ベル・ザ・グレート・バーバリアン (ドカちゃん)
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オラリオの野生児

迫り来る魔物の顔面目掛け、ベルは巌の如きその拳を叩きつけた。

破裂する魔物の顔面、飛び散る血と脳漿、それはほんの一瞬の出来事だった。

 

 

すぐさま魔物から紫紺色に輝く魔石を引き抜くと、ベルは初めて手に入れた魔石を高々と掲げ、力強く雄叫びをあげた。

 

 

 

(語り部)

 

ベルが初めて、バベルに潜って、仕留めた相手は、ミノタウロスというモンスターだった。

それも素手でだ。

 

本来であれば、駆け出しの冒険者が集まる一階層にいるようなモンスターではなかったが、

偶然にも何かの拍子で紛れ込んできたらしい。

 

その当時の文献によると、この若きキンメリアの蛮人は、何の武器も防具も持たず、猛獣のなめし革で造られた腰ミノのみでダンジョンに潜ったという。

 

そうだ。腰ミノ一枚、それが最初にオラリオを訪れた時のベルの持ち物の全てだった。

 

笑い話ではあるが、文字通りベルは、裸一貫からのし上がったのだ。

そして後に戦友の一人になる剣姫アイズ・ヴァレンシュタインとの出会いもここから始まっている。

 

(終了)

 

 

 

 

ミノタウロスの血と脂で染まった指先で、ベルは自らの顔と胸に紋様を描き始めた。

 

これはキンメリアの戦士達が、仕留めた相手の力を取り入れるために描く紋様の一つだ。

 

そして、次の獲物はいないかと、両眼を左右に動かした。

 

その時、こちらに向かって誰かが走り込んでくるのが見えた。

それは人間の少女で、どうやらモンスターとは違うようだった。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

ベルは心配そうに尋ねてきた少女をじっと見つめると、少し間を置いて口を開いた。

 

「……ああ、大丈夫だ」

 

 

ベルはこの少女が敵なのか味方なのか、注意深く観察し、いつでも攻撃に転じられるように膝を軽く屈伸させた。

 

「それならいいのですが……」

一方、少女──アイズ・ヴァレンシュタインもベルのその姿に考えあぐねていた。

 

一応は、意志の疎通が図れるようなので魔物の類ではないのだろう。

だが、それを抜きにしても異様な風体と言えた。

オラリオの街中には、確かに半裸になる冒険者もいる。

 

だが、ここはバベルなのだ。

 

そういう意味では、この目の前にいる若者と比べて、魔物であるゴブリンやコボルトの方が、まだ文明的であると言えるからだ。

 

それにしても一体何者なのか。

寸鉄帯びずにミノタウロスを倒したこの男は。

 

アイズは若者から視線をそらさなかった。

 

 

 

明らかに鍛え抜かれた身体をしている。

 

半裸の肉体から窺えるその四肢は、異様なまでに隆起しており、まるで大蛇を彷彿とさせた。

 

 

 

「……用がなければ俺はもういく。ヘスティアが俺の集める魔石を待ちわびているからな……」

 

酷く訛りのある言葉で、無愛想にそう告げると、ベルは去っていった。

 

 

 

 

(語り部)

 

これが蛮人ベルと、剣姫アイズとの最初の邂逅だったという。

さて、ベルがどこで戦闘技術を学んだかについてだが、彼は一時期、剣奴として過ごした期間がある。

 

その時に戦士ベルは戦い方を習得したようだ。

 

ちなみに少々話がずれるのだが、彼が何故女神ヘスティアのファミリーに入ったのか、その理由をここに記述する。

 

 

オラリオに現れた当時のベルは、まるで浮浪者よりも酷い格好をしており、また、その訛りのせいで、

どこのファミリアの門番も相手にせず彼を無碍に追い払った。

 

 

 

後にこれらの行為はオラリオ最大の愚行の一つに数えられることとなる。

 

 

 

さて、空腹を抱えたまま、野宿をしていたベルに対し、声をかけた女神ヘスティアは、

一杯のスープとジャガ丸くんを振る舞い、彼に寝床を貸し与えた。

 

これに恩義を感じたベルは、女神に報いるためにヘスティアファミリアに入ったのだ。

 

この時のベルの年齢は、十四、五ほどだったという。

 

 

(終了)

 

 

 

 

 

 

饐えた臭いを発する麦酒は、お世辞にも美味いとは言えない代物だった。

 

まるで酸っぱい小便だ。

 

 

それでもベルは黙々と飲んだ。馬の小便よりは、まだ、マシな味がしたからだ。

 

 

ここは場末の安酒場、ゴロツキや与太者、それに安娼婦の溜まり場として知られた場所でもある。

 

 

魔石を売って得た金をこれ見よがしにチャラチャラ鳴らしながら、ベルは木製のカップに注がれたエールを一気に飲み干した。

 

「よう、兄さん、景気がよさそうじゃねえか」

 

と、右目に眼帯を巻いた無精ひげまみれの酔っぱらいが、ベルに声をかけてきた。

 

金の匂いを嗅ぎつけ、どうやらベルにタカリに来たようだ。

 

 

 

 

「そういうお前は金に縁が無さそうなツラをしているな」

「へ、言ってくれるじゃねえか」

 

「言っては悪いか?」

 

「は、口の減らねえ奴だ」

 

「お前は馬鹿か。口が減っては飯が食えんではないか」

 

 

 

ベルの言葉に無言で剣の柄を握る男──だが、その前にこの蛮人は男の脇腹に軽く拳をめり込ませていた。

 

そして昏倒する男を抱き抱え、店のものにどうやらツレが酔いすぎたようだと告げると、外に引っ張り出し、

その持ち物を全て奪うと、路上に放り捨てた。

 

 

ベルに文明社会の倫理観や善悪など通じない。

欲しければ奪う。それだけだ。

 



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オラリオの野生児

それは流れる小河が、さざ波立つほどの強い風の吹く晩だった。

 

女神ヘスティアは、木の陰に蹲る人影に向かって、銅の角灯を近づけると、大丈夫かい、と問いかけた。

そして、ゆっくりと身を屈めた。

 

角灯の明かりが人影を照らすと、ヘスティアは一瞬、目を見張った。

 

 

それはこの女神が、猛虎の幻影を垣間見たからだ。

 

だが、それもほんの僅かな出来事だった。

 

ヘスティアが目を凝らして再び視線を戻す。

 

 

 

そこにいるのは紛れもなく人間だった。

 

 

白髪の髪と、赤々と燃え上がる鮮血の如き双眸を持った人間の若者だ。

 

その姿は荒々しくも雄々しく、屈強な体躯を誇るのがわかった。

女神ヘスティアはすぐさま悟った。

 

この若者が、素晴らしく強力な戦士であることを。

 

 

 

 

何よりも若者の鋭い眼つきにその引き締まった口もとからは、強靭な意志が感じられる。

 

だが、同時にその若者からは、破壊と殺戮の気配が漂っていた。

 

 

ヘスティアは再び、若者に声を掛けた。

「大丈夫かい」と。

 

それに対して若者は答えた。

 

 

「俺はキンメリアのベル、冒険者になるために来た」と。

 

女神ヘスティアは、この憔悴の表情を張り付かせた若者を、自らの住処へと招き入れた。

 

 

 

飢え、傷ついていた蛮族の戦士ベルにとって、この女神からの申し出は、とても有難かった。

 

そしてベルは案内された崩れかけた教会で身体を休めると、女神から振舞われたスープを口にした。

 

 

それは塩で味付けし、野菜くずを煮込んだだけの粗末なスープではあったが、ベルの荒み、疲れ果てた心と肉体を癒すには十分だった。

 

この文明社会から隔絶された蛮土で育ち、文明人からも拒絶された蛮人の若者にとって、女神ヘスティアの情けこそが、

最初に触れた人間としての暖かみだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

迷宮の薄暗い通路に身を潜め、ベルが背後から魔物の喉笛を掻き切っていく。

 

足音ひとつ立てず、俊敏な身のこなしでモンスターを、静かに始末していくベルのその姿は、獲物に忍び寄る野生の黒豹を彷彿とさせた。

 

ああ、そうだとも。

 

 

この野生児は生まれながらの戦士であり、同時に恐るべき暗殺者でもあるのだ。

 

 

ベルは、眼帯の男から奪ったロングソードの表面を石で磨き、血と脂をなめし革で拭うと鞘に収めた。

安物のロングソードではあるが、意外と使い心地は悪くない。

 

使い捨ての剣としては十分だ。

 

 

ベルは周りのモンスターを尽く狩りつくと、蛇紋岩を切り出して造られた螺旋階段を登り、次の獲物を探すことにした。

 

女神ヘスティアへと贈る魔石を掻き集めるために。

 

 

 

 

閉じられた扉に押し寄せる、魔物の群れを前に恐怖したクラークは、体を硬直させた。

短くなった蝋燭を床に置き、クラークが持っていた杖を貫木代わりに扉の取っ手に突き刺す。

 

だが、魔物どもに扉を破られるのも、もはや時間の問題だろう。

 

 

 

己の命が風前の灯であることは、充分に判りきっている。

あの杖がへし折れ、扉が開け放たれた時、なだれ込んできたモンスターの群れによって、

自分の五体は引き裂かれるのだ。

 

クラークは諦観の面持ちを浮かべ、軋み上げる扉をただ、ただ、見守り続けた。

 

内心では、気も狂わんばかりの恐怖に満たされていたのだが。

 

 

その刹那、軋み上げる扉の音が止み、同時にバベルを打ち砕かんばかりの咆哮が轟いた。

 

次にクラークの鼓膜に飛び込んできたのは、骨肉を切断する激しい斬撃音と、モンスター達のあげる断末魔の悲鳴だった。

 

 

それから数秒間ほど続いた戦音がやみ、静寂さが辺りを包み込んだ。

 

クラークは恐る恐る杖を引き抜くと、扉を開けた。

そこには、屍山血河の中で、一本の剣を握り締めた血塗れの若者が佇んでいた。

 

 

不敵な面構えを浮かべた半裸の若者だ。

 

クラークは魔物同士の仲間割れかと思った。

 

そう感じた途端にクラークの視界は暗転し、その意識は暗闇の中へと吸い込まれていった。

 

 

 

クラークは頬を何者かに叩かれ、その意識を取り戻した。

 

だが、最初に視界に飛び込んできたのは、意識を失う前に見た若者の姿だった。

 

 

「しっかりしろ。こんな所で眠る奴がどこにいる。お前はよほど呑気者と見えるな、それともかなり肝が据わっているのか」

 

 

若者がクラークに話しかける。

 

喋れるという事は、この若者は人間ということだ。

そう考えると、クラークはホッと胸をなで下ろした。

 

 

「俺はベル、お前は誰だ?」

 

ベルに尋ねられ、クラークはしどろもどろになりながらも答えた。

 

「わ、私はクラーク、魔物の研究をしているものです……」

 

「なるほど。だが、生憎と魔物は全て、俺が始末してしまったぞ。そうだな、あそこに転がっている肉片や生首で良ければ持っていくといい」

 

 

 

と、大真面目な顔つきで言うベル。

 

その言葉に何がおかしかったのか、クラークは思わず吹き出してしまった。

 

 

 

 

(語り部)

 

オラリオに現れた当初のベルは、文明社会の作法やルールというものを知らなかった。

 

後世に英雄として名を残すこととなるこの蛮族の若者は、

文明人から見れば人間よりもモンスターや野生の獣に近い存在に見えただろう。

 

そして、ベル自身もまた獣の如き人生を送っていた。

 

 

腹が減ったら物を食い、腹が立ったら叩き壊す。

 

 

 

気に入らなければ暴れだし、気に入った女と見れば見境なく手をつけようとする。

 

 

あるいは女神ヘスティアや、彼の友となるべき者達と出会わなければ、ベルは好き放題に生き、

国から国へと渡り歩きながら略奪を繰り返し、その人生の幕を下ろしていただろう。

 

吟遊詩人の奏でる大盗賊か、伝説の暗殺者か、あるいは勇者に討たれる地獄の破壊者という悪名を残して。

 

だが、そうはならなかった。

 

運命は、この蛮勇を誇りしバーバリアンを導いた。英雄としての道へと。

 

(終了)

 

 

 

 

 

<豊穣の女主人亭>はオラリオでも有数の酒場として知られている。

 

磨き上げられたテーブルに並べられた酒品と料理の数々よ。

 

 

 

アイズは上質な葡萄酒を傾けながら、ミノタウロスを拳で仕留めた若者の話を語って聞かせた。

 

 



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オラリオの野生児

それから少し前のことだ。

クラークが命を助けられた礼にと、ベルのためにささやかながらも酒宴を催したのは。

 

ベルは、初めて口にする琥珀色の火酒を痛く気に入り、ヘスティアにも飲ませてやりたいからと、小さな酒樽を注文した。

 

スクメト風の子豚のテリーヌや、ジンガラ風の魚の内蔵の塩辛は、酒肴として火酒に良く合った。

 

 

喉を灼く火酒の杯を重ね、料理に舌鼓を打つベルは、上機嫌でクラークに笑いながら言った。

 

「ここの酒と料理はうまいな。こんなにうまいものを食ったのは初めてだ」

 

 

 

その刹那、投げつけられた酒盃がベルの鼻先を掠めた。

 

同時に誰だっ、アイズに酒を飲ませたのはっ、という怒鳴り声が酒場に響いた。

 

 

「酒乱が暴れているようですね、ベルさん」

小人族特有の小さな身体を、更に縮こませ、嫌そうにクラークが頭を振ってみせる。

 

だが、ベルは気にする様子もなく火酒の注がれた酒盃を飲み干した。

 

 

 

 

次に飛んできた盾が、土産の酒樽を叩き壊すまでは。

 

 

 

 

酒樽の中身が飛沫上げながら、ふたりの座っていたテーブルにぶちまけられた。

 

「ヘスティアの土産の酒に何をするのだっ」

 

 

 

瞬時に頭に血を昇らせたベルは、テーブルを引っつかむと、盾の飛んできた方向へと放り投げた。

 

それを皮切りに<豊穣の女主人亭>では大乱闘が始まった。

 

 

酔漢達が隣にいた客を掴み、罵りながら殴り飛ばす。

 

 

たちまちの内に広がる騒動、散乱する料理と酒、

激しい喧騒の真っ只中で、ベルは手当たり次第に人、物を問わず、掴んではぶん投げた。

 

 

ヒュンっ

 

ベルの背後へと、鋭い斬撃が振り下ろされる。

 

蛮族特有の野性的な勘で、ベルは背中に襲いかかった剣の一撃を躱した。

 

 

ベルが後ろを振り返ると、そこには、金色の蝶のような美しい髪を揺らす少女が立っていた。

 

 

秀でた額に佳麗な瓜実顔を描いた美しい娘だ。

 

だが、その美しい娘は、剣呑な雰囲気を漂わせ、細身の剣を構えている。

 

 

ベルの左目にピタリと剣先を当てた、見事な青眼の構えである。

 

 

 

「……いつぞやの娘だな。覚えているぞ」

 

ベルは素早くすり足で間合いを詰めると、再びアイズがその凶刃を振るう前にその懐へと飛び込んだ。

 

そして鳩尾へと当身を食らわせ、昏倒させる。

 

 

「酔っぱらい相手に表道具は用いぬ……」

 

と、ベルがキンメリア語で呟く。

 

 

そして酒樽の代わりの土産にするべく、ロウソクのように血の気を失った顔色のアイズを小脇に抱え直し、ベルは酒場を出ようとした。

これほどの美しい娘ならば、女神ヘスティアも歓ぶであろうという、ベルなりの腹積もりがあったのだ。

 

だが、そこへ邪魔が入った。

 

「テメエっ、アイズをどうする気だっ」

 

狼人が叫びながら、ベルへと飛びかかる。

 

ベルは狼人の放った廻し蹴りを間一髪で避けると、新たなる闖入者に向かって相対した。

 

 

「そんなもの知れたことよ。女神ヘスティアは強い戦士を欲しているのだ。この娘は中々強そうな剣士ゆえ、ヘスティアに手土産として持っていく」

「……テメエ、狂ってやがんのかっ!」

 

「俺は狂ってなどいない。俺はこの娘に勝った。ゆえにこの娘は俺のものだ」

 

 

ベルに文明人の理屈など通用しない。キンメリアの荒野では、敗者は勝者に従属することとなるのだ。

弱肉強食、それこそが蛮人の掟なのである。

 

その言葉にしなやかで頑強な肉体を持つ狼人の若き戦士、ベート・ローガは、目の前にいるこの半裸の若者が、

文明社会に全くと言っていいほど浴した事がないことを悟った。

 

 

「……アイズは返してもらうぜっ」

 

「ふん、ならば、この俺に勝つが良い」

 

即座に身を翻し、ベートは再度蹴りを放った。

アイズを抱き抱えたまま、ベルが紙一重でその蹴りを躱す。

 

 

攻防を繰り広げながら、ベートは気を失っているアイズを巻き込むことなく、どうやって、目の前の蛮人を倒すか考えあぐねた。

それは他のファミリアのメンバーも同様だ。

 

 

 

ここで魔法を撃ち、あるいは取り囲んで斬りかかれば、アイズまで傷つける恐れがある。

 

 

 

「おい、アイズを離せ、卑怯だぞっ」

 

憤怒の形相を浮かべ、吠えるベート、それとは対照的にベルは、どこまでも乾いた眼差しで、辺りを警戒していた。

 

 

 

「戦いに卑怯も糞もない。それに俺は貴様らを相手に一人で戦っているのだ。利用できるものはなんでも利用する」

そう言うと、ベルはロングソードを、アイズの喉笛に押し当てた。

 

「さあ、次はどうする?」

 

 

憤るベートに対し、猫科の猛獣を思わせる笑みを浮かべ、ベルは他の者達に道を開けるように催促した。

ここで一計を案じたのは、ドワーフのガレス・ランドロックだ。

 

 

このロキ・ファミリアの古参メンバーであるドワーフは、相手がどのような人物であるかを探り当てたのだ。

亀の甲より年の功とはよく言うが、同時にガレスは、ベルと同じく歴戦の戦士でもあるのだ。

 

そこで彼はベルにひと振りの剣を見せ、取引を持ちかけた。

 

その剣は中々に素晴らしく、ベルの携えた安物のロングソードとは、比べ物にならなかった。

 

ガレスは、ベルの技量と握り締めた剣の不釣合いさを見抜き、この取引を申し出たのである。

 

 

キンメリアの若者にとって、ガレスのこの申し出は大変に魅力的だった。

 

 

蒼白く輝く刀身にベルは視線を釘付けにし、どちらを取るべきか迷った。

 

 

「お若いの。わしらのアイズを返してくれれば、この剣はお前さんのものじゃ」

 

 

このひと押しが鍵となったのか、ベルはガレスの差し出した剣を取ると、アイズをガレスの胸元へと押し付けた。

 

 

そしてこのキンメリアの蛮人は、疾風の如き素早さで酒場を出ると、闇夜に消えていったのである。

 

 

 

 

(語り部)

 

ロキ・ファミリアとベルとの最初の遭遇は、最悪といっても過言ではないだろう。

だが、後に終生の友となるベート・ローガや、ガレス・ランドロック達との出会いは、ここから始まったのだ。

 

これが古今無双の英雄と謳われし、キンメリアのベルとロキ・ファミリアとの出会いであったのである。

 

(終了)

 



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バベルの蛮人

人の形をした紅眼の白虎──それがベートの抱いたベルに対する最初の印象だった。

それもただの虎ではない。

恐ろしく狡猾な人食い虎だ。

 

 

 

あれからロキ・ファミリアの主神であるロキは、怒り心頭に発し、あいつは一体何者やっ、と、怒鳴り声を撒き散らした。

 

確かにファミリアのメンバー内では、誰もベルを知る者はいなかった。

 

あれほどの手練であれば、それなりであっても名を知られているはずなのだが。

 

 

酒盃を重ねていたベートは、空になった杯をもどかしげに投げ捨てた。

 

 

 

 

 

 

新しい剣を手にベルは、人気の途絶えた暗い街筋を駆け抜けた。

 

到着した廃教会では、既にヘスティアが眠りについていた。

ベルは壁に吊るされた外套を、寝入ったヘスティアにかけてやると、床に腰を下ろし、鞘から引き抜いた剣を食い入るように眺めた。

 

 

蒼白き輝きを称える、その剣のなんと美しいことよ。

 

ベルは闘争の予感に血を滾らせた。

「待っているが良い。ヘスティア、俺の小さな女神よ。俺はこの剣を振るい、お前に巨万の富と大勢の奴隷をもたらしてやろう」

 

一瞬、獰猛な笑みを浮かべると、剣を鞘にしまい、それを抱いたまま目を閉じた。

 

 

 

 

(語り部)

 

蛮人であるベルは、聖人君子でもなければ、清廉潔白の士でもない。

むしろ、このキンメリアのベルは、生粋の略奪者である。

 

敵対者を討ち滅ぼし、財宝を奪い、多くの兵士を従え、鮮血と酒に酔いしれる、それこそが、ベルにとっての無上の歓びなのだ。

 

そして死後にヴァルハラへと召され、永遠の闘争を繰り広げること、これがベルの唯一の望みだった。

 

(終了)

 

 

 

 

激しい剣戟が轟き、敗北者は次々に倒れ伏していった。

戦士達の鮮血を啜る砂地が、どす黒く染め上げられていく。

 

見物客達は飛び散る血の雨と殺戮に狂喜し、恍惚の表情を浮かべ、酔いしれた。

 

 

 

殺せッッ、殺せッッ、殺せッッ、怒号を飛ばし、血に飢えた客達が騒ぎ立てる。

 

 

早く血を見せろと。

 

 

右腕を失ったピクト人に怯えの表情が走った。

 

このピクト人はベルではなく、見物客達の狂気と殺気に怯えたのだ。

 

 

戦斧を振り下ろすベル、肩口から腹まで切り伏せられ、ピクト人の剣闘奴隷は砂埃を上げながら倒れた。

身体を捻じ曲げて横たわった亡骸が、ベルを恨めしげに見上げる。

 

 

一瞬の沈黙が辺りを支配した。

 

 

 

そして、どっと沸き起こる歓声、ピクト人の首を切り落とし、ベルは高々と掲げてみせた。

 

すると客達は次々にベルを称え、惜しみない賛辞と金貨の雨を降らせた。

 

 

それはとてつもない愉悦感を、ベルにもたらした。

 

 

背骨から肉槍を貫くほどの快感だ。

 

 

奴隷として見下されるはずの存在であるベルは、この時だけは支配者となったのだ。

 

 

人々はベルが、敗者の首級を掲げるほどに褒め讃えた。

それから剣奴としての時が、刻々と過ぎていった。

 

 

無数の魔物や剣奴を相手取り、勝ち進んできたベルは、もはや誰も相手にはならなかった。

 

そして同時にベルの魂は、解放と自由を求め始めた。

 

 

両手足を鎖で繋がれ、牢獄に閉じ込められたベルは、静かにその時を待った。

 

 

決して焦ることなく。

 

 

いつものように味気のないオートミールの食事を、ベルは無言で食い続けた。

 

見張り番が巡回に来ると、ベルは腐った藁に身を横たえ、苦しげに悶えると、見張り番の目の前で、吐瀉物を撒き散らした。

 

 

 

ベルは、他の奴隷とは比べ物にならぬ程の価値ある剣闘奴隷だ。

 

万が一、何か間違いがあれば自分が奴隷に落とされかねない。

 

 

そう思い、慌てた見張り番は、何の警戒もせず、牢獄内へと足を踏み込んだ。

たった一人で飢えた虎の巣に飛び込むような愚行といっても良いだろう。

 

ベルは瞬時に鎖を引きちぎり、手刀を打ち込んで見張り番の頚椎を砕くと、牢獄から抜け出した。

 

 

ベルは、この日の見張りが五名しかいないことを、聞き及んでいたのだ。

 

 

そして残りの見張りを闇に乗じて始末すると、鉄格子の門を素手で捻じ曲げて脱出したのである。

 

 

 

それからベルは、荒野をさまよい続けた。

 

 

アティクスの毒沼、毒蛇と人食いワニの潜むジャイナの湿地帯、灼熱の太陽がその身を灼くゾラの砂漠、そして峻険たる山々、

蛇やネズミの血肉を啜り、雑草を食み、泥水を舐めながら、

数ヶ月もの放浪の末、ベルはようやくオラリオにたどり着くことができた。

 

 

だが、乾いた血と汚泥にまみれ、腰布一枚を巻いただけの蛮人の若者を相手にするものなど、このオラリオには皆無といってもよかった。

 

いや、ひとりだけいた。それが女神ヘスティアだった。

 

そしてヘスティアは、この野獣の如き蛮人の魂に温もりを灯したのである。

 

 

 

 

 

エイナ・チュールはベルが苦手だ。

あの獣の如き眼で見られると、思わず萎縮してしまう。

ベルは寡黙であり、始終こちらの話を黙って聞いてくれている。

 

また、何かしてくるというわけでもない。

 

それでも、ああ、それでも、エイナは自分が誰と喋っているのかわからなくなることがある。

 

ベルと相対するとき、そこには人間ではなく、一匹の野獣を相手にしているような気分に襲われるのだ。

そもそも野生の獣に人の言葉が通じるものなのだろうか。

 

赤く光るベルの両眼は、どこまでも澄み切っており、そして冷たい。

 

子供の頃に見た豹の眼が、あれと全く同じである事をエイナは覚えていた。

 

ゆえにエイナはベルが苦手なのである。

 



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バベルの蛮人

「ええと、それでは講義をここで終えたいと思います」

「うむ」

と、ベルが頷く。

 

その風貌からは想像もつかぬが、ベルはダンジョンの地形やモンスターの情報を仕入れることについては余念がなく、

大変に勤勉な態度でエイナの説明に耳を傾けていた。

 

戦略を練り上げ、より多くの魔物と冒険者を討ち取るには、事前の情報は不可欠である。

 

 

「中々興味深い話だったぞ、エイナよ。礼を言おう」

 

「いえ、こちらこそベルさんのお役に立てて嬉しいです」

 

作り笑いを浮かべるエイナ──ベルは表情を変えずに黙って頷いてみせた。

 

「では冒険者であるこの俺は、今からバベルに向かうとしよう。何か面白い事があったら聞かせてやる」

「はい。お気をつけて」

「うむ」

 

 

椅子から立ち上がり、ベルはギルドを後にした。

そしてエイナは、戦士ベルの逞しい背中を静かに見送った。

 

 

 

 

 

 

暗闇から忍び寄る黒い影、真紅の光を放つ血と闘争に飢えた眼光、己に飛びかかってきた凶獣、それがゴライアスの見た最後の光景だった。

半ばまで首に刃を喰い込ませ、灰褐色のその巨人は、一声うめくと地面に突っ伏した。

 

仕留めた獲物から剣を引き抜くと、キンメリアのベルは、ゴライアスの亡骸を見つめた。

 

「さて、今日は狩りはここまでにして、旨い火酒でも楽しむとするか」

 

そして剣を鞘に収めると、この若き野蛮人はその巨大な魔石を革袋に放り込んだ。

 

来た道に戻るべく、ベルが岩肌の剥き出しになった断崖をよじ登り、岩から岩へと飛び移る。

ベルは獣道や障害となる巨大な岩など、物ともせずに進んだ。

 

 

徐々に濃くなっていく霧、どうやら上層部へとたどり着いたようだ。

ベルは革の水筒を取り出すと、生温くなったエールで喉の渇きを癒した。

 

 

と、その時、霧の中から絹を引き裂くような若い娘の悲鳴が轟いたのだっ!

 

 

その悲鳴に無意識に反応した、この血気盛んなるキンメリア人は、剣を引き抜くと霧の中へと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

視界の悪い霧の中での、魔物との遭遇は命取りだ。

 

ましてや、それが怪物と宴ともなれば、生半な冒険者では、まず助かる見込みはなかった。

リリルカ・アーデは全身に脂汗を浮かばせ、死への恐怖でつんのめりそうになりながらも、ひたすら走った。

 

どこか安全な場所はないかと──そんな場所など、このバベルには存在しない。

 

 

霧の中から魔物の唸り声が上がるたびに、リリルカは身震いした。

リリルカにモンスターを相手取るような力はない。

このパルゥムの少女は、自らの無力さに嘆いた。

 

それは他の冒険者達も同様だった。

 

狂ったような断末魔の叫び、ひたすら逃げ惑い、そして疲れが生じたその隙を狙われ、命を落としていく。

 

 

震える足がもつれ、リリルカはつんのめるように転んでしまった。

異形の怪物達がリリルカの四肢を引き裂き、その肉を食らうべく迫る。

 

 

だが、大気を震わせる雷鳴にも似た咆哮が、ダンジョン内に響き渡ると、その異形の魔物達に怯えの色が走った。

 

それは唸り上げるような獰猛な雄叫びだった。

 

リリルカに襲いかかろうとした、魔物達の頭上に振り落とされる蛮刀、人間と魔物の血と臓物の臭気がダンジョンに満ちた。

血刀をぶらさげ、リリルカを睥睨する人影──そこには、獰猛なるキンメリアの戦士のシルエットが浮かんでいた。

 

怪物の宴は、この蛮人を誘い込む呼び水となり、血と狂乱の渦を招き入れたのだ。

 

 

怪物の宴と蛮人の宴が錯綜すると、バベルは共鳴するかの如く震えた。

 

魔物の胴体を剣で薙ぎ払い、手足を引き千切り、頭を叩き潰していくベル、その勇猛さにリリルカを含む生き残った冒険者達は奮い立った。

 

「魔物どもよっ、その命を俺とヘスティアに捧げよっ」

 

次々に壁から湧き出てくる魔物の群れ、群れ、群れ、しかし、この野蛮なる戦士ベルの前には、徒らに魔物の死骸を増やしていくだけだ。

 

 

そして殺戮の叫喚が収まり、バベルに僅かな静寂が訪れた。

 

ベルの足元に転がるのは、無数の魔物と冒険者の戦死体だ。

 

 

 

僅かに生き残った冒険者達は、命が助かったことに感謝しつつ、入口へとゾロゾロと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

「ベル様はとてもお強いのですね。リリはあんな凄い戦いを見たことがありませんでした」

 

「あんなものは戦いの内に入らん。キンメリアの荒野では、あの程度の魔物はウジャウジャいるからな」

 

「キンメリア……ですか?」

 

生憎とリリルカは、それほど地理には詳しくない。

 

「そうだ。キンメリア、それがこの俺の生まれ育った土地だ」

エールの注がれたコップを片手にベルが、頷いてみせる。

 

あれからベルはリリルカを伴ってバベルを出ると、その足で酒場へと向かったのだった。

 



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バベルの蛮人

「まあ、エイナにちょっとした土産話が出来たことだし、良しとするか」

 

古くなった干し肉をエールで流し込むと、ベルはもっと上等な酒とツマミを持ってくるように女将に言った。

ここはダイダロス通りにある場末の酒場だ。

 

 

盗賊、詐欺師、女衒、奴隷商、殺人者、娼婦、与太者、浮浪者、ゴロツキ、

スリ、傭兵──世間から爪弾きにされた者達の小さな王国、それがダイダロス通りだ。

 

 

殺人が横行するダイダロス通りの狭い路地の脇には、風物詩のように常に泥濘の中に死体が沈んでいたが、

それが本当にこの場所で、殺されたものなのかどうかはわからない。

 

 

この場所に死体を捨てに来る輩もいるからだ。

 

 

 

狭い路地が、複雑に入り込んだこのスラム区域は、さながら怪奇極まる迷路のようであり、

敷石のない道は、常に汚泥にぬかるんでいる。

 

 

悪臭の漂う暗い界隈に腰を下ろし、うろんげな視線を投げる垢じみた浮浪者達は、隙を見せれば瞬時に強盗と化すだろう。

 

 

ベルはこのスラム街が嫌いではなかった。いや、むしろ好ましくさえ感じていた。

 

この場所には文明の秩序は届かず、ゆえに好き勝手できるからだ。

 

また、身を隠すには持って来いの場所でもある。

盗みを働いても、ここに逃げ込めば衛兵が追ってくることもない。

 

あとはほとぼりが冷めるまで待てばいい。

 

 

このキンメリア生まれの蛮人は、勇猛な戦士でもあるが、同時に厄介な無法者でもあった。

 

 

荒くれ者達の発する饐えた汗と安酒の臭い、時折飛び交う酔っぱらいどもの罵声、そして娼婦達があげる姦しいほどの嬌声、

今にも壊れそうな粗末なテーブルを叩き、酔っぱらいが酒を持って来いと怒鳴り散らす。

 

蛇革を張った太鼓を打ち鳴らすピクト人の音色に合わせ、艶かしい肢体を惜しげなく晒しながら、

細い腰をくねらせているのは、出稼ぎにやってきたクシュの踊り子達だ。

 

 

 

ベルはしたたかに酒を飲み干していった。

 

「ベル様はお酒が好きなのですか?」

 

「ああ、好きだとも。戦の次くらいにはな」

 

「それならば、ソーマというお酒をご存知ですか?」

 

「ソーマというと、神の酒ハオマか。どのような味がするのか、興味はあるな」

 

 

その時、小柄な中年男が、ベルの背後を通り過ぎようとした。

次の瞬間、ベルは男の右手首をへし折っていた。

 

「俺の財布だ。返してもらうぞ」

 

男の掌から革袋の財布を取り返すと、ベルはスリを突き飛ばした。

 

「腕の骨は綺麗にへし折ってある。次に会うときはもっとスリの腕前を上げておくのだな」

 

それから二人は酒場を出た。

リリルカはベルの後を付いていった。

 

リリルカは、どうしてもこの蛮人との繋がりを潰したくはなかった。

 

力の弱いサポーターであるリリルカが、危険なバベルのダンジョンで生き残るためには、どうしても強い存在が必要不可欠なのだ。

その為にもベルの力が必要だった。

 

そして、ベルの力を貸してもらうための算段もあった。

 

このキンメリアの蛮人を自分と同じく、ソーマ中毒にすればいいのだ。

あとはゆっくりと親密になって、絡め取っていけばいい。

 

 

ベルは確かに命の恩人ではある。だが、リリルカはどうしても生き延びなければならなかった。

 

その為にはどんな事でも利用する。

それが例え、恐るべきキンメリアの蛮人であってもだ。

 

 

 

(語り部)

 

 

パルゥムの娘であるリリルカの心は冷え切っていた。

リリルカの両親はソーマに狂い、バベルでその命を散らした。

 

そして、また、リリルカも両親の命を奪ったソーマに耽溺していたのだ。

 

力弱きリリルカは同じファミリアであるはずの冒険者から虐げられ、酷い仕打ちを受けて過ごしてきた。

 

リリルカは、そんな冒険者達を酷く憎んだ。

 

この当時のリリルカと剣奴あがりのベルは、共通する点が多くあったといっても良いだろう。

 

盗賊であるリリルカと、無法者であるキンメリアのベル、その生い立ちはどちらも不幸だった。

 

 

だからこそ、二人は固い絆で結ばれたのだ。

 

後年になってもリリルカは、ずっとベルの傍らに寄り添っていたという。

 

 

(終了)

 

 

それまで一人でバベルのダンジョンを潜っていたベルだったが、荷物持ち役のリリルカを伴って狩りをするようになった。

 

なるほど。これは確かに楽だった。一々魔石を拾わずに済むからだ。

 

ベルは魔石にかかずらされる事もなく、ただ、目の前のモンスターの首を跳ね、踏み潰し、叩き割っていった。

いつものように狩りを終え、バベルへと出る。

 

 

それからふたりは、近くの廃寺院で骨を休めていた。

と、刹那、黒装束に身を包んだ一団が、廃寺院の庫裏へと駆け込んでいくではないかっ

 

盗賊の類だろうと見当をつけたベルは、奴らの上前を跳ねてやろうと、リリルカを木の陰に待機させ、裏手へと回った。



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バベルの蛮人

ベルは寺院の裏手から庫裏へと忍び込み、女神像の影へとその身を潜めた。

黒装束に身を包んだ賊の数は、全部で七人ほどだ。

 

さて、奴らの獲物を横からどうやって掠め取ってやろうか、ベルは焦ることなく事の成り行きを伺った。

 

仕事の前か、それとも事を済ませたあとか。

 

見る限りでは、目立った成果を持っている様子はない。

あるいは他の場所に隠したのか。

 

もし、隠したならば、その場所を吐かせてやればいい。

 

 

 

黒装束の一人が、懐から何かを取り出した。

 

それはエメラルドで装飾された、純金の鍵だった。

あれ一つでも売り払えば、結構な金額になるはずだ。

 

 

この場で賊を全て斬り捨て、あの鍵一つを、手に入れるだけで良しとするか。

リリルカと山分けしても、当分の間は、酒代には事欠くことはないだろう。

 

 

鍵を取り出した黒装束の一人が、庫裏の隅にある床を剥がす。

 

そして現れた鍵穴に純金の鍵を差し込んだ。

 

 

 

途端に女神像が、引きずるような音を立てて後退し、地下へと続く階段が現れた。

 

黒装束の賊達が地下へと消えていくと、ベルは気配を消しながら、その後を追った。

 

 

階段を下りた先にある、地下通路はほの暗く、先頭に立つ賊の持った魔石灯の明かりだけが、

鬼火のようにベルの視界で揺れている。

 

 

通路の奥から漂ってくる嗅ぎ慣れた死臭、やはりここには何かがあるようだ。

 

 

影から影へと足音を立てずに移動し、この野蛮なる戦士は虎視眈々と、獲物を狙った。

 

 

 

 

 

 

 

隠されていた地下通路は、祭壇へと繋がっていた。

 

ひんやりとした湿っぽい暗黒が、ベルを包む。

 

祭壇の回りには、無数の人骨が散らばっており、それらは小さい物もあれば大きなものもあった。

黒衣に身を包んだ者の一人が、祭壇に向かって、何か呪文のようなものを熱心に唱え始める。

 

そうしている間に残りの六人は、石棺の蓋を開けると、中から何かを取り出し始めた。

 

それは若い男女の亡骸だ。

どちらも死んでから間もないのか、腐敗の兆候は見られない。

 

 

落ち着き計らった様子で、ベルはそんな黒衣の者達の奇妙な儀式を、物陰から眺めていた。

 

「偉大なるヨグの神よ、この生贄をお受け取り下さいませ」

石卓の上に置かれた男女の死体──黒装束の者達は、懐から短刀を取り出すと、死者の肉を切り裂いていった。

 

そして、屍から切り取った肉を喰らい始める。

 

 

ヨグは食人の神であり、その姿は虹色に輝く球体とも、あるいは触手に覆われているとも言われている。

そして、ヨグを崇め奉る者は、殺した人間の肉を食らうことで、この神から力を与えられるとされているのだ。

 

ベルは、これ以上彼らの儀式を眺めていても、時間の無駄だと考え、鞘から剣を引き抜くと、影から飛び出した。

 

 

それは一方的な殺戮だった。

 

所詮、彼らはキンメリアのベルの敵ではないのだ。

ベルは殺した黒装束者達の懐を漁り、純金の鍵にいくつかの装飾品を奪うと、次は残った石棺をひっくり返していった。

 

死者に道具も宝石も不要だ。

 

ならば、生者であるこの俺が頂くと、言わんばかりにだ。

目ぼしい物を粗方漁り終えると、ベルは用の失せた地下から出ようと踵を返した。

 

 

 

その時、背後から重苦しい呻き声が襲ってきたかと思うと、魔石灯の明かりが不意に消えた。

 

そして闇に包まれた空間の中で、石卓が激しい音を立てて砕け散ったのだっ!

 

 

 

 

ベルは直ぐ様振り返ると、暗黒の中で目を凝らした。

そしてベルは見た。

 

闇に蠢く無数の触手を。

 

触手は次々に死体を取り込んでいった。

どうやら死体を貪り食っているようだった。

 

そして全ての死体を腹に収めたその怪物は、次に生きた人間であるベルに目をつけた。

 

 

「ふん、化物め。俺が始末してやる」

 

新鮮な血肉に歓喜するかの如く、悍ましく打ち震える触手──ベルは下段を構え、この魔物を迎え撃った。

 

鞭のようにしなる触手を両断し、ベルが触手の根元から見える球体に剣を叩きつける。

人間の血とは質が異なる、緑色の体液を撒き散らしながら、それでも怪物は、攻撃の手を決して緩めようとはしなかった。

 

もどかしくなってきたベルは、剣を投げると、ウオオっと絶叫をあげ、そのまま猛然と怪物に迫った。

 

 

 

そして鋼鉄の如き指で触手を鷲掴むと、両肩の筋肉を盛り上げ、ベルは怪物を力強く振り回し、何度も壁と床に叩きつけた。

 

その衝撃で地下は揺れ、祭壇が倒れた。

ベルは構わずに絡みつく触手を引き千切り、怪物がミンチ状になるまで、執拗に壁に叩きつけていった。

 

ついにその動きを止める化物──ベルは一息つくと、剣を拾い上げ、リリルカの待つ木陰へと向かった。

 

「全く、忌々しい化物だったな。だが、中々面白い土産話ができたか」

 

右手に握られた純金の鍵、これ一つでどれだけの酒樽が買えるのか、ベルは思案した。



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暗黒の狂戦士

 

干し首が無造作に転がっていた。

ゴブリン、コボルト、ミノタウロス、トロール、オーク、リザードマン、オーガ、それは人型モンスターの干し首だ。

 

その中には、人間と思しき干し首も混じっていた。

 

ベルは獲物から刈り取った首を持ち帰り、干し首にして廃教会に転がしていたのだ。

 

魔除けのためにである。

 

 

揺らめく松明の灯りに照らされる教会内。

 

 

床に敷き詰められたライガーファングの毛皮、タペストリーとして、壁に吊るされたグリーンドラゴンのなめし革、

そして、教会の中央に鎮座するウダイオスの頭骨。

 

 

ウダイオスの虚ろな眼窩が、虚空を見つめている。

 

 

これらの品々は、ベルが狩りをして持ち帰ってきたものだ。

 

 

ヘスティアへの土産でもある。

 

 

「ベル君、また君のお土産が増えてきたね」

「うむ、嬉しいか、ヘスティアよ」

 

モンスターの牙と骨で組み立てられた玉座に腰を下ろし、蛮人ベルは髑髏の盃に注がれた、生き血と火酒を混ぜ合わせた液体を味わっていた。

 

 

火酒と生き血を混ぜたこの飲料は、精力をつけるには持って来いだ。

 

 

「ちょっと僕の趣味には合わないかなあ……」

 

「なるほど。どうやら我が女神は、弱き者の首などお気に召さぬらしいな。

ならば次は、より強き魔物の首を刈ってこようではないか。この剣でな」

 

腰帯に吊るした鞘から剣を引き抜き、高々と掲げるベル。

 

 

ヘスティアは貝のように口を閉ざし、それ以降、何も語ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

貴族の息子であるパトリックは、たった一人で、オラリオの街をあてもなく彷徨っていた。

たった一人の肉親である、母親シーアを救うために平民に化け、パトリックは、たった一人でオラリオの街までやってきたのだ。

 

そして道行く冒険者に声を掛け、この少年は助力を乞うた。どうか、母を助けてくださいと。

 

 

だが、冒険者達は、子供の戯言だと言わんばかりにパトリックを無視し、あるいは突き飛ばした。

 

 

もっとも、この少年の話に耳を傾けたところで、大抵の冒険者は逃げ出してしまっただろうが。

 

 

 

パトリックの母であるシーアは呪われていたのだ。

 

恐るべき黒魔術を操る妖術師アルゴ=ダビの手によって。

 

 

アルゴ=ダビは、蛇神セトを崇める司祭でもあり、人間の魂を発狂させる術に長けていた。

そしてダビは、領土、信者、そして財産を手に入れるべく、パトリックの父、ヤングが治める領地と、そこに住む人々に目をつけたのだった。

 

まずは領主を始末したあと、後見人である母と世継ぎである息子を、自らの操り人形にしてしまう。

 

そう考えたダビは、手始めに魔術でヤングを発狂死させた。

 

 

 

そしてシーアを、狂気の幻影へと突き落としたのだ。

 

 

──しっかりしてください、母上っ

シーアに駆け寄るパトリック、だが、シーアには、息子の言葉が届くことはない。

 

──ああ、ヤング、パトリック、どこにいるの。真っ暗で何も見えないの……ここはどこなの……

 

苦しげに胸を押さえ、苦悶の表情を浮かべるシーア──だが、次の瞬間、母は狂った哄笑をけたたましく上げ始めた。

 

パトリックの胸中に広がっていく無力感、少年は悩み、自らを責めた。

 

 

 

そして何が母を狂わせたのか、原因を突き止めると、その正体に戦慄したのである。

 

 

領地を守るはずの兵士達は怯え、使い物にはならず、

またダビに感づかれて、母を殺されてはたまらぬと考えたパトリックは、こうして平民に化けて強い冒険者を求めにやってきたのだ。

 

一縷の望みを胸に抱いて。

 

その時、パトリックの目にある人物が飛び込んできた。

 

パトリックの視界に映るのは、髑髏の首飾りをぶら下げた長身の逞しい若者だった。

恐ろしく強そうな若者だ。

 

その若者こそ、キンメリアの戦士ベルだったのである。

 

 

 

 

狩りを終えたベルとリリルカは、バベルから街へと戻ってきた。

 

 

日が暮れ始めたオラリオの街は、帰り支度の人々でざわついている。

 

ふたりは混雑しているメインストリートを避けて、路地裏へと回り込んだ。

その時、小さな人影が、ふたりの前に飛び出してきた。

 

「何だ、物取りか?」

 

 

物取りであるならば、逆にその持ち物を奪ってしまおうと考えたベルは、その小さな人影に手を伸ばそうとした。

 

「お願いです、助けてくださいっ」

ベルに助けを求めるその声は、童のものだった。

 

 

子供の持ち物まで奪うような真似は、キンメリアのベルの誇りを傷つける行為だ。

ベルはどういう事なのだと、相手に問いかけた。

 

だが、まだ幼さを残すその少年は酷く疲れ、何かに怯えている様子だった。

 

野獣の如き人生を送っていた以前のベルであれば、そんな少年を臆病者とみなし、無視しただろう。

 

 

だが、今のベルは僅かながらも、人に対する情けを持っていた。

ベルはリリルカに目配せすると、少年を連れて女神ヘスティアの待つ廃教会へと戻った。

 

 

 

 

「なんて酷い話なんだろうっ」

 

 

パトリックの語ったあらましを聞き終えたヘスティアは、憤った。

だが、獣のように動かぬ視線をパトリックに向けていたベルは、少年に向かって、ヘスティアの思いとは異なる言葉を吐いた。

 

 

「パトリック、お前は馬鹿者だ。見も知らぬ者に助けを求め、現にこうしてノコノコと俺たちの後についてきた。

もしも、お前に害を為そうとするものであれば、お前は父親の復讐を果たし、母親を助ける前に命を落としていたぞ」

 

 

そのベルの言葉にパトリックは、何も言い返すことができなかった。

 

「ベル君、君も酷いことを言うじゃないかっ」

 

「でも、ベル様の言葉にも一理あります」

 

 

と、ヘスティアに言葉を返すリリルカ、つかの間の沈黙が教会内を包み込んだ。

 

 

俯いていたパトリックは、静かに顔を上げた。

そして、蛮人の目を見た。

 

煌々としたその赤眼は、荒々しく輝いている。

 

 

「それでパトリック、仮に妖術師を討ったとして、その暁には俺に何を差し出す?」

ベルは少年に問うた。

 

「お金ならいくらでも」

ベルは再び少年に問うた。

 

仮に妖術師を討ったとして、その暁には、お前は俺に何を差し出すのかと。

 

「……それなら僕の命を貴方に差し上げます」

 

その時、ベルは少年の瞳に青白く燃える強い決意を見た。

 

 

そして、このキンメリアの戦士は、気に入ったぞと少年に声をかけると、剣を引き抜いて叫んだ。

 

 

「アルゴ=ダビよっ、このキンメリアのベルが、パトリックの代わりに貴様の首を跳ねるっ」



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暗黒の狂戦士

館の裏門を蹴破ると、ベルは闇に包まれた廊下を突き進んだ。

 

館全体が、酷い瘴気に包まれている。

時折聞こえてくる不気味な笑い声、いつくもの黒いモヤのようなものが、天井でうろうろと漂っていた。

 

 

どうやら、この館には、いくつもの隠し部屋があるようだ。

 

アルゴ=ダビは、その隠し扉の向こう側に身を潜めているに違いない。

 

その時、ベルは強烈な殺気と視線が、己の背中に突き刺さるのを感じ取った、

素早く反転し、暗闇に潜む殺気の源へと、骨のナイフを投げつける。

 

 

 

何かが砕け散る音が聞こえると、途端に殺気と視線が霧散した。

 

どうやらアルゴ=ダビも、こちらの存在に気づいた様子だった。

館内に粘着くような死臭が滲み出し、瘴気が更に深まっていく。

 

 

だが、ベルは気負うことなく、普段通りの足取りで館内の探索を続けた。

 

 

その相貌に不敵な笑みを浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルゴ=ダビは、両手に持った紅水晶の珠を通じて、その侵入者を眺めていた。

恐らくは、あの領主の倅が放った刺客の類であろう。

 

ダビは鼻で笑い飛ばすと、紅水晶を黒檀で出来た卓上に置き、代わりに月長石の酒杯を手に取った。

 

 

 

「たかが刺客のひとり、ふたりが紛れ込んできたところで、化物に餌になるだけだ。

我が館は、千の兵隊に囲まれてもビクともせんわ」

 

余裕の表情を浮かべ、ダビは侵入者がどのような最後を遂げるのか愉しげに眺めていた。

 

 

だが、その表情はすぐさま、困惑に大きく歪むこととなったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

唸り上げる剛剣と剛拳が、魔物の群れを蹴散らした。

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 

館内には、野蛮なる戦士の雄叫びが反響した。

 

骸骨の戦士──スパルトイ達が、何とかベルの進行を食い止めようとする。

 

だが、ベルの歩みは止まることがない。

 

掌で頭骨を握り潰され、剣で叩き割られ、スパルトイ達は再び、ただの白骨となって崩れ落ちた。

盾と鎧、そして剣を装備した、骸骨戦士の果てしない群れは、たった一人の蛮人の前に脆くも敗北したのだ。

 

再び、隠し扉を蹴破って館を捜査していくベル。

 

 

古い死体もあれば、新しい死体もあった。

 

すっかり肉がこそげ落ちた骸骨、干からびたミイラ、強い腐臭を放つ青黒く溶けかけた腐乱死体、

そして血の気を失っただけの新鮮な亡骸。

 

これらは全て、アルゴ=ダビの犠牲となった者達だ。

 

ベルは無言のまま、先を急いだ。

 

 

暗黒に蹲る怪物どもを切り裂き、目の前に迫る巨大な鎌を叩き落とし、死の毒霧をやり過ごしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

ダビは酷く狼狽していた。

 

よもや、このような恐るべき戦士が、自らの館に攻め入ってくるとは、思いもしなかったからだ。

魔物や罠をものともせず、尽く打ち破り、破壊していくその様は、獰猛なる魂を宿した狂戦士を彷彿とさせた。

 

燐光を発する紅水晶を食い入るように見つめていたダビは、額に浮かんだ冷や汗を手の甲でぬぐい取ると、

酒盃に手を伸ばした。

 

激しい喉の渇きを覚えたせいだ。

 

あの怪物は、いずれはこの隠し部屋へとたどり着くだろう。

 

尖った顎鬚を神経質そうに撫でると、館の主であるこの妖術師は、セトの力を更に借り受けねばならぬと感じた。

 

 

そして、部屋の中央にある青銅の祭壇へと進むと、黄金の杯に置かれた生贄の心臓を掴み、己の口元に運んだ。

 

ダビを見下ろす青銅の蛇が、その両眼から不気味な光を灯す。

 

妖異なる気配が部屋を満たした。

 

 

今や、ダビの身体は蛇の如き鱗に覆われ、その眼は黒々とした闇に染め上げられた。

 

そして蛇と一体化したこのセトの司祭は、キンメリアのベルを迎え撃つべく、静かに杖を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

生ぬるい、血のような感触を伴った瘴気だ。

 

ベルは、隠し扉から溢れ出す血生臭い闇と、陰鬱とした気配を感じ取った。

鋼鉄の扉を蹴破り、ベルは俊敏な身のこなしで、その気配へと躍り出た。

 

「待っていたぞ、領主の小僧が放った刺客よ」

 

「俺はキンメリアのベル、妖術師アルゴ=ダビとは貴様だな」

 

 

構えた剣の切っ先を、ダビに向けてベルが問う。

 

 

「その通り。このわしこそが偉大なるセトに仕えし司祭、アルゴ=ダビよっ」

 

叫びとともにダビは、杖をベルのその足元へと投げつけた。

素早く跳躍し、ベルが避ける。

 

杖は落ちた途端に紫煙を吹き上げた。

 

僅かにだが、紫煙を吸い込んだベル──突然、激しい目眩を覚え、その視界はぼやけていった。

 

 

その間にアルゴ=ダビの肉体が膨張し、不気味な変化を遂げていく。

 

そして奇っ怪なる巨蛇へと転じたダビは、ベルへとその猛毒の牙を剥いた。

 

鋭敏なる動きで、ベルはダビの毒牙を躱すと、剣を放り捨て、この巨躯をうねらせる巨大な蛇の上顎と下顎を掴んだ。

そして鬼神の如き剛力で、ダビの胴体を壁へと叩きつける。

 

肉の潰れる湿った音が響き、その激痛にダビは身をくねらせた。

 

 

「死ねいっっ、ダビよっ!!」

 

その隙を突き、ベルが剣を拾い上げると、あやまたずにダビの首を跳ね飛ばす。

 

迸り出るダビの鮮血が、ベルの両腕と胸板を濡らした。

 

ベルは地面に転がったダビの首を引っつかむと、館を後にした。

 



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暗黒の狂戦士

OP「Basil Poledouris - Anvil of Crom」


殺気を感じたベルは、電光石火の早業で、己に飛来する毒矢を打ち払った。

ベル目掛けて、次々と撃ち込まれる無数の矢よ、蛮人が身を捻って躱し、切り飛ばす。

 

そして襲撃が止むと、先程まで感じていた刺客の気配も、どこかへ消え失せた。

 

 

ベルは剣を鞘へと収め、警戒心を強めながらも踵を返すと、路地裏を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

質屋のシャルコーが、賊の手にかかって殺害されたのは、二日ほど前の晩だった。

 

シャルコーは強欲者で知られていたが、盗品の密売にも関わっていたので、スリやカッパライをする者の間では、

それなりに重宝されていた。

 

そんな盗賊や強盗を稼業にする者達のおかげで、シャルコーはひと財産を築いたのである。

 

キンメリアのベルも、ヨグの信者達から剥ぎ取った装飾品などを、そんなシャルコーの質屋へと持っていき、売り払ったのだ。

 

勿論、買い叩かれた。

シャルコーは、客の足元を見るのが得意だったからだ。

 

 

本来であれば、七十万ヴァリスはするであろう、それらの品物を、二十万ヴァリスで買い叩かれたベルは、

それでもあまり気にすることもなく店を出てきた。

 

 

所詮はあぶく銭である。

 

 

そして、代金の半分である十万ヴァリスをリリルカに渡すと、その足でベルは、淫売宿の娼婦を買いに行ったのだった。

 

 

 

 

 

(語り部)

 

 

当時はまだ若者であったベルには、少々狡猾さが足らなかったと言わざるを得ないだろう。

 

いくら盗品の故買を専門とする質屋でも、どこに誰の眼が張り付いているのかは、わからないからだ。

 

ベルの売り払った略奪品が、目を光らせているヨグの信者達の情報網に引っかかるのは、

むしろ当然の成り行きと言えた。

 

 

(終了)

 

 

 

壊滅したはずの闇派閥は、かつての勢力を取り戻しつつあった。

 

そして、再びオラリオに対し、その凶刃を振り下ろそうとしていたのだ。

だが、その矢先に出鼻をくじかれた。

 

何者かの襲撃を受け、闇派閥に連なるヨグの信者達が惨殺されたのである。

 

挙句は、召喚したヨグの化身も破壊されてしまったのだ。

この神をも恐れぬ蛮行に怒り狂ったヨグ・ファミリアの者達は、襲撃の犯人を探し始めたのだった。

 

 

そして、その足取りを辿っていき、ついにはキンメリアのベルを発見したのである。

 

 

 

 

ベルは急いで身支度を整えると、ヘスティアとリリルカを伴って、バベルのダンジョンへとその身を潜めた。

 

「ねえ、ベル君、一体どうしたって言うんだい?」

不思議そうな瞳で尋ねるヘスティアを真っ直ぐ見つめ、ベルは諭すように言った。

 

 

「ヘスティア、俺の小さな女神よ、よく聞いてくれ。俺は狙われている。俺だけなら、まだいい。

だが、奴らは俺ではなく、俺の大切なもの、掛け替えのないものを狙ってくるだろう。

俺の小さな女神であるヘスティア、そして友のリリルカを。

そうなれば、俺は充分に戦うことができない。

だから、ここで少しの間、隠れていてくれ」

 

 

ヘスティアは、真っ直ぐに見つめるベルの視線に無言で頷いた。

 

「リリルカ、ヘスティアを頼んだぞ」

 

ベルがリリルカに視線を向けて言う。

 

「ベル様、お気をつけて」

 

リヴィラの街にふたりの身を隠させたベルは、次の襲撃を迎え撃つべく、廃教会へと戻った。

 

 

 

 

 

 

ベルの予測通り、暗闇に乗じ、暗殺者達は廃教会を襲撃した。

それが罠とも知らずに。

 

夜と闇の深き荒野で生まれ育った、このキンメリアの戦士を、暗黒の空間で相手取るなど自殺行為にも等しい。

 

暗闇の中で、ベルの一閃が放たれるたびに暗殺者達は、その数を減らしていった。

 

そして、最後の一人に手傷を負わせると、ベルはわざと逃がしたのである。

 

 

脱兎の如く逃げ去る暗殺者──ベルはそのあとを追った。

 

全てを殺戮し、根絶やしにするために。



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暗黒の狂戦士

胸元に突き刺さったままの短剣を押さえながら、暗殺者であるヴィスタは急いだ。

 

曲がりくねった街路を走り抜け、建物の間を横切る。

全身の血が流れ出す前に治療しなければ、待っているのは自らの死だ。

 

焦るヴィスタ。

 

隠れ家にたどり着いたヴィスタは、ドアを激しく乱打した。

「俺だっ、ヴィスタだっ、早くここを開けてくれっ」

ドアが開くのを見ると、ヴィスタはひとまず安堵し、ため息を漏らした。

 

その刹那、闇に閃光が走った。

 

背後から振るわれた剣で、自らの首を落としても、ヴィスタは安堵の表情を浮かべたままだった。

 

 

 

 

 

 

 

ヨグの信者達の隠れ家にたどり着いたベルは、建物内へと侵入した。

 

ベルが右側に立っていた見張りを雁金に斬り捨て、左側に居た男の脇腹を真一文字に薙ぎ払う。

男達は、血煙と臓物を零しながら絶命した。

 

 

天井から揺れている魔石灯のランタン──ベルは瞬時に叩き壊した。

 

 

 

真っ直ぐに伸びた廊下を突き進みながら、人や魔物の気配を探る。

 

だが、近くから、何者かの気配を感じ取ることはできなかった。

 

地下へと通じる階段を降りていくベル。

 

澱んだ空気に染み付いた、むせ返るような血と腐臭、それだけでこの地下が、

どういう目的で作られたのか、わかろうというものだ。

 

ベルは壁に耳を押し当て、辺りの様子を伺った。

壁の向こうから、か細いすすり泣きの声が聞こえてくる。

 

 

ベルはその握り締めた拳で、黒い玄武岩の壁を、思う存分に打ち砕いた。

砕け散った玄武岩が、ベルの打ち込む拳の強烈な衝撃で、激しく四散した。

 

 

そこでベルは見たのだ。

 

フックに吊るされた人間の死体、そして壁から伸びた鎖で繋がれ、哀れな声を上げる虜囚達の姿を。

 

 

 

ここはヨグの信者達の食料庫だったのだ。

 

 

暗黒の中に怪しげに光る複数の黄色い眼、灰色の肉体をした数人の影の正体──屍食鬼だ。

食人の神であるヨグを崇める者達の中には、屍食鬼もまた、多く存在している。

 

 

破壊された壁から、突如として出現したバーバリアンに、屍食鬼達は驚き、狼狽している様子だった。

ベルは怪鳥の如く跳躍すると、屍食鬼達へと、蛮刀を振り下ろした。

 

 

手前の屍食鬼を、拝み打ちで斬り捨てる。

 

 

血の花が咲いた。

 

剣を振るい続けるベル、血の花が咲き乱れた。

 

手も足も出すこと敵わず、屍食鬼達はその骸をベルの前に晒すだけに終わった。

 

 

ベルが無言のまま、虜囚達を繋ぐ鎖を叩き切っていくと、眼で逃げろと促す。

 

虜囚達はベルに対し、何度も感謝の言葉を述べると、この忌まわしき場所から逃げ出していった。

 

 

幸いにも、彼らは他のヨグの信者に見つかることなく、何とか逃げおおせることができた。

そして、ベルは地下の更に奥へと進んだ。

 

 

 

地下通路は、三百メートルに渡って伸びていた。

通路には曲がり角が、二箇所ほど点在しており、そこにはトラップと魔物が潜んでいたが、ベルの前には何ら意味をなさなかった。

 

 

青銅のドアに立つと、ベルはいつものように蹴破り、その壊れたドアをくぐった。

出た先は大広間だった。

 

 

 

 

 

 

 

素早い動きで兵士達が、ベルを取り囲んだ。

ざっと見積もって、二十人ほどか。

 

そこへ白い絹のトーガを纏った初老の男が、進み出てくる。

 

「我らの隠れ家へようこそ、戦士ベルよ」

 

穏やかな口調だった。

 

「貴様がこいつらの親玉か?」

 

 

「一応は。ただし、私は大いなるヨグを奉る司祭の一人に過ぎんがね。私はチャド・アグスという」

 

「そうか。ならば、とりあえずは貴様らを皆殺しにし、それから後々の事を考えよう」

 

 

憮然とした口調で告げるベル。

周りの兵士たちが色めき立った。

 

 

「そのことについてなんだが、どうであろう。一時休戦と行かないか。

至高の存在であるヨグの化身を滅ぼされた時は、その悪鬼の如き所業に流石の我々も色を失ったがな。

だが、調べれば調べるほど、お前という男がわかってきた」

 

 

 

「ほう、わかってきたとは?」

 

嘲るような視線をチャドに向け、ベルがニタリと笑う。

 

「ああ、そうだとも。ベル、お前は盗賊であり、暗殺者であり、破壊者であり、生まれついての略奪者だ。

敵を討ち滅ぼし、鮮血に酔いしれ、他者の悲鳴を地に轟かせること、それこそがお前の歓びだ。

セトの司祭であるダビを仕留めたその手並みは、まさに見事としか言い様がない」

 

 

「よく喋る口だな」

 

 

「まあまあ、私の話を聞いてくれ。キンメリアの狂戦士よ。殺戮と闇の申し子よ。

どうだろう、我々のファミリアに入る気はないか?

勿論、お前の女神であるヘスティアを無下に扱うつもりはない。

我々のファミリアの食客として、迎え入れ、充分な配慮をするつもりだが。

お前は素晴らしい戦士だ、ベルよ。偉大なるヨグもさぞやお慶びになるであろう」

 

 

「ふむ、悪くはない申し出だが……」

 

 

ベルは考え込むような素振りを見せた。

 

 

「おお、ならば……」

 

だが、次の瞬間、鞘走ったベルの剣が、チャドの胸板を刺し貫いていた。

 

 

 

 

「生憎と、貴様らの飼い葉桶の藁を食う気にはなれん」

 

 

 

その光景に惚けていた兵士のひとりの下腹を鎧ごと鷲掴み、ベルが引きちぎる。

引きずり出したハラワタを放り投げ、ベルは牙を剥いた。

 

大広間に響き渡る兵士達の断末魔の悲鳴、あとには無残なる屍だけが取り残された。

 

 

 

 

 

 

その翌朝、中央広場には、奇妙なオブジェが並んだ。

 

 

 

それはモズのはやにえの如く、串刺しにされたヨグの信者達だった。

 

その串刺し死体には看板が立て掛けられていた。

 

<我がヘスティア・ファミリアに手を出す者、かくの如しなり>と書かれた看板だ。

 

 

その頃、ヘスティアとリリルカを迎えに行ったベルは、ふたりを連れて、<豊穣の女主人亭>へと朝飯を食いに行ったのだった。



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暗黒の狂戦士

ヨグの信者串刺し事件は、連日連夜の騒ぎとなり、オラリオの住人達に激しい衝撃を与えた。

犯人が誰なのかは、すぐに見当がついた。

 

ヘスティア・ファミリア唯一の眷属であるキンメリアのベルだ。

 

そして、ベルは重要参考人として出頭するように命じられた。

ベルはこの出頭命令に素直に応じると、取調官とともに取調室へと赴いた。

 

 

それからベルは、取調官の発する質問に対して、素直に答えていった。

 

いくつかの点は曖昧にし、ボカシたが。

 

これは、神の立会いの元で行われた取調であり、ベルの供述に嘘偽りはないと判断された。

 

また、ベルから助け出された人々の証言もあり、

結局、串刺しの件はともかくとして、ヨグ・ファミリアへの虐殺行為には、

ベル側に当義殺(正当な殺人行為)ありとされたのである。

 

 

また、中央広場での串刺し行為も、罰金刑で済まされる運びとなった。

 

 

もっとも、この罰金刑も、ベルに始末されたヨグの信者達に掛けられた賞金で、

全て支払っても余りあるほどだったが。

 

 

特にヨグの司祭であるチャド・アグスには、実に五百万ヴァリスもの賞金が掛けられていたのだ。

 

 

これに味を占めた蛮人ベルは、リリルカに首桶を持たせると、早速賞金首を付け狙い始めたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「首狩り人が来たぞォっ」

誰かが叫んだ。

ダンジョン内に居た冒険者達は、その言葉に全員が首を竦めた。

 

 

深紅に染まった獣皮のマント、首元から垂れ下がる骸骨の数珠、真新しい血をしたたらせる剣、濃厚なまでの死の気配、

傍らには、首桶を持ったパルゥムの少女の姿が見える。

 

 

それは古の伝説に謳われし悪鬼、ヨーナスの如しだ。

 

 

「キンメリアのベルだ……」

 

「鮮血と殺戮に彩られた女神ヘスティアが、暗黒の荒野から呼び寄せた狂戦士……」

 

「奴は刈り取った敵の首を干し首にし、女神ヘスティアに供物として捧げるらしいな……」

「残忍無残なる蛮人ベル……」

 

「串刺し公、あいつは生き血を啜るんだ……」

 

「奴こそ髑髏の玉座に君臨する闇の覇者だ……」

 

 

冒険者達は声を潜め、ベルを噂し合った。

そして、その名を聴くだけで恐れおののいたのである。

 

 

串刺し事件を皮切りに、このバベルにおいても蛮族の戦士ベルの名声は、留まる事を知らなかったのだっ!

 

それが例え、悪名でもだ。

 

 

「今日も儲かったな、リリルカ」

 

「ええ、丁度いいところに間抜けな賞金首が突っ立っていてよかったです」

 

 

「これだけ稼げれば、お前も極上のソーマを飲めるというものだ。楽しみだな、リリルカよ」

「はい、ベル様」

 

 

かつてリリルカを虐げてきたソーマ・ファミリアのメンバー達、だが、今の彼女に手を出す者はいない。

 

蛮族の狂戦士であるベルのサポーターに手を出すほど、ソーマ・ファミリアの冒険達も命知らずではないのだ。

 

 

「蛮人ベルは鬼より怖い、バベルの淵で首を積む」とは、オラリオの子供たちが歌う手毬唄にもなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

ベルはバベルの五十一階層に逃げ込んだという、賞金首を追っていた。

 

この階層は<カドモスの泉>が存在することで知られている。

この泉は、魔物であるカドモスに守られており、また、このモンスターの皮膜は、大変に高価なものとして珍重されていた。

 

 

カドモスの皮膜は、現状では八百万ヴァリスほどで取引されている。

 

 

 

ベルは賞金首、そしてあわよくば、このカドモスを狩り、皮膜を頂いてやろうと考えていた。

ヘスティアへの貢物として。

 

賞金首の方も、都合良く、カドモスのいる泉の周辺に隠れ潜んでいる。

 

だが、そんなベルの思考を破るが如く、突如として悲鳴が飛び込んできた。

 

もしや同業か、そう思ったベルは駆け出した。

賞金首を横取りされてはたまらぬからだ。

 

 

 

そして駆けつけたベルは見た。

無残にも判別不能なまでに溶解した賞金首の姿を。

 

そして醜悪な芋虫の魔物の群れを。

 

 

これでは賞金は貰えぬだろう。

 

「致し方なし」

 

気持ちを素早く繰り替えたキンメリアのベルは、芋虫のモンスターから、少しでも多くの魔石を奪うことにした。

 

 

ベルは決して、ただでは起きぬ男である。

 

 

ベルは手前にあった巨大な岩を掴むと、芋虫の群れめがけて放り投げた。

 

岩が何匹かの芋虫を潰す。

 

 

途端に岩の下から染み出た芋虫の体液が、白煙をあげて岩を溶かし始めたではないか。

 

 

「ふむ、こいつらの体液は強い腐食性があるのか」

 

 

そう判断したベルは、素早く岩盤を探した。

 

岩盤はすぐに見つかった。

 

 

 

中々使い勝手の良さそうな岩盤である。

 

岩盤を根元からへし折ると、ベルは芋虫の群れへと突進した。

 

 

そして、思う存分に岩盤を振り回し、魔物を蹴散らしていったのである。



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ダンジョンの首狩り人

口腔から腐食性の毒液を滴らせた醜悪なる毒虫の群れ、群れ、群れ、群れ、群れ、群れ。

クラークは、この未知なる芋虫状のモンスターの大群を前に、歓喜半分、恐怖半分の状態で、興奮気味に逃げ回っていた。

 

 

 

ロキ・ファミリアの遠征に参加し、まさか新種のモンスターに遭遇するとはっ。

 

 

 

これならば、命を危険に晒した甲斐があるというもの。

 

だが、命を落とすまでの価値はないだろうなと、クラークは心中で呟いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ロキ・ファミリアは、流石の精鋭揃いとあってか、一糸乱れることなく隊列を組み、毒虫を退治していった。

 

遠距離から魔法と矢で仕留めつつ、撃ち漏らして、キャンプに潜り込んできた毒虫は、槍などの長物で始末する。

だが、毒虫の数は余りにも多く、その数の力で、徐々にではあるが、冒険者達は押されているようだった。

 

「隊列を崩すでないぞっ」

 

 

大顎をキチキチと鳴らす、忌まわしい毒虫の脳天を槍で突き刺しながら、ガレスが号令を発する。

 

天井を覆い、ウゾウゾと蠢く芋虫の大群が、ボタボタと音を立て、蛆虫のごとく落ちてくる。

──まるで悪夢だ。

 

メンバーの中には、毒液を浴びせられてのたうち回る者、肩や背中を噛み付かれ、貪り食われそうになる者も出てきている。

 

なんとか、この状況を打破しなければならない。

 

ガレスはなんとか、フィン達へと伝令を走らせる方法を模索した。

 

 

 

 

 

 

 

その頃、目に付く芋虫達を全て潰し終えたベルは、残りの魔物はいないか、探し回っていた。

 

そこで、ふと、遠くの方で何かが見えた。

 

芋虫の下半身と、人間の上半身を持った魔物だ。

 

 

「なるほど。奴が芋虫の親玉だな」

 

 

ベルは大地に散乱した毒液を使って、岩盤を加工し始めた。

岩盤の横面を腐食液で溶かし、岩肌で鋭く研いでいく。

 

そして巨大な石槍を作ると、ベルはその石槍を担ぎ、狂気じみた疾走を見せたのだ。

 

巨大芋虫の親玉目掛け、一直線に駆けるキンメリアのベル。

 

あれほどの大きさならば、魔石もさぞかし立派であろうと考えての行動だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

アイズは、芋虫の女王というべき存在と相対した。

細身の剣を構え、間合いを取りながら、相手の出方をうかがう。

 

と、その刹那、竜巻の如く、激しい砂煙を上げながら、何かがこちらへ向かって突進してくるではないかっ。

 

 

 

その正体は、巨大な石槍を背負った屈強な肉体を持つ蛮人だった。

蛮人はあらん限りの声で叫んだ。

 

 

 

 

「死ぬがよいっッ!」

 

ドスッ

 

鈍い音が響いた。

 

 

石槍で女王芋虫の腹部を鋭く貫き通し、その五臓六腑をことごとくを撒き散らさせるベル。

 

 

 

 

ロキ・ファミリアの冒険者達が唖然とする中、引き抜いた石槍で、ベルが女王芋虫の頭部を叩き落とす。

ベルに一矢報いるが如く炸裂し、毒液を飛ばす女王芋虫の亡骸。

 

だが、少々の毒液を被っても、キンメリアのベルは平然としていた。

 

 

 

「やはり、この手に限るな」

 

 

口も鼻もない、女王芋虫の無貌の生首。

 

転がった女王芋虫の生首を引っ掴むと、ベルは次にカドモスの待つ泉へと向かおうとした。

 

だが、泉へと赴こうとする、ベルを何者かが呼び止めた。

 

 

「待ってっ」

 

後ろを振り返るベル。

 

「ん、お前はあの時の女ではないか?」

 

 

ベルは未だにアイズの名前を、知らずにいたのである。

 

「その首、どうするの?」

アイズが、女王芋虫の首を指さす。

 

「知れたこと。干し首にし、ヘスティアに捧げるのだ」

 

 

「干し首……」

 

「そうだ、干し首だ。なんだ、欲しいのか。ヘスティアが構わんなら譲ってやっても良いが」

 

「……いらない」

 

「そうか」

その時、冒険者たちの間から顔を突き出したクラークが叫んだ。

 

「ああ、ベルさんではないですかっ、お久しぶりですっ」

 

 

 

 

途端にロキ・ファミリアのメンバーがざわつき始める。

 

 

 

「あれがキンメリアのベル……」

「荒野の蛮人……」

 

「バベルの屠殺者……」

 

「血に飢えたケダモノ……」

 

ベルは何者も映さぬ、紅水晶のような冷たい瞳で、ロキ・ファミリアを見やった。

 

 

 

 

 

 

 

 

上質な葡萄で造られた火酒で、ベルは英気を養うと、炙った干し肉に食いついた。

 

「あなたは強い。何故そこまで強いの?」

 

アイズが真っ直ぐな視線をベルに投げかける。

 

「逆に聞くが、竜や虎がなぜ強いのか問われて、答えられると思うか」

 

 

顎を濡らした火酒を手で拭い、ベルがアイズを見やりながら、言葉を重ねる。

 

 

 

「竜や虎が強いのは、生まれた時から強いからだ」

 

 

「じゃあ、貴方は生まれた時から強かった?」

 

 

 

アイズの言葉に、ニヤリと笑うベル。

「そういうことだ。鋼と大地の神であるクロムは、人が生まれた時に敵を殺す意思と力を与える。

そしてこの俺は、クロムからその意思と力を吹き込まれて生まれた」

 

 

 

「へ、お前はヘスティア・ファミリアの眷属だろうがっ」

 

横槍を挟んでくるベート、だが、ベルはベートを鼻で笑ってあしらった。

「……クソ、一々気に入らねえ奴だな」

 

 

「お前、この女に惚れているな」

 

ベルがベートの図星を突いてやる。

途端にファミリアメンバーの笑い声が湧き上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「誤チェストにごわす。こりゃ、目当ての魔物じゃなか」

 

「またにごわすか」

 

「チェストする前に魔物の確認するは女々か?」

 

「名案にごつ」

 

「それよりもキンメリアのベルどんが、また手柄を立てたそうでごわんぞ」

「ベルどんは、オラリオ一のぼっけもんでごわす」

 



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ダンジョンの首狩り人

OP「Dio - Holy Diver」


「オラリオ一の傾奇者、ベル殿とお見受けする」

ベルは残った酒を飲み干すと、染みだらけのカウンターへとカップを置いた。

 

 

極楽鳥の羽で編んだ外套を身に付け、銀の鎖帷子を着込んだ男を、ベルが一瞥する。

 

「どこの誰かは知らんが、この俺に何か用か」

 

「……オラリオ一の傾奇者の名は……今日よりこの耳削ぎガンボウのものよッ!」

そう叫ぶや、男がベルの腹目掛けて居合斬りを放った。

 

 

ドスッ

 

 

 

ダイダロスの酒場に鈍い音が響き渡る。

 

 

 

ベルの振り下ろしたる手刀が、耳削ぎガンボウの脳天から下腹部までを、一気に裂き潰したのだ。

 

ドスンという鈍い音を立てて、身を二つに割いた肉塊が、床へと横転し、脳髄とともに内臓をぶちまけた。

 

酒気に混じった血と臓物の臭気が、立ち立ち昇る。

 

「貴様如きの腕では、このキンメリアのベルは仕留められぬ」

 

 

酒場の主がモップを片手に、血に染まった床を掃除し始めた。

 

 

給仕が無言で、二つの肉塊を引きずり、路上へと捨てに行く。

 

 

 

 

 

蒸し暑い。

季節は夏を迎えていた。

 

夜が訪れる時刻は長くなり、朝を迎える時刻が短くなる季節だ。

 

 

もっとも、酒を飲むのに時刻は関係ない。

今日も真昼間から、ベルは酒を掻っ食らっていた。

 

 

「流石はベルの旦那でさあ」

 

ソーマ・ファミリアの一員であるカヌゥが、揉み手をしながらベルに話しかける。

「カヌゥか」

 

「へい、いちでなし、にでなし、さんでなし、しでなし、ごでなし、ロクデナシのカヌゥにございやす」

 

ベルは給仕に、新しく酒を持ってくるように命じた。

「へへ、こいつはありがとうございやす」

 

卑屈そうに身を屈め、酒の注がれたカップを受け取るカヌゥ。

 

「して、カヌゥよ。俺になんぞ用か」

「ヘイ、それでござんすが、新酒のソーマが出来上がったとのことでございやして」

 

「ほう」

 

 

 

「リリの姉御が、旦那はここで飲んでいるから、知らせてくるようにと、言伝を賜ってきやした」

カヌゥの言葉に、ベルの両眼が爛々と不気味にギラついた。

 

 

 

「ほう、新酒のソーマか……聞くだけで勃起する」

 

 

「……へ、へへ、そうでござんしょうとも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バベルの最上階にそびえ立つ豪奢な大邸宅の主、フレイヤは、朱色に染まった黄昏にも似たその魂を、食い入るように見つめていた。

どこまでも純粋で、どこまでも獰猛で、どこまでも貪欲貪婪な荒魂、その魂は鮮血を啜るほどに彩られた。

 

「この者の魂は、人の身でありながら、鬼神へと近づきつつあるわ……」

 

フレイヤは中毒した。ベルのその魂に。

 

 

蛮人ベルの魂は、ケシから採取された阿片の如く、この美の女神を溺れさせたのである。

 

「フレイヤ様、少々顔色が優れぬかと」

 

「ねえ、オッタル、私は、これほどまでに獰猛で灼熱の如き真紅に染まった魂を見たことがないわ。

まるで薄暮のように薄紅色になったかと思えば、突然猛り狂った太陽の如く燃え上がる……

これほどまでに醜悪で、これほどまでに鮮やかで、これほどまでに不吉で、これほどまでに美しく燃え上がる魂を……」

 

「フレイヤ様、もうお休みになられたほうが良いかと……」

 

 

 

「……ええ、そうね。今日はもう疲れたわ……この魂は、見ているだけで私から、精気を奪い取ろうとしてくるみたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベルは、カヌゥを従者のごとく引き連れ、古に伝わるエウタイ王の墓所へと訪れていた。

 

 

「カヌゥよ。本当にこの場所に宝が隠されているのか」

 

「へい、あらかた財宝は盗まれておりやすが、最近隠し通路が見つかったらしく、まだ取り残された宝が眠ってるって噂でして」

 

「ならば、何故誰も取りに行かぬのだ」

 

ベルがカヌゥを胡散臭げに見やる。

 

 

「それなんですがね。墓所をうろつくモンスターや、設置されたトラップのせいで、手をこまねいてる次第でやして、へへ」

 

 

「金も欲しいが、魔物退治もまた一興というものよ」

「そういうと思いやしたぜ、ベルの旦那」

 

 

「言っておくがカヌゥよ、俺を騙し、財宝をかすめ取るような真似をすれば、わかっておるな」

「へ、へへ……そりゃ、勿論でございやす。そもそも、あっしにゃ、旦那の持ち物に手を付けるような度胸はございませんぜ」

 

カヌゥのその言葉には、嘘偽りなど微塵もなかった。

 

 

キンメリアのベルから財宝を横取りしたとあっては、その末路は首を跳ねられるか、あるいは串刺しかのどちらかである。

 

ソーマ・ファミリアのこの獣人には、そんな大それた真似はできない。

そんな度胸があれば、とうの昔にもっと出世しているだろう。

 

それにもう一つ、この卑しい獣人は、ベルが恐ろしく気前の良い事を知っていた。

 

 

この蛮人は懸命に働いてやれば、充分すぎるほどの分け前を、惜しげもなくポンと渡してくれるのだ。

 

「では、参るとするか」

 

 

 

 

 

 

 

一筋の明かりさえ見えぬ暗闇だった。

 

夜目の効くその両目で、ベルは死の臥所を見渡した。

かつては豪奢であっただろう、エウタイ王の墓所は、しかし今では見る影もない。

 

あるのは、荒らされた納骨所と、叩き壊されたいくつもの柩だけだ。

 

 

無造作に放り出されて散乱した骨、幾条にも重なった蜘蛛の巣、走り回るネズミの鳴き声。

 

 

ベルが転がった頭蓋骨を爪先で蹴ると、中で眠っていた小さな毒ムカデが、眼窩から這いずり出てきた。

 

ベルはカヌゥから聞き及んでいた隠し通路の扉を叩き壊すと、通路を渡った。

 



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ダンジョンの首狩り人

かつて栄えし古代の小都ビザンガ──その王であったエウタイは、血を好む暴君として、民達から恐れられていた。

 

圧政を敷き、奢侈に溺れ、専横な振る舞いを持って下々を苦しめ、エウタイ王は、愉悦を持って、そんな民草の哀れな光景を眺めた。

 

エウタイは、黒馬を駆って、通りを歩いていた幼い子供を馬のヒヅメで潰し、妊婦の腹を割いて取り出した胎児を、人食い神ヨグに捧げ、

新婚の若者から、その妻を取り上げて奴婢にし、飽きたら魔物に生きたまま食わせ、あるいは城の塔から放り捨てて鳥の餌にした。

 

人びとは、怠惰なるこの暗君の目から、何とか逃れようと日々を過ごし、一日を無事に送れたことを天に感謝した。

 

 

 

 

 

 

 

歳月に飲み込まれ、朽ち果てた墓所に隠されていた広間、そこには崩れた台輪や折れた付柱の残骸が、転がっていた。

この広間の今の主は、巨大な毒蜘蛛だった。

 

複数の球体の如き、光を称えたその眼で、新たにやってきた侵入者を狙っている。

 

天井に張り巡らされた巨大な網の下には、人骨や魔物の骨が散乱していた。

 

 

蜘蛛は、勢い良く侵入者に飛びかかった。

だが、侵入者の薙ぎ払った剣を受け、無残にもその身は、横二つへと分かれてしまった。

 

紫色の体液を飛び散らせ、身二つになった巨大蜘蛛が、侵入者の足元へと這いつくばる。

 

この侵入者こそ、キンメリアの戦士ベルだった。

 

 

 

 

 

 

 

「財宝はどこだ」

ベルは蜘蛛の死骸を踏み潰し、広間を見渡した。

 

だが、目に付くのは、剥がれた壁屑や、骨、それから蜘蛛の巣に壊れた台輪と、目ぼしい物は見当たらない。

「無駄足だったか」

踵を返し、ベルがカヌゥの待つ墓所の入口へと戻るべく、広間を出た。

 

その刹那、広間に虹色めいた不思議な光輝が広がり、ベルの視界は、その光に飲まれていったのである。

 

 

 

 

 

 

 

次にベルが目にしたのは、砂が敷き詰められた楕円形に広がる闘技場だった。

一体ここはどこだ、俺は何故、ここにいるのか。

 

 

「ビザンガの王であるこのエウタイに逆らいし、愚か者どもよっ、せいぜい、余を楽しませるのだっ」

 

 

闘技場の天井近くにまで伸びた柱、その壁龕に設けられた王座席から、こちらを見下ろし、罵声を浴びせる中年男がいる。

 

ベルは王座席を見上げると、こいつはいったい誰だと思った。

 

 

そうしている内に、兵士達が、若い男女を牢から引っ張り出してきた。

女はさめざめと泣いており、男は女を慰めている。

 

女は大粒のサファイアの首飾りを身に着けており、それを見たベルは、どこかの富豪の娘かと見当をつけた。

 

 

「トマ、そしてララよっ、余の命令に背き、このビザンガから逃げようとは不届き千万であるっ。

お前たちはその罪を死を持って償うのだっ」

 

 

「ふざけるなっ、暗君王よっ、俺の妻であるララを奴婢にし、その身体を慰みものにしようとした癖にっ。

俺は知っているぞっ、貴様がさらって来た若い娘を拷問に掛け、惨たらしく殺すことをなっ」

 

トマと呼ばれた若者が、エウタイ王の浴びせる雑言へと、猛然と反論する。

 

だが、その言葉は、兵士達の構えた剣によって遮られた。

 

 

 

「黙れっ、この下郎めっ。次にキンメリアのベル、貴様は貴人の墓を荒らし、あまつさえ、番をしていた大蜘蛛を斬り殺した。

これは重罪である。貴様もこの者らと同様に死を持って償うのだっ」

 

 

その言葉を皮切りに、巨大な鉄門が軋み上げながら、開け放たれた。

慌ただしく引き上げていく兵士達。

 

 

 

 

 

鉄門からのそりと、その姿を現したのは、体長十メドルを超えし、巨大な人食いカマキリだったのである。

 

二つの大鎌をすり合わせ、カマキリが三人を見下ろす。

その眼はガラス玉のように硬質な光をぎらつかせていた。

 

トマとララは身を寄せ合い、来世でも必ず結ばれようと、きつく瞼を閉じた。

そしてふたりは互いの唇を重ね、熱く抱擁したのである。

 

 

 

 

 

 

 

そんなふたりを無視し、ベルは素早く跳躍すると、カマキリの首根へと蹴りを叩き込んだ。

 

千切れ飛んだカマキリの首が、群衆の集まった席へと飛んでいく。

 

「こんな虫けら如きで、俺をどうにかできるとでも思ったのか。愚か者め。エウタイ王よっ、死ぬがよいっ」

ベルは身体を痙攣させるカマキリの片腕を引き抜き、エウタイ王目掛けて投げつけた。

 

 

空中で回転する大鎌が、エウタイ王へと飛んでいく。

 

巨大カマキリの大鎌が、エウタイ王の下腹部を両断した。

 

驚愕の表情を浮かべ、エウタイ王はずり落ちていく己の下半身を眺めた。

 

 

 

槍や剣を構えた兵士達の一団が、闘技場へとなだれ込み、群衆は急いで出口へと殺到した。

 

ベルはもう片方の大鎌を、巨大カマキリから引っこ抜くと、襲いかかる兵士達へと振り回した。

 

ベルが巨大鎌をひと薙ぎするほどに、十五余りの兵士達の首が転がっていく。

「今だっ、二人共逃げるぞっ」

 

混乱に乗じたベルは、トマとララを引き連れて、闘技場から逃げ出した。

そして追っ手を掻い潜り、ビザンガから他国へと通じる境目までベルは、ふたりを連れ出したのだ。

 

 

 

ララはベルに何度も感謝の言葉を重ねた。

 

「本当にありがとうございます、異国の戦士様、どうかこれをお持ちになってください」

そういうと、ララはサファイアの首飾りを、ベルへと手渡したのである。

 

ベルは国境を越えていくふたりを、じっと見つめていた。

 

 

そこで再び、ベルの視界が歪んでいく。

 

気が付くと、そこは墓所だった。

はて、あれは夢だったのか。

ベルは訝しんだ。

だが、そこでベルは、ハッとなった。

 

 

何故ならば、あの見事なサファイアの首飾りが、ベルの胸元で輝いていたのだからっ



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ダンジョンの首狩り人

廃教会の門前に集まった蛮族達が、熱気に包まれながら踊り狂っている。

 

篝火の前で、ミノタウロスの革を張った太鼓を、甲高く打ち鳴らすピクト人の戦士、北方の蛮地からやってきたという弓使いの娘が、

ヒンナっ、ヒンナっ、と叫びながら、頭骨を叩き割ったオークの脳みそを、手づかみで食していた。

 

 

羆の爪を磨く狩人、オーガとミノタウロスの生首を、鞠の如く交互に蹴り続けながら、炎を吹くアスガルドの大道芸人。

 

 

巨大な酒盃に注がれた酒をみなで回し飲みし、彼らは大いに笑い、歌った。

 

 

そして彼らは、大量の穀物、野菜、酒、生肉、塩を門の前に供すると、勝利と狩りの成果を祈願し、何処となく消えていった。

 

 

 

 

ヘスティアの住まう廃教会前では、週に一度の割合で、蛮人達がこのような宴を開いているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

半夏生の季節である。

 

初夏の割には、蒸し暑い。

アブラゼミがけたたましく鳴いていた。

 

きつい陽射しを浴びながら、それでもメインストリートでは、今日も人がごった返している。

もうすぐ怪物祭が催される。

 

それ故か、人々はどこか浮かれている様子だった。

 

 

 

だが、そんな祭りを尻目に、今日もベルは、いつものように魔物や賞金首を狩っては、干し首作りに勤しんでいた。

 

近頃では、ベルの干し首は評判を取り、蛮族や一部の好事家が、買い求めていくのである。

 

 

これにはヘスティアも大変に驚いていた。

一体何で、干し首なんて買っていくんだろう、と。

 

だが、無骨ながらも一つずつ、丁寧に仕上げられた干し首には、まるで魂が宿っているようだと、買い求める者達は口々に言うのだ。

 

 

ベルの作る干し首には、どれを取っても、何とも言えぬ味わいと風情があると。

それはもはや、一種の工芸品と呼んでも差し支えないだろう。

 

 

 

このキンメリアの蛮人は、オラリオ随一の干し首職人といっても、過言ではないほどの腕前に達していたのだ。

 

 

 

今日の干し首作りを終えて、ベルはヘスティアを伴うと、酒場へ出かけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西の地区にある<豊饒の女主人>は、今日も賑やかだ。

ベルは、ヘスティアやリリルカと食事を取るときは、この酒場を利用している。

 

もっとも、普段はダイダロス通りにある行きつけの酒場か、色町にある淫売宿にしけこんでいるのだが。

 

 

「そういえば、ベル君、もうすぐ怪物祭だねっ」

 

 

「そのようだな」

 

酒精をぷんぷんとさせる強烈な酒を飲みながら、ベルがヘスティアに頷いた。

 

 

 

「楽しみだなあ。露店や屋台もいっぱい来るだろうし、色んな芸も見られるよっ」

 

「そうか」

このキンメリア生まれの若者にとって、人々に混ざって催し物を眺めているよりも、ダンジョンで魔物を狩っていたほうが、憂さ晴らしになる。

だが、だからと言って、行かないわけでもない。

 

ヘスティアが祭りに行きたいというのであれば、連れて行く。

それくらいの情けは、この蛮人も持ち合わせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

闇の中で、ジバガは蹲っていた。

クチャ、クチャと、湿り気を帯びた音が響く。

ジバガがしゃがみこんでいる脇には、人間と思しき遺体が見えた。

 

まだ若い、女の遺体だ。

 

ジバガは、まだ生温く、水気をたっぷりと含んだ、若い娘の柔らかな肉を噛み続けた。

娘の血と脂が、唇を赤く濡らし、その双眸は暗黒の中で不気味に光っている。

ジバガは、なぜ自分が娘の肉を食らっているのか、皆目検討がつかずにいた。

 

 

 

ただ、酷く空腹で、目の前に美味そうな肉があったから、気がついた時には、貪り食っていた。

 

 

死んだ娘の顔を見ても、誰だったのか思い出せない。

見知った顔であることは覚えているのだが。

 

 

ジバガは娘の腱を引きちぎると、骨に張り付いた肉片をしゃぶった。

 

それからジバガは、すっかり娘の肉を平らげると、外へと出て行った。

 

 

 

かつての冒険者仲間である、娘の骨だけを残して。

 

 

 

 

 

 

年に一度の催しだけあって、オラリオは雑踏で溢れている。

威勢良く通行人に声を掛ける行商人達、その隣では、胡散臭げなシャルラタンが口上を述べながら、商品を掲げてみせる。

 

ミンストレル芸人は、炭で黒く染めたその顔で、ダルファル人の奴隷の物真似に興じているようだった。

 

ミンストレル芸人が、主に懇願する奴隷の役を演じると、見物客は大声で笑い、小銭を放り投げた。

すると芸人達も、更に哀れっぽい声を出し、客達を沸かせた。

 

ベルは、そんな市井の民達を、つまらなそうに遠巻きに見やった。

 

市場では、野菜や果実、肉に魚、衣類、陶器、手作りの工芸品などが売られ、屋台では、酒と食物を求める客達が集まっている。

 

 

途中で、酒で気が大きくなった酔漢が、ヘスティアとリリルカにちょっかいをかけてきたが、ベルがひと睨みすると、大慌てで逃げていった。

 

 

この身長、六尺半(約二メートル)余りの筋骨隆々とした蛮人が立っていると、それだけで威圧感がある。

 

三人は屋台で腹ごしらえをすると、ガネーシャ・ファミリアの待つ闘技場へと足を伸ばした。

 



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ダンジョンの首狩り人

OPサントラ「Basil Poledouris - Riddle Of Steel / Riders Of Doom」


鉄格子が大きく歪んだ檻の中で、ジバガは、中にいたモンスター達を食い漁っていた。

だが、いくら貪り食っても、ひもじさは癒えずにいる。

 

「貴方、”ヨグの化身”に寄生されたわね」

 

不意に声をかけられ、ジバガは振り返った。

 

そこに立っていたのは、艶やかな銀髪と、見事な肢体を持つ美しい女だった。

ジバガは、女の持つ美貌に一瞬、空腹を忘れて魅入った。

 

 

 

脳はすっかり退化し、激しい飢餓に取り憑かれたこの男でも、目の前にいる女の美しさは理解できたのだ。

 

ヂヂ……

 

ヂヂヂ……

 

体内に寄生するヨグの化身が、ジバガにもっと食えと、鳴いて催告する。

 

 

「折角解き放とうと思っていたモンスターも食べられてしまったし、少しばかり予定が狂ったけど、でも、いいわ。

貴方、このまま表に出て、好きなだけ食べ漁りなさい。そうすれば、あの蛮族の戦士がやってくるはずよ。

鮮血の匂いに誘われてね」

 

次に女は顎に手をやって、何かを思案する素振りを見せた。

 

「うーん、それだけじゃあ、足りないかしら。そうね、貴方、女神ヘスティアを狙いなさいな。

そうすれば、あのキンメリアの虎も流石に見過ごさないでしょう」

 

 

女がジバガに命じる。

すると、ジバガは、言われた通りに表へと向かっていった。

ジバガを魅了し、命令を下した、この女こそ、美の女神フレイヤだったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘスティア達を連れ立ち、東の区域に訪れていたベルは、殺気と血の匂いを感じ取った。

立ち止まり、人ごみを見渡すベル。

 

「どうかしたのかい、ベル君?」

「どうかしましたか、ベル様?」

怪訝そうな表情を浮かべ、ヘスティアとリリルカが、ベルに尋ねた。

 

「二人共、決して俺のそばから離れるなよ」

 

ベルは柄に手を掛け、身構えた。

 

「きゃあああああっ」

後方から飛んでくるけたたましい悲鳴、ベルは後ろを振り返った。

 

すると、人波を呑み込みながら、膨張する巨大な肉の塊が、目に飛び込んできたのだ。

肉塊が、土留色の触腕を伸ばすと、近くにいた民衆を次々に摂り込んでいく。

 

そして大量の人骨を吐き出すと、その巨大な複眼を見開いたのだ。

 

「あれは、ヨグの化身か。だが、前に戦った奴よりデカイな」

 

 

それは周りに連なる家々よりも遥かに巨大だった。

その巨体は、二十メドルに達しようかというほどである。

 

 

ベルは、二人に対し、逃げよっ、と、言葉を発すると、猛然とヨグの化身に立ち向かっていった。

 

怪物が荒々しい咆哮とともに、ベルを迎え撃つ。

 

 

ベルは、鞭の如き動きを見せる、その太い触腕を切り落としながら、間合いを詰めた。

 

鋭く尖った歯牙を剥き出し、ヨグの化身が、ベルを捕らえて噛み砕こうとする。

だが、中々絡め取ることができず、ヨグの化身は、苛立つように唸り声をあげた。

 

 

長剣を咥え、ベルは距離を詰めると、虎の如く跳躍し、ヨグの化身へと飛びかかった。

 

 

そして肉壁をよじ登っていったのである。

ヨグの化身は、ベルを振り落とすべく、渾身の力で暴れまわった。

 

そこら中の建物に身体をぶつけ、ベルを押し潰そうとあがく。

 

倒壊する建物、たちまちの内に瓦礫の山が築かれていく。

 

 

 

 

だが、ベルの両指は、鋭い鉤爪のようにヨグの化身の肉に食い込み、決して外れようとはしない。

 

それは凄まじいまでの怪力だった。

 

人々が激しい恐怖と混乱の渦に叩き込まれる状況の中にあって、蛮勇を誇りしこのキンメリアの若き戦士は、

決して冷静さを失うことなく、その鋼の如き強靭な精神力と胆力を持って、敵の喉笛を食い破らんとしていた。

 

 

焦りを覚えたヨグの化身が、闘技場目掛けて突進する。

その巨躯を打ち付けられた闘技場の煉瓦が、見るも無残に砕け散り、瀑布のごとく地上へと降り注がれた。

 

濛々と上がる土煙が、視界を塞ぐ。

 

 

壁に身体をしたたかに打ち据えられながらも、しかし、ベルは決して揺らぐことはなかった。

 

 

そして、ようやくよじ登り終えたベルは、ヨグの化身の複眼目掛けて、次々に剣を突き立てていったのである。

 

眼球に剣が突き刺さるたびに、ヨグの化身が悲痛の叫びを発する。

 

 

 

「ヨグの化身よっ、死ぬがよいっ!」

 

 

最後に残った眼を潰され、ヨグの化身の激しい断末魔が、天を引き裂く雷鳴の如く轟いた。

 

 

全ての眼を潰されたヨグの化身が、重苦しい地響きを立てながら地面へと崩れ落ちる。

 

 

ヨグの化身は、その巨躯を、まるで干物のように縮ませていった。

 

そして最後は人間の形となった。

 

 

ベルは人影に近づくと、身を屈めて観察した。

虫の息ながらも、相手はどうやら、まだ生きている様子だった。

 

ベルは相手の首を刎ねるべく、剣を構えた。

 

「お、俺はなんて酷いことを……」

 

正気の宿った双眸を見たベルは、相手に問うた。

 

お前は誰だ、と。

 

「俺はジバガ……コラジャ人の冒険者だ……俺は、仲間とともにバベルに潜り、そこである柩を見つけたんだ……。

ああ、まさか、あんなことになるなんて……」

 

 

息も絶え絶えになりながら、ジバガが説明を続ける。

 

「なるほど。その柩にヨグの一部が封印されていたというか」

 

「身体を乗っ取られた俺は、仲間を食っちまった……愛しいテメエの娘まで……。

なあ、頼む……俺を仲間達の亡骸のある場所まで……運んでくれねえか……」

 

 

ベルは、死の間際にいる男の頼みを無言で聞き入れた。

そしてジバガを背負い、バベル目掛けて一直線に疾走したのである。

 

「仲間に会って詫びを入れてえ……許して……くれ……って」

 

「喋るな、喋れば力が抜けていく。気をしっかり持て」

 

 

 

ダンジョンの壁をぶち抜き、断崖から飛び降り、木々の枝を伝い、川を飛び越え、ベルは目的の場所へとたどり着いた。

 

ベルの背中から降りたジバガが、仲間だった者達の残骸へと、最後の力を振り絞って駆け寄り、その遺骨を抱きすくめる。

「すまねえ……すまねえな、お前ら……こんな姿にさせちまってよ……許してくれ、許してくれよ……」

涙を流しながら、嗚咽を漏らすジバガ。

 

そうしている内にジバガは、いつの間にか息を引き取っていた。

 

 

事切れたジバガと、散乱する人骨をかき集めると、ベルは何も言わずに一緒に埋めてやった。

 

そして墓を作ると、持っていた火酒の水筒袋を墓の横に添えてやったのだった。

 

 

墓から立ち上がったベルは、それから二度と振り返ることなく、バベルを出た。

 

 

この一件により、ベルの武勲は、益々オラリオ中に広まった。

だが、ベルは相も変わらず、ダンジョンに潜っては魔石と首を狩り、干し首作りに精を出している。



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ダンジョンの首狩り人

水の迷都で引き起こされた大人災によって、ジャガーノートは目覚めた。

ドラゴンの白骨にも似た、その姿を露わにし、再び殺戮を破壊をもたらさんと両腕を広げる。

 

だが、復活したその直後、ジャガーノートは、無残にも砕け散ったのである。

砕け散る寸前、ジャガーノートは見たのだ。

 

腰布一枚のみで、己に素手で殴りかかってきた蛮人の姿を。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、バベルの壁から掘り出された不気味な石像だった。

 

誰が造ったのかもはっきりとしない、太古の時代から存在する石像だ。

石像は、鱗に覆われ、頭部は奇形めいた魚だった。

 

鋭い鉤爪を伸ばし、石像は、今にも襲いかからんとしているようにも見える。

 

 

開かれた大顎からは、恐ろしく鋭い牙が並び、石像のその飛び出た眼球は、何も映そうとはしない。

その半魚人じみた歪な石像は、狂気の産み出した産物にも思える。

 

 

 

「おお、偉大なる暗黒世界の神よっ、我らの願いを聞き届けたまえっ、我らは大いなるダゴンの忠実なる下僕なりっ

未だにハイドラの石像見つからず、我らに道しるべを示したまえっ、石像の在り処を我々に示したまえっ!」

 

 

石像に跪き、何度も叩頭しながら、居並んだ信者たちが、祈りの言葉を口にしていく。

 

 

彼らは、コルダヴァ人を先祖に持つ混血者達であり、インスマスから、このオラリオへと流れてきた集団だった。

 

彼らの多くは、オラリオに居を構えているが、中には水の迷都に隠れ住む者たちもいた。

 

 

ダゴン崇拝者の高僧であるディ=バダダが、ローブから顔を出す。

その相貌は、エラ張った魚のようだ。

 

 

ディ=バダダは、再び祈祷を捧げながら、ダゴンの石像へと神託を願い出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハイドラの石像だと?」

 

火酒を飲んでいたベルが、クラークに聞き返す。

「ええ、そうです。なんでも、その石像がオラリオに運び込まれたとか」

 

「それで、その石像にいくらほどの価値が有るというのだ」

 

「ある蒐集家が、三千万ヴァリスで求めてるようですよ」

空になったコップにエールを注ぎ、チビチビと飲むクラーク。

 

 

「三千万ヴァリスか。それだけあれば、好きなだけソーマ酒が飲めそうだな。

ヘスティアの教会も増築できるだろう。それで、その石像はどこに運ばれたんだ」

 

 

ベルはクラークにせっつくように話を促した。

この蛮人は、儲け話は嫌いではないのだ。

 

 

「ええ、それなのですが、どうやらバベルの最上階へと、石像は運び込まれていったそうですよ。

つまりは、女神フレイヤ様のお部屋へと」

 

 

その時、ベルの表情が憤怒に大きく歪んだ。

 

荒い息を吐き、ベルがフレイヤを罵倒し始める。

 

 

 

「あの天界の雌犬めっ、いつかその尻を散々に責めてやろうと思っていた所だったが、渡りに船とはこの事だっ。

この俺が、ひとつギャフンと言わせてくれるっ」

 

 

ジバガを背負っていた時、ベルは、このコラジャ人の冒険者から一部始終を聞き及んでいたのだ。

 

 

ベルは面白半分で、ヘスティアを狙わせた、この性悪女神に手痛いしっぺ返しを食らわせてやろうと、考えていた。

あるいはオラリオに現れた当初のベルであれば、本能の赴くままに、フレイヤ・ファミリアを襲撃していただろう。

 

 

だが、今のベルには多少なりとも知恵がついている。

 

ただ、襲撃するだけでは面白くない。

 

ゆえに襲撃のタイミングを見計らい、どうやってフレイヤの鼻を明かしてやろうかと、思案を巡らせていたのだが、

その矢先にクラークから石像の話を聞き及んだ。

 

 

他に何か良い案も思い浮かばなかったので、とりあえずベルは、石像を盗み出すことにした。

 

 

そしてベルは、直ぐ様、酒場を出ると、その足でバベルへと駆けていったのである。

 

 

 

 

 

 

 

バベルの最上階に構えられたフレイヤのプライベートルーム──ベルは夜陰に乗じて、忍び込んだ。

 

室内は瀟洒な造りをしていた。

光沢のある絹を編んだ天蓋つきのベッド、大理石の床には緋色の厚い絨毯が敷かれ、付柱や天井には、艶やかな絵細工が彫られている。

 

真紅の繻子のクッションが置かれた、黄金で出来た椅子は、女神フレイヤの玉座といったところか。

ベルは剣を引き抜くと、黄金の椅子を両断した。

 

 

それにしても誰も見当たらない。

 

どう考えても罠だ。

 

だが、ベルはあえて罠に引っかかってやろうと考えた。

 

卓上に置かれたクリスタルのデカンタを掴み、ベルが中身の赤ワインを飲み干す。

恐ろしく上等な酒だった。

 

ベルは空になったデカンタを壁に投げつけ、わざと音を立てた。

 

 

それでも誰もやってこないので、とりあえずベルは石像を探すことにした。

だが、探している途中で、何かしらの気配を感じ取り、ベルは歯を見せて笑うと、後ろを振り返った。

 



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蛮族の勇者

OP「人間椅子 狂気山脈」


振り返ると同時に、白刃が煌めいた。

ベルが真横に薙がれた剣を屈んで躱し、後方へと跳躍する。

 

ベルの前に立つ浅黒い肌をした大男が、無言で剣を構え直した。

 

 

「オラリオの野蛮人、辺境キンメリアの無教養な大猿が、ここで何をしている」

大男がベルの喉笛に剣を突き出す。

 

「そういう貴様は性悪な牝馬の男妾、発情した雌猫フレイヤの飼い猪と名高きオッタルだな」

「……一体何をしに来た、この盗人の原始人めが」

 

「知れたこと、貴様が尻に敷かれているあのどうしようもない雌犬の操を奪い、ついでにハイドラの石像を盗み出し、鼻を明かしてやろうと思ったのよ。

二度とヘスティアにちょっかいをかけさせぬようにな」

 

 

「……さっきから聞いておれば、粗野で下品な野蛮人めっ、我が女神に対する数々の罵詈雑言許さんぞっ」

 

怒気を孕んだオッタルが、鋭い殺気をベルに放つ。

だが、ベルはそんなもの、どこ吹く風とばかりに受け流した。

 

 

 

「俺は事実を言ったまでだ。それに蛮人なぞ、本来下品で下世話なものよ」

「……」

 

無言で斬りつけるオッタル、鞘走らせた剣で受けるベル。

 

キンっ

 

刀身が火花を散らせ、甲高い音が鳴り響くと、再び静寂が訪れた。

 

 

 

さっと互いに距離を取り、相対する。

 

 

距離は約一間(一・八メートル)ほど。

 

一歩でも踏み込めば、それが互いの死の間合いとなる。

剣を斜めに構えながら、オッタルは心の内で驚愕した。

 

 

この男、恐ろしく強いっ!

 

 

オラリオ唯一の七レベル、そして先頃には、ついには前人未到と呼ばれた八レベルの高みへと登りつめ、

オッタルは己こそが世界最強の戦士であると、自負していた。

 

だが、その自信は、今や大いに揺らいでいた。

 

ベルがオッタルの心を見透かすかのように、片唇を釣り上げた。

 

己の動揺を読まれたかっ。

 

 

 

 

焦りが生じ、オッタルは先に動いた。

下段から斬り上げ、ベルの内股を狙う。

 

 

だが、いち早く動いたベルの剣が、オッタルの剣を弾き返した。

 

「魔物との斬り合いは慣れていても、人との斬り合いには、そこまで慣れてはおらんようだな、オッタルよ」

 

 

 

真紅の両眼が、オッタルを見据える。

 

そして、三度、剣と剣とを激しく打ち合わせ、蛮人ベルと猛者オッタルは、火花を飛び散らせたのである。

 

 

 

だが、舞い続ける剣戟に、オッタルは徐々に押されていった。

 

 

 

オッタルはベルを侮っていたのだ。

所詮は、力任せの戦いしかできぬ、荒野の野良犬だろうと。

 

 

だが、ベルの剣技は、恐ろしい程の精妙な動きを見せた。

加えて、とてつもない豪腕でもある。

 

 

このままでは、押し負ける。

そう悟った、オッタルは、乗るか反るかの賭けに出た。

乾坤一擲の大勝負だ。

 

 

 

 

ベルとの距離を取り、腰元に剣をつけると、船乗りが、カイを漕ぐかの如き構えを取ったのである。

 

 

 

ベルが勢い良く振り下ろした剣の鍔元の当たり、そこに狙いを定め、オッタルはええい、ままよっ、と、渾身の力を込めて薙ぎ払ったッ!

 

 

ギィンッ

 

刀身が波打った。

オッタルの刃先が、ベルの剣の鍔元に食い込む。

そして、次の瞬間、ベルの剣は根元からへし折れた。

 

勝ったっ。

オッタルは自らの勝利を確信した。

 

 

 

だが、ベルは勢いを殺すことなく、残った刃先で、オッタルの肩口を切り裂いたのである。

 

 

「俺の剣を断ち切ったのは見事だったぞ、オッタルよ。だが、その傷ではもう戦えまい」

 

よろめき、切り裂かれた肩口を押さえるオッタル。

 

「……殺すが良い」

押さえた指の間から鮮血を滴らせ、オッタルが呻くように言う。

 

 

「いや、殺しはせん。お前には伝達役を頼んでいく。あの雌犬に伝えるが良い。俺は蛇よりも執念深いとな」

 

そして、ベルは床に落ちたオッタルの剣を取り上げると、己の鞘に差し込んだ。

 

「この剣は貰っていくぞ。なんせ、俺の剣は壊れてしまったからな。

さて、これでゆっくりと、ハイドラの石像を探せるというものだ」

 

 

そして、まんまと石像を盗み出すと、ベルはオラリオの闇夜に紛れ込んだのである。

 

それから数日もしない内に、ベルはクラークを通じ、蒐集家にハイドラの石像を売りつけた。

蒐集家は大喜びで石像を買い取り、ベルに大枚を払ったのである。

 

その金でベルは教会を修繕し、近くの土地を買い上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭上に昇った太陽が、青々とした若葉に光を投げかける。

ベルは黙々と雑草を刈り取り、クワで土を耕した。

 

近くを通りかかったカヌゥが、そんなベルに声をかける。

「今日もご精が出やすね、旦那」

 

「うむ、働かざるもの食うべからずというからな」

 

「ご立派なことで。それで旦那は何をお作りになってるんで?」

 

「うむ、これはな」

 

ベルがその巨躯を起こす。

ベルの周りには、色とりどりの鮮やかな花が咲き誇り、それが風に揺れて、花びらを空中高くに舞い上がらせた。

 

ベルはカヌゥに対し、言葉を続けた。

 

──これぞ不老長寿の霊薬、黒いロータスだよ、と。

 

 

 

その言葉とともに、舞い散らばる花びらが、ベルの半裸を包み込んでいったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから更に数日ほどすると、石像を売り払った蒐集家から、ベル達は護衛の依頼を頼まれた。

 

 

何でもハイドラの石像が、夜な夜な不気味な音を発し、外にはいくつもの人影が見えるのだという。

盗賊が石像を狙っているのではないかと考えた蒐集家は、石像の見張りと、そして夜な夜な起こる、

この怪異の調査をベルに頼んだのである。

 

ベルはこの依頼を承諾した。

 

石像の調査はクラークが担当し、ベルが蒐集家と石像の護衛に当たることになった。

 

他には、リリルカとカヌゥを助手として呼び、それからベルは一晩中、屋敷を見張ったのである。

窓を見やると、外ではポツポツと雨が降り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

オラリオのはずれにある屋敷を遠巻きに、ダゴン秘密教団の一人であるランズは、石像を奪い返すチャンスを狙っていた。

ハイドラの石像が、フレイヤ・ファミリアの手にあると、知った時は多いに焦ったが、その石像は、今では富豪の蒐集家の手に渡っている。

 

これなら御しやすいと踏んだランズは、仲間と共に屋敷を襲撃する機会を伺っていた。

襲撃は大雨の日だ。

 

深きものどもの血を引く者達は、水の中でこそ、真の力を発揮できるからである。

 

他の教団メンバーの中には、石像を買い取れという意見を出すものもいたが、ディ=バダダはそれを許さなかった。

 

神の石像を金で購うなど、言語道断であると。

 

この一声で、メンバーはディ=バダダの言葉に従うことにした。

 

そして、やっと待ち望んでいた雨が降り始めると、ダゴン秘密教団のメンバー達は、行動に移し始めたのだった。



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蛮族の勇者

OP「若山富三郎 極悪坊主」


一通りハイドラの石像の調査を終え、クラークは一息つくことにした。

鉄格子の付いた窓際に寄り、外の様子を伺う。

 

大雨だ。

 

大粒の雨が庭先を濡らし、吹き荒む風が、広葉樹の枝を強く揺らしている。

 

地盤から半分ほど埋まっている、半地下造りの部屋を出ると、クラークは階段を登っていった。

少々喉が乾いたから、茶でも淹れようか、などと思いながら。

 

だが、突然飛んできた怒号のせいで、そんな思いも吹き飛んでしまった。

 

 

一体どうしたんだと、クラークは怒声の飛んできた居間へと急いだ。

 

そして、クラークは見たのだ。

 

 

 

 

この屋敷の主と執事が、大声で怒鳴り合う姿を。

 

 

 

 

「御屋形様がっ、御屋形様が悪いんだっ、御屋形様が浮気なんてするからっ」

 

執事のナカザが、主であるカヤーマに向かって大声で責め立てる。

 

「まだ根に持ってるのかっ、あれは金で買っただけの男娼だって何度言えばわかるんだッ」

 

ナカザに反論するカヤーマ。

だが、その反論は、ナカザの怒りの炎に油を注ぐだけだった。

 

 

「さっきだって御屋形様は、あの獣人のお尻を物欲しそうに見ていたのを、私は知っているんだっ」

 

偶然居合わせた、カヌゥを指さしながら訴えるナカザ──カヌゥは一瞬、遠い目をした。

 

「何度言えばわかるんだっ、俺が本当に愛しているのは、お前だけなのにっ、男娼のケツを買うなんて、

厠で小便をするようなもんだろうっ」

 

 

カヤーマが諌めるようにナカザに抱きつく。

だが、ナカザは「御屋形様は不潔だっ、触らないでっ」と、その腕を振りほどいた。

 

 

五十路を過ぎた、中年男ふたりの痴話喧嘩である。

 

 

「……ごゆるりと」

 

そう言うと、クラークは何事もなかったかのように居間のドアを閉め、その場を後にした。

カヌゥひとりを残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

ディ=バダダ率いるディープワンの集団は、屋敷目掛けて殺到し、忍び返しのついた塀をよじ登ると、見回りをしていた警備兵達を、次々に襲っていった。

警備兵達も必死で抵抗を試みたが、しかし、雨水を浴び、本来の能力を発揮した深きものどもの敵ではなく、また、数も相手の方が上回っていたために、

喉笛を食い破られ、手足を斬り飛ばされ、ものの数分ほどで全滅してしまった。

 

 

命を散らしていった彼ら警備兵にとって、二千ヴァリスの日給とは、どれほどの価値あるものだったのだろうか。

果たして、安かったのだろうか、それとも高かったのだろうか。

 

 

「殺せっ、異教徒どもと、ハイドラを汚した犬どもを生きたまま捕らえ、皮剥ぎの刑に処するのだっ」

 

ディ=バダダの号令とともに、ダゴン秘密教団のメンバー達が、叩き壊した玄関や窓から、屋敷へとなだれ込む。

 

 

 

「ハイドラの石像を取り戻せェッ」

 

「偉大なるダゴン万歳ッ!」

 

「ヒャッハーッ、新鮮な異教徒どもだッ!」

 

 

 

 

 

異教徒に石像を奪われ、怒り、新鮮な血肉に正気を失ったダゴンの狂信者は、屋敷内を散策し、ハイドラの像と屋敷の人間を血眼で探し求めた。

 

「いたぞっ」

 

狂信者のひとりが、渡り廊下にいたリリルカを発見した。

血祭りにあげてやると、息巻きながらリリルカへと襲いかかる狂信者──リリルカの放った毒矢が、狂信者の胸を深々と突き刺した。

 

 

 

勢い余ってもんどり打つ魚人を尻目に、リリルカは右腕に装着したボウガンを構えながら、ジリジリと後退していった。

 

その行動を、怯えと見て取った他のディープワンが、仲間の死体を飛び越えて、リリルカに凶爪を振るう。

だが、リリルカの二度目の矢を受けて、この魚人も、さきほどの仲間と同じ運命を辿った。

 

 

ふたりも仲間を殺され、怒り心頭に発したダゴン・ファミリアのメンバー達が、リリルカを生きたまま引き裂くべく、

通路に殺到する。

 

 

「今ですっ、ベル様っ」

 

 

 

その言葉とともに、何処からともなく出現した人影が、深きものたちの頭上へと、鋭い刃を振るって行った。

紫電一閃、目にも止まらぬ早業である。

 

背後から奇襲を受け、挟み撃ち状態になったダゴン信者達は、ただ、ベルの蛮刀の餌食になるしかなかった。

「クソっ、罠だったかッ!」

「おお……ダゴンよ……」

 

 

 

「呪われろっ、薄汚い異教徒めっ」

 

胴体を薙ぎ払われ、横二つになった信者が、何故自分が床に転がったのか、理解できず、下半身を失った状態で、必死に立ち上がろうとしている。

 

 

 

 

上体だけの状態だというのに。

 

 

 

 

そして、ダゴン信者は、キンメリアのベルを、敵に回すことの恐ろしさを、身を持って知ることになっていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クラーク達も意外な奮闘を見せていた。

取り囲まれないように狭い廊下や階段を利用し、続き扉になった部屋から部屋へと、飛び込んでいく。

その中でも、特に際立つのが、カヤーマの奮いし仕込み杖の切れ味だ。

 

小手斬り、脛斬り、浴びせ斬りと、カヤーマが襲いかかるダゴン信者達を、次から次にナマス切りにしていく。

 

そう、何を隠そう、このカヤーマこそは、かつて”親分”の二つ名を取ったレベル五の剣士だったのだ。

 

 

「今のうちに念仏でも唱えやがれッ、さあ、次の死に花を咲かせてえ奴はどいつだっ!」

 

 

カヤーマが血刀を突き出し、深きものどもに問う。

 

ダゴン信者が三体同時に飛びかかった。

 

 

 

そこへ踏み込んだカヤーマが、魚人三体を瞬時に三枚おろしにしてしまう。

 

 

これぞ必殺の念仏三段斬りッ!

 

 

「つ、つええ……なんて強さなんだ……」

カヌゥがその圧倒的な強さに舌を巻く。

 

「俺に惚れたかい?」

 

 

ごま塩頭の額についた向こう傷を見せながら、カヤーマがニヤリと笑う。

 

「いや、それはねえな……」



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蛮族の勇者

OP「スプラッターハウス EVIL CROSS」


ディ=バダダは困惑した。

 

まさか異教徒に、これほどの手練が潜んでいたとは、思いもしなかったのだ。

次々に倒れ伏していくダゴンの信者達。

 

阿鼻叫喚の叫びと共に、切り飛ばされた首が宙に舞っていく。

 

 

「クソッ、蛮人ベルが何故ここにいるのだッ、あの血に狂ったヤクザ犬めがッ」

 

 

 

悪態を突きながら、歯ぎしりするディ=バダダ。

濃い鮮血の臭気が、屋敷内の空気に溶け込んでいく。

 

 

 

恐慌の余り、逃げ出したディープワンの一人が、リリルカの矢に背中を射抜かれて、もんどり打った。

そのままつんのめるように倒れる。

 

 

ベルを中心に、斬り飛ばされた生首や手足が散乱する広間。

殺されたばかりの肉塊が、粘りつくような熱気を留める。

 

 

「粗方は始末したか」

 

血と脂に濡れた蛮刀を、獣のなめし革で拭いながら呟くベル。

 

 

 

「どうやら、そのようですね。ベル様」

「では、残りを始末してから、依頼主へと合流するとしようか」

 

 

 

ディ=バダダにゆっくりと近づいていくベル、脂汗を浮かばせながら、ディ=バダダは、懐から掴みだした逆十字を掲げた。

「反逆の十字架よっ、ここに暗黒神ダゴンの威光を指し示すのだっ、ははっ、呪われろッ、異教徒よっ、キサマらも道連れにしてやるッ!!」

 

 

逆十字を放り投げるディ=バダダ──激しい瘴気が、空中に浮かんだ逆十字を中心に渦巻いていく。

 

 

もはやダゴンの高僧の顔貌は、歪に崩れた肉塊へと変貌していた。

 

 

強い瘴気を浴びたせいで、青黒く腐り溶けながらも、不気味に嗤うディ=バダダのその姿よ。

これほどまでに濃厚な瘴気を、常人が浴びれば、とうの昔に発狂死しているだろう。

 

 

ベルは、そんなディ=バダダの中に、気高き狂気を垣間見た。

 

だからといって、このまま放っておいていいというものでもない。

 

 

「リリルカよっ、すぐにこの場から逃げろッ」

 

「ベル様はどうなさるのですか?」

 

「俺はこいつを始末してから合流する」

 

「わかりましたっ」

 

 

 

広間から脱兎のごとく逃げるリリルカ──ベルはその背後を守るべく、逆十字の前に立ち塞がった。

 

「存外仲間思いのようだな、キンメリアの虎よ」

顔半分が髑髏となったディ=バダダが、ベルを見据えて言う。

 

 

「そういう貴様もな。名はなんという」

 

「わしはディ=バダダ、ダゴンの司祭よ」

 

「仲間の敵を討つために自らの命を捧げるか。中々見上げた奴だ」

 

「これほどまでに信者を殺され……わしだけが……おめおめと生きて帰れるものかッ!」

 

 

ディ=バダダが、カッと目を見開いた。

 

 

肉が腐って、剥がれ落ちたその両腕が、白骨の双剣へと変わり、膨張する肉体が、禍々しい筋肉の束となって、ベルの前にその姿を現す。

 

 

逆十字に集まった呪詛を呟く生首達の群れ──剣を握り締めて、変わり果てたダゴン信者の悪霊たちへと、ベルは飛びかかったッ!

 

歯を剥いて唸るディ=バダダの振るい掛かった双剣を弾き返し、血涙を流して飛翔する生首を叩き斬っていく。

 

 

殺されたダゴン信者の屍が、次々と蘇りながら、蛮人へと襲い掛かった。

憎悪に燃える両眼をぎらつかせながら。

 

 

ベルが、アンデッドと化した深きものどもを、地獄へと送り返すべく、剣で薙ぎ払っていく。

再び胴体を輪切りにされ、首筋を切り裂かれ、顔面を潰されるアンデッド達。

 

 

これでは、ただ、ベルの剣の錆にされるがために、蘇ってきたようなものだ。

 

 

ディ=バダダの突き出た眼球が、必死でベルの動きを追った。

「死ねッ、死ねッ、ベルよッ、荒野の悪魔よッ!!」

 

 

黒い粘液状の腐汁を撒き散らし、ディ=バダダが白骨剣を振り回す。

だが、どれもが、空を切るだけに終わった。

 

ベルが左手の人差し指と中指を、ディ=バダダの右の眼窩に突き刺す。

そのまま眼球をえぐり出した。

 

眼球が、引きちぎれた神経ごと外へと飛び出す。

 

残った瞳に憤怒の黒い炎を宿し、ディ=バダダは凄まじい形相で、ベルを睨んだ。

「命と引き換えに力を得たというのに……貴様には及ばぬというのか……」

 

 

わななく唇から腐血を零し、ディ=バダダが嗄れた声を喉奥から漏らす。

 

 

 

「散り際に微笑まぬ者は生まれ変われぬぞ、ディ=バダダよ」

ベルは、剣を振り下ろすと、ディ=バダダを真っ二つに切り裂いた。

 

 

 

あれから何日か経ったあと、他のダゴン秘密教団の者が、ハイドラの石像を買い取ったという。

カヤーマは、三倍の値段を吹っかけたということだから、大儲けだろう。

差額にして六千万ヴァリスが手に入ったのだから。

 

こちらも一割の六百万を寄越されたので、文句はない。

 

ベルは、その中から百万ヴァリスほど抜き取ると、ダイダロスのスラムへと向かった。

 

今夜は、この金が尽きるまで、酒場を貸し切って遊ぶことにしたのだ。



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蛮族の勇者

市壁というのは一種の殻だ。

都市の内部を守るには、これほど心強いものはないが、同時に人口が増え続ければ、その壁が仇となる。

オラリオは、一種の城郭都市というべき構造をしており、その内部に住める住民数には、自ずと制限が掛かってしまう。

 

 

となると、余った人間はどうなるか。

市壁外に住まうしかない。

 

 

オラリオに流入してくる人口数は、年々増えており、都市内部では、初めに食料の供給が不足し始め、野菜、肉、穀物類が高騰していった。

次に衛生面でも問題が浮上しだし、疫病が流行るのではないかという、不安が市政の人々の間で広まっていった。

 

 

市壁外では、野盗や魔物が、都市から溢れた人間たちを狙って近隣に跋扈し、治安面でもこのような問題が出た。

 

 

そこで出てきたのが、都市の拡張計画だ。

 

まず、都市内部の人口問題については、これは高層住宅を建てる事で解決を図った。

 

 

これで居住問題は、ある程度まで緩和することができた。

土地の値段が跳ね上がり、借家も宿も高騰していたから、出稼ぎや借家人には、大助かりだ。

 

 

少ない土地面積で、多くの人間に住居を提供できる高層住宅計画は、とりあえず成功したといっても差し支えないだろう。

 

 

次に食糧問題だが、これは何のことはなく、ただ、穀物類の輸入を増やしただけだ。

後は追々と、近くの草原を、穀倉地帯に開墾していくという流れである。

 

なので、当分の間は食料の高値状態が続くだろう。

 

 

 

衛生問題は、人口密集地域に住まう住民を、ある程度分散させ、下水を増設させることで、これもある程度は、汚穢の処理ができるようになった。

生ゴミを溝式の下水に流し、一箇所にまとめて、処理するのだ。

 

 

 

これらの汚物は、豚や魚、エビやカニなどの甲殻類に食べさせ、ゴミを食べて肥えた豚などを、人間が食料にする。

食料とゴミ問題が、同時に解決できるというわけだ。

 

 

そして、最後に市壁外についてだが、これは新しく区域を作るという方針で決定した。

 

オラリオの外部に新しい区域を作り、そこを壁で囲おうというわけだ。

 

 

 

 

 

 

だが、そんな都市計画など、キンメリアのベルにとっては、どうでもいい話だったッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ベル君、これちょっと変じゃないかな?」

 

「そんな事はない。まるでジンガラの女王のようだぞ、ヘスティアよ」

 

サファイアの首飾り、七宝細工の指輪、純金の腕輪、

裸体から被さった真紅の絹のヴェール、そして黒ヒョウの毛皮──それのどれもが、中々の逸品だった。

これらの品々は<神々の宴>に出席するヘスティアの為を思い、ベルが集めてきたものだ。

 

 

 

金と腕力に物を言わせてだが。

 

 

 

溢れんばかりに輝く貴金属と宝石の光──ヘスティアは、そのきらめきの繭に包まれていた。

 

 

 

薄いヴェール越しに、その裸体を覗かせながら。

確かにその姿は、蛮人達の女神に相応しいと言えなくもない。

 

 

 

だが、文明国の人間からすれば、少々悪趣味のようにも見える。

 

「ええ、でもなあ……ちょっと恥ずかしいし……それに僕の趣味には合わないよ……」

 

「うむ、では、行くとするか」

 

「ちょっと、僕の話を聞いて……」

 

 

「俺の小さな女神よ、他の神々にその威光と威厳を示してくるが良いぞっ!」

 

 

 

純銀製の馬車に乗せられ、神々の宴へと運ばれていくヘスティア。

 

ヘスティアを送り出したベルは、壁掛けにされた革のマントを羽織ると、教会を出た。

 

 

 

向かった先は、ダイダロス通りのスラムだ。

 

板壁と草葺き屋根の小屋が、無造作に乱立する裏通り、オラリオの影と負の部分。

だが、このスラムは、ベルの第二の故郷となりつつあった。

 

そしてベルは、このダイダロス通りの王だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アイアム・ガネーシャで、宴が催されていた頃、ダイダロス通りでも宴が開かれていた。

 

 

群衆のうねる歓声が、夜空へと響き、篝火の前では、飢えた子供や女達が、美味そうな肉を待ち侘びている。

空き地の中央へと連れてこられた家畜やモンスターが、無言で人々を見つめていた。

 

 

 

解体人が、豚の頭にハンマーを振り下ろし、その頭骨を脳漿ごと叩き割った。

それを皮切りに、肉に飢えていた人々が押し寄せる。

 

 

向こう側では、別のグループが、コボルトの手足の腱をナイフで切り裂き、手鉤に吊るしてバラバラにしている。

 

 

裂いた腹から内蔵を取り出し、バケツに溜めた血を洗った腸に流し込むと、老婆が大鍋で煮込んでいった。

もう少しすれば、血のソーセージが出来上がるだろう。

 

 

 

クシュ人の女が、ナイフで丹念に削ぎ落とした脂身を、焼いた鉄板で溶かし、そこに抜き取った腎臓と肝臓を敷いた。

 

 

 

手鉤に吊るした骨付き肉を、斧でガツン、ガツンと叩いて削いでいくピクト人の若者。

 

ベルは火で炙ったオークのもも肉を齧りながら、甘い香りを放つラム酒を楽しんだ。

人々は血と脂にまみれながら、それでも、どこか、楽しそうだった。

 

 

魔物の頭蓋骨の上に置かれたロウソクが、燃えている。

 

腹を空かせた子供達が、ひと切れの肉に齧り付いている。

脳髄を煮込んだスープを啜りながら。

 

 

喧騒と歓喜が、ダイダロス通りを支配している。

 

 

 

宴と酒に酔ったスクメト人の娘が、両腕に薄い衣を被せると、独楽のようにくるくると回転して踊り始めた。

すると、周囲の人間たちも真似して踊った。

 

ピクト人が四つの太鼓を鳴らすと、群衆は心を躍らせた。

 

 

蛇の革を身体に巻いたクシュの踊り子が、脚掲げてを踏み鳴らすと、足首についた鈴が音を鳴らし、

そのリズムと音色が人々を恍惚とさせていく。

 

 

いつしか人々は、興奮し、熱狂し、宴のリズムに身を委ねた。

そして彼らは叫んだ。

キンメリアのベルの名を。

 

「蛮人ベル万歳っ」

 

 

このダイダロス通りにおいては、最も強い者こそが崇拝されるのだ。



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蛮族の勇者

楽士達が、思い思いの曲を奏でている。

集まった神々が、雑談を交えながら酒と食事を楽しんでいる姿が、そこかしこで見られた。

 

 

その中にあって、ヘスティアはある種の異彩を放っていた。

 

ベルに純銀の馬車に送り出されたヘスティアは、その車室の中で、ベルの雇った者達に更なるコーディネートを施された。

 

 

両腕の手首には純金の腕輪、両足首には、翡翠の足輪、そして肌は、蜂蜜と香水を混ぜた乳液で磨かれ、今では象牙色の光沢を放っている。

 

 

ワインの入った水差しを掲げた給仕が、ゴブレットに酒を注ぎ込むと、それをヘスティアに恭しく手渡した。

 

 

 

ヘスティアは心を落ち着かせようと、ワインを一息に飲み干し、再度給仕にワインを注がせた。

 

神々は、ヘスティアのその姿に羨望や嫉妬、あるいは侮蔑といった様々な視線を投げた。

 

ある神は、ヘスティアがベルを眷属にした事を聞き及び、大変羨ましがった。

神に対して、これほどまでに尽くしてくれる眷属は、オラリオでも希だからだ。

 

 

又、ある神は、ベルの戦士としての勇猛さと力強さ、そして雄々しさを賞賛し、ベルを眷属に迎えたヘスティアを妬んだ。

 

 

 

だが、荒事とは無関係であり、質素を旨とする地味な神々からは、ベルは眉をひそめられ、ヘスティアのその服装は、

下品で卑猥だと咎められた。

 

 

迷宮都市オラリオの神々や人々にとって、ベルは良くも悪くも目を引く存在だった。

 

 

大食らいの大酒飲みで好色漢、文明社会のルールなど、どうでも良いとばかりに好き勝手暴れる無法者、

キンメリアの辺境からやってきた野蛮人、鮮血と闘争を撒き散らす厄介者、殺戮と破壊の象徴、

だが、バーバリアン特有の義理堅さを持ち、単純明快なる信念の元に動き、時に弱者にその力を貸す。

 

そして何よりも、ベルは決して敵に背を向けることはない。

 

 

オラリオの神々からすれば、これほどまでに強烈な存在感を放つ人間は見たことがなかった。

 

少なくともオラリオという、文明社会に浴する神々からすれば。

 

 

当たり前だ。

 

文明社会では、蛮人は生まれないのだ。

 

 

ベルはキンメリアの荒野が産みだした戦士であり、同時に荒ぶる御霊の化身でもある。

 

 

 

あるいは太古の神話から蘇った強大なる戦士か。

 

 

 

神々がこの地上に降り立つ遥か文明の夜明け前、神の恩恵を受けることなく、異形の者どもを相手取り、

壮絶な戦いを繰り広げてきた種族が存在した。

 

 

この種族は、誇り高く、そして恐ろしく好戦的であり、酷く野蛮でもあり、魔物が闊歩し、

災害が渦巻く過酷な大地を平気な顔をして、無遠慮に闊歩していた。

 

そう、彼らは生まれながらの戦士だったのだ。

 

腹が減ったら、そこらを歩いているモンスターを、まるで新鮮な果実をもぎ取るように仕留めて、食った。

 

 

彼らは天性の捕食者でもあったからだ。

 

 

そして彼らは、時に巨人や邪神と相対し、これを討ち取ることもあった。

 

古の神々たちが、殺し合いを演じていた時代の話である。

 

 

この種族は、現存する人類とは、また別の進化を遂げた種族と言えるだろう。

 

だが、余りにも獰猛で強すぎたせいで、この種族は自らの手で滅びてしまった。

 

 

 

誰がこの中で一番強いのかと、同族同士で戦い始めたせいである。

 

 

 

 

そう、彼らの誇りの高さと知性の高さは、決して結びつくことはなかったのだった。

 

 

 

 

いや、ほんの僅かだが生き残りも存在した。

 

このトーナメントに勝ち残った者達だ。

 

 

 

そして、この種族の生き残りは、辺境へと散り散りになってしまい、それから再び姿を見せることはなかった。

 

 

それは気の遠くなるような大昔の話であり、この当時を知る神は、ほんのひと握りしかいない。

 

不思議なのは、キンメリアのベルには、この種族と瓜二つといっても良いくらい、多くの共通点が存在していた。

 

 

また、ベルはこの文明都市の中にあって、野蛮なる古代神話の海を泳いでいるようにも見受けられるのだ。

 

 

古き神からすれば、ある種の懐かしさを抱かずにはいられない。

 

 

それは詰まるところ、こういうことだ。

 

 

 

この文明社会に置いても、なお、蛮人は蛮人なのだと。

 

 

 

 

 

五杯目のワインを飲み干すと、流石に酔いもきつくなってくる。

酒精に頬を紅潮させたヘスティアは、椅子に座って、しゃくりあげた。

 

 

「おい、どチビ、なんや、その格好は」

 

普段着のロキが、ヘスティアの横から顔を出した。

 

「誰がどチビだっていうんだい、このまな板」

ヘスティアが、酔眼でロキを睨みつける。

 

「なんやとっ、このどチビっ、そんな格好、今時、娼婦でもせんでっ」

 

 

「ふんっ、これはベル君が僕のために用意してくれた服さっ、もっとも、君が着てもその胸じゃ、似合わないだろうけどねっ!」

 

 

ヘスティアが、鼻先でせせら笑った。

その態度にロキが顔を真っ赤にする。

 

「ワインはいかがですか?」

 

ヘスティアの隣にいた給仕が、二人に声をかけた。

 

 

 

二人は黙って頷くと、ゴブレットにワインを注がせた。

 

 

「流石はお前んとこの蛮人や。悪趣味なやっちゃで。それとも下品なんは、どチビ譲りか?」

 

 

「そんなこと言いながら、内心じゃ、羨ましいんじゃないのかい、君は。なんてったって、ベル君はとっても強いし、僕を大事にしてくれるからね」

 

「はんっ、誰があんな化物の親戚か、怪物の従兄弟みたいなもん欲しがるねんっ」

 

「なんだとっ!」

 

 

それから取っ組み合いの激しい喧嘩が始まった。

ロキの右フックがヘスティアの顎を捕らえると、その応酬にヘスティアはロキの向こう脛を思い切り蹴飛ばしたのだった。

 

こうして神々の宴は深けていったのである。

 

 



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