勇者たちをイチャイチャさせたい! (紅氷(しょうが味))
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結城友奈の章
story 1『勉強を教えて』


初めて出会ったときは、異性もあってか物珍しさが勝っていた。

男の人と話すのは実は少し不安だったけれど、それも時間が経つにつれて打ち解けていた。
そして次第にあなたを目で追うようになっていた。

あなたが笑うと、私も笑顔になる。

ぽわぽわした気持ちが胸いっぱいになるにつれて、この感情をしまっているのが苦しくなってきた。

だから私は────


 

 

 重い瞼が上がっていく。

 ぼうっとおぼろげな視界のまま、自分の視界が天井に向いているのを理解する。

 

 ────ああ、眠ってしまったのか。

 

 窓から差す日の光はオレンジ色に染まり時刻が夕方を示していることを知る。

 それなりに長い時間を集中力に費やしてしまったのか、寝起きの頭は少し痛かった。

 

 身体の機能が徐々に目覚めていくと同時に、頭痛とは別の違和感を腕に覚える。

 

 首だけを動かしてその場所に視線を向けてみると、自分とは別の赤色の髪が鼻先をくすぐった。

 その時にむず痒さを覚えるが、状況を把握すると共にグッ、と唇を少しだけ噛んで耐え忍んで見せる。

 

「……すぅ」

 

 小さな寝息がほどよい心地よさとなって耳に聞こえてくる。

 よかった、と。なんとか起こさずに済んだと内心ホッとするが、次に自身が抱いたものは単純な疑問であった。

 

 ────どうしてこんなことになっちゃっているんだろうか?  

 

 

 その日の出来事なので、浅い記憶を思い起こしていく。

 ああそうだ。今日は故あって彼女と『勉強会』なるものを開いてみたのだ。

 

 提案したのは彼女。それに乗っかったのは僕だ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 切っ掛けはとある日の学校の帰り道。二人の会話の中での彼女の一言だった。

 

「あははー。実はちょっと色々用事があって来月の期末テストが危なくなっちゃって……」

 

 困ったように内心を吐露する彼女に対し、自分は何か力になってやれないかと言葉を投げかける。

 一瞬きょとんとする彼女だったがすぐにいつもの笑顔を表情に浮かべて横を歩く自分に視線を向けた。

 

「えっと、それじゃああの…もしよかったらなんですけど…………勉強……教えてくれませんか? なんて迷惑ですかね」

 

 はにかむ笑顔の片隅に一末の不安。それは俗に言う『遠慮』のようなもので、今の自分と彼女の間には不要なものだった。

 だから、何を今さらと自分も小さく笑って彼女を見る。

 

「もちろん。僕が力になれるならいつだって力になるよ……友奈(、、)

 

 一言、自分はそうやって答えてみせる。

 それだけで片隅に影を差していた不安は取り除かれると。

 

 ぱあ、と文字通り明るくなった彼女——友奈の表情は満開となった花のように咲いていくのだ。

 

「やったぁ! ──よかった~ちょっと不安だったけど勇気だしてみて正解だった……!」

 

 最後の方は小声で話していたのでよく聞こえなかったが、彼女のガッツポーズ姿と笑顔がみれて大満足である。

 そのあとも自分たちは他愛のない会話をしていく。

 

 

 今日の学校での出来事。彼女の所属する『勇者部』という部活での出来事。

 何があって、何をして、何を感じて、何を話したのか。

 

 本当に些細な事でも、彼女の口から出てくるその言葉と身振り手振りの数々は、自分を飽きさせてはくれなかった。 

 彼女も彼女で、この時間を大切にしているということがひしひしと伝わってくる。

 

 それは恐らく先ほど言っていた『用事』が関係しているのかもしれない。

 

 自分はあえてそこには首を突っ込まないでいる。

 それは『優しさ』故か否かは別に気にするところではないが、まぁ彼女が話さないならば僕は聞かないスタンスでいっているだけの話。 

 

 この自分と彼女の世界には、今は横に置いておいていいものなのかもしれないから。

 

 

「──祐くんは今日はどうだったんですかー?」

 

 一通り話し終えると、友奈は自分に問いかけてくる。

 

 

 祐くん、と。自分はそう彼女に呼ばれている。

 祐樹(ゆうき)という自分の名前から彼女なりの愛称として呼ばれているのだ。

 

 学校もそれぞれ違う。学年も。

 更には自分と彼女は二つほど歳がはなれているので向こうは『くん』あるいは『さん』呼びになっているのが今の状態だった。

 

 中学生と高校生の男女。

 

 色を付けずに答えるとこういうことだ。 

 

「僕? そうだねー、今日は……」

 

 攻守交代、みたいな感じで今度は自分が出来事を話していく。

 彼女の華やかな日常に比べればいくらか寂しい感じの内容になってしまうのだが、それでもまったく無いわけではないので少しづつ話を広げていった。

 

 

「────……! ……、…………。」

『うんうんっ♪』

 

 話し上手ならば聞き上手、とは友奈のことを言うのだろう。自分の話すことをまるでその場に居たかのような感覚で反応を返してくれるので、とても話していて気分がよくなる。

 本来ならばその立場は自分でなければならないと思うのだが、ここは友奈の方が一枚も二枚も上手だった。

 

 いつだったか、不躾に訊いてしまったことがあった。自分の話は面白いのだろうか、と。

すると彼女は、

 

『楽しいですよー! 私の知らない祐くんのことを知れて嬉しいです』

 

などどその時は臆面することなく言ってくるものだからたじろいでしまったことがある。

彼女も彼女で、そのセリフを口にしたところで正気に戻ったのかいつも血色のいい頬をさらに朱で染めていたのが記憶に新しい。

 

 しばらく、お互いの近況を話しつつ歩くこと数十分、何事にも終わりがあるように二人のこの時間にも終わりが近づいてきた。

 

「…………今更だけど、僕の家でいいのかな?」

 

目的地は自分の自宅。友奈がそれとなく自宅でやろうアピールを自然にするものだから特にその時は違和感を覚えずにここまできたが、今になって妙な緊張感のようなものに襲われる。

隣に居る彼女に目を向けてみると、

 

「……は、はい。祐くんの家で勉強、したいです」

 

いつもの快活な彼女とは別の、しおらしい姿に目を奪われる。

この光景は目に毒だ、と口にはしないが内心で感想を述べつつ、自分は頷いて自宅の門をくぐる。

 

だって緊張してしまうのも仕方ない。

────だって、僕は……。

 

「お、お邪魔しまーす…」

 

どうぞ、と招き入れて友奈を家に入れる。二人の声以外は何も物音のない空間。それはつまり、この家にはそれ以外の人間がいないことを示していた。

これが意味するのは、単に家族の人間がこぞって外出してしまっているか、あるいは彼が一人で住んでいることなのか。

 

「……そんなに固くならないでいいよ。僕一人だし、寛いでいってよ」

「そ、そうですよね! ゆ、結城友奈全力で寛がせてもらいますッ!」

「はは。勉強しに来たんでしょ友奈は」

「……はっ!?」

 

答えは後者である。俗に言う『一人暮らし』。

なるべく平静を装いながら、彼女を部屋に案内する。

ワンルームの小さな部屋になるがここは我慢してもらうしかない。

 

学生鞄を両手で持ち、借りてきた猫のようにそろそろと歩く彼女の姿は本当に小動物のように見えて可愛く思う。

流れでこんなことになってしまったが、本来の目的は『勉強会』である。

部屋の中心に置いてあるテーブルに向かい合うように座ってもらい、自分は冷蔵庫からジュースを取り出しコップに注いで友奈に手渡す。

 

「ありがとうございます! いただきますー!」

 

こくこく、と喉が渇いていたのか彼女の飲みっぷりがいい。

自分も同じものを注ぎ、喉に流し込んでいく。

 

『──ぷはー!』

 

たまらず声が漏れると、お互いに小さな笑いが起こった。

 

「さっそくだけど……勉強って僕は友奈のやつを見ればいいの?」

「はいっ! 分からないところがあったら教えてください!」

 

了解、と自分もついでに課題をやっておくことにした。

二人でテキストを開くとそれだけでテーブルが一杯になってしまう。

 

 とりあえず様子見で彼女の手元を覗いてみる。

 

「友奈は何の教科が苦手なのかな?」

「えっとー…数学がちょっと苦手で東郷さんにも教えてもらったりしてるんだけど、毎回だとなんだか申し訳なくて。あはは……」

「なるほどねぇ……それで僕にお呼びがかかったわけだ」

 

 理由を聞いて納得する。

 でもなぜだろうか。少しばかり残念だな、と思ってしまう自分がいた。

 

「えとまぁその…理由はそれだけでもないんですけど。本当はちょっとでも長く一緒に居たいなぁなんて……てへへ」

 

 人差し指同士をツンツンと突きながら呟いている友奈。

 最後の方はボソボソとしゃべっていたが、彼女の反応を見るに気恥ずかしいことを言っているに違いない。

 

 あせあせとお互い視線を漂わせていると、唐突に視線が交わる。

 

『────。』

 

 き、気まずい……。

 

「……えと、とりあえず続けようか」

「…………はい」

 

 ────いや、待って。そんな熱を持った眼差しで僕を見ないで。

 

 気を紛らわせるように意識を勉学へと持っていく。幸いというか、この内容は学習してきたものなので喋りが途切れることはなかった。

 自分が説明を始めると友奈も次第にこちらに集中し始めていく。

 

 

「ここはこうして、この式を──」

「うんうん。……へーそうだったんだぁ」

 

 問題を解説していくと、それらをすんなりとモノにしていっている。これは凄い。

 

「そうすると、ここをこうして……どうですか?」

「うん正解。すごいね友奈、このまま教えていったらそのうち抜かされそうだよ」

「いくらなんでもそれは無理ですよ~! …それより祐くんも課題が残ってるんですよね? どうぞやっててください!! また解らないことがあったらお願いします」

「そう? じゃあその時は訊いてね」

「はいっ♪」

 

 この調子だと友奈本人が危惧していたよりも大丈夫なのかもしれない。

 お言葉に甘えて自分の課題に取り組む。

 

「…………、」

「ん~……ふふっ♪」

 

 視線は自分のテキストに向いているが、どうも耳が拾う音が気になる。

 それは対面に座る友奈の鼻歌交じりの声だったようだが、なぜそんなにも上機嫌なのだろうか。

 

 一度気になりだすとそれは止まらない。目線だけを前に向けてみると——目があってしまった。

 というか、視られていた。

 

「ゆ、友奈?」

「はい~♪ なんですか~?」

「いや、何か分からないところがあるのかなあと」

「いえいえ! 祐くんが教えてくれたおかげで順調ですよ」

「そ、そう?」

 

はい! と元気よく返事されてしまったらそれ以上は何も言えない。気にはなるが、ひとまずやっていこう。

それからしばらく、たまに問題の解説を頼まれるぐらいで特別詰まることもなく進んでいった。

 

「……ふぁー」

 

大方終わった頃に、自分の口から大きな欠伸が漏れてしまう。

 

「祐くん眠いんですかー?」

「ああ、ごめん! ちょっとね」

「学校もそうだけど、アルバイトも忙しそうですもんね」

「支障が出ない程度には気をつけてるんだけどねー。どうも日によってはこの時間帯になると眠くなっちゃうんだよ」

 

どうも家に着いて腰を落ち着けてしまうと眠くなりやすくなってしまうようだ。

そんな自分の反応を見た友奈は少し考えて、何かを思いついたのかニッコリと微笑んでいた。

 

「それなら祐くん。私がマッサージしますよー?」

「え? いや、それは流石に悪いよ」

「そんなこと言わないで遠慮なく私に任せてください! 結構得意なんですよマッサージ!」

「そ、そう…? ならお願いしようかな」

「お任せあれ! そしたら祐くん、横になってもらっていいですか?」

 

ポンポン、と友奈は横へ案内すると自分はそこへ体を寝かせることにした。

腕を組んでのうつ伏せの状態。

 

「それじゃあ、やっていきますね♪」

「よろしく~……んっ」

 

言葉とともに背中に友奈の小さな手が触れる。

這うようにゆっくり触られるその感覚に慣れないためか、むず痒さに小さな吐息が漏れた。

 

どうやら凝っている箇所を探しているようで、こり箇所を発見するとその手が少しばかり力が込められる。

 

「ここらへんですね! もし痛かったら言ってください」

「はーい。というか既に気持ちいいんだけどねー……おぉう」

「どーですかー? ここなんてこうするときもちーんですよー?」

 

甘く囁くように発せられる声と、背中から広がる快楽。

まさに天国とはこのことかと言わんばかりの実力に骨抜きにされそうだ。

 

というか既にされてる。それぐらい気持ちがいい。

やはりというか、すぐに睡魔が自分を襲ってきた。

 

「……ごめんゆーなー。気持ち良すぎて寝ちゃいそうだ」

「どーぞー♪ あっ、そしたら祐くん、仰向けになってください!」

「あおむけー? はーい……」

 

微睡みの中、友奈の指示に大人しく従う。

視線が上を向き、そこには友奈の顔が大部分を占めていた。

 

見上げる形となり、また違った視点での彼女を見ることが出来たが、いかんせん眠いので思考がまとまらない。

 

彼女にされるがままになっていた。

友奈は僕の頭をゆっくり持ち上げて、正座となった彼女はその状態で頭を下ろす。

 

「……なんか、やわらかー…?」

「ふふ……祐くんの寝顔可愛い♪ このまま顔のマッサージしちゃいますよ」

「…………。」

 

このコンボに耐えられる人間がいるだろうか、と。

後頭部から伝わるやわらかい熱と、前方から包まれる暖かい熱。

 

自分の意識を沈めるのには十分すぎるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……そうだ。

自分は友奈にマッサージをされて意識を手放したのだった。

 

あの後はどうなったのかさっぱりだったが、彼女も疲れてしまったのだろうか。

 だからといってこの状況の説明はつきそうにない。

 

さっきまで僕が膝枕されて、今は僕が腕枕をしている。

 

「……んん」

 

腕枕の調子が悪かったのか身じろぎしている。

正直、腕の痺れがあって動かしたいのだがこの重みを手放すのも憚れる。

 

時間が止まればいいのに、と思わずにはいられない。

 

「…友奈」

 

小声で彼女の名前を呼ぶ。

眉の辺りがピクピクと動いた。

 

「……もう夕方だぞー。起きないと……起きないと?」

 

不意に自分の奥の何かがざわつく。

それが何かは理解できなかったが、この感情にも似た衝動に自分の体は無意識に動く。

 

そっと、横で眠る彼女の頬をもう片方の手のひらに収める。

 

「……ん」

「あったかいな。それに柔らかい」

 

手に伝わる熱や感触はとても落ち着く。人差し指と親指で頬をかるくつまむとマシュマロでも触っているかのように錯覚させられる。

 どうしてこんなにも違うのだろうか。

 

しかしここまでにしておかないといけない。まだ、友奈は起きていない。

これ以上はダメだ。

 

(……でも、いい加減に気持ちをハッキリとさせないと)

 

いや、それは言い訳だ。本当は判ってる。

彼女が僕に向けるその『熱』は他の人と違うことも、僕が彼女に向ける『熱』もまた他の人と違うことも。

 

お互いが本当は分かってるはずなのに、分からないようなフリをして寄り添っている。

 

この距離感もまた心地がいいのは事実だ。

事実なのだが、もう一歩先に進みたいのもまた気持ちとしてあった。

 

けれど、それと同じでほんの小さな影が僕たちを陰る。

 

────もしかしたら、今の距離すら破綻してしまうのではないか。

 

ありえないはずなのに、どうしてもこの一枚の壁がデカかった。

その壁はガラスのように透き通っていてお互いの姿が見えている状態なのに。

でも待っている。壁に手を這わして彼女は待っている。

ならばこの壁を砕くのは自分しかいない。

 

「友奈……僕は、君が──」

 

自分の顔を彼女の顔に近づけていく。

程よい心の距離感が、現実の二人の距離を引き寄せる。

 

少しずつ、ゆっくりと確実に。

お互いの吐息が顔にかかる距離まで顔が近づく。未だ彼女は目を瞑ったまま動かない。

 

心臓がバクバクとうるさい。

目と鼻の先にいる彼女に聴こえてしまうのではないかという程に騒がしい。

でも、言わなければ。伝えなければいけない。

 

それが待たせてしまった自分のケジメだ。

 

「僕は友奈のことが好きだ! ……んむっ!?」

「……んむ。ちゅ…」

 

あまりの出来事に思考が追いつかない。

二人の距離をゼロにしようとした矢先に、いつのまにか距離がゼロとなっていた。

唇に伝わる熱いぐらいの感触が、停止していた思考を現実に引き戻していった。

 

「んぅ……はぁ」

「………友奈。君はずっと起きてて」

 

閉じてしまった瞼を開けると、真っ赤に染まった友奈の顔が、目尻に薄い涙を溜めながらこちらを見つめているのを捉えた。

つう、と涙が頬を伝わって僕の腕にしずくが落ちる。

 

「私、本当に嬉しい。祐くんの気持ち、ちゃんと受け取れました」

「……ごめんね。友奈にたくさん待たせちゃった」

「ふふ、本当ですよ。自分の気持ちに気付いてからは私なりにアプローチをかけまくってたんですから!」

「──これも、ごめん。本当は気がついてた」

「ですよね。祐くんは分かってるはずなのに答えてくれない。もしかしたら嫌われちゃってるのかなぁって考えたりした日もあったんですよ?」

「……うん」

「でも今こうして祐くんに、祐くんから告白してくれて……私、今本当に幸せです」

 

友奈はそのまま抱きついてきた。

 

「……祐くんの身体、思ってたより大きいです」

「それは、どうも?」

「祐くんはぎゅってしてくれないんですか?」

 

 言われて自分の胸の中に顔を埋めている彼女の身体に手を回す。

 思っていたより、小さく感じるその身体を引き寄せるように抱きしめた。

 

「……ずっとこうしていたいな」

「うん。祐くんの匂いがいっぱい」

「あ、ごめん臭う?」

「ううん。落ち着く匂い。大好き──」

「っ!?」

 

 その反応があまりにも可愛くて、愛おしくてたまらなかった。

 友奈を少しだけ離して顔をこちらに近づける。

 

「ゆう、くん?」

「友奈。今度は僕からしてもいい?」

「……っ! うん。……んっ」

 

そして再び二人の距離はゼロになる。

優しく啄むような口づけ。反応を確かめるようにその行為は続く。

 

「……えへへ。手を繋いだりするより先にしちゃったね」

「なら今度はこうやって……手を握りながら」

「あっ、んん……!?」

 

指を絡めて繋ぐ『恋人繋ぎ』。

同時に唇を奪うと一瞬彼女は目を見開いたが、すぐにトロン、とふやけた顔になる。

握った手に力が入り、離さないようにと握り返す。

 

(……あー、やばい。歯止めが効かなくなりそう)

 

 軽いキスをしていたが、次第にさらに求めていこうとしてしまう。

 

「ゆ、友奈そろそろ」

「ん……なんですかぁ祐くん」

 

 やばい、と。友奈の顔が本格的に蕩け顔になってしまっている所で自分の理性が働いた。

 唇を離し、いつの間にか銀の一本橋までも作ってしまったこの状況を見て危なかったと冷や汗をかく。

 

「外も暗くなってきたしそろそろ家に帰った方がいいよ」

「……や」

「え? うわッ!?」

 

 言うや否や友奈は起き上がり自分に対して馬乗りをして動きを封じる。

 こちらもまた考えていたよりも『力』があって驚く。

 

「いやです。せっかく両想いになったのに離れるんですか?」

「い、いや。でも時間が……」

「ちょっと待っててください──もしもしお母さん? うん、今日はお友達の家に泊まっていこうかなって思ってるんだけど…」

「ちょ、ちょっと友奈ちゃん?」

 

 馬乗りのまま友奈は懐から携帯を取り出して実家に連絡を入れ始めた。

 しれっと嘘が混じっているのを聞いて、彼女はそんなことするような子だったっけ? と疑問を抱いてしまう。

 

 あれよこれよと思考していると、友奈は連絡を終えてこちらに意識を向ける。

 その時の表情があまりにも『妖艶』で、小悪魔的な何かがあふれ出しているように思えた。

 

「大丈夫だそうですよ祐くん♪ じゃあ続きしてもいいですか?」

「…………、」

 

 ああ、これは逃げられない。

 せめて理性が崩壊しないように耐えるしかないと。

 

 観念すると、僕は小さく頷いた。

 そうすると友奈はいつも見せる満面の笑みを浮かべてから、

 

「大好きですよ祐くん!」

 

 と、僕に言ったのだった────。

 

 

 

 

 

 




友奈ちゃんはカワイイ正義!



ということで、先輩後輩という立場を用いての展開。
その後の二人は────まあご想像におまかせします!←



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story1-after『二人で過ごそう!』

交際をスタートした二人のある一日。

何をするにしても全てが輝いて見えてしまう二人はどうにも浮かれ気味の様子。
部内ではこいつらどうにかしてくれと嘆くものもいれば、ネタとして取り入れるものもいる。

『結城友奈。今日もたくさん甘えちゃいます!!』

今日も彼女は全力でイチャイチャしていく────。


 

「んんー。ゆう、くん……」

 

 甘い一声に僕の意識は微睡みから解放される。

 すぐさま天井の模様を凝視しながら今の状況を把握していくことにした。

 

 視界に捉えた時計の時刻は七時を回ったところだ。

 今日は学校も休みなので時間は特に気にすることはない。

 布団の上で寝ている僕。だが今は身動きが取れない状況である。

 首を横に動かして見てみると、近距離で彼女の顔がそこにあった。

 自分たち男とは全く違う香りが鼻腔を甘く刺激されてしまう。

 加えて想い人である彼女ならばそれは一段と特別なものとなってしまうのだ。

 ぶっちゃけ、色々と大変だった。

 

 

(…可愛いなまったく)

 

 本当に気持ち良さげに寝ているので無闇に起こすのは忍びない。

 僕は仰向けで寝ていて彼女——友奈は僕の身体を抱き枕のようにしていたため、いろんな箇所からの様々な感触が僕に届いてくる。

 

「うりうりー」

「んん~! にゃ……かぷ」

「──っ!?」

 

 頬を指先でつついていたら何を思ったのか友奈はその指を咥えてしまった。

 心臓が飛び跳ねそうなほど驚いてしまったが、次に彼女はあろうことか僕の指先を舐めてきたのだ。

 

「むふ……あむ。れろ……」

「な、ななな……」

 

 舌先が僕の指に触れているのが分かる。

 ダイレクトに伝わる光景と感覚に朝方の僕には刺激が強すぎた。

 顔を真っ赤にして耐えていると不意に彼女の瞳が開かれた。

 

「ふぁ……はれ、わたし…?」

「お、おはよう友奈」

「…………。」

 

 極めて冷静に朝の挨拶を交わすと、無言のまま友奈は自分の状況を確認していた。視線だけを行ったり来たり、と。

 指先から口を離すとわずかに頬を染めながら毛布で半分顔を覆ってこちらを見てくる。

 

「祐くんのえっち……」

「いやなんでさ!? 友奈が咥えたんでしょ僕の指っ!」

 

 あらぬ誤解を受けた僕は声を多少荒げてしまうのも仕方ないだろう。

 そんな彼女は本気で僕が無理やり咥えさせたものだと思っていたらしく、それはもう大層驚いていた。

 弁解させるのに少し時間がかかった。

 いや、解せない。

 

「ご、ごめんね! 勘違いしちゃってたよー」

「いいよどうせ男はみんな獣だーって思っているんでしょ友奈は……」

「そ、そんなこと……なくはないけど。それに祐くんにならわたし──」

 

 なくはないんかい、とツッコミしかけるがグッと喉元で抑え込む。

 後ろを向いて体育座りで塞ぎこむ僕の背中に友奈は自重を預けた。

 

「祐くーん。ごめんね~」

 

 甘い声で囁きながら手を回して抱き着いてくる。

 もう許してあげてもいいんではないのだろうか、と秒で僕の意思は崩壊しかけるがなんとか堪えてみせた。

 

「な……なんでも言うこと聞いてあげるから────きゃ!?」

「キミはそうやって……!」

 

 ベットに彼女を押し倒す。僕の行動に驚いた友奈は呆けた表情を浮かべていた。

 

「誰にこんなこと吹きこまれたの? ……風? それとも園子辺りかな?」

「い、いやー……なんのことでしょうか」

「ふーん。キミがそういうつもりなら……」

 

 友奈の瞳が驚愕の色に染まる。

 

「……ん」

 

 いつのまにかお互いの距離が無くなっていた。

 そのことを理解すると友奈はすぐにそれを受け入れる。この子は少しばかり警戒心がなさすぎるんではなかろうか。

 

「ぷあ……ゆ、祐くん」

「で、誰に吹き込まれたの? 言ってごらん」

「……祐くんの言う通り風先輩と…園ちゃんです。で、でもそれはわたしが訊いたからで二人は悪くないよ!」

「なるほどね……まあそれは後々問い詰めるとして。友奈には僕をからかったおしおきをしないと、ね?」

「え、ええ!? なにを──」

 

 僕は両手を開いて、彼女の両脇に手を入れる。

 友奈はまさか、と目で訴えてきているが僕はお構いなしにその行為を実行に移す。

 

 

「ん、やぁ……ゆ、祐くん」

「──ここが弱いのか友奈? ならもっとしてあげる」

「ひゃわ!? あはは!!」

 

 両手の五指がわしゃわしゃと友奈の肌を撫でる。

 友奈はたまらず動いて逃げようとするが、僕が上に乗っかっているためかその行為も徒労に終わった。

 

 眼尻に涙を浮かべて為すすべなくも小さな抵抗をしている。

 たっぷり一分弱、僕は友奈をくすぐり地獄の刑に処した。

 息を荒げてぐったりとする友奈は、自分でしておいてなんだがこうくるものがあった。

 

「はぁー…はあぁ……祐くんの…いじわるぅ」

「……いや、うん。これはやりすぎた、ごめん」

「じゃあもう一回キスして! それで許してあげる」

「──うん」

 

 今度はゆっくりと時間をかけてしてあげる。

 なんだかんだ僕は彼女に甘いなぁと思わざる負えなかった。

 

 結局、ちゃんと起きるのに一時間以上もかかってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いただきます!」

 

 二人で手を合わせて食卓を囲む。

 簡単に作ったトーストとハムエッグだが、友奈は美味しそうに食べてくれている。

 今度はしっかりとした料理を作ってみるか…。

 

「食べ終わったら一回家に帰らないとね。両親も心配しちゃうだろうし」

「そうだねー。でも祐くんの家に行くっていうとむしろよろしくお願いしますなんて言われるよ!」

「そうなの!? 初耳なんだけど…」

 

 驚愕の事実を聞かされた。普通男の家に行くなんて許さないところのほうが多い気がするのに。

 確かに友奈と付き合ってからは、両親とも必然的に交流は増えてよくしてもらっているが本当にいいのだろうか。 

 …まぁ、既にこの場に呼んでいる時点でこの考えは意味をなさないけれど。

 

 当の本人は小首をかしげて不思議そうに僕を見てくる。

 ちくしょう、愛いやつだな。

 

「──ほらパンくずがついてるよ友奈」

「んん……ありがとう♪」

 

 にへら、とだらしなく綻ばせたその顔を見て、また零さないだろうか冷や冷やしてしまう。

 

「今日は勇者部の活動はお休み?」

「うん! たまには彼氏とイチャイチャしてこーいって風先輩が言ってくれたんだー」

「お、おう…」

 

 それでいいのか勇者部部長。恐らく今朝の友奈の行動はこのときに仕込まれたに違いない。

 不敵な笑みをしている彼女の姿が脳裏に浮かぶ。

 

「だから今日はいっぱい祐くんとイチャイチャしまーす!」

「…口に出さないでくれ。恥ずかしい」

「えぇ~。はい、じゃあこれを——あーん」

 

 思い立ったらすぐ行動と言わんばかりに友奈はデザートのホイップのせプリンをスプーンに乗せてこちらに運んでくる。

 拒否する理由はないのでそのまま口を開けた。

 

「…あっ?」

 

 食べようとしたらひょい、となぜか避けられてしまう。

 その次の行き先はこれまたなぜか僕の鼻先近くにきた。ちょこん、とクリームが鼻についてしまう。

 

「──しろはな祐くんかんせーい♪ ……ふふっ」

 

 友奈が口に手を当てて笑いを堪えている。

 恐らくさっきのくすぐりのお返しなのだろう。僕は鼻先をそのままに友奈の持つスプーンをパクっと咥えてお返しのお返しをしてやる。

 

「あぁ!? 私のプリンー! 祐くん食べちゃった…」

「あーんされたら食べるでしょ普通」

「むぅ!!」

 

 なにやら求めていたものと違っていたらしい。女の子の心境は複雑である。

 僕は自分の分のプリンを掬って友奈に差し出す。

 

「ほら、友奈。あーん」

「…クリームつけない?」

「つけないつけない」

「……じゃあ、二口ちょーだい」

「地味に倍増してるな…いいよ~。はい、あーん」

「あーん……んー、おいしぃ~!」

「そこですかさず、あーん」

「むぐ!? …んん、なんのこれしきー!」

「まだまだ~」

「むぐぐっ!!?」

 

 一口入れて、すぐさま口元にスプーンをやる。友奈はそれを反射的にまた食べる。また食べさせる。

 

 こんな感じで反応がいちいち面白いのでついやってしまう。

 

「祐くんがまたイジワルする!!」

「誤解だよー。友奈とイチャイチャしてるんだよ」

「これだとまるで餌やりみたいだよー! そうじゃなくてもっと…」

「あ、友奈ほっぺにまた付いてるよ」

「え、ほんと? どこどこ」

「……ここ」

 

 人差し指で友奈の頬についてしまったホイップを拭いて上げる。

 そしてそのまま僕はそれを口に含んだ。

 

「はい、とれた」

 

 僕の行動にポカンと口を開けていると、次第に顔が真っ赤になっていった。

 

「あ、うぅ…ありがとう祐くん」

「やっておいてなんだけど。恥ずい」

「も、もー! わたしの方が恥ずかしいよぉ。それにそれはわたしがやりたかったのに」

 

 だから鼻にクリームつけたのか…。

 

「まぁ次の時にでもやってくれ。ささ、食べちゃおうよ友奈」

「…はーい!」

 

 それからは特に何事もなく朝食を終えた。

 

 

 

 

 空を見上げる。快晴なこの空に一点の白い球体が弧を描いている。

 僕は距離を見計らって一歩、また一歩と調整をしながら、左手を天に掲げる。

 

「……ほっ!」

 

 左手に付けたグローブが乾いた音を鳴らす。

 そうすることでその中には白球が収まっていた。キャッチ成功、と前を向けば両手をブンブン振りながら次を待つ彼女の姿がそこにあった。

 

「祐くーんっ!! ナイスキャッチーーッ!!」

「おー! 次いくぞー!!」

「ばっちこーい!!」

 

 元気ハツラツな友奈の様子を眺めつつ僕は遠くにいる彼女に向かって白球を投げる。

 河川敷を走り回る友奈はさながら小型犬のようだった。

 

「おーらい、オーライッ!! よっと!!」

「さっすが勇者部エース!! 惚れ惚れしちゃうぞー!」

「ほんとぉ!! わたしも祐くんに惚れ惚れしてるよー!!」

「可愛いなおい」

 

 ぴょんぴょん跳ねる友奈に思わず本音を吐露してしまう。

 利き腕をぐるぐる回してやる気満々だ。

 

 というか流れるままこうしてキャッチボールをしているわけだが、どうしてこうなったって感じである。

 まぁ、彼女の実家にお邪魔した際に隅に転がっていた野球セット(勇者部で使用)を見たせいであるのだけど。

 元々彼女を含めて体を動かすのは好きな部類なので楽しめているが、はたしてこれはイチャつけていると言えるのだろうか。

 

「なぁ友奈っ! 楽しいかー!」

「たのしーよー! あっ!」

 

 何かに気がついた友奈は何処かに手を振り始めた。

 どうした? と僕もそちらに振り向いてみたら土手の所に人影が見えた。

 それが見知った人物だと分かると僕たちは一旦中断して集合する。

 

 

「夏凜ちゃんおはよー!」

「おっす夏凜! いい天気だな!」

「なんか騒がしいと思ったらあんたたち……午前中からなにしてんのよ」

「夏凜ちゃんは日課のやつ?」

「ええ、その帰りよ。友奈は野球してんの?」

 

 自転車を降りて若干呆れ顔の彼女────三好夏凜がそこにいた。

 

「キャッチボールだよ夏凜ちゃん! 楽しいよー!」

「僕たちと一緒に青春の汗を流さないか!」

『いえーいっ!』

 

 僕と友奈でハイタッチを交わす。

 

「体動かしてテンションおかしくなってるわねあんたら。いやはやお似合いというかなんというか──ああ、これが風が部室で話してたやつか」

「じゃあじゃあ夏凜ちゃんバッターで祐くんはキャッチャーね! わたしピッチャーやるから!」

「おっし! 面白くなってきた!」

「ちょ、ちょっと!? 私やるなんて一言も……って引っ張るなぁ!」

 

 友奈は彼女の手を引っ張っていく。僕は代わりに自転車を持ち上げて一緒に降りていった。

 

「解せないわ…」

「まぁまぁ、少しだけ友奈に付き合ってくれ。今度にぼし持ってくから」

「……うっし、一発決めてやるわっ!」

「現金な奴だなぁ」

「女子に向かって失礼ね! ──友奈ぁ! 本気できなさい!」

「おっけー! 全力でいっくよーーっ!」

 

 お互い気合いが入ったところで手製のバッターボックスに夏凜は立つ。

 睨み合う両者。

 友奈はワインドアップで投球を行うようだ。高まる緊張感に自然とバットを握る力が篭る夏凜。

 

 友奈が球を────投げる!

 

 空を切る音が耳に届くとともに僕のグローブに凄まじい衝撃が奔った。

 

「……なっ!?」

 

 夏凜は驚愕を露わにする。

 見送りでのストライク。手も足も出ないとはまさに今の夏凜を表していた。

 僕も僕で額から汗が流れる。どうやらうちの彼女は日々成長しているようだ。やるなっ!

 

「よっし! まずはワンストライクだね!!」

 

 さわやかな笑顔を向ける友奈。その様子に夏凜の闘争心が刺激されたみたいで不敵な笑みを浮かべ始める。

 

「……まさかここまでやるとはね」

「か、夏凜…お前」

「いっくよーっ!」

 

 ボールを渡して、友奈は一球目と同じように強烈な一投を放つ。

 遠巻きでも分かるぐらい投げる瞬間の友奈の目がマジだった。

 あれー…女の子がしちゃいけない眼をしてるぞー?

 

 どこか他人事のように二人を見ているとボールはまたもや僕のグローブに収まった。

 たが、先ほどとは違い夏凜はバットを振り抜いていた。僕は戦慄する。

 

(凄い…二球目で球の軌道に合わせてきたっ! さすが友奈と肩を並べてきただけはあるな)

 

 ボールを返してグローブを構える。

 友奈は顔を俯かせていてその表情は読めない。おそらく次は完全に打たれてしまうだろう。

 それは夏凜自身も理解しているのか、不敵な笑みを崩さないでいた。

 

「──いくよ、夏凜ちゃん!!」

「きなさい、友奈っ!」

 

 そして今、最後の一球が放たれ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボールの行方は……。

 

「う、嘘でしょ?」

 

 振った。振りぬいた。

 しかしボールは前に飛ぶことはなく、代わりに僕のグローブに吸い込まれていた。

 三振。ゲームセットだ。

 

 友奈はガッツポーズを決めて喜んでいる最中、夏凜は納得のいかない様子。

 僕は立ち上がって彼女の肩に手を置く。

 

「祐樹……一体何が? 球が下にグンッ! と落ちて──」

「ふっ……これが友奈の魔球、勇者フォークだ!」

「ゆ、勇者フォーク!?」

 

 良いリアクションだ。相変わらずノリがいい彼女に思わず僕も興が乗ってしまう。

 

「日々のキャッチボールの中で偶然生み出されてしまった一球さ……正直球のキレが良すぎてあの子密かに特訓してたんじゃなかろうかと思うんだけど」

「あんたらアホでしょ……」

「ふっ…僕もそう思う。まぁなんにせよそういうことさ。オツカレ」

「祐くん、夏凜ちゃんおつかれー! いやー楽しかった!」

「友奈も大概だけど、あの球をすべて捕球できるあんたこそナニモンよ!!」

 

 何をいまさら。そんなの今更語るべきものでもないのだが、訊かれたのなら答えるしかあるまいて。

 

「僕は……友奈の彼氏だからな! 彼女の愛を受け止めるのは当然のことだ!」

「わー祐くんカッコいいよ!! 嬉しいー!」

「──アホ、いやバカップルめ……なんか見てるだけで胸やけするわまったく。あとはお若い二人でねーって」

「帰っちゃうの夏凜ちゃん?」

「用事は済んだでしょ。帰ってシャワー浴びたいのよ……んじゃね」

「おーまたなー」

「ばいばーい!」

 

 なにやらどっと疲れた様子の夏凜の背中を見送って再び二人に戻る。

 

「どうする? 友奈」

「うーん…ようやく肩が温まってきたし、もうちょっとやりたいな!」

「了解した! せっかくだから新しい魔球増やしちゃう?」

「祐くん教えてー!」

「おっけー!」

 

 この後めちゃくちゃキャッチボールした。

 

 

 

 




二人の愛のキャッチボールに振り回される完成型勇者がそこにいた。←



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story2『チョコッとしたお話』

(投稿日からして)時期ではないですが、どうぞ。
タイトルの通りちょこっとしたお話です。


二月一四日。本日はなんだか周りの空気が浮き足立っている気がした。

理由は────まぁ今日という日が『バレンタインデー』だからと言う他ないだろう。

 

 

「…むっ」

 

朝いつものように登校して校舎に入り、下駄箱を開けたところで僕はすぐにあるモノに気が付く。

そこには一つの綺麗にラッピングされた小箱があって僕は手に取ると無言のままバックにしまう。

 

──これで五個目。

 

「はぁー…」

 

廊下を歩きながらため息をひとつ漏らす。

いや、このため息は決してもらうことに対して嫌だからというわけではない。嬉しい、嬉しいのだが……。

 

(……まさか結果としてこうなってしまうなんて。人生どうなるのか分からないもんだなぁ)

 

去年からやり始めたボランティア活動。結果として僕という存在は学校内では知らない人間はいないほどの認知度を得ることになっていた。

その過程でクラス、学年の枠を超えて男子もそうだが女子とも自然とかかわることが多くなり、必要以上の好意をもらうことも増えていった。

 

「あっあの祐樹くん。はい、これ。チョコレート……この前助けてくれたお礼に…う、受け取ってくれるかな」

「うん、ありがとう」

 

手渡されたチョコを受け取る。

そもそもがこのボランティア活動を始めたきっかけは、放課後から休日まで一緒にいることの増えた彼女の影響が大きい。

彼女は確か……『勇者部』という名前の部活に所属して活動をしている。

 

そこでやっている奉仕活動について、彼女の口から聞いた僕はとても感心したことを覚えている。

当時の僕は彼女との共通の話題を探していたのもあり、真似事のように始めてみたのだが意外と楽しいことが分かった。

そのお陰か今日まで続けているのだけど…。

 

「お、ゆうきっち! はいチョコあげるー♪」

「おーサンキュー! 後で食べるよ!」

 

笑顔でチョコを受け取り僕はすたすたと歩いていく。

人と会話をするのは嫌いではないし、どちらかというと好きな部類なので最初は結構後先考えずに突っ込んでいったなぁ。

 

もちろん失敗もあったし、そのせいでへこんだこともあったけれど。

成功したときの依頼者が浮かべる『笑顔』を見たときにああやってよかったと思える瞬間が嬉しかった。

 

『わぁ! さすが祐くんだねー! わたしも祐くんと一緒の部活だったらなぁ』

 

もちろんその時のキモチを彼女に話してみたらまるで自分のことのように喜んでくれる。

また頑張るか! とモチベーションにも繋がったしよく話を聞いてもらっていた。

 

「先輩! う、受け取ってください!」

「う、うん。ありがとう」

 

再びチョコを受け取る。

教室に入ろうとしたところで待ち伏せしていたのか下級生の女子数名が僕にチョコを手渡してくれた。

わざわざ上級生の階に来てくれたのだ。無下にできるはずもなく、受け取ってお礼を述べると女子たちはそのまま走り去っていってしまった。

 

(どうしようか……?)

 

両手いっぱいのチョコレート。

……そろそろカバンに入らなくなってきたな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの後も廊下を歩けばもらい、移動教室に向かっている道中で手渡され、あれこれと溜まったチョコの数々はとうとう持ちきれなくなる。

昼を一緒に食べる友人からビニール袋をもらってそれに入れることにした。

袋を受け取るときにとても恨めしい顔をされたけども。

 

そして放課後。僕はカバンとは別に袋を三つ抱えた状態で下校することになった。

……お返しどうしよう。

 

「──ほへー。すごい量だね祐くん」

「自分でも驚いてる…食べきれるかなぁー」

 

いっぱいになった袋を見つめてまた一つ息を漏らす。

隣を歩く彼女も乾いた笑みを浮かべて僕の心配をしてくれていた。

 

「祐くんはとっても優しいから好きになっちゃう子が多いんだよー。モテモテさんだっ!」

「うーん。ほとんど義理ってやつだと思うよ。依頼のお礼ってのもあるみたいだし」

「そうかなぁ……その中には勇気を出して渡した子も居たと思うよ?」

「……でも僕はキミから」

「えっ? 祐くん何か言った?」

「い、いやなんでもない」

 

小首をかしげる彼女に僕は反射的に答える。

そっかぁと特に言及することもなく彼女──友奈は前を向いて歩きだした。

 

──むぅ。

 

(正直、チョコをもらうのは嬉しいけど……もらうなら友奈がいい…って言えるわけないよなぁ)

 

この頃はよく一緒になることが増えてきたから……なんて下心があったわけではないけども。

いや、義理くらいならばもらえるかなんて考えていた自分が浅ましい。

現実はチョコのように甘くはなかったみたいだ。

 

(…バレンタインで浮き足立ってたのは僕も同じか)

 

でもまあ別にチョコをもらうためにこうして接しているわけではないし、平日の時間が合えばこうして下校も待ち合わせしている関係なので充分なのかもしれない。

彼女には嫌われてはないと思うからこれからも気長にやっていこうと思う。

 

「あ、祐くん。あそこの公園のベンチに行きませんか?」

「ベンチ? ──ああうん、いいよ」

 

帰り道の公園を横切ろうとしたところで友奈に呼び止められて足を止める。

この後の予定はチョコとの格闘以外はやることはなかったので二つ返事で了承した。

 

公園には小学生たちがサッカーで遊んでいる以外は誰もいない。

脇にあるベンチに腰を落ち着かせると、隣に友奈が座ってくる。

 

「──つめたっ!? うぅ、おしり冷たいー!」

「…はは。まだ少し気温が低いし友奈はスカートだから余計に冷たいだろうね。大丈夫?」

「はい、大丈夫です。こういうとき男子のズボンがうらやましくなっちゃうよー」

 

友奈が座る場所を見る。ひと一人分の空いた距離。今の関係上では埋まることのない距離感。

…少し寂しいが仕方ない。いつかは埋めてみせると内心誓い僕は友奈と今日の出来事をお互い話していく。

 

「今日は風先輩がですね────」

「へぇ。相変わらず大変だな……そういえばこの前──」

 

他愛のない会話。僕はこの時間がとても楽しい。

ほぼ毎日のように話しているのに会話が途切れることがないんだ。

友奈も果たして僕と同じように考えてくれてるだろうか。

 

「──そういえば祐くんって結局チョコは何個もらったんですか?」

「……えーと三十個ぐらいかな。アハハ」

「あの、えっと」

「……ん? どうした友奈?」

 

時間たっぷりと話し終えると、会話の途切れ目に友奈が別の話題を振ってきた。

急にしおらしくなったかと思えば視線を泳がせてモジモジし始める彼女に首をかしげる。

 

「そ、そんなにもらっちゃうと食べきるの大変ですよね?」

「まあ、ね。今日も帰ったら食べるつもりだけど……」

 

質問の意図が分からない。

僕の顔を見て唇を小さく震わせ、視線は下へと移動する。そしてまた僕の顔を見る、それの繰り返し。

その血色の良い頬は朱に染まっていて何か物言いたげな雰囲気を醸し出してる気がした。

 

「ねぇ友奈、なにか──っ!?」

 

──言いたいことでもあるの? と口にしようとしたところで視界の隅から黒い影が接近してきているのを捉えた。

しかもその影はあろうことか友奈の方目掛けているではないか。

 

彼女は気が付いていない……なぜならこちらを向いているから。

であるならば僕のとる行動は一つだった。

 

「ゆ、祐くん!? きゃっ…」

 

可愛らしい小さな悲鳴が耳に届く。

僕は急いでこちら側に引き寄せて影に当たらないようにしたため、腕の中には彼女の姿があった。

ああ、想像していたよりも小さいな友奈は……って違う違う!

 

「だ、大丈夫か? 友奈」

「う、うん。ありがとう祐くん」

 

どうやら怪我はなかったようで安心する。

僕は視線を影の方へと移動させて見ると地面をバウンドしているボールを見つけた。

…ってあれはさっき遊んでいた小学生のサッカーボールじゃないか。

 

「ごめんなさーい!」

 

一人がこちらに走り寄ってきて慌てて頭を下げるとボールを持って戻っていった。

 

「サッカーボールだったか……はぁ。なにが飛んできたのかと思ったよ」

「わたし全然気が付かなかったー。祐くんが助けて…くれて……なかったら?」

「──ん? あっ……」

「……っ!!」

 

突然のアクシデントに冷静さを取り戻した僕と友奈は今置かれている状況を把握し始める。

そして次にとる行動は、がばっと両者ともに勢いよく離れることだった。

 

──や、やばい。顔が熱いぞ。

 

「な、なんかその……うん、ごめん」

「……ぅぅ」

 

友奈の顔をまともに見れないから分からないが小さく唸っているようだ。

 

「あ、あー…とにかくけ、怪我がなくて安心した。そろそろ帰ろうか友奈!」

「──ゆ、祐くん!!」

「ど、どうした!? ……って」

 

気まずい空気に耐えられず立ち上がろうとしたところで、それは阻まれた。目の前に差し出された物によって。

視線を落とすとそこにあったのは小箱。

一瞬なにこれと呆気にとられてしまう。今度は視線を横にずらして見てみると、顔を真っ赤にした友奈の顔が目に映った。

 

「え、ええと……う、受け取ってくれませんか!」

「──これってまさか」

「は、はい……バレンタインのチョコです。お、男の子にこうやってあげるの初めてなのでどう渡せばいいのか分からなくて…」

「ほ、ほんとに? 僕に?」

 

コクコクと勢いよく頷く彼女を見てマジか、と声を漏らしてしまう。

感動で震えた手によって僕は恐る恐る受け取る。

 

「や、どうしよ……マジで嬉しい。義理でも嬉しいよ友奈!」

「ぎ、義理じゃ……ないです」

「えっ?」

 

最後の方が小声で聞き取れなかったので聞き直してみるが、友奈は首を横に勢いよく振って「なんでもないです!」とそれ以上を遮られてしまった。

 

「祐くんチョコいっぱいもらってたからこれ以上渡すのは迷惑かなって思っちゃって渡すタイミングがなくて……えへへ」

「そうだったんだ。僕の方こそ気を使わせてごめんね……」

 

口調は冷静さを出しているが、今にもにやけてしまいそうな自分がいる。

飛び跳ねて狂喜乱舞しそうなほど嬉しい。

可愛らしくラッピングされた箱をまじまじと眺める。

 

「開けてもいい? 今すぐ食べてみたい!」

「ど、どうぞ……」

「………おぉー。生チョコだ」

「東郷さんに教えてもらいながら作ってみたんだ。お口に合えばいいんだけど」

「…いただきます! あむ」

 

丁寧にラッピングを剥がして蓋を開ける。

そして一粒手に取り口に運ぶとしっとりと口の中で溶けていく甘味に僕は舌鼓を打つ。

ああ、生まれてきてよかった。

 

「美味しい! 本当に美味しいよ友奈。いくらでも食べれちゃうよ」

「はぁ、良かった~! 緊張で胸が張り裂けそうだったよー」

「作るの大変だったでしょ?」

「ううん、意外と簡単に作れたんだよ! えっとねー…」

 

僕が食べている合間に友奈がレシピの説明をしてくれる。

どうやら勇者部のみんなでチョコを渡し合うこともやっていたらしい。

なにそれ最高かよ、と想像してみたけどやっぱり友奈から貰うのが一番喜ぶ気がする。

 

「これはお返しも奮発しないとな!」

「いいよいいよ! そんなつもりであげたんじゃないから!」

「そうはいかないよー」

「でも祐くんからは色々なものをたくさん貰っちゃってるからそれのお返しでもあるんです……」

「僕は何もしてあげられてないよ。むしろ僕のほうこそ友奈から元気いっぱいもらってるし」

「わ、わたしのほうがいっぱいもらってます!」

「僕が────!」

「わ、わたしが────!」

 

何度か同じやり取りをして顔を見合わせ、いつのまにか自然と二人して笑い合っていた。

……こんな時間がいつまでも続けばいいのに。

 

 

 

 

 

 

おまけ。余談のようなもの。

 

 

「東郷さん! 祐くんが喜んで食べてくれて大成功だったよ。ほんとにありがとう♪」

 

ルンルン気分で報告にきた友奈ちゃんに私の心はひどく揺さぶられる。

私は震える拳をそっと後ろに隠してニッコリと彼女に笑いかけた。

 

「それはよかったわ。私も教えた甲斐があったものね」

「うん! はぁーでもとっても緊張したよ。ちゃんと渡せて良かったぁ」

「くっ……!」

 

彼女の幸せな顔を見るのは大好きだ。でも同じぐらいこの胸中はとても複雑な気分なのだ。

…友奈ちゃんは間違いなく彼に惚れている。まだ本人はそれを自覚しているのか否か定かではないが大変私の心情に対してよろしくない!

握る拳がどうにも緩くなる気配がないわ。

 

「ってあれ? どうして東郷さん怖い顔してるの?」

「…ふふ。いいの、なんでもないわ友奈ちゃん気にしないで、ね?」

「は、はい!」

 

この気持ちをどうしてくれようか。……いえ、別に彼は悪い人ではないことぐらい理解しているの。

でも頭でわかっていても気持ちが同じとは限らない。

 

(……はぁ。でもそうね)

 

怒っても仕方ない。友奈ちゃんの方を見ると、彼から連絡が来たのか頬を綻ばせながら端末を操作している。

──ぐぬぬ。

 

「……あれ? 東郷さんどこにいくの?」

「ちょっと和菓子を作るわ。出来上がったら友奈ちゃんにも食べてもらうから家で待っててね? 後でもっていくから」

「ほんとー!? わーい、東郷さんのお菓子楽しみー♪」

 

取り合えず冷静になるためにも自分の好きなものを作ろう。

ここのところ洋菓子ばかり作ってしまっていたから鬱憤が溜まっていたに違いない。

 

そう自分に言い聞かせて私は家の門をくぐるのだった────。

 

 

 

 




執筆途中のモノを整理していたら書き上げていた物があって二月に投稿し忘れていたことを思い出す。←

来年まであたためておくのもなぁと思い、せっかくなので載せておきます(笑


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story3『看病』

平日の夜。自室のベッドに身を投げた私は端末を片手に枕元に顔を埋めて画面を見ていた。

 

『祐くん。結城友奈お風呂から上がりました〜♪』

 

指を細かく動かしメッセージを書き込んですぐさま送信する。

そうして一分と経たずにメッセージアプリ内で動きがあった。

 

『おかえり友奈! 湯冷めしないように気をつけてね』

『はぁーい! でねでね、さっきのお話の続きなんだけど──』

 

こういうやり取りは付き合い始めるちょっと前からやっている。

その日の出来事や、共通の話題をメッセージでやりとりする他愛のないもの。

私にとってとても大切で幸せな時間。大好きな祐くんとこのひと時を共有していくのが夜のお楽しみなんだ。

なんて事のない些細な話題でさえ楽しく思えるし、明日も祐くんと一緒過ごせると実感できる。

基本的にはメッセージがほとんどで、彼の声が聴きたい時は電話で夜遅くまでお話をしちゃうときもあった。

たまに夜更かししすぎちゃって東郷さんに叱られちゃうこともあるけど、東郷さんも私の気持ちが分かってくれるのかそこまで強くは言ってこない。いつもごめんね東郷さん。

 

『今日小テストがあったんだけど、ちょっと結果がイマイチっぽいんだよね』

「へー。祐くん珍しいなぁ」

 

足をパタパタさせながら私は呟く。

勉強を教えてもらっている身からしてみれば、彼がそんな弱音? を吐くなんて珍しくなにかあったんだろうかと考えてしまう。

 

「あっ……この頃一緒に色んなところに遊びにいっちゃってたからかな。あわわ、だとしたらどうしよう」

 

はっ、と考えてみたら思い当たる節が多くてもしかしたらそのせいでテストの結果に悪影響が出てしまったんじゃなかろうか。

私は慌ててその旨を彼に伝える。返事はすぐに返ってきた。

 

『いやいや。そんなことはないから安心してよ友奈。テストもたしかに大事だけど、僕にとってはそれ以上に友奈と一緒に過ごす時間が大事なんだから』

「祐くん……んん〜!!」

 

メッセージを見て私は枕に顔を埋めて悶えた。

 

────そんなこと言うのは反則だよぉー!

 

ダメだ。にやけが治らないよ。私は近くをふよふよ漂っていた牛鬼を捕まえて思いっきり抱きしめた。

少しだけ苦しそうにもがく牛鬼だけど今はちょっと我慢してほしい。

 

(すき…好き。祐くん、ゆうくんー!)

 

まさか自分がこんなにも異性を好きになるなんてちょっと前までは考えもしなかった。

ベットの上でゴロゴロと悶え回る私は私らしくないかもしれないけど、許してほしい──と見えない誰かに謝った。んーと、ほんと誰にだろう? まぁ、いいか。

 

胸が満足するまで牛鬼を巻き込んでいるとぽこん、と端末からもう一通のメッセージが届いた。

それを見た私は一転して驚愕の色に染まった。

 

『…まぁ、実を言うとちょっと頭がぼーっとしちゃっててさ。今もちょっと息苦しいというか。あはは』

「えっ……祐、くん?」

 

そのメッセージを見て私の心は不安に色に染まる。もしかして……いや、もしかしなくてもこれは体調不良というやつではないのだろうか。

 

『だ、大丈夫なの?? 食欲は? 他に痛いところとかない? 心配だよーー! ><』

『食欲は、いつもよりかないかな。あとは頭が少し痛いぐらいで。心配させてごめんね! 恐らく寝れば大丈夫だろうから』

『じ、じゃあ今日はもう寝ちゃいなよ! 遅くまで付き合ってくれてありがと祐くん。また、明日! おやすみ』

『うん、こちらこそ。おやすみ友奈』

 

私は早めに切り上げて祐くんにゆっくり休んでもらうことにした。

端末のアプリを終了させて両手で握りしめて天井を仰ぎ見る。

 

「祐くん、ほんとに大丈夫かな。ねえ、牛鬼ー?」

『…………、』

「わぷ!? ちょ、ちょっと牛鬼ぃー! なんで私の顔に乗っかってくるのー!?」

 

頭に乗ってくることはあっても顔面に乗られるとは思いもしなかった。柔らかい感触とともに息を止められ、私は起き上がって牛鬼を引き剥がした。

 

「もしかして、励ましてくれた?」

『…………。』

「そっか、ありがとね牛鬼! そうだよね…うじうじしてるのは私らしくない! 彼女である私が祐くんを元気付けてあげないと──っ!」

 

おっし頑張るぞー! と拳を上げて意気込む。

でも、自分で言っておいてなんだけど彼女……彼女かぁ。

 

「ほへ〜…♪」

 

綻んでしまう頰に手を添えて私はまた悶える。

こうして色々と考えながら夜は更けていく。しかし翌朝、私の考えていたよりも事態は大きくなっていた────。

 

 

 

 

 

 

 

翌日。ちょっとだけ寝坊してしまった私は東郷さんに起こされて身支度を整えている中で、祐くんにメッセージを送っていた。

 

『おはよう祐くん! 体調はどう? 学校いけそうかな??』

 

挨拶と一緒に彼の容態を確認しておく。でもそれは何分経っても返信が返ってくることはなかった。

 

おかしいな。いつもならもう起きていてもいい時間なのに……。

一抹の不安が過ぎる。

 

「どうしたの友奈ちゃん、なんか不安そうな顔してるよ?」

「東郷さん……うん、あのね」

 

私の心の機微にいち早く反応してくれた東郷さんに思い切って昨夜の出来事を話してみた。

 

「……そう、祐樹さんが。それは心配ね」

「うん。さっきから連絡してるんだけど一回も返信がないの。もしかして倒れちゃって──!」

「悲観ばかりしてちゃダメよ友奈ちゃん。……少しだけまってて」

「えっ? 東郷さんなにを──」

 

そう言って東郷さんは端末を取り出して何処かに連絡を取り始めた。

私に聞こえないぐらいの声量でやり取りを繰り返していると、通話が終わったのか彼女は一息ついた。

そしてくるっと私に向き直るとにこやかに親指を立てていた。

 

「友奈ちゃん、今日は学校の方はお休みで大丈夫よ。彼氏さんの一大事なのだからそっちを優先してあげて」

「え、えぇ!? ど、どういうこと東郷さん!」

「ちょっとそのっちにお願いして──げふん。大赦の力を──げふんげふん! まぁ色々と根回ししたから問題ないよ」

「……なんだかよくわからないけど流石は東郷さんだー?」

「うふふ。もっと褒めてくれてもいいのよ友奈ちゃん。そしたら途中まで一緒に行こうね」

「うん! 今度何かで埋め合わせするからっ!」

「じゃあ、今週末に久々に二人でお出かけしましょう♪」

 

東郷さんの提案に快諾した私は急いで支度を始める。

未だに連絡がないのが不安だけど、無事でいてね祐くん…。

 

 

 

 

 

家を出て途中まで道が一緒だった東郷さんとも別れて私は祐くんの住むアパートに足を運ぶ。

心配が拭えないまま足早に向かうと次第に建物が見えてきた。

 

「えっと……鍵、カギっと──」

 

祐くんの家に遊びにいくことが増えた頃から合鍵をもらっていたので、カバンから取り出してそれを使って扉を開ける。

私はそっと中の様子を伺ってみるけど、日中だというのに部屋の中は薄暗いままだった。

雨戸やカーテンを開けていないことになるのでやっぱりまだ目覚めていないことになる。

 

「お邪魔しまーす…」

 

パタン、と扉を閉めて施錠し靴を脱いで部屋に上がる。暗がりなので足元に気をつけながら進んでいって部屋に入ってみると、

 

「…………っ」

「ゆ、祐くん!!」

 

電気をつけてベットの上で寝苦しそうにしていた彼の姿を見つける。

慌てて彼の元に近づいてみる。凄い汗…。

目を閉じてはいるがとっても苦しそうで、もしかして今の今までずっとこの状態だったのかもしれない。

 

「え、えと。こういうときは……まず何からするんだっけ?? あぅ」

 

こういうときに東郷さんのようにテキパキと動けたらいいんだけど、私は全然ダメでテンパってしまう。

 

「……ん。あれ、ゆうな? なんで僕の家にいるの」

「あっ! 祐くん大丈夫!? 今朝から連絡してたのに全然出なかったから心配で来たんだよ」

「うっく…そうなんだ。わざわざありがとね──よい、しょ」

「わー!? ダメダメぇー! 祐くん熱があるんだから寝てないと!」

 

私はとりあえず起き上がろうとする祐くんを寝かせる。

不思議そうにしている彼はもしかして現状を理解していないのかな?

 

「熱は測った?」

「あー…まだ。昨日はあのまま寝ちゃってたから何もしてないや」

「じゃあまずは熱を測って──体温計ある?」

「えっと、あの上の棚の引き出しに……」

「あそこだね。んーと……あった!」

 

言われた場所を探すとすぐに見つかった。すぐに電源を入れて祐くんに手渡す。

えーっと次は…。

 

「学校にも連絡入れないとね。私が代わりに連絡するよ! 番号わかる?」

「そんな悪い──けほ。友奈こそ学校は?」

「私のことは気にしなくても大丈夫だよー。東郷さんが色々としてくれたから!」

「そう、なんだ。えと…端末に番号登録してたはず」

「借りてもいいかな?」

「うん、悪いね」

「えへへ。全然問題ないよー。じゃあちょっと借りるね」

 

側に置いてあった端末を祐くんがとって番号の登録してあるところまでやってもらう。発信ボタン前で私は受け取ってコールボタンを押した。

 

「──あっ。もしもし、えっと……高嶋くんの携帯からかけてるんですが」

 

電話はすぐに出て事務の人っぽい人が電話に出た。

思えばこうやって彼のことを『苗字』で呼ぶのはなんだか新鮮な気持ちになる……。

 

(あっ…もし私と祐くんが結婚したら私の苗字も『高嶋』になるのかなぁ……『高嶋友奈』かあ♪)

 

私の『結城』という名前も大切なものだけど、祐くんの『高嶋』という名前も大好き。

考えてみるととても心がぽかぽかする。なんでだろうね。

けれどそれはまだまだ先の未来だし────私にはちょっと早すぎたかな。えへへー♪

 

綻びそうになる頬を堪えて事務の人に伝え終わると通話を終了させる。

 

「祐くん連絡ちゃんとできたよ! これで安心してお休みできるね」

「ありがとう友奈。キミが居てくれて……助かるよ」

 

言いながら祐くんはにこやかに笑ってくれた。

 

「あ、熱測り終わった──わ、結構あるね。ごめんね昨日気が付いてあげれなくて」

「僕の体調管理が悪いんだし……友奈こそ大丈夫? キミにうつしちゃったら……」

「ううん! 私こーみえてあんまり風邪とか熱とか引いたことないんだ! それよりも祐くんの傍に居させて……ね?」

 

祐くんの手を握って私は本心を口にする。彼のそばに居たい、辛いときにこうやって手を握って安心させたいんだ。

祐くんは私の気持ちをちゃんと受け取ってくれたかな。

 

「──今のは……反則。ずるいよ友奈は」

「えー!?」

 

既に赤い顔を更に赤くしちゃって視線を逸らす祐くん。なんで目を逸らすのー!?

 

あっ! いつものやりとりしてるだけじゃダメだ結城友奈!

今日は祐くんの看病をしに来たんだからこの御役目はちゃんとこなさないといけない。

 

両手で握りこぶしを作って意気込む。

 

「祐くん。まずはコレをつけて!」

「それは……つめたっ!?」

 

有無を言わさずに私はお母さんからもらったあるものを祐くんの額にぴたりと貼る。

目を細めて冷たい感覚に小さく驚く祐くんが可愛くて────じゃなくて気持ちよさそうにしていた。

 

「冷えピタ……あー、冷たくて気持ちいい」

「それじゃあ祐くん。今度はキッチン借りるね!」

「はーい…」

 

祐くんをひとまず寝かせて私はキッチンに足を運ぶ。

これもお母さんからもらった果物を手に私はうーん、と首を捻らせる。

 

(祐くん喉が辛そうだったし、あんまり固形物は良くないかも)

 

東郷さんに祐くんの容態によって料理関係は変えていかないといけないよって教えてもらっている。

あまり料理とかは得意な方ではないけれど、頑張っていこう!

 

「えっとリンゴはすりおろしてー……あ、皮は剥かないと!」

 

危ない危ない、と私は手を切らないように不器用ながら皮を剥いていく。そうして剥き終わったリンゴをすり鉢で下ろしていく。

 

「すーりすりー♪ すーりり〜」

 

あ、これ意外と楽しいかも。普段はあんまりキッチンに立つことはない私だけど、将来のことを考えたら東郷さんや風先輩に教えてもらうこともいいかもしれない。

もちろんお母さんからにもね、って考えている内に擦り終わったリンゴを器に入れて祐くんのところに運んでいく。

 

「祐くんおまたせー! 少しでも食べてくれると嬉しいな」

「…もが。あふぃがとゆうなー」

「わぁ!? 牛鬼ぃー!! 寝てる祐くんの顔に乗っかっちゃダメだよーー!」

 

近頃の牛鬼のブームなのか顔に張り付いてくることが多々ある。

やめてといってもやめないから困ったものだ。

特になにか意味があるようには見えないけど今の祐くんにはやっちゃだめなんだよー。

 

「ごめんね祐くん。うちの牛鬼自由気ままだから」

「平気だよー。なんだか……癒しパワーをもらった気がするよ。あ、そこの袋の中に牛鬼用のビーフジャーキー買ってあるからあげてよ」

「え、あ、ほんとだこんなにたくさん……ありがとう祐くん! ほら、牛鬼もちゃんとお礼するんだよー」

『…………、』

「むぐ……もがが」

「だからそれはダメだってばー牛鬼ー!!」

 

再び祐くんの顔に張り付く牛鬼。この子は本当に祐くんによく懐いている。

こうやって表に出ているときは私のように彼にべったりなんだ。もしかして飼い主の性格みたいなのが反映されているのかもしれない。

 

祐くんにくっ付きたい気持ちはすごく分かるから。…今も我慢してるし。

でも彼は病人なので過度な接触は身体に障ると思うので、牛鬼はもらったビーフジャーキーで釣ることにした。

 

ぱく、と抗えない誘惑に釣られて牛鬼は祐くんから離れてビーフジャーキーを咥えて食べ始める。

 

「まったくもー。牛鬼には困ったなぁ…はい、祐くん摩り下ろしたリンゴだよ。食欲あったら食べてくれる?」

「うん。もらうよ友奈」

「あっ、私が食べさせてあげるよ!」

「ほんと? 嬉しいな。じゃお願いしようかな」

 

身体を起こして祐くんは私が食べさせやすいように口を開けた。

 

「あーん♪」

 

スプーンで掬ったリンゴを祐くんの口元に運ぶ。 祐くんは口に含んだリンゴを顔を顰めながらもゆっくり飲み込んでくれた。

 

「痛い? やっぱり食べれそうにないかな…」

「飲み込んだときに……けほ。喉奥が痛むだけで食べられるよ。せっかく友奈が用意してくれたんだから全部食べたい」

「祐くん……」

 

私は彼の思いやりに目頭が熱くなってしまう。

でも食べてくれて本当に良かった。具合悪い時でもちゃんと食べないと良くならないって言うから、この調子でいけばこれ以上は酷くならないと思う。

 

よぉーしっ!

 

 

「他にもお母さんから果物もらってきたから、食べられるやつがあったら遠慮なく言ってね!」

「ありがとう友奈。友奈のお母さんにも今度お礼しに行かないとな……あと、僕だけじゃなくて友奈も一緒に食べよう? 一人より二人のが美味しく食べられるからさ」

「わかった! じゃあ、準備してくるから起き上がったらダメだよ」

「…おっけー。リンゴ、食べてていい?」

「いいよ〜♪」

 

親指と人差し指で丸を作って私は微笑む。

 

 

 

 

 

 

なんとかひと段落ついた私は食べ終わったお皿を洗って部屋に戻ると、ベットの上で祐くんは寝息を立てながら寝ていた。

 

最初に比べていくらか良くなってるかな? 薬も市販品のではあるけれど取り敢えず飲んでもらって様子見といったところ。

その傍らでは相変わらず牛鬼が居て、ビーフジャーキーをもぐもぐと食していた。

相変わらず良く食べる精霊だなぁ、と私は端末を取り出して操作する。

 

『ひとまず祐くんはお薬のんでから寝ちゃったよ。今朝も今もすごい助かっちゃった。ありがとう東郷さん』

『それはよかったわ。でも油断したらダメだからね。学校の授業は帰ったらノート貸してあげるから』

 

さっすが東郷さん! 思わず微笑んでしまう中で私は祐くんの首筋に触れた。

まだまだ熱を感じる感覚に、あんまり下がらないようなら病院に連れていかないといけないと考えて私はハッと思い出した。

 

「祐くんこんな感じだと昨日からまともに家事ができてなかったんじゃ…?」

 

さっきもキッチンのシンクには洗い物が残ったままだったし、洗濯とかもしてないかも。

せっかくこうして東郷さんに時間を作ってもらったのだからここは彼女である私が祐くんのお手伝いをするしかないっ!

 

起きないように彼の頭を撫でてから私は洗面所に向かう。

案の定、洗濯物が溜まっていた。

 

「天気もいいし、先にお洗濯しちゃおう♪」

 

洗濯かごに放り込まれている洗濯物を取り出して仕分けしていく。

 

「えっと…洋服、ワイシャツ、ズボンにー靴下! それにー……にー……っ」

 

そこで私はある致命的な考えがぽっかりと抜けていたことを理解した。

私の家はお父さんを除いて東郷さんや周りを含めて女性の比率が高い環境下に身を置いていたため、こうやって同年代でかつ異性の居る現状が以前の私と違うことにまったく疑問を抱かなかった。

 

私は顔が熱くなるのを自覚する。手に持っている『ソレ』を見て──洗濯かごにあるということは身に着けていた物を全て脱ぐということであって。

 

────私は女の子で、祐くんは男の子。

 

「こ、ここここれって……!!? ゆ、祐くんの────ぱん……」

 

ボンッ! と頬を赤く沸騰させてしまう。

 

「や、その……これは洗濯しようとしてただけで! って私は一人でなに言ってるんだろー!?」

 

誰に言い訳しているのかわからないけど、早く洗濯機に入れないと!

でもなぜか私の手は『ソレ』を離そうとせず、逆になんというか……好奇心のようなものが芽生えてきてしまう。

 

よくよく考えてみればこうして異性の下着を目にすることも、ましてや手にすることもなかった私にとって目の前のこれはとても興味があるのも無理はなかった。

 

「……けっこうピッタリとした作り。おぉー…でも意外と伸びる」

 

両手を使ってびよーんと伸ばしてみる。女性の下着とは全然違う構造に私は「わぁ」と思わず声を漏らす。

 

「……祐くんの。なんでだろう? すごく──ドキドキしちゃう」

 

こうしてまじまじと観察してしまうのは悪い事なのに。どうしても釘付けにして放してくれない。

心臓が強く脈打ってとてもうるさい。

 

(……だ、ダメだよ私。なに考えて────)

 

じーっと眺めていた顔は何を思ったのか徐々に近づいていく。まるでこれじゃあ変態さんみたいじゃないか。

けれど身体は意に反して動くことを止めない。そして────

 

 

「ゆうな? なにしてるの……?」

「ひゃあ!?」

 

もう少しでゼロ距離になるところで不意に背後から声をかけられて私の心臓は飛び出そうなほど驚く。

反射的に私は持っていたそれを上着のポケットにしまいながら振り向いて愛想笑いを浮かべる。

 

…………ぁ。

 

 

「ゆ、祐くん!? 起き上がっちゃダメだよ!」

「いや、ちょっとトイレに……もしかして洗濯してくれようとしてた?」

「…っ」

「そっかー…色々と手間かけさせて悪いね。ありがとうゆうな」

「こ、これくらいへっちゃらだよ!」

 

ぽーっとした祐くんに焦りをみせながらテキパキと仕分けして洗濯機に入れてスイッチを押す。

 

「あはは。これでおっけーだよー」

「ありがとう。じゃあ僕はトイレにいってきまー……」

「行ってらー」

 

手を振って見送ると、私は内心とても焦っていた。

 

(ど、どどどうしてポケットに入れちゃったんだんだろ私ぃー! でも洗濯ものも全部入れちゃったし、これだけカゴに入ったままだと不自然だし……)

 

わたわたとテンパっちゃってどうしたらいいのかわからない。

対策を考えるも、トイレの扉が開く音が聞こえてきた。祐くんが戻ってくる。早いよぉ!

 

「と、とりあえず後で考えよう。ごめんね祐くん」

 

内心平謝りしながら私は部屋に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後は洗濯物を干したりして、祐くんの体調を気にかけながら昼食の準備した。

 

 

「おまたせ祐くん。ちょっと時間ズレちゃったけど、お昼ご飯だよー」

「おぉー……うどんか」

「うん。やっぱりこういうときでも食べやすいものといったら”うどん”だね!」

「美味しそう。いただきまーす」

「召し上がれ♪」

 

あんまり凝ったものは出来なかったけど、祐くんのお口に合うかな?

牛鬼を頭に乗せながらうどんを啜った彼は笑みを浮かべながら頷く。

 

「…うまー。冷たいうどんが火照った身体に染みる」

「味とか大丈夫?」

「もちろん僕の好みの味付けだよ。友奈の手料理も食べられて熱になっちゃうのもたまにはいいのかなぁ」

「えへへ。ならこれからも頑張ってお料理覚えて祐くんに食べてもらうね!」

「ほんと? 楽しみだなー……ほら、牛鬼。ご主人さまが作ったうどんたぞー。お食べ」

 

ふよふよと漂いながら祐くんが箸で掴んだうどんをぱくりと食べる。

 

「牛鬼ー。食べるときは飛んでちゃダメだよ。ちゃんと座るの」

『…………。』

「お、従った。しつけがちゃんとしてるんだね」

「東郷さんが教えてくれたんだー。まだまだ言う事聞かないことが多いけど……食べ物があるときはわりと聞いてくれるようになったかなぁ」

「へぇ。えらいぞ牛鬼」

 

テーブルの上で別皿に盛ったうどんを食べていく牛鬼をよそに私たちも食べ進めていった。

 

 

「時間経つの早いよねー。もう二時になっちゃう」

「でもおかげでだいぶ楽になってきたよ。今日はありがとう友奈、明日から学校にも行けそうだ」

「よかったー♪」

 

そう言ってもらえるだけでやった甲斐があった。

でも一つだけまだ解決していない問題がある。

 

(た、タイミングが完全になくなっちゃった……うぅ、素直に言った方がいいかなやっぱり──でもでも!!)

 

祐くんに引かれたら嫌だし……。未だポケットにしまいこんだソレの対処をどうしても思いつかない。

ちらちらと彼を見ていると、玄関からチャイムが鳴り響いた。

 

来客だ。

 

「はーい。出てきていい祐くん?」

「お願い」

 

私が玄関までいってインターホンで確認してみると、見知った人物がそこにいた。

 

「東郷さん! 来てくれたんだ」

「友奈ちゃん。私も二人が心配だから来ちゃったわ。大丈夫だった?」

 

制服姿の東郷さんがお見舞いに来てくれた。その手には買い物袋をぶら下げて。

 

「うん! 取り敢えず上がって上がって」

「お邪魔します」

 

私は買い物袋を受け取って、部屋に案内する。

中には色々な食材が入っていた。

 

「もしかして東郷さんご飯作ってくれるの?」

「友奈ちゃん。まだ簡単なものしか作れないでしょ? だから一緒に作ろうかと思ってね。祐樹さん、こんにちは」

「ん? おー…須美。キミも来てくれたんだ。ありがとう」

「その様子だとだいぶ良くなってきたのね。さすが友奈ちゃん♪」

「えっへへー。そんなことないよぉ〜」

 

東郷さんに褒められてとても嬉しい。

 

「さて、ここからは私と友奈ちゃんが看病してあげるからしっかり治すこと! いいわね祐樹さん」

「お、おう…」

「東郷さんが…燃えてるっ!」

 

いつになく燃えている東郷さんに押されて私もやる気が湧いてきた。

こうして何とか祐くんの体調も良くなって無事に元の日常に戻っていきましたとさ。

 

 

めでたしめでたし────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とはならず、その日の夜。私は完全に忘れていた。

 

 

「あー! わ、忘れてたぁー!?」

 

ベットの上で転がり回る。目の前には祐くんの下着が鎮座していた。

結局あの後タイミングを忘れ、私自身もすっかりと頭から抜けてしまったことを思い出す。

 

牛鬼は祐くんからもらったビーフジャーキーを椅子の上でもぐもぐ食べている。

 

「ど、どうしよう本当に……はっ、祐くんこれがないと困っちゃうんじゃ──」

 

冷静に考えれば一枚なくなったぐらいじゃ困ることはないのだが、今の私にはそこまで思考がまわらない。

 

「……ごくり」

 

喉を鳴らし、昼間の出来事を思い出す。今はもう誰の横槍も入ることはない。

 

「────ぁ、ぅ」

 

さて、このあとどうなったかは彼女のみぞ知る。

翌日東郷さんに「顔色がいいわね友奈ちゃん」と言われるけど、私は笑って誤魔化した。

 

 

────彼の『アレ』は今も私は持っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




いやー看病されたい(切実

それと二周年で発表されている『五か条』────これはアレがついにくるか……ととても楽しみにしてます。ハイ



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犬吠埼風の章
story 1『一杯のうどん』


一人暮らしというものは何かとお金がかかるものだ。

学生の身分なれど、その例に漏れることはない。
必要なものは自分で賄う。


そんな数あるバイトの中で働いていたその場所に今日も彼女は足を運んでくれる。
彼女が来てくれるその日はとても身体が軽くなり、やる気に満ち溢れるんだ。

理由は分かっている。
いつかこの気持ちを伝えることができるのだろうか────?


「いらっしゃいませー!」

 

 入店時の恒例の挨拶を述べてお客を席に案内する。

案内して、注文を取ってそれを厨房に届けるこの一連の動作もようやく身についてきた今日この頃。

 

「あ、いらっしゃいませー……お?」

 

 暖簾をくぐるお客の中に見知った人間が来てくれた。

 

「あっ、いたいた! 祐さんこんにちはーっ!」

 

 快活な声と共に二つに結んである髪が小さく揺れる。

 僕は『いらっしゃい』と、見知った彼女の下へ赴いた。

 

「やあ、風。今日も来たんだね、学校お疲れ様。樹ちゃんもね」

「祐さんこそ学校からのアルバイトご苦労さま!」

「こ、こんにちは祐樹さん」

 

 彼女──犬吠埼風とその妹である犬吠埼樹。彼女たちはよく学校帰りに姉妹でこの『かめや』に足を運んでくれる所謂『常連』というやつだ。

 二人を案内して席につかせると、二人の手元にお冷を置く。

 

「にししー! 今日も『女子力』を高めに来ちゃいましたよー!」

「あはは。ならいつもの(、、、、)かな。樹ちゃんはどうする?」

「もう、お姉ちゃん恥ずかしい……あ、わたしは普通のぶっかけうどんでお願いします」

「うん。承りました! お待ちください」

 

 このやりとりも既に両手の指じゃ足りないぐらいやってきた。

 だからこそ彼女が何を食べたいのか、聞かないでも分かる、いや分かってしまうのだ。

 

 

「はい、お待ちどうさま! 樹ちゃんはぶっかけで、風は肉ぶっかけうどん大盛りね。『女子力』が上がるように肉は普段より多めにしてもらったよー」

「ありがとうございます!」

「さっすが~祐さんわかってるね!! 有難うございますッ!」

 

 うどんを提供したときの彼女の嬉しそうな顔はとても好きだった。

 パチン、と割りばしを割る音を鳴らして二人はうどんを食べ始める。

 

 僕はその様子を仕事をしながら眺めるのが、これもまた好きなのである。

 知り合って間もないが、風が暖簾をくぐりうどんを食べると店の雰囲気も一段と明るくなるような気がする。

 

 店の従業員からも気に入られているようで、こうしてトッピングの増量など言わずともやってくれるほどだ。

 あらかたの流れが終わると、少しだけ彼女たちの空間にお邪魔する。

 

「ご機嫌だね風は。何かいいことあったでしょー?」

 

 僕がそう口にすると、風はにやり、といった感じでうどんを啜ってみせる。

 

「祐さんわかります? 実は我が部活、『勇者部』に新たなメンバーが加わったのよ!!」

 

 と、声高らかに彼女はそう言った。うどんを食べているせいか若干テンションが高めである。

 向かい側に座る樹は彼女の突発的な動きにびくっと驚いていた。

 

「ほー……まさか物好きな人間がいるなんてなぁ。僕は驚きだよ」

「あ、ひどい! この『女子力』しかない部活にそんなこと言うなんて……ぶぅーぶぅー!」

「お姉ちゃん意味わからないよ……それにまだ入部届の用紙を渡しただけでしょ」

「ありゃ、そうなんだ?」

「樹それは言わない約束でしょ!? あ、祐さんうどんおかわりッ!」

 

 早ッ!? と、僕と樹はおそらく同じことを考えたと思う。話している間にあの量がどこへやら。

 まあともあれ、彼女の元気がいい理由が分かった。

 

 部員が増える……予定だそうな。

 詳しいことは訊いていないから存じないが、あの二人にとってはめでたい事なのは変わりないようだ。

 うどんの注文を持っていく際に、厨房へ一言添えておく。

 

「はい、おかわりのうどんだよ。これは僕のおごりだ」

 

 言いながら風の目の前にうどんを一杯渡す。

 

「え? でも悪いですよ」

「いいのいいの! 風にとってはめでたい事でしょ? 君が『勇者部』を頑張ってやってきたのは僕はわかってるんだから……樹ちゃんも何か食べるかな?」

「は、はい! い、いえ私はもうお腹いっぱいなので……」

「…………、」

「どうしたのお姉ちゃん?」

「風?」

 

 箸を加えたままプルプルと俯いたままの彼女。それを見て不思議がる僕と樹。

 その顔は少し赤みを帯びているように見える。

 

 数舜、何かを言葉にしようとしているのかパクパクと口を開いていたが音を出していないのでわからない。

 

「ぁ……」

『あ……?』

 

二人して首をかしげる。

 

「……あ、ありがとうございましゅ。祐さん」

 

 見上げてくる彼女の表情は目が潤んでいるような感じで、頬を赤く染めながらお礼を言ってきた。

 その様子がとても可愛らしくて……見ているこちらも照れてしまいそうなほど。それとなくセリフを噛んでいたような気もするが愛嬌ということにしておこう。

 

「い、いやうん。こんなことしかできなくて悪いけど」

「ううん! そんなことない。こんなこと言われたのもしてもらったのも男の人は祐さんが初めてで──」

「……はは。そこまで言ってもらえると奢った甲斐があったよ。じゃあ僕は仕事に戻るからゆっくりしていってね!」

「う、うん……」

「…………。」

 

 気恥ずかしくなった僕はそそくさと仕事に戻っていった。

 そんな二人の様子を見ていた樹は目をぱちくり、としている。

 

(──まさか、お姉ちゃん祐樹さんのこと?)

 

 生まれてこの方十二年。風の妹をしてきた彼女は、姉の機微にそれなりに理解がある。

 姉に吹く新たな『(かぜ)』に少しばかり興味が湧いてきた。

 

「おねーちゃん♪」

「……なによー樹?」

「ふふ。頑張ろうね!」

「あ、あははー。何のことやら」

 

 姉の幸せは妹の幸せ。もしこれが本当なのだとしたら私は応援してあげよう、と思う樹であった。

 

 

 それから彼がいる時を見計らって足を運ぶのだが、姉の動向とともに自身の体重を気にし始めた樹の姿がそこにはあったそうな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばらく経ったある日の帰り道。

 今日はアルバイトもないので、スーパーに買い物に来ていた。

 

一人暮らしなので、そろそろ食材の補充をしようという理由で、だ。

 

行きつけのスーパーに足を運んで店内を散策する。

すると見知った後ろ姿をした一人の少女がカートを押しながら歩いているのを発見する。

 

「こんなところで奇遇だね、風」

「…えっ!? ゆ、祐さん奇遇ね! 買い物ですか?」

 

見慣れた制服に身を包んだ風がそこにいた。

僕は彼女の問いに頷いて答える。

 

「食材の買い足しにねー。今日は樹ちゃんいないんだ?」

「あれれー? 私より樹のが気になるのかしら?」

「そ、そんなことないよ! 風に会えて嬉しいし……」

「あ、ああいやそのえと…っ!?」

「あっ!? いや、えっと今のは言葉のアヤで……」

 

自分でなにを口走ってしまったのかと、お互い顔が真っ赤になる。

 

 

「い、樹は部員たちと出掛けてるわ。アタシは買い物しなきゃいけないから先に帰ってきたのよ」

「そうなんだ。夕飯はもう決まったの?」

「ぜーんぜん。結構悩むと止まらないのよねぇ──祐さん何かないかしら?」

「そういえば、見た感じ魚が安かったけど」

「あ、本当っ!? なら魚メインで考えましょうかねー」

 

僕の提案に賛同してくれた彼女は、鮮魚売り場へと一緒に足を運ぶ。

その際にも何かと視線をチラチラと感じる。

気になったので声をかける。

 

「…僕の顔に何かついてるかな風?」

「い、いやー! 制服姿をそういえば初めてみたなぁと思って…あはは」

「そうだったっけ? えと、へんかな?」

「へっ!? ああのその……か、カッコいいと思います」

「…め、面と向かって言われると照れるねこれ」

「ゆ、祐さんが聞いて来たんでしょ!? …あぅ」

 

あれ。うまく躱されるのかと思ってたらまさかの返答に驚いてしまう。

僕の反応にしまった、と我に返った風は頭を抱えて悶絶していた。

 

『…………、』

 

その後はぎこちなさが残っていたが何とか買い物を終えると、二人は並んで帰路についていた。

夕日が沈みかけ、夜の顔が出始めてきた頃のこと。

 

暗くなってきたので重いものを持つ彼女のことを思って、手を差し伸べる。

 

「荷物持ってあげるよ。重いでしょ?」

「わ、悪いですよ。自分のものは自分で持ちますって」

「……風。僕の前だけでも遠慮はしないで欲しいな」

「あ、う……じゃあ、よろしくお願いします」

「うん! 素直な風は好きだよ僕は」

「す、すすすす好き!!?」

 

露骨に慌てふためく彼女を見て僕は思わず笑ってしまう。

それが、小馬鹿にされているのかと勘違いした風は頰を膨らませて睨みきかせてくる。

 

「……祐さんのイジワル」

「ごめんごめん! 風のいろんな表情が見たくってつい、ね」

「…そんなこと他の女の子に言ったりしてないですよね?」

 

ずい、とこちらに詰め寄ってくる風。

その瞳はいくらかの『不安』を含んでいるように思えて、言葉が過ぎたと自省する。

 

袋を持った手とは逆の方で風の頭を優しく撫でる。

 

「あっ……」

「もちろん。やっておいて何だけど、こういうのは恥ずかしいんだ実は……風以外にはしたことはないよ」

「本当ですか?」

「うん。君だからこうやって……いや、こうやりたいと思うんだ」

「……そう、ですか」

 

撫でる髪はサラサラでいつまでも触れていたいほどだった。

風はされるがままの状態だが、満更でもない様子。

というかだいぶ表情が崩れている気がする。俗に言う『にやけ顔』。

 

「そうだ! 『勇者部』の話を聞かせてよ」

「部活のこと?」

 

僕は頷く。思い返してみれば、部員が増えた今の『勇者部』についての話をしたことなかったなぁと伝える。

風はしばし考えた後、小さく笑って、

 

「……色々あるわよぉ? ついてこれるかしら」

「もちろん。いくらでも付き合うよ」

「…っ!? へ、へー覚悟しなさいよね」

 

視線を泳がせながら風は部の活動を話していく。最初は途切れ途切れの会話でも、次第に内容について踏み込んでいくと彼女の雰囲気も変わっていく。

その話す姿はとても楽しそうで、みんなのことを大切に考えていて、その中で彼女なりの頑張りもあって……。

 

その話す一つ一つに犬吠埼風としての暖かさと優しさが滲み出ているようで。

 

僕はその話を聞き終わる頃には既にもう取り返しのつかないぐらい、

 

────風のことが好きになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

風と買い物をしてからまたしばらく。

その日を境に連絡先を交換して今日までやり取りをしている。

 

──のだが、

 

 

「…なんか最近連絡こなくなったなぁ」

 

ぼやく。そう、この頃はアルバイト中もそうじゃない日も風の姿を見ることがなくなってきたのだ。

それとなくメールのやり取りの時に聞いてみたりしてみたが、これもうまく躱されている。

 

自分が送ればとりあえず連絡は返してくれるので嫌われてはいないと思われる。

 

「…おつかれさまでしたー!」

 

アルバイトも終わり着替えて店を後にする。

日はとっくに沈んでいるが、暗がりから覗く空は雨雲に覆われてあるのが確認できた。

念のため傘を持ってきたが使わないことを祈ろう。

 

「…………、」

 

見慣れた道筋を歩いていく。こうして彼女に会えない日が一つ一つ重なっていくと自分の中に燻る想いがより一層強くなっていくのが分かる。

今彼女はどこでなにをしているのだろうか、と。

 

自宅まであと少しというところで、ポケットにしまっていた携帯が震える。

手に取り画面を注視してみると、

 

『お姉ちゃんが見つかりません。祐樹さんご存知ないですか?』

 

この一文が目に入る。

風の携帯からのメールで、この文から察するに妹の樹が姉の携帯を利用して僕にメッセージを送ってきたのだと瞬時に理解する。

 

なぜこんなメールをしてきたのか。嫌な予感がした。

 

『いや、僕は今日は会ってないから分からないよ』

 

返信をする。するとすぐに返事は返ってきた。

 

『いきなりでご迷惑なのは承知の上ですが、どうかお姉ちゃんを探すのを手伝ってくれませんか。今のお姉ちゃんは不安定でとても心配なんです』

 

ああ、僕は一人だけ勝手に舞い上がって何をしていたんだろうか。

歯を食いしばり、自分の愚かさを痛感させられる。

 

僕は樹からの連絡を待たずに自宅とは真逆の方角に走っていく。

 

なりふり構わず走る。彼女と僕の共通点はあまりないが、日々のやり取りの中で出た場所の数々を出来るだけ踏破していく。

しかし彼女はどこにもいなかった。

 

「……雨」

 

息も切れ切れでふと空を見上げるとパラパラと雨が降り始めてきた。

だが気にしてもいられない。傘を差すと動きづらいので濡れるのも臆さずに走り続ける。

次第に雨脚も強まり、ずぶ濡れになってしまったところでようやく彼女の姿を見つける。

 

「────風っ!」

「…………。」

 

曇天を見上げ、その場から微動だにしない。

荒れた息を出来るだけ落ち着かせてから彼女に近づいていく。

 

もうあと数歩というところで彼女はこちらの存在に気がつき、振り返る。

その時の彼女の顔をみて僕は思わず驚きを露にした。

 

「風……その左目(、、、、)、どうしたの?」

「──祐、さん?」

 

しばらく見ないうちに彼女の左目には『眼帯』が付けられていた。

僕の問いかけに焦った風は左手で眼帯を隠すように抑え、背を向けてしまう。

 

「これはその……なんでも、ないわ」

 

彼女は震えた声でそう言った。

いや、何でもなくないだろうと言いたくなるがグッと堪えて平静を保つ。

怪我? あるいは事故? はたまた他の要因かは分からないがデリケートな問題には違いない。

 

「僕にも話せないことかな?」

「っ……うん。話せない」

「そっか……でも、このままだと風邪引いちゃうよ。樹ちゃん(、、、、)も心配してるから!」

「…っ!!!」

「あっ!?」

 

話し終える前に彼女は駆け出してしまった。

突然の行動に驚くが、追いかけないなんて選択肢はなかった。

 

何故突然走り出したのか。樹の名を口にした瞬間の気がしたが果たして──。

 

水溜りの上を走る。そんな中、雨はどんどん強くなっていく。

バシャバシャと、靴が濡れようとあちこちが泥だらけになろうが御構い無しに走る。今彼女に追いつかなければもう手が届かない気がしたから。

 

「……風ッ!!」

 

雨粒が視界を遮る。

でもあと少しで彼女に手が届く。そんなところで視界の隅にあるものが映った。

それを理解すると人生で初めての『火事場の馬鹿力』なるものが湧き上がってきたと思う。

直後にクラクションと共に物凄い勢いで通り過ぎようとする車が一台。

 

 躊躇いはなかった。

 

「っ……!? ぐっ……」

 

 我ながら本当にうまくいってくれて良かったと心底思う。

直後に肩と背中に強い痛みが奔る。彼女を抱き抱えて何とか回避できたが、勢いを殺せずに二人して倒れ込んでしまった。

 

「──ケガは、ないようだね。風……」

「………どうして?」

 

咄嗟に自分の身体を下にして彼女を庇ったおかげで、彼女はかすり傷一つ負わずに済んだようで安心した。

 風は腕の中におさまったまま、顔をうずくませて疑問を投げかけてくる。

 

「君が早まった行動を取ろうとしてたから、全力で止めたんだよ」

「……はは、アタシは最低です、ね」

「本当だよ。バカな事しちゃって……」

「ごめ……ごめんなさい」

 

 僕の叱責にようやく彼女は顔を上げてくれた。

 雨の中でも分かるぐらい、目元は赤く腫れて瞳からは大粒の涙を流している彼女の表情(かお)を。

 

 ────ああ、またこの子は色々と抱え込んでしまったんだな。

 

 彼女を抱きしめる力を強める。そうしつつ風の頭に優しく手を乗せる。

 

「────辛かったね、風」

 

 一言、心からの言葉を彼女に告げる。

 その言葉に風は塞き止めていたものが一気に崩壊したようで、声をあげて泣きだし始めた。

 

「うぅ……ひっぐ……あぁぁぁ」

「よしよし。今はいっぱい泣いちゃいなよ。僕たち以外誰もいないし、全部雨と一緒に洗い流しちゃいな」

「ゆう……さぁぁん……」

「うん。僕はずっと此処にいるから」

 

 制服がシワくちゃになるぐらい強く握りしめ、彼女は嗚咽を漏らす。

 はたから見たら道端で倒れこんだ男女が抱き合っている奇妙な構図が出来上がっているが、この大雨のお陰で人通りもないので気にする必要はない。

 そんなことよりも今は彼女が落ち着くまで待つとする。

 

 彼女が見上げていた空を眺めながらそう考えていた。

 

 

 

 

 ────そして、どれくらい時間が経過しただろうか。

 

 雨は一向に弱まる気配はないが、胸の中にいる彼女の涙は少しだけ収まってきたようだ。

 それでも、顔は見せないようにうずくませているが……。

 

「風? 動けるかな?」

「…………うん」

 

 すんすん、と鼻をすすりながらも小さく頷く。

 

「よし。こんな格好じゃあれだし、僕の家に先に行こう。このまま居続けたら風ひいちゃうしね」

「祐さんの家……いく」

 

ふらふらの彼女を抱き上げる。見るからに弱々しくなっている彼女の手を引いて歩きだす。

その際に肩口の方がズキズキと痛むが、家に着いたら手当してしまおうと考える。

 

場所はここから近くて安心した。

終始無言のまま、ずぶ濡れの泥だらけの僕たちは何とか自宅へと足を運ぶことができた。

 

「このまま上がっちゃって風。すぐそこバスルームだからシャワー浴びちゃってもらっていいかな? タオルも好きに使ってくれていいから」

「……はい」

 

男の家の風呂場で悪いと思うが、ずぶ濡れの彼女を放ってはおけないので我慢してもらうしかない。

床が雨水で水浸しのような感じになるが、それを後にして僕もさっさと服を脱ぐ。

 

「……いてて。まずは支度が先だ」

 

 ヒリヒリと染みるが後にする。

女の子を招いたので出来るだけの支度を整えてあげなければいけないからだ。

 

彼女には申し訳ないが、さすがに女性物の下着の類は替えがないので諦めてもらうしかない。

服は乾くまで居てもらうことになるが、今の彼女をこのまま帰らせるのも忍びない。さて、どうしたものか……。

 

上半身裸のまま僕は部屋中を歩き回る。

そうこうしているうちに浴室のドアが開く音が聞こえてきた。

 

「……祐さん、お風呂ありがとうございます」

「あ、あぁ早かったね風……っておわぁ!? な、ななな……」

 

振り向いたのがまずかった。

 

 

「な、なんでも使っていいとは言ったけど、なんでワイシャツ一枚なの!?」

「……これしかなかった」

「あっ、服忘れてた。……ごめん」

 

 初歩的なミスをしてしまう。

 サイズの違うワイシャツのためか何とか隠せているが、動くたびにちらちらと下着が見えてしまっていた。

 

 謝罪していると、風は覚束ない足取りのまま僕の下に歩み寄ってきた。

 そっと、肩に手を添える。

 

「……あたしのせいで怪我して。本当にごめんなさい」

「大丈夫だよ。これは僕の罰みたいなものだし」

「罰?」

 

 そう、罰だ。

 これは彼女がこんなになるまで気が付かなかった僕への戒めのようなもの。

 風は悲痛な顔を浮かべ、またうっすらと眼尻に涙が溜まっていっていた。

 

「だからそんな僕でも風を助けられてよかった──ああほらほら、ゆっくり深呼吸して落ち着いて、ね?」

「……ダメだあたし。涙脆くなっちゃってて……うぅ」

 

 再び胸の中に飛び込んでくる。

 上半身裸の僕とワイシャツ一枚の彼女。このままでは少々気恥ずかしいが仕方ないとするしかない。

 

 そっと風の身体を抱きしめる。

 シャワーを浴びてくれたおかげか、いくらか血色がよくなっているようで安心した。

 

 お互いの体温が直に伝わるようでとても落ち着く。

 

「祐さんはちょっと冷たいですね」

「……風は暖かいね」

「うん……あはは。祐さんに恥ずかしいところいっぱい見られちゃったわ」

 

 結んでいた髪もおろし、いつもと違った彼女の雰囲気と物言いに心臓の鼓動が速くなる。

 しかしそれは胸板に顔を置いている彼女に筒抜けなわけで、

 

「──もしかしてドキドキしてるの?」

「それはまぁ……なんというか、当然というか」

 

 居た堪れなくなって視線を明後日の方に逸らしながら言う。

 そんな様子をみた風は、小さく笑みを浮かべる。

 

「そうなんだ。よかった……ちゃんとあたしも一人の女の子として意識してもらってるのね」

「……もちろん。だからこうして抱き着かれるとその、緊張しちゃうんだ。僕にとって風は可愛くて綺麗な女の子だし」

「──えへへ、嬉しい。ねえ、祐さん……あたしの心臓の鼓動はわかる?」

 

 言いながら抱きしめてくる力が強まる。必然的に押し付けられてしまうものも感じ取れるが、確かに間隔の短い鼓動が伝わってくる。

 頷いて答えると、風は頬を赤く染めながら言う。

 

「祐さんは毎回あたしを気にかけてくれますよね? その度にあたしの鼓動はこんなにも早くなっちゃうんです」

「うん……」

「祐さんといると自然な自分が出ているようで、勇者部の部長や樹の姉とはまた違う犬吠埼風がここにいるって実感できるの」

「そっか……」

「……あたしは本当は怖くて臆病者なんです。そんなのはあの子達の前では絶対に出さないようにしてるんですけど」

「…はは。でもなんとなくだけどその子達も薄々分かっているんじゃない?」

「…ふふ、そうですね。悔しいけど」

 

でも、と僕は付け加えて、

 

「それじゃあ風の息が詰まっちゃうよ。現にあの場に居たのも弱さを見せないように考えてのことでしょ?」

「樹には心配かけさせちゃったな。あの子の方が一番辛いのに……」

 

きっと僕の手の届かない所でこの子は『戦っている』。

その使命感や重圧は中学生が負うには荷が勝ちすぎているのがもしれない。

でもそれでも彼女たちは一生懸命頑張り、苦悩し、努力している。

 

そこに関してはどうしても、悔しいが何も出来ないのだろう。

だけどそればかりじゃあ息が詰まってしまう。

 

「…何となくだけど、風たちが僕の想像している以上の大変な事をしているんだと感じるよ。だからこそ、僕は……」

 

これは自己満足なのかもしれない。独りよがりの言い方なのかもしれない。

けれどこれだけは彼女に知ってほしい、と。

 

「君の…風の心の拠り所になりたいと思ってる。だって僕は──犬吠埼風のことが大好きだから!」

 

少しだけ抱く力を強める。

この状況で言うのは卑怯なのだろう。だけど、この燻る想いはとうに抑えておくことはできなかった。

僕の告白に風は少しの間無言になる。

 

「──祐さん。こっちを見てくれませんか?」

 

優しく彼女は僕に言う。

 

「どうしたの風……んっ」

「ん……」

 

なにかと問いかける前に僕の口は……風の唇によって塞がれた。

 触れ合うだけの短いキス。その時に映った風の目から涙が一つ流れる。

 

「これが、あたしの気持ちです。本当は弱くて泣き虫のあたしの、正直な気持ち」

 

流れる涙は同じであれど、その意味は先ほどのとは違った。

頰をうっすらと赤く染めて、恥ずかしながらも僕の気持ちに応えてくれた。

それが本当に、嬉しかった。

 

「弱くていいさ。泣き虫でもいい……ありのままの君を僕はちゃんと受け止めてあげるから」

「…ずっこいなぁ祐さん。あたし、そんなこと言われたら離れられないじゃないですか…ふふ」

「それでもいいんじゃない? 僕も離すつもりはないから」

「もう……んっ」

 

自然な笑みが見えてきた所で僕たちはもう一度口づけをする。

 

「あっ…ふぁ、ま、まって祐さ…むぐ。ちゅ…んん!」

 

今度は先ほどより長く、深く求めていく。

口を割ってお互いの舌を絡ませ合う。拙い動きではあるが一生懸命に、情熱を分けるように行為を続けていった。

 

 

 

 

 

それからどれぐらい経ったのだろうか。

既に外は暗くなり、いつのまにかあの大雨も何処かへと消え去っていた。

 

ベットを背に、二人は寄り添いながらそんな外を眺めている。

 

「あ……」

「…お腹空いちゃった?」

 

色々と吐き出した後に残るのは原始的な人間の欲求だ。

まぁ、端的に言ってしまえば『お腹が空いてしまった』ということ。

 

「うわー…我ながらこの状況でよくお腹がなるわね。恥ずかしい……」

「君のことだから、負い目に感じて食べてなかったんでしょ。ちょっと座って待っててよ」

「祐さんにはすぐにバレちゃうなぁ。はーい」

「…あと、そこに洋服があるからそっちに着替えてね」

「祐さんはこっちのが好きそうな気もするけど?」

「そ、そんなことないぞ! いやその、似合ってるけど…」

「う、うん。ありがと……」

 

二人して自分の言葉に照れてしまう。

照れ隠しのために僕はキッチンに向かって前々から用意していたあるものを用いる。

 

調理の合間に、樹には連絡を入れる。姉は大丈夫だと。

 

『本当に良かった! 今日はこちらの部員の方たちと食事会をすることにしたので、お姉ちゃんをどうかよろしくお願いします』

 

との返信をいただいた。

出来た妹さんだなと、感心しながらそのことを風に話す。

 

「…ほんと、あの子になんて顔して会えばいいのやら」

「普通に…まぁなるべく普段通りにしてやればそれでいいんじゃないかな? あの子はあの子で、風のように挫けても立ち上がれる力を持っているような気がするよ。今後はまず悩んだら相談、だなっ!」

「その言葉……」

「さぁて、それでは突然ですが記念すべき第一回、『風に僕の手料理を食べてもらおうっ!』を開催しますー」

「は? ……え、ええ!? 聞いてないわよそれ! てか、いい香りがすると思ったら料理してたなんて……しかも第一回(、、、)とか」

「ちなみに開催数に制限はありません~」

「えぇー……」

 

 急なテンションの変調に慌ててしまう風。

 僕はお構いなしにと、今日までの成果を披露するときがきたとある料理をテーブルに並べる。

 

「……これって」

「名付けて──『女子力あげあげうどん』だ! 今日まで店主に時間を作ってもらって教えてもらったんだ。完、全、手作りですッ!」

「は、はぁ!? 手作り!?? 祐さんいつの間に……」

「もちろん風に食べてもらいたかったからさ! 『かめや』直伝ってやつだね。出汁も作り方を教えてもらって最初から。麺は厨房を借りての手打ち……極めつけは風の大好物な肉ぶっかけになっております」

「む、無駄に気合の入ってる一品……確かに見た目は本家に近い出来だわ」

「ささ、熱いうちに食べようよ風」

「初めてできた彼氏の初手料理が『手打ちうどん』って……世界中であたしだけかもしれないわね」

「……改めて彼氏彼女って言われると照れるね」

「う、よ…余計な事言わなくていいのっ! い、いただきます」

「どうぞ召し上がれ!」

 

 空腹には抗えずに恐る恐ると口にうどんを運ぶ。

 

「う、わ……すごいわ! 『かめや』のうどん食べてるみたいっ!」

「口に合ってよかったー。でもまだまだあれには程遠いなぁ……道は険しい」

「いやいや、そこまで目指したらお店開けるわよ……もう。──でもそうね、どちらかと言えばあたしはこの味(、、、)のほうが好きかな」

「そう? でもやっぱりプロの職人の方が何倍も────」

「そうじゃないの!」

 

 くすり、と僕の返しを聞いて小さく笑っていた。

 その背にはもう『(かげ)』はないように見える。これなら彼女は頑張って前を歩けるだろう。

 まだまだ自分の知りえないことは数えきれないほどあると思う。

 

「この味が好きな理由はね────」

 

 手の届かないものもたくさん。

 だけどきっと、寄り添っていくことはできるはずだ。

 

「これがあたしの大好きな君が作ってくれたものだからよ♪」

 

 この最高な彼女(キミ)とならきっと────。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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story1-after『食事会?』


近頃の夜は冷え込むことが多くなってきた。

こんな日は暖かいものでも食べて明日のために英気を養いたいものだ。
そういえば彼は一人で食事をするときはいつもどうしているのだろうか。
────気になる。

…そうだ、ならウチに招待してあげればいい。

付き合うことになったのだからなにも気にする必要はない。
一人より二人、二人より三人だ。


あたしは端末を手に取り、彼に連絡をとった────。




犬吠埼風は自宅のキッチンでエプロンを付けて料理をしていた。

秋になり、夏の暑さも何処へやら。肌寒い日も増えて日の沈む時間も早くなってきた今日のこの頃。

窓の外を覗くと、夕日もあっという間に沈み徐々に夜の顔をのぞかせている。

 

「~~♪」

 

野菜を切りつつ、鍋もコトコトと音を鳴らしている。

思わず鼻歌を歌ってしまうほど、彼女は上機嫌だった。

 

「──お、帰ってきたわね!」

 

今日は彼を招いての食事会だ。

彼は一人暮らしをしているので、家での食事は必然的に一人の場合が多い。

最初の時は少し誘うのは恥ずかしかったが、せっかくの恋人同士になった以上は毎日ちゃんと食べているのか気になってしまうのだ。

パタパタとスリッパの音を立ててリビングのドアを開けると、大好きな彼と最愛の妹である祐樹と樹が姿を現した。

 

 

「おかえりなさい二人とも」

「ただいまお姉ちゃん! 頼まれていたもの買ってきたよ」

「ありがとう樹。祐も付き添い助かったわ」

「いいって、ご馳走になるんだから。それに樹ちゃん一人で行かせるのも心配だったしね」

「もー、先輩それはどういう意味ですかー? わたし一人でも買い物ぐらいできますよ」

「まさか。女の子だから心配って意味だよ」

「ならいいです!」

 

このように妹との関係も良好だ。

 

「寒かったでしょ祐……手も冷たいわね」

「今日は一段と寒かったよ。あぁ、風の手暖かい…」

「お、ほっぺも冷んやりしてるわ! 料理してたから熱冷ましに丁度いいわぁ」

 

祐の頰に両手で当てて堪能する。意外と柔らかいその感触に夢中になっていると、横にいる樹がじとーっといった感じで視線を送ってくる。

 

「おねーちゃん、先輩。イチャつくなら全部片付けてからのがいいんじゃないですかー?」

『……あっ』

 

樹の言葉に二人で我に帰る。咄嗟に手を離し乾いた笑みを浮かべて誤魔化すことにした。

 

「しまった! 鍋放置してた。二人とも手を洗って待ってて、もうすぐ出来るから」

「はーい! 先輩行きますよー」

「お、おう」

 

荷物を受け取り風は急ぎ足でキッチンへと足を運ぶ。

さて、ちゃっちゃと作ってしまおう!

 

 

 

それからしばらくして料理が完成する。

二人は待ってましたと言わんばかりの食いつきぶりで、あたしの持ってきた鍋を見てくる。

さながら餌を待つひな鳥のような気がして少し面白く思った。

 

テーブルの中央にセットしていたカセットコンロに鍋を置いてその蓋を開けると、『おぉ!』と言葉を漏らしていた。

作り手としてはこのような反応をしてくれるのは嬉しいものである。

 

「すき焼きかぁ…いい匂いだなぁ」

「ですよね~♪ 流石お姉ちゃん!」

「この時期から鍋物が美味しく感じてくるし、なにより寒いから丁度良かったわ」

 

取り皿を分けて食卓が完成した。

三人で手を合わせて食べ始めていく。出来の方はどうかと二人に視線を向けてみると、

 

「おー身体あったまるしうまー…樹が選んだこの肉は正解だったな」

「はふ…ほおですね! もっと褒めてくれてもいいですよー」

「風、最高に美味しいよ! ありがとう」

「そ、そう? 口にあって良かったわ……ふふ」

「先輩わたしはー?」

「樹もありがと」

 

思わず頰が緩んでしまうのを抑えながらも箸を進める。

やはり自分が作ったものを褒めてもらうのはいつの時も嬉しいものだった。

それが彼からとなると嬉しさも倍以上になる。作った甲斐があったというものだ。

 

「さぁさぁ、どんどん食べて! ほら祐も男の子なんだからお肉食べて…樹は逆にもう少しお野菜食べなさいよ」

「風もよそってばかりじゃなくて食べなよ──ほら、僕がやるから」

「お、気がきくわね。じゃあお願いするわ」

 

 

 

 

 

 

「悪いわね。洗い物まで」

「ご馳走になったし、これぐらいはやるよ」

 

シンクに溜まった食器たちを彼は洗っていく。

樹は今はお風呂に入っていてキッチンにいるのはあたしたち二人だけだ。

やってもらうのは申し訳ないと思ったが、彼の好意を無碍にするわけにもいかないので素直に受け取ることにした。

 

「…………。」

 

手持ち無沙汰になったあたしは少しだけ距離を取って彼の後ろ姿を眺める。なぜかニヤケてしまう自分がいた。

いけないいけない。

 

椅子に座って見てみたり、また立ち上がっては違う角度で彼を見てみたり──。

 

しかしどうにも我慢ができなくなってきてしまうのもまた仕方のないこと。

溢れてくる気持ちにあたしは従って身体を動かす。

 

「……っとと。風?」

「あ、ごめん。邪魔?」

 

後ろからそっと手を回して彼の背に抱きついていた。

一瞬手が止まった彼だったがすぐに元の調子に戻ると、

 

「全然邪魔じゃないよ。むしろドンとこいって感じ」

「頼もしいわねー。じゃ、お言葉に甘えちゃお……ん~♪」

 

すりすりと顔を埋め彼に自重を預ける。くっつくと改めて感じる背中の大きさと彼の匂いにドキドキしつつ、身体を小さく右へ左へと揺れてみる。

すると合わせるように彼も動いてくれてまるでゆりかごの如く心地の良い空間が生まれていた。なんとなく楽しくなってくる。

二人してしばらくこの行為を続けた。

 

「風は甘えん坊だな」

「甘えなさい、って言ったのは祐でしょー。だからいいのー」

「まぁね。ちょっと動くぞー」

「はーい」

 

祐が動けば、くっついたままあたしも一緒に動き出す。

普段みんなの前では見せない姿を晒しているが、自宅なので問題はなかろう。

 

「──よし、これで終わりっと」

「ごくろーさま。はいタオル」

「ありがと……まだくっつき虫かな?」

「虫じゃないわよー。祐のぬくもりが悪い」

「ふむ。じゃあ——よっと!」

「きゃ! ……ちょ、ちょっと祐!?」

 

祐は突然しゃがむとあたしを持ち上げた。所謂おんぶというやつだ。

じたばたと軽く暴れてみるが祐はどこ吹く風のままリビングまであたしをそのまま運んでいく。

 

「風は軽いなー。普段あんなに食べてるのに不思議なもんだ」

「食べたものは全部女子力に回ってるから平気なの! それより恥ずかしいんだけど! あとどさくさにまぎれてお尻触ってるでしょっ!?」

「女子力とは一体……まあまあ落ち着いて。それよりどうかな僕の『おんぶ』は?」

「どうって────」

 

なんだか誤魔化された気もするが、確かに言われてみると『おんぶ』なんてされることなんてそうそうないことだ。

というかこの年までされてたらそれはそれでどうかと思うけども。

 

「──なんかあったかくていい感じだわ」

「おーよしよし。いい子だねぇ」

「小さい子扱いすな!」

「あたっ! ごめんごめん」

 

調子に乗り始めた彼の後頭部にチョップをお見舞いする。

ソファの上に祐はあたしを下すと、くるりとこちらに向き直った。

 

「じゃあ大人扱いすればいい?」

「む……どうするつもり?」

「風、分かってるでしょ。こうやってさ──」

「あっ……」

 

顎を持ち上げられ祐の顔が近づいてくる。

ああ、ダメ。また流されてしまう。退けなければならないのに、身体はそれを実行に移してくれない。

それどころかどこか期待してしまうように思わず目を閉じてしまう。が、いつまで経ってもその時は訪れないことに疑問を持つ。

 

「────ぇ?」

 

薄っすらと瞼を開けると、相変わらず顔は近いままだったがこちらの様子を満面の笑みで見つめてくる祐の姿があった。

 

「風って可愛いね」

「か、からかったわねっ!!」

「そうやって照れてるところも可愛いよ」

「あ、う…」

 

こうやっていつもの調子を崩されてしまう。

歳も同じでなぜと悔しい部分もあるのだが、悪くはないと感じてしまう自分もいる。

 

 

「さて、可愛い彼女の反応も楽しめたことだし……東郷が渡してくれた映画でも観るか! 樹ちゃんも戻ってきたようだから」

「…え、あ、樹っ!?」

「……あはは。いい雰囲気だったのにごめんねお姉ちゃん」

 

いつの間にやら戻ってきていた妹に驚いてしまう。

どうやら祐は気がついていたみたいで、恐らく途中で止めたのはあたしの事を気にかけてくれたのかもしれない。

確かにその先のやり取りを実の妹に見られてしまうのはいささか恥ずかしすぎるので助かりはするのだが…。

 

────寂しい。

 

いやいや、と首を横に振って平静を取り戻すために彼の話題に乗っかることにした。

 

「映画?」

「うん。なにやら曰く『これを観ればあの人との距離はグッと近づくわ!』って力説されてさ。まぁ映画なんて久しぶりだし、いいかなって」

「なんだろう…東郷の勧めるものに不安を隠しきれないわね」

 

たまにトリッキーな、偏った暴走をすることで定評な(個人的に)彼女が彼に手渡したDVD。

果たしてその中身は一体…。

樹も気になったのか、こちらに近づいてくる。

 

「わたしも観てもいいんですか?」

「もちろん。二人より三人のが楽しめるし、風もいいよね?」

「構わないわよ。で、ジャンルはなに? もしかして恋愛系とか」

 

デッキの準備をしながら祐に問いかける。距離が縮まる、なんて謳うのだから恐らくその辺のジャンルを用意したのだろうと当たりを付ける。

けれど彼は首をかしげるばかりで反応が返ってこない。

 

「どしたの黙って?」

「んー…それが何にも書かれてないなぁ。コレ、ダビングしたやつかね」

「とりあえず見てみればいいんじゃないでしょうか」

「そうね。はい、貸してちょーだい」

 

受け取ってみるが、確かに何も書かれていない真っさらな状態だった。

どうにも中身を見ないことには始まらないのでデッキに挿れてみる。

 

三人で向かい側のソファーに腰かけリモコンの再生ボタンを押した。

そしてあたしは後悔することになる────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────確かに彼女の…東郷の言っていたことは正解だった。

『あの人との距離はぐっと縮まる』。

 

「あ……あわわ」

 

祐を挟んであたしと樹が座っている。あたしは我慢できずに彼の腕に抱き着いてしまっていた。

 

「……ひっ!?」

 

画面に映るシーンの度にリアクションを取ってしまう。

 

「──ねえ風。やめておく?」

「な、なに言ってんのよ。せっかくと、東郷が用意してくれたんでしょ。み、観ないと失礼じゃない!?」

「いやキミ涙目じゃない……樹ちゃんも」

「ひゃ!? しょ、しょんなことないです」

 

祐は苦笑しながらあたしたち姉妹に提案してきた。

恐らく反対側の樹も同じように彼の腕に抱き着いていることだろう。いつもの調子なら嫉妬の一つや二つしてしまうところだが、今はそんな余裕はなかった。

 

『────!!!!』

「ぎゃあ!!?」

「ひゃあ!!」

 

テレビのどでかい音に肩を思いっきりビクつかせて腕にしがみつく。

改めて東郷は何て物をよこしたんだと心の内で憤慨する。

 

あたしたちが想像していたジャンルとは真逆の──『ホラー系』の映画。

間違ったのか故意にやったのかわからないがどちらにせよやってくれた……ということ。

 

ガクブルと目尻に涙を溜め震える犬吠埼姉妹。乾いた笑みを浮かべながらされるがままの祐がそこにいた。

 

「ほら風。両腕塞がって動けないけど、手空いてるから」

「うう。祐ー…」

「せ、せせせ先輩、すみません、私もいいですかぁ…」

「…どうぞ。ほら」

 

きゅっと手を握られる。恐怖で指先が冷え切っていた手に彼の熱がじんわりと広がっていく。

それだけで震えが治まってくるような気がした。

 

(…まぁ、これはこれで祐にくっつけていい気がするわね)

 

怖いのは変わりないが。しかしここまで観れていることに我ながらよく頑張っている方だと思う。

 

「ゆ、祐は怖くないの? さっきから平然としてるけど」

「いやー。怖いけど僕以上に驚いてくれてるから逆に冷静になるというか」

「さすが先輩です…私はそろそろ限界が……」

 

そして何とか二時間に及ぶ戦いを制したあたし達は部屋を明るくしてデッキからディスクを取り出す。

そもそも電気をなぜ消してしまったのだろうか。始まる前の自分を殴りたい。

 

「二人とも、よく耐えたね。えらいえらい」

「は、はいぃー…」

「東郷めぇ! 学校で会ったら覚えておきなさいよー」

 

デッキからDVDを取り出してケースにしまいながらあたしは言う。

 

「…東郷も悪気があってやったわけじゃないだろうしあんまり無茶するなよ。さてと」

 

祐は言いながら立ち上がると上着の掛けてあるハンガーを手にとった。

 

「だいぶ遅くなったし。そろそろ僕は帰るよ」

『えっ?』

 

思わず樹と声が重なる。この状況の後に彼は何を言っているのだろうか。

当の本人もえ? といった感じであたしたちの反応に疑問をもっていた。

 

「ま、まさか先輩」

「あんなのをみせた後で帰ろうってわけじゃないでしょーね!?」

「えぇ…。でも流石に泊まるのはまずい気が……」

 

女子二人の自宅に男が泊まる。なるほど言葉にすれば確かにそんな気もしなくはないだろう。

 

「あんたとあたしは恋人同士なんだから何も問題ないでしょ」

「い、いやだけどさ」

「樹も別に問題ないわよね?」

「うん。私も先輩なら大丈夫! ダメ、ですか?」

「うっ……わかった。お世話になります」

 

樹にダメ押しされ祐は小さく息を吐くと首を縦に振った。

ナイス我が妹と言わんばかりに心のうちで親指を立てる。

 

「じゃあ僕はソファを借りてそこで寝させてもらうよ」

「何言ってるのよ。ちゃんとお布団で寝なさい! 確か客用の布団あったわよねー…準備しておくから祐は先にお風呂入っちゃいなさい」

「なっ…あぁ、分かったよ」

「ささ、先輩こっちですよー」

 

樹に引っ張られ半ば強引に連れて行かれる。

この子は最近押しというかそういうものが中々あたしに似てきた気がする。

姉としては誇らしいったらありゃしないわね。

祐も樹と接する時は無下に出来ないのかされるがまま。

 

「さてと、支度してそれからあたしもお風呂に……」

 

ぴた、とそこまで言葉にして立ち止まる。

そういえば先ほどの映画でも、女性の入浴シーンがあってそこで霊が……。

 

「…………。」

 

きゅっと胸のところに手をやって小さく手を握る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ささ、先輩! どうぞゆっくりしてください。入っている間にお洋服洗濯してそのまま乾燥させちゃいますからー」

「あ、ありがとう樹ちゃん。家事も少しずつ慣れてきたみたいで僕も嬉しいよ」

「はい! 先輩とお姉ちゃんのおかげです。料理はまだ全然ですけどー…えへへ」

 

褒められて照れながらも洗濯する準備を進めていく樹ちゃん。

最初に比べたら確かに彼女の家事スキルも右肩上がりに成長していっているようだ。

料理はまだ要訓練だが、それ以外はそろそろ人並みになってきている。

姉である風はその様子を見て少しだけ寂しそうにしていたが、同時に妹の成長に対して喜んでいる様子だった。

一時期の彼女たちは大変な苦労をしてきたが、その苦難もどうにか乗り越えることが出来たみたいで本当に良かった。

 

日々女子力が身についていく彼女を優しい眼差しを向けつつ、互いの視線がぴたりと合った。

 

『…………。』

 

なぜか無言の時間が続く。

樹ちゃんは頭上にハテナが浮かんでいるようだ。

 

「あの樹ちゃん…」

「はい? どうしましたか先輩」

「えと…その、このままだと服を脱ぎ辛いといいますかー」

「──っ!? ひゃ、あのすみません! ご、ごゆっくりー!!」

 

状況を察してくれたのか、顔を真っ赤にして飛び出していく。

僕も苦笑を浮かべつつ衣服に手をかけて風呂場へ入っていった。

 

シャワーの蛇口をひねりお湯を出す。

 

────あぁ、温まる。

 

お湯に打たれながら身体を清めていると、背後というかドア一枚挟んだその先で何やらごそごそと物音がし始めた。

樹ちゃんが洗濯してくれてるのかなーなんて気軽に構えていたところで、不意に扉が開けられた。

 

────えっ?

 

「一体誰……がぁー!!?」

「な、なによ変な声出さないでよ。びっくりするじゃない」

「いや、いやいやいや…なにしてるんよ!?」

 

咄嗟の行動で前を隠してついでに視線も明後日の方に向けて僕は言う。

風呂場で反響して二人の声が混じり合う。

 

「だってあたしもまだお風呂入ってないし…」

「僕の後か先に入ればいいでしょ! いくら付き合っているからってこんな……」

「うぅ…だって樹は既に入っちゃってるしその…さっきの映画が怖かったせいで一人だと心細いのよ! それにほら! タオル巻いてるから大丈夫大丈夫っ!!」

「僕はタオル一枚すらないんですけどー!?」

「ええい! 男なら覚悟決めなさいっ! 背中流してあげるからー! ……それともあたしとは入りたくない?」

 

最後の方は弱々しく言うのはずるいと思います。

曇りかけの鏡に映る彼女の顔はのぼせたかのように真っ赤だ。

確かにホラーの類は苦手だとは知っていたがまさかここまでとは…。

 

「……入りたくないわけじゃないけど。まぁあのDVDを持ってきた僕にも責任はあるわけだし。いいよ」

「うん。ありがと祐……じゃあさっそく背中流してあげるわね」

「あ、ああ。よろしく」

「髪の毛は?」

「もう洗ったよ」

 

風はスポンジを手に取り、ボディーソープをつけて泡立て始める。

その間にも妙に心臓がドギマギしてしまう。彼女の耳に届いてしまいそうなほどに。

 

準備を終えた風はそのままスポンジを僕の背中に当てて、優しく撫でるように動かし始めた。

 

「どう? 痛くないかしら」

「うん。ちょうどいい感じ…手慣れてるね」

「まあねー。樹と一緒に入った時によく洗ってるから自然と慣れてくるのよ」

「へ、へー…」

「それにしてもやっぱり祐も男の子よねー。背中結構大きいわ。線は女の子っぽいのになんでかしらね」

 

そんなにまじまじと観察しないでください。

何も感じないように目を固く閉ざして終わるのを待つ。

そうしていると風の指先がある所に触れる。

 

「──風?」

「傷。跡が残っちゃったわね」

 

なにを、とは口にしなかった。触れている箇所で分かるから。

背中の肩口付近にとある理由でついてしまったキズ。

 

風はその時のことを思い出しているのかその声のトーンは落ちていく。

 

「名誉の負傷だよ。この出来事で君と一緒にいようと強く思えたんだ。キミが気負う必要もない」

「でも……」

「風も樹ちゃんも大変だったんだ。それに気がつかなかった僕の罪でもあるんだよコレは。だからどうか悲しまないで」

「…………。」

「左眼。良くなってきた?」

「……うん。もう私生活には何も不自由ないわ。樹も同じ」

「二人の頑張りが身を結んだんだ。カミサマは見捨てちゃいないってことだね」

「カミサマより、祐たちのおかげよ。樹もあたしもそう思ってる」

「──こんな僕にでも役に立てたなら嬉しいよ」

 

彼女たちはこういってはいるが大したことはしていない。

ただ僕がしたいことをしていただけ。

 

洗い終わった風はシャワーで僕の背中を流してくれる。

 

「あたしは祐に何を返せばいいのかな…辛い時も悲しい時も居てくれて、助けてくれて、支えてくれて。今もこうして穏やかな日々を過ごせるなんて幸せすぎてどうにかなっちゃいそうよ」

「それでいいと思うよ僕は。幸せなのはとても良いことだし、それはこれからも続けていけばいいんだ。風と樹ちゃん、それに勇者部の人たち。みんなでワイワイして、これからの苦難にも立ち向かえるように楽しい思い出をいっぱい作っていけばそれでオッケーさ。僕もそれが望みだよ…っとと!」

「…ありがとう祐」

「うん」

「……でもそれはそれとしてやっぱり何か恩返ししないとあたしの気がすまな──っ!?」

 

背中にかかる心地の良い重みを堪能していたせいか、僕の気が緩んでしまったためか風の言葉が途中で途切れる。

不思議に思った僕は鏡に映る彼女の顔色を覗いてみると、視線がある所(、、、)に釘付けのままフリーズしていた。

 

僕もその視線の先を辿ってみると下へ下へと……。

そして、慌てて隠す。

 

「…っ!!? あ、えと。ごめん…見た?」

「──ねぇ祐。あたし」

「きゅ、急にどうした風……って、あぶな!?」

 

ぐいっと身体を反転させられる。どこにこんな力が、と言う前に色々と状況があらぬ方向へ。

 

視界が風で埋め尽くされる。

身体はタオルで隠してあるもののその線は濡れたせいかくっきりと露になっていて、結んでいた髪は解かれてその髪は水が滴っている。

色気がすごい、と言ってしまえばそれまでだが彼女の急な変化に正直困惑してしまう。

 

「風、いろいろとマズイ。離れて」

「これが……祐の」

「っあ!? ダメだよ風!」

「あたしが今出来ることと言ったらこれぐらいだから──嫌なら退かしてよ」

「そんな、こと……っ!?」

 

風の両肩を掴むがそれ以上は動かない。

彼女を拒絶するなんてできない。向こうもそれが分かっているからこそああ言うんだ。

苦し紛れに言葉を紡ぐ。

 

「樹ちゃんが部屋で待ってるでしょ。だから、ね?」

「うん。だけど今はこっちが優先。祐も苦しいでしょ?」

「…………!!」

 

ダメだ。こうなった風はテコでも動かない。よく知っている。

それに悲しいかな。僕は何一つ抵抗という抵抗も出来ずにされるがままだった。

 

その後。風呂を上がるのにそれからしばらくかかったそうな…?

 

 

 

 

 

 

 

風呂を上がると頭が沸騰しそうなぐらい熱い。

洗濯はいつのまにか終わって衣服は乾燥していて洗剤の香りがする。

綺麗に折りたたまれているところを見るに樹ちゃんがやってくれたのだろう。

感謝しつつも少し複雑である。それは即ちこの場に樹ちゃんが来たという事実の裏付けでもあるのだから。

僕は急いでタオルで身体から水気を拭き取り髪を乾かして服を着る。

次いで上がってくる彼女のためにも手短に終えてリビングに戻ると、樹ちゃんがテレビを見ながら待ってくれていたようだ。

 

 

「先輩? ずいぶん長風呂でしたねぇ」

「あ、あはは。思いのほか湯船が気持ちよくてつい。洗濯ありがとうね」

「ふーん。まぁいいです。何か飲みますか?」

「…じゃあ麦茶を」

「はーい!」

 

樹ちゃんは立ち上がるとパタパタとキッチンに足を運んでいく。

……あれはバレてるなぁ。

 

どこか他人事のように考えながら樹ちゃんから受け取った冷えた麦茶を飲み干す。

それ以上突っ込んでこないならそれに越したことはないし…。

 

ソファーに戻って見るとそこには布団が敷かれていた。

 

「…流石に僕はここまで広げてくれなくても寝相は悪くないよ樹ちゃん?」

「え? 何言ってるんですか先輩。今日はみんなでここで寝るんですよ?」

「…マジで?」

「マジです」

 

今日は驚かされることばかりだ、なんてありきたりなことを考えていると向こうのドアが開けられる。

現れたのはもちろん風だ。タオルを首にかけキッチンにそのまま足を運ぶ。

 

「おねーちゃんおかえり」

「ただいま樹。と祐…も」

「あー…おかえり」

 

何となく返した言葉もどこかぎこちない。

うっすらと頰を染めて風は麦茶を飲んでいく。

視線を動かすと樹ちゃんと目が合う。何か言外に告げているようにも見えるその瞳を僕は直視することは出来なかった。

 

その後は全員でテレビを少し見て落ち着いたのちに、川の字で布団に寝ることになった。

左から風、僕、樹ちゃんという形で。いいのだろうか?

 

「おやすみー」

 

ぱちん、と電気を消して暗闇が視界を支配する。

残るは静寂のみ。薄い闇の中で僕は天井を見上げた。

 

何かを考えるわけでもなくぼうっとしてしばらく、右にいる風の毛布がもぞもぞと動き出した。

 

「──ねえ祐、起きてる?」

「…起きてるよ」

 

小声で。隣で眠る樹ちゃんの眠りを妨げないように声量を小さくして話す。

 

「眠れないのか風?」

「そういうわけじゃないけど……手、握っていい?」

「ああ、いいよ。はい」

 

毛布から右手を出して風の下へ。

同じように左手を風が出してきて指先がお互いに当たる。絡めるようにその手を取り繋いでいく。

顔を出している彼女の顔はどこか嬉しそうだ。

 

「そういえばさ祐。一つ、質問していい?」

「なに?」

「さっきの映画でさ。ラストシーンでどちらかを選んで助ける場面があったでしょ?」

「──あったような。なかったような…それがどうかした?」

 

握られている手の力が少し込められる。

 

「もしあれがあたしか樹のどっちかだったら祐はどっちを選ぶのかなーなんて思って」

「また難しい質問だな」

「ふふ。答えられる?」

「──それは。キミだよ風」

「えっ?」

 

顔を風に向けて僕はその答えを言う。

まさか即答とは思わなかったのか彼女は目を丸くしていた。

 

「なんで?」

「理由は僕がキミの彼氏で僕の大好きな人だから。たとえ選択肢が変わったとしても答えは変わらない。世界か風か、と問われても同じさ」

「……でもそしたら樹は助からないのよ? あたしが悲しんじゃうんじゃない?」

「うん。そうだろうね……だから」

「だから…?」

 

僕はニッコリと言葉を続ける。

 

「速攻でキミを助けて二人で樹ちゃんを助ける(、、、、、、、、、、、)。きっと本当にその場面に出くわしてもそうすると思うよ」

「──ぷっ。ふふ」

「おーい。笑わないでよ」

「ごめんごめん。くふふ……」

 

息を殺しながら笑う彼女に対して不満顔で答える。

なにかおかしなことでも言っただろうか。

 

「じゃあ風ならどうなんだよ。僕か樹ちゃんならどっちをとる?」

「それは樹ね」

「……即答かい」

「ほーら拗ねないで。でもね、うん。その後の行動は祐と同じよ」

「…風はたまに意地悪だな」

「いつもあたしがやられているからお返しよ……でもちょっと驚いたわ。あたしが思ってた答えと同じなんだもの」

 

彼女たち勇者部を見たから、とかそういうわけでもないがきっとあのメンバーたちも同じことをするだろう。

そのことを話すと確かに、と彼女もこの意見に同意してくれた。

 

「たまにはこうやってみんなで寝るのも悪くないわね。まるで旅行先で泊まるときみたいなワクワクがあるわ。ねっ、樹?」

「……樹ちゃんはもう寝てるぞ」

「ふふ、かもねー。ねぇ祐」

「うん?」

 

カーテンの隙間から月明かりが差し込み風の顔が露になる。まっすぐとこちらを見つめてきていた。

 

「これからも一緒に居てくれるかしら?」

「もちろん。あとは樹ちゃんも含めて三人仲良く過ごせば完璧だな」

「こらこら。もしかしたら樹にもいい人ができるかもしれないわよー」

「その時は僕の屍を超えていってもらわないと困るなぁ。その先にはボスの風が待ってる」

「…そうねー。まだ見ぬ彼氏さんもあたしたちの相手するのは骨が折れそうね?」

「自分で言うかいそれ?」

 

二人で顔を見合わせて笑い合う。

もぞもぞと反対側の毛布が動いた気がした。

 

「今日はなんだかいい夢が見れそうだわ」

「…覚えていたら教えてよ。風の夢の中は楽しそうだ」

「祐ももし見たら教えてちょうだい。約束」

「あぁ、約束だ」

 

繋いだ手の指先で小指をからめる。

 

「おやすみ風、樹ちゃん」

「おやすみ祐、樹」

「────おやすみなさい。おねーちゃん、先輩」

 

こうして夜は更けていく────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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story 2『二人の日常』

なんてことのない日常を書きたかったので書いた所存。


「──じゃあお姉ちゃん。行ってくるね」

「はいはーい、行ってらっしゃい樹。車には気をつけるのよ」

 

そんな短いやりとりをしながら犬吠埼風は妹である樹を玄関先で送り出す。

今日は二年生組と一緒にショッピングに行くことになった彼女は何とか寝坊せずに起きることができ、支度を済ませこうして時間通りに行動出来たのだ。我がことながらに妹の成長に嬉しさが込み上げてくる風である。

そんな妹の樹は「わかってるよぉー」と毎度のことに言われているセリフに簡潔に返すと、今度は風の横にいるある人物にジト目で見つめて口を開いた。

 

「祐樹さん。あまりハメを外しすぎないでくださいね」

「樹ちゃん最近手厳しくない?」

「そんなことないですよー? お姉ちゃんと仲が良いのはイイコトなんですけど、キスしてる現場を目撃したりしてしまう妹の気持ちも汲んでくださると嬉しいだけなので」

「ちょ、ちょっと樹!? まさか昨日の見て────っ!」

「なんのことかなぁ? じゃあ行ってきます〜!」

 

とぼけたフリをしつつ樹は和かに今度こそ自宅を後にした。残された祐樹と風は顔を赤くしてお互いに視線を逸らしつつ彼女を見送った。パタン、と扉が閉まると祐樹は乾いた笑みを浮かべて困った様子になっていた。

 

「…あはは。少しわきまえた方がいいのかな? 樹ちゃんの言葉が毎回突き刺さるよ……嫌われちゃったかな」

「それはないわよ。お互い一緒に過ごす時間が増えて樹も祐に慣れてきた証拠だから。でもそうね……少し控えた方がいいの、かしら?」

 

ちら、っと横目で風が祐樹を伺う。指先をもじもじと絡ませている様は年相応の、少女の顔をしている。

祐樹も祐樹で頰をかいて同じような反応なのだが、樹に嫌われていないことにホッと肩を撫で下ろしている側面も垣間見えていた。

 

「……言い訳じゃないけど、その……風との触れ合いは気持ちがいいからつい、な」

「……っ!? それを言うならあたしだって祐とちゅーするのは……気持ちいいと言いますか。はは……あたし何言ってんだろ」

 

祐樹の言葉に嬉しさがこみ上げてつい口が滑ってしまった風。けれどそれは紛れもない事実であるので、その気持ちを彼にも分かってもらいたい部分もあった。

祐樹は風の言葉に更に顔を赤くし、彼女のその手を優しく握った。

 

「風……そんなこと言われたらキスしたくなっちゃうじゃん。いい?」

「うぇ!? い、いい今?? い、樹に釘刺されたばかりじゃない」

「あくまで樹ちゃんの見えない所でなら──って本人も言っていたし……ね?」

「ま、待って心の準備────んんっ!?」

 

心の準備も何も、実の妹に呆れられるほどの回数を致しているのに……なんて祐樹は考えたが口にしたら拗ねそうなのでそっとしておく。

風を抱き寄せてそのまま吸い寄せられるように唇を塞いだ。彼女も身体を強張らせながらではあるけれど、拒否するようなことはしなかった。

 

「──ん、んむ」

 

当てるだけのキス。

うまく表現出来ないが風の唇はとにかく柔らかいの一言に尽きた。慣れない素振りも最初だけ、すぐに順応する形で風も祐樹の指を自分のものと絡めて恋人つなぎしながら行為に没頭し始めた。

樹が家を出てからわずか数分後の出来事である。これには彼女もため息の一つや二つついても誰も文句は言わないであろう。

しかしお互いを想う気持ちの大きさ故であることを樹も理解はしている。だからこそ厄介なのだが、それを口にするほど野暮ではない。そんなこんなで二人の時間を作る意味でも樹は家を開けることを増やしているわけだが、果たして二人はそのことを理解しているのかは別の問題である。

何分経ったか、どちらからでもなく唇は離れて見つめ合う。うっとりと上気した風の瞳に思わずドクン、と心臓を高鳴らせる祐樹。

 

「祐ぅー……あたしって流されやすい女なのかしら……」

「そんなことないと思うよ。好きで自然にこうなっちゃうんだから仕方ないさ。それだけ風が魅力的なんだから」

「うん……」

 

しおらしい態度に祐樹はぞくりと背筋にビリビリとくる感覚に襲われる。

普段の外の顔と比べて自分の前だけに見せてくれるその表情はとても魅力的だった。その感情をどう彼女に伝えたらいいのか毎度のことながらに迷ってしまうほどに。

でもその度に祐樹はほぼ決まった行動をとっている。

 

「……風は可愛いな」

「うっ……抱き着くなー」

「でもイヤじゃないでしょ?」

「まぁ……そうだけどさ。はぁー…我ながら単純だわ」

「僕としては分かりやすい方が嬉しいよ」

 

そんなやり取りをしながら二人玄関先で抱きしめ合う。祐樹は風を感じるために少し強く抱きしめ、風は祐樹の温もりを感じるために彼よりも強く抱きしめる。これも今となっては見慣れた光景になりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

樹が出かけたから自分たちも────って考えてしまうかもだが今日はそうではなかった。やりたいことがないわけではないけれど、それは別に今日する必要もない。たまにはこうしてゆっくりと家で一緒の時間を過ごすのも悪くないからだ。

 

「風ー。他に掃除機かけるところある?」

「じゃああたしの所お願いー」

「了解」

 

スイッチを入れてガーっと吸引音を響かせながら掃除機をかけていく。お世話になっている家である以上はこういった雑事もやることにしている祐樹は風と一緒に部屋の掃除を行なっていた。

当初はやらなくてもいいと言われてきたが、効率を考えたらと風もいつの間にか頼むことになっている。

キッチン周りを掃除している風の元に掃除機を走らせていく。

 

「はいはーい。足下失礼するよ〜」

「あたしも一緒に吸わないでよ」

「面白そうだけど物落とすと危ないからやめとく。終わったら手伝おうか?」

「ううん。ここはあたし一人で十分だから……お風呂掃除頼めるかしら?」

「もちろん。じゃあ終わったらやるよ」

「ありがと」

 

風は結構綺麗好きだ。そこだけを考えると妹と正反対の結果を生んでいるがいつ来ても部屋はしっかり整理整頓されている。(一部を除く)

日常的に続けていくと言うのは実は結構凄いことなので祐樹は彼女を尊敬していた。皆はお母さん気質とよく口にするけれど、彼からしてみれば良いお嫁さんになるなぁなんて頭に過ってしまうほど。

 

(それを言ったら恥ずかしがっていたっけか。はは…)

 

風呂場に向かいながらつい昔を思い出す。口では女子力女子力と言う彼女だが、面と向かって言われたときの反応は初々しいというかまるで免疫のない態度を示してくれるのだ。そこが面白くて可愛らしい。

もしかしたら予め自分で言うことによって心の平穏を保っているのかもしれない。なにかと不意打ちに弱い彼女はまたそこも魅力の一つであるのだ。

 

(しかしまぁ……自分の家以上に掃除してる気がするな)

 

ゴシゴシと泡立てながらスポンジで浴槽を擦りつつ考える。

祐樹は一人暮らしをしているので、家事自体は苦手ではない。人並みには出来るが好んでするかと言われればそうではないだけ。

最近では風が彼の家に遊びに、あるいは泊まりに行く時はたまに好意で掃除をしてくれる時があるが、自分は中々彼女のようにはなれないなぁなんて思う。

 

でも彼女と出会う前以上にはこういうのも悪くないとも考えている自分もいた気がした。

 

「祐。ごめんねお風呂までやってもらっちゃって」

「お…そっち終わったんだ」

「うん、おかげさまでね。中々キッチン周りを隅々に…って時間取られちゃうから祐が他をやってくれたおかげで集中して出来たわ」

「ならよかった」

 

満足そうな笑みを浮かべているにそのあたりは時間が取れてなかったんだろう。祐樹としても自身の家で家事をやってもらっている恩返しが出来て良かったと思っている。

シャワーで泡を流して浴槽の掃除を終わらせた。

 

「ありがと祐。お疲れさま……ほら、ほっぺに泡がついてる」

「んん……悪い」

「いいのよこれくらい」

 

気がつかなかった泡の残りを風が拭いてくれる。若干くすぐったくて目を細めるがそれもほんの少しの時間。風はよし、と頷いてみせた。

 

「んー! あらかた終わったわね。なんだかんだお昼の時間になってるし、ご飯作ろうかしらね」

「うどんが食べたいな」

「はいはい。お肉も残ってるから祐の好きな肉うどんにするわね」

「うん。ありがとう」

 

そんな会話をしながら祐樹は風の頰にキスをした。ぴくん、と身体を震わせた彼女は僅かに頰を朱に染める。

 

「今日はやけに積極的な気がするわねー…」

「嫌ならやめておくけど」

「誰もイヤなんて言ってない…けど。不意打ちはびっくりするのよ……んっ!」

「うん」

 

目を閉じて唇を突き出す風に応える形で祐樹も重なる。先ほどと変わらず重ね合わせるだけのキス。何度も啄むように、唇の熱を、情の熱をお互いに感じていた。

 

「──ご飯、作るわね」

 

終わり離れたところでボソッと口にする風は口元を綻ばせながら祐樹を見つめていた。

 

 

 

 

掃除を終えた二人はリビングで食事をとっていた。

メニューは祐樹の要望通りうどんから始まり、風の計らいで小鉢を作ってくれている。そういった細かい部分でも彼女の優しさが滲み出ていて今度は祐樹が頰を綻ばせていた。

味はどれも最高に美味い。彼女は即興で作ったと口にしているがそれでもやはりこのクオリティーを繰り出せるのは流石と言えた。

 

「樹ちゃんは今頃楽しんでるかな?」

「たまの休みだもの。なんの気兼ねなく楽しんでくれてなきゃ困るわねー…特に最近までドタバタしてたわけだし」

「たしかにね」

 

経緯は割愛するが、風の言う通り彼女含む勇者部の面々には様々な障害とも言える出来事が起こっていたのだ。

今となっては振り返るべく『過去』となってこうして振り返ることが出来るが、当時は本当にどうなってしまうのかと不安に塗りたくられていた。祐樹はその中でも目の前の彼女を支えるという使命を全うし、こうして再び食卓を囲うことの出来る仲にまで発展したわけだがまだまだ不安定感は否めない。

 

「風もちゃんと休みの日は楽しめてるか? 樹ちゃんを気にするのは分かるけど、自分のことも疎かにしたらダメだからね」

「わ、わかってるわよ。ちゃんと休日は休めているし、祐と一緒に居るだけで楽しいし幸せだから安心して」

「ならいいんだけど……」

 

顔色を伺うが彼女の言葉の通りに受け取っても問題なさそうだ。うどんを啜りながら祐樹は窓の外を見やる。晴天が日差しと共に窓辺から漏れやはりこの天気の日に外に出ないのはもったいない気がした。

 

「やっぱり午後は外にでるか? 天気もいいし」

「んー……そうねぇ。夕飯の買い物にでもいく?」

「僕はデートのお誘いをしてたんだけど。まぁ、夕食の買い物は大事だな」

「ショッピングデート?」

「響きはいいね。間違ってはいない」

「でしょ」

 

人差し指を顎に当てて小首を傾げる姿はとても可愛く見えた。まぁ祐樹としても当てのなくブラブラするよりかは一つぐらい目的があった方が動きやすいかと思い、彼女の提案に首を縦に振った。

 

食事もほどほどに、祐樹と風は後片付けを二人で分担して身支度を整えていく。

 

「戸締りは?」

「バッチリッ!」

「じゃあ行こう」

 

施錠を済ませて二人は家を後にする。天気も良く気候も過ごしやすいほど好調だ。お互い顔を見合わせてから自然と手を伸ばして握りしめる。恋人つなぎ。そうして歩き始める。

 

「祐は何処か行きたいところあったりするの?」

「んー…正直思いつかなかった。公園とか寄る?」

「いいわよ。あまり早くスーパーに行っても安くなってないし。遠回りしていきましょ」

「うん」

 

などとやり取りをしながら祐樹は風に視線を移す。

 

「ん? こっち見てどうしたの?」

「いや、なんでもないよ」

「あ〜。もしかしてあたしに見惚れてたんでしょぉ! この女子力溢れるあたしに」

「見惚れてたのは本当だけど、改めてなんで風がモテなかったのか不思議でならないなぁって」

「ふふ、なにそれー」

 

彼女曰くチアの活動をしてた時に告白されたとかされないとかの話は過去に聞いたことがある祐樹だが、それ以降は何もないというのは他の人の見る目がないのかと声を大にして言いたい。

かといって今更どこの誰かに言い寄られたりするのは彼としても癪なのでやめて欲しいところだが、風の魅力をみんなに知ってもらいたいとも思ってしまう複雑な気持ちを胸の内に抱いている。

 

「祐はあたしにモテて欲しいの?」

「いや、それは勘弁願いたいな。風は僕のだから」

「……あ、ありがとう。あたしも祐の大切な人でありたい。祐もあたしの人以外の所に行って欲しくない」

「当たり前だよ。僕は風のものだし……同じように大切な人でありたいからね」

「うん……祐、好きだからね」

「あぁ。大好きだよ」

「嬉しい……あたしも、大好き……」

 

恋人繋ぎしている手を強く握る。なんだか照れ臭いやり取りをしている気がするが周りには二人以外誰もいないのでよしとしよう。そうして歩んでいった先に話題にだしていた公園に到着した二人は周囲を見渡す。

休日ではあるがそれに比べて人は少ないような気がした。子供連れの親子が砂場で遊んでいるぐらいで他に遊んでいる人は見受けられない。

 

「なんだか最近外で遊ぶ子供たちを見なくなってきたような気がするよ」

「そうかしら? 遊んでいる子は遊んでるの見るけどね。たまたま今日が少ないだけじゃない。ねぇ祐ーせっかくだからアレに乗らない?」

 

人も少ないから、と風が指さしたのは祐樹も小さいときに乗ったことのある『ブランコ』だった。

二つあってそのどちらも空いている。タタっと小走りに風はブランコの元に行き、片方に座ってみせた。そのままキイ、と金属音を奏でながら身体を前後に揺する。

 

「ふふっ……こうして改めて乗ってみると案外キモチいいわねー! 祐もどうーー? 隣空いてるよ」

「風、スカートなんだから気を付けてくれよ」

「す、座ってるから大丈夫なの! 祐のえっちー!」

「なんでさ!」

 

そんなことを言いつつ風は楽し気にブランコを漕いでいた。微笑ましく祐樹も彼女の隣にあるブランコに立って漕ぎ始めたら、あっという間に風よりも勢いをつけて追い抜いてみせた。

 

「あー。立ちこぎはズルでしょ祐!」

「へへん。悔しかったら風も──やってみるんだなぁ!」

「なにをー!」

 

負けじと風も座りながらだが祐樹に続くように体を振って勢いを上げていく。その様子を子供を連れている親たちは微笑ましく眺めているのだが、二人はそのことに気が付かないでいた。

 

とは言ってもどちらがより振れるか────ぐらいしかない勝負はあっという間に終わり今度はその近くにあったシーソーに跨っていた。

 

「な、なんかちょっと怖いわね……ゆっくりしてよ祐」

「怪我したら危ないし、もちろんゆっくりやるよー──そらっ!」

「わっ!? ひゃ?!」

 

祐樹は体重を掛けて反対側に座る風が持ち上がる。おっかなびっくりといった様子の彼女はしかしその口角は微笑みを崩さないでいた。

 

「い、今一瞬お尻が浮き上がった!! 祐強すぎっ!」

「ごめん。加減が分からなかった……うぉ!?」

「なんてね♪ お返しよっ!!」

 

風が素敵な笑みを浮かべたと思ったら祐樹が次に持ち上がって跳ね上がる。一瞬の出来事によって祐樹の顔も面白いものとなっていたらしくそれが風のツボにハマったようでくつくつと笑っていた。

 

「あはは! 祐ってば変なカオしてたわねー」

「ぐぬ……ならこれならどうだっ!」

「きゃ!? もーそんな激しくすると落ちちゃうってばぁー……えいっ!」

「とか言いつつキミの方が威力あるぞ?!」

 

ギーコーギーコーとシーソーを軋ませながら二人は脇目も振らず楽しんでいた。傍からみれば何したんだあいつらと言われかねないけれどたまの事なので許して欲しいと祐樹は内心訴えかけておく。

 

その遊びもいつしか終わりを迎え二人はベンチで腰掛けてジュースを片手に休憩していた。

 

「なんか以外と楽しめたわね。夏凜や友奈が居たらもっと白熱してたかも?」

「いやいや勘弁してくれ。二人……というよりキミたちの部活の面子はアグレッシブなやつが多いから振り回される未来しか見えない」

「いい子たちじゃない。祐もなんだかんだいって付き合ってくれるしね」

「……そりゃあまぁ、そうだけども」

 

バツの悪い顔をしているけど、先も風が言ったようになんだかんだ最後まで付き合ってくれるのだこの男は。そういう優しさが人を惹きつけるのかもしれないと風は感じていた。現に自分自身もその優しさに甘えさせてもらっているから。

軽い運動で火照った体に冷たいジュースが染み渡る。二人してほぅ、と息を漏らしていた。

 

「ああいったものって樹ちゃんともやってたの?」

「ん〜……いや、やってないわね。というかやらせなかったかも。怪我したら危ないしさ、なんだかんだ理由を付けて砂場で遊ぶのが殆どだったっけ」

「ふ〜ん……まぁ女の子だしね。あんまり体動かす系よりおままごととかのが合ってるか」

「そんなとこね。ちなみに子供ながらに中々ドロドロした家庭環境を設定したおままごともやったことあるわよ」

「……それって楽しいの?」

「やる分には楽しかったわ。現実では体験したくないけどねーあっはっは」

 

わざとらしく笑いながら風は小さい頃を思い出しているようだ。大事な妹との記憶。きっと風は忘れまいとこうして思い出に耽っているのかもしれない。

 

「内容はともかく……少なくとも僕はそういう環境にしようとは考えていないからな」

「あらぁ〜♪ それって将来の事を見据えてるってこと?」

「うん。僕はそのつもりだ」

「…………ぇ? 今なんて──?」

「……何度も言うのは恥ずい。風の年齢的にもまだまだ先の事なのかもしれないけど、僕にとってはそのつもりで付き合ってるから」

「…………ぁ」

「こういう男は重いかな?」

 

空いた手を祐樹は自分の手を重ね合わせる。僅かに溢れる声と見開いた目は祐樹を捉えて離さない。

 

「──重く、ないわよ。あたしも……祐がいい。あたしが素のままで居られる君の隣がいい」

「うん、その言葉が聞けただけでも十分嬉しい。ありがとう風……じゃあ、そろそろ行こうか」

「ええ」

 

空になった空き缶をゴミ箱に捨てて二人は手を繋いで歩きだす。

なんて事のない日常のひと時のこと。でもそんな日々がとても眩しくて尊いものだと理解している二人は噛み締めるように進んでいく。

 

「いっそのこと僕たちが高校に上がったら一緒に暮らしてみない?」

「くす…気が早いんじゃないかしら? あ、嫌だというわけじゃないからね。あたしもそうしたいと思ってるけど、樹にも相談しないといけないし」

「また白い目で見られそうだなぁ」

「心配はしてないけど、二人とも仲良く…ね?」

「分かってる。未来の妹候補なんだから仲良くするさ」

「もう…! でも楽しみにしてるわ」

 

顔を見合わせながら笑い合う。これからもずっとそのつもりで生きていく。やるべき事は山積みだけれど、二人ならば超えていけると信じていこう。

 

こうして二人の日常は過ぎていく────。

 



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三好夏凜の章
story 1『君と一緒に過ごす日々』



彼女はいつも身体を動かし、鍛えている。

たまには休んだら? と心配するがいつも返ってくる答えは同じ。
でもまあ何事にもひた向きな彼女の姿を僕は好ましく思う。

自分もやるべきことはやらないと……。
でもそれに集中しすぎて疎かになってしまうのはいけないな。

──もう少し僕は融通の利く人間になれないだろうか。


────突然だが、僕には二つ下の彼女がいる。

 

 

「……ただいまー」

 

更に重ねさせてもらうと学生の身分ではあるが、実家を離れて一人暮らしをしている。その経緯は特別語る必要のない、ありきたりなものなので割愛させてほしい。

時刻は二十一時を回ろうとしていた。本日もアルバイトをしていてこの時間になってしまったのだ。

日々の生計を立てているものなので仕方ないが、最近のことを考えると少々申し訳ないこととなっている。

 

それは──

 

「──やっぱり寝ちゃってたかー」

「…………くぅ」

 

一人暮らしとして部屋を借りているが、今現在こうして一人ではない状況になっている。

理由は先ほど述べたこと。そう、僕の彼女である。

 

ベットの上で規則正しい寝息を立てている彼女は、僕の帰りを待っててくれてくれたのだろう。

しかし、彼女は『超』がつくほどの健康女子であるため、いつも僕がアルバイトから帰宅する時間はすでにこの通りの有様。

近づいてベットの前でしゃがんでその顔を覗き込む。

 

「寝顔、相変わらず可愛いなぁ」

「…………、」

 

小さな声量で本音を口にする。流れる茶髪の髪を手で梳いてみるみると抵抗がまったくない。

触り心地の良い髪質だ。

 

その際に少しだけ身じろぎをするが未だ目覚めず。

 

「健康的な肌質、端麗な顔立ち。僕には勿体ない彼女だなぁー」

「………。」

 

ぼやくように言葉を重ねていく。だが、未だに目覚めず。

 

「──この溢れる情熱をどう君に伝えるべきか! あぁ、愛しの愛しの……!」

「……、」

 

オーバーアクション気味に身振り手振りで愛を伝える。

彼女の頬が赤くなり、プルプルし始めた。だが、未だ目覚めず。

ならば、と。とっておきの一撃を彼女にお見舞いさせるとしよう。

 

「大好きだよ。夏凜(、、)

「…耳元でう、うるさいわよ。アンタ、わかってやってたでしょ……」

 

じとーっと言った感じで横になったままの彼女────三好夏凜が耳まで真っ赤にして不満を口にしてきた。

僕は夏凜が横になっているベットに腕を組み、そこに顔を置いて目線を同じにする。

 

「まあね。だって夏凜、気配読む(、、、、)の得意でしょ? 僕が帰ってきたのがわからないなんてないじゃないかー」

「し、仕方ないじゃない! 読めちゃうものは読めちゃうんだから」

「……ぶうー。そのせいで僕の思い描く『寝てる彼女に愛を囁く』がいつまでたっても実行できないんじゃないかっ!」

「アンタのヘンな妄想に付き合ってなんかいられないわよ……それに愛を囁くなら起きてる私に直接言えば────はっ!?」

「…にやにや」

 

してやったり顔で夏凜を見る。

彼女も彼女で自身の失言にみるみるうちに先ほどとは異なる意味での赤面へとなっていく。

ついには無言のまま両手の指で僕の両頬を力強く引っ張り始めた。

 

「また私をか、ら、か、ってぇ~!」

「かりん……いひゃいいひゃい! ごへん、ごへんなひゃい」

「……ふん! 知らない!!」

 

ごろん、と寝返りをうってそっぽ向かれてしまう。

少々やりすぎたか、なんて僕に反省させるつもりなのかもしれない────バレバレである。

 

僕は今の体勢から、転がるようにベットに身体を投げてそのまま夏凜に抱き着く。

その際に彼女は特に抵抗しなかったが、変わらずそっぽ向いたまま無言を貫いていた。

 

「──別にからかったわけじゃないからそう拗ねないでよ夏凜」

「拗ねてない」

「好きな気持ちはホントだよ?」

「…どうせ、この場限りの言いぐさでしょ」

「……ねぇ夏凜。こっち向いてよ」

「いやよ」

「むぅ……えいっ!」

「ちょッ!!? わぷ」

 

足元にあった毛布を手に取り、僕と彼女を包み込んだ。

視界が真っ暗になる中、お互いの熱で内部がほんのりと温かくなっていく。

 

「ほら、これで別に僕の顔をみなくても済むよ」

「……アホ」

「ひどいなぁ。夏凜とスキンシップ取りたかったんだよ。信じて」

「別に本気で怒ってるわけじゃないわよ。ただちょっとアンタに手玉を取られてるようでムッとしただけ」

「それはそれでひどい気がする……まぁ、でも嫌われなくてよかった」

「…………。」

 

額同士をくっつけてお互いが息のかかる距離まで密着する。

身じろぎ一つすればお互いの手や脚が触れる距離。

 

「……べ、別に」

「うん?」

「──き、嫌いになんか……ならない」

「好きってこと?」

「そ、そうよ!」

「えー…でも直接夏凜の口から『好き』って聞きたいなぁ」

「なっ……ううぅぅー!!」

 

なにやら葛藤している様子。でもこれは意地悪ではなく、本心からの言葉だ。

自分が好きな人から『好き』って言ってもらえる幸福感は何物にも代え難いものである。

 

夏凜は逡巡していると、

 

「わ、私は……アンタが。祐樹のことが……す、好きよ」

「僕は()好きだよ! 夏凜は僕のことが『大好き』じゃないの?」

「ふえっ!? う、ぐ、ぬぬ────だ、大好き……」

 

暗闇なのでよくみえないが、沸騰しそうなほど顔が真っ赤になっていることだろう。

現に毛布の中が熱い。息苦しくなるほど暑いのだ。

 

我慢できなくなった僕と夏凜は首だけ毛布の外にさらけ出す。

涼しい空気が鼻を通る。地味にこの瞬間が好きだ。

 

夏凜も涼しい風に当たり気持ちが良さそうにしている。

そしてまだほんのりと赤いその顔をこちらに向ける。

 

「あのさ……言い忘れてたんだけど」

「ん? どうしたの夏凜」

 

「……おかえり」

「うん、ただいまっ!」

 

 

なんだかんだ最後まで付き合ってくれる彼女は最高である。

 

 

 

 

 

またとある日のこと。

 

今日はアルバイトはなかったが、別の用事があったので家を空けていた。帰ってくると見知った靴が玄関にあり、部屋を覗くとうつ伏せのまま倒れ込んでいる夏凜の姿がそこにあった。

 

「ただいま。どうしたの倒れちゃって」

「…おかえりー。いや、ちょっとゴタゴタがあって疲れただけー」

「へぇ。夏凜も疲れることがあるんだなー」

「それどういう意味よ……って、突っ込む気力もないわねー」

 

たまに日を開けてはこうやって疲労を見せる時がある。 

程度の差はあるが、今日は珍しく疲労困憊といった様子。

 

「なるほどねぇ。うーん、まだ夕食まで時間があるから……ちょっとこっちおいで夏凜」

 

僕は夏凜の頭部側の床に座り、そのまま彼女を少し持ち上げた。

 

「──ねぇ」

「んー、どしたー?」

コレ(、、)って普通男女逆じゃない?」

「コレ? ……あぁ、『膝枕』のことね」

 

頭を撫でながら僕はスッとあるモノを取り出す。

 

「まあいいんじゃない? それよりも……これはなんだかわかる?」

「……耳かきのやつでしょそれ? なに、やってくれるの?」

「さぁて、ジッとしててよー! 僕のテクで君を骨抜きにしてやるぜ」

「あーはいはい。じゃあお願いするわー……ん」

 

観念した夏凜は目を閉じて僕の耳かき棒を受け入れる。

 

「祐樹ってたまに『女子』がするような行動するわよね。…ん、きもちー」

「そんなことないさ。好きな人にあれこれしたいなんて欲求は誰にでもあることだし」

「その言い方だとなんか語弊があるわね……なら今度は私が何かしてあげようか?」

 

彼女の提案に僕は目を輝かせる。

 

「ホントッ!? なら、夏凜の手作り料理が食べたいな!!」

「──ああごめん。言い方が悪かったかしら? ほらもっと別の何かがあるんじゃない、例えば……」

「えぇ~……夏凜の手料理が食べたいんだけどー」

「……本気(マジ)で言ってるの?」

「うん」

「……マジかー」

 

そんな繰り返して言わなくてもいいのではないか。

夏凜は唸りながら考え始める。その間も僕の手は止まることはない。

 

「……なら、ちょっと時間を頂戴。作ってやろうじゃないの!」

「おー! なら楽しみにしてるよ。はい、片方終わり! 次逆ねー」

「…風に聞けば……いや、ここは東郷のほうが…」

 

何やらブツブツ言っているが、もちろん彼女は料理が苦手なのは分かっているつもりだ。

 

────なら何故作って欲しいのかって?

 

 

理由は単純なことだ。

一生懸命作ってる彼女を見たい。あとは一度でもやはり手料理は食べてみたいから。

 

「…ふぁぁ。なんかすごく……ねむい」

「少し寝ちゃいな。僕が起こしてあげるから」

「んー……ありがと祐樹────」

 

耳かきが終わると同時に夏凜はそのまま眠りにつく。

僕は夏凜の髪を手で梳きながら、彼女が目覚めるまでテレビを観ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

またまたとある日のこと。

 

「──あちゃー。やられた…」

 

夏凜は軒下から空を覗いていた。今日は用事があって本屋に来ていたのだが、店を出てみれば雨が降り始めている。

テレビのニュースでは雨が降るなんて聞いてなかったので、ため息がでてしまうのも仕方のないことなのだ。

 

(濡れるだろうけど、走って帰ろうかしら?)

 

道行く人を見れば荷物で雨をしのいでいる人もいれば、諦めてそのまま歩く人、傘を普通に差している人など見受けられる。

雨音を聞きながらどうしようかと考えていると不意に影がさしかかった。

 

何だろうと、見上げてみる。

 

「よかった。ナイスタイミングだね夏凜」

「祐樹? なんでここにいるのよ」

「僕も早く用事が終わってさ。夏凜がメールで本屋にいるって言ってたから寄ってみたんだ。帰るところだった?」

「えぇ、帰ろうとしたらこれよ。やんなっちゃうわ」

 

やれやれと夏凜は状況説明する。祐樹はじゃあ、と一本の傘を差し出し、

 

「じゃあ一緒に帰ろう。傘一本だけど」

「……恥ずい」

「僕たちは恋人同士なんだから気にしない気にしない。ホラ」

 

夏凜の手を引いて祐樹は自分の傘の中に彼女を招き入れる。

確かに何組かのカップルが相合傘をしている場面を目撃しているが、まさか自身がその立場になるなんて思いもよらなかった。

 

「もっとこっちに寄らないと濡れちゃうよ夏凜」

「わ、わかってるわよ!! こ、こう?」

「うんうん。夏凜のぬくもりを感じる」

「……変態」

「冗談冗談っ! 滑らないように気を付けてね」

「ええ」

 

二人で寄り添いながら道を歩いていく。傘はそれほど大きくはないので、若干肩が濡れてしまう。

 

「そういえば本屋で何してたの? 夏凜が本屋いくなんて珍しいよねー」

「失礼ね。私だって本屋ぐらいいくわよ……ちょっと調べものしてたの」

「調べもの? ふーん……」

「な、何よその反応……」

 

祐樹の含みのある表情に夏凜は訝しげに見る。

  

「いやいやー。なんか嬉しくなっちゃっただけ」

「はあ? 変な祐樹……あっ、雨が」

 

自宅まで残り半分のところまで来た二人は、天候の変化に気が付く。どうやら雨が上がったようだ。

傘を避けて空を見上げる。

 

「どうやら通り雨だったようだねー」

「みたいね。じゃあ密着も終わり!」

「え~……もっとくっついてたかったなぁ」

「──なら、はい」

 

祐樹が夏凜の声に振り向くと、手を差し伸べている姿が目に映った。

その様子は頬を赤く染めていて目線は恥ずかしいのか逸らしている。

 

「……うん。じゃあよろしく」

「まったく。世話の焼ける彼氏だわ」

 

指を絡めて、いわゆる『恋人つなぎ』をする。

その光景を眺めつつ、ふと視線が合うとお互いが小さく笑う。

 

「今度二人でどこか出かけようか」

「どこって何処によ? 私あんまり場所知らないわよ」

「そーだなー……遊園地とか?」

「遊園地ねぇ。まぁ悪くないんじゃない」

「最近は体を動かす系が増えてきたから夏凜も退屈しないと思うよ」

「そうなの? …まぁ、祐樹とならどこでも退屈しないからいいわよー……ってなによその顔」

 

どうやらまた顔に出てしまったらしい。

不意打ち気味に言われる彼女の何気ない一言にドキドキしつつ、にやけ顔をどうにか抑える。

 

「じゃあ約束な。今度遊園地に行こうっ!」

「はいはい。ほら、また降られると嫌だから行くわよ」

 

引っ張られる形で歩みを進めていく。

そしてそれが照れ隠しだということは言わずとも祐樹はわかっている。

 

僕の彼女は可愛いなぁ、と思う祐樹だった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから幾日か経過した。

場所は勇者部所属の一人────東郷美森宅に夏凜は赴いていた。

 

「きょ、今日はよろしくお願いするわ」

「ええ。夏凜ちゃんの花嫁修業、尽力させてもらうわ」

「はなっ!!? な、なななに言ってるわけ東郷!! そ、そんなつもりじゃ──!」

 

東郷の斜めの対応にあたふたしてしまう。

 

「ふふっ。それにしても驚いたわ、てっきり風先輩にでも頼むのかと思ってた」

「それも考えたけど……なんとなく茶化されそうで嫌だったのよ」

「そうかしら? 喜んで引き受けてたと思うのだけれど」

 

言いながら東郷の手は食材の準備を始めていた。

夏凜は料理の経験はおろか、食材すらまともに触れたことがないので彼女の横で立ち尽くすばかりだ。

 

「そうねぇ……定番なのは『肉じゃが』だけど。今日はさっと作れる別の料理にしましょうか」

「……本やネットだと肉じゃがは結構見かけたけど違うの?」

「意外とあれは難しいのよ。少しづつ慣れてきてからやりましょう。まずは包丁の使い方ね」

 

さっと食材を選別して夏凜の手元に用意する。

たまねぎ、豚肉、しょうが。

三点が置かれ、それぞれの特徴から切り方まで懇切丁寧に教えてもらう。

 

「──なるほど。これで何ができるの?」

「豚の生姜焼き♪ 男の子なんだからお肉料理は欠かせないわね」

「へぇ。まずはどうするの?」

「たまねぎからいきましょうか。やり方はさっき教えたとおりにね」

「う、うん。やってみる」 

 

恐る恐るといった感じで包丁を手に取る。

刃物を触るのは経験がなくはないが、その時の目的がだいぶ違う。

夏凜はこうも違うものかと悪戦苦闘するがなんとか切り終える。

 

「……ねえ、東郷。さっきから気になるんだけど、その手に持ってるカメラは何よ?」

「気にしないで♪ 包丁を持つ手とは逆の方は猫の手よ夏凜ちゃん。覚えておいてね、『にゃん!』 って」

「にゃ、にゃん? ……って何やらすのよッ!!?」

「いい画が撮れたわ! それじゃあ次は」

 

一人でガッツポーズする彼女を見て、もしかして人選間違えたのでは? と思う夏凜であった。

だが彼女の指示はどれも的確で、料理初心者の夏凜でも大きく躓くことはなく出来ている。

 

「中々筋があるわよ夏凜ちゃん。教える身にも力が入るわ!」

「そ、そう? ならアイツも喜んでくれるわよね」

「もちろんよ。彼氏さんも幸せ者ね」

 

それからもなぜか撮影されつつも、和食メインでの料理作りは幕を閉じた────。

 

 

 

 

 

 

 

「……と、いうわけでこの前約束したとおり、作ったわよ。ありがたく思いなさい!」

「おぉー。予想以上の出来で本気で驚いてます」

 

 

場所は変わって祐樹宅。テーブルの上には所狭しと料理が並べられていた。

腕を組んでどや顔で夏凜は立っている。可愛い。

 

「いただきます……ん、うま!!」

「そ、そう? まぁ私にかかればこんなもんよね」

「いやー。正直黒焦げの料理も覚悟してたんだけど、指導してくれた人がよかったんだな……東郷さんだっけ?」

「し、失礼ね……まぁ、今回は東郷に感謝しとかないと」

「僕も感謝しておかないとね。美味しい料理にあとは──ふふっ」

「あと、は? ……ってさっきから観てるそれ何よ?」

 

気になった夏凜は回り込んで目をやると、手にはなにやら端末をもっていた。

僕は「ああこれ?」と、特に隠す理由もないので夏凜に手渡す。

 

「……あ、あぁ!? こ、こここの映像なんでアンタが持ってるのよ!!」

「ん? いやポスト受けに入ってたんだよ。ちなみに夏凜のお兄さんにも送ってあるよ~」

「はぁ!!? なんで兄貴にも……東郷ぉぉ!!」

 

頭を抱えて項垂れ始めた。

もちろんというか映像を提供してくれたのは東郷で間違いないが、詳細はすこし違う。

 

(料理を作ってくれる旨をお兄さんに報告して、お兄さんが東郷さんにその映像を残すようにお願いしてくれたんだよねー)

 

流石にそれを伝えると本気で怒りそうなのでやめておく。

 

「落ち着いて夏凜ちゃん。何はともあれ本当に美味しい料理をありがとう! ますます大好きになっちゃったよー! これ以上好きにさせちゃってどうするの? 僕爆発しちゃうよ」

「だったら今すぐ爆発しろー!! いや、私も爆発して祐樹と心中してやる……」

「いや、冗談だよね?」

「────はぁぁぁ」

 

とてつもなく長い溜息を吐く夏凜。

やばい、怒らせちゃったか?

 

「……全員バカ! アホ!! もうこの料理も私が全部食べてやる!」

「ええ……それは嫌だ!! 僕も食べるっ! 改めていただきます!!」

 

その後も恥ずかしさを紛らわせるためにか、騒がしく食事は進んでいく。

こんな楽しい日々がいつまでも続けばいいなぁ、と思わずにはいられない僕がそこには居た。

 

 



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story1-after『一本勝負』

僕は触発されて身体を鍛え始めた。

正しいやり方、メニュー、サプリは彼女監修のもとに作成している。
たまに二人で一緒にやることもある。でもその日の終わりはいつもぐったりと部屋で伸びてしまうほど疲れた。
彼女の後についていくのは中々骨が折れるが、ここは男の意地というものを見せつけるためにも喰らいつく。

最近は新しいランニングコースを見つけたので、そこを利用していた。
今日もそれは変わらない。だけど……?


 

ある日の早朝のこと。

僕は朝の澄んだ空気を肌で感じながら日課になりつつあるランニングをしていた時の話。

 

「はっ、はっ──!」

 

自分のペースがなんとなく掴めてきた感覚が楽しくなり始めた今日のこの頃。

彼女である三好夏凜の健康志向に絆され、自身も良さそうかなと軽い気持ちで初めてみた運動系統の一つだが、思いのほかハマってしまったのだ。我ながら単純だと思う。

 

何より朝方特有の静けさというものがこれまた気持ちがいい。

 

海岸の辺りの道をいつものように走っていると、あるものが視界に映る。

 

(あれは……女の子? というかあれは木刀だよね。何してるんだろ)

 

浜辺のところで一人の女の子が海を眺めている──わけではなく、手に何やら女の子には似つかわしくない得物を握りしめている場面に出くわした。

走りを一旦やめて、そちらに意識を傾ける。

 

「──ふっ! はっ!」

「おおー」

 

目を閉じて精神統一なるものをしてから、木刀を巧みに動かしている。

それはある種の『演舞』のような、観ていて思わず声を漏らしてしまうほどだ。

しばらくみていると、その人は息を吐いて近くに置いてあった荷物に手をかけて中から飲み物を取り出した。

 

「……あの」

「僕?」

 

女の子はこちらの存在に気づいていたらしくキッと眼光を鋭くして話してくる。

──あまり友好的な雰囲気じゃないな。

 

その予感を後押しするように彼女は口を開く。

 

「見世物じゃないので。用がないなら何処かに行ってくれないかしら?」

 

棘のある、そんな言い方。

見方を変えればさっぱりとした口調にも感じなくはないが、何人かに答えを訊ねたらきっと答えは前者であろう。

 

何処か出会った頃の彼女に似てるなぁ、なんて片隅で考える。

 

「いや、僕のよく知る人もそういう鍛錬をやっているのを見てさ。同じようなことをしてるキミの姿をみつけて思わず足を止めちゃったんだ」

「…ふぅん。『鍛錬』ね」

 

僕の言葉に思うことがあったのか剣呑な雰囲気が少しばかりなりを潜めた。

代わりに何かを値踏みするような、そんな感じのものに変化する。

 

「何かの芸かもしれない。趣味の何かをしているかもしれない──まずはそんなところを考えると思うのに。君の知るその人は君の考えをそうさせてしまうほどなのね。そういえば…確か拠点は近くにあったかしら」

「マズイこといったかな?」

 

ぶつぶつと独り言のように話す彼女。僕は頭にハテナが浮かぶばかりだがどうしたものか。

その女の子は今度は僕の身体を頭からつま先まで流し見して小さく声を漏らす。

 

「──平均的な男子からしたらそれなりに鍛えてそうねあなた?」

 

内心驚いた。日はまだ浅いが確かにこの人の言う通り、彼女にしごかれたお陰でそれなりに体力はついていた。

それをただ視ただけで言い当てるこの人はもしかしたら彼女と同じような存在なのかもしれない。

僕は頷いて答えるとやっぱりと何やら納得した様子だ。

 

「少し身体を持て余してた所なの。君、付き合ってくれない?」

「うぇっ!? 突然なにを言って──っ!」

 

初対面の人間に何をおっしゃっているのだろうかこの人は。

思わぬ変化球に慌ててしまうが、当の本人はなぜと言う顔をしている。

まさか無自覚か、と今後の彼女のことを考えて指摘してあげることにする。

もし、また見知らぬ誰かに同じような発言をされても困るからだ。主にこの子が。

 

「……こほん、失礼。言い方が悪かったわね。まだ身体を動かしたりないの。だからこれを使って少し相手してくれないかしら」

 

ほんのりと頰を染めて改めて言い直す。その仕草もどことなく彼女に似てるなぁなんて思ってしまう。

言いながら手渡されたのは彼女が使用していた木刀のもう一本。

 

「あまりこういうので女の子と打ち合いたくはないというか」

「あら、随分と余裕な発言するじゃない。それはやってみないと分からないと思うよ」

「いや、そういう意味じゃ…」

 

あ、僕の言葉を煽りと捉えてしまったようで闘争心が刺激されてしまわれている。

僕から距離をとって木刀を構え出した。まだやるとは言ってないんだけど…。

 

「…防具とかは?」

「お互い寸止めすれば怪我はしないでしょ。ほら、構えなさい君」

 

そんなバカな、となし崩しに構える羽目になってしまった。

朝のランニングから一転して女の子との木刀を用いての鍛錬となってしまったわけだが…。

 

(…まぁ、彼女もさすがに本気じゃないだろうし。ここはうまく凌いで帰るとするか)

 

なんて軽い気持ちで考えていたが、それも始まると同時にその考えもどこかへいってしまう。

 

「いきますよ────ふっ!!」

「嘘だろ──っ!? ぐっ!」

 

木刀の乾いた音が耳に届く。砂浜での足場の悪い環境からのこの一撃に僕は驚くばかりか感心してしまうほどだ。

運良く受けきることが出来たわけだが、目の前の彼女は口角を釣り上げてご満悦の様子。

 

「やっぱり私の見立ての通りね」

「な、なんのこと…てか、さっきまでとキャラ違くない!?」

 

目がギラギラと何かのスイッチを入れてしまったようだ。

まるで解せないぞ。

 

困惑する僕はこの瞬間から気を抜いてはいけないと感じ取った。

寸止めとは口にしていたが、このタイプの人間は一度熱が入るととことんやるタイプに違いない。

下手すると怪我してしまうほどに。

だってよく知っている人間が近くにいるからね。

 

いつまでも受けてはいられないので、僕は力任せに弾いて距離を取る。

足場が不安定なところで思うようにステップを踏めない。

こういった稽古紛いなものは昨日今日の素人でないにせよ、どうしたものか。

 

瞬く間に彼女が攻めてくる。どことなく見たことのある動きに僕の身体は合わせるように対する。

けれど、頭で思っていても実際は異なるように動きにズレが生じてくる。更には見た目以上の力を込めてくる彼女に僕の額からは玉のような汗が吹き出てくる。

 

「やるね君──ならこれはどう?」

「──っ!!?」

 

息一つ乱さないその子は次に強烈な一撃を決めてくるようだ。

一本じゃ受けきれないと判断した僕は、運良く落ちていた流木の一本を手に取り二刀を持ってして対抗していく。

 

僕の行動に彼女は目を大きく見開いた。

だが実行に移した彼女の一撃は止まらずにお互いぶつかり、そして────

 

 

 

 

 

 

 

「──参りました」

 

砂浜に転がっていたのは僕だった。

傍らには弾かれた木刀と流木が突き刺さる。まるでマラソンした後のような疲労が襲い、息も絶え絶えに僕は負けを認めた。

相手である彼女は額に汗を流すも息は一つ乱していない。経験というか根本的な部分で負けている気がする。

その表情は満足気に、といいたいところだが、

 

「君、今のは?」

 

信じられないモノを見た、と手元の木刀と僕を交互に見ていた。

その顔をする意味は図りかねないが何とか息を整えて座り込む。

 

「いや、ごめん。そこらにあるものを使うのはルール違反だね。それでも負けてるんだから目も当てられないけどさ」

「そういうことじゃなくて。その型、誰か指南してくれる人がいるの?」

「型?」

 

言われて思考を巡らせる。男女として付き合い始める前から今日まで暇があれば特訓、鍛錬に付き合わされた僕のこの身体裁きは所謂『型』となって取り込まれているらしい。

その時の日々を思い出しながら苦笑するしかないのだが。

 

「君が最後に構えた時に、私がよく知るその人と姿が重なって見えた。いるでしょ? その人の名前を教えて?」

「ちょ、ちょっと顔が近い!? み、三好! 三好夏凜だよっ!」

「──やっぱり。でもなんであの子が君に…?」

 

二、三と彼女の頭の中で思考が転々とする。

その内面を理解することは出来ないがしばらくすると何かを決心したようでこちらに改めて向き直った。

 

 

「君、名前は?」

「…祐樹」

「そう、祐樹さんね。覚えた。君はこの辺りよく走ってるの?」

「最近だけどね。まぁ毎日じゃないにせよそれなりには」

「そ。なら気が向いたらまた手合わせしてくれない? 私にも同期はいるんだけど中々相手してくれなくて。どう?」

「……まぁ、たまになら」

「ありがと。じゃあ私はこれで帰るよ。はい、これまだ開けてない予備のやつだから受け取って。付き合ってくれたお礼」

 

ひょいっと何かを投げてくる。それをキャッチすると冷えたスポーツドリンクだった。ありがたい。

すぐにキャップを開けて中身を喉に流し込んで潤す。

 

「ありがとう」

「それと、いつか……いや、これも気が向いたらでいいや。その三好夏凜も連れてきてくれる?」

「夏凜を? なら明日にでも一緒に来ようか?」

「んー。まぁそれは三好次第だと思う。それじゃ」

「キミは夏凜を知って…? って、そういえばキミの名前はっ!?」

 

荷物を纏めて去っていく彼女に問いかける。

僕の一言に足を止めた彼女はこちらに振り向いて答えた……。

 

「私の名前は────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の自宅でのこと。というより帰宅後と言った方が正しいか。

 

 

 

「──ってなことがランニング中にあってさ。もう身体があちこち痛いったらありゃしないのなんの……ってどうかした夏凜?」

 

帰ってきて二人で朝食を食べてる最中に早朝の出来事を彼女に話す。

初めは耳を傾けてくれた彼女だが、次第に話が進むに連れて顔が強張り始めて最終的には俯いてしまった。

心なしかプルプルしているように思えるが。

 

「…ごはん美味しくなかった?」

「今日も変わらず美味しいわよ……あのさ祐樹、まさかと思うんだけどそいつの名前って」

「あー…えっと確か、楠芽吹さんって言ってたね」

「……ハァァァー」

「え? 何そのリアクション」

 

大きなため息を吐いた。これでもかってぐらい。てっきりあの時の反応から楠さんと夏凜は友達かと思ってたのだけど、違ったのだろうか?

そのことを訊ねると夏凜の表情は苦い顔をしていた。

 

「友達っていうか…んー、なんて言ったらいいのやら。ともかくそういう和気藹々とした間柄じゃないことは確かね」

「そうなると…敵?」

「敵より例えるなら好敵手…のほうがしっくりくるわねうん。てか、あいつなんでこの近辺に来てるのよ。それもまさか祐樹に目をつけるなんてどんな偶然なの?」

「僕に言われてもなー偶然だし…あ、夏凜一味とってくれる?」

「ん? ほい……」

「ありがと。ふー…出汁が効いてて美味いな。さすが夏凜が選んだ”にぼし”だわ」

「当たり前じゃない。 にぼしとサプリなら私の右に出るものはいないわ! ……あ、私にも一味ちょうだい」

「はいはい、どぞー」

 

朝食を食べ進めながら会話を続けていく。最近は僕の家に入り浸ることの多い彼女はこうして一緒に食卓を囲むことが増えていた。

出汁のきいた味噌汁を飲んだ夏凜は器をテーブルに置いて一息つく。

 

「で、祐樹はあいつと打ち合いをして負けたと」

「あれは夏凜と同等かそれ以上だな。あくまで僕の意見だけどさー。そんな人に素人に毛が生えた程度の僕じゃ相手にならんてもんよ」

「その判定は聞き捨てならないけど…私が教えている以上はこうやって目の届かないところで負けてるのは気に入らないわね」

「…対抗心メラメラーって感じ?」

「もとはといえば祐樹がやられたのがいけないんじゃない」

 

そんな無茶な、と意見したいところだがそれではいそうですかという彼女でもない。

 

「あいつはまた来るって?」

「そうだねー。しばらくは顔出すみたいよ。後は気が向いたら夏凜も来てねって言ってた」

「いかない。ねぇ祐樹、私らの面子に関わることだしあいつから一本奪ってきてちょーだい」

「んん!? ごほ…なんだい急に!」

 

思わず吹きそうになったのを堪える。

 

 

「時間がある時に私が指導してあげるからあいつ…楠から一本取ってきてちょうだいって言ったの」

「…僕にできるか?」

「正直難しいかもね。でもそうねー…『成せば大抵なんとかなる』、かしら?」

 

勇者部五箇条の一つを夏凜は口にした。

それを出されては僕も一肌脱がないとならないな、と茶碗に残っていたご飯を一気にかき込んだ。

 

「…じゃあご指導のほど、よろしくお願いしますわ夏凜先生」

「よろしい! じゃあご飯食べて一息ついてから特訓始めるわよ! 彼氏だからって手は抜かないから」

「そうこなくっちゃ!」

 

お互いに笑う。その日から僕は夏凜の指導のもと、打倒楠芽吹を目指しての特訓が始まったのだった。

あれ? なんかうまく乗せられた?

 

 

 

 

 

次の日。日課のランニングをしている最中に再び彼女と会って連絡先を交換して、また打ち合いの時は日取りを決めて執り行うという方式でいくことにした。

この方がお互いのコンディションを整えて挑めるからだ。

 

そして楠さんと連絡先を交換したことを伝える。するとその日はなぜか夏凜のご機嫌がナナメになったため特訓は地獄をみた…。

乙女心は複雑なのかもしれない。いや、僕が言うことじゃないか…。

 

数日後。僕はまたあの時と同じ砂浜に足をつけていた。

 

「じゃあ、二戦目。お願いします楠さん」

「こちらこそ……以前よりは仕上げてそうですね」

「ええ、まぁ。僕たちは負けられませんから」

「それはこちらも同じ…いきます」

 

これといった合図もなく、息の合ったその時に試合が始まる。

お互いに地を蹴り砂を巻き上げて接敵する。

 

こうしてものの数分もしないうちに決着がつくのである。

そして勝つのはもちろん──

 

 

「いつつ…。参りました」

「──まぁ当然です。ですが、数日でここまで仕上げたのは眼を見張るものがあるわ。またお願いします」

「どうも…」

 

地べたに座り込んだ僕を見下ろす楠さん。

少しは善戦するかと見込んで挑んでみたがそれ以上の力量を持ってして完封されてしまった。

二で挑んだら三で返されたような感じ。

正直目を覆いたくなるような試合内容だが、夏凜にしっかり後で報告しなければならないため恥を忍んで脳内に記憶していく。

 

その日の夜。

風呂上がりにこっちに座りなさい、と言われて座ったら髪の毛を乾かしてくれた。彼女なりのフォローなのかな?

嬉しくてニコニコしてたら背中のツボを押された。痛い。

 

 

さらに指導、訓練を重ねての三戦目。

結果は変わらず惨敗。力量差は雲を掴むかのごとくはるかに遠い。

けれど報告を受けた夏凜からは順調に差は縮まっていっているとのこと。

あまり実感がない。

 

そうは言ってくれても曲がりなりに僕も男の子なわけでして、負け続けるのは流石にへこんだ。

察してか否か分からないけど、家で座っていたところに突然頭を無言で撫でられた。ありがとうと言ったらこれまた無言でそっぽ向いた。可愛い。

 

飴と鞭の使い方がうまいな夏凜さん。

 

 

四戦目、五戦目と立て続けにやるも結果は負け。

けど初戦に比べたら自分でもわかるぐらい良くなってきていると思う。負けは負け。けれど惨敗ではない、そんな感じ。

なんとなくだけど楠さんの動きが解ってきた気がする。それで対処できるのかと言われれば話は別なのだが…。

これも指導してくれる先生が優秀なおかげなのかもな。

この日の夕飯は少し豪勢にしてみた。夏凜は喜んで食べてくれた。

もぐもぐ食べる彼女の姿を見るのは癒しになる。明日も頑張ろう。

 

 

六、七、八、九回と戦いを重ねていく。

もはやフィールドである砂浜なぞ意に介さず相手に挑める。楠さんも僕と試合をするたびに力を引き上げてくれているようだ。

正直楽しくなってきた自分がいる。

 

僕と夏凜の意地のようなこの行為に嫌な顔一つせず相手してくれる彼女に改めてお礼を言うが、気にするなと笑われた。

その表情も最初の頃に比べたらいくらか柔らかくなってきてるみたい。

でも夏凜の話になると少しむくれてしまうのはどうしたものか。

 

まぁともかく、手応えはたしかにある。いずれはもしかしたら届くかもしれない。そんな希望を抱きながら僕は今日も夏凜と一緒に鍛錬に努めた。

 

 

 

 

 

 

 

だが、それもいつまでも続くわけではない。

それはある日に唐突に訪れた。

 

「こっちに来れなくなりそう?」

「ええ。少し私の方で問題があってそっちに専念したいの。祐樹さんとの時間は楽しいものだけど、それにかまけていられない状況になりそうなんだ」

「そっか…それは仕方ないね」

「ごめんなさい」

「謝らないでよー」

 

浜辺で準備体操をしながらそんな会話をする。

申し訳なさそうに言う楠さんの姿に僕の方こそ今日まで真摯に付き合ってくれてありがとうと伝えると、困ったような、そんな表情を浮かべていた。

 

 

「──なら今日この日で僕はあなたから一本取ってみせます。受けてくれますか?」

 

木刀を持って楠さんに宣言する。一瞬目を丸くする彼女だったが目を伏せると小さく頷いてくれた。

 

『…………、』

 

お互いに無言のまま距離をとって構える。

数える程の光景だが、何十、何百と行ってきたそれに近い感覚になる。それを向こうも感じてくれると嬉しい。

 

合図はない。これもいつも通り。

いつもは向こうから仕掛けてくれるが、今回はこちらから行かせてもらう。

 

「……っ!!」

 

変わらずに平然と受け止める楠さんは、打ち込み中の表情は無心の如く変化が見られない。

見慣れてきた姿、でもそれは向こうも同じ。根っこの部分にある土台はどうにもこの短時間では覆すことが最後まで出来なかった。

だからこのままでは勝てない。奇をてらう必要があるのだが……それでも正直な所、真正面にぶつかって勝利を掴みたいと思うことは無謀なだけだろうか。

 

(…勝ちたい。この人にまっすぐ勝ちたい。 だけど…)

 

この勝負で一本とれ、と夏凜は言った。

ただそれだけ。どう勝てとかこうやって取れなんてことは言われていない。

 

「剣さばきが落ちてきてますよ。終わりですか?」

「…っ!」

 

なお止まることのない剣戟に持ち手が痺れてくる。

決めるしかない。幸いにも位置は良い場所だ。

 

決めていた流れに乗ってもらうためにワザと隙をつくる。

これは罠だとすぐに理解できるほどの隙を見せた。

 

そして、彼女はそんな見え透いた罠に乗ってくれる。ここまで付き合いでそれは理解していた。

横に一閃、それを僕は屈んで回避してその下の砂をつかんだ。

 

「……っ!」

 

片手で彼女は顔をガードする。目潰し────なんてありきたりな行為をしようと目論んでいた……と考えるだろう。

けれど僕は掴んだのは『砂』じゃない。初戦と同じやり口の再現だ。

片手で握れるサイズの流木。埋まっていたそれを手に取り楠さんの懐に振りかざす。

 

「…やらせない!」

 

しかし流石はといったところ。優先順位を上げてその木を叩き落としてみせた。

僕は手にくる衝撃で顔をしかめるが、まだ終わりじゃない。

残っていた本来の木刀で斬りにかかる。

 

楠さんは目を細めて流れる動作で受け流し、そして先ほどと同じように弾き飛ばす。

僕の両手がガラ空きになる。でもこれでいい。

 

────いきます、と目で訴えかける。

 

(…素手っ!? それにこの技量…やっぱり君は──)

 

楠さんの瞳に初めて余裕がなくなる。振り上げられた彼女の木刀は左手の甲で流されてしまい軌道を戻すことが出来ない。

 

卑怯者。という単語が頭を過ぎったが、夏凜からの指令だ。僕の全てを用いて完遂してみせよう。

 

(──負ける? 私が……祐樹さんに。また…三好に……)

 

完全にノーガード。そのはずだった。

誰が見てももう僕の有利は覆らない。そう思っていた。

 

「……ぐっ!!?」

 

一体何が起きたのか理解できなかった。身体がくの字に折れ曲がってる。

折れ曲がったためか視線が痛みの矛先に向かう。

…物の見事に木刀が僕の腹部にめり込んでいた。

 

声が出ない。肺の中の空気が全て強制的に吐き出されるような錯覚を覚え、次の瞬間には僕の身体はまるで蹴られたサッカーボールのように砂浜をバウンドしながら後方に吹き飛んでいった。

 

「……っ! ……っ?!!」

「私は…三好には負けないっ!!」

 

砂煙が巻き上がり撥ねた僕の身体が止まる。その先で既に楠さんが木刀を構えて振り下ろそうとしていた。

身体はもちろん反応どころか指先一つ動かすことができない。

 

そして木刀は振り下ろされ────

 

 

 

 

 

 

「はい、そこまで。あんたら熱くなりすぎよまったく……」

「──ぐっ!? み、よし?」

 

────ることはなかった。

僕と楠さんの間に割り込む形で第三者の人間が現れた。——三好夏凜である。

 

「なぜ、あなたが……ッ!」

「だーから。少し頭冷やしなさい楠。私は最初から居たわよずっと……無意識とはいえシステムまで使って死なせたらどうするんだっての」

 

渾身の一撃と言わんばかりの速力と威力を用いた一刀を同じ木刀で軽々と受け切った。

呆気にとられた彼女はされるがままに木刀を弾かれ、更に片手で身体をふわりと投げられ楠さんは砂浜の上に寝かされてしまった。

 

痛みはない。しかし場の空気が変わったことによって込みあがってきていた”熱”がすっと消えていったようだ。

この場を治めた夏凜は、木刀を砂浜に刺して手についた砂を払いながらやれやれといった様子で僕の下にしゃがみこんだ。

 

手をひらひらと目の前で動かし、その表情は呆れ顔だった。

 

「生きてるか~?」

「────ぉぉ」

「意識はあるわね……よっと」

 

かろうじで出せた声で反応を示すと、ホッとしたのか彼女は僕の頭を少し持ち上げて自分の膝の上に乗せた。

両頬を両手で抑えられながら強制的に視線を合わせられる。

 

一本は(、、、)獲ったわね。けど、流石にここまでやれとは誰も言ってないわよ?」

「……けほ。だって、こうでもしないと楠さんから一本取るなんてとても出来なかった」

「どアホ。あくまでも訓練、鍛錬、試合の範疇でしょうが! 怪我したら元も子もないんだから。それで私が喜ぶと思っているのあんたは?」

「……ごめんなさい」

 

結構本気で怒っている。その瞳を見てようやく行き過ぎた行動をしていたことを理解した。

だからすぐに反省して謝罪の言葉を述べる。

 

「本当に反省してる?」

「うん、してる。ごめんなさい」

「……はぁ。でもそうね、焚き付けた私にも責任はあるわよね。うん、なら今回はこれで許すわ。私の方こそごめんなさい」

「────三好、夏凜」

 

不意に背後から声を掛けられた。夏凜は振り向くことなく僕の髪の毛を梳くように撫でてくれる。心地よい。

いつの間にか起き上がっていた楠さんは一定の距離を保ったまま立ち尽くしているようだ。

 

「何よ、もう終わりだからね。試合はあんたの勝ちで勝負はこいつの勝ち(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)。それでおあいこよ」

「解らない。解らないよ三好。なんであなたがそんなことしてるの?」

「…………。」

 

僕が知らない二人の会話。下から覗く彼女の顔を見ながら耳を傾ける。

 

「…人は変わるのよ楠。その結果が今の私ってわけ」

「とてもじゃないが信じられない。あの頃(、、、)の三好はそんなではなかった!」

「……このつっかかりようはなんだか過去の自分を見てるようで蓋をしたい気分だわ」

「でも僕には嬉しそうに見えるけど?」

「………そうかしら?」

 

二人して薄く笑い合う。夏凜はもう一度僕の頭を撫でるとゆっくりと降ろして立ち上がった。

僕は座り込んで二人を見守る。

 

夏凜は木刀を手に取った。

 

「なら証明してあげる。いけるでしょ楠?」

「…ええ」

「ふぅ。それじゃ少しやるわ祐樹。行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい夏凜」

 

そして夏凜は歩き出して楠さんの元に歩み出す。

楠さんもそれ以上は言葉を発さずに夏凜と対面に立つ。

 

「あなたが去った後も私は鍛え練磨し続けた」

「そうみたいね。遠くから見てたわ」

「……随分と余裕じゃない」

「正直、以前の私だったら負けてるかもしれない。でも今は負けない、絶対に」

『…………、』

 

お互いに構える。それは僕と楠さんが始まる前と同じ形になった。

夏凜はあくまで自然体を貫きとても落ち着いているように見える。

反対にその姿をその目で見る楠さんはイラつきを見せているようだ。

 

『────っ!!!!』

 

先ほど僕と行った試合が別次元に思えるほどの速度。

まるで爆発したかような推進力を用いて楠さんは夏凜に接近していく。

決着はこの一太刀で決まる、と僕は感じた。

 

「……なぜ」

「これが今の私とあんたの差ってワケ。何度挑んでも同じよ」

 

木刀が半ばで折れていた。楠さんの持つ木刀が。

宙に舞いそして落ちる。楠さんは手に持つ折れた木刀を見つめ、そしてそれを用いて再び夏凜に振るおうとする。

 

……だがそれも未遂に終わってしまう。彼女の首筋へ既に夏凜の木刀が滑り込んでいたからだ。

 

「過去の私と今のあなたが不要と言ってた『甘さ』。これを受け入れるか否かで決着は違ってたかもね」

「…どうして」

「もう、ちっとは自分の頭で考えなさい楠。そんなんじゃあんたの周りで慕ってくれる人たちすら守れなくなるわよ! あんた自身はどう思っていてもそれで背中を預ける人たちのことも考えなさい」

「…………、」

 

木刀を降ろす。もう戦意はないようだ。

一息ついた夏凜は再び僕の元に帰ってくる。

 

「戻ったわ祐樹、ただいま。立てる?」

「おかえりなさい。悪い、ちょっとまだ難しいわ」

「しゃーないわね。ほら、肩貸しなさい」

 

言いながら彼女は僕の腕をとり、肩を組む形で立ち上がった。

ぶれることなくしっかりと支えられて本当は立場逆では? なんて思うがそれを言ったら「確かにそうね」と鼻で笑われた。

 

未だ立ち尽くす楠さんはこちらと視線が合うがすぐに逸らされる。

 

「ごめん楠さん。ズルばっかりしちゃって」

「…いえ、どれも全部君の実力よ。私の方こそごめんなさい。こんなこと言うのもおかしいけど、大丈夫?」

 

その瞳は本気で心配しているようだ。

まぁほとんど自分が悪いのでそもそも謝られることはないけども。

 

僕が口を開こうとしたが、それよりも先に夏凜が口を開く。

 

「大丈夫よ。咄嗟の受け身も取れてたみたいだし、祐樹はこう見えて結構頑丈なのよ」

「そう、なんだ……」

「まあそういうわけで気にしないでね楠さん」

 

笑いかけながら答えると、僕たちはゆっくり歩き出す。

 

「────ます」

「…楠さん? おっと…っ!」

「私の責任でもあるので肩貸します」

 

少し進んだところで楠さんが肩を貸してくれた。けれど側から見たらとても情けない姿となってしまったよ。

横にいる夏凜はムッとして目で抗議しているようだが、楠さんは特に意に介さず。

 

「別に無理しなくていいわよ楠」

「無理してない。祐樹さんは私が運ぶから三好は家に帰っていいよ」

「んな!? あんたね祐樹は私の彼氏なんだから私が運ぶのが道理なの!」

「──えっ? あなたたち恋人同士なの?」

『気づいてなかったんかいっ?!!』

 

 

思わず二人でツッコミをいれてしまうが、楠さん本人はマジで困惑している様子。えぇ…。

 

「私恋愛(そっち)方面には疎くて……」

「え? えっ? じゃあ僕と夏凜のことをどういう目で見てたの?」

「てっきり三好に脅されてこんなことされてるんだなって思ってた」

「楠さん……夏凜のことなんだと思ってるの…?」

「やっぱこいつここで倒してやろうかしら」

「……むっ。受けて立つわよ、さっきのは虚を突かれただけで次は負けない」

 

夏凜の一言でまた場がひりつく。もうあんなバトル漫画みたいな展開はやめてもらいたい。あと僕を挟んでにらみ合うのも。

 

どうにか話題を逸らさなくては────!!

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせしました。にぼしうどんとわかめうどんに肉ぶっかけうどんになります!」

『…………。』

 

どどんっとそれぞれの前に器が置かれる。

それらを無言で見つめる僕を含んだ三人。ほかほかと湯気が立ち上がる中で二人の視線は冷たかった。

 

「ほ、ほら熱く戦った二人は最後に同じ釜のうどんを食べるって言うじゃない? 年頃の女の子があんな木刀で殴り合うのは絵的によくないよウン」

「だからってなんでわざわざ『かめや』まで祐樹を運んで、あまつさえ楠と一緒にうどんを食べなきゃいけないのよ!」

「どうどう。落ち着いて夏凜。店内では騒がない」

「ぐぬぬ」

「いただきます」

「……あんたはあんたで何で普通に適応してるのよ」

「うどんには罪はないから」

 

何処に行ってもブレない彼女の精神は見習うべきかもしれない。

郷に入っては郷に従えとはよく言ったものだ。

 

僕も割りばしを割ってうどんを食するとしよう。

さすがに二人が食べ始めたら観念した様子で夏凜もうどんを食べ始めた。

 

 

「……どう楠さん? ここのうどん美味しいでしょ」

「はい。これは確かに祐樹さんたちが足を運んでしまうのも頷けます。美味しい」

「それは良かった! おかわり頼んでもいいからね。僕のおごりだからさ」

「……では遠慮なく。おかわり」

「はやっ!!?」

 

いつのまにか完食していた楠さんは二杯目を注文した。どこぞの部長のような見事な食べっぷりである。

 

「──祐樹あんた妙に楠に優しいわね。なに、浮気?」

「ちょっとなんでそうなるのさ夏凜! 僕はただ二人の仲を取りもとうとして──!」

「誰もそんなこと頼んでないわよ。でもそうねぇ…私の分も祐樹が持ってくれるなら話は別かもよー?」

「…あはは。それで誤解が解けて夏凜が満足してくれるなら喜ん────」

「おかわりっ!」

「ねえ!! 僕の話を最後まで聞いてよ?!」

「あ、私ももう一杯お願いします」

「二人して酷いなっ!?」

 

ああだこうだと夏凜と言い合いながらもうどんを食べる手は止めない。それは楠さんも同じでそんな自分たちの様子をじっと見つめていた。

そして何やら小さく呟く。

 

────ああ。”これ”が三好の言ってたやつかな……。

 

 

「ん? どうかした楠さん」

「いえ……なんでも」

 

なにやら納得した感じで彼女はうどんを再び食べ始めた。

なにか口にしていたようだったが、聞こえなかったのでわからない。

 

 

「──また祐樹は楠を贔屓して……こうなったら泣きっ面になるまでうどんを食べまくってやるわ! ついでにどっちが多く食べられるか勝負よ!」

「いいね。望むところよ」

「ヤメテクレー……」

 

 

僕の知らぬ間に意気投合した二人はこれでもかってほどうどんを食べました。はい。

夏凜の宣言通りに泣きっ面になりかけた僕と、満足げに店を後にする二人が出来上がったとさ。

 

 

「それじゃあ私はこれで帰るよ。祐樹さん、ごちそうさまでした」

「……気を付けてね楠さん」

「なにこれぐらいでへこんでるのよ祐樹。しゃんとしなさい!」

「ねえ三好」

 

日が沈みかけ夕日が自分たちを照らす。それぞれの影が伸び、楠さんは何かを考えるように足元から伸びる影を見つめていた。

そしてこちらを見据える。

 

「なによ」

「──なんとなくだけど少しだけ、ちょっとだけあなたの言ってたことが理解できたかもしれない。それで三好が見つけた『答え』を私も探してみようかと思う。それが言いたかった」

「……そう。なら、はい」

「──これは?」

 

ぶっきらぼうに答えると夏凜は楠さんにあるものを手渡した。

彼女は不思議そうにそれを受け取る。

 

「さっき一本叩き折っちゃったから私のをあげる。悪かったわね」

「──もうちょっと綺麗なのがいいのだけれど」

「あんた失礼すぎない!!? ちゃんと手入れしてるから問題ないわよ! 素直に受け取れー!」

「冗談よ。そんな顔もするのねあなた」

「……そういうあんたこそ」

 

夕日に照らされたせいでよく見えなかったが、二人は────っていた気がした。

 

「祐樹さんも色々とありがとう。今度はこちらにも遊びに来てください」

「うん。また連絡するよ」

「──ええ。それじゃあ」

 

そういって小さく手を振って楠さんは帰っていった。

横に居る夏凜はじっと彼女の方を見るばかりで、僕だけが手を振っていたがやがてその姿も見えなくなると小さくため息を漏らす。

 

「さて行くわよ祐樹……なによにやにやして」

「いや、なんでもないよ。行こうか」

「んー……なんか無性に身体を動かしたくなってきたわ」

「走る? 僕も付き合うよ」

「あら、ついてこれる?」

「むしろ夏凜こそついてこれるかなー? 最近は中々持久力がついてきたんだよ僕」

「言うじゃない。なら勝負して負けたら勝者の言うことをなんでも聞くでどう?」

「乗った! ──んじゃ先手必勝ッ!」

「なあっ!? このぉ!」

 

 

そんなやり取りをしながら僕たちは楠さんが去っていった方角とは逆方向に走り出した────。

 

 

 




イチャイチャ(物理)だなコレ。
合間合間に入れたからセーフ……よね。

夏凜ちゃんの話で書きかけのものがある→完成させて投稿しよう→少し中身変えてみるか→あれこれ考えていたらなぜかあの子が登場する→(;´・ω・)あれ?→イチャイチャ(?)完成!

…みたいな経緯を経て投稿しました(汗


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犬吠埼樹の章
story1『あなたに届け』


いつも後ろからあなたを見ていた。

けどいつまでもこのままではいけない。
分かってはいるけどどうにも一歩踏み出す勇気が足りない。

……恥ずかしいけど、みんなに相談するしかない。


わたしは部室前で両手をグッと握り決意を固めるとその扉を開いた────。


讃州中学一年、犬吠埼樹。

『勇者部』所属で、部長である犬吠埼風の妹だ。

 

 

彼女はある『悩み』を抱えている。

今回はそのことを他の部員に相談するため、時間を割いてもらって集まってもらった。

 

「──それで樹ちゃん。相談って何かな?」

 

話を切り出すのは友奈。対して彼女の言葉に樹はどう話を切り出すべきか四苦八苦している。

 

「は、はい! そのですね……えっとぉ」

「……煮え切らないわね。風、何か知ってるんじゃないの?」

 

横に居た夏凜が姉である風に問いかける。

視線は彼女の方へと集まるが、当の本人はどうにも難しい顔をしていた。

何かに耐える、そんな表情。

 

「…………いや」

「風先輩、様子が変ですね?」

「イっつん、何か話しづらいことなのかな?」

「じ、実はですね──っ!」

 

頬を赤く染めて、樹は意を決して言葉を紡ぐ。

 

「ゆ、祐樹先輩を振り向かせる方法を皆さんに教えて欲しいんですッ!!」

 

樹は爆弾発言を部内に投下した────。

 

 

 

 

 

 

 

 

樹の発言に勇者部一同はしん、と静まり返る。

いや、一人は彼女の発した一言に反応するや否や部室の壁に頭をぶつけながら何かを抑えようともがいているようだ。

 

一同もわずかながらに頬を染めてしまう。

仕方のないことだ。うら若き少女たちなれど恋の話なんて今までなかったのだから。

身内の、ましてやこの中では一番の年下である樹からの発言ともなれば、その威力は絶大といっても過言ではなかった。

 

「ゆ、祐樹先輩ってあの祐樹先輩で間違いないんだよね、樹ちゃん」

「は、はい!」

「……いや、確かにあの方は勇者部と交流のある人ですが」

 

友奈と東郷が確認を取るが、やはり間違いはないようだ。

 

「ふ、ふぅん。あ、アイツのことを樹がねぇ……」

「イっつんの心を奪うなんて、ゆっきーパイセンやっるぅ♪」

 

祐樹先輩────讃州中学三年、犬吠埼風と同じ学年の男の子である。

彼は故合って毎日ではないが、勇者部の手伝いとして足を運んでくる唯一の男子なのだ。

 

「い、樹ちゃん? 樹ちゃんが祐樹先輩のことを好いているのはわかったけれど、なんでまた」

「ほ、本当はこの想いは胸の中にしまっておこうと思っていたんですけど……日に日に先輩と一緒に過ごしていくとやっぱり抑えられなくなってしまって、それでまずはお姉ちゃんに相談したんですけど……」

「そうだねぇ。イっつんはよく先輩の後ろについて歩いてたもんね」

「まぁ風のあの様子から察するに大体想像つくわね」

「う、うう! だってぇ!!? 姉としては色々と複雑なのよぉ!」

 

壁に額をぶつけていたせいか赤くなってしまっていた。ぶわっと涙を流しながら内心を吐露している。

一同は姉のいつものやつが始まった、と苦笑を浮かべるしかなかった。

その中で彼女に歩み寄る園子は風の肩に手を置いて、

 

「フーミン先輩、恋に年齢や環境なんてものは関係ないんよ! それがたとえフーミン先輩と同い年の男の子にイっつんが惚れてしまったとしても!!」

「あぁぁ!? 現実をアタシに突きつけないでー!!」

 

姉にとどめを刺す園子。轟沈した風は真っ白に燃え尽きてしまったが、これで大人しくなったのでこのまま放置しておくことにした。

 

「じゃ、じゃあ樹ちゃんの恋のお悩み相談が勇者部の今回の依頼だね!」

「私たちが力になれるのかわからないけど尽力するわ」

「……私も少し複雑な気もするけど後輩の頼みとあっては断れないわね」

「もちろんわたしも協力するよ~♪ あとついでに資料としてもらっていいかなー」

「あ、ありがとうございます皆さんっ!」

 

慌てて頭を下げる。こうして勇者部としての活動『樹の恋愛大作戦』が発令された────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホワイトボードにでかでかと『樹ちゃんと祐樹先輩をくっつけよう!』と議題として書かれていた。

その字面を見るだけでも樹からしてみれば恥ずかしいのだが、せっかく相談に乗ってくれているのだから文句は言えない。

 

ボードの前に立つのは乃木園子。

その対面に一同が椅子に座っている構図だ。約一名は今後暴れないとも言えないので、縄でぐるぐるに巻かれていた。

誰とは言わない。

 

「さあ、まずはゆっきー先輩にどうアタックするか、だよね」

「はいはーい!! 結城友奈いいですかー!」

「お! ゆーゆいいねえ。じゃあどぞ!」

 

まさかの一番手は友奈だった。彼女は一つ咳ばらいをすると語り始める。

 

「祐樹先輩は頭がいいので、勉強を教えてもらうのはどうかな? 先輩の家にお邪魔して二人で勉強会……そして休憩の時に膝枕したりーあとはそのままいい雰囲気になってあれこれと──」

「え、えらく具体的ね友奈ちゃん……?」

「え? そうかなぁ……えへへ、なんでだろ?」

「せ、先輩の家でですか!!? さ、流石にハードルが高いといいますか……あう」

 

友奈のシチュエーションを想像して顔を真っ赤にする樹。

なぜか発案者の彼女も照れ顔になっているのだが一同にその答えを持ちあわせている者はいない。

 

だが、園子にとってはいいアイデアだったのかさらさらと手元にあるメモ帳に何かを書き込んでいた。

 

「なるほど~……ゆーゆもなかなかどうして侮れないね! ──次はだれか」

「なら私がいこうかしら」

「おおーここでにぼっしー!」

 

きらきらと瞳を輝かせて園子は夏凜を指す。

 

「……ゆ、友奈が言っていた通り、『膝枕』は効果的だとおもうわ。あと付け加えるならそのまま耳かきなんて樹がしてやればもうイチコロよ! ……あとはそうね、雨の日限定だけど相合傘なんてものもいいと思うわ」

「夏凜ちゃん乙女!! かわいいー♪」

「く、くっつくなぁ!!」

「こ、これもえらく具体的ね……二人になにがあったのかしら? ぐぬぬ」

「ひ、膝枕は難易度が……相合傘ならなんとかいけそうです。恥ずかしいけど…」

「うへへ……にぼっしーからそんな言葉が出てくるなんて思いもよらなかった。これはわたしの創作意欲がぐんぐん湧いてくるよぉ!」

「でもそのっち、雨が降らないことには実行出来ないわ…最近の天気はずっと晴れだし」

「あぁ、そうだよねー残念」

 

結局振り出しに戻ってしまう。

 

「あっ……それなら樹ちゃん。恋文なんてどうかしら?」

「ら、ラブレターですか!? あわわ」

 

東郷の意見はラブレター作戦。これはまた直球な意見が出る。

古くから伝わる伝統的な手法だ。

 

「おー、わっしーは王道をいくね~! これもまた良いよぉ!!」

「そのっちは何かないのかしら?」

「え? んーそうだねぇ……わたしは」

 

園子が口にしようとしたその時、不意に部室のドアが開けられた。

皆一様にそちらに意識を向けると、渦中の人物の一人がこの場に参上した。

皆がギョッと驚く。

 

「こんにちはー…ってあれ、みんなで何してるの? ん、そのボード…」

「あっ!! ゆ、祐樹先輩っ!!? わぁぁ!! 何でもないですよー!」

「おおッ!? 急にどうした友奈!!?」

「今のうちに──そのっちボードを!!」

「はっ!? ふんっ!!」

 

東郷の指示で園子はホワイトボードを勢いよく逆に回して回避する。

あたふたと友奈が視界を遮ってくれたおかげで内容までは見られていないはず。

 

 

隠ぺいを終えると友奈はすみません、と謝罪しながら彼を部室内に招き入れた。

祐樹は勇者部の人間の行動に疑問を覚えたが構わずに樹の横の席に座る。

 

「せ、先輩お疲れ様です!」

「うん、樹ちゃんもお疲れ様。みんなで何してたの? 会議?」

「へっ!? い、いやあのですねそのー…」

 

チラッとみんなに視線を送るが逸らされる。

そんなぁ、と悲しみに暮れる樹だったがある人物がこちらに歩み寄ってきた。

乃木園子である。

 

「んっふー。ゆっきー先輩っていつも(、、、)イっつんの横に行きますよねー?」

「えっ? あぁ、そうだっけか? ごめん、嫌だったか」

「そ、そんなことないです。むしろどんと来いです!」

「い、樹ちゃん?」

 

樹の言動に祐樹は首を傾げる。園子はそんな様子に内心悶えながらも話を続ける。

 

「あ、そのっちのあの顔……」

「東郷さんわかるの?」

「ええ、何かを企んでる時の顔だわ」

「でしょうね。私から見てもそう見えるわ……てか、ここにいる姉の形相が凄いんだけど」

「ふー…ふー…コフー」

 

鬼の形相とはこのことか。口元と身体を縛られて身動きできない彼女からは、威圧だけで敵を殺せそうな勢いだ。

これを解き放つことは、猛獣を檻から解き放つと同義なのでしっかりと見張っていなければならない。

 

そんな様子もつゆ知らず、園子の会話は続いていく。

 

「ふふふ……ゆっきー先輩。わたし達がこうして集まっていたのはですね、コレをどうするかという会議をしていたんよ!」

「それは──遊園地のチケット?」

 

園子が懐から取り出したのは二枚のチケット。

そこには、皆が見知った名前の施設名が記載されている。

 

「そーなのです! たまたま…そう、偶然に手に入れたこのチケットを誰といくかと揉めていたのですよゆっきーパイセン」

「あー、いいなぁ園ちゃんわたしも……むぐー!?」

「話がややこしくなるから友奈は黙ってなさい」

「そうだったんだ。勇者部みんなとは行けないの?」

「チケットは二枚で、私も含めてみんなこの日は用事があって行けないのよ。樹ちゃんを除いて…」

「そうだったんですか!?」

 

園子の会話に東郷が乗っかってきた。

さらっと嘘を混ぜ込む東郷だが、あまりの自然体で言うものだから樹自身も祐樹の隣で用事がある云々の話を信じてしまっていた。

樹の将来が少し不安になる場面だった。

 

園子と東郷はアイコンタクトで状況を整理し、的を徐々に絞っていく。

 

「そこで、タイミングよくゆっきー先輩が来てくれたので、イっつんと一緒に遊園地に遊びに行ってもらいたいなぁと考えているのです!」

「お願いします! 祐樹先輩」

「なるほど。うん、この日は特に用事はないから僕はいいんだけど、樹ちゃんは大丈夫なの?」

「は、ははい! 私はもちろん大丈夫です!!」

「そっか! じゃあ皆には申し訳ないけど、二人で行くよ。ありがとう園子」

 

おおー、と小さな歓喜の声が部室に響く。

樹も突然の事でまだ理解が追いついていない部分があるが、何であれ好きな人と二人っきりで出かけられるこの展開ににやけ顔になってしまうのは無理もない事だ。

 

背後でどす黒い気を放つ者もいるが、そんな様子も目に入らないぐらい、樹は浮かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで週末のその時がやってきた。

待ち合わせ場所に私が向かうと既に彼はその場に立って待っている。

 

寝坊はしなかった。

むしろ目覚ましより三十分早く目が覚めたほどだ。これには姉である風も大層驚き、同時に複雑な思いにかられてしまうのだがこれはまた別のお話。

 

(ふふっ……祐樹さんとデート!)

 

目の前の光景を見るだけで、私は頬が緩むのを自覚してしまう。

今まで彼の一歩後ろを歩く状態だったが、今日は違う。彼の横に居られる。

そう考えただけでも幸せが溢れてくる。

 

あの時は『遊びにいく』と言葉を濁していたけれど、若き男女が二人で出かけるといったらこれは紛れもなく『デート』なのだ。

彼はその気でいるのか不明だが、少なくとも自分にとってはこれは初めてのデートとなる。

遠足前のあのワクワクにも似た、この高揚感。

浮かれるなと言われても無理がある。

 

小走りで近づいていくと、半ばの所で彼がこちらに気が付く。手を上げ私の元へと歩み寄ってくる。

 

「お、おまたせしました先輩!」

「ううん、僕が早かっただけだよ。樹ちゃん今日は早いねー」

 

彼は自分が朝が弱いことは知っている。だけど今日は絶対に遅刻なんてできなかった。

 

「はい! 今日が楽しみだったので頑張って起きました!」

「おー、それは凄い凄い!! やればできるじゃないかー」

「えへへー♪」

 

頭を撫でられる。褒められるだけでも嬉しい。

もっと構って欲しい、と思ってしまうのは意地が悪いだろうか。

 

「実は僕も楽しみで早く来ちゃったんだよ。同じだね」

「え? それって────!」

「さあ、時間も惜しいし行こうか樹ちゃん」

「あっ!? 待ってくださいー!!」

 

何やら思わせぶりなセリフを言われた気がしたが、彼に訊ねる前に話を区切られてしまった。

慌てて彼の横に並んで歩く。

 

身長差が頭一つ分ほど離れているので顔を見るときは見上げる形になる。

ちらっと彼の横顔を眺めた。

 

────あぁ、今日もかっこいい。

 

いつからこんなに好きになってしまったんだろう、と自問自答をする時がある。

だけどどう考えを巡らせても答えは同じになってしまうのだ。

それは……

 

「──そういえば、言い忘れてたよ」

 

思い出したかのように彼は微笑んだままこちらに目を向けてくる。

   

「服、可愛いね。かわいい樹ちゃんにピッタリだ」

「あ、あぁぅ……あ、ありがとうございます。せ、先輩もその……カッコいいです」

「……あぁうん。えと、ありがと。照れるねなんか」

「そ、そうですね……」

 

頬を掻いて気を紛らわしているその仕草も、私には眩しくてどうにかなってしまいそうだった。

遊園地までの道のりは普段とは違う。

 

徒歩圏内から離れているため、電車やバスを利用する。

このちょっとした旅行気分も、彼と一緒となれば何倍にも増幅してしまう。

 

道中も部活で話しているように、変わらず二人は会話を重ねていく。

途切れることなく、ああでもないこうでもないと喋るその背景はいつもと違って視えた。

 

「おおーここが!」

「凄い人ですねぇ!」

 

そしてたどり着く。休日もあってか人混みは結構なものだった。

二人の気分も入場前からかなりの上がりようだ。

 

「よし! 行こう樹ちゃん!」

「はい! 先輩っ!」」

 

だから今日は思いっきり楽しもう。

私と祐樹さんは駆け足で入口のところに向かって行った。

 

 

 

 

 

 

「さて、無事に入場出来たわけだけど、何から行こうか?」

「そうですねー……あっ、あれに乗りたいです!」

 

入って早々に目に入ったものに指を指す。

祐樹先輩はそれを目にすると微笑みだした。

 

「なるほど、ティーカップだっけ? 小さい時に乗ったっきりだなぁ」

「実は私もです。いいでしょうか?」

「もちろん! どうせだから全制覇する勢いで行ってもいいぐらいだねー」

「あはは。もう、先輩はしゃぎすぎですよぉ」

「ああそうだもう一つ。樹ちゃん、ここは学校の外なんだし、僕のことは普通に名前で呼んでよ! 先輩後輩関係なくね」

「えっ!? で、でも私にとっては先輩は先輩ですし…」

「いいからいいから! さぁ!」

「せ……祐樹、さん?」

「うん! なんか、()にそう呼ばれるのは新鮮だね。それじゃあ行こうか」

「あっ、私の名前……わっ!」

 

私が名前を呼ぶと、彼も私から『ちゃん』呼びがなくなる。

それが先輩後輩という間柄から一転して、一人の女の子として意識してくれたような気がしてとても胸が高鳴った。

手を引かれて私は歩き出す。繋がれた手のひらからは暖かい温もりを感じた。

 

それがとても嬉しくて、『好き』がさらに積もり積もっていく。

 

ティーカップは意外に楽しめた。最初は祐樹さんが勢いよく回しすぎてお互い目が回っちゃったけど、一旦落ち着かせてからは、ゆっくりと回しながら会話をしつつ楽しめた。

終わった後も少しふらふらする感覚が残っている。

 

「もぉ! あんなに回されたら振り落とされちゃいますよ!」

「ごめんね。じゃあ次はあそこにしようか」

「わぁ! かわいいですねぇ~♪」

 

遊園地のマスコットキャラクターや巷で人気のキャラクターを集めたファンシーなアトラクション。

 

「へぇ~…今のやつって結構手が込んでるね」

「ジェットコースターみたいな感じでしょうか?」

「でも割と小さい子も乗ってるから絶叫系じゃないと思うよ…っとと!」

 

不意にコースターが動き出しバーにではなく椅子に手を置くと、暖かい何かに触れる。

ちょこん、と触れるその感触は先程と同じもの。

 

「あ、その…ごめん」

「い、いえ私の方こそ……あの、祐樹さん! 手を、繋いでもいいでしょうか?」

 

アトラクションも始まり薄暗くなる空間で、私は思い切ってお願いしてみる。

椅子に手を置く彼の指先に軽く触れながら。

 

一瞬暗がりでも分かるぐらい驚いた彼だったが、樹の言葉に頷いて見せてお互いの指先を絡めるように繋いだ。

あぁ、本当に来てよかった、と思える瞬間だった。

 

キュッと小さく握ると、同じ力で握り返してくる。嬉しい。

ドキドキと脈動する心臓を心地よく受け止め、私は目の前のアトラクションを彼と一緒に共有していく。

 

「はぁ…すごく面白かったです!」

「うん、キャラクター達も可愛かったし中々楽しめたよ。…ねぇ樹」

「はい? 何でしょうか?」

「樹さえよければこのままでもいいかな、この手…」

「あ……あぅ。は、はいぃ」

 

忘れていた。手を繋いだままだったことを。

その二つの手を見て頰が熱くなるが、せっかく一歩前進出来た成果なので文字通り手放すのは嫌だった。

 

私の言葉に祐樹さんは、どこか視線を外しながらそっか、と呟くように口にする。

その頬はほんのりと赤いような気がする。

 

 

「あ、あそこにジェラート売ってるよ! 食べに行かない?」

「そ、そそそうですねっ! ちょうど冷たいものが食べたかったところです」

 

気を紛らわせるために二人は出店のあるところへ向かう。

ジェラートを二つ。私はメロンで祐樹さんはグレープ味。

 

店員さんから受け取って近くのベンチに腰掛ける。

 

「凄い人だね。人混みを目で追ってたらそれだけで疲れちゃいそうだ」

「ほんとですね! ……あ、おいし」

「樹の美味しそうだな…一口もらっていい?」

「え? はい、どうぞ!」

 

自然に言われたものだから、姉と食べ比べするときみたいな要領でついそのまま差し出してしまった。

すぐに自分の行動に気がつくが、それよりも先に祐樹さんの口元がジェラートに運ばれていく。

 

「ん、本当だ美味しいよ! ほら、お返しに樹も食べて」

「…………、」

「樹? おーい!」

「──はっ!? すみません意識が飛んでました」

「なんでっ!?」

 

視線を手元のジェラートに向ける。今しがたここに祐樹さんががが…。

 

「んー……えいっ」

「──むっ!?」

 

いつまでも呆けている私を見かねてか、祐樹さんはスプーンで私の口元にジェラートを食べさせてきた。

冷たい中でグレープ味が口内に広がっていく。美味しい。

 

驚いていると、横に座る彼は口元を手で抑えながら笑いをこらえているようだった。

 

「むぅ……祐樹さん急にやられるとビックリするじゃないですかぁ」

「ぼーっとしてる樹が悪い。ふふ……ビックリ顔も可愛いな」

「う、うぅ……それは反則ですよぉー」

 

日頃からたまにからかってくる感じで『可愛い』とか言ってくる彼だが今日はその頻度がかなり多い。

普段の時でさえ嬉しいのに、こんな私にとって特別な日にこうもたくさんされてしまうとその先を期待してしまう自分がいる。

この感情は間違っているんだろうか。勇者部には私以上に魅力的な人はたくさんいる。

彼は部内での評価は悪くないし、唯一の異性の人間。まったくの無関心ではないはずだと思う。

 

(ここで一気に距離を縮めて……縮めて。にへぇ……)

 

ダメだ。にやにやが止まらない。首を振って煩悩を絶とうとするが、すぐにまた溢れ出てくる。

キリがないので、ジェラートをパクパクと口に放り込みながらクールダウンさせていくことにした。

 

「ごちそうさま! さて、じゃあどんどんいこーか!」

「は、はいっ!!」

 

食べ終わり、再び行動を開始する。

その後も色々あった。いや、ありすぎて言葉に表しきれないほどの時間が今日この日にあった。

 

永遠(ずっと)にこの時間を楽しみたい。小さな子供みたいな理由を思い浮かべてしまうほど、楽しかったのだ。

お天道様もいつの間にか頂点を過ぎ、西へと沈んでいこうとしている。

 

この時間もそろそろお別れの時が近づいてきている。

私たちは最後にと、観覧車にのっている。夕日が差し込み、町が茜色に染まっていくその光景はとても綺麗だ。

 

お互いが向かい合うように席に腰かけ、外の風景を眺めていた。

 

「今日は本当に楽しかったね。こんなにはしゃいだのは久しぶりだよ」

「わ、私も! 祐樹さんと遊びに来れて本当に楽しかったです」

「よかった。ありがとう樹」

 

ニッコリとほほ笑んで答える祐樹さん。その表情はどこか寂しそうに思える。

祐樹さんもこの時間を大切に思ってくれているのだろうか。そうと信じたい。

 

しばらく無言のままゆっくりと流れていく景色を眺める。

 

(──はっ!!? このシチュエーション……)

 

ふと、考えてしまった。二人っきりの密室空間、雰囲気はばっちりのこの瞬間(とき)はまたとない絶好の告白チャンス。

意識してしまうと途端に心臓の音がうるさくなる。

 

(そ、そうだ。言うって決めたんだ……私は、この人とその先に進みたいって……すぅ、はぁ)

 

ばれないように小さく深呼吸。さあ、言え犬吠埼樹。

この想いを伝えるって決めたんだ。

 

────為せば大抵何とかなる。

 

胸の方で手を握る。

 

「あ、あの先輩! お、おは…お話があります!!」

「……うん、何かな?」

 

ドキドキ、ではなくドックンドックン、と心臓が脈打つ。

彼は私の方に意識を向ける。互いの視線が交わった。

 

「私は、犬吠埼樹は先輩に大切なことを伝えたいんです。え、えとですね……あ、あの」

「……落ち着いて樹。でもそっかぁ……先に話を切り出させちゃうとは先輩失格だなぁ僕は」

「せ、先輩? 何を言って────」

 

観覧車が上がり始めてそろそろ頂点に近づいていく。

祐樹さんは、私と同じぐらい顔を赤くさせている──ように見えた。

 

「ごめんね遮っちゃって。でもこれは僕から言いたいと思ってたんだ、聞いてくれるかな?」

「……はい」

「僕と樹が初めて出会った時のこと、覚えているかな?」

 

彼は私との出会いを思い出すように語り始める。

それはもちろん忘れるわけがない。

力強く頷いて答えると、よかったと言葉を漏らしていた。

 

「放課後の空き教室で『歌声』が聞こえてきたんだ。それはとても透き通っていて綺麗な歌声。僕は初めて誰かの声を『美しい』なんて思ったよ。そしてその声の主が誰なのか気になって、不躾にドアを開けちゃってさ」

「くすっ。あの時は驚きました。隠れて練習してたところに先輩が入ってくるんですから」

「そうだね。でも入ったら入ったでまた驚かされた。とても可愛らしい人が歌ってるんだもの」

「……恥ずかしいです。えへへ」

 

秘密の歌の練習。あの日たまたま空き教室でのそのときに不意に現れた男子生徒。

私は驚いたと同時にカッコいい人がきた、なんて恥ずかしくも思ってしまったんだ。

 

「名前を訊いてすぐに誰かわかった。風の妹だってこと。妹がいることは普段の会話の中で聞かされていたからすぐにね。それでまぁ、最初は興味本位で君と話してみたんだ。我ながら図々しいにもほどがあったかもしれないけど」

「いえ、恥ずかしかったですけど……私の歌を褒めてくれた人は先輩が初めてだったのでとてもうれしかったです」

 

そう、あの日あの時に言ってくれた『ある言葉』が、今もなお私の根底に強く根付いている。

先輩は何気ない一言を言ってくれたのかもしれない。

 

────綺麗な声だね。

 

本当に何気ない一言。でもそれは彼が言ってくれたからこそ意味があったもの。

 

「それで少しづつ風を通して樹と話す機会も増えてきて、勇者部にお邪魔するようになって、一緒に楽しんだり、笑ったり色々してきた」

 

私も目を閉じればその時の情景は思い浮かぶ。

 

「ふと気がつけば、君ばかりを見ていた」

「……皆さんの方が綺麗で、魅力的です。私はちんちくりんでドジで寝坊すけで…ダメダメな後輩ですよ」

「でも、僕が見ていたのはそんな君だったよ?」

「…そんな言い方卑怯です。そんな──そんなこと言われたら私はこの気持ちを抑えておくことができなくなっちゃいます」

「僕はこの気持ちに嘘をつくのは止めることにしたんだ。だから言うよ…」

 

席を立ち彼は私のもとに近づいてくる。

ああ、いつもこの人はズルい。私が言おうとしていたのに…。

でも心のどこかでは、待っていたのかもしれない。彼からのその言葉を。

 

「僕は樹のことが好きなんだ。僕と付き合ってほしい」

 

心が、想いが一致していたこと。その一言の言葉で溢れてくるものがある。

頰に熱いものが伝わる。それが自分から出てきたものだと知って、拭ってみたが、また出てくる。

拭っても拭ってもそれは止まらなかった。

そんな状態の私を見て祐樹さんは心配そうに見つめてくる。

 

「どうして泣いてるの?」

「嬉しいんです。本当に…ありがとうございます祐樹さん。私も、祐樹さんのことが大好きです!! こんな私でよければ、付き合ってください!!」

 

思いっきり彼に抱きつく。

想いが通じ会うのはこんなにも幸福なことなのだと実感するために強く。

祐樹さんは私が抱きついたことに驚いたがキチンと受け止めてくれた。

 

「…これからも、いや…改めてよろしくね樹」

「はい、こちらこそ……よろしくお願いします祐樹さん!!」

 

今までで一番の笑顔をしていた気がする。

観覧車の頂上に到達するのと同時に、二人の影は重なり合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

週が空けて再び勇者部部室内でのこと。

正式にお付き合いしたことをみんなに伝えるべく、二人は部室に足を運んだ。

 

中に入ると、全員集合していてこちらに視線が集まる。

 

「おっ! きたきたー! お二人さん、昨日はお楽しみでしたね~♪ むふふ、一度言ってみたかったんだぁ」

「あ、園ちゃんズルい~! わたしも言いたかったのにー」

「こら、二人とも! …ごめんね樹ちゃん、祐樹先輩。私からもおめでとう、祝福するわ」

「いや、大丈夫だよ東郷、ありがとう」

「あ、ありがとうございます! 東郷先輩!」

 

入るなり祝杯ムードである。まだ付き合い始めたことは言っていないはずだが、まぁあれだけ煽られれば結末はどうなるかわかっているようなものだ。

素直に言葉を受け取り、彼女たちの輪に入る。

 

樹はすぐに園子と友奈に捕まり褒めちぎられていた。

どうあれ後輩の行く末に心配していたのだから仕方のないことだ。

半ばもみくちゃにされながらもその顔は晴れ晴れとしていて、見ているこっちとしても心地がいい。

 

そんな様子を眺めていると、こちらに夏凜がやってくる。

 

「ま、なるべくしてなったって感じね。おめでと祐樹」

「うん、ありがとう夏凜」

「樹は私にとっても可愛い妹みたいなんだからもし悲しませたら……って、言いたいことは大体姉の方と同じね。行ってやりなさい」

「あぁ」

 

夏凜が一歩引くと奥の方、窓際で一人窓の外を眺めている人がいる。

樹の姉の風だ。

 

「風、いいかな」

「なによ」

 

ぶすぅっといった感じで祐樹の言葉に振り向くことなく答える。

今朝から校内ですれ違ってもこの有様だ。

 

 

「樹と付き合うことにしたよ。僕が……いや、僕も君と同じく樹を支えていくよ」

「……ねぇ、祐。私たちの事情はそれなりに知っているわよね?」

 

風の言葉に頷く。

 

「両親が居なくなって、あの子がつらい思いをしないように色々と努力してきたわ」

「うん」

「…樹があんなに嬉しそうに、楽しそうに学校生活を送れてるのはアンタのおかげでもある。とても感謝してるわ…きっとアンタになら樹を任せられると思う。だけど、ほんの片隅に『もしも』という不安があるのも事実なの」

「でも風、それは……」

「わかってる! それは考える必要のないことぐらい。だからそんなことを考えさせないようにこれからもアタシに証明し続けてちょうだい」

 

姉としての考え、家族としての考え。

きっと複雑に絡み合っているのだろう。それでも彼女は僕たちを祝福してくれようとしている。

背中を押してくれる。

 

ならこの想いには、僕は答え続けなければならない。

 

 

「ああ、必ず」

「……うん、ならもうアタシからは何もないわ! あ、まだあったわ……樹を泣かせたりしたら許さないからね、祐」

「はは……うれし泣きとかは許してくれ」

「それは許す! …ふふっ」

「ははっ」

 

二人して小さく笑い合う。そんな様子を見ていた夏凜は「これも青春ってやつかしら?」なんて考えながらため息を漏らす。

 

「あ、じゃあせっかくだから樹ちゃんと祐樹先輩のツーショット写真を撮ろうよ!」

「お、ゆーゆナイスアイデアッ! わっしーカメラある?」

「ええ、抜かりはないわそのっち! 私はビデオカメラでいくわ。映像は永久保存版で!」

「うええ!? 恥ずかしいですよぉ!」

 

いつのまにか撮影会が始まろうとしていた。何がどうなってその結論に至ったのやら。

苦笑していると、ドンッと背中を押される。

 

「ほーら、ちゃっちゃといってやりなさいよ彼氏。部長兼姉としての命令ぃ!」

「…おっけー。樹」

「あ、祐樹さん!」

 

友奈たちに優しく背中を押された樹がこちらに来る。

二人は対面し、微笑み合う。

 

「だそうだ。樹、一緒に撮ってくれるか?」

「…はい♪ もちろんです!」

 

手を差し出し、樹はそれに応える。

その光景はとても画になるもので、樹自身がとても大人びているようにも見えてしまう。

 

「ほへ~……樹ちゃんすごく幸せそう」

「今がベストショットだね! あらゆるアングルから撮ってやるぜよ!」

「はーい。じゃあ二人ともこっちを向てもらっていいかしら」

 

東郷に促され、目線をそちらに向かわせる。

そっと樹の肩を引き寄せその身体を腕の中に収めた。

 

「大好きです、先輩」

「──うん、僕も大好きだよ樹」

 

きっとこの楽しい時間は続いていく。

このぬくもりを離さぬように、僕たちは精一杯の笑顔を送っていった────。

 

 

 

 

 

 

 

 




日間ランキングに載ることができました。
正直本当に驚きです。これも皆様のおかげです、ありがとうございます!

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story2『甘えてください』

一緒に居るだけでも幸せだ。
同じ景色を見ているはずなのにどうして以前とこうも違うのだろうか。

真新しくそして楽しい日常をくれたこの人に何か恩返しをしてあげたい。

何がいいかな?
でもそんなにすぐには思いつかないから、いっそのこと本人に直接訊いてみるのも手かもしれない。


「────祐樹さん。ちょっといいでしょうか?」

 

自宅での出来事。それはある日突然やってきた。

部屋にいるのは同じ学校の後輩であり、最近になって僕の恋人になった犬吠埼樹が視線を泳がせながら訊ねてきた。

 

「あらたまってどうしたの樹。何か相談事?」

 

ちょこんと正座をして座る彼女の様子を見て僕も対面に正座で座る。

樹の彼氏であり彼女の先輩でもある僕は首をかしげながらも作業の手を止めて向き直った。

 

「えっとですね。その……なんというか」

「うーん? 何か言いにくい事でもある感じ?」

「そういうわけじゃないんですけど……うぅ」

 

樹の反応にますます疑問を浮かべる。顔を俯かせ薄く頬を染めながら指先同士を合わせてもじもじしていた。

どうしたのだろうか。そんな彼女の姿を心配して近づくとその手をとって握ってあげる。

 

「どうしたの樹。大丈夫だよ、悩み事なら僕が力になれるように尽力する。遠慮せずにいってごらん」

「…わかりました。祐樹さん! わたしのお願いを聞いてほしいんです」

 

僕の言葉を聞いて決心の固まった樹は芯の通ったその瞳でこちらを見つめてきた。

…ああ今日も可愛いなーなんて思考の隅で考えてしまうが表に出ないように繕うことにする。

 

せっかくの彼女の相談事だ。できる限り力になってやりたいのが彼氏ってものだろう。

けれどその考えも次の一言によって白紙に戻っていってしまった。

 

「──もっとわたしに甘えてください!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────ふんふんふ~ん♪」

 

キッチンから耳心地の良い鼻歌が聴こえてくる。

僕が彼女のことを好きになったもののひとつである”歌声”。それを贅沢にバックミュージックとして聴き入れながら僕は止めていた作業を再開する。

 

「本当に助かるよ。ありがとうね樹」

「いえ! わたしも一緒にご飯食べたわけですし、洗い物は任せてください! ~~♪」

 

昼食を食べ終えた僕たちはその後片付けを樹が買って出てくれたので素直にお願いした。

 

「でもこういうのでいいんですか? もっと色々あると思うんですけど」

「いやいや、僕からすれば十分に甘えさせてもらってるよー」

 

最初は”甘えてください”なんて言うものだから思考が停止してしまった。

おかげで沈黙の時間が続いたわけだが、涙目になり始めた樹の姿を見てハッと我に戻った僕は一先ず食器洗いをお願いしたのだけど…。

 

(急にどうしたんだ樹は…? もしかしてまた勇者部の連中が何か吹き込んだのか?)

 

視線だけ樹に向けながら楽しそうに洗い物をする彼女のその姿を脳裏に焼き付ける。

何がどうあれ彼女とこうして同じ空間にいるだけで僕は満足なんだけど、恐らく樹の言葉からしてそれじゃあ納得はしないはず。

だとすると消去法で勇者部の誰かが樹に入れ知恵なるものを吹き込んだに違いない、そう僕はあたりを付けた。

 

しばらく視線を手元に戻して作業に集中していると、水道の蛇口を締めるキュッとした音が聞こえた。

 

「…これで終わりっと。えっとタオルは──あった」

「んー。あ、また間違えた……結構難しいなコレ」

「終わりましたよ祐樹さん。何をしてるんですか?」

「ん? お、もう終わったんだね。ありがとう……これはちょっと、ね。内緒」

「内緒ですかー…むぅ」

 

訊ねてきたところ申し訳ないがこれはまだ早いので内容は伏せておくことにする。

内緒にされた樹は小さく頬を膨らませていたがその姿も可愛いので思わず頬を撫でてしまう。

 

「わ、きゅ、急になにを──!」

「いやー柔らかそうなほっぺだからつい触りたくなっちゃったんだ。ダメかな?」

「ダメじゃないですけどなんかくすぐったくて……ふぁぁ」

 

満更でもない顔でされるがままの樹。優しく撫でてあげているととろんとした表情に変わっていく。

思わず抱きしめたくなる衝動に駆られた。

 

「祐樹さぁん……はへぇ~」

「あぁー癒される。風が溺愛してしまうのも分かるなー」

 

いつも樹、樹と口にしていた姉の気持ちがこうして距離が近づくにつれて分かってくる。

そんな姉は今日は用事があるらしく午前中から出かけていた。

最近はなにかと姉とセットで行動していることが多くてこうして二人っきりという場面は中々に珍しく感じる。

少しばかり過保護すぎやしないかと考えたこともあるが、彼女たちにとってお互いが唯一の家族であるため愛情過多になってしまうのも無理もないのかもしれない。

…まぁ、いつかは僕もその『家族』の末席に加えてもらえるとありがたいけども。

 

その時のことを想像するとちょっと笑ってしまう。

恐らくだが姉がまた僕の前に立ちはだかるだろう、という意味で。

なにかと不安に感じてしまうみたいなのでこうして日々を積み重ねて仲良くしてますとアピールしていこうと思う。

 

しばらく堪能していると、樹はハッと我に戻りあたふたと慌て始めた。

 

「ゆ、祐樹さんっ! よく考えたらこれじゃあわたしが甘えちゃってるみたいなんですけど」

「僕が癒されて樹も癒される。これ以上ないほど良いと思うけど?」

「そ、それはぁ…そうなんですけどぉー」

 

むむ。何か僕の対応が違うみたいだ。これは後々不満として彼女の内に根付いてしまうのはいただけない。

なので多少気恥ずかしい部分も残るがここは彼女の厚意に甘えることにしよう。

 

「──じゃあ膝枕してよ樹。一度されてみたかったんだよね」

「っ! はい!! 任せてください祐樹さん」

 

ぱぁ、と花が咲いたみたいに笑顔を浮かべる樹。どうやらこういうやり取りが正解みたいだ。

樹は僕の言葉の後にすぐ体勢を変えて頭を乗せやすいようにしてくれる。

 

「そ、それじゃあどうぞ…」

「うん。じゃあ失礼して……よっと」

「ひゃわ!?」

「あ、ごめん痛かった?」

「だだ大丈夫です! すみません」

 

ビクリと肩を跳ねさせた樹だったが、促されて僕は彼女の膝の上にお邪魔した。

ロングスカートの上ではあるが樹の太ももの感触というか、女の子の柔らかさに僕の心臓はドキドキと脈打つ。

 

「あの、どうでしょうか? 初めてやるので上手くできてますか?」

 

下から見上げるとその瞳は期待と不安に揺れていた。

それを拭ってあげるべく僕は笑みを浮かべて頷いてあげる。

 

「うん、これはなんというか…凄く落ち着く。見上げたら僕の目の前が樹でいっぱいになるから嬉しくなるね〜」

「よ、良かったです」

「痛かったり辛くなったら言ってね。すぐに退くから」

「はい……祐樹さん、こんなのはどうですか?」

 

考える素ぶりを見せた樹は手持ち無沙汰になったその手を僕の頭の上に置いて撫で始めた。

目を細めて僕はその行為を受け入れる。

 

「なんだか樹が大人っぽく見えてくるね」

「…えへへ。祐樹さんは逆に小さな子供みたいに可愛く見えちゃいます」

「普段とはまた違ったキミが見れるし甘えたかいがあったかな? 癖になりそーだよ」

「──恥ずかしいです……でも祐樹さんにならいつでもやってあげます、よ?」

 

耳元に顔を近づけてそう囁く。嗚呼、ここは天国だったか。

なんて本気で思えてしまうほど今のこの状態が心地よかった。

 

たっぷり数十分、堪能させてもらうといよいよ心地よさで寝てしまいそうになってしまうので名残惜しいが終わりにする。

 

「もういいんですか?」

「うん。あんまり居すぎると戻れなさそうだからねぇ。次の機会に楽しみでとっておくよ」

「わかりました。よいしょ……ひぅ?!」

「ど、どうした樹?! 痛かったか!?」

 

僕自身も膝枕の勝手がわからなかったのでもしかしたら相当の負担を強いてしまったのやもしれない。

しかし、樹は目尻に薄く涙をためて僕の言葉に対して首を横に振った。

 

「あ、足が……痺れちゃいました。ビリビリして立てないですー!」

「……ぷっ」

「笑わないでくださいー! あぅぅ…」

 

先ほどまでの大人びた雰囲気がどこへやら。いつもの調子に戻った樹を見て僕のせいでもあるがつい面白くて笑ってしまう。

ごめんごめん、と謝って僕は樹の足先に触れないように自分の腕を通していく。

 

「わ、わっ! 祐樹さん!?」

「よいっしょ。おー樹ってば軽いねー抱き抱えやすいよ」

「わわ…これ、恥ずかしいです」

「恥ずかしがることないさ。この部屋は僕と樹しかいないんだし…さっきのお礼も兼ねてしばらくこのままでね?」

「…はぃ」

 

しかし側から見たら狭い一室でお姫様抱っこのこの状況はどう見えるんだろうか。

樹をこうして抱えてみると本当に小さく感じてしまう。借りてきた猫のように丸まった状態でこう────僕の嗜虐心がくすぐられる。

単的に言って意地悪したくなっちゃうような感じになるが、本気で嫌がられたら死にたくなるのでぐっと我慢しておく。

 

「……だいぶ楽になりました」

「そう? ならデザートにプリンあるから食べよう」

「プリン…っ! はい、食べましょう祐樹さん。そうしたらわたしが用意するので座って待ってて下さい」

「降ろして大丈夫?」

「はい!」

 

その言葉に甘えて僕は座って待つ。樹はキッチンへ行き、すぐにこちらに戻ってくる。

 

「お待たせしました!」

「樹、こっちこっち。おいで」

「…? はい」

 

僕は手招きして樹をこちらに呼ぶと、胡座をかいた自分の太ももをぺちぺち手で叩く。

 

「樹の席はここだよ〜」

「えぇ!? で、でも祐樹さん疲れちゃいますよ?」

「大丈夫ダイジョウブ。ほら!」

 

僕と座る場所を視線で行ったり来たりさせながらも樹は小さく頷いてゆっくりと腰を下ろした。

僅かな重みを感じるだけで女の子特有の柔らかさがとても良い。

樹は最初は困惑気味だったが身体を胴に預けてきてくれた。

なので僕はそのまま手を回して彼女の背後から抱きしめる。

 

「祐樹さんに抱きしめられるの大好きです」

「ほんと? 僕もこうしてるの大好きだよ。プリン食べよっか」

「はいっ♪ じゃあ、わたしが食べさせてあげます!」

 

カップのプリンの蓋を開けてスプーンで掬ってこちらに差し出してきてくれた。

パクッとスプーンの上に乗ったプリンを口に含む。甘味が口いっぱいに広がり思わず頬が綻んでしまう。

お返しにと、僕もスプーンを手に取って樹の口元に差し出す。

 

「はい、お返し。あーん」

「あーん……んん~~♪ 美味しいぃー。コレって確か園子先輩からいただいたやつですよね?」

「そーそー流石は乃木家だよなぁ…プリン一つでもこんなうまいもの用意できるんだから」

「ほぉでふね〜」

 

僕の上で左右に揺れながら樹はプリンを堪能していた。

園子はたまにこうしてお菓子をくれることがあってその都度お礼は言っているが、彼女曰く「わっしーの和菓子を堪能したいんよ」とのこと。

確かに東郷の作る牡丹餅は格別で僕も好きだが、なんというかまあ流石は園子と言ったところである。

スプーンを止める手はなくあっという間に食べ終わると二人してホッと満足した。

 

「ごちそうさまでした! 美味しかったですね祐樹さん」

「ごちそうさま。また園子にはお礼を言っておかないとね……ふぁー、お腹が満たされたら何だが眠たくなってきたな」

 

更には前に樹を抱えているのでいい感じにあったかくなっているせいで睡魔が襲ってくる。

僕の言葉に樹はくすりと小さく笑っていた。

 

「……それならわたしが子守歌を歌ってあげましょうか?」

「──速攻眠りにつきそう。でも樹の歌が聴きたいな。いい?」

「もちろんです────では」

 

僕に抱かれたままで樹は息を吸うと音を一つ一つ発し始める。

先ほどのデザートのように甘く、そして澄み透った声を僕は目を閉じて聴き入れる。

樹を抱きしめ背中に顔を預けるとこの時間がいつまでも続けばいいのにな、なんて考えてしまう。

 

一時期はあることで失ってしまった樹の『声』。

姉である風も同じように失ったものがあったが樹はそれでも自分より姉の、仲間の心配をした。

声が出ない変わりにスケッチブックを用いてのやり取り。その時ももちろん笑みを崩さずに、なんてことないよって言わんばかりの調子で。

 

本当は自分も絶望の中にいるはずの彼女はそれでもいつもの調子のまま日々を過ごしていた。

僕はそんな彼女を見て本当に強い子だと思う反面、それはふとした切っ掛けで壊れてしまいそうな儚さがあると感じた。

支えたいと強く想った。様々な書物や情報媒体を用いて探してみたが根本的な解決方法は分からずに僕自身の無力さを痛感させられる。

 

僕に出来ることといえば樹の隣に居ること。ただそれだけしかできなかった。

風にもあんたは樹の側に居てと強く命令され、出来る限りの時間を彼女と過ごした。

 

『私はへっちゃらです!!』

 

スケッチブック一ページにでかでかをそれを書かれたときは、涙が溢れそうになった。

抱きしめてカミサマに強く願ったものだ。樹の声を奪わないでくれと。

 

それからしばらくして彼女の『声』は戻ってきた。

詳細な理由はわからない。でもその時の樹の瞳を視たときに僕は分かった。

 

────嗚呼、彼女たちは自分の力で取り戻したんだ。

 

優しい眼差しの中に光る強い『意思』。勇気あるものの眼(、、、、、、、、)だ、と。

 

(…ほんと、あの時ほど自分の無力さったらなかったわ。それでも僕はこの子に感謝されて……それで……)

 

思考もうまくまとまらなくなってきた。夢にいるのか現実にいるのか曖昧になってくると、今日の行動に対して疑問が浮かび上がる。

自然と言葉が口からこぼれ出る。

 

「──樹。今日はなんで一段と優しくして……くれる……の?」

 

自分の言葉も耳に入らないまま、僕は意識を手放した────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも楽しそうに、嬉しそうに、真剣にわたしの歌を聞いてくれる。

祐樹さんの身体の温もりを感じながらわたしは歌を歌う。

 

────樹。今日はなんで一段と優しくして……くれる……の?

 

 

「……え?」

 

耳にした言葉を聞いてわたしは歌を止めた。背中にかかる重みが増すのと同時に規則正しい寝息が聞こえる。

どうやらわたしの歌で気持ちよく寝てくれたらしい。良かった、とわたしは祐樹さんに身体を預ける。

 

彼の腕を取って自分を包むと祐樹さんの匂いがした。

いつもそばに居てくれる、大好きな人の匂い。

 

「わたしがそうしたいからですよ。先輩」

 

わたしの言葉は彼には聞こえないはず。でも別に構わない。

言葉を紡ぐ。

 

「わたしが喋れなくなってもそばを離れないでいつも通りに接してくれて嬉しかったんです。一緒になって泣いてくれて、たくさん力になろうとずっと頑張ってくれてたのわたし知ってるんですよ?」

 

だからせめて少しでも悲しませないようにその時の思いを書き連ねたが余計に心配させてしまったのは反省しないといけない。

 

「わたしが誰にも分からないように隠していた気持ちもすぐに気が付いてくれて……いっぱいいっぱい助けられました」

 

わたしたちが取り戻したこの日常は決して楽な道のりじゃなかった。

挫けそうなときなんか数えきれないぐらい。そして、まだまだ終わっていない──ひと時の平穏なのだということも理解している。

チラリと後ろを覗くと、可愛い寝顔が拝むことができた。

 

────わたしの、帰る場所。

 

誰かの後ろを歩いてきた自分には今、隣を歩いてくれる人がいる。祐樹さん、お姉ちゃん、勇者部の先輩たち。

みんなで手を取り合って、笑顔でこの道を進んでいく。それがわたしの戦う決意(りゆう)だ。

 

出会った時からたくさん彼に背中を押された。わたしになら出来るって。

返しきれないぐらいの『ありがとう』を彼がくれた。

 

だから目に見える形で何か恩返しできないかと考えた結果が今日の言葉だったのだが、これは自分が納得するための言い訳に過ぎなかったのかもしれない。

ズルい女だ、わたしは。

 

「先輩……わたしは怖いんです。こんな幸せでいいのかなって。いつかこの幸せが無くなっちゃうんじゃないかって思うんです」

 

態勢を変えて顔を埋める。少しばかり強く抱きしめられた気がした。

わたしは目を伏せ彼の胸に縋りつく。

 

決意があるとはいえ、やはり怖いものは怖いのだ。

わたしは祐樹さんにも幸せになって欲しい。でもある日、唐突に全てが終わってしまうことも世の中にはある。

 

この温もりに触れることができなくなるかもしれない。

その時が”もしも”きてしまったら、と考えると不安がなくならない。

だから少しでも多く返してあげたいんだ。

 

「好きです先輩。大好きなんです祐樹さん……だからわたしのわがままでもいいのでずっとそばに居て下さい」

 

懇願するように、わたしは愛を囁く。

返事は返ってこない。寝ているのだから当たり前だ。だからこれはただの独り言。

 

今はこの温もりの中で共に居させてくれればそれでいい。

どうかこんな日がいつまでも続きますように────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

渡されていた合鍵を手にあたしは玄関の前に立つ。

日も沈み始めて夕焼け空となりつつあるこの時間にようやく用事が終わった。

帰り掛けに寄ったスーパーの袋を携え鍵穴に鍵を差し扉を開けて家主に声を掛ける。

 

「…帰ったわよー」

 

一人暮らしの自宅はそんなに広くはない。あたしの声が聞こえないはずがないのだけど、返事が帰って来ることはなかった。

小首を傾げ不思議に思ったが構わずに部屋に入ることにする。

初めての訪問ではないために勝手知ったるなんとやら。

 

扉を開けて中に入る。先ずはキッチンで荷物を整理していく。

中身を開けると案の定食材が減っていた。一人暮らしの男子の冷蔵庫事情はこんなものか。

 

いや、もしかしたら後で買い足そうとしていたに違いない。

案外そこらへんは妹よりしっかりしているのでタイミングは良かったのかな? と落とし所を見つける。

ガサゴソとしまうべき物を片付けていく中で、未だに部屋が静かなのが耳につく。

ひょい、と顔だけ覗かせるとその理由がすぐに分かった。

思わず笑みがこぼれてしまう。

 

「…まったく。仕方ないんだから」

 

片付けを終えてそちらに歩み寄る。

あたしの目に映ったその光景は、規則正しい寝息を立てる二人の姿。

祐が樹を抱きしめ、樹も自分の身体を預けて一緒に寝ている姿であった。

あたしは二人に近づいて屈んでその様子を眺める。

 

「これじゃあ、仲のいい兄妹みたいね…なんて、二人には失礼かしら? 樹は元よりあんたも中々可愛い寝顔するじゃない」

 

いい夢でも見ているのか、単に寝心地が良いためか安らかに眠りについていた。

そういえば寝顔初めて見るなぁなんて思い耽っていると祐は少しだけ身じろぎした。

頰をツンツンと指差す。

 

「…まったく見せつけてくれちゃって。この女ったらしめ〜……樹もあたし以外にそんな顔をするようになったかー」

 

小声でぶつぶつ言ってしまうが仕方ない。

手塩にかけて育ててきた妹が成長していく様は感慨深いものだが、最近はその成長っぷりには眼を見張るものがある。

…まぁ、流石に姉より恋愛面で何歩も先に行ってしまうとは思いもよらなかったが。

 

そこばかりは悔しい。が裏を返せばいつのまにか後ろにいた樹も前に進んできていている証拠でもある。

 

(何事も変わらずにはいられないのよね)

 

樹を、妹が生きているこの世界を守るのがあたしのやるべきことだ。

でも今は、樹は自分の力で生きていこうとしている。

あたしにはそれが誇らしくあり同時に寂しくもなった。

 

歳を重ねて、学生を終え就職して自立する。いつかは結婚もするかもしれない。その時の相手が祐とは限らないけど。でも、今のあたしからすれば樹の相手は祐であってほしいと切に願う。

 

「そしたらあたしは二人の姉ってことになるわね。ふふ…変なの」

 

立ち上がり寝具を置いてある場所から掛け毛布を二人に掛けてあげる。だんだんと寒くなってきてるので風邪でも引かれたらたまったもんじゃない。

 

「……ん、んー?」

「あら? お目覚めかしら祐」

「その声は…風かー。ごめん、気がつかなかった。おかえり」

「ただいま。まったく昼寝するなら暖かくしてから寝なさいな。樹が風邪ひいちゃったら許さないわよー」

「…それもそうだ。悪い今起きて手伝う」

 

祐が動こうとすると、胸の中にいる樹がより強く抱きしめて離さない。

二人して苦笑する。

 

「いいわよ。ちゃちゃっと済ませちゃうから。樹は寝つきが良いから一度寝たら中々起きないし…もうしばらく布団代わりになっててちょうだい」

「…分かった。あぁ、ついでに悪いけどそこにあるやつ取ってくれないかな?」

「え? これね……ほぅ」

 

祐にお願いされたものを手に取ると感心するように繁々と見つめる。

 

「男子なのに女の子みたいなことするわねあんた」

「…仕方ないじゃないか。すぐに思いついたのがコレなんだからさ」

「樹ならどんなものでも祐からのプレゼントなら喜んで受け取るわよ」

「けどせっかくなら実用的なのが良いと思ったんだ。でも結構難しいな…編み物って」

 

手にしているのは緑色の毛糸で編んでいる途中のもの。あたしからしてみれば初めてにしては中々形になっているようだが、少しばかり粗が目立つ部分もある。

仕方ない、とあたしは祐からそれを受け取りテキパキと修正していく。

 

「これって練習中?」

「そうだね。初心者でもできるっていうからやってみたんだけどうまくいかないんだ」

「この辺でしょ? ここはこうやって編めば簡単に進むわよ。あとは…毛糸をもう少し太めのやつにしなさい。そうすればやり易いと思うから」

「……風ってすごかったんだな。すごい勉強になるよ」

 

そのセリフにあたしはなんて反応すればいいのやら。

まあ本気で感心しているあたりバカにしてるわけじゃないのがわかるのでここはスルーしてあげるか。

 

樹を膝上で寝かせながら祐はあたしの教えたやり方を早速試していた。

物覚えはいいのか祐の編み合わせのペースが上がっていく。

 

「──おーこれならうまくいくぞ! ありがと風。キミはいいお嫁さんになるなぁ」

「…なんの嫌味じゃい。もう……あたしは晩御飯の準備しちゃうから大人しくしてなさい」

 

大丈夫そうなのであたしは立ち上がりキッチンに足を運ぶ。

自宅のキッチン事情と異なるが準備を進めていこう。

 

「最近部活の調子はどうなんだ?」

「ぼちぼちねー。依頼も少しずつ消化できてるし、てか祐もそろそろ顔出しなさいよ! みんな待ってるんだから」

「用事がひと段落ついたらまた顔出しにいくよ」

「それならよし!」

 

キッチン越しに会話をする。チラッと視線を動かして彼を眺めてみると編み物を続けてやっていた。その合間合間で樹の様子を伺い優しく頭を撫でて満足げに笑みを浮かべている。

 

────妬いちゃうなぁ。

 

なんて自嘲気味に一人笑う。いつまでも未練がましいにもほどがある。

あたしは二人の未来を見届けると決めたのだから。

 

「ねぇ、祐」

 

けれどどうしても不安になるから問いかける。

 

「あんた今幸せ? 樹も、幸せにできてるのかしら?」

 

あたしの言葉に手を止めて祐はこちらを見据えた。

 

「ああ、幸せだよ──だから安心してくれ。樹と一緒に幸せになるから」

 

彼は柔和な笑みを浮かべながらそう言った。

きっとあたしは今も────これからも二人を見届けてその度に問いかけることだろう。

 

「……ほんとに?」

「心配するなって。ちゃんとキミに証明し続けるから」

「んーー…祐樹………さぁん。そんなにあまえて…こられると……困っちゃいますよぉ…………」

『…………ぷっ』

 

雰囲気を壊すかのように樹の寝言が耳に届く。思わず吹き出してしまう。

なるほど。幸せじゃない人間がこんなことを言うはずがない。

 

けど頑張んなさいよ祐。

樹を悲しませたら承知しないからねっ!

 

 



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story3『年頃のお悩み?』

書き初めは深夜テンション。書き終えた頃には何を書いてたんだ状態(賢者)。

まぁいいや、と投下していきます。


ある日の犬吠埼宅にて、二人の少年少女がテーブルを挟んで向かい合って座っていた。

少女は姉である犬吠埼風の妹であり、少年の彼女でもある犬吠埼樹。どうにもその表情は真剣そのもので、少年──高嶋祐樹は何事かと聞かされぬままに腰を据えていた。

 

「ゆ、祐樹さん! 訊きたいあるんですけど……答えてくれますか?」

 

可愛らしい声で頼みごとをしてくる彼女に、祐樹はそのお願い事は何であれ受けるつもりでいる。が、一応でも訊いておくのが筋だと彼は頷いて応えてみせた。

その時の樹の表情はぱぁ、と表現するのにふさわしい笑顔を浮かべ祐樹はもうそれだけで満足足りえるのだが、話始めるのを待ち続ける。

頬は赤らめどうにも口にしにくい様子。

 

「なにか話しづらい事?」

「へっ!? いえ、そういうわけでは……ないんですけど」

「……?」

「あのですね……昨日学校でクラスの男子が話しているのを偶然耳にしちゃったんですけど」

「うん」

 

ここでなぜクラスの男子の話が出てくるのか不思議に思った祐樹だったが、まさか樹に関して変な噂を流していたんじゃないかと変に勘繰ってしまう。

だとしたら姉である風には話しづらいだろう。ここは自分も彼氏として真摯に向き合わなければと考え、祐樹は背筋を正して待つ。

 

「ゆ、祐樹さんっ! オ〇ニーって何なのか知っていますか!!!?」

「……………ぇ?」

 

意を決して話してくれた樹の言葉を聞いて、祐樹の思考は一旦停止する。まて、彼女はなんて言った。聞き間違えでなければ彼女の口から出ることはない単語を耳にした気がするのだが。

 

「で、ですからオ〇ニーってなんなのか────」

「ちょっと待ってぇ樹! 女の子がそんなこと口にしちゃいけませんっ!!」

 

樹は聞こえていないと思っていたのか同じ文言を口にしようとしたところで祐樹は身を乗り出して樹の口元を手で塞いだ。

驚き目を見開いている彼女だが、そうして驚きたいのはこちら側だった。なぜそんなことを自分に聞いてくる? と混乱しつつも大人しくなった彼女を見て塞いでいた手を放す。

 

「ぷはぁ…! きゅ、急に何するんですか祐樹さん」

「それはこっちのセリフだよ……樹、なんでまたそんなことを……」

「そう言うってことは祐樹さんも(、、、、、)知ってるんですね? ……もう、みんなして何で教えてくれないのかな」

「……ぇ。待って樹、今のことまさか他の人に聞いたの?」

「え? はい、もちろんです。悩んだら相談────勇者部五箇条に倣って相談しましたよ?」

「…………、」

 

祐樹は頭に手を置いて項垂れた。そんな彼の反応にますます疑問符を浮かべる樹はどうやら本当に先ほどの言葉の意味を理解していないらしい。

困った。非常に困った事態になったと祐樹はテーブルに置いてあるお茶の入ったグラスを見つめる。いや、疑問を持つこともそれを理解しようと、調べようとすることはとても立派な事だ。樹は何一つとして間違ったことはしていない。けれど、

 

(言えない…! いくら彼女の悩みとは言え恥ずかしいぞこういったことは……ッ)

 

同性同士でも気恥ずかしい空気が出来てしまうことなのに、異性から口にすることは些か荷が重いことこの上ない。

 

「……祐樹さん?」

「あぁ、ごめん。質問に答える前にその、風たちの反応はどうだったかな?」

「お姉ちゃんたち、ですか? えーっと……」

 

樹は記憶を振り返ろうと小首をかしげる。

 

「…まず最初にお姉ちゃんに会って聞いてみたら顔を真っ赤にして慌ててましたね。それですぐに他の人たちが知ってるーって教えてくれてすぐに部室に向かったんですよ」

「うん」

「そうしたらパソコンの前に東郷先輩がいたので同じように聞いてみたら、お姉ちゃんと同じような反応をして、何やら意味深にお姉ちゃんとアイコンタクトしてたわけなんです」

「…うん」

「目線も私と合わせてくれないし、『樹ちゃんにはまだ早いかも…?』ってはぐらかされたんです」

「……それは、まぁ…うん」

「なんで教えてくれないんだろーって思ってヤキモキしてたら友奈さんと夏凜さん、そして園子先輩が部室にタイミングよく来てくれたんです」

 

確かにある意味でタイミングがよかったのかもしれない。それにしても風も東郷もやっぱり知ってる────んだなぁと祐樹はピンクな妄想を膨らませようとしていた己の思考を律してテーブルに額を打ち付けた。

 

「わっ!? 急にどうしたんですか祐樹さん?!」

「き、気にしないで樹」

「そんなこと言っても……お、おでこ真っ赤になっちゃってますよ??」

「だ、大丈夫。大丈夫だから……話の腰を折ってごめんね、続けてくれる?」

「はぁ、えっと……はい。それで三人にも────」

 

樹は祐樹を心配そうに見つめながらも、話を続けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遡ること昨日の出来事。

 

 

「こんにちはー! 結城友奈、ただいま参りました~!」

「…ってなに入口近くで話してるのよ。何かあったわけ?」

「なになにどったのー? …お~わっしーにフーミン先輩顔真っ赤っかだけどどうしたんですかー?」

「ちょ、ちょちょうど良かったわ三人とも! 樹が相談があるみたいなのよ、みんなも一緒に相談にのってくれるかしら!? ね、東郷?!」

「そ、そうですね風先輩! 私たちだけでは力不足かもしれないから……!」

「そうなんですか? もちろん相談に乗るよ樹ちゃん!」

「そういうこと……だったらそこで座って話を聞いてあげるわ樹」

「イっつん私も力になるんよ~」

「あ、ありがとうございます皆さん!」

 

樹は救世主でも現れたかの如く、薄っすらと眼尻に涙を浮かべて感謝する。

そんな中で先に話を聞いていた二人は苦笑を浮かべるばかりだが今更止められる雰囲気ではないので一先ず静観することにした。余計なことを言えば墓穴を掘りかねないからだ。

 

こうして一同は長テーブル前の椅子に腰かけて樹の話を聞く態勢を整える。そんな中で口火を切ったのは夏凜だった。

 

「で、一体どんな相談事なの樹? 前みたいに人前で何かする系(、、、、、、、、)のこと?」

『ぶーっ!?』

「わ、わぁ!? 風先輩に東郷さんどうしたの急にー?!」

「げほ、な、なんでもないわ! ごめん」

「そ、そうですね。ごめんなさい友奈ちゃん。なんでもないから」

「そ、そう……?」

「大丈夫アンタたち?」

「あのー……話を続けてもいいでしょうか?」

「うん、いいよイっつんー続けてー」

「はい!」

 

両ひざに手を置いて樹は一拍間を置くと、先ほどの二人と同じように樹は口を開いた。

 

「相談というか質問、疑問なんですけど────皆さんオ〇ニーってご存知でしょうかっ! 私どうしても知りたくて」

『…………、』

 

部室内が沈黙に包まれた。先ほども同じ内容を聞いた二人も同様に頬を赤らめそっぽ向いている。しかし他の人の反応は思っていたよりも違っていた。

 

「オ〇ニー? うーん……私は聞いたことないかなぁ。夏凜ちゃん知ってる??」

「さあ? 私も聞いたことないわね。筋トレやトレーニングの類かしら? でもそんな単語聞いたことないし……園子は知ってるの?」

「わたしー? うーむ……チラリ」

『………っ!?』

 

疑問を浮かべる友奈と夏凜を余所にニコニコ顔の園子はその目で奥の二人を見る。視線が重なった両者は肩をビクつかせてゆっくりと視線を明後日の方に向けていくのを捉えた。

 

その二人の様子を園子は満面の笑みで頷くと樹に彼女は向き直った。

 

「園子先輩?」

「あーごめんねイっつん。わたしはオ〇ニーの意味は知ってるか知らないかで言えばー──知ってるよ~」

「ほ、本当ですか!? ぜ、是非教えてくれるとありがたいです先輩!」

「あっ私も私も~! 園ちゃん私もオ〇ニーのこと知りたいでーす! ね、夏凜ちゃん?」

「ま、まぁ知っておいた方が損はないかもね。オ〇ニー」

「おー♪ みんな勉強熱心だねぇ~うんうん」

「ゆ、友奈ちゃん! そんな破廉恥な単語を連呼しちゃダメよ!?! はしたないわ?!」

「夏凜、あんたもそんなことを部室外で口にしちゃダメだからねっ!?」

 

汚れを知らぬ? 彼女たちの口から出てくる例の単語の数々に我慢ならなくなった風と東郷は二人に詰め寄って肩を揺らした。

何のことか理解できない両者は彼女たちの勢いに気圧されていた。

 

「むぅ、お姉ちゃんも東郷先輩も静かにしててください。私は園子先輩に聞いてるんです!」

「い、樹ぃー……まだ早いわ。まだ早いのよー!」

「ふーむ。やめておく? イっつん??」

「いえ、お姉ちゃんのことは気にしないで良いのでお願いしますっ!」

「じゃあ園子先生が教えてあげよ~……っとと」

 

外野が必死に抑える中でいざ告げようとした園子の懐にあった端末が震えた。

 

「あらまちょっと失礼〜……はい、もしもしー?」

「………。」

 

急な電話で驚いたが園子から見せてもらったディスプレイには『大赦』関係の人らしき名前が表示されていたので止めるわけにもいかずに通話が終わるのを待つことにした。

そう時間も掛からずに通話を終わらせた園子は、

 

「ごめんねーイっつん。大赦からお呼ばれされちゃったんよ〜。迎えも外で待ってくれてるみたいでー」

「そ、そうなんですか? それなら残念ですけど、仕方ないですよね」

 

肩を落とし落胆する樹とその横で樹とは違う意味で肩を撫で下ろした二人がいた。園子はみなの反応を何処か愉しげに見届けてから部室の扉に手をかける。と、そこで一度振り返ってこう言った。

 

「イっつん、せっかくだからゆっきーに訊いてみたらいいと思うよー」

「ゆ、祐樹さんにですか?」

「そーそー。ゆっきーならきっと知ってると思うし〜、イっつんのお願いなら断ることはしないと思うからー……ねー♪ フーミン先輩?」

「そこであたしに振るっ!? そ、それはぁー……そうかもしれないわね」

「ふふふのふー♪ じゃあそういうことでお先に失礼しまーす」

「そのっちったら……祐樹くん、後で骨は拾ってあげるわ。南無」

「で、結局オ◯ニーってなんのことなのかな夏凜ちゃん?」

「さぁ? それなら私たちも今度祐樹に聞いてみましょうか」

「そだね」

 

何とも締まりがつかないまま、その日の勇者部はいつも通りに依頼をこなしていった────。

 

 

 

 

 

 

一連の流れを樹から説明を受け終える。彼女も一息つくためにグラスに入ったお茶を傾けて喉を潤す中で、祐樹は天を仰ぎ見ていた。いや、室内なので見えるのは晴天ではなく照明なのだが。それでも彼はこうするしか他なかったのだ。

 

「…ふぅ。というわけでこうして祐樹さんに相談してみました」

「園子のやつ後で覚えてろよぉー……風も僕を売りやがって」

「……迷惑でしたか?」

「ああいや! 迷惑ではないから。困惑してしまうだけで……樹の疑問には前向きに応えていきたい所存だけ、どさ」

「祐樹さん……ありがとうございます! 嬉しいです」

 

再びぱぁ、と花咲かせる樹の笑顔を見るのはいつ見ても幸せになるが、今回に限っては手放しに喜ぶことが出来なかった。

はてさてどうしたものかと思考をフル回転させる祐樹。

 

「え、えーっとお、オ◯ニー……つまり自慰行為のことなんだけど」

「じいこうい? そういう言い方もあるんですか。『行為』ってことは何か特定の行動を行う、ってこと?」

「まぁうんその……そんな感じで。僕も女の子の事情は然程詳しくないから詳細までは答えられないけれど……男も女もやる、行為の総称かな」

「へ〜そうなんですね。でも余計に疑問が深まります。なんでお姉ちゃんたちはあんな表情してたんだろーとか、男女がやることなら何で私や友奈先輩たちが知らないんだろーとか色々と」

「…んーとね。まぁ年頃の子なら恥ずかしがるのも当然というか何というか。自主的に調べる子もいれば、流れで知ることになる子もいるんだと思う」

 

と、そこまで言って樹を見るとなぜかしゅん、とした表情となっていた。祐樹はそんな彼女を見て慌ててしまう。

 

「い、樹どうした?」

「いえ……やっぱりまだまだ私って子供なんだなぁって思っちゃって」

「そんなことない。出会った当初より成長してるよ」

「祐樹さんは優しいから。でも分かってます……勇者部の皆さんに比べたら私なんてまだまだチンチクリンですし。胸なんてぺったんこだし……」

「あっ、そっちか……えっとそれは……ぼ、僕は胸の大きさなんて気にしないよ! 樹の全部が好きなんだからっ!」

「ぺったんなのは否定しないんですね」

「えぇー……」

「すみません。まぁ紛れもない事実ですけどねー…アハハ」

 

さらにズーン、と暗い雰囲気を醸し出す樹になんと声をかけたら良いのか祐樹は分からず。というか話が脱線しているのだけどどうしたものか。

最初から話している内容も今よりつつある内容もどちらも居心地は良くないものだが、樹の気にしている部分の話で自爆されるよりかは前者の方がまだマシかと結論付けた祐樹は、半ば強引に話の路線を元に戻すことにした。

 

「と、とにかく! 大人子供関係なく知る機会がなかったんだから仕方のないことなんだよ。たまたま風や東郷は知る機会があっただけの話」

「…じゃあ祐樹さんはどうやって知ったんですか?」

「えっ〝!?」

「教えてくださいよぉー祐樹さぁん」

 

何処から習ったのか…いや、彼女なら天然なのか上目遣いで祐樹の手を握ってきた樹に対して、彼は冷や汗をかいている。

どうやって知ったのか。それを口にすること自体が彼にとって特大な一撃を意味しているわけだが。

 

祐樹の葛藤を知ってか知らずか樹の柔らかい手がぎゅっと力を込められる。

 

「私、何も知らないままでいるのはもう嫌なんです。お姉ちゃんや友奈さんたちの隣に立って歩けるようになりたいんです。祐樹さんの相応しい彼女にもなれるように……」

「樹……キミはそこまで………」

「だから──だから私に出来ることならなんだってします。祐樹さん、私にオ◯ニーの意味を教えてくださいっ!」

「…………、」

 

樹の真摯に向き合う気持ちに祐樹は目を伏せた。そうか。こんなにも彼女は真剣に、物事を知ろうと……成長しようとする真っ直ぐな心があったのかと感動すら覚えていた。

 

そんな彼女に対して自分は恥ずかしいからとかどうしようもないことばかり考えていて……本当の意味で彼女と向き合えていなかったのかもしれない。

 

「樹、僕が愚かだったよ。そうだよね──前へ進む気持ち……それが大事だったんだ」

「祐樹さん……分かってくれましたか」

「うん。キミの気持ちに僕もちゃんと真っ直ぐ向き合うよ。なんたって僕は樹の彼女だからねっ!」

「祐樹、さん……ありがとうございます! 大好きですっ!」

「僕も大好きだよ」

 

ひしっ、とお互い椅子から立ち上がった二人は愛を確かめ合うように抱き締めあった。

 

「じゃあ僕の知る限りの知識を樹に教えるよ。耳を貸してくれるかな?」

「はいっ。お願いします────……」

 

そうは言ってもやはり声を大にして教える内容でもないので耳打ちでコッソリと祐樹は自分の持ち得る知識を彼女に伝えていく。

樹も真剣に、一字一句逃すまいと全神経を彼の言葉に傾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜。

犬吠埼家の食卓には三人分の食事が並べられているが、その場に居るのは二人だけだった。

樹の姉である風と樹の彼氏である祐樹。風は困った表情を浮かべているのに対して祐樹の頰の片側には薄らとモミジ痕が残されていた。

 

「いやー……樹を呼びに行ったんだけどさ」

「……。」

「なんか悶絶してるような、声にならない声を上げてるとかそんなんで部屋から出てこない理由って……それに祐のそのほっぺの痕はもしかしなくても…?」

「…………風」

 

むすぅ、と不機嫌さを滲ませる祐樹に風は手を合わせて頭を下げた。

 

「ごめんっ! 諸々投げっぱなしにした挙句に樹と喧嘩……しちゃったみたいで」

「いや喧嘩はしてないよ。恐らく羞恥に耐えかねた樹が勢いでやっただけだろうし。僕も歯止めが効かずに赤裸々に話しすぎたのも悪いし」

「あ、あのー祐?」

「……うどん、今度奢ってよ。お互いそれで手打ちにしよう。この件はあまり掘り起こさない方がいい」

「はい。申し訳ありませんでした」

 

単語の意味を全て理解した樹は今は絶賛引きこもり中である。それも仕方ない。知らなかったとはいえ多数の人間に訊ねてしまった事実は消えないのだから。

 

────どすん、どす。

 

 

『…………。』

 

沈黙に沈む二人に追い討ちをかけるように隣の部屋から聞こえる物音は、樹の今の気持ちを代弁しているかのようだった。

 

「とりあえず……食べましょうか祐」

「そうしよう……はぁ」

 

その日は何とも微妙な雰囲気が拭えない一日であった。

余談だが、翌日の勇者部でもまた樹と同様に顔を赤くしている人も居たとか居ないとか。

 

ただ一人はスラスラと筆が乗っていてウキウキだったそうな?

 

 

 




悶える樹ちゃんカワイイです、はい。

無知識組が知ったときの空気はきっと面白い、と妄想した。


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東郷美森の章
story1『あなたを二度好きになる』


彼は待ち続けた。

でも、■■たちは姿を見せることがなかった。

彼は探し始めた。

だが、■■たちはどこにも居なかった────。



目が覚めるとそこは病室だった。

 

「…………、」

 

重い瞼を開けると次に身体が気だるいことに気が付いた。

頭の中で動かそうとするが、身体が思った通りに動かない。

 

「ここ、は? 私は──っ!」

 

少しだけ痛みが走り頭を抑える。そこでふと視線が下に落ちたところで誰かがいることに気が付く。

 

「誰? だ、れ──?」

 

寝息を立てて誰かが寝ていた。

男の人。一体なぜこの人がこんな病室にいるのだろうか。私は無意識に伸びた手で彼に触れようとしたとき、身じろぎして彼の瞼が薄く開いた。

 

「あ……あぁ」

「え、えっと?」

 

私の姿を見ると同時に目を見開いて体を起こし、そして私の手を取ると両手で包み込んだ。

小声でよかった、とホッと肩を撫でおろしている姿がとても印象に残った。

 

「無事でよかったっ! 本当に……」

「あの、あなたはどなたでしょうか?」

 

恐らく彼は私のことを知っている(、、、、、)。けれど私は彼のことを知らなかった(、、、、、、)

 

その時の彼はとても驚いていた。そしてすぐに悲しい表情に変わっていく。

ああ、失礼なことを言ってしまったのだと彼の顔を見て私は思った。

 

「ご、ごめんなさい! あの私────!」

「いや、いいんだ。僕の方こそいきなりごめんね。そうだな、自己紹介しようか」

 

悲哀の表情を隠し、ニッコリとほほ笑みながら彼は提案してくる。

私は頷くしかなかった。

 

「僕の名前は『祐樹』。歳は君と二つ違いなんだ」

「祐樹、くん?」

「そう、祐樹。それで君の名前はわし──ああいや、ごめん。『東郷美森』……これが君の名前なんだ。憶えているかな?」

「東郷美森……ごめんなさい、憶えていないわ」

 

彼から聞かされる私自身の名前。やはり憶えていない。

首を横に振ると祐樹くんはそっか、と今度は表情を変えずに答えてみせた。

 

そこから状況を説明される。私が交通事故にあってしまい、一部の記憶が喪失してしまっていること。事故の後遺症で両足が動かないこと。

とても絵空ごとのように思えたけれど、この自分の状況を客観的にみてしまうとあながち間違いではないようにも思える話だった。

 

「まあもっと話したいことがあるけど、また今度。いまからお医者さん呼んでくるから一旦ここでお別れだね」

「そうなの? ……祐樹くん、また会えるかしら?」

 

短いやり取りだったけど、話していてとても気分が落ち着いていた。

男の人との交友関係はあまりないことは憶えている中、どうして彼のことを忘れてしまっているのかが不思議だ。

祐樹くんは変わらず笑みを浮かべながら頷いてくれた。

 

「もちろん。また会いに来るからその時まで」

 

そう言うと彼は病室を後にする。

これが私と彼の出会いだった────。

 

 

 

 

 

 

それからしばらく、病院での検査が続いた。

正直なにをどのような検査をしているのかは理解が出来なかったが、両足と記憶以外は概ね良好な結果が出たようだ。

 

祐樹くんはその際も合間を縫って顔を出してくれた。

記憶が混濁気味の私にとって彼の存在は不安を取り除いてくれる唯一の存在といっても過言ではない。

人と話すという行為は自身の精神的ストレスの軽減に繋がり、もし彼が居なかったら降りかかる不安に圧しつぶされていたかもしれない。

ある意味では彼に依存している形になる。けれど、勝手ながらそれでもいいのかなと思う自分もそこにいた。

 

それから更に一週間経った頃。私は退院することができた。

出口で彼が迎えてくれる。

 

「…退院おめでとう! 外の空気はどうだい?」

「ありがとう。ええ、とても清々しい気分だわ」

 

私は結局、足の不自由な結果を改善させることができなかった。

原因は不明。そのため私は車椅子を乗ることになったが、大方の過ごし方はレクチャーされたため何とか私生活はやっていけそうな感触はある。

両親は私の自宅で待ってくれている。道中は車での移動になるが、その際も彼は一緒に同行してくれることになった。

 

「ごめんなさい。手伝ってもらってばかりで…」

「いいよ。僕がしたくてやってることだから。むしろどんどん頼ってよ東郷」

 

彼は小さく笑う。好意を受け取って申し訳なく思う反面、彼のその笑顔を見るのがとても好きだった。

車内でも会話を続けていく。彼の学校での出来事。そして変わっては私の趣味の話などを。

同じ内容の会話も中にはしてると思うが、彼はそれでも楽しそうに耳を傾けてくれた。

 

一時間もしないうちに自宅へと到着する。とても大きい門が視界に入った。

だけど悲しいかな、その光景に見覚えはなかった。

 

車から私たちを下ろし、病院の職員を見送ると代わりに私の車椅子を祐樹くんが引いてくれる。

二人して再び自宅を見上げた。

 

「ここが東郷の家だよ。ここから君の生活がまたスタートするんだ」

「……少し、不安だわ。だって私、両親になんて顔をして会えばいいのかわからないの」

 

記憶喪失。それは自身の両親のことも含まれてしまっていた。

入院中にも何度か面会に来てくれていたが、どういった顔をしていいか分からずに失礼な応対をしてしまったと反省している。

会話をして、見てみてとてもいい人達なのは理解しているが、今後は同じ屋根の下で暮らすことになるため少々の不安が残るのも無理はなかった。

 

「──少しずついけばいいさ。大丈夫、あの人達はとても優しい。それに……」

 

言いながら彼は何処かに手を振り始めた。

なんだろうとそちらに視線を向けると、一人の女の子が同じように手を振りながらこちらに歩み寄ってきた。

 

「祐くんこんにちは! その子が前に言ってた人?」

「そうだよ。わざわざ出迎えてくれてありがとうね友奈」

「ううん、全然! むしろ早く会いたくてすぐに家から飛び出てきちゃったよ~」

 

赤毛の快活そうな女の子。陽だまりのような笑顔を向けて話す少女はすぐにこちらに意識を向けて、私の目の前に来た。

 

「こんにちは、初めましてっ! 結城友奈っていいます」

「あ……はい。東郷美森…です」

「東郷さんかぁ~カッコいい名前だね! わたしのお家は東郷さんのお隣さんなんだよー! 仲良くしようね♪」

「え、えぇ…よろしく結城さん」

「苗字じゃなくて名前でいいよー!」

「えと……友奈、ちゃん」

「うんっ♪」

「あっ……」

 

手を握られる。温かい手。

祐樹くんに握られた時と同じような温かさが私を包み込む。ああ、この温もりがなぜだかとても懐かしく思えてくる。

この気持ちがなにか解らないけれど、憶えていないけれど……きっとそれは────

 

「あれれ!? と、東郷さん泣いちゃってる。ど、どうしよわたし何か失礼なことをしちゃったかな!!?」

「え、あっ……ごめんなさい。友奈ちゃんのせいじゃないよ。なんでだろ、あれ……止まらない」

 

目元から熱い何かが流れてくる。それが『涙』だと理解して拭うが、一向に止まる気配がなかった。

まるで塞き止めていたものが溢れてくるような感覚。

 

分からない、解らない、判らない。

 

「まったく。こんなになるまで溜め込んでたなんて…困った子だよキミは」

「え? わ、ちょ、ちょっと祐樹くんっ!?」

 

わしゃわしゃと乱暴に頭を撫でられた。

暗い感情がそれで一気に無くなってしまった。

 

「もー! 祐くん、女の子の髪の毛をそんなに乱暴にしちゃダメなんだよっ!」

「はーい。友奈に怒られちゃった……ごめんな東郷。でも落ち着いたかな?」

 

祐樹くんは乱れた髪を直すように、今度は優しく撫でられる。

その間にも友奈ちゃんは心配そうな顔で手を握りながらこちらを見てくる。

 

「東郷さん何か悲しいことがあったのかな? わたしに相談できることがあるなら言ってよ!」

「うん。でも大丈夫よ友奈ちゃん。悲しいというより、嬉しい…なのかな。よく分からないけど…もう大丈夫」

「そうなの? でもだったらニッコリ笑った方がいいよ東郷さん! ほら、スマーイル」

 

友奈ちゃんは両の人差し指で口角を持ち上げてみせる。

 

「…とまぁ、こんな子だけど同年代の女の子もいるし不安がることはないってことよ」

「こんな子ってどういうことー祐くん!」

 

合わせて祐樹くんが笑ってみせる。つられて私も笑みを浮かべた。

ここが、私と友奈ちゃんの出会いだった────。

 

 

 

 

 

 

 

 

時は過ぎて私たちは中学生になる。

慌ただしい生活もなんとか安定してきた。これも支えてくれている両親と友奈ちゃんと祐樹くんのおかげだ。

 

「……よし」

 

制服に着替えて身支度を整える。初めの頃は着替えすら碌に出来なかった始末だが、今や一人でも卒なくこなせるようになっていた。

髪を梳いて大切なリボンをつける。

 

そうしていると、壁越しにコンコンとノック音が聞こえてくる。

振り向いて見てみると見知った彼の姿がそこにあった。

 

「おはよう東郷。迎えにきたよ」

「…うん、おはよう祐樹くん。いつもありがとう」

 

自然と彼を見つけると頰が緩んでしまう。今や友奈ちゃんと祐樹くんは両親公認で自由に出入りできるような、そんな間柄にまでなっている。

 

「友奈はー…ってまだ寝てるか」

「そうね。いつものように起こしに行かないといけないわ」

「なんか楽しそうだな」

「ふふ、中々起こし甲斐があるわ。友奈ちゃんの寝顔は可愛いのよ」

「へぇ…気になるけどまぁ、僕は流石に女の子の寝顔を覗き込むのは失礼だからやめておく」

「祐樹くんもお寝坊さんだったら私が起こしてあげるのに」

「…なら、もし寝坊したらお願いするよ」

「了解しましたっ!」

 

ピシッと敬礼して答えると、二人して笑いあった。

車椅子を引いてもらって私と祐樹くんは友奈ちゃんの自宅に向かう。

とはいっても家は隣なので距離は無いに等しいが。

 

「そういえばさ」

 

自宅前で祐樹くんは思い出したかのように私の方に向きながら口にする。

 

「このリボン……とても似合ってるね」

 

祐樹くんは目を細めながら私のリボンに触れる。

言われて一瞬キョトンとするが、すぐに何か暖かいものが胸の内に満たされた。

私が目覚めて唯一手にしていたリボン。それを褒められた嬉しさ故かはたまた彼だからかは分からないがとにかく嬉しく思った。

 

「うん、ありがとう。その…嬉しいわ」

 

だからこそ感謝の気持ちを言葉にする。祐樹くんの手に触れながら私は彼を見つめる。

祐樹くんも小さく笑みを浮かばせて頷いてみせた。

二つの手が指先から小さく絡まる。意外と大きく感じるその手の感触に私の鼓動はいくらか早まる。

時間にして一分にも満たないそのやり取りをして、その手はどちらが言うこともなく離れた。

 

「じゃあ、行こうか」

「…ええ」

 

自宅にお邪魔して友奈ちゃんのご両親に挨拶をする。

祐樹くんはそのままリビングに向かっていき、私は友奈ちゃんの部屋に向かう。変わらないいつもの日常だ。

 

「…友奈ちゃん。朝だよ」

 

部屋に入る。私の家もそうだが友奈ちゃんの家も全体的に広々としているので車椅子の私でも不自由なく移動ができた。

ベットで寝る彼女の身体を揺すり起床を促す。

 

んん、と小さく声を漏らし身じろぎする。

すると薄くその瞼が見開かれた。

 

「んー…とうごうさんだぁ。おはよー」

「おはよう。早くおきないと遅刻しちゃうわよ」

「はーい…」

 

寝ぼけ眼のまま起き上がり、ふらふらと着替え始めた。

手伝ってあげたいところだが、車椅子だとかなりやり辛い。なのでここは見守るとしよう。

 

「東郷さん」

「何かしら友奈ちゃん?」

「なにかいいことでもあったのかな? すごく嬉しそうな顔してる!」

「…えっ? そ、そうかしら」

 

ペタペタと自分の頰に触れる。どうやら先ほどの溢れる感情がまだ治っていないらしく口元が緩んでいるのを自覚する。

 

友奈ちゃんはそんな私を見て同じくらい嬉しそうに笑顔になった。

 

「えへへ~♪ 祐くんでしょ?」

「……友奈ちゃんは分かっちゃうのね」

「もっちろん! 東郷さんは祐くんとお話しするときいつもそんな顔してるから」

 

どうやら彼女にはお見通しらしい。それでもなんとなく気恥ずかしいので私は笑ってごまかした。

 

 

 

 

 

 

「いやーそれにしても目覚ましとかで起きれないなぁ」

「いいのよ友奈ちゃん、これも私のお役目だもの。毎日きちんと起こしてあげるわ」

「ありがとう東郷さんっ♪」

「相変わらず仲の良いことで……てか、友奈キミはそれでいいのか」

「ふぇ? うんっ!」

 

車椅子を友奈ちゃんに任せて三人で通学路を進んでいく。

私の横では祐樹くんが何やら呆れ顔のような感じで私たちを見てくる。

何かおかしいことでもあったのだろうか。友奈ちゃんと顔を見合わせるがついぞ答えは導き出すことはできなかった。

 

「あー…そういえば、二人とも部活はどうするんだ? 勇者部、だっけ」

 

祐樹くんが昨日のことを思い出したように言ってくる。

勇者部。先輩である犬吠埼風から廊下を移動している時に勧誘された部活の名称だ。

友奈ちゃんは先輩の熱弁に心を打たれたようで乗り気なようだが、私は少しだけ引っかかりを覚えていた。

 

それが何なのかは分からない。

けれど友奈ちゃんが入部するという話ならば、私ももちろん入部する所存である。

そのことを彼に告げるとまた苦笑を浮かべていた。

 

────むぅ、そんな顔しなくてもいいのに。

 

「まぁ入部するのは僕じゃないから何とも言えないけど…無理はするなよ。特に東郷、暴走しすぎないように」

 

困り顔をしつつも、祐樹くんは私の手にそっと自分の手を添えてくる。

その時に少しばかり胸が高鳴る。不意にやられるとどうにも内心落ち着かなくなる。嫌だという意味ではないのだが。

 

「そんな言い方しなくても暴走なんてしないわ」

「くく、どうだか……友奈、東郷をよろしくね」

「まっかせてーっ! 東郷さんに何かあってもわたしが守るから!」

「もう! 友奈ちゃんまで!」

 

三人で顔を合わせて笑い合う。

 

「じゃあ、僕はここで。二人とも気をつけてね。東郷、お弁当……いつもありがとう」

「ううん。お口に合えば良いけど」

「いつもお昼が楽しみなんだ。僕は東郷の作るものは全部大好きだよ」

「っ! あ、ありがとう…行ってらっしゃい」

「うん。行ってきます」

 

彼の言葉に頰が熱くなるのが分かる。私は紛らわすためにも小さく手を振って見送った。

彼は学校が別なので途中でこうして別れることになるのだが、できればまだまだ一緒に居たいのが本音である。

背後にいる友奈ちゃんも手を振って祐樹くんを見送ると徐に顔をこちらに近づけてニッコリと微笑んだ。

 

「良かったね東郷さん!」

 

一言彼女はそう言う。何が、と訊くのも恥ずかしいので私は頷いて答えることにした。

 

私たちも学校に向かう。

そしてその日のうちに、私と友奈ちゃんは風先輩のもとに赴き『勇者部』に入部することになる。

 

当初は大層な名前の割には活動はいたってシンプルだなぁという感想を抱いたが、祐樹くんたちと過ごす時間とはまた違った充足感がこの部にはあった。

 

そこで間もなくしてとある出来事に巻き込まれることになる。

それぞれの想いや葛藤はあったけれど、それはまた別のお話だ。

 

 

 

 

 

室内は静寂に満ちている。

時折本のページをめくる音が聴こえてくるが、それも含めて落ち着いた時間が流れていた。

 

「突然だが出かけたいと思います」

開口一番に祐樹くんはそう言った。場所は私の部屋での出来事だ。

本を読んでいたところで急にどうしたんだと目を丸くする私だったが、彼は話を続けていく。

 

「いや、まぁ本をこうやって一緒に読んでいるのも悪くないけど一緒に出掛けたいなーと思って……どうかな?」

「ど、どうって……別にいいけど」

 

確かに窓から見える空色は快晴だ。外に出れば気持ちがいいだろう。

本を読んでいる以外は特にやることはなかったので断る理由のない私は頷く。

 

「友奈ちゃんは?」

「今日は両親と出かけるってさー。だから僕と東郷の二人で行きます」

「なるほど……ん?」

 

ちょっと待ってほしい。二人で出かけるということはこれはもしやアレなのではないだろうか。

意識してしまうともうそれしか考えられなくなる。内心あたふたしているのを知ってか知らずか、祐樹くんは背後で支度を始めていた。

 

「この頃東郷は勇者部の活動で大変そうだから……ここで一つ気晴らしにと思ってさ」

 

彼の言葉に少しばかり驚く。

勇者部に所属してから短い期間で様々な出来事があった。

 

そのことに関してはまだ彼には話をしていない。

黙っているのは申し訳ないが、余計な心配をさせないようにと思ってのこと。

 

「祐樹くん…」

 

 

彼の背中を見る。

彼はもしやこちらの事情を知っているのではないかと考える時がある。

祐樹くんは時間が出来れば私のもとに来てくれるし、何かと私の行動を気にかけてくれている。

 

何度かそのことについて訊ねたことがあるが、これはなぜかいつも言葉を濁されてしまう。

その時の顔は決まって寂しそうな表情を浮かべて。

 

恐らく他の人がその様子を見ても普通の表情と見分けがつかないレベルだが、私には分かってしまう。

悲しいが、同時に悪意を持って隠している……なんてことはないことは理解できた。だからそれ以上は踏み込めないでいる。

いつか彼は教えてくれるのだろうか。

 

「さて、大まかな支度は済ませたし。東郷の母親に出掛けることを伝えてくるよ」

「ええ。私もすぐに支度するわ」

「了解。じゃあ抱えるよ」

「うん♪」

 

手を前に出し私の身体はふわりと抱きかかえられる。

別名をお姫様抱っこ。今もなお恥ずかしさは残るが、彼を近くに感じられるから好きだ。

両手を彼の首にまわして体勢が崩れないようにするのもお約束。あと少しでお互いの顔が間近に迫るほどのこの距離がドキドキする。

 

祐樹くんは慣れた動作で私を車椅子に乗せると、手を振って部屋を後にした。

彼に触れた感触、彼の匂い。それらの温もりがまだ残っている。とても心地が良い。

 

祐樹くんを待たせるわけにはいかないので準備を急いだ。

終わるころにリビングに向かうと祐樹くんと母は仲良く談笑をしている。

 

「祐樹くん、お待たせ」

「ああ。じゃあ行こうか」

 

母と挨拶を交わし私たちは家を後にする。

 

「そういえばどこに行くの?」

「んー、イネスにしようかなと」

 

道中を歩きながら行き先を訊ねるとどうやらそこでジェラートを食べたいらしい。

何か買いたいものがあるのかと思っていたから、私は小さく笑ってしまった。

 

「む、なんかバカにされてる気がする」

「ううん。そんなことないよ……ちょっと可愛いなぁと思っちゃって…ふふっ」

「いいじゃんかー。東郷だって好きでしょジェラート」

 

膨れっ面を浮かべて祐樹くんはそっぽむいた。それすらも愛おしく思えてしまうほど私は彼を────。

 

「ん〜! しっかし風も気持ちよくて天気がいいなぁ」

 

歩みを止め、海岸沿いで私たちは海を眺める。

確かに頰を撫でるこの風は気持ちがいい。

視線を彼に移すと、遠くを──正確には倒壊したとある橋を眺めていた。

 

つられて私もその橋を見つめる。

 

「瀬戸の大橋がどうかしたの?」

「…いや、なんというか。僕の知らないところで戦っている人がいるんだなぁと思って」

「…………、」

 

それは、と口にしようとしたけど叶わなかった。

私は勇者部に所属して、その本来のお役目も知った上でこうして今を過ごしている。

彼のような一般人を含め、自分たちの世界を守るために。

 

あの橋はそんな私たちと同じ志をもった彼女たちの戦いの名残。

少しばかり胸が苦しくなるが、これは感傷に浸ってしまっているからだろうか。

 

「よし。じゃあ行こう!」

 

手を叩いて祐樹くんは私の車椅子を動かす。

その後はまっすぐイネスへと向かう。

 

休日もあってかイネスはそれなりの人混みであった。

流石にジェラートのみだと味気ないので、他の店も見ることにする。

いつもこうやって出かけると隣には友奈ちゃんも居たのだが今日は二人きり。それだけでもなんだかいつもと違った景色にみえてくる。

 

「何かいいもの見つかった東郷?」

「ええ。探していた本が運よく見つかったわ! 祐樹くんはどうだったの? 姿が見えなかったけど」

「うん。僕もほらバッチリ!」

 

紙袋をみせてニッコリと笑う。

どうやらお互いに欲しいものが見つかったようで安心した。

 

「何を買ったの?」

「えー……内緒!」

「むぅ。いじわる」

「それよりご飯食べに行こう! いつもお弁当とか作ってもらっちゃってるから奢るよ」

「わわ……ちょっと危ないわよもう」

 

はぐらかされるように車椅子を押される。むっとする私に謝りながら何を食べるのか探し始めた。

 

「結構飲食店増えたよねー。和食でも食べにいく?」

「祐樹くんが食べたいものでいいわよ」

「じゃあ和食にしよう。あそことか」

「ふふっ。じゃああそこにしましょう」

 

私のことを考えて選んでくれたのかそれだけでも嬉しく思う。

店内に入って席に案内される。

普段はよくうどんを食べに『かめや』に行くことが多いためか、こういったところに入るのは新鮮味を覚えた。

 

「ああほら祐樹くん、口元汚れちゃってるわよ」

「んぐ……たはは。恥ずかしいな」

 

口元を拭ってあげると気恥ずかしそうに祐樹くんは笑った。

いつもは年齢に比べては大人っぽいところがあるけれど、こうしてたまに見せる子供のような仕草に保護欲のようなものがくすぐられる。

いつだか風先輩が言っていたこれがギャップ……なんちゃらというものなのかもしれない。

 

「ご馳走様でした」

「──東郷は相変わらずキレイに食べるよねー。魚の骨とか」

「色々とやっているうちに勝手に身についていくものよ。祐樹くんだってちゃんと綺麗に食べてるじゃない」

「……誰かさまにたくさーん指導してくれたおかげだけどね」

「あら? そうだったかしら」

 

いつだか友奈ちゃんと一緒に教えたことがあったけれどそんなに厳しくしただろうか。

確かに指導に熱が入って二人が引き気味になってたような気もするけど、おかげで二人の所作はかなりの出来になっていた。

 

「ふう……デザートにジェラート食べられる?」

「私は大丈夫よ。むしろ祐樹くんのメインはそこだったでしょ」

「だったね」

 

店を後にして私たちはジェラートの売り場に行く。

私は小豆味を注文し、祐樹くんはしょうゆ味を頼んでいた。

 

「しょうゆ味って美味しいのかしら?」

「僕も最初はどうかなって思ってたけど、知り合いが食べてたの見て食べてみたら思いのほかハマっちゃったんだよ」

「変わった知り合いね」

「あはは……まぁそうだね」

 

私の言葉に苦笑を浮かべているがなぜなのかは分からなかった。

 

「一口食べてみる? ほら、あーん」

「ふぇ!? あ、う……あ、あーん」

 

いきなりスプーンを差し出されてたじろいでしまう。

顔が赤くなりながら口に入れると、これはまた不思議な味が口内に広がる。

 

「どう?」

「んー…祐樹くんの言う通り癖になるようなないような…」

「不味くはないでしょ? あむ」

 

一口食べる。その様子を横目に私は更に顔が熱くなる。

さり気なく彼はやっていたがこれは紛れもない間接キスだ。

彼は気にしないのだろうか。だとしたら私だけあたふたしてズルい。

 

「…お? 東郷口元についてるよ」

「え? 嘘……どこに」

「待ってて、今拭くものを」

 

いつのまにか食べ終わっていた彼はガサゴソと紙袋を漁り始めた。

 

「あった。じゃあ僕が拭いてあげるから目を閉じて」

「わ、悪いわよ」

「両手塞がってるでしょキミ。ほら、早く!」

「え、ええ…」

 

確かに両手は塞がっていたが、スプーンをジェラートに挿せばいい話なのに勢いに押されて従わざるおえなかった。

目を閉じて待つ。だがいつまで待っても口元を拭いてもらえないことに疑問を覚えた私は薄く目を開けてみることにした。

 

するとそこで映ったのは間近に迫っていた祐樹くんの顔だった。

 

(な、ななななんでッ!? ゆ、祐樹くんの顔ちか……)

 

幸い気づかれていないがどうしたらいいのか分からない私は、先ほどよりもギュッと目を閉じるしかできなかった。

というよりこのままいけば、シてしまうのではないかなんて考えてしまう。

確かに彼は好きか嫌いかで問われれば好きの部類だが、こんな往来の中でそのような行為をしてしまっていいのだろうか。

 

(でも……ゆ、祐樹くんになら私は)

 

恥ずかしいが、とても恥ずかしいのだが、受け入れてしまう自分がそこにあるわけで…。

それは紛れもなく、この気持ちはそういうことなのだ。

 

だがしかし、いつまでもその時は来なかった。

再び目を開けると、少しだけ意地悪な顔をした彼の姿がそこにあった。

 

「ごめん、やっぱりついてなかったみたい。でも東郷、そんな顔されちゃうとなんだかこっちも緊張しちゃうよ」

「……え? はっ!?」

 

クスクスと笑う彼を見て、私はからかわれたことに気がつく。

 

「むー! 祐樹くん酷いわ!」

「ああいやごめん…からかうためにしたんじゃないんだ。ソレ、よく似合ってるよ」

「なにを言って……ってこれ、は?」

 

首元に何かが触れた。

手に取ってみる。

 

「銀の……ネックレス?」

「僕からのプレゼント。お守りにって感じかな。東郷はたまに周囲が見えなくなっちゃう時があるから、それを見て僕のことでも思い出してくれればいい」

「祐樹くん……」

「あーその…僕はたぶん東郷のしていることに力になれないと思う。でもだからって何もしないなんて嫌だし、気休め程度にでもなればいいかなーなんて」

「そんなこと……ないよ」

「東郷?」

 

指先に触れるアンティーク調の銀のネックレスを眺める。

ああ、この人には本当に助けてもらってばかりだ。

 

「祐樹くんは最初からずっと私のことを気にかけてくれて……」

 

目覚めたばかりの頃から不安な私の隣にずっといてくれた。

私の進む道の前に立ってくれていた。

 

きっとそれは私が記憶を失う前からずっとしてくれていたに違いない。

だから私のこの胸の奥にある『熱』は、恐らく以前の私(、、、、)も同じものを抱いていたはずだ。

 

────暖かくて、嬉しくて、幸せな気持ち。

 

前の私はキチンと気持ちを伝えることができたのだろうか。

 

 

「私は祐樹くんのことが──っ!?」

「────このアラーム音」

 

思い切って気持ちを伝えようとした矢先に私の端末が音を鳴らした。

その意味を知るのは、この場では私だけ。

 

────なんて、タイミングの悪い。

 

思いを告げようとした口は閉ざされ、私は無言のまま端末の画面をみつめる。

その画面には『樹海化警報』と表示されていた。

 

祐樹くんが私の端末の画面をのぞき込む。

一瞬驚いた表情を浮かべていた気がする。けれどすぐにいつもの調子に戻ると、私の頭を優しく撫でてきた。

 

「──行くんだな?」

「…うん」

「わかった。なら夕飯までには戻ってこい! 一緒に食べよう」

「…………。」

「ちゃんと待ってるから。どうか気を付けて────」

 

最後まで言い切る前に彼の言葉は途切れる。

視線を移すと彼は止まっていた。正確には私以外のすべての時間が停止していた。

 

まもなく樹海化が始まり、この場は戦場と化すだろう。

私は彼の頬に手を添えるとゆっくりと顔を近づけてその距離をゼロにした。

 

数秒にも満たない時間。

 

ずるいことをしてしまったなぁ、と心の中で自虐しながら彼から離れる。

また場を設けて改めて彼にこの気持ちを伝えよう。そのためにもお役目を果たさないといけない。

広がりゆく光に包まれながら私はそう決意する。

 

そして世界が変わった。

見慣れてきたその光景に、私は彼からもらったネックレスを握りしめる。

 

 

 

 

「行ってきます。祐樹くん」

 

 

 

 

さぁ、行こう。

私のこの二度目の恋を成就させるために────。

 

 

 

 

 

 

 




かくして東郷美森は強き決意を胸に戦場に立つ────。


後味を残す感じで彼女の話を書いてみました。
本筋の通り記憶を失い、不安に圧し潰れそうになったが彼女の過去を知る彼が側に居たというIFストーリー。



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story─EX「この世界を……」

ゆゆゆいのストーリーを見直してたら書いてみたくなったので書いてみた。

ある意味イチャイチャ(恋愛)してるからセーフ…?


硝煙と爆風によって辺りに立ち込める土煙。とうとうやってしまったと、どこか他人事のようにそんなことを考えていた。

 

少しして視界が晴れていく。そうしてやはりというか、望んだ結果が目の前の光景として広がっていた。

 

「──これで、神樹の結界に綻びが生じたはず。後は……」

 

俯いて歯を食いしばる。これでいいと、これでいいんだと私は淀んだ瞳を向けてぽっかりと穴の開いた壁に目を向ける。

戦いの果てに手にした『満開』という力。勇者としての力が飛躍的に増大し無数のバーテックスたちを塵の如く薙ぎ倒していく絶大な力を私を含めて勇者部は使用した。

……その結末を知る由もなく。

 

「もうこんな世界なんて滅んでしまえばいい。こんな悲しい世界に希望なんて……」

 

私達の生き地獄は終わらない。だったらいっそのこと……。

 

「────東郷さんッ!!」

「東郷! あんた何やってるのよ」

「……友奈ちゃん、夏凜ちゃん」

 

大声で、私の大切な人の声が耳に届く。振り向くと離れたところに友奈ちゃんと夏凜ちゃんがいた。

きっとこうして溢れ出てくるバーテックスたちを倒すべく馳せ参じたのだろう。

 

「東郷さん! 壁が壊れ……レオ・バーテックスが」

「その壁はね友奈ちゃん……私がやったことなの。私は今からこのバーテックスを神樹様の所へ連れていく」

「えっ!? ど、どうして東郷さん! そんなことしたらこの世界が──ッ!」

「いいのよもう……もう友奈ちゃんが、みんなが傷つく姿を見たくないの」

 

私から出た言葉に友奈ちゃんはとても驚いた顔をしていた。その表情があの人と被る(、、、、、、)。ここに来るまでにあの人の制止を振り切り私はこの惨状を作り出した。ダメ、後悔も何もかも私は置いてきた。もう止められない。()くしかない、と。

 

私はこの世界の『真実』を彼女たちに伝える。壊れた壁の先の真実と共に。

 

「ぐっ……バーテックスがこんなに」

「これで更に壁の範囲を広げればさらに無数のバーテックスが……」

「東郷、やめろ!」

「邪魔を────するな!」

「二人ともやめて!!」

 

『真実』を知ってもなお止めに入ってくる夏凜ちゃんに私は威嚇射撃を行う。しかしまったく動じない彼女は肉薄してくる。

 

「東郷、あんた! 自分がなにやってるのか分かってるの!?」

「分かってるから。やらなければならないの。これを見てしまったからには……」

「だからってこうしていいわけがない! あんたは間違ってる!」

「ならどうしろっていうの! 勇者は満開を繰り返してボロボロになって……いつか大切な友達や記憶を失って………何も分からなくなっても戦い続けて、そうまでしても守れるものなんて……」

 

以前の私がそうだったから。失ったものの悲しみはここで終わらせないといけない。

救わなければ……。

 

「だから私は、生贄としての勇者を救うの。勇者も、この世界も……私が断ち切る」

「……くっ。数が……っ!」

「夏凜ちゃん……! 東郷さん!! この世界が無くなったらやりたいことも出来なくなっちゃうんだよ?! 東郷さん言ってた……祐くんに伝えたいことだって────!」

 

ビクッと肩が跳ねたのが分かる。友奈ちゃんから発せられた一言に決心が鈍りそうになってしまう。

私の機微を悟ったのか友奈ちゃんは言葉を続けていく。

 

「私、ちゃんと知ってるよ? 東郷さん、祐くんのお話するときすっごく楽しそうに話してくれるんだもん。そんな子からその人に『伝えたいこと』があるなんて聞いてその内容が分からないほど鈍感じゃないから! 伝えないまま……言葉にしなくてもいいの?!」

「────めて」

「きっと祐くんも心配してる……だから」

「やめてッ!!!」

「っ!? 友奈!!」

「────っ!!」

 

言葉の続きを遮るように、その時の私は平常心を欠いていたのだろう……照準がブレて友奈ちゃんに砲撃が撃ち込まれる。撃ってからハッと気が付く。大切な人を傷つけたくない……そんなことを言っておきながら私は、自らの手でその『矛盾』をぶつけてしまう。

 

友奈ちゃんは咄嗟の出来事で対処が間に合わず避けるのも防御するのも間に合わない状況だった。夏凜ちゃんが一目散に駆け寄ろうとするがそれでも一歩足りない。

だれもが間に合わない……そう思った時だった。

 

 

「────急いで駆けつけてみればこんなことになってるなんて……大丈夫? 友奈」

「へっ? あれ……??」

 

砂塵が舞い、視界が晴れるとそこには────もう一人の『友奈のそっくり』が友奈ちゃんを抱えて立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

確かに直撃コースだった。私は夏凜ちゃんと同じように威嚇射撃で済ませるつもりだったのだが、友奈ちゃんの言葉に決意がブレてしまった。

けれどその最悪な結果は訪れなかった。友奈ちゃんは助けられてその射線から脱することができたからだ。

 

「……なんで、どうして?」

 

安堵してしまった反面、納得がいかない。

駆け寄ったのは夏凜ちゃんでない。風先輩や樹ちゃんでさえない。私は震える唇を動かして疑問を投げかける。視界が晴れていくと私も夏凜ちゃんも、助け出された友奈ちゃんすら同じ疑問を抱いていた。居るはずがない存在がそこに立っていたから。

見た目はかなり様変わりしている。髪色は赤くなり、その瞳も友奈ちゃんと同じルビーの瞳色。身なりも桜色を基調とした私たちと同じような『勇者服』そのものだ。まるでそこに友奈ちゃんが二人いるかのようだった。

 

「……友奈、立てる?」

「祐くん……だよね? う、うん大丈夫」

「ちょ、ちょっとなんでアンタがいるのよ!? それにその姿って……」

「三好。詳しい事は全部終わったら話すから……とりあえず友奈を連れて離れてくれ。今の友奈は戦えない」

「そ、そんなことないよ祐くん! 私はまだ……って、あれ? 変身が──!」

「ここまで色々と戦い続けてたんだろ? 精神が揺らいでしまったせいだと思う。一旦心を落ち着けた方が良い。三好」

「……絶対あとで話しなさいよ祐樹」

「ああ、後もう一つ頼んでもいい? アイツらの処理を頼みたい」

「あいつ等って……あ、もうあんなにバーテックスが……っ!」

 

祐樹くんが指さした方に何体もの大型バーテックスが神樹に向かいつつある。夏凜ちゃんはそれだけで意図を察して友奈ちゃんを抱えてこの場を離脱しようと動き出す。こういうときの潔さは流石は夏凜ちゃんといったところだ。

 

「今の僕じゃ流石に倒しきれないんだ。だから、頼む」

「……分かったわ、任せなさい。いくわよ友奈」

「ありがとう」

「ま、待って夏凜ちゃ……ッ! 祐くん、東郷さんをお願い!!」

「うん」

 

簡潔に別れを済ませた三人は別れ、残ったのは私と祐樹くんだけだった。離れた位置に相対する私たちの視線がそこで重なる。

 

「どうして祐樹くんがここにいるの? それにその姿……『勇者』に選ばれるのは少女のはずよ?」

「ねぇ東郷。三好ってさ、あいつに似てるよな。あの立ち姿を見たせいか懐かしさが込み上げてきたよ。あともう一人ここに居たらある意味で集結したことになってたかなぁ」

「………? 何を言って」

「ああうん。そうだよね、そうだったな(、、、、、、、、、、、、)……で、キミの質問だけど、僕は所謂『例外』ってやつだよ。今まで逃げていた『唯一の男性勇者』なるものが僕だ。ある人から話を聞いてさ……こうしてキミの前に立った」

 

ある人。その人が誰だとは彼は口にしなかったけどなんとなく会話の前後で察しはついた。私と同じように彼もまた『真実』と向き合おうとしているのかもしれない。

でももう何もかも遅い。壁は破壊し、これから世界は滅んでいくのだから。最後に、彼の顔を見ることが出来たのは幸いだったと思うのは傲慢だろうか。

 

けれど、そんな私とは裏腹に祐樹くんは頭をぽりぽり掻いて苦笑を浮かべていた。

 

「それにしても派手にやっちゃってまぁ……昔からやるって言った時の思い切りの良さがいいのは理解していたけど、まさかここまでしちゃうなんて僕も驚いたよ」

「……怒らないの?」

怒っているよ(、、、、、、)

「……っ!」

 

ピリッと肌に電気が奔ったような感覚を覚える。たまらず砲台を彼に向けてしまったのは反射的であった。

そんな私の行動に彼は未だその場で動かない。でも分かる。構えてはいないけれど臨戦態勢でいることはすぐに分かった。

 

「ここまでキミが追い込まれていたのに何も出来なかった僕に対してだけどね」

「私をここで倒す……つもりね」

「いや、キミを止めに来た。僕はただそれだけのためにここに居るんだよ東郷。大丈夫、バーテックスたちは夏凜が何とかしてくれる」

「……なんで来てしまったの祐樹くん。あなただけは……ここに来てほしくはなかったのに」

「分からない東郷? 僕がどんな気持ちでここにいるのか」

「祐樹くんこそ分からないでしょ。私の気持ちなんて…」

「分かるさ。だって僕はずっと前からキミを見てきたんだから────っ!」

「────っ! 分かってないよッ!!!」

 

遮るように私は声を張り上げて砲台から砲撃を射出する。激情に身を任せた一撃に祐樹くんはようやく構えをとってその拳を振りぬいてその一撃を弾いていた。その徒手空拳も友奈ちゃんと一緒なんだ。

 

「────”一目連”」

 

何かを呟いた祐樹くんの姿が再び変わった。右目(、、)が桜の花弁で隠され、肉体を羽衣のようなモノで覆われた。私が見たこともない姿に一瞬目を奪われる。

パンッ、と拳を突き合わせた祐樹くんの周囲からは台風のような、強烈な風が吹き荒れ始めた。

私は再び距離を置く。

 

「…満開?」

「違う、これは東郷に見せるのは初めてだね。僕の『勇者としての切り札』の一つだ」

「……そう。でも出力的には私の『満開』の方が上のように見えるわ」

「かもね。でもこれでいいんだよ。分からず屋のキミにはこれで十分」

「分からず屋って……っ!!」

 

その言葉に私はカチンときて砲身を全て彼に向ける。どうして、どうしてわかってくれないの?

撃ち出される砲撃の数々は彼の周りに吹き荒れる烈風によって軌道を反らされて回避される。私はすぐにその風の軌道を読み切って新たに砲撃を放つ。そうして縫い目から漏れてきた一撃は祐樹くんの拳が薙いで反らしていく。それらを何度かお互いにぶつけあった。

 

「こうして”喧嘩”するなんて……ふうっ! 初めてだね東郷」

「”喧嘩”じゃない! 祐樹くんだって私たちの実情を知ったでしょ!? 『満開』した後の『散華』によって捧げられた供物はもう二度と戻ってこない。大赦に……神樹に奪われたんだよ? こんなの間違ってる……どうして私たちがこんな目に合わなきゃいけないのッ!」

 

集中砲火を浴びさせるけど、それでもその全てを風で跳び、また薙いで見せた祐樹くんの視線はずっと私にあった。逸らされた砲撃は周りの星屑を巻き込んで爆散していく。

 

「…っ。そうだね。現状『満開』によって『散華』した供物は戻ってこない。だけど、東郷がしようとしていることは、今までのキミを含めたみんなの戦いを無駄にすることになる」

「最初から……無駄だったのよ。祐樹くん…あなたの知る私が記憶を失う前からの戦いもずっと……!」

 

倒しても倒しても、結局バーテックスは蘇る。私達はやがてすべてを失う使い捨ての存在なんだから。

でも、彼の瞳には更なる闘志が宿った気がした。直後に私の頬横に一陣の風が突き抜けていく。目の前の祐樹くんが拳を振りぬいていた。

 

「……東郷も結構煽り上手だね。さすがの僕もカチンと来たかな」

「…っ。未来が無いのに戦う意味なんてない。苦しみから解放されることは……悪いことなの!?」

「そう望むのも、楽で痛みのないところへ逃げたい気持ちも理解できる。でもね東郷、キミがそれを否定してはいけないんだよ(、、、、、、、、、、、、、、、、、、)

 

初めて明確な”怒り”の含まれた感情を言の葉に感じ取った。私は少しだけたじろいでしまう。祐樹くんは跳んだ。いや、翔んでいる。風の波に乗るように彼はそのまま私に近づいてくる。

 

「人は何かを背負って────ううん、キミは彼女たちの意思を受け継いで未来を切り開いていくんだ。それが過去の彼女たちが夢見た『未来』なんだから、『未来』のキミがそれを否定することはしちゃいけない」

「分からない、分からないよ!! 私にそんな希望や尊厳は重すぎて抱えきれない。私たちが救われる方法はこれしかないの! 壁を壊して、世界を終わらせることしか────ないんだぁッ!」

「──ぐぅぅ!」

 

『満開』の力が上乗せされている砲撃に祐樹くんは徐々に押され始める。暴風が彼を守るがそれもすぐに限界が訪れてきていた。押し切れる。そう思って彼の顔を見るが不敵な笑みを浮かべるばかりだった。

 

「一人で抱えられないなら僕が一緒に抱えるよ東郷、僕にもその責任があるんだ。だから、こうしてここに居るんだ」

「責任感や義務感で私の心に踏み込んでこないでっ! もう後戻り出来ないの!」

「やり直すことはできる。間違いなんて誰にだってあるんだから、今日のコレも糧にして次失敗しないように明日を生きていけばいい。辛くても、そうでなくても僕がそばに居るから……これはキミと初めて会った時から変わらない事実だ」

「……っ! どうして」

 

何度ぶつけても倒れない。『力』は私の方が圧倒的なのにどうして倒れてくれないの。やめて、私の決めた覚悟を揺るがさないで。

振り払おうとも私の思考に彼との思い出がまるでフラッシュバックのようにチラつく。

顔を顰めて彼を見ると、なぜか祐樹くんの纏っていた武具にノイズのようなものが走り、明滅を繰り返していた。

 

「……っ、やっぱり自前で発動させると持続時間が短いし、安定しないか。やっぱりあの子のようにはいかない…な。でも『勇者』は気合と根性だ」

「祐樹、くん」

「…キミには帰るべき所がある。その場所を自ら壊すなんて真似は止めてくれ。笑っていられる場所に戻ろう」

「ダメ、やめて……聞きたくない」

 

いつの間にかこんなにも接近されていた。そのことよりも彼から紡がれる言葉を耳に入れたくなかった。

 

「どうしてそんなに私を気にかけるの。今も、昔も……どうしてそんなに優しい言葉を投げかけてくれるの?」

「これが僕の気持ちだから……かな」

「…っ、そんなのありえない」

「なんであり得ないなんて言えるの? 御役目に選ばれていない奴が、神様の理に逆らってまでこの世界に来てるのに? キミに逢いたいが為にここまで来たのに?」

「……みんなの意思や想いを踏みにじってこの世を破壊しようとする人間に普通はそんなこと言わない、から」

 

すぐに走れば届く位置。『満開』の持続時間ももう残りわずか。しかし私はこれ以上銃口を彼に向けることが出来ないでいた。

 

「世界に反逆しちゃう子でも、僕の気持ちは揺がないよ。道を踏み間違えちゃうことがあったら僕が手を引っ張って戻してあげる。それはきっと勇者部の人たちも同じ気持ちだと思う。友奈だってそうさ」

「…っ、ぅ。そんなに優しいことを言わないで。祐樹くんやみんなは強くても私は…あっ」

 

俯いていた頭に温もりが置かれる。今も昔もしてくれていた行為に私は少しだけ顔を上げた。にっこりと微笑んだ祐樹くんの顔が映る。

 

「そりゃあね、一人だとキツイかも。でも人は手を取り合っていける生き物なんだよ。僕の手をとって欲しい。いつだかと同じ、この手をもう一度」

「う、あ、あぁ……」

 

温もりに触れて、大好きな人から優しい言葉を言われたら堪えていたものが溢れてきてしまう。私はそのまま彼の胸に引き寄せられた。

 

「好きだよ東郷。大好きなんだ……だからそんな世界を終わらせるなんて悲しいことを言わないでくれ。生きて、生きて、生き抜いて…そして二人で、みんなで笑い合える世界を作っていこうよ。僕たちにはそうする権利があるんだから」

「祐樹く、ん……祐樹くぅん。うぅ、ひっく……ぁぁ」

「よしよし、いっぱい泣いちゃえ。今は僕しか居ないから」

「私も、ぉ……っ。あなたのことが好き。大好きなの! 例え記憶を失っても、もう一度あなたのことが好きになったの……っ。この愛おしい気持ちを本当は失いたくないっ」

 

私は曝け出す。心中に秘めた想いを彼に。私の気持ちは記憶を失おうとももう一度彼を好きになることができた。これはきっと『心』が忘れずに覚えていてくれたんだ。ううん、例え全て忘れてしまったとしても私は何度だって祐樹くんを好きになる。これだけは神様でも邪魔できないものだって断言できる。

祐樹くんの抱擁が強くなった。少し苦しいけれど嫌じゃない。私も負けじと彼を強く抱きしめる。

 

「……うん、その言葉をもらえて僕も安心したよ。でもまだ終わってない」

「そう、ね。ごめんなさい」

「謝らなくていい。それより……『満開』の時間は平気なのか?」

「…もうすぐ切れると思う。そうしたら私は『散華』による代償を支払わなければいけないわ」

 

なにを失うのか、それは分からない。もしかしたらまたこの記憶を失うことになるかもしれない。でも仮にそうなったとしてもめちゃくちゃにした罰としてはちょうどいいのだろう。

 

私の目尻から再び涙が溢れる。

 

「また全てを忘れてしまったとしても、祐樹くんに何度だって恋をするわ……けど、やっぱり忘れたくない。嫌だ、嫌だよぉ……怖いよ祐樹くん」

「安心して東郷。そんなことはさせないから」

「ゆ、祐樹くん…?」

 

胸に抱いていた私を離すと、改めて彼は私と向き直った。

 

「……まだ何処だろうが失う前なら間に合う。でもそう何度も使えるわけじゃないからそこはごめんだけど、僕に任せてよ東郷」

「なにを、するの……?」

「キミの『不具』を僕が肩代わりする。僕にはそれが出来るんだ。裏技みたいなものだけどね」

「そんな、こと……え? 祐樹くん」

 

理解が追いつかないまま彼の顔が徐々に近づいてきた。顔が瞬間に熱くなるのを自覚した頃には、私の唇は彼の唇で塞がれていた。

 

「んっ、んんっ……ちゅ、ん」

 

接吻を──口吸いを、キスをしている。それも向こうから、だ。直後に『満開』の接続時間が切れて元の姿に戻っていく。強烈な不安が押し寄せる。私はこの次には『何か』を失うのだ。でも、それでもこのままなら不安こそすれ怖くはないと思えた。

私も彼を求める。しかし来るべき瞬間はいつまで経っても訪れず、不思議に思った私はゆっくりと瞼を開けてみる。

 

────祐樹くんの身体が光を帯びていた。

 

視線だけ動かしてみると私の身体も僅かに輝いている。

ほんのり温かみのある、柔らかい光の数々が私から祐樹くんへ、祐樹くんからは私へと流れてお互い吸収されていく。そうしてその輝きも落ち着いてくると、彼は私から唇を離した。

 

口元から伸びる銀糸が名残惜しそうにお互いの橋として掛け合っていた。

 

「……んっ、これで大丈夫、かな。身体に支障はない?」

「え、ええ…大丈夫、みたい。祐樹くん、これは一体……」

「今はそれよりもアイツ……バーテックス・レオをどうにかしないといけない。僕のことはいいから、東郷はみんなと合流して撃退するんだ」

「うっ……み、みんなになんて顔して会えばいいのかな」

「それはもう仕方ない。潔く怒られに行くしかないなー……」

「祐樹くん……その、一緒について来てくれたり…しない?」

「この戦いから戻ったらね。僕も色々と謝りに行かないといけないし……一緒に叱られに、頭を下げに行こうか東郷」

「……祐樹くんが居てくれるなら、頑張れる気がする、わ」

 

二人で顔を見合わせてぎこちなく小さく笑う。祐樹くんの変わらない態度に私も暗い感情が薄らいでいくのが分かった。

 

「さぁ、行って東郷。僕はここでなるべく小型のヤツを減らすから……みんなを頼む」

「り、了解。でも祐樹くん散華の影響は本当に大丈夫なの?」

「まぁ命に別状はないから。さぁ、行って」

「………うん」

 

彼に促され私は心配ながらに友奈ちゃんたちと合流しに向かう。見た感じは疲労以外には不調そうには見えなかったが乃木さんのような例もあるから心のモヤは拭い切れなかった。

 

(うぅ……キス、されちゃった)

 

こんなことは今考えてちゃいけないのは分かるけど、どうしても唇に残る温もりが忘れられない。私と同じ気持ち……と言われ、そういう事なんだという実感が湧いてくる。

嬉しい反面、申し訳ない気持ちが溢れてくる。友達に、親友に酷いことをしてしまった。歩み寄って来てくれたのに、その手を払ってしまったことに私は罪悪感に駆られる。

 

「祐樹くん……」

 

進みながら後ろを気にする。一人で本当に大丈夫なのだろうか。私の『満開』の散華を肩代わり? してくれたおかげで本当に身体は何ともないが、それで彼に不調の類は見られないことが不思議だった。

 

(神樹様に供物として捧げる……じゃあ祐樹くんは何を捧げたの?)

 

疑問は尽きないが戦況は不安に揺らいでいる。私は自分の犯した罪を償うべく、そして一刻も早く彼に会う為に友奈ちゃんたちの元へと急いでいった────。

 

 

 




(夏凜ちゃん友奈ちゃん)出番奪ってごめんよ。

とまあ、壁は壊してしまったけど愛の力で正気に戻させる展開でした。
一部分をピックアップしてるので過程は色々あると思われるがそこは脳内補完で!(投げやり)


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story1-after『雪降る夜に』

少し前までの自分だったらこんな行事に一喜一憂することはなかっただろう。




 

 

 

「…は、は、はぁ」

 

小走りで夜の澄んだ空気を肺に送りまた吐き出す。

漏れるその吐息は白く染まり外気の寒さが伺える。

いつもより少しだけお洒落をしたおかげで幾らか予定していた時間を過ぎてしまった。

連絡は済ませてあるが焦る気持ちが抑えることができず、こうして足早に行動に移してしまったがそれもあと少しの辛抱だ。

 

『うん、バッチリ〜! 頑張ってねわっしー』

『あとで結果教えろよー!』

 

親指を立てて送り出してくれた親友たち。

その時は恥ずかしくてうまく返答することができなかったけれど、いつも奥手の自分の背中を押してくれる彼女たちの存在に感謝の念が尽きない。

 

今日は人々にとって特別な日。

以前の自分だったら何を浮き足立っているのやら、と半ば呆れ気味な対応をとっていたが、どうやらいつのまにか自身もその枠にはまってしまっているようだった。

 

「……あっ!」

 

待ち合わせのツリーの下。

その大きさや飾り付けに目を奪われそうになるが、同時に視界に入る人物の一人に視線は引き寄せられていく。

 

「…祐樹さんっ!」

「やぁ、須美。待ってたよー」

 

厚手のコートに身を包む想い人が小さく手を振りながら立っていた。

頰が自然と緩む。

 

「すみません、お待たせしてしまって…!」

「いやいや。まだ待ち合わせ時間より前だし気にしないでよ」

「少し家でバタバタしてしまって…本当はもっと早く着く予定だったのに……いえ、言い訳はよくないですね」

「須美は相変わらずだねぇ。でも僕はたまにはこういうのも悪くないかなーって思ってるよ」

「なんでですか?」

 

訊ねると、二、三回と視線を泳がせる彼を見て首をかしげる。

 

「えと…なんていうかその。こうやって二人で待ち合わせするのってなんだか特別な感じがして浮き足立っちゃうというか」

「……、」

「周りの雰囲気もあるのかもしれないけど、ソワソワもするし…あはは。何言ってるんだろ僕は」

「…ふふ」

「笑わないでよー」

 

彼の反応が可笑しくて、可愛くて小さく笑ってしまう。

彼の両頬は寒さ故か気恥ずかしさなのか赤く染まっていた。

こほんと咳ばらいを一つすると、彼は頭上を見上げた。

 

「…クリスマスツリー、綺麗だよね」

「──ええ。本当に」

「せっかくだから写真撮ろうよ須美」

「しゃ、写真ですか!? こ、こんな往来の中で…あぁでも祐樹さんとなら」

「すみません、一枚撮ってもらっていいですか?」

 

ごにょごにょと独り言のように呟いている最中に彼は道行く人に声をかけて手持ちの端末を手渡した。

 

「ささ、須美もこっちに」

「へっ!? ゆ、祐樹さん」

「ほら笑って」

「あ…こ、こうですか」

 

肩を引き寄せられて密着する形になる。瞬間に寒さを忘れるような熱が身の内から溢れてくるが、それとは別の暖かな温もりが身体を包んだ。

目の前の端末に目をやり何とか平静を整えていく。

 

撮りますよー、と端末のカメラのシャッターが切られる。

 

「ありがとうございましたー」

 

お礼を言うと彼はこちらに再び戻って来る。

 

「ほら、バッチリ撮れてるね!」

「恥ずかしいです」

「そ、そう言われると確かに…はは、じゃあこの写真須美のにも送るよ」

「あ、ありがとうございます」

 

すぐに端末に画像データが送られてきた。自分と彼。二人が寄り添っているその写真を見て口角が緩んでしまう。

速攻保存して待ち受けに設定。これは大事にせねば、と一人決意を済ませた。

 

「じゃあ改めて行こうか」

「はいっ!」

 

こうして二人はイルミネーションに彩られた道を歩き始める。

いつもは見知ったその道も隣を歩く彼と今日という日を含めて、まるで別世界にでもきたかのような錯覚になってしまう。

 

「結構本格的だよねこのあたりのイルミネーション」

「あの辺りなんて気合い入ってますよ祐樹さん! わっ! 見てください」

「おー、まさかのサンチョかこれ。園子が喜びそうだ」

「ふふ…そのっちに写真撮って送ってあげよ」

 

しゃがみ込んで須美はサンチョを撮影する。

その横顔を祐樹は眺める。辺りの光に照らされて彼女のその姿はどこか幻想的にすら思える。

 

だから自然とその姿をシャッターに収めてしまうのは仕方ない。

カシャリ、と一枚を撮る。

 

「〜〜♪」

「やばいな。可愛い…」

「どうかしましたか祐樹さん?」

「いや、なんでもないよ。あ、あそこに違う色のサンチョがあるよ」

「ほんとだ。こっちも綺麗ですねー…かわいい」

 

何枚かを写真に収めて次の場所に移動する。

 

「それにしても良かったよ。須美はこういうのあまり好きじゃないと思ってたから」

「もう祐樹さん私のことなんだと思ってるんですか…」

「ザ・大和撫子って感じの女の子?」

「どうして疑問形なんですか。むぅ…別に嫌いってわけではないです! 祐樹さんと一緒だから楽しいんですよっ!」

「…え、えっとありがとう。僕も須美と一緒に来れて嬉しいよ」

「……はっ!!? い、今のはナシ! ナシでお願いしますっ!!」

 

無意識で言っていたのか慌てて訂正する須美。

その仕草を見てつい笑ってしまう。

 

「──祐樹さんのイジワル」

「ええ…僕のせいなのかい」

「そうです。祐樹さんはずるいんです! もう私はそのっちの言葉を使うならプンプンなんだから」

「プンプンの須美はどうしたら機嫌が直ってくれるんだ?」

「…なら私の言うことを一つきいてください。それで許してあげます!」

「──僕のできる範囲ならなんでもいいよ」

「────っ!?」

「須美?」

 

ぐらりと体を揺らして須美は頭を抑え始めた。

一瞬、体調が悪くなってしまったのかと不安になるがそんな様子を察してか彼女はその手で自分を制止して止めた。

 

片手で顔を抑えているが、隙間から見えるその頬は朱に染まっているようにも見える。

 

「だ、大丈夫です。問題ありません」

「本当に?」

「はい! あっ、あそこに出店のうどん屋がありますよ祐樹さん食べませんか?」

「お、寒いしちょうどいいかもね! 行こう」

 

この時期だからだろうか、ちらほらと出店を構えているところが見られた。

小腹も空いたので丁度良かったのかもしれない。

並んで二つ頼むとそのうちの一つを彼女に渡す。

 

「はい、どうぞ須美」

「ありがとうございます! あそこのベンチが空いているので座りましょう」

「うん」

 

丁度よく二人組の男女が席を空けたのでそこに座ることにした。

腰を落ち着けて一つ息を零す。

 

「なんだかんだ人混みがすごいなぁ」

「みんな楽しみにしてたんですよ。さぁ、祐樹さん冷めないうちにいただきましょう」

「そうだな。いただきます」

 

パチンと割り箸を割って汁を啜る。

それだけで冷えた体が溶けていくような、この熱さが癖になりそうだ。

隣を座る須美もうどんを堪能している様子。

 

「外でうどんを食べるのもたまにはいいね」

「そうですね。これは格別です」

 

イルミネーションを眺めながら熱々のうどんをすする。

なんと贅沢なことか。

ものの数十分で完食し終えると、二人はそのままベンチで風景を眺める。

 

「こうやって改めて観ていると、私たちは人々の笑顔を……この場所を守っているんですよね」

「──そうだね」

「いつか……このお役目も終わる時がくるのかしら」

「……キミたちならきっと出来るさ。僕は此処で帰りを待ってる」

 

彼は三人のように戦う力を持たない。けれど、非日常から戻ってくる彼女たちを待つ日常が必要だ。

それはとても大事なこと。だから僕は彼女が帰ってくるのを待ち続ける。

 

それでもこの子はきっと不安が拭いきれないことだろう。だから、

 

「──はい、須美」

「え? ……これは」

 

リボンでラッピングされた小さな小箱を手渡した。

須美は不思議そうにこちらを見てくるが、開けてもらうように促す。

 

「──指輪」

 

須美の瞳に映るのはシンプルな銀の指輪だった。

呆然とする彼女をよそに祐樹は言葉を続ける。

 

「……クリスマスプレゼント。つけてもらえると嬉しい」

「祐樹、さん……」

 

嗚呼、どうしてこの人はいつも……。

須美は自分でも分かるぐらい頬が熱を持つ。

 

「…はは。ちょっとプレゼントにしては重かったかな」

「そんなことないです! あの…お願いがあります」

「──うん」

「この指輪。祐樹さんが私につけてもらってもいいですか?」

 

どこか不安げにこちらを見つめる彼女。

────そんな表情(かお)しないで。

 

「……さっきお願いをきくって約束したからね」

「じゃ、じゃあ──!」

 

そう言って須美の視線はあの手(、、、)に向かう。

だがすぐに首を振って頭を俯かせる。

恥ずかしい。だけど前に進まなくては、と内の勇気を奮い立たせる。

 

「須美?」

「な、なにも言わずにここに……お願い、します。うぅ……」

「わかった」

 

そっと彼女の手を取って指先に触れる。

小箱から指輪をとり、それを嵌めていく。

 

須美は薄く瞼を開けてその手を視界に収めると、眼尻には涙が浮かび始めた。

 

「……ありがとうございます祐樹さん。私きっとお役目を果たしてみせます……だからその時は────」

 

その時の彼女の表情は今も忘れない────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと、目が覚める。

 

「────ぁ」

 

ぼんやりと視界が晴れるとうたた寝してしまったことを理解する。

身体を起こすと自分の身体から布のようなものがするりと落ちた。

 

(…毛布?)

 

落ちたものを拾う。

 

「あっ、起きた?」

 

目の前からかけられる心地の良い声。

視線をそちらに移すと、窓の外を見ていたのか車椅子に乗る少女が一人そこに居た。

ニッコリとほほ笑んでこちらが起きたことを彼女に知らせる。

 

「うん。ごめんね急に寝ちゃって。毛布、ありがと」

「いいのよ。とても気持ちよさそうにしてたもの……いい夢でもみれた?」

 

笑みを浮かべると同じように返して答えてくれる。

僕は静かに頷いてみせた。

 

「懐かしい夢かな。うん、とてもいい夢だ」

「ふふ。寝ている時の祐樹くんの顔、可愛かったわよ」

「えーずるい。僕だって東郷の寝顔みたいのに…」

「残念でした! そう簡単に乙女の寝顔は見させられないわ」

 

彼女の首元から覗く銀のネックレスが輝く。

 

「ねえそれより見てみて祐樹くん」

「外がどうかしたのか? …おー!」

「今日はすごく寒かったしこうして降るのも納得するわね……雪」

「ああ。今年はホワイトクリスマスだね」

 

隣に歩み寄って外を眺めると白い粒が天から降り注いでいた。

 

「あ、ふふ……みんなも気がついたみたい。こんなに書き込みがきてるわ」

「これは積もったら雪合戦が始まりそうな勢いだな。友奈とかすごいはしゃいでそう」

「きっとそうね」

 

顔を見合わせ合い笑う。

 

「じゃあ丁度いいからこれを祐樹くんに…はい」

「え!? 僕にくれるの」

「もちろんよ。受け取って」

 

綺麗にラッピングされた長方形のケースを彼女から受け取る。

許可をもらって丁寧に包みを開けるとその中身に思わず声が漏れた。

 

「これって──!」

「たまたま同じような物を見つけたのよ。これで二人お揃いね!」

「東郷……ありがとう」

 

すぐに首に取り付ける。

 

「似合ってる?」

「ええ、カッコいいわよ祐樹くん」

「僕もなにか渡さないとな」

「大丈夫よ。いつも色々な物をたくさんもらってるもの」

「そうはいかないさ……今度はコレをキミに持っていて欲しいんだ」

 

言いながら彼女の手にあるものを渡す。

東郷はそれを見て目を見開いた。

 

「……指輪」

「そう。これをキミのネックレスにつければ……完成」

 

手に触れるのは一つの指輪。

 

「この指輪は?」

「僕の大切な思い出の品。宝物というやつだね」

「そんな大事なものを私がもらっていいの?」

「キミだからこそだ」

「…………、」

 

東郷は何かを考え始める。

その様子を不思議そうに眺めていると、徐に車椅子を操作し始めて引き出しを漁り始めた。

 

「東郷?」

「……これ、代わりと言っては何だけど受け取ってくれる?」

「あっ……」

 

手渡されたものを見てとても驚いた。

 

「形は歪になっちゃったけど…私も同じような指輪を持っていたの。この髪飾りと一緒に……」

 

目頭が熱くなるのがわかる。

そんな奇跡があっていいのだろうか。

 

唇を気づかれないように噛んで耐えてみせる。

なるべく平静に、口調もいつも通りに。

 

「そうなんだ。そしたら僕もこうして──うん、これで本当にお揃い(、、、、、、)だ」

「受け取ってくれるの?」

「もちろんだよ。ありがとう、大切にする」

「ええ。私も……大切にするわね」

 

二人はお互いの手を握る。

今度はきっと大丈夫だ。

この想いも、絆も離れはしないと誓える。

 

 

「東郷……メリークリスマス」

「メリークリスマス。祐樹くん」

 

 

 

 

 

 

 

これはきっと夢のような出来事。

雪降る夜の、小さなお話────。

 

 

 



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乃木園子の章
story1『私の側にいて』


いつも僕は送り出すだけ。
その隣に立って一緒に戦いたいと願うのはいけないのだろうか。

……いや、願うだけではダメなのだと痛感させられた。

そのことを理解するころには既に僕の手にはなにも残っていやしなかった。


『じゃあ、行ってくるよ~』

 

その時の姿を覚えている。

おっとりとしたいつもと変わらない調子で行ってきますと口にした彼女。

 

『……お役目を果たしてきます』

 

もう一人は一番真面目な子。いや、前の一人が真面目じゃないわけではないのだが、僕の抱く彼女の人物像がそうなのだ。

何か意味ありげな視線を僕に送るとそのまま背中を向けてしまった。

 

 

そうして彼女たち────『勇者』である女の子たちは戦場に赴いていく。

いつも僕は帰りを待つばかりだ。それも仕方ないと思うしかない。僕にはこの戦いに赴く適正がないのだから。

しかし毎度戦場から帰還を果たした彼女たちの姿を見るのはとても心が痛んだ。

生傷の絶えないその肌身。疲れ疲弊した肉体と精神。

そして何より、友を失った心の痛み。

 

────何度僕が代わってやれたらと思ったことか。

 

でも、それでも二人は最後に笑顔を浮かべて僕のところに帰ってきていた。

その時の姿がとても眩しくて、僕よりも年下なのにこんな顔を出来るその子たちをすごく尊敬していた。

 

今回もきっとそんな感じで戻ってきてくれる。

そう思っていたのに、

 

 

 

 

 

……誰も戻ってくることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある病院の診察室。

僕は医者の言葉を聞いてやっぱりと半ば理解していたようにうな垂れた。

 

「入院ですか……」

 

医者からの診断でそうなってしまった。

足にはギプスが巻かれている。

ある日の帰り道に、ちょっとしたトラブルに巻き込まれてしまったおかげでこの有様だ。

先生が言うには、足の調子をちゃんと検査したいとのことでしばらくの検査入院を勧めてきた。

自分としてもいち早く治したい一心だったのでこれを承諾し、両親に事情を説明して了承を得る。

 

「しかしボランティア活動もほどほどにね。君自身の身体のことも気にかけてあげないと」

「……はい」

 

 諸々の手続きを済ませて病室に案内される。

 怪我といっても足首周りなので松葉杖での歩行は可能だった。

 

「──ふぅ」

 

 一息付けるためにもベットに横たわる。

 天井を見つめてぼうっと眺め続ける。よかれと思って誰かの手助けをしたためにこの体たらくだ。

 

(彼女たちみたいにはいかないなぁ……)

 

 あの日から二年余り。僕は未だこの燻る思いを持て余していた。

 

「飲み物買いに行こ」

 

 あの日、あの時に交わした言葉。それっきり彼女たちとは会うことがなくなってしまった。

 とある伝手をたどって彼女たちが生きていることだけは知ることができたのは幸いか……。

 

慣れない杖に気をつけながら歩いていく。

途中ですれ違う患者たちに軽く会釈すると共に過去の彼女たちの姿を重ねてしまう。

 

『やはー、ゆっきー! ただいま~』

 

至る所に包帯や湿布を貼っている少女の顔を思い出す。

いつも調子を崩さずニコニコと笑みを浮かべながら場の空気を和ます女の子。

 

彼女の笑顔を見るのは好きだった。

だが、そんな彼女は僕の近くにはいない。

まぁどこかで元気にやってくれていればそれでいい。

自販機に到着し、小銭を入れてどれにしようかと指を動かす。

 

「……これでいいか」

 

ガコン、と取り出し口に飲み物が落とされる。

足の怪我のせいで取り出しにくかったが手にとってそのラベルを眺める。

 

ラベルには『おしるこ』と表記されていた。

プルタブを開け、半分ほどを喉に流し込む。

 

「甘い……ん?」

 

わずかに耳が音を拾う。

奥の一室から聴こえるそれは誰かの歌声だった。

 

つられて僕は歩を進めていく。その歌声はとても心地よく耳に届いた。病室の扉は開かれている。

不躾に僕はノックも忘れてその中を覗き込むように入っていく。

 

────だってこの声には聴き覚えがあるのだから。

 

 

「~~♪」

 

夕日に照らされた光に一瞬目が眩むが、そんなことも忘れてしまうほどに僕はその姿に目を奪われた。

 

病室には一つのベットが置かれていて、そこに一人の少女が居た。

その身なりは全身をほぼ覆い隠すほどに包帯が巻かれていて、わずかに見えるのは片目と口元だけの女の子。

杖をつきながら歩み寄る。

 

「──歌、結構うまかったんだな」

「……ん? おぉ~。珍しいお客さんだぁ……さっき外で歌ってた女の子がいてなんとなく私も歌ってみたんよ」

「女の子?」

「そー、あの子は将来有名になるねぇ。私が保証するから間違いない」

「へ、へぇ……そうなんだ」

 

やっぱりそうだ、と。

僕はこの少女を知っている。

少女も僕のことを知っている。まさかこうも呆気なく再会を果たしてしまうなどと誰も想像もしていなかった。

 

たまらず目頭が熱くなってしまうが、グッと堪えて元の調子を維持する。

 

「久しぶりだね。…園子、会いたかった」

「うん、おひさだね。ゆっきー…私も会いたかった」

 

あの頃と変わらない声色で、園子は口角を釣り上げてそう言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

再会を喜ぶ。

それはもちろんなのだが手放しに喜べるかと言われればそうはいかない。

近くにあった丸椅子に腰掛ける。

お互いしばし無言で見つめ合う。二年前より少しだけ大人びた彼女の様子に僕は嬉しく思っていた。聞かされていただけで実際に目にするのとは全然違う。本当に生きていてくれてよかった。

 

そんな僕の様子を察したのか、困ったように彼女は笑ってみせた。

 

「あははー。ごめんね勝手に居なくなっちゃって…心配かけちゃったよね」

「本当だよ……ところでその、それは怪我なのか?」

「うーん…なんて言ったらいいのやらー」

 

訊ねてよかったものかと思ったが、多少の事情を知っている僕には聞かないなんて選択肢はなかった。

園子はどうしたものかとうんうん唸りながら考えている。僕が思っている以上に事態は深刻なのかもしれない。

姿の見えないもう一人のことも気にかかる。

 

「んー、説明するとー…ドンっ! と咲いてパァって散っちゃった感じかなぁ?」

「──はい?」

「だからー。どーん、ばーんって感じでー」

「待っ──! ちょっとタンマ!」

 

ああ、この感じは紛れもないあの園子だ。

不覚にも懐かしみを得ながら、この説明をどうにか飲み込むしかない。

考えてみる。

 

「…つまり。必殺技を使ったら反動でこうなったと?」

「おー。さすがゆっきーだねぇ…うん、正解」

 

必殺技。それがなんなのか見当もつかないが、この状態から察するによくないものだとわかる。

だけど今日、今この時を生きられるのは紛れもなく目の前の少女たちのお陰なのだろうということが事実として突きつけられる。

 

「手、握っていいか?」

「──うん。あ、でも動かせないからお好きにどうぞー」

 

力なく置かれているその手を優しく握る。

白く淑やかな女の子の手は確かに病人のそれとは違うと見て取れる。

両手で彼女の指を一つ一つ確かめるように触れていく。

冷たいわけではない。

それなのになぜ動かすことができないのか……残念ながら僕には理解ができなかった。

 

「ゆっきーの温もりが感じられなくてざんねんだよ」

「頑張ったな園子」

「うんー。私がんばったんよ~」

「…ありがとう園子。キミたちのおかげでみんなが──僕も今日を生きられてるよ」

「…感謝されることでもないよー。当たり前のことをしたまでだから」

「……おかえりなさい、園子」

「………………ただ、いま。ゆっきー」

 

瞳から一筋の涙が溢れた。その涙にはどれほどの想いが込められているのだろう。

 その涙を僕は拭ってあげる。その間にも手は握り続けて…。

 

彼女は精一杯頑張った。誰に褒められることもなく、そのお役目を果たしたのだ。

溢れて止まらないものを僕は全て受け止める。

今はそれぐらいしかしてあげられないから。

 

「…ありがとーゆっきー。もう大丈夫だよ」

「──なぁ園子」

「なぁにー?」

「今度は僕が園子を支えるよ。だから僕を頼ってほしいんだ。ダメかな?」

「……あはは。今日は久々に嬉しい日だなぁ…いいの? 私こう見えて結構ワガママなんよ?」

「知ってる。だからいくらでも付き合うよ」

「…じゃあ、今ゆっきーが飲んでるそれ」

「…おしるこ?」

「そーそー。それ私も飲みたい」

「え? なら新しいもの買ってくるけど……」

 

最初のお願い、なのだろうか。僕は杖を手に取り立ち上がって自販機に買いに行こうとすると、園子は首を横に振った。

 

「んー。ゆっきーのがいい」

「…飲みかけだぞ? というかそもそも飲んで平気なのか?」

「それがいいんだよ~。うん、身体はこんなだけど健康状態はいいんよ。でも一人じゃ飲めないからゆっきーが手伝ってくれると嬉しいな」

「キミが言うなら…じゃあちょっと失礼するよ」

 

再び丸椅子に腰掛けて近づき園子の背中をベットから持ち上げる。

華奢な体は力を込めたら壊れてしまいそうな、そんな儚い感触を感じ取りながらゆっくりと缶を園子の口元に近づけた。

 

「少しだけいくぞ?」

「うん」

 

恐る恐る、流しすぎないように慎重に缶を傾ける。

中身の液体がほんの少し口内にいくのを確認すると飲み口を離してあげる。

何とか飲ませてあげることに成功したのか、園子は目を伏せてまるで噛みしめるようにゆっくりと喉を動かしていく。

 

「…あは。ゆっきーの味がする」

「ンな味あるかい! ただのおしるこだ」

「ちゃうんよー。気持ちのもんだい~」

「そういうものか」

「もんよ。美味しいなぁ…もっともらってもいい?」

「…仰せのままに」

 

この後も時間をかけて半分近く残っていた中身を全て飲み干してしまった。口元をティッシュで拭いてあげて再びベットに背中を預けさせる。

 

「満足した?」

「久々にジャンクなものを飲んで大満足だよー。ありがと~ゆっきー」

「ジャンクて…まぁ、何よりだよ」

 

いつのまにか日も沈み、外は暗闇が広がっていた。

一度間をおいて僕は再び口を開く。

 

「一つ、聞いてもいいかな?」

「答えられることなら」

「──須美は、今どこにいるんだ?」

「…………、」

 

きっと僕がこの質問をすることはわかっていたはずだ。

けれどその口からすぐには回答がでてくることはなかった。

 

「…わっしーは。一足先に退院していったよ」

 

彼女が沈黙の果てに出した言葉。退院────それは園子の状態から彼女もまた怪我をしてしまっていたことは容易に察することができた。

 

「そっか…同じ病院だったんだ」

「ワケあって最後まで会えなかったけどね~。今は…うん、新しい生活を始めて過ごしてるんじゃないのかな」

 

寂しそうな声色で彼女は言う。

つまり彼女はいつからかずっと一人きりで今を過ごしているということだ。

ボロボロになって、友を失って、それでも挫けずに戦って。

考えれば考えるほど、涙が溢れそうになってくる。でもそれは信念を貫いてきた彼女たちに失礼だ。容易に涙を流すなど出来はしない。

 

そしてそれを聴いた僕のやるべきことは決まった。

 

 

『──失礼致します。乃木様』

 

決意を固めたところで、病室の入り口から面をした人間たちが数人入ってきた。

僕は何度か目にしたことのある、『大赦』の人間だ。

僕の座る反対側に回り込むと園子に何やら耳打ちし始める。残る人たちからは僕への視線を感じた。

少しだけ警戒していると、横にいる園子が小さく溜息を吐いていた。

 

「あーあ。せっかくの楽しい時間が…ゆっきーゴメンね。今日はここまでみたいなんだ」

「……なぁ園子、大丈夫なのかこの人たち」

 

『大赦』の人間とは多少の関わりはある。だけど僕の印象はそこまで良くはないのが現状だ。

 

「うん、この場は心配ないかなー……あ、閃いたぁ」

 

唐突に彼女はなにかを閃く。それがなんなのかは見当もつかないし、園子のそれは今に始まった事ではない。

 

「ゆっきー足は大丈夫なのかな?」

「え? あぁ、検査入院だからそこまでは……」

「じゃあ、まずは治してからだね~。また連絡するからねゆっきー」

「え? あ、ちょっと!?」

 

面の者たちに腕を掴まれる。まさか強制退室宣言されたのか。

 

「あ、そうそう──彼は私の大事な人なの。丁重に送ってあげてね。じゃないと、ね~?」

『……失礼致しました』

 

園子の一言に僕は解放される。今の一瞬でなにか園子の背後から黒いモノが見えた気がしたが気のせいか?

 

大赦の人間は態度をぐるりと変えて頭を下げ、道を開けてくれる。

驚きながらも園子の方へと視線を向けると笑みを浮かべていた。

 

(…なんだろう。あの状態の園子は逆らっちゃいけない気がする)

 

怒らせてはいけない人間がいる。少なからず彼女はその部類だ、とこの時確信した。

大人しくこの場は任せて出ていくことにする。

 

その後ろで微笑む人に見送られて。

 

 

 

 

 

 

 

振り返ればあっという間の数日間だった。

その間は彼女のいた病室に向かってみたのだが、驚くことにもぬけの殻。

当てのなくなった僕はどうすることもできず療養するほかなかった。

 

そしていざ退院の日、ことは起こった。

 

『お待ちしておりました。祐樹様、こちらへ』

 

病院の出口でまさかの出迎えである。

頰をヒクつかせ、まさかと彼女の顔が脳裏に浮かんだ。

有無を言わさず連行される形で車内に通される。

一体どこへ連れて行かれるのだろうか。

両脇を固められ、逃げられない状況。まぁ別にそのつもりはないので構わないが…。

車内で揺られて三十分ほど。見覚えのある風景を視界に捉えた。

 

瀬戸の大橋。

その手前に建設された施設に僕は案内される。

車を降りて次に徒歩での案内。園子の言う通りに丁重にもてなされている。もとより名家の生まれの彼女だが、その発言力というか、ある種の片鱗を見た気がした。

そうして到着した場所が、とある一室。

道中、面をした人達と何人もすれ違う。顔は見えないが奇異な視線をひしひしと感じ取った。

 

先行していた人が先に室内に入り、すぐに戻ってくると僕はそこへ通された。

入室する。この前の病室とは違い、壁には見たことない装飾が施されている。そんな部屋の奥にベットが一つ、その上に見知った彼女の姿とともに鎮座していた。

 

祀られている────そんな感想を始めに抱いてしまうほどにこの場は異質さを秘めていた。

 

「二、三日ぶりだねーゆっきー」

「そうだね。急にあの病院からいなくなってたから驚いたよ」

「ごめんねー。色々とやることがあって~」

 

驚かされることばかりだが、彼女のすることに至っては日常茶飯事な気もするのでそこまで慌てふためくことはなかった。

 

園子は側近で待機している人間たちに目配せをすると、その者たちを部屋から退室させていく。

 

「いいの下がらせちゃって?」

「四六時中監視されるのは疲れちゃうし、せっかくの二人きりだもん。邪魔されたくないんよー」

 

二人きり、という単語に一々反応してしまう自分は愚かだろうか。

 

「で、えっと…こうしてお呼ばれしたわけだけど」

「うん。ゆっきーに改めてお願いがあって呼んだんだけど…んー」

 

少々歯切れの悪い口ぶりだった。僕はその様子を見て彼女の横に座り、この前の同様にそっと手を握った。

 

「遠慮しないで言って欲しい。僕は可能な限りキミの要望には答えていくつもりだよ」

「…いいの?」

「うん」

「じゃあ、ゆっきー…あのね、私の側にずっと居て欲しいんだー」

 

気恥ずかしそうに彼女はそう言った。

この言葉が園子の本音の一つならば僕は迷わず頷いてみせる。

 

「ほんと? 良かったぁ。ゆっきーが居てくれるだけでもすごく安心……じゃあそこにあるものを取ってくれる?」

「これ? …大赦の面みたいだけど」

「それゆっきーの」

「……ああ僕のね──んんっ!?」

 

 流れで納得しかけるが、彼女の言葉に耳を疑った。

 

「なにゆえ!? 僕は大赦に入る気は……」

「ううん違うよ。私の立場上だとちょっと納得がいかない人もいるからそのためのものかな~。衣装もあるから後でもらっておいてー」

「そ、そうなのか? まあ要望に答えるって言ったしな僕は……どう、似合う?」

「それしちゃうとみんな一緒だねぇ」

「だよね」

 

 面で顔を半分隠しながら僕は笑う。園子も共に笑ってくれた。

 

『──失礼いたします』

 

 背後から声が聞こえたので驚いて僕は咄嗟に面を被ってしまった。

 

お、意外と視界は阻害されない造りだ。

 

園子は少しだけムッとした顔をしている。会話の途中で入られたからか。

 

『ご用意ができましたのでお持ちしました。いかが致しましょう』

「…彼に渡してください」

『こちらを』

『ど、どうも』

 

何やらトレイを手渡される。というよりこれは……。

お辞儀をしてから退室する人を見送りながら僕は園子の元にソレを運んでいく。

 

「…食事の時間だったのか」

「この時間はそうなんよー。ゆっきー食べさせてくれるかな?」

「なるほどね。もちろん」

 

一緒にいるということは、こういうこともするというわけだ。

もちろん拒否する理由なんてない。

 

「本当は腕に通ってる栄養剤でも事足りるんだけど、ゆっきーが食べさせてくれるならそっちがいいんよ」

「ならキチンと食べさせないとな…じゃあさっそく」

「あーん」

 

小さな口を開けて待っている園子に、細かく切った食事をスプーンに乗せてそこに運ぶ。

口に含んだ彼女はゆっくりと咀嚼し始める。しかしその顔は微妙な感じらしい。

 

「…うーん。わっしーの手料理が恋しいなぁ」

「はは。須美の料理は美味しいもんなー…はい」

「あーん……ゆっきーの料理も食べたいなぁ」

「僕の? 須美に比べたら僕のはイマイチだと思うけど」

 

いわゆる男飯なるものしか作れない。

こういう時に備えて須美にでも指南してもらえばよかったと思う。

 

「えー、私は同じぐらい好きだよ。わっしーもミノさんも喜んで食べてたし」

「そうか…嬉しいな」

 

思い出に耽りながら園子は言う。

確かに四人でそんなことをしたこともあった。客観的に振り返ればほんの数年前の出来事なのに、僕からしてみれば遠い遠い出来事のように感じる。

何もかもが元通りとはいかないが、またみんなで集まってワイワイできる日は来るのだろうか。

 

────いや、出来ると信じよう。最初から諦めてたら意味がない。

 

半分ほど食べてきたところで園子の食のペースが落ちる。

 

「もうお腹いっぱいかな?」

「そうだねー。食が細くなっちゃったかなぁ」

「あんまり無理しないでな。僕は君にこれ以上何かあったら気が気でないからさ」

「…うれしー。ゆっきー大好き」

「うん。褒め言葉としてもらっておくよ」

「えー、そこは『僕も愛してるぜ!』って言うところだよー」

「…それは、恥ずい」

 

からかわれているのだろうか。本当はそのセリフをすぐに口にできるのが一番いいのだろうが、どうにも気恥ずかしさが勝ってしまう。

逸らしてしまった視線を再び戻すと園子とぶつかる。どこか物欲しげな雰囲気を漂わせて。

 

「あ……えーと。その…あ、愛してるよ園子」

「…………、」

「…なにか、言ってくれないと恥ずかしいんだけど? おーい?」

 

こちらを見ているはずの彼女の反応がない。手を振ってみるがそれでも無反応のまま。

 感覚としては『ぽわぁ』って表情をしていた。

どうしたものかと、頰を突いてみる。

 

「……はっ!」

「お、正気に戻ったか。急に無反応になられると困るぞ」

「えへ~ごめんよー。ゆっきーがぁ……うへへー♪」

「ぼ、僕がなにさ…てか、すげー笑顔」

 

本人そっちのけで、本日一の笑顔が見られた。

 

 

 

 

 

 

一日、また一日と僕はここへ足を運ぶ。

家には寝に帰るだけで基本的には園子のいる一室に行くことにしている。そのうち寝泊まりもそう遠くはない気がした。

学校にはなぜか話が通っていて、扱い的には休学になっているらしい。家族にも連絡済みで了承も得ていた。

 

 その間の勉学はこれまた彼女の計らいなのか大赦の人間を教師に教えてもらっている。

その時は決まってどこかの講義室…ではなく、園子の部屋で行われていた。

テキストを広げている間、僕の横顔を見る彼女はどこか楽しげだ。

 

「見てて楽しいの?」

「うん。ゆっきーの色んな顔が見れて飽きないんよー」

「そういうものか…あいた!?」

『祐樹様。私語もほどほどに願います』

 

ぱしん、と頭を叩かれる。見上げてみると面をした教師役の方がそこにいた。声色は女性のようだが、どうにも何処かで聞いたことのある声な気がする。

園子曰く信頼できる人だというが果たして…。

 

「す、すみません」

『祐樹様は園子様の伴侶となるお方なのですから勉学も含めてそれなりの作法を身につけてもらわなければなりません。私は一切の妥協致しませんのであしからず』

「は、伴侶っ!?」

「も~気が早いよ安芸せんせー」

「え、あ、安芸先生っ!? やっぱり何処かで聞いた声だと思ったら何してるんですか!!?」

『はて、何のことでしょうか? それよりも手が止まってますよ祐樹様』

「痛いっ!?」

 

目に見えない速度で頭部に衝撃が駆け巡る。

この人わざとにやっているだろ! とツッコミたくなるが、同時にこうして再びこの人とも会えたという事実に嬉しく思う。

顔は見えないが、この人も元気そうでなによりだ。

 

『──祐樹様はお仕置きされて喜ぶ変態なのですね。汚らわしい』

「ゆっきーマゾっこ?」

「はっ!? いやいや、誤解にも程がありますって!」

『園子様。今すぐにでも追い出した方がよろしいかと思います』

「ちょ、ちょっと…!」

「ん~どうしようかねぇ」

「園子までっ!?」

 

やばい、よくわからないうちに立場が危うくなってしまっている。

あたふたと慌てふためく自分を見て二人は小さく笑い始めた。

 

「ふふ……ゆっきー慌てすぎだよぉ。心配しなくても大丈夫だよ~。安芸せんせーもその辺でー」

『そうですね────ふっ』

「ひ、酷いな二人とも!」

『…ともあれ、最初に言った言葉は事実でもあります。園子様のお付きとなるならば学ぶべきことはそれなりにありますので、気を引き締めていただかないといけません』

 

雰囲気が変わる。その言葉に僕は軽々しく頷いていけない圧のようなものを感じ取ったが、とうに僕の覚悟は決まっていた。

 

「覚悟はできてます。ご教授、よろしくお願いします」

『…いいでしょう』

「頑張れゆっきー!」

「おっし! 僕の根性をみせてやるっ!」

「……えへへ♪」

 

園子の声援に後押しされて僕は課題を一つ一つ消化していき、モノにしていく。失われていた時間を埋めるようにがむしゃらに挑んだ。

 少しでも彼女の力になれるように。

 

 時折、園子には二年間の僕のしてきたことをかいつまんで話をした。

 ボランティアという形で、困っている人の助けとなることをしてきた。うまくいったこともあれば失敗したこともあったことを。

 最初は真似事のような感じだったと思う。

 行いに見合った報酬も得られなかったと思う。

 

 でもそうした果てにまた園子と再会をすることができた。

 僕は身勝手ながら、その時に報われてしまったんだ。だから今度はもらった分を、今度は僕が与えられるように頑張っていこうと決意する。

 

 園子は優しい笑みを浮かべて話を聞いてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 月日を重ね、僕はどうにか園子のお付きとしての役割をこなせるようになってきた。

 流石に身体を清めるときは席を外すが、園子的にはいつでもウェルカムらしい。いや、それは流石に恥ずい。

 

 そんな僕は今日、大赦での装いをして彼女の部屋に赴いている。

 部屋の外では他の大赦の人間が忙しなく働いていた。

 

「──支度はそろそろ終わるよ。園子も準備は大丈夫か?」

 

 確認をする傍らで、目の前の少女はいつものほんわかした雰囲気を内にしまい『乃木園子』としての顔を表に出していた。

 

「うん。わがまま言っちゃってごめんなさい」

「謝ることないよ。必要な人間だけ集めたから、キミのしたいように動けばいい」

「ありがとーゆっきー」

『…勇者たちか』

 

仮面を着けて園子の言っていたことを思い出す。

園子や須美たちがお役目として担っていた『勇者』としての役割。

動けなくなった園子たちの代わりに今を担っている少女に彼女はどうしても会いたいと言った。

 

ならその場を設けるのは僕の仕事だ。

 

恩師から学んでいる最中、大赦内で人を見極めてその人たちと良好な関係を築いていった。崇拝する者、それに異を唱える者。あるいは中立の立場の者。それらを区分するのにこれまでやってきた慈善活動がうまく作用してくれた。

 

御付きとしての立場を利用してそれらの人間を動かしていく。

とは言っても施設から逃げ出す…とかそういう類ではなく、ほんの少し場所を移動させるだけだ。

 

「でもびっくりしたよ。勇者に会いたいなんて言ったらすぐに場所を用意してくれるなんて」

『…園子の願いを叶えるのが僕の役目だからね。色々と遅れた分、一秒も無駄にできなかったよ。どうするつもりなの?』

「…今、勇者たちはバーテックスと戦っている最中なんだ。戦いが終わって帰還する際に指定したこの場所に転送されるように割り込ませるつもり」

『…承知した。その時は僕も席を外した方がいいかい?』

 

元、とはいえ同じ勇者同士つもる話もあるだろう。だが、彼女は首を横に振って答える。

 

「そばに居て欲しいな」

『分かった。キミのそばにいる』

「即答だねー。嬉しいな」

『まぁ、キミが離れてーって言っても離れるつもりはなかったけどね』

「……嬉しいなぁ。ねぇゆっきー、手握っていてもらってもいいかな?」

『もちろん。むしろ僕からお願いするよ』

「………ふふ」

 

移動を終えて他の人間たちをすぐに対応できる位置に待機させる。

いつものように側に寄って小さな手を握った。

 

こうして待っている間にも勇者たちは文字通り必死になって戦ってくれている。いつかはその少女たちも今の園子のようになってしまうのだろうか。

神は…いや、『神樹さま』はどのような考えでいるのだろうか。

 

(僕は…何もできないのか)

 

側にいることは出来ても、その原因を取り除くことは出来ない。

横にいる好きな女の子一人救えやしない。それがとても悔しかった。

 

時間も経過し、夕日が大橋を照らし始めた頃。

淡い光が辺りに瞬く。

 

どうやら、勇者たちが帰還を果たしたらしい。園子が対話を求めている二名がこの場に訪れる。

 

『…来たね』

「うん」

 

少女たちの困惑した声が聞こえる。それもそうだ、いつもと違う転送先に立っているのだから驚くのも当然のこと。

二人の少女の背が視界に捉える。

赤毛の女の子と、黒髪の車椅子に乗った女の子。

 

「──初めまして(、、、、、)だね。二人とも、会いたかったよ」

 

園子が声をかけて振り向かせる。そのうちの一人に対して僕は衝撃を受けた。

 

(須美っ!? そんな…なんで彼女がここにいるんだ)

 

二人はこちらに近づいてくる。園子と何やら会話をし始めるが、僕はその内容よりも車椅子に乗る少女を見て心底驚いた。

 

鷲尾須美。

探していた一人がこの場に現れた。

思わず会話途中の園子の方へと視線を動かすと、丁度彼女と目があった。

しかし、その訴えかけてくるその瞳には『そのままで居て』と言外に告げている。

お互いの自己紹介が始まる。一人は『結城友奈』と名乗り、須美の方も同じく名前を口にする。

 

「…東郷美森、です」

 

だが、その口から出た名前はまったくの別の名だった。

言葉を失う、とはこのことか。目の前にいる人物は須美に似た別人? いや、そんなことはない。見間違えることはない。

 

「東郷美森……そっかぁ~。よろしくねー」

 

園子はまるで知っていたかのように答えていた。

なぜ、そんな他人行儀で接しているのか。僕には目の前で起きている光景に理解が追いつかなかった。

 

会話は続いていく。そこで園子の口から知らされる『真実』に僕を含めて再び驚愕する。

 

 

「…満開による後遺症。私のこの身体はそのせいなんよ」

 

今まで聞かされていなかった真実。その後遺症は現状治る手立てがないこと。そしてどんな姿になろうとも死ぬことはないことを僕たちは知る。

 

なぜ、少女たちにこんな仕打ちを課せてしまうのだろう。

絶望の色に染まる二人の瞳。第三者の僕からしても衝撃的なのだ。当の本人たちにはどれほどの…。

 

「本当に、初めから言って欲しかった。言ってくれれば、もっと大切な友人とたくさん思い出を残すことができたのに…」

 

 園子の悲痛な思いが、願いが涙と共に零れていく。

 横で待機している僕が涙を拭こうとすると、それよりも先に……車椅子に乗った彼女が近寄り手を伸ばした。

 園子は少しだけ驚き、微笑を浮かべる。

 

「──ありがとう」

「…うん」

「そのリボン。とても似合ってるね」

「このリボンは目が覚めてからずっと手にしていたモノなの。大切なモノだって……ごめんなさい、私なにも思い出せなくて……っ!」

「ううん、仕方のないことなんだよ。うん……本当に仕方のないこと……なんだ」

「東郷さん……」

『園子』

 

 須美のそばに友奈が寄り添い、僕は園子の手を握った。

 ああよかった。全てが悪い方向にいっているわけではなかった。

 

(須美にはあの子がいる……ともに歩いて行ける仲間が)

 

 友奈といったか……あの子自身も辛いだろうに彼女のことを気にかけてくれている。

 支え合っていける人がいるのは心強いものだ。けれど、彼女には——園子には居ない。

 

(ごめん須美。再会したのがキミが先だったら……もしかしたら僕はそこにいたのかもしれない)

 

 もし、を求めていったらキリがない。僕は先に園子と再会を果たし、須美とはそうはならなかった。

 ただそれだけの話なのだ。我ながら酷い考えだと思う。

 僕はもう園子を手放したくない。この考えは変えられない。

 

 仮面の奥で僕は唇を噛む。悔しい、両方を救える人間になれたら、と思わずにはいられない。

 不意に僕は仮面越しに友奈と視線が合う。

 

『────。』

 

 なにかを口にすることはない。一瞬の交差。

 でもそれだけで、僕と彼女は何かが繋がった気がした。

 

「……時間をもらっちゃってごめんね。二人はちゃんと丁重にもとの場所に帰してあげるから」

『──こちらに』

 

 園子の言葉に続いて僕は待機していた人に指示を出す。

 連れていかれる二人を僕たちは見送った。

 

 仮面を外して素顔を露にする。

 

「辛い役目だったな」

「何も知らないで戦うのはダメだと思ったんだ。彼女たちはちゃんと真実と向き合って、それで自分自身で選択して欲しい。私たちには選択肢なんてなかったんだから……」

「……ああ」

「ゆっきーもありがとう。わっしーに声かけなくてよかった?」

「あの子には友奈がいる。それに他の勇者たちも……園子」

「なぁに?」

「僕はキミの手となり足となるよ。未熟者の半端者だけど、どうか共に歩ませてほしい」

 

 片膝をついて僕は頭を下げる。

 

「……うん、こちらこそ不束者ですがよろしくお願いします。どうか私の隣に居てください」

 

 目を潤ませながら彼女は僕の言葉を受け取ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 晴天の空を見上げる。

 眼下には白波が音を立てて耳に届いていく。

 

 今でも信じがたいが、ふらつきながらも立ち上がる。

 

「……とと」

 

 筋力が衰えてしまったのか、自重を支えるのがこんなにも大変だったなんて考えもしなかった。

 まだ彼はこの場には居ない。だけどすぐにここに足を運んでくるだろう。

 だからこそ今だけは自力でやってみたい。

 

「あはは……握力もあんまりないや」

 

 弱々しくも体中に巻かれていた包帯をほどいていく。閉じていた瞼を、思い出すように開いていく。

 一歩、一歩と歩を進めていく。呼吸を、心臓の鼓動を思い出していく。

 

「やってくれたんだね。私たちに出来なかったことを────すごいなぁ」 

 

 勇者たちの姿を思い出す。『真実』と向き合い、それを乗り越えてお役目を果たした。

 

「──あぁ、僕は夢でも見てるのかな」

 

 背後から聞きなれた、大好きな人の声が聞こえる。

 振り向くと、そこには涙を流しながら駆け寄るゆっきーの姿があった。

 

「うん! 私も夢みたいだよ──わわっ!?」

「園子っ! 園子ッ!! よかった、本当に良かった!!」

「ゆっきーくるしーよぉ」

 

 抱きしめられる。少し息苦しかったが心地の良い抱擁だった。

 彼の熱を、温もりを感じ取れる。これほどまでに嬉しいことはなかった。

 

 彼の背中に手を回す。ああ、数年ぶりに触れる彼の身体はとても大きかった。

 お互いに大粒の涙がこぼれ出ていく。

 

「今日までありがとうゆっきー。あなたが居なかったら私は私じゃいられなかったかもしれない」

「僕の方こそ……ありがとう。改めておかえりなさい、園子」

「うん、ただいまーゆっきー」

 

 とくん、とくんと彼の鼓動を感じ取る。

 彼の胸から顔を離し見上げた。自然と二人の距離はなくなる。

 

「……は、あ。えへへーやっとファーストキスができたよー」

「うん、凄い嬉しい。園子、これから色々やることがいっぱいあるぞ」

「そうだねー。やることが山積みだー」

「手始めに何をやろっか」

「んー。じゃあ……おしるこが飲みたいなぁ」

「はは、だろうと思ったよ。ほら」

 

 ポケットから二缶のソレを取り出す。

 さすが、私の御付きをやってきただけはあるなと思ってしまう。

 

「プルタブ開けられる?」

「んしょ…おっ! あいた~♪」

「──じゃあ乾杯」

「かんぱーい!」

 

 カツン、と鳴らして飲んでいく。

 

「これからリハビリして、それから二人で須美に会いに行こう。銀に報告にいかないとな」

「勇者部のひとたちにもお礼を言わないとねー。ふふっ」

 

二人で座って頭を彼の肩に預ける。

世界は未だ大変な時に私はこんなにも幸せでいいのだろうか。

 

「…ん? どうした園子」

 

でも、いいよね? 今だけでも、私はわがままになってもカミサマは許してくれるよね?

 

「なんでもないよ〜ゆっきー♪」

 

ただの恋する女の子になって私はこの瞬間を生きていく。

また、前を向いて歩いていくために。

 

 

 

 

 

 

 




誤字報告ありがとうございます。


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story2『その後の僕たち』

ある日の昼下がり。僕は自宅で昼食の準備をしていた。

真新しいキッチンには様々な器具が備え付けられており、とても快適に料理がすることができるこの空間はお気に入りだ。

 

「…ん。イイ感じ」

 

味見をして納得のいくものが出来たら二人分に盛り付けてリビングのテーブルへ運ぶ。

そこにはまだ彼女の姿はどこにも見られない。なので僕はその足で隣の部屋に赴く。

 

「────♪」

 

寝室に彼女は居た。

ダブルベットの上でゴロゴロとしている金髪の女の子。名を乃木園子。

長く艶のある金髪を揺らしながら何やら作業中のようだった。

 

「園子ー、お昼ご飯できたよ」

 

呼びかけるが応答がない。

近寄ってみると両耳にイヤホンをしており、そのせいでこちらの声掛けに気がついていないようだった。

 

「……ずいぶんと集中してるな」

 

真横に来ても僕の存在に気がつかないところを見るに相当集中しているようだ。

普段のぽわんとしている雰囲気は消え、真剣な表情を浮かべているその横顔はとても珍しいものを見ている気分になる。

一体何をしているのだろうとタブレットの画面を見ようとしたところで園子と視線がぶつかってしまった。

 

「…あ、ゆっきー?」

「ご飯できたから呼んでたんだよー。なにしてたの?」

「ごはーん♪ ごめんね気が付かなくてー。ちょっと考え事してたんよー」

 

イヤホンを外してニコニコしながらベットに腰かけて言う。

 

「考え事? ってことはタブレットで調べものしてたのね。今日は焼きそばだよ」

「わぁい! 焼きそば~♪」

「なので食べる前に先に手を洗ってきなさい」

「はーい!」

 

間延びした声で園子は手を洗いに寝室を後にした。

僕も準備しようと立ち上がろうとしてふと園子のタブレットの画面に目がいってしまった。

 

「────ん? これは……」

 

点けっぱなしの画面にはとあるサイトが開いたままであった。その中身を見て僕は疑問符を浮かべる。

 

「…気になるあの子との距離を縮める方法百選? 恋愛関係のサイトかこれ」

 

関係性のある調べものをすると大抵出てくるその手のサイトを園子は閲覧していたようだ。

それを意味するのは僕との交際に関してのあれこれなのか、はたまた別の目的故なのかは分からない。

 

(もしかして、園子は僕に何か不満に思ってることがあるのか……?)

 

彼女の身体も元に戻り普通の生活が行えるようになってきてしばらく、それなりにスキンシップをとってきたつもりだったがなにか不満が残ってしまっていたのだろうか。

 

「おまたせー! ってゆっきー何してるん?」

「え? いや、なんでもないぞ! ささ、食べよう!」

「うん♪」

 

ひらひらと手を揺らしていつのまにか戻ってきた園子と一緒にリビングに足を運んだ。

食卓には焼きそばをメインに小鉢をいくつか用意してある。

椅子に腰掛けて向かい合わせで園子が座る。

 

「いっただきまーす!」

「いただきます!」

 

手を合わせて食事を始める。園子は食べる前から嬉しそうに目を輝かせて箸を手にして食べ始めた。

この前までの様子を思い出し、僕にとっては彼女の楽しむ姿は自分のことのように嬉しくなる。

 

「おいしー♪ はむ」

「…ほんとに美味しそうに食べるなぁ園子は。作った甲斐があるよ」

「もうゆっきーのご飯無しじゃ生きていけないんよー。嫁にきておくれー!」

「それを言うなら婿だ。まぁもう殆どそんな感じだけどね僕ら」

「よせやい、照れるぜ」

 

はにかみ、園子は上品に焼きそばを食す。僕の言葉はその通りで現在は前の家を引き払い、乃木家と大赦の計らいにより二人で住まう家を用意されてそこに一緒に住んでいるのだ。

事の経緯は園子が寝たきりから復帰を果たし五体満足になったところで、すぐに彼女が行動を起こしたのがきっかけである。

 

──これからはゆっきーと二人で住みます。

 

と、大赦に告げて彼女はその足で実家に行き両親を説得してみせたのだ。

『乃木』の家柄は絶大な影響力を及ぼす。しかもそこの長女であり勇者であった彼女は下手をすれば自身の両親以上の力を持ち得る、そんな女の子なのだ。

最初にその話を聞かされた両親は困惑している様子を見せたが、僕も一緒にその場に赴いて胸の内の想いを二人に話をして納得してもらった記憶が新しい。

 

「──私達は出来る限りサポートしよう。娘の大変な時に何も出来なかったせめてもの償いだ」

「娘をよろしくお願いします。祐樹さん」

 

本当は無理言っていたのは僕たちのはずなのに、逆に感謝すらされる始末に僕が困惑していた。

園子の両親はあの時のことを今でも悔いていたようだった。祀られていた、その時に彼女の両親はどうしても非情になりきるしかなかったと聞かされた。

 

お互いの腹を割った話し合いを得て、今は良好な関係を築けている。

予定が合えば両親を交えて食事をしたりするし、僕も個人で父親に会いにいったりしてる。

あの人の下でいるととても勉強になるからだ。

まぁ、今こうしてうまくやれていることは良いことだ。学校にも通えて『勇者部』の人と、かつての仲間である東郷とも仲良くしてるようで安心してる。

 

「……ん! この煮物、わっしーの味がする!」

「お、正解っ! 昨日たくさん作ったみたいでそれをもらったんだ。一日寝かせたから味が染みててうまいでしょ?」

「またこうしてわっしーやゆっきーの手料理を食べられるなんて幸せだぁ〜♪ 」

「よせやい、照れるぜ」

「ぜ〜!」

 

園子と同棲を初めて笑わない日は無いぐらい楽しい生活を送れている。だからこそ彼女には不満を持って欲しくない、と考えてしまうことは悪いことだろうか。

会話の片隅で先ほどのことを考える。恋愛、恋と愛。果たしてそれらを僕らはキチンと育んでこれているのだろうか。

 

「なぁ、園子。何か悩んでることある?」

「悩み事ー? はてー?」

「いや、さっき部屋で真剣に何かしてたからさ」

「あー! あれねー。確かに行き詰まってたよー」

 

やはり、と園子が閲覧していたサイトを思い出す。

出来る限り一緒に行動するようにしていたし、出歩くときは手を繋いたりもしてる。それでも何か物足りなさを感じてしまったのか。

 

「すまん園子。僕が不甲斐ないばかりにキミに辛い思いをさせて…!」

「んんー? ゆっきーは何も悪くないよー。どちらかと言えば私の問題かな?」

「…そんな!?」

 

戯けた様子で園子はああ言うが、まさかそこまで思いつめていたとは…!

僕は歯を食いしばって悲観していると、何かを察したのか園子は「あぁー」と声を漏らしていた。

 

「ゆっきー」

「な、なに──んぐっ!?」

 

呼ばれて顔を上げた途端に、口に何かを入れられた。

いや、これは東郷からもらった煮物の里芋だ。園子は箸を僕の口から離すと、そのまま自分も里芋を口にした。

 

「今日は二人ともお休みだから、この後付き合ってくれるー?」

 

咀嚼し、飲み込んだところで園子は言ってきた。

 

「えっ? あ、うん。もちろん」

「よかったー♪ じゃあ、ちゃちゃっと食べちゃおー!」

 

彼女のお願いは無理難題でない限りは断らない。けど、たまに突飛な行動、思いつきに振り回されたこともある手前少し不安を感じた。

 

 

 

 

 

昼食を食べ終えて一緒に後片付けをした後に、僕と園子は寝室に戻ってきていた。

お互いがベットに腰掛けて今は肩を寄せ合いながら共通のある事をしていた。

 

「──♪」

「…へぇ」

 

お互いの片耳にイヤホンをつけてそこから流される音楽に耳を傾けていた。それは聞き覚えのある歌声でご飯の前に園子が聴いていたものの正体が分かった瞬間でもあった。

 

「樹ちゃん、また歌うまくなったね」

「でしょー♪ もう私のお気に入りなんよ。将来は絶対人気者になるねイっつん!」

 

ノリノリでその歌を聴く園子を見ながらその評価は間違っていないと思った。

歌手や最近の曲はよく分からないけど、こうして身近な人が歌っているものを聴くと音楽も悪くないなぁなんて考える。

 

「…ん。ゆっきー?」

「あ、ごめん。嫌だった?」

「ううん。もっと撫でてー」

「ああ」

 

隣で見下ろす彼女のさらさらとした髪を見て思わず梳くように撫でてしまった。

けれど嫌がる素振りを見せずにむしろ頭を撫でやすいように園子は動く。

喉を鳴らしてまるで猫のように、園子は目を細めて僕の行為を受け入れてくれる。肩にもたれかかってきてとても心地好さそうだ。

 

「園子って撫でられるの好きだよね。この前も東郷にせがんでたし」

「落ち着くんよ。ミノさんにもよくしてもらってたんだー」

「そうだったね。三人の中だと誰が一番?」

「みんな一番だよー? んーと。わっしーは優しいなでなでで、ミノさんは安心するなでなで。そしてゆっきーはー……」

 

肩から離れてこちらを見てきて、園子は満面の笑みを浮かべた。

 

「──幸せになるなでなでだよ」

「…そ、そう?」

「あは。ゆっきー顔真っ赤っかー♪」

「か、からかうなよ!」

「ふへへー…あっ! これイイ!」

「へっ?」

 

ぴっかーん、と瞳を光らせてどこからか手帳とペンを取り出した。

かと思えばそのまま何かをスラスラと書き始めて余計に疑問符を浮かべてしまう。

まるで世紀の発見をしたかのような、そんな希望に満ちた反応であった。

 

「──ふぅ。あ、ごめんね急にー。はい、どうぞ♪」

「え? 今の行動は一体──」

「んー!」

「お、おう」

 

一仕事終えたような表情をして、再び頭を差し出してくる。

僕はまた先ほどと同じように髪質の良い園子の頭部に手を乗せて撫でていく。甘え上手だな。

 

「今のはー…小説のネタが閃いたから書いたんだよ。こう、ぴっかーんと!」

「あー、そういえば書いてたんだっけ。園子の小説かぁ…」

 

趣味の範疇でそういうのをやっていることは知っていたが、どのジャンルの、どういった内容の作品を書いているのかまでは聞かされていない。

 

「ゆっきー見たいのー?」

「見せてくれるの? だったら見たいかなぁ」

「ふーむ。ゆっきーはそっち方面もイケる口なのかね?」

「…ん? くち?」

「いいよー♪ じゃあ、完成したら一番に見せてあげるね!」

「うん? ありがとう??」

 

なにやら理解し得ぬままに、園子は読ませてくれるらしいがどうもセリフからして何かありそうだけど…?

 

(園子のことだからファンタジー系とか? いや、案外ミステリー物だとか…むむ)

 

イマイチ傾向が読めないものであるが、それ故に楽しみでもある。

 

「ふぁー…ゆっきーの手暖かくて眠くなっちゃうんよー」

「食べたあとすぐに寝ると牛になるぞー」

「うしー…ぎゅー……ゆっきーぎゅー!!」

「わっ!? ちょ──っ!」

 

ぎし、とベットのスプリングの軋む音が耳に届くと僕の身体は仰向けに倒されていた。

同時に身体にもう一人分の重りが加わって肺から空気が強制的に吐き出されてしまう。

吐き出された空気を補充しようと息を吸うと、甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 

「…そーのーこー?」

「ぎゅー…ぎゅーー♪ わぎゅー!」

「そんなに抱きしめられると苦しい、ぞ……ぐえ」

「あははー! サンチョみたいな声出てるよゆっきー」

「むっ、こうなったら……こちょこちょこちょ」

「ひゃ!? わははー! くす、くすぐったいよゆっきーー!」

 

二人ベットの上でじゃれあう。これも二人で暮らし始めてからほぼ毎日のようにやっている光景だった。

大体が園子からちょっかいを出してきて僕がそれにノる。たまに僕から行くとそれはもう咲いた花の如く笑顔で迎え入れてくれる。

 

「むっこら逃げるな園子。烏天狗、園子が逃げないように抑えるんだ」

『……。』

「あ、二対一なんて卑怯だよぉ~! ぎ、ギブギブー!!」

 

園子の精霊の烏天狗が現れ彼女の逃げ場を塞いでくれる。普段は彼女を守る精霊だが、こうして害がないことが分かるとわりと僕の言うことに従ってくれるのだ。

日々のお世話の賜物である。

 

ひとしきり堪能した僕は園子を解放する。息を荒げて瞳を潤ませた姿は何やらイケナイ光景に見えなくもないが、やっていたことは小さな子供がするような事だと言わせてもらう。

 

 

…そういえば、なにか忘れているような?

 

 

 

 

 

僕と園子は現在外出している。今日は天気も良く、二人で歩くにはとても過ごしやすい日だ。

るんるん気分で隣を歩く園子はとても楽しげで見ているこちらの気分も上がる。

 

「ゆっきーとお買い物デート〜♪」

「僕は食材と日用品の買い出しだけどねー」

「好きな人と出かけるところはそれが全てデートコースなんよ。あ、イネスに行こうよゆっきー!」

「はいはい。ちゃんと前向いて歩くんだぞ」

「ふっふっふ。こうしてゆっきーと手を繋いで歩いてるから大丈夫ー♪」

「ほんとかなぁ」

 

今も言いながら顔をこちらに向けて話す園子に転ばないか内心ヒヤヒヤしつつ、目的地となったイネスへと足を運んでいた。

本当は近所のスーパーなどで済ませる予定ではあったけれど、こうして園子の気分で変わることもしばしば。

 

それが嫌だとか思わないし、むしろこうやって手を繋いでいる時間が増えるので僕としても願ったり叶ったりというわけである。

 

「イネスに行ってー、ジェラート食べたい!」

「ジェラート大好きだな園子は」

「好きだよー。だって〜大切な親友が教えてくれた味だからね」

「…同感。今度東郷も誘ってみるか」

「お、ナイスアイデアだよー♪ さっそくわっしーに…」

「今からは無理だよさすがに。東郷も予定あるって園子昨日話してたでしょ?」

「あ! そうだったー。ついうっかり」

 

てへ、とあざといポーズをとる園子であるが、様になってるのでとても僕の目には可愛く映っていた。惚れた弱みもあるだろうけど…。

 

照れ臭くなって視線を明後日の方に向けて歩く。

 

「ん〜。スズメ×ハト……ハト×スズメ? 種を超えた禁断の愛…」

「……、」

 

しばらく風景を楽しみながら歩いていたら横からぶつぶつと園子がよく分からないことを呟き始めた。

目線をそちらに向けると、ぽやーって感じに空を飛ぶ鳥たちを眺めていた。

 

「鳥たちの観察してるの?」

「…こうやって色んな視点で物事を観察すると思わぬ収穫を得る場合があるんだよー。ゆっきー×烏天狗とか?」

「えっ!? わ、いつのまに…こら、外だと勝手にでちゃダメだろ烏天狗」

「烏天狗は私と一緒でゆっきーのことが大好きだね〜♪ 私も抱きつくー!」

「ちょ──! キミは飼い主なんだからむしろ止めなさい!」

 

ふわふわと漂う烏天狗を捕まえると、園子が僕に抱きついてきた。

いやいや、キミはむしろ止める側にならないとダメでしょ…。

 

 

 

 

 

 

 

多少回り道をしながらようやく僕たちはイネスへと到着する。

園子はたまに悪ノリをしてしまう時があるので抑えるのが大変であったが無事にたどり着くことができた。

 

イネス。

 

このショッピングモールは僕たちにとって短いながらに思い出の場所でもある。

手を繋ぎながら店内を歩く僕と園子はあの頃より二年以上もの月日が流れていた。

当時の視点から見えていたものが、まるで別のもののように見えてしまうのは時の流れゆえなのか。

 

まぁ、この前までと比べると園子も回復してからはよく顔を出すようになってきたので店内はそれほどの変化はみられない。

 

『うっし、今日も隅々まで堪能し尽くすぞー!』

 

園子と会話を弾ませながら瞼の裏にはあの子の楽しむ姿が思い浮かぶ。

もうあの頃とまったく同じには戻れないけれど、全てを手の平から零してしまうことにはならなくて本当に良かったと思う。

彼女が──彼女たちが守ってくれた日常は今もこうして続いている。

 

「おいし〜!」

「うん」

「ゆっきーのも食べたい」

「はい。どーぞ」

「ありがとー♪ 私のも食べて食べてー」

「…ん。うま」

 

席について一息つこうとジェラートを二人で食べていた。

ざっと店内を見渡すと休日もあってかそれなりの賑わいを見せている。

園子は満足気に両足をプラプラさせて舌鼓を打っているようで来た甲斐があったというものだ。

 

「そういえば私のワガママでイネスに来ちゃったけど、買いたい物ここで買えるのかな?」

「えーと……うん、大丈夫だと思うよ。仮に売ってなくても急ぎの物は特にないし……園子は買いたいものあったりする?」

「私ー? ん〜お花が欲しいかな」

「花か…確か花屋があったよね。なんの花を買いたいの?」

「牡丹のお花ー! 実は既に予約してたりして」

「いつのまに……ってことは最初からイネスに来る予定だったんだね」

「ごめんね」

「謝らなくていいよ。僕も園子とこうしてデート出来て嬉しいし……牡丹の花ってことは帰り道はあそこに行くってことでいい?」

 

僕の言葉に園子が頷く。そうしてジェラートを食べ終わって席を立つと僕と園子は手を繋いで花屋へと足を運ぶ。

 

花屋に近づくにつれて特有の甘い香りが漂ってきている。

店先まで近づくと小走りで園子が向かっていった。

 

「おばさまー! お花買いに来たよ〜」

「あらー園子ちゃん。いらっしゃいー、今日は一人なのかい?」

「今日は旦那と一緒なんよ~♪」

「じゃあこの前に話してた子かい! ……あらまぁ、可愛い顔の旦那さんだこと」

「こ、こんにちは。園子、店員さんと知り合いだったの?」

 

園子のノリに平然とノってみせる店員のおばさん。流石としか言いようがないがそこはツッコムべきところである。

というかいつの間にここの店員と仲良くなっていたのか不思議だ。

僕の疑問を悟ったのか園子はにこにこと話してくれる。

 

「うーんと、退院して初めてこのお店に来た時からだからわりと最近かなぁ。とっても良くしてもらってるよー」

「えらい綺麗な女の子がいるとおもったら、うちの花に話しかけてるんだもの。『君は元気な子かいー?』ってさ! 面白い子だよ」

「えへへーそれほどでもー♪」

「…はは。なんというか」

 

らしいと言えばらしいなぁ、なんて考える。でも園子のような感じの子ならおばさん受けがいいのかもしれない。

あと僕一人で行ったときに先に供えてあった花はここで購入していたらしい。大赦に頼めば用意してくれるものの一つではあるが、自分の手で見つけて用意したい園子の気持ちが見て取れた。

 

「ちょっと待っててね。すぐに用意するから」

「はいー! ゆっきー、このお店綺麗なお花いっぱいあるでしょー」

「うん、確かに種類豊富なようだし……このバラなんて園子好きそうじゃん」

「えへー♪ ゆっきー選んだの私のお気に入りなんよー。さすがぁ」

「ふふん、まーね」

「はいはいおまたせー! 今回もそのまま供えられるようにしといたからね」

「わぁ、いつもありがとうございますー♪」

「僕が持つよ」

「うん、じゃあ私はお金払ってくるねー」

 

おばちゃんが手に持っている花束を園子の代わりに僕が受け取る。

その際に僕に耳打ちしてきて、

 

「将来結婚する予定ならうちの花屋を贔屓にしておくれ。式用のものも取り扱っているからね」

「……その時はお願いします」

「あらやだよぉ、顔赤くしちゃって可愛いわ」

「なになに二人で何話してるの〜?」

 

ちゃっかりしているおばちゃんである。

会計を済ませた園子がこちらに来るが僕はなるべく平穏を保ちながら「なんでもない」と誤魔化す。

 

「うちを贔屓にしておくれーって話だよ。ほら、行こう園子」

「えーそれにしてはなんで顔真っ赤なのゆっきー? あ、おばさままたね〜!」

「はいはい、またよろしくねー」

 

くつくつ笑う店員を他所に僕はそそくさと店を出て行く。

 

「ねぇ、ゆっきーゆっきー。おばさまと何を話してたのー?」

「うっ……いや、まぁその。仲良く…やりなさいよ、って感じかな」

「ぶー違うでしょ。ゆっきーそれくらいじゃ赤くならないもん」

 

よく分かってらっしゃる。視線を隣にいる園子に向けるとバッチリ目が合ってしまう。

 

──結婚。

 

おばちゃんに言われたこの二文字の単語が思い浮かんで心臓が脈打つのがわかる。

 

「…おばちゃんに」

「おばさまにー?」

「…………け、結婚するときはうちの花を使ってくれって……言われた」

 

口に出して恥ずかしくなりそっぽを向く。

 

「…………、」

 

園子が立ち止まって同じように僕も歩みを止める。

彼女が今どんな顔をしているのかは分からない。笑っているのだろうか、おかしく思っているのだろうか。はたまた僕と同じように嬉しく思っているのだろうか。

 

様々な感情が渦巻く中で、恐る恐る園子を見やる。

 

「……さらさらさららー、と」

「なに、してるんだ?」

 

そのどれもが思っていた反応と違った。メモを片手に何やらものすごい勢いで書き連ねているではないか。

僕の動揺に園子はハッと気がついて、

 

「あ、いやー…いいネタが思いついたわけでー…あはは」

「そ、そうなんだ? しょ、小説のやつ?」

「う、うん…えっと……はい」

 

いや、そこはそのままのキミを貫いてくれー…とは言えずお互いの言葉がぎこちなくなってしまっていた。

園子は両手をもじもじと、しおらしくなっていて余計に意識させられてしまう。

 

「ゆっきーは……私と結婚したいん?」

「…うん。将来はそういうのも考えてはいる…よ」

 

まだ先の──けれど遠くない未来、きっと僕たちが辿り着く場所なのだろう。

流石にこの年でこんなことを言うのは気持ちが重いだろうか。でも僕の中で誓いを立てたあの頃からは何ら変わっていない。

 

──乃木園子の側にいる、と。

 

「…これからも一緒に居てくれるの?」

「もちろん。もうこの手は離さないよ」

「そっかぁ……えへへ、じゃあまずやらなきゃいけないことができたねー」

 

僕の腕に抱きついて園子ははにかんだ笑顔を向けてきた。

 

「ミノさんに報告しないと! 『私たち将来結婚しますー』ってね」

「…だな。なら買い物はまた今度にして今から行こうか、大事な報告に買い物袋ぶら下げて行くわけにもいかないし」

「うん♪」

 

牡丹の花束を二人で見つめて僕たちはお互いに微笑んだ。

 

 




そのっちと同棲したい(願望
こんなん絶対楽しいやん?


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ユウキの章
story7-1『■■祐樹は■■である』


大赦が管理する施設の一つ。

そこに僕は呼ばれて足を運んでいた。

 

「──これは?」

 

疑問を投げかける。入室し連絡をよこした人物と対面するなり何かを手渡された。

…それは端末。僕は首をかしげた。

目の前の大赦所属の者は話を続ける。

 

『あなた様は唯一の男性勇者(、、、、、、、)としての資質を得られました。神樹様に見初められた、ということになります』

「……それは既に選定されたのでは? それに僕は『男』です。あり得ません」

『はい。確かに先代の勇者たちを含めそのすべてが少女が選ばれ、神樹様から賜る神力を用いて世界を守ってきました。けれどその中には大人あるいは男性が選ばれたことはなかった。…なぜ、あなた様がその中で選ばれてしまったのか』

「──僕にもわからないです。何かをしてきたつもりもありませんし、神託もない……。家柄のみを見るのであれば可能性はあるでしょうけど…」

 

僕の家柄、『神樹様』含めての話や歴史は伺っている。

僕よりはるか数百年────遠く離れた先祖は『勇者』としてその力を振るっていたことも教わった。

しかしながら目の前の人が言ったとおり、神に見初められるのはいつだって『少女』であるはずだ。

戸籍上も、生物学的にも僕は『男』である。本来ならばあり得ない、絵空ごとのような出来事(イレギュラー)が発生してしまっている。

 

────神樹様が選出方法を変えた? あるいは別の理由故か?

 

一介の男子中学生である僕には理解が及ばなかった。

それは大赦側も同じようで、今現在も真相を究明中のようだった。

 

『我々の結論は当面の間様子見、ということになりました。しかしいずれ訪れるであろう戦いにあなた様は呼ばれることになるでしょう。こちらとしても無闇に勇者を散らすわけにもいかない故、他の勇者同様の力を行使できるようにその端末をお渡しします』

「僕が……勇者」

 

当然、実感なんてものはない。あるはずがない。

それもそうだ。今代の勇者はそれぞれ『鷲尾家』、『乃木家』、そして『三ノ輪家』となっているからだ。

巫女からの神託もその通り。御三家以外の勇者は確認されなかった。

僕の『家』はその枠にないことも。

 

『現状、未確認のことが多い。あなた様はお三方のフォローをする形での出撃をお願いします』

「確か僕より年下の子たちですよね?」

『はい。どうか勇者たちをお願いします────高嶋祐樹様(、、、、)

 

『勇者』。

果たしてこの言葉の中に僕のことは含まれているのだろうか。

正規の勇者でない僕は一体どういう立ち位置なのだろうか。

 

考えても、思考を巡らせても答えは出てこない。

 

この場では頷くしかないので、僕は無言のまま首を縦に振った。

 

そして話は終わり僕は施設を後にする。手には勇者になるための端末を握りしめて。

見上げると茜色の空が目に映った。

 

「……帰るか」

 

いつのまにか日も沈みかけていたので僕はこのまま帰宅することにした。

 

考えることは僕にその御役目が果たせるのか、ということばかり。

大赦によると実家に連絡はいっていたようで両親からは喜び半分、もう半分は不安があるそうだ。心境は穏やかではないらしい。

だが御役目に選ばれるということはとても名誉なこと。先祖様以降、『勇者』としての資質をもった者は『高嶋家』には現れずに今日まできた。

 

『勇者』に選ばれ、御役目を果たしていくことで家の地位は上がっていく。

決して裕福ではない家庭であるが、これが為されるのであれば息子としても大変喜ばしいことだ。

 

「──あっ!?」

「…おっと!」

 

思考に耽っていると曲がり角で誰かとぶつかってしまう。不注意の為に全然気が付かなかった。

尻もちをつきそうになっていたその子を反射的に腕を掴んで引き寄せてしまう。

 

「わぷ!?」

「ごめん、大丈夫キミ? 前を見てなかったんだ」

 

勢いもあってすっぽりと僕の腕の中に収まってしまった少女。

反応がない。咄嗟のこの対応は不味かっただろうか。

 

「…………。」

「あのー? もしもし?」

 

恐る恐る様子を確認する。

腕の中の少女は無言のまま静止してしまった状態で動かない。

どうすればいいのだろうか。

 

というよりこの子どこかで…。

 

「はっ!? 思いのほか心地が良くてぼーっとしてしまった!」

「うお!? びっくりした」

「あ、ごめんなさい! よく見ないで飛び出してしちゃって…怪我はないですか?」

「僕は大丈夫だけど、キミこそ怪我ないかな」

「アタシは大丈夫っす! 受け止めてくれたんで助かりました!」

 

ニカっと笑って頭を下げる。どうやら怪我がなくて安心した。

 

「なにやら急いでいたようだけど、何かあったの?」

「…そうだった! すみません、この辺に猫が走って来ませんでしたか? 探していて」

「猫? うーん…ここに来るまでは見かけなかったけど。キミの飼い猫なの? 逃げちゃったとか」

「いえいえ! 近所の飼い猫が逃げちゃったみたいでアタシが探してるんです。室内飼いの猫なんで早く見つけてあげないと──」

 

そう言って少女は走り出そうとする。

僕は思わず彼女の手を取って引き止めた。

 

「待って待って! もう日も暮れ始めてるし、闇雲に探してたって見つからないよ」

「でも!」

「なら僕も手伝う。一人より二人のが早く見つかるかもしれないし、これも何かの縁だと思ってさ。どう?」

「…いいんすか?」

「いいもなにも、女の子が暗くなっても探してるのは何かと問題あるし、親も心配するだろ?」

「お、女の子……えへへ」

 

なにやら照れているようだが、反応するとこが違うのではないだろうか。少し抜けている気もする目の前の少女を少し面白く思いながらも僕は猫の特徴を聞いてみる。

 

「三毛猫か。道はこっちで合ってるの?」

「さっき見かけたんですよ! えっと…」

「ああ、ごめん自己紹介がまだだったね。僕は高嶋祐樹、キミは──」

「高嶋さんっすね! アタシは三ノ輪銀っていいます。呼び方は高嶋さんに任せます!」

「三ノ輪、ね…三ノ輪っ!?」

「わ、どうしたんですか急にアタシの名前を叫んで」

 

まさかの出会いである。おかけでオーバーリアクションをしてしまうほどにびっくりした。

突飛な行動に三ノ輪は疑問符を浮かべている。

 

「い、いやごめんなんでもない。それよりも行こう」

「はい! あっ! 待ってくださいよー高嶋さん!!」

 

三ノ輪銀が示してくれた方に進んでいく。

僕が大赦から命令された所謂『護衛対象』の一人とまさかの邂逅に驚くが、いい機会でもあるので仲良くしておこうと思う。

どうあれ、戦場に赴くことになれば否応無しに手を取り合っていかないとならないからだ。

僕に何が出来るのかは分からない。もしかしたら彼女たちより劣る力しか持ち合わしていないのかもしれない。

けれど、三ノ輪の姿を見て末端の勇者として頑張らないといけない。そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく探していると、公園の茂みの中でそれらしい猫を発見した。

この辺りは野良猫も見かけたことはなかったので、間違いは無いと思う。僕は目の前の猫を呼び寄せて優しく抱きかかえると三ノ輪のもとに歩み寄っていった。

 

「──はい、きっとこの子じゃないかな?」

「おー! 高嶋さんもう見つけたんですか!? この子で間違いないです! …良かったぁー」

「この子の飼い主は何処かな? 僕が届けるよ。三ノ輪はもう暗くなったし帰った方がよくないか?」

「いえ! ちゃんと最後まで面倒みたいので気持ちだけ受け取っておきます!」

「なら一緒にいくよ。僕は猫もそうだけどキミのことも心配だ」

「ふぇっ!? な、ななななんで」

「なんでって……さっきも言ったように女の子一人にしておくわけにもいかないし、それに三ノ輪だって親に説明してくれる人間が一人いた方が都合がいいでしょ」

「あっ、なるほど!」

 

名案だと言わんばかりの納得した顔をしていた。

いや、気がつこうよと言いたいところだがグッと堪える。

 

 

「それにしても会ったばかりなのにその子妙に高嶋さんに懐いてますね」

「僕は動物には割りかし好かれやすいんだよ。こういうとき暴れたり逃げようとしないから助かる特性だね」

「いいなぁ……アタシもいろんな動物に懐かれたいです」

「こればっかりはアドバイスみたいなのは出来そうにないな」

「いえ、ありがとうございます! あっ! 飼い主の家はこっちです」

 

三ノ輪に先導されて僕たちは歩き出す。

いつのまにか日も完全に沈みきって夜の顔を覗かせていた。街灯も灯り、見知った道も色を徐々に変えていく。

そんな中、隣を歩く彼女は何やらご機嫌の様子だ。

 

「なんか楽しそうだね」

「へ? ああ……まぁ。楽しそうに見えました?」

「僕からしてみればそう見えた。何かいいことでもあったの?」

「実は……んー、高嶋さんここは内密にお願いしたいんだけど」

「秘密に、と言われれば喋らないよ。どんな赤裸々な話でも真面目に聞いてあげる」

「そ、そんなに身構えるほどのことじゃないから! …じゃあ、えっと……私の通う学校でのことなんすけど」

 

誰かと話題を共有したかったのか、ポツリポツリと三ノ輪は話し始める。

曰くクラスで前々から気になっていた子たちが居たそうだが、それぞれが近寄りにくい雰囲気を醸し出すせいか中々お友達になれなかったそうだ。

だけどそんな子たちと今日ちょっとした切欠から話す口実を得ることに成功して、ようやくお友達としての第一歩を踏み出せたという。

なんというか、微笑ましい話題だった。

 

(…楽しそうに話すな三ノ輪は)

 

暗がりでもその表情が分かるくらい、声色と共に嬉しさに満ち溢れていた。

 

 

「いいと思うよ。友達は大切にしたほうがいいからね。うまくいくことを願ってる」

「はい! …これから大変になるから頑張って仲のいい友達になります!」

 

彼女の人柄なら大丈夫だろう。

歩くことしばらく、彼女に案内された家に足を運んで僕たちはその猫を無事に送り届けることができた。

残すは目の前の少女を家に送ること。

 

「じゃあ次はキミを送る」

「えっとアタシの家は──ってどこに行くんですか?」

「どこってキミの家だよ。こっちでしょ確か」

 

三ノ輪が示すより先に僕は歩き始める。なぜ、という表情を浮かべている三ノ輪はすぐに走ってこちらに寄ってくる。

 

「どうして私の家の場所しってるんですか?」

「──三ノ輪、鷲尾、乃木家は知っている人からすれば有名だからね。僕もその手の話は伺っているってわけ」

「えっ!? それじゃあ高嶋さんは大赦の関係者ってことですか?」

「家としては関わりはあるけど、僕個人としてはあんまり好きじゃないなぁあそこ。息が詰まるというか」

「あ、すごい解ります! アタシもあそこの雰囲気が肌に合わなくて集まりがあってもぶっちゃけサボってたりしてました」

「だろうねぇ。やっぱり……」

「どうしたんですか?」

「いやいや……あ、見えてきたね」

 

飼い主の家から数分。確かに近所だけあってその場所は近かった。

三ノ輪もすぐに気が付いて僕を抜き去ると自宅の門を開けてくれた。

 

「ありがとうございました。少しウチに上がっていきますか?」

「……そうだね。ご両親にも挨拶していきたいし」

「ん? はい、じゃあどうぞ!」

 

僕の発言に疑問を浮かべているが、深く気にせずに三ノ輪は僕を案内してくれた。

家のドアを開けて僕たちは家の中に入っていくと、出迎えてくれたのは彼女の母親だった。

 

「銀っ! あなたまたこんな遅くまで何をやっていたの」

「うっ……えっとそのぉ——た、高嶋さぁん」

「もう僕に投げるんかい。あーその三ノ輪さん、お久しぶり(、、、、、)です」

「──あら? まぁ、祐樹君じゃない! 久しぶりねぇ、また大きくなったんじゃない?」

「え? あれ、どういうこと!?」

 

対面から秒で僕に振ってきた彼女をよそに三ノ輪の母親に挨拶をする。

なぜって顔ぶりをしているが、それはもう知っているに決まっている。

 

「祐樹君が娘を送ってくれたの? ごめんなさいね」

「通りでばったり会ったので一緒に居ました。暗くなってましたし女の子一人では夜も物騒ですからね」

「ありがとう。ささ、上がって上がって。みんなも会いたがってるわよ」

「はい、じゃあ遠慮なく……三ノ輪? どうした」

「お、お母さん!! なんで高嶋さんのこと知ってるの!? た、高嶋さんもしってたんですか!」

「あれ? 言ってなかったっけ? 僕は何回もあったことあるよ。大赦の集まりでね……まぁ、キミは毎回サボってたみたいだし知らないのも無理ないか」

「え、えー!?」

 

期待通りの反応をしてくれて僕は内心でガッツポーズする。

呆然とする三ノ輪を置いて僕は一室に案内される。そこにいたのは幼い二人の男の子と彼女の父親だ。

 

「お、祐樹君じゃないか。いらっしゃい、娘が世話になったそうだね」

「はい。偶然道で会いまして……おっと!」

「兄ちゃんだ!! なになに遊びに来たの!?」

「鉄男~! 今日はたまたまだよ。お姉ちゃんと一緒に帰ってきたんだ」

「姉ちゃんと!? あ、姉ちゃんおかえりー!」

「あ、うんただいま……えー、弟たちとも知り合いなのか」

 

唖然とする三ノ輪は父親に抱かれていたもう一人の弟を抱いてこちらに歩み寄ってくる。

 

「じゃあまさか金太郎とも…?」

「…ぶっちゃけ、三ノ輪…いや、銀以外は全員顔は合わせちゃってるかな」

「…そういえばそうだったな。銀、ちゃんと祐樹君にお礼は言ったか?」

「うん、ちゃんと言った…あーもー! こんなことならちゃんと顔出しとくんだったぁ!」

 

何やら後悔しているようだが、彼女の気持ちは分からなくもない。

あの長ったらしいお話や行事は正直飽きてしまうから。

 

「兄ちゃん遊ぼうぜー!」

「鉄男、今日はお兄ちゃんお父さんとお母さんに用事があって来たんだ。だから、遊ぶのはそのあとにな」

「えぇー! じゃあ、終わったら絶対だからね!!」

「…話とは?」

「…ここでも平気なら話を。『御役目』についてなんですが…」

 

僕の言葉に大人たちと横にいた銀が反応する。

銀の両親は互いに視線を合わせ小さく頷くと姿勢を正してこちらに向き直った。

 

「銀、お前もそこに座りなさい。祐樹君も」

「…わかった」

「失礼します。…ここでいいんですか?」

「御役目のことは家族全員の問題だ。この場でいい」

「わかりました」

 

両親とテーブルを挟んで向かい側に僕と銀が座る。

鉄男は不思議そうにその間に腰を下ろして僕たちの動向を見守る。

 

「…今日、大赦の方に呼ばれて行ってきました。そこで聞かされたことを三ノ輪さんの耳に入れておいて欲しかったんです」

「…なにか不都合でもあったのか」

 

隣にいる銀の母親が不安そうに見つめる。

 

「いえ、彼女たちには特に。僕自身の問題なのですが……新たな神託が下り僕が唯一の男性勇者として選ばれました」

「え……高嶋さんなんて? 勇者に?」

「……驚いた。まさかそんな」

 

全員呆気にとられる。『少女』だけを選出してきたこの御役目に男はいない。そんな当たり前となっていたことが覆されたのだから。

 

「現状、僕がどこまで御役目を全うできるのか未知数です。ですが、三ノ輪さんの娘である銀と肩を並べていく以上はこうして挨拶に伺うのは筋かと思いまして…日を改めてと考えていたんですが、偶然彼女と鉢合わせてしまったのでこうして足を運ばせてもらいました」

「高嶋さん…」

「そういうことなんだ。銀、突然のことなんだがわかってくれ」

 

神妙な面持ちのまま、銀の両親は僕の話を聞いている。

銀もまた急な話に困惑するばかりだった。

 

「……御役目に選ばれて、君のとこの『高嶋家』も鼻が高いだろう」

「…あなた」

「だが、祐樹君。私は個人的に君のことが心配だ。きっとご両親も……娘のこともそうだが、一親として手放しに喜んだり出来ないんだ」

「お父さん…」

「…ありがとうございます。娘さんは…銀たちは僕が無事に帰ってこれるように尽力します」

 

頭を下げて僕は自身の定めた思いをこの人たちに告げる。

 

「…それは君もだよ祐樹君。みんなで協力し合って無事に御役目を果たしてきてくれ。何も出来ない大人たちのせめてもの願いだ」

「そうよ。本当は私たち大人がやってあげなくちゃいけないことなのに…」

「お母さん……」

「そのお気持ちだけで十分です」

「えー! 兄ちゃん勇者になったの!? すげー!」

 

暗いムードになりつつあったこの場に、明るい口調で話す銀の弟である鉄男がキラキラとした目で僕の下に飛び乗ってきた。

僕はそれを受け止めて自然と頬が緩んでいく。

 

「ああそうだぞ。鉄男のお姉ちゃんと僕とで悪い敵をやっつけるんだ」

「おー!!」

「ちょ、高嶋さんこの話マジなんっすか? えー…今日は驚かされることばっかりだ」

「ああ、だからよろしく頼むよ────銀」

「っ! うん、こっちこそよろしく!」

 

差し出した僕の手を銀は手に取って応えてくれた。その様子を彼女の両親は微笑ましくもどこか悲しげに眺めていた────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場所は変わって『神樹館』の屋上。

三ノ輪銀は大きくため息をついていた。思い返すは先日の出来事。

 

「まさかこんなことになるなんてなー……」

 

屋上の柵に腕を組んでもたれかかっていると、柔らかい風が頬を撫でていく。

今は昼休みで昼食をここで食べていたところだ。もちろん一人で──ではなく、今日はいつもと違った顔ぶれが揃っていた。

 

「ミノさん黄昏てどしたさー? 悩み事~?」

「三ノ輪さん、相談になれるなら乗るわよ?」

「あーいや。大丈夫大丈夫! はは…」

 

背後から声を掛けられる彼女たちの名前は乃木園子、鷲尾須美。

『御役目』として選ばれた自分を含めて彼女たち二人が選出された。まだ初陣すらまともに出てないが、こうして同じ目的を持った以上は親睦を深めるためにもこうしてお昼を共にすることにしたのだ。

私は二人の下に戻ると、広げられたレジャーシートに座る。

 

「そういえば聞いてるかな二人とも~?」

 

なにを、と私と鷲尾さんが小首をかしげる。

 

「昨日、大赦の人がうちに来てねー。わたしたちとは別にもう一人勇者が神樹様に選ばれたんだってー!」

「……乃木さん、本当に? って三ノ輪さん、そんなに慌ててどうしたの?」

「へっ!? いや、あはは……なんでもないぞ!」

 

思わず口に入れたお茶を吹き出すところだった。

まさかもうその話が広がっているなんて思いもしなかったからだ。

だが、よくよく考えてみたら乃木さんの家ならばすぐに情報が伝わるのは当然かと思う。

乃木さんは私の反応に目を閉じて数瞬すると、その瞳をカッと見開く。

 

「ミノさんその人と会ったね〜! ずばりどうだったの?」

「うえっ!? な、なんでそれを……っ!」

「そ、そうなの? 三ノ輪さん教えてくれないかしら?」

 

乃木さんの問いかけに墓穴を掘ってしまった。

鷲尾さんも彼女の話に食いついて興味津々といったご様子。

詰め寄られる私は、観念して話すことにした。

 

「二人は『高嶋』については知ってるのか?」

「んー? おーゆっきーの家のことだね~知ってる知ってる~」

「私も高嶋……祐樹さんのことは知っているわ。何回か集会で顔合わせしてるから」

「やっぱ知らなかったのは私だけだったかー…いや、それよりその高嶋さんがもう一人の勇者だってことなんだ。ちょうど昨日うちに来てさ」

 

一瞬、目をパチクリした二人だったが次の瞬間には声を上げて驚いた。

 

「わー! ゆっきーが勇者だったんだー!」

「でも本当なのかしら? 勇者は本来『女性』がなるもの…祐樹さんは『男性』のはずだわ」

「あ、そっかー……しゅん」

「え、いやたしかにアタシが聞いたのは本人からだし、間違いはないと思うんだけど?」

 

思っていた以上に反応が薄かった。アタシはそこのところはよく分かってない部分もあるだけに面を食らっていた。

確かに『男』が勇者として選ばれたことは聞いたことがなかったが、そんなに不思議なことなのだろうか。

アタシは高嶋さんと一緒に戦えると思うと嬉しく思うんだけどなぁ────

 

(…ってアタシは何を考えて!? うん、戦う仲間が増えて嬉しいだけだ、うん! そうだ)

 

顔を左右に振って雑念を払う。なぜか最初に出会った頃のあの抱きしめられた場面を思い出していた。

違う、と。あれはアタシの不注意のせいで起こってしまっただけのことだ。

 

「どしたのミノさん?」

「いやー!? な、なんでも……それよりいつ御役目が始まるのかなって思ってさ」

「…来ないことには喜ばしいことなんじゃないかしら? でも──」

 

鷲尾さんの表情が曇る。どうしたのかとアタシと乃木さんがある違和感に気がつくと、食事の手をやめて立ち上がった。

 

 

「…おいおい。これってまさか」

「ミノさんフラグ建てちゃったってやつー? 全部が止まっちゃってるね」

「ま、マジかっ! 鷲尾さ…」

「──鈴の音が」

 

凛、と静かに響くその音色は心を落ち着かせるようなそんな音。

けれど、アタシたちからすればそれはこれから戦いが始まることを示しているために不安が煽られる。

音の出所を辿ると、目の前に見える瀬戸の大橋から世界がぱっくりと割れ始めていた。

そこから広がる大量の花吹雪が吹き荒れ見たこともない『根』が地表を覆い始めていた。

 

「あれが…」

「樹海化、だよね。いよいよ初陣だ~」

「二人とも気を引き締めて。御役目を果たしましょう」

 

二人と頷きあい、迫り来る樹海化に正面から向き合う。

そして……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眩い光が晴れると世界は一変していた。

様々な色をしたその『根』の数々は周り全てを包み込みこむ。アタシたちが居たその場もいつの間にか屋上ではなく同じような場所に立っていた。

 

「…おー! 凄いねこの光景」

「不思議な感覚。さっきまで屋上にいたのに……あの先の大橋からバーテックスが来るのよね」

「それで後ろの大樹が神樹様ってわけだ! よっし! 気合が入ってきたぁ!! お先ッ!!」

「ちょ、ちょっと三ノ輪さん! 単独行動は危険──あぁー…」 

「あはは~。ミノさんやる気まんまんだー! よぉーしわたしもー」

「ちょ! 乃木さんまでっ!?」

 

端末でアプリを起動してアタシは跳び立つ。

ぽやーっとその様子を眺める乃木さんもそのままアプリを起動して勇者服に身を包むと後を追って先に跳び立って行ってしまった。

残された鷲尾さんは額に手を当てて頭を悩ます。まずは戦闘云々より統率力をどうにかしないといけない、と彼女は考えているようだ。

 

このまま居ても仕方がないので、彼女もその手にした端末を用いて変身を果たす。

 

「……ふぅ、落ち着いて。平常心よわたし」

「──キミも大変だよね。須美(、、)

「っ!? あなたは──」

 

驚いて振り向くとそこに居たのは────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで身体が羽毛のように軽くなったような感覚だ。

樹海の中を颯爽と駆け抜ける私は眼前にソレらしき物体を捕捉した。

 

(…あれがバーテックス。人類の敵、私たちが倒さないといけない相手)

 

何やら水球のようなものをぶら下げてゆらゆらと近づく様はどこか不気味さを感じさせる。

こいつらを倒していかないと現実に、世界に被害が及ぶ。

両手に握った二丁の斧を強く握りしめて、バーテックスに近づいていく。

 

「……ミノさーん!」

「乃木さん! アレを一緒に倒そう!」

「うん! シオスミが来る前にわたしたちで倒して驚かせちゃおうよ~」

「ははっ! いいねそれ……よし、一番槍いただきっ!」

 

踏み込みを強く一気に接敵していく。

バーテックスはこちらに気がついて動き出すが、それよりも銀の行動の方が疾かった。

 

「っらぁ!!」

 

二丁の斧を振りかぶりその胴体を斬りつける。

手応えあり、とその身に二つの斬痕を残していく。

 

(…いける! このまま一気に…っ!)

 

その後に園子の槍がバーテックスに一閃。ぐらりと態勢を崩していくその隙に二人で再び攻撃を繰り出す。

だがそんなにこの相手は甘くない、とすぐに後悔する。

 

「……ごぼ!?」

「────っ!」

 

一瞬、何が起きたのか理解できなかった。浮遊感とともに息が出来なくなる事態にバーテックスの左右にあった水球を思い出す。

 

(しま…っ!? こいつのコレはアタシたちを閉じ込めるための…息が)

 

横を見ると園子も同じように水球に閉じ込められていた。

苦しそうにもがいているがどうにも状況が変わる気配がない。

 

(こうなったらこれを飲み干すしか……けど、乃木さんが間に合うかどうか…!)

 

一人ならまだしも、二人となると時間が厳しい。

どうしたものかと逡巡していると遠くから叫び声が聞こえてきた。

 

「…須美っ!!」

「ええっ! …射かけるッ!!」

 

声のした方を見ると、それぞれの水球に数本の矢が突き刺さった。

まるで風船のような球体の水だが、それだけでは破れも弾けもせずに徒労に終わる。

 

「私の矢じゃ効かない…!」

「いやあれでいい……僕が行くから園子のキャッチよろしく」

「はいっ! お願いします」

 

直後に矢の刺さった箇所に一人の人物が拳を構えた状態で現れた。

それは昨日出会った、最後の勇者——

 

 

「勇者……パンチッ!!!」

 

水中の中で視界が悪かったがそれでも分かった。

乃木さんを閉じ込めていた水球が消し飛んだことに。

落下していく彼女を半ばで鷲尾さんが抱えた。

 

「…乃木さん! だ、大丈夫かしら?」

「けほっ……おーシオスミありがと〜。命拾いしたよ」

「はぁ、よかった…」

 

どうやらあちらは助かったようだ。よかった。

だが、そうこうしているうちに自分も酸素を求めて苦しくなってきた。

 

「……勇者ぁ! キック!!」

 

突然として視界が晴れる。それは今しがた乃木さんを助けたと同様に水球を消しとばしてみせたのだ。

宙に身を投げ出されそのまま自然落下しているところを優しく抱き抱えられた。

 

「昨日ぶりだね。銀、大丈夫?」

 

笑みを浮かべてこちらの様子を伺う彼の…高嶋祐樹の姿がそこにあった。

つられてアタシも息を整えながら笑みを作り上げる。

 

「高嶋さんありがとうございました。あの、その姿が戦闘時の?」

「ああうん。自分でもびっくりなんだけど…変、かな」

 

地に足をつけて今度は乾いた笑みを浮かべていた。

アタシたちの所謂『変身』は武具の展開と衣装の変化が見られるが、彼のその姿…というか、見た目が他とは違う感じがした。

いつもの黒髪が赤くなり、両の瞳もルビーのような赤色が印象的だ。勇者としての衣装も桜色を基調としたものをしていて一見女性的な色合いをしているが、それが違和感となるようなことはなかった。

 

「いえ! その…変じゃないっす。似合ってます」

 

なぜだが彼を直視できなくて、逸らし気味に感想を述べる。

それは今抱きかかえられているこの状態故か、少しばかり夢見たシチュエーションのせいなのか。

 

だが、そんな夢心地も眼前の敵によって引き戻される。

まだ戦いは終わってはいなかった。

 

「いける? 銀」

「──はいっ。もちろん」

 

アタシを降ろして呼びかけられる。向こう側では鷲尾さんと乃木さんが態勢を整えているのを目にする。

両手に戦斧を握り高嶋さんと視線を交わす。

 

「四人なら負けないさ。とりあえず思い思いにやってみよう」

「ガンガンいっちゃっていいんすか」

「なるべく合わせられるようにする──行こうっ!」

「応ッ!」

 

彼の声に押されてアタシは一気に駆けだした。

早々に高嶋さんを追い抜いて目の前のバーテックスに一撃を加えるために接敵していく。

しかしただではやられまいとバーテックスは先ほど閉じ込めた『水球』を展開していた。

 

(あれに捕まるとダメだ。でも近づかないとアイツが倒せない)

 

あれは言ってしまえば水の塊だ。斬撃主体のアタシでは相性が悪い。

動かす足が歩みを止めようとするが、首を横に振って前を向く。

 

「……っ!」

 

一歩を強く、さらに強く踏み込む。

 

一人ならば躊躇ったであろう。一人ならば。

だけど、今のアタシには頼もしい仲間がいる。ならばこそ退く道理はない。

 

『水球』に矢が刺さる。

 

「──あそこでいいの乃木さん」

「うんうん。次はあのへんに~」

「了解」

 

乃木さんが指をさし、そこに鷲尾さんの矢が放たれる。

そして、

 

「──はぁあ!!」

 

放たれた矢を基点に高嶋さんの拳と蹴りが叩きつけられた。

『水球』はもう怖くはない。

跳んで、バーテックスの頭上にアタシは登頂するとともに戦斧から炎が吹き荒れる。

 

「これは…これが私たち勇者の力だぁぁ!」

 

吼えながらブーストをかけた一撃をバーテックスに繰り出した。

 

 

 

 

 

「さすが…」

「流石ミノさーん! いえーい無事に初勝利だよシオスミ〜! ばんざーい♪」

「う、私もするのそれ?」

「ばんざーい!」

「…ば、ばんざーい」

 

乃木さんがぴょんぴょん跳ねる中、気恥ずかしそうに顔を赤らめ両手を挙げている鷲尾さん。

その光景を少し離れた場所で微笑みながら高嶋さんは眺めていた。

 

慌ただしくも何とか初戦闘は終えたようだ。

座り込んだアタシは再び高嶋さんを見る。

 

そうするとすぐにこちらの視線を感じ取って、こちらを見てくれた。

たったそれだけでも嬉しく思った。

赤いルビーのような瞳がアタシを捉え、微笑むと親指をグッと立ててくる。

 

アタシも満面の笑みで同じように笑って親指を立てて返した。

 

 




『鷲尾須美は勇者である』に祐樹が介入していたら…のIFストーリー。

設定、展開はところどころオリジナルが組み込まれていくかと思いますがご理解ください。


簡単な彼の設定説明。

〇高嶋祐樹
…『男性勇者』として資質を得た少年。変身時は髪と瞳が赤くなり、衣装は桜色を基調としたものになる。
戦闘は徒手空拳で挑むスタイル。手甲にはある武具が取り付けられている。


…ぶっちゃけ『あの人』と同じような感じになります、はい。
ここら辺も理由や展開は考えてあるのですが、それを披露するにはいつになるのやら…。





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story7-2『■■祐樹は■■である』

『御役目』を果たした翌日。

昨日は戦闘の後にそのまま現実世界に帰還をした流れで連絡先を交換し、僕たちは別れた。

多少の危ない場面もあったが、割とスムーズにいった今回の御役目に興奮が収まらなかったのか三人の会話は結構弾んでいたようだ。

 

僕もなんとか無事に『勇者』として力を発揮出来て良かったと安堵した。変身時の自身の変化には驚いたが。

終わって変身を解くと、元の自分の姿に戻ってこちらもまた一安心する。

 

『…なるほど。それはこちらで調べてみます。引き続きよろしくお願い致します』

 

と、そのことを時間前に『大赦』で訊ねてみたがやはり問題が解決することはなかった。

これもやはり男性勇者故なのか。

 

後は初戦での出来事を簡単に報告をすると僕はその場を後にする。

 

 

謎も謎めいたまま僕は次に集合場所に指定された『イネス』へと足を運ぶ。

三人は放課後そのままに集まっているようで、そこに後から僕が合流するという流れになっていた。

 

フードコートに赴くと見知った姿を視界に捉えた。

近づいていくとその内の一人がこちらの存在に気づいたようで、手を振って招いてくれた。

 

「あっ、ゆっきーだ!」

「おまたせ。またせちゃったかな?」

「高嶋さん! 昨日はお疲れ様でっす!」

「うん、銀もお疲れ様。須美も」

「は、はい。お疲れ様でした」

「ゆっきーわたしはー?」

「…おつかれさまー。はい、タッチ」

「タッチ~」

 

四つ席の一つに座って各々に挨拶を交わす。

三人の手にはある物が握られていた。

 

「それはアイス?」

「いえ、これはジェラートですよ高嶋さん。ウマイですよ」

「へぇ美味しそうだね。僕も買ってこようかな」

「はいはいゆっきー! あーん」

『!?』

 

園子の行動に一同が驚く。

銀はスプーンを口に咥えたまま目を丸くして、隣の須美は口をあんぐりと開けていた。

素知らぬ顔で園子はニコニコと差し出してきたのだ。

僕も面食らってしまうが、いち早く復帰して彼女に問いかける。

 

「え? もらっていいの園子?」

「もちろんだよ〜どうぞ♪」

「せっかくだからじゃあ……あむ」

 

一口いただくとメロンの風味が鼻腔を通り抜ける。

少し急ぎ足できたために丁度いいクールダウンだ。

美味しいよ、とお礼を言って二人で笑い合う。

 

「大胆だな園子は…」

「は、破廉恥だわ!? も、もう少し二人とも慎みを持ってもらわないと…」

「いやいやそれは言い過ぎでしょ須美さんや」

「で、でも三ノ輪さん!」

「ミノさん、わっしーどうどう」

「もとはといえば乃木さんあなたが!」

「まぁまぁ。そういえば銀は名前呼びにしたんだね」

「へ? あはは……はいっ! この方が親しみやすいかなーって」

 

なるほど。確かにこういった小さなところから親睦を深め合うのは悪い事じゃない。

園子も僕を含めてあだ名で呼んでいるようだ。

いや、それは元からか。

 

「…須美は二人のことは名前で呼ばないの?」

「え、えと…ちょっと恥ずかしいのでまだ」

「なに言ってるんだよ須美っ! 銀さんも園子もいつでもウェルカムだぞー」

「だぞ~」

「う、うぅ…まだ私には難しいわ!!」

「とまぁこんな感じなんすよ高嶋さん」

「まあそのうちに自然と呼べるようになるから、あんまり弄ってやらないように」

『はーい』

 

顔を赤くしている須美とその両隣で笑う銀と園子。その光景を見ているとこれからもうまくやっていけそうだな、と思う。

僕もジェラートを購入してから改めて席につく。その時に園子から一口頂戴とねだられたりして、そこから飛び火するように全員食べさせあいっこが始まったりするのだが割愛させてもらう。

 

「さて。腹ごなしも済んだところで少し報告したいことがあるんだ」

 

僕は呼んでもらったついでに報告をしておくことにした。

先日の戦闘について。

 

「昨日は初戦にかかわらず、ほとんど怪我というものもせずに終わらせることができた。流石神樹様に選ばれた勇者三人だね」

「へへ、照れますよ高嶋さん」

「それは祐樹さんの助けもあってです。まだお互いの連携に穴が見受けられるのでこれから要特訓ね」

「でもちょっと周りを気にしないで戦いすぎちゃったよね~」

 

園子の言葉に一同の視線が集まる。

 

 

「…園子は気がついてたか」

「どゆこと園子?」

「…あ」

 

次いで須美がハッと何かに気がついたようだ。

僕は鞄から資料を数枚取り出してテーブルに並べる。

 

「今回の戦闘による被害をまとめた資料だ。ここに来る前に大赦の人からもらったんだけど、家屋の倒壊が一件。規模が小さいけれど数カ所の山から土砂崩れがあった。幸いどこも人命に関わる被害は確認できなかったからそこはよかったと思う」

「そんな…」

 

驚きを一番に露わにしたのは須美だった。

お国のことを重きにおいている彼女にとってこの被害にはショックを受けたであろう。

銀も資料を手にとって読んでいくうちに目を見開いていく。

園子はとくに表情の変化は見受けられなかった。

 

 

「これは『樹海』にダメージが及んだ結果だと大赦の人たちは言ってた」

「…バーテックスの攻撃。水球処理が甘かった。私たちの武器による戦闘余波で『樹海』が傷ついちゃったんだよね」

 

園子が続けて言う。

 

「『樹海』でのダメージはそのまま現実世界で災いとなって降りかかる…誰もわたしたちを責めているわけじゃないけど、これを反省して次に活かしていくのも大事だと思うんよ」

「園子…見かけによらずちゃんと考えてたんだな」

「乃木さん…いつもほわほわしてて大丈夫かしらと思ってたけどそんなことなかったわね。ごめんなさい」

「んんー? 乃木さんちの園子さんは色々考えてますよ〜?」

 

ぽわー、とすぐにいつもの調子に戻る園子。二人もその様子で毒気が抜かれたかの如く固くなった表情が和らいだようだ。

僕はその一連のやり取りを見て驚き以上に関心する他なかった。

 

「…まぁ園子の言う通り。これをマイナスと捉えずに次に繋げていこうというわけで、僕たちはステップアップするためにも『特訓』することにした!」

「と、特訓…!」

「ですか?」

「おぉ〜」

 

一人目をキラキラ。一人納得、一人ほへーっといった感じ。

 

「場所その他は大赦が準備を進めてくれてる。早速明日の放課後からやっていくつもりだけど異論はない?」

 

僕の言葉に三人は頷いてみせる。

 

 

「じゃあ今日は英気を養うためにもイネスで遊びまくりましょー高嶋さんっ!」

「お、いいね! 賛成! そういえばあまりここには来たことないから色々案内してくれると嬉しいよ」

「任せてください! このイネスマスターこと三ノ輪銀さんが隅から隅まで案内してあげます!!」

「二人とも羽目を外しすぎないように。御役目人としての立ち振る舞いを……」

「いえーいっ!」

「乃木さんまで…はぁ。私がおかしいのかしら」

 

一人頭を悩ます須美だが、楽しめる時に楽しまなきゃ損だと僕は彼女に言う。

本来ならばこれが当たり前のはずなのだから。

フードコートを後にした僕たちは銀に案内されて様々な場所を見て回る。

 

「どうゆっきー? 似合うかなぁ?」

「フリルとか女の子らしくていいと思う。こっちのやつも良いんじゃない?」

「お〜。じゃあー着てみるー!」

「ちょ、ちょっと三ノ輪さん。私はあんまりこういう服は──」

「えーいいじゃん! 絶対似合うって!! 高嶋さんもそう思いますよね?」

「ん? ふむ、新鮮味があっていいかも…ならこの服も中々須美にも似合うんじゃないかな」

「ふぇ!? ゆ、祐樹さんまで何でノリノリなの!」

「あはは! いいっすねー!」

「それと銀にはこの服が可愛いと思うので試着してみたらいいと僕は思います」

「か、かわ!? てかこっちにまで矛先がっ!?」

 

服屋で擬似ファッションショーをしてみたり。

 

 

「…お! これは弟がテレビで見てたやつのオモチャだ!」

「へぇ…最近のは結構凝った作りしてるんだなー。変身ベルトか」

「高嶋さんはこういうのきょーみあったりします?」

「低学年の時とかにやってたやつならハマってたなー。勇者の変身するときもこういうやつでもカッコいいんじゃない?」

「あーたしかに! ポーズはこんな感じで!」

「いいねー」

「こ、これは…っ!? 瑞鶴の模型! かなり細密に造られてるわ…あっ! こっちは長門の──!」

「わぁー新しいサンチョの抱き枕だ〜♪ どれどれー…Z z z」

「ん? ちょっ!? 園子こんなところで寝るな!」

「須美っ! ちょっと園子を運ぶの手伝ってくれー!」

 

オモチャ屋で思いのほか盛り上がったり。

 

「──三ノ輪さんはもう少し本を読んだ方がいいんじゃないかしら? ほら、最近はこの月刊『日ノ本』なんておすすめよ」

「えー、歴史より漫画のがたのしーよ須美。高嶋さぁーん!」

「戦艦図鑑か…中々カッコいいな」

「えぇー高嶋さんが既に洗脳されてるだとー!」

「さっきの玩具屋で須美が見てて悪くないかなーって」

「…にやり。さぁ! 三ノ輪さんも祐樹さんを見習ってこの本をー! あっそれとも同じように戦艦モノがいいかしら」

「ひぃっ!? そ、園子! たすけ…っていないっ!?」

「乃木さんなら向こうの棚を見にいったわよ?」

「逃げたなー!」

 

本屋でそれぞれの好みの本を選んだりしてみたり。

 

「今日の記念に一枚どうっすか?」

「プリクラかー。うん、撮ろう」

「…こんなハイカラな機械に入るのは初めてだわ」

「マジで?」

「じゃあわっしーの初めてだね~! さっそく中に入ろー!」

 

ゲームセンターの傍らに設置してある機体の中に四人は入る。

照明に照らされた白い室内。須美はそわそわと落ち着かない様子だった。

 

「み、みんなは慣れてるわね」

「まー結構撮りに来てるよ。弟たちと撮ったり、クラスの人たちと色々」

「…流石三ノ輪さんね」

「ねえねえゆっきーフレームどれにしようか」

「このおすすめのやつは?」

「じゃあこれとー…」

 

須美と銀が後ろで話している間に、僕と園子が設定を進めていく。

どうやら須美は初めてのようだし絆を深めていく手段としては悪くないだろう。

 

「さて設定も終わったから始まるぞー」

「え? え? わたしはどうすれば」

「須美は初めてなんだから中央だな!」

「じゃあわたしはわっしーの横もーらい!」

「ちょ、ちょっと乃木さん! そ、そんなにくっつかれると恥ずかしいわ! み、三ノ輪さんまで!?」

「へっへー須美ってば結構抱き心地いいな。高嶋さんもどーっすか?」

「僕は男だし遠慮──って園子!?」

「みんなでわっしーをぎゅー!!」

「きゃあ!?」

 

三人が身を寄せ合っているところで後ろに並ぼうとしたところで園子に腕を引っ張られた。

つんのめって須美の肩にもたれかかるようになってしまったため、お互いの顔が近づいてしまう。

 

「祐樹さん……」

「ご、ごめん須美。すぐに退くから」

「い、いえこのままでも大丈夫です……はい。うぅ」

「そ、そう?」

「ほーら始めるぞー。須美、目の前のカメラに向かって笑顔笑顔っ!」

「ぴーすぴーす!!」

 

両脇の二人に煽られ須美は慌てながらもカメラのレンズに顔を向ける。

カウントダウンが始まり、そして────

 

 

 

 

「──はい。これが須美の分な」

「え、ええ。ありがとう」

 

無事に撮影も終わり、あれこれ済ませて印刷される。

それを銀が須美に手渡して彼女はその写真を見つめる。

 

四人でくっついた写真の他に、各々がポーズを決めていたりと様々なモノが一枚に収められている。

 

「これはシールになってるから端末に貼ってくれてもいいんだぞ?」

「そ、そうなの? でもなんだか気恥ずかしいわね」

「みんなお揃い~」

「だな」

 

僕や銀、園子は互いに顔を見合わせて笑い合う。

最後にみんなで須美に視線を集めると、彼女は頬を染めながらも小さく口角を上げた。

きっとこのチームならやっていける。そんなことを想いながら僕たちは今日という日を終える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後のある日。バーテックスが再び侵攻してきた。

須美、銀、園子は学校の授業中に『樹海化』が起こり三人はすぐに瀬戸の大橋に赴く。

 

するとそこには既に祐樹が待っており三人に気が付くと歩み寄ってきた。

 

「祐樹さん! バーテックスは?」

「まだ来てない────いや、ちょうど来たみたいだ」

 

『樹海化』した橋の向こうからゆらゆらと現れる。

以前に相手したやつとは異なるその姿に一同は意識を集中させる。

 

四人は端末を取り出し『起動』させた。

それぞれが勇者服に身を包む中、やはり彼の存在は少し違った。

 

「相変わらず高嶋さんは結構様変わりしますね」

「そうね…なんて表現したらいいのかしら?」

「ゆっきー女の子みたい~」

 

少女たちが感想を述べる中で、バツの悪そうな表情で祐樹は自身の様子を確かめる。

 

「か、からかわないでよ。僕自身も驚いてるんだからさ」

 

黒い髪は綺麗に赤く染まり、瞳の色も赤く変化している。

三人の『変身』とは毛色の異なるその姿に疑問が尽きない。

 

「…ほら! 僕ばっかりじゃなくてお出ましだぞ」

「おー、なんだか振り子みたいだねー」

「一体どんな攻撃をしてくるのかしら」

 

以前の敵と同じように浮遊しながらこちらに進んでくる。

 

「じゃあまずは手始めに僕と銀が──」

「先陣切って確かめてやる!」

 

銀の斧の持ち手と祐樹の小手をカチンと合わせて双方は走り出す。

園子と須美はその後を追随していく。

 

バーテックスは勇者たちの存在に気が付いたのか、速度は変わらぬままにこちらに近づいてきた。

先を行く祐樹と銀は二つに分かれて左右から挟み込むように接敵していく。

 

『おぉ!!』

 

根を蹴り飛び込んで一気に距離を詰めようとしたその時────

 

「ぐっ!?」

「うわっ!!?」

 

祐樹と銀はほぼ同時にバーテックスとは逆方向に吹き飛ばされた(、、、、、、、)

直後に吹き荒れる突風に後衛に居た園子と須美は顔をしかめる。

 

「祐樹さんっ! 三ノ輪さん大丈夫!!? …くっ、なんて風なの!!」

「……わっしー!!」

「え? きゃあ!?」

 

園子の呼び声で我に返った須美は園子に抱きかかえられていた。

その理由もすぐに自分たちの居たところに重石のようなものが通り過ぎていくのを肉眼でとらえたからだ。

今のを避けていなかったら直撃していたところを想像するにぞっとしてしまう。

 

「ありがとう乃木さん」

「どういたしましてー。でも…どうしようか」

「…ええ。まるで吹き荒れる嵐のようだわ」

 

距離を取ってもなおこの強風。近づくにつれてその風力は計り知れないものだろう。

これでは近づくことさえできない。しかしこのまま何もしないでいるわけにもいかない。

 

「……んー。嵐、いや台風かな?」

「乃木さん?」

「──ぴっかーんと閃いたぁ!」

「え?」

 

何か思いついたのか園子の表情はぱあ、となっていた。

 

「あのバーテックスを中心に回ってるならー…真上はほぼほぼ無風状態なんじゃないかな~?」

「あ! 確かに。あり得るわね……真上からならわたしの矢も届くはず…! でも、問題はどうやって近づけば──」

「それは私に任せてよ~。わっしーを無事に送り届けてみせよう! ──すう」

 

ニッコリと笑みを浮かべて園子は大きく息を吸い込んで、一気に吐き出す。

 

「──ミノさーんっ!! ゆっきー!!! あの重石を止めてぇ!!」

「……おぉ!! 任せろォ! 高嶋さんー!」

「銀ーー! 気張れよぉ!!」

 

吹き飛ばされた先から二つの影が雄たけびを上げ、二つの重石が回る軌道上に降り立った。

祐樹は拳を、銀は二丁の斧を構えて迫りくるその一撃とぶつかると重音が『樹海』内で響き渡った。

 

「ぐっ! おおァ!! 重いぃ……」

「ぐ、ぎぎ……勇者はぁぁ……っ!」

『──根性ォォ!!』

 

 

武具と重石の間に火花が飛び散り、強烈な遠心力による力に対して二人は気迫で迫る。

回転していた振り子はその瞬間動きを止めて嵐のような突風が弱まっていく。

それを見逃さなかった園子は須美を抱えて槍を逆手に構えその柄をを伸ばしてバーテックスの元へ向かう。

 

その間にも振り子は少しずつ動き始めた。

どうにか頑張っている二人だが、長くは保たないらしい。

 

「わっしー! 行ってっ!!」

「ええっ! ……南無八幡大菩薩ッ!!」

 

弓を構えその先に花の文様が浮かび上がる。

一矢は数百に分かれ、雨のようにバーテックスへと降り注いだ。

園子の推察通りに真上は無風に近い状態だったために矢は余すことなく敵の体を貫いていく。

 

「これで────仕上げだよ!」

 

斜めに一閃。完全に隙となったバーテックスに園子はその槍を振りかざす。

それで完全に敵であるバーテックスは停止した。

 

「わっしー受け止めて~」

「わ、わわ……っと! もう、危ないじゃない」

「えへへー♪」

 

先に着地した須美のもとに園子は彼女に身体を預ける。

慌てながらも無事に抱えてもらえた園子の表情は緩み切っていた。

 

(でも凄いわ。状況把握に作戦の思い切りのよさ……乃木さんは指揮官に向いているのかもしれない)

 

須美は内心で園子の評価を改める。普段の彼女とは想像つかないその一面に須美は感心するばかりだ。

 

「おーい! 須美、園子ー!」

「無事かー!」

 

遠くから二人がこちらに近づいてくる。

 

「みんなー!」

 

園子を降ろして須美は手を振って迎え入れる。

戦闘直後のためか、はたまた無事に終わったせいかその表情は晴れやかな気がした。

横にいた園子はそんな彼女の変化に笑みを浮かべて見つめていた。

 

全身ボロボロな二人のおかげでこうして比較的安全に敵の懐に飛び込めたのだ。

一人では決して出来なかった。だけどこうして仲間がいればその苦難も乗り越えていける。

 

「高嶋さん服、ボロボロっすね」

「キミこそ。盛大に吹っ飛ばされたもんな~」

「なっ! それはお互い様っすよー」

「だな。ははっ…!」

「あははっ!」

 

拳をぶつけあって勝利をかみしめる。

 

「二人とも! 帰ったらきちんと手当しないとダメよ!」

『はーい!』

「二人とも息ピッタリだね~。妬けちゃうなー」

 

にやにやと園子がからかう。祐樹は小さく笑って流すが、隣の銀は一瞬呆けたと思ったらその頬がわずかに赤みを帯びた。

 

「か、からかうなよ園子ー! 悪さするのはその口か~!」

「ひゃーー!」

「むぅ。なんでだろう……胸の中がもやもやするわ」

「……お、帰還するみたいだぞ」

 

二人のじゃれ合いを眺めながら、世界が花びらに包まれていく。

今回も無事に御役目を果たすことができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初夏の兆しが見え始めた頃。

日の入り時間も伸びて夕焼けが紅く綺麗に町を照らしている。

そんな風景を神社の階段から見下ろすように眺めていた。

 

「──ここに居たのね。高嶋君」

 

ぼうっと眺めていると不意に声を掛けられた。

 

「…先生。どうしてここに? よく僕がここにいるなんて分かりましたね」

「──探す手段はいくらでもあるのよ。それよりこれまでの戦闘は大丈夫だったかしら?」

「ええ。おかげさまで無事に御役目、できてると思います。まあ三人に助けられてる部分も多いですけど……本当は僕がみんなを引っ張っていかないといけないんですけどねー。そこだけは不甲斐ないかな、と思ってます」

「本来は選ばれるはずのなかったものと考えれば十二分にやっていると私は思うわ」

「ありがとうございます」

 

同じ横に並んだ彼女はそのまま階段に座り込む。

 

「本当は──」

「え?」

「本当はこんな『御役目』なんてあなたたち子供にやらせたくはない。大人たちで解決できるならそうしたかった。ただの先生と生徒で、君たちの成長していく様子を見ていたかった……」

「僕はともかくとして、あの子たちはそうですね……常に命の危険と隣り合わせなこの状況は彼女たちには酷だ」

「君もその中に入っている自覚は持ちなさいね」

「あいた!?」

 

額を軽くつつかれる。

 

「他の生徒たちのように気兼ねなく笑って、泣いて、喜んでいてほしいのよ先生からすれば」

「──僕たちは僕たちでちゃんと楽しんでますよ」

「…ええ。確かにあなたたちは仲良くやっているわね。だから私たち大人は精一杯サポートさせてもらうつもりよ。ご家族の方もそう思ってるわ」

「──両親とあったんですか?」

 

『家族』という単語に祐樹はわずかに反応を示した。

 

「──いえ。いつものように(、、、、、、、)電話でお話させてもらったわ。『息子はよくやっている』って褒めてたわよ」

「そう、ですか……他には何か言ってましたか?」

「…特には。『引き続き励みなさい』と、ご両親は言っていたわ」

「…………、」

 

それ以上は追及して来ずに祐樹は立ち上がって階段を一つ、二つと降りていく。

 

「ねえ高嶋君」

「…はい」

「何かあれば相談に乗るから。先生を……大人たちを頼りなさい」

「──ええ。もちろんですよ安芸先生ー。その時はよろしくお願いします!」

 

振り返ると先ほどの雰囲気は何処かへ消え失せて元の様子に戻っていた。

それでは、と祐樹は会釈するとこの場を後にしていく。

安芸は彼の背中を見守ることしかできない。

 

「そういう育ち方はあまり良くなんだけど……ね」

 

誰に聞こえるまでもなく虚空に消えていく。

 

(そういえば、高嶋君……なにか雰囲気が違っていた気が)

 

ふと、先ほどの彼の姿にどこかしら違和感を覚えたことを思い出す。

なんだったか、と数分の記憶を辿っていく。

 

夕日に照らされていたからか。はたまた別の事情故か、確かに違和感を覚えた。

気にかけていた教え子のことである。この感覚は間違っていないはずだ。

 

「……あの子。あんなに髪の毛赤かった(、、、、、、、)かしら?」

 

呟くように言葉にしたそれはまたしても誰に届くことはなかった────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ところどころオリジナル混ぜつつ進行していきます。(今更

ここで捕捉。

祐樹────少しづつ実践を交えて成長中。しかし何やら体に変化が…?

銀────祐樹と一緒に近接を担当。波長が合うのか中々の連携をする。たまにみんなから弄られるもまんざらではなさそうである。

須美────三人に手を引かれて、色々と連れまわされている様子。面食らう場面も多々あるようだが、親交を深めるために頑張っている。まだ名前予備は難しいようだ。

園子────陰の立役者。ほわほわの彼女も実は色々と考えているのだ—というのは本人の弁。三人と楽しく過ごせていてこの頃の機嫌は大変よろしいらしい。


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story7-3『■■祐樹は■■である』

勇者たちのお役目は順調に進んでいっている。

 

お互いがお互いに歩み寄り、人類の脅威に立ち向かうその様はまさしく『勇者』であると伺える。

──けれどどうしてか心の中の■が消え去らないのだ。

 

原因が何なのか分からない。

その答えと■の正体を知りたいと思うけれど、同時にこれを知ってしまう時は果たして自分はどうなってしまっているのだろうか。

それが不安で怖くてたまらない。

 

────嗚呼、誰か自分に■を示して欲しい。

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

「──うっはぁ!! 見てみなよみんな”海”だぞっ!」

 

 

トンネルを抜けて少し強めの日差しが差し掛かり、車内にいる僕は顔をしかめた。声のした方——バックミラーで後ろの様子を眺める。

背後で元気にはしゃぐ銀がまるであの海と同じように目をキラキラと輝かせていた。

 

「もう三ノ輪さん。車内では静かにしないとだめですよ」

「ぶー! 固いこと言うなよ須美ー。せっかくの海なんだぞーテンション上げてこーぜー」

「遊びに来たんじゃないのよ。これからの戦闘をより円滑に、確実に進めていくための訓練をしに此処に来たんでしょ? むしろ気を引き締めていかないといけないわ」

「ちぇー解ってるよそんなこと。いいもんねー園子と一緒にアゲアゲでいくから──」

「………すやぁ」

「こ、こやつ寝ておるぞ!?」

「昨夜は夜更かししたみたいよ。連日の疲れもあるだろうしそっとしておいてあげましょ」

「…むぅ」

 

流石に園子を起こすのは気が引けたのか銀は大人しく座ったようだ。

少し可哀そうになってきたので、僕は代わりにチョコ菓子を彼女に差し出す。

 

「ほれ。〇ッキー食べて機嫌直せよ銀」

「──あむ。別に機嫌悪くなってないっすよー高嶋さん」

「はは。なんだかんだ言って須美も園子も内心は楽しみにしてただろうから、訓練は別として遊びの時間も作ってくれるってさ……先生が」

「わ、私は別に楽しみにしてません祐樹さん!」

「すぴー」

「マジっすか! いえーい!」

「──高嶋君。それは君たち次第だということをお忘れなく」

「分かってますって安芸先生。先生も〇ッキーいります?」

「……いただきます」

「須美も食べるか?」

「はい、ありがとうございます」

 

運転席でハンドルを握る安芸先生が横目で見てくるが、お構いなくチョコ菓子を差し出すと口を開けてきたので僕はそこに〇ッキーを食べさせた。

無言のままポリポリと食べ進める先生の姿は小動物を彷彿とさせる食べっぷりだ。

 

今回向かうのは『大赦』の管理する旅館。合宿と銘打った僕たち勇者組の慰安旅行も含まれている。

日々の特訓やバーテックスとの戦いで心身ともに疲れた僕たちに労いを込めた休暇のようなものらしい。付添人として安芸先生が任命され、こうして車を出してもらっていた。

 

『おぉ!』

 

しばらく車を走らせていよいよ目的の場所が見えてくると自分自身も彼女たちと一緒に騒ぎ合う。

皆なんだかんだ言って楽しみだったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

到着した旅館を見て今度は須美の目がキラキラと輝いていた。

どうやら彼女好みの風貌と佇まいらしく車内での対応が嘘のようだと言わんばかりに銀と寝起きの園子の手を引っ張って館内へと足を運んでいった。

あまりの変わりように安芸先生と顔を見合わせて小さく笑い合うほど。

 

チェックインを済ませて案内された部屋はこのメンバー全員が入っても更にあまるほどの一室。ここは銀、須美、園子の三人が使用することになっている。

僕と先生はもちろん彼女たちとは別部屋となっている。

今はこの部屋でみんな集合している状態だ。

 

「えーせっかくだからみんな部屋一緒にしましょーよー」

「銀。流石に男女混合ってのはダメだよ。顔は出しに来るからそれで勘弁してくれ」

「そうよ三ノ輪さん! 流石に殿方となんて……ましてや祐樹さんとなんて私は恥ずかしいわ! ね、乃木さんもそうよね?」

「わたしはゆっきーとならどっちでもいいよ~♪」

「よくないです!」

 

須美の剣幕に圧され銀は納得するほかなかった。

反面、園子はほわほわしていた。大丈夫だろうか?

 

「まあそれはそれとしてー……来て早々なんで『勉強』しなきゃいけないんですかー安芸先生!」

 

机に突っ伏してテキストを見る銀は文句垂れていた。対面に座る安芸先生は表情を崩さず眼鏡のズレを直しながら答える。

 

「お役目もそうですが学生の本分は勉学。将来のためにもきちんと学ぶべきところは学ぶことですよ三ノ輪さん」

「まあ後の自由時間のためにもここは我慢するこった銀。須美も園子もちゃんと勉強してるんだから」

「先生も高嶋さんも鬼だー。てか、須美は分かるんだけど横でうたた寝している園子はどうなんすかー?」

「乃木さんは既に問題は解き終わってますよ」

「マジで!!? いつのまに……」

 

驚く銀を他所に須美は黙々とテキストの問題を解いていっている。

ちらりと彼女を方の状況を見てみる。

 

「何かわからないことがあったら言ってね須美…って見る限りだと平気そうだけど」

「ありがとうございます。はい、この辺は予習したところなので問題ないですね」

「流石、僕も負けないようにしないと」

「真面目だなぁみんな」

 

彼女たちの通う神樹館は中々偏差値は高い方だ。うかうかしてると将来抜かされかねないので僕も真摯に打ち込むとする。

 

「三ノ輪さん。手が止まってますよ」

「はぁーい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前は勉学に費やし、昼食のうどんを食べた後に僕たちは浜辺に足を運んでいた。

安芸先生を対面に僕たち四人は勇者服に身を包み横に並んでいる。

 

「それじゃあ午後はそれぞれがトレーニングメニューに沿って行ってもらいます」

「うっし! ようやく身体が動かせるー!」

「三ノ輪さん、先生の話は最後まで聞かなきゃだめよ」

 

両手で握りこぶしを作りながらうずうずしている銀にそれを宥める須美。

僕の横に居る園子はぐっすり眠れたのかニコニコとご機嫌みたいだ。

 

「その前に一つ、決めておかなければならないことがあります」

「……チームのリーダーですか?」

「その通りです高嶋君。各自のポジションは薄々理解してきていると思うけど、全体の指揮をとる司令塔がいたほうがより綿密にお役目を全うできるのもまた事実」

「リーダーかぁ……アタシは頭使うより突貫した方が性に合ってると思うしここは委員長ポジの須美さんがいいかと思いますっ!」

 

先生の言葉の後にすかさず手を上げて須美を指名した。

須美は少し驚いていた様子だったが、すぐにもとの表情に戻る。

 

「だそうだけどどう鷲尾さん?」

「──私はやれと言われれば異論はありませんが……でも今回は辞退したいと思います。代わりに私は乃木さんを指名したいと思います」

「……あなたなりに考えがあるのね。乃木さんはどうかしら?」

「ほへ? わたしがリーダー?」

 

まさか振られると思わなかったのかのほほんとした緩い返事が返ってくる。

 

「わたしはー向いてないよ~ゆっきーとかいいんじゃないかなぁ? 年長者ですしー、先輩ですしー?」

「…いや、僕も園子がいいと思う。初戦を含めてこの前の戦闘もキミが的確な指示をしてくれたおかげで無事に生きて帰ってこれたんだ。恥ずかしい話だけど、果たして僕が同じようなことをできたかどうか……」

「ゆっきー……」

「祐樹さんの意見に同意します。ここぞという時の乃木さんの観察眼、思い切りの良さは戦場においてとても大事な要素です。引き受けてはもらえないでしょうか?」

「わっしーまで……んー」

 

困ったような表情を浮かべる園子。まだもう一押し必要なようだ。

どうしようかと考えていると、不意に園子に肩を組んで銀が歩み寄った。

 

「確かにそーだよな! 園子、勇者はこんじょーだぞ! ババっと引き受けてドーンと指示してくれればいいんだよー」

「ミノさん……うんっ! 勇者はこんじょーだよね! じゃあ乃木さんちの園子さんはリーダーやりまーす!」

「──決まったみたいね」

「あーそんな感じで引き受けてくれるんだな」

「そ、そうですね……私には何を言っているのやらって感じですけど」

 

感化されたものがあるのか二人はワイワイと小躍りし始めた。僕と須美は苦笑を浮かべるしかないけどまあ、無事に決まったようでなによりだ。

話がまとまったところで先生は手を叩いて整列させる。

 

「さて、ではさっそくですが二人一組を作ってもらいます。鷲尾さんと乃木さん。そして高嶋君と三ノ輪さんの二組になってください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

既にお天道様も頂点を過ぎ、カンカン照りの日差しが砂浜に降り注いでその地からはじりじりと熱を発していた。

それぞれが二組に分かれた勇者たちは安芸先生に指示されたメニューに沿って訓練に励んでいる。

 

「ふ、ふぅ……っ! 乃木、さん次いくわよ!」

「あいあいさー……はぁ、はっ………!」

 

砂地を蹴り前衛に園子、後衛に須美が眼前に目掛けて走り出す。

ざっと距離は百メートルほどの長さだが額には大粒の汗を浮かべている様子で息も絶え絶えだ。

 

そんな中、 両サイドに設置された機器からボールが射出される。

射出されるタイミング、位置は安芸先生の手元にあるリモコンによって操作されて中々に読みづらい。

それらを前衛にいる園子が槍を傘状に変化させて防いでいく。

後ろにいる須美は園子が防ぎ漏らしたボールに矢を射かけてフォローしていく。

 

「…っ!!? しまっ……」

「わっしー!」

「はい鷲尾さん撃墜。最初からやり直しよ」

「はぁ、はぁ……ごめんなさい乃木さん。避けるタイミングを見誤ってしまったわ」

「ふぅ…あは、いいってことよ〜! わたしこそフォローし遅れちゃったしおあいこってことで」

 

ボールに一人でも当たったらその時点でやり直し。

二人が元のスタート地点に戻るまでに機器の設置箇所を変更させて動きに慣れさせないように先生も動いている。

 

側から見てもスパルタの如し、だ。

けれど命のやり取りをしているために甘くするわけにもいかず、離れたところで一休みしていた僕と銀は苦笑を浮かべるしかなかった。

 

「安芸先生も気合入ってるね……てか、次の交代で僕たちもやるんだよねアレ」

「うわ、園子顔面でボール受けちゃったぞ。大丈夫…そうだな、あはは…」

『こら、そこの二人。サボってるとペナルティとして倍のセットにするわよ』

『……っ!?』

 

拡声器で言われて僕と銀は急いで配置につく。

その両腕両足には無骨な鉄物が巻かれている。

更には僕の手には木刀を、銀の両手には使用武器の重量に合わせた棍棒を装備していてこれらを用いて試合形式の打ち合いをするのだが…。

 

「戦績はこれで私の二勝一敗。負けた方が巻いてる重りを倍につける…」

「一勝二敗…あぁ重い………勝っても一本重りを追加させるからどちらも手を抜けないなこりゃ。足場も砂で最悪だし」

 

重り一本は十数キロ。もはや普通ではまともに動けない数をつけてしまってはいるが、勇者としての力のおかげかその枠には収まらずにいられた。

だけど、それも一定数の数を重ねていくといずれ限界が訪れてくる。体力的にも。

ましてや僕の得意手は徒手空拳であって剣術はからっきしだ。明らかに不利でしかないが泣き言は言ってられない。

 

『三ノ輪さんはパワーはあるみたいだけど戦闘持久力がイマイチだから、まずはそこを重点に上げていきなさい。高嶋君は不利な戦況下でも対応できるようにあらゆる場面を想定して動くこと。相手の一つ一つの動作をきちんと見極めてお互い勝ちにいきなさい』

「はいっ!」

「せ、せんせー厳しい…押忍ッ!」

 

お互い構えて対峙する。試合も既に四戦目、そろそろ腕を上げているのがキツくなってきた。

それは向こうの銀も同様で、薄ら笑みを浮かべている。

 

「高嶋さん! そろそろ交代の時間っぽいですし、何か賭けてやりません?」

「…いいね。なにを賭ける?」

「んーそうっすねー…あっ! じゃあお互い言うことをなんでも聞く権利なんてのはどうですか?」

「なるほど。でも回数制限はしといたほうがいいかな。一つ、命令できるでいい?」

「言いましたねー! じゃ、マジで勝ちにいきます……よッッ!!」

 

まるで重りなぞ意に介さずといった調子の軽やかなスピードで突っ込んでくる彼女に僕は根性あるなぁなんて考えてしまう。

僕よりも歳下なのにね……ってそれじゃあ彼女に失礼だ。

同じ戦場に立っている以上はそんなことは関係ない。遅れをとらないように僕もしっかりとやらないといけない。

 

拳の時によくやる力を流す手法を剣に取り入れる。そうすることで銀の重い一撃を同様に対処することが可能になった。

 

「うわっと!? やりますね高嶋さん! ……はぁ、はぁ」

「ぜぇ……ぜぇ。キミの馬鹿力を受けるこっちの身にもなってくれ。けっこう神経使うんだぞ」

「本気じゃないとお互い訓練にならないです……よぉぉ!!」

「うおぁ!? あぶな────っ!?」

 

突発の横薙ぎに身体を反らして対処していくが、しかしここでやってしまったと痛感する。

この後にバク転でもして態勢を整えようと考えていたが、疲労と両足の重りの存在を忘れてしまったせいで今の体勢を保てなくなってしまう。

そんな状態の僕の上に振りぬいた銀が……

 

「ごふ!?」

「うわっぷ?!」

 

危ないと思った僕は銀の身体を抱きしめて砂浜に倒れこんでしまった。

素の状態ならまだしも、重りがある状態では威力というか衝撃が凄い。

地面は砂とはいえ変な態勢でもみくちゃに転んでしまったら彼女が怪我でもしかねないのでこうするしかなかった。

 

「ぎ、銀……怪我はない?」

「は、はいありがとうございます高嶋さ────っ!!?」

「……? どうした、銀?」

 

口をぱくぱくしてどうしたんだろうか。

……あ。

 

「──ご、ごめん! でもこうしないとお互い怪我しちゃうと思って!」

「ひゃ!? あ、アタシこそすんません!」

 

二人して顔が赤くなってしまう。…いや、僕のこれは疲労のせいで赤いんだ。うん。

 

「い、いやー高嶋さんって結構身体大きいですよねー……こうしてると落ち着くというか。アハハ」

「きゅ、急にどうした? そ、そりゃあ銀に比べたら背は大きいけど……」

「そういうことじゃないですよ……もー、案外鈍感なんすね高嶋さん」

「えぇ?」

 

じりじりと焼かれる砂上でお互いの額から汗が流れる。

銀の顔を見ると視線をあちらこちらと泳がせて両頬も熱のせいか否か真っ赤になっていた。

 

少しの沈黙の後、口を開いたのは銀だった。

 

「──この場合。勝負はどうなるんすかね?」

「そりゃまあ……引き分け?」

「っすよねー。じゃあ罰ゲームもお互いにってことでどうっすか?」

「…まさか今ここで命令される感じ?」

「いえいえ。ここぞという時のためにとっておきます! 有効期限はなしですよ?」

「じゃあ僕も今は保留にしておくよ」

 

これといってすぐに思いつくものもないから彼女に合わせるとしよう。

いつまでも寝転がっているわけにもいかないので僕は銀を抱えたまま起き上がり両手の重りを外していく。ああ、腕が軽い。

…そういえば周りが静かな気がするけど?

 

振り返ってみると、そこにはにやにやと悶えている園子と、僕たち二人を冷徹な瞳で見下ろしている須美がいた。

 

「あぁ~♪ このシチュエーションばっちぐーだよお二人さん! 後で是非ネタにさせてもらうからねー!」

「祐樹さん、最低です」

「そ、園子! 須美も待って! これは誤解だぞ!?」

「なんで須美は僕にそんな冷たい目で──ひっ!? なんでもないです!」

「…やれやれ」

 

後ろで呆れている安芸先生がいるが須美の圧に僕と銀は縮こまるしかできなかった。

この後はローテーションで訓練をやったり、メンバーを変えたりと更に特訓は苛烈を締めていく。

というかマジできつい……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『はぁ~~♪』

 

 

三人の声がハモり夜の空気に溶けていく。

身体に染みわたる熱に日中の疲労もどこへやら……そう思ってしまうぐらい心地が良かった。

 

私、須美、園子の三人で今は温泉の────露天風呂に足を運んでいた。

 

「ふいぃ……生き返るわー」

「三ノ輪さん、そんな中年男性みたいな声をださなくてもいいんじゃないかしら?」

「わたしはまだまだピチピチの小学生じゃい!」

 

須美がまたもや呆れ顔でわたしを見てくるが、今の気持ちよさにそれも許してやろうかと思う。

訓練が終わってその日の夜。食事の前の汗を流していた。

 

「あぁー…でもミノさんの言う通り疲れが抜けてくよ~。お風呂はいいねぇ」

「乃木さん……ま、まあそれは否定しませんが。……ふぅ」

「須美は気を張りすぎだってば。もうちょっと園子みたいにのほほんとして見るのもいいんじゃないか?」

「……その状態の私は私じゃない気がするわ」

 

須美は考えてみたが納得いかない様子。まあ普段の須美を見れば確かにキャラじゃないような気もするが…。

 

「ええーいいじゃん! わたしは見てみたいなぁ」

「かもんかもんわっしー!」

「い、嫌よ!」

 

自分の身体を抱いてすすっと離れていく須美。けど逃がさんとわたしと園子は両サイドに回り込む。

 

「それにしても……ねぇ、園子さんや」

「んだんだ♪ そのメガロポリスはいけないねぇ~」

「ひゃ!? な、なにするのよ二人とも……っ! やぁ!?」

 

バシャバシャと水しぶきを上げながら須美に纏わりついて、そのたわわに実ったアレを堪能する。

同性から見てもそれはもう凄いの一言に尽きた。

 

「っ!? お、おぉ……これはこれは! 同い年とは思えないボリュームッ!」

「浮いてる…浮いてるよミノさん!」

「ひ、人の胸で遊ばないで二人とも!!」

 

ひとしきり堪能させてもらうと、ぜえぜえ息を切らした須美と満足気な顔をしたわたしと園子が出来上がっていた。

あまり弄りすぎると須美も拗ねてしまうのでほどほどに。園子もそれは分かっているようで、今度こそゆっくりと湯につかっていた。

 

 

 

「……お役目は順調に進んでるよな?」

 

知らぬうちに口から言葉が漏れてしまった。

わたしの言葉を聞いた二人は空を見上げていた視線をこちらに向けてくる。

 

「ええ。最初はどうなるかと思ったけど今はこのチームで良かったと思ってるわ」

「わたしもー! みんな大好き!」

「はは。私も大好きだぞ!」

 

須美の言ったように最初は不安もあった。けれどこうして日々を過ごしていくうちに不安を超えていつしか仲間を信頼し、安心するまでに至った。それはとても誇らしいことだ。

 

「ゆっきーにも感謝しないとね~」

「そうね。祐樹さんには沢山助けられているし……こうして自然に馴染めてるのもあの人のお陰なのかもしれないわ」

「最初はわっしー怖かったんだもんね~。懐かしいなぁ」

「も、もう! それは言わないでよ」

「……むう」

 

そういえば二人は大赦の集まりで高嶋さんと知り合いだった。アタシはサボってたせいで関わりだしたのは最近だけども。

なんとなく悔しい気持ちになる。

 

「そういえばミノさん。訓練中にゆっきーと何話してたのー?」

「あ、それ私も気になってたわ。どうなの三ノ輪さん?」

「へ? あー……それは」

 

日中の出来事を訊かれて温泉の熱とは別の熱が頰を染める。

 

「な、なんでもないぞ? 別にこれといってなにも」

「あら? そうなの」

「てっきりゆっきーがミノさんに愛を囁いてたのかと思ったよ〜」

「そんなわけないだろっ!?」

 

約束事はしたけれど、それ以上は何もない。本当だ。

そういえば命令権はどんなことをお願いしようか? それに……高嶋さんはアタシに何を命令するのだろうか。

 

命令だ……銀。僕のお嫁さんになってくれ。

 

「────っ!」

 

バシャ、と湯に顔をつけて冷静にさせる。

今自分は何を想像した?

 

「あらー? あららー。わっしーミノさんの顔が赤くなってやいませんかね?」

「あらほんとうに。これは──ねぇ?」

「な、なんだよ二人とも……わ、ちょ!!?」

 

キラン、と目を光らせた二人が先ほどやったようにアタシに襲い掛かってくる。

この後は安芸先生が来るまでいいように遊ばれてしまうことになってしまった。

 

 



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秋原雪花の章
story1『託した者、託された者』


この物語は、オリジナルな設定と展開が盛り込まれております。


僕は天に輝く星々が怖い。

この頃はほとんどその姿を拝むことはなくなってきたが、こうしてたまに晴れる日の夜天は星が怖いぐらい光っている。

 

まるで見下すように、獲物に標的をつける獣の眼光のように。

 

「……はぁ。寒い」

 

厚手のコート、手袋、マフラー諸々と完全武装していても尚冷え込む夜に僕は外に出て空を見上げていた。

北海道旭川市、カムイコタン。僕が故郷を離れこうして北の大地に足をつけているのはまったくの偶然であった。

 

今は会うことのない両親の意向によって転校した矢先に巻き込まれてしまった『天変地異』。

世界は各地で孤立し、各々が自分の住む世界を守るために奮闘することになった今の世界を僕は生きている。

 

四季は狂い、僕の住む北海道は白き世界を残してその他を失ってしまった『氷の大地』になりつつある。

『世界の終焉』。誰かがそう言ったこの言葉も今となっては間違いでない現状に絶望してしまう人がほとんどだった。

 

その時にとる人間の行動と言えば、略奪、暴動、他人の蹴落とし合い。

普通に生きていれば表に出ることのない内に秘めていた暗い感情がドロドロと溢れ、人々を狂わせていくその様を最初見たときは僕も酷く悲しい気持ちになっていた。

昨日まで笑い合って話していた友人が、親戚が、血を分けた家族までもが血眼になり生き残るために弱者を切り捨てようともがいていく。

単純に生物の生存本能としてみれば間違っていない行動なのかもしれない。でも僕たちは紛れもない人間であって。

 

この世の地獄を見た気がした。

本当は打破すべき目標は別にあるというのに、なぜ人々は争いを生んでしまうのだろうと。

氷の大地のように心は徐々に凍り付いていく。それをこの争いの中で見いだせることはなかった。

 

閉じていく世界。これが今僕たちの住む大地の現状だった。

 

「……今日は堕ちてくるなよ、『星』ども」

 

日々続いていく異形のものとの戦い。ある日突然世界の終わりを告げる星の化身に対抗する術を持つものはいなかった。

人間が培い、練磨してきた『歴史』は奴らには傷一つつけること叶わず、蹂躙されていく光景は酷い有様だった。

 

人類は為すすべなく奴らに喰いつくされる────そう思っていたけれど。

 

一縷の望みというべきものが身の内にあったことを知るのはそう遠くはない未来のことだった。

今や一つの地域に収まるほどの人口になってしまった人々が最後に行う行動と言えば『願う』こと。

 

今日まで心の内では信じていなかった『カミサマ』に助けを乞い、祈りをささげる。追い詰められた人々は盲目的にそれらを一心に行っていた。

必然的に集まる”場所”も絞られていき、最終的な集落となった場所と言えば神聖、カミサマの居た大地。そんなところ。

 

神居古潭。この大地も例外なく当てはまることになり、そして今や北海道の最終防衛ラインとなった地域の名である。

 

「……だいぶ、ボロボロになってきたかな」

 

懐から取り出ししみじみと眺めるのは細かな傷の残る『籠手』である。

僕たち神居古潭の人々を守る唯一の手段。そのための”武具”を僕は持っていた。

 

なぜこれを僕が持ち得ていたのかは今も分からない。でもそのお陰で僕たちは今もこうして生き長らえている。

偶然? カミサマのおかげ? いや、そんなことは今やどうでもいい。

 

この『籠手』がなければ、僕は既に息絶えていただろう。そして時を同じくして守護する”もう一人”も耐えきれてなかったのかもしれない。

『神具』とも、もう一人の彼女は言った。カミサマが用意した『星』と戦うための手段。

 

これらを用いて、戦えるのは選ばれた人間だけ。その人数は────僕を除いて”一人”のみ。

 

いや、正確にはもう何人か居たらしいのだが、”らしい”というのも今の現状を考えてくれれば答えはすぐに出てくることだろう。

 

「──お、やっぱりここにいた」

「雪花?」

 

考え耽っていると、不意に隣から声を掛けられた。

少しだけ驚いてそちらを見てみれば、ともに戦場を駆ける少女が歩み寄ってきた。

同じく厚着をした完全武装で白い吐息を吐き出しながら。

 

彼女の訪れに眉間に寄っていた皺も緩んでいくのがわかる。

 

「相変わらず寒いのによく外に出る気になるよね~祐樹っちは?」

「そういう雪花こそ。わざわざ探しに来てくれたの?」

「ん~まぁ、どうだろうねぇ~?」

 

相変わらずおどけた感じで言う子だな、なんて考えてしまう。

けれどその態度に助けられたことも数えきれないほどあるのも事実であって、嫌というわけではない。

 

雪花も僕の隣に来ると夜天を見上げる。

 

「…にゃーるほど。『星』を見に来たんだねーキミは」

「”観測”はしておかないといけないしなー……なんてのは建前で久々の晴れなんだ。夜とはいえ出ないわけにはいかないだろ? 朝にはまた吹雪になっているかもしれないし」

「私は祐樹っちみたいに天体観測が趣味じゃないからね~。まあ綺麗なのは認めるけどさ。でも今やあれら全部”敵”っしょ? 怖くならない?」

 

横目でチラっと雪花を見ると、雪花は空を見上げたまま話していた。

 

「怖いね、とても。でもこうして眺めているとさ……雪花と出会った時のことも思い出すよ」

「……お世辞にもいい思い出になるなんて出会いじゃなかったともうけどにゃー」

「それはそうだけど…はは、手厳しいな雪花は」

「それが私だしねー。でも、祐樹っちが居てくれなかったら私もどこかで野垂れ死んでかもしれないし、そう考えると悪くないかななんて思う」

 

彼女もよく思ってくれている。とても嬉しかった。

 

「ところでさ、こうして平和なウチに聞いておきたいんだけどー」

「なにを?」

「──ずばり祐樹っちはあと何回戦える(、、、、、、、)?」

「…………、」

 

彼女の質問に僕は見上げていた空から視線を落として雪花を見る。

雪花も真っすぐな瞳を向けて僕を捉えていた。

心配してくれてる、のだろうか?

 

「気づいてたんだ?」

「そりゃあ私は”精霊”さまと繋がっているわけで、現実から目を背けるお馬鹿さんでもないわけよ。キミはこの地出身でもなければ『あの日』とほぼ同じ時期に他県から来た人っしょ? 当然、精霊さまとの”繋がり”もあるわけでもなし。でも祐樹っちは私と同じ”力”を使える……それってさ」

「わかってるよ雪花。他でもない、僕自身がよく解ってる」

「………そっ。じゃあ返答は~?」

 

しばしの沈黙を挟んで僕は言葉を紡ぐ。

 

「あとフルで三回……省エネでいけば五回出撃できればいい方かな。僕の体内とこの『籠手』に宿した力の残量からしてみればそれが限界。そのあとは僕は紛れもないただの”一般人”に戻る」

「……やっぱりねー。精霊さまもそう言ってたにゃあ」

「ごめん。最後まで一緒に戦えそうにないかもしれない」

「にゃはは。なんでキミが謝るのさー? 充分すぎるぐらいだぞ~」

 

見た目ではいつもの調子な雪花。でもどうしてかな、その瞳はそうは見えなかった。

でもそれを僕が指摘したところで現実はなにも変わりやしない。

 

それは彼女も分かっている。だからせめていつもの調子を維持しているんだ。

悔しい。力足らずの自分が憎たらしい。

 

自分の不甲斐なさに落胆していると、いきなり額に衝撃が走った。

目先には雪花の指先が見えた。

 

「──痛ッ!?」

「こらこらーキミがキミ自身を否定しちゃダメだぞ~? 雪花さん、祐樹っちと一緒に過ごしてきてなんとなく考えてること理解できるし。自分がーなんて思ってるでしょ?」

「……はは」

「今更悔いたってしょーがない。でも諦めちゃあダメだ。私たちは生きるよ、どんな手をつかってでも──選択肢が少し減っただけっしょ? まだまだいけるいける!」

「雪花がイケメンすぎる」

「あ~それは乙女に言ってはいけないセリフだぞー? 私は華の女子中学生なんだから……ってもう学校はないか~。にはは」

「悪い。でもそうだな……雪花は可愛くてほんとは優しくて家庭的な女の子だもんね。僕の大好きな────」

「…………。」

「い、いたた!? 無言で頬をつねないでー!」

 

最後まで言葉にする前に雪花の指が僕の頬を引っ張り始めた。

照れ隠しなのはわかっているのだけど、こういうときの雪花は手加減せずにやってくるので少し困ってしまう。

 

そして当の本人はジトーっといった様子でにらみを利かせて一向にやめてもらえない。

 

「相変わらずキミは歯の浮くセリフがお好きなようで……なに、それはわざとやってるのかにゃあ?」

「わ、わざとじゃなくて本気なん──だだだっ!!?」

「なお質が悪いにゃー」

 

でもその度にほんのり赤くなってるのを僕は知ってるぞ!!?

口元が緩んでいることもね────なんて内心考えていても雪花は察しが良いのか余計に力を込めてくる。

 

涙目になりかけてきたところで雪花はため息を吐いてやめてくれた。

 

「んー、このタイミングで渡すのはとても恥ずいけど……ほい、祐樹っち」

「……え? なにこれ」

 

コートのポケットから平たいラッピングされた箱をもらった。

頭に疑問符がつきないまま僕は手渡されたソレを受け取る。

 

「今日がなんの日だか覚えてる?」

「えっと……んー?」

 

最近は戦いばかりで本来の暦に疎くなってきたのか、すぐには答えに辿り着けない。

雪花もそれはわかっていたのか特に気にするわけでもなく、

 

「世間でいう『バレンタインデー』の日だぞ~? 世の男子なら忘れちゃいけないイベントじゃないかにゃあ?」

「……言われてみればそうだけど。でもチョコってよく用意できたな……甘味なんて今じゃめったに手に入らないんじゃ?」

 

各地で孤立した今、外部からの供給なんてものは絶無である中、どうやって調達してみせたのか。

嬉しい気持ちももちろんあるのだが、そちらの興味も同じく強い。

 

雪花は少し視線を泳がせながら頬をポリポリかいている。

 

「正確にはチョコモドキってやつ。保存の利くココアパウダーやら砂糖さらを練って作ったものだから期待には沿えないけど」

「へぇ……それでも凄い嬉しいよ雪花。よくレシピなしで作れたね?」

「まあ誰かさんのおかげで多少は作れる範囲が広がったからでー……って私のことはいいの! ほい、全男子の想いを胸に感想を述べよ」

「荷が重すぎないそれ!?」

「にゃっははー」

 

雪花の言うものは背負えないけども……それはそれとして、こうして実際にもらってみるとこうなんというか心があったかくなるのがわかる。

 

「うん、本当に嬉しいです。大好きな雪花からもらったものだから嬉しくないはずがない! ……今、食べてみていい?」

「口に合えばいいけどね~」

 

相変わらず『好き』の部分をスルーされるけど、僕は今は彼女のくれたチョコを食べたくて仕方ない。

包みを開けて箱を開ける。その中身と香りは間違いなくチョコで僕は思わず感動してしまった。

 

「一口大にしてあるからひょいっと食べちゃってよ」

「いただきます……あむ」

 

口いっぱいに広がる甘みに僕はもう一度感動を覚えた。

久々の感覚を噛み締める。確かに雪花の言う通りチョコよりかは少し固めではあるが、十分に美味しい。

 

「凄いなー。まんまチョコだぞコレ!」

「褒めたまえ褒めたまえ~♪」

 

雪花も感想が聞けたのか嬉しそうだ。

でも一つここで問題が発覚することにより、僕の手は止まった。

 

「祐樹っちどうしたん?」

「……いや、こんな貴重な物をもらってお返しどうしようかなぁと思って」

「ああ、なーるほど」

 

うんうん、と頷いて雪花は更に距離を詰めてきた。

 

「それなら今お返しもらっちゃおっかにゃ~?」

「えっ? お返しって僕は今もってるのは携帯食料しか──」

「はい、あーん♪」

 

有無を言わさず雪花は僕の持っていたチョコの一つを手に取ると僕の口にねじ込んできた。

呆気にと垂れていた口に入れられる羽目になるのだが、次の瞬間には僕はすごく驚くことになる。

 

「隙ありっ!」

「────っ!? 雪花、まっ……んんっ!?」

 

口がふさがれた。誰に、なにでとは言わなくても分かるだろう?

雪花の顔が間近にある。瞳を閉じて整った顔のパーツを改めて見つめる。

 

……でもそれを雪花が許してはくれなかった。

ぬるっと僕の口内に暖かいものが差し込まれていく。

 

「んちゅ……んー、れろぉ。にゅふ~♪」

 

蹂躙されるとはこのことをいうのだろうか。身体を密着され、お互いの熱が冷めていた空気を溶かしていく。

チョコの甘みとは別の甘さが僕の心を満たす。

 

「雪花──」

 

自然と彼女の身体を抱きしめ、それを受け入れてくれる雪花。

満天の星空の下で僕たちは戦中であることを忘れて求めあう。刻むように、離れないように、忘れないようにと。

 

時間の感覚も薄れてしまう中、どちらからというまでもなく離れるまで僕たちは行為を続けた。

 

「──ふっふっふ」

「なんで笑ってるんだ雪花?」

「なんでもないよん♪」

「変なやつだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────ああ、まったくもー。

 

ぼんやりと視界が晴れる中で私は起き上がる。

爆発に巻き込まれて揺れていた視界もだいぶ元に戻ってきたところで現状を見て顔をしかめる。

 

「これは、ほんとにヤバイにゃあ……」

 

悲鳴、怒号、叫び。耳に届く音はどれも不快なものばかりだ。

 

────『星』による襲撃。それも今までにないほどの侵略。まるでここで片をつけようとしているかのように…。

 

私は傍らに落ちていた槍を手に取り立ち上がる。

ダメージはそれほどなく、戦闘は余裕でいける状態だ。

 

一先ず逃げ纏う人々を誘導して安全な所に避難させないといけない。

 

「……祐樹っち」

 

彼は今この場には居ない。丁度離れていたところに図ったかの如く攻めてきたのだから安否の確認のしようがないのだ。

もう祐樹っちは一度の戦闘しか戦えない身だ。そして侵攻してきているはずなのに敵の数が少ないことから、その最後の力を使用しているに違いない。

 

もしその力が枯渇したらいよいよ戦えるものは自分ひとりになる。

そうなったらもうこの侵略を止めることは────。

 

「…なんて、なにがなんでも生きてやるし……人間の意地汚さを舐めるなってね~♪」

 

軽い口調で言う。そうだ、今に始まったことじゃない何度もあった危機だ。

駆け出して近辺にいる住民に声を掛けて回る。

 

「ひぃ!!? だ、誰かたすけ────」

「させない、し!!」

 

離れたところに蹲っていた男性に迫る『星の化身』。

喰らいつこうとしているところに私は持っていた槍を投げて奴を吹き飛ばす。

 

驚いた男性は震える足に活を入れて立ち上がってこちらに走ってくる。

ここまで生き残った人たちだ。もうそのまま立ち止まっているなんてヘマはすることない。

意地汚さは私を含めて人一倍あるのだ。じゃないとこの氷の世界じゃ生き残れないからだ。

 

「さぁ!」

「ありがとう! 恩に着るよ」

 

歩み寄らずに周囲に意識を傾けながら男性が来ると私はすぐに移動を開始する。

 

「いやー投げた後のことを気にしなくてもいいのは助かるにゃあ──っと!!」

 

先を行く住民を抜いて槍が『星の化身』を突き貫いていく。 

 

(さてさて、祐樹っちはどこに──)

 

後方から爆発が響いた。

全員が一瞬歩みを止めて確認してみると、とても広い範囲の煙幕が立ち込めていた。

 

恐らくあそこに祐樹っちがいる。でも────

 

「行ってくれ勇者さま。俺たちは大丈夫だから。小僧をよろしく頼む」

「自分たちの身は自分たちで守る。だから行ってあげなさい雪花ちゃん。祐樹くんをお願い!」

「みんな……」

 

雪花の背中を押すように住民たちは笑っていた。

こんな状況なのに。それはとても強い光のように思えて、私にはとても眩しく感じた。

 

────私一人ではここまで勝ち取れたのだろうか。いや、出来なかったと断言できる。

 

生きることに手段を選ばない私にとって、恐らくこの人たちですら私は最後に道具として利用していただろう。

でもそうさせなかったのは彼が居たから。祐樹っちが居たからみんなの意志は確固たるものに変化したのだから。

 

私だって、その一人なんだ。

 

小さく頭を下げて私は全力で雪原をかけ始めた。

道中に現れる敵にどんどん槍を投擲して殲滅していく。その足は止まらない、止めてなるものか。

 

爆心地まで一直線に駆け抜ける。

 

────退け、退け、退けっ!!

 

私のことを心の底から『好き』と言ってくれた人がそこにいるんだ。

普段ははぐらかしてその言葉を口にすることはほとんどないけど、心の中では私だって彼に負けないぐらい愛を囁いてるんだ!

 

 

「はぁ、はぁ……祐樹ぃ!!」

 

 

彼の耳に届くように叫ぶ、腹の底から叫びまくる。私らしくない? そんなの私が一番理解してる!

そろそろ雑木林を抜ける。その先に彼がいる。

 

 

嗚呼、でも改めて私は思う。

 

 

────この世は地獄に変わり果ててしまったのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────がふっ……」

 

 

濁った声が耳に届いた。

粘っこい、体液を吐き出す音。それがなんなのか、誰がだした音なのか私は理解できない、したくはなかった。

 

目を見開いて眼前の光景が痛いほどに焼き付く。

全身が鋭い針に覆われた『星の化身』に身体を貫かれた祐樹っち(愛しき人)の姿を見てしまった。

 

「あ、あぁ────」

 

彼の背後には意識を失った子供が倒れていた。きっと彼はその子を守るために身を挺したのだろう。

既にその姿に”力”を感じ取れない。いつのまにか彼は戦う力を失っていた。それでも、背後の子供を助けるために……。

 

私は歯を食いしばり、眼光に”殺意”を乗せて地を蹴って接敵した。

槍は既に二本を目の前の敵に突き刺している。それでも引こうとするどころか倒れた彼にとどめを刺そうとしていたではないか。

 

「──くたばれぇ!! この化け物ッッ!!」

 

激情した私は脇目も振らずに槍を投げて、投げて、投げまくった。

いつのまにかゼロになった距離に私は尚も槍を突き刺していく。その際に敵の針に触れて出血してしまうが構わずに槍を刺す。

 

そして気が付いたら『星の化身』は動かなくなり、やがて消滅していた。

 

「──ゆ、祐樹!!」

 

ハッと我に返った私は背後に倒れる彼の元に駆け寄る。白い大地に彼の血液が広がり赤く染まっていた。

震える手で彼を抱きかかえて息を確認する。弱々しくもまだ呼吸がある。

 

「祐樹っ!! ダメだよ! 目を開けて!!」

「──ぁぁ。ごほっ……聞こえてるよ雪、花……」

 

彼は私の手に触れる。けどその手はとても冷たくて……。

 

「こ、こども…………は?」

「生きてる! キミが庇ったおかげで怪我一つしてない! 待ってて、急いで他の人を呼んで──っ!」

「せっ…か……それはダメだ。キミはあの子を抱えて……みんなの、避難を」

「なにいってるの!? そんなことしたら祐樹が────」

 

直後に、離れた場所から爆発音が響いた。

あの辺りは確か──みんなが避難している場所だ。

 

「はや、く……げほっ。みんなを──」

「私たちは何がなんでも生きるの! それはキミも含まれてるんだっ!! 勝手に逝くなんて許さない!」

「────ごめん、な」

 

小さく笑みを浮かべている。なんで、なんでそんな顔ができるの?

謝らないでよッ!

 

「自分のことは、じぶんが一番……よく解る。なぁ、雪花……これ、を………」

「──っ!」

 

右手を上げてその腕に装着している『籠手』を差し出す。

私は子供のように首を横に振るだけだった。

 

「いやだ……私は祐樹がいなくなったらどうやって生きていけばいいの!?」

 

何かと天秤にかけて物事を推し量ってきた私。そういう道だけじゃないことを教えてくれた。今の私を形作ってくれたのは紛れもないこの人なんだ。

彼は少しだけ困った表情をしていた気がする。

 

「僕は、死なない……キミの、中で……生き続ける、から。はは──意識が、もう……」

「祐樹っ!!!!」

 

私の膝の上で口から大量の血を吐き出した。ああ、もうすぐ彼は────

 

「雪花……大好き、だよ? 本当に……あい、して────る」

「ああ、私も大好きだ! ほら、恥ずかしくて言えなかった私の言葉だ! 目を開けて聞いてくれってば祐樹…ぃ」

「──はは、嬉しい、なぁ……キミならお役目を……全う、できる、から。頑張……れ」

 

左手が私の頭に乗るとぐいっと顔を近づけて私の唇を奪った。

重なるその感触に私は────涙を止めることができなかった。

 

────命の灯が消えていく瞬間を、感じ取ったから。

────そして、同時に大切なものを託されたから。

 

積もった雪に腕が倒れ落ちる。

私はゆっくりと顔を上げて、光を失った彼の亡骸を見下ろす。

 

なんで、なんでキミはそんなに────笑ってるんだい?

 

「………、」

 

そっと遺体を降ろして私は立ち上がる。

女の子のもとへ行き安否を確認する。──うん、ちゃんと生きてる。

 

抱きかかえると私はもう一度彼の方に目をやる。

 

「────っ!」

 

────寒い。この世界はとても寒い。

 

平気で人が死に、どの命も等しく軽く扱われる残酷な世界。

きっとこの地に限らず、日本中…いや世界中で同じことが起こっていることだろう。

 

私はもう振り返らずにもと来た道を走っていく。

 

(大丈夫。ちゃんとキミの想い、受け取れたから)

 

最初に彼と出会った頃に戻った気分だ。孤独で、真に誰かに頼れる人がいない環境。

でも、あの頃とは違うものが一つある。

 

「っ! あぐ!?」

 

足がもつれて倒れこむ。子供は抱えているので大丈夫だが、雪の中に盛大にダイブしてしまった。

 

────ほんとに、この大地は色々と寒いな。

 

「だけど……私はもうこの寒さに負けないほどの”熱”をもらったから、ね~!」

 

一人じゃない。孤独じゃないから。私は立ち上がれる。

 

ざわざわとそこら中に奴らの気配を感じ取る。

子供を隅に隠して、私は籠手を装着し、槍を構えた。

 

「……私の名前は秋原雪花。北の勇者代表として相手になるよ~…そこそこにやるから覚悟してかかってきな化け物ども!」

 

生き残れるか分からない。でも悔いのないように最後まで抗ってやる。

いつかまた彼と出会った時に笑っていられるように────。

 

 

 



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郡 千景の章
story1『思うはあなた一人』


リクエストありがとうございます。
うまく取り入れられているか不安ですが、どうぞ。


ある日の夜のこと。

寄宿舎に戻ってきた祐樹は側から見ても分かるくらいの疲労の色を見せて自室に向かって歩いていた。

 

スタスタ歩くというよりトボトボと言った感じの足取りで。

大社の計らいにて急遽用意された一室ではあるが住み心地は気に入っている。

女子たちの部屋とは少し距離が開いていて入り口から遠いことはこういう時に不満に思わなくはないが、今は男子が一人で使用しているための配慮だ。

 

充てがわれた部屋の前に辿り着くと扉を開ける。

部屋の施錠は基本的にしていない。というのも特別盗まれようが漁られようが困るような物品は持っていないためだ。

 

だからなのか、結構な頻度で祐樹自身が帰宅するより前に訪問している人がいた。

 

部屋の明かりはついている。これは祐樹がつけて外出していたわけではなく、前述の通り誰かかいるわけになるのだが…最近はほぼ固定されている。

 

「……おかえり」

 

部屋に入ると彼の部屋にはこたつが設置してある。

その場に陣取っている彼女こそが訪問者だ。

第一声に口にする言葉は自然体に発せられたもので昨日今日の関係性ではないことが伺える。

 

祐樹も特段驚くこともなく視線をそちらに向けると疲労顔を何処へやら、柔和な笑みを浮かべていた。

 

「ただいま。今日も来てたんだね千景」

「ええ…この部屋はゲームをするのに適した環境だもの。祐樹くんの部屋だけこたつがあってズルいわ」

「それ以外は逆に僕の方が羨ましく思うけどねー……それって新作のゲームだよね?」

「…一緒にやる?」

「うん! でもちょっと待ってて、汗かいちゃったから先にシャワー浴びてくるよ」

「ならそれまで他のゲームやっているわ。ごゆっくり」

「いってきます」

 

彼女────郡千景の提案に祐樹は快く頷いてから部屋を後にする。

その際にチラッと千景を見てみたら、言葉の通り別のゲーム機を取り出してピコピコやり始めていた。

相変わらずその時の千景の表情は普段の時とはまた違った側面を覗かせている。

 

(…ま、お言葉に甘えてゆっくり入らせてもらいますか)

 

今日はまた一段と厳しい訓練内容だったので彼もゆっくり体を清めたかった。

しかし祐樹の住まうこの一室は浴槽はなく、シャワーのみの簡素な造りでゆっくり浸かるというよりはゆっくり湯に当たると言った方が正しいか────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おかえり」

 

帰宅時と同様に千景のお出迎えを受ける。

祐樹は彼女を見ると、視線はゲーム機に落とされたまま。言葉だけがこちらに向けられていることに気が付くと小さく笑ってしまった。

不意の微笑に千景も気が付いたのか上目状態のままこちらを見てきた。

 

「……なんで笑っているの?」

「いや、凄い集中力だなぁと思って。気分悪くしたなら謝るよ」

「…別にそこまで気にしてはないけど。で、準備はできた?」

 

表情は大きく変化が見られない彼女だが、今か今かと催促されているような気がした。

「ちょっと待って」と言って祐樹はキッチンに足を運ぶとマグカップを二つ取り出してあるものを作り始める。

特別時間はかからない。ちゃちゃっと作り終えるとこたつと一体化していた千景の目の前にマグカップを置いてあげた。

 

「何もおもてなししないのも悪いしね。外も寒いしココアでもどーぞ」

 

話しながら祐樹も千景の対面の位置でこたつに入る。

ピタッと手を止めた千景は祐樹とマグカップを交互に見ると小さく頷いて口元に持っていっていた。

 

「──甘い。おいしいわ」

「疲れたときは甘いものってね。…ふぃー生き返る」

「私は今日はオフをもらってたから祐樹くんほど疲れてはいないけれど……乃木さんと鍛錬してたんでしょ?」

 

彼女の言葉に祐樹は苦笑とともに頷いた。

そう、なぜ彼が疲れ切った顔をしていたのか……その理由は千景の言った通りで乃木若葉との鍛錬のせいであった。

千景も改めて原因が分かると「あぁ」と小さく声を漏らして祐樹ほどではないにせよ、同情するような表情(かお)をしていた。

 

「ご愁傷様」

「…僕から頼んだことだから自業自得だけど、まさかあんなにきついとは」

「──身体や精神を鍛えるのは幼少時からやっているそうよ。それに比べたら祐樹くんはここ最近にやり始めたんでしょ? それでもついていけてる祐樹くんも大概……だと私は思うわ」

「僕も小さいときからやってたけど……ああいや、でも何年か空白期間あるからそれもあるのかなぁー絶対明日筋肉痛だ」

「居合に空手に射撃──祐樹くんはオールラウンダーにでもなるつもりなのかしら? …それなら鎌の扱い方レクチャーする?」

「若葉のやつがひと段落したら教えてもらおうかな。千景と一緒なら楽しくできそうだ」

「……私だって教えるなら徹底的にやるけど? ステ上げに妥協は許さない」

「う”っ……お手柔らかにお願いします」

 

祐樹の動揺具合に千景はくすりと小さく笑みを浮かべる。

言葉そのままに受け取る感じは同じ苗字を持つ彼女を連想させるが、こちらはまた彼女とは違った反応するので千景からすればからかい甲斐のある男の子であった。

 

千景はマグカップに残ったココアを飲み干すと小さく息を吐いた。

 

「まぁ考えておくわ……ごちそうさま。さて、じゃあ早速やりましょうか」

「了解」

 

千景はサッとゲーム機を取り出して起動させる。

祐樹もゲームに関しての彼女の突飛な行動に慣れているのか、用意してある同じゲーム機を取り出すと同様に起動しはじめた。

 

お互いにこのゲームをやるのは初めてである。

いや、正しくは千景は前作をプレイしていたらしくまったくの素人ではないらしい。シリーズ物の狩猟ゲーム、その第二弾。

前々から約束して二人でやろうと決めていたのである。

 

ゲームに関しては他の追随を許さない千景に同じスタートラインに立つにはこうして『初めから』のゲームをするのが手っ取り早いと祐樹は考えた。

そしてこのゲームはソロプレイはもちろんだが、本質は協力プレイに重きを置いている。チーム内では千景ほどゲームに没頭するような人はいないようで、最終的についてきたのは祐樹ただ一人だった。

 

「こういうゲームって操作難しいのかな? あ、まずはキャラメイクか」

「…簡単に言ってしまえば、”慣れ”の一言で済むわね……祐樹くんがこの前までやっていたのはターン制のバトルだけど、今回のはリアルタイムの戦闘になるの。勇者の時の戦闘と同じで適切な状況判断と仲間……との連携も大事になってくるわ」

「なるほど。千景の戦闘時の立ち回りはこういうゲームで培われてる面もあるのか……奥が深いな」

「もう。真面目に評価されると恥ずかしいからやめて……」

 

しみじみといった感じで祐樹が千景の分析をしている中で、千景は恥ずかしくて視線を泳がしてしまう。

それでも流石というべきか着々と初期設定を済ませていくあたり筋金入りである。

 

「武器選択か──お、鎌があるね…ってことは千景はコレかな?」

「私は今回は遠距離で行かせてもらうわ。そうね……小回りの利くボウガンで行こうかしら」

「お、意外な選択」

「…ゲームだもの。現実と違って得手不得手はないから……それに祐樹君は近接武器にするつもりでしょ? 両方近接の脳筋プレイも悪くないけど、今は祐樹くんのフォローに徹するわ」

「うーん。千景がそれなら……じゃあ僕が鎌を使うよ」

 

千景が少し驚いた顔をする。

 

「…いいの? 徒手空拳もできるし、太刀もあるのよ?」

「もちろん足を引っ張らないように努力するけど、背中は千景が守ってくれるなら安心して戦える」

「…………、」

「それに千景を見てたら鎌もどんなものかなーって気になってたところだし丁度いいってのもあるよ」

「……ばか、ね。ならどんどん突っ込んでいきなさい」

「おう!」

 

口では悪態突きながらでもその表情は柔らかい。

祐樹も彼女の雰囲気が伝わっているのか悪い気もせずに答えてみせた。

 

そうしてキャラメイクも済ませてゲームが始まる。

千景のゲーム解説を交えて会話をしながらチュートリアルをトントン拍子で進めていく。

 

初心者である祐樹も千景のフォローのおかげですんなりとゲームに取り組むことができて結構楽しんでプレイしている様子だ。

 

「鎌ってカッコいいモーションするよね。千景もこのゲームみたいに動けたりするの?」

「……鎌使いとしては頷きたいところだけどどうかしらね。祐樹くんは真似しない方がいいと思うわ」

「えー僕はこういうカッコいい動きできたらいいだろうなぁって思うけど?」

「…訓練次第では出来なくないけど、素人がやったら敵をやる前に自分の首がすっ飛ぶわね………スパーンと」

「こわ……あっ、なんか敵が落とした!」

「……レアドロップね。さっきから運が良くないかしら祐樹くん? 同じ依頼(クエスト)してるのに素材に差が出てきてるんだけど」

「なんでだろうねー? お! なんかまた落ちたよ!」

「…そういえば高嶋さんも同じ感じだったわね。……似たもの同士?」

 

最後のほうは独り言のようなものだったので祐樹には聞こえていない。指先は器用に動かしながら千景は熱中し始めた彼の姿を見据える。

 

(…疲れてるはずなのに、大丈夫……かしら?)

 

確かに約束はしていたが千景は彼が帰ってきたときのことを思い出すと、悪いことをしたかなと後ろめたさを感じてしまう。

時折小さな声で「うわ」とか「あぁーやられた」などとリアクションを取りながらプレイしてるあたり本人は楽しんでいるようだが。

 

プレイを始めて早三時間。そろそろ休憩どきかもしれない。

 

「……一度、休憩しましょうか。私はともかく祐樹くんはゲーム慣れしてないから」

「おっと…もうそんな経ったのかー。じゃあ、千景は部屋に戻ってお風呂でも入ってきたら? まだまだ先は長いんだし」

「お風呂……」

 

彼女は制服姿のままこの部屋にいる。明日は学校も休みなわけだが彼女曰く夜通しプレイするつもりらしいのでだったらと祐樹は千景に提案してみた。

数舜ばかり考えるそぶりを見せていた千景は祐樹の問いかけに頷く。

 

「…それもそうね。じゃあ祐樹くんのとこのシャワー借りようかしら」

「えぇっ!? 今日は冷え込むしちゃんとお風呂に入った方がいいんじゃ? それに着替えだってないし…」

「…私はもともと長風呂はしないのよ。さっきも言ったけど祐樹くんの部屋は私好みの造りしてるのと…あと単純に部屋に戻るのが面倒だわ。着替えは……スウェットでも貸してくれればそれでいいわ」

「……じゃあ、バスタオルとか諸々用意するよ。千景の頼みなら仕方ない」

「ありがとう」

 

こたつから出て立ち上がって千景は洗面所に歩いていく。

見送る祐樹も準備するべく立ち上がって衣装ケースのあるところに向かう。

 

「……覗いたら承知しないから」

「しないしない。入ったら傍にバスタオルとか置いておくから使ってよ」

「…そう。いってきます」

「いってらっしゃい」

 

ひょいっと顔を出した千景からそんなことを言われたが手をひらひらさせて否定しておく。

少し面白くなさそうなむっとした顔をしていたようだが、流石にその弄られ方に祐樹は慣れていたようだ。

 

準備を終えてしばらく、浴室からシャワーの音がし始めたところで彼はそちらに足を運んで着替えとタオルを置いてあげていた。

 

(……正直、千景が風呂に入るのは初めてじゃないにせよやっぱり慣れないな)

 

ある意味で信頼を勝ち取れているのかもしれないが、彼女も彼女で警戒心が足りてないと祐樹は考える。

扉一枚隔てた先には千景の────。

 

「…ゲームでもして待ってるか」

 

信頼されるのは悪い気はしない。

部屋に戻って祐樹はこたつに入ると、テーブルの上にあるゲーム機を手にとって座り気味の目を画面に注視させる。

 

うつら、うつらと。

 

時間はあと一時間もすれば日付が変わる時刻。

視線を右へ左へ動かしてみれば口からは大きな欠伸がこぼれ落ちる。

 

「ごめん、千景……やっぱりお風呂上がるまで寝させ…て、くれ」

 

睡魔が一定値を超えてしまったのか、祐樹は電池の切れたおもちゃの如くテーブルに突っ伏してしまい寝息を立て始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……起きて」

「────ん?」

 

肩をゆすられ微睡の中から引き上げられる。ゆっくりと瞼を開けるとそこには彼の用意したスウェット姿の千景がいた。

ハッとその姿を見て起き上がって祐樹は時計を確認する。

 

三十分ほど寝てしまったようだ。

 

「ごめん僕寝ちゃって……」

「……私の方こそ起こしてごめんなさい。でもそのまま寝たら風邪ひいちゃうと…思ったから」

 

千景の申し訳なさそうな表情に祐樹も首を横に振って答える。

 

「全然……それより頭にタオル巻いてる千景見るの新鮮だなぁ」

 

自然と目につくのが千景の姿。

長い艶やかな黒髪がタオルに巻かれて普段見えないうなじやらが露になっている。

祐樹の言葉に千景も気恥ずかしそうに頬を赤くしていた。

 

「えっと……髪、長いからこうやってしばらく巻いてるの」

「そうだったんだ。確かに千景の髪長いから乾かすの大変そうだよね」

「……この頃高嶋さんや土井さんみたいな髪も良いと思う時があるわ。私もああしようかしら……」

「いやいや! 千景の髪はキレイだから切るなんてもったいないよっ!」

「そ、そう? ……そう、なんだ」

 

千景の手をとり思わず前のめりになってしまった。

 

「……でもちょっと邪魔くさいのは本当なのよ。高嶋さんとかにも美容室に行こうって提案されるけど……まだ少し怖くて」

「──あぁ、なるほど」

 

暗い顔になる千景を見て祐樹はある程度察しがついた。

祐樹と出会う前の過去の千景が受けた”傷”。最初は友奈から聞いて、千景と仲良くなってからは彼女の口から直接聞かされたものがある。

今でも思い出すたびに彼女の悲痛な、達観、諦めにも似た表情は忘れられない。そして千景にそのような顔をさせてきた環境も祐樹は許せないでいた。

 

けれど、いくら祐樹の心の内がその者たちを糾弾しても彼女の過去は変わることはない。

だから────というわけではないが、彼女の傍に居てあげようという気持ちが沸き上がるのも必然だった。

 

「……なら、千景が安心できる人にやってもらうのはどうかな?」

「どういう、こと?」

 

首をかしげて疑問を浮かべている千景に対して、祐樹はクローゼットからあるものを取りだして彼女に見せてあげた。

 

「実は奉仕活動を色々しているうちに教えてもらう機会があってさ、何度か実技も含めてやったことがあるんだ。散髪(ヘアカット)

 

刃先は彼女に見せずに変わりに持ち手部分を見せる。

その時にもらった道具たちを。

 

「……活動をしていることは聞いていたけれど、ほんとにいろんなことに手を出してるのね」

「手伝いや誰かの助けになることを通して喜んでくれるのが嬉しくてさ。自分に対してもいい経験になると思ってやってきてたけど……こうして千景の助けになれるのならやってきた甲斐があったってもんだ。どうかな?」

 

千景はハサミと祐樹を交互に見てしばらく考えていると、やがて小さく頷いてくれた。

「良かった」と彼も優しく笑ってから準備を早速始めていく。

 

「鏡は洗面所のやつを使うか……椅子は確かこっちに折り畳みのが──」

「…なんか、ごめんなさい。疲れてるのに」

「謝ることなんてない。千景の困ってるときの助けになれて嬉しいし、これからもどんどん頼ってよ」

「……うん」

「さっ、ここに座って」

 

床に新聞紙を引いてその上に椅子をセッティングした簡単な散髪台。

祐樹に案内されて千景はおずおずと座って腰を落ち着かせた。

 

その背後に祐樹は配置につくと彼女の巻いていたタオルを取り、髪を手櫛で梳いていく。

 

「…ちょっと緊張するわね」

「はは。僕も初めて髪を切りに行ったときは緊張したなぁ……それよりお客さん、本当に良い髪質してるね~」

「……ふふっ。店員のつもりなのかしら?」

「雰囲気だけでもねー。して、お客さん本日はどのように?」

 

二人は鏡を通して視線を交わし会話をする。

 

「店員さんにお任せするわ」

 

ただ一言千景はそう言った。

 

「──僕的に今の状態の髪が好きだから、形はそのままで量を減らそうか。後は襟足のあたりを少しカットして……」

 

チャキチャキとハサミを鳴らして祐樹は千景の髪を切り始める。

千景は目を伏せて彼に身を委ねた状態でいる。

 

「どう? 大丈夫?」

「ええ。思ってたより怖くは……ないわね」

「おっけー。ちゃちゃっと済ませちゃうよ」

 

逐一千景の様子を確認しながら祐樹は手早く進めていく。想定していたより彼女は落ち着いているようで祐樹は安心した。

時折髪を梳く過程で頭を撫でてあげると目を細めて気持ちよさそうにしている。

 

「────よし、こんなもんかな。どうかな千景?」

「ほんとに器用なのね。手早いし……祐樹くんは将来は美容師にでもなるの?」

「素人の真似事だし、今はそのつもりはないかな。でも、やって欲しかったらいつでも言ってよ」

「……優しいのねあなたは…本当に。──ねぇ、祐樹くん。もう一つ、私のお願い……聞いてくれる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋の照明は消されて、差し込む月明かりが部屋の中をうすく照らしている。

静寂が占めるこの場に祐樹と千景は二人向かい合うようにベットの上で寝転がっていた。

 

千景がお願いしてきたこと。それを聞いた祐樹は驚きはしたが、断ることはなかった。

ただなんとなく気恥ずかしさが勝り、どう話しかけたらいいのか分からずにはいた。

それは彼女も同じようで、二人して無言のまましばらくいると不意に千景から口を開いた。

 

「……ありがとう。私のわがままを聞いてくれて」

 

小声で話してくる千景もこうして提案してみたが実際は恥ずかしくて火が吹きそうなほどだった。

祐樹には悟られまいとしているがどうしても顔が熱くなってしまう。

 

どうにも彼の前だと自分が自分じゃない感覚に千景は困惑してしまうが、けれどもそれが嫌とはならなかった。

祐樹も彼女の言葉を聞いて緊張の糸がいくらか解れていく。

 

「ゲームはしなくていいの?」

「……また、今度一緒にしましょう。今は、その……えっと」

「うん。ねえ千景……違っていたら謝るし突き放してくれて構わないから────」

「………っ!? ゆうき、くん?」

 

手を伸ばして祐樹は千景を自分のもとに引き寄せた。

びくりと肩を跳ねさせる千景は突然のことに思考がまとまらない。

 

────抱きしめられている。

 

祐樹のぬくもりが千景を優しく包んだ。

囁くように祐樹は彼女の耳元で話しかける。

 

「ごめん突然。でもこうしてあげたいと思ったから……ダメかな?」

「…ダメじゃ、ないわ。恥ずかしいけれど……うん。私もこうして欲しかったのかもしれない」

「そっか。なら良かった」

 

そう言って祐樹は少し強めに抱きしめると、千景はそれを拒んだりはしなかった。

むしろ自分から求めるように祐樹の体に手を回して抱擁する。

 

────誰かのぬくもりに安心するなんて久しぶりのような気がした。

 

今まで排斥して自分の殻の中に籠ってきた以前の自分が見たら鼻で笑うだろうか、と祐樹の胸の中で自虐気味に千景は考える。

でもそういう暗い気持ちも、彼の匂い、ぬくもりに包まれているとスッと溶けて消えていくのが理解できた。

 

────今なら。二人しかしないこの空間でなら……私は自分のキモチに素直になれるかもしれない。

 

「…祐樹くん。もう一つお願いしてもいいかしら? ──頭を、撫でて欲しいの。いっぱい、して欲しい」

「…うん、お安い御用だよ千景。よしよし」

 

二つ返事で了承すると祐樹はゆっくりと千景の頭部に触れた。

優しく、壊れないようにその手を動かしていく。

 

心地の良い時間。瞼を閉じて息を大きく吸い吐いてみると彼の匂いがした。

なぜだかそれだけで嬉しく感じてしまう。

 

「全部どこをとっても祐樹くんがいるわね。くすっ……ふふ」

「嬉しそうな千景が見れて僕は幸せ者だな」

「……私も────うん、これが”幸せ”なのね」

 

小さく笑いあう。千景にとってそれはとても自然に笑えた気がした。

 

 

 

 

 

 




「ぐんちゃんおはよー……あっ!」
「高嶋さん、おはよう。どうか、した?」

隣に座った友奈は千景の姿を見るなりご機嫌になっていた。

「えへへー。とても似合ってるよ」
「……すぐに分かるのね高嶋さんは」
「もちろんだよー! お話色々聞かせて欲しいなぁ」
「聞いていて面白い話か分からないけど……うん。それじゃあ──」

ぽつぽつと千景は話し始める。
そんな姿は晴れやかで、ありのままの彼女の姿を見た気がした友奈はニコニコと彼女の話に耳を傾けていた────。



SSR『思うはあなた一人』にて。




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story2『チカにゃん』

ケモ耳をつけた女の子……いいよね(遠い目


事の発端は祐樹が訓練から帰宅して寮へと戻ってきた時のことだ。

 

「あぁ、疲れたー」

 

 

今日も今日とて疲労困憊の様子の彼がドアを開けると既に明かりがついていた。

もはや自分の部屋に誰かいるのは当たり前のような出来事になっているため特に驚くことはない。

この前なんて土居球子が居たときなんかは、『これから買い物に行くから付き合えゆーき!』なんて駆り出されたばかりなのだ。

 

「……おかえり」

 

部屋の真ん中に設置されているテーブルと座椅子に一人の少女が我が物顔で座っている。

名を郡千景。同じ勇者のチームメンバーであり、また祐樹とは密にゲーム仲間としての関係を有していた。

 

「……千景か」

「なによ? 私が居てはダメなのかしら」

「そんなこたぁないよ。ただいま」

「……うん」

 

視線と声だけこちらに向けて会話をする千景を一見して祐樹は彼女の対面に座った。

目の前の千景は特に表情を変化させずに手元にあるゲーム機を操作し続けている。相変わらずの集中力だ。

 

「今日は一緒にゲームする約束してたっけ?」

「いいえ。特には……ただ単に居心地がいいから来てるだけよ」

「……さいですか」

 

会話も途切れ途切れに祐樹もテーブルの上にあったゲーム機を手に取り起動させる。

これも千景が居た場合の”流れ”というものだ。祐樹も操作の慣れてきたソレを手早く入力していくと、任務(クエスト)待機画面に移っていた。

ちらり、と視線を彼女に向けてみるが特に反応はない。祐樹は視線を落として今度はその画面をぼーっと眺め始める。

 

しばらくの間が経つ。するとピコン! とゲームのアイコンが反応を示した。

 

《Cシャドウが参加しました》

 

このゲームは複数人で遊ぶことができる。だが、それは前提として同じタイトルのゲームを所持していないと成立しない。

これらが意味するのはただ一つなので言及することはしない。これもいつものことなのだ。

 

待たせないようにテキパキと準備を済ませて『準備完了』させるとすぐに”Cシャドウ”も準備完了させた。

そして始まる。

 

「……今日も乃木さんと訓練してたの?」

「うん。でも結構食らいついて行けてる気がするよ。少しは成長してるのかな僕も」

「自分で評価してるのはどうかと思うけど……まあ、祐樹くんがすごく頑張ってるのは私は知ってるから。エリア五にいるわよ」

「おっけー……ありがとう千景。マーキングは僕がする」

「うん」

 

ゲーム画面越しに二人は会話をする。これもいつもの光景だ。

なにも知らない人からすれば二人の姿は稀有なものと捉えられるだろうが、そこには気まずさはなく落ち着いた空気に満ちていた。

 

カチャカチャとボタンを押す音とゲーム音が部屋に流れる。

少ししたら同じエリアに”Cシャドウ”が合流して二人で敵と戦い始めた。

 

時に祐樹が攻め、時に相方が攻めて、隙あらば二人で一気に詰める。

阿吽の呼吸の如く敵を蹂躙していく。

 

「……こっちもうまくなったわね祐樹くん。回復ありがと」

「いつまでも──ほっ! 千景に負担かけてられないからねー! どういたしまして」

 

それからあっという間に敵を倒して任務を完了させる。

相変わらずの腕前に祐樹ももっと精進せねば、と内心意気込んで異なる任務を選択していく。

 

「……そういえば」

 

ぽつりと千景が一つ言葉を漏らすと、祐樹は彼女の方に意識を傾ける。

 

「ん?」

「忘れていたわ…私が部屋に来た時に配達物が届いていたわよ。玄関前に置いておくのもなんだし、部屋に持ってきてしまったけど」

「届け物? なんだろ……何かを頼んだ覚えはないんだけど……ちょっと見てもいい?」

「ええ。ちょうど祐樹くんの後ろの方に置いて──そう、ソレ」

 

千景に指示されて祐樹は一つの段ボールを手に取った。

サイズとしては中間の物で、無地の段ボールからは中身を示唆するものは見当たらなかった。

 

それが更に疑問を生むことになる。

 

「んー? 中身は軽いし……ほんとになんだろ?」

「さぁ? 開けてみればいいんじゃないかしら。祐樹くんの部屋にあったんだからその権利はあるはずよ」

「それもそうか。じゃあ開けるよ」

 

一瞬、危険物も視野に入れたがそれはこの環境が許さないだろうとすぐに候補から外す。

封を開けて中身を検めると更に白い布に包まれている物が姿を現した。

 

祐樹と千景は首をかしげてソレを眺める。

 

「……何これ?」

「うーん。小物のようだけど……包みを開けるよー……っ!?」

「そ、それは……!?」

 

二人して驚愕の色に染まった。

特に反応の色が強かったのは千景であった。祐樹もそれなりのリアクションを取っていたが、果たしてその物の正体は────。

 

「ね……ネコミミ、だと……っ!?」

 

震える手で祐樹はカチューシャ型の猫耳を手に取ってみる。

色は黒く、それは所謂『黒猫』を模したコスプレグッズであった。

 

「なんで僕の部屋に猫耳(こんなもの)が届くんだ……」

「まさか…祐樹くんにそんな趣味があったなんて……ああいえ、このことはみんなには黙っておくわ……うん」

「そんな優しさは逆に辛いよ!? それにつけるなら僕より千景の方が似合うって!」

「わ、私? ……はっ。祐樹くんはこうやって誰かに着けさせる魂胆で……?」

「それも違うと断言させてくれ!」

 

一体全体どうなっているんだ、と祐樹の頭は混乱していた。

まあ千景自身も祐樹がこんなものを用意するなんて思ってもいない。その場のノリに乗っかってみただけである。

 

「……でもまあ千景が着けている所を見てみたい気もする。ほい」

「えっ?? ちょ──」

 

呆気にとられているうちに祐樹のいたずら心が身体を先に動かす。

千景も反応できずにその頭に猫耳カチューシャが装着されてしまった。

 

「おー……千景似合う。可愛い!」

 

次いで祐樹の発言にハッと千景は我に返る。

続くようにその顔は真っ赤に染まりわなわなと肩を震わせて祐樹の胸をポカポカと叩き始めた。

 

「な、に、するのよ!」

「い、痛い!? ご、ごめんつい──でも本当に似合ってるよ。千景の黒髪とマッチしてるし」

「──っ!! あなたはそうやって……!! もう知らない! 取るわ」

「えーもったないな……あ、はいごめんなさい」

 

そろそろグーが飛んできそうな勢いだったので祐樹は押し黙った。

千景もそんな彼の姿を見ていくらか冷静さを取り戻したので、改めて頭の猫耳を取ろうと手にする────。

 

「……あれ?」

 

そこで彼女は違和感を覚えた。同時に嫌な予感も含めて。

 

「どうしたの千景? 取らないの??」

「え? う、そでしょ? ……取れないわ!?」

 

引っ張ってみるがびくともしない。それどころか妙な感覚が先端に現れていた。

途端に冷や汗がでてくる。祐樹もそんな彼女の様子を見て徐々に焦りが見え始めた。

 

「まさかイタズラ?? 接着剤がついてたとか!? ……ごめんちょっとよく見せて千景」

「あ、ちょ……待って! ひゃん!!?」

 

祐樹が猫耳に触れた途端に、千景は全身に電流が走った。

ビクッと体を震わせてその場にへたり込むその姿を見て、祐樹は更に顔を青くした。

 

「ご、ごめっ!? 大丈夫か千景! やっぱり誰かの嫌がらせか……よく見せてくれ!」

「んんー!? そ、そんなに乱暴にさわら──きゃふ?!」

「え……この反応。まさか千景────」

 

ふにふにと祐樹が触れている猫耳。最初に触っていた時に比べて妙な生暖かさを感じ取った辺りでまさか、と驚愕する。

千景は本来の耳を真っ赤に染めて息を切らしていた。

 

「な、なんか感覚が伝わって……まるで身体の一部になってるかのようだわ」

「…そんなことがありえるのか?」

「私も信じられないわよ! 一体何なのよこの猫耳……」

 

うっすらと涙目になりながら千景が上を向くと、今度はその猫耳が上下にぴょこぴょこと動き始めた。

思わずその光景を目の当たりにした祐樹は吹き出してしまう。

 

(や、やばい!? なんだこの可愛さ……っ! まずい、殺される……)

 

もはや尻尾がないのが悔やまれるがそれでもこの破壊力は凄まじかった。

この時ほど彼女────上里ひなたのようにカメラを常備していれば、と思わずにはいられなかった。

 

「……ど、どうすれば? 祐樹くん」

「──っ!?」

 

上目遣いで助けを乞う姿に祐樹の顔は赤くなってしまう。

反則的な可愛さを兼ね備えてしまった猫千景に翻弄されていると、不意に玄関先からドンドンとドアを叩く音が響いた。

 

ビクン、と二人して肩を跳ねさせて視線はドアの方に向かう。

 

『…おーい! ゆーき! タマだぞーいるかー?』

「なんてタイミングで球子のやつ!? …って、ドアに鍵かけてなかった!?」

「え、え、え……どうするの祐樹く──」

「ああえと……とりあえずこのパーカー着てくれ!! そしてフード被って」

 

身近に隠すものがなく慌てた二人はとりあえず祐樹の着ていたパーカーを千景に着させることにした。

千景は両手で目深にフードかぶると同時にドアが開け放たれた。

 

「ゆーきー! 入るぞー?」

「タマっち先輩! 勝手に入るのはマズいよ」

「はっはー! 気にするな杏! タマとゆーきの仲なら構わないのだ!」

 

がやがやと気配が近づいてくる。この時ほどオープン状態の部屋を恨んだことはなかった祐樹であった。

 

「……お、なんだいるじゃないかゆーき! 返事しろよな~」

「あ、あぁすまん。杏も」

「こんばんわです祐樹先輩! 勝手に上がってしまってすみません……あれ? 千景先輩も一緒だったんですね?」

「え、えぇ……さっきぶりね伊予島さん」

「なんだ千景も居たのか! ……ってどうしたんだそのカッコ?」

 

早速球子が千景の様子に疑問を持ってきてしまった。驚いた千景はだらだらと額に汗を垂らしながら視線を泳がせていた。

祐樹は思った。ここでフォローしないとまずいと。

 

「それってゆーきの服だよな? なんで千景が着てるんだ?? 部屋のなかでフードも被って──」

「ああー!!? ちょ、ちょっと飲み物を零しちゃったんだよ!! それで替えに着てもらってるわけだぞ球子!?」

「うお! 急にどしたゆーき。顔が怖いぞ!?」

 

ガシッと球子の両肩を掴んで千景との間に割り込む。

ずいっと彼女の視界を塞ぐようにいくと、球子も少し大人しくなっていく。

 

「きゅ、急になんだよぉ…」

「球子、(千景のことは深く踏み込まないで良いから)僕だけを見てくれっ!」

「ふぇ!? あ、あ……」

 

口をぱくぱく開閉しながら球子は沸騰したかのように赤く染まる。

祐樹は「あれ?」と彼女の様子の変化に首をかしげるが、あまり今の千景を探られるのは芳しくないので続ける。

 

「ゆ、ゆーき? み、みんなが居る前でそんなこと言われても……タマは困る、ぞ」

「球子……」

「……っ。ゆーきぃ」

 

両者ドキドキと脈打つなれどその理由はそれぞれ異なるのが、それがなんとも言えない状況を生み出していた。

だがそんな二人の一連の行動を外野の二人が黙っていなかった。

 

ガシッと球子の肩を掴まれる。そして同様に祐樹も背後から肩を掴まれた。

二人して強制的に振り向かされる。

 

「タマっちせんぱい?」

「……祐樹くん?」

 

そこに居たのは黒いオーラを放つ千景と杏が……。

強引に現実に引き戻された二人は「ひっ!?」と小さく悲鳴を上げてしまっていた。

 

「私たちは夕食のお誘いに来たんですよねタマっち先輩?? でも、この状況はなんなのか……説明してくれる?」

「あ、杏……ど、どうして怒ってるんだ? タマは、なにも……してないぞ?」

「怒ってないよ? ただ、説明が欲しいだけなの」

「ひぃ!」

「祐樹くん……もしかして本当は土居さんにしてほしかったんじゃないの?」

「ち、千景。待って、僕はキミを守ろうと────」

「……伊予島さんの言う通りよ。きちんと説明してちょうだい」

「ひぃぃ!?」

 

二人の圧に押されていくと祐樹と球子は背中合わせになってしまう。

まるで敵地の中心に放り出されてしまった戦士の如く、二人はただただ縮こまることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

スタスタと廊下を歩く者と涙目のままトボトボと歩く者と両者様々の反応を見せながら四人は食堂に向かっていく。

杏子に弁解をしつつ歩く球子を祐樹と千景が後ろから眺める構図である。

 

「ち、千景……悪かった。機嫌を治してくれ」

「別に…ちょっとムッとしただけ。それよりコレ、どうしようかしら?」

 

千景は今はフードではなく、帽子を被っている状態である。

これも祐樹の手持ちのものを使用しているわけだが、室内というのもあって少しばかり違和感があった。

その中身は相変わらず猫耳が装着されたままで、おまけに感覚まで付与されているときた。

このグッズを送りつけた主の目的が見えない。

 

「…今は対策のしようがないからどうにか誤魔化していくしかないよ。みんなに相談する?」

「それは嫌。土居さん含めてどう弄られるのか…それに、恥ずかしいの」

「……ところで、帽子を被ったわけだけど僕の服はもう着る必要はない気がするんだけど?」

「それも嫌。ちょっと精神的に平穏を保っていたいからしばらく貸してて」

「あ、ハイ」

 

ジロリ、と目を細めて訴えかけてくる千景に祐樹も肯定するしかない。

 

(…でもだからって何も匂いを嗅がないでも。く、臭くないよな?)

 

千景は果たして気がついているのか不明だが、真剣な表情をしている中で祐樹のパーカーの袖口に鼻を押しつけている。

なんか段々と行動が動物的になっているようだが、これは伝えた方が良いのか否か祐樹には判断がつかなくなってきた。

 

「んー……ふにゃ」

「ちょ!? 千景蕩けてる、蕩けてるってば!」

「…にゃによー」

 

小声で千景に語り掛けるが、聴こえていないようで匂いを嗅ぐ動作を止める気配がない。

 

(てか、猫化進んでない?)

 

おまけに帽子の中の猫耳も動いてしまっているためか、モゾモゾと微動してしまっている。

非常にまずい。

 

「そういえば先輩は……って千景さんどうされましたか?」

「い、いやー? なんでもないよ杏。はは、あはは」

「むぐぐ……!?」

 

杏が急に振り向いてきたため、祐樹は慌てて千景を背後に隠した。

ぶつかる形で千景は祐樹の背中に顔を埋めてしまい、じたばたと暴れ始めてしまう。

さすがの行動に杏と球子も歩みを止めてこちらに意識を向けてきてしまった。

 

「んんー? なぁんか今日の千景はヘンだな? ゆーき、ほんとに大丈夫なのか?」

「そうですよね。何かお力になれることがあれば────」

「ぐぐ……っ!」

 

いよいよ疑惑の目を向けられてしまうこの状況に祐樹は耐えられなかった。

焦った彼は千景を脇に抱えて勢い良く踵を返した。

 

「さ、誘ってくれたところ悪いんだけど、千景の気分が優れないみたいなんだ!? だ、だから今日はごめんね二人ともー!」

「あ! おいゆーき!」

「……行っちゃいましたね」

 

バタバタと走り去っていく二人を杏と球子は呆然と見送るしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、ここまでくれば大丈夫だろ……」

「んん!! にゃー!!」

「あ、ごめん千景」

 

ふしゃーと暴れ始めた千景を開放してあげると廊下の隅まで逃げるように離れていった。

まるで警戒心むき出しの猫のようだった。

 

(か、可愛いけど千景のキャラが……意識はあるのか?)

 

普段の彼女だったら火を噴いてしまうほどの行動を取ってしまっているのが心配である。

元に戻ったら数日間引きこもりそうな勢いだ。

 

「お、おーい千景。祐樹だぞ、わかるか?」

「……ふー」

「そうだそうだ。僕だぞ千景……よしよし、怖くないからこっちにおいで」

「──にゃ!」

 

目線を同じにしてあやすように優しく語り掛けてあげると千景は祐樹に飛びかかってきた。

行動は猫のそれになっているが、身体は人間のままなのでその勢いはダイレクトにきてしまう。

 

抱き着くように千景を受け止めると、喉を鳴らしながら祐樹の胸に顔をぐりぐり押し付けてくる。

祐樹は顔を真っ赤に染めながら、いろいろ伝わってくる女の子の部分に翻弄されてしまう。

 

「うえ!? ちょ、ちょっと流石にそれは──顔、近っ!」

「にゃお♪」

 

熱っぽい視線を感じたと思ったら今度は祐樹の顔元まで急接近してきた。

 

「ち、千景! しょ、正気に戻ってくれ!」

「……にゃー」

「ああダメだよ。こんな形でなんて……」

 

目を閉じてお互いの唇が重なろうと────する前にふっと身体に掛かっていた重さが消えていった。

そっと目を開けて恐る恐る見てみると、千景は祐樹の背後に居座ると何やらごそごそとしている様子。

 

「な、なにが──っ!」

「…ちょっとばかり効き目が強すぎたみたいですね。大丈夫ですか祐樹さん?」

「へっ? ひなた??」

 

千景を挟んで話しかけてきたのはなんと上里ひなただった。

申し訳なさそうに頬に手を添えて謝罪している所を見て、祐樹はまさかと察してしまった。

 

「……色々言いたいことがあるんだけど。まずその手に持っている物は??」

「これは”猫じゃらし”です♪ にゃんこちゃんはみんなこれに弱いんですよね~フリフリ」

「にゃ! にゃあ!!」

「ふふっ可愛いですねぇ♪」

 

帽子もとれて露になった猫耳をぴょこぴょこ動かしながら千景は目の前を動くそのおもちゃに意識が釘付けになっていた。

 

「いやぁーまさか試作品の性能がここまでとは……それとも、ふふ」

「ひ、一人で納得してないで説明してくれひなた! 千景は大丈夫なのか?」

「ああごめんなさい祐樹さん。ええ、ちょっと正気は失っちゃってますけど問題ないです。安心してください」

「……はぁ、良かった」

 

ひなたの言葉に祐樹は力が抜ける。

 

「……って、ちょっと待ってひなた。”試作品”てまさか……」

「──てへ♪」

「さ、最近若葉との訓練の時に顔を出さないと思ってたらこんなもの作ってたのキミ!?」

「…だって若葉ちゃんの猫耳姿がどうしても見たかったんです! 大社と巫女の力をちょちょいっと拝借しまして開発しちゃいました♪」

「…………、」

 

唖然。

祐樹はひなたの言葉に唖然を通り越して戦慄も覚えた。

 

「──よし、このことは若葉に報告するとしよう」

「そ、それは困ります祐樹さん。若葉ちゃんの新鮮な反応が見られなくなっちゃうじゃないですか~」

「困るとこそこなの!?」

「それに祐樹さんからしてもこれは嬉しいことなんですよ?」

「ど、どういうこと?」

 

ニコニコと説明している間でも猫じゃらしを動かす手をやめないひなた。そしてその猫じゃらしに遊ばれる千景がとても愛らしかった。まる。

 

「もともとこの猫耳をつくる切欠は”装着者から向けられる愛情度”を図ることが目的だったんですよ」

「…えと、つまり?」

「猫ちゃんという生き物は愛情表現が豊かな生き物なんです。この習性を人間に当てはめて普段表に出さない感情を、この猫耳を装着することによって可能にさせる……」

「つまりは若葉がひなたに向ける愛情度が知りたかった……と、いうことか」

「そういうことです♪ 若葉ちゃんは恥ずかしがって教えてくれませんからねー」

「……キミって本当に若葉のことになると馬鹿になるね」

「むーその言い方はひどいです!」

 

ぷくぅっと頬を膨らませて抗議してくる。

 

「でもなんでそれを千景に?」

「…勇者たちの中では千景さんが一番性質が近いんですよ♪ いわゆるツンツンデレデレな方を探してみたら、というわけです。祐樹さんのお部屋に置いておけば、入り浸っている千景さんもそこまで警戒せずに手に取ってくれると踏んでやらせてもらいました」

「む、無駄な努力を……」

「無駄じゃないですよ。人類の大きな一歩です!」

 

いやいやいや、と祐樹はこればっかりは否定する。そして千景は相変わらずされるがままだった。

 

「……治す方法はもちろんあるよな?」

「ええ、ここに来たのもそれが目的なんです。少しお耳を貸していただけますか?」

 

ひなたに手招きされて祐樹は恐る恐る彼女のもとにいき、話を聞き始める。

ひなたが話し始めると、意味を理解した後に祐樹は顔を真っ赤に染めて口をパクパクと開閉し始めた。

 

「…え、ほんとにそれが?」

「はい! いわば”呪い”や”呪術”の系統をアレンジして流用しているので、特定のアクションを踏めば簡単に解呪できてしまうんです」

「出てくる単語が恐ろしいな!? いやでもほら……それは千景の意志がというか」

「もう祐樹さん、意思も何も答えは千景さん自身が示してくれるじゃないですか~♪ 隅で見ていましたが、ここまで反応してくれるなんて……正直妬けてしまいますね! お二人の写真もこのカメラに収めさせていただきました♪」

「最初から見てたんかい!? …あ、写真は後でください」

「素直な人は好きですよ祐樹さん♪」

 

うふふ、と頬に手を当ててひなたは微笑んだ。

 

「──でもごめん。解呪の方法がソレなら、いくらひなたの前でもできないぞ」

「それは承知してますとも。ですから後は祐樹さんにお任せします────あ、猫耳は祐樹さんと千景さんにプレゼントしますね♪」

「…じゃあ僕たちは部屋に戻るよ。いくよ千景、おいで」

「…! にゃ!」

「皆さんには私がうまく誤魔化しておきますので。お騒がせしてすみません」

「ほんとだよ……」

 

じゃあ、と言って祐樹は千景の手を引いて部屋に戻っていく。

そんな二人の姿を見てひなたは笑みを浮かべながら見送った────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひなたに見送られながら祐樹と千景は再び部屋に帰ってきた。

ドアを閉めて、普段はかけておかない鍵をかける。今度こそ誰からの妨害がないように。

 

千景はひなたに遊んでもらえたのかご機嫌な様子だ。

けれど祐樹の心は──心臓はうるさく脈打っていた。

 

「にゃあ、にゃう……」

「よしよし千景。こっちにおいで」

「にゃ~♪」

 

もはや完全に猫化が進んでしまって人語を話すことが無くなった千景。

平時のクールな態度ももはや微塵も感じられない状態だ。

 

ひなたの先ほどの言葉を思い出して祐樹は再び耳を赤くする。

 

「…千景。よしよし」

「ん~♪ にゃおぉ」

 

手を差し出せばすり寄ってくる。そんな彼女を愛おしく感じ祐樹は頭を優しく撫でていく。

その視線は千景の────を見ていた。

 

「なあ千景……僕のこと、好きか?」

「にゃ!」

「はは……それじゃ分からないよ」

 

撫でる手は止めず、言葉はそれ以上は出てこなかった。

どきどきと他人事のように感じる心臓音ばかりが彼を徐々に追い詰めていった。

 

数舜目を伏せて考える祐樹。すると意を決したのか赤くなって茹だった顔を見上げて猫千景に向き合う。

 

「千景。こんな形になっちゃったけど……この気持ちは本当のものだから。受け取って欲しい」

「にゃー? ……にゅ!? んむ」

 

ビクンと身体を跳ねさせた千景は次の瞬間にはその潤った唇が塞がれた。

他でもない祐樹自身によって。

 

「ん……」

「んん! ……んぅ」

 

重ねるだけの口づけ。祐樹の思考は沸騰しすぎて破裂しそうなほどだった。

対して無言のまま千景は微動だにしなくなる。

 

両極の反応を示す二人は、静寂の中でその行為を続けていく。

 

(……これで、いいんだよね本当に)

 

時間も少し経てばいくらか冷静さを取り戻していき、ひなたから聞かされた話を思い出す。

 

 

────これは童話にある眠れる森の姫と同様のもの。駆け付けた王子様の愛ある口づけで姫は正気を取り戻します。

 

 

彼女の言った”呪い”をアレンジしたこの猫耳の解呪方法。

身も蓋もない言い方をすれば、『キスすれば万事解決』ということだ。

流石にキスしているところなんぞ誰にもみせるわけにもいかないので、祐樹は苦肉の策で自室で行為に及んだわけだが。

 

(でも一体いつまでしてればいい??)

 

問題が解呪できたかどうか分からないことだった。

千景は相変わらず無言のまま動かないし、そろそろ離れてもいい気がしてきた祐樹は唇から離れようとする。

その瞬間に胸にどん、と衝撃が走った。

 

「……うわ!?」

「…………、」

 

急な一手に祐樹は尻もちをつく形で倒れこんだ。

驚いてそちらを見てみれば、手を前に出し俯いたままの千景が目に入った。

頭に付いていた猫耳は外れて落ち、心なしかその肩が震えている。

 

「ち、千景? 大丈夫、か?」

「……帰る」

「え? ちょ────!?」

 

猫語ではなく人語で会話したところを見るに元に戻ってくれたようだが、今度はそのまま立ち上がって部屋を出て行ってしまった。

祐樹は取り付く島もなく彼女の背中をみることしかできなかった。

 

「……あの様子だと正気に戻ってくれたかな?」

 

ホッと一安心すると共に、祐樹は先ほどの感触を思い出すように手で触れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ばたん、と部屋のドアを勢いよく閉めてその身体を扉に預けた。

ここは千景の部屋。祐樹の部屋から勢いよく飛び出した彼女は足早にこの場に戻ってきたのだ。

電気も点けずにその場にずるずると座り込む千景の顔は────その頬は赤く染まっていた。

 

「……ぅぅ。私、は…なんてことを…っ!」

 

小さく後悔の念と共に言葉を吐き出し、先ほどまでの時間を思い出していた(、、、、、、、)

 

「………ゆうき、くん」

 

恥ずかしくて死にそうなほど羞恥に染まっているが、震える指先で千景は自分の唇に触れる。

 

「──っ!! ────っ!!?」

 

言葉にならない声でばたばたと足を叩く。

してしまった、と。そしてそれが千景にとってとても嬉しいことだったと自覚するのはすぐだった。

 

がばっと立ち上がって暗がりの中で寝室にで向かってその身をベットに投げ入れる。

反発で身体が跳ね上がるが気にせずに枕に顔を埋めて首を横に振った。

 

────千景。こんな形になっちゃったけど……この気持ちは本当のものだから。受け取って欲しい。

 

最後の言葉が何度も頭の中で反響して、その度に千景の口角はだらしなく緩んでしまう。

 

(これってそういうこと、よね? ……どうしよう。明日からどの顔して会えば……)

 

嬉しい気持ちとは裏腹に、この気持ちとどう接していけばいいのか分からない千景だった。

 

「うぅ……」

 

自分のやっていた行動に対しても、ひなたに一杯食わされた感のもやもやも拭えない。

そんな滅茶苦茶な心理状況の中であるが、自然と千景の心は晴れやかになっているのだから尚質の悪いことだった。

 

怒りたいのに怒れない。だってそれ以上に幸福に満たされているのだから────。

 

 

「……ばか」

 

誰にも聞こえない一室で、その一言が虚空へと消えていった。

 

 

 




おまけ


「では、約束の品をどうぞ祐樹さん」

茶封筒を渡され、祐樹は苦笑と共に受け取る。

「まるで悪魔の取引みたいだな…はぁ、人間の欲は深い」
「どちらも損をしない公平な取引じゃないですか。また何かあればよろしくお願いしますね♪」
「うへ……」

屈託のない笑みを浮かべるひなたとそんな会話をしていると彼女の背後から二人組がやってくる。
乃木若葉と今回の被害者となっていた郡千景だ。

「おはよう二人とも。朝から二人でいるなんて珍しいじゃないか」
「若葉ちゃんっ! おはようございます」
「おはよう若葉……キミも千景と二人なんて珍しいんじゃない?」
「それなんだが……」

どうにも複雑な表情を浮かべる若葉に祐樹とひなたは首をかしげる。
若葉の背後にはなぜか千景が隠れていたのだ。

「千景?」
「どうされたんでしょうか?」
「それはこっちが訊きたい。今朝すれ違ったらずっとこの調子なんだ」
「…………、」

ジーっと祐樹を睨む千景。その頬は赤くなっているため、事件の真相を知る二人ならばすぐに当たりをつけた。

祐樹は頬を赤らめ、ひなたはニヤニヤと口角を上げて反応する中で、若葉は更に疑問符を浮かべるだけだった。

「その様子だと何か知っているようだな? 話してもらおうか」

若葉が懐疑の目でこちらを睨むと、不意に彼女の頭上にあるものが乗せられた。
その光景を見た二人は驚きを露にする。

「なっ!? 千景、何を乗せたんだ? …取れないぞ!!?」
「……癪だけど、これで貸し借りはなしよ上里さん。いきましょ祐樹くん」
「え、えっ!? あれってまさか──」
「グッジョブです♪ 千景さん!」

祐樹は部屋にあったはずのソレに驚きながら千景に手を引かれて歩いていく。

「い、いいのか千景?」
「…良くも悪くも全部当人たちの責任よ。それに……私一人だけ恥ずかしい思いしてるのはなんか気にくわないの」
「そ、そうなんだ」

自然に繋がれた手にドギマギしながら二人は無言で歩く。

「……これからもよろしく祐樹くん」
「──っ! うん、こちらこそ千景」

ぎゅっと握り返すと同じように返してくれた。


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story3『小さき騒動』

深夜思いつきテンションからの書き上げ。

彼女のイメージは某干妹orぷにっと空間の彼女を想像していただければ。


それはいつものように自室で眠りについていたときのことだった。

 

「……んんー」

 

日付を跨いで深夜の時間帯。何やら気配を察知して祐樹は微睡の中で薄く瞼を上げる。

電灯は消され闇夜の中でもぞもぞと蠢く影が一つを視界に捉える。小さな影。布団の上にいるであろうその影の自重はとても軽くまるで小動物のような軽やかさを抱かせた。

次第にその影はこちらに近づいてくると、いよいよ意識も覚醒してきて何かに接近されていることを自覚していく。

 

「な、なになに……!!?」

 

ガバッと布団を剥いでその影もろとも距離を離した。思いのほか勢いよく飛ばされた影は壁にぽすん、とふんわりとぶつかった。

 

「ふぎゅ!?」

「へ!? 今の声って」

 

柔らかいボールのように小さくバウンドしながら床に倒れるのはシルエットからして人のようだ。

そして聞き覚えのある声に驚きながらも電気を点けてその正体を探ってみることにした。そこにいたのは────。

 

「い、痛い……ずいぶんと荒い歓迎ね…………祐樹くん」

「────ち、かげ? キミ、千景なの?!」

「そうよ。他に私以外誰がいるっていうのよ」

 

頭に小さなたんこぶを生やし、腕を組んで仁王立ちの郡千景の姿がそこにはあった。だが、その姿はとてもではないが信じられない祐樹は近づいて目の前の小さな女の子の頬を突く。

 

「なんだってこんな可愛らしい姿に……あ、ほっぺぷにぷにしてて柔っこい」

「むぎゅ……そ、それは私自身がふみゅ────聞きたいのよ。ふゆ……ちょっと、突きすぎッ!!」

「だって大きかったころの千景も可愛いけどさー。この小さな千景も全体的にマシュマロみたいな感じでとっても愛らしいんだよ? 触らない手はないじゃん?」

「か、かわ────!? またあなたは歯の浮くセリフを……ふぁぁ」

 

イマイチ状況の呑み込めない祐樹だが、この千景を放っておくなんてできるわけがなくついには抱きしめて堪能し始めた。これには千景も顔を真っ赤にして抵抗をするが、ちんまい体系故か思うように振りほどくことが出来ずにされるがままになってしまう。

 

「や、やめなさ──ふやぁ!? そんなに頭撫でちゃ……!」

「子供ってサイズじゃないよねコレ。もしかして何か勇者としての力の弊害が起きちゃってるとか?」

「それを一緒に調べてほしくてこうして夜中にきたんじゃない! おろせー! おーろーしーてー!」

「なんか言動まで小さい子みたいになってるね。すっごい可愛いぞ!!」

「やあああ!!?」

 

じたばたと小さな手と足を存分に振るって抵抗をみせるが、余計に彼の心の奥のナニカを刺激するだけだった。

もはや暴走しつつある祐樹に振り回される千景。ようやく落ち着くころには三十分ほど有したが彼は微塵も反省しない。だって仕方ないから、とは本人の弁。

 

ぜえ、ぜえと四つん這いになりながら息を整える千景と対照的に祐樹は満足げな、やり切った表情を浮かべていた。

 

「ふぅ……ごめんね暴走しちゃって。話を戻そうか。いつからそんな感じに? 昼間は普通だったよね」

「さも何事もなかったように話すわね……ええ、部屋でゲームをしててつい寝落ちしちゃって次に気が付いた時にはこんなになっちゃってたのよ。もうやんなっちゃうわ」

「そっか……キミも毎回大変だね。さ、オレンジジュースを用意したから飲んでくれ」

「他人事のように言って、もう……ちぅ」

 

来客用の座布団を三枚重ねにしてその上でちょこんと腰を下ろしてグラスに入ったオレンジジュースを吸う千景(ストロー装備)。

祐樹はごはっ! と血を吐いて悶えていた。

 

(は、反則だ……その姿は反則だろ千景ぇー!)

 

ジュースを飲むのに夢中になっている横で口元を押さえながら萌え死にそうになる祐樹がいた。

 

「ち、千景。写真撮っていい?」

「ちょ、ダメよ! 恥ずかしいから!!」

「えぇーー……」

「そんな顔してもイ・ヤ!」

 

あっさりと断られてがっくりと落胆する。まさかこの姿を永久保存しようと考えていた祐樹であったが、当の本人が頑なに首を縦に振らなかった。

ぷんぷん顔のままジュースを啜る千景の姿もまた悶えるのには充分な光景だが、いっそのこと隠し撮りでもしようと画策してみる。

 

「あなたの考えは分かってるわ。端末はぼしゅーします」

「……くっそぉ」

「もう部屋に戻るのは面倒だから今日はこのまま祐樹くんの部屋に泊まらせてもらうわね。ゲームやるわよ」

「どっから出したのとはツッコまないけど。その姿でゲームできるの?」

「私を誰だと思ってるの? Cシャドウ……甘くみないでよね」

 

どこから出したのかわからないが、懐から取り出したポータブルゲームを座布団に置いて妙なポーズを取りながら構えをとる千景。

祐樹も言われてゲーム機を用意して彼女の隣に座ってその様子を伺う。

 

「身体は小さくても……ゲームはできるわ!」

「なっ!? まさか身体全部を使って操作を……! すげー!」

「ふふん、もっと褒めてもいいのよ」

 

しゅばば、と素早く腕を動かして操作を繰り出す千景は宣言通り元の身体と変わらずの手腕を見せてくれた。素直に凄いと目を輝かせる祐樹に、小さな身体を存分に威張らせながらどや顔をする千景は似た者通しなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、夜通しでのゲームをした二人は丸亀城の廊下を歩いていた。正確には歩いているのは祐樹一人で、千景は祐樹に抱きかかえられている構図なわけだが彼の目の下には大きな隈ができていた。

 

「……ふぁぁー。ねむ────流石に徹夜のゲームはキツイな。千景は寝ちゃってるし」

「すぅ、すぅ────」

「可愛いなちくしょう」

 

仮眠をとる、と言ってすぐに意識を手放した彼女の頬を軽くつつく。ふにふにと指が沈んでいく感触は未だに最高の心地よさだ。

しかし夜が明ければ元に戻るなんて軽く考えていたが、特に変化はない現状に対してどうしたものかと首をひねる。

 

「お、朝から珍しいな祐樹。おはよう」

「あら祐樹さん。おはようございます」

「若葉にひなた。おはよう……ふぁー」

「ふふ、大きなあくびですね。もしかして千景さんと一緒にゲームでも……あら? その子は??」

「なんだか千景に似てるな。可愛い」

「あーこの子は千景だよ。なんか突然小さくなっちゃったみたいなんだよね────あっ」

『…………。』

 

言って祐樹は我に返る。眠気のせいか判断力が鈍っていて他のメンバーに対する対策は何も考えていないことに遅まきながら気が付いた。

冷や汗をかきながら視線を二人に向けてみると、ニッコリと頬に手を添えながらいつのまにか手にしていた端末を使ってひなたがシャッターを切っていた。

 

「なるほどなるほど。状況は大体読めました。何枚か撮らせていただきますね♪」

「ほ、本当に千景なのか!? しかしこの愛らしさはなんという破壊力……わ、私も抱っこしてもいいだろうか」

「お、落ち着け若葉……起きていると確実にダメだろうから寝ているうちにそっと……ゆっくりと」

「う、うむ────ああ、柔らかい小さい可愛い!」

「きゃー!! 幼い千景さんを抱っこする若葉ちゃん可愛すぎますッ! これはもう……最高の一言に尽きますッッ!!」

「くう……普段ならひなたの行動に怒りたいところだが………これは反則だろう祐樹。一体何があったんだ」

「それは僕も知りたいところなんだけどねー……」

 

三人で立ち話をしていると、若葉とひなたの背後から見知った姿を捉える。

あ、これはもう誤魔化しもなにもできないな、と半ば諦めた祐樹は心の中で若葉の腕の中で寝ている千景に合掌した。

 

「やほー三人とも。朝から何してるのー?」

「またゆーきが何かしでかしたんじゃないかとタマは思うぞ」

「もう、タマっち先輩またそんなこと言って……ひなたさんどうされたんですか?」

「杏さん。それはもう一大事なんですよ見てくださいこの光景をっ!」

「なっ!? そ、その子は……」

「うお!? どこから迷い込んだんだそいつ」

「うわー! かわいい~~♪」

 

若葉の腕の中で未だに眠りこけている千景を発見した友奈と球子と杏は目を輝かせて詰め寄ってきた。

祐樹はどうしたものかと焦る中で女子一同はきゃぴきゃぴと賑わっていた。

 

「すごーい♪ ほっぺぷにぷにだぁー! 顔もなんだかぐんちゃんに似ててとってもキュートだよぉ」

「うわー…小さいやつの手ってこんなに柔らかいんだっけか。確かに可愛さは認めざる負えないぞ」

「はぁ、はぁ……♪ わ、若葉さん次は私が抱っこしてもいいですか?」

「あ、杏。目が怖いぞ大丈夫か?」

「ひ、ひなた……千景大丈夫なのかなぁ」

「面白そうなのでしばらくこのままにしておきましょうか♪」

 

なんだかんだこの状況を同じように愉しんでいるひなたを余所に、腕の中で寝ていた千景が揺さぶられて目を覚ました。

眠気眼を擦って彼女は祐樹の腕の中ではないことを悟ると、サーっと顔を青ざめてじたばたと暴れ始める。

 

「ちょ…!? この状況はなによ!! はなしてー!」

「わ、わわ! 急に暴れ始めちゃったよ!! ど、どうしよー祐樹くん」

「……っ!!? その声は高嶋さん。な、なななんで高嶋さんが私を抱きかかえているの!」

「お、落ち着け千景。そしてごめん、みんなにバレちゃった!」

「はぁ!? なにしてるのよ祐樹くん!!」

「ち、千景って……おい、まさか本当にあの千景なのかゆーき!!?」

「ぐえ!? さっきからそう言ってるでしょ球子ー!」

「ゆ、友奈さん! 次、私いいですか? さあ、千景さん! 私のところにおいでー♪」

「ひっ!? 伊予島さんの顔が恐ろしいわ……高嶋さん絶対あの人に私を渡さないで」

 

瞳をギラつかせて手をワキワキとさせながら接近する杏に逃げるように友奈に抱き着き、涙目で縋り寄る千景。

それを見た友奈の胸は撃たれた。こう、ズキューンと的確に。

 

「ぐ、ぐんちゃん……! 分かったよ。高嶋友奈、絶対ぐんちゃんを守り抜いてみせるッ!」

「高嶋さん……ッ!」(きゅーん)

「友奈さん…! くっ、裏切るつもりですか!?」

「ごめんねアンちゃん。でもこんな愛らしいぐんちゃん可愛くてしかた────ごほん! 手放すわけにはいかないんだ!」

「あ、あれ? 高嶋さん……だ、大丈夫よね?」

「ちょおーっと待った! タマも千景で遊びたいんだぞ。タマも混ぜタマえー!」

「わ、私だって千景をもっと愛でたいぞ。ここは公平にじゃんけんなどで決めたほうがいいと思うのだが」

「…………祐樹くん。助けて」

「────みんな。ちょっと待って欲しい」

 

ゆらりと身体を揺らし顔を伏せながら祐樹は間に入ってみせる。千景はそんな彼の姿を見て頼もしさを感じ取り、期待の眼差しで見つめていると徐に顔を上げた祐樹はカッと目を見開いて拳を握った。

 

「僕だって千景を愛でたいんだ!! 彼氏である僕を差し置いて決めるなんて許さないぞー!」

「な、なんでそうなるのよー!?」

「あ! ぐんちゃんが逃げたー!」

 

無残に裏切られた祐樹たちに身の危険を感じた千景は友奈の腕を振りほどいてトテトテと走り始める。

ここにいてはマズイ、と全速力で猛ダッシュを決め込む彼女だがすぐに地に足がつかなくなってしまう。

 

「あらあら♪ 走ったら危ないですよ千景ちゃん」

「う、上里……さん」

 

ひょいっと抱きかかえられて上を見上げてみれば、ニコニコ顔のひなたが彼女を捕まえていた。

千景にとって全力ダッシュでも、今の状態では運動の苦手なひなたにさえ追いつかれてしまうほどになっていて軽く凹んでいた。

 

「は、離してもらえるかしら? むぎゅ──っ!?」

「ああー♪ 確かに皆さんの言う通りもちもち感触ですねー! ぎゅーってしちゃいます」

「むが……むぐぐ!?」

「ぐんちゃんがひなちゃんに抱きしめられて」

「う、埋まっているぞ?!」

「うらやま……ごほん。けしからんぞ! 球子っ!」

「おう! タマもひなたの霊峰に挑ませろー! ぐえ!?」

「タマっち先輩? あと祐樹先輩もちょっと向こうに行きましょうか?」

『ひっ……!?』

「むが、むご……はふへぇろー!(誰かたすけろー!)」

 

黒い微笑を浮かべながら首根っこを掴まれて連行される祐樹と球子。

友奈と若葉は乾いた笑みを浮かべながら連れて行かれる二人を見送り、ひなたに相変わらず堪能されている千景。

混沌とした光景が丸亀城の廊下で繰り広げられていた。

 

 

 

 

 

 

 

場所を教室に移して六人は教壇で不貞腐れる千景を他所にバチバチと火花を散らしていた。

いや、正確にはそのうちの二人はその場に参加出来ずにいるのだが。

 

「おーい杏ぅー! 悪かったから降ろしてくれ〜」

「なんで僕まで……結構キツめに縛られてて痛い」

「ダメです! 二人はしばらくそこで反省しててください」

「それには同感だわ伊予島さん。そんなに上里さんがいいのかしら祐樹くん。浮気者」

「ご、誤解だ千景ぇー!? 僕は止めるように指示しただけで実行してたのは球子だけなんだぞー!」

「あ、ずるいぞゆーき! 一人だけ逃げようったってそうはいかないんだからなぁー!」

「元はと言えば球子が────っ!」

 

ぎゃーぎゃーわーわーと吊るされながら言い合う二人を他所に残りのメンバーは視線をぶつけ合っていた。

 

「さて、誰が千景を手に入れるのかだが……」

「乃木さん。私は景品になるつもりはないのだけど」

「ぐんちゃんは私が必ず勝ち取るよっ!」

「高嶋さんまで…。あ、あなたなら……って違う違う!」

「首をぶんぶんしてるちーちゃん可愛いぃ〜♪ きゃーん!」

「ち、ちーっ!? 伊予島さん、あなただけには死んでもゴメンよ!」

「ふふ、これも良い思い出ですね。パシャりと」

「う、上里さんは写真を撮らないでっ!!」

 

ツッコミが追いつかない。何が始まるのか見当もつかないが、既に疲れ切った千景は逃走は諦めている。

ひなたにさえ追いつかれてしまうのだ。今の自分のポテンシャルの低さに項垂れながら、最後の抵抗で教壇の上から見下ろす形をとっている千景であった。

 

「勝負はやはりいかに今の千景の魅力を引き立たせるのか、それが重要になってくると思う。そこで──ひなた!」

「はい若葉ちゃん。こんなこともあろうかと今の千景さんサイズに合わせて作った様々な衣装があります。ずららーっと」

「え〝っ!?」

「じゃあここから誰が一番似合う衣装を選べるのかっていうのが今回の勝負ってことだね!」

「負けませんよ!」

 

ギョッとする中でトントン拍子に話が進んでいく。

 

「なら私からいかせてもらう……そうだなー」

 

一番槍を務めたのは乃木若葉。顎に手を当てて数ある衣装の中で手にしたのをひなたに手渡した。

 

「ではこちらを──上里流早着替術であら不思議ー♪」

「はっ!? え、な──いつのまにか服が着変わってる?!」

「さぁ後はこのミニ竹刀を持ってくれ」

 

サッと残像を残してひなたの手元がブレると千景の制服姿が一瞬にして袴姿に早替りを果たした。皆が驚く中で若葉だけは変わらずに千景に竹刀を手渡す。どうやら彼女からしてみれば初めてではないらしい。

 

「ふむ。小さくても──いや、小さいからこそこの姿はとても愛らしいな。最高だぞ千景」

「や、やめてよそんな褒め方……は、恥ずかしいじゃない」

「うんうん♪ 確かに可愛いね! ぐんちゃん竹刀を腰に構えてキリッと立ってみて〜!」

「え、えっと……こうかしら?」

「ちーちゃん可愛いいっ! 頑張って背伸びしてる感がとってもキュートです!」

「そうですね杏さん。写真撮りましょう♪」

「────はっ!?」

 

友奈に指示されて反射的にポーズを決めてしまった千景が顔を真っ赤にして狼狽えていた。

 

「ならば次はぐんちゃんソムリエこと高嶋友奈がいきまーす! えっと……これだ!」

「はいはーい。パパッと早着替え〜」

 

ぐんちゃんソムリエとはなんだと疑問が尽きない千景であったが、そうこうしているうちにひなたによって一瞬にして着替えをさせられていく。

 

「じゃじゃーん! その名も『プチデビルぐんちゃん』! どうどう可愛いでしょー♪」

「た、高嶋さんちょっとヒラヒラが多すぎる気が……。それに羽も」

「ぐぬ……確かに黒のイメージがある千景にはぴったりの衣装だな。流石は友奈、私には思いつかない系統だ」

「えっへへー。どうかなひなちゃん、アンちゃん」

「どちらも良い感じですね♪」

「いや……まだですよ。友奈さん、若葉さん、ひなたさん!」

 

斬って出たのは伊予島杏。彼女は拳を握りその瞳には闘志の炎がメラメラと揺らめいていた。

 

「確かに和装も、悪魔ちっくなコスプレも良いと思います。だけど今の千景さんならではのぴったりな衣装があるじゃないですか!」

「そ、それは────!」

「お願いしますひなた先輩!」

「はいは~い♪」

 

その手にしていた衣装をひなたに託し、千景の服装は再び変化していく。そしてその身姿を見た一同は驚きを露にする。

 

「ズバリ────園児服姿(、、、、)のちーちゃんですっ! これが現状最強装備であると言っても過言ではないでしょう!!」

『きゃーー!!!』

「な、ななななによこれぇー!?」

「ぶはっ!? あっはっはー! これは傑作だぞ千景ぇー。流石はタマの杏だなぁ! よく似合ってるぞ」

「やばい可愛すぎるッ! くそー、なんで縛られているんだ僕はー!」

 

縄で縛られている二人は違う意味で興奮してプラプラと身体を振っている中で、顔を真っ赤にさせあまつさえ涙目の園児服姿の千景に残りの面子も心打たれていた。

 

「参ったよアンちゃん……このぐんちゃんが一番だよッ!!」

「ああ、これは凄まじい破壊力。感服したぞ杏」

「これは若葉ちゃんに負けず劣らずのベストショットが撮れそうです♪」

「ふふん。さあ千景さん、観念して私のちーちゃんに……げふんげふん。私と一日過ごしましょうか♪」

「いやよ!? もう勘弁して! なんで私がこんな目に合わなくちゃいけないのよー!」

 

ぴょん、と教壇から飛び降りて教室から逃走していく千景。

その後の結末は想像に難くない一幕となるが、今日も丸亀城の中は平和であったとさ。

 

 

 



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story4『笑顔の練習』

昼下がりのある日。祐樹は手元で抱えられる程度の大きさの段ボールを手に丸亀城の廊下を歩いていた。

 

「〜〜♪」

 

若干鼻歌まじりに。それは特別にテンションが高いからではなく、また機嫌がすこぶる好調であるわけでもなく、ただ何となく口ずさんでいるだけだ。

今週末にある催し物のための小道具が箱に入っているのだが、それを所定の位置に運ぶために彼は現在移動中であった。

そんな祐樹が普段使用している教室の所に差し掛かったところで扉が半開きなのが目に入る。

 

(──ん? 誰かいる)

 

今はみな出払っているので人はいない筈だがはて、と首を傾げる祐樹はその半開きの扉から覗き込んで見ることにした。

そして彼は目を見開くことになる。

 

「────にっ……」

 

やはり人が居た。それも一人で。もちろん知っている人物であって、その者は祐樹と深い仲である女の子だった。

 

郡千景。この丸亀城にて『勇者』として御役目を担っている一人である。そんな彼女はこちらの様子に気がつくことなく、一人席について鏡を見ながら何かをしているようだった。

 

(化粧……ではないよな?)

 

女の子が鏡の前で何かをするとなると真っ先に思い浮かんだのがソレだったが、そういえば彼女の口からも『化粧っ気はない』と言われたのをすぐに思い出して候補から外した。まぁ、素が可愛いのでする必要性は彼女には感じないからのもあるが。彼がそのことを言ったら無言で腹を突かれたそうな。

そうしている間にも千景は両の人差し指で頬を持ち上げている光景が目に入る。んん? と祐樹は疑問符を重ねることになった。

 

「……にこっ? うーん……」

 

千景は表情を変えてあれよこれよと試行錯誤しているように見受ける。しかし彼女も納得がいかないのか眉を寄せていた。祐樹は彼女に声を掛けようかとも考えたが、あの真剣な表情を見たらソッとしておいた方がいいのかもしれない。そう考えた彼はその場を後にしようとしていたら……、

 

「こ、こんにちはー♪ 千景お姉さんだよー! みんな元気してる〜?」

「──ぶふぅっ!?」

「────っ!!?! だ、誰ッ!」

 

しまった…! と祐樹はいそいそと半開きの扉から離れようとしたが、ものの一瞬で距離を詰められた彼は目の前の扉の隙間から手が伸びてきてガシッと肩を掴まれる。

ギギギッ…と祐樹は振り向いてみるとそこには、

 

「──こんなところで何をしてるのかしら祐樹くん?」

「ち、千景…ちがっ! 僕はたまたま──あだだ……!?」

「忘れなさい。記憶が消されるまで離さないから」

「む、無理言わないでぇぇ?! 怖い! まるで妖怪のようで怖いからっ!」

「キオクオイテケー…!」

 

なんだかんだノリが良くなってきた彼女だが、醸し出す気配と声色は本気と書いてマジである。

祐樹は割と焦りながら千景に問い掛けた。

 

「な、なんであんなことしてたの?」

「……それは」

 

ふっと力が緩んだ拍子に祐樹は言葉を畳みかける。

 

「もしかして今週末の練習的(、、、)な……感じかな?」

「……っ! そ、そうよ悪い?」

「悪くなんてないさ。通りかかったのは本当にたまたまだけど、何か力になれるなら尽力するよ千景」

「…………ぅ」

 

掠れた声を漏らしながら彼女は拘束を解いて室内に戻り、鏡の置いてある机の前の椅子に腰を落ち着けた。

それを肯定と受け取った祐樹も続いて段ボールを手前に置いてから向かい合わせに椅子を設置して同じように腰を下ろした。

 

「……改めて訊ねるけど。間違ってなければ、もしかして『笑顔』の練習をしてたの?」

「……うん。私って高嶋さんたちに比べたら愛想なんて良くないからって思って。ちょっと練習を……してたのよ」

「そっか。でも僕はそのままの千景でも好きだけどね」

「よくもまぁ恥ずかしげもなく言えるわねあなた」

「…いや、言っておいてちょっと恥ずかしかった。あはは」

「もう」

 

頰を掻いて祐樹は顔を赤くしていた。照れ隠しの仕草は高嶋さんと同じだなぁなんてふと考える千景もその口角は少しだけ緩んでいる。どうあれ言葉にしてくれるのは嬉しく思う。しかしその気持ちを前面に出すと彼に調子に乗られそうなので千景はグッと堪えておくことにした。

 

「祐樹くんにとっては良くても小さい子供たちには同じとは限らないでしょ? やると決めた手前しっかりとしないと話を持ってきてくれた祐樹くんと高嶋さんに失礼だから……」

「千景……」

 

彼女の言葉に祐樹はジーン、と感極まっていた。千景がこんなにも真剣に考えていてくれたなんて嬉しくて今にも小躍りしそうなほどだった。

それもそのはずで、この『依頼』を持ちかけたときの反応はそれ程芳しくないのだったのだから────。

 

 

 

 

 

 

 

 

パタパタと廊下を足早にかける二人が居た。時は今より遡ること一日前。

その者たちは目的地である教室の前に到着すると勢いよくその扉を開け放った。バン! と音を立てて教室内にいた五人はその音に驚いて一斉に視線を集めていた。

 

「な、何事だ!」

「やほーみんな! おっはよーぅ!!」

「遅刻にはなってないよな。おはよう!」

「まあまあお二人ともどうされたんですか」

「ゆーきに友奈なんだその荷物?」

「何かの資料でしょうか?」

「…………。」

 

皆それぞれの反応を示しながら挨拶を済ませ、現れた高嶋ズは教壇の前に立つと二人して不敵な笑みを浮かべていた。その様子に首を傾げる四人。千景は相変わらずゲームをしながら意識だけをこちらに傾けているが。

 

「実は──」

「──じゃじゃーんっ!! 実は今度の週末にみんなで幼稚園に遊びに行くことになりましたのでお知らせしまーす」

「よ、幼稚園だと? えらく急だな」

「友奈僕が言おうと思ってたのに」

「えっへへ〜ごめんね祐樹くん。じゃあ続きはよろしくね」

「おっけー。それでなぜ幼稚園なのかというと──」

 

曰く『勇者』たちをもっと知ってほしいのと、まぁ身も蓋もない言い方をすれば世間体を良くするためのもあるようだ。今の世の中では『勇者』の存在を快く思っていない人が少なからずおり、秘匿すべき事項が多くある彼女らからすれば表向きの活動は願ったり叶ったりでもある。

代表で乃木若葉が表に立ちマスコミたちの相手をすることはあるけれど、そういったものの後押しをこの二人は持ってきてくれたことになる。

 

「幼稚園側からの依頼なんだけどね。子供達と触れ合って楽しい時間を過ごす──言葉にすればこんなもんさ」

「みんなは予定とか大丈夫かな?」

「私と若葉ちゃんは問題ないですよ。耳掻きをしてあげるぐらいでしたから」

「ひ、ひなた! みなまで言わなくてもいいだろう!?」

「私とタマっち先輩も大丈夫ですよ。園児たちと遊ぶの楽しみだね♪」

「そうだな! やんちゃな相手はタマに任せタマえよ」

「私、は……」

 

わいわい盛り上がる中でゲームをしていた千景はバツの悪そうな顔をしている。祐樹は彼女のもとに向かうとニッコリと微笑みを浮かべながら隣に座った。

 

「千景も週末は空いてるかな?」

「空いてはいるけど……その、子供の相手なんか出来ないわ」

「そうかな? この前二人で出かけた時にも近寄ってきた男の子の相手出来てたじゃないか」

「あれはたまたまよ。沢山の子たちの相手は……私には難しいわよ。ゲームならともかく」

「そっかぁ。まぁ無理強いはしないけど……」

「……う、その目やめてよ」

「えーぐんちゃん来ないの?」

「た、高嶋さんまで……ぐぬ」

 

しょんぼり顔の二人に千景は弱かった。目をあちらこちらと泳がせながらどうしたものかと思考を巡らせるが、最終的に彼女が折れることが多いのがいつもの光景だ。まぁ彼女自身祐樹や友奈と何かをするのは嫌ではないのではあるが、小さい子供の相手が苦手なのも嘘ではない。それは高嶋ズも理解しているので当人たちにとっては気を使っているつもりであった。

 

「………少し考えさせて」

「分かった」

「うん! 待ってるねぐんちゃん」

 

 

────

───

──

 

 

────とまあそんなやり取りをしたのが記憶に新しいのだが、まさかこうして『練習』してくれていようとは嬉しい限りであった。

 

 

「と、とにかくそういうことだから。正直何回かやってみたけど、不自然な感じが拭えなくてどうしたものかと考えていたのよ」

「ふーむ。なるほど……」

 

最初の頃に比べればだいぶ自然な笑顔が出来てると思える祐樹だが、単に言っただけでは納得してはくれないだろう。そうして首を捻ってとりあえず持ち前の知識を教えてみることにした。

 

「そういえば前にひなたから聞いたことあるんだけどさ。ある一単語を連続して口にすることで口角が上がりやすくなるってのを教えてくれたことがあるんだけど」

「…そんなのあるのね。ちなみにどんな?」

「えーっとなんだっけかな。確か母音が『イ』で終わる単語だからー……例えば『キウイ』?」

「──キウイ?」

「あ、そうそうそんな感じで最後の『イ』のところを意識してみると良いって言ってたな」

「…キウイ、キウイキウイキウイ……」

「なんか呪詛を唱えてるみたいな感じだよそれ。もっとゆっくりじっくりと口にするように」

「…キウイ。キウイ。キウイ────」

 

千景は祐樹の言う通りに単語を区切りながら口にしていく。鏡に映る自分の顔を見てみると指で無理やり口角を上げるよりかはマシになっている気がした。

 

「うんうん。けど相談してくれれば他のみんなも喜んで手伝ってくれると思うんだけど?」

「……だって恥ずかしいもの。土居さん辺りなんてからかってきそうだし」

「あー……確かに。友奈とかは」

「高嶋さんは今日も準備やらで忙しそうにしてたし……負担を増やしたくないのよ」

「うーん。そんなものかなぁ」

 

あの子ならそんなこと思うはずがなくむしろ率先して手伝いそうだと思ったが、これもまた千景なりの気遣いなのだろうから否定するのも違うか。彼女の言う通り企画担当は友奈か仕切っているのであながち間違いではないし、今日も打ち合わせで若葉たちと出払っているのも事実。

 

「……ねぇ祐樹くん。祐樹くんは笑顔を浮かべる時ってどういうこと考えてる?」

「僕?」

「なんかこうやって練習してると迷走してしまうというか。みんなはどうやって笑顔を作ってるんだろう……って考えてしまって」

「僕的には楽しいことや嬉しいことがあった時に自然と笑ってしまうんだけど……千景の場合はゲームでうまくプレイ出来た時とか?」

「意識しちゃうと分かんなくなっちゃうのよ。園児たち相手とはいえ大勢の人の相手には慣れてないから」

「そういうものか……」

 

人には得手不得手あることは承知している。千景はどちらかと言えば苦手なのだということも知っている祐樹はよし、と彼女の手を握り締めた。

 

「ゆ、祐樹くん?」

「なら当日は僕と一緒に行動しよう! 二人でなら怖くない。どう?」

「……で、でも祐樹くんも高嶋さんと一緒で忙しいでしょ? 私なんかに構っていられる時間なんて──」

「時間なんて作るもんだよ。特に千景との時間ともなれば最優先に作るし、二人でやれば緊張も少しは解れると思う。今やってる『練習』も続ければもう完璧さ! だから肩肘張らないで気楽に行こうよ千景。こういう行事も楽しい思い出として後で振り返ることができるようにね」

「…………私に出来るかしら?」

「もちろん。それに千景はもう出来てるよ。後は磨いていくだけってこと。一緒に……二人でね?」

 

祐樹の手の温もりを感じながら千景はほんのり顔を赤くして俯く。祐樹は少しだけ心配そうに見つめていたが、握っていた手がキュッと握り返されるのを感じ取ると小さく笑みを浮かべていた。

 

 

「──あっ。自然と笑えることが一つあったよ千景!」

「なに?」

「千景のことを考えること──それが一番幸せを感じた。今まさにね……ってなんで白い目で見るのっ!?」

「ちょっと臭すぎないかしらそのセリフ」

「えぇー!? 事実なのにぃ」

「……そういえば持ってきた段ボールには何が入ってるの?」

「スルーっ?!」

 

千景は誤魔化す意味でも彼の持ち物について訊ねる。あたふたとする様は面白くもあるが祐樹も小さく息を吐くと中身をゴソゴソと漁り始めた。

 

「使えそうなものを探してきてたんだよ。後でみんなに見てもらおうと思ってさー」

「ふーん……色々あるのね。祐樹くんの私物?」

「僕のもあれば友奈のもあるね。実家から適当に持ってきたのと、後は色んなとこでかき集めてきた」

「折り紙とかそういうのでもいいんじゃないかしら? 友達の家に招いて遊ぶのとはわけが違うのだから」

「おーなるほど。千景に見てもらって良かったよ」

「それにしても……色々あるのね。メンコやコマ……お人形にボードゲーム────結構雑食なのね二人は」

「まあね」

 

もちろんゲーム類もやったことあるよ、と祐樹は付け足して中身を一つ一つ広げていく。千景は祐樹と友奈の……自分の知らない過去を見ている気分だった。

当時何にハマり、何を共有して過ごしてきていたのか。この段ボールの中身を見ていくだけでそれが文字通り手に取るようにわかってちょっとだけ嬉しい気持ちになる。

 

「色々とアイツに振り回されたことも多かったよ。引き取られたばかりで何も知らない僕の手を引っ張っていってくれたし、男の子がしてる遊びも女の子のしていた遊びもひとしきりやらされたなぁ」

「楽しそうに話すわね祐樹くん」

「まぁ、実際楽しかったのかも──ってなんで脇腹こつくの? いたっ」

「……別に。なんでもないわ」

 

ちょっとでも嫉妬してしまった……なんてわがままは思っても彼女は言わない。だってそれはどうあっても千景が入る余地のない過去の記憶(思い出)なのだから。それに話を振ったのは自分の方なのだからなおさらに。

 

(……でもモヤモヤする。あぁもう! こんなの私のキャラじゃない)

 

頭をぶんぶん振って思考のモヤを払う。いつのまに自分はこんなに嫉妬深くなってしまったのだろうか。ましてや自身に一番よくしてくれている彼女(高嶋さん)に対して、だ。

そんな千景の態度に祐樹は数舜考えた素振りを見せた後に、あぁと手のひらを叩いて、

 

「────ぉ。もしかして」

「もしその先を言葉を言ったら怒るわよ?」

「えぇー……それは困るな。千景に嫌われたくない」

「…………。」

 

しゅん、と落ち込む彼を見て千景はうぐぐ、と頬を赤らめて唸らせる。そんな反応でさえ可愛く見えてしまうのは惚れた弱みなのだろうかと悔しく思う。

 

「もぅ……別に祐樹くんのことは、嫌いに……ならないわよ」

「千景……大好きだ」

「…………高嶋さんより?」

「なぜそこで友奈が……もちろん千景の方が好きだよ」

「ふふ、冗談よ。ありがとう祐樹くん、私も────好き」

「お、おう」

「そこで狼狽える辺り、祐樹くんよね」

 

幸福そうに微笑む姿を見て祐樹は顔を赤くしながら頷く。その笑顔はとても綺麗に思えた。

 

「……でもゲームか。これなら私でもなにか出来るかもしれないわ」

「なにかいいアイデア思いつきそう?」

「そうね。一緒に考えてくれるかしら?」

「そうだ、外でうどんでも食べながら考えようか! ちょっと小腹が減ったし」

「うん。なら暗くなる前に行きましょう。部屋まで運ぶの手伝うわ」

「ありがとう」

 

荷物を片付けて二人は教室を後にする。千景はその間に思い出していた。例え失敗を繰り返したとしてもその度に手を引いてくれる人がいることを。

だから頑張れる。頑張っていける。千景は今一度やる気にスイッチを入れた。

 

 

 

 

────後日。少しぎこちなさを残しながらも一生懸命頑張る千景の姿がそこにあった。

自分から率先して園児たちに話しかける彼女を見て、祐樹の頬も自然と綻んでいた。

 

 

 

 



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乃木若葉の章
story1『デートをしよう』


大変おそくなりました。
ご意見ありがとうございます。



午後の昼下がり。上里ひなたは思い悩んでいた。

カシャリとカメラのシャッターを切る音もいまいちノリが悪い。

その原因は現在進行形で道場にいる人物についてである。

 

「──はぁ!!」

「おォ!!」

 

道場内からその外まで響く竹刀の乾いた音と声。

幾度となく打ち合う中で相対する二人の額には大粒の汗が滲み出ていて、竹刀がぶつかると共にそれらは弾くように道場の床に散っていく。

 

若葉と祐樹。

 

どちらもひなたにとって掛け替えのない存在であり、若葉に至っては幼少時からの幼馴染という存在だ。

祐樹に関しては若葉と比べたら過ごしてきた時間は違えど、それでもとても良くしてもらっている男の子である。

そんな二人は今日も今日とて訓練に明け暮れていた。

 

「はぁ……」

 

上里ひなたは頬に手を当ててため息をつく。

普段ニコニコと笑みを浮かべている彼女に似つかわしくない動作。

その様子を視界の隅に捉えた両者は一度打ち合う手を止めて彼女の下に駆け寄った。

 

「どうしたのひなた、ため息なんてついて……?」

「らしくないぞ。何か悩み事があるなら私たちに話してくれ」

 

心配そうに声を掛ける二人に対して、ひなたはというと俯いてその表情は伺えないでいた。

そこに僅かながらの声が漏れる。

 

「────です」

『うん?』

 

プルプルと肩を震わせガバッと俯いていた顔を上げると、

 

「このままではダメですお二人ともっ!」

『……っ!?』

 

頬を膨らませたひなたに圧され何事かと一歩下がる祐樹と若葉。

心配していた相手が急に膨れっ面になっていたのだ。たじろいでしまうのも無理はない。

 

「なんですかもう! 来る日も来る日も訓練鍛錬と……! もっとこうお二人にはあるじゃないですかー!?」

「な、なんだ急にどうしたんだひなた? 私たちの稽古は有事に備えてのものだぞ」

「そうなんですけど……っ! 大切なのは分かっているんですがっ!! ………お二人は男女のお付き合いしているんですよね!?」

「改めなくても、僕と若葉は間違いなく付き合っているけど?」

「ああ、そうだな」

 

ダメだこの二人ー! と心の内で叫びながらひなたは祐樹と若葉の恋愛価値観の致命的なズレに戦慄する。

一般的にお付き合い…『交際』している男女のすることと言えば、休日に一緒にショッピングしたり、映画を見たり、水族館遊園地と選り取り見取りな素敵イベント盛りだくさんなことが外には沢山あるのだ。

 

(なのに若葉ちゃんと祐樹さんときたら、毎日毎日竹刀を打ち合い汗を流し合うばかり……何処ぞのスポ魂漫画ですかー!)

 

翌る日も代り映えしない二人の関係性にいい加減に静観していることが出来なくなったひなたはここで意を決した。

そんな彼女の様子を当の二人はおどおどと声を掛けていいものか躊躇っている。

 

「決めましたっ! お二人がそのような態度を取るなら私にも考えがあります!」

「ゆ、祐樹……ひなたがなんか怖いぞ? お前何かしたのか??」

「僕にもさっぱり……若葉こそなにか思い当たる節があるんじゃないのか?」

「こらー! ちゃんとこっちを向いてくださいお二人ともッ! 今日の私は雛ではなく鬼となります! ふんす!」

『ひっ!?』

 

ゴゴゴ、と黒い影を浮かばせながら微笑むひなたを二人は小さくなって震えるしかない。

 

「お二方には世間一般的に行われている『デート』をしてもらいますっ!」

『で、デート!?』

 

雷打たれたリアクションを取る若葉と祐樹だったが次の瞬間には疑問符が浮かんでいた。

 

「──デートってどうするんだ若葉? 訓練ばかりでその辺が疎くなってしまったよ僕」

「わ、私に聞くな祐樹! 男と付き合うなんて祐樹が初めてなんだぞ……私が分かるわけがないだろう」

「安心して若葉。僕もキミが初めてだから……」

「祐樹……」

「──なんでその雰囲気を即興で作れるのに、デートの一つや二つしないんですか!?」

 

お互いが頬を染めて見つめ合う様子をひなたは頭を更に悩ませてしまう。

しかしその手のカメラのシャッターを切るのを忘れずに。彼女も大概であるがそのことを指摘するものはここには一人もいない。

 

「もうもうもう! 分かりました! 私がプランニングしますのでお二人は汗を流してから待機していてください!」

 

駆け出したひなたはさっさと道場を後にした。

残ったのは状況をうまく飲み切れていない祐樹と若葉だった。

沈黙の中、二人は顔を見合わせる。

 

「……だ、そうだ祐樹。とりあえず私は汗を流してくるが」

「僕も行こうかな。なぁ、ひなたを怒らせちゃったかな?」

「……いや、あれはまぁ……そこまで怒ってないだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからしばらく時間が経った後に二人の端末に連絡が入り、丸亀城入口にて集合するように言われた。

自室に待機していた二人は向かってみるとひなたが仁王立ちで出迎えてくれていた。

今日の彼女はなんだかやる気に満ち溢れているようだ。

 

「──急ごしらえではありますが一連のプランを立ててみたので、これらを参考にしてデートに行ってきてください♪」

 

ニッコリと笑みを浮かべながらひなたはそう言った。

 

「詳しくは端末に送っておきますので、そちらを確認してください。本当はこういうのもお二人自身で考えるものですが、超がつく初心者な二人がやっていてはこの敷地から出ることすらできないかもしれないので」

 

ひどい言われようである。

だがひなたの口からそう言わせてしまうほどこの二人の有様は酷いものであった。

あまりの無頓着ぶりに皆が心配してしまうほどだ。

 

「…ひなたの言う通りかもしれないな。少し気を張り過ぎてたのかもしれない……祐樹、すまなかった」

「いいって。僕こそほんとはこういうのは男の役目だから…よし、頑張って若葉をエスコート出来るように精進するよ」

「祐樹……嬉しい」

「若葉…」

「あれれ? お二人さん私がいること忘れてません? …でもこの絵も素敵なのでシャッターチャンスです!」

 

シャッターを切る音と共にひなたは続けて話す。

 

「取り敢えず恋仲なのですからまずは手を繋ぎましょう♪ こう、ぎゅ、ぎゅっと」

「て、手を…」

「繋ぐ…?」

 

ひなたの言葉にピクリと反応する両者は横目でお互いをチラリと確認する。

ばつが悪そうに若葉が口を開く。

 

「…なぁひなた。今やらないといけないのか?」

「もちろんです若葉ちゃん! ささ、グイッと!」

「…恥ずかしい」

「…っ!? あぁ♪」

 

ひなたは胸を締め付けられる光景を目にした。もう目をハートにしてキュンキュンである。

 

(あの若葉ちゃんが…もじもじしてますっ! 可愛いですよー!)

 

クールビューティな若葉が、あの若葉が両手の指を合わせて赤面しているではないか。

何度か近しい場面は目撃しているひなただが、今日のはまた一味違うと感じとった。

それはやはり異性という存在が多大な影響を及ぼしているおかげだとひなたは理解した。

こればかりは同性であるひなたでは出来ない芸当だ。

 

隣にいる祐樹も声こそ出していないが表情から察するに緊張と羞恥の色が見て取れる。

男性にしては童顔よりなのでこちらも大変絵になる。一枚写真を収めることにした。

 

「若葉、僕からいいかな?」

「……っ、あ、あぁこいっ!」

 

そろそろといった感じで祐樹は若葉の手元に手を伸ばしていく。

若葉も強張った手を伸ばして少しずつ距離を縮めていくと、やがて二人の指先がちょこんと触れた。

 

『……っ!!? 』

 

互いに肩を跳ねさせて驚く。そのせいで縮まった距離も再び元の位置に戻ってしまう。

祐樹は喉を鳴らして再度試みる。若葉も頑張って羞恥に耐え忍ぶ。

ジリジリと距離を埋めてまた指先が触れるが、今度は逃げずに済んだようでそのまま指先を絡めてキュッと小さく手を繋いだ。

ホッと肩をなでおろす二人。

 

「こ、これでどうだひなた!」

 

若葉が震える声でひなたにしてやったり顔で言い放つ。

 

(…いじらし過ぎます!! お手手繋ぐのにどれだけ時間かけるんですかー!?)

 

やはりひなたは悶絶していた。色々な意味で。

もちろんその一枚も忘れずに収める。記念すべき一枚なので逃すことはしない。

 

「…こほん、まぁいいでしょう。では私はここ辺りで後はカップル同士でごゆっくり過ごしてきてください♪」

「……いくか、祐樹」

「う、うん。いってくるよひなた」

「はい♪」

 

ひなたが見守る中、祐樹と若葉は指先だけ絡めた手で歩き出していった。

ニッコリと笑みを浮かべながら手を振り二人の姿が見えなくなったところでひなたは懐からある物を取り出して装着する。

 

「…ふっふっふ。こんなこともあろうかと変装グッズは準備してあるのです! さぁて、お二人の動向をチェックしていきましょう!」

 

黒いサングラスをかけたひなたは二人の後を追っていく────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………。』

 

無言のまま祐樹と若葉は道を歩いていた。

ひなたに急かされる形で始まった二人きりの”デート”だが、その始動はとても静かなものだった。

 

「……っ。どうした若葉?」

「い、いやなんでもない」

「そう?」

 

チラッと目線がぶつかるとお互いに視線を明後日の方に投げつつ二人は話す。

たがそんな二人ではあるが一度繋いだ手は離さないでいた。

なんだかんだ言って想い人と手を繋げている状況に無意識のうちに堪能していた二人である。

 

「な、慣れないから照れ臭いねこの状況は」

「同感だ…」

 

片方が握るともう片方が握り返してくれる。自身の熱とは異なる熱を受けてどうにも落ち着かない。

 

(鍛錬で若葉の手に触れることなんて何度もあるのに……暖かい。皆を先導する勇者の手じゃなくて、普通の女の子の……手、だな)

(……幾度とも触れている手なのに今日はとても大きく感じる……改めて考えると祐樹もやはり男の手をしてるな…)

 

言葉に出さず、共にその感触を確かめ合っていた。

だがこのまま一言もないまま過ごすのもどうかと考えて、若葉が思い出したように会話を切り出す。

 

「そ、そういえばひなたが考えたというプランはどういうものなんだ?」

「え? あぁ、えっと確かこの後は────」

 

空いた手で祐樹は端末を取り出して確認する。

 

────まずはお互いの距離を更に縮めるため若葉ちゃんが祐樹さんの腕に抱き着いて散歩すること。

 

「──んなっ!?」

 

プランその一を聞いた若葉は沸騰しそうなほど頬を朱に染め上げていた。

かくいう祐樹もその一文を見ただけで恥ずかしくなっている。

 

「こ、これはいきなり難易度高くないか!? ひなたのやつ何を考えているんだ」

「でもせっかく僕たちのことを考えてやってくれたわけだし、その……」

「祐樹はやられる側だからそんなこと言えるんだ! わ、私はそんなこと一度もやったことはないんだぞっ!?」

「嫌なら無理してやらなくても、いいと思う……ひなたもそう考えてるはずだし。僕はこうして手を繋いでるだけでも嬉しいからさ」

「うっ……卑怯だぞその言い方は」

 

うぐぐ、と眉間にしわを寄せて若葉は祐樹の腕を見やる。

目を伏せてため息を一つ吐くと、そっと身体を祐樹の腕を中心に預けた。

手は繋いだまま、今度は腕を絡ませて二人の距離はこれまで以上にピッタリと密着状態となった。

ドキマギと心臓の鼓動がうるさく聞こえてくる。

 

「こ、こうか?」

「……っとと、ちょっとこっちに自重預けすぎじゃないか? 歩きずらい」

「し、仕方ないだろ。勝手が分からないんだ……これぐらいでどう、だ?」

「──うん、これなら大丈夫。なんかさっき以上に緊張するね」

「……私は穴があったら隠れたいぐらいだぞ」

 

とりあえずひなたの指令通りに出来たところで二人はその状態で歩みを再開した。

 

(…うぅ。ひなためぇ……こんな状態だとすれ違う人に変な目で見られないだろうか?)

 

若葉はどちらかと言えば現状とは真逆に位置する少女である。

『私についてこい!』を地で行く彼女からすればこの行為は初めてのこと。するよりされるほうに慣れがある。

なのでこの状況は他人からの視線がとても気になってしまう。

 

(…若葉とこんなにくっついて歩けることになるなんて……ひなた様様だなぁ)

 

対して祐樹は腕に伝わる若葉の感触を堪能しつつひなたに感謝する。

思えば訓練、鍛錬続きでこういう普通の男女のすることを疎かにしていたことを今更ながらに後悔していた。

 

「……で、だ。このままこの周辺を練り歩くだけでいいのか?」

「ちょっと待って……ええっと、次は──」

 

祐樹は画面に映し出された文面を読み上げる。

 

「なになに……『充分に距離が縮まったところでショッピングに行きましょう! あ、遊園地でもどこでもおまかせします』だとさ……」

「最後が適当だな……ひなたらしいと言えばらしいが」

「うーん。遊園地とかだと今から行っても大して遊べないだろうし……ショッピング。買い物か……」

「なにか買いたいものでもあるのか?」

「まぁ、ちょっとね。丁度若葉の意見も聞きたいところだったし付き合ってもらっていいかな?」

「構わない、祐樹に任せるぞ」

「ありがとう」

 

小さく笑みを浮かべてから祐樹は若葉が歩きやすいように歩幅を合わせて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────行きましたか。おっとカードを取り換えておかないとですね♪」

 

 

二人が去った後にひなたがこっそり背後から様子を伺う。

望遠鏡代わりにカメラのレンズをのぞき込んで二人を観察してみると、緊張の色は見え隠れしているがしかし楽しそうに会話を弾ませている姿を捉えた。

 

(…幸せそうですね若葉ちゃん)

 

照れながらも祐樹に向ける彼女の目はとても穏やかで、愛し慈しみに富んだものを含んでいた。

戦場に赴き、正義に溢れる眼差しとは真逆の────年相応の女の子の姿にひなたは不覚にもうるっときてしまう。

 

「…と、感傷に浸っている場合ではありませんね。今この瞬間もカメラに収めておかねば」

 

カメラをそちらに向けるとどうやら二人はどこか目的地を定めて歩き出したようだ。

その方角に向かう二人にひなたは小首をかしげた。

 

(あちらにはいくつかお店はありますけど……でもカップルで行くようなものはなかった気が…?)

 

はて、としばらくついていくことにしたひなたは物の陰に隠れながら二人の行方を見守る。

 

「……うん? 家電量販店、ですよねここは」

 

最近オープンした店舗であることはひなたは知っている。

風の噂では中々の品揃えであり少し気になっていたところではあった。

そんな場所に二人は真っ直ぐ店内へと足を運んでいく。

不思議に思いながらもひなたもそれに後をついていくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ひなたと話していたが、結構大きい店なんだな」

「この辺じゃ規模は一番になったんじゃないかな?」

 

 

店内に入ると人もかなり来店していた。

祐樹の腕に絡んだままの若葉は目新しいさ故か目を輝かせているように見える。

なぜかこういう場所は無性に興味を惹かれてしまう。

 

「ところで何を買いに来たんだ祐樹。急な入り用なものでもあるのか?」

「んーとね、確かこっちのコーナーに…」

「そっちは……あぁ、なるほど」

 

若葉も気がついたようで納得した様子で祐樹に視線を移して薄くと微笑んだ。

 

「それで私の意見を聞きたいと言っていたのか……祐樹は優しいな」

「なんだかんだ言って色々とお世話になってるからねー。幼馴染の意見も参考にしようかなと」

「そういうことなら私も幾らか出そう。祐樹と同じで私も世話になっているからな」

「いやいや悪いよ。安い買い物でもないんだし。僕のわがままみたいなものだからさ」

「それこそ尚更だぞ。祐樹の胸の内にある感謝も想いも私とて同じなんだ。一緒に選んで買おう」

「…分かった。お願いするよ」

「ああ」

 

お互いに小さく笑いながら商品を選び始める。

そんな二人の様子を離れたところで確認していたひなたは少し困った顔をしていた。

 

(──まったくもうお二人とも。今日はお二人のための時間ですのに……らしいと言えばらしいといいますか)

 

真剣に選ぶ二人の姿を見てひなたは微笑を浮かべる。

先ほどと同等か、それ以上の楽し気な雰囲気を醸し出しているその二人の中にひなた自身が含まれていることが嬉しかった。

 

(これ以上は野暮でしょうね。ふふ……)

 

二人がなぜこの場所に来たのか、それが考えずとも解ってしまうのが上里ひなたという少女である。

嬉しさと愛しさを胸に秘めて彼女は踵を返して歩き出した。

 

 

後に、三人でのやりとりがまたあるのだがそれはまた別のお話。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日も沈み、周囲の景色も薄暗くなってきて夜の顔が見え始めた頃。

二つの影が並んで帰路についていた。

 

 

「──いい買い物ができたな」

「若葉のおかげだよ。ありがとう」

「気にするな。しかしたまにはああいう店に赴くというのも悪くないな、意外と楽しかった」

「家電とかって買わなくてもついつい見ちゃうよね。さてと、次は──」

 

端末をポケットから取り出して祐樹がひなたの指令の確認をしていると、若葉が何食わぬ顔でのぞき込んできた。

その際に自然と祐樹の腕にからんでいる辺り、順応性が高いことが伺える。

祐樹は彼女の行動にドキリと脈打つがなるべく平静を保ちながら画面を注視した。

 

────さて、気分も距離も最高潮に達したところで夜景の綺麗なスポットで二人の甘い時間を……。

 

 

『…………、』

 

二人して無言で端末の画面を眺めていた。

 

「夜景か…何処か良いところはあるか祐樹?」

「んー……近辺だと丸亀城しか思いつかないな」

「私もだ。せっかくだから天守閣を登ってみるか」

「珍しい…いいの?」

 

あまり私用目的で城内を利用することに対して反対の意を示していた記憶が彼にはあった。

だからこそ訊ねてみたのだが、若葉は自嘲気味に笑う。

 

「祐樹と居て、ひなたやみんなと過ごしてきて私の中の考え方も変わってきてるのかしれない。思えばかなり頑固者だな私は」

「そこがキミの魅力の一つだと僕は思うけど?」

「はは。臆面なくそう言ってくれるのは祐樹とひなたぐらいだな」

 

徐々に見えてくる丸亀城を見ながら若葉は楽し気に笑う。

 

「……でも、今の自然に笑う若葉の方が僕は好きだな」

「よくもまぁそんなセリフがすぐに出てくるなお前は…いやそうじゃないな……ありがとう、で良いのか」

「あはは。わざわざ言い直さなくても分かってるよー」

「むぅ」

「い、痛い若葉」

 

小さく頬を膨らませながら若葉は祐樹の脇腹を小突く。

逃れようとするが、腕をがっしりと掴まれているのでされるがままの状態だ。

 

「…………。」

「む、無言で突かないでよ」

「骨付鳥!」

「わかったわかった! 僕の奢りで食べよう。好きなだけ頼んでいいから!」

「ふふん。なら許してやろう♪」

「むぅ」

 

腕に密着させる力を強めて若葉はご機嫌にそう言った。

先ほどとは逆に今度は祐樹が小さく頬を膨らませていた。

 

「さて、彼氏から許可も出たところでさっそく今から行こう祐樹」

「え、でも夜景は……?」

「まだ時間はある。それに二人で見るのもいいが……なんだか今日はひなたとも一緒に見たい気分になった。ダメか?」

「……いや、いい案だと思う。せっかくなら一鶴も一緒が良かったかもね」

「それは問題ないだろう────そこにいるんだろひなた?」

「えっ?」

 

若葉が徐に振り向くと、電柱に隠れるように体を隠していた人物が一人いた。

声を掛けられた本人はビクッと肩を跳ねさせて、かけていた黒いサングラスがズレてその顔が露になる。

 

「うわ、ひなただ!? え、ずっとついてきてたの?」

「バレてしまいましたかー、はい祐樹さん。若葉ちゃんは流石ですね」

「そもそもこのプランを発案したのはひなただ。正直、何か裏があるんじゃないかと思っていた」

「さすが幼馴染だけあるね…」

「そういうことだ。ひなた、話は聞いていただろう?」

 

若干どや顔の若葉は電柱の陰からでてきたひなたに問いかける。

 

「せっかくのお二人の時間にいいんですか?」

「もちろん。食事はみんなで食べた方がより美味しいからな」

「今回は僕のお金だけどねー」

「そういうことなら遠慮なくご馳走になりましょうか♪」

「即答かい!? っておっとと!!?」

 

若葉とは反対側の腕にひなたが抱き着いた。

 

「ひ、ひひひなた!? きゅ、急に何を──っ!」

「ふふ。せっかく殿方がエスコートしてくれるんですもの。これぐらいの役得はあっても罰は当たりませんよ祐樹さん♪」

「両手に華だな祐樹」

「い、いやキミはむしろ怒る側でしょ?!」

「そうか? ひなたなら私は構わないぞ」

「だそうですよ祐樹さん。ささ、お願いします♪」

「キミらはまったく……あぁ、了解した」

 

観念したのか両腕を掴まれた祐樹は、二人を連れて歩きだした────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




若葉と言えばひなた。

シチュエーション的には『初心カップルがどうやってデートをしていくのか?』をテーマに書いてみた。

まあ若葉当人からはその答えに辿り着きそうになかったのでひなたに頑張ってもらった感じに……。

キャラ的に動かしやすいですね彼女(笑
ご希望に添えた内容になったか分かりませんが、楽しめてくれたなら何よりです。

最後に、ラストの祐樹くんは爆ぜてもいいと思う。


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story 2『ひと時の憩い』

ただひたすらに部屋でイチャイチャするお話。


日も暮れ、一日を終えようとしている時間帯。

夕食や入浴も済ませた高嶋祐樹は自室にて本を読んでいた。

 

(……中々面白いな。恋愛小説)

 

後輩である伊予島杏からオススメと借りた本。たまには違うジャンルの本も読んでみたかった彼からしてみれば彼女の提案は願ったり叶ったりだった。

訓練を終え、待機時間は読書に充てられるほどにハマりつつある。

そうして時間を使っていると、不意に扉がノックされた。

 

「空いてるよー」

 

間延びしたトーンで来客の知らせに応えておく。祐樹は基本的に部屋の施錠は行わないのでわざわざノックしなくても、と思ったがまぁ基本的な礼儀としては当たり前かと結論付けておいた。

 

などと、考えている内に扉が開けられ一人の少女が姿を現した。

 

「────夜分にすまない、祐樹」

「お、若葉だったか……こんばんは」

「こんばんは……入っていいか?」

「もちろん。どうぞ」

 

恐る恐るといった様子の乃木若葉が寝間着姿の状態で来てくれた。彼女はお風呂上がりなのかその髪はしっとりと濡れていて、肩にはタオルをかけていた。

 

「お風呂上がり? 湯冷めしちゃうよ」

「ここで乾かせてもらおうと思ってな。ドライヤー借りていいか?」

「どうぞ。場所はいつものとこにあるから」

「ああ」

 

勝手知ったるなんとやらと若葉はそのまま洗面所に向かっていく。

そうして祐樹は意識を小説に戻そうと思っていたら、今度はドライヤーを持って踵を返してきたではないか。

首を回してそちらを窺うと、頬を朱に染めた若葉と視線がぶつかる。

 

「……あの、頼んでもいいか?」

「そういうことね。いいよーおいで」

「ありがとう……髪が長くて自分一人だと少し面倒なんだ。よろしく頼む」

 

ぱあ、と明るく花咲かせた笑顔を浮かべていた。

それからちょこん、と正座をして祐樹の前に腰を下ろした若葉はその手に持っていたドライヤーを彼に手渡す。受け取った祐樹は近くにあるコンセントに挿し込み、電源を入れて風を吹かせた。

 

「確かに大変だよね。いつもはひなたがやってくれてるんでしょ?」

「そうなんだ。だが今日から数えて二日ほど大社本部に出向しているだろう? 気兼ねなく頼めるのは祐樹しかいなかったんだ」

「なるほどねー……凄いサラサラだなぁ」

「ふふん。だろう? ひなたが選んでくれるケア用品が良い証なんだ。自分でも触って驚くときが結構あるんだぞ」

「へぇ〜…さすが幼馴染」

 

果たして世の幼馴染がここまで尽くしてくれるのかはさて置いて、確かにドヤ顔するのも頷ける髪質だ。触っていて気持ちがいい祐樹であった。

 

「えっと櫛はーっと───あったあった」

「…しかしやけに手慣れてるな祐樹。女性の髪の手入れの仕方が分かるのか?」

「んー……まぁ、分かるというよりやって慣れた(、、、、、、)というか。よく友奈の髪を乾かしてたからねぇ」

「そうなのか? そういえば二人は親戚──いや、兄妹? だったか」

「────そこんとこ複雑だけどまぁ、幼い時に僕が引き取られて高嶋家に住んでたわけなんだけど……あいつ結構ズボラなとこがあるからさ、放置してるのも嫌になってきた僕が首根っこ引っ張って手入れしてたんだよ」

 

同じ姓を持つ祐樹と友奈。お互いに深く身の内を明かそうとしない二人の関係性は傍から見れば『よく判らない』という総評である。

かくいう若葉もその一人で、『恋仲』という立ち位置になったとしてもまだ分からない部分は数多くあった。訊ねたいという欲求は少なからずある若葉だが、だからと言って必要なことかと問われればそれほどでもないのが実状だ。

家庭環境というものはひとそれぞれある。良くも悪くもそうでなくとも、踏み入っていい話の場合とそうでない場合ももちろん存在する。

 

(……まぁ、どちらかが話してくれる日がいつかくるだろう。それまで気長に待つとするよ)

 

などと分別をつけるのには少々時間を有したが、今はその結論に落ち着いている。先ほどのように会話の流れで一部分出すことはあれどそれ以上は干渉しないと決めた。その代わりといってはなんだが、若葉は昔よりも未来に目を向けることにしている。せっかくの異性の恋人が、幼馴染である上里ひなたと同等以上の存在ができたのだ。

端的に言って昔のことばかり気にしていてはもったいない(、、、、、、)のだ。ひと一人の『時間』というものは有限で、その中で出会った人たちとの『時間』はそのさらに短いものなのだ。

若葉とひなたのように、祐樹と友奈のように、各々が限られた『時間』の中で育んできたものがある。優劣をつけるつもりはないがやはりソコに追いつくほどには祐樹との『時間』を作っていきたいと願っているのが今の若葉だ。

今日こうして部屋に訪れたのも、その一部に過ぎない。上里ひなたが居ないという理由ももちろんだが、半分はそういう理由を抱いて足を運んでいた。

 

「……はい。ドライヤーお終い」

「ああ」

「もう少し梳かせてもらうよ」

「頼む」

 

短いやりとりだけど、お互いはその時間を愛おしく感じていた。部屋には若葉と祐樹だけ。互いの息遣いと髪を梳く音が耳に届くぐらいには、それ以外の音は静かなものだった。

心が落ち着くというのはこの状態を言うのだろうと若葉は感じる。

でも面白いと感じることも一つあり、心が落ち着いているはずなのに心が弾んでいるのだ。

矛盾しているともとれるこの感覚は普通の日常では得難いものであると思った。そうして考えると異性に自分の髪を触らせているというこの状況そのものが、今でも信じられないと若葉は自嘲気味に笑う。

 

しばしされることののち、祐樹は櫛をテーブルに置いてそっとその両腕を若葉の身体に回してきた。当然若葉は驚いて肩を跳ねさせるが、離れようとはしない。それ以上に、目を細め自然体のまま自重を祐樹に預けていた。

 

「……若葉。良い匂いがする」

「はは、シャンプーの香りだろう。それより急にどうしたんだ? お前の方からこうしてくれるなんて珍しいじゃないか」

「んー……? なんとなく、して欲しそうな背中してたからしてみたんだけど……嫌だった?」

「嫌なもんか。嬉しい、よ……」

 

間髪入れずに言葉を返す。若葉は回された祐樹の腕に自分の手を伸ばしてそっと触れた。鼻筋を近づけてすぅ、と一呼吸していくと彼の匂いが身体の奥深くまで沁み込んでいくような錯覚になる。

 

「祐樹も良い匂いがするな」

「僕もさっき風呂入ったからな。その匂いでしょ?」

「ふふ、それは先ほどの意趣返しつもりか?」

「さーてね。でもこうしてキミを抱いてみると、やっぱり若葉も女の子なんだなぁって実感するわ」

「む、悪かったな女らしくなくて。どうせ私はひなたたちのように女の子らしさはないだろうさ」

 

若葉は小さく頬を膨らませて、触れていた指で祐樹の腕の肉を抓った。いたた、と苦悶の表情を浮かべる祐樹だがさらにぎゅっと抱きしめて抵抗を示してきた。

 

「違う違う。そうじゃなくて、いつも外ではキミは凛としているだろ? そういう若葉を見てきた個人としては感慨深いものがあるんだよ」

「私はチームの『リーダー』で『勇者』だからな。仲間や市民の不安を煽るわけにはいかない。それは祐樹も理解しているだろ?」

「うん」

 

こうして平和なひと時を享受していても、戦いは終わってはいないのだ。

 

「でもさ若葉。だからこそ僕はそんなキミを支えたいって思ってるんだよ。ともに肩を並べる仲間として、男として、恋人としてね。どんなに若葉がカッコよくても、強くても、憧れ頼もしくても……せめて僕の前では若葉は一人の女の子でいて欲しいって思ってるんだ」

「祐樹……」

「ひなたには負けちゃうけどね」

「……そんなことない」

「若葉……? っと」

 

少し後ろに押し込んで祐樹を倒し、若葉は顔を見上げた。祐樹の瞳には羞恥に染まる彼女の整った顔が目の前にあり、彼もまた気恥ずかしくなってその頬をわずかに染めていく。

 

「祐樹はひなたとは違う。ひなたにはない魅力がお前にはあるんだ。その証拠に今も顔が熱いし、心臓もどきどきしてる……普段の時も気を抜いてしまうとお前の姿を目で追ってしまうほどなんだ。ずっとこうして触れ合っていたいなんて気持ち……お前が初めてなんだ、どうしてくれる」

「責任は取る所存だ。ひなたにも念を圧されてるし僕自身の意志もそれを望んでいるから」

「……馬鹿だな。私はめんどくさい女だぞ?」

「僕も割と同じだな」

「お堅い人間だと言われたこともある」

「若葉は寂しがり屋で優しくて可愛い人だよ」

「そんな恥ずかしいセリフ平然と言わないでくれ。もっと好きになってしまうだろ……?」

「……言っておいてなんだけど、今とっても恥ずかしいです」

「────っ!!」

 

ガバッと若葉は身体を反して祐樹を押し倒した。今しがたの位置が逆転して若葉が祐樹を見下ろして、祐樹は見上げる形になる。

唇を固く結んで若葉は上気した瞳を祐樹に向け、祐樹もまた彼女と同じ瞳を向ける。互いの瞳にはお互いが映りまるで鏡合わせかのよう。

 

「好きだぞ祐樹」

「ああ。僕も大好きだ」

「お前に甘えたい。甘えさせてくれ」

「もちろん。僕も若葉に甘えたい」

「……ああ、いいぞ。まったく仕方のない奴だな」

「それ若葉が言う?」

 

やり取りに対して小さく笑みが零れる。自然な微笑み。祐樹にとってそれは自分にだけ見せてくれる一面で、若葉にとって異性で唯一自然体でいれる男の子。

似通った二人なのかもしれない。似通った二人が次にしようと、考えていることもわかっている。

 

「祐樹……んっ」

 

小さく漏れる呟きに応えるように祐樹は若葉の頭に手を置いて引き寄せ、その唇を己のもので塞いだ。

まだ数える程度しかしていないその行為は、まだどこかぎこちなさが残っていた。触れるだけの優しいキス、それでも二人にとっては幸福以外の何物にも代えがたいものだった。

 

「……ぷ、ぁ」

「ふぅ……」

 

時間にして十秒にも満たないはずなのに永遠のような、そんな錯覚さえ抱かせる行為の終わりは酸素を求めることでその終わりを迎えた。

若葉はキスのせいか、腕の力が抜けて祐樹の身体の上に身を落とす。彼もまた若葉を受け止める形で二度目の抱擁を果たした。

 

「……全部が祐樹に包まれているようだ」

「まあ実際抱きしめてるから間違ってないね」

「もう少し浸らせてくれてもいいだろ?」

「そう言いながら服に顔を埋めているのは誰だー?」

「お前が惑わせる匂いを発しているのが悪い」

「僕のせいかよ……そしたら僕も若葉の匂い嗅いじゃうぞ」

「────変態」

「ちょっ、酷くない!?」

 

若葉は顔を埋めたまま首を左右に振るが、それだと肯定しているのか否定しているのか判断に困る。

 

「すまない。甘えさせる約束だったな……祐樹にならいい。恥ずかしいけど……」

「なら遠慮なく……すぅー」

「ちょ、もう少し遠慮というものが……っ」

 

言い切る前に祐樹の鼻先は若葉の頭頂に向かい、先ほどと同じようにその匂いを堪能していく。

二人して体臭を嗅ぎまわるカップルは自分たちぐらいだろうな、と祐樹は思考の片隅に過ぎった。

 

仰向けの体勢から横に倒れて寝転ぶ体勢に変え、若葉はその腕を彼の背中に回してみせた。

 

「……なぁ祐樹。もう一つ我がままを言ってもいいか? 今日はこのまま一緒に────」

「今日は一緒に居たいな若葉。迷惑じゃなければ、だけどさ」

「………………うん」

 

顔をこれでもかと火照らせ、若葉は一つ頷いてみせた。やましい気持ちがあるからではない。純粋に一緒の時間を過ごしたいだけ。

離れたくない、という欲求が今日たまたま強かっただけなのである。しかしこのまま床の上で寝るわけにはいかないので一度身体を起こすことにした。

 

「……っ。そんなにくっ付かれると動きずらいんだけど」

「祐樹は私といるのが嫌なのか?」

「そんなわけない」

「そうか。ふふ、そうか……」

 

ニンマリ、といった表現が正しい若葉は再び祐樹に自重を預ける形で状態を落ち着かせる。彼も口では言いながらも邪険には扱わない。せっかく若葉が甘えてきているのだから受け入れなければ損だ、ぐらいの気持ちでいる。現に男性からしてみれば好きな女性が自らすり寄ってくる場面に喜ばないわけがないのだが。

 

「そういえば来た時に何か読んでいたな……小説?」

「伊予島から借りたんだ。恋愛小説なんだけどなかなか面白い」

「ふーん…浮気か?」

「なぜそうなる……僕が浮気するような人間に見えるかい?」

「証明してくれないと分からない」

「……なら若葉。こっち向いてくれ」

 

顎に手を添えて言うまでもなく二人とも目を閉じて唇を重ねた。今度は押し付けるだけのものではなく、二度、三度と啄むようなキスを繰り返し行う。

 

「──っは、あ。キスというのはこんなにも気持ちがいいのだな。癖になってしまいそうだ」

「僕は若葉とのキスはとっくにハマってるけど」

「みたいだな。からかって悪かった…………もう一回いい、か?」

「もちろん」

 

離れては見つめ合い、再び重ね合う。まるで初めて楽しいことを覚えた子供のように、若葉と祐樹は行為に没頭していた。

それは伊予島杏から借りた恋愛小説よりも甘い展開を繰り広げているのだが、当の本人たちは気がつかない。恋は盲目なり──を体現している両者はただただ酔いしれていく。

 

「……こんな姿、誰にも見せられないな。威厳もへったくれもありはしない」

「見せなくていい。今の若葉を知っているのは僕だけでありたいよ。ひなたにさえ……ね」

「独占したいのか?」

「あぁ。独り占めしたい」

「そんな歯の浮くような台詞をよく言えるな祐樹。けどそんな言葉も嬉しく感じてしまう私もまた浮かれているのだろうなぁ」

 

しみじみ口にする若葉はパラパラとページをめくり始めた。その様子は『読む』というより『見る』や『眺める』が近しいか。

 

「文字ばかりだな」

「それはまぁ小説だからね。ラノベとかなら挿絵が多いから読みやすいのかもしれないけど……読む?」

「いや、また今度にするよ。杏から直接見繕ってもらうから…すまないな読書の邪魔をして」

「気にしなくていいよ。返却はいつでもいいって言ってくれてるし、優先順位は若葉が先だから」

 

祐樹がそう告げると目を細めて寄りかかってくる。頭を撫でると撫でやすい位置にズレてしてもらうあたり、実は甘え上手なのかもしれない。

というか、まさかここまでトロンとするとは思ってもみなかった。

しみじみと感じながら祐樹は若葉の手をとって自分の手を重ねる。

 

「手はこうやって比べると結構違うんだな」

「確かに……祐樹の方がずっと大きいな。男らしい好きな手だ」

「キミの手こそ刀を握っているとは思えないほど綺麗だなぁ」

「ありがとう」

 

なんてやり取りをして祐樹は若葉の手のひらをふにふにと触る。この小さな手に数多の願いや想いを握っていると考えるととても信じられない。

堪能していると今度は変わって若葉が祐樹の手を掴んで同じように触り始めた。くすぐったいような、こそばゆい感覚。そうして次にその手を若葉は自分の頰に包むように当てた。そのままスリスリと頬ずりしてうっとりとしていた。

 

「暖かくて落ち着く。なんだろうな、この気持ち……世の恋人たちはこんな想いを胸に秘めているんだと思うと、不思議な感じになるよ」

「だねー…外でイチャついているカップルの気持ちが幾ばくか理解できるような気もする」

「私はあんなことは出来ないぞ。人前で平気にキスする人もいるなんて流石に無理だ」

「あー…確かに難しいかも。視線ばかり気になっちゃいそうでそれどころじゃなくなると思う」

 

むにむにと祐樹は手のひらで若葉の頰の感触を楽しむ。くすぐったそうに身をよじる彼女はとても可愛らしい。

 

「どうする? もう寝るか…? 明日も早朝の鍛錬あるし」

「…隣で寝ていい?」

「うん。おいで」

 

彼の言葉に年相応の表情を若葉は見せた気がする。嬉しそうに、楽しげに。毛布をめくって潜り込む若葉はその勢いで祐樹に抱きついてきた。女性特有の柔らかさが余すことなく伝わってきてドキりと心臓を鳴らす。とは言っても表にその感情を出すことはないので祐樹は電気を消して若葉と同じように抱きつく。

 

「…祐樹の匂いがする」

「僕の布団だからね。暑くない?」

「丁度いい。よく眠れそうだ」

「ひなたとはこうして一緒に寝たりするの?」

「……たまに、ならな。いや、ほとんどひなたのやつが押し切ることが多いんだ……察してくれ」

 

薄暗闇の中でも表情はなんとなく読める。乾いた笑みを浮かべて話す若葉だが、その言葉端には嫌悪というものは感じられない。何だかんだ言って嬉しいのだろう。素直に喜ばないのは意地なのか照れ隠しなのか分からないが、後者であった方が可愛げがあっていい。

 

もぞもぞと身体を動かし、若葉は顔を祐樹の胸に押し付けて深呼吸していた。

 

「ひなたは何時頃に帰ってくる予定なの?」

「午前中には戻ると連絡はきてたな。一緒に出迎えに行ってくれると嬉しいのだが……」

「断る理由はないね。一緒に行こうな、若葉」

「ありがとう、祐樹────んぅ」

 

寝る前の最後の口づけ。これで今日は終わる。

 

「……おやすみ祐樹。大好きだぞ」

「おやすみ若葉。僕も大好きだよ」

 

幸せを噛み締めながら、二人は微睡みの中に落ちていった────。

 

 

 




きっとこの甘え上手なのは未来に引き継がれているのかもしれないな!(断言

流石ご先祖様や……。


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楠 芽吹の章
story1『楠芽吹は食べさせたい』


大変遅くなりました。
リクエストから話を広げてみました。



ゴールドタワー。

 

それは正規の勇者たちとは別に選ばれた『候補生』が集う施設である。

構成される人材は三十二とし、実力に紐付かれた精鋭八人を筆頭に『隊』をなしている。

いずれも『勇者』たちとは別で秘密裏に行動し、彼女たちを間接的に支える…それがこのゴールドタワーに所属する『候補生』たちの任務であった。

 

楠 芽吹。

 

防人を務めるこの隊の総指揮官である彼女は皆に一目置かれ、有事の際には全員をまとめ上げ、先導するその姿は『勇者』たちに引けを取らない人物だ。

そんな彼女は教室を離れてとある場所に赴いている最中であった。

午前の講義も終わり、一度昼食を挟む所謂『昼休み』の時間。

 

芽吹は目を伏せ、凛とした姿勢を維持しながら施設の中を渡り歩いていた。

 

(…とうとうこの時間がやってきたわね)

 

キッと伏せていた目を細めて眼前を睨みつけるその行動はさながら死地に赴く戦士のそれに近かった。

すれ違う仲間たちからはそんな芽吹を見て「ヒッ!?」と小さく悲鳴を上げている。当の本人はそのことに気がつくことなくスタスタと歩を進めていくとつき当たりの所で扉が一枚確認できた。

 

「……ふぅ」

 

一度扉の前で立ち止まった芽吹は短く息を吐いて心を落ち着かせる。

そしてゆっくりと扉に手をかけてその先へと目をやる。

 

 

「……お! メブぅ〜! 遅いよー、こっちこっち!」

 

広い一室にはちらほらとタワーに所属する少女たちの姿が目に入った。

テーブルと椅子、カウンターと必要最低限に収めたこの室内は昼時、放課後などに解放されるオープンスペースのような感じの場所だ。

 

いの一番に芽吹の存在に気づいた少女はニコニコと手を振ってこちらに招いていた。

 

加賀城 雀。

防人隊の『護盾型』に所属する彼女は芽吹の横にいつもついてくる少女である。

芽吹は彼女に呼ばれる足で近づいていくと、いつも集まっている面子が幾らか少ないことに気がつく。

 

「今日は少ないわね?」

 

芽吹の言葉に雀は「そうなんだよ〜」と相槌を返す。

 

「弥勒さん、しずく、あややは他の人たちと外にランチに行っちゃったんだー。今日のお弁当組はわたしたちだけだよ」

「……そう」

 

何が楽しいのかにへらと笑みを浮かべる雀を他所に、芽吹は隣に腰を落ち着けた。

そのまま対面に居る”彼”にも声を掛ける。

 

「祐樹君はついていかなかったのね?」

「いやぁ、あの中に男一人ってのもどうかと思って……」

「あら。そんなの今更じゃない、唯一の男性勇者さん(、、、、、、)?」

「からかわないでよ芽吹」

「ふふ……ごめんなさい」

 

苦い顔をしながら彼女の言葉を躱す祐樹と不敵な笑みを崩さない芽吹。

そう。芽吹にとって今この瞬間から戦いが始まっていたのだ。

 

(……ここまではリサーチ済み、想定内ね)

 

芽吹は雀と祐樹以外のメンバーが外出していることはあらかじめ把握していたのだ。

本音を言えば雀も同じように行って欲しかったようだが、彼女の性格を考えたら仕方ないと割り切ることにしていた。

 

(さて……祐樹君。あなたの昼食は────)

 

いつもは芽吹自身それほど力を入れているわけではない昼食。

しかし今日、この日はいつもの量よりかは幾らか増量しているのだ。その理由は至極単純……目の前の彼、祐樹に食べてもらうため。

 

(今までの統計からして祐樹君のお昼はパンやコンビニのお弁当が多数を占めている……育ち盛りの男子からすればその量はきっと足りてないはず…!)

 

傍らでお弁当の包みを開けながら雀と会話を繰り広げている祐樹を見つめる。

 

「見てみて祐樹くん! じゃじゃーん!」

「え……サラダだけ? なになに雀は草食動物になったの??」

「うえぇ!? そんなわけないじゃん!! …実は雀さん特製ドレッシングを作ってみたんだよぉ。その名も『みかんドレッシング』っ!」

「──美味しいのソレ?」

「美味しいに決まってるっしょ! えへへ~また一つみかん道を極めてしまった気がする♪」

「みかん道なんて初めて聞いたよ……」

 

先ほどからテンションが高いのはそういう理由か、と芽吹はルンルン気分の雀を白い目で見ながら三段に重なった重箱をテーブルに乗せる。

その瞬間に二人の視線が一気に芽吹へと向けられた。

 

「ひゃわー! メブ今日はまたどうしたのこのお弁当!?」

「……たまたま興が乗って作りすぎただけよ」

「え、これって興が乗ったってレベルじゃないような? メブもしかして祐樹くんに────」

「な・に・か?」

「あぁいえいえ、なんでもないですはい……ふえぇ、わたしまだ何もやってないよね……?」

「凄いね芽吹……おー、とっても美味しそう!」

 

しくしくと鳴いている雀はとりあえず放っておく。

祐樹の視線が一段目を開けた弁当に向けられて、芽吹はその瞬間を見逃さなかった。

 

(──かかったっ!!)

 

出だしのインパクトからの中身の華やかさ、そして量。

これらの情報を一心に受け取った彼の興味が惹かれるのは自明の理だ。

 

ここですかさず芽吹は追い打ちを仕掛ける。

 

「──まぁ作りすぎちゃったのは事実なの。よかったら祐樹君食べてもらえるかしら?」

「えっ? いいの??」

「ええ。とても私一人では食べきれないし、嫌じゃなかったらどうぞ」

 

出来る限り自然に笑みを浮かべながら重箱を差し出す。

前々から計画していた『祐樹君に手作りお弁当を食べてもらおう』という任務(ミッション)

芽吹は恥ずかしくて、他の隊員の手前もありどう行動するべきかを常に考えてきた。

 

(この流れなら違和感もなくごく自然に食べてもらえる……ふっ、我ながら名案だわ)

 

いつだか会話の流れで祐樹は問われたことがある。

 

────祐樹くんの好きな女性のタイプってあるのかにゃー?

 

隊の誰かがなんとなく、訊ねた一つの質問。

当時教室で放たれたその一言に一瞬場の雰囲気が変わった気がしたが、芽吹はそれ以上に関心がそちらに向けられたのを覚えている。

 

しばしの沈黙の後、彼は

 

『うーん。家庭的な、料理が上手な女の子っていいよね』

 

少し気恥ずかしげにそう述べた言葉に芽吹は天啓が閃かれた。きゅぴーんと。

その日からなぜか彼が昼食や夕食に誘われることが多くなっていたのが気にかかったが、芽吹は来たる日に備えて練磨を重ねてきたのだ。

 

「──じゃあ、僕も何かあげるよ」

 

そういって芽吹は割りばしを手渡そうとしたところでその手がぴたりと止まる。

目を丸くして彼女は祐樹に視線を移すと彼の手元には青い包みが…。

 

「えぇ!? 祐樹くんお弁当作ってきたの〜?!」

「雀…なにもそんなに驚かなくてもいいじゃないか」

「だってだってー。今までパンやらコンビニのうどんだったじゃん!」

「…………、」

 

芽吹は確かに雀の言う通り彼が料理をするなんて話には聞いていなかった。

出来ないであろうと勝手な想像をしていた彼女もこれには驚愕せざるおえなかった。

 

────食べてみたい。

 

率直に思った感想がこれだった。

表立って顔には出さまいと鋼の精神で抑える芽吹の意識は『食べさせる』ことから『食べてみたい』にいつのまにかシフトしていた。

 

「みんなのお弁当見てたら僕も作ってみようなかなぁなんて思ってさ。タワーに来る前はそれなりにやっていたんだけど、結構ここでの訓練とかキツくてどうにも重い腰が上がらなくて…」

「あぁーそれ分かる分かる。わたしも今でも実家に帰りたくなるもん」

「いや、キミの場合楽しようとして芽吹にバレた挙げ句倍メニューになってるだけじゃん。自業自得だぞ」

「そ──そそそんなことないよっ! わたしは真面目にやってぇ…」

「雀。どうやら倍メニューじゃ少ないようね」

「め、メブぅ〜…」

 

オロオロと狼狽える雀。

 

「じゃあ、えっと……卵焼きでいいかな芽吹?」

「ええ。なら私は唐揚げを……っ!?」

 

スッと目の前に差し出された卵焼き。祐樹はどういうわけかそのままの状態で芽吹に差し出してきたのだ。

これにはポーカーフェイスを維持していた彼女も動揺をしてしまう。

 

(まさかこれは……俗に言う、『あーん』じゃ?)

 

芽吹は頰が熱くなるのを自覚する。

雑誌の類や噂でしか聞いたことのないこの行為をまさか自分に降りかかってくるとは思いもよらなかった。

 

(ど、どうすれば…!? 普通に食べればいいの?? えっと……あぅ)

 

口を開けては閉じてまるで酸素を求める魚のように芽吹はどうしていいか分からないでいた。

そして、目の前の祐樹もいつまでも食べてくれない彼女に首を傾げている。

 

この男、どうしようもなく無自覚である。

こういう思わせぶりな態度を他の隊の人たちにもやっているのだが、それはまた別のお話。

 

お互いが硬直状態でいると、そこに刺客が現れた。

 

「…あっ、美味しそうな卵焼きだぁ♪ …ぱくっ!」

『あっ』

 

いつの間にか落ち込んでいた雀が復帰を果たしたかと思えば、箸に掴まれていた黄金色のソレを食べてしまったのだ。

モグモグと頰に手を添えながら美味しそうに咀嚼する姿に当人たちを除いた数名の防人の仲間たちは顔を青ざめていた。

 

────あいつ、終わったな。

 

何だかんだこの場所の九割以上は女子の空間。

唯一の男子となれば、その場の会話に交わらなくても気になるものである。

いわゆる聞き耳を立てていた隊の面々は絶対零度の眼光を放つ芽吹に畏怖の念を抱き、今も幸せそうに咀嚼している小鳥の最期に合掌するしかなかった。

 

「ん〜♪ 甘い卵焼きサイコー! 祐樹くん料理上手だねー!」

「あ、ありがとう……でも、その」

「うん?? どしたの……って、ぴゃ!!?」

 

冷や汗をかきながら祐樹は小さく雀の横を指差して彼女に知らせる。

不思議がった雀は横に顔を動かそうとしたところで、ガシッとその頭部が一人の少女の手によって掴まれた。

 

ミシミシと軋む音を伝えながら雀は自身の状況を悟った。

身体が無意識のうちにガタガタと震え始める。

 

「め、メブ……わたしの頭を掴んでなにをぉあだだだだっ!!!?」

「……断罪」

「ぎゃあー!? やめてよメブぅ!! 割れちゃう! 中身が出ちゃう!? ゆ、祐樹くーん! ヘールプッ!」

「芽吹! 卵焼きまだあるから、そろそろその辺に……」

「ギ、ギブギブ!! ひわー!」

「雀が死んじゃう!? め、芽吹! タコさんウインナーもあるから!!」

「……っ!」

 

ピタリと万力の如く締め付けていたその手の動きが止まる。

 

「……くれるの?」

「う、うん。どうぞ」

 

祐樹が頷くと芽吹は雀を解放して彼の方へと向き直った。

 

「食べさせて、祐樹君」

「う、うん。じゃあ、あーん」

「…っ。あ、あーん」

 

今度こそ箸に掴まれたおかずが芽吹の口に運ばれた。

頰を朱に染め、小さく咀嚼するその姿は小動物を連想させる。

先ほどの修羅の顔が何処へやら。

 

少しの間の後、飲み込んだ芽吹はもう一度祐樹を見やる。

 

「…卵焼き」

「はい、甘いのだけど平気?」

「うん」

 

先ほどの剣幕も鳴りを潜めて芽吹は餌を待つ小鳥の如く、祐樹にはそれが可愛く思えて仕方なかった。

 

「芽吹料理上手だから口に合うか心配だったよ」

「そんなことない。美味しかったわ……今度は私ね」

「僕も?」

「…嫌?」

「ううん。じゃあ、あーん」

 

今度は祐樹が口を開けてきた。芽吹はその光景に喉を鳴らし箸で唐揚げを掴むと震えながら恐る恐るといった感じで祐樹の元に運んでいく。

『される』のももちろん『する』なんて前の自分ならすれば考えられないな、と彼女は考えていると祐樹は唐揚げを口に含んで食べ始めた。

 

「…うわぁ、美味しい! これって手作り?」

「ええ。口にあって良かったわ。他のもどんどん食べて」

「おいしそう……いいなぁ祐樹くん」

「……はぁ、雀も食べなさい。その代わり雀のやつと交換よ」

「…っ!? さすがメブぅ〜! うんうん!!」

 

まるで救世主を見たかのように雀の瞳はキラキラと輝いていた。

なんだかんだいつもの調子を保てているのは側にいる彼女のおかげかもしれないと芽吹は思う。

 

「それならみんなで交換し合おう! 祐樹くんもどうぞ〜♪」

「どれどれ……あ、本当だ。美味しいなみかんドレッシング」

「…そうね。正直驚いたわ」

 

二人で彼女の自信作の料理を摘むと確かに想像していた以上に美味しいものだった。

その二人の反応を見た雀はにへら、と口元を綻ばせていた。

 

「でしょでしょ!! もっと褒めてくれてもいいんだよぉ〜♪」

 

でもあまり褒めちぎるとまた調子に乗りかねないので、ほどほどにしておこうと芽吹はこのひと時を過ごしていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴールドタワーの食堂で楠芽吹は頬杖をついて外の景色を眺めていた。

その瞳は何を映しているのか他の者には分からないが、普段らしからぬ彼女のその姿に傍らに居た祐樹と雀はうどんを啜りながらこちらも眺めていた。

 

「…メブ、どうしたのかな?」

「もしかしてお役目で新たに大赦から通達があったとか?」

「あーあり得そう」

 

今日はお弁当ではなく食堂からのメニューを食している彼らは目の前にいる芽吹の思考を読み取ろうとあれよこれよと話し合うが、どれもしっくりとくる理由が見当たることはなかった。

そうこうしている内にうどんも食べ終わり、その間にも芽吹は変わらず。いい加減に問いかけようとしたところで彼女の方から口を開いた。

 

「ねぇ、祐樹君」

「なにかな?」

「私って………魅力ないのかしら?」

「っ!? ごほっ!!?」

 

こちらに視線を向けて愁いを帯びた瞳で語りかけてくる。

うどんの汁を啜っていたところでこの仕打ちに彼はむせ返るしかなかった。

隣に座る雀は口元を押さえてプルプル震えている。

 

「きゅ、急にどうしたのさ芽吹。キミらしくもない」

「私らしく…? ふふ、私らしさって何かしらね」

「……ぶふぅ!」

 

肩をわなわなさせて雀はテーブルに突っ伏すようにしているが、堪えきれずに吹き出していた。

何時もならそのままお仕置きの流れも、芽吹は特に意に介さず話を続ける。

雀はなぜか物足りなさを感じていた。

 

「防人隊の人たちと比べて私は女の子らしくないなと。最近の流行り廃りも分からないし。そう考えるとあやちゃんなんて私の理想形ね。可愛いし、人が良くて愛想もいい」

「んー、確かにあーちゃんはそうかもしれないけども…芽吹も充分に可愛らしい女の子だと僕は思うよ?」

「………そんなことない」

「あ、メブにやけてる」

 

雀の指摘するように芽吹の口角は少しだけつり上がっている。

一見して変わらない表情のように見えるが、常に守ってもらえるように近くにいた雀には判別ができるのだ。

だからこそ思うこともあるようで、

 

(素直じゃないなぁメブも。というかよく好きな人にそういうことしれっと聞けるよね〜…わたしには恥ずかしくて無理ムリ)

 

ぶっちゃけなくても楠芽吹という少女が祐樹のことを好いているのは誰もが知っている事実だ。

素知らぬ顔で隠し通していると思っているのは目の前の当人たちだけだろう。

現にこの前からお弁当を用意しているのはそういう理由故であることは想像に難くない。本人は否定していたが。

やれやれとお茶を啜りながら雀は傍聴を続ける。

何だかんだいって身内の色恋沙汰というのは見ている分には面白いものだ。

 

「でもあやちゃんか私かを選んだとしたら、答えは前者になるのも事実でしょ?」

「そうかなぁ…? あーちゃんの良さはあーちゃんにかないものだし──芽吹には芽吹にしかないものもあるよ」

「…例えば?」

 

不安げに芽吹は祐樹を見やる。

 

「例えば? えーと、芽吹ってみんなからお堅い人だーって言われるみたいだけど、ふとした時に見せる自然な表情って言うのかな…そういうのは他でもない芽吹の魅力だと思うな。僕も思わず見惚れちゃうから」

「……っ」

「あとはそうだねー。今みたいな悩み顔してる芽吹もプラモを真剣に作っている時の顔も年相応の女の子のようでとても好感が持てるねぇ。あとは……」

「も、もういいですっ!! 十分ですからッ!!」

「うわ〜…メブ顔真っ赤だ。てか、聴いてるこっちも恥ずかしい」

「ん? もちろん雀にもいいところあるよ。例えば────」

「まさかの飛び火っ!? や、やめて! 恥ずかしくて死んじゃうから!!?」

 

二人して羞恥の色に染まり祐樹の口を止めるが、言葉を遮られた祐樹は不満げな顔をしていた。

 

「むぅ。結局、芽吹はあーちゃんみたいになりたい感じなの?」

「いやいや祐樹くん。それは無理というか寧ろ不可能というか……例えるなら弥勒さんがボケをかまさなくなるくらい有り得ないことでしょ」

「すーずーめー。あなたが私のことをどう思ってるかよく分かったわ。次の訓練の時から覚悟してなさい」

「そ、そんなぁぁ!!? メブぅー! お慈悲をっ! 疲労で死んじゃうからヤダぁーー…」

「こらっ! もう、くっ付かないで!」

 

ぴーぴー喚きながら芽吹に抱きつく雀に祐樹は苦笑を浮かべる。

 

「私だってあやちゃんみたいになれるなんて思ってないわ。でもあの真っ直ぐで純粋無垢な感じはある種の憧れがあるのよ。でもほら、雀も言うように私はこうだから……」

「…そんなことないよ芽吹」

「えっ?」

 

芽吹の手を取って祐樹は静かに微笑む。

 

「今の芽吹でも十分に魅力的だよ。誰にも負けてないと僕は思う」

「祐樹君……」

「憧れや、こうなりたいと考えることは今の自分を高める糧になるんだ。諦めるんじゃなく、切り捨てるわけでもなくね……それはキミ自身がよく解っているはずだよ」

「……あなたが教えてくれたことだったわね」

 

そのやり取りに雀は深くまで知り得ない。でもいつからか芽吹の雰囲気というか纏う空気が変わったことがあったことは記憶に新しかった。

しおらしく顔を俯かせながら芽吹は祐樹の手を握り返す。

そんな彼女の様子を雀はキラキラと瞳を輝かせながら見ていた。

 

(ふぉー、あのメブが……乙女だっ!! 信じられない光景を見てるよわたしぃ~!)

 

これで二人が男女のお付き合いをしていないのだからある意味凄いものだ、と雀は内心で考えていた。

祐樹の言葉にすっきりとした表情をしている芽吹は自分がどういう表情を浮かべているのか分かっているのだろうか。

 

「…ねーねーお二人さん。わたしのことを忘れてやいませんかね?」

「雀。居たの?」

「うえぇー!? それは酷いよメブー!」

「ふふ、冗談よ。なんだか私らしくない悩み事だったわ。二人ともごめんなさい」

「うん。いつもの芽吹が一番だね。それに……こうしてフレームに収めて見るとまるで姉妹みたいだ」

「もう。調子がいいんだから……って姉妹?」

 

うんうん頷き祐樹は指で枠を作る動作と言葉に疑問を抱いた芽吹は後ろを振り返る。

そこにいたのは、

 

「あややだ~! おかえりぃ」

「はい、雀先輩ただいまです。芽吹先輩に祐樹先輩も。ずいぶん盛り上がっていたようですけどなんのお話をされてたんですか?」

「あやちゃん。他のみんなも戻ってきたの?」

「もう少ししたら戻ると思います。弥勒先輩が連れて行ってくれたお店の食べ物どれも美味しかったです!」

 

ニコニコと笑顔を咲かせる彼女……国土亜耶はどうやら先にこのゴールドタワーに戻ってきていたようだ。

 

「実は芽吹があーちゃんに憧れてるって話をしてたんだよ」

「ゆ、祐樹君!」

「そうなんですか? それはそれは大変恐縮といいますか……ありがとうございます芽吹先輩」

「あとは姉妹みたいだねって話もしてたよ」

「姉妹ですか! 芽吹先輩がわたしのお姉さんだとすごく嬉しいですっ! 元々は一人っ子なので兄妹姉妹はわたしも憧れがありますね♪」

「…私もあやちゃんが妹だと嬉しいわ。可愛いし、とにかく可愛い」

「は、恥ずかしいですよー芽吹先輩……あっ、それなら芽吹先輩のことをお姉様(、、、)と呼んだ方がいいんでしょうか?」

「っ!?」

「あ……メブが凄い衝撃を受けてる。流石あやや」

 

雷に打たれたかのように芽吹は驚愕していた。

亜耶は小首を傾げて心配そうに見つめている。

 

お姉様(、、、)? どうされましたか?」

「っっ!!」

「はわっ。だ、大丈夫ですかお姉様(、、、)、どこか具合でも悪いんですか??」

「はうっ!?」

「うわー…メブが見事にクリティカルヒット受けてるよ。あややも分かってやっているのかな? 『お姉様』呼びになっちゃってるし」

「──いや雀。あーちゃんのあれは素で言ってるぞ……っとと、芽吹大丈夫か?」

 

卒倒しそうになる芽吹を支えるように抱えると、芽吹は息を荒げて「…ええ」と頷いた。

 

「破壊力が凄いわ……」

「うん、だろうね。立てるかい?」

「ありがとう祐樹君」

「お二人は仲良しさんですね〜♪ 前から思っていたのですが、お付き合いとかはしないんですか?」

「ちょ…あやちゃん!?」

「…あはは」

 

亜耶の発言に思わず視線が重なる二人であったが、すぐに羞恥に耐えきれずに芽吹から視線が逸らされる。

 

「そうだよメブぅ~。この際だから二人とも付き合っちゃえばいいじゃん! そして二人でわたしを守ってくれればなお良しだから!」

「キミはどうこう以前にただ守ってもらいたいだけかい」

「あ、当たり前だよ! それがわたしなんだからー! 死にたくないんだもんっ!!」

「…すーずーめー!!」

「わぴゃあ!? このメブの気配はマズい気がする! 逃げろーあやや!!」

「わ、わ!? わたしもですかぁぁー……」

「いっちゃった……」

 

脱兎のごとく走り去っていく雀となぜかとばっちりを受けて一緒に連れ去られる亜耶。

芽吹も怒り口調ではあったがそれ以上は追わずにため息を漏らしていた。

 

「はぁ、まったくあの子は」

「──まあ元気があっていいんじゃない? こういう騒がしさも大事だと思うよ」

「そういうものかしらね……」

 

お互い顔を見合わせてクスリと笑い合う。

 

「さてと、また午後から訓練するわよ祐樹君。私は色々と越えなきゃいけないものが沢山あるんだから、休んでばかりいられないわ」

「うん、頑張ろう。一緒に」

 

芽吹はそう言いながら立ち上がり、祐樹はそんな彼女の後姿を目にする。

 

────凛としたその立ち姿にかつての面影はどこにもない。

 

けれど以前よりも確かに温かく、力強い、真っすぐ折れないモノが育っていることを祐樹は知っている。

芽吹はまだそれを自覚していない。

それを彼女自身が知ることになるのは、もう少し先のお話だ────。

 

 

 

 

 

 

 




たまにはこういう付き合う前の関係性でもいいよね?


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三ノ輪銀の章
story1『夏祭り』


私に神託が下りたんだ。だから書いた!(ドンッ



ここは乃木邸の一室。園子の衣装部屋とも言われるこの室内に本人を含め三人の少女たちが居合わせていた。

 

その中で一人を除いて妙に上機嫌で、かつ鼻息を荒くしている者もいれば、キラキラとした瞳を輝かせている者もいる。

 

「…なぁーほんとーに似合ってるのかコレ?」

 

不満げに言葉を漏らす彼女の名は三ノ輪銀。彼女は神樹館に通う小学生で世界を守る御役目を担う『勇者』である。

学校では、性格も明るく活発な少女を印象付けでおり、また勇者としては前衛、アタッカーとして先陣を切る──といった誰からしても取っつきやすく親しみやすい女の子である。

 

「…むぅ」

 

そんな彼女が渋い顔をして姿見の前に立って未だにブツブツと口にしていた。

理由は単純で、その身姿によるものだった。

 

「──そんなことないわよ銀。とてもよく似合っているわ♪」

 

微笑みながら銀の着付けをしているのは鷲尾須美。

膝を折って身を包む彼女の衣装──『浴衣』を着せている。時刻は夕方、本日は夏場に入って初めてのお祭りの日。

 

今はその準備を乃木邸で行なっていたというわけだ。

 

「アタシは普段の格好でよかったんだけどなぁ……須美や園子と違って着こなすというより着られてる感がスゴイんだよー」

「あら、着物は線が細い子の方がよく似合うのよ。大丈夫、誰が見ても銀は立派な大和撫子よっ!」

「くぉぉ…っ!? し、締めすぎだぞ須美ぃー!」

「あら、ごめんなさい。ついつい……」

 

熱が入ったせいか帯を強く締められてしまう銀。一瞬やめてもらおうかなぁなんて考えたが、横目で見る須美の嬉しそうな表情を捉えてその考えも何処かへ消えていく。

 

恥ずかしいものは恥ずかしいが、せっかく友人が用意してくれているんだから……と自分自身を納得させていくしかない。

しばらく身を任せていると、部屋の横扉からひょこっと園子が顔を出してきた。

 

「どーお? わっしー順調~?」

「ええ、そのっち。丁度今終わったところよ……はい、銀できたわ」

「さんきゅー須美! っとお、動きずらいなぁ」

「わぁ♪ ミノさんよく似合ってる~~!」

「そういう園子こそ、似合ってるな」

「わーい! ミノさんに褒められた~」

「銀、私は?」

 

身を乗り出してきた園子の浴衣の色は紫をベースとしたもの。着付けをしてくれた須美は青色で銀は赤といったそれぞれの色をモチーフとしたものを着ている。

園子に感想を述べていると、横に居た須美が小さく頬を膨らませながら袖を引っ張ってきた。

もちろん、と銀は須美の頭を撫でながらニカッと晴やかに笑う。

 

「須美もすっごい似合ってるぜ!」

「…うん!」

「えへへーこれでみんな準備万端だね。後はーゆっきーと合流するだけ!」

「そうねそのっち」

 

びしっと指を立てて園子は銀に向かって言う。園子の一言に銀の表情は強張ってしまう。

 

(そ、そうだったー!? 高嶋さんもいるんだよね。改めて見ると……へ、変じゃないよな)

 

ちらりと鏡を見てもう一度その格好を確認する。友人や家族、道行くひとたちの浴衣姿は数多く見ているために見慣れてはいるが、自分自身がこうして着ている姿にはどうしても違和感が拭えない。

 

「銀、問題ないわ。この私が保証します」

「そうだよミノさんー。ゆっきーもきっと可愛いって言ってくれるってー♪」

「ばっ!? そ、そんなこと気にしてないしっ!!」

 

にやにやと視線をぶつけてくる二人に銀の顔は真っ赤になってしまう。今しがた意識してしまっていたところに的確に指摘してくる二人に恨めしい眼差しを向ける。それでも今のテンションの上がった彼女たちには効くどころか逆効果のようで、

 

「ミノさん今とっても恋する乙女になっとるよー! いいよぉ!!」

「銀、一枚撮らせてもらうわ。いいえ、もうたくさん撮るッ!」

「や、やめろー!!」

 

カメラを手にした須美を止めようと動き出すが慣れない衣装に普段の動きができないでいる。

それを好機にと二人にもみくちゃにされてしまうのだが、約束の時間いっぱいまで三人は騒ぎ合っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祭り会場には途中まで乃木家の用意したリムジンで送迎される。

相変わらず規格外だなぁ、なんて銀は考えながら窓の外を眺めているとそれらしい人たちがちらほらと見えてきた。

 

「今年は四人で夏祭り~♪ 楽しみだねーわっしーミノさん」

「そうね。でも銀はよかったのかしら、私たちと一緒でも」

「えっ? 当たり前じゃん、どうしたんだ急に?」

 

須美の言葉に視線を彼女に向けると、少しだけばつの悪そうな表情を浮かべた須美が口を開く。

 

「だって祐樹さんと恋仲になって初めての祭事でしょ。二人の時間も必要だと思うの。ただでさえ四人でいることが多いのに…なんだか申し訳ないわ」

「ちょ、須美さんや。そんなこと気にしないでくれよ、アタシも高嶋さんも一緒に周りたいからこうしてるんだしさ」

「でも……」

「まーまーわっしー。ミノさんもこういってることだし、あんまり言い寄るのもミノさんが困っちゃうんよ」

「……ええ、ごめんなさい銀。ならみんなでたくさん楽しみましょう」

「お、おう!」

 

園子のさりげないフォローに乗っかる。そうして園子が再び須美と会話を繰り広げている最中に、銀は窓に薄っすらと映る自分の顔が目に入った。

 

───誰がどうみてもその顔は朱に染まっており、また口元は緩んでいるその顔を。

 

自分の照れ顔が恥ずかしくて銀は正面に向き直る。

銀は意識しないようにしていた。須美の言う通り彼女と祐樹は男女のお付き合いをしている。

付き合い始めてまだまだ日の浅い二人だが、こういったイベントは今日が初めてなのだ。嬉しくないわけがない。

 

(うぅ……やばい、きんちょーしてきた)

 

もう少しで集合場所に到着する。心臓の鼓動が少しづつ強く脈動するのを感じた銀は膝に置いていた両手をきゅっと握った。

 

「んー、あっ! あそこにいるのゆっきーじゃない?」

 

目をつむってその時を待っていると、園子の声が彼を見つけたようだ。

園子はそのまま運転手に車を止めてもらい、ドアを開けられる。

パタパタと小走りに彼の元へ向かう園子を筆頭に須美、銀と車内から出て行く。

 

「ゆっきー! おまたせー」

「園子。それに須美に銀!」

「祐樹さん、おまたせしました」

「……っ」

 

道行く人たちを避けて隅の方に待機していた祐樹が彼女たちの存在に気がつくと、すぐに歩み寄ってきた。

二人が挨拶を交わしているときに、銀は思わず須美の背中に隠れてしまう。

 

咄嗟の、無意識の反応だった。

 

「祐樹さんも今日は浴衣に着替えてるんですね」

「うん。みんなが浴衣で来るって言うから着替えてみたんだ……どうかな?」

「ゆっきーばっちしだよ!」

「よく似合ってます祐樹さん……ほら、銀も」

「わ、ちょっと須美押すなってっ!?」

「銀……」

「あっ…あぅ」

 

心の準備もままならないうちに須美に手を引かれた銀は祐樹の目の前に飛び出す。

ばっちりと目が合うと途端に頰が熱くなる。

 

「キミのその格好を見るのはとても新鮮だな」

「ふ、え……た、高嶋さんこそ……か、カッコ…いいっすヨ?」

 

普段と違う格好。それはお互いの見える景色も違って見えて。

とても眩しく思えて。そんな小さな変化すらも嬉しく思えてしまう。

ぎこちなくなってしまうのも無理はなかった。

 

「ありがとう。銀こそ、とっても可愛いよ」

「……ぁ」

 

夕日に照らされて彼の赤と黒の二色の髪が揺れる。度重なる戦闘によって影響を受けたその髪も銀にはとても魅力的に見えた。

浴衣という格好のせいか、いつも見えない彼の肌が共に眩しく思える。

 

「へいへいお熱いお二人さん! そろそろ出店を見て回らないかーい?」

「あまり往来でその……いえ、そのっちの言う通りよ。時間も限られているわけだから早く行きましょう!」

「…だそうだ。じゃあ行こうか」

「あ、はい!」

 

前を歩く二人を追うように銀と祐樹も歩き出す。

 

(あぁーヤバイ。顔のニヤケが治らないーっ!)

 

そうして会場入りを果たした四人。しかし銀は先ほどの祐樹の言葉が脳内で反響していてしまっていた。

 

(可愛い……って言ってくれた。すっごい嬉しい、やっばいよぉ)

 

まだお祭りも始まったばかりなのに、既に彼女の中では盛り上がりが最高潮に達していた。

好きな人にそんな言葉を送られて嬉しいにも程があった。

気を抜くとスキップをしてしまいそうなぐらい。祭りというこの場の雰囲気が余計に足取りを軽くさせてしまっている。

 

「いろんなお店があるね。何からいこうかー?」

「迷うわね……なにか行きたいところでもあるかしら二人とも」

「んーそうだなぁ。銀、何かある?」

「はいはーいっ! アタシは金魚すくいやりたーい」

 

手を挙げてぶんぶん振りながら提案する。

 

「金魚すくいかぁ…いいね!」

「ならあそこにある屋台にいこー! ついでに勝負しちゃうー?」

「お、やる気だな園子。アタシはこう見えて結構得意なんだぞ」

「負けないよミノさん!」

「僕のことも忘れちゃダメだぞ!」

「ちょっとそんなに走ると転ぶわよ二人とも! 祐樹さんまで…もうっ!」

 

テンションの高まった三人は足早に目の前の出店に向かって行く。

須美はため息混じりに三人の後を追う形となった。

 

 

 

 

 

 

 

「ま、負けた…須美と園子に負けたぁ!!」

「ぐっ…まさかこんなことになるとは」

「わっしー強すぎだよぉ」

「甘いわね三人とも。精神統一して金魚の重心や動きを読み切るのよ…ハァッ!」

 

それぞれが手に持つポイは須美を除いて破れていた。結果としては、須美はお椀いっぱいの数、次いで園子が十匹で銀が七匹、そして祐樹は一匹という感じに終わった。

というより須美も興が乗ったらしく、未だに獲りつづけていて店主が涙目状態であった。

 

「ゆっきービリ決定〜♪」

「というより高嶋さん下手っすね」

「ぐはっ…やはり勢いだけじゃどうしようもないか」

「勢いといえば──そのせいで須美はすんごいことになってますけどね」

「アリアリアリアリアリーッ!」

「あははっ!! わっしーおもしろーい!! 金魚が宙に舞い上がってる〜♪」」

 

弧を描いて次々と椀に流れ入れる須美を瞳を輝かせて興奮気味に見る園子。そんな様子を銀と祐樹は苦笑とともに眺めていた。

 

「銀はこの子たち持って帰る?」

「いえ、ウチじゃ飼えないですから返します。弟たちは喜びそうっすけど」

「僕も飼うとしたら一式買い揃えないといけないし…まぁ雰囲気を楽しんだということで」

「そうですね」

「わっしーあと少しでゴールだよー!」

「ふっ、この私にかかればなんてことないわ。このまま一気にいくわ──ッ!」

「じょ、嬢ちゃんたち勘弁してくれー!」

 

須美の勢いは止まることなく店主の嘆きによって閉幕することになった。

結果────鷲尾須美の圧勝である。

 

 

 

 

店を後にした一行はとりあえず冷静になった須美を健闘っぷりを讃えていた。

 

「はぁぁ…私としたことがあんなにはしゃいでしまうなんて…」

「でもでもわっしーすごかったよ〜?」

「素直に喜ぶべきか悩みどころだわ…」

「アタシも浴衣じゃなきゃもう少しやれたんだけどなぁ」

「銀もほどほどにね。あんまり無理に動くと着崩れちゃうから気をつけなよ」

「はーい、高嶋さん」

 

勝負中に真っ先に脱落した祐樹は銀の動向を見守っていたのだが、あまり服装のことを気にせずに突っ走ろうとしてたため、袖を濡れないようにフォローしてあげたりしてた。

 

「じゃあ、次は的屋にいこー!」

「お、いいね園子!」

 

 

園子が目に入った屋台は射的屋であった。

 

 

「銃は須美が得意なんじゃないか?」

「あーわかる。これでまた須美無双が始まるのかー」

「もう……私が扱う得物は弓でしょ。でもそうねー遠距離型としては負けられないのも事実だわ」

「じゃあチーム戦でいこー! わっしーとわたしでー。ゆっきーとミノさんのペアで勝負だよー」

「おっし、頑張りましょ高嶋さん!」

「ああ。次こそは負けない!」

 

園子の提案により、四人で並んでチーム戦が始まった。簡単に言って小さい景品は得点が小さく、大きい景品は得点が高いというシンプルな判定方法だ。

コルクの弾を銃身に込めてそれぞれが構える。点数配分は園子の独断で決めているが、もちろん狙うは大きい景品だと考えて祐樹は引き金を引いた。

 

「ありゃ、ダメかー」

 

軽い発砲音が響くと、景品のぬいぐるみの胴体に命中するが少しだけ動くだけでコルク弾が下に落下していく。

隣に居る銀も同じ考えだったのか別の大きめの景品を狙ったのだがこちらも獲得ならず。

銀はぶぅーと頬を膨らませる。

 

「おっちゃんコレ弱いんじゃないのー?」

「馬鹿言うな嬢ちゃん。狙いどころが悪いんじゃないのかい。見ろ、連れの子たちはきっちり仕留めてるぞ」

「げ、マジだ」

 

須美と園子の手には小さいけれど、で確実に景品を獲得しこちらに見せびらかしていた。

ぐぬぅ、と祐樹と銀は目を細める。

 

「須美は当然として、園子までがやるとは……」

「えっへへー♪ わっしー褒めて褒めて~」

「上出来よそのっち。この調子で勝利を掴みましょう」

「ぐっ……銀、僕らも小さいので得点を稼ごう」

「了解ッ!」

 

再び構えて景品に銃口を向けて撃つ。須美たちの通りに実行したら簡単に景品を獲得できた。

 

「うっしゃー! 獲れましたよ高嶋さん!!」

「僕もいけた! やったな銀。この調子でいくぞ」

「はいッ! ……って」

 

二人で景品片手に喜んでいると、銀はふと横にいた須美と園子が視界に入った。

そこにはカメラ片手に親指を立てる須美の姿があった。

 

「二人のはじける笑顔いただいたわ♪」

「わっしー後で写真ちょーだい~」

「ちょ!? 須美なに撮ってるんだよー!」

「あら、せっかくのお祭りの思い出なのだから記録に残しておかないと。祐樹さんからも承諾済みよ」

「えー…高嶋さぁん」

「いや、だってその……ね?」

「ちなみに金魚すくいのときはわたしがこっそり撮ってました~♪」

「園子まで!? ……はぁ」

 

園子と須美の行動にため息を漏らす銀。

 

「もしかしてミノさん怒っちゃった……?」

「いや、別に……恥ずかしいから撮るなら撮るって言ってくれ」

「…っ!! その顔も良いわ銀ッ!」

「須美ぃ!」

「まあまあ銀。まずはこの勝負に勝たないと……やっぱりでかい獲物とるしかないな」

 

そう言って祐樹は目の前のぬいぐるみと対峙する。

 

「確かにコレやれれば勝てますけど。絶対獲れないですって」

「おや、諦めるのか銀。勇者は気合と根性でしょ?」

「…む。いいですよやってやります」

 

発破をかけてあげると銀は見事にノってくれた。

既に写真を撮ることに専念している二人を余所に、銀と祐樹は並び立つ。

銃を構えて一体のぬいぐるみに狙いを定める。

 

「作戦はあるんスか」

「合わせ撃ちだ。同時にいこう…僕が銀に続く」

「信じてます……いきますよ」

『───はぁぁ!』

 

引き金を引く。放たれた弾はぬいぐるみの頭部と腹部に同時に着弾。するとぐらぐらと揺れてぽすん、と下に落下した。

その様子を見守っていた須美と園子も自分のことのように喜んでいた。

 

「やったぁ! 流石はチームイチの夫婦(めおと)だねぇ」

「だ、誰が夫婦だ!」

「そうだぞー園子。まだ僕らにはさすがに早い」

「くす……”まだ”、なんですね祐樹さん。良かったわね~銀♪」

「す、須美までからかうなよ……わっ、高嶋さん?」

「ほら、銀。このぬいぐるみはキミのだ」

 

店の店主から受け取ったクマのぬいぐるみを祐樹は持って銀に手渡す。

受け取った銀はなぜか困惑している様子。

 

 

「え、え?」

「僕と銀が二人で獲った景品だからさ。僕が持ってるより銀の方が大事にしてくれそうだし……受け取ってもらえるかな?」

「……いいの?」

「もちろん」

「じゃあ……ありがとうございます高嶋さん! ぜったい大切にします」

 

そう言って銀はぬいぐるみを優しく抱きしめた。普段の活発な雰囲気は鳴りを潜め、愛し気にぬいぐるみを見つめるその姿は年頃の恋する乙女そのもののように見えて思わず三人は見惚れてしまった。

 

(わっしー、わっしー!)

(ど、どうしたのそのっち。私はまだ銀を撮ってる最中なんだけど)

 

ひそひそと園子が須美に耳打ちしている。銀と祐樹は二人の世界を築いているので気が付いていない様子だ。

 

「実は───ひそひそ」

「……なるほど。じゃあ」

 

 

まるで悪戯する前の小さな子供のように、二人は笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

それからしばらく。

時間も過ぎて祭りも更に賑わいを見せてきた頃。人混みの中を祐樹と銀は二人でかき分けながら歩いていた。

銀は少しばかり不満顔だ。

 

「まったく、園子と須美はどこにいったんだ。急にいなくなるんだもんなぁ」

「こんな人混みだとしょうがないよ」

「連絡してもでないし……暑い」

 

銀を見ると額からは汗が滲み出ていた。

夜といえど夏場だ。それに人が密集しているこの空間は熱気が凄く、祐樹の額からも汗がでている。

祐樹は一度立ち止まって振り返って銀の手を取った。

 

「ふぇ!? た、高嶋さん」

 

突然手を握られた銀は顔を赤くして驚き、祐樹はそのまま人混みから外れて通りの端に銀を連れていく。

 

「疲れたでしょ銀。ちょっと休もう」

「……そうっすね。はぁー暑いぃ」

「そこでかき氷買ってくるよ。何味がいい?」

「いちごがいいです」

「りょーかい。待っててね」

 

手を振って祐樹は目の前のかき氷屋に足を運んでいった。銀はハンカチで汗をぬぐいながら丁度よく座れる石段の所に腰を落ち着けた。

ぼーっと目の前に映る風景を眺める。

 

(…あれ、この今の状況ってデートっぽくない?)

 

今更ながらに銀はハッと気が付いた。

そして先ほどプレゼントされたクマのぬいぐるみを見ながら内心慌てる。

園子と須美はなぜか射的屋から行方不明でしばらく二人きりで屋台巡りをしながら探していたわけだが、こうして冷静に状況を分析してみると考えるまでもなくそうだったのかもしれない。

途端に意識しだすと、身体の火照りとは別の熱が銀の内から湧き上がってくる。

 

(あ、あわわ……これから一体どうしたら?)

 

意識した時にどういった行動をすればいいのか、彼女の中では未だ答えがみつからないでいた。

三ノ輪銀は男女の交際は初めてなのだ。それは勇者組全員に言えることなのだが、まさかその中でも自分が一番になるとは思ってもみなかった。

どうすれば世の恋人のように振舞えるのか、試行錯誤の毎日なのである。

しかも相手は同じ勇者である高嶋祐樹という男の子。他の男子に比べて付き合う前から一緒にいる時間が一番長い人であって。

 

────三ノ輪銀にとって、初恋の人なのだから。

 

銀にとって彼の前ではせめていい女の子でいたいのだ。

 

……まぁ、あれこれ考えているようで事実はキチンとイチャイチャしているのだがそれは当人が知る由もない。

 

「…銀?」

「うぇ!? あ、あ高嶋さん」

「そんなに驚いてどうしたんだ? …はい、かき氷」

「ど、どうもありがとうございます高嶋さん」

 

頭を悩ましていたらいつのまにか祐樹が目の前にいた。

銀の慌てっぷりに首を傾げながら、祐樹も彼女の座る石段に腰を落ち着けさせる。

一息つくと彼の手にも同じようにかき氷を手にしていた。

 

「一緒に食べよう。僕はブルーハワイ味!」

「あーちょっと下さいよ高嶋さん!」

「銀のやつと交換ならいいよー、あとさ」

「はい?」

「二人っきりの時は”名前”で呼んでよ。いつものように、ね?」

「…………っ」

 

しゃり、と氷を割る音と共に銀の表情はいちごシロップのように紅くなる。

チラッと横目で祐樹を見ると、今か今かと待ちわびているようだ。

 

「…っ、ぁ……ゆ」

「ゆ?」

「───ユウキ、さん」

「うん…銀、はいあーん」

「…あむ」

 

満面の笑みで祐樹はかき氷を差し出してきた。

銀もそれ以上は恥ずかしくて沸騰しそうだったのでありがたく口にすると、ひんやりと口の中で氷が解けていき熱が引いていく。

 

「…はい」

 

銀も自分のいちご味を差し出して祐樹もそれを食べる。

 

「ふぅ、この暑い日にかき氷は最高だな」

「はむ。ですねぇ…」

『んんーー!』

 

二人で頭を抑える。この手の食べ物のお約束の行動だ。

 

「それにしても須美も園子もどこにいったんだろーなー。そろそろ花火始まっちゃうぞ」

「闇雲に探しても埒があかないし、連絡だけ入れて花火の見れる場所を探すか」

「あっ、それならいい場所知ってますよユウキさん!」

「お、ホントに?」

「はい。ちょうどこの先に行ったところなんですけどねー……あっ」

 

立ち上がろうとしたところで銀は前倒れそうになる。

祐樹も驚いて彼女の手を掴んで転ばないように支えてあげた。

 

「大丈夫、銀?」

「ど、どうも…! ちょっと鼻緒が──」

「どれどれ……あー、ちょっと無理に歩きすぎたか」

 

銀の履いている草履の鼻緒が切れてしまっていた。

祐樹はしゃがんで確認してみる。

 

「んー、無理そうだなぁ。こういう時サッと直せるのがカッコいいんだろうけど」

「仕方ないすよ。まーちょっと歩きずらいけどなんとか動けるんで」

「……銀、ならこうしよう」

「ゆ、ユウキさん?」

 

何かを決めた祐樹は銀の前で腰を屈めてみせた。

突然どうしたのかと小首を傾げる。

 

「おぶって行くからほら、乗って乗って」

「な…恥ずいっすよユウキさん! この歳になっておんぶは…」

「平気平気。誰も気にしてないって、ホラ」

「うぅ…ユウキさんよくイジワルって言われません?」

「なんのことやらー」

 

銀は話しながら視線を行ったり来たりさせる。

その間でも姿勢を崩さないところを見るに彼女が乗るまでそのままでいるつもりなのでろう。

意を決した銀は恐る恐る祐樹の両肩に手を乗せて自重を預ける。

 

「──よっと」

 

銀が乗ったのを確認すると祐樹は彼女を抱えて立ち上がった。

 

「…どう銀。乗り心地は?」

「よ、よくわかんないっす」

「そか。とりあえず向かおう。あっちでいいんだよね?」

「うん」

 

そう言って祐樹は歩き始める。

けれど銀の内心はとても穏やかではいられなかった。

 

(ひゃー…まさかこんな展開になるなんて……ユウキさん意外とガッシリしてるなぁ。それになんだか落ち着く)

 

弟たちの世話をする過程で同じようにおぶることのある銀だが、これをしたらよく大人しくなるのを知っている彼女はこういうことかーと今更ながらに納得する。

 

(ユウキさんの匂い……うん、大好きな匂いだ)

 

顔を背中に埋めて深呼吸するように息を吸う。

 

「ん? どうした銀、どこか痛いのか?」

「いーえ。気にしないでくださいユウキさん。あ、そこの道を曲がって坂を登って行ったらつきますよ」

「あ、あぁ了解」

 

徐々に人混みから離れていき、周りの音も静かになっていく。

次いで夜の音と虫の音、背後から聞こえるがやがやと祭りの音が二人の耳に届いた。

 

「だいぶ静かになったなぁ。風が涼しい」

「丘になってるんすよこの先。アタシたちが見つけたんです、花火もきっとキレイに観れますよ」

「へぇ」

「それにしても重くないですかユウキさん? 結構歩かせちゃってますけど…」

「全然っ! 訓練で鍛えてるのもあるし、銀はとっても軽いから大丈夫ダイジョウブ」

「はは。頼もしいですね……でもだからって、ほかの女の子にはしちゃイヤですよ?」

「僕の背中は銀専用だから安心しなよ」

「もー、調子いいんだから」

 

と言われてなんだかんだ銀の表情はとても緩んでしまっていた。

顔を見られない状態でよかったと銀は彼の温もりを堪能していると祐樹は坂道を登りきって丘の上に到着した。

 

「到着っと!」

「ありがとうございますユウキさん。お疲れ様でした」

「…いい眺めだ。二人とは合流できるかな」

「あーそれは心配ないと思います。だってホラあそこ」

 

背中越しに前方に指を指す銀に、つられてそちらに視線を移すと二つの人影が見えた。

その影の正体がわかると祐樹は小さく声を漏らした。

 

「須美ー、園子ー! やっと見つけた」

「──あ、ゆっきーたちキタキタ! おーい」

「遅いですよ二人とも…って、銀。どうしたの!? まさか怪我を──」

「いやー実は鼻緒が切れちゃってさ。ユウキさんにおぶってもらった」

「そうだったのね…祐樹さん、草履を貸してもらっていいかしら」

「直せるの須美?」

「応急処置ぐらいなら…………はい」

「はぇー…流石は須美だな。サンキュー!」

 

状況を理解した須美が手際よく修理をすると、銀は祐樹から降りて草履を履き直した。

 

「おーすげー!」

「あんまり激しく動いたらダメだからね」

「わかってるって!」

「よかったよかった。ところで今の今まで何処に行ってたの? 連絡したのに出なかったし」

「ごめんねーゆっきー。わっしーと盛り上がっちゃってつい先走っちゃったんよ〜。ねーわっしー?」

「え、えぇ。すみませんでした祐樹さん」

「ほんとかー?」

「まあまあユウキさん。無事に合流できたんですしいいじゃないですか」

 

訝しげに見つめる祐樹を宥める銀。そんな二人の様子を見て須美と園子はニヤニヤと笑みを浮かべていた。

銀がそちらに気がつくと、目を細めてその反応に対し問いかける。

 

「いやーだって、ねぇー? 須美さんや」

「そうねそのっち。これは私たちの作戦勝ちだわ」

「な、なんだよその言い方は……」

「ミノさん、やっとわたしたちの前でもゆっきーを名前で呼んだよね〜♪」

「やはり日常と異なる場では、己の秘めたる願望を曝け出すことができるのよね。銀、おめでとう♪」

「は、はぁ!!? な、なな何言ってるんだよ。別にそんなんじゃないしっ! ……ないし!!」

 

二人の指摘に耳まで真っ赤にする銀。

確かに祐樹も気になっていたことで、まぁ恥ずかしいんだろうなー程度の認識でいたのだが。

 

「二人のおかげで次にステップアップできそうだよ」

「ゆ、ユウキさん? それってどういう──」

『あっ!』

 

それは誰からの声だったか。その一言で皆の視線は上空へと移された。

直後に響く音と綺麗な光。────花火が打ち上がったのだ。

 

ドンッと空気を振動させる爆発音と目の前いっぱいに広がる多色の光が夜空に彩られる。

 

「綺麗ね」

「たーまやー!」

「うはぁ! すっげーデカイよユウキさんっ!」

「うん、凄いキレイだよ。……銀」

 

歓喜の声の中、祐樹の視線は横で見上げている銀の姿であった。

銀も彼の声色を察してか視線を上空から彼の方へ向けられて、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───ん」

「……えっ?」

 

 

 

 

 

 

 

振り向いた先に祐樹の顔が間近にあった。

そして頬に伝わる柔らかい感触に銀は何が起きたのか理解できなかった。

自分の頬に手を添える。

 

(───え、えぇぇ!!?)

 

その間にも花火は継続して夜空に咲いている。

光が瞬く。祐樹の顔は花火の色のせいか否か、銀の目には心なしか赤くなっている気がした。

銀は魚のように口をパクパクと開閉していると、祐樹はくすりと笑う。

 

「……はは。これが次のステップだよ、銀」

 

須美と園子は目の前の花火に夢中で気が付いていない。そして今この場には四人以外は誰もいない。

更に更にと、今起きたこの瞬間は二人以外は誰も知らないのだ。

 

「────ぁぅ」

 

目をぐるぐると回し祐樹の顔を直視できずに頭を抱えた。

身体全体が沸騰しそうな感覚に襲われて彼女は花火どころではなかった。

 

「…んー? ミノさんどったのー? 顔真っ赤っかだけどー」

「え? いや、あのその……なんでもない」

「ちょっと花火に驚いただけだよね銀?」

「ふふ、銀ってば小さい子供みたいね」

「ち、違うってばーー!」

 

銀の叫び声も花火の音で消え去っていく。

そうしていると更に密度の濃くなっていく数々の花火たちに全員の意識もそちらに引っ張られていった。

 

『……わぁ!』

 

夜空に輝く星々とは違う、人が創る輝きを瞳と思い出に焼き付ける。

 

 

「…またみんなで花火を観にこような。銀」

「もちろんっスよ。ユウキさん♪」

 

いつの間にか繋いでいた手を握って二人の笑顔が夜空に輝いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




遅まきながらアプリ『ゆゆゆい』二周年おめでとうございます。
控えめに言って最高かよ、と思うばかりでございます(笑


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山伏しずく/シズクの章
story1『休日の過ごし方』


誤字報告ありがとうございます。


早朝のゴールドタワー周辺の空気はとても澄んでいる。

だから僕はここで早起きをするのが好きなのだ。

 

「ふんふんふーん♪」

 

鼻歌交じりにタワーの厨房を借りて朝早くから僕は料理をしていた。

朝食を────ではなく……いや、正確にはそれも含まれているのだが、これは昼食に向けての準備でしているのもある。

理由は今日という天気も関係していた。前々から計画していたこの日を僕は楽しみにしていたのだ。

 

 

「──ん?」

 

ふと、人の気配を感じ取った。

僕は一度手を止めて厨房から顔をだしてみると、気配の主は丁度入口のドアを開けて入ってきたところだった。

 

「──あ、おはようございます祐樹さん。今日はお天気が良くていい日ですね」

「あーちゃん。おはよー、朝の掃除?」

「はい。ちょっとお邪魔しますね」

 

三角巾を被って掃除用具を持ってきた国土亜耶に挨拶を交わす。

その光景はこのタワーに居れば必ずみる場面だ。亜耶は慣れた動作で準備を始めていく。

そんな中で彼女は鼻をすんすんと鳴らしていた。

 

「ん~♪ いい匂いです祐樹さん。なんだかお腹が空いてきちゃいますね」

「我ながら上出来だよ。朝食は楽しみにしておいてね」

「はいっ! わたしも張り切ってお掃除に励むことができます」

 

頑張ってね、と彼女に声を掛けて僕は再び手を動かし始める。

厨房を借りる条件として、今日の朝食を防人の人数分を作る条件で契約しているので時間を無駄にできない。

 

「……よ、ほっ!」

 

最初は大変かなー、なんて考えていたけど案外やってみると楽しいと感じる。

幸い料理のスキルは過去にスパルタ的指導を受けたことがあるのでカタチにはなっているし、美味しいと喜んでくれる皆の笑顔を見るだけでも励みになる。

 

(待っててくれよー)

 

厨房の外で歌いながら窓ふきをする亜耶の声を聴きながら僕は調理を続けた────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間にして七時ごろ。食堂の開店準備を始めるころには亜耶の厚意で手伝ってもらってなんとか準備を終えることが出来た。

 

「……それであなたが厨房にいたのね。まさか本当にやるとは思わなかったわ」

「いやーでも結構作るのって大変だと実感したよ。厨房のおばちゃんたちに感謝しないとなー。はい、芽吹の分。朝の鍛錬お疲れさま」

「ありがとう。祐樹くんもご苦労さま。ありがたくいただくわね」

「はい、これは亜耶ちゃんの分だよ」

「ありがとうございます。いただきます」

「いきましょ亜耶ちゃん」

「はい♪ 芽吹さん」

 

一番に顔を出してきたのは我らがリーダーである楠芽吹。最初厨房内にいた僕を見かけたときは怪訝な顔をされたが、理由を話したら半ば呆れながらも納得してくれた彼女はトレイにのった料理を持ってあーちゃんと共に席に向かっていった。

その後に何名か防人隊の人たちが朝食を食べに足を運んできたところで次にバタバタと慌ただしく扉を開けてきた人物がいた。

 

「寝坊したー! 私のご飯はまだありますかー!?」

「雀。ちゃんとあるからそんなに慌てないくても……寝ぐせもそのままだし」

「おっとこれは失礼……あれ? なんで祐樹クンが厨房にいるの?」

「昨日話したじゃん」

「あーーハイハイ……まさか本当にやるとは。私の料理に毒とか入ってない? ごはん食べて死ぬなんてまっぴらごめんだよ」

「キミは僕のことなんだと思ってるんだよ……ちゃんとご希望通りのメニュー作っておいたから大人しく食べなさい。芽吹はあっちにいるから」

「ジョーダンに決まってるじゃん。わーいさっすが祐樹クン! いっただきまーす♪」

 

彼女なりのボケをかまして僕から料理を受け取るとウキウキで芽吹のもとに雀は向かっていった。

 

「…相変わらず品のない小鳥ですこと。ごきげんよう祐樹さん」

「おはよう弥勒。芽吹と一緒に鍛錬してたのに結構な時間差だね?」

 

雀の後に訪れたのは弥勒だった。確か彼女はここのところ毎日芽吹と共に鍛錬をしているはずで、てっきり芽吹と一緒に来るかと思っていたのだが。

 

「一流のレディィーには色々と準備がかかりますのよ。殿方には分からないと思いますけど」

「何で『レディー』のとこだけ流暢なのさ…」

「……弥勒、さっきまでトレーニングルームでぶっ倒れてたの見た」

「ちょ、ちょっとしずくさん!? 余計なことは言わなくていいんですのよっ!」

「おはよう、しず。今日は早起きできたんだね」

「……ん。おはよ、ゆー」

 

最後の一人の登場で僕は嬉しさを声色に乗せて話しかける。

 

僕のことを『ゆー』と。彼女のことは『しず』と呼んで。

愛称で呼び合う僕らは防人の中でも一番深い関係であることは誰もが知っている。

 

弥勒の背後からぼそっとツッコミを入れた彼女に挨拶を交わした。

二人の料理を手渡しながら僕も厨房を出てしずくのもとに足を運ぶ。

 

「目覚ましでちゃんと起きれた?」

「…あやうく二度寝するところだったけど、なんとか起きれた」

「そっかーえらいな、しず。よしよし」

「……ん♪」

「相変わらず仲のよろしいことで。朝食、ありがたく頂戴いたしますわ祐樹さん」

「召し上がれ。でもいいの? 洋食にかつおなんて合わないんじゃ───」

「問題ないですわ!」

「あ、はい」

 

弥勒の覇気に圧されて僕もそれ以上は言わないでおいた。

 

「弥勒は相変わらず」

「…だね、僕たちも食べようか。というかしずはラーメンで良かったの?」

「朝からゆーの作ったラーメン食べられるのは幸せ」

「そっか。しずがいいなら作った甲斐があったよ」

「ん」

 

コクリ、と彼女は頷いて僕としずくは近くの席に二人で座る。

まだ防人隊の人間が全員食べにきていないので、もし来たらと厨房近くの席で食べることにした。

しずくはそんな僕の同伴で付き合ってくれている。

 

「……ちゅる。美味しい」

「それは良かった。徳島ラーメンじゃなくて悪いけど」

「んーん。ゆーが作ったからどの料理も美味しく食べられる」

「あ、汁がほっぺに飛んじゃってる──はい、とれた」

「ん……ありがと、ゆー」

 

小さな口でラーメンをすするしずくは小動物を連想させる。

だからか世話を焼くのはとても楽しく感じるのだけど、そういう行動は雀ら辺からは「バカップル」と称されているのだ。

 

…その通りなので否定はしないけど。

 

「ゆーは私より早く起きて眠くない?」

「まぁ正直言えば少し。でも今日が楽しみで今はバリバリ動けるぞ! お弁当もちゃんと用意したからな」

「ん。 それは楽しみ……はむ」

 

しずくの食べ姿にほっこりしながら僕も箸を進めていく。

彼女に話した通り、本日の目的である『ピクニック』のためにもすぐに準備を済ませねばならない。

 

「あ、またついちゃってるよしず」

「おー…ありがと」

 

しずは可愛いなぁーと僕は口元がニヤケてしまうのを自覚しながらこの時間を楽しく過ごしていった。

 

 

 

 

 

 

 

朝食を済ませて後片づけをしたのちに、自室で支度を済ませる。

しずくは僕ほど荷物はないのでタワー入り口にて先に待ってもらっていた。

 

「──さて、いきますか」

 

リュックを背負って部屋を出る。途中ですれ違う隊の人たちに見送られながら僕はしずくの元に向かう。

 

「しずー!」

「…ん!」

「おまたせ。じゃあ行こうかー」

 

いつも通りの格好で佇むしずくに声をかけると、彼女の癖っ毛の髪がヒョコヒョコと動いて感情を表現しているようだった。

 

手を繋いで僕たちはタワーを出て歩いて行く。

空を見上げれば真っ青な晴天が、綿飴のような白い雲が視界に収まる。

ここ数日の曇天がまるで嘘のように、待ちに待ったこの日を祝福するかのように僕の気持ちも晴れやかになっていった。

 

「ゆー。なんか嬉しそう」

 

しずくがこちらを見ているその瞳が訊いてくる。

その際にもピョコっと癖っ毛が跳ねる素ぶりを見せてきたが、僕同様にしずくも楽しみにしていたのだと伺える光景にほっこりする。

 

「だってさー久々じゃん。毎日のようにやっていたことが出来てなかったんだからその反動も強いのよ。しずとのピクニック!」

「タワー周辺だから……ピクニックというよりお散歩に近い」

「それでもだよ。今日はどの辺にする?」

「…いつもの芝生のとこ」

「あそこね、りょーかい! レジャーシートも持ってきたから安心だよ」

「…ん!」

 

背負っているリュックサックを手でポンポン叩くと、しすくは小さく頷いてみせた。

 

ピクニック。

 

まぁ、彼女の言う通りどこか遠い場所にお出かけして────みたいなものではない。

 

僕たちは大切な御役目がある身。外出許可などは存在するが、おいそれと出来るものではない。

かといってまだまだ年端もいかない少年少女であることには変わりないのも事実。日常のストレスを抱えたままでは任務に支障が出かねない。

大赦が考案したもの。それはタワー周辺を防人たちが円滑に任務を遂行できるように既存の施設とは異なる設計を施しているのだ。

 

トレーニング施設からショッピングモール等の娯楽施設。

 

さまざまなものがこの辺りには取り入れられ、ぶっちゃけこの周辺で生活は余裕で賄えるレベルでの配慮に当初は苦笑を浮かべてた記憶が昨日のように思える。

一部を除いては一般開放されているところもある。

 

しかし、僕たち──特にしずくにとってはそのどれもが興味の対象にはなり得ないのだ。

 

もちろんまったく利用しない……なんてことはないことを先に言っておく。

芽吹たちとたまに遊ぶ時はその限りではないし、二人きりの時でもそれは同じこと。

しずくは静かな空間がお気に入りなのである。

 

僕たちの向かうその場所もそういう理由故に足を運ぶ。

緑が豊かな、心が晴れやかになるような開放感を与えてくれる自然公園。

 

小さな子供が走り回り、大人たちがペットを連れて散歩している姿も見れる。老人たちが趣味のゲートボールなどをして交流する姿もあるし、ランニングやらのスポーツに取り組んでいる者もいる。

自然と人為的に整えられた緑の中で、各々がその日をゆるりと過ごしていく、そんな場所がしずくのお気に入りのところだ。

 

もちろん僕もこの場所は大好きなところの一つになっている。

 

到着した僕らはしずくの選定した木陰の下のもとへと迷うことなく赴いた。

リュックを背中から下ろして中からレジャーシートを引っ張り出すと、所定の位置に広げていく。

 

大きさはほどほどの、言うなればファミリー向けの大きさのシートはしずくと選り好みの果てに決まった丁度良いモノだ。

 

二人でシートを広げ終えると端を杭で風に飛ばされないように固定する。そうして完成させるとさっそくしずくは靴を脱いでその上に腰を落ち着けた。

 

「んっ。落ち着く…」

「それは良かった。はい、クッション」

「ありがと。ゆーのは?」

「僕は今日は地べたの感触を感じたいからそのままー」

 

僕もしずくの隣に腰を落ち着けると、たまらず息を吐いた。

緑と土の香り。曇りの後の晴れ間だからか前に嗅いだ時より感じる匂いは強い。けれど僕はこの匂いは好きだ。

 

「のどかだなー…しず」

「ん。やっぱりここはとてもいい場所…ゆーも一緒だからすごくリラックスできる」

「だなー…天気もいいし、かぜも心地いい。神樹さまのおかげだね」

「…ん」

 

目を細めながら遠くを見つめるしずく。今の彼女の瞳にはどんな光景が広がっているのだろうか、と考えながら僕は空を見上げる。

 

これが僕たちの完成形だ。後は青空を流れる白雲のように、ゆっくりと時が流れていくのをただただ待つ。

 

たまらなく、幸福に満ちた時間の始まりである。

 

「では、ここでお茶を一つ」

「んー……こく、こく」

 

ほんわかしずくに水筒に入れたお茶を一杯手渡すと、両手で包むように手にしたコップの飲み口から可愛らしく喉を鳴らし飲んでいった。

前にあーちゃんからオススメされた茶葉の一品だ。鼻を抜ける葉の香りがとても心を和ませてくれる。うまい。

 

「…ふゅ。おいし」

 

彼女も風味を楽しんでいる。雀からは「縁側にいる老夫婦か!」とツッコミを入れられる一面だが、これがまた堪らんのだからやめられない。

そよ風が僕たちを撫でる。気温も寒くなく、また暑くもない絶妙な加減に今日という日は又とない当たりだと確信した。

 

「…ぽー……んゅ。ん〜……」

「かわいーな、しず」

「そんな……ことない。ゆー」

「んー? おっと」

 

ぽとん、としずくの頭がゆっくりと僕の方に倒れてくると、その肩に乗せられた。

ふわりと香るしずくの匂いに少しだけ心臓が脈打つ。しかしこののどかな風景が再び心を落ち着かせるには十分であった。

 

「…雲。あれ、鳥みたい」

「ほんとうだ。あっ──あれとか魚の形に見えない?」

「…ん。かつおみたい……弥勒が喜ぶと思う」

「流石にアレで喜ぶことはないんじゃないかな?」

「弥勒は…単純」

「そうだね。弥勒は単純だ」

 

短い言葉ながらに全てが籠っている。流石はしずくだと感心した。

 

「ゆー。お弁当食べたい」

「お腹空いた?」

「……少し。ダメ?」

「いいよ。準備するからちょっと待ってねー」

「ん」

 

時間的にはちょうどいい頃合い。もともと合わせて出かけたわけなので、僕はリュックとは別に手荷物として持っていた包みをシートの上に広げていく。

二段の重箱タイプ。量は二人で食べるのでこのぐらいがちょうどいいかと思ってこれをチョイスした。

 

しずくはどちらかと言えば多く食べる方ではないので、実はこれでも多いかなぁなんて小さな心配がある。

重箱を見たしずくは「おー…」と小さな歓喜の声を上げて中身を確認するとキラキラと目を輝かせていた。

 

癖っ毛も猫耳のようにぴこぴこと上下に跳ねていて可愛いなーなんて思っていたり。

期待していた反応を示してくれて満足げな僕は彼女に割り箸を渡す。

 

「好きなのつついて食べていいよ」

「…いただきます。はむ──」

 

唐揚げを一つ箸で掴んでしずくは食べ始める。

ゆっくりと咀嚼して、目を閉じて味を堪能している様子。

 

「…これ、手作り?」

「そう、この中身全部手作りだよー。卵焼きも甘めにしておいたからどんどん食べて食べて」

「んむ。はむ……ん……甘い」

「食べやすいようにご飯はおにぎりにしたよ。どーぞ」

「はむ……ん…んむ。おいひー」

「やばい。なにこの可愛い生き物」

 

まるでハムスターだな、なんて思わせてしまうほど目の前の彼女の食べっぷりには萌えるものがあった。

 

もきゅもきゅと効果音をつけてあげたいしずくの視線は僕とお弁当を行ったり来たりしている。

 

「どうしたのしず? なにか食べられないのがあった?」

「…シズクにも食べさせてあげたかった」

「なるほど」

 

しずくの言葉、確かに彼女が表に現れるのは意図的には難しい問題だけど僕は改めてリュックをポンポンと叩く。

 

「問題ないよしずく。ちゃんと彼女が来てくれた時のためのものを用意してあるから」

「…ほんと?」

「うん、だからこれはこれでしずに食べて欲しいなー」

「……ん。わかった、ありがと。さすがはゆーだ」

「褒められるほどじゃないさ。あむ……」

 

僕も箸で重箱の中身をつつく。出来立てのときの味見と比べて更に染み込んだおかずたちに舌鼓を打っていると近くの茂みがガサゴソと蠢きだしていた。

咀嚼しながら様子を眺める。すると一つの小さな影が姿を現す。

 

『にゃー』

 

それは可愛らしい鳴き声を上げてこちらに歩いてきた。

隣で食べるしずくが気が付くと、ぴこーんとキラキラした瞳で手招きを始めた。

 

「…にゃー。おいでー♪」

『にゃー』

「お、今回も来たな。ほらしず、猫缶」

「ん!」

 

頷いてしずくは僕から受け取る。近寄ってきた猫のもとに猫缶を置くと猫は飛びつくように食べ始めた。

 

「…ゆー。食べた」

「よかったね。僕らも食べようしず」

「……ん」

 

しずくは猫の隣で一緒になってお弁当を食べる。前に訪れたときに彼女の所に姿を現した猫にお土産を、と持ち寄った猫缶はどうやらお気に召してくれたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして重箱の中身は綺麗に空っぽになった。

完食。満足げにお腹を摩るしずくと僕はお茶を飲みながら一息をついている。

 

「たくさん食べた……お腹いっぱい」

「少し作りすぎちゃったかな。でも、全部食べてくれて嬉しかったよ。ありがとうしず」

「…ん。ごちそうさま」

『にゃお!』

 

猫の方も満足してくれたのかお礼を言ってくれている気がした。もちろんこちら主観なのであっているか分からないけど、それならそれで嬉しいものだ。

 

「───ふぁぁ」

 

しずくと来たかった場所に来れた。そこで一緒にお弁当を食べてそれも終わった。大まかな予定を消化し終わった僕の身体はこの自然に囲まれた空間に取り込まれるように、睡魔という形で包み込んできた。

今は猫と戯れている彼女たちをうつらうつらと眺めているところ。

 

「……ゆー?」

「うん~? どしたーしずー……」

「眠くなってきた?」

「…かもしれない。天気もよくてポカポカするから余計にかも」

「じゃあ、こうして───」

 

言いながらしずくの手が僕の頭をゆっくりと引き寄せてきた。誘われるように僕の身体は重力に逆らうことなく倒れ込んだ。

その先に待っていたのは地面の感触────ではなく、人肌の柔らかい感触であった。

 

その正体に気がつく前に、僕の頭に手を添えられる。

 

「…お礼。こんなことしか、できないけど」

「いや……さいこーだよ。しずの膝枕」

「おやすみ、ゆー」

「うん、少しだけ…寝させて……」

 

抗うこともなく、僕の意識は溶け込んでいった────。

 

 

 

 

 

 

 

それからどれだけ時間が経ったのだろうか。

心地の良い感触を得ながら僕は睡眠の波に身を委ねていると、

 

「──ろ」

 

遠巻きに少女の声が聞こえた気がした。

微睡みの中、その声は少しずつ音を大きくさせていった。

 

「起きろ──おい!」

「……ん?」

 

ぱちり、と目が覚める。仰向けに寝てしまっていた僕の視線は目の前の少女とぶつかった。

 

困ったような、どうしたらいいのか分からない苛立ちさを秘めた瞳を見て、僕は再び瞼を閉じようと…、

 

「──って! また寝ようとしてんじゃねぇ! このアホ!」

「あて!? ……うぅ、チョップされた」

 

額に走った衝撃に僕の意識は完全に覚醒された。

 

「イキナリ叩くなんて酷いよシズク!」

「それはこっちのセリフだ! こっちはお前のせいで足が痺れてんだよー」

「あ、そうなの? ごめんよ」

 

起き上がって身体を伸ばす。時計を確認すると一時間ぐらい、ぐっすりと寝てしまっていたらしい。

猫は空の缶詰を残して姿は見えないところを見るに帰っていったようだ。

しかし恐ろしきは彼女の膝枕。僕は彼女に向き合う。

 

「……あんだよ」

「おかえり、シズク」

「──っ。あぁ…ただいま」

 

ぶっきらぼうに答えるもう一人の『シズク』。心なしか薄っすらと赤らめている気もするが、指摘してしまうと拗ねてしまうので心の中で留めておこう。

 

「…ったく、しっかし驚いたぜ。出てきたと思ったらユウがオレの膝で寝てやがるんだからよ。イチャイチャすんのも大概にしておけよまったく」

「恋人同士なんだから問題ないと思うけど?」

「ところ構わずイチャつくなって言ってんだ」

 

そんなこと言われても、自然とこうなってしまうのだから仕方ない。

しずくとシズク。彼女の中にあるもう一つの自分。まさかこのタイミングで出てきてくれるとは考えてなかったけど、今日という日に彼女ともこうして時間を共に出来ることに嬉しくなってしまう。

 

「…だいたいユウが何を考えてるのかわかっちまうのが気に食わねぇ。お前も大概物好きだよな」

「そりゃあ僕が好きになったのはそんなキミたちだからね。シズクの分のお弁当もあるんだけど食べる?」

「いらねぇ……って言いたいところだが、食べ物を粗末にしちまうとバチが当たっちまうからな。食う」

「うん」

 

リュックから銀紙に包んだものを手渡す。

シズクはそれを受け取るとすぐに包みを開けて中身を食べ始める。

 

「…おにぎりの中身、しずが食べたものと同じやつを具にしていれてあるんだ。どうかな?」

「うめぇよ。ユウの作るメシにハズレはないからな…んぐ」

 

小動物のように食べるしずくと違って、豪快に食べるシズク。そのどちらも美味しく食べてくれるのだから作ってよかったと思える光景なのだ。

 

「…ふぅ」

「全部食べてくれたんだね。嬉しいよ」

「食ったら身体を動かしたくなってきた。何かないのか?」

 

シズクはしずと違ってアクティブな女の子だ。もちろんそういうことも想定して用意してあるものがある。

 

リュックの中身を漁ってあるものを取り出す。

 

「バドミントン。こういう場所なら気兼ねなく出来ると思ってもってきた」

「いいじゃねぇか。さっそくやろうぜ!」

 

ラケットを渡して僕たちはシートから立ち上がって原っぱに立つ。

一定の距離とって僕はシャトルを添えてラケットを構えた。

 

「いくよシズク──それ!」

 

軽く、弧を描いてシャトルがシズクのところへ飛んでいく。

シズクはニヤリ、と不敵な笑みを浮かべていた。

 

「──食らいやがれ!」

「ちょー!? ぐっ!」

 

ばしーん! とシャトルが一直線に僕に向かって返された。

あまりの勢いにラケットで受け損ねて地面にシャトルが落下してしまう。

視線を目の前に移すとガッツポーズをしていた。

 

「…シズクー? ちょっとはラリーして楽しもうよ」

「はん。こういう遊びは勝負してこそなんぼなもんだろー?」

「……ふーん?」

 

ラケットをくるくる回して挑発してくるシズク。

 

「ならさ、勝負しようよシズク。勝ったほうが負けた方に好きに命令できるってやつでさ」

「へぇ? ユウから吹っかけてくるなんて珍しいじゃねぇか。いいぜ、その勝負乗ってやる」

 

愉しげに笑うシズク。僕も口角を吊り上げてラケットを構える。

彼女には悪いけれど理由が出来たのなら負けるわけにはいかない。

 

「──ハァッ!」

 

僕はシャトルに向けてラケットを振るう。目にも留まらぬ速さで。

 

「──っ!? チィ!」

 

僕の動きに対してシズクの顔から余裕が消え去る。舌打ちと共に鋭角に差し込まれたシャトルにシズクはラケットを割り込ませる。

 

不意打ち気味の一撃を返したが、ふわりと弧を描いたシャトルは絶好の機会であった。

 

「──これで僕の一ポイントだね。シズク」

「…やるじゃねぇかユウ」

 

スマッシュを放ち、シズクは取りきれずに地面にシャトルが突き刺さった。

 

「勝負は本気でやらないとシズクに失礼だしね」

「…腐っても勇者サマってわけかい。まぁ、オレが認めた男だからそれぐらいはしてくれないと困るってもんだが」

「悪いけど、容赦はしないからね。僕にも──意地があるからさ」

 

ギラリ、と紅い瞳に眼光が宿る。そう、僕はシズクとの勝負に限っては手を抜くことはない。

彼女と交わした約束。そのためにも僕はシズクに証明し続けなければならないから。

 

例えどんなに軽いものでも。時に馬鹿馬鹿しく思う勝負でさえも、僕たちの間柄にはお互いに譲れないもののためにガチンコでぶつかり合うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「────どう? シズク、気持ちいい?」

「気持ちよくなんかね……ぇぇ!?」

 

僕の言葉にビクンと身体を跳ねさせるシズク。

ジロリと涙目でこちらを睨みつけてくるが、勝負に勝った以上は敗者である彼女は僕の言うことを聞かなければならない。

 

それは彼女も解っているので、こうやって視線で訴えてきているわけだが。

 

「…にしたっておかしいだろ。なんでお前の要求が『耳かき』なんだよ。はぅ!?」

「ん? いやー、しずにはよくやってるけどシズクにはそういえばやってなかったなぁなんて思ってさ。キミってば、普段やらせてくれないでしょ?」

「あったりまえだろ。ガキじゃあるまいし、それに恥ずい──はふん!?」

「あはは。しずに絶賛されてる僕の妙技。特と味わうといいサ」

 

僕の膝の上でなす術なく、されるがままのシズクは身体をよじらせて耐えていた。

 

「なんでぇ…こんなに上手いんだよユウ!」

「高嶋家直伝の技だからねー。年季が違うのよネンキが」

「ひぅ!? ぐ、屈辱だ……」

「そろそろ日も暮れてくるから、片付けてー…手を繋いで帰ろうねシズク」

「はぁ!? オマエ頭沸いてんのか──」

「僕、勝者。シズク敗者♪」

「ぐぬぅ……わぁーたよ! 従えばいいんだろ従えばッ!」

「嫌々じゃないほうが僕としても嬉しいんだけど?」

「…いつかぜってェ泣かしてや───きゃう!?」

 

───お、可愛らしい反応いただきました。

 

それに今泣かされているのはシズクだけどねー、なんて口が裂けても言えない。彼女はいじり甲斐があるのだが線引きを間違えると本気で怒ってしまうので程々にするように心がけている。

拳を震わせて闘志に燃える彼女を尻目に僕は楽しく『耳かき』をさせてもらった。

 

「はい、おしまい! お疲れ様でした」

「はぁー…はぁ……」

「じゃあ片付けて帰ろうかシズク。今日は二人と過ごせてとても楽しかったよー」

「くそ……このタイミングで出てきちまったのが運の尽きか……」

 

嘆こうが勝負の果ての結果なのだから受け入れるしかないのだ。シズクもそれは重々理解してくれてるところなので、一緒に後片付けをして帰り支度をする。

リュックを背負って準備を終わらせると、シズクがフン、と鼻を鳴らしてその手を差し出してきてくれた。

 

「ホラよ。とっと帰るぞユウ!」

「うん! そういうところ大好きだよシズク」

「……ぐっ」

 

言いながら僕はシズクの手を取る。小さくて女の子の柔らかさをその手に感じながら僕たちはこの場を後にする。

夕焼けに染まり今日という日の終わりを告げる空色に僕は少しばかり名残惜しさが残っていた。

 

「──ンな顔すんなよユウ」

「シズク?」

 

公園を出て帰路に着いている最中にシズクはボソッと呟いた。

 

「今日が終わっても明日がある。明日が無理でも明後日がある。だからそんな顔するな、戻った時にしずくが困るだろうがよ」

「…うん。励ましてくれてるの?」

「さてなぁー……しずくと言えばアイツ、元気にしてっか?」

 

夕日によって伸びる二つの影を眺めながら彼女はしずくを想う。

どんなときだって彼女のことを第一に考えるその姿がとても眩しく思えた。

 

「しずは相変わらず可愛いし、美味しそうにラーメン食べてるよ。病気もなく防人のみんなとも仲良くやってる」

「そか、ならいい。安心した」

「…もう帰るの?」

「身体も思いっきり動かせたし、今日はもう充分だ。後はアイツとよろしくやっとけ」

「その言い方はどうかと思うけど……ねぇ、シズク」

「あん?」

「しずも大好きだけど、シズクももちろん同じぐらい大好きだからね」

「……お前はホントにあっけらかんと口にできるよなぁ…ったく」

「言葉にしなきゃ伝わらないこともあるからねー。シズクは?」

 

少しだけ意地悪に問いかける。丁度夕差しが彼女にかかってその表情がうまく読み取れないが、雰囲気はとても穏やかな感じがした。

直後に僕の手が引かれて彼女の顔が間近に迫っていたのを自覚すると、頬に柔らかい感触が伝わってきた。

 

「オレもお前のことはちゃんと好きだ。またな、ユウ────」

「シズク! ……しずく?」

「…………、」

「ずるいなぁ、キミはほんとに」

「…はっ。ここ、は」

 

ぴょこっと癖っ毛が跳ねると彼女の雰囲気がガラリと変化した。

彼女(シズク)はもういない。今いるのは共に愛すべき彼女(しずく)だ。

 

「おかえりしず」

「…ぁ。いつのまにか夕方……ゆー、シズクと会えた?」

「うん、一緒に遊んでくれたよ。それに元気にしてた」

「…ん。それは良かった、本当に」

 

彼女は概ね理解する。だからこそ自分のことのように喜んでいるのだ。

手を繋いでいるのにしずは気が付くと薄っすらと頬を朱に染めた。

 

「シズクは大胆……」

「だね。もったいないからこのまま手を繋いで帰ろうかしず」

「…ん」

 

ぎゅっと握り返すとしずくも同じように返してくれた。

こうして僕たちの休日は過ぎていく────。

 

 

 

 

 

 

 

 




しずくも可愛いけど、照れるシズクがもっとみたい!

次は彼女メインで書こうかなー


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story 2『滴のようなひととき』

ギリギリセーフ? セーフだよね(汗

でもごめん、今回は『彼女』メインなんだ!
短いですがどうぞ。


冬季による早朝の肌寒さが残る中でとある一室にてもぞもぞとうごめくものがあった。

 

「……ん」

 

そこから漏れる微かな声────声の出どころは一室のベッドの上だった。シーツに包まりかの者は惰眠を貪っている様子が見受けられる。

その中で更にもう一つ別の山が出来上がっていることにかの者は気が付かない。山は尚もうごめきそしてシーツの中から顔をのぞかせた。

 

「ぷぁ……ったく。こんな動いても起きねぇとは流石だなぁーオイ」

 

声量を普段より落として悪態をつく。その表情はまるでこれから悪戯でもしようとする小さな子供のようにも見えなくはない。

ぴょこっと跳ねた癖っ毛を手で軽く梳いてからジッと今もなお眠る彼に視線を向ける。

無言のまま数秒。特に何かをすることなくジッとただただ目の前の男の寝顔を見つめる。そうして次にその者はスッと手を伸ばして指先で頬を突いた。

 

「……んっ、む、ぅ」

「これも起きないのか……はは、なんかおもしれえな。こーの寝坊助めぇー」

「んんっ、ん……っ」

「わ、おい、ちょ────ッ!?」

 

ツンツン、つんつんとしていたら。

眉を顰め頬を突かれていた男は寝返りをうつ要領で身体を横に移動させた。その時に巻き込まれたその者は男の腕に掴まれて一緒に寝転ぶことになってしまう。

慌てて脱しようとするががっしりと腕の中に包まれて身動きが取れない。

 

「なっ! お、おい……離せ……っ!」

「むにゃ……しずくぅー……」

「────っ!!?」

 

ぎゅうぅ……っと体を抱きしめられ耳元で名前を囁かれて身を硬らせるしずく────いや、シズクが居た。

細やかな抵抗として彼の胸に手をついて離れてもらおうとするが、まるで意に介さず更に強く抱擁される結末となってしまった。こんなはずではなかったのに、とシズクは上目遣いのまま睨み付ける。

 

(……くそ。どうせオレじゃなくてしずくのことを呼んでるんだろうが……ッチ)

 

どうにも面白くない。この状態まで陥ったのはシズク自身のせいなのだが、無意識とはいえこうして抱きしめられてまで口にされる名前が自分じゃないとなると、幾らその名が大切な彼女のこととはいえシズクはモヤモヤが拭えないでいた。

と同時にこんな思考回路になっていることについても、彼女の眉を顰める原因となっていた。比率としてはこちらの方が傾きがあると言っても過言ではないぐらいに。

 

「蹴り飛ばしてぇぐらいなのに……はぁぁ。やっぱり出来ねえ、な」

「んっ……」

 

こんなの柄ではない。加賀城雀辺りに知られたら馬鹿にされるってことも理解しているシズクはしかしこの腕を払い除けることは出来なかった。もう既に気持ちの整理はついているはずなのに、どうしてもこうして確かめたくなる時がある。半身であるしずくは言わずとも多分な愛情を彼に向けていることは知っている。そして彼もまたしずくに負けじと好意をぶつけてくれることも知っていた。

 

「オレは……オレはオマエの『好意』の中に含まれてるんだろうか……なぁ、ユウ」

 

目の前のユウ────高嶋祐樹は寝て、他の誰も聞いていないからこそ漏れるキモチ。しずくを守るために生まれた『人格』としての彼女は時々この胸に燻る『想い』に揺らされる。文字通り存在意義そのものを。

 

根底としての存在理由は忘れてはいない。それは当たり前の事実なのだが最近はどうにも祐樹の存在がしずくの隣に並びつつあるのだ。しずくにとっての『祐樹』は大切な人で、恋人で、愛している人間だ。けれどそれはシズクにとっては同義となり得るのか否か、迷う時がある。

 

(こうしてやられてるだけで安心しちまうオレがいる。それにユウ自身からも相応の言葉をもらってる……迷う事はねぇはずなんだがな)

 

戦いや訓練に明け暮れていた当初よりも皆と打ち解けてきていることもシズクは理解している。しずくも自力をつけてきているからまぁしょっちゅう表に出ることも以前より少なくなってきているし、喜ばしいことだがそうなった先に、とふと考えることがあった。

 

「オレはいずれ考えなきゃならんのかね……消えるか、消えないか」

 

目を細めシズクは頰を祐樹に擦り合わせる。伝わる温もりと匂いを感じてシズク自身気付いているのかわからないが、その口角は緩んでいた。

 

「……なぁ。オレはどうすればいい?」

「────これは、寝言だけど」

「……あ?」

 

独り言のつもりだった言葉に返答があって彼女は目を丸くした。

 

「自分の気持ちに『嘘』はつかないで欲しいかな。むにゃ……僕はしずくとシズクに居てほしい」

「……ユウ」

「だから────シズぐえっ!?」

「ユウぅぅー……っ!」

 

寝言などと戯言をぬかした祐樹の首をその手で絞める。シズクの顔は茹でたったぐらいに真っ赤になっていてその眼光も羞恥の色が垣間見えた。

 

「テメェ最初から起きてやがったのかよ?! だぁぁクソッ! 忘れろ!! 今のことそっくり全部忘れやがれぇェー!」

「な、なん……うぐっ。ちょ、ちょっとタンマ──ギブギブ!」

「誰かにチクったら潰す。分かったなっ!?」

「い、言わない! 言わないからー?!」

 

何を潰すつもりなのかと背筋がゾクリとしてしまう。

必死に抵抗しながら祐樹はシズクの拘束から逃れようとするが、ベッドの上でバタバタと二人で揉みくちゃになっていた。

 

「あ、朝からシズクが居たと思ったらいきなり首絞められるとか……僕寝てただけだよね? てか、どうしてシズクが僕のベッドに…?」

「それはー……ユ、ユウがとにかくわりぃんだよ。起きてるのに寝たふりしやがって……やっぱガラでないこと考えるんじゃなかった」

「えー最初からじゃなかったよ? 途中から柔らかい感触がするなぁなんてぼんやりしてたらシズクを抱きしめたんだもん」

「変態」

「なんでっ!!? ……うわっ?!」

 

バッサリ切り捨てられた祐樹を他所にシズクは彼を押し倒して上に跨った。

 

「うぅ……ひどいよシズク」

「女々しい声出してんじゃねぇよ。それよりも……さっきの意味はどういうことだ?」

「自分の気持ちに嘘をつかないでって言ったこと?」

「あぁ。なんで…んなこと言った?」

 

嘘も何もシズクは流れに身を任せようと考えていた。しずく本人が大丈夫だと判断したら自分のことは忘れてくれていい、と。そんなことを思考の片隅で。

 

「しずくには良くしてもらってるのはよくわかる。けどよ、普通は『人格』なんてやつは一つしかないんだよ。オレはしずくを守るためにいる存在だ。そのしずくも近頃はユウとよろしくやっているようだし、芽吹たちみたいな仲間もいる。もう十分なんじゃねぇかなと思う時があるんだよ」

 

「みんなシズクが居なくなったりでもしたらとても悲しむよ。特にしずくなんて──」

「んなこと言われなくたってオレが一番よく分かってる。だからただの気の迷い、世迷言みてーなもんだから真に受けんな」

「…信じていいんだね? 仮にも、万が一にも居なくなったりでもしたら本気で怒るよ僕」

「おうおうそりゃ怖いな。オレは怒られたくねぇから消えるのは辞めておくわ」

「そうしてくれ」

 

でも少しだけ、ほんのちょっぴりだけシズクは嬉しいと思った。例え世迷言の類でも真っ先に心配してくれる存在が居ることに。こうしてみると本当はただ安心するために確認したかっただけなのかもしれない。そんなことを考えるけれど、シズクはその気持ちを表に出すことはない。恥ずかしいし、からかわれるのがオチだから。なのに目の前の男ときたら、ジーっとシズクの様子を窺うように見つめてきていた。

居心地の悪くなったシズクは同じようにジトっと睨みをきかせて対抗する。

 

「……ンだよそのカオ」

「寂しかったんだねシズク」

「…………はっ?」

「は? って、だから寂しくなっちゃったからこうして来てくれたんだねって思って。違った?」

「は、はぁっ? オマエなにい────って……っ」

 

途端に顔周りが熱くなるのを自覚する。祐樹はその様子を見て当たりをつけたのか嬉しそうに顔を綻ばせていた。対してシズクは彼の言葉を否定することが出来ない自分に半ば呆気に取られてしまっていた。

 

「別に恥ずかしいことじゃないよ。恋人同士だしさ、キミの在り方はキミの言う通りなんだとしても、そういう気持ちを抱いてはいけないなんて道理はないはずだ。それだけシズクが気を許してくれる人が増えてきたことは喜ばしいことだし、僕もその一つになっているのが改めて分かってとても幸せだな」

「うっ、ぐ……ぅぅっ!!」

「痛っ──いたいイタイ! 叩かないでよ〜シズク」

 

シズクは恥ずかしいことなどがあると反発する癖があるみたいだが、今度のは軽く叩く程度のもので、口にするほどは祐樹は痛みを感じていない。

 

「うっせ……オマエのせいでオレはこんなになっちまったんだ! あぁもう…………責任とれ」

「──うん?」

「責任、セキニンとりやがれっ! 本当はユウとしずくが仲良くしていればそれでいいって思ってたのによぉー……オマエが焚きつけるからだぞ。さっきから心臓の音がうるさくて堪まらねぇんだ」

 

ドッドッと脈打つシズクの心臓は治まるところを知らない。彼女自身もどうしていいのかわからないから声を荒げる。

シズクの言葉を聞いた祐樹は一瞬キョトン、と表情を浮かべると上に跨っていた彼女の頭に手を伸ばして自分に引き寄せる。彼女は抵抗しなかった。

 

「…っ、お、おい」

「……シズクって可愛いな。今再確認したよ」

「──っ! や、やめろぉー……オレに可愛いとか、言うんじゃねえよユウ」

「可愛いよカワイー……より一層好きになっちゃったな。ほら、分かる? シズクと一緒で今僕の心臓も早くなってるの」

「…………ん」

 

言われてシズクは耳を澄ませると確かに早く脈打つ心音が聞こえてきた。それはシズクに負けじと言わんばかりの鼓動音であった。

彼女はしばらくその音を聞いてから吹き出すように笑う。そして、祐樹もまたつられて微笑った。

 

「……まったく、お互いしょうがねぇな。いちいちこんなことでもドキマギしちまってよー…──ほんとおかしな話だわ」

「嫌?」

「んや────悪くねぇな。ユウとこうして居るのも、偶にはイイ」

「そっか」

「んっ」

 

何処か返事の仕方がしずくに似ていて祐樹は頰が綻ぶ。シーツの中で二人で温まりながら、お互い時間の許す限りこの瞬間を堪能するのであった────。

 




なんだかんだ言っても、詰まるところ『一緒に居る口実』が欲しかっただけですねー(笑

というわけで『シズク』メインのお話でした。


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鷲尾須美の章
story1『小さな思い』


あるときに一人の少女が言いました。

 

────お二人さまはどうしてそんなに堅苦しく会話してるんだい?

 

少しキャラを作りながらもお淑やかに、まるで優雅なティータイムを楽しむが如く。少女は相席するもう一人の少女に問いかける。

 

「…堅苦しくいるわけではないわ。ただその──どうしていいのか解らないのよ」

 

沈痛な想いを吐露する少女の名は鷲尾須美。モジモジと指先を合わせて視線を泳がす彼女は自分でもこの感情に対してどうしてよいのか分からない様子。

 

────それは、アタシらのようにもっと砕けた感じで接すればいいのではなくて?

 

更に隣にいるもう一人の少女が見よう見まねで須美に云う。

けれどキャラを意識して作りすぎているせいか、どうにも違和感が拭えなく、遠巻きに馬鹿にされている気がしてならない須美である。

 

「そうは言っても、初めてのことなのだから仕方ないじゃない」

 

目を細めて須美はうな垂れる。確かに二人の云う通り、自身の性格のせいもあるとはいえもう少しどうにかならないかと思う。

平行線を辿る一方なのも事実なわけで、だからこそ目の前の友達に相談しているのだ。

 

「というより二人とも。もう少し真面目に聴いてもらえると助かるのだけど」

「わりーわりー! 少し悪ノリが過ぎちまったな」

「え〜? わたしはいつも通りだったよ〜?」

「マジか…流石お嬢様だな。すげーサマになってた!」

「ほんとぉー? 嬉しいなぁ」

 

褒められて喜ぶ園子。そして褒め称える銀の姿を見て須美は頭を抱えてしまう。

 

────もしかして、人選を間違えてしまった…?

 

しかし須美の今現在の交友関係を辿ると、彼女らを除いては安芸先生ぐらいしか相談に乗ってもらえそうな人はいなかった。

 

────あれ、私の知り合い少な過ぎ……?

 

まして異性ともなれば片手の指で数える程度しかいない気がする────いや、盛った。いないに等しい。

ますます気落ちしてしまう思考回路を脱却すべく須美はうつむき気味だった顔を上げた。

 

「と・に・か・く! 私はその……せっかく祐樹さんとこ、恋仲になったのだしもう一歩踏み込んでいきたいと考えているのよ」

「乃木さん、やだわこの人ノロけてやがりますよ?」

「あらまぁー! いいですわよーもっとやっておくだせ〜♪」

「…もういい、帰ります」

『わぁ!! 嘘うそ、ごめんなさーい!』

 

立ち上がって本当に帰ろうとする須美の両腕を二人で抑え込む。

まぁ、冗談半分でことに及んだのでそこまで須美は怒ってはいない。そこまでは、だが。

 

一息ついて須美はミルクティー(、、、、、、)をストローで啜る。

 

「す、須美がそういうの飲むなんて珍しい、な?」

 

銀が須美の手に持つ飲み物が目に入った。

以前に同じような物をすすめてみたのだが、あまり反応がよろしくなかったのだがなぜだろうか。

 

「そうかしら? 意外と飲んでみれば美味しいことに気が付いたの」

 

実は最近彼にオススメされてから絶妙にハマってしまっていた一品だ。恋する乙女、例え西洋文化が混じろう物でも彼のためなら飛び込んでいく所存である。

そうやって乾いた喉を潤していくと、対面に座る園子が口を開く。

 

「わっしーとゆっきーは手は繋いだの~?」

「…い、いえ。お付き合いを始めてから(、、、、、、、、、、、)はまだ」

『え?』

 

銀と園子の声がダブる。

 

「──じゃあじゃあどっかにデートとか??」

「……御役目や訓練もあるし、交際を始めてからまだ日も浅いからあまり一緒にお出かけとかは……あ、そういえば先日一緒に服を見に行ったわ。実は今日着てきた服は祐樹さんが選んでくれたモノで──♪」

『…………、』

 

両頬に手を添えながらはにかみ、須美はその時の記憶を振り返っているようだ。なんと愛らしい姿なことか。

反面に銀は苦い顔で、園子はほへぇ、といった表情を浮かべながら二人はお互いに顔を見合わせていた。

 

「あれ、園子さん……アタシらこれ相談にノる必要なくないっすか?」

「ん~? それは当人の考え方次第だと思うけどー……わっしー的にはどう?」

「ええ、やっぱり何かが足りないと思うのよね。でも、私はこれ以上どうしたらいいのかわからなくて……」

「……イマノママデイインジャナイカナ?」

「わー。ミノさんのカタコト面白ーい♪ もっかいやってー」

「ソノコ、サン」

「あははははっ!」

「そんな!? 見捨てないで銀! 迷惑な相談なのは重々承知しているの!!」

 

まるでこの世の終わりかのような表情を見せる須美。

いやいや、と銀は身振り手振りで彼女のその反応を否定する。

 

「アタシからしても充分に二人はうまくやれてると思うんだけど? ならちゅーはどうだ須美? キッス!!」

「……ぽっ」

「なにー!? ヤったのか須美っ!! おのれ高嶋さん…よくもアタシの須美とぉ!」

「きゃ〜♪ わっしー大胆ー! マウストゥーマウス?」

「あ、ち…違うわ! してない! ぁ…ほっぺにはされちゃったけど……でもでもまだ接吻はしてないわ二人とも……はっ」

『きゃー!!』

「うぅぅー…酷いわ」

 

黄色い声が響く。

一々反応してしまう須美もだが、見事に誘導尋問に引っかかる彼女の顔は茹でたこのように赤くなる。

銀はそんな彼女の様子を見てしみじみと、まるで嫁いでいく娘を見送るように背もたれに寄りかかった。

 

「そっかぁー…こうして人は大人になっていくんだな。胸は既に大人な須美、父さんは嬉しいぞっ!」

「む、胸は関係ないでしょっ!? それに私は銀の娘になった覚えがないのだけど!」

「わっしー! 是非ネタとしてもらいたいんだけどいい?」

「だ、ダメよそのっち!」

 

懐から取り出したメモ帳に書き連ねる園子をワタワタと止める須美。

 

「しっかし、改めてまとめると恋人らしいことしまくってるじゃん。不安がらなくても大丈夫だろー須美」

「そ、そうかしら…うーん」

「のんのん二人とも。まだやっていないことがあるんよ?」

『えっ?』

 

人差し指を立てながら園子が提案する。銀と須美は共に首を傾げていた。

 

「どういうことそのっち? なにか妙案が……」

「それだよわっしー! 二人に足りなかったのはソレだぁー!」

「なに急に大声で言ってるんだ園子…ソレって──あ、まさか!」

「え、え? 分からないわ?? きちんと説明して」

 

くつくつと笑う園子。たが銀からしてみればインパクトに欠ける提案であることは否めない。

 

「わっしー。わたしのことは何て呼んでるー?」

「そのっちは『そのっち』でしょ? ……あ」

「そうそう♪ わたしはそう呼ばれてて、わたしはミノさん、わっしーって呼んでる。これが大事なんよ」

「えーでもアタシは須美から普通に名前で呼ばれてるぞ。それならこれを機にアタシも須美からあだ名で──」

「ダメよ、銀は銀だもの! ここは譲れないわ」

「がーん。そんなに否定しなくても……まぁ、確かに須美からミノさん呼びされるのはしっくりこないしな。アタシらは今まで通りでいいと思うぜ」

「でもでもー。ゆっきーとわっしーはカップルだからー、お互いの愛称の一つや二つ持ってなくてはダメなんよ」

「そういうものなの?」

 

不安げに訊ねる須美に園子は満面の笑みで返す。

 

「まー、園子の言うことも一理ある。じゃ、さっそく…高嶋さんをなんて呼ぶのか考えようぜ!」

「わたしが考えた『ゆっきー』はー?」

「ゆっ!? ゆ、ゆー……っきー……はぅ。無理よ、私はそのっちみたいになれないわ」

「あれれー? じゃあ、『ゆーみん』はー?」

「それも無理っ!」

「じゃあ、あえて高嶋からとって『たっちゃん』…とか?」

 

園子の提案はともかく、銀の言葉を元に想像を膨らませてみる、が。

 

「たっちゃん……ごめんなさい、銀。なんだかしっくりこないわ」

「そっかー…意外と難しいんだな。うーん」

「ゆんゆんとかどーおー?」

「そのっちの提案はどれも難易度が高すぎるわ…」

「しょぼーん」

「あ、いや、その……そうやって考えてくれるのを否定しているわけじゃないのよ? ただもう少し私に違和感がないようなものがあればと」

 

園子の落ち込みにフォローを入れる須美。元々無理を言っている身なのは理解しているが、性格故か中々園子のようにはいかないのも事実なのだ。

 

三人であれよこれよと悩み続け、それぞれの飲み物が空になる程度には時間が経過する。

けれどその場では『愛称』というものは決まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ゆ、ゆっきー。こんにちは」

 

出来る限り平静を維持し、上擦らないように心掛けながら声を出す。

しかし目の前に見える自分の立ち姿をみて、どうにも違和感が拭えなかった。

 

小さくため息を漏らす。

 

(はぁ…一体どうしたらうまくいくのかしら? 二人には迷惑かけてしまったし)

 

そもそも辿っていくとなぜそうなったか、今となっては思い出せないが自分でこれだ、と納得していた気がする。

姿見に映る自身を見て頭を悩ます。

 

「……それとも、やっぱり一歩踏み込むには世の大人たちのように──」

 

銀や園子にからかわれることのある、とある部位に視線を落として須美は呟く。

しばしの無言、我に戻った須美は頭をぶんぶん振って考えていた想像をかき消していった。

 

(いやいやいや…。何を考えているのよ鷲尾須美っ! そんな破廉恥な──)

 

須美は来年には中学生に上がる。近頃はネットなどの情報媒体が様々に展開されている中で、彼女なりに知識として頭に入っているものはいくつかあった。

だが、それでもお互いにまだまだ未成熟でありそういった段階には早計が過ぎるというもの。

 

「清く、正しい交際を──あぁ、でももし祐樹さんに求められたら私は断れるのかしら…?」

 

困り顔が浮かばれている。だが、その内心は果たして表の感情と同意であるのかそれは彼女自身にしか分からないことだ。

悶々と想像────もとい妄想に耽りながら須美は着替えを済ませていく。

 

「────須美さま。祐樹様がお越しになりました」

「はい、今行きます」

 

自室のドアがノックされ須美はルンルン気分になった状態で部屋を後にした。

 

 

リビングに向かいその扉を開けていくと、母と祐樹が丁度会話をしていたところであった。

須美は彼の姿を捉えると花を咲かせたように笑みを浮かべていた。

 

「こんにちは! ゆっ──こほん、祐樹さん」

「こんにちは須美。今日も可愛いね」

「そ、そんなことないですよ…もぅ、こんなところで恥ずかしいわ」

 

目の前に母と使用人がいるというのに、祐樹はいつものことのように言ってみせていた。

隣にいる須美の母はニコニコとまるで見守るように彼女らの様子を眺めている。

それが余計に須美にとって恥ずかしくもなって逃げるように祐樹の手を引いてリビングを後にした。

 

「須美? どうしたの急に……って言うのは違うかな」

「祐樹さんはイジワルです。あんな言葉を母の前で言うなんて」

「照れる須美が可愛いんですよーって話になったから言ってみたんだよ。まぁ、それ抜きにしても本心でもあるけどさ」

「──っ。もー!」

 

自室のドアの前で祐樹に向き直って彼の胸板辺りをポカポカと叩く。

ごめんごめんと宥める祐樹は須美の頭に手を乗せて撫でてみせる。

 

「…子供扱いしないで下さい」

「好きだって聞いたけど。髪さらさらしてて気持ちいいね」

「…………嫌では、ないです。ありがとうございます」

 

むすっと煮え切らない表情を浮かべる須美。しかし、今もなおされ続けているところをみるに満更でもない様子。

 

「あの、部屋へどうぞ」

「うん。お邪魔します」

 

区切りの良いところで二人は部屋に入っていく。今日は須美が彼を自宅に招待し、一緒の時間を過ごそうという予定だ。

園子は家の用事、銀は弟たちの世話で忙しいらしい。

 

「こうして須美の部屋に来るのは久しぶりな気がするよ……なにこれお城?」

「それは丸亀城よ。うまく彫れた記念に飾っているの」

「へー……えっ??」

 

祐樹は一番に視界に入った彫刻の説明を須美がしてあげると、目を点にして首を傾げていた。

 

「な、中々個性的な趣味をお持ちで…?」

「はい? 趣味ではないけれど…何となく手持ち無沙汰になっていた頃にやってみただけよ。祐樹さん、立っていないでこちらに座ってください」

「はぁ〜…すごいなぁ須美は。前に絵も描いてたけど、芸術面の才能があるよねー」

「もう、褒めても何も出ないわ。あの……私も横に座ってもいいかしら?」

「もちろん。おいで」

「はい♪」

 

嬉しそうに笑って須美は彼の真横に腰掛ける。

両手を膝に置いてそわそわと身体を動かしてどうにも落ち着かない様子。

 

「なんかこうやって二人で居るのって毎回新鮮味を感じるよね」

「そうですね。いつも周りは銀やそのっちと一緒だから余計に感じてしまいます」

「だねぇー…」

 

ワイワイ騒いで、笑って日々を過ごす。当たり前のことなのだろうが、彼らにとってそれは眩しく、一段と価値のあるもの。

 

「私はみんなで過ごす時間がとても尊いものだと思っています。大事にしていかなきゃって思います」

「うん」

「でも……今はその…それと同じくらい祐樹さんと過ごす時間も大切なんです」

「……うん」

 

肩に須美が寄りかかり上目で彼を見る。熱っぽい視線を祐樹に向け、その小さく血色の良い唇をきゅっと結ぶ。

 

「祐樹さん」

「…須美、いいの?」

 

その熱に当てられて祐樹もその瞳に同じものが宿り、お互いの距離が少しづつ近づいていく。

 

「私が言った健全なお付き合いを──ってやつですか?」

「僕もその…一応男だから、こういう態度をされると……抑えているものが抑えられなくなっちゃうよ?」

「我慢、してるんですか? この前は私の頬にキスしたのに?」

 

視線は重なったまま、相手の吐息がかかるぐらいの距離まで縮まる。

祐樹は少しだけ困った表情を浮かべた。

 

「──それは。だって、須美が可愛いのがいけない」

「ふふっ。私のせいなんですか? なら……責任、とらないといけないですね」

 

触れるか触れないかの距離間に、須美はその瞳をゆっくりと閉じた。

薄目でその光景を見届けた祐樹も同じくして瞳を閉じる。

 

「────ん」

 

唇の先に温かい熱が触れる。初めての感覚。

 

『…………。』

 

時間がまるで止まっているかような錯覚に次にどう動けばいいのかお互いが分からないでいた。

呼吸も忘れ、苦しくなってきた頃にどちらともなく離れていく。

 

「────しちゃいましたね」

「正直、凄い嬉しい。まさか須美の方からなんて思ってなかったから」

「私だって本当は好きな人と一緒に色々と……なんですよ。ゆーくん(、、、、)?」

「…っ。須美、それ反則」

 

こつんと額を当てて祐樹のその顔は真っ赤に沸騰しているようだった。

須美はそんな彼の様子に瞳をキラキラと輝かせる。「やった♪」と内心ガッツポーズだ。

 

「ずるいよ須美、それみんなの前で言っちゃダメだからね」

「分かってます。二人のときだけ……私だって恥ずかしいから」

「僕も何か呼び方変えようか?」

「…ゆーくんがそうしたい、なら」

「うん。須美──すみ……すーちゃん?」

「……っ!?」

 

ぼふん、と須美の顔が赤くなった。祐樹はくすりと笑う。

 

「すーちゃん。もう一回、いいかな?」

「……今日だけ特別ですよ。ゆーくん」

「えー…ちょっとそれは悲しいなぁ」

「ダメです。節度をもって、健全なお付き合いを──です……今は」

 

最後の方は彼に聞こえないようにボソッと小声で言う。

自分で発した言葉に恥ずかしくなった須美は気を紛らわすように彼の唇に自分の唇を重ねた。

 

 

 

 

 




イメージ的に

東郷さん→オープン
わっしー→ムッツリ


…的な?


誤字報告、ありがとうございます。


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上里ひなたの章
story1『日々の過ごし方』


丸亀城敷地内、訓練場にて。

 

 

「──ハァッ!!」

「ぐっ!? まだまだ!」

 

訓練用の装備を用いて打ち合う男女の姿がそこにあった。

乃木若葉と高嶋祐樹。今日も今日とて二人はお互いの練度を高めるために励んでいた。

 

「どうした祐樹。拳筋がブレてるぞ!」

「…うわっ!?」

 

若葉の言葉と共に弾かれて、その胴を打ち抜かれた祐樹はその場に倒れ伏した。

若葉はふぅ、と一呼吸置いて歩み寄ってきた一人の少女からタオルを受け取る。

 

「若葉ちゃん。お疲れさまでした」

「ああ。すまない、ひなた」

 

微笑み、若葉はスポーツドリンクを飲んで未だに倒れている祐樹を見やる。

祐樹は肩で息をしていて疲労困憊といった感じだ。

 

「…やけに疲れているな。訓練までに何かしてるのか祐樹?」

「いや……別に。ごめん、ちょっとまだ動けそうにないから先に戻っててくれ若葉」

「わかった。ひなた、私はシャワー浴びにいくが?」

「え? 一緒に入りたいんですか若葉ちゃん。もうそれならそうと──」

「ち、違うっ! そうではなく……」

「ふふ。冗談ですよ、私は祐樹さんが落ち着くまではここにいますので、若葉ちゃんは汗を流してきてください」

「ひなたの冗談は冗談に聞こえないな…なら、先にいくぞ」

 

そう言って若葉は先に寄宿舎に戻っていった。

ひなたは手を振って見送ると、倒れている祐樹の元に近づいて腰を下ろした。

 

「祐樹さんもお疲れさまでした。あと少しでしたね」

「いや、若葉も言ってたけど拳がブレちゃってたから、今日の評価としては最悪だよ。はぁ…」

「そうでしょうか? 確実に若葉ちゃんと打ち合えるまで成長したことは喜ばしいことではありませんか」

「……他のみんなにも手伝ってもらってもこの体たらく。僕ってあんまり戦闘に向いてないのかなぁ」

「あら、それは違いますよ祐樹さん。若葉ちゃんも結構負けず嫌いなところがあるので、勝ち負けを競うのであればそういう意地のぶつかり合いだと私は思います。私は祐樹さんならば出来るって信じていますよ」

「…ひなた」

「──はい、祐樹さん♪」

 

起き上がった祐樹に対してひなたは両手を大きく広げた。

ニコニコと、満面の笑みで。

 

「…ぅ。その、それは恥ずい」

「今は私たち以外誰もいませんよ? なのでお気になさらずに」

「…汗もスゴくかいたから、汚いし」

「それこそ何も問題ありません。さぁさぁ──!」

「ちょ!? うぶ──っ!」

 

引き寄せられて抵抗するまでもなく祐樹の身体はひなたによって抱きしめられた。

柔らかい二つの感触を顔面で感じ取る祐樹は、訓練後の熱とはまた違った熱が途端に吹き上がってくる。

だからといって逃げるわけでもなく、されるがままでいると祐樹の頭に手を乗せてひなたは頭を撫で始めた。

 

「ふふ…祐樹さんは頑張ってます。努力は必ず実を結びますからこれからも励んでいきましょう」

「…でも、悔しい。若葉に負けるのが」

「そこは男の子ですから、男子の意地というものを見せつけてあげればいいんです。若葉ちゃんなら真摯に向き合ってくれますよ」

「…うん。かっこ悪くてごめん、ひなた」

「くす。何を言っているんですかー…祐樹さんは私が接してきた異性の中で一番カッコいい男の子ですよ。だからこうして──好きになったんですから♪」

「……ん」

 

ひなたの言葉に恥ずかしくなり、祐樹は顔を埋める。

その間にも彼女の撫でる手は止まらず、いつものように優しく彼を受け止めてくれる。

 

どうしようもないくらいかっこ悪い自分を、屈託のない笑みを浮かべて迎え入れてくれる彼女。それが────上里ひなたという少女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上里ひなたはスキンシップを好む女の子だ。

流石に相手を選んで…というのは当たり前だが、自身が気を許した相手にはとことんその行為を求めてくる傾向にあった。

 

「あら若葉ちゃん♪ ほっぺにご飯粒がついていますよ〜。私が取ってあげます」

「や、それぐらい自分で出来る! こ、こらぁ!?」

「はい、取れました♪」

「────っ!!」

 

その筆頭ともいえるのが、祐樹の目の前で食事をする乃木若葉である。

幼馴染である彼女たちには切っても切れない強固な絆のようなものがある。二人のやり取りを見るだけで日常の力関係とも言うべきものが見て取れた。

味噌汁を啜りながら祐樹はそんな二人を視界に入れながら食べ進めていると、不意にひなたと視線が交わった。

 

慌てて祐樹は自分の顔に手をやる。

 

「──祐樹さん。そんなに顔に触れてどうかしましたか?」

「いや、別に……なんでもない」

 

まさか自分にも若葉のように米粒でもついていてそれにひなたが気が付いた────なんて考えてはいない絶対に。

思わず顔を背けるとひなたは含みのある笑みを浮かべて対面に座る祐樹の隣に腰を落ち着けた。

 

「あらぁー? 祐樹さん、こんなところに何かついてますよー?」

「えっ……ホントに────っ!!?」

「なんて、冗談ですよ♪」

 

ひなたの言葉に振り向いた瞬間────彼女の人差し指の先が祐樹の唇に触れていた。

イタズラな笑みを滲ませて、ひなたはその指先を自分の唇に当て合わせる。

 

祐樹の顔は沸騰したかのように真っ赤になった。

 

「ひ、ひなたぁー!」

「そんなに怒らないでください祐樹さん。カッコ可愛いい顔が台無しですよー?」

「ひ、うぅ……」

「鼻の下が伸びてるぞ祐樹……あむ」

「ど、どうして若葉はそんなに冷静なんだよー」

「慣れだな」

 

バッサリと斬り捨てた若葉の言葉に苦笑を浮かべる祐樹だった。

そんな彼を余所にひなたは祐樹の肩に身体を預け始めた。びくん、と祐樹の背筋は強制的に立たされる。

 

「祐樹さん……」

「ひなた…?」

「────ごはん、おかわりいりますか?」

「…………。ぁ、うん。もらうよ」

「はい♪」

 

なぜそんなに密着してきたんだろう……? と思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

丸亀城内の教室。机を四つくっつけて、囲うようにそれぞれの椅子を並ばせて座る。

机の中心にはカードの束が乱雑に積み上げられていた。そのカードの種類はトランプ。

窓の外から視える天気は雨雲に覆われていて、しとしとと雨粒が降り注いでいた。

 

「いえーい! これでタマのあがりだー!」

「必然的に私も上がりだな」

 

ぱしん、と二枚のカードを叩きつけて勝利に浸る球子とその勝利に続く若葉。対面に座る祐樹は苦悶の表情を浮かべていた。

『ババ抜き』。今日は天候も相まって外の訓練が無くなったので、みんなは時間まで遊んでいるところだ。

 

先に上がった千景は行く末を見守っている。残りはひなたと友奈と杏……そして祐樹だ。

 

「くっふっふ……祐樹くん。私には必勝法があるんだよ?」

「ゆ、友奈??」

 

カードを差し出しながら祐樹は得意げに語る友奈を訝しげに視線を送る。

しばし目を伏せた友奈はカッと目を見開く。

 

「ババ────持ってるでしょ? 祐樹くん」

「……っ。言葉で揺さぶろうとしたって無駄だよ。僕は持っていない」

「ちっちっちー……これだぁ!」

「なぁ!!?」

 

不敵な笑みを浮かべたと思ったら迷わずにババとは逆方向にあるカードを奪い取っていく。

呆気にとられる祐樹に反して友奈は悦びと共にカードを表に開いた。

 

「じゃーん♪ どや!」

「な、なぜ…」

「さすが高嶋さんね。それに対して気がつかない祐樹君はまだまだ、ね」

「ぐはっ!?」

「ではこれで先輩が私のカードを引いて上がりです♪」

 

千景の口撃に打ちのめされ、杏にも上がられる。

 

「これで残りは私が引いて──もし当たれば祐樹さんがビリですね」

「う、ぐ……」

「なんか戦う前から結果が見えてるような?」

「そもそもひなたさんが最後まで残っているのが不思議なんですけどね…」

「ひなちゃんファイトー!」

「まぁ諦めて観念しタマえゆーき。負けた方がアイス奢り&買い出しだぞー!」

「わかってる…!」

 

こんな雨の日に外になんかでたくない。

気を取り直して祐樹はひなたに向き直る。ニコニコと微笑みを絶やさない彼女には隙がどこにも見当たらない。

 

「祐樹さん。このままではフェアではありませんから一つ、アドバイスしておきますね」

 

ひなたは人差し指を自身の目元に持っていき、話を続けた。

 

「実は祐樹さんはカードを引かれる時に無意識のうちにジョーカーに視線が移るクセがあるんです。先程の友奈さんはソレを利用した形ですね」

「マジか……友奈」

「えっへへー。でも私だけじゃないよ? みんなもそうだよねー」

 

友奈の言葉に一同が頷く。道理で手札からジョーカーが動かないと思っていたらそういうことだったようだ。

だが、それを敵にわざわざ教えてしまうのはどういう意図が…。

 

「ここで、従来の賭けとは別に──私としませんか祐樹さん」

「なにを……」

「いたってシンプルですよ。もしこのターンで祐樹さんが逃げ切れたら──祐樹さんの命令を一つなんでも聞いてあげます♪」

「なん、だと──」

 

祐樹に電流が走る。その時に彼女のある部分に目がいってしまったが首を振って雑念をかき消す。違う、雑念などない。

というか、今…わざと強調されたような────?

 

「あー祐樹くん絶対今エッチなこと考えたー! ひなちゃんに何をお願いしようとしたのー?」

「は、はぁ!? 友奈なにいって──」

「お、なんだなんだゆーきもひなたの霊峰にきょーみがあるのか!? なっはっはー。ゆーきのすけべー」

「ぐ、ぬぬぬ……」

「タマっち先輩……?」

「え、あ、杏?? なんでそんな怖い顔して──ひぃ! 吊るさないでー!!」

「祐樹。節度を持って行動するんだぞ」

「若葉まで!? 誤解だから!」

「最低ね…祐樹君──ふっ」

「がはっ!!?」

 

再び千景の口撃に心が抉れる。もはや戦意喪失気味にまで堕とされるが、まだ勝負は終わっていない。

プルプルと起き上がって、ひなたに相対する。

先ほど以上にニコニコとしていた。

 

「そしてもしここで私が引いてしまったら祐樹さんの負けです。その時は一日私の言うことをきいてくださいねー」

「や、やってやる…」

 

引かれなければいいんだ。引かれなければ。見えないように机の下でシャッフルしていく。彼女のあの自信は相当なものである以上は本当にここで回避しないと負けてしまうことになりそうだ。

 

「…………っ」

「あら。目を閉じましたか…むむむ」

 

目を閉じる。これでもう視線での位置は探られることはない。

後は何を言われようと黙秘を続ければいい。

カードを持つ手を伸ばし提示する。右か、左か──ひなたの指先が品定めを始める。

薄目を開けて顔色を伺ってみるけど、少しの揺らぎもなくいつもの調子の彼女が見えた。

 

これは────もらっ────。

 

「ちなみに♪」

「え…?」

 

言葉と共にカードが引き抜かれる最中、ひなたは和かに語り始める。

 

「こうして追い詰められた祐樹さんのとる行動は、利き手側に自分の危険カードを無意識に並べるクセがあるので要注意です、よ?」

 

カードは既に手中から離れていた。タイミングを合わせてひなたが語った解答に祐樹は目を開けて驚愕する。

 

────ぁ。

 

「と、いうことでこれで決着です祐樹さん♪」

 

二枚の絵柄の揃ったカードを持ってして、勝敗は決した────。

 

 

 

 

 

 

 

丸亀城を出て変わらずに降り注ぐ雨音を聞きながら道中を傘をさして歩いている。

未だがっくりと項垂れる祐樹とそれを横で申し訳なさそうに歩くひなたの姿があった。

 

「まさか最初から掌の中で踊らされていたとは…悔しい」

「ごめんなさい祐樹さん。若葉ちゃんと同じように分かりやすくてつい意地悪をしてしまいました」

「いや謝らなくていいよ。色々と引っかかる自分がいけないんだし……それに、ひなたこそ悪いね。一緒に来てもらっちゃって」

「いいんですよ。こうして二人でお出かけできる口実が出来たわけですし」

「…なるほど。まぁとは言ってもすぐそこのコンビニだけどね。ほら、もっとこっちに寄らないと濡れちゃうよひなた」

「それでもですよ♪ ありがとうございます。それじゃあ失礼して──えいっ」

 

ぎゅっと祐樹の傘の持つ手とは反対の腕にひなたは抱きつく。

二人で入るような大きさの傘ではないために少々手狭なものだけど、当人同士は特に気にしている様子はなかった。

 

「今日は一日雨だっけ?」

「そうですね。しばらくは続くようですよ。そうなると訓練も屋内になりますねー。パシャり」

 

言いながらひなたはスマホの内カメラを使って写真を撮り始めた。

彼も突飛な行動には慣れているようでちゃんとカメラ目線になっている。

 

「祐樹さんと相合傘記念の写真いただきました!」

「そんな撮るようなものなのかな?」

「もちろんです。若葉ちゃん同様、祐樹さんとのちょっとしたイベント毎でもこうして記録するのが楽しみなんですから」

「…まー。ひなたが喜んでくれるなら僕も嬉しい。あとで僕のスマホにもデータ送ってもらえる?」

「はい♪ なんでしたらしばらくは二人でお揃いの待ち受けにしてみませんか?」

「球子と友奈あたりにからかわれそうだ。主に僕が」

「ふふ。それも面白そうですね」

 

想像してみるといとも簡単にその光景が思い浮かぶ。

二人で顔を見合わせて小さく笑う。

 

「よし。次こそはひなたに勝ってやる! あと若葉にも」

「その意気ですよ。もし勝ったらいっぱいハグしてあげますね♪」

「う、嬉しいけどさ…恥ずいよやっぱり」

「恥ずかしがる祐樹さん──それがいいんです。むしろ勝っても負けてもハグしちゃいます!」

「えぇー」

「否定はできません! これは命令です祐樹さん。私にハグハグされまくっちゃって下さい!」

「ここでソレがくるかー……まぁ、嫌じゃないし、お手柔らかに頼みます」

 

最後の言葉は気恥ずかしくて祐樹はボソッと言った。

ひなたの指を自分の指に絡めながら彼は苦笑する。

 

 

 

 

 

 

 

日も経ち、雨もすっかり上がった晴れの日。

久々の屋外での訓練を勇者たち全員が満を持して挑んでいた。

 

「どう、だ若葉……ッ!」

「むっ!? やるな祐樹──!」

 

若葉の持つ木刀の合間を縫って祐樹の正拳が頰を掠める。

動きのキレは日を追う毎に研磨され、一撃一撃には彼の想いのようなものを感じる。

 

「おー! 祐樹くんが若ちゃんに一発入れたよっ!」

「まぁあれだけみんなにバシバシ扱かれれば、否応無しに強くなってなきゃおかしいけどなぁー」

「高嶋さんの指導が良かったのよ。最初のサンドバッグ状態だった頃に比べたら彼の成長具合も中々のものね」

「でも祐樹先輩の気迫は凄いビリビリきます。ひなたさん何か喝でもいれたんですか?」

 

杏の言葉に四人の視線がひなたに向けられる。

 

「ふふ。いつも通りですよ、祐樹さんも若葉ちゃんも。私は何もしていません」

 

頰に手を添えて微笑むひなた。

その様子を見た球子はからからと笑う。

 

「ま、若葉からしてみれば私に勝てないとひなたはやらん! 的な感じかもなぁー」

「くす。そうかもしれませんねー」

「まじか!? おっタマげたぞ!」

「あ、あはは。なら今見える光景が娘の父親を説得しているようにも見えなくはありませんね」

「祐樹くんは昔からいつも一生懸命だからね!」

「そうね……でも上里さんからすれば別の狙いもありそうだけど」

「はてさて? どうでしょうか千景さん」

 

写真を撮りながら千景に素知らぬ顔を崩さない彼女を見て、嗚呼この人は一枚上手だ──と思わざるおえないと千景は内心考えた。

 

そうこうしている内に彼らに動きがあった。

祐樹の拳が一瞬の隙を見せた若葉の木刀を弾き飛ばしたのだ。

 

(しま──視線はフェイクかっ!)

 

祐樹のクセ……それは次の動作を始める前にどこに拳を打ち込むのか分かりやすい視線の動きがあったのだが、ここにきてその若葉の読みを逆手にとられてしまった。

 

(だが……なにも武器は木刀だけではない!)

 

刀を納めていた鞘を使って範囲外からの一撃を与えようとする。

しかしここでも若葉は驚きをあらわにした。

 

(なにっ!? まさかコレすらも……読まれ────)

 

目を見開いて狼狽える彼女の眼前には既に拳があり、ぴたりと止まっていた。

まるで次はこうくるだろうと予見していたかのような動作だった。

審判を務めていた友奈が「そこまで!」と待ったをかける。

 

「この勝負は──祐樹くんの勝ち! おめでとー♪」

「よっしゃー!! 若葉に勝ったぁ!」

「ば、バカな……くぬぅ」

 

友奈と祐樹がハイタッチで喜びあう中で若葉をひざを崩して落ち込んでいた。

慢心していたわけでも、油断していたわけでもない。純粋にこの場では彼の方が上だった。

 

「ひなた! 勝ったよ僕!」

「おめでとうございます祐樹さん♪ 勝利のハグです」

「わっ!? こんなみんながいる前だと恥ずかし──」

「あはは。二人はラブラブだねタマっち先輩」

「もうタマは見慣れてしまったよ……うおーゆーき! 今度はタマと勝負しろー!」

「……リア充爆発」

 

もみくちゃにされながらその場は盛り上がったのだった。そして────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────その日の夜。ひなたの部屋には彼────ではなく、幼馴染の若葉が訪れていた。

若葉がひなたの元に来た理由は昼間の試合でのことだ。

 

「むー…! 悔しい……」

「あらあら♪」

 

来て早々にひなたに抱きつきうめき声を上げる。

そして彼女の膝の上でむくれる若葉。その頭を撫でながらひなたは愉しげに見守る。

 

「祐樹さんに負けてしまったのがそんなに悔しかったんですか?」

「当たり前だ。みんなで祐樹の特訓に付き合っていたようだし……ずるい! …でもあの成長具合は頼もしくもある……それに私が負けたらひなたが遠くにいってしまう気がして不安だったんだ。だから意地でも負けたくなかったのに」

「あぁー嫉妬してる若葉ちゃんかわいい♪ こほん──それこそありえませんよ若葉ちゃん。今まで通り、私と若葉ちゃんの関係は崩れたりしません。祐樹さんからもこれまで通りに仲良くしてくれと言われてますし、若葉ちゃんにも祐樹さんは言っているはずですよ」

「…でもぉ。うぅ」

 

太ももの上でイヤイヤ首を振る若葉がとても愛らしいです。まる。

 

「それに私の知っている若葉ちゃんはこれぐらいでへこたれる人ではないと思ってます。いいじゃありませんか。一緒に腕を磨き高めあえる人というのは貴重な存在ですよ」

「ぐす……そうか?」

「はい♪ なので明日からまた凛々しい若葉ちゃんになるためにも、今は私にいっぱい甘えちゃって下さい。何かして欲しいことはありますか?」

「…………耳かき」

「喜んで♪」

 

どこからか取り出した耳かき棒を手にしてひなたはいつものように、彼女に優しく耳かきをするのであった。

 

(ふふ…。若葉ちゃんが終わったら祐樹さんに連絡入れましょうか。むくれてる若葉ちゃんも最高でしたけど、反対に喜びではじけてる祐樹さんもきっと同じぐらい可愛いんでしょうね〜♪)

 

一度で二度美味しいとはこのことか、とひなたは一人口角を綻ばせる。二人からすれば真剣な勝負ではあるのだが、ひなたからしてみれば双方の普段とは違う表情などを発見できるいい機会なのでウェルカム状態なのである。

 

────さて、次はどうやって二人の新しい一面を引き出しましょうか。

 

ひなたはそんな感じでうきうきしながら日々を過ごしている。

昼間の千景の言葉はあながち間違いではないようだ。『彼女のほうが一枚上手』だと。

 

 

 

 

 

 





手のひらで転がして楽しんでいるひなちゃんを書きたかった。
後は私もひなちゃんに抱きしめられたい……(願望駄々洩れ


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story2『お茶会』

おいっちにーさんしー(準備体操

さて、行くか……( ˙-˙ )(白い砂山を見ながら


◾️

 

 

 

丸亀城内に併設してある寮の一室。ぼうっと窓の外を眺める祐樹は特に何かするわけもなく暇を持て余していた。

 

「……雨だと何もすることないな」

 

呟くその先には曇天に覆われた空から止めどなく雨が降り注がれていた。天候はこのまま一日中変わることがないらしく、せっかくの休日が生憎の雨天となれば気分も幾らか落ち込んでしまう。千景とたまにやる狩猟ゲームも今日は友奈が部屋に遊びにきているらしくオフライン。他の面子も室内で有意義に時間を使っているに違いない。

 

「はぁ、何かないか……ん?」

 

何度目かのぼやきの果てに遂ぞ彼の部屋にも来客者が現れたようだ。コンコン、とノックされた扉に向かって「どうぞー」と促す。そこに現れたのは、

 

「…あれ、ひなた?」

「はい、祐樹さん。遊びに来ちゃいました♪」

 

ひょこっと顔を覗かせたのは上里ひなただった。はて、と小首を傾げて祐樹は疑問を投げかける。

 

「今日は若葉といるんじゃなかったの? ……って、すごい荷物だね。持つよ」

「少々予定を変更しまして。ありがとうございます」

 

ガサっとビニール袋やら紙袋やらと大荷物の彼女を招いて座布団に座らせてから、祐樹はお茶を用意する。

ニコニコと外の天気とは真逆な陽だまりのような笑顔を向けてくれてお礼を述べるひなたはそのままもらったお茶を啜った。

 

「…ふぅ、美味しい。祐樹さんの淹れてくれたお茶は格別ですね」

「出しておいて何だけど、よくある市販のやつだから味とか変わらないと思うけど?」

「そこはほら、気持ちの問題ですよ。祐樹さんが私の作ったお弁当を美味しく食べてもらっているのと同じ感覚ですね」

「いや、比べる対象が……んや、言いたいことは分かったけど。それで、何か用事でもあったっけ?」

「恋人に逢うのに大きな理由は必要ありません。祐樹さんに会いたくなっちゃったので遊びに来たんですよ♪」

「……そ、そう。僕もひなたが遊びに来てくれてとっても嬉しいよ。ありがとう」

「ふふっ……じゃあ両想いですね」

「両想いだね」

 

テーブルの上でお互いに空いた手をすすーっと伸ばした二人は指をちょこんと当ててから絡めあった。何かを確認するようにゆっくりと絡みつかせて指から手の平まで感じる温もりを噛みしめるように触れ合った。

 

「ひなたの手、ちょっと冷たいね」

「外が雨で気温も下がってますから。祐樹さんの手は私と違って暖かいですね」

「僕は今まで部屋の中に篭ってたからねー……それとひなたの手を握っているから心臓がドキドキして血流が良くなってるのもあるかも」

「えー、それは本当ですか〜? 祐樹さん言葉巧みに私を騙そうとするときがあるから信じられませんよー??」

「そんなことないから。ほら、もう片方の手でも確かめてみてよ」

「むむ、それは確かめないといけないですね。握ってみてください」

「もちろん」

 

本当はお互いに分かっていても、あえて分からないフリをしてその余韻を楽しむ。彼女が部屋に入ってきて数分と経たないうちに両手を握り合いながら会話をする二人の姿がそこにはあった。

にぎにぎ、と軽く握っては強めにしてみたり。自分がそうすれば相手も同じ動きで応えてくれる。それが楽しくて、それだけでも心が暖かくなって二人はクスリと微笑む。

 

「……そういえばこの袋たちの中身はなんなの?」

「はい、実はですね。あ、ちょっと片手だけ失礼して──じゃじゃん!」

 

絡めた両手の内の片方を名残惜しそうに離すと、ひなたは袋の中身をテーブルの上に並べていった。彩り豊かなカラフルな箱たち。それは様々な種類の『お菓子』たちだった。

 

「わー…凄い量だねまた。どうしたのコレ?」

「頂き物なんです。先日『大社』に出向いた時にお裾分けをもらいまして……これでも若葉ちゃんたちにもあげたんですよ?」

 

テーブルを埋め尽くしそうなほどのお菓子たち。祐樹はそのうちの一つを手に取る。

 

「へぇ……どれも美味しそうだね。じゃあ今日来た理由の一つはお茶会的な?」

「……迷惑だったでしょうか?」

 

不安げに祐樹を見つめるひなたに、首を横に振ってみせる。

 

「まさかそんなことない。こういうお菓子は久々に食べるから楽しみだよ。じゃあ飲み物もこれに合わせて用意しようか」

「私も手伝います」

「うん、よろしく」

 

こうして、何もすることがなかった一日は二人きりの『お茶会』に早変わりしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

備蓄していた炭酸飲料やジュースを用意して二人は隣り合わせに座布団に腰掛けてテーブルに向き合う。お皿にいくつか開封して中身を出してそれらを摘み、談笑に耽っていた。

 

「はい祐樹さん、バタークッキーですよ。あーん♪」

「あーん……うま。このクッキー好きかも。ひなたも一口食べてみなよ──あーん」

「あーん」

 

小さく開けたひなたの口に一口サイズのクッキーを運ばせる。サクサクと咀嚼しながら美味しそうに顔を綻ばせる二人は既に独自の世界を形成していた。

 

「祐樹さんはクッキーを食べるときリスさんみたいで可愛いですね」

「いやいやひなたには負けるって。ほら、こんなにもかわいーハムスターが僕の目の前にいるぞ?」

「はーむ……はむはむはむ。んふふ〜♪」

「もー…それダメ。ひなた可愛すぎるって」

 

祐樹の持つチョコスティックをモノマネしながら端から食べ進める姿に悶える。ひなたも楽しいのかノリノリで食べていくと反対側を持っていた祐樹の指先を咥えて更にはむはむしていた。

 

「ちょ、こらー。指は食べ物じゃないぞハムひなた」

「はむ。あむー……ちゅ」

「ちょ、指舐めちゃ……くすぐったいって。ほーれ、こっちにトンガリしたスナックがあるぞー?」

 

ふりふりと誘うようにスナック菓子を見せつけるとひなたはすぐさまそちらのお菓子を食べる。密着が増えて彼女の柔らかい身体が押し付けられて祐樹は更に心臓を高鳴らせていた。

 

「はは、ひなたって偶に甘えんぼになるよね」

「……私にだってそういうときはありますよ? 祐樹さんと一緒にいるとそうなってしまうことが多いですね。嫌じゃないですか?」

「嫌どころか大歓迎だよ。そのかわりじゃないけど、僕もひなたに甘えてもいいかな?」

「もちろんです。どうぞ♪」

 

抱きついていた祐樹から離れて今度はひなたが手を広げて迎え入れてくれる。こんな誘惑に抗えるわけなく祐樹は彼女の胸に身体を預けた。

 

「ふふ♪ 祐樹さんもやっぱり男の子ですね」

「だってこんなの卑怯だって……重くないか?」

「全然へっちゃらです。はい、じゃあお返しにチョコスティックを……あーん」

「あー……ん」

 

彼女の豊かな胸の中で食べさせてくれるお菓子は何倍にも甘く感じられた。此処は人をダメにしてしまう場所なのかもしれない。ひなたもどことなく嬉しそうにはにかんでいる。

 

「祐樹さんは私にメロメロのようです」

「ひなたが魅力的というか抱擁力が高すぎるから」

「あら、私は普段通りにしてるだけですよ?」

「でもそれだと他の人にひなたの魅力を知られちゃうのは…嫌だな」

「……じゃあ、この私は祐樹さんの前だけにしておきましょうか──はむ、んっ」

 

慈愛の瞳を向けてひなたはチョコスティックの端を咥えて祐樹に近づいた。言わずとして意図を察した祐樹はそのままひなたとは反対の端っこを咥えてゆっくりと食べ進めていく。

 

『…………、』

 

目を閉じてゆっくり──とはいかず、お互いに見つめあったまま折れないように、されど早る気持ちを唇に乗せて食べ進めていくといよいよ間隔はゼロに近づいてきた。

そして……、

 

「ん、ちゅ……」

「ちゅ、んむ……んっ、んん」

 

止まることはなく重なり合う唇。甘さと熱さがとろけて混ざって、一つになっていると知覚できてしまうほど、二人の気持ちは情熱に揺らめいでいた。

啄むようなキスはどちらかというまでもなく、ほぼ同時に離れる。

 

「…お味はいかがでしょうか?」

「…うん。甘くて溶けちゃいそう」

「なら、お口直しにビターなチョコレートを……はむ。んっ…」

 

箱に入っている一口サイズのビターチョコレートをひなたは半分口にして再び胸の中にいる祐樹の顔に近づけた。祐樹は餌を求める雛のようにそのもう半分を口に含んでその先に進んだ。

 

「ちゅ、ん……ん」

 

唇の間に重なるチョコは溶けて今度はほろ苦くコーティングしていく。けれど不思議なことに感じる味はとても『甘かった』。

 

「ふっ、ちゅぅ……ぷぁ。どうですか…祐樹さん?」

「おかしいな。どうしても甘く感じちゃう……それにもっと欲しくなっちゃう味がするよ」

「ふふ、私もです…だから、ね? 祐樹さん……まだまだお菓子は沢山ありますよ」

 

まるでそこに広がる光景は御伽話に出てくるお菓子の家のような、夢見心地の空間が広がっているように錯覚してしまう。抗うことなく、躊躇うことなく彼は甘味の渦に呑まれていく。それはひなたも同じ。

親友といる時とは異なる気持ちの心地よさ。それはチョコレートよりも全然甘くて、ひたすらに甘くてたまらない。故に求めてしまう。彼のことを。彼女のことを。

 

「今度は僕のところにおいで、ひなた」

「はいっ♪」

 

時折体勢を変えて、祐樹の腕の中にひなたはすっぽりと収まってみたりする。後ろから抱きしめられて彼の温もりを感じながら美味しいお菓子を食べさせてくれた。他の誰にも見せない二人だけの時間。この時間だけは親友にさえ……と思ってしまうほどに。この空間に限っては普段の大人びた二つの姿はなく、年相応の、無邪気に楽しむ男女の笑い声が確かに存在していた。

 

外の雨音をかき消して、鬱屈とした天気を晴らすように楽しむ。

 

「こうして上からひなたを見るのは新鮮だね」

「男の人の膝枕というのも、これはこれでアリかもしれませんねー。いえ、これも祐樹さんだからこそ……というのもあるでしょうが」

「今度は晴れた日に外でこうしてみるのも悪くないかもね」

「確かに! そのときは腕によりをかけて美味しい料理いっぱい作っちゃいますよ〜」

 

今回みたいなお茶会も良いが、外でのピクニックもまた楽しくなるだろう。ひなたの頰に手を添えながら祐樹は笑う。

 

「楽しみがいっぱいできるなーひなたと一緒にいると」

「いいではありませんか。でも祐樹さんに構いすぎてると若葉ちゃんに嫉妬されてしまうかもしれないですね」

「若葉は子どもっぽいところあるからな」

「そこが可愛いところなんですよ。そのときは祐樹さんがちょっぴり大変かもしれないですけどね……くすっ♪」

 

ひなたは添えてある祐樹の手を重ねて更に自分の頰に密着させながら微笑みを咲かせる。

 

「気持ちは分からなくないかな。ひなたが目の前で若葉にばっかり構ってたら嫉妬しちゃうと思うぞ」

「ある意味似たもの同士ですもんねお二人は」

「否定したいところだけど……って、きっとこう考えるのもおんなじなんだろーなぁ」

「はなまる大正解です」

 

指先で丸を作りながらひなたは眩しい笑顔を向けてくれる。それがからかわれている内でも祐樹にとってそれが大切なものであるというのは変わりはない。

 

ひなたは下から祐樹を見つめては口角を緩ませ、それを見た祐樹もまた彼女と同じような表情を作り出す。

 

「お菓子はもう食べないの?」

「沢山食べちゃいましたからお腹もいい感じなんですよね。今は祐樹さんと触れ合いたい気分です」

「じゃああっちに行こうか──ちょっと失礼して」

 

膝枕中のひなたの体勢を変えて今度は彼女をお姫様抱っこの要領で抱き上げた。ひなたも嬉しそうに彼の首元に腕を回している。そっと下ろした先にはいつも祐樹が使用しているベッドの上だ。スプリングが軽く軋み、ひなたの頰は僅かに色を帯びていた。

 

「ここなら沢山触れ合える」

「もう……今度は私が食べられちゃうんですか?」

「そうだなぁ……ひなたはそうして欲しい?」

「私はあなたをずっと一人占めしたいですよ。祐樹さんは違いますか…?」

「僕もずっと…若葉よりもたくさんひなたを一人占めしたい。独占したい」

「………いいですよ、祐樹さん──」

 

色香を漂わせながらひなたは祐樹の首に再び手を回して自身に引き合わせる。

仰向けに寝そべるひなたに跨った祐樹はそのまま二つの影を重ね合わせていった────。

 




ひなタンの霊峰に挑みたい。いや、包まれたい(願望

お菓子を食べていたらふと思いついたお話。ただそれだけや…。


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古波蔵棗の章
story1『海の中で』


なっちの章解禁ッ! ────ということで棗さんを書き上げました。

少々短めですが、どうぞ。


あいつは元気にやっているのだろうか。

そんなことをいつも不意に考えてしまう。

 

「……あつい」

 

ぎらつく太陽を見上げ、目を細めながら汗をぬぐう。四国に居たときと比べてこちらの気候は過ごしやすくはあるが、如何せん暑いの一言に尽きた。

だから僕は涼を求めるために『海』に来ることが増えた。それはこの地で出会った彼女のおかげでもあるのだが、まぁそれを抜きにしてもこの沖縄の海は好きになっていた。

 

「ふぅ……結構日焼けしたなぁ」

 

海に入り、足で波を受けながら自分の腕を見る。綺麗に小麦色に日焼けしたその姿は四国にいる『幼馴染』が見たらすごく驚くことだろう。でも、今はその反応を確かめることも、見せることもできないのだが。

 

膝まで浸かり、不安になる思考を水に流す。まだまだ彼女がいるのは先だ。

ちゃぷちゃぷと水をかき分けて、泳ぎに移行する。ひんやりとした海水は火照った身体にはとても気持ちがいい。

 

海は好きだ。なぜだかわからないけれど、僕は海に入るととても心が安らぐ。彼女のように染まってしまったのだろうか。

だとしたら彼女はとても喜んでくれそうだ。くすりと笑いながら更に沖合に泳ぎ進んでいくと見つけることが出来た。

 

「…………。」

「棗ー?」

 

大きな波を立てないようにゆっくりと泳ぎ進めていくと一人の女の子がいた。仰向けでぷかぷかと浮かぶその姿はとても安らいでいて見ているこちらも安らぎを覚えてしまうほど。

声をかけていくとこちらに気が付いた彼女────古波蔵棗は微笑を浮かべながら手をひらひらと降ってくれた。

 

「……祐樹か。お前もここに来たのか」

「棗がいつでも来ていいからって言ってくれたから来たんだ。邪魔だった?」

「いや、祐樹なら大歓迎だ。お前も『海の加護』を受けているし、ここの神も歓迎しているぞ」

「またそれか。覚えはないんだけどなぁ」

 

『海の加護』。それが何を意味するのかは分からないけれど、僕はどうやら生まれついてその『加護』を授かっているらしい。四国にいたときにはそんなこと知りもしなかったし、教えてくれる人なんていなかったからにわかには信じられないところもあるけれど。

まあそのお陰でこの沖縄でもたくさんの人が余所者の僕を快く受け入れてくれたし、なにより棗と出会えたことが僕にとって嬉しい。

 

今もなお浮いている棗の横に失礼して僕も仰向けに身体を寝かす。雲一つない快晴が視界一杯にひろがっていた。

 

「……棗。海神様はなにか言ってた?」

「今は波も落ち着いていてすぐに敵がくることはなさそうだ。ペロも大人しく待っていてくれてるしな」

「そっか……」

 

彼女の言う通り、僕は『声』を聴くことはできないがなんとなく感じ取ることができる。目を閉じてみるとまるで『海』と一体化してしまいそうなほど、穏やかな雰囲気がここにはある。

そうしていると、伸びていた手に人肌の感触を感じ取った。

 

薄目を開けて横をちらりと見てみると、そこには横で変わらず空を見上げている棗の手が僕の手を握っていた。

心臓が少しだけ鼓動を早める。

 

「棗…?」

「不思議だ。お前とこうしていると一層穏やかな気持ちになる。お前はやっぱり凄いな」

「…そんなことないよ。僕はそんな大層な人間じゃない。あの白い化け物に臆することない棗の方がよっぽど凄いさ」

「そう自分を卑下するな。お前に一目惚れ(、、、、、、、)した私が言うんだから凄いのは間違いない」

「……恥ずいな」

 

きゅっと棗の指を絡めながら海水に濡れた腕を頬に当てて熱を誤魔化す。

彼女の言う通り、棗と初めて出会った時を思い返すと初めて発した言葉がとても印象的だった。

 

『お前に惚れた。私と一緒に居てほしい』

 

あっけらかんと、初対面の自分にそう言ってみせたのだ。あの時は僕も目を点にしてしまったし、当の本人も言葉にしてからハッとしていたのを覚えている。

でも嫌じゃなかった。そしていつの間にか僕も彼女と一緒に居たいと……そう思っていた。

 

「──祐樹。故郷に帰りたいか?」

「どうしたの突然?」

「いや、祐樹の手からそんな気を感じ取った」

「凄いな棗。うーん……どうだろ」

「帰りたくないのか?」

 

彼女の言葉に僕は首を横に振った。

 

「なんというか……あんまり故郷って言われてもピンとこないんだよ。僕にとっての居場所って『幼馴染』のいる所って言うのかな。家もあいつと一緒に住んでたし、なにをするにしてもいつも隣にはあいつがいたんだ。僕は本当の両親を知らないし、生まれた土地も知らない。そんな僕が帰りたいと思う場所ってあいつの隣しか思い浮かばない」

 

空いた手を空に掲げながら話す。もちろんその時に一緒に居た親には感謝している。でもどこか距離感というか、そんなものを感じていた。

僕がこうして化け物と対峙できているのも、やはり根っこの部分はあの子のおかげだ。

 

「祐樹はその子が大好きなんだな」

「……好きなのは棗だぞ?」

「ありがとう、嬉しい。だけどその子には今は負けてしまっている。一度、どんな人か会ってみたいものだ」

「きっと仲良くなれるよ。あいつは誰にでも気さくに話しかけて、いつのまにか人を笑顔にしてしまう子なんだ」

「楽しみだ。なら早く化け物たちを片付けて会いにいかないとな」

「うん」

 

ぱしゃ、と棗が体勢を変えて起き上がった。つられて僕も同じように仰向けを止めると彼女の優し気な瞳が僕を捉える。

 

「祐樹。少し潜らないか?」

「いいけど。棗ほど息は長続きしないからね?」

「問題ない。じゃあ行こうか────はぁ」

「おっと……行動が早いなぁ────すぅぅ」

 

息を吸って既に潜っていった棗に続くように僕も海の中に身を潜らせた。

外界の音は遮断され、水の音に耳を傾け青く美しい海の世界に身を委ねる。先に潜った棗が手を指し伸ばして僕はそれを握った。

 

二人で手を繋いで奥に泳いでいく。外の……町並みは酷い有様だが、この海は変わらずに美しさを保っていた。

これも海神様がいるおかげだろうか。ともあれこの場所はまるで包まれているような錯覚に見舞われる。

 

棗はもしかしたら僕に気を使ってここに連れてきてくれたのかもしれない。

 

『…………。』

『…………?』

 

棗は胸に手を当ててから僕の手をきゅっと握りしめてくれた。温かい。

僕も彼女にあわせて胸に手を当てる。

 

────お前がなにに迷っても、なにに苦しんでも私はお前とともにいよう。

 

僕は驚いて棗を見た。相変わらず彼女はまっすぐと僕を見るばかりで微笑みを崩さないでいる。

この海の中で、棗の声を聴いた気がした。

 

『……ごぼ!?』

 

あまりにも自然な空間故に呼吸ができないことを忘れて声を出そうとしてしまった。

肺から空気が出ていってしまい息苦しくなってしまう。慌てて酸素を求めようと浮上を試みようとしたが間に合いそうになかった。

 

しまった、と祐樹は棗の方に視線を移す。

 

するといつのまにか目の前に棗が居て、僕の両頬に手を添えてその唇を僕に重ね合わせていた。

 

「……んっ」

「……ふっ、む」

 

口を割られ棗の舌が僕の舌を舐める。そして送られてくる空気を僕は貪るように求めた。

思考が冷静になっていく。息を止めて棗の唇から離れると途端に恥ずかしくなってきた。

 

「……!」

 

棗が指を上に指して浮上するように呼び掛けてくる。頷いて僕たちは泳いで上がっていった。

水面から顔を出して大きく口を開けて呼吸をする。

 

「はっ……はぁぁー……ごめん棗。迷惑かけた」

「気にするな。いや……少し気にしてほしい部分もあったが」

「あ、その……初めてだった?」

「……ああ」

 

珍しく表情の変わらない棗の頬が僅かに朱に染まっていた。

 

「海の中で棗の声を聞いた気がした。ありがとう。キスもその──嬉しかった」

「私は口下手だが、海の中ならばちゃんとした言葉を送れる気がしたんだ。こちらこそ受け取ってくれてありがとう、祐樹」

「……棗って可愛いな」

「そう言ってくれるのはお前が初めてだ。照れるな」

「あとカッコいい」

「それはよく言われる」

 

クスッとお互いが小さく笑い合う。

そうしていると遠くから犬の鳴き声が聞こえてきた。

 

「ペロ……もしかして敵襲か?」

「いや、あれはただお腹が減っているんだろう。そろそろ上がるか」

「そ、そうなんだ……ん? あの子って棗の同級生じゃない?」

 

ペロの横で手を振る一人の女の子は棗と仲良くしている一人で、帰りの遅い僕たちを探しに来てくれたのだろうか。

泳いで岸に向かう。

 

「もー棗様と祐樹様、またここにいたんですね! 探しましたよー」

「すまない。祐樹と一緒に海の声を聞いていたんだ」

「…とかいいつつもまた自然とイチャイチャしてたんじゃないんですかぁ~?」

「痛い痛い! 脇腹を小突かないでよ」

「あ、失礼しました。ペロもお腹を空かせてますし、早く帰りましょう!」

「ああ、いくぞペロ」

『ワンッ!』

 

棗が頷いて歩き出す。僕はそんな光景を後ろから眺めつつこの地を歩み進めていく。

上を見上げると世界は刻一刻と変化しているというのに空は変わらずに澄んだ青を浮かべていた。

 

今は遠い地で彼女たちは元気に過ごしているのだろうか。

僕は不意にそんなことを考えてしまう。

 

「────祐樹」

「棗…?」

「お前の隣には私がいる。安心してくれ」

「……はは。それって男の僕が言うセリフじゃない?」

「そうだろうか?」

「でもありがとう、棗」

「ああ」

 

笑いながら僕は棗の隣を歩く。会いに行くにせよなんにせよ、まずは生き延びなければいけない。

そして棗たちと一緒にまた会いに行こう。

 

今日も沖縄の空は快晴だった────。

 

 

 

 

 

 

 



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伊予島杏の章
story1『わたしの気持ち』


────あなたのことが、好きです。

 

 

 

本に登場する主人公、ヒロインたちはこの一文をきっちり言葉にして表現することができる。

過程やら何やらと様々なものの果てに行き着く一つの結果がこの言葉。とても憧れるしいつかはわたしもその言葉を口にする場面が訪れるのかもしれないと、小さな淡い期待を抱いて日々を過ごしている。

 

 

「うしゃー! またゆーきに勝ったぞ!! なっはっは」

「くぅ…。千景に特訓してもらってるのになんで上手く行かないんだ……さてはなにかイカサマをしてるのか球子っ!」

「私の才能が羨ましいか! だぁーがまだまだ爪が甘いようだな」

「ぐぬぅ。もう一戦だっ!」

「何度でも受けて立つ! 来タマえゆーきッ!」

 

一室で騒ぎ立つ二人のうち一人目の名前は親友であり、まるで姉妹のような関係を持つ土居球子。通称タマっち先輩。世界が破滅に向かいつつある今の世の中で奇跡的な出会いを果たした一人であり、一番わたしと近しい存在だ。

そしてもう一人がそうして集まり一緒に戦う戦友とも言うべき存在にて、唯一の男性である高嶋祐樹先輩。

最後にわたし────伊予島杏。この三人が近頃よく一緒に行動を共にしているのだ。

 

今はその二人がテレビに食いつく勢いで対戦ゲームをしており、わたしはその後ろで小説を読みながら観戦している状態。戦績として高嶋先輩は負けているのか悔しげな表情を浮かべながらタマっち先輩を恨めしそうに見ており、タマっち先輩もその彼を見て勝ち誇った笑みを浮かべているのがよく分かる。

 

(……悔しげな顔もいいですね。先輩)

 

パラっと一枚ページをめくりつつ、わたしは高嶋先輩を横目で見つめる。こうやって三人で過ごす時間が自然と増えてきて、出会った頃と比べたらたくさん彼の表情を見てきた気がする。今見てる悔し顏、怒った顔、悲しい顔、嬉しい顔、笑った顔、エトセトラと…。

 

こうやって思い出に耽り、彼を見つめているとわたしの心臓の鼓動が早くなる。とくん、とくんと。苦しいものとは異なる心地の良い心音を聴きながら読む恋愛小説は最近のお気に入り。より一層その世界観に入り込むことができるし、密かに書いている『趣味』の創作性が掻き立てられるからだ。

 

でも、なによりもこの瞬間が嬉しく思うのが……彼への恋慕の情がどんどん膨らんでいくこの感覚。とても苦しくて、けれど嫌ではなく、想い膨らむこの気持ちがとても愛おしいのだ。

 

「伊予島、キミもゲームやる?」

 

名前を呼ばれる。その瞬間に大きく脈打つ心に従ってわたしは小説から視線の全てを彼に向けた。皆に気がつかない微細な唇の震えを抑え、緊張を押し殺してわたしは普段通りを演じていく。

 

「わたしは二人みたいに上手く出来ないからここで見てるだけで充分です」

「このゲーム意外と初心者でもやれる作りだし、そろそろ球子とやるのも変化がなくてつまらないから参加してくれると助かるなぁ」

「負けてる癖に口だけは一丁前だな、ゆーき」

「だまらっしゃい!」

「ふふ。確かに高嶋先輩さっきから負けっぱなしでしたもんね。それならわたしももしかしたら勝てるかも?」

 

わたしの言葉に先輩はキョトンとした顔をしている。あぁ、その表情も素敵です。そうしてすぐに近くにきたタマっち先輩からコントローラーを渡されて彼の隣に腰を落ち着かせる。距離は辞書一冊分。日常ではこれ以上ないくらい近くに彼がいる。とても、心地がいい。

 

「操作はタマが教えてやるからゆーきなんてコテンパンにしてしまいタマえ!」

「ゲームだから容赦しないぞ伊予島」

 

左にタマっち先輩、真ん中にわたし、右に高嶋先輩。なんてことのない、誰も気にしないこと。でもわたしの心音は聴こえてしまわないかヒヤヒヤしてしまう。ゲームの説明を先輩たちからされるけど、擬音やら身振り手振りばかりで正直意味がわからないよ。だから画面に表示されている説明をよく読んでプレイすることにした。

 

「いけ、そこだ杏っ! いいぞー!」

「なっ……う、上手いっ!?」

「感覚とかまだ慣れないですけどなんとかやれますね。というかタマっち先輩耳元でうるさいよぉ」

 

観戦しているのにもかかわらず、まるで同じようにプレイしている感を感じさせるタマっち先輩はわたしの肩に手を置いて応援してくれている。右にいる先輩は負けまいと必死にボタンを入力する様はまるで愛玩動物のような……はっ、いけないいけない。

 

ゲームのキャラクターはわたしのように病弱なわけでもなく、縦横無尽に駆け回ることが出来るのでわたしにも参加することができた。きっと二人が気を利かせてくれたんだろうなと考えてみたら嬉しくなった。

 

「ぐ!? この、よっ! ほっ──」

 

高嶋先輩はキャラクターの動きに合わせて身体を右へ左へ揺らしてプレイしている。そのためか定期的に彼の肩がわたしの肩にちょんと触れるのだが、その度にときめいてしまうわたしの脳内は大分花を咲かせているに違いない。

ゲームをしている時のドキドキじゃなく、彼との細やかな触れ合いにドキドキを覚え、少しばかり大胆にわたしから肩をちょこんと当ててみたりしてみたり。きっと先輩は気がつかないだろうけどもし意識してくれてたりすると嬉しいな。

 

ゲームの結果としては五分五分といったところ。まったくの初心者であるわたしと肩を並べてしまえる先輩のゲームスキルはタマっち先輩に慰められるレベルのようだ。でも別にゲームが出来る出来ないに限らず彼の魅力は損なわれない。純粋に物事に取り込んでいる、そんな姿がとても愛おしいのだ。

 

「なははー! ゆーきはへっぽこ魔人決定だな」

「う、うるせーやい。どうせゲーム下手くそだよぉーだ!!」

「まーまー。二人とも落ち着いて」

 

いがみ合う二人を見てわたしはクスリと笑ってしまう。一先ず宥め終えたわたしは立ち上がって傍らに置いてあった本を数冊抱える。

 

「お、杏。どこかにいくのか?」

「ちょっと図書室に。読み終わった本を返しに行ってまた新しいのを借りようと──」

「あー! タマは用事を思い出したぞ!! でも杏を一人にさせるわけにはいかないからゆーき付き添いにいってきタマえ!」

「ぼ、僕が?」

「い、いいよ悪いし。高嶋先輩も迷惑じゃ……」

「迷惑なんてことはないよ伊予島。球子に命令されたのが気になっただけだから。本いくつか持つよ」

「ありがとうございます先輩。タマっち先輩はこれからどうす……るってもういない!?」

「……ほんとこういうことになると一目散にって感じだよね」

「……ですね。じゃあその、お願いします」

「うん」

 

わたしは本を何冊か手渡して二人して部屋を後にする。まさか成り行きとはいえ二人っきりになるとは思わなかったわたしは緊張で足元がふらつく。向かう場所は図書室。よくある図書館や学校のような立派なものではない一室ではあるけれど、勇者たちのためか大社がそれなりの量を仕入れてくれるお気に入りの場所なのだ。

主な利用者はわたししかいないけどね。

 

他の仲間のみんなは今日は思い思いの休日を謳歌している。タマっち先輩は恐らく若葉さんのところか友奈さんの所に顔を出しに行ったのだろう……迷惑かけてなければいいけど。

 

「それにしても結構な量だね。さすが読書好き」

「い、一日で読むわけじゃないですからね。気がついたらこんなに溜まってたんです」

「何かに熱中できるのは凄く素晴らしいことだと思う。僕も本を読んでみようかなーなんて」

「……っ!? 本当ですか! そしたらおススメしたいのがいくつかあるんで是非っ!」

「う、うん。伊予島に薦められたやつなら間違いなさそうだ」

 

やった。共通の話題を持つチャンス到来とはこのこと。内心ガッツポーズしながら図書室に到着するとわたしたちはそのまま室内に足を運ぶ。

室内はわたし好みの空間。本の匂いが充満しているこの場は安らぎを覚えるほどだ。この手狭い空間がいいんだけどタマっち先輩はいつもついてくると退屈そうにしちゃってるから困り者だ。高嶋先輩は抱えていた本をテーブルに置いて物珍しそうに本棚にある数々の本を眺めていた。

 

「正直来るのは初めてだけど……へぇー思っていたより本の数があるんだね」

「高嶋先輩は本は好きですか?」

「比率としては球子や千景とかから借りる漫画の方が多いけれど、本自体は興味あるよ。伊予島はどんなジャンルが好きなの?」

「わたしは恋愛小説にハマってますね。創作物や実話、実体験を元にしたものなんかも好きです。先輩に紹介しようとしたやつも恋愛ものなんですけど……」

「それってこの返却しようとしたコレ?」

「は、はい。いかがでしょうか?」

 

紹介してみたものの…………お、男の子に恋愛ものって受けがあるんでしょうか? そう考えたら若干の不安を覚えてしまう。

 

「うん、せっかくの伊予島のおすすめだから読んでみるよ。今ここで読んでも平気なのかな?」

「大丈夫です……その、男の人ってあんまりこういうジャンルは好きじゃないかなーって今更ながら考えちゃったんですけど……」

「まぁでもほら、これを機にハマるかもしれないし。なによりさ……伊予島がとっても真剣に読んでいる姿を見てたら興味がでてくるというか……ぁ」

「……えっ?」

 

今先輩はなんて言ったの? わたしを見てたら……って聞こえた気がするけど。そう思って顔を上げて彼を見てみると先輩は顔を赤くして目線を反らしていた。

その反応を見てわたしも同じように熱を帯びてきた。え、え……ど、どどどういう意味なんですかそれは!?

 

「あ、あの先輩今のことって──」

「あーあー! 表紙からして面白そうだなぁー! さっそく読ませてもらうよ伊予島」

 

露骨に話題を逸らして席に着いた先輩は宣言通りに読み始めてしまった。その姿を見てわたしは頰を膨らまして抗議の意を示すが目を合わせてもらえず、仕方ないと小さく息を吐いてわたしは本を棚に戻していく。

 

(ずるいですよ先輩……そんな思わせぶりなこと言って)

 

本を戻しながら彼の姿を見る。読み始めてしまえばその表情は真剣なものに変化してパラ、パラっと捲っている姿は様になっていた。

ああ、カッコいい……じゃなくて。もうもう……先輩はなんでそんなにわたしの心を乱すんですかぁ!

 

首をぶんぶん振って雑念を振り払い、わたしは気になっていた本を手に取って彼の居る席に足を運ぶ。

そして対面に座って同じようにわたしも読み始めることにした。二人だけの空間で本を静かに読み耽る。なんて良い時間なのだろうか。

タマっち先輩には悪いけど、今この時は彼に一緒に行くように仕向けてくれて感謝している。

 

「────ん。どうしたの伊予島?」

「い、いえ……なんでもないです」

「そう?」

 

今どのあたりを読んでいるのかな。どこまで見たのかなと考えてしまう。早く話を共有したい…なんて身勝手な思考回路はどうにかしないといけない。

ふと、あることを思い出す。

 

「先輩…一つ訊いてもいいですか?」

「なーに?」

「先輩って他の人たちには名前で呼んでいるのにわたしだけなんで名字で呼んでるんですか? なにか理由でも」

「う……それは………なんとなく、かな。流れというかその…な?」

 

読む手を止めて先輩はぽつりと理由を話していく。曰く、それは自分も感じていたが今更変えるのもおかしいかなと考えていたらしい。

 

「球子とかにからかわれそうだし……それで伊予島が迷惑になっちゃうならそのままでもいいかなって思ってさ」

「先輩って──」

「う、うん?」

「──可愛いですね」

「は、はぁ!? なんでそうなるんだ!」

 

だってそんなわたしのことを気にして、それで恥ずかしがっていたなんて聞いてこう思わずにはいられないじゃないですかぁ!

それにこのシチュエーションは小説で似たような展開を見たことがあります。その時もああやって顔を真っ赤にしてる主人公がいてその心の内は……とか。

……それは高望みしすぎかな。

 

「わたしは構わないですよ……先輩に名前で呼ばれるの」

 

言った。上面は平静を保っているが今心臓はとてもどきどきしてます。

膝の上で両手を握り返答を待つ。振り返ればほんの一瞬の出来事だけど、無限大のように思えて時が止まってしまっているのだろうかと錯覚してしまう。

目をぱちくりさせた先輩は直後に表情を朱に染めていた。

 

「ばっ……っ。今、ここで?」

「は、はい」

「……あ、杏。これでいい、かな?」

「────……。」

「杏? どうしたぼーっとして……大丈夫か?」

「だ、だいじょうぶですぅ……」

「杏っ!!?」

 

あ……これは破壊力がやばいよぉ。ふわふわの噛み噛みになってしまうぐらい、どうしようもないくらい耳に入る音が幸せなものだった。

たった名前を呼んでもらう。ただそれだけでこうもなってしまうとはいやはや『恋心』という心情は奥が深いです。

 

「杏がみたことない表情に……保健室にいくか?」

「いえ、ちょっとトリップしてしまっただけで……お気遣いありがとうございます先輩♪」

「そ、そう?」

「はい!」

「…………なら、さ。杏、僕も一ついいかな?」

 

舞い上がっている中で先輩が口元をもごもごさせて何かを言おうとしています。首をかしげてわたしはその様子を眺めていると意を決した先輩がこちらに向き直る。

 

「…僕のこともその、高嶋じゃなくて……下の名前で呼んで欲しいかなーって。ダメ?」

「────っ! 先輩のなまえ……ゆ、祐樹さん」

「う、うん」

「祐樹さん……祐樹先輩」

「お、おう……」

「祐樹しゃぁん♪」

「またトリップした!?」

 

だって……だってぇ。今日は一体全体どうしちゃったんですか先輩。積極的すぎませんか、と感じてしまうぐらいなんです。

でもこれで一歩前進しましたよね? この調子なら近い将来先輩と────

 

(──って流石に夢見過ぎですかね。わたしなんかよりずっと魅力的な人たちがたくさんしますし。はは…)

 

わたし以外の女性陣たちは誰も綺麗で、可愛い人たち。病弱で本の虫であるわたしなんて足元にも及ばない。

でも、でもね先輩……それでもわたしはあなたのことが好きなんです。なんてことない名前一つ呼ばれるだけでトリップしてしまうほどなんです。

 

「────あなたのことが好きです」

 

いつか口にしたい言葉。それもちゃんとロマンチックな場所で、目の前の彼に想いを告げたいという小さくも大きな願い。

 

「杏……あのさ」

「……? どうしましたか祐樹先輩?」

 

自分の心の整理をしていたところで祐樹先輩から声を掛けられる。顔を真っ赤にして……え、なんで赤くなっているんですか?

 

「その……今の言葉って」

「今の言葉、ですか……? んー……んんッ!!?」

 

ちょ、ちょっと待ってください!? もしかして今の口に出して言っちゃってましたか!?!!

意味を理解すると先輩の表情にも納得がいき、トリップしていたせいで現実と妄想の境界線があいまいになっていたせいだ絶対ぃぃ。

てことはもしかしなくても今のセリフは紛れもない『告白』と受け取られても過言ではない状態で。自分の顔がとても熱くなるのがわかる。沸騰しそうだ。

 

「その────こくは……」

「い、いいいい今のは小説のセリフの一部で! つい思い出して口走ってしまったというか……そのぉーはい!」

「しょ、小説のセリフ? もしかして今読んでいるこれの?」

「そ、そうで……すぅ。だからえっと────」

「び、びっくりしたよ。そっか、小説のセリフだったか……」

 

誤解だけど誤解じゃないこのセリフ。自分で否定してしまって勝手に胸の奥がチクりとなってしまう。今のを誤魔化さずに言える女の子になりたいって思うけど、やっぱり心の準備が整っていない今はハードルが高すぎるのだ。

ほら、先輩もあんなにガッカリして────し、て?

 

(あれ、先輩……もしかしてちょっと落ち込んで、いる?)

 

乾いた笑みを浮かべてまるで自分自身に言い聞かせているような、そんなように見えるのはわたしの勘違いなのだろうか。日頃から先輩のことを目で追っていてたくさんの表情を視てきたわたしの目には、今の彼はお預けをくらった子犬のような哀愁を漂わせていた。

どちらの意味で? いい意味、それとも悪い意味で? まさかの反応にわたしの心は不安に揺れてしまう。

 

「な、なんだか暑いな。夏じゃないのになんでだろ? 杏は大丈夫か」

「え、えっと……はい。わたしもちょっと暑いですね。あはは」

『…………、』

 

この空気はどう捉えればいいのー!? 読めそうでまるで読めないこの場の雰囲気は、でもなぜだかまったく嫌なものではなかった。

 

「ねえ杏。今の言葉が小説のセリフならさ。その言葉を受け取ったその人は何て答えたの?」

「そ、それは」

「知りたいな。その告白の答えを」

 

チラッと目を動かせば彼の視線とぶつかる。薄っすらと朱に染まっている頬となにかを求めている瞳。わたしはもちろんその『答え』を知っている。

 

「────秘密です」

「秘密…?」

 

席を立ってわたしは微笑んだ。

 

「小説のネタバレは禁止なんです♪ その答えは祐樹先輩自身で確かめてみてください。ささ、新しい本も借りたので行きますよ先輩」

「あ、待ってよ杏ー!」

 

わたしは数冊の本を抱えて歩き出すと、慌てて荷物をまとめて祐樹先輩も立ち上がってわたしの横に並び歩く。

その横顔はちょっと煮え切らない様子。ふふ、イジワルしてしまってすみません。

 

(でも、もうちょっとだけ────)

 

もう少しだけ、先輩後輩という関係で居させてください。あなたを想っての『初恋』という芽は、一度きりのものなのだから。

大切に、大事に育んであなたに届けたい。

 

「祐樹せーんぱい!」

「……どした?」

「くすっ……呼んでみただけです♪」

 

 

 

 

だってわたしは────あなたのことが好きなんですから。

 

 

 

 

 

 



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高嶋友奈の章
story1『手を取り合って』★


久々の投稿なり。


◾️

 

 

 

────キミはどうしてここにいるの?

 

 

その言葉が彼女との最初のやり取りだった。膝を丸めて、まだこの時は自己表現に乏しく、反応が薄かったのを記憶している。何も期待できなくて、どうして自分がこんなところに存在しているのだろうかと悲観していたこともあった気がする。そんな時に彼女と出会った。

 

 

────…そうなんだ? むずかしいことはわかんないけど、帰るところがないならうちにおいでよっ! ね?

 

 

差し伸べられた手。最初は意味が理解できなかった。でもこの手を取ったからこそ今の自分があると言える。無意識のうちに変わりたかった──いや、変化が欲しかったのかもしれない。とにかく差し伸べられたその手を自分のと合わせた。

 

 

────私は高嶋友奈! キミの名前は? ……えー、わかんないの?

 

────わかんない。えっと…◾️◾️◾️。

 

この時自分は◾️◾️◾️と答えた……幼い時のことは記憶が曖昧だったが、当時の友奈も理解できなかったみたいで首を傾げている。腕を組んで唸って考えることしばらく、何かを閃いた彼女はニコニコと花を咲かせるように微笑んで口を開いた。

 

────だったらわたしが名前を付けてあげるね! ユウキくん! キミの名前は『ユウキ』がいいと思う。わたしね、『ユウキ』ってコトバが好きなの!

 

────『ユウキ』?

 

◾️◾️◾️は彼女からそう呼ばれてる。そして向こうの両親に引き取られた自分は今も彼女と共に生活をしているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

丸亀城の一角にて頭を悩ます二人の少女の姿がそこにはあった。方や苦笑を浮かべ、方や呆れながら少し上を向いて眺めるその先には宙吊り状態の二人がそこにいる。その表情は納得がいかないとばかりのものでプラプラとその身を揺らして存在感を示していた。

 

「はぁぁぁ〜……また(、、)なのタマっち先輩?」

 

大きな溜息を吐き出し口火を切ったのは伊予島杏。どうして目の前の状態になっているのかは自明の理なので問うのも馬鹿馬鹿しいが、一応……万が一のことを考えて訊ねてみた。

 

「……これはだなぁ杏。山よりも高く、谷よりも深い事情があってだなー──」

「あ、ならまだまだそのままで良さそうだねタマっち先輩。山よりも高ーいその場所で谷よりも深く反省してたらいいと思うよ」

「ぬぁぁ!? まってまって杏ぅ! 冷たいぞ!! 私は悪くなぁい!」

 

やれやれと肩を竦める杏に対し懇願しながら身体をプラプラさせる球子。そして杏の横でもう一人、高嶋友奈は土居球子の隣で同じ状況になっている男の子に訊ねる。

 

「祐樹くんはどうしてタマちゃんと一緒に吊るされてるの?」

「……それはだなぁ友奈。こいつが『俺』と一緒にいたひなたにちょっかいを出してだな──」

「あぁ! ひきょーだぞーゆーき!! あれはタマの試みに水を差したゆーきのせいじゃないか」

「あんな唐突に現れて『今日こそはその霊峰に登頂してやるぞー!』とかワケわかんねぇこと言いながら突撃してきたのがいけないんだろーが! こちとら巻き込まれた被害者なんだぞコラ!」

「はーん?! そうかそうかそう言うのかゆーき! お前だってひなたのナイスバディを堪能してたじゃないかぁ!!」

「バ……っ!? な、なにを言ってるんだタマ○っちが! お、俺は別に……」

「だぁーれが○マごっちだ! 喧嘩なら買うぞゆーき!」

「上等だ、表に出やがれ!」

「先輩……? それは本当なんですか」

「え、いや、だから伊予島これは……あだだだだっ?! 足を引っ張らないで! 千切れる締まる殺されるー!!?」

「いい声で鳴きますね先輩ー。タマっち先輩がやるならまだしも、男の人がやるのはセクハラなんですよー?」

「ひゃははは! いい気味だぞゆーき! あだー?!?」

「タマっち先輩も反省しなさい! 大方先輩にアタックして、ひなた先輩に祐樹先輩がダイブした形なんでしょうけど」

『分かってるなら足を引っ張らないでくれー!?』

 

ぎゃあぎゃあと叫びながら吊された二人の足をくす玉の紐を引っ張るように弄ぶ杏を見て友奈はあたふたとするばかりだった。

 

 

そうしてしばらく堪能した(された)のちに球子は杏の手によって降ろされていた。縄は依然縛られたままだったが、いいように弄ばれた球子は大人しく従うのみである。

 

「じゃあ友奈先輩、祐樹先輩のことはお任せしますね。私はタマっちとひなたさんのところに謝りに行ってきますので」

「う、うん。ヒナちゃんによろしくー…」

「うぇえー……もう許してくれ杏ぅー」

 

杏の威圧に半ベソかきながらずるずると連行されていく球子を見てどちらが先輩なんだか……と疑問に思ったところで教室には友奈と祐樹が残ることになった。

 

「友奈」

「ねぇ祐樹くん。ヒナちゃんとのことについて訊いてもいいかな?」

「……友奈、だから誤解なんだってば。キミなら俺のことを信じてくれるよな?」

「でもヒナちゃんの胸の感触はー……?」

「──最高でした! いだだだ!!?!」

「もー! 開き直るんじゃないの! 女の子には紳士に優しくしなさいっていつも言ってるでしょー?」

「その言葉をそっくりそのまま友奈に返し──でででっ?!」

「アンちゃんみたいにもっと厳しめにしたほうがいいのかな? えい、えい」

「すみませんすみません友奈様!」

 

未だ吊られ続けている祐樹のロープを引く友奈は困ったもんだと思いつつもそのロープを解いて降ろしてあげる。漸く解放された祐樹は締め痕が残る手を振りつつ立ち上がった。

 

「いつつ……ありがとう友奈。最後のはともかく助かったわ……」

「災難だったね」

「え……ほ、本当だよまったく……球子のやつ覚えておけよ」

「タマちゃんは祐樹くんと遊びたくて悪戯したんじゃない?」

「マジかよ…ひねくれすぎだろ、素直に言ってくれれば遊んでやるのにさー……っと?」

「──あ、ぐんちゃん!」

 

ぱぁ、と一層明るくなった表情を開いた扉の元へと向けられる。現れたのはサラッとした黒髪を靡かせて手には携帯ゲーム機を携えた郡千景であった。二人の存在に気がついた千景は特に表情を変えずに扉を閉めてこちらに近づいてきた。そして祐樹を一瞥すると、

 

「──あら、漸くお仕置きは終わったのかしら?」

「いや知ってたなら助けてくれよ」

「あ、高嶋さん。これ昨日言ってたオススメのゲームなんだけど」

「わぁ! ありがとうぐんちゃん♪ 楽しみにしてたんだよね〜」

「…うん。喜んでもらえて何よりだわ」

「おーい……無視しないでくれ」

「……上里さんが意味もなく祐樹君を吊すわけがないし──まぁ考えるまでもなく土居さんにまた嵌められたんでしょうけどね。あなたは悪くないわ」

「ち、千景……!」

「すごーいぐんちゃん。よく分かったね!」

「……このぐらい幼馴染み(、、、、)なら当然、よ」

 

最後の方はボソッと口にしていたので二人の耳には届いていないが、こちらも長い付き合い……彼女の『優しさ』に触れて感極まっている様子だった。

 

「詳しく話すまでもなく、状況を察してくれて……ぐす、持つべきものは『親友』だよなぁー! 千景ぇぇ!」

「は? ちょ、ま──! なに抱きついて……!?」

「あ、ずるーい! 私もぐんちゃんに抱きつくのー!」

「ひゃ!? た、たた高嶋さんまで?!! ちょ、ちょっと!」

 

不意打ちでやられた。

昔からこうだと千景は祐樹と友奈のスキンシップの程度に焦りつつも、しっかり二人を受け止めていた。なんだかんだ邪険にしない辺り彼女は二人に対して気を許している証なのかもしれない。

 

「ひなたには事故とはいえ悪かったと思うけど、俺の弁明を聞くまでもなく断罪する伊予島は酷いと思うわけよ! 最近あの子先輩後輩だーとか関係なく痛めつけてくるし、いつかトラウマになりそうだわ」

「普段の行いのせいじゃないの? トラブル体質というか……そこらへん結構ゲームの主人公みたいよね祐樹君って」

「好きでこうなってるわけじゃないぞ……てか、主人公的なやつを求めるなら『カッコいい』感じがいいんだけど?」

「あ、昨日見た仮面シリーズのことでしょ。カッコよかったよね〜」

「まぁ…そういう憧れでもないんだけどさ。うん、いやでもあれはあれでカッコ良かったけども」

「でしょ?」

「高嶋さん、祐樹君は私たちと違って戦えない(、、、、)んだからあまり現実を突きつけるのは可哀想よ……そういう番組を見て夢をみるのは自由だけど」

「さりげにディスるよね千景さん……くそー、なんで俺には『勇者』の力がないんだよぉー友奈ぁー」

「…女の子じゃないからかな?」

「女装すればワンチャンあるか……?」

「気色悪いからやめて」

「さっきから辛辣すぎない千景さん?」

 

がっくりとうな垂れる祐樹。それは当たり前だと友奈と千景は口にしなくとも意見が一致する。そんな彼の肩を友奈がぽん、と叩く。

 

「でも祐樹くんは祐樹くんにしか出来ないことがあるし、若葉ちゃんたちだって頼りにしてるよ?」

「RPGの戦闘だって回復役(ヒーラー)は重要な役目だから気落ちする必要はないと思うわ」

「──友奈、千景ぇ……! そうだよな、俺にしか出来ないことがあるもんな! はっ、まてよ……!? 模擬戦で若葉と球子にボコボコにされても治癒すればいつまでも戦えるかもしれん」

「ボコボコにされる前提なんだ……」

 

落ち込んだり元気になったり変調が激しいなと千景は彼を横目に友奈に耳打ちする。

 

「(祐樹君なんであんなにメンタルやられてるのかしら?)」

「(あはは……ちょっとアンちゃんたちに弄られすぎちゃったのかな? ああ見えて祐樹くん結構引きずるタイプだから。ヒナちゃんにも罪悪感が勝ってるだろうし、ちょっと『癒し』が必要かも)」

「(回復役(ヒーラー)が『癒されたい』って本末転倒ね)」

 

ひそひそと話している最中にも彼のテンションの上げ下げに己が振り回されている節が見受けられる。まぁ反省半分、お巫山戯半分と言ったところかと千景は当たりをつけた。

 

「ということでこれから祐樹くんの部屋に行こうと思ってるんだけどぐんちゃんも一緒に来ない?」

「え? で、でも……私は高嶋さんにゲームを届けに来ただけだから……それに『二人の時間』、でしょ? 私が居たら…邪魔しちゃうし」

「そんなことないから。ぐんちゃんならむしろ私たち歓迎する! 欲を言えばずっと居て欲しいぐらいだよ。ね、祐樹くん?」

「ん? おう、今更遠慮なんてするなよ千景。気を使ってくれるのは嬉しいけど俺と友奈もお前と……三人でいる時間だって大切なんだからさ!」

「…………、」

 

ニカっと笑う祐樹と友奈。嘘偽りない笑みは千景にとって何よりも眩しくて、暖かいものだ。引きこもりの自分を外に引っ張り出してくれた二人。それはもう小さい時からの話だが、あの出会いは千景にとって『奇跡』に近いもので、その『奇跡』は今もこうして続いている。自身の家庭問題にも力を貸してくれて、居候という形ではあるが一時期は厄介になっていたこともある高嶋家の両親にも千景は感謝していた。

 

────そんなに嫌だったら、オレたちの所に来いよ! 友奈も喜ぶから!

 

幼き頃の思いを馳せる。聞けば彼もまた彼女に救われた存在らしく、千景と祐樹の境遇はある意味で似てる部分がある。『高嶋友奈』という少女は二人にとってかけがえのない人物で、

 

「──行こっかぐんちゃん、祐樹くん」

「おーう」

「……うん」

 

ずっと隣に居たいと思える『居場所』なのだから。

 

 

 

 

 

 

『癒し』を提供する友奈の言葉によって三人は祐樹の部屋に向かう。

扉を開けて中に入った祐樹は備え付けの冷蔵庫に向かって中身を漁る。

 

「二人はなに飲む?」

「なんかシュワシュワ系がいいー……あっ、ラムネがある! 飲んでいい?」

「おう。千景は?」

「私も同じのでいい」

「はいよ。いっぱいあるから遠慮せず飲んでくれ」

「……祐樹君。なんでこんなに沢山あるの?」

「この前さー城の外に買い出しに行った時に安売りしてたんだよ。だからつい……正直買ったはいいけどどう消費しようか迷ってたところだった」

「あ、わかる。半額ーとかアウトレット商品とかつい目移りするよね!」

「……買う気がなくてもワゴンセールの中身を漁るみたいな?」

「そそ。俺はそれに手を出してしまうダメなパターンだな、うん」

「…ふふ、なにそれ」

 

それぞれがラムネを手にしてテーブルの前につく。いい感じに冷えているラムネの蓋を祐樹と千景はさっそく開けていった。

 

「……ん? んー!」

「高嶋さん?」

「開かないのか?」

「おっかしーなぁ。祐樹くん開けて〜!」

「ん……お、マジだ。固いな」

「最近のって簡単に開けられるようになってるのに珍しいわね」

「私開けるの苦手だよー。瓶のやつなんて特に」

「……あれは私も得意じゃない、かな? 勢いで手を滑らせて割っちゃいそうで」

「分かる分かる! だからその時は祐樹くんに任せてたかなぁ」

 

二人が会話をしているとプシュ、と蓋を開ける音が聞こえてきた。

無事に開けられたらしい彼の顔はどこか誇らしげだ。

 

「ま、こんなもんだな!」

「さっすが祐樹くん」

「開けるだけでそんなにドヤ顔な人初めてみたわ」

「カッコつけられる時はカッコつけないとな」

「祐樹くんはいつでもカッコいいよー! よっ、世界一〜!」

「よせやい照れるぜ」

「…………。」

 

二人のやり取りに白い目を向けながらラムネを煽る千景。比率的には祐樹に対してが殆どであるが。

 

「ちなみにお菓子も沢山あるぞ。こっちも衝動買いの成果だから消費に貢献してくれるとありがたい」

「至れり尽くせりね。今度ゲームやり込む時にこの部屋を利用しようかしら?」

「俺の部屋は二十四時間営業だから気にせず来いこい」

「……男子って──というより防犯意識が少し低くない祐樹君?」

「防犯としての機能なら十分でしょこの城」

 

言われて確かにと思ってしまう辺り苦笑を浮かばざる終えない。まぁそれで今日まで平気だったなら気にするだけ無駄だと考え、千景は手近にあった小袋のチップスを開封する。友奈は既に食べ進めていた。

 

「それで俺の部屋に来たのはいいが何する? ゲーム……ってのもラインナップは変わらないけど」

「──あ、そうだった。祐樹くんに癒しを提供してあげようって思ってたの忘れてた」

「高嶋さん……」

 

どうやらお菓子を食べた時に目的を忘れてしまっていたらしい。

たまに抜けてる部分があるところが愛嬌あるなーと千景は微笑ましく見つめていると、対面の友奈と視線が重なってニコニコと華やかな笑みと共に見つめ返された。千景は気恥ずかしくなり顔を赤くしてもじもじとしだすが、うまく視線を外すことが出来なくて二人して見つめ合う形になってしまった。そんな二人を祐樹は頬杖ついてしばらく眺めていた。

 

「おーい……俺を置いてきぼりにしないでくれよ。二人でイチャイチャしおって」

「そ、そんなことない……から」

「えへへ。ぐんちゃん可愛いから楽しくなっちゃってー♪」

「ぅ……恥ずかしいわ……高嶋さん」

「ほらほら、見てよ祐樹くん! そう思うでしょ?」

「──不覚にもときめいてしまった」

「だよね!」

「ふ、二人して弄らないで!」

 

羞恥のせいかそこまで強く出れない千景をみて高嶋ズは身を悶えさせた。その後、満足した友奈は祐樹のベットに移動し腰掛けて手招きする。

 

「祐樹くん、身体こっちにズラしてきて」

「ん? なんだ藪から棒に……こうか?」

「そうそう。えい!」

「……っ!?」

 

友奈の前に移動した祐樹の両肩に彼女の手が置かれる。一瞬驚くも次の行動に彼の身体から力が抜けていくのが分かった。

 

「お客さん……ずいぶん凝ってますね〜」

「何するのかと思ったら…マッサージかぁぁ」

「祐樹くん、訓練終わってもちゃんとケアしてないでしょ。こんなにガチガチにしてー」

「くぁーー……きもちぃーーーいぃ……ぁあ〝ああ〝!?」

「どっちなのよ……」

「ふん! ふん!!」

「ちょ!? ぢから強すぎぃぃ──ぎゃー!」

「───ぷっ」

 

千景は携帯ゲームをやりながら祐樹のコロコロ変化する表情をチラチラと伺い、笑いを堪えながらことの顛末を見守っていた。友奈は友奈で楽しくなってきたのか祐樹を更に鳴かせにかかっていく。一見適当にマッサージしているかに思えるが痛めない程度には加減はしているようで、単に彼が凝りすぎているのが原因なのだ。

 

「──ふいぃー。ひと仕事したよ」

「ぐぉぉ……もうちょっと加減してくれよ友奈ぁ。おかげで体が……軽いぞ?!」

「ふふん、高嶋家直伝のマッサージ術。味わっていただけましたかな? よっと」

「そんなのがあったのか! 知らなかったな……千景、お前は知ってたか?」

「知らないわよ」

「まぁ今日が初お披露目だったけどねっ!」

「でもなんで急にこんなことしてくれんの? 俺なにかしたっけか」

「んー? それはねぇ」

「お、おい……わぷ」

 

今度は祐樹の横に腰を下ろした友奈はそのまま彼の頭を優しく自分の膝に落とした。されるがままにその太ももに顔をつけた祐樹は視線を上に動かして「何事?」と疑問を浮かべている。

 

「…友奈?」

「よしよーし……いいこいいこ」

「いや、あの……え?」

 

疑問を他所に友奈は祐樹の頭を撫で始めた。優しく慈しむように髪を流していく。祐樹は頰に感じる彼女の太ももの感触を堪能しつつも撫でられるその手に特に抵抗することはない。

 

「祐樹くんそろそろ甘えたくなったかなーって。だから私が膝を提供してるんだよ?」

「……いや、ガキじゃないんだから。それに千景だって見てるし」

「えー? ぐんちゃんはゲームに夢中になってるから平気だよ。ほら」

「…………。」

 

横向きなので視線をそのまま千景の方に向けると、彼女はいつの間にかイヤホンをしながらプレイしていた。真剣な表情で画面を注視しているその姿を見て、確かに見られてはいないことは分かるのだがそれでも恥ずかしいものは恥ずかしかった。だが友奈は手を止めることなくその行為をやり続けた。

 

「はぁ……友奈って頑固だよなぁ」

「む、それはお互い様でしょ? 祐樹くんだってこの前無理に前線に出てきて私のこと助けてくれたじゃん。アンちゃんの制止を振り切って」

「それはー……」

 

痛いところを突かれてなにも言えなくなる。

 

「──お前だってあんなにガッついて行かなくてもよかっただろ? 若葉や千景だっていたんだから無理する必要はない。お前に何かあったら……その…」

「何かあったら?」

「……千景が一番悲しむだろ。俺の手が届く場所にいるなら絶対に死なせない自信はあるけど、そうじゃないところで無理されて何かあったら……」

「……んっ」

 

祐樹は友奈のふくらはぎに見えた『痣』にそっと触れると、友奈はピクンと肩を小さく跳ねさせた。

 

「お前……こんな所に青痣できてんじゃん。ちゃんと他に負傷がないか教えろって言っただろ?」

「あ、あははー……これぐらいならいいかなって」

「万全にしとけよ。あとそれ以前に女の子なんだから『傷』は残したらダメだろ───ほら」

 

祐樹は青痣を手のひらで覆う。すると次の瞬間には傷は綺麗さっぱり無くなっていた(、、、、、、、、、、、、、、、)

白い肌にはさっきまであった『痣』は消えて、まるで最初から無かったかのように痛みも同様の結果を生んでいた。

 

「──ありがとう祐樹くん。相変わらず凄いね、その力」

「勇者の力がない分、こっちしか取り柄がないからなぁ……何もないよりかはマシだったけどよ」

「その力って神樹様から授かったやつだっけ?」

「違う……と思う。俺の中に元々あったものだよ。小学生の時からよく治してただろ?」

「あはは、そうだったね」

「まぁ治癒の力だけじゃあ、どうしようもないけどな」

 

自分の手のひらを見つめながらそう言う彼の表情は浮かない様子だ。

 

「男の子だねぇ……そんなに戦う力が欲しいの?」

「戦う力があったら未然に防げるだろ? 誰も痛い思いをしなくても済むし……」

「私は祐樹くんのその力の方が全然良いと思うな。優しい力なのに」

「だったら交換しようぜー」

「もう、無理言わないの!」

「はは、わかってるよー」

 

からから笑っている祐樹だが、すこしばかり声に覇気がなくなってきているようにみえた。その様子に気がついた友奈は微笑みを浮かべて、

 

「──眠くなってきた?」

「あー……かも。『力』使ったからかな。ふぁぁー、膝枕心地よい」

「寝てもいいよ? 今は祐樹くんが独占してもいい枕なんだから」

「いやー、でも……千景が………いる、し」

「気にしなくてよいよい……目を閉じて、ゆっくり休んでいいんだよ」

「いやー………」

 

間延びした声のまま、祐樹の目を覆うように友奈は手のひらを重ねるとすぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。彼は『力』を使いすぎるとこうして睡眠欲が高くなるらしく、さっきまで我慢してたのが友奈にはすぐに察することができた。徹夜明けのテンションがおかしくなるように、こうして無理にでも眠らせないと後で大変なことになるのは目に見えていたから。

 

頭を撫でる。起こさないようにゆっくりと。そうすると対面にいた千景がイヤホンを外してゲームから視線を友奈の元に戻していた。

 

「……寝た?」

「うん。もうぐっすりだね……我慢しないで休めばいいのに」

「私たち全員の治療に力を使ってくれたのよね……悪いことしちゃった」

「今回は『酒呑童子』も使っちゃったし、精神汚染も含めて治してくれたから余計に疲労が溜まってたみたい……無理させちゃったなぁー」

 

日に日に強くなる『敵』に対し、こちら側も『切り札』を使わざるおえない状況も増えてきた。それでボロボロになる度に彼にお世話になっている状態にも、己の力不足に申し訳ない気持ちで一杯だった。それは幼馴染みの千景も同じで、二人の元に近づいた彼女も寝息を立てる祐樹の頰に手を添えて軽く撫でていく。

 

「いつもありがとう……祐樹君、今回もあなたはカッコよかったわ」

「ふふ、直接言えばいいのに。祐樹くん喜ぶよ?」

「ぅ……だって、恥ずかしいもの。面と向かって言うのはどうしても」

「私には聞かれちゃっても平気?」

「高嶋さんは……ううん、高嶋さんになら聞かれても大丈夫。もう沢山私の恥ずかしいところ知られちゃってるし、今更かなって」

「嬉しい。ありがとうぐんちゃん」

「お礼を言うとしたら私の方よ高嶋さん。ありがとう」

 

二人で顔を合わせて笑い合う。その膝下で眠る祐樹は「う〜ん…」と小さく唸ると頰に手を添えていた千景の手を取って握り締めた。千景は驚くが振り解こうとせずに彼の手を握り返す。

 

「まったく、普段はうるさいぐらいに活発なのに……こうして寝てる時は甘えるのよねこの人」

「ぐんちゃんのこと大好きだからね祐樹くん」

「た、高嶋さんほどじゃないわ……私なんて全然」

「そんなことないと思うけどなー。ヒナちゃんにも気にかけられて……ふふ、祐樹くんってばこんなに女の子に好かれてモテモテさんだ」

「高嶋さんは……いいの?」

 

千景の言葉に「ん〜?」と考える素振りを見せる。

 

「──最終的に決めるのは祐樹くんだからね。祐樹くんが選んだ人なら私は喜んで心から祝福するよ。でも強いて言えばぐんちゃんを選んで欲しいけどね!」

「ぇ、そ、そんな……高嶋さんとの方がお似合いよ。私には二人に幸せになって欲しいから……上里さんには悪いけど」

「ヒナちゃんしっかりしてるから祐樹くんの手綱を握れそうだねぇ…」

 

本人の預かり知らぬところで様々な未来を予想する。でもどれもどうなっていくのかは彼次第。その時に彼の隣に居るのが誰なのかは────誰にも分からない。

 

「……でもこうして三人でいつまでも一緒に笑い合っていけたら、とても幸せなことなのかもね、ぐんちゃん」

「……うん、私もそう思う。歳をとって大人になっても、おばあちゃんになっても……ずっと」

 

二人は想いを巡らせ、いつかの先を見据える。手を差し伸べてくれた『あの時』から見ているものはみんな変わらない。

 

 

────未来のその先へ。

 

 

「そのためにも頑張らないとだね!」

 

 

膝下に眠る愛しき人を撫でながら、高嶋友奈は微笑んだ。

 

 

 




高嶋祐樹
──本ルートでは年相応の反応を見せている幼馴染み三人の内の一人。「勇者」に選ばれているわけではないのでその力はなく、代わりにその力とは別のものを宿している。詳細は不明、他ルートでその片鱗は見せているが主に対象の「治癒」を目的としているようだ。

高嶋友奈
──本ルートのヒロイン兼幼馴染みの三人の内の一人。小学生時代に◾️◾️◾️と出会い、「ユウキ」の名付け親? となっている。こちらも詳細は不明。祐樹に対しては好意的。曰く『家族として、親友としても大好き!』とのこと。異性としては……本人は伏せている。(隠せているかはともかく)
もう一人の『親友』である郡千景のことが大好きで、こちらも小学生時代に出会いを果たし、衣食住を共にしたこともあることから親密度はマシマシになっている。

郡千景
──本ルートにて一番の環境の変化を果たした少女。幼馴染みの三人の内の一人。こちらも小学生時代に『奇跡的』に二人と出会い家庭問題その他諸々関わってくれたおかげで、千景にとって本来の家族よりも高嶋家のことを信用、信頼している。祐樹には好意的。友奈曰く『ぐんちゃんは私たちにいつも(ラヴ)パワー全開だ』と言われている。その際本人は毎回否定しているがそれは『羞恥』から来るものが大きく、さして間違ってはいないようだ。祐樹と友奈の幸せを一番に願っている。

上里ひなた
──今話の被害者。祐樹に(事故とはいえ)自身の胸にダイブされてとても恥ずかしい思いをした巫女。祐樹には好意的ではあるが、高頻度に恥ずかしい思いをしているためか、いつしか年相応の少女の反応を見せるようになっていた。球子には罰として、祐樹には照れ隠しとして吊し上げて本人は若葉の元に走って逃げたのが真実。可愛い。

土居球子
──悪戯好き。祐樹とはウマが合うためかたまにバカやったりしてたりしなかったり。最近はひなたに吊られ慣れたせいか、その状態で結構動けたりする。

伊予島杏
──タマっちの保護者兼後輩ポジション。最近は祐樹とセットでやらかすことが多いせいか、彼に対しては色々遠慮がなくなってきている節が見られる。


友奈とイチャつくとなるとぐんちゃんがセットのがいいかなと思った次第。


そして作者が構想していた設定、立ち位置での一幕。これで新しく物語を書いてみようかどうか悩んでいたりいなかったり笑



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イベントの章
story─another『勇者部ハロウィン』


かなり出遅れてしまった……!
だけど書いたのでせっかくだから投稿しちゃいます!!



ここは勇者部部室。

今日はハロウィンイベントのため、部室内はその飾り付けが行われていた。

 

「友奈そこにこれ飾り付けてね」

「はいはーい! うんしょ……風先輩ここで大丈夫ですか?」

「おっけーよ! 次はこれとこれを────」

「あの、東郷先輩……そのかぼちゃの顔……」

「え? 良い出来でしょ樹ちゃん。我ながら傑作だわ」

「何で顔がリアルに彫られてんのよ! こわっ!? もっとこうあるでしょ可愛い感じのやつが!!」

「ええ~…にぼっしーこのかぼちゃカワイイじゃーん。ね、イっつん?」

「あ、あはは……そ、ソウデスネ」

「ちょ!? 被って近寄るなぁ!!」

「なんだこのカオス空間」

「お! 買い出しお疲れ様、祐」

 

扉を開けてみれば騒がしい一室となっていた。

真面目に飾り付けをやっているのは友奈と風で、残りの面子は東郷が相変わらず暴走気味なのは平常運転として、園子が彼女の彫ったカボチャ(怖)を被り夏凜に迫っていた。

樹はどうしたらいいのか分からず苦笑を浮かべるばかりで、ついには隙をつかれた東郷にカボチャを被らされていた。合掌。

 

僕は頬が引きつるのを自覚してしまうほど、目の前の光景に釘付けになってしまうがそれも近寄ってきた風によって現実に呼び戻された。

 

「ケーキは何処に置いておく?」

「そこのテーブルに置いておいてー! おっ! カワイイお菓子がいっぱいだわ」

「せっかくだからねー。色々買ってみたよ」

「助かったわ。ありがとね祐!」

「うん。風と友奈も飾り付けご苦労さま」

「祐くんもありがと~! はい、ジュース」

 

友奈から紙コップを受け取り中身を飲み干す。

 

「ちょ、ちょっと祐樹! このカボチャたちなんとかしなさいよ!」

『おうおうおう! 悪いにぼっしーはいねーがー!』

『が、がー!』

「ふふ、二人ともはしゃぎすぎだわ」

「……ほい、そこまでにしとけ園子」

 

こちらに走ってきた三人。

僕は近くに来たカボチャの一つを頭から引っこ抜いた。園子はあっ、と残念な声を漏らしていたがそんなに気に入っていたのだろうか。

カボチャを回してその顔を見ると、

 

「──こわ!? なんで般若の顔に彫ってあるんだ……って東郷作かコレ」

「祐樹くんに褒められたわ……嬉しい」

『今のって褒めたのでしょうか?』

「わっしーも今日は脳内ハロウィンだからねぇ……」

「樹ちゃんもぼしゅーします」

「わ!? す、すみません祐樹先輩!」

「助かったわ祐樹…」

「こらー! あたしたちばっかりにやらせてないで作業手伝いなさーい!」

 

風の言葉に皆一様に返事をし、残りの作業に取り掛かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、状況を整理しよう。

場所は変わらず部室の中だ。飾りつけも騒がしながらなんとか終わり、とても雰囲気はそれらしくなった。

さあパーティーの始まりだ、というところで僕は皆に取り押さえられた。

 

────何を言っているかって? いや、僕にも分からない。

 

椅子に座らされ、手を後ろ手に縛られて目隠しをされている。足は縛られてはいないが目元が見えないために不用意に立ち上がると転ぶ可能性があるのでやめておくが、なぜこんな状況になってしまったのだろうか。

僕の意識の外では何やらガサゴソと皆が何かをやっている。風には絶対に目隠しだけは取るなと言われていた。

 

「あのー……みんな何をしてるのかな?」

「ま、まだ駄目よ祐樹! ってこら園子!」

「ゆっきーがこうなってるのってなんか新鮮だぁ。なんかイタズラしちゃおっかな~♪」

「ま、待てなにするつもりだ」

「ん~どうしよっかなぁ。ちゅーしちゃおっかー」

「な、ちょ……マジで!?」

「祐くんお顔真っ赤だ~かわいい」

 

両頬を恐らく園子の手で抑えられているため変に意識してしまう。

あたふたとしているのが伝わってしまったのか、こうして面白おかしく弄られてしまっていた。

耳元で友奈が囁くように言葉を発するせいかこそばゆいし、それぞれの声の距離が近い気がする。

 

 

「ちょっと抜け駆けしないでってば!! 早く園子も着替えなさい」

「私はもう終わったよ~」

「着替える? ちょっと待てキミたち今着替えて──ってうわ!?」

「あ、危ない!」

 

まさかの状況に僕は驚いて椅子からひっくり落ちてしまう。

後ろにいた友奈が僕を抱えるように一緒に倒れこんでしまう。その時に僕の目元にあった目隠し用の布の結び目が解けてしまった。

 

「いてて……ご、ごめん友奈大丈夫……か?」

「わたしは大丈夫だよ! ……あ」

 

視線が合う。タイミングが悪かったのか一部着替え途中の人間と目が合ってしまった。

後ろから抱きしめている友奈は分からないが、目の前の園子はなぜかメイド服で着替えはほとんど終わっている。それでもある意味では目に毒だが…。

更にその後ろが、肩をわなわなと揺らし震えていた。風たちなんて上を着替えている途中だったのか下着が見えてしまっている始末。

 

「ゆ、祐の変態! ばかぁ!!」

「ご、ごめんなさい風……夏凜、く、くるし…!? 東郷たすけ──」

「男の人に……祐樹くんに肌を見せてしまったわ…これはもう契りを交わすしかないわね。うん」

「祐樹ぃ!! 忘れなさい! 今すぐにっ!!」

「ゆっきー…みんなばっかりじゃなくて私もちゃんと見てほしいなぁ」

「あ、園ちゃんずるい! わ、わたしだって祐くんにギュってする!!」

「せ、先輩方ずるいです!! 私も!」

 

もうなにがなんやらもみくちゃである。後ろと前が苦しさと柔らかさといい匂いとさまざまな情報に僕の脳は処理が追いつきそうになかった。

することといったらもう目を固く閉じるしか抵抗出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

一先ず収集をどうにかつけてもらい、僕は改めて椅子に座らされた。

変わらず手は縛られたままである。解せない。

 

「こほん。まぁこれでやっと始められるわね」

「風…手のこれ外して…あ、はい黙ります」

 

僕の懇願は彼女の眼差しで黙らされる。気にしているのか、その顔はほんのりと赤みがさしている。

先ほどとは違い僕を囲むようにみんなに立っているためか威圧のようなものがすごいのなんの。

 

「ところで、祐。あたしたちの格好みて感想とかないのかしら?」

「か、格好…」

 

風は少し気恥ずかしげに身じろぎする。

彼女の今の格好はマントに三角帽子を被った魔女スタイル。

胸元が開けているためかセクシーさも兼ね備えたその装いに目線を合わせられない。

 

「に、似合ってます…本当に」

「──あ、ありがとぅ…」

「急にラブコメ始めたわこの二人。まったく…鼻の下のばしちゃって」

「ゆっきー! トリックオアトリートだよ〜。今日の勇者部はみんなお菓子をくれない子を襲いかかるお化けなの」

「だからお菓子をくれないとぉ…」

「…イ、イタズラしちゃいますっ!」

 

園子をセンターに両側の友奈と樹が続けて口上を述べた。

いやほんとどういう趣旨なのか理解が追いつかない。

 

友奈と樹はお揃いの衣装みたいだが、普段よりかなり肌の露出が激しい気がする。

黒をベースで、髪飾りもコウモリのデフォルメした可愛らしいもので、違った印象を抱かせる。つけ牙もつけてこれはドラキュラをイメージしているのだろうか。だとしたら一つ疑問がある。

 

「…なぜ猫耳がついてるの?」

「にゃ? 可愛いからだよね樹ちゃん」

「は、はい! えっと……ヘンじゃにゃいかにゃ?」

「へ、変じゃないというか。うん、可愛いや」

 

だそうだ、うん。二人は僕の言葉に顔を赤くしながらも喜んでいるしいいよね。てかその耳動くんだ…。

園子の隣にいる東郷がグッと親指を立てていた。やはりあの人か。

そのまま二人は僕の両脇に配置すると、それぞれが僕の二の腕に身体を密着させてきた。

秒で僕の頰は熱を持つ。

 

「祐く……いや、我が眷属よ! わたしたちにお菓子をよこすのにゃ!」

「さ、さもにゃくばお主の血を頂こう! さぁせんぱ……いや、眷属よ」

 

二人は役になりきるつもりか口調も変えてきた。

以前に演劇をした成果が無駄に出ているようで複雑な気持ちだ。

…というか待ってほしい。

 

「僕はこの格好じゃお菓子あげられないんだけど?」

「…そうか、お菓子を持ってはおらぬのか」

「にゃらば仕方あるまい…フフフ」

 

それぞれの顔が僕に近づいてくる。お菓子を上げないとイタズラするぞ、という言葉を実行に移すつもりだ。

何をするのかとある種ドギマギしていると息がかかるくらいの距離まで詰められ、僕の首元にその口を当てられた。

 

「うえ!? ちょ、ちょっと友奈、樹ちゃ……んん!!」

「ちぅ……うむ」

「はむ…」

「く、くすぐったい……あ、っく」

 

快楽にも似た感覚に襲われる。なんだこれ、と頭の中はパニック状態に陥っていた。

 

「や、やめ…てくれ二人と…も!? ひは…っ!!」

『……♪』

 

 

反応が楽しくなってきたのか二人は愛おしげに甘噛みをしていく。時折強く吸われこのままじゃ痕がついてしまう。

側から見たらすごい絵面なんだろうなぁと、何処か他人事のように考えながらされるがままでいる。

 

「なんだろう…ゆっきーがエロい」

「二人とも大胆じゃない!? …うわ、うわわ」

「ぐぬう……妹に先を越された!」

「はぁ…はぁ……高画質で録画しておかなくちゃ」

 

各々が反応を示す中、それでもやめる気配がなく数分。ようやく解放される頃には僕はぐったりと息を荒げて倒れるように座りなおした。

 

『ごちそうさまでした!』

「はぁ……本当、に……なにか吸われてしまった気がする……」

「なら次は私だね~。はい、ゆっきーあーん」

「なにを──んぐ!?」

 

園子が有無を言わさず何かを僕の口に差し込んだ。

視線を落とすと、それは棒状のチョコでコーティングされたよくあるお菓子。

 

「ゆっきー食べちゃダメだよ。あーむ……」

「…………!!」

 

片方は僕が咥え、もう一方を園子が咥えた。

そして彼女はそのまま食べ進め始めた。棒が折れないようにゆっくりと。

 

園子の整った顔が迫る。ほんのりと頬を朱に染め、瞳は閉じている。これではまるでこれからキスをするみたいじゃないか。

流石にまずいだろうと口元を離そうとした瞬間、ガっと僕の顔を彼女の両手に掴まれる。

 

に、逃げられない…!

どこからこんな力がでているんだとツッコミを入れたいが口は塞がっているので無理だった。

 

「ん~♪」

 

距離がどんどん縮まっていく。そしてゼロになる────の前にポッキーはパキッと折れてしまった。

 

「あー……あとちょっとだったのに~」

「はいはい! これ以上はダメよ園子」

「ぶーぶー! もっとご主人様にご奉仕するのー」

「あんたそのままやってたら歯止めがなくなるでしょ」

「…………、」

 

僕の気力は果たして保つのだろうか。

 

「──ならば次は私ね」

「東郷……さっきからずっと気になってたんだけど」

「なにかしら祐樹くん? 私もそのっちみたいにく、口移しであげればいいのかしら?」

 

流石に刺激が強いのでやめてください。断ると少しだけ頬を膨らませて不満げの彼女がそこにいた。

じゃない。彼女の顔に貼ってあるあるものが気になっているのだ。

 

「──そのお札、なに? というかその格好はまさか」

「ええ、キョンシー(、、、、)よ! 最初は落ち武者みたいな感じで行こうと思ってたのだけど、夏凜ちゃんと被ったら悪いと思ってやめておいたわ」

「ねえちょっと東郷その件について話があるんだけど……って風! 離しなさい!! 納得がいかないわッ!」

「落ち着きなさい夏凜! どーどー!!」

「うん? 変な夏凜ちゃん……ちなみにお札には『ぼたもち』って書かれているのよ♪」

「いやいや。僕はその単語をこんな書き方しているのは初めてみたよ」

 

誰だこの子にへんな知識を吹き込んだのは。

視線を巡らせてみると、あからさまに目を逸らされた一人のメイドが視界に収まった。

 

────ああ、彼女なら納得した。

 

僕があきれ返っていると、東郷はおもむろにこちらに近づいてきた。

移動方法はあの手をまっすぐ伸ばしながらぴょんぴょんしてくるあの歩行で、だ。

 

ツッコミは山ほどあるが言えなかった。それすらも霞んでしまう光景が目の前に広がっていたためだ。

 

東郷が小さく跳びながらこちらに来る。その度に彼女の象徴たる二つの戦艦が凄いことになっていた。

普段の時もあまり意識しないように心がけていたが、衣装がまずい。身体のラインを象徴してしまう服を着ているから余計にヤバイ。

 

彼女が跳ぶ。メガロポリスが揺れる。僕を含めた全員の首がそれを追うように揺れる。

東郷は役になりきっているためかそのことに気が付いていない。変わらず揺れる、ゆれる、ユレル……。

 

「──あっ」

 

あと数歩、というところで彼女はあろうことか自分の足で躓いてしまった。

そのまま僕の方へとダイブされる。また後ろに倒れてしまう僕。後頭部が痛い……。

 

「ご、ごめんなさい祐樹くん! け、怪我はないかしら」

「う、うん大丈夫だよ東──郷──っ!!!?」

 

僕の上に倒れこんだ彼女のメガポが僕の胸板に押し付けられていた。

想像だにしなかった感触に僕の思考回路は考えるのをやめた。──説明不要、というやつだ。

東郷は知ってか知らずかホッと一安心している様子。

 

「あ、そうだ祐樹くんにハロウィン用のぼたもちを作ってきたのよ。よかったら食べてくれると嬉しいわ」

「ああ……も、もちろん食べるとも。で、それはどこに──」

「うん、それは……ここに」

「──っ!!?!!」

 

ちょっとこの子の暴走誰か止めてください!

東郷は牡丹餅をあろうことか双丘の谷底から引っ張ってきたではないか。信じられない。いや、うん。食べる前からごちそうさまです。

いや、そうじゃなくて…!

 

曰く、キョンシーの演技をしていると両手を動かせないからどこに待機させておいた方がいいのか、と考えたらこうなったらしい。

うん。……うん。

 

「さ、遠慮せずに食べて——」

「流石にやりすぎだァ!!」

 

スパーン、と乾いたイイ音を響かせながら、東郷の頭上にハリセンの一閃が迸った。

東郷、轟沈。

 

「まったく、加減ってものがあるでしょう。祐、大丈夫かしら?」

 

背後から僕を起き上がらせてくれる勇者部部長。

その格好こそアレだが、この時の僕は実に頼もしく見えてしまった。

 

「ったく……祐樹、普通にテーブルで食べましょ」

「そうね。おふざけもこの辺にして元の健全なハロウィンをしましょー」

「……あ、ああ」

 

眩しい。なぜだがその普通の対応が眩しく思えた。まさに曇天に差す一筋の光明の如く。

心身ともに疲弊した僕はよろよろと二人の間の席に腰を落ち着かせる。

 

「疲れたでしょ。食べさせてあげるわ……はいっ」

「うん──あぁ、甘くて美味しい」

「ほら祐樹、こっちも」

「あーん」

 

奇をてらうのも悪くはないが、これも悪くない。

もぐもぐと口を動かし、甘味に舌鼓を打っている中で他のメンバーはしまった、と風と夏凜に戦慄を覚えていた。

 

「ねえ祐樹。誰の奉仕が一番だったかしら?」

「夏凜と風だなぁ……ああ、二人の優しさが身に染みる」

「ふっ……当然よね」

 

弱っている彼に優しくすることによって、好意を抱かさせるという恋愛誌にも記載されているアレをやってのけたのだ。

流石は勇者部部長と完成型勇者。

 

騒がしい一日は過ぎていく。

 

 

 

 

 

 




はちゃめちゃを書きたかったから書けて満足。

祐樹もげてしまえ←


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story─another『ポッキーゲー……ム?』

リクエストをいただきましたのでちょちょいっと設定加えて書き上げたので投下します。


ある日、いつもと変わらない一日の中で祐樹は部屋で寛いでいた。

テレビを付けて垂れ流し、端末を弄りながら時間を自分なりに有意義に過ごしているときにNARUKOから一通の通知が届いた。

 

「……園子? 珍しいな」

 

基本的に全員が入っているグループ内での発言が多い彼女から個別での連絡がきたのだ。不思議に思いつつも丁度端末を持っていた手前なのですぐに開いて中身を確認してみる。そこでもまた祐樹は首を傾げることになった。

 

『ゆっきー私んちの実家に集合〜! カモンッ!』

 

それを見てああ、彼女の思いつきがまた始まったかと頭に過った。ご丁寧に顔文字も使って催促してくる園子に、祐樹は「分かった」と返信を返す。

 

『よろしく〜♪ ちなみにゆーゆとわっしーもいるからねぇー!』

「……うん? まぁ、了解……っと」

 

園子の家は端的に言ってデカい。讃州中学に転入してきた時に一人暮らしをし始めた彼女だが、その荷物の殆どはまだ実家の方にあるらしく呼ばれる際も半分の確率で行ったり来たりしていた。そうして今回は実家へとお呼ばれで、祐樹はてっきり勇者部のみんなも招待されていると思っていたが違っていたようだ。

 

「…準備するか。遅くなると何されるか分かったもんじゃないし」

 

一日自宅にいるつもりだった祐樹の服装はパジャマのままだったので、着替えから始める。まぁ特別準備は必要のない人間なのですぐに終わるのだが……。

そうして十分ほどで身支度を終えた祐樹は自宅を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

移動は自転車を使えばそこまでかからない。そうして園子の実家の門の前に辿り着くとやはりその大きさには圧倒されるものがあった。

 

「……ん?」

 

チャイムを鳴らそうと手を伸ばしたところで人影がチラッと見えたのでそちらに視線を移してみる。

 

「祐樹くん。いらっしゃい」

「東郷……あれ、一人?」

「え、ええ。そのっちにお出迎えを頼まれて……ね。行きましょうか」

「うん……?」

 

なんだか思い詰めたような表情というか雰囲気を醸し出している東郷に疑問が浮かぶ。祐樹からしてみれば彼女がそういう顔をする時は何か悩み事があるときなのだが……。

 

「東郷どうしたの? 悩み事があるなら相談に乗るけど?」

「ううん。えっと……大丈夫よ、私は。気遣ってくれてありがとう祐樹くん」

「ならいいんだけどさ」

 

深刻──とまでは感じられないので深くは訊ねないが、案内され園子たちの居る部屋に近づくにつれて表情が固くなっている気がするのは気のせいだろうか。

いよいよ目前といったところで東郷が立ち止まり、くるっと彼の方に向き直った。

 

「……祐樹くん。あんまりその……暴走しないでね?」

「暴走って?」

「……ぅぅ」

 

僅かに頰を染め小さく唸る東郷はそれ以上口にすることはなかった。どうやら自分の意思でドアを開けろというらしい。祐樹はそのまま取手に手をかけて扉を開けた。

 

「ゆっきー! いらっしゃーい♪ 待ってたよー」

「こんにちはー祐くんっ!」

「……ぶはっ!?!」

 

扉を開けた。開けたのはいいんだけどその先の光景に驚きを隠せなくて彼は吹き出した。

居たのは連絡があったように乃木園子と結城友奈だ。だのだが彼女たちの格好がマズい。

 

「な、ななななんでバニー姿なんだよ二人とも!?」

「お! ゆっきーバニー知ってるんだ〜? 流石ぁー」

「流石ってどういうこと……」

「祐くん変じゃないかなー? わたしこういうの初めて着るからどうかと思って」

「いや……その、良く似合っているよ。本当に」

「ほんとっ? やったぁー♪」

 

ヤバイ、と祐樹は目の前の光景を直視することが出来ずに目線を逸らす。

 

「む〜! ゆっきー私はぁ〜?」

「園子もよ、よく似合ってる」

「えー…そんな顔背けながら言われても嬉しくないんよぉー。ね、こっち見てよゆっきー」

「み、見ろっていったって……っ!?」

「どーおー?」

「……っ!」

 

逸らした視界の中に強引に入ってくる園子。ご丁寧に長耳のカチューシャを着けて本格的な装いに尚更たじろいでしまう祐樹。

しかしその背後はいつの間にか友奈が塞いでおり下がった勢いで彼女に寄りかかってしまう形となってしまった。

 

「ゆ、友奈……っ!」

「ちゃんと園ちゃんのこと見ないとダメなんだよ祐くん。ほぉーら! ちゃんとみーてーっ!」

「あだだだ!? 首がへし折れる友奈っ?! それに当たってる、当たってるからぁー!」

「祐くんが言うこと聞かないからでしょーっ!」

「じゃなくてぇー!?」

 

いかん、この子理解してない────祐樹は体術メインの彼女からの腕力に逆らおうにも今の体勢的に逆らえず、背中に感じる柔らかな感触にドキマギしながら強制的に視線を園子に向けさせられた。

期待の眼差しで園子は見上げるように祐樹を見つめてくる。またそこで心臓がどきん、と強く脈打った。

 

「……ゆっきーぃ」

「うっ……か、可愛い……」

「ほんと? もっと言って欲しいな」

「……に、似合ってる。可愛い」

「…………うへへ~♪ ありがとうゆっきー」

「よかったね園ちゃん♪」

 

本当に嬉しそうな顔をしながら園子は照れ笑いを浮かべていた。そんな表情を見てしまうとこちらとしても恥ずかしかったが言ってよかったと祐樹は思えた。

ひとまず落ち着いたようなので祐樹は本題を切り出してみる。

 

「と、ところで二人はどうしてこんな格好を?」

「ゆっきーに喜んでもらいたかったからだよー?」

「えっ!?」

「……というのは半分冗談でちょっと勇者部での活動で必要になるんよ~。それの試着会的な感じかな」

「そうなの友奈?」

「う、うん。そうー…だねぇ」

 

どうにも歯切れの悪い気がするが二人がこう言っているので信じることにしよう。

 

(というかバニーなんて使う場面ってどこに──)

 

想像してみようにも、いかがわしく思えてしまうのは自分が男だからだろうかと頭を悩ませる。でももし本当だとしたら止めないといけない。そう行動に移そうとしたところで祐樹は二人に手を引かれて奥に連れて行かれてしまう。

そしてソファーとテーブルが並べられている所に、祐樹は座らせられた。

 

「いらっしゃいませお客様〜? ご注文は何にしますか」

「え、友奈急に何を言ってるの…? ──っひ!?」

「お客様〜? こちらメニューになります」

「そ、園子まで……」

 

腕に体を密着させながら園子が祐樹にメニュー表? を手渡す。その反対側に座る友奈も祐樹と一緒にメニューを眺める仕草を見せる際に、体を密着させてくる。そのため彼の両腕からは継続して女性部分を感じてしまうわけだが、意識を逸らすためにもメニュー表に傾けることにした。というかやはりその手の店を意識しているのではなかろうか? と思わずにはいられなかった。

 

「じ、じゃあ取り敢えず飲み物を……お茶をください」

「は〜い! 店員さーん、注文頂きましたー」

「店員さん? そういえば東郷はどこに……」

「お客様〜こういうお店は初めてですかぁ」

「そういう絡みやめてくれ園子。恥ずいから」

「えぇ〜いいじゃん。すりすり〜♪」

「うひゃう!!?」

「あは。ゆっきー面白い〜」

 

変な声が出てしまった────彼女たちが密着してくることは今に始まったことではないのだけれど、衣装一つ違うだけでこうも変わってしまうのかと内心驚かされた。

そうやって弄られていると襖から先ほどから姿を見せなかった少女が現れる。東郷美森。大和撫子を謳う彼女の表層はいつものように、二人とは真逆の和装に身を包んでいた。というか色々と混ざり過ぎているように思える。メニューは『和』メインの構成だ。

 

「と、東郷は普通の格好なんだね」

「…恥ずかしいから。ふ、二人はよくそんな格好できるわね」

「え〜東郷さんも似合うと思うんだけどなぁー」

「でもほらわっしーはー……収まりきらないからね〜」

「ちょ!? そ、そのっち!」

「あーなるほどぉ……って、わぁ!? 祐くん頭テーブルに打ち付けてどうしたの??」

「……なんでもない」

 

園子の言葉に煩悩が過ぎった祐樹はガンッと勢いよく頭をテーブルに打ち付ける。収まらない、収まらないとはそういうことなのだ。だから着れないわけであってそういうことなのだ、うん。

額を真っ赤にさせながら顔を上げて気を取り直す。だが、両隣にバニー姿の彼女たちがいるせいか、着物に身を包んでいる東郷の全体像がソレと重なって視えてしまう。彼も男なのだ……妄想の一つや二つ仕方のないことだった。

 

「ゆ、祐くん。鼻血でてるよ?!」

「あ〜! ゆっきーわっしーのバニー姿想像してたんでしょ〜♪」

「んん! ち、ちがふ……これは頭打ったせいだ!」

「…祐樹くんのえっち」

「た、だから東郷誤解……というよりティッシュ!」

 

変な誤解をされてしまった。というよりタイミングが悪すぎる。普段こんな程度じゃ流れ出てこない熱血は、押さえたティッシュを赤く染めていく。東郷は茹で上がったように顔を赤くし、自分の体を抱きしめているせいか傍からみたら祐樹が辱めているかのような錯覚を得てしまう。

鼻にティッシュを詰めて不格好のまま、差し出されたお茶を一気に煽って喉を潤す。ペースに呑まれるな。これはきっと自分を揶揄うためのものに違いない、と自ら言い聞かせて表をあげる。

 

「じゃあ、このままポッキーゲームやろ〜♪」

「わーい! お菓子おかしー♪」

「ぶふっ!? なんでポッキー?!! 普通に食べればいいじゃん」

「わっしー用意お願いします〜」

「……わ、分かったわ」

「話を聞いてくれぇ…」

 

東郷はそそくさと退散し、残されたのは悪戯を成功させたような表情の園子と、単純にお菓子が食べられることに喜んでいる友奈がそこには居た。というか友奈はこれからやる意味を理解しているのだろうか。

 

「おまたせ。持ってきたわ」

「ありがと〜わっしー!」

「普通に色々とあるけど……本当にやるの園子?」

「もち! じゃあまずは私からねー……んー」

「……っ。ゆ、友奈」

「はむはむ……なぁに祐くん?」

「いや、園子の突飛な行動を止めて欲しいんだけど」

「ん〜〜……」

 

なぜそこで頭を悩ませる、と疑問が浮かんだが少ししてピコン、と閃いた様子の友奈は祐樹の肩に手を置いてこう言い放った。

 

「──園ちゃん終わったら次わたしね♪」

「そういうことじゃなぁいっ!!」

「えぇぇー…」

 

なんでぇーって顔してもダメです。バウムクーヘンを頬張る友奈を他所に園子はチョンチョンと指で祐樹を突いてくる。

 

「──んっ!」

「……園子。それって食べ進めていったらどうなるか分かってるよね?」

「………、」

「顔赤くして……まったく」

 

目を閉じて待ち構える彼女に対して、祐樹も頭を掻いて意を決したようだ。片端を咥える園子の反対側に口を開けて祐樹も咥えた。

 

「ぽり……ぽり」

「ん、んぅ……むっ。むっぅ」

 

なぜそんなに色っぽく声を漏らすのか、とツッコミを入れたいところだが祐樹は今ポッキーを食べているので言葉を発することが出来ない。でもそんな彼女の反応は普段見れないものなので、好奇心のようなものが刺激される。折れないようにひと噛み、ひと噛みと進めていくと目元をキュッと締めて羞恥に耐えるその姿は愛らしいの一言に尽きた。

 

(しかし……これって本来どこまでやるもんなんだ?)

 

昔のゲーム名として認知しているが祐樹は勝ち負けの判断基準がよく理解出来ていない。それにこのまま食べ進めていったらいずれお互いの唇が当たってしまう。そう考えたらドキドキと鼓動が煩い。

 

「お〜…園ちゃんやっるぅー」

「く、う……なんて破廉恥な」

 

東郷はチラチラと二人の様子を伺う中で、友奈は興味津々に二人を眺める。その視線の先には半分を食べ進めた祐樹の園子。双方は更に顔を赤らめていた。

 

相手の香りや体温が間近に感じられ、まさに目と鼻の先にお互いの顔がある。勢いで始めたとはいえ果てさてどうしたものか。

 

(ゆっきーの顔が凄い近い……いいかな。しちゃっても)

(…くぅ。分かっているのに止められない自分がいる。このままいっそのこと──)

 

二人の葛藤はその動きを留めることは叶わない。そして──

 

『──あっ』

 

寸でのところでポキン、と折れてしまった。お約束といえばお約束の展開に思わず園子と祐樹は近距離で視線を交わす。

 

「わ、悪い……」

「う、ううん。私こそごめんね……えへへ」

 

我に帰った祐樹は園子から離れ、園子は気恥ずかしそうにその場でにへら、と笑みを浮かべていた。

 

「祐樹くん…?」

「…悪い東郷。少し暴走してたかも」

「だから言ったのに…もう。ほら、口元にちょこがついてる」

「んぐ。ありがとう」

「二人とも惜しかったね! じゃあ次わたしッ!!」

「は? んぶっ!?」

 

東郷に口元を拭ってもらった矢先にポッキーが再び祐樹に差し込まれた。呆気にとられていた彼は勢いで何がなんだか半ば思考停止状態であった。

 

「ん、んー……ぽりぽりぽりぽり」

(ゆ、友奈早過ぎ────っ!!?)

 

まるで木の実をかじるリスのように、サクサクと先ほどの園子の比ではない速度で食べ進めてきた。これに祐樹は動きようにも下手に動けない。もしかして早食いの競技か何かと勘違いしているんではなかろうかこの子は。

 

東郷の表情が驚愕に染まる。友奈のことを大事に思っている彼女のまさかの行動にこちらもまた思考停止しているように見える。園子は園子で別世界にトリップしているようだ。つまり、誰も友奈を止めるものがいない──

 

「ひゅ、ひゅうな……まっへ──んぶ!?」

「ん、ちゅ……んんんんっッ!?!」

『あぁっ!!?』

 

時すでに遅し。祐樹は唇に温かくて柔らかいものがぶつかった。

東郷と園子もそれぞれが別世界から帰還を果たすほどの衝撃が目の前に広がっていた。祐樹と友奈はお互い目を見開き頰が茹だるほど染め上がっている。

 

(あ、あわわわわぁー……ゆ、祐くんとちゅーしてるよわたし!? ど、どどどうしよう?!)

(友奈の唇柔らか……じゃなくて!? なん…えぇ!?!)

 

もう二人とも内心テンパりすぎてこれ以上動けない状態に陥っていた。そのせいかお互いの感触を堪能してしまう。

 

「だ…ダメぇぇ!!」

「うわ!?」

「きゃ──っ!? と、東郷さん」

 

ガバァっと目を回した東郷が二人を引き剥がした。途端に唇に冷んやりとした空気が撫でて、不覚にも名残惜しいと祐樹は感じてしまっていた。

 

「だ、ダメよ二人ともこんな……こんな場所でその格好で身体を密着させて接吻なんて私だって祐樹くんと……あぁでも友奈ちゃんの気持ちも分からなくないから────ぐぬぬぅぅ」

「と、東郷!? 落ち着け! なんか色々と自爆してそうな部分もあるぞ?!」

「ぽー……祐くんとキスしちゃったぁ。はふぁ〜♪」

「ゆ、友奈まで。戻ってこいっ!?」

「ゆーゆばっかりズルいぃ〜! ゆっきー今度は私としよーよー!」

「は、話を複雑にさせるな園子ぉ!」

 

今度は友奈がトリップし、園子がキスをねだり始めていた。

場が混沌と化しつつある一室に東郷の呪詛のような独り言が木霊し、祐樹は目を回してこの場に居ない勇者部の面子に助けを心の内で求めた。

 

────結局、バニーはなんの為に着たのだろうか?

 

祐樹は最後までその答えを見出すことは出来なかった。

 




お菓子を食べるだけのお話です……(血涙
バニー姿は個人的趣味ありきなのでご容赦を笑


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