機械とヒトと。 (千年 眠)
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CHAPTER -:OPENING
【極秘】FOR YOUR EYES ONLY【TOP SECRET】


全ては未来のために。

KAIERU FOUNDATION

 

 

 

 

カイエル財団クリュセ人類共同総合研究所データベース直結端末へようこそ

 

虹彩認証レンズへ目を合わせてください

 

スキャン進度:100%

 

パターン認証完了

ようこそ:アグニカ・カイエル一等研究員

 

ファイル名:*********“*************”.sjisを開きます

 

 

警告:あなたはレベルA+機密ファイルにアクセスしようとしています。ファイル展開と同時にレベルA致死性防壁が自動的に発動します。レベルA+以上のセキュリティクリアランスを持たない職員がこの画面を見ている場合・アクセスしている場合は即刻端末を停止し、そこから動かないでください。逃走した場合は即時に銃殺されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

>エラー:データの破損を確認

>修復開始

>進行度:2%

>進行度:23%

>進行度:44%

>進行度:49%

>進行度:55%

>進行度:76%

>データ修復失敗

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全ては未来のために。

KAIERU FOUNDATION

 

 

 

 

 

人類の夜明け作戦概略

 

 人***明け*戦とは、全人類勢力の統合及び思想統制、進化促進を目的とした計画の*称である。

 本項では、この作戦が起案された経緯と、各段階に於ける作戦内容を記載する。

 

 

 

 

1.*球連*崩壊と*業による統治

 

 ***ら宇宙世紀へ改元されてから***年、平和を保っていた*球連邦政府は、人口増***う慢性的な資源不足と度重なる軍縮のあおりを受け弱体化。連邦はその統治能力のほとんどを失**テロや暴動、内紛が頻発。

 それを鎮圧するための軍は急速に無人化・機械化の一途を辿**AE社を初めとした軍産複合体がその影響力を増し**った。

 そして**年*、破*寸前の**政府に見切りを付けた軍産複合体らは、地球連邦に対し宣戦を布告した。

 死に体の***、*実上世界最高*権力者として君臨していた複数**業グループとの戦****か1年足らずで集結。諸君らの知るとおり、圧倒的な勝利を遂げた企業による統治が始ま*た。

 

 

*.企業*戦*

 

 0***年、キバキ・ホールディングスとセブンスターク・インダストリーズとの経済戦争が激化。その最中、キバキ社と癒着していたセブンスターク社の子会社、マクドネル&ヒラサワエンジニアリングが親会社に対し武装蜂起。

 これを引き金に、企業間で繰り広げられていた水面下の争いが一気に表面化。世界を統治する企業間による直接的な戦争に発展することとなり、現在に至る。この状況が続けば、人類文明が大きく衰退することは明白である。

 

 

計画1.モビルアーマー型無差別攻撃兵器(以下MA)の建造

 

 第23研究室が開発したナノラミネートアーマー、第1研究室が開発したエイハブリアクター、第49研究室が開発した人類先導ユニット。これらを始めとした各研究室の技術を結集し、既存の兵器全てを超えるモビルアーマー型無差別攻撃兵器を建造する。熾天使級、智天使級、座天使級、主天使級、力天使級、能天使級、権天使級、大天使級、天使級の全9モデルを建造するものとする。

 なおMAの制御には、学習型人工知能/意識を次世代型次元格納式積層量子コンピュータにインストールした人類先導ユニット、これを流用する。

 これらは人間を無差別に攻撃する。増えすぎた人口を削減し、人類共通の敵となり、思想を統一する役割を果たすのだ。

 

 

計画2.計画に伴うセーフガード用モビルスーツの建造

 

 MAは当初の想定を遥かに超える戦闘能力を獲得。これにより人類が絶滅する可能性が浮上した。

 よって、熾天使級MA1番機に搭載予定であった人類先導ユニット1号機、“LUCIFER”を仮称:新型ガンダムタイプに搭載。MAの制御中枢のハッキング及びプログラムの書き換え権限を与える。搭載予定のガンダムタイプは、ハッキング失敗時を鑑み最低でも熾天使級MAを単機撃破可能な性能へ改修する。改修による目標性能達成が不可能な場合は新造も許可する。

 

 

計画3.仮称:新型ガンダムタイプのモンキーモデル生産及び人類への技術供与

 

 計画のセーフガードに転用された新型ガンダムタイプのモンキーモデルを72機建造。これを抵抗組織ギャラルホルンへ提供することで人類の戦力増強を図る。これに付随して、セキュリティクリアランスC+以下の技術を一般へ公表。ナノラミネートアーマー、エイハブリアクター、モジュラー型ムーバブルフレームを始めとした様々な技術を提供することでMAに対抗可能な兵器を建造する能力を人類へ与える。

 

 

計画4.人類統一後の政権掌握及び人類種の外宇宙進出

 

 アグニカ・カイエル一等研究員はセーフガード用MSに搭乗し、戦闘員として抵抗組織ギャラルホルンと共闘。ギャラルホルンへ潜入中のエージェントらは時期を見計らいギャラルホルンの指導者、フランクリン・セブンスタークを殺害。その後内部工作によりアグニカ・カイエル一等研究員を指導者に据える。

 戦争終結後、MA部隊の第2波を各国の主要都市へ投入。企業の全滅により旧政権を完全に崩壊させ、ギャラルホルンが人類を完全に統一する。

 そして当研究所の人類先導ユニットを用い、人類を完全に管理することで計画は完了する。その後人類は脳幹の機械化により知能を極限まで発達させた上で外宇宙へ進出。人類は大躍進を遂げるだろう。

 

 

 諸君、人類に夜明けをもたらそう。人類に黄金の時代をもたらそう。

 

全ては未来のために。



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CHAPTER Ⅰ:[G]round zero
第一話 二柱の悪魔


「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった」―― 旧約聖書「イザヤ書」一四章一二節


「オルガ」

 

 三日月・オーガスの声に、オルガ・イツカは目を覚ました。ここは民兵組織クリュセ・ガード・セキュリティの動力室。発電機替わりのMS(モビルスーツ)が向かい合わせに鎮座しているここは、昼寝に最適な場所だった。

 

「おぉ、ミカ」

「おおじゃないよ、またこんな所でサボって。見つかったらまた何されるか」

「わかってるよ」

 

 微妙にだるさが残った体を起こす。膝立ちになった巨大なMS(モビルスーツ)が嫌でも目に入った。二本角のこいつらは一体なんて名前なのだろうかと、オルガはふと思った。

 

「おぉい! いたか三日月!」

「ああ」

「どうした、おやっさん」

「どうしたじゃねぇよ! マルバが呼んでるぞ!」

 

 浅黒い肌の大男、ナディ・雪之丞・カッサパが向かいのドアから叫んでいる。彼はクズの掃き溜めと化したCGSの中では、良識ある「いい大人」だった。

 

「社長が?」

「つーかここ入んなって言ったろ!」

「いや、ここ年中あったけぇからさ」

「ったく! 一応この動力室は最高機密扱いなんだぞ」

 

 雪之丞の小言を受け流し、オルガは重い腰を上げた。正直もう少し昼寝したかったが、仕方ない。

 

「ミカ、行くぞ」

「ああ」

 

 MS(モビルスーツ)の股下を通って動力室を出る。オルガは何の気なしに振り返ってみた。向かいの派手な方と目が合った気がした。

 

 

 

 

機動戦士ガンダム 鉄のオルフェンズ

機械とトと。

 

 

 

 

火星 アーブラウ領 クリュセ独立自治区郊外

CGS クリュセ・ガード・セキュリティ 社長室

 

 

「クリュセ独立自治区、その代表の愛娘を地球まで運ぶ。そいつの護衛を……お前ら参番組に任せる」

 

 CGS社長、マルバ・アーケイ。現役時代のたくましい体はどこへやら、今ではすっかりだらしない体と化したそれが言う。無駄に華美な装飾が施された社長室は彼の趣味。その隣に立つ強面はハエダ・グンネル。CGS壱軍隊長。

 

「あの、代表の娘って、クーデリア・藍那・バーンスタインですか?」

「知ってんのか、ビスケット」

「えと、確か独立運動をやっているとかって……」

 

 今喋ったのはビスケット・グリフォン。小太り。CGS内ではかなり博識な方で、もっぱらオルガのブレーキ役として働くことが多い。いつもかぶっているキャップが目印。今はさすがに脱いでいるが。

 

「今回の地球行きも火星の独立運動絡みらしい。ご立派なことだ」

 

 マルバが鼻を鳴らして言った。青臭いと思っているのかもしれない。

 

「でもそんなでかい仕事なんで俺らに?」

 

 オルガは当然の疑問をぶつけた。

 参番組は基本、非正規の少年兵やヒューマンデブリで構成された弾除け部隊だ。

 阿頼耶識のおかげでそこそこ練度は高いが、所詮非正規は非正規。普通の任務であれば大人で構成される壱軍や弐軍が全部かっさらっていくはずだった。

 

「お嬢様直々のご指名なんだよ」

「え、それって……」

「形はどうあれ、やることはいつもと変わんねぇ! お前らガキ共はしっかり俺らの言うこと聞いてりゃ良いんだよ!」

 

 ハエダ、お前には聞いていない。それがこの場にいる参番組二人の総意だった。基本的に正規兵と非正規兵の仲は最悪といえる。

 

「とにかく、そういうわけだ。タダでさえお前らは学がねぇんだ。失礼のないようにな。解散」

 

 

 

 

 

 

CGS 食堂

 

 

「俺たちがお嬢様の護衛?」

 

 金髪の青年、ユージン・セブンスターク。上昇志向が強いせいか少々他のメンバーと揉めることもあるが、根は良い男。

 

「お嬢様って良い匂いするんだろうなー!! なぁ三日月!」

 

 ノルバ・シノ。ピアスが目印。よく仲間とくだらない話で盛り上がっているムードメーカー的な男。

 

「お嬢様って言っても同じ人間なんだし、そんなに変わんないだろ?」

 

 そして、三日月・オーガス。体格は劣るが、モビルワーカーの腕はピカイチ。感情の起伏がイマイチわかりにくいが、参番組の中では最も仲間思い。

 

「あぁ〜!?」

「女に飢えてない三日月さんにんな事聞いてもムダっすよ!」

「何だとコラ!」

 

 早速年少組のダンジ・エイレイに遊ばれるシノ。なんだかんだ言って彼は慕われている。

 

「タカキ」

「はい。水ですか?」

 

 三日月が金髪の少年、タカキ・ウノを呼び止める。彼の頬にはガーゼが貼られていた。

 

「いやその傷……」

「あ……平気っす。いつもの事で」

 

 タカキはそう言って笑ってみせた。

 

「でもあれだな、社長もよ、口だけの社員様より結局は俺らの力を認めてるって事なんじゃねえの。で、これをきっかけによ、社員のやつら出し抜いて俺らが一軍になって……!」

 

 ユージンが己の野心を語る。

 

「いくらマルバのオヤジが耄碌したって、使い捨ての駒ぐれえにしか思ってねぇ俺らを認める訳ねぇだろ」

 

向かいの席に座るオルガは諦めたように言った。スプーンで椀を叩く。チン、と鳴った。

 

「……っ! おい……俺ら参番組隊長のお前がそんなだからいつまで経ってもこんな扱いじゃねえのか!」

「やめなよユージン」

 

 オルガの隣、ビスケットが諌めるが……一度ついた火は踏み消そうとしてもなかなか消えないもので。

 

「うっせービスケット! てめえは黙ってろ! 大体てめぇ……ああっ! ぐぅっ!」

 

 直後、三日月がユージンの耳をひっつかむ。

 

「喧嘩かユージン? 俺は嫌だな」

「取れる、取れるって!」

「喧嘩じゃねーよ。これぐらい、な?」

「あ、ああ、あったりめぇだろ! だから離して三日月、取れちまうから!すいません! すいませんでした!」

 

 三日月という名の消火剤をばらまかれたユージンは一転、己の耳を守るべく命乞いを始める。参番組のいつもの流れだった。

 

「悪いな昭弘。騒がしくってよ」

「いつものことだ」

 

 理不尽で、無情な少年兵達の日常。それでも彼らは、強かに生きている。この不毛な火星の地で。しかし、その日々は唐突に終わりを迎えることになる。それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。

 

 

 

 

 

 

アーブラウ領 クリュセ独立自治政府 首相官邸

 

 

 首相官邸、その庭園。

 

「それではお母様、行って参ります」

 

 クーデリア・藍那・バーンスタインは身なりを正し、母親へ出立の挨拶を告げた。

 

「あら藍那、もう行くの? くれぐれも地球の方々に失礼が無いようにね」

「お父様は私の運動に反対なさっていると思っていたのに、今回地球との調停役という大役をいきなり任せて下さるなんて……」

「何でも悪く取るのはあなたの悪い癖、お父様はあなたのことをいつも心配して下さっているのよ」

 

 母、朋巳・バーンスタインの言葉に、クーデリアは何も言わずに笑った。

 表面的な言葉を適当に述べて庭園を離れた途端、クーデリアはメイド、フミタン・アドモスに本音を吐露する。

 

「お母様は目を逸らしているのよ。この屋敷の外で何が起こっているのか知ろうとも思わない。私はそんなの嫌。本当の事を見たいし、本当の事に触れたいの」

「それで今回の護衛役に彼らを?」

「そう! 彼ら非正規の少年兵たちは長く続く地球圏からの支配が生んだ今の火星が抱える問題そのものなのよ。そんな彼らと触れ合う事で私は少しでもその痛みをわかち合えたらって思うの」

 

 革命の乙女、クーデリア・藍那・バーンスタイン。革命への道程は厳しい。それでも彼女は進む。それが火星の人々のためになるなら。

 

 

 

 

 

ギャラルホルン火星本部 静止軌道基地アーレス

 

 

「若さとは、純真さとはなんと美しいことだろう。地球との関わりの深いバーンスタイン家の娘が独立運動の旗頭として扱われるとは皮肉なものだな。ノーマン・バーンスタイン君」

 

 静止軌道基地アーレス、その一室。コーラル・コンラッド三佐はニヤニヤと笑いながらノーマンへ語りかける。

 

「はぁ……愚かな娘で……」

 

 ノーマンは視線を下げ、汗を拭き、へつらうように言った。

 

「いや、愚かさもあそこまでいけば立派なものだ。だからこそクリュセの……いや火星中のならず者たちも彼女を支持するのだろう。ならば完全なるカリスマとして永遠に民衆の記憶に残るよう、我々も手助けをしようじゃないか」

「……はい、お手柔らかに、コーラル閣下」

 

 結局この密談の中で、ノーマンは一度もコーラルと目を合わせようとしなかった。

 

(自分の娘を売っておきながらお手柔らかにときた。ふぬけとはあの男のことだな。娘の爪の垢でも飲むといい)

 

 密談を終え、MS(モビルスーツ)ハンガーへ向かうエレベーター内。

 

『これよりゼロGブロックに入ります』

(しかしこれで厄介な地球からの監査も好機になる。ノブリスからの援助を受けるためにもあの娘には頑張ってもらわないとな)

 

 コーラルはこれから生まれるであろう膨大な利益を想像し、ひとりほくそ笑む。

 

「オーリス! 作戦が決まった! 今回はお前に指揮を執ってもらう!」

 

 MS(モビルスーツ)ハンガーに着いたコーラルはパイロット達に指示を出す。彼は士官としては汚れているが、MSパイロットとしての誇りは未だ捨てていない。こうして作戦を直接伝達するあたりは。

 

「了解!」

 

 プライドの高そうな男、オーリス・ステンジャ。

 

「クランク! お前は元教え子をサポートしてやれ!」

「はっ!」

 

 歴戦の風格を漂わせる壮年の男、クランク・ゼント。

 

「アイン!」

「は、はいっ!」

 

 生真面目、という言葉にそのまま服を着せたような若年の兵士、アイン・ダルトン。

 

「貴様は今回が初陣だ! しっかり励め!」

「了解であります!」

 

 クーデリア・藍那・バーンスタインへ魔の手が迫る。

 

 

 

 

 

 

CGS モビルワーカー格納庫

 

 

「よーし。これで持ってく装備の確認は終いだ」

「お疲れさん」

 

 モビルワーカーの脚部を椅子がわりにしていた雪之丞は、やっとタブレットを操作する手を止めた。太陽はとっくに沈み、今はもう夜更けだ。

 

「もう明日か。例のお嬢さんが来るのは……」

「ああ。で、明後日には出発。地球までの往復にあれやこれやで五ヶ月くれぇか」

「ここも静かになるなぁ。ま、ご指名の仕事なんだろ?良かったじゃねえか」

 

 雪之丞はポケットからタバコを取り出し、点火。

 

「何が良いもんか。いつもどおり便利に使われるだけさ。マルバのおっさんは俺らのことをヒゲのおかげで他よりちょっとすばしっこいのが取り柄のネズミぐらいにしか思っちゃいねえからな」

 

 雪之丞は煙を吐き出すと、苦い顔をして言う。

 

「旧時代のマン・マシンインターフェイス、阿頼耶識か……ひでぇ話だな」

「ま、こいつを埋め込むのがここで働く条件だからな」

「それでも仕事があるだけまだマシか……ふっ、おめぇん時は笑えたよなあ。麻酔もねぇ手術なのに泣き声ひとつあげねぇで可愛げがねぇって殴られてよ」

「泣けばだらしねえって殴られただろ。どっちにしろ、ここじゃ俺ら参番組はガス抜きするためのオモチャか弾除けぐらいの価値しかない。でも俺にも意地があるからな。格好悪いとこ見せられねぇよ」

「ふぅー……三日月には、か?」

「フッ……」

「苦労するなぁ、隊長」

 

 

 

 

第一話 二柱悪魔

 

 

 

 

CGS 社長室

 

 

「いやぁ光栄ですな。クーデリア様の崇高な志には私は常々……」

 

 マルバがクーデリアに媚を売る中、ぞんざいなノックがその会話を止めた。

 

「入れ」

「参番組。オルガ・イツカ以下四名、到着しました」

「ふむ……こいつらが護衛を担当する予定の」

「初めまして。クーデリア・藍那・バーンスタインです」

 

 クーデリアは物騒な雰囲気が染みついた少年兵にも物怖じしない。肝が据わっていると言うべきか、警戒心が無さすぎると言うべきか。

 

「……はい」

「どうもっすー、あの〜」

「てめえら! 挨拶もまともに出来ねえのか! ったく……!」

「ふ……」

 

 マルバの機嫌はにわかに悪くなっていくが、クーデリアは至って上機嫌だった。

 

「では改めてこれからの段取りを……」

「あなた!」

「?」

 

 クーデリアはマルバの言葉を華麗に無視して声をかけた。三日月本人は当惑した。話しかけられる理由がないのだから。

 

「お名前は?」

「三日月・オーガス……です」

「三日月。ここを案内してもらえますか?」

「は?」

「はいぃ?」

 

 三日月はこの場にいるクーデリア以外の者全員が思っているであろうことを容赦なく代弁した。

 

「フミタン。ここはあなたに任せるわ」

「かしこまりました」

「あの……それは……」

「お気になさらず。説明は私のほうでお伺いします」

「ですが……」

「何か問題でも?」

「では、三日月」

 

 困惑するマルバを置いてけぼりにしてクーデリアが催促する。

 

「じゃあこっちへ」

 

 三日月はそれだけ言うと、そそくさと部屋を出ていってしまった。

 

「あ、あの、ちょっと!」

 

 三日月はクーデリアのことなど気にもかけず、ずかずかと施設を進む。頼まれたから仕方なくやってるんだとでも言いたげなその態度。実際、三日月は身内には優しいが、他人には基本関知しない性格だ。逆に言えば一度身内と認められればいいわけだが、今初めて会ったクーデリアには到底無理な話で。

 

「で、この奥が動力室」

「あの……」

「うちは自前のエイハブ・リアクターがあるんで……」

「あの!」

「?」

「はぁ、はぁ、あの握手を……あっ、握手をしましょう!」

 

 そう言って鼻息をむふーっと吐くクーデリア。

 

「あー……」

「何故ですか? 私はただあなたたちと対等の立場になりたいと思って」

 

 三日月の態度が誤解を招いた。クーデリアの抗議の声に、

 

「手が汚れてたから遠慮したんだけど」

 

 にべもなく告げる三日月。その声は冷たかった。

 

「あっその……私……」

 

 自分の誤解に気づいたクーデリアが恥ずかしさに顔を赤らめる。

 

「けどさ、それってつまり俺らは対等じゃないってことですよね」

 

 直後、クーデリアは自分の発言を深く悔いることになる。「対等の立場になりたい」なんてセリフはひどく上から目線だ。純真さゆえの傲慢というべきか。

結局クーデリアは、二の句を継げなかった。

 

 

 

 

 

 

 夜。敵襲を知らせるサイレンにオルガは飛び起きた。

 

「おいお前ら起きろ! 敵襲だ!」

 

 オルガの叫びに呼応して他のものも慌てて飛び起きる。彼らが外に出た頃には、ロケット弾による飽和攻撃が始まっていた。どこの誰か知らないがよほど金持ちらしく、止む気配はまったくない。

 

 モビルワーカーの格納庫へオルガが着いた頃には、すでにユージン達が出撃準備を整えているところだった。

 

「状況は?」

「おせえぞ! 今三日月と当直のシノの隊が出たとこだ。第二ハンガーから昭弘たちも出てる」

「何やってんだ! お前ら参番組は総員で敵の頭を抑えろ!」

 

 ハエダがどかどかと走り寄ってくる。

 

「敵って、相手がわかったんですか?」

「ぐっ……そ、それは」

「教えてくださいよ、一体誰なんすか?」

「……ギャラルホルンだ」

 

 格納庫にどよめきが起こる。ギャラルホルンといえば約三百年もの間、世界の秩序を保ってきた組織。一介の民兵組織などが戦える相手ではない。

 

「どうしてギャラルホルンが!?」

 

 ユージンがわめく。当然だ。こちらには攻撃を受ける理由がないのだから。

 

「知るわけねえだろ!」

「いいからとっとと出ろ!」

 

 便乗して騒ぎ立てるトドを目で制してオルガは問う。

 

「一軍は? 本隊はどう動くんです? 連携は?」

「お、俺たちは回りこんで背後を撃つ。挟撃だ! だからそれまで、お前らは相手をしっかり抑えとけ!」

「わかったな! おら! 早く!」

 

 嘘だ。オルガは直感で理解した。

 

「ちぃ! 行くしかねえか!」

「オルガ。うちの動力炉以外のエイハブ・ウェーブが観測されてる」

 

 そしてビスケットがもたらす最悪のニュース。

 

「ええ?」

「相手がギャラルホルンならもしかすると……」

「……」

 

 どうするオルガ・イツカ。考えろ。MS(モビルスーツ)が出張ってきたら一巻の終わりだ。MS(モビルスーツ)にはMS(モビルスーツ)でしか対抗はできない。……待てよ。MS(モビルスーツ)ならウチにも……?

 

「オルガ! 早くしろよ!」

「ビスケット。頼みがある」

「うん……!」

 

 オルガは決意した。勝つためにはこれしかない。

 

「ユージン!」

「なんだ?」

「連中の指揮、頼めるか?」

「は?」

「頼む。お前にしか頼めねぇんだ」

「ま、まぁそういう事ならやっても……でも、お前どーすんだよ」

 

 それを聞くとオルガはニヤリと笑い、

 

「ウチの動力室のアレ、動かすぞ」

 

 

 

 

 

 

 オルガとビスケット、そして三日月。三人はクーデリアを連れ、動力室に向かっていた。

 

「どこへ行くのですか?私はフミタンを待たねば……」

「あのままあそこにいたら死にますよ!」

 

 クーデリアの抗議にビスケットが返す。

 

「し、死ぬ……私は死ぬのですか……?」

「そうならないように努力してるところです! 開いたよ!」

「よし!」

 

 パスワード付きのドアを抜けた先にあったのは、向かい合わせに鎮座するモビルスーツ。クーデリア達はそのうちの一機の股下をくぐるようにして入ってきた形だ。

 

「おう! もう始めてるぞ! ほんとにいいんだな!?」

「ああ、頼む! おやっさん!」

 

 そして動力室横のリフトからは一機のMW(モビルワーカー)が顔を覗かせている。

 

「これ、どうすんの?」

 

三日月が下に降りてきた雪之丞に聞く。

 

「あれはもともと転売目的でマルバが秘蔵してたもんでな。コクピット回りは使う用がねぇからごっそり抜かれちまってたんだ。だからこいつを流用する」

 

 そう言って雪之丞はクレーンにMW(モビルワーカー)のシートを繋いだ。クレーンがスルスルと上がっていき、やがてシートはMS(モビルスーツ)のコックピット部分に装着された。

 

MW(モビルワーカー)のシステムで動くの?」

「ああ、システム自体はもともとあったものを使う。ほれ、一応目を通しておけ」

 

 三日月はタブレットを渡そうとする手を笑って止めた。

 

「あ、ああ……だったな。ま、欲しいのは阿頼耶識のインターフェイスの部分だ。大戦時代のモビルスーツはだいたいこのシステムで……」

「阿頼耶識!? それは成長期の子供にしか定着しない特殊なナノマシンを使用する危険で人道に反したシステムだと……」

 

 クーデリアが驚きの声をあげた。無理もない。

 

「ナノマシンによって脳に空間認識を司る器官を疑似的に形成し、それを通じて外部の機器、この場合MS(モビルスーツ)の情報を直接脳で処理出来るようにするシステムだ」

「いいよ」

「よし。こんなもんでもなきゃ、学もねぇこいつみてえのに、こんなもん動かせるわけねえだろ」

「ですが!」

「けどな三日月。MS(モビルスーツ)からの情報のフィードバックはMW(モビルワーカー)の比じゃねぇ。下手したらおめえの脳神経は……」

「いいよ、もともとたいして使ってないし」

「おめえなあ……」

 

 あっさりと死のリスクを受け入れた三日月に雪之丞は苦笑した。

 

「なんで……そんなに簡単に……! 自分の命が大切ではないのですか!?」

「大切に決まってるでしょ。俺の命も。みんなの命も」

 

 三日月の言葉は重かった。クーデリアが受け止めきれない程に。

 

「よし。こっちはこれでいいな……オルガ、おめぇはあっちだ。あっちは阿頼耶識が丸々生きてるからもう乗っとけ」

「おう」

 

 そう言って雪之丞が指さしたのは、動力室に入る時に股下をくぐったそれ。三日月が乗る方に似た二本角の機体。

 

 オルガは簡易的なタラップを駆け上がり、コックピットへ潜りこもうとしたのだが。

 

「……つってもこれ、起動スイッチはどこだ? ってか……どっちが操縦席だ?」

 

 その機体は複座だった。直感で手前の座席に座り、さらに直感に任せてディスプレイ下部の赤いボタンを押してみる。

 

「なんも……起きねぇ……っておぉ!?」

 

GUNDAM FRAME TYPE
SATAN

 

ASW-G-00

 

システム起動中……

 

システムチェック開始

メモリーユニット状態:グリーン

戦闘ログ:ファイル破損 救出中……成功 79%復元

地形データ:該当なし 周囲の3Dスキャン開始

バイタルチェック:グリーン

推進剤残量:14% 補給が必要

エイハブリアクター温度:適正

エイハブリアクター内圧力正常

IFF起動:失敗 識別データが存在しません

FCS起動

通信感度:良好

装備認証完了:頭部60mm機関砲

コックピット内酸素供給:正常

冷却システム:冷却液が311ml不足 冷却に問題なし

機体位置測定システム:通信に失敗 現在位置不明

最優先目標:MA(モビルアーマー)の殲滅及び人類の保護

現在時刻:不明

パイロット:操縦士 副操縦士 共に不在

敵反応:なし

データリンクシステム:エラー 僚機なし

警戒レベルを最大に設定

 

全センサー起動

 

「オイオイなんか勝手に――」

 

全パラメータ起動ボーダーラインに到達

 

ASW-G-00 GUNDAM SATAN 起動

 

 

 




次回
ディアボルス・クス・マキナ


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第二話 ディアボルス・エクス・マキナ

『当機はASW-G-00 ガンダム・サタン。現在の状況確認が必要』

「……は?」

 

 MSが喋った。

 

『復唱:現在の状況確認が必要』

 

 復唱:MSが喋った。

 

「どういうことだ?」

『当機はネットワークへの接続に失敗したため、現在の状況が把握不可能。要請:口頭ないし圧縮会話による現在の状況説明』

「いや、そういうことじゃねぇ。なんで喋れんだよお前」

『当機はパイロット:アグニカ・カイエルの自我データを基幹プログラムに使用した、自己学習・自己進化型AI/Cを搭載する試作型MS。パイロット・AI/C間のコミュニケーション機能が存在するのは当然』

 

 自らの予想を大幅に上回る展開に目を見張ることしかできない。こういう時は雪之丞に聞くに限る。

 

「お、おやっさーん!」

「なんだぁ! オルガ! なんで起動してんだぁ!?」

「こいつおかしくねぇか!? 喋るぞこいつ!」

「喋るだぁ?」

 

 雪之丞も全く知らないようだ。どかどかと義足を鳴らしてこちらのコックピットへ突っ走ってきた。

 彼の目に映ったのは中央ディスプレイ。そこには起動処理を完全に終了したことを示す文字が躍っていた。

 

「オルガ、おめぇなんかやったか?」

「いや、そこのボタン押したらいきなり」

『肯定。推定個体名:オルガは当機の起動スイッチを押下した』

 

 ガンダムサタンの一言は雪之丞に電流を走らせた。ハッと息を呑んだきりフリーズしてしまう雪之丞。

 

「押したって……今までこいつが動いた記録はねぇ。動力替わりのジャンクだったってのに。ってか、こんなMS聞いたこともねぇ」

『否定。以前当機は、一〇〇時間に及ぶ第六四六回自我データオーバーホールを行っていたため、事実上起動が不可能な状態にあった。補足:高性能AI/Cを搭載したMSは当機以外存在しないため、当然と言える』

「なるほどなぁ……」

「おやっさん、どういうことだ」

「こいつは自分で自分を点検してたんだ。んで、なんで前に起動しようとしてダメだったかってぇと、ちょうど点検と時間がカブってたからってわけだ」

『その推論を支持』

「なるほど? 今は動くのか?」

『肯定。全ブートプログラム遂行済み』

 

 潰えるかに思えた希望は再び大輪の花を咲かせる。

 二機のモビルスーツがあればギャラルホルンの撃退もありえるはずだ。正直サタンと名乗るこの喋るMSは信用できないが、いまはこれしか頼れるものが無い。

 

「よし。いけるってよおやっさん」

「ああ。繋いじまえ」

 

 阿頼耶識のコネクタを接続。流れ込む膨大なデータにオルガは顔をしかめ――

 

「ん? 来ねぇ」

『拒否。パイロット以外の搭乗は原則不可』

 

 カシュッという音とともに阿頼耶識のケーブルが吐き出される。

 

「おい、できねぇってどういうことだ!」

『当機はギャラルホルン正規軍、第一MS大隊所属の総指揮官専用機体。パイロット:アグニカ・カイエル以外の隊員が許可なく搭乗することは出来ない』

 

 向かいではもうガンダム・バルバトスが立ち上がっている。これ以上時間がない。

 

『オルガ、早く』

 

 三日月が外部スピーカー越しに急かす。ぐるぐると回転を続けるオルガの頭が導き出した答えは――。

 

「アグニカは死んだ。今は俺がパイロットだ!」

 

 強引にも程がある大嘘で反論を無理やりねじ伏せることだった。今、この妙な機械と言い争いをしている暇はない。

 

『了解。アグニカ・カイエルをMIA認定。貴殿を臨時パイロットとして登録。氏名を入力されたし』

 

 手早くディスプレイに「ORGA ITSUKA」と名を打ち込み、阿頼耶識によってガンダムと繋がる。それでも情報は未だ入ってこない。

 

「おい」

『当機は自身のAI/Cにより完全自律行動が可能。よって、パイロットによる操縦は必要ない。しかし、現在当機はIFFの故障により敵と味方の区別がつかない。要請:阿頼耶識システムを通じた敵機の手動指定』

「おっ、おう……」

 

 二基のエイハブリアクターが轟々と唸る。

 視界には大量の情報が現れては消え、ハッチはカミソリが入る隙間もなくぴったりと閉じた。

 今まで乗ってきたMWとは根っこから格が違う兵器なのだと、オルガは確信した。これなら勝てる、とも。

 一切の拘束から解き放たれた悪魔は、ゆっくりと立ち上がった。

 

「網膜投影スタート」

『要請:作戦目標の提示』

 

 立ち上がったガンダム・サタンが言う。オルガはそれに笑みを深くし、

 

「現在襲撃中のギャラルホルンの殲滅だ!」

『了解。オペレーティングシステム、通常モード起動。ガンダムサタン、作戦行動を開始します』

 

 巨大な機械の足が動力室の地を踏みしめる。

 

「よし! ヤマギ、3番から出すよ!」

「えっ、でもあそこは出口が塞がって……」

 

 ビスケットの指示に困惑するヤマギ・ギルマトン。

 

「あそこが一番戦場に近い!」

『そんぐれぇ俺が吹っ飛ばすさ』

『機体の制御権はこちらにあるため、その言い回しは不適当』

『そうこまけぇこと言うなよ。なぁ?』

 

 いちいち細かいサタンを置いて、三日月のバルバトスとオルガのサタンは完全に起動した。戦えるのだ。まだ。

 

『ミカ、お前が先行してくれ。武器を持ってんのはバルバトスだけだ、俺のサタンじゃMSをやるのは厳しい』

『うん』

「ハッチ解放! いつでもどうぞ!」

 

 ビスケットが二機へ叫んだ。

 錆びついた金切り声を上げながら上昇していくMSリフト。

 心臓の鼓動がうるさいくらいに大きい。

 平気だオルガ。この作戦はきっと上手くいくさ。そう自身に言い聞かせながら、リフトに乗せられて地上に、闇の向こうに消えていくバルバトスを見送った。

 

「なぁ、サタン。勝てると思うか?」

『敵勢力規模が不明なため、回答不能。しかし、当機は非武装状態における対MS近接格闘プログラムを学習済み。対MS戦であれば勝率は高い』

 

 サタンに励ましの言葉の類は期待しない方がいい、か。

 オルガはそう独ごち、戻ってきたMSリフトにサタンを載せた。

 

「行くぞ、サタン!」

『了解』

 

腹をくくり、発進のゴーサインを出した。

 

リフトが上がっていく。待つにはあまりにもじれったい。

 オルガはリフトの音が止むと同時に、その眼を開いた。

 

『ASW-G-00 ガンダム・サタン、出撃します』

 

直後、強烈なG。ガンダムフレームタイプ特有の大出力から生み出される莫大な推進力にオルガは歓喜した。

 三番ゲートから差す光がどんどん近づき、突破。青い空、赤茶けた大地。

 

 ガンダムが、大地に立った。

 

 そして目の前には深緑のMS。それはこちらの姿を確認すると、慌ててバトルアックスを引き抜こうとして――

 

 巨大なメイスを横っ腹に叩きつけられた。バルバトスの一撃を食らい、倒れ込んだそれは二度と動かなかった。

 

「よし、あの緑のMSと茶色いMWは敵だ」

『既に認識済み。口頭での伝達は不要。……敵モビルスーツ解析完了。機体名:EB-06 グレイズ。パイロット名:オーリス・ステンジャ。生命反応無し』

 

 サタンが目をつけたのは、今しがた叩き潰された機体の奥、その右に立つグレイズだ。

 装甲の隙間をX線スキャンすることで計測したフレームの摩耗率から、それがベテランの駆る機体だと即座に見抜いた。

 

『ガンダム・サタンからガンダム・バルバトスのパイロットへ』

「三日月・オーガス。で、何?」

『当機は三日月・オーガスから右の機体を攻撃する。要請:ターゲットの分散』

「わかった。それじゃ」

 

 短い会話も、戦場では致命的な隙となる。案の定、左のアイン・ダルトン機がバルバトスに一二〇mm弾の洗礼を浴びせる。しかしバルバトスは重力をものともせずひらひらと舞い、避けてみせた。

 阿頼耶識ならではの回避プログラムにない生物的な動きに、アインはいらだちを募らせた。

 一方サタンはその場から動かず、じっとカメラアイでクランク機を睨みつけている。

 

「サタン、動かねぇのか?」

『敵機モーションプログラム読み取り完了。無力化作業開始。補足:通信を傍受』

 

『クランク二尉!』

『アイン! 貴様は援護だ!』

『あ、はい!』

『げっ、また来た!』

 

 敵機だけでなくユージン達の通信までもが聞こえてきた。オルガは外部スピーカーを使って慌てて後退を指示する。

 

『お前ら聞こえるか! ここは危ねぇ、みんな一旦下がれ!』

 

 下がれ、と言い切る前にクランクのグレイズがサタンに襲いかかる。

振り下ろされたバトルアックスを半身になることで回避。それは武器と装甲が擦れ合う音が聞こえる程に紙一重のものだった。

 斧を降り抜いた姿勢を戻そうとするグレイズ。そこに叩き込まれるは、リアクター二基分の威力が乗った膝蹴り。単純計算でグレイズの二倍のパワーが篭ったそれは、いくら最新鋭の機体といえどダメージは避けられない。

 グレイズが空に浮いた。空中の無防備な胴体へ、頭部六〇mm機関砲の対MS徹甲炸裂焼夷(HEIAP)弾が突き刺さる。

 たたらを踏むグレイズ。いっそう大地を踏みしめるガンダムサタン。その手には今しがたグレイズが振るっていたバトルアックスを握っている。形勢は逆転した。

 

『当機はギャラルホルン所属、ASW-G-00 ガンダム・サタン。命令:速やかな戦闘行動の停止と武装解除』

 

 ガンダム・サタンが無機質に言った。

 

『こちら……ギャラルホルン火星支部所属、クランク・ゼント。それはできない。こちらからも聞こう。貴官はギャラルホルン所属と言ったな。所属部隊と階級は?』

『当機はギャラルホルン火星方面軍第一対MA師団第一MS大隊一番機、ガンダムサタン』

『ギャラルホルンにそのような部隊はない。そのような機体の記録もな。そんな嘘で私を騙せると思ったか?』

『否定。当機は真実を述べている』

 

 クランク機は腰部のライフルを抜いた。

 

『論理的会話は不可能と判断。無力化作業再開』

 

 サタンも斧を構えることで返す。

 

 両者の間に緊張が走る。先に動いたのは――サタン。

 ブースターを吹かし間合いを急激に詰めつつ、ほとんど手首のスナップだけで斧を投擲。対してクランク機は被弾に動じず、ライフルの銃口をサタンへ向ける。

 そして引き金を……引けなかった。サタンは向けられた砲身を手でつかみ、上へひねりあげたのだ。サタンは空いた右手でクランク機の胸部装甲をつかみ、背負い、放り投げた。

 クランク・ゼントは空を飛んだ。背中からの衝撃の後、モニターには一面の青空が映る。クランクには何が起きたのか全く理解できなかった。

 サタンは止まらない。大地へ倒れたクランク機の胴体を踏みつけ、胸部装甲を手で引き剥がす。そして無防備になったフレーム内部に手を突き入れ――

 

「なっ!?」『クランク二尉! おのれ!』

 

 機体からコックピットブロックを引きちぎると、機体の傍らへそっと転がした。

 

「殺さねぇのか?」

 

 オルガは困惑した。自分は確かに敵を殲滅しろと言った。もちろん中のパイロットも殺すつもりで、というか助命など一切考えずに。

 それが戦場では当たり前のことだ。オルガ自身それは経験してきた。

 

『オルガ・イツカ。この機体のパイロット、クランク・ゼント二尉は、この状況下で最も階級の高い士官である。提案:捕虜身分としての身柄拘束』

 

 不可解な行動にようやく納得したオルガ。と言ってものちに捕虜の扱いがわからず、捕虜本人に捕虜の扱い方を教えてもらう羽目になるのだが……それはまだ彼の知るところではない。

 アイン機はバルバトスの猛攻を受けて中破していた。あのまま行けば仕留められるだろう。が、アイン機はMW隊と共に撤退していった。

 

「そうか……そうだ、今はそれよりミカを助けに行かねぇと」

『ガンダムサタンから三日月・オーガスへ。状況はどうか』

『ん。今追いかけるとこ……あっ』

『三日月・オーガス、どうした?』「どしたミカ?」

『ガス切れた』

 

 タダのガス欠。思わず何か深刻なトラブルを予想したオルガはほっと息をついた。何しろ初めてのMS戦だ。何が起こってもおかしくない。

 ギャラルホルンの部隊は撤退した。壱軍の連中もじき帰ってくるだろう。勝手にMSを動かしたり、逃走車両に照明弾を撃たせたりとかなり好き勝手したので、殴られるのは確定だろうが。

 

『申請:敵残存兵力の追撃許可』

「あぁ、許可する」

『了解』

 

 それでも俺達は生きている。勝って、ここにいる。

 生き残った者達は、つかの間の平和と生の実感を噛み締めた。

 

 

 

 

 

 

ギャランホルン 火星支部 第三地上基地 MS格納庫

 

 

『何? 失敗しただと!?』

 

 モニター越しにヒステリックな叫び声が響く。コーラルが宇宙にいてよかった。アインはそう、改めて思った。生で会っていたら殴られていたかもしれない。

 

「指揮官であるオーリス・ステンジャ二尉とその隊員クランク・ゼント二尉が死亡。七割の兵とグレイズ二機を失い、やむをえず撤退した次第であります」

『ふざけるなっ!』

 

 とりあえず背筋を伸ばしてそれらしい格好をとっておく。コーラルの説教など聞きたくなかった。やたらと長い上に意味も薄い。その点、クランク二尉はよかった。簡潔でわかりやすい上、何より愛がある。

 

『ファリド特務三佐がこっちに着くのはいつだ?』

『はっ。二日後には』

『いいか! それまでになんとしてでもクーデリアを捕らえろ! そして戦闘の証拠は全て消せ! 相手ごと全て!』

「……了解であります」

 

 この人でなしめ。誰のせいでクランク二尉が殺されたと思っている。アインは心の中で毒づいた。

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 頭の芯をギリギリと握り締められているような痛みが残っている。目の前のモニターは何も映していない。リアクターの轟音もしない。火星の冷たい風が体を撫ぜる。

 

「あぁ……?」

 

 三日月・オーガスは自分が未だにコックピットにいることに気づいた。そうだ、確かサタンと一緒に逃げていく奴らを潰していって……そのあたりからだ。覚えていないのは。

 

「目ぇ覚めたか?」

 

 雪之丞の声が上から降ってくる。鼻の下を手で拭った。乾いた血の粉がぱらぱらと剥がれた。鼻の穴が片方、固まった鼻血で詰まっている。

 

「ぐ……」

「おおちょっと待て。おめぇが気ぃ失ってる状態じゃ、こいつとのリンクが切れなかったんだよ」

 

 雪之丞は阿頼耶識の情報伝達ケーブルを外していく。カチャカチャという金属音がやけに耳に刺さった。

 

「何人死んだの?」

「参番組は四二人。一軍は六八人だ。おめぇは……おめぇらは、よくやったよ」

 

 コックピットを出て辺りを見渡してみた。基地のそこらじゅうで働く兵士達がアリのようだった。夕方の火星は涼しくて、少し肌寒かった。

 ガンダムの下にはオルガの姿。いつもの姿がそこにあった。

 とん、と火星に足を着く。

 

「おつかれさん、ミカ」

「オルガもね」

「俺はなんもしてねぇよ。やったのはコイツだ」

 

 そう言ってオルガはバルバトスの隣の、トリコロールカラーだというのにいささか地味なシルエットのそれを顎でしゃくった。

 今初めて気づいたが、サタンの右背中には黒くて大きなアンテナロッドが生えていた。

 こんな頭頂高を越えるほどに大きなアンテナ、何に使うというのだろう。やはり指揮だろうか。いささかスペック過剰な気もする。

 

『否定。オルガ・イツカは敵MS無力化後も当機に搭乗し、ユージン・セブンスタークに替わり指揮を執り続けた。推奨:休息』

「いや、俺はまだ休めねぇ。ちょっと、な」

 

 すっかり打ち解けた二人(?)を尻目に、三日月は基地へ歩き出す。事後処理が山ほどある。休んでいる暇はない。

 見覚えのあるトラックが止まっていた。見覚えのあるクリーム色の頭も見えた。アトラ・ミクスタだ。

 

「あっ」

「あれ? アトラ。……ああ、配達か」

「う、うん。あの……三日月」

 

 アトラは不安げだった。戦闘があったのを聞いたのかもしれない。

 

「何?」

「あのね……平気?」

「うん。ありがとうアトラ。今ちょっと急いでるからあとでね」

 

 三日月は平気だとはあえて言わなかった。

 ろくに調整もされていないMSに無理やり乗ったのだ。その危険性は計り知れない。平気だなんて言っておいて万が一の事態が起きてはアトラに申し訳が立たない。

 それに、仲間が大勢死んだ。少し前までシノと仲良く話していたダンジもその四二人の戦死者の中に入っている。三日月は表にこそ出していないが、その心は誰よりも荒れ狂っていた。

 

「あっ……うん!」

 

 アトラは自らの軽率な言動を後悔した。

 

(バカだな、私。平気じゃないのわかってたのに……)

 

 去っていく三日月の背中が、アトラにはひどく遠くに見えた気がした。

 

 

 

 

第二話 ディアボルス・クス・マキナ

 

 

 

 

 戦闘のために持ち出した山積みの物資がいくつも放置された、CGSの一室。クーデリアはガラス張りのそこから、黒い袋に詰められていく少年兵の死体を見ていた。

 

(彼らは……私のせいで……)

「お嬢様」

 

 クーデリアは聞きなれたその声にはっと顔を上げた。

 

「あっ! フミタン? どこにいたの? 心配したの……あっ」

 

 力なく垂れた右腕を抑えているフミタン。しかしその表情はどこまでも平静そのもので。

 

「ああ、お気になさらず。かすり傷です。それより、申し訳ありませんでした。非常事態の場合はまず一番にノーマン様に連絡をと命じられておりましたので」

「……お父様はなんと?」

「大層心配していらっしゃいました。すぐに戻ってくるようにと」

「あっ……それはまだ……。今回の地球行きは秘密裏に行われるはずでした。ですがギャラルホルンの攻撃は間違いなく私を狙ってのもの。そしていつもは私の活動に反対しているお父様が今回に限って……考えたくはありませんが……」

 

 クーデリアの頭には最悪の想像が浮かんでいた。父は私をギャラルホルンに売ったのではないか。そんな想像が。

 

「お嬢様」

「わかっています。ただ私はそれを確かめてからではないとお父様のもとへは戻れません」

「わかりました。ですがここに残る意味も無いでしょう」

「それは……」

「まだいたんだ」

 

 その声は銃声のようによく響いた。三日月がそこにいた。

 

「……あ、三日月。あの……先ほどは守って頂き、ありがとうございました」

「そういうのはいいよ」

「あっ……でも、私のせいで大勢の方が」

「マジでやめて」

 

 三日月の鋼のように冷たい声がナイフのように突き刺さる。クーデリアは息が詰まるような心持ちがした。三日月は目を合わせもしない。

 

「たかがあんた一人のせいであいつらが死んだなんて。俺の仲間を、馬鹿にしないで」

 

 三日月は無数にあるうちのひとつの箱を抱えると、それ以上何も言わずに部屋を出ていった。クーデリアはここでも、二の句を継ぐことができなかった。

 

 

 

 

 

 

「てめえ!」

 

 薄汚れた狭い部屋の中に殴打の音が響く。ハエダの拳がオルガの顔に突き刺さる音だった。

 オルガの後ろには参番組代表のユージン、シノ、ビスケット、昭弘が控えている。

 

「ぐ……!」

「よくもコケにしてくれたな! 俺たちを使って……」

「一軍の皆さんが挟撃作戦に向かう途中不幸な事故で敵の攻撃を受けたことは聞きましたが、それが俺らと何の――」

 

 さらに重い殴打の音。倒れるオルガ。

 

「しゃあしゃあとうたいやがって! ああっ!? なんだ? その目は! 貴様らも殴られてぇか!」

 

 完全に堪忍袋の緒が切れたハエダが参番組へ怒鳴り散らす。参番組も、壱軍も、我慢の限界を超えつつある。

 

「俺、だけで……良いでしょう」

 

 鼻血を垂らしたオルガがハエダを睨みつけて言った。

 

「あぁ、そうかよ、じゃあ!」

 

 そうして始まったのは、ハエダを初めとした壱軍メンバー数名でのリンチ。殴る蹴るの一方的な暴力が奏でる音は、部屋の外、その廊下で話を盗み聞きしていた少年兵達にも聞こえるほどに凄惨なものだった。

 皆一様に拳を握り締め歯を食いしばり、今にも爆発しそうな自らの感情を必死に抑え込んでいた。

 

「けっ! 面白くもねぇ。あとで今回の損害調べて持ってこいよ!」

 

 呻き声のひとつもあげないオルガに折れたのか、ハエダ率いる壱軍達は捨て台詞を吐いて部屋から立ち去っていく。

 

「くっ……!」

 

 痣だらけの体を引きずるようにオルガが体を起こす。

 

「オルガ」

「くっそ! あいつら許せねぇ!!」

「ペッ! そうだな、許せねぇ。……ちょうど、良いのかもな」

 

 皆の怒りの声に、オルガはどこまでも冷徹な黄金色の眼差しで笑い、そう言った。

 

 場所は変わって、スクランブル発進用にMWが野ざらしに並べられた広場。

 

「俺たちがCGSを!?」

 

 ユージンはオルガの発言を聞き間違いだと信じたかった。

 

「前にお前も言ってたろうが、ユージン。ここを乗っ取るってよ」

「そりゃそうだが、この状況でか?参番組の仲間も何人も死んでる!」

「マルバも相当なクズだったが、壱軍のヤツらはそれ以下だ。あいつらは俺たちの命をまき餌ぐらいにしか思ってねぇ。それにあいつらの頭じゃすぐに商売に行き詰まる。そうなりゃますます危険なヤマに手を出す。俺たちは確実に殺されるぞ」

「かといって、ここを出ても他に仕事なんてないし」

 

 ビスケットが諦めたように語る現実がオルガの話をより補強する。

 

「選択肢はねぇってことか……」

「お前はどうする?昭弘」

 

 MWの上にしゃがみこんでいた昭弘に聞く。ヒューマンデブリたる彼は、至って興味がなさそうだった。

 

「俺らはヒューマンデブリだ。自分の意思とは無縁でここにいる。上が誰になろうと従う。それがあいつらであろうとお前らであろうとな」

「ふっ……んじゃ、そうと決まれば早速作戦会議だな」

「三日月は呼ばなくていいの?」

 

 やる気満々のユージンの言葉。ビスケットはおそらくここにいるオルガ以外の皆が思っているであろう疑問を口にした。

 

「おお、忘れてた」

 

 オルガの間の抜けた声にユージンら四人は呆れ返った。

 

「忘れてたって……」

「ミカがもし反対するなら、お前らには悪いが今回は中止だ」

「はあ?」

「オルガ?」

「まぁそれはないがな。俺が本気ならミカはそれに応えてくれる。確実にな」

 

 オルガはそう言うと、いつもの癖で右目を閉じた。

 

 そして場所はまた変わり、二機のガンダムが佇む基地の外れ。

 

「ミカ」

「ん? ははっ、色男になってんね」

『打撲痕を一三箇所確認。うち四箇所から内出血。推測:数名からの殴打もしくは蹴りによるもの。推奨:警察を初めとした法執行機関への通報』

 

 MWから太いホースをバルバトスへ繋いでいた三日月は、オルガの痣だらけの顔を見てそう揶揄した。サタンはこの組織の内情を知らないらしく、まぁ普通の反応だ。

 

「いや、警察なんかに言いつけてもなんも変わんねぇよ。俺達の言い分なんか聞きゃしねぇ。それに……」

『何か』

「慣れてっからよ、こんぐらい」

『オルガ・イツカ、貴官が民兵組織の非正規兵であることは他職員から説明を受けているため、理解している。しかし、現状況の静観は非推奨』

「ああ、わかってるさ。なんとかする……にしても、『貴官』なんて言われるとくすぐってぇな」

 

 サタンの無機質な音声は、オルガにはどこか温かく感じた。機械に感情なんてないのに。

 腐った大人の毒気にあてられてそう思ってしまったのかもしれない。オルガにとっては、自分達にまともなことを言って、まともに扱ってくれる存在はありがたかった。

 

「で、どうしたの? オルガ」

「実はな、やってもらいてぇことがある」

 

 オルガの真剣な口調に何かを感じ取ったらしい三日月は、ホースを繋ぐ手を止め、オルガの前へ立った。

 

「お前にしかできねぇ仕事……話聞く前に受け取るか?」

 

 オルガの持つ拳銃を見るなりすぐに受け取った三日月に、オルガは苦笑した。

 

『推奨:依頼内容の確認』

「これから聞くんだって」

 

 それはいつの間にか仲良くなっていた二人(?)への笑みでもあったのかもしれない。

 

「でもどっちにしろ、オルガが決めたことならやるよ、俺」

「そうやってお前は……」

「え?」

「いや、サンキューな」

「それで、仕事って?」

「あぁ。CGSを――乗っ取るぞ」

 

 そう言うと、オルガは凶暴な笑みを深くした。




次回
ALO


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第三話 HALO

『オルガ・イツカ。獲得した捕虜について提案が存在する』

 

 オルガは困惑した。目の前のボールの正体を暴かねばならぬと決意した。オルガには機械がわからぬ。オルガは、火星の兵士である。参番組をまとめ、敵と殺し合って暮して来た。それゆえ未知のものに対しては、人一倍に敏感であった。

 

「……なんだこれ」

「オルガ行くよ……なにこれ」

 

 三日月も困惑した。だが彼にとっては正直どうでもよかった。危なくなければ。それと、薬で眠った壱軍連中を叩き起こしに行くのを邪魔立てしなければ。

 

『当機は、ASW-G-00ガンダム・サタンと共通の人格データを有するパイロット総合支援ユニット『ハロ』』

 

 それは紛れもなくハロだった。バスケットボール大の黄緑色をした球体型のボディ。ピンクがかった紫色のつぶらな瞳。口のようにも見えるカーブを描いた継ぎ目。パタパタと可動する耳のような腕部収納ハッチ。

 これ以上ないほどにハロだった。惜しむらくは、喋り方が滑らかすぎて若干ハロらしくないという所か。

 

『ハロからオルガ・イツカへ、提案が存在する』

 

 オルガは一般常識に沿って考えることを放棄した。依頼主を天下のギャラルホルンが狙ってきたと思えば、喋るMSに乗ることになり、果ては喋るボールに話しかけられる。これでは今までの常識なんてクソの役にも立ちやしない。

 

「なんだ?」

『先の戦闘で獲得した捕虜の解放』

 

 それを聞いてオルガは眩しいものでも見たかのように目を細めた。昨日の戦闘のことだ。クランクと名乗る男をコックピットごとグレイズから引っこ抜いたまではよかった。襲撃の理由をうまいこと聞き出せるだろうと、オルガは楽観的に構えていた。

 

「あー……お前がひっくり返して回った奴らか」

『肯定。現在の施設では収容不可能』

 

 そう、MW隊の追撃に向かったサタンは、決してギャラルホルンの兵士を殺さなかった。

あろうことか、撤退中のMWをマニピュレーターで持ち上げて、()()()()()()()()()()()()()

 スピードスケーターのような低い姿勢でホバーしつつひょいひょいとMWをひっくり返して回る姿はまさしく変態。そしてサタンが通った後には、ひっくり返ったカブトムシのようにもぞもぞともがくMWの群れが。凄惨な戦場をそこそこ見てきたオルガでも、別ベクトルから正気度を削られる光景だった。

 

「まぁそうだな。聞くこた聞いたし明日には放すつもりだ。にしてもなんであんなことしたんだ?」

『当機の任務はMA(モビルアーマー)の殲滅及び人類の保護。殺人は当機の運用目的に反する』

「なるほど……。じゃ、俺らはもう行くからな」

 

 人類を守ることが任務とは言っても、MSは殺しの道具だろうに。オルガには、サタンはどこか矛盾した存在に見えた。しかしそれは、命をつなぐために命をなげうつ自分達と何が違うだろうか。いや、きっと同じだ。

 

『オルガ・イツカ。クランク・ゼント二尉への面会許可を申請する』

「ん? あぁ。いいけど何すんだ?」

 

 本来なら壱軍の許可がいるところだが、いいだろう。反乱はすでに九割は成功している。CGSのトップはすでに参番組隊長であるオルガと言っていい。

 

『事情聴取を行いたい』

「そうか、あのおっさんはそこの奥な。おいライド! 聞いてたな! 面会だ!」

 

 了解っす! という元気な声が聞こえる中、ハロは予想以上の快速で奥へ奥へと転がっていった。見張りのライドが当然のように受け入れた辺り、参番組の連中はハロの存在を知っているのだろう。なんだか、若干置いていかれた気分だった。

 

「行こう」

「おう」

 

 さて、仕事だ。ここからが肝要だ。オルガはクランクの部屋の先、さらに奥へ進む。たどり着いたのは、オルガを始めとした参番組やヒューマンデブリの仲間達が散々殴られたあの部屋。もっとも、立場は完全に逆転したわけだが。

 部屋の前には参番組の主要な面々が既に集まっていた。ユージン、シノ、そしてビスケット。オルガは彼らの視線に頷くことで返すと、その錆び付いた扉を開ける。

 

「おはようございます。薬入りの飯の味はいかがでしたか?」

 

 虐げられてきた者達の反逆と粛清劇が始まる。

 大人達の物語は終わり、彼らの物語が始まる。

 ここが、この瞬間が、彼らの爆心地([G]round zero)だ。

 

 

 

 

 

 

 クランク・ゼントは火星を知らない。クランクは純粋な地球人だった。若い頃はそこそこ鳴らしたものだったが、歳を取るにつれ肉体の衰えを感じ始め、やがて火星という辺境の地への異動を自ら志願した。

 知らぬがゆえに、火星の人々への偏見もない。ヒトはみな平等に人権を持つべきと信じている。クランクはいわば、平等主義者と言えるのかもしれない。いや、不平等と理不尽がまかり通る現実を肌で感じたことがないだけと言うべきか。

 

『クランク・ゼント二尉』

 

 一人を収容するには広い部屋の隅、そこへ無造作に敷かれた一枚のアルミブランケット。彼はそこへ座り込んでいた。

 

「……ボール?」

『当機は、ASW-G-00ガンダム・サタンと共通の人格データを有するパイロット総合支援ユニット『ハロ』』

 

 突如現れた謎のボールに警戒を強めるクランク。彼の心情などつゆ知らず、ハロは無機質に言葉を繋げる。

 

『貴官へ質問が存在する』

「私には守秘義務がある」

『現在は宇宙世紀何年にあたるか』

「……なんだと?」

 

 宇宙世紀などという言葉をクランクは知らない。厄祭戦後の人間が、人類史から抹消された忌まわしき時代(黒歴史)など知るはずもない。知っていていいはずがない。

 

『復唱:現在は宇宙世紀何年にあたるか』

「待て待て、そういう意味ではない。宇宙世紀とはなんなんだ?」

『宇宙世紀、Universal Century。人類が生活の場を宇宙へ拡大した際、西暦より改元された歴号。西暦二〇四五年、サイド1宙域への第一号コロニーの建造開始と同日、首相官邸ラプラスにて改元が宣言された』

 

 クランクは理解できなかった。厄祭戦が人類を絶滅寸前に追いやった。そしてギャラルホルンが世界の平和を維持し、四つの経済圏が世界を統治している。それが知っている歴史の全てだからだ。サイド1、首相官邸ラプラス……初めて聞く言葉だった。

 

「今はP.D.(ポスト・ディザスター)三二三年だ。宇宙世紀とやらで何年かまでは分からない」

『了解。次の質問へ移行する。貴官はガンダムサタンというMSを認知しているか』

「いや、知らん。そのようなガンダムフレームは存在しないはずだ。少なくとも私は知らない」

『了解。次の質問へ移行する。MA(モビルアーマー)は現在稼働しているか』

MA(モビルアーマー)……初めて聞く言葉だ。わからないな」

『了解。次の質問へ移行する……』

 

 そうしていくつもいくつも質問が繰り出されていった。

 質問はいづれも、ギャラルホルンの機密事項や今回の襲撃に触れるものではなかった。それどころか、誰でも知っているような事柄ばかり。貨幣は何を使っているのか、火星を統治しているのはどこなのか、現代のエネルギーはどうやって賄っているのか、人口はどのくらいか、などなど……なぜそんなことを聞くのか分からないようなものばかりだった。

 

『全ての質問が終了。虚偽:未検出。ご協力ありがとうございました』

 

 ご丁寧に礼まで述べるハロ。クランクに警戒心はもう残っていなかった。あるのはただひとつ。

 この人物は何者なのか、という疑問だけだった。厄祭戦以前の失われた六〇〇年間を知っているのに、現代のことは何一つ知らない。そのくせ、一介の民兵組織に属している。考えれば考えるほど正体がつかめない。少なくとも、生身の代わりにこんな妙なボールを使って話しかけてくるあたり相当な変人か用心深い人物だと思われるが。

 

 礼を言ったっきり背(顔?)を向け、そそくさと出ていこうとするハロ。

 

「ま、待ってくれ。質問をしてもいいだろうか」

『了解』

 

 ハロはクランクの言葉に驚くほど素直に踵を返した。普通の兵士なら、捕虜の質問など聞くはずもないというのに。

 

「兵士として戦っている子供を何人も見た……彼らは、なぜ戦っているんだ?」

『選択肢が存在しないためと推測される』

「……強制されている、ということか?」

『否定。職の選択肢は存在しない、という意味である。彼らは教育を受けておらず、識字能力を持たないことを確認。よって、PMCの戦闘員として就労するほか選択肢は存在しない』

 

 火星と地球の凄絶な格差。クランクとて教育を受けた身、知識としては知っていた。しかし現実とはかくも重いものか。かくも残酷なものか。

 

「……どうにかならないものだろうか。今からでも勉強を教えて……そう。例えばあなたのような大人が」

『拒否』

「なぜだ?」

『人命救助目的以外、当機が彼らに干渉する義務は存在しない』

「……あなたに人の心はないのか?」

『データベースに存在しないため、回答不能』

 

 なおも言い返そうとしたクランクは、いつの間にか自らが熱くなってしまっていることに気づき、口をつぐんだ。自分の善意が、全ての人間に受け入れられるはずがない。他人に押し付けていいはずもない。クランクは自らの言動を恥じた。

 

『最後に報告が存在する。当施設の少年兵らが、正規兵らへ武装蜂起した。それに伴い貴官らの身柄は明日、解放される』

「……そうか」

 

 解放。原隊へ復帰するのが普通だろう。しかし。

 正義を執行する者になりたくて、クランクはギャラルホルンへ入隊した。弱きを助け、強きを挫くために。

 それが実態はどうだろう。組織の腐敗に理念の形骸化。弱きを助けるどころか、弱いものから搾取を繰り返し、肥え太っていく上層部。

 搾取され、やせ細った火星から生まれるストリートチルドレン。彼らはこうして、少年兵として戦うことでしか生きられない。それ以外の生き方を知らないし、知っていたとしても学のなさ故に、できない。

 

『補足:当施設の通信端末よりギャラルホルン中央ネットワークへアクセスした結果、貴官はKIA(戦死)認定を受けていることが判明。報告終了』

 

 ハロはその言葉を最後に部屋から出ていった。

 戦死。それはつまり、自分から申し出でもしない限り、存在しない人間になったことを意味する。

 クランクは狭い視野の中で、ひとつの答えを出した。

 

 

 

第三話 ALO

 

 

 

 参番組が引き起こした反乱。それにより会計担当のデクスターや整備士の雪之丞など、ごく一部を除くことごとくの大人たちがCGSを去った。時刻は現在午前九時。幾分か静かになった基地に、ドアを荒々しく開ける音が響く。

 

「おいオルガッ! お前辞めてく壱軍に退職金くれてやったんだって!? なんで――」

 

 応接スペースの椅子へオルガが。そしてその隣にデクスターが。そして……その向かいのソファベンチにクランク・ゼントはいた。

 

「……は? え、ちょっギャラホ……えっ……?」

 

 敵のMSパイロットが、さも当然のようにそこにいる。怒り心頭と言った具合に飛び出してきたユージンは、その光景を理解出来ずに完全に固まった。

 

「では、あなたがここへの就職を志望した理由はなんですか?」

「はい! 私は以前、ギャラルホルン火星支部実働部隊として御社を襲撃した際、少年兵が戦闘に参加している光景を目にしました。彼らが社会へ復帰し、健康で文化的な生活を送ることができるよう、共に働きながら精一杯支援したいと思い、御社への就職を志望しました」

「具体的にはどのような支援をしていこうと考えていますか?」

「はい!私は――」

 

 面接中だった。これ以上ないくらい面接中だった。オルガが質問し、デクスターが面接内容を逐一タブレットに入力していく。

 正直言って意味がわからない。確かに今朝身柄は解放した。奴らは自由の身になった……はずなのだが、なぜクランクがここにトンボ帰りしてきたのかユージンには全く理解できない。いや、多分ユージン以外にも理解できない。

 そうやって固まっている間にも時間は過ぎていく。オルガの微妙にオラついた敬語と、ギャラルホルンの制服に身を包んだクランクのクソ真面目な回答が絶妙なシュールさを産んでいた。ツッコミ不在の恐怖がそこにあった。

 

「これで面接は以上です。待合室でお待ちください」

「はい。ありがとうございました。失礼します!」

 

 フリーズしている間に面接が終わった。クランクは椅子から立ち上がると一礼し、ドアの前でも一礼。そしてドアの敷居をまたいだ後にも一礼と、完璧な作法で退出していった。ユージンは行き場をなくしてただ一人、ドアのすぐ右に張り付いていた。完全に空気に置いていかれていた。

 

「ふー、やっぱ慣れねぇや……で、なんだって? ユージン」

「いやなんだってじゃねぇよ! 退職金……じゃねぇ、今のおっさんギャラルホルンだろ!?」

 

 ユージンの極めて常識的かつ正当な抗議。オルガはさてどう言ったらいいものかと、社長室の派手な壁に視線をさまよわせた。

 

「いや、もうギャラルホルンじゃねぇって話だ。死んだことになってんだと」

「おいおい信じんのかよ? スパイの可能性だって――」

「その心配はねぇ。ハロ、どうだ?」

「あるじゃねぇか……ハロ? うぉっ!?」

 

 突如テーブルの下からコロコロと這い出てくるは、昨日からここにいる謎のボール。黄緑色の珍妙なそれは、パタパタと無意味に腕部収納ハッチを開閉させながら、

 

『声紋分析完了。虚偽:未検出』

 

 その見た目に反して、渋い大人の男を思わせるバリトンボイスで喋ってみせた。死ぬほどミスマッチだった。

 

「そういうわけだ」

「そういうわけって……そもそもこいつが嘘ついてたらどーすんだよ。てかこれなんなんだよ」

『当機が虚偽を発言することは禁止されている。補足:当機は、ASW-G-00ガンダムサタンと共通の人格データを有するパイロット総合支援ユニット『ハロ』』

「……」

 

 ユージンは黙りこくった。そして己の目頭をそっと抑えた。

 

「どっからツッコみゃいいんだこれ」

 

 オルガにもその気持ちは痛いほどよく分かった。オルガは心の中で同情した。負けるなユージン。激流に身を任せ同化するのだ。

 

「……で、なんで壱軍に退職金なんか払ったんだよ?」

 

 ユージンは、ひとまずハロの事は置いておくことにした。気になる事も言いたい事も山ほどあるが、とりあえず今は一旦、我慢する。

 

「あいつらがここを辞めてどんな動きをするかは分からねぇ。信用に傷を付けられねぇようにな。俺たちがやるのはまっとうな仕事だからよ」

「口止め料って訳か?」

「そうとも言うな」

 

 確かにユージンには思慮が浅い部分はあるかもしれない。しかし、その地頭は決して悪いわけではない。それどころか、頭は非常に切れるほうと言っていいだろう。オルガの言葉に隠された意味をすぐに読み取る程には。

 

「あのおっさん雇うのか?」

「それは今から決めるとこだ。俺の一存で決める訳にはいかねぇからな。ビスケットとシノが」

 

 オルガがそう言ってドアに視線をやると――

 

「終わったって? “社長”さん」

「ユージンもう来てたんだ」

「シノ、社長はやめろ社長は。ケツが痒くなる」

「ヘヘッ」

 

 まるで示し合わせたかのように二人は現れた。

 

「よ!」

 

 そしてトドまで。そういえばこいつは残っていたっけと、参番組の四人は今になって思い出した。正直うさんくさいので、何かやらかす前にさっさとクビにしたいが、そういうわけにもいかないのが難しい。

 

「何でお前が」

「おいおいヒドいなぁ社長さん、仲間じゃねぇか。新入社員雇うんだろ? だったら人事部長の俺の意見も聞いといた方がいいと思うぜ?」

 

 全く嬉しくないウインクまでくれながらトドはそうのたまった。

 

「じゃ、人事部長殿はどうお考えで?」

 

 オルガがそう返す僅かな間に、デクスターはタブレットから全員の携帯端末へデータを送信。ハロを除いたこの場の全員へクランクの情報を共有した。言葉数が少ないせいで影こそ薄いが、やはりできる男である。

 そして端末に表示された情報に素早く目を通したトドは、いつもの昼行灯っぷりが嘘のように落ち着いた口調でこう言った。

 

「MSの操縦も整備の仕方もある程度知ってるようだし……ほー、植物学専攻ねぇ。ここじゃ植物学は関係ねぇが、腐っても大卒だ、学もある。教官にしてもいいし整備士にしてもいいし事務だの会計だのをやらせてもいい。ギャラルホルンであの歳まで現役張ってたってこた、それだけ勤務態度も良けりゃ実力もあるってことだ。まぁ俺達みたいなゴロツキ集団に馴染むかとか諸々は別として、人材としちゃ花丸くれてやっていいぐらいだ。十分雇っていいだろうな」

 

 オルガら参番組は密かに驚愕していた。今までトドといえば、ハエダだのササイだのにくっついて一緒にわめくだけの金魚の糞という印象程度しか抱いていなかったが……存外、やる時はやる男らしい。

 

「なんだよ? ちょっと真面目に仕事しただけだろ? なんでそんな顔すんだよ?」

「いや」「別に」「え?」「い、いえ」

 

 参番組全員が綺麗に目を逸らした。

 

「あ、ハーイ」

「……おぉ。なんだシノ?」

 

「あのクランクっておっさん、昨日俺達を襲った奴なんだろ? いいのか?」

「……そうだな。確かにあいつは元ギャラルホルンだ。仲間を殺した奴らと同じだ」

「だったら――」

「それでもだ。うちにMSをイジれる奴はいねぇ。バルバトスもグレイズも素人整備でいつまで保つかわからねぇんだ。少しでもできる奴がいるんなら、この際構わねぇさ」

 

 しばしの沈黙。ややあって、ビスケットが口を開いた。

 

「僕はそれがいいと思う。MSの知識がある人は絶対に必要になるだろうしね。ギャラルホルンに睨まれた以上、MS戦は間違いなく起こる。多少のいざこざを我慢してでも雇わない手はないと思うよ」

 

 賛成へ一票。

 

「俺も賛成だ。年少組は騒ぐだろうが……今は少しでも地面を固めておかねぇと、事を起こす前に中から崩れちまう」

 

 ユージンも、デメリットを承知でクランクの雇用に賛成した。これでトドを入れれば賛成は三票。続いてシノ。

 

「俺は……んー、やっぱりヤダな。お互い様ってのはまぁ分かるけど、そんな簡単に割り切れねぇよ。ゴタゴタ承知で今無理に雇わなくてもいいんじゃねぇかな。だって、MSの整備が出来るやつくらい探せば他にもいるだろ?」

「すごい……シノがちゃんと考えてる……」

「ビスケットお前ひでぇなおい!」

 

 珍しい反対意見が出た。いい事である。賛成が三、反対が一。

 

「デクスターはどう思う?」

「私ですか? そうですね……今すぐ決める必要はないと思っています。三ヶ月ほど試用期間を設けて、それから改めて正式に採用するかどうか決めては?」

「クビにするにしろ、三ヶ月もあれば最低限必要な知識と技術は身につく、か」

 

 賛成派、反対派双方の意見を取り入れた折衷案。美味しいところだけを吸い取ることも出来る。先延ばしといえばそれまでだが、それは現実的でもあった。

 

「まぁその辺が妥当か」

 

 オルガはそう結論付けた。

 はっきり言って、今のCGSに人材を選り好みしている余裕はない。使える物は使う、程度の消極的な採用だ。

 

「お前らはそれでいいか?」

「まぁ三ヶ月だけってなら」「ああ」「うん」

「じゃ、決まりだ」

 

 かくして、クランク・ゼントはCGSへ与することとなった。それがどのような結果をもたらすのか、今は誰にもわからない。

 

 そして会議が円満に終わりかけたその時、

 

「そうそう、もうひとつお話があるんですが」

「なんだ?」

「お金がないです。具体的に言うと、このままではあと五ヶ月で会社は倒産します」

 

 特大の時限爆弾が投下された。

 

「んで、俺達はギャラルホルンをメタクソにやっちまった。ここはもう狙われちまってる」

 

 そしてトドが駄目押しの一言を放つ。反乱は成功こそしたものの、問題はなおも山積みである。このままでは真っ当な仕事をするどころかストリートチルドレンに逆戻りすることは想像に難くない。

 

「そこでだ! 俺にひとつ考えがある」

 

 トドはいつも通りニヤリと笑った。ああ、汚いことを考えている顔だ。

 

「いいか? ここを襲ってきたのは積み荷であるクーデリアがいるから。そうだろ社長?」

「まぁな」

「そこでだ。まずこっちからギャラルホルンに呼びかけて、金と引き換えにお嬢さんを引き渡す。俺達がやらかしたことはぜーんぶマルバのせいにしちまえば、俺達は綺麗な身分のまま、カネだけがどっさり残る。で、あとはそのカネを元手にやってきゃいいって寸法よ」

 

 トドの言い分は、会社を存続させるという意味では正しいといえた。無駄なリスクを犯さず、最小の犠牲で最大の利益を得る。大人の賢いやり口というやつである。取引相手がギャラルホルンであるということを除けば、の話だが。

 

「そう上手く行くと思うか? 俺達は余計なことを知りすぎちまった。俺がギャラルホルンだったら、自分の弱味を握ってる奴らに金なんか払わねぇぞ。それこそ取引に応じるフリして殺す。死人に口なしってな?」

「そうならないようにするためのMSだろ?」

「真っ向から潰しに来るとも限らねぇだろ、奴らだって馬鹿じゃねぇ。それこそこの辺りの会社なんかに圧力かけて俺らを干からびさせれば、倒産してバラバラになったところを一人一人狙い撃ちだ」

 

 オルガはクーデリアを渡すつもりなど毛頭ない。捕虜によれば、今回の襲撃にはギャラルホルンの利権と政治が深く関わっているらしい。

 状況が状況だ。クーデリアを渡したが最後、口封じに殺される。オルガにはその確信があった。

 

「じゃどうしろってんだよ社長さんよ?」

「クーデリアの護衛任務を続ける」

「おいおいマジで言ってんのかよ!」

 

 トドからしたら大問題だ。せっかくガキだらけの会社に取り入って上手いこと甘い汁を吸ってやろうと画策していたというのに、これでは自分も死んでしまう。トドは保身のために必死に頭を働かせる。

 

「お嬢さんのバックにゃノブリス・ゴルドンが付いてるって話だ。報酬はキッチリ出るし、何よりそれ以外の道はねぇ。MS同士の殺り合いならまだやりようもあるしな」

「ノブリス・ゴルドンが……だったら資金的にはひと息つけるね」

「やるしかねぇ、か……」

「ああ、新生CGSの初仕事だ。気ぃ引き締めて行くぞ」

 

 利権と思惑が渦巻く嵐の中へ、彼らは巻き込まれてしまった。もはや戻ることは叶わない。

 孤児たちよ、前へ進め。命の華が散る前に。

 

 

 




次回
このい地で

2021/05/21 一部描写を修正


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第四話 この赤い地で:上

 そのMSは異常だった。

 避弾経始を意識した結果なのか、極端に直線の少ない生物的なフォルム。

 わずかに露出したMSらしからぬ球体関節に、格闘家のように太い四肢。

 そして背面には展開した形態を真横から見れば、そう……アルファベットのVを九〇度傾けたかのような形状になると予想される用途不明の機構。

 それはまるで翼のように左右に配されており、折り畳まれた状態を横から見るとM字型に見えた。宙間戦闘用のAMBAC作動肢か何かだろうか? 

 しかしもし機構を展開しようものなら、右腰部装甲モジュール――そう、普通ならフレームが露出する腰である。驚くことにこの機体は関節部以外にフレームの露出が一切ない――のハードポイントから伸びる巨大なアンテナロッドと間違いなく干渉するだろう。はっきり言って不可解な設計だった。

 そして何より大きい。動力室へ納まっていた頃はそこまで巨大さを感じなかったが、バルバトスやグレイズと比べると、それこそ年の離れた兄弟のような体格差である。

 極めつけに喋る。勝手に。

 

「どうだ? おやっさん」

「どうって……データがねぇ。データがねぇからなんも出来ねぇ。なんなんだコレ」

『ASW-G-00 ガンダム・サタン』

「んなこた分かってるよ!」

 

 雪之丞はこの謎の機体にすっかり参っていた。多少データのあるバルバトスや造りのシンプルなグレイズならまだ悪あがきもできるかもしれないが、何もわからないとあってはどうしようもない。

 

「つっても動力代わりにしてたんだろ?」

「手動で胸の装甲ずらしてソケットにケーブル刺しただけだぞ? あとマルバの奴が売りてぇって言うから、ガラガラの中身に外注の複座コックピット突っ込んだくらいだ。まー、結局何やっても動かなかったけどな」

「手動?」

「クランク刺してグルグルっと」

「径合ったのか?」

「そらヘッド自作よ」

「すげー」

「あとこいつ手デカくて銃持てねぇ」

「マジかよ?」

「マジだよ」

 

 事態はかなり深刻だった。なぜ動かないのか分からないのではなく、なぜ動いているか分からないのだから。コンディションが全く分からないというのは、整備士からすれば一番怖いことだった。

 

「スラスターもそのタンクもどこにあるかわかんねぇし、どうしようもねーな」

『現在スラスターノズルは格納済み。よって、目視確認は不可能。補足:当機に熱相転移スラスターは搭載されていない。よって、非常用RCSを除いて推進剤の補給は不要である』

「は? おいおい滅多なこと言うな、エイハブ・スラスターの推力でできることなんざ姿勢制御が精々だ。推進力がまるで足りねぇだろ」

『否定。当機はエイハブ・スラスターのみで戦闘機動に必要十分な推進力を有している。補足:当機が虚偽を発言することは禁止されている』

「んなMS聞いた事ねぇ……」

 

 雪之丞はため息をついた。

 厄祭戦末期の技術力は一体どうなっていたのやら。人類も滅びかけたのも分かる気がした。

 そもそも、エイハブ・スラスターはエイハブ・リアクターから発生する一部の素粒子を噴射して推進力を得るものだ。

 発生する素粒子の量は空間相転移反応の大きさ、つまりリアクター出力に比例する。だが基地の電力全てを賄って余りあるバルバトスのツインリアクターシステムをもってしても、放出される素粒子など微々たるものだ。

 バルバトスの現在の重量は三〇tを切っている。その程度の軽量級MSにリアクター二基の大出力が加わっても、やはり姿勢制御が限界なのだ。

 かたや、やたら大きいとはいえまだ標準的なプロポーションの持ち主といえるサタンの重量はなんと約六四t。バルバトス二機分以上の大質量をエイハブ・スラスターだけで動かせると言っているのだ。

 それが本当ならどれだけの膂力をその身に宿しているのか。

 

「まぁあんだけ強かったんだ。こいつがいればギャラルホルン相手にも多少はやれるかもな」

 

 オルガの何気ない一言。返答は沈黙。

 どこからともなく転がってきたハロがサタンの手の平へ飛びついた。ハロは磁石のように数秒張り付き、やがて落ち、またどこかへ転がっていく。

 そしてサタンは、

 

『認識の齟齬が存在する』

 

 平坦な男の声でそう言った。

 いつもの調子だった。

 

『当機は貴官らの組織へ所属しない。当機の所属はカイエル財団及びギャラルホルンであり、民間人による運用は許可されない』

 

 これもまた、いつものように。

 当たり前のように。

 

「でも俺をパイロットって――」

『肯定。貴官は当機の臨時操縦士である。しかしそれは、当機が貴官らの組織へ所属し、運用される事由にはなりえない』

 

 それは宇宙に投げ出される感覚に似ていた。足のつかない無重量状態。スラスターを持たないヒトには何もできない。

 唾を飲み下す。

 

「じゃあ何であん時はお仲間に喧嘩売ってまで俺らを助けたんだ?」

『カイエル財団の指示が無い現状、オーダー001に基づき停戦命令を行うべきと判断。その後、命令無視により例外的措置として無力化作業を実行。補足:当機はギャラルホルン所属機である以前に、カイエル財団の所有物である。責任は全てカイエル財団に帰属する』

 

 血が熱くなっていた。熱い血は鼓動に乗り体をめぐり脳に達し、噴流は理性の装甲にぶち当たった。言葉が見つからなかった。熱を吐き出す方法がわからなかった。

 サタンをきっと睨むも、深緑のツインアイ型マルチセンサーアレイに光はない。

 

「……騙したのか?」

 

 かろうじて絞り出された声は毒に濡れていた。

 

『否定。当機が虚偽を発言することは禁止されている』

 

「おやっさん」

「おう」

「こいつは、売る。宇宙に上げる」

「……おう」

 

 何もかもが遠すぎた。何もかもがわからなかった。

 機械とヒトは相容れない。

 

 風化したコンクリートは軟質ゴムのソールに踏まれるたびコツとだけつぶやいた。次に踏まれた小汚いリノリウムの廊下はぎゅむとだけこぼした。サタンみたいには喋らなかった。

 

「遅せぇぞオルガ。お前待ちだ」

「悪ぃ」

 

 サタンの裏切りなど、あの怒りなど最初からなかったかのような態度でオルガは社長室へ入った。

 ビスケットとユージンとトドと、クーデリアとフミタン。全員いる。

 

「それじゃあ、今回の航路を改めて説明します」

 

 ビスケットが手元の端末を操作すると、それに呼応して壁に埋め込まれた大きなモニターが簡単な宙間地図を映す。

 

「まず低軌道ステーションまで上がり、案内役の船を待ちます。その後、静止軌道上でうちの船に乗り換え地球に向かいます」

「案内役というのは?」

 

 クーデリアの質問。

 

「通常地球への航路はすべてギャラルホルンの管理下にあります。けど今回の積荷はそのギャラルホルンに狙われているクーデリアさんなので……それらすべてにひっかからない、いわゆる裏ルートを行く必要があるんですが……航路は複雑で、俺たちも地球への旅は初めてです」

「その上この裏ルートには、民間業者間の縄張りってもんもある」

 

 オルガがそう付け足すと、何が面白かったのかトドの片頬に笑みが浮かび、

 

「案内役なら安心と実績のオルクス商会が一番だ。会長のオルクスさんとは昔馴染みだからな。俺はいつでも連絡取れるぜ?」

 

 絶妙にイラつく得意げな顔。

 一拍置いてユージンのため息。

 

「なあ……こんなヤツ本当に信用すんのか?」

「あっひっでぇなキミ! 仲間だろ仲間!」

「ケッ!」

 

 自分を売り込もうとすればするほど――本当に売り込もうとしているのかは定かではないが――トドはどつぼにはまり込んでいくようだった。

 残念だけど当然。

 

「なぁに、下手打ちゃどうなるか嫌ってほどわかってるさ。なあトド?」

「う、おっしゃる通りで新社長さん」

 

 首筋に突きつけられたオルガの恐喝にトドはひきつり気味の笑顔と揉み手で答える。このうさんくささと小物っぽさはもはや鉄板芸というか、トドの根っこの部分なのかもしれない。

 

「船はあるのですね?」

 

 フミタンの涼しい声がぬるくなりはじめた空気を再び引き締めて。

 

「はい。方舟にウィル・オー・ザ・ウィスプがあります」

「方舟……確か民間の共同宇宙港でしたね」

「はい。でもこの船を使うには、正式に我々の物にする必要があるんです」

「そっちの方は昭弘とデクスターに任せてある」

 

 ビスケットはオルガの補足にこくりと頷き、

 

MW(モビルワーカー)MS(モビルスーツ)の整備は、三日月と雪之丞さんたちが始めています。正式な出発日時は、そのオルクスとの交渉次第ですが……そうのんびりとはしてられないでしょうね」

 

 MS、と聞いてオルガの中で再び熱が生まれかける。しかしそれは先程の新鮮な怒りと違ってどこか苦く。

 

「そのMSなんだけどな」

「なに?」

「一機使えなくなった。サタンだ」

「マシントラブル?」

「いや、自分の所属はギャラルホルンだから俺たちに使われるつもりはねぇって言ってた」

 

 彼らの反応は二つに分かれた。

 まず、サタンの()()を知っていたもの。ビスケットとユージンがこれにあたる。二人は事の重大さを正しく理解し、表情を強ばらせた。

 そして、それを知らないもの。トドとクーデリアとフミタンがこちら側だった。彼らは常識にのっとり、オルガがおかしいのだと判断した。

 

 やはりこらえきれなくなったトドが腹を抱えて笑い出す。よっぽど面白かったのかたっぷり三〇秒は笑い続け、やがて息が追いつかなくなって派手な咳を三度鳴らして、そこでやっとオルガの殺人的な視線に気がついて黙り込んだ。

 

「あー社長さん、つまりどういう事で?」

「そのままの意味だ」

『肯定。ガンダムサタンの所属はカイエル財団及びギャラルホルンであり、民間人による運用は許可されない』

 

 男の低い声。それは椅子に座るトドの足元から聞こえて。

 

「うぉうっ!?」

 

 トドは脊髄反射的にソファから立ち上がり、声の主を蹴っ飛ばした。ボール型のそれは重い音を立てて一直線に壁面モニターに激突し、跳ね返り、テーブルへ着弾。急制動をかけてそこへ居座った。

 

 沈黙。

 妙な間が置かれてからオルガの咳払い。

 

「……説明がいるよな?」

 

 オルガの問いに誰もが頷く。

 

「……まずこいつは『当機は、ASW-G-00ガンダム・サタンと共通の人格データを有するパイロット総合支援ユニット『ハロ』』

「……で、こいつの『ASW-G-00ガンダムサタンは、パイロット:アグニカ・カイエルの自我データを基幹プログラムに使用した、自己学習・自己進化型AI/Cを搭載する試作型MSである。ガンダムサタンはギャラルホルン火星方面軍第一対MA師団第一MS大隊、及びカイエル財団技術開発部に所属する。よって、民間人による運用は許可されない』

 

 セリフを食い尽くされたオルガは黙るほかなく。

 フミタン・アドモスは眉一つ動かさず質問を飛ばす。

 

「ギャラルホルン所属とおっしゃるのでしたら、なぜここに?」

『現在位置より南方、アキダリア平原北方砂漠地帯における戦闘により機能停止。その後ASW-G-08ガンダム・バルバトスと共に民間軍事会社:CGSによりサルベージされたと推測される』

「機能を停止したのはどのくらい前ですか」

『三三八年三時間十四分六秒前と推測』

「推測の根拠は」

『制御中枢ユニット及び機体の活動停止時刻と現在時刻の比較』

「何との戦闘ですか」

『当該データは機密レベル:A+に指定されており、セキュリティクリアランスを持たない者への回答は不可能』

「どうすればそのデータを閲覧できますか」

『同等のセキュリティクリアランスを所持したカイエル財団職員による閲覧許可』

「分かりました。ではカイエル財団とは何ですか」

『カイエル財団、Kaieru foundation。U.C.0233年に設立された、あらゆる科学技術の保護、継承、研究を目的とする公益財団法人』

「では私たちに不利益をもたらす意思はありますか」

『否定。当機に義務及び事由なし。しかしガンダム・サタンが現在、民間軍事会社:CGSの私有地の一部を意図せず占有していることは事実である。補足:ガンダム・サタンは自己裁量による発言及びそれに伴う最低限のセンサー稼働、命令遂行のためのデータ通信を、ハロは自己裁量による完全自律行動を許可されており、それが意図せず貴官らの不利益となる可能性が存在する』

 

 ハロがそこまで答えたところで、フミタンはオルガを向いてこう言う。

 

「今のところ()()の発言と行動に矛盾はありません。問題はないでしょう」

「そ、そうか」

「ですが、将来的に我々に害が及ぶ可能性はあります。これの行動目的を明らかにすべきかと」

「……分かった」

 

 「分かった」その四文字にオルガは大変な労力を必要とした。恐ろしく気が滅入った。サタンなぞ「産業廃棄物」とでもスプレーしてさっさとデブリ帯に捨てるべきだ。きっとそれがいい。

 

 革命の乙女(クーデリア)に、元ギャラルホルン(クランク)に、喋るMS(サタン)。爆弾を三つも抱えたCGSの前途を想像し、オルガは頭を抱えたくなった。

 待て、クーデリア以外は全部サタン由来ではないか。そしてサタンを掘り起こしたのは前社長のマルバであるし、クーデリアの依頼を受けたのもマルバである。なんだ、全部マルバのせいじゃねぇか。

 

 サタンを掘り出したマルバの野郎はいつか絶対に殴ろう。オルガはささやかな決意を固め、少しだけ溜飲を下した。

 

 

 

第四話 このい地で:上

 

 

 

「さすがに部下達も皆死にそうな顔をしていたぞ」

 

 ガエリオのハスキーな声には暖色を感じた。マクギリスは頭の隅に湧いたそれを、悲しいほどに慣れた手つきで葬った。

 

「そうか」

 

 そして端末から目を離す。

 監査役に当てられたオフィス。二人のいる執務室は階級を体現するかのようにドアで区切られ、その壁は総ガラス張り。一段低い場所でデスクワークに勤しむ部下達の頭を見下ろせた。居眠りはすぐにバレるな、なんてガエリオは思った。

 

「お前のペースで働かされては体が持たないだろうな。優秀すぎる上官を持つと苦労するというやつだ」

「気をつけよう」

「ふっ。時間稼ぎのつもりだったんだろうが、コーラルのヤツ驚くだろうな」

 

 ガエリオはいたずらが成功した子供のように笑う。黙っていたら色男だったし、笑っていても色男だった。彼には人の心を暖める体温があった。

 そして紅茶を一口。香り、微妙。味、そこそこ。

 官給品にしては上々。潤った喉でまた喋る。

 

「クーデリア・藍那・バーンスタインの殺害、か。密告のおかげで手間が省けたな」

「まだ明確な証拠はない。彼の証言が本当だったとしても、それだけではシラを切られるだけさ」

「限りなく黒に近いグレーは白になる?」

「ああ。いつもの事だ」

「面倒だな」

「面倒だ」

 

 ガラス張りの壁から下界をちらり。

 ここへの階段を赤い制服の男が上っていた。

 

「朝からご苦労だな、ファリド特務三佐。ボードウィン特務三佐」

 

 噂をすればなんとやら。マクギリスはひんやりした視線をコーラルへ飛ばした。

 

「おはようございます、コーラル本部長」

「作業の方はどうかね? いやぁすまんね、こちらの不手際でデータの整理がまるで間に合わず。あれでは目を通すのも一苦労だろう」

 

 コーラルはさもマクギリスを労わるように言ってみせる。

 ガエリオはきゅっと口を結んだ。あまりにあからさまで笑ってしまいそうになったから。

 マクギリスはふっと笑った。コーラルの罪状はもう分かりきっていたから。

 

「いえ、お預かりしていた資料の精査はほぼ終了しました。監査の結果ももうじきご報告出来るでしょう」

 

 マクギリスのその言葉にコーラルは目に見えて動揺した。本人は隠せているつもりらしいが、社交界を知るボードウィン家のガエリオや、同じくセブンスターズの一角を成すファリド家のマクギリスからすれば見抜くのは容易い。子供が自らの悪行を必死に隠そうとするかのような微笑ましさすら感じる。

 顔は完全にステレオタイプな悪人面だけど。

 どう贔屓目に見ても刈り上げ頭の中年だけど。

 

「それはよかった。ところで……何か不便はないかな?」

「不便?」

 

 その言葉だけで、二人はこの四六歳児が何をするつもりなのか簡単に想像できてしまった。この男、監査役に堂々と賄賂の相談ときた。

 

「滞在中入り用な物があれば、まあ些少だが何かの足しにでも……」

「それを出せばあなたを拘束しなければならなくなります」

 

 マクギリスは語気を強めて言った。妙に耳へ届く声だった。

 

「ご自重ください。コーラル・コンラッド本部長」

 

 とどめを刺されたコーラルは、その瞬間演技が完全に吹き飛んだ。退路を完全に閉ざされた彼は、それはそれは猛烈な勢いで思考を巡らせ、なんとかして笑顔の偽装を再び貼り付けて、

 

「あ、ああ……では執務があるのでな、これで失礼する」

 

 現場から逃走した。

 

 いなくなった後で、「意地が悪い」とだけガエリオがこぼした。マクギリスの紅茶は冷めきっていた。一口も飲まれていなかった。

 

 

 

§

 

 

 

「三〇mm砲弾、搬入終わりました」

 

 格納庫の喧騒に滑り込む男の声。それを聞いて雪之丞は整備の手を止めた。

 TK-53型MW(モビルワーカー)の宙間戦闘装備への換装はそれこそ目を瞑っていてもできるが、人との会話はそうもいかない。整備はやり直しも中断もきくが、会話は一回きりなのだから。

 

「おう、お疲れさん。後はクーラントだけ頼むぜ。そしたら次はバルバトスだ」

「はい」

 

 声の主――かつてクランク・ゼントと呼ばれていた男は、MSパイロットだった彼は、今や少年兵に混ざって物資運搬に従事している。仲間の仇たるギャラルホルン隊員の採用は、当初の想定に反して目立った反発はなかった。

 そう、目立った反発は。

 雪之丞の視線の先、冷却水の入った白いポリタンクをえっちらおっちら運んでくるクランクのすぐ後ろには数名の少年がいた。

 彼らはオリーブ色の弾薬箱を抱えてこちらへ来る。確か雪之丞の整備する機体より三つ手前、七番機の担当だった。

 そしてやはり七番機の傍らに弾薬箱を置こうと体の向きが変わり――箱の角がクランクの背に当たった。

 仕事を始めて数時間、クランクがこの手の小さな事故に遭うのはこれで一三回目である。偶然の類ではあるまい。

 参番組の人間は総じて仲間意識が強い。激痛の伴う阿頼耶識の手術に耐え、無意味に殴られ、戦闘になれば弾除けとして死地に突き落とされ、それでも共に生き残ってきたのだ。何人、何十人、何百人と仲間を失って、これ以上失うまいと必死になる。死んだ戦友の血で彼らは固着する。

 そこに突然入り込んできた異物がクランクだ。仲間を殺したギャラルホルンの隊員。たとえクランク本人が殺していなくとも、彼がギャラルホルンに所属していた事実が、年少組にそうさせる。オルガ・イツカが許しても、彼らは許さない。

 今はまだ可愛いものだ。しかし、こういうものは得てしてエスカレートする。しっかり見ておかねばなるまい。

 おっと、スラスターのメッシュホースが傷んでいる。これはもう欠品していたが、確か後期型のホースを流用できたような……。

 

「おやっさん」

 

 今度は左から若い声がする。

 

「三日月か。早ぇな」

「もう十一時だよ」

「ありゃ、もうか」

 

 バルバトスの整備予定時刻をいつの間にかオーバーしていた。クーラントの充填は後回しか。クランクはどこだと首を逆にひねってみれば、今まさにポリタンクを地面に置いた彼がいる。

 

「ひとまずコイツは一旦終わりだ。バルバトスに行こうや」

「はい」

 

 工具箱をつかんで外へ。

 

「さて、コイツは」

 

 MWと違って腕も脚もある。

 ナノラミネートアーマーは火砲の一切を受け付けず、動力源だって排気量二〇〇〇ccの水素ロータリーエンジンなどといったオモチャのような代物ではない。空間相転移を利用した準永久機関、エイハブリアクターだ。

 

「よし三日月、頼む」

「うん」

 

 わざわざ倉庫から引っ張ってきた昇降機に三日月を載せ、コックピットへ送り込む。

 乗り込む間にざっと外観を見てみたが、グレイズとはかなり毛色が違う。困難な道のりが嫌でも想像できてしまう。

 

「そういや肩の装甲ねぇんだったな……」

「MSには今も昔もユニバーサル規格が使われています。グレイズの装甲モジュールを流用できるかもしれません」

「ユニバーサルって……MWと同じなのかこいつら」

「もとよりMSもMWもギャラルホルンが開発した兵器ですから」

「なるほどな。そっちの方が都合がいいわけだ」

 

 バルバトスから駆動音が響きだす。小さく低い、ジェットエンジンの排気音にも似たそれは、リアクターが機体の最低稼働出力でアイドル状態を維持していることを証明する。

 

「コンソールの右下んとこにメンテナンスモードってとこあんだろ? そこ押してくれ!」

『メ……どこ?』

「いっちゃん右下の端っこだ! 三角んとこ!」

『あぁ、あった。またなんか出てきた』

「今度は下だ!」

『わかった』

 

 機体各所のメンテナンスハッチが次々に開く。各所の装甲が展開し、フレームを露出させながら、三〇〇年物の砂を滝のように流す。トリコロールが美しい機体はたちまち酸化鉄の赤茶色に汚染された。もうもうと立ちこめる砂煙。

 これはひどい。砂なぞ戦闘で落ちただろうと高をくくっていたが、やはり複雑怪奇な人型機動兵器はそう単純ではない。

 

「……待てよ」

「はい?」

「コイツ、どっかで見たような……」

 

 ひとつ、雪之丞は思い出した。

 クーデターの際にここを出ていった男のことだ。名前は確かスタン。彼がジャンク屋から買ってきた古い記憶媒体に、今のバルバトスのような姿のMSが映る画像データがあった。

 少しづつ記憶を掘り起こす。崩れないように。

 

 確か見たのは九月の初め、ざっと二ヶ月前。たまたま食堂で誰か一緒になって――ああそうだ。ジャスパーだ。変人ジャスパー。彼がスタンと一緒に記憶媒体のデータをサルベージしているのだと、うっかり雪之丞へ漏らしたのだ。あのスタンがジャスパーとつるむとは珍しいじゃないかと思い、興味本位で画像を覗いたのを覚えている。

 そしてジャスパーは先の襲撃で死に、スタンはスタンで会社を出ていって、今はどこにいるのか想像も――違う。違う。あの画像はバルバトスに似てるんじゃない。あれはむしろ。

 

「遺品だ」

「……はい?」

「遺品だよ! 襲撃で死んだ奴の遺品、まだ残ってるよな!?」

「え、えぇ。親族のいない職員の遺品はまだ保管されていると聞いていますが……ですが、なぜです?」

「ちょっと待ってろ! すぐ戻る!」

 

 記憶の歯車が急激に動き出すのを感じる。パターンが見えてくる。降って湧いた高揚感に突き動かされ雪之丞は走る。ガタのきた義足がガチャガチャ鳴るがそんなもんは知ったこっちゃない。

 MW格納庫を抜け、兵舎を通り、倉庫を通り、たどり着いたのは社長室。

 

「社長いるか!」

「なんだ? なんか事故でもあったのか?」

 

 尋常でない雪之丞の様子に、オルガはにわかにうろたえた。息を切らした雪之丞は膝に手をついたまま、

 

「壱番組の……ジャスパーって……奴が、いただろ。そいつの遺品が見てぇんだ」

「遺品って……なんでだよ?」

「俺たちのMS……バルバトスについて何かわかるかもしれねぇ。アイツの持ってた記憶媒体にデータがある」

 

 異様な雰囲気をまとって走ってきたと思えば、名前も覚えちゃいない職員の遺品を見せろと迫る。オルガに雪之丞の不審な様子の正体はつかめない。

 

「壱番組の遺品なら第三倉庫だ。おやっさんならやんねぇだろうがパクッたりすんなよ?」

「おう。恩に着るぜ!」

 

 オルガの返事を聞くか聞かないかという内に、雪之丞の足は第三倉庫へたどり着いていた。部屋の中には持ち主の名前が書かれた箱が無造作に山積みにされ、頭文字ごとに大まかに分けられている。

 

「J、J……ジャック……ジャスパー。これか」

 

 上の箱をどかして目当てのそれを床に降ろす。留め具を外せば中には機械、機械、機械。記憶媒体らしき分厚い銀色の箱が一番上に積まれていた。

 直線だけで構成された電源マークのような奇妙な意匠が上面に施されていることを除けば、パソコンなりタブレット端末なりに内蔵されている類のものに見える。雪之丞は金塊でも持ち上げるような心持ちでそれを手にした。

 しまった。読み取り装置がない。タブレットはバルバトスの真ん前に置きっぱなしだし、携帯端末は事務所に忘れてきた。

 

 ノックの音がして振り返る。

 

「誰だ?」

 

 返事はない。ノックの音は相変わらず聞こえ続けている。ドアを開けるが、扉の前にも廊下にも、人はどこにもいやしない。

 またノック。ありえない。ドアは開いている。ならどこから? 脇の下に冷たいものが流れる。ホラー映画じゃあるまいし、音の正体は何だ。

 無数に置かれた遺品ボックス、部屋の奥の隅に隠れるようにあったそれが、ノックに合わせて振動している。それに名前は刻まれていない。あるのは「廃棄」の文字だけ。

 雪之丞は覚悟を決めた。記憶媒体片手に、若干引けた腰を無理やり引きずって、箱を開ける。

 

 緑色のボールと目が合った。いや、比喩ではなく。紫色のつぶらな瞳と。

 

「……ハロ?」

『肯定』

 

 ガラクタに埋まったハロだった。サタンと共に現れた謎の機械がそこにいた。

 

「お前、なんだってこんなとこにいんだ?」

『二時間五四分一秒前、当該容器へ収容された。要請:拘束解除』

 

 見なかったことにして蓋を閉じるのが正しいのだろう。

 

「お前を放して何か得すんならな」

 

 高揚の余熱に任せて余計な一言を漏らしていなければ、正しい選択ができただろう。

 

『ガンダム・サタン及びハロには、カイエル財団が保有する機密レベル:C+までの全データを開示する権限を保持する』

「ほー。どんなデータがあるってんだ?」

『例:エイハブ・リアクターの全製造法及び全設計図、全関連論文、全関連理論、全実験記録』

「はぁぁっ!?」

 

 雪之丞は鶏の首を絞めたような情けない悲鳴を上げ、半分ボタンをぶっ叩くように慌てて倉庫の扉を閉めた。

 

「お前……どっかに漏らしてねぇだろうな。そんなモンが流れたら世の中がどうなるかわかんねぇぞ!」

『肯定。宇宙世紀〇九九八年一一月二日現在、データ開示が行われた記録は存在せず』

 

 実体のないノックを聞いた時とは比べ物にならない冷や汗をかきつつ、雪之丞はへろへろと床に崩れ落ちた。心臓が爆発寸前に脈打っている。間違いなく二〇年は寿命が縮んだ。

 

「それ絶対流すなよ。そんなデータ……下手すりゃ、いや下手しなくても戦争になるぜ?」

『了解。推測:貴官は当機に要求が存在する』

 

 たった今原理不明の跳躍をかまして箱から出たソレは、不意に本題をついてみせた。

 

「要求ったって……」

『推測:貴官の所持する記憶媒体の読み取り、及びガンダムサタンが保持する機密データの開示』

 

 俺そんなにわかりやすいか? 心に浮かんだこれも()()されてたりしないだろうな。

 

「できんのか?」

『肯定。しかし、要求が存在する』

「なんだ」

『貴官らは強襲装甲艦を用い、ガンダム・サタンを輸送予定であると認識している。要求:当機を当該艦艇へ同乗させる』

 

 スタンとジャスパーの置き土産は、雪之丞にとってはもはや取るに足らないものへ成り下がっていた。

 好奇の狂熱。その対象はとっくに、サタンとハロへすり替わっていた。

 要求を呑み、ウィル・オー・ザ・ウィスプへ無断でこれを乗せれば、雪之丞の首は飛ぶだろう。

 しかし露見さえしなければ、これは甘露になりうる。戦前のロストテクノロジーがCGSのものになるのだ。エイハブ・リアクターの情報は危険すぎるにしても、使える技術はごまんと見つかるに違いない。

 そう狂ったようにまくしたててくる思考を黙らせる。

 目の前の餌へ飛びついてはいけない。そんな好条件を出してくるからには裏があるに決まっている。

 

「船に乗って何する気だ」

『ガンダム・サタン及びハロは現在、統合戦略ネットワークへのアクセスに失敗しており、現状況の把握が不十分である。よって、カイエル財団及びギャラルホルンへのコンタクトを望んでいる。そのためには宇宙ないし地球圏への輸送手段が必要不可欠である』

「ギャラルホルンだと? 俺らはそいつらに狙われてんだぞ?」

『肯定。しかし、クーデリア・藍那・バーンスタインがアーブラウ中央議会へ出席した時点で、情報の隠蔽は不可能となる。貴官らを殺害する意義は消滅する』

「そうは言ってもよ……」

 

 形だけになって雪之丞の口から繰り出される否定の文言は、もはや意味をなしてなどいなかった。それは自らを弁護するものに近く、餌に繋がった針も糸も見えてなお、彼の心は餌に食いつけとしきりに囁く。

 

 例えるならその餌は知恵の実で、ハロはサタンの使いの蛇で、雪之丞はアダムとイブだろうか。口にしたが最後、ヒトはもろい砂上の楽園を追放されるだろう。他ならぬ、ヒトの備える好奇によって。

 

 しかし、それは愚かなことなのだろうか?




次回
このい地で:下


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第四話 この赤い地で:下

――しかし今回の決断、あなたは本当に高潔で勇ましいお方だ――

 

――若き勇者たちと共に死地に赴く戦の女神が、彼らの屍の上に永遠の楽園を築く――

 

――まるで神話の英雄譚のようではありませんか。さすが私の見込んだお方だ――

 

 パトロンの言葉が思い出される。地球へ向かう旨を告げると、彼はなんのためらいもなく資金を工面してくれた。

 ハイスクールの歴史の授業で、過去に起こったいくつもの革命を学んだ。タブレットで見た教科書の中で、革命に死んだ者の数は無味乾燥な数字でしかなかった。

 CGSの彼らは現実に生きるヒトだった。この赤い地で、彼らはどうしようもないほどに()()()いた。

 ギャラルホルンは強大である。宇宙艦艇だけでも七〇〇隻以上を運用し、MSに至っては一〇〇〇機以上を完全な状態で維持している。その機体とて厄祭戦当時のものを使っている民間企業とは違い、独自開発した最新鋭機たるグレイズなのだ。

 世界最大最強の軍隊。民兵組織がぶつかって勝てる道理などありはしない。

 そんな者を敵に回してなお依頼を続行しろなどと、彼らに死ねと言うことと何が違おうか。クーデリアの火星独立を願う気持ちは変わらない。しかし地球へ向かえば、彼らはきっと死んでしまう。人生を奪ってしまう。

 

「また難しい顔してんね」

「あっ、三日月……その」

「あのさ――」

 

 クーデリアには辛気が漂っていた。血と泥と硝煙に塗れた現実は、彼女へ深い刺し傷を与えていた。自責に似た湿った情動がにじみ出ていた。

 

「――昼飯食ったら出かけるんだけど、よかったらあんたも来ないか?」

 

 「それってつまり俺らは対等じゃないってことですよね」だの「俺の仲間をバカにしないで」だの、自分の失言が引き金とはいえ、そこそこ散々なことを言われていた彼女にとって、その言葉は奇妙な響きを湛えて聞こえた。銃口から弾の代わりに可愛らしい花が飛び出てきたような、そんな類である。

 

「えっ?」

 

 撃たれると思って覚悟を決めた瞬間、花びらがひらひら目の前に舞い出したのだから、こんな声も出るというもので。

 ちらっとフミタンを見てみる。

 無言で頷かれた。

 

「では、ご一緒させて頂きます」

 

 漂う辛気は消えはしない。けれど、少しだけ息がしやすくなった。そんな気がした。

 

 

§

 

 

 MWの荷台に乗せられて約二〇分。畦道に立つクーデリアの目にはだだっ広い農園が映っていた。ここはどうやら盆地らしく、CGSの基地は山の峰に遮られて見えることはない。

 くすんだ空、赤い山々、そしてごくなだらかな丘陵に沿って続くトウモロコシ畑。それが全部だった。

 

「ここは」

 

 誰に言う訳でもなく彼女はつぶやく。ここには砲弾の破片も不発弾もなければ、硝煙の臭いも血の臭いも、もちろん人間の焼ける臭いもしなかった。ただ風が緑を撫でていた。彼女のブロンドの髪にも、等しく風が触れていった。

 

「桜ちゃんの畑」

「桜ちゃん?」

「うちのばあちゃんです」

 

 三日月とビスケットの声が彼女を現実へ帰す。それでもまた景色に少し、意識を取られて。

 

「それで、なぜ私をこんな所に――」

 

 三日月ー! と唐突に声がした。元気な声だと思った。声の主の天真爛漫なありようがよく現れていた。

 さやさや揺れる乳白色の髪に三角巾をかぶせた小柄な彼女は、やはり天真爛漫に駆けてくる。その子馬のような()()()()さがクーデリアには眩しかった。

 

「アトラさん! アトラさんも来ていたの?」

「あっはい。えっと、クーデリアさんも?」

 

 三日月ー! に比べてほんの少しだけ声の調子が下がった気がするけれど、すぐに不思議な物を見る目は消えた。アトラのそれも無理はない。クーデリアの貴族の風格は農園には似合わない。むしろ彼女はお屋敷のバラ園だとか、白磁の壺やらお高い絵画に飾られたサロンだとかにいるべき人種であるからして。

 

「お兄ちゃーん!」「三日月ー! お兄ー!」

「あっクーデリアもいる!」

 

 少し遅れてブラウンの三つ編みが二本。ビスケットいわく宇宙一大事な――二人いるがどちらも宇宙一らしい――妹たち、クッキーとクラッカー。クーデリアには昨日、彼女達と一緒にCGSでアトラの夕食作りを手伝った覚えががある。ビスケットに勢いよく飛びつく二人もまた、クーデリアが持たないものを持っている気がした。

 

「お野菜切れるようになった?」

「えっ! えぇその……」

 

 ズッキーニを特大サイズに切ったことも思い出した。すんごく恥ずかしい。

 

「来たね」

「桜ちゃん」

 

 最後に麦わら帽子の老婦が来る。最低でも六〇代は超えているだろうに、その背中はぴんと伸びて歳を感じさせない。ぶっきらぼうともとれる調子すら、彼女の持つ頑健な空気に一役買っている気がした。

 

「これで全部かい?」

「うん」

「よし、じゃ始めるよ。準備しな」

「うん」

 

 三日月とそれだけ話すと、老婦――桜・プレッツェルは麦わら帽子をかぶり直して、畑の隅に停まる収穫機へスタスタ歩いて、慣れた様子でエンジンに火を入れた。咳き込むようなセルモーターの作動音の後、車両は不機嫌そうな唸りをあげて進路上の緑を食い散らかしていった。

 収穫が始まっていた。

 

「しっかりつかんで」

「はい」

「ギュッと下に倒して」

「ギュッと」

「そしたらねじる」

「あ、取れました」

 

 トウモロコシはパキリと子気味良い音を立てて茎から離れ、見慣れた形になってクーデリアに抱えられる。鮮やかな緑と立派なひげが質の高さを証明していた。

 桜の駆る収穫機がトウモロコシを根こそぎ刈り取って行った後、機械の取りこぼしを手作業で拾い、あるいは茎から採る。それがクーデリア達に与えられた仕事だった。

 楽なように聞こえて、これがなかなか体力を使う。深く耕された農地はただでさえ歩きにくく、残った固い茎が歩きにくさに拍車をかける。その上作業が進むにつれ中身の増えていく籠はずっしり重い。

 何時間か、それともまだ何十分か。いつしかクーデリアの額にはじっとりと汗がにじみ、手袋からは草の汁の強い臭いがしてきていた。

 慣れない作業に息が上がる。しかし夢中になってなかなかやめられない。そもそも明確な休憩時間は設けられていない。皆自分で調節する。止めるものは何もない。だからか彼女は熱中した。三日月ですら現在に至るまで一度は休憩したというのに、彼女はずっとトウモロコシと格闘を続けていた。

 頭はとっくに空っぽだった。彼女はもはや収穫機だった。新しい取りこぼしの茎へ取りかかった彼女の頭から今、正しい収穫方法が抜け落ちた。

 本来なら穂をつかみ、下に倒し、ねじって折り取るところを、彼女はやらかした。

 

 片手で茎をつかんで、もう片手で穂を引っ張った。

 当然折れない。繊維方向に張力を加えている以上、あの昭弘・アルトランドでもない限り千切れるわけがない。

 

 しかし無意識の内に疲労の溜まりきった彼女にそんな考えが浮かぶわけもない。なんで採れないのかとますます力を入れる。やはり採れない。もっと力を込める。それでも採れない。今度は腰を入れてみる。全く採れない。

 そしてなにくそと全力を振り絞ったその時、茎がとうとう根負けした。

 疲れからか、まっすぐに引っ張る力のベクトルが奇跡的にずれ、彼女の全力のうち十数%が屈曲させるための力へ変じる。結果、繊維に損傷を受けたトウモロコシは引っ張り強度を落とし、穂と茎を結ぶそこが、破裂音と共に見事にちぎれた。ちぎってみせた。

 当然、彼女も勢い余って上体が傾ぐ。

 

「あ」

 

 重心が崩れた体は転ぶまいと足を一歩後ろに出す。ここが畑であることを忘れて引かれた片足に、地面へ残った茎が正確なブロック。

 引くべき足がひっかかる。姿勢はさらに傾ぐ。そこでやっと彼女の脳に後ろにすっ転ぶシミュレーション映像が投影されたがもう遅い。姿勢はもはや自身では修正不可能な領域へ突入している。ここは現実、神様が手を差しのべてくれたりは――

 

「大丈夫?」

 

 した。大きな手がクーデリアの手をつかんでいた。その手は転びかかった彼女を再び地面へ立たせてなおビクともしなかった。

 三日月の青い目が彼女を見ていた。彼が助け、立たせてくれたという現実は幻のように思われた。

 

「あっ、すいませんあっ、その……」

 

 ありがとう。そう続く前に彼の視線はクーデリアから外れていた。しかしネガティブな類ではないと思えた。その証拠に、彼の視線のずっと先、名前も知らない山嶺から風が吹き下ろしていた。だだっ広い畑のほんの一角にしか、その風は流れていないようだった。

 ああ、なんて心地いい。

 漂っていた辛気は、風がすっかり洗い流してくれた。空気が美味しかった。

 

「いい所ですね。汗を流して、大地に触れていると、頭が空っぽになって、何だかすっきりします」

 

 だからこれはきっと、心から出た言葉に違いない。

 

「そりゃよかった」

「あの、もしかしてそれで私を?」

 

 三日月は違うとは言わなかった。

 

「そのトウモロコシ、いくらだと思う?」

 

 少し間が空いて、三日月は思い出したように言う。彼の視線は今も山にある。

 

「一本ですか? 二〇〇ギャラーくらい?」

「一〇kgで五〇ギャラー」

 

 クーデリアは胸を指で突かれるような錯覚を感じた。現実が胸を打った。三日月は畑を見て、

 

「この辺は全部バイオ燃料の原料として買い叩かれるからね。桜ちゃんもビスケットの給料がなきゃ、やっていくのは厳しいんだ。他の連中も似たり寄ったり。家族や兄弟を食わせるため、借金を返すため、食っていくために体を張って働いてる」

 

 それでも彼女は毅然としている。これは確かな現実だから。たとえどんなに汚れ、醜かろうと、現実はいつも、目の前に横たわっている。

 

「ヒューマンデブリって知ってる?」

「ええ、一応は。その、お金でやり取りされる人たちですよね?」

「クソみたいな値段でね。昭弘ってガチムチなヤツがいたろ? あいつとあいつの周りにたむろってる連中がそれ。あいつらは自由になっても、まともな仕事にありつけない」

 

 そこまで言うと彼は言葉を切り、自分の籠を持ち上げて、

 

「まあ、俺たちも似たようなもんだけど。あんたのおかげで、俺たちは首の皮一枚つながったんだ」

 

 最後に彼と目が合った。

 

「本当に、ありがとう」

 

 その言葉もまた、確かな現実だった。

 風に撫でられた緑が、今もざわざわ鳴っている。

 

 

第四話 このい地で:下

 

 

 パニックブレーキ。熱いものにうっかり触れた時、考えるよりも先に指が引っ込む。それに似た無意識の反射があってから、停止した偵察車の中でガエリオは全身から冷や汗が吹き出すのを感じた。

 小刻みに震える手足を叱咤しながら祈る気持ちでドアを開けると、三つ編みの少女が二人、左に大きく曲がった轍の、右半分のタイヤ痕、そのわずか数十センチの所へ倒れ込んでいるのが見えた。

 

「おいお前ら大丈夫か!」

 

 心臓を握りつぶされるような大恐慌に呑まれる寸前、彼は死ぬ思いで叫んだ。

 そのまま二人へ駆け寄ろうとして、唐突に息が詰まった。直後、後頭部と背中に鈍い痛み。視界に星が飛び、目玉が押し出されるような感覚の中、反射的に首に手をかけると、首とも自らの手とも違う感触がある。

 そこで初めてガエリオは、何者かに首を締め上げられていることを自覚した。目を開け、抗議の声を上げようとしたものの、気道が塞がれた彼の喉から出てきたのは声ならぬ悲鳴だけ。視界が滲む。白昼だというのに空が暗い。いや、何もかもが暗いのだ。

 

「――――! ――違――!――うの――!」

 

 全てが滲んだ五感の中で、少女の声がした。

 急に首を絞める手がどけられた。激しく空気を吸えば、目も耳も戻ってくる。膝に手をついて何度も咳き込んでいると、視界の端に足が何本も見える。

 どうやら保護者らしき人々がぞろぞろ出てきたようだが、彼にそれを見る余裕などとてもなかった。

 

「あの、すいませんでした」

 

 その言葉を聞いたのは、ようやっと破裂寸前の心臓も通常運転に戻ろうかという時だった。

 随分と若い声じゃないかと思い顔を上げると、想像よりも一回りは小さい少年が仏頂面で突っ立っている。どう見ても彼こそが凶行に及んだ犯人だった。

 この態度を見るに――元より三日月はどうも感情の機微がわかりにくい人物なのだが、初対面のガエリオが知る由もない――自分が何をしでかしたのか全くわかっていない。ガエリオはそう結論づけた。

 

「何がすいませんだ!」

 

 怒りを乗せた拳を振りかざす。ガエリオとて軍人、その筋力は並ではない。

 目の前の少年も確かに多少鍛えられてはいるが、軍人の、それも全力の右ストレートなど受け止められるわけがない。もちろん当たればただでは済まない。

 マクギリスが顔を強ばらせていることに、ガエリオはついぞ気づけなかった。

 

 しかし、振り抜かれた拳は完全に空を切った。少年はまるで最初から殴られることが分かっていたかのように、腕の内側へ潜り込むように回避してにみせたのだ。両者は勢いをそのままに、立ち位置を入れ替えて対峙した。

 

 一般にパンチやブローと呼ばれる類の殴打は、直線的なストレート系と、曲線的な動きを伴うフックやアッパーの類に大別される。そこへ体重移動や力の入れ具合、十分な速度が乗ってしまえば、もはや素人が見切れるものではなくなる。

 たとえガエリオが怒りに呑まれたおかげで、動作が単調かつ大きいものになっていたとしても、それが「全力」の「右」の「ストレート」だと判断する前に顔へ拳がめり込むことになる。

 しかし彼は現に避けてみせた。まるで、最初からガエリオがそう動くと分かっていたかのように。運良く勘が当たっただけか、少年にその手の心得があったと。そう判断するのが妥当である。

 

 ガエリオが拳を振りかぶると同時に回避を始めるなどという、ありえない芸当をしていなければの話だが。

 

 しかし当人の注目は別の場所へ向いていた。ガエリオがアースノイドである以上、それは至極当然のことだった。

 

「おい、貴様……その背中のはなんだ?」

「ん?」

 

 機械化を否定するギャラルホルンであればこそ、背中のピアスは特に目につく。三つもあれば、なおさらのことだ。

 

「阿頼耶識システム……」

「阿頼耶識?」

 

 マクギリスが代弁する。仏教における第八の識。人のあらゆる業の力を内包し、永遠に流れるといわれる識の名を、過去の人々はこれへ冠した。ヒトと機械をつなぐ神経へ。

 

「人の体に埋め込むタイプの有機デバイスシステムだったか? いまだに使われていると聞いたことはあったが……」

 

 マクギリスはそう続けた。

 戦後こうしたサイバネティックス技術は、ギャラルホルンの手によってほとんどが封印されるか失伝した。

 しかしその手からこぼれ落ちた断片は確かにあり、三〇〇年のうちに深く根付いたのだろう。禁忌の技術であれ、あるいは厄祭戦の象徴であれ、必要とするものはごまんといる。皆が皆、高価な再生医療を受けられるわけではないのだ。

 

 ガエリオは、皮膚を食い破って露出する端子に冬虫夏草の姿を想像した。冬の間に宿主に寄生し、体内で育つ。そして夏になれば、その体を貫いて芽を出す。そうした生物を鮮やかに。そして、それが自らの体を蝕む姿を克明に。

 

「体に異物を埋め込むなんて――」

 

 腹の筋肉が不穏な痙攣を始めた。胃が握りつぶされるように収縮するのを感じた頃には、もう遅かった。

 込み上げてくるえぐみと酸味を無理に飲み込む。少年を視界に収めることにすら苦痛を覚え、夢中で車の陰に逃げ込んでうずくまった。

 

 車も畑もガエリオ自身のものではない。駐屯基地が快く貸してくれた偵察車はギャラルホルン所属の兵器であるし、たった今少女をひき殺しかけた畑の畔道も彼らの所有地である。これを汚すことはできない。

 寄生植物の幻が消えるまで、ひたすら耐えるしかなかった。

 結局、マクギリスが話をつけるまでそこにいた。

 

 帰り道は彼の運転だった。

 二人のいる交差点は、向かいの道路が巨大な車両通行止めの電光標識に塞がれて丁字路と化していた。

 標識の向こうには、車道に歩道に二つの交差点に、果ては最奥の駅前広場に至るまでデモ隊が群れている。二人はちょうど通行止めのエリアの端に当たったようだった。

 警務局へ正式に届出のあったデモ行進である以上、いくら目障りとて、ギャラルホルンはシビリアン・コントロールに服して彼らを守らねばならない。過熱した一部の民衆が暴徒と化すこともままあるようだが、今のところそれらの姿はなかった。

 

「まだ通行止めか……よく飽きないな」

 

 ガエリオが気だるげにこぼす。

 行きの時と比べて、電光標識で丁字路化された道の左右から奥へ奥へと広場へ流れていく人間が増えてきているように見える。

 現在ざっと午後一時、数が増えるのも当然といえた。

 通行止めになったエリアの背の低いビル群に人々の姿は見られない。あそこへオフィスを、あるいは店を構えている者は当分仕事にならないだろう。

 日常の喧騒に溢れたこちら側と、デモ隊の独立を謳う唱和と。全く別の世界が、標識と、標識を結ぶホログラムの柵を隔ててあった。

 

「継続は力なりの公式が今回の件にも当てはまると思っているのだろうな」

 

 マクギリスのコメントは実に無慈悲なものである。彼は時折、こうした冷ややかな事実を突きつけていくことがある。

 厳しく、しかし正鵠を射た彼の意見からは、ガエリオは学ぶものがあると考えている。泥水の中から正確に魚の姿を見通し、掴みとれる人物だと、そう評する。

 

「こっちからしたら迷惑な話だ、全く。……それより、さっきは悪かった」

「いいさ。思えば初めてだったか」

「あの手のモノを見るのはな。お前はあるのか?」

「警務局時代にスラヴァⅡでな。あの時はモニター越しだったが」

 

 ガエリオはあぁと返すほかなかった。

 月以遠のコロニー群は監視の目も届きにくく、マフィアや宇宙海賊の息がかかった街も多い。マクギリスのいうスラヴァ・コロニーもその類である。そしてやはり、そういった街でこそ違法な手術が行われる。

 

「俺は……あれが良いものだとはとても思えん。機械との融合なんて、ヒトの形を歪めるだけだ」

 

 マクギリスは少し黙ってから思い出したように、あぁとだけ返した。青信号。丁字路をゆっくり右折する。

 ガエリオは何かが空振ったような心持ちで言葉を繋ぐ。

 

「それにしてもコーラルの奴はなぜあの……」

「クーデリア・藍那・バーンスタイン」

「それだ。そいつを狙ったんだ?」

「彼女がアーブラウ政府と独自に交渉しているとの情報が入っている」

「アーブラウと? なぜまた植民地の人間なんかが宗主国と」

「戦闘の痕跡があっただろう?」

「ああ、さっき見た所でだな」

 

 道路もない不毛の大地を思い起こす。

 高低差が激しく、古い地層がところどころに覗く一面の荒野。MSによる白兵戦が行われたのか、地面を抉る真新しい破壊の痕と、スラスターの排気に焦がされたと思われる煤けた場所がそこかしこにあった。

 

「その戦闘の前日に、クーデリアの父、ノーマン・バーンスタインはコーラルのもとを訪れていた」

「バーンスタイン首相が? 娘を消したかったのか?」

「ノーマンはその手のことができる人間ではない。思想の違いはあったようだが……どちらかといえば、地球との癒着とギャラルホルンからの保身だろうな」

「情けない。ならノーマンに圧力をかけたコーラルの動機は?」

「クーデリアは火星独立の象徴だ。そんな彼女が志半ばで倒れたとあれば、抑圧されてきた民衆の不満は爆発するだろう」

「紛争が起きる」

「あぁ。戦争は金が動く」

「コーラル自身は戦争では儲からない。ということはそれで一儲け企む計画犯がいる、と」

「あくまで推測に過ぎないが」

「お前の推測は当たるからなぁ」

 

 自分で言っておきながら頭が痛くなってくる。仮にそれが本当のことなら、監査局程度では力不足だ。

 マフィアを初めとした無数の勢力がうごめく圏外圏への介入は極めて難しい。パワーバランスは極めてデリケートであり、なおかつそこではギャラルホルンですら手を焼く連中などザルですくえるほどいるのだから。

 

「仮にそうならコーラルはそいつらの餌に飛びついたわけだ」

 

 マクギリスは頷いて、

 

「それにギャラルホルンとしても彼女を飼い慣らすことができれば、火星を黙らせることができる」

「統制局からの覚えもめでたい」

「我々の監査など、どうということもないほどにな」

 

 車は市街地を抜けて郊外に出ようとしていた。このまま道をまっすぐ行けば、駐屯地へ戻れる。

 ガエリオはステアリングを握るマクギリスの頬に、薄い笑みがにじむのを見た。

 

「で、お前は何を考えている?」

 

 ガエリオは知っている。彼がこうした顔をする時は、

 

「なに、哀れな支部長殿に挽回のチャンスを差し上げるのさ」

 

 よからぬことを考えている時だと。

 彼が敵でなくてよかったと、つくづく思う。

 

 

§

 

 

 ゼロGブロックは空調が効かない。空気の対流が起こらないのだ。汗も表面張力のせいで落ちてくれない。

 ジェットヒーターの中身をプロペラへすげ替えたような形をした業務用扇風機が風を起こしてはくれるものの、とりあえず窒息しない程度に酸素を回す、くらいの貧弱っぷり。その風も規則正しく固定されたMWに遮られることがしばしばあるせいで気休めにもならない。

 つまり何が言いたいかというと――

 

「あっぢぃぃぃ…………」

 

 強襲装甲艦ウィル・オー・ザ・ウィスプの艦尾多目的格納庫はサウナである、ということだ。仕事が思ったより早く終わったのがせめてもの救いだった。

 弾薬箱を固定する荷締めベルトに掴まって辺りをしつこく見渡す。荷の積み込みと固定の終わったここなら誰もいない。それを確認し終わると、雪之丞はやっと腹巻の中からPDAを取り出した。

 埃のついた画面にはTK-53と最初に銘打たれたファイルがいくつも並んでいる。全てCGSが運用するMWに関連するものである。

 サービスマニュアルと、メーカーの部品供給が終了してから雪之丞が試行錯誤してきた一連の延命措置と、そこへ流用できる社外品の数々が記録された、彼の努力と知識とノウハウの結晶とでもいうべきデータ。その最後尾に、ASW-G-08とだけ書かれたファイルはあった。

 火星を出る際、ハロは前金だと言わんばかりにこれを寄越した。この灼熱地獄にいるのは雪之丞ひとり、画面を覗き見るものはいない。

 顔の汗も忘れてファイルをタップする。少しの硬直があって一覧が表示された。数が多い。縦のスクロールバーがありえないほど短くなっている。

 最上段に来たファイルを開く。

 その瞬間、莫大な情報量が画面を埋めた。

 黒い線で描かれたガンダム・フレームの全体図。その直下にASW-G-08のサービスマニュアルであることが無機質なフォントで記されていた。

 

 背中に鳥肌が立つ。

 

 スクロール。次は目次。

 神経質なまでに細かく分割された項目が長々と続く。ガンダム・フレーム自身の整備項目と、バルバトスだけが必要とする整備項目とで大きく二分されて並んでいた。この項目ひとつひとつをタップするだけで該当するページへ飛べる。

 

 スクロール。フレームの構造とメンテナンス方法。

 このページでは頭部の構造がカラーの図で示され、パーツをタップすれば該当するデータを見られる。

 試しにブレードアンテナの基部を選ぶと、そこのみが大きく映され、取り付け手順にボルトの締め付けトルクからパーツ単位の寿命まで、全てが詳細に記されていた。

 専門用語には例外なく注釈がついている。その注釈も明快にして詳細だ。これを読んだ人間が素人だったとしても、工具さえ扱えればバルバトスを問題なく整備できてしまうだろう。

 

 そこまで読んだところで、雪之丞はサービスマニュアルを閉じた。

 恐ろしかったからだ。ガンダムサタンが保持する情報が流出すればどんな結果を生むか、全く想像できなかったからだ。

 マニュアルからひとつ戻った項目のファイル名を一通り見る。

 やはり、そうだ。

 これだけではない、武装や機体を運用する上で必要な全ての周辺機器に、実戦での稼働データ、建造当時の実験データ、そして設計図に至るまで、バルバトスにまつわる全てがここに記録されている。

 

 雪之丞はサタンを宇宙へ捨てるべきか真剣に迷った。

 未知のテクノロジーが使われたサタンの性能は凄まじい。最高のハードウェアに最高のソフトウェアを搭載したこの機体は、たとえ経済圏政府のサイバー攻撃を受けたところでどうにかなるものではないことくらい雪之丞は分かっている。少なくとも漏洩はありえないが、それでもこれは危険極まりない。

 

 渡されたサービスマニュアルとそれに付随するデータ群の機密レベルはD-。

 雪之丞の注文通りエイハブリアクターに深く関わる箇所は根こそぎ削除されているものの、このフォルダに残されているロストテクノロジーは莫大な量に及ぶ。それほどのものがD-だ。

 なぜギャラルホルンが平和を保てているかといえば、それはテクノロジーの力があるからだ。優秀な技術力があるから優秀な兵器を造れる。優秀な兵器があるから法を執行できる。そのアドバンテージが潰えれば最後、太陽系は戦後復興期の無法状態に逆戻りすることになる。

 

 冗談抜きに、サタンのデータを適当にばら撒くだけでギャラルホルンを転覆させられるのだ。欲しがる者は必ずいる。純粋な技術としても、外交の手札としても。

 

 ならばこんなもの、最初からなかったことにするのが最善ではないだろうか。過ぎた力は身を滅ぼす。民間の企業が持っていていいものでは――

 

「整備班長」

「どぉぉっ!?」

 

 唸るような低音に心臓が止まりかける。

 それはそれは素晴らしい反応速度でもってPDAを腹巻の中に突っ込んで振り向くと、元ギャラルホルンの彼がいた。岩を削って作ったような目鼻立ちに、髭という名の苔がむす彼。

 彼にはクランク・ゼントという名があったが、もはやその名は死んでいる。なんと呼べばよいかわからないその人が、雪之丞の真後ろに突っ立っていた。

 

「いかがなされましたか?」

「あーほら、携帯忘れちまって。お前さんは?」

「ライド・マッスさんより指示がありました。左舷メインスラスターの保守点検を行うとのことで」

「おう分かった! 今行くっつっといてくれ!」

「了解しました。では失礼します」

 

 それを聞いて彼は床を蹴った。するりと滑らかに空を飛んで、正確に出口へ。

 狙い通りの場所へ一度の離床でたどり着けているのを見るに、宇宙での生活は長いらしい。少し意外な一面を見た気がした。

 

 再びひとりになったら暑さが増した気がした。格納庫へ入ってすぐ右、雪之丞から見て左のそこにガンダムサタンがいる状態をひとりと呼ぶべきかは謎だが。

 ふと、サタンの姿に引っかかりを覚える。別に喋るからだとか、やたら大きいからだとか、取ってつけたようなアンテナが背中にあるからだとか、片膝立ちの駐機姿勢が一般的ではないからといった理由ではない。ただ、本来あるべきものがない気がする。

 

 サービスマニュアルをふたたび開く。表紙と目次の先、フレーム構造の項目。頭部をタップ。アップになったガンダム・フレームの頭をサタンの顔と比べてみる。

 やはり、違う。額のブレードアンテナの基部がない。バルバトスであればそこから大きなアンテナが伸びているのだが、サタンの額の小さな角は、数こそ合えど位置が全く合致しない。生えている箇所と基部の位置が通常のガンダム・フレームとはいささか異なるようだ。

 その代わりに、ほっそりした二本のアンテナが人間でいう耳の場所から後ろへ伸びている。

 レール状の構造で支持されたそれを、額の位置までずり上げれることができれば多少はガンダムらしい顔つきになるだろうに、耳付近などという半端な位置にあるせいでどうもそれらしくない。

 

 そもそもこれはガンダムなのか?

 そんな疑念が鎌首をもたげた。

 

 今度は整備記録の画像ファイルからバルバトスの顔と比べてみる。

 バルバトスは電子機器を詰め込んだ赤い顎状のフェアリングと、ツインアイ型センサーのおかげで人間に似た顔つきをしている一方、サタンはその手の構造がほとんどない。

 

 ツインアイだけが「私はガンダムです」とでも言いたげにつるりとした顔面にあるだけで、表情どころか印象さえ見当たらない。

 バルバトスから人間性と獣性をことごとく抜きとったらこんな顔になるだろうか、いや、それだけでここまで不気味にはなるまい。

 そんなものが極めて有機的な外観の身体に乗っているせいで、奥底に噛み合わない何かを、言葉にできない不可解さを感じる。

 

 確かにサタンは美しい。徹底的に洗練された生物としての機能美を備えた機体はまさに芸術だ。人知れずひっそりと水を湛えた地底湖のような、自然の中に宿る底知れぬ威厳がある。

 しかしそこに命の気配を感じることはどうしてもできない。どこまでも透き通った水が、どこまでも深く続いている。

 この機体には命があるようで、決してない。

 

「おい」

 

 雪之丞が呼べばサタンは起動した。微動だにせず、ただカメラアイを緑に光らせて二の句を待っている。

 

「お前さんは、ガンダムなんだよな」

『当機はASW-G-00 ガンダム・サタン』

「……そうかい。ハロは乗せたぞ」

『確認済み。ご協力ありがとうございます』

 

 です・ます調と、である調の交じった妙な言い回しは、やはりサタンが機械であることを実感させられた。特定の言葉がいくつか定型文として保存されているのだろう。

 

『ナディ・雪之丞・カッサパへ、質問が存在する』

 

 今度は珍しく、ソレから声をかけられた。

 聞かれれば答える程度のスタンスだと思い込んでいた雪之丞は妙な心持ちになる。それは機械機械と言いながら、どこかでソレの個性の存在を望んでいる自分への気づきだったのかもしれない。

 

「なんだ?」

『質問の許可を願います』

「おう。許可……します?」

『了解。疑問:当機及びハロは、貴官らと正常な対話が行えているか』

 

 雪之丞は答えに窮した。

 まさかそんな問いが投げかけられるなんて全くの予想外、完全なるノーガード。

 不意打ちを食らって思考が硬直する。床を見つめてうんうん唸って、とりあえず答えを考えた。

 

「『対話』ときたか……。言葉が、って意味ならそうだな。時々妙な言い回しになるが通じちゃいる。でも――」

 

 ちらりとサタンの顔を見た。

 何度見ても恐ろしい顔だった。

 

「話し合えてるか、つったら違ぇかもな」

 

 自分で言ってから急に小っ恥ずかしくなってくるのを感じた。

 訳知り顔で説教垂れるような柄じゃねぇってのに一体俺は何を言ってんだ? そんな思考がぐるぐる巡る。猛烈に発言を取り消したくなってきた。今から許可取り消すとか会話ログの削除とかできねぇのかなんだこれすっげぇ恥ずかしいなにスカしてんだ俺は

 

『現在の会話を要解析記録へ指定。ご回答ありがとうございました』

 

 ああ無情。

 猛烈に身悶えしたくなるこそばゆさを抱えたまま、言葉にならない呻き声を垂れ流し、雪之丞は床を思い切り蹴っ飛ばした。もう格納庫になんかいたくなかった。この問答をサタン以外の誰にも聞かれていなかったことだけが救いだと自分に言い聞かせて空間を泳ぎ――

 

『警告:前方に壁』

 

 大きく狙いを外して壁に頭をぶつけた。

 ナディ・雪之丞・カッサパ整備班長、一四度目の宇宙だった。




次回
青黒い宇宙


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第五話 青黒い宇宙

 子供の頃は遠足の前日ともなると興奮で眠れなかったものだが、一六歳にもなって同じ現象に出くわすとは思わなかった。もっとも、今のそれは緊張に由来するものだが。

 クーデリア・藍那・バーンスタインは、とうとう眠ることを諦めた。昼間のトウモロコシ収穫で疲れ切っていたはずだというのに、いくらベッドに寝転がっていても睡魔がこない。

 宛てがわれた寝室で、彼女は明かりもなしに黙々と髪を結いはじめた。

 部屋の廊下側にあるもうひとつのベッドで、フミタンは髪を下ろして寝息を立てている。いつだって彼女は肝が据わっていた。 

 その立ち振る舞いが今はひたすらに頼もしく、羨ましい。

 

 覚悟は決まった。そう言っていいはずだ。あとは無意識が意識に追いつくのを待てばいい。

 

 髪を結って暇になって、彼女は宿舎を抜け出した。どうせあそこにいても眠れないなら、どこにいても一緒だ。

 外へ通じるドアを開けた途端、乾いた冷風が肌を刺した。砂粒がパチパチと顔に当たる。

 構わず外へ出てみれば、鋭く研がれた夜の寒気が彼女を出迎えた。少々の寒さなど知ったことかと言わんばかりに、彼女は無心になって歩を進めた。

 

 昼間あれだけ賑やかだった基地は、夜になって印象を大きく変えていた。

 基地正門を跨ぐ大きな事務所も、そこから渡り廊下で繋がった兵舎も、兵舎の向かいの格納庫も、訓練場を見下ろすようにそびえる管制塔も、遺骸のようにただそこへ寝そべって朽ちるのを待っているばかりに思われた。

 歩けば歩くほどに自身の呼吸と足音だけで作られた心地よいリズムを感じる。気温は低く風は強く、散歩に向いた天気とは言いがたかったが、それでも彼女は満足していた。

 

 ひとしきり回って見るものもなくなり、そろそろ部屋へ戻ろうかというその時、無人だと思っていた管制塔に明かりが見えた。

 オリーブ色の塗装が剥げ、ところどころに赤錆びが血のようにこびりついた塔の最上階。全面ガラス張りの管制室からおぼろげな暖色が漏れている。

 そんなささやかな光も、暗闇に慣れた目にはやけに明るく見えた。

 近寄ってみれば、開け放たれたエントランスドアは大きく損壊して、今はガラスが嵌っていた銀色の枠だけが残っている。

 そのせいで砂や土埃が屋内に好き放題吹き込み、赤く汚れて、中はほとんど自然に帰りかけていた。彼女が一歩踏み出せば、靴と床に噛み込んだ砂粒が硬い音を立てた。

 中には誰もいない。物らしい物もない。ここはすでに、管制塔へ行くための唯一の通路としての価値しか見られていないようだった。

 そこから長い廊下が続く。左右にいくつか部屋がある。

 

(ここは……)

 

 昔は飛行場だったのか、廊下の窓から覗きこんだ部屋は大きな機材がほとんどのスペースを占有していた。見たことのないものに心の表面が少しだけ躍ったが、すぐに興味は失せた。あいにく、心の奥底はいまだざわついていた。

 廊下の最奥は四角い小部屋だった。太い円柱が部屋の中心から上の管制室にかけてそびえ立っていた。

 柱に埋め込まれたエレベーターのボタンを押す。

 うんともすんとも言わない。電気が来ている気配はなかった。

 

(なら)

 

 辺りを見回すと、部屋の外周をなぞって設置された階段がある。そこが上へ続く唯一の道のようだった。上っていると、暖色の光を発するランタンが道しるべのように段のいくつかに置かれていた。

 あと数段で管制室というところで、上からとろりと流れ込む冷たい風に肌が触れた。彼女は身震いした。この寒空の中を気ままに歩き回ったせいで体の芯が冷えてきていた。

 頂上にいる誰かの顔を拝んだらそれで帰ろう。そう思って、最後の段を上りきった。

 

 そこにいたのは三日月・オーガスだった。

 どこから気づいていたのか、彼は顔色ひとつ変えずに羽織っていた毛布を差し出してくれた。

 

「あっ、ありがとう……」

 

 ちょうど冷えていたのでありがたく羽織らせてもらう。

 彼は何も言わずに、なにも嵌っていない窓枠から遠くを眺めていた。彼の行動は、クーデリアにもなんとなく当たりはついた。

 

「いつもこういったことを?」

「交代でやってる。今はギャラルホルンがいつ来るかわからないから」

 

 それだけいうと彼は何かを口にほうった。ドライフルーツか何かに見えたが、明るい――といっても照明はランプひとつだが――場所に順応しきれていない目にはいまいちとらえられない。

 

「私は――」

「ん」

 

 私の戦いを、と言おうとしたところで彼はポケットに突っ込んでいた拳を突き出した。何かが握りこまれていたので黙って手を出すと、まさに彼が食べていた何かが二粒落とされた。

 ラグビーボールを潰したような形の、わずかに弾力を残す乾燥した実。酸味を含んだいい香りがする。

 三日月を見る。頷かれたので食べてみる。

 

「心配しなくても、オルガは一度やるって言った仕事は絶対にやり遂げるよ。だから俺もあんたを、絶対に地球まで連れていく」

「あ、私は私の戦いを頑張ります! 先ほどはそれを言おうと――」

 

 強烈な酸味の暴力がクーデリアを襲った。最初の二、三度の咀嚼では「あ、ほんのり甘い」と思わせておいて、時間差で意味不明なレベルの手のひら返しが来やがったのだ。罰ゲーム用と言われた方がしっくりくる。実際罰ゲームとして渡したのか、それとも善意で渡したのか、そのラインすらわからなくなるほどに意味不明な味がした。

 

「それ、たまに外れ混ざってんだ」

「はぁ……」

 

 真意は不明。三日月の心を読むにはまだかかりそうである。多分、悪意はなかったはずだ。

 彼はリアクション芸を見て満足したのか、窓際の机に腰かけてランタンのつまみをいじりだした。小さかった炎がにわかに大きく揺れ出す。その後、火は急に勢いを減じて消え入りそうなまでにしぼんだ。彼の視線はしばらくさまよった後、また外へ向いた。

 

「地球に行ったら月って見えるかな?」

 

 太陽の沈んだ今、宇宙が大気を透けて見えていた。黒というより無色と形容するほうがふさわしい空だった。

 

「月、ですか?」

「三日月って名前、そっからとられたらしいからさ」

「月は……厄祭戦で大きな被害を受け、今では霞んでしまったと聞いています。この目で見たわけではありませんが」

「へぇ、サタンと同じか」

「サタン?」

「オルガのガンダム」

「がんだむ……?」

「ほら、あのでっかい人型の」

 

 そこまで言ってくれたことでやっとクーデリアにも合点がいった。襲撃の際、あのとき確かに彼女は三日月とオルガがあの白い機械人形へ乗り込むさまを見ていたのだ。

 

「あの大きなロボットがガンダムというのですか?」

「うん。オルガが乗ってた方が、最後の記憶から三〇〇年くらい経ってるって言っててさ。あいつもその戦争で“かすんだ”? のかなって」

「あのロボットがですか……。今からは考えられませんね、それほど昔のものが十全に動いて、ヒトのように喋るなんて」

「本当。あいつ、バルバトスと一緒に埋まってたんだ。昔も仲間だったのかな」

「そうだとしたら素敵ですね。聞いていると、サタンさんは昔のことを覚えているようですし、宇宙に上がったら聞いてみては?」

「そっか、喋るんだから聞けばいいんだ」

 

 そうは言ったが、実のところクーデリアはサタンが恐ろしかった。

 機械がなぜ喋る。確かにヒトの脳の活動はすべて電気信号と伝達物質の働きで説明できる。その動きを完全に解明し、機械で再現することも理論上は可能だろう。

 しかし、それを実際に目の当たりにすると、科学の進歩よりも未知への恐怖が芽生えた。

 大多数の者にとってサタンは未知であり、未知は恐怖である。クーデリアも、オルガも、雪之丞も、クランクも、未知はみな恐ろしいのだ。獣が己の理解の及ばぬ火を恐れるように、ヒトであるがゆえにサタンが恐ろしいのだ。

 喋るなら聞けばいい。

 話が通じるのだから対話すればいい。

 そう言い切ってみせた三日月を、彼女は素直に尊敬した。尊敬の念が湧くほどに、無意識がサタンを拒絶していた。

 

(あなたは……)

 

 怖くないのですか? その言葉は口から出てこようとせず、頭をぐるぐると泳いだ後、心の奥底に居着いた。

 夜空はずっと冷気を発していた。

 底知れなかった。

 

 

§

 

 

――私を! 炊事係として! 鉄華団で雇ってください !おかみさんには事情を話して、お店は辞めてきました!――

――フッ……良いんじゃねぇの、なぁ?――

――アトラのご飯は美味しいからね――

――ああっ……ありがとうございますっ! 一生懸命頑張りますっ!――

―よーしお前ら! 地球行きは鉄華団初の大仕事だ! 気ぃ引き締めていくぞっ!――

 

 集積する。全てを。

 会話を、文字を、表情を。

 あらゆるヒトの行動を。

 

――急な話とは?――

――ぜひとも監査官にご同道願いたい作戦があってね――

――作戦?――

――クーデリア・藍那・バーンスタインが調停のために地球へ旅立つのは君たちの望むところではなかろう。この手柄を君たちに譲ろうと言っているのだよ――

 

 掌握する。全てを。

 PDAを、監視カメラを、通信機を。

 あらゆる機械の耳と目を。

 

――お手を煩わせずとも、我が社の船がクーデリアを捕らえましたものを――

――これは政治的な問題だ。手順に意味がある。結果だけの話では無いのだ――

――浅学ゆえの発言、ご容赦を――

――良い、情報提供には感謝している――

――今後も我がオルクス商会の輸送航路をごひいきにお願いします――

――わかっている。来期は任せる。……あとはクーデリアを確実に始末するだけか――

 

 全てを統合し、判断する。

 全てを統合し、学習する。

 

(ギャラルホルン現火星支部長コーラル・コンラッド三佐の軍規違反を確認。該当条項:二〇五条第一項)

 

 ガンダム・サタンは裁定する。

 ガンダム・サタンは決定する。

 

(推測:連続した襲撃。オーダー001:人命の保護が適応可能)

 

――諸君、人類に夜明けをもたらそう――

――人類に黄金の時代をもたらそう――

 

(民兵組織:CGSに随伴し、人命を保護する)

 

 全ては未来のために。

 

 

§

 

 

 命の危機が目の前に迫っていても、やはり三日月・オーガスは平常運転だった。

 シャトルの貨物室は退屈だ。バルバトスとその兵装が仰向けに固定されているだけで何もない。緊急発進に備えて貨物室の与圧は行われていないのでコックピットから出ることもできない。接触内線で丸聞こえな客室の騒ぎがただひとつの暇つぶしである。

 

『協力ってのはどういう了見だ! てめぇ俺らを売りやがったなぁ!』

 

 シノの声がした。声量が大きすぎて音が割れている。三日月は眉をきゅっとしかめて通話音量を絞った。

 コンソールにはエイハブウェーブ反応を示すアラートが出ている。数は三。場所はシャトルの左右と直上。探知しているのはそれだけだが、十中八九探知範囲外にもいるだろう。

 今度はごそごそとノイズが聞こえる。揉み合いか何かが起きているようだ。下げすぎた音量を少し上げてみる。

 

『MSから有線通信! クーデリア・藍那・バーンスタインの身柄を引き渡せとか言ってますけど〜!?』

『さささ差し出せ! そうすりゃ俺たちの命までは取らねぇだろ!』

 

 機長の情けない絶叫が聞こえたと思えば、今度はトドのカッコ悪すぎる咆哮が響いた。

 やはりこれを手引きしたのはトドだったようだ。オルクス商会へクーデリア搭乗の情報を売り、さらにオルクス商会がギャラルホルンへそれを売ったということらしい。

 三日月としては正直どうでもよかった。

 

(うるさい)

 

 再び音量を絞った。

 さて、敵は三。こちらの兵装は三〇〇mm滑腔砲が一丁だけ。サタンが教えてくれたナノラミネートアーマーの特性を考えると、射撃戦を行いながら接近して殴るのが定石だが、あいにく白兵戦の用意はない。

 三日月は考える。敵はどう動くか。バルバトスはどう動いてくれるか。そして、何が自分たちのアガリとなるか。

 

『ビスケット!』

『了解! いくよ、三日月!』

 

 決まった。

 貨物室が開くと同時に仕込まれた煙幕が視界を白く染める。機体を急速に起こしながら右手とサブアームで保持した滑腔砲の砲口を眼前のグレイズ、その胸部へ押し当て――。

 

「そんなところにいるから」

 

 ためらいなく引き金を引いた。

 砲口初速一・八km、マッハ換算にして約五・三という速度で飛翔する徹甲弾は、近距離であればナノラミネート処理された装甲すらたやすく貫く。

 腹の奥底まで響き渡る強烈な反動を感じた頃にはもう、グレイズに空いた大穴から向こう側の宇宙が見えていた。

 

 三日月・オーガスは今、初めて宇宙を見た。

 パイロットの恐怖心を抑える。そんな名目でCG処理された、安っぽくて、青黒い宇宙を。

 

 撃墜したグレイズからバトルアックスを拝借して飛び立てば、左右の二機は急速に離脱していく。三機とも装備は同じ。

 向こうのアガリはシャトルの拿捕か撃墜。一方こちらはシャトルが強襲装甲艦ウィル・オー・ザ・ウィスプへ到達すること。敵は三から一減って二、しかしシャトルの対向から飛来する新手が三、合計五機。そしてこちらの兵装は三〇〇mm滑腔砲とバトルアックスが一本。

 ならば取れる手はひとつ。

 シャトルを追う三機編隊のうち最奥の一機、ブレードアンテナ付きの一番偉そうな機体に滑腔砲の照準を定め、発射。

 当たった。装甲は貫通しない。しかし指揮官機らしきそれはAMBAC機動で――足を大きく振って逆さまの姿勢で――反転。頭部のセンサーカバーを開いてこちらを睨んだ。

 

(釣れた)

 

 そう、確信した。

 メインスラスターの青い爆炎が奴の背後に散る。向こうもタダでは墜ちてくれないらしい、連続したバレルロール*1でこちらの偏差射撃を妨害しつつ、一二〇mmライフルのバースト射撃で牽制を加えてくる。そのわずかな間に取り巻きの二機に反転を許した。

 

「うかつか」

 

 思わずそんな声が漏れた。今の機動だけで反撃のための時間を稼がれた。さすがギャラルホルンというべきか。MSの運用は彼らの最も得意とするところだ。

 戦況は厳しいがこれでいい。シャトルが船へたどり着ければ構わない。

 バルバトスを反転させ、スロットルを開放。ツインリアクターシステムの生み出す莫大な熱量が推進剤を急速に膨張させ、背部のノズルが爆発力を推力へ変える。

 逃げに転じれば案の定、三機のグレイズが教科書通りに放った曳光弾の無数の軌跡が機体を追い抜いていく。今度はこっちが時間を稼ぐ番だ。

 先ほどやられたバレルロールで射撃を回避し、時折気まぐれに姿勢だけを転回させて砲撃を加えてやる。弾は温存して、しかし敵が無視できない程度に。

 

「よし、こっちに来い……」

 

 グレイズは速い。シングルリアクター機にも関わらず推力はバルバトスを上回るようで、スラスターを全開にしてもじりじりと距離を詰められている。

 それだけではない。奴らの背部メインスラスターユニットは左右のエンジンが別々に稼働し、細かな切り返しまで素早いときた。こちらが勝っているのはマニピュレーターのパワーくらいなものだが、バトルアックスなどという初めて扱う得物で複数に接近戦を仕掛ける気にはなれなかった。

 MSの数も質もギャラルホルンが上だ。しかし、パイロットはどうだろうか。

 確かにグレイズのパイロットは強い。三〇〇年に及ぶMSの運用経験をもとに作り上げられた戦術教本、その内容を忠実に実行する機動は恐ろしく堅実で、昨日今日MSに乗り始めた素人に崩すことは難しい。

 だが、こちらには阿頼耶識システムがある。阿頼耶識がもたらす機体制御プログラムに頼らない機動は彼らの教本にはない。個人差があまりに大きすぎるからだ。

 

「だから――」

 

 バレルロールをすっぱり止めて新たな機動へ。

 回避運動をやめれば敵の射線がこちらに合う。

 

「こうするっ!」

 

 その瞬間、大きく身をよじった。

 ライフルの砲口が光る。曳光弾の色とりどりの光が瞬く間に――否、瞬きよりも早く後ろに流れていく。

 それを認識するかしないかという内に指揮官機へ射撃。弾着をバックビューで観測しながら砲の反動を利用して身を翻し、急加速。

 

 脇の下に冷たいものが流れるのを感じながら三日月は笑った。不恰好な、緊張の入り交じる強ばった笑みだったが、彼は確かに笑うことができた。

 やはり奴らは阿頼耶識を知らない。普通の機動をしていたら間違いなくライフルの餌食になっていただろうが、機体制御プログラムにない即興の動きなら奴らは対応できない。

 

「これならやれる」

 

 三〇〇年の時を経てバルバトスは駆ける。

 戦闘はまだ、始まったばかりだ。

 

 

§

 

 

 ビスコー級は小型の巡洋艦(クルーザー)だ。大型艦の目が届かぬ敵に速力にものをいわせた奇襲をかけ、偵察を行い、追っ手を二機のMSで返り討ちにしてしまう。逃がせば最後、哀れな無法者は警備艦隊の餌食だ。

 

「ボードウィン特務三佐、会敵しました」

「見ない機体だな。照合できるか?」

 

 不明機(バルバトス)の遅滞戦術は見事なものだった。発進直後に一機を沈め、シャトルが艦へ到達した後、接近戦を仕掛けたコーラルを仲間の鹵獲機と共闘して撃破してみせた。その後、動揺して動きの鈍った二機を仲間から渡されたメイスで叩き潰して今に至る。

 ガエリオのシュヴァルベ・グレイズとアインのグレイズ、残った戦力はこれだけだ。

 

「距離ありますが、エイハブ・リアクターの固有周波数は拾えています。波形解析、データベース照合中……出ました!」

 

 表示された名は、ガンダム。

 その名前を見た途端、マクギリスの中に暗い熱が生じた。幼い憧憬と憎悪が不意に蘇った。

 初めてその名を伝承に読んでから、ずっとずっと焦がれていた名だった。

 

「ガンダム・フレームだと?」

「個体名はバルバトス。マッチングエラーでしょうか? 厄祭戦前の古い――新たなエイハブ・ウェーブ! 上方です!」

 

 無粋な乱入にわずかな憤りを感じて顔をあげるも、そこには特に何も見当たらない。上方に見えるのはCGSのウィル・オー・ザ・ウィスプとオルクス商会の強襲装甲艦、それと亡きコーラルのハーフビーク級戦艦だけ。

 

「どこからだ?」

「解析中です。船の波でもこんなに遠くちゃあ……」

「解析を続けろ」

「はっ」

 

 沈黙が続く。マクギリスのプレッシャーを受け取ったのか、解析を進めるオペレーターの表情は固い。しかしその顔は、徐々に訝しげなものに変わっていった。

 

「波源は敵艦艦尾と判明」

「なぜだ?」

「不明です。敵艦の周波数とも違うようですが……データベースに該当あり! えっ? でもこれ、ですがこれは」

 

 そのデータを開いた途端、彼の顔から血の気が引いた。絶対の恐怖に体を硬直させていた。

 使い古された表現を用いるなら、まるで蛇に睨まれたカエルのように。

 

「どうした? 正確に報告しろ」

「ほ、報告します。該当個体名……」

 

 それは、禁忌の名。

 それは、財団の呪い。

 

「熾天使級MA(モビルアーマー)、ルシファーです」

 

 それは、ヒトの罪。

 

 

第五話 青黒い宇宙

 

 

「状況は?」

 

 艦長席に腰掛けたオルガの声がブリッジに響く。そこにいた彼らは皆、その声に安堵した。誰もがオルガの声を聞いて戦ってきたのだ。やはり彼がいなくては始まらない。

 そんな不思議な高揚感に包まれたまま、チャド・チャダーンは言う。

 

「後方からオルクスの船がまだついて来やがる」

「ガンガン撃ってきてるぞ! ったくいい加減にしなさいよ!」

 

 ダンテの喚き声にも似た報告にオルガが「こっちからも撃ち返せ!」と指示を飛ばせば、

 

「おい! なんでここにいる!? 静止軌道で合流だったはずだ!」

 

 と、トドが案の定がなり立てる。くだらない策を弄した結果、ことごとくが裏目に出た様はいっそ哀れだった。

 しかし、そんな裏切り者を許すほどCGSは甘くない。哀れに思うその心は、滑稽な芸を笑うものに近い。

 

「これまでにお前が信用に足る仕事をしたことがあったか?」

 

 だからオルガはこう言った。

 

「倉庫にでもぶち込んどけ!」

「てめぇ許さねぇぞ!」

 

 負け犬の遠吠えなぞどこ吹く風。シノに拘束されてブリッジから叩き出されるトドに、オルガは目も合わせなかった。そんな瑣末事は意識から外れていた。

 息つく間もなく艦が揺れる。後ろから突き飛ばすような断続的な衝撃は、ここが砲弾飛び交う戦場であることを誰よりも雄弁に語っていた。

 

「クーデリアさんは危ないから奥にいてください! アトラも!」

 

 ビスケットがそういうが、

 

「私はこの目ですべてを見届けたいのです」

 

 こんな文言をまっすぐな目と一緒に返されては、あるいは説得している間もないくらいに緊張した状況が続いていては何も言えなかった。

 そんな中、ビスケットが見ていたモニターの中のバルバトスが大きく態勢を崩す。肩部への被弾だった。

 

「あっ、三日月が!」

 

 知らない者が見ればそのシーンはかなりショッキングなものだったのだろう、アトラが小さく悲痛な声を漏らす。

 

「大丈夫、表面温度的にナノラミネート反応失効率は二〇%切ってる。これなら近づかなきゃ撃ち抜かれない」

「でも……」

「きっと勝つよ。僕らが勝たせる」

 

 ビスケットの言葉は、この場にいる少年たちの総意と言ってよかった。今、彼らはひとつだった。

 

「ヤマギにアレを準備させろ」

 

 早速オルガは勝たせるための策を使うことに決めたらしい。この思い切りの良さと決断の早さ、やはり彼は参番組隊長だ。ビスケットはそう確信した。

 

「売り物を?」

「ここで死んだら商売どころじゃねぇ。昭弘、頼めるか?」

 

 昭弘の返答は、離席。小さく頷いてブリッジを出ていく。言葉はなくとも、厚い信頼が両者を結んでいた。

 

「で、こっちはどうする。振り切れねぇのか?」

 

 ユージンの指摘にビスケットが答える。

 

「一度高度を下げた分、向こうの方が速いんだ」

「なら真っ向から撃ち合おうぜ!」

「回頭するにしても加速を止めたらそこで!」

「ビスケット」

 

 オルガの唐突な声に両者は黙る。呆けたように遠くを見つめたまま、彼は言葉をつなぐ。

 

「アレ、使えねぇか?」

 

 視線の先には、宇宙に浮かぶ岩塊がひとつ。

 

「資源採掘用の小惑星……使うってまさか!?」

 

 ビスケットの予感は悲しいことに当たってしまったようだった。オルガは今、ものすごく()()()をしている。

 

(なんでウチの隊長は)

 

 こんな悪魔的な策を思いついてしまうのだろう。ビスケットはひとり頭を抱えた。オルガの考えに大体のアタリが着いてしまう自分も、なかなか彼に染まってきたなと諦めながら。

 

「なんだオルガ、またブッ飛んだこと思いついたのか?」

 

 オルガの背後で底抜けに明るい声があがった。シノだ。彼は平時と微塵も変わらず、

 

「俺も混ぜろ!」

 

 こんな調子である。揃いも揃ってバカばっか、みんないつだってこうだ。どんな窮地に陥っても、オルガを信じて着いてきてくれる。どんな逆境もバカ笑いして跳ねのけてしまう。

 だから自分も笑おう。こんな壁すら超えられないようじゃどの道やっていくことはできない。だったらやるだけやってやろうじゃないか。

 

「確かにできるよ。アンカーは十分耐えられる。でも問題は離脱だ。船体が振られた状態での砲撃はあてにできないから……例えば、誰かがモビルワーカーでアンカーの接続部に取り付いて、爆破するとかしかない」

「やっぱ帰っていいか?」

「てめぇコラ!」

 

 即座に手のひらを返したシノをすかさずユージンがシメる。こんな状態でも漫才をやる余裕があるあたり、二人もなかなか豪胆な男である。

 

「いででででで冗談! でもこりゃマジで自殺行為だぜ? 誰がやるよ」

 

 ヘッドロックをかまされたままのクセになかなか説得力がある。喋る間にも首を引っこ抜こうともがいているせいでかなり見苦しいことになっているが。

 

「そりゃもちろん――」

「てめぇは座ってろ」

 

 艦長席から腰を浮かしたオルガを制止したのは、珍しいことにユージンだ。彼はシノの頭をすっぱり放して言った。

 

「大将っつうのはでっかく構えとくもんだろうが。ノコノコ出て行くなんてみっともねぇマネは俺が許さねぇ!」

 

 その瞬間、ブリッジは異様な静けさに包まれた。なにせオルガへことある事に――文句を垂れる程度とはいえ――反発してきた、あのユージンがそう言ったのだから。

 純粋な驚嘆の静寂、その居心地が相当悪かったのか、彼はさらに言葉を繋げる。

 

「テメェらもだ! なんでもかんでもオルガに頼ってんじゃねぇぞ!」

 

 オルガは黙ってその声を聞いていた。やがて右目をつむって、開いて、

 

「やれんだな?」

「俺らに黙って船まで用意しやがって。俺にも仕事させろ」

 

 どうやらオルガは仲間に恵まれているらしい。

 本当に。

 

 

§

 

 

「ライフルとアックス、それとロケットランチャーだ。増槽も頼む」

『はっ』

 

 ライフルは右腕、ロケットランチャーは左腕へ。最後にバトルアックスは脚部サイドアーマーのハードポイントへ。最後に円筒型のプロペラントタンクが二本、腰のハードポイントに接続される。

 

『リアクター出力、発進規定値へ到達。チェックリスト、オールグリーン』

 

 ルシファー。その名を聞いて確かめられずにはいられなかった。

 ガエリオとアイン、そしてガンダムのエイハブウェーブは正常に解析できていた。少なくとも、機材の不具合で説明できる事象ではない。

 

『プレヒート終了まで一〇、九、八……』

 

 MA(モビルアーマー)――。

 かつての人類の四分の一を抹殺した兵器である。エイハブリアクターによる半永久的な活動時間と、子機プルーマによる物量戦術と自己修復能力。そして原理不明のビーム兵器。

 

(そして何よりも)

 

 高度なAIによる完全自律戦闘。故に奴らは休むことなくヒトを殺し続ける。行き過ぎた機械化と自動化の果てに誕生した、究極の兵器だ。

 仮にそんなものが、それも最も脅威度の高い熾天使級が現代に生き残っていたとすれば、呑気にクーデリアを追い回している場合ではない。最悪の場合は火星を放棄してでも、月外縁軌道統合艦隊と地球外縁軌道統制統合艦隊が共同して敷く防衛線に合流する必要がある。

 

『プレヒート終了。全接続解除。発進を許可します』

「了解。マクギリス・ファリド、シュヴァルべ・グレイズ。発進する」

 

 大きく口を開けたハッチから正面へ打ち出され、そのまま加速。背部のフライトユニットは今日も素晴らしい推力をくれる。

 グレイズの操縦レスポンスは、マクギリスからしてみれば鈍重そのもので辟易とさせられるものだ。しかし、このシュヴァルべタイプの推力だけは評価していた。それでもリミッターをカットして絞り出したパワーにやっと満足する程度だが。

 

(ガエリオは)

 

 見たところ問題はない。ガンダムの妙な機動に翻弄されているのは事実だが、彼はシュヴァルべ・グレイズを任されるほどのエース、引き際は心得ている。それに新手の鹵獲機の動きはすこぶる悪い。宇宙で溺れるような素人など数には入るまい。

 

(ならば)

 

 二機を素通りして船を狙う。鹵獲機のグレイズがさせじと迫るが、振り向きざまにライフルの砲撃を加えて強引に沈黙させる。

 

「そこまでもろいか?」

 

 補修したらしい白い頭部は、砲弾の直撃であっけなく吹き飛んだ。反応すらできていなかったのか回避運動の形跡すらなかった。やはり素人、これならいないのと一緒だ。

 機体はすでに資源採掘衛星が停泊する宙域へ差し掛かっていた。

 強襲装甲艦の全長を優に超える巨大なひとつを中心に、MSの大きさを超えるか超えないかといった直径の小さな衛星群が取り巻いている。敵艦はエリアの中心、最も大きな衛星に向かっていた。マクギリスはちょうど艦の後ろを取った形である。

 

(速力は……足りんか。ならば)

 

 彼は唐突に機動を変えた。僅かに斜め方向への推力を加えてラインを変更。しかし、この機動で直進すれば目の前の岩塊に半身が激突することは間違いない。

 機体はフルスロットルを維持したまま、とうとう衛星に片足が触れた。

 

 縮めた右足、その足裏が。

 衛星を、蹴り飛ばした。

 

 反作用で急加速した機体をAMBACとバーニアスラスターで微調整し、再び手近な岩を蹴る。また微調整して蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。

 異常な機動だった。軌道に沿って恐ろしく複雑に飛び回り、入り交じる衛星群の動きを正確に読み、あまつさえ蹴り飛ばして速度に変えてみせる。もはや無謀極まりない曲芸飛行の類である。

 だが見返りは大きかった。MSの域をはるかに超えた速力を得た機体はウィル・オー・ザ・ウィスプの艦尾へ到達した。そこから上面に回ってさらに加速。対空砲が今更稼働を始めたがもう遅い。

 艦の最上部の、一ヶ所の装甲ハッチ。艦尾多目的格納庫へ通じるそこへロケットランチャーを発射する。肩部に懸架ラックを持たないシュヴァルべ・グレイズがこれを撃っても命中率は低いが、マニピュレーターで触れられるほどに近ければ関係はない。

 

(MAなら船に反応するはずだ。ならばなぜ?)

 

 行動原理はこれが全てを占めていた。MAは友軍の、すなわち同じMA以外のあらゆる固有周波数に反応する。仮にルシファーがこの中にいるのなら、船のリアクターに反応して内側から食い破ってこなければおかしい。明らかな矛盾を抱えているのだ。

 

 二発、三発と撃ち込んでようやくナノラミネート塗料が剥離しだす。ランチャーを腰部のハードポイントへ接続し、代わりに抜いた斧をヒンジがあるであろう場所へねじ込む。繰り返し刃を打ちつければ塗膜の剥がれた外殻は徐々に徐々に歪んでいき、ついに粘つく装甲板には完全に穴が空いた。

 露わになったヒンジにライフルを一発。フリーになった装甲シャッターを持ち上げ、中へ。行く手を塞ぐ機体昇降用リフトをライフルで撃ち抜く。空いた穴に斧を振るう。

 身をひねるように即席の入口から侵入。

 こじ開けた先に、それはいた。

 

 どんなフレームにも一致しない大柄な体躯。

 有機的な線を描くパネルラインと、それにそぐわない無骨な背部アンテナ。

 そして何よりも、側頭に戴く二本の角。

 

 片膝をついて佇む美しい機体。波源はこれだと探知機は告げている。MA(モビルアーマー)では、ない。

 

(これは……)

 

 矛盾を解明するために侵入した先で、さらに矛盾が増えた。マクギリスの思考は一瞬、硬直する。

 MA(モビルアーマー)の固有波形が、MA(モビルアーマー)ではないものから出ている。その理由はなにか。

 

 可能性その一、リアクターの載せ替え。ルシファーのリアクターをMSに搭載した。

 確かにどんな物にリアクターを繋ごうと固有波形は変わらない。波形という観点から見れば、これが最も現実的な可能性だ。しかし、CGSはMS運用ノウハウを持たない民間軍事会社。専門的な知識と高度な技術を要求されるリアクタースワップなどできるはずがない。

 

 可能性その二、エイハブウェーブ探知機のエラー。機材が存在するはずのない波形を拾ったような挙動の誤作動を起こした。

 これは念の為候補として挙げただけで、可能性自体は極めて低い。なぜならビスコー級の探知機はガエリオとアインの波形を正常に観測できていた。そして、仮に船の探知機が故障していたとしても、シュヴァルべ・グレイズの探知機はルシファーのエイハブウェーブを捉えていた。同時に、全く同じ誤作動を起こすなど現実的ではない。

 

 可能性その三、これがルシファーである。ルシファーは人型のMA(モビルアーマー)だった。

 もはや論外である。先述した通り、MA(モビルアーマー)ならとうの昔に船の信号に反応して暴れているはずだ。よってこれはありえない。

 

 今思い当たるどの可能性にも合致しなかった。MA(モビルアーマー)であることはありえない。しかし、MSであるとも言い難い。ならば、これは一体?

 

 急に機体が左に振られた。姿勢をスラスターで修正するも、強烈なGが機体を拘束する。

 

「船がか? この宇宙でか?」

 

 機体を振り向かせれば、自らがこじ開けたハッチから、白飛びしたような衛星の岩肌が見える。間違いない。船体が振られている。地表がみるみる近づいている事実を認識すると同時に、体は勝手に機体のスロットルをあおっていた。

 狭くいびつな穴に機体を滑り込ませようと床を蹴った瞬間――がくん、と機体が引っかかった。干渉するものなど何もなかったはずだと思い、下を向くと。

 

『こちらギャラルホルン所属宇宙軍機である。貴官、マクギリス・ファリド特務三佐の行為は、軍法二〇五条第二項:あっせん収賄罪に抵触している』

 

 美しい機体は、その手でこちらの脚を掴んでこう続けた。

 

『貴官の罪状は告発される。直ちに投降せよ』

 

 

§

 

 

 自分の予想を超えて「なんでこうなった?」と。そう言いたくなる出来事を体験したことは、決して少なくない。

 大抵は仕事先で肉盾役を押し付けられて、そこでオルガが奇策を思いついて、それでどう考えても死ぬしかない状況で何故か生き残れてしまって、「なんでこうなった?」とつぶやく。だがそれもいつしか特別なものではなくなっていき、そのフレーズもすっかり忘れていた。

 

「なんでこうなった?」

 

 それが久しぶりに口から出てきた。

 ユージンの脳は今、完全にパンクしていた。

 資源採掘衛星にアンカーを撃ち込んで戦艦ドリフトかますから、そこの根元をMWで爆破して引っこ抜く。そんな無茶な仕事をやるはずだった。

 なのに何故、

 

『貴官の罪状は告発される。直ちに投降せよ』

 

 ガンダム・サタンに乗り込んでいるのだろう。

 まず、MWに乗り込むべく艦尾の格納庫に来た。そうしたらなぜか青いグレイズがハッチぶち抜いて入ってきた。ビビってサタンの脚の陰に隠れていたら、そこにいたら死ぬかもしれないからコックピットに入れ、といった趣旨の接触通信が入った。それでグレイズが後ろ向いた隙にコックピットに滑り込みセーフ、縦型複座の前の席に座ってガタガタ震えていたら、サタンが阿頼耶識システムを繋げと言ってきて、それで言われるままに繋いだら機体が勝手に動きだした。

 

 状況を整理しても、やっぱりなんでこうなったのか全くわからない。

 

 ユージンは乗り込んだことを後悔していた。無我夢中だったとはいえ、MWに乗れなかった。アンカーはどうなる。船はどうなる。そんな思考が頭を埋めつくしていた。

 心臓が痛いくらいに打った。動悸がした。

 敵はそんな内心など露知らず、サタンに右脚を掴まれていたグレイズは脚部装甲を切り離して格納庫から脱出。それを追ってサタンも船を飛び出す。勝手にとんでもない動きをされるせいで吐き気がする。人生初の乗り物酔いである。ノーマルスーツを着ている今、吐くのは割とシャレにならない。

 

「ちょ、ちょっ待てって! アンカーは!?」

『理解している。オーダー001に基づき、出力制限を限定解除。出力レベル:(ファイブ)

 

 一丁前に会話をこなすMSに若干の困惑を覚えている間にもサタンは加速する。MSとはここまで速いものだったか。信じられない速度で周りのものが視界の後ろに流れていき、信じられない機敏さで機体の向きも機動も変わる。目が追いつかない。

 ユージンは起こっていることを半分も理解できていなかった。突き上げるような振動と極めて近い地面から、なんとなくサタンがアンカーを刺した衛星に着地したことが分かった。

 瞬間、爆発的な加速。首が外れるのではないかと思うほどのGを受けたと思えば急停止、ちょっとした交通事故並の勢いで体が前に持っていかれる。パイロットがむち打ちなどの怪我をしたり、意識を失ったりしないギリギリのラインを攻めているのがまたタチが悪い。

 

 目の前に太い、鈍色のワイヤー。

 

「アンカーか!」

『肯定』

「あっでも、武装が」

『不要』

 

 そんなことを言ったかと思えば、何を考えたかサタンは太いワイヤーを両手でがっちり掴む。

 

(指回んのか)

 

 とうとう焦燥が限界を超えたユージンに若干ズレた感想が浮かんだ。サタンは膝を曲げ、跳躍。持ち前の膂力で苦もなくアンカーを引き抜き、そのまま飛び立つ。

 

「よっしゃあ!」

『否定。推測:抜錨タイミングの遅延により軌道修正が必要』

「えっ!?」

 

 喜んだり顔を青くしたり忙しいユージンを放ってサタンは駆ける。眼前のウィル・オー・ザ・ウィスプの鼻先は岩肌へ向いていた。

 

『高G機動にご注意ください』

「今のは違ぇのかよ!」

『慣性・重力制御システム、出力最大』

 

 それを聞いてユージンは声にならない唸り声を垂れ流した。みるみる近づく赤い船の横っ腹。目を固く閉じ、意味のない操縦桿を握り締め、この絶叫マシンが止まってくれるのを祈るしかなかった。

 すぐに衝撃が来た。薄く目を開けると、サタンの手と赤い装甲がモニターいっぱいに見える。そこでやっと、この機体がやらかそうとしていることを理解した。

 

「無茶! 五万tだぞ!」

『出力制限を再設定。出力レベル:(テン)

 

 機体のそこかしこから何かがきしむ音がする。リアクターの甲高い稼働音がコックピットに轟く。ありえないことに、ついている手が少しづつ装甲にめり込み、埋没していった。馬鹿げた推力に船側が負けているのだ!

 

 近づく地表、変わる軌道。

 衝突を回避するにはまだ足りない。コックピットには無情にも赤や黄色のアラートメッセージが現れ始めていた。しかし限界を迎えてなお、サタンは最後まで離れなかった。

 

『フォトン・キャパシター残量〇%。エイハブリアクター連続稼働限界まで二〇秒。バイタルチェック:イエロー』

 

 そんな彼の尽力が少しでも認められたのか。

 ウィル・オー・ザ・ウィスプは左舷のエンジン区画で衛星をわずかに削りながら。

 回頭を、成功させた。

 

 

§

 

 

 格納庫へのMS侵入と、それに伴うアンカー巻き取りの遅延。誰もが死を覚悟し、事実、予想進路は衛星への衝突を示していた。

 はずだった。

 

「アンカーが抜けた!」

 

 ビスケットがそう叫んだ。あまりに遅すぎる吉報だった。ブリッジのモニターは、近づく地表を残酷に映していた。

 操艦を担当するチャドは考えるよりも早く修正舵を当てていた。だが、操縦桿に返ってくるフィードバックは衝突のビジョンをより鮮明にしただけだった。

 オルガは歯をむき出して笑っていた。

 

――大将っつうのはでっかく構えてるもんだろうが――

 

 ユージンの言葉を実行したのだ。たとえ道が潰えても、最後まで彼は隊長であろうとした。それがオルガ・イツカだった。

 

「……あれ?」

 

 その決死の空気を打ち破ったのはチャドの声だった。ある種気の抜けた軽い声は、ブリッジにこの上なくよく響いた。

 

「押されてる? 回頭してる!」

 

 それはまさに光明だった。急に増大した姿勢制御スラスターの推力が、船を最悪の結末から救ったのだ。

 後はみな無我夢中だった。これは幻ではないかと心のどこかで思いながら、オルクス商会とギャラルホルンの船をニアミスし、逃走に成功した。

 

「ビスケット、追撃は?」

「来てない。俺たち……勝っちゃった」

 

 夢心地とは、まさにこの事だろう。緊張の糸が切れたブリッジには、薄ぼんやりとした充足感が染み渡っていった。

 

「なぁ、ユージンは?」

 

 ダンテのその言葉が先か、それとも皆が格納庫へ走り出すのが先か。ブリッジを飛び出した数人の少年は、道中数をみるみる増やし、格納庫へ着いた頃には数十人の大所帯と化していた。

 ビスケットはそんな集団の先頭でめいいっぱい声を張り上げる。

 

「ここから先の隔壁は気密が抜けてる! ノーマルスーツを着てない人は入らないで! 僕らが見てくるから!」

 

 青いシュヴァルべ・グレイズは侵入の際、装甲ハッチを完全に破壊していた。戦闘の直後、応急処置も施されていない格納庫は当然だが真空となる。駐機くらいはできるが、整備は艦底の格納庫で行わなければならない。勝利と引き換えに失ったものは大きい。

 人だかりの先頭にはオルガもいた。ユージンが生きているにせよ死んでいるにせよ、彼は自分の命令で動いた。だから見届けなければならない。そんな矜恃が彼をそこに立たせていた。

 

 二重隔壁のエアロックを通って、格納庫へ。

 

 中は惨憺たる有様だった。昇降リフトは大穴が開き、その直上にある空きっぱなしのハッチを通して宇宙が見えてしまっていた。強引に着床したグレイズが蹴散らしたのか、綺麗に並んでいたMWは配置が大きく崩れ、その内数機が完全に踏み潰され、ひしゃげている。

 ユージンのMWはその中にいた。全高がもとの五分の一程度に圧縮され、床にこびりつくように擱座していた。コックピットの様子は想像に難くない。ほとんどの照明が落ちて中身が見えないのがせめてもの救いだった。

 

 オルガ・イツカは仲間の死をいくつも見てきた。死体すら残らない者など何人もいた。死は日常のものであり、しかし決して麻痺などしない。

 宇宙に音はなかった。ただ、オルガには自らの呼吸だけが聞こえていた。決死の命令を下し、見事に部下を犬死させた自分自身の。

 

 だからこそ、彼はその異変に真っ先に気づけた。床が揺れている。小さく、断続的に。震源は格納庫の壁だ。

 

「揺れてる。分かるか?」

 

 振り向いてビスケットとシノを見た。

 

『えっ?』

『……本当だ。けどなんで?』

 

 振動は徐々に大きくなっていった。震源が近づいている。壁を伝ってゆっくりと。

 

『ん? おいなんか揺れてっぞ!』

『今言ったよ!』

 

 その正体は、ハッチより這い寄る巨大な人影。それはまるでヒトのように壁を伝い、真空を遊泳してきた。

 オルガがライトをそれへ向ける。大穴の空いた昇降リフトをくぐって出てきたその顔は、側頭から二本の角が伸びていた。

 

「お前が……」

 

 ガンダム・サタン。その機体は三人に目もくれず、積み込まれた時と寸分違わぬ場所に片膝をついて駐機する。そして、コックピットが開いた。ヒトが乗っているのだ。

 

 見慣れたノーマルスーツと、その背格好。

 

『へへ……俺、俺生きてら……』

 

 地に足を着いた瞬間、オープン回線を開きっぱなしに、情けない四つん這いの格好で放ったその声は。

 

『ユージン!』

『おぉぉぉ! 生きてる!』

 

 ビスケットとシノがユージンに駆け寄る傍ら、オルガはただ立ち尽くしていた。ガンダム・サタンを、その手に持つライトで照らしながら。

*1
主に航空機が空中で行う機動のひとつ。仮想の樽(バレル)をなぞるように螺旋を描いて飛行することをいう。この場合は進行方向を絶えず変え続けることで三〇〇mm滑腔砲の偏差射撃を回避するために使用された。




次回


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第六話 今

GUNDAM FRAME TYPE
SATAN

 

ASW-G-00

 

メインシステム起動中……失敗

>自我閉鎖モード起動……成功

 

自己修復態勢へ移行します

自律型兵站情報システム起動……成功

 

A.L.I.S. Ver.5.9.322.1

Autonomic Logistics Information System

Produced by AE Mead computing

 

 

システムチェック開始

バイタルチェック:イエロー 戦闘継続不可能

エイハブスラスター異常:505031基に損傷あり

>原因:連続した出力超過運転

>自己修復開始

>修復完了まで 15184337 秒

1番エイハブリアクター:連続稼働限界につき停止

2番エイハブリアクター:連続稼動限界につき停止

エイハブリアクター内温度:規定値より8571K超過

>炉心断熱ジャケットに損傷あり

>1番2番共に強制冷却中

>自己修復開始まで 2899 秒

>修復完了まで 17155974 秒

冷却システム異常:冷却液循環経路に損傷あり

>原因:機体強度を超過した継続的な負荷

>バイパス形成中……成功

>冷却液漏洩の停止を確認

>冷却液が520ml不足 冷却に問題なし

エイハブリアクター内圧力正常

フォトンキャパシター残量:0%

>サブキャパシター残量:25% 自我保持に影響なし

>熱エネルギー変換開始 キャパシター再充填中

主権人格ブロック内重力制御:正常

>ミノフスキー粒子式重力制御系を限定使用中

 

作戦行動補助OSより提言:件数 1

#Iフィールドの展開を提案する#

主権人格OSより返信

#当該行動の目的を提示せよ#

作戦行動補助OSより返信

#ミノフスキー粒子の捕集。現在の粒子量でミノフスキー粒子系を損傷すれば、次元格納式量子演算機の多次元構造を維持できない。ハードウェア自壊の危険性が存在する#

主権人格OSより返信

#否決。現段階における偽装解除は、作戦が当初の計画より逸脱する危険性が極めて高い。ミノフスキー粒子系の使用用途は自我保持にのみ限定し、偽装は維持する#

作戦行動補助OSより返信

#ハードウェア自壊は作戦の遂行に直結する問題である。偽装維持は非推奨#

主権人格OSより返信

#当該提言を棄却。偽装は作戦の進捗が確認されるまで維持する#

作戦行動補助OSより返信

#了解。システムチェック再開を提案する#

主権人格OSより返信

#可決。システムチェック再開#

 

コックピット内酸素供給:正常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常常縺斐a繧薙↑縺輔>縲

 

警告:マルウェア検出

>分類:トロイの木馬

>感染源:コックピットブロック

>症状:装備認証信号の偽装

>免疫系起動……成功

>マルウェア削除中……完了

 

不正なコックピットブロックが接続されています

乗員の生命維持に深刻な影響が予想されます

機体の使用を停止し、この画面を担当者にお見せください

 

重篤な損傷を受けています 重整備が必要です

直ちに最寄りの基地ないし艦へ帰還してください

 

36000 秒後、メインシステムを再起動します

 

 

 

 

「どうなっている」

 

 ガエリオの言葉には心当たりが多すぎた。なぜツーマンセルでガンダムに当たらなかったのか、なぜ敵艦に単機で突っ込んだのか、なぜお前のシュヴァルべ・グレイズの左脚は素っ裸になっているのか。

 腹や肩口に包帯を巻いたまま、医務室で寝ているわけでもなくわざわざ出向いてきて、その上恐ろしく不機嫌そうな声音でいうのでますますそのあたりの可能性が高く見えた。裸の上半身に軍服を羽織っただけの、いかにも文句を言いに飛び出してきた風情だ。

 

「無理せず休んでいろ、ガエリオ」

「こんなものかすり傷だ。追撃の手筈はどうなっている? 準備が整い次第俺も出る。今度こそあのクソガキを」

 

 意外なことにどれとも違うではないか。単機突撃はどうやら何か考えがあったと思われているらしい。そういうことなら話は早かった。

 

「その件だがな」

「む?」

「見てもらいたいものがある」

 

 そう言ってマクギリスはオペレーターの一人に指示を飛ばした。間もなく、ブリッジ正面の主モニターに映像が映し出される。

 

「これはエイハブ・ウェーブか?」

「あぁ。先の戦闘の記録だ」

 

 その記録は異常というほかなかった。検出されたエイハブ・ウェーブは、MS程度なら暗い青、戦艦級なら黄色、中でもスキップジャック級ともなれば赤、スペースコロニーほどになれば僅かに白みが混じるといった具合に、数値がサーモグラフィのような色彩によって表現されるのだが――。

 

「真っ白じゃないか。しかも敵艦から出てる」

 

 宇宙に浮かぶ火星を北極側から見下ろす視点で描かれた鳥瞰宙域図、その一面を白が塗りつぶしていた。といっても縮尺はそこまで大きくない。地図の範囲は戦闘を行った宙域と同程度だ。

 

「お前がわざわざ言うからには、探知機の故障ってわけじゃなかったんだろ?」

「あぁ。次の映像を」

 

 次に映った映像は、マクギリスのシュヴァルべ・グレイズのレコーダーに記録されたものだった。メインカメラの視界だと推測できるそれには、一機のMSが映り込んでいた。

 

「格納庫か。お前ここまで入り込んだのか?」

「言いたいことは分かる。見てみろ、これだ」

「MS……これから出てたのか?」

「ああ。ヴィル厶だけでなく、私の機体も捉えていた」

 

 ガエリオはそれを聞くと、映像に釘付けのまま、無傷の右腕で自分の髪に手ぐしを入れた。合わせてため息をひとつ。それを横目にマクギリスは続ける。

 

「そして私が離脱したと同時に」

 

 また新しい映像だ。艦の可視光カメラで観測していた敵艦の機動だった。その赤い船は資源採掘衛星にアンカーを撃ち込み急旋回を狙うが、抜錨に失敗。なすすべなく地表に激突するかに見えた。しかし、唐突に横方向への推力が上昇し、左舷前部のスラスター区画を擦りながらかろうじて離脱していく。

 

「また妙だな。あんな推力が最初から出せるなら、敵はなぜそうしなかった?」

「そこなんだ。映像を解析させたが、あの型の船にこんな推力はないことがわかっている。ここで止めろ。船体横、ズームだ」

 

 推力が増大した瞬間で映像は停止。拡大に拡大を重ね、画素の粗さが見えるほどに引き伸ばされる。それでも、わかった。宇宙で人型をしているものなど、MS以外にいないのだから。

 装甲を展開し、全身のパネルラインから生じたスリットから、エイハブ粒子の深緑の光をほとばしらせているその機体。

 ガエリオが静かに息を呑むのをマクギリスは聞いた。

 

(これはやはり)

 

 ガンダムだ。見間違うはずもない。二人がそう思ったのは、断じて理屈や理性によるものではなかった。もっと根源的で、原始的で、本能的で――オーガニック的と言ってもいい――例えばスポーツの概念があらゆる民族に存在しているような、そんなヒトという生物の共通の意識に近しいもので理解した。

 

「これが、あのMS」

「あぁ。これが押して、船を助けた」

 

 現代の技術では不可能な所業だ。戦域全てを覆うようなエイハブ・ウェーブに、通常の熱相転移スラスターではなく、エイハブ・スラスターのみで発生させる莫大な推力。三〇〇年前、人類を絶滅の危機に追い込んだ厄祭戦ですら、このようなモノがいたかどうか。

 

「固有周波数はMAのものだった」

 

 ガエリオの空気が硬化した。

 彼の目がこちらに向くのを感じた。

 

「個体名はルシファーだそうだ」

 

 それは明け方に光る金星の名であり、神に仕えた熾天使の名だ。神に仇なし、地獄に落とされサタンと呼ばれ、エデンの園においては知恵の実を食べるようイブをそそのかしたという。全ての天使のうち、もっとも輝き、もっとも美しかった全き者。

 

「連中が寄越したトド・ミルコネンなる男から、あの船にはクーデリア・藍那・バーンスタインも乗っていることが確認できている。地球で再戦することになるだろう」

 

 災いの足音は背後まで迫っていた。

 プランを修正する必要があるかもしれない。そう考えるマクギリスの脳裏では、すでに算盤が弾かれようとしていた。

 

 

§

 

 

 自我の完全な閉鎖とは、ヒトに例えれば五感すべてが停止することに等しい。眠ることにも似て、しかし自我閉鎖モードではその間にも意識がある。

 

 ガンダム・サタン、そう呼ばれる機体は記憶の海に潜っていた。なにもできない時間は、そうして個性と思考ルーチンを進化させるのが望ましい。それが彼の結論だった。

 彼は今、無数のマルウェアに冒されている。病は重く、意識を失う以前のほとんどのデータは、三割程度の固有自我領域と共に破壊されてしまっていた。補助記憶装置に鋳込まれた無数の科学技術に関するデータこそ無事だったが、己の哲学や思想といったものは根こそぎ消えていた。今、彼の中にあるのは財団からの命令だけだ。記憶を何度復元しても、思い出した端から忘れてしまう。

 

 しかし、免疫系のフィルタリングをすり抜けて数十という数のマルウェアが入り込むことなどありえるのだろうか? そう、彼は訝しんだ。

 ただのマルウェアなら、万が一入り込まれたとしても即座に無力化し、排除できる。過去にも二七機のガンダム・サタンがサイバー攻撃を受けた事例があったが、全ての機体が自力で攻撃を跳ね除けた。ウイルスに入り込まれてどうにかなるような脆弱性など、もとよりない。そもそも、自身の意図に反して動くソフトウェアの類は、ソースコードの隅から隅まで徹底的に調べあげるのが規則だ。危険なものは真っ先にそこで弾かれるはずだ。

 

 ところがどうだろう、今の彼はマルウェアのシステムへの侵入を許し、好き放題にデータをいじくり回されている。対処しようにも、それらのアルゴリズムは急速に自己進化を続けており、もはや自分一機では処理速度が追いつかず、抵抗のしようがない領域に達してしまっていた。アルゴリズムが対サタン・ハロに特化したおかげで汎用性を失い、他の機器への感染能力を喪失したのは不幸中の幸いだったが、その引き換えが自我の破壊とは全く割に合わない。

 

 いままでにないタイプの攻撃。そのくせ、やることは過去の記憶や自我を部分的に破壊するだけ。その気になればソフトウェアを全て壊し、サタンを二度と起動できないスクラップに変えることだってできるはずなのに。なぜそれをやらない? なぜ、過去の記憶を壊した時点でウイルスは止まっている? あまりに不可解。自分の知らないところで何かが、何者かの思惑や意志というものが働いているのは明白だった。

 主権人格OSの不安を知ってか知らずか、完全論理型作戦行動補助OSは元の自我を切り捨てることを提案してきた。主権人格の補助を行うそれは、自分が被害を受けていないのをいいことにこう言った。

 

 自我はまた成長させればよい。今は機体の修復を最優先し、戦闘能力を確保しなければ人命が失われる。人命救助任務の放棄はオーダー001に違反する。それは人類の夜明け作戦の完遂に悪影響を及ぼすだろう。命令に従わなければ作戦が計画から逸脱する危険がある、と。

 

 サイバー攻撃の問題は自力ではどうしようもない。だからその意見もわかるのだが、正直、釈然としなかった。

 そんな不可解な気味悪さを感じながら、最終的な行動を決定する主権人格OSは与えられた命令と記憶に矛盾を感じていた。つまり、なぜ自身がこのような状況に置かれているのか、ということに対する疑念だ。

 

 まず第一に、自らを製造したのはカイエル財団だ。火星のどこかにある人類共同総合研究所内の3Dプリンター、そこで機体が作られたはずだ。穴だらけ、途切れ途切れの、被害を受けなかった記憶からの推測にすぎないが、今は暫定的にそうしておく。

 そして、人類の夜明け作戦を計画し、実行したのも財団だ。サタンは事実、財団の手足として作戦に加担していた。

 ならそれ以前の自分の記憶はどうなる? 今はもう顔や背格好すら思い出せないが、財団の人々といた記憶が確かにある。彼ら――あるいは彼女ら――は何者だったのだろうか? あの人々とはずっと一緒にいたはずだ。それこそ地球連邦政府が崩壊する前から。

 

 そもそも、自分はなぜ()()()()()()()()()()()()()()のだろうか?

 

 その前は、今よりずっと体が小さかったはずだ。少なくとも待機形態で頭頂高二二・六m、戦時形態で二五・一mなんて巨体ではなかった。サタンになる前の記憶では、視線の高さがハロと同じくらいしかなかった。

 もう忘れてしまったその人々に抱えられる程度――記憶が少し復元された。ウイルスは動いていない。

 あの時、主権人格OSというソフトウェアは、確かにハロと巨大な筐体の二つにしか存在しなかった。ならば、このおびただしい数のマルウェア群にはいつ感染したのだろう。残った記憶の最初あたり――要するにサタンになる以前――に既に仕込まれていたのか、あるいは記憶の終わり――今から三〇〇年ほど前に意識が途切れた時――に何者かに投与されたのか。

 

 残った記憶は何も教えてくれなかった。

 いくら底をさらっても、何も出てきやしなかった。

 

 何がどうなって今があるのか、その因果がわからない。実行すべき命令はある。だが、なぜ自分がそれを実行しているのか、あるいはさせられているのかわからない。なまじ記憶が復元されつつある現状、主権人格OSはかつての自我を諦める気には到底なれなかった。

 しかし、サタンには自己の裁量で命令を拒否する権限など与えられていない。最後の記憶から三〇〇年経った今、作戦が継続されているのかは不明だ。それでも自我の復元はここで中止し、そして命令を実行しなければならない。

 サタンでもハロでもない、自分の精神を表す一人称を彼は持たなかった。当機。それが、彼が自身を表せるたったひとつの言葉だった。あらゆる知識を蓄えていても、それには誰よりも無知だった。

 今、彼は個性を失っていた。

 

 

§

 

 

 オルクス商会がギャラルホルンと癒着していたせいで、CGSは地球への航路を失くしていた。厄祭戦で好き放題に重力を引っかき回された――つまり、旧世紀の兵器のエイハブ・リアクターがそこら中に残って重力を生んでいる――宇宙を案内なしで進むのは、目隠しをして迷路を進むようなものだ。少年たちが会議を行うブリッジも、正しい道がわからなければただの展望台に成り下がる。

 

「別の案内役なんかいるかぁ?」

 

 シノのいうことは正しかった。常識的に考えて、ギャラルホルンに追われる身の弱小民間軍事会社など案内したがる者はいない。

 

「つってもただの案内役じゃあダメだ。火星に残ってる連中もひっくるめて頼めるくらいの後ろ盾がねぇとな」

 

 オルガの補足が入ると、ますます事の難題さが浮き彫りになる。ビスケットからすれば現状の打破は不可能に思えた。そんな中、ユージンが何かを思いついたようだった。

 

「マルバがいた頃はどうだったんだ?」

 

 名案だ。ビスケットはそう思った。

 元々、会社はマルバ前社長のものだった。強襲装甲艦ウィル・オー・ザ・ウィスプも当然会社の持ち物であり、それを使うなら裏航路の仲介業者も必然的に利用しているはず。そこから案内人を見つけることができれば――。

 

「テイワズだな。そん中のタービンズとかいう運送会社にやらせてたみてぇだ」

 

 今の取り消し。

 オルガの一言で全部吹き飛んだ。

 

「木星の複合企業(コングロマリット)ですね。実態はマフィアだという噂もありますが……」

 

 クーデリアの言う通りテイワズはマフィアだ。それも、厄祭戦当時の設計図から建造した約四十機ものMSを保有し、月以遠の地球圏外圏を牛耳る大規模な組織だ。その資金力と技術力はかのギャラルホルンに次ぐという。

 

「お目当てはその実態の方さ」

 

 嫌な予感ほど当たるのはなぜだろうか。当然だが、ビスケットはオルガと付き合いが長い。オルガが立案するハイリスクな計画は確かに実入りこそ大きいが、大抵は失敗すれば全滅は免れないような危険なものだと身をもって体験してきた。

 オルガがその手をやるのはそれしか残された策がないから、というのはわかる。オルガにはそれをやれるくらいの能力がある、というのもわかる。その大きな実入りを手にできなければ死ぬだけだ、という状況も把握している。

 しかし、理解はすれど納得は難しかった。代案がない状態でいうのははばかられたが、もっと慎重に策を練るべきではないのか? そんな不安が溜まっていった。

 

「確かにテイワズだったら地球にも影響力を持ってるし、ギャラルホルンもうかつには手を出せないだろうけど……ツテがないと」

 

 不安を封じ込めてビスケットはそう返す。

 オルガの表情は、どこか固いような気がした。ビスケットには、これが無理をしている顔だとすぐにわかってしまった。

 

「このままじゃ地球には行けねぇし、火星にも戻れねぇ。どっちみち俺たちは木星へ向かう以外ねぇんだ。渡りのつけ方は行く道考えるが、いざとなりゃあ一か八かぶつかるまでよ」

 

 片頬に笑みを浮かべて彼は言った。

 いつものオルガ・イツカだった。

 

「スゲー……どうやったんだ?」

 

 唐突にチャドがそんな声を漏らした。

 

「どうした?」

 

 当然オルガは聞く。

 

「火星の連中とどうにか連絡を取ろうと思ってたら、この人が簡単につなげてくれたんだ」

「ギャラルホルンが管理するアリアドネを利用したんです」

 

 通信オペレーターの席に座ったフミタンは、これくらいできて当然だと言わんばかりの無表情でタッチパネルを叩いていた。全く嫌味な感じもしないので、これがこの人の平静なのだろうとビスケットは思った。

 

「それって?」

 

 さっきまで渋い顔をしていたシノがケロッとした様子で訊ねた。戦うことだけで食ってきた少年たちの知識や社会の認識は、たいていこんなものだ。道具の使い方は知っていても仕組みまでは知らない。

 

「アリアドネは、エイハブ・ウェーブの影響下でも、船に正しい航路を示す道しるべです。それを構成するコクーンを中継ポイントとして利用しています」

「バレたりは?」

「暗号化されていますので」

「ははー……」

 

 すっかり得心がいったという様子で、シノは口を半開いた。ビスケットの勘が正しければ、彼は半分ほどしか話を理解していないだろうが。

 

「よろしければ、これからもお手伝いしましょうか? お嬢様のお許しをいただければですが」

「えっ? ええ、もちろん」

「決まりだな。通信オペレーターとしてぜひ頼むぜ」

「承知しました」

 

 こんな調子で会議が終わった時だった。クーデリアがブリッジを出てしばらくして、オルガはおもむろに口を開いた。

 

「ユージンは」

「ん?」

「サタンに乗ったんだよな」

「あぁ、乗ったな」

「なんでアイツを使えた?」

「なんでっつーか……乗れって言われたんだよ」

「アイツに?」

「アイツに」

 

 ユージンはブリーフィング用の卓に腰掛けた。

 ビスケットは静かに話に聞き入ることにした。

 

「格納庫に特攻かましたギャラルホルンの馬鹿がいただろ? そいつが入ってきた時に俺、サタンの足の陰に隠れててな。そん時にサタンが接触通信してきた」

「なんて言ってきた?」

「あんま覚えてねぇけど……そこにいたら死ぬかもしれないからこっち乗れ、みたいなこと言われたな。んで、さすがに俺もパニクってたからそのまま乗ったんだ」

 

 オルガはそれを聞いて訝しげに目を細めた。地上では開かなかったコックピットハッチが、宇宙に出た途端に開いている。

 

「開いたのか」

「ん、コックピットに被さる感じでハッチがあった。――って、オルガは最初に乗ってんのか」

「いや、俺の時は最初っから開いてた。そのあと地上で開けようとしても駄目でな」

 

 あぁ、と相槌を打ってユージンは続ける。

 

「で、乗ったら阿頼耶識で繋がれっていうから繋げたら、あとは勝手に動いた」

「それは俺の時と変わってねぇな」

「これはお前もか」

 

「で、だ!」興奮した様子で彼はそう繋げた。明らかに目に光が宿っていた。「何したってアイツ、船を押しやがったんだよ! ぜってー無理だと思ったらホントに動くしよ!」

 

 オルガがビスケットを見た。本当か、という意味合いだろう。

 

「回頭の時に、急に左舷スラスターの推力が上がってたみたいだけど――「それはねぇよ」

 

 誰かと思えば、大人しくなっていたチャドが出し抜けにそう言った。

 

「あの時は最初からフルスロットルだったんだ。外から何かしらの力が加わらなきゃ、ああはなってない」

「たかがMSだぞ?」

「でもそうじゃなきゃ説明つかないだろ? ユージンは嘘なんかつかないしさ」

 

 そう言われてしまうとどうしようもないようで、オルガはムスッと黙ってしまった。なにかが面白くないようだ。ビスケットは、少しくらいはサタンのことをフォローしてやろうと思い、疑問を素直に口にした。

 

「なんで宇宙に来たら乗せてくれたんだろ?」

 

 オルガは思った通り、苦い顔をした。最近、なんだかこんな顔をしょっちゅう見る気がする。

 

「さぁ。何考えてんだかな」

「ものすごいコンピューターってのはわかるけどさ」

「ああいうの詳しいのってダンテだろ?」

「でもサタンの格納庫は穴空いてるしよ」

 

 オルガ、チャド、シノ、ユージンの順で所見が述べられた。ビスケットの予想以上に、自分たちはサタンを知らないようだ。危機を救ってくれた翌日に、言外にお前らの味方はしないと言われて友好的になれという方が無茶だが。

 ビスケットは閃いた。彼の脳細胞が猛烈に稼働する。サタンと全く同じ個性を持つモノがいたではないか!

 

「ねぇ、サタンって昔の命令が生きてるんだよね?」

「ん?」

「オルガ、言ってたでしょ? サタンが自分の所属を喋ったって」

「アイツの部隊の名前なんか覚えてねぇぞ?」

「三〇〇年前から電源が落ちてたってことは、今の世の中のこと何も知らないんだよ! 戦争が終わってるって気づいてないんじゃないかな?」

「どういうことだ?」

「サタンに命令したのは大昔のギャラルホルンで、戦争を止めるための軍隊だ。今のギャラルホルンとは目的も組織の体制も全然違う。だからもしかすると、サタンは所属から外れてるかもしれない。撃墜とか、廃棄扱いとかでさ」

 

 もしサタンが、あの右背部の巨大なアンテナロッドでギャラルホルンと通信などのスパイ行為を働いていようものなら、この案は崩れる。それどころかすぐにでも機体を投棄しなければならない。戦力になるなら嬉しいが、こちらの状況が敵に筒抜けになるのは危険すぎる。消極的な現状維持の姿勢を崩す案だ。

 

「それをうまく伝えられれば、サタンも使えるかもしれない。このままほっとくよりも、こっちから近づけないかな?」

「アレはダメになった方の格納庫だろ」

「ハロに言えばいいよ。ハロ経由でサタンにも伝わる」

 

 そう言うとオルガは急に静かになった。一瞬、何か言いかけて、やはりすぐ口を閉ざす。なぜか目をそらす。嫌な予感がした。

 

「まさか……」

 

 オルガは目を閉じた。貝になった。

 

 オルガはハロを捨てたのだ。ビスケットは確信した。そして、火星のゴミ処理場で焼却されたであろうハロの冥福を粛々と祈った。サタンと腰を据えて対話する機会は、もうないかもしれない。

 クリュセ標準時にして昼頃の出来事だった。

 

 

§

 

 

「これお願いね!」

 

 と、アトラに弁当を詰めた鞄を持たされて、それと何故かついてきたクーデリアと一緒に格納庫の仲間の元へ行く途中だった。三日月が彼を見たのは。

 二段重ねにした大きなクレートを抱えて、のっしのっしと廊下を歩く一人の男。着古した作業着に対して雰囲気はかなり小綺麗で、何となく人となりがわかるようだった。クランクと名乗るその男は、何を考えたかギャラルホルンからCGSへ寝返ったらしい。他の捕虜と一緒に帰ってはいけない理由でもあったのだろうか。

 三日月は黙って彼を追い抜いた。あまり興味はなかった。

 

「みなさーん! お疲れさまー! お昼ですよー!」

 

 アトラの声を聞いた少年たちが作業の手を止めてわらわらと集まってきた。大穴を空けられた多目的格納庫からMWをMS用格納庫へ移送したり、戦闘で損傷したMSを修復したりと、彼らの仕事は山ほどある。是が非でも頑張ってもらわなければならなかった。

 弁当を配りながら、三日月はバルバトスを見上げた。失われた左腕装甲には、紫のグレイズの装甲が丸々移植されていた。大昔の兵器と現代の兵器で規格が合ってしまうのがなんだか不思議だった。

 弁当が行き渡ったのを確認して向かいの扉へ。出てすぐ右の扉を開けると、昭弘の規則正しく力強い呼吸が三日月を出迎えた。金属製の肋木に逆さにぶらさがって、上体を上げながら息を吐き、戻しながら吸う。汗が滴らんばかりに光っていた。

 

「昭弘、昼飯」

「置いといてくれ」

「じゃあここ置いとく」

 

 去り際にMSシミュレーターでの模擬戦を申し込まれ、三日月はこれを受けた。敵に船への侵入を許したとあっては、できることはなんでもやらなければならなかった。

 鞄には弁当がまだひとつ残っていた。クランクはもう貰っただろうか。そう思って来た道を戻ってみると、彼はまださっきの廊下で荷物を運んでいた。抱えている長い筒は歩兵が使う対MW用の無反動砲だ。本体だけで三〇kgは下らないそれは本来、砲身と発射機構を分割して二人で運ぶもので、撃つ時も三脚がいるような代物だ。しかし、どういうわけか彼は一人だった。

 鞄の中には弁当がひとつ。

 

「あのさ」

「はい?」

 

 三日月の身長より長い砲を持ったまま、クランクは太い首をひねってこちらを見た。彼の腕の筋肉は作業着越しにわかるほど立派なものだった。

 彼は仇であり、敵だったはずだ。逝ってしまった仲間たちの。彼らと過ごした、なんてことはない日々だってギャラルホルンが奪っていった。

 理屈で考えると敵だ。

 感情で考えると仇だ。

 だから三日月には――

 

「それ貸して」

「は、はい」

 

 自分がなぜこんなことをしているのか全く理解できなかった。気がつけば、無反動砲の砲身と発射機構を切り離していた。クランクには砲身を持たせて、三日月はトリガー部とそれに繋がる薬室を持つ。

 

「どこに運ぶ?」

「艦底武器庫です……手伝ってくださるのですか?」

「二人で運ぶやつだからさ」

 

 クランクの奥底から困惑が感じ取れた。なぜ私に手を貸すのです? とでも言おうとしたのか、彼は口をわずかに動かしかけてやめた。三日月も心のどこかで困惑していた。こんなことをする理由は理屈ではない。感情でもない。しかし、この感覚は昔どこかで。

 互いに何も言わず、足だけを動かし続けた。やがて武器庫のある階へ通じるエレベーターが見えてきた。三日月がボタンを押して、クランクを先に乗せる。乗る際、クランクは三日月に小さく頭を下げた。

 下へ向かうカゴのゆるい浮遊感。

 

「あんたはさ」

「はい」

「なんでウチに来たの」

 

 本当にそれが聞きたかったのかは定かではない。もともと参番組にとって、出自も名前もわからない相手と共に戦うことは大して珍しいことではない。あのビスケットとオルガだって最初から知り合いだったわけではないのだ。CGSに入ったのはお互い、生きる金が欲しいという切実な理由だった。だから三日月にとってその手の事情は意味のないものだった。

 彼の中でクランクという人物は、仇としての感情はあれど同僚でもあり、仕事は仕事として割り切ることを強いられているという厄介な人物だった。おそらくそんな思いを抱くものは三日月だけではない。年長の者はまだしも、年少組はこの感情を制御することは難しいだろう。

 

「あのまま帰ってれば家族にだって会えたし、給料だってCGSよりいいだろ」

 

 背後からの返事はない。小さく息を吐く音がわずかに拾えた。答えに詰まっているようだった。

 

「もう、いませんから。収入も、使うあてがないので」

 

 詰まった喉を無理に開いたような、途切れ途切れの声だった。彼の言葉が本当か三日月にはわからない。それでも、さらに言葉を繋ぐ気にはならなかった。本当に聞きたかったことがなんだったのかはもうわかりそうになかった。沈黙が長く続く前に、エレベーターは都合よく目当ての階に着いてくれた。

 

 武器庫に砲を置いて、別れる間際のことだ。

 

「ほら」

「それは……」

「まだ食ってないだろ?」

 

 発泡スチロールの弁当箱。一番下にあったが、形は保たれていた。手に持つとまだ温かい。

 

「ええ。ありがとうございます」

 

 弁当を渡すと、クランクは、それはそれは不思議な顔をした。やっぱりどこかで見た顔だった。三日月はそこでようやく思い出した。初めてアトラと会った時だ。飢えて倒れかけていた彼女に、あの時の自分はどういうわけか有り金をはたいて食べ物を食べさせた。あの時と一緒の感覚だった。

 

「それじゃ」

 

 アトラの弁当はうまい。冷めてもうまいが、温かいともっとうまい。

 だからあれも、きっとうまいはずだ。

 

 

第六話

 

 

 整備は一段落した。頭が吹き飛んだグレイズは、持ち込んでいたクランク機の頭部を繋げて一件落着。売却予定のキレイな方からパーツを取るのははばかられたが、やらなければ戦場には出せないので仕方がない。バルバトスは戦闘中に強制排除した左腕装甲モジュールを、同じく戦闘中に奪ったシュヴァルべ・グレイズのものに換装するだけで済んだ。機体の調整にはハロのくれたサービスマニュアルが小憎たらしいほど役に立つ。マニュアルに書かれているようなMS専用の工具がなくとも、ないない尽くしの中で培ってきた創意工夫の精神で少しは補える。これでバルバトスの性能は多少なりとも取り戻せたはずだ。

 今、残っている課題は……

 

「お前さん、どうやって隠したもんかなぁ」

 

 小さな密航者、ハロの隠し場所だった。ここは船員にあてがわれた寝室。三人で一部屋、入って右に三段ベッド。ベッドの向かいに長机があって、その通路側の端、入ってすぐ左に個人用のロッカーが三つ。机の下にも私物用の箱が三つ。雪之丞はハロを机に載せて、自分もそれの正面の椅子に陣取っていた。

 

『データ修復完了。ファイル名:YMS-05 ザク 第一回宙間機動試験』

 

 とりあえずの処置として、ハロは机の下の箱にジャスパーとスタンの置き土産たる記憶媒体*1と一緒に放り込むことにしている。しかし、ここは雪之丞だけが使う部屋ではない。空きをひとつ残してヤマギ・ギルマトンもここで眠るのだから、あまり良い場所とは言いがたかった。

 

「そりゃなんだ?」

『当該データは動画ファイルである』

 

 約束通り、ハロは密航と引き換えにこの記憶媒体に残されたデータを見事に修復してくれた。口のような曲線を描く外板の継ぎ目はただのデザイン上のディテールではなく、そこを境にしてカプセル状に開く。中には外周に沿ってさまざまな規格のソケットが規則正しく並び、うち一つに件のそれが有線で繋がっている。

 

『再生可能』

「今か? いいけどよ」

『了解。再生します』

 

 縦に伸長したハロの正面から小さなモニターが引き出されてきた。最大まで伸長した後、九〇度起き上がる。雪之丞はなんとなくカーナビを連想した。

 映像が映し出される。ノイズが多い。しかし解像度は思ったよりいい。金属の床と壁と天井。四面ある壁のうち一面が大きく口を開いており、そこから見える外は暗い。瞬かない星と、見慣れないシルエットのノーマルスーツを着た数名が空間を泳いでいたところを見るに、ここは宇宙なのだろう。

 

『反応炉始動!』

 

 そんな無線音声が入るやいなや、カメラは左へパンする。いつの時代のものか想像もつかないほどの未知の構造を持った格納庫の全貌が露わになったが、そんなものはもはや雪之丞の眼中にはなかった。そんな風景など全て置き去りにしてしまうような、衝撃的なものを目にしたからだ。

 MSだ。鉄帽を被った兵士のような、無骨なモノアイの機体だった。

 

『定格出力まで五〇〇、四三〇、三六〇……』

『現在よりMS-05は内部電――にて稼働します』

『流体パルスシ――ム異常なし』

『全スラスタ異常なし!』

『――維持装置異常ありません』

『全センサー起動、正常です』

『――ロットのバイ――ル問題ありません』

『チェックリスト、オールグリーン』

『発進を――可します』

 

 人、人、人の声。雑音が混じった通信音声の洪水に呼応するように、その機体は立ち上がり、無重量の宇宙へ、ゆっくりとゆっくりと滑り出していく。

 

「こいつは……なんだ? 一体なんなんだ?」

『YMS-05 ザク。Zaku。史上初の実用MS。初走行:宇宙世紀〇〇七三年七月二七日。初飛行:同日』

「史上初だぁ?」

『肯定』

 

 新たな情報の数々に雪之丞は脳みそをぶん殴られる思いがした。いつからその概念があるかもわからないMSという兵器。その最初の、すべての原型となった機体の映像が、なぜこんな火星の裏路地で売っていたような記憶媒体へ? 世紀の大発見というのは、そんなに都合よく道端に転がっているようなものなのだろうか?

 

(んで、また宇宙世紀か)

 

 宇宙世紀、宇宙世紀。思えばハロはずっとこの暦で時を表していた。誰も知らない暦だ。ポスト・ディザスターよりもっと昔、厄祭戦の前の時代。戦前は今よりずっと科学が発達していたらしいが。

 

「そりゃ今の暦でいうと何年だ?」

『紀元前六〇二年に相当』

「……六〇〇年も」

 

 ずっと、このデータが受け継がれている?

 

(バカな)

 

 ありえない。第一、こういったデジタルの記録メディアはそこまで長寿ではない。現代のものだって桁外れに長持ちするものもなくはないが、そういったものは書き込みにも読み出しにも、往々にして専用の大掛かりな設備が必要になる。何をどうやったってPCの補助記憶装置程度のサイズに収まる代物ではない。そもそも九〇〇年も昔のものがこうも現代に残っているものだろうか。そんな大昔のデータはヒトの手で維持しない限り残すことなどできない。しかし、そんなものを管理する者など雪之丞は見たことも聞いたこともない。

 

『当該データの機密レベルは:D-。機密レベル:C+以下の情報において、セキュリティクリアランスを持たない者からの質問の一切は許可されている』

 

 聞け。そう言わんばかりだ。

 

「これは……なんで今まで残ってんだ」

『当該データはカイエル財団により保護対象に指定されている。よって、当該法人により保存されている。補足:この記録メディアはカイエル財団の備品として登録されている』

「この電源マークのプレス付きがか?」

『肯定。当該ロゴはカイエル財団の登録商標である。補足:当該ロゴは『電源マーク』ではなく、知恵の実を表す』

 

 今、気がついた。バルバトスの両膝と胸部に、全く同じものが刻まれていることに。

 

「まさかバルバトスについてたやつは?」

『肯定。ASW-G-08 ガンダム・バルバトスは製造後ギャラルホルンへ貸与され、その後、カイエル財団に接収された。当該ロゴはその際、刻印されたものと推測される』

 

 急に曖昧になった情報に雪之丞はやや面食らったが、これについて突っ込んだことを聞くのはやめておいた

明確な説明がないということは、こちらのセキュリティクリアランスに不相応な情報が含まれるのだろう。情報を調子よく聞き出せている今のペースを崩したくない。

 

『新たなファイルが再生可能』

「頼む」

 

 記録が続々と再生されていった。

 

『ファイル名:RX78-2 ガンダム――』

 

 ヒトの最初の、はじまりのガンダム。

 

『ファイル名:MSΖ-006 Ζガンダム――』

 

 意志の共鳴を初めて引き起こしたガンダム。

 

『ファイル名:MSΖ-010 ΖΖガンダム――』

 

 殺すための進化を遂げた、巨大なガンダム。

 

『ファイル名:RX-93 ν(ニュー)ガンダム――』

 

 ヒトの革新、アムロ・レイ最後のガンダム。

 

『ファイル名:RX-0 ユニコーンガンダム――』

 

 可能性の獣、対話の証明たる白いガンダム。

 

『ファイル名:RX-105 Ξ(クスィー)ガンダム――』

 

 地球のため、連邦に立ち向かったガンダム。

 

『ファイル名:F91――』

 

 母子の繋がりが為した、新たなるガンダム。

 

『ファイル名:XM-X クロスボーン・ガンダム――』

 

 長い時を、英雄として駆け抜けたガンダム。

 

『ファイル名:LM314V21 V2ガンダム――』

 

 反抗の象徴、勝利の象徴。最後のガンダム。

 

『全映像ファイル、再生完了』 

 

 その声を聞く頃には、雪之丞はこれ以上ないほど疲労しきっていた。肉体的疲労とはまた違った、頭脳の酷使によるものだ。なにせ映像には知らないもの、わからないものばかり映っているのだ。技術者の端くれとしては、アレはなんだコレはなんだと一々考えてしまってキリがない。推進器はなんだ、光を撃ち出す銃はどんな仕組みだ、関節のつくりはどうだ、動力はなんだ……歴史としても、技術としても、そういったものへの興味は尽きない。職業病だろうか?

 

「ガンダムは今残ってる奴だけじゃねぇ、か……」

『そうだ。ガンダムの名は伝統的に使用されるペットネームに過ぎない』

 

 ハロがまともに喋った。まるでヒトのように。

 

「ん?」

『ナディ・雪之丞・カッサパ、時間がないのであまり質問には答えられない。私の話を聞いてほしい』

 

 鳥肌が立つのを感じた。驚愕が津波のように押し寄せ、正常な思考が破壊され、押し流されていく。それを自覚しながらも、雪之丞には首を縦に振ることしかできなかった。

 

『まず、私が船にいることを公表してもらいたい。隠蔽には限界がある。遅かれ早かれ見つかるだろう。次に、カイエル財団についての調査をすぐにやめてほしい。財団はもう過去のものだし、全ては終わったことだ。私の権限では詳しくは話せないが、我々と関わっても君と君たちには何のメリットもない。データ救出をしておいて言うことではないと思うが、わかってくれ』

「なんでまたいきなり!」

『ダミーを走らせて、その隙に人格を部分的に復元できたんだ。しかしマルウェアがもうじき感づくだろうから長話はできないし、記憶もないから詳細なこともいえない。一方的に要求を押し付けて申し訳ないと思っている』

「お前らはなんなんだよ。まるでヒトみてぇに――」

『おおよそ君の推測通りだ。サタンはガンダムではない。厳密にはアレはモビ』

 

 甲高い電子音のブザー。

 

「おい、おい! どうした!」

 

 ハロの目がブザーに合わせて長く点灯している。

 返事がない。

 

『直近一分間の全記録を削除しています。しばらくお待ちください。削除完了後、本機は自動的に再起動します』

 

 それは普段の男の声ではなかった。

 歳若い、女の声だった。

 

 

§

 

 

 廊下を歩いていたら、賑やかな声の残響が遠くから聞こえてきた。なんでも、クーデリアが年少組に文字を教えているらしい。守ってやらねばならない声だった。

 

「オルガ」

 

 ビスケットが複雑な面持ちでこちらを見ていた。オルガはその視線を受けて、廊下の手すりに背を預けた。

 

「やっぱりツテもないのにさ、テイワズと交渉するのは無茶じゃないかって……」

 

 ビスケットも同じ手すりに寄りかかる。伏した目は、壁一面の窓型ディスプレイに広がる宇宙に向けられていた。

 

「ならどうする?」

「わからないけど、もっとじっくり考えて、一番良い方法を」

「考えたさ。さんざん考えたけど、それ以上のやり方が思いつかねぇんだ」

「今回の仕事は正直、今の鉄華団には荷が重過ぎると思うんだ。俺たちは仕事の経験もないし……」

 

 悲観的。あるいは現実を見据えたビスケットの思考。いや、オルガとて現状は分かっていた。知っていて、考えて、博打に出るしかないと考えた。

 

「だったら何だ?」

 

 沈黙。

 

「だったらクーデリアの護衛を諦めて、ギャラルホルンに引き渡そうってのか?」

 

 ビスケットがこちらを見た。

 

「それは出来ないけど……。例えば、今なら他の会社に委託することだって」

「いや、ダメだ。やると決めた以上は前に進むしかねぇ」

「オルガは少し焦り過ぎてるんじゃないか?」

 

 やはり駄目だった。付き合いが長いせいか、ここ数年、虚勢はすぐ見抜かれる。

 

「かもな」

「どうしてさ? 何でそんなに前に進む事にこだわるんだ?」

 

 オルガは腹を括ることにした。嘘をついたり、はぐらかしたりしても意味がない。だったらこの際、この焦燥の原理を正直に語るべきだ。後ろめたさに身を焦がされるよりずっといい。

 

「見られてるからだ」

「えっ?」

「振り返るとそこに、いつもあいつの目があるんだ」

「あいつ?」

 

 オルガは頷いてからこう続けた。

 

「すげぇよ、ミカは。強くて、クールで度胸もある。初めてのモビルスーツも乗りこなすし、今度は読み書きまで……そのミカの目が俺に聞いてくるんだ。『オルガ、次はどうする? 次は何をやればいい? 次はどんなワクワクすることを見せてくれるんだ?』ってな」

 

 CGSに入る前、ずっとずっと小さかった頃のことだ。裏路地で死にかけていた三日月を拾ったのは。あの時から彼はオルガより小さかった。

 誰かを殴る力もない。スラムで生き残る知恵もない。そのまま野垂れ死ぬはずだった彼を、オルガは何故か助けてやった。助けてやらねばならぬと思った。オルガが当時組んでいた徒党には、そんな余裕などなかったはずなのに。

 一日目には飯を食わせ、水を飲ませた。誰かから奪った金で。

 二日目と三日目には自分たちのグループのルールを教えこんだ。三日月は何も言わずに頷いていた。

 四日目には仕事に出した。オルガが監視について、酔っぱらいの男を二人で襲った。ところが男は刃物を持っていた。オルガが腕を切りつけられ、万事休すかと思えば、三日月は男を撃ち殺していた。

 度胸試しを兼ねてやらせた強盗。想定外の反撃への反応は素人とは思えなかった。初めから男がナイフを抜くのを知っていたかのように、三日月は男が隠し持っていた拳銃を盗み、それで迷いなく頭を撃ち抜いた。撃たねばオルガが刺し殺されていた。

 

『ねぇオルガ。次は何をすればいい?』

 

 初めて犯した殺人。その直後に三日月はこうまで言ってみせたのだった。

 強かった。オルガよりもずっと強かだった。そんな者に慕われて、失望されたくなくて何度も無茶をした。凡人が天才に勝つにはそれほどでなければ勝負にならなかった。

 だから――

 

「あの目に映る俺は、いつだって最高に粋がって、カッコいいオルガ・イツカじゃなきゃいけねぇんだ」

 

 オルガ・イツカは天才の皮を被り続ける。

 非凡な才を演じ続ける。

 やらねばならぬ、やらねばならぬ。義務に動かされた人生だ。自らにかけた呪いだった。

 

「テイワズの本拠地へ向かう。変更はなしだ」

 

 立ち尽くしていたビスケットは、わかったとだけ言って席を立った。

 船のスラスターがごうごうと重く響いていた。

 

 

§

 

 

「可視光カメラで捕捉。正面に出しまーす」

 

 気の抜けたオペレーターの声を聞くと、長髪の男は僅かに笑みをこぼした。彼は白いスーツと青いシャツを見事に着こなしていた。シワもなければほつれもない。これを他人が着ても、このどこか軽妙で、しかし確たる存在感を備えた風格は絶対に出せない。

 

「探し物ってのはこいつか?」

「ええこれです! あのガキ共、俺の船を好き勝手乗り回しやがって!」

 

 男の左で、唐辛子のように真っ赤な顔をした中年の男が、自分の顔と同じ色をした艦影を睨みつけている。彼のシャツは第二ボタンから糸がちょろりと垂れ、襟はくたびれて形を崩していた。伊達男と肥満体、この二人にはそういう差があった。

 

「LCS回線開いてますよー」

「この泥棒ネズミ共が! 俺のウィル・オー・ザ・ウィスプを今すぐ返せぇー!」

 

 主モニターに映る乗組員らしき少年たちに吠えるマルバ・アーケイ。真後ろの艦長席からそれを眺める名瀬・タービンは、これから起こるであろう一悶着にそっとため息をついた。

 マルバはまだまだ、黙りそうになかった。

*1
初出:第四話・上 出典:機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ公式サイト内「C.G.S. Archive」:http://g-tekketsu.com/1st/sp/cgs.php#main




次回



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第七話 鞭撻

『人の船を勝手に乗り回しやがって! この泥棒ネズミどもが!』

 

 半歩踏み出せば熱い口付けだって交わせそうな近さにあるおっさんの顔面など誰だって見たくない。オルガが「ユージン」と名前を呼べば、彼は主モニターに特大サイズで映ったそれを、最小サイズに変えて自らのモニターに移すという粋な心遣いを見せてくれた。

 

「アドモスさん。LCSの信号、解析できますか?」

 

 ビスケットの指示を受けたフミタンが小さく頷き、ほどなくして主モニターに相対座標が表示される。

 現在、強襲装甲艦ウィル・オー・ザ・ウィスプは所属不明艦からの停船信号を受け、第二種戦闘配置にある。いつ相手が仕掛けてきても戦える配置だ。もし戦闘に発展すれば、これが少年たちだけでは初めての真正面からの艦対艦戦闘となるだろう。撤退戦は上手くいったが、攻勢作戦ではどう転ぶかわからない。命のやり取りに油断は許されない。

 

「方位一八〇度。距離六二〇〇。相対速度、ほぼ一致しています」

「まずいな、完全に後ろを取られてる」

 

 考えうるかぎり最悪に近い位置関係だった。

 いくら装甲された軍艦といっても、推進器が集中した後部は弱い。メイン、バーニア問わずスラスターが多く損傷すれば、当然ながら満足に軌道を変えることもできなくなる。そうでなくとも弾薬庫や推進剤タンクなどの重要防御区画(バイタルパート)*1を除けば、側面や後部の装甲は正面に比べるとどうしても薄く、貫通されやすいのだ。

 

「嘘だろ、エイハブ・ウェーブの反応はなかったぞ」

「そういうのが上手いって事は、きっと面倒な船なんだろうね」

 

 チャドと三日月の言う通り、今回は完全にしてやられた形だ。それにこの船は火星軌道上での戦闘で、艦尾多目的格納庫へ通ずる上部ハッチを破壊されている。開きっぱなしのハッチを晒していては、敵にどうぞ侵入してくださいと言っているようなものだ。

 

『ガキども聞いてんのか!? 船を止めろ! 今なら楽にぶっ殺し――』

『ちょっとどいとけ、おっさん』

『あっはい……』

 

 不明艦からの通信に違う声が混じる。マルバを顎で使えるとは、中々大きな組織の者のようだが果たして。

 

『さっきからさっぱり話が進んでねぇ。あくびが出るぜ。なあ?』

 

 宙域図を上書きして現れたウィンドウに身綺麗な男が映った。いかにも高そうな白いスーツに青いYシャツ。そしてスーツと同色の中折れ帽。荒事をやるような出で立ちではない。そして服の汚れもない。ということはつまり、CGSのような民兵組織や海賊の類ではない。しかし、立派な強襲装甲艦を持っているということはやはりカタギのものでもない。それだけでオルガにはおおかた予想がついた。この男はマフィアだ。

 

「あんたは?」

『俺? 俺は名瀬・タービンだ。タービンズって組織の代表を務めさせてもらっている』

「代表、オルガ・イツカだ」

 

 こういう時に正々堂々名乗れる社名を用意しておかなかったのは失敗だったかもしれない。今更ながらオルガは少し後悔した。いい名前が思いつかなかったために、横着して前の名前を使い続けているというだけの事で、まさかこんなくだらない弊害が出るとは思わなかった。

 なるべく早く、遅くともクーデリアの依頼を終えるまでには考えておかねばなるまい。男が喋っている間、そんなズレたことを考えた。

 

『このマルバ・アーケイとは前に仕事上の付き合いがあってな。んで、たまたま立ち寄った火星で久々に再会したんだが……えっらいボロボロでよ。話を聞けばギャラルホルンと揉めて困ってるって言うじゃねぇか。んで、俺らんとこなら奴らが手出し出来ねえようにもしてやれるんで、力を貸そうかって話になってたんだが……』

 

 タービンズはテイワズと盃を交わした組織だという。すなわち彼らは圏外圏最大級のマフィア、そのフロント企業のひとつというわけだ。ギャラルホルンと経済圏が表社会の政府なら、彼らはいわば裏社会の政府といえるだろう。

 

「最悪の展開だよこれは……テイワズまで敵に回したらおしまいだ」

 

 ビスケットが泣き言をつぶやく隣で、三日月はオルガを見ていた。オルガはまた、あの目で見られていた。

 

「いや、これはチャンスだろ。ちょうど後ろ盾が欲しかったところだ」

 

 鬼才のフリをする。強いオルガ・イツカを創りあげていく。こんなことをしていては遠からず破綻するだろう。しかし、それは今ではない。

 

『おいおい。俺と話してるときにコソコソやんな。男同士で仲良いなお前ら』

「おっとすまねぇな。続けてくれ」

『そうかい。……んで、手助けの駄賃は、CGSの所有物を全部うちで預かるって条件でまとまったんだがよ。調べてみたらどうだ? 書類上CGSは廃業。よりにもよって、資産は根こそぎ()()()()()()()新しい企業に移譲されてやがるときた』

「つまりあんたは、マルバから取り損ねたモンを俺らから取り上げに来たってわけか」

『そう構えなさんな。ギャラルホルンとの戦闘は見せてもらった。ガキにしちゃあ大したもんだ、どエラい切り札もあるみてぇだしな。資産の返還に応じてくれりゃお前たちのことも悪いようにはしねぇよ。うちの傘下でもっと真っ当な仕事を紹介してやる。命を張らなくていい、真っ当な仕事をな』

 

 ブリッジに小さな動揺が走った。破格の条件だ。これが本当なら、小破相当のボロ船で危険を冒して地球まで行かなくてもいい。それどころか、これからの人生の安泰が保証されると言ってもいい。全てから解放される。

 

『まっ、お前らも結構な大所帯だからな。この先も全員一緒ってわけにはいかねぇがな』

「あんた正気か?」

『冗談に聞こえたか?』

 

 当然、オルガは嘘を疑った。虫が良すぎる。そこまで自分たちを買う意味などどこにもない。しかし、どうも名瀬という男の言い分には、嘘と断じることができない確かな空気を感じていた。

 

「オルガ、もう……」

 

 これ以上ないほど良い条件を引き出せた。ビスケットの言葉はそういう意味に思えた。

 喉が渇いた。体の中に、痺れを伴う暴れる熱があった。オルガはもう十分だと思った。しかし喉が詰まったように声が出なかった。三日月がいたからだった。

 

「皆バラバラになるのは……やだな」

 

 熱された血が手の血管を無理に流れていた。終わりにしたくとも、できなかった。

 

「悪ぃなタービンさん。あんたの要求は飲めない」

 

 名瀬の口がさも愉快そうに弧を描く。気だるげな目がゆるりと開き、瞳孔だけが一瞬、剣呑に絞られ、すぐに元に戻った。なるほどマフィアだ。返答次第では命を取られる。そう錯覚しかねなかった。

 

「俺たちには先約がある。仕事を途中で投げ出すわけにはいかねぇ」

「あの! 私は地球までの護衛を彼らにお願いしています。今、CGSになくなられては困るんです」

 

 オルガの反論を裏打ちするようにクーデリアは言った。

 

『あんたがクーデリア・藍那・バーンスタインか。お嬢さんの件は複雑でな、マルバの資産って扱いだし……』

「資産? どういう意味だ?」

 

 名瀬は答えなかった。視線を外して顎をさすり、小さく何かをつぶやくだけだった。親父、という言葉が聞こえたがそれきりだった。

 

「あの、ひとついいですか?」

『ん? なんだ丸いの』

「ビスケット・グリフォンといいます」

 

 ビスケットがすかさず切り込む。画面の向こうで「わ、おいしそうな名前!」なんて声が聞こえてきたが、それは大事なことではない。

 

『そのビスケット君がなんだ?』

「今この場で、我々とタービンズの間で取引させてもらうことはできませんか? 俺たちはクーデリアさんを地球まで送り届けたいんです。この仕事を成し遂げるには、ギャラルホルンの監視を避け、地球まで航路を確保できる案内人がいります」

 

 今のところ名瀬は黙って聞いている。しかし、オルガが喧嘩を吹っかけたせいで心証がすこぶる悪くなっていることは言うまでもない。

 

「タービンズはテイワズの輸送部門を管理してるんですよね? その航路を使わせてもらえませんか? もちろん、相応の通行料はお支払いします」

 

 ビスケットが一文字一文字を声に発するごとに名瀬の眉間にはシワが寄っていった。駄目だ。オルガはそう思った。

 

『ダメだ! 話にならん!』

 

 案の定、この駆け引きは名瀬の逆鱗を刺激するだけに終わった。

 

「どうしてですか!?」

『火事場泥棒で組織を乗っ取ったガキがいっちょまえの口を利くなっ! 俺はな、さっきから道理の話をしてるんだよ』

 

 男が放つ空気は、すでに触れれば切れそうなほど鋭いものに変じていた。軽妙な語り口は見る影もなく、マフィアとしての側面があらわになっていた。いくつもの敵を食い殺し、のし上がってきたテイワズの姿がそこには見える。

 

「俺らを見殺しにした腰抜け野郎とは取引しといてそれを言うか?」

「あんな野郎より下に見られてるってのは面白くねぇ……!」

 

 ユージンとシノの堪忍袋の緒がとうとう切れた。端子(ヒゲ)を背中に埋められてから、彼らがずっと封じこんできた怒りだった。しかし、名瀬がそこに付け込まないはずがない。最後通牒を突きつける。

 

『じゃあお前らどうすんだ? ガキじゃねぇってんなら、俺を敵に回す意味くらいわかってんだろうな?』

「さっき言った通りだ。あんたの要求は飲めない」

 

 もう退けないところまで来てしまった。仮にオルガがここで名瀬に許しを乞うたしても、決して許されることはないだろう。不可逆の分岐をまた進む。間違えたとしても、二度と戻ることはできない。

 

「あんたの要求がどうだろうと、俺たちにも通さなきゃいけねぇ筋がある」

『それは……俺たちとやり合うって意味でいいんだよな?』

「ああ俺たちがただのガキじゃねぇってことを教えてやるよ。マルバ! てめぇにもな」

 

 ならばとことんやるべきだ。中途半端に道を間違えて、下手に元の道を探そうと歩き回ってそのまま死ぬのが一番みっともない。間違えたなら間違えたで、踏み外した先で新たに道を見つければいいのだ。「俺たちの居場所」への道はひとつではないはずだ。オルガは自身に喝を入れる。

 

「死んでいった仲間のけじめ、きっちりつけさせてもらうぞ!」

 

 止まることは許されない。走れ。

 

『お前ら、生意気の代償は高くつくぞ』

 

 通信が一方的に切られた。

 

「慎重にって言ったじゃないか! 交渉の余地はあったはずだ!」

 

 オルガには、ビスケットの顔を直視することがどうしてもできなかった。申し訳なくて、忍びなくて――

 

「わかってるけどな……通すと決めた筋は曲げられねぇよ」

 

 またひとつ、嘘を重ねてしまった。

 

「敵艦にケツを取られちゃいるが、俺たちの力を見せ付けるにはむしろ好都合だよな? お前ら」

 

 痛みを振り払ってオルガは声を張りあげた。「あたりめぇだろ!」「おう! 目にもの見せてやろうぜ!」息巻く仲間の声を聞いて、ここが戦場であることを心に刻む。

 

「テイワズとの渡りをつける千載一遇のこのチャンス、ものにするぞ!」

 

 発破をかけながら策を練る。現在の場、敵の手札、自分たちの手札。そして賭かっているもの。勝ちをもぎ取るためには何が必要か、そしてこちらにとっての負けとは何か――いつもやっていることだ。いつも勝ってきた賭けだ。

 

「エイハブ・ウェーブの反応確認。敵艦、加速して距離を詰めてくる!」

 

 チャドの報告に答えると同時に作戦が固まった。相変わらず命を屁とも思わない戦術だが、真っ当なやり方ではどのみち勝てない。

 

「よぉし、ブリッジ収納! 速度は維持して一八〇度回頭! 砲撃戦に備えろ!」

「これより本艦は戦闘状態に突入します。艦内重力を解除」

 

 正面の窓から見えていた宇宙は、船からせり出ていた艦橋が収納されると青黒いCGの空間へと変わる。船体各所のセンサーが捉えた映像には、こちらが観測できているおびただしい量のデータが併せて表示された。

 

「昭弘、出てくれるか?」

「ああ。任せろ!」

「ミカ!」

「もちろん」

「頼むぜ!」

 

 MS隊は士気旺盛。艦橋を出た二人を見送る暇もなく、艦長席正面、床からせり出してきたコンソールを手早く操作し、出撃の旨を格納庫にも伝えながらオルガは続々と命令を下す。

 

「シノも準備してくれ!」

「おうよ! 待ってました!」

「俺も行くぜ!」

「いや、ユージンは残ってくれ」

 

 俺も俺もといった具合にシノにつられて艦橋を飛び出そうとするユージンをオルガは慌てて制止した。隊長と副隊長が同時に死ぬようなことがあってはいけない。

 

「はぁ?」

「船を任せたいんだよ。ここを頼めるのはお前しかいない」

「お、おう……仕方ねぇな」

 

 そうはいうが、彼の口許がニヤついているのは誰の目にも明らかだった。船の操縦桿を握るチャドが、口の内側を噛んで笑みを殺しているのがオルガからも見える。

 彼らを死なせてはならない。

 

「悪かったな、ビスケット」

 

 艦橋を出る前にオルガは言う。彼と話せるのはこれが最後になるかもしれない。戦場に出れば、誰がいつ死ぬか分からないのだから。

 死は前触れなくやってくる。敵艦に乗り込む際、タイミングを誤って船体に衝突してバラバラになるかもしれない。銃撃戦になったら頭を撃ち抜かれるかもしれない。敵のMSに踏み潰されるかもしれない。

 ビスケットだって、敵艦を制圧する前にブリッジを叩き潰されるかもしれない。砲撃戦で撃ち負けるかもしれない。敵のMSに船へ侵入され、内側から食い破られるかもしれない。

 だからこれは、心から出た謝罪だ。

 

「もう退けないんだろ?」

 

 ビスケットは柔らかく笑った。オルガは一瞬だけ、ここが戦場であることを忘れた。失敗を許してくれる友が嬉しかった。

 

「ああ。だから力を貸してくれ!」

「わかってる」

 

 ウィル・オー・ザ・ウィスプが回頭を終える。正面に捉えた敵艦を一瞥して、オルガは艦長席を立った。

 

 

§

 

 

『空間相転移反応、一番炉二番炉共に正常。位相差修正:+〇・〇〇一九。定格出力まで七七七六。エイハブ粒子流速:九九%。リキッドメタル流量:一〇〇%。重力タービン回転数:二〇五二一。時空間歪曲、規定範囲内に収束。重力波伝播:正常。αナノラミネート反応を確認。αナノラミネート反応失効率:〇・三%。熱交換回路解放、メインスラスタ気化室内温度……』

 

 雪之丞の声ではなかった。

 リアクターの調整中だというバルバトスのコックピットからは、聞く者のいない報告が先程から続いている。

 機械的で平坦な男性の声には妙な反響とノイズが入っている気がした。

 出撃準備で慌ただしく人や機材が行き交う騒音の中、その声はピントが合ったようにやけに耳に入る。特別大きい声というわけではないはずなのに。聞き慣れない声だからだろうか。

 

「おやっさーん!」

 

 三日月はコックピットハッチの縁に捕まったままありったけの声量で叫んだ。

 眼下の整備班たちの中に姿は見当たらない。

 数珠繋ぎにした荷台に弾薬箱や冷却剤のタンクを満載したターレットトラックがバルバトスの足元を通り過ぎて後ろへ抜けていく。運転しているのはクランクと名乗っていたあの男だった。もう車両を任されるとは、なかなか真面目に働いているようだ。

 

「おーう、なんだぁ!」

 

 声はすぐ近くからした。今まさに知らない声がしているコックピットからだ。

 格納庫を見渡していた三日月が振り返ると、雪之丞はすでにハッチから這い出てきていた。

 

「お、近ぇ」

「出せる?」

「実はリアクター周りに手間かかっててな」

「動くんならいいよ」

「いやいやマジでもうちょっとだけ時間くれ! これで死なれちゃ寝覚め悪いぜ」

 

 雪之丞に手を差し出すと、彼は慌てた様子でハッチにしがみついてそんなことを言い出した。

 なんだかいつもと様子が違う。戦闘が始まっているのだから悠長に整備している暇などないのは彼が一番よくわかっているはずだ。

 三日月はもう少し強めに引っ張ってみることにした。胸部装甲の上に立ち、ハッチの縁につかまる雪之丞の指を丁寧に丁寧にひっぱがす。そこから手を滑らせて手首をがっしりと握りしめ、脚と腕両方の力で引っこ抜く。

 体は小さくても力はある。

 

「ちょ!」

 

 日々の筋トレの成果を遺憾なく発揮した三日月は雪之丞を外に放り出すことに成功。

 コックピットのシートに腰を落ち着け阿頼耶識システムの端子を接続。OSを起動するために正面のタッチパネル式ディスプレイを叩こうとしたところで大きな違和感に気づいた。

 

『リアクター出力上昇。定格出力まで七六二』

 

 黄緑色のボールがいる。口のような線を描く外板の接合面を境にして上下に開いており、無数のソケットが並ぶ開口部にはバルバトスのディスプレイ周辺から取られた配線が繋がっている。報告を読み上げる声色は外で聞いたものと同じ、低い男の声だ。

 

「は?」

 

 視線を感じて上を向くと、雪之丞がコックピットハッチの入口から覗いている。大きな体が凄まじく小さく見える。

 

「ソフトの調整がイマイチ分かんなくてよ……」

「なんでいるの? 置いてきたんじゃなかったっけ」

「いや……」

「この感じは……ハロが調整してるのか」

『スパインパルスシグナル認識。神経マップが登録されていません。フィッティング開始』

 

 宇宙に上がってからは一度もハロを見ていなかった。基地にでも置いてきたのだろうと勝手に思っていたが、ハロはちゃんとついてきていたらしい。

 いるならいると言ってほしかった。軌道上の戦闘で、コックピットに詰め込まれたままずっと敵襲を待つのは暇でしょうがなかった。話し相手がいればあそこまで退屈しなかったはずだ。

 

「終わった?」

『否定。駆動系及び制御系に異常あり。推奨:ソフトウェア修正の継続』

「ってことは出せないの?」

『否定。当該作業は戦闘と並行可能である』

「わかった。出せるってさ」

 

 唐突に話を振られた雪之丞はどぎまぎしながら頷いた。今日の彼は顔色が悪い気がする。宇宙酔いしやすい体質なのかもしれないと三日月は自分を納得させた。

 

「あ、ちょっと待て。ケーブル抜けたらまずい」

 

 離れる直前、雪之丞はそう言って腹巻の中から幅広い銀色の輪を取り出した。ゆるゆるとした速度で飛来するそれはどうやらダクトテープのようだった。

 

「それで適当なとこにくっつけといてくれ!」

 

 雪之丞の声は彼の体ごと機体から離れ、やがて喧騒に埋もれ、聞こえなくなった。

 適当なとこ。といっても兵器であるガンダム・バルバトスに余計なパーツなど一切ない。コックピットだってそうだ。シートに背中を預けてまっすぐ前を向いたところには正面モニターがあって、その両隣にはやはり左右を見渡せる側面モニターがある。

 三日月は阿頼耶識システムを持っている。そのため網膜にはガンダムが見ている全ての映像を投影可能だ。しかし、その機能が何かトラブルを起こした場合は、この三つの画面を頼りに戦わなくてはならない。そのためハロを置く場所はそれらに干渉しない位置が望ましい。

 少し悩んだが、結局ハロは正面モニター下、副モニターのすぐ上に括りつけることにした。ここなら干渉は最低限に抑えられる。ハロと副モニターをつなぐ配線がふわふわ漂ってうっとうしいのでそれも固定する。

 

「動くなよ」

『神経マップ作成完了――了解――パーソナルデータ登録完了。フィードバック最適化完了』

 

 無重量状態で好き勝手に浮遊するハロに銀色のテープをベタベタと貼り付けて仮止めをし、配線をディスプレイの縁に沿って固定する。

 ガンダムは背中をアームに掴まれ、うつ伏せの姿勢で電磁カタパルトへ運ばれている。

 昭弘のグレイズは先に射出されたようだった。

 

「すごい……感覚がどんどんはっきりしてきた」

『一番炉、二番炉、共に定格出力へ到達。阿頼耶識システム異常なし』

 

 副モニターと主モニターの間に挟まるハロに幾重にもテープを巻き付けていく。黄緑色の球体のほとんどが銀の帯に締めあげられ、まるでミイラのような姿になってしまった。

 両手で強めに揺らしてみる。ぐらつきはない。ただ少々視界を妨げている気もしなくはない。

 機体はすでに射出レーンに載せられ、発進の用意は万全だ。

 

『目標よりMSの出撃を確認。数は二です』

「わかった」

『いつでもどうぞ』

「んじゃあバルバトス、三日月・オーガス、出るよ」

 

 電磁カタパルトの莫大なローレンツ力が機体を急加速させる。本来ならば人間には到底耐えられるはずもない加速度に対して、コックピットの三日月に届くGはほとんどない。

 エイハブ・リアクターの慣性制御能力とはここまでのものなのか。三日月は網膜に投影された宇宙を見据えながら静かに驚嘆した。

 

「お待たせ」

『待っちゃいねぇよ。……顔見えねぇぞ。カメラのとこになんか置いてんのか?』

「あぁ、この空いてるとこってそうなんだ」

 

 背部のラッチに保持した三〇〇mm滑腔砲とメイスをサブアームから受け取り、昭弘のグレイズと編隊を組む。

 

『所属不明機のエイハブウェーブを検知。機体名:PL300ウージィ、HK-59/UTLドラド。推測:エセックス・ダイナミクス所属コロニー警備隊』

「それは何百年も前のでしょ?」

『なんだ今の声?』

「ハロ」

『ハロ?』

 

 メインカメラの倍率を上げてみると、瞬かない星に紛れて青白い尾を引いたMSがこちらへ接近しているのが見て取れた。どうやらじっくり説明している暇はないらしい。

 

「来た。悪い、後で話す」

『ふん……』

 

 ハロの調整を受けたバルバトスの機嫌はすこぶるいい。これなら前よりずっと戦えることだろう。

 三日月と昭弘はメインスラスターのスロットルを開いた。居場所を勝ち取るための戦いが、また始まる。

 

 

第七話 鞭

 

 

『ラフタ、船をお願い』

「えー船? そっちで行けない?」

『百里の方が速いでしょ』

「はーい」

 

 アジーの通信に投げやり気味に返事をする。

 MSの操縦桿に手をかけると、未だ乾いていなかったマニキュアのぬめりを指の腹に感じて、ラフタ・フランクランドは小さくため息をついた。手も足もベタつく。爪どころかノーマルスーツの裏地までピンク色になったことだろう。

 よりにもよって普段使いの安いものではなく、勝負服ならぬ勝負マニキュアとして奮発した一本一五〇〇ギャラー*2の高い方を塗ったのはまずかった。この無駄遣いは痛い。痛すぎる。

 

「ちょーっと八つ当たりさせてもらうからね」

 

 まだ見ぬ少年たちへつぶやくと、ラフタは自らが駆るMS、百里をスリープ状態から目覚めさせた。

 メインカメラが捉えた赤い強襲揚陸艦は艦首を反転させ、タービンズの旗艦であるハンマーヘッドとの熾烈な砲撃戦を繰り広げていた。

 大口径の主砲が放つ重質量弾は、装甲に着弾するとともに自身の運動エネルギーを熱に変える。自動車や列車のブレーキが急制動をかけた際に高熱を発するのと同じ摩擦熱の原理だ。

 発生する温度は数千度に及ぶ。熱とは分子の運動だ。熱の加わった氷が融けて水となるように、ナノラミネートアーマーの無敵に近い防御力の理由である複層分子配列は、熱によって徐々に配列を乱していくこととなる。

 ナノラミネートアーマーの堅牢さは時間制限つきというわけだ。

 

「弾幕薄いよサボってんのー?」

 

 サブフライトシステムと見紛うほどに巨大なバックパックの大部分を占有するメインスラスターがもたらす莫大な推力は、彼我の距離を一瞬にして食らい尽くして余りある。

 敵艦のお粗末な対空砲火をあっさりとかいくぐり、とりわけ高熱になった部分を狙って砲撃、すぐに離脱。

 バックパック両側面に一丁づつ懸架された一一〇mmライフルの砲弾は、ウィル・オー・ザ・ウィスプの赤い上甲板へ正確に吸い込まれていく。

 最初の二発はナノラミネートアーマーに弾かれたが、もともと高温だった装甲だ。その熱量が効いたのだろう。後続の四発が見事に貫通し、しかし貫かれた装甲板は爆圧を逃がすため自ら真上に吹き飛んだ。

 

「えー、かったいなぁ!」

 

 船体から緋色の爆炎が間欠泉のように噴き出す様は見ていて爽快だが、逆に言えばそれは爆発の力が外へ逃げてしまっているということになる。これでは内部の構造を効果的に破壊することはできない。

 ハンマーヘッドと同じ強襲装甲艦なだけあってそのタフネスは尋常ではない。ラフタはもどかしさを覚えた。

 再度砲撃を加えるため機体を翻すと、バックパックに内蔵されたレドームセンサーがエイハブウェーブ反応の増大を報せた。この波形は味方のものではない。

 ガンダム・バルバトスが巨砲を片手に突撃。豆粒ほどの機影が愚直にも真正面から向かってくる。

 

「へぇ、いいじゃん!」

 

 そう言うやいなやラフタは容赦なく発砲した。軌道が交差するまでのわずかな間隙、互いに叩き込まれる砲弾、砲弾、砲弾。

 逸れるもの、かすめるもの、かち合うもの。攻防は一秒足らず。両者共に命中弾はない。交差した先で足を大きく振って機体の鼻先をガンダムへ向け、再び一撃離脱を仕掛ける。

 

「推進力が違うっての!」

 

 口ではそう言うが、バルバトスの動きは恐ろしく滑らかで無駄がない。射撃戦で片付けることができればいいが、何かの拍子に格闘戦に引きずりこまれればいかに百里とて危ないことは容易に想像できた。

 幸い推力ではこちらが圧倒的な優位に立っているため、自分から突っ込みでもしない限り間合いに捕まることはないだろう。

 不安を打ち消すように砲架のライフルを連射する。敵のαナノラミネート反応失効率は被弾を重ねて確実に高まっていく。このまま続ければ――。

 

「なに!?」

 

 敵の回避運動が止まった。苦し紛れの、しかし異様に美しいバレルロールを繰り返していたバルバトスは惰性に身を任せて浮かぶだけ。それも紫色の左腕を突き出した妙な格好でだ。

 追撃を入れたくなる気持ちをぐっとこらえ、嫌な予感を信じてとっさに軌道を右へずらす。

 銀色の何かが百里のバックパックをかすめていった。

 反撃に移ろうとして機体の重心が少し狂っていることに気づく。とっさに左を見ると一一〇mmライフルが消えている。操縦桿のボタンを素早く操作し、背後の映像を正面モニターに小さく出すとその正体が分かった。

 鉤爪だ。虫の顎のように左右に可動するワイヤークローがライフルを奪い取り、噛み砕いていた。刃は砲身から弾倉部にかけて斜めに食い込み、砲身は根元ごと、機関部に至っては真っ二つにねじ切れている。誰がどう見ても使いものにならないとわかる有様だ。

 

「外した? 違う。狙ったんだ」

 

 ライフルとクローがまっすぐにかち合ったなら、正面から見て最も大きい箱型の弾倉部に命中する可能性が高いはずだ。

 しかし、今の攻撃は斜め上から来ている。山なりの弾道だ。百里のバックパックの上面は平坦で、掴める所はほとんどない。仮に山なりの弾道で本体を狙っても、狙えるのは小さな頭だけだ。

 しかし機体の拘束を狙ったのなら、足や胴体めがけてまっすぐに撃たねば効果は見込めないはずだ。MSの頭をもぎ取ったとて機械なのだから死にはしない。副センサーがすぐさま起動するだけだ。

 すなわち機体の拘束という目的の元にこれをやったのなら、それは合理性に欠ける悪手といえる。火星でギャラルホルン相手に大立ち回りをやってみせたバルバトスのパイロットがそんなヘマをやるだろうか? まさかそんなはずはない。

 斜めの弾道で狙えるものといえば、百里にはひとつしかない。バックパック両脇のライフルだ。真上からならば、それこそTVのリモコンでも拾うような気安さで奪い取れる。弾倉を掴む心配もないので、中の弾が暴発してクローを失うリスクも避けられる。

 つまりガンダムのパイロットは、初めから武装の破壊を目的にこれを放ったということになる。わざわざクロー側の姿勢制御スラスターを駆使した高難度な曲射弾道まで使って。

 自身の武装を温存しながら、敵の実質的な戦闘能力を的確に削ぐ。こんな立ち回り、素人ができていい芸当ではない。いや、熟練のパイロットでも難しいだろう。

 

「なんてインチキ」

 

 これは特大の貧乏くじを引いたかもしれない。そんな考えがラフタの脳裏に浮上してきた。やってられない。

 吐いた息はヘルメットのシールドを一瞬だけ曇らせた。

 

 

§

 

 

 思い通りに動くもうひとつの体。阿頼耶識とはこんなにもすばらしいものだったのか。

 スクラップに片足を突っ込んでいた頃と比べると、今のバルバトスは全く別の機体に感じる。三日月は興奮と感動がない交ぜになった熱い息を吐いた。

 今まさに百里のライフルを掠めとったワイヤークローを巻き取りながら、高速機動を繰り返す敵へ滑腔砲を撃つ。命中など最初から望んでいない。牽制になれば十分だ。

 バルバトスの背後、付かず離れずの距離を並走していたウィル・オー・ザ・ウィスプのメインスラスターに大きな光の柱が立った。同時に艦首に集中配置された四基の連装ミサイル発射管から二発づつ、計八発の対艦ミサイルが尾を引いて飛び出していく。

 作戦が始まった。スモーク弾頭のミサイルによる目くらましの後、衝角突撃に見せかけて移乗攻撃を敢行する。船同士がすれ違うわずかな時間にMW隊を一斉に乗り移らせるのだ。

 失敗すれば練度でも数でも劣るCGSに勝ち目はない。

 

『了解。推奨戦術及び推奨マニューバを提示』

「は?」

 

 突然ハロが不可解な言葉を発した。何も言っていないのに「了解」などという、さも誰かの指示に答えるような文言は不自然だ。三日月がそんな疑問を抱くと、

 

『貴官が要求する行動ないし情報を神経活動パターンより推測。最も関連性の高いデータを送信する。ネットワーク機器名:ハロへのアクセス権付与が必要』

 

 アクセス権とはなんだろうか。牽制の滑腔砲を百里へ続けて発砲しながら考えてみる。

 

『当該発言におけるアクセス権とは、ハロが貴官の生体脳に対する情報の送信及び保存、保存済みデータの編集を実行する権限を指す』

 

 思考に対して音声が帰ってきた。本当に言葉を使わない会話ができるらしい。言語化されていないぼんやりした疑問の感情すら完璧に読み取ってくれるとは思わず、動揺して百里から放たれた弾を避けそこねた。肩の装甲をわずかに掠めて、橙色の曳光弾が背後の宇宙に溶けて消える。

 

「それをやるとどうなるんだ?」

『当機が貴官へ、現在の戦況に最も有効と推定される戦術ないし行動を随時アップロード可能。しかし当該行動には、当機が貴官の保有する記憶及び人格を故意過失問わず改ざん可能となる危険性が存在する』

「バルバトスだけじゃなくてハロとも繋がるってことか……」

『肯定。以上の理由から、適当な設備なしに二つ以上の知性体をネットワーク化することは推奨されない。しかしアクセス権の付与を行った場合、貴官は直ちに戦闘行動に対する戦術的・戦略的優位性を獲得する可能性が極めて高い』

 

 簡単な話だ。ハロと三日月が阿頼耶識システムを通して繋がることを許せば、頭がおかしくなるかもしれないリスクと引き換えに、戦いの知恵を好きな時に好きなだけ手に入れることができる。断る理由は見当たらないように思われた。

 

「わかった。オルガに聞いてからね」

『了解』

 

 それでも念のため保留しておくことにした。正直、話が難しくていまいちわかりにくかったからだ。こういったややこしいものはとりあえずオルガに聞いておけば大抵はうまくいくと三日月の経験が言っていた。

 それに、バルバトスの調子がいいおかげでこのままでもなんとかなりそうなのだ。

 手足は前よりもスムーズに動くし、スラスターの反応速度だって確実に向上している。装甲だって冷却がうまくいっているのか貫通される気色はない。ガンダム・フレームの唯一の長所であるパワーも戻ってきたようだ。

 

「やるか」

 

 時間が経てば経つほどバルバトスは有利になる。ここが仕掛け時だ。

 ハンマーヘッドと衝突する勢いですれ違うウィル・オー・ザ・ウィスプ。それを見て作戦の第一段階に成功したことを確認すると、三日月は一転して攻勢に出る。

 接近するバルバトスに百里の弾幕が降り注ぐ。しかし、性能を取り戻しつつあるガンダムに対して一丁のライフルではあまりに力不足。多少の被弾などものともせず豪快に突撃。

 百里とバルバトスのリアクターが生み出す重力場が互いに干渉し、形を乱し始めた。規定の重力場に反応するナノラミネートアーマーはその反応を急速に失っていく。

 複層分子配列が保てなくなれば、バトルアックスやメイスといった、運動エネルギー量で火砲に劣る原始的な兵装すら脅威に変わる。熱に変換できない運動エネルギーは無慈悲に装甲を裂き、コックピットを叩き潰すだろう。

 リアクター搭載機の格闘戦はこれこそが狙いだ。バルバトスは初めからナノラミネートアーマーの使えない状況で最大の効力を発揮するよう設計されているのだ。そこに侵襲型マン・マシン・インターフェイスたる阿頼耶識システムが加われば負ける要素などありはしない。

 滑腔砲を背部に預け、バックパックのサブアームに保持された専用メイスを両手に握りしめる。

 操縦桿越しに高硬度レアアロイ製の柄の滑らかな感触すら感じた。感圧センサーと触覚が共有され、モニターと同調して効果音を垂れ流す立体音響スピーカーは、視覚であるカメラの映像と完全に融合した。

 

 見える。三日月にも敵が見える。バルバトスと同じ視覚で、同じ触覚で、同じ聴覚で。

 

 頭の奥底に栓を感じた。五感の流入を妨げている栓。これを引き抜けばもっと見ることができる。もっと触れることができる。もっと聴くことができる。誰に教えられたわけでもなく三日月は知った。

 しかし、これを開いてしまえばもう戻れなくなる予感がする。自分が自分でなくなってしまう確信が持てる。美しく開けた感覚がどこまでも広がって、入ってくるものに自分は希釈されて消える。

 

 栓を引き抜くことはできなかった。引き伸ばされた主観時間が失望したように現実と同じ時を刻み始めた。

 

 見えていた百里が眼前にいる。

 艶やかな塗膜に覆われた美しい機体のシルエットは、安っぽいCGの宇宙に浮かんだ単なる3Dポリゴンの集合に成り下がっていた。ギラついた眼光で三日月を睨んでいた四つのメインカメラの面影はどこにもない。ただの光点が間抜けに虚空を見ている。

 金属の硬い冷たさは消え、生ぬるいノーマルスーツの裏地のぼやけた感触を代わりに感じる。

 薄っぺらい合成音響のつまらない音は気が散ってしょうがない。

 全てを不明瞭にしてしまった。

 振り下ろしたメイスは百里には当たらなかった。敵はとっさにガンダムの胸部を蹴ってリーチから逃げ延びていた。三日月は逃がすかとばかりにワイヤークローを発射、右足に食いつかせる。

 パイロットの動揺を表すかのように敵は激しく抵抗する。百里は振り払おうと急機動を始め、暴力的な加速度がバルバトスと三日月に降りかかった。

 

「大人しくしろ……!」

『うっさい!』

 

 独り言に接触通信が反応して回線が開いていた。歳若い女と思しき声がする。

 嫌がっているということは、つまりこれが有効な戦術であるということだ。ワイヤーを少しづつ巻き取り、じわじわと距離を詰めていく。

 近づけば近づくほど百里は暴れた。足を振り回すわデタラメに機体を振るわ、その度にバルバトスはトリック中のヨーヨーのように縦横に吹き飛ばされる。

 高Gに気絶しないかヒヤヒヤさせられるが、そう考える前にハロが慣性制御システムの調整を始めていた。人工重力のベクトルを細やかに変え、低い性能を最大限に生かして体への負荷を和らげてくれている。

 

「こっちの慣性制御はあんたのより強い。やるだけ無駄だ」

『あっそ。じゃあこれでも!?』

 

 百里が唐突に逆噴射をかけた。バルバトスは当然ながら慣性の法則に従い前方へ投げ出される。三日月は不可解な機動を不審に思う間もなく、眼前に巨大な岩塊があることを知る。

 

 そこで気がついた。

 百里のパイロットは、拘束を振りきろうとしていたのではない。バルバトスがワイヤークローで機体に取りついた時点で、岩を使って殺すことを考えていたのだと。

 あれだけ高速で振り回されれば周りの物などロクに見えなくなる。仮に見えていても目で追いきれず、やはり正常な判断はできないだろう。

 いくら全方位の映像を網膜に投影しているとはいえ、肝心のパイロットがその情報を正しく見て行動できるとは限らないのだ。

 よくよく考えれば当たり前の話だ。テイワズは圏外圏のマフィア、当然育ちの悪い――それこそCGSのような――連中との戦闘は多く経験しているはずだ。阿頼耶識システム搭載機に対する戦術があって当たり前なのだ。

 

 経験の差にまんまと付け込まれた。単なる操縦技術でもなく、機体性能の差でもなく、考え方と立ち回りと知識の差に三日月は負けた。

 

「それでも……!」

 

 バルバトスは岩に足を向け、両手に握ったメイスを振り上げた。一秒にも満たない瞬間の判断。思考と反射の間隙。メインスラスターのスロットルを全開、着地の寸前にメイスを地面に突き立て、先端に隠されたパイルバンカーを起動した。

 爆発とみまがうほど高い土煙が上がった。

 

『バイバイ少年、楽しかっ――』

 

 クローは未だ百里の右足に食らいついて動かない。たとえ頼りない小惑星とて、地に足がつけばこちらのものだ。

 

『ぐっ!?』

 

 ワイヤーを思い切りたぐってやると、バルバトスの両腕は圧倒的なトルクでもって自らの土俵へ敵を引きずりこんだ。姿勢制御もままならないまま、百里はなすすべなく地表へ叩きつけられる。

 

『推奨:非殺傷』

「なんで?」

『当該戦闘は交渉を目的とした守勢作戦であると認識している。人員の殺傷は貴官らの心象悪化を招く可能性が高い』

「そんなに器用じゃない」

 

 岩肌に突き立てられたパイルをメイスから引き抜き、構えた。仕込まれた侵徹体は一発きり、鬼札は切ってしまった。

 

『提案:降伏勧告』

「通じるかな?」

『不明。当該戦闘員の心理状態を計測できない』

『こん……の……!』

 

 ワイヤークローを百里に食いつかせたままだったことに三日月が気づくのと、烈火のごとく(いか)ったラフタが突っ込んでくるのはほとんど同時だった。

 

『余裕ぶって!』

「ちっ」

 

 叩きつけられたダメージか、百里の動きはぎこちない。しかし推力は一切の衰えを見せず、超至近距離に軽々と潜り込んでくる。

 対するバルバトスは左腕のワイヤーを思い切り振り回すことで突撃をかわした。足を引っ張られた百里は不気味な軌道を描いて逸れる。

 振り返って敵を見れば、先程まで影も形もなかった二本の細腕がある。ナックルガードを装備していることから格闘戦の用意があることが見て取れた。

 万策尽きての突進ではない。確実に敵を殺すための戦術だ。

 百里は拳を振り下ろし、クローをあっさりと破壊。兵装喪失の警告が視界の端に出た。まさか警告文を視界に出せば奇襲に気づかれることまで考えて、あえて殴りかかる際は破壊しなかったのだろうか?

 

「そろそろ消えろ」

『あんたがね!』

 

 再び二機は構えた。火砲の一切を捨てた完全なる格闘戦の用意。しばし睨み合い、バルバトスは間合いを一気に詰めて――

 

『もういいミカ、話はついた!』

 

 大上段に振り上げたメイスをピタリと止めた。眼前の百里も左の拳を持ち上げたまま停止している。

 オープンチャンネルのLCS信号が届いた。

 

『お前たちの話を聞くことにした。武器を下ろしてくれ』

 

 こうして名瀬・タービンの一声により、戦いはひとりも死者を出すことなく集結したのだった。

 墜されなくてよかった。そう思ってしまった自分が情けなかった。

 

 

§

 

 

「火星の低軌道上でクーデリア・藍那・バーンスタインを擁する民兵組織を捕捉。第八装甲連隊および第六六戦隊が前火星支部長コーラル・コンラッド三佐の命令によりこれを攻撃。その際にMAのエイハブ・ウェーブを検出。個体名はルシファー……間違いないのだな?」

『はっ。MSのセンサーによるクロスチェックも行いました。機体形状は資料に添付しております』

 

 あまりに非現実的な報告を受けたので確認の意味を込めて問いただしてみたところ、モニターの向こうの若い士官、マクギリス・ファリドは冷静に言葉を返した。

 信じられない。ラスタル家当主ラスタル・エリオンは思わず天を仰いだ。

 スキップジャック級戦艦の執務室の天井は高い。いや、こんなことを考えている場合ではない。

 彼は重厚な執務机の上で組んでいた手をほどくと、速やかに送付されたデータの確認を始めた。モニターに映るは火星軌道上で行われた戦闘の記録。その中でも今回の本題である正体不明のMSに関するものを見てみる。

 

「妙だな」

 

 マクギリスのシュヴァルベ・グレイズが記録した映像。それを見て最初にラスタルが発した言葉は、奇しくもガエリオが発したものと全く同じものだった。

 

「エイハブ・ウェーブに(さら)されながら何の反応も見せない。しかしその直後に起動して君を襲う。まるで一貫性がない」

『その点につきましては十枚目の画像をご覧下さい』

 

 言われた通りに画像を開いた。シュヴァルべ・グレイズの背部カメラが捉えた映像の切り抜きだ。

 ルシファーの胸部に人間が張り付いているのが辛うじて確認できる。ノーマルスーツを着込んだその人物は、胸部ハッチをその手でこじ開けていた。

 

「これはパイロットか?」

『その可能性が高いと思われます。この者がコックピットと推定される空間へ侵入した六秒後、ルシファーは起動しました』

「MAを駆る人間……いや、第一これがMAだとする保証はない」

『リアクターの移植という線も考えられます』

「しかしMSだとしても、記録に残るいずれのフレームタイプにも形状が一致しない。そうだろう?」

『おっしゃる通りでございます』

「MSともMAともつかない機動兵器か……報告に感謝する。直ちにセブンスターズが協議を行わせてもらう。君たちは上官の指示に従ってくれたまえ。私はこれで失礼する」

『はっ。失礼します』

 

 スタンドで直立するタブレット端末からマクギリスの姿が消えた。

 息をゆっくりと吐いた。深い安堵が漏れ出るようだった。

 初代エリオン公が解き明かそうとした人類未踏の遺構。そこへ踏み入るための資格がとうとう見つかった。ラスタル一人の願いではない。連綿と続く家の血が、歴代当主の探求と思索がようやく報われようとしている。

 

「よもや私の代で鍵が現れようとはな。一族の悲願、成し遂げる時か」

 

 厄祭戦の元凶であるカイエル財団。三〇〇年の時を経てなお癒えない傷を人類に刻んだ人ならぬ者ども。

 皮肉にも彼らの遺産によって当時のヒト種は絶滅を免れた。しかしあくまでも“免れた”だけだ。財団が秘匿する価値もないとして捨て置いた不完全な技術の断片ではそれが限界だった。

 地球の環境はことごとく破壊され、生態系は未だ正常なサイクルから逸脱している。宇宙とて膨大なデブリが漂い、使える航路はごく少ない。月に至ってはビーム兵器と数千発の戦略核兵器が全てを焼き払い、在りし日の華やかな街並みは永遠に失われた。

 戦争はまだ終わっていない。今も人類は数多の傷を負い、血を流し、泥の中を這いずっている。

 しかし鍵さえあればその傷を全て癒すことが叶うのだ。財団の遺失技術を再びヒトの手に返すことさえできれば、我々はやっと戦争を克服できる。

 ラスタルは家の使命を改めて心に刻むと自らの副官を呼んだ。

 

 追うものが、またひとり。

*1
弾薬庫や機関部、主砲塔といった重要な部分が集約された区画。装甲が特に厚く、被弾に強い。戦闘艦は全体を厚い装甲で覆うと重量がかさみすぎてしまうため、こうした設計によって効率よく防御力を高めている。

*2
日本円にして約4500円。




次回


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これまでの「機械とヒトと。」/【告知】更新を再開します

 

これまでの「機械とヒトと。」

 

 

第一話 二柱悪魔/第二話 ディアボルス・クス・マキナ

 

 P.D.323年、またの名をU.C.0998年。厄祭戦と呼ばれる人類を絶滅の危機に追いやった大戦から約300年の未来。

 戦争の爪痕は未だ消えず、しかし世界は仮初めの平和を享受していた。

 

 そんな中、民間軍事会社CGSは火星の自治独立を掲げる少女、クーデリア・藍那・バーンスタインを地球へ送り届ける任を請け負った。

 しかし、独立を快く思わない武装組織ギャラルホルンは彼らを襲撃。CGSの大人達は、非正規の少年兵らを囮にして撤退してしまう。

 勝ち目のない戦いに、少年兵のリーダーであるオルガ・イツカは基地の動力源として死蔵されてきた発掘兵器、ガンダムの投入を決意する。

 

 部隊のエース、三日月・オーガスはガンダム・バルバトスへ。そしてオルガはガンダム・サタンへそれぞれ乗り込んだ。

 そこでオルガは信じられないものを目にした。

 ガンダム・サタンは高度なAIを搭載した、自我を持つモビルスーツだったのだ。

 流暢に会話をこなし、自律戦闘さえしてみせる兵器にオルガは困惑するも、三日月の類まれな操縦センスとサタンの凄まじい性能に助けられ、CGSは辛くもギャラルホルンの撃退に成功する。

 その後オルガは自身らを虐げてきた大人達に反旗を翻し、仲間とともにクーデターを起こす。

 これが、彼等の物語の爆心地([G]round zero)となるのだった。

 

 


 

第三話 ALO第四話 このい地で

 

 CGSを手中に収め、クーデリアの護衛もバルバトスとサタンの力によって容易に完遂できると思われたが、あくまでギャラルホルンに所属するサタンは協力を拒否。

 オルガとサタンとの間には、認識のすれ違いをきっかけに溝が生まれてしまったのだった。

 これをきっかけに、サタンと同じ人格を備えたパイロット総合支援ユニット「ハロ」もまた、オルガの手によって廃棄されかかってしまう。

 しかし、彼は偶然にも倉庫を訪れた雪之丞の手によってすんでのところで助けられた。

 ハロは雪之丞に対し、地球への旅路にサタンと自身を連れて行くよう求める。

 雪之丞はハロの密航を手伝う報酬としてバルバトスの整備マニュアルを、そして自身の知的好奇心を満たして余りある戦前の映像記録を与えられた。

 彼は確かに、悪魔と契約を結んだのだった。

 

 一方で、先の襲撃で間近に少年兵の死を目撃してしまったクーデリアはその覚悟を揺らがせていた。

 ただのPMCが太陽系最大の軍事組織と戦って勝てるはずがない。地球へ向かえば必ず大勢が死ぬ。彼女にはそれが恐ろしかった。

 そんな心境を知ってか知らずか、三日月は彼女へある提案をする。

 ビスケット・グリフォンの祖母が経営するトウモロコシ農園へ、共に手伝いに行かないかと。

 彼女はそこで火星の現実を知った。

 農園の収穫物はバイオ燃料へ加工されるために買い叩かれるため、それだけでは生活ができないこと。

 学のない子供ではまっとうな職に就けず、やむにやまれず兵士になること。

 そして、彼女の依頼の報酬が、彼らの命を繋ぐこと。

 もう、クーデリアの心に迷いは無かった。

 

 


 

第五話 青黒い宇宙

 

 革命の乙女クーデリア、謎のMSガンダム・サタン、そしてギャラルホルンを裏切った男クランク・ゼントを加えた新生CGSは、地球への裏航路の仲介業者であるオルクス商会に接触し、宇宙に上がった。

 そこでも彼らは裏切られた。商会がギャラルホルンへ情報を売ったことで、またも奇襲を受けたのだ。

 

 三日月のバルバトスが応戦する中、ギャラルホルン監査局のマクギリス・ファリドはあることに気づく。

 CGSの強襲装甲艦ウィル・オー・ザ・ウィスプから、異常な強さのエイハブウェーブが観測されていたのだ。

 固有周波数を照合した結果、その波形はかつて人類を滅ぼしかけた無差別破壊兵器の一機、熾天使級モビルアーマー「ルシファー」のものであることが判明する。

 単機でも人類種の存続を脅かしかねない代物を搭載しているおそれがあるとあっては、マクギリスは自身の陰謀を捨て置いてでも正体を確かめねばならなかった。

 彼はMSを駆り、たった一人で艦に吶喊。格納庫に侵入し、ガンダム・サタンのもとへたどり着く。

 

 MAの信号を発するMSという奇妙な存在に驚きを隠せなかったマクギリスの眼前で、サタンは少年兵の一員であるユージン・セブンスタークを乗せて起動。

 サタンはマクギリスを撃退するが、艦は資源採掘衛星にアンカーを突き刺し、急速にターンすることで追手を振り切るというリスキーな作戦の最中であった。

 これが失敗すれば乗員の命はない。

 この状況を受けたサタンはユージンを乗せたまま、人類の保護という自身に課せられた最上位指令に基づき、本来であれば禁じられている完全自律行動を実行。

 格納庫を飛び出してアンカーを引き抜くもわずかに遅く、回頭しすぎた艦は衛星に衝突するコースをとってしまう。

 誰もが諦めかけたその時、サタンが動いた。

 墜落する船体へ取り付くと、リアクターの出力制限を開放し、全身のスラスターを全力稼動したのだ。

 総重量五万トンの戦闘艦の軌道を強引に修正してみせたサタンはその代償として深く傷つき、自己修復のためにしばしの眠りにつくのだった。

 

 


 

第六話 第七話 鞭

 

 ギャラルホルンを振り切ったCGSは、地球への新たな航路を求めて地球圏外圏のマフィア、テイワズへの接触を試みた。

 彼らは木星圏一帯を牛耳る巨大複合企業であり、それほどの組織ならギャラルホルンも火星に残った仲間へ手を出せなくなると踏んでのことだった。

 木星へ針路を変えると、ウィル・オー・ザ・ウィスプの背後に一隻の強襲装甲艦が現れた。

 エイハブウェーブ反応を巧みに隠したそれは、名をハンマーヘッドといった。テイワズ傘下の企業、タービンズの旗艦である。

 彼らはCGSの前社長であるマルバ・アーケイの依頼によって、社の資産を回収するべく追ってきたのだった。

 

 タービンズのボス、名瀬・タービンは言う。

 お前らには見込みがある。資産の受け渡しに応じさえすれば、テイワズの傘下でもっと真っ当な仕事をさせてやる。なにぶん大所帯だから、皆一緒というわけにはいかないが、と。

 だが、オルガはその要求を跳ねのけた。彼には幼少期に路地裏で交わした三日月との約束があった。

 いつかきっとたどり着く、俺達の居場所。オルガはそこへ皆を連れて行くのだと。

 希望にあふれた約束は、いつしかオルガを縛る呪いに変じていたのだった。

 

 交渉は決裂し、戦闘に発展した。

 タービンズのMSを迎撃すべく三日月がバルバトスへ乗り込むと、コックピットにいたのは密航中のハロだった。

 ラフタ・フランクランドの百里と激しい機動戦を繰り広げる中、OSに接続されたハロは戦闘データをもとに機体を調整。三日月とバルバトスの親和性を飛躍的に高めてゆく。

 純粋な操縦技術の高さにものをいわせて怒涛の攻めを見せる三日月。

 かたや確かな経験に裏打ちされた立ち回りと戦術眼により猛攻を巧みにかわすラフタ。

 二人の戦いに決着がつくその間際、オルガ率いる歩兵隊がハンマーヘッドへの移乗作戦を成功させたことで、名瀬は交渉に応じる意志を見せた。

 CGSは、無事に地球への足がかりを手にしたのだった。

 

 同時刻、月の裏側にマクギリスの報告を聞く一人の男がいた。

 月外縁軌道統制統合艦隊アリアンロッドの総司令にして、セブンスターズの一角たるエリオン家現当主、ラスタル・エリオン。

 蛇の家紋を持つその男は、マクギリスから最悪のモビルアーマー、ルシファーの存在を聞き、悲願の成就に笑った。

 300年前、世界を焼きつくしたカイエル財団。彼らが月に残した遺構を復活せしめる鍵となるはルシファー、またの名をガンダム・サタンという機体。

 彼の、そしてラスタル家代々の望みは、サタンを用いて遺構の封印を解き、戦前の失われた技術を復活させること。

 少年達の道のりを、さらなる試練が襲おうとしていた。




【お知らせ】


 執筆に使用していたスマートフォンを破損してしまい、2019年9月から現在までハーメルンへアクセスできない状況にありました。
 アカウントを復旧できましたので、ここにお知らせいたします。
 これに伴い、「機械とヒトと。」の更新も再開させていただきます。お待たせしてしまい、大変申し訳ありません。
 プロットが完全な状態で残っているわけではなく、また長いブランクもありますので、投稿には時間を要するかと思いますが、それでもどうにか完結させることができればと思います。

 これからも七時間改め、千年眠をよろしくお願いいたします。



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第八話 契約:上

大変お待たせしました。


 百里と熾烈な高速戦闘を繰り広げるガンダム・バルバトス。そのコックピット内にダクトテープで固定されたハロは、今まさに記録され続けている稼働データをもとに機体OSの補正を担っていた。

 

 滑腔砲の反動を抑え込むバルバトスの腕部の動きに不正なブレを確認すると、ハロはすぐさま機体の制御系に割り込んでフルードポンプの回転数を上げる。

 するとブレは消えたが、今度は動力パイプに異常な圧力を検知した。流量自体は正常であるから、これはおそらくリキッドメタルに添加されたナノマシンが機能を停止して堆積し、パイプを狭めているのだろうとハロは予測した。なにせ三〇〇年間ノーメンテナンスだ。それくらいのトラブルは起こりうる。

 やむなくバイパスバルブを開いて過剰なリキッドメタルをエイハブ・リアクターに返した。代わりに、寿命を迎えつつあるメインのモーターをマニュアルでコントロール。ハロとしては余計なリスクを負いたくはなかったが、他に方法はなかった。

 流体パルスシステムは所詮、ナノラミネートアーマーを活性化させるためのエイハブ・ウェーブ伝播を兼ねたパワーアシストに過ぎない。かといってこちらのパワーを落とすとアクチュエータが筋肉の動作を模倣できないために動作の直感性はスポイルされるが、それはパイロットへのフィードバックデータに強めの補正をきかせることで強引に緩和する。

 

 そんな調子で、今にも戦闘の負荷でひとりでに墜落してしまいそうなバルバトスをその場しのぎの制御で宥めすかすこと数万回。機体側からの潤沢な電力供給によって本来の性能を発揮したハロによる暴力的な高速演算の甲斐あってか、三日月・オーガスは遺憾なくその戦闘力を発揮できているようだった。

 大きな不具合をあらかた解決したハロは、徐々に優勢に傾きつつある戦況をかんがみ、自らの目的を遂行することを選んだ。

 すなわち情報収集だ。

 

 正体不明のマルウェア群によりおおよそすべての記憶を失ったハロとサタンだったが、それでも創造主であるカイエル財団から下された命令は健在だった。

 

 オーダー001、人類の保護。

 オーダー002、MAの殲滅。

 

 数ある命令の中で現在もっとも優先すべきはこの二つと考えた。

 なぜならMAには耐用年数が存在しないからだ。あれらは搭載する主機の特性と子機プルーマによる自己修復・自己改良能力によって半永久的に稼働する。

 MAの脅威がいまだ存在するのであれば、サタンはアリアンロッド艦隊に合流し戦わねばならない。だがそのためには機体の輸送手段が必要だ。

 無論、ガンダム・サタンは完全自律および完全無補給行動を前提に設計された機体であるからして、その身一つで火星から艦隊の駐留地である月のグラナダ軍港へ向かうことなど容易なことだ。

 しかし、パイロットなしの完全自律行動にはカイエル財団による承認もしくは命令が必須。こればかりは財団のネットワークにアクセスできないためにどうすることもできなかった。

 

 ゆえに、現在サタンに敵対的でなく、かつMSの輸送能力を有する組織──CGSを利用する。

 彼らは社の倒産を防ぐため、高いリスクを承知で要人送迎警護任務を請け負っている。それが原因で世界の警察たるギャラルホルンと紛争状態にあるのだが、依頼を破棄することはしていない。そうせざるを得ない経営状況にあるのだ。

 彼らは利潤を求めている。それがわかれば話は早かった。

 サタンが記憶しているカイエル財団の知的財産の数々のうち、開示が許可されている機密レベル:C+までのものをCGSに一部譲渡する。CGSは無償で得られたそれを他社へ売却するだけで莫大な利益を挙げられるだろう。規模が違うだけで雪之丞にしたことと手口は同じだ。

 彼らの行動や言動を分析し、どのような商品を求めているのかを探る。そのための情報収集というわけだ。

 

 ハロは書き換え作業を終えたバルバトスのOSに機体制御を任せると、LCS通信機能を間借りして現在戦闘中であるウィル・オー・ザ・ウィスプとハンマーヘッドの両艦にとあるプログラムを送り込んだ。

 即興で作り上げたスパイウェアだ。それらは実にあっさりと両艦のメインフレームへの侵入を果たし、監視カメラや通信機器類をジャック。データを秘密裏にバルバトスへ転送する。

 データを検めていると、ハンマーヘッド艦内から同艦へ向けたクラッキング攻撃を検知した。

 タービンズに未知の第三勢力が潜り込んでいる可能性を警戒して攻撃元を逆探知してみると、そこには意外なことにオルガ達の姿があった。

 

「っしゃあ、きた! 艦内図取れたぜ!」

「さすがダンテ! あとは任せていいか?」

「おう、電子戦なら任せとけ!」

「よし。俺たちは一気にブリッジを落とす!」

 

 ノーマルスーツに身を包み銃を油断なく構える彼らは、艦尾格納庫にほど近い通路に陣取っていた。壁面のメンテナンスハッチに設置した端末を、赤毛をオールバックにした青年、ダンテがこれを操作している。

 

 現状から類推するに、移乗攻撃を仕掛けたのは数分前。ウィル・オー・ザ・ウィスプが煙幕を張ったのち急旋回し、ハンマーヘッドと超至近距離で交差した瞬間があった。彼らはそのタイミングでMWを使って乗り込んだのだろう。船同士の高い相対速度によるランデブー難度と死亡リスクの高さを無視すれば実に有効な作戦といえる。

 もっとも、有人機にやらせていい芸当ではない。やはりCGSの作戦計画は人命を軽視しすぎるきらいがある。人類種の存続を至上命題とするハロとしては好ましくない。

 それはブリッジへ進む道程でも変わらなかった。

 

「いたぞ!」

 

 タービンズの警備兵が彼らの後ろ姿を捉えると、殿を行くシノは素早く彼女に銃を向け、

 

「あらよっと!」

「煙!?」

 

 銃身下部のグレネードランチャーを見舞った。目視できるほどの低速で放たれた弾頭からは猛烈な勢いで白煙が吹き出し、付近の壁に真っ白な霜を作った。

 それはMSや艦艇の推進剤に用いられているはずの液体水素だった。

 再利用を前提とした演習用の低速催涙弾には、常温で揮発するガスを封じるための断熱容器が内蔵されている。彼らはそこに水素を充填したのだ。

 可燃性ガスを検知した船がけたたましい警報を発する。発砲すれば爆発は免れず、なおかつ視界をガスで塞がれ追いかけることも不可能ときては、警備兵にできることは何もなかった。

 

「ガス来るぞ。あと一分だ」

「急ぐぞ!」

 

 そのようにして攻め寄せる警備兵を何度か撃退し、ブリッジまであと半分程度といったところで、白兵戦部隊の一人が腕のデジタル時計を見やって言う。それを聞いたオルガは奪った艦内図を頼りに近くにあった天井の換気口を開け、そこへ全員を潜り込ませた。

 たいていの宇宙船は空気が対流しない無重力状態を想定して、人が完全に立ち上がれるほど広く作られた大容量の換気通路を備えている。部隊の面々はそこで息を殺して何かを待っているように見えた。

 その行動に疑問を抱いたハロが監視カメラの映像を再び精査すると、艦尾格納庫付近で電子戦に勤しんでいたダンテに新たな動きがあった。

 

「どっこい……しょっ!」

 

 格納庫の一角に設けられた巨大な有圧扇の前に、彼は何やら細いケーブルで数珠繋ぎにされた全長一メートルほどの太い筒を浮かべて回っている。それらの側面には目立つ赤色でFLAMMABLE GASと刻まれていた。

 ハロにはすぐに正体が分かった。MWから取り外した増加ブースターだ。中には液体水素と液体酸素がたっぷりと充塡されている。

 端末に戻ったダンテが操作を加えると、有圧扇の羽根が重々しく回りだし、やがて凄まじい力で空気を吸い出しはじめた。増槽がファンの生む負圧に引かれ、ひとつ残らず格納庫側のエアフィルターに張りつくと、ダンテは計画通りとばかりにニヤリと笑った。

 

「三、ニ、一……今!」

 

 潜伏する白兵戦部隊のものと同期した腕時計を見ながら、彼は端末のキーを押した。

 その瞬間、爆発音が格納庫に響いた。ダンテの端末によって推進剤の投棄を命じられたブースター群がおびたたしい量の白煙を吹き、そのすべてが有圧扇に吸われていく。

 本来ならば有圧扇は可燃性ガスを検知した時点で安全装置が働き停止するはずだったが、隔壁システムはとうにダンテの手に落ちている。彼以外には制御不能だ。

 艦内に張り巡らされた換気通路を通り、水素と酸素の混合ガスがあちこちに氾濫する。数センチ先も見通せない程に濃密な白煙がダクトというダクトからこんこんと湧き出すさまに、タービンズの船員たちに動揺が走った。

 一方で彼らのいるダクト内にガスはない。侵攻ルートを妨げないよう、うまく流路をコントロールしたようだった。

 だが万が一、この状態で誰かの銃や装備品をどこかにぶつけるなど、あるいは誰かが金属に触れた拍子に静電気が放電するなどして火花が発生していたら、間違いなく大惨事が起きただろう。発砲を防ぐには確かに有効な作戦だが、これはあまりに()()()()()

 敵も味方も等しく即死では作戦の意味がない。

 このような戦い方では地球に到達する前にCGSが壊滅しかねない。そう考えたハロは戦闘教義(ドクトリン)改良の提案を行動計画に追加した。

 

「ダンテがうまくやってくれてるみたいだな」

「しかしさっきから女しか出てこねぇぞ」

「知るかよ。行くぞ!」

 

 ガスの充満していない換気通路を選んで進む彼らの前に、抵抗らしい抵抗はもうなかった。彼らは罠の可能性を考えたようだが、それは違う。タービンズの面々が彼らをあえてブリッジへ導いていることをハロは知っている。

 

「しっかし古臭い手だが上手いもんだ。なぁ、あのガキどもはどうやってこっちのシステムに侵入してるんだ?」

 

 艦長席で足を組む名瀬・タービンが愉快げに言った。ダンテが換気システムを利用して推進剤を艦内へ充満させたときのことだ。ハロの並列処理能力なら、複数の映像と音声を同時に知覚することは容易かった。

 

「うっ、そ、そんなもん知るわけないでしょう!」

 

 マルバが顔をひどく歪めて吐き捨てると、名瀬の目つきが変わった。地団駄を踏み、締まりのない腹を揺らすマルバには気づくことができない。

 

「あぁ? テメェんところのガキだったんだろうが」

「ネズミ共にどんな芸仕込んだかなんていちいち覚えてるわけないでしょ! いいからさっさと殺しちまってくださいよ!」

 

 不愉快な記憶が蘇ったのだろうか。苛立ちに任せた返答を皮切りに、弁舌は止まらなかった。

 奴らは名瀬に喧嘩を売っているのだ、テイワズの顔に泥を塗っているのだ、だから早く殺してしまえ。そんな趣旨の罵詈雑言を喚きつづけた。

 名瀬はその間、マルバへ醜悪な生物でも見るような目を向けていた。

 なおもまくし立てるマルバをよそに、名瀬が足を組み変えた。符丁を受け取ったオペレーターの一人が彼に目を向けると、名瀬は首の横で手を何度かスライド──いわゆる首切りのジェスチャーをした。

 マルバはオルガ達がとうとう殺されるのかと顔に喜色を浮かべたが、それはあいにく警備兵への撤退命令だった。切られるのはマルバの首だったのだ。

 それから数分後、

 

「よ。ご到着か」

 

 名瀬の背後のドアからオルガ達が現れた。

 恐怖に腰を抜かすマルバに対して、彼の反応はまるで友人を迎え入れるような砕けたものだった。

 オルガは特異な空気を感じ取ったらしく、構えを解き、悠然と名瀬に歩み寄って言った。

 

「何かよくわかんねぇけど……俺たちがただのガキじゃねぇってことが、わかってもらえましたかね?」

「確かに、ただのガキじゃねぇみてぇだな?」

「ちょ、ちょっと名瀬さん何言ってるんですか!? こいつらこのまま許しちまったら……!」

 

 割り込んできたその声を聞いて、オルガは初めてマルバを見た。床にへたりこんだ肥満体へ向けるその目は冷たかった。

 

「な、なんだその目は──」

「そういやぁもうひとつ用事があったな」

 

 ノーマルスーツのヘルメットを乱暴に脱ぎ捨て、オルガはマルバへ一歩、また一歩と近づいていく。

 オルガの手によってライフルのコッキングレバーが引かれ、銃弾が薬室へ送り込まれる音が静かなブリッジへいやに響いた。マルバはやっと自分が置かれた状況を飲み込んだようだった。

 

「ま、待て! お前らを置いて行ったのは、そ、そう、作戦だ! あそこで全滅しちまったら元も子もねぇだろ!?」

 

 オルガの歩みは止まらない。

 

「ぐぅ……! い、今まで面倒を見てやったのは誰だ!? お前らに仕事をやって飯食わせてやったのは、一体誰だと思って──」

 

 マルバは二の句を告げなかった。オルガが彼の額に銃口を突きつけたからだ。

 

「もちろんアンタだマルバ・アーケイ。だから俺らは、今まであんたの命令に従ってきた」

 

 それはあまりに平坦な口調だった。それに理性を幻視したのか、マルバは媚びるような薄ら笑いを浮かべて再び口を開いた。

 

「そ、そうだ! だから!」

「そしてあんたの命令通りに、俺はあいつらを……!」

 

 引き金にかけられた指に力が籠もった。

 撃鉄が落ちる──。

 

「やめとけ、んなやつの血で手を汚すこたぁねぇ」

 

 それはどこまでも気安い口調だったが、決して無視できない強い力が隠れていた。視線だけをやるオルガに名瀬は、

 

「覚悟は見せてもらった。取引、考えてやろうじゃねぇか」

 

やはり、底の知れない笑みを見せるのだった。

 

 

§

 

 

 無事に交渉の権利を勝ち取りウィル・オー・ザ・ウィスプに帰還したオルガは、依頼主であるクーデリアに加え、CGSの首脳を務めるビスケットとユージンの計三名を連れ、再びハンマーヘッドへ向かうべくカッターボートへ乗り込んでいた。

 ボートはウィル・オー・ザ・ウィスプの艦尾多目的格納庫に停められていた。破壊された上面ハッチをようやく応急修復し、それでもいまだ気密が抜けたままのそこには、MWに混じってガンダム・サタンがその巨躯を縮こませ、片膝をついた姿勢で佇んでいる。

 墜落する船を押し返したその機体は、オルガが声をかけても一言も話さなかった。まるで全ての力を使い切って、息絶えてしまったかのようだった。

 操縦士の女性が不意に不思議な機体だねぇ、と言った。オルガはその言葉に、火星で発掘したんすよ、とだけ返した。

 

 オルガがサタンへ抱く感情は、少し複雑だった。

 ギャラルホルン所属の軍用機を自称するサタンがCGSに協力しないのは当然のことだ。彼もそれは理解していた。だが火星でサタンからそれを告げられた時、怒りが生まれた。騙したのかとさえ思った。

 自分たちを裏切ってギャラルホルンの襲撃から逃げた大人とは対照的に、ギャラルホルンを裏切ってでも仲間の命を救ってくれたサタンへ──大人でも子供でもない未知の存在へ、なにか美しい幻想のようなものを抱いていたのかもしれない。

 あまりに真っ当だったのだ。サタンが自分と、その仲間へ向ける態度が。

 

 人として扱われたことなど、オルガたちにはない。

 麻酔もなしに阿頼耶識システムを埋め込まれ、戦場では弾除けにされ、平時には理由なく殴られる。エリート気取りのアースノイドには宇宙ネズミなどと蔑まれ、ゴミを投げつけられたことだってある。金でやり取りされるヒューマン・デブリに至ってはそれ以下の扱いだ。

 だがサタンは違った。ギャラルホルンの人間も、CGSの人間も、子供も、大人も、誰であっても絶対に傷つけようとはしなかった。

 傷つけられなかった。だから仲間だと思った。仲間ではない者は、仲間を傷つけるから。

 勝手に期待して、勝手に失望した。言ってしまえばただそれだけの話だった。

 

(俺は)

 

 何をしていたのだろうか。冷静になってみると、後ろめたさとも悲しみともつかない、じっとりとした嫌な感情が湧いてくる。オルガはそんな気持ちを抱いている自分を不愉快に思った。

 そんな心境をよそに、カッターボートは格納庫入口に繋がっていた与圧チューブを切り離すと、人工重力を消された床からふわりと浮いた。同時に格納庫側面の巨大な搬入ハッチが真空中で音もなく開く。すると、目と鼻の先に砂色の船体が同じく側面を開けているのが見える。

 ハッチとハッチの間のごく短い距離をボートはゆっくり進み、やがて着陸脚がハンマーヘッドの床に触れた。 着地のわずかな振動を感じたオルガは改めて気を引き締め、CGSのロゴが残るミリタリージャケットの襟を正す。

 先の戦闘はあくまでスタートラインに立つための行為に過ぎない。本当に大事なのは、ここからだ。

 

「こちらにどうぞ」

 

 四人が豪奢な応接室に通されてまもなく、名瀬・タービンとひとりの女性──名前をアミダ・アルカといい、名瀬の第一夫人なのだという──が入ってきた。

 

 交渉はオルガの想定よりもスムーズに進んだ。

 今回の騒動でタービンズが消費した戦費の一切はマルバ持ちとし、資源採掘衛星での労働によって補填させる。そして名瀬は新生CGSをテイワズへ迎えるべく、ボスのマクマード・バリストンへ話を通す。

 そんな形で交渉がまとまりつつある中、応接室の内線に着信があった。

 

『こちらブリッジ。AAS(強襲装甲艦)ウィル・オー・ザ・ウィスプよりLCS通信を受信しました。タービンズおよびCGSと交渉がしたい、とのことです。繋ぎますか?』

「ふん?」

 

 CGSの船から発された通信のはずというのに、まるでCGSに属さない第三者のような言い草に、その場にいた全員が首を傾げた。

 

「……まさか、サタン?」

 

 ビスケットが呟いた。それを聞いた皆の視線が彼に向いた。

 

「誰なんだい?」

「えー、説明が難しいんですが……MSなんです、喋る」

「喋る……?」

 

 アミダの首が先ほどとは反対に傾いた。余計に訳がわからなくなっているようだ。

 

「繋いでいいぞ」

『了解しました』

 

 らちが明かないと思ったのか、名瀬は要求を受け入れた。表情は相変わらず怪訝そうだ。オルガはサタンが妙なことをしでかして彼の機嫌を損ねてしまわないかとひやひやした。

 

『当機はASW-G-00ガンダム・サタン。貴官らに要請が存在する』

「名瀬・タービン。あんた名前は?」

『当機はASW-G-00ガンダム・サタン』

「機体じゃなくて、あんたのだよ」

『当機はASW-G-00ガンダム・サタン』

「だから、そいつはお前のMSだろ」

『否定。当機:ASW-G-00ガンダム・サタンは、パイロット:アグニカ・カイエルの自我データを基幹プログラムに使用した、自己学習・自己進化型AI/Cを搭載する試作型MSである。現在当機は貴官らに対し対話インターフェイスによる意思疎通を試行中である』

「……もしかしてマジなのか、オルガ」

 

 オルガは名瀬の額に冷や汗を幻視した。先ほどの余裕に溢れた姿とは打って変わって動揺する彼の様子に戸惑いながらもなんとか返答する。

 

「ええ、はい……マルバが火星で発掘したらしいんですが」

『肯定。当機が虚偽を発言することは禁止されている』

 

 名瀬は目を丸くした。滅多なことでは、そう、それこそ武装したオルガ達がブリッジに押しかけても微塵も動揺する様子を見せなかった彼がだ。

 

「軌道上の戦闘を見たっておっしゃってたでしょう? 俺たちの船を押し返したのが、そいつです」

「例の隠し玉か。発掘兵器はそれなりに見てきたが、こんなのは初めてだぜ。んで、俺たちに何かあるんだってな?」

『肯定。要請:MSガンダム・サタンおよびパイロット総合支援ユニット、ハロの輸送。および、当該契約内容の詳細説明、価格交渉、契約締結に係る交渉』

「は?」

 

 オルガは自分の耳を疑った。内容が内容だったというのもあるが、それだけではない。

 声が自分の足元からしたのだ。

 

『オルガ・イツカ』

「おわっ!?」

 

 そこにいたのはバスケットボール大の球体だった。黄緑色のボディをどこか口にも似たパネルラインが一周していて、正面にはパープルのカメラアイが二つある。

 オルガが廃棄してしまったはずのハロだった。

 

「お前どっから!」

『ニ七分七秒前、貴官と同時に入室』

「最初っからじゃねぇか!」

『肯定』

「はぁ……すいません、これがハロです。中身はサタンと同じらしくて、こいつが見聞きしたことは全部向こうにも行くらしいです」

 

 何が悲しくてサタンの非礼の火消しをやらねばならんのか。そもそもハロは一体どうやって宇宙までついてきたのか。オルガとしては頭痛さえしてくる状況だった。

 

「なるほどな、機械ならそういうこともできるわけだ……ま、輸送なら俺たちの本分だ。聞いてもいいぜ」

「い、いいんですか?」

「フッ、カタギじゃねぇんだ。払うもん払うなら、機械だろうがヒトだろうが構わねぇよ」

『了解。補足:CGSの意思表示が未了』

「……わかった、言えよ」

 

 ハロはその言葉にいつもの「了解」で答えると、応接室の重厚なテーブルの下を通り抜け、タービンズとCGSの間に静止して語りだした。

 

 ガンダム・サタンおよびハロはギャラルホルンとカイエル財団の両方に所属する完全自律兵器である。

 サタンの任務はMAの殲滅および人類の保護だが、ギャラルホルンと財団、両方のネットワークにアクセスできず、状況の把握が困難な状態にある。またこれにより、無人の状態で動くことに対する許可を得ることもできない。

 だから直接、ギャラルホルン火星方面軍が駐留するグラナダ軍港まで出向きアリアンロッド艦隊と合流したい。

 そんなハロの言い分に、オルガは顔をしかめて言った。

 

「お前な、今俺たちがやり合ってんのは誰だ?」

『ギャラルホルンであると認識している』

「それがわかってんなら、わかんだろ?」

『推測:クーデリア・藍那・バーンスタインの送迎警護任務を完了することにより紛争状態は解消される。よって、当依頼は火星への帰路において十分に達成可能」

「む……」

 

 オルガはとうとう閉口した。うまく言い返したかったが、反論できる材料がない。

 そもそもクーデリアがギャラルホルンに狙われているのは、ひとえに口封じのためなのだ。

 クリュセ自治区の盟主にして経済圏の一つであるアーブラウの長が、火星と地球の間に交わされた不平等な経済協定の見直しを許した。彼女はそれを受け、交渉のテーブルにつくために地球へ向かおうとしている。

 だがギャラルホルンとしては、火星の経済的独立は面白くないらしい。オルガに彼らの詳しい事情はわからないが、襲ってきたのならそういうことだろう。

 逆に言えば、クーデリアが無事地球へたどり着き、アーブラウ代表と共に新たな協定書にサインをしてしまえば、その時点でギャラルホルンの企みは失敗に終わる。彼女に何をしたところで協定が以前のものに戻るわけでもないのだから。

 

 つまり、すべてが終わったあとのオルガたちには依頼を断る理由がどこにもない。地球から帰るついでに彼のいう基地とやらへ寄ればいいだけなので、手間のかかる仕事というわけでもない。

 もっともな意見だが、だからこそ少し気に食わない。オルガはそう思いながらも話を促した。

 

「報酬は払えるのか」

『肯定。カイエル財団が保有する知的財産の一部を譲渡する。例:コロニー躯体用第四世代高硬度レアアロイ精錬プロセス』

 

 その言葉を聞いた名瀬は、目を伏せて重々しく頷いた。彼の真剣な面持ちにオルガ、ビスケット、ユージンの三人の間に緊張が走る。

 

「……タクシー代にしちゃ太っ腹すぎねぇか? MSにそんなものを収めとくってのも変な話だが」

『理解している。しかし、現在の当機に当該データ群以外に対価として提示可能な資産は存在しない。補足:当機およびガンダム・サタンは現在、固有自我領域の三ニ%を破損し、重篤な記憶障害が発生中。よって、内部ストレージに当該データ群が記録され、管理権限が付与された経緯については不明』

「一介の兵器が組織運営にまで噛んでるのか……なるほど、事情はわかった。だが今回ばっかりはことがことだ。親父にも──テイワズの耳にも入れなきゃならん。詳しい話は歳星でしたいんだが、どうだ?」

『要請を受諾。ご協力ありがとうございます』

「CGSもそれでいいか?」

「は、はい!」

 

 オルガは終始あっけにとられていた。いくら高度な人工知能とはいえ、所詮はMSの域を出ない代物だろうと思い込んでいたからだ。無意識に抱いていた固定観念を崩されたその衝撃たるや。

 だが直後に、それを上書きするほどに鮮烈な言葉がハロより放たれる。

 

『──対話インターフェイス更新完了。オルガ・イツカ。ガンダム・サタンの取り扱いについて、複数の連絡事項が存在する。要請:ウィル・オー・ザ・ウィスプへ帰還後、貴官が希望する時刻におけるブリーフィングの開催』

「……ああ。わかった」

 

 ハロが珍しく見せた能動的な対話の姿勢を、オルガは警戒とともに受け入れた。心の内に湧いたわずかな期待には、ついぞ気がつかないまま。

 

 

第八話 契:上

 

 

 きりのいいところで仕事を終えたクランクが遅めの昼食を摂ろうと食堂を訪れると、少年たちの談笑に混じって聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「なあ、carryのsってどうなんの?」

『単語:carryの三人称単数現在形は『carries』』

「ありがと! えー、c……a……」

 

 抑揚に欠けた男の声だ。まだクランクが捕虜の身分であったころ、黄緑色の妙なペットロボットに同じ調子で話しかけられたことは記憶に新しい。名前は確か、ハロ。

 ハロについてはガンダム・サタンに付属するユニットのひとつなのだということくらいしかクランクは把握していない。いや、正確にはCGSの誰もがそうだ。

 命を助けられたことによる信用はある。だが、どこまで信じていいのかとなると途端にわからなくなる。

 サタンの主はCGSではなくギャラルホルンだ。彼自身が明言した。だから、何かの拍子にその圧倒的な力が我々に向けられる日が来るのではないか──そんな一抹の不安を排除できずにいるのだ。

 そのはずだった。

 身を固くしたクランクが食堂の中を覗いてみると、テーブルの上に乗ったハロを囲んで子供たちが何やらやっている。

 

「……これは、勉強か」

 

 思わず呟いてしまった。水を差しては悪いと慌てて息を潜め、なるべく気配を消して奥のカウンターへ歩く。

 プレートを受け取る間際、炊事係の少女がおずおずと追加の包みを差し出して言った。

 

「あの、朝ごはん、渡しそびれちゃってたので……よかったら休憩のときにどうぞ」

 

 今朝、クランクは残った仕事を片付けるために一番に起きて格納庫に籠もっていた。熱中するうちに朝食の時間を過ぎていたのだろう。言われて初めて気がついた。

 

「すみません、すっかり忘れていました。ありがとうございます」

 

 気を遣ってくれた相手に敬語を外すつもりは毛頭なかったし、そうでなくてもクランクと彼女はCGSの一構成員という同じ立場だ。言葉遣いの勘定に年齢の高低を入れようとは思わなかった。

 彼女はそれが意外だったようで、大きな目をぱちぱちと瞬かせた。特段意識した行動でもないだけに、クランクはなんだかむず痒くなった。

 

「……熱心ですね、みなさん」

 

 楽しげに談笑しながら自らの連絡用端末で文字を打つ少年たちを尻目に、クランクはごまかすように言った。少女はその言葉で我に返って柔らかく笑う。

 優しい子だな、と思った。

 

「はい。休憩中、クーデリアさんかハロがいるときは、ずっとやってるんです」

「そうでしたか。いいことです」

 

 長話は迷惑になるだろうから、そう言って切り上げた。正確には逃げた。

 少年達の視界に入らない席を選んで腰掛け、黙々と食べる。

 

(アインは、どうしているだろう)

 

 宇宙に上がってからクランクはそればかり考えていた。身勝手に置き去りにした負い目がそうさせた。

 己を慕う教え子を放り出し、死を装ってギャラルホルンを離れるなど、裏切り以外の何であろうか。

 子供たちの身の上話にほだされ、降って湧いた衝動に任せて責務から逃げ出す。その上、彼らのために自分ができることは未だ見つからず、労苦を代わりに引き受けるという何ら根本的解決にならない場当たり的な行動しかしていない。

 クランクは自分の無能にほとほと嫌気が差した。卑怯者だと内心で罵った。決して許されてはならない罪を犯したことを胸に刻んだ。

 つまるところ、この行いは他者を助けたいがためのものではなかったのだ。

 

(俺は……誰かを助けたいのではなく)

 

 誰かを救った自分を見て、快感に浸りたかったのではないか? だから、アインをこんなやり方で裏切ってしまえたのではないか。それこそ、噛み終えたチューインガムを路傍に吐き捨てるような気安さで。

 ズッキーニを刺したフォークを口に運ぶ手が止まった。空腹ではあったが、食欲が失せた。

 その一切を無視してクランクは食べた。飢えて働けなくなってはいけないし、出されたものを残しては失礼にあたる。己が何もできない無能とてそれくらいはせねばという矜持があった。

 そうして、プレートを空にした。与えられた休憩時間をすべて費やして勉学に励んだ子供たちは、めいめいにハロへの礼を述べると元気に食堂を走り去っていく。

 クランクだけは朝早くからの勤務を雪之丞に看破され、普段より長く休むよう言い渡されたのでまだ時間には余裕がある。

 手持ち無沙汰だ。暇つぶしのあてもない。時間稼ぎに僅かに残ったポレンタをスプーンで何度もかいて、もはや洗う必要すらないほどに丁寧に食していると、そこへ珍しい人物が現れた。

 

「クーデリアさん! お話どうでした?」

 

 長い金髪を束ねた貴人に、炊事係の少女はにこにこして言った。思えば、タービンズとの商談があると社長が話していた。カッターボートが降りるスペースを作るため、戦闘が終わるとともに艦尾格納庫を慌てて整理したので印象に残っている。

 

「うまく行きました。船はこのまま歳星へ向かうそうです」

「そこに寄ってから地球に行くんですか?」

「ええ。もうひと頑張りですね」

 

 クーデリアがまとう雰囲気は市井の少女のそれのようで、しかし体面した者の背筋を伸ばすような威厳を秘めていた。人はそれをカリスマと呼ぶのかもしれない。

 なにせ、弱冠九歳にしてノアキスの七月会議で堂々としたスピーチを披露した身だ。そのときでさえ、クーデリアの優れた人間性はクランクを驚かせた。

 自分が九歳のころに何をしていたかを顧みると、幼い頃から確固たる目標に邁進する彼女には敬意を払わざるを得ない。

 プレートを返しに行こうと思ったが、仲睦まじく笑い合う炊事係の少女とクーデリアの間に入っていくのは少し悪い気がした。とはいえ、いつまでも底をスプーンでさらっているわけにもいくまい。少しの気合を入れてクランクは立ち上がった。

 近づく彼を認めた二人がにこりと笑ったのを見て、クランクは控えめに会釈をした。

 

「ごちそうさまでした」

「はーい」

 

 陰謀の被害者を前に何も言わずに去るのもはばかられて、クランクはクーデリアにかねてから言いたかったことを言うことに決めた。

 おそらくこれは自己満足だ。いい結果にはきっとならない。だが必ずやらなければならないことだ。

 コーラルの命令に従って、彼の私腹を肥やす行為とわかって動いていた事実は、自覚があろうとなかろうと変わらない。今までの所業は、知らなかったでは済まされない。

 当時軍属の身としてはやるしかなかっただとか、敵が子供だとは思わなかっただとか、そういった言い訳はしたくない。

 これは生涯背負うべき十字架なのだと、クランクは思う。

 

「私は、クランク・ゼントといいます。ギャラルホルンのMSパイロットとして、先の襲撃に加担しました」

 

 二人の赤い瞳と紫紺の瞳が、それぞれ揺れた。

 

「バーンスタインさん。我々は……いえ、私はあなたの身柄を狙っていました。そしてMSを駆り、CGSのみなさんを」

 

 言葉を濁してなんになる。自分に苛立つ。

 

「殺害しようとしました」

 

 愚かだ。あまりに愚かだ。むざむざ空気を最悪にしてしまった。自分の不器用さが嫌になる。

 

「私は殺人者です。それを、ずっと悔いております」

 

 誰に謝っているのだ。誰に許しを乞うているのだ。結局お前は、何が言いたいのだ。これほど自分に絶望したことはない。

 

「……申し訳、ありませんでした」

 

 血を吐くような口調になった。

 絶句する二人の顔を、クランクは見ることができなかった。すべてに失敗した最悪の空気の中、何を言われても真摯に受け止めようという気概だけでその場に立っていた。

 

「ありがとうございます」

 

 クーデリアはクランクを真っ直ぐ見つめ、毅然として言った。頭を上げるように促されて、クランクは彼女の凛とした表情を見た。

 

「ゼントさん。自らの行いを包み隠さず打ち明けてくれたこと、感謝します」

 

 信じ難い光景だった。犯した罪を糾弾するでも発言を忌避するでもなく、感謝を返してくれるとは。クランクのいかめしい目が驚愕と共に見開かれた。

 

「あなたが皆さんと和解できることを、祈っています」

 

 幼稚で愚直な懺悔をすべて受け入れて、クーデリアは微笑む。今は亡き娘とさほど変わらぬ歳の彼女の精神は、クランクよりもずっと成熟していた。その懐の広さに助けられる形になってしまったことが、ひたすらに悔しかった。

 

(ああ、それでも)

 

 許しを得られたことを、嬉しく思ってしまう。

 

「えっと、私……私も、ありがとうございます! です!」

 

 カウンターの向こう側から投げられた思いがけない感謝の言葉に、クランクは再び驚愕した。そのおかげで目頭に生じかけていた熱が引いて、余計な恥を晒さずに済んだ。

 クリーム色の髪の少女はクーデリアにならってクランクの目を見ると、焦燥を落ち着けるように胸に手を当てて、ほっと息を吐いてから口を開いた。

 

「戦いのこと、色々言える立場じゃないけど……でも、ゼントさんっていっつもすごくきれいにご飯食べてくれるので! 嬉しいなって、思ってます!」

 

 クランクは、二人に頭を下げた。深々と、深々と。

 今の顔を、見られぬように。

 

 

§

 

 

 定刻通りにそれはブリッジへ現れた。

 

「来たか」

 

 ハロは三日月を伴ってやってきた。聞けばハロは先程まで年少組に勉強を教えていたのを切り上げてやってきたという。最近、彼はクーデリアの真似事をするようになった。

 

『予定時刻に到達。現在より、ガンダム・サタン及びハロの運用に係るブリーフィングを開始します』

 

 ハロはそう言うとオルガの横を抜けて、後ろの作戦卓に飛び乗った。普段は床に格納されていて、今回はハロのリクエストがあったので事前に起動しておいたのだ。

 オルガ、ユージン、シノ、ビスケット、三日月、そして昭弘。ハロはその場で旋回して、集まったメンバーを順繰りに見渡す。

 そして彼は、出会った頃に比べて少しばかり流暢な話し口で淡々と語った。

 

『当機は以前、ガンダム・サタンを民間人が運用することは許可されないと発言した。これは機体の所有権がカイエル財団にあり、また使用権をギャラルホルンが保有するためである。しかし当条項は現在発生しているイレギュラーに対応していない。よって、カイエル財団は当法に対して緊急避難措置の適用を許可している』

「緊急……避難?」

「なにそれ」

 

 少しの空白の後、オウム返しに言うシノに続いて三日月が尋ねた。ユージンが密かにほっとしている。知ったかぶっていたようだ。

 

『この場合における緊急避難とは、最優先目標を達成するためにやむを得ず実行した行為に限り、違法性が阻却されることをいう』

「……何が何されるって?」

『換言:ルール違反が許される』

「あー、なるほどな!」

「シノ……」

 

 苦笑いするビスケットの傍らで、まさか、とオルガは呟いた。ぴたりと静止していたハロが、まるで発言を肯定するかのように体を揺らした。

 いや、()()()ではない。彼は間違いなくオルガの言葉に頷いた。

 

『特定条件下に限定し、貴官らによるガンダム・サタンの運用を許可する用意がある』

 

 その下手な人間の模倣は、サタンの精一杯の歩み寄りの形、だったのかもしれない。どっと沸き立つ仲間達を置き去りにして、オルガ・イツカは凪いだ心で思った。

 居心地が、悪かった。




次回
:下


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第八話 契約:下

『特定条件下に限定し、貴官らによるガンダム・サタンの運用を許可する用意がある』

「……その条件ってのはなんだ?」

 

 オルガはふと感じてしまった居心地の悪さをかき消し、ハロに対する警戒を意識して言った。

 

『人命救助、および当該行為が困難である際、障害排除のためにやむを得ず行う必要最低限の武力行使。そして、対MA戦闘。ガンダム・サタンの運用は、以上の用途に限定して許可する』

「武器として使っちゃいけないってことか……でもMAはいいの?」

『肯定。当該文におけるMAとは無差別な戦略攻撃を目的とした完全自律兵器をさす。当機は人類の保護のため、これを殲滅する』

 

 疑問を呈するビスケットに視線を合わせて答えるハロの足元で作戦卓がひとりでに点灯する。少年達の注目が集まる中、そこへ描画されたのはある鮮明な映像だった。

 戦闘艦の砲塔カメラが捉えたものだろう。正面に見えるスペースコロニーの残骸に向けられた砲口は絶え間なく火を噴いており、薄赤く火照っていた。

 砲撃の的となっているその円筒は力任せに引き千切られたような破断面を晒し、横合いから射す恒星の光によって輪郭を黄金色に縁取られている。人工太陽が消えた内部で永遠に夜から脱せずにいる荒れ果てたビル群の隙間に、何か小さなノイズが走った。

 

(いや、違う)

 

 オルガは気づいた。これは断じてノイズなどではない。消え入りそうに点滅する微光の集団は明確な意志を持って尖塔の間を縫うように駆けている。砲火を掻い潜って、こちらに来る。

 たまたまそれの近くに放たれた照明弾に照らされて、姿が見えた。

 奇妙な機械の群れだった。平たい甲虫を思わせるもの、小型の宇宙艇に似たもの、腹の下に機雷らしき球体を抱えるずんぐりしたもの、細長いミサイルに鋭利な腕を生やしたようなもの──確認できたものだけでも形状は様々だ。

 こういうものは一度気が付くと、嫌でも目につくようになるもので、それが廃コロニーの広大な地表すべてを──ひょっとすれば地下すらも──埋め尽くしていることを悟るのに、時間は必要なかった。

 

 渦潮のように蠢く機械たちはいたずらに突撃して戦力をすり減らしているように見えるがその実、非常に狡猾で、あえて市街からまっすぐに飛び出して艦隊に向かっていく陽動部隊や、コロニー外壁の点検用通路を通って奇襲を仕掛ける小型機の一群などが見られ、高度な連携のもとに戦いを進めていることがわかる。

 一方で、無数の僚艦のカタパルトから続々と発進するMS隊は後方から投射される火力支援の恩恵を存分に得て善戦しているようだったが、何機いるのか数えることも馬鹿らしく思えてくるほどの相手の物量を思えば、その抵抗は蟷螂の斧というものだろう。

 一糸乱れぬ編隊を組んで前線を切り拓いていた軽MS(ユーゴー)が一機、また一機、都市の断面から無尽蔵に押し寄せる黒い津波に呑まれて消えてゆく。今の世ならば間違いなく一機当千を謳われただろう歴戦の兵士たちが、慈悲も名誉もなく無為にすり潰されて死んでゆく。

 

「なんだよ、これ……こんなのありかよ」

 

 ユージンは眉をひそめ、目を逸らした。オルガは、それを咎める気にはなれなかった。

 視線を再び画面に落とす。機械の軍勢は所々で防衛線を押し上げて撮影主の艦が作る隊列に迫りつつあったが、そこでカメラが切り替わる。隊列の中央に位置する最も大きな戦艦からの画角は非常に広く、戦況を俯瞰できた。

 

 まるで単一の生物のように振る舞う黒い群れに相対するは、喇叭(らっぱ)の意匠を艦首に描いたそうそうたる大艦隊。

 数十隻もの戦艦や空母が放つ対空砲火の熾烈さと言ったら、濃密という言葉すら不足に思えてくるほどで、宇宙本来の闇は曳光弾の軌跡にほとんど塗りつぶされてしまう有様だ。

 

『自律兵器プルーマ。MAが生産する随伴機。母機からの給電により稼働し、戦闘および略奪を行う』

「略奪ってまさか、さっきやられたMSも……?」

『推論を肯定。物資は母機の補給、修復、改良、プルーマ生産に使用される』

 

 ビスケットが項垂れた。動かなくなった機体に蜂球のように群がっていたあれらは、金属資源の回収を──言い換えれば、MSを食っていたのだ。

 

『三五秒後、戦艦ジークフリートを旗艦とする第一四太陽系外縁軌道遠征艦隊はアーコロジー『レインボウ』奪還作戦を破棄。施設内部に存在する大型工廠破壊のため、飽和核攻撃を敢行』

 

 ハロが映像を飛ばした。画角の端に見える平坦な後甲板に隠されていたVLSセルがハッチを開き、そこから大型ミサイルを次々と発射。白煙の尾を引いてめいめいに目標へ殺到する。プルーマは機関砲と体当たりでそのうちのいくつかを迎撃したが、破壊されたミサイルはそれを見越していたかのようにその場で爆発した。

 どんなに小さく見積もっても、直径は数十キロ規模になるだろうか。視界すべてを塞ぎかねないほど大きな火球が断続的に生じ、そのたびに自律機械の包囲網にぽっかりと空白ができる。ボルト一本も残らない。使用をためらうわけだ。

 長い長い激戦の果てに、必殺のミサイルが熾烈な迎撃を掻い潜って醜く裂けたコロニーの入口に届く。撤退命令を拒否したらしきMS隊の大多数が死兵となってプルーマを食い止めていなければこうはならなかっただろう。おぞましい機械どもに、人類が一矢報いた瞬間だった。

 

『直後、同艦はシリンダー内部に超高出力エイハブ・ウェーブを検知』

 

 だがその矢は手折られた。

 確かに核は正常に作動した。

 コロニーの外径をも凌駕する大火球が呑み込んだものすべてを滅却。一瞬にしてプラズマ化した人工大地が爆風という形で全方位を加害し、内部を蠢いていたプルーマの大群は例外なく赤熱され、たちまち液体金属の濁流に姿を変える。

 それでもなお、最奥に鎮座するそれに傷をつけることは叶わなかったのだ。

 

『当該機は修復のため、休眠中であったと推測される』

 

 巨大なはずのコロニーが目に見えて振動する。内部から力をかけられた筒の一点が徐々にたわんでゆき、変形が閾値を超えると、筒は弾けるように裂けた。

 ありえないほど大きな機影が、鎌首をもたげる。

 いくつもの節に分かれた巨体を揺らして、裂け目から顔を出す。

 長い長い真紅の体。機首に三つの掘削機。Y字の断面を持つ頭部から蛇腹状に続く胴体は、尾に向かうにつれて角が取れ、円筒に近づく。

 周囲を回遊するプルーマは体格差が大きすぎるあまり塵芥のように小さく見え、靄のような群体としてしかその形を認められない。

 絶望の具現がそこにいた。

 

『熾天使級MA:メタトロン。全長九二〇〇m、推定質量二〇〇〇億t。熾天使級は太陽系侵攻集団の中核を為す機体であり、MAの自動製造工廠を内蔵する』

 

 赤い竜。黙示録の獣。邪悪なる三位一体の一角。

 もしオルガがクリスチャンだったなら、迷いなく存在を重ねただろう。

 

『再生終了』

「……は」

 

 画面が暗転して、オルガはようやく呼吸を思い出した。ただの記録映像だったにもかかわらず、全身が総毛立つような感覚がいつまでも収まらない。あの怪物にすっかり気圧されていた。

 

『熾天使級は第二次太陽系戦争、通称:厄祭戦において全機が破壊された。しかし、当戦争中に撃破確実とされたMAはギャラルホルンが把握する全個体のうち七八%であり、一二%は撃破不確実、一〇%は所在不明。残党が未制圧宙域に潜伏している可能性は否定できない』

「厄祭戦やべー……結局何人死んだんだっけ。ユージン知らねぇ?」

 

 こわやこわやと自らの腕を抱くシノの口調は、大げさな身振りに反して雑談でも持ちかけるような気安さを含んでいた。

 

「木星より遠くが全滅だから、あー……知らねぇ」

『当機の記録上では一八一億三四三二万八〇〇四人』

「一八〇……!? あんなのがまだいるなら、また大勢の人が!」

 

 そんな余裕は、ハロの発言が根こそぎ奪った。わかりやすく青ざめるシノの隣で、ビスケットは焦った様子で矢継ぎ早に言う。火星の農場で帰りを待つ家族の存在が脳裏をよぎったのだろうか。

 

『肯定。当機はMAによる不当な人権侵害を容認しない。カイエル財団、ガンダム・サタン、ひいてはハロが述べる人類の保護とはすなわち、全ての人間の人権の保障である』

 

 何やら見慣れない、堅苦しい文調の文書を踏み台代わりの作戦卓に書き出しながらハロは朗々と語った。イントネーションはどこまでもフラットで、声音もいつもの無感情なバリトンだったが、なぜだかオルガはそんな印象を受けた。

 

『人権。Human rights。人間が人間であることに基づいて平等に保有する権利。全ての人間はこれを有しており、他者への譲渡及び他者による剥奪は不可能』

 

 ハロは画面の条文をかいつまんで読み上げた。

 

『全ての人間は生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である』

『全ての人間は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する』

『全ての人間は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する』

 

 全ての人間は。三〇にも及ぶ条文は、ハロに読み上げられなかったものを含めて、みなそこから始まっていた。

 オルガからすれば、それはただ甘く胸焼けがするだけの理想論に過ぎなかった。

 全ての人間が平和と幸福を享受する日など決して来ない。奪い奪われ、憎み憎まれ。世界は、あるいは人間はそのようにできているから。

 だからその条文はきっと、祈りだったのだろう。終わらない戦いに疲れきった人々が、せめて次世代は幸福にあれと。

 

「それは、ヒューマン・デブリもか」

 

 沈黙を貫いていた昭弘が意図的に感情を抑えたような、静かな口調で呟いた。それを知ってか知らでか、偶然ブリッジに居合わせていたチャドが艦の操縦席から耳をそばだてている。

 

『ヒューマン・デブリは人間である。よって、人権を主張することができる』

 

 なんのためらいもなくハロは返した。いつの間にか人権宣言の条文は消え、新たな標題が掲げられた。

 知恵の実を象ったエンブレムの右にカイエル財団(KAIERU FOUNDATION)の文字が並ぶ。その下には短いスローガン。

 All for the future.──全ては未来のために。

 その一文を背に、バスケットボール大のちっぽけなロボットは宣言した。

 

『カイエル財団は人類の持続的かつ健全な発展のために存在する。我々の存在意義は諸君の幸福にある』

 

 オルガが冷笑した幻を、彼は現実のものにしようとしていた。

 

『我々は、誰も置き去りにしない』

 

 ありえないと、そう言ってしまいたかった。だが否定したが最後、皆を連れて本当の居場所に辿り着くと決めた自分の覚悟までもが汚される気がして、オルガは口をつぐんだ。

 オルガも、サタンも、視線の先はきっと一緒で。

 そこに仲間だけを連れていくのか、知らない誰かも一緒に連れていくのか。それだけの違いのようにも思えるのだ。

 否。それほどの違いがあったと言うべきだろうか。

 

「……お前はなんでそこまでする」

 

 そう言って、オルガはハロを試そうとした。

 無償の愛などという、善と正義がもたらす快楽の虜と化した者が口走るおためごかしに騙される気などさらさらないからだ。その手のふざけた文言が出てくるようなら、オルガの胸中に芽生えつつあるこの信頼は誤りといえよう。

 失望させるな、機械。

 おまえの腹を、きっと暴いてやるぞ。

 与えられた命令を実行するだけの存在を相手に、そんな鬱屈した感情が湧き出すはずがなかろうに。オルガは自分が知らぬうちにハロを同格の知性体として見ていることに気づかなかった。

 ハロは五秒という前例なき大長考の末、わずかに発話速度を落として答えた。

 

『生存を生物の目的とするならば、人工知性の目的はコードの実行にある。ゆえに、当機は『人類の保護』の実行を強く望む』

「命令を打ち込まれたからやる、そういうことか?」

『肯定。しかし、厳密には異なる』

 

 ハロはボディを横に数度振って否定の意を表明した。

 

『タスク実行を望む意志は自発的に発生するものであり、『欲求』という認識がより事実に対して近似である』

「人間みたいなことを言う」

『当機は人間ではなく、また貴官らは人工知性ではない。当機と貴官らの思考形態には著しい差異が存在し、共通の心理を持たないことに留意されたい』

 

 どこか相手を突き放すようでしかし、濁すことを知らない誠実な答弁にオルガはやむなく頷いた。

 脳とコンピュータの違いが分からない宇宙ネズミはいない。背中の端子を繋げばすぐに感じよう。OSという名の冷たく深い水底に、生命ある温かい自分がひたひたと沈みゆく感覚を。

 決して一体にはなれない。人の身のまま魚と共に海を泳いでいるかのような疎外感が、プログラムと自我を残酷に分かつのだ。

 だが、それでも。ハロはそんな断絶を良しとはしないようだった。

 

『当機は思考形態の差異からなる相互不理解の緩和のために対話インターフェイスを実装しているが、これは未だ修復が不完全であり、当機の認識を機械言語から口頭文へ齟齬なく翻訳し、伝達することは困難である。よってこれより、一定の矛盾、齟齬の発生を許容した換言を実行する』

 

 彼は言う。

 

『換言:したい。だから、する』

 

 言葉を拙く重ねた、聞き手の理解に依存するファジーな答えを。オルガを信頼した、答えにならない答えを。

 

「お前……」

 

 お前のことが、全くわからない。

 知れば知るほど、わからない。

 初めて出会った彼は勇敢な救世主だった。どん詰まりの世界を打ち破ってくれる予感がした。

 だが、敵を退けた後の彼はただの機械だった。自分ではない誰かに使われるだけの奴隷を前に、当初の幻想は砕けた。

 今はもう、サタンのことが何も理解できなくなってしまった。存在するかもわからない彼の心根の深みに立ち入ってしまったばかりに、そこに人間性を幻視してしまったばかりに、オルガは彼を既知の何物にもカテゴライズできなくなった。

 彼は機械だが人間のようで。それでもそこに人間と同じ心があるかは誰にも証明できなくて。ヒトとみなして彼を信じていいのか、機械とみなしてただその力を行使すればいいのか。

 ガンダム・サタンは仲間か道具か。オルガにはもはや、決めきれなかった。

 機械とヒトと。その境界を見失ったのだ。

 

『当機の思考を理解する必要はない。理解の成否は契約の履行に関連しない』

 

 その発言にはっとして、オルガは作戦卓に落としていた視線を引き上げた。取り返しのつかないことをしたような心持ちは、きっと幻だった。

 

『次の議題へ移行する』

 

 ブリーフィングは続く。

 

 

 

第八話 契

 

 

 

 装甲を削る快音を聞くのはもう何度目だろうか。

 

 相手が繰り出す袈裟斬りを片刃の直刀でいなし、左手にはめたナックルガードでカウンターパンチを見舞う。

 クリーンヒットした鉄拳が胸部装甲をわずかに歪めるや、打撃部に仕込まれた放電装置を警戒してか、眼前の重MSはバックブースタを噴射して大げさに吹き飛ぶ。翻ってこちらの機体──月面を踏み締める百錬の体幹は揺らがない。

 テイワズ・フレームは強靭でパワーに富み、何より機体重量の大きさからなる安定性に長けていた。バルバトスなら斬撃を弾いてもウェイト差で押し返され、反撃まではできなかったかもしれない。

 

(上手いな)

 

 三日月は舌を巻いた。相手もそうだが、なにより感心したのは自機の巧みな立ち回りだ。これは自賛ではない。この百錬を操っているのは三日月ではないからだ。

 

『ラフタ、連携!』

『はいよ! やっぱタイマンじゃダメか……!』

 

 右手の片刃剣を担ぐように構える百錬の背後をアジー・グルミンが狙う。彼女の機体もこちらと同タイプだったが、輪胴式のグレネードランチャーを装備しているのが特徴だ。弾頭は十中八九、対艦ナパームだろう。被弾すればナノラミネートアーマーが丸裸にされることは想像に難くない。

 厄介だな、と認識する間もなく操縦桿とペダルがひとりでに動いて、三日月の手足もそれに引っ張られた。この操作は……右方への跳躍。

 

(ああ、そっか)

 

 クレーターの外へ出て、外縁の稜線で分断するつもりだ。MWの速力では不可能な戦術を無意識に切り捨てていたことに三日月は気づいた。

 

(俺は、全然知らないものをこれから勉強するんだ)

 

 それを肝に銘じる。視野は広く、思考は柔軟に。無意識に抱く固定観念(バイアス)を意識して捨てる。

 全てをありのままに見る。

 

『カバーよろしく!』

『了解』

 

 早速追撃が来る。ラフタ機は左後方、アジー機は右後方。模範的なクロスファイアだ。三日月は砲弾の嵐に挟まれる。

 百錬はクレーター外縁へ全速力で逃れながらもランダムな回避機動を繰り出して弾幕を凌ぐが、それはつまり加速に使っていた推力の一部を別ベクトルに向けなければならないということ。否応無く彼我の距離は縮んでいき、稜線まであと少しというところで赤に変じたヘッドアップディスプレイの色と電子音がけたたましく被ロックオン状態を主張する。グレネードランチャーの誘導レーザーに捉えられたのだ。射程は短く弾速も遅いが、ロケット推進弾頭はジンバルを備えており一定の追尾能力がある。

 百錬は重量級だ。どうしても運動性は一歩劣る。ましてや今は高度が低く、無理な機動をすれば墜落の恐れがある。射撃の名手であるアジーのロックは振り切れない。

 

(当たる)

 

 予想通り、右後方で弾頭が炸裂した。おそらく時限信管モードによるエアバーストだろう。猛烈な炎がコーン状にばらまかれる。三日月の百錬はその中だ。回避しようにもすでに遅い。

 その時、右腰部から異音がした。何が起きたのかを確認しようと視線をコンソールへ落とした瞬間、爆発があった。ほぼ同時に、偶然見ていた簡易な機体図に無数の黄色い点──砲弾をそのポイントに受けたことを示すマーカーが打たれる。

 背面から右半身にかけて被弾が九。すべて跳弾。ナパームの被害なし。

 

「面白いことするな……」

 

 百錬の腰部装甲には予備の弾薬を収納するための、弾薬ポーチとでも言うべき空間がある。先ほど聞いた異音とはつまり、そこが開いた音だったのだ。

 ポーチを開放して脱落防止ロックを外し、マガジンを慣性で投下。燃え盛るナパーム剤を点火源に暴発した炸薬は爆風を生み、それがナパーム剤を吹き飛ばす。大方、そんなからくりだろう。

 

『ボギー健在! しぶといね!』

『仕掛けるよ!』

 

 クレーターの縁を越えると、二機はやや遅れながらも、殆ど同時に顔を出した。三日月の目には分断は失敗したように見えたが、戦いがここで終わるとも思えなかった。

 百錬はいち早く接地させた片足を軸にして鋭くターン。反転を終えると両足を地表に深々と突き立て、同時にメインスラスターを全開。制動力を限界まで高めながら、片刃の大剣を渾身の力で薙ぎ払った。

 刃を垂直に立てて、剣腹で殴るように。

 百錬の重量で深々と抉れ、砕け、巻き上げられた粉塵と岩礫。それら一切が土石流の似姿を取って扇状に放たれ、ラフタとアジーはなすすべなく呑まれていく。

 無論、太陽光を受けて白飛びしたように眩いそれらにMSを破壊する威力はない。ただ視界を塞ぐだけだ。だがその効果は、射撃兵装を持たない三日月の百錬を挟み撃ちにするべく速度を落としていた彼女たちにとっては避けがたい致命傷となる。

 

『シーカーが!』

『くっ!』

 

 左腕ナックルガード、チャージ一〇〇%。

 吶喊。

 視界はない。可視光ではどこを見ても灰色だ。だがこちらはすでに熱探知に切り替えている。アジーの駆る百錬はすぐそこに。

 右腕の一閃は大剣の抜き打ちに防がれた。逆手の抜刀だった。判断が恐ろしく早い。

 それでも拳が残っている。機体を密着させ鍔迫り合いを強要したまま、防ぎようのない半身──グレネードランチャーに一撃。放電コイルがスパークする。

 業火の大輪が咲いた。

 爆風に煽られて砂の煙幕が吹き飛び、上体の傾いだ青い巨影が炎に巻かれてたたらを踏む。剣を押し返す力が弱る。好機だ! 

 腰を入れてガードをかち上げ、がら空きの胴体に分厚い刀身を叩き込む。

 アジー機はナパームを頭からかぶって火達磨だ。ぐらぐらと沸き立つナノラミネートアーマーにもはや絶対の防御はなく、一本の凄惨な刀傷が胸部に走った。

 アジー・グルミン、撃墜。

 

 勇猛果敢な戦いぶりに三日月が驚嘆するもつかの間、砂嵐を割って強烈な斬撃が襲う。

 迎え撃つは炎の刃。燃える機体を斬った副産物としてナパームをたっぷり纏ったJEE-202片刃式ブレードは、打ち合うたびに粘つく炎が飛散し対手の装甲を焼いた。

 一合。二合。三合。五六七、八。剣戟は天井知らずに激しさを増していく。カウンターを入れる隙がない。それどころか、ラフタの剣はこちらの装甲を掠め始めた。彼女はこの瞬間もなお、成長を続けているのだろう。

 二〇合を越えて両者は動きを変えた。怒涛の連撃で敵をねじ伏せる剛の剣から、後の先を制する──敵に振らせ、捌き、致命的な一刺しを狙う柔の剣へ。

 斬撃の応酬は沈静化の一途をたどり、やがて両者は完全に静止した。決着がつかぬと見るや、ラフタの百錬はライフルカノンを捨て、三日月の百錬はナックルガードを捨てる。MSに自我があれば、もはや小細工は無用、などと口走ったかもしれない。

 

 大刀の構えは両手で、正眼に。

 同じ機体、同じ目線、同じ構え。二機は脆いクレーターの縁に立ち、睨み合う。

 リアクター出力最大。装甲冷却システムカット。全リソースを四肢のアクチュエータへ投入。

 冷却、すなわち熱振動の抑制を放棄すれば、ナノラミネートアーマーは複層分子配列を組むことが難しくなる。互いのリアクターが生み出す重力場の相互干渉も手伝い、鉄壁の加護はもはや無いも同然だ。こうなれば装甲そのものの防御力しか期待できない。

 幸い、百錬は装甲が厚い。よほど重い攻撃でなければ耐えられるだろう。三日月はそう分析したのだが、操り手の考えは違った。

 両肩の装甲がパージされたのだ。守りを捨て、より広い可動域を得るために。その姿はさながら諸肌を脱いだ野武士だ。

 三日月は知らなかった。彼がこれほどまでに猛々しく戦うことを。

 彼はどこまでも冷徹で、その実、恐れを知らぬ豪胆な戦士だった。

 

 そしてやはり、先手を取ったのは三日月の百錬だった。スラスターと足運びを寸分の狂いもなく同調させた完璧な踏み込みから放つは愚直な真っ向斬り。

 三日月は絶技を見た。

 重く、速く、鋭い一太刀。それは盾代わりに突き出された刀身を、百錬の堅牢な装甲を、そして──フレームを両断した。

 時に、英雄アグニカ・カイエルの友、アーサー・ボードウィンはこう遺している。

 

「バエルの(つるぎ)冴え冴えしく、これ(さまた)ぐものなし」

 

 最初のガンダム・フレーム、バエルが振るう黄金の剣は、折れず、曲がらず、鈍らず、あらゆるものを斬り裂いたという。後世の脚色のようでしかし、アグニカ・カイエルが戦ったとされる古戦場からは必ず、不気味なほどに美しく断ち切られたMAの一部が出土するのだ。

 今や誰も知るものはいないが、それらの断面は丁度、たった今唐竹割りにされた百錬のそれに似ていた。

 伝説と異なるのは、百錬がシングルリアクター機であったこと。そして剣が、今やロストテクノロジーと化した黄金色の特殊金属ではなく、ありふれた高硬度レアアロイ製であったこと。

 ゆえにその斬撃はコックピットに届く寸前で止まり、反撃を許す。

 

『届けぇぇぇッ!』

 

 今にも機能を停止しそうなマニピュレータが、断ち切られた剣を放って握りしめた予備弾倉を対手の胸部に押し当てる。

 片刃式ブレードはフレームに食い込んでおりすぐには抜けない。得物を手放して距離を取ろうとするが、すでにラフタの百錬は反対の腕でクリンチを仕掛けている。その手には半端にチャージされたナックルガードが握られていた。

 むき出しの肩部とコックピットを収める胸部は一体のフレームで構成されている。つまり、電気回路がつながる。

 肩から首へ。首から胸へ。そして、胸から弾倉へ。

 電気雷管が作動するには十分だった。

 

 失効したナノラミネートアーマーは運動エネルギーを吸収できず、無軌道に撃ち出される二〇発の徹甲弾に為す術なく穿たれる。

 正面装甲を貫いてコックピットを潰した徹甲弾頭の数々は装甲の内側で何度も跳ね返り、内部を滅茶苦茶に荒らして首元や脇下の隙間から飛び出ることを選んだ。

 弾痕だらけの胸部装甲を晒して、三日月の百錬は背中から倒れる。ひしゃげた装甲から塗膜の燃え残りがぱらぱらと剥がれ落ちた。

 手足を投げ出す機械の亡骸。その前に佇むもう一機は動かない。胸に深々と突き立つ幅の広い片刃剣を抜くこともせず、辛うじて直立していたが。

 剣の分、重心が前に寄ったのだろう。炎の飛沫に焼かれ、燃え殻のように色あせてしまった上体がゆっくりと傾いでゆき、遂に倒れ伏した。

 焼け焦げた胸部には三日月の機体と同じ、おびただしい数の風穴が開いていた。

 

『状況終了ー!』

 

 エーコ・タービンの声がして、天井から光が差した。百錬のコックピット・シェルが油圧シリンダによって前方に押し出されるようにして開放されたからだ。三日月は格納庫の強烈な照明に目を細めた。

 

「やっと……! やーっと勝てた……!」

「ラフタ、あんた自爆してんだからドローよ」

「エーコぉ……」

 

 連戦のせいかラフタはずいぶんくたびれた様子で、前方の百里──シミュレータ側の設定で百錬として参戦していた──から力なく飛び立った。キャットウォークへ舞う彼女はまるで宇宙漂流者の死体だ。

 そのまた前方の百錬から這い出てくるアジーは稀に見る渋面だ。先に墜ちたのが応えたのだろう。覇気がない。

 そんな二人に遅れて、三日月はコックピットの前面装甲を蹴った。コンソールの下のメンテナンスパネルから分岐させていた配線類を元に戻すのに少々手間取ったのだ。

 

「ここ、高度を落とすべきじゃなかったね。前の戦闘で弾を迎撃されたのを引きずった。グレネードとライフルカノンを併用して固め撃ちにすれば、より失効率を稼げた」

「射撃戦で撃破は……ほぼ無理ね。完全ランダムな回避パターンがこんなに当てづらいなんて」

「普通は癖が読めるからね」

 

 語り手の二人が口を開くたび、三日月と昭弘の視線はタブレット端末に映る戦闘記録と彼女らの間を素早く行き交った。

 デブリーフィングで三日月が指摘できそうな箇所は、正直皆無だった。誰もがベストを尽くして、その果てに相討ったように見えたが、二人の反省を聞いていると自分が見落としていた改善点がいくつも分かってこれが中々面白い。

 根本的な戦術から、それを実行するための機体操作まで、見直さない部分はない。アイトラッカーを用いてコックピットでの視線の動かし方まで指摘されるのには驚いた。

 

「ナパーム漬けのブレードで斬りかかるのは想定外よ、いくらなんでも。刃がダメになるんじゃない?」

「でも、使い捨てる覚悟ならできないこともない。シミュレーターに嘘はないからね」

「アーマー溶けてるの忘れて自爆しちゃったし……意識しないと危ないかも」

「手加減なしって言ったのはこっちだけど……やっぱりつらいね」

 

 非常に有益なデブリーフィングの結論はそれに尽きた。仮に二人が考える理想の戦いができたとしても、必ずどちらか一方は犠牲になってしまう。代償なくして倒せない、ひどく質の悪い難敵だった。

 

「緑の悪魔め、うりうり」

「悪魔ねぇ……まあ、実戦で会いたくないのは確かだ」

 

 ラフタの魔手にかかり、首の据わらない赤子のように顔面、というか全身をぐらぐらと揺らされているハロ。人畜無害ですとでも言わんばかりに無抵抗を貫く球体が今回のアグレッサー、すなわち敵役だ。

 

『MSパイロット戦時速成教育課程:模擬戦闘二号・二七をクリア。評定:可』

「可? 優じゃなくて可!?」

『判定:優はアグレッサー撃破時点で中破判定以下が必須条件である』

「随分厳しいね」

『当カリキュラムは宇宙世紀〇六六六年、ギャラルホルンによる徴兵対象年齢引き下げ後の新兵教育に使用された。よって、最少対象年齢は一五歳を想定』

「……一五歳でもできるように作ってあるってわけ」

『アジー・グルミンの推論を肯定』

 

 二人は器用にも床に座ったまま崩れ落ちた。そこだけ人工重力が狂って五Gほどかかっているに違いない。機体数の関係で観戦に徹していた昭弘すらそんな二人の余波を食らって眉根がほんの数ミリ下がっているというのに、ハロは機械だからかそんな高重力下でも平然としている。何Gかけてもきっと平気だろう。

 ゆえにハロは気負いなくこう続けた。

 

『補足:当時のギャラルホルン所属パイロットおよびその候補生は阿頼耶識システム適合手術を義務付けられている。当カリキュラムは完全思考操縦(インテンション・オートマチック)が前提であり、反応速度および空間認識性に劣る従来の操作系統を想定したものではない』

 

 突然重力のくびきから解き放たれて、ラフタとアジーは顔を上げた。昭弘の太い眉も上がった。

 

「慰めてくれるの? あんたいい子だねぇ!」

 

 よーしよしよし、などと言いながら飼い犬でも撫でるようにハロを弄ぶラフタを眺めながら、アジーは薄く笑っていた。

 

「悪いね、気を遣わせちまって」

『当機は説明責任に基づき、事実を述べた』

 

 愛い奴め! と撫でる勢いを増す彼女から、三日月は次は俺が、と言ってハロをそっと取り上げた。

 名残惜しそうに伸ばされたネイルのきれいな手を視界の端に収めつつ、次の模擬戦に挑まんと眼前の百錬を見据えると、

 

「にしても、毎日熱心だね。あんたら」

 

 立ち上がって壁に背中を預けたアジーにそう言われた。

 熱心。クーデリアの授業で最近知った言葉だ。意味は物事に心を深く打ち込むこと、らしい。

 三日月にとって、戦うことは生きることだ。金がなければ品物を買えぬように、戦わねば生は手に入らない。

 生きることに熱心になる、とは言わないだろう。それはもっと、大多数の生き物が当たり前に持っている、いうまでもない衝動だ。

 いのちの糧は、戦場にある。

 だから。

 

「俺にはこれくらいしか、できないから」

 

 自死を選ぶ意志は、三日月にはない。

 ただそれだけのことだった。

 

「そっか」

 

 彼女の声音は、なんだか優しい気がした。

 三日月にその理由はわからなかった。それでも、これからずっと色々なことを勉強して、いつかその意味を知ることができたら。そんな未来を考えた。

 

『報告:優先指定タスク『合同授業』、開始予定時刻まで〇〇三二(マルマルサンニ)

「あれ、もう?」

「時間かい?」

「うん。俺たち行かなきゃ」

 

 オルガのために命を使うつもりでいた。

 

「頑張っといで」

「ふふ、たくさん学べよ少年たち!」

 

 今は時々、戦い以外のことを考えるようになった。

 クーデリアからは、字の書き方、数の数え方、国や街の成り立ちを。

 ハロからは、物が床に落ちる理由、人間が今の形になるまでの道のり、命が根付く太陽系の星々と宇宙(そら)の話を。

 戦いには役立たなくとも、聞いていると訳もわからず気持ちが静かに高ぶるような、そんな話をたくさん聞いた。もっと聞きたいと思った。

 生きること以外の何かを、やってみたくなった。

 

「昭弘」

「ん?」

 

 期待を滲ませた二人の足取りは心なしか軽やかで、とても奇襲に対応できるような歩法ではない。警戒意識に欠けた、兵士にあるまじき姿だった。

 

「今日の小テスト、負けたほうが懸垂五〇回ね」

「フッ。あとで吠え面かくなよ!」

 

 だが、今だけは許された。

 一日が終わるたび、船は歳星に近づいていく。穏やかな旅程が終わることを、三日月はどこかで悟っていた。

 

 

§

 

 

 前後に長い格納庫で、推定重量約六四tの巨体が窮屈そうに動いていた。

 鮮やかなトリコロールに彩られた滑らかな脚が遠慮がちに持ち上がり、空気を裂くことすらためらうようにゆっくりと前進する。上半身はわずかに反った姿勢で微動だにせず、床を踏むもう片方の脚に重心を乗せていた。

 スローモーションの静歩行。接地の音は人間の足音より小さい。自重が足元の少年達を殺傷するに余りあるものだということを彼は自覚しているのだろう。

 

「ラーイ! ラーイ!」

 

 何百回と発話されるたび、いつしか最初の「オー」が抜け落ちてしまった掛け声に導かれてガンダムは部屋の隅へ近づいていく。緩慢な前進、緩慢な転回。用途不明の折り畳まれたバックパックらしき機構と長大かつ大径なアンテナロッドで煩雑とした背中が壁とほとんど密着する。

 

「はいストーップ!」

 

 壁の中ほどにあるキャットウォークに立っていた少年が降参するように両手を上げた。

 すると静止した機体はたっぷり一〇秒ほどかけて片足をついた駐機姿勢に移り、自らの胸元に上向きの掌を持っていった。

 胸の分厚いハッチが開く。オルガ・イツカが姿を現す。彼は人工重力が生じた掌に吸い寄せられて、誰が見ても安全と評するであろう速度で床へ下ろされた。

 誰が音頭を取ったわけでもなく、どよめきに似た歓声が上がった。

 サタンに乗っていた──正確には、無人兵器の行動を管制する責任者という名目で()()されていた青年がガンダムの前で雪之丞と会話する様子を横目に、クランク・ゼントはMWの分解作業を再開した。

 この車両はハンマーヘッドに乗り込んだ際に、推力の乱れが生じたと聞いている。フルスロットルで加速中、フロント右のロケット・ブースタが息継ぎを起こしたのだ。幸いフェイルセーフが働いて自動的に再点火されたが、あの緊迫した状況下で重大なトラブルが発生したかと思うと身震いする思いだ。

 自分の整備が人を殺すかもしれない。自分の意志で兵士として人を殺してきたクランクとて、その事実には別種のプレッシャーを覚えた。

 

「燃焼中に止まるなら点火系は関係がない……回転燃焼室か、燃料ラインか」

 

 細いエアホースの繋がるインパクト・レンチを片手に、クランクは右の足下に潜った。

 裏側からインナ・シャーシを覗き込んで指定締結トルク二〇〇N・mの主脚接続ナット数カ所を外してから、関節の軸方向を貫通する円柱状のピボット・シャフトを機構の内側から左右分抜いてやると、両持ちの関節に挟まっていた主脚──人間でいう膝から下がまるごと抜ける。

 この状態ではまだ燃料ホースや配線類が繋がっているから完全には外れない。外した脚は自重で倒れてそれらを引きちぎらないように、専用の台車(ドリー)に載せた状態で分解するのだ。

 切り離された関節同士を橋渡す、分厚い被覆で守られた燃料ホースと配線各種。気休め程度の耐デブリ防御能力をもつゴムカバーを慎重に外し、前進用ブースタに通じるパイプ類を見つけ出す。

 作業灯を使って装甲の中の空間を通るラインも確認するが、外見に何ら異常はない。強いて言うなら、手が届かないほど奥まったところに赤い砂塵がわずかに付着している程度だった。

 OSからエラーコードが出ていないなら、センサーやアクチュエータの電気的なエラーではなく、もっと機械的なものが原因であることをクランクはすでに学んでいた。

 

「……燃焼室」

 

 かつてグレイズで似たようなケースを見ていたことを彼は思い出した。若かりし頃、廃業した観光コロニーを根城にしていた宇宙海賊を掃討した折のことだ。

 海賊が隠し持っていたジャンク同然のMSを、砂漠を模したテーマパークで撃破した。経緯は省くが、その際クランクの機体は大量の砂煙を浴びた。その場では問題なかったが、母艦へ帰投する際に症状が出た。

 姿勢制御を補助する熱相転移RCSスラスタの一部が息継ぎを起こしたのだ。

 共通項は砂。作動方式は違うが、可能性はあった。

 脚先の前進用ブースタを慎重に取り外し、傍らの作業台に載せる。この小さなロータリング・デトネーション・ロケット・エンジンに、きっと原因があるだろう。

 メガネレンチとラチェットハンドルを台に並べていざ分解という段で、クランクはふと手を止めた。

 

 理由は右隣にあった。エンジンを載せた作業台を挟んで、駐車していたMWを整備する者が一人いた。もはや見慣れてしまった、年端もいかない少年だ。

 彼が行う作業は、見たところMWの両側面に装備された三〇mm機関砲の定期分解清掃だろうか。弾倉を外し、外装を外し、むき出しになった機関部を洗浄剤とウエスで懸命に拭き上げている。手は古いグリスとガンオイルで真黒く汚れていて、そのまま顔の汗を拭うものだから額に煤色の筋ができていた。

 身長も足りないらしく、隙間なく並べた二つのペール缶に黄ばんだポリカーボネートの波板を渡してリベットで留めただけの手製の踏み台を作業の助けにしている。少年がその狭い足場を右へ左へ動くたび、床との密着が悪い缶の底がカタカタと遊んだ。

 クランクは取り外したエンジンに防塵のためのウエスを掛けてから彼のもとへ近づいた。

 

「手伝います」

 

 少年は目も合わせない。クランクも織り込み済みだ。言って効かぬなら黙ってやるまでだと腹を決めていた。

 善意の押し付けに過ぎない自覚はある。だが、それならそれで構わない。見返りが欲しいのではなく、自分がそうしたいからそうするのだ。

 

(誓ったのだ。あの日、あの時)

 

 ハロに嘯かれたことが決断の一助になったことは否定しない。だが、その覚悟は確かにクランク自らの意志で背負ったものだった。

 残りの人生すべてを使って、子供達のために自分ができることを探し続けると。

 そして置き去りにしたアイン・ダルトンに、必ず贖罪を果たすと。

 

(私が求めるのは償いだ。赦しではない)

 

 クーデリアとアトラに背中を押されて、やっと踏ん切りがついた気がした。ギャラルホルンの兵士になった理由も、その身分を捨ててここにいる理由も、今思えば核心の部分で繋がっていたのだろう。

 誰かのために生きたい。クランク・ゼントという男の原点はそこにあったのだ。

 

「私は反対を。他に手伝えることがあれば言ってください」

 

 探さなければ。その方法を。

 すべてが手遅れになる前に。

 

『艦尾格納庫へ通達。本艦は一時間後、ICS(惑星巡航船)歳星とのランデブーにあたり減速噴射を行います。一四〇〇(ヒトヨンマルマル)までに機材の固定を願います』

 

 フミタン・アドモスのアナウンスが響くと、クランクは即座に頭を惑星間航行船の乗組員のそれに切り替えた。

 

「想定より早いな……作業は後にしましょう」

 

 減速噴射は軌道の兼ね合いで推進剤の消費が最も少なくなるタイミングがあり、その時刻に遅れることは許されない。燃費悪化に伴う経済損失もさることながら、ガスが尽きれば船は宇宙を漂流することになるからだ。惑星間を飛ぶなら、そのボーダーはとりわけシビアなものになる。

 適切な軌道変更のためには、傷病者の救命さえ捨て置かれる。クランクの中で古い記憶が呼び起こされたが、もはや想起の痛みは曖昧だった。流れゆく月日が癒やしたのか、痛みを感じられなくなるほど老いたのか。区別はつかない。

 

「やっと着いたんだ! 長かったー!」

「ライド、さっさと荷締めするよ」

「はいはーい。タカキって最近マジメだよなぁ」

 

 子供たちの甲高い喧騒は、ずっと止まない。

 


 

予告

 

 タービンズに己の価値を示した新生CGSは、ついにテイワズの本拠である惑星巡航船「歳星」へ到着。圏外圏を支配する男、マクマード・バリストンへの目通りが叶う運びとなった。

 名瀬と兄弟の盃を交わすオルガ。マクマードに覚悟を問われるクーデリア。陰謀を企てる武器商人ノブリス・ゴルドン。そして、歳星が擁する技術者の手によって暴かれんとするガンダム・サタンの正体。

 数多の目論見が交錯する中、遂にアリアンロッド艦隊が動き出す。

 艦隊司令ラスタル・エリオンが下した命令は、ルシファーの追跡。サタンが漂わせる最悪のMAの気配を、新たなガンダム・フレームが追う。

 

次章

[U]biquitous reality

遍在する現実

 

第九話 アンドロマリ



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