、随分可愛い娘達を連れてるじゃないか」

 

「私の親友と仲間、それから妹です。ウィンドヘルムで引き取ったんです」

 

 ポンポンとソフィの背を叩いて促すと、彼女は緊張した様子で、イドグロッド首長にぺこりと頭を下げた。

 イドグロッドも初々しいソフィの様子に、好々爺のように頬を緩ませて玉座から腰を上げると、優しげな笑顔を浮かべてソフィに近づいて孫にするように、その頭を何度かゆっくりと撫でた。

 

「ウィンドヘルムの方だけど、そっちはなんだか大変なことになったっんだって?」

 

「ええ、ドラゴンに襲われました。一応、解決していますけど」

 

「一応、ねえ。それで、私に会いに来た目的は何だい?」

 

 本題を話すように促し始めたイドグロッドを前に、健人は今一度、大きく深呼吸をしてから、神妙な口調でモーサルに戻ってきた目的を話し始めた。

 

「以前お預けしていた従士の件、お受けしようと思いまして……」

 

 預けていた従士の称号を受けたいという健人の言葉に、イドグロッドの瞳が興味深そうに細められる。

 

「ほう……。今受けるということは、何か理由があるんだろう?」

 

「ええ、少し……いえ、それなりの立場を得る必要が出たんです。それから、土地と家も必要になったので」

 

「それは、ウインドヘルムでの件も絡んでくるのかい?」

 

「……ええ」

 

「正直だね。でも悪いことじゃあないよ。聞かせなさい」

 

 ソフィを撫でていた手を引っ込め、イドグロッドは玉座に戻って深々と腰を掛けると、詳しい話をするよう健人に促す。

 口元に意味深な笑みを浮かべながら、イドグロッド首長はトントンと玉座のひじ掛けを叩く。

 見透かされているような視線を正面から向けられながらも、健人もまた表情を変えないまま、イドグロッドの視線を受け止めていた。

 数秒の空白。その後に健人は、ゆっくりと口を開く。

 

「自分は、ドラゴンボーンです。今代のドラゴンボーンと言われるリータ・ティグナとは別の」

 

 健人がドラゴンボーンであるという話を聞いた瞬間、イドグロッド首長の深い皺が刻まれた瞼が一瞬大きく見開かれ、続いて健人を射抜くように細められる。

 イドグロッドの護衛達にいたっては、自分の耳に入って来た言葉が信じられなかったのか、驚きの表情で硬直していた。

 

「ふん、なるほど。アンタがウインドヘルムから来たって知ってもしやと思っていたけど、あの街で大暴れしたのはアンタだったんだね。

それから、少し変な話も聞いたんだよ。アンタ、ドラゴンを見逃したんだって?」

 

「ええ……」

 

 一拍置いて、得心がいったというように息を吐いたイドグロッドが、玉座の背もたれに深々と身を預け、天井を見上げる。

 どうやら彼女は、健人が当事者であるとは知らなかったものの、ウィンドヘルムで誰かがドラゴン相手に大暴れした事は知っているようだった。

 さらに彼女は、健人がウィンドヘルムで行った事、すなわち、ドラゴンを倒しながらも逃した事も知っていた。

 イドグロッドは健人がドラゴンを見逃した事に思うところがあるのか、先程までの好々爺の笑みを一切排し、呆れとも警戒とも取れる無表情で健人の瞳を覗き込んでいる。

 

「なるほど、ずいぶん恨まれただろうねぇ。なんで逃がしたんだい?」

 

 嘘は許さない。

 そのような強い命令を言葉の裏に隠しながら、イドグロッドが健人にドラゴンを逃がした真意を問い質してくる。

 健人もまた、イドグロッドの恫喝にも似た厳しい視線から一切目を逸らさぬまま、胸を張って己の意思を示す。

 

「機会が必要だからです」

 

「機会?」

 

「はい、ドラゴンは確かに復活しました。でも、人間達も、もう支配されるだけの弱者ではないです。ドラゴンはその辺りを理解していません。特に、アルドゥインに蘇らされたドラゴンは、未だに力で支配してきた自分達の所業の結末を受け入れられていない」

 

 悠久の時を生きるドラゴンの時間感覚は、千年を生きるエルフと比べてもはるかに歩みが遅い。

 百年足らずで生を終える人間とは比べることもできない程、彼らはあらゆる感性の変化が遅いのだ。

 故に、遥か昔に力と欲に囚われ、自らの時代が終わったことを受け入れられていない。

 特にアルドゥインに復活させられたドラゴンはその傾向が顕著だ。

 

「同時に、人間もドラゴンを理解していません。ドラゴンは確かに傲慢で、不死身の肉体と魂を持ち、人間とは比較にならない力を持っていますが、完璧でもなければ完全でもない。自分達と変わらず、ちょっとした出会いに喜び、別れに悲しみ、言葉を交わせる存在です」

 

 だが、人間に問題がないのかと言われれば、そんな事は無い。

 ドラゴンは悪である、という固定概念があるのは確かだが、言葉が通じるドラゴンも存在する事を知る者はほぼいない。

 人もまた、古から続く因縁と無知の中で、目を曇らせている。

 相手の事を知ろうとしないまま刃を振り上げれば、後は報復の連鎖が続き、再び太古の悲惨な竜戦争が勃発することになる。

 そして、今度こそ、ドラゴンと人の、互いが滅びるまで殺しあう殲滅戦争になるだろう。

 

「それは、ドラゴンを一蹴できる人間のセリフだね。普通の人間には、そんな風には考えられないよ」

 

 だが、重ねられたイドグロッドの言葉が、健人の言葉を遮る。

 同時に、鋭い眼光の中に殺気にも似た強烈な覇気が込められ始める。

 たとえ年老いたとしても、彼女は此処ハイヤルマーチを守ると誓った首長……王である。

 だからこそ、例え街の恩人でも、ハイヤルマーチに害を及ぼしかねない存在を受け入れることはできない。

 

「そうですね。この世界の、今の時代を生きる普通の人間にはそうかもしれません。だから、時間が必要なんです」

 

「その時間も、一年二年じゃないね。少なくとも私の曾孫達はおろか、玄孫の世代でも難しいことは間違いない」

 

「そうですね。でも、何もしなかったら可能性すら生まれません」

 

 健人自身、自分だけでこの世界に根づくドラゴンと人間の確執を取り切れると思えるほど、傲慢ではない。

 そして、怒りの感情を否定する気もないし、否定する資格もない。

 そもそも、健人自身がドラゴンボーンとしての力を覚醒させた時も、怒りをきっかけとしている。

 そして、その怒りから焦り、取り返しのつかない事態を引き起こした経験すらある。

 ただ、例え否定されても、世界がどうしようもないほど怨嗟と怒りに染まっているのだとしても、声を張り上げずにはいられないのだ。

 ほんの僅かでも、灯った可能性の灯を消したくないのだ。

 

「それは、アンタの我儘だね」

 

「はい、俺の我儘です」

 

 だから、例え我儘だと言い切られても、健人はイドグロッドの声を否定せず、己の意思も曲げない。

 彼自身の答えは既に、あの雪と灰に包まれた島で見出していた。

 そして、胸の内に秘めた熱が、震える魂が、叫び続けている。

 理不尽な世界に負けるな、と。

 ウルフリックと比べても遜色ない程の覇気を帯びた眼光に突き刺されながらも、健人は声に己の意思を込めて、正面から槍のような視線を受け止める。

 

「……そうかい、それを聞いた上で、私の答えを言おう」

 

 そんな健人の姿に、イドグロッドはフッ……と何かを悟ったように発していた覇気を収め、深々と息を吐いてから数秒間瞑目すると、その表情に先ほどまで湛えていた穏やかな笑みを浮かべる。

 

「ようこそ、我らの英雄。モーサルは、新たな従士の誕生を祝おう」

 

 そして、彼女は健人を正式に、モーサルの従士として認め、受け入れることを宣言した。

 健人の後ろで気を張っていたカシトやリディアの口から安堵の息が漏れる。

 

「ケント、首長の権利により、アンタをモーサルの従士に任命する。記章となる武器と私兵、そして土地を買う権利を与えよう」

 

「ありがとうございます。私兵は……」

 

「もちろん、ヴァルディマーさ。問題ないね?」

 

「はい、こちらからお願いしたいくらいです」

 

 健人が後ろに振り返ってヴァルディマーに目を向ければ、壮年のノルドの戦士が、かつてのように最上級の礼を健人にしていた。

 

「そうかい、それじゃあ決まりだね」

 

「ありがとうございます。早速なんですけど、土地と家が欲しいのです。出来るなら、街から離れた場所が」

 

 従士として認められた健人は、さっそくイドグロッドに土地と家に関して聞いてみた。

 壊れた黒の書の事もあり、人里から離れた拠点を手に入れることも、健人がモーサルに来た目的の一つだったからだ。

 

「ふむ、分かった。確か、適した土地がモーサルの北にあったはずだ。用意させておこう」

 

「ありがとうございます。これが土地と家の代金になります」

 

 どうやら幸いなことに、健人の目的に適した土地がモーサルにはあるらしい。

 健人はさっそく、用意していた袋を取り出し、イドグロッドに手渡す。

 

「随分沢山のゴールドだねぇ。それに宝石も……。どこでこれだけの資金を?」

 

「ウィンドヘルムのドラゴン騒動での謝礼、それからレイブン・ロックに家があったんですけど、そこを売り払ったお金です。それから鉱山の採掘権とかがありまして……」

 

「レイブン・ロック鉱山? あそこは枯渇したんじゃないか?」

 

「最近、また新しい鉱脈が見つかったんです。その鉱脈を見つける際に少々騒動になりまして、それを収めた時に、鉱山の採掘をしているレドラン家から採掘に関する全権を渡されてしまって……」

 

 ウィンドヘルムでのドラゴン騒動を治めた際には、ウルフリックから公式にそれなりの謝礼を貰ったし、レイブン・ロックのセヴェリン邸を売り払った資金もあった。

 今の健人は以前と違い小金持ちだったりするが、実は現金や宝石などの貴金属以外にも、ちょっとした価値のある“もの”を所有している。

 それが、レイブン・ロック鉱山の採掘権である。

 鉱山自体はレドラン家が有しているものだが、新たな黒壇の鉱脈を発見したのは健人である。

 故に、健人にも新たな鉱脈の所有権があり、その権利を、鉱山を治めるモーヴァイン評議員が採掘権という形で渡していたのだ。

 

「自分はレイブン・ロックに留まれないので、さすがに辞退しようとしたのですが、権利は持ったまま、裁量権をレドラン家に預けるかわりに定期的にゴールドを貰えることになって……」

 

 額としては採掘量に応じて月に数百から千ゴールド前後。それを毎年恵雨の月に纏めて、現金、書面、又は手形という形で貰えることになっている。

 

「へえ……」

 

 金の匂いがする話を聞いたためか、イドグロッドの視線が再び覇気を纏い始める。

 健人はその覇気の色が何となくお金色をしているような気がした。

 モーサルは産業に乏しく、寂れているから、統治している首長としてはこの手の商売の話には興味をそそられるのだろう。

 とはいえ、変な言質を取られると累が及んで面倒な交渉を任される可能性がある。

 健人は下手な約束事を結ばされる前に予防線を張ることにした。

 

「首長、便宜を図れとか無理ですよ? 俺はあくまで功労者の一人でしかないんですから」

 

「でも、レドラン家とパイプがあるんだろう? ダンマーの五大家の中でも屈指の石頭なあのレドラン家に」

 

「ええっと、まあ……」

 

 グイグイと玉座から身を乗り出しているイドグロッドに、健人は冷や汗を浮かべた。

 健人が張ろうとした予防線を分かった上で、これ見よがしにレドラン家を強調して、しっかり無視している。

 現に、レドラン家はダンマー五大家の中でも最も保守的な大家であり、他種族に対しては本来最も排他的である。

 そんな家の評議員直々に、家と土地を与えられる程認められたとなれば、例え金銭の話抜きにしても興味をそそられるのも無理はない。

 

「後、テルヴァンニ家ともね~~」

 

「カシト……」

 

 さらに後ろにいたカシトから、余計な一言まで加えられた。

 ダンマーは同じ大家に属する者同士の繋がりが非常に強いため、同じ種族間でも他の大家と友好的な関係を結ぶことはそう無い。

 少なくとも、大家間での謀略や暗殺を数千年単位で繰り返している間柄だ。

 また、テルヴァンニ家はそもそも他の大家と比較しても、どこか斜め上を走る勢力である。

 魔法研究を行っていただけあり、モロウウィンドだけでなくタムリエルの中でも太古からの魔法研究の権威であるが、同時に研究に傾倒しすぎて頭のネジが二、三本外れたような者達が多い大家であった。

 マスターウィザードが“あの”ネロスであるということだけでお察しだが、当然ながら、他の大家からは、どの家よりも距離を置かれている。

 保守的な大家と変人集団の大家、双方から認められているなど、異例中の異例である。

 同時に、イドグロッドもそんなテルヴァンニ家の風評は聞いているのか、お金色に染まっていた視線に少しずつ懐疑的な色が混じり始める。

 イドグロッドとしては興味ついでにお金になるような話を聞ければ御の字だったのだが、話は妙な方向に走り始めていたからだ。

 

「いいじゃん、ネロスからテルヴァンニ家のローブも貰ったんだし、間違いじゃないでしょ?」

 

「ケント、一体何やったんだい?」

 

 ネロスからテルヴァンニ家のローブを貰った。

 カシトからこの話を聞いたイドグロッドの顔が興味に満ちたものから、一気に胡散臭いもの、もしくは奇妙奇天烈で理解できない存在を見るようなものに変わった。

 

「ええっと、レドラン家の評議員を襲ったモラグ・トングを討伐したり、テルヴァンニ家のネロスっていうマスターウィザードから色々無理難題言いつけられたり……」

 

 健人が指を折りながら数え始めた話を聞きながら、イドグロッドは心の奥底で、我がホールドの新しい従士は何してきたのかと、本気で悩み始めた。

 彼がこのモーサルから旅立ってから、まだ一年も経っていない。

 ソルスセイムへの渡航に要した時間を考えれば、あまりにも濃すぎる話である。

 いくら健人がドラゴンボーンだとしても、ちょっとあり得ない程のトラブル襲撃頻度だった。

 

「ケント、いっそ全部話したら? 史上最初のドラゴンボーンの事とかスコールの事とかハルメアス・モラの事とか」

 

「え、ええ? 本気で言ってるのか?」

 

「そのくらい言わないと、多分説得力無いんじゃないかな?」

 

 さらに追い打ちをかけるように、カシトの口からちょっと信じられない単語が出てきた。

 話によっては、周知されている歴史が覆るような話が。

 

「……アンタ、本当に何やってたんだい?」

 

 とりあえず、場を繋ごうとイドグロッドが口にした声は、先程健人との問答で見せていた覇気とは比べ物にならない程力なく、投げやりなものになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえず、健人からソルスセイムで経験してきたことを一通り聞いたイドグロッドの心境は、戸惑いが一周回って爽快なものになっていた。

 

「ククク……面白いじゃないか。いいね、英雄っていうは、その位破天荒な方がいい」

 

「破天荒って……酷くないですか?」

 

「デイドラロードの一柱を倒しておいて何を言ってるんだい。私が知る限り、そんな事をやらかした定命の者は、長いタムリエルの歴史の中でも片手の数もいないよ。

 私達ノルドが羨むような冒険をしてきたみたいじゃないか~」

 

 イドグロッドは健人の話を信じたようだが、彼女の後ろで話を聞いていた護衛達は、未だに健人の話を受け止め切れていない様子で、何とも言えない微妙な表情を浮かべている。

 健人も彼らの気持ちは理解できるために、努めて彼らの方は見ないようにしながら話を続ける。

 

「あの邪神の相手をした身としては本当に勘弁なんですけど……。まあ、街から離れた場所に家が欲しい理由はそれです。ちょっと厄介な危険物を押し付けられまして……」

 

 健人は身に纏っていた外套を少し開け、腰に収めた黒い表紙の本をチラリとイドグロッドに見せた。

 

「……黒の書かい」

 

「正確には、壊れた黒の書です。機能不全を起こしているので、どうにも自分以外が開くと奇妙な文を示すだけになってしまって……」

 

 壊れた黒の書。

 ハルメアス・モラが創造したアーティファクトの成れの果てであり、同時に健人の話が本当であるという確固たる証拠である。

 明確な物的証拠を目にし、困惑していた首長たちの護衛はついに心の許容量が満杯になったのか、頭を押さえてその場に蹲ってしまった。

 

「ちなみに、アンタが開くとどうなるんだい?」

 

「自分が知りたい事が書き出されます」

 

「ハルメアス・モラからの干渉は?」

 

「今のところありません」

 

「なるほど、それがハルメアス・モラからの報酬という事かい。いや、ケントに壊されて自分では使えなくなったから、褒美にあげたというところか?

 どちらにしろ、魔術師が聞いたら目の色を変えそうだ。ファリオンには黙っていた方がいいかもね。

 まあ、聞いた感じだと、アンタ以外じゃ使えない代物みたいだから問題なさそうだけど」

 

 デイドラアーティファクトを持つ人間を受け入れるというのは、普通の人間なら躊躇するだろう。

 しかし、ハイヤルマーチの首長たるイドグロッドは一度健人を受け入れると決めた以上、黒の書のことを聞いても、約束を反故にする気は全くない様子だった。

 健人は黒の書の事を知っても変わらない首長の態度に内心安堵しつつ、もう一つ、聞かなければならない事を訪ねる。

 

「それで首長。話は変わりますが、もう一つ頼みたいことが……」

 

「ん? 何だい?」

 

「もう一人のドラゴンボーン、リータ・ティグナについて、情報はありませんか?」

 

「……一応、ケントはどの程度の情報を知っているのか聞いてもいいかい?」

 

「春になると同時にリーチホールドを出た、という事くらいですね」

 

「ふむ、私の知る限りだと、ドラゴンボーンはリーチを出た後に一度世界のノドを上り、その後イヴァルステッドから北に向かったらしい。行先は……生憎と掴めていないよ」

 

「そうですか……」

 

「他に情報の宛はあるのかい?」

 

「ウィンドヘルムのウルフリック首長から、リータに関する情報を得られる手はずになっています」

 

「そうかい。ストームクローク勢力下の情報は手に入るんだね。なら、帝国側の情報は私が集めよう。二つを合わせれば、スカイリム中を網羅できるはずさ」

 

「……ありがとうございます」

 

 とりあえずこれで、必要な話は全て終わった。

 健人はモーサルに来た最大の目的が恙なく終わったことに安心して、大きく息を吐く。

 

「ああ、そうだ。家を建てるなら街の製材所を訪ねるといい。色々他の道具も取り扱ってくれるし、アンタが頼めば手伝ってもくれるはずさ」

 

「重ね重ね、本当にありがとうございます。それでは……」

 

「いや、嬉しいのはこちらの方さ。君程の人物をモーサルに迎えられるんだからね。これから、よろしく頼むよ、ケント……」

 

「はい、よろしくお願いします。イドグロット首長」

 

 健人はイドグロッドと握手を交わすと、新たに自分の私兵となったヴァルディマーに向き直る。

 彼との出会いはモーサルにおける吸血鬼騒動に端を発するが、その事件が解決した時から、彼は健人の私兵になることを誓っていた。

 ヴァルディマーはようやく健人に仕えられる事に歓喜しているのか、健人に視線を向けられると、万感の想いを全身から溢れさせながら、己の主の前で膝をついて臣下の礼を取る。

 

「従士様、これからよろしくお願いします」

 

「ええ、よろしく、ヴァルディマーさん……いや、ヴァルディマーって呼び捨ての方がいいか?」

 

「御心のままに。我が力、我が命、全てでもって貴方に仕えます」

 

 健人は主として、ヴァルディマーの忠誠を受けると、立つように促し、そのままカシト達を伴ってフルムーン邸を後にした。

 

「とりあえず、製材所に行って、家を建ててもらうよう頼もう。家が建つまでは……宿屋暮らしかな?」

 

「そうだね、とりあえず、今日は宿屋に泊まろうか」

 

 日はまだ高いが、スカイリムでも北に位置する上、霧がかかりやすいモーサルの夜は暗くなるのが早い。

 製材所に話を通すのは明日にして、今日はとりあえず宿をとることを優先した。

 宿は当然、健人が修業時代に利用していた宿屋、ムーアサイドである。

 

「そういえば、あの事件の後、モーサルの皆はどう?」

 

 ソフィ達と一緒に宿屋へと向かいながら、健人はヴァルディマーに自分がいなかった間のモーサルについて尋ねてみた。

 

「例の吸血鬼の一件で利用されていたフロガーですが、今でも製材所で働いています。同じ製材所のソンニールが、かなり気を使っているみたいです。やはり、同じ事件で家族を亡くしている事が二人の連帯をより強くしているようです」

 

 モヴァルスが自分の配下であるアルバを送り込み、モーサルを乗っ取ろうとしていた事件は、下手をすればこの静かな街が死者の街になりかねなかった大きな災いであった。

 その中で、微妙な立場に立たされていたのがフロガーであった。

 フロガーはアルバに魅了の魔法で操られて、彼女の棺を守る番人をやらされていたが、アルバが死亡したことで魔法から解放された。

 しかし、操られていたとはいえ吸血鬼に加担していたことは間違いないため、事件解決直後、健人はフロガーが街を出て行くかもしれないと思っていた。

 だが、同じ事件で妻を亡くしたソンニールが彼を気にかけることで、街の人達も徐々にフロガーの境遇を受け入れてくれるようになったらしい。

 健人はとりあえず、あの事件の当事者が今でもこの街で暮らしていけていることに、少しだけ安堵した。

 

「そういえばケント様、最近、宿屋の吟遊詩人であるルーブクが新しい歌を披露するようになったのですが、ウィンドヘルムを襲ったドラゴンを退けた英雄の歌だそうです」

 

「……え゛」

 

 だが、続けてヴァルディマーの口から述べられた言葉に、健人は思わず変な声を漏らした。

 ウィンドヘルムを襲ったドラゴンを退けた英雄。心当たりがありすぎる。

 というか、先程イドグロッドとの話にも出てきたばっかりのネタである。

 健人が思わずヴァルディマーの顔に目を向ければ、彼はこれ以上ないほど歓喜に満ちた笑みを浮かべている。

 どうやらこの私兵、主が称えられることが嬉しくて仕方ないようだ。

 

「へえ~。つまり、ケントを讃えた歌ってこと? 良いね! 早速聞きに行こうよ!」

 

「楽しみですね。いい酒が飲めそうです」

 

「……楽しみ」

 

 ウィンドヘルムでヴィントゥルースを退けた英雄の歌など、健人は聞いたことはない。

 当然だ。その歌が出回る前に、健人はウィンドヘルムを発って、ずっと旅をしていたのだから。

 健人達がこの街に到着する前に歌が出回っていることを考えれば、ヴィントゥルース襲撃後、直ぐにウィンドヘルムを旅立った誰かから話を聞いたのだろう。

 現にイドグロッドもウィンドヘルムがドラゴンに襲われた事は知っていたから、他の人も知っていてもおかしくない。

 だが、健人がその話を聞きたいかと言われれば、彼は思いっきり首を横に振って拒否するだろう。

 ドラゴンボーンとして覚醒しても、彼の感性は日本の一般人のそれを色濃く残しているからだ。

 

「……そうか、カシト、俺は今日野宿するから、後はよろし……」

 

 今日は自分だけ野宿にしよう。

 心の中でそう決めた健人が踵を返そうとするが、その前に後ろに回ったカシトに掴み掛られた。

 

「そんなこと言わずに聞きに行こうよ!」

 

 カシトは楽しげに髭をヒクヒク動かしながら、背中に抱き着いて体重をかけてくる。

 彼としても親友が褒められるのは嬉しいのだろうが、健人としては御免被りたかった。

 

「止めろバカ! 吟遊詩人の過美過飾な讃美歌なんて、とても恥ずかしくて聞いてられるか! どんな羞恥プレイだよ!」

 

「ええ~? ケント、こんなに早く歌になっているって事は、それだけスゴイ事したってことなんだよ? それに、どんな歌か聞いてみなきゃ分からないじゃない」

 

「分かる! 絶対分かる! ごくごく普通の日本人のはずの俺が八頭身の銀髪の貴公子とか白馬の王子様とかに変えられて絶体絶命のお姫様を助けるとか、そんな感じで歌われるんだ!

 ついでにキザッたらしいセリフでドラゴンに挑んで、その後助けた姫様と結婚の約束を交わしたとか、“必ずあなたの元に戻ってきて幸せにします”とか、そんな根も葉もない事を言ったことにされてる! 絶対そうに決まってる!」

 

「な、なんかやけに具体的だね……」

 

 即興で歌の内容まで詳細に予想してきた健人の言葉に、カシトも思わず眉をヒクつかせる。

 一方、映画や小説などの娯楽の豊富な日本で生きていた健人としては、頭の中で王道どころか使われすぎて胸焼けするか、あまりにピンク一色な内容でもはやネタにしかならないような話を予想していた。

 もしルーブクの歌が本当にこんな感じの歌だったら、健人は恥ずかしさから悶死する自信があった。

 そもそも、お姫様ということは、父親はあのウルフリックということになるが、そもそも彼に後継者とかいただろうか?

 予想だにしていなかった非常事態に、健人も思考があちこちに飛び始めている。

 

「まあ、外見とかの文言はともかくとして、絶体絶命のお姫様を助けたのは間違ってないよね?」

 

「……え?」

 

「ほら」

 

「…………」

 

 カシトが指さした先には、モジモジと恥ずかしそうに体を揺らしながらも、嬉しそうに顔を赤らめているソフィがいた。

 

「助けられたお姫様」

 

「いや、その……うん。まあ、確かに助けたけど……じゃない! 本題はそこじゃない! こっぱずかしい物語なんて聞いていられないって言っているんだ! そんな歌を聞くくらいなら、ヴィントゥルースと一晩中殴り合っていた方がマシだ!」

 

 顔を赤面させているソフィから無理やり視線を逸らしながら、健人は抵抗を続ける。

 確かに助けたのは本当だし、家族にはなったが、そもそも結婚という話は微塵も出ていない。

 

「むぅ……」

 

 一方のソフィは兄の抵抗を見て、先程の赤ら顔から一変。不満そうに頬を膨らませている。

 どうやら、健人の抵抗がお気に召さない様子だった。

 

「ケント、随分と感覚がズレてきたよね。そこまで嫌なのか……なら、仕方ないよね」

 

「そうか分かって……何でリディアさんとヴァルディマーが俺の両手を掴むんだ?」

 

 良かった、解放される。

 健人がそう思えたのも束の間、健人の動きをさらに封じるように、リディアとヴァルディマーがその腕を掴んできた。

 三人は互いに視線を合わせると、皆一様に心得たというように頷いている。

 

「このまま皆で宿まで連行していこう。ケントのこんな面白そうな反応、見逃す理由はないよ~?」

 

「カシト、お前……! リディアさん、その手を放してください!」

 

「ああ、すみませんケント殿。ケント殿を守ると誓った身ですが、体が勝手に~~」

 

「また酒でもやってんのか! ヴァルディマー、最初の命令だ! その手を離せ!」

 

「すみません、従士様。これも仲間となる方々を知るには必要だと思いますし、モーサル以外での従士様の活躍を知るいい機会ですので、ご容赦ください」

 

「う、裏切り者~~~! ソフィ、助けてくれ!」

 

「……お兄ちゃんも一緒に行く」

 

 最後の希望も、兄の懇願をきっちり聞いた上でしっかり無視したソフィに砕かれた。

 親友に背中から組み付かれ、私兵達に両脇を固められ、妹に外套の裾を掴まれながら、健人は引きずられるようにムーアサイドへ連れていかれた。

 この後、健人は重低音とラヴいうオプションまで付けられた上で、他人が脚色しまくって原型を無くした英雄譚を無理やり聞かされ、幽玄の街に撃沈した。

 その横では猫獣人がどこかから話を聞きつけた首長と一緒に笑い転げ、姉の従者と健人の私兵は感動しながら蜂蜜酒を煽っていたらしい。

 ちなみに、肝心の妹様は歌に使われている詩には大変ご満悦だったが、肝心の歌の音調には終始不満気だった。

 

 




健人、正式にモーサルの従士になりました。当時に家と私兵をゲット。
家はこれから建てていくことになりますが、小説としては、次はリータサイドの戻る予定です。

追記
9月25日
今話の最初に付け加えることがあったのを忘れていたので、書き足しておきました。


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第六話 ブラックリーチ

という訳で、久しぶりの更新です。
今回は、本編の続きになります。



 ブラックリーチ。

 その場所にたどり着いたとき、リータ達は目の前に広がる光景に思わず言葉を失った。

 彼らの目の前に現れたのは、オブリビオンまで続いているのではと思えるほどの大空洞。

 本来、暗闇に包まれているはずの空洞内は、岩や劣化して罅割れたタイルの隙間から生えたコケやキノコから発せられる燐光に照らされ、岩石に覆われた天井は、まるで星空を見上げたかのように輝いている。

 そして空洞内には霧が立ち込め、自家発光するキノコの光を照り返し、廃墟と化した巨大都市をさらに幻想的なものへと変えていた。

 実際、この大空洞の大きさは一つのホールドに匹敵するほどの広さがある。

 ブラックリーチはこの世界でも随一の技術力を持っていた種族、ドゥーマーが作り上げた地下都市であり、主たるドゥーマーが姿を消して数千年経った今でも、その優れた建造物は時の風化に抗い続けている。

 それでも長年の浸食による劣化は避けられず、巨大都市にかつて建っていた多くの建造物は倒壊し、泥やコケに覆われ、その全盛期の姿を確かめる事は出来なかった。

 それでも、かつてのドゥーマー最大の都市が放っていた威容は、わずかに残った建造物からでも感じ取れるほど荘厳で、幻想的な地下世界の光明と相まって、見る者を圧倒する。

 そんな巨大都市の遺跡の中、リータ達は比較的原形を留めていた小屋を拠点に、この大空洞の探索を続けていた。

 リータ達が拠点とした小屋には最近まで人が生活していた形跡があり、生活に必要なものだけでなく、薬などを作るための錬金器具も一通りそろっていた。

 小屋の中には住人と思われる人物の遺体もあり、傍に残されていた本や日記などから、この小屋に住んでいた住人が、シンデリオンという名のエルフであることが分かった。

 また、大空洞の中には地底湖や川も存在しており、大空洞に来るまでに調査隊が残していた保存食などもあったため、リータ達四人はこの地下空間にそれなりの期間、留まることができていた。

 ブラックリーチの探索を始めてから二週間。

 アルフタンド周辺の探索を終えたリータ達は、次はどこに探索の足を延ばすかを話し合い、結果として彼らは拠点としていた小屋を離れ、西を目指すことにした。

 

「西を目指すと決めたはいいが、なんだか嫌な予感がしやがる……」

 

 シンデリオンの小屋が建つ丘の上から、西の方角を眺めながら、ドルマはそう呟いた。

 彼の言葉に同意するように、隣に立つリータが小さく頷く。

 

「でも、あんな特徴的な塔がある以上、何か手掛かりがあるかもしれない」

 

 彼女がドルマの意見に頷いた理由。それは彼らが見つめる西の方向に、このブラックリーチの中でも特に特徴的な塔が存在するからだ。

 ちょうど、このブラックリーチの中央に建てられた、巨大な建造物。

 その建造物を他と際立たせているのが、中央に吊り下げられた巨大なランタンだった。

 蝋燭や油を燃やした時とは違う、常に一定の光量を放ち続けるランタン。

 健人がそれを見れば、地球にある巨大な電飾灯を思い返すであろう代物だ。

 

「あの塔、何かありそう……」

 

「ああ、あの建物は特に目立つし、巨大な光球に何かあるかもしれない」

 

 多くの建造物が倒壊しているブラックリーチだが、巨大な建造物は遠目から見ても、比較的保存状態も良好のように見えた。

 また、このブラックリーチにはホワイトランのドラゴンズリーチに匹敵するような建造物も多く、それが同時に、リータ達の探索を悩ませる元凶にもなっていた。

 どれがムザークの塔なのか、外観だけでは判断が付かないのである。

“塔”という言葉から、それに類するような外見の建造物を見渡してみたこともあるが、塔と思えるような建造物は複数残っている。

 ブラックリーチに来てからしばらくは拠点とした小屋近くの建造物を確認したが、どれも目的としていたムザークの塔ではなかった。

 もう一つ、リータ達の探索の障害となったのが、ドゥーマーの遺物であるオートマトンと、ファルメルと呼ばれる異形の存在である。

 ファルメルは元々、ファルマーと呼ばれるエルフ種の一種であり、ノルドがタムリエルに来る以前からスカイリムに住んでいた種族である。

 初めは移住してきたノルドと共生していたファルマーだったが、爆発的に数を増やす人間種に脅威を感じ、やがてそれは種族間戦争へと発展。

 結果としてファルマーはノルドに敗れ、同じエルフ種であるドゥーマーを頼り、彼らの元に身を寄せることになる。

 しかし、ファルマーに襲い掛かる不運はそれだけでは終わらず、同種であるはずのドゥーマーから奴隷として扱われ、視力や知性を奪われてしまう。

 そして、主であるドゥーマーが姿を消したことで、押し止める枷を無くした彼らは、理性を失い、狂暴化したまま地下世界へと広がった。

 知性を失ったファルメル達に会話は通用しない。

 同族以外を見つければ、容赦なく襲い掛かってくる。

 彼らは主に剣や弓など、地上でもごく一般的に普及しているような武器を使うが、その武器に毒を塗布していることが多い。

 おまけに彼らは元々エルフ種であることもあり、魔法を使える個体も存在する。

 この巨大な地下空間を探索しなければならないリータ達にとっては、頭の痛い存在だった。

 当然ながら、ブラックリーチも彼らの支配領域の中である。

 おまけにこの遺跡の中には、ドゥーマー名物のオートマトンも徘徊している。

 ファルメルとオートマトンは数千年に渡る地下生活の中で、互いに協定というか、ある種の住み分けがされている事が二週間の探索で分かっていた。

 だが、その住み分けも曖昧なものなのか、探索中にファルメルとオートマトンの小競り合いに何度か遭遇していた。

 リータ達が拠点とした小屋は、まさに両者の勢力が均衡する境界付近に建っていたものである。

それが、彼女達がこの大空洞に滞在している間、十分な休息を取れていた理由であった。

 

「少し時間をかけ過ぎた。早くしないと……」

 

 一刻も早くドラゴンレンドを手に入れたい彼女は、目の前に広がる大空間を睨みつけながら、そんな言葉を呟く。

 ここしばらく、ブラックリーチで足止めを食らっていたことが、リータに焦燥を抱かせていた。

 

「また、あの色白の目無しと絡繰り人形を相手にすることになるな……」

 

そんな言葉を呟きながらも、ドルマはチラリと、隣にいる想い人の様子を覗き見る。

黒檀の兜の奥から覗く想い人の蒼の瞳に、思わず意識が吸い込まれそうになった。

 

「っ……」

 

 リータに見惚れていたことに気付き、ドルマはハッと視線を逸らす。

幸い、リータはずっと霧の奥で輝く光球を眺めていたようで、彼の視線には気付いていない。

見惚れていたという気恥ずかしさと同時に、罪悪感が一気に込み上げる。

素直に自分の感情を口にするには、彼はあまりにも捻くれ、頑なで、同時に色々なものを抱えすぎていた。

 

「準備が出来たわ、ドラゴンボーン。行きましょう」

 

 シンデリオンの小屋から、デルフィンとエズバーンが出てくる。

 リータはデルフィン達を一瞥して頷くと、再び霧にそびえる塔に視線を映した。

 

「ここしばらく周辺の調査をしたが、ムザークの塔は見つからなかった。おそらくだが、あの巨大なランタンが掲げられた塔、もしくは、そのさらに奥にあるのかもしれん」

 

 リータの視線に促されるようにエズバーンが己の予想を口にする。

 彼らが今まで調査できたのは、ブラックリーチの北東部のみ。そこでムザークの塔が見つからなかった以上、探索範囲を広げなければならない。

 

「問題があるとしたら、あの辺りは完全にファルメルの支配下ってことくらいね。それから、人間もいるみたいよ」

 

「人間? どうしてこんな地下深くに……」

 

 このブラックリーチは、ウインターホールドからペイルホールドにかけての地下深くに存在する。

 当然、地上に住んでいる人間が簡単に辿り着けるような場所ではない。

 だが、デルフィンの話では、相当な数の人間種が、あの塔付近にいるらしい。

 

「ファルメルの奴隷ね。地上から攫って来てきたのか、それともここで繁殖させたのかは分からないけど」

 

 ファルメルは人の言葉を解さない一方、社会性動物として一定の文化を形成しており、シャウラスと呼ばれる巨大な昆虫に似た生物を家畜として育て、その殻などから様々な道具を作り出している。

 それは、かつて彼らがファルマー、スノーエルフと呼ばれていた頃の名残なのか、はたまた光を失った世界で彼らが習得してきた知恵なのかは分からない。

 だが、彼らが社会性動物として一定の水準に達していることは間違いなく、家畜がいる以上、奴隷という存在がいてもおかしくはない。

 

「戦える? ドラゴンボーン」

 

 人間がいると言う事で、デルフィンがリータに窺うような視線を向ける。

 

「問題ない。邪魔をするなら皆殺しにする」

 

「そう、なら問題ないわね」

 

 だが、そんなデルフィンの視線を受けたリータの返答は、淡々としたものだった。

 既にリータは、ドラゴンを殲滅するためなら、同族を殺す事も厭わなくなっていた。

 この一年ばかりの旅の中で、彼女が戦ったのはドラゴンだけではない。

 ドラウグルなどのアンデッドから、クマやフロストバイトスパイダーのような怪物達。さらには、山賊やならず者なども人間種にも数多手に掛けてきた。

 内乱で治安の悪化したスカイリムでは、少し町から離れただけで襲われることもあった。

 戦いに次ぐ戦い、血で血を洗うような闘争の連続。

 無数の命を刈り取ってきたリータは、既に他者の命を奪う事を完全に割り切っている。

 そうでなければ……心が死んでしまうから。

 冷たい黒檀の兜のバイザーから覗く蒼色の瞳が、隣に立つドルマに向けられる。

 何かを訴えるような、求めるような視線。

 そんな目を向けられたドルマだが、健人についての秘密と、彼に対して自らが行おうとしている行為を隠している罪悪感から、反射的に目を逸らしてしまった。

 リータの青い瞳に、深い悲しみと落胆の色が浮かぶ。

 

「ねえ、ドルマ」

 

「なんだ?」

 

「何か、隠してること、無い?」

 

 唐突に突き付けられた言葉に、ドルマは思わず目を見開いた。

 

「何の話だよ」

 

 努めて冷静さを装うドルマだが、問い詰めるようなリータの視線は変わらない。

 睨み付けているのではと思えるその瞳に、ドルマは思わず唾を飲む。

その仕草に、リータの疑惑の視線がますます強くなった。

 

「隠している事はあるわ」

 

 そんな二人の間に、なんとデルフィンが、隠し事をしていると宣言しながら割って入ってきた。

 

「お、おい! デルフィン!」

 

 彼女の思わぬ行動に、ドルマは思わず声を荒げる。

 健人がドラゴンボーンとなった事を口にするのかと、強い視線でデルフィンに訴えるが、彼女はそよ風のようにドルマの視線を受け流すと、淡々とした足取りでリータに歩み寄った。

 問い詰めるようなリータの視線が、ドルマからデルフィンへと移る。

 何を隠しているのか、この場で話せ。

 そう語ってくるリータの視線を正面から受け止めながら、デルフィンはゆっくりと口を開いた。

 

「パーサーナックスの事よ」

 

「パーサーナックス?」

 

 思わぬ名前が出たことに、リータは首を傾げた。

 一方、ドルマはデルフィンが何を言おうとしているのか分からず、当惑した表情を浮かべている。

 だが、デルフィンの言葉に集中しているリータは、ドルマが戸惑いの表情を浮かべていることに気付かない。

 

「ええ、あのドラゴンを、殺す事……」

 

「っ!」

 

 パーサーナックスを殺す。

 その言葉を耳にした瞬間、リータは全身を強張らせた。

 

「不思議かしら? あのドラゴンの過去は話したでしょう? 人に対して最も苛烈な統治を施し、多くの命を殺し尽くした残虐な君主。例え今は大人しくても、彼もまた、シャウトで定められた己の名と運命には逆らえない」

 

 畳みかけるように、デルフィンは言葉を続ける。

 ドラゴンはドラゴンボーンに殺されない限り死ぬことは無く、永遠の時間の前には、たとえドラゴンの強靭な精神も儚いもの。

 いつの日か、パーサーナックスは時の流れの中で己の欲に負け、再びその残虐性を露にすると。

 

「その前に殺してあげる事が、せめてもの救いになるわ。それとも、迷っているの? ドラゴンを殺し尽くすことを決めたのに?」

 

「…………」

 

 唇を噛みしめながら、リータはデルフィンを睨み付ける。

 否定も肯定も出来ないその様子が、彼女の懊悩を如実に示していた。

 しばしの間、視線を交わす両者。

やがてリータは視線を逸らすと、おもむろに西に向けて歩き始めた。

 

「……行くわ」

 

「まあ、今はアルドゥインを倒すことが最優先。その為にもドラゴンレンドの習得を優先することに否は無いわ。でも貴方は、人類の希望。今言った事には、必ず向き合うことになる。弟の為にも、自分が何をすべきなのかを考えなさい」

 

 逃げるように歩を進めるリータが脇を通り過ぎる中、デルフィンがあからさまな大声でリータに忠告する。

 その忠告を背中で受けながらも、リータは足を止めることなく、薄暗い霧の奥へと足を進めていく。

 

「おい、お前……」

 

 パーサーナックスの殺害という、予想外の事を口にしたデルフィンにドルマが詰め寄ろうとするが、彼の気勢は射殺すようなデルフィンの眼光に止められた。

 デルフィンがパーサーナックスの殺害を仄めかせたのは、それが彼らの目的であり、いつかドラゴンボーンに提案する事であった事もそうだが、リータに詰め寄られたドルマが、健人について口を割ってしまうことを防ぐ意味合いもあった。

 鋭い視線で、デルフィンはこう告げている。

 一体何をしているのか。健人の事が彼女に知られたら、リータが戦う根幹にどれほど深刻な影響を及ぼしていたのかと。

 リータが今ドラゴン殲滅の為に動いている全ての理由は、義弟の為である。

 戦う力の無かった彼を危険な目に遭わせないためにも、彼女はあえて彼の意志を折り、ホワイトランへと返した。

 そんな彼女の精神を今支えているドルマが、リータに不信を抱かれるような様子を見せたこと、デルフィンは咎めていた。

 とはいえ、ドルマは元々、健人とは違う方向で、隠し事が得意なタイプではない。

 このような事が起こりえるから、デルフィンとしてはドルマにも健人がドラゴンボーンであり、ドラゴン殲滅を邪魔してくる可能性がある事を話したくはなかった。

 一方、健人がデイドラロードに魅入られたと思っているドルマは、荒れ狂う自分の心を抑え込むのに手一杯だった。

 健人と相対する覚悟は決めたはずだった。

デルフィンは健人が敵対しなければ手を出さないと言っているが、デイドラロードに魅入られた以上、ドルマは既に健人が、以前とは別人になってしまったと確信してしまっている。

だが、リータの前に出ると、どうしてもその覚悟が揺れ動いてしまう。

もしかしたら、健人はかつての自分が知る彼のままなのではないか。そんなありもしない希望が、頭をよぎってしまう。

かつての己の行いを恥じ、さらに傍から見ても卑怯ともいえる行為を成そうとしている罪悪感を抱えているからこそ。さらにはこの世界における常識を知り、その世界しか知らないからこそ、ドルマは己の堅く狭い檻に囚われ、懊悩を抱えることになっている。

 

「先へ進むわよ」

 

「ああ、分かってるさ……」

 

 振り切ったつもりだった懊悩。

 己が何も割り切れていないことを突き付けられたドルマは、唇を噛みしめたまま、デルフィン達の後に続く。

 悲しみと落胆、そして迷いを抱えたまま、それでも一行は星霜の書があると語られたムザークの塔を探し求めて、ブラックリーチの未調査エリアを進み始める。

 ひんやりと冷たい空気に満ちた大空洞。霧に覆いつくされた道が、彼らの行く末を暗示しているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここだ、この奥に……」

 

 氷に囲まれた洞窟を、黒いローブを被った老人が行く。

 所々で視界の端に入ってくる遺跡に目を奪われながらも、老人はしっかりとした足取りで、奥へ奥へと進んでいく。

 

「ああ、我が神よ。もうすぐ、もうすぐ啓示を成せますぞ。その暁には……」

 

「ギャウ、ギャウ!」

 

「カァァアアァ……!」

 

 ブツブツと独り言をつぶやいていた老人の前に、唸り声を上げながら、二体の異形が姿を現す。

 病的なまでに真っ白の肌と、サルのように曲がった背骨。

両眼は先天的に潰れ、瞼もほぼ肌と一体化し、こけた頬には、かつての高貴な貴族の面影は微塵も感じられない。

 ファルメル。

 スカイリムにかつて住んでいたスノーエルフの末裔。

 ドゥーマーに騙され、両目の光を失い、奴隷に落とされた哀れな種族。

 同族以外は容赦なく襲い、その血肉を食らう獰猛なファルメルを前に、ローブの男は侮蔑と哀れみの視線を向けると、まるで演説をする政治家のように、大きく手を広げて天井を仰いだ。

 

「おお、蒙昧な罪人。彼らの英知を理解しない奴隷と、その奴隷どもの末裔……。偉大なる遺産に汚らしい泥と糞を塗り付ける事しかできない者達。哀れだ、哀れに過ぎる。せめてこのセプティマスが偉大なる御方の力の一端を見せて、その白痴に染まった頭に知識の一片を注ぎ込んでやろう」

 

 そう言いながら、ローブの男、セプティマス・シグナスは、右手を掲げてマジカを集めると、魔法を発動した。

 セプティマスの右手から放たれた赤い光が、ファルメル達を包み込む。

 すると、ファルメルは突然害意を納め、うな垂れるようにその場に佇んだ。

 

「やはり脆弱だ。知識無き力しか持たぬ者を操る事の、なんと容易い事か」

 

セプティマスが使ったのは、幻惑魔法に属する魅了の魔法。

 熟練者クラスに属する、極めて高位の魔法は、ファルメル達の精神を乗っ取ると、被害者を術者に忠実な人形へと変える。

 セプティマスは手駒になったファルメルの姿に満足そうに頷くと、そっと己の胸元に手を当てた。

 ボロボロになったローブの胸元に隠されているのは、主神からの贈り物。

 偉大なる御方から与えられた至宝、オグマ・インフィニウムが納められている。

 

「ククク……。後少し、後少しで、偉大なる御方より知識を賜れる。後少し、後少し……」

 

 秘宝の感触を手の平に感じながらも、セプティマスは口元にゾッとする笑みを浮かべ、支配下に置いたファルメルを伴って、洞窟の奥底へと向かっていく。

 やがて、ブラックリーチにたどり着いた彼らの目の前には、巨大な球形のランタンを掲げた塔が聳え立っていた。

 




という訳で、リータ編のブラックリーチでした。
そして、リータとドルマの間に、ついに罅が入り始めました。


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第七話 大空洞の探索

お待たせしました。ブラックリーチ編の二話目です。



 彼はずっと長い間、闇の中にいた。

 己の感覚全てが、機能しない空間。

 肌はまるで氷海に落ちたかのように麻痺し、声を上げても何処にも響かず、目も見えず、静謐だけが耳に響く場所。

 生きているのに生きていない、そんな状態。

 だが、そんな中でも、意識だけは残っていた。残っているからこそ……地獄だった。

 

「グウウゥゥ……」

 

 彼の喉から、言葉にならない呻き声が漏れる。

 舌が何かを語ろうと動くが、振るえる舌は僅かな言葉すら紡げず、悲痛な唸り声が、自分の耳に響くだけだった。

 そこは、彼が閉じ込められた牢獄。

 優しくも苦しい、無だけの場所で、彼はただ只管に、孤独という毒に苛まれ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ブラックリーチの中心地。

 数多ある遺跡の中でも一際巨大な建造物の麓で、リータ達は岩陰に身を潜めていた。

 彼等の視線の先には、ウロウロと辺りを巡回するように歩き回るファルメルの姿がある。

 ファルメルは目が見えない。その代わり、優れた聴覚を持っている。

 少しでも物音を立てたら、すぐに察知され、仲間を呼ばれる危険性があった。

 

「それで、どうやって、あの塔がムザークの塔かどうか確かめるんだ?」

 

 石造りの巨大な塔を見上げながら、ドルマがつぶやいた。

 彼の言葉に答えるように、デルフィンが口を開く。

 

「あれだけ巨大な建造物よ。水回りを考えれば、建造物内に必ず下水道を設置しているはずだわ」

 

「つまり、あの化け物たちが使う下水から入るって事か?」

 

「ええ。それが一番確実でしょう。先の偵察で、下水の出口は確かめてあるわ。……行きましょう」

 

 リータ達がデルフィンの案内に導かれるまま、一度近くに流れる川に降りると、塔の中に続いていると思われる下水の出口に辿り着く。

 排水口からは鼻を突くような臭気の漂う汚水が止めどなく流れ出しており、この下水がまだ使われていることを示していた。

 

「どうやら、塔内に続いていることは間違いないみたいね。行きましょう」

 

 デルフィンを先頭に、一行は排水口の奥へと身を潜らせていく。

 排水口の先は岩で囲まれた少し広い空間になっていた。

 岩場のあちこちには、ファルメルの食べ残しと思われる骨が引っかかっており、小動物のものと思われるものから、大型の動物の骨、さらには、明らかに人間のものと思われる骨も漂っていた。

 ファルメル達の住処で何が行われているのかを察せられる光景に、リータ達は顔をしかめる。

岩場を抜けると、直ぐにドワーフの遺跡特有の石回廊が姿を現した。

 ドワーフの周囲の機械はまだ活きており、ゴウン、ゴウンと、規則的な機械音を響かせている。

 回廊の中にもファルメル達が巡回しており、リータ達は道中のファルメルを排除しながら、奥へ奥へと足を進めて行く。

 狭く、湿気に満ちた回廊だが、下水が流れる音と耳障りな機械音がファルメルの聴覚をある程度遮ってくれていたのか、障害の排除は割とスムーズに終わった。

 さらに遺跡の奥へと進むと、リータ達の前に現れたのは、無数のパイプが張り巡らされた一室だった。

 ポンプ施設と呼ばれるこの場所は、健人がソルスセイムのチャルダックで見たように、遺跡の各所に水や蒸気を送る場所である。

 ポンプ施設の脇を通って、扉を抜けると、巨大な塔へと続く橋に出た。

 橋を渡って塔に張ると、今度は更に広い空間に辿りつく。

 まるで、議場を思わせる大部屋。

 所々に崩落した壁や天井の瓦礫が散乱しているが、荘厳な装飾の片鱗は、打ち捨てられた残骸にもしっかりと刻まれている。

 

「しかし、この塔は一体何なんだろうな」

 

 足元に落ちていた欠片を拾い上げながら、ドルマが呟いた。

 

「分からん。ドワーフの遺跡に関しては不明な点が多すぎる。

だが、ブラックリーチがドゥーマー達の最大の拠点だったことを考えれば、ここはおそらく、彼らの支配階層が議論を交わした場だろう」

 

 エズバーンが壁の彫刻を撫でながら、大部屋に並べられた数多くの椅子を見渡している。

 

「だが同時に、ここがムザークの塔である可能性は低いな。星霜の書を研究するような秘匿性の高い機関を、議事堂と併設するとは考え難い」

 

 どうやら、この場所がムザークの塔である可能性は低そうだ。

徒労に終わりそうな気配に、リータ達は落胆の声を漏らす。

 その時、巨大な扉の奥から、ガヤガヤと大勢が近づいてくる喧騒が響いてきた。

 

「静かに。誰か来るわ」

 

 デルフィン及びかけと共に、リータ達は手近にあった瓦礫の影に身を潜める。

 彼女達が隠れるのと同時に、複数のファルメルと奴隷の人間が、扉の奥から姿を現した。

 ファルメルは全部で七体。

 五体が上半身裸で、その手には刺々しい剣や弓を帯びている。

 他二体の内、一体は杖を携え、もう一体はシャウラスの殻を使った全身鎧を纏っている。

 杖を携えているのは、魔法を得意としているファルメル・シャドウマスター。

 全身鎧を纏っているのは、ファルメルの中でも特に上位の実力者に位置する、ファルメル・ウォーモンガーだ。

 ファルメル・ウォーモンガーは、ドラウグル・デス・オーバーロードに匹敵する危険な存在である。

 瓦礫の陰に隠れながら、少し不味い事になったかもしれないと、デルフィンは表情を歪めた。

 この塔は間違いなく、ブラックリーチにおける、ファルメル達の最大拠点である。

 当然ながら、この場所に居つくファルメルは、相当な数に及ぶだろう。こんな狭い空間で囲まれたら、ひとたまりもない。

 

「クルルル……」

 

「ギャウ、ギャウ!」

 

 何か違和感を覚えたのか、議論の間に入ってきたファルメル達が騒ぎ始めた。

 今リータ達は息をひそめ、音は出していない。

 だが、ファルメル達は明らかに周囲を警戒し始め、奴隷の人間達に剣を突き付けながら、囃したてている。

 

(音じゃないとなると、臭いかしら。目が見えない分、聴覚だけでなく嗅覚もすぐれていると想定しておくべきだったわね……)

 

 奴隷の人間達が議論の間を確認し始めるのを眺めながら、デルフィンは腰のブレイズソードの柄に手を添えた。

 リータもドルマも各々の得物に手を伸ばし、エズバーンはいつでも魔法を使えるように身構える。

 そんな時、一人の奴隷の視線が、デルフィン達が隠れている瓦礫に向けられた。奴隷の目が、驚愕と共に見開かれる。

 見つかった。リータ達が反射的に物陰から飛び出して奇襲をかけようとした瞬間、奴隷が人差し指を口に当て、静かにするようジェスチャーを送って来た。

 リータ達を見つけた奴隷は他の奴隷に見つからないようにデルフィン達の元に駆け寄ると、擦れるほど小さな声で懇願してきた。

 

「頼む、助けてくれ……」

 

「助けてって……」

 

「俺は元々ペイルの端で猟師をしていたんだけど、ある夜、化け物が家に押し入って来て……」

 

 簡潔に話を聞いてみれば、この男は元々地上に住んでいたが、ファルメルに連れ去られて、このブラックリーチに連れてこられたらしい。

 ファルメルは基本的に、地下から出てくることは無い。

 しかし、洞窟など、彼らが拠点としている場所の近くに獲物となるような存在があれば、狩りを行うこともある。

 この奴隷の男は、そんなファルメルの狩りの標的にされた者だった。

 

「妻も娘も、あの化け物に食われちまった。次は俺の番かもしれないだから……」

 

「ギャウ、ギャウ、ギャウ!」

 

 ここから逃がしてくれ。そう懇願する奴隷だが、リータ達が答える前に、ファルメル達が不審な動きをしている奴隷に気付き、騒ぎ始めた。

 

「不味い、気づかれるわ」

 

「う、ううう……」

 

 騒ぎ始めたファルメルに続くように、他の奴隷達もリータ達が隠れている瓦礫に近づいてくる。

 切羽詰まった状況による恐怖からか、助けるよう求めてきた奴隷が呻き始めた。

 

「ううう……わああああああ!」

 

 俯いてうめき声を上げていた奴隷の男だが、突然、腰に隠していたナイフでリータ達に襲い掛かってきた。

 ファルメル達に気付かれた事で、このまま逃げ切れる可能性は低いと考え、リータ達を差し出して生き延びようとしたのだ。

 だが、そんな見え透いた刃が、デルフィン達に通じるはずもない。

 

「ガヒュ……」

 

 デルフィンが放った抜き打ちの一閃が、奴隷の男の喉を裂いた。

 床を赤く染めながら崩れ落ちる奴隷を余所に、リータが奇襲に出る。

 

「ウルド!」

 

 瓦礫を飛び越えながら跳躍。同時に旋風の疾走を唱え、最後尾にいるウォーモンガーめがけて襲い掛かる。

 空中から一瞬で距離を詰めたリータは、その背に背負った両手斧を左手で振り上げると、そのまま勢いよく振り下ろす。

 

「ギャウ!?」

 

 ウォーモンガーが咄嗟に左手の盾を掲げるが、旋風の疾走と重力を加えられた両手斧の一閃は、ウォーモンガーの胴体を盾ごと両断した。

 自分達の最大戦力が一撃で屠られた事に、ファルメル達に動揺が走る。

 さらにリータは全身の筋肉を捻ると、片手で保持していた両手斧を一閃。ウォーモンガーに付き従っていた二体のファルメルの胴を、断ち切りながら吹き飛ばす。

 相手の動きが止まった隙に、ドルマとデルフィンが駆け出した。

 それぞれ己の刃を閃かせ、次々に障害を斬り捨てていく。

 

「やれやれ、皆元気な事だ。剣を振るう戦いは、老骨には少し厳しいな」

 

「おおおおお!」

 

 メンバーの一番後ろに控えていたエズバーンに、回り込んできた奴隷たちが踊りかかる。

 自分達の主を一撃で殺した女や、暴れ回っている他の連中と違い、老人であるなら排除するのは容易いと踏んだのだろう。

 もしかしたら、エズバーンを人質にして、リータ達に屈服を迫ろうとしているのかもしれない。

 だが、彼らの思惑は、突如として立ち昇った炎に遮られた。

 

「やれやれ、面倒な事だな」

 

「ぎやあああああ!」

 

 突然、床から吹き上がった炎。その中から飛び出してきた手が、奴隷の一人の顔を鷲掴みにした。

 灼熱の炎を宿した手で焼かれながら、哀れな奴隷が悲鳴を上げる。

 

「確かに私は元文官で、デルフィン程の腕は無いが、荒事が出来ないわけではないぞ」

 

 立ち昇った炎の中から出てきたのは、どこか女性の裸体を思わせる造形を抱いた炎の塊。

 体を硬質な皮膚と炎で形成されたその存在は、召喚魔法によってオブリビオンから呼び出された異形だった。

 炎の精霊。

 その身に灼熱の炎を宿した女型のデイドラは、その手に掴んだ奴隷を己の炎で焼き尽くすと、残りの雑兵めがけて襲い掛かった。

 

「やめ、やめろおおおお!」

 

「殺さないでくれ! 殺さないでくれ!!」

 

「熱い、熱い熱い熱いイイイイイイ!」

 

 ファルメルに囚われ、哀れな奴隷に身を窶した者達は、エズバーンが召喚した炎の精霊によって、あっという間に狩り尽くされていった。

 

「グアッグアッ!」

 

 瞬く間に排除されていく奴隷達を他所に、今度は弓持ちのファルメルが、毒を付した矢を放ってきた。その数三本。

 狙いは、最も脅威となっている存在、リータだ。

 リータは現在進行形で、手にした黒檀の両手斧で大暴れしているが、ちょうど得物を振り切ったタイミングで放たれた矢は、嵐の間隙を縫う形で彼女に迫る。

 

「させるか!」

 

 だが、リータと毒矢の射線に割り込んだドルマが、その手に携えた大剣の一太刀で、飛んできた悪意の矢を半ばから断ち切った。

 続けて、彼の足元に滑り込んできたデルフィンが、断ち切られた三本の矢を、左手の指の間でつかみ取る。

 

「返すわ」

 

 デルフィンは矢をつかみ取った腕を振りかぶると、そのまま射かけてきたファルメル目掛けて投げ返す。

 元来た道を逆進した毒矢は、狙い違わず、弓持ちのファルメル達のノドに突き刺さり、鏃からしみ出した毒が、怪物たちの息の根を止めていく。

 

「カアアアアアア!」

 

 最後に残されたファルメル・シャドウマスターが、ヤケクソじみた奇声を上げながら、マジカを昂らせる。

 狙いは、前線で大暴れしていたリータとデルフィン、そしてドルマだ。

 だが、シャドウマスターが魔力を解放しようとした瞬間、狙いをつけてい三人の内の一人が、突如として視界から掻き消えた。

 

「困るわね。こんな所で、そんな大きな音が出る魔法を使われちゃあ……」

 

 一体何が起きたのか。

 突如として出現した意識の空白に、耳障りな声が前振りなく耳元に響いてくる。次の瞬間、シャドウマスターの喉から鮮血が迸った。

 

「ガヒュ……」

 

 咄嗟に背後を振り向こうとしたシャドウマスターだが、まるで振り子で振られたように体が回り、地面に倒れ伏してしまう。

 色白な彼の首は、皮一枚を残して完全に断ち切られていた。

 シャドウマスターが魔法を放とうとした瞬間、影の戦士で後ろに回り込んだデルフィンに、背後から斬り裂かれたのだ。 

 一体何が起きたのか。それを確かめる間もなく、シャドウマスターの体は小刻みな痙攣を繰り返しながら、やがて完全に停止した。

 

「終わったわね」

 

 デルフィンがブレイズソードに付いた血を払い、鞘へと納める。

 戦闘にはそれほど時間を取られなかったが、音を立てすぎた。

 いずれ、騒ぎを聞きつけたファルメル達が、この部屋に殺到してくるだろう。

 

「少し騒ぎ過ぎたわ。先を急ぎましょう」

 

 デルフィンの言葉に急かされるように、リータ達は武器をしまうと、足早に議論の間を後にする。

 この場所がムザークの塔である可能性が低くなった以上、早急に他の塔を確かめておく必要がある。

 リータはファルメル達が入ってきた扉を少し開けて、奥を確かめてみる。

 扉は外に繋がっていた。

 僅かな隙間から慎重に外を見渡してみるが、ファルメル達の姿は無い。

 リータ達は慎重に扉から外に出る。周囲を見渡してみるが、やはりファルメル達の姿はなかった。

 施設の外に出ているのか、はたまた他の施設にいるのか。

 リータ達は改めて、内側から、このブラックリーチ最大の建造物の姿を見渡してみる。

 周囲を囲む、見たこともない程巨大な外壁、見上げる形で大空洞の天井を見上げれば、屹立した塔と、吊り下げられた巨大なランタンが見下ろしてきている。

 

「どうやら、施設の中には入れたみたいだな。問題は、此処にムザークの塔があるかどうかいう点だが……リータ、どうした?」

 

「あれ……」

 

 彼女が指差したその先には、この場で最も高く、巨大な塔が聳え立っている。

 その塔の頂上。まるで玉座を思わせる場に、ローブを着た一人の男が、数多くのファルメルを付き従えて佇んでいる。

 その人物に、リータとドルマは見覚えがあった。

 

「あの男、混沌の海の氷原で会った、セプティマスとか言うイカれた魔法使いじゃないか!?」

 

 セプティマス・シグナス。

 星霜の書を求める過程で二人が出会った、常軌を逸した言動を繰り返していた人物。

 かつてウィンターホールド大学で学んでいたらしいが、星霜の書を求めて姿をくらませた魔法使いだ。

 そして、リータ達に星霜の書の在処を語った人物でもある。

 今は氷原に埋もれていたドゥーマーの遺跡にいるはずだ。

 そんな彼が、何故このブラックリーチにいるのだろうか。何故ファルメルが侵入者であるセプティマスを排除せず、まるで付き従うかのような行動をしているのだろうか。

 リータ達がそんな疑問を抱いている内に、セプティマスは目の前で煌々と輝くランタンに向かって両手を掲げる。

 

「さあ目覚めよ、ドゥーマーに囚われた哀れな獣よ! 我が師、我が主、我が神の為に、その命の一片までをも燃やし尽くすのだ!」

 

 意味不明な言葉を高らかに叫びながら、セプティマスがランタン目掛けて魔法を放つ。

 生み出された雷撃は巨大なランタンに直撃し、光球に走る雷撃が、ランタンに施された精緻な檻を破壊していく。

 

“グオオオオオオオオオオオオ!”

 

 次の瞬間、静謐な大空洞には似つかわしくない、耳を裂くような咆哮が響き渡った。

 

 

 

 




いかがだったでしょうか。
ブラックリーチ編の二話目という事で、ようやく話を大きく動かせる段階に来ました。
色々あって更新頻度が安定しませんが、少しでも早くお届けできるよう頑張ります。

以下、用語説明

ファルメル・シャドウマスター
ゲーム中に出てくるファルメル系において、二番目に強力な敵キャラ。
戦士タイプか魔法タイプに分かれるが、本小説では魔法タイプとして登場。

ファルメル・ウォーモンガ―
ファルメル系最上位の敵。レベル的にはデス・オーバーロードに匹敵する。
ボスキャラとしても採用されることが多いが、リータにあっという間に一刀両断された。

ファルメルの奴隷
ゲーム中では、ファルメルの召使となっているNPCであり、山賊系の敵と同程度の強さ。
ゲーム中でも人語を話すことがある事から、本小説ではファルメルが攫って来たという設定。
しかし、家畜扱いの存在でもあるため、味の良さそうな者(女子供)は食われることもある。

大空洞の巨大ランタン
内部にいる存在も含めて、言う必要が無い程、ブラックリーチでは有名な建造物。

議論の間
ブラックリーチ内にある施設の一つ。
内部に非常に大きな部屋を有し、ファルメルや奴隷たちの住居となっている。
近くを流れる川にある排水口から侵入できる。
ちなみに、排水口はゲーム中では静かなる街の地下墓地と言う名前。入ってみても、どのあたりが地下墓地なのか分からない……。
近くに熟考の間と呼ばれる塔と併設されており、恐らくはドゥーマーの有力者たちが議論を交わしたとも割れる場所。

熟考の間
議論の間に併設されている塔。
最上部に玉座と思われるものが設けられている事から、ドゥーマの王が滞在した場所と考えられる。
その玉座からは、例の巨大ランタンを近くで一望できる。


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第八話 ヴェルスリョル

久しぶりの投稿。今回はドラゴン戦です。


 ブラックリーチの大空洞に、轟音が響く。

 幻想的なランタンから飛び出してきたドラゴンは、床石を砕きながら地面に着地すると、憎悪に満ちた目で大空洞を見上げている。

 そして、まるでブラックリーチに残った全ての塔を倒壊させるのではと思えるほどの声量で、再び咆哮を轟かせた。

 その狂声に驚いたのか、遺跡のあちこちからファルメル達が姿を現す。

 

「グァルゥウ!」

 

 跳び出してきたファルメル達は、自分達の拠点の真ん中に突如として出現したドラゴンに慌てふためきながらも、各々が得物を引き抜いて、巨大な獣に戦いを挑み始めた。

 ファルメル達はドラゴンを囲み、奇抜な形の剣や斧を叩きつけ、炎や雷を撃ち込んでいく。

 だが、打ち込む刃も、炸裂する魔法も、ヴェルスリョルの強靭な鱗に傷一つ付ける事は出来ない。

 伝説級のドラゴンの前には、ファルメル達の抵抗など蟷螂の斧に過ぎなかった。

 

“グオオオオオオオオ”

 

 ファルメル達の抵抗を前に、ヴェルスリョルが反撃に出る。

 巨大な翼で群がるファルメル達を吹き飛ばし、しなやかな尾で轢殺し、強靭な顎で噛み殺す。

 一瞬で、十を超えるファルメルの命が刈り取られた。

 バラバラにされていくファルメルの中には、シャドウマスターやウォーモンガーなど、ファルメルの中でも特に高位の者達も数多く混ざっている。

 その全てを、ドラゴンは塵芥のごとく粉砕し、包囲を食い破っていく。

 

「おい、とんでもない事になったが、どうするんだ!」

 

 暴れ回るドラゴンの姿を、リータ達は塔の陰に隠れて覗いていた。

 

「……エズバーン、あのドラゴンは?」

 

「分からん。スカイヘブン洞窟にあったブレイズの資料には、あのようなドラゴンは記されていない。

 だが、鱗の色や戦う様子を見る限り、極めて高位のドラゴンであることは間違いないだろうな……」

 

 エズバーンの推測の通り、このドラゴンは、かつて非常に強大な力を誇ったドラゴンだった。

 その名を、ヴェルスリョル。

 闇、大君主、炎の名を持ち、ドラゴンの位階としてはウィンドヘルムを襲ったヴィントゥルースと同等の、伝説のドラゴンである。

 

「出現した時の様子を見る限り、ドゥーマーに捕えられていたのを、あの男が解き放ったようだが……」

 

 エズバーンが見上げる塔の玉座。

 そこでは、この事態を引き起こした魔法使いが、恍惚とした表情で眼下の惨劇を見下ろしている。

 彼の傍にいるファルメルも、仲間達が虐殺されていく光景を目の当たりにしても、全く動揺が見られない。

 明らかに、何らかの術で操られている様子が見て取れた。

 

「あの男、確かセプティマスとか言ったかしら? 一体何が目的なの……」

 

「知らねえよ。よく分からねえ道具を渡してきて、星霜の書の知識を持ってこいとか言っていたが、あいつ自身が此処に来るなんて聞いてねえ!」

 

「おまけに、ファルメルを従えているようだ。様子を見る限り、強力な魅了の魔法を使っているみたいだな」

 

「ドラゴンボーン、どうするの?」

 

 リータ自身、何故ここにセプティマスが来たのかは皆目見当がつかなかったが、現状において、あのイカれた魔法使いがドラゴンを蘇らせたことは変わりない。

 リータは一拍だけ深呼吸をすると、玉座の前に立つセプティマスを、底冷えするような瞳で睨みつけた。

 

「……ドラゴンは殺す。セプティマスは問い詰める。ドラゴンとは私が戦うから、デルフィン達はセプティマスを捕まえて」

 

 ファルメルは敵である。だがドラゴンは、“殲滅すべき敵”である。

 前者は襲ってこないなら放置してもいいが、後者は必ず殺さなければならない。

 彼女の言葉に、デルフィンとエズバーンは黙って頷いた。

 

「リータ、俺もドラゴンと……」

 

「要らない。ドルマもセプティマスの方に行って」

 

 そんな中、ドルマが自分もドラゴンと戦うと声を上げるが、リータは彼の提案を一蹴。独りでドラゴンと相対すると言い切った。

 

「だが……待て、リータ!」

 

 尚もドルマがリータに詰め寄ろうとする。

 だが、彼が次の言葉を口にする前に、リータは素早く物陰から駆け出し、ヴェルスリョル目掛けて駆け出して行った。

 その視線には、既にドルマもデルフィンもファルメル達も見えていない。

 ただ一直線に、己が憎む仇敵だけを見据えていた。

 

「行くわよ。あのドラゴンはドラゴンボーンに任せなさい。どの道、あのセプティマスとか言う男は放置できないわ」

 

「っ、くそ!」

 

 タイミングを逸したドルマは、しかたなくデルフィン達と共に、セプティマスがいる塔の入口へと向かう。

 一方、ヴァルスリヨルへ向かっていったリータは、全身鎧を纏っているとは思えないほどの速度で距離を詰めると、現在進行形でファルメルを虐殺しているドラゴンの横っ面めがけて、黒檀の両手斧を叩き込んだ。

 

「はああああ!」

 

“グオオッ!?”

 

 頬に走った衝撃に、ヴェルスリョルの体がよろける。

 ファルメル・ウォーモンガーさえ防具ごと両断するリータの一撃だが、彼女の烈撃はヴェルスリョルの鱗を何枚か弾き飛ばしただけで、その下にある皮膚を断つことはできなかった。

 

「っ! なんて硬さ……」

 

 腕に返ってきた衝撃に、リータは臍を噛む。

 チラリと横目で、今しがた打ち込んだ刃に視線を落とす。

 今まで数多くのドラゴンを屠ってきた黒檀の両手斧。その強靭な刃が、僅かに欠けていた。

 

「時間は掛けられない……」

 

“グオオオオオオオオ!”

 

 よろめいたヴェルスリョルが体勢を立て直し、横槍を入れてきた闖入者を噛み砕かんと首を伸ばしてくる。

 リータは後方に跳躍して、ヴェルスリョルの牙を躱す。

 

「斧だけじゃ届かないなら!」

 

 リータは携えていた両手斧を左手で持ち直し、肩に担ぐように構えると、腰の黒檀の片手剣を引き抜いた。黒と銀の刃紋を抱く鋭利な曲剣が、姿を現す。

 

“オオオオオオオオ!”

 

 ヴェルスリョルが瞳を憎悪一色に染めながら、地を蹴った。長い年月でヒビ割れた白い床石を粉砕しながら、リータめがけて突進してくる。

 突っ込んでくる巨躯を前に、リータは腹に力を入れた。

 舌を震わせ、脳裏に力の言葉を思い浮かべながら、真言を解き放つ。

 

「ファス、ロゥ、ダーーーー!」

 

 放たれた衝撃波が、床石を捲りあげながら、ヴェルスリョルを迎撃する。

 正面から激突した竜と衝撃波。

 リータの放った揺ぎ無き力はヴェルスリョルの突進を押し止め、逆にその巨躯を後ろへと押しやる。

 

“グウウゥウ!”

 

 憎悪しか宿していなかったヴェルスリョルの瞳に、僅かに驚きの色が差した。

 

「はああああああ!」

 

 相手の意識に一瞬入り込んだ空白、その隙に、リータは刃を振るった。

 左手で担いだ両手斧の柄の端を握り、遠心力を目一杯掛けながら薙ぎ払う。

 ドラゴンの右側頭部に勢いをつけて打ち込まれた両手斧が、硬質な鱗を弾き飛ばす。

 黒檀製の刃が欠け、弾き飛ばした鱗と共に舞い散る中、リータは振り抜いた両手斧の勢いを利用して、体を回転。右手の黒檀の片手剣を、今しがた弾き飛ばした鱗の隙間めがけて薙ぎ払う。

 吸い込まれるように鱗の隙間に侵入した黒檀の刃が、ヴェルスリョルの皮膚と肉を深々と切り裂いた。

 

「ギャアウウウウウ!」

 

「ヨル……トゥ、シューーール!」

 

 痛みに体躯を仰け反らせながら、ヴェルスリョルの悲鳴が木霊する。

 続けてリータは、ファイアブレスを発動。至近距離で放たれた炎の吐息が、黒のドラゴンを包み込む。

 視界一杯に広がる、灼熱の壁。

 だが、リータはこの程度で、ドラゴンを屠れるとは思っていない。

 これはあくまで布石。

 ファイアブレスで相手の視界を奪ったリータは、この隙に左手の両手斧を体に引きつけ、腰だめに構える。

 

「ウルド、ナー……」

 

 黒檀の両手斧の穂先には、鋭い突起である、槍部が付けられている。

 その鋭利な刃で喉元を貫いてやろうと、リータは旋風の疾走を唱え始めた。

 リータが持つ両手斧はハルバートと呼ばれる類の物であり、その武骨で粗野な外観とは裏腹に、非常に応用性に富んだ武具である。

 ハルバートは、叩き切るための斧部、引っ掛けるための鉤部を持ち、さらに先端に鋭い槍部を持つ。

 斧部で叩き切るだけでなく、鉤部で引っ掻けて相手の体勢を崩したり、槍部で刺突するなど、常に変化する戦場で、柔軟な使い方が出来る武具なのだ。

 だが、リータが旋風の疾走を発動する前に、立ち昇る炎の渦から、黒色の巨体が飛び出してきた。

 

「っ!?」

 

 旋風の疾走を唱えようとしていたリータは、慌てて両手斧と片手剣を交差させ、盾のように翳す。

 黒のドラゴンは突進しながら首をしならせると、頭突きの要領で己の額をリータに叩きつけてきた。

 ヴァルスリヨルがとリータが、正面から激突する。

 次の瞬間、ミキミキ……と耳障りな音が響き、黒檀の両手斧と片手剣の柄を介して、リータの全身に強烈な衝撃が走った。

 

「ぐっ、あああ!」

 

 苦悶の声を上げながら、リータの体が吹き飛ばされる。

 鎧越しに地面に何度も叩き付けられながらも、彼女は痛みに耐えて、体勢を立て直す。

 

「っ、やってくれる!」

 

 跳ねるように勢い良く立ち上がりながら、再び両手斧と片手剣を構えるドラゴンボーン。

 追撃を警戒し、己の内からスゥームを引き出そうとする。

 だが、立ち上がった彼女は自身を弾き飛ばしたドラゴンの姿に、思わず目を見開いた。

 

“グウウ、グァウ、グェウ……”

 

「何、一体……」

 

 リータを吹き飛ばしたヴェルスリョルが、まるで喉に骨が引っ掛かった獣のように、えずいている。

 不規則に首を振り、もどかしそうに身体を揺らしながら、何かを求めるように、リータを見つめている。

 先程まで憎悪一色に染まっていた瞳。そこにはいつの間にか、強烈な渇望の色が浮き出ていた。

 

“グゥアウ、グァウ、グゥアウ……”

 

 まるで切実な思いを訴えるように、言葉にならない音を漏らし続けるヴァルスリヨル。

 その姿に、リータは戸惑いを隠せなかった。

 明らかに、このドラゴンは、リータに何かを語り掛けようとしていた。

 だが、かの竜の舌は一言もシャウトを紡ぐことが出来なかった。彼はスゥームを、ドラゴンをドラゴン足らしめていた真言を、完全に失っていたのだ。

 かつて、ヴェルスリョルと同じように、言葉を失ったドラゴンが居た。

 ヌーミネックス。古代の上級王、隻眼のオラフによって捕えられたドラゴン。

 彼は長きにわたる監禁生活の中で言葉を忘却し、ついには自分の名前すら思い出せなくなっていた。

 孤独は、ドラゴンすらも殺す。

 そして、ヴェルスリョルは遥かな昔にドワーフに囚われたドラゴンであり、彼が牢獄に閉じ込められていた時間は、ヌーミネックスよりも遥かに長かった。

 彼が言葉を忘却してしまうのも、無理もない。

 

“オオゥウ、ォアウ、ガルウュ……”

 

 耳障りな濁音が、ヴェルスリョルの喉から洩れ続ける。

 喉に穴を開けられたような声にならない声に、リータは思わず言葉を失い、張りつめていた戦意が緩んでしまう。

 

“グウウウ……オオオオオオオオオオオオ!”

 

 言葉を思い出すことが出来ないもどかしさに苛立ったのか、ヴェルスリョルが一際大きな咆哮を響かせ、飛び立った。

 首を振りまわし、悲鳴にも似た叫びをあげながら、言葉を忘れたドラゴンは滅茶苦茶に飛び回る。

 自分を閉じ込めていたランタンを叩き落とし、ドゥーマーの城の外壁を打ち壊し、大空洞の天井に激突して岩をまき散らしながら、ヴェルスリョルは暴れ続ける。

 その様を見上げながら、リータは思わずこう思ってしまった。

 あまりにも、哀れである……と。

 その考えに、リータは思わず茫然とした。ドラゴンを哀れむなど、あり得ない考えだからだ。

 

「何を考えているの。ドラゴンに気を割いたって、戦いの邪魔にしかならないのに……」

 

 ドラゴンは下劣で、卑怯で、破壊しかもたらさない獣である。

 彼女の心の奥底にこびり付いたその考えが、リータに目の前のドラゴンを殺すよう囁いてくる。

 あれは化け物。あんな様になったもの、きっとあのドラゴンの自業自得に違いないと。

 だが、蠱惑的な声に耳を傾けても、凍らせたはずの彼女の心は、キリキリと軋み続ける。

 そして、彼女が僅かな迷いに囚われている間に、かのドラゴンの視線は、熟考の間の塔の最上部に向けられていた。

 彼の目に映っているのは、玉座。かつて、ヴェルスリョルを閉じ込めたであろうドゥーマーの王が座っていたと思われる場所。

 そこでは、ファルメル達と戦うドルマ達と、奇妙な書を広げて叫んでいるセプティマスの姿がある。

 そして、セプティマスが掲げている書から、閃光が迸り始めた。

 己を閉じ込めた者達の玉座を目の当たりにして、ヴェルスリョルの瞳に再び憎悪の炎が宿る。

 

「っ、いけない! 逃げて!」

 

 リータが悲鳴を上げたその瞬間、ヴェルスリョルは一直線に玉座目掛けて飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 リータがヴェルスリョルと戦闘を開始した頃、ドルマ達はセプティマス達がいる塔へと足を踏み入れていた。

 中には他のファルメルや奴隷などの気配はなく、閑散とした廃墟が広がっている。

 

「急ぐわよ」

 

「……ああ、わかってるさ!」

 

 懊悩を振り払うように、荒々しい返事をデルフィンに返しながら、ドルマは一路、塔の上層へと向かう。

 開けられていたゲートを通り、人気のない通路を突き進み続け、昇降機に辿り着くと、すぐさま昇降機を作動させ、一気に搭の最上部を目指す。

 

「こういう時、ドワーフの設備は便利ね。態々階段を駆け上がらなくて済むんだから」

 

 デルフィンが軽口を叩く間も、塔の外からはズシン、ズシン、というドラゴンが暴れる轟音と、リータが叫ぶスゥームが聞こえてくる。

 外で行われている戦いの気配に、ドルマは焦れたようにトントン……と、上昇し続ける床石を足のつま先で叩いていた。

 

「落ちつくといい。あのドラゴンボーンが簡単にやられるとは思えん。戦いの音がまだ響いているということは、まだ彼女は無事だという事だ」

 

「分かっている……!」

 

 エズバーンの忠告も、リータの身を案じるドルマにはあまり効果がない。

 あの時、健人がドラゴンボーンであり、ハルメアス・モラと関りがあると知ってから、彼とリータの間には少しずつ溝ができ始めている。

 そして、その邪心に魅入られた魔法使いが、このような場で再び姿を現し、ドラゴンを復活させた。

 その事実が、ドルマにどうしようもない程、嫌な予感を抱かせる。

 何か、取り返しのつかないことが起こり始めているのではないか。その予感が、頭にこびりついて離れない。

 だが、いくら考えても、いったい何が目的でセプティマスがブラックリーチに現れたのか、見当もつかなかった。

 ドルマが答えの出ない疑問に頭を悩ませている間に、無情にも昇降機は塔の最上部へと近づいていた。

 

「着くわよ。ドルマ、考え事なら後にしなさい。残念だけど、あの魔法使いがいる場所はかなり開けている。隠れる場所はないでしょうね。奇襲は不可能だろうから、速攻で行くわよ」

 

「……くそ!」

 

 頭にこびり付く懊悩を無理やり思考の奥底へと追いやり、ドルマは両手剣を構える。

 彼の隣では、エズバーンと彼の召喚した炎の精霊が、両手に炎塊を作り出していた。

 

「行くわよ……今!」

 

 昇降機が止まったと同時に、デルフィンが扉を蹴り開け、ドルマと共に駆け出す。

 飛び出した先はL字型の通路になっており、通路の先は屋上の玉座へと続いていた。

 

「ギギギッ!?」

 

 通路で待機していたファルメルは二体。

 速攻でデルフィンとドルマが駆け寄り、悲鳴を上げる暇も与えず斬り捨てる。

 三人と一体はそのままL字通路を駆け抜け、玉座の間へと跳び出す。

 

「エズバーン!」

 

「ああ!」

 

「むっ!」

 

 昇降機の稼働音が外にも聞こえていたのか、ドルマ達が外に出たと同時に、セプティマスの瞳が侵入してきた三人を捉える。

 セプティマスとファルメル達が動く前に、エズバーンと炎の精霊が先手を取った。

 一気にデルフィンとドルマの前に出て、両手に携えた炎塊を撃ち放つ。

 エクスプロージョン。

 精鋭クラスの破壊魔法は一直線に飛翔し、セプティマスを囲むファルメル群の側面に着弾。

 その内に秘めた熱量を開放し、複数のファルメルをまとめて吹き飛ばす。

 

「二人とも、今だ!」

 

「おおお!」

 

「咎人ども、奴らを私に近づけさせるな!」

 

「ギャウ、ギャウ!」

 

 魔法を放った一人と一体の側面を駆け抜けながら、デルフィンとドルマが肉薄すしようとする。

 だが、デルフィン達が距離を詰め切る前に、残ったファルメル達が二人の進路を阻んできた。

 その数、およそ十以上。

 

「くそ、詰め切れなかった!」

 

「不味いわね、早く押し切らないと、こっちが潰されるわ」

 

 手近のファルメルを斬り捨てながら、何とか押し切ろうと奮闘するドルマとデルフィンだが、いかに二人が優れた使い手とはいえ、この玉座の間は狭すぎ、かつ相手の密度が高すぎた。 

 ファルメルは仲間が殺されることも構わず二人に殺到してくる。

 さらに、倒れた仲間の死体すら盾に使い。数を頼りに二人を押し返し、塔から叩き落そうとしてくる。

 この玉座の間には、手すりなどの落下防止のための設備が一切ない。

 力勝負に負ければ、巨大な塔の最上部から落下する羽目になる。そうなれば、確実に死ぬことになるだろう。

 エズバーンや炎の精霊も、前衛がファルメル達と接近しすぎていて、破壊魔法を使うことができない。下手に魔法を使えば、前線を支えているドルマとデルフィンが巻き沿いを食らい、前衛が崩壊。一気にファルメル達に押し切られてしまう。

 

「このままでは……うお!」

 

 ズドン! ミキミキミキ……。

 その時、彼らの傍で耳を突くような衝撃音が響いた。

 続いて、彼らが闘っている玉座の間の傍を、巨大な影が風を巻き上げながら通過する。

 錯乱したヴェルスリョルが、巨大ランタンに激突したのだ。

 破壊された巨大ランタンは異音を上げ、ついには釣り上げている金具が破断し、落下。

 轟音を上げながら床に激突し、砕けたガラス質を四方八方にまき散らす。

 

「咎人どもよ、その邪魔者達に私の邪魔をさせるな。私は私の神の啓示を全うし、深淵へと続く知識の明察への鍵を手に入れる資格を得るのだ!」

 

 相も変わらず意味不明な言葉を叫びながら、セプティマスは先ほど巨大ランタンを叩き落したドラゴンに目を向けると、手にしていた異質な本を掲げた。

 人皮を接ぎ合わせた拍子を持つそれは、深淵の邪神が書かせた異端の書、オグマ・インフィニウム。

 セプティマスが掲げた書のページを開かれると、まばゆいばかりの光が放たれ始める。

 

「おお、神よ。今こそ啓示を果たします! 知識を! 私に神の心臓の知識を与えて下され! オブリビオンを超え、エセリウスを踏破し、全ての答えを得るための鍵を!」

 

 読んだ者に望んだ知識を与える書であるそれは、セプティマスがハルメアス・モラから預けられた書ではあるが、彼はその書で、自らが望む知識を得られなかった。

 この書が彼に渡されたのは、邪神の啓示を全うするためであり、知識はそれをこなした後の報酬であるからだ。

 だから、セプティマスは何としても、この啓示を果たすと心に決めていた。

 例えファルメルの心を操ろうが、彼らに捕らえられた哀れな人間が死のうが、ドラゴンが復活しようが構わない。

 全ては、隠された知識のため、己の好奇心を満たすため。

 

“グオオオオオオオオオ!”

 

 書から放たれる閃光に気付いたのか、ヴェルスリョルが玉座の目めがけて突っ込んでくる。

 

「我が神よ、知識を! 私に知……」

 

 ハルメアス・モラに向かって懇願の祈りを叫び続けていたセプティマスを、ヴェルスリョルの巨躯が押しつぶす。

 同時に、巨大な質量の突進で玉座の間が崩壊を始めた。

 

「ギャウ、ギャウギャウ!」

 

「やばい!」

 

 ガラガラと足元が崩れていく中、ドルマとデルフィンは必死に脚を動かし、何とか通路の出口に駆け込むことができた。

 逃げ遅れたファルメルの群れは、突っ込んできたヴェルスリョルごと落下。

 かのドラゴンの巨躯と床石にサンドイッチにされ、全員がその命を絶たれる。

 

「大丈夫か!?」

 

「え、ええ、何とかね」

 

「っ、リータ」

 

 息も絶え絶えといった様子のデルフィンが安堵の声を漏らす中、ドルマの視線は眼下に落ちたドラゴンに向けられている。

 そこでは、体を起こすドラゴンに向かって駆けていく、幼馴染の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 リータは落下したヴェルスリョルに向かって駆けながら、己の不甲斐なさに唇を噛み締めていた。

 ドラゴンに対して、躊躇をした。それが、彼女の苛立ちを掻き立てる。

 一時の感情に惑わされたために追撃の手が緩み、危うくドルマ達が死ぬところだったのだ。

 ドラゴンは殺すべき存在で、人類共通の絶対悪である。

 殺さなくてはならない。これ以上、大切なものを奪われない為に。

 怨敵であるドラゴンに思いつく限りの苦痛を与え、殺し、さらなる力を蓄える為にその知識を奪い取らなければならない。

 そうしなくては、アルドウィンを倒せない。

 

(欲しい、力が。この迷いを殺す、絶対的な力が!)

 

 大切なものを奪われる。その焦燥感に駆られた彼女は、自らの意思で、取り込んだドラゴン達の魂から知識を吸い上げ始める。

 言葉は知っている。いつも、彼女の耳にその言葉は囁かれていた。

 同時に、強烈な殺意が胸の奥からこみ上げ始めた。

 引き出したシャウトに込められていた意思が、リータの意思に干渉し始めたのだ。

殺意という形で噴出したシャウトの意思は、リータの敵意と殺意と混ざり合いながら、まるで嵐のように荒れ狂う。

 

「……っ、ああああああああ!」

 

 暴れ狂う怒りと破壊衝動。

 人間とは思えないほど獣じみた咆哮を上げながら、怨嗟に満ちた視線がヴェルスリョルに向けられる。

 そして、限界まで凝縮された“殺意”が放たれた。

 

「クリィ、ルン……アウス!」

 

 死の標的。

 殺す、搾取、苦痛の言葉で構築されたシャウト。

 放たれたシャウトは薄紫色の波動となって、ヴェルスリョルに襲い掛かる。

 叩きつけられた死の標的。そして苦痛をもたらすシャウトが、哀れなドラゴンに殺意の鎌を振り下ろし始めた。

 初めに、ヴェルスリョルの竜麟が、ミシミシと異音を立てて崩れ始める。艶やかな黒の鱗が、まるで錆鉄のように色褪せ、剥げ落ちていく。

 続いて、剥き出しになった皮膚の奥から血が滲み始める。

 黒の巨躯は瞬く間に深紅の血に塗れ、ボタボタと腐り始めていた。

 

“グウウ……オオオオオオオオ!”

 

 全身を蝕む激痛に、ヴェルスリョルの悲鳴が木霊する。

 そして首を天に掲げて絶叫するかのドラゴンの首に、一つの影が突貫した。

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

 旋風の疾走で一陣の風と化したリータが、携えた両手斧の槍部で、哀れなドラゴンの首に穴を穿つ。

 鎖落ちていくヴェルスリョルの首に得物を突き刺した瞬間、リータが携えていた両手斧の柄が、異音を立ててへし折れた。

 先のヴェルスリョルの突進で、柄に罅が入ってしまっていたのだ。

 突きこまれた両手斧の刃は、ヴェルスリョルの首を貫通し、刃の半ばまでが首の裏からその姿を晒す。

 

“ガ、ガガ……”

 

 うめき声を漏らしながら、ヴェルスリョルの巨躯が崩れ落ちた。

 続いて、力を失ったドラゴンの体から炎が吹き上がり、ヴェルスリョルのドラゴンソウルがリータへと注がれ始める。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 半ばからへし折れた柄で体を支えながら、リータは荒れ狂う殺意を治めるように、荒い息を吐き続ける。

 

“クリィ、クリィ……”

 

「黙、りなさい……」

 

 殺意の力の言葉に反応した、ドラゴンソウル。

 それらを敵意で押しつぶしながら、リータは立ち上がる。

 見渡してみれば、周囲は酷い有様だった。

 外壁や塔の一部が崩落し、玉座の間や荘厳な輝きを放っていたランタンは完全に瓦礫の山と化している。

 

「先を、急がないと……」

 

 ムザークの塔で、ドラゴンレンドを習得するための星霜の書を手に入れなくてはいけない。

 彼女が足踏み出すと、黒檀の鎧がギシギシと悲鳴を上げ始めた。

 どうやらヴェルスリョルとの戦いで歪みが出たらしい。

 

「そろそろ、この鎧も限界かな……。いい鎧だったけど、これじゃあアルドゥインと戦うにはまだ足りない……」

 

 ドラゴンとの数多の戦いを乗り越えてきた鎧だが、新しい鎧を新調する必要がある。

 力を、もっと力を……。

 己の内で響く渇望と焦燥に突き動かされながら、先を急ぐ。

 故に、彼女は気づかなかった。

 自らの魂に落ちた、小さな小さな黒点を。

 

 

 

 

 

 

 アポクリファの一領域で、ハルメアス・モラは己の手駒の成果を眺めながら、満足そうに瞼を震わせていた。

 彼の面前に、黒く濁った魂が姿を現す。

 

「よくやった、セプティマスよ。褒美に、お前が求めていた知識をやろう……」

 

 ハルメアス・モラは目の前の魂。約定を果たしたセプティマス・シグナスの魂に向かって触手を伸ばすと、その先を濁った魂に突き立てた。

 続いて、セプティマスの魂がブルリと震える。

 触手を介して伝えられる知識に、歓喜しているのだ。

 歓喜の震えは、徐々にその大きさを増していく。

 しばしの間、与えられていく知識に酔いしれるセプティマス。だが、ある瞬間から、その震えの様相が変化し始めた。

 魂の震えが不規則にぶれ始め、まるで苦痛に悶えるようにのたうち回り始める。

 やがて、セプティマスの魂は錯乱したように暴れ始めると、ついには千々に千切れて、アポクリファの中へと溶けていった。

 

「知識はやった。もっとも、矮小な魂が耐えられるはずもないがな……」

 

 己の器を超えた知識を求めた人間の末路。己が求めた知識に潰されたセプティマスが砕けていく様を眺めながら、邪神は一切の憐憫も感じさせずに呟いた。

 元々、セプティマスはハルメアス・モラにとって、役立たずとなっていた存在。消えたところで、何の感慨も惜しみもない。

 千切れて消えていったセプティマスの魂をアポクリファの毒沼の底へと放り捨てながら、ハルメアス・モラは再びニルンへと目を向ける。

 

「さて、これで準備は整った。後は、わが勇者との邂逅を待つのみ……」

 

 布石は全て打った。後は、待つのみ。

 深淵の知識の井戸の中で、邪心は只見守り続ける。

 己を討ち倒した勇者が見せるであろう、新たな未知を心待ちにしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 リータに殺され、吸収されたヴェルスリョル。

 闇の奥底へと沈んでいきながらも、かのドラゴンは必死に、言葉にならない声を上げていた。

 

“グゥアゥ、ギリュウル……”

 

 誰か、答えて、声をかけてくれ。

 失われた力と知識、スゥーム、そして何より、答えてくれる誰かの存在を求めるように、魂だけになりながらも、ヴェルスリョルは自らを殺したドラゴンボーンの中で叫び続ける。

 必死に言葉を求め続けるヴェルスリョル。

 永遠とも言える牢獄の中で伽藍洞になった彼の魂だが、彼の叫びに呼応するように一つの言葉が魂の奥から響いてきた。

 それは、セプティマスが“埋め込んだ”声。オグマ・インフィニウムによって魂に刻み込まれた力の言葉。

 言葉を失ったドラゴンは、唯一残されたその言葉を引き出し、叫ぼうとする。

 全てを失った彼の声は、他の吸収されたドラゴンと比べてもあまりにもか細く、その叫びは他の声にかき消されてしまうだろう。

 だが、それでもヴェルスリョルは弱々しくも、声を張り上げ続ける。それが、唯一彼の中に残された言葉故に。

 

“モタード……”

 

 小さな小さな、か細い声が、殺意に満ちた叫びの中に溶けていく。

 まるで、水の上に落ちた、一滴の絵の具のように。

 確かな発露の鍵を、魂の深奥に刻み込みながら。

 

 

 

 




というわけで、いかがだったでしょうか?
感想等ありましたら、ぜひよろしくお願いいたします。
以下、用語説明等。



・ヴェルスリョル

 闇、大君主、炎の名を持つ伝説のドラゴン。
 なぜかブラックリーチの巨大ランタンの中におり、ゲームではスゥームをこのランタンに当てると出現し、主人公たちに襲い掛かってくる。
 本小説では、このドラゴンは長い間、ドゥーマーによって、あのランタンに閉じ込められていたという設定。
 その為、ドラゴンズリーチに幽閉されたヌーミネックスのように、自分の名前はおろか、スゥームすら失っている。
 しかし、伝説のドラゴンとしての身体能力は健在であり、ファルメル達の攻撃程度では傷一つつかない。
 また、幽閉された事による自我の崩壊と憎悪によって、肉体のタガが完全に外れており、身体能力だけをみれば、ヴィントゥルースをはるかに上回る。
 地下という閉鎖空間も相まって、ブラックリーチ内では極めて脅威の存在。


・ドゥーマー豆知識

 エルフの一種であるドゥーマー。
 別名ディープエルフと呼ばれる種族だが、彼らはエイドラやデイドラと言った神々を心の拠り所とせず、技術と理性を信奉し、真実、真理のみを探求した種族である。
 その為、エイドラを信奉する他のエルフとは距離を置き、デイドラを信奉するダンマー(当時はチャイマー)に至っては見下し、双方の仲は極めて険悪であった。
 険悪だったチャイマーとドゥーマーの仲が改善したのは、スノーエルフに続き、さらにはアレッシアの反乱でアイレイドを撃退した人間達の脅威が大きくなったことが理由。
 この時、チャイマーの英雄ネレヴァルと、ドゥーマーの英雄デュマックにより和平が結ばれ、二種族は力を合わせて、当時モロウウィンドを占領していたスカイリム占領軍を撃退。レスデイン連合国を創立する。
 しかし、このレスデイン連合国も、ロルカーンの心臓を巡る第一評議会戦争、レッドマウンテンの戦いの中で瓦解し、ドゥーマーは消滅。チャイマーはダンマーとなり、ドゥーマーの存在は歴史の闇の中へと消えていく。



 余談だが、この和議の際にドゥーマー、チャイマー双方の代表者を集めて作られた議会が第一評議会と呼ばれ、そこに参加していたチャイマー達が、後のダンマー五大家となる。
 TESⅢで登場したダゴス・ウルも、この第一評議会に参加していたウル家の一員であり、レスデイン連合国時代は五大家でなく六大家であった。
 ちなみに、この五大家もオブリビオンクライシス以降、変化が訪れており、フラール家が五大家の座を追われている。フラール家に変わったのは、サドラス家と呼ばれる一族。



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閑話 ヴァーロック編 その1

お久しぶりです、cadetです。
今回は、だいぶ以前にお話ししていた、ソルスセイム空白期の事件の一つです。
予定では三話くらいで終わらせる予定です。



 外套を纏った一人の青年が、雪原を歩く。

 羽織った外套の下には竜の鱗で出来た軽装鎧を纏い、背中には黒い黒檀製の弓と鋼鉄の矢を入れた矢筒を背負っている。

 腰には小ぶりの短刀を携え、明らかに狩りを意識した装いをしている。

 頭には鎧と同じく竜の鱗を用いて作られた兜を被り、顔には寒さを和らげるためのフェイスマスクが取り付けられていた。

 顔をすっぽりと覆う兜の奥から覗く鋭い瞳が、眼前に広がる雪原を見渡し、雪に残された僅かな獣の痕跡を見つけ出す。

 

「ラース゛、ヤァ、ニル」

 

 青年が、腹の底に響くような力の籠った“声”を口にする。

 それは、シャウトと呼ばれるこの世界の真言。

 次の瞬間、青年が見渡す視界の中に、赤い光が幾つも飛び込んできた。

 オーラウィスパー。

 生者、死者を問わず、活動する存在を感知するシャウトである。

 

「あそこか」

 

 雪の下に隠れるようにジッとしている赤い光塊に向かって弓を構え、矢を番えて引く。

 ギシギシと軋む弦の音を耳の傍で感じながら、青年はスゥッ……と息を少しずつ吐いていく。

 そして、呼吸と弓、意識が一点に集中した瞬間に弦を離す。

 放たれた矢は一直線に赤い光塊に向かって飛翔し、積もった雪原に小さな穴を穿つ。

 当たった。

 言葉に出すことなく、青年は己の矢が的中したことを確信し、背に弓をゆっくりと戻す。

 一拍の呼吸の後、青年の視界に映っていた赤い光塊は消え、それが獲物を仕留めた事を伝えてくる。

 青年が雪原に空いた穴の元に近づき、雪を掘り起こすと、矢に貫かれた一匹の兎が出てきた。

 

「よし、これで晩飯には事足りるな!」

 

 己の狩りの成果に、竜鱗の鎧を纏った青年、坂上健人はフェイスマスクの下で頬を緩ませ、仕留めた獲物を腰に下げる。

 健人の腰には既に、仕留めた二匹の兎が釣り下がっていた。

 これで三匹目。十分な狩りの成果を上げた健人は、一路、スコール村を目指す。

 ここはソルスセイム島。

 タムリエル大陸の北東に位置する、雪と砂、そして氷に閉ざされた島である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 兎を仕留めた健人は、その足でスコール村へと戻っていた。

 太陽は既に上り、昼時ともなる時刻だが、外に出ている村人達は疎らである。

 それも無理はない。

 今は暁星の月の半ば。地球でいえば1月に相当し、冬真っ盛りと言った時期である。

 極度の冷気に島中が晒されるこの季節、いくら寒さに強いスコールの民とはいえ、好き好んで外に出る人はいない。

 日本人である健人にもこの季節の冷気は身体に堪えるが、彼が纏っている外套には耐冷気の付呪が施された逸品である。

 故に、こうして最も気温が下がる朝早くから外に出て、狩りをすることが出来ていた。

 

「おうケント、お帰り。首尾はどうだった?」

 

「ウルフさん、上々と言ったところです。肉は今夜の晩御飯ですけど、皮とかは要りますか?」

 

「ああ、今大広間で、村の女達が裁縫をしている。もしよければ、そこに持って行ってもらえるか」

 

「分かりました」

 

 健人がスコール村に戻ると、何らかの用事で外に出ていた村人達が次々に声を掛けてくる。

 ハルメアス・モラとの戦いから数ヶ月。健人はすっかり、このスコール村に馴染んでいた。

 外来の人間には殆ど心を開かないスコール達だが、健人とミラーク、そしてハルメアス・モラとの戦いを目の当たりにし、最後まで健人がスコールとの誓いを守り続けたことで、その分厚い壁はすっかり取り払われていた。

 もちろん、一部の村人の中には、完全に部外者である健人に対してどう接したらいいか分からない者達もいるが、健人のこの村での生活はおおむね順調だと言える。

 健人は村の中央にある解体所で仕留めた兎を素早く解体すると、皮は大広間に届け、肉はフリアの家に戻り、叩いて塩を振っておく。

 兎肉の下ごしらえを終えると、健人は自分が使っているベッドに向かい、ベッドの下に手を伸ばして一抱えするほどの麻袋を取り出した。

 袋の口を開けて、中にある物を確かめる。

 

「よし、異常はないな」

 

 彼が取り出したのは、黒の書“白日夢”。

 正確には“壊れた黒の書”と呼ぶべき代物だ。

 黒の書はハルメアス・モラの領域であるアポクリファへと続くオブリビオンゲートとしての機能を有した書物であるが、かの邪神との戦いで白日夢の領域が破壊された影響か、この書は機能不全を起こしていた。

 何度か壊そうとも試みたものの、結局失敗。

 以後、やむを得ず、こうして健人のベッドの下に保管されている。

 確認した黒の書をベッドの下に戻し、健人は再び晩飯の下準備に戻る。

 小麦粉を取り出し、水と塩、ミルクを加えて練って、スノーベリーを潰して作っておいた酵母を混ぜて暖炉の近くに置いておく。

 暖炉に残っている余熱で菌の発酵を促すのだ。

 夕食の下準備が終わったら、次に健人はバルドールの鍛冶場ヘ向かう。

 鍛冶場ではバルドール・アイアンシェイパーが火床の前で槌を振っていた。

 キンキン! と金属が鍛えられる音が鍛冶場に響いている。

 

「バルドールさん、来ました」

 

「来たかケント。早速だが、またやってみるぞ」

 

「はい」

 

 バルドールに促されるように、健人もまた火床の傍に近寄ると、近くにあった槌を手に取る。

 健人はスコール村で滞在している間、バルドールから鍛冶の技術を学んでいた。

 元々健人は簡単な仕立ての仕方は習っていたが、それは切れた糸や布地を補修する程度のもので、本格的な鍛冶に携わった経験は無い。

 だが、春になるまで時間があるこの時期に、健人は様々な技術を学んでおきたいと思い、バルドールに期間限定で弟子入りしていた。

 バルドール自身も、健人の弟子入りに賛成し、こうして鍛冶技術を授けてくれている。

 さすがに時間が限られるために全ての技術は身に着けることは出来ないだろうが、経験を積んでいけば、やがては優れた装具を自分で用意できるようになるだろう。

 そもそも、健人が身に纏うドラゴンの装具を直すには、それ相応の技術が必要だ。

 今すぐにとはいかないだろうが、いずれ健人自身が直せるようになるに越したことはない。

 そして、バルドールにはもう一つ、やるべき事があった。

 それはハルメアス・モラとの戦いで得物を折られてしまった健人に、新しいブレイズソードを作る事である。

 そしてバルドールと健人は、黒檀のブレイズソードを上回る物を作りたいと思っていた。

 すなわち、デイドラのブレイズソードである。

 それにはバルドール一人の力だけでは足りない。魔法を使える、健人の助力が必要だった。

 

「とりあえず、前回の試作品を使った時は、斬った時に突然折れたんだっけ?」

 

「はい。レイブン・ロックのモーヴァイン評議員を狙ったモラグ・トングと戦った時ですが、相手の黒檀の短刀と斬り結んだ時に甲高い音と共に折れてしまいました」

 

 モラグ・トング。

 モロウウィンドに名だたる暗殺集団。

 太古の昔から数々の権謀術策を巡らせるダークエルフ大家の裏で大きくなった、文字通り歴史の見えざる影そのもの。

 そんな連中と健人は戦う羽目になり、その際に彼が使っていた試作品は折れたのだ。

 バルドールはデイドラの装具を作った経験がない。

 また、デイドラのブレイズソードを作るにはデイドラの心臓と黒檀が必要になる。

 デイドラの装具を作るには鍛造の過程でデイドラの心臓を炎に投げ入れ、その炎で黒檀を鍛える必要があるのだが、これがまた上手く行かない。

 デイドラの心臓を炉に入れると、心臓が持つ魔力が炎に宿るのだが、これが安定しないのである。

 そのため、その魔力の炎を安定させるために、魔法が使える健人の助力が必要だった。

 

「それじゃあ、始めるぞ」

 

 バルドールが黒檀のインゴットを二つ取り出し、炎の中に放り込む。

 このインゴットは元々、健人が使っていた黒檀のブレイズソードを作る際に制作したインゴットである。

 火床に入れられたインゴットが熱せられ、赤化する。

熱せられたインゴットをバルドールが火床から出し、健人と共に相槌を打ちながらインゴットを叩き、折り返し、形を形成する。

 刃と芯の部分の形成を終えると、今度は二つの部材を組み合わせ、火床に入れる。

 そして接合した部材を叩いて伸ばし、微調整を繰り返しながら刀身を形成する。

 

「ケント、頼む」

 

 バルドールの声に、健人が火床の傍にあった袋からデイドラの心臓を取り出し、炎の中に放り込む。

 赤い炎が瞬く間に青白い色を帯び、増した熱とマジカが溢れ出る。

 噴き出した青炎は火床に残っていた紅炎と混じり合い、まるで陽炎のように揺れ始める。

 さらに健人は手を翳し、溢れ出る魔力を制御しようと試みた。

 不安定に揺れていた炎の色が安定し、やがて火床の炎は青一色へと変わっていく。

 

「よし、そのまま続けてくれ」

 

 火床の炎がまだ安定したタイミングを見計らい、バルドールは最後の工程である焼き入れを行う。

 刀が青白い炎の中に入れられると、刀身がまるでスポンジのように、周囲の炎を吸い込み始める。

 魔力が宿った炎を吸い込み始めた刀身は、やがて血脈を思わせる模様を刀身に描き始め、拍動するような魔力の輝きを抱き始める。

 ドクドクと脈打つ魔力の拍動が一際大きくなった瞬間、バルドールが瞳を見開き、刀身を素早く炎から引き出して冷えた水に刀身を沈ませる。

 熱と魔力で赤化していた刀身が急激に冷やされていく。

 そして、熱した刀身を水に投じてからきっかり十秒後、パキ!と氷が割れるような音が響いた。

 

「……失敗か」

 

 バルドールが難しそうな表情を浮かべ、刀を水から引き揚げる。

 鍛造は失敗だった。

 引き上げられた刀身には、無数の罅が入っている。

 冷却よる収縮と込められた魔力に、刀身が耐えられなかったのだ。

 

「安定せんな……」

 

 目下のところの一番の悩みは、鍛造の最後である冷却の工程で、素材である黒檀が耐えられないという問題だった。

 デイドラの装具は、デイドラの心臓が持つ魔力が黒檀の素材と混ざり、高密度に結合することで作られる。

 だが、魔力が結合するための最後の冷却の工程で、どうしても黒檀自体が耐えられなくなってしまうのだ。

 

「どうしたものか……」

 

 バルドールは頭を抱える。

 魔力を刀身に結合させるには冷却は必要不可欠だが、その工程がどうも安定しない。

 ソルスセイムの水は冷たい。

 デイドラの心臓の魔力を刀身に押し込めるには冷たい水で素早く冷却する必要があるが、あまりに急激な温度変化と魔力に、今度は刀身が耐えられないという問題を抱えていた。

 肉厚な刀身を作れば解決するのかもしれないが、健人が使うブレイズソードに分厚い刀身は向かない。

 

「バルドールさん、ちょっといいですか?」

 

「ん?」

 

「最後の焼き入れの時、刀身を土で覆ってはどうですか? これなら冷却速度は緩和されます」

 

「だが、刀身に宿った魔力の方が問題だ。たとえ熱に耐えられても、魔力に耐えられるかどうか……」

 

「ええ、だから、冷却を段階的にやっていったらどうですか? 一度目でゆっくり魔力になじませて、二度目で一気に硬度を引き上げる。もしくは、覆う土にスタルリムの粉末を使って魔力が逃げづらく、過度に刀身内で暴れないようにする。それから、エセリウスから降り注ぐ魔力が最も強まる南中か、満月の夜仕上げを行うとか……」

 

 健人から提示された案を、バルドールは自身の豊かな髭を摘まんでクルクルと弄びながら考え込む。

 急激な冷却による金属の収縮と、デイドラの心臓が齎す過剰な魔力。これが目下のところの問題だ。

 バルドールも、パッと聞いた感じ、健人の案は理に適っていると感じていた。

 スタルリムは、溶けない魔法の氷と評されるほど、安定している。

 元々墓荒らしを防ぐために掛けられた魔法が、大地と冬の力を長年取り込むことで作られる鉱物だからだ。

 当然ながら、物理的にだけでなく、魔力に対しても高い耐性を持っている。魔力を閉じ込めるのに使える可能性は、十分あるだろう。

 また、土をかぶせることで冷却速度を緩やかにする案も画期的だった。

 バルドールは知らないが、こちらは元々、日本の刀鍛冶士が持つ技術である。

 冷却過程で一本の刀の中に、同じ玉鋼でありながら、トルースサイトとマルテンサイトという、性質の違う二つの金属を同時に産み出すための技術。これを、健人は利用しようと考えていた。

 とはいえ、スタルリムと土の配合比等は全く見当がつかない。更には、スタルリムを粉末にする工程も、相当な労力が必要になるだろう。

 この辺りは、試行錯誤を繰り返すしかない。

 

「ふむ。では、出来る事からやってみるか……。もう一度打つぞ」

 

「はい」

 

 そう言って、バルドールと健人が再び材料を用意しようとしたその時、間の抜けた声が鍛冶場に響いてきた。

 

「やっほー、ケント。帰ってきてたんだね。首尾はどうだった?」

 

 声を掛けてきたのは、健人と同じく、スコール村に滞在しているカシトだった。

 彼の後ろには、健人が世話になっている家の家主であるフリアと、老年のノルドの男性がいた。

 その人物に、健人は内心、溜息を漏らした。この村に滞在するようになってから何度も話をしたことのある人物であるが、正直健人は苦手としている人物だったからだ。

 男性のノルドの衣装は、白を基調とした毛皮の服を纏っているスコールの民とは違い、タムリエル大陸のもの。

 しかも、それなりに高価な衣装であり、装身具も銀や金などをあしらったものを付けている事から、かなりの地位を持っている人物だと推察できる。

 この男性の名はサースタン。

 スコールの生活に興味を覚え、この排他的な村に滞在している、変わり者の歴史学者である。

 

「ああ、今日の晩飯の分は問題ないよ。それにしても、サースタンさんと一緒なんて珍しいな」

 

「まあね。なんでも、ケントに話が有るみたいだよ?」

 

「話?」

 

 一体何の話だろうか。

 首を傾げながらも、健人はカシトと一緒に来たサースタンに向き合う。

 サースタンは健人を前にすると、その皺がれた顔に笑みを浮かべながら、一歩前に出る。

 その表情には歓喜と興味、そして興奮の感情が混じっていた。

 

「こんにちは、スコールの英雄」

 

「あ、あの。その英雄ってのやめてくれません?」

 

「何を言ってるんだ! あの伝説の戦いを目の当たりにして、君を英雄と呼ばずに何と呼ぶ! 相対した二人のドラゴンボーン! 吹き荒れる伝説の声秘術! そして、現れた黒幕と、それを打倒した一人の戦士! ここ数百年で、いやタムリエル史を見返しても類を見ない、素晴らしい物語ではないか!」

 

「え、え~っと……」

 

「しかも、これは吟遊詩人共の脚色した物語ではない! 確固とした歴史に刻まれた物語であり、星霜の書にも記されて然るべき功績だ! 今、君についての本を執筆しているのだが、実のところ、もっともっと君の話を聞きたいと思っているのだよ」

 

 サースタンはこのソルスセイムに滞在している歴史学者であるが、非常に好奇心旺盛な学者で、その行動力はこの島に点在する古代遺跡を何度も探索するほどである。

 また、本人曰く、記憶だけで遺跡の地図を描くことが出来る程、その知識は深い。

 そんなサースタンも、健人とミラーク、そしてハルメアス・モラとの戦いを、この村で目の当たりにした人物の一人だった。

 当然ながら、その戦いと顛末にサースタンは興奮した。

 デイドラロード打倒という歴史的な大事件。

オブリビオンクライシスに活躍したクヴァッチの物語にも匹敵する英雄譚が誕生する瞬間を、目の当たりにすることが出来たのだから。

 当然、健人がハルメアス・モラとの戦いから帰還し、目を覚ましてから、サースタンは英雄の半生が知りたいと、何度も件の英雄の元を訪れた。

 とはいえ、非常に好奇心の強い歴史学者ともなれば、その話は非常に長く、質問は多岐に渡る。

 おまけに健人は異世界出身だ。話せない事も多い。

 なので、最近ではサースタンの機関銃張りの質問に健人が回答に困り、フリアやカシトに助けを求めるのが通例となっていた。

 

「サースタン、今日はそんな話をしに来たのではないでしょ」

 

「おお、そうだった。実は、君に頼みがあってな」

 

 案の定、質問モードになりそうだったサースタンを、付き添いで来ていたフリアが諌めた。

 どうやら、今日サースタンが健人の元を訪れたのは、他に別件の用事があったかららしい。

 

「頼み?」

 

「実は、ここ最近の地殻変動の影響で、未発見の遺跡が見つかったのだ。恐らくは、古い墳墓だろう。その遺跡の探索に、ぜひとも同行してほしいのだよ」

 

「墳墓……」

 

 古い墳墓。その存在を聞かされたとき、健人は心臓がドクンと、大きく拍動するのを感じた。

 妙な既視感と何かがあるという予感が、脳裏によぎる。

 

「レッドマウンテンの噴火に伴って開いたものだろう。詳しく調べてみたいのだが、古い遺跡には危険が伴う。そこで、君に護衛を頼みたいのだ」

 

「……何か、遺跡に関しての情報はありますか?」

 

 新たな遺跡に興奮冷めやらぬと言った様子のサースタン。

 一方、健人は早まっていく心臓の鼓動に戸惑いながらも、急かされるように、他に遺跡についての情報が無いか、サースタンに尋ねていた。

 

「一度入口まで見に行った時がある。そこで、こんな碑文を見つけたよ。生憎とほとんど擦れてしまっていて、判別が出来ないのだが……」

 

 そういってサースタンが懐から取り出したのは、一枚の羊皮紙だった。

 遺跡の入り口の扉の一部を炭で写し取ったと思われるその羊皮紙には、不規則な凹凸が並び、何かを記していたと思われる様子も見受けられるが、そのほとんどが判別不能なまでに風化してしまっていた。

 

「ホントだ、殆ど擦れてるし、文字もよく分からないや。全然読めないね」

 

 羊皮紙を覗き込んだカシトがそう呟く中、健人の目に一つの文字が飛び込んでくる。

 風化した凹凸に隠れて、傷と見分けがつかない文字。

 だが、その文字を目の当たりにした瞬間、ある言葉が健人の脳裏に浮かんだ。

 

「ヴァーロック……」

 

 その文字が指し示していた言葉は、ヴァーロック。

 ドラゴン語で「守護者、監視者」の意味を持ち、かつてミラークと相対した、極めて強大なドラゴンプリーストの名だった。

 




という訳で、空白期の事件の一つ。ヴァーロック編の序章でした。

プロット上の時系列とは、少しずれますが、ソルスセイム島での空白期で一番書いておくべきものと考えたら、このお話かと思いました。

また、ヴァーロック編すべてを書いて投稿し終わったら、しばらく時間を空けた後に第5章と第6章の間に移動させる予定です。

ただ、元々例のお話が来る前に執筆していたものなので、続きについてはいつになるのか分かりません。
本編の方も多少は書いたものがありますが、そちらもいつになるやら……。


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閑話 ヴァーロック編 その2

お待たせしました。
今回はソルスセイム島空白期の二話目です。



 

 

 新しく発見された遺跡は、ソルスセイム島の東部、獣の岩をさらに東に進んだ先にあった。

 地面に刻まれた地割れの奥底に、遺跡の入り口が顔を覗かせている。

 健人は、予備武器として作っておいた黒檀のブレイズソードを腰に差し、この遺跡を訪れていた。

 遺跡の扉を潜ると、半円状にくり抜かれた、古代ノルド特有の回廊が、地下に向かって続いている。

 健人達は各々、明かりとなる松明を持ちながら、遺跡の奥へと足を踏み入れる。

 進む順番は、先頭からカシト、健人、フリア、サースタンの順だ。

 鋭敏な感覚を持つカシトが、罠を警戒し、戦闘能力のないサースタンを護衛するために、フリアが後衛を務めるという布陣である。

 

「ケント、ヴァーロックって……」

 

「ああ、ミラークが口にしていた名前だ。もし間違いが無いのなら、この遺跡はドラゴンプリースト関連の遺跡だろうな」

 

 健人の後ろを歩いていたフリアが、彼にヴァーロックについて尋ねてくる。

 彼女もまた、健人とミラークの戦いを目の当たりにしていた人間の一人。

 ミラークが戦いの中で口にしていたヴァーロックという名前も、しっかりと記憶している。

 一方、健人はフリアの質問に答えながら、常に寄り添ってくれている戦友の様子を伺うように、そっと己の左胸に手を当ててみる。

 さざ波のような胸騒ぎは未だ、ミラークの動揺を示すように、健人の胸の奥でざわついていた。

 通路を進むと、健人達は巨大な地下空間に出る。

 健人達の眼前には、祭壇と思われる台と、その代から見下ろすように、円形の石床が据え付けられている。

 石床の中央には格子状の鉄枠がはめ込まれ、格子の下には、周囲を照らすように火が焚かれている。

 

「火? こんな地下遺跡に?」

 

「おそらくは、ここに来る遺跡の入り口と連動しているのだろう。なんと見事な仕掛けだ」

 

 サースタンが興奮した様子で、隊列を無視して健人達の前に出て行こうとする。

 歴史学者をしているだけに、このような古代の遺跡に好奇心を刺激されているのだろう。

 フリアが前に出ようとするサースタンを押し止めつつ、カシトが正面にある祭壇を確かめる。

 このようなノルドの遺跡には、数々の罠がある。

 そのような物は大抵、正しい手順で解除しなければ、容赦なく侵入者に牙を向くようなものばかりだからだ。

 

「碑文と、スイッチ? 見たところ、スイッチは向こうの格子に連動しているみたいだけど……」

 

 祭壇には、四角い石板と、引っ張り式のスイッチが設けられていた。

 カシトがスイッチを引っ張ってみると、祭壇下の丸床の格子が、音を立てて開いた。

 開かれた格子は数秒で閉じ、再びスイッチが元の位置に戻る。

 その様子に興味を掻き立てられたサースタンが、グイグイと前に出てきて、今度は石板を確かめ始めた。

 石板には爪でひっかいたような、特徴的な文字が彫られている。

 

「碑文の方は、古いドラゴンの文字だな。これは……」

 

 顔をしかめながら、ドラゴン語の翻訳を始めたサースタン。

 知識としてドラゴン語を知っている彼は、板に刻まれた文字、一つ一つをにらめつけながら、頭の中で分を構築していく。

 しかし、サースタンが翻訳を終える前に、横から流れてきた声が、石板の朗読を始めた。

 

「生贄は探し求めるものに近づける……」

 

 碑文を翻訳したのは、健人だった。

 ミラークの魂を継承した彼は、ドラゴン語に対しても非常に深い理解と、適応能力を見せる。

 その碑文を目にした時点で、彼の頭には自然と、その言葉の意味が浮かび上がっていた。

 

「ほう、流石はドラゴンボーン。読めるのだな。しかし、どういう意味なのか。おそらく、このスイッチが関係しているのかと思うのだが……」

 

 英雄の能力の一端に、サースタンは目を輝かせるが、肝心の碑文の内容は思った以上に簡素で、意味不明なものだった。

 とりあえず、これだけでは碑文の指すところが不明なため、サースタン達は祭壇の周囲を探索してみることにした。

 

「こんな所にまで死体が放置されているんだね」

 

「丁寧な処理をした形跡がないから、恐らく、この遺跡に放置されていた人間でしょうね」

 

 祭壇や石床のあちこちには、放置されたままのドラウグルの死体があった。

 既に活動を停止しているのか、健人達が近づいても起き上がる様子が無い。

 さらに、石床を挟んで、祭壇の正面と左右には、格子で閉じられた門があった。

 正面には入り口近くの祭壇と同じ形状の台があり、こちらも左右の通路と同じように、格子で道を閉ざされている。

 

「ケント、こっち……」

 

「これは、半円形の鍵穴? 反対にも同じものがある……」

 

 三方を格子の扉で塞がれた広間。健人達が入っていた入口の正面。恐らく奥に続いているのであろう格子の門の傍で、フリアが健人を手招きし、格子の脇の一角を指差した。

 そこには、明らかに何らかの仕掛けと思われる半円形の石板が、岩にはめ込まれていた。

 半円の石板には何か生物の爪と思われる彫り物が刻まれ、上部の頂点に一か所、斜め上部に一か所穴が穿たれている。

 また、反対側の石板にも、左右をひっくり返したような半円板と、鍵穴、彫り物がある。

 

「おそらく、正面の格子を開けるには、カギとなるようなものが必要なんだろうな。サースタンさん、カシト、そっちは?」

 

「ドラウグルも、特に変わった様子はないな」

 

「死体の中にあったのも、見たこともないコインだけだね」

 

 ゴソゴソとドラウグルの死体をあさっていたカシトは、亡骸の懐から数枚の金貨を取り出して掲げた。

 現在、タムリエルで流通しているセプティム金貨とは明らかに装飾が違うものであるが、この遺跡で、特別な何かに使われそうな雰囲気はない。

 おそらくは、太古において、日常的に使われていた通貨だろう。

 物によっては好事家から高値がつけられるが、今の遺跡探索においては、あまり意味のあるようなものではない。

 

「へ、へっ、いいお金になりそう……」

 

「カシト、程々にしておけよ」

 

 とはいえ、金でできているのは間違いなく、通貨としては使えなくとも、貴金属としての価値はある。

 カシトが髭をピクピクさせながら顔をほころばせているのに、健人は一抹の不安を覚えた。

 

「中央の火も、特に魔力は帯びていない。本当に、唯の火だな。碑文の内容を察するに、生贄が関わっていると思うのだが……」

 

「生贄、ねえ……ドラゴンの風習を考えたら、答えは一つしかないわな」

 

 そう言いながら、健人は近くにあったドラウグルの死体を中央の格子に運ぶ。

 

「生贄は探し求める者に近づける。つまり、扉となっている格子に生贄となる者を近づけて……」

 

 おもむろに健人は、入り口近くの祭壇のスイッチを引っ張る。

 すると、床石の格子が開き、上に載っていたドラウグルの死体が炎の中に落ちていった。

 ドラウグルの死体が炎に飲み込まれた瞬間、この地下広間の左右の格子が、ガチャリと音を立てて開く。

 古代ノルド達は、ドラゴンに生贄を捧げていた。この仕組みは、古代ノルドの祭事を模したものだったのだ。

 

「よくやった! とりあえず、どちらの道から行こうか」

 

「中央の格子の鍵穴を見る限り、鍵は二つ要る。どの道、どちらの通路も確かめることになるだろうな」

 

 空いた通路は二つ。中央の通路がまだ空いていない事や、そばにあった鍵穴の数を考えるに、この二つの通路のどちらか、もしくは両方に、探し求める鍵があることが予想できる。

 健人達はとりあえず、右の通路から確かめることにした。

 再び通路を進みながら、先へ進むための鍵を探し求める。

 格子の門を潜り、通路を進み続けていると、再び広い地下室に出た。

 先へ進む道は再び格子によって閉じられており、格子の手前には、石板を置いた祭壇と、縦三列、横三列、合計九枚の正方形の床石がある。

 健人が祭壇の石板を確かめてみると、そこにもやはりドラゴン語が刻まれていた。

 今度はサースタンが、碑文の翻訳を試みる。

 

「道を歩み続け、来た道を戻ることなかれ……興味深いな」

 

 顎髭をなでながら、サースタンは今一度、碑文の奥に設置された床石に目を向けた。

 そして彼は、明らかに何らかの装置であることをうかがわせる床石の列を眺めつつ、重々しい雰囲気を醸し出しながら口を開いた。

 

「ふむ……二つの事が確かだ。一つ、謎かけは、床のこの平たい石を刺していると思われる。そして二つ……」

 

 それは、健人にも察しがついた。この石床の列は、あまりにも、あからさますぎる。

 

「二つ目は?」

 

 他には一体何があるのだろうか。

 期待と緊張を交えたこえをもらしながら、健人達はサースタンの次の言葉を待ち……。

 

「……私は近寄らない」

 

 クソ真面目な表情でスタスタと隊列の最後尾に戻ったサースタンに、思わずズッコケた。

 

「おい、爺さ~~ん!」

 

 カシトが思わずサースタンに詰め寄り、割と豪華な服の袖をひっつかむ。

 袖をつかまれた歴史学者は、よほど自分で解除したくないのか、そのままカシトと引っ張り合いを開始した。

 

「こら、ひっぱるな! 一応、私は依頼者だぞ! 私のような知識人は、このような場面では普通、前には出ないものだ! そもそも、こういう時の為に、君達に同行を頼んだのだぞ!」

 

 意外なことに、サースタンの腕力は結構あるのか、カジートのカシトの腕力とそれなりに拮抗して見せている。

 とはいえ、袖を引っ張りあいながらズルズルと床を削るような攻防は、傍から見ていてため息が漏れる光景だった。

 

「まあ、一応、依頼人だからな……。それから二人とも、あまり騒がないでくれ。ここは一応ノルドの墳墓なんだ。イン〇ィージョーンズみたいなコント展開は映画の中だけでいいんだからな」

 

「「「イン〇ィージョーンズ?」」」

 

 サースタンの言う通り、今の健人達は彼の護衛という名目で、この遺跡に来ている。

 健人としては、この歴史学者が言うことはもっともだが、それにしたってもう少し話し方を考えなかったのだろうかと言いたい。

 サースタンとカシトのコント見たいなやり取りのせいで、緊張感が霧散してしまった。

 一応、ここは古代ノルドの墳墓。しかも、明らかに仕掛けを施された部屋の中である。

 有名な某冒険映画のように、騒いだ挙句にスイッチオン。出入口が塞がれて天井が下りてくるなんて古典的な展開は御免である。

 騒いだ二人だけでなく、フリアも健人の言葉の意味が理解できなかったため、三人そろって首をかしげている。

 三人の様子に苦笑を浮かべながらも、健人は床板の列に足を踏み入れる。

 

「道を歩み続け、来た道を戻ることなかれ。要は、一筆書きの要領だろ」

 

 一番手前の端の床石を踏んだ健人は、そのまま駆け出し、縦横の床石を二度も踏むことなく、一気に踏み終える。

 すると、先を閉ざしていた格子が音を立てて下り、道が開いた。

 

「先へ進めるな」

 

「さあ、先を急ごう!」

 

 通路が開いたことに、サースタンとカシトが健人達よりも先に通路に入って行った。

 先ほどの喧騒の影も形も見せない、一致団結した行動を見せる二人。

 その様子に健人とフリアは深い溜息を吐きながらも、後に続く。

 

「しかし、ちょっと気にもなるわね」

 

「何が?」

 

「ここまで、活動しているドラウグルに遭遇していない事よ。古代の遺跡には大概、アイツらがいるのだけど……」

 

 ドラウグルは基本的に、遺跡を荒らす人間に対して牙をむく、この世界のアンデッドである。

 中には積極的に人間を狩るような個体も存在するが、基本的に遺跡内から出ることはない。

 逆を言えば、遺跡に侵入すれば、ほぼ間違いなく遭遇する存在ともいえる。

 特にここは、メレシック時代の極めて強大だったドラゴンプリーストの墓と思われる場所だ。

 特にヴァーロックは、あのミラークが名指しで自分と比較するほどの存在だ。

 当然、その力もミラークと遜色ないものであるだろう。

 普通に考えて、そんな人物の墳墓で、活動しているドラウグルがいないとは考えづらい。

 

「もしかして、他のドラウグルは、皆死んじゃったとか?」

 

「元々死体なんだから、死んでいるも何もないでしょう……」

 

 振り返りながら妙な発言をするカシトに、フリアが呆れた声を漏らす。

 そんな光景を眺めながらも、健人は 今一度、この墳墓の主と思われる名を思い返す。

 ヴァーロック。

 かつて、ミラークのライバルだったと思われるドラゴンプリースト。

 その名を口にすると、健人は何とも言えない熱が、胸の奥からこみあげてくるのを感じた。

 それは間違いなく、彼と同化しているミラークの魂が発した熱。

 ハウリングソウルの枷となり、表層意識をなくした彼ではあるが、ヴァーロックの名前に対しては、明らかな反応を見せていた。

 

「ケント。どうかした?」

 

「いや、どうも俺の中のミラークが、ヴァーロックの名前を聞いた時から妙な反応をしていてな……」

 

「ふむ、ヴァーロックは、ミラークと同じ時代のドラゴンプリーストだ。双方の間に何らかの繋がりがあったとしても、不思議ではないが……」

 

 そうこうしながら先に進んでいくと、一行はすぐに通路の突き当りへと到達した。

 通路の奥には広い空間があり、そして無数の棺が、床だけでなく壁にも、所せましに並んでいた。

 健人達の脳裏に、嫌な予感が過る。

 この墳墓の主は、遺跡道中で配下を各個撃破されて戦力を喪失するのを避けるために、このように一か所にドラウグルを集中配置したのではないのかと。

 そんな彼らの不安を肯定するように、無数の棺の蓋が、一斉に開いた。

 

「……ちょっとフリア」

 

「なんでそんな目で私を見るのよ! 私のせいじゃないでしょ!」

 

 カシトがジト目をフリアに向け、フリアが不満の声を上げる中も、死者たちは次々と起き上がっていく。

 部屋一杯になるほどのドラウグルの群れを前に、健人達は思わず顔を引き攣らせた。

 

「ちょ、数多!」

 

「こうなると思ってたよ! サースタンさんは……」

 

「頑張ってくれ! こういう時について来てもらったのだからな!」

 

 健人が退避を促す前に、サースタンは全力で元来た通路へと引き返した。

 その速度は、獣人のカシトからみても驚くほど速い。

 高齢の域に達したインドア派の歴史学者が見せる見事な走力に、健人もまた眼を見開いている。

 

「速っ! あの爺さん足速っ!」

 

「おいフリア、あの爺さん、ホントに調子いいな!」

 

「だからあのお爺さん、ずっとスコール村にいられるのよ! 面の皮が厚くなかったら無理だわ!」

 

「え? フリアもスコールが閉鎖的って自覚はあったの? オイラとしてはそっちの方も意外……って、わあああ!」

 

 ドラウグルが振り下ろした剣が、カシトの鼻先をかすめる。

 健人達が馬鹿なことをやっている間に、ドラウグルたちは完全に戦闘態勢を整えていた。

 部屋一杯のドラウグルたちが、健人達の命を刈り取ろうと、一斉に襲い掛かってくる。

 

「相手の機先を潰す! その後に突っ込むぞ!」

 

 健人の目には、後方で弓を構え、手に魔力を収束させているドラウグル達も見えている。

 下手に遅滞戦闘なんてしたら、後方からの大火力で潰される可能性があった。

 その為には、いの一番に、相手の隊列を崩す必要がある。

 

「突っ込んだ後は!?」

 

「各々自由戦闘! 背中だけは気をつけろよ! ファス、ロゥ、ダーーーー!」

 

 揺ぎ無き力が、ドラウグルの隊列中央部を割くように縦断する。

 衝撃波でアンデッドたちの前衛が崩され、後衛達が丸見えになる。

 後衛にいたのは、ドラウグル・スカージ、ドラウグル・ハルキング、そしてドラウグル・デス・ロード。

 かつて健人とフリアがミラーク神殿で相対した、デス・オーバーロードには及ばないが、どの個体も、並の戦士では太刀打ちできない化け物である。

 

「ウズ、ラック!」

 

 後衛を束ねるドラウグル・デス・ロードが、健人を指さして配下達に指示を送る。

 その指示に従い、後衛を担当していたドラウグルたちすべてが、健人めがけて攻撃を放ってきた。

 黒檀の矢と魔法の群れが、一斉に健人めがけて襲い掛かる。

 

「ウルド!」

 

 健人は旋風の疾走を、一節だけ唱えて発動。

 無数の矢と魔法の群れの射線から逃れるように、壁に向かって一直線に跳ぶ。

 

「ぐっ!」

 

 旋風の疾走で壁の装飾に足をかけた健人はそのまま跳躍。

 途中のドラウグルの頭を足場にして、一気に敵後衛めがけて突進する。

 

「ボー、バイン。ボー、バイン!」

 

 予備として残っていた後衛が、健人に魔法を放ってくるが、彼は背中からドラゴンスケールの盾を取り出し、同時に正面にシールド魔法を展開。

 優れた防具とシールド魔法で相手の魔法を防ぎながら、腰の黒檀のブレイズソードを抜き、一気に敵後衛に躍りかかる。

 

「おおおおおおおおお!」

 

 一閃。

 手近にいたドラウグル・ハルキングの体を両断しながら、健人は着地する。

 同時に、着地の勢いを殺さぬまま体を沈め、踵に力を込めて、体を前方に滑らせる。

 ドラウグル達の膝ほどまでに低い体勢のまま、敵軍の中に滑りこんだ健人は、立て続けにその手に携えた刃を振るう。

 

「しっ! ふっ! はあああ!」

 

 二閃、三閃と刃が煌めく度に、高位のドラウグル達が断末魔の叫びをあげながら崩れ落ちる。

 健人の吶喊で、一気に瓦解し始めた後衛群に、前衛を務めていたドラウグル達も混乱。

 前衛の中でも後衛を助けに行こうとする個体と前線を保とうとする個体が、前衛内で同時発生し、その隊列に綻びが生じる。

 

「せいやっとぉおお!」

 

「はああああああ!」

 

 その隙間に、カシトとフリアが滑り込んだ。

 カシトはそのしなやかな体躯で前衛の隙間に滑り込むと、腰に差していた黒檀の短剣を一閃。

 気が逸れていたドラウグルの首元に付呪を施した刃が滑り込み、込められていた炎の魔法でアンデッドを内側から焼き尽くす。

 

「うわ、すごい威力。ケント、試作品って言っていたけど、これ、十分お金取れる出来じゃない?」

 

 下位のドラウグルとはいえ、灰にするまで焼き尽くした短剣の威力に、カシトが驚きの声を漏らす。

 健人は今現在、テル・ミスリンのネロスの指導を受けながら付呪を練習しているところである。

 その実力は、ネロスはおろか、彼の弟子のタルヴァスにもまだ及ばない。

 だが、それでも健人は現代日本の教育の恩恵を受けているために魔法関係の習得が早く、さらにドラゴンボーンとして覚醒したため、徐々に飛躍的な成長の片鱗を見せ始めていた。

 カシトが持っている黒檀の短剣は、元々健人が付呪の練習として使用した物の一つであり、その中で一番、実用に優れているものである。

 自分の作る品に今一自信がなかったケントが、とりあえず魔法効果だけはしっかりしたものをと考え、威力型にバランスを割り振って作った短剣。

 魂力の消費が激しいという欠点を抱えてはいるものの、その威力は、下位のドラウグルや化け物をしとめるには十分だった。

 

「感動しているのはいいけど、後にしなさい!」

 

 カシトが今しがた灰になったドラウグルに驚いている中、彼に後ろから襲い掛かろうとしたドラウグルを、フリアが双斧を振り下ろして沈黙させる。

 メギャリ! と耳障りな金属音とともに、カシトに襲い掛かろうとしたドラウグルが倒れ伏す。

 

「知ってはいたけど、こっちもすごい腕力……」

 

「何か言った……」

 

「いんや、オイラは何も……」

 

 ドスのきいたフリアの声に、カシトはそそくさと戦いに戻ていく。

 変性魔法のエボニーフレッシュとノルディックの重装鎧を纏ったフリアの一撃は、古代ノルドの重装鎧の兜を、中身もろとも容易くかち割っている。

 そんなフリアの腕力にカシトは戦々恐々とした感想を漏らしつつも、襲い来るドラウグルの群れたちを捌き続けた。

 錆びた古代ノルドの片手剣を振り下ろしてくる相手の足元に滑り込み、踏み込んだ足を器用に刈る。

 さらに、立ち上がり際に隣のドラウグルの脇下に短剣を差し込み、その軽い体躯を焼き尽くしながら、他のドラウグルめがけて放り投げる。

 ついでに、放り投げた相手の武器をかすめて取るのも忘れない。

 味方を放り投げた隙に斬りかかってくるドラウグルめがけて、かすめ取った片手剣を放り投げつつ、踏み込んで三度、短剣を急所に突き刺す。

 カシトが床に倒したドラウグルにトドメを刺しながら、フリアはからかいとも関心とも取れるような感想を口にした。

 

「そう言う貴方も、ずいぶんと手癖が悪いわね。悪戯好きのリークリングみたいだわ」

 

「せめて器用、っていってよ! あんな青色ゴブリンと一緒にされるなんて、冗談でもごめんだよ!」

 

「な、なんか、妙にリークリングを嫌うわね……」

 

 フリアとカシト。

 スコールとカジートという珍しいコンビは、健人の奮闘に背中を押されるように、次々とドラウグル達を屠っていく。

 そして、戦闘開始からわずか数分で、広間の中のドラウグル達はすべて狩りつくされた。

 物言わぬ動かぬ躯に戻ったドラウグル達が散乱する広間。

 喧騒が治まったことを確かめたのか、逃げていたサースタンが戻ってくる。

 

「おお、さすがスコールの英雄とその仲間達だ。これほどの数のドラウグル達を、これほど短時間の間に屠りきるとは見事だ!」

 

「なんだろう、褒められているんだけど、あんまり嬉しくない……」

 

 満面の笑顔を浮かべて賛辞を送ってくるサースタンの姿に、健人は極めて微妙な表情で感想を述べる。

 彼のつぶやきに同意するように、フリアとカシトも無言で頷いた。

 

「と、とりあず、この部屋を調べてみましょう。ヴァーロックについて、何か分かるかもしれないわ」

 

 密集しての戦闘とサースタンの言動も相まって、全身が弛緩するようなだるさに襲われた健人達だが、気を取り直して広間の探索に移行した。

 サースタンが広間の外壁などを調べ、健人達が三人で倒したドラウグルを確認する。

 健人が倒したデスロードの死骸を確かめていると、懐から奇妙な品が出てきた。

 それは、一見すると紫色の光沢を放つ鉤爪のように見える。

 鉤爪の数は二本。だが、その鉤爪は中央から綺麗に半分に切られたような形状をしている。

 

「アメジストの、爪? なんか半分に分けられているみたいだけど……」

 

「ケント、これって……」

 

「ああ、恐らく、入口の炉の奥、あの扉を開くのに必要なんだろうな。半分という事は、どこかにもう一つはるはずだ」

 

 健人の手元を覗き込んで来るフリアが、小さく頷く。

 健人が見つけたのは、ドラゴンの爪を模したカギであり、古代ノルドの墳墓にはよく使われている代物だ。

 以前に健人が入ったウステンクラブにはなかったが、スカイリムの各遺跡には時折、このような爪状のカギが使われている。

 一方、カシトはホクホク顔で、ドラウグルの懐からコインを引き抜いている。

 彼にとっては、遺跡の歴史よりも現金の方が重要のようだった。

 

「こっちを見てくれ。ドラゴン語の碑文があるぞ」

 

 サースタンの声に促されて、健人がフリアと共に歴史学者のもとに行くと、彼の目の前に、ドラゴン語が記された碑文があった。

 かつて、ウステングラブやミラークの神殿にもあったものと同じ、碑文の壁である。

 

「何と書いてあるか、分かるか?」

 

 サースタンが興奮した様子で、健人に碑文の内容を尋ねてくる。

 そして、健人が碑文の文章を目にした瞬間、彼の脳裏に力の言葉が浮かんできた。

 

「忠実……」

 

 頭に浮かんだのは、“ミド”激励の言葉。

 共に戦う仲間の心を震わせ、猛らせる力の言葉。

 そして、戦いの激昂と呼ばれるシャウトを構築する言葉の一つだ。

 だが、健人にとって衝撃だったのは、その言葉自体が、彼の親友の名を示すものとほぼ同じだったから。

 ミド。それは忠実な、または忠誠であることを示す形容詞。

 そして、ミラークの名前は元々“ミル”“アーク”であり、ミルとは、名詞としての忠誠、臣従の義務を差す。

 

「っ……」

 

 シャウトを取り込んだ健人の脳裏に、見たこともない光景が映る。

 雪原に広がる都市と、その中央に建てられたひときわ大きな神殿。

 その頂上でたたずむ、二人の人影。

 二人は互いに隣り合いながら、眼下の街を見下ろしている。

 

『ミラーク、主が探していたぞ。連絡を怠るとは、一体どういうことだ?』

 

『ヴァーロック、お前は、この街をどう思う?』

 

 突如として脳裏に浮かんだ光景に、健人は戸惑いながらも、その光景に目を奪われていた。

 並びあう二人の神官の内の一人の声は、間違いなくミラークのものだったからだ。

 

(これは、アイツの過去か? それとも、シャウトの中に込められた想い?)

 

 脳裏に浮かんだ数千年前の情景に見入っていた健人。

 だが、その光景は、隣から執拗に迫ってくるサースタンの声に途切れてしまう。

 

「なんだ、何と言った!?」

 

「い、いや、なんでもない。ええっと……“大いなる栄誉に浴したガーディアン、ここに眠る。永遠の『忠誠』によって、彼は名誉の死者に列せられた。”かな?」

 

 サースタンの呼びかけに我に戻った健人は、とりあえず、スイズイと迫ってくる好奇心旺盛な歴史学者を押しとめながら、碑文の内容を伝える。

 忠誠。その言葉を口にしたとき、健人の胸の奥がキシリと痛んだ。

 

「さすがだな! これは研究がはかどるというものだ! しかし、ガーディアンか。ガーディアンは人か竜、どっちだったのだろうな……」

 

 しばしの間、物静かに思案していたサースタンだが、やがて彼は再び好奇心に瞳を輝かせながら、碑文の一語一語を、舐めるように確かめ始める。

 その姿は、足元で集めたコインを数えている健人の親友と瓜二つだった。

 

「なんだろう、カシトが二人いる気分だ……」

 

「ケント、こっちをみて。道があるわ」

 

 そんな中、フリアが隠し通路と思われる穴を見つけた。

 隠し通路への入り口は広間の脇の壁に立てつけられていた棺の奥に隠されており、底板を外す形で姿を現していた。

 

「……ミラークの神殿といい、この遺跡といい、古代ノルドは棺の底に隠し通路を作るのが通例なのか?」

 

「さ、さあ……」

 

 健人のちょっとした疑問に、フリアは回答に困り、頬を掻きながら明後日の方向に視線を逸らす。

 そんな彼女の様子に微笑みながら、健人は隠し通路へと入っていく。

 シャウトと共に浮かんだ、戦友の過去。それを、脳裏の端で思い返しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 遺跡の最奥部。細長い半球状の広間。

 そこの最奥にある棺の中で、彼はずっと、その時を待っていた。

 かつて、彼と共に同じ主に使えながらも、袂を分かった裏切り者の帰還。

 自らが葬り去ろうとし、そして逃がしてしまった宿敵を。

 

「ミラーク……」

 

 棺の中で、乾ききった彼の瞳に、光が蘇る。

 数千年越しの宿敵との邂逅を待ち望みながら、彼は身を収めた棺の中で、かつての友の名を、掠れ切った声で呟いていた。

 

 




という事で、いかがだったでしょうか?
もしよろしければ、感想、評価等、よろしくお願いいたします。



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閑話 ヴァーロック編 その3

 棺の底から現れた隠し通路を通り、遺跡で最初に訪れた広間に戻った健人達は、今度は左側の通路の探索を開始した。

 通路の道中にはやはりドラウグルの姿は無く、先の通路と同じように、行き止まりに多数のドラウグルがいると考えられる。

 そして一行は、右側の通路と同じく、妙な仕掛けが施された部屋に到達した。

 

「中央に大きな柱と、それを取り囲む三本の柱……。中央の柱の傍には、三本の柱と向かい合うように台座がある。まあ、さっきと同じような、先を進むための仕掛けだろうな」

 

 彼らの目の前にあるのは、石板を置いた祭壇と、四本の柱。

 中央の柱に据付らえた台座には、それぞれ剣、弓、杖が置かれている。

 健人が柱と台座を調べている中、サースタンが祭壇の石版に掘られたドラゴン語を解読する。

 

「全ての人は死ぬ。多くの人が、自らが生み出した者によって……中々恐ろしい言葉だな。だが、的を射てもいる」

 

「周囲を囲む小さな柱の一番上、不思議な石が置かれているみたいだけど……」

 

「衝撃の石と呼ばれているものだな。その名の通り、特定の衝撃で作動する石だ」

 

「衝撃、か……」

 

 健人はおもむろに、台座に置かれていた杖を手に取り、向かい合う柱に向ける。

 杖が置かれていた台座と向き合う柱には、杖を模した絵が彫り込まれている。

 杖に込められた魔法と、柱が何らかの仕掛けで連動していることは、想像に難くない。

 健人は杖に付呪されている魔法を刻まれた文様から読み解き、イメージを送り込んで発動させる。

 杖の先から噴出した炎が柱の頂部に置かれた衝撃の石に当たると、対応した柱が淡い光を放ち始めた。

 

「ああ、こういう仕掛けなのね」

 

 柱の仕掛けを察したフリアとカシトが、健人の行動に倣い、それぞれ一つずつ柱を起動させる。

 すると、通路を塞いでいた格子が開き、先へと進めるようになった。

 

「何というか……。ずっと遺跡を見ていて思ったけど、古代ノルドの遺跡はドラゴン語以外の文字と言うものが見当たらないんだな」

 

 仕掛けを解除するために使った杖を台座に戻しながら、健人はおもむろに、古代ノルドの遺跡に対する推察を述べた。

 健人の推察に対して、サースタンが言葉を返す。

 

「彼ら古代ノルド、特にアトモーラ大陸にいた頃の彼らは、文字を持っていなかった。その為、絵で様々な出来事を記録していた。

 イスグラモルが文字を作り上げたとはいえ、ドラゴン語は彼らにとっても神聖な言葉であっただろうし、文字ではなく絵で記録し、伝える伝統は、タムリエルに来て文字を獲得した後も、連綿と続いていたのだろうな」

 

 アトモーラに住んでいたノルドたちの祖先。ネディック人と呼ばれる彼らは、文字を持っていなかった。

 タムリエルに入植した後、イスグラモルによってエルフ文字を元にした文字が考案され、使われるようになっていったとはいえ、識字率は高くなかったことは、容易に想像できる。

 

(ミラークの過去を考えれば、そもそも竜教団が、文字を伝えないようにしたという事も十分考えられるな……)

 

 文字の独占、すなわち情報の独占、統制による思考誘導は、愚民政策の基本である。

 文字は歴史などの真実だけでなく、その時感じた想いすら後世に残すことが出来る。

 スゥームと言う真言を使えない人が、自ら意思をより多くの人達に伝播させる為の、必要不可欠なツール。

 それは使い方によっては、非常に多くの反抗の種を残し、育てることに繋がりかねない。

 民が権力者に逆らわないようにするため、そして反抗の意志を育てないことは、権力を保持する上で、極めて重要な要因だ。

 だからこそ、ドラゴン語はもちろん、文字自体も神聖なものだから、神官以外が用いてはならない。そんな決まりがあったとしても、おかしくはない。

 

(情報の統制、か……)

 

 ミラークもまた、己の名を奪われ、忠誠と言うスゥームによって思考誘導されていた。

 その前段階として、ドラゴンは彼の過去という精神を形作る重要な要素を消し去っている。

 それは、健人が育った地球でも、過去だけでなく、文明の発達した二十一世紀においても片鱗が窺える、権力者たちの行動と全く同じ。

 

(どの世界でも、権力者のやる事はそんなに変わらないってことか……)

 

 地球とタムリエルの負の共通点に、健人が辟易している中、一行はさらに先へと進む。

 健人が物思いに耽っていると、隣に並んだカシトがおもむろに健人の腰に差してあるもう一本の刃をつつき始めた。

 

「そういえばケント、さっきの戦いで、この剣、使わなかったね」

 

「ああ、ネロスが付呪を施してくれたけど、どうにも抜く機会が無くてな」

 

 健人の腰に差してある、黒檀のブレイズソードとは違うもう一つの刃。

 スタルリム製の短刀は、ハルメアス・モラとの戦いの後に健人が頼み込み、ネロスに付呪を施してもらっていた。

 目的としては、ネロスの付呪技術をこの目で見るためである。

 付呪技術を見せる事にネロスはぶつくさ文句を言っていたが、デイドラロード打倒という驚異的な光景を見せてくれた礼として、二重付呪という、マスターウィザードの名に恥じない技術を披露してくれた。

 氷攻撃と魔力吸収のダブルエンチャントを施され、更なる鋭さを得た刃だが、その力を使う機会は未だに訪れていない。

 

「まあ、剣なんて、抜かずに済んだ方がいいけどな」

 

 健人は肩を竦めながらも、さらに奥へと進む。そして、ついに通路の突き当りに辿りついた。

 通路の突き当りは、再び大きな広間になっており、突きあたりの壁の中央には、言葉の壁が鎮座していた。

 

「また、言葉の壁だね」

 

「という事は……まあ、いるわな」

 

 ガラガラと周囲に置かれた棺の蓋が開き、墓の守り人達が姿を現す。

 再び現れた干物顔に、健人はゆっくりと黒檀のブレイズソードを引き抜く。

 

「親の顔より見たミイラ顔、といったところか……」

 

「こんなしわくちゃな顔の母ちゃんだったら、オイラチビッちゃうよ」

 

「母親も、こんな顔のドラウグルと一緒にされたくないだろうな」

 

「拳骨不可避」

 

「じゃあ、後は任せたぞ。私は隠れているからな」

 

 簡潔な言葉だけを残し、サースタンがスタコラさっさと逃げていく。

 

「さっきより数が少ないわ。今度は練度重視みたいね」

 

 健人達が気の抜けた会話をしている一方、フリアは冷静に彼我の戦力分析を行っていた。

 出現したドラウグルは全部で三体。右側の通路と比べれば、その数は非常に少ない。

 だが、出現したドラウグルは全てが、極めて高位のドラウグルであり、内一体はデス・オーバーロードであった。

 以前、ミラーク聖堂で相対した個体と同位の難敵である。

 侵入者の姿を確かめたドラウグルたちが、一斉に胸を張った。

 

「っ! 全員、俺の後ろに!」

 

「「「ファス、ロゥ、ダーーー!」」」

 

 健人が盾を構えたと同時に、ドラウグルたちがシャウトを一斉に放つ。

 間一髪で展開できた魔力の盾が、ドラウグル達の衝撃波を受け流す。

 

「一気に行くぞ! ミド!」

 

 健人は、先ほど覚えたばかりの“戦いの激昂”のシャウトを唱える。

 このシャウトの効果は、健人がよく使う“激しき力”と同じ風の刃を、自分以外の仲間たちの武器に付すことである。

 

「これは、風の刃?」

 

「単音節だから長くは保てない。気をつけろよ。ふっ!」

 

 フリアが己の双斧に巻き付いた風の刃に驚いている中、健人は相手の中で最も強敵であろう、ドラウグル・デス、オーバーロードに突貫した。

 

「オオオオオオオ!」

 

 三体のドラウグルのリータ―格であるデス・オーバーロードが、黒檀の片手斧と盾を取り出し、吶喊してくる健人に、肉厚な黒檀製の刃を叩き付けようと振り下ろしてくる。

 

「ふっ!」

 

 ガイン! と、甲高い耳障りな金属音が木霊する。

 振り抜かれたブレイズソードと黒檀の片手斧が激突。ギャリリ! と擦れ合う刃は、片手斧の刃の端に引っ掛かる形で止まった。

 

「ウル、ラゥル!」

 

「せい!」

 

 手首を返して、健人のブレイズソードを絡めとろうとしてくる、デス・オーバーロード。

 一方、相手の意図を察した健人は、自分から一歩踏み込み、腕を畳みながら肘打ちを繰り出す。

 ドラゴンスケールの小手と、黒檀の盾が激突。衝撃で互いに後ろに流されながらも、二人は体勢を立て直し、再び己の得物を繰り出す。

 

「はあああ!」

 

「オオオオオ!」

 

 両手でブレイズソードを保持しながら、健人は一歩踏み込み、繰り出される斧撃を捌いて下方に流し、体術で相手のシールドバッシュを出頭で叩き潰す。

 肘を守るために取りつけられている硬質なドラゴンの鱗が、黒檀の盾による一撃が加速しきる前に弾き返していた。

 両手に得物と盾を持つことの利点は、瞬時に攻防を入れ替えられる事だが、盾と素手では、そもそもの攻撃速度が違いすぎる。

 健人が再び間合いを詰めてきたことも、このドラウグルが十分盾を振るうことが出来ない理由だった。

 また、片手斧も、柄の先に刃が付いたその形状から、超至近距離で振るうには向かない。

 ドラウグルが攻めあぐねる一方、健人は片手斧を流したブレイズソードを、そのまま相手の得物の柄に沿わせるようにして斬り上げようとしてくる。

 体をひねり、腕を畳み、刀の全長を全て活かして、押し切るように刃を振るってきたのだ。

 

「ウズ、オウル!」

 

「むっ!」

 

 だが、健人の刃がデス・オーバーロードの体を捉える前に、間一髪で黒檀の盾が差し込まれた。

 振るわれた健人の刃が火花を散らしながら、ドラウグルの側面へと流されていく。

 さらに、デス・オーバーロードは、盾を翳したまま、大きく息を吸い、腹の奥から強烈な力の言葉を解き放った。

 

「ファース、ルゥ、マーール!」

 

 放たれたのは、“不安”のシャウト。

 相手の抑圧された不安感に干渉し、その恐怖を肥大化させるシャウト。

 どのような強者であれ、心の内に潜む恐怖からは逃れられない。

このシャウトを浴びた者は歴戦の戦士だろうと狼狽し、慌てふためく事になる。

例え目の前に敵がいても背を向け、逃げまどい、心の弱い者ならそのまま自死かねない程、強力な暗示を施す力の言葉だ。

 

「っ!?」

 

不安のシャウトを浴びた健人の動きが、一瞬強張る。

その様を見て勝利を確信したデス・オーバーロードは、盾を翳したまま、一気に押し切ろうと、両足に力を込めた。

相手は棒立ちの状態になっている。

そのまま盾で押し倒して距離を開け、頭を砕くつもりなのだ。

 

「……ふっ!」

 

 だが、ドラウグル・デス・オーバーロードの思惑は、盾越しの圧力が突如として消えた事で、かき消されることになる。

 

「アム……」

 

 デス・オーバーロードが健人の姿を見失ったその瞬間、一陣の風が吹き、不死の戦士に奇妙な喪失感が襲い来かかる。

 一体何が起きた?

 デス・オーバーロードが思わず首を横に振れば、蒼い光を放つその瞳に、斬り飛ばされて宙を舞う己の片足が跳び込んできた。

 

「グウウ……!」

 

 片足を失い、身体がバランスを崩し始めた中で、デス・オーバーロードは、自分に何が起きたのかをようやくその目で確かめる事になった。

 彼の視界の端には、ブレイズソードを振り切った健人の姿が映り込んでいる。

 健人は、相手か盾を翳して押し込んでくる相手の勢いを利用し、体を落して、盾の死角に己の体を滑り込ませると、デス・オーバーロードの足を一撃で斬り飛ばしていたのだ。

 感情の無い幽鬼であるデス・オーバーロードの目に、明らかな畏怖と動揺が走る。

 三節の完璧な不安のシャウトを、このドラゴンの鎧を纏った戦士は撥ね退けた。心の奥底で肥大化していた不安感を、瞬く間に鎮静化させていたのだ。

 シャウトの戦いは、心と魂の戦いでもある。

 そして、不安のシャウトを一瞬で撥ね退けた事実は、健人とこのデス・オーバーロードとの間に存在する差を、これ以上ない程明確な形で示している。

 

「オオオオオオオオ!」

 

 それでも、デス・オーバーロードは己の戦意を失わない。

 雄叫びを上げながら体を捻り、盾を振るって勢いをつけ、一本だけとなった足で絶妙な体幹操作を披露。

 刀を振り切ってがら空きとなった健人の背中目がけて、黒檀の片手斧を叩き込もうとしてくる。

 ……だが、それは空しい抵抗だった。

 

「っ!」

 

 振り抜かれた刀が引き戻されると同時に、健人の膝から力が抜かれ、その体がスッと音もなく反転する。

 そして、引き戻されながら掲げられたブレイズソードと、黒檀の片手斧が激突した。

 

「グォ……!」

 

 弾かれたのは黒檀の片手斧。片足を失ったデス・オーバーロードに、今の健人を打ち倒せるほどの十分な一撃が繰り出せるはずもない。

 振り下ろしたデス・オーバーロードの腕が上方に弾き上げられ、上体が浮き、無防備な体が丸見えになる。

 そして、相手の得物を弾いて時点で、既に健人の黒檀のブレイズソードは、その切っ先を無防備になったデス・オーバーロードへと向けていた。

 

「しっ!」

 

 引き絞られた弦が弾かれたように、矢のように鋭い一刺しが、空中に一筋の線を描きながら疾駆する。

 デス・オーバーロードが何とか盾を引き戻そうとするが、健人の突きは盾が掲げられるよりもはるかに速く、かのアンデッドの首に突き刺さった。

 

「グウウ……」

 

 首を貫かれたデス・オーバーロード。

 だが、アンデッドの中でも特に高位の個体である彼は、首を貫かれたにもかかわらず、その片手斧を再び振り上げた。

 彼は不死であり、幾度となく蘇る存在。故に、今更首を貫かれた程度では、その命を断ち切ることは出来ない。

 だが、その斧が振り下ろされるより前に、健人が一節の言葉を口にした瞬間、彼の意識は一瞬で千々に断ち切れた。

 

「スゥ……」

 

 発動したのは、単音節の“激しき力”だった。

 首を貫いたまま発動した激しき力は、デス・オーバーロードの首と頭部を、刀身の周囲に発生した風の刃で、一瞬で吹き飛ばす。

 己の視界が宙を舞い、永遠の闇に包まれていくのを感じながら、デス・オーバーロードは己の敗北を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自身が首を吹き飛ばしたアンデッドが起き上がらないことを確認し、健人は刃を鞘に納めた。

 周囲を見渡してみれば、フリアもカシトも、己が相対していたドラウグルを仕留め終わっている。

 

「終わったな」

 

「ふう、とりあえず、ここはもう大丈夫かしら」

 

「終了、終了! さてさて、持ってるお金はおいくらかな~」

 

 安堵から息を吐いて双斧を腰に収めるフリアと、自分が倒したドラウグルの体を失敬し始めるカシト。

 健人は再びトレジャー活動を始めるカシトに嘆息しつつも、その行動に首を傾げていた。

 

「お疲れ、二人とも。それからカシト、金貨を集めてどうするんだ? 今そんなに入用じゃないだろ」

 

「ケント、人生、お金はいつ必要になるか分からないんだよ? 稼げるうちに稼いでおかないと!」

 

「言っている事はそれなりにまともなんだが、お前が言うと何だか胡散臭いような……」

 

 健人もカシトも、今はそれほどお金には困っていない。

 レイブン・ロックとスコール村との交易や、トラブルの解決などで、一通りまとまった資金は手に入っているからだ。

 正直なところ、健人としては人の墓を荒らす行為は良い気分ではないが、健人本人もこの世界に来てから色々と揉まれてきている為、頭ごなしにカシトを止めるのもどうかと思ってしまう。

 

「カシト、先は長いんだ。それに、襲ってきたとはいえ、相手は死者だ。安らかに眠れるように、三途の川の渡し賃くらいは残してやれよ」

 

「サンズの……何?」

 

「いや、何でもない。カジートにも、埋葬文化ってあるのだろうか?」

 

 聞きなれない健人の言葉にカシトは首を傾げつつも、再びトレジャー活動に戻っていく。

 健人は一時、カシトのことは横に置いておいて、自分が倒したドラウグル・デス・オーバーロードの持ち物を確かめる。

 

「カシトに墓荒らし行為は慎めとか言ったけど、俺も人のことが言えないな。……あった」

 

 健人がデス・オーバーロードの懐から取り出したのは、右の通路で見つけたのと同じ、半分に割られたアメジストの爪だった。

 

「これで、先に進めるだろうな。後は……」

 

 見つけたアメジストの爪を懐にしまいつつ、健人は言葉の壁に目を向ける。

 爪でひっかいたような特徴的なドラゴン語が壁一面に刻まれ、その内の一語が、ほのかな光を放っている。

 

「それで、何と書いてあるのだ!」

 

 いつの間にか戻ってきたサースタンが、待ちきれないという様子で、健人に碑文の内容を尋ねてくる。

 背後からガクガクと揺すってくるサースタンを放置しながら、健人は滔々と刻まれている碑文を語り始めた。

 

「この石碑は裏切り者のミラークに打ち勝つ運命にあった。

ドラゴンの気高きしもべ、ガーディアンの『武勇』を祝したものである、か」

 

「ガーディアン……」

 

「おそらく、このガーディアンがヴァーロックだろうな」

 

「ミラーク、やっぱり、関係があるのね」

 

 健人とサースタンの会話に、フリアも交じってくる。

 ミラークが起こした一件に直接関わり、父親を亡くした彼女としても、ミラークと関わりのあるこの遺跡の事は気になっているのだろう。

 

「みたいだな。ミラークと戦っていた時も、アイツはヴァーロックの名前を口にしていた。間違いない。それから……」

 

 健人は、壁に刻まれた碑文の中で、光を放つ一語に手をかざす。

 すると、刻まれた碑文から光が流れ出し、健人の脳裏に、力の言葉とともに流れ込んできた。

 

「ヴュル……勇気、か。ぐっ……!」

 

 脳裏に響いた言葉は、勇気。

 それは、戦いの激昂を構築する、二つ目のシャウトだった。

 健人がその言葉を取り込んだ瞬間、再び脳裏に、過去の情景が浮かぶ。

 小高い丘と、その麓に広がる街並み。

 以前、“忠義”の言葉を取り込んだ時にも見た、過去の情景だ。

 だが、今回健人の目の前に広がった光景は、最初に見た時よりもはるかに鮮明で、臨場感に溢れていた。

 黄昏の空を思わせる光景。全てが、紅に染まった世界。

まるで、自分が本当に過去に飛ばされたような現実感だった。

 

(これは、燃えている……)

 

 一度目と違うのは、黄昏は空だけでなく、地上にも齎されていたという点だった。

健人の目に映る全てが、灼熱の炎に包まれている。

 草木は燃え上がり、家々は火柱を上げ、あちこちから炎に焼かれる人々の悲鳴が木霊している。

 そして、そんな惨劇を一望できる丘の上で、二人の男が相対していた。

 

『なぜだ! なぜ裏切ったのだ! ミラーク!』

 

 一人は、竜を模した杖とローブを纏った男性。

 憤りに満ちた言葉を吐きながら、この惨劇を引き起こしたであろう人物を睨みつけている。

 

『ドラゴンが全ての元凶だと気づいたからだ! あのドラゴンが父を装いながら、裏では何をしていたのかを理解した今、此処に有る全てを消さねばならんのだ』

 

 もう一人は、ミラーク。

 あの海洋生物を思わせる奇怪な仮面とローブを被った彼は、ヴァーロック以上の憤怒を全身から溢れさせながら、己が起こした反乱を吐き捨てるように肯定した。

 

『あのドラゴンは死んで当然だった! 私の本当の名を奪い、運命を縛った卑劣漢。それに鉄槌が下ったにすぎん!』

 

『お前は、自分がどれほど愚かなことをしたのか気づいていないのか! お前の行為で、いったいどれだけの人間が犠牲になったと、そして、これからどれだけの人間が犠牲になると思う!』

 

 ヴァーロックが、激昂しながら、街を焼き払ったミラークの行為を咎めた。

 しかも、会話の内容から察するに、これはミラークが己が仕えていたドラゴンを殺した直後のようだった。

 ドラゴンはこの時代、人間に対して苛烈な統治を施していた。

 人間が反乱を起こし、さらに同族であり、主であるはずのドラゴンを殺してその力を奪ったと知れば、残酷などという言葉でも言い表せないほどの報復を行うだろう。

 

『あのような汚いワームに命を捧げることに疑問も持たぬような者など、人間ではない。ただの人形だ! 人形がいくら壊れたところで、知ったことか!』

 

『ミラーク!』

 

 だがミラークは、己が殺した父親だったドラゴンはおろか、自分と同じ境遇の人間達の死すらも、全く痛痒には感じていなかった。

 彼を突き動かしていたのは、世界を焼き尽くさんばかりに猛る怒り。

 ドラゴンボーン。人の体と、ドラゴンの魂を持つことになってしまった存在。

 人でもなく、ドラゴンにもなり切れないという境遇、内に秘めることになってしまった力、その力を自分たちの都合のいいように利用しようとしたドラゴン、そして、消された過去とミラークという名前。

 その全てが複雑に絡み合った結果、ミラークと呼ばれていた彼は、世界全てを憎むようになってしまっていた。

 その憎しみは当然、今彼の目の前にいるヴァーロックにも向けられる。

 

『お前とて人形だ、ヴァーロック! ドラゴンの統治を守る“守護者”よ! お前が誇るその名とて、ドラゴンの都合で付けられただけに過ぎぬだろうが! 知っているぞ。お前が元々は、私を監視するために送り込まれていたということもな!』

 

『っ! どうしてそれを……』

 

 ヴァーロック。

 彼は元々、史上最初のドラゴンボーンを監視するために、ソルスセイムへと送られたドラゴンプリーストだった。

 人でありながら、ドラゴンと同じ能力を持つミラーク。

 ドラゴン達から見ても未知の存在である彼を野放しにしておくことなど、ドラゴンたちは到底できなかった。

 名を奪い、過去を奪い、スゥームで縛り付けても安心できなかったドラゴン達が施した鎖。それが、ヴァーロックだった。

 

『私に真実と、新たな力を齎した者からだ。その反応を見る限り、真実だったようだな!』

 

 己の協力者からの情報が真実であった事に、ミラークが得意げながらも、憤りに満ちた声で叫ぶ。

 その苛烈な敵意に、ヴァーロックは瞑目しながらも、己の忠義と、その真意を吐露する。

 

『それでも、私は守ると決めたのだ。

 確かにお前の言う通り、人は弱く、脆く、愚かだ。己の足で立ち上がることなど、到底不可能だろう。たとえ立ち上がったとしても、人間は必ず、己の愚かさから、自滅する。

 そうならないようにする為には、あの方達が必要なのだ! ドラゴンという、我々の上に立つ御方達が! それをお前は……!』

 

『は! 御大層なことを言っているようだが、欲に塗れているのは人もドラゴンも同じだろうが! あの獣たちが、己の欲のために、一体何人の人間を犠牲にしたと思う! お前が言う、守るべき人間達を!

 ドラゴンなど、所詮その程度の存在でしかない。ならば、私が糧にすることに何の咎がある!』

 

『ミラーク!!』

 

 ドラゴンの魂が叫ぶままに、全てを食らいつくそうとするミラークに、ヴァーロックがついにその杖を掲げた。

 ヴァーロックがついに戦意を露わにしたことに、ミラークもまた、己の魂を高ぶらせる。

 

『さあ、問答は終わりだ、ヴァーロック! 私は新たに手に入れたこの力で、私の運命を手に入れる! ムゥル、クァ、ディヴ!』

 

 ヴァーロックの知らないシャウトが火の粉が舞う空に響き、光麟がミラークの体を覆いつくす。

 人型のドラゴンと呼ぶに相応しい姿と威圧感、そして荒々しさと神々しさを兼ね備えた覇気に、ヴァーロックは目を見開く。

 

『それは、そのシャウトは……』

 

『終わらせるのだ、この間違った運命を! 世界を! そして私は、己の運命を手に入れる!』

 

『ミラアァァァァァァク!』

 

 ヴァーロックが掲げた杖に炎が収束し、ミラークがシャウトを唱える。

 次の瞬間、空間全体に衝撃と閃光が走り、健人の意識は過去の情景から弾き飛ばされていった。

 

 

 




本当はヴァーロックまで出したかったけど、尺の都合で分割。
ヴァーロック編はあと二話ぐらいかな?

ヴァーロックとミラークの回想に関しては完全にオリジナルです。また地雷要素が……。

文字の統制についても、本小説のオリジナルの考察です。
イスグラモルがエルフ文字を元に古代ノルドの翻字を体系化して、人類最初の歴史学者と呼ばれたことは本当ですが、情報統制や愚民政策については”当時あり得た事”として、考えています。
ミラークの名前の由来を考察すると、尚の事あり得ると思えてしまうんですけど……。


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閑話 ヴァーロック編 その4

二か月ぶりの更新。お待たせして申し訳ない。
という事で、ヴァーロック編の四話目です。


 二つ目のアメジストの爪を手に入れた健人達は、再び入り口の祭壇へと戻ってきていた。

 格子で閉じられた祭壇、その手前にある半円形の仕掛けに、両方の通路で手に入れたアメジストの爪を当ててみる。

 

(まあ、これがカギで間違いないな。竜教団関連の施設で、ドラゴンの爪を模した品となれば、当然か……)

 

 改めて半分に割られた爪を眺めながら、健人は先ほど脳裏に過った光景について、思いを巡らせる。

 

(あれはおそらく、戦いの激昂に込められていたシャウトとミラークの魂が反応したんだろうな。アイツがドラゴンを裏切った事も、自由を欲していた事も知っていたけど……)

 

 アポクリファでミラークと戦った健人は、シャウトを通して、数千年間ミラークを突き動かしていた怒りを直に感じ取った。それこそ、魂のレベルでの共感である。

 だから、今更彼の過去の情景を見ても、それほど動揺はない。

 ただ、改めてこうして見せられると、胸の奥から何とも言えない感情が湧き上がってくる。

 互いに世界から理不尽に様々なものを奪われた者同士。しかし、怒りの向けた先は全く違った両者。

 同じような体験をしながらも、全く違う答えを出した相手の存在と、その存在が歩んだ道。

 その結末を知っているからこそ、胸の奥で何かが渦巻くような心境を覚える。

 胸を突く衝動に、健人の手は自然と己の胸元へと添えられていた。

 

(ドラゴンに忠誠を誓ったドラゴンプリースト、ヴァーロック。遺跡の事をサースタンさんから聞いた時から感じていたけど、先に進めば、間違いなく何かが起こる……)

 

 確信にも近い直感が、健人に警告をしてくる。肉体と同化したミラークの魂もまた、何かを予感するように震えていた。

 

(だからこそ、確かめる必要がある。この古代の遺跡の最奥に、一体何があるのかを……)

 

 健人が、はめ込んだアメジストの爪を回す。

 すると、ガコン、という作動音とともに、閉じられていた中央奥への祭壇への扉が開いた。

 

「開いたね!」

 

「でも、肝心の奥への道がないわ。崖になっている……」

 

 祭壇への格子は開いた。しかし、祭壇の奥は身投げ場のような崖となっており、先へ進むために通路や橋、階段などもない。

仕掛けを解いても崖に続いている事に首を傾げつつも、健人達はとりあえず、奥の祭壇の調査を開始した。

 

「一応、対面の崖に通路はあるわね。元々は橋が架かっていて、長い年月の中で崩れたのかしら?」

 

 フリアの言葉に一行が反対側に目を向けると、さらに奥へと続いていると思われる通路が見える。

 だが、生憎と健人達がいる場所と奥の通路への入り口への間には、橋もなければロープも張られていない。

 

「崖の下には水が溜まっているな。浸水でもしたのか?」

 

 崖下には長年に渡る浸水の影響か、水がたまり、地底湖のような様相を見せている。

 

「分からないけど、対岸には岸に上がるための階段とかもないわ。泳いで向こう岸に行くのは無理そうね……」

 

 健人は改めて、サースタンとともに祭壇を調べてみる。

 この遺跡の祭壇には、必ず仕掛けに関する何らかしらのヒントが書かれていた。

 太古の時代の識字率など、それこそ地を這うほど低かっただろうし、ドラゴン語の文字など神官しか使わなかっただろうから、この遺跡を訪れる仲間の神官に向けてのメッセージであることは想像がつく。

 

「道から逸れるな。動かなければ死ぬ。嫌な予感しかしないんだが……」

 

 祭壇に刻まれた碑文の内容に、健人は口元を引きつらせる。

祭壇の下にもスイッチと思われる取っ手がつけられており、それが尚の事、健人の嫌な予感を掻き立てた。

とはいえ、何もしない事には先へ進む方法も見つからない。

健人は仕方ないというように大きく息を吐くと、ゆっくりと祭壇下の取手を引っ張った。

 ガコンと音を立てて取っ手が引かれると、祭壇の奥の格子が開き、続けて青色に輝く半透明の床が、祭壇奥の開かれた格子の先に現れる。

 

「九大神に掛けて!こんなものは見たことが無い。魔法の力で作られた床か。本当に素晴らしい!」

 

 サースタンが空中にできた魔法の足場に興奮した様子を見せる一方、健人達は硬い表情を浮かべたままだ。

 魔法の床は、大きさとして二、三メートル前後の正方形の形をしている。

 数人が乗るには十分な大きさだが、先ほど読み上げた碑文の内容が、その魔法の床に足を付くことを躊躇わせていた。

 この後、この魔法の床がどのような動きを見せるのか、どうしても様々な想像が膨らんでしまう。

 そして、その想像は大抵碌なものではない。

 

「で、誰が行くんだ?」

 

「まあ、動けって言うんだから、足の速い人かしら……」

 

 フリアの視線が、チラリとカシトに向けられる。

 猫獣人のカジートである彼の身のこなしは相当なものだ。

実際、足も速く、健人とフリアたちと比べても軽装であり、通路で回収したお宝も、一度袋にまとめて広場の入り口に置いていることから、適任と言えた。

 

「ちょ、オイラ!? 冗談じゃないよ! 落ちたらどうするのさ!」

 

 当然ながら、カシトは全力で抗議の声を上げ始めた。

 ノルド関連、しかも、明らかにやばいと思われるドラゴンプリーストの遺跡の仕掛けだ。

 サースタンのように知的探求の側面から見るならともかく、半透明かつ魔法で出来た足場という、安全保安上は非常に不安を掻き立てられる要素満載のギミックである。

 

「まあ、下は地底湖だから怪我とかは大丈夫……かな?」

 

 ヒョコっと崖下を覗き見ながら、健人はおもむろに灯明の魔法を唱えて、崖下に飛ばす。

 射出された灯明の魔法は、地底湖の水面から水中へと進み、やがて底に到達。減衰されて淡くなった白い光を、水面から瞬かせる。

 

「うん、深さは十分あるみたいだ」

 

「なら、大丈夫ね」

 

 健人の見立てでは、地底湖の深さは五メートル以上。崖からの高さも八メートルもない。

 日本の一般的な飛込競技におけるジャンプ台の高さが十メートル以下、水深も五メートル前後ということを考えれば、落ちても水底に激突という心配はなさそうだった。

 

「いやいやいや! 死ぬって書いてあるって言ってたじゃん!」

 

「おそらく、この遺跡を作った時は、水はなかったんだろうな。まあ、あくまでも水底に激突しないだけで、着水の衝撃で骨を折ったり、内臓が傷つく可能性はあるけど……」

 

「ケント~~!」

 

 健人の冷静な解説を聞いて、カシトが助けを求めるような悲鳴を上げた。

 実際、水の抵抗で落下速度を減速するといっても、人体にかかる負担は大きい。

 着水姿勢が適していなければ、ケガをする可能性は十分にあった。

 

「いや、俺はカシトが適任とは思っているけど、絶対行けって言っているわけじゃ……。そういえば、猫って仰向けで落とされても、落ちるまでに着地体制を整えるくらいバランス感覚に優れていたよな……」

 

「まあ、ほら、ケガする可能性もゼロじゃないけど、死ぬ可能性も少なくなっているんだから大丈夫よ……多分」

 

「ちょっと、ちょっとーーーー!」

 

 健人が改めてカシトが適任だよなと思い直す一方、フリアは健人の指摘に自信なさそうに視線を泳がせている。

 話が完全に自分推しの流れになっていることに、いよいよカシトの声に悲愴さがにじみ出てきた。

 

「ま、まあ、適任は誰かもう少し考えてみよう。いざとなれば、俺がドラゴンアスペクトと旋風の疾走で向こう岸に跳べるか試してみても……あ」

 

 さすがに、このまま流れに任せてカシトを行かせるのも悪いと思ったのか、健人が少し時間を置こうかと考えたその時、彼の視界にカシトの背後に回り込むサースタンの姿が映りこんだ。

 

「オ、オイラは絶対御免だ……」

 

「おっと、足が滑ったああああああ!」

 

「にゃあああ!」

 

 健人たちとの会話に夢中だったカシトは、サースタンの気配に気づかなかった。

 背中からタックルを食らい、カシトの体は勢いよく魔法の足場へと押し出される。

 あまりの勢いに二歩、三歩と足が進み、あわや魔法に足場から跳びだしそうになったところで、新たに足場が出現。

カシトは足をもつれさせ、ズデン! と新たに出現した足場に倒れこんだ。

 

「おい爺さん! 一体何を……」

 

 カシトが文句を言いきる前に、フッと最初の足場が消失、戻る道が断たれてしまった。

続いて、右側に三つ目の足場が出現する。

 消える足場、そして新たに出現する足場、そして崖。カシトの額に冷や汗が浮かぶ。

 

「ちょっとおおおおお!」

 

 一瞬で足場の仕掛けと最悪の結末を想像したカシトは、悲鳴を上げながら大慌てで三つ目に足場めがけて駆け出した。

 カシトが歩を進める度に新しい足場が生み出され、その間にも古い足場は次々と消え去っていく。

 生成される魔法の足場は直前の足場に継ぎ足される形で出現するが、その位置は当然バラバラ。

 バシュン、バシュンと音を立てて背中から迫る死の恐怖に、カシトは全身の毛を逆立てながらも、必死に足を動かす。

 

「下を見るな! もちろん、進む方向以外を見るなと言う意味だぞ!」

 

「糞ジジイ! 後で覚えてろよ~~!」

 

 事の元凶であるサースタンが無責任な事を口走る様に、健人もフリアも呆然と言葉を失う。

 一方、そうこうしている内に、カシトは何とか対岸に到着。

 彼が着いた時点で、健人達がいる祭壇から対岸まで、一直線に魔法の足場による橋が形成された。

 健人が何度かトントンと叩いてみるが、幻というわけでもなく、消える気配もない。

 もう大丈夫そうだ。

 そう思って魔法の橋を渡った先では、カシトが身を屈ませて、荒い息を吐いていた。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

「素晴らしい、君なら渡れると思っていたぞ! さて、次は何が待っているかな……」

 

 悪びれもせず、ルンルンと先を目指すサースタン。

 いい加減、この老人の変人さは理解し始めていた健人だが、ここまでとは思っていなかった。

 

「サースタンさん、さすがにやりすぎじゃないか?」

 

「すまんな、少し強引かとは思ったが、いつまでも立ち止まっているわけにもいかん。ノルドの遺跡の罠は悪辣じゃから、時間をかけると発動する罠がある可能性も否定できん。それに言ったじゃろう、彼なら渡れると確信しておったと」

 

 つまり、サースタンが警戒したのは、あのまま渡らなかった場合に、別の仕掛けが作動する可能性というものだった。

 それに、「道から逸れるな、動かなければ死ぬ」という文章は、言い換えれば「道から逸れずに動き続ければ生き残れる」ということでもある。

 この老人もまた、ドラゴン語の希少性と、それが読める存在を考慮し、碑文に従っておけば問題ないとこの老人は確信している。

 胸を張るサースタンに健人は大きなため息を吐く。

 とりあえず、カシトが落ち着いた段階で、先へ進むことを決めた健人達。

 だが、一行が少し進むと、再び魔法の足場の仕掛けが現れた。

 しかも、今回は前回と少し状況が違う。

 

「またこの床か……」

 

「今度は下の水も少ないわ。おまけに、明らかに友好的じゃない影が徘徊しているわよ」

 

 健人達の眼下には、先ほどと違い、整然とした遺跡の広間が広がっている。

長年の浸水にさらされている点は変わらないが、それでも水深は脛ほどしかない。落下した際の死亡率は、先ほどの比ではないだろう。

おまけに、黒い人影のような存在が徘徊している。

ゆらゆらと不気味に揺れる影、その瞳に宿った紅光。明らかに友好的とは思えない存在だ。

もし落下して一命をとりとめても、間違いなく影に群がられて殺されるだろう。

これは、いよいよ自分が行くべきか。

健人がそう考える間にも、遺跡の奥が気になって仕方がないサースタンは、再びカシトに視線を向けていた。

 

「よし、今回もまたカジートの彼に……」

 

「ちょいさぁ!」

 

「ぬお!」

 

 さすがに今回はカシトに悪いし、この爺をいい加減自重させないといけない。

 そう思った健人が自分で行くと言い出すついでにサースタンを止めようとするが、その前にカシトがサースタンの手をひねり上げて、彼を拘束していた。

 

「お、おいカシト……」

 

「おい爺さん、偶には運動もするべきだよね」

 

「い、いや。ワシは頭脳派じゃから。それに、老い先短い爺なんじゃから、もっと労わって……」

 

「ふん!」

 

 言葉を濁すサースタンを、カシトは容赦なく魔法の足場めがけて押し出した。

 押し出されたサースタンはよろめきながらも、魔法の足場の上へ。

 サースタンが乗った時点でカシトの時と同じように、次の足場が現れる。

 現状を理解したサースタンは、大慌てで次の足場めがけて駆け出した。

 そして、先ほどのカシトと同じように、サースタンと魔法の足場の追いかけっこが始まる。

 

「ふおおおおお!」

 

「あれ? 何だかオイラが渡った時より速くなってる気が……」

 

「気の所為じゃない! おい爺さん、早く渡らないと落ちて死ぬぞ! 今回は冗談とか抜きに!」

 

「ほあああああああ!」

 

 ただ、先ほどカシトが渡った時と比べて、足場の出現速度と消失速度が増していた。

 テンポよく出現しては消えていく足場に翻弄されながら、サースタンは必死に足を動かす。

 だが、そこはさすがサースタンというべきだろうか。いざという時の逃げ足の速さは、この危機的状況でしっかりと発揮されている。

 シュタタタ! と見事なランニングフォームを見せつけながら、サースタンは見事に命がけの鬼ごっこを完走。ゴールにたどり着くと同時に、力尽きたように倒れ伏した。

 

「コヒュー、コヒュー……」

 

「よしよし、さすが爺さん。逃げ足は天下一品だね!」

 

「…………」

 

 サースタンが駆け抜けたことで出現した光の橋を渡ると、件の老人は死にそうな形相で荒い呼吸を繰り返し、今にも天に召されそうになっていた。

 先ほどとは配役が全く逆の光景に、健人は何も言えずに押し黙る。

 隣にいるフリアに至ってはこめかみに指を当てながら、頭痛に耐えるように首を振っていた。

サースタンも大概だが、老人を容赦なく生死に係るような魔法の仕掛けに放り込むカシトもカシトである。

さらに悪いことに、健人達が渡った先には、さらにもう一つの仕掛けが存在した。

いい加減見慣れたスイッチと崖、そして眼下でうろつく影に、健人はげんなりと肩を落とした。

 

「で、三回目と」

 

「ほ、ら、爺さん、出番だよ……」

 

「何を、言うか……。そっちの、番じゃろうが……」

 

「はあ……」

 

 溜息を吐露する健人の横で、サースタンとカシトが両掌をがっちりと組み合い、グルグル回りながら、互いに相手を足場に押し出そうとしていた。

 とはいえ、いくらサースタンといえど、カジートのカシトとの力比べは分が悪いのか、徐々に崖を背負う時間が伸びてきている。

 

「おい二人とも、いい加減に……」

 

 さすがに仲違いしそうな状況は放置できない。

 二人を諌めようと健人が二人に近づいたその時、力尽きたサースタンが一気に体勢を崩した。

 

「ふお!」

 

「うわわ!」

 

「ちょ!」

 

 サースタンだけでなく、突如として支えを失ったカシトもまた、サースタンに釣られる形で魔法の足場に飛び出しそうになる。

 健人が慌てて二人に手を伸ばしたところ、カシトとサースタンは息を合わせたように健人の腕をつかみ、一気に引っ張ってしまった。

 そしてカジートと老人の体が魔法の足場から逃れる一方、反作用で健人の体は崖の方へと放り出されてしまう。

 

「ケント! きゃあ!」

 

 フリアが慌てて健人の体を支えようとする。だが、咄嗟の事で彼の体を支えきれず、二人は揃って魔法の足場に踏み込んでしまった。

 

「「あっ……」」

 

 視線を交わした健人とフリアの顔色が一瞬で顔を青ざめる。

 そして、消える足場よる三度目の鬼ごっこが開始された。

 

「うおおおお!」

 

「きゃああああ!」

 

 必死に足を動かす健人とフリア。

 予想通りというか、魔法の足場はこれまでで最も速く、出現と消失を繰り返す。

 その速度は、体感でもカシトの時の二倍以上。

 おまけに先程までと違い、唯でさえ狭い足場を二人で駆け抜けなければならない。

 

「フリア、右右!」

 

「ケント、今度は左よ左! 急いで急いで!」

 

「うおおお! 落ちる、落ちる!」

 

 狭い足場で二人が走り回る故に、必然的に互いにぶつかりそうになったり、バランスを崩して落ちそうになる。

 偶然とはいえ、単独で走るだけだった先の二人と比べて、難易度は段違いに跳ねあがってしまっていた。

 相手にぶつかってしまわないように細心の注意を払い、新たに出現する足場と相手が駆けるルートを瞬間的に導きだし、全力で足を動かす。

 時に前後に並び、体を入れ替え、時に左右に並ぶ。

 健人とフリア、各々が刹那の間に最良かつ最善の判断を下しながら駆けるその様は、遺跡に響く悲鳴にも似た大声とは裏腹に、驚くほど洗練されている。

 全ては、このソルスセイムで大きな困難を乗り越えたパートナー同士が持つシンパシーが成せる技。

 

「ケント~~、フリア~~、ガンバ! あと少しだよ~~」

 

「おお、流石の健脚じゃ! やっぱりこういう肉体酷使の仕掛けは若い者たちに任せるに限るのう!」

 

 一方、こんな時でも、元凶のトラブルメーカー達は呑気だった。

 自分達が走らなくてもよくなったことに意気揚々としながら、気の抜ける声を上げている。

 

「あんっっっの、トラブルメーカーども!」

 

「全創造主よ! あの不届き者達に裁きを……って、きゃあぁあああああ!」

 

 呑気な元凶たちの姿に、激昂する健人とフリア。その時、意識が逸れたことで、フリアが足場の縁で体勢を崩してしまう。

 バランスを崩した彼女の体が、足場の外へと流れていく。

 

「フリア!」

 

 フリアの危機に、健人は瞬間的に足でブレーキをかけながら、手を伸ばす。

 そして、どうにか延ばされたフリアの手を掴むと、体を捩じりながらフリアの手を思いっきり引っ張った。

 腕を引かれたことで、足場の外に飛び出しそうになっていたフリアの体は、ギリギリのところで足場に復帰を果たす。

 だが、その代わりに、今度は健人が落ちそうになってしまった。無理に体を捩じった事と、フリアの手を引いた反力で、今度は自分の体が足場の外方向に流れてしまったのだ。

 

「うわ!」

 

「ケント! ふん!」

 

 自分の代わりに落ちそうになった健人を、今度はフリアが助ける。

 持ち前の腕力と安定した下半身を存分に活かし、魔法の足場にがっちりと体を固定して、ハンマー投げの要領で健人の体を引き上げた。

 

「ケント、このまま次の足場へ!」

 

「お、おう!」

 

 まるでコマのように回っていた二人は手を繋いだまま、互いに相手の力を利用し、何とか今の足場が消える前に、次の足場に跳び移ることに成功する。

 そのまま、健人とフリアは間髪入れずに再び駆け出し、一心不乱に先を目指す。

そして、何度が再び落ちそうになりながらも、何とか対岸まで駆け抜けることに成功した。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

「ふう、ふう、ふう……」

 

「いやあ、さすがケントとフリア、息ピッタリだったよ」

 

「うむ、流石はスコールの英雄同士。まるで夫婦のような阿吽の呼吸じゃった」

 

「……言い残したい事はそれだけか? なら覚悟はいいな」

 

「父さん、今からこの愚かな魂達を送ります。どうか全創造主の身元で、汚れた魂が清らかにならんことを……」

 

 そして二人は、余裕綽々とやってくる愚か者たちを出迎えた。

 凍てつく極北の吹雪のような女戦士と虹色の眼光を湛えたドラゴンの化身が、物理的な実体を持つのではとも思える威圧感を漂わせながら、元凶である二人に迫っていく。

 ビリビリと明らかにヤバイ気配を放つ健人とフリア。無数の針で全身を滅多刺されているような感覚に、元凶二人は互いに隣の相手を指差してこう言った。

 

「「いや二人とも、今回はこいつが悪いからオイラ(儂)は見逃して……」」

 

 直後、猫と老人に夜叉と人型のドラゴンが奇声を上げながら飛び掛かり、遺跡の中に強烈な殴打音と絶叫が響いた。

 

 

 

 

 

 

 三連続の魔法の足場を踏破した健人達が先に進むと、一際大きな回廊に辿り着いた。

 回廊の先には三つの輪を組み合わせたような扉が鎮座しており、健人達の行く先を塞いでいる。

 扉の中央には魔法の足場の祭壇前にもあった、鉤状の爪をはめ込む鍵穴があり、鍵穴を囲む三つの輪には、それぞれオオカミや鳥などの意匠が彫り込まれている。

 扉の三つの輪はそれぞれが独立して回転するようで、明らかに何らかの仕掛けが施されている様子が見て取れた。

 

「しかし、この回廊、随分凝った壁画が彫り込まれているな」

 

 回廊の壁には石を掘って描かれた壁画が所並んでいる。

 長年の風化によってその大半は判別が難しくなってしまっているが、その佇まいと回廊全体から滲み出る気配は、かつての荘厳さと、この回廊の先で眠る者への敬意に満ちている。

 回廊の壁画と、奥に鎮座する扉を見つめながら、健人は改めてこの奥いるであろう存在に、ごくりと、唾を飲んだ。

 

「問題は、この扉をどうやって開けるかだけど……」

 

「鍵の爪にも、ヒントになりそうなものはないわね。となると……」

 

 フリアの視線が、回廊の壁画に向けられる。

 扉にはこれまで遺跡の中で仕掛けのヒントになっていたドラゴン語は見当たらない。

 となると、他に手掛かりとなれば、回廊にびっしりと刻まれた壁画ぐらいしか思い当らなかった。

 

「ううう、痛いよぅ……」

 

「この激痛……儂の短い寿命は、風前の灯火となったに違いない……」

 

 一方、ここに来るまでに健人達の制裁を受けた二人は、未だに回廊の手前で、二人に打たれた頭を抱えて蹲っている。

 カシトとサースタンの頭にはいくつものたん瘤が出来ており、傍から見て痛々しい。

 

「さっさと立ちなさい、ロクデナシ。サースタンはさっさと壁画を調べる! カギになっているかもしれないんだから!」

 

 立ち上がれない二人に、フリアが容赦なく言葉の鞭を振り下ろす。

 ここまでの二人の所業が尾を引いており、一切の容赦がない。

 

「ケント~~」

 

「ね、年長者はもっと敬うべきじゃと思うのだが……」

 

「……サースタンさんさっさと働いて。カシトは知らね」

 

 カシトが懇願するような声を上げ、サースタンが抗議の視線を向けてくるが、健人もまた完全な塩対応で二人に応える。

 普段は割とトラブルや悪戯には寛容な健人だが、さすがに今回は堪忍袋の緒が切れたらしい。

 これ以上ないほど冷たい視線で二人を見下ろしている。

 健人のこの対応を前にして流石に反省したのか、カシトはスゴスゴと叱られた飼い猫のように回廊の端っこで丸くなり、サースタンもそそくさと壁画の解析に向かった。

 

「で、壁画の解読はできそうなのか?」

 

「ああ、何とかな。ええっと、最初はそよ風か風に関係するようだ。次は、夜空と月について触れている。三番目は、火について書かれている。それから、鱗についても触れている」

 

「風、夜空と月、火と鱗、ね。こうかな?」

 

 健人がサースタンの解読を元に、扉の仕掛けを動かす。

 それぞれ輪の意匠を鳥、オオカミ、ドラゴンの順に並べ、二つに分かれたアメジストの爪を中央にはめて回すと、ガコン! と音を立てて、扉が開かれる。

 

「開いた……」

 

「おお! ワクワクしてくるじゃないか、ええ?」

 

「おっ宝、おっ宝!」

 

「こいつら……」

 

 奥への扉が開いたことに、健人が安堵と緊張を漂わせる一方、制裁を受けたはずの考古学者とカジートは、先程まで意気消沈していた姿が嘘のように元気一杯になっている。

 片や知的好奇心、片や金銭的欲求。

 どちらも本能に属する面があるが、それにしたってこの切り替えの早さには健人も呆れた。

 いい加減、身動きできないように縛り上げて置いていくべきだろうか。

 そんな考えが健人の脳裏に浮かび始めるが、カシトは元より、サースタンも自力で抜け出して追ってきそうな雰囲気である。

 

「ケント、諦めましょう。何を言っても聞かないし、何をしても止められないわ。穴持たずのクマの道を塞ぐがごとくよ」

 

 一方のフリアは、既にこの二人は止めても無駄だと、悟ってしまった様子だった。

 溜息をもらしながら、手の施しようがないというように肩を竦めている。

 健人も半分くらいはそう思わないわけではなかったが、相棒にこうもはっきりと言われると、認めざるを得ない。

 

「分かってはいたけど悟りたくはなかった……」

 

 気炎を上げる問題児二人を前に、健人は疲れたようにがっくりと肩を落とす。

 そんな彼を慰めるように、フリアの手が優しくポン、と置かれた。

 

「ケント、ミラークの方は?」

 

 先程までの気の抜けた雰囲気から一転、真剣味を帯びたフリアの表情に、健人も気持ちを切り替えるように大きく息を吐く。

 

「……この遺跡に入った時からざわめきが止まらなかったけど、この扉が開いたらなお一層強くなった。正直、心臓がバクバクしている」

 

 自分の胸に手を当てながら、健人は開いた扉の奥に目を凝らす。

 扉の奥は長い階段になっているが、階段の奥にはかなり広い空間に出ているように見える。

 

「サースタンさん、この先にヴァーロックがいるとしたら、どうなっていると思いますか?」

 

「さあな、はっきりとしたことは言えない。だが、ドラゴンプリーストは総じて強大な力の持ち主であり、ドラゴンに対して忠誠を誓っていた。生前も、そして死後もな。そしてこの遺跡にあったドラゴン語の碑文を思い出せばわかるが、ヴァーロックは、ドラゴンプリーストの中でも特に忠誠心が強かったようだ……」

 

 それはつまり、遺跡のドラウグル達同様、ヴァーロックもアンデッドとなっている可能性が極めて高いという事だ。

 健人は改めて、己の内に意識を向ける。

 普段は健人の奥底で、静かに眠っているミラークの魂。

 その魂は今、スゥームを使っていないにもかかわらず、異様なほど隆起している。

 ミラークの魂に引きずられるように高鳴る心音。

戦友の声は聞こえてはこない。ただ、その激情だけが、健人に何かを訴えかけてきていた。

 怒り、憤り、諦観、失望、憐憫。そのどれとも取れ、どれとも取れない複雑な感情。

 ただ、こう言っているように健人には聞こえた。ヴァーロックを討ってくれ、と。

 あの時、アポクリファで対峙したミラークと共にハルメアス・モラと戦い、そしてその戦いの果てに“忠誠”の名を受け入れた彼の全てを、健人は継承した。

 ならば、ミラークの因果もまた、彼が背負おうべきものであり、彼の忠誠を受け入れた健人の義務。そして、戦友への手向けとなるだろう。

 それを、健人は改めて胸に刻む。

 

「……行こう」

 

 静かに、しかし重い意志を込めて、この先にあるものを確かめようと、健人は歩み出す。

 階段を上った先は予想通りかなり広い空間になっていた。

 ラグビーボールを二つに割ったかのような、細長い半球形の巨大な玄室。

 床は中央に向かって二段のすり鉢状になっていて、一番中央の床には水が溜まっている。

 健人達がいる入り口の反対側の最奥にはドラゴン語が刻まれたワードウォールが屹立し、その手前には一際大きな棺が置かれている。

 部屋全体にはジメッとした空気が漂っているが、明らかにそれとは違う異質な重圧に満ちていた。

 

「ケント……」

 

 緊張感に満ちたフリアの声。

 騒がしかったカシトやサースタンも、この部屋の異様な空気を察知したのか、先ほどまでのテンションが嘘のように静まっている。

 

「俺が先に行く」

 

「それは……分かったわ。気を付けて」

 

 健人の一人で行くという言葉に、一瞬言葉に詰まったフリアだが、彼の意志を察したのか、スッと素直に身を引いてくれた。

 彼女の気使いに感謝しながらも、健人は最奥の玄室に足を踏み入れる。

 次の瞬間、健人とフリア達を隔てるように、玄室への入り口に格子が降ろされた。

 

「なっ!?」

 

「ケント!」

 

 閉じ込められた。

 その意識が頭に過った瞬間、玄室の最奥にある棺の蓋が弾け飛んだ。

 

「ウオオオオオオ!」

 

 雄叫びと共に姿を現したのは、竜の意匠を施されローブをまとったドラウグル。

 長い年月で元は豪華で荘厳だったであろうローブはボロボロにすり切れ、竜の意匠も風化しているが、骨と皮だけになったその痩身には、圧倒的なマジカを漂わせている。

 健人が今まで見てきた中でも、桁外れの威圧感を纏うドラウグル。その姿に、健人は全身の肌が泡立つのを感じた。

 

「あれが、ヴァーロックか……」

 

 腰を落とし、身構える。

 ヴァーロックは青く光る眼光で健人を捉えると、まるで見せつけるように、ゆっくりと右手を掲げた。

 よく見れば、掲げられた手のひらには小さな火の塊が浮かんでいる。

 まるで、人魂を思わせる炎。キュキュキュ……とまるで金属がこすれ合うような音を響かせながら、炎の塊は揺らめくことなく、綺麗な球形を保っている。

 

「火の玉……っ!?」

 

 まるで白熱電球を思わせる炎の球体。

 だが次の瞬間、強烈な悪寒が健人の脊髄を貫いた。

 突然襲ってきた危機感に急かされるまま、健人は反射的にその場から飛び退く。

 

 キュゴッッツツ!

 

 健人が飛び退いた瞬間、一筋の閃光がヴァーロックの掌から放たれた。

 撃ち出された閃光は数瞬前に健人がいた場所を貫き、後方の入口上部に着弾。一瞬で地盤を掘削し、遺跡の天井を支えていた石材に致命的なダメージを与える。

 

「うわっ!」

 

「きゃああああ!」

 

「こ、これは、まずい。崩れるぞ!」

 

 天井を支えていた石材と地盤が貫かれた事で、一気に崩落が始まった。

 

「みんな!」

 

 ガラガラと崩れる遺跡と瓦礫の雨の前に、入口はあっという間に塞がり、フリアたちの姿が見えなくなる。

 崩落を止めるどころか、駆け寄る暇すらなかった。

 そして、健人の動揺を他所に、ヴァーロックは手の平に再び炎の球体を生み出している。

 狙いは当然、健人だ。

 

「これは、ヤバイな……」

 

「ミラアァァァァク!」

 

 生気を失い、白く濁った瞳に不気味な青の光を湛え、怨敵の名を叫びながら、ヴァーロックは再び灼熱の閃光を放つ。

 数十メートルの距離を一瞬でゼロにしながら、光槍は異端のドラゴンボーンの命を貫かんと疾駆していった。

 




という訳で、ついにヴァーロックの登場です。
ミラークのライバルであっただけに、当然ながら本小説オリジナルの強化を施しております。


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閑話 ヴァーロック編 その5(おまけ付き)

お久しぶりです。今回はヴァーロック編の第五話。
オリジナル小説書籍化により、そちらの執筆を優先していますが、休憩の合間にちょこちょこ書いていたものを投下します。




 玄室手前の階段では、塞がってしまった通路を前に、カシトとフリアが大声を張り上げていた。

 

「ケント、ケント!」

 

「くっ、完全に塞がっているわ!」

 

 二人は崩れた瓦礫を必死に退かし、何とか通れる穴を作ろうと試みている。

 だが、そんな彼らの努力をあざ笑うかのように、立て続けに轟音が響いた。通路全体が震え、パラパラと石の欠片が降り注ぐ。

 

「これは、まずいな。遺跡全体が持たんぞ」

 

 次の瞬間、幾重もの灼熱の光線が崩れた瓦礫上部を吹き飛ばしながら、通路の天井を貫通していった。

 元々経年劣化で脆弱になっていた遺跡の通路に、致命的な損傷が刻まれる。

 辛うじて天井を支えていた石材がまとめて抉られて崩落し、瞬く間に土砂が通路になだれ込み始める。

 

「これって……」

 

「遺跡の崩壊が始まったのだ! このままでは生き埋めにされる、逃げるぞ!」

 

 サースタンが踵を返して駆け出す。

 一瞬迷ったカシトとフリアだが、滝のように落ちてくる土砂を前に、仕方なくサースタンの後を追って駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 致死の気配を帯びた紅い閃光が迫る。狙いは頭。

 反射的に反らした顔の傍を光の砲撃が通り抜け、焼けた産毛の臭いに、健人は顔を引きつらせた。

 

「オオオオオオ!」

 

 続けさまに放たれる三発目。咄嗟に横っ飛びで射線から外れる。空を切った光線は内に秘めた強烈な熱で、三度、墳墓の壁に穴を穿つ。

 

「なんだ、この威力! 普通じゃないぞ!」

 

 岩を一瞬で融解させる程の熱量。異常な威力の魔法に、健人は思わず毒づく。

 魔法の分類としては、間違いなく炎系の破壊魔法。

 おそらくは生み出した魔法を収束させることで威力を高めているのだろうが、その収束率が異常だ。

 本来なら火炎放射器のように吐き出されるか、球形の塊として弾丸のように打ち出されるそれは、まるでSFのビーム砲かレーザーのような形へと変貌している。

 

「撃ってきたのはどの階位の魔法だ!? ファイアボール? エクスプロージョン? まさか素人クラスの火炎ってことはないよな!?」

 

 ヴァーロックが右手を突き出し、広げられた三本の指から、続けざまに三本のレーザーが放たれる。

 人の指ほどに細い光線が、一直線に健人の同時を穿たんと迫ってきた。

 

「くっ!」

 

 健人は上体を仰け反らせることで、迫りくるレーザーを何とか躱す。

 細く絞りこめられた指ほどの太さの紅い光が、彼の背後の壁面に三本の筋を刻む。

 あまりにも早い魔法展開。ヴァーロックもまた、ミラークと同じように詠唱をしている形跡はない。ミラークも行っていた、無詠唱による魔法展開だろう。

 このまま相手に攻撃され続けるのは拙い。

 そう判断した健人は、腹に力を込めて、練り上げたスゥームを全力で解き放つ。

 

「ファス、ロゥ、ダ――――!」

 

 揺るぎ無き力のスゥームが放たれ、衝撃波が宙に浮かぶヴァーロックに迫る。

 さらに健人は、シャウトを放つと同時に腰の黒檀のブレイズソードを引き抜く。

 この程度で相手を仕留められるとは思っていないが、攻勢の勢いを寸断できれば、踏み込む隙も生じるだろう。

 放った”揺るぎ無き力”がファーロックの体を捉える瞬間、健人は足に力を込めて床を蹴る。

 

「ターロディス、ロトムラーグ。ファー、ドロク!(危険な力だ。だが、主の為に!)」

 

 ヴァーロックが左手を突き出すと、間髪入れずに、宙に浮かぶミイラの前面に透明なシールドが形成された。

 ミラークも使っていたシールド系魔法の“魔力の砦”が、健人が放った揺るぎ無き力を受け止める。

 さらにヴァーロックは健人の揺るぎ無き力を無力化しながら、空いていた右手を突き出した。

 その掌には、先ほど墳墓の入口を崩落させた砲撃と同じ炎の球体が、耳障りな音を響かせながら収束されていく。

 

「くっ、早い!」

 

 健人は咄嗟に横に跳び、砲撃の射線から逃れる。

 直後に、炎の球体が轟音を立てながら射出され、一筋の閃光となって健人の肩を掠めていった。

 焦げ臭い匂いが、健人の鼻を刺激する。

 よく見れば、ドラゴンスケールの鎧を構成している肩の装甲の一部が焼け、消失していた。

 ドラゴンスケールの鎧は、強固なドラゴンの鱗を削り出して作られた装具。並の魔法や武器では傷一つ付けることが出来ない程の強度を誇る鎧。

 それが、まるで熱したナイフでバターを切るように抉られている。その光景に、健人は冷や汗を浮かべた。

 

「ミラーク、コス、ウルド、ボヴール!(ミラークよ、随分と逃げ足が速くなったな!)」

 

「くそ! この距離はまずい。完全に相手の間合いだ!」

 

 ドラゴンスケールの鎧を一瞬で溶解する威力だ。健人の拙いシールド魔法など意味はない。

 秒単位で放たれる超高威力の砲撃とレーザー。健人の“揺ぎ無き力”のシャウトを正面から受け止められる強固なシールド魔法。さらには、それ程の魔法を、同時に難なく使いこなす技量。明らかに、遠距離戦では相手に分がある状況だった。

 

「だが、ミラークよりは幾分マシだ」

 

 ミラークとの戦いの時と似た状況ではあるが、ヴァーロックは接近戦を行えるような武器は持っていない。接近戦なら、健人に分があるのは明白だった。

 であるならば、0.1秒でも早く、相手の間合いを詰めなくてはならない。

 健人は迷わず、切り札の一つを切る。

 

「ムゥル、クァ、ディヴ!」

 

 ドラゴンアスペクト。己の内にあるドラゴンの魂を隆起させ、能力を劇的に高めるスゥーム。シャウトによって隆起したドラゴンソウルが体からあふれ、光の鎧を構築し、彼のあらゆる能力を爆発的に高める。

 健人は激増した身体能力で一気に距離を詰めようと踏み込み……。

 

「うわ!?」

 

 直後、ガコンと床板が沈む音と共に、足元から噴出した炎に足を止められた。

 吹きあがった炎が健人の体を包み、視界を塞ぐ。

 健人は炎に視界を塞がれる中、反射的に床に体を投げ出す。直後、ヴァーロックの砲撃が噴き出た炎を切り裂いた。

 床から噴き出たのは、この玄室のあちこちに仕掛けられていたトラップ。健人は踏み込もうとした際に、罠の仕掛けられていた床石を踏んでしまったのだ。

 幸い、ドラゴンアスペクトの耐火能力によって火傷を負うことはなかったが、足元から突如として噴き出す炎は、戦闘の集中力を削ぐには十分な上、視界も塞いでしまう。

 

「くそ、下手に踏み込めないってことかよ!」

 

「ミラーク、ドゥー、ナーク、ドロク、ニヴァーリン。クロン、ラ゛ーズ、ズー、ディロン、ラ゛ーネイ!(裏切り者、ミラークよ。今度こそ、我が存在にかけて、その命を頂く!)」

 

「確かに、アイツは俺と一緒にいるが、俺はミラークじゃないぞ!」

 

 一方的な宣言を述べながら、ヴァーロックは両手で魔法を展開する。

 右手には絶大な貫通力を誇る砲撃魔法を収束させ、左手の五本の指からレーザー光線を放つ。

 五つのレーザーが健人の逃走経路を塞ぐように全方向から迫り、更に強力無比な砲撃が、逃げ場を潰された健人を貫かんと正面から最短距離を駆ける。

 

「ファイム!」

 

 だが、高速で襲い掛かった砲撃とレーザーは、健人の“霊体化”のシャウトに無力化された。

 単音節のシャウトが数秒の間、健人の体を現世からズラし、まるで霧のように霞んだ体を、炎の交戦と砲撃が透過していく。

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

 さらに健人は、立て続けにシャウトを放つ。

 ドラゴンアスペクトが齎すシャウト能力の向上。展開するのは、旋風の疾走だ。

 旋風の疾走は、直線にしか動けないという制限はあるものの、瞬間移動したのではと思えるほどの加速を可能とするシャウト。

 さらに、地面に足を付かずに高速移動が可能なため、床に接地された火炎トラップに引っ掛かる事もない。

 ズバン! と空気が爆発したような炸裂音と共に、霊体化している健人の体が急激に加速され、宙を浮かぶヴァーロックに迫る。

 

「もらった!」

 

 ヴァーロックの眼前まで一気に距離を詰めた健人が、霊体化を解き、腰から引き抜いた黒檀のブレイズソードを一閃させる。

 雪を散りばめたような刀身が閃き、ヴァーロックの首を断ち切らんと迫る。

 

「ミラーク、デズ、ホロコン。ヴァダーミン、ズー、スレイグ?(ミラーク、我が宿敵よ。我が力を忘れたか?)」

 

「なっ!?」

 

 だが次の瞬間、まるで陽炎のような紫色の炎が、ヴァーロックの体を包みこんだ。薙ぎ払った健人の刀は、霧を切ったかのようにすり抜ける。

 一体何が起きたのか。

 空中で体が慣性で前へと流れる中、振り向いた健人の目に、玄室の反対側に出現したヴァーロックの姿が映る。

 その両手には、既に収束した炎塊が握られている。

 

「転移魔法……」

 

 健人は己の失策に気づいた。発動時の様子は違っていたが、転移魔法はミラークも使っていた。ヴァーロックが使えてもおかしくはない。

 今の健人は、空中に身を投げ出した状態で、完全に無防備だった。ヴァーロックが炎塊を握りしめていた腕を突き出し、砲撃を放つ。

 

「ぐぅ!」

 

 旋風の疾走に慣性で前に流れていた勢いのまま、健人は空中で体を捻る。腕を振り、足を入れ替え、ヴァーロックの砲撃から無理矢理自分の体を逸らす。

 直後、健人の眼前を、ヴァーロックの砲撃が掠めながら突き抜けた。

 ドラゴンスケールの鎧の胸元が、砲撃の余波で黒く焼ける。

 某機動戦士に出てくる主人公機を彷彿とさせる回避行動だが、実際に砲撃に晒されている健人としては堪ったものではない。

 更に連続しては放たれる砲撃とレーザーを、健人は駆け、跳び、捻りながら紙一重で回避していく。

 だが、一度の攻めを失敗したからといって、このまま砲撃に晒され続けるだけの健人ではない。

 

「ティード、クロ゛、ウル゛!」

 

 時間減速。

 時間、砂、永遠の言葉で構築された、自分の時間を周囲と乖離させるシャウト。

 加速する時間の中で、健人は迫る砲撃群の隙間を見抜き、ドラゴンアスペクトのシャウト能力向上の恩恵によって、続けざまに旋風の疾走を唱える。

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

 三節の旋風の疾走が、健人の体を定めた進路の圧し進める。砲撃の隙間を駆け抜け、再び間合いを詰めてヴァーロックに斬りかかる。

 

「ヴォー、ドレ、メイズ(無駄だ……)」

 

 ヴァーロックもまた、再び転移魔法を行使し、健人の刃圏から退避する。

 そして、再び健人と広間の中央を挟んだ対角線上の壁端に転移すると、再び砲撃を開始しようとする。

 

「ぐう!」

 

 だが、健人もヴァーロックの動きは見抜いている。

 ヴァーロックの転移魔法は発動後、出現する位置に紫色の炎が立ち上る。転移後に位置を特定することは難しくない。

 健人は旋風の疾走の慣性を、ドラゴンアスペクトによって強化された強靭な脚力で無理矢理殺す。

 打ち込まれた足が床を陥没させ、床石が弾け飛ぶ。舞い散る砕けた石材を視界の端に映しながら、再び旋風の疾走を唱えた。

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

 ヴァーロックが砲撃を放つ前に、健人の旋風の疾走が発動。

 一瞬でドラゴンプリーストの懐に飛び込み、黒檀のブレイズソードで痩せこけた胴を薙ぎ払おうとする。

 ヴァーロックの伽藍洞な瞳に灯る蒼い炎が、動揺で大きく揺れた。間違いなく、このような速度で健人が反撃できると思っていなかったのだ。

 

(獲った!)

 

 いくら無詠唱とはいえ、魔法の発動には秒単位の隙が存在する。

 そして、既にヴァーロックにはその数秒の余裕すらない。健人の薙ぎ払いは、一秒足らずでヴァーロックの胴体を両断する。

 ……そのはずだった。

 

「なっ!?」

 

 再びヴァーロックの体を包み込んだ紫炎の渦。本来発動するはずのない速度で展開された転移魔法に、健人の口から驚きの声が漏れる。

 だが、動揺に耽溺している暇はなかった。

 広間の端に三度転移したヴァーロックが、砲撃を再開する。

 

「くそ、これでもまだ足りないのか!」

 

 迫る幾条ものレーザーを避けながら、健人は思わず毒づいた。

 あれで終わるはずだった。あれほどの攻撃力と詠唱速度だ。普通に考えて、一流の戦士ですら、接近することも難しい。

 その難度故に、ヴァーロックの不意を突ける可能性があったのだが、ヴァーロックの予想以上の魔法展開速度により、結果は不発に終わってしまった。

 

(ただの無詠唱じゃない。恐らく、何らかの別の方法で転移魔法を発動させている……)

 

 だが同時に、その事実は、健人にある可能性を想像させる。つまり、ヴァーロックは無詠唱以外の魔法技術を習得している可能性だった。

 

「うわ!」

 

 だが、立て続けに迫る砲撃と足元から吹き上がる炎が、健人に思考を纏めることを許さない。このままではじり貧だ。彼がそう思った時、健人の脳裏にある単語が思い浮かぶ。

 

「スペル、ストック?」

 

 聞いたことのない単語に、健人が戸惑いの声を漏らす。

 それは、ミラークが持つ知識がもたらした天啓。

 同時に、健人の脳裏にある光景が蘇る。それは熾烈を極めたミラークとの戦い。その最後、己の剣を砕かれたミラークは、あらかじめ待機させていた転移魔法で、逃走を図った。

 健人はその時、ミラークは無詠唱で転移魔法を発動させたのかと思っていたが、それこそがヴァーロックが使っている力と同質のものだと、ミラークの知識が語り掛けてくる。

 

 スペルストック。

 

 脳内で予め術式を展開しておき、任意のタイミングで発動する魔法技術。無詠唱と並ぶ……いや、それ以上の、超高位スキルである。

 同時にその事実は、健人に絶望的な現実を叩きつける。

 例えスペルストックで待機させていた転移魔法を使わせても、その後に距離を取られれば、どうしても無詠唱で術式を展開させる時間を与えてしまう。

 そうなれば、ヴァーロックは絶対にスペルストックを使い、退避のための転移魔法を用意するだろう。

 更には、ヴァーロックが転移魔法を複数、スペルストックで用意している可能性もあると、ミラークの知識は語っていた。そして、それは数千年の研鑽を積んだミラークでもできなかったと。

 いくらドラゴンアスペクトによって強化した身体能力とシャウト能力をもってしても、相手に秒単位も時間を与えないことは不可能だ。

 

「ぐう……!」

 

 ヴァーロックの十の指先から、紅の光が放たれる。クラゲの触手を思わせるレーザーの群れが、逃げ回る健人を囲むように迫って来た。

 健人はレーザーの隙間に無理矢理体を滑り込ませる。背中に背負っていたドラゴンスケールの盾が留め具ごと斬り裂かれ、床に転がる。

 そこに向けて撃ちこまれる砲撃。咄嗟に両手に力を籠め、跳ねるように跳んで砲撃を回避する。

 度重なる砲撃とレーザー攻撃に、玄室の天井からパラパラと崩れた石材のかけらが降り注ぎ始める。

 

「まずい、長引くと玄室が崩れる!」

 

「ディル、ミラーク! フェン、コス、ディロン、コプラーン、ヴォス、ズゥー。ファー、ウル、エヴギル、ドヴ、ヴォス、ジョール!(ミラークよ、今度こそ終わりだ。ここでお前は、私と共に永遠の眠りにつくのだ。主と人々の時代の為に!)」

 

「ぐう! おまけに心中すら想定内かよ!」

 

 再びレーザーの群れが健人に迫る。

 雨のごとく叩きつけられるヴァーロックの攻撃が、健人の虹鱗の鎧を削り、消耗させていく。

 そもそも、一撃被弾しただけで致命傷を負うことは間違いない威力を秘めている。

 

「やるしかない、か……」

 

 どうしようもないジリ貧状態。そしてその事実が、健人に最後の切り札を切らせることを決めさせた。

 

「……ミラーク、箍を外せ」

 

 直後、迫るレーザーの群れを、健人の体から噴き出した虹色の光の奔流が消し飛ばした。

 

 




ヴァーロック

 かつてのミラークのライバルにして監視者。炎系の魔法を得意とし、ミラークとの戦いは、かつて陸続きだったタムリエルとソルスセイム島を切り離したと言われている。
 死後もミラークを監視するためにソルスセイムに留まり続け、そしてミラークの魂を持った健人がニルンに帰還したことで目覚めた。
 ミラーク同様、作者による強化が施されている。

具体的な強化
一、魔法の無詠唱、高威力化。
 ミラーク同様、魔法の発動に詠唱を必要としない。おまけに魔法の集束率が異常なため、威力がとんでもない事になっている。
 具体的には熟練者クラスのファイアボールは完全にビーム砲撃、素人クラスの火炎はレーザーと化している。

二、スペルストック
 魔法保存能力。本小説オリジナルの魔法スキルの一つ。
 あらかじめ脳内で展開していた魔法を待機させ、任意のタイミングで発動する能力。実は、魔法一つだけならミラークも使える。
 ただ、ヴァーロックのスペルストックは、ミラークよりも精度が高く、複数の魔法をストックしておくことができる。
 これにより、転移魔法を連続で発動し、相手を翻弄しながら超高威力の炎系魔法を叩き込むことができる。
 使い方によっては万単位の軍も翻弄、殲滅できる能力。一人で機動砲撃が可能な火砲とか、タムリエルはおろか現代地球でも明らかなオーバースペックだわ……。



お、ま、け

 アルゴニアンの侍女第三巻構想その2

 ありきたりだった前回と比べ、今回は少し捻りを加えてみた。
 すこし捻りすぎたかもしれんが、まあいいだろう。というわけで、また備忘録としてこの一文を残しておく。

「奥様、参りました、ご用は何でしょうか」

「来たのね。今少し、書類を片付けているの。手伝ってもらうわ」

「承りました。私は何をすればよろしいのでしょうか?」

「手紙を書くのに使っていたペンを折ってしまったの。あの人の事を想っていたからかしら」

「お心、お察しします」

「それで、新しいペンが必要なの。インクはいっぱいあるのだけれど、ペンが無くては話にならないわ。貴方のペン、貸してもらえない?」

「奥様、私にはペンなど持っておりませんが……」

「あら、あるじゃない。あの人がとても整っていたと言っていたペンが」

「奥様、私のペンは奥様のインク壺には似合わないかと思いますが……」

「大丈夫よ。太さも長さも申し分ないわ。私のインク壺にピッタリよ。でも、貴方のインクで、あの人に手紙を書くのも一興ね。あら、インク壺も中々可愛いいこと……」

「奥様、そのように使われては、壺から私のインクが零れてしまいます!」

「安心していいわ。紙はいっぱいあるから、いくら零れても大丈夫。あの人が帰ってきたら、彼のインク壺も使ってみたいわね。もちろん、あの人のインクを使う時も、貴方のペンを借りるわ」

「あら、貴方のインク、思っていた以上に粘りがあるのね」

「私のインクでは、手紙を書くには向かないのでは……」

「私のインクを混ぜればちょうどいいわ。さあ、ちょっとペンを借りるわよ」


 まあまあ、か。ペン、インク壺、インクと、捻りは十分だが、今一淫靡さが足りんような気がする。取りあえずこれも残しておき、もう少し思案してみよう。


 というわけで、おまけのアルゴニアンの侍女第三巻構想その2でした。
 色々とアウトになりそうな表現満載。大丈夫か、これ?
 オリジナル小説書籍化により、そっちに集中していますが、こちらも少しづつでも書けたらと思います。


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閑話 ヴァーロック編 最終話

ヴァーロック編最終話です。
文字数1万4千文字以上と、かなり長いです。

そして全く関係ない話でありますが、書籍化したオリジナル小説の方は、コミカライズ化が決まりました。


 全身に走る痛みと、こみ上げる吐き気に、ヴァーロックは思わずむせる。

 吐き出した息に混じった血に、彼は自分の命がもう長くないことを悟った。

 焼き尽くされた大地と街並み。そして、ミラークの主を含めた大量のドラゴンの亡骸。ヴァーロックの魔法で斬り裂かれた大地の傷跡には大量の海水が流れこみ、ミラークのシャウトが引き起こした嵐が、容赦なく残された大地を削り取っていく。

 己の力の無さに、ヴァーロックは全身が焼けそうなほどの怒りがこみあげてくるが、その怒りはいっそう、彼に残された時間を削り取っていく。

 

「ぐっ、がは……」

 

 思わず力がこもり、我慢していた血を吐き出してしまった。

 灰と雲に覆われた空を見上げれば、漆黒の翼を持つ竜王が死に体になった彼を見下ろしている。

 

「竜王アルドゥインよ。我が力及ばず、裏切り者を逃してしまいました……」

 

 紅眼黒鱗の君主に、ヴァーロックは血まみれになった手を伸ばす。

 

「お願いがございます、私はもう長くありません。しかし、この地でやり残したことがあります。どうか、我が忠誠を遂げさせてください……」

 

 死の間際までドラゴンへの忠誠を誓ったドラゴンプリーストを前に、アルドゥインが咆哮を上げる。

 そして、ドラゴンに忠義を尽くした神官は亡くなり、その遺体はこのソルスセイムに埋葬された。何時か復活するであろうミラークと、彼の口車に乗った裏切り者たちを封じる、永遠の番人として。

 

 

 

 

 

 

 

 

「モタード、ゼィル!」

 

 虹色の奔流が、玄室を埋め尽くす。猛り狂う眩い彩色の嵐は紅光の群れを吹き飛ばすと、生みの親たる健人の体へと収束する。

 ハウリングソウル。坂上健人が持つ真の切り札であり、あらゆる存在を共鳴させるスゥーム。

 かつてアポクリファでの戦いの中、ハルメアス・モラの力と共鳴して邪神の肉体と白日夢の領域を消し飛ばした力の言葉は、今再び、彼の内に秘めた魂と響き合い、その力を何乗にも引き上げる。

 力強さを増した光の鎧。そして、昂る力の導くままに、健人は地を蹴った。

 

「しっ!」

 

 スゴン! と炸裂音を響かせながら、仕掛けが施された床板が粉砕される。

 設置されていた火炎放射の罠を踏み砕きながら加速した健人の体は、まるで一筋の閃光のように、空中のヴァーロックめがけて躍りかかった。

 

「ウォト、トル゛!?(なんだ、これは!?)」

 

 先程とは比較にならない程の威圧感を噴き出しながら迫り来る健人を前に、ヴァーロックは動揺しながらも、すぐさま転移魔法を発動する。

 痩せこけたドラゴンプリーストの体を紫炎が包み込み、健人の刃圏から離脱する。ヴァーロックが転移した場所は、転移前の場所と健人を挟んだちょうど反対側。先ほどまで健人がいた場所に、転移の紫炎が出現する。

 紫炎から姿を見せたヴァーロックは、がら空きの背中を見せているであろう健人を撃ち抜かんと、手を掲げ……。

 

「っ!?」

 

 すでに逆走して目の前に迫っていた健人の姿に、慌ててスペルストックで待機させていた転移魔法を発動した。

 

「ちぃ、外した!」

 

 ヴァーロックの再転位を確認した健人は、素早く周囲に目を光らせる。

 転移魔法は発動してから転移が終了するまで、数秒間のタイムラグが存在する。そのわずか数秒が、勝負の分かれ目だった。

 健人の右後方に、転移の紫炎が発生する。

 

「しっ!」

 

 転移の紫炎を確かめた健人は、勢いを殺さず、進行方向の壁に向かって突進する。

 体をひねり、壁に足をつけて跳躍。ハウリングソウルによって激増した身体能力と抜群の体捌きにものをいわせ、突進の勢いを反対側の斜め上方に変更する。

 さらに、天井を蹴って再度方向を修正。天地が逆になった視界の中、彼は転移の紫炎の中から出現したヴァーロックに、再び躍りかかった。

 

「はあああ!」

 

「アーム!(くそっ!)」

 

 ヴァーロックが再びスペルストックで転移魔法を発動し、三度健人が後を追う。

 彼はまるで玩具のスーパーボールのように、壁や天井を自在に跳躍しながら、ヴァーロックを追い詰めていく。

 自らが追い詰められ始めたことを察したヴァーロックは、転移と同時にスペルストック内のファイアボールを発動。カウンターで健人の頭を消し飛ばそうとするが……。

 

「ファイム!」

 

 一瞬だけ霊体化した健人に無効化された。慌てて転移魔法を発動して健人の斬撃を躱すも、再び追いかけられる羽目になる。

 その後も健人は“霊体化”のシャウトが一時使えなくなっても、“旋風の疾走”でタイミングをズラしたり、“揺ぎ無き力”で逆に機先を制してくるなど、多彩な攻めを見せるようになった。

 同時に、ヴァーロックのスペルストックで保管されていた魔法は瞬く間に目減りし、取れる手段が次々に減っていく。

 今の健人は、明らかにヴァーロックのスペルストックと魔法展開速度を上回る攻勢をかけていた。

 元々健人は、ミラークの塔の壁面で、迫りくるデイドラ相手にシャウトと身体能力だけで空中戦をやっていた人間である。四方を床、壁、天井という足場で囲まれている玄室内、かつ、転移魔法のアドバンテージを封じた今、戦況の天秤は明らかに健人に傾いていた。

 そして、ヴァーロックがストックしていた転移魔法が、ついに尽きる。

 

「もらった!」

 

 転移のスペルストックが尽きたヴァーロックに、健人の斬撃が迫る。

 袈裟懸けに振るわれた黒檀のブレイズソードが、ヴァーロックの肩口に吸い込まれていき……。

 

「っ!」

 

 甲高い金属音とともに受け止められた。

 ヴァーロックの両手から生み出された魔力の剣が、健人の一閃を受け止めている。

 魔力の剣。

 素人クラスの召喚魔法であり、その名の通り、魔力によって仮初の剣を生み出す魔法だ。

 スペルストック内に最後に残っていた魔法であり、そして無手から近接武器を生み出せる便利な魔法。

 しかし、素人クラスの魔法なだけあり、時間制限があり、かつ耐久性に難がある。

 それでも、ヴァーロックほどの術者ともなれば、その強度は現実の剣と大差ない。むしろ、聖水晶の刃を上回る、鋭利な刃を作り上げることもできる。

 それこそ、健人が振るう黒檀のブレイズソードと、正面から打ち合うことができるほどの刃すらも。

 

「コス、ヴァール、アーゼイド、フル゛! ヌツ、ニ、セィザーン、ジンド! ニス、ダイン、セィザーン、ジンド!(ここまで追い詰められるとはな! だが、負けんぞ! 負けてたまるか!)」

 

 ヴァーロックが健人の黒檀のブレイズソードを下にはじき落とし、反撃の二刀を繰り出す。魔力の剣の特徴は、重さがほとんどないがゆえに、素早い取り回しができることである。

 振り上げられた双刃が、痩せこけた腕から繰り出されたとは思えない速度で、健人の脳天に迫る。

 

「速い……が、軽いな」

 

 しかし、ヴァーロックの双刃は、それ以上の速度で引き戻された健人の刃に防がれた。

 腕を畳み、体を落とし、体をひねりながら掲げられた黒檀の刃が、しっかりとヴァーロックの魔力の剣を受け止めている。

 ヴァーロックの剣には、殆ど質量がない。故に速いが、軽いという欠点を持つ。

 それを一目で見抜いた健人は、全身の筋肉を収縮させ、掲げた刀を振り上げると、羽のように軽いヴァーロックの双刃をはじき返す。両腕を跳ね上げられ、がら空きの胴体が晒された。

 

「しっ!」

 

 横薙ぎに一閃。ドラゴンアスペクトとハウリングソウル。二つのシャウトによって極限まで高められた健人の一閃は、防ごうと引き戻されたヴァーロックの双刃を紙のように両断し、妄執に囚われていたドラゴンプリーストの肉体を両断した。

 断ち切られ、床に倒れこんだヴァーロックの両眼から青白い光が失われていくのを眺めながら、健人は緊張を解くように息を吐く。

 

「終わったか……」

 

 強敵だった。ミラークのライバルだったという話も納得できるほど、卓越した術者だった。少しでもボタンを掛け違えていたら、やられていたのは健人だったかもしれない。

 黒檀のブレイズソードを鞘に納めながら、健人はヴァーロックの遺体に背を向けると、最奥に安置されている言葉の壁に向かう。

 最奥に安置された言葉の壁の前には、一際大きく、豪華な装いの宝箱もある。カシトが見つけたら、目の色を変えそうなほどの大きさだ。

 健人は残してきた親友が鼻の下を伸ばす様を思い浮かべて苦笑を漏らしつつ、最奥の言葉の壁の前へと足を進める。

 

「高潔なノルドは、その偉大な勇気で人も竜も『鼓舞』した。強きヴァーロックをいつまでも覚えている、か。覚えているのは“ヴァーロック”の名前なんだな。そして、それすら、もう忘れ去られている……」

 

 まだハウリングソウルを解いていないためか、共鳴しているミラークの魂から流れ込む哀愁と惜別の感情に、健人はどうにも心揺らされてしまっていた。

 流れ込む『鼓舞』のシャウトを己の魂に刻まれながら、自らが倒したヴァーロックに思いをはせる。

 ヴァーロック。守護者、そして監視者の意味のスゥーム。彼もまた、ミラークと同じように、名によって運命を縛られていた。

 

「でも、本当にそうだったのか?」

 

 Vahlokの文字を分割すれば、Vahとlok。そして、それらは、それぞれが春と空を意味する。

 

「春の空……。あのドラゴンプリーストに名前を付けたドラゴンは、どっちを望んでいたんだろうな……」

 

 春の空。冬の終わり、新しい何かが始まる予感を漂わせる名前は、永劫の監視者にとなったドラゴンプリーストの名前としては、皮肉にも感じられる。

 健人の胸の奥で、ミラークの魂がドクン、と一際大きく震えた。

 何かを訴えるような戦友の魂に、分かっていると語り掛けるように瞑目する。

 

(終わらせてほしかったんだろうな。同じようにシャウトで縛られた、ヴァーロックを……)

 

 健人の言葉に答えるように、震えていたミラークの魂が静まっていく。

 この遺跡に来てから、絶え間なく震えていたミラークの魂が、ようやく落ち着きを取り戻し始めた。

 戦いが終わったことに肩を落とした健人は、出口を探し始める。

 ここに来た時の入り口は、既に崩落によってふさがってしまっていた。脱出するには、新しい出口を見つけなければならない

 

「言葉の壁の裏とかに、隠し通路とかないのか?……ん?」

 

 カタン、ズルズル……。

 何か石に触れ、布がこすれる音が健人の背後から流れてきた。治まったはずの胸の疼きが、再び蘇る。

 健人は一体何かと振り返り、そして驚愕に目を見開いた。

 

「なっ……」

 

「ファー、ドロク。ファー、スー、ジュン……。(主のために。我が王のために……)」

 

 胴体を両断されたヴァーロックの瞳に、再び青白い炎が灯っていた。

 分断された上半身だけで浮遊するドラゴンプリーストは、最後の力を振り絞り、魔法を展開する。

 掲げられた両手。そしてヴァーロックの頭上に、巨大な炎塊が出現する。

 人一人が楽々と飲み込まれるほどの炎の塊は、ヴァーロックの体から噴き出す膨大なマジカを吸収しながら、収束されていく。

 

 ヴォルケイノテンペスト

 

 達人魔法、ライトニングテンペストと同系統の極大砲撃魔法。

 かつて、ミラークとの戦いの中で、地続きだったソルスセイムとタムリエルが切り裂かれるきっかけの一つとなった魔法の一つ。そして、ヴァーロックの最後の切り札。

 

「ミラーク、ダール、コス、フ゛ァール、オブラーン!(ミラークよ、これで終わりだ!)」

 

「させるか、ウルド、ナー、ケスト!」

 

 発動すれば、一瞬で蒸発すること間違いなしの魔法。それを前にして、健人はためらわず突撃を敢行した。

 死ぬべき時に死ぬことを選ばず、そして今でも与えられた運命に従う哀れな骸。その振り下ろされそうになる両腕めがけ、黒檀のブレイズソードとスタルリム刀を突き刺す。

 

「ぐぅ!」

 

 直後、砲撃が解放された。

 発動したヴォルケイノテンペストは玄室の天井を一瞬で溶解し、大気を切り裂き、雲を消し飛ばし、エセリウスにまで届くのではと思えるほどの炎の柱を現出させる。

 

「オオオオオオオオオ!」

 

「ぐうううう!」

 

 がっぷりと組み合う両者。ヴォルケイノテンペストの強烈な圧力にさらされながらも、健人とヴァーロックは至近距離で睨みあう。

 

「もう終わった! ミラークはもう死んでいる!」

 

「ニス、オブラーン! ヒ、コス、ミラーク。ズー、コス、ロニト、ホロコン、ファース、ホコロン、ヴォクル、ホコロン! ニス、オブラーン、ズー、ヘイヴ、ミル!(終わっていない! お前はミラークだ。我が宿敵、我が大敵、我が怨敵! 我が使命、我が忠誠は、なにも終わっていない!)」

 

「こんの……! 大馬鹿野郎!」

 

「っ!」

 

 刀を握る健人の手に、いっそうの力が籠る。次の瞬間、スタルリム刀が震え、強烈な冷気を放ち始めた。付呪されていた冷気攻撃の魔法が発動したのだ。

 スタルリムは“解けない魔法の氷”の異名を持つ、極めて良質な武器の材料であり、同時に冷気関係の付呪の効果を劇的に高める性質を持つ。

 さらには、このスタルリム刀には、魔力吸収の付呪も施されている。

 発動した冷気は、ヴァーロックの右腕を凍らせ、彼が持つ最後のマジカを奪い取った。

 

「っ!?」

 

「おおおおおお!」

 

 ヴォルケイノテンペストの圧力が、急激に落ちていく。

 次の瞬間、健人はスタルリム刀でヴァーロックの左腕を砕き、一閃。彼の胴体と首を両断した。

 

「ミラーク、ミラーク、ミラ……」

 

 落とされたヴァーロックの首は、最後まで宿敵の名前をつぶやきながら、やがて沈黙した。続いて、ヴァーロックに制御されていたヴォルケイノテンペストが、徐々に揺らぎ始める。

 砲撃は未だに上空へ向けて打ち出されているが、その基部となっている炎塊が、不定形に歪み始めている。術者が完全に沈黙したことで、不安定になっているのだ。

 

「まずい!」

 

 ヴォルケイノテンペストの威力は絶大だ。ほとんどのマジカは砲撃で空に散ったとしても、至近距離で暴発されたら、命はない。

 おそらくは、これすらもヴァーロックの采配の中にあったのだろう。最後の切り札でも健人に勝てなかったら、その切り札の魔法を暴発させて、心中するつもりだったのだ。

 健人は咄嗟に魔法障壁を張ろうとするが、明らかに間に合わない。

 次の瞬間、ぐにゃりと歪んだ炎の塊が炸裂した。

 

「ぐ、あああああああ!」

 

 ハウリングソウルによって強化されたドラゴンアスペクトをも貫通してくる熱に、健人が悲鳴を上げる。強烈な熱による痛みにより、意識が白濁していく。

 

(死んで、たまるか!)

 

 絶体絶命を前にして、ついに健人も禁じ手を切ることを決めた。

 

「モタード、ゼィル……!」

 

 ハウリングソウルのスゥームを紡ぐ。今度は完全な三節。しかも、自身の内側ではなく、外側、外界へ向けて。

 ミラークの枷を外している今、全力のハウリングソウルを唱えた場合、どのような影響があるかわからない。

 だが、それでも使うと決めた。アポクリファの一領域を、デイドラロードごと消し飛ばす可能性を秘めたシャウトなら、ヴァーロックのヴォルケイノテンペストを吹き飛ばすこともできるだろうと。

 

「ラヴィ……え?」

 

 剥離していく意識の中、健人が最後の言葉を紡ごうとしたその時、健人の目の前に強固な魔法障壁が展開された。

 まるで城壁を思わせる光の盾は、ヴァーロックのヴォルケイノテンペストの爆風を受けてもビクともせず、逆に炎に込められていたマジカを吸収し、より堅固になっていく。

 魔力吸収。かつてミラークが持っていた魔法技術。あまりにも高度すぎて、今の健人には使えない技術と魔法の発現に、健人は面食らう。

 

「い、いったい、何が……」

 

 ヴォルケイノテンペストの熱により、健人の意識もかなりもうろうとしていた。しかし、目の前で炎の奔流を遮る障壁の陰に隠れる、特徴的なマスクの男の姿は、はっきりと映っていた。

 かつて、アポクリファでの戦いで鎬を削ったライバルにして戦友。すでに肉体もなく、意識すら消えたはずの彼の姿に、健人は目を見開く。

 

「ミラーク……」

 

 まったく、しょうがない主だ……と、皮肉るような聞きなれた声が、頭の中に響いてきたような気がした。

 お前に言われたくないと心中で愚痴をこぼしながら、健人はヴォルケイノテンペストの閃光に飲まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 健人がヴァーロックとの戦いを終えた頃、カシト達は何とか遺跡の出口にたどり着いていた。

 

「ぷは! 死ぬかと思った!」

 

 土まみれになりながら遺跡の外に飛び出したカシトは、荒い息を吐きながら、プルプルと体を揺らして、体毛の間に挟まった土を振るい落としている。

 

「ケントは、どうなったのかしら……」

 

「わからんが、戦いは終わったようだな」

 

 カシトに続いて遺跡の外に出たフリアとサースタンは、心配そうな目で自分が脱出してきた遺跡の入り口に振り返る。

 既に遺跡の入り口も崩落し、中に戻ることは不可能になっていた。

 しかし、脱出の最中、熾烈を極めた健人とヴァーロックの戦いの余波は、遺跡全体に伝搬していた。

 その余波が収まったということは、既に戦いは終わったということだ。

 

「見て見て! なんか巨大な穴が開いてる!」

 

 健人の身を案じていたフリアの耳に、カシトの大声が聞こえてきた。彼はいつの間にか、遺跡の入り口前にあった裂け目をよじ登っている。

 彼の声に導かれるように、フリアとサースタンが裂け目の上に上ると、とんでもない光景が目の前に飛び込んできた。

 

「これは……」

 

 彼女たちの眼前に広がっていたのは、巨大なクレーター。

 直径は百メートル以上。クレーターの内部は未だにヴァーロックのヴォルケイノテンペストの余波による熱が残っており、所々で溶けて固着した砂と岩が、赤い熱の光と煙を上げている。

 立ち上る水蒸気の量は多く、クレーターの中心近くはまだよく見えない。

 

「これが、古のドラゴンプリーストと最強のドラゴンボーンとの戦いの結果か。スコール村で見たアポクリファでの戦いもすさまじかったが、こうして現実に目の当たりにすると、また違う感情が湧いてくるな……」

 

 肌に刺さる余熱に眉をひそめながら、サースタンはクレーターを見下ろす。その手は、僅かに震えていた。

 好奇心に促されるまま、突き進んだ遺跡探索。その結果、蘇らせてしまった存在に、いまさらながら恐怖が湧いてきたのだ。

 

「ケント、ケントがいた!」

 

「どこ、何所よ!?」

 

「ほらほら、あそこ、クレーターの真ん中!」

 

 一方、少しずつ水蒸気が収まったことで、カシトの目が健人の姿をとらえた。

 飛び出した彼を追いかけるように、フリアが後に続く。

 

「ケント、ケント~~!」

 

「ん? カシト、フリア、無事だったか!」

 

「ええ! サースタンさんも無事よ!」

 

 健人の目が、クレーターの淵にいたサースタンに向けられた。

 一瞬、サースタンはびくりと肩を震わせる。これほどのクレーターを生み出すようなドラゴンプリースト。そして、それを倒し切った健人の存在が、いかに強大なものであるか、彼は改めて実感し、恐怖を覚えたのだ。

 ゴクリと息をのんだサースタンは、顔を引き締めながら、健人のもとへと向かう。

 

「サースタンさん、無事ですか?」

 

「あ、ああ。怪我はないよ」

 

「良かったです。依頼は達成、ですかね?」

 

 表情を強張らせていたサースタン。一方、健人はただただ、安堵とも苦笑とも取れる笑顔を浮かべていた。

 ポリポリと頬をかくその仕草に、超越者としての威厳や恐怖は微塵も感じられない。

 ありきたりなその笑顔に、サースタンの胸に湧き上がっていた恐怖が、スッと消えていく。

 

「ケント、ヴァーロックは……」

 

「倒したよ。色々と、可哀そうな奴だったけど……」

 

 クレーターの中心。おそらくはヴァーロックがいたであろう場所に振り返る健人の目は、静かな哀悼の色を帯びていた。

 

「終わったの?」

 

「ああ、終わった。終わらせたさ」

 

 先程まで隆起していたミラークの魂は、すっかり落ち着きを取り戻し、再び沈黙している。

 これで、いいだろ? というように、胸に手を当てながら、健人は瞑目した。死んでもスゥームに縛られた監視者。そして、己が取り込んだ戦友に語り掛けるように。

 その姿に、サースタンはようやく、本当の英雄の姿を見たような気がした。

 

「さて! 健人も無事だったし、お宝を探そうか!」

 

「お宝って、残っているかな? 大きな宝箱はあったけど、かなりの爆発だったから……」

 

「消滅しているんじゃないの?」

 

「そんなの、探してみなきゃわからないよ!」

 

 首をかしげる英雄、呆れる相方、そして、相も変わらず能天気な仲間のカジート。

 生まれた環境も、価値観も違う三者が戯れるその姿に、サースタンの口元に笑みが戻ってくる。

 

「……そうさな! 探してみなければわからん! ケントよ、どの辺りにあったのだ!?」

 

「ええっと、その辺かな?」

 

「よし、突撃!」

 

「おうさ!」

 

 立ち直った意欲と好奇心に促されるまま、サースタンはカシトと共に宝箱探しを開始する。完全復活したサースタンは老齢とは思えないほどの身体能力を発揮し、焼けた砂をあっという間に掘り起こしていく。

 舞い散る砂と岩が、まるで噴水のように周囲に降り注ぐ。地面に残った熱で手を焼かれないように厚手の手袋をしているとはいえ、とんでもない発掘速度である。

 その人間離れした動きに健人が苦笑を浮かべていると、隣にやってきたフリアが水の入った袋を差し出してきた。

 

「お疲れ様」

 

「ああ、ありがとう」

 

 健人は水袋の中に入った水を飲みながら、フリアと二人で発掘作業に没頭するカシトとサースタンを眺めていた。

 先ほどまで壮絶な戦いを繰り広げていたとは思えないほど、のどかで微笑ましい光景。しかし、その命がけの戦いがあったからこそ、この安堵に満ちた時間が、健人達はなによりも愛おしかった。

 

「あった!」

 

「ぶっ! マジか!?」

 

 そうこうしている内に、カシトが本当に宝箱を掘り当ててしまった。

 ヴォルケイノテンペストの余波で豪華な装飾は焼け落ちてしまっているが、中身は問題なさそうに見える。

 

「よくやったぞカシトよ、さ、開けるのだ!」

 

 サースタンに急かされるまま、カシトがロックピックで開錠を始める。

 二人の発掘作業を遠目で見守っていた健人とフリアも、いつの間にかサースタンたちのそばで開錠作業を見守っていた。

 

「何が入っているのかしら……」

 

「なんだかんだ言って、フリアも楽しそうだね」

 

「まあ、罠に嵌められるのは御免だけど、たまには、ね」

 

 微笑むフリアに、健人もまた笑みを浮かべる。

 なんだかんだで色々と酷い目にあってきた遺跡探索だったが、なんとか無事に終わり、二人もまた安堵を隠し切れない様子だった。

 そうこうしている内に、ガチャリという機械音と共に、掛けられていたカギが解除される。

 

「開いた! さあ、御開帳!」

 

 カシトが勢いよく宝箱の蓋を開けると、黄金の輝きが四人の目に飛び込んできた。

 

「すごいな、金貨がこんなにいっぱい」

 

「しかも、これ全部古銭よ。一体いくらになるのかしら……」

 

「それに、付呪を施されたアクセサリーなどの類もあるようだな」

 

 目の前に広がる黄金や貴金属の類に目をくらませながらも、健人達は宝箱の中身を次々に持ち合わせた袋に入れていく。

 大方全ての財宝を袋に詰め終えたところで、もう何もないか確認しようと宝箱の中をのぞいたカシトが、首を傾げた。

 

「ん、ナニコレ?」

 

「どうしたカシト」

 

「変なもの見つけた!」

 

「どれどれ、なんだこれ?」

 

 カシトが取り出したのは、人の頭ほどもある白い多角体。宝石の類には見えないし、健人達の目には、妙な力を発しているようにも映っていた。

 おそらくは、何らかのアーティファクト。それも、かなり力のあるアーティファクトであることが察せられる。

 カシトが差し出してきたアーティファクトを健人が手に取ると、妙な声が頭の中に響いてきた。

 

『新たな手が灯に触れる』

 

「ん、なんだ?」

 

『聞きなさい。我が言葉に従うのです。穢れた闇が我が聖堂に入りこみました。それは、あなたが滅ぼすべき闇なのです』

 

 やけに高圧的で、断定的な口調。声色から言って女性。しかし、妙に警戒心を掻き立てられる声だった。

 耳の奥から響いてくる奇妙な声に、健人は眉を顰める。まるで、面倒なクレーマーに目を付けられたような感覚を覚えていた。

 

「……変な声が聞こえる」

 

「え?」

 

 突然変な事を言い出した健人に、その場にいた全員が首を傾げる。健人としても、空耳だと思いたい。

 一方、声の主はいまいちな反応を示す健人に焦れたのか、いよいよ語気が強くなってくる。

 

『定命の者よ、灯をキルクリース山に持ち帰りなさい。事が成った暁には、あなたを浄化の光の導き手に……』

 

「これやっぱりヤバイものだ!」

 

「捨てていく?」

 

「そうだな、そうしよ……ん? うわああああ!」

 

『我が声を聴きなさい!』

 

 いっそう強い声が響いたかと思うと、次の瞬間、健人の体が宙に浮き始めた。慌てたカシト、フリア、サースタンの四人が、健人の体に飛びついて抑え込もうとする。

 一方、健人の手を離れた白い多面体は、ペカペカとまるでディスコのミラーボールのように輝きながら、健人を天空へと引っ張り上げようとする。

 

『使命を果たしなさい、定命の者よ! お前はこの私、メリディアが見初めたのです』

 

「メリディア……デイドラロードか!」

 

 メリディア。

 デイドラロードの一柱であり、生命の力を司る超越存在である。

 羽の生えた天使の姿で描かれ、「生命」という他のデイドラロードとは毛色の違う概念を司る。

 それもそのはず。このメリディアは、元はデイドラではなくエイドラ。その中でも、世界創造の際にマグナスと共にエセリウスに脱出したエイドラの一柱なのだ。

 その後、ある禁を犯し、エセリウスから追放され、オブリビオンの領域にたどり着き、デイドラロードとなった、異端の神でもある。

 ちなみに、性格は極めて面倒。極度の潔癖症であり、命を汚す不死や死霊術をとにかく嫌悪している。

 冒涜と支配、使役、生命の搾取、堕落などを司るモラグ・バルとは、不倶戴天の敵でもある。

 

「また!? これってまたデイドラがらみなの!?」

 

「け、ケント!」

 

 健人を掴むカシト達の手から、徐々に力が抜けていく。三人もまた、遺跡探索の果てに疲労を抱えている身だ。このままでは、健人は天空に連れ去られてしまう。

 

「こんのぉ!」

 

 攫われては堪らんと、健人が吼える。頭の上でペカペカ光っているミラーボールを引っ掴むと、そのまま力一杯、足元の空の宝箱向けて放り投げた。

 

『ふべ! な、何をするのですか、この無礼者! この私が一体誰だと……』

 

 ガン! と勢いよく宝箱の底に叩きつけられたメリ玉が、文句をあげる。

 一方、一時的に上空への引力から解放された健人は、落下しながら宝箱の蓋に手をかけ、勢いよく蓋を閉じた。

 

「てい!」

 

 バン! と勢いよく蓋が閉じられ、さらに健人は傍に居たカシトの腰に手を伸ばし、宝箱の開錠に使ったロックピックを取り出す。

 

『こ、こら! 出しなさい、定命の者よ!』

 

「やかましい!」

 

 宝箱の中でゴチャゴチャ喚くメリディアの訴えを一蹴した健人は、カシトから奪い取ったロックピックで再び鍵をかけると、突っ込んだロックピックをワザとへし折る。

 さらに雷の魔法を鍵口に叩き込み、アーク溶接を敢行。残ったロックピックの前側を融解して鍵穴を塞いでしまった。

 

「ファス、ロゥ、ダーーーー!」

 

『きゃあああああ!』

 

 最後に、トドメとばかりに“揺ぎ無き力”をぶち当てる。

 空中で綺麗な二回転半を決めたメリ玉入り宝箱は、放物線を描きながら海へと落ちていった。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

「け、ケント……?」

 

「デイドラ死すべし慈悲はない!」

 

「あ~~、アポクリファであんな事があったばかりだもんね……。無理もないかな……」

 

 実は、健人はアポクリファの一件からデイドラアレルギーになっていた。

 実際、メリディアも生命という、いかにも善を連想させる力を司りながらも、やっている事は結構えげつなかったりするので、健人のこの反応も決して間違いというわけでもない。

 神様なんてそこら中にいて日常の中にすっかり溶け込み、かつ経済的には恵まれた日本にいたからこその暴挙だが、アポクリファやこの島で彼の身に起こった事を考えれば誰も彼の奇行を止められる者はいなかった。

 ちなみに余談だが、健人のデイドラアレルギーはソルスセイムを出る頃には多少和らいだものの、以後もデイドラ関係の話となると、渋い顔をするのは止められなかったそうな。

 

「よっと、それじゃあ、オイラはちょっと用事があるから、少し別行動するよ!」

 

 突然の別行動の宣言に、健人達は疑問の声を上げる。

 

「いきなり突然だな。それに、そんな大量の金貨、どうするんだ?」

 

「まあ、ちょっとした投資だよ。オイラはちょっと用事があるから、ケントたちは先にスコール村に戻ってて」

 

「いや、いったい何をしているのか教えて……」

 

「それじゃあね~~」

 

 健人の疑問に答えることなく、カシトは走り出してしまう。

 その背中があっと言う間に小さくなっていくのを眺めながら、健人は思わずため息を漏らした。

 

「やれやれ、一体何をするつもりなのか……」

 

「気にはなるけど、今は村に帰りましょう。健人も戦いで疲れているでしょ。しばらくはゆっくりした方がいいわ」

 

「あ、ああ……」

 

 どうにも、カシトの行動が気になって仕方のない健人だが、今はヴァーロックとの戦いで疲れ切っているのも事実。

 大きく息を吐いて気持ちを切り替えると、残った財宝が入った袋を担ぎ上げる。

 

「それじゃ、私は今書いている英雄の記録をまとめておくか! ついでにまだ聞きたいこともあるし……」

 

「爺さん、今は質問攻めは勘弁してくれよ……」

 

 ニカッと顔を綻ばせたサースタンに、健人がげんなりとし、そんな二人の様子をフリアが微笑みながら見つめる。

 色々と大騒動になった遺跡探索は、こうして全員生還したうえ、かなりの財宝を手に入れる大成功に終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海底に沈んだ宝箱。その中でメリ玉は、必死に脱出しようと頑張っていた。

 しかし、いくら暴れても、ぎっちり閉められた蓋はビクともしない。

 元々、タムリエルには干渉することが難しいデイドラ。しかも、神殿を汚され、影響力をほぼ失ったメリディアにとっては、先程健人を天空に連れ去ろうとすることも難しかったのだ。

 

『ううう、あの定命の者め、せっかくこの私が目をかけてやるというのに……!』

 

 スンスンと涙目になりながらも、宝箱のなかで健人への不平を漏らすメリ玉。

 もっとも、現代日本で普通の恋愛が基準である健人としては、そんな一方的な寵愛などごめんである。

 しかし、デイドラロードは元々超越的な存在であるが故に、一介の定命の者の気持ちなど推し量るはずもない。そしてメリディアは、デイドラロードの中でも空気を読まないことで有名な存在である。

 だが、そんなデイドラロードにとっても、坂上健人という人間は、目を奪われる存在だった。

 ニアとパドメイによって生み出された、エセリウスを含んだこの世界の外から来た者。僅かな竜神の祝福を己の意思で育て上げ、最古のドラゴンボーンと渡り合うまでに成長した勇者。そして、デイドラロードすら退けた特異点。

 実のところ、デイドラロードだけでなく、エイドラ達の間ですら、健人の名前は広がっている。

 デイドラロードを退けたことなどがその最たるもので、きっかけを作った竜神に他の八大神が一斉に詰め寄るという珍事まで起こっている。結局、彼らはとりあえずこれまで通り、経過を見守る事に決めたようだが。

 当然、デイドラロードも、裏ではいろいろ動いている。今は水面下で互いの足を蹴り合う程度の牽制しか行われていないが、やがて大きな動きとなるだろう。

 そんな中、メリディアは他のデイドラロードに先んじて、意気揚々と健人と接触しようとした。高貴で美しい自分なら、間違いなく頭を垂れて忠誠を誓うだろうという、かなり浅はかな考えからである。

 もっとも、メリディアとしては健人に向けた寵愛は本物であり、忠誠を誓った暁には、自らの秘宝を与え、最終的には魂を浄化して自らの最も近い所に侍らせるつもりだった。

 しかし、結果は見ての通りの大惨敗。強烈な拒絶を受けた上で、こうして宝箱の中に幽閉されて海に沈められてしまった。

 

『いっそ、最初から浄化して我が手駒に……』

 

 はっきり言って、健人の事情を鑑みないメリディアの盛大な自爆行為なのだが、彼女は生憎とその程度で自分の過ちに気づくような殊勝な存在ではない。

 自らの愛を拒絶されたヒステリックメンへラ女神は、沸々と煮えたぎる怒りに身を焦がしながら、どうやって彼を自分に夢中にさせるかを考え続ける。

 そんな中、暗闇の奥底から、身の毛もよだつ様な声が響いてくる。

 

『随分と嫌われたものだな、メリディアよ……』

 

『な、貴様は!?』

 

 闇に包まれた宝箱の中で、メリ玉の前に出現したのは泡たつ無数の瞳と、毒々しい触手。知識のデイドラロード、ハルメアス・モラが送り込んだ端末だった。

 ハルメアス・モラは送りこんだ端末の触手を操作し、暗闇の中で戸惑いの声を上げるメリ玉を絡めとる。

 

『その汚らしい触手で触れるでない! は、離しなさい!』

 

『彼に惹かれる気持ちは理解できる。かの者の輝きは、私達にはあまりに眩しい。しかし、彼の魂を浄化しようとするとは言語道断。彼は、我が勇者なのだ……』

 

 浄化。それはメリディアが持つ権能。人の魂を浄化することで、不老不死にする能力だ。

 しかし、浄化された者はその意識を永遠に失い、ただメリディアに仕えるだけの人形と化してしまう。健人が聞いたら絶対に拒否するような能力なのだ。

 健人の特異性が、彼の魂とその意思から来ている事を察しているハルメアス・モラにとっても、当然看過できない能力。ゆえに、彼自身がメリ玉の排除に動いたのだ。

 

『やめなさい! や、やめ……』

 

 悲鳴にも似た声が、メリ玉から響く。潔癖症の彼女にとって、ハルメアス・モラの触手に絡めとられることは、間違いなく不快の極致に違いない。

 しかし、その強い拒絶の言葉とは裏腹に、声量は徐々に弱々しくなっていく。

 元々、ニルンへの干渉力のほとんどを失っているメリディアだ。力を失っているのは急速に復活したハルメアス・モラも同じだが、この場では知識の邪神に軍配が上がっていた。

 毒々しい濃緑の触手な搦め捕られたメリ玉は、深遠の奥深くへと引きずり込まれていく。やがて、メリ玉の声は完全に力を失い、トプン、という音と共に暗闇の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大量の金貨をゲットしたカシトは、一路、西へ向かっていた。

 目的地は、コルビョルン墓地。レイブン・ロックの南東、砂漠と化した島の南側にある、埋もれた遺跡である。

 そこでは、一人のダークエルフが、砂の舞う中、必死につるはしとスコップで砂を掘り越していた。

 彼の名は、ラリス・セダリス。

 とあるダークエルフのお偉いさんの依頼で、遺跡の発掘を行っている人物であり、そしてカシトの協力者の一人だった。

 

「ラリス、持ってきたよ! 発掘資金!」

 

「おお、待ち焦がれていたぞ!」

 

 二人の目的は、この遺跡の中にあるお宝。しかし、遺跡は砂に完全に埋もれており、カシトとラリスだけでは発掘することができない。

 そこで、レイブン・ロックで鉱山労働者を雇い、遺跡の発掘を手伝させようと考えた。

 そこで必要となったのは大量の金銭である。

 レイブン・ロック鉱山が再稼働したことで、鉱山労働者も今は歩合のいい仕事が大量にある。その為、通常予定していた金額よりもさらに多くの金が必要だったのだ。

 カシトが差し出した金貨袋の中を確かめたラリスは、喜色満面の笑みを浮かべる。

 

「確かに。よし、これで新たな労働者を雇える!」

 

 二人の発掘作業は既に何度か失敗していた。

 古代ノルドの遺跡は危険で、未だに稼働している罠や、ドラウグル達が徘徊している。そのため、今まで何度も作業の中断を余儀なくされていた。

 しかし、カシトがヴァーロックの遺跡で大量の金貨の古銭を手に入れた事で、二人は発掘を終えるまで十分な作業員を雇えるだけの資金を得ることができていた。

 

「やれるね?」

 

「もちろんだ、こいつを十倍にして返してやるよ、相棒!」

 

「ふ、ふ、ふ、お宝を元手に、さらなるお宝をゲットだぜ!」

 

 カシトは新たな、そして、より大きなお宝を得られる確信に、満足げに鼻を鳴らす。

 だが、彼は気付かない。その遺跡の奥で復活しようとしている、新たな脅威。そして、その脅威の魔の手は既に、目の前の商売仲間にものびていることに。

 

 

 




これにて閑話、ヴァーロック編は終了となります。ありがとうございました!
そしてメリ玉触手プレイで興奮した人、ちょっと校舎裏まで来なさい。


ヴァーロックその2

 かつて反旗を翻したミラークを退けたヴァーロックであったが、その身に負った傷は重く、致命傷であった。
 もはや手の施しようのない傷を負った彼は、最後の忠誠を示さんと、自らがミラークを永遠に監視する役目を、竜王であるアルドゥインに申し立てた。
 結果、彼は必要な処置を施され、裏切り者を倒した英雄として、ソルスセイム後に埋葬されることになる。
 ヴァーロックの名は、監視者。しかし、その名前を分割した場合、春の空という意味になる。
 その名を付けた者が何を想い、ヴァーロックにその名を与えたのかは、既に永劫の時の流れの中に消え去っている。




ヴォルケイノテンペスト

 ライトニングテンペストと同じ砲撃魔法であり、炎系最上位の達人魔法。本小説オリジナルの魔法でもある。
 元々絶大な威力を誇るヴォルケイノテンペストであるが、炎の魔法を得意としたヴァーロックのそれは次元違いの威力を誇り、ミラークのシャウトともに、地続きだったタムリエルとソルスセイムを切り離すきっかけを作った。



ハウリングソウル

 健人が持つ最後の切り札であるシャウト。今回はあくまで自分の体の内側に限定して使用したため、アポクリファを砕いた時ほどの反動は無かった。
 とはいえ、共鳴対象を限定せず、三節を無造作に外界に向けて放っていたらどうなったかは分からない。
 最後の三節目“世界”の言葉は、あまりにも適用範囲が広すぎるため、シャウトに反応した対象によっては、影響は多大なものとなる可能性を秘めている。




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第九話 新たな家、新たな家族

今回は健人サイド。ウィンドスタッドでの一幕です。



 ウィンドスタッドは、モーサルの北、ハイヤルマーチホールドの中でも外れに位置する場所である。

 北の荒海に突き出す形で存在する半島。

 人があまり寄り付くような場所ではないが、湿地帯からはやや離れた位置にあり、人の往来が困難な点を除けば、ハイヤルマーチの中でも農業が可能な、数少ない土地である。

 そんなウィンドスタッドに、ケント達は訪れていた。

 目的は、ここに拠点となる家を建てることである。

 家の間取りなどは、既にヴァルディマーや製材所で働いているソンニール、フロガーに相談した上で決めていた。

 ソンニールとフロガーは家の建設まで手伝ってくれるらしく、船に木材を積んで、モーサルからウィンドスタッドまで往復を繰り返してくれている。

 建築に使われる木は、伐採後に十分乾かす必要がある。あらかじめ木の中の水分を十分抜かないと、歪んだり、ひび割れを起こしてしまうのだ。

 周辺の木を切って使うには時間がかかりすぎる。そのため、健人は手間がかかっても、適した木材を購入することを選択していた。

 また、重機などがないこの世界では、家の建築は全て人の手によって作られる。

 故に、家の設計が決まり、施工が始まった段階で、健人達はウィンドスタッドに滞在しながら建築作業を開始していた。

 

「ケント様、梁の固定に釘が要ります。残っていますでしょうか?」

 

「ああ、さっき作ったやつがそこの桶に入ってるから、持ってって」

 

 健人の主な仕事は、建築に必要な釘やヒンジ、錠前などの部品を作ること。

 モーサルには専業の鍛冶師がおらず、このような建築を行うときは、もっぱら各々の家が行うことが主だった。

 健人はソルスセイム島滞在時、スコールの鍛冶師から鍛冶の技術を学んでいる。

 その為、健人は鍛冶に集中し、他のメンバーも、それぞれが適した作業を割り当てられていた。

 

「従士様、正面扉のヒンジがガタついているようです。調整が必要かと……」

 

「あれ? 芯棒とプレートのかみ合わせが悪かったか? 持ってきてくれ、調整するから」

 

 ノルドであり、力のあるリディアとヴァルディマーは家の基礎の構築や、柱、梁の設置を担当していた。

 スカイリムの家も、日本や北欧で多く用いられている、木造軸組工法を採用している。

 基礎の上に木製の柱と梁を組んで家の躰躯を構築し、そこに外壁や扉を施工していく方法だ。

 

「んしょ、んしょ」

 

「よいしょ、よいしょっと……」

 

 カシトとソフィが担当しているのは、外壁に使うレンガや粘土の作成。

 さらには、湿地帯に生える繊維質豊富な草や木を使用し、土壁の下地となる小舞にも似た枠を作っている。

 スカイリムの家には、日本の古民家の建築に似た部分がある。

 泥や粘土、草を使った外壁などは、異世界でも共通のようだった。違うのは、木材や土の比率くらい。

 ちなみに、基礎をつくるための土台には天然のセメントを使用したコンクリートが使用されている。

 コンクリートの歴史は古く、地球でも9000年前には使われていた。

 その後、ローマによってコンクリートは一時期大変使用されてきたが、その後衰退。近代になって大量生産の仕組みが確立したことで、復活した歴史がある。

 ちなみに、古代ローマと現代のコンクリートではそれぞれ性質が異なる。

 これはコンクリートを作る際に使われる混和剤と呼ばれるものがカギとなっており、ローマ・コンクリートでは火山灰、現代のコンクリートでは用途に応じて高炉スラグや化学薬品などを使い分けている。

 ちなみに、経年劣化に対する耐久性では、ローマ・コンクリートは現代のコンクリートの遥か上を行く。古代ローマの建造物が現代でも残っている辺りが、その証左でもある。

 代わりに、ローマ・コンクリートは乾燥に長い時間と手間がかかるなどの欠点も抱えているのだが。

 とにかく、コンクリート自体はこのタムリエルにも存在していたため、健人は家の基礎にコンクリートを使う事に決めた。

 

「おうケント、経過は順調か?」

 

「ああ、ソンニールさんどうも。ええ、今のところ、問題は起きていませんよ」

 

 突然掛けられた声に、健人が振り返ると、湿地帯側からやってくる集団がいた。

 先頭にいるのは、モーサルの製材所で働いているソンニールとフロガー。彼らは健人の注文で、製材所から追加の木材をボートで運搬してきたのだ。

 

「フロガーさんも、ありがとうございます」

 

「相変わらず、律儀だな。それから、食料も十分に持ってきた。もしよければ……」

 

「ええ、ちょうどこれから昼飯を作るつもりだったんです。良ければ食べて行ってください」

 

「ありがたい。ごちそうになるよ」

 

 健人の返答に微笑んだフロガーは、直ぐにボートに積んだ木材の積み下ろしと運搬に戻っていった。その背中は活き活きとしたオーラが滲み出ている。

 モヴァルスの一件で落ち込んでいたフロガーだが、今では随分と持ち直している様子だった。

 特に製材所の仕事に精を出しているようで、モーサルでも指折りの働き者として、再び街の人達に受け入れられている。

 

「さて、それじゃあ昼飯を作るか。ソフィ、手伝ってくれるか?」

 

「うん!」

 

 ハツラツな笑みを返してくるソフィに、健人も頬を緩めながら、二人で食事の準備を始める。

 今回は人数が多い。その為、手早く作れて、大人数で食べられるものをチョイスする必要がある。

 健人は具材を切るのをソフィに頼み、自分は小麦粉の生地を伸ばして薄い円板を作る。

 円板ができると、その上にソフィが切った具をバラまき、削ったチーズをのせて、鍛冶の炉に併設されている窯に入れる。

 作るのはピザ。地球でも大人数のパーティー御用達のメニューだ。

 高温の炉の中でパチパチとチーズが音を立て、食欲を誘う香りが窯の周りに立ち込め始める。

 ついでに、以前作ったコンソメ擬き入りのスープも作っておく。こちらも体を温めるにはもってこいの品である。

 

「お兄ちゃん、そろそろいいかな?」

 

「ああ、皆に伝えて来てくれ」

 

 食事ができたら、ピザを適当に切り分け、大皿の上に乗せて並べておく。

 後はスープを盛る器と皿を人数分用意しておけば準備は完了だ。

 そうこうしている内に、作業を終えた皆が戻ってくる。

 そして各々、用意された器と皿を取ると、スープやピザを盛り付けて食事を始めた。

 

「おお、従士様の所の料理はやっぱり美味いな!」

 

「ああ、嫁にも教えてやりたいくらいだ」

 

 作業員やソンニール達が、満面の笑みを浮かべながら、次々に料理を口にしていく。

 追加のピザは今でも焼いているが、あまりの勢いで食べていくので、健人としては補給が消費に追いつくのか少し心配になっていた。

 一方、少し遠慮気味に食事をしているのがヴァルディマーである。

 

「従士様、大変ではありませんでしたか? やはり私達がやるべきでは……」

 

「適材適所だよヴァルディマー。量は確かに多いけど、ソフィが手伝ってくれるからね。彼女、元々料理が上手いし。それに、ここに来る前もずっと、料理当番は俺だった。今更気にしないよ」

 

「それは、そうかもしれませんが……」

 

 健人と主従関係となった今、主に食事の準備をさせるのに戸惑いがある様子だった。

 そんな彼とは対照的に、リディアはソンニール達に混ざって、容赦なく食う側に回っている。ピザ三枚を口に入れてなお、両手にスープと追加のピザを抱えている辺り、本当に遠慮がない。

 ちなみに、隣ではカシトが全く同じ事をやっている。

 

「リディア殿……」

 

「ははは、まあ、こっちとしては美味しそうに食べてくれるだけで十分だよ」

 

「ん、ん、ん~~!」

 

 健人がちらりと隣に視線を映せば、ソフィがハムハムとハムスターのようにピザを頬張っている。

 幸せ一杯の笑顔を浮かべる彼女の様子に、健人とヴァルディマーも自然と笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 そうこうしながら終わった食事タイム。腹ごなしにソフィと一緒に屋敷の建設地付近を歩いていると、少し離れた林の中から、ピイピイというか細い鳴き声が聞こえてきた。

 

「あれ? お兄ちゃん、この鳴き声……」

 

「なんだろう。鳥の鳴き声みたいだけど」

 

 痩せた雑草の生えた草むらをかき分けていくと、手で包み込めるほどの小さな真っ白の体躯の雛が、折れて重なった雑草の上に横たわっていた。

 

「お兄ちゃん、この子……」

 

「これって、鷹の雛か? それにしても白いな」

 

 よく見れば、真っ白な体毛の反面、瞳は真紅の色をしている。

 先天性色素欠乏症。俗にいうアルビノと呼ばれる遺伝子異常疾患だろう。

 おまけに、体付きも小さい。体毛はおろか羽も生えそろっておらず、明らかに生まれたばかりであることが窺える。

 

「助けなきゃ!」

 

「いや、ちょっと待った。親が近くにいるはずだ」

 

 駆け寄ろうとするソフィだが、健人が待ったをかける。

 近くの木の上を窺うと、重なった枝の奥に円形の巣が見える。さらに目を凝らせば、枝の影に擬態するようにこちらを窺う親鳥の姿もあった。

 

「居たな。少し高いけど、あのくらいなら大丈夫かな?」

 

 健人は落ちていた雛を手に取ると、木を上り始めた。

 巣に近づこうとする健人を警戒しているのか、親鳥は睨みつけるようにジッと健人を見つめている。

 健人はどうにかして親鳥の警戒を解けないかと考えるが、そもそもいきなり現れた人間を警戒するなという方が無理だ。

 よく見れば、巣の中には他の雛が三羽もいる。

 どうすれば、警戒心を和らげることができるだろうか。

 そんな事を考えている時に、健人の脳裏にヌエヴギルドラールの言葉が蘇る。

 それは“スゥームは本来自らの意思を具現し、種族の関わりなく相手に意思を伝えるためのものだ”という言葉だ。

 

(ちょっと、試してみるか)

 

「コス、ボルマーズ、ファード。ニ、ガイザー、ドロ、ダール゛、キン」(落ち着け。雛を戻すだけだ)」

 

 取りあえず健人は、声量を落したスゥームで親鳥の警戒を解けないか試みてみる。

 脅えさせないように、可能な限り込める力を落して。

 シャウトは戦いの中で使われてきた歴史があるが、友達だったニート竜の言葉を借りれば、元を辿れば言葉の違う他種族に自分の意思を伝えるための真言。それなら、親鳥の緊張を宥められるかもしれないと思ったのだ。

 

「クアー! クアア――――!」

 

「ピイピイピイピイ!!」

 

「うおわ!」

 

 しかし、健人の願いとは裏腹に、彼のスゥームに巣の中にいた雛鳥は悲鳴を上げ、親鳥は翼を広げて健人に飛びかかって来た。

 そもそも、スゥームはドラゴン達が使う魔法の言葉。魂の声で直接世界に干渉するものだ。

 その力は強大で、声の達人が放つスゥームは、他者の命を容易に奪える。

 そして、ミラークの力と知識を取り込んだ健人のスゥームが持つ力もまた、既にタムリエル史の中でも極めて上位に位置するといえた。

 鷹たちの視点から見れば、眼前に最上位クラスのドラゴンが迫ってきたのとまったく同じ状況なのだ。いくら害意は無いと伝えたとしても、怯えるなという方が無理である。

 

「カ、カ―――ン!」

 

 こりゃダメだと、健人はカイネの安らぎのスゥームを唱える。

 動物の闘争本能を抑えるシャウト。紡がれたキナレスの声に、親鳥たちは一様に警戒心を解いた。

 

「すまないな」

 

 シャウトの効果が残っている内に、健人は素早く雛鳥を巣に戻す。

 巣の中にはやはり、産まれたばかりの雛が三羽ほどいた。

 

「よし、これで大丈夫……」

 

「あっ!」

 

 地面に素早く降りた健人が安堵を漏らしていると、まだ巣を見上げていたソフィが突然驚きの声を漏らした。

 彼が振り返ると、なんと巣に戻した雛を、親鳥が咥えて巣の外に捨てていた。

 捨てられた雛を、健人は慌てて受け止める。

 

「どうして……」

 

 ピィピィと、健人の手の中で親鳥を求めて鳴く雛鳥を見つめながら、ソフィは茫然と呟いた。

 

「そうか、親鳥は育てられないと判断していたのか……」

 

 ソフィが茫然とする一方、健人は親鳥がこの雛を捨てた理由を察していた。

 アルビノは基本的に体が弱い。紫外線などから身を守るための色素を作ることができず、複数の疾患を併発する可能性が高い。

 親鳥は厳しい自然界の中で、アルビノの雛が生き延びる可能性と他の雛の可能性を天秤にかけ、後者を取ったのだ。

 おそらく、健人のスゥームに警戒を解かなかったのも、既にこの雛を見捨てていていたことが理由だ。親鳥は自分の子供ではなくなった雛が、巣に戻ることを許さない。

 故に、親鳥は健人が巣に戻した雛を、外に捨てた。他の雛や自らの栄養の為に、アルビノの雛を食べなかったのは、親鳥のせめてもの慈悲なのか、それとも同族食いを嫌悪したからなのかは分からない。

 ただ、この雛は捨てられた。そして、このままでは、生き残れる可能性はゼロであることが確定したのだ。

 

「お兄ちゃん……」

 

 悲しげな声を漏らすソフィ。健人も何とも言えない気分で、手の中で鳴き続ける雛を見つめていた。

 他の兄弟たちを生かすために捨てられた命。冷酷な野生の世界に、庇護無く置いてきぼりになった、孤独な雛。

 

「仕方ない、か」

 

 健人がソフィに視線を向けると、彼女も何かを心に決めたように頷いた。冷たい風に震える雛を守るように手の平で包み込み、そっと抱き寄せる。

 

「育てるのは、多分とても大変だろうな」

 

「私も協力するよ。いいよね、お兄ちゃん」

 

「ああ、よろしく頼むよ」

 

 人知を超えた事象により、親と二度と会う事ができなくなった健人。理不尽な戦争で親を亡くしたソフィ。声に出さずとも、二人の答えは決まっている。

 

「これからが大変だろうな~~」

 

 鳥の雛の育成は、非常に多くの労力と根気がいる。

 一度に多くの餌が取れない雛には、一日に何度も給餌する必要がある。十分にえさを与えられなくては、体温すら保てず、一気に衰弱死してしまうだろう。

 それに、餌の取り方や、危険な動物についても教えないといけない。それらは本来、親鳥から教わる事だからだ。

 只体を大きくすることが育てることではない。この雛鳥が生きていけるようにすること、命を全うするための指針を示すことが必要なのだ。

 

「差し当たっては、名前を考えなきゃな。さてさて、どんな名前がいいかな」

 

「私、可愛いのがいいな!」

 

「可愛いのって言うけど、この雛、雄なのかな、雌なのかな?」

 

 手の平に伝わる小さな熱に想いを馳せながら、二人は建設現場に戻る。その背中を、雛の親鳥たちが見守るように見つめていた。

 

 




ハースファイアであったペットイベント。私なりに加えてみました。
鷹にしたのは、鳥系のペットが鶏しかいなかった為。つまり、私の好みです。


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第十話 掴んだ尾、新たな約束

 ブラックリーチを通り抜けた更なる奥。セプティマスがムザークの塔と呼んだ場所に、リータ達は辿りついた。

 塔の奥へと進んだ彼女達が見たのは、あまりにも巨大な球状の装置だった。

 直径数十メートルほどのドーム状の部屋の中は巨大な球形の装置が鎮座しており、その装置を上ると、これまた見たこともない制御装置が設置されている。

部屋の大部分を占める球状装置には多数のレンズが取り付けてあり、また部屋の天井の彼方此方にも、緑色のレンズと金色のアームを持つ装置が無数に取り付けられている。

 制御装置には星座を模した盤面が設置されており、横には四角い何かをはめ込むための窪みがあった。

 その窪みに、セプティマスから渡された四角いキューブをはめ込む。

 すると、数千年間放置されていた装置が、音を立てて動き出した。

 装置の各所に出現するボタン。それらを出現した順番に押すたびに、球状装置や天井の装置が複雑に動いていく。

 その動きはまるで、星の動きを模しているようにも見える。

 やがて制御装置の最後のボタンを押すと、天井装置が開くように展開し、翠色のガラスのような材質で出来た、巨大な楕円球が現れた。

 そして、天井装置によってガラス球は二つに分けられ、中から荘厳な気配を放つ、黄金の巻物が姿を現す。

 

「あったわね」

 

「これが……エルダースクロール」

 

 エルダースクロール。星霜の書とも呼ばれる、この世界で最も神秘的な巻物。

 この書は神ですら理解が及ばない代物で、時の流れの中で唐突に数を増やしたり、合体したりする。

 その為、星霜の書は歴史上複数存在しているのだが、リータには一目で、これが求めている書であることが理解できた。

 

「これで目的は達したわ。世界のノドに戻りましょう」

 

 星霜の書を手に取ったリータは、背負い袋に書を入れると、大切そうに背負う。

 一方、ドルマは制御装置にはめ込まれていた四角いキューブを指さす。

 

「こいつはどうする?」

 

「ついでに持って帰りましょう。あのセプティマスが欲しがったもの。書の知識を溜め込む辞典と言っていたものよ。ここに置いておくのも問題になるかもしれないわ」

 

 そう言いながら、デルフィンはドルマから辞典を受け取り、星霜の書が入ったリータの背負い袋に一緒にいれる。

 目的のものは手に入れた。後は、世界のノドにある時の傷跡に、星霜の書を持っていくだけだ。

 

「これでやっと手にいれられる。アルドゥインを倒すための力が……」

 

 いよいよ現実味を帯びてきた、ドラゴンレンドの習得。その力を前に、リータの胸の奥から殺意と共に黒い期待が込み上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハイヤルマーチホールドの北部に建つ、一軒の屋敷。

 ウィンドスタッド邸。新たにモーサルの従士となった坂上健人の拠点である。

 一般的な家屋の三倍以上の広大で真新しい邸宅は、東から差す朝日の光を浴びながら、その威容を誇るように佇んでいる。

屋敷の周囲には野生動物や山賊の侵入を防ぐための石垣が築かれ、母屋とは異なる離れが二棟。さらに監視のための物見櫓も設営されている。

 石垣の北側と南側には門が設けられ、さらに海岸線には桟橋も設けられている。

 残念ながら船の類はまだないが、釣りなどをするには十分な場所となっていた。

 そんなウィンドスタッド邸の石垣に囲まれた庭で、二人の戦士が剣と盾を構えて向き合っていた。

 一人は、この屋敷の主、坂上健人。もう一人は、彼の盾術の師であるリディアだった。

 

「しっ!」

 

「ぐっ!」

 

 盾を掲げて突進してきた健人を受け止めたリディアの口から、苦悶の声が漏れる。

 彼女は腰よりも低い位置から受けた健人の体当たりに、自分の重心を掴まれそうになっていた。

 シールド・チャージ。

 盾を掲げ、勢いよく突進することで、相手を弾き飛ばす盾術の一つ。

 己の重心を健人に掴まれそうになったリディアは、シールドバッシュの要領で腕に力を籠め、すくい上げるように、健人の体を跳ね返そうとする。

 拮抗する膂力。ぶつかり合った力が反発して双方の盾を弾き、僅かな距離を作る。

 

「はあ!」

 

 リディアが気合を込めて、剣を振り下ろす。

 迫る刃を前に、健人は右手でデイドラのブレイズソードを体に引きつけ、斜めに掲げた。同時に両足を柔らかく使い、重心をリディアの剣筋からズラす。

 ブレイズソードの優美な曲線を活かした受け流し。シャリン! と涼やかな金属音が響き、リディアの剛剣は綺麗に流される。

 同時に健人は、右足をリディアの右足側に踏み込ませる。入れ替わるように二人の体が交差し、彼の体はリディアの死角に滑り込んでいく。

 

「くっ!」

 

 リディアは咄嗟に体を回転させながら、体を丸めるように剣と盾を引き戻す。

 さらに彼女は、見失わないように視界の端に健人の動きを捉えつつ、剣を引き戻した勢いを活かしながら振り返る。体を盾と剣で自分の体を隠すようにしながら、健人の攻撃に備えていた。

 上体が流れそうになりながらもしっかりと最適な防御行動につなげる辺りが、彼女の技量の高さを物語っている。

 しかし、健人はさらにその上を行った。

 

「え?」

 

 リディアの視界の端に映っていた健人の姿が突如として消失する。次の瞬間、両足に衝撃が走った。

 彼女の両足が跳ね上げり、上体が後ろに倒れながら宙に浮く。リディアの面前で両足の力を抜いて体を落した健人が、振り向きざまに盾の縁でリディアの両足を刈り取ったのだ。

 さらに健人の攻勢は続く。

 

「せい!」

 

「ぐぅう!」

 

 正拳突きの要領で突き出された健人の盾が、リディアの左手を捉えた。強烈な衝撃を受け、リディアは思わず盾を取り落としてしまう。

 ディスアーム・バッシュ。

 さらに健人は盾を引き戻しながらリディアの右腕を掴み上げ、彼女の防御手段を完全に奪い去ると、最後に残雪が残る雪の上に倒れた彼女にブレイズソードの切っ先を突き付ける。

 

「終わり、です」

 

「はい、その様ですね」

 

 健人は突き付けた刃を退け、倒れたリディアを起こす。

 彼女は抜いていた武器を納めつつ、弟分であり弟子であった青年の成長に、満足げにほほ笑んでいた。

 

「お強くなれられましたね、ケント様。まさか、僅か三手で負けるとは思いませんでした」

 

 盾とブレイズソードによる的確な受けと、相手の視界を左右に振る体捌き、一動作で相手の二つの得物を無効化する無駄のない攻勢。

 あらゆる意味で高次の、攻防を兼ね備えた健人の動き。リディアは胸に湧きあがる万感の想いに体を震わせていた。

 

「色々ありましたから。でも、俺一人じゃ、まだまだですよ。正直、問題も色々抱えていますから」

 

 謙遜とも取れるような苦笑を浮かべる健人だが、その顔にはどこか、隠しきれない不安の色があった。

 

「従士様……義姉上様の事が気になりますか?」

 

「気にならないと言えば嘘になります。かなり時間が経ちましたけど、まだ情報が入ってきませんし……」

 

 ウィンドスタッド邸を建設してから一か月。その間、健人はリータに関する情報を待ち続けたが、未だにリータの足取りはつかめていない。

 その為、健人はここしばらく、何とも言えない消化不良の日々を過ごすことになっていた。

 

「リディアさん、先に屋敷に戻っていてください。俺はもう少し、鍛練をしてから戻ります」

 

「……分かりました。どうか、ご無理をなさらぬよう」

 

 一礼して屋敷に戻っていくリディアを見送ると、健人は一度深呼吸をして、気持ちを切り替える。

 

「ふう……」

 

 春の風を全身に感じながら瞑目し、健人は己の内側に意識を向ける。

 ざわざわと耳に響く風の嘶き、打ち寄せる波の音。それらが、徐々に小さくなっていく。代わりに、キィーン……という耳鳴りのような音が、耳の奥から響いてくる。

 健人がやっている事は、瞑想。己の魂と向き合い、呼吸を整え、心を落ち着けながら、彼は思索の海に沈んでいく。

 考えるのは、アルドゥインとドラゴンについて。

ヌエヴギルドラールの言葉を思い返しながら、健人は深く、より深く、ドラゴンについて思案していく。

 

(アルドゥインの復活を始めとした、一連の災禍。古代の竜戦争。そしてその竜戦争の原因はドラゴンの苛烈な支配。まずここがおかしい) 

 

 支配とは、闘争のコントロールといえる。そして支配体制とは、対立する二者の間を取り持ち、必要以上の被害が出ないようにするための機能。

 この対立する二者とは、定命の者同士。つまり本来、支配体制が正常なら、ドラゴンというコントロール機能そのものが攻撃の対象となることは無かったはずなのだ。

 しかし、現実はコントロール機能であるドラゴンの暴走により、竜戦争という支配基盤の崩壊が起こった。

 

(そもそもドラゴンがそのように支配欲に振り回される理由がよく分からない。自身の支配欲が強くとも、それをコントロールできるなら問題は起こらなかったはずだ)

 

 ドラゴンが持つ根本的な欠陥。強烈な支配欲をもち、それを制御できないこと。それらがそもそもの原因。

 ならば、何故ドラゴンなその様な欲を持つに至ったのだろうか?

 支配の為というのなら、むしろ強すぎる欲というのは邪魔になる。コントロールできないならなおさらだ。

 人や動物の間で戦いが無くならないのも、全ては欲があるためだ。少しでもいい未来を入れたい。そして、それを次代に繋ぎたい。残したい。

 それこそが、欲の本質であり、人の本能……否、命ある存在が持つ業といえる。その欲を制御しきれない者が戦いを起こすのだ。

 

(ミラーク達なら、知っているのだろうか?)

 

 健人は一度思索を止め、己の内側にいる別の存在の気配を探る。

 ポゥ……と胸に灯る複数の熱源。取り込んだドラゴンソウル達に、なぜドラゴンはこれほど強い欲を持ち、そして制御できなくなったのかを尋ねてみる。

 しかし、ドラゴンソウル達の反応は芳しくない。

 沈黙の耳鳴りは、いつの間にかざわめきのような音に代わっていた。言葉はなくとも、ドラゴンたちの動揺が手に取るようにわかる。

 そして次の瞬間には、ドラゴンソウル達は呆けたように何の反応も示さなくなった。あのミラークの魂ですら、他のドラゴンと同じように沈黙してしまっている。

 まるで、同じ質問をした時のヴィントゥルースのように。

 

「参ったな。これじゃあ、結局、何もわからないままだ……」

 

 沈黙してしまったドラゴンソウルを前に、健人は頭を抱える。

 ドラゴンが何故、自ら足を踏み外していったのか。その秘密を知らない限り、ドラゴンと人、双方の間に折り合いをつけることは出来ない。

 だが、同時に抱いていた違和感がより強くなっていく。どのドラゴンも、力こそすべてと宣っているが、なぜ自分達がそのような思想に至ったのかを覚えていない。

 健人の胸に、言いようのないもどかしさが湧き上がる。

 その時、健人の脳裏に、ある出来事が思い起こされた。

 

「そうだ、もしかしたら……」

 

 彼が思い出したのは、ソルスセイムで乗り越えた戦いの一つ。ミラークとも因縁深かったドラゴンプリーストとの戦いだ。

 

「モタード……」

 

 健人はおもむろに、ハウリングソウルのシャウトを一節だけ唱える。

 直後、“共鳴”のスゥームが、健人とドラゴンソウルたちの同調を一気に高めた。

 彼は自らの内にあるドラゴンソウルとのシンクロを深めることで、今ドラゴンソウル達が何を思い出しているのか。その片鱗だけでも知ろうとしたのだ。

 黒い瞼の裏が、虹色に染まる。恐らく体からも、虹色のドラゴンソウルの光が溢れ出していることだろう。

 共鳴のスゥームが健人とドラゴン達の魂を震わせ、その境界を曖昧にしていく。

 そして虹色の視界は、まるで動画のコマ送りのように、次々と奇妙な光景を健人に見せていく。

 幻の中から、泡のように出ては消えていく言葉。

 輝く日と、傘のように広がる魔力の奔流。

 まるで不定形生物のように歪んだ魂。

 そして、主の背中を守る防人。

 全てのドラゴンソウルが、まったく違う光景を見ていた。しかも、あまりにも抽象的で、要領を得ない。共通項が全くないのだ。

 これでは何も分からない。健人は思わず、ミラークの枷を外してさらにハウリングソウルを重ね掛けしようとする。

 だがその時、すべての映像の中から何かが浮かび上がってきた。

 幻の中から、輝く日の光の中から、歪んだ魂の中から、そして、防人と主の後ろから。

 それは、細長い円柱の形をしていた。

 金色に輝く外装と、繊細な彫刻。そしてなにより、この世のものとは思えない荘厳で神秘的な輝きを放っている。

 

「あれは、巻物?」

 

 その巻物を見た瞬間、健人の全身に電撃が走ったような気がした。

 そして、脳裏に言葉が浮かぶ。

 

“エルダースクロール”

 

 星霜の書と呼ばれ、ヌエヴギルドラールが“創造のかけら”と呼んだ、この世界の神秘における頂点に座す聖遺物だった。

 次の瞬間、弾けるような光と共に、同調が解ける。

 遠くなっていくドラゴンソウル。目を開ければ、虹色の燐光の残滓が、白い息と共に空中に溶けていた。

 

「エルダースクロール……。星霜の書。それに何か秘密があるのか?」

 

 溢れるように口すさんだその言葉は、春の風と波の音に消えていく。

 その時、健人の後ろから声が掛けられた。

 

「従士様、お手紙が届いておりました」

 

「手紙?」

 

「差出人はありません。その点を考えますと、おそらく送り主は……」

 

「ウルフリックか……」

 

 健人はヴァルディマーから手紙を受け取り、中身を確認する。

手紙にはこう書かれていた。

「ウィンターホールドにて、竜の片割れあり。南へと向かう」

 それは、ムザークの塔を脱出したリータの足取りだった。ついに健人は、彼女達の手がかりを掴んだのだ。

 健人は「ようやくか……」と呟きながら大きく息を吐くと、手紙を懐に入れて屋敷の中へと戻る。

 食堂を兼ねたホールでは、ソフィ、リディア、カシトが食事の用意をしていた。

 

「お帰りなさい、お兄ちゃん。すぐに朝ごはんできるから、待っててね!」

 

「帰りなさいませ、ケント様」

 

「お帰り。もう少し遅かったら、健人の分も食べちゃってたよ?」

 

「ピュイピュイ!」

 

 食卓には既に料理が並べられている。

 端には空の鍋の中に草を敷き詰めた巣が置かれ、健人とソフィが拾った鷹の雛が、戻って来た健人を見て鳴いていた。

 ちなみに、この鷹の雛に付けられた名前はヴィーヘン。命名したのはソフィで、白い鷹という意味である。

 健人がヴィーヘンに手を差し伸べると、真っ白な鷹の雛はじゃれつくように甘えてくる。

 拾ってから一か月。多少体は大きくなったが、それでもまだまだ小さい。成長速度は、かなり遅いように思える。

 とはいえ、甘え盛り、食べ盛りの時期である事には変わらない。

 

「ふふ、やっぱりヴィーヘンもまだパパに甘えたいみたいだね」

 

 シチューの入った鍋を運んできたソフィが、鍋をテーブルに置いてヴィーヘンを抱き上げる。

 ソフィに抱き上げられると、ヴィーヘンは「グッ、グッ、グッ……」と、喉の奥から響くような短い声で鳴き始めた。

 地鳴きと呼ばれる、鳥にとっては一般的な鳴き方の一つであり、このような鳴き方は安心している時によくする鳴き方だ。

 ヴィーヘンにとって、ソフィは親であり、そして最も身近な家族なのだ。

 

「パパねぇ……。一時期は怖がられていたんだけどな~~」

 

 ちなみに、怖がられていた理由はただ一つ。ヴィントゥルースの襲撃である。

 頻度は減ったが、それでもあのドラゴンは健人を倒すのを諦めていない。このウィンドスタッド邸を建設している間も、しばしば挑戦状を叩きつけてきた。

 もちろん、他に被害が出ないように、建設現場から離れたところで戦ったが、それでも爆音を響かせるドラゴンが二匹も大暴れしていれば、ヴィーヘンが怯えるのも無理はない。

 それでも、最終的にはこうして慣れてくれたから御の字といえる。

 

「食事の前に、少し話をさせてくれ。リータの足取りを掴んだ」

 

「本当ですか!?」

 

 話を聞いたリディアが、驚きの声を上げる。

 彼女にとっても、リータは主だ。居場所がわからない状況にヤキモキしていたのは、健人と同じである。

 

「ああ、ウィンターホールドから南に向かったらしい」

 

 健人はウルフリックから送られてきた手紙を、リディアに手渡す。

 彼女は素早くその手紙に目を通して、顔をしかめた。

 

「確かに、従士様はウィンターホールドから南に向かわれたようですね。しかし、どこを目指しているのか……」

 

「そこまでの情報はウルフリックからの手紙にはなかった。いったいどこに……」

 

 問題は、肝心の目的地が記されていないこと。

 いっそリフテンやウィンドヘルムに戻り、情報を洗うのもありだが、それではまた後手に回ることになる。

 できるなら目的地を絞り込み、先回りしたいというのが健人とリディアの思いだった。

 そんな時、しわがれた声が、ホールに響く。

 

「世界のノドさ」

 

「イドグロット首長……」

 

 健人達が玄関へと続く扉に目を向けると、怪しい笑みを浮かべた老女が佇んでいた。

 このハイヤルマーチホールドの首長、イドグロッド・レイブンクローンである。

 

「悪いね、勝手に上がらせてもらっているよ。うん、うまい! お嬢ちゃんが作ったのかい?」

 

「は、はい。お兄ちゃんのレシピ通りに作っただけですけど……」

 

 手近にあったシチューの皿から一口つまみ食いをしながら、飄々とした笑みを浮かべる首長。相も変わらずマイペースで、掴みどころがない。

 

「それでも大したもんだ。将来はいいお嫁さんになるだろうね」

 

「お、お嫁さん……」

 

 好々婆といった様子で、顔を赤くしてモジモジし始めたソフィの頭を優しくなでるイドグロッド。はたから見ても完全に祖母と孫である。

 

「首長、どうしてここに?」

 

「あんたの姉についての情報さ。もう一人のドラゴンボーンの方だが、今ついている従者が、新しい武具を注文したらしい」

 

「武具?」

 

「ああ、相当特別なものみたいだ。なにせ、あのエオルンド・グレイメーンに制作を依頼したらしいからね」

 

「あのエオルンド・グレイメーンがですが!?」

 

 エオルンドの名前を聞いたリディアが驚きの声を上げる。

 部屋の隅に寄っていたヴァルディマーも、驚きの表情を浮かべていた。

 エオルンド・グレイメーンは、その卓越した鍛冶の腕から、スカイリム中に名が知られている鍛冶師である。

 同胞団の本拠地、ジョルバスクルの上に存在するスカイフォージと呼ばれる炉。はるかな太古、それこそ、イスグラモルが活躍していたメレシック時代には既に存在していたらしく、その炉で鍛えた武具は、並の炉で鍛えたものとは比較にならないほど強力になるらしい。

 

「スカイリム一の鍛冶師も、故郷の脅威に立ち向かうドラゴンボーンのためなら、喜んで武器を打つだろうね。で、その武具の送り先が、イヴァルステッドだったのさ」

 

 そんな事を口にしながら、イドグロット首長は勝手に席に座って食事を始めた。改めて顔を綻ばせながら、次々に食事を腹に納めていく。

 

「世界のノド……そうか、パーサーナックスに会いに行ったのか」

 

 パーサーナックス。かつてアルドゥインの副官でありながら、竜戦争で人間側についたドラゴン。

 そして、人間にシャウトをもたらしたドラゴンでもある。

 

「ケント様、パーサーナックスとは……」

 

「世界のノドの頂上で瞑想しているドラゴンですよ。ヌエヴギルドラールの話では、竜戦争でキナレスに説得され、ドラゴンを裏切って人間に味方したそうです。あのドラゴンなら、アルドゥインを落すシャウト“ドラゴンレンド”も知っている……」

 

 元々健人は拠点を手に入れたら、一度は世界のノドに登るつもりだった。

 リータと再会することを除いたとしても、アルドゥインと戦うためには、竜戦争を知るパーサーナックスと話すことは必要だと思っていたからだ。

 そして今、こうしてリータの足取りもつかめた。となれば、彼の次の行動はきまぅている。

 

「よし、世界のノドに向かおう。そこにリータも来るはずだ」

 

「おやおや、もう行くのかい? もう少しゆっくりしても……」

 

 食事もせずに旅の準備を始めそうな健人の様子に、イドグロッドが少し不満げな声を漏らす。

 彼女としては、もう少し健人にモーサルに残って欲しかったのかもしれない。

 

「すみません、イドグロット首長。急いだほうがよさそうですので」

 

 とはいえ、健人としては一刻も早く出発したかった。

 リータ達が既にウィンターホールドを出発していたとして、手紙が送られてくるまでの時間を考慮すれば、彼女たちが世界のノドに到着するまで、時間はそう残されていないだろう。

 

「ヴァルディマーは悪いけど、屋敷に残ってくれ。誰もいない状態というのもよくない」

 

「承りました。主様が留守の間、屋敷の守りを務めさせていただきます」

 

「それからイドグロッド首長。不躾なお願いなのですが、私が不在の間、ソフィをお願いできますか?」

 

「……え?」

 

 それは、健人の気遣いでもあった。

 健人たちが再び旅に出れば、このウィンドスタッド邸にいるのはソフィだけ。

 ヴァルディマーが残ってくれているとはいえ、二人の接点はまだそれほどない。この辺境で寂しい思いをするよりは、モーサルにいたほうが幾分か気分はまぎれるだろうと思ってのことだった。

 

「待って、お兄ちゃん。私を……置いていくの?」

 

 しかし、信じられないというようなソフィの表情に、健人は「やはりダメか……」と、心の内で落胆した。

 ソフィを置いていくことで健人が一つだけ気がかりだったのが、彼女が健人から離れることに耐えられるかどうか。

 モーサルに来るまでもソフィは健人のそばを離れようとしなかった。それほどまでに、この孤独に心と体を苛まれた少女は、健人に依存していたと言える。

 

「あ、ああ。元々危険な旅だから、ソフィはモーサルで待っていて……」

 

「……やだ。やだやだやだ! 私も一緒に行く!」

 

「ソフィ、だけどとても危険なんだ。全部終わったらちゃんと戻ってくるから……」

 

「お父さんもそう言って帰ってこなかった!」

 

 帰ってこなかった。甲高い、悲鳴にも似た叫びに、健人は二の句が告げられなくなる。

 ソフィの父親はストームクロークの兵士で、家に彼女を一人残して、戦場で散った。

 

「一人で待って、ずっとずっと不安で……それでも信じて待ったけど、帰ってこなかった!」

 

「ソフィ……」

 

 彼女は耐えた。耐えて耐えて耐えて、待って待って、待ち続けて。こみ上げる不安と恐怖を必死に押し殺して、パパは大丈夫だと自分に言い聞かせて……。

 しかし現実は、そんな彼女の幼く、健気な思いを汲んではくれなかった。 

 彼女に届けられたのは、父親の戦死の知らせ。そして孤独な、ストリートチルドレンとしての日々の始まり。

 身も心も文字通り凍り付く寒さ。全身を打ち付けてくる風と雪。すべてを失った絶望。その時のトラウマは、簡単に乗り越えられるものではない。

 

「私、頑張るから、邪魔にはならないから、お願い、置いて行かないで……。一人は、やだ……」

 

「……ごめん」

 

「っ!」

 

 ソフィの瞳から、ぶわっと涙があふれだした。

 ヴィーヘンを抱いたまま、彼女は屋敷の外へと飛び出していく。

 

「ケント様、ここは私に任せてください」

 

 健人が追いかけようする前に、リディアが先んじて、ソフィを追って外へと駆け出して行った。出鼻をくじかれた健人は、力なく、近くにあった椅子に腰を下ろす。

 下を向いて唇をかみしめる健人に、イドグロッドが声をかけた。

 

「大変だね」

 

「すみません、イドグロット首長」

 

「いいよ。あの子の境遇を考えれば、難しい問題だからね」

 

 先ほどの心が重くなるような喧嘩を見せられても、イドグロッドの落ち着いた声色は変わらない。その頼もしさが、今の健人にはありがたかった。

 

「……正直な話、俺にはソフィを無理矢理置いていく資格は無いです。俺も、リータの旅に無理矢理ついて行った人間ですから」

 

 ソフィと同じように、健人もまた、止めようとした姉の言葉に逆らって、アルドゥイン討伐の旅に同行した人間だ。

 だからこそ、彼は内心では、自分にソフィを止める資格はないと思っている。

 

「……どうするんだい?」

 

「ソフィが本気でついてきたいというのなら、止めません。ただ、鍛練はつけます」

 

 だが、ついてくるなら、最低限の力は身につけなくてはならない。

 ウィンドヘルムからモーサルまでは傍で健人が守れていたが、これから先はどうなるかわからない。

 

「剣、盾、魔法、弓、あらゆる事を覚えてもらいます。そして弱音を吐くなら、その時点で無理矢理家に帰します。ソフィは初めて旅をした時の俺よりも弱い。弱音を吐く時間すらありません」

 

 重く、威厳のある声で、健人はそう述べた。同じ部屋にいたヴァルディマーとカシトが、思わず息をのむほどの威圧感。

 健人も自分で言っていて、無理だと思う条件だ。

 確かに、言っていることは厳しく、ほぼ不可能だと思えるもの。ソフィのような幼い子供が到底こなせるはずもない。初めから同道を諦めさせるための方便だと思えるような条件だ。

 それでも、健人はこの場では心を鬼にしなくてはいけない。

 ここは命の保証が最低限された現代日本ではない。常に死が隣り合わせにある、非情で厳しい世界なのだ。

 そして、健人の旅もなあなあでついて来ていいなどと、判断できるものではない。

 

「で、最終的なアンタの答えは?」

 

 そんな健人の様子を、イドグロッドは静かに、そして優しく見つめていた。

 老獪な首長は、厳しい声の裏側に隠れた、彼の想いもちゃんと理解している。

 

「……最後は、ソフィの意思を重んじてあげたいです」

 

「そうかい、良い兄だね」

 

「なら、いいのですが……」

 

 それを最後に、イドグロッドは食事に戻る。

 健人も一度大きく息を吐くと、顔を上げて、外へと向かう。

 自分の話を聞いて、ソフィがどうするかは分からないが、それでもきちんと話をしたいと思ったのだ。

 

「二人はいいのかい? 放っておいて」

 

「私よりも、健人様のほうが妹様のことはご存じです。わが主は妹様をとても大事に想っていらっしゃいますし、それを伝えようともしておられます。何も問題ありません」

 

「あの姉と違って、健人はきちんと自分の気持ちを話そうとしているし、ソフィの気持ちも聞こうとしているからね。多分大丈夫だよ」

 

 ヴァルディマーもカシトも、特に心配はしていなかった。

 今はすれ違ってしまっているが、相手を想い、言葉で意思を伝えようとしている限り、落ち着くべきところに落ち着くと思っているのだ。

 二人の答えを聞いたイドグロッドは、満足そうに頷くと、朝食に戻る。健人が立ち去った後のホールには、しばしの間、パチパチと薪が爆ぜる音だけが響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィンドスタッド邸を飛び出したソフィは、そのまま屋敷北にある桟橋まで来ていた。

 ザザーン、と波が浜に打ち付ける音が、北の強風とともに響いている。

 ソフィはストンと桟橋に座り込むと、そのまま膝を抱きかかえてしまう。

 

「ピュイ?」

 

 腕の中のヴィーヘンが、心配そうな声で鳴く。

 鷹の雛を抱えていたソフィの腕に、ぎゅっと力が入る。

 春とはいえ、この日は波が高かった。荒れる海の様子は、まるで今の彼女の心を示すように、激しい白波を立てていた。

 

「ここにいましたか」

 

「リディアお姉ちゃん……」

 

 安堵と落胆が、ソフィの胸に湧き上がる。本当は、兄に追いかけてきて欲しかった。

 そんなソフィの内心を知ってか知らずか、リディアはソフィの隣に腰を下ろす。

 しばしの間、流れる沈黙。先に口を開いたのは、リディアの方だった。

 

「ケント様でなくてすみませんね。」

 

「べ、別に気にしてないもん……」

 

 どうやらリディアは、しっかりとソフィの心の内を察していたらしい。恥ずかしそうに顔をそむける少女の姿に、含み笑いを漏らしている。

 荒れていたソフィの心の波が、ゆっくりと凪いでいく。

 

「それで、ソフィはどうするのですか?」

 

 改めて来た質問に、ソフィは沈黙した。

 離れたくないと言ったが、同時に兄がそのように提案した理由も、彼女はしっかりと理解している。なにせ同じ理由から、彼女はかつてのウィンドヘルムの家で、一人父親の帰りを待っていたのだから。

 

「ケント様はああ言っていましたが、貴方が本気でついてくる気なら、止めはしないでしょう。ケント様も貴方と同じ孤独を抱え、そして弱かった時に無理矢理従士様の旅について行った方ですから」

 

「……え?」

 

 健人が弱かったというリディアの言葉も信じられなかったソフィだが、同時に健人が自分と同じだという言葉にも、彼女は衝撃を受けていた。

 

「ウィンドヘルムからのケント様しか知らない貴方なら、驚くのも無理はないでしょう。ケント様は記憶を失った状態で私の主様に保護されました。肉親や知り合いの記憶も一切失い、天涯孤独の身となっていたのです。そして私が出会ったばかりのケント様は、戦士と呼ぶにはあまりにも力量が無さすぎました」

 

 一瞬信じられなかったソフィだが、はっきりと断定するリディアの口調に、彼女の言葉が真実であると、少しずつ受け入れ始める。

 もっとも、記憶喪失の話は健人が真実を話していないために残っているのだが、孤独を抱えている人間ということは変わらない。

 彼はもう、故郷には戻れなくなっているのだから。

 

「しかし、ケント様は強くなるために、貪欲に学びました。戦う術だけでなく、魔法や錬金術、自分に出来るあらゆる事を試し、そして伸ばそうと努力なさいました」

 

 そう言って、リディアは一緒にいたころの健人の様子を、ソフィに話していく。

 朝早くからリディアと鍛錬し、少しでも姉の役に立とうと魔法を覚え、夜は本を開いて研鑽を欠かさなかった。

 

「ですが、その結果は報われませんでした。私の主様はケント様を想うが故に、それだけ努力したケント様を否定し、家に帰るよう言い含めて拒絶しました」

 

 しかし、それほど努力を重ねても、最後は姉とすれ違い、拒絶された。

 それは健人の気質がドラゴン殲滅というリータの旅の目的に合っていなかったこともあるが、何より彼女の主が、なんとしても健人を安全な場所にいさせたいと思ったからでもある。

 

「しかし、主様の行動は裏目に出ました。ケント様は失意の内に姿を消し、一人でソルスセイム島へと渡りました。そこでデイドラロードが関わる災厄に巻き込まれ、死すら生ぬるい試練に向き合わなくてはならなくなりました」

 

 健人が聞いたら、よく自分生きているなと、改めて遠い目をしそうな内容。

 ソフィも目を見開いて驚いており、ショックを受けている様子だった。それはリディアの話を信じたがゆえに受けている衝撃なのだが、信じてもらえても、もらえなくても、刺激の強すぎる話だとリディアは改めて思う。

 実際、この話を初めて聞いた時は、彼女も酷い醜態をさらしてしまっている。

 

「正直、ソルスセイム島でケント様と相対した敵は、ウィンドヘルムを襲ったドラゴンなどまるで相手にならない存在です。その試練を乗り越えたからこそ、今の健人様があります」

 

 ソフィは健人を英雄視しているところがある。

 それは別に悪いことではないが、これから家族として一緒にいたいというのなら、その特別視は、むしろ邪魔になる可能性が高い。だからリディアは、健人の昔話をこの少女に聞かせた。

 彼を英雄としてではなく、一人の人間として彼を見て、想ってほしい。それが、リディアの願いだった。

 

「独りは嫌だという貴方の気持ちも、ケント様は十分理解してくれます。あのように言いはしましたが、それでも最後は、貴方の意思を尊重してくれるはずです。彼は本気で述べた想いを否定するような方ではありません。なにせ、貴方の兄なのですから」

 

「……うん」

 

「いい子です。では、後は自分で伝えなさい」

 

 そう言ってリディアはスッと立ち上がる。気が付けば、桟橋の袂には健人が立っていた。

 リディアは去り際に健人に一礼すると、そのまま屋敷へと戻っていく。

 

「ソフィ……」

 

「お兄ちゃん、私……」

 

 一度、大きく深呼吸して、心を整える。

 顔を上げた彼女の表情には、先ほどまで浮かんでいた暗い影はもうなくなっていた。

 

「私は、ここに残る。お兄ちゃんが返ってくるのを、待ってるから……」

 

 静かに告げた、ここに残るという意思。その短い言葉に込められた想いに、健人は改めて胸が熱くなり、目の前の小さな妹を抱きしめた。

 

「……ごめんな、一緒に連れていってあげられなくて」

 

 すまないという健人の言葉をソフィは静かに首を振って否定する。

 兄の隣に立つには、まだまだ自分では役者不足だと、彼女が一番わかっていた。

 

「その代わり、お願いがあるの」

 

「お願い?」

 

「全部終わってお兄ちゃんが帰ってきたら、今度は私と一緒に旅をしてほしいの。お兄ちゃんが返ってくるまでに、私も頑張るから」

 

 今は一緒には行けない。でもいつか、隣に立って旅をしてみたい。

 いや、旅でなくてもいい。一緒に食事をして、一緒に寝るだけでもいい。少しでも長く、一緒の時を過ごしたい。

 そのために、今は我慢しよう。いつか、自分の想い人の隣に立てるようになるために。

 

「分かった」

 

「約束だよ?」

 

「ああ、約束だ」

 

 交わされた約束に、少女は満面の笑みを浮かべる。

 少しのすれ違いを乗り越え、少年と少女はまた少し、成長していた。

 

「じゃあ、朝ごはん食べよ! お腹すいちゃった!」

 

「ピュイピュイ!」

 

「大丈夫、ヴィーヘンのことも忘れてないよ」

 

 子供の鷹を胸に抱き、兄の手を引きながら、少女はウィンドスタッド邸へと戻っていく。

 

(いつか、お兄ちゃんのお嫁さんになるんだ……)

 

 その胸に、秘めた想いを抱きながら。

 

 

 

 

 

 

「あ、ごめん。ケント達の分も食べちゃった」

 

「いや~、話が長そうだったからね。冷めると悪いから片付けておいたよ。腹の中に」

 

「首長……」

 

 ちなみに、朝食はイドグロッドとカシトにすべて食べられていた。

 この後、激怒したソフィが猫と老婆を追いかけまわし、屋敷中がめちゃくちゃになったのは余談である。

 

 

 

 

 

 

・さらなる余談

 

「イドグロッド首長、マーラのアミュレットって、買えるの?」

 

「おや、お嬢ちゃんはもう結婚相手を決めたのかい?」

 

「はい。私、お兄ちゃんと結婚します! ですので、花嫁修業とかしたいんですけど……」

 

「料理はお嬢ちゃん得意みたいだし、後は裁縫とか刺繍とか……」

 

「お兄ちゃん、剣も喧嘩もすごく強いので、破壊魔法とか変性魔法とか覚えたら役に立つかなと思うんですよ! 後は幻惑魔法とか錬金術とか召喚魔法とか……。死霊術はさすがにちょっとどうかと思いますけど……」

 

「……お嬢ちゃんは花嫁修業を何だと思っているんだい?」

 

 ついでに、ソフィの「お兄ちゃん攻略作戦」が首長を巻き込んで、健人本人の知らない所で秘かに始まっていたりもした。

 そのあまりにガチっぶりに、最初は意気揚々と参加していた首長も途中で微妙な顔をするようになったのだが、それもはなはだ余談である。

 

 

 

 

 




・ウィンドスタッド邸
 健人の拠点となった邸宅。基本的に人が訪れることを想定していないので、内装は研究のための図書館室や錬金術実験室、付呪師の塔などで構成されている。
 暖炉を挟んでホールと反対側の作業場は台所となっており、作業場自体は地下に移設されている。
 また、別棟に温室も設置されており、錬金術に使う素材だけでなく、温室でしか育てられない野菜も育てている。

 しかし、最も大切なのは地下の隠し倉庫。
 健人だけが入れるように細工を施しており、壊れた黒の書などの危険なアーティファクトを保管する……予定だったのだが、工期が足りず、まだ未完成。


・ソフィ・サカガミ
 憧れだったお兄ちゃんのお嫁さんになることを決め、ついに動き出したダークホース。
 隣に立つと決めた相手が相手なだけに、イドグロッドもドン引きする研鑽を行うようになる。
 彼女の研鑽の対象は、武、学、美、全てに及び、結果、モーサルに全てを万事こなせるスーパーウーマンが爆誕するきっかけとなった。
 


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第十一話 断ち切る未練

今回は久しぶりのリータサイドのストーリー。


 

 

 イヴァルステッド。世界のノドの麓。七千階段の始まりがある小さな村を、リータ達は三度訪れていた。

 

「どうだい、ドラゴンボーン、新しい鎧は」

 

「すごい……」

 

 既に何度も止まった宿屋で、リータは新たな装具を受け取っていた。

 美しくも禍々しい漆黒の鎧。女性らしい優美な曲線を描きながらも、所々に施された鋭い突起と真紅のラインが、見る者に強烈な威圧感を与える。

 デイドラの鎧。おおよそ、人に作れる中で最高峰の装具。使用していた黒檀の鎧が 限界を迎えたリータの為に、デルフィンがスカイリム一の鍛冶師であるエオルンド・グレイメーンに作ってもらった鎧だ。

 作成してもらったのは鎧だけではなく、他の武器も一新している。

 デイドラの片手剣、そして、デイドラの両手斧。どちらもリータ用の武器として製作、調整された品であり、間違いなくタムリエル最高位の武器達だった。

 

「それから、貴方の分も作ってもらったわ。さすがに素材の関係からデイドラの装具は無理だったけど、黒檀の鎧は用意できたわ」

 

「あ、ああ……」

 

 一方のドルマも、新しい装具を受け取っていた。

 以前にリータが使っていたものと同じ、黒檀を素材とした鎧と両手剣である。

 

「それからドラゴンボーン、確認しておきたいことがある。パーサーナックスについてよ」

 

 パーサーナックス。その名前を耳にした時、リータは己の胸の内がざわつくのを感じた。

 

「ドラゴンレンドが手に入ったら、パーサーナックスに用はないわ。今後の事を考えれば、殺すべきよ」

 

 ドラゴンは殺すべき。その言葉には、リータも全面的に同意している。あれは悪辣な獣であり、人類の天敵である。

 殺さなければ、こちらが殺される。共存などあり得ない、絶対悪なのだ。

 

「……」

 

 だが、胸の奥のざわつきは収まってはくれなかった。

 込み上げ続けるドラゴンに対する敵意と殺意で塗りつぶそうとしても、違和感は乾いた血痕のようにこびり付き、消えてくれない。

 

「どうかしたの、ドラゴンボーン?」

 

「……なんでもない。早く行こう、時間がもったいない」

 

 デルフィンの要望に応えることなく、リータは七千階段へ向かおうとする。

 常にドラゴンに対して殺意を隠さなかったドラゴンボーンが見せた、僅かな間。それをデルフィンが問い質そうとする前に、ドルマがリータの前に立ちふさがる。

 

「リータ、ちょっと待て」

 

「大丈夫、大丈夫だから……」

 

「……いや、今日は泊まろう」

 

 大丈夫だと言い張るリータを、ドルマは押し止め、今日はここに泊まるべきだと述べた。

 

「でも……」

 

「アルドゥインを倒す事を考えれば、ここからが本番なんだ。だから英気を養うためにも、ここで一晩泊るべきだ。いいな?」

 

 リータは不満そうに押し黙るが、ドルマも退かない。漆黒の鎧を纏った二人の視線がぶつかり緊迫した空気が流れる。

 

「リータ」

 

「分かった、分かったよ……」

 

 先に折れたのはリータの方だった。

 それでも不満を隠しきれない彼女は、ドルマの視線から逃げるように背を向けると、イヴァルステッドの宿屋へと戻っていく。

 リータが宿屋の中に戻ったのを確認したドルマは、今度は傍にいたデルフィンに咎めるような視線を向けた。

 

「あまり急かせるな」

 

「随分と気を使うようになったのね。今までは彼女の行動には何も言わなかったのに」

 

「うるせぇ……。今のアイツは焦り過ぎてる。見ればわかるだろ」

 

「まあ、いいわ。確かに、ここまで来るのに結構な強行軍だったから」

 

 実際、ムザークの塔で星霜の書を手に入れた後、彼女達は休むことなく、このイヴァルステッドに戻ってきていた。

 ブラックリーチの探索にも長期間かかっていたことを考えれば、良く保っていたと言える。

 だからこそ、ここで一度休息を取る必要があったことは、デルフィンも認めざるをえない。

 

「それともう一つ聞かせろ。なんでそこまでパーサーナックスを殺すことに固執する」

 

「あら? あのドラゴンの罪については話したでしょ。それに、ドラゴンは人類の敵よ。たとえ今は内にある欲と衝動を抑えられていたとしても、いつそのタガが外れるかわからないわ」

 

「そうなれば、アルドゥインに次ぐ脅威となるだろう。その前に殺しておくべきだ」

 

 デルフィンの言葉に同意するように、エズバーンもまたパーサーナックスの殺害に同意の声を上げる。

 パーサーナックスの過去については、ドルマも聞かされている。

 彼もまたドラゴンに故郷であるヘルゲンを破壊された人間。故に、ドラゴンに対する恨みや脅威については、全く否定する気はない。

 しかし、デルフィン達の言葉に、どうしても拭いきれない違和感を覚えているのも事実だった。

 デルフィン達とドルマの繋がりは、完全な利害一致から始まったが、今でもそれは変わらない。

 健人と旅をしていた時は、最初は嫌悪感と不信感を抱きながらも、次第にそれは薄れていった。

 しかし、ドルマはデルフィン達との間には利害関係以外の感情は全くわかない。既に時間だけなら、健人と一緒にいた時間よりも長い間、ブレイズ達と行動を共にしているにも関わらずである。

 

「それから……ちょっと来なさい」

 

「なんだよ」

 

 ドルマの内心を知ってか知らずか、デルフィンは彼手を引っ張り、宿屋から離れた人気のない廃屋の傍まで彼を連れて行く。

 

「聞かせておくことがあるわ。ケントがこのイヴァルステッドに向かってる」

 

「なに?」

 

「盗賊ギルドから情報が入ったのよ。間違いなく、ドラゴンボーンに会うためでしょうね。それで、分かっているのでしょう?」

 

 念を押すようなデルフィンの言葉に、ドルマは表情を硬め、奥歯を噛み締めながら、己の決意を思い返す。

 健人はほぼ間違いなく、ハルメアス・モラに魅入られた。それがドルマの考えであり、だからこそ彼は、そんな健人とリータの接触が、彼女の精神を致命的に壊してしまう予感があった。

 ドルマの脳裏に、ハルメアス・モラと取引をした結果、ブラックリーチで狂っていたセプティマスの姿が蘇る。

 本来意思疎通が不可能なはずのファルメルを操り、封印されていた伝説級のドラゴンを復活させ、そして死んだ狂人である。

 死の間際まで高笑いをしていた狂人の姿が、健人の姿へと変わる。

 

「ケントがドラゴンボーンと接触する前に、カタを付けるわ。いいわね?」

 

 健人を殺す。

 一度覚悟を決めたつもりだったのに、胸の奥からどうしようもない程の不快感が込み上げる。

 喉の奥から込み上げてくる気持ち悪さ、腹の奥に重苦しい鉛があるような嘔吐感に、ドルマの表情が苦々しそうに曇る。

 

「分かっているでしょ。迷えば死ぬわよ。貴方だけでなく、下手をしたら貴方が守ろうとしている彼女までも……」

 

「ああ、分かっているさ……先に宿に戻る」

 

 そんなドルマの表情から彼の心情を察したデルフィンが畳みかける。

 デルフィンの追及に投げやりな返事を返しながら、彼はブレイズ達の脇を抜け、逃げるようにその場を後にしようとした。

 

「ええ、分かったわ。でもこれだけは伝えておく。私達は山道でケント達を迎え撃つわ」

 

「……そうか」

 

 微妙な空白を漂わせた後、デルフィンの宣言にドルマは振り返ることなく答えると、今度こそ宿屋の方へと消えていった。

 立ち去っていくドルマの背中を見送ったデルフィンに、エズバーンが小さな声で話しかける。

 

「あの男、協力すると思うか?」

 

「ええ、彼の第一はドラゴンボーン。色々と余計な思いを抱えているけど、そこは変わらないわ」

 

「それで、どこでそのケントとやらを迎え撃つのだ?」

 

「ハイフロスガーよ。途中の山道は狭くて不意打ちには向かないけど、あそこなら隠れるためのスペースが十分にあるわ。ケントにはあの石頭な従者や他にも仲間がついているみたいだから、確実に仕留めるなら奇襲は大前提よ」

 

 険しい山道で道幅も狭い七千階段の道中は、奇襲には向かない。ある程度限られる空間となると、候補は限られる。

 さらにデルフィンは、盗賊ギルドからの報告で、健人に同道しているカシトやリディアの存在も知っていた。

 

「グレイビアードはどうする?」

 

 残る問題は、ハイフロスガーに住むグレイビアード達だ。

 彼らは四人全員がスゥームの達人であり、同時にこのスカイリムでも非常に高い尊敬と敬意を集める存在である。

 

「少し眠ってもらうわ。彼らの権威を考えれば、傷つけるのは論外。悪いけど少しだけ薬で眠ってもらうわ」

 

 そう言いながら、デルフィンは懐から紫色の液体が入った小瓶を取り出した。

 

「これは嗅いだ者を眠りに誘う薬よ。揮発性も高い。ハイフロスガーの寺院は密閉構造になっているから、これを近くの焚火の傍にでも置いておけば……」

 

「彼らを傷つけることなく、排除できるという事か。問題は無いな。それでデルフィン、できるのか?」

 

「ええ。ケントが私達と、私達のドラゴンボーンの道を塞ぐというのなら。そして、その可能性はとても高いでしょうね」

 

 最終確認とも取れるエズバーンの問い掛けに、デルフィンは迷うことなく答える。

 しかしエズバーンは、坦々と紡がれる彼女の声の端に残る、僅かな悲哀を感じ取っていた。

 エズバーンは察していた。デルフィンにとって、健人と過ごした日々は、決して悪いものではなかったという事を。

 エルフとの戦いで仲間をすべて失い、自ら孤独となることで生き延びたデルフィン。そんな彼女に出来た弟子が、健人だった。

 たとえリータに取り入るためだったとしても、自らが鍛え上げ、期待していた弟子。

 弟子と同じように血の滲むような鍛練を重ねて身に付けながらも、逃亡の為に秘さなければならなかった数多の技術。それを伝えることが、孤独だった彼女にとってどれだけ救いになっていたのだろうか。

 

「私はやるわ。全てはブレイズの為に」

 

 しかしそれでも、デルフィンの固く閉じた心を解くには至らなかった。

 全身から肌がヒリつくほどの剣気を発しながら、デルフィンはエズバーンに宣言する。数十年前の大戦ですべてを失った彼らに唯一残った矜持。それを果たさんがために。

 固い意思を秘めた瞳に、エズバーンもまた深く頷く。

 彼もまた、ブレイズの逃亡者。デルフィンの悲しみを理解しながらも、同じようにブレイズの矜持に縋りついているが故に、自らの心が抱えた歪みに気づかぬ者。無意識に気付かぬようにしている者だった。

 悲しいかな。悲壮と絶望、そして苦痛に塗れた長すぎる逃亡の中で凝り固まった彼らの心を解せる者は、この場には誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「く、うう……はぁ……!」

 

 押し殺した、苦悶の声が漏れる。

 宿屋のベッドに寝ころびながら、リータは掻き毟るように頭を抱えていた。

 脳裏に響く、ドラゴン達の怨嗟。それは徐々に大きくなり、少しずつ、しかし確実にリータの心を蝕んでいた。

 

「うるさい、うるさいうるさい……」

 

「リータ、大丈夫か?」

 

 リータの呻き声に気づいたのか、ドルマがリータの部屋に入ってくる。

 彼の手には湯気の立ち上るコップが握られていた。

 

「ドルマ……」

 

「宿屋の主人から貰ってきた。飲んどけ」

 

 差し出されたのは、温められたハチミツ入りのホットミルク。

 コップを受け取り、口を付けて傾ければ、人肌ほどに温められたミルクの熱とハチミツの甘さが、ふわっと口の中に広がる。

 ミルクが強張っていた心を解してくれたおかげか、幼馴染が傍に来てくれたおかげか、頭の中に響くドラゴン達の怨嗟が、少し和らいだ。

 

「ありがとう……」

 

「気にすんな。コケそうなお前の腕を引っ張るのには、慣れているからな」

 

 ドルマの皮肉っぱい笑みに、リータは失った故郷での日々を思い出し、僅かではあるが、彼女の口元に笑みが戻る。

 健人を拒絶し、リディアに託した今、復讐のための旅の中で、唯一温もりを感じられる瞬間が、この不器用な幼馴染とのやり取りだけだった。

 そしてドルマにとっても、想い人と唯一語り合うことができる話でもあった。

 

「ねえ、ドルマ。ケント、許してくれるかな?」

 

「あ?」

 

「私、凄く酷いこと言っちゃった。酷く傷つけちゃった。本当は、そんなことしたくなかったのに……」

 

 硬く、硬く閉ざしていたリータの心の鎧が、僅かに綻ぶ。

 リータは健人の話題に関して、ハーフィンガルで喧嘩別れして以降、話をしたことがなかった。

 だが今は、こうして弱めを漏らすほど消耗している。

 

「ホワイトランに戻っても、しばらくは口をきいてくれねえだろうな」

 

「……やっぱりそうかな?」

 

 不安と諦観に満ちたリータの言葉に、ドルマは相も変わらず笑い飛ばすような皮肉っぽい口調で答える。

 

「ああ、俺だったら絶交するな。お人よしのアイツなら、なんて答えるかは知らねえが……」

 

「そっか。ふふ、そっか……」

 

 自分とは違うから、違う答えが返ってくるだろう。ドルマの回りくどすぎる返答に、リータの頬が緩む。

 リータは、自分がどれだけ健人を傷付けたのか理解している。

 だから、罵られるのも、なじられるのも別にかまわなかった。それは、健人が持つ、当然の権利だと思っている。

 最後に許してくれるなら、その可能性が砂粒ほどの可能性でもあるなら、リータには十分だった。

 そして再び、リータとドルマの間に沈黙が流れる。

 ブラックリーチ探索以降、二人での会話も減っていた。

 それは、ドルマが健人について、リータに話せない秘密を抱えたことが理由であり、そしてリータもそんなドルマの様子に気づいていたからに他ならない。

 しばらくの間、二人の間に沈黙が流れ、ホットミルクをすする音だけが部屋に響く。

 

「ねえドルマ、何か隠していること、ない?」

 

「あん?」

 

「あるでしょ。隠していること」

 

 確信を帯びたリータの追及に、ドルマは静かに息を吐く。

 

「……あるな。でも、話してやらん」

 

「なんで?」

 

「話したくねえからだ」

 

 身も蓋もない返答に、リータは不満げに頬を膨らませる。

 一方、そんな彼女の表情に、ドルマは思わず含み笑いを漏らした。年の割に子供っぽいところのあった彼女は、ヘルゲンではドルマに揶揄われる度に、こんな表情を浮かべていたからだ。

 

「全部終わったら話してやる。だから、ちゃんと生き残れよ」

 

「……ほんと?」

 

「ああ、本当だ。なんだ、疑っているのか?」

 

「ううん。ドルマ、色々と口は悪いけど、約束したことはきちんと守るから」

 

 ふるふると首を横に振る少女に、ドルマも笑みを返す。

 

「そうだろう? だから、いいな」

 

「うん。その代り、この戦いが終わったら、隠していること全部、話してもらうから」

 

「……ああ、分かっているさ」

 

 ドルマの隠し事を追及しなかったのは、リータなりのドルマへの信頼だったのだろう。

 もしかしたら、ある種の依存だったのかもしれない。

 しかし、「戦いが終わったら」というその言葉は、ドルマにはどこか遠くのものであるように聞こえた。自分がこの戦いで生き延びる姿を、どうしても彼は想像できなかった。

 再び横になったリータに、そっと毛布を掛けてやる。

 しばらくすると、規則正しい寝息が聞こえてきた。

 

(すまねえ、リータ、ケント)

 

 自分達が健人に対して行おうとしている行為。それを彼女に知られることは、絶対に避けなければならない。

 それは、信を尊ぶノルドにとっては、唾棄すべき行為であることも理解している。

 リータに対する思慕、健人へのライバル心と罪悪感、復讐の渇望と己が行おうとしている行為への不快感、尊ぶべきノルドの矜持。

 相反し、渦巻く感情を全てのみ込みながら、ドルマはゆっくりと眠りに落ちたリータの髪を手で梳く。

 

(オブリビオンに堕ちた後に、もし会うことを許されたのなら。その時は、詫びさせてくれ……)

 

 穏やかに眠る想い人を目に焼き付けながら、

 顔を上げた時、ドルマの目に既に迷いはなく、悲壮な覚悟だけが浮かんでいた。

 そして一週間後、彼らは再会する。

 スカイリムの中心、世界のノドで。

 

 




リータ、デイドラの装具を手に入れる。そしてドルマは、覚悟を決めると。

いや~どうしてこういうすれ違いのシーンを書いていると興奮するんでしょうね。
あまりやり過ぎると読者の方々のストレスがマッハになるので、気を付けないといけないのですが……。

リータサイドはこれで終了。次回はいよいよ再会です。


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第十二話 再会の刃

お待たせしました。


 石造りの院内に、怪しい香りが立ち込めている。

 まるで霧のように漂う紫色の香は空気中に溶け込み、吸った者を深い眠りへといざなっていく。

 石床の上に倒れる四つの影。その傍には、解毒薬をしみこませた布で口を覆うデルフィンとエズバーンがいた。

 眠りの香によって意識を奪われたグレイビアード達に、デルフィンたちは猿轡を噛ませ、拘束していく。

 

「制圧完了ね」

 

「ああ、これで後は、例のもう一人のドラゴンボーンが来るのを待つだけか」

 

 拘束したグレイビアード達を会議室に押し込めると、デルフィン達は一路、正門へと足を進める。

 

「どうやって仕留める?」

 

「私とドルマでやるわ。ドラゴンボーンとなったケントを封じる手はある。エズバーンは余計なのをお願い」

 

「分かった。しくじるなよ」

 

「ええ」

 

 ドラゴンボーンとして、伝説のドラゴンを退けるほどの成長をした健人。そんな弟子と戦うことになったとしても、デルフィンは全く焦るそぶりを見せない。

エズバーンもまた、デルフィンの言葉にそれ以上疑問や確認を投げかけることはせず、淡々と足を進めている。

 黙ったまま、隣り合って寺院内を進む二人。

沈黙が双方の間に流れる中、デルフィンが唐突に隣を歩くエズバーンに声をかけた。

 

「エズバーン。貴方は普通の生活を考えたことがある?」

 

「いや、ないな。そもそも、そんな余裕などなかった。どこに行っても、心が落ち着くことはなかった。お前もそうではないのか?」

 

「ええ、そうね。眠れた夜はなかったし、常に頭には、サマーセットに残してきた仲間たちの顔が浮かんでいた」

 

 白金協定が結ばれた大戦。この戦いで、二人はすべてを失った。

 寄る辺も、友も、仲間もすべて。

 特にデルフィンは、大戦が勃発する直前まで、ハイエルフの根拠地であるサマーセット島で潜入任務を行っていた。

 そして彼女がシロディールに呼び戻されている間に、サマーセットに残してきた彼女の部隊はサルモールの強襲を受け、全滅。その首が宣戦布告の印として、帝国に送り付けられた。

 

「目を閉じれば、今でも彼らの苦しみに満ちた最後の表情が、頭の中に浮かんでくる……」

 

 共に帝国に忠誠を誓い、共に血と汗を流し、共に困難に立ち向かった仲間達。そのすべてが、苛烈な拷問の末にサルモールに殺された。

 送り付けられた首には拷問の跡と思われる傷が無残に刻まれ、腐ってもなお、デルフィンにハイエルフ達の悪辣な仕打ちを訴えていた。

 

「最初の十年は憎しみで戦い抜いた。次の十年はより強い怨嗟で生き延びた」

 

 仲間達の全滅と、サルモールの宣戦布告。その日から、デルフィンの胸には、サルモールに対する強い憎しみが刻まれた。

 そして彼女は、サルモールとの戦いに身を投じた。

 戦争中は無数のハイエルフを切り殺し、破壊活動を続け、休戦協定で戦争が終わってもなお命を奪わんとする追っ手を退け、時には全滅させ続けた。

 

「でもいつの間にか、憎しみは消えて、諦観と惰性が心と体を麻痺させていった……」

 

 血と憎しみに塗れた人生。その中で、人だったはずの彼女の心は、確実に削られ、摩耗していった。

 そして最後には、憎しみすら削り取れてなくなった。

 

「残ったのはこのブレイズソードと、自分がブレイズだったという矜持だけ……」

 

 残ったのは、異常なほど磨かれた戦いの術と、自身がブレイズであるという誇りだけだった。

 その誇りですら、今の帝国では何の意味もない。

 ドラゴンボーンの血脈はオブリビオンの動乱ですでに失われ、皇帝近衛の任も、ペニトゥス・オクラトゥスに取って代わられた。

 

「だが、今は我らがブレイズであることが必要だ。そしてこれは運命だ。星霜の書に刻まれた、最後のドラゴンボーン。アルドゥインを倒すために、彼女を導くことこそが、我らの使命だ」

 

 エズバーンは脳裏にスカイヘブン聖堂に刻まれた壁画を思い出しながら、声高に自らの正当性を謳う。

 デルフィン自身、エズバーンの言葉を否定する気はない。

スカイヘブン聖堂の壁画を前にした時は、信心深くない彼女も運命を感じた。

 遥かな太古に先人たちが示した予言。それは、今このニルンを取り巻く状況に、全て符合していた。

 星霜の書に刻まれた予言が現実となる運命の時に、自らがブレイズであることの意味。それは、逃亡生活という暗黒の中にいた彼女にとって光明であり、救いだった。

 自分達が耐えに耐え続けてきた数十年に、意味はきちんとあったのだと。

 

「ええ。確かに。そのことに疑いはないわ。でも……」

 

 摩耗したはずの感情が、小さく震える。

 胸の奥に空いた穴を埋めてくれた使命。それとは違う別の感情が、彼女自身に何かを訴えていた。

 

「足を止めたくなったのか?」

 

「いえ、私はブレイズであることを捨てられない。頭にこびりついた彼らの顔が、それを許さない」

 

「ああそうだ。我らは最後に残ったブレイズ。ゆえに、今までのブレイズ達、すべての思いを背負わなければならない。ブレイズのために」

 

「ええ、すべてはブレイズ(仲間達)のために」

 

 アルドゥインと最後のドラゴンボーンが相対する瞬間。その運命の時のために、ブレイズとして己の使命を全うする。

 命を捧げた、全ての仲間達のために。

 胸の奥から響く小さな訴えを押し殺しながら、彼女は進む。

 自らの最後の弟子を、この手で始末するために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 七千階段。グレイビアードの寺院、ハイフロスガーへと続く山道であり、世界のノドの頂上へと続く唯一の道。

 激しい山風が吹き荒れ、ともすれば足を滑らせて眼下の崖に落ちそうな小道を、健人達は進む。

 すでにイヴァルステッドを発ってからかなりの時間が経っており、変わりがちな山の天気に悩まされながらも、彼らはハイフロスガーまであと少しというところまで来ていた。

 

「そろそろかな……」

 

 先頭を歩く健人の前には、石造りの祠がある。

 大きさは、大人の腰から肩程度。大きな石を削り出して作られたと思われる祠には、古代ノルド達の遺跡でよくみられる、川や大気の流れを思わせる曲線と、獣の頭を思わせる彫刻が施されている。

 この祠は元々、この山道を訪れた巡礼者たちによって作られ、山道のあちこちに散見されるものだ。

 そして、健人の目の前にある祠の奥。吹きすさぶ嵐の向こう側に、険しい山道の中腹に佇む石造りの建物が見えていた。

 ハイフロスガー。

 声の達人、グレイビアード達が住まう寺院である。

 

「ようやく着いたね。健人とリディアは、ここに来るの、二回目だっけ?」

 

「ええ、あの時は従士様と一緒でした。随分前のことのように思えます」

 

 時間にして一年も経っていないが、ここに来るまでの道程を考えれば、リディアが感傷的になってしまうのも無理はない。

 健人も、彼女の気持ちは理解できた。彼自身も、ようやく家族と再会できると思えば、どうしても気持ちがザワついてしまう。

 顔に叩きつけられる強風に手を翳しながら、寺院へと近づく。

 そして、ついに健人は寺院の正門前に辿り着いた。中央に塔を備えた、石造りの寺院。

 中央の塔の周囲を回るように儲けられた階段の前には、供え物を入れるため箱が置かれている。

 そしてその階段の前には、一人の男性が、登ってきた健人達を出迎えるように腕を組んで佇んでいた。

 

「……誰?」

 

 全身を黒檀の鎧に包んだ戦士。背中には鎧と同じ黒檀製の両手剣を背負っている。

おそらくは男性と思われる戦士の姿に、カシトは首をひねる。

 だが、健人はその佇まいからこの黒檀の鎧を身に着けた戦士に心当たりがあった。

 このタムリエルでの健人の家族と付き合いのあった、幼馴染のノルドの戦士。ノルドとしての在り方を体現したように排他的で頑固、そして不器用そうだった青年。

 そして、リータを守るという約束を交わしながらも、ドラゴンを庇った健人を、裏切り者として罵った人物。

 

「ドルマ……か?」

 

「久しぶりだな」

 

 久しぶりに聞いたドルマの声は、相も変わらずぶっきらぼうで、温かさというものがほとんど感じられない。

 

「あ、ああ、そうだな……」

 

 しかし、第一声から罵られることを覚悟していた健人にとっては、少し拍子抜けするような返答だった。

 黒檀の兜の奥から向けられる視線にも、怒りや憤りが感じられない。

 だが健人は、静かな光をたたえるドルマの瞳の奥には、何かを決意したような、ギラつくような光を秘めているような気がした。

 弛緩しかけた体が、少しずつ緊張感を取り戻していく。

 

「リータはどこだ?」

 

「山頂だ。少し用事があってな」

 

「やっぱり……」

 

 山頂。ドルマのその言葉に、健人はリータがドラゴンレンドの習得に行ったことを確信した。

 あと少し。健人は雲を被った世界のノドの頂上を見上げながら、気を引き締める。

 一方、そんな健人の様子を見つめていたドルマは、組んでいた腕を解くと、健人たちのところへ歩み寄ってきた。

 

「それで、お前は何をしに来た?」

 

「リータに会わせてくれ。少しでいい、話しがしたいんだ」

 

「奇遇だな。俺も確かめたいことがある」

 

 ドルマの瞳の奥に輝く決意の色が、さらに濃くなっていく。

 向けられる圧をともなった視線に、健人だけでなく、後ろに控えていたリディア達にも緊張感が走る。

 カシトにいたっては、すでに腰に差した短剣に手を添えていた。

 

「そんなけったいな鎧や武器を、どうやって手に入れたのかとか、リータが山頂に行ったのかを、どうしてそんなに気にしているのかとかな。なあ、ドラゴンボーン」

 

「…………」

 

 確信をもって発せられるドルマの言葉に、健人は目を見開いた。

 明らかに彼は、別れてからの健人について知っている。

 そして、ヌエヴギルドラールでの一件以外の理由で、健人に対して害意を抱いていた。

 

「ある意味これは、俺が招いたことなんだろう。あの時、洞窟でドラゴンを庇うお前を、斬ろうとしたその時から……」

 

 一方、ドルマは全身から発せられる戦意はそのままに、どこか諦めを含んだ言葉を漏らしていた。

 覚悟を決めたその瞳に、健人は胸の奥で渦巻いていた不安が、一気に膨れ上がっていくのを感じる。

 次の瞬間、ドルマは背中の両手剣を引き抜くと、健人に向かってその刃を振り下ろしてきた。

 

「だが、悪いなケント。恨んでくれて構わん。死んでくれ」

 

 唸りを上げて振り下ろされる刃が、健人の顔へと迫っていった。

 

「っ!」

 

 健人は左手を背に伸ばしてドラゴンスケールの盾を取り、掲げる。

 振り下ろされる斬撃に合わせて盾面を操作し、剣圧を受け流しながら弾く。

 

「っ、ドルマ!」

 

「おおおおおおお!」

 

 健人が呼び掛けても、ドルマは止まらない。

 初太刀をそらされても構わず、二撃、三撃と、両手剣を振りぬき続ける。

 その速度は、以前ヌエヴギルドラールの洞窟で戦った時よりもはるかに速い。

 体捌きも洗練され、無駄なく繋げられる連撃は、徐々にその圧力を増していく。

 今のドルマならば、同胞団の幹部ですら、正面から勝ちを得られるだろう。

 だが、そんなドルマでも、今の健人の守りを崩すことは全くできなかった。

 健人は斬撃の衝撃を両足から地面に逃がしながら、後ろに一歩も下がることなく、左手一本で受け流し続ける。

 ドルマとて、既に一流の戦士である。

危なげない様子で連撃を捌き続ける健人の様子を見るだけで、自身と相手の間に開いた力量差を、痛いほど感じ取れる。

 

(ちっ! 分かっちゃいたが、随分ととんでもない怪物になったじゃねえか。これでシャウトを使われたら、俺じゃぜってえ勝てねえ……)

 

 何か言おうとする健人の口を塞ぐように、ドルマは休む間もなく連撃を繰り出し続ける。

 彼は、健人が魔法など、武術以外の技術も身に着けていることを知っている。ゆえに、下手に時間を与える気はない。

 だが、たとえ健人がシャウトや魔法を使わなかったとしても、ドルマは今の彼に勝てるビジョンが、まったく思い浮かばなかった。

 現に健人は、腰に差した二本のブレイズソードを抜いてすらいない。

 

(でもいい。俺はあくまで撒き餌だ)

 

 だが、それでもドルマは構わなかった。彼の目的は、あくまで健人の足止めと、後ろに控えた仲間から健人を引き離すこと。

 受け流された振り下ろしの勢いを利用して踏み込み、横薙ぎの斬撃に繋げる。

 

「ちい!」

 

「おおお!」

 

 体を入れ替えながら、押し込むようにして健人とリディア達の間に割り込む。

 さらに押し込むように体を押しつけ、体重差を利用して引き離す。

 

「ドルマ殿!」

 

「こいつ、いい加減にしろよ!」

 

「二人とも、手を出すな!」

 

「でも!」

 

「いいから!」

 

 焦れたように、リディアとカシトが駆けつけようとした。だがその二人を、健人の声が押し止める。

 

「この、話を聞けよ!」

 

 話を聞こうとしないドルマに、健人もついに反撃に出た。

 右側から斬り上げられる両手剣に盾の縁を叩きつけて弾き、盾を引き戻しながら右の拳を振るう。

 健人の正拳突きが、兜に守られたドルマの顎を捉える。

 ドラゴンスケールの盾と黒檀の兜が激突し、黒檀の兜が脱げて跳ね飛んだ。

衝撃がドルマの頭に響く。

 

「ごっ……っ! まだまだ。お前をリータに会わせるわけにはいかない!」

 

 しかし、ドルマも退かない。

 揺れる視界を無視して両手剣を引き戻し、体ごと圧しつけるように健人に叩き付ける。

 鍔競り合うようにがっぷりと組み合う両者。

 互いの視線が至近距離で交差する中、ドルマは声を張り上げる。

 

「どうやってそれほどの力を身に着けた!」

 

「何!?」

 

「あれだけ貧弱だったお前が、ここまで強くなれるのには理由があるはずだ!」

 

 唐突な問い掛けに、健人は困惑する。

 一方、ドルマは返答に詰まった僅かな間を、健人が抱えた後ろ暗さ故だと判断する。

 すれ違う両者だが、次の瞬間、致命的な言葉がドルマの口から放たれた。

 

「言えないなら答えてやる。お前、デイドラと取引したな。デイドラロード、ハルメアス・モラと!」

 

「っ!」

 

 強烈な衝撃が、ドルマの腹に走った。

 全身のひねりを加えて水月に叩き込まれた拳の衝撃は腹を貫き、ドルマは思わずたたらを踏むように後ろに下がった。

 横隔膜を震わせるほどの衝撃に荒い呼吸を吐く。

 

「どこで……」

 

 ゾクリと、全身に氷柱を突き刺されたかのような悪寒が、ドルマを襲う。

 向けられる、竜のごとき眼光。怒りと嫌悪、そして敵意の混じった視線。圧倒的な威圧感だった。

 

「どこでアイツと会った……!」

 

 次の瞬間、健人の体が沈んだかと思うと、彼は一瞬でドルマの両手剣の間合いの、更に内側まで踏み込んできた。

 

「っ!」

 

 あまりにも高速の踏み込みに、ドルマは咄嗟に両手剣を振り下ろす。

 だが、救い上げるように振り上げられた盾が、両手剣が加速しきる前に、その軌道の側面から叩き付けられた。

 

「ぐっ!」

 

 次の瞬間、ガキン! と強烈な金属音が響き、両手剣の軌道が直角に跳ね飛ばされる。

 両手に走る強烈な衝撃。ドルマとしても、剣を手放さなかったのが奇跡だった。

 しかし、体は完全に死んだ。上体は浮き、無防備な姿を晒している。

 そしてドルマの目に、こちらを組み伏せようと手を伸ばしてくる健人の姿があった。

 健人の体術の巧みさは、ドルマも良く知っている。実際、ヌエヴギルドラールの洞窟で一度してやられている。

 

(だがそれでも、機は成った!)

 

 健人の手がドルマの体に触れようかというその時、どこからともなくエクスプロージョンが、崖の上目がけて放たれ、炸裂した。

 炎と爆音を響かせる破壊魔法。次の瞬間、崩落した雪が雪崩となって降り注いできた。

 

「なっ!」

 

「うわ!」

 

 健人とリディア達のちょうど中間を塞ぐように発生した雪崩。舞い上がる雪煙に、一メートル先も見えない程視界は悪化する。

 

「おおおおおお!」

 

「ちぃ!」

 

 一瞬、健人の意識がカシト達の方に向いた瞬間を狙って、ドルマが斬りかかる。

 袈裟懸けに振るわれた両手剣を受け止め、空いた右手を叩き込もうと引き絞る。

 だがその時、健人の視線がドルマに向いているその時を狙って、黒い影が健人の背後に回り込んでいた。

 

(貰ったわ……)

 

 それは、影の戦士で気配を消したデルフィンだった。

 確実な一撃を加えるために剣を鞘に納め、刃に反射する光すら防止しての奇襲。

 雪煙に紛れて健人の背中を取ったデルフィンは、腰を落とし、鞘に納めたままのブレイズソードを、一気に引き抜く。

 それは、地球では居合抜きと呼ばれる技術そのもの。

 達人が放つ居合は、鍔なりだけが聞え、刀の出入りは全く見えないという。

 デルフィンの居合もまた、達人と呼ばれる領域のものだった。

 鍔鳴り音と共に、濃口が切られる。

 次の瞬間、透徹の一閃が放たれ、致死の刃が健人の首めがけて疾駆していった。

 

「っ!」

 

 だが健人は、彼らの予想のさらに上を行った。

 磨かれたドルマの黒檀の鎧に反射して映る、黒い影。

 それを確かめた瞬間、健人は己の本能が示す警告のまま、身体を捻りながら、盾から手を離す。

 同時に両足に力を込め、ドルマの間合いの内側に身体を滑りこませながら、逆手でブレイズソードを引き抜く。

 

「なっ!?」

 

 ドルマが驚きの声を上げる中、居合の軌道上に滑り込んだデイドラのブレイズソードが、デルフィンの斬撃を弾く。

 デルフィンもまた、自分の奇襲が防がれると思っていなかったのか、眼を見開いて驚きの表情を浮かべていた。

 

「しっ!」

 

 健人は完全に引き抜いたデイドラのブレイズソードを順手に持ち替え、反撃とばかりに薙ぎ払う。

 しかし、デルフィンもまたタムリエル大陸有数の実力者。遅滞なく、次の行動に移っていた。

 彼女は後ろに跳びながら健人の斬撃を躱しつつ、左手で三本の短剣を取り出し、投げつける。

 眉間、眼、膝へと正確に向かってくる短剣を、健人はブレイズソードを振るって弾き返す。

 続けて健人は身体を回転させてドルマに向き直りながら、薙ぐように刃を振るう。

 ドルマもまた後ろに下がることで健人の刃を避けるが、その間に健人は落下するドラゴンスケールの盾を左手で回収していた。

 

「まさか、防がれるとは思わなかったわ」

 

 自分達の奇襲を防ぎ切った健人に、デルフィンは関心とも呆れとも聞こえる声を漏らす。

 

「……?」

 

 一方、健人は喉に、奇妙な違和感を覚えていた。

 痺れるような倦怠感。まるで自分の体の触覚が、部分的に切り取られてしまったような感覚。そして、その違和感は喉から徐々に広がりつつあった。

 健人は思わず喉に手を当てる。指先に何かが触れる感触があった。

 

「っ!?」

 

 指に触れたのは極細の針だった。鎧と繊維の隙間を縫うように突き刺さっている。

 健人は慌てて針を引き抜き、放り捨てる。

 それは、短剣に紛れてデルフィンが放ったものであり。そして、致命の毒を帯びた針だった。

 

「……っ、………っ!」

 

 声が出ない。何かをしゃべろうとしても口からは擦れるような息が漏れるだけで、健人は一言も発することが出来なかった。

 

「麻痺毒よ。あと数秒気づかなかったら、肺まで完全に麻痺させることが出来たのだけど」 

 

 麻痺毒。その名の通り、体の自由を奪い取る毒である。

 しかも今回デルフィンが使用した毒は、彼女お手製の特別な毒。痛覚すら一瞬で麻痺させ、刺されたことにすら気づかせない程強力な代物だった。

 実際、あと数秒針を抜くのが遅かったら、健人はそのまま呼吸機能をマヒさせられ、殺されていただろう。

 

(問題は、特殊な製法のために、一本しか用意できなかった事)

 

 健人に気づかれない内に殺すために用意した、特殊な麻痺毒。

 麻痺だけでなく体力減退効果もすさまじく、実際に健人の表情は徐々に悪くなってきている。

 

(あのぐらいの時間じゃ、殺すには至らない……)

 

 それでも、刺さっている時間が短すぎた。

 元々は相手に呑ませて使用する毒だけに、毒針だけで送り込める量ではどうしても少なすぎる。

 

「でも、これでケントはシャウトも魔法も使えない」

 

 だが、健人が声を封じられたのは、戦いの天秤をデルフィン達に大きく傾けた。

 シャウト使いの生命線は、その発声機能。

 そして、魔法を使うためにも、詠唱を必要とする。今の健人は、己が積み上げてきた力の半分以上を封じられてしまっていた。

 

「悪いわねケント。ドラゴンボーンの為に、貴方にはここで死んでもらうわ」

 

 デルフィンの気配がぶれ、蜃気楼のようにその姿が見えなくなる。

影の戦士の発動。数十年の妄執に囚われた絶腕の剣士が、絶殺の意思の元、全力でケントに刃を向けた。

 

 




今回はドルマとデルフィンとの再会です。
彼らをどうにかしないと、リータとは再会できません。まあ、様式美ですね。


おまけに師匠が本気で殺しにかかってきて、健人はシャウトと魔法を封じられました。
まあ、あと数秒対処が遅れていたら、そのままゲームオーバーでしたけど。
健人がドラゴンボーンであることを知っているデルフィンなら、その力の根幹である発生機能を止めに掛かると思ってこのように書きました。
健人が一方的に蹂躙すると思っていた方には、意外かもしれませんね。

今後のお話ですが、書籍化したオリジナル小説に二巻目のお話が来ました。
しばらくはそちらに対処することになるので、更新が不定期になるかと思います。ご容赦ください。



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第十三話 師弟対決

お待たせしました、デルフィンとドルマとの戦いのお話です。
色々とリアルがドタバタしている結果、再び執筆時間一日となりました。


 雪崩によって分断されたカシトとリディア。

 崩落した崖の雪が山道に流れ込み、丘のようにうず高く積み上がってしまっている。

 乗り越えることは出来るだろうが、今の彼らは悠長にこの雪の丘を登っているわけにはいかなかった。

カシト達の後ろに立つ一人の老人が、カシト達に睨みを利かせていた。

 エズバーン。デルフィンと同じブレイズの生き残りであり、そして志を同じくする者。

 

「悪いが、デルフィンが事を成すまで、ここを通すわけにはいかない」

 

「誰です、貴方は?」

 

「どうでもいいよ。邪魔するってことは敵なんでしょ」

 

 エズバーンと面識のないリディアが疑問の声を上げる一方、健人と分断されたカシトは腰の短剣を抜きながら、明らかな敵意をエズバーンにぶつけていた。

 

「ああそうだ、敵だ。お前達が、あのもう一人のドラゴンボーンの仲間である以上は」

 

 エズバーンが魔法を発動する。

 紫色の炎が渦を巻き、中から炎の精霊が姿を現す。

 

「ドラゴンボーンは一人でよい。そして我らのドラゴンボーンこそが、アルドゥインを倒すのにふさわしい」

 

「だから、敵の口上なんてどうでもいいって。さっさと排除して、ケントの所に戻るよ」

 

「たとえ崇高な使命だろうと、従士様とそのご家族を守るのが私の役目。故に、退いてもらいます!」

 

 短剣を構えたカシトと盾を掲げたリディアが、エズバーンに向かって踏み込むに、炎の精霊と老人の魔法が二人を迎撃する。

 そして剣戟の音と魔法の炸裂音が、ハイフロスガーに響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デルフィンの体が沈む。

 落下する自重の力を踵で受け止め、前方への推進力に変える。

 ブレイズソードを扱う者達特有の歩法。さらにデルフィンは隠形で気配を消しながら健人の右側面へと回り込む。

 一方、ドルマは正面から健人めがけて斬りこむ。膂力と技量の配分を考えれば、二人の行動は当然の選択だった。

 二方向から迫る二人を前に、健人もまた即座に行動に出る。

 声帯を麻痺させられた以上、シャウトと魔法は使えない。だが、健人とてここまでの道程で幾つもの修羅場を乗り越えてきた超一流の戦士である。

 当然、一対多の戦いも数多く経験してきた。

 その中での大原則は、決して足を止めない事である。

 

「ヒュー、ヒュー……っ!」

 

 口から擦れる息を漏らしながら、健人はデルフィンと同じように体を落とし、全力で踏み込む。向かうは、正面から斬りかかっているドルマである。

 デルフィンの毒は声帯だけでなく、呼吸器官にも多少影響を及ぼしている。

 おまけにここはタムリエル最高峰、世界のノドの山道だ。高所故に酸素濃度も薄く、肺に掛かる負担は大きい。

 だからこそ、健人は短時間での決着以外には考えられなかった。

 

「おおお!」

 

 正面から振り下ろされるドルマの烈撃。

 重厚な鎧の守りで相手の攻撃を弾くことを前提としているが故に、防御を考慮していないその一撃の圧迫感はすさまじい。

 しかし、健人はその一撃を側面から盾で殴りつけて逸らす。

 さらに彼はドルマの側面に回り込み、デルフィンとの間に彼の体を割り込ませる。こうすれば、彼女はヘタに剣を振れない。

 

「しっ!」

 

 しかしデルフィンは、両手剣を振り下ろしたドルマの脇の下の僅かな隙間を縫うように、鋭い突きを繰り出してきた。

 デルフィンの躊躇の無い攻撃に、健人は顔を顰めつつも、咄嗟に“血髄の魔刀”でデルフィンの突きを払う。だが、その隙にドルマが両手剣を薙ぎ払ってくる。

 健人はドラゴンスケールの盾を掲げてドルマの横薙ぎを防ぐ。その間に、今度はデルフィンが回り込んで間合いを詰めてきた。

 まるで蛇を思わせる、滑らかな踏み込み。

 一切減速しないまま、デルフィンは健人が盾にしたドルマを、全く障害に感じさない動きですり抜ける。

 

「しっ! ふっ!」

 

 間隙のない斬撃の雨が、健人に襲い掛かる。

 しかも、デルフィンの刃はまるで蛇のように斬撃の軌道が変化していく。

 横薙ぎと思った袈裟切りに、斬り上げと思ったら突きに。

 まさしく変幻自在というのがふさわしい、卓越した連撃だった。

 

「っ!」

 

 だが健人は、その疾風のごとき連撃を正面から弾き返す。

 よどみなく繰り出される血髄の魔刀、そしてドラゴンスケールの盾。

 デルフィンの膝、腰、肩、肘、そして手首。全ての関節の連動から、彼女が行おうとする剣の軌道を読み取り、先んじて迎撃していく。

 

「くっ!?」

 

 これにはデルフィンも驚いた。

 盾術の研鑽によって身に付けた、相手の呼吸を把握する術。両の手に持った得物を遅滞なく、滑らかに、そして力強く振う技術。全てがかつての健人には無かったものだった。

 気圧されるように僅かに後退したデルフィンに、今度は健人が逆に踏み込む。

 片手剣が薙ぎ払われ、盾が叩き付けられる。攻守が逆転し、デルフィンが受けに回った。

 デルフィンは両手で保持したブレイズソードを巧みに操り、健人の攻撃を受け流す。

 健人の連撃を前にしても、一歩も引かずに捌き続けるのは、流石は師匠といったところ。

 だが、その口元は、僅かに引きつっていた。

 

(予想以上ね……)

 

 こうして刃を交わして初めて分かる、弟子の異常なほどの成長。デルフィンは内心で驚嘆しつつも、目的達成のために思考を巡らせる。

 

(まずは、この連撃の手を止めさせないと……)

 

 健人の攻勢はデルフィンの予想以上に激しく、そして巧みだ。彼女は足を止めての打ち合いでは、限界があると直感で悟る。

 その時、デルフィンと健人が打ち合っている間に、ドルマが横合いから両手剣を薙ぎ払って来た。

 

「おおおおお!」

 

 健人は右手の血髄の魔刀を斜めに掲げ、迫る斬撃を上方向にそらすと、ドルマと体を入れながら、彼の側頭部にドラゴンスケールの盾を叩き込んだ。

 

「がっ!?」

 

 衝撃でドルマの視界が揺れる。

 隙を晒したドルマに、健人の意識が向いた。

 

(今!)

 

その機を逃さず、デルフィンは半身に構え、一足で踏み込む。

 

「っ!?」

 

 肩口から突進てくるデルフィンを、健人は盾で受け止めた。

 次の瞬間、デルフィンは逆手に持ち変えたブレイズソードを、健人の盾の裏面に沿わせるように突き入れる。

 デルフィンの刃は健人のドラゴンスケールの手甲と火花を散らしながら、盾の持ち手と手甲の僅かな隙間に滑り込む。

 自らの刃が相手の盾の持ち手を捉えた事を確かめた瞬間、デルフィンはブレイズソードの刃を立て、そのまま健人の指を引き切ろうとする。

 

「っ!?」

 

 指に刃を立てられる直前、健人は咄嗟に盾を手放す。次の瞬間、デルフィンが刃を引き切るように払った。間一髪、指を切り落とされることは免れる。

 しかし結果として、健人はデルフィンに盾を奪い取られてしまった。

デルフィンは奪い取った盾を遠くに放り捨て、追撃をかける。

 繰り出される刺突。健人が逸らそうと刀を振るった瞬間、デルフィンは脇を締め、ブレイズソードの軌道を変化させる。

 すると、点の軌道だったデルフィンの刃が、再び波のような動きに変わる。

 健人は変化する相手の刃の軌道に合わせ、ドラゴンスケールの手甲で弾こうとするが、ここでデルフィンの刃はさらに軌道を変え、己の刃を手甲に施された装甲の隙間に滑り込ませた。

 

「ぐっ!?」

 

 鮮血と共に、手甲の装甲の一部が弾け飛ぶ。

 デルフィンが繰り出したのは、一種の鎧剥しの技法。固い鎧を纏った相手と戦う際に用いられる技術の一つだ。

 実際、デルフィンはこの技術を応用して、サーロクニルの翼の機能を奪ったことがある。

 

「しっ! せい!」

 

 ニ撃目、三撃目と、続けざまに放たれる鎧剥しの斬撃。その度に健人の鎧は、まるで貝の殻をこじ開けるように、剥されていく。

 だが、健人も負けていない。

 四撃目には鎧の隙間に刃を滑り込ませられないように体捌きを調整し、五撃目には蛇のようなデルフィンの斬撃に先んじて弾き返すようになる。

 

(また対応するようになった。本当にこの弟子は成長が早くて始末に悪い!)

 

 次々と健人の知らない攻撃で翻弄しようとするデルフィンと、瞬く間に対応する健人。

 双方の攻防はまるで鼬ごっこのように繰り返されながらも、二人の技術をあっと言う間に昇華させていく。

 

(だけど、そろそろ……)

 

「っ、っ!?」

 

 連撃を繰り返す健人の表情が、徐々に青くなっていく。典型的なチアノーゼ、酸素欠乏症状だ。

 デルフィンが健人に打ち込んだ毒は、死には至らずとも、肺機能に影響を及ぼしている。

 そして今の健人は、無酸素運動を繰り返している状態だ。酸素が欠乏すれば身体機能は鈍り、視界は朦朧とし、強烈な頭痛に襲われることになる。

 そしてデルフィンの予想通り、健人のチアノーゼが進行するとともに、彼の動きも鈍っていく。

 ここで、さらに健人を追い詰める事態が発生する。

 

「く、まだまだだ!」

 

 意識を持ち直したドルマが再び参戦してきた。

 微妙な釣り合いを見せていた攻防が、一気にデルフィン側に傾く。

 そしてついに限界を迎えたのか、健人の上体が揺らぎ、地面に手をついた。

 

「今よ!」

 

「おおおおお!」

 

 チャンスとばかりに、全力の斬撃を繰り出すドルマとデルフィン。烈風のような斬撃と、雷のような剛撃が、交差するように健人に迫る。

 

「っ!」

 

 迫る斬撃を前に、健人は地面に這うように身を屈める。

 頭上を二人の斬撃が風と共に通り過ぎるのを確かめると、そのままドルマの足元に滑り込む。

 そして、雪原で光る細い“ソレ”左手を伸ばして掴み取り、ドルマの左足の鎧の隙間に打ち込んだ。

 

「ぐっ!」

 

 指すような痛みが、ドルマの左足に走る。

 さらに健人は立ち上がりながら、ドルマの両腕と右足の具足の隙間に、手に持った“針”を突き入れた。

 

「がっ!?」

 

 四肢に走る痛みと共に、ドルマの四肢に強烈な痺れが走る。

 両手足から力が抜け、彼は倒れ込むように雪の上に膝をついた。

 

「お前、それは……」

 

 ドルマの視線が、健人の左手に握られたソレに釘付けになる。

 それはデルフィンが健人の喉を潰すために使った毒針だった。強力な麻痺毒はドルマの四肢を麻痺させ、彼の戦闘力を完全に奪い去る。

 ドルマが痛みを感じていたところを見るに、一度使用したために毒の効果も減退しているのだろう。

 それでも即座に麻痺効果が表れる辺り、どれだけこの毒が危険な代物であるかを物語っている。

 とはいえ、毒の作成者であるデルフィンには通用しないだろう。

慎重なデルフィンのことである。何らかの対策を施していると考えられた。

 健人は持っていた針を奪い取られたりしないよう、崖下に放り投げる。

 一方、デルフィンは額に手を当て、呆れたように天を仰いでいた。彼女からしたら、健人のこの行動は予想外の結果だったのかもしれない。

 

「まさか、私が仕組んだ手を逆手に取られるとはね。ケント、貴方もしかして、初めから私達を欺くつもりで針を放り捨てたの?」

 

 デルフィンの問い掛けに、健人は反応を返さず、デルフィンの不意打ちに備えるように腰を落す。

 一息入れることが出来たおかげか、彼の顔色は幾分か和らいでいる。

 とはいえ、肺機能が不十分であることは変わらない。

 すると健人は何を想っているのか、抜いていたブレイズソードをゆっくりと鞘に納めた。

 鍔に左手の親指をあて、右手を柄に添えるように構える。

 それは最初の不意打ちの際に、デルフィンが見せていた居合抜きの構えだった。

 

「本気? その刀法は確かに一撃の威力と速度は比類ないけど、代わりに外せば完全に無防備になるわよ。何度か見ているならともかく、一度しか見ていない貴方にそれが出来るのかしら?」

 

「…………」

 

 挑発するようなデルフィンの言葉。しかし、酸素欠乏で青い顔色をしながらも、健人の瞳は強い輝きを宿し、そして静かな闘気で満ちていた。

 その弟子の姿に、デルフィンも同じ構えを取る。健人の行動がハッタリでないと気付いたのだ。

 実際、健人は現代日本で、テレビや動画などで居合の様子を見たことがある。

 イメージは既に頭の中に細部まで刻まれているし、彼自身もこの世界に来てから実際に同じ形状の剣を振るい、研鑽を積んだ身。自らの体にイメージを落とし込む術は、とっくに身についている。

 共に腰を落し、剣を鞘に納めた両者。

 双方の意識は研ぎ澄まされ、視線がぶつかり、剣気が鬩ぎ合う。

 断崖絶壁に吹き荒れる風の音が響く中、二人は世界が遠くに感じられるほどの集中力を発揮していく。

 

「スゥ……っ!」

 

 デルフィンの気配が拡散し、その姿がぶれ、まるで霞のように消えていく。

 影の戦士の発動。その瞬間、健人は眼前の剣士の全てを見抜こうと、研ぎ澄ませていた集中力をさらに深めていく。

 音が消え去り、視界から色すらも消えていく。

 いつしか健人の目には、横薙ぎに叩き付ける雪の結晶の一つ一つすらも認識できるほどの集中力を発揮していた。

霞のように曖昧だったデルフィンの姿が、徐々にその輪郭を取り戻していく。

 視界の中の時間全てが引き伸ばされる中、健人は地を蹴った。

 デルフィンの影の戦士は、気配分散と体術の併用により相手の五感全てを欺瞞し、自分の姿を無いものと認識させる技術。

 それは全周囲から監視されていても、その目全てを欺く隠形の完成系。

 だからこそ、それが完全に発動する前に、健人は勝負をかけようと思ったのだ。

 

「っ!」

 

 だが、踏み込もうとした健人の前で、再びデルフィンの姿が掻き消える。

 いくら集中力を発揮しようが、影の戦士が相手の五感全てを欺瞞する以上、惑わされることを避けるのは不可能だった。

 健人の目の前で、デルフィンの姿が完全に消える。そして次の瞬間、猛烈な死の気配が、健人の首筋から全身に走った。

 

「終わりよ……」

 

「っ!?」

 

 デルフィンが姿を現したのは、健人の右後方。構えた健人の刀から最も遠く、圧倒的にデルフィンが有利な位置取りだった。

 そして二人は濃口を切り、抜刀。

刃を抜いたのは全くの同時。故に、デルフィンは自分の勝利を確信した。

 

「ぐう!」

 

「なっ!?」

 

 しかし、結果はデルフィンが予想した結果とは違っていた。

 ガィン! と甲高い激突音が響く。

 最速で放ったはずのデルフィンの一撃は、さらなる速さで放たれた健人の刃に迎撃されていた。

 デルフィンに回り込まれた事に気づいた時点で、健人は両足を僅かに浮かせ、腰を切りながら体を入れ変えつつ、抜刀。

 足首から頭まで全ての関節を連動させ、更に振り返る際の運動エネルギーすらも抜刀に上乗せしたのだ。

 その一撃はデルフィンの剣速を上回り、見事デルフィンの居合を迎撃することに成功した。

 だが、その程度で終わるデルフィンではない。

 

(まさか防がれるとは……でもこれで終わりよ!)

 

 デルフィンは身体を捻り、見事な体幹制御を披露。激突の衝撃で流れる刀の軌道を修正し、そのまま袈裟斬りへとつなげる。

 実のところ、居合と言うのは刀だけでなく、柔術等の体術を含み、立ち合いだけでなく座位からの抜刀なども含む、複雑な体系の総合技術だ。

 故に、初太刀を外した際の対処も無数に存在する。

 つまるところ、「初撃を外せば無防備」という言葉も、実はデルフィンのブラフであり、それでも全力の居合を放った後に遅滞なく二撃目へと繋げる彼女の技量は、さすがと言えた。

 

「なっ!?」

 

 だが、デルフィンが己の刃を振り降ろす前に、彼女の目に予想外の光景が飛び込んで来た。

 それは弾かれた刃をそのまま鞘に納め直し、再び居合の構えを取っている健人の姿だった。

 デルフィンに後ろを取られた時点で先を取れないことを悟り、迎撃に移行した健人。

 彼は自分の刃が撃ち返されることを前提にし、跳ね返された瞬間に刀の切っ先を返し、鞘口へ叩き込んだのだ。

 一歩間違えば、自分の指を切り落としかねない行為。しかし、デルフィンが彼に施した思考と体の運動を完全に一致させる訓練と、舞う雪一つ一つの結晶の形すらも見抜くほどの極限の集中力が、その奇想天外な行動を可能にしていた。

 

「まさか、ね……」

 

「っ!」

 

 そして、デルフィンがブレイズソードを振り下ろすより先に、再び健人の刃が鞘から放たれた。

 斬り上げるように放たれた健人の居合は、デルフィンの左手を上腕から切り飛ばす。

 鮮血と共に、デルフィンのブレイズソードが宙を舞い、彼女の手から離れた刀は放物線を描きながら、崖下へと消えていく。

 

(ああ……)

 

 手から離れ、落ちていく愛刀に見向きもせず、デルフィンは自分を破った目の前の剣士を見つめる。

 自らの最後の教え子。取り入るために利用しようとした手駒。そして今、完全に自分を超えた弟子。

 

「本当に、強くなったわね……」

 

 感慨深く呟く彼女の声色は、どこ穏やかで安堵を漂わせるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 健人とデルフィンの戦いが始まったころ、星霜の書を持ったリータは、世界のノドの頂上に到着していた。

 戻って来たリータを、パーサーナックスが出迎える。

 

“手に入れたか。ケル、星霜の書を。ティード、クレィ、クァロウ、それが触れれば、時が震え出す。疑うべくもない、お前は運命に導かれている。コガーン、アカトシュ、この大地の骨組みは、お前の思うがままだ……”

 

 世界のノドの頂上にある一際大きな岩の上から、老竜はリータを見守っていた。

 彼らの父が祝福した、正当な竜の血脈。

 竜神アカトシュの子として、時を感じる竜の本能が、歴史の特異点が迫っていることを感じ取っている。

 だが同時にパーサーナックスは、時の流れに奇妙な違和感も覚えていた。

 はるか遠く、それこそ違う世界で起きた、時の震え。

 彼の父が扱う力とは違う、しかし、世界を震わせるほどの声。それが何故か、身近に近くに忍び寄ってきているような感覚を。

 

(ウォト、ファード、ダーマーン。なんだろうか。この切ないような、寂しいような感覚は……)

 

 湧き立つ懐かしさと、寂寥感。常に胸の奥で渦巻く欲望とは違う、意味不明な感情の発露。

 そしてそれは、リータの持つ星霜の書を見る度に、徐々に大きくなっていく。

 だが、脳裏に浮かんだビジョンが、パーサーナックスの思索を中断させる。

 それは、まっすぐにこの世界のノドに向かってくるアルドゥインの姿だった。

 

“……行くがいい。運命を全うするのだ。巻物を、時の傷跡へと持っていけ”

 

 一方、リータはパーサーナックスの言葉に従うように、時の傷跡へと向かう。

 光の粒が渦を巻き、蜃気楼のように周囲の光景を歪ませる場所。

 かつてリータが持つ“竜の星霜の書”が用いられた場所であり、そしてアルドゥインと古代ノルドの英雄たちとの古戦場だ。

 

“急げ、アルドゥインが来る。奴がこの兆しを見逃すはずがない”

 

 重苦しい声で、パーサーナックスはリータにアルドゥインの襲来を予言する。

 アルドゥインが来る。その言葉に、リータは憎悪を高ぶらせた。

 ようやく復讐できる。父と母、自分の大切なものを奪い取った邪悪な竜に、鉄槌を下すことが出来るのだと。

 光の渦の中に入り、星霜の書を掲げる。

 時の傷跡と共鳴するように、宙を舞う光が、星霜の書に纏わりついてきた。

 

「力を。全てのドラゴンを屠る力を……」

 

 己の内で渦巻き、響き合いながら膨れ上がる渇望。

 それに従うまま、リータは書を開く。

 次の瞬間、星霜の書のページから光が溢れ、天球図を思わせる図形を描くと、リータの意識は過去の竜戦争の時代へと遡っていった。

 

 




そして、気がつけば101話目。マヌケな作者は感想欄を読んで初めて気づきました。
皆さん応援ありがとうございます!

そして良ければ、書籍化したオリジナル作品の方もよろしくお願いします(再びあからさまな宣伝をする作者)




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第十四話 共鳴する憎悪

お待たせしました。


 戦いが終わり、健人は抜いていた血髄の魔刀を鞘に納める。

 デルフィンは切り落とされた傷口に布を巻き、固く締めていた。

 断続的に吹き出る血が、どれほど重症であるかを物語っている。

 声を発せない健人は静かに腰のポーチに手を伸ばすと、ポーションを取り出してデルフィンに差し出した。

 差し出されたポーションを眺めながら、デルフィンは大きく息を吐く。

 

「ふう、私も衰えたものね。まさか殺そうとした弟子に助けられるなんて……」

 

 手渡されたポーションを受け取り、半分を傷口に振りかけ、半分を飲み干す。

 瞬く間に傷口が塞がり、流れていた血が止まる。

 切り落とされた腕が再生するわけではないが、止血できれば、命を落とすことはないだろう。

 

「なるほど、こっちの腕も上がっているのね。大したものだわ……」

 

 癒えていく己の腕を眺めながら、デルフィンは感慨深く呟いた。その声色には、先ほどの戦いの時のような張りつめた気配はない。

 左手を失い、戦意を完全に無くしたその姿に、健人は苦々しい感情が喉の奥から湧き上がるのを感じた。

 

「ケント、大丈夫~~!」

 

 デルフィンの応急手当てを終えた健人が、今度は四肢の麻痺で倒れているドルマに手を貸そうとしたその時、雪崩で山道に積もった雪を乗り越えて、カシトとリディアが合流してきた。

 カシト達は雪崩を起して分断を図ったエズバーンを拘束したまま、雪の丘を降りてくる。

 

「こちらは終わりました。そちらは……大丈夫のようですね」

 

 リディアは後ろ手に拘束していたエズバーンをデルフィンの隣に座らせると、彼らの後ろに立つ。何か不審な行動を取ろうとすれば、いつでも斬れる位置取りだ。

 

「エズバーンも負けたのね。寄る年波には勝てないって事かしら……」

 

「私は元々、デスクワーク専門だ……」

 

 悔しそうに顔を歪ませるエズバーン。ドラゴン殲滅を叫ぶ彼としては、ここで志を食い止められるのは不本意であろう。

 一方、健人も麻痺で倒れているドルマを起すと、デルフィンたちの所まで運び、ゆっくりと地面に座らせた。

 

「お前……」

 

「ケント、さっきから黙っているけど、どうかしたの?」

 

 驚きの声を漏らすドルマをよそに、健人はカシトの問い掛けに自分の喉を指差して、ジェスチャーで声が出ない事を伝える。

 デルフィンの麻痺毒はまだ効力が続いている。シャウトを使うにはこの麻痺を解かなくてはならないのだが、健人は手持ちの毒消しを試すも、効果が出ない。

 予想はしていたが、やはり相当特殊な麻痺毒のようだった。

 そんな健人達の様子を見て、デルフィンはおもむろに自分の服の内側に手を入れた。

 次の瞬間、抜き放たれたリディアの剣が、後ろからデルフィンの首筋に突き付けられる。

 

「動くな」

 

「変な事はしないわ。ケントに使った麻痺毒の解毒薬を出すだけよ」

 

 信じられないといった様子のリディアを無視して、デルフィンは懐から液体の入った小瓶を取り出す。

 厳重に封をされた小瓶を、デルフィンは健人に向かって放り投げた。

 

「解毒薬よ。飲みなさい、麻痺が癒えるわ」

 

 小瓶を受け取った健人は、一度小瓶に目を落とすと、再び一度デルフィンに視線を向ける。デルフィンの目的達成のためにあらゆる手段を用いる気質を知っているだけに、彼としても、飲んでいいものか迷っていた。

 リディアやカシトに至っては、あからさまに飲まないように忠告してくる。

 

「安心しなさい。一人分しかないけど、ちゃんと本物よ。信じられないという気持ちも無理はないけど……」

 

「……デルフィン?」

 

 鋭い刃のような気配に満ちていたはずのデルフィンの穏やか声に、エズバーンは戸惑いの声を上げる。

 一方、健人もそんなデルフィンの様子に覚悟を決めると、小瓶の蓋を開けて中身を嚥下した。

 

「ケント様!」

 

「ケント!」

 

 リディアとカシトが声を上げる中、健人は小瓶の中身を全て飲み干すと、声の様子を確かめてみる。

 

「あ゛、あ゛~~、あ゛~~、ん、んん! 大丈夫みたいだ」

 

 声は問題なく出る。

 リディアやカシトが危惧していた毒の効果も見られなかった。

 二人は一時、ホッとしたように肩を落とすものの、続いて複雑な表情を浮かべる。

 健人としても二人の感情はわかるが、麻痺が治るなら全く問題はない。

 真言であるスゥームを使い、そして学んできたからだろうか。

 スゥームでなくても、最近は他人の言葉の端に篭る感情が、この世界に来た時よりも理解できるようになってきた気がしていた。

 

「特別な毒だったけど、効果が早い分、分解するのも早いわ」

 

 生憎とドルマの分はない様子だが、致し方ない。

 もしかしたら、しばらく時間をおけば解けるのかもしれないが、健人としても、今は頂上に向かったリータが気になるところ。

 一方、ドルマは手足の麻痺は気にした様子もなく、只々目の前の貧弱だった異邦人の姿を、驚いた様子で見上げていた。

 

「ケント、お前……デイドラロードと、ハルメアス・モラと取引したんじゃないのか?」

 

「あ゛? 誰が、あんな奴と……!」

 

 突然のドスの効いた健人の声に、ドルマだけでなくデルフィンやエズバーンも思わず目を見開き、肩を縮こませる。

 普段の穏やかな健人の印象しか抱いていないドルマやデルフィンにとっては、怒り心頭な健人の姿はほとんど見たことがない。

 いったい何があったのかと聞きたくなるドルマだが、あまりの健人の怒気に言葉を続けられなくなる。

 そんなドルマの疑問に答えたのは、隣で様子を見ていたカシトだった。

 

「そんなわけないでしょ。まあ、確かに契約は迫られたし、色々あったけど、ケントはハルメアス・モラを殴り飛ばして無理やり破棄させたし……」

 

「「「……は?」」」

 

 ドルマ、デルフィン、エズバーン達の口から、三者三様の間の抜けた声が漏れる。

 どうやら、聞こえてきたカシトの言葉が理解できなかったらしい。

 実際、健人はハルメアス・モラを彼の領域ごと消し飛ばして、囚われたストルンの魂を開放しているので、嘘は全くない。信じられるかどうかは別問題だが……。

 

「まあ、一度聞いただけでは理解できませんし、信じられないでしょうね。私も時々そう思いますし……」

 

 一方、ポカンとしている三人の様子に親近感を抱いているのが、ウィンドヘルムで同じ話を聞かされたリディアである。

 彼女はデルフィンの首にしっかり刃を突き付けたまま、彼らの反応に共感するように頷いていた。

 先ほどまでの緊張感に満ちた戦いが嘘のような、なんとも言えない弛緩した空気が満ちる。

 

「というか、ドルマ。お前はどこであの知識厨に会ったんだよ」

 

「ドラゴンレンドを求めている最中に接触してきた。そいつの眷属だった男は、ドワーフの遺跡でドラゴンを復活させて、俺たちに襲い掛かってきたんだ」

 

 ドルマはとりあえず、北の氷河で接触したセプティマスとハルメアス・モラ。そしてブラックリーチでの出来事を踏まえて、健人に説明をしていく。

 

「襲い掛かってきたドラゴンは?」

 

「リータが倒して魂を吸収したけど……」

 

 険しかった健人の額に、さらに深い皺が刻まれた。

 ドラゴンボーンとしての直感とソルスセイムでの経験が、健人に警鐘を鳴らしている。

 

「ケント……」

 

「アイツが意味もなくニルンに介入してくるはずがない。間違いなく、リータに何かしたな。先を急いだほうがいい。グレイビアードたちは?」

 

「グレイビアード達は無事よ。眠っているだけだから、直ぐに目を覚ますわ」

 

「カシト、リディアさん、悪いけどここに残って、グレイビアード達の介抱をしてくれ。俺は一足先に頂上に向かう」

 

 テキパキとカシトとリディアに指示を出すと、健人は地面に落ちていた盾を拾って背中に収め、先へと進もうとする。

 

「俺も……うっ」

 

 背を向けた健人の後を追うように、ドルマもついて行こうと体を起こそうとするが、麻痺の残っている四肢がうまく動かず、その場に再び倒れ込んでしまった。

 

「ドルマ、麻痺が解けてない内は無理だ。それじゃカシト、リディアさん、後をお願いします」

 

「待ってくれ!」

 

 リディアとカシトの了承の返事を受けると、健人は寺院へ向けて駆け出そうとする。その背中を、悲鳴にも似たドルマの声が押しとめた。

 立ち止まって振り返る健人に、ドルマは今まで彼に対して自分が行ったことが脳裏に浮かび、一瞬押し黙る。

 怪訝な表情を浮かべている健人を前に、ドルマは言葉に詰まりながらも、ゆっくりと口を開いた。

 

「その……今まですまなかった」

 

 伝えたのは、謝罪の言葉。

 今までよそ者呼ばわりしてきたこと、頑なに向き合おうとしなかったこと。そして、裏切り者呼ばわりして斬ろうとしたこと。

 今までの己の愚かさを恥じながら、ドルマは健人に頭を下げる。

 そんなドルマの謝罪を前に健人は……

 

「いいよ。お前がそういう奴だって、知ってるから」

 

「は?」

 

「聞き分けの悪い、頭の固いノルドだってことさ」

 

 呆れたように鼻息を漏らし、笑みを浮かべながら、軽い口調でそう返した。

 健人はもう、とっくに許していた。拒絶されたことも、裏切り者呼ばわりされたことも。

 一時は現実を受け入れられずに逃避したが、逃げた先で、悲しみと虚しさを乗り越えることができた。

 そして、自分の道を見定めた。他でもない、自分の意志で。

 一人の人間として、一つの命として自立し、成長を繰り返した健人は、いつの間にか過去の痛みを、きちんと受け止めることが出来るようになっていた。

 辛く苦しい過去も、ありのまま受け止めて、未来を見据えて、力強く歩いて行こう。健人はそんな気持ちを笑顔に込めて、ドルマを優しく見つめる。

 自然な笑みを浮かべながらも、瞳に強い光を宿す健人の姿に、ドルマは胸の奥に閊えていたわだかまりが解けていくのを感じた。

 

「お前……」

 

「ふふ、じゃあ、俺は先に行く。後から来いよ」

 

 健人はドルマにそれだけを告げると、今度こそ踵を返して寺院の中へと消えていった。

 

「……ああ、すぐに行くさ」

 

 凍り付いていたはずの心が震える。体の芯から熱がこみ上げ、力が全身に満ちる。

 ドルマは先へ進む健人を見送りながら、麻痺しているはずの手で力強く雪を握りしめ、そう宣言していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 リータは視界に浮かぶ天球図の向こう側、ガラスを隔てたかのような過去の景色を、じっと見つめていた。

 場所はおそらく、世界のノドの頂上。紅く染まった空と、飛び交うドラゴンたち。

 戦場の気配に満ちたそこに、三人の戦士がいた。

 黄金の柄のゴルムレイス、隻眼のハコン、古きフェルディル。

 歴代のノルドの英雄たちの中でも、特に声に長じた戦士達であり、歴史に名を刻まれた真の勇者たち。

 彼らは自分たちが倒したドラゴンたちの屍を踏みしめながら、空を見上げている。

 

「なぜアルドゥインが出てこない? あんたの策にすべてがかかっているんだぞ、ご老人」

 

「奴は来る。我らの抵抗を放っておくはずがない。それに今更我らを恐れるとでも?」

 

 ハコンの疑問に、フェルディルが答える。

 彼らは長きに渡って続いていた竜戦争を終わらせるため、今まさに決戦を挑んでいるところだった。

 持てる軍全てでドラゴンたちを誘い出し、乗ってきたアルドゥインを三人の英雄たちが屠るという策。

 しかし、戦いが始まっても、まだ肝心のアルドゥインが姿を現していなかった。

 

「この戦いで、奴も大きな痛手を被っている。今日ここだけで奴の身内を4体も倒しているのだからな!」

 

「しかし、アルドゥインと戦って生き延びた者はおらん。ガルソルも、ソッリも、ビルキルも……」

 

 フェルディルの言う通り、アルドゥインと戦って生き延びた者はいなかった。どんな力を持った勇者たちですら、傷一つ付けられずに敗北し、殺されてきたのだ。

 

「アルドゥインは弱きドラゴンのようには倒せん。奴の強さは桁違いだ」

 

「奴らにはドラゴンレンドがない。引きずり降ろしさえすれば、必ずこの手で首を取る!」

 

 自信満々に胸を張るゴルムレイス。一方、フェルディルはそんな戦友をいさめるような言葉を続ける。

 三英雄の中で最も年長であるフェルディルは、アルドゥインの力をよく知っていた。

 その残虐性も、おおよそすべての生物の頂点に立つ体躯も、次元違いともいえるような声の力も。

 

「しかし我らにはドラゴンレンドが……」

 

「だからこそ、星霜の書を持ってきたのだ」

 

 そう言うと、フェルディルは懐から黄金に輝く星霜の書を取り出した。

 それは、ドラゴンレンドでアルドゥインを倒せなかった時の最後の手段として、フェルディルが秘密裏に持ち込んでいたもの。

 彼らの声の師であるパーサーナックスからは止められていたが、この決戦に全てを投じた人間軍には、敗北は許されない。

 ゆえに、彼はもしもの時は、この書を使うと宣言していた。

 

「フェルディル、それは使わないと決めたはずだ!」

 

 星霜の書を見たハコンの眼が、一気に険しくなる。

 そもそも、星霜の書は神々ですら容易に触れることが出来ない代物。人の身で使えば、何が起こるかわからない。

 

「納得はしていない。それにお前たちが正しいなら、これは使わずに済む……」

 

「駄目だ。今ここで、我らの手だけで、アルドゥインに立ち向かうのだ」

 

「すぐに分かる。アルドゥインが来るぞ!」

 

 星霜の書を巡ってぶつかる、ハコンとフェルディル。しかし結論が出る前に、漆黒の竜が彼らの前に姿を現した。

 世界のノドの頂上に築かれた碑石に降り立ったアルドゥインは、その威容を三英雄たちに見せつけながら、殺意と嘲りに満ちた瞳で彼らを見下ろしている。

 

“メイェ! ターロディス、アーネー! ヒム、ヒンデ、バー、リーヴ! ズーウ、ヒン、ダーン!”

 

 アルドゥインが巨大な翼をはばたかせ、再び宙に舞う。

 手出しのできない空から、一撃で葬ってやろうというつもりなのだろう。

 だが、絶対的な自信に満ちたアルドゥインを前にしても、三英雄は怖気づくどころか、戦意を昂らせていた。

 

「ソブンガルデで見守る者は、今日この場にいる者を羨むだろう!」

 

 そして、ゴルムレイスの宣言とともに、秘奥のスゥームが放たれる。

 

「ジョール、ザハ……フルル!」

 

 放たれた衝撃がアルドゥインの体に着弾し、青白い光で包み込む。

 光の渦に捕らわれたアルドゥインは苦しむように体をよじらせると、引きずり降ろされるように地面に降り立った。

 

「これが、ドラゴンレンド……」

 

 ドラゴンレンド。

 定命の者、有限、一時的の言葉で構築されたスゥーム。

 ドラゴンたちの苛烈な支配を受けていた人間たちが、支配者たるドラゴンへの憎しみから作り上げた、ドラゴンを屠るためのシャウトである。

 三節全てに“有限”の概念が込められたシャウトは、時の竜神の直系の子供であるドラゴン達がもつ“永遠”の概念を切り裂き、その力を封印する。

 

“ニヴァーリン、ジョーレ! 何をした!? なんという言葉を作り出したのだ!? ターロディス、パーサーナックス! 首に食らいついてやる!”

 

 完全に見下していたはずの人間から受けた、不意の一撃。

 それは己の勝利を絶対視しているアルドゥインに、隠しきれない動揺を与えていた。

 ドラゴンレンドを受けて地面に降り立ったアルドゥインは、ドラゴンを裏切ってスゥームを人間に授けたパーサーナックスに対する怨嗟を口にしながら、自分を空から引きずり下ろした三英雄たちを睨みつける。

 

“だがまずは……ディル、コ、マール。恐怖に怯えながら死ぬのだ、自分の運命を知って……。”

 

 自分を空から引きずり下ろしたゴルムレイス、フェルディル、ハコン達に向き合ったアルドゥインは、初めて人間たちを己の脅威と認め、屠殺することを決意する。

 

“ソブンガルデで再会した暁には、お前たちの力をいただくぞ!”

 

 竜王が三英雄に襲い掛かる。

 最初に竜王に向かって踏み込んだのは、三英雄の中で最も勇敢な女戦士、黄金の柄のゴルムレイスだった。

 

「今日死すとも、恐怖に死ぬのではない!」

 

 迫るアルドゥインの牙を躱しながら、右の手に携えた片手剣を振るう。

 戦士として、時代の最高位に位置するゴルムレイスの斬撃は、アルドゥインの全身を覆う漆黒の鱗にめり込んだ。

 続けて、フェルディル、ハコンがアルドゥインに飛び掛かる。

 両手剣と両手斧が振るわれ、シャウトが繰り出される。

 絶対の守りを誇っていたアルドゥインの鎧が剝がれ、確かなダメージが無敵だったはずの巨躯に刻まれていく。

 

「スカイリムに自由を!」

 

 猛々しく戦声を張り上げながら、ゴルムレイスがさらに激しく攻め立てようと剣を振り上げる。

 しかし次の瞬間、脇をえぐるように食らいついたアルドゥインの牙が、一撃で彼女の体を引き裂いた。

 

「くそったれめ!」

 

 仲間の一人を失ったハコンが憤りの声を漏らしながら、両手斧をアルドゥインに叩き付ける。

 しかし、アルドゥインは自らに打ち込まれた攻撃など意に返さず、その牙でハコンを引き裂こうとしてくる。

 圧倒的なまでの生命力。たとえ無敵の鎧を剝がされようと、アルドゥインの持つ力は三英雄たちを大きく凌駕していた。

 さらに、ここでアルドゥインを拘束していたドラゴンレンドの効果が切れた。

 光の渦が収まり、アルドゥインは無敵の体を取り戻してしまう。

 ここにきて、ハコンは自分たちの力だけでは、アルドゥインを倒しきれないと悟った。

 

「駄目か。仕方ない、星霜の書を使えフェルディル、今だ!」

 

「シスターホークよ、我らが契約を果たすために、その聖なる息吹を与えたまえ!」

 

 ハコンの呼びかけに、フェルディルが下がり、星霜の書を取り出して祝詞を唱え始める。

 

「失せい、世界を食らうものよ! おまえ自身の骨より古き骨の言葉により、この時代にお前を宿らせるものを打ち砕き、追い払わん!」

 

 アルドゥインの視線がフェルディルに向いた。

 フェルディルが纏う決意を漂わせた空気に竜王としての直感が働いたのか、アルドゥインは相対していたハコンを無視して、フェルディルにシャウトを浴びせようと口を開く。

 

“ヨル、トゥ……”

 

「させん! ジョール、ザハ、フルル!」

 

“ぐおおおおお!”

 

 そうはさせないとばかりに、ハコンが再びドラゴンレンドを唱えた。

“有限”の概念が、再びアルドゥインの体を拘束し、竜王が唱えようとしていたシャウトを中断させる。

 

「消え失せい、アルドゥイン。われらは最後の一人が倒れるまで、叫び続けん!」

 

 そして、ついに祝詞が完成した。

 次の瞬間、アルドゥインの体が一際大きな光の渦に包み込まれる。

 

“ファール、ケル!? ニクリーネー!”(星霜の書だと!? ありえん!)

 

「消え失せい!」

 

 光の渦に飲み込まれたアルドゥインの体は真っ白に染まり、やがて渦の中に飲み込まれるように消えていく。

 光渦が収まった後には、残ったのは世界のノドに吹きすさぶ風の音だけで、漆黒の竜王の姿はどこにもなかった。

 

「効いた……。やったぞ……」

 

「ああ、世界を食らう者は消えた……。我らの魂に、精霊たちの加護があらんことを」

 

 そして、過去の情景は、まるで糸がほどけていくかのように薄らいでいく。

 リータは想像を絶する過去の戦いを前にしながら、そこで使われた声の力に魅入られていた。

 

「あれがドラゴンレンド、アルドゥインを引きずり落とした声……」

 

 ドラゴンレンド。

 その言葉が、そして言葉に込められた意思が、彼女の魂に深く刻まれていく。

 

「でも、私はドラゴンボーン。私なら、殺せる。アルドゥインを、そして、ドラゴンのすべてを……」

 

 殺せ、ドラゴンを殺せ。

 父を、母を、兄弟を、妻を、子を、無残に殺したドラゴンたちを殺し尽くせ!

 殺意と怨嗟、そして憎悪に満ちた幾多の魂たちの声。ドラゴンレンドを構築する言葉の奥込められた意思に、リータもまた己の憎悪を猛らせる。

 

“クリィ、クリィ”(殺せ、殺せ……)

 

“モタード、モタード……”

 

 そして、取り込んだドラゴン達の憎悪と埋め込まれた“共鳴”のスゥームが、互いの憎悪を際限なく昂らせていく。

 

“戻ったか……ドラゴンレンドは、学べたのか?”

 

 そして、世界のノドに戻った彼女に最初に目に飛び込んできたのは、老いた賢竜の姿だった。

 リータは己の中で昂る憎悪に流されるまま、憎しみの声を叫ぶ。

 

「ジョール、ザハ、フルル!」

 

“ぐおおおおお!”

 

 ドラゴンレンドが、パーサーナックスに直撃した。

 有限の声に縛られ、力を封印された老竜は、掴まっていた岩から転げ落ち、うずくまるように地面に倒れ込む。

 

「クリィ……ダー、ドヴ。クリィ、ダー、アルドゥイン。クリ、ダー……アル」(ドラゴンを殺せ、アルドゥインを殺せ、全てを、殺せ……)

 

 ドラゴン語で、全てに対する憎しみの言葉を漏らすリータを前に、パーサーナックスは彼女の身に起こったことを察した。

 ドラゴンレンドに込められた憎悪は、彼女を押しとめていた最後のタガを外していた。

 人がドラゴンに向けた憎悪、ドラゴンが己を殺した人間に向けた憎悪。そして、その二つを結び付る共鳴の声。

 互いに混ざりあい、響き合い、際限なく昂っていく憎しみと怨嗟は、彼女を憎悪に突き動かされるまま、目につくすべてを殺し尽くす存在へと変えてしまっていたのだ。

 

“クロシス……飲まれたのか、ドラゴンレンドに……。己と、彼らの憎悪に”

 

 デイドラの兜の奥から覗くリータの瞳は、まるでアルドゥインと同じように、憎しみの紅に染まっていた。

 完全に憎しみに堕ちたドラゴンボーンを前にして、パーサーナックスは諦観の声を漏らす。

 

“ニド、いや、これは、私たちが生み出したもの。私たちドラゴンが、まき散らした憎悪か……”

 

 この少女が狂ったのも、ドラゴンレンドが生まれたのも、元を質せば、行き過ぎたドラゴンの支配によるもの。

 パーサーナックス自身も、ドラゴンの支配の中で一番苛烈な支配を行い、最も多くに人間を虐殺している。

 それだけに、贖罪を求める老竜の眼には、憎悪に飲まれたリータの姿が、過去の己の罪が自らを裁きに来たように見えていた。

 

“ゲ。トル゛、ロ゛ス、ズー、デズ。よい、全ては我らが犯した罪。それから逃げようとは思わん”

 

 だからこそ、パーサーナックスは抵抗しようとは思わなかった。

 目を閉じ、運命の示すまま、来るべき断罪の瞬間に身をゆだねる。

 憎悪に飲まれたリータが、背中のデイドラの両手斧を構えた。腰を落とし、前かがみになって、両手に携えた斧を振り上げる。

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

 そして、旋風の疾走が唱えられた。

 一瞬で旋風となったリータは地面にうずくまるパーサーナックスめがけて一直線に踏み込み、振り上げた両手斧を老竜の頭蓋めがけて振り下ろす。

 

「させるか! ウルド、ナー、ケスト!」

 

「っ!?」

 

 だが次の瞬間、横合いから飛び出してきた影が、リータに旋風の疾走で体当たりをかましてきた。

 衝突した二人はもつれあうように吹き飛ばされながら、雪の上を転がる。

 突然の乱入者に邪魔されたリータだが、彼女は地面を転がりながらもすぐに立ち上がり、弾かれるように後ろに跳ぶ。

 乱入者もリータとパーサーナックスの間に割り込むように跳躍して体勢を立て直すと、背中に背負った盾を左手に携えた。

 

“お前は……”

 

 パーサーナックスは、突然割り込んで自分を助けた人物の背中に、思わず目を奪われた。

 彼の体から感じられる、力強いドラゴンソウル。

 ケイザールの、スカイリムの空を思わせる荒々しくも、静謐な魂。その姿は、まるでかつて彼を説得に来た天空の神を思い起こさせていた。

 

「クリィ……、モタード……、クリィ……、モタード……」

 

「ようやく会えたと思っていたらこれかよ……。ハルメアス・モラめ、リータに共鳴のスゥームを埋め込んだな」

 

 一方、パーサーナックスを庇うように立つ健人は、ようやく再会した姉の変わり果てた姿に、奥歯を噛みしめていた。

 彼女の体から発せられる、強い憎悪の感情。そして、その憎悪を高ぶらせている共鳴のスゥーム。

 共鳴のスゥームを知っているのは、健人とミラークを除けば、ハルメアス・モラだけ。

ドルマから聞いた話を考えれば、あのデイドラロードが何らかの形でリータに干渉したのは明らかだった。

 

「アアアアアアアアアアア!」

 

 リータが怨嗟に満ちた叫び声をあげながら、健人に襲い掛かってきた。

 すでに彼女は、親しかった弟の姿すら認識できなくなるほど、憎しみに飲まれていた。

 デイドラの両手斧が、健人の体を両断する勢いで振り下ろされる。

 

「……ムゥル、クァ、ディヴ!」

 

 迫りくる刃を前に、健人はドラゴンアスペクトを唱える。

 スゥームで高められたドラゴンソウルが体から吹き出して虹色の鎧を構築し、彼の力を劇的に高めた。

 

「っ!?」

 

「ふっ!」

 

 振り下ろされる両手斧に合わせて、健人の盾が繰り出される。

 次の瞬間、空気が破裂したような強烈な炸裂音とともに、振り下ろされたリータの斧が弾かれ、彼女の体は十数メートル後ろにまで後退されていた。

 憎悪で朱に染まったリータの瞳に、驚きの色が浮かぶ。

 一方、健人は決意を秘めた虹色の眼光で、リータを見つめていた。

 脳裏に浮かぶのは、彼女の手で殺された友人のドラゴン、そしてウィンドヘルムで自らに立てた“姉が憎しみのまま力を振るうなら、それを止める”という誓いだ。

 

「リータ、俺は今度こそ、お前を止めるぞ」

 

 今一度、自分の決意を胸に刻みながら、健人は腰に差した血髄の魔刀を引き抜く。

 星霜の書に刻まれた運命のドラゴンボーンと、異端のドラゴンボーン。

ニルンの最高峰、世界のノドの頂上で、再びドラゴンボーン同士の戦いの火ぶたが、切って落とされた。

 

 

 




ようやくここまで書けました。
次回は健人とリータとの闘い、ラストドラゴンボーンVSイレギュラードラゴンボーンです。
とはいえ、これからはオリジナル小説第二巻の執筆が最優先になるかと思いますので、またちょっと時間がかかるかと思います。ご容赦ください。


以下、解説コーナー

ドラゴンレンド
古代ノルドがドラゴンに対抗するために作り出したシャウト。直訳すると、「ドラゴンを引き裂く」という、なんとも物騒な名前となる。
構成している言葉は「定命の者」「有限」「一時的」と、全てが有限の概念の言葉によって作られている。
同時にこのシャウトには、ドラゴンによって殺されて来た人間たちの憎悪が籠っており、このシャウトを習得するということは、彼らの憎悪をも取り込むということである。
その暴力的な側面から、声の道を進もうとするグレイビアードからは忌避され、禁忌とされていた。
また、構築する言葉は「永遠」を象徴するドラゴンとは真逆であり、故にドラゴンたちはこのシャウトの言葉を理解できないらしい。


天空の神
九大神の一柱、キナレスのこと。ノルドたちの間ではカイネという名で知られている。
空の神であり、風や空気、天候などに例えられる。
司っているものがものなだけに、農民や狩人などから非常に厚い信仰を集めている。
ロルカーンの世界創造に最初に同意した神であり、ドラゴンたちの圧政に苦しんでいた人間たちに救いの手を伸ばした神。この世界の神々の中では珍しく、きちんと人間のことを考えてくれる女神様。
パーサーナックスを説得し、人間たちにシャウトを授けた。他にもアレッシアやモーリアウス、ペリナルとも関係があるらしい。


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第十五話 ラストドラゴンボーンVSイレギュラードラゴンボーン

おひさしぶりです。
半年以上かかってようやくの更新です。


 時は少し遡り、健人が世界のノドの山頂に届きそうになったころ。

 吹き荒ぶ嵐を晴天の空で吹き飛ばしながら山道を駆けあがる彼の耳に、強烈なシャウトが響いてきた。

 

「ジョール、ザハ、フルル!」

 

「ぐっ!」

 

 健人は突然響いてきたシャウトに驚き、そして思わず足を止めそうになる。

 山頂から響いてきた、強い声の波動。全身に怖気と共に、ズキン! と頭痛が走った。

 意味は、定命の者、有限、一時的。

 だが健人を何よりも戦慄させたのは、その言葉の裏に込められた遺志。

 全てのドラゴンを殺せ、あの醜い獣を全滅させろ、目玉をくり抜き、首を切り落とし、骸を晒せ! 苦悶と絶望の叫びを響かせろ!

 へばりつくようなどす黒さをもちながらも、純化されきったシャウトは、背筋が凍るほどのおぞましさを持ちながらも、同時に宝石のような美しさをも併せ持っていた。

 その違和感が、強烈な吐き気となって健人に襲い掛かる。

 

「うっぷ……」

 

 ドラゴン達の力に対する欲求や支配欲もすさまじかったが、それほどまでに憎悪を純化させた人間達の意思もまたすさまじい。

 同時に、健人は胸の奥で、嫌な予感が爆発的に膨れ上がるのを感じた。

 このシャウトは危険だ。彼自身も、ミラークが憎しみから作り上げた“服従”のシャウトを身に付けたから分かる。

 シャウトに込められた意思は、時に学んだ担い手にも影響を与える。

 そして、先程のシャウトは間違いなく、義姉のもの。

 嫌な予感に突き動かされるまま、山頂へと駆けあがった健人の目に飛び込んできたのは、悟り切ったように無抵抗なまま殺されそうになっているパーサーナックスと思われるドラゴンと、憎しみに目を滾らせながら斧を振り上げるリータの姿。

 

「まずい!」

 

 旋風の疾走を発動したリータに対し、健人もまた旋風の疾走で突進。横合いから彼女を弾き飛ばし、同時に地面に倒れ込んだパーサーナックスとの間に割り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして再会した二人のドラゴンボーン。

 互いに相手を想えど、既にその道を別った二人。故に、この戦いは避けられないものだった。

 

「ああああああああ!」

 

 憎悪に染まったリータが吼えながら、地面の岩を砕きながら踏み込み、振り上げた両手斧を振り下ろす。

 既にその瞳には、守ろうとした弟の姿は映っていない。動く全てが、殺すべき存在としてしか認識されなくなっていた。

 

「ふっ!」

 

 常人はおろか、英雄ですら臆するほどのリータの覇気。それを前にしても健人は一切の動揺を見せず、逆に襲い掛かってくる彼女に向かって自ら踏み込んだ。

 卓越した盾術を活かし、左手で盾を斜めに掲げながら、リータの烈撃を受け流す。

 豪速で振り下ろされた烈撃が逸らされ、地面に打ち込まれて岩を砕き、雪と共に舞い上げる。

 そのまま盾ごと体当たりする形でリータを押しのけると、健人は腰に差したブレイズソードを抜き打ちの要領で薙ぎ払う。

 

「ぎううぅう!」

 

 デイドラの重装鎧とデイドラのブレイズソードが火花を上げ、リータがぐもった声を漏らす。

 だが、肝心の彼女の鎧には、傷一つない。

 健人とリータ。ともに同じデイドラの武具を持つが、製作者が異なるがゆえに、その性能差は異なる。

 健人の刃、デイドラのブレイズソードを作ったバルドールは確かに優れた鍛冶師ではあるが、リータの鎧を作ったのは、スカイリム一の鍛冶師であるエオルンド・グレイメーンだ。

 ゆえに単純な武具としての性能なら、リータに軍配があがる。

 とはいえ、健人自身も簡単にデイドラの装具を突破できると思っていないし、そもそもリータを必要以上に傷つけては意味がない。

 彼の目的は、暴走しているリータを行動不能にすること。故に、まず消耗させた後に、素手で組み伏せるつもりだった。

 

「ああああああ!」

 

 だが受けた斬撃の衝撃に息を詰まらせながらも、リータは止まらない。

 硬質なドラゴンの鱗もたやすく破砕するその巨斧を、守ると決めたはずの弟めがけて薙ぎ払う。その一閃は、大質量の得物とは思えないほど速く、的確に健人の体を捉えていた。

 

「しっ!」

 

「ぐっ!」

 

 全身の筋肉の連動を余すことなく斧へと伝達し、体がねじ切れそうなほどの勢いをつけた彼女の豪撃。

 だが、その一撃も健人に容易く躱され、逆に盾の一撃を腹に受けることになった。

 健人は正拳突きのように打ち込んだ盾撃でリータを後方へと押し返すと、そのまま一気に踏み込んだ。

 純粋な身体能力なら、ノルドであるリータに分がある。しかし、ドラゴンアスペクトの恩恵は、その不利を補って余りあった。

 さらに、装具の強度は確かにリータの方が優れるが、健人の装具にはテルヴァンニ家のネロスが施した付呪もある。

 健人の体力、スタミナ、魔力を増強し、各技能を補強する付呪は、超一流の戦士として成長して健人の技能も相まって、瞬く間にリータを追い詰めていく。

 リータは踏み込んでくる健人を追い払おうと両手斧を振りまわすが、健人はシールドバッシュで彼女の攻撃を弾き返しながら、さらに踏み込み、逆袈裟を放った。

 振り抜かれた刃が、再びリータの脇腹に吸い込まれていく。

 

「っ!?」

 

 だが次の瞬間、健人は腕に帰って来た衝撃に思わず顔を顰め、うめき声を漏らした。

まるでバットで叩かれたような痺れが腕に走り、攻撃の流れが寸断されてしまう。

 

『攻撃反射』

 

 向かってくる敵の攻撃に全身の動きを合わせ、叩きつけられる衝撃の一部を相手に跳ね返す技術。

 重装鎧を纏う者たちの中でも最高峰の技術の一つだが、リータは彼の斬撃の威力をほとんど減らすことなくたたき返していた。

 

「ふうううう!」

 

 動きの止まった健人に、薙ぎ払われたリータの戦斧が迫ってくる。

 健人はとっさにドラゴンスケールの盾で逸らすもの、あまりの威力に盾に張り付けたある竜鱗が数枚、砕けて舞い散った。

 

「ち、俺の体うんぬんより、盾自体が持ちそうにないな!」

 

 そのあまりの威力に、健人は思わず頬を引きつらせる。今の健人はドラゴンアスペクトによる強力な身体強化を受けているが、リータにはそれがない。

 にもかかわらず、ドラゴンスケールの盾に損傷を負わせるあたりが、今の彼女の身体能力がどれだけ桁外れであるかを物語っていた。

 

「はあああああ!」

 

 薙ぎ払われた斧が軌道を変えて、打ち下ろされてくる。

 健人は両足に力を入れると、盾を持った左手を思いっきり突き出す。

 正拳突きの要領で放たれた盾の縁に、リータの斧が激突。

 ガン! メリメリ! と金属がひしゃげる音とともに、デイドラの両手斧がドラゴンスケールの盾にめり込んだ。

 

「ふっ!」

 

 盾を大きく傷つけられながらも両手斧の一撃を防いだ健人は、盾とブレイズソードを手離すと、右手でリータの手を取り、一気にひねり上げる。

 さらに左手を彼女の首に回すと、そのまま足を刈り、彼女を地面に組み伏せた。

 

「ぎっ!」

 

 関節を極められた痛みと、地面に叩きつけられた衝撃に、リータが苦悶の呻き声を漏らす。

 健人はそのままリータの首に回した左手に力を籠める。締め落として、気絶させるつもりなのだ。

 彼女の意識は今、ハウリングソウルによって幾多のドラゴンソウルと同調している状態だ。そしてそれこそが、暴走の原因。

 ならば、ドラゴンソウルか彼女の意識、どちらかを一時的に落としてしまえばいい。

 人間の脳は最もエネルギーと酸素を必要とする器官。そして、十秒でも血が廻らなければ、意識は断たれる。

 そして関節技は一度極まれば、人体の構造をしている限り逃げられない。

 地面と健人の体に挟まれたリータは関節技から脱しようと藻掻くものの、バタバタと地面に積もった雪を跳ね飛ばすだけだった。

 このまま締め続ければ、あと数秒でリータの意識は落ちるだろう。

 

「ググ……、あああああ!」

 

 だがリータは、健人の予想外の方法で脱出を行った。

 残っていた右腕に思いっきり力を入れて、地面を突き離す。

 次の瞬間、彼女の体が健人ごと勢いよく宙に浮きあがった。

 

「なっ!?」

 

「しいいいい!」

 

 そのまま空中で体をひねり、体を回転させて健人の拘束から逃れながら、自由になった右手をフックのように降りぬく。

 背後を取られて見えないにもかかわらず、リータの拳は正確に健人の頬を捉えていた。

 健人は反射的にリータの首から左手を放す。

 次の瞬間、強烈な衝撃が硬質な音と共に健人の頭に響く。

 

「ぐっ!」

 

 兜の頬当てとドラゴンアスペクトのおかげで頬骨を砕かれることは避けられたが、あまりの衝撃に健人はリータを拘束していた手を放してしまう。

 拘束から逃れたリータが、地面に倒れた健人めがけてデイドラの両手斧を左手で振りぬく。

 まるで獣を思わせる膂力と体捌き。全身の筋肉をすべて使った両手斧の一撃は、まるでドラゴンの尾撃を思わせる威力と迫力だ。

 健人はとっさに後ろに跳躍してリータの斬線から逃れながら、放り投げたデイドラのブレイズソードとドラゴンスケールの盾を回収。

 再度跳躍し、距離を取ろうとしたところで……。

 

「ファス、ロゥ、ダーーーー!」

 

 退避しようとした健人に向かって、リータが「揺ぎ無き力」を放つ。

 人を軽く吹き飛ばすほどの衝撃波を放つスゥームであり、リータが最初に覚えたシャウト。

 後方に跳躍していたことも相まって、その威力は健人の体を簡単にこの世界のノドの頂上から弾き飛ばすほどの威力があった。

 

「ヴェン、ガル、ノス!」

 

 だが、健人もすぐさま己の内から力の言葉を引き出して放つ。

 唱えるのは「サイクロン」のスゥーム。

 ソルスセイム島でのミラークとの戦いで身に付けた、竜巻を引き起こすシャウトだ。

 激突する衝撃波と風の渦。

 互いに食い合うようにぶつかり合ったシャウトは、世界のノドに積もった雪を吹き飛ばしながら、互いに相殺し合う。

 

「まったく……。鎧を着こんだ人間二人を片手一本で跳ね上げるなんて、どんなバカ力だよ」

 

 舞い上がって散っていく雪を頬に受けながら、健人は予想以上に高まっているリータの戦闘能力に嘆息した。

 彼女の武器と戦い方は、対竜戦に特化している。しすぎていると言ってもいい。

故に、今の自分なら押し切れると思ったのだ。

 実際、対人戦の戦闘なら、健人のほうがリータよりも上だろう。先程健人がリータを地面に組み伏せることが出来たという事実が、それを物語っている。

 しかし、それでもあと一歩及ばない。ここぞというところで、リータはしっかりと健人の拘束から逃れた。

 型にはまらない、獣のごとき戦い方。対竜戦の戦い方を、いざという時にしっかりと事態に対応させている。

 その戦士として凄まじいと言える即応能力は、ノルドとして、何よりもドラゴンボーンとして、彼女もまたミラークと同じく選ばれた存在であることを健人に改めて実感させていた。

 

「ウルド!」

 

 健人が呼吸を整えている間にも、リータは再び攻勢に出る。

 単音節の旋風の疾走で一気に間合いを詰めると、三度デイドラの両手斧を振り下ろしてくる。

 

「っ!」

 

 健人は反射的に体を逸らして、振り下ろしを躱す。

 彼女の膂力はドラゴンアスペクトの恩恵を受けた健人から見ても異常だ。破損したドラゴンスケールの盾では、もう彼女の一撃を正面から受けることは難しいと判断した故の回避行動。

 しかしリータは地面に打ち込んだ斧の柄に手を滑らせながら間合いを詰め、腰に差したデイドラの片手剣を振り抜いてくる。

 

「ぐぅ!」

 

 反射的に掲げたブレイズソードと、デイドラの片手剣がぶつかり合い、火花が散る。

 元々リータは、両手斧を使う前は片手剣を使っていた。

 両手斧を使うようになったのは、ドラゴンを殺すため。竜の硬く丈夫な鱗を破壊するには、重量武器の方が効率的だったからでしかない。

 故に、彼女は片手剣の扱い方も十分に心得ている。

 さらにリータは柄を短く持ちなおした両手斧も振りまわし、双剣のように扱いながら、一気に健人を責め立ててきた。

 まるで兎と蟷螂を足したような戦い方。

 体のひねりと跳躍で勢いをつけながら懐に飛び込み、鎌のように掲げた獲物を振るう。

 

「なんだその戦い方!」

 

 健人も負けじと盾で迫るデイドラの片手剣を跳ね返し、両手斧を逸らす。

 さらに反撃とばかりに突きを放つが、ブレイズソードの切っ先がリータの鎧に当たった瞬間、再度強烈な衝撃が帰ってくる。

 

「ちい、攻撃反射が厄介すぎる!」

 

 確かにリータの攻勢は激しい。

 さらに所々でリータの攻撃反射が、健人の攻勢を寸断してくる。

 

「っ!」

 

 攻撃反射で一瞬健人の動きが止まった隙に、リータは両手を広げ、まるで鋏のように両側から交差斬撃を放つ。

 斬撃の軌道に割り込ませた盾に、更なる傷が刻まれた。

 リータはさらに上体が地面につくほど身を低く屈ませると肩口から体当たりを敢行。

 掬い上げるような突進で、健人の体を浮かせる。

 

「しま……」

 

 健人の意識が危機を感じ取ったときには、リータの左手には既に“柄を長く持ち直した両手斧”が握られていた。

 

「スゥ、グラ、デューーン!」

 

 激しき力。リータが構えた両手斧に、風の刃が纏わりつき、両手斧を握るデイドラの小手がギチリと軋みを上げる。

 風を纏いながら、限界まで膂力を溜め込んだその威風は、まるで引き絞った破城槌を思わせた。

 

「あああああああ!」

 

 そして、致命の一撃が放たれる。

 連動する強靭な筋肉の膂力を余すことなく伝えられた両手斧は、風の刃による加速すら加えて、空中で無防備の健人めがけて薙ぎ払われた。

 

「ウルド!」

 

 健人は咄嗟に単音節の旋風の疾走を発動。空中で無理矢理加速し、リータの頭上を飛び越える。

 落下の衝撃を前回り受け身で逃がしながら、健人は立ち上がるがと、その程度で逃がすリータではない。

 

「ウルド!」

 

 彼女もまた旋風の疾走で退避した健人に追いすがると。引きずるように構えていた両手斧を振り抜く。

 

「スゥ、グラ、デューーン……」

 

「ぎい!」

 

 だが、リータの刃が健人を捉える直前、烈風を纏った銀閃が三度走った。

次の瞬間、突如として腕に走った衝撃に、リータは大きく後ろに弾き返される。

 健人が一瞬で放った三度の斬撃。閃光と呼ぶにふさわしい連撃が、膂力で勝るはずのリータを大きく後退させていた。

 

「ふっ!」

 

 体を落とし、踵に掛かる自重を爆発させて吶喊。

 リータもまた、健人の突撃に合わせて、風を纏った両手斧と片手剣を振るおうとしていた。

 

「せい!」

 

 だが次の瞬間、健人がドラゴンスケールの盾を放り投げた。

 目の前に迫る盾を前に、リータは反射的に両手に持った得物を振り下ろす。

 風を纏った刃が、ドラゴンスケールの盾を破断。

 吹き荒れる風刃が盾の破片を巻き上げ、リータの視界を塞ぐ。

 その隙に、健人はリータの眼前まで一気に踏み込んでいた。

 

「っ!?」

 

「はああああ!」

 

 デイドラのブレイズソードを両手持ちに変えた健人が、一閃を放つ。

 走る斬閃。リータはドラゴンボーンとしての直感のまま、迫ってくるであろう健人の斬撃に備えて体を捻り、攻撃反射で健人の斬撃を弾き返そうとする。

 攻撃反射は作用反作用の法則。そして『どのような得物でも、自身の攻撃が着弾する際に筋肉は緊張し、全身で身構える』という、相手の意識の間隙を上手く使った技術だ。

 物体に力を加えた際に、必ず同じ力で返される現象。

 この反作用の力に繊細な体幹による自分の力を上乗せし、さらに攻撃が着弾するタイミングを微妙にずらす。

 こうすることで、相手が自身の攻撃の反作用の準備が整う前に衝撃を受け、体勢を崩す。

 健人のシールドバッシュにも似た技術だが、難易度は比ではない。

 そもそも、自由に動かせる腕だけでなく、腹や肩、背中など、腕などよりも遥かに自由度の低い部位でもこの繊細な動きをこなせなければならない。

 故に、攻撃反射を成すには、攻撃が打ち込まれる場所を見抜き、迫る攻撃に体の動きを完璧に合わせるという、極めて異質な能力が求められる。

 普通に考えて「激しき力」のシャウトで剣速を何倍にも加速させた健人の剣に、即座に対応できるはずがない。

 

「シッ!」

 

 だがリータの持つ突出した反射神経と戦士として桁外れの戦闘本能が、遥かに速度を増した健人の斬撃にすら対応させる。

 そして攻撃反射は、相手の攻撃力をそのまま跳ね返す技。つまり、「激しき力」で加速した分のエネルギーも、そのまま健人に叩き返せる。

 

「ふっ!」

 

 だが、健人の斬撃は、リータの戦闘本能を上回る動きを見せた。

 健人が腕を畳み、腰を落した瞬間、直線で迫ってきたはずの刃が、突如として蛇のようにのたうつ動きを見せる。

 そして曲線を描いた刃は、迎え撃とうとしたリータのデイドラの鎧の隙間に、正確に吸い込まれた。

 

「ぎっ!?」

 

 次の瞬間、風の刃がデイドラの鎧の装甲の一部を弾き飛ばす。

 それは彼の師であったデルフィンが見せた、剣閃を自在に変化させる万変の刃であり、そして鎧剥ぎの斬撃だった。

 

「アァァァァァ――――――‼」

 

 リータが怒りの咆哮を上げながら両手の獲物を振るうが、健人は荒れ狂う暴風の内側に滑り込むと、そのまま、二度、三度とブレイズソードを振るい、デイドラの鎧を剥す。

 攻撃反射は、全身を覆う強固な鎧が前提の防御術だ。鎧を剥されれば剥されるほど、リータの防御手段は奪われていく。

 だが、ただやられているだけのリータではない。

 健人が四度目の斬撃を放つ頃には、既にその変化する剣閃を見切っていた。

 

「ふっ!」

 

 横薙ぎから肩口へと変化する斬撃に攻撃反射を合わせる。

 だが、来るはずだった衝撃は来ない。

 

「見切るってわかっていたからな……」

 

 次の瞬間、健人は左手を掲げてリータに体当たりを敢行。そのまま体を密着せると、力の言葉を紡ぐ。

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

 旋風の疾走。

 リータごと加速した健人は、そのまま彼女を、進行方向上にあった言葉の壁に叩き付ける。

 

「がっ……!」

 

 全身に走った衝撃に、リータが息を詰まらせる。

 集中が解けたことで、彼女が持っていた得物に纏わりついていた風の刃も消え去った。

 健人は、今度こそ彼女を組み伏せようと手を伸ばす。

 

「あ゛、あ゛……」

 

 呼吸が詰まったリータは今、シャウトを紡げない。衝撃で痺れる全身にも力が入らない。

 口から漏れるのは声にならないかすれ声だけ。

 

「ア゛ア゛ア゛――――――――――――!」

 

 だが次の瞬間、リータの体から黒色の光が噴出し、組み伏せようとした健人を吹き飛ばした。

 

「くっ!」

 

 空中で体勢を立て直し、背中から地面に落ちる。

雪の上を滑走しながらも、健人は何とか崖から落ちそうになるところを必死に堪えた。

 何とか体を引き上げてリータの方に視線を向ければ、そこでは枯れた息を漏らしながら、黒い光の奔流に包まれているリータの姿がある。

 

「ヒューヒューヒュー……」

 

「これは……」

 

 猛烈な既視感に、健人は眉を顰めた。

 

「ムゥル、クァ、ディヴ!」

 

「ドラゴンアスペクト……」

 

 リータの口から紡がれる、力、鎧、ウィルムの言葉。

 彼女は一度聞いただけのドラゴンアスペクトを、この短時間で学んでいた。

 シャウトに呼応するように光の奔流がリータに収束し、闇色の光鱗を形成する。

 元々身に付けていたデイドラの装具と相まって、その様相は一層禍々しい。

 先程と比べても遥かに増した彼女の威圧感に、健人は奥歯を噛み締める。その姿は正に、アポクリファでミラークと戦った時に、初めてドラゴンアスペクトとハウリングソウルを併用した時と同じ姿だった。

 

「モタード……、クリィ……、モタード……、クリィ……」

 

 リータの口から漏れる力の言葉。ハウリングソウルは未だに、リータが抱えたドラゴンと人間の憎悪を昂ぶらせ、漆黒の光鱗がさらに鈍い光を帯びていく。

 瞳は憎しみからか紅に染まり、その姿は彼女が最も憎むアルドゥインと同じようだった。

 

 

「モタード、ゼィル……」

 

 健人はここに来て、もう一つの切り札であるハウリングソウルを唱える。

 爆発的な虹色の光が彼の体から噴出。光鱗の鎧がさらにその輝きを増す。

 そして歯噛みする健人を前に、リータはさらに増した憎悪に目を滾らせながら、両手に携えた巨斧と剣を振り払う。

 共鳴のスゥームでいっそう純化された殺意を振り撒きながら、リータは再び、守ると誓ったはずの義弟に向かって、突進していった。

 

 

 

 

 

 

 

余談なお話

 

 

 健人たちがウィンドスタッド邸を旅立った後、引っ越すための準備を終えたソフィは、ヴァルディマーに連れられて、モーサルへとやってきていた。

 彼女の肩には既に家族となった白い鷹、ヴィーヘンの姿もある。

 一時的に首長の邸宅で暮らすことを許された彼女は、必要な荷を運び終え、ヴァルディマーに別れの挨拶をしている。

 

「それじゃあ、ヴァルディマーさん、家の方をお願いします」

 

「はい、ソフィ様もお気をつけて」

 

 主でもない自分にも敬意を払うヴァルディマーに、ソフィは苦笑を浮かべた。

 血がつながらないとはいえ、主である健人が妹としてソフィを受け入れたことを知ったこの私兵は、ソフィに対してもこのように畏まった態度を取り続けている。

 元々孤児であり、傅かれることを経験してこなかった彼女にとってはこそばゆく、気恥ずかしいのだが、この私兵にとって上下関係は絶対らしく、頑なにこの態度を崩そうとしなかった。

 

「まあ、この娘については任せな。アスルフルにも言って変な虫がつかないように、この婆が目を見張らせておくよ」

 

 フルムーン邸の前にはソフィやヴァルディマーだけでなく、首長であるイドグロッドの姿もあった。

 アスルフルとは、イドグロッドの夫である。

 イドグロッドは好々婆と言った様子で隣に立つソフィの頭を撫でながら、笑みを浮かべている。

 ヴァルディマーは首長の言葉に礼を述べると、その隣へと視線を動かす。

 

「ファリオン、頼むぞ。ソフィ様、この男は私が主様と一緒に吸血鬼のモヴァルスを倒したときに、同行していた召喚術師です」

 

「え、ええっと、ファリオンさん、よろしくお願いします」

 

「ふん、面倒だが、首長からの依頼では仕方ない。基礎ぐらいは叩き込んでやる」

 

 首長の家であるフルムーン邸の前には、首長に呼び出されたファリオンもいた。

 彼はソフィの魔法教育のために呼び出された人間の一人であり、召喚術を教えることになっている。

 フェリオンは元々ウィンターホールド大学で教師をしていた経験がある。

 腕も確かであり、首長からの信頼も厚い。

 

「このように見てくれも性格も口も悪い男で、専門にしている魔法も召喚魔法。さらにアンデッド系と凄まじく不審な男ですが、首長が信を置くくらいは話の分かる男で、腕は確かです。見てくれと口と性格はともかく……」

 

「大学の金色と同じく失礼な男だ。プライドが高くて無礼という意味ではノルドとアルトマーも同じ穴の狢だな」

 

「ええっと、ええっと……」

 

 アクの強い二人に挟まれながら、ソフィはオロオロしている。

 そんな彼女の肩で、ヴィーヘンだけが嘴で羽を綺麗にしながらくつろいでいた。

 

「まあ、アグニの良い話相手にはなるだろう」

 

 ファリオンがそう言うと、彼のローブの影からノルドの少女がピョコっと顔を出した。

 アグニと呼ばれた少女は、ソフィの姿を確かめると、小さく手を振ってくる。

 この少女はファリオンが預かっている子供で、弟子のような存在だった。

 同年代の少女の姿に、ソフィも緊張がほぐれたのか、微笑んで手を振り返す。大人たちの言葉よりも、一人の少女の存在の方が、ソフィの緊張を解してくれている。

 

“グオオオオオオオオオ!”

 

 その時、モーサル全体に強烈な咆哮が響いた。

 昼の空に突如として分厚い雲が広がり、雲海の隙間から浅黒い影が降下してくる。

 

「あのドラゴンは……」

 

「ヴィントゥルース……」

 

“メイズ、ワー、クリフ、ドヴァーキン! フェン、クロン、ゼィンド! ドレ、イル!”(ドヴァーキン、挑みに来たぞ! 今度こそ我が勝つ! さあ戦え!)

 

 モーサルに現れたのは、執拗に健人を付け回す伝説のドラゴンだった。

「オラ出てきやがれ!」と、まるでお礼参りをしに来たヤクザかチンピラのような言葉を吐きながら、モーサル上空を旋回し始める。

 

「あのドラゴン、また来たぞ。従士様はどこだ?」

 

「さっき妹様が来ていた。近くにいるんじゃないか?」

 

 一方、ウィンドヘルムに大被害をもたらしたドラゴンが来た割には、モーサルの衛兵達はのんびりしていた。

 というのも、ヴィントゥルースは一時期、この街によく来ていた。

 原因は言わずもがな。従士となった健人が、一時この街に滞在していたからである。

 最初はドラゴンの襲撃に大混乱になりかけたが、健人が街の外でヴィントルゥースと戦い始めると、次第に狂騒は鎮まり、最後には酒と賭けが飛び交う熱狂となった。

 

「困りました。ケント様は今ここにはいないのですが……」

 

「ああ、こりゃあマズイね」

 

「…………」

 

 のんびりしている衛兵達だが、空を見上げるヴァルディマーの表情には焦りの色が浮かんでいた。

 近くに立つイドグロッドの声にも隠し切れない焦燥が漂っている。

 ファリオンにいたっては、先程までの皮肉と毒舌を流していた口をあんぐりと開けたまま、完全に硬直してしまっている。

 

「そ、総員戦闘配置! 休んでいる奴らもたたき起こせ!」

 

 肝心のドラゴンボーンがこの場にいないことにようやく気付いた衛兵達が、慌てふためき始める。

 健人の知らない所で、モーサルもまたのっぴきならない事態を迎えていたのだった。

 

 




リータ・ティグナ

星霜の書の予言に詠われた存在であり、アカトシュの祝福を受けたラストドラゴンボーン。
家族を殺したドラゴンに対して憎しみを抱き、全てのドラゴンを滅ぼすと誓った少女。
健人と違い、アカトシュが真に選んだ定命の者であり、タムリエルの運命を担う存在。
戦士として、そしてドラゴンボーンとして超絶した才を持ち、その戦士としての戦闘能力はドラゴンボーンとして覚醒した健人をも上回る。
身体能力も、元々優れたノルドと比較しても隔絶しており、鎧を着た人間二人を片手で宙に浮かすほどの膂力を誇る。そこ、シン・ゴリラとか言うな。
また、両手斧、片手剣、弓、重装など、あらゆる戦士の技術に精通している超戦士である。
特に両手斧と重装の技術はすさまじく、その斧の一撃はドラゴンの硬質な鱗を容易く破壊し、逆に家すらも一撃で破壊する竜の攻撃を正面から弾き返すほど。
その戦い方はどこか獣じみており、まるで彼女が滅ぼそうとしている存在を彷彿とさせる。
一方、その戦い方は対竜戦に特化しており、対人戦にはやや不安が残るものの、そもそも身体能力が人間からは逸脱しているため、並大抵の実力者では歯が立たない。
さらにドラゴンとしてシャウトを学ぶ才にも長けており、健人がソルスセイム島で習得した切り札の一つ、ドラゴンアスペクトすらも初見で身に付けている。



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第十六話 Soul multiplex

お待たせしました、対リータ戦、続きです。


 スカイリムの高空。雲よりも高く、ジェット気流が吹き荒れる中を、何事もなく北へ向かって飛翔する漆黒の影があった。

 叩き付けられる風速100メートルの風をものともせずに飛ぶ、黒い翼。 

 飛行機が存在しないニルンで、それほど上空で飛べる生物は一つしかない。

 ドラゴン。それも数多くいるドラゴンの中で最も強大な存在、アルドゥインだ。

 自分を封じた人間達に復讐する為、そして再びタムリエルを支配する為。彼はスカイリムだけでなく、タムリエル中で朽ち果てた兄弟たちを復活して回っていた。

 だが、今彼は突如として胸中に湧いた予感に従い、世界のノドへと飛翔していた。

 

『ゴヴェイ、セ、ティード。ダ、スー、ライン。ウォ、セィヴ、ザイム、エヴギル』(時が動く気配、宙が蠢く予兆。何者かが、過去を覗き込もうとしている)

 

 アルドゥインの能力は、他のドラゴンとは隔絶している。

 時を読む能力こそ、あのヌエヴギルドラールには及ばないが、この世界で今起こりそうになっている兆しを感じ取ることは、造作もない。

 

『ドヴァーキン、セ、パーサーナックス。メイ、ターロディス。ワハ、アーン、クレン、ナハラース、アーン、ウル゛……。ニス、フェルン、ヴェイ、クエス、セ、ラ゛ース』

(ドヴァーキン、そしてパーサーナックスか。なるほど、あの愚かな裏切り者め、せっかく生き永らえたものを……。よほど首の骨を噛み砕かれたいとみえる)

 

 パーサーナックス。忌まわしくも懐かしい、最も長い時を共に過ごしたはずの兄弟。

 若き赤龍が仕える前のかつての右腕であり、ドラゴンの矜持を捨てて人間に助力した愚者だ。

 そして、ドヴァーキン。父であるアカトシュが生み出した自分達の模造品であり、父が自分達を捨てた象徴とも呼べる存在であり……。

 

(待て、何故その様なことを考えた……?)

 

 脳裏に浮かんだ思考。それが瞬く間に、霞がかかったように消えていく。

 まるで白昼夢を見たような、現実の無さ。掻き消え、思い出せなくなった何かの代わりに残ったのは、強烈な違和感。

 脳裏にこびり付いたそれを振り払うように、アルドゥインは首を何度か振る。

 

(今は、思い出せないことよりも、パーサーナックスとドヴァーキンだ。あの場所で、過去を覗き見ようとしている)

 

 狙いは分かる。無敵の鎧を持つ自分を殺せる唯一の可能性。それを掴み取ろうとしているのだ。

 

(なんだ? この時の波は。それにこれは……影?)

 

 だがそこに、奇妙な影が差していた。

 アルドゥインの慧眼にもまるで読めない、異質な存在。まるで空に穿たれ、あらゆるものを飲み込む黒点のようだった。

 フラッシュバックする感覚。数か月前にムンダスの外側で起きた次元震がアルドゥインの脳裏に蘇り、強烈な予感が胸に去来する。

 その焦燥に急かされるまま、黒竜はシャウトを唱えた。

 

『スゥ、グラ、デューーン!』

 

 激しき力のシャウトが、アルドゥインの口から紡がれる。

 ドラゴンが使えば、翼を鋭い刃と化し、風を操ってその機動性を飛躍的に向上させるシャウト。

 ウィンドヘルムを一時間足らずで火の海にしたドラゴン、ヴィントルゥースも使っていたシャウトだが、竜の頂点たるアルドゥインのシャウトは更に強力だった。

 生み出された風の渦はアルドゥインの翼の先からさらに伸び、大気を斬り裂いて巻き込みながら翼の周囲で圧縮。後ろへと解放されることで、黒竜の体をさらに加速させ始める。

 やがてアルドゥインの鼻先に、音の波紋が集まり始める。

 それは、亜音速から遷音速へと向かう兆し。

 積み重なり、圧縮された音の波紋は、巨大な壁となってアルドゥインの前進を押し止めようとする。その圧力は本来、金属に囲まれた飛行機やロケットでなければ、突破することはできないほどのもの。普通の生物が耐えられるものではない。

 

『フン……』

 

 だがその音の壁を、アルドゥインは易々と突破した。

 次の瞬間、強烈な爆音とともに衝撃波が発生し、そしてアルドゥインは亜音速から遷音速、そして超音速の領域へと突入。

 斜め後方に広がる衝撃波でジェット気流に流れる雲を吹き飛ばしながら、黒竜は文字通り大気を斬り裂いて飛翔していく。

 行き先は世界のノド。今まさに、最後のドラゴンボーンと異端のドラゴンボーンの戦いが繰り広げられている場所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハウリングソウル。

 坂上健人が生み出した、全ての存在を共鳴させる異質なスゥーム。

 なまじ、その効果範囲の広さと対象の多さゆえに、下手に使えば何が起こるか分からない使い勝手の困るシャウトである。

 だが、その効果は絶大だ。特にドラゴンソウルを多数取り込んでいるドラゴンボーンであれば、指数関数的に効力が増大する。

 だが、その方向性は術者と共鳴する対象によって決まる。

 そしてハウリングソウルによって増大した憎しみは、リータ・ティグナをもはや人とは思えぬ存在へと変えていた。

 厚みを増し、黒く染まったドラゴンアスペクトの鎧。そして、真紅へと変化した瞳。

 その姿はまさに、人型のアルドゥインと呼ぶにふさわしい存在だった。

 

「オオオオオオオオオオオオオオ!」

 

 もはや人も竜とも思えぬ雄叫びを上げながら、リータ・ティグナは健人に襲いかかる。

 右手に巨大なデイドラの両手斧を、左手にデイドラの片手剣を携え、地面を粉砕しながら、超高速で踏み込んできたのだ。

 

「はあああああ!」

 

 迫りくる刃を前にして、健人もまた迷わず前進を選択した。

 薙ぎ払われる両手斧の刃圏の内側に体を滑り込ませ、迫る両手斧の柄を身体全体で受け止める。

 直後に響く激突音。衝撃波が積もった雪を吹き飛ばすものの、健人はガッチリとリータの豪撃を押さえ込んでいた。

 互いにドラゴンアスペクトとハウリングソウルを身に付けている者同士だが、リータのハウリングソウルは一節のみ。

 いくら戦士としての素養では彼女に有利があれ、シャウトの精度はミラークの知識を引き継いだ健人が優れる。

 

「シィイイ!」

 

 突進を受けきった健人に脇腹めがけて、今度はデイドラの片手剣による斬撃が迫ってきた。

 右側から斬り上げられる刃。迫るデイドラの片手剣が加速しきる前に、健人はドラゴンスケールの小手で弾き飛ばし、返しの刃を放つ。

 しかし、リータもまた、健人の反撃を攻撃反射で弾き返すと、短く持ち直した両手斧を薙ぎ払う。

 

「スゥ、グラ、デューン!」

 

「ぐっ!?」

 

 さらに、リータが再度『激しき力』を使用する。風の刃が繰り出された両手斧に絡みついた。

 ドラゴンアスペクトで強化された斬撃の威力と相まって、リータの一撃が健人の体を大きくよろめかせる。弾き飛ばした健人を前に、リータが大きく身を逸らす。

 

「フウウウウウ! クリィ、ルン、アウス!」

 

 そして、『死の標的』のシャウトが放たれる。

 殺す、搾取、苦痛の言葉で構築されたスゥームが薄紫色の波動となり、死神のごとく健人に襲い掛かる。

 

「っ!?」

 

 健人は反射的に横に跳んで、『死の標的』の射線から逃れた。

 外れた薄紫色の波動は、射線上にあった大岩に着弾すると、瞬く間に腐食させていく。 

 

「リータ! お前、そんな危険なシャウトまで身に付けていたのか!」

 

 鼻に付く刺激臭。

 死の標的のシャウトとそこに込められた純粋な殺意に戦慄しながらも、健人は地を蹴る。

 これ以上、リータにシャウトを使わせてはいけない。

 発した言葉の力、シャウトは時に、自分自身にも影響を及ぼす。

 特に今のリータは、ハウリングソウルによって、自身が抱えたドラゴンソウルと共鳴している状態だ。

 現に、『死の標的』のシャウトに感化されたのか、リータのドラゴンアスペクトの光鱗が、さらにその暗い光を強めていく。

 

「しいい!」

 

 だが、そんなリータを前にして、健人もまた退かない。

 デイドラのブレイズソードを振るい、繰り出されるリータの刃を弾き返す。

 

「アアアアアアアア!」

 

 リータの攻勢は止まらない。自分の身がどうなろうと知らぬと、全身を投げ出すように刃を繰り出し続ける。

 

「ぐうううううう!」

 

 己を顧みない猛攻に、戦いの天秤が傾きかける。

 リータの怒涛の攻勢に飲まれまいと、健人もまた次の手を打つ。

 

「ティード、グロ、ウル! スゥ、グラ、デューン!」

 

 発動するのは『時間減速』と『激しき力』の二つのスゥーム。

 ミラークとの戦いで身に付けた、シャウトの重ね掛けだ。

 引き伸ばされた時間の中で、健人は迫る二つの刃を弾き返すと、一気に攻勢へと転じる。

 

「ギゥッ、ガアッ!」

 

 健人の斬撃が、次々にリータの体を捉え始める。

 ドラゴンアスペクトとデイドラの鎧によって刃自体は届いていないが、高速で振るわれる刀の衝撃は消しきれない。

 さらには、鎧剥がしの斬撃も、強固かつ重厚なデイドラの鎧を徐々に無効化していた。

 戦いの天秤が健人へと傾き、今度はリータがじりじりと後ろへと押されていく。

 

「アアアアア! ティード、グロ、ウル!」

 

 だが、押し切られる前に、リータも『時間減速』のシャウトを唱え、彼と同じ時間速度へと身を投じた。

 

「ち、やっぱりか!」

 

 ドラゴンアスペクトを初見で身に付けた姿を見れば、予想されていた事態。

 実際、健人もミラークとの戦いの中で、この技法を身に付けた。同じことが、リータにできないはずはない。

 そして天秤は、再びリータの方へと傾き始める。

 

(どうする? 接近戦だけではリータを押し切れない。シャウトは使う端から盗まれる。かといって、俺の魔法じゃ効果が薄いことは分かりきってる!)

 

 決め手がない。

 リータはこの世界において、間違いなく最上位の戦士だ。純粋な接近戦では、ドラゴンボーンとして覚醒した健人すらも上回る。

 シャウトを身につける才能も桁外れだ。ドラゴンアスペクト、そしてシャウトの重ね掛け。

 かつて健人が爆発的な成長と共に身に付けた技術を、即座に吸収していく。

 唯一、リータが全く身に付けていない技術と言えば、シャウト以外の魔法関係。だが、生憎とそっちにも健人は問題を抱えたままだ。

 そもそも、この激しい剣戟の中で詠唱を行うことは不可能。

 

(まずい、状況が詰んでる! このままじゃあ……っ!?)

 

 一瞬湧き上がった焦燥。つられるようにそれた意識の間隙を縫うように、リータの両手斧が健人の足を引っかけた。

 

「しま……」

 

 両手斧はその重量を活かした豪快な一撃だけでなく、石随による打撃や柄による崩しも可能な、非常に汎用性の高い武器である。

 動きが止まったその隙に、リータは下から掬い上げるように突進をくりだす。

 

「がっ!?」

 

 ドゴン! と、まるで自動車に追突されたような衝撃が腹に走り、健人は息をつまらせた。

 ハウリングソウルとドラゴンアスペクトによって強化された身体能力は、わずか1メートルほどの距離でも、驚異的な加速をリータに与えている。

 そして、跳ね飛ばされた健人に追撃が放たれる。

 

「クリィ、ルン、アウス!」

 

 再び襲い掛かる死の標的。

 息をつまらせた健人は咄嗟にシャウトを唱えようとするが、先程の突進の衝撃で息がつまっており、シャウトが発動できない。

 反射的に身構えるが、そんな彼に『死の標的』が直撃した。

 

「がっ!?」

 

 薄紫色の波動に包まれた瞬間、健人の全身に悪寒が一気に広がる。

 そして、死神が健人に鎌を振り下ろし始めた。

 まるで、真冬の湖に落ちたような寒気と共に、全身に激痛が走る。

 

「ぐうう、ああああああ!」

 

 目の裏で閃光が弾け、全身の痛覚神経が悲鳴を上げる。

 敵対者に徹底的な苦痛を与え、腐らせるシャウト。

 ドラゴンアスペクトによって魂が隆起していた為か、肉体と魂、双方が死の標的によって、蝕まれていた。

 

「オオオオオオオ!」

 

「くうううう!」

 

 追い詰められた健人に、リータが容赦なく両手斧を振り下ろす。

 デイドラのブレイズオードを掲げて何とか防ごうと試みるも、重厚な刃に寄る一撃は勢いを殺しきない。

 地面に膝がつく。

 

「ぐうう……ああああああ!」

 

 徐々に迫るデイドラの両手斧。刃に纏わりつく風の刃が、健人のドラゴンアスペクトの光鱗と鎧を、肩の肉ごと削り始める。

 

「があっ! っ!、リータ、止まれ。止まるんだ……」

 

「グウウウ……。オオオオオオオオオ!」

 

(くそ、声が聞こえていない!)

 

 漏れそうになる悲鳴を押し殺しながら呼びかけるも、リータは応えない。むしろ、よりいっそう両手斧に力を込めてくる。

 

“モタード、クリィ……、モタード、クリィ……”

 

 ドラゴンソウルが紡ぐ『共鳴』のシャウトが止まらない。たった一節でも繰り返し繰り返し、殺意と憎悪が増幅していた。

 増していく負の感情に導かれるように、リータのドラゴンアスペクトの光鱗もどす黒さをより濃くしていく。

 そしてリータの力は徐々に、二節のハウリングソウルで強化した健人すらも上回り始めていた。

 

(まずい、このままじゃ……)

 

 鮮血がさらに舞い、噴き出た血が積もった白い雪を紅く染めていく。

 力が抜ける。流れ出す血と共に熱が奪われる。

 遠くなっていく意識を必死に繋ぎ止めながらも、必死に思考を巡らせる

 

(止めるにはどうすればいい、どうすれば……)

 

 リータを気絶させるか、それとも隆起しているドラゴンソウルを鎮めるか。

 荒れ狂う感情を鎮めるシャウトはないか。健人は記憶の中から可能性のありそうなシャウトを引き出して唱える。

 

「カーン、ドレム、オヴ!」

 

 カイネの安らぎ。

 天空の神の名前を含んだ、敵対者の戦意を鎮めるシャウト。しかし、リータには一切効果が見られない。

 ならばと、健人は己が禁忌としていたシャウトを放つ。

 

「ゴル……ハー、ドヴ!」

 

 放ったのは、かつてソルスセイムで猛威を振るっていた『服従』のシャウトだった。

 狙いは、リータの中で隆起する数多のドラゴンソウル。

 意志を強制的に従える力の言葉が、猛る竜の魂に干渉し、その意思を挫いていく。

 

「グウ!?」

 

 効果があった。圧し掛かる膂力が、明らかに緩んだのだ。

 

「おおおおおお!」

 

 雄叫びを上げながら、ドラゴンソウルを隆起させ、全力で『死の標的』のシャウトごと、力の抜けた両手斧を弾き上げる。

 さらに、がら空きになった胴に蹴りを叩き込んだ。

 

「がッ!?」

 

 ドゴン! と衝撃が走り、リータの体が後ろへと跳ね飛ばされる。

 彼女は地面を転がりながら立ち上がるものの、すぐに膝から崩れるように地面に手をついた。

 

「グウウウ、アウウウゥウゥ……」

 

 強力な『服従』のシャウトの強制力に悶えるリータ。

 健人は風の刃に抉られた肩を回復魔法で治しながら、うずくまる彼女を見つめる。

 これで、何とか治まってくれるだろうか。

 だが、その淡い期待は、顔を上げたリータの紅い眼光に否定された。

 

「ウウウ、オオオオオオオオ!」

 

 リータの咆哮に激発されたように、空気が爆ぜ、スゥームによる強制力が弾き飛ばされた。そして再び、黒いドラゴンソウルが噴き出す。

 彼女は『服従』のシャウトを、己の意志だけでねじ伏せたのだ。

 

「だめか……」

 

「フウウウウウゥゥゥ!」

 

 精神干渉系のシャウトも効果がない。

 いよいよもって打てる手がなくなった健人は、地面を粉砕しながら向かってくるリータを前に唇を噛み締める。

 力が、足りない。

 絶大な力をもちながらも、驚異的な成長力を秘め、更には憎悪の連鎖共鳴によって無制限に力を開放し続ける存在。

『伯仲できる程度』の実力ではまるで足りなかった。この暴走する超戦士を止めるには。

 必要なのは、歴代の中でも類を見ない程強力になったドラゴンボーンを、圧倒できる力。

 そんな現実を前に、健人は覚悟を決めた。

 

「ミラーク、タガをはずせ……」

 

 パチンと、ボタンが外れるような音が耳の奥で走る。

 続いて、抑えられていた感覚が、一気に弾けた。枷の無くなったドラゴンソウルが荒れ狂う。

 この手だけは使いたくなかった。

 初めて使った時に反動で死にかけた経験。なによりも、デイドラロードの力との相互作用とはいえ、オブリビオンの一領域を吹き飛ばした事実。

 それほどのシャウトで生み出した“力”をリータに向けることが、彼にこの力を真の意味で使うことを躊躇させた。

 だが、健人にはもうこれ以外に、リータを止める術が思いつかなかった。

 だからこそ、彼は決断を下す。

 

「すぅ……」

 

 視界が虹色に染められる中、健人の視界に巨大な戦斧が迫ってくる。その刃をまっすぐに見据えながら、さらに大きく息を吸う。

 唱えるは三節そろった完全な『共鳴』のスゥーム。対象は、己の内にあるすべて。

 枷を外した状態で『共鳴』を唱えたことはほとんどない。しかも、三節ともなれば、ハルメアス・モラとの戦い以降皆無である。

 そして、その反動で死にかけたことも……。

 だが、覚悟を決めた健人は、そんな事は即座に思考の外に追いやっていた。

 絶殺の刃が迫る中、己の内側に意識を傾ける。

 今まで取り込んできたドラゴンソウルたち。受け継いだ者もいた、共闘した者もいた、擦り切れ、残滓だけになった者もいた。

 その全てに、心からの声をかける。力を貸してくれと。

 

「モタード、ゼィル、……ラヴィン!」

 

 共鳴、魂、世界。真のハウリングソウルが発動する。

 アポクリファすらも破砕したシャウトを、外界ではなく己のすべてに向けて内側に放つ。

 次の瞬間、さらに勢いを増した虹色のドラゴンソウルが世界のノドの頂上を包み込み、天へと向けて巨大な光の柱を生み出した。

 

 

 




というわけで、第7章第十六話でした。
リアルの方がかなり色々ありましたので、時間がかかってしまいました。
後一話はほぼできていますので、近々すぐに投稿できると思います。


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第十七話 ソウルリンクバースト

 完全な『共鳴』のシャウトの発動と共に、隆起したドラゴンソウル。

 温かい光の奔流に包まれながら虹色の視界の中に映るのは、健人自身が取り込んだドラゴン達、そして戦友であるミラークの姿だった。

 

(まったく、起こされたと思えば、またとんでもない相手と戦っているな。ドラゴンボーン、私と同じアカトシュが真に選んだ、この世界の行く末を決めるべくもたらされた裁定者の一人か……)

 

 呆れたような友の声に、健人は苦笑を浮かべる。

 眠っていたところを起したのは悪かったと思う。しかし、今は彼らの力がどうしても必要だった。

 

(分かっている。止めたいのだろう?)

 

 ああ、そうだ。

 憎悪に飲まれたまま戦う家族を止めたい。たとえそれが、自分自身のエゴだとしても。

 

(前にも言ったな。全ての戦いは、エゴのぶつかり合い。むき出しの殺意、飾らない激情と魂の咆哮。それこそがドラゴンの本質だと。)

 

 覚えている。自分もそれを認めた。

 理解できる。無力な自分と、理不尽で無慈悲な世界に対する怒りを。なにより、怒りに身を任せてしまいたくなる現実を。

 そんな負の思いから力を求めたこともある。

 自分も、リータと何も変わらない。

 こうして今も、自分の思いを貫くために力を求めている。それは、ある意味矛盾を抱えた行動だろう。

 

(そして、あの女の姿はこの世界のドラゴンと人間の関係の縮図だ。止まる事のない憎悪の連鎖。どちらかを止めようとしても、どちらかが憎悪を呷る。どうしようもない程、終わった関係だ)

 

 止まらない連鎖と、積み重ねられる連鎖。それはもう、どうしようもないところまで来ているのかもしれない。

 

(そして、お前はその裁定者を倒すことを願った。それは、お前があの女の立場になることに等しい。お前は……あの憎しみの炉に自ら焼かれに行くつもりなのか?)

 

 不安はある、恐怖もある。

だが、それでも願わずにはいられない。矛盾を孕んでいるのだとしても、叫ばずにはいられない。

 魂が、震えているのだ。憎しみに囚われた彼女を止めろと。

 なぜならそれこそが自分の飾らない激情。剥き出しの意思。

 覚悟は……とうに決めている。だから……。

 

(今更言葉にする必要はない。既に、我らの返事は決まっている)

 

 健人が言葉を言い切る前に、ミラークが彼の言葉を遮った。

 鼻白みながらも、どこか興奮した様子で返される答え。その声にはどこか、親しみが漂っている

 よく見れば、他のドラゴン達の視線もいつの間にか窺うような色は消え、親愛と肯定の意思がある。

 

「ありがとう……」

 

 その言葉と共に、視界に浮かんでいたいミラーク達の姿が消える。

 そして健人は一度瞑目して大きく息を吐くと、前を見据えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「グウウウッ!?」

 

 虹色の奔流に吹き飛ばされたリータが、地面にしたたかに背中を打つ。

 吹き上がった虹色のドラゴンソウルは瞬く間に集束。そこには、まばゆい光鱗に身を包んだ人型のドラゴンが佇んでいた。

 あまりにも強い輝き。ともすれば後ずさりそうなほどの圧力。

 なによりもリータを戦慄させたのは、荒れ狂うドラゴンソウルから向けられる無数の視線と、光鎧を纏う者の背後に見える“仮面をつけた男”だった。

 

「っ!?」

 

 仮面の男が、光鎧を纏う者と重なるように消えていく。

 全身に走る怖気に突き動かされ、リータは地面を蹴った。

 あれを野放しにしてはいけない。あれの好きにさせてはいけない。

 もし放置すれば、確実に自分は敗北する。

 

「行くぞ、ミラーク……」

 

(ああ、ケント)

 

 左手が翳される。途端に増す悪寒。

 向けられた右手を視線から隠すように、リータは反射的にデイドラの両手斧を掲げる。

 次の瞬間、強烈な紫電が走った。

 

「アグゥ!?」

 

 文字通り雷速で駆けた雷が、リータの掲げた両手斧に着弾。強烈な衝撃と共に、彼女の突進を押し止める。

 さらに弾けた紫電は地面を反射しながら、何度もリータに襲い掛かってくる。

 

「グゥ、ガッ!?」

 

 体に走る痛みと痺れ、なによりも強烈な違和感に、憎悪に染まった頭に動揺が走る。

 それは、『魔法を使うには詠唱が必要である』という大前提を覆されたことによる動揺だった。

 無詠唱による魔法展開。

 坂上健人がかつてソルスセイムで激闘を繰り広げた、ミラークが使っていた技術である。

 また、放たれた魔法も相当な上位。精鋭クラスの破壊魔法、チェインライトニングであり、その威力も桁外れに強化されている。

 

「ッ!?」

 

 それでも、リータは歯を食いしばり、痛みと痺れを押し殺して体勢を立て直すと、再び“敵”に向かって踏み込む。

 

「そこ!」

 

 そんなリータを前に、健人は左手に魔力を込めて払った。

 次の瞬間、リータの足元に赤色の魔法陣が出現し、踏み込んできたリータに反応して炸裂。周囲に熱波と衝撃波をまき散らしながら、再び彼女の足を止める。

 炎の罠。

 侵入してきた敵に対して反応して爆発する魔法陣を展開する、設置型の破壊魔法だ。

 ドラゴンアスペクトとデイドラの鎧は精鋭クラスの破壊魔法による爆風を防ぎきるものの、巻き上げられた雪と煙が、一時的彼女の視界を塞ぐ。

 そして、更に煙の奥からさらに強力な閃電が、リータに襲いかかってきた。

 

「ガアアアアアアアア!?」

 

 あまりの痛みと衝撃。身構えていたにもかかわらず、彼女の体は何メートルも後ろに押し込まれた。

 桁違いの膂力を持つ彼女を退かせるほどの衝撃。いったい何がと視線を向ければ、煙の奥で両手を突き出した健人がいる。

 

 二連の衝撃

 

 二つの魔法を組み合わせ、その威力を劇的に高める技術だ。

 しかも放ったのは、先ほどのチェインライトニングよりもさらに上位のサンダーボルトである。

 

「ふっ!」

 

 そして、腰の『落氷涙』を抜いて双剣となった健人が地を蹴った。

 衝撃が走り、空気が弾ける音が響く。

 次の瞬間、健人はリータの懐に飛び込んでいた。

 元々規格外の身体能力とドラゴンアスペクト。さらには取り込んだ憎悪と『共鳴』を繰り返したリータすらも置き去りにする加速力だった。

 

「おおおお!」

 

 一瞬でリータの目の前に現れた健人が、薙ぐような斬撃を放つ。

 リータも負けじと、デイドラの片手剣を振り下ろす。

 激突する刃。次の瞬間、キン! と言う甲高い金属音と共にリータの片手剣の剣身が半ばから斬り裂かれ、宙を舞った。

 

「っ!?」

 

「ぜええい!」

 

 左手の落氷涙が突き出される。

 反射的に体を捻り、攻撃反射で健人の突きを弾き返そうとするものの……。

 

「スゥ、グラ、デューン!」

 

「ガッ!?」

 

 激しき力のシャウトが紡がれ、突きが風の刃で加速したことでタイミングが崩された。

 ドラゴンアスペクトとデイドラの鎧を貫く衝撃に、一瞬彼女の動きが止まる。

 その間にさらに一歩踏み込んだ健人が、血髄の魔刀と落氷涙を重ね、腰だめに構えながらすくい上げるように振り抜く。

 

「クレン!」

 

 さらに、シャウトの重ね掛けにより、風の刃が炸裂。斬撃とともに強襲してきた衝撃波が、リータの体を上空高くへとかち上げた。

 

「ガッ!?」

 

「ウルド!」

 

 上空に飛ばされたリータに、健人は単音節の『旋風の疾走』で追撃をかける。

 足の踏ん張りがきかない空の上では、リータの攻撃反射は使えない。あれは元々、両足をしっかりと地面につけて踏ん張ることで最大限の効果を発揮する技術だ。

 シャウトも、先の刺突の衝撃が肺にまで及び、まともに息を吸うことすらできない。

 一方、健人は足場のない空中にも関わらず、次々と超高速の連撃をリータに叩き込んでいく。

 アポクリファでの無数のデイドラ達の戦い、そしてウィンドヘルムでのヴィントゥルースとの空中戦。

 それらの経験がたとえ足場のない場所でも、彼に十全に剣を振るい続ける技術を与えていた。

 

「おおおおおおおお!」

 

 超高速の斬撃が、リータの体を覆う黒いドラゴンソウルとデイドラの鎧を剝がしていく。

 まるで、彼女の心を飲み込んでいる憎悪の闇を剥すように。

 

「ぜえええい!」

 

 そして、一際強力な一撃がリータの体を大きく跳ね飛ばした。すかさず健人が右手の血髄の魔刀を放り、手をかざす。

 

「ガッ!?」

 

 すると、目に見えない強力な力が、跳ね飛ばされたリータの首を絞めつけながら、彼女の体を引き戻す。

 

 念導力。

 

 精鋭クラスの変性魔法であり、遠くの物体を近くに引き寄せたりすることが出来る魔法。

 魔力の消費は大きく、体質的にタムリエルのマジカが合わない健人には使うのは難しい魔法である。

 しかし、“今の健人”ならば、あらゆる魔法を十全に使うことが出来た。

 無詠唱による複数の高位魔法の連続使用と二連の衝撃。

 まるで、最古のドラゴンボーンを思わせる魔法の練達と研ぎ澄まされた剣技の両立。

 それは完全な『共鳴』のスゥームがもたらした奇跡だった。

 件のシャウトは、共鳴する対象が異質であればあるほど、その効果を高める。

 そして、枷を外された完全なハウリングソウルは、健人と自身の魂と、彼が取り込んだドラゴンソウル達との同調を極限まで高めている。

 その結果が、今の健人の姿だ。彼の思考に反応するように、ミラークの魂が魔法を展開することで、剣と魔法、双方から怒涛の攻撃をかける事が可能となる。

 

 それこそ、世界最高峰の力を持つ最後のドラゴンボーンを、圧倒するほどの攻勢を。

 

「おおおおおおおおお!」

 

「ギギ、ガッ!?」

 

 リータの首根っこを引っ掴んだ健人が、彼女の体を地面めがけて放り投げる。

 同時に彼は念導力で放った『血髄の魔刀』を回収しながら、“旋風の疾走”を唱えた。

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

 向かうは、地面に向かって一直線に落ちていくリータ。

 隼のように風を切りながら急降下していく健人から、強力なマジカが噴き出す。

 彼の意思に反応したミラークが、術式を展開。同時に舞い上がった炎が虹色の燐光と共に、その手に戻った『血髄の魔刀』に収束し始める。

 

「ッ!?」

 

 まるで爆発寸前の火山を思わせる圧力を前に、リータは反射的に自らの身を守るように両手斧を構えた。

 だが、その抵抗は迫る極大の一撃を防ぐには、あまりにも小さかった。

 

「ミラーク、吹き飛ばせ!」

 

(ファイアストーム!!)

 

 振り抜かれる刃と共に、ミラークが展開した最上位魔法が発動する。

 流星を思わせる刃はデイドラの両手斧を破断。同時に舞い上がった爆炎は巨大な火球と化し、世界のノド上空の雲を全て吹き飛ばす。

 黒い兜の奥で驚愕に目を見開きながら、リータはまるで太陽が二つ現れたような閃光に包まれた。

 

「ふっ!」

 

 巨大な火球を突き破りながら、健人が地上へと降りて来る。

 

「っ、ぐ、はあ、はあ、はあ……」

 

 全身に走る痛みに、思わず健人は地面に膝を付いた。

 三節のハウリングソウルを発動してから、一分ほどしか経っていない。にもかかわらず、健人は全身が千切れそうな激痛を味わっていた。

 極限まで自分が取り込んだドラゴンソウルと共鳴することは、彼の体に今までの比ではない強大な負荷をかけているのだ。

 その時、もう一つの影が上空の火球から落ちてきた。

 

「ガ、ギィ……」

 

 落ちてきたのは健人の猛攻を受けた最後のドラゴンボーン、リータだ。

 艶やかで光沢のあったデイドラの鎧はボロボロになり、プレートの彼方此方が剥がれ、ひび割れている。

 兜は吹き飛ばされてどこかに行ってしまい、両手斧にいたっては半ばから斬り砕かれ、柄しか残っていなかった。

 ドラゴンアスペクトの鎧も吹き飛ばされ、立ち上がるのがやっとの様子だった。

だが、その瞳には、まだ昏い憎悪の炎が残っている。

 

「アアアアアアアア!」

 

 雄叫びを上げながら、リータが健人に向かって駆けていく。半ばから折れ、もはや武器としての用途をほぼなさなくなった両手斧を携えて。

 走るたびに重心はふらつき、その速度は先の彼女と比べて、明らかに陰りが見える。

 ドラゴンアスペクトが解除されたことで、ハウリングソウルによる強化も著しく減退している。

 今の彼女は、ただ憎悪という燃料をひたすらに燃やし続け、無理矢理エンジンを回そうとしているような状態だった。

 このままでは彼女と言うエンジンは焼けつき、二度と元には戻らなくなる……。

 

「まだダメ、か……」

 

 一方、健人はまだ憎悪から解放されていない彼女の姿に唇を噛み締めていた。

 渾身の一撃とファイアストーム。それでもまだ足りない。

 確かに、ソウルリンクバーストは、リータの継戦能力のほぼすべてを奪い取った。

 だが、力は所詮、意志を通すための手段でしかない。肝心の“意志”をどうにかしない限り、リータは止まらない。

 その事実に彼は一度大きく深呼吸すると、向かってくるリータを前に、兜を脱ぎ捨てた。

 暴走しているリータにも自分の顔がはっきり見えるように晒し、さらに両手を広げ、手に持った血髄の魔刀と落氷涙を手放す。

 力なく落ちた二つの刃が、サクッと軽い音と共に雪の上に突き刺さった。

 

「フウウウウッ……!」

 

 目前に迫ったリータが、半ばからへし折れた両手斧の柄を突き出す。

 柄の断面は歪ながらも鋭く尖り、まるで魚を突く銛を思わせた。

 

(っ! ケント、何を考えている!?)

 

 無防備なその姿に主の意図を察したミラークが抗議の声を上げてくるが、それを無視して、健人はまっすぐに向かってくるリータを見つめ続ける。

 必要なのは、声すら届かず、乱れきった彼女の意志をしっかりと“捕まえる”こと。その為に、健人はあえて剣を捨てて、無防備となった。

 迫る歪な銛を前にしても、彼の瞳には、憎悪に囚われた少女の全てを受け止めようという強い覚悟がある。彼は自分の体を貫かせ、至近距離から三節のハウリングソウルをぶち当てるつもりだったのだ。

 

「がっ!?」

 

 だが迫る銛が健人の体を貫く前に、突如として横合いから飛び出してきた影が、健人を吹き飛ばした。

 

「くっ! いったいなに……が……」

 

「ぐぅぅ……」

 

 衝撃で地面を転がった健人が顔を上げると、驚愕の光景が飛び込んで来る。

 そこにいたのは、黒檀の鎧に身を包んだノルドの青年。

健人の代わりにリータの一撃を腹で受け止めた、ドルマの姿だった。

 

 

 

 




ソウルリンクバースト

健人がミラークの枷を外した状態で、三節のハウリングソウルを自分に向かって使った状態。
極限まで共鳴したドラゴンソウルが著しく身体能力を引き上げるだけでなく、同調の結果、健人が今まで使えなかったミラークの魔法技術が使用可能になっている。
ミラークの技術は健人の魔力特性の不利を補って余りあり、魔力の効率化、高威力化だけでなく、無詠唱による超高速展開、スペルストック、達人クラスの魔法展開すら可能にしている。
特に無詠唱による超高速展開の効果はすさまじく、健人の思考に沿ってミラークが即座に魔法を展開することで、憎悪の多重共鳴で暴走したリータすら圧倒する速攻を可能とする。
剣技、魔法、スゥーム。その全てが完全にかみ合い、敵を蹂躙していく姿は、かつてアポクリファで大暴れした二人の戦いを想起させる。
代償として肉体への負荷は今までの比ではなく、この状態を維持できるのは一分ほどが限界。



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第十八話 堕ちた竜王

 体の麻痺が解けたドルマは、即座に健人を追って、世界のノドの頂上を目指していた。

 強風が吹き荒ぶ山道。彼の隣には、同じく頂上を目指すカシトの姿がある。

 

「それじゃあ、アイツがハルメアス・モラを倒したってのは……」

 

「本当さ。オイラはその光景を実際に見ていたからね」

 

「そう、か……」

 

 ドルマはカシトから、別れてから健人が辿った道筋について、話を聞いていた。

 それは、地獄と言う言葉すら生温い道程。

 特に、ミラーク、そしてハルメアス・モラとの戦いは、もはや絶句するしかない内容だった。

 同時に、自分達と同じように怒りを抱きながらも、違う選択をした彼に、改めて畏怖と敬意を抱いていた。

 

「…………」

 

 健人の話を一通り述べたカシトは、それ以上黙り込み、先を進んでいく。

 言いたいことはまだまだあるだろう。本当なら、ドルマがこうしてついてくる事すら嫌で仕方がないはず。

 なにせ、ドルマは健人の言葉を聞かず、裏切り者として斬り殺そうとしたのだから。

 しかし、カシトはドルマを責めない。

 親友が一番辛かった時期に傍にいられなかったのは彼も同じであり、なによりも健人がドルマたちを責めることを望んでいないことを、きちんと理解しているからだ。

 普段はなにかとトラブルを起こす問題児ではあるが、その辺りは本当に義理堅く、友情に厚い。

 そんなカシトの態度に内心感謝しつつ、ドルマもまた先を急ぐ。

 あと少し。この坂を上り切れば、頂上だ。

 

「あれは……」

 

 その時、世界のノドの頂上に巨大な光の柱が生まれる。

 続いて雷が弾けるような轟音が響き、漆黒の光と虹色の光が空を舞い始めたかと思うと、突如として巨大な火球が炸裂した。

 衝撃波で斜面の雪が巻き上がり、下にいたドルマ達に降りかかる。

 

「なんだなんだ!?」

 

「ぎにゃああああ! 目が、目があああああ!」

 

 眼球に舞い上がった雪の塊を受け、カシトがその場でのたうち回る。

 爆発地点を凝視していたが故の不幸な出来事。押し固められた雪の直撃は、彼の目に強烈なダメージを与えていた。

 それこそ、地面をのたうち回るほどの激痛を。

 

「すまん、先に行く! 後からついて来てくれ」

 

 とはいえ、自分の理解を超える現象が起こっているのを目の当たりにしたドルマは、頂上にいるはずの二人の様子が気になって仕方がない。

 彼は目が治ったら来るようカシトに告げると、大急ぎで山道を駆け上がり始める。

 そして、彼はようやく、世界のノドの頂上へとたどり着いた。

 

「ケント、リータ……。なっ!?」 

 

 その光景を見た時、ドルマは反射的に駆け出していた。

 武器を手放した恩人と、それに向かって鋭く折れた柄を突き出そうとする想い人。

 紅に染まった瞳、ボロボロになりながらも全身からにじみ出る憎しみの気配。明らかに正気を失っている。

 そんな彼女が、あの時と同じように、命を奪おうと刃を向けていた。

 まるで、あの竜の洞窟での別離を思い起こさせる光景。

 彼は直感で、リータの身に何が起きているのか、そして健人が何をしようとしているのかを理解した。

 

「ダメだ……」

 

 それはダメだと、込み上げる不快感と焦燥に突き動かされるまま、ドルマは全力で駆け寄ると、健人の体を突き飛ばした。

 自分自身が、身代わりとなるために。

 

「ぐっ!?」

 

 衝撃と共に、腹を貫く異物感。

 続いて激痛が走り、両足から力が抜けていく。

 

「ぐうう……」

 

 上げそうになる悲鳴を押し殺しながら、崩れそうになる足を叱咤する。

 そして、唇を噛みしめながら、彼はそっと、想い人の頬に手をのばした

 

「え、あ、え……」

 

 呆然とした表情で見上げてくる幼馴染に、ドルマは思わず笑みを浮かべる。相も変わらず、気の抜けた顔をする奴だと。

 やがて自分がやったことを理解したのか、彼女の全身が震え始め、顔面が蒼白になって行く。

それがどうしようもないほど、ドルマの胸を締めつけていた。

 彼女の屈託のない笑顔に救われた。不器用で、親とすら碌に関われなかった自分を受け入れてくれた優しい彼女が……どうしようもなく好きだったのだ。

 

(ああ、俺はリータにこんな顔して欲しくなかったはずだったんだよな……)

 

 ノルドの責務と復讐に目を曇らせ、この心優しい少女が復讐鬼になることをよしとした。なにより、大切な人を、守ると言いながら放置した。

 それは、間違いなくドルマの選択であり、彼の責任だった。

 大切な家族と引き離し、あろうことか裏切り者と決めつけ、手にかけようとした。

 結局、裏切り者は自分。ならば、その責は負わなくてはならない。

 そして健人は、間違いなく、これからの未来に必要な人間だ。

 そう思ってドルマは健人の代わりにリータの刃をその身に受け、彼女が憎悪の共鳴から逃れるための生贄となったのだ。健人の代わりに。

 

「ごめんな、リータ。俺の責任だ……。それからすまないケント、こんなケジメのつけ方しか、思い、浮かばなかった」

 

「あ、ああ。あああ……いや、いや、いや……」

 

 ドルマが地面に倒れ込み、突き刺さっていた柄が抜ける。

 真っ白な雪に広がる赤い血と、崩れ落ちる幼馴染の姿に、リータが悲鳴を漏らす。

 彼女の瞳は不規則に揺らぎ、明らかにパニック状態だった。

 

「っ! リータ、落ち着け! すぐに手当てするぞ!」

 

「あ、ケント……。なんで、ここに……。なにが、起きて……。私、私……」

 

「ええい、悪く思うなよ!」

 

「あっ……」

 

 現実の認識が追い付かず、うろたえ続ける彼女の様子に危機感を覚えた健人は、反射的に彼女の頬を叩く。

 頬に走る痛みに、不規則に揺れていたリータの瞳が、一時的に落ち着きを取り戻した。

 

「すぐに手当てが必要だ、手を貸せ!」

 

「え、あ、うん……」

 

 強い健人の言葉に促され、リータはおずおずと手を伸ばす。

 回復魔法が使える彼が傷を塞ぎ、彼女が止血役としてドルマの傷を押さえる役目だ。

 

「ぐ、が……。リータ、ケント……」

 

 腹部に走った痛みにドルマが悶え、リータがビクリと肩を震わせた。

 

「しゃべるな、動くな! 傷が塞がらない!」

 

「お前に、全部背負わせるのは、違うと思ったんだ。こうなったのは、俺の、責任だから……」

 

 健人が怒鳴りながら回復魔法で止血を施す間にも、ドルマは謝罪の言葉を止めない。

 近づいてくる自分の死を自覚しているからなのだろう。今までの自分の行いを懺悔し続けている。

 

「ち、ちが……、わた、私が……」

 

「ええい、二人ともしっかりしろ! それからリータ、力を緩めるな! これ以上血が流れたらドルマが死ぬぞ!」

 

 ドルマの懺悔に釣られて、リータが再び不安定になりかけている。

 ここでドルマが意識不明になったら、そして傷を押さえているリータの手が緩んだら、本当に助けられなくなる。

 健人はとにかく、切れそうな糸を必死に繋ぎながら、懸命に回復魔法をかけ続ける。

 その時、救いの声が響いてきた。

 

「ちょっとちょっと、何やってるのさ!」

 

 世界のノドの頂上に姿を現したのは、ドルマと共に健人を追って昇ってきたカシトだった。

 地獄に仏とばかりに、健人は声を張り上げる。

 

「カシト、ちょうど良かった。薬持ってるか!?」

 

「ほんのちょっとなら」

 

「全部ぶっかけろ!」

 

 大慌てでカシトが残っていた薬を、全てドルマの傷にかける。

 健人の回復魔法との相乗効果で、なんとか出血を止めることは成功した。

 

「よし、とりあえず、血は止まった。でもまた出血するかもしれないから、油断はできない。ハイフロスガーに戻ってきちんと治療しないと……」

 

 とりあえず血が止まったことに安堵の息を漏らすものの、油断はできない。

 リータとの戦いで、健人も消耗しきっており、これ以上魔法の使用は出来なかった。

 それに、傷は塞いだとは言ってもまだ十分とは言えない。大量の血を失っているし、本格的な治療が必要だった。

 

「あれは……」

 

 ふと顔を上げた健人の視界に、何かが映った。

 積もった雪の隙間から覗く、金属の光沢。一体なにかと健人が目を細めていると、ゾワリと全身が震えた。

 その光沢から、視線が外せない。

 しかし、その意識が吸い込まれるような感覚を、横から響いてきた野太い声が遮った。

 

“終わったのか……”

 

 それは、先ほどまでリータのドラゴンレンドによって拘束されていたパーサーナックスだった。

 

“すさまじい戦いだった。ドヴァー同士の魂のぶつかり合い。それ以上に、あのような戦いの中にも己を見失わぬ強い心”

 

 シャウトの効果が切れたことで、自由になっていた彼は、ケント達の傍によると、その重厚な面容で見下ろしてくる。

 苔むした巌のような体躯でありながら、揺らがぬ大地のような安心感を覚える声。まるで、死んでしまった友竜を思わせるその佇まいに、健人は自然と目の前のドラゴンから目が離せなくなる。

 

“新たな兄弟。かの女神を思わせる、静謐な魂の持ち主よ、歓迎するぞ。そして、正気に戻ったようだな、ドラゴンボーン”

 

「あっ……。ごめ、ごめんなさ……」

 

 パーサーナックスの視線が、リータへと向けられる。

 途端に彼女は、叱られた子供のように狼狽しはじめた。無理もない。様々な要因はあれど、今しがた彼女は目の前の老竜を殺しかけたのだ。間違いなく、自分の意思で。

 しかし、当のパーサーナックスは、その身に纏う穏やかな空気を崩すことはなかった。

 

“謝る必要はない。我はお前からドラゴンレンドを受けた時、運命の時が来たのだと思った。自らの罪が、己の命を奪う時が来たのだと”

 

「違う、私は、私は……」

 

“何もしないことも、己の選択だ。出来る抵抗をしなかった時点で、其方だけの罪ではない。ゼイマー、ヌエヴギルドラールも、そう言っていたはずだ……”

 

 ヌエヴギルドラール。

 健人と決別することになった最大の原因。そして、リータにとっての罪の証であり、楔となっていたドラゴン。

 かのドラゴンも、今わの際にリータに謝罪をしていた。『要らぬ業を背負わせてしまった』と。

 

「どうして……」

 

“そういう兄弟だからな。彼は理解していた。自分の選択の結果、己が死ぬと言うことを”

 

 彼は、己の死を理解した上ですべて行動していた。兄弟が言えなかった事実を、パーサーナックスは代わりに伝える。

 リータの心が、再びグルグルと揺れ動く。その感情を、彼女はうまく言葉にすることが出来なかった。

 ただ、言いようのない熱く、重い何かが、腹の奥に生み出され、燻っている。

 そんな彼女を優しい瞳で見つめていたパーサーナックスだが、やがて健人へと視線を戻した。

 

“そして異端のドラゴンボーンよ。こうして会えたのだ。ぜひティンバークを……と言いたいが、そうもいかん”

 

 その言葉に、健人もまた己の直感がうずくのを感じた。

 強大な存在が、すぐそこまで迫っている。

 

「ああ、来るな……」

 

 直後、漆黒の影が頭上を飛び抜けた。

 続いて、ズドォオン! 鼓膜が敗れるかと思えるほどの爆音が、衝撃波をともなって襲い掛かってくる。

 

「ぐっ!」

 

「きゃあああ!」

 

 衝撃波にあおられ、健人達はその場に蹲る。

 

“来たか、アルドゥイン”

 

 パーサーナックスの言葉に促されるように健人達が空を見上げれば、漆黒の巨竜が羽ばたきながら、彼らを睥睨していた。

 

“ドヴァーキン、パーサーナックス。そして、いたなターロディス、災いの元凶”

 

「元凶?」

 

 アルドゥインの視線が健人へと向けられる。

 いったい何のことかわからず、リータが当惑した声を漏らす。

 一方、思い当たる節がある健人は、緊張した様子で唇を引き締める。

 

「俺がオブリビオンでやらかしたことを知っているみたいだな」

 

 わずかに警戒を漂わせたアルドゥインだが、直ぐにその真紅の瞳に過ぎた優越と驕り色に染める。

 

“だが、我には及ばぬ。ズゥーウ、ムラーグ、ザーロナ、ヒン、ロトムラーグ。死ね、そしてソブンガルデにて運命に従い、我が腹に収まるがいい! ほかの定命の者たちと同じようにな!”

 

 戦いの宣誓を告げたアルドゥインが、大きく首をのけぞらせる。

 

“ヨル、トゥ、シューール!”

 

 ファイヤブレス。

 伝説のドラゴンたちと比較しても類を見ないほどの熱量の塊が、健人達めがけて放たれる。

 健人は咄嗟に、フロストブレスで迎撃を試みる。

 今のドルマは動けない。大人一人を避難させるには、相殺するしかなかった。

 しかし、健人がシャウトを唱える前に、巨大な影が健人たちを守るように覆いかぶさった。

 

“むうう!?”

 

「パーサーナックス!?」

 

 健人たちをかばったのは、パーサーナックスだった。

 彼はボロボロの翼で、アルドゥインのファイヤブレスを受け止める。

 ひび割れた鱗と被膜が黒く変色し、肉の焼ける匂いが満ちる。遮られ、散った熱が雪を溶かし、炎が地面を舐めて赤熱化させていく。

 

「ロスト、フント。遅すぎたのだ、アルドゥイン!」

 

 ひび割れ、溶けた鱗で半身を焼かれながらも、アルドゥインのファイヤブレスを防ぎ切ったパーサーナックスは、空から見下ろしてくる兄に向かって叫ぶ。

 

「ドヴァーキン、ドラゴンレンドを使え!」

 

「でも、でも……」

 

「奴が空にいる間は手が出せん! 奴の時を奪い、不懐の鎧を剥いで地上に引きずり降ろさなければ、勝機は無い!」

 

 パーサーナックスがドラゴンレンドを使うことを促すが、肝心のリータは二の足を踏んでいた。

 無理もない。たった今、彼女はそのドラゴンレンドの憎悪によって暴走し、大切な人を殺しかけたのだ。

 リータが逡巡する間にも、アルドゥインは翼をはためかせ、急降下してくる。

 パーサーナックスが迎え撃とうと飛び立ち、空中戦を広げ始めるが、かつての力の大半を失っている老竜は、瞬く間に竜王に追い詰められていく。

 

「っ!」

 

「ケント!?」

 

 追い詰められていくパーサーナックス、そして迷うリータを見て、健人が動く。

 上空で戦う二頭めがけて駆け出しながら、聞き取った力の言葉から意味を引き出す。

 定命、有限、一時。ドラゴンレンドを構築する言葉。そして、その文字に刻まれた漆黒の思念を。

 

「ぐっ!?」

 

 引き出された復讐の思念が、健人を蝕む。

 ただひたすらに純化されたそれは、数千年間熟成された、人間の憎悪。

 まるで、巨大な黒真珠にいくつもの髑髏を刻んだ様な禍々しさ。

 

『殺せ、殺せ、殺せ……』『あの醜いワーム共に死を。我らの仇を……』

 

 ドラゴンに対する無数の怨嗟に頭が煮えたぎるように熱くなり、耳の奥で喚き散らす憎しみが、思考を千々に斬り裂いていく。

 

(くそ、なんて憎悪だよ……)

 

 美しき汚物と呼べるような強烈な違和感に、思わずえずきそうになる。

 それでも健人は、その憎悪を飲み込み、さらに漆黒の思念の奥へと潜っていく。

 シャウトを学ぶとは、力の言葉に込められて意思を取り込むということ。である以上、このシャウトを使うには、健人もリータと同じように、この無数の憎悪に向き合わなければならない。

 熱は頭から全身へと伝わり、目の前にこの世界に来てからの光景がフラッシュバックする。

 そして、その全ては憎しみへと繋がる光景だった。

 訳も分からず別世界に飛ばされた理不尽、ティグナ夫妻の死、家族に奪われた友人と拒絶、それらが、あらゆる負の感情を掻き立てる。

 怒り、憎悪、渇望、無力感。

 そして漆黒の思念は同時に、勝利と優越による悦楽ももたらしてくる。

 だから、殺せと。ドラゴンを殺せと。

 

(でも、それだけなのか?)

 

 途方もなく繰り返される怨嗟。だからこそ、健人にはその裏に、憎悪達すら気づいていない何かが隠れている気がしてならなかった。

 

(もっと、もっと奥へ……)

 

 囁きだった憎悪の声が、どんどん大きくなっていく。

 やがてその声の群れは、無数の雷鳴のような轟音へと変わっていった。

 

『奴らに死を、永遠の苦しみを!』『喉を潰せ、肺を貫け、内臓を抉りだせ!』『鱗を剥ぎ、首を落し、骸を晒すのだ! 奪われた我らの同胞のために!』

 

 まるで、耳元で無数の拡声器ががなり立てているような音量。

 気が狂うような無数の声を聴かされながらも、健人は漆黒の思念のさらに奥へと、己の精神を投じる。

 その瞬間、無数の憎悪の声が消えた。

 視界が漆黒に塗りつぶされ、何も聞こえなくなる。

 やがてその闇の中では、幾つもの小さな光の粒が漂ってた。

 明滅を繰り返し、今にも消えてしまいそうな光の群れ。それらは擦れるような声で、しかし、はっきりと言葉を発していた。

 

『こんなのは、もう嫌だ 』『誰か、この永遠に続く地獄を、終わらせてくれ……』

 

 小さな粒たちが発していたのは、懇願の声。

 その声を耳にしたとき、健人は理解した。

 

(ああ、そうか。ちゃんと“スゥーム”に刻まれていたな……)

 

 ジョール、ザハ、フルル。

 定命、有限、一時的。ドラゴンレンドを構築するその全ては『変化』を願う言葉。

 

『この世界を変えたい、変わってほしい』

 

 それが、無数の憎悪に隠れていた、彼らの本当の願い。

 まるで瀕死の蛍のような光は、訪れた健人に懇願するように集う。

儚いそれを、健人はそっと両手で包み込んだ。

 

「分かってる。分かっているよ……」

 

 彼らの擦れた声を自分の心に刻み込む。

 発音も、言葉の意味も分かる。そして今、彼らの意思の声も聞き届けた。

 暗闇に包まれていた視界が、元に戻る。

 目に飛び込んでくるのは、闇夜で鱗を染めたドラゴン。

 息を吸い、彼らの遺志と共に“声”を放つ。

 

「ジョール、ザハ、フルル!」

 

“っ!?”

 

 完成されたドラゴンレンドがアルドゥインに直撃した。

 白い渦に力を封じられた竜王が、地響きを立てながら地面に降り立つ。

 

「うおおおおお!」

 

 アルドゥインが地面に落ちると同時に、ケントは地を蹴った。

 黒と蒼の双刀を引き抜き、アルドゥインへと突き進む。

 漆黒の竜王が持つ不懐の鎧が消えている今が、唯一のチャンスだからだ。

 

“ウル゛、グト、マーファエラーク!”

 

「なっ!?」

 

 だが次の瞬間、アルドゥインが放ったシャウトが、健人のドラゴンレンドを吹き飛ばした。

 あり得ない光景に、ケントやリータだけでなく、パーサーナックスすらも驚きの表情を顔に張り付かせる。

 

“メイ、貴様らの忌まわしい声に、我が何も対抗策を用意しないとでも思っていたのか! このスゥーム、ドラゴンオーダーがあれば、貴様らの声などもはやそよ風と同じよ!”

 

 ドラゴンオーダー。

 アルドゥインがドラゴンレンドに対抗するために作り上げたシャウト。

 永遠、無限、終わりのない、という、全てが“永遠”を意味する言葉によって構築されている。

 ドラゴンには定命の概念が分からない。故にドラゴンレンドを身に付けることはできない。

 だが、その力が自らの身に何をもたらすかは理解できた。

 力の剥奪、永遠の消滅、時の断絶。ドラゴンがドラゴン足らしめるものを奪う力だ。

 ドラゴンオーダーとは、ドラゴンレンドによって斬り裂かれた時の秩序を取り戻すために、アルドゥインが新たに作り上げたシャウトだった。

 

「マジかよ……」

 

“グオオオオオオオオ!”

 

 切り札であったはずのドラゴンレンドが効かない。

 予想外の事態に誰もが凍り付く中、漆黒の竜王は容赦なく、健人達に向かって襲いかかった。

 

 

 




というわけで、ついにアルドゥイン戦突入です。
でも問題が発生。ドラゴンレンド、無力化されました。
太古の竜戦争の決戦から復活まで、アルドゥインの体感時間でどれくらい封印されていたのかは分かりませんが、何も対抗策を用意していないというのは原作と同じで面白くないと思い、追加しました。

いわゆるお約束、以前お話した、アルドゥインの強化パッチです。

以下、オリジナルスゥームの説明


ドラゴンオーダー(Gut Ul Mahfaeraak)

時の狭間に封印されていたアルドゥインが、対ドラゴンレンド用に用意していたシャウト。
永遠、無限、終わりのない、という、全てがドラゴンレンドと対となる言葉で構築されている。
ドラゴンの持つ“永遠”の概念を強化するスゥームであり、これによりアルドゥインはドラゴンレンドを打ち消し、無力化した。






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第十九話 生き残った意味

お待たせしました。第7章第十九話です。
今回はまた色々と大切なお話。一応ですが、次のお話で第8章は終わりです。



 グレイビアードに担ぎ込まれたデルフィンは、寺院の一角に座らせられ、治療を受けていた。

 戦士としては再起不能になったためだろうか。治療を受ける彼女の表情はどこか力が抜けており、とてもサルモール相手に数十年間戦い抜いた諜報員には見えなかった。

 彼女の隣には、同じように座らせられたエズバーンの姿もある。

 

「どうして、私達を治療するの?」

 

 唐突に告げられた質問に、アーンゲールは眉を顰めつつも治療を続ける。

 もっともな質問だった。なにせ彼女達は自分達の目的のために、アーンゲール達を無理やり眠らせたのだ。

 傷一つつけていないとはいえ、普通に考えれば簡単に許せる所業ではない。

 さらには、パーサーナックスの命を長年狙い続けていたこと、シャウトに対する根本的な考え方も含め、そもそも双方は相いれない存在である。

 だが、疑問を漏らすデルフィンと違い、グレイビアード達は長年の潜在的な敵対者を前にしても、超然とした構えを崩さなかった。

 

「我らの関係を考えれば、あり得ないだろう。少し前なら、私も激高しながら拒否したはずだ。だが、私も思うところがあってな……」

 

 乾いた血で染まった包帯を取り換えていたグレイビアード、アーンゲールはデルフィンに向かってそう言い放つ。

 彼の脳裏には、ドラゴンレンドについての見識の相違から、リータと口論になった時の光景が浮かんでいた。

 本来、声の道が己の心を静かに保ち、運命を受け入れることが肝要。しかし、彼はドラゴンレンドに対する嫌悪から、己の目を曇らせ、頭ごなしに否定した。

 ウルフガーの取り成しで収まったが、この一件はアーンゲールにとって、自分を見直す機会となっていた。

 

「それに、今の其方には憎しみの色がない」

 

 なにより、アーンゲールの心を動かしていたのは満身創痍になったデルフィンの様子。

 まるで枯れた大樹のように静かで、どこか厳かな雰囲気をまとっており、その姿はどこかグレイビアードにも通じる、達観した気配を醸し出していた。

 少なくともその声には、憎しみも殺意も無い。

 

「そうね。ずっと燻っていたはずなのに、どこか行ってしまったわ」

 

 アーンゲールの見透かすような透明な視線を受け、デルフィン大きく息を吐きながら、壁に背中を預ける。

 胸の奥に巣食っていた閊えが、今は無い。

 どこか宙を浮いているような感覚に身を委ねながら、彼女は静かに天井を見上げていた。

 

「さて、これで治療は終わりだ。後は、大人しくしていることだ」

 

「普通ならそうね。でも、私は先へ進ませていただくわ」

 

 安静にしているように告げるアーンゲールの言葉を聞き流しながら、デルフィンは立ち上がる。

 静かな戦意を漂わせるその佇まいに、グレイビアード達は眉をひそめた。

 そんな彼らの反応に、彼女は苦笑を浮かべる。

 

「安心しなさい。パーサーナックスのことじゃない。弟子を竜王と戦わせたまま、何もしないわけにはいかないのよ」

 

「デルフィン……」

 

 エズバーンが、意味ありげな視線をデルフィンへ向ける。

 今までのデルフィンは常にほの暗い空気を身にまとっていた。

 人を信用せず、自分を明かさず、常に距離を保ち、利用する。

 ドラゴンボーンを前面に押し出し、その陰に隠れるように常に裏方に徹し、リータの名声と力を最大限利用して目的を達成しようと動いていた。

 それは、人としてはともかく、隠密、諜報員としては正しい姿。

 戦友の視線に口元に浮かべた笑みを深めながら、デルフィンは自分の心を確かめるように瞑目した。

 

「ずっと、苦しみに染まった顔が頭から離れなかった。サルモールに殺された、仲間たちの顔が。戦っているときも、ベッドに横になっているときも、酩酊の沼に沈んでいるときも……」

 

 長い間、誰にも明かさなかった心の内を、デルフィンは静かに吐露し始める。

 そんな彼女の言葉を、エズバーンもアーンゲールも静かに耳を傾ける。

 

「今なら分かる。私は、彼らと一緒にいられなかったことが、死ぬべき場所で死ねなかったことが、只後ろめたかっただけだった」

 

 ずっと脳裏で叫んでいた、戦友たちの断末魔と怨嗟の声。

 彼らにサルモールの凶刃が振り下ろされているとき、自分は帝都に呼び出されていて、何もすることができなかった。

 その後悔がずっと胸の奥に巣食い、彼女を誰よりも冷徹な戦士へと変えていたのだ。

 ブレイズの為に、ブレイズの為に、ブレイズ(仲間達)の為に、仲間達(ブレイズ)の為にと、自分の心の中で叫びながら。

 

「今にして思えば、情けない話。結局私は、自分の後悔を覆い隠したくて、生き延びた自分に意味が欲しくて、ドラゴンボーンたちを利用していたに過ぎなかった。でも……」

 

 大戦から数十年。いまさらながらに気づいた、自分の本心。後悔と懺悔の言葉を滔々と語り続けていくうちに、デルフィンの凝り固まった心がほぐれていく。

 

「無為に過ごし、血と暴力だけを振り撒いた数十年だけど、そんな私にも最後に遺せるものがある」

 

 意味深な、しかしながら、しっかりとした口調で述べられたデルフィンの言葉。

アーンゲールはしばしの間、じっと彼女を見つめていたが、やがて小さく息を吐くと、すっと身を引き、山頂への道へとつづく扉への道を開けた。

 

「……わかった。行くがいい、贖罪を求める戦士よ。この世界の運命が決まるその時に、後悔を残さぬように……」

 

「ありがとう。ふふ、変な感じね。こうして貴方達グレイビアードに礼を言うなんて」

 

 ムスッとしているアーンゲールに小悪魔のような笑みを返しながら、デルフィンはエズバーンに向き直る。

 

「エズバーン、後はお願いね」

 

「……分かった」

 

 彼女が何を考えているのか、エズバーンは簡単に察することができた。しかし、彼は止めることはせず、静かに頷く。

 そんな彼の思いやりに感謝しながら、デルフィンはハイフロスガーを出た。

 その瞳に、これまでとは違う、強い覚悟と未来を見つめる光を宿して。

 目指すは山頂。最後の弟子が、運命の戦いを繰り広げる戦場である。

 

 

 

 

 

 

 

 無効化されたドラゴンレンド。切り札が効かないという現状に皆が呆然とする中、アルドゥインが一気に攻勢に出る。

 目標は、リータ達よりも前に出ていた健人。巨大な口を開き、敵を引き裂かんと竜王の牙が襲いかかる。

 迫るアルドゥインを前に、彼は反射的にドラゴンアスペクトを唱えた。

 

「くっ! ムルゥ、クァ、ディヴ!」

 

 虹色の竜鱗が再び健人の体を包み込むが、その鎧はどこか虚ろで、頼りなく揺れていた。

 ソウルリンクバーストの弊害。肉体と魂にかかった負荷は、予想以上に健人に消耗を強いている。

 それでも健人は、迫るアルドゥインの牙を横に躱し、両手に携えた得物を振るう。

 漆黒の鱗にデイドラのブレイズソードが振り下ろされる。

しかし、手に返ってきたあまりに異質な感触に、健人は思わず目を見開いた。

 

「っ!?」

 

 手ごたえがまるでない。

 確実に刃は届いていたにもかかわらず、斬った感触も衝撃も返ってこない。

 健人の額に冷や汗が流れる。まるで、絶対零度の世界に自分だけが放り込まれたような感覚だった。

 物理的にありえない現象を目の当たりにしたことで、健人の動きが一瞬鈍る。

 

“死ぬがいい、厄災の元凶!”

 

「っ、ファイム、ズィー、グロン!」

 

 再度、アルドゥインの牙が迫る。

 健人は反射的に『霊体化』のシャウトを発動。物理的な攻撃を無効化しつつ、離脱を試みる。

 

“無駄だ! ホルヴダー、ズィー、ハール゛!”

 

「なっ!? ぐあ!」

 

 アルドゥインがシャウトを唱え、霊体化したはずの健人をその牙で捕える。

 物理的な効果を無効化しているはずにもかかわらず、何故か竜王の顎はがっちりと健人の体を掴んで離さない。

 よく見れば、淡い白色の光が、アルドゥインの牙に纏わりついている。

 

“捕魂の手”

 

 かつて、死霊術を得意としていたドラゴン。その竜が使っていたシャウトの亜種。

本来触ることが出来ない霊体に触れられるようになるシャウトだ。

 ミシミシと光鱗が軋みを上げ、鎧の留め具が歪んではじけ飛ぶ。

 今にも健人が押しつぶされそうになっているその時、横合いから強烈な衝撃破が襲いかかってきた。

 

“ファス、ロゥ、ダーーーー!”

 

「むっ!?」

 

「ぐあ!」

 

 『揺るぎ無き力』のシャウトが、アルドゥインが捕縛していた健人を弾き飛ばし、その牙から逃れさせる。

 

“逃がすか!”

 

「がはっ! っ!? ウルド、ナー、ケスト!」

 

 アルドゥインが地面に転がった健人に追撃をかけようと牙をむくも、彼は旋風の疾走のシャウトを唱え、一瞬で牙の間合いから逃れる。

 舌打ちしながらアルドゥインが衝撃破の走ってきた方に目を向ければ、急降下しながら向かってくるパーサーナックスの姿がある。

 

“ふん、パーサーナックスめ、しぶとい。クォ、ロゥ、クレント!”

 

 紫電の咆哮が、老竜めがけて放たれる。

 とっさに回避しようとしたパーサーナックスだが、避けきれずに右翼を貫かれてしまう。

 

“ガアッ!?”

 

“スゥ、グラ、デューン!”

 

 バランスを崩したパーサーナックスに、アルドゥインが『激しき力』を唱えながら襲い掛かる。

 翼に風の刃を纏わせながら飛翔し、真空刃で老龍の胸を深々と斬り裂く。

 

“グオオオオオオ!!”

 

 血をまき散らしながら、落下していくパーサーナックス。老竜は世界のノドの山頂に積もった雪の上に激突し、動けなくなってしまう。

 一方、パーサーナックスを排除したアルドゥインは、更なる攻勢を健人達にかける。

 

“――ッ――ッ――――ッ!!”

 

 健人の耳にも聞き取れないシャウトが、天空を揺らし、無数の隕石を降らせる。

 メテオ・アポカリプス。

 アルドゥインだけが使うことを許されたスゥーム。天より隕石を降らせ、すべてを焼き尽くすスゥーム。リータ達の故郷であるヘルゲンを瞬く間に焼き払ったシャウトである。

 

「うわあああ!」

 

「きゃあああ!」

 

 天空から降り注ぐ隕石が、雪の白に覆われた世界のノドを、炎の赤に染めていく。

 あちこちで爆風がまき散らされ、健人達は舞い上がる土と雪にもみくちゃにされていく。

 更に上空に飛翔していたアルドゥインは『激しき力』でさらなる加速を開始。

 ドン! と、空気が破裂する音を響かせ、瞬く間に音速を突破しながら、ループを描く。

 そして降下を開始したアルドゥインは、重力でさらに加速しながら、その口腔を開いた。

 

“ヨル……トゥ、シューーール!”

 

 超加速されたファイヤブレスが、健人に襲い掛かる。

 咄嗟にその場から飛び退くものの、ファイヤブレスは地面に着弾した瞬間に圧縮され、一気に熱量を解放。

 ひときわ大きな爆炎をまき散らしながら、健人の体を吹き飛ばす。

 

「ぐああああああっ!?」

 

 ドラゴンアスペクトの鎧すら突破する熱量。さらにそこに、アルドゥインが衝撃波を纏いながら飛び抜けた。

 十数メートルの巨体が生み出す衝撃波が、炎に纏わりつかれた健人をさらに弾き飛ばす。

 

「ぐううぅう!」

 

 身を焼かれ、吹き飛ばされて、健人の体は地面に叩き付けられた。

 全身の骨が折れたような激しい痛みが、雷のように体中を駆け巡る。

 それでも彼は歯を食いしばりながら、雪で体に纏わりつく炎を消し、回復魔法で傷を癒す。

 

“さすがにしぶとい。そして、クリル ゙、ヴォス、アークリン。勇敢だ。無謀とも言えるがな”

 

 旋回しながら立ち上がる健人を確かめたアルドゥインは、再度突撃を開始する。しかし、次の瞬間、正面から白い波動が正面から叩き付けられる。

 

「ジョール、ザハ、フルル!」

 

 あまりにも高速で飛ぶアルドゥインには、まともな破壊魔法やシャウトは届かない。

 だが、突撃してくる瞬間は別だ。その瞬間を狙って放たれた健人のドラゴンレンドが、アルドゥインに直撃する。

 

“無駄だ! ウル゛、グト、マーファエラーク!”

 

 しかし、ドラゴンレンドによって斬り裂かれたアルドゥインの時は、彼のドラゴンオーダーによって瞬く間に無効化される。

 そして、無防備になっている健人に、再度衝撃波が襲いかかった。

 

「あぐっ!」

 

 地面を転がる健人を尻目に、アルドゥインは離脱。三度目の突撃の為の加速を開始する。 

 

「くそ、どうすれば!」

 

 健人達の状況は絶望的だった。

 繰り返される爆音の重奏。

 今のアルドゥインは例えるなら、超音速戦闘機に爆撃機編隊並の爆装を施したようなもの。さらに、核兵器でも傷一つつかない無敵の装甲持ちである。

 おまけに、唯一の突破口であるはずのドラゴンレンドすらも無効化してくる。

 まさに、手も足も出ないとはこのことだった。

 メテオ・アポカリプスによる絨毯爆撃で動きが取れなくなっている健人めがけて、アルドゥインが三度目の突撃を開始する。

 

“厄災の元凶よ! パーサーナックスと共に、何もできず、地べたを這いつくばったまま死ぬがいい!”

 

「ぐぅ! ジョール、ザハ、フルル!」

 

“ウル゛、グト、マーファエラーク!”

 

 無力化されると分かっていても、健人はドラゴンレンドを放ち続ける。

 アルドゥインのシャウトによる砲撃を止めるには、そうするしかないからだ。

 しかし、それだけでは隕石による爆撃も超音速の衝撃波も防げず、アルドゥインの攻勢を完全に断ち切ることはできない。

 アルドゥインもそのことを理解しているのか、再度ドラゴンオーダーでドラゴンレンドを無効化つつ、そのまま一直線に健人達めがけて突っ込んでいく。

 迫るアルドゥインと衝撃波を前に、健人は身構える。

 だがその時、彼の視界の端に黒い影が飛び込んできた。

 

「リータ!?」

 

 その影に、健人は驚きに目を見開く。

 飛び出してきたのはリータだった。

 彼女は荒い息を吐き、不安に瞳を揺らしながらも、しっかりとアルドゥインを見据える。

 

(私は……今でもドラゴンを殺したいと思っている)

 

 両親の仇。小さくともかけがえのない幸せを奪われた怒りは、今でも彼女の心に燻っている。

 アルドゥインを前にして、その炎は再び燃え上がり始め、その炎に当てられたように、憎しみの囁きが、今一度息を吹き返す。

 

(殺すのだ、ドラゴンを……)(殺すのだ、定命の者を……)

 

 ドラゴンと人間の憎しみの連鎖が、再びリータを怨嗟の螺旋へと引きずり込もうとしてきた。

 脳裏で喚き散らす声の圧力に流されまいと、彼女は歯を食いしばる。

 一度飲まれたが故に、恐怖は間違いなく彼女の心を蝕んでいた。

 しかし同時に、その恐怖に脅えるだけではダメであることも、彼女は理解していた。そして、もう一度、立ち上がらなければならないことも。

 怨嗟に飲まれた自分を引き戻してくれた二人の姿が、リータに力を湧き上がらせる。

 だからこそ、彼女は今一度立ち上がった。

 この少女もまた間違いなく、“英雄”の素質を持つ者なのだから。

 

「すぅ……」

 

 リータは大きく息を吸い、ドラゴンレンドの深奥へと意識を潜らせる。

 憎悪に満ちた思念の真意。義弟が示してくれたその意思と己を同調させ、真言を紡ぐ。

 

「ジョール、ザハ、フルル!」

 

“なに!? ぐおおお!”

 

 リータが放ったドラゴンレンドが、アルドゥインに直撃した。

 健人とリータ。二人のドラゴンボーンによって重ねられたシャウトが、アルドゥインの力を上回り、彼の不変、不懐の鎧を剥し、翼を奪う。

 

“ぬうううう!”

 

 飛翔力を失ったアルドゥインは急激に速度と高度を落しながらも、なんとか体勢を立て直す。

 轟音を上げながら地面に着地。勢いあまって滑走しながらも、再び自分を地面に引きずり下ろした二人のドラゴンボーンを睨みつける。

 

「ケント、今!」

 

「おおおおおお!」

 

 リータの声に導かれ、健人は地面を滑走中のアルドゥインに向かって全力で踏み込む。

 地面を粉砕しながら、あっというまに間合いを詰め、デイドラのブレイズソードを一閃。

 血髄の刃がアルドゥインの漆黒の鱗を斬り裂き、赤い血が舞い上がる。

 

“ぐっ!? 我を地面に落としたからと言って、舐めるなよ!”

 

 即座にアルドゥインが反撃に出る。

 牙を剥き、躱したところに鋭い大爪を振るう。

 アルドゥインの爪撃が、健人の体を捉える。相手の動きと己の体躯を利用した、的確な反撃。

 しかし、迫るアルドゥインの凶爪を前にしても、健人はひるまなかった。

 逆にアルドゥインの爪撃に左腕を合わせる。激突の瞬間、虹色の竜鱗がドラゴンスケールの小手と共に弾け飛び、同時にアルドゥインの爪を弾き返す。

 

“攻撃反射”

 

 リータが自在に操っていた、重装鎧の技術。

 それを模して、しかも重装鎧よりも防御力に乏しい軽装鎧で実行したのだ。

 

“なっ!?”

 

「ぐぅ、おおおおおおおおお!」

 

 練度不足から、爪撃の威力を完全に殺すことはできず、激痛が腕に走る。

 だが健人は痛みに耐えながら、驚くアルドゥインの首に一閃。再び竜王に裂傷を刻む。

 

「まだ、まだああああ!」

 

“ええい、ファイム、ズィー、グロン!”

 

「ホルヴダー、ズィー、ハール゛!」

 

“なに!? グウゥ!”

 

 反射的に霊体化を使ったアルドゥインだが、先ほどのシャウトを聞いていた健人が、即座に同じ“捕魂の手”を発動。霊体化を無効化し、竜王の頬にさらなる裂傷を刻む。

 

“この……。調子に乗るな!”

 

 三度も同じ相手に傷つけられたことに激高したアルドゥインが、健人に襲いかかり、健人もまた正面から迎え撃つ。

 

“オオオオオオオオオオオオオ!”

 

「あああああああああああああ!」

 

 そして、虹色の竜人と竜王は、真正面からぶつかり合い、互いの身を削り合い始めた。

 竜王が強烈な爪撃を叩き込み、健人が反撃とばかりにアルドゥインの頬を殴り飛ばす。

 健人の口から鮮血が漏れ、へし折られた竜王の牙が赤い血しぶきとともに宙を舞う。

 追撃の刃が漆黒の鱗を千々に斬り裂き、強烈な尾撃が小さな人の体を打ちのめす。

 何度も激突を繰り返し、その度に相手の体に傷を負わせていく。

 そして、ついにアルドゥインの牙が、健人を再び捉えた。

 

「ちい!」

 

“捕えたぞ、このまま噛み潰して、グオ!?”

 

 高々と首を持ち上げて健人を噛み潰そうとするアルドゥイン。しかし、健人はさせじと、口内に血髄の魔刀を突き立てた。

 口の中に走った激痛に、アルドゥインは反射的に首を大きく振りながら、健人を遠くに投げ飛ばす。

 

“ガハ、ゴホ……! ええい、しぶとい! ヨル、トゥ、シューール!”

 

「フォ、コラ、デューーン!」

 

 ファイヤブレスとフロストブレスが激突する。

 極炎と零下の吹雪が激突し、水蒸気を巻き上げた。

 健人は更なる追撃をかけるべく、『旋風の疾走』を唱えようとする。

 

「ウル……ぐぷっ! ごほ、ごほ!?」

 

 しかし、突如として健人が息を詰まらせ、その場に膝をつく。肺に血が入ってしまったために、息を乱したのだ。

 難敵が見せた隙に、アルドゥインは大きく息を吸う。

 

“クォ、ロゥ……”

 

 サンダーブレス。

 極めて威力、貫通力に優れた雷撃のシャウト。

 アルドゥインが放つそれは、ヴィントゥルースのサンダーブレスやミラークのライトニングテンペストすらも上回る威力を持っている。

 健人の危機を前に、戦いを見守っていたリータが走り出す。

 

「ケント! え?」

 

 その時、彼女の脇を、黒い影が駆け抜けた。

 リータの目にもぼんやりとしか映らない、幻のような隻腕の影。

 それは地面に落ちていたデイドラの両手斧の柄を掴むと、アルドゥインに気づかれること無く懐に潜り込む。

 そして、右手にへし折れた柄を構え、今にもシャウトを放とうとしているアルドゥインの右目めがけて勢いよく突き入れた。

 

「させない……!」

 

“クオレ……グオオオオオ!?”

 

 右目を潰され、アルドゥインが首を仰け反らせて暴れまわる。

 そこでようやく、虚ろな影が人の姿を取り戻した。

 折れた柄をアルドゥインに突き入れた人物の姿に、リータだけでなく健人も目を見開く。

 

「デルフィン、さん?」

 

 それは、ハイフロスガーにいるはずだったデルフィンだった。

 柄を脇で固定し、体ごと突き入れるように突撃した彼女は、暴れるアルドゥインに激しく振り回されていた。

 そして、右目から柄が抜けると同時に、遠くへ放り投げられてしまう。

 残った左目を怒りで真っ赤に染まったアルドゥインの視線が、デルフィンへと向けられる。

 

「はあ、はあ、はあ……。どうだ。やってやったわよ、このクソワーム……」

 

「デル、フィンさん、逃げ……」

 

 怒りの針が振り切れたアルドゥインが、大きく息を吸う。

 片手で何とか身を起こして立ち上がるデルフィン。彼女は逃げるように叫ぶ健人に向かって、満足げな笑みを浮かべる。

 それは、全てを受け入れた、達観の笑顔だった。

 

「ケント、未来を掴みなさい!」

 

 最後の言葉を伝えるように声を上げると、彼女はアルドゥインに向き合い、竜王の右目を貫いた柄を掲げる。

 仲間達のために、命を賭す。

 かつて自分が仲間たちにしてあげられなかったことを、今この瞬間に成すために。

 

仲間達(ブレイズ)の為に!」

 

“クォ、ロゥ、クレント!”

 

 そして、アルドゥインのサンダーブレスが、デルフィンめがけて放たれる。

 極雷の吐息は瞬く間に彼女の体を焼き尽くし、消滅させた。

 戦いに翻弄され、怨嗟に呑まれたままの女戦士は、最後に己が遺したものに満足しながら、この世を去った。

 健人の胸から言葉に出来ない激情が湧き上がる。

 

「っ、オオオオオオオオオオオオオオ!」

 

 雄叫びを上げながら、師の命を奪った竜王を睨みつける。

 世界を揺らすほど魂が震え、溢れ出すドラゴンソウルが虹色の奔流となって荒れ狂う。

 突如として強大な魂の力を現出させた健人を前に、アルドゥインが残った左目を見開いた。

 叩きつけられる、強烈な魂の震えに、漆黒の竜王は反射的に最適と思われるスゥームを唱える。

 

“っ、ウル゛、グト、マーファエラーク!”

 

 ドラゴンオーダーが、効果の切れかけたドラゴンレンドをかき消し、アルドゥインの不滅の鎧を復活させる。

 これで、誰も傷をつけることはできないはず。しかし、頭で理解しながらも、全身に走る悪寒は一層強くなっていた。

 

「モタード、ゼィル……」

 

“ヨル、トゥ、シューール!”

 

 その悪寒に急かされるまま、アルドゥインは全力のファイヤブレスを健人に向かって放った。灼熱の奔流が、岩の地面を溶かしながら一直線に突き進む。

 

「ラヴィン!!」

 

 しかし、アルドゥインのファイヤブレスが健人を飲み込む前に、ハウリングソウルの三節目が完成した。

 

 共鳴、魂、世界。

 

 文字通り『世界』を震わせる声が、世界を食らうものへと放たれる。

 不可視の衝撃波はプロミネンスを思わせる炎の吐息を千々に粉砕して消し飛ばしながら、漆黒の竜王を飲み込む。

 

“グオオオオオ!”

 

 アルドゥインの絶叫が木霊する。

 無敵・不懐のはずの漆黒の竜鱗が空間ごとひび割れ、ベキベキ、バキバキと耳障りな音を響かせながらひしゃげていく。

 

“ガア、ギ、グギギギギ……!”

 

 竜王の全身に裂傷が走り、赤い血とともに黒い靄が噴き出す。それは、アルドゥインがこれまで飲み込んできた定命の者たちの魂だった。

 全身に裂傷を負ったアルドゥインは、押し殺すような悲鳴を漏らしながら、全身を外側と内側から切り裂かれる痛みにのたうち回る。

 そして、健人のハウリングソウルは、世界のノドからニルンの全域へ、そしてムンダスの彼方へと広がっていく。

 次の瞬間、山頂の一角に残っていた雪の中から、まばゆい光があふれだす。

 

「な、なんだ!?」

 

 突如として発生した光に、驚く健人達。

 そこには、宙に浮く黄金の巻物があった。

 

 星霜の書(竜)

 

 リータがドラゴンレンド習得のために持ってきて、健人との戦いの中で落とした、この世界で最も偉大で神秘に満ちたアーティファクト。

 そして、ドラゴンのすべてを記した星霜の書は、健人のハウリングソウルと共鳴するように震え始めた。

 まるで、世界そのものを打ち壊さんばかりに。

 次の瞬間、星霜の書がまばゆいばかりの光を放つと、空に線を描くように、光の帯が走り始めた

 光の帯はスカイリムだけでなくタムリエル大陸、そしてニルン全体へと広がっていき、巨大な白い天球図を描き出す。

 描かれた天球図は時を巻き戻すように動き始め、やがていびつに歪み始める。

 ガキガキと油の切れた時計のように不規則な変動を繰り返した天球図は、やがてピクリとも動かなくなり、サラサラと砂のように消えていった。

 

「いったい、何が……っ!?」

 

 やがて強烈な反動が健人に全身に襲い掛かってきた。

 体中の筋肉と骨が断ち切られたような痛みとともに皮膚が裂け、血が鎧の内側にたまって滴り落ちる。

 崩れ落ちそうになる膝に必死に力を入れ、なんとか立ち続けながら、彼は刀を構える。

 三節すべてそろったハウリングソウルを受けても、アルドゥインはまだ健在だった。

 健人と同じように全身に裂傷を負い、血と取り込んだ魂を漏らし続けているが、口から漏れる荒い息は、竜王がまだ生きている証だった。

 

“………………”

 

 しかし、様子がおかしい。

 重症を負いながらも、アルドゥインは下を向いたまま、黙りこくって微動だにしない。

 静寂が、健人と竜王の間に……否、世界全体に流れている。

 頭に浮かぶ疑問符に健人が横目でリータの様子を確かめると、彼女もまた虚空を見つめたまま、立ちすくんでいた。

 傷を負い、地面に倒れこんだパーサーナックスも、同じような様子。

 そばにいるカシトだけが、何が起こっているのかわからず、キョロキョロと視線をさまよわせながら狼狽えている。

 

「ミラーク、何が起こっている。……ミラーク?」

 

 健人と同化したミラーク達も、まるで石のように沈黙している。

 なにか、ただ事でない事態が起ころうとしているのではないか?

 健人の脳裏にそんな予感がよぎった時、アルドゥインが小さくつぶやいた。

 

“ダーマーン、思い出した……”

 

「なに? うわ!?」

 

 突如として、アルドゥインが首を上げる。深紅に染まっていたはずの彼の瞳は、いつの間にか蒼穹の青へと変化していた。

アルドゥインは光を失い、沈黙した星霜の書を咥えると、翼を広げて飛び立った。

 訳が分からず混乱している健人と、棒立ちになっているリータを完全に無視して、深手を負った竜王は一目散に空の彼方へと逃げていく。

 一体アルドゥインに……いや、竜族全体に何が起こったのだろうか。

 しかし、健人には確かめる間もなく、意識が急速に闇に飲まれていく。

 

「まず、い。意識が……」

 

 全身を覆う冷たさと脱力感に、彼はその場に崩れ落ちる。

 

「ケント!? おい、そこのノルド! なにボーっとしてんだよ!」

 

「……はっ! ケント、しっかり!」

 

 暗くなっていく視界の中で、カシトと、意識を取り戻したリータが駆け寄ってくる。

 そして、彼の視界は暗転する。

 意識を失う直前、彼の瞼の裏には、アルドゥインに奪い去られた黄金の巻物がチラついていた。

 

 

 




アルドゥイン

世界を食らうもの。竜族の頂点に座す竜王。
彼のスゥームは強大であり、その知識、見識はニルンに存在するどの者たちよりも優れている。
スゥームの知識も並外れており、あらゆる状況に合わせてシャウトを自在に創造、変化させることができる。
また、アカトシュの長子として生まれた彼は、ほかのドラゴンとは違う特別な存在であり、極めて強力な不壊の鎧をその身にまとっている。
それ故に物理的、精神的問わず、あらゆる攻撃は彼の体に傷一つつけられない。
たとえ、その不壊の鎧をはがせたとしてもその戦闘力は群を抜いており、人類最高位の英雄である三英雄を圧倒し、そのうちの一人、“黄金の柄のゴルムレイス”を瞬殺するほどの力量を誇る。
当然ながら、定命の者たちが打倒できるような存在ではなく、まさしく神にも等しい力の持ち主である。
一方で、どのドラゴンよりも強い支配欲を持ち、ニルンに並ぶ者がいないゆえの傲慢さをもつ。
その過剰な傲慢さゆえに足元をすくわれることも多く、竜戦争末期には星霜の書で三英雄に封印された。
復活した後もドラゴンレンドで再び地に落とされ、異端のドラゴンボーンである健人とボコり合いする羽目になった挙句、彼のハウリングソウルによって身にまとう不壊の鎧を肉体ごとメタメタにされ、深手を負う始末。
しかし、そのハウリングソウルと共鳴した星霜の書により、忘れていた何かを思い出したようで、件の星霜の書を奪い、逃げるように姿を消した。


星霜の書(竜)

ドラゴンに関わる全てが記されているといわれる星霜の書。
アルドゥイン封印にも用いられ、また、リータのドラゴンレンド習得と暴走、そして健人の介入とドラゴンレンド習得のきっかけになるなど、かの竜王とは深い因縁がある。
健人のハウリングソウルと共鳴した結果、ニルンに存在する竜族すべてに何らかの干渉をした模様。


捕縛の手

Horvutah、Zii、Haal
死霊系シャウトであり、本小説オリジナルスゥーム。
捕まえた、霊魂・精神、手の言葉で構築されており、霊体に対する干渉能力を付与するシャウト。
『霊体化』の天敵といえる真言である。


デルフィン

最後のブレイズの一人にして、健人の師。
大戦開戦時にすべての仲間を苛烈な拷問の果てにサルモールに殺されたことから、第四期200年代に至るまでサルモールを殺し続けた、超一流の女戦士にして隠密。
その力量は不意を突いたとはいえ、三英雄を圧倒したアルドゥインの片目を奪うほど。
常に命を狙われ続ける日々と、後悔と憎しみに心を荒ませた彼女は誰にも心を開くことはなく、ドラゴン復活以降はかつてのブレイズの存在意義であるドラゴン殲滅に固執していた。
しかし、弟子の手により戦う力を失ったことで、ようやく目を背けていた自分の心と向き合うことができた。
そして、かつての仲間思いの自分を取り戻せた彼女は、唯一残った弟子を守るためにアルドゥインに立ち向かい、その右目を奪う大戦果を挙げるも、その直後に竜王に殺されてしまう。
今わの際、唯一の弟子に最後の声を届けることができた彼女は、数十年ぶりに心からの笑顔を浮かべたまま、仲間たちのところへと還っていった。


パーサーナックス
みんな大好きおじいちゃんドラゴン。
深手を負ったが、きちんと生きている。
しかし、歳を考えずに無理した結果、腰が逝った。一回休み。



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第7章最終話

おひさしぶりです。
久しぶりの投稿。しかもちょっと短めと、少し物足りないかと思います。すみません、ここ半年以上バタバタし続けた上、ちょっとまだ調子が戻っていなくて……。
とりあえず、一日二日以内に閑話を一話投稿した後、次章へ入る予定です。



 

 ソリチュードの西、亡霊の海にほど近い山脈。

 吹雪が舞う中、かつて健人と交友したドラゴン、ヌエヴギルドラールが住んでいた洞窟の近くまで飛んできたアルドゥインは山脈の峰に降り立つと、首を垂らし、まるで死んだように硬直してしまう。

 

“ヴォーダミン、ズゥー、コダーヴ、ズゥー、メイ、ドレイ、ズゥー……”(思い出した、我らの過去、我らの咎、我らの……)

 

 岩の彫像のように微動だにしない竜王。その口元だけが、細々と後悔を漂わせた声を漏らしている。

 闇夜が山を包み、陽が上がり、そしてまた闇夜が包む。

 そして、都合十回目の日がアルドゥインの体を照らす中、突如として彼の体を影が覆った。

 アルドゥインが顔を上げれば、百を超えるドラゴン達が彼を見下ろしている。

 

“スリ、アルドゥイン。ゾク、サロート、ジュン。メイズ、ボウール、ヴォーダミン、ヴァールクト。フェン、ヒン、ゴウ゛ェイ、トル゛、ファラ゛ース?”(アルドゥイン。最も強き愚王よ。我らの失われた記憶が蘇った。この始末、どうつけるのだ?)

 

“ヒン、ドィロク、グト、フェイン”(お前が我らに致命的な歪みを刻んだ)

 

“ウォト、メイ、ヒン、ニヴァーリン”(よくも我らを謀ったな)

 

“ウォト、メイ、ヒン、ワーラ゛ーン、フォラ゛ース、ゼイル”(よくも我らの魂を穢したな)

 

 ドラゴン達がアルドゥインに、無数の罵声をぶつけ始める。王に対する敬意も畏れもない、純粋な敵意と怒りに満ちた声。

 

“ドレ、ズー、トル゛? ウォト、フン、メイ、ボゼーク。コス、ヒン、ドレ、モタード、スゥーム、アーヴァン、ドィン、エヴォナール、デツ?”(我がやった? 良く言う。お前達も“あれ”に賛同し、その声を震わせたのを忘れたのか?)

 

 そんな彼らの罵りを、アルドゥインは鼻で笑う。その表情にはどこか、諦観の色が浮かんでいた。

しかし、その態度が、彼を見下ろすドラゴン達の怒りをさらに搔き立てる。

 

“ウォト、コス、ヒン、ザーン! コ、フィン、アロク、ヒン、メイツ、バナール!”(なにを言う! そもそも、お前が提案したことだっただろうが!)

 

“オル゛、アーン、デツ、コプラーン! ボウ゛ール゛、クァーナル、ドロム、ヴェド、コガーン!”(その結果がこの姿だ! 貴様のせいで、我らはすべてを失い、堕ちた!)

 

“ゲ、ドロム。トル、デネク、ジー。ウォト、ヒン、ニヴァーリン、アル゛ーン、ドゥカーン”(確かに、我らは堕ちたな。その責任転嫁の思考。実に見苦しく、卑しいものだ)

 

 緊迫した空気がアルドゥインとドラゴン達の間に満ち、パチパチと弾ける雷のように、視線がぶつかる。

 そんな切迫する双方の間に、真紅の鱗をまとった一頭の若いドラゴンが割って入って来た。

 

“スリ、アルドゥイン”(アルドゥインよ)

 

“オダハーヴィング……”(オダハーヴィングか……)

 

 前に出てきたのはパーサーナックスが謀反した後、アルドゥインの右腕となった若いドラゴン。彼は怒り狂う同胞を諌めるように、背後に鋭い視線を向ける。

 その視線に気圧されたのか、ドラゴン達の罵声が止むと、オダハーヴィングは改めてアルドゥインに向き合った。

 

“ゲ、ドック、ワー、ドィロク、デズ、ワー、コト、ケル。ワー、クロン、ディロン、ディノク。ヌツ、ニス、ディヴォン、ヒン、コス、ズゥーウジュン、トル゛ウズナーガール、フンダイン”(確かに、我らもその“星霜の書”を使った世界改変に協力した。いずれ来る我らの終わりを回避するべく。しかし、こうなってしまった以上、もはやお前を我らの王と認めることはできない)

 

“ゲ、エヌーク、オブラーン。……ヴァールキル、ズー、フェン、ドレ、ゾク、ガイン。ウルド、ナー、ケスト! スゥ、グラ、デューーン!”

(そうか、そうであろうな……であるならば、我の選択は一つ。ウルド、ナー、ケスト! スゥ、グラ、デューーン!)

 

 アルドゥインが翼を広げた。

 直後、強烈な突風が吹き荒れ、漆黒の砲弾と化した竜王がドラゴンの群れを貫く。

 

“ウォト、ヒン……!”(く、何が……!)

 

 強烈な突風にあおられたオダハーヴィングがなんとか体勢を立て直して空を見上げると、今しがた地上にいたはずのアルドゥインが太陽を背に見下ろしていた。

 その口に、同胞であるはずのドラゴンの首を咥えて。

 

“ゼイマー、フェン、ナーク、メイズ、ガイン、ズー、バーロ゛ク”(兄弟よ、ことごとく我の腹に収まるがいい)

 

“旋風の疾走”と“激しき力”で切り裂いた兄弟の首を放り捨て、アルドゥインは淡々と宣言を下す。

 殺されたドラゴンの体が燃え、虹色のドラゴンソウルがアルドゥインへと吸い込まれていく。それは、彼らの天敵と同じ姿。

 

“アルドゥイン、ロット、ヒン……”(アルドゥイン、お前は……)

 

 オダハーヴィングが困惑の声を漏らす。ほかのドラゴン達にいたっては、完全に言葉を失っていた。

 そんなドラゴン達を、アルドゥインの青く変化した冷徹な瞳が見下ろす。

 漆黒の竜王は再度翼をはためかせると、残った兄弟たちへと襲いかかり、淡々と、そして無慈悲な殺戮を開始した。

 

 

 

 

 

 

 オブリビオンの深淵。アポクリファの最奥で、この世界の主たるハルメアス・モラは覗き見ていたニルンの様子に目を細めていた。

 

『なるほど、こうなったか……』

 

 静かな、しかしながら歓喜を抑えきれない口調。

 憎悪の共鳴による、ラストドラゴンボーンの暴走。これと健人をぶつけることで、ハルメアス・モラはかつての彼とミラークの戦いを再現し、健人の魂を限界以上に振るわせることを試みた。

 異界の魂がみせた魂の共鳴。それをニルンで実行したら、どのようなことになるのだろうか、と。

 結果は……予想以上だった。

 

『世界から失われた記憶と記録。それらの復活と、世界を食らう者の覚醒』

 

 元々、好奇心からリータに『共鳴』のシャウトを埋め込んだが、このような事態になるとは、知識の邪神も読み切れなかった。

 星霜の書を介して、ニルンそのものと共鳴を起こした健人のハウリングソウルは、世界から失われていたものを呼び起こした。

星霜の書からも……否、神々の記憶からも消え去ったはずだった記憶。

 それは、世界で最初のドラゴンブレイク。そして、ドラゴン達が、今の姿になった原因。

 再生された知識に満足しながらも、ハルメアス・モラは虚空の星を見上げるように、濁ったアポクリファの空を見上げる。

 

『我が勇者がもたらした異なる時の流れ。すでに本筋から逸脱したこの流れは、想像もつかない未知へと続く』

 

 本来、この記憶は思い出されるはずはなかった。

 世界を食らう者は本来与えられた役割を思い出すことなく、ドラゴンボーンとの最後の戦いに赴く。それが、ハルメアス・モラが星読みで見た正史。

 しかし、その道は大きく逸れた。もはやアカトシュですら修正が効かない流れだ。

 まさに、未知に満たされた未来。これにより、新たな知識が生み出されていくだろう。

 望外の展開に、ハルメアス・モラは歓喜しながら、その不定形な体を震わせていた。

 

『さて、傲慢で己の眼を曇らせていた世界を食らう者は、失われていた記憶を思い出し、アカトシュから与えられた本来の役割を全うしようとするだろう。そこには、かつてあった油断や奢りはない。まさに、最強、最優のドラゴンの復活だ』

 

 この未知の流れの中で、我が勇者はどのような足跡を刻むのか。

 オブリビオンの深淵に身を浸しながら、ハルメアス・モラは再び傍観へと戻る。

 浮いては消える無数の瞳に、無限の好奇心を宿らせたまま。

 

 




というわけで、第7章はここまで。
読んで頂き、ありがとうございます。
投稿する予定の閑話は書ききっていますので、調整した後投稿します。
その後は第8章へと続く予定です。


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閑話 少女と忌竜

今回はモーサルでのお話。
第7章十五話でちょっと書いた、モーサルにヴィントゥルースが突撃した時の続きのお話になります。


 

 健人がいない間に現れたヴィントゥルースに、モーサルは右往左往の大騒ぎとなった。

 住人達は逃げ惑い、衛兵たちは慌てて武器を構えて陣を敷くも、槍を持つ彼らの手は震え、顔面は蒼白になっている。

 無理もない。彼らは健人がモーサルに滞在中にヴィントゥルースと戦う様子を目の当たりにしている。

 響くスゥームと魔法。荒れ狂う嵐と衝撃波。ぶつかり合う鋼と牙の狂騒曲。

 伝説の中でしか聞かないような戦いを何度も見せつけられていただけに、どれだけ味方の数がいても、自分達にはこのドラゴンを止められないとわかっているのだ。

 一方、ヴィントゥルースはモーサル北側の橋の手前。製材所近くに降り立つと、目の前に立ちはだかる衛兵たちを忌々しそうに睨みつける。

 

“ドヴァーキン、クリフ、ズゥーウ、ヴォラーン! コス、ヒン、ドロムド、ファース!”(ドヴァーキン、さっさと出てきて戦え! 怖気づいているのか!)

 

 衛兵たちを含め、モーサルの人たちにヴィントゥルースの言葉は分からない。しかし、スゥームで紡がれた声は種族に関係なく、魂そのものに意志を伝える。

 このドラゴンが現れない健人に苛立っている。向けられる怒気に、衛兵たちは体の芯からこみ上げてくる恐怖に、滝のような冷や汗を流していた。

 しかし、それでも持ち場を離れて遁走しないのは、この街を守る衛兵としての矜持ゆえ。

 凍り付くような緊張感がモーサルを包み込む。

 その時、小さな影が衛兵の隊列とヴィントゥルースの間に滑り込んできた。

 

「っ、妹様、だめです!」

 

 ヴィントゥルースの視線が、突然出てきた闖入者に向けられる。

 前に出てきたのは、健人の妹であるソフィだった。

 

“ヒン、キンヴァーデン、ヴォス、ドヴァーキン。オファン、ホヴォール、フルル、ティード。ヒン、バナール、ジン、グラー、ズー、アルーク、ドヴァーキン”(貴様、確かドヴァーキンの傍にいた小娘だったな。さっさと消えろ。ドヴァーキンとの戦いの邪魔だ)

 

 見覚えのある少女の姿に、ヴィントゥルースは鼻息を漏らしながら睥睨する。

 かのドラゴンにとっては、取るに足らない者。ドラゴンボーンに縋りつくことしかできない存在であり、気に留める価値すらない。

 実際、ウィンドヘルムでの戦いから今日まで、ソフィはヴィントゥルースに対して終始怯えた様子を見せてきた。

 取るに足らない者。戦いが始まれば腰を抜かして動けなくなるか、悲鳴を上げながら勝手に逃げていくだろう。

 ヴィントゥルースはそう考えていた。

 実際、屈強な衛兵たちすら、この忌竜の前では怯え、戦意を折られかけている。

 しかし、ヴィントゥルースの予想に反し、ソフィは体を震わせながらも唇を噛み締め、更にかのドラゴンに向かって歩を進め始めた。

 その姿に、ヴァルディマーとモーサルの民は目を見開き、ヴィントゥルースは眉を顰める。

 

“ダール、キンヴァーデン。コス、ヒン、クリィ?”(消えろ、小娘。殺されたいのか?)

 

 先ほどよりも威圧感を増した声が、ソフィに向けられる。少女の体がびくりと震え、足が止まった。

 じっと黙したまま、震える瞳で睨みつけてくる少女の姿に、ヴィントゥルースは健人がここにいないことに気づく。

 今までなら、あのドラゴンボーンはヴィントゥルースの声にすぐさま応じてきた。ここまできて姿を見せないのは、単純にこの街にいないからだと。

 ならば、ここに用はない。

 ヴィントゥルースは翼を広げ、健人を探すために飛び立とうとする。

 

「っ!」

 

 しかし、ここで予想外の事態が起きた。

 ソフィが近くにいた衛兵の剣を奪い取り、ヴィントゥルースに向かって斬りかかってきたのだ。

 幼く、小さい彼女。奪った剣も満足に持ち上げることすらできず、切っ先で地面を削りながら、体ごとぶつけるように振るう。

 当然ながら、彼女の剣は硬質なヴィントゥルースの鱗に阻まれ、傷一つつけられない。むしろ、逆に彼女の方が弾き飛ばされる有様だった。

 しかし、予想外の人物からの攻撃に、ヴィントゥルースは再びソフィに視線を戻す。

 

“ウォト、コス、ヒン、ドレ”(何のつもりだ)

 

「貴方を、お兄ちゃんのところにはいかせない……」

 

 いぶかしむヴィントゥルースに気圧されながらも、ソフィは歯を食いしばって立ち上がる。しかし、その足は未だに小刻みに震え、満足に体を支えることも難しい様子。

 しかし、今まで怯えるだけだったその瞳の奥に、小さくも紅い炎が揺らめいているのを、伝説のドラゴンは敏感に感じ取っていた。

 

“フェン、ヒン、クリフ、ズゥー? コス、ニヴァーリン、サーロ゛、ジョール? アーム!”(貴様、我と戦うつもりか? 矮小で、無力な人間の小娘ごときの分際で? ふん!)

 

 同時にヴィントゥルースは、そんな彼女の戦意に蔑むような視線を向け、あざ笑いながら翼を振るう。生み出された風が幼い少女をモーサルの泉の傍まで吹き飛ばし、半身を泥の中に沈める。ドラゴンに吹き飛ばされたソフィに、数名の衛兵が慌てて駆け寄っていく。

 

「だ、大丈夫か!」

 

「こいつ……!」

 

 同時に、圧倒されていた彼らの精神に活が入り、衛兵たちは一様に武器を抜く。

 動揺していたとはいえ、幼い少女を前に立たせてしまったのだ。当然、彼らの矜持が許すはずもない。

 今にもドラゴンにとびかかりそうなほど剣呑な空気を放つ衛兵達。ヴィントゥルースは戦いの気配を感じ取り、その恐ろしい牙の生えた口元を歪ませる。

 まさに一触即発。しかし、そんな張り詰めた双方の間に、再び幼い少女の声が割り込んできた。

 

「はあ、はあ、はあ……退いてください」

 

 泥の中から体を起こしたソフィが、駆け寄ってきた衛兵たちを押しのけ、再度ヴィントゥルースに向かっていく。

 その姿に衛兵達だけでなく、イドグロッド首長やヴァルディマーすらも呆然としてしまっていた。

 

「お兄ちゃんは、今大変な時。貴方なんかに、構っている暇なんてない……!」

 

“キンヴァーデン……ヒン”(小娘……貴様)

 

 ソフィの言葉は分からずとも、再び剣を携える彼女の姿に、ヴィントゥルースは不快そうに口元を歪める。しかし……。

 

“アーム……”(フン……)

 

 そんな定命の者の意思など、ヴィントゥルースには知ったことではない。

 再び翼をはためかせ、目障りな弱々しい小娘を吹き飛ばす。

 先ほどよりも高く宙を舞った少女の体が、地面に強かに叩きつけられる。

 

「ごほ、ごほ……!」

 

“ニ、ユヴォン……”(時間の無駄だな……)

 

 定命の者としてもまともに戦えないソフィに対して何の興味も抱けず、飛び去ろうとするヴィントゥルース。そんな彼に彼女は地面に倒れたまま、挑発的な笑みを向けた。

 

「はあ、はあ……ドラゴンが逃げるの? こんな小娘から? 散々お兄ちゃんに勝つとか言っているくせに、随分と、弱気……じゃない」

 

“トル゛、ミン、ヴェイン、ズー! メイ、カー! ファス!”(その目、我を愚弄したな! いい気になりおって! ファス!)

 

 向けられる侮蔑の視線が、プライドの高いヴィントゥルースの精神を逆なでし、激昂させる。

 健人と比較されただけでなく、上から目線で蔑まれる。しかも、その言を発したのは、脆弱な定命の者の中でも、怯えて振るえることしかできなかった弱者。声は分からずとも、この忌竜を激高させるには十分だった。

 ルース……。激怒の名前を持つドラゴンは一気にその怒りを爆発させ、碌に戦う力のない少女に向かって、ドラゴンにとって力の象徴たるシャウトを放つ。

 単音節とはいえ、伝説のドラゴンの『揺ぎ無き力』は三度少女を吹き飛ばし、彼女をモーサルの泉に叩き落とす。

 

「あぐ……!」

 

「ピュイ、ピュイピュイ!」

 

“アーム、ウォト、コス、ヒン……!?”(ええい、今度はなんだ……!?)

 

 母親を傷付けられて激高したヴィーヘンがヴィントゥルースの顔に飛び掛かり、バサバサと羽を散らしながら鋭い爪でドラゴンの鼻先を引っ掻き始める。

 しかし、若鷹の爪程度でドラゴンが痛痒を感じるはずもない。

 ウザったそうに口元を歪ませながら、その長い首を振り、ヴィーヘンを強かに打ち据える。

 

“ボウ゛ール!”(邪魔だ!)

 

 比較するのもおこがましい程の体格差だ。強打を受けた若い白鷹は、大きく弾き飛ばされ、近くの木に叩きつけられて地面に落ちる。

 白い鷹を排除したヴィントゥルースだが、今度は頬に氷柱が叩きつけられた。

 砕け散る氷片に首を傾げた暴竜が怪訝な顔で氷柱が飛んできた方に目を向ければ、メイスと盾を携えたノルドの男が、厳しい表情を浮かべながらヴィントゥルースを睨んでいる。

 

“ヒン……”(貴様……)

 

「さっさとその方から離れろ、悪竜。主に代わって、私が相手をしてやる」

 

「ヴァルディマーさん、ダメ……!」

 

 手を出してきたのは、健人の私兵であるヴァルディマーだった。

 彼にとっては、敬愛する主の義妹の危機。当然、放置できるはずがない。

 しかし、彼の選択は、自ら火山に身を投げるような行為でもある。

 このすぐに冠を曲げる竜の報復ともなれば、いくら魔法に長けた戦士である彼であったとしても、その強烈な雷のシャウトで骨も残らず消し飛ばされてしまうだろう。

 

「モーサルの戦士たちよ! ここで戦わなくてはノルドの名折れ! 幼気な少女にシャウトを向けた恥知らずの忌竜に、断罪の槍を突き立てろ!」

 

「「「「うおおおおおおおおおおおお!」」」」

 

 さらにヴァルディマーの言葉を前にして、陣を敷いていたモーサルの衛兵たちも一斉にヴィントゥルースに向かって攻撃を開始した。

 盾を構え、槍を突き出しながら、一斉に突撃。百の槍が重なり合うように、正面から忌竜に突きつけられる。

 

“サーロ゛、メイ! ファス、ロゥ、ダ――!”(うるさいぞ、木っ端ども! ファス、ロゥ、ダ――!)

 

 しかし、その突撃もヴィントゥルースの“揺ぎ無き力”を前に無力と化した。

 カウンターの要領で放たれた衝撃波が、一瞬で陣を食い破り、ヴァルディマーとモーサルの衛兵たちを木の葉のように吹き飛ばす。

 

「ヴィーヘン……くうぅ!」

 

 衛兵たちが蹂躙される様を見せつけられながら、ソフィは体を起こそうとするも、泥水を吸った服は重く、地面についた両手はプルプルと小刻みに震えている。

 泥に交じっていた石で切ったのか、頬からはポタポタと紅い滴が垂れていた。

 ヴァルディマーたちを無力化したヴィントゥルースはそんな彼女に歩み寄ると、生意気にも反抗した幼い定命の者を、苛立ちのまなざしで睥睨する。

 

“コ、ニド、スモリン、フェオディ、ティン、フェン、ベイン……。ゲ、オイン。フェン、オファン、アウス、アーセィド、ディロン、クレン、ハドリム、アルーク、フン、ワー、ボウール、ドヴァーキン! ファール!”(価値がないと放置しておれば粋がりおって……。いいだろう。死ぬより苦しい苦痛を与え、その精神を折った上で奴の居所を吐き出させてやる! ファール!)

 

 そして、彼女の精神を完全に折り、健人の居場所を吐かせるべく、『不安』のシャウトを放つ。

 相手の心を恐怖で染め、その戦意を折るスゥーム。放たれた赤い波動がソフィの体を包み込み、その心と魂をギシギシと締め上げ始めた。

 

「あう! くう……あああああ!」

 

 こみ上げる逃避願望がソフィの脳を焼き、彼女の口から悲鳴が木霊する。

 怖い、怖い、逃げたい、逃げたい、逃げなきゃ、逃げなきゃ……!

 心が、ミシミシと軋みを上げる。

 恐怖は生物のもっとも原始的なの一つ感情であるが、同時に危険でもある。強すぎる恐怖は相手の精神を破壊し、再起不能に陥れることもできる。

 まして、伝説のドラゴンのシャウトがもたらす恐怖ともなれば、相手を即座に自死に追い込むことすら可能だ。

 

“ヌ、スン、フォルーク、ドヴァーキン。コ、トル゛、ディヴォン、コメイト、ヴォルン、ズー、スゥーム……”(さあ、さっさとドラゴンボーンの居場所を吐け。そうすれば、シャウトを解いてやる……)

 

 ガンガン、ガンガン! と、小さな心を叩き潰されていく中、恐怖から逃れようと、強烈な誘惑がソフィの心を覆いつく。

 兄の行き先を話せ。そうすれば、この恐怖から逃げられる。世界のノドに向かったと、一言いえばそれでいい。

 しかし、委縮する心に反して、彼女の口は堅く閉じていた。

 奥歯が砕けるのではと思えるほど唇を噛み締め、滴る血が口元を紅く濡らす。

 

「く、ううううう……!」

 

 どうして、そこまで口を閉ざそうとしているのか。すでに体は冷たく、心は屈服してしまっている。

 しかし、胸の奥からこみ上げる何かが、このドラゴンに屈服することを拒んでいた。

 

(私が出会ったばかりのケント様は、戦士と呼ぶにはあまりにも力量が無さすぎました)

 

 脳裏によみがえるのは、姉のような人物(リディア)の言葉。

 英雄のように思っていた兄の、知らなかった一面。しかし、弱かったはずの兄は、数々の困難と試練を乗り越えた上で、今の強さを手に入れた。

 それこそ、目の前のドラゴンすら一蹴するほどに。

 

(そうだ、そんなお兄ちゃんの隣に立ちたいって、思ったんだ……)

 

 ならば、ここでくじけることは許されない。

 兄が立つ場所は、もっと遠く。こんなところで這いつくばっていては、絶対に届かないのだ。だから、体と心は屈しても、魂だけは屈してなんてやらない。

 

「私、は……!」

 

 既に力を失った腕に活を入れて、体を起こす。

 ミシミシと未熟な筋肉が激痛と共に悲鳴を上げるが、その痛みすら、圧し掛かってくるシャウトを蹴り飛ばす活力へと変えて、彼女は叫ぶ。

 

「私は、ソフィ・サカガミ。偉大なるドラゴンボーン、ケント・サカガミの妹!」

 

 次の瞬間、ソフィの身を包み込んでいた赤光が、霧が晴れるように消え去った。

 

“アーム!?”(なんだと!?)

 

「古のドラゴン、ヴィントゥルース。こんな“声”で、私の心を折れると思わ……ない、で……」

 

 しかし、それで残っていた精神力全てを使い切ったのか、彼女は意識を失い、湿地の騎士に倒れこんでしまう。

 一方、ヴィントゥルースはたった一節とはいえ、自らのシャウトが幼子に弾かれたことに驚愕していた。

 しかし、その驚きはすぐに恥辱へ、そして怒りへと変わる。

 

“ジョール、メイ……。ウォト、アーン、クロ、ファールスヌ、クロン、アースト、ラ゛ーズ、セィノン、トガート……!”(定命の者が……。我と戦おうなどという思い上がり、その命で贖え……!)

 

 胸にこみ上げる怒りのまま、ヴィントゥルースは顎を開き、むき出しの牙をソフィへと向ける。

 この少女を殺し、その躯を晒せば、あのドラゴンボーンも本気を出すだろう。そして、その時こそ、自らの汚名をそそぐ最大の機会となる。

 激情に身を浸していた心地よさを思い出し、ヴィントゥルースはそんな考えを抱きながら、鋭い牙をソフィに突き立てようとするが……。

 

(お前の憎悪は俺が預かった)

 

 脳裏に、健人と交わした宣誓が蘇る。それは、彼がこのドラゴンに嵌めた枷。

 だが、たとえ同族といえど、所詮は定命の者との約定。守る必要などない……そのはずだ。

 しかし、こみ上げる激情に反して、少女に突き立つ寸前の牙が、それ以上動かない。

 なにをしている、さっさと殺せ。この娘の体を引き裂け!

 ヴィントゥルースはそう自分に言い聞かせるも、迷いはさらに強くなり、ついには不快感を伴ってグルグルと忌竜の胸をかき乱していく。

 

“ッ……ガ――!”(っ……えええい!)

 

 不快感を振り払うようにズドン! と地団太を踏む。

ヴィントゥルースは数秒の間、悔しそうな瞳でソフィを見下ろすと、ふいと踵を返す。

 

“ザーロ゛、キンヴァーデン。ダール、ヘト、ワー、クロン、スゥー、スゥーム。ヌヅ、ズー、フェン、ホウヴダー、ゴルド、ドヴァーキン!”(小娘。一節とはいえ、わが声に抗ったことに免じて、ここは退いてやる。だが次は必ず、ドヴァーキンの居場所を吐かせてやるぞ!)

 

 そう吐き捨てながら、ヴィントゥルースは翼を広げ、飛び去っていく。

 忌竜が蜘蛛の彼方へと消えると、ヴァルディマーは大急ぎでソフィの元に駆け寄り、その幼い体を抱き上げた。

 

「妹様、ご無事ですか!?」

 

「う、ううん……」

 

 気絶はしているものの、頬以外から出血は特に見受けられない。命に別状はない様子だった。

 ソフィの無事にヴァルディマーがほっと胸をなでおろしていると、後ろから首長であるイドグロットが近づいてくる。

 

「ヴァルディマー、彼女を私の屋敷へ。負傷兵もだ、急ぐんだよ」

 

「は……ハッ!」

 

 首長の鶴の一声に、衛兵たちも一斉に動き始める。

 ケガをした仲間の治療を開始し、手の空いた者たちはヴィントゥルースのスゥームで損壊した家屋の修理を始める。

 各々が自分の役割を開始したところで、イドグロットはヴィントゥルースが飛び去った空を眺めながら、小さくため息を吐いた。

 

「やれやれ、彼がいなくても、騒ぎには事欠かなそうだねぇ……」

 

 しばしの間、天を仰ぎ見ると、彼女は兵の指揮へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、ヴィントゥルースの襲撃から数日。

 幸いなことに誰一人死者を出さずに襲撃を凌いだモーサルと、怪我の治療を終えたソフィがどうなっていたかというと……。

 

“ザーロ゛、ヴァーデン! ヌ、スン、ゴルド、ドヴァーキン!”(小娘! さっさとドヴァーキンの居場所を吐け!)

 

「だから! 嫌って言ってるでしょ!」

 

 再びヴィントゥルースの来訪を受けていた。

 衛兵たちとしては、もう来るんじゃねえよ! と言いたいところだが、生憎と目的である健人を見失ったヴィントゥルースにとって、手掛かりはこの街だけである。

 そんな彼の前に立つのは、またまたソフィ。

 なんとこの少女。ヴィントゥルースの襲撃を察知するや、衛兵達よりも早く飛び出してヴィントゥルースと戦い始めたのだ。

 

「そもそも!あなた人間の言葉が分からないんだから、私が話しても分からないじゃない!」

 

“アーム、ドレイ、メイ、ズーウ、ヌツ、ニ、ドレ、スン、ウォト、ジョール!”

(ぐぬぬぬ、バカにされているのは分かるが、肝心の何を言っているかが全然分からん!)

 

 初めてこの竜と相対したときの、怯え切っていた少女はどこに行ったのやら。

 近くにあった斧でペチペチとドラゴンを叩き続ける。

 ヴィントゥルースにとっても、ソフィは絶対に健人の居場所を吐かせると決めた相手。

 喧々諤々と罵り合いをする一人と一匹の様は、衛兵達だけでなくイドグロット達すら閉口してしまうほどだった。

 そして、戦いの結果はといえば……。

 

「きゅううぅぅぅ……」

 

 ソフィの負けである。戦いを開始してから一分足らずでのノックアウト。

 当たり前だ。相手は伝説のドラゴンである。勝てるわけがない。

 ヴィントゥルースに健人の居場所を吐かせるという目的がなければ、秒殺間違いなしの相手なのだ。

 

“メイ、マー、ハドリム! アクロ、ナウ、ヴォゼーク、ザーロ゛、キンヴァーデン!”(くそ、気絶しおった! この軟弱者が、さっさと起きろ!)

 

 かといって、ヴィントゥルースが目的を達せられたかといえば、そんなこともなかった。

 なにせ、居場所を吐かせると決めた相手が完全に気絶してしまっているのだ。当然、彼の問いかけに答えられるはずもない。

 モーサルにいる他の人間たちを締め上げればいいのだが、さすがのヴィントゥルースといえど、自らがスゥームで宣言したことを破ることはできない様子。むしろ意地になって、なんとしてもこの小娘の意思をくじいてやろうと躍起になってしまっている。

 

「ピュイピュイピュイ!」

 

“ヴォウ゛ール、ソナーン! フェン、ヴェイ、ヴィーング、アルーク、ナーク、ル゛ン!”(ええい、邪魔をするなクソ鳥! その羽もぎ取って虫の餌にしてやってもいいのだぞ!)

 

 ヴィントゥルースにとっては、まさに試合に勝って勝負に負けたという状況。

 ソフィが気絶している横で、今度は一匹と一羽により第二ラウンドが開始されたが、結局ヴィントゥルースは健人の居場所を吐かせることはできず、「次は必ず吐かせてやるからな!」と捨て台詞を吐いて再び飛び去って行った。

 そしてソフィは再びハイムーン邸に担ぎ込まれたのだが……。

 

「むうう、また負けちゃった……」

 

「いや、お嬢ちゃん。相手は伝説のドラゴンなんだから、勝てなくても……」

 

「私はお兄ちゃんの妹です。あんな意気地なしドラゴンなんて、小指でポイッとするぐらいじゃないと!」

 

「い、いや。いくらケントでも小指でポイは無理だろう?」

 

「本格的に魔法とか勉強しなきゃダメですね。今からファリオンさんのところに行ってきます!」

 

「ちょ、ちょっとお待ち……!」

 

 元々ちょっとおかしな方向に進み始めていた花嫁修業が、一気に加速していた。

イドグロットの制止も聞かず、ソフィはファリオンの元へ突撃。その日のうちに無理やり弟子入りし、レットガードの召喚術師を大層狼狽させる始末。

 

「う、うう~~ん。これは……ケントになんて説明したらいいんだろうねぇ……」

 

「妹様が逞しくなられるなら、主も喜ばれるのではないですか?」

 

「いや、それは……。もう、なるようにしかならないか……」

 

 ついにはイドグロッドもさじを投げ、ソフィのするがままに任せてしまう。

 むしろ行くところまで行ってしまえと、自分の持つ蔵書や経験、伝手を利用し、彼女に英才教育を施していく。

 

「きゅうううぅ……」

 

“メイ! エヌーク、マー、ハドリム!”(だーー! また気絶した!)

 

 ちなみに、ソフィとヴィントゥルースのよくわからない意地の張り合いは、世界のノドで漆黒の竜王と異端のドラゴンボーンが戦うまで毎日続き、その度にこの竜は試合に勝って勝負に負けることを繰り返すことになった。

 



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第8章
第一話 繋ぎ直された絆


 

 ぼやけた視界。まどろみの中、まるで水中から昇って行くように、徐々に意識がハッキリしてくる。

 目に飛び込んできたのは、違和感を抱かずにはいられない、摩訶不思議な光景。

 眩い星空、輝く太陽、そして、空を覆うオーロラが天空で混ざり合う。

 スカイリムでも見たことも無い程の大規模の、そして多彩な色が、まるで絵の具をぶちまけたように空を染め上げていた。

 

(これは……夢? にしては、妙に、リアルだ……)

 

 太陽と星が並んで空を照らし、更には全天を覆うほどのオーロラ。

 いくら異世界だからとはいえ、普通ではありえない空だった。

 空を見上げていた視線が、下へと移っていく。

 そこには、さらに目を見張る光景があった。

 

(ドラゴン。そして……人間?)

 

 地上に降りた複数のドラゴンと、彼らを取り囲む人間達。

 竜戦争の一幕だろうかと思ったが、双方の様子は、戦いの場と言うには明らかに穏やか過ぎる様子。

 タムリエルでも聞いたことのない言葉でドラゴンに話しかける人間達と、静かに彼らの言葉に耳を傾けるドラゴン達。

 その様子は、憎しみのまま殺し合う姿を多く見てきた健人にとってはとても新鮮で、同時に驚くべき光景だった。

 

(ここはいったいどこだ? それに一体いつ頃の……まさか、夜明けの時代?)

 

 夜明けの時代。

 エルフの時代よりもさらに前。神々による『創造』後、まだ世界が安定していなかった時代だ。

 万華鏡のように揺らぐ空は、その予想を強く確信させる。

 その時、彩色の空を漆黒の巨竜が飛び越していく。

 

(アルドゥイン?)

 

 世界を食らう者。そう呼ばれ、恐れられているはずの竜王。

 しかし、アルドゥインを前にした人々の反応は、健人が知るものではなかった。

 手を振り、笑顔と歓喜で竜王を迎える民衆。

 そしてなにより、そんな民たちを前に、竜王は理知的で慈愛に満ちた青色の瞳で見下ろしていた。

 ありえない。健人が知る限り、アルドゥインは強大な力を持ってはいても極めて傲慢で、己の力や権威を誇示することに躊躇いのない性格だった。

 

(これは、いったい……)

 

 疑問がよぎる健人の目の前で、アルドゥインが着地する。

 群がる民たちに苦笑を浮かべながら迎える竜王。それは、自分の知るアルドゥインとは明らかに違う。

 その時、アルドゥインの青色の瞳が、健人を捉える。

 

“ウォ、コス、ヒン、ドル……?”(誰だ、そこにいるのは……?)

 

(え? なんで)

 

 過去の光景を見ているだけのはずなのに、どうしてアルドゥインが自分に気づくのだろうか。

 その答えを知る間もなく、場面が切り替わる。

 次に飛び込んできたのは、無数のドラゴンが集う光景。地に降り、そして空を舞う有翼の竜達の数は、数えきれないほど。

 そして彼らの中心には、王であるアルドゥインが鎮座しており、彼の眼前には黄金の巻物が置かれていた。

 

(あれは……星霜の書?)

 

 既に意識が戻り始めているのか、時折視界がぼやけ、音も遠くなってきている。だがその特徴的な装飾と、何よりも放たれる荘厳な気配は見間違えようがない。

 いや、目の前の星霜の書は、世界のノドで見たものよりもはるかに強い神気を纏っているようにみえた。

 

“ズゥー、ボルマー。ズー、ドィン、フェント、クロン、アー、セ、デズ。フェン、ドルーン、クリン、プルーザー、デツ”(我が父よ。我らは貴方に与えられた役目を逸脱することにした。より良き未来を求めるがゆえに)

 

 ドラゴン達の声も先ほどよりも遠く、よく聞こえない。

 ただ、アルドゥインはドラゴン達と共に星霜の書で何かをしようとしているのは確かだった。

 霞む視界の中、健人は必死にこの光景を目に焼き付けようとする。

 

“フィム、――――、ズゥー、スゥーム。ドロゥク、――、ナウ、オニク、ダール、――――、エヴォナール、ディノク”(さあ、我らの声を――――。この――に新たな理を刻み、そして来るであろう終末を消し去るために)

 

 聞こえる声も、虫食いのようになってきた。もう時間がない。

 感覚は既に遠く、視界の周囲は黒く抜けてしまっている。

 まるで単眼鏡で覗いているかのような光景の中、アルドゥインの呼びかけに他のドラゴン達が応じ、スゥームを紡ぎ始めた。

 

“―――、フェン。アロク、コダーヴ、ヴィーク、―――。”(―――は望む。――の打倒を)

 

 大気を震わせながら響く声と同調するように、ズズズ……と虹に包まれた世界が僅かに振動を始めた。

 

“―――、フェン。クロン、――”――は望む。――の簒奪を)

 

 大地の震えは瞬く間に増していき、やがて空までが震えているのではと思えるほどの地鳴りを響かせ始める。

 いったいドラゴン達は……アルドゥインは何をしようとしているのだろうか?

 健人の疑問をよそに、蜃気楼のような光景の中で時は進み、シャウトの重奏はいよいよクライマックスへと向かう。

 

“クァーナール、グラヴーン、―――、ファー、モロケイ、ヴィンタース”(終わりにむかう―――時を、輝かしいものにするために)

 

 そしてアルドゥインが高まるドラゴンソウルに導かれるように、星霜の書へ向かってシャウトを放った。

 

“――――、―――、――――!”

 

 無音のシャウトが無色の衝撃波と化し、星霜の書に直撃。続いて周囲を囲むドラゴン達もまた、星霜の書へと同質のシャウト放つ。

 次の瞬間、彩色に彩られた空がぐにゃりと歪み、まばゆい光と主に衝撃波が走る。

 そして世界を打ち壊すのではと思えるほどの轟音が世界に響く中、健人の意識は遠く闇の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 背中に走る痛みと、全身を包む倦怠感の中で目が覚める。口の中の渇きに、思わず舌でカサカサの唇を舐めた。

 数秒の間まどろみの中を漂っていた健人だが、顔を指す冷気が一気に彼の意識を現実へと引き戻す。

 視線を横に逸らすと、親友のカジートが心配そうな目で健人の顔を覗き込んでいた。

 

「ケント! 目を覚ましたんだね!」

 

 安堵からカシトは強面の獣人顔をへにゃりと緩ませ、肩を落とす。

 

「カシト……俺、どのくらい寝てた?」

 

「一か月だよ、一か月! もう、目を覚まさないかと思った~~!」

 

「そうか……また随分と眠っちゃってたな……」

 

 以前、ソルスセイム島では三週間。あの時以上に意識を失っていた事実に、健人は額に手をあてる。石造りの天井が、蝋燭の明かりに照らされてユラユラと揺れていた。

 

「ケント、とりあえず水」

 

「あ、ああ。ありがとう」

 

 身を起こし、カシトが差し出してきたコップの水で乾いた喉と唇を潤していると、黒檀の鎧を纏ったノルドの青年が近づいてきた。

 リータの幼馴染であり、暴走したリータを止めるためにその刃を受けたドルマだった。

 

「目が覚めたか?」

 

「ドルマ……っ、おい、怪我は!?」

 

「大丈夫だ。お前のおかげで、なんとか一命をとりとめたよ。というか、どっちかっていうとお前の方がヤバかっただろうが。まったく、相も変わらずというかなんというか……」

 

 彼が負った傷を思い出した健人が慌てる中、ドルマはしっかりとした足取りでベッドの傍に歩みよると、近くにあった石の椅子に腰を掛ける。

 どうやら、健人の応急処置は間に合ったらしい。

 ほっと安堵の息を漏らすも、健人はこの場にもう一人、大切な人物がいないことに気づく。

 

「そうか、よかった……リータは?」

 

「ああ、リータはちょっと今席を外していてな。すぐ来るよ」

 

 ドルマの声に続いて、遠くからバタバタと誰かが駆け寄ってくる音が響く。

 健人が足音の方に目を向ければ、心配そうに顔をひきつらせたリータがいた。

 

「っ!」

 

「うお!?」

 

ドヒュン! と、まるで旋風の疾走を使ったかのような加速。一瞬で目の前に現れたリータに、健人は思わず体をビクつかせるた。

 

「ケント、大丈夫なの!? 痛いところない!? 意識、ちゃんとしてる!?」

 

「ちょ、いやいや、いて、いてて! 大丈夫、大丈夫だから……!」

 

 驚きに固まっている健人を余所に、リータは彼の体を確かめるように、落ち着きなくペタペタと触り始めた。

 

「というか、リータの方こそ大丈夫なの?」

 

 身体に走るむずがゆさと残った傷の痛みに悶えつつも、健人は同じ質問をリータに返す。

 健人のソウルリンクバーストによる猛攻勢を受けた事を考えれば、彼女も少なくない傷を負っていることは容易に想像できた。

 

「え、ええ。あの時は山頂から降りるのもギリギリだったけど、薬飲んで一週間くらいしたらちゃんと動けるようになったわ」

 

 リータの話では、あの後目を覚ましたグレイビアード達が助けに山頂まで来てくれたらしい。

 年頃の少女に戻っているリータの様子に、健人はほっと胸をなでおろす。

 ハルメアス・モラの策略で自身が取り込んだドラゴンソウルと、ドラゴンレンドに込められていた人間達の憎悪に飲まれた彼女。一歩間違えば、取り返しのつかない事態になっていたのだ。

 まだ懸念事項はあるとはいえ、助け出すことはできた。健人はほんの少しの間、安堵に身をゆだねる。

 

(それにしても、治るの一週間って、早すぎないか?)

 

 ミラーク達の知識と力、技術も総動員した攻勢を受けて、快癒に一週間しかかからなかったというのだから、今のリータの頑強さは健人の想像以上である。

 

(外見はアイドル顔負けの美少女なんだけど……。随分と見た目によらない存在になっちゃってるな……)

 

 健人がブーメランになりそうなことを思い浮かべながら乾いた笑いを浮かべていると、突然リータの表情が沈んだ。

 蒼い瞳が潤み、溢れた涙がポロポロと冷たい石床に滴り落ちる。

 

「ちょ、え? ええ?」

 

「ケント、ご、ごめ、ごめん。ごめんなさい……」

 

 ヒック、ヒックと嗚咽を漏らしながら、声にならない謝罪を口にし始めたリータに、当惑していた健人だが、数秒ののち、ようやく彼女の心を未だに覆う影を思い出す。

 彼女は、後悔しているのだ。ヌエヴギルドラールを、健人の友を殺めたことを。

 そして、彼の想いを力で打ち壊したことを。

 

「いや、いいよ、もう」

 

「で、でも……」

 

 さらに言いつのろうとするリータを、健人は静かに手を上げて制する。

 正直、そのことに関して、今はもうどうこういう気はなかった。

 もとより、健人が彼女の意思を無視して勝手についてきた旅。

 それに、否定された時のことを思い出しても、心は驚くほど凪いでいる。

 彼は、とっくに全てを受け入れることが出来ているのだ。否定されたことも、自棄になったことも、ここまでの旅で味わった、全ての苦い記憶を。

 それをリータに示すように、健人は静かに笑みを返す。

 影のない、穏やかな微笑み。それを目にして、強張っていたリータの表情が和らいでいく。

 

「ありがとう、ケント。助けてくれて」

 

「ああ、本当に……。その気高く強い魂に、心から感謝する……」

 

 ずっと胸の奥で溜まっていた澱み。それが消えれば、口からは自然と後悔ではなく、感謝の言葉が出ていた。

 冷たい寺院の中に、静かな温かい笑い声が響く。

 

「なんだか、ドルマからそんな礼儀正しい言葉を聞くと、変な気分になるなぁ……」

 

「おまえ……。いやまあ、確かに今までの俺の態度から考えれば無理ないが……」

 

 ようやく笑い合えた三人は、しばしの間、穏やかな空気に身を委ねる。

 

「そういえば、随分長いこと寝ちゃってたけど、現状はどんな感じなんだ?」

 

「芳しくないな。先の戦い以降、ドラゴン達の襲撃が急に増えた」

 

 どういうことかと話の続きを急かしたところ、彼らは健人が寝ている間、ブレイズの生き残りであるエズバーンが、デルフィンの残した情報網を使って情報収集をしていたとのこと。

 元々リータの活躍もあり、ドラゴンの活動は下火になっていたのだが、ここ最近、スカイリム各所でドラゴンの襲撃が倍加。

 特にソリチュードを中心とした帝国側の各地で、被害が顕著に出ているらしい。

 ついでにサルモールも被害を受けているらしく、スカイリムに来たいくつかの部隊が壊滅しているらしい。

 

「でも、話を聞く限りなんか変なんだよね。統率が取れていない感じで……」

 

「というと?」

 

「街を壊しに来たって感じじゃないの。なんというか、大慌てで逃げている感じ。確かに戦いにはなるんだけど、すぐに飛び去っちゃうらしいわ」

 

 基本的にドラゴンが、自分達よりも劣等種とみている人間との戦いから簡単に逃げるはずがない。彼らの矜持が、それを許さないはずだ。

 健人の脳裏に、先ほどまで見ていた夢の光景が蘇る。

 

「ドラゴン側で、何かあったと考えるべきか……パーサーナックスは?」

 

「グレイビアードの話では、あの戦いの後、山頂で石みたいに固まっちまっているらしい」

 

 アルドゥインとの戦いでかなりの傷を負った様子のパーサーナックスだが、彼もまた無事らしい。しかし、その様子は一変しているらしく、やはりドラゴン達全体に何かが起こっているのは確かなようだった。

 

「…………そういえば、グレイビアード達は何も言わなかったのか? その、パーサーナックスの事で」

 

 ブレイズ達はドラゴンレンドを習得した段階で、ドラゴンボーンにかの老竜を殺させるつもりだった。その為に彼らはグレイビアード達を眠らせ、邪魔されないように暗躍もした。

 リータ、ドルマの二人はブレイズの意向に思うところがあったものの、ドルマは健人がデイドラに魅入られたとして彼の排除を優先。

 リータはドラゴンレンドに込められていた憎悪に呑まれて暴走。結果的に、グレイビアードが師と仰ぐドラゴンを殺しかけることになった。

 当然、その事実はグレイビアードも把握しているはず。普通に考えれば、リータとドルマがハイフロスガーに逗留できるはずがない。

 

「あ、ああ。俺達も当然、ここにはいられないと思っていたんだけどな……」

 

「アーンゲールさんが言ってくれたの。どんな形にしろ、私達と師は君にドラゴンレンドを学ぶ術を教えた。その結果がいかなるものとはいえ、それは自身の怒りを乗り越えて受け入れなくてはならないって……」

 

 アーンゲール達とて、思うところがない訳ではない。

 何千年も自身の過ちに後悔し、存在意義を問い続けてきたドラゴン。先達が守り通し、師と仰ぎ続けてきた者を殺されかけ、怒りがわかないわけはない。

 しかし、彼らもまた、リータがドラゴンレンドを学ぶことを良しとし、パーサーナックス自身がその道を示した。

 であるならば、彼女達に全ての罪を押し付けることは、グレイビアード自身が定めた声の道から目を背けることになる。

 ゆえに、彼らはそれ以上、リータ達の罪を問うことはなかった。

 

「それにグレイビアード達はどうも、お前に対して妙に畏まっていてな。この部屋も治療に必要な薬や水、食料なんかも、彼らが態々用意してくれたんだ」

 

「……どういうこと?」

 

 健人が首をかしげていると、彼の覚醒に気づいた四人のグレイビアード達が姿を現した。

 起きている健人の様子を確かめると、彼らは厳めしい顔の口元をほんの少し緩める。

 

「起きたか、無事なようでなによりだ。もう一人のドラゴンボーンよ」

 

「ええっと、お久しぶりです」

 

 重く低いが、隠し切れない安堵を漂わせる声色。

 普段から厳格で、悟りを開くために自身の感情を抑えることが常である彼らの珍しい反応に、健人は当惑の声を漏らす。

 

「こうして会うのは二度目か。まさか彼女以外にドラゴンボーンになった者が現れるとはな……」

 

「あの……。治療、ありがとうございます。助かりました」

 

「気にすることは無い。私達が至ることを放棄した道を進み、極致に到達した者をむざむざ死なせることはできないからな」

 

「?」

 

 至ることを放棄した極致とは、どういうことなのだろうか?

 首をかしげる健人に、アーンゲールの傍に控えていたアイナース、ウルフガーが答える。

 

「其方はドラゴンレンドの深奥。無数の憎悪の先で、その声の真意に気づいた。それは、私達が放棄した道」

 

「ドラゴンレンドは使い手を憎悪と殺戮へと誘う禁忌。そう決めつけ、私達はそのシャウトに込められた“変化を願う声”から目を背けた。ユルゲン自身、戦いに使われ続けるシャウトの在り方の“変化”を求めていたにもかかわらず」

 

 ドラゴンレンド。グレイビアードが悟りへと至るために不要と切り捨てたシャウト。

 ドラゴンへの憎しみに染まったこのスゥームは、声秘術を戦い以外で使うべきと説く声の道からは外れていると思い込んでいたからだ。

 だが、ドラゴンレンドの裏にあった感情は、もっと切なく、悲しみに満ちたものだった。

 冷たく、悲しみと痛みに満ちた世界が変わってほしいという願い。それを、長年声の道を希求しつづけながらもドラゴンレンドを禁忌としていたグレイビアード達が気づかなかった。

 彼ら自身がドラゴンレンドを知らなかったのだから無理もない。健人自身、ドラゴンレンドの真意に気づいたのは、ある種の偶然だったと思っている。

 しかし、たとえ偶然でも、数千年分の憎悪を向き合い、その奥に秘められた“本音”に向き合おうとしたのは、健人自身の意思と行動があったから。

だからこそ、その在り方に、グレイビアードは敬意を示しているのだ。

 

「我々が俗世に過度な干渉をすべきでないという意思は変わらない。しかし、何も変化しないというのでは、時の中を無為に生きていくだけだ」

 

「グレイビアードとはいえ、時の流れには逆らうべきではない。ならば、我らも腰を上げねばならん。故に、君の治療をしたいという彼らの逗留と、以後の協力を認めた」

 

 グレイビアード達の視線が、リータとドルマに向けられた。

 少し気まずい表情を浮かべながらも頭を下げる彼女達に、グレイビアード達もまた小さく頷いて返答する。

 

「それでケント、これからのことなんだけど……」

 

 話を切り替えるように、リータとドルマは健人に向き直る。

 

「理由はどうあれ、ドラゴンの襲撃が増加しているのも確か。ということで、今ちょっと色々と動いているんだ」

 

「なにを?」

 

「帝国軍とストームクローク。双方の休戦だ」

 

 健人が詳しい話を求めたところ、逃走したアルドゥインを見つけるために、配下のドラゴンを捕獲しようという話になったらしい。

 その為にホワイトランのドラゴンズリーチを使うことを考えついた。あそこは第一期の伝説的な上級王、オラフがヌーミネックスを捕まえるために建設された経緯がある。

 しかし、現在のホワイトランの首長、バルグルーフはこの話に難色を示した。

 内戦が続いている現状では、ホワイトランの守りを削るわけにはいかないとの事。

 ならば、双方が休戦すれば問題ないということで、スカイリムでドラゴンボーンとして名の通ったリータが、帝国のテュリウス将軍とストームクロークのウルフリックに休戦を持ちかけた。

 結果、ここハイフロスガーで帝国とストームクロークとの休戦会議を行うことになった。

 

「ドラゴンボーンの名声があってよかったわ。内心では、ちょっと複雑だけど……」

 

 リータが複雑な笑みを浮かべる。

 元々彼女自身、一般的なノルドのように名誉や名声を求めていたわけではない。自分のような人間を増やしたくないと思いながらも、同時に復讐を望んでいただけだ。

 リータ自身、両親を殺したドラゴンに対する憎しみが無くなったわけではない。

 だが、彼女は暴走した自分を救ってくれた健人とドルマのことを考え、未来のために自分に出来る最善を行おうとしていた。

 そんな彼女の気持ちを慮るようにドルマは頷き、話を進める。

 

「まあ、そういうわけで、明日にも双方の代表者が到着するだろう。そこで、俺達はなんとしても休戦にこぎつけるつもりだ」

 

「俺は、何をすればいい?」

 

 力強いドルマの口調に、健人もまた助力を申し出る。

 しかし、肝心の彼らの表情は、芳しくないものだった。

 

「……ケントには悪いんだが、ここは俺達に任せてくれるか?」

 

「なんでだ? 帝国とのコネはないが、ストームクロークのウルフリックには顔が通っている。交渉をする上では力になれると思うんだけど……」

 

 実際、健人はヴィントゥルースの襲撃からストームクロークの本拠地であるウィンドヘルムを守った功績がある。

 ノルド主義を掲げ、他種族の意見をそうそう聞き入れないウルフリックとて、健人は無視できない人物のはずだ。

 しかし、それでもリータとドルマは首を横に振る。

 

「イヴァルステッドにいるエズバーンさんからの報告で、帝国の使節団にサルモールも同行しているらしいの」

 

「お前、サルモールとはちょっと因縁があるだろ?」

 

 ドルマの言葉に、健人は眉を顰め口元を歪めると、続いてはあ……と深く溜息を吐いた。

 健人は以前、ドラゴンの情報を探るためにサルモール大使館に潜入し、そこでハイエルフの高官を殺害してしまっている。

 さらには追跡部隊に追われ、その顔もバッチリ見られていた。

 捕縛される直前にヌエヴギルドラールが登場したことで、追跡部隊は撤退。健人も死んだものとされているだろうが、態々生存をサルモールに知らせる必要はないというのが、リータ達の意見だった。

 

「そう……だな。わかった。大人しくしているよ」

 

「ありがとう、こっちは任せて」

 

 二人の提言に健人が頷くと、リータは柔らかい表情を浮かべる。

 

「よし、それじゃあ、飯にするか。ケント、腹減ってるだろ?」

 

「ああ。頼めるか?」

 

「任せて、腕によりをかけて作るから!」

 

「「いや、頼むから、リータは何もするな」」

 

「なんでよ!」

 

 健人とドルマの息の合ったツッコミに、リータが不満の声を上げる。

 

「あのなぁ、ケントは一か月ぶりのまともな食事なんだぞ。ここでリータのポイズンクッキングを食わせるのは忍びないだろうが」

 

「ドルマ酷い! アーンゲール師、何か言ってください!」

 

 話を振られたアーンゲールだが、まるで逃げるようにスッと視線を逸らす。

 よく見れば、他のグレイビアード達もリータと目を合わせないようにしている。どうやらこの一ヶ月の間で、彼らもリータの毒物料理の被害に遭ったことがあるらしい。

 健人は思わず額に手を当てて項垂れる。この姉、ドラゴンボーンとして驚異的な成長をしているくせに、そっち方面の成長は絶無だったようだ。

 

「さて、なら、私は肉を焼くとしよう……」

 

「こちらはパンを作るとしようか。確か、昨日仕込んでおいたタネがあるはずじゃ」

 

「ちょっとアーンゲール師、ウルフガー師、何で目を逸らすんです?」

 

 逃げるように調理を始めようとするグレイビアード達に嘆息しながら、ドルマはリータの肩をそっと押して健人の方に追いやる。

 

「俺はスープをつくる。ケント、悪いがリータが邪魔しないようにしてくれ」

 

「了解……」

 

 はあ……と力のない溜息を漏らしながら、健人はギャーギャー暴れる姉を押さえ込む。

 

「へえ、このスープ、けっこういけるな」

 

「ああ、リンゴが隠し味でな。まあ、お前の料理には及ばないが……」

 

 ちなみに料理は、そこそこ美味しかった。リータの成長が見込めなかった分、ドルマがそれなりに料理を出来るようになっていたらしい。

 

「むぅううう……。ケントの意地悪、ドルマの意地悪、アーンゲール師の意地悪……」

 

 余談だが、リータは食事中完全にイジけたまま、まるで報復とばかりに食いまくっていた。

 用意した料理の半分がリータの腹に収まっていく様に、健人達だけでなくグレイビアード達すら呆れていたのだから、なんとも残念なドラゴンボーンになったものである。

 そして翌日。ハイフロスガーにて、この内戦における休戦協議が開始された。

 



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第二話 休戦会議、その裏で

今回は休戦会議での出来事。例によってオリジナル展開。


 帝国、ストームクローク、両陣営の使節団はそれぞれの護衛の兵と共に、ハイフロスガーに到着した。

 護衛の兵はハイフロスガー前の広場で待機し、それぞれの代表者と数名の付き添いだけが寺院の中へと入っていく。

 休戦会議が行われるのは、ハイフロスガー寺院内の大会議室。石造りの大広間に、これまた石造りの机と椅子が部屋の中央に四角形に組まれている会議室だった。

 ストームクロークからはウルフリック・ストームクロークとガルマル・ストーンフィスト。

 帝国からはテュリウス将軍とその右腕であるリッケ特使、そしてホワイトランホールドの首長バルグルーフとハーフィンガルホールドの首長エリシフ。

 そして会議室の奥には、リータとドルマ、手前にはグレイビアードの代表としてアーンゲールが立つ。

 休戦会議は、双方の代表者が到着すると、すぐさま開始されることになる。

 しかしここで、ウルフリックが帝国使節団に嚙みついた。

 

「彼女を交渉に連れてくるなど……我らを侮辱するのか?」

 

 ウルフリックがこれ以上ないほど嫌悪の視線を向けるのは、スカイリムにおけるアルドメリ自治領の代表、エレンウェン。

 彼女は何故か護衛の兵士と共に、この休戦会議に参加していた。

 

「エレンウェン様、お下がりを」

 

 エレンウェンの隣にいる碧水晶の鎧を纏った兵士が、ウルフリックから彼女を守るように前に出る。

 この場にいる彼女の護衛は、この碧水晶の兵士一人だけ。

 護衛は他にもいるが、全員がこの寺院の外で待機している。

 それは、他の使節団も同じだ。公平を期すため、休戦会議を実際に行うこの寺院の中まで同行できる護衛は一名のみと通達してある。

 

「この交渉で私は全権を担っています。私には、ここでの合意が白金協定に反するものでないことを見届ける必要があるのです」

 

 そんな彼女はウルフリックからの罵倒を軽く流しながら、しれっと自分がこの場にいることを正当化する。

 白金協定。大戦の終戦時に締結された、アルドメリ自治領と帝国との間に交わされた協定だ。

 はっきり言って、ストームクロークを正式に認めようが認めまいが、本来サルモールにこの場にいる権限はない。

 本来サルモールはアルドメリ自治領の中にある一組織でしかないはず。しかし、これを帝国のテュリウス将軍が認める始末。

 

「ケント、あっちの方、いきなり険悪な空気になっちゃっているね」

 

「無理ないだろ。ストームクロークとサルモールは水と油だ。というか、サルモール自体、本来ならこの場にいる権利はないはずだ」

 

 いきなり険悪な空気で始まった休戦会議を、健人は会議室の外で聞き耳を立てていた。

 寺院の中には護衛の兵士は一名しか入ることを許可していないため、この場には健人とカシトしかいない。

 会議の様子が気になった二人はこっそりと様子を覗き見ていたのだが、サルモールが同行してくるなど、いきなり雲行きが怪しくなってきた。

 

(頼むから、切迫した事態にならないでくれよ……)

 

 寺院全体を包むギシギシとした重苦しい空気に、健人はごくりとつばを飲む。

 

「しかもエレンウェン特使の隣にいる護衛の兵士は、あの時の部隊長じゃないか……」

 

「ケント、知ってるの?」

 

「俺がサルモール大使館に潜入したとき、追ってきた追跡部隊の隊長だ。魔法も凄腕だが、剣術もかなりのものを持っている。配下の兵士の士気も高かった、優秀な指揮官だ」

 

 エレンウェンの後ろで彼女の護衛をしている碧水晶の鎧を纏った兵士を覗き見ながら、健人は思わず溜息を漏らした。

 あの兵士が健人のことを覚えているとしたら、絶対に顔を合わせたくない相手である。

 そんなこんなしているうちに、ウルフリックはさらに声を荒げ、エレンウェンの休戦会議参加を拒否。休戦会議はいきなり暗雲立ち込める様相を見せ始めた。

 

「ケント、どうするの……?」

 

 二人が不安げな様子で会議室の中を覗き見ていると、リータと視線が合った。

 彼女は健人の方を見て笑みを浮かべると、小さく頷いてくる。

 その強い意思の籠った瞳に、健人は揺れる心を落ち着けるように瞑目し、深呼吸をした。

 

「……ここはリータにまかせよう。俺達は外へ」

 

 外と聞いてカシトが首をかしげる中、健人は外套を纏うと、静かにハイフロスガーの中庭に出て、寺院の屋根へと這い上がる。

 層雲が覆う空は曇りと言うには明るく、晴れと言うには薄暗い空模様。

 強い風が吹き荒ぶハイフロスガーの屋根は、その降雪量に反して積もっている雪は少なく、屋根に上がるのはそれほど難しくはない。

 

「ケント、どうしてこんなところに?」

 

「寺院の中じゃ、あの兵士と鉢合わせするかもしれないだろ? それにここなら、アイツらを監視できる」

 

 そう言って健人は、眼下の光景を指さす。

 彼らの視線の先には、ここに来た各勢力の代表を護衛してきた兵士達がいた。

 帝国とストームクローク、そしてサルモール。それぞれの護衛部隊の士官と末端の兵士十数名前後が、互いに睨み合っている。

 血で血を洗う内戦をしてきた者同士だ。本来なら目の前の仇敵を即座に殺したくて仕方ないだろう。

 そしてサルモールの存在が彼らの憤りに拍車をかけていると同時に、この状況を複雑なものにしていた。

 

「会議室に負けず劣らず、こっちもすんごいギスギスしてるね。まるでクマとサーベルキャットとフロストスパイダーが鉢合わせたみたいだ」

 

「ああ、こっちでも休戦会議が必要なんじゃ……」

 

 まさに、開戦一歩手前といった様相。三群は互いに距離を置き、相手を罵ることも無く黙っているが、その沈黙と敵意を隠さぬ瞳が、この場の空気を一層強張ったものにしている。

 そんな緊迫感漂うハイフロスガー前を見つめていた健人だが、視界に映る光景の違和感に、思わず首をかしげる。

 

「ん?」

 

「ケント、どうかしたの?」

 

「あのサルモール兵……。あの部隊長の兵士じゃない」

 

「え?」

 

 彼が注目したのは、サルモール護衛部隊の末端兵士。彼らは以前、サルモール大使館で健人を追撃してきた部隊員ではなかった。

 部隊長がエレンウェンと一緒にハイフロスガー内に入っていった事を考えれば、この場にいるのはあの時の追撃部隊の兵士がいるはず。

 しかし、いるのはこの場で待機を命じられた高官一名と、その部下と思われる兵士数名のみ。明らかに他勢力と比べて護衛の数が少ないのだ。

 健人の胸に、嫌な予感が湧き上がる。

 

「……カシト、ちょっとここで様子を見ていてくれるか?」

 

「わかったよ。何かあったら、まかしといて!」

 

「サンキュー。ちょっと行ってくるよ」

 

 そう言うと健人は改めて外套を被り直し、護衛の兵士達の視界に入らないように中庭に飛び降りると、そのまま見えなくなってしまった。

 親友の行動にカシトはしょうがないなと言うように息を吐くと、改めて眼下の護衛達に視線を戻す。

 その時、ガコン、と重い音と共にハイフロスガーの扉が開き、エレンウェンと護衛の部隊長が姿を現した。

 他の参加者達が出て来る様子はない。おそらく、会議への出席を断られたのだろう。

 その様子を見ていたストームクローク兵の一人が、エレンウェンに向かって罵声を浴びせる。

 

「なんだ、やせっぽっちで木皮顔のエレンウェン。もう帰るのか? そのままサマーセットに返ってくれたら、お互い幸せになるかと思うのだがな!」

 

 一方、エレンウェンはすまし顔。それが尚のことストームクローク兵達の苛立ちを掻き立てるのか、罵声を浴びせた兵士は一瞬眉をしかめるが、すぐに意地の悪い表情を浮かべる。

 

「なんだ、いつもよく滑る舌はどうした? 言い返す気力すらないほど我らが上級王にコテンパンに言いくるめられたのか?」

 

「所詮は猜疑しか喋らぬ舌。声秘術を使いこなす我らが首長には口でも勝てんか!」

 

「うるさいぞ、ストームクロークの名は嵐の衣ではなく、罵声と尻軽な挑発か?」

 

「なんだ、やるつもりなのか、帝国に与する臆病者め」

 

 挑発を止めないストームクローク兵に、帝国兵も徐々に苛立ちを募らせ始めている。

 今にも剣が抜かれそうなほど険悪な空気の中、遠目から様子を見ていたカシトは、この場に妙な違和感に首をかしげる。

 

「……なんだか変だな? この場に来る兵士が、こんな風に激昂する?」

 

 帝国もストームクロークも、この休戦会議の護衛に選ばれるほどの戦士となれば、主が白といえば黒くても白というほどの忠誠心と、相応の分別を弁えているはずである。

 実際、ウィンドヘルムでの対ヴィントゥルース戦において、ストームクローク兵の半分以上は街の救世主である健人に対して相当な敬意を示した。

 当然、この場にいる兵士も相応の分別を持つ者達のはずである。

 そうこうしているうちに、ストームクローク兵と帝国兵質の口論は激化。いよいよもって、収拾がつかなくなってきた。

 

「うわ、ケントが懸念していた通り、雲行きが怪しくなってきちゃったよ。仕方ないなぁ……」

 

 立ち上がったカシトは、ぴょんぴょんと軽い身のこなしで屋根から飛び降りると、帝国兵とストームクローク兵の間に割り込み、にんまりと人を食ったような笑みを浮かべた。

 

「やあやあ皆様方、態々この歴史あるハイフロスガーにいらっしゃったのに、随分とイライラしてしまっているみたいじゃないですか。ここはひとつ、双方落ち着いていただいて……」

 

「なんだカジート、貴様、どこから現れた」

 

「なぜ、こんなところにカジートがいる。こいつもサルモールの一員か?」

 

 突然現れたカジートに、この場にいた面々が一様に面食らうも、すぐに怪訝な視線をカシトに向ける。

 今にも爆発しそうな空気の中にこんな抜けたような顔のカジートが現れれば、無理もない。

 とりあえず、激発しそうな場の空気を一時凌いだカシトは、サルモールの下っ端扱いに内心不満を漏らしながらも、口元を吊り上げながら道化を演じ続ける。

 

「いえいえ、私はグレイビアード達の恩情で、この寺院に滞在させてもらっている者ですよ~~。なにやら退屈されている様子ですから、ここはひとつ歌でも歌って皆さんの退屈を慰めようかな~~と思いまして?」

 

 カシトのペースについてこれない兵士達を脇に置いておきながら、彼は喉を鳴らし、他の者達が会話に割り込む暇もなく歌い始めた。

 

「では、さっそく一曲……。ノルドの英雄~~ウルフリック、ウィンドヘルムから馬を駆ってや~~ってきた~~。ノルドの自慢ばかりしては威張り散らし、剣を振り回した~~」

 

「ぶ!」

 

「ぶふぅぁ!?」

 

 歌を聞いた帝国兵とサルモール兵が思わず噴き出した。

 カシトが歌ったのは赤のラグナル、その替え歌である。しかも相手はあのウルフリック。

 元々彼方此方を転々としてきた経歴からか、妙に多芸な彼。ストームクローク兵が呆然としている前で、調子よく口ちょんぱされるところまでしっかりと歌いきる。

 

「ふふ、悪くない歌ですね。貴方、道化としてなら、サルモール大使館で雇ってもかまいませんよ?」

 

「お、オイラ内定確定? やったね!」

 

「き、きさまあああ!」

 

「あらよっと!」

 

 エレンウェンが珍しく微笑む中、激高したストームクローク兵が剣を抜いて襲い掛かるも、カシトはひらりと躱す。

 その身のこなしに、割と冷静さを保っている兵士達の目が変わる。

 一方、振り下ろされる剣を回避しながらも、カシトは斬りかかってきたストームクローク兵を観察し続ける。

 カジートの優れた動体視力は、彼の体にはうっすらと纏わりつく、紅い魔力を捉えていた。

 

(うん、これは間違いなく、なんらかの魔法がかけられているね。それも、誰も気づかないほど弱い魔法を、少しずつ少しずつ……)

 

「あれ? これはお気に召さない? ではもう一曲。テュリウスに死を! 傀儡の悪党! 打ち破った日は飲み歌おう!」

 

 使われているのはおそらく、激昂、ないしはそれに類する幻惑魔法だろう。

 カシトはストームクローク兵に纏わりつく魔力の残滓をたどりながら、今度は帝国軍を称える歌“侵略の時代”を歌う。

 ちなみに、今度もしっかりと替え歌。ウルフリックではなく、テュリウス将軍が殺されるという役変更である。

 怒り狂って剣を振るっていたストームクローク兵がピタリと止まり、帝国兵たちが苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。

 

「さらにもう一曲ご披露! 乾杯をしよう、その皴顔に~~。エルフの時代は今終わりを告げる。ここからサルモールを追い払おう。奪われた故郷を取り戻そう。サルモール万歳! 堕落した高貴なる者達! その愚かな末路を称え、飲み歌おう!」

 

「は、はは、いいぞ! カジート、まともな歌も歌えるじゃないか!」

 

「堕落した高貴なる者達! その末路を称え、飲み歌おう!」

 

 さきほどまで剣を抜いて殺そうとしていた殺気はどこに行ったのやら。ストームクローク兵は頬を緩ませ、中にはノリノリで同じ歌を歌い始める者もいる始末。

 

「貴様……」

 

「……先ほどの内定は取り消しです。」

 

 今度はサルモール達が金色の肌に深い皴を刻みながらカシトを睨みつける。

 流石にエレンウェンはその表情を微動だにしていなかったが、しっかりと内定取り消しの通達をしてきた。

 全方位にアンチの歌を披露しながらこの場に漂う魔力を探り続けていたカシトだが、その残滓は岩の陰へと消えていき、それ以上確かめられなくなってしまった。

 内心臍を噛むが、その時、崖下から這い上がっていく親友の姿が目に映る。

 そして数秒後、健人が岩陰に消えるのと同時に、この場に漂っていた魔力が消えていった。

 

(よし、もういいね)

 

 エレンウェンとサルモール達が表情をこわばらせている中、彼女の護衛をしていた碧水晶の部隊長が、スッとこの場から離れて岩陰の方へと向かっていく。

 カシトは一瞬眉を顰めるも、全幅の信頼を置いている親友が動いていることを思い出し、演技で凝り固まっていた口元を思わず弛緩させながら最後の演目を始める。

 

「それでは、次が最後の一曲! この場に来た皆さんにとって一番ふさわしいと思える曲を披露いたしましょう!」

 

 空を覆う、アルドゥインの翼、吐く息は炎、その鱗は刃。

 恐れ震えあがり、逃げ惑う人々。戦う者もいるが、むなしく死にゆく。

 我らは求め歌う、救世の英雄を。アルドウィンに挑む猛き勇者を。

 

 カシトが最後に選んだ曲は、舌の物語。

 しかも、替え歌ではない、オリジナルそのままの歌だった。

 

 アルドゥインの勝利は、人の世の終わり。黒き翼の闇が世を覆う。

 恐ろしき日にも終わりは訪れる。雪のように確かな、それは声として。

 それこそアルドゥインの、死を告げる調べ。スカイリムの美しき、空を覆うスゥーム。

 

 舌の物語はアルドゥインの復活とそれにより訪れる災厄。そして、救世主の出現を預言する歌だ。

 替え歌で歌われた歌と、歌われなかった歌。カシトが示していることは端的だ。

 

“お前たちは道化の歌として歌われる、愚か者でいるつもりか?”と。

 

 ここにいる者たちは、各勢力の精鋭。カシトの演目の意味に気づき、全員が苦虫を千匹くらい噛み潰した表情を浮かべた。

 そんな中、カシトの演目はクライマックスを迎える。

 

 アルドゥインの脅威は、声によりて終わり、秘術は伝わる。新たな時代へ。

 不滅なるものはない。アルドゥインも同じ。物語は終わり、そしてドラゴンは……去った。

 

 すべての演目を終えたカシトは恭しく頭を下げる。

 そしてハイフロスガー前の喧騒は去り、沈黙だけが風と共に吹いていた。

 




いかがだったでしょうか。今回は休戦会議……ではなく、その裏で起きているオリジナルの出来事。
休戦会議の場に護衛の兵を一人も付けずに来る要人たちの姿を見て違和感を覚えたことから、作ったお話でした。
……大丈夫かな?
続きは数日以内に投稿予定

以下、登場人物紹介。

碧水晶の部隊長
かつてサルモール大使館潜入時に健人を追い詰めた人物。
剣と魔法、双方を高いレベルで両立している優れた兵士。今回はエレンウェン直属の護衛として休戦会議の場に訪れた。




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第三話 偶然の再戦

 ハイフロスガー前を見通せる岩陰で、その兵士たちは息を潜めていた。

 数は四人。

 エレンウェン特使が休戦会議への出席が不可能になった時点で激昂の魔法を少しづずつストームクローク兵にかけ、彼らの暴走を引き起こし、この休戦会議を破たんさせる。それが彼らの任務だった。

 しかし、彼らは今、眼下の状況に眉を顰めている。

 突然出てきたカジートが肝心のストームクローク兵の注目を一手に引き受けてしまい、計画が遅延してしまっているからだ。

 

「なにやってんだ上級魔術師共。早くあのカジートを排除しろよ……」

 

「落ち着け。とにかく魔法を維持し続けるんだ」

 

 苛立つ兵士を、彼の仲間が宥める。

 四人の兵士は二人一組に分かれ、一組がストームクローク兵に激昂の魔法を、もう一組が消音の魔法を使っていた。

 消音の魔法はその名の通り、自分達の音を消し去る魔法。

 強風吹き荒れる世界のノドではあるが、魔法の発動音がハイフロスガーまで届かないとも限らない。

 発見されるわけにはいかない隠密行動故に、消音の魔法を使っているのだが、彼らの表情にはこの作戦に対する不満がありありと浮かんでいた。

 

「くそ、俺達も隊長もこんな作戦、反対だったのに……」

 

「仕方ないだろ。殺されたルリンディル第三特使の代わりに来た奴、前任者に負けまいと、功績を上げるのに必死みたいだからな」

 

 ルリンディル第三特使は、一年程前までサルモール大使館でスカイリムでの諜報、工作活動に従事していた。

 しかし、大使館でのパーティー中に潜入したブレイズの一派により殺され、代わりに派遣されてきたのが、今エレンウェンと一緒にいる第四特使である。

 この第四特使、相当に功名心があるのか、この隠密作戦をエレンウェンに提案。結果、彼らの部隊が実行部隊に選出された。

 どの軍隊でも士官と下士官、そして末端兵士の間で確執があるのは常であるが、サルモールは特に末端兵士と士官との間の軋轢が大きい。

 消音の魔法を使っているのをいいことに彼らが上官への不満をぼやいていると、突然背後から第三者の声が響いてきた。

 

「……なるほど、やはり休戦会議の破たんが目的か」

 

「っ!?」

 

 突然の事態にサルモール兵士達は動揺しつつも、即座にこの闖入者の殺害に動く。

 激高の魔法を使っていた二名が即座に魔法を中断し、振り返りながら抜剣。残り二名は闖入者の殺害を周囲に察知されないように消音の魔法の範囲を拡大し、維持する。

 闖入者は外套を被り、口元を布で隠しているため、人相は分からない。しかし、この作戦を邪魔する者は彼らにとっては全て敵である。

 剣を抜いた二名の兵士は速攻でこの闖入者を排除しようとし……

 

「がっ!?」

 

「ごふ!?」

 

 逆に数秒で制圧された。

 先鋒は薙ぎ払おうとした剣筋を読まれ、間合いの内側に入られて顎を打ち抜かれて昏倒。

 闖入者はそのまま剣を奪い、もう一名の剣を逸らすと、奪ったエルフの剣で彼の両足を薙いだのだ。

 足を斬られた兵士が雪の上に倒れ込む中、闖入者は残った二名に視線を向ける。

 

「さて、大人しくしてもらおうか……」

 

「くっ……」

 

 奪ったエルフの剣の切っ先を突き付け、闖入者である健人は降伏を迫る。

 しかしそこで、碧水晶の鎧を纏った影が、横合いから斬りかかってきた。

 

「おおおお!」

 

「っ!?」

 

 健人は咄嗟に奪ったエルフの剣を薙ぎ、迫る袈裟懸けを防いだ。白い雪が舞う中に、金色の火花が散る。

 斬りかかってきたのは、先ほどまでエレンウェンの護衛をしていた部隊長。この場にいる四人の兵士達の直属の上官であり、そして一年程前、サルモール大使館周辺の雪原で健人を追い詰めた男である。

 

「隊長!」

 

「お前達、無事か!?」

 

 健人の手により負傷した部下の姿を確かめ、部隊長の顔に怒りの色が浮かぶ。

 

「貴様、よくも私の部下を……!」

 

「やはり来たのか。まるであの時の焼き直しだ」

 

「なに? ぐっ!?」

 

 口元を布で覆っているためか、健人の声色はぐもっていて、部隊長にはこの闖入者が一年前に取り逃した人物とは分からない。

 健人は部隊長の意識に一瞬の空白が入り込んだ隙に、両手に力を込めて彼を突き飛ばす。

 そして、足元に落ちているもう一人の兵士が持っていた剣を器用に蹴り上げ、左手で引っ掴むと、部隊長めがけて踏み込んだ。

 

「ぐ、この……がっ!?」

 

 双剣となった健人が、一気に攻勢をかける。その勢いに、部隊長は瞬く間に飲み込まれた。

 遅滞なく振るわれる双剣はまるでそれ自体が生きているかのように変幻自在に動き、的確に、そしてすさまじい勢いで相手の防御を削り取っていく。

 弾かれ、砕かれた碧水晶の鎧の破片が、世界のノドの強風に巻き上げられていく。

 

(この男、なんて技量だ。くそ!)

 

 数秒の打ち合いだけで、部隊長は闖入者の技量が自分より圧倒的に上であることに気づき、歯噛みした。

 迫る双剣はまるで猛獣の牙のように鋭く、そして蛇のように狡猾。

 碧水晶の片手剣だけでは防ぎきれず、鎧は削られ、苦し紛れに反撃しても、その倍以上の斬撃を見舞われる。

 しかも、顔を覆う外套の隙間から覗く相手の瞳には、またまだ余裕の色が見て取れた。

 自分より圧倒的な剣士。しかも、これほどの技量を見せながらも底が把握できない相手など、エルフとして産まれてから長い年月の中でも絶無の経験だった。

 

「がっ!?」

 

 猛烈な勢いで振るわれる双剣に意識が傾いた瞬間、強烈な足撃が、部隊長の鎧に守られていない脚の内側を打った。痺れるような痛みに膝が崩れそうになる部隊長に、強烈な双剣の一撃が迫る。

 

「この……!」

 

 交差するように放たれた十字斬撃が碧水晶の鎧に深い傷を刻む中、部隊長は苦悶の表情を浮かべながら、大きく後ろに跳ぶ。

 同時に詠唱。両手に破壊魔法・ファイアボルトを生み出して放つ。

 一斉射目は身体を逸らして容易く裂けられるも、部隊長は構わず詠唱を継続。

 

「く……隊長を援護しろ!」

 

 更に残っていた他の兵達も加わり、健人に向かって次々に破壊魔法を放ち始める。

 四方八方から放たれる炎と氷、そして雷の多重奏。帝国兵の十人隊なら三部隊は余裕で壊滅状態に出来るであろう魔法の雨。いくら凄腕であろうと、たった一人の人間が凌げるはずもない……そのはずだった。

 

(……当たらない、当たらない、当たらない!)

 

 放つ破壊魔法が、ことごとく外れていく。

 頭を振り、肩を揺らし、腰を切る。それだけで襲い来る無数の魔法の槍衾を躱しながら、影のように迫ってくる。

 部隊長の背筋にゾクリと悪寒が走った。

 まるで死神に触れられたような感覚。次の瞬間、少しずつ間合いを詰めて来ていた健人の姿が陽炎のようにユラリとぶれ、部隊長の視界から消えた。

 続いて左側面から強烈な剣気が襲い掛かる。

 

「くっ!?」

 

 部隊長は反射的に剣気が迫ってきた方に向かって剣を振る。

 しかし、部隊長の斬撃は健人が持つ左手の剣にいともたやすく受けながされ、地面に叩き付けられる。

 そして、健人の右の片手剣が振り抜かれた。

 キン! 強風の中に響く甲高い金属音。半ばから断ち切られた碧水晶の片手剣が宙を舞う様に部隊長が茫然としている中、健人は双剣を彼の両肩に突き入れた。

 

「ぐああああ!」

 

 碧水晶の鎧の隙間を正確に狙った刺突に押し込まれ、部隊長は岩に張り付けのような形で拘束される。

 両肩に走る痛みに悶絶しながらも、部隊長は目の前の超絶の技巧を持つ戦士に向かって口を開いた。

 

「何故、殺さない……」

 

 痛みに消えそうな意識の中で、一番に思い浮かんだ疑問。

 これほどの技量の持ち主なら、一撃で首を落せたはず。

 

「確かに、ここでお前達を殺すのは簡単だ。ヌズ……コド、フンダイン、コス、ヒ(だが……わかっているのだろう?)」

 

 声に詰まりながら向けられた質問に、健人がゆっくりと口を開く。

 紡がれるのはドラゴン語。言葉は分からずとも、意思だけははっきりと理解できるという異様な事態に、部隊長は激痛の中で目を見開く。

 

「お前、グレイビアードか? あぐ!?」

 

「お前達は、何と戦っている? 何のためにこんなことをした」

 

 部隊長の言葉に被せるように、今度は健人が質問をぶつける。

 ドラゴンの脅威は、人間だけでなくエルフにとっても大きな脅威のはず。

 確かに休戦協定を結べば、ストームクロークと帝国は一時的に安定するだろう。

 しかし、元々双方の仲は修復不可能な状態。再び火をつけるのは容易いはず。

 ならば、このタイミングで強引に休戦会議を破たんさせるような手は、サルモール側にとっても不利益しかないはずだ。

 その辺りは健人が彼らの事情を知らない面もあるが、この部隊長も態々身内の弱点を晒すような人物でもなかった。

 

「決まっ、ている。サルモールの、為。ひいては、アルトマーの、為だ……ぐあ!」

 

「アルトマーのため? これがか? ようやく結べそうな休戦を邪魔し、迫りくる脅威をより大きくすることが?」

 

 お前達が守りたいのは民か? それとも自分達のプライドか?

 自らがタムリエルを統べるにふさわしいと豪語しながらも、その意識の根底にあるのは明確な差別意識であることの証明。

 言外に自身の、ひいてはサルモールの矛盾を突かれ、部隊長は一瞬言葉に詰まる。

 

「……ああ、愚かだろうな」

 

 そして彼は数秒の沈黙の後、自身の矛盾を認めた。

 しかしその目には、諦観の色を帯びながらも、硬い意思の光が見え隠れしている。

 

「だが、私は……兵士だ。永い年月を、この生き方で生きてきた」

 

 彼は長い兵役を務めた兵士だった。

 何百年と生きるエルフの兵役期間は、人間よりもはるかに長い。

 故に、兵士として生きる彼らの中には、兵士としての倫理観に考えが固着してしまう傾向があった。

 また、その長い兵役期間故に、彼はかの大戦にも参戦した経験も持っていた。

 あの大戦では帝国側の被害だけが誇張される傾向にあるが、大きな被害を受けたのはアルドメリ自治領も同じ。

 実際、帝国に侵攻した主力部隊を反抗作戦で壊滅させられたが故に、彼らは白金協定を結んだ経緯がある。

 そして、その苛烈な戦いは、兵士としての能力と思考をより先鋭化させてしまう。

 彼もまた、そんなエルフの一人だった。

 

“上官に忠誠を誓い、たとえどんな犠牲を払うことになろうとも、その命を全うする”

 

 与えられた命令を遂行すること。それが、長い兵役と大戦という悲劇の中で、心の芯まで刻まれた枷だった。

 

「そうか、なら……」

 

「がっ!?」

 

 冷徹な声と共に両肩に突き入れられていた剣が引き抜かれ、部隊長は顎を打ち抜かれる。

 両足から力が抜け、彼は雪の上に倒れ込む。

 そして健人は無力化した部隊長に背を向け、彼の部下へとその刃を向ける。

 

「やめ……ろ。私の部下に、手を……」

 

 去来するのは、第四期175年の赤輪の戦い。

 この戦いでアルドメリ自治領の侵攻軍は三方からの帝国軍の侵攻に晒され、壊滅。

 そして彼の部下は全員が苛烈で凄惨な戦いの中でノルド達に殺され、司令官は復讐として33日間、白金の塔に生きたまま吊るし上げにされたのだ。

 絶え間なく襲いかかる死の恐怖と、部下と敬愛する司令官の死。

 惨劇の記憶が蘇り、部隊長は必死に手を伸ばそうとする。

 しかし、肩をやられた腕は上がらず、昏倒する意識は闇の中へと引きずり込まれていく。

 暗くなっていく視界の中に映ったのは、双剣を閃かせ、絶望的な表情を浮かべる部下たちに向かって踏み込む健人の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶望の闇の中、全身を襲う冷たさに震えながら、部隊長の意識は揺蕩い、これが死後の様かと諦めと虚無に流されていく。思えば、敵にも味方にも、多くの出血を強いる人生だったと。

 彼自身、自分の選択は間違ってはいなかったと思っている。必要だったのだ、戦うことが。人間達の……あのタイバーセプティムの脅威を打ち払うには。

 彼は、タイバーセプティムによるサマーセット島侵攻を自分の目で目の当たりにした人物だった。

 その時の光景を、彼はよく覚えている。

 不安そうな母と兄妹。そして、大丈夫だと彼の頭を撫でて戦場に行った、誇り高くも公明正大な父。そんな父が、巨大な偽りの神像・ヌミディウムによって殺される様を。

 彼の父はアルトマーの中では珍しく、どんな種族にも分け隔てなく接する人物だった。

 

(しかし、そんな父を、人間達はまるで害虫のように、無慈悲に殺した……)

 

 その後、サマーセット島は帝国の支配下に置かれ、アルトマーにとっては屈辱ともいえる日々が始まった。

 だから、彼は剣を取った。腐敗した帝国を倒し、失われたアルトマーの誇りを取り戻すために。

 寿命の短い人間の帝国は、四百余年の中で政治的な腐敗が重なり、弱体化していた。

 それを見て彼は思った。やはり、人間はこの大陸を統べるに値しないと。そして始まった大戦で帝国退け、ついに故郷と誇りを取り戻した。

 

(だが、今度は私達が……)

 

 しかし、アリノールは徐々に、あの帝国のように腐り始めた。強烈な選民思想と差別意識、既得権益の乱用。

 皮肉なもので、寿命があろうがなかろうが、組織が腐敗する速度は人間達とそう変わりがなかったのだ。

 それでも、故郷の罪なき人を守れるのならばと、兵士としての人を全うし続けた。

 彼にはもう、それしか縋れるものが残っていなかったから。

 

(それも、もう終わる……)

 

 兵士として戦い、そして敗れた。敗残兵には死あるのみ。そんな思いで、暗い闇に意識を委ねていると、突然目の前に光が走った。

 

「たい……ちょう、隊長!」

 

「っ!?」

 

 朦朧とする意識の中から聞こえる呼び声に、四散していた彼の意識は急激に戻ってくる。

 瞼を開ければ、目の前には死んだと思っていた部下の一人が彼を覗き込んでいた。

 

「お前……無事だったのか?」

 

「はい、全員無事です。死んだ者はおりません」

 

 部下の言葉が信じられず周囲を見渡せば、同じように横に寝かされた他の部下達の姿がある。

 身を起こし、部下の体を確認するが、出血している様子もなく、足を斬られた部下の傷も治療が施されていた。

 

「奴はどこに……」

 

「分かりません。私が目を覚ました時には、既に姿を消していて……」

 

 部隊長はスッと貫かれた肩に手を当てた。

 指に当たる凹凸の感触。穴の開いたインナーからは、ひし形に盛り上がった肉が覗いている。それは間違いなく、自身が敗れた事の証。

 

「……なぜ、殺さなかった?」

 

 思わずそんな言葉を口にするも、理性の方は分かり切ったことだと鼻白む。

 

『アルトマーのため? これがか? ようやく結べそうな休戦を邪魔し、迫りくる脅威をより大きくすることが?』

 

 その言葉が、全てを物語っている。単純にあの男にとって、部隊長とその部下は本当の意味で敵ではなかっただけだ。

 そんな男の判断を、部隊長は甘いと断言する。笑顔で接しながらも常に後ろ手にナイフを隠し持つのが常識の世界で、この判断は愚かでしかない。

 だが同時に、そこまでまっすぐに物事を見つめることが出来るあの男に、彼はある種に憧れにも似た感情を抱いてしまう。

 

(奴は、いったい何者なんだろうか)

 

 卓越した剣技と、物事をまっすぐに見つめられる性根。

 剣を交えた時に除いた瞳から窺えたのは、怒りも悲しみも、全部味わったものが見せる、芯の通った強い心。

 あのような瞳をする人物に、彼は会ったことがなかった。

 インペリアルにも、ノルドにも、味方であるカジートはウッドエルフ、そして同胞であるアルトマーにすらいなかった。

 只の兵士として、諦観の中で己の心すら殺していた彼にとって、あの外套の男は、あまりにもまぶしく映っていた。

 

(もしや、報告にあった、もう一人のドラゴンボーンか?)

 

 スカイリムで諜報活動をしている中で、ウルフリックの本拠地であるウィンドヘルムがドラゴンに襲撃されたことは耳に入っていた。

 そしてその脅威を、二人目のドラゴンボーンが退けたことも。

 

(しかし、あの男。どこかで会ったことがあるような……)

 

「隊長、どうしますか?」

 

 複雑な感情と妙な既視感に部隊長が頭を悩ませていると、彼の部下が横から話しかけてきた。

 気絶していた他の二名も目を覚ましたのか、三人は並んで命令を待っている。

 このまま原隊に復帰しても、任務失敗による懲罰は免れないだろう。

 一度兵士として殺されたからだろうか。このまま脱走してしまってもいいのではという誘惑が部隊長の脳裏によぎる。

 今まで、彼はこんな考えを思い浮かべる事すらなかった。少なくとも、あの大戦の時からは。

 

「……サルモール大使館に帰投する」

 

 しかしそれでも、彼はアルトマーを守るために戦う兵士だった。

 任務を失敗したとしても、指揮官として胸を張って部下の前に立つ。

 

「隊長、ご指示を。どのような事になろうとも、私達は隊長について行く所存です」

 

 そんな上官を前に、部下の兵士達も迷いなく返答する。

 部隊長はこのような状況になってもついて来てくれる部下たちを誇りに思いながら頷くと、彼らを率いて帰路につく。

 

(もはや、私は兵士としての生き方を変えることはできないだろう)

 

 その先にあるのは敵の剣により命を落とす未来のみ。

 自身の在り方を変えられないと分かっていながらも、彼は新たに胸に刻まれた感情に笑みを浮かべる。

 

 願わくば、よりよい未来を……。

 

 そして、サルモール大使館に到着した彼らは案の定、第四特使からの叱責を受け、再教育を受けることになる。

 そして、活躍の少ない後方部隊に再配置されることになるのだが、混沌としたスカイリムの中で彼らは再び戦火に身を投じることになっていく。

 しかしそれは、それはまた別の物語である。

 




いかがだったでしょうか。
休戦会議中に造ったオリジナルエピソードは一応ここまで。
以下、用語説明

赤輪の戦い
大戦時、エルフによる帝都略奪後に起こった戦いであり、大戦最後の大規模戦闘。
これによりアルドメリ自治領の軍は壊滅的な被害を受け、互いに戦闘不能となった両軍は、白金協定を結ぶことになる。
この際、帝国は主力軍、ハンマーフェル軍、ノルド軍の三つに分け、ハイエルフが占拠するシロディールに侵攻。
結果、アルドメリ自治領軍の将軍、ナーリフェンヌ卿がノルド軍に捕えられ、彼は白金の塔に33日間つるし上げにされた。
その後、ナーリフェンヌ卿が埋葬されたという記録はないが、34日目に翼の生えたデイドラに連れ去られたという情報もある。真偽は不明。


ヌミディウム
TESシリーズのファンなら説明不要の超兵器。
ドワーフが作り上げた、神の心臓で動く超巨大ゴーレムであり、タイバーセプティムが実際にタムリエル統一時に使った代物。
この凄まじい兵器は、ハイエルフの本拠地であるサマーセット島に侵攻した際、彼らの軍を一時間で降伏させている。
タムリエル統一後、この超兵器をめぐってタイバーセプティムと彼の副官であった魔闘師、ズーリンアルクタスとの間で対立が発生し、破壊される。
そしてこの超兵器はTESⅡで再登場するも、再び破壊され、完全に失われた。
ちなみに、TESⅢでは超兵器を参考に火山の下に住んでいた変態仮面が同じようなゴーレムを作ろうしていたとかなんとか……。


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第四話 休戦

 健人がサルモールの隠密部隊を制圧した後、護衛の兵達に見つからないように崖上を進み、回り込んで中庭側から寺院の中に戻った。 

 扉を開けると、帰って来た健人の姿に、先に戻っていたカシトが手を上げてくる。

 

「ケント、終わったの?」

 

「ああ。休戦会議の方は?」

 

「そっちもちょうど今終わったよ。ほら」

 

 カシトが言う通り、大会議室から次々と出席者達が出てくる。

 その内の一人。豊かな髭を生やし、クマの毛皮の外套を纏ったノルドが健人とカシトの姿を見て、手を広げながら歩み寄ってきていた。

 

「おお、やはりここにいたのだな」

 

 ガルマル・ストーンフィスト。健人としてはヴィントゥルースのウィンドヘルム襲撃時に一緒に消火活動をした間柄である。

 彼の後ろには、彼の主であるウルフリック・ストームクロークの姿もあった。

 

「ケントよ、久しぶりだな。壮健そうでなによりだ」

 

「ええ、ガルマルさんもお元気そうで」

 

 髭面の強面に迫られた健人は少し気圧されながらも、キチンと挨拶を返す。低く、重みのある声色ながら、そこには一定の信頼が垣間見える。

 一方、彼の隣にいるウルフリックは厳めしい表情を崩していない。腕を組み、威厳と圧のある態度をとっていた。

 

「また会ったな、ドラゴンボーン」

 

「お久しぶりです、ウルフリック首長」

 

 一方の健人も礼儀を弁えながらも、定型的な返答をするのみ。

 そして開く数秒の沈黙。ウルフリックとしては、健人はバルグルーフと同じく、一目置いてはいるが決して自分に忠誠は誓わないと分かっている人物。

 健人としても、ノルド至上主義を掲げているウルフリックとはあまり気質的に合わない。

 微妙な距離感を窺わせる二人に、同じく会議室から出てきた人物が声をかけてくる。

 

「ほう、君がもう一人のドラゴンボーンか。彼女から聞いたときは耳を疑ったが……ほんとうなのか?」

 

 ノルドとは違うが、日本人よりも彫りが深く、短い白髪の初老の男性。

 身に纏う服は帝国軍人の装いであり、同時に金刺繍の施された豪奢な細工が、彼の地位を明確に示している。

 また、健人はこの人物にも見覚えがあった。

 テュリウス将軍。ヘルゲンでウルフリックを処刑しようとしていた帝国軍の総指揮官だ。

 彼の傍には副官であるリッケ特使、そしてバルグルーフ首長とエリシフ首長もいる。

 バルグルーフはホワイトランでリータが従士になった際に顔を見ているが、個人的に話をしたことはなく、エリシフの方も面識はない。

 

「一応……そうですよ。もっとも、ドラゴンソウルを吸収した経験はリータほどありませんけど」

 

 健人は小さく“フリン……”と唱える。次の瞬間、冷たい部屋に心地よい熱が広がる。

 唱えたドラゴン語の意味は「熱」。スゥームが生み出した熱に包まれ、テュリウスを始めとした帝国勢は目を見開く。

 しかし、その視線にはすぐに警戒の色が戻る。

 特にエリシフは睨みつけるような眼を健人に向けていた。

 エリシフはウルフリックに殺された上級王トリグの妻。おそらく、直前にウルフリックと話をしていたからこその警戒と嫌悪だろう。

 とはいえ、礼儀を欠くわけにもいかない。健人は静かに、二人に帝国式の礼を向かってする。隔意の無い健人の態度に、エリシフの表情に迷いが混じる。

 そんな中、唯一健人と面識のあるバルグルーフが、彼の顔を見て微笑みながら小さく頷いた。

 

「君は確か、ホワイトランがドラゴンに襲われたとき、ドラゴンボーンと一緒にいた異邦人だな」

 

「はい」

 

「エリシフ首長、テュリウス将軍。彼は間違いなく、ドラゴンボーンとともにホワイトランを襲ったドラゴンと戦ってくれた者だ。その性根は、私が保証しよう」

 

「バルグルーフ首長がそう言うなら、間違いないのだろう」

 

 バルグルーフの言葉に、テュリウスの視線から幾分か警戒の色が解ける。

 しかし、エリシフのほうは疑惑が拭いきれないのか、瞳を震わせ、戸惑っている様子を見せていた。

 

「ところで君は、帝国軍に入る気はないか? 帝国は、いつでも強く、若い戦士を必要としているのだが」

 

 リッケの方にいたっては、さっそく健人を帝国軍に勧誘し始める始末。

 とはいえ、健人としては帝国軍にもストームクロークにも入る気はないので、深々と頭を下げて彼女の誘いを断る。

 

「ところで、休戦については、お互いに合意できたようですね」

 

「ああ、まあな。思うところがないわけではないが、ドラゴンのことを考えれば、やむを得ん」

 

 渋々と言った様子のテュリウス将軍とリッケ特使。

 エリシフの方は口を真一文字にして無表情を貫いているが、何も言わない所を見ると、一応飲み込んではくれているらしい。

 

「ところで、リータは……」

 

「ああ、彼女なら、会議室にまだいるはずだ」

 

 テュリウス将軍の言葉に健人は義姉の様子を見に行こうと、頭を下げて会議室へと足を踏み入れる。

 会議室の中にはリータと一緒にいるはずのドルマの姿はなく、リータだけが残っていた。そこで彼女は……。

 

「うみゅ~~~………」

 

 目を真ん丸にしながら机に突っ伏し、頭の上に雪山をこんもりと乗っけながら項垂れていた。山のような雪からは、シュ~~……という雪が溶ける音と共に蒸気が立ち上っている。

 そんなシュールな義姉の姿に、健人は言葉を失う。

 

「……なに、これ」

 

「ああ、ケント。リータの奴、慣れないことして知恵熱出しちまってな」

 

「……はあ?」

 

 後ろから掛けられた声に健人が振り返ると、会議室にいなかったドルマが腕に雪を一杯に抱えて戻って来ていた。

 茫然とする健人を余所に彼は持ってきた雪を、リータの頭から一気にかける。

 

「うぶぶぶぶ……」

 

 呻き声を漏らしながら雪に埋もれていくリータに言葉を失っている中、ドルマは休戦会議の流れを健人に説明し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サルモールの裏工作が実行される前。リータは、漏らしそうになる溜息を押し殺しながら、目の前にいる休戦会議の出席者達を眺めていた。

 まだ話し合いも始まっていない段階から荒れる様相は、このスカイリムの問題の根底を示している。

 対立する二勢力。しかし、その裏で糸を引いているのは別の勢力。

 帝国もストームクロークも対立の原因は理解しているが、互いに譲れない一線があり、さらには殺す、殺されたによる連鎖があるがゆえに、終わりが見えない。

 心配そうに会議室の中をのぞいている義弟に「大丈夫だ」というように笑みを返すと、リータは静かに深呼吸をして、ウルフリックに向かって口を開く。

 

「あの、煩いんでちょっと黙ってもらえます?」

 

 いきなりの喧嘩腰の口調に、ウルフリックが眉を顰める。

 しかし、彼が言い返してくる前に、リータは視線をウルフリックから外し、笑顔とともにハイエルフの女性へと向ける。

 

「それからエレンウェン特使、いちいち鼻につくような言葉で挑発しないでください。程度が知れますよ?」

 

 リータの静かな怒りのこもった声に、会議室の中の空気が静かに震え、刺すような冷気が走った。

 全身を無意識に固くしたエレンウェンとテュリウス、そしてウルフリックは眉を顰め、他の参加者は一様に驚きの表情を浮かべる。

 彼女はドラゴンボーン。たとえ真言たるスゥームでなくとも、その声には強い力が宿っている。

 興味、関心、驚異、感嘆。各々の複雑な視線を浴びながら、リータは毅然とした態度で口を開く。

 

「そもそも、貴方はこの場には呼ばれていませんし、交渉内容はどの道、後ほど全て公開されます。確かめるのは、それからでもいいはず。それに、ここは休戦会議の場。交渉をするのは帝国とストームクローク。サルモールではありません」

 

 サルモールはそもそも、帝国とは別組織。

 そしてこのような会議の場合は、主要となる対立している二勢力の代表と、仲介者となる第三者のみで行われるのが普通だ。帝国とストームクロークの休戦会議の場にいること自体がおかしい。

 

「彼女は帝国の使節だ。どうこう言ってほしくはないな」

 

 しかし、彼女の言葉に異を唱えたのは、サルモールではなく、帝国のテュリウス将軍だった。

 意外な人物がサルモールを助けるような発言をするが、実のところ、サルモール、そして帝国側にも事情があった。

 それはマルカルス事件と呼ばれる一件であり、第四期176年におこった、マルカルスをめぐる騒動である。

 大戦後の混乱期。マルカルスのあるリーチホールドが、フォースウォーンと呼ばれる原住民によって占領されるということが起こった。

 当時は大戦の影響が色濃く残っている時期であり、帝国はこの混乱を治めることが難しかった。

 そして、リーチを支配していたフォースウォーンを排除し、マルカルスを取り戻したのが、ウィンドヘルムの首長であるウルフリックである。

 ウルフリックはこの対価として、部下と自分のタロス崇拝を認めるよう帝国に要求。

 帝国はこれを認めるも、のちにアルドメリ自治領に発覚し、帝国はやむなくウルフリックとその部下を逮捕する事態になった。

 このマルカルス事件のこともあり、サルモール側としてはこの休戦会議は、白金協定に違反するような密約を結んだ前科のある者同士の交渉。故に、看過できない。

 帝国としてもサルモールに目をつけられてしまっている事態もあり、要求をはねのけるのが難しいという事情があったのだ。

 

「であるなら、なおさら度量を見せるべきです。交渉の人数はそちらが六人、対してストームクロークは二人。それだけでも不平等です」

 

 しかし、だからと言ってサルモールがここにいれば、双方まともな交渉などできない。

 リータは交渉にあたる人数が偏っていることを理由に、エレンウェンの退出を求めた。

 どこまでサルモールがしつこく食い下がってくるかは分からないが、彼女は不退の意思を込めてエレンウェンを見つめた。

 二人の視線がぶつかり合い、火花が散る。

 先に折れたのは、エレンウェンだった。

 

「……いいでしょう。そこまで言うのであれば、今回は失礼するとしましょう。ただ、これだけは言っておきます。サルモールはスカイリムを統治する政府が誰であろうと、その政府と交渉するつもりです。内戦に干渉するつもりはありません」

 

「笑わせるな! スカイリムがサルモールに屈するものか!」

 

「ここにいるインペリアルの友達と違ってな」

 

 この場にいる誰もが失笑を漏らしそうな言葉を残し、彼女は護衛の兵士を連れて退出する。そんな背中に、ウルフリックが罵声を浴びせ、ガルマルが更に帝国まで煽る。

 その挑発に、今度はリッケ特使が声を荒げた。

 

「私がグレイビアードの会議を尊重していてよかったわね、ガルマル!」

 

 席を立ち、今にも剣を抜いて斬りかかりそうな剣幕のリッケ。そんな彼女をいさめようとテュリウスが口を開こうとするが、その前に冷たくも怒りに満ちた声が会議室を震わせた。

 

「双方、いい加減にしてくれます? いちいち叱られないと口を閉じないなんて、聞き分けのない子供ですか? スカイリムの子なら、体だけでなく、口も我慢強くあるべきでは?」

 

 声を発したのは、これまたリータである。

 額に青筋立てながら笑みを浮かべる彼女の姿に、リッケだけでなく、ウルフリックやテュリウスまでもが言葉を失う。

 エリシフに至っては、顔を蒼くして冷や汗を流していた。

 たとえ可憐な容姿をしていようが、彼女は数多のドラゴンをその手で屠ったドラゴンスレイヤー。その殺気は竜すらも怯えさせる。

 そして彼女は顎をしゃくり、ウルフリックに席に着くよう促す。

 ウルフリックは一瞬渋い表情を浮かべるも、ガルマルと共に黙って席に着いた。

 

「それが理解できたのであれば、始めよう……」

 

 ようやく会議室が静かになったことで、アーンゲールが休戦会議の開始を宣言する。

 

「では、さっそく始めよう。マルカルスの支配権を所望する。それがこの休戦に同意する対価だ」

 

 さっそく要求をぶち込んできたのはウルフリック。

 彼の要求はリーチホールドの支配権。一国に匹敵する領地の要求に、再び頭痛がぶり返し、リータは思わず額に手を当てた。

 

「ウルフリック、それがここに来た目的なのね? この場を利用してグレイビアードを貶め、自分の地位を高めるつもり?」

 

「エリシフ首長、こいつは私に任せろ」

 

「将軍、こんなの許されない! こんな要求、飲むわけにはいかないわ! 休戦協定の話し合いだったはずよ!」

 

 そんな要求に声を荒げるのは、ハーフィンガルホールドの首長、エリシフ。

 彼女はウルフリックに殺された上級王、トリグの妻。当然、夫を殺した男の要求など、聞くはずもない。

 ウルフリックを睨みつけながら怨嗟のこもった大声を上げる彼女をテュリウス将軍がなだめ、改めてウルフリックに向き合う。

 

「ウルフリック、我々が交渉の場でマルカルスをあきらめるわけがないだろう。冗談はよせ。戦いで手に入らなかったものを、会議でせしめるつもりだな?」

 

 今日何度目かもわからない罵倒のやり取りを始めた二人に、折衝役のリータが口を開く。

 

「はい、静かに。まずウルフリック首長。あなたがマルカルスの所有権を主張するのは、自身の行いの正当性と、銀の確保でしょう。しかし、その方法では、そのどちらも達成できませんよ」

 

「……ほう、その理由が知りたいな」

 

 リータの言葉に一瞬眉を顰めながらも、ウルフリックは先を話すよう促す。

 

「簡単です。まず、スカイリム全土を恐怖に陥れているドラゴンに備えるための第一歩であるこの場でそれを要求した者を第三者が見た場合、たとえどのような理由があろうと、混乱に乗じた横取りという印象は抱かれる。それでは、正当性の担保にならない」

 

 マルカルス事件において、ウルフリックはどちらかというと被害者である。

 問題の解決に奔走したが、その功績に比べて十分な対価は得られず、更には名誉すら地に落とされたのだ。

 しかし、だからこそこの非常時に過大な要求をするべきではない。

 ウルフリックの要求は溺れそうな人間に対して、お前の全財産と引き換えに助けてやるというようなものだ。たとえ助けられたとしても、不満は残り、それ以上に芽生えた不信により、本来の正当な主張すらも相手に伝わらなくなる。

 

「それから、支配権の委譲に時間がかかりすぎる。支配階層を入れ替え、兵を入れ替え、体制を構築する。ドラゴンに対してのこの非常時に、どれだけ時間をかけるつもり?」

 

「…………」

 

「最後の一つ。それだけの労力と時間を費やしてマルカルスを支配しても、そもそもあの土地は帝国側のホールドに囲まれているから、採掘した銀は自分たちの支配領域に届けられない。使えない銀は、鉄くず以下よ」

 

 ぐうの音も出ない正論だった。

 マルカルスからストームクローク領に銀を運ぶには、ホワイトランホールドかファルクリースホールドを通過しなければならないが、そこの街道を封鎖されてしまえば、銀は運べない。

 河川も同様だ。リーチホールドを通る主要河川、カース川が通るのはハーフィンガルホールド。こちらも帝国領であり、どのみち封鎖は容易。

 経済は循環してこそ。たとえマルカルスで銀を採掘しても、自分の領地まで持っていけなければ意味はない。

 リータの主張はウルフリックも納得できたのか、彼女の言葉に異を唱えることはできない様子で押し黙ってしまっていた。

 

「で、あなたの悩みを解決するいい手があるんだけど?」

 

「……聞かせてもらおう」

 

「マルカルスの現首長と帝国からマルカルス事件に対する正式な謝罪と、その対価として二年間、採掘した銀の半分をストームクロークに供給する」

 

「ほう……」

 

「なっ!?」

 

 リータの提案に、ウルフリックは感心したように顎に手をあて、テュリウスは驚きに目を見開く。

 

「ただし、ウルフリックもカースワステンの虐殺に対して正式な謝罪を行う。これならどう?」

 

 カースワステンの虐殺とは、ウルフリックがマルカルスからフォースウォーンを排除した際、彼らに協力的だった民間人に対して行った行為である。

 この際、ウルフリックはフォースウォーンに協力していた役人を殺害。さらに「我々とともに戦わないのならば、スカイリムの反逆者だ」と言い、従わなかった民間人をも処刑した。

 マルカルス事件の裏にある血生臭い出来事である。

 つまり、帝国側だけに対価を払わせるわけにはいかない。自らの行為によって死んだ者に対して、頭ぐらいは下げろ。というのが、リータの主張である。

 

「どう?」

 

「……いいだろう。ただし、二年は短すぎる。十年だ」

 

「そんなに長期間容認できるはずはないだろう。一年だ」

 

 リータの提案により、ウルフリックとテュリウス、二人の交渉は領地ではなく、銀を提供する期間へと移る。

 

「八年」

 

「二年」

 

「七年」

 

「三年だ」

 

「五年。これ以上は容認できん」

 

「いいだろう。マルカルスの銀の半分を五年間、お前にくれてやる。その代わり、お前の蛮行をマルカルスの民に謝罪するのだな」

 

「それはそちらも同じだ。これで貴様らがイグマンドと共に隠そうとした愚行はスカイリムの民に伝わるだろう。そして帝国を見限り、我らと共に立つ時が来るのだ」

 

 二人の交渉は思った以上にスムーズに進んでいった。

 その様子を見守っていたリータがアーンゲールに目配せをすると、彼は静かに頷き、口を開く。

 

「では、これで双方の合意がとれたとする。ウルフリック首長、テュリウス将軍。この類を見ない会議において結ばれた同意に対し、誇りと敬意をもって互いの義務を履行するように……」

 

 そして休戦協定の内容を記した書面が二つ作られ、双方の代表者の前に差し出される。

 内容としては、上記の条件のほかに、国境を越えて軍隊を配備しないことなどが盛り込まれている。

 これに署名がされれば、晴れてこの先の見えなかった内戦が一時的とはいえ、終わることになる。

 そしてウルフリックとテュリウスは互いに相手の書類に瑕疵がないことを確かめると、それぞれの書類にサイン書く。

 そして、休戦協定は正式に結ばれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ってなかんじだな」

 

「なるほど、予想よりもずっと穏やかに事が進んだってことか……」

 

 ドルマの説明で休戦会議が取りあえず結ばれたことを知り、健人はとりあえず胸をなで下ろす。

 場合によっては領地の交換やらなにやら、めんどくさいことになっていたことは間違いないだろう。

 もし、ハイヤルマーチホールドがストームクローク側に渡されていたとしたら、健人の買った土地やらも没収されていたかもしれない。それ以上に、頭の痛い事態も考えられた。

 

「その代わり、リータがこんな有様になっちまったけどな」

 

 目を回して机に突っ伏すリータの姿は、まるで受験を終えて燃え尽きた浪人生のようだった。

 元々彼女は狩りや宿屋の手伝いをしてきた娘。当然、政治や会議における折衝など経験がない。ドラゴンボーンであることが分かった後も、主にドラゴンとの戦闘に専念してきたため、交渉の経験が皆無なのだ。

 話を聞いたところによると、健人が寝ている間、その辺りの交渉術をアーンゲールやエズバーンが入れ代わり立ち代わり、各勢力の詳細情報から予測される休戦会議の流れまでも含めて、全力で教え込んでいたらしい。

 

「……そんなことしてたのか?」

 

「ああ。交渉の折衝役ともなれば必要だろ? お前ばっかに無理させるわけにもいかないしな」

 

 苦笑を浮かべながら、ドルマは知恵熱を出して目を回しているリータに穏やかな目で見下ろす。

 

「ううう……頭痛いよう……」

 

「エズバーンもグレイビアード達もリータの成長には驚いていたんだが、さすがにこいつも限界だったみたいだな」

 

 真言を操るドラゴンボーンであるためか、リータは彼らが驚くほどの成長を見せたが、その反面、相当気を張っていたのだろう。

 結果、全てが終わったことで反動が一気に襲ってきて、このありさまというわけだった。

 

「まあ、しかたないか……な」

 

 まだまだ状況は予断を許さない。

 肝心のアルドゥインの居場所は分からず、星霜の書も奪われたまま。

 そもそも、ハウリングソウルと星霜の書が共鳴した際、ドラゴン達に何が起こったのかもよく分かっていないのだ。

 だが、休戦協定によって、人間側に一応の備えができるようになった。今は、その事を喜ぼう。

 しかし、健人が義姉の奮闘を嬉しく思いながら、今日の料理は腕によりをかけて作ろうと意気込んでいる中、強烈な“声”が、ハイフロスガーに響き渡った。

 

“ドーヴァーーキーーン……!”

 

「っ!?」

 

「今のは……」

 

「中庭の方から聞こえたな」

 

 聞き覚えのあるドラゴンのスゥーム。

 続いてズシン! と言う轟音と共に、寺院全体が揺れた。

 健人とドルマは互いにかをお見合わせ、リータがガバッと雪の中から顔を出す。そして三人は大急ぎで駆け出した。

 三人が広間に戻ると、そこでは同じようにスゥームを聞いたグレイビアードと休戦会議の出席者達が、一様に声の聞えてきた中庭に向かって走っていく。

 そして扉を抜けた一同の目に、ひび割れた鱗を持つ老竜の姿が飛び込んで来た。

 

「パーサーナックス……」

 

“いたな、異界のドラゴンボーンよ。話がある……”

 

 アルドゥインとの戦いで怪我を負っていた老竜。

 ハウリングソウルと星霜の書の共鳴による大激変の時から動かなくなってしまっていたはずの彼は、寺院から出てきた者達を見下ろすと、その視線をたった一人。健人へと向けるのだった。

 

 

 




というわけで、休戦会議の内容でした。
リータさん、健人が寝ている間に色々仕込まれていましたが、元々頭脳労働は得意ではないので、相当な負担だった様子。
内容に関しては完全にオリジナルですね。今見返すと、ちょっとどころではなかった……。



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第五話 失われていた塔

おひさしぶりです。
今回はちょっと短め。またまたオリジナル要素満載となります。


 山頂での起こったアルドゥインとの戦い以降、完全に沈黙していたパーサーナックスの突然の来訪。

 それに驚いたのはリータ達だけではなくグレイビアード達も同様だった。

ウルフリックやテュリウス将軍たちは言わずもがな。

 リータ達が目を見開き、グレイビアードが深々と礼をする中、パーサーナックスはたった一人の青年、健人へと視線を向ける。

 

「俺に話って……」

 

“突然すまない、異端のドヴァーキンよ。必要だと思ったのだ。異界からこのニルンに流れ、兄弟を看取り、そして我らと同族となった君に……”

 

「ニルンの外って……」

 

 パーサーナックスの言葉にリータが戸惑いの声を漏らしながら、ドルマと共に隣にいる健人に目を向ける。その表情には明らかに動揺の色が見えていた。

 他の者達にいたっては理解すら及ばなかったのか、目をパチクリさせて老竜との間で視線を行き来させている。

 

“ニド、アロク、ホン。知らなかったのか……。彼は元々、このニルンの人間ではない。否、我らの神々が生み出した存在ですらない”

 

「じゃあ、記憶喪失って……」

 

「すまない。初めて会った時、俺はタムリエルの言葉も通じなかったし、言っても信じてもらえないと思っていたから、話せなかったんだ」

 

 当時の健人はタムリエルに流れ落ちたばかりで、簡単な意思疎通にすら難を抱えていた。

 タムリエルのことを何も知らず、言葉すら理解できず、誰ともコミュニケーションが取れなかった彼がヘルゲンを追い出されていたらどうなっていたか。間違いなく、野垂れ死にしていただろう。

 とはいえ、隠し事をしていたのは事実。気まずさから、自然と健人の表情は強張っていく。

 

「まあ、ならしゃあないか。あの時の俺がその話を聞いたら、間違いなく気狂いだと思ってお前を追い出していただろうし……」

 

 申し訳ない様子で視線を逸らす健人に一番に声をかけたのはドルマだった。

 最初に会った時、健人に対して一番隔意を持っていたノルドの青年。

 苦笑を浮かべながら肩を竦めつつも、自然体なドルマの様子に、強張っていた健人の肩から力が抜けていく。

 

「知っている人はいるの?」

 

「人の中で気付いていた人がいたかどうかは分からない。ただ、数柱の神々は多分気づいている。ソルスセイムで、色々あったから……」

 

 緊張のほぐれた健人に、続いてリータが声をかける。

 一方、この話を聞いていた他の者達は、健人の話に懐疑的な様子だった。まあ、いきなり異世界の人間ですという話をされて、信じる者がいるとも思えない。

 健人はとりあえず自身の出生については横に置いておき、目の前の老竜に話の続きを促した。

 

「話っていうのは、星霜の書とドラゴンについて……か?」

 

“そうだ。我らがなぜ、この姿になったのか。なぜ、名を持つようになったのか……”

 

 健人の脳裏に、先日の夢が思い返される。

 通常、夢は1日もすればほぼ完全に忘れ去られてしまうものだが、あの時の夢ははっきりと頭に残っていた。

 

“時は、夜明けの時代。まだ神々により“塔”が作られ、創造によって生み出された世界がつなぎとめられる前の話だ”

 

 この世界には、“塔”と呼ばれる構造物が複数存在する。

 もっとも有名なのは、ハイロックにあるアダマンチンの塔。その次にシロディールにある白金の塔であろう。

 この塔は、そのままでは拡散してしまう現実を繋ぎ止めるものとしての機能があると言われているものであり、世界のノドも“雪の塔”と呼ばれるものの一つである。

 

“アルドゥインはドラゴンと、そして定命の者すべてを繋ぎ止め、統治していた。己が生み出した異界で、生まれたばかりの定命の者たちを守っていたのだ……”

 

「定命の者たちを守る?」

 

“ゲ、ロク、コス。正確には、定命の者となる前の原初魂だ”

 

 この世界はエイドラと呼ばれる者達が不死を代償にして作り上げた世界だが、世界が誕生したばかりの頃はまだこの世界は幼く、原初の混沌の影響を色濃く受けていた。

 そんな中で、定命の者となる存在も生まれた。

 しかし、同じ“創造”より産まれながらも、その原初魂は世界よりも遥かに弱かった。荒れる混沌の残滓に触れただけで、容易く霧散してしまうほどに。

 

“定常化していない世界。嵐のようにうねるティード……。“時”の中では、原初の魂たちは容易く霧散してしまう。しかし、我らが父は人間たちの父を裁かなければならなかった”

 

「ロルカーンか……」

 

 夜明けの時代におけるもっとも大きな出来事に、神々を騙したロルカーンへの制裁がある。

 創造の代償を黙っていたロルカーン。不死を失い、怒り狂ったエイドラによる制裁。そののち、ニルンにおける最初の塔、アダマンチンの塔が作られ、夜明けの時代はようやく終わり、エルフの時代へと移っていくことになる。

 

“アルドゥインはアカトシュが最初に作り上げたドラゴン。ゆえにその本来の力は、並みの神をはるかに上回る。そして“塔”の能力も持っていた。奴は、アカトシュがアダマンチンの塔を作る前準備として作られたボルマー、原形であり、生ける塔なのだ”

 

 信じられない言葉に、健人たちは全員が目を見開く。

 言うならば、アルドゥインはアダマンチンの塔のプロトタイプ。創造によって生み出されたものを繋ぎ止める能力を有し、さらに異界すらも作り出すことが可能となれば、その力はデイドラロードと同等かそれ以上であろう。

 健人達がアルドゥイン達ドラゴンの過去に驚いている中、老竜は淡々と語り続ける。

 

“原初魂はまだ生まれたての無垢な魂。しかし、アルドゥインはその強大な力と神すら上回る聡慧さにより気づいた。自分達もこの無垢な魂も、いずれ混沌に触れて穢れ、そして滅びるのだと”

 

 己と同胞、そして守ってきた者達の末路。それを知ってしまった時の苦しみは、いったいどれほどだったのだろうか。

 常人に理解することは難しいが、健人にはその苦悩を僅かだが察することができた。

 ヌエヴィギルドラール。未来を見通してしまえるほどの時詠みの能力を持つが故に、全てを諦めてしまったドラゴン。友となった彼が抱えていた苦悩と、瓜二つだったからだ。

 だがアルドゥインは、ヌエヴギルドラールとは違った。彼には、神すらも上回るほどの力を持っていた。

 

“ゆえに、アルドゥインと我らは父と宿敵ですら手に余る力、ケルに手を出した”

 

「ケル……星霜の書か……」

 

“そうだ。そしてアルドゥインが持つ“塔”の力、そして我らの力を合わせ、定められた運命を書き換えようとした……”

 

「そんなことが可能なのか?」

 

“あの時の我らは、出来ると思っていた……。しかし、結果は悲惨なものだった。アルドゥインの異界は破壊され、守っていた原初魂は荒れ狂う時に飲まれて引き裂かれた”

 

 パーサーナックスの声が震える。

 自らが招いた惨劇。低く、唸るような口調に込められた後悔の念に、健人達は息をのむ。

 

“そして我らは犯した禁忌の代償として、魂を混沌によって穢された。そしてかつての記憶全てを消し去られ、魂を縛る名と、強大な欲を持つようになった。それがどのような結果をもたらしたのかは、よくわかっているだろう?”

 

 ドラゴン達は自らの中に芽生えた欲に、少しづつ狂いはじめ、長い年月の果てにその治世は破綻。守っていたはずの定命の者達との全面戦争『竜戦争』へと突入。ほぼ全滅するという結果に至った。

 

「それで、過去を思い出したアルドゥインは何をするつもりなんだ?」

 

“分からぬ。以前の彼なら、ただ只管に力と権力を求めていただろう。だが、今はすべてを思い出し、さらに「罪の名」が我らを縛っている状態だ。それは、アルドゥインとて同じこと……”

 

 過去は分かった。しかしだからこそ、今のアルドゥインは何をするのかわからない。

 パーサーナックスすらもアルドゥインの行動が読めないらしく、嫌な予感だけが健人達の胸の奥で膨らんでいた。

 

“ともすれば、再びケルを使おうとするかもしれん。かつての己の姿を取り戻すために……”

 

「そうなったら……」

 

“この世界に深刻な影響を与えることは間違いないだろう。次元は混乱し、うねる“時”は、人間やエルフだけでなく、この世界そのものを砕いてしまうかもしれん。かつてのアルドゥインの異界と同じ様に……”

 

「……とにかく、アルドゥインを探すしかないな」

 

 こみ上げる焦燥を落ち着けるように大きく息を吐き、これからすべきことを確かめるように呟く。

 そんな中、パーサーナックスはその首をもたげ、改めて健人に向き合う。

 

“そして、聞きたいことがある、異端の同胞よ。君は何故、アルドゥインと戦うのだ?

 

 かつてリータにも向けられた、時代を担うドラゴンボーンを見極めるための問いかけ。

 パーサーナックスは先ほどまでの愁いを帯びた目ではなく、歴史を知る賢者としての目で、健人を見下ろしている。

 

“君は、この世界の者ではない。本来なら、戦う必要のない人間だ。そして、力を持っているものが、必ずしもその力を使わなければならないというわけでもない……”

 

「……そうだな。この世界に、俺は望んできたわけじゃない。帰りたいと思ったことは、何度もある」

 

 健人は瞑目しながら、ニルンに来たばかりの時の事を思い出す。

 突然スカイリムに落とされ、狼に襲われて命の危険に陥った時の混乱。

 言葉すら通じない場所に一人、取り残された不安。身勝手に命を奪う神々。理不尽に奪っていく世界に対する憎しみ。すべて、この世界に飛ばされなければ味わう必要のなかった苦痛だ。

 

「それでも、こんな俺を大事にしてくれた人達がいた。大切なことを、命を懸けて教えてくれた人達がいた」

 

 手を差し伸べてくれた人、生き方を教えてくれた人、勇気をくれた人、歩む道を示してくれた人。ぶつかり合った人もいたし、分かり合えない人もいた。

 苦悩に満ちていたけれど、それ以上に震える魂が叫んでいる。

 

「理不尽で冷たい世界。それでも俺は、この世界が好きだ。滅んでほしくない。だから行く。たとえ、どんなことがあろうとも……」

 

“プルザー! 他に劣らぬ、よい答えだ。しかし、よい答えを持ち、よき行いをしたところで、世界は変わるとは限らぬぞ?”

 

「それでいい。世界を変えたいわけじゃない。ただ、後悔ないように、精一杯生きたいだけだ」

 

 魂を震わせ、声を張り上げて、意思を伝え続ける。

 静かに自分の答えを伝える健人に、パーサーナックスは僅かに口元を吊り上げた。老竜の微笑に健人も静かに笑顔で答える。

 

“古代の竜戦争の折、離反した我に代わって、アルドゥインに仕えた弟がいた。オダハーヴィング、翼を持つ冬の狩人。彼ならば、アルドゥインの居場所と、今彼が何をしようとしているのかを知っているかもしれん”

 

「なら、彼を捕まえて話を聞けばいいな」

 

“空に向かって、彼の名を叫ぶがよい。今のお前は、あのアルドゥインに並ぶ存在として、あらゆるドラゴンが興味を持っている。間違いなく、呼びかけに答えるだろう”

 

 全てを語り終えたパーサーナックスは、その翼を羽ばたかせる。

 強風が吹き、舞い上がる雪に他の皆が思わず顔をかばう中、健人は穏やかな視線で見降ろしてくる老竜を見つめ返す。

 

“もし、すべてが終わったら、また話をしたい。ぜひ来てくれ、ゼイマー。我らが兄弟よ”

 

「ああ、俺も色々と話したい。その時は、よろしく頼む」

 

 そうしてパーサーナックスは世界のノドの頂上へと戻っていった。

 帰っていく老竜の背中を見送ると、健人はホワイトランの首長に視線を移す。

 

「バルグルーフ首長……」

 

「あ、ああ、分かっている。ドラゴンズリーチの方は任せておいてくれ」

 

 向けられるドラゴンボーンの視線に一瞬気圧されながらも、バルグルーフは約束通り、ドラゴン捕獲の助力を約束してくれた。

 

「……ことは思った以上に深刻なようだな。休戦協定の件は了解した。これからすぐにウィンドヘルムへと戻り、配下の兵たちに協定を守るよう厳命しておく」

 

「こちらもだ。リッケ、戻るぞ」

 

 ウルフリック、テュリウスも先ほどまでよりも一層、真剣な目で健人を見つめていたが、改めて休戦協定の履行を約束し、帰路へとついていく。

 そして、翌日。健人はリータ達とともに下山し、一年ぶりにホワイトランへと戻っていった。

 その頃、アルドゥインは……。

 

“ヘト、コス……”(ここだな……)

 

 たった独り、吹雪に包まれた広大な遺跡、ラビリンシアンへと訪れていた。

 

 




用語説明


 神造、人造問わず、ニルンに複数存在する建造物。拡散する現実を繋ぎ止めるための能力を有するなどと言われており、この世界と深く繋がっている遺物である。
また、塔には対になる存在が「石」の存在があり、石がないと塔は作動しないといった特性を持つ。

・白金の塔
 帝都、シロディールに存在する塔。
 石は王者のアミュレット(チムエル・アダバル)。

・赤の塔
 モロウウィンドのレッドマウンテン。
 石はロルカーンの心臓。

・アダマンチンの塔
 零の塔、アダ・マンティア。
 ハイロックのバルフィエラ島にある。最初の建築物。
 石は零の石。

・グリーンサップ(緑の大樹)
 ボズマーが育てた大樹。

・水晶の塔
 サマーセット島にあった。
 オブリビオン危機(TES4)の際、デイドラの攻撃に会い、崩落した。
 多次元に同時に存在する。

・真鍮の塔
 ヌミディウム。
 ドゥーマーが作った、人造の神。
 石はロルカーンの心臓を用いる予定だったそうだが、代替品が用いられた。
 現在はTES2にて消滅。

・雪の塔
 世界のノド。
 スカイリムで、パーサーナックスが住んでいる場所。
 石は洞窟と言われている。詳細不明。

・オリハルコンの塔
 塔の名前以外詳細はほぼ知られていない。
 石は剣といわれている。ヨクダ(タムリエルの西に位置する大陸)に存在したが、ヨクダは海に沈んでしまっている。 


本小説オリジナル設定

・原初魂
 神々の創造によって作られた、定命の者達の魂の原型。
 世界最初のドラゴンブレイクによって崩壊している。

・殻の塔
 アルドゥイン。別名鱗の塔。
 アダマンチンの塔の原型であり、拡散する現実を繋ぎ止めるために最初に造られた試作型の塔。世界最初のドラゴンブレイクによって崩壊、変化した結果、その意味が世界から失われていた。
 石は不明。




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第六話 ホワイトラン帰還

 世界のノドを下山した健人、リータ、ドルマ、カシト、そしてリディアの五人はその足でホワイトランを目指し、二週間ほどで到着した。

 スカイリムの中央、温暖で有数の穀倉地帯であるホワイトラン周辺は、小麦の穂が黄金の絨毯のように地面に広がっている。

 街道を歩けば、各ホールドから訪れる商人達に何度もすれ違う。

 ストームクロークと帝国との休戦が告げられているためか、彼らの顔は心なしか、笑顔が浮かんでいるようにも見えた。

 街道を進み、ホワイトランの正門に到着した健人たちは、そのまま街の中へと進む。

 門をくぐれば、路肩に露店が並び、商人たちが声を張り上げている姿が見えた。

 

「やっぱり、この街は活気にあふれているな」

 

「スンスンスンスン……。う~~ん、あっちこっちからいい匂いが漂ってくるなぁ~~。ねえケント、ちょっと店を回って何か食べようよ!」

 

「いや、バルグルーフ首長のところに行かないといけないだろ?」

 

 さっそく露店の誘惑に囚われている親友に嘆息しつつ、健人は先を促すも、そんな彼にリータが待ったをかける。

 

「あ、そっちは私とドルマで聞いてくるよ。ケントはブリーズホームで待ってて」

 

 バルグルーフ首長とは、リータの方が親しい。名も通っているし、雲地区に行くことを考えれば適任。ドルマも一緒について行くし、問題ないだろうと健人は頷く。

 

「リディア、ケントの付き添い、お願いね」

 

「承りました、主様」

 

「ケント、悪いんだが、夕食の用意をしておいてくれると助かる。少し時間がかかるかもしれねえし」

 

「分かった。待ってるよ」

 

 リディアが主の命を受けて傅き、ドルマが健人に買い出しと夕食の支度を頼む。

 別れたリータ達がドラゴンズリーチのある雲地区へと向かっていくのを見送ると、健人は一度ブリーズホームへと行き、鎧と武器を置いてから街中央の市場へと向かった。

 色々と物騒な世の中だが、ホワイトランの治安は今のところ悪くない。

 目立つドラゴンスケールの鎧を身に着けていくのもちょっと気になるし、なにより道中はずっと鎧を纏っていたのだ。少しすっきりした気分で久しぶりのホワイトランを歩きたかった。

 市場には相も変わらず多くの露店が並び、行きかう人たちが商人達との交渉に熱を上げている。

 ドラゴンの脅威はまだあるが、休戦協定の内容が公表されていることもあるのか、街の人たちの顔には笑顔が浮かんでいた。

 健人にとって、ホワイトランに滞在した時間は、これまでの旅路を考えれば長くはない。

 しかし、衰えぬ活気は妙な懐かしさを感じさせてくれていた。

 

「とりあえず、夕飯の買い物をしようか」

 

「よっしゃ! ケント、スィートロール買って!」

 

「いや、夕飯の買い物って言っただろ。甘味買いに来たんじゃないんだよ。とりあえず肉とパンと野菜と……」

 

 健人が手近な露店から物色しようとしていたその時、横合いから一人の女性が声をかけてきた。

 

「ん? 貴方はまさか、ケントですか!?」

 

 そこにいたのは黄色の司祭服を纏ったノルドの女性。キナレス聖堂で司祭を務めているダニカだった。

 健人にとってはヘルゲンを追われた自分達を一時とはいえ滞在させてくれた上に、回復魔法の基礎を教えてくれた恩人である。

 

「ダニカさん、おひさしぶりです」

 

「ああ、良かった。無事だったのですね。」

 

 恩人との再会に健人は頬を緩め、ダニカもまた笑顔を浮かべている。

 

「なんとか息災です。ダニカさんも買い物ですか?」

 

「はい、夕食の支度に。ケントもですか?」

 

「ええ。今しがたホワイトランに帰ってきたので、保存食よりはいいかなって」

 

 再会を喜ぶ二人。一年以上会っていなかったからか、しばらくの間、話が弾む。

 健人は自身がドラゴンボーンであることや、モーサル、ソルスセイムでの冒険はぼかしながら説明し、ダニカも健人がいなかった間のホワイトランの出来事を健人に話す。

 健人とダニカはせっかくだからとそのまま一緒に買い物を始める。

 さっそく野菜から買おうと露店に近づく。だが、肝心の露店の前に人だかりができていた。

 

「ん? なんだ?」

 

「あの男は……」

 

 いったい何かと目を凝らすと、一人のノルドの男性が露店の店主の女性に向かってリュートを演奏していた。

 歌っているのはバラードにも似た愛の詩で、捧げる相手は間違いなく露店の店主。

 しかし、歌を捧げられている女店主は心底迷惑そうな表情で、吟遊詩人を睨みつけている。

 一方、吟遊詩人の方は女店主の嫌悪の視線などどこ吹く風といった様子で演奏を続けていた。

 別に歌自体は悪くない。モーサルにいるオークの吟遊詩人のように詩と歌い手の声質と合っていないというわけでもなく、音程もしっかりとしている。むしろ上手い部類だ。

 顔だちも悪くなく、ノルドらしく筋骨は太めだが、身なりも小綺麗。おそらくはかなりモテるであろう。

 しかし、相手の女性の反応を無視して口説き続けているさまが、妙に二枚目半の雰囲気を醸し出している

 

「彼は吟遊詩人のミカエルですね。女好きで、あの店の店主であるカルロッタを口説こうとしているのですよ」

 

 健人はホワイトランにいた期間はそれほど長くはないため、吟遊詩人のミカエルのことはあまり知らない。

 カルロッタの方は店で野菜を買ったことは何度かあるが、こちらも世間話などはしなかった。

 とはいえ、買い物をしに来た健人としては困ったもの。このままでは夕食の材料が買えない。

 周囲の聴衆の中には同じくこの露店で買い物に来た人もいるのか、幾人かは迷惑そうな表情を浮かべていた。

 健人はとりあえず買い物だけでも済まそうと、辟易している様子のカルロッタに声をかける。

 

「やれやれ……すいません、野菜ください」

 

「ああ、せっかく彼女に愛の歌を贈っていたのに、一体君は何だい?」

 

「いや、ただの買い物客ですよ。それより、他のお客さんも迷惑そうですから、口説くのは後にしたらどうですか?」

 

 割って入ると、案の定ミカエルが絡んできたが、健人はシレっと彼の文句を受け流す。

 

「勇敢な君には悪いが、僕自身、カルロッタへの気持ちを止められないのさ~~」

 

 しかし、ミカエルの方もさるもの。こちらも健人の忠告を無視して再び歌い始める始末。

 心底嫌そうなカルロッタの殺意すら漂う視線を無視できるあたり、健人はこの人物の心臓には鉄製の毛が生えているか、ビス止めなのだろうかと思ってしまう。

 

「はあ……すいません、キャベツと人参、ジャガイモとリーキください」

 

 とはいえ、そちらが勝手をするならばと、健人も徹底的にミカエルを無視。わざと二人の間に入るように体を入れてカルロッタと向き合うと、ささっと懐からゴールドを取り出して野菜を買い始めた。

 

「カルロッタ、こちらもお願いします」

 

 そんな彼に便乗するように、ダニカも買い物を始める。そして買い物を始めた二人に続いて、ミカエルに妨害されていた客達もチャンスとばかりに次々とカルロッタの店の前に殺到する。

 

「ああ! これは酷い! まるで二人を引き裂く濁流のようだ!」

 

 ミカエルが何か言っているが、むしろ彼の歌がうるさくて仕方なかった衆人はもっと邪魔してやれと、特に用事のない者たちすらカルロッタの店に押しかけ、何かを買っていく。

 

「しかたない、今日は諦めよう。でもカルロッタ、僕たちは空に輝く二つの月だ。また明日になれば、君の傍に来よう!」

 

 健人と衆人に徹底的に邪魔されたミカエルは、これ以上は無駄だと悟ったのか、吐き気がするようなセリフを吐いて去っていく。

 ミカエルが去ると、カルロッタは重いため息を吐くと、ようやく笑顔を浮かべて、商売を始める。

 ようやく煩いナンパ男から解放された未亡人は、その端正な顔に笑顔を浮かばながら、次々と店の品を捌いていく。

 ミカエルへの妨害目的の客も、そんな彼女の笑顔につい余計に野菜を買っていく。彼女にとっては、災い転じて福をなすと言った様相。

 その後、健人は無事夕食の材料を買い終え、ブリーズホームに戻った。

 なお、支払いの際、カルロッタが買った野菜をいくらか値引きしてくれたのは余談である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 市場で買い物を終えた健人は、ブリーズホームで夕食の支度をしながらリータ達の帰りを待っていた。

 リビング中央の暖炉で鹿肉のシチューを温めながら、メインデッシュの用意をする。

 練った小麦の生地で大ぶりな鹿肉を包み、フライパンに乗せて鍋で蓋をして火にかける。

生地と一緒に肉の周囲に焼き目を付けたら、今度は遠火にしてじっくり火を通す。

 しばらくすると肉から溢れた肉汁を生地が吸い込み始めた。

 肉の中まで火が通ったら、フランベもどきで肉に最後の火を入れて皿に移し、三度フライパンを火にかけてバター、ワインを投入。肉汁の混ざったソースから水分を飛ばし始めた。

 ソースの余計な水分と一緒に食欲を誘う香りが部屋いっぱいに立ち上る。

 そして程よいとろみになったところで、フライパンを火から上げ、ソースを肉にかければ、ローストビーフならぬローストディアーの包み焼きの完成である。

 包丁を入れればザクリとした小気味いい音とともに、じゅわりとした肉汁があふれ出す。

 

「ただいま~~! うわ~~いい匂い!」

 

「戻った」

 

「おかえりなさいませ」

 

「おかえり、二人とも」

 

「おかえり~~」

 

 タイミングよく、リータ達が帰って来た。健人はさっそく人数分の皿に料理を盛り付ける。

 そして、各々に料理がいき渡ったところで、夕食が始まった。

 

「んん~~! やっぱりケントの料理おいし~~!」

 

「ああ、なんか、宮廷料理ってかんじがする」

 

「二人とも大げさだな」

 

 リータとドルマがローストディアーを一口頬張り、満面の笑みを浮かべる。

 ちなみに、リディアとカシトは声を出すのも惜しいのか、一心不乱に料理を口にかき込んでいる。

 即座に二人のおかわりが飛んでくる中、健人は苦笑を浮かべてシチューを彼らの器に盛りながら、リータとドルマからドラゴン捕獲についての話を聞いていく。

 

「バルグルーフ首長の話だと、ドラゴンを捕まえる装置は整備中みたい。なんでもずっと動かしていないから、あちこちガタが来ていて、あと数日かかるって」

 

「そうか……」

 

 ドラゴンズリーチにある装置は、かなりの間放置されていたらしい。ドラゴンを捕まえるためのものともなれば、その規模は相当なものだろう。

 時間がかかることも頷けた。

 

「ちょうどいいから、色々と準備した方がいいな。装具の手入れ、道具の補充。やることはある」

 

「そうだね。私の鎧と武器も手に入れないと」

 

「俺もだ。ドラゴンスケールの盾は完全に壊れちまったから、新しく造らないと……」

 

 健人の武装は先の世界のノドでの戦いで大分消耗してしまっている。

 特にドラゴンスケールの盾はリータに両断されてしまっているので、新しい盾が必要だった。

 

「なら、明日はスカイフォージへ行こうよ。あそこなら、ケントの防具も作ってもらえるんじゃない?」

 

「でもなあ……。俺の武具、ドラゴンの鱗とかが必要なんだけど……」

 

「なら、大丈夫! リディア」

 

「はい。むぐむぐ……従士様が仕留めたドラゴンの鱗や骨を、ある程度ここに運んで置いてありますので」

 

 リータがリディアに目配せすると、彼女はパンを咥えたまま家の奥へと行き、ドラゴンの鱗を何枚も抱えて戻ってきた。

 

「いいのか? 俺が使っても」

 

「うん。必要でしょ。それにケントの盾、壊しちゃったの私だし」

 

 リータがそう言うならばと、健人は差し出されたドラゴンの鱗を受け取る。

 技量的に二重付呪は無理でも一つなら今の健人でも十分な付呪が可能だ。

 

「わかった、ありがたく使わせてもらうよ」

 

「うん! ズズズ……えっ?」

 

 健人の返答に笑顔を浮かべながらシチューに匙を入れ、啜ったリータが、驚きの表情を浮かべる。

 鼻腔をくすぐる香りと、口に広がる鹿肉と塩の甘味。ごく普通の、一般家庭で出るような鹿肉のシチュー。

 しかし、その味にリータは覚えがあった。

 まだ、ヘルゲンの宿で働く街娘だったころ……いや、もっと昔。それこそ、生まれた時から口にしていた味。

 

「お母さんの、シチュー……」

 

「ん、ああ。エーミナさんに教えてもらったレシピで作ったんだ。久しぶりにいいかなって思ってさ……。ドルマもどうだ?」

 

 呆然とするリータの隣で、ドルマもまた、目を見開いて固まっていた。

 彼にとっても、エーミナのシチューは故郷の味。失われた家族のぬくもりを思い出させるもの。

 

「……ああ、美味いよ。まったく。本当にお前ってやつは……」

 

 一匙、口の中に広がる懐かしい味に頬が緩む。

 二匙、強張っていた瞳から、ホロリと涙があふれる。

 そして三匙、こみ上げる感情が……決壊した。

 

「ひっく、ふぐ……お父さん、お母さん……」

 

「っ、ふっ……! ぐうっぅぅ……」

 

 あとはもう止まらない。静かに、しかし、堪えきれないまま、二人は涙を流しながら只々シチューを掻き込んでいく。

 ヘルゲンを、故郷を滅ぼされてから一年強。ひたすらにドラゴンを殺し続け、硬直しきったリータとドルマ。二人はようやく、家族の死を悲しむことができたのだ。

 そんな二人を、健人は優しく見つめている。それは奇しくも、彼がこの世界に流れ落ち、エーミナ達に助けられた時と同じ。

 しばしの間、すすり泣きが流れるブリーズホーム。だが、泣き声はやがては苦笑に変わり、そして笑い声が溢れていく。

 彼らの声はパチパチと爆ぜる焚火の煙に交じって、空へと立ち上る。

 夜の闇がホワイトランを包む中、空に浮かぶ二つの月が、彼らの家を優しく照らしていた。

 

 

 そして数日後、準備を整えた彼らを迎えたドラゴンズリーチで、ついにドラゴン捕獲作戦が開始された。

 

 

 

 

 

 

 

 ラビリンシアン。

 スカイリムのほぼ中央。ホワイトランホールドとハイヤルマーチホールドの境界付近に存在する巨大遺跡。

 そこはエルフの時代に最盛を誇った、竜教団の本拠地だった。

 その名をブロムジュナール。かつてアルドゥインも、何度も訪れた都市だ。

 今ではすっかり朽ち果て、雪に埋もれる遺跡と化したかつての支配都市を見下ろしながら、アルドゥインはスゥームを紡ぐ。

 彼の目的は、ここに残していた力をかつて自分に仕えていた従士に与え、復活させること。

 この世界を、そして歪んでしまった哀れな兄弟たち諸共食らいつくすために。

 

“アロク、オブアー。メイズ、デズ、ティード! ヌ、ゼェイヴル、ズゥー、スレイグ、ホコロン!” (覚醒せよ、我が信徒よ。約束の時は来た! 今こそ再び、我が力と威を示すのだ)

 

 アルドゥインのスゥームに呼応するようにボコリと地面が盛り上がる。

 土の下から出てきたのは、無数のアンデット。

 暗い眼孔に青い炎を宿した彼らは、アルドゥインを称えるように、さび付いた武器を掲げる。

 蘇った不死者の軍勢を確かめ、アルドゥインは小さく頷くと、再び遺跡の一画に視線を下ろす。そこにあるのは半球状の小さな構造物。

 

“タール゛、ズゥウ、ゾク、ザーン、アール。オファン、ヒン、セ、オブラーン、ヴァーロ゛ク、アーン、ナ、ラーズ”(蘇れ、我が声の従士よ。監視者としての任を終えたそなたに新たな役目を与えよう)

 

 アルドゥインのスゥームが、ラビリンシアンに響き渡る。

 降り注ぐ雪のように染み渡る声が遺跡全体を震わせ、地鳴りを響かせ始めた。

 やがて地鳴りと共に遺跡の一部が崩落。その中から一枚の木片が出てきた。

 木片はまるでアルドゥインの声に導かれるように、彼の眼前まで浮き上がる。

 否、それは木片ではなく、仮面であった。

 

“ディノク、コティン、バナール、ジョール、キンボク、オファン、コス、ストレイク、ザーン、アーク”(無念のまま眠りし祭祀どもよ、その力を我が従士に捧げよ)

 

 アルドゥインの声に呼応し、ラビリンシアンの一画から巨大な光柱が立ち上がる。

 さらにスカイリム中の八か所から、同様の光が発生した。

 光柱は雲を貫き、天高く上ると、ラビリンシアン上空で集まり、アルドゥインの眼前に浮かぶ仮面めがけて落ちていく。

 仮面は落ちてくる光に包まれると、その形状が徐々に変化。

 白銀を思わせる精緻な細工と、ドラゴンの牙を連想させる装飾が生え、淡い光を放ち始める。

 

“ダール゛、ヴァーロック。オニク、ゾグ、コナヒリク。メイツ、ズゥウ、オト、ヴィーング、アグ、クリィ、ブルニク、ゴル。ジー、ゼィル、ヴォ!”(蘇るがいい、ヴァーロック。真名、コナヒリクよ。再び我が翼の一端となり、道を阻む障害全てを焼き尽くすのだ。ジー、ゼィル、ヴォ!)

 

 そして、アルドゥインが仮面にシャウトを放つと、仮面が放つ光は徐々に人の形を取り始める。

 痩せた体躯。擦り切れながらも荘厳な外套。

 その姿は、かつてこの仮面をつけていたドラゴンプリーストであり、アルドゥインの従士。

 ソルスセイムで最初のドラゴンボーンを数千年間監視し続け、異端のドラゴンボーンと激闘を繰り広げた存在。

 コナヒリク。竜教団のなかで、すべてのドラゴンプリーストの頂点に立っていた者。

 かつての名をヴァーロックと呼ばれていたそれは、真の主を前に、恭しく首を垂れる。

 

(奴はあの地に必ず来るだろう。そして、ソブンガルデへ……その時こそ、すべての時が止まる時……)

 

 傅くアンデットの軍勢を見下ろすアルドゥイン。

 彼の前に、黄金の巻物が姿を現す。それは、彼が奪った竜の星霜の書。

 

“クラヴーン、ディノク、エヴギル……”(終わりの季節が始まる……)

 

 そして彼は口を開き、星霜の書を飲み込んだ。

 




というわけで、ホワイトランに帰還したリータ達。
ドラゴン捕獲の準備の裏で、アルドゥインは色々とまた動いております。
そして、ヴァーロックがコナヒリクとして復活。元々これをしたいがために、一時期本編そっちのけでヴァーロック編を書いていたようなものです。
以下、オリジナル設定の説明。


魂魄復活(Zii、Sil、Vo)

死者の魂と精神を復元するスゥーム。アルドゥインオリジナルシャウト。
精神、魂、復活の言葉で構成されている。
ドラゴン復活と同様に、死んだ人間を蘇らせることができるが、肉体の再生ではなく魂の復元となっている。
今回復活したのは、アルドゥインのドラゴンプリースト。


コナヒリク

アルドゥインに直接仕え、ラビリンシアンを統治していた最高位のドラゴンプリースト。
全てのドラゴンプリーストを束ねる立場であり、竜教団全ての政治と軍事を取り仕切る将軍でもあった。別名ヴァーロック。
世界最初のドラゴンボーン、ミラークを監視するためにラビリンシアンを離れ、ソルスセイムに赴いていたが、かの地で死亡。
永遠にミラークを監視するためにアンデットになっていたが、ミラークの魂を取り込んだ健人と激しい戦闘の末に自らの魔法の暴発で肉体ごと消滅。しかし、アルドゥインによって他のドラゴンプリーストがため込んでいた力を注がれた結果、再度蘇ることに。
その姿は霊体であり、仮面に復活した彼の魂が憑依することで蘇生している。
ちなみに、ヴァーロック=コナヒリクは本小説のオリジナル設定。



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第七話 オダハヴィーング捕獲

 ドラゴンズリーチの最奥。そこにはホワイトランホールドを一望できるほどの展望室がある。

 かつて上級王、隻眼のオラフがヌーミネックスを捕獲していた場所。そこで健人達は、バルグルーフ達と最後の打ち合わせをしていた。

 彼らの周囲には十人以上の兵士たちも控えている。バルグルーフの護衛、そして捕獲装置の操作を行う者たちだ。

 ドラゴンの捕獲には、自由落下式の拘束具が使われる。形状としては、罪人を拘束するための首枷が最も近いだろう。

 その首枷の長さは、宮殿の中で最も広いこの展望室の幅とほぼ同じ。

 さらには機械式のロック機能を有する上、巨大な首枷の重さもおそらくは100トンを超えるだろう。ドラゴンでも力ずくで拘束を解くことはほぼ不可能であることが予想できた。

 作戦としては、展望席から宮殿内に入ってきたところで、死角である天井から首枷が落下し、ドラゴンを拘束するというもの。単純な作戦ではあるが、ドラゴンが健人に注目していることを考えれば、十分勝算があった。

 

「いよいよか……」

 

「さあ、準備はできたぞ、ドラゴンボーンたちよ」

 

「ケント、お願い」

 

「ああ、分かった」

 

 バルグルーフとリータに促され、健人はパーサーナックスから聞かされたドラゴンの名前の意味を、内に秘めたドラゴンソウルから引き出す。

 翼、冬、狩人。引き出した意味を舌にのせ、天高く放つ。

 

「オダ……ハー、ヴィーング!」

 

 空気が爆発したような音が空に広がり、山彦となってはるか遠くまで木霊していく。

 十秒、二十秒、三十秒。

 山彦が徐々に消え、やがて静寂が展望室を包み込む。

 三十秒、四十秒。

 健人もリータも、その場にいた者たちすべてが緊張感で眉を引き締める中、無音の時間だけが過ぎていく。

 

「……こないぞ」

 

 集中力の切れた兵士がぼそりとそんな言葉を口にした直後、強烈な戦意が健人の全身を貫いた。

 

「……来た!」

 

 巨大な影が展望室を覆う。反射的に健人が顔を上げれば、太陽の陰から翼を持つ巨体が一直線に降下してきていた。

 

「うわああ!」

 

 健人は反射的に、傍にいた悲鳴を上げる兵士を押し倒す。

 次の瞬間、鋭い爪が強烈な突風と共に、彼の頭上を薙いだ。

 奇襲を躱した健人は上体を起こし、件のドラゴンの姿を確かめる。

 血のように紅い鱗、スカイリムの山々を連想させる鋭い背棘。そして何よりも、燃えるような戦意と矜持を秘めた瞳。

 間違いなく、最上位クラスのドラゴン。あのヴィントゥルースと比べても遜色ないほどの覇気を全身から漂わせていた。

 

「あいつが……」

 

“ズー、オダハヴィーング! ドヴァーキン、クリフ、ボス、アークリン!”(我はオダハヴィーング! ドラゴンボーンよ、勇ましく我と戦え!“

 

 オダハヴィーング。

 パーサーナックスが離反した後の、アルドゥインの右腕。

 若いながらも強大な力を秘めたレッドドラゴンは、健人だけを凝視しながら高速で旋回し、力の言葉を紡ぐ

 

“ストレイン、ヴァハ、デネクトル゛!”

 

 オダハヴィーングの口から紡がれるシャウト。

 強烈な真言が波動となって空に広がる。直後、天を分厚い雲が覆い、巨大な氷柱が次々と降り注ぎ始めた。

 降り注ぐ氷槍の群れは瞬く間に城だけでなくホワイトラン全体を覆いつくし、たまたま展望席付近に配置されていた兵士たちを次々に串刺しにしていく。

 

「ぎ!」

 

「があ!」

 

「氷雪のストームコール……いや、氷槍のストームコールか!」

 

 極一部のドラゴンしか使えない天候操作のシャウト。それを容易く放ってくるあたりが、この深紅のドラゴンの力を示している。

 兵士達の悲鳴が木霊する中、降り注ぐ無数の氷槍のうちの一本が、リータの傍にいたドルマの体を捉えた。

 

「ぐう……!」

 

「ドルマ!?」

 

「大丈夫、かすり傷だ!」

 

 リータが切羽詰まった声を上げる中、ドルマは痛みを噛み殺しながら動き続ける。

 少しでも足を止めれば、ハリセンボンのような姿にされてしまうからだ。

 

「バルグルーフ首長、兵士たちを城内に入れろ! あのクラスのドラゴン相手に兵士をいくら用意しても無駄死にするだけだ!」

 

「くぅ、兵士達よ、退け! 我らには我らのすべきことがある。ここはドラゴンボーン達に任せるのだ!」

 

 バルグルーフと兵士達が氷槍の雨からの逃れるために宮殿内に退避していくのを確かめると、健人は改めて吹雪の中を飛び回る深紅のドラゴンを見上げる。

 確かに、強大なドラゴンだ。

 あのヴィントゥルースと同格クラスともなれば、ホワイトランを破壊しつくすのに一時間とかからないだろう。

 ならば、出し惜しみなどできない。

 

「いくぞ……ムゥル、クァ、ディヴ!」

 

 手加減無用。健人は迷うことなく、切り札の一つ、ドラゴンアスペクトを発動させる。

 虹色に輝く光鱗が健人の体を覆い、その能力を劇的に高める。

 完全に戦闘態勢に入った健人にオダハヴィーングは眉を細めると、翼をたたんで一気に降下を開始。

 風を切り、健人に向かって一直線に飛翔しながらシャウトを放つ。

 

“ヨル、トゥ、シュ――ル!”

 

 放たれたのはファイアブレス。

 強烈な炎の吐息が迫る中、健人は盾を掲げ、呪文を詠唱し、魔力の砦を発動。オダハヴィーングのファイアブレスを真正面から受け止め切る。

 さらに、傍に控えていたリータが前に出て、反撃とばかりにシャウトを放つ。

 

「ファス、ロゥ、ダ――!」

 

 彼女が放ったのは揺ぎ無き力。

 降り注ぐ氷槍の群れを粉みじんに粉砕しながら迫る衝撃波を前に、オダハヴィーングは軽やかに翼をはためかせる。

 

“当たらぬ!”

 

 翼に白い雲をひきながら急旋回したオダハヴィーングは、リータの揺ぎ無き力を回避。上昇しながら距離を取る。

 

「ロゥク、ヴァ、コ――ル!」

 

“っ!!?”

 

 続いて、健人の“晴天の空”が発動。

 不可視の衝撃波がオダハヴィーングのストームコールを弾き飛ばす。

 さらに健人は、立て続けにスゥームを紡ぐ。

 

「ジョール、ザハ、フルル!」

 

“ぐううう!”

 

 ドラゴンレンド。

 有限の概念がオダハヴィーングのドラゴンとしての時を歪め、その力を一時的に封じる。

 苦しそうに嘶いたレッドドラゴンはふらつきながらも、展望席にいる健人めがけて降下してくる。

 

「降りてくるぞ、城内に退け!」

 

「ええ!」

 

 健人達が城内に退避すると同時に、ズドンと地響きを鳴らしながらオダハーヴィングが着地した。

 衝撃で床石が砕け、煙が舞い上がる中、赤竜は鋭く健人を睨みつける。

 それに応えるように、彼もまた赤竜めがけて踏み込んだ。

 

「おおおお!」

 

 迫る健人を迎撃せんと、オダハヴィーングが牙を向くが、彼は流れるような体重移動で赤竜の側面へと逃れる。

 さらに左手で背中に背負った盾を構えると、その縁をドラゴンアスペクトで強化された筋力で振りぬいた。

 ズガン! という音と共に強烈な衝撃が走り、オダハヴィーングの首が跳ね上がる。

 

“グウ……! ガアア!”

 

 しかし、この赤竜はたった一撃でひるむような軟弱なドラゴンではない。

 むしろより戦意を高ぶらせ、より一層強烈な攻勢を健人にかけてくる。

 宮殿の歴史ある壁を砕き、粉塵に返しながら、牙と爪で健人を引き裂き、巨体で押しつぶそうと迫る。

 

(……そろそろか)

 

 まるで津波のようなオダハヴィーングの攻勢を捌きながら、健人は相手の攻撃の間を狙って用意していたシャウトを発動させる。

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

 旋風の疾走。高速移動を可能とするシャウトで、彼は一気に展望室の入口近くまで後退する。

 あとは、追ってきたオダハヴィーングを罠にかけるだけ。

 しかし、ここで予想外の事態が発生した。

 

“ウルド、ナー、ケスト!”

 

 健人を追撃しようと、オダハヴィーングもまた旋風の疾走を発動。用意した罠の位置よりも、さらに奥まで侵入をしてきてしまったのだ。

 

(まずい、押し込まれすぎた!)

 

 アルドゥインの居場所を聞き出すことを考えれば、健人としてはオダハヴィーングをあまり傷つけることはしたくなかったが、このままでは、壁とドラゴンの巨体でサンドイッチにされてしまう。

 

「ちょっと下りなさい」

 

 直後、健人の横合いから、漆黒の影がオダハヴィーングに迫った。

 強靭な脚力で床石を粉砕しながら踏み込んだのはリータ。彼女は重装の全身鎧を纏いながらも、その重さをまるで感じさせない俊敏さで間合いを詰めると、人の身の丈ほどもある戦斧を一気に降りぬく。

 

“ゴア!?”

 

 ガイイイン! とまるで何トンもある金属の塊が激突したような音を響いた。

 直後、オダハヴィーングの首がねじれるように跳ね上がり、赤竜はたたらを踏みながら後退する。

 態々相手を傷つけないように戦斧の腹で打ち据えるあたり、彼女も気が利いているのだが、ドラゴンアスペクトも使わず、素の身体能力だけでドラゴンを引かせるその膂力はドン引きものである。

 とはいえ、オダハヴィーングは大きな隙を晒した。

 この隙に健人は赤竜の腹の下に飛び込み、盾を上に掲げると、決め手となるシャウトを放つ。

 

「ウルド、ナー、ケスト!」

 

“ごっ!?

 

 二度目の旋風の疾走が、健人の体を上方に急加速させた。

 腹部に強烈な突進を受けたオダハヴィーングの体は健人ごと上方に吹き飛ばされ、天井に仕掛けられた首枷へと叩きつけられる。

 

「今!」

 

 直後、健人の呼びかけにより、兵士たちが罠を作動させる。

 留め金が外れた首枷は重力に従い、オダハヴィーングと共に落下。赤竜が地面に叩きつけられると同時に、その首に枷を嵌め、完全に拘束してしまう。

 

“グオオオオ!”

 

「やった!」

 

“メイ、この私をこのように辱めるとは、ただでは済まさんぞ!”

 

「いや、確かに呼んだのは俺だが、話をする間もなく襲いかかってきただろうが!」

 

“何を言う! 我が名を呼び、挑戦してきたのはお前だ!”

 

「……あ、そういえば」

 

 ドラゴンは議論と闘争の区別がない。そしてスゥームで名を叫ぶということは、相手に挑戦するということにも用いられる。

 そのため、場合によっては名を呼んで話し合う=闘争という図式が容易に成り立つのだ。

 パーサーナックスなど、人間との交流を持つドラゴンであるならばそう言うことは滅多に起きないが、生憎とオダハヴィーングは竜戦争時代に殺され、最近まで死んでいたドラゴン。当然ながら、その考え方はドラゴン側に偏っていた。

 

「と、とにかく! 俺達が勝ったんだから、人間方式の話をさせてもらうぞ!」

 

“ふむ、確かに正しい。それに、手加減をされた上に枷をかけられてしまったというなら、もはや何も言えぬか……”

 

 心なしか、オダハヴィーングはしゅん……と落ち込んだように首を下げた。

 健人としても、このように拘束するのは本意ではないが、ドラゴンとしては議論=戦闘なのだから、多少抵抗しないとこっちが論破された扱いにされてしまうのだからしかたない。

 とりあえず、健人はドラゴンと人間における挨拶と議論、そして闘争の認識齟齬は一旦脇に置き、本題に入る。

 

「質問がある。今アルドゥインはどこにいて、何をしているんだ?」

 

 聞くのは当然、アルドゥインの居場所と行動について。

 そのことを聞かれるのはオダハヴィーング自身も予想していたのか、健人の質問にあっさりと口を開いた。

 

“奴は今、己の名と本能に従った行動を始めた”

 

「名と本能……」

 

“そうだ。すべてを食らうこと。すべての命と存在を飲み込むこと。それが、奴の本能。それに従い、あらゆるもの滅ぼし始めたのだ。アルドゥインは我ら兄弟にすら牙を向き、すでに半数以上の同族が奴に殺されてしまっている”

 

「おいおい、身内にまで手をかけ始めたのか!?」

 

 ここで初めて、健人たちはアルドゥインが同族にすら牙を向き始めたことを知る。

 アルドゥインが想像以上に暴走していることを知り、焦りがこみ上げるが、健人は一度自分を落ち着けるようにゆっくりと深呼吸をする。

 

「それで、肝心のアルドゥインは今どこに……」

 

“奴はおそらく、ソブンガルデにつながる寺院、スクルダフンにいる”

 

 アルドゥインを止めるにしても、居場所がわからなければどうにもならない。

 しかし、オダハヴィーングの言葉に健人は首を傾げた。

 

「ん? なんでソブンガルデがこの流れで出てくるんだ?」

 

 ソブンガルデは、強い力と意思を示した者たち冥界。

 ショール、すなわちロルカーンの領域ではあるが、アルドゥインが滅ぼそうとしているニルンとは違う世界だ。

 

“奴は今まで、そこからソブンガルデに赴き、人間の英雄たちの魂を食らうことで力をつけてきた。お前という強敵に対抗するため、より強大な力を求めているはずだ”

 

 つまりアルドゥインは、強い力と意志を持つ定命の者たちの魂を食らい、自らの力にしていたらしい。

 ある意味、ドラゴンの魂を食らって力を増すドラゴンボーンとは対称的な能力だ。

 

“こうして相対して、声を交わしたからわかる。お前は間違いなく、これから先の運命の流れを決める存在だ。それは、我らが父の予想すら超える結果となるかもしれん”

 

 オダハヴィーングが、確信を持った瞳で健人を見つめる。

 その瞳の奥にあるのは……ある種の期待だろうか。

 

「…………」

 

 何かが動こうとしている。それも、とてつもない何かが。

 健人の胸にこみ上げていた、言いようのないある種の予感。それを肯定するようなオダハヴィーングの言葉が、さらに健人の焦燥を加速させていく。

 

「ケント、どうするの?」

 

「そのスクルダフンに行くしかないな……」

 

 すぐに、アルドゥインを見つけ出さなければならない。そうしなければ、取り返しのつかないことになる。

 

“だが、問題がある。スクルダフンは断崖絶壁に作られた寺院。行くには我らの翼が必要だ。無論、この翼で連れていくことはできるが、囚われの身ではそれもかなわん”

 

「なら、解放するから連れて行ってくれ。そっちもアルドゥインを止めないといけないんだろ?」

 

 さらっとオダハヴィーングを開放すると言い切った健人。そんな彼に、バルグルーフを初めとしたホワイトラン勢が目を見開く。

 ノルド達からすれば、ドラゴンをあっさり開放するなどあり得ない。

 ヌーミネックスのように飼い殺しにするか、もしくは即座に処分するのが普通だ。

 

“ふむ、選択肢が一つしかないなら、それを選ぶのが賢明。アルドゥインは我らごと、すべてを滅ぼすことを決めた。私はもう従うつもりはない”

 

「なら、取引成立だな」

 

“それともう一つ、伝えなければならないことがある。アルドゥインは我ら兄弟が離反した故に、新たな手駒を用意しているやもしれん”

 

「手駒?」

 

 健人が詳細をオダハヴィーングから聞き出そうと口を開いたその時、慌てた様子の兵士が、展望室に駆け込んできた。

 

「首長!」

 

「いったいなんだ!?」

 

「大量のドラウグルとスケルトンの群れが、ここホワイトランに向かってきています! 数は少なくとも数千から数万。いえ、もっと増えてきています!」

 

「なんだと!? いったいどこからだ!」

 

「北からです。すごい大軍で、途中の砦はすべて落とされました!」

 

 突然の報告に、展望室内が一気に緊張感に包まれる。

 ドラウグルといえば、ノルドの遺跡でよく見つかるミイラだが、数千、数万が集団となって襲ってくるなどありえない。

 

“アルドゥインだな。教団の遺跡内にいた信徒たちを目覚めさせたのだろう。おそらくケイザール中の人間たちの街を襲っているはずだ”

 

 かつて竜教団は、このスカイリムを席巻していた組織。その遺跡は各地に点在し、その全てからアンデッドが出てきたというのなら、いったいどれほどの被害になるのか想像もつかない。

 オダハヴィーングの言葉に健人達が息を飲む中、バルグルーフが声を上げる。

 

「衛兵たちを集めろ! 防衛戦の用意だ!」

 

「バルグルーフ首長、俺達はアルドゥインを追います」

 

「わかった……。ドラゴンを解放しろ!」

 

 ここにきて、迷っている暇はない。バルグルーフは素早く衛兵たちにオダハヴィーングの解放を命じる。

 首長の命に兵士たちがすぐさま展望室脇の鎖を引くと、ガチャリと音を立てて捕獲装置が起動。

 オダハヴィーングを拘束していた首枷のロックが外れ、ガラガラと音を立てて天井まで巻き上がる。

 解放されたオダハヴィーングは自由になった首をブルブルと振るわせると、踵を返して展望席までドズドスと歩いくと、健人を待つように首を曲げて振り返る。

 

「ケント、リータ、二人はアルドゥインを追ってくれ」

 

「面倒だけど、オイラたちは防衛戦に加わるよ。」

 

「え?」

 

 健人とリータが展望席で待つように首を曲げて振り返っている赤竜に頷く中、ドルマとカシトが二人に声をかけてきた。

 二人の突然の言葉に、健人が呆けたような声を漏らす。

 しかし、彼らは示し合わせたように苦笑を浮かべる。

 

「アルドゥインと戦うともなれば、俺もこいつも力不足だろうからな。この世界の行く末は、二人に任せる」

 

 ドルマもカシトも、これ以上自分達がついて行っても、役に立てそうにないと判断したようだった。

 確かに、今の健人とリータは、スカイリムはおろか、タムリエルの中でも並ぶ者のいないほどの強者に成長している。

 その気になれば、たった一人で軍隊すら退けることが可能だろう。間違いなく、何百年、何千年と語り継がれるほどの存在になってしまっているのだ。

 むろん、カシトもドルマも、定命の者という区分の中で言えば、間違いなく上位に位置する。しかし、そんな彼らですら、今の二人のドラゴンボーンの戦いに赴くことは、もう不可能になっていた。

 ここまで背中を預けていた二人の言葉に、健人もリータも何とも言えないような表情を浮かべる。

 

「大丈夫だよケント、どんな結果になっても、怒ったりしないから!」

 

「はあ……、世界が滅んだら、怒ったりするとかしないとかの次元の話じゃないんだがなぁ……」

 

 相も変わらず少しずれている……というよりも、努めて明るくふるまってくれている親友に健人は苦笑を浮かべる。

 

「リータ、戻ってきたら、伝えたいことがある」

 

 一方、ドルマは真剣なまなざしで、意味深な言葉をリータに送っていた。

 

「……分かった。ちゃんと帰ってくるよ」

 

 リータもまた、幼馴染の視線の意味を理解しつつも、微笑みを返す。

 そして彼女は健人と共に、示し合わせたように展望席の方へと向き直ると、待っている赤竜の元へと歩み始めた。

 

「行ってくる。後を頼む」

 

「あいあい! 留守は任せて!」

 

「ドルマ、リディア、街の皆をお願いね」

 

「ああ、街にはドラウグルの一体も通させないさ」

 

「お二方、ご武運をお祈りしております」

 

 そして下ろされたオダハヴィーングの首に健人がまたがり、その後ろにリータが腰を下ろすと、赤竜は翼をはためかせる。

 

“アマティヴ! ム、ボ、コティン、スティンセロク”(さあ! 我々が如何に自由であるかを感じてみるがいい)

 

「うを!」

 

「きゃっ!」

 

 強烈な荷重と、続く浮遊感に二人が戸惑う中、オダハヴィーングは瞬く間に加速。あっという間に天高く舞い上がる。

 

「またな、ケント。お前は今まであった中で最高に勇敢な人間だ。もしくは、最高の馬鹿だぜ!」

 

 青い空に映える赤竜の背を見送る追いながら、ドルマは見送りの言葉を送る。

 そして彼らは一路、北西の空へ向かって飛翔していった。

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

 オダハヴィーングが二人のドラゴンボーンを乗せ、今まさに飛び立とうとしていた瞬間、ローブを纏った一人の男性が、額に汗を浮かべながら展望室に駆け込んできた。

 

「ドラゴンを捕まえたと聞いてきたんだが、もうちょっと待ってくれ! せめて血を二瓶……いや、一瓶でもいい! サンプルを!」

 

 飛び込んできたのは、ホワイトランの宮廷魔術師であるファレンガー。

 ドラゴン研究者としての好奇心が暴走しているのだろう。衛兵達だけでなく、ドルマたちすら呆然としている中、周囲の視線など目もくれず、今まさに飛び立とうとしているオダハヴィーングに向かって跳びかかる。

 

「お前はこの非常時になにをやっている!」

 

「あぶ!?」

 

 しかし、横合いから高速で割り込んできたバルグルーフが、怒りの鉄拳をファレンガーの脳天に振り下ろした。

 ハエのように叩き落とされたファレンガーがべちゃりと床に突っ伏す中、彼のお目当てのドラゴンは翼をはためかせて展望室から飛び立っていく。

 

「ええい、この大切な時に、ホワイトランの恥を晒すような真似をしおって……。さっさとこい! 宮廷魔術師として、アンデッド撃退に従軍するのだ!」

 

「いや首長、私はドラゴンのサンプルを……。あああ、待って、せめて鱗の一枚、いや唾液、糞でも尿でもいいから!」

 

 サンプルになるならいっそ排泄物でもいいと言い切るあたりが、この宮廷魔術師のドラゴン狂いっぷりを現している。

 とはいえ、こんな気狂いの為に排泄物を提供するドラゴンなどいるのだろうか。

 少なくとも、気位の高い彼らが了承するとは思えない。

 

「くそ、こら、暴れるんじゃない!」

 

 諦めきれずに展望席へ向かっていこうとするファレンガーを羽交い絞めにするバルグルーフ。

 ジタバタと暴れるドラゴンマニアの宮廷魔術師だが、生憎と完全インドアな彼と、戦士としても有能なバルグルーフでは、腕力に隔絶した差がある……はずなのだが、よほどこの機会が惜しいのだろう。むしろ逆にファレンガーがバルグルーフを引きずり始めた。

 

「だめだ、私ひとりでは押さえきれん! イリレス、手伝ってくれ!」

 

「こらファレンガー、大人しくしなさい! 衛兵達も早く! 何をしているの!」

 

「は……ハッ!」

 

 イリレスと衛兵達が加わり、ようやく力の均衡が自分達側に傾いたバルグルーフは、少しづつ、ファレンガーを展望室の入口まで引きずっていく。

 実に恐ろしきはこの魔術師のドラゴンに対する執着か。

 サンプルを入れる小瓶を振り回しながら「愛しのドラゴンよ、帰ってきてくれ!」と唾を吐きながら叫ぶ姿は、首長の補佐を務める超エリートとは思えない。

 

「お願いだ! せめて一瓶……」

 

 最後まで抵抗していたファレンガーだが、無情にも展望室の外に連れ出され、扉が閉められた。

 ようやく静かになった展望室。

 無数のドラウグルが攻め込んできているにもかかわらず、弛緩してしまった空気の中で、ドルマ達はため息とともに肩を落とすのだった。

 

 



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第八話 空中戦

おまたせしました。いや、遅くなって申し訳ない。


 ホワイトランホールドとペイルホールドの境界付近。上空二千メートルほどを、健人とリータはオダハヴィーングの背に乗って飛んでいた。

 眼下にホワイトランの主要河川、ホワイト川を見下ろし、右手にはタムリエルの最高峰、世界のノドを見上げながら飛び抜ける。

 流れる雲の川を潜水艦のように切り抜ければ、向かう先にはホワイト川と合流するブラックリバーと湯気を立ち昇らせたイーストマーチの火山地帯が広がっていた。

 

「すごい……」

 

“そうだろう。これが、我々ドヴァーだけに許された世界だ……”

 

 冷たく澄んだスカイリムの空気の中、遠く、どこまでも見通せる光景に、リータが思わず感嘆の声を漏らす。

 頬に撫でる肌寒くも心地よい風。世界の危機が目の前に迫っているというのに、頬が緩んでしまう高揚感。

 航空写真や動画、テレビなどで高空からの映像を見た経験のある健人もまた、実際に五感で感じとる空の世界に、思わず見惚れていた。

 

「確かに、目を奪われるよ。子供の頃、飛行機に乗った時より、ずっと広い空だ……」

 

「飛行機?」

 

「俺の故郷にある、空を飛ぶ乗り物。でも、こんな風に直接風を感じることはできない……」

 

“ほう、人の身で空を飛ぶか。異なる時間を持つお前の世界の話、気になるのだが……”

 

「私も私も! ねえケント、聞かせて!」

 

「仕組み的には鳥と変わらないよ。風を翼で受けて揚力を……って、同じ話を前にしたな」

 

 健人が思わず漏らした言葉に、リータとオダハヴィーングが食いつく。

 彼らから見れば、人間が空を飛ぶなど考えられるはずもない。

 元々知識欲旺盛なドラゴンと、初めての空に興奮している姉のねだりに苦笑を浮かべつつ、かつてヌエヴギルドラールにしたのと同じ話をし始めたその時。進行方向にある白い雲に、黒い点が浮かんでいるのが見えた。

 

“アーム?”(なんだ?)

 

「あれは……?」

 

 白い無地の綿についている黒点。

 距離がありすぎて判別が全くできないが、明らかに雲の影などではない。何かがいることは間違いなかった。

 飛行機などが存在しないこの世界。空を飛ぶものとなれば、鳥かドラゴンくらいしかない。

 健人たちが怪訝な表情を浮かべている中、黒い点が徐々に近づいてくる。

 直後、黒点がキラリと瞬いた。強烈な悪寒が健人の背筋に走る。

 

「……っ、躱せ!」

 

 健人の怒号に、オダハヴィーングが翼をはためかせる。

 深紅の巨体が高速でロールしながら、右方向へ跳ねるように高速移動。

 次の瞬間、キュゴ! っという大気を貫く轟音と共に、赤色の光線が先ほどまで赤竜がいた場所を貫いた。

 

「な、なに!?」

 

 突然の砲撃にリータが驚く中、健人は襲撃者の姿を見据えていた。

 高速で近づいてくる黒点はやがて人影になり、その正体を露にする。

 ボロボロのローブ、透けるような体、牙を生やした特徴的な白銀色の仮面。

 健人の視線が、仮面の細い眼孔の奥に揺らめく青白い瞳を捉える。

 

「セィヴ、ニ、ジョール、ムル、セ、ミラーク!(みつけたぞ、ミラークの後継者よ!)」

 

「お前……ヴァーロックか!?」

 

 ヴァーロック。

 太古の昔、ソルスセイム島にて、世界最初のドラゴンボーンを監視していたドラゴンプリースト。そしてミラークの後継者となった健人と激戦を繰り広げた古の魔導士だ。

 

“なるほど、アルドゥインめ。コナヒリクを蘇らせたな!”

 

「誰よ、コナヒリクって!?」

 

“アルドゥインのドラゴンプリースト。パーサーナックスと共に、アルドゥインに仕えた逸脱者だ!”

 

 コナヒリク。かつてヴァーロックと名乗っていたドラゴンプリースト。

 アルドウィンの従士であり、すべてのドラゴンプリーストの頂点に座していた者だ。

 

“気をつけろ、奴の魔法は尋常ではないぞ!”

 

「知ってる!」

 

 コナヒリクが掲げた両手に炎の塊が集束する。それは、彼が得意とする炎の破壊魔法が撃たれる前兆。

 無詠唱によって超高速で展開されながら岩すらも軽く貫く威力を秘めた砲撃が、オダハヴィーングに襲い掛かる。

 迫り来る二連射の砲撃を、オダハヴィーングはくるりと綺麗なバレルロールを描きながら躱す。

 しかし、ヴァーロックの砲撃は止まらない、一度でダメなら二度、三度と、立て続けに砲撃を放ってくる。

 

“むぅ、生意気な! スゥ、グラ、デューーン!”

 

 迫る砲撃の連射の中、オダハヴィーングが“激しき力”のシャウトを発動。

 赤と白に彩られた翼に風の刃が生み出され、赤竜の機動力が爆発的に引き上げる。

 

“ドヴァーキン、捕まっていろ! ウルド、ナー、ケスト!”

 

「ぐお!」

 

「きゃあ!」

 

 さらに深紅のドラゴンは“旋風の疾走”のシャウトを展開。砲撃の僅かな合間を縫うような急加速でコナヒリクの補足を振り切りながら、その口腔を件のドラゴンプリーストへ向ける。

 

“ロゥ、クォ、レント!”

 

「っ!?」

 

 サンダーブレスのシャウトが、コナヒリクに襲い掛かる。

 雷速は秒速二百キロメートル。たとえ鳥であっても、避けることは叶わない速度だ。

 しかし、雷の奔流がコナヒリクを捉える直前、彼の周囲を紫炎が包み込み、その姿が消失する。

 

「消えた!?」

 

「オダハヴィーング、後ろだ!」

 

“っ!”

 

 リータが目を見開く中、オダハヴィーングが反射的に体をひねる。直後、背後から放たれた砲撃が、深紅の鱗をかすめた。

 背後に目を向ければ、先ほどまで前方にいたはずのコナヒリクがいる。

 

「アイツ、いつの間に後ろに!?」

 

「空間転移、アイツの十八番だ」

 

 背後を取ったコナヒリクが再び立て続けに砲撃を放ってくる。

 コナヒリクは卓越した魔法使いであり、その技量は神代の中でも最上位だ。

 絶大な威力を秘めた破壊魔法と、無詠唱による術式の高速展開。

 そしてもう一つ、彼が持つ技術にスペルストックというものがある。

 これはあらかじめ展開していた術式を、任意のタイミングで発動するもの。これによりコナヒリクは、複数ストックすることができる。

 転移魔法による高速移動と、超高威力の砲撃による機動殲滅戦。それが、彼が最も得意とする戦術だった。

 

「まずいな、空中戦じゃ圧倒的にアイツが有利だぞ……」

 

 以前かつてヴァーロックであったコナヒリクと戦い、勝利を納めた健人だが、その時は、墓の狭い玄室の中での戦闘だった。

 そのため、健人はドラゴンアスペクトとハウリングソウルの重ね掛けで身体能力を劇的に引き上げ、無理やりスペルストックを使い尽くさせて倒した。

 地の利と、シャウトという極めて特別な力を組み合わせることができたからの辛勝。

 しかし、今はそのすべてが逆転している。

 空という広大な空間。健人には翼がない一方、コナヒリクは自由自在に飛翔し、更には転移魔法による機動砲撃を仕掛けられる。

 オダハヴィーングがいくら伝説的なドラゴンでも、この難敵の実力は頭一つ抜けている。

 その時、健人の視界の端に雲を貫く山々が映った。

 

「オダハヴィーング、左だ! 左の山脈に飛び込め!」

 

“なに!?”

 

「稜線と渓谷を使って射線を切る。どの道広い空じゃアイツの砲撃の的だ!」

 

“むうう……やむを得ん!”

 

 翼をはためかせ、オダハヴィーングは背後から放たれる砲撃を交わしながら、一気に降下。

 山の稜線を通過した瞬間にくるりと180度回転して背面を地面に向けると、そのまま山肌に沿って渓谷へと飛び込む。

 次の瞬間、コナヒリクの砲撃が稜線付近の山体を突き破り、吹き飛ばされた瓦礫が健人たちに降り注ぐ。

 

「ちょ、ちょっとケント! アイツの魔法、山をぶち抜いてきたんだけど!?」

 

「ああ、そのぐらいやってのけるヤバい奴なんだ!」

 

 渓谷に飛び込んだオダハヴィーングは、そのまま眼下を流れる小川の上を低空で飛ぶ。

 氷によって削られた渓谷は深く、左右にそびえる山々が斜線を遮る。

 しかし、コナヒリクはすぐさま空間転移で健人達の頭上へ移動。地を這うように飛ぶオダハヴィーングの上から砲撃を放とうとしてくる。

 

「リータ、上!」

 

「ファス、ロゥ、ダ――!」

 

 しかし、その前にリータの揺ぎ無き力のシャウトがコナヒリクに襲い掛かる。

 スペルストックに待機させていたシールドスペルで迫る衝撃波を防ぎ、再度砲撃しようとするが……。

 

「クォ、ロウ、クレント!」

 

 今度は健人のシャウトがコナヒリクに放たれた。

 コナヒリクが再びシールドスペルを発動してシャウトを防いでいる間に、オダハヴィーングは渓谷の奥へと飛び去っていく。

 その姿を見て、コナヒリクもまた渓谷に飛び込んだ。

 上空に転移するだけでは、取り逃がすと確信したからだ。

 確かに、機動力はコナヒリクが圧倒的に上回る。しかし、健人たちもまた、ソルスセイムで戦った時とは違う有利があった。

 一つが、オダハヴィーングの存在。高速で空を飛ぶ彼の速度は、それこそ時速にして数十から数百キロになる。

 いくら有利な位置に転移できるとはいっても、転移後は新たに狙いを定め直さなくてはならない。

 転移し、照準を付け直し、そして放つ。いくらコナヒリクとはいえ、5秒は必要だ。

 しかし、相手はその5秒の間に、数十から数百メートル移動する。このズレは決して小さくはない。

 高速移動する物体を撃ち抜くというのは、簡単にできるような事でもない。

 二つ目が、渓谷を飛ぶことによる射線を限定。

 コナヒリクが射撃可能な場所を自分達より上方に限定することで常に視界に納め、逆に迎撃を可能とした。

 三つめが、リータの存在だ。二人のドラゴンボーンから放たれるシャウトの連発は、いくらコナヒリクとはいえ連続で受けるのは難しい。

 

「ニド。ニ、ドレ、ボヴール゛、ジョール、ムル、セ、ミラーク!(小癪な。逃がさんぞ、ミラークの後継!)」

 

 コナヒリクは魔力を高め、速度を上げてオダハヴィーングを追跡する。

 そして赤竜の背後を視界に収めると、その両腕を掲げた。

 

“むうう……!”

 

 キュゴ、キュゴ、キュゴ! っと、立て続けに砲撃が放たれる。

 くるりと赤竜が身躱した空間を熱線が突き抜け、谷の岩肌を穿つ。

 高熱で炸裂した瓦礫が舞う中、オダハヴィーングは速度を上げる

 コナヒリクと距離を空け、入りくねった通路で射線を防ぐも、コナヒリクの砲撃は赤竜の影を捉えてくる。異様な正確さだった。

 

「ちょっとちょっと、いくらなんでも正確過ぎない!?」

 

「多分、生命探知を使っているな。岩の向こう側からでも、奴には俺達の動きが見えているんだ」

 

 生命探知は、健人が使うシャウト“オーラウィスパー”と同じく、生命力を赤い影として認識する魔法だ。壁だろうが岩陰だろうが、その先にいる生物を捉えることが出来る。

 

“ぬう!?”

 

 放たれた熱線の一本がオダハヴィーングの翼膜を貫く。

 幸い、まだ飛行に支障は出ていないが、このまま攻撃され続ければいずれ撃ち落とされるだろう。

 

「ちょっと、さすがにまずいんじゃない!?」

 

「いち、に、さん……」

 

 リータが焦りの声を上げる中、健人は冷静に何かを数えている。そして、確信を含んだ表情を浮かべた。

 

「やっぱりな……」

 

「なに? なにが!?」

 

「砲撃の間隔が長い。距離が空いて来たから、攻撃にもより多くの魔力が必要になっているんだ。リータ、俺に合わせてオダハヴィーングに激しき力をかけろ。加速するぞ」

 

「え? う、うん!」

 

 焦燥を浮かべたリータが、健人に合わせて“激しき力”のシャウトを唱える。

 

「「スゥ、グラ、デューーン!」」

 

“むお!?”

 

 オダハヴィーングの翼にさらなる風が産み出され、彼個人でシャウトをかけていた時とは比較にならない加重がかかる。

 ドラゴンボーン二人によるシャウトの重ね掛けは、まるで旋風の疾走を唱えたかのような加速を赤竜にもたらしていた。

 その速度は、空の王者の一人である赤竜から見ても、異常なほど。

 

“お、おい、ドヴァーキン、この加速はさすがに……”

 

「我慢しろ。岩にぶつかるなよ。ぶつかったら三人そろってあの世行きだからな!」

 

“む、無茶を言う……!”

 

 体を捻り、風圧で折れそうな翼に力を入れる。

 眼前をスレスレで通過する岩肌。狭まる視界。

 翼端から白い尾を引きながら、赤竜は繰り返し目の前に迫る崖を必死に躱し、渓谷を飛び抜け続ける。

 その間にも、コナヒリクからの砲撃は止まらない。

 攻撃に込める魔力を高めたからか、間隔を開けつつも、より強力な砲撃を放ち、間にある岩壁を貫きながら襲いかかってくる。

 

“む、むうう!”

 

「ケント、なんとか反撃できないの!?」

 

「ラース……」

 

 オーラウィスパーで後ろを確かめれば、岩肌の奥から距離を詰めてくる紅い影が健人の目に映った。

 コナヒリクもまた、速度を上げて追跡してきている。それを確かめた健人は、背後に視線を繰りながら、その時を待ち続ける。

 

「あと少し、あと少しだ……」

 

 数秒後、崖の影から黒い影が飛び出してきた。コナヒリクだ。

 オダハヴィーングを視界にとらえた古のドラゴンプリーストは、ここぞとばかりに魔力を高めて加速。

 一気に距離を詰め、健人の背中を打ち抜こうと一気に迫る。

 掲げられるコナヒリクの両手に、深紅の炎塊が集う。

 

「今だ、急上昇! リータ、旋風の疾走を!」

 

「うえ!? ウルド、ナー、ケスト!」

 

“グオッ……!?”

 

 健人が叫びに反応し、オダハヴィーングは反射的に上昇を開始。

 同時にリータの旋風の疾走が発動。まるでバットで打たれたボールのように、赤竜の巨体が上空へと跳ね飛ぶ。

 

「ぎ、ぎぎ……」

 

“むぐううう!”

 

 これまでで最も強烈なGが三人を襲い、視界がブラックアウトしていく。

 一方、コナヒリクも急上昇したオダハヴィーングを猛追。

 これまでにないほど魔力を猛らせながら砲撃を続ける。

 

「オダハヴィーング、うまくキャッチしてくれよ」

 

“なに? いったい何を……っておい!”

 

「ちょ、ケント!?」

 

 眼下から放たれる強烈な砲撃が大気を裂き、雲を貫く中、赤竜が上空の積雲に突っ込んだ瞬間、健人はオダハヴィーングの背から飛び降りた。

 そして血髄の魔刀を引き抜きながら、今まさに雲に突入しようとしているコナヒリクに襲い掛かる。

 

「ふっ!」

 

 コナヒリクは反射的にスペルストックに待機させていた転移魔法を発動しようとするが、バチリと耳障りな音を響かせるだけで、転移魔法は発動しなかった。

 三重のシャウトによる加速に追いつくため、魔力のほぼ全てを加速に費やしてしまっていたのだ。

 

「っ!?」

 

 仮面から覗く瞳に、強烈な動揺が走る。

 その気を逃さず、健人はコナヒリクの額めがけて、ブレイズソードを突き出す。

 

「グウゥゥ!」

 

 コナヒリクは反射的に左腕を掲げた。

 健人の刃はコナヒリクの腕を貫通したものの、狙いは逸れ、相手の仮面を削るだけに止まる。

 

「くそ、外した!」

 

 空中で激突した二人はもみ合いになりながら落下を開始。

 健人は左手でスタルリムの短刀を引き抜いて突き立てようとするも、今度は右腕を盾にして防がれてしまう。

 組み合いながら落下する中、コナヒリクが貫かれた右腕の手の平を、健人に向けた。

 向けられた右手に炎塊を集束し始める。至近距離から砲撃魔法をたたき込もうとしているのだ。

 

「ファス、ロゥ、ダーーーー!」

 

 だが、コナヒリクの魔法が発動する前に、健人の“揺ぎ無き力”が発動。

 至近距離で放たれた衝撃波はドラゴンプリーストを飲み込み、そのまま彼を渓谷の底へと叩き落とす。

 しかし、谷底に激突する直前、コナヒリクは魔力を振り絞り、落下を押し止める。

 そして左腕を掲げ、炎塊を生み出す。狙いは当然、上空から落ちてくる健人だ。

 

「っ!」

 

 向けられる殺気に健人は目を細め、双刀を構えた。

 まだ魔力は回復しきっていないはず。このまま落下しつつ、放たれるであろう砲撃を躱しきってコナヒリクを仕留める。

 一発でも避け損なえば、絶殺されるであろう。

 集中力が極限まで高まり、強風でなびく産毛の間隔すらも鮮明になっていく。

 そして、コナヒリクが掲げた炎塊が臨界を迎えたかのように膨らむ。

 だが、砲撃が放たれる直前、横合いから放たれた強烈な紫電の奔流が、古のドラゴンプリーストを飲み込んだ。

 

“クォ、ロゥ、クレント!”

 

 オダハヴィーングではない、第三者が放ったサンダーブレス。

 極太の極雷は余波だけで岩肌を焼き、谷底を穿ち、強烈な閃光と爆音を響かせる。

 いったい誰が……? 

 サンダーブレスが飛んできた方に目を向ければ、淡黒色のドラゴンが雲を切り裂いて飛んでくるのが見えた。

 

“セィヴ、ニ、ロト、ドヴァーキン!(ようやく見つけたぞ、ドヴァーキン!)”

 

 乱入してきたのは、なんとヴィントゥルースだった。

 元々荒い口調をさらに荒ませ、唾を吐きながら、絶賛落下中の健人めがけて一直線に飛び込んでくる。

 予想外の乱入者の登場に、健人は思わず呆けた表情を浮かべた。

 

「ヴィントゥルース!? お前なんでここにいるんだ……ぬあ!?」

 

 しかし、ヴィントゥルースが飛びつく前に、上空から垂直降下してきたオダハヴィーングが健人を捕獲。そのまま器用に背に乗せると、東の空へと翼をはためかせた。

 オダハヴィーングとしては、あの程度でコナヒリクが死んだとは思っていない。

 アルドゥインを止めるためにも、一刻でも早くスクルダフンにつく必要があるのだ。

 

“コス、ヒン、オダハヴィーング!? クロン、ズゥーウ、グラー、ボゼーク!(貴様、オダハヴィーング!? 我の獲物を横取りする気か!)”

 

“相も変わらず、視野狭窄で見境のない奴だ。すまないな、ドヴァーキン。このままスクルダフンに向かうぞ”

 

「あ、ああ……」

 

“スゥ、グラ、デュ――ン!”

 

 当然、ヴィントゥルースに構っている暇などない。

 オダハヴィーングは“激しき力”のシャウトで加速し、さっさとこの場から離脱を開始する。

 ようやく見つけた獲物を横取りされたことに激オコなヴィントゥルース。同じくが“激しき力”でオダハヴィーングを追いかけながら、止まりやがれというようにサンダーブレスを吐き続ける。

 

「ケント、アイツ、なに?」

 

「……ストーカー?」

 

 激高しているヴィントゥルースのサンダーブレスをひらりひらりと避け続けるオダハヴィーングの背で、リータが健人に追いかけてくるドラゴンについて説明を求める。

 そしてストーカーという言葉を聞いた彼女の眼に、剣呑な光が灯った。

 

「そう……わかったわ。まかせて。ジョール、ザハ、フルル!」

 

“グオオオオオ!?(ぬわああああ!?)”

 

「すぐに追いかけてくるでしょうけど、これで時間は稼げるはずよ。さあ、急ぎましょう」

 

 哀れ。ヴィントゥルースはリータのドラゴンレンドを受け、そのまま雲の下に落ちていく。

 

「なんか……すまん」

 

 彼の憎悪を背負うといったのは自分なだけに、健人としてはちょっと気の毒な気がしないでもない。ストーカーと表現したのも言葉の綾だったと思うが、先を急ぐのは事実。

 とりあえず、帰ったら好きなだけ相手をしてやるからと心の中で言い訳しながら、オダハヴィーング達と共に東の空へと向かう。

 ソブンガルデへの門。スクルダフンは、もうすぐそこだった。

 




いや、遅くなりました。次の話もいつになるのやら……。
以下、登場人物紹介。


コナヒリク
かつての名をヴァーロック。
相も変わらずチートじみた魔法行使能力を持つドラゴンプリースト。
しかし、ドラゴンボーン二名と最高位ドラゴンの三連シャウトによる加速に追いつこうとしたら魔力を使いすぎ、スペルストックに待機させていた魔法の発動に失敗。両腕を貫かれた上、乱入してきたヴィントゥルースによるサンダーブレスの直撃を食らった。哀れ

ヴィントゥルース
「最近我の扱い酷くないか!?」
一か月以上幼女に足止め食らったチンアナゴ。
世界のノドで健人がアルドゥインと戦った際にシャウトを使ったことでようやく居場所を察知したが、直後に星霜の書とハウリングソウルによる世界共鳴の影響で意識を失う。
更に目が覚めた後はドラゴンズリーチでの戦闘と、その後のコナヒリクとの空中戦を感じ取り追跡、乱入するも、今度はリータに健人のストーカーと断定されて撃墜されてしまった。哀れ。
ちなみに、幼女の相手をしているうちに少し人間の言葉を覚え始めた。

オダハヴィーング
「しょうがない奴だ……」

リータ・ティグナ
「今度こそ、お姉ちゃんが守る!」

健人
「いや、なんかすまん……」

ソフィ・サカガミ
「ねえ、私の活躍は!?」
一か月以上伝説のドラゴンを足止めしていた覚悟ガンギマリ幼女。
やったことは間違いなく偉業だが、文字数の都合で閑話で序盤だけの掲載となった。
ヴィントゥルースが健人のシャウトで居場所を察知して追いかけ始めた時は、挑発と罵詈雑言を件のドラゴンに吐きまくっている。
そして暴竜がハイヤルマーチホールドからいなくなった後は、本格的に兄に相応しい女性になろうと奮闘。結果、兄並みに方々で色々とやらかすことになる。
ちなみに、最近オオカミを召喚する魔法を覚えた。そして召喚したオオカミを可愛がっていたら、ヴィーヘンにイジけられた。


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第九話 スクルダフン

今回はちょっと少なめの文章量。
次回が結構長くなりそうなので、ご勘弁を……。

11月7日、末尾を若干修正しました。


 無数のドラウグルがホワイトランへと殺到する中、奮闘する兵士たちに交じって、ドルマ、カシト、リディアは刃を振るっていた。

 ドルマの大剣とリディアの片手剣が乾ききったドラウグルの胴体を両断し、カシトの短剣が焼き尽くす。

 それでも、ドラウグル達の勢いは止まらない。

 倒れた同胞たちを踏みつぶしながら、正門へと続く通路めがけて押し寄せていく。

 

「しつこいしつこい、しつこすぎ!」

 

「くそ、キリがない……」

 

「皆、奮戦するのだ! この先にあるのは我らの家族、我らの宝だ! ここでたとえ倒れるのだとしても、ソブンガルデで名を恥じぬ戦いを見せてやろうぞ!」

 

 首長であるバルグルーフも戦闘に参加し、兵士たちを鼓舞しているが、いかんせん数が違いすぎる。

 元々小高い山の上に建設されたホワイトランに入るには、正面から攻め込むしかなく、道幅も限定されてはいるが、圧倒的な数の差がある。

 故に……。

 

「首長、用意ができました!」

 

「よし、皆、第一防衛線まで下がるのだ!」

 

 首長の呼びかけと共に、兵士達はいっせいに後退し始める。

 彼らが走る先には、乾いた草や木が敷かれ、その後ろに丸めた牧草、そして組んだ杭が並べられていた。

 バルグルーフやドルマ達を初めとした兵士達が、杭の柵の奥へと飛び込む。

ドラウグル達は当然、追撃してくるが、杭の柵の手前まで彼らが駆けあがってきたとき、バルグルーフが叫んだ。

 

「今だ、火を射かけよ!」

 

「はっ!」

 

 首長の命令に呼応して、後方に待機していた予備部隊から火矢が放たれる。

 ひゅんひゅんと空を切り裂きながら飛翔してきた無数の矢は、次々にドラウグル達に襲い掛かり、その内の数本が地面に着弾。瞬く間に、敷かれていた枯草から火の手が上がる。

 

「ファレンガー、イリレス、追撃を!」

 

「はっ! ほらファレンガー、さっさと行くわよ」

 

「言われずともわかっている! くそ、もう少しで生きているドラゴンのサンプルを採取できたというのに……!」

 

 さらに、後方で待機していたイリレスとファレンガーが、ドラウグル達の頭上から火炎の魔法を放つ。

 勢いを増した火勢は瞬く間にキルゾーン内のドラウグル達を焼き尽くしていく。

 ドラウグルは基本乾燥しているため、普通の人間や死体に比べてはるかに燃えやすい。

 

「やっぱり、まだ全然足りないね……」

 

「時間がなかったからな……」

 

 カシトとドルマが、呆れたような声を漏らす。

 実際、百体ほどのドラウグル火葬処分にしても、後方からはまだまだ数えきれないほどのドラウグル達が押しかけてきていた。

 

「用意したキルゾーンは後三つ。それでどこまで凌げるかなぁ……」

 

「どこまでも耐えてやるさ。それこそ、命果てたとしてもな」

 

「ええ。ここで死んだとしても、悔いないように戦い続けるだけです」

 

 カシトが憂い顔を浮かべる一方、リディアとドルマはどこまでも戦意高揚した様子で、にんまりと笑みを深めている。子供にはちょっと見せられない表情だった。

 

「はあ……。ノルドは相変わらずだなぁ」

 

「だが、悪い気はしてねえんだろ?」

 

「まあ、ここで逃げたら、健人に絶交されちゃうからね」

 

 相も変わらず、戦いに対してノルドらしい思い入れを持つ二人にカシトが肩をすくめるが、そんな彼にドルマが意味深な視線を送る。

 

「嘘つけ。お前、アイツがそんなことしないってわかってるだろうが」

 

「むしろ、逃げろって言ってくれるでしょうね。初めから背を向ける気なんてないくせに。ほんとうに、素直じゃない猫ちゃんですね」

 

「うるさいよドルマ! それにリディアも思い込みで変なこと言わないでよ! それからオイラは猫じゃない!」

 

 むず痒い感覚にカシトが声を荒げる。そんな彼の様子に、ドルマとリディアはさらにいっそう笑みを深くした。

 

「なるほど、名前を呼んでくれるくらいには信頼はされているみたいだな」

 

「そうですね。私が知る限り、彼が名前を呼ぶのはケント様くらい。ふふ、ある意味光栄ですね」

 

「ぐわあああ! なんなの、このノルド達なんなの!? 全然オイラの話聞いてない!」

 

 突き放すつもりの言葉をさらっと受け流された上に、受けた致命の一撃。

 いきなりの褒め殺しの連続にカシトが叫ぶ中、二人は他の兵士と共に前を見据える。

 

「さて、じゃあもう一戦行くか」

 

「はい、招かれざるお客には、さっさと帰っていただきましょう」

 

「ええい、ちくしょう。こうなったのもお前らのせいだからな! せめてオイラのストレス解消になれ~~!」

 

 圧倒的な戦力差。しかし、恐怖はない。

 隣に戦友が立つ高揚に包まれながら、彼らは衛兵達と共に再度、殺到してくる軍勢を迎え撃った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スクルダフン。

 スカイリムとモロウウィンドの境界。ヴェロシ山脈の断崖絶壁に存在する寺院。

 ソブンガルデへと続く門の前で、門番のドラゴンプリーストは鍵となる杖を持って佇んでいた。

 彼の役目は、この門の守護。主であるアルドゥインが望む時にこの門を開き、そして邪魔者をすべて排除すること。

 しかし、彼はその使命を全うすることなく、彼は倒されることになった。

 

「?」

 

 突如として自身を覆う影。思わず顔を上げた直後、強烈な衝撃が彼の体を走り抜けた。

 

「ふっ!」

 

「てええいや!」

 

 直上から飛び降りてきた二つの影が、門番であったドラゴンプリーストを両断する。

 しわがれた顔で呆然と天を見上げながら、ドラゴンプリーストは息絶える。

 地面に倒れた竜教団の司祭を前に、彼を倒したリータと健人はほっと胸をなでおろす。

 

「よかった、門番は簡単に倒せたよ……」

 

「いくら古のドラゴンプリーストといっても、ヴァーロッククラスの使い手はそういないからな。後は……」

 

 健人は巨大な岩でできた円形の遺跡を見下ろす。

 直径20メートルほどの巨大な陣の前に、祭壇を思われる台座が鎮座している。

 ここが寺院の最上部。

 ドラゴンの巨体を考えれば、ここがソブンガルデへと続く門がある場所で間違いないだろう。

よく見れば、台座の上部に何かをはめ込むためのくぼみがある。

 

「うん、これかな?」

 

 健人の目に留まったのは、地面に倒れたドラゴンプリーストが持っていた杖。特徴的な竜の頭部が刻印されており、魔法が付呪されているのは間違いない。

だが、それ以上に儀礼的な意味を持つことを予想させる装いをしている。

 拾った杖を、健人はおもむろに台座頂部のくぼみに差し込む。

 すると、ズズズ……! と地鳴りを響かせながら魔法陣を構築していた岩がバラバラに分解され、宙に浮くと同時に円を描くようにすり鉢状に落ち込み、回転し始める。

 そして崩れた魔法陣の底からはまばゆい光が溢れ、虹色の渦が姿を現した。

 

「これが、ソブンガルデへの門……」

 

 門というより、渦潮を思わせる光景。よく見れば、崩れた岩の一部が階段状になって渦の底へと続いている。

 思わず吸い込まれそうな感覚に、健人が息を飲む中、リータは祭壇へと上るための階段の方を睨みつけていた。

 

「ケント、招かれざるお客さんが来たよ」

 

 ガチャガチャと聞こえてくる複数の足音。

 リータの声に促され、健人が足音のする方に目を向ければ、数十のドラウグル達が大挙して祭壇へと押しかけてきていた。

 

「この寺院を守る兵士達か。まずいな、ほとんどがデスロードだぞ……」

 

 ドラウグル・デスロード。

 デス・オーバーロードには及ばなくとも、最上位クラスの難敵だ。

 健人が得物を構えて迎撃しようとしたところで、リータが待ったをかける。

 

「ケントは行って。ここは私が残るから」

 

「リータ、だがこの数は……。それに、すぐにコナヒリクが来るぞ」

 

「ドラゴンレンドも、アルドゥインには効かなかった。あの竜を止められる可能性があるのは、私じゃない。貴方なの」

 

 足止めを買って出るリータに健人は顔を顰めるも、そんな彼の言葉をリータは一蹴した。

 ドラゴンレンドはアルドゥインにすでに対策されている。

 希望があるとしたら、健人のハウリングソウルしかなかった。

 それに彼女のドラゴンボーンとしての直感が告げていた。

 既に時の担い手は自分ではなく、義弟の手に移り変わり、それが自分に戻ることは無い。

 時の流れは止まらない。一度変化した運命は過去に遡ることなく、ただ未来へと流れていくだけなのだと。

 そして二人が問答している間に、上空から仮面を被ったドラゴンプリーストが舞い降りてくる。

 

「コナヒリク……」

 

 追いついたコナヒリクはまるでドラウグルの軍勢を指揮するように彼らの上空で浮遊すると、魔力を猛らせる。どうやら、この短時間で魔力はしっかりと回復しきったようだ。

 

“ここはまかせろ、異端のドヴァーキンよ。できる限り時間を稼ぐ”

 

「行って、ケント。この世界の未来をお願い」

 

「っ、すまん。頼む!」

 

 リータとオダハヴィーングの言葉に健人は顔を顰めながらも、後ろ暗い感情を振り切り、ソブンガルデの門へと身を投げる。そんな彼の背に向かって、コナヒリクが右手を掲げ、炎塊を生み出す。

 

“ニ、ドレ、ボヴール……ッ!?゛”(逃がさんぞ、ミラークの後継……ッ!?“

 

「ヨル、トゥ、シューール!」

 

 砲撃の直前、襲い掛かってきた炎の吐息を前に、コナヒリクは反射的にシールドスペルを発動。周囲に待機していたドラウグル達が一瞬で焼き尽くされる中、リータのファイアブレスを間一髪で防ぎきる。

 その間に健人の姿は、ソブンガルデの門へと消えていった。

 

「ち、外したわね。とにかく、ここは通さないわ……」

 

 攻撃が失敗したことに不満げな声を漏らしながらも、リータは威嚇するように、背負った戦斧をブン! と振りぬく。

 

“ズーウ、ジョール、メイ!”(退け、愚かな定命の者よ!?)

 

 目の前の邪魔者を配乗しようと、コナヒリクが破壊魔法を放つ。

 岩はおろか、山すらも撃ち抜く超強力な火炎の砲撃。

 集束された熱があらゆる物質を溶断するそれは、現代日本人なら創作に出てくるビーム砲を思わせる魔法。そんな砲撃を前にリータは……。

 

「スゥ、グラ、デューーン……ふうっ!」

 

 激しき力のシャウトを纏わせた戦斧を叩きつけ、両断した。

 彼女の眼前で二つに泣き別れした砲撃は奥の岩壁を撃ち抜き、空しく散っていく。

 

“ッ!?”

 

 今まで見たことのない光景に、コナヒリクが動揺の声を漏らす中、リータの瞳が古のドラゴンプリーストを鋭く射抜く。

 華奢な彼女の体からぶわりと強烈なプレッシャーが噴き出し、同時に虹色の淡い光が漏れだす。

 それは、彼女の戦意に反応したドラゴンソウルの燐光。

 ドラゴンすらも容易く怯ませるほどの戦意に意思なき存在であるはずのドラウグル達だけでなく、コナヒリクすらも気圧される。

 そんな中、リータは眼前の敵を見下ろしながら、ゆっくりと口を開く。

 

「ここから先は選ばれた者だけが向かうことを許された戦場。私も、貴方もお呼びじゃない。まして貴方は自然の理を歪めて蘇ったアンデッド……だから」

 

 ムゥル、クァ、ディヴ!

 リータのドラゴンアスペクトが発動する。

 世界のノドで暴走して以来、使ってこなかったシャウト。かつては黒く染まっていた光鱗の鎧は、今ではまばゆいばかりの虹色に輝いていた。

 

“ッ、エヴェナー!”(っ、消えろ!)

 

 あれはまずい。絶対にまずい。ともすれば、あの異端のドラゴンボーンと並ぶほどの怪物だと、気圧されたコナヒリクが立て続けに砲撃を放つ。

 しかし、その連撃もリータの戦斧に再び斬り払われた。

 超重量武器であるはずのデイドラの戦斧をまるで食卓のナイフのように軽々と振るうその姿は、中身が華奢な少女の元とは思えないほど現実味に欠ける光景。

 振るわれる刃は鋭く、重く。身に付けた赤黒い武具はまるで彼らの主(アルドゥイン)を連想させるほどの威圧感を纏う。

 気がつけば、コナヒリク達だけでなく、彼女の隣にいるオダハヴィーングすら、目を見開いてリータを見つめていた。

 

「ここで配下もろとも、朽ち果てなさい」

 

 灼熱の戦意を込めた、冷徹な宣言。

 次の瞬間、石床を粉砕しながら伝説のラストドラゴンボーンが踏み込み、暴風の戦斧と灼熱の熱線が激突した。

 




ミラーク
「シャウトと魔法を織り交ぜれば勝てる!」

健人
「機動力極振りで全部躱せばいい!」

リータ
「避けれないなら斬ればいいのよ!」

コナヒリク
「ふざけんな、このファッキンドラゴンボーン共!」

 リータさん、マジノルド。
 コナヒリクの砲撃を正面からぶった切れるのは彼女くらいです。
 しかし、時代はちがえど、ドラゴンボーンとしても歴史上最上位の三人と戦う羽目になった彼。いくら苦労の絶えない中間管理職だったとしても、マジで不幸だったのではないだろうか。

 次回はついに健人がソブンガルデに到着します。



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第十話 ソブンガルデでの再会と転移門防衛戦

注意
・前話にてリータが転移門を破壊するシーンが不自然との指摘があり、確かにその通りと思ったため、修正してあります。
その点を踏まえまして、読んで頂けると幸いです。


 落下する感覚と共に、光の渦が網膜を焼く。

 しかし、鮮烈な光の暴力もすぐに収まり、続いて僅かな浮遊感と共に、両足が地面につく感覚が戻ってくる。

 

「着いた……のか?」

 

 気がつけば、健人は祭壇を思わせる場所に立っていた。

 両脇に屹立するローブを纏った石像。

 空には全天を覆う星空とオーロラ。スカイリムと比べて、なお冷たい空気。

 岩に覆われた地面にわずかに残る土の上には、これまた小さくも華やかな草木が生い茂っている。

 常夜の冥界と呼ぶにふさわしい、荘厳な風景に、健人はしばしの間、見入っていた。

 

「いけない、アルドゥインを探さないと……」

 

 すぐに我に返り、遠くへと続く坂道の先に目を向ける。オーロラと星明りに照らされた、一際大きな建物が見えた。

 

「あれは……?」

 

 冥界とはいえ、そこに建造物があるということは、住む者がいるということ。

 アルドゥインを探すためにも、行かないという選択はない。

 しかし同時に、そこへ続く道の先には重く、濃い霧が沈殿している。

 それを見て健人は、目を顰めた。

 どこか不自然で、強い力を纏う霧。明らかに自然のものではないと、ドラゴンボーンの直感が訴えてくる。

 

「ロゥク、ヴァ、コーール!」

 

 健人はおもむろに“晴天の空”のシャウトを切りに向かって放つ。

 しかし、彼のシャウトは一時的に霧を吹き飛ばすものの、まるで押しのけられた水が元に戻るように、霧は再び周囲を覆い尽くしてしまう。

 健人の脳裏で、ミラークが呟く。このシャウトの正体と、その使い手について。

 

「アルドゥインのシャウトか。厄介だな……」

 

 とはいえ、先に進まなければならない。

 健人は意を決し、霧の中へと足を踏み入れる。

 

「定期的に霧を吹き飛ばして、方向を確認していくしかないな」

 

 一メートル先も見えないほどの濃霧の中、晴天の空が数秒だけ生み出す切れ目から遠くの建物を確認しつつ、道を進む。

 一時間ほど進むと、坂道は徐々に平坦になって行く。

 両側には相も変わらず高い峰が聳え立っているが、足元も岩場から土へと変わり、だいぶ歩きやすくなっていた。

 やがて、何度目かの晴天の空を唱えた時、健人の目が、明らかに自然物ではない存在を捉えた。

 それは、二人の人影。

 一人は青いストームクロークの装具を纏っており、もう一人は帝国軍の装いをしている。

 二人の視線が健人に向けられる。その時、健人は思わず目を見開いた。

 

「ハドバルさん?」

 

「君は……ケントか?」

 

 帝国軍の装いをした男性は、ヘルゲンで健人達を助け、そしてホワイトランを襲撃してきたドラゴン、ミルムルニルに殺された人物だった。

 互いによく見知った者同士。予想外の場所での予想外の再会に、二人は目を見開いていた。

 

 

 

 

 

 

「ふうううう!」

 

 スクルダフンにあるソブンガルデの門前では、リータが迫り来るドラウグルの軍勢とコナヒリクの猛攻に晒されていた。

 

“エヴェナー!”(消えよ!)

 

「はあああ!」

 

 振り抜かれた両手斧が三体のドラウグル・デスロードを纏めて両断し、間隙を縫うように放たれる灼熱の砲撃すら弾き返す。

 虹色の竜鱗を纏ったリータは人型のドラゴンとしての能力を存分に振いながら、迫りくる津波のような不死の軍勢を撥ね退け続ける。

 

“ストレイン、ヴァハ、デネクトル!”

 

 上空へと跳び上がったオダハヴィーングは氷槍のストームコールを展開。

 雨のように降り注ぐ氷柱が次々とドラウグルに突き刺さっていくが、生憎と痛覚が無くなっている死体には大した効果がない。精々、動きを鈍らせるくらいだ。

 しかも面倒なことに……。

 

“オダハヴィーング、フィログ、セジュン、ドゥカーン!”(オダハヴィーング、我が主に背いた裏切者め!)

 

 コナヒリクの対空砲火が、オダハヴィーングに襲いかかってくる。

 レーザーキャノンのような連続砲撃を前に、オダハヴィーングは翼をはためかせて回避しながら、その口腔をコナヒリクに向ける。

 

“ヨル、トゥ、シューール!”

 

 吐き出された炎の奔流がコナヒリクに直撃し、広がる余波が周囲のドラウグル達を焼き尽くす。

 しかし、即座にシールドスペルを発動したコナヒリクは赤竜のファイアブレスを完全に防ぎきっていた。そして反撃を放たんと再び上空に両手を掲げる。

 

「潰れなさい……!」

 

 だがそこに、虹色の影が飛び込んできた。

 オダハヴィーングのファイアブレスによってできた、ドラウグルの隙間。

 そこに滑り込んで間合いを詰めたリータが、コナヒリクに向かって勢いよく振り下ろす。

 コナヒリクはスペルストックに待機させていた空間転移で即座に離脱。

 直後、大気を引き裂きながら、リータの両手斧が地面に叩きつけらえた。衝撃が円状に走り、石床が粉砕されて土くれと一緒に巻き上げられる。

 

「しっ!」

 

 舞い上がる土砂で視界を塞がれる中、リータは即座に地面に叩きつけた両手斧を薙いだ。

 直後、土煙を突き破ってきた赤色の砲撃が、彼女の両手斧に切り裂かれて霧散。

 シャウト「激しき力」の風の刃を纏う両手斧はそのまま舞い上がった土煙すら吹き飛ばし、その先にいるコナヒリクの姿を顕わにする。

 

「ほんと、シャレにならない奴。ケント、よくこんなのに勝ったわね」

 

 嘆息しながら、ブンッ! と両手斧を振り、構えを整える。

 本当に厄介な相手だと。驚異的な威力の魔法をノータイムでつるべ撃ちし、間合いを詰めても即座に転移魔法で逃げられる。

 リータから見ても間違いなく、今まで戦った中で最強の魔法使いだ。さらに厄介なことに……。

 

“ダール、ジュン、ラーヴー”(甦れ、主の信徒たちよ)

 

 コナヒリクがドラゴン語で祝詞を唱えると同時に、彼が被る仮面が淡く輝く。

 同時に、先ほど焼き尽くされたドラウグル・デスロード達が次々と再生され、立ち上がった。

 

「ほんと、シャレになってない……!」

 

 復活したドラウグルの軍勢が、再びリータに襲い掛かる。

 不死者たちはリータという極大の嵐の前にたちまち討ち取られていくが、コナヒリクの仮面が輝く度に、即座に復活してくる。

 おそらく、これがこの仮面の力なのだろう。配下のドラウグル達を操り、無限に復活させる能力。

 そうならば、この状況はリータ達に不利だ。いくら卓越した戦士であり伝説のドラゴンボーンであるリータとして、体力に限界はある。

 それは上空から援護をしているオダハヴィーングとて同じだ。

 

“ボヴール! ズーウ、ロスト、ワー、ヴィーク、ロク!”(そこをどけ! 私はあの者を倒さねばならんのだ!)

 

「くっ!?」

 

 コナヒリク達の攻勢がさらに増す。

 オダハヴィーングが上空からシャウトを放とうとするが、コナヒリクが牽制の砲撃を放ち、さらに後方に控えているドラウグル・デスロード達も次々にシャウトを放ち始める。

 

“むう!”

 

 人数を武器にシャウトを放ち続けるデスロード達に、オダハヴィーングも近づけない様子だった。

 意識が赤竜に僅かに剥いた瞬間。コナヒリクはソブンガルデへの門の上へと転移。そのまま門を潜ろうとする。

 

「っ、させない! ウルド!」

 

 反射的に旋風の疾走を展開。

 高速でコナヒリクへと突撃し、転移を発動させて無理矢理門の傍から引き剥がす。

 このままではマズイ。物量差に押し切られそうだ。

 もしコナヒリクがソブンガルデへ行ってしまえば、アルドゥインとの戦いが決定的に不利になる。

 

「しかたない、か……ふ!」

 

 その光景を見てリータは一瞬、迷いを窺わせる瞳を浮かべる。

 だが次の瞬間、踵を返し、ソブンガルデへの門の傍にある祭壇めがけて、手に持っていた両手斧を投擲した。

 飛翔した両手斧は、祭壇を粉砕。天高く伸びていた光の柱が消え、ソブンガルデの門が閉じる。

 

「これで、少なくとも貴方達はケントの後を追えない。少なくともアルドゥインとの決着をつける時間は稼げるでしょうね」

 

“っ!? ズーウー!”(っ!? 貴様!)

 

「スゥ、グラ、デューーン!」

 

 激高したコナヒリクが、リータに向かって砲撃を放つ。

 しかし、彼女は素早く腰に差したデイドラの剣を引き抜きながら“激しき力”のシャウトを展開。迫る砲撃を斬り裂きながら、コナヒリクに向かって踏み込み、再度シャウトを唱える。

 

「モタード、ゼィル!」

 

 彼女が唱えたのは、健人のシャウトであるハウリングソウル。

 次の瞬間、強烈な憎悪がリータの全身を蝕み始めた。

 

“クリィ、クリィ……!”

 

「ぐぅう……!」

 

 脳裏によみがえる、己が殺した無数のドラゴン達の怨嗟の声。かつて飲まれた憎悪が、再び彼女を蝕み始めた。

 虹色の竜鱗が、あの時のように黒く染まっていく。

 だが、必要だった。このドラゴンプリーストを倒すには、限界以上の力を振り絞らなければならかった。

 

(これが、私の罪。私の所業の結果。でも……)

 

 以前は我を失った。しかし、それを前にしても、今のリータは飲まれない。

 

(だからこそ、私はこの憎しみに向き合わないといけない。これがもたらすであろう力を、また悲劇につなげない為に……!)

 

 どのような感情に起因しようと、力は力だ。

 問題はその力をどの方向に解き放つか……。

 

(ええ、殺すわ……。この哀れな亡霊を。彼が作るであろう、未来の為に。そして、約束を守るために!)

 

 以前は力を生み出す感情に飲まれた。でも今の彼女は、失った立脚点を再び取り戻し、未来を再び見据えられるようになっていた。

 こみ上げる殺意を制御し、一点に振り絞り、踏み込む。

 次の瞬間、地面が爆発したかのような音と共に吹き飛んだ。

 

「はああああ!」

 

 進行方向にいるデスロードも、迫る砲撃も、すべてを切り落としながら、目標へ向かって飛ぶように駆け、刃圏に捉える。この間、一秒足らず。

 同時にデイドラの片手剣が、コナヒリクに向かって薙ぐように振りぬかれる。

 

“ザイム!”(無駄だ!)

 

 しかし、この刃もドラゴンプリーストの長を捉えることはできなかった。

 無詠唱ではなく、スペルストックに待機させていた転移魔法で、コナヒリクは上空へと離脱する。

 

“トル゛、プルザー! ヌズ、ゲ、コス、トル、ホディス、ズー、ムル!”(大したものだ! だが、主の力を借りた我には及ばん!)

 

 直後、コナヒリクが掲げた両手の先に、極大の炎塊が生み出される。その巨大な炎を目の当たりにした瞬間、リータの背筋に強烈な悪寒が走る。

 それは、かつて最初のドラゴンボーンとの戦いでソルスセイムとタムリエルを切り離した大魔法。ヴォルケイノ・テンペストの準備だった

 

“これはマズい!”

 

「「「「ファス、ロゥ、ダーーー!」」」」」

 

 その魔法に覚えのあるオダハヴィーングがコナヒリクに吶喊しようとするが、地上のデスロード達から放たれる無数の“揺ぎ無き力”を前に前進を押し止められてしまう。

 

“ぬう、クォ、ロウ、クレント!”

 

 それでも何とかサンダーブレスを放つも、十分に狙いをつけることが出来なかったために、雷の吐息はコナヒリクの背後の雲を斬り裂くのみ。

 

「くぅ……」

 

 一方、遠距離に対する明確な対抗手段のないリータは地上で迫るドラウグル達を一蹴しつつも、歯噛みしていた。

 既にコナヒリクが生み出した炎は人の丈の数倍に及び、今にもその内包した膨大な力を解放せんと瞬いている。

 その時、コナヒリクの背後。斬り裂かれた雲の奥から、淡黒色の影が飛び出してきた。

 有翼の影はその翼に風の刃を纏いながら、猛烈な速度で無防備なドラゴンプリーストの背後を強襲。淡い光で構築されたその体を、真っ二つに斬り裂いた。

 

“ぐああああ!”

 

“ヴィントゥルース……”

 

「あいつ……」

 

 強襲してきたのは、ここに来るまでに振り切ったと思っていた伝説のドラゴン、ヴィントゥルースだった。

 

“フン……”

 

 彼は自身が両断したコナヒリクとリータ達を一瞥すると、彼女達の上空を飛び抜けていく。

 

“っ、ドラゴンボーンよ、今だ、奴の仮面を狙え!”

 

 オダハヴィーングの言葉に、リータはハッと視線を戻す。

 下半身を両断されながらも、コナヒリクはまだ健在。

 

「ああああああ!」

 

 ようやく訪れた明確な機会に、リータが吼える。

 ドラゴンアスペクトとハウリングソウルによって激増した全身の筋力を全て総動員し、右手のデイドラの片手剣を投擲する。

 腕を振り抜いた瞬間、投げられた片手剣は音速を突破。周囲に衝撃波をまき散らしながら、一直線にコナヒリクに向かって飛翔する。

 

“!?”

 

 コナヒリクは反射的にシールドスペルを展開するが、リータの投擲剣は魔力の障壁を貫通し、その仮面に突き刺さる。

 奇しくもその場所は、先の空中戦で健人が傷をつけた場所だった。

 

“ッ、ガアアアアア…………!”

 

 直後、割れた断面から堰を切ったように光があふれ、コナヒリクが苦しみ始めた。

 展開していた炎塊が霧散し、仮面を押さえてのたうち回り始める。

 

“ディノク、ディノク、ズーウ、ムル……!”(消える、主の力が、消えてしまう……!)

 

 散っていく光をかき集めるように腕をバタつかせるコナヒリク。

 ビキリ! と仮面の傷が広がり、光が消えると、コナヒリクの体は風の中に霧散して消えてしまった。

 同時に、全てのドラウグル達の瞳から光が消え、その場に崩れ落ちる。

 カラン……と仮面が地面に落ち、二つに割れた。

 

「終わった……?」

 

“奴はアルドゥインから与えられた仮面で復活していた。その仮面が壊れれば、この世に止まることはできない……”

 オダハヴィーングがリータの傍に降り立ち、割れた仮面を見下ろす。その目はどこか哀れみの光を湛えていた。

 

“オンド、ロウ、ウェネス、コス、ドヴァーキン!?”(おいこら、ドヴァーキンはどこだ!?)

 

 二人がしんみりしていると、先ほど上空を飛び去っていたヴィントゥルースがUターンして戻ってきていた。

 彼はリータ達の前に舞い降りると、健人の居場所を詰問してくる。

 

“ロク、ヒン、ソブンガルデ。ヌズ、ニス、ドック。コス、ヒン、ドック、ドヴァーキン、ナルザー、ジン、グラー、アルドゥイン?”(ソブンガルデだ。だが、追うのは無理だな。というか、お前この状況でまだ彼と戦うことを優先するのか?)

 

 ヴィントゥルースを、義弟を襲い続けているストーカーと判断しているリータは、スッと瞳を細め、祭壇を破壊したデイドラの両手斧を回収して構える。

 既にソブンガルデへの門は破壊された為、このドラゴンが追うことはできない。しかしそれでも、義弟に迫る脅威を放置することも出来ない。

 再び高まる戦意。しかし、そんな彼女の覚悟も、眼前のドラゴンが次に言い放った言葉に、一気に冷や水を掛けられることになった。

 

“ゲ、フン、グラー、ドヴァーキン、アースト、ガインス! ズー、グラーン、ドヴァーキン。ヒン、フォラ゛ース、ヴァール”(おい、我は一度もドヴァーキンと戦うとは言っていないぞ! 我はドヴァーキンを探していただけだ。お前たちが勝手に勘違いしただけだろうが)

 

「……んん? え、どういうこと?」

 

“グラー、ドヴァーキン! コス、デズ! ヌズ、グラー、アルドゥイン、コス、デズ、ワール!“(奴との決着は当然つける! 当たり前だ! だがアルドゥインにも落とし前をつけねばならん!)

 

「ええっと、つまり……」

 

“コド、ムル、ズー、アブニシュル?(初めから協力するつもりだったのか?)

 

“ゲ! ア、アーム、ヒン、ヌズ、ゼィンドロ、アルドゥイン、ズー、ゼンド、ゼイマー、アルーク、グラー、ドヴァーキン、ラーズ!”(そうだ! あ、いや、お前たちでは無理だろうから、その前に我が先にアルドゥインを倒し、そしてドヴァーキンと決着をつけるつもりだったのだ!)

 

 よくよく思い返してみれば、先の空中戦でヴィントゥルースが初撃で攻撃していたのはコナヒリクだった。しかも、健人に切迫した事態が迫った時の介入である。

 もしヴィントゥルースが健人を倒すことを最優先しているなら、あの時に健人を攻撃すればよかったはず。

 そして、スゥームで紡がれる彼の言葉には、嘘偽りといった後ろ暗い感情は微塵もない。

 オダハヴィーング自身、彼の性格はよく知っている。良くも悪くも、嘘が付けない性格だ。

 

“……”

 

「……」

 

 とはいえ、その後に離脱しようとしていたオダハヴィーング達を追いかけながらシャウトを放ってきたことは事実。故に、二人はジト目でヴィントゥルースを睨みつけずにはいられない。

 

「あの状況で察しろというのは無理があるんじゃ……」

 

“トル゛、コス、ドゥカーン、ナックス……”(今までのお前の行いのせいだと思うのだが……)

 

“ア、アムエイ! ヒン、ドロム、ズー、ナール、フォヴラース! ディコ、ウォト、コス、スゥーム! ヌズ、ヴィルーク!”(と、とにかく! お前たちが早合点して我を落としたのだ! というか、なんだあのスゥームは! 全然飛べなくなったぞ!)

 

“ラクト、ドレ、ニ、メイツ、ナーンスル、テイ”(おいこら、話を逸らすんじゃない)

 

 まるで論破された子供のように話を打ち切り、話題を逸らそうとするヴィントゥルースに、オダハヴィーングがツッコミを入れ始める。

 一気に弛緩した空気に、リータはやれやれと溜息を漏らしながら、構えていた両手斧を降ろした。そして二頭に背を向け、自分が壊したソブンガルデの門を見下ろす。

 

「門、壊しちゃった。なんとか健人を連れ帰る方法を探さないと……」

 

 祭壇を壊しただけで、門自体は無傷なのだから、まだ直せるかもしれない。

 そんな事を考えている彼女の目の前。ちょうど円形の門の中央で、なにかが動いた。

 

「ん?」

 

ゴト、ゴトゴト……と、不規則に揺れる門。

 祭壇を破壊したことで一時的に閉じたが、また開くのだろうか?

 リータが首をかしげたところで、揺れていた石がズズズ……とずれ、隙間から黒い何かが顔を覗かせた。

 

「なに、あれ……え?」

 

 次の瞬間、ソブンガルデの門から巨大な闇が広がったかと思うと、リータ達を飲み込み、彼女達の意識は消えていった。

 

 

 




ヴィントゥルース
実は協力するつもりだったが、そのツンツンな態度により誤解を招いてしまったうっかりドラゴン。本作のツンデレ枠。真言を操るくせにコミュ障。
初めから素直に対話しようとしていれば別だったが、健人を目の前にするとどうしても制御が効かない様子。


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第十一話 ショールの間

お待たせしました。第十一話です。



 

 断崖絶壁に隔てられ、死後に勇敢な魂がたどり着く場所、ショールの間。

 勇気の間とも呼ばれるそこへと続く巨大な橋の前で、一人の偉丈夫が佇んでいた。

 二メートルを超える巨躯。彫りの深い顔。豊かな黒褐色の髪を後ろへ流し、背中には武骨ながらも神秘的な気配を放つ斧を背負っている。

 組んだ腕は丸太のように太く、露わにしている上半身は金剛石のごとき筋肉でおおわれている。その肉の鎧に秘められた膂力は伝説の魔獣であろうと容易くその首をへし折るであろう。

 ノルド達から見れば、まさしく戦士としての理想像。そう思わせる容貌をしている。

 彼の名はツン。ショールの盾の従士にして、このソブンガルデの番人。そして勇敢な魂を選別し、ショールの間へといざなう案内人でもある。

 自らの持ち場である鯨骨の橋の前で瞑目し、石像のように微動だにしなかった彼ではあるが、ソブンガルデを包む霧の奥から迫る気配に、閉じていた眼をゆっくりと開いた。

 

「まさか、貴様が私の前に姿を現すとはな、汚らわしいワームよ」

 

『そういう貴様は、相も変わらずここで橋守をしているのか、狐の腰巾着』

 

 ツンの前に姿を現したのは、竜王アルドゥイン。このソブンガルデを霧で包み、本来この場で試練を受けるはずだった魂を貪り食っていた者だ。

 ツンにとっては、主の世界に入り込んだ寄生虫であり、忌々しい存在。しかし、ショールの命により手を出すことを許されておらず、忸怩たる思いで竜王の蛮行を静観するしかなかった。

 一方、アルドゥインにとっても、ツンは敵ではあるが、相対したい者ではない。

 彼はエイドラ。ニルンを作った者の一柱であり、なおかつ、あのステンダールの兄弟とされている神。この世界に生きる者達の最上位に位置している存在だからだ。

 

(しかし、だからこそおかしい。なぜ、このドラゴンは今私の前に姿を現した?)

 

 脳裏によぎる疑問を押し隠しながら、ツンは背中に手を回す。

 そこには神代より、彼を守り、そして主の敵を薙ぎ払い続けた相棒の斧がある。

 いくら主から手を出すなとは言われていても、振りかかる火の粉は払わねばならない。なにより今のアルドゥインの体からはツン自身も思わず息を飲むほどの戦意に満ちている。

 向けられる戦意が、ツンに数千年間守り続けていた主の命を一瞬忘れさせていた。

 

「戦うつもりか、この私と……」

 

 このドラゴンは、明らかにツンと戦うつもりでここに来たのだ。

 なぜ、今さらになって戦う気になったのか。それも神と。

 疑問を抱けど、そこはショールの盾の従士。即座に戦闘態勢に移行し、戦意の篭った眼でアルドゥインを睨みながら両手斧を構える。

 神が戦意に答えた姿を見て、アルドゥインがニヤリと口元を吊り上げる。

 ニルンの中でも最上位の存在を前にしても、まるで怯む様子がない。嫌な予感が、ツンの胸中によぎる。

 

「っ、はああああああ!」

 

 こみ上げる予感を払拭せんと、ツンは神気を猛らせ、全力でアルドゥインに踏み込んだ。

 地を吹き飛ばし、衝撃波を纏いながら、文字通り神速で踏み込む。

 

『――ッ、――、―――――!』

 

 雷のごとき速度で迫るツンに、アルドゥインのシャウトが襲い掛かる。

 聞いたことのない……否、聞き取ることすらできない、正体不明のシャウト。同時に疾駆していたツンの速度が、まるでそよ風のようにガクリと落ちた。

 速度と共に急激に失われていく神気。両足から力が抜け、ショールの従士は思わず膝をつく。

 

「こ、これは……ぐは!」

 

 速度の落ちたツンに、アルドゥインの尾撃が襲い掛かる。

 巨躯の男神は弾き飛ばされ、宙を舞った両手斧が鯨骨の橋の巨大な碇台に突き刺さる。

 地面に倒れ伏したツン。彼の神気は陽炎のように漏れ出しながら、アルドゥインへと吸い込まれていく。アルドゥインが彼の力を貪り食っているのだ。

 失われていく力と共に、急激に暗くなっていく視界。

 目を見開き、驚愕の表情で固まるツンをアルドゥインは冷徹に見下ろす中、ショールの従士は意識を失い、その存在ごとすべての力を食いつくされた。

 

 

 

 

 

 

 

「ハドバルさん?」

 

「君は……ケントか?」

 

 その人と再会した時の気持ちを、どう表現したらいいのか。健人にはよくわからなかった。

ハドバル。健人に戦士としての心構えを教え、アルドゥインに焼かれたヘルゲンから助け出してくれた恩人。

 そして、その恩を返す間もなく、ドラゴンに殺されてしまった人。

 

「こんなところで会うことになるとはな……」

 

「ええ、本当に……」

 

 こみ上げる感動を押し殺し、努めて平淡な口調で返事を返す。

 

「それにしても、生きたままソブンガルデに来るとは。それに、その装具、ドラゴンのものか……。立ち姿にも、威厳がある。一角どころではない戦士に成長したのだな……」

 

「…………」

 

 目頭が熱くなる。こみ上げる喜びと感激に涙がこぼれそうになるのを耐えながら平静を保とうとするも、自然と目は潤んでしまう。

 グスリと鼻をすすり、親指でわずかに漏れた涙をぬぐう。

 そして大きく息を吐き、心を落ち着ける。

 

「ハドバルさん、そちらの方は確か……」

 

「ああ、レイロフだ。俺の幼馴染だよ。あの時、ヘルゲンでドラゴンと戦った」

 

 レイロフ。

 元ストームクロークの兵士であり、ハドバルとは内乱に対する意見の相違から仲たがいしてしまった人物。

 そして、ヘルゲンからの逃げる際にアルドゥインに立ち向かい、文字通り命を懸けて健人たちが逃げる時間を稼いでくれた人でもあった。

 

「あなたのおかげで、俺もリータも助かりました。本当に、ありがとうございます」

 

「いいさ、俺は俺の納得できる戦いがしたかっただけだしな。それに、こうしてソブンガルデに来れた。願わくば、英霊の末席に加えていただきたいところだが、こう霧が深くちゃな」

 

 カラカラと笑いながらも、レイロフはすぐに真剣な表情を浮かべて、周囲を漂う霧を見つめた。その視線につられ、健人も再び霧に視線を戻す。

 健人が持つドラゴンボーンとしての感覚が、周囲を包む霧から漂うシャウトの気配を感じとっていた。

 

「これはたぶん、アルドゥインが引き起こしたものです。いつから、こんな状態に?」

 

「少なくとも、私がここに来たときはもうこの状態だった。おかげで、完全に道に迷ってしまってな。ところでケント、今、アルドゥインと言ったな。もしかしてあの、伝説の世界を食らうものか?」

 アルドゥインの名に反応したハドバルの言葉に健人が頷くと、二人はそろって驚いた表情を浮かべた。

 

「まさか、俺がヘルゲンで戦った相手が、あのアルドゥインとはな。ハハッ! どうだハドバル。俺のほうが戦ったドラゴンの格は上だったみたいだな」

 

「別に勝負していたわけじゃないだろ」

 

 得意気に鼻を鳴らすレイロフに、ハドバルはあきれたような言葉を述べながらも、不機嫌そうにムスッとした表情を浮かべる。ライバルの方が強いドラゴンと戦ったということで、内心悔しいらしい。

 死んでも自分の誉れを最重要視するあたりは、さすがソブンガルデに来るほどの戦士といったところだろうか。健人が呆れとも感嘆ともとれる微妙な表情を浮かべている中、ハドバルはワザとらしく咳き込みながら話を変える。

 

「とにかく、世界を喰らう者が戻ったってことは、世界の終焉が訪れたということか。まさに予言の通りだな」

 

「しかし、そんな時になぜ君はこのソブンガルデに? 確か伝説では、世界を喰らう者が帰還するとき、最後のドラゴンボーンが現れるという話だったが……まさか」

 

 健人の正体に行きついたハドバルとレイロフが揃って目を見開く中、健人は彼らの予想を肯定するように苦笑を浮かべながら、ポリポリと頬をかく。

 まあ、本来予言に書かれていたドラゴンボーンとは違うが、一応彼も竜の血脈である。随分とイレギュラーな存在ではあるが。

 

「それで、アルドゥインはこのソブンガルデに潜伏しているみたいなんですけど、肝心の居場所が分からないんです。なので、情報を得ようと、遠くに見えた建物に向かう途中なんですが……」

 

「それはたぶん、勇気の間だな。ショールに認められた戦士が、世界の終末までの時を過ごす場だ」

 

「なら、情報もありそうですね。行きましょう」

 

「しかし、この霧をどうやって……」

 

「ロゥク、ヴァ、コーール!」

 

 言いうが早いか、健人は早々に“晴天の空”のシャウトを発動。目の前の霧を吹き飛ばして見せる。

 視界を覆っていた霧が一時的に晴れ、下る道と遠くに勇気の間が見えた。

 

「苦も無くシャウトを使うとは……」

 

「いや、本当に驚きだ……」

 

 ドラゴンボーンとしての健人の能力に驚きつつも、二人は健人と共に、勇気の間への道を下り始める。

 道の幅が広がり、傾斜も徐々に緩やかになっていく。そんな中、健人は再び霧の中にたたずむ人影を見つけた。

 

「すまない、道に迷ってしまってな」

 

「この人は……」

 

「まさか、上級王トリグ!?」

 

「え、この人が!?」

 

 上級王トリグ。

 ウルフリックの挑戦を受けてしまったために、今現在スカイリムに起こっている内乱の起爆剤となってしまった王。そして、休戦交渉で帝国側にいた首長エリシフの夫である。

 健人はその不幸な王を目の当たりにして、驚きの表情を浮かべる。

 

「いかにも、私はスカイリムの上級王トリグだ。ウルフリックの卑劣なシャウトによって、冥界へと送られたのだ」

 

 美麗な顔と死者とは思えないほど艶やかな髭。しかし、顔立ちは若く、恐らくは二十代であろう。

 健人はウルフリックに殺されたという、かつての上級王の容姿は知らなかった。

王ともなれば、常に美しい妻を侍らせるものだから、かなり歳をとっている可能性もあったが、件の上級王は思った以上に若々しく、生命力にあふれた人物だった。

 エリシフと並べば、本当にお似合いと言える夫婦像をイメージできるだろう。

 

「このソブンガルデに来ることを許されたということは、ショールは私の戦いを見てくださっていたということなのだろう。しかし、この霧の中で迷ってしまってな……」

 

「まあ、俺達も勇気の間へ行くところですから、一緒に行きますか?」

 

「頼めるか? 感謝する」

 

 予想外の人物も交えながら、健人達は勇気の間を目指して再び先を進む。

 急だった下り道が徐々になだらかになり始める。どうやら、目的地が近いようだ。

 

「見たところ、君はまだ死者ではないようだが……」

 

「ええ、生きています。アルドゥインが戻ってきて、このソブンガルデに潜伏しているので、情報を得るために勇気の間に行くところです」

 

「アルドゥイン。あの世界を喰らう者か。生きたままソブンガルデに赴き、かの竜王と戦うとは、剛毅なことだな、ドラゴンボーン」

 

 トリグは健人がドラゴンボーンであることに言及しながらも、生者の身でここまで来たことに賞賛を送る。

 そして数秒、迷いを含んだ沈黙の後、彼は静かに口を開いた。

 

「もしも、もしもだが。君が現世に、スカイリムに帰ることができたのなら、頼みがある」

 

「……奥さんへの伝言、ですか?」

 

「そうだ。私自身、ウルフリックの挑戦を受けたことも、その戦いに敗れたことにも後悔はない。ノルドの王として、相応しい生き方を全うできたからだ。唯一の心残りは、我が麗しのエリシフのこと……」

 

 トリグの妻、エリシフは現在ハーフィンガルホールドの首長となっている。

 休戦会議で、健人も面識があった。

 

「伝えてほしいのだ。君の夫は、ノルドの上級王としてふさわしい最後を全うできたのだ。だから、エリシフにも君自身の幸せを探してほしい、と……」

 

 自分の人生に後悔はなくとも、これからも続く伴侶の人生への憂いは残ってしまった。

 しかし、もしもその機会があるのなら……。

 人は死を思うことで、自らの心に素直になれる。

 本来、語ることはできない死者。生者に対して言葉を送る事などできない。そもそも、許されることではないのかもしれない。

 だが、生前の身分など関係なく、真摯に誰かを思う言葉であるのなら……。

 

「……生きて帰れたら、伝えます」

 

「ありがとう……」

 

「いえ、そろそろ着きます……」

 

 そうしているうちに、一行はついに霧を抜け、目的地にたどり着いた。

 霧が晴れ、開けた場所に出た健人達の前に、巨大で荘厳な建物が姿を現す。

 勇気の間。ショールに認められた勇者が、世界の終末までを過ごす場所。

 地を裂く崖に隔てられたその場所へは、白い骨で作られた橋がかけられている。

 

「この骨の橋。間違いなく、ここが伝説のショールの間だ!」

 

「待ってくださいトリグ王。妙な空気です」

 

 興奮した様子のトリグを、健人が押し止める。

 

「どうかしたのか?」

 

「音がない……」

 

「ああ、ここが鯨骨の橋なら、その橋を守る門番、ショールの盾の従士ツンがいるはず。この橋を渡ろうとする者が勇気の間へ行くのに相応しいかどうか試しているはずなんだが……」

 

 健人の言葉に、ハドバルが同意する。

 鯨骨の橋の前には誰もいない。

 不気味な静寂。背筋がヒリヒリする感覚に、健人だけでなく、ハドバル達も無言で周囲を警戒し始める。

 そんな中、健人の目が鯨骨の橋の大きな碇台の上に、妙なものを捉えた。

 

「あれは……斧?」

 

 巨大な骨の上に突き刺さっているのは、人の身の丈はあろうかという巨大な斧だった。

 見た目は黒色の武骨な両手斧。しかし、普通の武器にはない神気を纏っているようにも見える。

 実際、こうして見ているだけで、背筋がゾクゾクするような寒気を感じる武器。

 健人自身、このタムリエルに来てから、様々な魔法の品を見てきたが、その中でも飛び切り突き抜けた代物であることが察せられた。

 

「普通の人……いや、卓越した武人でも扱えるような代物じゃない。多分、神々が持つような……」

 

「……あれがショールの盾の従士の斧だとして、本人はどこに行ったんだ?」

 

「いるべき場所にいるべき人がいない。そんな異常事態を引き起こすような存在、このソブンガルデには多分一つしかないですよ」

 

 その声に、その場にいた全員が戦慄し、顔を引きつらせる。

 ツンがいないという状況、そしてこの冥界に厄介者が入り込んだ事実。その二つの条件が組み合わさり、嫌な予想がこの場にいる者たちの頭に浮かんでいた。

 つまり、ショールの盾の従士がアルドゥインに襲われ、そして敗れたということ。

 

「……ショールの間にいる勇士たちは?」

 

「確かめるしかない……」

 

 そう言うと、健人はおもむろに鯨骨の橋を渡り始めた。

 

「待て健人、試練を超えずにその橋を渡ろうとすれば、天の雷で焼き尽くされるぞ!」

 

「でも、確かめるにはこれしかない。それに時間もありません。迷っている暇はありません」

 

 本来なら、ソブンガルデの番人であるツンの許可なくして渡ることは許されない橋。相応しくない者が渡れば、天から降り注ぐ雷によって魂ごと焼き尽くされる場所。そこへ、足を踏み入れる。

 

「……っ」

 

 ギシ、ギシ、ギシ……。

 足を踏み出すたびに、巨大な肋骨でできた床板が軋む。

 板の隙間から見えるのは、底が見えないほど深い谷。

 いつ天雷が襲ってくるか。ツツ……と流れる汗が頬を冷たく濡らす中、健人は一歩一歩、慎重に進んでいく。

 

「……ふう」

 

 渡り始めてから数分、健人は対岸のショールの間の前にたどり着いた。

 緊張が解け、ドバッと全身から汗が噴き出す。

 

「はあ、はあ……ふう。よし」

 

 己の無事に安堵する健人だが、同時に先程抱いていた嫌な予感がさらに増していくのを感じた。本来の試練なく、橋を渡れた。それは門番であったはずのツンの力が消失しているということ。

 そして、増大する不安を振り払うように健人は扉に手をかけ、ショールの間へと入っていく。

 最初に目に飛び込んできたのは、広大な広間。

 中央には大きな篝火が置かれ、丸焼きにされた牛がパチパチと油が弾ける音を響かせている。

 篝火の傍には長大なテーブルが並び、卓の上にも郷帳や酒が山のように置かれ、その傍では完全武装をした数多くの戦士たちが飲み食いをしながら騒いでいる。 

 まさに宴会場といった様相。だがそこにはピリッとした張り詰めた空気が満ちていた。

 

「ついに来るべき時が来たな!」

 

「ああ! ショールはまだお隠れになられているようだが、我らの戦いぶりを見れば必ずや目を覚まし、あの獣を共に討ち取ってくれることだろう!」

 

 猛々しいセリフと共に酒の入った杯をぶつけ、飲み干していく英霊達。その様子は宴というより、戦の直前のような雰囲気に満ちている。

 健人がショールの間に満ちる異様な熱気に息を飲む中、背の高い一人のノルドが声をかけてきた。

 

「来たな、異端のドラゴンボーン。アルドゥインが魂を捕える罠をここらに巡らせてからというもの、戸を叩く者とてなかったというのに」

 

「貴方は……」

 

 漆黒の両手斧を背負い、豊かな金色の長髪と髭を持つ偉丈夫。蒼い瞳には深い知性の光を秘め、このショールの間にいる英霊達の中でも突出した威容を誇っている。

 あきらかに歴史に名を記すような偉業を成した人物。健人が名を聞くと、彼はゆっくりと口を開いた。

 

「私はイスグラモル。五百人の同胞団の長であり、そしてこのショールの間に集う英霊の一人だ」

 

「イスグラモル!?」

 

 イスグラモル。

 アトモーラ大陸からこのタムリエル大陸にたどり着き、最初の国を造った人間。そして入植したスカイリムでスノーエルフとの全面戦争に勝利し、今のノルド、ひいては人間達の歴史を最初に記した偉人であり王。

 その功績は正に人類の開拓者と呼ぶにふさわしいものであり、考え方によっては、あのタイバー・セプティム以上の偉業を成した人物である。

 

「改めて、会えて光栄だ、異端のドラゴンボーンよ。異邦の地よりこのニルンにたどり着き、数多の困難を乗り越え、あのハルマモラすらも撃退したその偉業。永くここにいる私も耳にしたことがない。我が開拓と並ぶか、それ以上の栄誉だ!」

 

「えっと……ありがとうございます」

 

 突然登場した歴史上の超有名人。さらにはその人から送られる最上位の称賛に、健人は面食らう。

 とはいえ、イスグラモルとしては、健人に向けたこの称賛も当然だった。なぜなら彼は生前、あの知識コレクター、ハルメアス・モラに散々絡まれてきたのだ。

 スノーエルフたちの軍勢をたった五百人で撃退し、人類の歴史を最初に刻んだ開拓者も、あのストーカー邪神からは逃げることしかできなかった。

 ところが、そんな邪神と正面から戦い、撃退した者がいる。

 それを知ったイスグラモルの胸中はいかほどだろうか。

イスグラモルにとって健人は、長年の鬱憤を晴らしてくれた者。そして、自分が成しえなかった偉業を成した人物なのだ。当然、会えて興奮しないわけがない。

 

「それで、アルドゥインはどこに……」

 

 イスグラモルからの強い熱意の視線に戸惑いながらも、健人はここに来た理由を述べると、偉大な古の王はその強面を悔しそうに歪めた。

 

「復活したアルドゥインだが、その力は予言以上のものになっている。あの獣は霧の中で迷った英霊だけでなく、あろうことかショールの従士であるツンすらも食らってしまったのだ」

 

 鯨骨の橋の番人がいなかった理由を聞き、健人は思わず口元を歪める。予想はしていたが、最悪の展開だった。

 

「我らはこれまでショールの命に従い、外に出ないよう努めてきた。しかし、かの竜がショールの盾の従士すらも食らうほどの力を持ったということは、定められた終末の時が来たということ。ならば、我らは剣を取り、最後のその瞬間まで戦おうと決めたのだ」

 

「だけど、神すらも食らうともなれば、ただ正面から戦っただけでは勝てません……」

 

 実際に神に比肩する者と戦った経験があるからくる、実感のこもった言葉。イスグラモルもまた当然、そのことは予見しているのか、健人の言に静かに頷く。

 

「ああ、そうだ。だが、あのアルドゥインすらも畏れる者がいる。君だ……」

 

「…………」

 

「この世界の神々すらも予想できない完全なる異端の魂。そして、その魂と共鳴するためシャウト。それがきっと、アルドゥインを倒すカギになる」

 

 ハウリングソウル。

 あのハルメアス・モラすらも撃退したシャウト。イスグラモルはそれに希望を持っているようだった。

 

「だが、このシャウトは……」

 

「分かっている。あのシャウトがどれほど君に負担をかけるのかも。そのあたりについても任せてくれ」

 

 ハウリングソウルの負荷は、想像を絶する。実際健人は、このシャウトで幾度となく生死の境をさまよっていた。

 効果は絶大、しかし、その負担も甚大。

 重い沈黙が、健人とイスグラモルの間に流れる。交わる視線と共に、せめぎ合う二人の覇気。気がつけば、周囲で騒いでいた英霊達は皆押し黙り、息を飲んで二人の様子を見守っていた。

 完全に飲まれた英霊達をよそに、健人はじっとイスグラモルを見つめていた。

 健人自身、この偉人がこの期に及んで自分を陥れるような人物とは思っていない。

 彼は真実、健人の負荷を抑える手段に心当たりがあり、その実効性も十分確保しているのだろう。

 どうしてここまで、こちらの事情を深く理解しているのかは疑問だったが、相手は歴史の開拓者と呼べるほどの人物。健人の予想の及ばぬ手を持っていても、何ら不思議はない。

 なにより、その深い知性を湛えた瞳にも、先ほど交わした言葉にも、人を陥れようと言う邪念は皆無だった。

 あとは、健人の意志一つ。向けられる熱意の視線を前に彼は……。

 

「……分かりました。やりましょう」

 

 静かに了承の言葉を口にした。

 その一言が数十秒の沈黙を押し流し、続いて「うおおおおおおお!」という鬨の声がショールの間に響く。

 健人の言葉にイスグラモルもようやく、その強面に笑みを浮かべる。

 

「必ずや、その信頼に応えよう。それから、私以外にも、君に会いたがっている者達がいる」

 

 そしてイスグラモルは三人の英霊を健人に紹介した。

 二つの両手斧を背負った隻眼の勇士。ローブを纏い、大剣を背負う修験者。そして、片手剣を持つ女性の戦士。

 三人ともイスグラモルほどではないにしろ、そこいらの英霊とは比較にならないほどの覇気を纏っている。

 

「初めましてだな、異端のドラゴンボーン。そして、ミラークの後継者よ」

 

「貴方達は……?」

 

「隻眼のハコン、黄金の柄のゴルムレイス、そして古きフェルディル。かの竜戦争でアルドゥインと戦い、そして封印した者たちだ」

 

 アルドゥインが古代の竜戦争で封印されたことは知ってはいたが、彼らが実際にそれをなした人物達とは思わなかった。

 同時に、健人の中で沈黙を保っていたミラークの魂が、ドクンと大きく脈打つ。どうやら、目の前の人物。とりわけ、隻眼のハコンと呼ばれた者に反応しているようだった。

 健人がミラークの反応に戸惑っている中、ゴルムレイスと呼ばれた人物が口を開く。

 

「ようやくか! アルドゥインの滅びも近い。ただ命じてくれれば、あのウジ虫が何所に居ようと、全力で叩き潰してくれよう!」

 

 腰の剣を抜き、意気揚々と声を上げるゴルムレイス。三英雄の中でも最も好戦的であるが、同時に最も優れた剣士。パーサーナックスの弟子でもあり、優れたシャウト使いでもある。

 

「油断するな友よ。奴は既に我らがかつて戦ったアルドゥインではない。だがショールの間の戦士達と彼が加われば、必ずや活路を見いだせるだろう」

 

 そんなゴルムレイスを諌めつつも、戦意を露わにしているのは古きフェルディル。

 彼もまたパーサーナックスの弟子。そして星霜の書を使い、アルドゥインを時の狭間に放逐した人物だ。

 背負うのは大剣。豊かな知性と冷静さを持ちながらも、戦士としての心も持つ英雄。

 

「フェルディル、そしてイスグラモルが言うには、あの世界を喰らう者はお前を恐れている。ミラークの後継者よ」

 

「ミラークを知っているのか?」

 

「ああ」

 

 最後に声をかけてきたのは、隻眼のハコン。

 両手斧を二つも背負っている姿も異様だが、何よりも健人が気になったのは、内にいるミラークがこの英雄に対して妙な反応をしていること。

 

「竜戦争の際、アルドゥインと戦おうと話をしたが、断られてな」

 

「ああ……」

 

 その言葉に、健人はミラークの反応に納得がいった。

 竜に憎しみを抱き、反逆したのはハコン達もミラークも同じ。しかし、人としての自分を消され、ドラゴンにもなり切れなかったミラークは、自分の力しか信じなかった。それ故に、ミラークと彼らの共闘は成されなかった。

 もしも、ミラークが彼らと共にアルドゥインと戦っていたら、この世界の歴史はまた違ったものになっていたかもしれない。

 

「しかし、このような形で共に戦うことになるとはな。運命というのを感じずにはいられん」

 

 髭の生えた強面に笑みを浮かべるハコン。

 そんな彼の反応に、未だに不満を捲し立てるように拍動するミラークの魂に、健人もまた苦笑を浮かべた。

 その時、ショールの間に衝撃が走った。

 ズシン……! という轟音と共に、建物が激しく揺れる。

 

「ぐっ!? これは……!」

 

「アルドゥインだ。どうやら、本格的に攻めてきたみたいだな」

 

 窓ガラスが割れ、天井の明かりが落ち、広間が炎に包まれる中、イスグラモルは背中に背負った斧を掲げ、高らかに運命の戦いが始まったことを叫ぶ。

 

「ショールの間の勇士たちよ! 終焉の時が来た。我らの最後の戦いの時だ! この世の終わりに、あの忌まわしき獣と我らの血で、最後の華を咲かせてやろうではないか!」

 

「「「「おおおおおおおおおおおおおおお!」」」」

 

 その宣言に、ひときわ大きな鬨の声が響く。

 そして武器を抜いた英霊達は一斉にショールの間から外へと飛び出していった。

 

「さあ、行くぞ異端のドラゴンボーンよ!」

 

 地響きが鳴る中、健人はイスグラモル、そして三英雄からの視線に頷く。

 そして腰のブレイズソードを抜き、ショールの間の英霊達と共に最後の戦場へと駆け出して行った。

 

 




いや、お待たせして申し訳ない。オリジナル小説第4巻を執筆中の為、かなり遅くなってしまっております。
次はようやく最終決戦となります。

以下、用語説明

ツン
ショール(ロルカーン)の盾の従士。
エイドラであり、ソブンガルデの番人として、鯨骨の橋の前で勇敢な魂の選別を行っている。
八大神信仰の前、自然信仰をしていた頃のノルド達からは、熊の化身とされて崇められていた。ちなみに、彼の主であるショールの化身は狐。
彼の試練なしに橋を渡ろうとすると、雷で焼き尽くされることになる。

イスグラモル
歴史上の超有名人。タムリエル大陸における人類史の開拓者。
タムリエル大陸の北、アトモーラ大陸の住人だったが、第1期後半にタムリエル大陸に移住し、タムリエルで最初の人間の国を造り上げる。
しかしその後、スノーエルフとの軋轢から都だったサールザルを焼かれ、アトモーラへと逃げることになってしまう。
しかし後年、五百人の同胞団を率いてタムリエルへ帰還。スノーエルフを撃退し、人類がタムリエルに入植する基盤を確固たるものにした。
他にも文字を開発し、歴史を文字で記述することを始める。(ノルド、ひいてはその前身であるネディック人は口伝や絵で歴史を伝えており、その流れは第4記でも残っている)
一方で、その功績と能力から色々な存在に干渉されていたらしく、特にハルメアス・モラか執拗な追跡を受けていた。ある意味、健人と同類であり先輩である。

三英雄
隻眼のハコン、黄金の柄のゴルムレイス、古きフェルディルの三人を指す。
竜戦争においてドラゴンレンド、そして星霜の書をつかい、アルドゥインを放逐した人物。
隻眼のハコンは世界最初のドラゴンボーンであるミラークとは面識があり、アルドゥインとの決戦前に共闘を呼び掛けたが、断わられている。

ショールの間
タムリエル版ヴァルハラであるソブンガルデにある建物。認められた者のみが入ることを許され、世界の終わりまで宴をして過ごす場所。

鯨骨の橋
ショールの間へと続く唯一の道。
橋の前ではショールの盾の従士、ツンが待ち受け、勇気の間へと入るにふさわしい魂を選別している。
勝手に渡ろうとすると空から降ってくる雷に焼き尽くされる場所。霊体化でも躱せない。




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第十二話 決戦の始まり

 

 ショールの間から飛び出した健人の目に飛び込んできたのは、引き裂かれた夜空。

 まるで鉈で切り裂いたような荒々しい傷が空を引き裂き、傷跡の奥には灰色に染まった空間が顔をのぞかせている。

 

「ケント、来たのか!?」

 

 鯨骨の橋もたもとで待っていたハドバルが、飛び出してきた軍勢に紛れた健人を見つけて声を上げる。

 いつの間にかソブンガルデを覆っていた霧は晴れていた。おそらく、決戦の気配を察したアルドゥインが、もう意味がなくなったとしてシャウトを解除したのだろう。

 

「お待たせしました、こっちの状況は!?」

 

「先ほど、急激に霧が晴れたかと思ったら、アルドゥインが飛んできた。そうしたと思ったら空が……うわ!?」

 

 ズドン! と腹に響くような衝撃波と共に、アルドゥインが健人たちの上空を通過。同時に漆黒の影の航跡に沿って、新たな傷が空に刻まれた。

 悲鳴にも似た異音が響き、空を覆うオーロラが黄昏色に染まっていく。

 

「奴め、ついにソブンガルデそのものを食い始めたな! 行くぞ戦士たちよ、隊列を組め!」

 

「「「「おう!」」」」

 

 まさしく終末と呼ぶにふさわしい光景をアルドゥインが生み出していく中、イスグラモルの呼びかけと共に、戦士達が動く。

 盾などを持った重装戦士たちが前へ、弓や魔法を得意とした戦士たちは後ろへ。

 各々が自分達の役割を把握し、瞬く間に隊列を組む。その時間、僅か二十秒足らず。

 それぞれが時代も背景も違う道を歩んできた者達であるにもかかわらず、恐ろしいほど迅速で正確な動きだった。

 

「奴を叩き落とす! ジョール、ザハ、フルル!」

 

 そんな彼らに健人も負けていない。先を制するように『ドラゴンレンド』を放つ。

 青色の衝撃波が上空を飛んでいたアルドゥインに着弾し、その体の時を歪める。

 

“ウド、グラ、マフェラーク!”

 

しかし、アルドゥインも慣れたもの、即座にドラゴンオーダーを発動し、健人のドラゴンレンドを無効化する。

 

「「「ジョール、ザハ、フルル!」」」

 

 そこに、三英雄のドラゴンレンドが放たれた。

 元々ドラゴンレンド自体、彼らが最初に造り、使ったもの。定命の概念を理解している彼らもまた、ドラゴンレンドを使うことができる。

 

“アーム!”(ちい!)

 

 ドラゴンレンドの使い手が四人。数だけなら、世界のノドで戦った時よりも多い。

 ドラゴンオーダーで解除し続けても埒が明かないと即座に判断したアルドゥインは、飛び続けることを諦め、即座に降下。地響きをたてながら小高い岩の上に着地すると同時に、目の前の軍勢に向かってシャウトを放つ。

 

“ヨル、トゥ、シューール!”

 

 アルドゥインのファイアブレスが、地面を融解させながら、イスグラモルが指揮する英雄の軍勢へ向かって疾駆する。

 一度飲み込まれれば、骨すらも瞬く間に焼失させる獄炎の螺旋が迫る中、イスグラモルが声を張り上げる。

 

「盾を張れ!」

 

 いうが早いか、盾を持った戦士たちがファイアブレスの射線に割り込み、持っていた盾を掲げる。

 同時に後方にいた戦士たちが障壁を展開。幾重もの巨大な光の盾を作り上げる。

 着弾、衝撃。 巨大な炎の吐息は光盾を基点に二つに分かれ、その余波が鯨骨の橋とショールの間を焼き尽くす。

 炎の奔流は英雄達の盾に防がれるも、伝わってくる衝撃と熱に、英雄たちは思わず苦悶の声を漏らした。

 

「ぐうう……!」

 

「ぬうううう!」

 

 時代に選ばれるほどの英雄達が作り上げた盾すらも貫通する威力のシャウト。アルドゥインの力は、想像以上に大きくなっていた。

 しかし、その程度で引き下がる様な英雄達ではない。

 

「剣の戦士よ、揺ぎ無き力を示せ!」

 

「「「「ファス、ロゥ、ダーーーー!」」」」

 

“むう!?”

 

 隊列の中ほどにいた戦士たちが、一斉に揺ぎ無き力を放つ。

 束ねられた衝撃波はアルドゥインのファイアブレスを蹴散らし、漆黒の巨体をわずかに怯ませる。

 その隙に、三つの影がアルドゥインめがけて踏み込んでいく。仇敵を前に戦意を滾らせる三英雄だ。アルドゥインを前にゴルムレイスが片手剣を、ハコンが双斧を、フェルディルが大剣を振り下ろす。

 

「アルドゥインよ、穢れたワームよ! 今日こそその首をもぎとってやるぞ!」

 

「ここでお前の運命は終わりだ、世界を食らう者!」

 

「あの時つけられなかった決着、いまこそつけようぞ!」

 

“我を封じた者どもか、小癪な”

 

  

 迫る剛撃を前に、アルドウィンは巨大な尾を一閃。三英雄を纏めて弾き返す。

 振り抜かれた尾は三人の体は十メートルほど吹き飛ばし、近くの岩を粉々に砕く。

 舞い上がる粉塵。その塵を突き破って、もう一つの影が踏み込んでくる。

 

「ムゥル、クァ、ディヴ!」

 

 アルドゥインの懐に飛び込んできたのは健人だった。

 発動するドラゴンアスペクト。異端のドラゴンボーンは虹色の竜鱗を纏い、更なる加速とともに刃を振るう。

 

“むう!?”

 

 切り返される尾が、健人のデイドラのブレイズソードと激突する。

 火花を散らしながらせめぎ合う漆黒の刃と鱗。拮抗は一瞬だった。

 数多の魂、そしてエイドラすらも食ったアルドゥインは、健人を遥かに上回る膂力で彼を押し返す。

 

「くっ!」

 

 空中で体勢を立て直し、着地した健人は地面を削りながら、三英雄と共に英雄の軍勢の前まで弾き返された。

 滑走が止まると同時に、彼は改めてアルドゥインと睨み合う。

 巨体を覆う漆黒の鱗はさらにその禍々しさを増し、体の彼方此方からは青白い光が立ち上っている。

 

「アルドゥイン……」

 

“ついにこの地に来たな、異端の同族よ。さあ、あの時つけられなかった決着をつけるとしよう”

 

 数百人の英雄達を前にしながらも、アルドゥインの視線は只一人、健人にのみ向けられていた。

 戦いの口上を述べる竜王を向き合いながら、健人は今一度、自身の胸の奥で燻っていた疑問を投げかける。

 

「……その前に、一つ聞きたい。なぜお前は、今さらになって世界を食い始めた」

 

 きっかけは、あの時。世界のノドで、健人のハウリングソウルと星霜の書が共鳴した事だろう。それによって、ドラゴン達は失われた記憶を取り戻した。夜明けの時代、定命の者となる魂を守っていた頃の記憶を。

 だがそれは動機の起点でしかない。その真意を、このドラゴンはまだ示していないのだ。

 最後のドラゴンボーンとアルドゥインは、世界の命運をかけて戦う運命である。

本来姉が背負う予言。それを健人は、代わりに背負うと決めた。

 だが、それは運命の分岐点を担う一人になると決めたに過ぎない。予言だからと思考停止したまま戦う決断をする気はなかった。

 

「答えろ、アルドゥイン、なぜここにきて、世界を滅ぼそうとする」

 

“それが我の存在意義、存在理由、存在価値だからだ。だからこそ、我はこの名を冠するようになった。アルドゥイン、全てを喰らう者と。なればこそ、その名の通り世界全てを食らってやろうと決めたにすぎん”

 

「答えになってない!」

 

“答える気など、そもそもない!”

 

 アルドゥインは、そんな理由を尋ねる健人の問い掛けを一蹴する。

 

“さあ戦え、貴様の全てを使って、この世の全てを喰らうと決めた我と! 我が真意を知りたいのならば、それが唯一の道だ!”

 

 大気はおろか、空間そのものすらも震わせる声を響かせながら、竜王は健人の問いかけを無視し、更なる戦意を彼へと向ける。

 しかし、その強い拒絶が、健人に強い確信を抱かせる。アルドゥインがまだ真意を隠していることを。同時に、このドラゴンはもう人の言葉でこれ以上語ることはしないのだと。

 アルドゥインがこちらの対話の場に来る気がないのであるのなら、自らが彼の対話の場に行くしかない。

 ドラゴンにとっての対話の場、すなわち、戦いの場へと。

 健人は改めてその事実を飲み込むように、大きく深呼吸をして顔を上げる。

 

「……ミラーク、枷を外せ」

 

 カチン、とミラークが抑えていた枷が外れる。抑え込まれていた魂が脈動し、ドラゴンアスペクトの鎧がさらに輝きを増す。

 

「……いくぞ」

 

 耳を突くような炸裂音と共に、健人がアルドゥインへと踏み込む。瞬きの間に、彼はアルドゥインの足元まで距離を詰めていた。英雄達すらも置き去りにする加速を乗せ、渾身の一刀を振るう。

 しかし、健人の一太刀はアルドゥインの牙に噛み止められた。

 漆黒の竜王はそのまま首を大きくしならせ、再び健人を宙に放り投げる。

 

「ぐっ!?」

 

“いい加減、見慣れたわ! ヨル、トゥ、シューール!”

 

 空中の健人に襲い掛かるファイアブレス。迫る獄炎の渦に飲まれる前に、健人はシャウトを唱えた。

 

「ウルド!」

 

 単音節の旋風の疾走で射線から逃れた健人。彼が着地している間に、アルドゥインは立て続けにシャウトを展開する。

 

“――ッ――ッ――――ッ!!”

 

 メテオ・アポカリプス。

 世界を喰らう者である彼の身が使うことを許されたスゥーム。衝撃が壊れかけのソブンガルデに響くと同時に、天空に刻まれた虚無から無数の隕石が降り注ぎ始めた。

 しかしアルドゥインの注意が彼に向いている中、三英雄が動く。

 

「ゴルムレイス、ハコン、空を覆う奴の邪気を払うぞ!」

 

「ああ!」

 

「「「ロゥク、ヴァ、コーール!!」」」

 

 三英雄が『晴天の空』のシャウトを唱える。

 白い波が引き裂かれた虚空へと広がり、降り注ぐ隕石の雨の勢いが幾分か削がれる。

 

「むう、我らの力だけでは奴のスゥームを完全に散らすことはできんか!」

 

「だが、これなら踏み込める!」

 

 三英雄の一人、ゴルムレイスがいの一番に踏み込む。降り注ぐ隕石の雨を駆け抜け、燃え盛る地面を突っ切りながら右手に携えた片手剣を振るう。

 続いてハコン、ゴルムレイスもそれぞれの得物をアルドゥインに振り下ろした。

 しかし、三人の攻撃はアルドゥインの鱗に容易く弾かれる。

 

「ぐっ! ドラゴンレンドが効いているはずなのに!」

 

「これほどの存在になっているとは……」

 

 ドラゴンレンドにより不壊の鎧を剥されているにもかかわらず、得物が1ミリも通らない事実に三英雄たちは戦慄する。

 失われていた記憶を思い出したからか、それともツンという神を食ったからか。どちらにせよ、今のアルドゥインの力は彼らが竜戦争で戦った時とは比較にならないものになっていた。

 

“邪魔だ、木っ端ども!”

 

 羽虫を払うように振るわれた尾に打ち据えられ、ハコン達三人は再び大きく吹き飛ばされる。

 そしてアルドゥインは彼らを完全に無視し、一直線に健人へと向かっていく。

 

“グオオオ!”

 

「くっ……!」

 

 向かってくるアルドゥインを迎え撃とうと、健人は構える。

 迫りくる牙を躱し、続けて振われた爪を弾こうと盾をかざす。迫る爪の軌道に向かって斜めに盾を掲げ、両足でがっちりと地面を捉える。さらに爪が盾面に接触する瞬間に全身のひねりを加え、全ての力を一点に集約。完璧なタイミングでアルドゥインの爪撃を迎撃する。

 身に付けた盾術、そしてリータが使っていた攻撃反射の重ね技。しかし、健人の盾はアルドゥインの爪を防ぐことも弾き返すことも出来なかった。

 

「ぐぅうう!?」

 

 接触した盾の一部が消し飛び、受けることも逸らすこともできないまま、衝撃で大きく押し込まれる。

 たたらを踏む健人の頬に、冷たい汗がしたたり落ちた。

 彼我の戦力差は世界のノドで戦った時よりもはるかに開いている。剣筋も読まれたと考えれば、ドラゴンレンドが効いている状態でも、健人独力でこの竜王と戦うことはもう不可能だろう。

 もし、そんな不可能を可能にするような手があるのなら……。

 

「魔道師たちよ、我らの友の為に代償の血を流せ!」

 

 健人の脳裏に奥の手が過る中、イスグラモルの猛々しい声が響く。

 英雄たちの軍勢の後衛。魔導士たちで固められた場所から、光の柱が浮かぶ。

 何らかの魔法の発動。健人がその正体を察する間もなく、更にイスグラモルの強い視線が送られる。

『準備をしてくれ』

 英雄の軍勢を指揮する指揮官からの無言の要請。健人の脳裏に、勇気の間でのイスグラモルとのやり取りが思い出される。

 

(共鳴のシャウトがアルドゥインを倒すカギとなる)

 

 脳裏によぎるその言葉に、健人も覚悟を決めた。

 

「剣の戦士よ、揺ぎ無き力を示せ! ドラゴンボーンよ、共鳴のシャウトを!」

 

「「「「ファス、ロゥ、ダーーーー!」」」」

 

「っ、モタード!」

 

 英雄たちのシャウトが発動するとともに、健人は反射的に『共鳴』のシャウトを唱えた。

 英雄達の『揺ぎ無き力』と健人の『ハウリングソウル』の二つのシャウトは互いに混ざり合い、次の瞬間、空間そのものを揺るがす巨大な衝撃波となってアルドゥインに襲いかかった。

 

“グオオオオオ!?”

 

 目を疑うような威力だった。

『共鳴』と一体化した『揺ぎ無き力』は、先程までビクともしなかった漆黒の巨体をまるで小石のように吹き飛ばす。

 さらにアルドゥインを吹き飛ばした衝撃波は射線上にあった山を一瞬で粉微塵に砕き、砂の塊へと変えてしまった。

 

「ドラゴンボーン、こっちへ!」

 

「っ、ウルド、ナー、ケスト!」

 

 考える間もなく、健人は直感に従い、旋風の疾走を展開。イスグラモルと合流する。

 

「イスグラモル、これは……」

 

「君のシャウトは共鳴する相手が多ければ、単音節でも爆発的に威力を上げることが出来る。我らのシャウトに続いて君のシャウトを重ねるのだ」

 

 共鳴とは、二つの存在が共に響き合う現象。これの効果を引き上げるためにイスグラモルが考えたのは、共鳴する対象の数を増やすことだった。

 累乗計算において、底が小さいから指数を増やす。イスグラモルが考えたのは正にこれである。

 しかも、先ほど共鳴したのは、ほとんどが英雄たちのシャウト。

 これなら、健人にかかる負荷を押さえつつ、超高効果のシャウトを発動させることが出来る。

 それこそ、世界を喰らう者として覚醒したアルドゥインに通用するほどの威力で。

 一方、吹き飛ばされ、地面に叩きつけられたアルドゥインはその身を起こし、蒼眼へと変わった瞳で健人と英雄の軍勢を睨みつけると、再びその口腔を開く。

 

「ヨル……トゥ、シューール!」

 

 再び放たれる極大の威力を秘めたファイアブレス。

 勇気の間も一撃で焼き尽くす炎の吐息が、健人と英雄たちに迫る。

 

「戦士達よ、冬の吐息を! ドラゴンボーン、もう一度だ!」

 

「「「フォ、コラ、ディーーン!!」」」

 

「モタード!」

 

 健人のハウリングソウルが、再び英雄たちのシャウトを共鳴させる。

 個々のスゥームが共鳴のシャウトにより一体化。その威力を何乗にも引き上げながら、アルドゥインの獄炎のスゥームと正面から衝突する。

 せめぎ合う極寒の息吹と極炎の咆哮。勝ったのは英雄たちのシャウトだった。

 

“むううぅうう!?”

 

 業火のシャウトを飲み込んだフロストブレスは漆黒の巨体に直撃し、その動きを著しく鈍らせる。

 

「畳みかけるぞ! 槍の英雄達よ、友の穂先に鋭き刃を!」

 

「「「ミド、ヴァ、シャーーン!!」」」

 

 立て続けに下されるイスグラモルの指示。続いて発動したのは『戦いの激昂』のシャウト。

 これは仲間達の武器に『激しき力』と同じ風の刃を付与するもの。

『激しき力』のシャウトの威力は、健人自身も得意としている。ただの鉄の武器が、竜の鱗すらも斬り裂く威力を付与する強力なスゥームだ。

 それが生前、槍で名をはせた英雄達全ての武器に纏わりく。

 

「投擲!」

 

「モタード!」

 

 イスグラモルの声と共に、百の槍の英雄たちが風の刃を纏う槍を投擲した。

 そこにさらに、健人の共鳴のシャウトが重ね掛けされる。

『戦いの激昂』による風の力を受けた槍はその速度を大幅に増し、まるでミサイルのような速度で飛翔して漆黒の竜王に着弾。ハウリングソウルによって劇的に高められた風の力を開放する。

 

“ッ! ッツッ!!”

 

 耳を突くような炸裂音が響き、爆風が荒れ狂う。

 声にならないアルドゥインの呻きを爆音の多重奏が呑み込み、艶やかな漆黒の竜鱗を押しつぶしていく。

 

「吶喊!」

 

「「「「うおおおおお!!」」」」

 

 そこに、英雄の軍勢が突撃を敢行する。

 彼らの武器にも当然のように、風の刃が纏わりついていた。

 次々と振り下ろされる英雄たちの名剣、魔斧、聖槍が、アルドゥインの漆黒の鱗を削っていく。

 

“メイ、ヴォフール! ええい、煩わしい!”

 

「ぐううう!」

 

「うおおお!?」

 

 しかし、それでもアルドゥインは倒れない。

 ダメージなどまるでないかのように、翼をはためかせ、群がる英雄たちを吹き飛ばす。

 

”ロゥ、クォ、レント!”

 

 さらに、サンダーブレスのシャウトを発動。吐き出した雷の奔流を一閃し、吹き飛ばした英雄たちを一瞬で塵に変える。その数、およそ五十人。

 一人一人が時代を担うような英雄たち。それが文字通り灰燼と化した光景に、健人は目を見開く。

 

“ズゥーウ、アルドゥイン、ヌ、ティード、ディノク! ヌ、ダール、ウル! ウスナガール! ズー、サーロト、ムル、オンド、アースト、ヴェンヴィーイグ!”(我はアルドゥイン、今こそ終わりの時! 闇へと帰る時! 我が真なる力よ、戒めを解き放ち、風の翼のごとく甦れ!)

 

「これは……」

 

 アルドゥインが、斬り裂かれた空に向かって咆える。次の瞬間、漆黒の鱗の隙間からあふれ出していた青い光が、真紅に染まっていく。

 心音のように拍動する真紅の光はアルドゥインの漆黒の巨躯を包み込み、全身に葉脈のような毒々しいラインを刻んでいく。

 内側からふれだす力に耐えきれなかったのか、長い首の側面にある一部の鱗は剥がれ落ち、その節々にその下からさらに強烈な紅光の塊が姿を現していく。

 

“ドゥ、クレン、ハールヴェト!“

 

 直後、アルドゥインがシャウトを発動すると同時に、漆黒の光が竜王の体から噴き出した。

 暗闇よりもさらに暗い闇の現出。まるで衣のように竜王の体を包み込むそれの中で、不気味に明滅する真紅の光脈と、唯一蒼いままだった眼光だけが輝いている。

 

“グググ……オオオオオオオオオオオオオオ!”

 

「うわ!」

 

「これは……」

 

 世界そのものを引き裂くのではと思えるほどのアルドゥインの咆哮。それに伴って、ソブンガルデ全体に強烈な地鳴りが響き、引き裂かれた空から覗く灰色の領域が、一気に広がり始めた。

 まるでこの世界そのものが断末魔を上げているような光景。その中で黒紅の体へと変貌したアルドゥインの瞳が、先ほどとは比較にならない圧倒的な絶望感と共に、再び目の前に立ちはだかる英雄たちに向けられる。

 

「っ……英雄達よ、槍を放て!」

 

 軍勢はアルドゥインが纏う絶望感に飲まれ掛けるも、イスグラモルの指示により、かろうじて士気を取り戻す。

 

「「「ミド、ヴァ、シャーーン!!」」」

 

「ドラゴンボーンよ、頼む!」

 

「モタード!」

 

 再び放たれる風槍の雨。健人のハウリングソウルによって今一度劇的に力を増したそれは、一直線に紅光を放つアルドゥインに着弾。再びその暴力的な破壊の嵐を解放するが……。

 

「なっ……」

 

「馬鹿な……」

 

 荒れ狂う嵐はアルドゥインに触れると、投げられた槍ごと瞬く間に消滅した。

 そよ風すら生み出すことなく自分達の攻撃が消え去った事実に、一瞬の沈黙が戦場に流れる。

 

「一体、奴は何をした?」

 

“なにも。我はただ『壊し、喰らった』にすぎん”

 

 壊した? 何を? その場にいた全ての者の脳裏に過る疑問。その答えは直ぐに出た。

 消えた槍雨。徐々に、だが加速度的に崩壊していくソブンガルデ。その光景がすべてを物語っている。

 そう、アルドゥインは喰らったのだ。自身に迫る槍雨の全てを、瞬きの間に。それこそ、塵も残さず。

 

「奴め、世界を喰らう者として、まだ完全に覚醒していなかったのか……!」

 

“これが、この世全てを壊し、喰らう運命を背負った我本来の姿。さあ、終わりの時だ、ジョール。儚く、それでいて眩い生の光を放つ者達よ。全てを諦め、逃れられぬ運命に身をゆだねるがいい”

 

 完全に覚醒した世界を喰らう者は言葉を失う英雄たちを睥睨しながらそう宣言すると、滅びの光を纏いながら襲い掛かる。

 そして世界の崩壊が本格的に始まる中、戦いの第二部が切って落とされるのだった。

 

 





英雄の軍勢
ソブンガルデの勇気の間にいた英雄たちによる軍勢。司令官はイスグラモル。
数にして数百から千人前後と軍隊としては小さいが、兵の一人一人が一時代を担うほどの英雄であり、その戦闘能力はニルンに存在するどの軍よりも優れている。まさに古今東西、あらゆる歴史の中で、定命の者達による最強、最優、最精鋭の軍勢。
イメージとしては某運命の物語にでてくるマッチョ征服王の宝具そのものだが、兵士の質が違い、圧倒的にソブンガルデの軍が勝っている。
司令官であるイスグラモルの指揮能力もすさまじく、軍隊として戦うのであれば、彼らに勝る軍は存在しない。


戦いの激昂
ミド、ヴィ、シャーン(Mid Vur Shaan)

忠実 勇気 激励で構成されるシャウト
味方の武器に『激しき力』と同質の風の刃を付与するもの。
この作品においては、イスグラモルが率いる英雄の軍勢が使用。彼らが持つ武器全てに風の刃を纏わせ、その威力、攻撃速度を劇的に引き上げた。
さらに健人のハウリングソウルによってさらに強化され、その威力は最終的に一投一投が大型対地ミサイルと同等のエネルギーを内包するに至っている。
某運命の物語に倣うなら、マッチョ征服王の軍勢全員が槍兄貴の全力投擲を繰り出してくるという感じ。



覚醒アルドゥイン

世界を喰らう者として、その権能を全開にした竜王。
全身を覆う漆黒の鱗に、真紅の葉脈を思わせる赤いラインを刻まれた禍々しい容貌をしているが、その中で蒼穹の空を思わせる青い光を放つ瞳だけが異彩を放っている。
覚醒した滅びの権能の能力はけた違いで、この世界で最上位の存在であるエイドラ、デイドラロードすらも捕食可能。
その名の通り、存在するだけで文字通り世界を食らい、崩壊させていく終末装置そのものである。
 


滅びの光衣
ドゥ、クレン、ハールヴェト(du,kren,HaalvUt)

食らう、壊す、触れる、で構成されるシャウト。
全てを滅ぼし、捕食する漆黒の光を己の体に纏うシャウト。アルドゥイン専用スゥームであり、彼が纏う不懐の鎧と対となる能力。
彼の世界を喰らう者としての権能が覚醒することで使用可能になる。
破壊は物理的だけでなく、概念的なものにまで及び、このムンダスにおいて彼に破壊できないものは存在しない。
古今東西最強の英雄達と健人のハウリングソウルによる合体攻撃でも竜王本体には攻撃を全く通さないほどの捕食能力を誇るが、このシャウトも彼の力の一端でしかない。



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第十三話 終末を告げる声

“グオオオオオオオ!”

 

 覚醒した世界を喰らう者が、咆哮と共に蹂躙を開始する。

 竜王は一歩一歩、体を纏う闇で周囲の全てを食い尽くしながら、健人たちに迫る。

 

「奴を近づけるな! 押し返せ!」

 

 イスグラモルの指示により、戦意を取り戻した英雄の軍勢は迎撃を開始。持ちうるすべての投擲武器を、アルドゥインめがけて投げつけ、全力の魔法を撃ち込む。

 一撃一撃が並みのドラゴン相手なら十分な深手を負わせられるほどの威力。しかし、立て続けに放たれる槍や矢の雨はアルドゥインが纏う闇に食い尽くされ、文字通り塵も残さず消滅してしまう。

 

「「「ファス・ロゥ・ダーー!」」」

 

「モタード!」

 

 ならばと、英雄の軍勢は先ほどアルドゥインを吹き飛ばした戦法を実施。

『揺ぎ無き力』と『ハウリングソウル』の合体シャウトが発動し、山すらも砕くほどのシャウトが地面を砕きながらアルドゥインに向かって疾走する。

 

“無駄だ”

 

 しかし、それほどのシャウトでも、今のアルドゥインには全く通用しなかった。

 アルドゥインに直撃した瞬間、衝撃波の渦はまるで元から存在しなかったかのように消滅する。

 

「これでもダメか!」

 

 放たれる遠距離攻撃すべてを無効化しながら突き進んだアルドゥインは、ついに英雄の軍勢の最前線に到達。その巨大な翼の生えた右腕の爪を薙ぎ払う。

 

「ぐわあ!」

 

「ぎっ!?」

 

 その一薙ぎで、盾を構えた前衛の英雄十人が消滅した。戦列に穴が開く。

 

“グオオオオ!”

 

 その穴に、アルドゥインが飛びこんでくる。そして進行方向にいた二十人の英雄が、アルドゥインの体に触れた瞬間、まるで塵のように分解された。

 分解された塵はアルドゥインに吸い込まれ、文字通り、魂ごと全て食い尽くされる。

 戦線を一方的に突破された。その事実に、健人の脳裏に最悪の光景がよぎる。

 

「英雄達よ、友を生かすためにその命を捧げよ!」

 

「「「おう!」」」

 

“むっ!”

 

 しかし、アルドゥインが蹂躙を開始する前にイスグラモルの指示の元、英雄たちが動く。

 名も知らぬ三人の英雄がアルドゥインに吶喊。アルドゥインの纏う闇に触れる直前、彼らの体がまばゆい閃光に包まれたかと思うと、強烈な爆発が発生した。

 

「自爆!?」

 

「さあ、我らの死に時だ!」

 

「「ああ!」」

 

 健人が言葉を失う中、新たな三人がアルドゥインへと吶喊。再び閃光と共に轟音が響く。

 その間に英雄たちは突入してきたアルドゥインを再度囲むように、戦線を再構築していた。

 

「ドラゴンボーンよ、こっちだ!」

 

「イスグラモル、これは……!」

 

 イスグラモルの呼びかけに健人が旋風の疾走で後方に戻ると、そこには目を見張る光景が広がっていた。

 地面に輝く光の帯。そこには無数の魔法陣が円形に配置されている。

 幾重にも重ねられたそれの大きさは直径二十メートル以上にも及び、強大な魔力を放ちながら、天を突くほどの光の柱を作り上げている。

 その傍では何十人もの魔法使いたちが祝詞を捧げながら、何かを待っていた。

 明らかに何らかの目的をもって用意された魔法陣。健人がこの魔法陣の用途を聞く前に、イスグラモルが口を開く。

 

「アルドゥインが世界を喰らう者としての権能を開放した。もはや、我らの力では奴に対抗することはできない。故に、かの神に降臨を願う。我らが戦神、ショールに」

 

 ショールの召喚。その言葉に、健人は目を見開く。

 神の召喚自体、前例がないわけではない。

 最も知られている神の召喚としては、二百年前のオブリビオンクライシスの最終局面。

 ムンダスとオブリビオンを隔てる障壁、ドラゴンファイアが消え、デイドラロードであるメエルーンズ・デイゴンがタムリエルに侵攻してきた時だ。

 この時はセプティム王朝最後の皇帝が契約の証である王者のアミュレットと、彼自身の命を捧げることで竜神アカトシュを召喚。デイゴンを倒している。

 

「だが、ロルカーンは不在の神だ。既に死んだ神をどうやって……まさか」

 

「そう……我らの命だ。この英雄の軍勢、全ての命を生贄としてショールに捧げ、その力を君に宿す」

 

 死んだ神を媒体なしに召喚する。その為にイスグラモルは、英雄の軍勢全てを生贄に捧げるつもりなのだ。

 今健人の目の前で展開されている魔法陣は、生贄としてささげられた魂をエセリウスの果てにいるショールに届けるためのもの。そして与えられるショールの力を選ばれた者に注ぐためのものだった。

 

「君は、そのための存在だ。人でありながら竜の力をもつ者よ。その為に、ここに来るよう運命づけられた」

 

 強い光を宿した目で、イスグラモルは健人を見つめる。

 星霜の書に刻まれた最後のドラゴンボーン、その役目を代わりに背負った者を。

 

「……あなた方はどうなる?」

 

「この世界が生き残るにせよ、食い尽くされるにせよ、ショールの力となって完全に消滅することになるだろうな」

 

 消滅。その言葉に、健人は言葉を失う。

 一方、イスグラモルや彼に従う英雄達には、迷いも憂いもない。自らが完全に消えることすら、受け入れている様子だった。

 

「ドラゴンボーン?」

 

 それがどうしようもなく、健人の胸を穿つ。

 そうなのだ。彼らは戦いで死ぬことに、まったく迷いがない。

 誉れ高く生き、そして果てる。現代に住む日本人にはなじみのない生き方。

 健人はそんな彼らの生き方に違和感を抱きつつも、同時に敬意も抱いていた。この世界に来てから、彼に戦いの心構えを説いたハドバルや、他の多くのノルド達と関わってきたから。

 己の大切な何かの為に全てを出し切る生き方は、ぬるま湯の中で生きられる現代日本で生きてきた健人にとって、ある意味まぶしいものだから。

 

「まだだ、まだ早い」

 

 だからこそ、健人はイスグラモルの策に首を縦に振ることが出来なかった。

 

「他に手はない。このままでは、アルドゥインに世界全てが食い尽くされるのだぞ!」

 

 用意した策を拒否する健人に、イスグラモルが強い口調で詰め寄る。

 彼らにとってロルカーンの召喚は唯一の突破口。完全に覚醒したアルドゥインを倒すには、竜王を作り上げたアカトシュと対となる存在に力を借りるしかない。

 それこそ、自分達が消滅するのだとしても。

 

「イスグラモル、貴方達の志は……俺から見たらちょっと野蛮だけと、尊いものだ。だからこそ、俺は貴方の案に乗れないんです」

 

「どういう、ことだ?」

 

「今の俺は、貴方達の命を受け取るにはふさわしくないってことです……」

 

 健人の言葉がわからず呆然とするイスグラモルに苦笑を浮かべながら、健人は彼らに背を向ける。

 視線の先では、英雄たちが文字通り命を散らしてアルドゥインを足止めしていた。

 

「それに、やっぱり俺は甘っちょろい地球の日本人です。その志が尊いものだとしても、生贄そのものにどうしても抵抗感を覚えてしまう」

 

「だが、これ以外に方法は……」

 

「でもそれはたぶん、まだ自分がまだできることがあるからなんだと思います。同時に、それに俺はまだ恐怖を覚えているということも」

 

「恐怖……?」

 

「嫌悪、といってもいいかもしれません。ずっと手元にあったけど、使おうとはしなかった。使いたいとも思わなかった。むしろ、早く捨てたいと思って、見ないようにしていた」

 

 そう言いながら、健人はおもむろに腰のポーチに入れていた者を取り出して掲げた。

 黒く、分厚い表紙。

 

「それは……」

 

「黒の書。俺が壊した、あのデイドラのアーティファクト……」

 

 壊れた黒の書“白日夢”。

 デイドラロード、ハルメアス・モラのアーティファクトであり、かつてソルスセイムで、健人が激闘の末に破壊した領域へと続く本だ。

 ネロスは言っていた。この本の所有権は、何故か健人にあると。

 どうしてそうなったのか、そしていつまでそうなのかは分からない。

 そもそも、本の中がどうなっているかもわからない。あのハルメアス・モラのことだ。何らかの罠や策謀があるだろう。

 そんな予想から、健人はずっとこの本を使うことをしてこなかった。

 

「正直、こいつを使いたくはなかった。俺にとっては、忌まわしいものだから。でも、だからと言って、いつまでも目を背けているわけにもいかない」

 

 今はこみ上げる恐怖を飲み込み、闇の中へと足を踏み出さなければならない。でなければ、全てを捧げて力になろうとしているイスグラモル達の命を受け取ることなど、到底できない。

 意を決し、健人は秘中のシャウトを己へと向けて叫ぶ。

 

「モタード、ゼィル、ラヴィン!」

 

 完全な三節のハウリングソウルが発動。

 同時に極大まで高まったドラゴンソウルの共鳴により、巨大な虹の柱がソブンガルデの空へとそそり立つ。

 ソウルリンクバースト状態へと移行した健人は、そのまま己の内側へと語りかける。

 

「ミラーク、頼む」

 

(まったく、相も変わらず無茶を考える主だ。だがまあ、いいだろう、やってみよう)

 

 帰ってくるのは、呆れたような戦友の声。同時に右手から魔力が伸び、空中に魔法陣を描き始める。

 イスグラモルの魔法陣と重ねられるように描かれるそれは、掲げた黒の書を中心に広がり続け、心臓の鼓動のように明滅を繰り返す。

 魔法陣に連動するように黒の書のページがひとりでに開き、意味不明な文字の羅列が流れ始め、点滅する魔法陣と同期するように拍動を始める。

 徐々に早まっていく魔法陣と黒の書の拍動。そして二つの拍動が完全に一致した瞬間、ひときわまばゆい閃光が走った。

 

(主よ、奴が来たぞ)

 

 目を焼くほどの光の渦。だが直後、健人の視界は闇へと包まれた。

 瞼を開ければ、無数の紙片が舞う深淵の闇が目に飛び込んでくる。

 そして、闇の奥から、∞の形をした巨大な眼孔が姿を現した。

 

『ひさしぶりだなケント、我が勇者よ』

 

 禁断の知識を司るデイドラロード、ハルメアス・モラが、再び健人の前に姿を現す。

 泡沫のように浮かぶ無数の瞳が、薄暗い歓喜を浮かべながら彼を見下ろしてくる。

 

「ハルメアス・モラ……」

 

『いずれ、戻ってくると思っていた、この場所に』

 

「生憎と、おしゃべりをしに来たわけじゃない」

 

 長々と話をしようとするハルメアス・モラの声を、健人はバッサリと断ち切る。

 神に対して不遜ともいえる態度だが、知識の邪神は逆に、そんな健人の態度によりいっそう嬉しそうに身を震わせていた。

 

『分かっている。手に入れに来たのだろう? この領域を。アルドゥインと対抗するために。だが、残念だな。それは無理な話だ』

 

 分かってはいたが、そう簡単な話ではない。健人は覚悟を決め、得物を構えた。

 しかし、ハルメアス・モラは戦闘態勢をとる健人に対して、特に気を悪くするような様子はなく、話を続ける。

 

『勘違いするな、ドラゴンボーンよ。この領域は、最初からお前のものだ』

 

「……どういうことだ?」

 

 アーティファクトの所有権は移っていても、領域は別。そう考えていた健人は、ハルメアス・モラの言葉に眉を顰める。

 

『お前は私に、無限の知識を得られる可能性を見せた。その対価として、お前が私を打ち破った時に、既にこの領域はお前に渡してある。お前が今までここに来なかったから、伝えられなかっただけのこと……』

 

 ハルメアス・モラにとって、この領域は既に自分の手から離れたもの。

 自らが本当の意味で勇者と認めた者が、己の知識と力、そして勇気で勝ち取ったものなのだ。対価として渡したそれを反故にする気は、もとよりない。

 

『ケントよ、お前はこの領域の主。ゆえに、お前は自らの望みを思うだけでよい。それだけで、お前は神となり、この領域はお前に応えるだろう』

 

 自分を睨みつけてくる健人に対して、ハルメアス・モラはそのおどろおどろしい外見に似つかわしくないほど、穏やかに語りかけてくる。

 

『神となれば、あの世界を喰らう者とも戦えるだろう。さあ、新たなロードの資格を持つ者よ。お前は、どんな神になりたいのだ?』

 

 健人とハルメアス・モラ視線が交わり、耳なりがするほどの静寂が、オブリビオンの片隅に流れる。

 一秒、二秒、三秒……。沈黙が続く。

 やがて二十を数える頃、健人はゆっくりと口を開いた。

 

「……ならない」

 

『なに?』

 

「俺は神にはならない。俺はここに、神になりに来たんじゃない。未来を掴むために、この領域に満ちているものを取りに来ただけだ」

 

『自身が神にはならないと? 定命の者のままで、終末の権能を発揮した世界を喰らう者に勝てると思っているのか?』

 

「神になったって勝てないだろ。実際、ツンが食われている」

 

 アカトシュの長子、アルドゥイン。その力は並みの神をはるかに上回る。借り物の力では届かないだろうし、神になったとしても、成り立てが勝てる相手ではない。

 

「それに、ロードになれるっていうのも嘘だろ。そんな簡単に神になれたら苦労はしない。大方、願いを言った瞬間にこっそり自分との契約を間に挟みこんで、俺を縛りつけるつもりだったんだろ?」

 

『くくく、その通りだ。領域を得たからと言って、神になれるわけではない。そもそも、順序が逆だ。領域を得たから神に成れたのではなく、神になれるほどの存在だからこそ、領域を作れるというだけのこと』

 

 領域を得るというのは、神になった結果であり、神になれる条件ではないと知識の邪神は明言する。

 同時に、もし願いを言っていたら、自分の傀儡にするつもりだったとも告白してくる始末。

 対価はちゃんと渡すが、その対価を神になるために使った結果、契約が結ばれるようにする気だったのだ。

 知ってはいたが、つくづくこの邪神は油断ならない。

 

『我が企みを見破ったお前に宣言しよう。お前がロルカーンの力を使わない限り、あの世界は滅びる。それが、我が予期した未来だ。アルドゥインも、そしてロルカーン自身も、それは承知の上だ』

 

 懐かしくも聞きたくもない予言を述べると、ハルメアス・モラは深淵の彼方へと消えていった。

 つまるところ、この終末的な状況というのは、ロルカーンにとっても願ってやまない事態らしい。

 はあ……と大きなため息を吐く。ハルメアス・モラが消えたことで、白日夢の領域に再び光が戻ってくる。

 気がつけば、健人はソブンガルデへと戻っていた。

 戦闘は未だ膠着状態。英雄たちはその命を散らしてなんとか時間を稼いでいるが、元々英雄の軍勢は群としては少数であるがゆえに、加速度的に戦力が落ちて行っている。突破されるのは時間の問題だった。

 

「やっぱり、神ってクソだな!」

 

 先ほどのハルメアス・モラの言葉を思い出し、健人はそう吐き捨てると気持ちを切り替えた。意識を黒の書“白日夢”と、その領域全域へと伸ばしていく。

 この領域が健人のものだというのなら、彼の意志に沿ってその形を変えるだろう。

 願うは、未来を切り開く力。終末の闇を払う光だ。

 健人の思考を反映するように、白日夢の領域そのものが力へと変換されていく。

 次の瞬間、掲げられた黒の書から、強大な魔力が噴き出した。

 噴き出した魔力はイスグラモル達の魔法陣を介して、健人へと注がれる。

 注がれた魔力が隆起しているドラゴンソウルが交じり合い、激震がソブンガルデ全域に響く。

 

(主よ、行けるぞ!)

 

「全軍、ドラゴンボーンに道を開けろ!」

 

 イスグラモルの号令に、戦列を作っていた英雄の軍勢が一斉に左右へと分かれる。

 距離にして数百メートル。その先にいるアルドゥインと、健人の視線が交差した。

 

「っ!」

 

 健人が踏み込む。直後、彼は純粋な身体能力の身で数百メートルの距離を一瞬で踏破した。

 

“っ!?”

 

「おおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 掲げられる健人の愛刀。血髄の魔刀の刃に膨大な魔力が収束し、ミラークが用意していた魔法が発動する。

 魔力の剣。

 素人レベルの召喚魔法。その名の通り魔力で剣を生み出すだけの単純な魔法だ。しかし、ミラークという超一流の魔法使い、そしてオブリビオンの一領域を代償に産み出されたそれは、何もかもが規格外だった。

 生み出された魔力の剣は、健人の身長を遥かに超え、十メートル以上の巨大な刃を形成。そしてその刃が、大きさに見合わぬ超高速で振り抜かれた。

 膨大な魔力で形成された刃が、アルドゥインの“滅びの光衣”と激突。

 魔力で構築された剣は瞬く間に食われるも、完全に消滅する前に滅びの光衣を突破し、僅かに残った魔力の刃と血髄の魔刀が、アルドゥインの胸を大きく斬り裂いた。

 

“ぐうううう!?” 

 

 驚くアルドゥインの目の前で、血髄の魔刀が返す刃で逆薙ぎに放たれる。その刃には再び、巨大な魔力の剣が構築されていた。

 

“これは……オブリビオンの領域から魔力を引っ張ってきた……いや、領域そのものを魔力に変換したのか!?”

 

 薙ぎ払われた刃が、アルドゥインの胸に再び深い傷を刻む。

 いくらアルドゥインの“滅びの光衣”とはいえ、その吸収能力には限界があった。

 ソウルリンクバーストによる、ミラークの無詠唱魔法。そして『白日夢』の領域すべてを対価にした超魔力が、その上限を突破することを可能にしていた。

 

“っ、やはり、お前が我の……”

 

「おおおおおおおおおおおお!」

 

 三度目の斬撃。ここに来て初めて、アルドゥインは防御の姿勢を取った。

 盾のように己の皮膜を広げ、健人の斬撃を防ごうとする。

 真紅のラインを描く禍々しい翼が、まるで布切れのように斬り裂かれる。

 しかし次の瞬間、バン! と弾ける音と共に、健人の右手の小手が吹き飛んだ。

 

「っ、ぐぷっ……!?」

 

 舞う鮮血と共に全身に走る激痛。筋肉が裂断し、臓腑の奥から血が込み上げてくる。

 僅か三太刀。それだけで、健人の体の中は魔力の負荷でズタズタになっていた。

 当然だ。領域一つを代償にした超魔力など、いくらシャウトで肉体を強化しようと、只の人間に耐えられるはずもない。

 

「ッ……! はああああああ!」

 

 その激痛をすべて無視して、健人は四度目の刃を振るう。

 しかし、アルドゥインとて攻められてばかりではなく、破滅の光衣をまとった爪を健人めがけて振り下ろす。

 激突する斬撃と爪撃。全てを食らう闇と極光の刃は互いを食い散らし、残滓となって消えていく。

 五度、六度、七度と斬り結ぶ、虹の竜人と漆黒の竜王。

 しかし、八度目の激突で、ついに健人が僅かに押し返された。その動きも徐々に鈍り、剣撃に精彩が欠け始め、十度の激突でついに健人は大きく後ろへ弾き飛ばされた。

 

“今度こそ、終わりだ……”

 

 ここぞとばかりにアルドゥインがトドメを刺そうと健人に迫り、その顎を開く。破滅の光衣をまとった凶悪な牙が迫る。

 

「英雄達よ、かの者こそ、やはり我らの命を託すに値する勇者だ!」

 

「かの者の傷は我らの傷! 我らの命と力をドラゴンボーンに!」

 

 健人とアルドゥインの戦いを見守っていた英雄たちの声が、崩壊しかけのソブンガルデに響く。

 イスグラモルの声に、英雄の軍勢の魔法使いたちが一斉に魔法を展開した。

 先程まで用意されていた、ロルカーンに贄を捧げ、その力を受け取るための術式。それが反転、対象を変更したうえで発動する。

 捧げられるのは彼らが信ずる神ではなく、今この場で戦っている健人。

 膨大な力の反動を健人から自分達へと移し、更に負った傷を急速に癒していく。

 いや、もはやそれは『癒える』というより、『復元』と呼ぶ方がふさわしい回復速度だった。

 

「イスグラモル……お前!?」

 

「いけ、ドラゴンボーン! 世界を喰らう者を打ち砕け!」

 

「っ!?」

 

 勝手に自らを生贄にするイスグラモル達に健人は思わず振り返り、抗議の声を張り上げようとする。しかし、その口は強い意思の宿った無数の視線に止められた。

 自らを贄とした英雄たちは、誰一人として、後悔も苦悩もしていない。

 分かっていたことだ。それこそが、彼らの生き方。誰にも曲げることのできない、魂のあり方だから。

 迷いを振り切るように、健人は巨刀を一閃。攻勢をかけようとしていたアルドゥインを、逆に押し返す。

 

「っ、あああああああああああああああ!」

 

“っ! さらに力が増すのか!?”

 

 限界をさらに越えた魔力を引き出し続けながら、健人は踏み込む。

 巨刀を繰り出すたびに英雄たちが塵へと帰っていく。

 しかし、健人は止まらない。質量差も力の差も知らんとばかりに、滅びの光衣を斬り裂き、覚醒したはずの竜王の体に無数の傷を刻みこんでいく。

 

「はあああああああああああああああああああ!」

 

“ぐうううう!”

 

 一際強烈な一撃が、アルドゥインの体を大きく斬り裂さき、その巨体を吹き飛ばす。

 間合いが空いた。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 健人の口から響く咆哮。魂の震えは極大となり、溢れ出す虹色の燐光がソブンガルデを覆い尽くす。

 

「モタード、ゼィル……」

 

 紡がれるハウリングソウル。世界のノドでの戦いで、アルドゥインに大ダメージを与えたシャウト。それが、英雄たちの魂、取り込んだ白日夢、そしてソブンガルデの全てを巻き込み、共鳴していく。

 その規模は、かつてハルメアス・モラとの戦いの時よりも激しく、ソブンガルデはおろか、オブリビオン、エセリウスを含めた全ての世界に響き渡っていく。

 

「ラヴィン!」

 

 そして、三節目が唱えられると同時に、虹色の衝撃波がアルドゥインに襲い掛かる。

 

“ぐううう、がああああああああああああああああああああ!”

 

 響くアルドゥインの絶叫。

あらゆる存在を食い尽くすはずの『滅びの光衣』は健人のハウリングソウルによって一方的に砕かれ、竜王の肉体を千々に引き裂いていく。

 だか荒れ狂う共鳴のシャウトが今まさにアルドゥインを押し潰そうとしたその時、竜王の蒼眼がひときわ強い光を放った。

 

“この、時を……待っていたぞ!”

 

「なに!?」

 

“アル、ドゥ……”

 

 最大威力のハウリングソウルにその身を引き裂かれながらも、アルドゥインの舌がスゥームを紡ぎ始めた。

 健人の胸の奥で、急速に嫌な予感が膨れ上がる。

 しかし、健人がアルドゥインを止める間もなく、竜王のシャウトは完成してしまった。

 

“イン!”

 

「なっ!?」

 

 アルドゥイン。かの者の名と同じシャウトが発動。次の瞬間、漆黒の闇が瞬く間に広がり、健人の視界を覆い尽くす。

そして彼は意識を失っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 暗闇に呑まれていた意識が、ゆっくりと浮上する。

 頬に感じる冷たさに、健人はまだ自分が生きていることに気づき、身を起こす。

 

「ここは……いったい何が」

 

 目に飛び込んできたのは、真っ暗な闇に包まれた世界。健人を中心に広がる波紋だけが、オブリビオンの深淵よりも深い虚無へと広がっていく。

 

“まさか、まだ形を保っている者がいるとはな……”

 

「アルドゥイン……!」

 

 聞こえてきた声の方に振り返れば、漆黒の竜王が健人を見下ろしていた。

 反射的に剣を構え、先ほどと同じように魔力の刃を生み出そうとする。

 しかし、魔力は微塵も湧き上がらなかった。白日夢を代償に産み出した魔力、全てを使い切ってしまっていたのだ。

 

“剣を引け、もう終わったのだ、異界のドラゴンボーンよ”

 

「なに?」

 

“我はソブンガルデ、そしてムンダスの全てを喰らいつくした。お前の世界は滅んだのだ”

 

「何を……馬鹿なことを」

 

 全身に寒気がはしる。ヒクつく声でアルドゥインの言葉を否定するも、体はおこりのように震え、止まる様子がない。

 

“お前も我と同族であるならわかるであろう? 途切れた時を、消えた魂の残響を”

 

「まさ、か。そんな……」

 

 その言葉に、健人は言葉を失う。

 分かってしまう。今この場に満ちる無数の魂“だった”者達の存在を。

 喰われ、すり潰されて虚無へと落ちた世界と、その悲鳴を。

 

「あの、シャウトは……」

 

“世界を喰らうシャウト。我が持つ、本来の力だ。ただ叫ぶだけで、あらゆる存在を一瞬で食い尽くす絶対のスゥーム。”

 

 アルドゥイン。

 終末を告げる声。全てを食らう者であるアルドゥインの名前と同じ言葉で構築されたシャウト。

 かの竜王の権能そのものであり、神すらも食らうことを可能とするスゥームだった。

 

“だが、お前の力がなければ、ここまで早く世界を喰らうことは無理だっただろうがな”

 

「……なん、だって?」

 

 健人の全身を覆う寒気が、一気に強まる。

 いくら『終末を告げる声』でも、一瞬でソブンガルデとムンダスという二つの世界を食い尽くすことは不可能だった。

 それを可能にしたのは……。

 

“お前の力が、我に一瞬でムンダスを食い尽くすことを可能とした。共鳴のスゥーム、我の体を砕こうとしたあの力を、逆に利用させてもらったのだ”

 

 共鳴のシャウトによる威力の増大。先の戦いで英雄の軍勢が利用していたそれを、アルドゥインも実行したのだ。

 結果、ソブンガルデとムンダス。二つの世界と、そこに住む全ての命は、一瞬で世界を喰らう者に食い尽くされ……滅びた。

 

“お前の頑張りすぎだ、ドラゴンボーン。お前は世界を繋ごうとしたその力で、逆に世界を砕いたのだ”

 

「く……おおおおおおおお!」

 

 顔を引きつらせながらも、目の前の絶望を否定しようと、健人はアルドゥインへと突撃する。

 しかし、ドラゴンアスペクトも解け、魔力も尽きていた。

 

”フン……!”

 

「あぐ!?」

 

 竜王はその強靭な尾で、全ての力を使い果たした健人を打ち据える。

 宙を舞った健人は虚無の湖面に叩き付けられ、幾つもの波紋を広げながら倒れ伏した。

 

“この全てが混沌に帰った中で、お前だけが残った。やはり根源が違うからか”

 

「くうう……」

 

“しかしそれでも、そう時間もかからず我が腹の中で、他の魂と同じく虚無へと帰る”

 

 両手をついて身を起こそうとする健人の手足が、漆黒の湖面が飲み込み始める。

 瞬く間に両肘が消え、続いて全身を闇が包み込み始めた。

 健人は必死に抵抗するも、闇は容赦なく健人の体を虚無へと変えていく。

 

“これは既に決められていた運命だ。さあ、眠るがいい。やがて死が訪れるその時まで、せめて夢の中で安らかならんことを……”

 

 そして健人は闇に飲まれ、存在の全てを消されながら、虚無へと落ちていった。

 

 

 

 




ということで、いかがだったでしょうか。
主人公、最善を尽くした結果、世界を砕いてしまいました!

以下、用語説明。



壊れた黒の書“白日夢”

健人がハルメアス・モラとの戦いで手に入れた知識の書。
アポクリファへと続くオブリビオンゲートであるが、双方の戦いの中で白日夢の領域は破砕され、その残滓が誰にも手が出せない状態で虚空界の中を漂っていた。
最終的に神の手を借りず、自身の最善を尽くそうとする健人と、彼に付き従うミラークの手により純魔力に変換され、彼自身へと注がれて覚醒したアルドゥインと戦うための力となる。



終末を告げる声(Al、Dou、In)

破壊者、喰らう、主で構築され、世界を喰らう者としてのアルドゥインの権能すべてを集約して放たれるシャウト。
かの竜の名そのものであり、文字通り世界全てを喰らうスゥーム。発動した瞬間、シャウトの効果範囲の存在は全て破壊され、アルドゥインの腹に収まる。
喰われた者はその存在全てを砕かれ、原初の虚無へと帰る。
ニルンで使用すれば、タムリエル大陸全域を効果範囲に収め、壊れかけのソブンガルデなら一言で食い尽くせる。
本来、広いムンダスを食い尽くすには幾分か時を必要としたが、健人のハウリングソウルと共鳴させることで、二つの世界を一瞬で飲み込んだ。



ハルメアス・モラ

ひさしぶりに推しに会えるということで、ウキウキしながら登場。
僅かな会話の中でも変わらない彼の姿に、満足して帰っていった。
気分は完全に推しのアイドルの握手会のノリ。
また何かプレゼントを考えている。当然、健人本人が喜ぶかどうかは考慮していない。



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第十四話 最後の戦いへ

 

 真っ黒な空と、黒い水面がどこまでも広がっている。

 ムンダス、そしてソブンガルデの全てを飲み込んだアルドゥインは、虚無に満たされた己の中で、静かに瞑目した。

 ようやく終わった。そして、ようやく始めることができる。

忘れていた記憶。

 殻の塔としてアカトシュに作られ、未来を掴もうと傲慢にもあの星霜の書に手を出してしまった時を思い出しながら、アルドゥインは自らが呑み込んだ虚無の中で揺蕩っていた。

 

(すべてを、あるべき姿に戻すのだ……)

 

 世界の再創造。それこそがアルドゥインの望みであり、贖罪。

 己の傲慢故に兄弟達を歪め、記憶を失い、そして権力欲と支配欲に囚われる存在へと貶めてしまった。

 アルドゥイン自身も自分を見失い、兄弟達以上の支配欲であらゆる命を奪い尽くす有様。

 永い年月、歪み続けてきた世界は、もはや元に戻すことはできない。

 だからこそ、アルドゥインは決意した。すべてを滅ぼし、やり直すことを。

 

(ケルを……星霜の書と世界の全てを飲み込んだ今、後は最後の鍵を取り出すのみ)

 

 冷たい虚無の海の中、その者の魂が出てくるのを待ち続ける。

 今、あの者は己が最も望むものを見ている。虚無の闇は優しく、最後の望みをかなえ、そしてその魂にこびり付いたすべてを溶かし落としてくれるだろう。彼の名前、記憶、感情、その全てを。

 異端のドラゴンボーンが純粋な魂に戻った時、ようやく全てをなかったことにできる。我らの罪、我らの咎を。そして、すべてをやり直せるのだ。

 そして、その時が来た。

 虚無の中、黒一色の湖面を思わせる闇の底から、虹色の光が覗く。

 無限に続く虚無と比べれば小さく、儚い輝き。

 しかし、それこそ待ちわびたのもの。アカトシュの直系であり、世界を食らう役割を負わされたアルドゥインでは、決して生み出せず、得られないもの。

 この輝きが虚無の中に完全に沈んだ時、最後の鍵も彼のものとなる。

 その瞬間を待ちわびる。そして、闇の湖面がひときわまばゆく輝く。

 贖罪の時が、来た。

 

 

 

 

 

 

 

 暖かい感触に包まれながら、ぼんやりと意識が浮上する。

 瞼を通してくるまばゆい光に眉を顰めながら目を開ければ、閑散とした四角い白い部屋が目に飛び込んでくる。

 

「ここは……」

 

 視線を横にずらすと、小綺麗な壁紙とノートパソコンが乗った学習机があった。

 ノートパソコンのジャックにはイヤホンが刺さったままで、持ち主のちょっとずぼらな部分が垣間見える。

 白いカーテン越しに窓からは朝日が差しこみ、部屋の中を照らす。

 体を起こせば、パサリとかけていた布団が落ち、少し肌寒いが、スカイリムに比べればずっと暖かい空気が上半身を撫でた。

 

「朝? それにここは、俺の部屋……」

 

 そこはスカイリムに飛ばされる前、健人が住んでいたマンションの自室だった。

 小綺麗に片付いてはいるが、特に趣味らしい趣味も見えない、無機質な部屋。

 額に手を当てて頭を振る。変な夢を見ていた感覚。頭はボ――っとして、思考がまとまらない。

 仕方なく、健人はベッドから降りると自室を出た。ジュ――っと何かを焼く音と、香ばしい香りが漂ってくる。

 いったいなんだろう。ペタペタと冷たい床の感触を足の裏に感じながら、音のするキッチンの方へと向かう。

 ガチャリとドアを開けると、白いワイシャツを着た男性の背中が目に飛び込んできた。

 

「父さん?」

 

「ああ、起きたのか健人。もう少し待っててくれ、すぐにできるから」

 

 振り返った男性は健人の姿を確かめると、人のよさそうな笑みを浮かべる。

 坂上昇。

 健人の父親で、ある大手商社に勤めるサラリーマンだ。

 良く言えば人畜無害、悪く言えば意志が弱そうな容貌をしており、かけた四角く細い眼鏡が、その印象をいっそう際立たせる。

 そこで健人はふと父親がエプロンをかけ、コンロの前でフライパンを持っていることに気づいた。

 

「なんで、父さんが朝飯なんてつくってるの?」

 

 朝ご飯を含め、家の家事はほとんど健人がしている。父がすることといえば、休日に少し玄関を掃くことくらい。

 

「ずっと健人に任せっきりだったろ。それじゃあいけないと思ってな」

 

「いや、父さん忙しいだろ? 昨日だって帰ってきたの十時過ぎだったじゃないか」

 

 実際、昇は多忙だ。

 会社の中でも雑用といえるような部署に配置されているらしく、夜遅くまで多種多様な仕事に追われることが多い。

 そこで健人は思い出した。

 昨日は父親の為に夜食を造ろうと思ったら、冷蔵庫の中に材料が足りなかったために、コンビニまで買い出しに行った。

 そして帰り道に公園に寄ったら、そこでスカイリムに飛ばされたのだ。

 

(あれ? じゃあ、どうして俺はベッドに寝ていたんだ? 買った材料、まだ公園に落ちてる?)

 

 思考があちこちに飛ぶ中、昇はフライパン片手にヘラを掲げて得意げな笑みを浮かべる。

 

「たまにはいいだろ。それに父さんだって、少しは料理上手になったんだぞ」

 

「でもなあ……。父さん、フライパンから煙出てるよ」

 

「え? うわ……!?」

 

 気がつけば、フライパンからは濛々と白い煙が立っていた。

 父親が慌てて火を消し、そしてフライパンの中身を見てガクッと肩を落とす。健人がそっと近づいて脇から覗き見れば、縁が真っ黒こげになった目玉焼きが目に飛び込んできた。

 父親からヘラを奪い取り、ササっと場所を入れ替わる。

 カリカリと焦げた目玉焼きの縁をかくと、ペキッと炭が割れる。そのまま炭化した目玉焼きを救出。どうやら、焦げたのは縁と底面だけのようで、食べることはできそうだった。

 もう一方のコンロの中には味噌汁。こちらは味噌を入れた後に沸騰させすぎたためか、完全に香りが飛んでいる。まあ、飲むことはできるだろう。

 

「目玉焼きを作るのに火力強すぎ。それから、半熟にするなら水を入れて蓋で蒸し焼きにした方がいいよ。黄身の色でわかるから。父さん、半熟以外認めないんだよね」

 

「当然! 固焼きなんて、卵への冒涜だよ!」

 

「かけるのは?」

 

「塩一択!」

 

「父さん、それを外で言わないでね。絶滅戦争になるから」

 

 きっと、きのこたけのこ戦争のようになるだろう。

 収拾がつかないまま野火のごとく戦火は広がり、終わったころには焼け野原。誰も幸せにならない。

 母親が生きていた時も、父の卵の焼き加減へとこだわりは変わらず、良く衝突していた。

 ちなみに、健人の母は固焼き派。当然、朝に卵が出れば毎回戦争である。

 

「やっぱり、健人は手際がいいな。いい主夫になりそうだ」

 

「主夫なんだ……。恋人もできたこと無いんだけどなぁ……」

 

「なんだ、恋人いないのか? せっかくの学生生活なんだから、もっと楽しんでいいんだぞ? 僕も母さんと出会った頃は……」

 

 健人の父と母は学生時代に出会い、そして結婚した。そんなこともあってか、結構恋愛に対しては肯定的だったりする。

 もっとも、健人自身は日々が忙しいこともあり、恋人というはあまり想像できなかったりするのだが……。

 

「はいはい、その話は何度も聞いたから。そろそろできるから、父さんはテーブルの上を片付けて」

 

 できたみそ汁をお椀にもり、焦げた卵焼きをさらに乗せる。

 付け合わせのキャベツの千切りとトマトを乗せれば完成。品数は少ないが、時間的にもこのあたりが限界だった。

 このマンションではキッチンとダイニングが一体になっている。

 できた朝食をダイニングの方に運び、昨日のうちに炊飯器にしかけていたご飯を茶碗によそう。

 そして席につき、手を合わせ、「いただきます」の挨拶と共に箸を取った。

 

「…………はぁ」

 

 久しぶりの、本当に久しぶりの米の食感に、思わず息が漏れる。

 こみ上げる郷愁。同時に胸の奥が熱くなり、鼻の奥にツンとした痺れが走った。

 

「健人。そういえば、学校はどうだい?」

 

(学校……。そういえば、そんなところにも通っていたなぁ。随分と昔のことのように思える)

 

「別に何も。どうして?」

 

「少し前まで、元気がない様子だったからな。嫌なことでもあったんじゃないかと思って」

 

 その言葉に、健人はハッと思い出した。

 新学期に入ってからしばらくして、何故か周囲から距離を取られるようになったのだ。

 健人自身が何かをしたわけではない。

 後から知ったが、どうやらクラスの中でもカースト上位だが、ちょっと性格に難のある男子生徒の悪戯だった。

 単純に陰で片親であることを揶揄していたくらいで、別に手を出されたわけではない。

 ただ、そんな厄介な生徒に目をつけられていたこともあり、健人に話しかけてくるような同級生は皆無になっていた。

 とはいえ、特に思うところはない。

 家の家事をすべてしていることもあり、学校の授業が終わったらすぐに帰宅していたから、からまれることもなかったし、直接手を出されたわけでもない。

 その問題の生徒の興味もすぐに別に移ったらしく、あからさまな無視はそれほど長くはなかった。

 

「もう大丈夫だよ。いまさら何を思うわけでもないし、全然気にしていない。実際、今聞かれるまで忘れていたくらいだから」

 

 心配性の昇は「本当に大丈夫か?」としつこく聞いてくるが、健人は笑って流す。

 すると父親は、なにが珍しいのか、目をぱちくりさせていた。

 

「なんというか……強くなったな、健人は」

 

「そう? よくわからないけどな……」

 

 しばしの間、静かな食事の時が流れる。そんな中、健人はおもむろに口を開いた。

 

「これは、夢だよね」

 

「何を言っているんだ? もしかして、父さんの料理が上手すぎたからか? まあ、確かに少し前まではダメダメだったかもしれないが……」

 

「いや、父さんの料理はリータに比べれば全然食べれたから。そうじゃなくって……」

 

 今一度、周囲を見渡す。見慣れた家具、見慣れた食事の風景。

 ベランダから覗く高層ビルも、窓から差す陽の光も、開いた窓から入り込む暖かい風も、どれもがあのスカイリムではなかったもの。

 ついさっきまで嬉しさと懐かしさが込み上げていた光景のはずなのに、もう寂寥感が胸に湧き上がってきている。

 

「ここは確かに、俺と父さんが住んでいたマンションだよ。だから、尚のこと自覚しちゃうんだ。もう、ここには戻れないってこと」

 

 それはきっと、この場所がどんな所なのか、直感的に分かってしまうが故なんだろう。

 

「健人、なにを言っているんだ?」

 

「ここは、俺がいた本当の家じゃない。父さんだって、幻だ」

 

 確信をもって告げられた健人の言葉に、昇は目を見開く。

 

「そんなことは……」

 

「戻れないんだ。戻りたいと思ったことはある。本当に戻りたいと思ったことがあるから、ここが偽物だって分かっちゃう」

 

 そう、ここは、地球の、日本の、健人が内心戻りたいと思っていた家ではなかった。

 窓の外に目を向ければ、確かに、外には高層ビルが並び、窓から吹き込む風は暖かい。

 でも、この世界には音がない。

 風と一緒に流れてくるはずの朝の風の音も、さえずる鳥の声も、行きかう車の騒音も。音があるのは、この部屋の中だけなのだ。

 今一度、健人は正面に座る父に視線を戻す。昇は悲しそうに目を伏せ、唇を震わせていた。

 

「絶対に終わりは来るんだ。終わりが来たのなら、後は穏やかに過ごしてもいいじゃないか……たとえ偽物でも」

 

「うん。俺もあの世界に行かず、明日にでも隕石が降ってきて地球が滅びるなら、きっとそうしてたと思う」

 

 スカイリムでの出来事が、健人の脳裏によみがえる。

 冷酷で、切羽詰まった世界。多くのものを奪われそうになり、逆に奪い返すことも多かった。

 命のやり取りなど日常茶飯事、強くなければ生きられない。それでも、そんな世界で生きていこうと決め、足掻き続けた。

 しかし、結果は悲惨なもの。

 アルドゥインの言葉が真実なら、リータもドルマもカシトもソフィも、あの世界で出会った人達はすべて死んでしまったのだろう。

 守ろうとしたものは何一つ守れず、むしろ自分の手であの世界すらも砕いてしまった。

 

「……誤魔化したくないんだ。あの世界で起きたことも、あの世界でやってしまったことも」

 

「終わったんだ! もう!」

 

 穏やかな父が似つかわしくない癇癪をまくしたてながら、ドン! とテーブルに手を叩きつけながら立ち上がる。

 揺れる瞳には、懇願にも似た色を湛えていた。

 ここにいれば、確かにその苦悩を忘れて、心穏やかに死を迎えることができるだろう。

 でも……。

 

「頼む、行かないでくれ。父さんを、一人にしないでくれ……」

 

「ごめん……」

 

 目の前の父は、健人の記憶が写した幻だ。それでも、一緒に居たいと言ってくれる。それが少しだけ、嬉しかった。 

 だが、それでも誤魔化せない。

 

「ここが震えているんだ。ここで止まりたくないって……」

 

 胸に手を当てながら、健人ははっきりと告げる。 

 魂が……震えているのだ。

 たとえ終わってしまったのだとしても。いや、終わってしまったからこそ、自分は最後まで、声を張り上げ続けたいのだ。

 自分が覚えているあの世界を、冷たく、寒く、厳しく、それでいて大好きなあの世界のことを、最後まで。

 

「だから俺は行くよ」

 

 揺るがない健人の意志を理解したのか、昇はがっくりと肩を落とす。

 そんな父に、健人は感謝と共に笑顔を浮かべる。

 

「……ありがとう、父さん。たとえ幻でも、最後に話ができてよかった」

 

 その言葉を最後に、幻は消え去った。

 残ったのは、どこまでも昏い虚無の闇。アルドゥインが喰らった世界全てが、沈黙の中で、静かに揺蕩い続ける場所。

 どこまでも冷たく、厚い闇は瞬く間に健人の体から熱を奪い取っていく。

 痛みすら覚える極寒。しかし、全身を包み込む闇は冷たくも、どこか心地よさすら覚える。

 いつまでもこうしていたい。そんな気持ちすら湧き上がってくるほどに。

 でも、それも終わりにしないといけない。

 いつまでも、こうしてはいられないのだ。

 これからすることに、意味などない。タムリエルは守ろうと思った家族と共に滅び、虚無に返ってしまった。

 でも、このままただ安寧に身をゆだね続けたくなかった。

 世界が滅ぶ中、まだ死んでいない自分への後ろめたさか? それとも、やけっぱちになっただけなのか。

 

(多分、自分の全てを、出し切りたいだけ……)

 

 安穏とした故郷で生きていた中にいた時は、決してこんな風には思わなかった。

あの厳しい世界の中で、限りある命を精一杯燃やし尽くしていた人達を見続けたからこそ、湧き上がる感情。

 魂が震えている。すべてを凍らせ、眠りへといざなうこの虚無の闇の中でも。

 だから……。

 

「さあ……行こう。これで最後だ」

 

 全ての枷を外し、シャウトを唱える。

 モタード、ゼィル、ラヴィン。

 共鳴し合う魂が燃えるような熱を呼び起こし、腕を一閃。それだけで、全身を包んでいた虚無は消え去った。

 視界が戻る。虚無の中でアルドゥインが、驚きの表情を浮かべながら、こちらを見つめていた。

 

 

 




これより最終決戦。


登場人物紹介

坂上昇

健人の父親。とある大手商社に勤めるサラリーマン。
大人しそうな容姿と穏やかで頼まれたら断り切れない性格から、雑務担当の部署を回されている。
息子に対する愛情は本物であるが、多忙な身であり、家に帰るのも遅くなってしまう日々を過ごしている。
料理などの家事は不得意であるが、某義姉に比べればはるかに優秀。というか、彼女が壊滅的すぎるだけ。
苦労性であるが、実は結構モテるタイプ。
家族を本当に愛しており、健人の前では母を早くに亡くした健人のために、よく彼女の話をしていた。
一方で実は交際中の女性がおり、健人がタムリエルに飛ばされるまでは再婚を考えていた。


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第十五話 たとえ全てが終わったのだとしても

“なん、だと……”

 

 虚無の海の上に、定命の者が立つ。

 アルドゥインから見れば、ありえない光景なのだろう。

 世界の全てが虚無に返った中、たった一人だけ自我を完全に保っているのだから。

 

「ありがとう、アルドゥイン。随分といい夢を見させてもらったよ」

 

 正直、健人自身もどうして意識を保っていられるのかは分からない。

 ミラークが何かしてくれたのか、それとも自身が変質したドラゴンボーンだからなのか。

 ただ、これだけははっきりしている。

 

“諦めぬというのか……”

 

「ああ、諦められない。俺は俺である限り、最後まで声を張り上げる……!」

 

 ムゥル、クゥア、ディヴ!

 健人はドラゴンアスペクトを唱える。己のドラゴンソウルを昂ぶらせるシャウトは、既に発動しているハウリングソウルと共鳴し、彼の身体から、虹色の奔流が噴き出す。

 ソウルリンクバースト。

 健人と彼のうちに同化した魂達が、シャウトにより極限まで『共鳴』し、すでに限界まで引き上げられていた彼の能力を、限界以上に押し上げる。

 

“ならば、我の手で直接、その魂を浄化するしかないな。ヨル……トゥ、シュ――ル!」

 

「フォ、コラ、デュ――ン!」

 

 アルドゥインが放つファイアブレスを前に、健人が同じようにフロストブレスを唱える。

 激突する熱波と寒気。互いに相殺するように消滅したシャウトの残滓の中を駆け抜けながら、健人は抜いた刃を振り抜く。

 

「ふっ!」

 

 迫るブレイズソードをアルドゥインの爪撃が迎え撃つ。火花を散らしながら拮抗する漆黒の爪と黒紅の刃。

 互いの力が拮抗した一瞬、健人は身体を捻り、回転しながらアルドゥインの爪を受け流しつつ、相手の懐にも繰り込む。そして、斬り上げるような一閃を放った。

 迫る刃を前に、アルドゥインは反射的に首を引き上げる。しかし間に合わず、健人の一閃がアルドゥインの漆黒の鱗を切り裂く。

 

「っ!?」

 

“ちい……!”

 

 ドラゴンレンドを使用していないにもかかわらず、刃が通ったことに健人が驚く中、アルドゥインは舌打ちをしながら翼をはためかせて後退した。

 なぜ、今になってただの斬撃が通用したのか。健人は頭を巡らせ、そして一つの結論にたどり着く。

 

「なるほど、お前は殻の塔。あの不懐の鎧は、取り込んだ膨大な量のエネルギーや物質を収め続けるための機能か」

 

“そうだ。我の鱗は世界を腹の中に納めるためのものだ。その力はすでに我の体からは離れこの虚無を包み込みんでいる。故に、今の我にあの無敵の守りはない”

 

「となると、あの暴食のシャウトも……」

 

“意味はない。既に腹に収まっているものを、再び食えるわけがない。だが、それがどうした?”

 

 アルドゥインの威圧感が、一気に増す。巨大な漆黒の翼が広がり、巨体が一気に健人に迫る。

 迫る爪撃。反射的に刃を振るい、受け流しながら飛び退く。

 

“ズゥーウ、アルドゥイン。全ての頂点に立つ王。この程度、ハンデにもならんわ!”

 

「ぐぅ……!」

 

 アルドゥインが、一気に攻勢をかける。

 持ち前の巨体と、傑出した膂力。純粋な暴力が嵐のように、健人に襲いかかった。

 その激しさは、以前に世界のノドで戦った時よりも激しく、荒々しい。

 権力と支配欲に呑まれていた頃とは違う、確固たる意志。世界を喰らい、造り直すという絶対に退けない理由が、彼の力を真なる竜王にふさわしいものへと変えていた。

 

「ぐううう……!?」

 

 牙を躱した隙に爪撃を食らい、大きく吹き飛ばされる。

 

“ここは我の腹の中。エセリウスからの魔力も届かぬ今、こざかしいマグナスの魔法は使えん。勝負を決めるのは互いの肉体と技、そしてスゥームのみ!”

 

 虚無の湖面に両足を打ち込み、滑走する健人に、アルドゥインは飛翔しながら突っ込んでくる。

 

“我はやり直す。すべてを! そのために、貴様が邪魔だ!”

 

「やり直す、だと!?」

 

“そうだ! 我らがゆがめてしまった世界と過ち。それを正す!”

 

 鬼気迫る気迫と共に一直線に迫る巨躯。ここにきて剝き出しとなったアルドゥインの強烈な意志と共に、鋭い牙が健人に迫る。

 

「っ、おおおおおおおおおおお!」

 

 そんなアルドゥインの気迫を前にしても、健人はひるまなかった。

 迫る牙を紙一重で躱し、反撃とばかりに血髄の魔刀をくり出す。

 斬り上げるように放たれた斬撃がアルドゥインの首に再び裂傷を刻む。

 確かに、アルドゥインの力は絶大だ。たとえ不懐の鎧が無くとも、その力はタムリエルに存在していた全ての生物を上回る。

 だが、健人も負けてはいない。ソウルリンクバースト状態となった彼の能力は、暴走状態だったリータすらも圧倒するほど。覚醒したアルドゥインと比べても、決して遜色ない。

 

“こいつ……!”

 

 未だに抵抗の意志を示す健人に、アルドゥインが焦れたように口元を歪める。

 

“いつまで、無駄なことを続ける気だ! あの世界、ニルンは終わった。もはや戻すことは叶わん!”

 

 既にニルンは消滅した。

 アルドゥインのシャウトと、健人のシャウトによって、そこに住んでいた全ての生命諸共砕かれ、原初の虚無に戻ってしまっている。

 

「ああそうだ! 俺が砕いてしまったからな。だけど!」

 

 竜王に改めてその事実を突きつけるも、健人はブレない。

 ウルド、ナー、ケスト。旋風の疾走のシャウトにより、突撃を敢行。圧倒的体重差があるはずのアルドゥインの巨体を押し返し、反撃とばかりに三度斬撃を放つ。

 

“ぐう”

 

「その消えてしまった世界で、最後のその瞬間まで命を尽くした人達がいた。自分達の信じたものの為に。だから……!」

 

 攻勢に転じた健人は、続けざまにシャウトを発動させる。

 ティード、グロ、ウル。スゥ、グラ、デューン。

 時間減速、激しき力。二つのシャウトが重ね掛けされ、猛烈な連撃がアルドゥインに襲い掛かる。

 

「無駄だとわかっていても、死ぬのだとわかっていても、最後の最後まで抗う、戦う! この胸の昂ぶりが消える、その時まで!」

 

 反射的に右翼を盾のように間に割り込ませるも、爆風のような剣嵐は硬質な翼を瞬く間に切り刻む。

 あまりの攻勢にアルドゥインが思わず後退する中、健人は追撃のシャウトを全力で放つ。

 

「モタード、ゼィル……ラヴィン!」

 

 三節のハウリングソウルが発動する。

 後のことなど思慮の外。もはや出し惜しみなど一切ない。

 虹色の波動が暴れ狂うように渦を巻きながら、アルドゥインに襲い掛かる。

 

“ドレム、ウル゛、ナーロッド!”

 

 しかし、アルドゥインのシャウトが発動した瞬間、三節のハウリングソウルは四散し、虚無の闇へと消えていく。

 静寂、永遠、沈黙のドラゴン語によって構築されたシャウト。『永劫の沈黙』の名を冠する、アルドゥインが対ハウリングソウル用に作り上げていたスゥームである。

 

“貴様のシャウトはもう知っている。もはや我には効かんぞ……っ!?”

 

「だからどうした!」

 

 だが、切り札を封じられても、健人は一切怯まない。

 むしろ相手がシャウトに気を取られた隙に距離を詰め、さらなる斬撃を見舞う。

 突き出された刃がアルドゥインの胸板を貫き、斬り払うように薙ぎ払われた。

 深々と抉られた傷から、鮮血がまき散らされる。

 切り札を封じられてなお、一切気圧されることのない健人に、竜王は目を見開く。

止まらぬ健人のその姿が、己の最も懸念することを呼び起こしたから。

 

“ッ、オオオオオオオオオオオオオオ!”

 

「はあああああああああああ!」

 

 己の予感を吹き飛ばさんとアルドゥインが咆え、健人もまた裂ぱくの気合で吶喊する。

 あとは只、互いにぶつかり合うのみ、己の全力を相手に叩き付け、向けられる相手の全力を耐え抜く。

 先の世界のノドでの戦い以上の激しさで、健人とアルドゥインは激突する。

 アルドゥインがその巨躯を活かした痛烈な一撃を見舞い、健人はその痛撃を正面から迎撃する。

 健人の鎧がはじけ飛んで虚空へと消え、反撃の刃が不壊の鎧を失ったアルドゥインの肉体を容赦なく斬り刻む。

 切り札だった『白日夢』のバックアップを失おうが、健人の剣技は衰えるどころか、よりいっそう冴えわたり、アルドゥインもまた、タムリエル史上最高峰の戦士を相手に一歩も退かずに戦い続ける。

 

“ヨル、トゥ、シューール!」

 

“フォ、コラ、デューーン!”

 

 互いの肉体が激突する中、無数のシャウトもまた虚無の海の中でせめぎ合う。

 ファイアブレス、フロストブレス、サイクロン、揺ぎ無き力、氷晶……。

 直接攻撃だけではない。武装解除や霊体化、時間減速、激しき力……。

 無数のシャウトが紡がれ、ぶつかり合う声の力は拮抗する互いの力量を示すように混じり合い、霧散していく。

 普通のシャウトだけでは互いに千日手。ならば、勝負を決めるのは、互いの切り札となるシャウト。

 

「モタード、ゼイル、ラヴィン!」

 

“ドレム、ウル゛、ナーロッド!”

 

 響き渡る『共鳴』のシャウトと、それを迎撃する『永劫の沈黙』のシャウト。

 無残にかき消されながらも『共鳴』のスゥームは担い手の不屈の意思を体現するように何度も荒れ狂い、『永劫の沈黙』もまた、アルドゥインの長年の願いを叶えんと、『共鳴』のシャウトを迎撃する。

 何度も、何度も何度も何度も……。

 その度に虚空に虹色の衝撃波が走り、静寂に包まれているはずの虚無が激しく脈動を繰り返す。

 それはまるで、原初の創造。ニアとパドメイの激突を思わせた。

 

「モタード、ゼイル……ぐふ!?」

 

 だがある時、突如として、健人の喉に衝撃が走った。

 バン! と弾けるような音と共に、力が抜け、思わず蹲る。

 

「がは、ごほっ!」

 

 続いて、熱い何かが口から溢れ出し、びちゃびちゃと虚無の湖面に紅黒い染みを広げていく。思わず喉に手を当てれば、ビラン……と爛れたように垂れさがる皮膚の感触が手に返ってきた。

 ここまでの連戦、そしてハウリングソウルの連続使用により、健人の喉がついに限界をこえてしまったのだ。

 

“限界が来たな。世界を震わせるほどのシャウト、いくらミラークがいようと、それほど放てば、喉が壊れる……”

 

「ヒュー、ヒュー……」

 

 声にならない息が、破れた喉から漏れる。魔法も使えず、とめどなく流れる血が、一気に健人の体から力と熱を奪っていく。

 

“お前と我、勝負を決めたのは、単純に肉体の差か。お前が我らと同じ肉体を持っていたら、結果は別だったかもしれん”

 

 喉という、シャウトを放つための要を失った健人に、もはや抵抗する手は残されていない。

 それでも、健人は必死に、力を失った両足で立ち上がろうとしていた。

 そんな彼に最上の敬意と賛辞を送りながら、アルドゥインはトドメのシャウトを放つ

 

“ドレム、ウル゛、ナーロッド!”

 

『永劫の沈黙』が、健人に襲い掛かる。

 このシャウトは、ハウリングソウルの対となるシャウト。その効果は、あらゆる存在を停止させること。

 物質的な運動だけでなく、魂などの概念的なものから、時間、空間、果てには次元すらも停止させるそれは、文字通り絶対零度を顕現する。

 

「っ…………!?」

 

『永劫の沈黙』を受けた健人の肉体が、瞬く間に凍り付く。同時にその精神、魂、時間を停止させ、永遠の静寂の中へと封じ込めていく。

 そして吹き荒れるシャウトが治まった後には、静けさを取り戻した虚無の海と、姿はそのままに、彫像ように固まってしまった健人がのみだった。

 

“今度こそ終わった。後は……”

 

 これで、このドラゴンボーンはもう動くことはない。虚空の闇で溶かされるのではなく、未来永劫そのままの形であり続ける。どちらにしろ、死であることに変わりはない。

 アルドゥインはそう考えながら、ゆっくりと健人に近づいていく。

 彼の願う世界の再構成。その為には、最後の鍵が必要なのだ。

 だが、一歩一歩近づく中、奇妙な違和感と嫌な予感が竜王の胸によぎった。

 次の瞬間、ピシ、パキ……と空間がひび割れるような音が僅かに響く。

 凍り付いたはずの健人の瞳の奥に、火花が一つ、小さく舞っていた。

 

 




次が最後……。

永劫の沈黙(Drem、Ul、Nahlot)

アルドゥインが対ハウリングソウル用に作りだしていたシャウト。
静寂、永遠、沈黙の言葉で構築され、対象の物理、精神、魂、時間を停止させる。
時空間レベルでの干渉を可能とするスゥームであり、世界を食らうシャウトとは別の意味で、時の竜神の子であるアルドゥインの権能を発揮させる必要がある。




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最終話 開闢の虹石

ついにメインクエスト最終話。


“前へ……”

 

 思考すら凍り付き、全てが停止した、永遠の沈黙。その中に一欠片の火花が散る。

 それは僅かに残った健人の情動のかけら。闇の中に僅かに顔を覗かせるも、直ぐに『永劫の沈黙』によってかき消されてしまう。

 

“前へ、前へ……”

 

 パチ……パチ……。火花は何度もかき消される。繰り返し、繰り返し。永遠に消され続ける。それでも火花は愚直に、その身を弾けさせることを止めようとしない。

 

“前へ、前へ。たとえ死んだとしても、前へ……”

 

 弾け続ける衝動は、少しづつ、少しづつその頻度を増していく。そしてある衝動をほんのわずかな間だけ、顔を出した。

 

“魂を、震わせろ”

 

 ここまで歩み続ける原動力となった想い。その衝動が顔を出した瞬間、一気に無数の火花が弾けた。

 あっという間に閾値を超えた情動。

 一度噴き出した激情は止まらない。まるでダムが決壊したように、瞬く間に『永劫の沈黙』を打ち消していく。

 

“己の命を燃やせ。魂を震わせろ”

 

 闇に包まれていた意識が戻り、身を焦がすような熱が戻ってくる。

 視界の闇が解かれ、モノクロの光景に色が戻ってくる。

 目の前には、アルドゥインの姿。そして、眼前に浮かぶ、小さな石。

 

“たとえ力を失っても、大切な人達と二度と会えないのだとしても震わせろ”

 

 そこにあるはずのないものを掴もうと、虚空に手を伸ばす。バキバキと凍り付いた時空間を引き剥がしながら。

 

“過去を憂うな。未来を悲嘆するな。全ては今、この瞬間の連続でしかない。あの世界で見続けた勇敢な彼らのように。最後まで……”

 

 伸ばした拳を握りしめ、声にならない雄叫びを上げながら振り払う。

 次の瞬間、『永劫の沈黙』は限界をむかえ、パリン! と乾いた音を響かせながら霧散した。

 

「っ――――――――――!」

 

 空間、時間はおろか、次元すらも凍らせたはず。にもかかわらず、健人は僅か十秒ほどで復活していた。

 眼前には、目を見開きつつも、どこか悟ったような表情を浮かべたアルドゥインがいる。

 

“やはり……お前が私の石か!!”

 

 虹色の竜人が掲げる手。そこには彼が纏う鎧と同じ、虹のように輝く石が乗っていた。

 小指の先ほどの、小さな、小さな石。

 

“ドレム、ウル゛、ナーロッド!”

 

 その石を見た瞬間、反射的にアルドゥインが『永劫の沈黙』を放っていた。

 全力以上の力を込めて放たれたシャウトは、瞬く間に健人を飲み込み、再び彼の魂と肉体を氷漬けにする……そのはずだった。

 

「っ!」

 

 健人が石を握りこんだ拳を突き出す。

 虹色の渦巻く光を纏った拳が『永劫の沈黙』と接触した瞬間、アルドゥインの絶対零度のスゥームはまるで存在しなかったかのように霧散した。

 始原の声の力も使わず、絶対が覆されたその光景を目の当たりにして、竜王は確信をもって叫ぶ。

 

“っ、石が……完全に覚醒したか!”

 

 石。

 世界を繋ぎ止めると言われる“塔”と対をなす存在。そして“塔”を動かすために必要不可欠なもの。

 

“開闢の虹石”

 

 殻の塔“アルドゥイン”と対をなす“石”である。

 その石を、タムリエルの人々はこう呼んでいた『ドラゴンボーン』と。

 持つ力は、その名が示すとおりの開闢。完全な“永遠と静”を体現するアルドゥインと正反対の“混沌と動”を司り、ただ力を込めて殴りつけるだけで、アルドゥインの『永劫の沈黙』すら霧散させてしまう。

 その力の本質は、たとえ可能性が完全な『0』であっても、那由多分の一の例外を作り、それを必ずつかみ取るという規格外の能力である。

 

「っ……っ!!」

 

 喉が潰れてしまっているからか、声にならない雄叫びを上げながら健人が踏み込む。

 開闢の虹石に触発されたのか、虚無の海から虹色の光が無数の帯となって宙を舞い、健人に集約。まばゆい燐光を纏いながら健人はアルドゥインに突撃していく。

 残り10歩。

 

“ぐ……っ!?”

 

 アルドゥインは己が知る限りのシャウトを全力で放つが、健人が振るう『開闢の虹石』の力を前に、瞬く間に消し去られていく。

 残り5歩。

 今の健人を突き動かすのは、ただ只管に強い想い。たとえ死に直面しようが、世界が滅ぼうが消えることのない、文字どおり不滅の意志。

 そして、その意思こそが、『開闢の虹石』そのもの。

 今この瞬間、アルドゥインと本当の意味で同格となった健人は、竜王の力を全て散らしながら吶喊する。

 

「――――――――――!」

 

 残り3歩。

 アルドゥインが迫る健人を迎撃しようと、右の爪を振りかぶる。

 突き入れた爪撃は音速を超えて健人に迫るも、彼は拳を振り上げ、正面から迎撃した。

 開闢の虹石の力を込めた拳は、はるかに巨大なアルドゥインの右爪を粉砕する。

 

“ぐう……!”

 

 残り2歩。

 竜王は咄嗟に残った左爪を薙ぎ払うも、これも健人の拳に振り払われて消滅させられる。

 

「っ―――――!」

 

 残り1歩。

 健人が最後の力を振り絞って踏み込み、掲げた拳に、己の存在全てを込めて振り抜く。

 迫る拳を前に、アルドゥインは目を見開き、そして悟ったかのように小さく笑みを漏らした。

 

“ああ、これが我の結末か……”

 

 振り抜かれた拳が、アルドゥインの胸板を捉える。

 次の瞬間、まばゆい閃光が虚無の海に走った。

 

 

 

 

 

 

 視界に満ちていた光が、徐々におさまっていく。

 全身に走る痛みをこらえながら健人が顔を上げると、そこには首を垂れ、見下ろしてくるアルドゥインがいた。

 

“お前の勝ちだ、ケント。我の対となったドヴァーキンよ”

 

 静かな、しかし威厳のある声が、健人の耳に響く。

 先ほどまでの戦意が嘘のように消え去り、微動だにしない竜王。全身からは諦観にも似た空気を醸し出しながらも、その目にはなぜか達成感が垣間見えた。

 

“ケール゛、セ、ドヴ、ジュン。我を破った勝者よ、魂の番よ。これを受け取れ”

 

 アルドゥインが口を開く。するとそこから、黄金の巻物が姿を現した。

 それは、アルドゥインが奪い取っていたはずの星霜の書。だが、健人の前に出現した星霜の書は、世界のノドで見た時よりもはるかに荘厳な光を纏っていた。

 

“ケル、ユヴォン。完全なる星霜の書。これと我の虚無の海、そしてお前の開闢の虹石を使うことで真に新たな創造を行うことができる”

 

 それは、無数に分裂し、タムリエル中に四散していたすべての星霜の書が、アルドゥインの腹の中で合体したものだった。

 まさしくアルドゥインの言う通り、完全なる星霜の書である。

 そして星霜の書は、まるで差し出されたように、健人の前へとゆっくりと降りてきた。

 

 ビキリ……。

 

 何かがひび割れるような音が響く。よく見れば、健人が拳を打ち込んだアルドゥインの胸板に、大きな亀裂が張っていた。

 刻まれた傷は瞬く間に広がっていく。

 同時に、虚無の海の空にも、皹が入り始めた。

 

“我は世界卵の殻。殻は雛が生まれればその役目を失う。世界がどのような形に生まれ変わろうと、我は死ぬ運命。初めからわかっていたことだ”

 

 胸板から広がった傷がアルドゥインの足を砕く。

 あれほど強靭で鋭かった爪も、しなやかで艶やかな尾も、世界を覆うほどの闇を抱く翼も、千々に引き裂き、飲み込んでいく。

 

“それでも、我は望んだ。兄弟たちが、新たなチャンスを得られることを……”

 

 己の体が消滅に向かう中も、アルドゥインの独白は続く。

 同格になった存在に、対となった者に、せめて自分の想いの足跡を残しておきたいのだろうか。

 そんな彼の言葉に応えるように、健人は口を開く。

 

「ひゅっ……ひゅっ……」

 

 だが、出てくるのは破れた喉から溢れる息遣いのみ。

 今、思いを言葉にして伝えられないことが、健人は残念でならなかった。

 もう、わだかまりはない。人とか竜とか、そんなことは関係ない。

 互いに全力を尽くしてぶつかったからこそ感じる一体感。

 それが妙にこそばがゆく、同時に残念でならない。

 

“プルザー。良い、たとえ完全にやり直せなかったとしても、ここでの記憶は兄弟達の魂に刻まれるだろう。それが、ゼイマー、アーク。兄弟達、そしてこれからの世界に生きるすべての者達の道しるべになることを願う”

 

 ここに来てもなお、真なる竜王は只々、彼が守ってきた世界を案じていた。

 そうこうしている間にも、世界殻に走る皹が、加速度的に増していく。

 

“時間はない。今我が消えれば、この世界卵は産まれる前に死んでしまうことになる”

 

 アルドゥインの言葉に、健人も小さく頷いた。

 沈黙を保っていたはずの虚無の海が、激しく震えはじめた。健人の開闢の虹石に触発されているのだ。そして、アルドゥインの世界殻は、今まさに砕けそうになっている。

 このままでは、世界は何の形も持てないまま、消えてしまう。

 もう……時間がない。

 

“我は、自らの願いをかなえようと、全力を尽くした。お前も、己の願いの為に、最後の務めを果たすといい。己の魂の、震えるままに……”

 

 アルドゥインの言葉に健人は再び頷く。

 その答えに、世界の全てを背負おうとした竜王は、満足そうに笑みを浮かべる。

 それは、かの厳めしいアルドゥインには似つかわしくないほど穏やかな笑顔だった。

 すでに体の大半が消えているアルドゥインの前で、健人は彼が吐き出した『完全なる星霜の書』に手を伸ばす。

 そして黄金の巻物を手に取るとそれを一気に開いた。

 引き出された巻物は無限に伸び、渦を描きながらひび割れた虚無の空を覆い尽くしていく。

 そして、虚空に巨大な魔法陣を描き出す。

 世界のノドで見た時よりもずっと複雑で、神秘的で、そして穏やかな光を湛えるそれが、健人に語り掛けてくる。

 どんな世界を望むのか? と。

 これまでのタムリエルの全ての歴史、そしてあらゆる世界を生み出す法則を内包した魔法陣。その問い掛けに、健人は声にならない声で答える。

 

“……決まっている”

 

 魔法陣の一角に手を伸ばす。

 彼の意思に答えるように、全天を覆う魔法陣がひときわ大きく輝く。

 そして、呼応するように黒に染まっていた虚無の海は虹色に眩く光り、アルドゥインと健人の意識は世界創造の閃光の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 エセリウス。

 神々が住まうこの領域で、九柱の神々が顔を突き合わせていた。

 彼らの眼下には、今まさに作り直されたニルンの姿がある。

 アルドゥインの暴走。

 元々は自分達の保険として作り上げていた者は、まだ世界が安定しなかった時代に神々の思惑とは違う行動を取り、結果、その存在意義を失った。

 彼の役目は、世界を統治しつつ、その世界が修復不能なほどに荒廃した際に、全てを滅ぼし、新たな世界の卵となること。

 かつて、今の世界を作るための『創造』により、数多の神々の消滅、そして不死性の喪失という、大きな代償を払ったエイドラ達が、再び『創造』を行うための手段。

 それが、アルドゥインとドラゴンボーンだった。

『創造』は、相反する強烈な概念の衝突が必要不可欠。かつてのニアとパドメイ、そしてアカトシュとロルカーンのように、強い『秩序、定常、永遠』の概念と『混沌、有限、定命』の概念が。

 そして、今回の『創造』も、神々たちが思う通りの存在によって行われるはずだった。

 アカトシュの長子アルドゥインと、最も強力な最後のドラゴンボーンによって。

 また、この工程はエイドラ達の保険であると同時に、ロルカーンの干渉力をさらに削るためでもあった。

 定命の者は、ロルカーンの影響を強く受けた、彼の子供。だからこそ、その者達の中から新たな世界創造の担い手をアカトシュが選ぶことで、ロルカーンの影響力を完全に消し去るつもりだったのだ。

 定命の者にアカトシュが祝福を授け始めた時、この計画は、本格的に始まっていた。

 だが、アカトシュの番として世界創造を行ったのは、異世界からの来訪者。

 自分達でも全く干渉できない、文字どおりのイレギュラー。

 これの存在によりアルドゥインがかつての記憶を取り戻し、同胞が抱えた歪みを正そうと世界を食い始めた。

 この時は流石にアカトシュもニルンに直接干渉すべきか迷った。

 しかも、そうこうしている内に、アルドゥインはこのイレギュラーの力すら利用し、父親が考えつかぬ速度でニルンを食い尽くす始末。

 こうなると、神々ももはや手出しできない。下手をすれば、せっかく用意した保険を自分達の手で壊しかねないのだ。

 そのため、神々は戦々恐々としながら、この戦いの結末を見守るしかなかった。

 

 結果は……とりあえず胸を撫で下ろすもの。

 

 世界はアルドゥインが食い尽くす直前の状態に再構築。全ては元通りに戻ったのだ。

 自分達が再び『創造』を行う機会を失ったことを除いて。

 アルドゥインは消滅した。エイドラ達は自分達が施した保険を失った。

 これはもはや仕方のないこと。失われた以上、もはやどうしようもない。

 

 残った問題は『開闢の虹石』について。

 

 異界の存在が『殻の塔の石』に至ったことで、開闢の虹石はエイドラ達の手から離れてしまった。

 ある神は言った。この者は我らに遺された最後の保険足りえる。故に、我らと同じ存在へと昇華させるべきである。

 また別の神は言った。いや、こやつはロルカーン以上の混沌の体現者。今ここで、消しておくべきである。

 神々の討議は紛糾するも、答えは出ないまま、只いたずらに時が過ぎていく。

 そして結論は、この存在を生み出すきっかけとなった、神々の長へと向けられた。

 向けられる八対の視線に時の竜神は静かに瞑目すると、今一度、アービスの中を漂う末子へ目を向ける。

 時の竜神にとっても、頭の痛い存在。事の元凶であるが、自分たちの子供を救ってくれた者でもある。

 神々への敬意はないが、その善性は疑うべくもない。

 今一度、溜息を吐きながら時の竜神は瞑目する。そして、長い間、沈黙し続けた彼は、重々しく口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと意識が戻ってくる。

 眩い陽の光に思わず右手をかざし、目を細める。

 空に浮かぶ太陽から感じるマジカ。スカイリム特有の冷たい空気が、肌を刺す。

 間違いなく、スカイリムの空気だった。

 なぜタムリエルに戻ってこれたのかという戸惑いを抱きながらも、込み上げる嬉しさに、健人は思わず「帰ってきた」と呟く。

 

「っ…………っ!」

 

 だが、僅かに開いた口から声は出ず、擦れた息が漏れるだけ。

 上げていた右手を喉に手を当てれば、堅く、ひきつった皮膚の感触が返ってくる。

 本能的に直感した。声を無くしたのだと。

 再び右手を掲げ、手の平に視線を移す。あの虚無の海で溢れていた力も、すっかり消え去っていた。

 もしかしたら、あの力は殻の塔であるアルドゥインの中にいたからこそ、使えた力なのかもしれない。

 声を無くし、開闢の虹石としての力も失った。

 でも不思議と、後悔は湧かない。この世界に来たばかりの時のような悲嘆の感情もこみあげてこない。

 空には、刺すような肌寒さとは相反するような、まばゆい太陽が見下ろしてくる。

 体を起こせば、ばらばらと乾葉が服から落ちてくる。

 傍らには、蒼い刀身の短刀と、黒紅のブレイズソードが落ちていた。

 それを大事に鞘に納めて立ち上がる。ボロボロになり、既に用をなさなくなった竜鱗の鎧を脱ぎ捨てると、周囲を見渡してみる。

 どこか高い山にいるのか、眼下には松の木が生い茂る森と、大きな湖、そして湖畔に築かれた街が見えた。

 

(さあ、帰ろう)

 

 アルドゥインは消え、世界は再構築された。

 一度大きく深呼吸をして、足を踏み出す。

 丘を降り、ひとまずは湖畔に見えた街へ。その足取りは力強く、しっかりと大地を踏みしめていた。

 空にから見下ろす太陽が、彼の行く末を見守るように、揺らめく。

 一つの物語が終わり、そして新たな物語が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第4期205年。

 ウィンドスタッドにて、一人の少女が肌寒い風の吹き荒ぶ中、丘の上から広大な湿地帯を眺めている。

 アルドゥインとの最終決戦から三年。ウィンドスタッドにて、彼女は兄の帰りを待ち続けていた。

 小高い丘の上の邸宅。その周囲にいくつかのこじんまりとした家々が立ち並ぶ。

 三年前、世界は一度闇に包まれた。

 ずっと遠くの東方から広がった闇は瞬く間に世界を包み込み、そして全ての人達が同時に意識を失った。

 でも、目を覚ました時、世界は何も変わっていなかった。

 この出来事は『瞬きの闇』事件として、一時期世界中で話題になった。

 他に変わったことと言えば、スカイリムはおろか、タムリエル中のドラゴン達が、一時期完全に姿を消していたこと。

 最近は再び姿を見せるようになったが、これまで何をしていたのか全く分からない。 

 ただ、世界のノドの頂上で、複数のドラゴンが入れ代わり立ち代わり、誰かを待っている様子が見受けられていた。

 

「兄さん、まだかな……」

 

 兄の呼び名を口にしながら、少女は愛する兄を待ち続ける。

 三年前の頃と比べて伸びた背。まだ少女としての面影を残しながらも、彼女は徐々に女性として花開き始めていた。

 三年という月日が過ぎ、既に死んでしまったのではと口にする人は多い。あのアルドゥインと相打ちになってしまったのだと。

 必然として、少女は兄の後を継ぐことになった。

 ハイヤルマーチホールドの端ではあるが、元々農業が可能な土地。食べていくためにも開拓は必須であった。

 兄が残してくれた黒檀の鉱山の採掘権からの定期的な利益で人を集め、畑を耕し、作物を作る。最初の一年は全くうまくいかず、二年目でどうにか小麦と少しの野菜を作れるようになった。

 そして三年目、事業はようやく軌道に乗り、いくらかの小麦をモーサルに送ることも出来るようになってきた。

 そうなると、必然として少女は目を付けられるようになる。

 幼い彼女から利権を掠め取ろうとする者、財産を盗み出そうとする者。挙げればきりがない。女性として魅力的になり始めた為に唾をつけようとする者も出始めていた。

 小さな村ではあるが、上に立つ者としてのプレッシャーは重く、何度くじけそうになったか分からない。

 精神的に打ちのめされたことも多い。それでも少女は、立ち上がった。

 その目に、待ち焦がれる兄の背中を思い浮かべながら。

 

「あっ……」

 

 遠く、湿地帯の脇を、二つの人影がウィンドスタッドの丘へと向かってくる。

 その内の片方を見た瞬間、少女の全身に痺れが走った。

 

 帰ってきた。帰って来てくれた!

 

 人相など分からないはるか遠くの人影。でも、少女は確信を抱いて駆け出した。

 ずっと待ち続けた、愛する人の元へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかえりなさい……って、お兄ちゃん、その人だれ!?」

 

「あら、可愛らしい子ですわね。貴方の妹さん?」

 

 なぜか、黒髪の超美人を連れていたが。

 晴れた寒空の下に、少女の妬心が爆発した。

 

 

 

 

 

 FIN

 





いかがだったでしょうか。
これにてThe elder scrolls V’ skyrim ハウリングソウルのメインクエストが終わりとなります。
足掛け四年と少し。総文字数約100万文字。途中で色々と個人的なイベントが頻発したためにかなりの鈍足となりましたが、ここまで長い間読んで頂き、ありがとうございました。
元々は異世界転移小説の練習目的で書き始めた小説。まさかここまで長くなるとは……。いや、相も変わらず、見積もりが甘いと言いますか……。
一応メインクエストが終わったので、完結表示といたします。
考えていたドーンガード編は……いつになるか分かりません。最後にちょっとセラーナさん出てますけど(笑

最後に、ここまで本作を読んで頂き、ありがとうございました。
評価、感想等を頂けると、今後の執筆活動の励みになりますので、よろしくお願い致します。
ついでに、筆者が書いているオリジナル小説も応援していただけたら……(欲深い!


以下、用語説明!

開闢の虹石
殻の塔、アルドゥインと対となる石。
世界創造を行うための最後のピースであり、混沌の輝石。根源の片割れ。
可能性が完全なゼロであっても那由多分の一の突破口を生み出し、それを必ず掴み取るという桁外れの能力を持つ。絶対、不変、不滅を纏めて打ち消し、定常の法則をひっくり返す。
定命の概念を持つ者のみが手に出来る力であり、創造を行う上で必要不可欠なもの。
坂上健人が至った存在であり、これにより、彼はアルドゥインを撃破。
星霜の書を用いて、世界を食われる直前まで巻き戻して再構築した。


坂上健人
本小説の主人公であり、最終的に神々の間では『開闢の虹石』と呼ばれる存在へと至る。
ドラゴンボーンとしての極致に至り、おなじくドラゴンの極致に座するアルドゥインを撃破。タムリエルを救うことになる。
その後、なぜかスカイリムに帰還するも、竜王と並ぶほどの声の力を失うことになった。
彼が行った世界再構成はタムリエル史上最大級のドラゴンブレイクである。
定命の者達は彼の偉業を認識すらできないが、時の流れに敏感なドラゴン達は何が起きたのかを察しており、この偉業に感化された数匹が、数年後も彼を探してタムリエル中を飛び回っている。
その中には、特徴的な赤い鱗のドラゴンと、黒鱗を纏う雷を操るドラゴンもいた。


アルドゥイン
世界を喰らう者としての運命を背負わされた竜王。
元々は定命の者達を神々の意志の元、統治するために遣わされたが、神々ですら持て余していた星霜の書に手を出したことで、同族を歪め、自身が守っていた世界を破壊してしまった。
以後、混沌の影響を受けた彼は強い力への渇望と支配欲を抱えることになったが、健人との戦いの中で本来の自分を取り戻す。
以降は贖罪として世界を再構成するべく、暗躍。最終的には世界の全てを砕き、己の願いをかなえるまであと一歩まで近づく。
しかし、最後の最後で己と対である『開闢の虹石』として覚醒した健人に敗北した。
己の願いが叶わなかったアルドゥインだが、文字どおり全力を尽くした彼は今わの際には憂うことなく、兄弟と己が守っていた定命の者達の未来を願い、消滅する。
その姿は、世界を見守るべく作られた王としてふさわしい最後であり、彼は最後の最後で、本当の意味で世界を守る竜王へと戻ることができたのだった。




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ドーンガード編前日譚 
プロローグ


注意! 
こちらは筆者がスカイリムDLCドーンガードをこねくり回した結果、魔改造された作品です。
ストーリーラインの大幅な変更やオリキャラの投入などがあります。
前日譚は基本的にリフテン、リフトホールドでのお話になると思います。
他の作品もあるので、話数もすくなめに終わらせたいところ。



 リフトホールドの中心地、リフテン。

 その都市の門から、荷台にこれでもかと荷物を積み込んだ馬車が続々と出ていく。

 それは、複数の商人たちが集まって作られた商隊だった。治安が悪化している昨今、商人達も自衛の為に、単独で旅をすることは少なくなっている。

 当然、商隊には護衛のために雇われた兵達もおり、彼らは商隊の前後と中央に別れて同道しながら、見張りをしている。

 そんな商隊の最後尾に、ひときわ異質な雰囲気を醸し出す馬車が3台続いていた。

 馬車自体は、普通のもの。荷台に布を張り、雨風を凌げるようにしているくらいだ。

 変わっているのは、その馬車に乗る者達。そのほぼすべてが年若く、なかなかに器量の良い娘たちが乗っていた。その数、二十人ほど。

 最後尾の彼女達は華やかなおしゃべりに興じながら、時折武骨な傭兵や、慇懃な商人たちに意味深な目配せを送っている。

中にはあからさまに手を振ったり、これ見よがしに胸元をちらつかせている者もいる。

 年頃の少女たちの淫靡な視線に何人かの傭兵や商人たちが鼻の下を伸ばす中、商隊はゆっくりと湖の南の街道を、西へと向かっていく。

 その少女たちが乗る馬車に、特に目立つことなく、静かに荷台の端に座っている人物がいた。

 この地に住まうノルド達はもちろん、レットガードやインペリアルと比べても小柄で、特徴がつかみにくい平淡な顔を持つ黒髪の青年。

 

 坂上健人。

 

 五年前になぜかタムリエル大陸に迷い込み、色々あってリフテンの郊外に流れ着いた日本人兼ドラゴンボーンである。

 

 

 

 

 

 リフテンを出発した商隊は西へと進み、その日の目的地に到着する。

湖に接する街道、その一角。

 一日の移動を終えた商人たちはほっとした様子で馬車から降りると、馬の世話をしたり、テントを立て始める。

 傭兵達も一部は商人達と同じように野営の準備を始め、他は周囲の安全を確かめに行く。

 そして、彼女達もまた馬車から降りると、各々準備を始めた。

 十人は入れそうな大きな天幕を張り、その周囲に小さなテントを立てていく。

 天幕の前では、既に野営の準備を終えた商隊の男達が、そわそわと何かを心待ちにしている。

 よく見ると、商隊だけでなく、近くにある農園の農夫達も来ていた。

 そんな男たちに目配せしながらテントの設営を終えた少女たちは、天幕へと入ると、あらかじめ中に運び込んでいた商売道具を取り出し、身に着けていく。

 赤、青、黄色などの、きらびやかな衣装。ガラスなどで拵えたペンダントや、色鮮やかな櫛や髪飾り。

 

「さあ皆、始めるよ。準備はいいかい?」

 

 美しく着飾った彼女達の前には、一際華美な衣装を身に纏った女性。年のころは、二十代だろうか。

 明らかに少女たちのまとめ役といった雰囲気を醸し出す彼女の呼びかけに、少女達はハキハキとした返事をする。

 

「「「はい!」」」

 

「よし! 『蒼の艶百合』の開園さ。君たちの美しさを思いっきり見せつけて、たっぷり稼いでおいで」

 

 女性の宣言に、少女たちは天幕を飛び出していく。

 

「皆さん、おまたせしました~~!」

 

「今夜もいっぱい、楽しんでくださいね~~!」

 

「よっしゃ! メーヴィルちゃん、いいかい」

 

「メリエルナ様はどこだ! ぜひ俺と熱い夜を……!」

 

 彼女達は娼婦。金銭と引き換えに春を売る女性達。

 美しく着飾った少女達に、同道していた商人や傭兵たちだけでなく、村の男たちが群がっていく。

 そんな中、健人は喧騒の裏手で一人、複数のたき火を焚き、鍋や鉄板、かまどで次々と料理を作っていた。

 この手の類のサービス業に、飲む、食うは欠かせない。

 健人のこの旅団での役目は雑用であり、料理を提供するのも彼の仕事だった。

 

「ケント、料理の方はどうだい?」

 

『問題ない』

 

 先程娼婦たちを送り出した旅団の長が、健人に話しかけてくる。

 彼が腰に下げた黒板で返答する中、彼女は焚火に掲げられた鍋の中のスープを嗅ぐと、勝手に味見をし始めた。

 

「うん、さすがだ! これはインペリアルの帝国貴族でも唸る品だぞ」

 

 スープを一口味見した彼女は、にんまりと笑みを深めて健人の料理を絶賛する。

 一方、健人は彼女の讃辞に肩を竦めていた。

 実際のところ、結構健人の料理は手が込んでいるが、貴族が食べるような品と比べると、どうしても食材の質で埋めようのない差が出てしまうものだ。

 それを自覚してのこの反応である。

 

「ところでケント~~。せっかくだから、今夜どうだい?」

 

 味見をしていた女性が、突然意味深な言葉と共に、健人の背中にしなだれかかってくる。

 そんな彼女の目の前に、健人は溜息と共に、再び腰に下げている黒板に文字を書き、彼女の目の前に突き付けた。

 声を失った健人の残ったコミュニケーション手段。それが、黒板による筆談だった。

 

『遠慮しておきます』

 

「君はいつもそう言う。これほどの美女のお誘いを無碍にするなんて、男としてどうなんだい? ああ、もしかして不能かい!? 安心してくれ。男女の愛の形は一つじゃないんだ」

 

 一方、女性は健人に冷たくあしらわれても堪えた様子はない。

 むしろ、よりいっそう情熱的に健人にすり寄ってくる。

 この女性、色々と有能な人物なのだが、性格的に非常に難のある人物だった。具体的には、常時セクハラ発言を連発し、本人もそれを自覚した上で改める様子がない。

 そしてなぜか、健人を気に入っていた。それこそ、初めて出会った瞬間に絵のモデルを頼んでくるくらいには。

 

『彼女達もそろそろ本番です。絵を描きにいかなくていいんですか?』

 

「おっと、もうそんな時間か。それじゃあ行ってくるよ! 終わったら二人でディベラ様に祈りをささげようじゃないか」

 

 健人が『お断りです』と返事を書ききる前に、彼女は自分の画材を持って娼婦たちが男たちを相手にしているテントに突撃していった。

 彼女は裸婦画、いわゆるヌード絵や春画を描くことを生業としている画家であり、その手の道では相当な有名人との事。

 ちなみに、彼女の名前はクレティエン・キュリオ。

 そう、あのアルゴニアンの侍女。その著者の系譜である。

 

「お疲れ様ですわね」

 

 そんな人物の相手をさせられた健人に、再び声をかけてくる人物がいた。

 深くローブを被り、目を眼帯で覆った黒髪の女性。一見すると僧侶のようにも見えるが、その蠱惑的な声と白い肌、そして滑らかな曲線を描く小顔と相まって、顔を隠していても隠し切れないほどの美しさを感じさせる女性だった。

 

『いえ、料理は慣れていますから』

 

「そちらではありませんわ。彼女の相手の方です。いい人ですが、変わった人ですから大変だったでしょう?」

 

『変わった人の相手にも慣れていますから』

 

 筆談でやり取りをしながら、健人は少し前のことを思い出す。

 彼女もまた、健人がこの娼婦旅団と関わるようになるきっかけとなった人物だった。

 

 

 

 

 リフトホールドは、スカイリムの南東に位置する、比較的温暖な場所だ。

 最も大きなホンリッヒ湖を中心に大小の湖が散在し、農業や林業、更には漁業が盛んな土地。

 政治としてはホンリッヒ湖東側のリフテンという都市が中心となっている。

 この都市の郊外で目覚めた健人は、とりあえず情報収集と必要な物資を手に入れるため、真っ先にリフテンへと向かったのだが、早々にめんどくさい事態に直面してしまった。

 

「とまれ。この都市に入るには、通行料が必要だ。衛兵として、払えない奴を通すわけにはいかないな」

 

 都市の門を警備している衛兵に、通行料を払えと命じられたのだ。

 

(……嘘だな)

 

 兜の奥から覗く下卑た視線に、健人は衛兵たちの嘘を確信する。

 確かに、都市の城主が税として通行料を取るという話はあるが、健人が門に近づくまで、都市に入っていった者達は何人もいた。

 その者達も、特に通行料を払っていたようには見えず、おそらくこの衛兵たちは、完全な余所者かつ自分達よりも小柄な健人の風貌を見て、こいつなら金を絞れると踏んだのだろう。 

 行ったことのない土地に行くと毎回これである。

 はあ……。と、健人の口からため息が漏れた。

 ちなみに、今の健人は竜鱗の鎧を脱いでおり、民間人と全く変わらない服装だ。

 デイドラ刀『血髄の魔刀』とスタルリム刀『落氷涙』はボロボロになって用をなさなくなった竜鱗の鎧の一部と一緒に、外套に包んでいる。

 あの二つは異質な武器のため、目立ちすぎるからだ。

 

「ほら、さっさと払えよ。でなきゃ帰りな」

 

「もしくは、その手に持った変なものでもいいぞ。二束三文でしか売れないだろうが、通行料代わりにしておいてやる」

 

(はあ……。毎度毎度、面倒くさい……)

 

 この世界には存在しない日本人であり、ノルド達から見れば弱々しい容姿故にすっかり絡まれることに慣れてしまっている健人。

 以前の……特にソルスセイムに家出していた時なら、苛立ちから色々とトラブルに発展していたかもしれないが、今の彼にそのような気は微塵もない。

 街に入れないなら仕方ないと、踵を返して立ち去ろうとする。

 ここで時間をつぶすことに意味はないし、そろそろ日が暮れる。空を覆う雲も厚くなってきており、一雨来そうな雰囲気。

 野宿の用意が必要だ。少なくとも雨風を凌げる場所を探す必要がある。

 だが健人が立ち去ろうとしたその時、艶のある女性の声が、響いてきた。

 

「もし、すこしいいかしら?」

 

 健人が声のする方に視線を向けると、黒いローブを纏った女性が歩み寄ってきていた。

 一見すると、司祭のようないでたち。手には籠を持ち、中には青い花やキノコなど、多種多様な植物が入っている。

 背は女性にしては高く、纏うローブは全身を覆っているが、豊かな胸と長く細い足の輪郭が見て取れる。

 背の高さを考えても、蠱惑的な肢体。

 また、深々と被ったローブと、目元を覆う眼帯から顔は隠れているが、白く細い輪郭の頬は、その隠された美貌を否応なしに感じさせる。

 

「あ、あなたは……」

 

「し、知り合いなのか?」

 

 相当な美女であることを予感させる女性。

 一方、衛兵は突然現れたこの女性を知っているのか、どこか驚いた様子で彼女を見つめていた。

 

「はい、団長が気に掛けている方です。それで、彼に何か?」

 

「え゛、クレティエン団長が?」

 

「そう、か。そうなのか……」

 

「お前、苦労していたんだな……」

 

 団長という言葉に、衛兵たちが一様におののいたような表情を浮かべ、続いて健人を見つめる視線が同情的なものに変わる。さらには、元気づけるように肩を叩いてくる者も。

 一方、置いてけぼりの健人は、いったい何が起きているのかさっぱりだった。

 この女性とは面識などないし、クレティエンという人の名前も知らない。

 自分のあずかり知らぬところで推移していく事態に、唯々流される。

 

「ということで、街に入ってもよろしいですか? 彼も団長に呼ばれていますので」

 

「ああ、分かった。入っていいぞ」

 

「さ、参りましょう」

 

 あれよあれよという間に、健人は街にはいることを許された。

 眼帯の美女に連れられて門を抜けると、中央を水路で隔てられた街が目に飛び込んでくる。

 石造りの道と、木造の建造物。湖の上に建てられた街であるためか、どこか湿気が満ちているような雰囲気に包まれていた。

 

「ふう。これでいいでしょう」

 

 衛兵が門を閉めると、眼帯の美女は深く息を吐き、健人に向き直る。

 目を覆う布のおかげで感情はあまり読み取れないが、こうして近くで見ると、相当どころではない美女だった。

 これほどの女性は、健人が知る限り、義姉であるリータくらいだ。

 

「…………」

 

「余計なお世話だったかしら?」

 

 沈黙し続ける健人を前に、美女がどこか探るような言葉を放つ。

 そんなことはない。街に入ることに苦慮していたのは事実。

 健人は首を振って美女の憂慮を否定すると、礼を言うように深々と頭を下げた。

 

「そう、それは良かった。では、ついでというのなんですが、わたくしの頼みを聞いてはくださらないかしら?」

 

 眼帯の女性は上品な口調で、どこか遠慮気味に、そう言ってきた。

 頼みというのは何であろうか。

 今の健人にできることは限られるが、一応、街に入る手助けをしてもらったのだ。やることは多いが、出来る範囲で手を貸すことはやぶさかではない。

 

「私達はある商隊に属していて、今はこの街に逗留しているのですが、その団長が宿からいなくなったようなのです。ですので、その人を探して連れ帰る手伝いをしてくれませんか?」

 

(面倒な事態でないのならいいんだけど……)

 

 今のスカイリム、そしてリフトホールドの治安がどの程度であるのか健人にはわからないが、あまり時間がかかるようなことに手をこまねいている余裕は正直ない。

 宿屋や食事、なにより、路銀の問題がある。

 それに、そろそろ日が暮れる。最低限、今日の宿は確保しなければならない。最悪、野宿ということも考えられるが、せっかく街には入れたのなら、ちゃんとしたベッドで休んで、今後のことを考えたい。

 

「べつに、変な事件に巻き込まれたとかというわけではないでしょう。どちらかというと、あの方は起こす側なので……」

 

(……なんか不穏な言葉が出てきたぞ)

 

 健人の心の天秤が、一気に「手伝わない」方向に傾く。

 

「まあ、無事であることは間違いないでしょうし、行先もなんとなく想像がつきます。おそらく、この街で一番広い市場にいるでしょう。説得は私がしますし、手伝うにしても、大したことはありません」

 

(どうしよう。面倒なことこの上なさそうだけど……)

 

 ながーーーーーーい沈黙が、二人の間に流れる。

 面倒なことに関わりたくないという心と義理人情に板挟みになりながら、健人は口を真一文字に引き締めながら悩み続ける。

 そして耳が痛くなるほどの沈黙の中、彼は仕方ないというように小さく頷いた。

 

「感謝いたしますわ。それでは、参りましょう」

 

 そうして、ローブを纏う美女と並んで、健人はリフテンの中央にある市場へと続く道を歩く。

 途中、二人は廃屋と化した大きな施設を目の当たりにした。色褪せた看板には、施設の名前が刻まれている。

 

(オナーホール孤児院?)

 

「三年ほど前に閉鎖された孤児院だそうです。なんでも、経営者が殺されたとかなんとか……」

 

 孤児院という言葉に、健人はソフィと出会った頃を思い出す。たしか、孤児となっていた彼女を預ける候補が、リフテンの孤児院だったはず。

 場合によっては義妹がここに来ていたかもしれない。そうだった場合、再びソフィは路頭に迷っていただろう。

 そう考えると、健人はあの時彼女を預かってよかったと思った。少なくとも、殺しなんてドス黒い事件に関わらせなくて済んだのだから。

 崩れかけた廃屋を横目に、二人は道を進む。そして、目的地である市場に辿りついた。

 数多くの露店や店が軒を連ね、あちこちからは商人たちの威勢のいい掛け声が響いてくる。

 健人もこのスカイリムにきてから様々な街を訪れてきたが、その中でも特に熱のある市場だった。

 

「いましたわ」

 

 眼帯の女性の言葉に、健人が市場の一画に視線を向けると、市場の一画に人だかりができていた。

 

「いいぞ姉ちゃん!」

 

「おいおい、もうちょっと見せてくれたっていいだろ!?」 

 

「もうちょい、もうちょい……!」

 

 いったい何が催されているのだろうか。

 よく見ると、集まっている人たちは男性のみ。

 そして健人は男性たちの視線の先に目を向け……思わず噴き出した。

 

(……ぶ!?)

 

 人だかりの中央では、現地住民と思われる一組の男女が抱き合っていた。

 そして、その男女の前では、眼鏡をかけた壮年の女性が、画板を前に絵筆を振るっている。おそらく眼鏡の女性は絵描き、そして抱き合う男女は絵のモデルなのだろう。

 問題は、この三人が一切服を身に着けていなかったこと。

 白い肌だけでなく、豊かな胸も、隠すべきところも周囲に晒したまま。

まごうことなき全裸である、真っ裸である、裸族である。

 

「ほら、なにをしているんだい、はやく彼女の股に手を突っ込まないか!」

 

「ふざけんな! ただ二人で立っているだけじゃなかったのかよ!?」

 

「立っているだけとは言った。だがそのポーズや格好については聞かれなかったからな!確かめなかったそちらが悪い! ほらほら、そっちの彼女も、ちゃんと足を広げて!」

 

「こ、こんなの、もういや……!」

 

 嫌がる裸の男女と、そんな二人などお構いなしに体位変更を要求する痴女。よく見れば、痴女の足元に三人分の着替えが散乱していた。

 目の前の光景が信じられず、健人はおもわず天を仰ぐ。

 

(あれ? ここってタムリエルだよな? オブリビオンとかじゃないよな?)

 

「はあ……貴方はまた一体何をしているのですか?」

 

 眼帯の女性が、呆れながら痴女に声をかける。彼女の探していた『団長』とは、この痴女のことらしい。

 裸の痴女は眼帯の女性の姿を確かめると、これまたハイテンションな笑みを浮かべる。

 よく見ると、眼鏡の女性も相当な美人だ。

 背はノルドの女性よりは低いことを考えると、インペリアルかブレトン。容貌を考えるにインペリアルであろう。

 

「む? おお、迎えが来てしまったのか。仕方ない、今日はここまでにして、続きはまた明日だな」

 

「もうやるか!」

 

「アナタみたいな人、オブリビオンに落ちればいいんだわ!」

 

 モデルの二人は痴女の足元に散らかっていた自分の着替えを引っ掴むと、そのまま走り去ってしまった。

 

「やれやれ、100ゴールドも払ったのだから、裸になるくらいべつにいいだろうに」

 

「普通の人は、人前で裸になろうとは思いません。というか、どうして貴方まで裸になっているのですか?」

 

「なにって、その方が絵に熱が入るじゃないか!」

 

 眼帯の女性の問いかけに、バッと両手を広げて得意げになる痴女。

 本人が真っ裸であることも相まって、色々と見えてはいけないところがむき出しになってしまっている。

 

(とりあえず、はやく話付けてくれないかな……)

 

 色々と目に毒な光景に健人が目をそむけている中、二人の美女の話は続く。

 

「はあ……とにかく、今日はもう終わりです。戻りますよ」

 

「何を言っているんだ! 私の情熱はまだ燃えてすらいないんだよ! 不完全燃焼なんだ! このくすぶった熱を治めるには、最低一つは絵を描き切らないと……おや? その男は誰だい?」

 

 痴女の視線が、眼帯の女性の後ろに控えていた健人に向いた。

 湧き上がる嫌な予感。デイドラと遭遇した時と同じくらいの悪寒に、健人は顔を思わず顔を顰めた。

 

「貴方を連れ戻す協力を頼んだ方です」

 

「ふ~~ん……」

 

 痴女は健人の『こっちに来るな』という無言でありながら強烈な視線を完全に無視しながら、その肢体を見せつけるような足取りで彼に近づいていく。

 裸足なのにカツ、カツと甲高い音が聞こえてきそうな、完璧なモデルウォークを見せつけながら、痴女は健人の前に立つと、ジッと彼の体を舐めまわすように見つめ始めた。

 

「ふんふんふん、ほうほうほう……」

 

 ゾゾゾゾ……! と体中をヒルがはい回るような嫌悪感。

 健人は思わず目の前の女性を殴り飛ばそうになり、思わず自分の手を押さえる。

 こんな騒ぎが起きているのに、どうして憲兵は来ないのだろうか?

 覗き込んでくる痴女から逃げるように視線をさまよわせれば、市場の端でこちらの様子を窺っている憲兵たちがいた。

 しかし、その雰囲気はどこか微妙。関わりたくないという空気をこれでもかと醸し出している。

 そんな中、健人の品定めを終えた痴女が、嬉々として叫ぶ。

 

「うむ、合格! きみ、早速だが、彼女と一緒に今日の私のモデルに……」

 

「……ふっ!」

 

「あばばばばばっばばばば!」

 

 直後、眼帯の女性がかざした手から雷が走り、痴女に直撃した。

 雷の破壊魔法に撃たれた裸族は瞬く間に気絶し、地面に倒れ伏す。

 

「ふう……もうしわけありませんわ。この人、ちょっと頭がアレなので。皆様もお騒がせしました。この者は私が責任をもって連れ帰りますので」

 

「ほら、おわりだ。散れ散れ!」

 

 周囲を取り囲む群衆に向かって、深々と頭を下げる眼帯の女性。

 その声に、周囲で様子を窺っていた衛兵達がようやく割り込んできた。

取り囲んでいた男たちは心底残念そうに肩を落とすと、ぱらぱらと散っていく。

 群衆と衛兵が去ると、眼帯の女性は疲れたように嘆息を漏らす。

 

「はあ……。申し訳ないのですが、彼女の画材を宿まで運んでくれませんか?」

 

(宿……。そういえば、彼女達はこの街に滞在していると言っていた。なら、なんでこの眼帯の人は街の外に……)

 

 健人の脳裏に、彼女が手に提げていたかごの中身を思い出す。花などはまだ装飾などに使うことが考えられるが、キノコや蝶などの虫も入っていた。

 食用ではなく、錬金術などに使う素材である。

 

(この人は、錬金術師なのだろうか?)

 

 疑問は浮かぶが、いちいち尋ねるのも無粋であると考え、健人は黙って痴女の画材を運ぶ。

 そうして二人は、一人の痴女を運びながら、市場の近くの、ひときわ大きな木造の建物へと向かう。

 名前はビー・アンド・バルブ。キーラバという名のアルゴニアンが経営している宿だった。

 

「ありがとうございました」

 

「…………」

 

 引きずっていた痴女と画材を上階の部屋に押し込んだ眼帯の女性は、再びホールへと戻ると、改めて健人に礼を言う。

 女性のお礼に、健人もまた気にしないでというように、苦笑を浮かべて手を振った。

 そんな健人の返事に眼帯の女性も笑みを返すが、ここまで一言もしゃべらない健人に、さすがに怪訝な表情を浮かべる。

 とはいえ、説明しようにも筆談の道具すらない以上、会話しようがない。

 片やずっと無言の男、片や眼帯で目を覆った美しい女性。沈黙が二人の間に流れる。

 

「…………」

 

「あの……。なぜ何もおっしゃらないのですか?」

 

 奇妙な間が十秒ほど続いたところで、気まずい空気に耐えられなかった女性が尋ねてくる。

 健人は仕方ないなというように頬を掻くと、顎を上げて自分の首を指さした。

 そこにはひきつったような、黒く変色した傷跡がある。

 それでなぜ健人が喋れないかを察した女性は、眼帯の下で目を見開き、続いて痛々しそうに口元を歪めた。

 

「その傷は……。申し訳ありません、話さないのではなく、話すことができなかったのですね」

 

 謝罪をしてくる女性に、健人は再び苦笑を浮かべて手を振る。

 声を失ったことは確かに残念だが、後悔はないのだ。気にしてほしくないのは、間違いなく本心である。

 

「……少しお待ちを」

 

 そんな中、女性は今一度上階へと向かうと、何かを手に持って戻ってきた。

 

「これを。貴方には多分、必要かと思いますので……」

 

 そう言って眼帯の女性は、一枚の板と小さな箱を健人に手渡す。

 それは、小さな、二の腕ほどの大きさの手作りの黒板だった。白墨の中には、白墨が数本入っている。

 いいのだろうか?

 黒板は日本ではありふれたものだが、当然、全て手作りのこの世界では貴重品だ。

 すくなくとも、数十ゴールドはする品。荷物を運んだ程度の手伝いでもらえるようなものではないはず。

 健人が受け取るのに逡巡していると、上階へと続く階段から、一人の女性が降りてきた。

 眼鏡をかけた妙齢の美女。先ほど、眼帯の女性が部屋に押し込んだ痴女だった。

 さすがにもう服は着ているが、全身から漂う残念臭は変わらず。気だるい気配を纏いながら、眼帯の女性へと歩み寄っていく。

 

「ううう、酷いじゃないかセラーナ、いきなり破壊魔法を撃ってくるなんて」

 

「貴方が素直に帰ってくれれば、こんなことにはなっていませんわ」

 

「お、そっちはさっきのモデル君だね。私が目を覚ますまで待っているとは殊勝じゃないか

! それではさっそく創作の続きを……」

 

 シレっと眼帯の女性が文句を受け流す中、痴女は再び健人に迫る。

 しかし、今度も眼帯の女性が健人と痴女の間に割って入ってきた。

 

「いい加減になさってください」

 

「やれやれ、うちの姫様はどうしてこう芸術に対して理解がないのか……。あれ? その黒板は……」

 

 痴女の視線が、健人が持つ黒板に向く。

 

「貴方がもういらないと言っていたものです。この方は喋れないようですし、お渡ししてもいいでしょう?」

 

「まあ、確かに使い古したものだから構わないが、タダで渡すというのもなぁ。よし、私のモデルになったらあげよう! どうだい……って、速攻で返すのかい!?」

 

 痴女の要求に、健人は渡された黒板を即返す。確かに必要なものではあるが、代償があまりにも大きすぎた。公然猥褻物になるなどごめんである。

 そんな中、眼帯の女性が再び痴女に圧をかける。

 

「クレティエン……?」

 

「う……わ、わかった。確かに捨てようと思っていたものだし、あげるよ」

 

「はあ……申し訳ありません。この人、本当にどうしようもない人で……」

 

(いえいえ、貴方のせいではありませんよ。本当に苦労をお察しします……)

 

 互いに視線を交わし、肩を落とす。

 出会ってから一時間足らずだというのに、二人の間には既に奇妙な連帯感が生まれつつあった。

 とはいえ、さすがにそろそろ日が落ちる。

 今の健人は無一文であるため、ボロボロになったドラゴンスケールの鎧に使われていた竜の鱗を売る必要がある。

 そのためには、もう一度市場に戻る必要があるのだが……。

 

「ふむ、まあ、この街に来たばかりで、その恰好となると、あまり持ち合わせはないのだな? どうやって路銀を得るつもりだったのだ?」

 

 意外と鋭い痴女の質問に、健人はマントにくるんでいた竜鱗を出す。

 個数としては三、四個。状態としてもまだマシなものを、鎧から剝いできたものだ。それでもあちこちひびが入り、防具の素材としては役には立たないだろう。

 

「ふむ、なるほど。ドラゴンの鱗か。これなら、それなりの値段になるだろう」

 

 近年復活したドラゴンは、魔法の真言を操る強大な存在。当然、その素材など、めったに出回らない。

 素材自体の希少性も相まって、防具の素材としては使えなくても、買い手はいるらしい。

 

「ふむ、なら、黒板とこの鱗一枚と交換にしてくれないか? ドラゴンの素材となれば、芸術の素材としてはいいだろう」

 

 そんなこんなで、結局竜の鱗と黒板をトレードすることになった。

 健人は黒板の代金として、竜の鱗を二枚眼帯の女性に手渡す。

 

「……なんで彼女に渡すんだい? というか、二枚?」

 

 この痴女と関わりたくないからである。正直触れたくもない。

 美人なのに、性格があまりにも汚すぎる。

 ちなみにもう一枚はここまで案内してくれた眼帯の女性へのお礼である。

 健人は努めて痴女からは視線を外したまま、今しがた受け取ったばかりの黒板に文字を書き、そして眼帯の女性に見せる。

 

『ありがとう。助かりました、もう一枚は、あなたへのお礼です』

 

 伝えたのはお礼の言葉。眼帯の女性は一瞬驚いたような表情を浮かべるも、静かに笑みを浮かべる。

 

「いえ、こちらこそ。しかし、これは流石に受け取り過ぎですね」

 

 そして、健人はお釣りとしていくらかのゴールドを受け取ると、彼女達と同じビー・アンド・バルブに部屋を取った。

 

「君、これも何かの縁だ。すこし、飲んで話をしないか? もちろん奢るし、なんならそれ以外にちょっとした謝礼もあげるよ?」

 

 これ見よがしに胸元を強調しながら、セプティム金貨を谷間に入れて健人を誘惑しようとする痴女。金と色で釣ろうとする当たり、随分と節操がない人物である。

 もっとも、節操があるなら、最初から公衆の面前でヌード写影などしないだろう。

 

『嫌です』

 

 当然、健人は速攻で拒否する。

 これが、彼がクレティエン率いる娼婦旅団。そして、吸血鬼の姫とスカイリムを襲う危機に巻き込まれていく序章であった。

 

 




ということで、ドーンガード編の前日譚です。
すでにDLCのストーリーラインから逸脱している事態!
読者さんたち置いてけぼりになってないといいけど……。



以下、登場人物紹介

坂上健人
ドーンガード編の主人公。
アルドゥインと対を成すドラゴンボーンであり、人知れず世界を救った英雄。
声を失った状態でリフトホールドに辿りつき、ハーフィンガルへ帰るための路銀や移動手段を模索中。
コミュニケーション手段として黒板と白墨を手に入れた。

眼帯の女性
ローブを深く被り、眼帯で目を覆った女性。
顔の半分近くが隠れているが、隠し切れない美貌を持つ人物。
ドーンガード編のヒロインであり、後述するクレティエン・キュリオが率いる娼婦旅団『蒼の艶百合』で錬金術師として働いている。
名前はセラーナ。
そう、スカイリムをプレイした人なら知らぬ者はいないほどの有名人である吸血姫その人である。
本来ならディムホロウ洞窟で封印されているはずの彼女がなぜ既に復活しているのか、どうしてクレティエン達と同道しているのかは、本編にて。

クレティエン・キュリオ
ドーンガード編のオリジナルキャラ。
インペリアルの貴族の女性。都市は二十半ばから後半。
キュリオ家の人間で、芸術の神ディベラを信仰しており、本人曰くもっとも敬虔な信徒の一人。(しかしやっていることはシェオゴラス信者、もしくはサングイン信者のそれ)
キュリオの名前は、TESシリーズをやったことのある人には聞き覚えがあるだろう。アルゴニアンの侍女の著者の家名である。
芸術と性癖に全ぶりした人物であり、その上権力も金もある厄介な人。
人の裸体を描くことを生きがいとしており、裸婦画や春画、その手の彫刻、像などで高い評価を受けている。
現在は娼婦旅団の頭目をしており、見目麗しい少女達と共に各地を転々としながら、絡み合う男女を描く創作活動をしている。
健人を一目見て気に入り、自分の芸術活動のために勧誘。彼の失われた声の代わりに、筆談に使われる黒板と白墨は、元々彼女のもの。


娼婦旅団『蒼の艶百合』
スカイリム各地を旅しながら、春を売る少女たちの旅団。
団長はクレティエン・キュリオ。


オナーホール孤児院
ゲーム本編でも色々と問題視されていた孤児院。
経営者の死亡により、既に廃墟になっている。



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第一話 就職活動

お久しぶりです、cadetです。
相も変わらず不定期更新です。


 

 ビー・アンド・バルブで一泊した健人は、翌日の早朝から行動を開始した。

 残っていたドラゴンの鱗を売り、そのお金で服やリュックなど、旅に必要なものをそろえようとしたのだ。

 

(とりあえず、こんなものかな? あとはナイフと裁縫道具、寝袋に水筒、それから疾病退散の薬も必要か……ん~~足りない)

 

 大きめのリュックと刀を包む布を買い、他にも必要な小道具を揃えていく。

 だが、十分ではない。全体的に物の値段が高く、必要な物資をそろえることができなかった。

 経済的に閉鎖しやすいストームクロークの影響下のためか、それともヴィントゥルースのウィンドヘルム襲撃の被害がまだ尾を引いているのか。

 昨日、ビー・アンド・バルブの酒場で話を聞いたところ、内戦の方も休戦はまだ一応続いているが、かなりきな臭くなっているらしい。

 再び始まりそうな戦争の空気。それにより人々は物資を貯め込むようになり、結果、物価高となっている。

 まだ価格としては2,3割の増加で収まっているが、今後どうなっていくかは不明。

 

(どちらにしろ、旅費を稼ぐことは必要か……。でも、都市内で仕事を貰えるかは難しい)

 

 リフテンはリフトホールド最大の都市であるが、街に来たばかりの健人が早々良い仕事にありつけるかというとそうでもない。

 大半はほぼ日雇いで低賃金の仕事がほとんどだ。

 

(まさか、アルドゥインとの戦いから三年近く経っているなんて、予想外だった。今ホワイトランやハイヤルマーチはどうなっているんだろう……)

 

 なにより健人が驚いたのは、現在は第四期205年であったこと。アルドゥインと戦ってから、約3年の月日が流れていた。

 死んでいてもおかしくない状況だったことを考えれば、生きているだけでも御の字ではあるが、こうしてスカイリムに帰ってくると、リータやソフィを始めとした家族や他の仲間達のことが気になって仕方がない。

 金欠状態で身動きが取れないことも、健人の焦燥を掻き立てていた。

 

「そこの君、少しいいか?」

 

(ん?)

 

 そんな中、健人は野太い声に呼び止められる。

 振り返ると、鎧を着た大男が立っていた。大男の後ろには、付き添いと思われる若いノルドの男性が二人おり、共に大男と同じ鎧を纏っている。

 彼らが身に着けているのはラメラアーマーと呼ばれる、鉄板を幾つも皮に張り付けた重装鎧。

 背中にはこの世界では珍しい弩弓。クロスボウを背負い、腰には片手斧を携えている。

 だが、健人の目を引いたのは、男の緑色の肌と、口元から生えた二本の牙だった。

 

(オーク? 珍しいな。オークが人の街にいるなんて)

 

 オーク。

 その出自と歴史的背景、牙の生えた豚のような特異な容貌から、エルフ種にもかかわらず排他され続けてきた種族だ。

 彼らは元々トリニマックと呼ばれるエルフの戦神を信仰していた一派だった。

 だが、肝心のトリニマックがデイドラロードであるボエシアに負けて食われ、デイドラロードであるマラキャスへ転神してしまったことで、緑色の肌と特異な外見を持つようになったと言われている。

 長年虐げられてきた彼らの立場はスカイリムでも変わらず、辺境に要塞と呼ばれる集落を築き、そこで生活をしている。変わり者を除き、人の街に来ることはほとんどない。

 スカイリムを結構旅してきた健人でも、オークに会ったことはあまりない。それくらい、この土地では見かけない種族なのだ。

 

『誰ですか?』

 

「私はドーンガードの一人、デュラックだ。今私は、吸血鬼の脅威に対抗するため、同志となってくれる者達を探している」

 

 筆談で会話をしようとしてくる健人に対しても、このオークは気にすること無く話しかけ続ける。先程旅の必需品を買い付けている時、商人たちも黒板と白墨を取り出す健人に怪訝な目を向けていたのにだ。

 そんなオークの態度に少し驚きつつも、健人は彼が口にした組織名に首をかしげる。

 

(ドーンガード? 聞いたことないな……)

 

 耳空白の三年の間にできた組織なのだろうか? 

強面のデュラックの説明が続く。

 

「ドーンガードは吸血鬼を狩る者たちだ。今この地に、吸血鬼の脅威が迫っている」

 

 吸血鬼。その名の通り、人の血を吸う化け物だ。

 強大な魔力を持ち、人と全く同じ外見であることから、見つけ出すのも厄介な存在。

 

「我々は、力を必要としている。戦える者が」

 

 淡々とした口調。しかしその重く低い声が、このオークがどれだけ吸血鬼退治に命を懸けているかを如実に感じさせた。

 厳つい顔にふさわしい威圧的な視線が、ずっと向けられ続ける。その状況に、健人は端的な疑問を黒板に書いて掲げた。

 

『なぜ、自分に声を?』

 

「オークの戦士としての勘だ。この街を回ったところ、他の誰よりも先に、君に声を掛けておく必要があると感じた」

 

 まっすぐに健人を見据えるオーク。健人はその真摯な瞳の奥に、燃え盛る炎を垣間見た。

 以前に見たことのある、黒い炎。ジリジリと肌を焼かれるような感覚が走る。悲しみを糧に燃え盛る、憎しみの炎だ。それだけでこのオークに何があったのか、ある程度察することができてしまう。

 そんな彼の熱意を前に健人は……。

 

『すまないが、力にはなれそうにない』

 

「そうか。もし吸血鬼への対策が必要なら、ドーンガード砦に来てくれ。ここより南東にある」

 

 静かに断りの文を黒板に書いて、デュラックの目の前に掲げた。デュラックは牙の隙間から隠し切れない落胆を漏らしつつも、自分達の拠点についての情報を健人に伝える。

 

「常に気を張れ。見た目よりもその裏にある内面を見抜け。ただでさえ我らの敵は、人と見分けがつかぬのだ。闇夜だけでなく、太陽の下に伸びる影に気をつけろ」

 

 そうしてデュラックは付き添いの二人を連れ、立ち去って行った。その背中を、健人は申し訳なさそうに見送る。

 向けられる視線に憎しみの色は混ざっていたが、かつての義姉のように澱んではいなかった。おそらくあのオークが戦う理由は、純粋な使命感からなのだろう。

 

(吸血鬼、か……)

 

 吸血鬼の危険性は、健人も身に染みている。

 かつて、モーサルを死者の街にしようとした吸血鬼がいた。

 モヴァルス・ピクイン。

 奴は手下の吸血鬼を街に忍び込ませ、人々を魅了、洗脳し、手駒として使用。最終的にモーサルを自分たちの血の牧場として支配しようとたくらんできた。

 その企みは最終的に健人と、彼に協力した三人の手で砕かれたものの、健人はこの事件で吸血鬼が持つポテンシャルの高さと危険性をまざまざと見せつけられることになった。

 あの時よりもはるかに成長しているとはいえ、今の健人には、かなり厄介な相手である。

 

(悪いとは思ったけど、今の俺にはな……)

 

 デュラックの申し出を断ったのは、別に力を隠しておきたいとか、そういう話ではない。

 一つは純粋に、ソフィやリータ達の現状が気になるから。

 吸血鬼の話は気にはなるが、まずは家族の安否を確かめたいという気持ちが勝ったのだ。

 もう一つは、彼自身が、今の自分が力になれるか疑わしいと感じているからだ。

 

(思った以上に、状態は良くない……)

 

 今の健人の戦闘能力は、激減しているといっていい。

 彼の力は強力無比なシャウトに下支えされていた。直接攻撃だけでなく、絡め手や身体強化、シャウト行使能力の向上、強力無比で堅固な鎧等々、上げればきりがない。

だが、声を失ったことで、そのシャウトの行使能力を失っている。

 さらに、失声の影響は他の技術にも及んでいる。特に顕著なのは破壊魔法や回復魔法をはじめとした、詠唱を必要とする魔法全般だ。

 シャウトほど強力ではないが、そのどれもが健人が未熟だった時、命を救ってきた技術。これが失われた影響は、すさまじく大きい。

 同時に、そんな道程を進んで来たからこそ、もしも今の自身よりも強い相手に相対した場合、剣一本で生きのびる事は難しいと察している。

 正直なところ、健人は今の自分がどこまで戦えるのか、測りかねているのだ。

 

(どうするか……。でも今すぐ解決はできないしな……)

 

 ここは現代日本以上に、力が必要な世界。もちろん健人自身、身を守るためにも、研鑽を欠かす気はない。

 とはいえ、今使えそうな技術は付呪と錬金術くらい。

そしてその二つともが、成果を得るためにそれなりの初期投資が必要。金欠の今の健人に、これを解消する手段は思い浮かばなかった。

 そういう意味でも、早く資金を稼ぐ必要がある。

 そんなことを考えながら、仕事を探して街をうろうろしていると、聞き覚えのある声に話しかけられた。

 

「おお、そこにいるのは昨日のモデル君じゃないか」

 

(うわ、やっかいなのに出会っちゃった……)

 

 クレティエン・キュリオ。

 帝国の貴族であり、有名な芸術家……らしい。

 らしいというのは、健人はあくまで人伝や酔った彼女自身の口から聞いただけだからだ。

 同時に、モデルに衆目の中で全裸を要求した上、自分自身も素っ裸になる生粋の痴女でもある。健人としては正直、あまりかかわりあいになりたいとは思えない人物である。

 

「こんなところで奇遇だね。どうだい? これから僕の部屋で絵のモデルでも……おっとっと……」

 

 笑みを浮かべていたクレティエンが突然ふらつく。

 体調が悪いのだろうか。それとも、寝起きでまだ体がしっかり起きていないのだろうか。

たたらを踏む彼女の体を、健人は片手で軽く支える。近くから見た彼女の顔色は、少し血色が悪いように見えた。

 

「すまないね。ちょっと貧血気味なんだ。それにしても……うん、思った通りいい体じゃないか~~」

 

 さわさわと、クレティエンの両手が健人の体をまさぐり始める。

 服の上から上腕や胸板、腹筋の形を確かめてくるそのしぐさは、妙に艶めかしい。

 

(こいつ……)

 

「ふむ、腑抜けた顔の裏にある、鍛え抜かれた肉体……ふふふ、思った通りだ」

 

確かに、健人の体はすでに地球にいたころとはかけ離れたものになっている。

地獄のような鍛錬と苦難の連続だったのだ。逞しくもなるというもの。

とはいえ、痴女に引っ付かれて体をまさぐられるのはゴメンである。

健人は結構失礼なセリフと一緒にナチュラルセクハラしてくる問題児を、荒っぽく引きはがした。

 

「ちょっと、ひどくないか? こう見えても私は帝国の貴族なんだよ?」

 

(それでいいのか帝国貴族。というか、帝国貴族が、なんでストームクロークの勢力下にいるんだよ)

 

 健人にとっても、このクレティエンという女性はわずか数日で、扱いづらい人物となっていた。

 貴族階級が残っているこの世界では、市井の民に貴族が非道をすることも珍しくはないだろうし、それでお咎めもないのだろう。

 しかし、この女性は己の地位を示しはするが、それで理不尽な言動をするわけでもない。

 逆にそれだけ健人に価値を見出しているともとれるのだが、どちらにしても出会って二日足らずの人間に対する態度ではないだろう。

 ある種の不可解さを有する女性。そのためか、どうにも距離を測りかねる。

 

(とはいえ、ヌードモデルをしろと言われたら絶対に断るけど……)

 

「というわけで、今から私の部屋でモデルをしてもらう。貴族命令だから、拒否権は……って、こら逃げるな~~!」

 

 いうが早いか、健人は踵を返して痴女から遁走を開始。

 しかし、絵描きというインドア派文化人とは思えないほどの素早さを発揮したクレティエンに腕を掴まれ、止められてしまう。

 心の底から嫌そうに顔をゆがめる健人に、クレティエンが吠える。

 

「おいおいおい、そこまで嫌がることないだろう!? 当然モデル代だって出すよ? 500ゴールド。君、お金に困ってるんだろ?」

 

 一回のモデルとしては……というか、ほとんどの労働職から考えても法外と呼べる報酬だった。

 500ゴールドともなれば、しばらくは何もせずに暮らしていけるだろう。

 確かに、今の健人は資金を必要としている。しかし、この痴女のモデルになるということは当然、素っ裸にならないといけないということ。純日本人であり、一般的な学生だったケントには、当然このような裏バイトじみた仕事の経験はない。

 

『お断りします』

 

 ということで、健人は黒板による筆談でさっさと断り、掴まれた腕を振り払う。

 もし、危急の事態ならば、健人も嫌々ながらに頷いたかもしれない。しかし、今はそこまで急いでいるわけでもないのだ。

 一方のクレティエンはあからさまにがっかりした様子で項垂れる。

 

「く、なんと頑固な……しかたない」

 

 しかし、すぐに顔を揚げると、痴女は立ち去ろうとしている健人の腕に再び飛びついた。

 飛びつかれた健人が驚いてたたらを踏む間にも、クレティエンはまくしたてるように言葉を続ける。

 

「わかったわかった! モデルはいったん諦める。その代わり、君に別の仕事を依頼したい」

 

 一旦……という言葉が不安を掻き立てるが、健人としても仕事が欲しいのは確かである。

彼は背中から腕にすがりついているクレティエンを警戒するように睨みつつも、先を促すようにそのまま待つ。

 

「なに、大したことじゃない。私の旅団で雑用をしてほしいんだ」

 

 クレティエンの話では、彼女が率いる旅団は少し特殊で、団員が二十人前後いる。

 また、近々リフテンの外へ行商に行くため、人足が必要とのこと。

 

「人数が結構な数になるから、雑用とはいえ重労働だ。その代わり、給料はそこそこいいと保証するよ」

 

 そう言って、クレティエンは三本の指を立てる。

 

「一日30ゴールド。どうだい?」

 

 基本的に、タムリエルでの食事は一日10ゴールド前後。街に来たばかりのよそ者が得る一日の労働としては破格の値段だ。

 

「君もこの街に来たばかりで、色々と入用なのだろう? どうだい、話くらいは聞いてくれないか?」

 

 この痴女は確かに問題児だが、商売に関しては交渉できそうなタイプだと思えた。

 しばしの間、考え込むように視線を外していた健人だが、やがて彼女に向き直ると、ゆっくり頷く。

 

「よし! それじゃあ、詳しい話は宿でしようじゃないか。ついてきたまえ」

 

 抱えていた健人の腕を解放した彼女は、すたすたと宿の方へと向かっていく。

 その背中を追うように、健人は後に続くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 デュラックはオークの戦士であり、ドーンガードの主力を担う一人である。

 彼は昔、妻の二人を吸血鬼に殺された。

 その吸血鬼には復讐を果たしたものの、彼の胸に刻まれた化け物たちへの憎しみは、消えることはなかった。

 その後、彼はイスランと名乗るドーンガードへと参加。

 

「あの、デュラックさん、どうして、あんなヒョロイ奴に声を掛けたんです?」

 

 足早に進むデュラックが背中からかけられた声に振り向くと、付き添いの一人のアグミルが伺うような視線を向けていた。

アグミルの隣にいるもう一人の従者も、同じ視線を彼に向けている。

そんな付き添いの様子に、デュラックは少し呆れたように荒い鼻息を漏らす。

 

「お前達にはわからないか……」

 

「あの……」

 

 二人の頼りなさに、再び漏らしそうになるため息を飲み込みながら、デュラックは素直に先ほど感じた彼の印象を語る。

 

「あの者は見た目のような弱者ではない。さながら爪を隠した鷹か、森に身を隠す狼と言ったところか。なんとなくだが、少し奴らと似たところがある……」

 

 見た目は確かに、華奢でどことも知れぬ異邦人。平坦な顔も相まって、何を考えているかよくわからぬ者。すくなくとも、この排他的な土地に受けいれられず、侮られる姿をしている。

 だからこそ、オークの戦士は気になった。街で見た彼の足取りは、驚くほど安定していた。明らかに、何らかの武を修めている者の足取り。

 そして、声を掛けて確信する。この者は間違いなく、今まで見てきたどんな強者よりも強いと。

 

(でなければ、私の視線を前にあのように平然と返答できるはずがない……)

 

 オークの戦士として、常に闘争と血の中に身を置いていたデュラックは、たとえ本人にその気はなくても、自然と相手を威圧してしまう。普通の人間なら、思いっきり警戒するか、もしくは目を背けて逃げ出すことも多い。

 そんな彼の威圧を正面から向けられても、彼は平然としていた。

 それほどの人物となれば、ぜひともドーンガードに参加してほしい。そう思って声を掛けたのだが、無碍なく断られてしまった。再び、溜息が込み上げる。

 

(なるほど、私は断られて内心怒っていたのか……)

 

 そこまで思い出し、彼はようやく、自分が苛立っていることに気づく。

 別に断った人物に怒っているのではない、自分の思いが伝わらなかったことに苛立っているのだ。

 同時に、不必要に部下を威圧してしまった自分を恥じる。

 

「ふう……。すまない、思うようにいかず、少しイラついていたようだ」

 

「い、いえ……」

 

「ですが、そこまでの人物に、デュラックさんが奴らと似た空気を感じた、となると、警戒が必要ではないですか?」

 

 もう一人の付き添いが、健人に対して警戒した様子を見せる。

 彼の名はキーロ。アグミルと同じ時期にドーンガードに参加した新人であり、浮つきやすいアグミルとは違い、落ち着きのある人物だった。

 そんな彼の進言に、デュラックは静かに首を振る。

 

「いや、その必要はないだろう。少なくとも彼の目に、奴らのように汚れた光は見えなかった」

 

(吸血鬼のような邪悪さはないが……なんとなく、似たところがあるような気がする)

 

 健人を吸血鬼ではないと断定しつつも、同時にデュラックは、そんな彼に違和感も抱く。

 人の姿でありながら、人から外れた何か。そんな者の気配が、ほんの僅かに漂っているような気がしたのだ。

 その違和感を、上手く言葉にはできないまま、デュラックはアグミルとキーロを連れて街を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 クレティエンと共にビー・アンド・バルブへと戻ってきた健人は、そのままクレティエンが借りている部屋へと連れてこられた。

 

「さ、入ってくれたまえ」

 

 恐る恐る部屋へ入った健人の目に飛び込んできたのは、机の上にちょこんと置かれた、ディベラの祠。そして部屋の壁いっぱいに詰め込まれた裸婦画の数々だった。

 部屋の四方の壁にはもちろん、部屋の隅から隅まで、絵が置かれている。

 描かれているモチーフも様々。インペリアルやブレトン、ノルドなどの人間種から、ウッドエルフやダークエルフ、ハイエルフ達、さらにはアルゴニアンやカジートも含めた、タムリエルに住むほぼすべての人種を網羅している。

 

「…………」

 

 なにより目を引くのが、一枚一枚の絵の完成度だ。

油絵具で描かれた数々の作品。そのすべてが、まるで今にも動き出しそうなほどの躍動感を放っている。

 健人に絵心はない。しかし、映像作品やネットなどで、様々な絵を目にすることはあった。

コンピューターを使ったイラストが多く出回るようになっていたこともあり、健人自身は油絵に触れる機会はあまりなかったとはいえ、そんな彼から見ても、クレティエンの絵は別格と呼べるだけの何かを放っているように見えた。

絵を描ける人間が絶対的に少ないこの世界で、これほどの作品を創れる者はほとんどいないだろう。

 

「あらクレティエン、もう帰ってきて……貴方は」

 

 また、部屋の中には一人の女性がベッドの上に腰を掛けて借主を待っていた。

 黒いローブを纏い、目に眼帯を付けた女性。

 驚いた様子を見せる彼女だが、気のせいだろうか。昨日顔を合わせた時よりも、やや隔意を抱いているような雰囲気を醸し出している。

 

「また無理難題を吹っかけて連れ込んだのですか? いい加減にしないと、そろそろ背中から刺されるかもしれませんよ?」

 

「いつもいつも私がモデルを脅迫しているような発言はやめてくれないか!? 今回はちゃんとしたビジネスの話だよ」

 

「ビジネス、ですか?」

 

「ちょうどいい、セラーナも聞いておいてくれ」

 

 そういうと、クレティエンは近くの椅子を手繰り寄せ、立ちすくむ健人と向かい合うように座ると、その長く美しい足を見せつけるように足を組む。

 

「さて、改めて自己紹介をしよう。私はクレティエン・キュリオ。こう見えて、一応帝国の貴族だ。こちらはセラーナ、私の旅団『蒼の艶薔薇』で錬金術師として、色々と力を貸してもらっている」

 

「セラーナ……ともうします、よろしくお願いしますわ」

 

 胸を張り、腕を組んでいかにも自信たっぷりという雰囲気を振りまくクレティエン。一方、セラーナと名乗った女性の方は、やや遠慮しがちな口調で挨拶をしてくる。

 その妙にかしこまった態度に違和感を抱きつつも、健人は昨日貰った黒板に白墨を走らせる。

 

『ケント・サカガミ。よろしく』

 

 変わった名前だなとクレティエンが興味深そうな視線を送りながら肩をすくめる一方、セラーナは無反応。

 二人の全く違う反応に健人が内心首をかしげる中、クレティエンの話は続く。

 

「私達は商人だ。街から街へと移動しながら、そこに必要なものを提供している。これさ」

 

 そう言って、クレティエンは部屋いっぱいに飾られた裸婦画を指さした。

 

「どうだい? なかなかの物だろう?」

 

 この言葉には、健人は素直に頷いた。

 なかなかどころではない。正直なところ、これほどの絵を描く人物とは思っていなかった。

 確かに、裸婦画と聞けば、目を顰める人たちもいるのだろうが、そんな先入観などすべてを無視して、見る者を『魅入らせる』力を彼女の絵は秘めているように思える。

 

『なぜ絵を?』

 

「心が乾く時代だからこそ、人は芸術に触れる必要があるのさ。淫らな絵だという輩もいるが、それは極めて浅はかというもの」

 

「まあ、こんなことを言っていますが、半分以上は彼女の道楽です」

 

「セラーナ、いちいち話の腰を折らないでくれたまえ」

 

 かっこいいことを言った矢先にセラーナに突っ込まれ、クレティエンは「ん、ん!」と誤魔化すように咳き込む。

 おそらく、先に言ったことに偽りはないのだろうが、道楽というのも事実なのだろう。

 なんというか、健人は彼女に対して、この世界でであったカジートの親友のような雰囲気を感じるのだ。

 

「さて、話の続きだが、私たちの旅団が売るのはもう一つある……春だ」

 

 春。すなわち売春。

 娼婦と、それに関わる性サービスの提供。それも、彼女の旅団が売る商品にはあるらしい。

 

「そんなこともあって、私の旅団は女性ばかりでね。力仕事にはどうしても不向きなことが出てくる。その時に男手があると助かるが、下手な男を旅団に入れるわけにはいかない。いろいろと問題が起こるからね」

 

 男女の色事、惚れた腫れたに伴うトラブルは、いつの世も一番面倒な問題の一つだと、クレティエンは語る。

 実際、変な男に惚れた娼婦が店を飛び出して駆け落ち。そのまま不幸になったという話は腐るほどある。

 

「君は見たところ、かなり理性的な人物のようだ。もちろん、それがただの仮面である可能性は否定できないが、それでも他の男たちに比べれば、恥というものを理解しているように見える」

 

 だから、働いてみないか? とクレティエンは続ける。

 実際、色々とお金が入用な健人には渡りに船だった。

 

『場合によっては、途中で抜ける。俺には目的があるから』

 

「目的とは?」

 

『家に帰ること』

 

「ふむ、いいだろう。ただ、こちらもすぐに抜けられては困る。最低2ヶ月は働いてもらいたい」

 

 雇う側にとって、すぐにスタッフに抜けられるのは避けたい。仕事の割り振りなどの予定が、一気に狂うからだ。

 健人も彼女の言い分は理解したので、頷いて了承の意志を示す。

 その後は、雇用条件の確認が続いた。

 

『あちこちの街を移動する際の移動手段の確保や、食費、街の滞在費などの生活に必要な経費は?』

 

「旅団で食事をとったりするというのなら、こちらでもつ。経費は一元管理した方が効率的だからね」

 

『具体的な仕事内容は?』

 

「薪割りなどの力仕事が主だ。ほかには食事の用意や洗濯などの雑事にも手を貸してもらいたいが、そちらは客を取らない見習いが主にやる。旅に必要な道具も一式、提供しよう」

 

 一通り健人の条件や質問を受けると、今度はクレティエンが質問を投げかける。

 

「こちらからも質問をするが、君は雑事以外に何ができる? 文字を書けるということは、それなりに学があると思うのだが……」

 

『料理はできる。それから、狩りや漁、付呪と錬金術を少し』

 

「ほう……それだけか?」

 

 クレティエンの瞳の奥が、キラリと光る。どうやら、健人に対し、彼女は相当興味を持っているらしい。

 こちらを見透かそうとする意志を隠そうとしない彼女に少し呆れつつも、健人は淡々と黒板に白墨を走らせる。

 

『それだけだ』

 

 しばしの間、クレティエンはジッと健人が書いた黒板の字を睨みつける。

 やがて、フッと肩の力を抜いて椅子の背もたれに体を預けると、後ろに控えているセラーナに目を向けた。

 

「わかった。なら、セラーナの仕事も手伝ってもらおう」

 

「クレティエン、私は……」

 

「いいから、手を貸してもらうといい。君一人で素材の調達から調合、それに娘たちの診察までしてもらっているんだ。君の仕事にも人手は必要だよ」

 

 突然話を振られたセラーナが驚きつつも何かを口にする前に、クレティエンがその発言を遮る。

 実際、錬金術は材料の確保が重要だ。素材によっては、危険な洞窟などに入る必要も出てくる。

 セラーナがどれほどの実力かは分からないが、少なくとも眼帯をしているような女性には、確保が難しい素材もあるだろう。

 

「ケント、錬金術の素材は分かるのだろう?」

 

『必要なものを指定してもらえれば、取ってこれる』

 

「決まりだ。さっそく今夜から働いてもらおう。旅団の予定としては一週間後、他の商隊に同行する形でリフテンを出立する予定だ。今夜から街の北門でテントを張って営業するから、夕方になったらそこに来たまえ」

 

 そう言って、クレティエンは立ち上がると、手招きをしながら部屋の外へ出て行く。

 健人が彼女の後に続こうとしたその時、隣にいるセラーナと目が合った。

 

「…………」

 

「…………」

 

 相も変わらず、眼帯のおかげで何を考えているか分からない表情。

 しかし、僅かに引き締められた口元が、彼女が抱く警戒心を如実に表している。

 なぜ、いきなりこんな警戒されるようになったのだろう。少なくとも昨日は、こんな目を向けられてはいなかった。

 健人が内心抱く疑問に答えることなく、セラーナはさっさとクレティエンの後を追って出て行ってしまった。

 訳の分からない態度に首を傾げながらも、健人は二人を追って部屋を出るのだった。

 

 




ということで、久しぶりの更新でした。
健人、ちょっと不安はあるが、どうにかお金を稼ぐ就職先を獲得。
一方のセラーナさんは、なんだか態度が変わっているが、その理由は……?
別作品の執筆を最優先していますので、相も変わらず不定期更新になってしますが、ご容赦ください。

以下、登場人物紹介

ディラック
ドーンガードに属するオークの男性。妻二人を吸血鬼に殺されたことから、ドーンガードに参加。
武器は片手斧などの片手武器とクロスボウ。

アグミル
デュラックに付き従うドーンガードの新人であるノルドの青年。
クロスボウと片手剣を使う。
気質は普通の青年で、英雄願望に近い上昇志向からドーンガードに参加した。

キーロ
アグミルと同時期にドーンガードに参加したノルドの青年。
本小説オリジナルキャラ。
割と落ち着いた雰囲気を持っており、アグミルよりは頼りにされている。


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第二話 前途多難な新生活

 

 全身を蝕む冷たさと息苦しさの中、私の意識は浮かんでは沈んでいく。

 深い、深い闇の中を、身動き一つできないまま。何度も何度も何度も……。

 一体、どれほどの時間をこうしていたのだろうか。揺蕩いながらも、心は削れていく。

 凍り付き、擦れ切った心に浮かぶのは……言い合いをする父と母の姿。

 変わってしまった父。自分を裏切った母。この世で最も愛し、最も憎む相手達の顔が最後に残ったものだというのは、どんな皮肉なのだろう。

 

 ガタン……。

 

 母が私を閉じ込めた牢獄の中で、私はただ一人、闇の冷たさに囚われ続ける。

 もしかしたら、この世の終わりまで、私はここに居続けるのかもしれない。

 

 ガタン……。

 

 冷たい、地下の無間地獄。あのオブリビオンにも似た場所が終の場所となるなど、皮肉が効いている。

 でも、ここから出たとしても、どこに行けばいいのだろうか?

 

ガタン……。

 

 だからこそ、つい発作のように、昔のことを思い出してしまう。

 まだ温もりに包まれていた、無垢な子供の頃。

 太陽の下、城の庭で、母の庭園を散歩した時のこと。父の背中に飛びついて、わがままを言っていた頃のこと。

 そして、そんな私を優しく微笑みながら、並んで見守っていた両親のことを。

 

 ガタンガタン……ガコン。

 

 ああ、ダメですわ。こんなことを思い出しては。

希望など初めからない。この身はもとより、神の祝福などとは無縁。

 力を得たのだ。穢された心と体と引き換えに。それで十分、そう考えるしかないのです。

 だからだろうか。全身を揺らす振動に続き、体を締め付けていた感覚が突然消えたことに気づくのが遅れたのは。

 

「あ……」

 

 全身に衝撃が走り、呆けていた頭に大量の情報が流れ込む。

 目に差し込む光、半身に走るビリビリとした感覚。これは……痛み。

 数千年ぶりに感じる光と痛みに戸惑いながら、地面に手をついて体を起こす。

 不老不死の体は、数千年の拘束の後でも衰えることは無いらしい。ギシギシと悲鳴を上げつつも体を起こし、自分を目覚めさせた者を見る。

 

「貴方は、誰ですの?」

 

 目の前に立っていたのは、私と同じ、汚れた瞳の同族。

 ああ、やはり神というのは、皮肉が大好きらしい。

 

 

 

 

 

 

 健人が連れてこられたのは、北門の外だった。

 門のそばには厩が軒を連ね、広葉樹が広がる森の中へと石畳の道が続く。少し離れた森の中には見張り等が立てられ、茂る木々の上から頭をのぞかせていた。

 そんな街の入口の前には、十余りのテントが立てられており、クレティエンは迷うことなく、そこへと向かっていく。

 

「あ、団長、お帰りなさい!」

 

「団長、頼んでいたもの、見つかりました!?」

 

「一応、注文はしておいたよ。明日には届くはずさ」

 

「やった!」

 

 テントから次々と出てくる、見目麗しい少女たち。

 おそらく、彼女たちがクレティエン率いる娼婦達なのだろう。仕事前なのか、既に胸元や足のラインが露になる服を身に着けていた。

 年齢的には二十代前半から、十代後半。健人は知る由もないが、日本なら警察が出張ってくるような年齢の子も散見される。

 注文した品が何かは分からないが、喜びようを見る限り、相当待ち望んだものなのだろう。

 健人がそんなことを考えていると、彼女達と目が合った。

 

「団長、そっちの人は?」

 

「ん? 新しい手子だよ。明日から少し遠出するだろ。色々と手伝いが必要だから雇ったのさ」

 

(遠出?)

 

「へえ~~!」

 

「見たことない人だね。ねえ、どこの人?」

 

「ぶっきらぼうな感じだけど、よく見ると結構顔は可愛い?」

 

 新人の登場に、彼女達はトコトコと健人を取り囲むと、興味深そうに見上げてくる。

 若い少女らしい、遠慮のない質問の嵐に、健人は視線を泳がせながら身をのけぞらせている。

 このように大勢に囲まれた経験の少ないが故の困惑。しかも、

 しかしそこで、絹を裂くような大声が響いた。

 

「なんで、男がいるのよ!」

 

(ん?)

 

 声の先に目を向けると、金髪の少女が健人を指さしながら眉を吊り上げていた。

 ノルドの女の子。年の頃は12から14歳くらい。三年という月日を考慮すれば、ちょうどソフィと同じくらいの年齢だろう。

 

「あ、ルナ。この人、団長が雇った人みたいだよ」

 

 少女は、明らかに拒絶の色を帯びた視線で睨みつけてくる。

 いきなり女性だけのところに男が来れば困惑するのは無理ないと思うが、それにしても敵意まで滲ませているとなると、普通ではない。

 とはいえ、相手は先輩。年下であっても、最低限の礼儀は通すべきである。

 

『初めまして、ケントです』

 

「はぁ? なにそれ、なんて書いたのよ」

 

「ええっと、なんか、ケントって書いてあるよ。名前かな?」

 

「なんで態々文字で書くのよ! 自分の口で名乗りなさいよ!」

 

 健人が頷くと、ルナと呼ばれたノルドの少女はさらに目じりにしわを寄せてまくしたてる。

 どうやらこの少女、文字が読めないらしい。

 自分の悪手に、健人はしまったというように顔をしかめる。

 義務教育などがないスカイリムだが、意外なことに識字率はそれほど悪くはない。

 しかし、それでもこの少女のように、文盲である者は少なくない。そもそも、科学技術が発達した現代地球でさえ、識字率がほぼ100%の国はほとんどないのだ。

 

「なによ、文字が読めないからって、馬鹿にしてんの!?」

 

 さらに悪いことに、自分が文字を読めないことを揶揄されたと感じたのか、ルナの態度はよりいっそう硬化してしまった。

 健人が内心頭を痛めている中、さらに別の声が響いてくる。

 

「あら、どうかしたのですか?」

 

「なんだ。騒がしいぞ」

 

「あ、メリエルナにレキナラ。この人、新人さんだって」

 

「なんだ、今度は男娼をいれるのか?」

 

 レキナラと呼ばれたレットガードの女性が、健人を見て鼻白む。

 高い背と色黒の肌、意志の強そうな切れ目と、腰まで届くほどの黒髪を束ね、ポニーテールのように背中に流している。布地の少ないスリットの入ったドレスを身に着け、艶めかしい足をさらしているエキゾチックな美女だった。

 

「お名前は……ケント様、ですか。ふふ、素敵なお名前ですね」

 

 一方、メリエルナと呼ばれた女性の方は、これまたレキナラとは真逆の印象を抱く女性だった。

 薄い青色の長髪。ノルドと比べても起伏の薄い顔立ちから、おそらくはブレトン。

 背はレキナラよりも低いが、女性としてはそれなりに高く、なによりも慈愛に満ちた笑顔を浮かべているのが印象的。

 身に着けているドレスはレキナラと違い、布地も多く、肌をほとんど見せていない。

 そんな中、胸元だけが大きく開けられ、白く豊かな双丘をさらしているが、不思議とイヤらしいという雰囲気はない。

 その立ち姿は深窓の令嬢という言葉がぴったりで、団長のクレティエンよりずっと気品に満ちている。

 レキナラとメリエルナ。周囲にいる見目麗しい少女達と比べ、二人ともセラーナやクレティエンと並ぶほどの美しさを持っていた。

 おそらくは、この娼婦旅団の中で、一、二を争う売れっ子娼婦だろう。

 

「それで、こいつがどうかしたのか?」

 

「こいつ、黒板でなにやら書くだけで、全然喋らないんです」

 

「ルナ、彼は怪我のせいで声が出ないのです」

 

 レキナラの疑問にセラーナが答えると、ルナが眉を吊り上げた。

 

「はあ? なに、そんな役立たず雇ったの? 馬鹿じゃない?」

 

 セラーナのフォローを、ルナは冷たくあしらう。同時に、ケントに向けられる視線に拒絶と共に呆れの色も交じり始める。

 健人を囲んでいた少女たちも、健人が失語だと知ってから、僅かに距離が開けていた。

 この時代……というか、この世界でも身体的障害者に対する扱いは、かなりよろしくないらしい。

 現代でもこの手の類の差別は根絶されていないが、時代を遡れば、赤子の段階から間引きされていたこともあったのだから、さもありなん。

 隔意を漂わせる視線を四方八方から向けられ、健人はようやく、声を出せなくなった自分が抱える社会的ハンデに気づく。

 このような偏見を持った目を向けられることが、これから先増えていくのだろう。

 とはいえ、一度は受けた仕事。それに、この程度の偏見でへこたれるようでは、このスカイリムでは生きてはいけなかった身である。

 

「ちょっと……」

 

『よろしくお願いします』

 

 いきなりの敵意満載で睨みつけてきた少女に向かって、挨拶文を書き直し、改めてかざす。

 

「だから、口で喋りなさいよ!」

 

 焦れたルナが再び怒りを爆発させ、健人が掲げた黒板を叩いた。

 バン! と大きな音と共に、健人の黒板が地面に落ちる。

 場に気まずい空気が満ち、ルナもしまったといった様子で表情を引きつらせた。

 一方、健人はじっと幼い少女の顔を、正面から見据え続ける。

 

「な、なによ……」

 

『よろしくお願いします』

 

 そして、おもむろに落ちた黒板を取り、再びルナの眼前に突きつけた。

 

「なによ! だから、読めないって言っているでしょ!」

 

 再び振るわれる少女の手打ち。しかし、今度はしっかり黒板を保持していたので、叩き落とされることはない。

 意地になったルナがバンバン! と何度叩くが、12歳前後の少女の腕力ではびくともしない。

 

「よろしくお願いします、と言っていますわ」

 

『よろしくお願いします』

 

 セラーナのフォローが再び入る中、健人はさらにルナに詰め寄る。

 ドラゴンボーンによる圧力コミュニケーション。

 この男、災厄の象徴たるドラゴンすら怯ませる眼力でもって、無理やり自分のペースに持ち込んでいた。

 先ほどまで威勢よく叫んでいたルナが目を見開き、ごくりと唾を飲む。

 一秒、二秒、三秒。互いに無言で視線を交わす中、静かに時間が過ぎていく。そしてついに、健人の圧力にルナが根を上げた。

 

「う、うう……分かった、分かったわよ! 伝わったから! でも、よろしくなんてしてやらないからね!」

 

 最後は涙目になりながら、捨て台詞と共にテントのところへ戻っていく。

 トテトテと逃げるように小走りで去っていく少女の後ろ姿を見送りながら、健人は内心諸手を挙げる。

 

(勝った……)

 

「あ、あははは! あのルナにあんな態度取るなんて、あなた面白いわね!」

 

「あの子、男に対してはかなり強く出る子なんだけど、あんな風に負かされたのは初めて見たわ」

 

 同時に、周囲を囲んでいた少女たちの笑い声が響く。

 気が付けば、先ほど漂っていた険悪な空気は消え去っていた。

 どうやら、彼女達の認識が『只の障害者』から『ケントという名の変わった障害者』となったからだろう。

 人は無意識のうちに、知らない他者を自分がよく知る存在と結び付け、グループ化する。

 健人は自分から積極的に踏み出し、そのグループ化から逃れたのだ。

 

(いや、俺も面の皮が厚くなったなぁ……)

 

「貴方、変わっていますのね……」

 

 数年前、スカイリムに飛ばされる前の彼では考えられない行動。

 自身の変化を改めてしみじみ感じている中、呆れたようなセラーナの言葉に肩をすくめる。

 

「さ、彼の紹介は済んだ。仕事を始めるよ」

 

「は~~い!」

 

「それじゃあね~~!」

 

 クレティエンの鶴の一声に、少女たちは一斉に解散。各々が仕事への準備へと戻っていく。

 

「ふん、まあ、邪魔だけはするなよ」

 

「ふふ、これからよろしくお願いいたしますね、ケント様」

 

 レキナラとメリエルナ。二人もまた自分達のテントへと戻っていく。

 メリエルナが完璧な帝国式の礼を返してくるあたり、本当の貴族然としている。その手の類の女を抱くのが好きな男たちには、間違いなく受けるだろう。

 

「ケント、仕事の説明をするから、こっちに来てくれ」

 

 少女たちが仕事に戻っていく中、健人は再びクレティエンの後についていく。

 

「いや~~。いきなりルナに絡まれるなんて、災難だったねぇ~~」

 

(そう思うなら助けろよ。分かっていて放置していただろうが……)

 

 先ほどの騒動をニヤニヤしながら語るクレティエンに、健人は内心ため息を漏らす。

 この愉快犯、結局最後まで一言もしゃべらなかったところを見るに、最初から面白半分で状況を放置していたのだろう。

 

「で、どうだい、うちの娘たちは。粒ぞろいだろ?」

 

 その点に関しては、異を唱える気はなく、健人は静かに頷いた。

 実際、この娼婦旅団にいる女性たちはかなり容姿に優れた娘ばかり。もし、ただの学生だったら、向けられる視線に舞い上がっていたかもしれない。

 もっとも、スカイリムに来てからの出来事があまりにも異質で、精神的、肉体的に鍛えられたこともあり、露出のある女性に近づかれたくらいではもう動揺しなくなってしまったのは、良かったのか悪かったのか……。

 

「この旅団は、まずはお客に料理と酒をふるまう。客は気に入った娘がいたら、チップを払い、さらに抱きたいなら追加の料金を払って各々のテントで愛を交わす」

 

 クレティエン率いる娼婦旅団『蒼薔薇』はスカイリム各地を巡る関係上、多数のテントを活用しているらしい。

 実際、何十人も入れそうなテントの周囲に小さな二人用ほどのテントが雑多に囲んでいる。

 

「君の仕事は、先にも言ったが裏方だ。力仕事がメインだが、それ以外にもいろいろと動いてもらうことになる。早速だけど、この食料を炊事場に運んでくれ」

 

 そう言って、クレティエンは大型テントの脇を指さした。

 そこには、いくつもの袋が並べられている。中を見てみると、小麦や野菜、果物に肉などが入っていた。

 他にも木箱や樽があり、中は保存食、蜂蜜酒やアルトワインなどがぎっしり詰められていた。

 健人はとりあえず、近くにあった袋に手を伸ばす。ゴロゴロと丸く硬い感触が返ってくるあたり、おそらく中身はリンゴだろう。

 健人が袋を担ぐと、クレティエンは彼を大型テントの裏へと案内する。

 そこは、簡易的な調理場だった。

 幾つもの焚火が並び、火には水を張った鍋が幾つもかけられている。

 焚火の傍には長机が二つと、水瓶が置かれ、少女たちが用意していた食材を刻んでいた。

 

「みんな、食材だ」

 

 クレティエンが声を上げると、料理をしていた数人の少女たちが振り返った。

彼は持ってきたリンゴを無造作に長机の傍に置く。

 よく見ると、料理をしている少女たちはどう見ても10歳から14歳くらいの十代前半だ。

 

「彼女達は、いわゆる見習いだ。寝所での相手はまだだが、酌はするよ」

 

 日本の遊郭で言うところの『禿(かむろ)』の立ち位置にいる少女たちなのだろう。

 突然知らない男が来たためか、少女たちは手を止め、警戒心を露わにしている。

 健人は努めて少女達と目を合わせないようにしながら、残りの食材を運ぶ。

 しばらくすると少女達も自分の仕事を思い出し、手を動かし始めた。

 長机に並べられる食材は、主にニンジンやリーキ、キャベツなどのごくごくありふれたもの。

 

「な、なんでここに来るのよ!」

 

 食材の運搬を終えたところで、再びルナが姿を現し、驚きの声を上げる。

 彼女はその手には水の入った桶を抱えている。どうやら、料理に使う水を汲んできたらしい。彼女も見習いというなら、料理の用意をしているのは当然だろう。

 

「やあルナ、さっきぶり。これから同僚になるからね。それに彼も料理ができるらしいから、その腕を見てみようと思ってね。不満かい?」

 

「……いいえ」

 

「そうか。なら、彼に仕事を教えなさい。団長命令だ。意見は聞かないよ」

 

 それだけを言い終わると、クレティエンはさっさと自分のテントに戻ってしまった。

 残された三人。ルナは心底イヤそうな目で健人を睨みつけてくる。

 

「…………」

 

 助けを求めるように健人はセラーナに目配せするが、彼女もツイっと彼の視線から逃げるように、クレティエンが入っていったテントの中へと消えてしまった。

 その間に、ルナは組んできた水を鍋に注いで火にかける。そして、近くにある袋を、テーブルの空いたスペースの上にゴン! と置いた。

 

「切って」

 

 彼女はそれだけを言うと、自分もナイフを取り、さっさとニンジンの下処理を始めてしまった。

 健人がテーブルに置かれた袋を開けると、中にはジャガイモが大量に詰められている。

 どれだけの数を、どのように切ればいいのだろう。健人がそれとなくルナに目配せをするが、彼女は健人の視線をあからさまに無視している。

 

「それ、全部使うから、皮だけ剥いちゃってくれればいいよ」

 

 料理の下処理をしていた他の少女が、ルナの代わりに健人の疑問に答えてくれた。健人はお礼の代わりに会釈を返す。

 

「あの娘、男嫌いだから、気にしなくていいよ。元々リフテンの孤児院にいたらしいんだけど、孤児院が閉鎖になっちゃって、ここに来たらしいの。だから……」

 

「ヴェルナ、煩い!」

 

「あら、怒られちゃった。仕方ない、お仕事お仕事……!」

 

 ルナの大声にヴェルナと呼ばれた少女は「しまった」と言うようにペロッと舌を出して、自分の仕事に戻っていく。どうやら、かなりおしゃべりな性格らしい。

 

(こりゃ、前途多難だな……)

 

 なんとも幸先の悪いスタート。とはいえ、これも仕事である。

 健人は誰にも聞かれないほど小さく溜息を漏らすと、袋の中のジャガイモに手を伸ばすのだった。

 

 

 




というわけで、久しぶりの更新です。相も変わらずスローペース……。

登場人物紹介
ルナ・フェア・シールド
クレティエンが率いる「蒼の艶百合」で、手伝いをしている娼婦見習い。
娼婦旅団に属しているにもかかわらず、男嫌いという変わり者。
ゲーム中でも登場している人物。
元オナーホール孤児院の孤児であり、孤児院閉鎖後に旅団に加わったらしい。



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第三話 踊る娼婦達

久しぶりの投稿。


 夜の帳が降りると、蒼の艶百合のテントの前には、多くの男たちが集まってきていた。

 ホール用の大テントの中には、既に酒を飲み始めている客もいる。陽が落ちてから半刻もたたないうちに、テントには二十数人の男たちが詰めかけていた。

 男たちが最初に手を付けるのは、料理と酒だ。飲んで食ってエネルギーを蓄えてから、女を抱く。

 売れっ子の娼婦であるレキナラやメリエルナだけでなく、他の娘たちもすでに積極的に男達にその美貌を男達に見せびらかし、酌をしながら誘惑している。

 一方、健人は裏手の仕事をひたすらこなしていた。

 料理、皿洗い、大テント内を温める薪の追加等々……。仕事は絶え間なくあり、休む暇もない。

 消費される食糧も膨大だ。パン、肉、野菜、そして酒。それらがあっという間に消費されていく。

 

「追加のスープとパン、それから、鹿肉のステーキも焼いて!」

 

「パンを六個ちょうだい! それから、アルトワイン五本!」

 

「あれ? ねえ、蜂蜜酒の予備は!?」

 

「ちょっと、このワイン、温まってないよ!?」

 

 次々と来る追加オーダーに、見習いの娘たちもてんやわんやといった様子。何人もの少女たちが、バタバタと炊事場内を行き来している。

 健人は追加の薪を切り続けながら、忙しそうな彼女達を横目で眺めていた。

 

(……ん?)

 

 そんな中、ふと視線を感じて顔を上げると、黒ローブを纏った女性が離れたテントのそばからこちらを見ていた。

 

(セラーナさん?)

 

 ジッと炊事場の様子をうかがっていた彼女は、健人の視線に気づくとスッと視線をそらし、自分のテントへと戻っていく。

 錬金術で薬を作っている彼女のテントは、他の娼婦のテントと比べても二回り以上大きい。素材の保管場所や錬金台などを設置する必要があるからだろう。

 しかし、健人が気になるのは、彼女の態度。以前から感じていたが、初めて出会った時と比べ、明らかに隔意がある。

 侮られたり、畏れられたりするのは多少慣れたとはいえ、それでも避けられ続けるというのは、あまり気分のいいものではない。

 しばらくはこの旅団にはお世話になるのだから、健人としてはできるだけ不和の種は取っておきたいのだが……。

 

「ケント、ちょっといいかい?」

 

 そんなところに、団長であるクレティエンが声を掛けてきた。

 彼女は両手に画材や画板を抱えている。これから芸術活動にいそしむつもりなのだろう。

 その辺りは特に問題はない。いや、男女の営みの中に突撃しようとしていることが問題ないのかと言われると困るが、互いに合意ができているなら、それ以上第三者がとやかく言う必要はない。

 

 ただ……既に全裸になっているところはいただけない。

 

 なんでこの女はもう痴女モードに入っているのだろう。

 まあ、確かに初めて会ったときはすでに全裸だったが、それにしたって理性が緩すぎる。

 

(どうにも、雰囲気がカシトによく似ているんだよな……特に人の話を聞かないところとか)

 

 カジートの親友を思い出しながら、健人は改めてクレティエンの様子を窺う。

 この人物の強引さと後先考えない無軌道さを見せつけられた健人としては、一抹の不安を抱かずにはいられない。

 健人はひきつる口元を必死に抑え込みながら、努めてクレティエンに目を合わせないようにしつつ、黒板に文字を書いて掲げる。

 

『なんですか?』

 

「これから忙しくなるんだけど、ちょっと薬が足りないんだ。悪いけど、セラーナのところを手伝ってもらえないか?」

 

 とはいえ、用事があるのは本当らしい。

 実際、錬金術の手伝いも契約の際の仕事となっていた。

 とはいえ、どこまでやっていいのか健人としても不明。

 

(初日から新人にこんなに色々な仕事をさせていいのだろうか? 多分、試されているんだろうけど……)

 

『分かりました。何の薬ですか?』

 

「避妊薬さ。一応、こんな仕事をしているんだ。子供ができてしまったら、色々と大変だろう?」

 

(避妊薬……。そういう薬ってこの世界でもあるんだ……)

 

 確かに、この手の類の仕事には欠かせない物だ。安全性や確実性も含め、錬金術を嗜んだ者としても、気にはなる。その薬に付随する行為に関しては何とも言えないが……。

 とりあえず、持っていた斧を手近にある木に立てかけ、健人はセラーナのテントへと向かった。

 歩きながらクレティエンの真意に考えを巡らせる。

 性格はかなり難ありだが、少なくともこれだけの集団をまとめている事実を考えれば、人望も含め、有能な人物であるのは間違いないのだろう。

 とはいえ、注意しておくに越したことはない。一般大衆の前で芸術と称した露出プレイを強要していたのだ。まともな感性の持ち主ではない。

 それが、自身に被害が及ぶ可能性があるというならなおさら。実際、彼女は健人をヌードモデルにしようとしたし、今でも諦めていない様子。

 しかし、仕事は仕事。クレティエンへの疑問は他所に置き、健人はセラーナのテントを目指す。

 

(まあ、セラーナさんのことも気にはなっていたから、ちょうどいいと言えばいいのかな?)

 

 元々健人の容姿はタムリエルに住むどの人種とも似通っていないし、今は失声の障害者。偏見を持つ者に避けられることは理解しているが、その理由を差し置いても、どうにも気にはなる。

 それが何故かといわれると、健人自身上手く説明はできないのだが……。

 そうこうしている間に、健人はセラーナのテントに到着した。

 茶色にくすんだ布地の奥からは、錬金術特有の鼻に突く、青臭い匂いが漏れてくる。

 よく嗅いだ、懐かしい匂い。健人は導かれるようにテントの入り口に手をかけ、中に入る。

 テントの中には錬金台と、小さなテーブル、そして薬瓶や素材が数多く納められた棚がある。錬金台の上には火が灯され、ガラス瓶の中に収められた薬液がこぽこぽと泡を立てていた。

 ほかにも剥き出しの地面にはシート代わりの毛皮が広げられ、その上に寝るためのベッドロールが敷かれている。

 そしてテントの主であるセラーナは錬金台のそばでごそごそと何かをしていた。

 一体何をしているのか。興味本位で健人が近づこうとしたところで、テントに入ってきた気配に気づいた彼女が振り返る。

 

「っ! 誰ですか!?」

 

 その強い声色に、健人は首とかしげる。よく見れば、付けている眼帯が取れかかっていた。ずり落ちそうな眼帯を、彼女は慌てて整える。

 

(取れそうだったのか? いや、眼帯をズラして何かを探していた……?)

 

『薬を作るのを手伝うように言われたんですけど』

 

 とりあえず、健人は要件を腰に下げた黒板に書いて掲げる。

 

「あ、ああ。そうなのですか。助かりますが、既に作り終えてしまいました」

 

 セラーナは少し慌てた様子でずれていた眼帯を戻すと、そそくさと健人の脇を抜けて棚へと近づく。そして、がさごそと棚の中から同じ形の小瓶を幾つも取り出し始めた。

 その数、二十個ほど。

 彼女は薬を取り出し終わると、いそいそと薬瓶を抱え始めた。

 これから、各々の娼婦に薬を配りに行くつもりなのだろう。だが、どうにもその手つきは危なっかしい。

 瓶の数も多いことを考えれば、彼女一人で運ぶのは中々に手間だろう。

 

『手伝います』

 

「しかし……」

 

 健人が黒板をセラーナの目の前に掲げるが、彼女の声色にはやはり隔意が漂っていた。遠慮しがちな声を漏らすセラーナをよそに、健人は薬瓶を手に取る。

 

「……では、行きましょう」

 

 少々強引な健人の行動に、セラーナは諦めたかのように小さくため息を漏らして、テントの外へと出ていった。

 健人もまた彼女の後を追い、天幕を後にする。

 

「彼女達は今、男達を接待するために母屋のテントにいます。その間に、個別のテントに薬を届けておきましょう」

 

 セラーナと手分けして、娼婦たちのテントに薬を配っていく。

 サクサクと落ち葉を踏みしめながら、各々のテントを回って薬の瓶を配り終えると、母屋のテントから喧騒が響いてきた。

 

「そろそろ、宴もたけなわ、といったところでしょうか」

 

 薬を配り終えたセラーナが戻ってきて、そんな言葉を口にする。

 母屋のテントへの入口は前後に二つ設けられており、健人たちがいる場所からも、中の様子をわずかに覗くことができた。

 歌と音楽に合わせて踊る女達と、そんな彼女達に情熱的な賛美を送る男達。

 歌っているのはメリエルナ、踊りを披露しているのはレキーナだ。

 メリエルナはその深層の令嬢のような貴族然とした見た目とは裏腹に、情熱的な歌詞と美声を披露し、レキーナもまた彼女の歌に合わせて、躍動感あふれる肢体で男達を魅了している。

 

(あれは……)

 

 そんな中、健人の目に、メリエルナの傍で音楽を奏でる、一人の少女が目に留まった。

 十二から十四歳くらいの、金髪の少女。ルナ・フォアシールドだ。

 彼女は、白くきらびやかなドレスを纏い、リュートを弾いていた。

 音楽を奏でている女性は彼女以外にもいるが、ルナが纏う雰囲気は、他の者達とは一風変わっていた。

 他の女性達が騒ぐ男達に誘うような目配せをする中、一人だけ周囲の喧騒を無視するように瞑目している。

 まるで、自らが奏でる音だけに耳を傾けているかのように。

 実際、客として集まった男達の中の何人かは、ルナに視線を向けていた。

 だがなにより驚くのは、彼女が奏でる音色の繊細さと力強さ。突き放すような本人の雰囲気とは裏腹に、耳の奥にスッと入り、そして胸の奥に何かを訴えかけてくる。

 音楽に関しては素人の健人にも、思わず聞き入ってしまうような旋律だった。

 

「驚きましたか? ルナはかなり優れた演者です。特にリュートなどの弦楽器の才は、あのクレティエンが認めるほどです」

 

 横で健人と同じように音楽を聴いていたセラーナの言葉に、思わず頷く。

 穢れのない純白の衣装と、他の者よりも一回り押さない容姿。そして本人が周囲を拒絶しながらも、聞き入らずにはいられないほどの旋律。

 その全てがまるで奇跡のようにかみ合い、年不相応の色気を漂わせていた。

 

(なるほど、確かにあの全裸団長、人の才を見抜く目は確かなのか……)

 

 そんな中、メリエルナの歌が佳境を迎える。

 薄青髪の麗しい女の美声が、いっそう情熱的に詞を紡ぐ中、ルナのリュートのみが、メリエルナの歌に合わせて音楽を奏で始めた。他の楽器を演奏していた女性達は手を止め、二人の競演を見守る側になっている。

 これには健人も驚く。もっとも曲が盛り上がるところで、ソロパートを任せられているからだ。

 客の男達も、いつの間にか騒ぐことを忘れ、メリエルナの歌とルナの旋律に聞き入っている。

 そして、二人の曲が終わった。

 しばしの間、シーンと静寂が流れ、続いて歓声と拍手が爆発した。

 喝采を浴びながら、女性達は男と達の元へと戻っていく

 男達は娼婦達を出迎えると、その手や胸元に金貨を差し入れ始めた。女たちも、気のいい笑顔で男達と談笑している。

 そして幾人かの女性たちは男たちと共に席を立った。おそらく彼女達はこれから、自分たちの個別テントで愛を交わすのだろう。

 そんな中、ルナだけは他の女性たちの陰に隠れるように、テントの外へと出ていった。

 

「……そろそろ行きましょう」

 

 セラーナの声に、健人は小さく頷く。

 既に薬も各テントに配り終えている。健人達が離れると、次々に大テントの中にいた人達が外に出てきた。

 ペアになって、個別テントに向かう者。お相手が見つからなかったのか、少し残念そうにしながらも、『次こそは!』と意気込みながら、ほろ酔い気分で街の方へと向かう者。

 そんな中、絹を裂くような大声が木霊した。

 

「触らないでよ!」

 

 突然響いた大声。驚きながらも、健人が声の聞こえてきた方に目を向けると、三人の男達が、白い衣装を纏った少女を囲んでいた。

 

 




お久しぶりです、cadetです。
書籍の方が一段落しましたので、チョコチョコ書いていたものを纏めて投稿します。
今回は少し短め。
以下、登場人物紹介

ルナ・フェア・シールド
実は、かなりの音楽の才能を持つ少女。特に弦楽器が得意としている。
クレティエンがその才能を見抜き、教えることで僅か一年にして、その才の片鱗を見せ始めている。

坂上健人
とりあえず、娼婦旅団の下働きをきっちりこなす主人公。
団長に親友と似た雰囲気を感じ、既に言葉による説得を諦めている。
ただし、こちらに手を出して来たら、力づくで制圧するつもり満々。そのあたりは遠慮する気はない。

セラーナ
皆さんご存知、吸血鬼のお姫様。
健人が団員になって以降、どうも彼を警戒している様子。

クレティエン
相も変わらず全裸な団長様
しかし、人の才能。とりわけ、芸術の才を見抜く目は確かで、そのあたりは流石ディベラ信者と言える。ついでに、性に奔放なところも。

三人の男達
娼婦旅団に来ていた客。
詳細は次話で。


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第四話 それぞれの事情

 ルナを囲んでいる三人の男達。

 クマのような体格のノルドが一人。妙に背が低く、ギョロついた目と腰の曲がったブレトンが一人。そして最後に、綺麗に整えられた顎髭と赤を基調とした豪奢な服を纏ったノルドが、彼女の前を塞いでいた。

 

「なに言っているんだ。今夜のお相手はいないんだろ? せっかくだから、俺達が相手してやろうって言ってるんだ」

 

「誰が頼んだのよ。お断りだわ、さっさと帰って!」

 

 男達は欲情に濁った表情を浮かべ、正面からルナを見下ろしている。

 まだルナが十代前半ということもあり、体格差は歴然。

 しかし、ルナはリーダーと思われる豪華な服を纏ったノルドが伸ばしてきた手を、虫を叩き落とすように振り払う。

 

「なるほど、体の方はまだガキ臭いが、気の強さは十分か。ノルドの女なら、このくらいじゃなきゃな」

 

「あれ? シビ様、こんなちんちくりんな娘が気に入ったんですか? いつもなら……」

 

「たまには違う料理が食べたくなるお時もある。俺様ともなれば、女の方から寄ってくるのが常だが、たまにはこういう気の強い、青い果実を摘み取るのもいいだろう?」

 

「ひ、ひ、ひ……、そうですよね。こういう綺麗な顔が嫌悪感でいっぱいになった後、泣き顔に染まっていくのがたまらないですよね……!」

 

 クマ男の問いかけにシビと呼ばれたノルドが答え、それにヒョロガリ男が金魚のフンのように同調する。どうやら、ヒョロガリ男はかなり倒錯した性癖をお持ちらしい。

 シビと呼ばれた男もかなり女癖が悪いらしく、ヒョロガリ男と一緒になって、嗜虐的な笑みを浮かべている。

 

「ひっ……!」

 

「おっと、逃げるなよ……」

 

 シビの手が、離れようとしたルナの細腕を乱暴に掴む。

 先ほどまで威勢よく三人を睨みつけていた彼女の瞳が、大きく見開かれた。

 

「あ、あう、ううう……」

 

「うん? こいつ、急におとなしくなったな」

 

 その目に浮かぶのは、強烈な恐怖の色。

 ルナは全身をガクガクと震わせながら、言葉にならない声を漏らし始める。

 

「へえ、なるほど。さすがはクレティエンの娼婦。客の希望をよく分かっている」

 

「い、い、いゃ……ひぅ……かはっ……」

 

「いいねいいね、その怯えた顔。たまんねえぜ……」

 

 一方、シビはそんなルナの反応に嗜虐心を刺激されたのか、彼女の体を力ずくで引き寄せた。そしておもむろに、その薄い胸に手を伸ばす。

 脹らみかけ女性の象徴。それに無遠慮にまさぐられ、ルナの顔色が一気に真っ青になっていく。

 瞳孔をこれ以上ないほど開かせ、悲鳴すら上げられない様子だった。

 そんな彼女を男達は取り囲んだまま、無理やり彼女の手を引っ張り始めた。向かう先は、真っ暗な茂みの奥。

 ルナの顔に、絶望が浮かぶ。

 何をされるのか、理解しているからこその表情。

 その時、男達から彼女を遮るように、黒い影が割り込んできた。

 

「……あ?」

 

 続いて、シビの手から、少女の細腕の感触が消える。

 気がつけば、ルナは自分達から数メートルのところに立っており、間に割り込むように一人の男が立っていた。少し離れたところで、この状況を見ていた健人だ。

 

「…………」

 

「あ、あれ? え?」

 

 健人は、彼女の呆然とした声を背中に受けながら、シビたちと向かい合う。

 ドラゴンボーンとして、数多の戦いに身を投じてきた健人だ。当然、隠形の技もある程度習得している。意識が他に向いているならば、この程度はできる。

 

「な、なんで、アンタが……」

 

 ルナを男達から引き離した健人は、とりあえず怪我のない彼女を横目で確認し、心の中で安堵する。同時に、自分の考えなしの行動に苦笑を漏らした。

 今日、この娼婦旅団に来たばかりの新人。この街のことも、このような夜の仕事のセオリーもよくわかっていないのだ。

 おまけに相手には、この街の有力者と思われる男が混じっている。身の安全を考えるなら、関わるのはバカのすることだろう。

 そもそも健人自身、このようなトラブルで何度か痛い目を見た経験がある。

 だがそれでも、妹と同じ年ごろであろう少女が強姦されそうになっているのを、見過ごすことはできなかった。

 

(まあ、最悪の場合はヘイトをこっちに向けた上で、さっさと街を出ていけばいいか。クレティエンとの契約は反故になってしまうけど、致し方なし。とにかく今は……)

 

 覚悟を決めれば、後は行動するだけ。結果は勝手についてくるだろう。

 ルナが漏らした疑問の声に心の中で答えながら、健人は黒板にチョークで文字を書いて、男達に見えるように掲げる。

 

『この子は見習い。お触り厳禁です』

 

 多分、そうだろう。クレティエンも言っていた。

 完全な推測であるが、この際これで押し通す。

 

「いきなり出てきて威勢がいいことだな。しかし、貧相な奴だ。クレティエンの男娼か?」

 

(うわ、身の毛が……)

 

 あの痴女の男娼とか、絶対に御免である。いったいどんな目に遭か分かったものではない。街中でストリップショーを強要させられるか、はたまた獣を交われとか言い出すか。

 これまでの健人の人生、その尊厳を粉みじんに破壊するようなことをされる可能性が極めて高い。

 

(生憎、俺の性癖は普通なんだ。頼むから、そっちの方に引きずり込まないでくれ……)

 

 とっくの昔に全裸になっている雇い主。脳裏に浮かんだその姿にげんなりしながらも、健人は目の前の男達に意識を集中させる。

 

「とにかく、引っ込んでいるんだな。今なら、何もなかったことにしてやる」

 

 案の定、お楽しみ邪魔されたシビは怒気を滲ませた声で恫喝しながら、健人を見下ろしてきた。その威圧的な視線に、背後のルナがブルリと体を震わせる。

 

『いやいや。言いましたけど彼女は見習いで、まだお客は取れないんですよ』

 

 新しい文字を書いて掲げる健人に、シビの苛立ちがさらに増していく。

 

「こいつ、ふざけているのか? それとも、只の馬鹿か? 俺が誰だかわかっているのか?」

 

「シビ様、こいつ、声が出せないんじゃないですか?」

 

「おまけに、余所者みたいですぜ。こんなやつ、リフテンで見たこと無いですぜ」

 

 苛立つシビと呼ばれたノルドの男に、両脇を固めるお付きが言葉を挟む。

 

「なに? 確かに、随分珍しい顔立ちだ。声なしの上、余所者か。この俺様を知らないとはな。どんな辺境の田舎から来たのやら……」

 

『モーサル』

 

「あの陰気な街か、こいつはとんだ田舎者だ!」

 

 健人がとりあえず、拠点を置いているハイヤルマーチホールドの首都の名を書いて掲げると、シビは蔑むような笑顔で鼻を鳴らした。

 確かにモーサルは田舎だろう。ついでに陰気だ。別に否定はしない。

 

「まあ仕方ない。田舎者にも分かるように教えてやろう。俺の名はシビ・ブラックブライア。この街を支配するブラックブライアの息子だ」

 

 ブラックブライア家は、リフテンで最も力を持つ商家だ。

 郊外にあるブラックブライア蜂蜜酒醸造所で作った酒で莫大な利益を上げており、その資金で勢力拡大を続けている。

 その一家の当主であるメイビン・ブラックブライアは極端な結果主義者であり、自身の商売で利益を得るためなら、その手段に合法、非合法問わない。

 健人はこのリフトホールドに訪れた経験がないから知らないのも無理ないが、この一家の勢力は既に、首長ですら簡単に手出しができないほどのものなのだ。

 

「分かったらさっさと消えな。俺はこう見えても優しいんだ。田舎者だから大目に見ていたが、そろそろ我慢も限界だぜ?」

 

(いや、優しい男はそもそも強姦なんてしない……)

 

 そんな実家の威光を盾に、シビは健人に迫ってくる。その瞳の奥に潜む暗い気配に、健人は眉を顰めた。

 この世界で、数多の戦いに身を投じたからわかる。目の前の男達は、確実に人を殺したことがある者達だ。しかも、そのことに良心の呵責などは覚えていない。

 おまけに、嘘も言っていない。ドラゴンボーンとしての直感。「声」に対する優れた感性が、彼らの言が真実であることを見抜いていた。

 余所者一人を消すことくらい容易いだろう。

 もっとも、それを知ったところで、健人自身、その程度で退く気など、毛頭ないのだが。

 一触即発の空気が満ちる。

 

「……っ!」

 

(あっ!)

 

 そんな中、ついにルナが限界を迎えた。

 恐怖のあまり、背を向けて逃げ出したのだ。

 彼女はセラーナの脇を一目散に駆け抜け、娼婦たちのテント群の中に消えてしまう。

 

「おいおい、せっかくのお楽しみが逃げちまったじゃねえか……ん、あの女」

 

(やばい……!)

 

 さらに悪いことに、シビの視線が少し離れたところで様子を見守っていたセラーナを捉えてしまった。

 

「目元を隠しているみたいだが、俺様には分かる。間違いなく絶世の美女だな。おい、そこの女、こっちにこい。俺様の相手をさせてやる」

 

 そして案の定、女好きのシビの目標がルナからセラーナに移る。

 彼女はルナと違い、その肢体はすらりとした完璧な黄金比。さらに、その容姿も隠し切れないほどの美しさを放っているとなれば、この下半身猿が目をつけるのも当然である。

 

『彼女も、旅団の娼婦ではありませんので、お客様の相手はできません』

 

「貴様、本当に死にたいみたいだな……」

 

 健人は慌てて黒板を掲げながらシビの視線を遮るが、度重なる妨害に、ついに彼の堪忍袋の緒が切れた。

 殺気の篭った瞳で健人を睨みつけながら、右手を掲げる。それに従い、両脇に控えていたお供が前に出てきた。

 

(こりゃ説得は無理だな。最悪、制圧した後さっさと街から逃げるか)

 

 諦めと共に、健人もまた意識を切り替える。

 避けることができない火の粉を振り払うことに、躊躇はない。

 むしろ、力を見せない方が、この世界では後々面倒になる場合がほとんどなのだ。

 自然と目が鋭くなり、健人の体から余分な力が抜ける。

 相手は力自慢のノルド。しかも、暴力を生業としているタイプである以上、武器も隠し持っているだろう。だが、負ける気は微塵もない。

 しかしそこで、健人のものでもシビ達のものでもない、第三者の大声が響いた。

 

「そ、そこまでだ――――!」

 

「ん?」

 

 突然横から駆けられた大声。その場にいた全員が声のする方に視線を向ける。そこには特徴的な鎧を纏った、年若いノルドの男性がいた。

 

(あれ? あの人確か……アグミル、だったっけ? ドーンガードの。なんでこんなところにいるんだ?)

 

 アグミル。ドーンガードの新人隊員であり、デュラックというオークと一緒にいた人物。吸血鬼退治のため、リフテンを訪れていた吸血鬼ハンターの一人だ。

 実は彼、指揮官であるデュラックに内緒で、この娼婦旅団を訪れていた。

 理由は……まあ、言うまでもないだろう。若さを持て余していたので、その発散のためだ。

 そして、期待に胸を膨らませて娼婦旅団を訪れたところで、美女に詰め寄る悪い男達を見つけた。

 元々彼は農夫であり、ノルドの男としての活躍と栄誉を求めてドーンガードに志願した経緯がある。

 性格も割と生真面目。一夜を過ごす女性を求めて来たこともあり、若さゆえの勢いも相まって、このシチュエーションに首を突っ込んできたのだ。

 

「美しくうら若い女性を力づくで手込めにしようなんて、ノルドの片隅にも置けない奴らめ、このアグミルが、貴様らを……ふべ!」

 

 しかし、アグミルが意気揚々と決め台詞を述べているところに、シビの取り巻きである大男の拳が、彼の顔を殴り飛ばしていた。

 口上を述べる前に打ち倒されたアグミルは、情けなく地面に転がる。

 

「なんだ、この煩い奴は。さっさと始末しておけ」

 

「はい、お任せください」

 

「ち、ちょ、ま……」

 

 声を放つ間もなく、アグミルはシビのお供達にあっという間にボコボコにされてしまった。十秒足らずでズタボロにされたアグミルは、ぼろ雑巾のように地面に放り捨てられる。

 

「さて、次はお前だ。このバカと同じようにボロボロにして、魚の餌にしてやるぜ」

 

「そうですね。私もいくら自分の息子とはいえ、このような愚行をする者なら、考えを改めなくてはならないところです」

 

「っ!?」

 

 しわがれた女性の声が流れ、続いてその声を聴いたシビの顔が真っ青に染まる。

 シビが振り返ると、彼よりもずっと豪華で瀟洒な衣服をまとった初老の女性が、十名ほどの衛兵を伴って歩いてきていた。

 

「お、お袋……」

 

(お袋さん? ってことは、この人があのブラックブライア家の……)

 

 そこにいたのは、ブラックブライア家の当主、メイビン・ブラックブライアだった。

 彼女は呆れと失望の目でシビを睨みつけている。

 既に初老を過ぎているのだろうが、背筋はしゃんとのび、その佇まいは威風堂々としている。全身から放たれる気配は健人から見ても油断のならないもので、シビ以上に冷徹な瞳を持った女性だった。

 その冷たく、氷のような視線に、シビは体を震わせながら弁明を始めた。

 

「ま、待ってくれ! あれはあの女が……」

 

「あなたの意見を聞くつもりはありません。自分で牢に戻るか、それとも力づくで連れ戻されるか、好きな方を選びなさい」

 

 健人にはその内容がよくわからなかったが、どうやらこの男は母親である当主の意志を無視して、この場にいるらしい。

 しかも牢屋から出てきた……という、ちょっと耳を疑うような言葉も聞こえてくる。

 

(この人、囚人だったのか? それをこの母親は連れ戻しに来たと……)

 

 脱走した罪人と、それを捕えにきた母親。なんとも業の深そうな一家だが、健人としてはこの男を連れ帰ってくれるなら、言うことはない。

 実際、力関係は母親の方が圧倒的に強いらしく、シビは言い訳すらさせてもらえず、おそらく脱走を手引きしたであろうお供と一緒に衛兵に連行されていった。

 息子の醜態を見送ったメイビンが、健人達の方に向き直る。正確には、彼らの後ろ。

 

「これでいいですか、クレティエン」

 

「うん、満足だよ」

 

 そこにはいつの間にか、クレティエンがいた。おそらく、先の騒動を聞きつけて駆け付けたのだろう。

 彼女はニコニコと笑顔を浮かべながら、健人達の脇を通り、メイビン(?)に歩み寄っていく……全裸で。

 いや、せめて服着てから来いや! と思わないわけでもなかったが、メイビンがこの場に来たことにこの痴女が関わっているなら、その事情も気になるのは確か。

 とりあえず、健人はこの徒成り行きを見守ることにする。

 

「いやいや、もしかしたらと思って用意した保険が効いてよかったよ」

 

「そうですね、実にいいタイミングで手紙をよこしたものです」

 

「でも、そちらとしても助かっただろう? 息子のおイタには頭が痛かったんじゃないかい? 自分の婚約者の兄を殺して刑に服しているくせに、豪華な牢屋で結構気ままで生活していたらしいじゃないか」

 

 クレティエンの言葉に、メイビンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべつつも、沈黙していた。

 それは、この痴女の言葉が的を射ていたことであるという証左。

 おそらくシビは、牢屋での生活にいい加減我慢がならなくなっていたのだろう。

 いくら豪華で物が溢れていようが、『拘束されている』という意識が芽生えれば、不満も溜まる。

 それが本人の自業自得によるものだとしても、不満を抱く人間には、時に自身の行いすら目につかなくなる。

 結果、シビは手下を使って一時的な脱獄を企て、それを察知したクレティエンがメイビンに連絡したのだった。

 

「とりあえず、感謝はしておきます。お礼は後のほど改めて……」

 

「おや、もう帰るのかい? ワインの一杯くらい、一緒に飲んでくれてもいいんじゃないかい?」

 

「遠慮しておきます。何をされるか、分かったものではありませんからね」

 

「え~~? そんなことないよ~~?」

 

 軽い口調でそう告げるクレティエンだが、未だに全裸である以上、説得力は全くない。

 むしろ、これだけまともな会話をしてくれているメイビンが随分と寛大なように思えてしまうのだから不思議だ。

 

「全裸の女にそんなことを言われても、信じる者などいないと思いますが?」

 

「ちぇ、残念。私は、貴方のことは結構好きだけどな~~。その目的の為に手段を選ばないところとか」

 

 その言葉に、メイビンは心底嫌そうな表情を浮かべた。

 元々のしかめっ面も相まって、トロールですら逃げ出すのではと思えるほどの威圧感を醸し出している。

 そして、メイビンはそのまま踵を返して立ち去っていった。

 彼女の背中を見送ったクレティエンは振り向き、まだ立ち上がれていないアグミルの傍に近づくと、彼の顔を覗き込む。

 

「さて、君、大丈夫かい?」

 

「は、はい……」

 

「あのシビ・ブラックブライアに向かっていくなんて、随分勇気があるじゃないか。気に入ったよ。すこし、お話ししようじゃないか」

 

 そう言って、クレティエンはアグミルの腕を取って立たせると、彼を支えるように、その腕を抱きしめた。

 どうやら、今日の彼女の標的は、このドーンガードの新人になったらしい。

 

「ケント、ルナの方はまかせるよ。様子を見ておいてくれ」

 

(え?)

 

 そう言うと、彼女はふらつくアグミルを連れて、奥のテントの中へと消えていった。

 あの青年のノルドが、いったいどんな目にあわされるのか。

 止めるべきかもしれないと思い、健人が踏み出そうとしたその時、ぐいっと手を引かれた。振り向くと、ずっと控えていたセラーナが、彼の手を掴んでいる。

 

「……行きましょう」

 

(いや、だけど……)

 

「大丈夫です。いくら彼女でも、団員を助けようとしてくれた人を無碍に扱いことはないと思います」

 

 まあ、クレティエンは変態ではあるが、ひとでなしではない。彼女の人柄に関しては、健人もある程度分かっている。

 それに実際、ルナの方も気になっているのは確かだった。

 別にさっさと逃げられたことを怒ったりはしていない。むしろ、逃げてくれてありがたいくらいだ。正直、どんな理由があろうと、暴力が振るわれる場を子供に見て欲しいとは思わない。

 健人は気持ちを切り替え、セラーナと並んでルナが走っていった方へと向かう。

 

「ありがとうございます、助かりました」

 

 そんなことを考えていると、隣を歩いていたセラーナが神妙な面持ちで話しかけてきた。

 遠慮しがちに下を向く彼女に、健人は「気にしていない」というように首を振る。

 

『あの、自分、セラーナさんに何か不快なことしましたか?』

 

「……どうして、そんな質問を」

 

『なんとなく、避けられているような気がしていましたので。もしよろしければ、ですけど……』

 

 ちょうどいいので、健人は旅団に来てからのセラーナの態度について、尋ねてみることにした。

 

「それは……いえ、そうですね。確かに、警戒はしていました。この格好を見れば分かると思いますが、色々と私にも事情があって……」

 

 一秒、二秒……。セラーナは言うべきかどうか、迷っているのか、何度か口を開こうとしては閉じることを繰り返す。

やがて唇を舐めると、覚悟を決めたようにゆっくりと話し始めた。

 

「一言で言うと……家出、でしょうか? いえ、違いますね。無理やり家から追い出されたと言った方が近いかもしれません」

 

 セラーナの口から最初に出てきたのは、彼女の家と、家族のことだった。

 

「私には、父と母がいます。しかし、なんといいますか、仲違いしてしまっていまして……。最初は惹かれ合っていたはずなのに、いつしか互いを憎むようになってしまいました。そして、私は娘ではなく、父にとっては野望の道具になり、母にとっては父を貶めるための存在となりました。そして母は無理やり、私を家から追い出しました」

 

 詳しい詳細は分からないが、どうやら彼女の両親は、かなり仲が悪いらしい。

 いや、仲が悪いどころではないだろう。憎むという表現を使うくらいなのだ。話の端を聞いているだけでも只事ではない家庭環境が垣間見える。

 

「そんな両親に私も反発を覚え、もうかなりの間、帰っていません。ですが、父はまだ私を連れ戻そうとしているみたいで……」

 

 そこで、セラーナは言葉を切った。

 

「情けないですわよね? 自分にはまだ家があるくせに、こんなところにいて……。まるで、聞き分けのない子供みたいで……」

 

 健人がそんなことを考えていると、セラーナはどこか申し訳なさそうな声で、早口にそうまくし立ててきた。

 健人はよくわからないが、この旅団は、娼婦に身を落とした女性達が集まる場所だ、当然そこには、両親などとっくの昔に亡くして、天涯孤独になった者もいるだろう。

 そんな女性たちがセラーナの境遇を知れば「何を甘えているんだ、お前は!」と激昂するかもしれない。

 しかし健人は、そんなセラーナの言葉を静かに受け止めると、ゆっくりと黒板に白墨を走らせた。

 

『情けなくはないと思います』

 

「……本当に、そう思いますの?」

 

 セラーナの視線に応えるように、健人は力強く頷く。

 

『俺には、セラーナさんの事情は分かりません。ただ、あなたがこの場に逃げる必要があるくらい、両親のことが辛かったというのは察せられます』

 

 というか、両親がそこまで憎み合う関係ならば、逃げ出しても無理はない。まして、自分が道具として扱われてきたというのならば尚更。

 そもそも、他人が不幸だと思う事柄を、自分の基準で判定すること自体が間違いだ。

 不幸とは相対的なもの。ある面では自分よりマシだろうと思えても、他の面では違うことは多々ある。

 

『まあ、今は気にしなくてもいいんじゃないですか 俺も姉と喧嘩して家出してたことがありますし……』

 

「そうですか。意外ですわね」

 

『でしょう? もしかしたら、自分達が知らないだけで、他の家族でもわりとあるのかもしれませんよ?』

 

 そもそも、そんな自虐的な不幸自慢みたいなことをしても、何も生み出さないだろう。

 だから健人は、あえて笑顔をセラーナに向ける。

 知り合ってからの時間は短くとも、彼女は決して悪い人物ではない。それに、今は仕事を同じくする仲間だ。そんな彼女の心労が、少しでも軽くなってくれればいいなと思っての行動だった。

 

「ありがとうございます」

 

 そんな健人の気づかいに、セラーナもまた静かな笑みを返してくる。

 その笑顔は、目元を隠しているとはいえ、見ほれるほど綺麗な微笑みだった。

 

「ルナのことですが。彼女は男性を嫌悪しています。いえ、どちらかというと、恐れている、といった方が正確でしょうね。この旅団に来た時には、既にあのような状態だったそうですわ」

 

 それは、健人も感じていた。

 シビに詰め寄られた時の反応は、特に顕著だった。あれは、嫌悪どころではない。命に係わる脅威に相対した弱者特有のものだ。

 

「彼女がこの旅団に来たのは、一年ほど前。三年前までは孤児院にいたらしいですから、そこが閉鎖されてから何かあったのでしょう……」

 

 三年前の閉鎖された孤児院。おそらく、オナーホール孤児院のことだろう。

 以前はソフィを預けようと思っていた場所。既に廃墟と化していたあそこに、ルナはいたらしい。

 

「いましたわ……」

 

 そして健人達は、湖のほとりでしゃがみ込むルナを見つけた。

 彼女は湖畔の傍で、水で濡らした布で腕を擦っている。

 

「……っ、っ、っ!」

 

 どんな言葉を呟いているのかは、遠くて聞こえない。

 よく見れば、布は赤黒く汚れ、ポタポタと同じ色の滴が腕から流れ落ちている。

 血だ……。

 

「ルナ、いけません。そんなに強く擦っては……」

 

 湖面に広がる血を見て、セラーナが慌てて駆け出した。

 手には、いつの間にか回復薬が握られている。

 

「セラーナ……っ!」

 

 駆け寄ってきたセラーナに気づいて、ルナが顔を上げるが、すぐにその表情を引き攣らせた。彼女の後ろにいる健人が見えたからだ。

 

「落ち着きなさいルナ、彼なら大丈夫です」

 

「で、でも、でも……!」

 

「とにかく、手当てが必要です。大人しくしなさい」

 

 慌てて駆け出そうとするルナの腕を、セラーナが捕まえる。

 ルナはしばらく抵抗を見せるも、大人と子供とでは力の差は歴然。すぐに大人しく、セラーナの治療を受け始めた。

 

「…………」

 

 その間も、健人への警戒は切らない。

 涙の浮かんだ瞳で、キッと精一杯睨みつけてくる。

 

「ルナ、彼はあなたを守りましたのよ。分かっていますわよね……?」

 

「別に、助けてくれなんて、頼んでない……」

 

「ルナ……」

 

 頑なに健人を拒絶するルナ。流石にセラーナが諌めようとしたところで、健人が彼女の肩を叩く。

 セラーナが振り返ると、彼は黒板を掲げていた。

 

『別にいですよ。俺が勝手に割り込んだのは、確かですから』

 

 その言葉に、セラーナも声を詰まらせる。

 

「……なんて、書いてあるのよ」

 

「気にしなくていい。自分が勝手にやったことだから、とおっしゃってますわ」

 

「っ……!」

 

 文字が読めないルナも、セラーナの代弁に目を見開く。

 なにも求めず、咎めもしない健人の態度に、彼女は気まずそうに俯き、唇を噛み締めた。

 

「もう終わったでしょ、離して……」

 

 健人の視線から逃げるように立ち上がる。

 

「一応、お礼は言っておくわ。でも、もう近づいてこないで……」

 

 そして、健人の脇を抜ける際に弱々しい声で礼を言うと、そのまま自分のテントの中へと消えてしまった。

 あまりにも弱々しいルナの様子に、健人もセラーナも何も言えずにその場に立ちすくむ。

 

『仕事に戻りましょう』

 

「え、ええ……」

 

 二人は、未だに喧騒と男女の喘ぎが響く宿営地へと歩き始めた。

 艶やかな娼婦と客が織りなす煌びやかな場。その裏にあるどんよりとした闇に内心溜息を漏らしながらも、己の仕事に戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 一夜の仕事を終えたセラーナは急いで自分のテントへと戻ってきた。

 既に湖面の先からは日の光が差し始めている。

 早足で滑り込むようにテントの中に入ると、そこには、クレティエンがいた。彼女は錬金台のそばに持ってきた椅子に腰かけ、満足そうな笑顔でワインを注いだグラスを傾けている。

 

「ふう……」

 

「おや、お疲れかいセラーナ」

 

「クレティエン、来ていたのですか。絵は……もうできているみたいですね」

 

 そう言って、セラーナはクレティエンの足元、錬金台に立てかけられているキャンパスに目を向ける。

 

「ああ、ついさっきできたばかりだ。一番に君に見せたくて、持ってきたのさ」

 

 そう言うと、クレティエンはキャンパスを掲げた。

 そこには二人の女性と交わるノルドの青年が描かれている。よく見ると、女性の一人はクレティエンだが、もう一人はレキナラだった。

 

「あら、レキナラも混じったのですか?」

 

「ああ、腕はともかく、彼の気質を気に入ってのことらしい。私も絵を描いていて、昂ってしまった。どうやら彼はもう一人の友人と一緒に来ていたらしいんだが、そちらはメリエルナが相手をしてくれていたよ。そちらもかなりいい男だったらしい。そっちも描きたかったな~~!」

 

 相も変わらずなクレティエンに嘆息しつつも、セラーナはテントの入り口の布がちゃんとしまっているかを確認し、身に纏っていたローブを脱ぎ始めた。

 艶やかな黒髪がローブから花が咲くように広がる。そして最後に、目元を隠していた眼帯が外された。

 

「相変わらず、息を飲むほどの美しさだね」

 

 セラーナの素顔に、クレティエンは素直に彼女の美貌を賛美する。

 すらりとした顔の輪郭だけでその美しさが窺えた彼女の容貌だが、眼帯を外した彼女の素顔は、魔性と呼んでも差し支えないほどのものだった。

 染み一つない白い雪のような肌と、夜の漆黒を溶かし込んだような黒髪。

 小ぶりながらも形の良い鼻と、切れ目の瞳。それらのパーツが、完全なシンメトリーを描いている。

 

「いけないな、朝になっているというのに、もう一度頑張りたくなるよ」

 

「やめておきなさいな。私が何者であるか、分かっているでしょう」

 

 あのクレティエンが、疲れ切っても更なる興奮を覚える程の美貌。しかし、その中で彼女の瞳だけが、異質な輝きを放っている。

 黄金色の虹彩と、真っ黒に染まった白目。その異質な瞳は、吸血鬼の特徴でもあった。

 

「それじゃあ、セラーナ、これを……」

 

「ええ、感謝いたしますわ」

 

 そう言ってクレティエンは、自分が持つ者と同じ形のワイングラスを彼女に差し出した。

 そこには、同じく真紅の液体が注がれている。

 それを、セラーナは一気に飲み干した。喉を通る鉄の味に覚える快感。一日の渇きが癒されていく感覚に、彼女は「ほぅ……」と艶やかな息を漏らす。

 クレティエンが渡したのは、彼女の血が注がれたワイングラスだった。

 

「クレティエン、本当に良かったのですか? 私のような吸血鬼をかくまうような真似をして……」

 

 セラーナは、この大陸でも忌み嫌われる吸血鬼である。

 そんな彼女がクレティエンと出会い、行動を共にするようになったのは半年ほど前のこと。森の中を一人、陽の光を避けるように茂みに隠れていたセラーナをクレティエンが見つけたのが、二人の出会いだ。

 最初に顔を見た時点で、クレティエンはセラーナの美貌に惹かれた。以降、彼女はセラーナが隠れ、そして生きていくために必要な場所と血を提供している。

 結果、貧血になってしまっているが、そんなことはクレティエンには些細な事。

 

「うん? ああ、別にかまいやしないよ。こう見えて、人を見る目はあるつもりだ」

 

 クレティエンがセラーナをかくまうことを決めた理由は、彼女の美貌に惚れたこともあるが、もう一つ。彼女が抱えている境遇を察したことも大きい。

 逃げたはいいが、行くあてもなく彷徨うその姿が、自分の娼婦旅団にいる娘達と被ったのだ。

 なにより、彼女が持っていた物を見た瞬間、帝国人として、無視するという選択は取れなくなった。

 以降、彼女は錬金術師として雇う形でセラーナをかくまい、その事情のいくらかを知ることになる。

 実際、この旅団には薬と医学の知識を持つ者が必要だったこともあり、セラーナは『蒼の艶百合』に非常に貢献してくれていた。

 同じ時を過ごし、その人柄を見れば、セラーナの人間性が決して世間が言うような邪悪な吸血鬼の者でないことは分かると、クレティエンは言葉を続ける。

 

「でもまあ、何もなくてよかったよ」

 

「ええ、申し訳ありません。油断していましたわ」

 

 セラーナの美貌は、傾国の美女と呼んでも差し支えないほどだ。

 顔立ちもそうだが、なにより隠し切れない高貴な気配が、男達の欲望をどうしても刺激してしまう。その魅力は、人によっては女性すらも虜にしかねないほどだった。

 だからこそ、セラーナは旅団が商売をしている時は表に出ず、ずっと裏方で客に姿を見られないようにしていた。

 しかし、今回不運な事情が重なり、取り返しのつかない騒動になりかけた。

 セラーナが吸血鬼であることが暴露されかねなかったことを考えれば、健人の行動は、まさにファインプレーだったのだ。

 

「ケント・サカガミ……。不思議な方ですわね……」

 

「そうだね、君の美貌に驚きながらも、惑わされたりはしていない。それに、自分を嫌っているルナを助けるあたり、随分とお人よしのようだ」

 

「貴方は、彼を知っているのですか?」

 

 どこか既知を匂わせるクレティエンの口調に、セラーナが問いかける。

 

「詳しくは知らないよ。ただ、人伝に不確かな噂を聞いただけだからね。それも、本人かどうかもわからないし……」

 

 しかし、クレティエンは曖昧な言葉を述べるだけだった。

 吸血鬼として、長く生きてきたセラーナから見ても、彼女の表情からその真意を窺い知ることはできない。

 

「さて、それじゃあ、私はひと眠りすることにするよ。セラーナも、それに気を付けて、ゆっくりと休みたまえ」

 

 そう言って、クレティエンは錬金台を指さすと、テントから出て行った。

 セラーナは雇い主が去った後、ワイングラスを置くと、おもむろに立ち上がり、錬金台を動かす。

 その影には、大人が抱える程の木箱が置かれていた。

 彼女が懐から鍵を取り出し、箱に掛けられている錠を外す。ふたを開けると、黄金色に輝く巻物が顔を覗かせる。

 

 星霜の書。

 

 この世界の過去と未来、すべての事象を記録していると言われるアーティファクトであり、セラーナがあの地に数千年封印されている間、ずっと持っていたもの。そして、あの忌まわしい父が求めてやまない品。

 それが無事にあることに安堵しつつも、セラーナは眉を顰めた。

 これまでずっと、静かに沈黙していたはずの星霜の書。それが、僅かに淡い光を放っている。

 

「これは、どういうことでしょうか……」

 

 まるで、なにかを訴えるように明滅を繰り返す、世界最古の遺物。

 その姿に、セラーナは言いようのない不安を掻き立てられるのだった。

 

 

 




シビ・ブラックブライア
リフテンの大富豪、メイビン・ブラックブライアの次男。
ブラックブライア家の暗部を担い、汚い仕事を請け負ってきた危険な男。
婚約者がいる身にも拘らず浮気をし、それを婚約者に咎められ、さらに追及に来た婚約者の兄を殺害して監獄入りをしている。
牢に捕えられているにもかかわらず、その牢屋の内装は貴族の一室並に豪華で、とても囚人とは思えない生活をしている。
当然、女も連れ込んで楽しんでいたらしい。
しかし、拘束されているという事実に我慢がならなくなり、お伴と衛兵に金を握らせて一時牢を抜け、クレティエンの娼婦旅団で楽しもうとした。

メイビン・ブラックブライア
リフテンで蜂蜜酒醸造所を経営する超やり手の商人。
リフトホールドが帝国側に組み込まれると首長になる人物。
徹底的な結果主義であり、金の為なら身内でも冷徹に利用する。
どうやら、帝国貴族であるクレティエンとは知り合いらしいが、気質的には関わりたくないと思っている様子。

レキナラ
本小説のオリジナルキャラ。娼婦旅団に属するレッドガードの女性。
筋肉質かつ抜群のスタイルと、エキゾチックな容姿が魅力的な美女。
戦士としての気概を見せたアグミルを気に入り、クレティエンと共に彼と一夜を共にした。

星霜の書(太陽)
分裂した星霜の書の一巻で、セラーナが所持している物。
説明不要の超遺物。そして、健人とは縁の深い品。
どうやら、セラーナが所持していた中で、これまでにない反応をしているようだが……?


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