虚ろな刃 (落着)
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1

 一人俯く傷だらけの男。

 周囲を囲うは折れた刃達。

 何も映さない虚ろな瞳。

 深々と降り注ぐ雨がその身を錆びさせる。

 唯朽ちる事を待つ。

「あぁ……面倒だ」

 零れ落ちた言の葉は誰にも届かない。

 

 

 

 

 

 

 

 弾む心情を表すように髪が舞う。ぴょこんぴょこんと跳ねまわる。軽快な足音が音色を刻む。

 目的のものを見つけたのか音色が早まった。音の間隔が加速度的に狭まっていく。

 

「おぉー、喜助! ここにおったか!」

 

 言うが早いか、声の主が飛び掛かる。声をかけられた相手は反応する間もなく床に組み伏せられていた。

 床と額を打ち付ける鈍い音。床との間から漏れるうめき声がその痛みを物語る。

 

「い、つつ……夜一さん、跳びかかるのはやめてくださいって言いましたよね?」

「なんじゃ喜助。情けない声を出しおってからに」

「いやあのね夜一さん。急に背後から跳びかかられたらボクにはどうしようもないですよ」

「嘆かわしい。全くもって嘆かわしいのぅ、喜助」

 

 言葉の内容と裏腹に声色は喜色に染まっていた。溢れ出る好奇心が隠しきれていない様子に押し倒された男、喜助は苦笑いを漏らすほかなかった。

 漏れだしそうになったため息を呑み込んで喜助は声の主たる女性、夜一へ意識を向ける。

 

「それで、夜一さん」

「どうかしたのか、喜助?」

 

 どうしたと問い掛けながらも、夜一が浮かべる表情は言葉に出すまでもなく語っていた。

 聞け。雄弁に語る瞳が他の選択肢を無情にも潰していた。

 

「……まったく。何か良い事でも合ったんですか、夜一さん?」

「何じゃ、気になるのか喜助? 仕方ないから教えてやろう」

「ハイハイ。じゃあ聞くんで上から降りてくれませんかね?」

「ノリが悪いのぉ。まぁ、よかろう」

 

 言うが早いか夜一はいそいそと喜助の上から降りる。気まぐれな猫のような夜一の姿に喜助は苦笑しっぱなしであった。

 

「で、何があったんスか?」

「花枯での話を聞いておるか?」

 

 夜一の問いかけに喜助は想いたる節があったのか、視線を僅かに細めて返答の代わりとした。

 簡潔な反応が好ましかったのか夜一の口角が持ち上がる。

 

「ほぅ、耳に入っておったか」

「まぁ、これでも耳ざとい方ですからね」

「かかっ、そうかそうか」

「刀狩……の事ですかね?」

「うむ、そうじゃ」

「ボクに声をかけたって事は()退()させるって事なんですか?」

 

 隠密機動第三分隊・檻理隊の長を務める自分に声をかけたという事はそうなのだろうか。そのように考えた喜助が確認のために夜一へと問いかける。

 いずれ起こそうと思っている研究機関の人員になれそうな人物だと喜ばしくはある。けれども耳に届く噂から判断するにそれは無さそうだとも思っていた。

 

「違うぞ。そも死神ですらない」

 

 だから即答で夜一に否定された喜助は一瞬呆けた。

 

「それなら何でボクに話を持ってきたんすか?」

「うん? お前もつれてこうと思っただけじゃ。一人で行くのもつまらんからのう。そうは思わんか?」

「……あのねぇ、夜一さん」

「ほれほれ、喜助。さっさと準備せい」

 

 それだけ言うと夜一はその場から瞬歩で姿を消す。持ち上げた喜助の手が行き先を失い宙を彷徨うが、どこかにたどり着くことはなかった。やれやれと言いたげなため息の後、彷徨った手は自らの後頭部をがしがしと搔く。

 

 

 

 

  

 

 

 

 ふと気が付くと身体を打ち付けていた雨が止んでいる。腰元に付けている白の遺髪に手が伸びる。さらさらとした手触りが指先から伝わる。意識せずとも自らの身体を雨よけの傘にしていた。

 

「どうしてだろうな……どうして俺だけなんだろうな」

 

 気が付けば泣き言を漏らしていた。そんなつもりは無かった。だというのに漏れた泣き言が思ったより自らは打ちひしがれていた事を自覚させる。見上げた雨上がりの空は嫌になるほど眩しかった。

 弱くなったと思う。島にいたころの刀であった自分ならばきっとこんなことは無かった。人らしさを貰って弱くなった。けれど自分はそれを捨てられない。そして自分はそれを捨てたくない。姉から貰った大切なもの。

 

「これも全部アンタが関係してるのかね、四季崎記紀……何て言うのは八つ当たりだな」

 

 戯言が過ぎる。毛先を指でくるりくるりと遊ばせる。その行為に旅をしていた時は何度も彼女の髪を巻き付けていたなと思い出す。あまりにも当時の自分は人を見分けられていなかったと苦笑した。色や手触りに匂い。終いには舐めもしたと。くつくつと思い出し笑いが漏れる。

 

「まったく……そっとしておいてくれればそれで良いんだがなぁ」

 

 傷だらけの男の視線が空から戻る。辺りには折れた刃達が鎮座していた。遠くから近づいている気配の主に視線を向ける。ここに来てから感じられるようになった不思議な気配。強そうな気配。

 

「面倒だ」

 

 何時しか使わなくなっていた口癖。そして彼女に貰った口癖はもはや使うことは無いだろう。所有者が居ない刀は振られることは無い。あとは錆びつくのを待つだけだ。そっとしておいて欲しいと願ってしまう。

 

「会えると思ったんだがなぁ――とがめ」

 

 誰に届く事もなく言の葉は空気に溶けた。

 

 

 

 

 

 

 

 夜一の先導のもとに二人は目的地へと向かっていた。

 

「で、夜一さん?」

「何じゃ、喜助よ?」

 

 にやにやと笑みを浮かべ、瞳を嗜虐的に輝かせていた。これくらいのじゃれつきならば可愛いものだ。わざと機嫌を損ねても得することは無い。

 

「もう苛めないでくださいよ。わざわざ夜一さんが出張る程度には興味をもったきっかけがあるんでしょう? 道中の話題を提供してくださいよ」

「珍しく素直じゃな。まぁ、良かろう。何でものう、此度の騒がせ人は白打の達人らしいぞ」

「白打ですか。手合わせでもするんで?」

「さてどうであろうな。まずはその者を見てからではないとなんともなぁ」

 

 くつくつと喉を鳴らしながら夜一が笑う。どうであろうと言いながらも好奇心を覗かせる瞳が何もなく終わるなどという楽観視をさせてくれない。けれどもそれを楽しんでいる自分も似た者同士なのだろうと喜助も笑った。

 

「さもありませんねぇ。それで刀狩さんでしたっけ? どんな噂なんですか?」

「なんだお主、聞き及んでおる風であったではないか?」

「流魂街にそう呼ばれている人が居るって事とほんの少しくらいの話しか聞いてやせんよ、ボクは」

「なるほどのう。ならばちと儂が知っている事を話すとするか」

 

 そうして夜一が語り出す。刀狩と仇名された男の話を。

 事の始まりは流魂街の六十二地区・花枯に現れた虚の知らせ。特筆するほどの異常性などは無かった。故に、席官を含む数名の隊士が討伐へと向かった。時間さえ過ぎ去れば記録の一つとして記される程度の事件。けれど噂が発生したという事はそれで終わらなかったことを意味している。隊士達が情報の場所へとたどりついても虚は居なかった。否。たどり着いた時には虚は討伐されていた。

 のちの集めた情報によれば、出現した虚は現れてすぐにその男の元へと向かったという。わき目もふらずに一直線に。だからこそ周囲へは被害が出なかったとも言えた。虚が目指した理由は単純明快。男の発する気配が美味そうだった。たったそれだけであったが、本能の強い虚には十分な理由でもあった。

 そして虚は討伐された。たどり着いた先にいた男に斬殺された。一刀のもとに斬り捨てられた。たどり着いた隊士達が視た光景は空き地の中心に座している男であった。

 一人の隊士が問うた。「ここに来た虚は何処へ行った」

 男は答えた。「あの襲い掛かってきた獣の事なら斬り捨てた」

 さらに隊士は問いを重ねた。「斬り捨てた? 刀も持たずに何を言う」

 男は気だるげに言った。「刀が無いように見えるかい? ならそうなんだろう」

 その男の様子があまりにも面倒臭そうで、そして自分達を一瞥もしない態度に隊士の一人が憤った。真央霊術院出の者が時折持つ矜持の高さをそのものは持っていた。

「我々死神を謀るつもりか? 誰のおかげで流魂街が平和だと思っている。早々に態度を改めろ」

 そう声高に一人の隊士がのたまった。そして他の隊士達も見知らぬ男一人の印象より、今後も付き合う同僚との関係を鑑みて強く静止はしなかった。

 男は隊士の言葉に何を思ったのかは分からない。けれどもそう深い事は考えてなかったのではないだろうか。

「信じる信じないはそっちの勝手だ。もう面倒だから絡まないでくれ。嘘だと思うのなら辺りを探せばいいし、それでいないならいないで良いじゃないか?」

 肥大化していた矜持を爆発させるには十分であったのだろう。憤っていた隊士は浅打を抜いて切りかかった。腐っても護廷の隊士。流石に殺害の意思までは無かった。軽く斬りつけて身の程を教えてやろうと言う程度の傲慢さ。されどそれが彼を救ったのも間違いない話。殺意をもっていれば彼は殺されていたのだから。

 隊士が抜刀した瞬間に男は構えを取った。突き出された浅打を両の手で挟み一瞬でへし折る。隊士が呆気にとられている間に蹴りの一閃で昏倒させた。

 後はどのようなやり取りがあったかは定かではないが、事が荒立ってしまってなし崩し的に事態は悪化。行きついた先は隊士全員が刀を折られて気絶させられた。

 

「なるほどなるほど。それで刀狩と」

「まぁ安直であるが分かりやすくはあるかのう」

 

 蓋を開けてみれば死神の醜聞とも言えそうな話であった。喜助の内心としては初代剣八のような大罪人ではないので一安心といった所。

 

「それで下位とはいえ席を与えられる隊士もいたのにその結果じゃ。剣士では相性が悪かろうと隠密機動に話が来ての」

「その結果、面白そうだからと夜一さんが案件をかっぱらってきたと」

「人聞きの悪い言い方をするでない、喜助。儂自らが率先して仕事をしておるのじゃよ」

 

 仕事をするなどと嘯く友人の面の皮の厚さに流石の喜助も感心した。普段どれだけ脱走して皆を困らせているのか自覚をしているのだろうかと。

 

「それならそれでいいですよ。ボクは後ろの方で見てますから夜一さんがお好きにしてくださいな」

「枯れておるんじゃないか、お主。儂の代わりに切りかかっても良いのだぞ?」

「勘弁してくださいよ」

 

 疲れることはごめんですと喜助は両腕を上げて否を示した。夜一が喜助の態度に一度つまらぬと鼻を鳴らして足を止めた。喜助も夜一に倣い止まる。二人の視線の先には先ほどまでの話題の男。折れた刃に囲まれて無気力さを纏っている傷だらけの男が一人。

 

「存外普通の見た目じゃな」

「どんなのを期待してたんですか?」

「門番位の厳ついのだと面白いと思わんか?」

「そうは思いませんね」

 

 喜助の言葉に再びつまらんと夜一が不満を漏らした。

 

「なぁもう勘弁してくれないか。別段俺はあんた達に敵意がある訳じゃない。そっとしておいて欲しいだけだ」

 

 男は喜助と夜一、二人の雰囲気が殺伐としていない事を理解すると言葉を投げかける。互いへ向けていた視線を二人が再度男へと向ける。それは見極めるように、観察するように、真剣さを帯びた視線。

 夜一は男を見て面白いと感じた。周りに突き立つ折れた刃の影響か、男が一本の刀のように思えた。持ち手もおらず朽ちる事を待つ寂しい刀に。研ぎ澄まされているのに錆びついている。輝きと退廃を混在させている姿が美しく映った。だからだろう、夜一は男に問い掛けたのは。

 

「お主、寄る辺がないのか」

「あぁ、そうだな。でも俺は別にここでも構わないよ」

「ふむ。だが()()()()()のではなく()()()()()()()()なのか」

 

 一人楽しげに夜一はいう。なるほどなるほどと納得を示し、ふむふむと興味深げに頭を揺らす。

 

「ならばお主、儂の手元へ来い」

 

 夜一の言に男が僅かに瞳を見開く。隣の喜助は唐突な夜一の物言いに始まったと言いたげに僅かに距離を離して見守る体勢に入る。

 男が再び口を開く。虚ろさしかなかった瞳がほんの小さな光ではあるが興味を宿していた。

 

「あんたが俺を所有すると?」

「そうだ」

「それじゃあアンタは何をもって俺を動かす?」

 

 男は夜一へ問い掛ける。何を用いると。男の指先が腰元の遺髪を優しくなでる。

 

「ふむ、そうじゃな。まず金ではない。ここでも良いと申すぬしが金で動くとは思わぬ」

――金で動く者は駄目だ

 

 最愛の者との想い出が重なる。

 

「次に名誉じゃ。儂はこう見えても中々に偉い家の出だが先ほどと同じ理由で名誉で動くとは思わぬ」

――名誉で動く者も駄目だ

 

 煮え湯を飲まされたと腹を立てていた彼女と目の前の楽しげな女性が僅かに重なる。

 

「故に儂は愛をもってぬしを動かそう。ぬしを家族のように愛し慈しもう。だから儂と共に来て愛でられよ」

――お主、私に惚れても良いぞ

 

 障子紙一枚ほどのひ弱さだと豪語する彼女と、活力に満ち満ちた目の前の女性。肌の色も体格も雰囲気の一つも似ていない。それなのに似ていると感じてしまう事の不思議さに男は笑った。このよく分からない世界に迷い込んでから初めて男は心の底からの笑みをこぼした。

 

「その様子から察するに是と言う事でいいのかのう」

「あぁ、俺はアンタの手元に行くとするよ。俺はアンタの刀になろう」

 

 男の返答に夜一は大仰に頷き満足だと示す。男は思う。一つ似ている所を見つけたと。自分を振り回す自由奔放っぷりがそっくりだった。

 

「刀になるか、それもまた面白い。ではまず大事なことだ。お主の名を聞こう」

 

 そこまでいって互いに名さえ知らぬことに初めて意識がいった。そして同時に考える。どうせならば少しばかりかっこ付けた名乗りでもしようと。昔、旅の同行者から「お主は個性が弱い」と言われた事があった。過去に出会ったまにわに程の個性的な物は無理でも最初くらいだ気取ってみるかと男は口元を綻ばせた。

 

「四季崎記紀が作りし刀が一振り、完了形変体刀『虚刀・鑢』にして虚刀流七代目当主・鑢七花。これより俺はアンタの刀となってアンタを守ろう」

 

 そうして錆びつくのを待つだけであった刀は一匹の猫に拾われた。

 

 

 




夜一さんの斬魄刀ってついぞ描かれなかったなと思って刀を傍らに添えてみました。


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2

オサレは期待しないで頂けるとむせび泣いて喜びます。
なお、2話目にして七花の霊圧がほとんど消えてます。


「あぁ、もう頭の固い爺さんじゃのぉ!」

 

 もううんざりだと夜一の声が隊首室に響く。されどそこは夜一の物ではなく一番体隊長・山本元柳斎重國の部屋。呼び出されてかれこれどれほどの時間が経ったのか。口をへの字に曲げてご機嫌斜めな夜一を見ればそう短い時間ではないだろうと容易に分かる。

 

「すんなり話が通る筈もなかろう。流魂街で刀狩を拾ってきて自分の刀とするなどと……そのような戯言に二つ返事をするほど耄碌しておると思うたか」

「じゃから何度も言うておろうが! 他の誰ぞに迷惑をかけるわけでもないと。儂個人で完結しておる話なのだから何故とやかく言われねばならん」

「隊長たるヌシが隊士達の規範とせずになんとする。そうほいほいと認めるわけにはいかぬのだ」

 

 先ほどからの延々と交わる事のない平行線の会話。無論、夜一の話相手は部屋の主たる白髭を湛えた翁、元柳斎。七花を拾い、様々な話を聞いた。それは島での暮らしと姉の話であり、四季崎記紀の刀集めと奇策師を自称した少女との話であり、地図作りとついてきた否定的な旅仲間との話。うろ覚えの欠落やあえて本人が語らなかった話もあったがそれは現状に何の関係もないので置いておく。

 現在はそんな話を聞いた日より二日後。拾った次の日には護廷十三隊の総隊長・元柳斎へと報告をしておいた。それも夜一本人からすれば「ああ、そういえば一応言っておくか」くらいの程度であった。

 けれどはいそうですかとなる筈がない。だからこその個人的な呼び出しなのだ。呼び出しに際し一人でこいとのお達しがあった為に一人で来たが、無ければ七花を連れて自慢話でもしていたであろうことは想像に難くない。

 だがそんなるんるん気分で元柳斎のもとへ訪れた夜一を待っていたのは「馬鹿をいうな」というにべもないお言葉。球が坂を転がるように夜一の機嫌は悪化していったのは当然の帰結であった。自分が気にいったものを悪く言われて無頓着でいられるほど夜一は達観していない。

 だからこそ、結論の出ない話し合いが続いていた。

 

「そんなに囲いたくばその者を死神にすればよかろう。真央霊術院への入学など四楓院たるそちには難しい話でもなかろうに」

「儂はあやつを死神にしたいのではない。刀として傍らに置くと言っておるのだ」

「だからその刀にするというのが分からんと言っておるのだ。そのものは人なのではないのか」

「人であり刀じゃ」

「また意味の分からぬ事を……」

 

 元柳斎の言葉に夜一は一理あると理解はする。納得はしないが。けれども七花の身の上や本人を見れば人であり刀というのは感覚として理解できるというのもまた真理だ。その点については喜助も同様の考えであった。

 

「まあ、それは解らんでもないのう」

「ならば」

「じゃが見れば解る」

「見ればじゃと?」

「うむ、言葉の通りだ。総隊長殿であれば解る」

 

 最初から一人ではなく七花もつれてこさせればこんな面倒な問答も無かったのにと内心で舌を出すが、それを表に出す事の愚は夜一とて理解している。故に心の中で出すにとどめるが、元柳斎の視線がその時僅かばかり鋭くなったことに出した舌を巻く。

 

 

――妖怪のようなじじいじゃな

 

 

 何も含むところはありませんよ、とでも平静を装いしれっとしている夜一に、元柳斎も無駄を悟り視線の圧を戻し大仰にため息をついた。

 

「嫌味ったらしくため息をつくのはやめい」

「やめてほしくばしゃんとせい。此度の事と言い、執務を放り出しての脱走と言い……耳を塞ぐな、耳を。どうせ聞こえておる癖に小生意気な」

 

 元柳斎の纏っていた圧が弱まる。お叱りも嫌味もいったん止めにして歩み寄るらしい。もしくは夜一の強情っぷりに折れたのかもしれない。真実は本人の胸の中だ。

 夜一も歩み寄ろうとする気配を察して意固地になるのを少しだけやめる。

 

「儂も死神にするのを考えんでもなかったよ。だがな、それは無理なんじゃよ」

「何故そのような結論となった」

「アレに剣術の才は無い。否、斬魄刀の才は無いとでもいうべきか」

 

 夜一のその独特な物言いに元柳斎が眉根を寄せた。その違いに僅かながらの興味を懐き問いを投げる。

 

「そこに差はあるのか?」

「普通はないであろうが、七花に関しては明確にある。あやつのは白打は白打と呼ぶより剣術と呼ぶべきもの。けれども刀を握らせればまさに非才の極みじゃ。故に剣術の達人であり、武器術のド素人じゃ」

「素人であれば学べばいい」

「それもまた無理じゃ。刀を振りかぶれば後ろに落とし、振り下ろせば前に零す。あれはもはや呪いと言っても良い程の非才であるよ」

「ふぅむ……」

 

 夜一の話を言葉通り受け止めるにはどうにも荒唐無稽染みている。けれども夜一が嘘を吐いているとも元柳斎には思えなかった。

 

「であるならば白打を生かして隠密機動で預かるのは――」

「――否。それをすればあやつは儂の手元から去るよ。儂は七花を動かすのに手元で愛でるといい、あやつはそれで我が手元に来た。故にそれをすれば儂のもとから去るよ」

 

 ただ淡々と語るさまが夜一がそうであると確信していると伝えるのに十分であった。

 

「七花が儂についてきたのは琴線に触れることが有ったからじゃ。今はまだあやつも儂を持ち手として真にふさわしいか見極めておる途中。だからこそ儂は約束をたがえぬために引く気はないぞ元柳斎」

 

 芯の通った強い視線が元柳斎を射抜く。譲歩はできぬと。

 かかっ、と元柳斎が笑う。まだ年若い身で中々どうして良い面構えだと。

 

「小娘がいいよるわ。よかろう」

「ほう、こうもあっさり折れるとは思わなんだな」

 

 了承とも取れる元柳斎の発言に夜一が驚く。無論許可を得られる事は喜ばしいが拍子抜けしたのも確かだ。もう二、三程度の悶着が有るかと思っていたのだ。

 再び元柳斎が笑う。

 

「かかか。まだまだ青臭いのう。誰が折れたと?」

「何じゃと? まだなにか――」

 

 夜一が言葉を言い切る前に何かに気が付く。畳の上でかいていた胡坐を解いて背後の襖にばっと振り返った。

 

「総隊長殿?」

「丁度使いにやった者が報告に来たようじゃな」

 

 元柳斎の言を理解はできた。今感じている霊圧の持ち主がやってきている理由を。けれど解らないことが有る。

 

 

――何故こうも寒気のする気配を押し殺しておる?

 

 

 抑圧し、隠しているが野生染みた夜一の勘が嗅ぎ取っていた。まだ見えぬ者が内にしまっている愉快さを。

 

「もし」

 

 声がかかる。障子に映る陰に使いの者の影が映っていた。

 

「ご苦労。中へ」

「失礼いたします」

「やはりそなたであったか」

「お話の途中にお邪魔してしまい申し訳ありません、総隊長、四楓院さん」

「かまわぬよ、卯ノ花。腹黒爺におぬし待ちだと言われてのう」

 

 夜一の揶揄を気にするどころか元柳斎は愉快であると一笑した。部屋に姿を現した卯ノ花と呼ばれた大和撫子然とした女性は対称的に柔和に微笑むにとどめていた。

 

「してどうであった、卯ノ花隊長。件の人物は」

「……儂に無断で使いを寄越すなど無礼が過ぎぬか?」

「だからまだ青いと言うのじゃ。それを見越すか清濁合わせ呑め」

 

 元柳斎の物言いに夜一がむすっとしてへそを曲げる。その通りだと納得してしまったのが悔しいのだ。ふて腐れながらも黙った姿に卯ノ花が微笑した。

 

「部下の方は見越していたようですよ。お出迎えいただきました」

 

 微笑みながら言われれば思い当たる人物が一人。

 

「かぁー! 小憎らしいのう、喜助め!!」

 

 ついつい飛び出した不満がここにはいない本人に届くことは無い。そこでとうとう元柳斎が笑い声をあげた。もはや好きにせよと夜一は静止もせずに頬杖をつく。しばらくして元柳斎の笑いが収まった。

 

「ではひと段落が付いたようですので報告を」

「うむ」

 

 元柳斎の了承の返事に卯ノ花が首肯で返し語りだす。

 件の人物、鑢七花。尸魂界に仇名す思想は見られない。また危険思想なども感じられない。少々世間ずれしていそうであるが純朴な人柄である。自らを隠し、偽りの姿を演じている気配もない。問題を起こすような人物ではないで有ろうと卯ノ花が知見を語った。

 卯ノ花の報告に元柳斎は「なるほど」と一度頷き、しばしの黙考に入る。夜一も卯ノ花も元柳斎の結を待つ。

 

「時に卯ノ花よ」

「なんでしょうか?」

「剣術家としてどう見る?」

 

 反応は一瞬であった。されど確かに変化した。吹き出した霊圧に闘気。たったの一瞬。それが雄弁に彼女の内心を語っていた。

 元柳斎は彼女の変化に何かを言うでなく、自らの白髭を撫でながら僅かな間思案した。

 

「夜一よ」

「なんじゃ?」

 

 僅かばかり警戒した様子で夜一が聞き返す。

 

「ぬしの言った通り儂も見て見るとするかのう、そちの刀を」

 

 そちの刀と言った。それは所有を、特別措置を認めると同義。けれどもその事に喜んだのは一瞬であった。了承を出すまでの話の流れが不穏に過ぎた。

 だからこそ夜一は問わねばならなかった。例え話の行きつく先の予想がつこうとも確認することを欲した。

 

「代わりに何をやらせるつもりじゃ」

「かかっ。まあそう警戒するな。刀を見るのじゃ。観賞するだけではつまらなかろう」

「つまり?」

「刀そのものの切れ味も見せてもらうとしようかのう」

 

 予想通りであったと夜一はさして驚きはしなかった。だが声にしないが舌の上で言葉を転がした。狸爺、と。

 それをまた察されたのか元柳斎が目元を緩ませるのが分かった。やりにくい相手だと思うも結論は出たと夜一は立ち上がる。

 

「承知した。では話はこれで終わりかの? 報告待ちの為にわざと堂々巡りの話をさせられて肩が凝ったから帰るが問題なかろう?」

「ああ、お行きなさい」

 

 すぱんと障子をあけ放ち、夜一が一歩踏み出す。瞬歩で早々に去ろうとした刹那、背後から声がかかる。

 

「いか程欲しい?」

「五日じゃ」

 

 元柳斎の問いかけに夜一が答える。何のことかと問う必要はない。なぜならわかりきった事だから。

 答えながら夜一は計画を組み立てていく。七花へ霊力の扱い方の指導をせねばと。だがそうすることも多くないかもしれないと思い直す。達人とは得てしてそう言った意なる技能も無意識に用いる物である。でなければ突きで城など両断できない。

 喜助も勝手に組み込んだ修行計画を立てながら、夜一はその場を後にした。修行も慣らしの手合わせにも多大な期待と好奇心を寄せながら。

 数瞬の間もなく、夜一の気配が消えた隊首室。部屋の主の元柳斎と今だ部屋に残る卯ノ花が面を突き合わせていた。

 

「総隊長……いえ、元柳斎」

「みなまで言うな」

「では?」

 

 救護を管理している普段とはまるで種類の違う笑み。

 

「うむ。だが儂が立ち会う。それと試し合いであって果し合いではないぞ」

「えぇ、存じております」

 

 元柳斎の念を押す確認に卯ノ花は是と頷く。けれど、と声無く続けた。

 

 

――残念ですね

 

 

 

 

 

 

 

「へっくしっ!」

「雨に降られて風邪でも引きましたか、鑢さん?」

「いや、どうだろう。多分違う気がする」

 

 呑気な二人のもとに夜一がたどり着くまであと数秒。

 

 




予告じゃない……こともなくはない

「アンタみたいな剣客に再び会いまみえる何て思いもしなかったよ」
「それは素敵な事ですね。是非、心行くまで愉しませてください」

 相対するは刀を使わぬ剣術・虚刀流と、「天下無数にあるあらゆる流派、そしてあらゆる刃の流れは我が手にあり」と豪語する八千流。


「避けよ、七花!」
「いはやはまさかここまでとは……驚きっスね」

 七代目・七花と初代・剣八。
 剣戟は加速し、舞台は混迷を極めていく。


「まさか柳緑花紅をそんな手段で躱されるとは思いもしなかったよ」


「随分と器用な足技ですね。流石にそれもわが手にあるとはいえませんね」


 楽しげな会話の間に火花が散る。地を割り、天を裂く。剣士としての誇りを賭けた衝突は激化の一途をたどっていく。
 


「いざ尋常に————はじめ!」
  始まりを告げるは元柳斎

  次回 八千流・剣八



多分、皆さんの予想通りです


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3

「一体いつから前回の予告が真実だと錯覚していた?」


 閉塞感を感じさせない青空――塗料で描かれた模造品

 潤いを与える木々――枯れ果てて葉の一枚もない

 遊ぶ者を飽きさせない起伏に富んだ地形――剥き出しの岩場

 そして最後に傷つき疲労した心身を癒す温泉――物理的に傷が癒える

 喜助と夜一に言わせたら遊び場。双殛の下の空間に無許可、無遠慮、無通達の発覚したら拳骨ではすまない自由さの発露の象徴。もしくは凝り性の行き過ぎた秘密基地。自由さが誰で凝り性が誰であるかは、この際本編に関係ないので置いておく。

 そんな誰にも見られないで広々とした空間で何をするか。言うまでもない――鬼ごっこだ!

 

「ちょ、あの、はぁ、はぁ……ほんと、少しだけ休ませてください」

 

 なおすでに一人、喜助が疲労困憊であった。しかしそれもそのはず。すでに鬼ごっこを始めてから数時間が経過していた。

 霊力の扱い方を簡単に説明し、理論よりも感覚。座学より実践。なにより「頭でごちゃごちゃ考えるよりも実際にやった方が分かりやすい」という本能型の七花の言により、すぐさま始まった鬼ごっこ。

 危険もなく、楽しみながら学ぶという点において実に効率が良かった。元々歩法は杜若や鬼灯でたしなんでおり、錆の爆縮地も見ていた。馴染む下地はすでにあった。霊力も無意識下では運用をしていたので躓くことなく鬼ごっこへと移行した。

 けれど問題があったのは、

 

「何じゃ喜助。もうへばったのか?」

「大丈夫か? 顔色悪いぞ」

 

 二人との体力の差。無論喜助の体力が著しく低い訳ではない。むしろ二人が高いのだ。四季崎に言わせれば正史とでもいう物において、喜助は後に十二番隊隊長になるほどの人物だ。そんな人物の能力が低い訳ない。

 が、悲しい事にそれを加味してもの差。書類仕事よりも脱走して追いかけっこに精を出す夜一。

 生まれも育ちも孤島育ちにして、その後の人生も追っ手を散らしつつの地図作りでの日本の漫遊。

 そんな二人と比べて、研究者気質の喜助が体力で劣るのは仕方のない事なのかも知れない。というか普通に仕方ない。インドアにアウトドアと同じ水準を要求する方が酷だ。

 結果、無尽蔵の体力を搭載した子供達と、休日に引っ張り出された父親のような構図が生まれたのだ。

 膝に手をつき汗を滝のように流しながら息も絶え絶えな喜助の姿は、誰から見ても同情を禁じ得ないだろう。ただしこの二人以外と注釈は付くが。

 

「だらしないのう」

 

 手厳しい夜一。

 

「気づかなくって悪かったよ。こういう遊びは初めてでな」

 

 はしゃぎ過ぎたとバツが悪そうな七花。彼の境遇を考えれば確かにこういった子供の遊びという物は初めてなのだろう。父は師であり、姉は病弱。島を出た後も自身に比する肉体性能を宿していた者などちょっと記憶にない。だからこそ七花は浮かれて周りが見えていなかったのだ。

 

「大丈夫ですよ、鑢さん。何となく察しは尽きますから。というか夜一さんはわざとですよね? わざと僕を多く走らせてますよね?」

 

 ジトッとした視線を送りながら問い掛けるも夜一は分かりやすくそっぽを向く。「最近おもちゃ作りで儂を構わんからじゃ」と七花だけに届く小声が彼女の不満を物語っていた。

 ご機嫌を取ろうとする喜助とへそを曲げる夜一を少し離れて眺める。二人の姿に七花は嫉刀・咎を思い出し、知らずに微笑んでいた。

 こうして七花たちの五日間は過ぎ去っていったのだった。

 

 

 

 

 陽が注ぐことのない世界。どちらを見渡せど砂ばかり。どこまで見通せど砂ばかり。水すらなく、枯れはてた木が時折取り残されたように佇んでいた。

 そこに一つの小さな影。ふらりふらりと揺れ歩む。所在なさげに。彷徨いながら。頼りなく。小さく、小さな一歩を進める。

 

「………………」

 聞き取れない程の小さな声で何かを呟いた。

 

 胸に空いた大きな孔。それは虚に見られる特徴。されど完璧なまでの人型。完膚なきまでの人形。人の形をした人でなし。

 名を鑢七実。努力を許されなかった天才。夢を見ることを許されなかった天災。そして鑢七花の姉にして、弟に殺された女。

 彼女は夢見心地のまま枯れた世界、虚圏を放浪していた。現実感を失い、喪失感を胸に彼女は探す。たった一つの大切なモノを。たった一つの心を求めて。

 いつかの時間にどこかの死神が、心は誰かを思う時に生まれるという。であるならば彼女の心は弟との間にしかないのだろう。

 

「死んでから夢を見るなんて……ふふ」

 

 邪悪に笑った。

 

「眠るように死んだ覚えは無かったはずだけれど」

 

 眠るようになど死んでいない。病で死ぬことも、才能に死ぬこともなく。熟した実のように落ちることもなく。刀として、人として、花のように散る事が出来た。

 

「いつこの夢は覚めるのかしら? でもどうせならいい夢を見たいわね。いえ、悪い夢かしら」

 

 どうせ見るならこんな味気ない夢なんてつまらない。もっと楽しい夢を見たいと考えてしまう。

 

「あら」

 

 静寂に沈む世界へ音が堕ちる。巨大な何かが蠢く音。

 

「随分と大きいようね」

 

 見上げるほどの巨大な影に仮面が付いていた。幾百もの虚が折り重なって生まれる最下級大虚(ギリアン)。月の明かりを受けて大きな影を落とし、その影は彼女も呑み込む。

 首が痛くなりそうなそのギリアンを彼女は見上げ、「見えづらいな」と危機感無く考えていた。図体がでかいだけでは脅威にならない。思考の無い鈍重な獣では敵にならない。

 

「オオオオォォォオォオオ!」

 

 野獣が咆哮をあげた。威嚇か恐れを払う鼓舞か。思考の存在しないギリアンにも分からない。

 ギリアンの仮面の口元に光球が生まれる。

 

「あら?」

 

 小首を傾げて七実がそれをジッと見つめる。見て、視て、観て、診て解析する。

 光球から閃光――虚閃(セロ)――が放たれ、大地に着弾。空気が破裂し、砂を巻き上げる。小さな人型ではどうしようもないほどの破壊が生まれた。巻き上げられた砂塵の中へ向けてさらにもう一度。もう一度。もう一度。何度も、何度も、虚閃が放たれた。明らかに過剰だと一目でわかるほどの飽和攻撃。

 けれどもそれは一向にとどまる気配をみせない。声が発されるまでは

 

「忍法足軽に虚刀流の足運び。昔取った何とやらというやつかしら」

 

 ギリアンの背後で七実が笑う。爆音に消されるほどの小さな声であるのに、聞き取ったのか攻撃が止まった。

 

「そう何度も見せていただかなくて大丈夫なのですよ? 二度見れば盤石ですので」

 

 ギリアンの巨体が震えた。背後を見る為に巨体を反転させる。

 

「できれば技の名前を教えていただきたい所なのですが……視た所それは難しそうですね」

 

 あの影のような身体でこれ以上学習することがあるとは思えなかった。だからこそ彼女は目の前のソレに価値を見いだせない。

 

「こう、ですね」

 

 言葉と共に彼女の広げた掌の上で光球が生まれる。見稽古で覚えた技。見取って、虚視(うつし)た技。そしてそれは放たれる。何の前触れも感慨もなく、ただ目の前の邪魔な草をむしる為に放たれた。

 一度目の閃光で絶叫をあげた。二度目の閃光で慟哭が響いた。三度目の閃光で逃げようと身体を引きずる音が生まれた。四度目の閃光で全ての音が消えた。

 

「ただ固めて飛ばすだけの単純な技。でも動かなくていいからその点は便利なのかしら」

 

 ギリアンを討ったことに感想は無い。当たり前の事に思う事など今更ない。ただ新しく纏った弱さを評価する事の方が比べるまでもなく有意義だっただけだ。

 

「ああ、そういえば」

 

 思い出したかのように彼女は声を上げた。大きな音に夢うつつのぼんやりとした意識がはっきりと定まった。夢から覚めた心地であった。

 

「コレ、邪魔ね」

 

 前が少し見えにくいし、巻き上げられた砂が入って不愉快さを感じるし、と彼女は剥ぎ取る。顔を覆う邪魔な仮面をはぎ取る。

 仮面の下からは生前と変わる事のない鑢七実の顔が現れた。白を通り越して青白い肌。死人よりも生気の薄い気配。

 はぎ取った仮面はいつの間にか手から消えていた。その事に彼女はそういう物かと受け入れる。

 

「七花は何処にいるのかしら?」

 

 たった一つの大切なモノの行方を想い、ため息を吐く。ため息の似合う女だった。

 

「ねぇ、貴方は何か知らないかしら?」

 

 ぐるんと彼女の首が回り、背後を見る。

 

「いや驚いた。完全に見つかっているみたいだ。霊圧は隠していたし身体も鬼道で消してあったのにどうして気が付いたんだい?」

「死んでからもその台詞を聞くとは思いませんでした。そこにいる人はそこにいる人でしかないでしょう」

 

 彼女の返答に相手が姿を現す。黒の衣装に眼鏡をかけた男性。

 

「なるほど。占いなどといった物を信じる気にはなれないが。中々どうして正鵠を射ている」

 

 こんな不確定でどうしようもない物を自由にさせれば何一つ計算など出来ない。気分一つで全てが破たんしかねない。だから

 

「私は君の望みを聞いている。だから取引をしないか?」

 

 選択肢は無かった。これが戯言を吐いた男の思い通りであろうと男には、藍染にはここに来た時点で選択肢は無かったのだ。

 男の言葉に七実は邪悪に微笑む。

 

 

 

 

 ある日の昼下がり。流魂街の一角にある茶屋に二人の人物が並んでいた。無論、夜一と七花である。一仕事終えたような解放感を滲ませながらぼんやりと空を眺めていた。

 

「いやぁ、今回は特に疲れた……」

 

 口火を切ったのは七花だった。

 

「見ているこっちも気疲れしたわ」

 

 笑いながらもどこか気だるげに夜一が応える。

 

「すべての剣技はわが手にありと言うわけだ。まさに身を持って体験した身としては偽りなしと言うほかに言葉もない」

「うむ、儂もそう思う。話に聞いておったがあれほどであったとは……。まさに極限の試合であった」

「今回の一戦で俺もようやく霊圧の闘いという言葉の意味を正しく理解できた」

「こればかりは口で教えても分からん事じゃからな」

「それにしても錆にも驚かされたが卯ノ花にも驚かされたな。霊圧を使うとあんな足運びも出来るんだな」

「剣に生きるあやつらしい歩法であったのう。儂も瞬神などと仇名されたが慢心せず励まねばと活を入れられた気分だ」

「俺もだ。錆の時にも思ったが、上には上が居る物だ」

「そうであるな。剣技を極めるとあそこまでいくのか。儂も白打と鬼道を極めてみるか」

「その鍛錬、俺も付き合うよ。でも剣技か……間合いを変える技が速遅剣以外にもあったのは驚きだ」

「なに!? そのような技が他にもあるというのか?」

「ああ、前に話した錆ってやつが使うんだよ。卯ノ花のとは趣が異なるが似たような事をやってきたんだ」

「ほう。世の中は広いんじゃな」

「そうだな。でも世間は狭いな。二回も会うとは俺は思ってもみなかったよ」

「儂もその錆とやらにあってみたかったのう」

「たぶん無理だろうな」

「であろうな。ぬしが異なる歴史からの異邦人であるとの話は信じている。だからこそ他はいないだろうな。家の者に流魂街を探させてみたが見当たらなんだよ」

「そうか……ありがとな、夜一」

「気にするでない。儂がやりたいからやっただけの事」

「じゃあ俺も感謝したいから感謝するさ」

 

 七花の返答に夜一が楽しげに笑った。視線を横で団子を食う七花へ向ければ少しだけさっぱりした頭部が目に入る。

 

「両者、髪を一部切っての引き分けか」

 

 半分ほどの長さに切り落とされた後ろ髪。ここにはいない卯ノ花も横髪の片方を切り落されていた。それをもって引き分けとして元柳斎が幕を引いた。力を見るのに十分であったのだろう。

 

「何じゃ、卯ノ花の髪を切ったことをまだ気にしておるのか? 本人は嬉しそうであったから良しとしておけ」

 

 七花本人はその事に何かしら思う事があったのか髪の話題を出すと少しだけ気を落としているようだが、卯ノ花本人は気にしたそぶりが無かったと夜一は励ます。

 

「全く、しょうのない所で生真面目というかなんというか……よし、七花よ。酒でも飲みに行くぞ」

「まだ昼間だぞ夜一」

「ええい! そのような事を言っておって酒が飲めるか。いいからついて来い」

 

 言うが早いか夜一は返答を聞く前に御代を置いて、七花の襟首を掴んで店を目指して歩き出した。

 七花も強く抵抗する気はないのか引きずられるままに空を眺めていた。知り合いは誰もいなくなってしまったが、ここでもやっていけそうだと変わらぬ空を見てそう思った。

 

 

 

 二人が去った後の茶屋に一人の男がいた。どこにでも居そうな何の変哲もない男。そんな男のもとに幾人かの子供たちがやってきた。

 

「なぁなぁおっさん」

「明日の天気教えてくれよ」

 

 子供達の中からそう疑問が投げかけられる。

 

「聞いてどうすんだよ」

「そうだぞ。半々しか当たらないんだから聞く意味ないって」

「意味があるから聞いてるんじゃないよ! 何て言うか昔からの習慣みたいなものだよ。当るか当らないかなんてそこまで大事じゃないし」

「それを聞いて当たるかどうかを楽しむのがいいんじゃないか」

「はぁー何回聞いても俺には分からんわ」

 

 喧々囂々。子供らしい勢いに置いてかれていた男が苦笑した。

 

「ったくしょうがない。いいかよく聞けよ。明日は曇りだ。これで満足か、散った散った。怖い眼鏡のお兄ちゃんが来るぞ」

 

 男の答えを聞くと満足したのかまた騒がしく子供たちは去っていった。男はそれを見やりため息を吐いた。

 

「さあて、俺も怖いお兄ちゃんが来る前に退散しますかねぇ」

 

 剣呑剣呑と男は呟いてその場をあとにした。

 天気を半々当てる。果たしてそれは何を意味するのだろうか。晴れ、曇り、雨、嵐に雷。上げていけばきりのない天気をきっちり半々当てる。知識からの予想であれば確率は当たりへ振れる。あてずっぽうなら外れに振れるだろう。

 半々でどちらにも振れないそれが意味することは一体……

 




18時間かけてBLEACH全巻読んできました。
結末までのプロットは一応考えましたので頑張ります。
後5,6万字で完結したらいいなと思ってます。

なんでもできそうだから姉ちゃんの扱いが難しいですね。
完全催眠されてもそこにあるじゃないですかとか普通に言いそうで怖い。


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4

クロスなのに七花の影が薄いなと思い、出そうとしたんですけどまた薄くなってしまった話


 

「くっ……躱すなっ!」

「いやそう言われてもなぁ」

「頭を掻くな! 真面目にやれ!」

「じゃあ躱すのも真面目な結果ってことでここはひとつ、っと」

 

 風切り音を立てながら迫りくる白打を躱す。軽く上体を逸らし、手を添えて力をいなしてやり込めていく。幾度も躱されている事で眼前の人物の意固地さに拍車をかけている気がしないでもないが七花とて無抵抗で殴られる趣味は無い。

 ムキになっている所為か攻めっ気が強すぎて前のめり気味になっていく。指摘するつもりで軽く頭を小突いてやれば両の瞳に烈火の如き炎が宿った。

 

「おのれぇ! 夜一様の前で良くも!!」

 

 怒りの原因は小突かれた事自体ではなく、敬愛すべき夜一の前で粗を指摘されたことらしい。理不尽さと世の不条理を嘆きたくもなるがそんな事よりもなによりも。

 

「面倒だなぁ」

「聞こえているぞ、無礼者!」

 

 ついつい漏れ出た口癖に間髪入れず噛み付かれた。七花は再び同じ言葉を吐き出したくなったが何とか自制してそれを呑み込む。けれどもそれと同時に愉快さもこみ上げてきた。

 どうしてだろうか。きっと噛み付いてくる少女の中にとがめの姿を見つけたからだ。短めの髪と自分への噛み付き方が記憶の奥底を優しく撫でた。だからだろう。

 

「何を笑っている! 馬鹿にしているのか!」

 

 無意識のうちに笑っていたのは。

 直後に再びきゃんきゃんと噛み付くような叫びが響いた。

 

 

 

 

 

 隊舎の廊下を並んで歩くは気ままな猫と一振りの刀、ではなく夜一と七花だ。

 あくびをかみ殺す七花と身体を伸ばす夜一。仕事明けかはたまた寝起きか。僅かばかりの気だるさを残す二人が二番隊の隊首室へ向かっていた。

 

「それで? 何があるんだっけ、これから」

「見込みの有りそうな者がおっての。直属の護衛軍へ入れたからその顔見せじゃ」

「だったら俺はまだ寝てても良かったじゃないか」

 

 まだ眠いのか言葉の後に大きなあくびが続く。

「儂が溜まった仕事を片付けておった横で寝こけていたというにまだ寝足りぬというか。いや、そも持ち手たる儂が苦しんでおったというに助けようとは思わなんだのか。そのような薄情者に安眠などくれてやるか、羨ましい」

「最後に本音が漏れてるぞ、夜一。それに溜まってたのは仕事をしない夜一の所為だし、そもそも俺に頭を使う仕事なんてできないぞ。中身も見ないで夜一の名前だけ書けばいいんだったら手伝わない事も無いんだけどな」

「全く……儂の刀として儂を守るのであれば書類の山からも守ってくれぬものかのぉ」

「書類の山を紙屑には出来るけど……それをしたら俺が副隊長の稀ノ進に怒られるし、次の仕事が増えるんじゃないか?」

 

 どんよりとした視線を七花に向けていた夜一は、言い返す言葉が見つけられずたはぁーと大きなため息を吐き出す。

 

「やめじゃやめじゃ。終わった仕事の事など思いだしておったら気が滅入る」

 

 陰気な気分を振り切るように歩調を速めた夜一の後を七花も置いて行かれないようについて行く。幕府への報告書をまとめていたとがめ然り、どこの世界も偉い人間は大変だと内心で考えながら。

 隊首室にて夜一が定位置の立派な座椅子へつけば七花もまた当然のようにそのそばへつく。立っていたり座っていたりとその都度違うがどうやら今日は立っているつもりらしい。あくびをかみ殺して瞳に滲んだ雫を拭っている所を見るに、座れば寝こけると確信しているのだろう。さすがに非がないとはいえ責められたばかりであったために気を使ったのかもしれない。

 七花の気遣いを察したのか、ただ単に自分が見つけた有望な者との顔合わせが楽しみなのか夜一の機嫌は先ほどとは違い好調であった。わくわくとしているのか夜一の身体が座って間もないと言うのにもうゆらゆらと揺れていた。

 変わらぬ夜一に七花は小さく口元を綻ばせる。視線を夜一から眼前で左右に分かれ、入り口から道を作るように並んで座っている隊員たちへ向ける。見知った顔、喜助を探すが珍しくその姿は無かった。

 

(蛆虫の巣にでも行っているのだろうか)

 

 夜一に聞いてみるかと口を開こうとしたタイミングで部屋の外から声がかかった。どうやら本日の主役が到着したようである。

 さして重要ではない用件で隊全体の邪魔をするのも気が引け、七花はひとまず口にしかけた言葉を呑み込む。

 襖近くの者が空けると一人の少女がこうべを垂れている。敷居を跨ごうとせずにその場にとどまり、その姿勢から動こうとはしなかった。

 頭を垂れる少女の小さな背丈と肩口ほどの短い髪に遠い記憶を刺激される。この世界に迷い込み、ここが死後の魂の住まう場所と知った時に探し回った己の惚れた相手。

 存外に未練たらしい自分を自覚して小さく笑った。夜一だけは聞こえていたのか小さく肩が動いたが、今はそういった場面ではないので「どうした?」と問い掛けの声は上がらなかった。

 そんな夜一を横目に、七花は自分の知らなかった一面を知って思いのほか愉快だった。ただの刀であったころならば執着など持ちようも無かった。だからこれは姉から貰った人間味なのだろうと過去に思いをはせる。

 

「砕蜂参りました。軍団長閣下」

 

 少女の声に七花の思考が記憶の淵から戻って来る。堅苦しい少女、砕蜂の言葉と気配にそこはあまり似ていないなと感じながら観察する。

 

「おお、来たか! 話は聞いておるかの?」

「は! この砕蜂、これより心身の全てを捧げて軍団長閣下を御守りし――」

「閣下はよせ、堅苦しい。もっと砕けて呼んで良いぞ。夜一さんとか」

 

 会話が進む中、口をはさむ事などない七花はただ聞いているだけであったが、あまりに夜一らしい物言いに「いや、それは無理だろう」と思った。

 自分は欠片も気にしないが隣にいれば夜一の立場がどれほどのものかも、周りがどう扱っているかもわかる。喜助や鉄栽、自身が少数なのであって大体の者は恭しく接する。

 パッと見ただけでも砕蜂は後者であると丸わかりだった。

 

「っ! めっ、滅相もございません!」

 

 帰ってきた反応もそれを肯定するものだ。というか身体が跳ねるほど驚いて恐縮している姿を見てしまうと普通に可哀相に思えてくる。

 

「軍団長閣下にそのような……」

 

 消え入るようにか細くなっていく言葉があまりにも弱弱しく、助け舟でも出すべきかと考えていると砕蜂の動きが止まった。七花からは見えない夜一の表情を見て雰囲気を変える。夜一のどのような表情から何を読み取ったのか知らないが僅かに頬を紅潮させている事に疑問が浮かんだ。考えても答えが出るなどありえないがそんな間もなく砕蜂がか細い声で続きを絞り出す。

 

「そ、それでは……」

 

 顔を赤らめもじもじとし始めた砕蜂の様子に、何となく見てはいけないものを見ている気になってくる。初々しい告白を覗いてしまったような気まずさだ。他の隊士も同じなのか僅かに逸らしている視線とかち合う。

 

「夜一様と、お呼びしても……宜しい、でしょうか?」

 

 背筋がむずむずする! という声が視線の合った一人から聞こえてきそうだった。だが幸いなことにその空気は長く続かなかった。

 

「かっ!」

 

 夜一が面食らったとわざとらしく大仰に身体を逸らしながら言葉を続けた。

 

「お堅いやつじゃのう。まあ良い、好きに呼べ。儂はおぬしの力を見込んで此処へ呼んだのじゃ。呼び方などなんでも良い。働きに期待しておるぞ、砕蜂!」

 

 喜助が居たら詐欺師みたいだと思うことだろう。最初に無理難題を吹っかけて低めの要求を通す夜一の姿に。

 

「は、はい!」

 

 されど砕蜂本人はそれで嬉しそうであるのだから問題は無いのかもしれない。何かあるとしても、元々懐いていた敬愛が崇拝に変わるくらいの小さな違いだ。

 

「さて、それではこれよりおぬしは護衛軍直属だ。これから働くにあたって何か聞きたいことはあるかの?」

 

 夜一としては何でもない問いかけ。しかし、問い掛けられた砕蜂にとっては違った。誰が見ても分かるほどにうろたえている。可哀相な事に生真面目な性分故、質問を促された事で何か質問しなければと砕蜂自身が自らを追い詰めてしまっていた。

 何かないかと視線が室内をあちらこちらと忙しなく彷徨っている。夜一とてその様子で砕蜂の状態を正確に理解していたが、あまりに反応が初々しくからかいがいのある姿に助け船を出す気は更々なかった。むしろ儂の目に狂いは無かったと頷いている始末だ。

 そして蜘蛛の糸を探す砕蜂の瞳に七花が映る。いっぱいいっぱいな事と焦りが合わさり、かねてより疑問に抱いていたことが砕蜂の口をついて出た。

 

「あ、あの! そちらの方は夜一様にとってのどのような方なのでしょうか!? 四楓院家の従者の方なのでしょうか!?」

 

 内容を精査する思考の冷静さが残っていなかった故の本心からの疑問であった。

 大多数の死神から見た時の鑢七花と言う人物は謎である。死覇装も纏わず、斬魄刀も携帯していない。明らかに死神では無いにもかかわらず四楓院家の当主であり、護廷十三隊二番隊隊長・隠密機動総司令官及び同第一分隊「刑軍」総括軍団長という仰々しいという言葉さえ物足りない肩書を持つ夜一の隣に常にいる人物。

 誰に聞こうと七花を知っている人物はおらず、死神ならもれなく全員が通った事のある真央霊術院で見かけたという者さえいない。どこからともなく現れて常に傍らに付きそう姿に、脱走抑止のため四楓院家から付けられた従者ではないかとの噂もあるとか。

 隊長格や席官クラスであれば、詳細を知れる立場であるため総隊長が特別に許した食客的な人材であると把握している。しかしわざわざ吹聴する性格の人物がいるわけでもなく、総隊長としても特例であると大々的に知らせを発するほどの事でもない。そのような経緯から正確に七花の立場を理解している者はそう多く無かった。

 直下の護衛軍は他隊の隊長や席官と違い夜一の雑な説明を受けただけだ。刀として傍らに置くといった旨の短い内容だけであり、それを聞いた者達は文字通りの意味での刀ではなく懐刀的な人物であると解釈して血を見る事となった。

 自分達では力不足かと、不要になったのかと嘆きの声を上げた。一部では七花に勝てばその地位に取って代われると思った者も出てくる始末であった。

 事態の解決策として実に脳筋的な解決法を夜一は実践した。七花と試合をさせる事にしたのだ。

 夜一としては手っ取り早い上に、部下たちは流儀の違う白打を経験出来て一石二鳥くらいの気持であった。結果としては、多くの者が物理的に刀と心をへし折られた。

 蛆虫の巣に行っていた喜助が戻ってきた時には死屍累々という有様が作り上げられていた。事情を理解した喜助が後処理に奔走したことで一連の事態は一応丸く収まる事となった。

 そんな経緯もあり砕蜂は七花という人物について知っている事は、ここ一年くらいから夜一の傍で常に控えている人物という程度であった。

 

「七花についてか?」

「は、はい!」

 

 まあ、そんな細かい事情など知らない夜一達からすれば、そんな事でいいのかとも思ってしまう質問ではあった。しかし、当の本人がぶんぶんと首を縦に振っているのだから、テンパっている事を差し引いてもそれなりに興味はあったのだろうと納得することにした。

 

「こやつは儂の刀じゃ」

 

 七花の存在を当然と思っている夜一にとっては十分すぎる説明も、噂に出る程度の話しか知らない砕蜂にとっては不十分過ぎた。だが、崇拝する夜一様のお言葉を混乱した頭でそのまま受け取って砕蜂は自分の中の結論を口にする。

 

「な、なるほど! 人型の始解なのですね! そのような物があるとは初めて知りました! さすがは夜一様で――」

「いや、違うが」

 

 即答の否定に室内が沈黙に包まれる。納得したと輝かんばかりの笑顔のまま固まる砕蜂の姿があまりに痛々しく、そして自分達とは違うが誤った解釈をしている姿に過去の自分達を重ねてしまう室内の面々は居たたまれない気持ちになった。

 事態を唯一収拾できそうな喜助がいないことが恨めしい。肝心な時に何故いないのかというのが大多数の隊士の思いであり呪詛であった。

 

「そ、そうなのですか……それではまさか隊長の方々だけが扱えるという――」

「そもそも斬魄刀ではない」

 

 どうして仕事と同じで説明が雑なのですか!? 許される事ならそう叫びたい者がこの場に何人もいることだろう。

 

「あの、その……」

「かかっ、ちとからかいが過ぎたか。おぬしの反応があまりに良くてついのう。許せ、砕蜂。」

「そんな許すなどと滅相もありません!」

 

 平然とそう嘯く自らの主の姿に幾人かが胃の辺りを抑えていた。脱走然り悪ふざけ然り、普段から負担のかかる事が多いのだろう。

 

「そうだのー、何と説明すべきか……」

 

 言葉が見つからないのか小首を傾げながら夜一が傍らの七花を見上げる。七花も自分で説明する気はないので、見つめ返すだけで何かを言う事は無かった。

 

「ふむ。砕蜂よ」

「はい、なんでしょうか!?」

「肩の力が入り過ぎておるの。まあいい、七花と試合をしてみぬか? 自分で確かめてみて考えてみるといい」

「試合、でしょうか?」

 

 恐ろしい程までに説明を放棄した話の方向転換と、無性に既視感のあるやり取りに隊士達が抑える位置を変えた。きっと七花に殴られた所なのだろう。

 

「うむ、試合じゃ」

「しかし、そちらの、七花殿でしょうか? 夜一様の刀? なのですよね。それに御傍付の方のようですし……」

 

 夜一にとって七花が近しい人物である事は分かったが、全容の見えてこない人物であることには変わりなく、砕蜂としても困り所であった。

 何かがあって無礼になってはいけないと思い、消極的な回答となってしまう。

 

「なに、気にするな。そうじゃな、いきなり試合をしろと言われても困るのも通りか。こちらとしても無理を通させるわけであるから何かしらの見返りがあるべきかのぅ」

「み、見返りなどと恐れ多いです!」

「ふむ。ならばそうじゃな、褒美であればよかろう」

「褒美、でしょうか?」

「うむ。七花との試合に勝てばぬしを傍付にしよう」

「ほ、本当でしょうか、夜一様!!」

「う、うむ」

 

 想定していたよりも上をいく喰いつきに少々面食らうも夜一は肯定を返す。眠気も覚めるであろうと夜一が当事者の一人にちらっと視線を送れば、面倒だと視線が返ってきた。

 

「ならばさっそく外へ行くぞ」

 

 返ってきた視線に気が付かないふりをして、話はここまでと夜一がぱちんと手を叩く。命令が下されたならと隊士達は動き出す。決して退散したかったのではなく、主人の命令を完遂するためだ。

 七花も決まったのなら仕方ないと軽く伸びをする。

 

「ほどほどに加減するのだぞ」

 

 立ち上がり歩き出す直前に夜一が七花に囁く。前回喜助に注意されたことを覚えていたからの注意だろう。七花もそういえば喜助が言っていたなと夜一の言葉に思い出す。

 

「さて砕蜂、着いて来い」

 

 歩き出した夜一の背と、慌てて追いかけていく砕蜂を眺めながら七花はふと思う。

 

(負ける事は欠片も考えてないんだなぁ)

 

 その信頼が少しだけくすぐったかった。最近、外出も少ないしこれも良いかと前向きに考え直して七花も二人の後を追いかけた。

 なお試合はすぐに七花の勝利で決着が付いた。しかし、呆気なく敗れた自身の不甲斐なさに砕蜂が大いに落ち込んでしまい、さすがに悪いと思った夜一が先の約束はこれからも有効であると言ってしまった。夜一の約束によって七花はそれからも砕蜂に絡まれる事となったが完全に余談である。

 

 

 

「見つけたぞ、鑢七花! 今日こそは一発入れてやる!」

 

 最初に設定された勝利から随分と遠のいている気がしないでもないが、それに触れないだけの思いやりはさすがの七花にもあった。

 今日も今日とてきゃんきゃんと絡まれ、面倒ながらも付き合う七花。妹がいたらこんな感じだったのだろうかと考えたとか考えなかったとか。

 

「こら、鑢七花!! 大人しくしろ!」

 

 そうしてまた騒がしくも平和な日々が過ぎていく。

 




未来

砕蜂「もう一度誓え。明日から一月、浦原喜助と鑢七花を貴様の結界に閉じ込めると」
有昭田鉢玄「誓いマス」
砕蜂「……良し。雀蜂雷公鞭、やれ」


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5

10話以内には完結させたい


 騒がしい少女と出会ってからも七花の時間は止まる事無く進んでいく。喜助の卍解の修行や隊長になるための試験の協力、大貴族たる朽木家の嫡男をからかいに行くなど、大きな事件は無いが騒がしくも楽しい日々を送っていた。

 喜助が一二番隊隊長となり本格的に技術開発局を立ち上げた事で、自然と接する時間は減る事となった。しかし、遊び場で遊んだり、四楓院の家で休日を過ごしたりと変わる事無く友諠は続いている。

 これからもそんな変わらぬ日々が続いていくと七花も夜一も疑っていなかった。だが、意外なほどに呆気なく終わりがやってきた。

 予兆はあった。魂魄消失事件という予兆が。だが何かをするには七花も夜一も知らなさ過ぎた。何かをするにも喜助は遅すぎた。球が坂を転がり落ちるほど当り前に事態は正史をなぞっていく。

 改竄する余地などかけらもなかった。

 

 

 九番隊の霊圧が消失した。それが終わりの始まりだった。

 各隊の隊長に緊急招集が駆けられる。入室できるのは隊長のみ。七花もついては来たが部屋の外で待つことにした。さすがにこの状況でいらぬ波風は立てたくなかった。

 どれほどの事態が起きているのか七花には想像もできなかった。少しだけ興味が湧いて、窓のある壁に近づくために気配を殺して近づいていく。

 

「なんや、七花か」

 

 先客がいたらしい。八番隊副官、矢胴丸リサが声を潜めて七花の名を呼んだ。どうやら目的は同じらしいと彼女の様子から察しがついた。七花はさらに歩を進めてリサの近くまでたどり着き、座り込む彼女の隣に腰を下ろす。

 七花とリサの距離感は会えば話すし酒を酌み交わすことのある、交流のある同僚といったところだ。互いに身を潜めながら聞き耳を立てている。肩が当たるほど近いがそれを気にするそぶりは両者ともに欠片も無かった。そんな事をいちいち気にするほど二人は初心でもないし、気を使う程の距離でもなかっただけだ。

 

「それで、どんな感じなんだ?」

 

 とりあえず自分で聞くよりも分かりやすい説明が聞けるかも知れないと、七花もリサのように声を潜めて問いを投げかけた。

 

「先遣隊で出とった九番の奴らの霊圧が全部消えたらしい、隊長含めてや」

 

 帰ってきた言葉に七花は面食らう。正直そこまでの事態だとは思ってもみなかったのだ。卯ノ花や夜一、喜助と手合わせをした事のある七花からすれば、隊長格の力量は良く知っていた。だからこそ驚いたのだ。

 他にも何かないかと聞こうとすればリサが人差し指を口元へ持ってきて静かにと動作で示した。

 

「ボクに、行かせて下さい!」

 

 喜助の焦燥を含んだ声が七花の耳にも届く。喜助がこんなにも取り乱している姿を七花は初めて見た。いつも飄々として、なんでも準備万端の喜助らしくない。

 そんな事を感じている間にも事態は進んでいく。夜一が喜助を叱り、総隊長が対応を命じていく。

 隊長だけではなく鬼道衆の隊長格までやってきた。一先ず投入される戦力を聞く限り問題は収束するのではないかと思うも、喜助の様子を思い出して一抹の不安を覚える。

 

「お~い、リサちゃーん!」

 

 リサを呼ぶ声に七花の隣にいた本人が立ち上がる。リサの所属する隊の隊長に呼ばれたようで、軽快な会話が二人の間で交わされた。どうやら大鬼道長の鉄栽の代わりにリサを後発隊に加えたいらしい。

 

「頼める?」 

「当り前や!」

 

 二つ返事をリサが返す。準備をするのかリサはこの場を離れようとしている。

 

「気を付けろよ」

「誰に言っとるんや。後で話聞かせたるから財布と酒の準備しとき、七花」

 

 京楽に見せたのと同じく真剣な表情で親指を立てた後、リサは走り去っていった。

 離れて小さくなっていくリサの背中を眺めながら一抹の不安を感じた。けれども、現状は自分に出来ることが無いと考えを改めて背中を壁に預けて空を見上げる。まだ夜は明けそうになかった。

 

 

 

 夜明け前に漠然とした不安は確固として形を持った。二番隊の隊首室から夜一と共に後発隊の霊圧へ意識を向けていた。いくつもの見知った霊圧が猛り、乱れ、そして消えていく。さらに消えていくたびに見知らぬ霊圧が増えていく。

 そして二人が何かの決断を下す前に、すべての霊圧は感じられなくなった。

 夜一の「喜助がここにおればのぅ」という歯がゆさの籠った言葉に七花は言葉もなく同意した。策士という類の人間がいない心細さを久方ぶりに七花は思い出していた。うっすらと白んできた空の明るさが今だけは無性に憎らしかった。

 しかし、事態の悪化はとどまる事を知らなかった。そのまま次報を待つため、隊首室にて待機していた二人の下へさらに悪い知らせが届いた。

 中央四十六室より発された喜助と鉄栽への捕縛命令だ。報告を持ってきた隠密機動によれば、喜助は虚化の研究、鉄栽は禁術の行使が主な罪状らしい。四十六室へも他の隠密機動が証拠の提出に向かっていると報告を最後にその隊士は隊首室をあとにした。

 

「……七花」

 

 少しの沈黙の後、夜一が七花の名を呼ぶ。酷く言い出しづらい事を言いたいのだろう、そこにはいつもの夜一の快活さは微塵も感じられなかった。

 

「儂は喜助達を助けに行く」

 

 重々しい口調。だが意思の籠った言葉だった。夜一の言葉に七花は返答を返さない。ただジッと両の眼で夜一を見つめる。

 

「おぬしは……」

 

 七花の瞳と視線の合った夜一は後に続くはずだった言葉を呑み込んだ。軽く頭を振って大きく息を吐きだす。

 

「七花」

 

 再び向き合った夜一の顔はすでに普段通りである。

 

「喜助達を助けに行く、手を貸してくれ」

「任せろ。俺はあんたの、夜一の刀なんだ。それに喜助達も俺の初めての友達だからな、気持ちは同じだ」

 

 夜一の願いを受け入れた七花の言葉は力強いものだった。

 父はいた。姉はいた。惚れた女はいた。旅の同行者に敵もいた。だが生前は友と呼べるような者が最後までいなかった。だからこそ七花の思いも夜一に負けない程に強いものであった。

 

「それでは七花よ、役割分けと行こうかのう」

 

 きらりと瞳を光らせながら夜一が笑う。

 

 

 

 瞬歩を用いた全力で、七花は目的地を目指していた。隣に夜一の姿は無く、ここには七花ひとりであった。

 

──儂は喜助達の所へ行く

 

 その言葉通りに夜一は四十六室へ。

 

──おぬしは喜助の研究所へ行ってくれぬか。きっと……

 

 最後の言葉を濁しはしたが言いたいことは痛い程に伝わっていた。虚化の罪を着せられているのだ。誰がどのような状態でいるのかの予想は何となくではあるがつけられる。

 親指を立てていたリサの姿が頭をよぎる。

 

「酒も肴もそっち持ちだからな」

 

 胸中の不安を少しでも紛らわせようと冗談めかしてそんな言葉を口にしたが不安は晴れなかった。

 そんな間にも目的地である十二番隊舎の技術開発局の施設とは別の喜助の個人研究所が見えてきた。ここに来るまで七花は誰にも会わなかった。それこそ死神が避けているのではないかというくらいに人っ子一人見かけなかった。

 

「そこを通してくれって言ったら通してくれるか?」

 

 けれども誰もいないというわけでもなかったらしい。七花が施設の前で一度立ち止まると声をかけた。一人ポツンと佇んでいた眼鏡の男へ。

 

「構わない、と言ってあげたい所だが少しだけ確認したいことがあってね。付き合ってもらおうか、鑢七花」

「そうか。だったら悪いが押し通らせてもらうぞ、藍染」

 

 そう、目の前の男は五番隊副隊長の藍染惣右介その人だ。だが七花は訝しむ。あまり良く覚えていないが藍染はもっと温和な雰囲気ではなかっただろうか。少なくともここまで剣呑な雰囲気を放っていなかったはずだ。チリチリとひりつく気配に七花が構えをとって臨戦態勢へ入る。藍染は口元に笑みを浮かべた。

 

「君は()()をとるんだな」

 

 まるで構えをとらない人物を知っているかのような口ぶり。ふと頭に思い浮かべた人物の事を七花は追い出す。思考を他の事にとられたくなかったからだ。

 

「どうしたんだ? 来ないのか、鑢七花。もしかして誰かを思い出しているのかな? ……例えば君の姉、とか」

「お前」

 

 驚愕に七花の瞳が見開かれた。ハッタリだと思考が否定の叫びを上げる。流魂街を探しても見つからなかったはずじゃないか。夜一もそれを裏付けていたじゃないか。否定する材料が次々と上がるが、本能はまるで安心しなかった。

 

「何を知っている?」

 

 普段のんびりと構えている七花らしくない低い声色。肌に突き刺さる威圧が放たれる。されども藍染はまるで意に返さない。それどころかより笑みを深めた。

 

「話す気はない、か。俺も時間があるとは言えない。だから少し手荒に行くが構わないよな」

 

 最後通告として七花が告げる。手早く聞き出し、目的の人物たちを夜一達との集合場所へと連れて行かねばならないのだ。霊圧を放ち威圧するが、やはり藍染は応えようとするそぶりは見せない。ならばと七花の足に力が入り、地面が軋んだ。

 

「虚刀流」

 

 七花が駆ける。歩法を用いて空いていた距離を一瞬で縮める。藍染へ迫る中、七花は考えていた。仮に、もし奇跡的に、姉と再会できるのであれば自分は一体何を思うのが正解なのだろうか。何をすることが正しいのだろうかと。

 それは再開できるかもしれない喜び。

 それは最期の言葉を思い出しての怯え。

 それはまた姉弟に戻れるのかもしれないという期待。

 それは自由にさせることで起きるかもしれない事への不安。

 他にもさまざまな感情が七花の中で渦巻いていたが、一つだけ確かなことがあった。何の枷もつけずに姉を自由にさせてはいけないという確信に近い危機感である。

 藍染が七実の所在を知っているのであれば、是が非でも聞き出さなければならない。その思いが七花を本気へと駆り立てていた。

 藍染に迫った七花の手刀が一閃する。

 

雛罌粟(ひなげし)!」

 

 だが、するりと交わされてしまう。ならばと、さらに攻撃を繋げて連撃へと移行する。反撃する時間を与えぬように次々と技を混成接続にて繋げて放つ。

 だがしかし、そのどれもが藍染まで届かなかった。

 

「なるほど、速いな」

 

 感心を示す呟きをもらしながらも、藍染は余裕を持って七花の攻撃を躱していく。風に舞う木の葉のようにひらひらと躱す藍染に七花の頬に一筋の汗が伝う。

 

(気味が悪い)

 

 躱されながらも自らの一挙手一投足を観察してくる藍染の視線が不気味だった。技を見るという行動に姉の見稽古を連想させられ、心がざわつく。

 

「ふむ、だが」

 

 一通り眺めて満足したのか藍染が口を開いた。だが発された声色は酷く落胆しているものだった。

 

「弱いな」

「なんだと?」

 

 藍染の呟きに七花が反応する。七花とて自らの強さに自負があった。さすがに自分が世界最強と言うつもりはない。だが、ここまで見下されるように弱いと言われるのを看過できるほど自信がないわけでもない。だが次の藍染の問いにその思いも吹き消された。

 

「鑢七花……君は本当に鑢七実を殺したのか?」

 

 その問いかけは決定的だった。それは誰にも話していない七花の秘密の一つ。悪刀・鐚の話はした。だがその所有者の話はしなかった。夜一にも喜助にも、そしてそれ以外の誰にも話していない。

 知っているのは自分ととがめ、七実本人。もしかしたら報告書で否定姫辺りも知っているかも知れない。だが、その誰もがこの世界の人間ではない。ならば死後もここにいないはずだ。いない、はずなのだ。

 

「本当に、姉ちゃんが……」

 

 いるのか。その言葉は音にならなかった。音にするのが怖かった。恨みを聞くのが怖いのか、姉の悪性が怖いのか。それは七花にも分からない。だが、恐れたのは確かであった。

 七花の示した反応に藍染は僅かに瞼を細めた。眼鏡の奥の瞳は冷たさを宿し、僅かな失望を宿していた。

 

「なるほど。完全な実力のみでの勝利ではなかったのだろうな」

 

 面白みがないと吐き捨てる。怯えをみせたという事は、少なくともいまだに姉を上に見ているのだろうと藍染は予想した。

 

「もう行っても構わない。好きにしたまえ」

 

 知りたいことは知れた。ならばもう鑢七花に用は無い。藍染は告げるとともに、斬魄刀を鞘へ戻す。

 

「は?」

 

 唐突な切り替えに七花は面食らった。それでも藍染はあまり興味がないのかため息を一つ吐く。

 

「ゆっくりしていると代わりが来るぞ。浦原喜助の研究所に用があったのだろう、目的を果たせなくなるぞ」

「代わり? お前本当に何を──」

 

 藍染の行動がまるで読めない。さらに問いを投げかけようとするが。

 

「可笑しなことを言う、鑢七花。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 藍染の言葉と共に劇的な変化が起きた。まるで最初からずっとそこにいたと錯覚するほど自然に大勢の人が倒れていた。隠密機動隊の服装をした大勢の死神が倒れていた。

 誰一人として無事な者はいなかった。皆が皆何かしらの負傷をしていた。肩口を切られた者。手足を折られた者。ろっ骨が折れて肺に刺さり血を吐く者。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「な、何をした、藍染!」

「何をした? 面白い冗談だな。やったのは君じゃないか、鑢七花。ほら、まだ辛うじて意識の残っている者がいる。彼女に聞いてみたまえ」

 

 まるで意味が解らなかった。解りたくなかった。これが誰の血で、この惨状を誰が招いたかなど。だが藍染の視線につられて七花も視線を下げた。意識がないままうめき声をあげる者達が倒れ伏す中に彼女はいた。

 顔を覆う布が破れた為にその者の顔が見えた。口元から血が垂れている事から内臓が傷ついているのだろう。震える腕で言う事を聞かない身体を必死に引きずりながら七花に近づいていく。

 

「な、ぜだ」

 底冷えする声だった。

「なぜ、きさ、ま、が……」

 血走った瞳に憎悪を乗せて彼女が睨む。

「よるい、ちさ、まを……」

 彼女の腕が七花の袴の裾を握りしめた。

「裏切ったのだ!」

 呪詛の籠った嘆きだった。

「なぜ、だ! 答えろ、鑢、しちかぁぁ!」

 

 砕蜂の魂の叫びに返すべき答えを七花は持ち合わせていなかった。そしてそれは砕蜂の瞳には裏切りに映る。こちらを見下ろしたまま何も答えない七花に砕蜂は一度悲しげに顔を歪めた。そしてまた何かを叫ぼうとしたが、もはや次の言葉を発するだけの力は残っておらず意識を失う。

 

「藍染ッ!!」

 

 もはや理解は追いつかない。だが目の前で悠々とたたずむ男が何かをしたのだけは分かった。

 思考を支配する怒りに身をゆだね七花は殺すつもりで藍染に襲い掛かった。

 

「感情一つで変わる力量差などない」

 

 藍染と七花がすれ違う。

 

「くっ」

 

 七花のわき腹に切り傷が生まれて、鮮血が噴き出した。

 

「次はどうする、鑢七花。もうあまり時間は残されてはいないぞ」

 

 今の一合で理解させられた。圧倒的なまでの力量の差を。

 

「どうしてだ」

「ん?」

「あんたはいつでも俺を殺せたはずだ。なのにどうしてこんなに回りくどい真似をする。あんたの目的はなんだ?」

 

 傷口を抑えながら問い掛ける七花の様子に藍染はしばし黙考する。判断の結果、話した方が自身の望む方向に進むだろうと藍染は悟り七花に答えを返した。

 

「万が一にも君が尸魂界に残る可能性をつぶす為だ」

 

 藍染の答えに七花が困惑する。何故自身を名指しでここより追放したいのか、そのいる理由がまるで分らなかった。

 

「私は鑢七実とある契約をした。鑢七花を見つけ出し鑢七実と引き合わせる。そしてそれまでの間、対価として彼女は私の管理している場所にて大人しくしている。そういう契約を交わしたのだ」

 

 何かを思い出して、藍染が不意に表情を緩めた。それは自然な笑みだった。

 

「彼女にも方向音痴などという実に人らしい欠点があったことを感謝したよ。尸魂界、虚圏、現世と三つの世界があると知り、さすがに君の姉も無理を悟ったらしい。実に人間らしい冷静な判断だと思わないか」

 

 自身の言葉が琴線に触れたのか藍染はくつくつと笑いを零した。

 

「いや、すまない鑢七花。彼女を人間らしいなどと表現した自分がつい可笑しくてな、これではまるで──」

「──姉ちゃんは──」

 藍染の言葉を断ち切り七花が吼える。だが七花の言葉を藍染も断ち切る。

「──そう、一介の人間だ。いや、違うな。いずれ彼女はそうなる。私が天に立つとき、彼女はただの人へと成り下がる。だがそれは今ではない」

 

 高揚しているのか、藍染の瞳は七花を見ているようでいて七花を映してはいなかった。 

 

「だから今君を彼女に差し出すのは私としても困るのだ。彼女を縛るものが何一つなくなってしまう。だからこそ君には現世へ行ってもらう。鑢七実に対してしらを切るにも限界がある。さぁ、これで背中を気にせず進めるかな、鑢七花?」

「あんたは何を待っているんだ」

「十分すぎるほど君には答えたつもりだ。それ以上知りたければ力づくで聞くと良い。出来たらの話だがね」

 

 七花の問いを藍染がにべもなく斬り捨てる。もはや用は済んだと藍染は七花に背を向けて歩き出し、次の瞬間には跡形もなく姿を消した。瞬歩による移動でないことは解るがそれだけだった。

 一方的に翻弄されるだけされて見逃された。握りしめた拳から血がしたたり落ちる。大きく息を吸い吐き出した。腹の底に燻る不甲斐ない己への怒りを少しでも発散するために。最後に一度頬を叩き、七花は施設の中へと向かって歩き出す。

 施設の中へ消える前に一度だけ、地に伏した砕蜂たちを振り返った。だが言葉はやはり出なかった。謝罪も、言い訳も何一つ。自分にそれを言う資格はなかった。そしてもう振り返る事は無かった。

 進んだ先には見覚えのない仮面をかぶった見知った背格好の八人がいた。ピクリとも動かない様子に一瞬不安を覚えたが、僅かに上下している胸の動きに安堵する。

 

「リサ……」

 

 その中に半日ほど前に別れた少女を見つける。自分が原因ではないが、何もせず見送ってしまった事に罪悪感と無力感を覚えた。傍に近づいて軽く髪を掻き上げる。俯いて髪で隠れていた顔が露出するもやはり仮面で隠れていた。

 

「きっと喜助が何とかしてくれるからな」

 

 出てきた言葉は他人任せ全開のもので、あまりの情けなさに思わず乾いた笑いが漏れる。

 そうして七花は多少のトラブルはあったが目的の人物たちと新しい義骸の試作品を、夜一との集合場所である双極の地下にある遊び場へと持ち運んだのであった。

 そしてこの日を境に十二名が尸魂界から姿を消した。

 




うーん、キャラを動かすのが難しい……


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6

 

 土佐のとある山。木々の生い茂る自然の中に、座禅を組む傷だらけの男、鑢七花がいた。身じろぎひとつ、音の一滴さえ落とさない。ただひたすらに、自身の中へと埋没している。

 肩には蝶が止まり、羽を風に揺らしていた。揺れ動くものがなければ、ひょっとすると時間が止まっているのではと、見た者に錯覚させるほどの静謐に沈んでいる。

 七花が座す場所、そこは彼のいた世界(歴史)では寺があった。刀狩で潰した刀で、作成された大仏が置かれていた寺のあった場所。

 歴史が違うせいか、この世界では何もないただの山であった。けれども、違う日の本とはいえ、漫遊して国の地図を作ったことのある七花には、ここで間違い無いと確信があった。

 その程度には詳しかった。それほどに忘れがたい思い出があった。思い出そうとせずとも思い出せるほどに、手に残る感触は衝撃の強いものだった。

(姉ちゃん)

 

 ふわりと記憶の底で沈殿していた物が浮かびかけた時、声をかけられた。ぴくりと七花が僅かに反応をし、止まっていた蝶が離れていく。

 スッと、閉じられていた瞼が開く。瞳は凪いだ泉のように静かだった。

 

「夜一か」

 

 声の主を確認することなく、七花は声の主にあたりをつける。実際は気ままな二人旅の最中のため、ほかに自分を呼ぶような者はいないので、あたりをつける以前の問題なのかもしれない。

 視線をわずかに巡らせれば、茂みの合間より黒猫姿の夜一が顔をのぞかせている。

 

「調子はどうじゃ」

「……悪くない」

 

 夜一の漠然とした問いに、七花はわずかに逡巡してから答えを返す。それに対し、「そうか」と夜一が短く返事をした。

 

「七花よ、無理はしなくて良いのだぞ。わしや喜助に」

「夜一」

「……すまぬな、出過ぎた言葉であった」

「そういうつもりはないさ。でも俺は、任せっきりにしたくないんだ」

 

 それにと内心で独り言ちる。任せきりにして、誰かが成し遂げてしまえば、その人物を殺したいほどに恨んでしまうと確信していた。未来を定める予知がごとく、決まりきった道だと自身の内から感情がささやく。

 姉のために父を殺し、とがめのために姉を殺した己が、理由があるとはいえ、姉を手にかけた者に平静でいられるとは思えなかった。殺さない自信がない。だからこそ決めている。

 夜一がわずかに瞳を細める。七花の血刀、その剣気に触れ、心の一端を知る。

 

「解る、とは口が裂けても言えぬな。だが、もしわしがおぬしの立場であれば同じ選択をしたであろうな」

 

 もし自分の弟がと考えれば、答えは時間を待たずに導き出される。難儀なものだ。ままならない出来事に思わずため息が漏れ出る。

 猫がため息をつくという光景に、七花は小さく笑い声を漏らした。どうにも奇妙な光景で、中々に見慣れない。いろいろと旅をして、様々なものを見てきたが、まさか猫と国を旅することになるとはわからないものだ。近づく夜一を見つめ、自身の軌跡をそう振り返った。

 

「さてと、それでは久方ぶりに顔を出しに行くか」

「そうだな。何だかんだと長く空け過ぎたしな」

「別段気にすることもなかろう。あやつはあやつで好き勝手しておるであろうからな」

 

 立ち上がった七花の肩へと、夜一がひょいっと飛び乗った。どうやら自分で歩くつもりはないらしい。とがめを抱き上げて旅路を歩いたこともあったなと、唐突に過去を思い出し、少しだけ愉快さが増した。弾む心に背を押され、七花は歩き始める。

 急ぐ旅でなし。七花はゆるりと歩む。行先は長い付き合いとなった友の元。

 

 

 

 

 

 

「あら、おかえりなさいっす」

 

 こじんまりとした商店へ顔を出した時の第一声。下駄に帽子に外套に、そして杖という胡散臭さを封入したような出立。なんだかなぁと、見るたびに思わないでもないが、その人物こそ古くからの友人となった喜助だ。昔から緩い緩いと思っていたが、どうにも隊長などといった堅苦しい肩書がなくなったせいか、緩さの歯止めが利かないようだ。同居人の鉄裁が止めるような性格でないのも拍車をかける一端であろう。

 

「相変わらずしまりのない顔をしおって」

「再会早々に手厳しいっすね、夜一さん」

「ぬしがもちっとだけ、ましな顔をしておればいいのだ」

 

 夜一の不満気な物言いに、喜助は言い返すことはなく、ただ困ったように軽く頭を掻いてにへらと笑う。だがどうにもそれが不満な夜一は無意識に爪を立て、七花の肩へ軽く食いこませた。

 三者の間に沈黙が下りる。不満ゆえに口を閉ざす夜一。八つ当たりは勘弁願いたいと静かにする七花。夜一の不満に気づいているが藪蛇を突きたくない喜助。三人が三人とも、誰かの行動待ちとなった。

 一縷の望みにかけて喜助が七花へ視線をよこせば、面倒臭いと瞳に書いてあった。貧乏くじを引くのは何だかんだといつも自分だなと、大昔の鬼ごっこしかり、これまでの潜伏期間での戸籍や生活基盤の確保などを思い返しながら、思わずため息を吐き出しかけた。さりとて、目の前の二人がその手の事柄に、壊滅的なまでに適性がないのは理解している。それでもたまには貧乏くじを自分以外にも引いてほしいと思うのが人情だろう。

 だが悲しいかな。主体性が薄く面倒くさがりの七花と、雑事や細かなことを嫌う夜一が相手だ。諸問題が目の前に転がれば、耐え切れずにしびれを切らすのが早い自分が担当するのは必然。性格の問題ゆえに仕方がない。それに夜一と七花は、曲がりなりにも刀と主という関係だ。それであれば、二人は結託とまでは言わないが、そこはかとなく、二対一の構図ができてしまうのもまた仕方がないといえた。

 お小言は短めだとありがたいっすねぇ。などと内心で考えながら、いざ口を開こうとしたタイミングで新たな人物が顔を出した。その人物も全員の顔見知り。元鬼道衆総帥・大鬼道長、握菱鉄裁その人だ。だがやはりどうにも締まらない。

 ムキムキの大男がぴちぴちのエプロンをつけているのだ。何とも奇妙な装いをしばらくぶりに目撃した七花と夜一の両者が一瞬面くらう。

 それを見越していたわけではないが、鉄裁がその意識の間隙をついて言葉を挟み込む。

 

「む、四楓院殿に鑢殿。おかえりなさいませ」

 

 実直というか、真面目というか。そんな気持ちが二人の中で湧いてくる。自然に二人が顔を見合わせ、口端を小さく持ち上げて向き直る。

 

「「ただいま」」

 

 帰ってきたらまずは帰宅の挨拶。

 喜助が少しだけいじけた顔をしていたことを、二人は見なかったことにした。

 

 

 

 

「なるほどのう。それでお出かけか」

「そうっすね。問題はないとは思うんすけど、それでも見に行かない理由にはならないっすからね」

 

 久方ぶりの帰宅だから、腰を落ち着けて積もる話でも。と本来であればなるのであろうが、間が悪いことに喜助たちは所用のために出かけるところであった。むしろ出かけるタイミングにかち合ったのだから間がよかったのかもしれない。

 用事の内容を聞き、それならと夜一たちも同行することにした。用のある先方も知らぬ相手ではない。さりとて、用もなく顔を出すほどマメな性格でもないため、これ幸いと乗っかることにした。

 喜助が先導するままに七花達が後を歩む。見慣れない見慣れた街並みに七花は瞳を細めた。尸魂界はなじみのある風景だったが、現世は降り立った当初も見慣れなかったし、ここ百年でもどんどんと変わっていった。変遷の中を過ごし、見慣れるほど見つめてきたが、どうにも馴染めない。

 舗装された道に、一定間隔で立ち並ぶ石の柱。道を覚えられそうもないなと、七花は景色を覚えることをあきらめた。そうして彷徨わせていた視線を、進行方向へと戻せば、真新しい建物が見えてきた。こじんまりと、しかし確かな存在感を感じさせるたたずまい。清潔そうな見た目の建物は勘違いでなければ町医者のいる類のもの。

 

「ごめんください、浦原です」

 

 喜助がインターホン越しに誰かと話をしている。わずかに聞こえてきた声に、なんとなしに変わりはないだろうなと七花は感じた。

 わずかな時間の後、正面の入り口から男が現れる。幸せそうに緩んだ顔は、知り合った当初から変わりがない。先頭にいた喜助と軽くやり取りをした後、後ろにいた七花達にも男は気が付いた。

 

「ん、なんだなんだ。七花達もいたのか。まさかわざわざ戻ってきてくれたのか? いやぁ、照れるなぁ」

「いや、たまたま帰ってきたら喜助が顔を出すっていうからついてきただけだ」

「そうじゃ。なぜわざわざ儂らがそこまで気を遣わねばならん。面倒な」

「かぁっ、友達甲斐のない奴らだな。嘆かわしい」

「七花。構わんから一発顔にくれてやれ」

「あー……後がうるさそうだからやめておくよ」

「ひっでぇな。頼む方も頼む方だが、断る理由ももっと取り繕えよ!」

「面倒だ」

「ほんとにお前さんらは変わらんなぁ」

「お前は騒がしさに拍車がかかっておるよ、一心」

 

 夜一の言葉に男、黒崎一心は心の底から嬉しそうに破顔した。

 

 

 

 

「どうだ、かわいいだろ! うちの息子と嫁は!」

 

 鬱陶しいな、この親父。それが夜一、喜助、七花の偽らざる本心だった。

 なお鉄裁は気にしていない模様。持参した出産祝いのおむつやおもちゃなどを、一心の妻の真咲へ渡して世間話に花を咲かしていた。この男、実に如才ない。

 そんな鉄裁と真咲をしり目に三人は、それはもう一心にうざ絡みされていた。嫁の自慢から始まり、息子の愛らしさを延々と繰り返す壊れたレコードのような馬鹿に、もはや顔から生気が抜け始めていた。

 喜助の目的はすでに終わっていた。というかまず最初に確認をさせられていた。一心と真咲の子は、いろいろと訳ありであった。いわくつきとも言い換えられるかもしれない特殊な出生をしている。だからこそ、母体の中で育っているときも、定期的に喜助が健診のまねごとをしていたし、生まれた今もそのために来た。

 そして結果としては問題ない。霊力はかなり高いものがあるが、魂魄に異常は見られないということだった。

 だんだんと目が淀んでいく三人に気が付いたのか、真咲が一心に飲み物をお願いする。木の枝を投げられた飼い犬のごとき素早さで、部屋から去っていく一心。その後ろ姿を見送りながら、幸せそうで何よりだという思いが七花たちの胸を過ぎ去っていく。でもしばらくは戻ってこなくてもいいかなとも考えていた。

 

「ごめんなさいね、うちの人が」

「構わないっすよ。予想はできていたことっすから」

 

 申し訳なさそうに目じりを下げた真咲に、喜助は苦笑を浮かべた。一心の人となりを知っているものからすれば予想はできていたからだ。ただうざさの程度が、予想を軽く飛び越えてきていただけだ。

 

「本当は心配で夜も眠れていなかったんですよ、あの人。今の彼には霊覚が無いから、本当に気が気でなかったみたい」

 

 真咲の言葉に事情を知っている七花達も何となくのところを察した。今日ぐらいは付き合ってやるかという気になる程度には、一心が抱えていた心労を理解した。

 

「もしよければ撫でていただけないかしら。元気な子に育つようにって」

 

 真咲が笑みを浮かべ、赤子が眠るベッドへと導く。転倒防止用の柵の中を覗き込めば、明るい夕日を溶かし込んだような髪色の男の子が気持ちよさげに眠っていた。

 赤子を見下ろす男二人に猫一匹。だが誰も手を伸ばすことはなかった。どうにも扱いがわからず困っているのだ。

 雰囲気からわずかに漏れ出る困惑を、正確に読み取り真咲はくすくすと楽し気に声を漏らした。

 

「大丈夫よ、怪我なんてしないわ」

「いや、うん。どうにも気が重くてな」

 

 家族の血を吸っているこの手でなでていいものか。そんな思いが七花の胸に去来していた。無垢な幼子を汚してしまう。そんな風に考えてしまったゆえの躊躇。

 だが真咲は譲らなかった。笑みはそのままに、雰囲気が少しだけ変わった。

 

「この子は私とあの人の子よ。私たちだって、完全に綺麗だなんて言えないわ。でもね、だからと言って何もしてはいけないなんてことはないの。誰だってそれぞれの過去を背負っている。でも縛られてはいけないの。そんなことになってしまったら、誰も明るい未来なんて描けないわ。だからね七花さん、この子を撫でてあげてほしいの」

 

 真咲に見つめられた七花は何かを言おうとしたが、結局は言葉にできず、開きかけた口を閉じた。そして視線を真咲から眠る赤子へと落とし、わずかに逡巡した後言葉を口にする。

 

「家族を大事にしろよ」

 

 万感の思いを込めて、七花は言葉を吐き出した。

 軽く撫でた赤子は、ぽかぽかと温かく、命のぬくもりを感じられた。

 

 

 

 



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7

 鑢先生は不思議な人だ。

 それが僕が初めに抱いた鑢先生への印象だった。

 鑢先生は道場の正式な師範ではない。

 数ヶ月ごとにふらりとやってきて、一ヶ月くらい居たと思えばまたふらりと消えている。なんとなく野良猫みたいな人だなと思った。それは鑢先生がよく猫を連れている姿を目にするからかもしれない。

 そんな自由気ままなのに、毎度連絡も無くふらりと帰ってきたとき、館長が何も言わずに鑢先生を迎え入れるのは、鑢先生が恐ろしく強いから……らしい。

 らしいというのは、そのことを館長が楽しげに話していただけで、僕が実際に目にしたことがないからだ。

 なんでも胡散臭い知り合いに、時々でいいから短期バイトとして雇って欲しいとお願いされ、恩のある知人だったため確認のための手合わせを条件にうけいれ、一撃でのされたと楽しげに笑っていた。

 正直自分が負けたことをどうしてあんなに晴れやかな笑顔で語れるのか、僕にはわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、先生。先生は館長よりも強いんでしょ」

 

 もう随分と前に聞き慣れた声。もう4年くらいの付き合いになるあの子だ。

 そっちを見てみれば、案の定たつきちゃんが鑢先生を見上げていた。

 

「私もっと強くなりたいの。だから私に先生の技を教えて」

 

 たつきちゃんは鑢先生の袴を握りしめて捕まえている。

 鑢先生は少しだけ困ったように頭をかき、向き合うようにしゃがみ込んだ。

 

「ダメだ」

 

 きっぱりとした断り。断られるとは思っていなかったのか、たつきちゃんはパチパチと目を瞬かせて一瞬惚けていた。でもすぐに理解したのか、目尻がムッと持ち上がる。

 

「なんでですか! 先生はここの先生ですよね! どうしてダメなんですか!?」

 

 肩がびくりと跳ねる。自分に向けられたわけじゃないけど、やっぱり僕は怒気の混ざった声は苦手だ。本気で怒ってるわけじゃないけど、ムカムカくらいはしていそうに感じる。

 たつきちゃんの質問に、鑢先生は少しだけ考えた後に口を開く。

 

「うちの流派は一子相伝ってやつだから」

 

 ちょっとだけかっこいいなと思ってしまった。

 

「だからダメだ」

 

 むうっとたつきちゃんの頬が膨れていく。組手の時は怖いのに、ふくれ顔はほんのちょっとだけ可愛いなと思った。

 

「一護!」

「っ!? 何?」

 

 急にたつきちゃんが僕の方を向いて呼びかける。考えていたことがバレたのかと思い、変な声が出かけた。

 

「組手の相手して」

 

 絶対に嫌だ。だって八つ当たりのやつだって分かる。

 でも僕の答えなんか気にしてないのか、鑢先生から離れると、ずんずんと僕に向かってくる。この間見た怪獣映画の怪獣みたい。

 この怪獣は熱線を吐かないけど、パンチやキックをしてくる怪獣だ。助けて欲しいと鑢先生を見れば楽しそうに笑っていた。

 

「頑張れ、一護。強くなれよ」

 

 どうやら怪獣を倒してくれるヒーローはいないらしい。

 僕はまたたつきちゃんに泣かされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨が降っている。嫌な天気だ。

 雨は、嫌いだ。どうしたって思い出す。かあちゃんが俺のせいでいなくなってしまった日を。

 

「一護!」

 

 唐突な怒鳴り声にハッとする。声の出所を見れば、目尻を吊り上げているたつきがいる。

 

「あんたやる気あるの? 組手中にぼさっとするなら型稽古でもやってなよ」

 

 構えを解いて、たつきが言葉を続けた。声は怒っているように聞こえるのに、怖いくらい真剣な目で俺を見てくる。

 河原で何日もウロウロしていた時に声をかけてきた時と同じ目。

 嫌な目だ。俺を心配する目だ。俺を一切責めなかったとうちゃんと同じ、心底から心配していると分かる目だ。

 俺が悪いのに。俺のせいなのに。心配される権利なんてないのに、心配している目で見られるのはひどく気持ちが落ち着かない。

 気分がざわざわとして、自分にむかむかして、妹達を思い出して叫びだしたくなる。

 

「……悪い。組手は他のやつとしてくれ」

 

 見られ続けられることに耐えられず、逃げるように言い捨てて離れる。「一護っ」と背後から呼ぶ声がするけど、止まらずに道場の端っこへと向かう。

 たつきは追ってこなかった。誰かに止められたのか、自分でそうしたのか分からないけれど、館長と組手をしているみたいだ。

 

「何やってんだろ」

 

 本当に何をやってるんだ。自分は、何をやればいいのか。誰も怒ってくれない。誰も責めてくれない。

 どうやって許してもらえばいい。どうすれば奪ってしまったものを返せる。どうやって、どうやって、どうやって。

 五年近くかけて覚えた型を、身体に任せたまま繰り返し、ぐるぐると考える。

 でも答えは出ない。答えがわからない。誰も教えてくれない。誰も答えてくれない。誰も──

 

「館長、邪魔するよ」

 

 道場の扉が開かれ、入ってきたのは鑢先生。今回は何ヶ月ぶりくらいだろうか。久しぶりに見た姿に反射的にそんなことを考え、鑢先生を見ていると視線がかち合った。

 普段通りの真顔の鑢先生に少しだけほっとした。先生はかあちゃんが死んだことを知らない。だから前と変わらない目で俺を見てくれている。

 そのことに少しだけ安心してしまった。罪を知られていないということを嬉しいと思ってしまった。

 最悪だ。こんな考え方をする自分が心底嫌いになる。

 

「なに人の顔見て百面相してるんだ」

「うおっ!!」

 

 鑢先生の顔が目の前にあった。いつの間にとびっくりしたけど、周りが別に驚いてないから、俺が気がつかなかっただけなんだろう。

 

「別に……」

 

 かあちゃんを殺したなんて言えるはずがない。でもとっさに言い訳が出てくるわけでもないから、つい言いよどんでしまう。

 何か言おうと、鑢先生の方を見て、気がつく。嗅ぎ慣れた匂い。

 花と、線香の香りがちょっとだけする。家の仏壇で、かあちゃんのお墓で、何度も何度も嗅いだ匂い。

 心臓がばくばくする。暑くもないのに汗が滲んでくる。そんなはずないと頭の中で何度も繰り返される。

 だって鑢先生とかあちゃんが話しているところは一回も見たことがない。知り合いのはずがない。だから知っているはずがない。線香の匂いがするのもたまたまだ。

 でもふと思い出した。かあちゃんは鑢先生がいるときは、いつも一度だけぺこりと頭を下げていた。他の先生達にするような、よそ行きのにっこり笑いじゃなくて、感謝でもしているみたいなそんな顔で。

 手を繋ぎながら見上げていたかあちゃんは、そんな顔をしていた。だから、きっと、本当に鑢先生とかあちゃんは知り合いだったんだ。

 

「先生」

 

 びっくりするくらいに硬い声だった。怖がっているのか、緊張しているのか自分でもわからない。

 

「かあちゃんを……」

 

 言葉に詰まってしまう。続きを言わないと。自分から言いださないと。気持ちが焦るが、心が追いついてくれない。怖い、怖い、怖い。

 

「一護」

 

 頭にぽんと手が置かれた。予想外なことに、頭の中が真っ白になる。

 暖かい手だった。少しだけ動く手に、くりくりと撫でられる。ほっとする。でもそれは長くは続かなかった。

 バチンッ。額が吹き飛んだかと思うほどの衝撃。そしてすぐに痛みが込み上がってくる。

 

「いったぁぁぁぁぁ!!!」

 

 道場内に響くほどの声で叫んでしまう。というか痛みで額を押さえたことで、初めておでこが無くなってない確信が持てた。

 頭が吹き飛んだかと思った。冗談ではなく。

 

「な、何すんだよいきなり!!」

「ちゃんと稽古してないからだ」

 

 怒って聞けば、正論が返ってきた。たしかに身が入るほど真剣だったかと聞かれると、首を振るしかない。でもこんなことされるほど悪いことをした覚えはない。理不尽だ。その思いとともに、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。そして痛すぎる。

 

「だからって──」

「一護」

 

 もう一度叫びかけたが、鑢先生の言葉で思わず続きを飲み込んでしまった。別段先生の声が大きかったわけでも、威圧的だったわけでもない。でもなんだか逆らい難い力を感じた。

 

「お前、何のためにここに来ている」

 

 いつもはしゃがみ込んで目線を合わせてくれる先生が、立ったまま見下ろしている。見上げるほどに背の高い先生が少しだけ怖い。

 

「空手をするために」

 

 何を怒っているのか分からない。だけどここは空手の道場だからこれで正解のはず。訳がわからないながらも、先生の発する雰囲気が苦手で早く終わって欲しいと、正解だと思う言葉を口にした。

 

「違うだろ」

 

 ぴしゃりとはねつけられる。今度はしゃがみ込み、視線が同じ高さで向き合う。

 

「お前はどうしてここへ通うことにした。お前は何のためにここへ来ている」

 

 同じ問い。でもヒントもくれた。どうしてここへ通い始めたか。

 そんなの、俺が一護だからだ。一つのものを守り通せるように。そう願われて、それが誇らしくって、願いじゃなくて本当のことにしたくて、家族を守りたくて。だから。だからだからだから俺は強くなりたくてここへ来た。

 

「……守りたいから」

「何を」

「家族を」

 

 声が震える。かあちゃんを奪って何が守るだ。でも、それでも俺の名前は、とうちゃんとかあちゃんがくれたもので、大事なものだ。

 だからここで答えないのも、目をそらすのも、全部を捨ててしまうみたいで出来なかった。

 頭は痛いし、自分への怒りとか、情けなさで涙が出そうになるけど我慢する。もう泣かない。泣いたってどうにもならない。そんな当たり前のことを、かあちゃんの葬式で嫌になる程知った。

 俺が泣けば、遊子も夏梨ももっと悲しくなるからと、泣かないと決めていた。だから我慢する。

 

「だったらしゃんとしろ。背中を丸めて歩くな。まだ父親も妹達もいるんだろ。お前が守る家族はいるんだろ。そんなんじゃいつかこぼれ落ちて、何も守れないぞ」

 

 表情は変わらないのに、不思議なほどに鑢先生の瞳が燃えているように見えた。熱く、熱く、熱く。鉄でも打つように爛々と輝いているみたいに俺には見えた。

 気がつけば、頷いていた。

 鑢先生は、俺の反応を見て、もう一度頭を軽く撫でてくれてから、周囲へと向き直って背中しか見えなくなった。

 

「ほらお前らも手を止めるな。一発欲しいか」

 

 ひゅんひゅんと指が空気を切り裂く音に、俺たちを見ていた全員が一瞬で顔を逸らして稽古へ戻っていった。

 自分への憤りも、罪の意識もカケラも変わってない。それでも歩いていかないといけないとようやくわかった。教えてもらった。

 自分がやりたいことも、かあちゃんの込めてくれた思いを嘘にしないためにも、俺が家族を今度こそ絶対に守るんだ。俺が全部守るんだ。

 

「ちっとはいい顔になったな」

 

 振り返って俺を見た鑢先生が笑った気がする。

 

 

 

 

 

 数年後に道場をやめ、鑢先生と会うことはもうなかった。

 あの商店の地下室で再会するその時まで。

 



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8

「いい感じっすね、黒崎さん」

 

 喜助がいつもと変わらぬ人を食ったような飄々とした態度で紅姫を下げた。相対している一護も、その様子に戦う姿勢をやめ立ち止まる。

 一護はどうしたのだと訝しんでいた。それは戦い始める前に喜助が言ったからだ。「戦闘の勘ってヤツを養うために戦い続けてもらう」と言っていたはずだ。尸魂界へ行くまでまだ数日の時間がある。とはいえただ無駄にしていいはずがない。

 

「急にどうしたんだよ。あんた始める前に残りの時間はずっと戦うって言ったじゃないか」

「確かにアタシはそういいました。でも何もずっとアタシとだけ戦うなんて言った覚えはありませんよ」

 

 喜助がそういった瞬間一護の瞳が胡乱な瞳に早変わりする。どうにもこの人は何を言うにも何をするにもこうやって何かしらの余地を残すし、裏をかこうとする。

 ジャスティスハチマキや落とし穴のおふざけはもちろん。杖に見せかけていたものが実は斬魄刀だったこともそうだ。この人はいつだって胡散臭い笑みですべてを煙に巻こうとしているような印象を与えてくる。

 だけど力を貸してくれていることも、死神の力を取り戻してくれたのも全部この人だ。信用はできないけど信頼はできる人だ。だからこそ戦う相手が変わることにも意味があるのだと信じられる。それを誤認させるようにしていた意味があるのかは知らないが、一護にはそのことを一々掘り返すことに意味があるとは思わなかった。

 

「それにずっと戦ってちゃアタシが疲れちゃいますからね」

「俺は良いのかよ、俺は」

「ほら黒崎さんはアタシと違って若いから五徹くらい余裕でしょ」

「奴隷だってそんな戦わされ方しねぇよ!!」

 

 力いっぱい抗議しても「まぁまぁ」なんて喜助はおざなりに抗議を受け流す。

 

「あんまり待たしちゃってもスタンバってもらってた彼に悪いんでちゃちゃっと紹介に移りましょうか」

「いつから仕込んでたんだよ」

 

 一護は少しだけその芝居がかった演出にまたかと気疲れするが、相手がそういう物を好んでいる節があるので思考を切り替えることで対処する。

 すなわち誰が相手であるかを思案した。浦原商店にいる面々で一護が面識のあるのは四人。下駄帽子の喜助。生意気なジン太。意外に恐ろしかった雨。腕を封じる術を使ってきた鉄裁。順当にいけば鉄裁なのだろうとそこまで思考が及んだ時に喜助が再び声をかける。

 

「そんじゃませんせー、おねがいしまぁす!」

 

 相変わらずとぼけた調子の声で喜助が声を張った。明後日の方角に向かって叫ぶ姿に、思わず一護もその先を追いかけて。

 

「誰もいねぇじゃねぇか」

 

 ただただ自分たちが足場にも使っていた大きな岩の一つが聳え立っていただけだった。

 

「おや、感じませんか?」

「何をだ──」

 

 一護の肌がぞわりと粟立つ。この重い霊圧は何だと驚愕に言葉が止まる。硬直した一護が再始動する前に妙に間の抜けた掛け声が耳に届いた。

 

「ちぇりお!」

 

 だが間の抜けた掛け声の直後、目の前の大岩が爆砕した。粉々になった破片が辺りに飛び散り、巻き上げられた粉塵が岩の向こう側にいたであろう人物を隠す。

 誰だ。誰なんだと思考が巡る。粉塵が早く晴れないかと気持ちが急く。だが一向に粉塵が晴れない。当たり前だ。ここは地下で粉塵を運ぶ風がないのだから、舞っている粉塵が自重で落ちきるまでは消えはしない。

 むしろ煙の向こうから誰かが咳こんでいる音が聞こえてくる。煙いのだろうか。煙たいのだろうな。そう思うには十分すぎる咳き込み方だ。

 

「浦原さん、めちゃくちゃ煙たそうだけど本当に大丈夫なのか?」

「あっちゃー。私としたことが演出を失敗しちゃいましたね」

 

 演出と言い切った喜助に一護の視線が数度ほど温度を下げたが、喜助に気が付いた様子はない。「仕方ないっすね」などと頭を掻いている。

 

「もうしょうがないんで土煙払ってもらえますか」

 

 この男は真面目にしたら死ぬんだろうか。一護がそう思い始めたとき、またわずかに霊圧を感じた。先ほどのと比べれば随分と抑え込まれているような印象を受けたが直後に風を感じた。

 一瞬の空気の攪拌。粉塵が歪んだ次の瞬間には散り散りに散っていく。そして煙の晴れた先には男が一人立っていた。その男の姿に一護は絶句していた。

 背丈は二メートルほどだろうか。かなりの大男である。だが驚いたのはそこではない。その人物があまりに見慣れた人だったからだ。その人は自分の背中を押してくれた人だったから。だから一護は驚愕していた。

 

「鑢……先生……」

「久しぶりだな、一護」

 

 大男、鑢七花は初めて会った時から欠片も老けていない容姿でこちらを見ていた。

 

「そんじゃま顔合わせも済んだのでレッスン五。切れないものを切ってみようを始めますか。七花さん、あとはお願いしますね」

「おう。任された」

「ってちょっと待ぇーい! ノンストップで話を進めようとするな浦原さん! なんでここに鑢先生がいるんだよ」

 

 喜助がどこかに行こうと背を向け七花が構えた瞬間、一護がツッコミを入れる。

 

「えぇ、そこで今修行中一番のツッコミが入るんすか。正直この地下室の方がびっくりしません?」

「誤魔化すんじゃねぇよ。あの人がなんだってここ、っ!」

「一護。お前に時間は余ってるのか?」

 

 喜助を問い詰めようとした一護の言葉が途中で止まる。いつの間にか目の前に姿を現した七花の足刀が迫ってきたからだ。反射的に飛び退さる。目の前を掠めていく足刀の空気を裂く音にぞっとした。

 

「お前は何のためにここに来た」

 

 油断なく構えている七花から発せられた言葉は、懐かしい問いかけだった。脳裏にあの雨の日の道場が過ぎ去る。七花の瞳は、あの日みたいに熱された鉄のような熱を帯びている。

 

「聞きたいことがあるなら後にしろ、一護。守る力がいるんだろ」

 

 七花の言葉に一護の身体が少しだけ熱を増した。

 

「それでも聞きたいのなら、お前がへばって動けなくなった時に、休憩がてら聞けばいい」

「じゃあ俺が一度もへばらなかったらいつ聞けば良いってんですか」

 

 七花の挑発するかの物言いに、一護も負けじと反射的に言い返す。負けん気の強さに、七花は口元を気が付かれない程度に緩めた。

 

「俺を動けなくさせて聞けば良い。まぁできたら、だけどな」

「そうですか。じゃあさっさと始めましょうよ、鑢先生。斬魄刀、構えてくださいよ」

「俺は斬魄刀を持ってないからこのままいくぞ」

 

 一護が七花へ返答する前に、一足飛びで間合いが潰れる。視線がかち合った瞬間、七花の瞳に本気を悟る。

 引き絞られた拳が打ち出される。咄嗟に斬月の腹で拳を受け止めるが、受け止めきれず吹き飛ばされた。腕がしびれるほどの力。地面を削りながらもなんとか体勢を立て直す。再び七花と相対するが、一護は切っ先を向けられなかった。

 対人での命のやり取りが皆無に近いゆえの甘さ。無手の相手に刃物を向けることができない。いまだ残る甘さが後ろめたさとなり一護の切っ先と霊圧を鈍らせている。

 

「構えろ、一護」

「でも鑢先生は……」

「一護。喜助がなんて言ったか覚えているか」

「浦原さんが? 確か切れないものを切れって……でもそんなことできるわけが」

「一護。お前、勘違いしてるぞ」

 

 七花は構えを解き、再び一護の目の前へと姿を現す。敵意も攻撃の意志もない。だが七花の手が斬月へと伸びていく。

 そのゆっくりとした動きを一護はただただ目で追うだけだった。何をするのか。浮かんだ疑問が動きを止めさせていた。だからこそ防げなかった。七花が斬月の切っ先を握りしめるのを。

 

「鑢先生、手が!」

 

 一護が焦り声を上げるが、腕を動かせない。下手に動かして深く切りつけてしまったらと考えると動けなかった。

 

「よく見ろ。俺の手がどうした」

 

 七花の言葉につられ、斬月の切っ先へと視線を向ける。血は、流れていなかった。摘まんでいるとか、刃が触れていないとかではない。刃が食い込んでいるのに、薄皮さえ切れていない。

 力が込められていないわけではない。刃は食い込んでいるし、持ち手から伝わる感覚が、七花の万力のごとき握力を余すことなく伝えていた。

 

「喜助はお前の知り合いだから切れないって言ったんじゃない。お前のそのぼやけた霊圧じゃ切れないって言ったんだよ。霊圧を研ぎ澄ませろ、一護」

 

 一護は無意識に喉を鳴らした。この人は誰だと自分の知る七花との違いに圧倒される。昔道場で連れていた猫に顔を引っかかれ謝っていた平穏な時の姿と重ならない。

 

「じゃないと斬月(こいつ)をへし折るぞ」

 

 本気だと理解させられた。本気で斬月を折る気だと本能的に感じ取った。嘘でも発破でもなく、未熟をさらせば本気で斬月を折るつもりがあるのだ。

 

「お、うぉぉおお!」

 

 反射的に霊圧を高める。斬月が光を湛え、切っ先から閃光が放たれる。斬月を掴まれているという超至近距離での爆裂。着弾した衝撃で一護の身体が大きく後方へと吹き飛ばされる。

 斬月は折れてはいない。そのことに安堵した。あのままつかまれていたら。そうありえたかもしれない先を考え、肝が心底冷えた。だが次に来たのは心配だった。

 アレを至近距離で受けてしまった七花は無事なのか。今度は別の意味で心が冷えた。だがそれもすぐに消え失せる。

 

「うそ、だろ……」

 

 一護の視線の先には七花がいた。先ほどとまるで変わらない姿の七花がそこにはいた。わざとなのか、アレの圧力で離したのかはわからない。わずかに指が開かれているだけでそれ以外違いなんてない。もちろん、傷なんてあるはずがない。

 

「さぁ、一護。これでもう気兼ねはいらないだろ」

「なんだよそれ。何なんだよそれは!」

 

 矛盾しているとは解っている。どうやって撃っているのか自分自身でもわからないアレが、今の自分自身が放てる最大の攻撃なのだ。それで傷一つ負っていないのはどういうことだ。自信が崩れていく。急に足元が消え去り、虚空に放り込まれたような不安が全身を包む。

 怪我をしてほしかったわけではない。だけど、これはあんまりではないのか。斬魄刀の名を知り、力を得たのではないのか。喜助の帽子だって飛ばせてみせた。それなのにそれらが全部無意味だと言われたような気さえしてしまう。

 

「お前はそうやって尸魂界に行っても喚くのか。どうするかを考えるんじゃなくて敵に答えを求めるのか。お前には俺の時みたいに考えてくれる奇策士がいるわけじゃないんだ」

 

 不思議と混乱していた頭に七花の言葉が入ってくる。背中を丸めるなと叱られた時のように、すっと言葉が入ってくる。鋭い刃が通るように、言葉が自分の中へと刻まれていく不思議な感覚だった。

 

「守るんだろ。助けたい奴がいるんだろ。それともお前は、向こうで死んで助けたかった奴にお前の死を背負わせるのか。自分勝手に死んで、家族にお前の死を嘆かせるのか。その程度の覚悟なら、俺がここでお前の刀を折って終わらせてやる」

「……そうだよな」

 

 力をくれた死神の顔が、妹たちの顔が、腹が立つ顔だが父親が、悲しんでくれるだろう友人たちの顔が次々と浮かんでいく。

 死ぬ気なんてない。助けたい奴がいる。だったらここで狼狽えて、臆してどうする。

 一護の眉間にいつもの皺が戻った。七花はそれを確認すると、静かに構えをとる。

 

「鑢先生。切れるまで付き合ってもらっていいですか」

「あぁ。切れる物なら切ってみろ、一護」

 

 そうして二人は互いに一歩を踏み出した。

 

「さぁて私も穿界門の仕上げを急ぎますかねぇ」

 

 激しい戦闘音を背後に、喜助も自らの仕事へと向かっていった。

 

 

 

 

 ばちっという小さな破裂音。音の発生源となった喜助が何をいうでなく弾かれた手へと視線を落としている。

 喜助の前には穿界門が鎮座していた。現世と尸魂界を繋ぐ通路への出入り口である。そして今しがた門に拒絶された喜助が視線を手元から目の前の門に戻す。

 

「アンタなら行こうと思えば行けたんじゃないか?」

「それは買い被りすぎってもんスよ、七花さん」

 

 喜助が嘯いてみせれば、七花はため息をこれ見よがしについてみせる。

「信用ないなぁ」なんて剽軽な声を出してみるも、周囲の静けさが際立つだけだ。それもそのはず。ついさっきまで、ここには多くの人間がいたからだ。

 頭数が減ってしまえば賑やかさが減じるのも否めないのかもしれない。減った人員が若者達であることを考えれば、尚のこと静かになろうというものだ。

 

「七花さんは良かったんですか?」

「喜助がそれを言うのかよ。止めたのはあんただろうに」

「それを言われてしまうとボクとしちゃ返す言葉がないんですがね」

「あんたの言葉に納得したからな。俺はこっちで信じて待つさ」

「すみませんね」

「謝られてもなぁ。むしろ身内の厄介ごとに巻き込んでる俺が謝るべきだと思うけどな」

「そんなことないっすよ。それも全部含めてボクらの問題なんですよ。ボクらはみんな身内なんですから」

「悪いな」

「いえいえ」

 

 なんてやり取りを二人がしている横で、浦原商店の一員であるジン太が鉄裁にこそこそと小声で話しかけている。

 

「普段のぺっとした奴と普段にへらってしてる奴が真面目にしてると気持ち悪いな」

「ジン太くんにも気を使うって出来たんだね」

「んだとこらぁ!」

「あー、痛い痛い! 髪の毛引っ張らないでよー」

「ジン太殿、暴力はいけませんぞ、暴力は」

 

 浦原商店の地下にある広大な訓練部屋の一角が、にわかに騒がしくなる。それは先ほどまで居た高校生の少年少女らとはまた違う騒がしさだが、平穏な喧噪であった。

 

「子供達も心配しちゃいますから真面目な話はこの辺にしておきますか」

「そうだな。真面目なのはどうにも肩がこるからな」

 

 わざとらしく七花が肩のコリを取るように肩を回してみれば、二人の空気が弛緩する。

「さてと」なんてわざとらしく声を出しながら、喜助が鉄裁達の方へと向かっていく。

 七花は残された穿界門を普段通りの瞳で眺める。きっとこの瞳から感情を読み取れるものは一握りであろう。

 そして今その一握りに入るものは誰一人ここにはいない。七花が何を思っているかは本人だけが知る。

 喜助が増えたことで騒がしさが増した喧騒を聴いていると、独りでに穿界門が崩れていった。それが意味するところは一つ。役目を果たし終えたということだ。

 

「死ぬなよ。夜一、一護」

 

 数十年連れ添った自身の持ち主と、少しだけだが弟子のような立場に収まっていた少年の名を口にした。

 一区切りというように七花も立ち上がって一伸びする。伸ばされた腕には真新しい包帯とうっすらと赤い染みが滲んでいた。

 

 



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9

 

「そんでお前は飼い主に置いてけぼりくらったわけか」

「飼い主じゃないって毎回言ってるだろ」

「知らんわ。大体そんなら俺らかて毎回言ってるやろ」

「なんかあったか?」

「なんかあったかやと!? 舐めとんのかこの山育ちの野生児が! 毎回毎回馬鹿みたいに俺らのねぐら探して手合わせ挑みよってからに! 戦わんと息できんよぉなって死ぬ病気かボケ!」

「俺は島育ちだぞ」

「大事なとこはそこやないわ、喧嘩売っとんのか!」

「お、もう一戦やるか」

「あぁぁぁぁ! もう嫌や、こいつの相手すんの。ひよ里、代わってくれ」

「今回はお前の当番やろ、禿。良いからさっさと死んでこいや、禿」

「禿ちゃうわ!」

 

 喧々早々。もはや何度見たことか。数えるのも億劫になりそうなほどに見慣れた喧嘩が始まった。それを見つめる七花は、やれやれと言いたげに頭を掻いた。

 

「んで、どないだった?」

「ん、リサか。何の話だ?」

「小突きまわしたったんやろ、小僧っ子を」

「あぁ、一護の事か」

 

 成人指定の本を片手に、真面目腐った雰囲気を出しているのがどうにもミスマッチに見える。

 

「エロ本読むか真面目な話するかどっちかにしろよ」

「真面目な話しとるやろ」

「手の本おいてから言えよ」

「開いてないんやから気にしんとき」

「なんだかなぁ」

 

 締まらないなと七花が頭を掻くと、ゆったりとした羽織の袖がずるりと下がり腕がわずかに露出した。包帯の巻かれた腕を見て、リサの瞳が細められる。

 

「へぇ。刃が入ったん」

「そうだな。最低限は戦えるだろ」

「ま、そんなとこか。アンタが本気出したらその傷だって入らんかったやろうし」

「副隊長までが相手ならいい勝負するんじゃないかな」

 

 七花の返答にリサは「ふぅん」と少しだけ面白くなさそうな声を出した。

 

「じゃあ私とソイツやったらどっちが強い?」

「今のアイツとならリサが勝つな」

「……はぁ、おもんな」

 

 つまらなそうにリサは七花に背を向けた。適当な場所まで離れて座り、手に持っていた本を読み始める。

 

 

「ま、リサからしたらそうなるわな」

「拳西か」

「付き合いが長いのに、ぽっとでの奴の肩を持つ言い方されたら不機嫌にもなるさ」

「正直な感想だったんだけどな」

「へぇ。見どころがあったのか」

 

 エプロンをつけ、片手で鍋を軽快に振るいながら拳西が意外そうな声を出した。

 

「そうだな。剣術の腕はまぁ、ぼちぼちかな。空手をやってたからか、戦う気構えはしっかりしてる。鬼道に関しちゃ才能はないって鉄裁は言ってたな。霊力の操作がおおざっぱすぎてるんだと」

「そこまでの話で考えると凡庸以下って感じだな。お前が推す理由ってのは一体何だよ」

「伸びしろってやつかな」

「ぼやけた表現だな」

 

 拳西の端的な指摘に七花もそうだろうなと内心で自覚していた。そこで少しだけ考え、言葉を探して口を開く。

 

「向こうでも色々と死神を見たけど、あそこまで駆け足で伸びていく奴は見なかった。死神の力を目覚めさせたばっかで始解をしたし、そのあとの打ち合いでも霊圧がどんどん伸びてった。正直目覚めたばっかの時は下位の席官よりましって感じだったが、送り出すころには副隊長相応にまで伸びていた」

「ほお。随分と駆け足気味の成長だな。飛躍と言っても良いレベルじゃないか」

「アイツは追い込めば追い込むほど、自分の中から必要な分を引っ張り出してくる。俺にはそんな風に感じられた」

「なるほどね。それであの感想なわけだ」

「そうだ。だから拳西達の力を低く見てるわけじゃないぞ」

「だとよ、リサ」

「うっさいわ、拳西。余計な世話焼いてる暇があったらちゃっと飯の支度やりゃあ」

「おぉおぉ、おっかねぇな」

 

 拳西がふざけて返せば、無言でエロ本が飛んできた。直撃する前に七花が指で挟んで止めれば、つまらなそうに鼻を鳴らされた。

 

「今度適当にエロ本買ってくるから機嫌直せって」

「ほっほーん。安く見られたもんやな。ハッチ、結界張りぃ。このボケのしたる」

「えぇ……あの、もう真子さんとの手合わせの時からほとんど休みがないのデスが……」

「はようしぃ」

「あ、はい……」

 

 座った眼をこちらに向け、リサが顎をしゃくって結界の先を示す。仕方がないと七花は手に持ったエロ本を、拳西のエプロンの結び目と腰の間に差し込むとリサの方へと向かっていった。

 

「おい、七花ぁ! テメェ、なんてとこに何てもん差していきやがる!」

 

 鍋とお玉でふさがった拳西にエロ本を外すことはできず、それを見た(ましろ)に爆笑されているが誰かの手が拳西へ貸されることは終ぞなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちは。今日はどうされましたか?」

 

 チリンチリンとドアベルが来院を告げる。少女、黒崎遊子はナース服を身にまとい、患者の不安を和らげるような優しい笑顔で問いかけた。

 入ってきたのは大男、七花である。

 遊子はその大きさに、以前に見かけた兄である一護の友人をなんとなく思い出していた。

 袴に小袖という少し時代劇チックな服装が、何故か不思議と似合っている。着慣れているような雰囲気がそう感じさせるのかもしれないななどと、ナース服にまだ着られている感が否めない遊子はそんなことを頭の片隅で考えていた。

 

「あーと、怪我をしたから少し診てもらおうと思ってな。ええっと確かこいつを出せばいいんだよな」

 

 巾着からクロサキ医院の診察券が取り出された。どうにも初診では無いらしい。

 

「それではこちらをお書きになってお待ちください」

 

 父に教えられた通りに問診票を渡し、診察券の処理を行おうとした時、遊子の手元に影が落ちた。

 

「あれ、お父さん?」

 

 まだ声はかけていなかったのに珍しいなと遊子が父親の顔を見上げる。見上げた瞬間、初めて見たかもしれない真摯な顔をした父がそこにはいた。

 けれどもすぐに視線に気がついたのか、いつもの朗らかで温かい表情へと変わって視線を遊子へと向ける。

 

「遊子、それは処理しなくていいぞ。あの人は父ちゃんの知り合いだから」

「え、でも」

「良いから良いから」

 

 抗議の声を上げかけるが、ぐしぐしと少し乱暴に頭を撫でられ、抗議の声は遮られてしまう。「もぉー、お父さんやめてよぉ」と対抗しているが、その声はどこか楽しげだ。家族との温かな触れ合いがそこにはあった。

 

「それじゃあそういうことで。七花、お前もそれでいいだろ」

「鉄裁にそういうのはちゃんとするようにって言われてるんだけどなぁ」

「病気とかならちゃんと診てやるが、どうせ打ち身か切り傷だろ。ちょうど聞きたいこともあったし、消毒代代わりに話を聞かせてくれ」

「一心がそれで良いなら俺はいいけどな」

「んじゃ診察室に行くか。遊子、ほかの患者さんが来たら気にせず呼んでくれ。父ちゃん、ちょっとこの人と話してるから」

「う、うん。わかった」

 

 なんだろう。妙に落ち着かない。見慣れていた父親のはずなのに、先程の初めて見た表情が妙に心へ残った。言語化できないもやもやとしたものが胸の中にわだかまる。けれども声をかける前に、父と知り合いだという男は診察室に消えてしまった。

 

「お父さん……」

 

 呟かれた遊子の声は迷子の子供のように不安気だった。

 

 

 

 

「あー、まずい時に来たか?」

「そうでもねぇよ。何が悪かったかと言えば俺だろうな。うちの子達は聡いからな。一護のやつが笑顔を取り繕ったって一瞬で察したりするんだぞ」

「惚気なら聞く気はないぞ」

「なんだとぅ。我が子自慢は親の特権なんだぞ。もっと聞け。そしてうちの子達の可愛さを知れ」

 

 途中から、隠しきれないにやつきを浮かべながら話す一心に七花がすぐさま釘をさす。でないと永遠と語り続けると経験から七花は知っていた。

 七花としては幸せそうな家族の話は嫌いではない。それが知り合いの話ならなおのこと。そして黒崎の家の子供となれば、さらにと言える。

 一護もそうだが双子の妹が生まれた時も、七花達は顔を見に来ていた。親戚の子とまでは言わないが、鑢七花という人間にとっては、最も身近に感じる子供と言えるかも知れない。

 少なくとも生前の真咲が、浦原商店へ顔を出したついでに語っていく話はとても楽しく聞いていた。

 

「お前の話し方は鬱陶しい上に面倒くさいからな」

「お前……本当にばっさり言うよな」

「ばっさりいくのが刀だからな。なんてな。姉ちゃんやとがめから見れば人らしくなった(錆びついた)刀が何を言うとでも言われそうだ。本当の俺()だったなら、切る切らない以前に考えもしないからな。そういうのは持ち手が考えることだったから」

「ばっかじゃねぇの」

「お前の方がばっさりいくんじゃないか」

「本当も虚刀もねぇよ。お前はお前で、今ここにいるお前がお前だ。昔のことをあーだこーだ言ったところで意味はないだろ。少なくとも俺はそうだ。過去をやり直せたとしても俺は何度だって真咲に惚れるからな」

「そうか……そうだな」

「お、なんだなんだ。やらしい顔しやがって」

「お前には負けるよ、一心」

「ほらさっさと腕出せ。痛いように消毒してやる」

「ひねくれてんなぁ」

「お前んとこの店主には負けるよ」

 

 ポツポツと男たちの話が続く。十数年の付き合いだ。今更遠慮もありはしない。そこには息子を心配する親と、教え子のことを語る先生が言葉を交わしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 チリンチリンとドアベルが患者の帰宅を告げていた。診察にしては長く、知り合いと語り合うにはいささか短く感じる程度の時間。

 父親と何を話していたのだろうか。受付のカウンターの中から、遊子はもう見えなくなった背中を思っていた。

 

「どうした、遊子。ぼうっとして。疲れたならいつでも休んでいいんだからな」

「あ、ううん、違うの。ただ誰だったんだろうなぁーって。お父さんの……お友達なの?」

「おおっと、遊子。どうして今ちょっといい淀んだのかな? 理由によってはお父さん傷ついちゃうぞ」

 

 効果音にすればきゃぴっだろうか。普通に気色の悪い言動だけれど、遊子も慣れたものだ。ツッコミもコメントもせずにスルーして会話を進める。

 

「お父さんのお友達にしては結構年が離れてそうだなーって」

「酷い! そんなに父さん老けて見えるか!?」

 

 四つん這いでうなだれながら、一心が「ヒゲか。やっぱりヒゲが老けて見えるのか」などとブツブツと言い始めてしまう。想像以上に凹んでいて、遊子としてもちょっとだけ申し訳ない気持ちがわかないでもない。

 

「えっとね、やっぱりそんなに離れてないと思う。ちょっとだよ、ちょっと!」

 

 あちらの方が圧倒的に歳食ってるはずなのに、どうして娘から無自覚な言の刃を打ち込まれなければならないのか。精一杯のフォローがなおのこと心に痛い。

 

「あ、そうだ。お父さん、さっきの人ってなんの人なの? 目元に十字の傷とかあったし、何があったらああいう怪我の跡が残るのかな?」

 

 父親に傍で這いつくばられ続けるのは、どう言い繕ってもかなり辛い。わずかでも興味にかするせ目先のことを変えなければと、とりあえずと質問を投げつける。

 それに思うところがあったのか、流石に娘の心情を察してか一心も這いつくばるのをやめた。

 

「あー、遊子は覚えてないか」

 

 何かしらの返答があるのはわかっていたが、覚えていないという返答は予想外だった。

 

「え、私も会ったことあるの?」

 

 あの言い回しから考えると、自分にも面識があったらしい。ぱっと思い当たる人はいなかった。

 

「あの人な、一護が行ってた空手道場の先生の一人なんだよ」

「一兄の? …………あ」

 

 明快な反応だった。

 

「思い出したか」

「うん。たまに道場で頭に黒いにゃんこ乗せてた人だ。そっか……なんだかもっと大きな人だったような気がしたんだけどな。ううん、でも確かににゃんこの先生だ」

 

 しみじみと得心がいったと呟く娘の姿に、一心は感慨深さを覚えていた。

 

「それはきっと、遊子があの頃より大きくなったからだろうな」

 

 ぽんぽんと撫でた頭は、また少し前より大きくなっているような気がした。どんどん子供達は大きくなっていく。そんな当たり前のことがどうしようもないほどに幸せだった。

 撫でられる手に身を任せていた柚子だが、不意に「あっ」と不安げな声を上げた。

 

「どうかしたのか、遊子」

「えっとね。にゃんこの先生、にゃんこさん連れてなかったけどどうかしちゃったのかなって」

 

 その瞳は寂しそうに揺れていた。あの頃の遊子も夏梨も、母親と一緒に一護の迎えにいくこともあった。だからだろう。母親が絡んでいる思い出に、死の気配を感じてしまい感傷的になってしまっている。

 ほんの少しだけ、先ほどより力強く頭を撫でる。

 

「心配いらないぞ、遊子。知り合いの旅行について行ってるって言ってたからな。あと何日かしたら帰ってくるらしいぞ。もしかしたら一護のやつが帰ってくる頃には、あの人のところにも帰ってくるんじゃないかな」

「そっか。一兄もにゃんこさんも早く帰って来たらいいね」

「そうだな。だからそんな心配そうな顔しなくていいんだぞ。もしにゃんこの手触りを恋しく思っているのなら、父ちゃんの頭を撫でさせてやろう。意外といい毛並みをしてるぞ!」

「えぇー、チクチクしそうだからやだ」

「んんー、遊子のいけずぅ」

「はいはい。恥ずかしいからお父さんは早く診察室でお仕事してて!!」

 

 娘に背中を押されながら、幸せそうに笑う父親の姿がそこにはあった。

 そんな何気ない日々が現世では過ぎていく。

 そして正史、もしくは刀集めのように誰かが物語として記したのであれば、尸魂界編とでも呼ばれるであろう騒乱が尸魂界で終着した。

 その結末は、何一つ本来の歴史から逸れることはなかった。

 



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10

「時間合ってるのか?」

「尸魂界からの地獄蝶によれば大体あってると思うんスけどね」

「そうか」

 

 人も寝静まる夜の空座町。民家の屋根を足場に、浦原商店の面々が雁首揃えて空を見上げている。

 無論、尸魂界で健闘してきた者達を迎えるために待っているのだ。ジン太が文句を垂れ、雨がそれを諌めて手痛い仕返しを受け、鉄裁がそれを止める。

 七花と喜助は、その輪に入ることなく空を眺めていた。そうしてしばらく、その時がやってきた。

 空に門が開く。穿界門が空中に姿を現わす。門の奥より霊圧が近づいてきていた。

 

「元気そうで何よりっスね」

「そうだな。そろそろ出てくるぞ」

「鉄裁、雨、ジン太。準備してください」

「お任せください、店長」「はい」「しゃあ、かっ飛ばしてやるぜ」

 

 雨が大筒を構える。ちょうどその時、断界から飛び出してきた夜一達が落下を始め、雨が大布を射出し、四人と一匹を絡めとる。

 明後日の方角へ飛んで行こうとする大布の球を、ジン太が打ち返そうとし、鉄裁にもろとも受け止められた。

 

「さてと、僕らも行きましょうか」

 

 喜助が一足お先にと姿をかき消す。七花もあとを追いかけ、その場から姿を消す。

 喜助は鉄裁に追いつくと、大布の球を一瞬で平らに戻した。大布が伸び、魔法の絨毯のように空を飛ぶ。広がった布の上には、浦原商店の面々と尸魂界突入組の姿が揃っていた。

 

「おかえりなさーい、皆さん」

 

 楽しげな口調で喜助が皆を出迎える。突然のことに混乱していた面々は、ようやく事態がひと段落したことを悟る。

 夜一は大布の後方に立っていた七花の肩に飛び乗る。石田、茶渡、井上は周囲を見渡し現在の状況を認識した。そして一護は喜助の声に反応した。

 そこから七花は背景に徹した。理由は単純、友人がそれを望んだからだ。利用したことを謝る。喜助がけじめとして自ら一人で行うと譲らなかった。知りながら看過していたのだ。自らも同罪と七花は考えているが、それでもと喜助は七花を退けた。

 眼前ではひょうきんさを消した喜助がこうべをたれ、謝罪の言葉を口にしている。喜助の姿に一護が言葉を口にして、喜助が答え、さらなる一護の言に対して喜助が応じれば肘が飛んだ。

 小気味のいい快音に、七花の肩に乗っている夜一の尾が楽しげに揺れている。尸魂界へ共に旅立った夜一には、この光景はなんとなく予想ができていたのかもしれない。

 腹が立つと言いながら、ルキアへの謝罪だけを求める昔の教え子の姿に、本当に大きくなったなとじじ臭い感慨が胸へと浮かぶ。巻き込んだ子供に許しを与えられ、情けなさを感じる。けれどあの小さかった子供がなんと成長したことか。そんな驚きと心がほっと温まるような気持ちを懐く。

 

「そこだけ腹立つ」

「まさか肘が来るとは予想外っス」

「それから、ルキアにだけはちゃんと謝ってやってくれ。多分あいつも俺らと同じこと言うだろうけどさ」

 

 自分たちの行いはどう言い繕ったところで、どんな理由があったとしても許されることではなかった。それなのに一護は責めようとしない。謝るなと言う。飲み込んで、抱えて、進もうとしている。

 自分たちよりも遥かに年若い者達を巻き込み、背負わせた。それなのにその咎を許容される。なんとも歯痒く情けないことだろうか。けれども歯痒く思っている姿を、苦悩している姿を見せることはできない。きっとそれをしてしまえば彼らの思いに水を刺すことになる。

 

「はい」

 

 だから喜助が一護へ返せる言葉はそれしかなかった。

 そうしてふわふわと布が空座町の空を飛ぶ。石田が降り、織姫が降り、茶渡も降りた。残るは一護だけ。喜助が進路を一護の自宅へと向ける。

 

「一護、護りたいものは守れたか」

 

 七花が背後から一護に問いかける。答えなんて今までの空気で分かりきっている。けれども、本人の口から聞きたかったのだ。

 

「……鑢先生」

 

 一護は七花の問いになんと答えるか一瞬迷った。ルキアは助けられた。けれども藍染には最後まで翻弄され、一矢さえ報えなかった。完全勝利とは言い難い結果。それ故に一瞬言い淀むが、振り返った七花と視線があった時、自然と心が定まった。

 

「俺は色んな人に助けてもらった。浦原商店のみんなや、チャドに井上に石田。向こうへ行ってからも空鶴さんや岩鷲に花太郎に恋次。他にもいろんな奴に助けてもらって、そんでようやくルキアを助けることができた。きっと誰か一人でもいなかったらルキアは助けられなかった。まあ、全部が全部綺麗に片付いて大団円ってわけにはいかなかったけどさ」

「そうか」

「でも、俺の護りたかったものは全部護れた」

 

 ルキアを助け、仲間達も誰一人として欠けることなく帰ってこれた。だから一護は穏やかに笑った。

 

「お前は……すごいな」

 

 心の底から感嘆している声だった。七花は眩しいものでも見るように一護を見ていた。

 一護は七花の様子にかすかな違和感を覚えた。けれどもその違和感が意識下に浮かぶ前に、眼下にあの場所が見えた。そこは本当の意味で大事な人達を護りたいと強く思うようになった場所。今の一護の原点ともいえる、母を失った河川敷が見え、意識が七花から逸れていく。

 

「悪りぃ、浦原さん。俺はここでいいや」

「え、でも」

「じゃあ。鑢先生と夜一さんも」

 

 手短に締めると、一護は急ぎ足に飛び降りて去ってしまった。

 

「七花、あまりそう自分を卑下するでない」

「そんなつもりはないさ。ただまぁなんていうか……すごいなって思っただけなんだよ」

「そうか」

「じゃあ俺はちょっとリサ達の所に顔だしてくるよ」

「儂は疲れたから喜助達と戻ることにする。あまり遅くなるでないぞ」

「了解」

 

 夜一がぴょんと七花の肩から喜助の隣へと移動する。七花も布から一歩踏み出し、空座町の街へと姿を消した。

 

 

 

 そしてまた歴史は動き出す。新たな歯車を組み込んだ世界はゆっくりと、けれど止まることなく歴史を進めていく。

 一護達が現世へと帰還して幾数日。夏休みは終わり、また新学期が始まったそんな頃。来訪者達は本来の歴史通りに現れた。破面と呼ばれる者達。ヤミーとウルキオラ。招かれざる客が空座町へと現れた。

 

「ついにちょっかいかけにきましたか」

「一護が向かっているがどうする?」

「今の黒崎サンではちょっと危ういですからね。平子さん達ともまだ合流してないんでしょう」

「らしいな」

「夜一さんはどうしますか?」

「無論行くに決まっておろう。置いていくなどと抜かしたら頭を毟るぞ」

「おぉ、おっかない。さてと、それでは行きますか。鉄裁達はあまり近づきすぎないようにしておいてください」

 

 鉄裁達の肯定の返事を受けると、喜助達も一護達がいる山を目指して空座町を駆ける。

 その間にも事態は進んでいく。一護が卍解を行い、そして急速にその霊圧が萎んでいく。

 

「喜助」

「これは少しまずいっすね」

 

 一護達の様子を視界に捉えられる場所まで近づいた。まさに決定的瞬間のほんのわずか手前。一護がヤミーに殴り伏せられ、止めの一撃を放たれようとしていた。

 喜助達が加速して、一護とヤミーの間に割り込む。

 

「啼け、紅姫」

 

 喜助が作り出す血霞の盾がヤミーの拳を受け止め、激突時の衝撃波が辺りに砂塵を巻き上げる。風が砂塵を晴らした時、喜助達三人が倒れふす一護達の前に立っていた。

 

「遅くなっちゃってすいませーん。黒崎サン」

 

 喜助が普段の不真面目さを滲ませた不敵な態度を取れば、拳を受け止められた破面、ヤミーが激昂したように再度拳を振り上げた。

 だが拳が振り切られる前に夜一が腕を掴み、ヤミーの身体を投げ飛ばす。投げ飛ばされたヤミーに興味はないと、夜一と喜助が一護や井上達の介抱へ向かう。

 七花は動きを見せないウルキオラへと意識を向けていた。ウルキオラもまた、七花へと視線を向けて注視している。両者は互いを見定めたまま動きを見せない。

 両者が注意を向け合う中、投げ飛ばされたヤミーが再び起き上がった。大声を上げながら霊圧を撒き散らす姿は明らかに激発していた。

 ヤミーが怒りのままに、薬を渡した直後の喜助と夜一を狙う。しかし、再度振り下ろされた拳は誰にも当たらず大地を砕き砂を巻き上げる。

 砂煙で視界が切れた刹那、夜一がヤミーの顔を強かに殴りつける。直撃による一瞬の硬直を逃さず、夜一が連撃にてヤミーの意識を刈り取った。

 意識を失ったヤミーは、顔面から大地へと倒れ動きを見せない。そしてそれを認識しているウルキオラは動く様子を見せなかった。微塵の動揺もなく事態を静観している。

 

「っ」

「夜一」

「気にするな」

 

 七花が短くて呼びかけるも、夜一はにべもなく言葉を返す。七花は夜一の返答にそれ以上の言葉を返すことはなかった。夜一と喜助が井上と一護、それぞれの介抱をする。

 ウルキオラが動きを見せない以上、差し迫った問題はないはずだった。霊圧が声高に主張する、怒りに猛る持ち主の激発を。

 

「往生際の悪いやつじゃな」

 

 夜一が鬱陶しげに言葉を吐き捨てる。視線の先では、再びヤミーが巨体を起こしていた。

 

「ぬぁぁぁ!!」

 

 奇声と共にヤミーが大口を開ける。霊圧が高まり、赤い光が口元に収束する。

 

「虚閃か」

 

 夜一が視線を細め、七花は喜助と一瞬視線を交わす。喜助が視線を一護へ戻した。七花はそれを了承すると、夜一達の前へと移動する。

 直後、ヤミーの虚閃が放たれる。迫り来る破壊の暴威に対し、七花は突き技に適した静の構え、鈴蘭の姿勢をとる。

 

「虚刀流、奥義」

 

 繰り出すは鈴蘭の構えから放つ最速の奥義。

 

「鏡花水月」

 

 最速の掌底が虚閃と激突する。霊子を意識的に集められた掌底の霊圧密度は、虚閃を受けてなお抜かれることはない。衝突し、拮抗した衝撃により、虚閃がほどけるように周囲へ拡散する。けれども幾重にも分かたれた赤い閃光が七花の後ろへと流れることはない。

 七花とヤミーの目の前に、大きな溝を作る形で虚閃は全て散らされた。

 

「ぬぁっはっはっはっはっ。ザマァみやがれ、粉々だぜ。俺の虚閃をこの距離で躱せるわけ…………なっ!?」

 

 粉塵の向こうで高らかに勝利宣言を行うヤミー。だがそれも最後まで続かない。ヤミーの目の前では誰一人欠けることなく、全員が健在だったからだ。

 

「なんだテメェ、何しやがった。どうやって虚閃を!!」

「何って弾いたんだよ。当たったら危ないからな」

 

 突き出した掌底を戻しながら油断なく構え直す七花。

 

「なんだと……」

「別に難しいことじゃない。俺は勿論、夜一だってできる。喜助ならもっと器用に相殺したさ」

「それは買いかぶりっスね、七花さん」

 

 どうでしょうかねとでも言いたげな喜助の発言に、何言ってんだかと猫と刀の主従が半眼を一瞬だけ向けた。けれどもすぐさまヤミーへと意識を戻す。

 

「そろそろお引き取り願えないか。こっちも怪我人が心配なんだよ」

「ふざけやがって……この俺を誰だと……」

「お前が誰とか知らないけどさ、ただこっちも元教え子に手を出されて腹が立ってるんだ。一般人の有沢まで巻き込みやがって……これ以上やるってんなら、アンタを八つ裂きにさせてもらう」

 

 七花の瞳が鋭さを増す。それは生前、不忍の面をつけた男と戦った時に近い瞳。枷のない虚刀・鑢が抜き身となる。

 七花が踏み込もうとした瞬間、ウルキオラがヤミーとの間に割って入った。

 

「ウルキオラ」

 

 ヤミーの声には喜色の感情が混ざっていた。それはウルキオラの戦闘力に対する信頼か、同行者がやる気になったと思ったゆえか。

 

「っ、うぉおおっ…………はぁ、はぁ……何しやがる」

 

 だが直後、ヤミーが膝から崩れ落ちる。ウルキオラの裏拳がヤミーの腹を打ち据えたのだ。

 

「こいつらは浦原喜助に四楓院夜一、鑢七花だ。お前のレベルじゃ……そのままでは勝てん」

 

 ウルキオラがヤミーの背後へと歩き出す。

 

「引くぞ」

 

 端的な一言と共に、ウルキオラが虚空を指先で叩く仕草をする。何もない空間に黒の一文字の亀裂が生まれる。一文字の亀裂からは上下にも亀裂が進展し、噛み合わせた歯のような縁取りを作り出すと、口を開くように亀裂が広がる。

 黒腔(ガルガンダ)と呼ばれる空間の穴は、尸魂界や現世と虚の世界である虚圏を繋ぐ回廊の入り口だ。

 

「逃げる気か」

「らしくない挑発だな。貴様らで死に損ないのゴミどもを…………この霊圧は」

 

 ウルキオラが夜一の挑発に対して開いていた口をつぐみ、背後を振り返る。ウルキオラの背後には昏い穴が広がっている。

 

「あぁ、出口はそこだったんですね。閉じてしまった時はどうしようかと困っていたんですが」

 

 女の声が穴の奥より響いてきた。ウルキオラとヤミーの反応は劇的だった。そしてそれは二人だけではおさまらない。もう一人、この声を知っている者がいる。

 

「夜一、喜助……姉ちゃんが、来る」

 

 こつん、こつんと軽い足音が嫌に響いて聞こえる。これだけの人数がいて、誰一人として音を立てない。だから余計にほんとうに軽い足音はよく響いた。

 猛獣の前で自分の存在を悟られないよう息を殺すように、皆が皆息を潜め声を発さない。異様な周囲の雰囲気にのまれ、まだ辛うじて意識のある一護や井上も自然と穴の向こうを注視していた。

 

「あら、皆様揃ってそんなに注目してどうかしましたか? 何か面白いことでもありましたか?」

 

 小柄な女だった。破面達が着ているような白い衣装でなく、死神達が着ているような黒い装束でもなく。紺と濃淡二色の紫で彩られた着物を着た小さな女が現れた。身長、百五十にも満たない小さな女性だった。

 仮面の名残もなく、斬魄刀も帯びてはいない。普通の女性に見える。異常のない女性に見える。ただ一つ、胸元にぽっかりと空いた穴を除けば、その見た目は人間の女性そのものだった。

 現れた女は周囲を見渡し、そして探し人を見つけた。

 

「あぁ、七花……ようやく見つけたわ」

 

 女は、鑢七実は笑う。邪悪に笑う。

 




姉ちゃん!!


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11

多分皆さんの想像よりだいぶ大人しめな姉ちゃん回ですね


「どういうつもりだ、鑢七実。お前は虚夜宮にあるお前用の離宮で大人しくしていると藍染様と約定を結んでいたはずだ」

「あら、あなたは確か……誰だったかしら。まにわにみたいに十人だったか、十二人だったかのくくりにいた人、だったかしら?」

 

 七実が現れた直後、最初に動いた者はもっとも近くにいたウルキオラだ。口から出た言葉は糾弾混じりのものであった。

 

十刃(エスパーダ)のウルキオラだ。俺の問いに答えろ、鑢七実」

「そうそう、十刃。一人一人を一本に例えているけれど、私から見れば誰も彼もが自己が強すぎて、刀としては不適格なのよね。そういう意味では、貴方だけは刀らしいと言えるのかもしれないけれど。なんて言ってみるけど、実は貴方達のことはほとんど知らないのですよね」

「そんな話はどうでもいい。もう一度聞く。何故ここにいる、鑢七実」

「ここにいる理由? 貴方達が現世へ行くと小耳に挟んだからついて来ただけ。なんだかんだと現世にも尸魂界とやらにも、私は一度としてまともに出向いたことがなかったのよね。一度くらいは自分の目で、直接見ておこうかしらという物見遊山よ。それに約定といっても絶対に出るなと言う強制力があるものでなし、私の散歩は許されていたと記憶しているのだけれど?」

「たしかにお前の外出は許されている。十刃の誰かが付き添いにつくという形で、だがな。付き添いはどうした」

 

 ウルキオラの問いに対し、七実は口角を吊り上げ笑う。嘲笑う。

 

「随分と足が遅いようでしたので、置いてきてしまいました。今頃私を探しているかもしれないですね」

 

 ウルキオラは七実の言葉にわずかに顔をしかめた。十刃が一人欠けるという事態にならなかったのは幸いだ。だが、七花と鉢合わせてしまったのは非常にまずい。

 仮に七実がここで目的を達してしまえば、もはやこの怪物を縛る物が何一つなくなってしまうことを意味している。そうなれば自らの主である藍染にとっては大きな障害となり得る。

 

(場合によっては最悪、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ウルキオラは即座に最悪を見据え、自身がどう立ち回るべきかを思案する。

 

「それでどいてくださるかしら? 貴方のせいで弟が隠れてしまっているのだけれど」

「……そうか」

 

 わずかな逡巡の後、ウルキオラは静かに七実の前から退いた。七実の視線が再び周囲を見渡せるように開かれる。

 傍らで成り行きを見守っていたヤミーの側へと、七実から距離を取るようにウルキオラは移動する。近づいてきたウルキオラにヤミーは珍しく声を潜めて問いかけた。

 

「おいウルキオラ、良いのか」

「何がだ」

「アレに好き勝手させることに決まってんだろ」

「ここに来てしまった以上どうにもならん。俺達は鑢七実の前での戦闘行為を禁止されている。これでは実力行使も出来はすまい」

「ちっ、めんどくせぇ。なんだって藍染様はそんな命令を絶対遵守しろなんて決めたんだか。まるで分からねぇ」

「そうか、お前は聞かされていないのか。ならよく見ておくと良い。藍染様がこの世界における唯一の異常分子と判断した女だ」

 

 危険ではなく異常。それは七実という存在に当てはめる言葉としては、少なくない真実を含んでいた。それだけではない。だが、それも確かに当てはまる。

 

「ふふ、死んでからも七花に会えるなんて不思議ね。本当に良い夢を見ているみたい。あぁ、でも七花からしたら悪い夢かしら」

「姉ちゃん……」

 

 姉の振る舞いがあまりにも普通すぎて、七花は言葉を探しあぐねていた。姉の態度があまりに普通で、困惑してしまう。姉の最期の言葉が頭を過ぎ去る。けれどもそれを微塵も感じさせない。それが酷くいびつに思えて、言葉が見つけられない。

 

「姉ちゃんは……恨んでるんじゃないのか」

「恨む? 何を恨むというの」

「俺が姉ちゃんを殺したことを」

「変なことを言う子ね。そんなことで七花を恨んだりしないわよ」

「でも姉ちゃんは、あの時確かに言った筈だ」

 

 七花の言葉に、七実は記憶を思い返すようにほんのわずかに思案する。そのなんでもない仕草が、島での暮らしを思い起こさせる。記憶の中の姉と何も変わらない、鑢七実がそこにいた。

 

「そうだったかしら。私はよくぞと言ったような気がするけれど。噛んじゃったかしら」

「噛んじゃったって姉ちゃん、それは流石にあんまりじゃないか……」

「まぁ、どちらでも構わないのじゃないかしら。よくぞにしろ。よくもにしろ。そんなこと、ずっと昔の話で今こうして二人してここにいる。そちらの方がよっぽど前向きじゃないかしら」

 

 どちらでも構わない。昔のことだからもはや考えても仕方ないのか。もしくは文字通りどちらでも構わない、つまりは両方ともが本心であるのか。もしくは別の理由か。七実が答えない以上、それは誰にも分からない。

 

「それにしても」

 

 七実が話を変えるように言葉を切り出す。けれどもすぐには続きを話さず、ため息を一つ吐く。その様は妙に艶めかしく、憂いた雰囲気はとても似合っていた。

 

「生きていた頃もとい、死んでいっていた頃は早く死にたいなんて考えていたけれど、死んでもこうして自己として在り続けるのなら、人生に意味なんてあったのかしら。七花も、父さんも、とがめさんも、まにわにも、そして私も、何のために生きて殺して死んだのかしら。七花はどう思う?」

「そんなの俺に言われたってわからねぇよ。俺は姉ちゃんみたいに頭が良くないの知ってるだろ。けど意味なんて考えたって仕方なくないか。生きてるうちに、死んだ後のことを考えたって仕方ない。なら死んだ後に、生きていた頃のことを考えたって仕方ないだろ。後悔だってそりゃ沢山あるけど、それで今が何か変わるわけじゃない。少なくとも生きてた時の俺は精一杯生きていたし、死んだ後の今だって精一杯死んでいるさ」

 

 七花の返答に七実は笑みを浮かべた。それは嘲笑うような笑みではなく、ほんのりと口角を釣り上げる程度の笑みだが、確かに笑っていた。

 

「昨日よりも明日を……随分と人らしくなったわね、七花」

 

 自らとの死合いの後に、七花がどのような人生を辿ったのか少しだけ気になった。どんな経験をした結果、刀としての七花は折れてしまったのか。まだあの時は刀としては研がれていた。切れ味に不満はあったが、虚刀流の当主として不安はなかった。

 

「そう感じるならきっとそれは姉ちゃんのおかげだと思う。俺はあの時に刀としては折れたんだと思う」

「そう……そうなのね」

 

 今の鑢七花という人間を構成している要素として、自らがとても大きな部分を占めている。そのことに自分ではやや家族好き気味だと自覚している七実としては、嬉しいと思わないこともなくもないこともない。

 目の前で繰り広げられる鑢姉弟のやりとりに、ほんの少しだけ喜助や夜一達は緊張の糸を緩めていた。人となりは聞いていた。だからその通りといえば聞いた通りであった。

 けれども印象としては、戦闘能力と人を雑草のように刈り取る人間性にこそ意識を奪われがちで、初対面ではどうしても警戒心が先立ってしまう。

 無論、警戒を完全に解いたわけではないが、どこかゆるい雰囲気を携えた七実を見ていると、話をする余地があるのではないかとも思えてしまう。

 夜一としては、姉弟で殺し合いなど、しないのであればそれに越したことはない。喜助としては、話し合いで一つの懸念事項が取り除かれるならそれに越したことはない。静観していた二人も、別段相談したわけでもないが、似たような結論に達していた。

 言葉はいらない。目配せをし、喜助が譲る姿勢を見せた。ならばと夜一は動きを見せる。

 

「井上、少し離れるが許せ」

「あの人……鑢さんの」

「どうにもそうらしいの。儂も挨拶せねばならんのだ」

 

 夜一は、井上を安心させるように軽く笑って見せる。井上はなんとなくさみしく感じる夜一の笑顔に言葉が詰まってしまい、離れていく夜一をただ見送ることしかできなかった。

 

「夜一か。無茶はするなよ」

「安心せい。儂とてそのくらいはわきまえておる」

 

 近づいてきた夜一の気配を知覚した七花が諌めるように言えば、夜一は手を適当にぷらぷら振って問題ないとアピールして見せる。

 

「あら、あなたは誰かしら?」

「挨拶が遅れたの。儂は言うなれば七花の今の持ち主と言ったところじゃな。四楓院夜一という」

「そう」

 

 ほんのりと周囲の温度が落ちたような錯覚。七実の瞳が観察でもしているのか、夜一の姿を下から上まで見聞していく。瞳も表情も完全に無機質なものだった。

 

「また……」

 

 ぽつり。七実が言葉を発して、わずかな間が生まれる。

 

「髪の長い女なのね。本当に、本当にそういうところ、父さんに似て不愉快だわ」

 

 夜一としてはなんというか、不興を買うとは思っていたが、予想外の切り口からだった。

 七花としては、とがめの髪を切られた時にも似たようなことを言われたなと思い出していた。強いていうのであれば、初対面だった時の夜一は確か短髪なので今回の件に関しては濡れ衣だと思っている。

 

「姉ちゃん、夜一と初めてあった時は短髪だったぞ」

 

 というか言った。

 

「あら、そうなの? だったら濡れ衣ということになるのかしら」

 

 頬に手を当て、困ってしまったと仕草で示しながら七実も応じた。つい先ほど発せられたばかりの、不穏な気配が一瞬で霧散した。

 鑢姉弟に挟まれた夜一としては、温度差で風邪を引きそうだ。この二人独特の家族の空気感にイマイチついていけない。

 

「ふぅん……じゃあ七花が髪を伸ばすように言ったのかしら」

「俺は特にそういうことは言ってないな。それに姉ちゃんが勘ぐりたいだろうことだけど、夜一の相手はそこの喜助だかいってっ! いきなり蹴るなよ」

「お主がアホなことを抜かすからじゃ」

 

 なんだろうか。なんだろうな。このままなぁなぁで済ませていい塩梅のところに着地しないだろうか。喜助としては目の前の光景に、儚い希望だと薄々感づいてはいるがそう願ってやまない。

 

「じゃあ、そういうことなのね」

 

 七実の視線の先には七花の腰元に付いている白い一房の髪。見覚えのある白だった。

 

「私と七花がいるならあの奇策師もどこかにいるのかしら」

「姉ちゃん」

「あら、そんなに怖い顔をしてどうしたのかしら」

 

 いつまでも、死後までも、七花に思われている女が不快だった。父に対して血の繋がりがなければ自由恋愛だったのにとか、弟と血が繋がってなければよかったのにとか思う程度には、七実はやや家族に執着していた。

 

「見つけたら今度こそ毟ってしまおうかしら」

「冗談でも許されないぞ、姉ちゃん」

「私が冗談を言うと思うのかしら、七花は?」

 

 急速に場の空気が悪くなる、二度目だが。生前は闘志、とでも言うようなもののぶつかり合いが、今は霊圧のぶつかり合いとして達人でなくとも知覚できる形で表れる。

 

「私としてはせっかくの二度目の人生……霊生? なのだから昔みたいに七花と二人、慎ましやかに暮らせたらなと考えていたのだけれど……ちょうど向こうもあの時の島みたいに殺風景で味気ない場所だったし。でも七花からしたらそれはお断りかしら」

「二人だけってところは無理だけど、昔みたいに一緒に暮らしたいっていうなら俺だってそうだ。姉ちゃんがそれでもいいって言うなら喜助に頼んでなんとかしてもらう」

「そう、それも良いわね。いえ、悪いのかしら。でも私から言っておいてごめんなさいね、七花」

 

 七実の答えは否だった。七花としては可能性としては断られない算段の方が高かった。けれども結果は否定だった。

 

「もしとがめが居たとしたら殺すし、夜一や喜助も邪魔って事か」

「いいえ、いいえ。違うのよ、七花」

 

 拒否の原因と思うことを、念のための確認として問いかけてみるが、再び否定が返ってきた。

 七実の口元が歪む。邪悪に歪む。

 

「どうしてかしら。生きていた頃も今までも、何かを食べたいなんて思ったことは一度もなかったわ。向こうで食事をしている人を見たことがあるけど、食べたいとも思わなかったしお腹も空かなかった。あぁ、お腹が空かないのは、生きていた頃と比べて随分と良いことだったわね。あぁ、違う、そうじゃない」

「姉、ちゃん?」

 

 不穏さが増していく。喜助はすでに一護、茶渡、井上、有沢を一箇所に纏めている。何かあればすぐにでも逃がせるようにと。最悪本気で放り投げて、こちらを確認できる位置で待機している鉄裁に回収してもらうことさえ視野に入れている。

 多少乱暴で怪我が増えるかもしれないが、巻き込まれるよりはずっと良いはずだ。自分が運ぶことも可能だが、最悪の場合ここに残る必要があると喜助は判断していた。

 

「どうしてかしら。最初見た時からずっと」

 

 淡々とした感情の乗っていない声。

 

「私、七花のことを」

 

 けれども不思議と言葉にこもる気持ちが、本気度が伝わってくる。

 

「食べたいと思っているの」

 

 決定的な一言だった。どれだけ人然としていようと。どれだけ人型だろうと。どれだけ生前と変わらず整然と正気であるように見えようと。

 鑢七実は人でなし。鑢七実は虚なのだ。

 

「くっ!」

「七花っ!」

 

 夜一が隣にいた七花の名を叫ぶ。だが、そこに七花はもういない。姿が消えたと認識するほどの速度で、七実が七花を掴みそのまま後方へと接近した速度のままに押し込んでいったのだ。

 霊子を足場に、中空を七花の足が減速をかける。凄まじい速度による摩擦で草履が煙をあげる。

 

「少し揉んであげるわ。会わなかった間の研鑽を、私に見せてみなさい」

「言ってることが無茶苦茶だ!!」

 

 掴まれていた襟首を手刀で払いのけて構えを取る。

 

「まったく……まだ構えなんてとっているのね」

「俺は姉ちゃんとは違うからな」

「今回は私から行こうかしら。上手に受け止めるのよ、七花」

 

 まるで稽古でもつけるかのような前振り。七花が七実の態度に憤りを返そうとするが、七実の行動の方が早かった。

 身体の前に手のひらを持ち上げる。何もない広げられた手のひらに、見慣れた光が収束する。収束した霊圧。先ほども見たそれは紛うことなく虚閃だった。

 

「それ──」

「まずは一発目」

 

 七花の声をかき消し、虚閃が七花へ放たれる。直進した閃光は七花に当たると、軌道を逸らされ雲に穴を開けた。

 閃光が消えた先には、両腕の霊圧密度を高めた七花が再び構えを取っていた。

 

「研がれているわね。それじゃあ次は」

 

 淡々と。けれど少しだけ楽しげに七実がもう片方の手を持ち上げる。

 

「二発同時はどう──」

「啼け、紅姫」

「破道の六十三・雷吼炮」

 

 七実の背後。置き去りにしてきた二人が追いついてきた。

 一護達の霊圧は浦原商店の近くへと移動している。鉄裁が上手くやったようだと、七花はひとまず目先の安堵を得た。

 だがまだ油断できない。目の前には姉。先ほどの山には破面が二人残っている。破面達は動向を見守るつもりか、霊圧に高ぶりはなく、こちらを注視しているように感じられる。手を出してこないというのであれば幸いだ。

 喜助と夜一の斬撃と鬼道が七実目掛けて飛ぶ。けれどもたどり着く前に、手元にあった二つの虚閃が放たれ相殺される。

 七実の瞳はじっと二人の放った技を見つめていた。

 

「えっと、なんだったかしら。知識としてだけ聞いてはいたのですが……確か斬魄刀と鬼道、だったかしら」

「なんじゃ、藍染のやつは教師の真似事もしとるのか」

「彼は私をとても警戒しているようですので。私へ渡る情報も自身が管理に携わるようにしている徹底度合い。いっそ臆病と言えるほどですが、油断がないとも言い換えられますね」

「へぇ。それはおかしな話っすね。そこまで徹底して監視をしているのに貴女が今ここにいるのはおかしいんじゃありませんか」

 

 喜助の返答に対し、七実は楽しそうに笑った。

 

「そうね。でも彼だって私のことを四六時中、自分で監視できるほど暇ではないようですから。それにいるんじゃないかしら。私のことを精確に知らず、けれども特別扱いされている私の力を見てみたいという輩が」

「なるほど。どうにも七花さんを連れてきた僕らの間が悪かったって事っすかね」

「私からすれば間が良かったというところかしら。さて、それじゃあもう一度見せてくれるかしら。貴方達の弱さ(わざ)を」

「何度も何度もバカスカと」

「紅姫!!」

 

 夜一は、自身へ向かってきた虚閃を瞬歩で避けて距離を取る。喜助は先ほどの焼き回しのように迎撃を行った。

 一条ははるかかなたへと消え去り、一条は相殺されて消え去った。

 

「あら、あなたは見せてくれないのかしら」

「詠唱破棄した鬼道で相殺なんぞ出来るか。そういうのは儂の専門外じゃ」

「そうですか。それは残念ですね」

 

 何を考えているのか、読み取れない瞳の七実が落胆を言葉で示す。

 

「えっと、こうかしら」

 

 何かを確かめるように七実が動く。くるりと振り返り、今背後から強襲を仕掛けようとした七花へ向けて、七実が手刀を袈裟懸ける。

 

「啼け」

 

 届きもしない距離でのまさに空振り。だが、軌跡をなぞるように赤い斬撃が染み出し飛翔する。それは先ほどの喜助が放った斬魄刀を用いた技だ。

 七花はとっさに放とうとしていた技で、飛んできた剃刀紅姫の側面を打ち砕き事なきを得る。

 

「いやはや、まさか本当にできるんすね。半信半疑だったんですが、そこまで綺麗に真似られちゃあ脱帽としか言いようがないっすよ」

「逆に聞きますけど、どうして真似できないと思ったのかしら。だって刀を使って使う技なのだから、(わたし)が出来ない理由は無いのでは?」

「斬魄刀って普通の刀じゃないんすけどね」

「なら少し真面目に答えましょうか?」

「…………」

 

 何なんだろうか。前触れがなくもなかったが、ほとんどいきなり襲いかかってきて、その脅威を存分に見せつけてくるというのにどうにも空気が緩い。

 本当に七花を害する気があるのだろうかと疑問も浮かぶが、少なくとも虚閃の威力は本物だった。どうにもちぐはぐな印象を受ける。戦っているという緊迫感を相手から感じられない。まるで戦っているのに相手になっていないようではないか。

 

「斬魄刀、と言いましたか。言ってしまえばそれって本人の適性を読み取って、その適性を外部へ出力するための最適な補助具としての形をとる刀ですよね。持ち手の個々人に合わせて作られた完成形変体刀とでも言うのでしょうか。だからそうですね。結局は霊力を使って事象を起こしているのですから、霊力を扱える私が霊力を扱って同じことができないわけないと思いませんか」

「理屈の上では確かにそうではあるんすけどね。それは机上の空論ってやつだと僕としては思うわけなんすよ」

「ではもう少し出来そうな表現へと砕いてみましょうか。技は歩くと言う行為そのもの。斬魄刀は歩行器もしくは松葉杖。出来る人なら松葉杖が無くとも歩くことは可能だと思いませんか?」

「その出来る人ってのは天才なんて枠には収まらないでしょうね」

 

 天才では収まらない。正鵠を得ている。神が一億の死病を患わせてでも殺そうとした天災。世界さえ危険視する災害。天が危惧する災厄。鑢七実とはそういう存在だ。

 

「これは本当に……どうしたもんすかね」

 

 想定よりも遥か上をいく危険性。想像以上に異常である。喜助は七実に対しての想定を、対応を自身の中で再構築を始めていく。

 戦えば戦うほど厄介さを増していく七実の性質は、あまりに危険と言える。七花より、全力を出さないために相手の弱さを纏うと聞いていた。七実にとっては得られるものは新たな弱さかもしれない。例えそうだとしても敵対するこちら側としては、七実の手札が、状況に対応するための手段が際限なく増えて行ってしまうことと同義。

 一目見せることでこちらを詰ませる藍染の鏡花水月。

 一目見ることでこちらを詰めてくる七実の見稽古。

 どちらも最悪と言える性能を有している。

 

(大負けを仕切り直したところだと考えていましたが……この人だけで天秤を傾けるには十分すぎる)

 

 どうしたものか。喜助が頭を悩ませている間に、また新たな侵入者が現れる。七実を中心に三角形を作るように七花達は立ち位置を取っている。

 侵入者は中心地点に陣取っている七実の横から現れた。黒腔の亀裂が走り、穴が開く。

 

「あんまおいたしたらアカンで、七実ちゃん。藍染隊長が心配してはるわ」

 

 糸のように細い目をした男。尸魂界を裏切った隊長格の一人、市丸ギンが姿を現わす。

 

「あら、あなたはギンさん」

「お迎えに来たで。さ、帰ろか七実ちゃん」

 

 七実がギンを見上げる。浮かべる表情は無機質で平坦なもの。敵意も害意も叛意もない。相手に対してさしたる感情を持ち合わせていない。

 

「どうしてかしら。七花を見つけた以上、貴方達にもう用は無いのだけれど」

「あかんなぁ。それを言われたらボクとしてもそうやね、としか言いようがないんやけど……せやけど連れ戻すよう言われてんねや」

「意見が分かれてしまいましたね」

「せやねぇ」

 

 じっと七実がギンを見つめる。しかし、観察する視線を前にしてもギンは動きを見せない。斬魄刀に手さえかけようとしない。

 

「あんまわがまま言ってボクを困らせんといてよ、七実ちゃん。わざわざボク以外も一緒に迎えに来てるんやから」

「えぇ、存じております。穴の向こうにあと二人ほど待機していらっしゃいますね」

「……怖い人や」

「それで? 三人程度で私をどうにか出来ると」

「ボクは小心者やから、そんな驕ってへんわ。ボクとその二人。あとはあそこにいるウルキオラにヤミー」

 

 ギンが指で指し示すとウルキオラとヤミーがギンの傍に姿を現した。

 

「五人、ですか」

「違うで七実ちゃん。後はそこの三人も加えて八人や。それだけの人数を相手するとなると、流石の七実ちゃんも()()()()やろ」

 

 七実の瞳がほんのわずかだけ細められる。瞬きほどのわずかな時間の沈黙。七実がため息を吐き出した。憂いを帯びたため息だった。

 

「仕方ないですね。ここはあちらよりも呼吸もし辛いようですし、不本意ですが私が譲るべきなのでしょうね」

「いやぁ、七実ちゃんが賢い人で助かったわ」

 

 白々しくのたまうギンに、七実の半眼が向けられるが気にした様子はない。七実もギンのありように無駄を悟ったのかため息をもう一つ吐くと、七花達へ向き直る。

 

「そういうわけで今回はおいとましたいと思います」

 

 ぺこりと礼儀正しく、淑女らしく綺麗な一礼を見せる。

 

「それに考えてみたらちょうど良いのかも知れないものね。いえ、悪いのかしら。ともかく、私にも少し考えてみたいことが出来たので、一旦仕切り直しとしましょうか」

「考えたいこと?」

「そうよ、七花。貴方を食べたいと思っているのは本心よ。いえ、本能かしら? なんにせよそのことについて、今の衝動のままより一旦考えてみようかと思うの。貴方を食べるか食べないか。貴方と暮らすか食べるか。私がどうしたいのか、どうするべきか。少しだけ考えてみようと思うの」

 

 だからねと七実が続ける、邪悪な笑みを浮かべながら。

 

「草のように毟るのでなく、花のように散らされるのでもなく、果実のように摘み取られたくなければ精進することね、七花」

 

 それでは皆様と今度は七花だけでなく夜一達も含める。

 

「どうぞそれまでよしなにお過ごしください」

 

 その言葉を最後に、七実達は現世から去っていった。

 




一護はどんな気持ちでこの姉弟の会話聞いてたんやろな


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