すとぱんくえすと (たんぽぽ)
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はじまり

最近少し涼しくなってきましたね。


"カールスラント ポズナン近郊"

 

「トラックに乗り込め!早くしろ!」

 

怒鳴り声を背に受けながら、言われた通りにトラックに乗り込む。

どうやら自分が最後の様だ。乗り込むと座るより前に車両は動き出す。

 

ガタガタとヘタったコイルスプリングが軋みながら地面の些細な隆起を伝えてきているせいで、車内で座るまで四苦八苦する。

座って周りを見渡すと、近くに座っている人間は皆目に生気が無く、沈んだ様子ばかりで気が滅入ってしまう。

 

そんな光景から少しでも目を逸らそうと外を見る事にした。

 

後部に掛けられている帆の隙間から見えた空模様は灰色で、仄暗いものであった。地面に目を向けるとタイヤが後ろへ弾いている泥の欠片が散っている。急性な雨の後はいつもこうなのだろうか。

これは時間帯で言えば夕立と呼ばれているものなのだろう。だが、それとは違うと思う。

 

 

 

何故ならば。

 

ーーーこの世界に日本はないからだ。

 

 

 

 

何時からこの世界に居るのだろうか。

自問自答しても答えは出ない。それはまるで眠りについた瞬間を思い出す事の様で、見当もつかなかった。

 

気が付いたらここに居て、身体も、場所も変わっていた。

この世界における最初の記憶は、一般的に煎餅布団と言われる粗末な布団に包まれて、朝日を直接その身に受けた瞬間である。

 

その時は声が出なかった。訳が分からなかった。だが、どうにか取り乱さずに済んだ。

自分の母親を名乗る若い女性が自分を撫でていたからだ。

 

それは他人が居る状況で情けない格好は見せたくない、自分にあるちっぽけな自尊心によるものだった。

 

自分が混乱している最中、そんな事はお構い無しだと言わんばかりに、女性に朝食だと身を起こされ、別の部屋に誘われた。

そこには卓袱台の前に今時珍しい和服に身を包んでいる、また若い男性が座っていた。

 

彼は新聞を読みながら小さな仕草で命令すると、女性は甲斐甲斐しく食事の準備を始め、自分も卓袱台の前に座った。

 

その際に彼は自分を一瞥したが、それだけだった。

 

そこで気付いた、自分が小さい事に。驚く程に、小さい。手も、視点も、何もかも。

 

自身を観察している自分をよそに、朝食は女性の手によって用意されていった。内容はご飯に卵焼きと、少しの漬物だった。

 

 

和服を着た男はどこかへと行き、部屋には女性だけが残った。

食事の後片付けをしている。

 

その隙に自分は彼が置いていった、畳んである新聞を手に取り、内容を読む・・・読もうとした。

 

印字されていた文字を見て、手が震えた。思わず声が出そうになった。でかでかと片仮名で書かれた見出しが載っていた。

それだけだったらまだなんとか自分に言い訳出来ただろう、まだ決めつけるのは時期尚早だと。

 

しかし、それはアラビア語の様に右から左に書いてあったのだ。

 

ご丁寧に上に西暦も書かれていた。それは自分が知っていた現行のものの、90年近く前のものだった。

 

この時点で自分は、自身がタイムスリップしたものだと思っていた。

 

 

近くにあった立鏡に自身を映す。見慣れた何処にでも居るような顔から、見慣れない何処にでも居るような顔に変わっていて、尚且つ幼く小さい身体だった。

 

転生というものだろうか。仏教用語だと言うそれについて自分は詳しくなく、今の自分の定義について少し悩んだ。

 

だがそれだけだった。深く考える事は無かった、分からない事を幾ら考えても無駄だと思ったからだ。

また新聞を手に取り、中身を見る。酷く読み辛いが、読めない事も無い。

改めて目を通すと、見慣れない文字列が自分を迎えた。目を引いたのはリベリオンと呼ばれる国の株価大暴落の文字。

 

自分の見識外の知識に晒され、少し思い悩んで居ると、後片付けを終えたであろう女性に外で遊んで来なさいと背中を押された。

 

履きなれない下駄を履かされ、外に出る。

突き刺す様な陽射しに気を持っていかれそうになるが、すぐに持ち直す。玄関前は石積壁になっており、その上に向日葵が咲いていた。

 

空に浮かぶ白い雲に、どこまでも広がる青い空、光り輝く太陽。

何もかもが変わっても、これだけは変わらない事に安心する。

 

振り返ると例の女性が笑顔で自分を見送っていた。

ここは従っていた方がいいだろう。そう思い、自分は一歩踏み出した。

 

 

一年程経つと、自分はこの世界が自分が居た、日本が存在する世界とは違うものだという事を理解出来ていた。ここは扶桑と呼ばれる国らしい。

 

日本と良く似た、そして全く異なる国家であった。

 

そんな事が霞んでしまう程に驚いたのは、ウィッチと呼ばれる少女についてだ。

この世界には魔法が存在するらしい。それを行使出来る存在が彼女達、ウィッチであると。

新聞にも載っていたし、彼女達の存在がこの世界が今まで自分が生きていた世界とは一線を画すものだと決定付ける判断材料の一つになった。

 

 

 

 

遠くから雷鳴のような砲声が鳴り響き、耳を打つ。

辺り一帯が耳を塞ぎたくなるような轟音で溢れ、身体が震える。

 

トラックが止まり、目的地だと降ろされた。

 

そこは物資の集積場も兼ねているのか、広場のような広さも兼ね備えた場所であった。

敵が居るであろう方向には何重にも重ねられた塹壕や、対戦車砲や高射砲が並んでいる。逆方向には軍用車両が盛んに出入りするそれなりに大きい街が。

 

近くに設置されている複数の迫撃砲が、絶え間なく発射し続け、空に幾つもの白煙を描いていた。途中からは更に大きな、砲兵による支援砲撃も合わさって最早白い帯になっている。

 

それ等を見ていると、分隊員に肩を叩かれた。点呼が掛けられているとの事。

自分が所属している部隊が並ばされ、作戦の概要を伝えられる。

その時急に近くに砲弾が着弾し、思わずよろけてしまう。もう、そこまで敵が来ているのだろうか。

 

着弾してから数瞬遅れて生暖かい液体が顔に掛かった。泥でも跳ね上げられたのかと思ったが、そうではなかった。

 

隣に居た余り見覚えの無い、別分隊に所属しているであろう兵士の首から、異物が生えていた。

 

動揺した。そこから鮮血が一定のリズムで噴き出していたのだから。つまり、顔に掛かった液体の正体は泥などでは無かったのだ。

 

熱と衝撃で歪に変形した砲弾の金属片が、彼の首に突き刺さっていたのだ。

 

糸が切れた操り人形の様に倒れ伏す彼を他所に、上官による命令は、なんの滞りも無く実行されていった。

思わぬ出来事に腰を抜かしていた自分も、分隊員に引き起こされ、所定の位置に移動を開始する。

 

彼は衛生兵が少し見た後に、どこかへ運ばれて行った。

 

 

塹壕から離れた場所にふよふよと、海を揺蕩うクラゲのように高度数mの空中を浮かんでいる黒い物体が居た。大きさは1m程だろうか。

 

アレが、自分がここに来た理由。戦うべき敵である。

それはネウロイと呼ばれている。正確には怪異のネウロイ。

黒海周辺に急に出現した奴等はあっという間にバルカン半島を制圧し、西はカールスラント、東はオラーシャに怒涛の進撃を開始した。

この間、僅か一月程。WW2時のドイツがフランスにて行った電撃戦を思わせる進撃速度だ。

兵站を無視出来る強みや、圧倒的な物量がそれを可能にしたのだろう。

 

なんにせよ、人類の敵だ。

 

ウィッチ同様、前の世界では存在すらしていなかったが、ここは魔法がある世界だ、何が居てもおかしくはないか。

 

「おい!早く弾を寄越せ!」

 

機関銃を構えている分隊員から怒鳴られ、少し考え込んでいた事に気付いた。

慌てて弾薬箱から弾薬を渡す。

 

例のクラゲは機関銃の集中砲火を受け、着弾による火花を散らしていたが、数秒程で霧散した。・・・霧散した。

ネウロイはある程度の攻撃を与えると、まるで幻のように掻き消えてしまうそうだ。

・・・知識としては知っていたが、金属の塊が急に消滅するとやはり困惑する。

 

ふらふらとまた一体、また一体とその数を増やしていくクラゲだったが、此方の機関銃は一丁も増える筈も無く、一体一体に時間を掛けているために敵の数は増し、彼我の距離は縮んでいくばかり。

 

そして、今まで鷹揚に浮かんでいただけだった奴が、一定の距離に入った瞬間に豹変した。

下部のリモコン式の機関銃のような、何かが此方を向いていた。

小銃で援護していた自分だったが、猛烈に嫌な予感がしたので塹壕に頭を引っ込める。

 

 

嵐だった。

鉛玉・・・なのかは分からないが、それでも奴が使っているものは機関銃と効果が類似している。

 

機関銃は機関銃でも、50口径クラスの重機関銃だ。塹壕から銃撃を加えていた分隊員は頭部が消し飛んだり、首を吹き飛ばされて生首が塹壕の中に落ちたりしている。

 

胃の中のものが逆流・・・はしなかった、その余裕すら無かった。

・・・これが戦場、これが戦争か。前の世界で見た、画面越しのそれとは迫力も、恐怖も、何もかもが違う。

 

相手との火力、装甲、物量、その他諸々の差に打ちのめされそうだ。

 

分隊で生き残っているのは自分含めて三人。うち二人は怯えてまともに動けそうになかった。

血と贓物に塗れながらも、操る者が肉片と化した機関銃に取り付く。

一番近い位置にいる、此方に向けた銃口から煙を燻らせている奴に狙いを定め、発射。

発射された7mm弾が奴の装甲を叩き、火花を散らし、表面を凹ませる。

だがそれだけだ。たかだか機関銃一丁の銃撃で倒し切れる程ネウロイは脆くない。そんな存在ならそもそもここまで前線は後退していないだろう。

 

周りの援護を期待したが・・・皆同じ様な状況らしい、意識して耳を澄ますと、付近から聞こえる銃撃は散発的だ。

 

カチ、カチ。

 

引き金を引く音がやけに軽い。

弾倉を上に装着するタイプの機関銃の弾が、文字通りあっという間に無くなってしまったのである。

装填数が少な過ぎると悪態をつきながら、急いでマガジンを交換する。

だが悲しいかな、急げば急ぐ程、上手くいかないものだ。

弾倉を外すのは素早く確実に出来たのだが、装着が上手く出来ず、カチャカチャと手古摺っていた。

銃撃による攻撃の妨害を受けずに居た奴は、直ぐに此方に狙いを定めた。これでは間に合わない、確実に。

 

半ば諦め掛けて塹壕にまた引っ込もうと思ったその時、後方より光が降り注いだ。

金属を削り落とす凄まじい掘削音に、最早爆発に近い着弾音が合わさって直ぐ、ネウロイは霧散した。

後ろを振り向くと、機関銃とは一線を画した火力の・・・本来なら対空火器である機関砲が火を噴いていた。口径は20mmだろうか。

 

機関砲が景気良く弾を発射する度に敵は爆散していく。

門数こそ多く無いものの、圧倒的な破壊力で敵を撃滅していき、それに加えて陣地を移動してきた対戦車砲の援護によって敵を殲滅する事が出来た。

 

 

最も、その事が分かったのは襲撃が終わってから暫く経ってからだが。

 

 

自分は戦闘が終わっても暫く興奮状態で居た。

落ち着けず、震えていた。また敵が来るのではないかと気が張り付いたままだったのだ。

 

落ち着いたのは上官から新たな命令が届いた時だ。

塹壕に頭を抱えて引き篭もっていた、分隊員の通信兵がその内容を告げた。

 

 

ついさっきまで会話を交わしていた相手が物言わぬ肉塊になり、それを塹壕から片付ける作業は中々に骨が折れた。当分は肉を食えない。

死体は集めて燃やすらしい。放置していたら伝染病の原因になるからだろう。

 

命令の内容は現状維持。増援は無し。

義勇軍として派遣されている以上、大規模な部隊は送れないのだ。

それ位は分かる、分かっているが、納得がいくかと聞かれたらそれは否だと答えよう。

 

やる事もないので塹壕に背を預けて座り込み、腰の物入れから手帳を取り出す。引っ掛けてあったペンを手に、今日の出来事を記録していく。

 

・・・何時になったら帰れるのだろうか。

 

文字を書き込んでいると、ふとそんな事を考えた。

まだ来て日も浅いが、短いながらも苛烈な経験は、自分の精神を急速に摩耗させる。

 

ため息を吐きながら、なるべく考える事を放棄する事にした。

考えても帰還まで早くなる訳では無いし、考えた所で深みに嵌ってしまうだろうから。

 

一人で居ると余計な事を考えてしまうだろうと思い、生き残っている分隊員と軽い冗談を言い合った。

何時もならもっと賑やかなのだが・・・不意に訪れた会話と会話の隙間の沈黙が訪れると、途端に寂しくなる。

何人死んだのだろうか。少なくとも、自分が所属している分隊は軍事的用語における全滅と言えるだろう。撤退の命令が下されないのが不思議な程だ。

 

 

辺りが暗くなり、土の匂いに包まれながら眠りに就いていると、急に飛び込んできた銃声で飛び起きる。

サーチライトに照らされた敵地を見ると、自分がクラゲと呼んでいるネウロイが大挙して押し寄せて来ていた。

 

慣れない体勢で寝ていた為に身体の各所から違和感を感じるが、それを無視し、機関銃に飛び付く。

 

マズルフラッシュが見えた方向に弾丸を叩き込む作業を続ける。

発射、装填、銃身交換を只管繰り返し、残弾がゼロになるまで撃ち続けた。

 

気付いたらネウロイは全滅しており、力が抜けてその場に座り込んだ。

爆発や曳光弾に彩られた夜空は眩しく、それでいて・・・酷く綺麗であった事を自分は忘れないだろう。

 

 

自分が居る区域は、カールスラント軍も存在している。高射砲や機関砲は殆どが彼等の装備である。自分が所属している部隊はネウロイ相手だと火力に乏しく、彼等を頼っている。

 

塹壕から出て、用意された食事を摂っていると、少女が数人整列している事に気付いた。恐らく彼女達はウィッチだろう。

 

魔法力だのなんだの言っているが、詰まるところ、ウィッチとは少年兵である。こんな所に居ていい存在ではない。

だが、そんな事も言ってられない。彼女達が居なかったらとっくに戦線は瓦解していただろうし、もっと人が死んでいただろう、それに・・・いや、もう考えるのは止めよう、考えるだけで嫌になってくる。

 

見るからに緊張している様子の子もいれば、焼却される前の、死体の山を見て脚が震えている子もいる。

なんという光景なのだろうか。自分は目を背けた。食事を腹にかっ込んで、配置にさっさと戻った。

 

日課の記録も感情的になってしまっている。

複雑な心境でペンを片手に持ちながら、うんうんと唸って居ると、敵襲を報せるサイレンが鳴り響いた。

 

支援砲撃が降り注ぐが、効果はいまいちだった。何せ、敵は全て装甲目標であり、直撃でもしないと撃破出来ないからだ。

 

何体ものクラゲが爆煙の中から現れ、接近してくる。

いつものように機関銃を構え、発射。相変わらず足止め程度しか出来ないが、何もしないよりかはいいだろう。

 

そんなルーチン化された動きを繰り返していたら、甲高い、警笛のような音が凄まじい音量で聞こえてきた。音が聞こえてきた空を見ると、黒煙を吐きながら、戦闘機が突っ込んで来ているのが見えた。

完全にこっちに来るルートだ。そう思った時にはもう遅く、数メートル手前に戦闘機は落下した。

飛行機といったら脆く、軽いイメージがあり、この時代の小さい戦闘機なら落下しても大した事が無いと思うだろうが、それは間違いである。数トンはあるアルミ合金の塊が時速数百kmで地面に激突するのだ。

 

地面に激突し、そのまま地面を抉り、燃え盛りながら此方に突っ込んで来る。

 

必死に動き、塹壕に屈む。

降り注ぐ土に背中と鼓膜を叩かれ、生きた心地がしなかった。

 

静かになり、顔を上げると、目と鼻の先で戦闘機は停止していた。

コックピットは空で、パイロットは既に脱出した事が伺える。

機体はカールスラント軍の戦闘機だ。プロペラはへし折れ、左翼が半分程もぎ取れた無惨な状態だが。

 

少し呆然としていたが、視界の隅にクラゲが居る事に気付く。意外と大きい。

・・・機関銃に飛び付く。いや、正確には機関銃だった何かだ。

戦闘機の残骸に押し潰され、機関部から先が無残にも潰れてしまっていた。引き抜く事も出来ないので、それに拘泥せずに手を離し、近くに立て掛けてあった小銃を手に取る。

 

コッキングをして発射、儚い火花がカンという小さい金属音と共に発生し、少しバランスを崩すクラゲ。奴は機関銃を此方に向けていた。

急いでコッキングをしてまた発射、発射、発射。

脂汗が止まらず、背中が冷え切り、手足の末端の感覚が消失していく。情けない小さい悲鳴を上げながら、その作業を繰り返したが、ついに終わりが来た。

きちんとコッキングをしたのに弾丸が発射されない、酷く混乱していた為に原因が分からず、もう一度コッキングしてトリガーを引く。

 

弾切れだった。装填していた弾丸を全て吐き出してしまっていたのである。それを悟った自分はゆらりと迫るクラゲに背を向けて、狭く、足場の悪い塹壕をなりふり構わず、走り出した。

途中で人間だったものに躓き掛けたり、他にも迫るクラゲを見て、自分の恐怖心は頂点に達し、涙を流し、叫びながら塹壕から飛び出し、全力で駆け出した。

 

開けた景色に解放感を得たのは一瞬で、何か熱い感覚が体を襲い、視界が真っ暗になった。




今回は生存報告も兼ねて投稿しました。


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ふっかつのじゅもん

だいじょうぶ、つぎがあるさ


気が付いたら目と鼻の先に戦闘機の残骸があった。

燃え盛っており、熱気を感じる。

 

・・・訳が分からない。さっきまで自分は塹壕から飛び出して走っていた筈だ。急に遭遇した怪現象に驚きつつ、周囲を確認する。

クラゲはまだ遠くに居て、機関銃は機関部から先が潰れている。

先程までと寸分違わぬ状況。まさか自分は正夢でも見ていたのだろうか。

ここで、自分は自身の体の異常に気付いた。異様に震えていて、寒気がするのだ。

 

・・・その時に漸く気付く、自分が何かの恐怖を感じている事に。正体は分からなかったが、自分はその何かを恐れていたのだ。

正体の分からない、それでいて凄まじい恐怖心に駆られた自分は、塹壕を飛び出し、後方に駆けていた。

引き攣った笑みを浮かべ、涙を流しながら。

 

後方陣地に辿り着いた時、自分が何を言ったのかは正確には覚えていない。覚えているのは、怖いだの、助けてくれだの、そういった内容である事だった。

 

それ等を叫ぶ事を止めたのは、上官に拳銃を向けられた時だった。

瞬間的に火薬が燃焼する音は記憶に残った。クラゲと相対する恐怖に匹敵する状況が、目の前にあったからだ。

 

 

乾いた拳銃の発射音の後、頭に熱を感じたが、直ぐに視界は真っ暗になった。

そして気が付くと自分は戦闘機の残骸の前に居る。

 

 

・・・これは、まさか、繰り返している?塹壕から飛び出した時、上官に拳銃を向けられた時に、自分は・・・死んでいて・・・。

曖昧模糊でありつつ、自分に具体的な恐怖を与えていたものの正体を、二回体験してから自分は自覚した。

 

死んだら過去に戻る。

そんな事を言われて誰が信じようか?自分でも信じられない、だが、目の前に広がる光景と、恐怖で塗り潰された記憶がそれを許さない。これが現実だと、そう告げている。

 

顔を手で覆った。冗談だと思いたかった。屈んだ時に寝たのだと思いたかった。だが、それは数回見て見慣れた機関銃の存在が否定する。

死という圧倒的な恐怖に打ちのめされて、自分は動ける状態ではなかった。発狂しなかっただけ賞賛されるべきだろう。

ダンゴムシのように塹壕に屈みこんで、身動き一つせず、酷く怯えて、震えていた。

いつの間にか周囲は静寂に包まれ、遠くから聞こえる砲声や、散発的に聞こえる銃声以外の音は無くなっていた。

少し様子を見ようと恐る恐る頭を塹壕から出すと、直ぐ近くにクラゲが居た。思わず叫び声が飛び出しそうになる口を塞ぎ、直ぐに屈み直す。

 

痛い程に心臓が鼓動を主張するも、体が震えないように苦心して・・・しかし抑えきれずに、微妙に震えながらも、塹壕に息を潜めた。

暫くすると、妙に息苦しい事に気付いた。最低限の呼吸だけでは苦しくなってくる。深呼吸しようと口を開くとーーー体が硬直した。

 

次の瞬間に震える、という表現は適切では無くなり、体が意思を無視して激しく痙攣する。喉元にせり出てきた熱い何かが原因で、文字通り死ぬより苦しい窒息の症状が体を襲う。

体が塹壕から飛び出し、陸に上げられた魚のように暴れ狂う。

空気を求めてここではない何処かへ動こうと、無意識のうちに手で地面を引っ掻く。

視界は白く明滅していたが、正常に機能していた少しの時間に、重苦しい黒色のガスの様な靄が辺り一帯に広がっていたのを捉えた。

 

 

飛行機の残骸が燃え盛っている。

 

また、死んだのか。

 

そう自覚すると恐怖心が押し寄せてくる、体を幼児の様に丸めて震える。震えながらも、思考は恐怖に染まってはいなかった。

 

今回の死因は・・・恐らく、ネウロイが発生させる瘴気だろう。これには専用のガスマスクか、ウィッチでないと対応出来ない。

ネウロイについては分かっていない事ばかりだが、瘴気については効果は判明している。吸引しないと効果が出ない事も。

皮膚に触れただけで症状が出る毒ガスよりかはマシなのかもしれないが、吸ったら地獄を見る事に変わりはない。

 

そして、自分が生き残ってこの悪夢から抜け出す方法が大体見えてきた。

 

それはネウロイの襲撃に便乗し、後方に逃走する事だ。敵前逃亡は重罪である事は、さっき身を持って思い知った。

つまり、この時の匙加減が肝だ。戦線が完全に崩壊していなければ射殺されるだろうし、余りに遅いと瘴気でのたうち回って死ぬ事になる。

 

それに、周囲の目もある。彼等はもし自分が逃げ出そうとしたら容赦なく拘束するだろう。それが仕事なのだから。もしくは錯乱したとして後方に移送・・・されても、電気ショックで無理矢理戦場に戻される。PTSDという病名はこの世界には存在しない。

 

・・・どうすればいいだろうか。小銃を抱えて座り、考え込む。が、直ぐに立ち上がった。なるようになればいい、つまりは行き当たりばったりという指針を定めたのだ。

 

そう思い、立ち上がって塹壕から頭を出して戦場を俯瞰する。風切り音と共に視界が暗くなる。

 

 

戦闘機の残骸が燃えている。熱い。

どうやら流れ弾が頭に命中したようだ。なんて呆気ない最期なのだろうか。虚しくてしょうがない。こんな死因で本当にいいのだろうか。

ここは命の儚さを教えてくれる。

 

そんな儚さと反比例する様に恐怖が身体を襲う。ガタガタと情けなく震える体を抱き締め、落ち着く様に、震えないように努める。

言葉で形容出来ないこの恐怖は、誰にも伝える事は出来ないだろう。死んだら普通はそこで終わりなのだから。死ぬ事がどうしようもなく怖い、どうせ生き返るのだろうと自分に言い聞かせても、震えは止まらない。

体の震えは、結局止まらなかった。それに加え、背筋が氷柱に触れているのかと錯覚する程冷えていた。脂汗も止まらない。

 

恐怖心を少しでも紛らわせる為に、命の儚さを道徳の授業で教えるべきだと馬鹿な事を考えていたが、僅かに残っていた勇気を振り絞って、今度こそはと塹壕から頭を出した。

今回は・・・塹壕から頭を出した直ぐに風切り音と共に視界が暗くなる、なんて事はなかった。

 

低い視点から戦場を見渡す。

 

・・・何も分からない。当たり前と言えば当たり前か。戦場の状況を把握するのは、逐一情報が集まり、それを精査し、そして命令を出力する司令部でも難しいのに、こんな低い位置から見ても分かるはずがない。

これは、何となくといった感じで後退のタイミングを掴むしかないようだ。

 

そうだ、あの一回目の自分を追い詰めたクラゲを目安として使おう。

 

 

クラゲが大きい、という感想を抱く程に近付いて来ている。

塹壕を走り出し、出来るだけ後方に向かう。奥へ、奥へと。

そして、ここに来た時にトラックから降りた場所、あの広場まで辿り着いた。

 

その時の自分はどんな顔をしていたのだろう。

どうして味方と一回も塹壕ですれ違わなかったのかという疑問が氷解した、納得の表情?それとも、目の前に広がる光景に対する諦観の表情?それともーーー。

 

恐らく全部だろう。変顔だと言われるだろう。

そんな事を思いながら、轟音と共に視界が暗くなった。

 

 

あ。

 

 

直ぐに走り出す。背中に爆発の衝撃波や熱波を浴びつつも、止まらない。同時に破片が当たらなくてよかったと安堵する。

足が生まれたての小鹿のように震えていて、何度も転び、その度に起き上がって、足を殴り付けてまた走る。最早平衡感覚すらあやふやだ。

 

広場を抜け、街に辿り着き、扉を蹴破って家の中に蹲って身を潜める。

息が荒く、心臓の鼓動が五月蝿い。小さい悲鳴と共に、涙が溢れ出る。嗚呼、なんてことだ、思わず口汚い言葉が口から飛び出す。

拳から血が出るまで床を殴りつけながら、聞くに耐えない罵詈雑言を吐き続けた。耐え切れない恐怖から逃れようと、少しでも気が紛れるように、ずっと。

 

そして瘴気に呑まれ、窒息の苦痛に喘ぎ、身体が痙攣し、視界が暗くなる。

 

 

あ。

 

 

唖然としてる場合では無い。走れ、走れ、走れ。

鉛のように重く、それでいて風に吹かれる風船のように震える足を動かし、街へ全力疾走する。

最早言語として認識出来ない唸り声を上げながら、ひたすらに。

 

ドアを体当たりして開け、中に転がり込む。まだ体の震えは止まらない。だが、そんな事を気にしている場合ではない。

どうしてこんな事になっているのか。それは、あの広場に着いた時に目に飛び込んできた光景が、それを物語っていた。敵、敵、敵、黒光りの金属質な奴らが、そこら中に居たのだ。

 

あの広場は既にネウロイに占領されていた。彼処は最前線の中でも後方だった筈だ。だがそこで殺された。・・・つまり、包囲されているのだ、この区域は。

どうすればいい?どうやって、ここからもっと後方に逃げればいい?それに、殺されて復活する場所も変わった。戦闘機が墜落した直後から、あの広場に着いた瞬間に。気を付けないと、唖然としている間にまた殺される。肝に銘じておかなければ。

 

これからの事を思考していると、体の震えが治まった。こんな事は初めてだ。心を蝕む恐怖は拭えずとも、体の異常が少し克服出来た事に対する静かな喜びが芽生える。

 

しかし、ここが何処なのかは自分は分からない。地図が必要だ。闇雲に走った所で、後方に逃げられる訳では無いからだ。

しかし、地図は広場の司令部に有る筈だ。そこに行かなければ、地図は手に入らない。

・・・彼処に戻る?冗談も程々にして欲しい、どれだけのネウロイがひしめいているか、それは自分が一番知っている。

しかし、ここで足踏みしていても瘴気で窒息して死ぬ事は決定している。だったら、少しの可能性、冗談に掛けるしかないだろう。

 

勇気を振り絞れ、どうせやらなければ殺され続けるだけだ。

 

 

駆け出す。司令部を目指して一直線に。数体のクラゲが自分に気付いて、攻撃を仕掛けてくるが、当たらない事を祈ってひたすらに走る。恐怖を煽る風切り音に、冷や汗をかきながらも、足を止めることはしない。最後は転がるように司令部に入り、荒れ狂う呼吸を落ち着かせる。ここまで走ってくるまで、不思議と現実感が無かった。長い間、死の危険に晒されていたからだろうか。

 

周りを見渡す。司令部は薄暗く、慌てて退却したのか、様々な物が散乱していた。地図は壁に掛けられており、裸電球に照らされていた。

現在地、友軍の位置、奴等のおおよその位置が記入されており、とても参考になる。

 

地図を剥ぎ取る・・・剥ぎ取ろうとしたが、とても大きく、ネウロイが蔓延る場所でとてもじゃないが、持ち運び出来るものではない。だから、手帳に大体の位置関係、方位を記しておいた。そして放置してあった小さい方位磁針を取り、ここから出ることにした。

 

外に出ると、クラゲが数体浮いているのが見えた。危険だと本能が警鐘を鳴らし、街に向かって走る。後方へのルートは街を突っ切るルートが一番近い。

街に入り、裏路地を進んで行く。暗く、足元が不安定な場所で、何回も躓きながらも走っていく。

その時、視界の隅に金色の何かが映った。それは、この場に不釣り合いな程に綺麗で、透明感のある色だった。

 

ウィッチだ。ウィッチが、転がっていた。思わず足を止め、彼女を見詰める。気絶しているのか、ぐったりしている。

軍帽からはみ出た金髪が、自分の目を引いていた。ユニットは履いていないし、足が折れている。

 

どうしようか。・・・助ける?自分も助かるか分からないのに?

それに彼女は怪我をしている。足でまといだ。そんなものを背負ってここから逃げる事など出来るのか?無理だ。不可能だ。

 

すまない、許してくれ。

 

自分は言い訳を心の中で繰り返し呟きつつ、その場から背を向けて走り去った。




一話の冒頭に、主人公の現在地を追記しました。


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せんたくし

ただしいせんたくはどれだろう


暗い裏路地は、ウィッチ・・・幼い少女を見捨てた自分の心境も相まって、最悪の場所だと言えるだろう。死ぬよりかは全然マシだが。

相変わらず転びそうになりながらも、必死に走る。その時、側面から急に大きな音がした。視界がーーー

 

 

気が付くと、視界には金髪の少女が映っていた。

恐怖に襲われ、ガタガタと情けなく震えながら、自分に起こった事を整理する。どうやら、自分は死んだらしい。側面から聞こえたあの大きな音に原因がありそうだが・・・。

それと、復活する場所が広場から更新されたようだ。この、ウィッチの前に。・・・なんでよりにもよってここなんだ、やめてくれ、やめろ。

嗚呼、悪趣味にも程があるだろう。

 

・・・考えるのは止めだ、兎に角走ろう。裏路地を走り、先程死んだ場所の近くで止まる。

爆発音と共に何かが裏路地を横切った。衝撃波に尻もちをつきながら、何があったのかを調べる。

 

どうやら砲弾が建物を貫通して、裏路地に飛来してきたらしい。穴が空いた建物を見て、そう結論付けた。この間3秒。直ぐに駆け出した。

 

唐突に迫る風切り音、それを聞きつつ、何か出来るわけではなく、そのまま走る。その時、世界が止まった。正確には、凄まじく遅くなった。目の前に、黒い砲弾が突き刺さる直前で止まっている。動きこそ遅いが、確実に地面に迫ってーーー

 

 

あの金髪は眼前に無く、目に映るのは暗澹たる空。どうやらまだ死んでいないらしい。思わぬ幸運に感謝を感じる前に、足に熱を感じた。破片でも突き刺さっているのだろうか。

 

おもむろに足に目を向けると、そこには自分の想像を超える光景が広がっていた。

 

 

・・・?足が無い・・・?

 

いや、確かに足はあった。柘榴の断面図の様なグロテスクな足がそこにはあった。両足の太腿の中程から荒く切断されていて、血が水鉄砲の様に噴き出している。呻き声を上げながら、足に手を伸ばすが、滑稽にも短くなった足が上に上がるだけだった。

 

呻き声を叫ぶ、なんて可笑しな表現なのだろうが、自分はそんな状態に陥っていた。痛みよりも、視覚的、感覚的な衝撃が大きく、正気を失っていた。芋虫にでもなった気分だった。

 

大量の出血の影響か、視界が直ぐに暗くなり始め、少しすると何も見えなくなった。

 

 

暗転した視界が冴えると、金髪が目に入る。

恐る恐る下を向き、有るべき姿の下半身に安心する。無い筈の痛みを感じつつ、いつもより大きく震える足を掌で叩き、次のルートを模索しに行く。

最早、少女を見捨てる罪悪感は霧散していた。そんなものより、死や四肢欠損に対する恐怖心が圧倒的に上回っていたからだ。薄情な自分の性格を目の当たりにしながら、また駆け出した。

 

 

足が吹き飛んだ後から、数十回は試行錯誤して、やっと路地裏を抜け、街から出る事に成功した。

 

ーーーだが、そこからが本当の地獄だった。遮蔽物が殆どなく、ネウロイが蔓延っている平野。近くの森林地帯まで走らなければ為す術もなく、屠殺されるだけのキルゾーン。それが、目の前に広がっていたのだ。

 

既知のクラゲや、未知のタイプのネウロイがうようよと。

 

そんな光景に怖気付き、足が後ろへと駆け出しそうになるが、涙と呻き声を垂れ流しながら、平野に突っ込んでいく。

銃弾や砲弾によって、穴だらけ・・・というより、最早粉砕、吹き飛ばされながら、少しづつ森林地帯までの距離を詰めていく。目測で数百m有るが、一回で縮められる距離は数m程。

しかもその距離も、ネウロイの動きによって上下する為に、森林地帯に到達する事は絶望的だと言えるだろう。

 

また視界が暗くなり、視界が回復すると、金髪が目に入る。

 

嗚呼、何か、何か策は無いのか。あの平野を抜ける方法が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・あるじゃないか。なんでこんな単純な方法を思いつかなかったんだろう。自分は。

 

 

目の前に盾が落ちている(・・・・・・・・・・・)じゃないか。

 

 

近くにあった建物の残骸に走る。元は建材であったであろう木片を手に取り、ウィッチの隣に座り込む。彼女の折れた足に携帯していた包帯で、先程取ってきた木片を使い、副木として添えた。

そして、彼女を利用する為に、自分は行動を開始した。

 

 

何回も、何回も通った路地裏をまた通る。半ば体に染み込んだ回避するタイミングと、力加減が恨めしい。

背中に背負った彼女は混乱している様子だったが、自分には問答に答えている暇はないから、そのまま連れ出した。それでも抵抗せずに従ってくれているのはありがたい。

・・・いや、彼女は怖いのだろう。この、狂った場所に晒されて、恐怖を感じているのだろう。その証拠に、彼女は背中で震えている。

 

嗚呼、この世界はなんて残酷なのだろうか。

 

考え事をしていたせいか、転びかける。人を一人背負って、劣悪な足場を駆け抜けるのは、多少集中する必要がありそうだ。

 

路地裏は余り光が差し込まない為に薄暗いのだが、段々と周囲が明るくなっていく。路地裏のルートの終わりが近いのだ。そして、次は遮蔽物が殆どない平野部に差し掛かる。

 

ここからが正念場だ。少し呼吸を整えてから、駆け出した。

 

前と同じルートを辿り、あっという間に数十mを走り抜ける。ここからは未知のエリア、更に気を引き締めていく。

右、左、青白く発光するシールドが張られていく。掠っただけで血が噴き出し、肉が抉れる、死の概念そのものが、その強固なシールドを前に弾かれ、防がれる。

 

羨ましい。こんな力が、自分にもあったら。あんなに、あれだけ、沢山死ぬ事は・・・無かったのかーーー

 

 

余計な事を考えてしまっていたようだ。

雑念で集中力が切れたせいか、あっさりシールドを張っていない方向から飛来した弾丸に貫かれた。次はもっと注意深く行動しなければ。

 

いや、注意深く行動しても、弾丸や砲弾は予見出来ないか。

 

 

だが安心しよう。自分は失敗しても、次があるのだから!次が!次が!不安になる事も、心配する事もない!何回でもやり直せばいい!

 

 

復活する場所は平野の前に更新されている。まるで、この選択が正解だと言うかのように。

 

現状の整理が終わった所で、また挑戦する。

やはり自分一人の時よりも簡単に距離を稼げる。自身の選択の正しさを再把握した。

 

 

その後も何回も死にながら進み、森林地帯まであともう少しという所まで来たのだが、上から飛来した砲弾に吹き飛ばされた。

上から耳が潰れる程の風切り音が聞こえた時にはもう遅かった。急にそれを聞いて混乱したのもあって、何も出来ずに爆死した。

 

思わず、口から悪態が飛び出す。だが背中にウィッチを背負っていることを思い出し、直ぐにそれを努めて抑える。

 

今度は、失敗しない。自分が何回失敗したと思っているのだ。ーーー何回だっけ?

 

いや、別に気にする事でもないじゃないか。何回やり直したって、死んだって。どうせ生き返るし、それを自分以外誰も知らないのだから。

現に背負っているウィッチは毎回同じ反応をする。彼女にとって、毎回が最初で最後なのだろう。

 

そんな小さな事(・・・・・・・)を気にするよりも、とっとと今回の挑戦を始めよう。自分は駆け出した。

 

 

素晴らしい!やっと、森林地帯に入る事に成功した!

心の中で歓喜しつつも、周囲の警戒を怠らない。ネウロイが侵入しにくいだけで、入れない訳では無いのだから。

少しそのまま移動し、木の幹の傍で小休憩を取る。ウィッチが年若い少女だとしても、背負って走るのは凄まじく疲労するからだ。

ついでにその時に、手帳に書かれた地図を更新する。

簡単に描いた地形図に、方位磁針で方位を把握し、間違いがない事を確認する。

 

ウィッチはずっと黙っていた。路地裏の時は時折話し掛けてきていたのだが、平野に飛び出してからは何も喋らない。しかし、指示にはきちんと従っていた。

ずっと命の危機に晒されていたせいで、放心状態なのだろうか。そういえば自分にもそんな時期があったなと、少し懐かしく感じる。

そんなものは懐かしく感じたくはないのだが、それ程に自分の主観的な時間だと前の出来事なのだ。勘弁して欲しい。

 

ある程度休んだら、直ぐに出発する。ネウロイが押し寄せてくる可能性や、瘴気の広がりを危惧してだ。

 

背中に居るウィッチの抱き着く力が、心做しか強くなっている気がする。やはり不安なのだろうか。

 

 

その後はウィッチと少し言葉を交わしただけで何事も無く、後方の味方陣地に合流する事が出来た。

もうこんな所は懲り懲りだ。早速この場に居る上官に帰国を上申する事にした。

 

 

「ーーーきろ!ーー!」

 

耳に響く、誰かの大きな声。倦怠感を伴い、酷く現実感も失った体が、起きるのを拒否する。

しかし、頬をぺちぺちと叩かれたら、そんな事も言ってられない。重い眼瞼を遅々とした動作で動かし、視界を得る。

そして目の前に飛び出してきたのは、同胞では無い、何処かの国の兵士。

 

「だれ・・・ですか?」

 

「そんな事今はどうでもいい、兎に角、背中に掴まれ」

 

「え・・・?」

 

この人は何を言っているのだろうか。私は混乱していたが、痛みを主張する右足で、今置かれている状況を思い出した。

 

 

飛来する弾丸、砲弾。

 

飛び散る肉片、撒き散らされる血液。赤、赤、赤色。

ネウロイの猛攻に一人、また一人と斃れていく私と同じ、ウィッチ達。彼女達を悼む気持ちよりも、自分もこうなるかもしれないという恐怖しか頭に無かった。

怖い、死ぬのが言葉に出来ないほどに怖い。

 

だから、私は逃げ出した。その時に、砲弾を受けて崩落した建物に巻き込まれて・・・。

 

 

「あ・・・あああああ!」

 

涙が止まらない、鼻水も垂れている。ずりずりと、ここから一刻も早く離れたいという意思だけが私を支配する。

 

怖い、怖い、誰か助けて。

 

「すまないが、君を慰めている時間は無い」

 

そう言うと、彼は私を背負い、直ぐに駆け出した。

 

「掴まっててくれ、俺の服で顔を拭いても構わない」

 

その背中は暖かく、大きく感じた。両腕を首に回し、思い切り抱き締める。落ちたら大変だという事もあったが、今はどんなものにも縋りたかったのだ。

 

その後は不思議な事ばかりが起きた。

目の前を砲弾が通過したり、間一髪の所で流れ弾であろう弾丸を避けたり。一回もネウロイと遭遇しなかったり。

それはとても頼もしかったが、同時にとても異様だった。・・・彼の動きはまるで、未来が見えていてるかのようだったのだから。

 

「あなたは、未来が見えるのですか?」

 

一度疑問に思ってしまったから、気になって仕方がなくなった。その為に、思わず聞いてしまった。

 

「・・・未来が見えたなら、どれだけよかっただろうか」

 

それだけ言って、彼はそれ以上口を開きませんでした。

 

 

路地裏を襲う脅威を曲芸のように回避しながら、彼は走っていった。

あの質問から一度も口を利く事はなく、ただ無言で。

しかし、その沈黙は路地裏を踏破する事で、終わりを告げました。

 

「あぁ、クソ!チクショウ!あと少しだったのに!」

 

急に叫び始めた彼に、驚きます。どうしたのでしょうか。

それからはまた黙り込みます、あれだけ叫んだ後だからか、その沈黙は不気味に感じます。

 

「・・・俺が言った通りにシールドを張ってくれ。右か左か言うから、手を伸ばして張るだけでいい」

 

「は、はい」

 

彼は有無を言わさず、私に言い付ける。

 

そして、路地裏から飛び出し、見晴らしのいい平野部に飛び出した。

あちこちにネウロイが居る状況でも、彼は焦ったり、迷う様子は無く、駆け抜けて行く。でも、私はそんな冷静でいられませんでした。

右、左と指示を受けたら必死にそれを遂行する事でいっぱいいっぱいで、余裕が無かったのです。

 

彼が言った方向からは、確実に弾丸や砲弾が飛来してきます。この時点で私は、彼に従ってさえいれば安心だと思っていました。

 

順調に進み、森まであとほんの少しという場所まで来た所で、彼が急に焦った様子で叫びました。

 

「上だ!」

 

反射的に上に手を伸ばし、シールドを貼ります。

青く光るシールド一枚挟んだ向こう側で、黒い砲弾が止まっていました。次の瞬間に爆発し、爆炎で視界がチカチカして機能不全を起こします。彼は相変わらず足を動かしているようで、動いている感覚だけが伝わってきます。

安全になった所でシールドを解きました。

 

その時にはもう森の中に入っており、火薬と泥の匂いは控え目になり、緑の香りが鼻腔を擽ってきました。

 

 

彼は森に入った後も駆けていましたが、少しすると休憩をすると言って止まりました。私をそっと降ろし、水筒の水を飲みながら手帳を開いて何か書き込んでいます。

 

私はそんな彼を見て、あんな場所に居たのに、不気味な程に冷静である事に違和感を抱きました。普通なら取り乱すでしょう、あんな状況に遭遇したら・・・。

 

 

そんな疑念を抱いている私を彼は軽々と背負い直し、休憩は終わりだと言って移動を再開しました。今度は徒歩での移動です。

 

「あ、ありがとう・・・貴方に助けて貰えなかったら私はあそこで、きっと死んでいたわ」

 

さっきまで目まぐるしい展開に落ち着いて礼も出来ていなかった事を思い出して、今頃ながらに感謝の言葉を口に出しました。

 

「・・・気にしなくていい。お互い様だ」

 

・・・私が彼を助けた事は無い。あの状況での、怪我をしていた私は彼にとってお荷物であっただろう事は私にも分かります。

 

「お互い様?」

 

「ああ、君が居なかったらあそこを突破出来なかった」

 

「あのネウロイが沢山いる平原?」

 

「そうだ」

 

そうか、私のシールドが無ければあの平原を越えることは出来なかったのか。

 

「なんだか、不思議ですね」

 

「貴方が私を助けてくれなかったら、私はあそこで死んでいたし、貴方もあの平原を越えることは出来なかった」

 

「まるで運命みたいな・・・」

 

「運命?・・・かもしれない。尤も、それは碌でもない、クソみたいなものだろうけれども」

 

物語の登場人物にでもなったかのような偶然に、少し興奮していた私に、彼はピシャリと言い放ちました。

 

 

その後は、気まずくて他の話を切り出す前に、味方の陣地に辿り着きました。彼はカールスラントの衛生兵に私を引き渡す際に、非礼を許して欲しいと言って、どこかに行ってしまいました。

 

 

そういえば、彼の名前を聞いていない。

顔立ちと服装から、扶桑の人である事は分かったが、それだけだ。

なんだか、あっという間だった。




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ろくでなし

次も期間が空くと思います・・・


自分が前の世界の、どの程度の年齢までの記憶を保持しているか。

なんて自問自答した事がある。・・・結果は、分からなかった。

しかし、ある意味達観してるような価値観の中に残る幼さから、大人になりたかった、子供だったかもしれない。

 

具体的に言うと"思春期"というものだ。

 

ある程度の分別と、プライドと論理的思考しか持ち合わせていなかったのだ。そう自己分析出来たのは幸いだった。

 

数学的知識や社会的知識、理科的知識は、前の世界から引き継いだ時のままずっと据え置きで、欠落している事はないと思っている。

 

何故なら、数学という教科の存在が有るからだ。

三角関数や、二次関数など、数学というものは究極の暗記教科と呼ばれる程に、知識量がものを言う教科である。

勉学を怠れば、一度習熟したものですら頭の中から零れ落ちてしまう事も、朧気に自覚出来る学生であったであろう記憶が経験している。

 

だがこの世界に来て2年程たった今でも、自分は公式をはっきりと覚えている。手足のように、自由に扱える。

自身の記憶の有無は自分自身で確認する事は酷く困難であるが、数学的知識はある程度の目安になる。

それが未だ十全に扱えている間は、前の世界に関する記憶、知識の保持に関して、蓋然性のある保証になるのではないかと、自分はそう考えたのだ。

 

そんな事に気付いた時には、自分は学校に通っていた。

学校は前の世界と余り変わらず・・・いや、教師という職業の地位が非常に高い事を除けば変わらないものだった。

 

周りの児童との精神年齢の差からか、話が全く合わず、自分は何時も独りでいた。独りは苦痛ではなく、絵を描いたり、前の世界を含めた記憶に無い、山の中を散策したりすると、とても楽しかった。

 

自分が住んでいる場所は海にも近く、退屈とは無縁だった。

 

そんな風に毎日を過ごしていた自分に、ある転機が訪れた。

 

何時ものように山に出掛けていたら、大きな泣き声が聞こえてきたのだ。何事かと駆け寄ると、そこには二人の少女が居た。

一人の少女がしゃがんで足首を押さえて泣いており、もう一人の少女がどう対応すれば分からないのか困惑していた。

 

声を掛けて事情を聞くと、泣いている少女が山道から足を踏み外して斜面を転げ落ちた際に足首に痛みが発生したらしい。

恐らく捻挫か打撲だが、もしかしすると骨が折れてしまっているかもしれない。そう考えた自分は泣いている少女を背負って、近くの診療所まで行く事を決めた。

 

少年と言って差し支えない年齢の自分から見ても尚、幼い少女はとても軽く、診療所まで背負っていくのは可能だった。

 

そんな事があってから、自分はこの二人の少女と何かと付き合うようになり、自分に出来た唯一の親しい友人が彼女達になった。

気付いていなかっただけで家が近く、学校にも共に登校する事になっていた。学年こそ違う為に下駄箱で別れるが。

 

その時に分かったのだが、どうやら彼女達は自分よりも下の学年らしい。

 

 

前の世界にて高等教育を受けている身としては、簡単な四則計算や、画数の少ない漢字を教えられる授業は酷く退屈だった。

 

ぼうっとして学校を過ごし、放課後は例の二人と帰宅する。

怪我をしていた少女は髪を肩の少し上まで切っており、明るい態度から、活動的な印象を自分に与えた。

困惑していた少女は胸の少し下辺りまで伸ばした髪と、おどおどとした態度で、自分は閉鎖的な印象を抱いた。

 

対象的な二人だが、なかなかどうして仲が良い。

その輪に自分も加わるとは、あの時は思ってもいなかった。・・・というよりも、懐かれたという方が正しいか。

家で机に向かってゆっくり読書をしていると、気づいたら二人が隣に寝っ転がっていた事もある。自分が気が付いた時には既に、家ぐるみの付き合いになっていた。

 

 

 

 

 

 

「どういう事ですか」

 

恰幅の良い上官の口から飛び出した言葉に、思わず聞き返してしまった。

 

「もう一度言うが、一等兵、君の申請は却下されたよ。我々は余りにも兵力が不足している。これでは撤退も儘らない」

 

上官の胸に張り付いた少しの勲章が擦れ、小さい金属音が微かに聞こえる。

 

「だから君にはまた別の部隊に所属して貰って、ここに残ってもらう」

 

目の前に座っている上官の言っている事は理解出来る。この対処は仕方が無いだろう。しかし納得がいくかと言われたら"はい"とは言えない。

 

「・・・不服か?」

 

「いえ、滅相もありません」

 

「なら退室したまえ」

 

上官の居る部屋のドアを閉じて廊下で立ち尽くす。どうすればいいのだろうか。また、あんな目に遭うのではないか?どうしよう、どうすれば・・・。

 

無理だ。自分は早々に解決を諦める事にした。

徴兵された時点でこうなる事も覚悟していなければならなかった。許可が下りないなら、それで終わりだ。

全軍が撤退するまでの間の辛抱だ。

 

あの上官も酷く疲れた様子だった。彼も自身の指揮一つで何人が死亡するのかと考え、その重責に耐えつつここに居るのだろう。

それにこの前線に居る時点で何時砲弾が降り注ぐか、流れ弾に当たる可能性は非常に高い。彼もまた、死と隣り合わせで我々を指揮しているのだ。

 

彼を責めたり、更に罵詈雑言を浴びせる事などとてもじゃないが出来ない。悪いのはネウロイであって、それを忘れてはいけない。

 

 

"戦車"と言うには余りにも貧相な主砲から、曳光弾を伴った機関砲弾が発射される。

クラゲを粉砕し、それよりも後ろに居た昆虫、特に蟻に酷似したネウロイに着弾するが、表面で虚しく爆発するだけでなんの損傷も与える事が出来ていない。3m近い大きさを誇る奴は、機関砲では損傷を与える事すら困難である事は、今のを見て分かった。

 

ここに居る戦車の殆どがII号戦車と呼ばれる軽戦車で、主武装が20mm機関砲である。対戦車能力が著しく欠如した、文字通り対人用の戦車だ。

クラゲは易々と撃破可能だが、それ以上になると全くの無力になり、見ていて不安と虚無感に襲われる。

 

自分が居る場所は何時ものように塹壕である。

最早嗅ぎ馴れた土臭さに辟易としつつ、土竜にでもなった気分だと小さく笑う。

 

司令部のある街から少し外れた、稜線が多い場所に掘られた多数の塹壕の一つに自分は居た。

 

時折混じる5cm砲を積んだIII号戦車からの砲弾が自分のすぐ頭上を飛来する。

機関砲とは桁違いの威力を誇る弾丸が蟻型ネウロイに着弾するものの、身が縮む様な金属同士が高速で擦れる音を響かせて、蟻型の後方へ角度をつけて跳弾していく。

 

そう、そうなのだ。

蟻のようなあの形は生物的な複雑な形状をしており、傾斜装甲として役割も果たしているのだ。

当たり所が悪ければ、5cm砲すら虚しく弾かれる。

確実に倒す為には、今の所高射砲や大口径の野砲を叩き込むしかない。

 

だがそんな高性能な砲の数は少ない。絶対数が圧倒的に足りていない。本来ならネウロイに有効である筈の37mm対戦車砲は余りにも非力で、装甲をコンコンと叩くだけだと、ドアノッカーという別名すら付いている。

戦線がずるずると後退している理由の一つに、装甲目標に対する攻撃能力の不足があるだろう。ネウロイの物量もそうだが。

 

近くに置いてある結束手榴弾を意識する。

手榴弾を束ねて威力を高めたもので、専ら対戦車用である。だがクラゲ以上のネウロイに効果が有るかと聞かれたら、微妙だろう。本来こういった威力の低い対戦車兵器は、装甲が薄い天板や、エンジンデッキを狙って使うものである。

ノイマン・モンロー効果を利用した成形炸薬弾でもない、少量で只の爆薬の塊が出来る事などたかが知れている。装甲が薄い場所や、履帯等の駆動系。それ等を攻撃するのがこういった兵器の運用方法なのだが・・・。

 

 

ーーーネウロイの弱点は、どこだ?

見た目だけだと全周同じ装甲厚にしか見えないし、そもそも奴等の駆動系は未だに解明されていない。

内燃機関なのか、電気駆動なのか、それともそれ以外なのかさえ。

分かっているのは、何らかの力で浮力を得ている事や、生物的な構成の足で地面を蹴って移動している事。

 

しかし有益で実用的な情報も勿論ある。

それはネウロイが"コア"と呼ばれる核を持つ事だ。それを破壊すると、ネウロイは消滅する。

しかし、コアを破壊しないと損傷を再生するとも。

まったくもって滅茶苦茶だ。

 

 

結果的に、結束手榴弾の効果はあったと言えるだろう。

自分が渾身の力を込めて投擲した結束手榴弾は蟻型の足下まで飛んでいき、爆発。六本有るうちの一本の脚部を破壊し、少しの間だけ動きを遅滞させる事に成功した。

 

だがそれだけだ。

 

足の一本、たかが一本吹き飛ばした後の反撃は、奴の口から砲身の半分程露出している大砲から飛んで来た。

塹壕に身を伏せた自分に発砲したのだろう。塹壕の手前の地面がスプーンで掬われたソフトクリームの様に抉り取られ、地面を貫通してきた砲弾が塹壕の中に飛び込んできた、それは底で伏せている自身の横2mの辺りに見えた気がする。

 

直後、爆発。

 

面白い程に吹き飛ぶ身体。アトラクションに乗っているような気分を味わわせて貰えた。

 

爆風で塹壕から飛び出した身体は痙攣していて、呼吸も覚束無い。明滅する視界と鉄の味で一杯の口の中。腹部には大きな破片が熱と共に存在を主張していた。

 

 

「ああクソッタレ!素晴らしい程に残酷で、救いの無い戦争め!」

 

腹部に砲弾による破片が突き刺さった兵士が、血液が噴出する口で無理矢理大声を絞り出していた。

周りにこの兵士を観察する者が居たら、目の焦点が合っておらず、グラグラと揺れる眼球や、血塗れの身体も相まって頭が可笑しくなったと判断されるだろう。

 

数十m先には蟻型のネウロイが次弾を装填して、砲口を兵士に向けている。

 

「ああ、クソが、クソ、クソ・・・なんで俺がこんな目に遭わなきゃいかねぇんだ・・・クソ、ふざけてやがる・・・クソ・・・」

 

誰に向けての言葉かは分からないが、最初こそ威勢よく響いていた声も途中から力を失い、蚊の鳴くような声に急速に衰えていく。

それは激しい出血による体力の消耗、意識の希薄化が齎したものだろう。

 

 

最早うわ言しか発さなくなった兵士を、砲弾が貫いた。

凄まじい運動エネルギーによって体がバラバラに吹き飛び、兵士は即死した。

 

 

 

 

「ああ、ここからか」

 

 

 

 

 

結束手榴弾を握った格好で、数秒間静止していた兵士が居た。

彼は目の前に迫り来る蟻型ネウロイを一瞥すると手榴弾を投げ付け、そして直ぐに塹壕内を駆け出した。

 

足下に意識を向けると、見えるのは元は人間だった肉塊ばかり。

熱でひん曲がった銃身を持った機関銃や、弾薬が無い迫撃砲なども転がっている。

それ等を器用に避けながら、彼は走り続けていた。

 

彼は後方の陣地に一番近い位置に辿り着くと、そのまま塹壕の外に飛び出した。

そして、そのまま平原を駆け抜けていく。それを脚を一本吹き飛ばされた蟻型ネウロイが狙っていた。

 

 

大砲の発射音が聞こえて数秒で身体が吹き飛び、一瞬で視界が消失する。

気が付くと走っている。今回はここかららしい。

また砲声が聞こえた。先程の経験から地面に伏せる。砲弾は頭上を通過していった。

 

砲声が聞こえてから砲弾が到達するまでの時間差を利用して、自分は砲弾を避ける事が出来た。そして近くにあった塹壕に滑り込む。

中に味方は居なかった。武器が何も置いてない事から、放棄された塹壕である事が分かった。

 

自分が目標にしている街まではまだまだ遠い。途中途中に存在する、塹壕を利用して近付くしかない。

 

この塹壕が放棄されているという事は、敵にかなり浸透されているのだろう。事実、聞こえる銃声は散発的である。

息を整えて、また塹壕から飛び出す。駆け出す。駆け抜ける。

 

また転がるように次の塹壕に滑り込む。味方は居ない。

 

また次へ、次へ。

 

 

 

そうして街の近くの塹壕まで死にもの狂いで到達した自分が見たのは、多数の高射砲や野砲によって駆逐されていくネウロイの姿だった。

 

 

 

安心感を感じて、塹壕の中で力んでいた全身から力が抜けた。

次の瞬間、風切り音と共に視界が暗くなる。

 

 

塹壕から這い出て、ひと息つく。胡座をかいて、身体を休める。

 

その直後に塹壕内に砲弾が飛び込み、爆発した。

塹壕内で爆風が吹き荒れ、破片が飛び散り、熱が這いずり回る。

塹壕から飛び出す死の諸条件は、下に凹んでいる塹壕に誘導され、上に流れるだけで、すぐ隣に座っている自分には巻き上げられた土砂が掛かっただけだった。

 

・・・最悪だ、土まみれになった。

土臭さに辟易としつつ、街の様子を見る。戦車や高射砲、野砲が火を噴く度にネウロイが粉砕されていく。ネウロイからの反撃で砲弾が弾薬に引火したのであろう戦車が、キューポラから火を噴き出して爆発していった。

 

火薬の臭い、詳細不詳の肉が焼ける臭いもする。

土まみれの現状、それ等の臭いは土の匂いで多少はマシになっているが、それでも鼻について仕方が無い。

 

 

ああ、ここは本当に碌でもない場所だ。




一話につき5000字ノルマを止めようかな・・・


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かいしんのいちげき

ちいさなちからでも、くふうすればたおせるさ


何時までもここに座っているわけにもいかない。

持ち場を放棄して、ここに居るのだ。見つかったら面倒な事になる。

砲弾が着弾した塹壕とは別の塹壕に入って、戦場を俯瞰する。

 

高射砲や野砲の威力に惚れ惚れする。なるほど、圧倒的な火力だ。命中率も高く、兵士の練度が高水準である事が伺える。

 

しかし、ネウロイの数が思っていたよりも多い。大丈夫だろうか。

いや、大丈夫そうじゃなさそうだ。ネウロイの命中精度は粗いものの、圧倒的な数で少しづつ押していっている。

 

・・・不味いな。

 

そう思った直後、目の前で凄まじい規模の爆発が起こった。

いや、違う。・・・これは、多数の爆発が同時に起こって、一つの爆発に見えただけだ。

 

重砲による制圧射撃だろう。直撃しないと倒せなくても、駆動系を損傷させるなど訳もない砲撃が、目の前を舐めるように地面を埋め尽くす。

 

今回は砲撃の密度が濃いのか、ネウロイの姿は半減し、残ったものも蟻型ばかりで、脚が何本か欠けているのが主だった。

クラゲは殆ど残っていなかった。

 

砲撃により脚が止まったネウロイは直ぐに瓦解した。脚を使ってバランスを保ちながら砲を向けていたので、それが欠けてマトモに戦えなくなっていたからだろう。

 

 

勝利の雄叫びを上げている味方陣地に乗り込み、上官に次の配置の命令を受ける。どうやら上官の話を聞く限り、自分が退却を始める少し前に、退却命令は出ていたらしい。

無線が無かった為に自分は知らなかったが。だから通信兵を寄越せと言っておいた。

 

先程の塹壕よりは少し後方の塹壕に配置になったが、これは自分が下がったというより、軍全体が後退しているのだろう。

他の所と比べて大砲や機甲戦力が充実しているここでも、少なくない被害が出た。その事実を受けて及び腰になっている事は想像に難くない。

 

ここを突破されたら、カールスラントの首都、ベルリンまであっという間だ。既にカールスラント国民は国外退去を始めているらしいが。

 

 

それにしても全く、塹壕の中とはふざけた環境だ。

蟻型ネウロイの襲来が昨日の今日、霧がかった朝を迎え、塹壕内で固まった体を解す。

・・・雨が降り始めた。しかし、それを塞ぐ屋根などは勿論備え付けられていない。季節で言えばまだ夏であろうに、雨粒に当たると途端に寒くなる。身体が震えて煩わしい事この上ない。

緯度で言うと、カールスラントの殆どの場所が北海道よりも上だという事も頭に入れておくと分かりやすいだろうか。

 

それに、泥が酷い。こんな不衛生な環境に居たら、戦闘よりも病気で死ぬ兵士の方が多くなるだろう。

病気は鉛玉よりも人の命を奪っていく。それは、前の世界における大戦で証明されている。

 

塹壕の底に水が溜まって、それはもう酷い状態である。外気温も合わさって、このまま水に浸かったままだと凍傷になってしまう。一旦街の方まで行き、大きな布と少しの木材を貰って簡易的にだが屋根を作った。

もっと早くにやればよかったと思うが、後の祭りである。

 

晴れたらどうにかして水を抜く作業もしなければ・・・。

 

 

この戦域は、街の近くに野砲等を据え置いた大規模な塹壕陣地が有り、その前に小さい塹壕が散在している。自分はその一つの小さい塹壕の中で、一人で配属されている。結局通信兵は来ず、無線だけが置かれた。

人員が足りないのだろう。

一人だから迫撃砲も運用出来ず、結局の所は弾着観測か効果の薄い、機関銃による攻撃しか出来ない。

 

 

一人で居るのに飽きてしまい、敵襲を報せるサイレンが鳴るまで、近くの部隊員が居る塹壕に自分はお邪魔していた。

 

ヘルメットを逆さにし、水を溜めて飲もうとしていた部隊の奴が居た。すぐさまヘルメットを揺らし、水を全て地面に零す。

何をするんだと奴が言ってくるが、これには理由がある。

ヘルメットで水を飲むと、致死率が跳ね上がる事を教えた。被りっぱなしのヘルメットの中でどれだけの雑菌が繁殖しているのか、懇切丁寧に教えたら彼は納得してくれた。細菌による下痢や高熱は、脱水症状や倦怠感、それに伴う疲労によって戦場では死に直結するからだ。

この世界の人間の衛生観念は酷く薄い。そういった教育が施されていないのだろうが、自分からするとどうしても向こう見ずに思えてしまう。

 

そういえば、最後に暖かい水で身体を洗ったのは何時だろうか。

 

冷たい雨をシャワー替わりにして身体を洗う。寒くて死にそうだが、濡れた服を着てるよりは大分マシだろう。

 

 

あぁ、最悪だ。

 

口を衝いて出てきた悪態の言葉は、青白い唇から垂れ流される。

風邪を引いた。それも結構重度の。雨風に晒され、暖める事が叶わずに冷え切った身体が限界を迎えたようだ。

 

寒い。頭が呆けてしまっている。寒い。頭とその周辺だけが異様に熱く、それ以外は痛烈に寒冷な体感温度を伝えてくる。訳が分からなくなっていた。そんな状態で何か出来るわけでも無く、塹壕の中で泥まみれの水溜まりに、ぼうっと座り込んでいた。

 

熱で朦朧としている頭に追い討ちをかけるように、敵襲のサイレンが鳴り響く。頭に響くその音に内心荒れ狂い、原因のネウロイに対する鬱憤が更に溜まっていく。

 

全身に力を込めて立ち上がり、機関銃を構える。

 

発射時の反動に頭を揺らされ、何時もよりも体力を大きく消費していく。そのせいか、直ぐに息切れを起こしてしまう。

身体が重い。手足の感覚が朧気になっていく。あぁ、寒いーーー。

 

ーーーィィィィン、カンッ!!

 

 

耳を劈く風切り音、小さい何かに金属を叩かれる音。その音が聞こえた直後、意識は覚醒した。

 

死んだ。この感覚は、死んだ感覚だ。

 

高熱で朦朧としていた意識が冴え渡っていく。熱を持った頭に、恐怖という名の冷水を派手に掛けられたようだった。

未だに頭は熱を持ったままだが、先程よりもずっといい状態だ。

 

先程よりも機関銃を正確に投射する。しかし、殆ど効果は無い。

風邪だろうがなんだろうが、歩兵が一人で運用可能な兵器に出来る事など本当にたかが知れている。

 

そのまま暫く射撃していると、弾薬が切れた。持ってきた弾薬箱の中に入っていた弾倉は一つも残っていない。

機関銃を塹壕内に放り投げ、無線と双眼鏡を掴んで弾着観測に勤しむ。双眼鏡を覗いて分かったが、今回は蟻型がかなり多い。

 

 

今回はネウロイの数が多い。ダメだ。このままだと突破される。戦線が崩壊し始めている。

 

支援砲撃が降り注ぐも、焼け石に水。勢いを削ぐには力不足であった。上空には巨大なエイのような形をしたネウロイが席巻し、制空権を完全に奪取されている。

 

 

その時自分は、信じられないものを見た。

上空に浮かんでいたエイ型ネウロイから赤い光線が発射されたと思うと、地面が爆発した。

 

なんだあれは。発射速度の早い機関砲の曳光弾だろうか。しかし、爆発の規模はそれこそ大型爆弾が連続で爆発しているような、馬鹿げた威力のそれである。

まるで創作に出てくるビームと呼ばれるようなものに酷似していた。原理は不明だが、光線は物体に接触すると猛烈な威力の爆発を引き起こし、辺り一面を火の海にしている。それも一機だけではない。数機が編隊を組んで飛行している。

 

戦術爆撃機の真似事だろうか。しかし、投射しているものの威力はふざけたものだ。

余りにも理不尽な、高火力な新兵器の登場。しかし、実際の所自分はネウロイに詳しくない。あの光線兵器はもっと前から使用されていたのかもしれないし、今まで奴と出会ってなかった方が珍しいのかもしれない。だから新兵器と言うと語弊があるかもしれない。

 

だが、自分は少なくない衝撃を受けている。余りに滅茶苦茶だ。

おもちゃのように戦車が爆発と共に吹き飛び、トラックが残骸となって上に打ち上げられている。

 

大砲がトラックや装甲車、馬に繋げられ、後方へ移送されていく。

これはもう、戦線もクソもあったものではない。無線も先程から雑音を吐き出すだけで使えないので、周りの部隊に指示を仰ぐと、撤退指示が出ている事が分かった。

 

 

急いでライフルを背負い、後方へ駆け出す。光線が飛び交い、爆発が頻発している地獄へと。

 

 

 

光線兵器は余りにも凶悪だった。攻撃が開始されてからそれ程時間が経っている訳では無いのに、街が残骸と化していたし、一緒に行動していた部隊の奴等とは自分が爆発に吹き飛ばされてはぐれてしまった。

 

破片が刺さったり、衝撃波で内臓が潰れた訳では無いが、吹き飛ばされ、地面にぶつかった衝撃は中々のものである。

意識が多少朦朧とし、腹部がジンジンと痛む。

 

自分が路地裏に飛ばされ、仲間が駆け寄ろうとした瞬間に大通りに繋がる道が瓦礫で埋まってしまった。なんて運が無いのだろうか。不運を恨むが、直ぐに思考を切り替えて建設的な事を考える。

 

前回の教訓から、ここ周辺の地図の写しと、コンパスは手元にある。それ等に従い、後方へ移動をするのだ。

そうと決まれば行動は早い方が良い。自分は直ぐに裏路地を駆け出した。

 

 

時折路地裏の道が瓦礫で塞がれている事があり、その度に迂回していたら、思ったよりも時間が掛かってしまっている。丁度大通りに出れる道があったので、大通りに出た自分を迎えたのは、蟻型のネウロイだった。

 

彼我の距離は結構ある。目測でおおよそ250m程。街を出るには、蟻型が居る場所を通らないといけない。正確には他のルートも有るが、更に時間が掛かってしまう為に、選択肢に無い。これ以上時間を掛けていたら瘴気に飲み込まれて、死ぬ程苦しい目に遭うのは目に見えている。

 

近くには数人の死体と、破壊され炎上しているトラック、それに牽引されていた野砲が放置されていた。

 

・・・これなら、まだやりようがある。

頭に簡易的な作戦を立てて、自分は動き出した。

 

 

 

一人の兵士が崩壊した街の大通りの真ん中に立っていた。

肩に掛けていたライフルを離れた場所にいる蟻型ネウロイに撃ち込む。

 

小さな金属音を立てて着弾した弾丸は、ネウロイの注意を引くのに十分だった。ネウロイが自身の方に接近し始めた事を確認した兵士は近くの家にドアを蹴破って入る。

 

重い金属音を含んだ駆動音と、大通りに敷かれた石畳を自重で砕き、剥がす音を響かせながら、蟻型は発砲があった場所に接近していた。自らを撃った奴は何処かと頭を振って捜していると、窓から家の中に居た兵士を発見する。

頭、正確には長い砲身を家の中に向け、発射ーーーしようした直後。

 

大通りに面した窓の手前、家の直ぐ外に設置され、弾薬を装填されていた野砲が火を噴いた。75mm口径の砲弾がライフリングを施された砲身で回転を加えられながら加速し、砲口から飛び出す。そのまま砲弾は蟻型ネウロイの胸部を突き破ってめり込み、内蔵されていた火薬を炸裂させる。

 

発射用の紐を握り締めていた兵士は、その余波を受け、衝撃波で砕け散った窓ガラスと共に家の奥へと吹っ飛ばされる。

一瞬気を失い、ぐったりするが直ぐに覚醒し、最早原型を留めていない窓に駆け寄った。

 

窓の外にあったものは、彼が期待していた光景ではなかった。

蟻型ネウロイが金属が軋む音を大きく響かせながら、歯車が欠けた機械仕掛けの玩具の様に、無理矢理その身を起こしていた。既にボロボロで、マトモに機能するとは思えないが、端から既に再生が始まっている。このままだと直ぐに機能を取り戻してしまうだろう。

 

だが彼にとって、それは想定外でもなかったようだ。

腰に括り付けていた集束手榴弾を手に取り、信管を作動させてから蟻型の頭部に投擲。コツンと軽い音を立てて頭部に当たった集束手榴弾はそのまま少し上に跳ね、丁度自由落下によって頭部に再度当たろうとした瞬間に爆発した。

 

兵士の身体は飛び散ったガラスや、何かも分からない小さい破片で傷付けられていた。緊張していたのか、相応の疲労感も感じている。

 

 

 

だが、蟻型ネウロイはまだ機能を完全に喪失していなかった。

ネウロイの本体とも言える"コア"を大きく損傷した頭部に露出しながらも、ふらつき、動かす度に自壊する身体で砲身を兵士に向けようと足掻いていた。

 

それを見て血相を変えた兵士は、外に飛び出し、ネウロイの頭に飛び乗ってライフルをコアに構えた。コアに銃身の先端を密着させ、コッキング、発射。一回では破壊出来ず、大きくヒビが入るだけだった。続けてもう一発、もう一発。ネウロイが完全に消失するまで発砲音は鳴り止まなかった。

 

 

全てが終わった後、集束手榴弾を作る為に手榴弾を剥ぎ取った死体を道の端に寄せ、顔に布を掛けた兵士はその場から小走りで去っていった。




次も結構期間が開くかもです


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かいそう

どうしてここにきたの?


全身があちこち痛む。結構な無茶をしたからだ。

だが多少の無茶をした程度であの蟻型ネウロイを撃破出来たのは喜ぶべき事だろう。更に風邪の症状も控え目になってきた。未だに倦怠感こそ残るものの、高熱が引いていったのである。靄がかっていた思考が、比較して冴え渡っている気がする。

 

しかし、未だに友軍と合流出来ていない事は嘆くべき事だ。雨は止み、だが気温は未だに低いままだ。今は森の中に身を潜めているが、休憩を終えたら直ぐにでも出発するべきだろう。

 

その時、遠方で木が倒れる音がした。木の幹が裂ける、何か重機のようなもので無理矢理引き倒す音だ。だが、エンジン音のようなものは聞こえてこない。聞こえてくるのは、あの特徴的な金属音だ。

不運な事に、音源は手製の地図に丸が付けられた味方陣地への方向と同一のものであった。

 

腰にぶら下がっている集束手榴弾を意識する。残数は二つ。二つあれば、やりようはある。

奴を迂回するか、撃破するかーーー

 

 

風で揺れ、擦れる音を響かせる木々。それによって構成された閑静な森の中に、異色を放つ黒い物体は存在していた。

蟻に酷似した型のそれは、六本ある脚を使って木々を薙ぎ倒し、自らの道を切り開いていく。

 

土木作業に従事していた蟻型ネウロイだったが、鋭い風切り音と共に貧相な弾丸が表層装甲に着弾した事に気が付いた。弾丸は弾頭が潰れ、地面に虚しく落ちる。

 

少しの間動きを止めていた蟻型だが、直ぐに頭を弾丸の飛来してきたであろう地点へ向け、歩みを開始する。

 

 

悠然と迫ってくるネウロイを見ながら、彼は笑っていた。今まで、彼の親しい友人である二人の少女ですら見た事の無い程の、深い笑みを浮かべていた。

 

ライフルを何度も当て、仕掛けが施されている地点へのルートから外れようとしたネウロイを修正していく。

 

死んでしまうかもしれない。死ぬ事は恐ろしい事である。その事を表現する言葉はないし、それを言葉で表せる気もしない。だが、しかし、彼にとって、それは最早些細な事であった。

 

命のやり取り、例え失敗しても、何回でもやり直せる。そんな認識が彼の心の根底を変えていった。死の危険に直面した時の危機感、高揚感、そういったものに取り憑かれてしまった。デメリットは多大な恐怖、メリットは多大な高揚感。彼はそれを天秤にかけたのだ。

 

その結果は語るまでも無い。

 

ネウロイに挑発行為を行っている時点で、彼の天秤は傾いたのだ。

 

 

ライフル弾が飛んできたであろう地点に到達した蟻型だが、肝心の敵が居ない。これはどうした事かと周りを見渡すが、近くにヘルメットが見える事に気付く。それは塹壕の中から少しはみ出ていた。

恐らくそこに敵は居るのだろう。頭部に装備されている自慢の主砲を向けようとするが、射線が通っていない。仕方が無いので、少し前に出て撃とうと前進する。

 

その時蟻型の、昆虫の関節肢に良く似た金属仕掛けの脚が細い糸を引きちぎった。

 

 

その瞬間、蟻型の足下が爆発した。

 

一つ脚が吹き飛び、他の脚はあらぬ方向を向き、姿勢を崩して倒れ込む。直ぐに体勢を立て直そうと足掻き始める蟻型の頭上に、何かが落ちてきた。

それは、集束手榴弾と呼ばれるものであった。

 

 

それを見て、樹上に身を潜めていた兵士は、笑っていた。

 

 

 

 

はっきり言おう。

あの奇襲作戦は完全に失敗だった。致命的にだ。

自分は、いつから(・・・・)ネウロイが(・・・・・)単独で(・・・)行動すると(・・・・・)思い込んだ(・・・・・)のだ?(・・・)

余りにも思慮が欠けた、向こう見ずで軽はずみな行動のツケは、砲弾によって身体が消し飛ばされる結末を自分に運んできてくれた。

 

次の瞬間には遠くで木が薙ぎ倒される音が響いている。略帽を被り直し、自分は迂回するルートを選択した。

一体を不意打ちで倒せたとしても、後続が爆発音に寄って来ることは、安くない授業料を払うことで学習する事が出来た。それは不幸中の幸い・・・いや、どこか慢心していた自分に対しての戒めになるだろう。

 

ウィッチでも、航空機でも、機甲戦力ですらない自分が出来る事、出来ない事をしっかり弁える事が大切である。手持ちのライフル銃は注意を引く事が出来るかどうかの豆鉄砲で、集束手榴弾は小型ネウロイには有効だが、それ以上のネウロイになると途端に力不足だ。

 

可能性が有るとすれば、歩兵が携行出来る対戦車兵器。無反動砲の類だが・・・未だにこの世界では生産されていない。恐らく試験段階ものは存在するだろうが、実用化はまだ遠いと思っている。

 

 

途中で森を抜け、ひたすら平野が広がる区域に突入した。穏やかな稜線が続くこの場所は、農業には適しているだろうが、自分にとっては都合が悪い。

見晴らしが良いという事は、身を隠す場所が無いし、射線も通り放題だ。ここで襲われたら一溜りもない。だが、回り道をしている暇もない。何故なら直接ネウロイに追い掛け回されているというより、瘴気が迫って来ているのだ。

 

森林地帯から一歩足を踏み出す。行動しなくては何も始まらない。無為に死ぬのなら、少しでもこの平原の情報を得てから死ぬべきだ。

 

 

背の低い雑草に覆われたこの平原は、風に揺られてさわさわと快い音を辺りに響かせている。その中を、土を踏みしめながら自分は歩み、進んでいた。

 

この平野に侵入してから暫く経つが、危惧していた事態は未だに訪れていない。

そしてこれまで歩いていてわかった事に、小規模な森林地帯が途中途中に存在している事、というものがある。自分はそれを知って少し安堵していた。

もし途中でネウロイに襲われても、そこに逃げ込める事が出来れば、元々の確率が低過ぎる事も相まって、生存率は跳ね上がるだろう。

 

さわさわ、さわさわ。そんな音が、荒んでいるのかそうではないのかすら分からなくなった心に少しずつ染み込んでくる。

戦場と薄皮挟んだだけのこの場所は、そんな血みどろな事象は知らないと言わんばかりの態度だ。知らず知らずのうちに、自分はここを気に入り始めていた。扶桑にも似たような場所があったからだろうか。

 

脳裏に浮かぶのは二人の少女。自分は保護者の様な立ち位置にいつも居た。楽しげにここに似た、平原で駆け回る二人を見守り、時には二人に見ているだけではつまらないよと、引き摺り込まれていたっけ。

 

・・・二人には、親友達には出征する事を、自分は言わなかった。

言えなかった。心配掛けさせたくない、なんて勝手な考えで、黙ってここに居る。

 

 

風で草が揺れ、波のように動いているのを見ながら、昔を思い出す。

 

 

余り意識していなかったが、自分の二人の親友は、どうやら家が裕福らしい。地主・・・というものだ。

対して自分の家は小作人、貧乏人だ。この扶桑という国は日本に似通っているが、こんな所まで似てなくてもよいだろうに。

 

21世紀の日本からは想像も出来ないだろうが、戦前の日本は凄まじい格差社会だった。そしてそれを是正する社会保障制度もない。その格差は貧乏な小作人の娘の身売り、一家心中、なんてものが社会問題になる程度には激しかった。

実際、自分の家も月単位で貧相な食事が続いた時もあった。悪いと食事すらない事も。

そんな時、どこからともなく、いつの間にか隣にニコニコしながら座っていた親友達が自分の肩を叩いて、快く食べ物を分け与えてくれた事を、自分は忘れる事は出来ないだろう。

扶桑に帰って、給金を与えられたら、親愛なる親友達に様々なお返しをせねばならない

 

自分が若くして軍隊に志願したのも、口減らしという側面を持っている。そして、衣食住が保証されているという事も決め手だった。軍隊というものは、社会のセーフネットも兼ねているのだ。

もし平時であったら年齢的に考えて、自分が軍に志願したのはあと数年後だっただろう。だがある事件が起き、徴兵年齢は引き下げられた。

 

扶桑海事変。

 

それは大陸との間にある内海で終結したネウロイとの戦争で、それによって損耗した人員を国は補填しようとしたのだ。一年以上の期間に及ぶ、国家の総力を上げた総力戦の爪痕は、未だに残っているのだ。

ぎりぎり引き下げられた徴兵年齢に適合する年齢だった自分が、志願した後に前世の知識で座学の面において高い評価を得た為に、カールスラントに送られるとは・・・あの時は思いもしなかった。・・・本当に。

 

・・・帰りたいと思う。記憶の中の親友達は暖かい光を放っていて、また会いたいと思う気持ちが溢れてくる。ネウロイから地べたを這って、泥まみれになり、なりふり構わずに逃げ出す今の自分と対比して、とても眩しく思う。

 

あぁ、早く帰れないものかーーー

 

 

また森林地帯に辿り着く。平野を振り返り、そして、前を向く。感傷に、郷愁に浸っている暇はない。そんなのは後回しだ。

 

自分は一歩踏み出した。

 

 

今自分は洞窟の中に居る。辺りが暗くなってきたので、今夜はここで休息をとることにしたのだ。

腰の小物入れから紙袋に包まれたリベリオン製のクラッカーを取り出し、口に含む。・・・やはり、クラッカーは口の中が乾燥するのが難点だ。中身が心許なくなってきた水筒の水を飲んで、そんな事を考える。

 

手帳を取り出し、今日の日記を更新する。内容は少々感傷的であった。

 

懸念材料であった風邪は治った。余り食糧に余裕がないから、今日はもう動かずにじっとする事に決めた。ゴツゴツした壁面に背中を合わせ、立てた膝に頭を預けて目を閉じる。夢くらい、良いものを見せて欲しいものだ。

 

 

 

 

透明感のある金色が目に入る。まさか、そんな、そんな筈はない。

ここはもう既にクリアした筈だ(・・・・・・・・・・・)。目の前に倒れ伏す金髪のウィッチに思考を乱される。一体全体、どういう事だろうか。

 

ここであった事を思い出す。最後の成功例までの失敗例を。

倒れていた金髪のウィッチの前で情けなく助けてくれと体を丸めて泣き叫んだ事も、放心して座り込み、瘴気に呑まれて血反吐を吐いて苦しみ抜いて死んだ事も。腕が、足が、千切れ、吹き飛ばされた事も。

 

進んで、殺されて、進んで、殺されて。

 

それまで数回死んでいた段階で、壊れ掛けていた心が、完全に粉砕された。

粉々になって、取り繕う事すら出来なくなった心が回復するには容赦の無い荒治療が待っていた。"慣れ"という現象が起きるまで自分は死に続けた。

 

何時からだろうか。体が震えなくなったのは。

何時からだろうか。死ぬ事に余り忌避する事がなくなったのは。

 

自分には分からない。分かるのは、自分の大事な何かが変質し、二度と元には戻らないだろうという事。

 

 

だがその事実を、今の自分はそんな事だと言えてしまう。

 

・・・後悔があった。それは最初に金髪のウィッチを見付けた際に、助けようとしなかった事。

彼女の助けを初めて借りた時から、自分は自身がどんな選択をしていたのかを自覚した。兵士として、その選択は絶対にしてはならなかった事も。

 

自分の命すら保証出来ないから?運びながら逃走するのは不可能だから?

 

・・・そんな事は(・・・・・)、関係ない。自分が犯した過ち。それは自分しか知らなくても、自分は自分を許す事が出来ない。

罪悪感が、自責の念が、胸を焦がすのだ。彼女の顔が脳裏を過ぎる度に。だから、自分は二度と同じ事はしないと約束した。他でもない、自分自身に。

 

・・・自分は何処までも、自分本位だ。

 

 

夢を夢と自覚するのは、何時も起きてから少ししてからだ。

起き抜けの脳は機能が著しく低いし、夢と現実の区別すら出来ない。

重い腰を上げ、固まった体をよく解すように動き出す。体の各所の筋肉が解れていく感覚が心地良い。・・・最近、まともに横になって寝れていない気がする。

 

薄暗い洞窟から這い出て、陽の光を浴びる。小鳥の鳴き声が小さく聞こえてきていて、本当にここが戦場であるのかという疑問すら浮かんでくる穏やかさだ。

手帳の地図を見ながら、今日のルートを確定する。予定では、今日中には味方陣地に辿り着く筈だ。

 

あともうひと踏ん張りだと自身に気合いを込め、歩き始めた。

 

 

鬱蒼とした森の中は視界が余り良いとは言えず、死角が多く存在する。射線を遮る障害物である樹木が群生しており、自分にとってとても都合の良い環境と言えるだろう。

 

鳥の囀る声が微かに聞こえてくるが、彼等は瘴気を吸ったらどうなってしまうのだろうか。鳥だけじゃない、虫や微生物、魚はどうなのだろう。

もし、死んでしまうとしたら、今ネウロイに占領されている地域は、生き物の存在しない、死の領域と呼べるだろう。

 

瘴気は、分類するなら生物兵器か化学兵器の一種だ。

吸引すれば死に至る、ガス状の物質。そんなものがバラ撒かれているのなら、もしネウロイから占領地を取り戻しても、復興は時間が掛かるだろう。土壌や周辺環境を形作っている生物が死滅するという事は、そういう事なのだ。

生き物を殺すなら爆弾や機関銃よりも、毒物やウィルス、細菌の方が手っ取り早く、効果的だという事はスペイン風邪、ペスト等が証明している。

 

瘴気について考えていると、遠くからエンジン音が聞こえてきた。

恐らく航空機のエンジン音で、此方に接近してきている。

その時だった。急に辺りが暗くなったのだ。これは一体、どういう事だろうか。上を見上げると、答えは出た。

 

 

ーーー巨大なネウロイが我が物顔で、上空を席巻していたのだ。




お金持ちの幼馴染って響きいいよね・・・


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そうぐう

そろそろウィッチを頻繁に出したいところ


その余りの大きさに、思わず動揺する。

前に街で見たものよりも大きい。彼方に光線を照射しており、煌めく光は綺麗である。

姿は視認出来ないが、エンジン音がする方向に撃っているので、航空機を攻撃しているのだろう。幸いにも、自分には気付いていない。気付かれたら終わりだ。

 

ネウロイは急に爆発し、バランスを崩す。どうしたのだろうか。

その時やっと自分は、ネウロイを掠める様に飛ぶ航空機を視認する。そして、ネウロイに何が起こったのかを理解した。

 

爆弾だ。爆弾を空中目標に当てたのだ。素晴らしい腕のパイロットだ。思わず賞賛の言葉を叫ぶ。

 

バランスを崩したネウロイは高度を落とすが、それでも未だに飛行を続けていた。破損した部位も修復を始めているのか、少しづつ下がった高度が上がっているように見える。

 

そこに追加の爆弾が加わった。

ネウロイは頭を押さえ付けられているかのようにまた高度をガクンと落とし、そこにまた爆弾を投下され、完全に飛散した。あんな巨大な物体が急に姿を消すと、やはり戸惑ってしまう。

 

そのまま、航空機隊は去っていった。

 

・・・見入っている場合ではない、早く移動しなければ。

 

 

森林地帯を脱し、道沿いを歩いていると、燃え尽きた戦車と装甲車、トラックの残骸が放置された場所を見付けた。その周りに黒い塊も転がっていた。脱落した部品だろうか。

使えるものは無いのかと、戦車のハッチを開けた自分は、すぐに後悔した。中にあったのは、炭の塊だけだった。原形を保っていた歯と、炭に埋もれるように存在していた指輪だけが辛うじて、この炭の塊が何であったのかを物語っていた。

 

車両の周辺転がっている黒い塊の正体も自動的に理解してしまった。

ここに使えるものは無いだろう。全て燃えてしまっている。

そう判断し、自分はまた歩きだした。

 

 

やっとの事で、地図に示された味方陣地の傍までやってきた。

車両のエンジン音や、砲撃音が周囲に響き渡っており、中々に賑やかだ。歩哨に立っていたカールスラント兵士に扶桑軍の場所を教えてもらい、上官の元へ向かう。

 

恰幅の良かった上官は居なくなっており、痩せ気味の上官に取って代わられていた。自分の所属している部隊と名前を呼ぶと、机の上に置いてあった資料を眺めていた上官は、驚いたように自分を見た。

 

 

なんでも、自分は戦死扱いにされていたようで、本国の家族にもそう通達されてしまっていたようだ。

 

二階級特進の取り消し申請が面倒だとボヤく上官に、前に居た恰幅の良い上官はどこに行ったのかと聞いた。撤退の際にネウロイの光線が直撃して、跡形もなく蒸発してしまった・・・らしい。惨い最期だ。

 

上官に敬礼してからその場を立ち去り、次はまともな食事を受け取りに炊事班の元に向かうと、奇妙な光景が広がっていた。

手をつけられていない、食事が幾つもあったのだ。余分に作ってしまったには量が多過ぎる。疑問に思った自分は、近くに居た炊事兵に話を聞くことにした。

 

 

炊事兵曰く、いつも通りの量の食事を作っただけらしい。

狐につままれた表情で、現実感が無いとも言っていた。ネウロイの襲来があったと知らされ、その後に食事を用意したらしいのだが、この大量の手をつけられていない食事が残されたと。

 

一皮挟んだ向こうに広がる狂気が、消費する存在が居ない食事という具体的な事象をもって、炊事兵に突き付けられたのだ。

 

 

自分は歩哨に配属され、警戒に当たっていた。既に辺りは暗く、サーチライトが地面を照らしている。

多少緊張する心身とは裏腹に、その日は何も起きず、自分は久々に横になって眠る事が出来た。

 

 

鳴り響く警報音、慌ただしい周囲。けたたましい砲声、重厚な起動輪が履帯を噛む音。連続した機関砲の発砲音。

その全てが、叩き起された自分の意識の覚醒を促してくる。

 

仮設されたベッドから飛び起き、小銃を手に持って外に飛び出す。

高射砲や野砲が水平射撃を敢行し、小柄な対戦車砲がそれに続く。連なった砲撃音は、容赦なく鼓膜を叩いてくる。起き抜けの頭には、少々厳しいものがあった。

 

ふらつく頭を抑えながら、配置へ駆け出す。塹壕に入り、機関銃を構える。短連射で確実に当ててゆくが、倒せる事は稀だ。

高速で飛来した砲弾が着弾する時の竦み上がるような金属音が辺りに響き渡る。蟻型が爆散するが、奥から次から次へと押し寄せてくる。

機関砲が上空目標を狙っているのか、曳光弾の軌跡が上空へと伸びていた。文字通り上へ下への大騒ぎだ。航空戦力と地上戦力が同時に襲来したのだろう。時折、光線のようなものも見掛けた。

 

どんどん処理しきれなかったネウロイが接近してきて、機関銃や砲弾を乱射し始める。制圧効果の高い攻撃に、思わず怯んでしまう。

 

その時、戦場に似つかわしくない、高い声が聞こえた。

塹壕から少し頭を出し、後ろを見る。そこには足に厳ついユニットを履いたウィッチが並んでいた。手に持った小さな対戦車砲のようなものを発射すると、蟻型ネウロイがあっさりと爆散する。知ってはいたが、魔法力とやらはネウロイのあの光線並に出鱈目なものらしい。

高射砲クラスの砲撃を、歩兵が扱えるレベルの火砲で再現しているのを見ると、そう思えて仕方がない。それに、筋力等も強化出来るなんて、見えないパワードスーツでも着込んでいるのと何ら変わりがないだろう。

 

戦闘はまだ終わらない。

 

 

穴を掘り、そこに死体を投げ込む。次に燃料を投入し、火をつける。

遠い昔に聞いた話だが、人肉の焼ける臭いは臭くなく、髪の毛や爪が燃える臭いが臭いのだと聞いた記憶がある。

それが事実なのか、それとも違うのか。燃える際の余りの臭いに、鼻が曲がってしまっている今でも分からない。

 

死体はすぐさま焼却される。後方に送っている余裕などなく、伝染病を防ぐ為だ。

それをする時は無感情に、無関心に、死体を穴に投げ込まなければならない。臭いが鼻腔の奥まで染み付き、自分はこの臭いを忘れる事は出来ないだろう。

そこから少し離れた所で、ウィッチ達が休息をとっていた。全員が体のあちこちに生傷が出来ており、気疲れした様子と相まって、かなり印象的に自分の目に残った。

 

先程の戦闘は彼女達が居なければ敗北していただろう。戦車並みの火力と、歩兵と同じくらいに小回りが利く彼女達は、戦線のあちこちで支援、カバーに回っていた。

 

心の中でウィッチ達に感謝を呟きながら、自分自身も休息をとる。今回の戦いで、何人死んだのだろうか。周囲は重苦しい空気が充満し、なんとも言えない嫌な気持ちになる。

そんな風に考えていると腰に衝撃を感じ、下に目を向ける。

 

そこには、少女が居た。自分の周りに配給のクラッカーの袋が散らばっており、駆けている時に自分とぶつかった事が容易に想像出来た。

大丈夫かと声をかけながら、散らばった袋を集め、尻もちをついていた少女に手渡す。そして起き上がるのを手助けする為に、手を伸ばした。

伸ばした手は確りと彼女の小さな手を掴み、引き上げた。

 

ありがとう。そう一言言った少女はそのまま走り去って行ってしまったが、可愛らしい見た目に似合わない生傷の多さから、彼女もまた、一人のウィッチであるのだと考えると、やるせなくなる。

子供が、少女が、命を張らなければ、この戦線は維持する事すら困難だという事実に、打ちのめされそうになるのだ。こんな戦争が無ければ、あの少女も友人と一緒に、平和な街で平穏に、幸せに、過ごせていただろうに。

 

自分もまた、母国で平穏に暮らせていただろう。

 

この戦争は早く、出来るだけ早く終わらせなければならない。そう強く思わせる出来事であった。

しかし現実は、軍の敗走という形で自分を物理的に打ちのめしてくる。

 

虚無感というものか、この虚しい気持ちは。空回りするだけで、実を結ぶことがない。自分は役に立っているとは言い難いし、死から逃れる事で精一杯だった。

少し自己弁護するが、それに関しては仕方がないと思っている。あんな恐怖を体感したら、誰だって逃げ出したくなるし、こんな事すら考える余裕も無くなってしまうのだから。

 

あの小さい手の持ち主の方が、余程戦線の維持に役立っていると考えると、自分は何故ここに居るのだろうとも考えてしまうのだ。自分なんて居てもいなくても変わらないのではないのか、なんて。

実際、自分がいなくても戦線の維持には全く影響は無いし、戦争の大局にも影響は無いだろう。なら何故、自分はここに居るのだろうか。

そんな事を考え始めたら、堂々巡りで永遠に答えは出ない。いや、答えは出たが、自分を納得させるには余りにも現実的過ぎた。

扶桑の義勇軍として送られたからだ。それだけだ。

 

つまり自分は、戦争が早く終わって欲しい、それどころか終わらせなければならないと考えているのにも関わらず、ここに自分がいても意味が無いから、早く母国に帰りたいとも考えているのだ。

いや、こんな地獄から早く抜け出したい、平和で思い入れのある故郷でゆっくり過ごしたいとも考えているだろう。

 

だが、それではいけないのだ。ウィッチ達を横目に見ながら、少し自己を矯正する。兵士として給金を受け取っている以上、責任を果たす義務がある。大人として、子供を助ける義務がある。そのように理論武装しなければ、自分の士気を鼓舞する事は不可能だし、怠惰で脆弱な精神に鞭打つ事も出来ない。

基本的に自分は楽観的で努力を嫌い、自分さえ良ければいいと考える人間である。

自分は自分を信用してはいけないのだ。自分程信用に値しないものは存在しないだろう。自分に甘い自分なら尚更に。

 

だが、組織的な抵抗が出来なくなったら直ぐに退却する事は容認しよう。自分一人で出来ることなどたかが知れていて、そこで無駄死にするよりかは、別の場所で戦った方が良いのだから。それに、好き好んで死にたいわけでは無い。

 

 

塹壕の前に広がる鉄条網とチェコの針鼠。その合間に、手押し車に満載された対戦車地雷を敷設していく。

地雷自体もかなり重量があるのに加えて、土を掘り起こし、腰を折ってそこに丁寧に埋めていく作業は中々に骨が折れる。

 

対戦車地雷の感知重量はかなり鈍感に設定されており、人間が踏んでも起爆しない。蟻型クラスか戦車でもない限り、信管が反応しないのだ。なので作業中の危険性が低いのが唯一の救いかもしれない。だが、大量の爆薬の塊であることに変わりはないので、気を付けて扱う事に越したことはないだろう。

 

地面と向き合って作業を続けていると、思わぬエンジン音に空を見る。低空を一機の偵察機が飛んでゆくのが見えた。その後、重砲のけたたましい砲声が響き渡り、遠方から爆発音が聞こえた。

それと同時に、警報が鳴り響き、地雷を満載した手押し車を後方陣地まで牽引しながら必死に戻る。

陣地内に手押し車を放置すると、直ぐに持ち場に向かった。

 

 

いつもと変わらぬ、蟻型とクラゲの群れであった。今回は航空戦力が居ないのか、上から特徴的な金属音は聞こえない。変わりに近接支援航空機が飛び回り、盛んに機銃掃射と爆撃を繰り返していた。

隣の塹壕から迫撃砲が軽い音を立てて発射され、蟻型の頭部に直撃して一撃で屠っていた。当たりどころが良かったのだろう。しかし、自分の手に有るのは機関銃のみ。

 

タタタン、タタタン。発砲と同時に肩に当たっているストックが反動を体に伝えてくる。飛び出した弾丸は火花を散らしながらクラゲに着弾し、ふらつかせ、行動を封じる。その近くに居た蟻型が自分を狙って発射した砲弾が近くの地面を直撃し、土を掘り起こす。散らばった土をモロに被るが、そんな事を気にしている暇はない。

 

後方から聞こえた高い声と小さな砲声と同時にクラゲと蟻型が爆散し、心の中で少女達に感謝する。どうやら今回は攻勢を防げそうだ。

 

 

「きゃあ!」

 

土の色とは違った、こげ茶色の髪の毛が目の前に広がる。

 

小さい悲鳴と共に、塹壕の中に足にユニットを履いた小柄なウィッチが突っ込んで来た。幸いにも、ちょうどその着地点に自分が居たお陰で、少女は硬い地面に叩きつけられる事はなく、自分が受け止める形になった。

 

何分咄嗟だったものだから、受け止め方も選んでられなかった。自分の胸の辺りに少女の頭が来る形になる、つまりは正面から抱き締めた。かなりの重量を誇るユニットに足を潰され、悲鳴を上げそうになるが、気を失っている様子の少女の顔を見てしまっては、そんな事も出来ない。足を引き抜こうとするが、ユニットは少し動くだけだ。力を思い切り込めて両足で蹴飛ばすと、少女の足もユニットからすっぽ抜けて、蹴飛ばした反動で自分と一緒に塹壕の奥に跳んでしまう。

 

背中に走る衝撃。肺から空気が抜け、それに伴って痛みを感じるが、反射的に腕の中の少女をかき抱いた。自分も、少女も無事だ。その事に多少の達成感を感じながら、立ち上がる。

 

少女はいつの間にか目を覚ましていて、口を半開きにしながら、穴があくほどに自分を見ていた。瞳の色は、澄んだ髪の毛と同じで、こげ茶色だった。自分の周囲を警戒する、泳いでいた目線が少女の目を覗き込み、目が合った。

 

 

ーーーそして、彼女が口を開く。




書き溜めが無くなったので、次の更新も遅めです


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ぼーい みーつ がーる

次も期間が空くと思います。


戦場の真ん中で、周囲の喧騒を忘れて抱き合っている兵士とウィッチが居た。

兵士は青年と言うには幼く、少年と言うには歳をとっていて、目付きが少々悪い。似たように、ウィッチは少女と呼ばれるが、幼いとは呼ばれないであろう風貌をしており、こげ茶色の髪の毛が近くで起こった爆発の爆風で揺れていた。

 

「ありがとう」

 

少女の口から、やっとの事で絞り出したといった様子で言葉が出る。

 

「礼には及びませんよ」

 

兵士が少女を抱き締めていた手を離し、直ぐに敬礼をする。ウィッチは階級が最初から軍曹から始まり、一兵卒に過ぎない彼からしたら、全員上官に当たる存在なのだ。

敬礼を解くと、兵士は近くに放り出されていた機関銃を壁に立て掛け、ユニットを引き摺って少々放心しているように見えるウィッチの前まで運ぶ。

 

放心している・・・というよりは、兵士をじっと見詰めているというのが正しい。背筋に少々薄ら寒いものが駆け上がるのを自覚しながら、兵士は自身が何か粗相をしてしまったのではないのか、受け止めた時の対応が良くなかったのではないのかと、不安に思い始めた。少女がずっと無表情であったのが、その不安に拍車をかけた。

 

そんな不安をよそに、目の前に運ばれたユニットを履いたウィッチは魔導エンジンを再始動させ、塹壕から出ていった。その時も首を動かし、眼球を動かし、ずっと兵士の事を見ていた。

 

 

少々不味い事になった。あぁ、もしかしたら、あのウィッチに目を付けられたかもしれない。もしそうなら、それは余り良くない事だ。彼女達は基本的に自分にとって上官であり、上の存在だ。いや、それが好意的なものであれば構わないのだが、逆の場合の方が圧倒的に多いだろう。多感な思春期の少女の機嫌の取り方など自分は知らない。知っているのは、親友の機嫌の取り方だけだ。かの親友達は多少の誉め言葉で機嫌を取れていた。

 

しかし・・・気にしていても仕方が無いだろう。自分の思い込みという可能性も高いし、気にしてどうこうなる事でもない。今はこの戦いが終わるまで集中する方が重要だ。

 

 

腕を組んで悩んでいたのが悪かったのか、塹壕の中に綺麗に砲弾が降って来て、自分は死んだ。もう慣れてしまった多大な悪寒や恐怖感を再体験しながら、塹壕から飛び出す。

 

あの少女は見えなかった。見えるのは残骸と化した高射砲や戦車、機関砲だけであった。

背後で爆発音がする。塹壕内から漏れ出した熱風が頬を撫で、少々戦場から離れていた自分の心を引き摺り戻した。塹壕に戻ろうにも、熱くて戻れない。

 

ネウロイが居る方向を見ると近くに居る数体の蟻型が、航空機からの機銃掃射で地面に釘付けにされていた。

これは幸いだ。そう思い、自分は別の塹壕に駆け出した。滑り込んだ塹壕は、積み上げられた土嚢の一部が爆発によって抉り取られており、数人分の死体が散らばっていた。その隣の円形に掘られた塹壕では血濡れになりながらも、兵士達が迫撃砲を撃ち続けていた。

 

右手で双眼鏡を持って弾着観測をしている兵士は、左腕の肘から先が消失しており、止血をしている布からボトボトと赤黒くなった血液が垂れ落ちていた。長くは持たない事が分かっているのか、既に彼に怪我を気にする様子は無い。

 

位置の誤差を報告し、正確な座標を指示する。そんな作業も、血液の急激な喪失によって不可能になる。崩れ落ちて血溜まりに沈んだ兵士から確かに、手渡しで双眼鏡を受け取り、作業を引き継ぐ。確かな光を秘めた瞳が自分の視線と交差し、僅かな煌めきを自分に伝えて、掻き消えた。

瞼を閉じてやり、弾着観測の作業を引き継いだ。胸の中は虚無感に溢れ、ネウロイの接近を双眼鏡によって間近に感じ、同時に切迫感に襲われる。鉄臭い塹壕の中で作業を黙々とこなす事で、それ等を誤魔化そうとするが、誤魔化せない。視覚に大々的に現れるネウロイの存在が、それを許さないのだ。

 

感情的に叫びたくなる、それを抑える事が出来たのは、単純にそんな事を言える余裕が無かったからだろう。常に変化する座標の指示に忙しく、口は罵詈雑言を吐き出す余裕が無い。

 

心の中が空虚にも関わらず、周囲から重圧を感じるという不思議な感覚に襲われながら、ネウロイと戦い続けた。

 

 

ネウロイの攻撃は防げたが、多くの犠牲を要した。あと何回防げるかは分からない。兵士達の間に蔓延する空気は最悪で、自分はとっとと一人きりの塹壕に戻っていた。些細な事で諍いが起きたり、シェルショックの症状を示している兵士達を見るに堪えなかったからだ。手帳に今日あった出来事を書き記していると、上から少量の土が零れ落ちてきた。

 

塹壕の壁の一部が崩れてしまっているのかと、土が落ちて来たであろう方向に胡乱げな視線を向けると、そこには土とは違った色合いの茶色があった。

 

ユニットを履いたあの少女が居たのだ。

 

急いで身だしなみを揃えて敬礼する。

相変わらずの無表情で自分を見詰めていた少女だったが、何を思ったのか、重厚な音を立てて塹壕に降りると、ユニットを脱いで弾薬箱に座り込んだ。

自分が椅子代わりにしていたのを見ていたのだろう。

 

そして、此方を見上げて手を動かしていた。自分の予想が間違っていなければ、隣に座れというジェスチャーだ。

恐る恐る座ると、自分を見ていた少女は、何故か自分の方ではなく、目の前の剥き出しの土を見るようになった。時折視線を投げ掛けて来るが、直ぐに前に視線を戻してしまう。

 

自分は今、少々混乱している。何故少女がここに来たのか。何故隣に座っているのか。何故一言も話さないのか。疑問は尽きない。

 

緊張で口の中が乾燥していくのを感じながら、どうしてここに来たのかを聞いてみた。

すると、返事は至って簡潔。"なんとなく"だそうだ。意味が分からない。なんとなくで土臭い塹壕に入り、そこで座り込むだろうか。

 

ポスッと軽い音を立てて、自分の腕に何かが掛かった。少女のこげ茶色の頭が腕に見える。どうやら、自分は少女に寄り掛かられているらしい。

 

突然の事に驚きつつも、その直後に聞こえてきた微かな寝息のお陰で、状況を把握する事が出来た。

先程の戦闘で疲れているのだろう。自分の元にやって来たのも偶然で、休息出来る場所を探していただけなのだろう・・・恐らくは。

実の所、自分も結構疲れている。腕に確かな重みを感じながら、壁に背を預けるとあっという間に眠気に襲われ、そのまま目を閉じた。

 

 

小さく土を掘り返し、重々しい金属音を響かせるユニットを履いたウィッチが二人、行方が分からなくなった一人の仲間を探していた。

 

「全く、どこに行っちゃったんだろう」

 

「あいつの放浪癖は今に始まった話じゃないだろう」

 

「でも隊長、こういう時にネウロイが来たら・・・」

 

「その時はその時さ」

 

塹壕や物陰を覗き込んだりしながら、黙々と探し人を探していく。

 

「・・・見つけた」

 

「本当ですか!隊長!」

 

「しっ・・・静かに」

 

騒ぎ立てるウィッチに、片割れのウィッチが指を口に当てて制止する。そしてそのまま無言で、ハンドサインで目の前にある塹壕を覗き込むように命令した。

 

そこには、塹壕に身を寄せ合うようにして寝ている二人の男女が居た。少年は塹壕に背を預け、少女は少年の肩に寄り掛かって。

 

隊長と呼ばれたウィッチはユニットを脱ぐと、塹壕に入ってそこに落ちていた何かを拾いあげ、部下に見せた。

 

「見ろ、この兵士の日記だ」

 

「隊長、勝手に見るのは良くないですよ・・・」

 

「そんな所に置いてるのが悪い」

 

隊長ウィッチは寝ている兵士を一瞥して、仲間のウィッチと中を盗み見始める。

 

「・・・扶桑語、読めるか?」

 

「少しなら」

 

肝心な事を忘れていた隊長ウィッチを呆れたように見ると、彼女は翻訳し始めた。

日記の内容は扶桑での生活、訓練に対する感想、その日にあった出来事が簡略に書かれていた。

 

「普通・・・ですね、うん」

 

「まだだ。こっちに来てからの内容が無い」

 

そう言うと隊長ウィッチがページを一気に捲る。今まで綺麗な文字で書かれたページから、急に雑に書かれたページがあった。

 

「ここからだ。ここから、こっちに来てからの内容だ」

 

そこからは今までの日記とは一変し、罵詈雑言と感情的な内容の記述が並んでいた。

 

「クソッたれめ、ネットやテレビで軍隊ってのがどんな職業なのかは知っていた筈だが、どこか楽観視していた。俺も勇ましいプロパガンダの影響を多少なりとも受けていたのかもしれない」

 

「ネットってなんだ?」

 

「・・・分かりません。網の事でしょうか?」

 

時折出てくる謎の単語に頭を悩ませつつも、翻訳を続けていく。

 

「ふざけた現象が俺に付き纏ってくるが、俺は物語に出てくる主人公なんかじゃあない、義憤に駆られる必要も、正義感に駆られる必要もない。断じてだ。だからか、あの上官である筈のウィッチに少々反抗してしまった。その際に自分自身の自尊心すら傷付けた」

 

「歳に見合わず、中々に語彙が豊富な様で」

 

「結構勉強したんですよ」

 

「いや、そこの兵士の事だ。まだ幼い顔付きをしてる」

 

「・・・扶桑人は全体的に幼く見えるらしいですよ。隊長」

 

「・・・そういうものなのか?」

 

 

自分が目を覚ますと、肩から仄かな暖かさと確かな重みを感じた。彼女は未だに寝ているのだろう。自分の場合は眠ったと言うより、気絶に近かったらしい。直ぐに目を覚ました。

 

塹壕から二人の少女の頭だけが見えていた。ここは戦場で、一般人は既に後方に移送されていて、つまり彼女達は軍人・・・ウィッチか。

カールスラントのウィッチだろう、扶桑人とは顔立ちが違う。

 

隣で寝ている少女の頭を自分の肩から背後の塹壕に移し、直ぐ様立ち上がって塹壕から飛び出す。敬礼して挨拶をしようとした時に、はっきり彼女達の姿が見えた。ウィッチの二人組だ。手には見慣れた手帳を持っている。

 

「落としていたぞ」

 

「え?・・・あ、ありがとうございます」

 

あっけらからんと手帳を手渡され、お礼を言う。・・・ん?何かおかしい、おかしいぞ。自分は塹壕の中で寝ている少女が来るまで手帳を持っていた筈だ。だから外に落としている、なんて事は有り得ないのだが・・・。

 

もしかして、彼女達が勝手に手帳の中を盗み見ていたのか?いや、それを証明する証拠は無いし、推定無罪だ。

そもそも中身を見られても、カールスラント人である彼女達では扶桑語は読めないだろう。そう結論付け、この件に関しては納得した。

 

その時、後ろでユニットの起動音がした。例の茶髪ウィッチがユニットを履いて起動させたのだ。そしてそのまま塹壕から出てきた。

二人のウィッチと一言二言言葉を交わすと、自分を少し見てから、三人でどこかへ歩き始める。

そのまま、彼女達は見えなくなった。

 

なんだったんだ、一体・・・。

 

 

 

 

 

「ねぇ、結局あの人って誰なの?」

 

隊長、と呼んでいた方のウィッチが、口を余り開かない茶髪ウィッチにしつこく聞いていた。これで六回目である。

 

「・・・知らない」

 

「え?知らないって・・・」

 

「知らない」

 

そう、何も、本当に何も知らない。

名前すら。だが、次に会った時は聞くつもりだ。次、次だ。会えないなんて事は無い。そういう運命なんだから。

 

 

 

 

自分は運命という言葉が嫌いだ。何故なら、運命なんてものは便宜的な確率論の言い換えに過ぎず、現実の物事は必然の連続で出来上がっているのだから。

 

あの茶髪ウィッチが去った後、またネウロイに襲来されながら、そんな事を考えていた。あのウィッチは一体なんだったのだろうか。

 

光線が目の前を薙ぎ払う。文字通り爆発四散した前線から、蟻型が雪崩込む。どうやらこの戦域の制空権は完全に失ったらしい。あちこちで光線による爆発が多発している。ここはもう終わりだ。

どのタイミングで後退しようか。

 

その時、丁度よく戦車や装甲車が前方から後退して来たので、その一つに同乗させて貰った。タンクデサントというやつだ。

自分が乗せてもらったのは短砲身型のIV号戦車で、ネウロイに対しては力不足になりつつある戦車であった。まだ成形炸薬弾を使えば対抗出来るらしいが、それも何時までもつのか分からないとキューポラから身体を出していたカールスラントの戦車長が語っていた。

 

ネウロイは日々進化している。しかしネウロイを研究している学者が言うに、彼等に知能は無いらしい。それは、ネウロイが戦術等を使わず、物量による飽和作戦しかしないからだからとか。

 

 

 

 

 

 

そんなわけあるか。そんな事を言っている奴はとんだ馬鹿野郎だ。

産まれたての人間の赤ん坊を見て"知能が無い"と言っているのと同じだ。どんな知的なものも、年月を経て賢くなっていくのは、人工知能や人間を見れば分かる事だろう。

その証拠にネウロイの形状は様々な形に及び、合理的な形状を模索している事は言うまでもない。

 

まぁ、そんな事を考えても意味が無いのだが。

 

最早前線の体を成していないズタボロの戦線は、後退命令すらまともに伝令出来ていないのか、散発的な後退が目に付く。

 

このままだと、人類が欧州から叩き出されるのは時間の問題だろう。どうしたものか。




ちょっとした設定。

クラゲ型ネウロイの強さは重機関銃を積んだジープ程度を想定しています。

蟻型ネウロイはT-34-76程度の強さを想定しています。

大型航空ネウロイはB-17程度の頑強さ、光線の威力はストライクウィッチーズのアニメのなんか凄い爆発の威力を想定しています。


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せっとく

戦線はずるずると後退し、今ではカールスラントの首都、ベルリンの手前まで来ていた。

 

先が見えない、敗走に近い撤退戦は、既に遅滞戦術に切り替わっていた。

 

カールスラント国民はブリタニアやガリア、ノイエカールスラント、リベリオン合衆国へと雪崩の様に移動を開始し、そしてそれを支援する為の作戦が近く実行されるとも。

 

作戦名は知らない。軍機に抵触するものなのか、それらしい名前を聞いた事は無い。それとも、ここまで情報が伝達されていないのか。

思わず空を仰ぐ。絶望的な、楽観視は出来ない状況でも、空は青く澄み渡っていた。

 

こうして空を見ていると、この世界に記憶だけが飛ばされた、あの日を思い出す。あの日見た空を、自分は忘れる事はないだろうし、こうしてたまに思い出すことだろう。

 

数回の敵の襲来、それに伴う防衛戦の後に後退、それを何回も繰り返している。勝利の糸口は欠片も見えず、ひたすらにその場しのぎの防戦をしているだけ。戦場に漂う雰囲気は最悪で、全ての兵士がやつれて、疲れた顔をしている。例外は、一部の元気満点なウィッチと配属されたばかりの新兵だけであった。

破壊された民家から掘り出した、割れた鏡で見た自分は見た目も顔色も普通だった。本当に普通だった。こんな状況でも、日常の延長線上に過ぎないとばかりの顔であった。

 

"慣れて"しまっていた。自分は、こんな状況に!

死亡した際に時間が巻き戻るせいで体感時間が常人の数倍であるせいか、非日常が日常になっている。扶桑へ帰った時、普通の生活をまた送れるのかどうか懸念してしまう程に。

 

自分は変わってしまっているだろうか。主観的な視点からでは、それは分からない。誰か教えてくれないか。

 

誰か。

 

歩哨の交代時間になったので、何個かのベッドの骨組みに薄い毛布を敷いただけの粗末な休憩所で寝転がり、目を閉じた。

別に眠い訳では無い。目を閉じて、思い出に浸るだけで大分楽になるのだ。色々と。

 

 

いつの間にか寝てしまっていたようだ。そう気付いて目を開くと、いつもよりも透き通った蒼色の空が自分を出迎えた。・・・いや、違う、これは・・・。

驚きで、心臓が飛び出るかと思った。空かと思っていたものは瞳で、至近距離に人の顔があったのだ。

 

「おはよう。久しぶりね!」

 

「あ?えーと?」

 

寝起きの頭は混乱し、碌な返事も返せない。綺麗に整った顔付き、軍帽が被されている肌触りの良さそうな金髪、光を反射して輝く蒼色の瞳。この少女は、彼女は・・・。

 

「あなたは、あの時の・・・」

 

「思い出した?なら結構!」

 

松葉杖を突いている少女が、自分の目の前に居た。かなり前、ネウロイに包囲されていた町から脱出する際に協力したウィッチだ。

あの時とは打って変わって、全体的に明るい雰囲気だ。というより殆ど別人と言っていいだろう。

 

「って言っても、あれからまだ数週間しか経ってないけどね。忘れてるわけないか」

 

・・・数週間?数ヶ月は経っているかと思っていた。主観的な時間感覚がおかしくなっている。死に過ぎて、巻き戻る時間のせいで、おかしくなっているのか。

手帳の日付を毎日見ている筈なのに、いや、見た後に何回も死んでるのか。

 

「その足は・・・」

 

「治癒魔法を使える子が新しく配属された部隊に居てね、治してもらってるの」

 

腕を組み鼻を鳴らしながら、自慢げに言い放つ。

 

「後方に下がった方がいいのでは・・・」

 

「これでも盾くらいにはなるんだから」

 

「もしもの事があったら・・・」

 

「大丈夫よ。それに、またそんな事があったら、あなたがまた助けてくれるじゃない!」

 

「困りますよ・・・」

 

彼女に対して負い目がある以上、自分としては出来るだけ接触は避けたかった。

 

「そういえば、まだ名前を聞いてなかったわね」

 

「名前ですか?」

 

「そう、名前よ!あなたの名前!教えてよ」

 

そう言って勢いよく詰め寄ってくる彼女に気圧される。先程と同じ程の距離まで詰められた。

そしてそのまま自分の名前を言おうとした時。

 

「ーーー!」

 

風切り音による轟音で自分の名前は掻き消され、聴覚が麻痺する。

 

だが身体は既に、動いていた。

 

世界が途端に鈍くなり、思考が冴え渡る。この感覚は、鈍い死の感覚だ。火元に手を近付けると熱を感じる様に、死に近付くと特有の感覚を感じるのだ。それと同時に、生命の危機に瀕しているぞという刷り込みにより、脳内麻薬の過剰分泌が行われ、それによって脳が異様に活発化する。ゾーンや火事場の馬鹿力と呼ばれるものだ。

 

この二つの能力は、最近身に付いたものだ。

能力と言うと少々語弊があるかも知れない。自分自身が意図して身に付けたものでも、操作出来る訳でも無い。かの有名なパブロフの犬のような、条件反射に過ぎないのだから。

しかし、それ等があっても、何回も失敗し、やり直さなければならないのが現実だった。全くもって嘆かわしい。

 

視界の隅に映った砲弾の位置を確認し、目の前の少女を引き倒してそのまま砲弾とは逆方向に転がる。

 

彼女の怪我をしている部位に配慮している暇はない。申し訳ないが、我慢してもらうしかない。

直後、爆発があった。一発二発ではない。この前線全体で砲弾が着弾していく。

 

「大丈夫ですか!」

 

爆発音に負けないように、少女に呼び掛ける。

 

「いきなりなんなの!?」

 

「ネウロイの砲撃です!」

 

砲撃の後には必ずネウロイが攻めてくる。これは最早合図のようなものだ。その戦術はWW1の戦闘を彷彿とさせるものがある。

 

背中に異様な熱源を感じる。

背中に手を回し、確認すると、ぐっちょりとした液体が手に着いた。

顔の前まで持ってきて、手の様子を確認する。

 

「クソが・・・」

 

「その手どうしたの!?」

 

「大した事はありません。気にしないで下さい」

 

「気にするわよ!」

 

手にべったりと付着した血液が、背中の異常を示していた。砲弾の破片に切り裂かれたか。だが背骨に損傷があるわけでもなく、内臓が傷付いていることもなさそうだ。致命傷じゃない。

上着を脱ぎ、背中の怪我があると思われる場所をきつく縛る。止血を終え、少女に向き直る。足は大丈夫だろうか。

 

「足は大丈夫ですか?」

 

「大丈夫よ、そんなヤワじゃないわ。それよりも、あなたの方が大丈夫なの!?血が、血が出てたじゃない!」

 

「大丈夫です、少し切ってしまっただけですよ」

 

その後もしつこく自分の安否について確認してくるので、のらりくらりとそれに答えていると、

 

「・・・ええい、黙って私に付いてきて!」

 

「いえ、自分は配置に就かなくては・・・」

 

「あなた、階級は?」

 

「上等兵です」

 

「私は少尉!私の方が偉いのよ、従いなさい!」

 

「了解しました!」

 

士官だとは思っていなかった。姿勢を正して返事をする。

 

「よろしい!」

 

近くに投げられていた松葉杖を回収し、手渡す。

 

「ちゃんとついてきてね?」

 

「了解」

 

歩くと同時に揺れる金髪をぼうっと見ながら、彼女の後ろをついて行く。周囲の爆発音や怒鳴り声が何処か遠くの音に聞こえて仕方がない。

 

暫く歩いた後、赤い十字が描かれたテントの前までやってきた。

 

「ここよ、入って」

 

薬品や血の臭いで溢れていたそのテントの中には、重軽傷者がすし詰め状態で押し込められていた。そんな中で獣耳を生やしながら、担架で運ばれてきた兵士に治癒魔法を行使しているウィッチに、少尉は話し掛ける。

 

「怪我人よ、診てくれる?」

 

「分かりました」

 

治癒魔法を行使していたウィッチは、あっさりと患者を見捨てて、自分の方へとやって来た。その際に自分は近くの丸椅子に座らされた。

 

それもそうか。彼女が治癒していた兵士は、見た目の傷と出血量的に、人員も設備も足りていないここでは助からないのは明白だったからだ。トリアージというやつか。

自分もあんな感じになった事があるが、数分と持たなかった。あの兵士も大量の失血で直ぐに死ぬだろう。

 

「失礼」

 

ウィッチは小さく断りをいれると、自分の背中の傷を診察した。

 

「・・・もう少し遅かったら確実に死んでましたよ。クリューガー少尉に感謝した方がいいです」

 

「止血はしていたが・・・」

 

「傷が深過ぎます」

 

ウィッチが背中に手を翳すと、傷口が未知の感覚に包まれた。痒いような、痛いような、不思議な感覚だ。

 

少しすると、ウィッチは治癒魔法の行使を止めて、包帯を巻いた。

 

「よし、これで大丈夫」

 

「ありがとうございます」

 

治癒魔法とやらは一体どんな原理が働いているのだろうか。

 

「少尉もありがとうございました」

 

「別に感謝される事でもないわ」

 

「では、自分は持ち場に戻るのでーーー」

 

そこまで言って立ち上がった所で、後ろから肩を押されて椅子に座らされる。

 

「大人しくしてなさい」

 

少尉の仕業らしい。

 

「ですが、命令が」

 

「死んだら元も子もないでしょう?」

 

「衛生兵の私からも、待機を命じます。傷が開いたら命にかかわる」

 

ウィッチ二人によるダブルアタックに、自分は屈するしかなかった。上官には衛生兵に待機しろと命令されたと言えば大丈夫だろうか。

 

「・・・分かりました」

 

「治療が終わったので外に出て下さい」

 

「了解」

 

少尉と二人で外に出る。

 

「それともう一つ」

 

「はい?」

 

まだ何かあるのだろうか。

 

「あなたではない。クリューガー少尉に」

 

「私?」

 

「その怪我で前線に出ないで下さい」

 

「嫌よ」

 

どうやら、少尉は独断で前線に赴いていたらしい。

 

「大人しく後方に移送されて下さい」

 

怪我を治してから、戦線に戻るべきだろう。

 

「そうですよ、少尉。・・・その足では、はっきり言って足でまといです」

 

自分がそう言うと少尉は俯き、肩を震わせる。

 

「分かってるわよ・・・」

 

「分かってるのよ!その位!でも・・・私は・・・私は!ここに、居なきゃいけないの!」

 

そう言うと、少尉は松葉杖を器用に使って駆け出した。

 

 

・・・ああ、ちくしょう。

俺の言葉が原因か。ならば行くしかない。行かなければならない。

 

それに続くように、自分も駆け出した。

 

 

少尉には直ぐに追い付いた。片足で走る人間と、両足で走る人間。どちらの方が速いかなど、言わなくても分かるだろう。

 

「少尉!少尉、待って下さい!」

 

「何!?」

 

少尉の肩に手を置き、静止を呼び掛ける。

 

辺りは味方陣地後方の無人地帯、話をするにはうってつけの場所だった。

 

「どうして、少尉はそこまでしてこんな場所に居るんですか」

 

肩を抑えられた少尉は走るのをやめ、その場に座り込んだ。

自分もそれに倣い、隣に座る。

少尉は頭を抱え、震えながら一言二言話し始めた。

 

「私は・・・私はね、一度仲間を見捨てたの」

 

「見捨てた・・・?」

 

・・・その言葉は自分にも突き刺さる。

 

「あなたが助けてくれた、あの場所での私の部隊の生存者は私だけだった。何故だか分かる?私だけ、逃げたからよ!」

 

「でもその判断で、自分は今ここに居ます」

 

「いいえ、それじゃ駄目なの。もう、私は逃げたら駄目なの。私は見捨てた分だけ助けなくちゃいけないの」

 

少尉は完全に意固地になってしまっている。

その怪我で誰かを助ける事は困難だと思うのだが。

 

「・・・少尉、自分を救えない人間が他人を救えるだなんてのは、傲慢に過ぎますよ」

 

「何?」

 

「他人を助けられるのは、自分に余裕がある人間だけですよ、少尉。それ以外は、気持ちの悪い、反吐が出るような自己犠牲だけです。見ているだけで気分が悪くなる!クソだ!・・・だから、そんな事はやめてください、少尉」

 

そんな自己犠牲をしても、何か救える方が珍しい。万全の状態で無い人間など、基本的にここでは足でまといだ。はっきり言って邪魔だ。

 

「これは俺のエゴです、少尉。俺がそうして欲しいから、そう言っているだけです。綺麗事を並べるつもりはありません。その怪我では誰も救えません。だから、少しだけ、少しだけ後方に下がって、治療に専念して下さい」

 

自分でも何を言っているのかよく分からなかった。しかし、言っていることは確かに自分の本音だった。

 

「・・・嫌よ」

 

「ああもう!この分からず屋!その怪我で無理して、貴女が死んだらどうするんですか!後味最悪ですよもう!俺が嫌な思いをする!だから俺を助けると思って、後方に下がって下さい!少尉!」

 

「あなたを・・・助ける?」

 

「そうです少尉、俺を助ける為だと思って下さい!」

 

その言葉を受けて、少尉は少し考え込んだ様子だったが、少しすると、泣き笑いの表情で顔を上げた。

 

「・・・うん!分かった。あなたを助ける為だと思って、少しだけ、治療に専念するわ!」

 

「ありがとうございます、少尉」

 

今回の事も、自分の為、自分の精神衛生の為に動いたに過ぎない。

だが、それが結果的に良い方向に向かうのであれば、それは自己満足ではなくなるだろう。

 

「少尉、少尉の持ち場まで送りますよ」

 

「うん・・・あっ・・・」

 

少尉は力なく座り込んだ。松葉杖を突きながら、無茶な動きをしたせいだろうか。恐らくは疲労の為だろう。

 

「背負いますよ」

 

「うん、お願いするわ」

 

座って背中を少尉に向ける。

 

「ん・・・しょ・・・」

 

背中に確かな重みと柔らかさと暖かさを感じて、立ち上がる。

松葉杖を掴んだ腕が首に回り、まるで首輪をされているようだと思った。

 

「こうしてると、あの時を思い出すわ」

 

「余り思い出したくはないですが・・・」

 

「・・・私はそうでもないわ」

 

少々怒ったように言われた。何か気に障ってしまったのだろうか。

 

 

その後は何も問題無く送り届ける事が出来た。別れ際、少尉が怪我が治ったら自分に必ず会いに来ると豪語していたが、適当に流しておいた。どうせ無理だろう。怪我が完治する頃には自分は欧州には居ない筈だからだ。・・・居ないよな?

 

 

 

 

新型ネウロイが現れた。

サイコロに直接関節肢を生やしたような見た目をしているネウロイで、蟻型よりも一回りほど大きい。ずんぐりしているせいか、蟻型よりも機動性は大きく劣るものの、装甲は蟻型を凌ぐものであった。

しかし、対処不可かどうかと聞かれたら、普通に対処出来る程度の装甲である。三号戦車の砲は殆ど弾くが、高射砲クラスは防げない程度だ。

中途半端な装甲強化だった。火力も蟻型と変わりない。

 

だが、奴等は手探りで進化している真っ最中である。油断は出来ない。自分単独で撃破出来るネウロイは、様々な条件が揃わないと、全く無いと言っても過言ではないのだから。

独りではクラゲすら倒せない事に腹が立つ。

 

だがそれでも、ここで戦わなくてはならない。




遅れてすみません。もうすぐ新年ですね。
次も遅れると思います。


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はっけん

自分は幾つかの精神疾患を患っていたと思う。戦場であるにも関わらず、目の前が故郷に見えたり、居ないはずの親友が居たり。

頭ではこれは現実だと認識していたが、記憶がそれを否定していた。全ての矛盾は、有り得ない現実を"理解"する事によって解決された。しかし、自分の前世の記憶はそういったものに特効薬の効果があるらしい。直ぐにその理解した現実は、記憶による理性的な思考と矛盾点により消失した。

 

恐ろしい事だった。耐え切れない程の極度のストレスが齎す幻覚や幻聴があれ程までのものだとは、実際に体感するまで分からなかった。まるで夢の中のように、疑問を持つ事すら出来なかった。それが現実だと脳が理解していたからだ。前世の記憶が無ければ、自分は死にながら、脳が創り出した虚構に囚われ続けていただろう。

 

前世以外の記憶が消えた事もあった。その時も、混乱しながらも前世の記憶で思考していた最中に思い出したが。

 

狂いそうになっても、無理矢理現実を見せられ、正気に戻され、生存への道を只管に探させられていたのだ。

 

どうも前世の記憶とやらは、自身の精神状態の影響を受けないらしい。記憶媒体は脳ではないのか?魂とかいうものだろうか?

 

・・・分からない。

 

何も、分からない

自分の記憶の出自も、前世の記憶が思春期までしか無い事くらいしか、分からない。

 

自分は一体何なのか。教えてくれる物も、人も、何もない。住んでいた場所も、日本としか分からない。友人知人家族に関する記憶も、思い出と呼ばれるような記憶は無い。

それはまるで、記憶ではなく、記録のようなーーー

 

 

 

 

カールスラントで最も栄えていた場所。そして、今自分がいる場所。

それは首都ベルリン。前の世界での同じ名前の場所に実際に行った事は無く、テレビ等では微かに見るくらいで、きちんと見たのは世界史の教科書に載っていた白黒の写真位であった。

 

教科書に載っていた、WW2時末期の写真のように破壊されたベルリンの街並みは、記憶に残っていた白黒写真がそのままカラーになったかのような新鮮さを自分に与えた。

 

しかしここには、前の世界には有った、鉤十字を象った旗も、労働者を象った旗も掲揚されてはいない。有るのはデンマーク国旗に良く似たカールスラント国旗だけだ。

だが違う点はそれだけではない。この破壊痕が、人類史上最も狂った、全体主義と社会主義という異なるイデオロギー同士による絶滅戦争ではなく、人類とその敵対種による生存競争によるものであるという点である。

 

どちらも反吐が出るような過程だが、こちらの方が幾分か、救いがあると自分は思う。

人を撃つ事態にならずに、心底自分は安心していた。

 

 

首都はその国で最も防備が充実している場所であり、その首都の防衛に失敗したとなると、その国は終わりに近い。

それはカールスラントも例外では無いらしい。その為かここベルリンでは、他の戦線とは比べものにならない程の防御体制が敷かれていた。

 

航空機の数も、ウィッチの数も集中運用の影響か、今までよりも明らかに数が多い。

しかし、だ。それでもネウロイの数の方が圧倒的に多い。戦争に必要なものは何か。それは物量である。多少性能で劣ろうが、最低限の性能が有れば、後は物量が勝敗を分ける。

 

如何に優れた戦術や戦略なども、圧倒的な物量には無力だ。敵よりも遥かに多い戦力を揃える。それが本当の世界で最も優れた戦術、戦略だという事だ。

 

その証拠に、カールスラント軍による必死の抵抗虚しく、ネウロイは我が物顔で空を制している。ひっきりなしに飛んでくる爆撃機型のネウロイから掃射される光線は、ベルリンの街を容赦無く破壊していった。

 

それでもまだベルリンが陥落していないのは、前述した通り、首都がその国にとって最も堅牢な戦略基地だからだ。

だが、ベルリンが陥落するのも、最早時間の問題だろう。それ程までにネウロイの猛攻は激しいのだ。

 

瓦礫の合間に身を隠し、双眼鏡を片手に迫撃砲の弾着観測。それしかやる事も無くなってきた。ネウロイに対して有効な重火器は不足し、手持ちの小火器では、もうどうしようもない。

 

 

 

 

致命的な戦線の瓦解は、ネウロイの巨大な砲弾による攻撃によって引き起こされた。

 

上空高くから飛来してきたその砲弾は不発で、爆発する様子もなく、ただそこに聳え立っていた。

それに自分は安心し、その砲弾から目線を逸らした。

 

その時の自分は、その砲弾に、ただ爆発するよりも恐ろしい効果がある事に気付いていなかった。

 

少しすると、急に辺りが暗くなり、視界が悪化する。これは。この、視界に映るこのガスは・・・。

 

ーーー瘴気だ。

 

ともすれば発生源はどこか。ここはネウロイの支配地域ではないし、瘴気が蔓延するなど有り得ないのだが。

 

・・・まさかと思い、先程落下してきた砲弾を見る。

 

残念ながら予想は当たっていた。その砲弾からは、目に見えるほど高濃度な瘴気が漏れ出ていたのだ。

 

無線でこの事態を知らせ、撤退の準備をする。瘴気に対しては無対策だからだ。専用のガスマスクも、中和させる薬品や除染出来るような装備もない。

そもそも、瘴気がガスなのかも分からない。目に見えない程の大きさの、ナノマシンのような、ネウロイの群集体である可能性もある。瘴気の正体は何回も何回も何回も何回も吸引して死亡した時も、分からなかった。

 

不確定要素が大きく絡んだその攻撃に、自分は素早く装備を纏めると、後方へ駆け出した。

周囲では吐血して倒れ込み、身体を痙攣させながら残り少ない余命を苦しみの中で消費している人間で溢れていた。

 

自分は平気だ。・・・便利なものだ、慣れとは。瘴気を吸引して何回も死んでも、記憶は引き継がれる。死なずに、それでいて最低限の空気を摂取する呼吸法を、自分は地獄の中で身に付けていた。多少、呼吸が出来る程度だが。

 

そんな呼吸法を身に付けても、数分と持たずに死ぬが。最低限の空気を吸う際に、それに見合った瘴気を吸う事は避けられないのだから。

生き汚い延命手段だ。

 

自分にとって、まだ周囲における瘴気の濃度は大した事は無い。しかし、それもいつまで持つか分からない。その為に必死で駆け抜ける。

 

 

やっとの事で、あの砲弾の瘴気が及ばない場所まで来たのだが、同時にここベルリンで道に迷ってしまった。コンパスはあるものの、地図は無い。どこかで地図を入手しなければ。

砲撃や銃撃音が遠い所で絶えず鳴り響く中、自分は行動を開始した。

 

 

 

 

最悪だ。道に迷ってしまった。いつの間にか自分は長く、真っ直ぐ続く大通りに一人立っていた。歩き続け、やっとの事で十字路が見えて来た。

いつの間にか戦闘音も鳴りやんでいるし、不気味な沈黙が辺りを支配している。聞こえる音は、自分の吐息と足音のみだ。

・・・いいや、前言撤回をしよう。周囲では重苦しい金属の部品が噛み合って駆動する金属音が、幾つも聞こえてきていた。

 

大通りに面した建物のドアには鍵が掛かっており、窓にはシャッターが掛かっている。路地裏への狭い道も存在しない。広大な空間を背にした、袋小路だ。ここは。

 

そして目の前の十字路から、真っ黒な死の化身が姿を現した。

 

背筋が凍り付き、世界が途端に鈍くなる。自分は腰に手を当てて突っ立ているだけだ。小さく悪態の言葉を吐き出すと、視界が光に包まれた。

 

 

回れ右をして駆け出す。溜まりに溜まっていく鬱憤や、憂鬱感が、自分を苛んでいく事が、自覚出来る。一体どうして、自分がこんな目に遭わなければならないのか。世界の不条理さに、理不尽さに怒りが湧き出てくるが、直ぐに怒りは萎える。代わりに諦観が自分を支配する。

 

しょうがないじゃないか。軍に志願したのだから。

しょうがないじゃないか。生まれた家が貧乏だったのだから。

しょうがないじゃないか。格差を是正する社会保障制度が無いのだから。

しょうがない、しょうがないじゃないか。

 

嫉妬や怒りといったドロドロとした感情や思考は、諦観によって心の奥底に仕舞い込まれている。現実は何時だって非情で、そんな残酷な現状を打破出来るのは、何時だって知恵と知識である。

それでも限界が有るのが、虚しい所だが。

 

しょうがない・・・か。諦めたら終わりだと言うが、諦めてしまうのはとても楽なのだ。

自堕落で怠惰な自分にはぴったりだろう。

 

 

風切り音で鳥肌が立ち、飛来した砲弾によって砕けた石畳の破片が、身体を叩く。着弾地点と距離が多少有り、打撃で済んでいる。

やっと見えた曲がり角を勢いそのまま曲がり、また駆け出す。

 

道の所々に積み上げられた土嚢を避けながら、走っていく。どこに行くかなど決めていないし、目的地も無い。ネウロイから逃げる為に只管走っているだけだ。

 

 

適当な家屋のドアの鍵をライフルで撃ち抜き、家に侵入する。緊急事態につき、許して欲しい。

急いで疎開したのか、家具は殆ど置きっ放しだ。その中の一つであるソファに倒れ込み、小銃を抱き締めながら目を閉じる。疲れた。

辺りは薄暗くなっており、眠気も襲ってくる。

 

取り敢えず寝てしまおう。後の事は起きてから考えればいい。

これは現実逃避ではない。恐らく。

 

 

目が覚めると、未だ周囲は薄暗いままだった。いや、これは・・・早朝だ。気温が違う。壁に掛けてあった時計が答え合わせをしてくれた。

結果は正解。動き出すには良い時間だ。

 

それにしても・・・余りにも静かだ。ソファの軋む音が嫌に響く程に。

身を起こして小銃の動作確認をしてから、この家屋を漁り始める。食べ物を探す為だ。

 

一階を漁り切って少量のパンと、缶詰を見付け、二階へ行こうとしたが、階段部分が砲弾によって崩落していて、行き止まりになっていた。

瓦礫の下から血溜まりが広がっており、腕が一本、その中から伸びていた。一応手首に手を添え、脈を測る。予想通り、ピクリとも動いていない。

 

気の毒に。

 

背を返し、その家屋を後にする。

 

「ぉ...ぁ...さ...」

 

後にしようとした時、二階から何か声が聞こえた気がした。耳を澄まし、その声を聞き取ろうと努力する。

・・・小さく、か細い声だったが、確かに聞こえた。二階に誰か取り残されているのか。

 

元階段から行くのは、不可能だ。どうしたものか。

ドアノブ付近が破損したドアから一度外に出て、二階を見る。そして、ベランダが有る事を確認した。あそこから二階に入れないか。しかし、どうやって?

 

周辺を捜索し、辺りの家屋のドアを解錠して侵入する事を繰り返し、目的のブツを発見した。

 

梯子だ。

 

梯子をベランダに掛け、よじ登って行く。

・・・窓が開かない。仕方が無いので割って入る事にした。

 

小銃の銃床で窓を叩き割り、室内に侵入する。

ドアを開け、踊り場に出るが、誰も居ない。部屋はあと一つのみで、そこに声の主が居る事が予想出来た。

 

例のドアのドアノブに手を掛け、ドアを開けるーーー

 

鍵が掛かっている。

中に居るであろう人間に開けてくれるように呼び掛けるが、返事は無い。仕方が無い。小銃を構え、鍵を破壊した。

 

 

ドアを開けると、中の部屋の様子が明らかになる。

小さい子供が住んでいたのか、ぬいぐるみと小さな机と椅子が置いてあった。そして、ベッドの隅に、毛布を被って震える小さな膨らみがあった。

あれが生存者・・・恐らく、この部屋の主であろう子供だろう。大きさ的に。

 

声を掛けるが、特に動きは無い。・・・生憎、今は時間が無い。

話が出来ないと、何も始まらない。そして無理矢理にでも会話をしようとして、毛布を剥ぎ取った。

 

「ぁ...」

 

中から出て来たのは、白銀に輝く髪の毛を持った、小さな少女だった。体操座りの格好で座っており、熊のぬいぐるみを握っていた。膝の山からは文鳥も顔を覗かせていた。・・・ペットだろうか。

そういえば、この部屋には鳥籠があったな。

 

「ど、泥棒さん・・・?」

 

明らかに怯えの目で見られる。

・・・ベランダから窓を叩き割り、侵入。それは、泥棒だと思われるだろう。それに非常時とは言え、確かに自分は物を盗んだ。

だが、この状況下で素直にはい泥棒ですと言うのはよろしくないだろう。膝を折り、目線を少女に合わせて話し掛ける。

 

「いや、俺は泥棒じゃないよ。扶桑軍だ。声が聞こえたから、ここに来たんだ」

 

「扶桑・・・?どこ?」

 

自分の軍人としての服装を見たからか、少女の警戒心は大分薄れていた。

 

「極東の島国さ。今はそんな事より、ここから出よう」

 

「なんで?」

 

「なんでって・・・ここは、もうすぐネウロイが攻めてくるんだ。だから、逃げないといけない」

 

「・・・うん、分かった。それで、お母さんは?」

 

「お母さん?」

 

「うん、私がお部屋に忘れ物を取りに行った時に、付いてきてくれてたの。でもその時に凄い音がして、天井が崩れてきて・・・お母さんが、それに巻き込まれて・・・もしかしたら、痛い思いをしているかもしれないし、助けてあげないといけないの!」

 

「・・・お母さんは、先に行っちゃったよ。階段が崩れて行けないから、君の事を俺に頼んでね」

 

「嘘よ。お母さんが私を置いて行く筈がないもの」

 

「いいや、嘘じゃない。本当だ」

 

そう言うと、少女は自分の目をじっと見詰めた。それから目を逸らさず、少しの時間が経つと、少女は溜息をついてその小さな口を開き、子供らしい高い声で、言葉を紡いた。

 

「もう、酷いんだから、先に行くなんて」

 

「じゃあ、付いてきて貰ってもいいかい?」

 

「うん、分かった。ここに居てもしょうがないらしいし」

 

はにかんだような笑顔を見せて、少女は立ち上がった。

 

 

 

自分は嘘をついた。その場凌ぎの、最低な嘘だ。

あの瓦礫から伸びていた腕は・・・いや、これ以上はよそう。

なんて残酷なんだ。嫌になる。本当に、嫌になる!本当だ。本当なんだ。クソッタレだ。嘘じゃない。やめてくれ。そんなものは見たくない、理解したくない。

 

 

この少女だけは助けないといけない。あの母親のようにはさせてはならない。隣を歩く少女を見て、自分は決心した。



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しにぞこない

隣を歩く少女の話し相手になりながら、歩いて行く。

自分も迷っているので、この状況は二重遭難と言っても間違っていないだろう。彼女の膝に乗っていた文鳥は肩に場所を移しており、穏やかな雰囲気のまま、自分達は歩いていた。

 

「そういえば、まだ名前を聞いてませんでした!」

 

手を下に向けて伸ばした少女が自分にそう言う。

 

「私の名前はイザベラ・アンデ。イザベラでいいわ」

 

「俺の名前はーーー」

 

そこまで自分が言ったところで、50m程先の道路上に異物が映った事を確認した。咄嗟に少女の口を手で塞ぎ、近くの土嚢に身を隠す。

 

「もがっ、いきなり何!?」

 

「しーっ」

 

口に人差し指を当てて、静かにするように伝える。

 

「ネウロイだ」

 

そこには蟻型ネウロイが、逆方向を見て佇んでいた。

 

音を立てないようにゆっくり後退していく。緊張した様子の少女とは違い、いつも通りと言わんばかりの態度の文鳥は少女の肩の上で毛繕いをしていた。

 

そして毛繕いを終えると、天に向かって誇るかのように"ピィッ"とひと鳴きした。

 

その音に釣られたのか、ネウロイの頭部がゆっくりこちらを向く。そして目が合った。運命的だ。それが感動的なものでは無い事は確かだが。

 

「ああ、クソっ!」

 

「きゃあー!?」

 

少女を脇に抱えて走り出す。先程まで隠れていた土嚢に砲弾が着弾した事が、音と風圧によって分かった。曲がり角を曲がり、走り続ける。文鳥は少女の頭に位置を移っていた。少し首を傾げている。お前のせいだぞ。

背後からは、金属同士の擦れる音が。いや、周囲一帯から聞こえてくる。どうすればいいのか。理路整然と現状を理解して考えろ、思考しろ。

 

ーーー方針は決まった。強行突破だ。

適当な家のドアの鍵を破壊して侵入し、通り抜けて違う通りへ。

 

それを数回繰り返すと、結構な広さを誇る広場に出た。そこには死体と、多種多様な砲の残骸、黒焦げになった戦車が散乱していた。

 

その中心に、テントの残骸があった。恐らくあそこが前線司令部だったのだろう。だとしたら地図がある筈。そう考えて、自分はそこへ駆け寄った。

 

「うぇ・・・視界が、視界が回るぅ〜」

 

少女は自分の腕の中で酔ってしまっているらしい。この光景を見ていない事に、少し安堵する。だが、すぐに回復してしまう事は予測出来た。ここに長居は出来ないだろう。

 

大きな地図が、テントの残骸の端に鎮座していた。

手早く味方陣地の位置と、後退予定の場所を手帳に書き写すと、また少女を抱えて走り出す。

 

「酔った・・・吐きそう・・・少し、休憩・・・」

 

・・・そろそろ限界そうだ。

 

ドアが砲撃によって破壊された家屋を見つけ、そこに入って小休憩をとることにした。

 

壁に背を預け、水筒に入れていた水を飲む。

 

「ね、ねぇ・・・水、ちょうだい?」

 

「ん?あぁ、どうぞ」

 

ひったくるように自分の水筒を取った少女は、そのまま勢い良く水を飲んだ。

余程喉が乾いていたのだろうか。

 

「昨日から一回も水を飲んでなくて・・・」

 

どれ程の時間を、あの二階で過ごしていたのだろうか。そんな考えが頭を過ぎる。いや、考えるのはよそう。いい事なんて一つもない。一つも。

 

 

休憩を終え、コンパスと地図を頼りにまた移動を再開したのだが、どうにも様子がおかしい。先程までは全くしなかった物音が、周囲一帯から聞こえてきているのだ。

あのネウロイとの邂逅の影響で、ネウロイが警戒しているのだろうか。

 

悪い事ばかりで辟易とする。

だが、目標地点が分かっている事は喜ばしい事だ。

 

裏路地を優先して通りながら、街中を進んでいく。自分と少女との間に会話はなく、緊張した空気を孕んでいた。

 

 

 

それは裏路地から出て少し経っての事だった。何かというと、妙な物体が道に落ちていたのだ。数十センチ程の、ドローンのような物体だ。

これは一体なんだろうと思ったその時、それは急に浮上し、死の感覚が身体を覆った。即ち生命の危機だ。

少女の手を掴んで走り出す。ドローンネウロイは、自分の胸ほどの高さで浮遊して止まっており、上部に機関銃のようなものを備え付けていた。

リモコン式の独立して動いている機関銃の銃口が、此方に向いていた。咄嗟に近くの砲撃で壊れかけていた民家のドアを蹴破り、転がり込む。

例の感覚が忽然と消失し、それと同時にドアの外に激しい銃撃が浴びせられていた。

着弾音や、弾丸による石畳の破壊具合から、あのドローン型はクラゲが備え付けている重機関銃クラスの機関銃ではなく、歩兵が一人で運用出来る軽機関銃クラスのものと同程度の威力である事が分かった。

 

死の感覚は消失したが、また薄ら感じ始めるようになってきた。ここも安全ではないのだろう。

足が自然と動き、蹴破って入ったドアとは別のドアから路地に戻った。

 

ーーー足が、自然と動いている。これは決して比喩表現ではない。

意識しているわけじゃないのに。余りにも不気味だ。

無意識下の動きか?脳を仲介しない脊髄反射による筋肉の収縮に似ている。

・・・これは仮説だが、死の感覚を感じ取った体が、最もその感覚から離れる為に自動的に動いているのではないか。熱湯を触ったら何か考えるより先に手を引くのと同様に。

その反射の連続が、この事象なのではないかと自分は思う。

 

だがそれを証明する客観的な、確たる証拠は自分には無い。

・・・余計な事は考えなくてもいいだろう。少女の手の感触を伝えてくる右手を意識して、思考を切り替える。自身の身体の異常や変化に対する考察よりも今はやる事がある筈だ。

 

空いた手で手帳を開き、その上にコンパスを置いてルートを確認する。すると、驚きの事実が判明した。

目標地点だった街の郊外へ、正確に自分は向かっていたのだ。

 

もしも仮説が合っていると仮定すると、自分の設定した目標地点が正しいという事の裏付けになる。

 

だがそんな都合のいい事が有るのだろうか。

そうであって欲しいと思うのは自分勝手だろうか。

 

 

辺りは暗くなり、漆黒の闇が周囲を染め上げる・・・月明かりによって僅かに周囲を把握することは出来るが。

 

空を見上げる。

 

満天の星空だ。前世ではプラネタリウムくらいでしか見た事の無いような圧倒的な光景に、思わず見とれてしまう。

決してこの光景を初めて見たという訳ではないというのに。

 

後ろを意識すると、疲れが溜まってる様子の少女が居た。適当な家屋のドアをこじ開け、寝室に向かう。

 

シングルベットが二つ並んだ寝室だった。ベット以外のものが余り無く、殺風景であった。

 

「今日はここで夜を明かす。明日に備えてしっかり疲れを取ってくれ」

 

「シャワーは?」

 

「今日はナシだ、どうしてもと言うなら、濡れタオルを用意するよ」

 

「・・・ううん、なら、いいや」

 

少女はベットに潜り込むと、すぐに寝息を立て始めた。

自分もそれに倣い、ベットに潜り込む。

 

いい夢を見られますように。

 

 

終わりは唐突に訪れた。

 

それは裏路地から出て、街道を歩いていた時だった。

背後から聞こえた発砲音の後、急に身体がくの字に曲がり、自分は転がった後に仰向けになって地面に倒れ伏した。

 

少女と手を繋いでいた右手は気が付くと空を掴んでいた。身体の末梢部分、手足が小さく痙攣していて何が起こったのか分からず、酷く混乱していた。

 

いや、状況は直ぐに把握出来た。脇腹の神経を焼く熱が何があったのかを如実に物語っていたからだ。

 

被弾した。それだけだ。

 

直ぐに痙攣は治まり、手足を動かそうとするが、右足がどうしても動かない。どうしたのか。

右足を一目見たら理由は明らかだった。血が噴き出していた。思い出したかのように、熱が右足を覆う。

 

「あああ・・・!」

 

呻き声のようなものを上げながら、少女は駆け寄って来た。少し自分の血飛沫は付いているが、無傷で無事そうだ。

ポケットの中の手帳とコンパスを引っ張り出し、少女に押し付ける。

 

「行け!地図と、方位磁石の見方は分かるな!?」

 

「え・・・?」

 

「足をやられた・・・早く行け!」

 

「で、でも・・・」

 

「うるせえ、早く行け!」

 

奥に見えるネウロイは、先程見たドローン型だった。背負っていた小銃を構え、発射。照門すら覗いていない腰撃ちによる射撃にも関わらず、発射された弾丸はネウロイのコアを撃ち抜いて一撃で撃破した。

 

ドローン型はネウロイの中でも一際脆いらしい。小銃弾の一発で撃破出来るのは予想外だったが。

ネウロイ相手の嬉しい誤算は初めてかもしれない。

 

だが、幸運はそこまでらしい。奥からぞろぞろとネウロイが溢れて来ていたからだ。不幸中の幸いか、その全てはドローン型であったが。だが、奴の一撃も自分にとっては致命的だ。

 

ここで足踏みしているよりも、目標地点に歩みを進めたほうか、多少は生存率が高いだろう。

 

「血が、血がこんなに・・・」

 

「ああ、もう助からない。だから、君だけでも生き残るべきだ。その為の情報はここに有る」

 

そこまで言ってようやく、少女は手帳とコンパスを受け取った。

 

「進め!後ろは振り返るな!」

 

小銃の銃床で何回か押していたのが功を喫したのか、少女は駆け出して行った。その音が離れて行くと同時に、目の前のネウロイと対峙する。右足が動かない為に胡座を掻くような体勢で小銃を構え、発砲。するとどういう訳か、面白い様に当たる。それも、狙い済ましたかのようにコアを貫通して。

 

あの感覚がする。激しい。怖い。慣れた。

 

碌に狙ってすらいない攻撃が何故当たるのか、疑問は尽きない。だが、今はこの状況を切り抜ける事だけを考えればいい。

そんな単純な事を考えることすら覚束無くなってきているが。痛みを通り越した熱が、思考を鈍らせている。

 

 

 

 

コッキングと共に排莢される、黄金色の空薬莢が何回宙を舞った時だっただろうか。

急激な出血のせいか、徐々に視野狭窄になっていく視界、くぐもり、遠くなる聴覚。手足の感覚も大分鈍くなっており、小銃の射撃が出来ているのかどうかすらあやふやだった。僅かに聞こえる金属音と発射音で、辛うじて発砲を続けている事は分かったが。

 

ーーーそして、それも終わりを告げる。

 

周囲に着弾していた弾丸が、ついに左腕に直撃したのだ。

自身の射撃音は止み、小銃を撃つ為の動きが不可能になっている事をなんとなく理解する。指でも吹っ飛んだのだろうか。

 

両腕が力無く垂れ下がっていったのが、もう僅かに中心部しか見えなくなった視野から分かった。

今回のぼうけんはここで終わりだ。

 

 

次はどこから始まるのだろうか?

 

 

そして、自分は意識を手放した。

 

 

 

 

重い金属音と、駆動音を響かせながら、街道を往く姿があった。最新鋭の駆動脚を装備した、手練のウィッチ部隊だった。数は5人。列を組んで進んでいた。

彼女達に課せられた任務は陥落寸前のベルリンを死守する事であった。

 

「・・・嫌に静かだな」

 

前から三番目の、肩の下辺りまで伸ばしている青みがかった黒髪を揺らしていたウィッチが、辺りを頻りに見渡しながらそう言った。昨日の激戦とは打って変わって静かな街中に違和感を抱えていたのだ。

 

「どこに隠れてるのかしら」

 

その前に居た、持ち前の金色の髪を派手なツインテールにしているウィッチがそう答える。続けて、待ち伏せでもされているのかしらとも。

 

多少の会話と共に街中を索敵していた部隊だったが、急に少し離れた場所から激しい銃撃戦の音が鳴り響き始めた。

 

「まだ戦っている奴が居たか・・・!」

 

瘴気による面制圧、空からの光線攻撃により、防衛隊は壊滅させられていた。組織的抵抗が不可能になり、生存者が居るかも怪しい程だ。

そんな時に戦闘音が聞こえたものだから、思わずといった様子で、ウィッチの声色は高くなっていた。

 

そんな時に、彼女達の目の前に裏路地から飛び出してきた物体があった。

咄嗟に銃口を向けるが、引き金が引かれることは無かった。

 

「民間人・・・?」

 

銃口を向けた対象が、肩にインコを乗せた少女だったからだ。

 

「助けて!」

 

飛び出した勢いそのままに、方向転換をしながらウィッチに駆け出す。手を伸ばしてそれを受け止めたウィッチだったが、少女が発言している内容を理解すると、直ぐに動き出した。

 

 

「兵隊さんが、一人で戦ってるの!助けて!お願い!」

 

 

「一人残って、ネウロイの足止めか・・・中々に骨がある野郎だな」

 

「もう、そんな喋り方ばかりして・・・」

 

「お上品ぶるなよ、アンゼルマ。お前が前にネウロイを撃ちながら言っていた言葉、私は忘れてないからな」

 

「なんの事かしら、エラさん」

 

この二人は時折衝突しながらも、大方上手くいっているタッグであり、他の小隊の面々はまたやってると、いつもの如く流していた。

 

 

そして、ウィッチ達が戦闘が起こっている場所に辿り着くと、そこには想像していたものとは大きく違う光景が広がっていた、

 

そこに居たのは、血溜まりの中で血塗れになり、上体だけを起こした状態で、下を向きながら正確に発射手順を踏んで小銃を撃ち放つ兵士だった。力無く下がった頭とは別に、腕だけが独立して動いているように見え、なんとも言えない不気味さを感じさせる。

 

発射された弾丸が全て一発で、ドローン型のコアを撃ち抜いてるのも異様さを増す原因の一つだった。

 

「よかった、まだ生きてーーー」

 

少女がそこまで言った所で、周囲に飛来していた弾丸の一つが兵士の左腕に直撃した。着弾した反動で大振りに振られた左腕から小銃が勢いよく手放され、勢いそのまま地面を滑り、血濡れの小銃が少女の前まで転がってくる。

 

兵士は、既に動かなくなっていた。

 

「早く引き摺って来い!」

 

「まだ生きてるんですの?!」

 

「いいから早く!」

 

ネウロイの目標が兵士からウィッチ部隊に移ったのを受け、シールドを張りながら人形のように動かなくなった兵士の襟首を掴んで引き摺って行く。

弾丸が飛来するが、シールドの前に全て弾かれていく。ドローン型しか居ないからか、余裕綽々であった。

 

「まだ死んでない!」

 

兵士の生命確認をし、ウィッチ達はそのまま戦場を後退していった。




遅れました。次も結構遅れると思います。


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つぎのはじまり

実はサブタイトルはめちゃくちゃ適当です


夢を見ていた。夢を。

いつもの様に死に、新たな生存ルートを模索するという過程がひっくり返る夢を。今まで無かった第三者の助けが来た夢を。前に死ぬほど・・・実際に死んでもなかった土壇場における助けが来る夢が。

 

今回はどこから始まるのか。ゆっくり目を開けると、見慣れない天井が自分を迎えた。朝からやり直しだろうか。

 

そんな漫然とした思考は、身体を襲う痛みで霧散した。少し身動きするだけで呻き声を上げてしまう程の痛みによって。

 

いつも死んだ時は、いつの間にか時間が巻き戻っていたが、今回は意識の復活をはっきり自覚出来た。

いや、違う。これはーーー

 

「死んで、ない・・・?」

 

思わず出た言葉は、信じられないほどに掠れていて、尚且つこの現実を裏打ちするものであった。

 

 

複数の銃創とそれに伴う骨折、大量失血で死に瀕していたらしい自分は、何とか一命を取り留めた。

後遺症も左肩の肉が抉れていたせいで、左肩の形が少々歪になるだけらしい。・・・見た目は兎も角、機能的には問題無いとも。

 

大口径の弾丸でなくて本当に良かった。もしクラゲの発射する弾丸だったら腕が消し飛び、胴体も半分血の霧になって吹き飛んでいただろう。

 

それよりも、鎮痛剤を打ってもらえないと激痛に身を焦がされるのが目下の課題だ。何時もなら直ぐに死んでいたか、ほぼ無傷で切り抜けていたので、ここまで痛みが長引く事は無かった。

 

身体の各所は固定され、思うように動かせず、身の回りの事すら覚束無い。そもそもここはどこなんだ。微かに戦闘音が聞こえるあたり、後方という訳では無さそうだが。

 

巡回していた衛生兵にあの少女について尋ねた所、民間人は既に別の所に移送されたと言っていた。

 

無事だったのなら、それに越したことはないだろう。・・・正直な所、彼女とは二度と会いたくない。嘘をついた事に対する負い目があるからだ。何れかは明らかになる嘘だが、その時にはもう自分が彼女と会う事は無いだろう。

 

 

全治2ヶ月の大怪我だそうだ。

戦力にならない為に、後方に移送されるとも。

 

やることが無い。ひたすらに襲い掛かる痛みとの戦いだ。それは死の恐怖に塗れ、慣れてしまった自分でも辛いものであった。病気になると人生観が変わると言うが、自分の価値観も多少変質しただろうか。

 

 

ーーー自分の価値観は周囲の人間に比べ、異質であった。

個人主義が台頭していた時代に生きていた自分にとって、年金も無いこの時代における家という考え方がよく分からなかった。

自分にとって結婚とはリスキーなものだという認識だったが、この時代ではしていて当たり前という認識だった事は驚いた。

 

親友達の話を聞いている限り、女性の社会進出とも程遠い社会構造である事にも驚いた。例外として軍部におけるウィッチの存在が有るが。

自分の価値観は、この時代だと余りにも特異で異質な価値観だった。

 

この時代、いや、この世界には無い数十年分の年月と、指数関数的に進化した科学技術、戦後の連合国による統治の影響が、今の自分の価値観に多大な影響を及ぼしている事は間違いない。

なんせ、扶桑は戦前の日本に良く似ている国だ。第二次大戦から激動の数十年を経た日本とは根底的に違う。

 

長々と口上を述べたが、言いたい事は簡潔だ。

自分は孤独なのだ。価値観を共有出来る人間が居なかったのだ。自身が生まれ育った扶桑のクソ田舎にある村も、自分にとっては全く未知の異国の文化圏であった。

 

自分が知っていた常識とやらと、故郷の常識を折衷しながら過ごした日々は、そう簡単に吐露出来るものでは無い。幼かった親友達は、まだ常識が成熟していなかったので、自分の影響をかなり受けているだろう。大体一緒に居たのだから。

 

だから、彼女達と居ると気が楽だった。非常識であるとか、そういった事を言われなくて済むのだから。

 

 

 

そんな自分にも夢がある。それは多大な資本に裏打ちされた、生活費を労働に依らない生活というものだ。

働く事は尊い事だ。という価値観である故郷では否定されるだろうから、誰にも明かす事が出来なかった。

その夢にとって、軍というものは好都合であった。衣食住は無料だし、平均給与を貰える。初期に設定した人生設計では、初老に差し掛かる頃には働く必要が無くなる予定だった。

だが、その予定は大きく後ろ倒しにされた。実家に対する仕送りという行為を計算に入れていなかったからだ。税金を引かれ、仕送り分を引かれ、少々の娯楽品を買い揃えていると、残るのは少しだけだった。虚しい。

 

だがそんな生活に転機が訪れた。

カールスラント出兵だ。この出兵に参加すると、基本給とは別に現地の貨幣で追加給与が出るのだ。下手すると、基本給よりも多い額が。

自分がカールスラント行きを承諾したのは、そういった面もあった。まぁ、断れる雰囲気で無かった事が直接の原因だが。

 

予想外だった事は出費だけでは無かった。収入面でも同じ事はあった。少しでも資本を増やそうと、株式取引に手を出そうとしたところ、扶桑という国の金利が自分の常識では有り得ない程に高かった為に、その案は自分の中で却下された。

何処ぞの発展途上国か、と内心驚愕が止まらなかった程だ。

 

 

自分が軍に入った理由を好意的に述べたが、そうじゃない理由もある。というより、自分に選択肢は無かったのだ。

 

選択肢がないと言うと少々語弊があるが、過言では無い。自分には軍以外にも選択肢はあった。

それは、自分の優秀な成績を知っていた教師からの推薦で、師範学校に入校しないかと勧誘を受けたのだ。母親はとても喜び、自分を送り出そうとした。

 

だが父親が首を縦に振らなかった。

 

そして、そのまま自分は軍に入隊した。父親としては、仕送りに期待したかったのだろう。

つまり、彼は子供の将来よりも、目先の生活の保障に腐心したのだ。

理屈では仕方が無いと思ったが、感情ではそうもいかない。少々の恨みはあったが、それは貧困に向けた。だから父親に対して蟠りは無い。・・・本当だ。

 

それでもまぁ、やるせない気持ちにはなる。

 

 

相変わらずやることが無い。話せる人間も居ないし、居るのは忙しなく働いている衛生兵のみだ。自分がどういった経緯でここに運び込まれたのかも分からない。この場所がどこなのかは聞けたが、カールスラントの州の名前など自分に分かる筈も無かった。地図を引っ張ってきて説明して貰える筈もない。

 

何回か陣地転換もした。かなりの長距離を後退したと思う。寝たきりの状態でトラックに乗せられていたせいで、正確な距離は分からないが。

 

 

 

虚空を眺めて早二週間。やることが無く、娯楽は無く、与えられるのは鎮痛剤でも誤魔化せない鈍痛のみという拷問染みた時間は、思ったより・・・衛生兵に言われていたよりも早く消費された。

 

怪我が完治したのだ。二週間で。

 

・・・多少のリハビリこそ必要だが、それ以外は問題が無い。自分でも驚いている。衛生兵はもっと驚いていた。

 

どうやら自分は普通の人間よりも身体が人一倍丈夫らしい。

丈夫な身体に産んでくれた母親に対して感謝しなければならない。

 

 

自力で動けると伝えた途端に、後方に異動しろとの命令を受けた。指示された列車に乗り、途中でトラックに乗り換え、飛行場までやってきた。

 

トラックでカールスラントに一緒に来た僅かな仲間と再会できた。そして、ここにいる人間以外は戦死しているか行方不明だと言われた。

 

どうやら、ここで輸送機に乗り、ドーバー海峡を渡ってブリタニアに行くらしい。

トラックに乗っていた時に、残ったカールスラントの領土は矮小で、今やネウロイはガリアにまで侵攻してきているという話を聞いた。カールスラントは殆どノイエカールスラントに行政等の機能を移したとも。

 

 

戦闘機が慌ただしく飛来して行き、半数程になって帰ってくる。殆どがそうだった。輸送機待ちで、半日近く滑走路の端に野ざらしで待機していた自分が暇を持て余した結果、分析出来たものである。

そして同時に分かったが、この基地にウィッチは居ない。

航空歩兵と呼ばれる、空を飛ぶウィッチは少ないらしい。戦闘脚を身に付けて地面を駆ける陸戦ウィッチの中でも特別なウィッチのみが、航空歩兵になれると新聞に書いてあった。

実際にどうなっているのかは知らないが。

 

観察を続けていると、エンジンから煙を吹きながら強行着陸を行った戦闘機が居た。だが間もなく爆発した。パイロットが脱出する寸前に爆発した為に、燃え盛る炎の中で叫び声を上げる人型が見えた。

消火器を持った兵士が駆け寄る頃には叫び声は消え、見るに堪えない真っ赤な物体が転がっていた。

 

彼も運が無いな。

 

自分は心から同情した。

 

本当だ。

 

あぁ、本当にな。

 

 

輸送機の三機編隊が到着し、その内の一機に全員で乗り込む。他の機体にも兵士が乗り込んでいた。

乗り込むと直ぐにエンジンが始動し、加速し始める。

 

緩やかに上昇し、巡航を開始した。

 

順調過ぎて何だか不安だ。

 

 

 

 

 

 

「おい!ここはガリアの支配地域じゃないのか!?」

 

「報告に無い!ここは安全な航路だった筈だ!」

 

怒声と爆音が響き渡り、機体が揺れる。

 

「なるほどね」

 

荒れ狂う機体の中、自分は一人、小さく呟いて遠くを見ていた。

 

 

 

自分が乗ってる輸送機は、攻撃を受けていた。

 

輸送機の小さな窓から外を見るも、黒煙の花が空中に咲く様子しか見えず、他の輸送機以外の飛行物体は見受けられなかった。

つまりだ。

 

地上からの攻撃を受けている。

 

ネウロイの支配地域は、予想よりも早く広がっているらしい。

空中で爆発した対空砲弾の破片が、機体に突き刺さる。幾つか貫通した破片が、人間に突き刺さり、怒声に悲鳴が入り混じる。

 

この空域は茨の道だ。空中で炸裂した砲弾は、爆風と破片を撒き散らし、空を埋め尽くしている。

直接当てる必要なんて無い。爆発に伴う破片が当たればそれだけで航空機は、中に居る人間はダメージを受ける。

輸送機の中は阿鼻叫喚だった。破片にやられたのか、身体の各所から血を垂れ流しながら痙攣する者や、爆風に煽られ、揺れた機内で頭を打って気絶してぐったりしている者。操縦士に大丈夫なのかと怒鳴りながら確認する者。

 

自分はずっと座っていた。時折機体外から飛び込んできた破片が近くを通過するが、五月蝿いからやめて欲しい。

揺れる機体でバランスをとるのは大変なので、機体に掴まってはいたが。

 

「あぁ、ちくしょう!おい!そっちはどうだ!?」

 

「こっちもダメです!多分ワイヤー切れてます!」

 

「垂直尾翼も吹っ飛んでる!」

 

「エルロンとフラップはまだ生きてるな!?それで何とか減速しろ!」

 

「無理です!この速度でフラップを開いたら吹っ飛びますよ!」

 

「うるせえ!兎に角開け!」

 

「分かりました!」

 

機体が絶え間なく左右に揺れ、乱高下を繰り返し始めた。それに加え、ガタガタと異様な振動も追加された。

 

相変わらず外では爆発音が絶えない。

悪寒もしないが。驚く事と言えば、時折頭が自然と動くと同時に、先程まで頭部があった場所に破片が飛び込んでくる事くらいだろう。

 

死の危険を感じ取れない以上、気を張りつめるだけ無駄だ。

 

 

だが、終わりは唐突に訪れた。

 

圧倒的な熱と、風圧を感じた。

 

気が付くと、輸送機の床に転がっていた。相変わらず空中に居るようで、三半規管が揺れを感知している。くぐもった聴覚に、ボヤけた視界。

 

痛む頭を抑え、機体内部の出っ張りに手を掛け、立ち上がる。

 

焦げ臭い臭いと、血の匂いで、輸送機は溢れていた。

そして、自分に勢い良く吹き付ける風。

 

操縦士と、それに声を掛けていた仲間の姿は掻き消え、変わりに赤い霧が舞っていた。

砲弾が直撃したのだろう。機体の各所に爆散した人間の破片と血液が飛び散っており、自分以外の人間の動きは無かった。

 

派手に開放された機体前部からは、あっという間に近付いてくる湖が見えた。

 

 

 

ーーーそして、衝撃。

 

 

 

一瞬で水に包まれ、水を吸って重くなる服に嫌気が差しつつも、崩壊した機体前部から機体外部を目指す。機体から脱出し、次に水面を目指す。

 

水面から頭を出し、上を見た。墜落した自機以外の二機の輸送機は未だに健在で、周囲に爆煙を侍らせながら、飛んで行った。

 

「・・・最悪だ、クソッタレめ」




誤字脱字の修正をしてくれる方、本当にありがとうございます。


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こんてぃにゅー

ストパンの世界の歴史とかって、どうなってるんですかね?


ここは一体どこだ。

湖のほとりで座っている自分は考える。

病み上がりで尚且つ、着衣水泳を果たした疲れた体を癒していた自分は、思考に身を任せていた。

 

持ち物は、少しの食料が入っている背嚢とナイフのみ。銃器は移送中にはもう無かったし、略帽も着水の衝撃でどこかにいってしまった。

 

手帳は濡れてしまった為に、乾くまで開かない事にした。

 

取り敢えず、歩きながら考えよう。ここでくよくよ考えていても仕方がない。ここら一帯はネウロイの支配地域である事は上空で嫌という程に理解させられた。

 

周囲に生き物の気配は無い。具体的には虫や鳥の鳴き声や、風に揺られる以外の植物の物音が。

 

湖の周りは背丈の低い植物が少し生えており、少し離れると森が広がっている。

 

その森に足を踏み入れ、進んで行く。

密集して木が生えているせいで、薄暗くなっている森の中の道なき道に歩を進めていく。

 

 

薄暗くて視界が悪い上に木の根が露出している事も多く、足元に注意しながら暫く歩いていくと、森を抜けて平原に出た。中央部には整備された道もある。看板が建てられており、ついそこまで駆け出した。

 

"Ardennes"

 

そう、書かれていた。

どこだ。文体から、ガリア語である事は分かったが、逆に言うとそれしか分からない。という事はここはガリアなのだろうか?いや、まだ確定じゃない。確信するには情報が少ない。

確か、周辺諸国にガリア語を公用語にしている国があった筈だ。名称はガリア語では無かったが・・・ワロン語だったか?

だが困った・・・自分はガリア語もガリアの地理もさっぱりだ。

 

 

 

前の世界にどことなく似ているこの世界、似ていると言っても、大陸の形や国家の名称は大きく違う。前世では北アメリカ大陸と呼ばれていた大陸が世界地図で星型になっていた時は、夢でも見ているのかと思った程だ。この世界にもパンゲア大陸は有るのだろうか。

 

その為に自分が備えていた社会的知識の一つである、地理的な知識が殆ど霧散した。歴史的な知識は全て霧散した。だが驚くべき事にこの世界の歴史は、前の世界と結構似通っている。違いは勿論あるが、時折怪異とウィッチが出てくる事くらいだ。大きな違いと言えば。

 

・・・いや、織田信長が本能寺の変の後でも存命だったり、その影響で扶桑と日本の支配地域が大きく違う、という事はある。

 

それよりも大きい違いが、この世界の人類は、先進国同士の陣営による、世界規模の大戦争を経験していないのだ。

"全ての戦争を終わらせる為の戦争"等と称されたWW1は無く、ネウロイという怪異との大規模な戦争に置き換わっている。

 

ロシアの南下政策に付随した・・・この世界ではオラーシャだが、バルカン半島における国際緊張を高めていた領土問題も、第一次ネウロイ戦争によって霧散した。

 

その為に、化学兵器や生物兵器の類は未だに使用されていないし、封印列車は存在しないし、人類初の社会主義国家が存在していない上に、WW1で兵役に服していた第三帝国の独裁者も台頭していない。

 

WW2も無い。有るのは第二次ネウロイ戦争と称される今現在起こっているーーー自分が派兵されている、ここ欧州におけるネウロイとの戦闘を指す。

 

そもそも世界大戦の原因とは何か。WW1はバルカン半島における領土問題に、普仏戦争の戦後処理とヴェルサイユ体制の崩壊が挙げられる。各国が別々に結んでいた軍事同盟による連続した宣戦布告は、誰もが予想出来なかった人類史上最悪の悪夢を引き起こした。

 

WW2の原因は何か。ドイツに対するWW1後の賠償金の問題に、前述の問題を解決出来たであろう米国のプランを破錠させた世界恐慌と、それに付随するブロック経済が挙げられる。

理由は簡単だ。貧困が悪い。

 

 

この世界におけるWW1の代替的な出来事である第一次ネウロイ戦争は、相手がネウロイだった為にどこの国にも賠償金は発生せず、扶桑も日本とは違い、広大な自国領を保有していた事は幸いだった。

 

・・・自分が知る限り、世界大戦への引き金は、この世界には無い。

 

 

 

このように自分はこの世界の歴史に興味が有る。元の世界との差異を探すのは非常に楽しかった。だが、その時間は長くは続かない。暇など殆ど無い上に、歴史を記した書籍は結構値が張る。

 

だから、自分は時間が欲しいのだ。金銭が欲しいのだ。その為の夢だった。手段が目的になっている気がするが、誤差の範囲だろう。

 

 

・・・思考がかなり脱線した。元に戻ろう。

 

気を取り直し、なんとかガリア語を読もうとする。

 

アーデンネス?

アルデンネス?

分からない。そもそも読み方が英語とは違うだろう。

 

・・・分からないものをいつまで考えていても無駄だ。自分はこの場を後にする事にした。

 

看板から離れ、道を歩んでいく。

願わくば、友軍と遭遇出来ますように。

 

 

道、といっても少し脇に逸れると直ぐに森に入ってしまうほどに森に囲まれている。森を切り開いて作ったと言うべきか。

 

情景を観察しながら進んで行くと、何か黒いものが道を横切っているのが見えた。

 

ネウロイだ。

 

一辺2m程の立方体の上に、丁髷のように載っかった砲身が見える。

ちょうどその時、上空に航空機が飛んでいるのが見えた。

 

するとネウロイが載せていた砲身が素早く上を向き、発砲を開始した。銃座の様に機敏に動くそれは、丸い底部が回転して方位角を、砲身を挟むように縦軸方向に伸びた金属棒で仰俯角を調整しているようだった。

 

コイツに撃墜されたのか。

ふつふつと怒りが湧いてくるが、出来る事は何も無い。武器は無いし、通信手段も友軍の姿も見えない。

 

気を取り直し、一旦森に入り、林道を横断中のネウロイを迂回して道に戻り、また歩き出した。

 

 

 

木、木、木。あれから暫く歩いたが未だに生い茂る木しか見えない。

だが転機は訪れた。耳が異音を捉えたのだ。何かの駆動音だ。道を逸れ、森の中に身を潜めながら音源に近付いていく。

 

次もネウロイか、それとも機甲師団か。音だけではどちらなのか判断出来ないからだ。

 

駆動音と共に、疎らな足音が聞こえてきた。

そこまで聞いた所で、自分は森から飛び出した。この足音は人間のものだと確信したからだ。

 

そして、背筋が凍り付いた。

 

無理な体勢で森に飛び込んだ自分に銃撃の嵐が掠める。

そして連続した砲撃音と共に近くの木が爆発する。

 

「味方だ!撃つな!」

 

爆音に負けないように叫びながら森から出ると、次は撃たれなかった。

多数の銃口と砲口が自分に向けられている。その内のどれか一つでも火を噴いたら、自分は死ぬだろう。

だが、例の感覚は霧散している。心配は要らない。

 

兵士の一人が近付いてきて、少し話をすると、隊の中に入れてもらった。服装からガリア軍だと分かった。

つまり、ここはガリアである事が確定した。

 

 

 

 

自分が遭遇したのは、敵と味方の区別すら怪しくなった、ガリア軍の部隊だった。

恐慌状態に近い状態だった彼等は、動くものは取り敢えず撃つといった方針で行動していたらしい。

もし民間人だったらどうするつもりだったのだ。

 

ネウロイとの戦闘を一回経験し、為す術もなく後退した事がトラウマになっていると聞いた。

彼等の編成はルノーB1bis戦車が三両と、随伴歩兵の数十人であったが、元は戦車が八両、随伴歩兵ももっと居たと言う。

 

この部隊の中核を担っている、B1bisはカールスラントの戦車よりも厚い装甲、強力な火力を併せ持った優秀な戦車なのだが、機動性が劣悪だった。

その為に、囲まれて各個撃破されていったと。性能差で数の差は埋められなかったようだ。

 

 

 

・・・どうして自分がガリア軍やカールスラント軍の戦車のスペックを知っているのか、と疑問に思う人間も居るだろう。だが答えは簡単だ。

 

ネウロイとの戦いは、本来の軍隊の役目じゃない。それだけだ。

 

 

ガリア軍の部隊の行き先を聞いたが、近くの駅まで移動するらしい。退却するにも、鉄道を使うからと。

 

ガリア軍の兵士には色々と聞かれた。どうやら彼等からすると極東に位置する扶桑の文化について興味が有るらしい。

自分もガリアの文化に興味があった為に、有意義な情報交換が出来た。

 

 

カエルは結構食べるらしい。

 

 

 

その後はネウロイの襲撃も無く、駅まで辿り着いた。

そして、言葉を失った。破壊され尽くした駅と、元は民家であったであろう瓦礫の山。

ガリア兵は見て分かる程に狼狽していた。

 

戦車はここで破棄するらしい。燃料が無い為だ。

戦車の欠点として、凄まじい燃費の悪さがある。履帯は不整地走行に優れているが、燃費の面では最悪だ。駆動輪を回し、それによって履帯を循環させ、その反作用で車体が動く。普通の車と比べ、効率が非常に悪い。

それに、大重量を動かす馬力も必要だ。それ等が合わさって、燃費が最低最悪なのだ。

本来ならここで戦車を列車に載せる予定だったのだろう。しかし、鉄道が破壊されていて、燃料の目処もつかない。動かない戦車など鉄の棺桶に過ぎない。だから破棄するのだ。ここで。

 

 

その後は線路に沿って移動すると伝えられた。

 

普通の兵士とは少し服装が違うガリア兵が居たが、彼等は破棄された戦車に乗っていた戦車兵らしい。今まで乗っていた戦車に思い入れがあるのか、彼等だけ時折後ろを振り向いていた。

 

 

憂鬱な気分で歩いていると、上空をウィッチ隊と思わしき編隊が飛び去って行った。

空を飛べるというのは、羨ましい限りだ。通常の航空機と違って視界を遮る機体も風防も無いウィッチは、全周囲を見る事が出来る。それはどれだけの開放感、爽快感なのだろうか。

 

地べたを這い蹲っている自分には想像もつかない。

 

 

時折破壊されている線路を歩いていると、別のガリア軍の部隊と遭遇した。だが、話し合っている士官の様子がおかしい。

 

 

 

どうやら、指揮系統が混乱しているようだ。

撤退命令は出ていないとか、出ているとか、どこそこに集合しろだとか、どうも両部隊に下された命令に整合性が取れていないらしい。

 

勘弁してくれ。

 

 

両部隊は別れ、別々の命令に従って行動する事を決めたようだ。

勿論自分は撤退する方だ。

 

 

列車の残骸が脱線して残っていた。線路の一部が爆発によって剥がれており、そこで脱線したようだ。

積荷は無く、戦車を固定する車両もあった事から、これが本来我々が乗るべき列車だったのだろう。虚しくも、この鉄屑が動く事は無いが。

 

ここで途方に暮れていても仕方が無いと、また歩き出す。

 

 

暗くなり、線路の傍の平原にあった砲撃跡のクレーターで野営をする事になった。テントは無いが。自然に出来た塹壕と呼ぶべき場所があったことは、喜ぶべきことだろう。

ガリア兵が平原で火を焚き、料理をしていた。そのお零れを貰いつつ、乾いた手帳に今日の出来事を書き込んでいく。

 

ガリア軍の糧食は美味い。

 

日課も果たし、背嚢を枕代わりにして横になる。

砲撃跡のクレーターはそこまで大きくなく、だが結構な数が存在しており、兵士はバラバラになって入っていた。自分の入っているクレーターには自分を含め、三人しか居なかったが。

 

目を閉じ、心地の良い睡魔に身を任せ、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

突如響き渡る爆音に鼓膜を殴られ、身体が反射的に飛び起きる。

意識は未だハッキリせずとも、姿勢を低くし、状況の把握に努める。

そしてまた爆音。いや、爆発音。周囲は暗く、爆発の光が煌めいている。

 

その煌めきの中、黒く反射する金属の塊が見えた。

 

敵襲と叫びつつ、自分の足は動いていた。

これは意識した動きではない。つまり、そういう事だ。

短い間だったが、会話を交わした彼等の無事を祈りつつ、自分は脱兎のごとく駆け出していく。

 

急に身体が前転したかと思ったら、その直後に砲弾が頭上を通過した時は、思わず笑みが零れた。

 

 

いつまで走っていただろうか。息は荒く、足は鉛のように重く、周囲は薄らと明るくなっていた。

 

 

ーーーそれよりも、ここ、どこだ?

 

 

気が付くと、周囲は森だった。

どうやらまた、自分は現在地の把握という振り出しに戻ってしまったようだ。




ここまで書いておいてなんですけど、このままだと航空ウィッチと殆ど関わらなくないか?ボブは訝しんだ。


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さびたつるぎ

今回は少し長めです


ここは一体どこだ。

 

なんだか昨日も同じ思考をしていた気がする。

 

鬱蒼とした森の中は薄暗く、数十m先も見通せない程に見晴らしが悪い。

あれからどれほど走っていたのだろうか。腰を下ろし、束の間の休息をとる。腰の水筒の中身も心細くなってきた。長くは放浪出来そうに無い。

 

そもそも、ガリア軍と遭遇した場所すら分かっていなかったのだ。合流出来た安心感で、ガリアのどの辺なのか聞くことを忘れていた。

 

虚空を見詰めて呆然とする。

疲れた。非常に疲れた。筋肉は悲鳴を上げているし、身体は熱く、汗をかいている。

だが、少ししたらまた動き出さないといけない。ここにいても何も始まらないからだ。あぁ、憂鬱だ。

 

 

あれから少し経ち、疲労もそこそこ回復出来たところで、よっこいせ、と軽い掛け声をかけて物理的に重い腰を上げる。

 

歩こう、進もう。道は無いが。

 

陸軍は進んで行く。そんな曲があったなと考えながら、足を動かしていく。進め進め、先には希望が有る。

 

 

驚いた。急に森が途切れたと思ったら、村があった。人も居る。

村の規模はそこまで大きくない。人口は数十人程だろう。

 

それにしても、自分は後方まで徒歩で踏破したとでも言うのか。

自分の秘めたる才能に慄きながら、村人に話を聞くことにした。

 

 

ここはガリアのアルデンヌ県だと言われた。

場所が良く分からないと言うと、ベルギカとの国境に位置すると教えて貰った。なるほど、大体の位置は分かった。

 

「軍人を見なかったか?」

 

「いいや、見てない。・・・それにしても汚れてるな、あんた」

 

「色々ありまして」

 

「なるほど、それにしても・・・扶桑の兵隊さんか。はるばる遠くからご苦労なこって」

 

「いえ、任務ですから・・・情報ありがとうございます。では自分はこれで」

 

「おう、他の兵隊見掛けたら、伝えといてやる」

 

気さくな性格の農夫に話を聞いたが、どうやら自分以外の兵士を見掛けてすらいないらしい。情報が無いのなら仕方が無い。水を分けて貰って、この村を後にする事にした。途中、扶桑人が珍しいのか、群がってくる子供を軽くあしらいつつ、村から伸びる道を進んでいく。

 

 

 

 

村を出ようとしたところ、一日だけ泊まっていくといいと言われ、お言葉に甘える事にした。手持ちの食糧が無くなっていたから、有り難い提案だった。

 

この村でも出兵した人間が居るらしく、用意された部屋はその人間の部屋だった。村の中心部辺りの、二階の部屋だった。そして農夫の家でもあった。彼と彼の妻は自分を歓迎してくれた。どうやら彼等の息子も徴兵されたらしい。

扶桑に興味が有るらしく、質問攻めを受けはしたが。

 

小さな村だったが食事は美味しかった。濡れたタオルで汚れた身体を拭けたのと、服を洗濯出来たのは大きい。柔らかい寝床も久しぶりだ。

人の温かさとやらに触れたのはいつぶりだろうか。扶桑では故郷から出てから陸軍学校で上官に意味も無く殴られ、欧州ではネウロイに殺され、最近はろくな思い出が無い。

以前までに暖かさを感じたのは母親と親友だけだ。

 

・・・今は彼等に感謝して、体を休めよう。

 

疲れていたからか、まだ日が高かったが、眠くなってきた。

眠気に逆らわず、ベットに横になり、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

異音で身体が過敏に反応し、飛び起きた自分を襲ったのは、原因不明の衝撃波だった。僅かな浮遊感の後に、全身を叩く衝撃。

気が付くと、地面に転がっていた。

隣には下半身が吹き飛び、上半身の切断面から内臓が溢れている農夫の物言わぬ死体があった。

 

痛む体に鞭打ち、立ち上がる。何があったのか、情報を集めないといけない。辺りはまだ明るく、眠りに就いてからそれ程時間が経っていない事は一瞬で分かった。

 

そしてーーー村が、燃えていた。

 

爆発音と共に地面が抉られ、土が巻き上げられている。悲鳴と怒号と爆発音と燃焼音がひたすらに響いている。

 

どういう事だ。ここは後方じゃないのか・・・?

 

特徴的な駆動音を鳴らしながら、黒い物体が家の陰から出てきた。

足元には小さな子供。扶桑人が珍しいと自分にまとわりついていた、子供達の中にいた少年と少女の二人組だった。転んでしまった少女を少年が守ろうとしているのか、目の前で手を広げて立っていた。

気が付くと駆け出していた。例の感覚が全力で警鐘を鳴らしているが、知った事ではない。

蟻に似た黒い物体の頭部に備え付けられた砲身が、下を向く。彼我の距離は未だに離れている。

一際大きい爆発音と視界を埋め尽くす閃光を感じたと思ったら、黒い物体の足元には何も残って居なかった。何か自分の方へ爆発の拍子に飛んで来たが、それは体のどこの部位かも分からないほどに損壊した肉塊だった。

 

終わりはいつも突然だ。唖然とする時間も無い。

 

なんだ、これは。

 

足は止まっていた。

 

一体、なんなんだ。

 

肉塊と黒い物体とで視線が揺れ動く。砲身は自分に向けられていた。

力が抜けて、その場に座り込んでしまう。それと同時に、身体が意識せずとも動き出した。

後ろへ駆け出そうとする身体を押さえ付け、感情的に正面に走る。すると、身体は大人しくそれに従った。

 

発砲音。跳躍。着地。前転。回避。

 

これは、自分の意識外の動きだった。

 

理不尽だ。世界は、現実は。武器も無く、使えるものは自分の身体のみ。自分を突き動かす激情のままに、殴り掛かる。

 

リミッターが外れているのか、殴り掛かった拳が砕けた。指があらぬ方向を向き、血液が噴出する。痛みが脳を貫き、その場に膝をつく。

 

当たり前だ。金属と人体、どちらが硬いのかなど火を見るより明らかだ。情けない格好で当然の帰結を実感する。

 

上を見上げると、砲身の中身が見えた。どうやらクソ野郎の砲身にもライフリングは刻まれているらしい。

 

 

 

 

「おう、他の兵隊見掛けたら、伝えといてやる」

 

気が付くと、気さくな農夫が目の前に居た。

 

「・・・荷物を纏めろ、ネウロイが来るぞ!」

 

言葉は、自然と出ていた。

 

 

どういう事なのだと説明を求める農夫を怒鳴りつけ、クソ野郎が来る事を繰り返し伝える。怒声に反応したのか、周囲の村民も集まってきた。これは都合がいい。

全員にネウロイが来る事、それから逃げる為に荷物を纏める事を伝えた。ネウロイの脅威を新聞で知っているのか、動きは迅速だった。

敗残兵と言われても違和感が無いような自分の格好も説得力を増す材料になったのだろう。

 

怒鳴ってしまった農夫に小さく謝罪し、村を後にする。

 

やる事がある。

クソッタレがどこから来るのか、安全なルートはどこなのか、保護を求める事が出来る友軍はどこに存在するのか。それらを探さなければならない。

 

気が付くと、自然と駆け出していた。

 

 

 

 

結論から言うと、意外と近くに友軍は居た。

それは既に過去形だが。

 

目の前にはかなり深い崖を繋ぐ石造りの橋が有り、それに睨みを利かせるかのように3門の高射砲、2門の対戦車砲、2門の野砲が森に隠蔽されながら並べられている。そして近くには例の巨大な砲弾と、この兵器群を運用していたであろう兵士達の死体があった。

 

その他に弾薬、爆薬、糧食が置いてあった。

 

そして奇妙だったのが、これだけの部隊が居ながらどうして無線機が見当たらないのか、という点である。今は全滅しているが。他の友軍と連絡が取れれば、状況は一変するというのに!

 

しかし、幸いにも近くにオートバイが放置してあった。そして、この砲を運んで来たであろう自動車と、軍馬の死体も。

 

オートバイには地図が括り付けられており、ネウロイと友軍の位置を示してあった。無線代わりの伝令用だったのだろうか。

ついでに拳銃を死体から拝借した。最悪の事態に陥った時に、これが自分を助けてくれるだろう。最も、それはろくな使い方ではないが。ベルトに適当に挟んだ拳銃が、いやに存在感を放っている。

 

オートバイに跨り、村に戻る。幸いにも、ここから村までは道で繋がっていた。

結構近くに部隊が居たのに、どうして村の人間は気付かなかったのだろうか。いや、道は他にもあったし、村を通らないルートで部隊が移動してきたのだろう。

 

村に戻り、地図を頼りに避難誘導をする。

だが、少なくない人数が移動を拒否した。故郷を離れたくないという郷土愛からか、はたまた経済的理由で離れたくても離れられないのか。真相がどうなのかは分からないが、確実なのは不可避の死を迎える、という点である。

 

ネウロイは捕虜をとらない。

 

そして自分は一人であり、彼等を説得している時間も無い。

彼等を見捨てる他無かった。本当に。間違いない。

 

近くの友軍の場所を説明すると、村人は土地勘が有るのか、あっさり場所が分かって、自分の案内は不必要になった。

 

となると、自分がやるべき事は一つだ。

 

彼等が避難するまでの時間稼ぎをする必要が有る。

 

地図に記された敵の位置と、あの部隊の配置場所を鑑みるに、敵はあの橋からやってくるだろう。なら、橋を落としておくべきだ。

戦後の事など知った事ではない。大事なのは今であって、未来ではない。

 

オートバイを走らせる。急げ、急げ、急げ!

 

 

戦場へトンボ帰りして来た自分を、まだ新しく、腐敗の始まっていない死体達が歓迎する。

爆薬を箱から取り出し、橋にセットしていく。

 

「畜生、俺は工兵じゃないんだぞ・・・」

 

橋のどこにどれだけ爆薬をセットすればいいのか、皆目見当もつかない。兎に角ぺたぺたくっ付けていく。

 

そして、爆破。

 

全ての爆薬を使った橋の爆破作業は、煙の中から現れた健在の石橋によって失敗に終わった。

 

そこまでした所で耳が、異音を捉えた。

 

こちら側も対岸も、橋の近くの広場と、そこから走る道以外は森である。その森の切れ目から、黒色の物体は見えていた。

 

「クソ・・・」

 

自分の声は震えている。

 

「ちくしょう、やるしかないのか・・・」

 

そもそも爆薬の量が足りなかったのではないか。もう残りは無いが。

もしもの時に備えて、弾薬類を砲周りに集めておいてよかった。

そのもしもの時は今訪れたからだ。

 

全ての砲は最低限の動作確認だけはしておいた。操作方法において扶桑のそれと大きく違うものが無くてよかった。扱えないのでは話にならないからだ。

 

例に漏れないように、ガリア軍の対戦車砲も大きさ的に使い物にならなそうだ。

無いよりはずっとマシだが、使えるのは高射砲と野砲の5門だけだと仮定するのが最善だろう。

 

全ての砲が破壊されるような、大規模な群れが来てないといいが。

 

徹甲弾を込めた高射砲の照準器で、音の発生源を見詰める。

黒い物体がチラチラ見えている。

・・・いいや、撃ってしまおう。レバーを引き、発射。曳光弾により、弾道がはっきり見えた。

着弾、爆発はしない。貫徹出来たのだろうか。

 

緊張しながら、照準器を覗き続ける。

 

照準器から素早く離れ、身を伏せた。光弾が幾つも飛んでくるのが見えた。見えてしまった。

着弾。激しい音と、巻き上げられた土が、心をまた慣れ親しんだ感覚に浸りだす。

 

背筋が凍る風切り音を聞かされ続けながら、排莢し、次の弾薬を手早く装填する。照準器を覗き、発射。

砲弾がこちらに飛んでくるのがはっきり見えた。飛び退き、身を伏せる。至近距離で凄まじい音が鳴った。金属がひしゃげる音だ。顔を上げると、高射砲の砲身がひん曲がり、使い物にならなくなっていた。

 

走る。次の砲まで。移動中、どこに砲弾が飛んでくるのかなど、正確に把握出来る訳もない。兎に角右へ跳ぶ。

 

 

知ってるだろうか。足を吹き飛ばすには、200gの火薬があれば十分だという事を。それはソ連の技術者がPMN地雷を開発する時に証明した事実である。

 

その旨を誰に言うわけでもなく、叫び散らす。

 

「俺の足もそうなってる!クソッタレが!」

 

右足の太腿の途中から赤黒く変色したマッシュルームのように捲れ上がり、その先は消滅してる。血が吹き出ていて、妙に愉快だ。笑いが止まらない。その余波を食らってしまったのか、左足は開放骨折していた。

 

痛みは無い。脳内麻薬の過剰分泌だろうか。自分は今非常に興奮している。あぁ、とてもだ。

 

「これじゃ」

 

拳銃を口に番える。

 

「戦えねェだろうが!」

 

引き金が引かれ、亜音速の弾丸が脳幹を滅茶苦茶に破壊していった。

 

 

 

足が吹き飛ぶ寸前の光景を、自分はいつの間にか見ていた。先程とは違い、左へ全力で跳んだ。前転し、地面に這い蹲る。爆風が地面と自分を撫でていく。

 

死んでないし、四肢ももげていないし、致命傷も負ってない。継戦能力は維持された。これが正解だ。

しかし、あの感覚は鳴り止まない。ずっと警告を飛ばしている。

 

次の砲に取り付き、装填して照準器を覗き込む。相変わらず猛烈な砲撃を受け続けているクソッタレ共に手元のハンドルを操作し、適当に狙いを付け、発射。

森からぞろぞろと出てきた蟻型に当たり、貫通。直後に蟻型は姿を消した。

装填、発射。

一撃で蟻型が消し飛んでいく。途中からは身体が勝手にハンドルを操作して狙いを付け、発射している。それからはもう照準器から目を離して発射レバーを引いていた。

吸い込まれる様に飛んでいった砲弾が蟻型に必ず命中し、撃破していく様は、まるでゲームのエイムボットの様で気味が悪かった。それを自分が行っているのも気持ち悪さに拍車をかける。

 

非現実的な感覚だった。相変わらず砲弾は飛んでくるし、風切り音は臓腑を震え上がらせる。近くに着弾すると土が飛んでくる。そんな状況でも手足は意識せずとも動き、正確に敵を撃破していく。

 

また砲弾を発射した直後、嫌な感覚が一際大きくなった。砲弾が見えた。あぁ、見えた。黒いやつが、はっきりと。

 

 

必死に高射砲から離れる。

地獄のような灼熱に焼き尽くされて、急に意識が消失したのが記憶にこびり付いている。近くの地面に伏せた自分の背を、炎が巻く。置いてあった弾薬に着弾したのだろう。大爆発だ。

だが幸いにも鼓膜も破れなかったし、四肢も内臓も無事だ

 

次の砲に向かわなければ。

 

 

 

 

 

何回死んだのだろうか。もう時間感覚もあやふやだ。なんの為に戦ってたんだっけ。

今の自分の中にあるのは、やられたらやり返す、という憤怒の感情のみである。そうだ、気に入らない。やられっぱなしは性にあわない。

 

「死ね・・・クソッタレが・・・ぶっ殺してやる・・・」

 

土まみれで、所々から出血もしている。最高のコンディションだ。

 

荒々しく金属音を響かせながら、装填を完了する。そもそもこういった砲は一人で運用するものでは無い。文句を言っても仕方がないが。

 

発射。

 

あぁ、最高だ。全部殺した。ぶっ殺してやった。

 

敵の姿は見えず、金属音もしない。

 

「俺の勝ちだ」

 

 

その時、上空から音がした。

新手のネウロイ・・・大型ネウロイが5機、飛んでいた。エイ型だ。

 

急いで砲弾を装填し、高射砲のハンドルを操作する。装填した砲弾は、勿論徹甲弾。コアをぶち抜いてやる。

 

発射。

 

光弾が吸い込まれるようにネウロイに飛来し、直撃。コアを撃ち抜いて一撃で撃破した。

彼我の距離と相手の巡航速度、砲弾の弾道と風向きなどは、自分は一切考慮していない。自然と体が動いていた。最高じゃないか。

 

消えゆくネウロイから、黒い物体が落ちてきた。爆弾だ。

 

それも大型爆弾だ。航空爆弾に出来ることなど何も無い。それでも何かしないといけない。

取り敢えず近くにあった窪地に身を伏せた。

 

近くで凄まじい音と、木が倒れる音がした。

 

だが、肝心の爆発音が聞こえない。

 

恐る恐る身体を起こし、窪地から頭だけ出して着弾地点を見ると、理由は分かった。これは爆弾でも、普通のじゃない。瘴気を出すアレだ。

 

毒々しい色をした瘴気が勢い良く吹き出す。

そして味方が撃墜された事を察したのか、大型ネウロイから光線が地面に次々と照射される。

 

爆発、爆発、爆発。凄まじい音で何も聞こえなくなる。

頭を殴りつけられる爆発音に負けないように、高射砲に飛び付き、装填、ハンドルを勢い良く操作、発射。

 

敵は残り3機になった。

 

装填、発射。

 

残り2機だ。

 

そこで、自分は地面に崩れ落ちた。身体が上手く動かない。呼吸が上手くいかない。意識が、意識が遠のく。

 

例の呼吸法でも、直ぐにダメになった。

 

ちくしょう・・・瘴気か・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なん、なんだ、なんなんだ!?」

 

目を覚ますと、滅茶苦茶寒かった。状況を把握しようにも、凄まじく吹き付ける風で目を開ける事すら叶わない。

自分は今、どうなっているんだ。

 

「あれ、起きた?」

 

混乱し続ける自分が最初に聞いたのは、少女の声だった。




誤字修正、感想、待ってます。

インフルエンザに掛かりました。皆さんお気を付けて。


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またこれから

「え?あ?」

 

少女の声で余計に混乱する。自分は今どうなっているのだろうか。

 

「んー、少し我慢しててー」

 

暴風に耳を持ってかれそうになりつつも、少女の声はなんとか聞き取れた。それにしても、滅茶苦茶寒い。体が震えてくる。しかもなんだか口の中が鉄の味で一杯になっている。瘴気で吐血でもしたのだろうか。

 

「あの・・・!ここは一体!?」

 

暴風のせいで未だに目を開けられず、風に負けないように大声で叫ぶ。

 

「わわっ!?」

 

すると、急に暴風は止んだ。

異様な浮遊感に、暴風と言わずとも、未だに轟々と自分を撫でる風。何故だか目を開けるのが異様に恐ろしかった。

 

目を開けると、一面の青と白が自分を迎えた。

 

 

どうやら自分は空を飛んでいるらしい。

下は雲で地面が見えず、上を見ると、少女の顔。垂れ気味の犬の耳が生えている。

自分は少女に抱き抱えられているようだ。

 

「あの、一体何が・・・」

 

「・・・うーん、貴方が下に居て、瘴気が来てて。そのままだと死んじゃうから、回収した!」

 

「なるほど、説明ありがとう」

 

自分がこんな状況になっている理由は大体分かった。

それにしても、余りにも寒過ぎる。暴風に吹かれていた先程よりはマシだが、今でも身体が凍りそうだ。しかも妙に息苦しい。鼓膜の調子もおかしいし、踏んだり蹴ったりだ。

 

空気逓減率、漢字が難しくて苦労した記憶しかないが、あの法則に乗っ取ると、地球の重力下における空気は、100m辺り0.6℃程下がっていくらしい。

 

・・・今現在の高度は如何程で?

 

それよりも滅茶苦茶怖い。自分は高所が苦手だ。飛行機だとか何かに乗っているのなら兎も角、今の自分を支えているのは、腰に回された少女の細い腕だけだ。

 

(正直、チビりそう。)

 

吐く息が白い。なんかキラキラしている。だが自分を抱えている少女は寒がる様子は無く、平気な顔をしている。魔法力とやらの効果だろうか?

という事は恐らく、この少女と自分では文字通り生きている環境が違うのだろう。

不味い、このままだと無意識に殺される・・・!先程から寒いを通り越して痛くなってきた。いや、感覚が・・・。

 

「高度を!高度を下げてくれ!」

 

「え!?わ、分かった!」

 

なりふり構ってなどいられなかった。

 

急に落ちる高度、それに伴う内臓を押し上げられるような浮遊感、激しい豪風。全てが自分の体力と気力を根こそぎ奪っていく。激しい気圧の変化で鼓膜がもう滅茶苦茶だ。

 

地表から数百mといった距離まで降下した頃には、自分は性根尽き果てていた。ネウロイに叩き起されて碌に寝ていなく、夜通し走り通し、それから死にながらネウロイとの激闘を繰り広げた身体は、疲労困憊だった。それに追い打ちを掛けられた感じだった。

 

喋るのも億劫だった。

目を閉じ、滅茶苦茶な体感状態を感じつつ、自分は意識を喪失した。それが眠りに落ちたのか、はたまた気絶したのかは、自分には区別はつかなかった。

 

 

 

 

上空数千mの空の上、普通の航空機ではそこまで上がるのにも時間が掛かる高度に、四人の歳若い魔女達は居た。

 

「偵察の結果、敵の数は大型が5、それだけよ」

 

「それだけって・・・」

 

この編隊における隊長が事も無げに言い放ち、垂れた犬の耳を生やしたウィッチが、げんなりした表情で言葉を返す。

 

周りの表情も似たようなものだった。そんな中、隊長だけが真顔で飛び続けていた。

 

「・・・見えたわ、大型ネウロイ、5機きっかり」

 

「その魔眼ってどう見えてるんです?」

 

隊長の遠くを見る目が暗く、妖しく光り、固有魔法によって敵を補足したと周りに報告した。だが彼女以外に敵の姿は全く見えていなく、犬耳とは別のウィッチが怪訝そうに聞いた。

 

「言っても理解出来ないでしょ?」

 

「・・・へーい」

 

盲目の人間に赤色とは何か、と聞かれても説明して理解させる事は不可能であるように、固有魔法の感覚を他者に教えるというのは無理難題なのである。

 

「気を引き締めていくわよ。私達だけじゃ大型5体は手に余るから、適当に時間稼ぎして、後続に任せる形になるわ」

 

今飛行場ではもっと多数のウィッチが出撃の用意をしているのだろう。司令部との無線応答から、隊長はそう判断した。

 

 

そして、いよいよ隊長以外のウィッチにも敵の姿を捉えられる距離まで近付いた。

下方に見えるエイ型ネウロイは、ウィッチ達に気付いておらず、悠々と空を我が物顔で飛翔していた。

 

「相変わらず大きい・・・」

 

「この数は初めて見た」

 

「ベルリンにはもっと居たよ」

 

ネウロイの群れを見た各々が小さく会話を交わす。

 

「静かに」

 

それも、隊長の鶴の一声で静かになった。

 

「・・・そろそろ仕掛けるわよ。狙うのは一番先頭を飛んでいる機体。分かった?」

 

「了解しましたー」

 

魔導エンジンの出力を上げ、戦闘準備をする。

そしてーーー

 

「攻撃開始!」

 

急降下し、一気に距離を詰め、手にした銃の照門を覗き、引き金を絞る。

 

「うわぁ!?」

 

その前に、ウィッチ達の編隊の近くを光弾がすれ違った。

 

「何!?」

 

「気にしない!」

 

最近の空を飛ぶネウロイの攻撃方法は光線で、弾丸、砲弾による攻撃は珍しくなっており、何人かのウィッチが少し戸惑う様子を見せる。だがそれも、隊長の一言で治まる。

 

「え・・・?」

 

彼女達の目の前には、5体のネウロイがいたはずだった。

だが、今は4体しか居ない。これはどういう事かと隊長の方を向く犬耳ウィッチだったが、隊長も戸惑いの表情を隠せていなかった。

 

だが今は降下中であり、攻撃の最中である。幸いと言うべきか、彼女達が攻撃する予定だったネウロイは健在であった。

 

四人で一斉に攻撃を開始する。だが、分厚い装甲を前に致命打を与える事は出来なかった。魔法力とは強力なものであり、それが例え小火器であっても威力がはね上がる。だが、それでも限界は有る。正確にコアを狙わないと、撃破するのは不可能なのだ。

 

「ああもう!コアの位置は分かってるのに・・・!」

 

犬耳ウィッチが悔しそうに叫ぶ。

 

前に対処した別の部隊のウィッチの情報であの型のネウロイのコアの位置は分かっている。だが弾が思った場所に飛んでいかない、という具合だ。

それもその筈で、この四人は全員実戦経験が浅く、射撃の天才的な才能がある訳でも無い。その前提を踏まえ、自身も相手も高速で飛行していて偏差が必要であり、弾丸も風向きや重力の影響で弾道が安定しない。そんな状況で思い通りに当てろという方が無茶というものだろう。

 

「離脱!」

 

一撃を加えて直ぐにその場から離脱する。

そのままぐんぐんと距離を離していき、またネウロイの上方に位置取る。

 

「おかしいわ・・・」

 

奇妙な事に、攻撃を受けてもネウロイが反撃する様子は無かった。

 

いや、正確には違った。正確には、ウィッチ達に反撃をする様子が無かった。その代わりに地上へ向かって、猛烈に光線を照射しているのが上からでもはっきりと見えた。

 

「舐められてるわね・・・」

 

隊長による怒気を込めた一言の直後、再び光弾が飛来する。

また一体のネウロイが消滅した。

 

「有り得ない・・・」

 

思わず、といった様子で隊長が小さく呟いた。

 

「あれ、徹甲弾よ!?」

 

飛翔する砲弾の曳光剤が示す弾種は、本来対空射撃では使用される事の無い、徹甲弾であった。

 

そして、三発目。一撃でネウロイは消滅した。

 

「有り得ない、有り得ないわ」

 

徹甲弾を使用し、高度数千mに居る複数のネウロイのコアを一撃で撃ち抜くなど、大言壮語にも程がある。この事を報告しても冗談として受け止められるだろう。

 

これ程巨大なネウロイも、この高度だと地上からは豆粒サイズでしか捉えられないだろうに。

 

「射撃が止まった・・・?」

 

下からの援護射撃がピタリと止まり、やられてしまったのかと思ったのか、犬耳ウィッチが眼下のネウロイの更に下、地上を見ると、そこには毒々しい色をした瘴気が充満していた。

 

「ぁ・・・だめ・・・!」

 

彼女の脳裏に浮かぶのは、避難の支援を行っていた街で、瘴気によって生きながら地獄を迎え、血を吐き、のたうち回って無惨に死んでいった街の人の姿だった。瘴気が効かない自分と違い、魔法力を持たない人々が瘴気によって目の前で何も出来ずに死んでいく光景は、彼女の心に深い傷を残していたのだ。

 

「あっ、おい!ベーケ!」

 

隊長が制止するも、既に彼女は急降下を始めていた。

 

「・・・帰ったら覚えてなさい!全員降下!あのバカを援護するわよ!」

 

 

ベーケという犬耳のウィッチは、光線を掻い潜って地表まで降りてきていた。

 

「ああ・・・だめだった・・・だめ、だった・・・だめ・・・だ・・・」

 

辺りにちらほらと砲と死体が散乱しており、生存者は望み薄だった。

相変わらず辺りは光線の照射による爆発音が止まらず、酷いものだった。

 

 

だがそんな時、異音を彼女の耳が捉えた。

 

それは鋭い発砲音・・・音の大きさと高さからして、拳銃によるものであろうと一瞬で理解したベーケは、すぐ様音源へ向かった。

 

そして、そこに希望を見た。

 

拳銃を掴んだ腕だけが上を向き、寝転がっている兵士の姿があった。

急いで近付き、抱き抱え、急上昇。

 

兵士は口元から僅かに血を覗かせて白目を剥き、痙攣を起こしていた。

そして急上昇中に一際大きく震えたと思うと、手を口に突っ込み、勢い良く吐血した。そして何回か咳き込み、沈黙。

空中にばら撒かれた鮮血が、軌道を描いていた。

 

その様子を見て、この人は大丈夫なのか?と一人不安になるベーケだったが、直ぐにその心配は頭の片隅に追いやられる事になった。

 

「このバカ!」

 

頭に強い衝撃を感じて、ベーケはふらつく。上昇中だったのもあって、低速でふらふらと。

 

「た、隊長・・・」

 

険しい顔をした隊長が、そこには居た。

 

「言いたい事は山ほど有るけど・・・今はやめておくわ。基地に帰ってからよ」

 

「わ、分かりました・・・」

 

ベーケが抱えているものを見て、隊長は続ける

 

「さ、帰るわよ」

 

「え?帰るって、ネウロイは?」

 

「まだ居るわ。でも、直ぐに居なくなるでしょうね」

 

「それはどういう・・・」

 

「私達カールスラント軍が誇るエース部隊。一度は聞いた事あるでしょ?あの部隊がもうすぐ到着するらしいわ」

 

「え、あの部隊がですか!?」

 

その桁外れの戦果と共に、広報にも大きく使われているカールスラントのエースウィッチを集めた部隊。それが来ると聞いて、その度合いに多少の差異があっても、この場にいる全員が驚いていた。

 

「だから私達は早く帰投して、勝手な行動をした部下の処分をしなきゃいけないのよ」

 

「・・・で、出来るだけ軽いのでお願いします・・・」

 

「約束しかねるわ」

 

隊長に笑顔できっぱりと言い切られ、ベーケは一人肩を落とした。

 

 

そして今日は風が穏やかな日だとか、空がいつもよりも澄んでいるなとか、基地に帰った後の事を出来るだけ考えないようにして飛んでいたベーケの耳を刺激する大声を放つ兵士が目覚めるのは、この後すぐの事であった。

 

 

 

 

意識の覚醒とは文字に起こすと単純明快であり、理路整然とした現象である。だが実際の所、意識の覚醒をその瞬間に自覚出来る人間は存在しない。意識が目覚め、それから少しして思考能力を再獲得してから過去を振り返り、恐らく意識が覚醒したであろう瞬間を再自覚するのである。それは、意識を喪失する時でも変わらない。

 

瞼が重い。まだ眠気がする。

目を閉じながら取り留めも無いことを考えていた自分は、未だに倦怠感が覆う身体を意識しながら、目を開ける事を決断した。

 

清潔そうな白い天井。病院特有の消毒薬の臭い。

 

腕を見ると点滴が打たれており、そこから伸びる管で動きが多少制限されていた。

上体を起こし、周囲の情報把握に努める。

耳を叩く砲撃音や爆発音はせず、静かなものだった。時折聞こえる鳥の囀る声が心地良い。

ここは素晴らしい場所だ。ずっと寝ていたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「トラックに乗り込め!」

 

もたもたしていたせいで尻を蹴っ飛ばされて、列に並ばされる。

自分がトラックに乗り込むと同時にトラックは発進し、ヘタレたスプリングと荒れた道路が自分を揺らしてくる。一際大きく揺れた瞬間に 、備え付けられていた椅子に尻餅をつき、一息ついた。

 

あの理想郷には数日しか居られなかった。目立った怪我がなく、過労で倒れただけの自分は、直ぐに前線に戻された。

だがあっという間に戦線が崩壊し、撤退を余儀なくされ、自分はこうして運ばれている。

 

 

ガリア軍の兵器は贔屓目抜きでも、スペックの上ではカールスラントのものより優秀なものが多く、カールスラントと同程度かそれ以上にネウロイの猛攻に耐えると思ったが、現実はそうでは無かった。

実際の所はどうなのだろうか。

 

将校でもないし、そんな情報は貰えない。

 

まぁ、どうでもいい。どうでもいいさ。

 

時折大きい揺れに襲われ、尻が浮き、衝撃。やめてくれ。

 

 

暫く尻を殴られていると、港に辿り着いた。

降りた場所は要塞化しており、野砲や高射砲がその姿を覗かせていた。それから視線を後ろに向けると、トラックで進んで来た道の脇にひっそりと、曲がった看板が立っていた。

 

 

"Calais"

 

 

看板には、そう書いてあった。




勘がいい人とかなら、この後の展開が仄かに分かるかも知れません。


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くそげー

遅れてすみません・・・。
次も結構期間が空くと思います。


何か、何かがおかしい。

 

いや、おかしいのは今に始まった話では無いのだが、今回はなんだか毛色が違う。

僅かながら、あの感覚が・・・死の感覚がずっと続いているのだ。そのせいで体は強ばり、緊張しっぱなしだ。

・・・どうしてだ。自分が死に直面しているようにはどうしても思えない。

 

そんな奇妙な現象と直面しながら、自分は新たな戦場で戦っていた。

人類側は防戦一方で、攻めて出る様子は無い。

 

タッタと駆け足で言われた通りの配置に着き、ネウロイの襲撃に備える。

ここに自分の直属の上官はいない。というより、ここには扶桑軍が居ない。何故なら、ここに来る筈だった人員が全員死亡したか行方不明になっているからだ。

先にここに居たガリア軍の士官が伝える所によると、自分の部隊は・・・自分を残して殲滅された。全員死んだのだ。全員。正確には行方不明の者も居るが、大方死体の損壊が激し過ぎて身元の確認が出来なかったか、人目につかない場所でひっそりと死んでいるかのどちらかだろう。

ネウロイの支配地域で生き延びるなど、困難極まりない。

 

しかしまぁ、なんだ・・・。何故か未だに現実感が無い。顔見知りが死にました。なんて、目の前でその顔見知りが頭を弾丸で消し飛ばされても直ぐには理解出来なかったのに、口伝による情報では、余りにも現実感が欠如している。

 

部隊の人はいい人ばかりだった。隊の中でも最年少であった自分がそう思うのだから、彼等の人柄の良さは推して量れるだろう。

だがもう居ない。

 

 

ここに居るガリア兵は士官くらいで、居るのは殆どブリタニア軍だった。本土から大陸に渡って来たのだろうか。

それに伴って、ブリタニアの戦車や装甲車、砲があちこちに散在していた。

 

砲撃が飛んできて、爆音と破片、それに時々肉片が伴って撒き散らされる。断続的に響き続ける爆発音が悲鳴が怒号が、その他諸々の煩わしさが頭に染み込んでくる。

沿岸地域の近くであり、文字通りの背水の陣であるここから退却できる場所はない。我々は袋の鼠だ。

 

ネウロイが襲撃してこない僅かな時間で泥のように眠り、睡眠をとるが、また直ぐに奴等はやってくる。手帳が無ければ、自分はとっくに日付感覚を喪失していただろう。今日はここに到着してから三日目だ。

 

 

 

それからまた二日後、転機は急にやってきた。

攻勢命令が下ったのだ。攻勢命令だ。攻勢命令。

 

 

正気か?

 

 

 

塹壕や土嚢を組み合わせて構築されていた簡易的な陣地から、砲撃を盛んに繰り返し、僅かに残っていた貴重な機甲戦力が前に進んで行く。沿岸地域から少しのこの場所で、決死の攻勢命令は実行されていた。

 

どうしてこの圧倒的な戦力差で攻勢命令が下されるのか。その理由は欠片も分からなかった。一兵卒に過ぎない自分では得られる情報が余りにも乏しい。どうしてこんな無謀な作戦が・・・。

 

ブリタニア遠征軍による機甲師団が中心となったこの作戦は、驚く事に、ネウロイを押し返す事に成功していた。

 

カールスラントの戦車とは違い、歩兵と合わせて動くというコンセプトで作られたマチルダ歩兵戦車。機動力が鈍重で、ノロノロと進んでいるその戦車を見て、こんなもので大丈夫なのかと不安に思っていた自分は、次に見た光景でその感想を直ぐに撤回した。

 

高速で飛来した砲弾が、戦車の正面装甲に直撃する。

金属同士が擦れる音を響かせながらも、戦車の足は止まらなかった。

 

そう、この鈍足マチルダ歩兵戦車、カールスラント戦車とは比較にならないほどに装甲が厚いのだ。

足周りと火力こそ残念だが、装甲だけは有る。2ポンド砲を発砲しながら進んでいくその様は、なんとも頼り甲斐があるものだった。

 

光弾が歩兵戦車にぶつかり、身を縮ませる金属音と共に弾かれ、上空に跳弾していく。砲弾が履帯に直撃し、履帯が破損して動けなくなった歩兵戦車を追い越した時に振り返り、その姿を正面から見てみる。正面装甲は抉れていたり、砲弾がそのまま突き刺さっていたりしていた。

どうやらかなりの猛攻をその分厚い正面装甲で受けたらしい。

 

緩やかな稜線を目指して進撃していたブリタニア軍と共に行動していたが、先行していたマチルダが後退している事に気が付いた。

戦車兵がキューポラから頭を出し、下がれ下がれと叫んでいる。

 

 

緑色の大地と、青空と、散在するブリタニア製の鋼鉄の塊によって構成させれていた稜線。その稜線に、黒い異物がのっそりと姿を覗かせた。

 

金属で出来た6本の足が地面を踏みしめ、少量の土とそれに張り付いていた植物を巻き込み、進んでいる。

その姿を自分の網膜は、はっきりと捉えていた。

 

長い砲身がマチルダを指し、鼓膜を殴り付ける爆発音を響かせる。

風切り音と同時に甲高い金属音が響き、光弾が上に弾かれていた。

 

だが、爆発音は一つだけでは無かった。連続したその音は、自分の心から余裕を無くすには十分過ぎた。稜線を埋め尽くす様に次から次から現れるその姿は、出来の悪い冗談の様で、少しその場に硬直した。

 

「冗談じゃねえよ」

 

砲撃の影響か、所々地面で小さな炎が燻っている。それに付随して戦場に漂う重苦しい煙を振り払い、走って行く。

 

発砲音とは別に背後で聞こえた爆発音は、マチルダ歩兵戦車の砲塔が空中に放り投げられた音だった。ターレットリングごと上に吹き飛んだ砲塔と、地面に置き去りにされた車体から炎が噴き出すが、直ぐに炎の勢いは弱まる。

 

今頃車体の中に残っていた搭乗員は悲惨な事になっている事は想像にかたくない。弾薬が引火した戦車の中は鋼鉄で出来たオーブンみたいなものだ。人間の原型を保っているかすら怪しい。ゲル状になっている可能性も高いだろう。

 

・・・止めだ。考えるのはよそう。

 

 

その後は走って走って走った。周囲で聞こえる怒号と叫び声、爆発音を努めて無視してひたすらに。

 

完全に敗走だった。

指揮系統は混乱し、自分にも命令は下されていなかった。各々が時折反撃しつつも後退し、戦線は引き下がっていく。このままだと、また陣地まで押し戻されてしまう・・・いや、そのまま押し潰されて殲滅されるだろう。

 

どうやって破滅を回避しようかを思考しながら、足を動かす。

・・・生憎と名案と呼ばれるような、冴えたやり方は浮かばなかった。根本的に戦力の差が大き過ぎた。それに尽きる。

 

時折身体が意図せずに出鱈目な動きを繰り返し、流れ弾から身を躱している。出鱈目とは言っても物理法則に反する様なものではく、急に横に飛び伏せたり前転したりと自分の主観から見た出鱈目さだ。

 

 

地面が揺れている。質量を伴った足音が近くに、すぐそこにまで迫っている。

 

疲れ果てて走る事が覚束なくなった自分は、元は家であったであろう瓦礫に身を潜めていた。平野に散在する家の一つであったこの残骸は意外と大きく、身を隠すには十分だった。

 

意識して呼吸を落ち着かせ、ひたすらに時間が過ぎ去るのを待つ。

・・・瘴気で死ぬか、砲撃で消し飛ばされて死ぬか。最悪で最低な二者択一の選択肢は、既に目の前に迫っていた。

 

黒く、硬質な金属製の関節肢が大きく視界に映り込み、同時に長い砲身が見えた。頭部を振っている蟻型がすぐそこに・・・もう既に居たのであった。

 

「なっ」

 

完全な不意打ちだった。

それは蟻型も一緒だったのか、双方共に一瞬硬直し、睨み合う格好になる。

だが長い砲身で自分を捉えようと頭を動かす蟻型を見て、自分は駆け出していた。

 

そして、不可避の一撃が背中を叩いた。だが直撃した訳では無いようだ。もし直撃していたら胴体が二つに泣き別れしている筈だから。

 

至近弾による衝撃波か破片か。前者か後者か分からないが、兎に角その一撃によって、自分の呼吸は確かに一瞬止まった。爆風によって前方に転がり、のたうち苦しむ。

内臓が幾つか潰れてしまったのか?霞む視界、くぐもる聴覚、余りの痛みに、自分は叫んでいた。

 

口の中は鉄の味のする生暖かい液体で溢れかえり、断続的に口から外部へ飛び出していく。呼吸が困難になるほどに溢れ出るそれは、思考をする余裕を奪い去っていった。

 

妙に粘着質な水音がする呼吸音を響かせながら、なんとかネウロイを視界に入れる。仰向けの状態から、腕を使って上体だけを少し上げて。

 

だが既に砲身は致命的なまでに、正確に自分を捉えていた。

 

 

そして、爆発。

 

 

 

 

 

横っ面を爆発で殴り付けられた蟻型がバランスを崩し、砲身がブレる。自分の顔を掠める程に近くを飛来した砲弾は、遥か後方へ消えていった。

 

何が起こった・・・?

 

 

悲鳴を上げ続ける身体を無理矢理動かし、周囲を見回す。見えたのは、ガリア製の戦車の群れだった。

 

 

もう遅いが。

 

 

 

死んだ。

例の至近弾はどうやら致命傷だったようだ。

 

またまた尻を蹴られながら自分はトラックに乗り込んだ。

 

何故か今回はかなり前まで時間が巻き戻っている。

だがもう死の感覚がする。死だ。死の感覚がするんだ。どういう事だ?どうしてこんな早くから、こんな、こんな・・・感覚がするんだ?

 

 

"Calais"

 

 

看板は、前周よりも曲がっていた気がした。

 

五日後に、攻勢命令はまた実行された。

 

 

死んだ。

 

"Calais"

 

トラックから降りると、既に見慣れた、忌々しい記憶の筆頭を飾る看板が自分を迎える。

ダメだ、これは良くない兆候だ。正しい選択肢を探さなければならない。それは一体どこだ。

 

 

"Calais"

 

 

"Calais"

 

 

"Calais"

 

 

"Calais"

 

 

"Calais"

 

 

"Calais"

 

 

焦点の合わない瞳を無理矢理合わせて、目の前を見る。そこにはもう見慣れたトラックが並んでいた。これに乗って、自分は屠殺されに行く。選択肢は無く、ただただ殺される。この状況を打破する方法も、考えも思い付かない!

 

ふざけんな、ふざけんなよ・・・誰か教えてくれ、どうすればいい?

 

自分は尻を蹴られつつ、またトラックに乗った。

 

だめだ、だめだ。このままいくと生存ルートが袋小路を迎える。

考えろ、考えろ。何をすればいい、どうすればいい。

なんで自分は死んでる?ネズミ一匹通さないレベルの、包囲された戦線でジリジリと、真綿で首を絞められるように・・・クソ!ふざけんな、ふざけんなよ、どこに行っても奴等が居る!

進行不可、クリア不可だなんて、クソゲーにも程があるだろう?

ここでずっと・・・だなんて事はない筈だ。なら、正しい選択肢はどれだ?

 

 

"Calais"

 

 

"Calais"

 

 

"Calais"

 

 

"Calais"

 

 

"Calais"

 

 

"Calais"

 

 

"Calaーーー

 

「クソッ!」

 

看板を蹴りつける。

 

「クソが!ふざけんな!クソ!クソ!」

 

執拗に蹴りつける。鉄で出来た看板を破壊する事は叶わず、これから起こるであろう理不尽な死と、それを淡々と宣告するように直立する看板が、自分の心を掻き乱す。

 

希望が無い。

 

冴えた方法が無い。

 

死ぬしかない。

 

前に、未来に進めない。

 

目の前に広がるのは、終焉以外は自由の、だが確実に袋小路へと向かう理不尽だった。

 

「ああ!クソ!クソ!めんどくせぇ!クソが!」

 

看板を蹴りつける。

 

風切り音が聞こえた。高い、高い風切り音が。

 

 

"Calais"

 

 

"Calais"

 

 

 

 

 

 

 

自分は今どこに居るのだろうか。

 

思えば色々な死に方を経験した。あのウィッチと協力して・・・あれ、彼女の名前って、なんだっけ。あれ、あれ・・・。

 

 

・・・あのウィッチと協力して脱出した街で経験した、様々な死に方。大量のネウロイと正面切って戦った、あの時の色々な死に方。それらの記憶を刷新する経験を、今している。

 

これを、もう何回繰り返しているのだろうか。

 

あの時と違い、何回行っても進歩が見受けられず。

ただひたすらに、無感情に、機械的に、必然的に、不可避に、殺されている。

 

どうすればいい?

 

答えは返ってこない。

誰も助けてはくれない。

 

トラックが走り出した。尻で感じる地面の凹凸。

必死に考える。考えた。考えるのはもう辞めだ。あぁ、もう辞めた!

トラックが止まる。視界に映る看板。

 

"Calais"

 

 

"Calais"

 

 

"Calais"

 

 

"Calais"

 

 

 

ちくしょう。




この場面はもっと書きたかったんですけど、先に私の知識と想像力が尽きました。


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せいきるーと

これから一月に一話にしようかと思ってます。


先に光明は無く、延々と続く幽々とした未来のみ。

人には希望が必要なのだと理解したのは、この瞬間であった。似たような状況には前に・・・あのウィッチが居た街でなったが、少しづつでも前に進めているという実感があったから、心こそ粉砕されても、自分は決定的には折れなかった。前に進む事を諦めなかった。

 

だが今はどうだ。自身の記憶が言うに、自分は全く進歩していない。

毎回崖からダイブして投身自殺をしているような、救いも、進歩もない。

 

こういった状況を覆すには、突飛な行動が必須である。

 

 

 

 

 

(だから俺は)

 

 

 

 

逃げる事にした。情けなく背を向けて、凄惨を極める現実から。

 

忌々しい看板が見えて、その後の既定路線をなぞって死んだ直後、自分はもう走り出していた。走る自分を呼び止める声が聞こえたが、そんなものは聞こえていない事にした。

 

なんだかスッキリした。風を切って走っている爽快感も加味されて、とても。

 

逆立ちしたって適わない様な残酷が過ぎる現実からは、無駄な抵抗はせずに逃げればいい。

これは現実逃避だろうか?ああそうだ、現実的な行動が伴った、現実逃避そのものだ。

 

気が付くとどこかも知れぬ道のど真ん中で、自分は座り込んでいた。

 

例の感覚は、もうしない。

 

「ははは・・・」

 

(なんだよ・・・)

 

自然と笑みがこぼれる。最初からこうすれば良かったじゃないか。

 

「ははははは!」

 

正解なんて、簡単じゃないか。

 

「はははははははは!!」

 

なんで、なんでこんな事に躓いてたんだ。

 

「はは!ははは・・・はぁ」

 

片手で地面を着き、もう片手で顔を覆う。涙が止まらなかった。それは無為な行為を繰り返していたという怒りと悔しさからか、前に進めた安堵感と達成感からか。

 

無限に続くかと思えた地獄は、あっさりとその幕を閉じた。

 

 

終わった。終わったんだよ。

 

やっとか。

 

 

 

 

街道の真ん中で座り込んでいる兵士が一人。すっくと立ち上がり、歩き出す。

そんな兵士の下に・・・歩く兵士と同じ方向に走って来たトラックが通りかかる。トラックは停車し、中から兵士が一人降りてくる。それは服装からしてブリタニア兵の士官であった。

 

「・・・太陽が眩しい。核融合の光が自分を照らしている。地球の磁気圏、大気圏に感謝しなければならない。宇宙船地球号だ」

 

フラフラと千鳥足で歩きながらなにかブツブツと独り言を呟いている兵士を見て、士官は声を掛けた。

 

「・・・どうした?」

 

「・・・こんな所から早く離れたい」

 

声を掛けられても、反応を示さずにそのまま歩いて行く兵士に業を煮やしたのか、士官が肩を掴んで強く呼び掛ける。

 

「おい、お前・・・何を言っている」

 

「・・・?」

 

「おい・・・!」

 

「・・・!?」

 

先程までの夢遊病患者のような動きはどこにいったのか、瞬時に小銃に手を掛けて構える兵士に、士官は一歩後ずさる。

 

「・・・ブリタニア兵(ブリタニアン)?」

 

「あぁ、そうだ。・・・気が立っているのは分かるが、それから手を離せ」

 

一部始終を見ていたのかトラックから何人かの兵士が飛び出し、全員が兵士に小銃を向ける。

 

「・・・あ、あぁ、了解」

 

小銃が降ろされたのを見た士官が一息付き、そして続けた。

 

「・・・トラックに乗るといい。部隊からはぐれたんだろう?」

 

 

このトラックは当たりのようだ。今まで乗ってきたどのトラックよりも揺れは控え目で、品質の良さが伺える。

そんな車内で奇異の視線を浴びながらも、自分は少し考えていた。先程の自分の奇行の件だ。

 

ストレスか?ストレスだろう。間違いない。

解決した。

 

頭を振って心機一転、正常になる。

・・・正常になれ。

 

「・・・はぁ」

 

幸せが逃げる。なんて言われている息が零れた。

 

 

軽く肩を叩かれ、叩いたであろう人間が居る方を見ると、一人の若いブリタニア兵が自分を見ていた。20代だろうか。

 

「前線はどうだった?」

 

「どうって・・・?」

 

「いや、俺はまだネウロイすら見た事が無くてさ、前線はどうなってるのか知りたいんだ。これから俺も送られるかもしれないし」

 

「そうか」

 

「だから知りたいんだ。教えてくれ、な?」

 

「・・・地獄だ」

 

「地獄?」

 

「そんな安直な言葉しか出てこない」

 

自分がなんとか絞り出した感想を聞いて、息を呑む音が聞こえた。

 

「もし、もしもだ。・・・戦場に英雄願望を持ちながら行くのならやめた方がいい。もっとも、ここにいる時点で既に手遅れだが」

 

「ろくな場所じゃない。劣悪な環境で蔓延する病気に、ひっきりなしに襲来するネウロイ。腹が抉れ四肢が千切れて叫ぶ兵隊。それだけだ。それだけ。それだけだぞ。・・・本当だ。嘘じゃない」

 

「・・・そうか」

 

ブリタニア兵は、何処か他人事だった。

それもそうか。百聞は一見に如かず。そんな諺もあるくらいだ。話を聞いただけでどんなものか具体的に想像出来る人間はそう居ない。

 

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。勿論自分は前者だし、殆どの人間が前者だろう。

つまりだ。

彼も、自分も、死ぬまで学ばない。

 

 

 

 

吐き気がする。

 

船外に派手に吐瀉物を撒き散らしながら、自分は甲板の上で潮風を全身で受けていた。

胃の中が空になってから暫く、やっと少し落ち着いてきた所でその場に寝転ぶ。背中で硬質な船体を感じながら、そのまま時折雲が浮かぶ真っ青な空を眺めていた。

 

 

自分が同乗させて貰ったトラックは、あの忌々しい"Calais"とは違う場所に到着した。そこは港であり、自分が戦場で何度も夢見た第二の故郷への道標であった。

 

そこからはトントン拍子で状況は進んで行った。殲滅された自分の部隊とは別の扶桑軍の部隊と合流させてもらい、こうしてブリタニア行きの駆逐艦に同乗させて貰っている。

ブリタニアに一旦行ってから、喜望峰回りの扶桑行きの船舶に乗り換えるそうだ。既に地中海やスエズ運河がネウロイの脅威に晒されており、扶桑に行くには喜望峰を通るルートに限定されているそうだ。

 

この時代ではまだ北極海ルートで運用されている船舶は殆ど無い。今の季節は丁度夏だというのに・・・残念だ。

 

 

帰れるのか。

 

どこに行っても変わらない青い、青い空を眺めつつ、自分は感無量になっていた。

 

こう都合良く物事が進んでいると、えも言われぬ不安感に襲われる。多分欧州ではろくな思い出が無いからだろう。

今現在の懸念事項と言ったら酷い船酔いだけで、ネウロイが襲撃してきたりはしていない。

 

まだ気分が悪い・・・。

 

 

地面に足を着けても、まだ地面が揺れている。狂った三半規管が落ち着きを取り戻すまで、もう暫く掛かりそうだ。

船から降りた後に誘導された建物は、椅子が等間隔に並んでいる倉庫だった。どうやら次の指示があるまでここで待機するようだ。

 

入り口から近く、それでいて入り口から射し込む陽の光を浴びない位置にある椅子に勢いよく座り込んで、身体の力を抜く。すると強張り続けて弛緩する事を忘れた筋肉が少し楽になった。

瞼を閉じ、手の甲を上に載せる。自分の手がアイマスク変わりになってる。

 

嗚呼、疲れた。

 

 

いつの間にか寝ていたのだろう。脳がまだ完全に覚醒していないのか、周囲の喧騒の内容が理解出来ない。声は聞こえるが、その内容を理解する事が出来ないのだ。

 

鈍い痛みを放つ首を鳴らしながら手を退け、目を開ける。入り口から射し込む眩しい陽の光を避けながら、周囲の様子を伺う。

薄暗い室内は、扶桑人が思い思いに過ごしていたが、その全てにある共通点があった。

 

自分を見ている。

 

周囲を見渡しても皆が皆、漏れなく自分の方を注視しているのだ。

一体何故・・・?

注目される事が好きではない自分としては、この状況はよろしくない。こうなった原因を究明しなければならなくなった。

 

徐々に目が慣れてきて、入り口の方を見る事が出来るようになった。そして、自分の目の前に誰かが立っている事に気付いた。

そして周囲の視線は自分ではなく、目の前の人物に向けられているのだと、同時に理解した。

 

「久しぶり」

 

その声は小さく、それでいてこの埃っぽい倉庫によく響いた。

 

自分はこの声に覚えが有る。

 

誰だっけ?

 

「・・・って言っても、まだ名前も聞いてなかったね」

 

小鳥の囀り程の大きさの声が、絹糸の様な繊細さを持った声が、鼓膜を擽る。光に慣れた目が捉えたのは、栗色の髪の毛を持った、小柄な少女だった。

 

時が止まったようだった。半覚醒の脳が処理するには少々情報量が多く、それでいて華麗で、もう訳が分からなかった。

 

「私の名前はテア・イェーガー。テアでいいよ」

 

 

「自分の名前はーーー」

 

予想外の出来事に、状況を把握する前に一拍遅れて返事を返す。

 

「・・・覚えたよ。素敵な名前」

 

ありふれたその単語を聞いて、屈託のない笑みを浮かべた少女を見た。

 

自分の脳内では彼女が誰なのかという疑問が膨れ上がっていた。会話の前後を聞く限り、会った事があるのだろう。思い出したくもない、碌でもない思い出をほじくり返して彼女の事を思い出そうとする。

 

・・・思い出した。

 

塹壕で会った、あのウィッチだ。

 

自分が思考の海に身を投げている間に、彼女は自分の隣に座っていた。その小さい頭を自分の肩に預け、目を閉じている。整った口元の口角を小さく上げている事も同時に分かった。

 

訳が分からなかった。

この状況を誰か説明してくれ。

だがそんな想いは届かず、周りの人間は自分と隣の少女を注視するだけだった。

 

 

テア・イェーガーと名乗った少女は、彼女を探していたという二人の女性に回収されていった。

あの衝撃的な再会から数分の出来事であった。まるで嵐の様だった。

目の前、目と鼻の先で起こった怒涛の展開に、唖然としているしかなかった。

 

周りの人間からなんだか物言いたげな視線を浴びるが、自分は沈黙を貫いた。自分でも何が起こったのかよく分からないし。

 

 

扶桑行きの輸送船は想像よりもずっと早く用意された。

何日かこの港で寝泊まりする事を覚悟していたが、あの出来事から数時間後には自分はまた船に乗っていた。

 

ここから数ヶ月掛けて、扶桑へと帰るのだ。

前の世界だと飛行機で半日程の距離だが、船となるとそれと比べられない程の時間がかかる。今からもう億劫だ。行きも同じだったが。

 

船が出港すると、大陸の対岸が燃えているのが見えた。この距離から見える程の凄まじい規模の火災だ。

自分も今まであの火災の中で息絶え続けていたのかと思うとゾッとする。怒りも同時に湧いてくる。

 

そんな大陸の様子を尻目に、海上は穏やかな様子だった。

船酔いによる最悪なコンディションさえ無視すれば、自分は恵まれている。

 

今からもう帰った後にする事を考えてしまう。休みを取って実家に顔を出そうとか、親友に会いに行こうとか。

今考えていても仕方が無いのだが。

 

 

船で出た温かい食事に、思わず涙ぐんでしまった。味噌汁や卵焼き等の扶桑料理がふんだんに出てきたのも理由の一つだった。

 

割り当てられた部屋は二段ベッドが二つ並んでいる4人用の酷く狭い部屋だった。見知らぬ三人の気配を感じながら、布団に潜り込む。

気疲れからか、物理的な疲れからか、直ぐに眠気はやってきた。

 

 

瓦礫と化した街並みの裏路地で、足の折れたウィッチが首だけ自分の方に向けて自分を睨み付けていた。

 

「どうして見捨てたの」

 

崩れた階段の下からはみ出る腕が見えた。

その前に銀髪の少女が座り込んでいて、持ち主が圧死した腕をじっと見ていた。

 

「嘘吐き」

 

燃える村を背景に、砲撃音と共に肉片が辺りに散らばる。

 

「助けてくれ」

 

見慣れた地名が記された看板が自分を迎える。

 

「配置に付け」

 

様々な風景が目の前で瞬時に入れ替わり立ち代わり立ち塞がる。

 

 

「うるせぇな・・・」

 

何処か冷静な思考が、これが夢であると理解した。

所謂悪夢というものだろう。

こんなものを見れるなんて、自分も随分と余裕が出来たものだ。

この自前の脳による自作スライドショーを見て何か思う所は無い。生憎と自己満足で自己完結する謝罪なんぞ持ち合わせていないからな。

 

それよりも一刻も早くこの悪趣味な夢から覚めたい。怒りがふつふつと湧いてくるからだ。

 

 

目覚めはよかった。ずっと起きたいと思い続けていたからだろうか。

船酔いも克服した。行きの時もそうだったが、自分の場合は初日さえ耐えれば、船酔いがぶり返す事は無い。

早く扶桑に着かないかと、出港してからまだ一日しか経っていのに考えてしまう。船の中は余り娯楽が無く、酷く退屈だからだ。

周囲の人間に本が無いか聞いてみるのもいいだろう。自分が持っていた本は全てカールスラントの何処かに紛失してしまったからだ。

 

そうと決まれば、早速動き出すべきだろう。

自分は一歩踏み出した。




別の小説も書きたい。


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ぼうけんのしょ1

遅くなってすみません


船旅は想像していたよりかは、退屈ではなかった。

というのは、多数の本を持つ扶桑人の老人が同乗していたからだ。その老人はブリタニアに住んでいたが、欧州大陸の惨状を見るにブリタニアも危ないと思い、扶桑へ帰るのだと言っていた。

船に持ち込めたのは蔵書の中でも僅からしいが、それでも圧倒的な数だった。

 

本は自由に読んでいいと言われた。そのお陰で、船旅の大多数を占める退屈な待機時間を潰す事が出来た。彼には感謝しかない。

 

食事 運動 読書 睡眠 ひたすらこの繰り返しだった。

曜日感覚が狂い、どうして海軍が金曜日にカレーを食べるのかを理解したこと以外には特筆する事も無く、長い船旅は終わりを迎えた。

 

 

 

「着いた・・・」

 

揺れない地面に足を踏み締めながら、感慨深い一言を呟く。

 

「帰って、来た・・・」

 

扶桑に、帰ってきた。

 

 

数ヶ月に及ぶ船旅を終え、今は電車に揺られている。

休暇の申請を終え、実家に里帰りする為だ。

自分が着いた港から故郷までは扶桑を縦断する程に遠く、一泊二日で帰る予定である。

訓練所とカールスラントで過ごした時間は優に二年に近く、同様に実家に帰省するのも二年振りだ。

 

 

・・・色々あったが、実の所自分は故郷が余り好きでは無い。母や親友は好きなのだが、父がどうしても苦手だったのだ。

 

自ら金銭を稼ぐ手段を持たない自分からすると、他人、それが例え家族だとしても養われるというものはストレスが溜まるものだった。金銭を他者に依存するという事は、その人間に生殺与奪権を握られているのと同意義であるからだ。

だが今は違う。自力で金銭を稼ぐ手段を自分は手に入れた。だから、故郷に帰る決心が付いたのだ。

 

 

見慣れない景色が流れる窓を見ながら電車に揺られ、そんな事を考えていた。

 

 

いつの間にか寝ていたようだ。周囲は薄暗く、遠かった目的の駅まであと少しになっていた。

固まった体を伸ばす。体の節々からパキパキと子気味良い音が鳴るのを聞きながら、一息つく。

 

ここで一泊してから、明日には着く予定だ。

 

電車から降りると、少々肌寒く感じた。自分がカールスラントから帰還している間に季節は夏を過ぎ、多くの食べ物の旬である秋へと移行していた。

 

駅から出ると、片田舎といった様子の景色が広がっていた。石畳の道路に、遠くまで店が並ぶ商店街。住宅街も隣接していた。

 

ここで宿を探す。

近くを歩いている通行人に宿を聞き出し、早速向かった。

 

自分が入った宿はこじんまりとした、家族経営の宿だった。女将である母親と娘の二人で運営しているらしい。入口近くに飾ってある家族写真に、軍服を着た父親らしき男性の写真があった。今は大陸にでも出征しているのだろうか?

 

自分が写真を注視していたのに気付いたのか、女将が父親は戦死したと教えてくれた。大陸でネウロイに殺されたと。

 

返す言葉が思い付かず、黙っていると、気にしないでと言われた。

それに返す言葉は、ついに出てこなかった。

 

 

食事と入浴を終えて布団に寝転がって木目を眺めていると、なんだか色々あったが、その全てがあっという間だった気がしてくる。

戦地と船の中は碌な風呂も寝床も無かったから、それと比べれば大分リラックス出来ていた。

 

だがまだ、自分は緊張していた。何故だろうか?

 

・・・こんな職業なんてとっとと辞めたいが、辞めた所で碌な再就職先は無いだろう。自分には学歴も無ければ、突出した才能も無いのだから。

 

考え始めるとキリがない。もうさっさと寝てしまおう。

 

 

母娘に礼を言い、支払いを済ませて宿を後にした。

適当にその辺を散策してから電車の時間に合わせ、乗り込む。

 

そういえば。

そう、そういえばだ。

圧倒的に今更過ぎるのだが、この世界は女性の服装がおかしい。というのも、妙に露出が多いのだ。だが皆がさも当たり前かのような顔をしているから、違和感は直ぐに消えたが。朱に交われば赤くなるとはよく言ったものだ。

違和感の解消がされた理由の一つに、それよりも北アメリカ大陸の形が激変している事や、大陸におけるとある大国の存在の有無の方が驚くべき事柄だった・・・ということもあるだろう。完全に違う訳でもなく、所々似通っている部分が有るこの世界について、自分は強く興味を引かれているという事実を再度意識させられた。

 

また同時に電車の心地良い揺れに揺られていると、碌に舗装されていない道を走る車両が如何に不快だったかを思い出していた。

 

 

・・・こうして本当に故郷に帰るとなると、なんだが気が落ち込んできた。電気ガス水道全てが無い田舎だ。碌な娯楽施設も無い。

ただまぁ、親しい人が居る。それだけだ。郷土愛なんてものは自分には芽生えなかった。前世の記憶とやらが要因なのだろうか。生活出来れば、友人が居ればどこでもいいといった心持ちだ。

 

 

これは帰省する少し前の話。

 

休暇申請やその他諸々の申請や報告を終えた自分は、ある試験を受ける事にしていた。

それは士官への道であり、昇進への道でもあった。

 

 

その名も航空兵試験。つまりはパイロットになる為の試験だ。

 

 

すんなりと受かった。

自分は頭が良いらしい。・・・正直に白状すると、なんとか過去問を見つけたのが勝因だろう。国語だけが異様に難しかったのが記憶に新しい。

 

ただまぁ、やはり国語以外のテストが簡単過ぎたのがとても印象に残っている。全てが中等教育レベルだった。

扶桑における進学率を鑑みるに、それが適切な試験なのだろうか?

 

そして試験結果を伝えた上官によると、どうやら平時よりも採用人数が多いようだ。自分が受かったのもそういった背景もあるだろう。

 

思わず聞き返した採用人数拡大の理由は単純だった。

大陸におけるネウロイとの戦争で、パイロットが少々死に過ぎたからだ(・・・・・・・・・・)。国としては早急なパイロットの育成が急務なのだろう。

 

 

着いた。着いてしまった。

無人駅の寂れた駅。いつ屋根が腐り落ちるのかと不安になるほど風化の進んだその建物を見るのは久々だ。意外と構造がしっかりしているらしい。

 

駅舎から出た自分を陽射しが歓迎する。秋頃特有の突き刺すような感じではなく、柔らかい、眠りを誘うような陽射しだった。

 

過去に見慣れた風景を歩んで行く。途中、昆虫や鳥が飛び交っているのを見て、やはり田舎だと再認識する。

駅舎から少し離れると、そこは一面の田んぼだった。懐かしい光景だ。時折点在する民家と砂利で舗装された里道を見ると、随分と久し振りに感じる。たった二年しか経っていないというのに。

 

 

一番見慣れた木版の表札が掲げられている家の前まで着いた。その場で十数秒硬直し、また歩き出す。無駄に広いこの家も、久し振りだ。

 

 

「ただいま」

 

 

 

 

そこからは大騒ぎだった。

一番驚いたのは、自分の遺影が飾ってある仏壇を見つけた事だろう。唖然としてしまった。

 

母は泣きじゃくって抱き着いてくるし、父は怪談話を聞いたような、半信半疑の表情で自分を見てきた。

そして少しすると、破顔した。曰く、お前は死なないと信じていただとか。

 

母を引き剥がし、事情を父から聞いた。どうやら殉職の誤報だけが届き、誤報についての続報が無かった為にこの状況になっていたらしい。

父が自分が死んだと信じなかった理由の一つに、戦死者の家族に対する手当てが出ていなかった事があったそうだ。

 

泣き疲れて落ち着いた母が話すに、周囲が自分の葬式を進める中、父だけは頑として抵抗していたらしい。それは確固とした理由や考えによるものではなく、意地に近かったとも。

俺の息子が死ぬものか、この訃報も何かの間違いだ、手当ても実施されてない、誤報だ。そうに決まってる。

そう喚いて、酒に溺れていたらしい。

 

なんだかんだ言って、自分の事が心配だったのだろうか?

母は、自分のそんな言葉を父に露呈しないように小さく肯定した。

 

 

 

 

自分には自室があった。本と筆記用具、机と座布団と布団。その程度しかない狭い部屋だが、そこが一番心が休まる場所だった。

 

 

 

だが今はどうだ?

 

 

 

なんだか落ち着かない。せっかく戻ってきたのに、前線に居た時も何も変わらない。何もだ。心持ちが変わっていない。

どうしてだ?船で波に揺られていた時は、扶桑じゃないからと納得出来た。電車で揺られていた時は、故郷じゃないからと納得出来た。

だというのに、それだというのに。

 

 

なんでまだ緊張してるんだ(・・・・・・・・・・・・)

 

 

部屋から出て廊下を歩く。縁側から下駄を履いて外に出て、近くの森に向かった。

 

無性にイライラしていた。不満が溜まっていた。理由は分からないが、兎に角鬱憤になる何かが、確実に自分の中でヘドロのように溜まっていた。

 

森の中に入ったら、少しは気が晴れるかと思ったが、そうでもなかった。それどころか、あてが外れて更に悪化した。

感情が赴くままに近くの幹を殴り付ける。痛かった。当たり前だ。

だが、確かに自分は生きていた。痛みを感じるのだ。生きているに決まっている。

その行為を繰り返していると、皮が捲れ、血が滲み、皮下の肉が日に晒されるようになった。ジンジンと、それ相応に痛む拳を見詰めて、自分は確かに生を感じていた。

どう考えても異常だ。自傷行為が何になる。だが、身を襲う不安感に呑まれそうになっていたのだ。疲弊していたのだ。どこに居ても、緊張しっぱなしというのは、精神をヤスリで削っていくようなものだ。そんな状態で正気で、正常で居られる訳が無い。自分はまた、どこかおかしくなっていた。

 

いいや、単純に、無性に、どうしようもないほどにイラついていた。イライラしていた。戦場のストレッサーによるストレスのストレス反応が、自身の感情に干渉し、情緒不安定さを招いていた。

酷い状態だ。

 

 

「・・・」

 

 

健康科学について思いを馳せていると、そっと何かが、自分が見詰めていた血濡れの拳に重ねられた。

それは地味な色合いの手拭いで、どこか懐かしい。

 

「お久し振りです、ーーー」

 

「久し振りだな!ーーー!」

 

「・・・あぁ・・・久し振り・・・」

 

上手く言葉を出せなかった。こんな姿を見られたくはなかった。幻滅されるだろう、距離を置かれる事は間違いない。

 

背後に居る人間は、自分の親友達だった。

 

そして、今は目の前にもいる。

自分の背中に寄り掛かるようにして存在していたその人は、自分の体を伝って目の前にやってきた。

その為に距離が思ったより近く、少し驚いて身を引く。だが、背後にも親友は居る。彼女は動けなくなった自分の脇の下に腕を入れ、そのままバツ印を作るように抱き着いた。背後でも同様の事が行われ、両頬できめ細かい、肌触りの良い髪の毛の存在を感じる。

不思議と抵抗する気になれなかった。

 

「あっちで何があったのかは分かんないけどな」

 

勝気な言葉を発すると共に短髪が揺れる。

 

「だけど、だけど、とても辛そうなのは分かります」

 

長髪が淑やかな言葉と同時に揺れる。

 

そんなふうに両耳で紡がれる言葉は、緊張していた心と体を解放するのに、十分な力を持っていた。

 

思わず膝を突き、その場に倒れそうになる。

だが、それを彼女達が抱き留めてくれている。

 

そうか、そうか。やっと今、自分は戦場から解放されたのか。あの意味不明な敵との戦争から解放されたのか。

 

「・・・ありがとう」

 

そんな陳腐な言葉しか、自分は言えなかった。それに対する言葉による返答は無かったが、体全体で感じる彼女達の温もりが、悠然と返事をしていた。

 

 

 

 

手拭いが巻かれた両拳は、親友達の手によって覆われていた。

 

「・・・信じてた」

 

「え?」

 

三人で並んで歩いてると、ポツリと唐突に一人が呟いた。

 

「うん、信じてた」

 

そしてもう一人も。

 

「あなたが死ぬわけ無いって、信じてたから」

 

「お前が死ぬなんて、嘘臭さで鼻が曲がる」

 

双方を見ると、どこか歪んだ印象を与えられる笑顔が二つ並んでいた。

 

「その信頼がどこから湧いているのは知らないが、この世に絶対なんてものは存在しない。・・・あるとしたらペテン師の口上にだけだ」

 

「やはり・・・そういうことを言うのね」

 

「なっ、私の言う通りだったろ?」

 

「・・・」

 

なんだか馬鹿にされている気分だ。

そんな微妙な顔をしていた自分を見て、彼女は言葉を続けた。

 

「ーーーが私達に教えてくれたことは、大体覚えてる」

 

「だから、ーーーが言いそうな事は全部分かるの」

 

「・・・例えば?」

 

「今のながったらしい、説明口調の台詞とか」

 

「聞いてもないのに教えてくる雑学とか」

 

「手厳しいな」

 

これからは控えようか?

 

「別に悪く言ったつもりはないわ」

 

「そうそう、別に不快って訳じゃない」

 

大人しく後をついてきていた頃とは違って、中々言うようになった。

どうやら二年という歳月は、彼女達を成長させるには十分だったようだ。

だが、二人の髪の長さと性格は大して変わっていない。

変わっていない。そう、変わってない。じゃあ、自分は?

 

 

 

俺は?

 

 

 

「そういえば、どうしてあそこに居たんだ?」

 

適当に森の中に入って、樹木相手に拳を振るっていただけなのに、どうして見つかったのか。単純に疑問だった。

 

「えっとね・・・」

 

「それは・・・」

 

何か期待するような眼差しが二つ、自分に向けられる。

 

「あそこがさ、どんな場所か覚えてない?」

 

口元に人差し指を当て、少し首を曲げた親友に尋ねられる。長い髪の毛が彼女の腰の近くで揺れている。

 

「まさか覚えてないわけないよな?」

 

腰に手を当て、疑うような目をした親友に尋ねられる。比較的短い髪の毛が肩の近くで揺れている。

 

・・・何かあの場所にあったか?

考えるが、答えは出ない。

 

考え込んでいる表情に加えて眉間に皺が寄ったのを見て、二人は自分が本当に分からないと判断したのか、ため息をついて口を開いた。

 

「「私達が」」

 

「「初めて会った場所」」

 

「でしょう?」

 

「だろ?」

 

途中ハモりつつも、あの場所がどんな場所だったのか教えてくれた。

 

「あぁ、あそこか・・・」

 

「ーーーが勝手に居なくなってから、毎日行ってたからな」

 

「ええ、毎日行ってました」

 

「・・・暇だったのか?」

 

よっぽど暇だったのだろうか。

 

「いいえ、暇ではありませんでした」

 

「それまたなんでだ」

 

「それはな、葬式が多かったんだ」

 

「葬式?」

 

「そう」

 

何か感染症でも流行したのだろうか?

だが彼女の続けた言葉を聞いて、原因が違う事である事が分かった。

 

「大陸の怪異との戦争で、出征した人達全員の訃報が届いたんです」

 

「・・・なるほど、それは嘆くべき事だな」

 

恐らく、同郷の者を集めた部隊でも作っていたのだろう。顔見知りの方が連携しやすいからと。

そのせいで、こういう事態になっているわけだが。

 

「多分、この村で残った若い男はーーーだけだ」

 

「それはまた・・・」

 

この村は地図から姿を消しそうだ。

 

「そのせいなのか、私達の家も東京の方で新しく商売を始めるらしい」

 

「二人ともか?」

 

「そう。というより、村の全員がだ」

 

ちょっと待って欲しい、両親はそんなこと全く口に出していなかったぞ。

いや、死んでいたと思っていた息子が帰ってきてそれどころではなかったのか?

 

 

頭の中で考察しながら、その後も彼女達と色々と話をした。いつも通りの、他愛ない話を。




この小説の続きも書きたいし、一年近く放置してるオリジナルの続きも書きたい。(一応ちょくちょく書いてる)
時間が無いです。

次も結構期間があくかもしれません。ごめんね。

やばいです、ストパン世界に国際連盟が存在することが年表を見てたら判明しました。第一次ネウロイ大戦がWW1の代わりになっているのかな?今から訂正します。


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あんせい

今回短いです。


「そうだ、これ」

 

連れ立って歩いていた三人の中で唯一の男が、懐から木箱を二つ取り出した。

 

「・・・?」

 

「なんだこれ?」

 

「お土産だ」

 

箱を手渡された二人は、その言葉を聞くといそいそと箱を開けた。

 

「わぁ・・・」

 

「おぉ・・・」

 

「カールスラントで買った、懐中時計ってやつだ」

 

戦線に出る前に貯金を叩いて買っておいた一品だと語る。

 

「ルール地方を経由して前線に行ったからな。その時に買ったんだ」

 

その後の地獄を思い返し、扶桑の郵便局に送った判断は正しかったと彼は確信していた。

 

「でもこれ、結構高そうだけど・・・」

 

「あぁ、結構どころかかなり高そうだ」

 

緻密な装飾が外枠に刻まれていたりして、時計は如何にも自身が高価であると主張していた。

 

「給料はいいからさ」

 

「命をチップにしてるんだ。当然だろ」

 

彼が上を見上げて発した言葉は、不思議な重みと実情を持って二人の鼓膜に届いた。

そして一呼吸置いて、二人は切り出した。

 

「あのさ」

 

「あの」

 

「ん?」

 

「軍、やめねえか?」

 

「軍、やめませんか?」

 

「え?なんだって?」

 

二人に重なるように言われた言葉。

言われた本人は同時に言われたせいで、上手く聴き取れなかったのか内容を聞き返していた。

 

「だから・・・」

 

「いい、私が言う」

 

「・・・うん」

 

身を乗り出して言葉を紡ごうとした内気な少女を手で制して、もう一人の少女は声を上げだ。

 

「軍を、辞めてくれないか?」

 

 

「・・・は?」

 

 

「それは俺に、無職になれと?」

 

「いいや、そうじゃない。さっき東京に行くって言っただろ?」

 

「ああ、言ってたな」

 

「着いてきて欲しいんだ」

 

「うん、着いてきて欲しい」

 

「・・・」

 

 

男は少し考え込む素振りを見せたと思うと、直ぐに向き直って返事をした。

 

 

「悪いが、それは出来ない」

 

 

 

 

「・・・どうしてですか?」

 

「な、なんでだ!?」

 

二人は揃って詰め寄り、理由を聞き出そうとする。

それもそのはずで、男が欧州で最後に近況を知らせる手紙を出した時には、彼は辞めたい辞めたいと執拗に書いていたからだ。

 

「俺な、飛行兵試験に受かったんだ」

 

「飛行機乗り・・・?そんな危ない仕事をやるつもりなんですか?」

 

「やめておけ、飛行機乗りになんかになったら命が幾つあっても足りないぞ」

 

「・・・飛行機乗りはそんなに危険な職業だと思うか?」

 

「・・・はい」

 

「ろくな話を聞かない」

 

初めて飛行機が登場してからまだ二十数年、黎明期である飛行機に搭乗するパイロットの死亡率は未だ高く、この時代の飛行機乗りとは命懸けの職業であった。

 

「・・・だがな、だけどな、兵卒よりはマシだ」

 

二人の真摯な眼差しによって、真剣に忠告しているという心持ちは伝わったのか、男は諭す様に言った。

 

「安価な消耗品よりは、飛行兵の方がマシなんだよ」

 

無理に笑っているような、少々引き攣った笑みで、続けて言う。

コストの問題だ。一般兵卒よりも飛行兵の方が金も時間も掛かる。そして、扱いもそれ相応である。

 

「それに・・・空をな、空を飛んでみたいんだ」

 

彼が思い起こすのは、瘴気から自らを救ってくれたウィッチの顔と、あの雄大な景色。

何回か乗る機会のあった旅客機の窓から見た景色とは大きく違ったそれは、前世とこの世界の差異を比べる事だけが生き甲斐であった彼に、新たな目的を与えた瞬間であった。

 

「・・・そっか、分かった」

 

「ならしょうがないな」

 

やけに聞き分けが良い二人を見て、驚いたような顔を見せる男だったが、すぐに成長したのだなとしきりに感心していた。

 

 

現在刻は午後七時。

辺りがすっかり暗くなったその時間に、久方ぶりに自宅の風呂に入っている男がいた。

 

石鹸で体を洗い、風呂に入る準備をしていた彼の耳に、何者かの接近音が届いた。

気がついた頃には、脱衣場と浴室の間にある扉は開け放たれており、下手人の姿が明らかになる。

数は二つ。二年の歳月で大きく成長したその身体を惜しみなく晒し、目の前で台座に座っている男に接近していく。

 

「背中、流してやるよ」

 

「背中を流しに来ました」

 

女性らしい高い声で紡がれる言葉は男にも届いたようで、体を洗う手を一旦止めて返事をした。

彼は頭の中で"男女七歳にして席を同じゅうせず"という故事成語を思い出していたが、今更かと思い、考えるのをやめていた。兵士として家を出る前はこんな事はしょっちゅうあったからだ。

それに彼女達の事は家族、それも兄妹のようなものだと思っていた為に、然るべき配慮をする事が出来なかったのだ。

 

「・・・じゃあ、お願いしようかな」

 

先程まで忙しなく動いていた腕がだらんと下げられ、完全に身を任せる姿勢になる。

 

そしてその言葉を受けた後、二人は絶句していた。

数年前まで見慣れていた背中は、大きく姿を変え、変わり果てていた。目立った傷はなく、それでいてある程度鍛えられていた背中は、今では縫合痕と銃創、火傷が散在していた。

左肩に至っては一部が抉られたように欠けており、肉が凹んでいる。

 

思わずといった様子で傷跡をそっと指先でなぞり、それが現実のものであると意識させられる。

 

「あー、グロイだろ?」

 

「・・・グロい?」

 

「グロいってなんだ?」

 

「・・・醜いだろ、とてもじゃないが綺麗だなんて言えない体だ」

 

そうか、通じないか。

そう小さく呟き、ため息をついて彼は続ける。

 

「あんまり見られたくないんだよ、左肩とか特に酷いだろ?」

 

「・・・ううん、ーーーの体だもん、全然そんな事ないよ」

 

「あ、あぁ、最初は驚いたけどな!」

 

「そうか」

 

同情心から出たのであろう言葉を受け止め、彼は下を向く。

 

「そういえば、お前ら婚約者居なかったか?」

 

「うん、居たよ」

 

「両方死んだ」

 

「・・・それは、気の毒に」

 

二人の性格の差が現れた二通りの答えを聞き、申し訳なさそうに肩を竦める。

 

「いいえ、親同士で勝手に決めていた話ですし、私は会った事すらありませんでした」

 

「私は一回会った事があるけど、私の言葉使いにずっと文句言ってて嫌だったな」

 

背中の傷跡をつんつんされている男も、最初は自由だと喜んでいたが、この世界で成長を経て訓練所で実情を目の当たりにし、焦って自分の付加価値を上げようとしていた。

 

 

 

 

ここで少し彼の考えを読み取ろう。

 

 

今の時代は男女共に結婚の自由がない御時世である。

恋愛結婚もあるにはあるが、殆どがお見合い結婚ばかりだ。

男は比較的自由だったが、上司や親戚からの紹介になると、実質的に拒否出来ないのが現実である。

結婚しているのが当たり前。老後の世話を子供がするのが当たり前。結婚しているか否かで社会的な信頼というものも変わってくる。

 

技術や知識を身につけようと。そうすれば軍を辞めることになっても民間に幾らでも働き口が有るだろうと踏んでいた。民間にも航空機を使用した輸送事業は既に存在するのだ。

 

そして飛行機乗りとは常に命の危険がある職であり、もし結婚した後に死んでしまったら責任を取れないと、婚約を持ち込まれても理論武装もする事が可能であった。

 

まさに一石二鳥、飛行兵試験を受ける事は、事前に脳内会議で全会一致で既決された最高の案であった。

 

そして実際それに合格したのだから、取らぬ狸の皮算用にならずに済んだ。

 

 

白魚のような指に背中を弄られつつ、この世の理不尽とその対処法を考えていた。

 

 

 

 

「さすがにそろそろ擽ったいんだが」

 

「あっ、ごめんね」

 

「あぁ、ごめん」

 

目を閉じ、下を向いて背中のこそばゆさに耐えていた彼だったが、そろそろ我慢の限界らしい。

 

「さて、俺はそろそろ出ようかな・・・」

 

纒わり付く二人を解くように剥がし、風呂場を後にする。

 

「えっ、まだお風呂入ってないですよ?」

 

「そうだ、まだだろ?」

 

「・・・そんな気分じゃなくなった」

 

火加減を調整してくれている父親に対して、一片の申し訳なさが彼の脳裏に過ぎったのだ。

 

 

「変わるよ」

 

「・・・あぁ」

 

服を着て外に出て、火加減の調整をしていた父親に一言声を掛け、短いやり取りの後に交代を果たす。

その後しばらく、窓越しに会話する若者の声が響いていた。




書き溜めはしない派です。


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そらをとぶ

2019年最後の投稿となります。


久しぶりの実家の飯は、酷く懐かしく感じるものであった。

そしてこの食卓という環境は何物にも代えがたいものだということを、自分は知っている。いや、自覚させられた。

 

いつもに増して何も喋らない父に、此方を見て朗らかな笑みを浮かべている母。そして、自分の両隣りに座って引っ付いてくる二人組。とても食べずらい。

 

「ちょっと・・・食べづらいんだが・・・」

 

「あ、ごめんなさい・・・」

 

「ごめん・・・」

 

そう言うと露骨に距離を開け、悲しそうな顔と声をするものだから、何をしているのかと母に睨みつけられてしまう。

 

「・・・やっぱりなんでもない」

 

「ほんと?」

 

「ならいいよな」

 

自分が折れると、瞬時に顔色と声色を変えて擦り寄ってくるものだから、最初の方は度肝を抜かれた。もう慣れてしまったが。

最早様式美と化している。母に強く反抗出来ない自分は、非難の視線の重圧に耐える事ができないのだ。

 

父はそれをいつも憐憫の表情で見ていた。いつもだ。いつも見ているだけだ。父は。

助け舟は期待出来ない。

 

「そうだ、お父さんが会いたがってたよ」

 

「うんうん、私の父もだ」

 

心の中で父を非難し、絶望していると、二人が何やら不穏な事を言い始める。

 

「いや、直ぐにここを・・・明日にでも出発するから、時間的に会うのは厳しい。今はもう遅いし・・・」

 

訓練所に旅立つ前を最期に、二人の両親とは会っていない。立場が上の人間に対しての媚びへつらいをしていたら、道理を弁えているだとかなんとか言って、多少は気に入られていたが、それだけだ。

あまり会いたい人間ではない。片方に至っては両親の生命線でもあるし、無闇に刺激したくない。

 

「どうしても、だめなんですか?」

 

「ちょっとくらい良いじゃないか」

 

「そうですよ」

 

食い下がる二人を意図的に無視し、背嚢から瓶を三つ出した。

 

「あっちのワインだ。マルセイユで買った。二人の父親に渡しておいてくれ」

 

「こっちは父さんの。はい」

 

二本を二人に手渡し、残った一本を父に差し出す。

 

「・・・俺は、あんまり酒は好きじゃないんだがな」

 

「もう、そんな事言って・・・」

 

ワインを受け取った父と、それに構う母を見て、問題の二人に振り向く。

 

「・・・分かった、渡しておくね」

 

「分かったよ、渡せばいいんだろ?」

 

「この手紙もよろしく・・・って開けるなよ!」

 

手紙も渡すと、直ぐに開けられてしまった。

 

「・・・なにこの文」

 

「こんな格式ばった文、どこで教わったんだ?」

 

「封筒変えないといけなくなったじゃないか・・・」

 

自分の非難もなんのその、手紙からこちらに顔を向けた二人は、揃ってこう言った。

 

「手伝おうか?」

 

「いや、一人でできる。それに、そろそろ帰った方がいい。親御さんが心配するだろう」

 

色々と疲れている。早く寝てしまいたい。その為に二人を早く家に返そうとした自分に、母がこう言った。

 

「それに関しては問題ないよ。私が二人の親に連絡しておいたから」

 

それを聞いた二人は、顔に笑みを貼り付けて自分に一歩迫って来た。

 

「今日は泊まっていきますね?」

 

「布団敷きに行くか」

 

「母さん・・・」

 

「あとは若いのだけでやりな。私はお父さんの相手しとくから」

 

 

最後の助けを求めた時に見た母の表情。それは時折見る、満面の笑みであった。

 

 

「・・・ここで寝るのも久しぶりだな」

 

「そうでもなくない?」

 

「そうだ・・・って私たちは時々泊まってたからな」

 

なにやら勝手に使われていたらしい自分の部屋は、大きくなった三人で寝るには少々狭くなっていた。

姦しく話している二人を脇目に布団に寝転がると、直ぐに二人が布団に潜り込んできて狭くて仕方が無くなる。人肌の暖かさと吹き掛けられる微かな吐息に、心臓の鼓動が早まっていく。

 

「・・・どうして俺の部屋に居るんだ」

 

「昔からそうでしょう」

 

「そうだ」

 

「・・・もう、子供じゃない」

 

「・・・ふふふ」

 

「だからだよ」

 

抗議の声は聞き入られなかった。というより変な空気になっている。

もう何も言いたくない。そう思って目を閉じた。早まる鼓動は欧州の日々を思い出すと直ぐに沈黙し、その後に心地よい眠気が襲ってくる。

あの地獄の日々は精神の清涼剤かなにかだろうか?・・・鎮静剤か。

 

「先に寝る。おやすみ」

 

そう言って目を閉じ、睡魔に身を任せた。

 

 

陽の光を浴びて、体内時計が起床時間だと意識を覚醒させる。時差ボケがないのは幸いだ。起床ラッパもない。

そして身体を起こそうとしたら四本の腕が絡み付いていて上手くいかなかった。一本一本丁寧に剥がしていく。この、しつこいぞ・・・。

 

やっとの思いで全て剥がし、そっと布団から抜け出す。

 

・・・余り実家に長居しない方がいいかも知れない。

 

そう思い立ったが吉日。その日の内に、自分は家を出た。異様に引き止める二人の幼馴染みに苦労しつつも、時間がないことを伝えて無理矢理出た形になる。実際航空兵学校までは遠く、元々長居する予定は無かったから、嘘ではない。少し予定を早めただけだ。

 

言い訳を心の中に繰り返し、駅へと向かった。

 

 

 

 

今世における自分の出生地が"故郷"と呼べるかは分からないが、とにかく見慣れた景色が広がる土地から離れ、自分は新天地へと向かっていた。

 

けたたましいエンジン音が絶え間なく響く、陸軍飛行学校へと。

ここで半年修学し、戦場へととんぼ返りするのだ。

 

 

特に特筆する点は無い。手帳に記した日記の内容も簡潔なものになっている。

 

新たに出来た友人達によると、自分が乗ろうとしている戦闘機は人気がないようだ。どうやら攻撃機や爆撃機のような、攻撃に関する機体が人気があり、防御、防衛を担当する戦闘機は人気がないと。

 

自分は鈍重な機体は乗りたくないから、戦闘機に乗りたいのだ。そして何より、戦闘機は大概が一人乗りだ。そこもいい。

 

そして赴任地も人気が別れていた。本土か、大陸の扶桑領か、外国か。一番手当が厚いのが外国だったので、自分は外国を希望した。それがあんな帰結を迎えるなど、この時の自分は想像もしていなかったが。

 

 

 

 

福祉国家論に当てはめると、この扶桑という国は福祉国家ではなく、夜警国家である。如何に前世の社会保障が有難がったか、この世界に来てから何回も思わされている。

 

最低な国だ。

 

突然だが、自分は左遷された。

本当だ。嘘じゃない。主観的に見て、それは真実である。

 

顔で感じる潮風に、眩しい太陽。眼下を流れる雄大な景色に、自身の心が多少なりとも高揚しているのが分かる。

だが今向かっている場所を思うと、気が落ち込んでいくのは避けられなかった。

 

 

アフリカ。

 

 

その言葉を聞いて連想するのは、海賊やアパルトヘイト、世界の貧困等といった碌でもない単語ばかり。

 

アフリカといったら経済水準も生活水準も治安も、全てにおいて絶望的である。

そんな自分の中での偏見と知識不足が恥ずかしげもなく露呈しているアフリカのイメージだが、この時代・・・いや、この世界(・・・・)だとどうなのだろうか。

 

だが間違いないことが一つ。

アフリカなんて場所に派遣される事は間違いなく左遷と言えるだろう。

 

そしてそんな場所に自分を派遣する扶桑という国は、言葉で表し難い程に最低な国家である。

 

 

エンジンが唸りを上げ、誘導員により滑走路へと誘導される数機の戦闘機。

その中の一つに、自分は乗っている。風防で仕切られた密閉空間の影響か、これからネウロイと戦いに行くのだという実感が薄れていた。

 

飛び立つのは自分を含めた数機によって構成された一個分隊。

 

これが初戦闘であり、砂漠を飛ぶのは初めてである。その為にどんな景色が待っているのだろうかと、期待半分不安半分の心持ちであった。

 

今回の任務はブリタニア軍のレーダーによって探知されたネウロイを迎撃する事・・・なのだが、只の戦闘機にネウロイの相手が務まるのだろうか?

そんな疑問を兵卒であった頃の嫌な記憶を無理やり掘り起こして答え合わせしてみる。もちろん、言うまでもなく結果は絶望的だった。空対空爆撃という意味の分からない単語が頭の中を駆け巡る。

 

だが命令には逆らえない。

ブリーフィングもなく、心地良いとは言えないGを受けながらスクランブル発進した後は無線機によって飛行コースを誘導される。

 

これが慰めになるかは分からないが、自分が乗っているこの一式戦闘機、通称"隼"という機体はベテランのパイロットが言うに、中々に優秀な機体らしい。特に機動性が。これ以外に訓練機しか乗った事がない自分には他の機体との違いは分からないが。

 

だが、訓練機よりは性能が良い事は間違いない。それは訓練所で実感した。

 

 

巡航高度に達した後は無線機からの情報と僚機の位置によって方向を定め、トリムレバーを引いて巡航飛行に移る。接敵までは暫く時間があるからだ。

 

さて。眼下に広がる景色は砂一色であった。砂色とひとくちに言っても、岩や砂が入り混じって出来た濃淡の差は扶桑では見る事が出来ないだろう。

 

・・・いや、そうでもないか。確か扶桑が大陸に保持している領土に砂漠地帯があった筈だ。まるで満州を領有していた大日本帝国のように。

だが、この世界にアジアの大国(中華民国)は存在しない。その事実によって自分はこの世界と前世との差異を再確認させられた。

 

砂漠は単調な景色であるからか、直ぐに相対速度が分からなくなった。速度計が無いと自身の凡その速度すら分からない。

緊張感もない。暇なので本を読む事にした。

 

 

晴天の下、空を飛ぶ機影が数機存在していた。眼下に望む砂漠と似た色で塗装されたそれは、風を切って進み続けている。

 

エンジン音とプロペラが風を切る音だけが響くその空間に、黒と赤で構成された金属質な塊が姿を現すのは、それから間もなくのことであった。

 

 

 

先に敵を発見したのは此方であった。

50mほどある蜻蛉に似た形をした大型が一つ、それを護衛するようにてんとう虫に似た形の、5mほどの小型が五つを確認した。

蜻蛉に似た大型は頭、胸、腹、と三つに別れており、胸の部分からは六本の脚と四枚の羽のようなものが生えていた。それ等が担う機能に関しては全くの未知数だが。羽に当たる部位は静止しているのを見るに、恐らくは形を真似ただけだろう。

 

質の悪い無線から聞こえる小隊長からの指示に従い、編隊を解散して各個敵に襲い掛かる。

先にてんとう虫の方から撃破しろとの命令だったが、相手の方が数が多い。それがどういう結果を齎すのかは分からないが。

 

照準器いっぱいに敵が収まるまで撃つなとの訓練を受けたが、どうやらそれは初心者である自分には正しい事らしい。偏差射撃は教わらなかった。爆撃機に配属された同期は防御銃座の担当になった際に教わったらしいが。

そんな事を思い出しつつも、訓練通りに機関銃を操作する。

発射ボタンを押すと発射時の振動が機体を震わせ、それに合わせて自分も震える。そして至近距離から放たれた12.7mm弾がてんとう虫に着弾した。

てんとう虫の装甲がバキバキと小気味良い音を立てて剥がれるが、致命傷には至っていない様子。周囲でも着弾こそしても、仕留め切れないとの報告が無線を通して聞こえてくる。

 

そのすぐに、被弾を免れた大型と多少被弾したてんとう虫達からの光線の反撃が始まった。

四方八方に散らされる赤い光線を眺めていると、機体を掠めるように一条の光線が通り過ぎる。どれ程高温なのか分からないが、照射された空間の空気が膨張しているせいか、低い音が風防越しに聞こえた。

 

当たったら大変な事になるだろう。そもそも爆発するという意味の分からない性質を持つ光線だ。当たったら即死だ。

 

それを証明するかのように、僚機の一機が被弾した直後に爆発した。

小さな破片が飛び散り、爆発の後に生じた黒煙に突起を発生させている。

 

てんとう虫はあっという間に修復を終えたのか、気付くと攻守は逆転していた。無線から聞こえる悲鳴を背景音楽に、途中から勝手に動き出した操縦桿を操る腕と赤い光線を眺める。

 

当事者である筈なのに、自分はどこか他人事であった。

 

彼等と交わした言葉の幾つかが脳裏を過る。もう聞く事の出来ないそれ等は、既に現実感を失っていた。

 

 

気が付くと僚機は殲滅されていた。無線は沈黙している。

 

滅茶苦茶に動く機体によって齎された、上下左右に変化する重力に身体が悲鳴を上げている。

操縦桿とラダーペダルを凄まじい速度と精度で操作している腕と脚の感覚だけしか自分は理解出来なかった。視界は目まぐるしく変化していき、計器を見るのが精一杯の状態に陥っている。

高度計を見るに、まだ大丈夫そうだ。

 

無線機をいじるが、不快な雑音を吐き散らすだけだった。この様子だと増援が来る可能性は限りなく低いだろう。

高度は下がり続けている。高度を速度に変換しているからだ。回避行動はエネルギーを多く消費する。エネルギーの消費は速度の低下という結果を齎し、速度の低下は命中率の向上に結び付く。

 

つまりだ。

 

自分に残された時間はそう多くない。

逆転する方法もない。詰みだ。1対1ですら倒す事が不可能なのに、複数を同時に相手にするなど、どう考えても自殺行為である。

視界を明滅させる赤い閃光に、聴覚を麻痺させる空気の膨張音で、緊張感は頂点に達しそうであった。心臓の鼓動数は平時よりもかなり高いものであるだろう。

 

ぴったり後ろに張り付いているネウロイも居れば、周囲を飛び回っているやつも居る。前方にしか機銃が付いていない戦闘機と違って、やつらは全周囲に攻撃をする事が出来るからだろう。ふざけてる。

 

急降下をする度に機体が軋む。限界速度が近いからだ。自分がしている戦闘機動が現代ジェット機の様な機動を想像しているのなら、それは大きな間違いだ。21世紀の飛行機に比べると余りにも貧弱な推力に、貧弱な機体強度、貧弱な武装。音速を超えて飛べる機体と、時速500km後半で空中分解する機体では、そもそも戦いが全て視界外で完結する戦闘とは、余りにも毛色が違う。

 

このままだと自分はずるずると高度を落として行き、そのまま緩慢な死を迎えるだけだろう。だが不思議な事に、例の感覚はまだ無い。これは一体どうしたことか。

 

「ーーーか!ーーーますか!」

 

例の感覚について疑問に思ったその時、雑音を吐き出すだけだった無線が、何かを捉えた。

 

「聞こえますか!聞こえていたら返答下さい!」

 

「・・・っ!」

 

無線越しに聞こえた少女の声に、自分は臍を噛む思いをしながら返答を返す。

 

「あー、こちら扶桑アフリカ支隊所属、秋山分隊所属機だ」

 

「私はガリア空軍所属、ジョーゼット・ルマール軍曹です!」

 

どうやら戦場の実情は変わっていないらしい。反吐が出そうだ。

・・・そして自分は、そんな感情を抱きながら。

 

またもや魔女(ウィッチ)に救われる事になる。




素人ながらに少々調べながら執筆しているのですが、分からない点が多過ぎて筆が進みませんでした。おかしい点があったら指摘して頂けるとありがたいです。


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だっしゅつ

今回短いです


無線から声こそ聞こえても、軍曹の姿はどこにも見えなかった。まだ少し離れた場所に居るのだろう。それにウィッチの姿はとても小さい。単純に大きさの関係で見つけにくいのだ。

 

「軍曹、ネウ、ロイの数は、大型が1、小型が5です」

 

「詳しい数が分かってなかったから助かります!」

 

回避機動に伴うGは自分では予想出来ない。自分の意思で回避機動をとっている訳ではなく、いつものように勝手に手と足が動いているからだ。急に体が締め付けられ、発言が途切れ途切れになってしまう。

 

大型ネウロイの姿は目まぐるしく変化する視界には既に映っておらず、確認出来たのは三機の小型ネウロイのみであった。

その内の一機が上方からの曳光弾を浴びて霧散する。自分が限界まで12mmを叩き込んでも撃破出来なかったネウロイがあっさり撃破されると、バカにされているような気がしてきた。

 

残った二機は自分を最早脅威として認識していないのか、軍曹の方へ向かい始めた。

 

暴れ回っていた手足はなりを潜め、ネウロイを落ち着いて観察する事が出来た。

相変わらずどうやって飛んでいるのかが分からない。ジェットエンジンやレシプロエンジンといった推進力を得るための装置は確認出来ず、意味不明な速度と意味不明な攻撃を繰り返している。

 

惨めだ。とても惨めな気持ちになっていく。

それと同時に腹立たしさもある。理不尽の連続は本当に嫌いだ。

 

ここは一つ、意地を見せるとしよう。

5機存在していたてんとう虫が全て軍曹に集中しているのを確認した後に、蜻蛉のような大型ネウロイを探す。北西の方向にそれっぽい姿が見えた。

てんとう虫と激しい格闘戦を繰り広げている軍曹を尻目に、そちらに向かっていく。燃料は十分。弾薬も殆ど残っている。

 

前に高射砲でネウロイを攻撃した時もそうだが、死に対する身体の拒否反応は目を見張るものがある。先程は回避に全振りされていたが、それは恐らく軍曹が近くに居たからだ。攻撃に転じるより、軍曹が到着するまで逃げていた方が生存率が高かったのだろう。

ならもし、軍曹が手一杯のこの状況下であの大型ネウロイに近付くと、一体何が起こるのだろうか。

大型ネウロイを避けようと手が勝手に操縦桿を動かそうとするが、それを抑え込んで無理やり大型ネウロイに向かっていく。

ガタガタと震える腕を体感すると、少しだけ気が晴れた。自傷行為に走った時と同じ感覚だ。

 

ある一定の距離まで近付くと、痙攣を起こしていたような動きをしていた腕の動きが変わる。それと同時に視界が赤に染まった。

 

強い光に晒されたせいか、視界が残像で埋め尽くされている。何も見えない。

恐らく至近に光線を照射されたのだろう。同時に重い空気の膨張音が聞こえた。

未だに視界は白く染まっているが、突如親指が発射ボタンを握り締めた。腕が小刻みに動いて、照準を調整しているのがなんとなくだが分かった。数秒撃ち続け、残像が姿を消して視界が開けた頃には、ネウロイが撃破された時にバラ撒かれる特有の銀色の金属片が舞っていた。

 

倒してしまったのだろうか。大型ネウロイを。自分が。

とてもじゃないが信じられない。前代未聞の一大事だ。

 

兎も角大型ネウロイは姿を消して、それを察知したのかてんとう虫が2機飛んできた。自分の体はてんとう虫に機首を合わせたまま、勝手に手を動かして離陸時に使用する緊急出力に切り替える。

もうなるようになれだ。エンジンが焼き付くのが先か、自分が死ぬのが先か、チキンレースが始まった。

残弾がどれ程残っているのか分からないが、身体の反応からして二機を倒せる程度の残弾は残っているのだろう。照射される光線を回避しながら、彼我の距離を詰めていく。

1.5kmを切ったあたりからだろうか。また親指が発射ボタンを握り締めた。

発射の反動と唸るエンジンで震える機体、そんな最中これまたいきなり左手が風防を全開にし、激突寸前にようやくてんとう虫を一機を撃破したと思ったら、自分の体は宙に浮いていた。猛烈な浮遊感を感じながら遠ざかる機体を見ると、直後に機体は残っていたもう一機のてんとう虫と激突し、同時に散っていった。

現在の高度なんぞ把握していない。パラシュートが間に合うか不安に思ったが、それは杞憂であった。なんせ身体が勝手にパラシュートを展開していたからだ。

展開時の反動で身体が持っていかれる感覚と共に、死への片道切符が緩慢な落下に切り替わる。

 

ここから下方を見ても砂と岩しか見えない。幸いにも地図と方位磁針はあるので、この砂漠の中で遭難しないで済みそうだ。

 

 

パラシュートを着用していても、着地に失敗する事はある。その場合は骨折や打撲などの軍事行動において致命的な怪我に繋がる。

今回は成功したが、歩き出すと砂漠というものの厳しさが自分を襲った。砂に足を取られ歩きにくい上に、酷く日差しが眩しい。水筒こそあるものの、基地にいつたどり着けるか分かったものでは無い。

それでも歩くしかないのだが。

 

小高い岩に登り、地図との整合性をとる。現在位置の把握をしなければならないからだ。大体の場所は分かるが、それでは基地にたどり着くことは出来ない。

どうやらここは自分が飛び立った基地とは遠く離れているようだ。別の基地の方が近い。

取り敢えず一番近い基地まで向かおう。ここに居ても死ぬだけだ。

 

 

日照りが強く、嫌になる。体力を奪われるし、何より不快だ。まだ湿気が無い分楽だが。

そういえば軍曹はどうしたのだろうか。5機のてんとう虫に絡まれていたのを最後に見ていない。まぁ・・・見た目がどうあれ、彼女もウイッチだ。自分とは比べ物にならない戦闘能力を保持している筈だ。あの程度で後れを取ることはないだろう。

 

それより、上官にどう報告したものか。

自分を除いて部隊は殲滅され、自分は大型1、小型2を撃破したとそのまま伝えればいいのだろうか。

前者は仕方が無いが、後者は信じてもらえるか怪しい。魔法力も無しにネウロイを簡単に落とせてるなら、こんな戦争は既に終わっているからだ。

 

考え事をしていると、普段よりも時間の歩みが早く感じる。ふと振り返ると、砂の上に自分の足跡が延々と続いていた。

・・・方向は合っているよな?不安になってきた。

 

 

どうやら杞憂だったようだ。基地が見えてきた。

街の近くに設営されたそれは、どうやらガリア軍のものらしい。

歩哨に所属と名前を伝え、確認の為に急拵えのテントで待機させられる。各国軍同士、余り連携はとれていない。こんな確認ですら半日掛る始末だ。

 

「確認が取れた。これで列車に乗って帰るといい」

 

日も暮れた頃にやっと、若いガリア人から列車のチケットを渡された。

 

因みに満席で列車の席には座れなかった。

 

 

「その報告は本当か?」

 

そう言って、上官は煙草を吹かしていた。彼が息を吐く度に、裸電球で照らされた室内にタバコの白い煙が揺蕩う。

 

「はい。同空域で戦闘していたガリア軍ウィッチに確認を取ってもらえると幸いです」

 

詰問のような状況に、多少緊張する。自分でも荒唐無稽な事を話している自覚があるからだ。

 

「そのウィッチの名は?」

 

「ジョーゼット・ルマール軍曹と名乗っていました」

 

「・・・ふむ、未だに信じ難いが、確認を取っておこう。下がっていいぞ。事実確認が終わったらまた呼ぶ。それまでは待機せよ」

 

上官は掌をひらひらとさせ、退室を促す。既に彼は蒸発した飛行小隊の処理について考えているのだろう。

 

「了解」

 

上官の部屋を出てから、大きく息を吐く。

目上の人間と一緒にいると気疲れする。階級が絶対の軍隊なら尚更。

兵卒のペーペーから伍長にまでなったが、上を見るときりがない。本当に。

 

 

「戻って来たのはお前だけか…怪我はないか?」

 

自室へと戻る最中、整備する機体を失った整備兵に話し掛けられた。

 

「ええ、幸いにも」

 

「そうか…、まぁ気を落とすなよ。もうここにはお前しかパイロットが残ってないからな…」

 

「飛行小隊はあと二個隊残っていたと思うが…」

 

「今日昨日の空戦で殲滅されたよ。格納庫はすっからかんだ」

 

「嘘だろ…」

 

自分一人で何が出来るというのか。この基地は組織的な抵抗が最早不可能になったという事だろう。そもそも機体が無い。

 

暫くは暇になるなと思いながら、自室へと足を進めた。

 

 

「おめでとう、君の戦果は正式に認められたよ」

 

上機嫌な様子の上官を前に、自分は姿勢を正してその言葉を傾聴していた。

 

「来週には新しく機体が運搬されてくるそうだ…君には期待しているよ」

 

どうやらまたすぐに、戦場へと駆り出されるらしい。




次話はベルリンが解放されたら投稿します。


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22話

久々の投稿なので初投稿です。


所属する分隊が壊滅した後、暫くは暇な時間が続いた。機体は届いていたが、部隊としての体裁が整わない間は出撃させられることはないだろう。

 

 

 

そう高をくくっていた自分は、今高度1500mの地点にいた。

 

最悪だ。機体を遊ばせておくわけにはいかない、とあの上官に言われて出撃させられていた。哨戒任務である。

でも良い事が一つある。自分が乗っているこの機体が最新鋭の機体であるという事だ。量産され初めてごく初期の機体であるから、もしかすると不具合が幾つかあるかもしれないが、それを補って余るほどに性能が向上しているとの説明を受けた。機関砲も12mmから20mmに強化されている。

 

 

だが残念なことに、この最新の機体でもネウロイと互角に戦うことは叶わないだろう。

ネウロイの機動性は反則だ。推力がどこに働いているのかも分からない。理不尽な急制動を行う機構は、それこそ前世を含めても既存のものに当てはまらないだろう。

意味が分からない。それに単純に火力が足りない。ネウロイの装甲は重装甲なのだ。中型サイズでも空飛ぶ戦車みたいなもので、ウィッチの魔法力で強化された弾丸でないと効果が薄い。大型サイズだと艦砲射撃ですら耐えうると言うから、まったくばかげている。

 

話は戻るが哨戒任務と言っても、21世紀の一般的な戦闘機とは違ってレーダーが搭載されていない(この時代において、レーダーが搭載されているのは夜間戦闘機などに限られている)この機体でやることと言えば、仮設された地上のレーダー網の穴を巡回するだけだ。

もしかするとネウロイとすれ違っても気がつかないかもしれない。雲の向こうにネウロイが居たとして、それを認知する方法は自分には無い。

 

そんな事を考えながらボーッと飛んでいたせいか"コンコン"と風防を叩かれる音に気付くのに少し遅れた。

最初は雹か何かが当たっているのかと思ったが、音の発信源たる横を見ると、空飛ぶ人間と目が合った。

艶のあるツインテールが揺れていたのが妙に印象的だ。

 

 

「ご無事でしたか、軍曹」

「えぇ、お陰様で…」

 

無線越しに透き通るような声が聞こえる。どうやら軍曹はあの後無事に帰ることが出来たようだ。

 

それにしても妙だ。何故彼女は一人で飛んでいるのだろうか。それとも近くに僚機が居るのだろか?

 

「軍曹、僚機の方は?」

「僚機…?私は一人で飛んでます。貴方と同じように」

 

ウィッチを一人で飛ばすことに合理性は欠けらも無い。ランチェスターの法則でもそうだが、数の差はそのまま戦力差に繋がるからだ。戦力の逐次投入など最も分かりやすい愚策である。では何故軍曹は一人なのか。

 

「一人で…?」

「近くの空域に私の他にウィッチは居ません。私が頑張らなきゃいけないんです」

 

答えは単純明快であった。目眩がする。

 

「あー…軍曹、頑張り過ぎる必要はありませんよ」

「なにを…何を言ってるんですかっ!」

 

無線越しに響く怒声に、少し驚いた。気の抜けたような声である自分のものとは気迫が違う。

 

「私が頑張らなきゃ、誰があの人たちを守れるんですか!?」

 

凄い形相で風防越しに此方を見る軍曹を見て、彼女の焦燥感の原因が分かった。自分は彼女を徒に刺激してしまったらしい。思い詰めた様子から、どうやら余計なことを言ってしまったらしい。

 

「まぁ、そうだな」

 

情けない事に、彼女の言葉を否定する事は出来なかった。分隊が全滅している時点で、ウィッチと自我の戦力差は嫌という程自覚している。

だからこそ彼女に掛ける言葉が無くなってしまった。もうどうしようもない。

 

「では死なない程度に頑張ってくれ、軍曹」

 

そのせいか、なんの慰めにもならない言葉しか言えなかった。最低だ。自身の口下手さが恨めしい。

 

 

 

この世界において、戦場から逃亡する者に下されるのは憲兵や督戦隊による銃殺刑である。これは国民国家としては有り得ない判断であるが、これがネウロイと繰り広げている絶滅戦争になると話は変わる。前線を維持する兵士が居なくなれば、犠牲になるのは銃後の女子供である。絶滅戦争において、督戦隊の様な組織は許容されるのだ。

前世において唯一これに相当するのはWW2における独ソ戦のみである。

 

つまりだ。

 

少なくとも5体のネウロイが確認されている空域に出撃する事を拒否することは、即刻死刑に繋がる。上官には拒否して確実に死ぬか、戦ってなんとか生き残るかの二択を用意された。もちろん後者しか選ぶことはできない。

軍隊なんてクソだ。

 

プロペラが回り、徐々に推力を得る機体に揺られながらそんな事を考えていた。最近物思いに耽る事が多くなってきた。多分精神病だ。誰か助けてくれ。

 

 

天気良し、僚機無し、敵機あり。

天気がいい事くらいしか良い事がない。あの上官は自分をなんだと思っているのだろうか。偶然ネウロイを撃退したからと、一機だけでネウロイが確認されている空域に派遣するとは正気とは思えない。

 

この時代の航空戦において、敵と遭遇すること自体は非常に稀である。レーダーが未発達で基本的に目視で敵を確認しなければならないからだ。高度が違ったり雲の向こうに敵が居たりすると、少なくとも自分では敵を見つけられる自信は無い。というのに、見えてしまったのだ。黒い物体が。丁度同高度で雲もない青空に黒い点があるのだ。誰だって見つけられるだろう。

 

ああ、なんということだ。攻撃せず、見つけられなかったと帰還しようと考えたが、残念ながらあちらに補足されてしまったようだ。黒点が少しずつ近付いてきている。

 

不幸中の幸いと言おうか、ネウロイは一体だけであった。

ガタガタと痙攣する腕に、それにつられて小刻みに動く機体。思考と身体の制御を放棄する。あとは勝手に何とかしてくれるだろう。

 

 

まるでジェットコースターだ。確かに恐怖こそ感じるものの、どこか無責任な安心感が自分を包んでいる。

勝手に機体が動くので、落ち着いて敵の姿を確認することも叶わない。認識出来るのは明滅する赤い閃光と、空気が膨張する低い音のみ。

閃光による残像で余り機能していなかった視界に、黒い影が広がった。その瞬間に親指がトリガーを押し、機関砲が発射されて機体を揺らす。

20mm砲弾が着弾した場所から、キラキラと白く輝く破片が飛び散る。黒い体との対比でとても映える光景である。まるで星空のようだ。

 

被弾したネウロイはそのまま飛び去っていった。格闘戦なら兎も角、直線で飛ばれるととてもじゃないが追いつけなかった。アレ何キロ出てるんだよ。圧倒的な相対速度に笑うしか無い。

 

 

 

銃撃を浴びせると飛び去ったネウロイの事を上官に報告する。どうやら最近話題のネウロイだったようで、いつもよりも詳細な報告を求められた。具体的には尋問に近いものだが。

といっても、分かることなど飛び抜けた速度位しか分からない。目まぐるしく動く視界では、敵の形をはっきり視認することすら難しいのだ。それに加え、黒一色のネウロイは形を把握しにくい。てんとう虫型とトンボ型は事前に報告されていたのと、一方的に発見することが出来ていたので認識出来ただけである。

 

消耗の激しい戦闘機動、帰還してからの尋問染みた報告などで疲れ果てていたのか、その日は自分でも驚く程早く眠りについた。

 

◾️

 

また例のネウロイと出会うことが無いことを祈りつつ、再びの出撃となった。前回の出撃から3日ほど過ぎている。今回の血気盛んな上官の元だと色々苦労することになりそうだ。また一機での出撃である。もはや玉砕命令だ。といっても名目上は偵察であり、交戦は必須ではない。

 

暫く既定のルートで飛んでいると地表で発生している砂嵐の影響か、無線もうんともすんとも言わなくなった。燃料の残量的にも厳しくなってきたので帰ることにした。

 

 

 

「なるほど…」

 

無線機の反応が無くなった理由が氷解した。

 

今自分が帰るべき飛行場に辿り着いたが、酷い状況であった。仮設であっても使えていた滑走路はクレーターだらけになっており、建物は殆どが瓦礫と化している。一体何があったのか。

 

無線機は相変わらず何も言わないし、着陸誘導してくれる人間も出てこない。そもそも着陸出来るような場所は無さそうだ。

…生きている人間は居るのだろうか。

 

コンパスを持ち、地図を広げる。幸いにも残った燃料で近くのカールスラントの飛行場まで辿り着けそうだった。ここで無為に燃料を消費して強行着陸するよりはマシだろうと判断し、カールスラントの飛行場まで向かう事にした。

 

 

 

 

無事カールスラントの飛行場に着き、事情を説明する。幸いにもあの基地の生き残りがいた為に、事はスムーズに進んだ。そしてあの基地に残った物資、それと生き残りを回収してこいとの命令を受けた。着の身着のまま逃げてきたそうだから、まだ残っているものが多数あるそうだ。破壊されてなければ、という頭文字こそ入るが。

 

 

回収に向かったのは一週間後の事だった。安全を確保するのに時間が掛かったそうだ。確かに物資を回収にしに行って死んだら元も子もない。物資を回収するための車両も、保安部品も、燃料も有限である。そしてなんと今回は陸戦ウィッチも同行する事となった。これで余程のことがなければ安泰だろう。今回は回収出来そうな物資の目星を付けることが主任務らしく、案内役である自分と数人の分隊規模のウィッチだけで向かうこととなった。上官からの話を聞く限り、最近前線に到着した部隊らしく血気盛んであった。初めての実戦らしく、比較的安全な任務から任されたと。

 

そして向かった基地であったが、近付いていくたびに鼻が曲がるような臭いが強くなってくる。トラックの助手席に同乗しているウィッチは吐きそうな顔をしていた。どうやら彼女はこういった場所には縁が無かったらしい。

なんとかして気を紛らわせようと話を振るが、努力虚しく結果は芳しくなかった。

 

臭いに多少は慣れてきた時に、車両は止まった。薄々分かっていたが、多くの腐乱死体が元基地には転がっていた。死体の黒く変色した箇所にハエが集っている。そしてその死体を間を縫うように、酷く肥えたネズミが駆け回る様にげんなりとする。

 

嘔吐の音を聞きながら、物資があった場所を回る。幸いにも、物資の殆どは破壊されていなかった。どうやら人間が詰めている建物に集中して攻撃が行われたらしい。

 

「す、すみません、情けないところをお見せしました」

 

「最初はみんなそんなものですよ」

 

同僚の生首が転がってくるような場所を経験していると、余り感じるものは無かった。雨が降った後の欧州戦線よりかは圧倒的にマシである事も一因だろう。死体と水、泥の相性は最悪であった。

残っている物資を紙面にまとめ、ウィッチ達に引き揚げることを告げる。すると直後、目の前が爆発した。

 

最悪である。

 

ウィッチ達は臨戦態勢になる。下手人は案外早く見つかった。基地の近くの岩の裏からゾロゾロと黒い塊が現れたのだ。本当についてない。




また暫く投稿しません。ごめんね。


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