555EDITIØN『 PARADISE・BLOOD 』 (明暮10番)
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継がれなき

 明滅する、赤、紅、緋。

 その紅い光に照らされた天井には、電子ケーブルが夥しいほど絡み合い、埋め尽くされていた。

 

 他の管を押し退け合い、絡まっては離れ、餌を求める魚のように部屋の中央へ中央へと向かう。

 張り巡らされたケーブルが収束する中央。天井のそれらは一点に集まり、垂れ下がる。まるで幹と枝、電子ケーブルの集合体が大木となっていた。

 

 

 ケーブルの最終目的地は、丸い透明のケースの中。血のように赤い液体に満ちたそのケースの中へ、分厚いケーブルの束が集められていた。

 

 

 液体の中に浸されていたのは、ベルト形の機械。

 ケーブルは、その機械と結合されていた。

 

 同時に、部屋を染める紅い光も、機械から放出されている。血管のように巡らされたライトケーブルより発せられ、液体の通過し、揺らめく蝋燭のような妖しい明かりで暗闇を払った。

 

 

 機械の周りには、防護服に身を包んだ科学者たちが、手元の電子パッドと記録表を持って見守っていた。

 目覚めを待つかのように、王の謁見を待つかのように。

 

 

 

 

 

 

「進捗は?」

 

「順調です」

 

 

 その部屋を、ガラス一枚を超えた先で俯瞰する男が一人。

 感情を伺えさせない冷えた目に、逆に期待を伺えさせる微かに上がった口角。目鼻立ちの整った、有能そうな顔立ちの、高級スーツの男。

 左胸のポケットからは、シルクのハンカチが顔を出していた。

 

 

 

 

「……まさに、『上の上』……それ以上だ」

 

 

 両手を組ませ、賛美を送る。

 

 

 

「このプロジェクトは我が社のみならず、この世界の均衡すら変える。『人間と魔族』、それら互いの生存競争すら出し抜ける」

 

「既に最終フェイズです。『眠り姫』の状態も、安定しています」

 

「ついに我々が、世界の覇権を握る時……フフフ」

 

 

 不敵な笑みを浮かべる男。

 

 だが、その愉悦に水を差す事態が発生する。

 緊急事態は、男のスマートフォンから報告された。

 

 

「私だ」

 

 

 話を聞いた途端、男の顔が歪む。

 

 

「なに?……何とか引き止めろ」

 

 

 スマートフォンをしまった男には、先ほどまで伺えていた余裕が無くなっていた。

 

 

「……何処で嗅ぎ付けた」

 

 

 代わりに焦燥が現れる。

 男の合図を受け、助手が手元の機器を操作すると、紅い部屋を望ませていた窓がホログラムを纏わせ消失した。

 

 

 

 消失した窓の場所には、『SMART BRAIN』のロゴが大きく貼り出されている、ただの壁が残った。

 

 

「招かれざる客が来たらしい。私が直々に会って来る」

 

 

 踵を返し、部屋から出ようとした彼だったが、振り向いた目線の先にいた人物を見て顔を引きつらせた。

 

 

 

 

 

「面倒が省けて良かったろう。『村上峡児』社長」

 

 

 扉を開け放ち、舌足らずな宣告をする、黒服を着た二人の男を引き連れた人影。

 だが驚いた事に、上司と思われるその人影は、年端も行かない少女だった。

 

 

 そのビジュアルに混乱するよりも、村上は少女の正体を知っていた。知っていた事により、溜め息が出そうだった。

 

 

「……『特区警察局』の『国家攻魔官』様方が、どう言った御用件で?」

 

「しらばっくれるな。貴様らの動向は既に掴んである」

 

 

 少女は一歩一歩、村上の方へ近付く。威圧と敵意に満ちた目で睨み付けながら。

 

 

 

 

「『焔光の夜伯(カレイド・ブラッド)』は何処だ?」

 

「………………」

 

「……いや。『第四真祖』の方が一般的か」

 

 

 忌々しげに村上は一瞬目を逸らし、憎悪が表出した顔を隠した。

 

 

「…………第四真祖ですか。確か、世界最強の吸血鬼でしたね。しかし、国家攻魔官とあろうお方が、そんな眉唾物を信じて我が社に踏み入る……正気とは思えませんが?」

 

「さっきも言ったハズだが? 動向は掴んである……隠すには大き過ぎるんだよ、この会社は」

 

 

 少女はどんどんと、村上に近づいて行く。

 

 

「情報は全て提供しろ。貴様、魔族でも魔術師でもないだろ。私が指を振るだけで、貴様の人生を終わらせる事も出来る」

 

「……一般人を殺すつもりですか?」

 

「一般ぶるんじゃない、人面獣心が。喋る気がないなら社員全員を拘束し、勝手に捜索するまで」

 

「……仕方がない」

 

 

 村上は諦めたように、眉を寄せた。それに合わせ、少女も止まる。

 

 

「諦めが早いな。何か、手でもあるのか?」

 

「いえ。貴方がたの面倒を省こうと思いまして。そこまで自信を持って詰められれば、どう弁舌を尽くした所で太刀打ち出来ませんから」

 

「……私は貴様の、その余裕ぶった態度が気に食わないな」

 

 

 

 

 最初のように、口角が上がった。

 

 

「えぇ。そう言う、性格ですから」

 

 

 ニコッと、紳士的な笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

 

 同時に、彼は隣に立ち竦んでいた助手を掴み、恐るべき怪力で放り投げた。

 悲鳴をあげながら少女の方へ飛ばされる助手だが、衝突する前に透明な壁が彼を弾く。

 

 

 だが助手は囮。

 彼に気を取られている一瞬の隙に村上はロゴの方へ飛ぶ。ホログラムを通過して窓を蹴破り、紅い部屋に突入した。

 科学者らのどよめく声と、ガラスが落ちる耳触りな音が響く。

 

 

「この怪力……あの男、魔族でも何でも無かっただろ?」

 

「そ、そのハズですが……!?」

 

 

 大人を片手で掴み、空中に大きく放り投げるなど、普通の人間が出来る訳がない。

 少女は情報と違う事に多少驚いたが、動揺は見せない。感情を切り替え、村上を捕らえようと、出現した窓から自身も飛び出た。

 

 

 高さは十メートルもあったが、彼女にはなんて事ない高さだ。

 傷一つなく着地した少女は村上より目を離さなかった。

 

 

 彼は逃げる事はせず、あろう事か少女を待ち構えていた。

 腰に、あの機械を装着して。

 

 

「……貴様。踏み越えてはならない線を越えたな」

 

「何を言うんですか。線なんかで括らないでいただきたい」

 

 

 彼の手には、前時代的な『ガラパゴスケータイ型』の機械が握られている。

 

 

「世界に、新たな『王権』を確立する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 機械のボタンを四回押す。

 

 

『STANDING BY』

 

 

「人間と魔族がのさばる世界に…………変身」

 

 

『COMPLETE』

 

 

 村上の身体に紅い線が流れ、眩い光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 血を望む者は、予てより血を求めよ。

 求めざるなら、決して血に辿り着けまい。

 深い欲と罪を、最後の血に捧げよ。

 鮮血の記憶が、新たなる『種』を目覚めさせん。

 戦いの意思が、勝利の先の真実を伝える。

 

 

 

 

 一人の青年の、『人間としての戦いの物語』があった。

 だが、物語は終わらない。

 

 

 彼を、世界は戦いに引き戻す。

 

 

 

 この物語は、青年の戦いの世界とは違う。新たなる、戦いの世界。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たっくんは、たっくんだって!」

 

「そのベルトは、今は君が持っている方が都合が良いんだ」

 

「君を信用したい……そう思っている」

 

「十年後も生きていてくださいね」

 

「心配しないで。私が貴方を助けてあげるから」

 

「そして……真の英雄となるのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夢を持つとね、時々すっごく切なくて」

 

「時々すっごく熱くなるんだ」

 

「……だからかな」

 

 

 

 

 目を覚ませ。

 君が君でいる為に。

 君が強くある為に。

 

 

 

 

 open your eyes,for the NEXT faiz.

 

 

 ここから先は、また別の戦争だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………起きて」

 

 

 深淵より、声が響いた。

 

 

「……起きて……ねぇ」

 

 

 幼く、儚い、その風のような声。

 

 

「起きて…………早く」

 

 

 その声が、揺すり起こそうと、何度も呼び掛ける。

 

 

 

 

「…………起きてって……ほら……起きなよ」

 

 

 声は段々と近付いて来た。語気に強さを滲ませつつ。

 

 

 

 

「朝だよ!! ほら! 起きなよ、たっくん!!」

 

 

「うおわぁ!?」

 

 

 シーツを引き剥がされ、滑る形でベッドから転落。冷たいフローリングに、全身をぶつけた。

 

 

「今日からアルバイトなんでしょ。浮浪人のたっくんが、やっと社会貢献出来るんだから」

 

 

 怒りを含んだ抗議の目で、『たっくん』と呼ばれる青年は顔を上げる。

 眼前にいたのは、明るい橙色。それはエプロンと気付き、更に視線を上げると、呆れた顔で彼を見下す少女の顔が見えた。

 

 

「お布団も干すし、たっくんの部屋汚いから掃除するよ。朝ご飯も出来てるから、早く食べちゃってよ、冷めるよ」

 

「……………………」

 

「どうしたの、たっくん? あ、昔から寝起きが悪かったっけ。まだ寝惚けているの?」

 

「……………………」

 

 

 その少女の顔に、見覚えはない。

 

 

 

 

 

「……おめぇ、誰だよ?」

 

 

 

 

 

 

ー PARADISE・BLOOD ー

 

 

 

 

 

 

 

 朝八時のマンションに、喧騒が走る。

 

 

「ちょっとたっくん! 朝ご飯は!?」

 

「いらねぇよ! てかお前誰だよ!? ここ何処なんだよ!」

 

「なに意味分からない事言ってんの! 自分の妹も忘れたのぉ!?」

 

「俺には妹はいねぇよ! 人違いだ人違い!」

 

 

 引き止めようとする少女の腕を振り払い、『たっくん』と呼ばれる男は廊下を疾走し、消えた。

 

 マンションの七階。照り出した太陽が、街に朝を呼び込んでいる。眼下に広がる集合住宅街が、黄金を纏わせているようにも見えた。

 

 夏のような蒸した空気を吸い込みながら、少女はマンションの入り口から駆けて行くたっくんを眺め、溜め息吐く。

 

 

「……ここまで寝起きが悪いとは思わなかった。久々の社会復帰で緊張でもしているのかな。たっくんの馬鹿ぁ!!」

 

 

 可愛らしい悪態が、朝の街に響く。

 

 

 その声を聞きつけたかのように、階下のたっくんは睨み付けた。

 

 

「なんだよここ……真理や啓太郎に連絡しねぇと」

 

 

 彼はポケットを弄るが、携帯電話が出て来ない。

 

 

「……ない。もしかしてあそこに置いて……メンドクセェなぁ!」

 

 

 耐え切れず叫ぶ。

 折れないケータイとは言え、重要な連絡手段だ。思えば財布もないし、色々な物を謎の少女の家に置きっぱなしだと気付いた。

 

 

「バイクもねぇし、何もねぇし! 俺は一体何があったんだぁ?」

 

 

 彼の髪は、茶髪混じりのロングヘア。それをガシガシ掻き毟り、自分の立ち位置が何処なのかと辺りを見渡す。

 

 

「俺は確か、草加と一緒に戦ってて…………」

 

 

 記憶を辿ろうとする。

 しかし、思い出そうとした時、自分の思考が霞の中に入っている錯覚が発生。

 

 

「…………草加と、戦って…………」

 

 

 忙しなく動かしていた身体が、ピタリと止む。

 

 

 

 

 

 

「……草加って、誰だ? 真理と啓太郎って、誰だ?」

 

 

 思い出そうと必死に脳を回転させる彼。

 一頻り考え、思考の中に蹲っていたが、やっと何かを思い出したかのように顔を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだ、バイトだ。バイト行かなきゃ!」

 

 

 彼は走る。夏の日差しを身体全体で受けながら、焦燥感を持ってバイト先へ駆け出す。頭の中から、財布も携帯電話も消えていた。

 帰ったら『凪沙』にもっと早く起こせと言うつもりだ。熱い料理を出したら容赦しないぞとも考えた。

 兎に角、今はバイトだ。やっと現れたやる気だ、無駄にしてはならない……いつまで続くか知れないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは『楽園』でもあり、『檻』でもある。しかし、楽園に秩序は必要だ。

 穢れをしまい、出さない、絶対の檻が必要だ。

 楽園は完璧なまでに白く、眩いものでなくてはならない。

 

 

 楽園を目指す者たちは、戦火を掲げ、その火で暖を取る。

 楽園は戦わねばならない。永劫まで、消え去るまで。楽園を失うその日まで。



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忘れられない 1

 早朝の便より乗った飛行機は、目的地まであと百キロを残すだけだった。

 窓際の席、永遠まで続く雲海を眺めていた少女。時折、鬱陶しげに隣の席を一瞥する。

 

 

 隣の席の男はだらしなく足を放り出し、口をパカっと開けながら、頭を少女の席まで乗り出させて眠っていた。

 青いベレー帽を被り、青いジャケットを羽織り、更には青いジーンズ、青いスニーカーと、青尽くしの青年。

 一見して我が強過ぎる人間だと察知させるだろう。

 

 事実、最初の内は何度も注意をしていたが、言っても聞かないので諦めた。憂鬱な表情を浮かべながら、男の頭が邪魔なので、窓際に凭れて雲海を眺める事しか出来なくなった訳だ。

 

 

「……どうして乗り合いなんかに」

 

 

 今の内に人に慣れておけと言うのが、手配者の言い分だ。無責任過ぎる。

 だが、全く手が回っていない訳でもない。自身の荷物は事前に送られし、『重要物』に至っては監視官を黙認させ、搭乗させている。

 通学、通勤に電車を利用する人はコミュニケーション能力が上がると言う話を聞いた事はあるが、今更それを実践しても意味はないと思うが…………と、頭の中で鬱憤が渦巻いていた。

 

 

「……どうして私を……」

 

 

 二日前の事が、記憶として再生される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 京都の某所、深夜の神社に彼女はいた。

 拝殿の中央に座り、御簾が遮る向こう側へと意識を傾けている。

 

 

 篝火のみが照らす中、その御簾の向こうにいる長老らの話に驚嘆していた。

 

 

「……第四真祖が、日本に……!?」

 

「ええ。それも、厄介な形で」

 

 

 長老とは言うが、話をする女性は存外に若い声をしている。

 

 

「厄介な形?」

 

「『スマートブレイン社』はご存知ですか?」

 

 

 何故、スマートブレインの名前が出るのか疑問だ。

 

 

「はい。医療、電子工学、食品にも関わっている、日本を代表する企業です……スマートブレイン社がなにか?」

 

「スマートブレイン社は、武神具の開発や量産化にも着手しています。政府を含め、我々とも協力関係にある、世界有数の企業です」

 

 

 その事も勿論、彼女は知っている。世間で公表すれば驚かれるが、『関係者』たる少女にとっては常識だった。

 

 

「『六式』もスマートブレイン社製でした、良く存じております」

 

「そのスマートブレイン社が、第四真祖を持ち込んだのです」

 

 

 聞いた瞬間、少女の表情には分かりやすい動揺が現れた。

 

 

「スマートブレインが……!?」

 

「詳しい事情は分かりませんが、彼らは第四真祖の『何か』を手に入れていたようです。政府も我々も、純粋な協力者と思っていたばかりに不意を突かれました。……恥ずべき有様です」

 

「しかし、その……発覚しているという事は、既に対応されているのでは? 世界的な企業と言えども、その不祥事が見過ごされているハズはないかと」

 

 

 幻の第四真祖を所持して尚も秘匿し続けていた。何に使うか知れた事ではない。

 それに第四真祖は、「実は持っていました」で「はいそうですか」で済む存在でもない。世界のパワーバランスさえ変えかねない、禁断の存在だ。発覚したならば国内外問わず、全ての関係組織が寄ってたかってスマートブレインに乗り込むハズ。

 

 事件は速攻で解決されるだろう。事後報告を、この場でするには大袈裟過ぎる。

 

 

「確かに攻魔官が送り込まれ、世間へは秘密裏に対処はされました」

 

「なら……」

 

「しかし、『厄介な形』はその時に発覚しました」

 

 

 声に神妙さが付随する。

 

 

 

 

「……第四真祖の『力』のみが奪われ、行方をくらませました」

 

 

 御簾の下より、写真が飛ばされ彼女の前に滑り落ちる。

 

 

「それが真祖の力の保持者、『村上峡児』。ご存知でしょう、スマートブレインの元社長です」

 

 

 写真の人物は、街頭の電子広告で見慣れた社長の顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのさ」

 

「わっ!」

 

 

 突然声をかけられ、少女は身体を跳ね上げる。

 隣の席の男だ。いつの間にか目を覚ましていた。

 

 

「お嬢さん、制服だけどなに? 通学? 最近の学生て、飛行機通学とかするもんなの?」

 

 

 彼女の着ていた服は、綺麗な水色が印象的の可愛らしいセーラー服。

 調査先の学校に編入する手筈となり、そこの制服を着用していた。

 何故、社長を探す為に学校へ通わねばならないのかは、また別の要因になるが。

 

 

「……転居するんです」

 

「『絃神島』に? 頭良いの?」

 

「おじさんには関係ないじゃないですか……」

 

「おじさッ!? 馬鹿! 俺まだ二十六だ!! 失礼な学生だな!」

 

 

 彼女にとって苦手なタイプだ。周りの目を憚らずにテンションだけ高い人間は特に。

 

 

「……ちゅうか、親は? 一人か?」

 

「一人です。親元を離れて」

 

「わっかいのにやるなぁ! そーゆー独立心強い人好きなのよ、俺」

 

 

 中学生相手に口説いているのかと警戒したが、男のぼんやりした目からは好色の念が見て取れない。

 感じからして、姪っ子が遊びに来た時の叔父と言った雰囲気だ。少し興味が湧いた。

 

 

「……貴方は何しに絃神島へ行くんですか?」

 

「俺か? 聞いて驚くなよ? ビッグになる為だ!」

 

 

 聞いた自分が馬鹿だったと呆気に囚われる。

 

 

「お前今、馬鹿に思ったろ!?」

 

「……島へは厳重な入島審査が敷かれています。おいそれと一般人が行ける訳ないじゃないですか」

 

 

 その審査を突破する為に、『絃神市関係者の学生』として絃神島に行く事になった。『上』は他の組織の目に非常に敏感だ。

 

 

「つまり、おじさんにも理由と、それなりの経歴があるって事です」

 

「だからおじさんはやめい!……本当に頭良さそうだな。良いぜい、教えてやるぜい」

 

 

 剽軽な性格だが、不思議と嫌味に思えないのは、彼には『自信と生真面目さ』があったからだ。

 

 

「俺が滞在するのは、ほんの二週間。謂わば! 俺様の力試し……ってか?」

 

「なんではぐらかすんですか……」

 

「グレード上げて教えても良いが、ネタバレには厳しいんもんで。かんこーれい? っての?」

 

「……はぁ」

 

「ほらあ! プロほど多くは語らないって言うじゃん? 俺、プロだし?」

 

「……………………」

 

 

 口では軽いが、人懐っこい笑みと目の奥には純粋な輝きがある。

 本当に彼は何かのプロフェッショナルだと信じられるほど、その輝きは眩い。

 

 

「まっ! お嬢さんが島に行くなら、会う機会はある。そん時はよろしくぅ」

 

「結局、貴方はなんですか……」

 

「んじゃ、もう一眠りする!」

 

 

 そう言って彼はまた、間抜けな顔で眠り出した。

 嵐のような人だなと思いながら、またコテリと乗り出して来た頭を避ける為、窓際に凭れる。

 

 

 

 

 内心では、『電車で通勤通学云々』の話を信じても良いとも感じた。

 少し肩の荷が下りた気がする。

 

 厚い雲が晴れそうになる。それに気がつくと、彼女は窓を閉めた。

 

 

 

 

 

 

 それから一時間もしない内に、飛行機は絃神市の空港に到着した。

 着陸し、上部のライトからアイコンが消灯すると同時に、ベルトを外して通路に渡る。

 アテンダントの案内に従いながら流れるままに行くと、預けた荷物を流すコンベアが見えて来た。

 

 

 しかし、彼女はそこで荷物を待たない。別の出口に行き、待機していた乗務員に名前を言う。

 

 

 

「『姫柊雪菜』です。例の物を」

 

 乗務員が一瞬消えると、ギターケースを持って来た。確かに自分の物だ。

 貴重な品物を、検品中に盗まれるなんて事があってはならない。プライベートコンテナと呼ばれ、検品から荷物の受け渡しまで顔の割れた信用の出来る人物が行う。だから彼女の『荷物』は、黙認された。

 

 

 

 

 ケースを担ぎ、早々に空港を出ようとした。

 

 

「あ、お嬢さんお嬢さん」

 

 

 それを呼び止めたのは、あの男だった。

 大きなキャリーバッグと、少女と同じギターケースを持っている。

 

 

「あら? もしかしてギター? 俺の関係者だったりした?」

 

「……奇遇ですけど、関係はないですよ」

 

「まぁ、確かに指も長いしさ。上手い?」

 

「趣味の範疇です」

 

「いやいやいや! それにしたって荷物それだけですやん?」

 

 

 これ以上追及されては不味い。相手に出来ないと考え、さっさとタクシーを捕まえに行こうとする。

 

 空港前のロータリーに行こうとした時、顔の横にサッと何かが飛び出た。後ろから彼が、チケットを渡した。

 

 

「ペアチケ。絶対見に来い! 上等な席だからな、ラッキーガール!」

 

 

 おずおずと受け取ると、彼はバッグを引きながら鼻歌交じりにロータリーへ消える。

 

 チケットを眺めてみた。

 

 

 

 

 

『クラシックギタリスト海堂直也 ワールドツアー・IN 絃神市』

 

 

 世界的なクラシックギターの奏者、『海堂直也』。

 さっきのちゃらんぽらんな恰好とは打って変わり、ピシッとスーツを着た彼がプリントされている。あの、人懐っこい笑みを浮かべた彼が…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《 PARADISE・BLOOD 》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから! 流石に一時間待たせはおかしいっての!」

 

「うるせーなぁ! 俺じゃなくて料理している奴に言えよ!」

 

「はぁ!? あんた店員じゃん!? 料理以前にその態度は非常識過ぎ!」

 

「おめーがウダウダ言うから言ってんじゃねぇか! てか食い過ぎなんだよ! さっきから何回も何回も頼みやがって! そんだけ食ったら一時間くらいどーでも良いだろ!」

 

「うっわ……マジでムカつく……!」

 

 

 時刻は正午、ランチタイム。

 頼んだ料理が一時間……本人が言うには一時間と四十二分らしいが、それを言ったら店員が不遜な態度を取った。

 怒った客が語気を強めて攻めたら相手も躍起になり、口喧嘩に発展してしまった訳だ。

 

 

「浅葱……威力業務妨害とか言われたら面倒よ。後は店長さんを呼んで……」

 

「あっちが先に突っかかってんだから相殺じゃん相殺! 第一飲食店員の癖に、この不潔な髪が気に食わない!」

 

「髪は関係ねぇーだろ! 身なりで言ったらそっちがバリバリじゃねぇか!」

 

 

 付き添いの少女が仲裁しようとするも、互いにムキになっており、収拾がつかない。

 結局は事態を聞き付けた店長らしき男が現れ、平謝り。

 

 

「も、申し訳ありません! 彼、今日が初出勤でして……ほら、謝って!」

 

「フンッ!」

 

「だから、ほら!」

 

「イッテェ!」

 

 

 後頭部を鷲掴みにし、無理やり彼の頭を下げてやる。

 ギャルっぽい少女は不機嫌そうに腕を組み、どかっと席に座った。

 黙り込んだ彼女の代わりに、付き添いの真面目そうな少女が代弁する。

 

 

「……お騒がせした事は謝罪しますが、この店員さんは問題があります。キチッと処罰を与えてください」

 

「は、はい! 誠に申し訳ありませんでした!」

 

「だから俺はなぁ!」

 

「君は黙ってて!!」

 

 

 

 

 

 

 そんな悶着を起こしたとあり、彼は帰される事となった。

 

 

「やっぱ接客は向いてねぇや。もっと楽な仕事ねぇかなぁ」

 

 

 早々に辞める気持ちで、帰り道。

 巧は全く反省の色を見せず、不貞腐れながら歩いていた。

 

 

「面倒な他人と関わらない仕事……さっさとこの島から出てぇな」

 

 

 

 

 絃神島ないし絃神市は、日本中の有名企業や大学の研究機関が集結する。最早、島丸ごとが巨大な研究所と言っても構わないほどだ。

 ここにいる人間は研究員か、高度な技術を持ったプロフェッショナル、或いはその子どもが殆ど。なので自ずと、「この島での企業就職はエリートに限られる」と言う事態に陥る。

 前述の子どもたちをエリートに育て上げ、それを待ち構えているとも言える。彼にとっては忌々しい話だが、悶着を起こしたあのギャルも何かしらの有名企業社員の娘か、有名学者の娘だろう。

 

 

 

 

 乾巧のような男は、相手にされない。接客業ばかりのアルバイトか、小売業系に就職するしかない訳だ。

 勿論、彼も父親は有名な…………………………

 

 

 

「……やっぱ、なんか違う」

 

 

 父親に母親、そして妹。全員の立ち場を理解しているし、昔の姿も知っている。

 しかし、何故か違和感が生まれる。思い出としてある家族の記憶も、海馬では納得してもそれ以外の脳部位では否定が起こっていた。

 

 

 子どもの頃の出来事が、現実にあった事か夢の世界だったのか思い出せない、あの感覚に似ている。彼の場合は、その感覚が記憶全部を対象としている訳だ。

 

 

「……そもそも『暁』って名字はなんだ? 俺は『乾』のハズ……乾って何処から来た?」

 

 

 自身の名字すら疑うほど、この違和感は異常だった。

 

 

「……俺はなんなんだ?」

 

 

 

 

 路上を歩いていると、向かい側から来た二人組と対面し、互いに立ち止まる。

 

 二人組は若く、見るからに素行の悪そうな男。並列して歩いていた癖に、前から来た人間を譲る気はないらしい。睨み付け、道を外れろと主張する。

 それは巧もそうだった。

 

 

 

「……どけよ。俺が歩いてんだぞ」

 

「あ? お前、誰に口聞いてんのか分かってんのか?」

 

「知らねぇよおめぇなんざ。通行の邪魔なんだよ! 一列に歩け!」

 

 

 バイトでの一件で、彼は苛ついていた。

 それにチャラそうな二人を見ると、言い争ったギャルが脳裏を掠め、怒りが勝る。

 

 

「……なぁ、あんた? 今なら許してやるから謝れよ」

 

 

 片割れがニヤニヤしながら、そう告げる。

 また謝罪してたまるかと、彼も躍起になる。

 

 

 

「なに言ってんだぁ? これに関しては俺は……」

 

 

 すると視線が、彼ら左手に移った。

 二人組は左手に、金属製の腕輪を嵌めていた。

 

 

 

 

 

 この世界には、『人間』と『魔族』の二種がいる。

 人間と魔族は昔から対立した事もあれば、畏怖の対象とした事もある。

 

 

 今も関係自体は変わらないかもしれないが、比較的穏便で平和な物になっている。強大な力を持つ魔族が減り、彼らよりも力が劣る人間が増えた。これにより魔族は人間に数の多さで押し負ける事を恐れ、人間も魔族が決起を起こして全面戦争になる事を恐れている。

 

 現代が選んだ両者の関係は、『不可侵』。人間は人間、魔族は魔族と割り切るべきだとした。

 だが一方で、魔族の減少化も深刻な事態。生き残るには、人間社会に参入しなければと必要を感じ始めた。

 

 

 

 

 絃神島は、そのモデル都市だ。人間と魔族の共存が実現出来る証明としての側面がある。

 

 人間は魔族の研究を行い、魔族は安定な生活を得る。Fifty・Fiftyの関係を、実現していた。

 

 

 

 

 

 しかし、魔族が暴走を起こし、危害を加える事があってはならない。

 彼らが街中で不当に魔力を行使しないよう、腕輪を嵌める義務が課せられる。魔力を使えば、攻魔官がやって来る仕組みだ。その腕輪を、巧の前の二人は嵌めていた。

 

 

 だが攻魔官が来るのは、魔力を使った場合。使わずとも、魔族の物理的な力量は一般人間を凌駕している。

 喧嘩をすればタダで済まない。しかも二人、巧に勝ち目はない。

 

 

 

 

 

 以上の事を、巧は今、思い出した。

 

 

「…………すまんかった」

 

 

 分の悪い事態に、彼は謝罪する。

 しかしそれでも、意地が勝っているのか、太々しい。

 

 

「なんだよその態度! キチッと土下座しろよ!」

 

「は? 土下座?」

 

「ああ。それなら許してやるぜ?」

 

 

 真夏の路上。太陽光に蒸された道は、鉄板のような熱さを持っている。

 そんな場所に土下座するのも、そもそも相手が悪いのに土下座する事も、彼には納得いかなかった。

 

 

 

 

「……誰がするか! してたまるか! 火傷するだろ!」

 

 

 結局、突っかかる。

 魔族と知りながらも強気な態度を取る彼に、二人組は驚嘆三割、怒りが残りだ。

 

 

「てめぇ、もういっぺん確認するが、俺が誰か分かってんだろうな!?」

 

「魔族だか何だか知らねぇし、関係ねぇよ! 悪いのはそっちだろ!!」

 

「言い切ったなお前!?」

 

 

 片方が巧の胸倉を掴む。

 強大な力だ、彼の身体が持ち上がり、踵が浮いた。

 

 

「離せよオイ! 服、破れるだろ!」

 

「服の心配より自分の心配しろよなぁ! ああ!?」

 

「うっせぇコノヤロ! やるか!?」

 

 

 

 

 

 

 

 喧嘩秒読みの所へ、止めに入る人間がいた。

 

 

「あの。失礼します」

 

 

 三人は一切に、そっちを見る。

 会社員風の、スーツの男だった。線は細く、強そうには見えない。

 しかも腕輪を嵌めておらず、巧と同じ人間だった。左手に、アタッシュケースを握っている。

 

 

「なんだ? お前も俺らにぶっ飛ばされてぇのか?」

 

「……おい、あんた! これは俺たちの喧嘩だ! 横槍入れんな!」

 

 

 巧も含め、部外者を跳ね除けようと声をあげた。

 男三人に睨まれ糾弾、しかも弱者と思われている巧さえ拒否するのなら、助けに来た身ならさっさと退散するだろう。

 

 

 

 

「いえ。喧嘩をしに来た訳でもなく、貴方を助けに来た訳でもありません」

 

 

 男は首を振りつつ、ケースを地面に落とす。

 

 

「『コレ』の性能を確かめたい所……ですが、人間の貴方を、『試さねば』なりません」

 

 

 当惑する巧、怪訝な顔をする二人組。それらの反応を楽しみながら、男は不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 

 胸に付けられた、バッチに気が付いた。

『SMART BRAIN』と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方がた全員が、モルモットです。では、実験を始めます」

 

 

 

 

 

 男の顔に、赤黒い模様が表出する。

 模様に驚いている隙に、男の身体が変化を始めた。

 

 身体の内側から盛り上がるように肉体が隆起し、その肉体が固まって行くかのように白く、別の形へと変貌する。

 胸、腹部、頭部、下半身……同じプロセスで隆起と硬化を繰り返し、男の姿は別の存在となる。

 

 

 

 

 燃えるような目が、三人を睨む。口から出た二本の牙は天へと尖り、鋭さを察知させるかのように鈍い輝きを放っていた。

 胴体はまるで中世騎士のような鎧を纏い、足と腕は太く獣の物。だが体色は一切なく、灰白色一色。まるで石像が、意思を持って動いているかのようだ。

 

 

 

 

 突然、現れた怪物。その怪物を見た瞬間、巧の記憶は逆流するかのように廻り始めた。

 だが、延々と思い巡らしていた訳ではない。彼が意識出来るほどではなく、無意識で気付けた程度だ。

 

 

 

 

 

「『オルフェノク』!?」

 

 

 巧はそう叫んだ後、「オルフェノクってなんだ?」と自問自答した。

 この事態には、魔族である二人も動揺したらしく、膠着している。巧の胸倉を掴んだまま。

 

 

 怪物は一歩踏み込んだと思えば、顔面前方部の、豚のような鼻穴から六本の触手を飛ばす。

 

 

「ッ!! 離せ!!」

 

 

 力の緩んだ隙に、巧は魔族の腕から引き抜け、地面に倒れ込んだ。

 さっきまで彼の頭部があった所に、触手は集まっていた。彼を狙っていた訳だ。

 

 

 

「うわっ!? 気持ち悪っ!!」

 

「お、お前、魔族……なのか!?」

 

 

 触手を収納し、怪物は溜め息混じりに続ける。

 

 

 三人は目を疑った。怪物の影の上半身部に、人間の姿の彼が青白いオーラとして浮き出ていたからだ。

 

 

『……人間を取り逃がしてしまうとは、私とした事が』

 

 

 そのオーラが、喋っているようにも見える。

 

 

「お前、腕輪をしてねぇのに!?」

 

『魔族と一緒にしないでください。私はまた、新たなる者です』

 

「わ、訳分かんねぇ事、言いやがって!」

 

『君たちは「コレ」の試験体ですが……良いでしょう。相手を致します』

 

 

 オーラが消失したと同時に、怪物は拳を構え、二人に襲いかかる。

 二人の内、一方が手前に躍り出る。男の身体は服を破き、筋肉が膨れ上がった。

 

 

 

 

 

 腕輪がサイレンを鳴らす。疎ましく思った男は腕輪を剥がして捨てた。

 巧の目の前には灰白色の獣人と、茶色い狼男が対峙している。

 

 辺り一面のスピーカーなら鳴る避難警報を背に、巧は路上に置かれたままのアタッシュケースを、意味深に眺めていた。

 その目には、闘志。




別作品たる仮面ライダークロス作品、『COCODRILO ー ココドゥリーロ ー』もお願いします。


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忘れられない 2

 目を覚ませ。起きなければ、何も出来まい。

 ずっと眠っていても、仕方がないだろう。

 聴き取れ、掴み取れ、読み取れ、感じ取れ。

 

 今日と言う日は、己に嘘を吐く日でもあり、忘れられない日となる。

 彼は彼として、戦わねばなるまい。

 

 

 

 

 だから、目を覚ませ。

 とっくに暁は迎えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 怪物は、獣人の攻撃を身体一つで受け止めた。

 受け止め、無傷のまま殴り返す。

 

 

「うぐっ!?」

 

 

 身長二メートル、怪物より一回り大きな身体は、易々と吹き飛ばされた。

 獣人は空を舞って落下し、ガードレールを破壊しながら着地する。

 

 

「……ちぃっ! なんだこいつはぁ!? 俺を飛ばしやがって!」

 

 

 だが彼は頑丈だ。彼もまた軽傷のまま、立ち上がる。

 その様を見て、怪物は獰猛な見た目に反し、知的に顎を触りながら分析。

 

 

L種完全体(ライカンスロープ)、狼男。感嘆に値する強健さですね』

 

「おい。俺を忘れんじゃねぇ」

 

 

 もう一人の男が立ち塞がる。その目は真紅に染まり、牙が露出していた。

 変貌を遂げた姿を見て、巧は男が何の魔族か理解する。

 

 

「おめぇ、吸血鬼かよ! 吸血鬼がチャラチャラしてんじゃねえ!」

 

「お前の吸血鬼感なんざ知らねぇよ!」

 

 

 巧の持つ吸血鬼感は、貴族的で高貴なイメージだった。詐欺だろこれはと突っ込んだ。

 

 

 ともあれ吸血鬼も、怪物に対し憤怒している。張り倒さねば気が済まない。

 即座に吸血鬼は飛びかかる。少し屈んだだけとは思えない、驚異的な跳躍力だ。

 

 腕を大きく広げ、牙を剥き出しに怪物に迫る。その形相、羽根を広げ獲物を食らわんとする鷹が如く。

 

 

「だぁ! オラァ!!」

 

『ほぉ!』

 

 

 吸血鬼は両拳で一気に殴り付ける。威力は高く、怪物は防御したとは言え二歩、後退りさせられた。

 だが追撃だ。今度は身体を捻り、怪物の頭部を蹴った。

 そのまま、また飛び上がり、街灯のポールへ足をつけたと思えば、再度突撃。今度は腰を軸にし、強力な一撃を胴体に食らわせた。これには怪物も堪らずよろめき、膝を突く。

 

 吸血鬼は取るに足らない相手と判断し、巧の前に戻り余裕の笑みを浮かべた。

 

 

「見た事ねぇ魔族だったが、何て事ねぇなぁ!」

 

「……つえぇな。言っちゃあなんだが、喧嘩しなくて良かったぜ」

 

「はぁ! 土下座する気になったか人間!」

 

 

 すっかり感覚を忘れていたが、今の彼は鉄板のような熱さの路上に座り込んでいた。

 臀部が焼けている事に気付き、大袈裟な動作で立ち上がる。

 

 

「誰がするか! まぁ、攻魔官には掛け合ってやるよ」

 

 

 サイレンはまだ鳴り響いている。魔力を不当に行使した魔族へは、攻魔官による追及が待っている。ただ、巧が証人となれば、軽い謹慎で免れる。

 元を辿れば向こうが悪いが、一応助けて貰っている分には感謝する。

 

 

 

 

 片膝突き、息を整えていた怪物は再びスラッと立ち上がった。吸血鬼と獣人は再び構える。

 

 

『貴方は「D種」でしたか。非常に素晴らしいですね』

 

「よぉ、良いな! もっと称えやがれ!」

 

『えぇ。本当に素晴らしい……これの、「試験体」としてッ!!』

 

 

 怪物は突然、元の人間の姿に戻った……どっちが元かは分からないが。

 逃げるつもりかと思ったが、男はアタッシュケースを開き、中から何かを取り出した。

 

 

 

 金属製の、大型なベルト。前方のバックル部分には横長方形のスペースがあり、右側にはライトのような装置が張り付いている。

 彼はそれを装着し、手に持っていた『折りたたみ式の携帯電話』を見せた。赤いラインの入った、奇抜なデザイン。

 

 

「なんだ携帯か? お仲間でも呼ぶつもりか?」

 

「……おい。さっさとやれよ」

 

「人間が指図するな。俺らにとって、取るに足らねぇ相手だぜ?」

 

「攻魔官が来るんじゃねえか?」

 

「お前が掛け合ってくれるんだろ? なら思う存分やってやんよぉ!」

 

 

 魔族は血気盛んな者が多い。

 一説には、人間は社会の安定を重視した生物であり、攻められない事を考え対人力、想像力の面で発達したらしい。

 対して魔族は古来より生存競争に明け暮れた生物であり、攻める方を考え戦闘力、適応力の面で発達したらしい。

 

 全ての魔族に当て嵌まるかと言われればそれは違うが、生存競争の点は確かであり、本能的に戦闘を望む気質である事は確かだ。

 巧は彼らがイキイキしている様を見て、そう思った。

 

 

 

「……なんで俺、こんな学説知ってんだ?」

 

 

 再び現れた、記憶に対する違和感。

 その違和感は、男が装着したベルトに対しても注がれる。知らないハズなのに、初めて見るハズなのに、あのベルトが『危険』だと分かっていた。挑発する魔族二人に反し、巧は異様な緊張感に苛まれていた。

 

 

 

 

 

 男は携帯電話を開く。ニヤニヤ笑いながら、彼らを見ていた。

 

 

「攻魔官が来るまでに、終わらせますよ。貴重なモルモット諸君」

 

 

 ボタンを押す。軽快なプッシュ音が響き、四回鳴ったと思えば音声が流れた。

 

 

 

 

 

 

 

『STANDING BY』

 

 

 

 携帯電話から、何かが流れ出したかのような、胎動のような不気味な音が継続的に鳴る。

 携帯を閉じ、男は襟を正し、こちらを見据えながら宣告。

 

 

 

 

 

 

 

 

「変身」

 

 

『COMPLETE』

 

 

 

 

 

 

 

 携帯電話が、バックル部分のスペースに嵌った。

 そして「コンプリート」の音声と共に、ブラウン管テレビの電源を付けたような、耳障りなモスキート音が響く。獣人にはキツいらしく、顔を歪めて耳を塞いでいた。

 

 

 だが、男から目は離せない。

 バックルに嵌った携帯電話から、赤い線が登る。それはシンメトリーに上半身下半身、右半身左半身に這い上がって伸びて行き、彼の身体を囲んだと同時に、閃光に包まれた。

 

 

 眩く、その時ばかりは目を離したが、光が収まり再び視認した時には、そこに彼はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 いなかった、と言うのは、影も形もと言う意味ではない。さっきまでの、スーツ姿の男がいなくなっていた。

 代わりに立っていたのは、黒を基調とした機械的なスーツに身を包んだ、無機質な存在だった。

 

 

 赤いラインがフレーム部分となり、心臓の鼓動のように鈍い明滅を繰り返す。

 頭部は円を、縦に半分に割ったようなレンズが付いていた。そのレンズからは、黄色い光が随時放たれている。

 

 

 

 

 

 

 

 全員が言葉を失った事は言うまでもない。

 男が一瞬で、妙な姿に変貌した。怪物の姿とは違う、また別の姿に。

 

 

「さあ。試験を開始します。掛かって来なさい」

 

 

 両手を雄々しく広げ、挑発する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 PARADISE ・BLOOD 】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女……姫柊雪菜は走っていた。

 辺りには避難勧告がスピーカーから響き、その音に促され人々は逃げ惑う。

 姫柊は、その流れに逆らっていた。

 

 

「こんな街中で魔力を行使なんて……人が死んだらどうするつもりなの……!」

 

 

 怯えでもなく好奇心でもなく、怒り。

 禁止されている、街中での攻撃魔力の行使。誰か人間が重傷或いは、死に至るかもしれない事態と言っても良い。だからこそ、姫柊は怒りを抱いていた。

 

 

 彼女は正義感の強い性格。騒ぎを感知し、攻魔官が向かっているとしても、見過ごす事が出来なかった。

 

 ギターケースを背負い、避難勧告の誘導を逆算し、目的地まで直走る。次の角を曲がればすぐか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

 

 姫柊の身体が跳ね上がる。

 夏の暑さを算段に入れたとしても、異常な熱気が場を包んだからだ。

 

 

「まさか……!?」

 

 

 彼女は焦り、急行した。

 

 

 

 

 

 そして目を疑う。

 灰となり崩れた獣人と、悪鬼が如く怒りの形相の吸血鬼……そして、それに迫らんとする謎の怪人と、前に塞がる黒炎の馬。

 黒炎の馬とはその通り、炎が馬の形を取っていた。恐らく『眷獣』だ。吸血鬼は自身の血の中に眷獣と呼ばれる、強大な力を持った魔物を宿し、使役する。あの黒炎の馬は、膝を突いている吸血鬼の眷獣だ。

 

 

 眷獣の存在は、非常に危険。場合によれば一帯が消滅するほどの、凶暴性と力量を持っている。一番弱い個体でも戦車に匹敵すると言う話だ。街中で出現させるなど言語両断。

 

 

 

 

 だが、姫柊は眷獣などどうでも良かった。

 灰となり散った魔族と、眷獣を前にしても悠々と佇む、怪人に注目していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眷獣が壁になり、姫柊からは巧の姿が見えなかった。

 足元のアスファルトが溶解するほどの熱さ。彼女よりも近い位置にいる巧はその殺人的熱気に顔を歪め、上昇気流による風に髪を靡かせていた。

 

 

「あっつ!? 俺が焼け死ぬ!!」

 

「よ、よくもぉぉぉぉぉ!!!! 仲間をぉぉぉぉ!!!!」

 

「し、死ぬ……!」

 

 

 巧は堪らず、眷獣から離れ、ビルに身を隠した。

 同時に、攻撃が始まる。

 

 

 

 眷獣は前脚を上げ、嘶く。それは威嚇だ。

 前脚が再び地に落ち、とうとう駆け出した。

 

 

 迫る眷獣、しかし怪人は余裕。

 

 

「上等なモルモットが増えました。さて、力を試します」

 

 

 怪人は四角い装置を右手に掴む。装置には窪みがあり、怪人は携帯電話の正面に付いていたチップを抜く。

 

 

 

 

『READY』

 

 

 そのチップを即座に窪みに嵌め、携帯電話を開いてボタンを押す。

 

 

 

 

『EXCEED CHARGE』

 

 

 バックル部分の携帯電話から赤い光が現れ、それは右半身のラインを伝って行き、肩、腕、手と向かい装置に到着。

 チップが発光し、準備が整う。

 眼前に迫る、黒炎の跳ね馬。だが怪人は臆さない。

 

 

 

「シッ!!」

 

 

 踏み込み、右手の装置で殴る。

 攻撃を胸部に受けた馬は、悶えるように首を下げた後、前方から後方へ吹き飛んだ。

 

 

 主である吸血鬼の元へ戻る頃には、霧散し、陽炎を残すだけ。

 

 

「……う、嘘だろぉ!?」

 

 

 彼は信じられなかった。自分の眷獣が、一撃で。

 

 

 

 

「ふん。完全に暴走していたものの……レートの低い眷獣なら一撃で仕留められますね」

 

「嘘……だろ……!?」

 

「貴方、魔力を全開で召喚しましたね? 立つ気力はあるのですか?」

 

 

 彼自身、眷獣を本気で出現させたのは初めてだった。

 身体は倦怠感を伴い、麻痺し、指先さえ動かない状態。真紅の目も牙も、収まってしまった。

 

 

「貴方には私の試験のお世話になりました。しかし、あまり広められては困ります。敬意を払い、灰に変えましょう……吸血鬼らしく」

 

「や、やめ……!」

 

 

 焼け爛れた街路樹、熱で曲がった街灯、溶けたアスファルト。怪人はその中心を歩く。

 それは悪魔に見えた。災厄を運び込む、死神にも見えた。

 

 

 吸血鬼は逃げようとするが、身体が魔力不足により動かない。恐怖なら逃れるべく、無様に目をキツく閉じるだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「止まりなさい」「止まれ」

 

 

 その前に、立ちはだかる姫柊雪菜。

 

 

 

 

 

……と、乾巧。

 

 

 

 

「……何しているんですか!? 一般人は離れてください!!」

 

「いや、おめぇもだよ! 見るからに学校帰りの一般学生じゃねぇか!」

 

「私は『獅子王機関』の『剣巫(けんなぎ)』です!」

 

「……塩機関? 剣崎? なんじゃそりゃ?」

 

 

 巧はさっぱりだが、姫柊の言った『獅子王機関の剣巫』のワードに、怪人は興奮しながら顎を触る。

 

 

「ほぉ! 獅子王機関の剣巫!! 若い少女たちだとは聞いていますが、本当のようですね!」

 

 

 右手の装置からチップを外し、また元の場所に戻す。

 

 

「良いモルモットが増えました! さぁ、是非、お手合わせ願います!」

 

 

 両手を広げ、姫柊を挑発する。

 その間、彼女は巧に再度忠告。

 

 

「ここは私に任せてください! 太刀打ち出来る力はあります!」

 

「だけどなぁ! あいつは躊躇なく一人殺したんだぞ!!」

 

「……その点を含めて……懺悔させますよ……!!」

 

 

 怒気が宿っている。そして、覇気が感じられた。

 巧は彼女が本当に力のある人物だと信頼し、吸血鬼の保護に移る。動けない吸血鬼に肩を貸し、離脱しようとした。

 

 

 

「逃がしてしまう……まぁ、貴女の存在と比べればなんてことない。データも入手しました」

 

「……貴方の行為は、攻魔特別措置法違反です。更にその力が魔族の物ならば、聖域条約違反にもなります。そして……私の捜査対象に近い人物……ですね?」

 

「……ほぉ。既に獅子王機関が動いていますか。尚更、負ける事は出来ませんね」

 

 

 姫柊は右手を背後に回した。器用にギターケースのファスナーを開き、中にある『武器』を掴む。

 

 

「……話は貴方を倒して、局で伺いますよ。本当は殺しても構わない状況ですが」

 

「殺すつもりならば尚、良いですね! 貴女が来なければ、あと十体の魔族サンプルを得なければなりませんでした!」

 

「…………最低」

 

 

 一思いに、彼女はギターケースの中を引き抜く。まるで鞘から剣を取り出すような、華麗な仕草。

 

 

 彼女が持つは、世界に数本しかない、『最上の逸品』。

 その名も…………

 

 

 

 

「『雪霞(せつか)…………ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

…………『Maestro RFシリーズ』。

 日本が誇るギターの名工、桜井正殻による至高の作品。

 美しいブラウンの表板は、まるで水晶のように極限まで磨かれ、輝きを放つ。

 そのブラウンを裂き、天から地へと下る弦は黄金のように、太陽光を浴び綺麗な反射を見せる。

 

 力強く、されど儚く、されど調和に満ちた、芸術の域に至る美しい音色を奏でる。

 まさに最強の逸品。値段は百万になるほど、高級ブランド。

 全世界のクラシック・ギタリストの羨望を受ける。人間、魔族も関係なく惚れ込む、世界で一つの品。

 

 

 

 

 

 

「……ろ?」

 

 

 彼女は取り出したマエストロ……クラシックギターを見て、呆然とする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タクシーの中、目的地へ向かう海堂。

 

 

「……とするとお客さん、ギターも凄く高いのでは?」

 

 

 上機嫌でギターの話をする。

 

 

「あっっったりめぇだろぉ!?……しかもオーダーメイド! 注文から完成まで二年!! 最高の逸品!」

 

「信頼出来る空港とは言え、検品とかコンテナとかに入れられるのは、不安じゃないですか?」

 

「ばっかやろう! 不安に決まっとるだろ! ちゅうか、俺様のマエマエちゃんを他の奴に触れさせられるか! 絶対に!」

 

「では、どうしたんですか?」

 

 

 海堂は得意げに言う。

 

 

 

「プライベートコンテナ使ったんだよぅ! 選ばれし者の特権だ〜」

 

「あのお高い……少し神経質ではないですか?」

 

「何処が神経質か! あの有名な『ヨーヨーマッ』も、自分の七十万もするチェロをタクシーに置き忘れたなんて事もあったらしい! 俺様はそんなヘマはしなぁいッ!」

 

 

 タクシーは目的地に着いた。泊まる、ホテルの前。

 

 

「運ちゃん、特別に見してやるぜ。人間も魔族も惚れ込む……天才、海堂直也のギターを!」

 

 

 すっかり上機嫌な海堂はトランクに入れていたギターケースを取り、運転手を近寄らせファスナーを開いた。

 

 

 

 

 彼が持つは、世界に三本しかない、『最強の逸品』。

 その名も………………

 

 

 

 

「『マエスト……ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………『七式突撃降魔機槍』、またの名を『シュネーヴァルツァー』。

 世界最高峰の金属精錬技術を要した、最新鋭の兵器。

 古代技術を応用し、その矢が放つ一撃はまさに一騎当千。

 強く、鋭く、されどそのフォルムは流麗で、黄金比に則った惚れ惚れするデザイン。

 

 決して砕けず、愚直なまでに獲物を狙う様は。餓狼のようでもある。

 だが雪のように冷たく、霞のように奥ゆかしい、妖精のようでもある。

 人間は絶対とし、吸血鬼、獣人、眷獣さえ打ち砕く、まさに世界最強の品。

 

 

 

 

 

 

 

「……ロ?」

 

 

 彼は取り出したシュネーヴァルツァーを見て、呆然とする。

 

 

 

「…………は?」

 

 

 そう言うしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 姫柊雪菜は窮地に立たされた。

 自分がシュネーヴァルツァーと信じていた物が、クラシックギターに変わっていた。

 

 

「……えぇぇぇぇえぇえ!?!?」

 

 

 そう叫ぶしかなかった。

 何故、獅子王機関が用意した秘奥兵器が、ただのギターになっているのか。カモフラージュの為にギターケースに入れていたが、本当にギターになっているなんて、あり得ないではないか。そも、奪取や情報漏洩、取り違えを避ける為にプライベートコンテナを使用したと言うのに、何故取り違えられているのか。

 

 彼女の脳はフル回転し、原因を探る。その間を待つほど、相手は甘くないが。

 

 

 

「……獅子王機関は、なかなかユニークな武神具を使うようですねぇ」

 

「え、やっ、これは違うん……!」

 

「……攻魔官がいつ来るか分かりません。こっちから行かせていただきますよ!」

 

 

 怪人は姫柊目掛け、突撃する。驚くべき走力だ、十メートルが一気に縮む。

 

 

「……ッ!」

 

 

 仕方なく彼女はマエストロをしまい、ギターケースを道路を滑らせ避難させた。持っているだけ荷物だ。

 

 

 怪人の拳が襲いかかる……しかし、彼女は難なくそれを避けた。

 顔を軽く倒しただけだ、軌道を読んでいた。

 

 

「ほぉっ!!」

 

 

 間髪入れず、怪人の回し蹴りが来る。

 変則的で人間には反応出来ない速さ。だが、彼女はそれすらも、バック転により回避。蹴りも読まれていた。

 

 

「反応が……」

 

「『若雷(わかいかずち)ッ!!」

 

「はぁっ!?」

 

 

 バック転からの着地、そしてそのまま身体を旋回させ、再び怪人の前へ。

 アスファルト上を滑り、愕然とする怪人の懐へ潜り込むと、空いた鳩尾目掛けて掌底をかます。

 

 

「ぐぅぉおっ!?」

 

 

 怪人は大きく、後方へ吹き飛んだ。受け身を取る事も出来ず、道路上を転がる羽目になる。

 

 

「……フゥッ!!」

 

 

 姫柊は息を吐く。

 吐ききったと同時に、怪人はやっと立つ事が出来ていた。彼女としては驚嘆に値する、あの一撃をまともに食らえば、獣人でも立っていられない威力のハズだが。

 

 

 

「…………お見事です。良きデータが取れるでしょう」

 

「……逃がしません!」

 

「いえ、逃げるつもりは更々ありません。こっちも本気を出すしかありませんね」

 

 

 再び二人は、接触する。

 今度は先ほどのように、相手も腑抜けではない。姫柊の蹴りを右手で防御し、左手で殴る。

 勿論、姫柊は身体を捻り避けようとする。

 

 

 だが、防御の為の右手が、彼女の足を掴んだ。身体の重心が変わり、大きくバランスを崩す。

 

 

 気づく前に彼女は、振り下ろされた拳を受け、地面に平伏した。

 

 

「ガッ……!!」

 

 

 飛びそうになる意識を、寸前で保つ。

 だが、そんな状態で次の攻撃を避けられる訳がない。

 地面に叩きつけられた姫柊は、次に繰り出される怪人の蹴りを受ける。

 

 

「うぁッ……!!」

 

「今度は、貴女が地面を転がる番ですよ!!」

 

 

 熱されたアスファルト上を、五メートルも転がり滑る。卸したての制服が、もうボロボロだ。

 

 

「ぐ……そんな……なんで……!?『霊視』が出来ない!?」

 

「やはり、霊視でしたか! 貴女のは反応ではなく、『未来予知』! だから私の攻撃を一瞬早く避けられた訳ですね?」

 

「……まさか、その機械……!!」

 

 

 姫柊へ迫る、怪人。マスクで見えないが、その下は下卑た笑いを浮かべているのだろう。

 

 

「貴女、人間ですねぇ。少しぃ、『試させていただきます』よぉ」

 

 

 迫る怪人。

 姫柊は立ち上がり、攻撃しようするが、一瞬早く彼が彼女の足を蹴る。

 再び彼女は、膝を突く。

 

 

「素晴らしい能力をお持ちな事で。我々の『仲間』になれる事を祈りますよ」

 

「だ、誰が仲間に……!」

 

「嫌でも、なる事になりますから」

 

 

 

 怪人はベルトを取り、肩にかける。

 すると一瞬の閃光の後、人間態の男が現れた。

 

 人間の姿もまた一瞬。人間から、最初の怪物へと変貌。姫柊は目を見開いた。

 

 

「ま、魔族……!? でも、なんの……!!」

 

『ははは! 魔族なんかではありませんよ……ふふふ!』

 

 

 姫柊へと、顔を近付ける。頭部をガッシリ掴まれ、逃げる事が出来ない。

 何が起こるのか理解出来ないまま、彼女は腕で引き剥がそうと抵抗している。

 

 

 

『さぁ。試験の時間ですよぉ?』

 

 

 怪物は鼻の奥から、触手を伸ばす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オッラァ!!」

 

 

……その前に、動きが止められた。

 

 

「大丈夫か!?」

 

 

 乾巧だ。巧が怪物にタックルし、姫柊から距離を離す。

 

 

『邪魔ですねぇ!! 人間風情がぁ!!』

 

「あ、あなたは……!」

 

「クソッ! 攻魔官、遅過ぎねぇかチクショウ!!」

 

 

 何とか怪物を押し出そうとするが、獣人すら吹き飛ばした怪力だ。腕で殴りつけると、巧は簡単に姫柊の前へ飛ばされる。

 

 

「いっつ……!」

 

「な、何をしているんですか! にげ、逃げて……」

 

 

 逃走するように呼びかける姫柊。

 しかし、巧の目には、希望が宿っていた。その輝きに驚き、彼女は言葉を飲み込む。

 

 

 

 

「……何でか知らねぇんだが……」

 

 

 巧を右手を上げた。

 

 

『なっ!? き、貴様ぁ!!』

 

「なんて手癖の悪い……」

 

 

 その手には、ベルト。タックルの時、かけてあった肩より掴み取った。

 抜け目ない。状況に反し、姫柊は呆れる。だが、この男に対し、初めて会ったこの青年に対し、謎の信頼感がある事に、彼女は気付いた。

 

 

 

 この男ならやり遂げられる……そんな信頼感と期待が。

 

 

 

 

 

「……こいつ見てると、戦うしかねぇって感じるんだよ。何でか知らねぇけど!」

 

 

 巧は立ち上がり、ベルトを腰に巻く。

 大事な物を奪われた怪物だが、冷静さを取り戻し、余裕を待って話しかける。

 

 

「そ、それ、使えるんですか!?」

 

『馬鹿め! それは人間が扱える物ではありません!』

 

 

 

 

 バックルから携帯電話を抜きとり、開く。

 

『五』のボタンに親指を添えた時、何故か懐かしい気分になれた。

 

 

 

「……そいつはどうかなぁ! 試験してやるよぉ!」

 

 

 操作を行う。初めて持つのに、ずっとやって来たかのように、身体が自動的に動いている。目を閉じても出来そうな、身体に染み付いた癖のような感覚。

 

 だが困惑はない。あるのは、強い闘志と『歓喜』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 5・5・5・Enter。

 

 

『STANDING BY』

 

 

 

 右手に握った携帯電話を閉じ、天に掲げた。

 

 

 

 

 

 

「変身!」

 

 

 

 

 

 そして一息に、バックルに嵌め込んだ。

 縦から差し込み、横に倒して平行にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『COMPLETE』



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目を覚ます

 戦え。

 戦って、勝て。

 そして、戦い続けろ。

 

 

 答えはその先にある。

 

 

 だから、戦え。

 

 

 

 

 

 

 久遠から、声が聞こえた。

 

 

 

 open your eyes, for the "NEXT FAIZ."

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「変身!」

 

『COMPLETE』

 

 

 高速で回転するギアのような音が響く。

 その音と共に、巧の身体に赤いラインが走り、包み込む。

 

 

 閃光。

 そこにいたのは、先ほどの怪人と同じ姿。

 だが、その心は違う。溢れんばかりの闘志を燃やす正義。

 

 

 

 

「……よぉし」

 

 

 怪物の予言に反し、彼は変身を成功させた。

 

 

 

『ば、ば、ばば、馬鹿なぁ!?』

 

「か、変われた……!」

 

『おかしい……あり得ないッ!!』

 

 

 巧は姫柊の方へ手を差し出す。人間の要素を伺えない、無機物な手。

 

 

「ほら。立てよ。後は俺に任せろ」

 

「……あなた、一体……」

 

「それはお互い様だろうよ」

 

 

 その手を掴み、思い切り引く。

 姫柊は立ち上がり、呆然と巧を見た。ギリシャ文字の『φ』を彷彿とさせるマスクは、揚々と光っている。

 

 

 

 

『何故……貴様が、「ファイズ」に!?』

 

「『ファイズ』か。じゃあお前、『オルフェノク』だろ」

 

『は!? 何故、その名を……!?』

 

「知らねぇ。なんか知ってた」

 

 

 

 右手首をスナップした後に巧……『仮面ライダーファイズ』は、怪物『オルフェノク』に突撃する。

 

 

「あ、あの! 戦闘経験は……!?」

 

 

 姫柊の杞憂を吹き飛ばす、ファイズの攻撃。動転するオルフェノクの前で飛び上がり、顔面に拳を叩きつける。

 

「オラァ!」

 

『くぐっ!!』

 

 後退りさせたものの、追撃は終わらない。

 

「ハッ!」

 

 懐に入り込み、左ストレートを胸にぶつける。衝撃はオルフェノクの装甲を通過し、芯の部分まで届く。

 

 

「ハァッ!!」

 

『あぁ!!?』

 

 

 痛みに悶えている内に右足を上げ、体重を込めた前蹴り。これには獣人並みの巨体を誇るオルフェノクも耐えられない、無様に路上を転ぶ。

 

 

 

 

「ふん。どんなもんだ、戦えるぜ」

 

「……荒い、荒すぎます。武術の基礎もなっていません。まるで不良の喧嘩じゃないですか」

 

「んなこた知るか!……ったく」

 

 

 手首をスナップ。

 立ち上がろうとするオルフェノクへ、再度距離を詰める。

 

 

『こ、この……モルモット風情が……!!』

 

 

 妙な気配を感じ、ファイズは立ち止まった。

 

 

『許さんぞぉッ!!!!』

 

 

 オルフェノクの下半身の肉体が肥大化し、ケンタウロスのような形態に変貌を遂げる。

 全長も大きく飛躍。牙が湾曲し鋭く前へ突き出された。ファイズよりも二回り、巨大化。

 

 

「お前も変わった!?」

 

『ゆぅぅぅるぅさぁぁんんぞぉぉぉぉぉッッッ!!!!』

 

 

 短い足から想像も出来ないほどの駿足さで、ファイズに突進をかます。

 頭部を下げ、突き出した牙を槍の穂先のように構え、串刺しにしようとする。

 

 

「うぉっ!?」

 

 

 変に近付いたせいで、避ける間合いがない。仕方なくファイズは、それを受け止める為に防御姿勢を取る。

 

 

 

 

 

 

「『(ゆらぎ)よ』!!」

 

 

 窮地を救ったのは、姫柊。

 ファイズの傍を抜け、オルフェノクの真横に着いたと思えば、軸足を回転させ胸元まで曲げ、華麗な横蹴りを食らわす。

 

 

『ォッ!?』

 

 

 横腹に彼女の蹴りを受けたオルフェノクは、自身よりも明らかに小さい少女に容易く倒される。

 

 

「ふぅ……今のが、正しい姿勢の蹴りですよ」

 

「……お前、足に何か埋め込んでんのか?」

 

「『呪術』です。ご存知でしょ?」

 

「オカルト話かよ……ん?」

 

 

 オルフェノクは再び、立ち上がろうとしている。だが、その間が大きな隙であり、命取りだ。

 

 

 

 

「……よし。これだ」

 

 

 ベルト右部に掛けられていた装置を手に取る。ライトのような……ポインター装置。

 携帯電話からチップを抜き、その装置にスライドし装着する。

 

 

『READY』

 

 

 

 装置は右足にセットが可能だった。装置にある固定部を、足首のプロテクターに嵌め、ポインターの先端部が地を向くように回す。

 

 バックルの携帯を開き、Enterボタンを押した。

 

 

『EXCEED CHARGE』

 

 

 モスキート音と共に赤い光がラインを伝い、装置を目指して進む。

 巧はその間、腰を深く落とす。右腕を右膝に乗せ、左手はダランと気怠げ。ジッとその時を待つ。

 

 

 

 

 右股関節から大腿、脛を通り、装置に到着。

 オルフェノクは既に、態勢を整えていた。だが、全く問題はない。

 

 

「立ちます!」

 

「もういい。勝った」

 

「へ?」

 

 

 準備完了と共に、ファイズは走り出した。

 オルフェノクが彼を視認するより先に、宙高く飛び上がる。

 

 

 

 飛びながら身体を丸め、綺麗な一回転。

 ファイズが地上を走っているのではなく、跳躍していると気付いた頃にはもう遅い。

 

 ポインターの先端がオルフェノクに向いた瞬間、そこから赤い光線が射出。

 

 

「これは……!?」

 

 

 光線は眼前で円錐型に尖り、静止。まるで矢がオルフェノクを突き刺さんとするようだ。

 

 

『く、「クリムゾン・スマッシュ」まで……!? 使いこなし……ッ!!』

 

 

 ファイズは円錐の後方から空洞部目掛けて、飛び蹴り。

 靴底には、『Ø』の字が赤く輝いていた。

 

 

 

「やあああああああああッ!!!!」

 

 

 

 雄叫びをあげ突っ込む。

 円錐に入った瞬間、静止していたそれは急速回転し、ドリルのようにオルフェノクの腹部に突き刺さる。

 

 

 

 

『うぐがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??』

 

 

 断末魔の叫び、成す術はもうない。

 

 

 

 全てが消失した後、ファイズも消えていた。

 いや、赤いホログラムを纏わせながら、オルフェノクを突き抜けている。溶けたアスファルトを滑り、着地。

 

 

 

 オルフェノクの背面に、巨大な『Ø』が現れたと同時に、身体中から青い炎が燃え上がる。

 

 

『あぁぁ…………!』

 

 

 そのまま砂の城のように、オルフェノクは身体の各部をボロボロに崩し、灰と化す。生命はもうない。

 

 

 

「…………灰……」

 

 

 

 風に舞う灰の中、巧が姫柊の方を向く。

 白く、物悲しい欠片の向こう、陽炎に揺らめく赤き戦士。

 

 

 舞い上がった灰は憎たらしいほど青い空へ羽ばたき、雪のように散り落ちる。黒いアスファルトが、パールグレイを帯びていた。

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 暫し二人は見つめ合い、一瞬の沈黙が場を支配する。

 あの巨大な怪物を一撃で灰にしたこのファイズの力に、放心していた。

 

 

 

「終わったぞ。どうする?」

 

「………………」

 

 

 姫柊は灰を踏み越え、ファイズの傍へ。

 

 

 

 

 

 

 

「……話は、じっっっくり聞かせてもらいますからね!」

 

 

 ベルトを掴み、そのまま引っ張る。

 

 

「ちょ、ちょ、おい!? おいっ!?」

 

 

 途中、離脱させていたギターケースとアタッシュケースを拾い上げ、路上を去る。

 巧はファイズの姿のまま、意外と力の強い姫柊に驚きつつ、連れて行かれるのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 曲がった街灯、融解したアスファルトとガードレール、焼け焦げた街路樹と、限りなくグレイの灰。

 そこに生命は何もない。あるのは、死だった。

 何もない、死。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

( PARADISE・BLOOD )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 異常事態だった。

 魔族による攻撃魔力の感知が起こり、指令のまま攻魔官は現場に急行する。

 しかしそこは、平和な繁華街。情報とは微塵も違っていた。

 

 

 結局は住民らの通告と、避難勧告が鳴らされていた一つの地区の報告により、彼らはそこに向かう。知らされていた場所と、完全に真逆。

 

 

 

 

「……これはどういう事か?」

 

 

 現場に着けば、溶けたアスファルトに謎の灰と、理解出来ない状況だった。

 真夏の熱波の中、場違いなドレスに身を包み、優雅に日焼け傘を差した少女が厳しい表情で、検分している。

 

 

 

 本当は彼女が来る予定は無かったが、以上の事態の為に急遽、呼び出された。

 

 

「こっちも、意味が分からない状況でして……魔力の感知場所は全く関係ない地区でしたし、急行すればこの有様で……」

 

「この島に限って機械の誤作動はないだろ」

 

「ハッキングによる妨害工作を視野に入れて調査しています」

 

「……絃神島のネットワークに入り込むハッカーなど、化け物か」

 

 

 彼女が気に留めたのは、灰。

 

 

「なんの灰だ」

 

「木じゃ、ないですか? ここら一帯の街路樹が燃焼していますし」

 

 

 確かに街路樹はチリチリに焦げていた。しかしそれにしては、灰の量が多過ぎる。バケツに溜めてひっくり返したかのようだ。

 また灰に触れてみるが、全く熱を帯びていない。炎天下と言うのに、その灰は不気味なほど冷たい。

 

 

「……………………」

 

 

 

 この事態だけで、二つの思惑がある。

 

 

 一つは、この異常空間を作った存在。

 もう一つは、情報操作による妨害。

 

 

 偶然ではないハズだ。この二つは、繋がっている。

 

 

 

「……むっ」

 

 

 灰の中から、彼女は何かを見つけた。

 それは彼女にとって、忌むべき物となった。同時に確信と、困惑を呼び込む。

 

 

 

 

 

「……『スマートブレインのバッチ』……」

 

 

 現在、スマートブレイン社は、渦中の社員を全て確保し、政府主導と監視の下、国民へ守秘しつつ体質改善が図られていた。

 結果、多くの重役や研究員が連行されたが、政府にとって信用のおける人物がポストとして就任された。スマートブレイン社はあまりにも大きくなり過ぎた、頭ごなしに解散させれば日本経済は大打撃を受ける。致し方のない処置だ。

 

 

 連行された元社員らは情報を提供したが、残念な事に政府側が入念に調査していた内容以上の情報は、一つのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の脳裏には、あの日の光景が蘇る。

 紅い光を宿し、暗闇に落ちた研究所内で佇む……異形の存在を。

 

 

 

 

 

「そう」

 

 

 異形の存在は、こう告げた。

 

 

 

「『我々』は、『新たな王』を確立する。この力は謂わば、『血の代償』ですよ」

 

 

 

 

 

 彼の言った「我々」。つまり、他に仲間が存在している事を示唆しているに他ならない。

 薄々気付いていたが、もしや捕らえた社員らだけでは足りないのではないか。もっと巧妙に隠れた、底の存在がいるのではないか。

 

『新たな王』とは、『血の代償』とは……異形の存在は言うだけ言う。それ以上を語らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふん」

 

 

 少女は立ち上がり、踵を返す。現場から立ち去ろうとした。

 咄嗟に別の攻魔官が話しかける。

 

 

「何処へ行かれるんですか?」

 

「………………」

 

 

 鋭い眼光が、遠くの高層ビルを捉える。

 

 

 

 

「……『スマートブレイン社』。あそこにはまだ、何かある」

 

 

 調べ切れていない何かが、あるハズだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、巧と姫柊。

 変身を解除した彼はベルト一式をアタッシュケースに入れ、それを片手にマンションの階段を登っていた。

 その後ろに、姫柊の姿。

 

 

「公共じゃ話せない内容だからって……普通、ウチに来るかぁ?」

 

「近いそうですし、こんな姿で出歩けませんよ。『雪霞狼(せつかろう)』をよもや紛失するなんて……ぐぅぅ……!」

 

 

 姫柊の制服はオルフェノクとの戦闘により、汚れている。胸元のリボンも切れて外れてしまい、何処かに行ってしまった。

 

 巧もそうだ。吸血鬼より顕現した眷獣の熱量で、髪と服の裾がチリチリになっている。人前を出歩ける恰好ではない。

 

 

「すぐ空港と機関に問い合わせなくては。すみません、電話を貸していただけませんか?」

 

「持ってねぇよ……てか、持っとけよ!」

 

「支給された物を取りに行く前にこんな事になりまして……持っていないのはあなたもじゃないですか」

 

「俺は紛失したんだよ」

 

「私より情けない理由じゃないですか」

 

「うるせぇな! お前も何ちゃらっての紛失してんじゃねぇか!」

 

 

 そんな事を言い争いながら、七階に到着。

 七◯四号室の前に来ると、巧は立ち止まった。表札に『暁』とあるが、彼の家らしい。

 

 

 

 

「……あなた、『乾』って言ってませんでした?」

 

 

 お互いの名前は途中で言っていた。

 巧は馴染みのある『乾』の苗字で自己紹介していた。

 

 

「暁だけど、乾だ」

 

「居候でもしているんですか?」

 

「まぁ、そんなもんだろ」

 

 

 ドアノブに手をかけ、開く。鍵はかけていないので、誰か別にいるらしい。

 

 

「ただいま」

 

「えと、お邪魔します」

 

 

 中に入るとリビングから、エプロン姿の凪沙がやって来る。

 

 

「たっくん、ファミレスのアルバイトにしては早過ぎない? もしかして、またブッキングでもして……」

 

 

 玄関先に立つ、ボロボロの兄と、彼以上にボロボロの見知らぬ少女の姿を見て、理解に至らず一瞬フリーズ。

 

 

「…………え? どうしたの、たっくん? あと、その人は……」

 

「……説明はするから、取り敢えずお前の服貸してやれ。あと、風呂も」

 

 

 何もそこまではと躊躇する彼女の様子に気づいたのか、断りを入れられる前に背中を押す。

 

 

「入っとけ入っとけ。あいつには説明しておくからさ」

 

 

 ここに来るまでのぶっきらぼうで粗暴な口調から、少し柔らかくなった表情と声色。

 呆然としている内に巧は靴を乱暴に脱ぎ、アタッシュケースを持ったまま自室の方へと歩いて行く。

 

 

 彼は兎も角、同居人の彼女から変に思われていないかと表情を伺うが、凪沙の表情には好奇の念がある。

 

 

「その制服、彩海学園中等部の、だよね?」

 

「え? そうですけど……」

 

 

 自分が籍を置く予定の学校だ。

 

 

「あたしも彩海学園中等部なんだ! お歳は?」

 

「十四……四ヶ月後には、十五になります」

 

「あ! じゃあ、同級生だね! でも、見覚えがないけど……」

 

「今日、絃神市に来たばかりです。夏休み明けには会えると思いま……」

 

 

 姫柊が言い切る前に、凪沙は彼女の手を握った。

 

 

 

 

「あたし、『暁凪沙』! 転校生ちゃんって事だよね? 名前は?」

 

「ひ、姫柊雪菜です……」

 

「雪菜ちゃん! あたしの事は凪沙で良いよ、よろしくねっ! 何があったか分からないけど、困った時はお互い様だもんね! さぁさぁ、上がって上がって! 荷物は端に置いてて構わないから!」

 

 

 秒速で懐く凪沙に手を引っ張られ、急いで靴を脱ぐ。

 そのまま引かれるままに玄関へ上がり、廊下の隅にギターケースを置いた後に困惑したまま用意されたスリッパを履く。

 

 

「おい。俺のケータイは?」

 

 

 浴場まで案内される途中、自室から顔を出した巧が止める。

 凪沙が呆れたような声を出した。

 

 

「たっくん、殆ど電話使わないから、この島に来る前に解約されちゃったじゃん!」

 

「ハァ!? 誰に!?」

 

「誰にって、お母さん! 四年も前の話だよ! 就職するまで要らないとも言ってたじゃない、まだ寝惚けているの?」

 

 

 間抜けな顔で唖然とする巧をほっぽり、脱衣所の扉を開けて姫柊を入れる。

 

 

「バスタオルと服は用意しておくから! 浴槽沸かしていないから、シャワーだけになっちゃうけど、大丈夫?」

 

「えと、構わないですけど……使わせて貰っても良いんですか?」

 

「良いよ良いよ! お掃除も済ませているし! あ、シャンプーとかコンディショナーはあたしの使って良いよ! 女の子だから髪の毛のケアは大事だよ! 浴室の上の棚があたしのだから! あとボディーウォッシュ用のタオルは固めと柔めがあるけど……」

 

「おい凪沙。早く入れさせてやれよ」

 

 

 口が止まらない凪沙を見かねた巧が、彼女の後ろから注意する。既に服を着替えていた。

 

 

「あぁ、ごめんね? 雪菜ちゃん! 何かあったら、浴槽の側に呼出ボタンがあるから呼んでね!」

 

「い、色々と気を利かせてもらいまして……」

 

「大丈夫大丈夫! じゃあっ、ごゆっくり!」

 

 

 脱衣所の扉を閉めるとパッと振り返り、巧を顰めっ面で見つめる。

 

 

「たっくん、何かしたの?」

 

「俺じゃねぇよ!……まぁ、大変な事に巻き込まれてな。魔族に襲われて……」

 

「えっ!? ま、魔族に……!?」

 

 

 凪沙が魔族にトラウマがある事を、巧は思い出した。また覚えのない記憶だ。

 

 

「……ちょっとしたボヤ騒ぎだよ。ほら、怪我はないだろ」

 

 

 本当はオルフェノクに殴られ、服の下に痣が出来ていたが。

 恐らく、雪菜も同じ事になっているだろう。彼女の方がより酷いと思うが。

 

 

(……よくもまぁ、痛がった様子を見せなかったな……)

 

 

 ふと、彼女の様子を想起して物思いに耽るが、すぐに凪沙によって引き摺り戻される。

 

 

「で、でも、無事そうで良かったよ……たっくんに何かあったら、あたし……」

 

「だから大丈夫だって! それよりバイト、辞めた」

 

「…………は?」

 

 

 リビングに入ろうとした巧は、辞職を告げる。

 

 

「え? 辞めた? だって、まだ三時間しか経ってないよ?」

 

「接客は合わねぇ。もっとマシな仕事を探すぜ」

 

 

 ソファにフカッと身体を落とした。

 

 

 

 

「おい。昼飯」

 

 

 凪沙は身体をプルプル震わせていた。無論、怒りによるもの。

 

 

 

 

 

 

 

「たっくんの、馬鹿ぁぁぁぁッ!!」

 

 

 着ていたエプロンを脱ぎ、投げ付ける。




ジオウ5、6話は永久保存版です。
キャラクターの口調、仕草、設定での矛盾がありましたら一報ください。

誤字報告を何度かいただいております、本当にありがとうございます。


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怒りの日

 スマートブレイン本社へ、数人の攻魔官を引き連れ、優雅なドレス姿の少女が堂々と入り込む。

 

 依然、スマートブレイン本社は調査体制が敷かれている為、中心人物でもある彼女ならば顔パスで入り、自由に社内を探索する権限が与えられていた。

 勿論、今回の案件とは関係のない企業秘密は守る事や、業務を停滞させる事はしない等、最低限のルールはある。

 無論、元より調査対象以外の事柄など興味はない。

 

 

 

「現社長は?」

 

 

 村上が失脚した後、社長の座についた男の事だ。

 元々は若き投資家だった。類い稀なるビジネス感覚により、スマートブレイン社の筆頭株主として君臨していた。

 

 村上の凶行とは無関係と判明している。彼が選出された理由としては、政府高官らと太いパイプがあった事と、株主総会に於ける発言力からスマートブレイン上層部も逆らえない立場だった事が理由だ。

 その他、大学在学中にビジネスプランコンテストで優勝を果たしており、そのまま起業もしていた。経営学について知識は十分と判断された。

 

 

 

 以上の点と、半ば政府が封殺する形で、『二十八歳』と言う異例の若さで社長に就任する。現在、ビジネス界隈はこの出来事に湧いていた。

 若さ故に株価の下落が発生はしたが、日本全土を震撼させるほどではなく、ブランドに傷が付くようなものでもない。現状は安定しており、彼の優れた経歴から期待値が上がったようで、株価は回復傾向にあるらしい。

 

 

 

 

「はい、いらっしゃいます」

 

 

 エントランスの案内係が在室を告げる。

 

「しかし、事前のアポイントが必要でして、申し訳ありませんが……」

 

「関係ない。社長室を調査したい」

 

「……え? 社長室を、ですか?」

 

 

 第四真祖の件については、無関係社員の多くには秘匿している。村上の一件にしても、「体調の著しい不良により、社長の座を降りた」と言う事になっている。

 攻魔官らが調査している件については、魔族研究による魔族の扱いに条例違反がないかの定期監察が建て前だ。元々、スマートブレインは武神具の開発にも着手していた為、こう言った定期監察の話は違和感がなかった。

 

 

 だが、彼女からの発言は違和感の塊だ。

 その傍若無人な態度には、流石に他の攻魔官たちも焦る。声を潜め、少女に話しかけた。

 

 

「あ、あの、社長室は既に調査済みですよ? コンピュータ類も押収していますし……」

 

「社内は調べ尽くした」

 

「なら……」

 

「いいや。まだ残っている。あの外道の事だ、何かしらの盲点を作っているに違いない」

 

 

 そう言い切り、彼女はインフォメーションを囲う台に両手を置き、強い意志を表明する。

 

 

「あの、監察に社長室は……」

 

「関係ない。早く連絡しろ」

 

「は、はい!」

 

 

 小さな背丈と幼い見た目と相反した、百戦錬磨の貫禄。

 それに気圧される形で、受付係は社長室へ内線を繋ぐ。

 

 

 

「夜間閉鎖中に伺うのは、いけないのですか?」

 

「待っていられるか」

 

「……まさか、事態は一刻を争うのですか……!?

 

「夜から生徒指導の見回りだ。待っていられるか」

 

「成る程、それは…………え、えぇ?」

 

 

 絃神市の攻魔官は、教師を兼任している者もいる。

 魔族特区内の教育機関は、生徒の保護の為に国家攻魔官の教師を配置する事が義務付けられていた。

 

 

 

 

 

「あの、社長のお返事ですが…………」

 

 

 彼女はジッと、返答を待つ。

 

 

 

 

 

「……はい。許可が下りました。社長が通すようにと」

 

 

 話が分かる。政府の目があるのだから、状況を把握している社長が従うのは当然だ。内心、少女はそうほくそ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エレベーターを上がり、最上階。

 モニターが天井に点々と設置された、薄暗い回廊を進む。そのモニターには、『SMART・BRAIN』の文字が延々と浮かぶ。

 

 すでに彼女の中でスマートブレインの株は落ちている。何があってもスマートブレイン製の物は使いたくないと思うほど、その嫌い様は極まっていた。それほど今回の事件は衝撃的だったと言える。

 

 

 

 回廊を進み、先にある扉を開ける。

 

 

 そこは太陽光が注ぐ、白の世界。

 大理石の床、透明度の高いガラスに包まれ、網目状の白いオブジェが中央に据えられる。

 

 

 社長は、その下だ。白の世界のただ一点、高級感溢れる机とハイスペックのコンピュータ、横にはミュージックプレイヤーまである。

 それらに囲まれた中で、座り心地の良さそうな椅子に深々と腰を沈めている男性が一人。

 

 

 

 攻魔官らに気がつくとスッと立ち上がり、もてなした。

 

 

 

 

 

 

「お待ちしておりました。社長室を、調べたいそうですね」

 

 

 

 

 少女はすぐに見抜いた。

 何が二十八だ。もっと若い……二十代前半だろう。こちらへ歩み寄る新社長を見て、精査する。

 

 

 

 確かに三十路前にしては、若過ぎる。

 柔らかい笑みを浮かべる彼の顔は、皺が殆どなく、瑞々しい。髪も多く、オールバックにして洒落めかしている点も若者らしい。

 

 

 

「……二十八と聞いたが、恐ろしいほど若いな。吸血鬼か?」

 

 

 不遜な態度は変わらない。

 しかし新社長はムッとする事もなく、気の良い表情で自嘲気味に笑ってみせた。

 

 

「まさか、人間ですよ! 貴女の仰る通り、僕はまだ齢二十一です。最初から二十少しの若者が社長になると広められれば、色々と混乱を招きますから……あぁ、一定の信頼を得た時に、正直に公表する予定ですよ」

 

 

 次に彼から、やり返しが来る。

 

 

「そう言う貴女も、小学生のような見た目ですが、僕より歳上のようですね。二十六辺りでしょうか?」

 

 

 若き天才……と讃えられているだけある。優しく紳士的な雰囲気の癖に、食えない強かさがあるようだ。転んでもただじゃ起きないような。

 新社長による新体制になったからと言えど、スマートブレイン嫌いは治りそうもない。

 

 

「ご名答。確かに社長としての気質に恵まれているようで」

 

 

 褒めているようで、皮肉のようなニュアンス。

 本人も彼女の言葉に毒があると気付き、あからさまに笑う……人懐っこい笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初にお目にかかります、攻魔官の皆様。新社長に就任しました、『木場 勇治』です。僕に協力出来る事があれば、是非お申し付けください」

 

 

 

 

 

“ PARADISE・BLOOD "

 

 

 

 

 

 スマートブレインは元々、東京都新宿に本社を構えていた。

 それが、絃神島の完成と共に、島の発展に貢献する為として現在の絃神市に移転した。

 この壮大な社長室も、その本社からの物をそのまま持って来たらしく、亡くなった創設者こと『花形社長』の趣味が伺える。

 

 

「お話は色々と聞いております。まさか、第四真祖を前社長が保持していたなんて……」

 

「そんな曰く付きの会社に良く社長として入ろうとしたな」

 

「スマートブレインは、前々社長……つまり、創設者の花形さんの頃から父がお世話になっていました。僕に声がかかったのも何かの縁だと、意を決して社長になろうと思ったんです」

 

「見上げた根性な事だ」

 

「へへへ!……昔から、自分がこうだと思った事は絶対だと、考えていまして」

 

 

 少女は木場から離れ、良く良く社長室全体を一望する。

 机、椅子、コンピュータ、ミュージックプレイヤー、オブジェ、大理石、ガラス、壁、扉……それ以外には、一切の小物はない。

 

 

「広い割には寂しい部屋だな。スペースの無駄だ」

 

「それは僕も思うんですけど……」

 

「何か、ここで仕事していて、感じた事とかあるか?」

 

「いえ、それは全く……と言っても、会議とかで出ずっぱりですから、この部屋を使う頻度も少ないんです」

 

 

 ミュージックプレイヤーに目が移る。意識が高く、スマートブレイン製だ。

 

 

「これは私物か?」

 

「僕の物ではありません。社長就任祝いで、スマートブレインの株主総会から貰ったんです。何故か『モーツァルトのレクイエム』が入っていましたから、中古品かなと思うんですけどね……」

 

 

 そして肩を竦めながら続ける。

 

 

 

 

 

「誰からは分からないんですけど、『我々は、祝福されますように』って大袈裟なメッセージが添えられていましたっけ」

 

 

 

 

 

 少女の表情が険しくなった。

 

 

「…………『我々』は、『新たな王』を確立させる……この力はいわば、『血の代償』……」

 

 

 村上の言葉。

 モーツァルトのレクイエム。

 そして株主総会。

 

 

 

 少女の想像は最悪な物だった。

 そして同時に、核心に至れる糸口でもあった。

 

 

「……物は試しか」

 

 

 腕にかけていた日傘を机に立てると、ミュージックプレイヤーの電源を入れる。

 突然の事で木場も困惑しており、社長室を調査していた攻魔官たちも何事かと近寄って来た。

 

 

「ど、どうしました?」

 

「あの! 何か見つけましたか!?」

 

 

 キッと、木場を睨む。

 刺すような視線にも怯まず、彼は構えられた。流石は若き天才社長、肝は据わっている。

 

 

「株主総会の名簿を即刻渡せ。抜けた者も含めてだ」

 

 

 

 

 事件の関係者は、経営チームや意思決定機関と外れた研究者チームに偏っていた。第四真祖の存在を秘匿する思惑も祟り、会社の最高意思決定機関『株主総会』がノーマークだった。

 

 そも、筆頭株主だった木場さえも知らなかった点、無関係扱いされていた。

 

 

「株主総会の……ですか?」

 

「だから調査は停滞している。奴らの仲間は底ではなく、天にいたからだ。隠れていやしなかった、だから見つからなかった」

 

「しかし、守秘義務が……!」

 

「この件は秘匿する。あくまで調査利用の為だ。ルールには抵触しない。信用出来ないのならば……」

 

 

 まだ渋る木場に向かい、彼女は告げた。

 

 

 

「今から証明してやる」

 

 

 

 

 

 プレイヤー内に保存されていた、モーツァルトのレクイエムを再生させる。

 そのまま曲を進め出し、『十二曲目ベネディクトゥス』を選曲。

 

 意味は『祝福されし者』或いは、『祝福されますように』。

 

 

 

 

「あの外道、何を思ったのか……ヒントを残していたようだ」

 

 

 次に『五曲目レックス・トレメンデ』。を選曲。

 スピーカーから『レックス!(王よ!)』と讃える、力強い合唱が轟く。

 

 

 

 

「事が済んだ後に送られたとなると……これしかないだろ」

 

 

 最後に『十曲目オスティアス』……『聖なる生贄』。

 

 我々は『祝福されますように(ベネディクトゥス)』、新たな『(レックス・トレメンデ)』、血の代償……『生贄(オスティアス)』。

 

 

 あの男に弄ばれている気もしないでもないが、四の五も言っていられない。

 彼女は三曲の、関連性を伺える曲目を選ぶ。行って戻ってを繰り返す形になっており、普通に使用していればこんな特殊な操作は必要ない。

 

 誰にも知られない、『キーストーン』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十曲目を流し続けていたハズなのに、突如音が止まる。

 液晶のデジタル文字がブラックアウトし、次に表れた時には三曲目が選ばれていた。

 

 

「えっ!? か、勝手に……!?」

 

「魔力の類ではないな。プログラムされていたらしい」

 

 

『第三曲・怒りの日(ディエス・イレー)』。モーツァルトのレクイエムで、一番有名な楽曲。

 地獄の底から鳴り響くような、鮮烈で重厚、厳格で情緒的なアレグロ・アッサイ。

 アルト、ソプラノ絡み合う合唱が高らかに叫ぶ。

 

 

 怒りの日なる彼の日は、 世界を灰に帰すべし、 ダヴィドとシビルとの告げし如く。

 

 

 

 

 

 オブジェが振動している、恐怖に震えているかのように。

 

 

 

 次の瞬間、プレイヤーのCD挿入口が開き、そこから光が漏れ出す。

 光は映写機のように広がり、何もない空中に立体映像として投影される。

 

 

 音がピタリと止んだ。次に響くは、女性の声。

 

 

 

 

 

 

 

『はぁあ〜い! 社長さんのクイズに見事大正解した攻魔さん、こんにちは〜! ここからはお姉さんが進行いたしまぁ〜す!』

 

 

 子どもとでも話しかけるような、かわい子めいた話し方。

 映像の向こうには、奇抜な服に身を包んだ女性が笑って手を振っていた。

 

 

 誰もが見覚えがある女性だ。スマートブレインのCMに出ているイメージキャラクター、『スマートレディー』。

 

 前社長の秘書も兼任していたとされるが、事件後より行方をくらませた『最重要人物』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい! なんでこんな昼間から鍋なんだよ! しかも夏だし!!」

 

 

 巧は怒り心頭で凪沙を睨み付けた。

 大きな鍋の中、グツグツ煮え滾る出汁にて毛ガニと牛肉、野菜諸々が犇めき合っている。

 燦々と照る夏日。やや季節を先取りし過ぎている感じもあるが、冷房を効かせた中で食べる鍋と言うのも面白い……凪沙の言い分だ。

 

 

 

 だが、巧には生理的な問題があった。

 

 

「フーフーしなきゃ食べられないだろ!!」

 

 

 彼は極度の猫舌だ。

 

 

 

「オホーツク海の毛ガニだってさ。お肉もお徳用で買っちゃったし、二人じゃ食べ切れないかなぁ〜って。だから雪菜ちゃんの歓迎会も兼ねて、贅沢に鍋にしました〜!」

 

「すみません、ありがとうございます」

 

 

 凪沙の服を着た姫柊が、申し訳なさそうに頭を下げる。

 いいよいいよと笑って具をよそう凪沙。完全に巧の不満を無視していた。

 

 

「だから食べられないだろって! アツ過ぎる!」

 

「じゃあ食べなきゃいいんじゃない?」

 

「こっちは朝から何も食べてないんだぞ!」

 

「朝は寝惚けたたっくんが、用意してたのに抜いちゃったじゃん。自業自得?」

 

「このッ……ふっざっけんなよ……!」

 

 

 受け皿に盛られた肉や野菜からは、湯気がモンモンと立ち昇っている。

 笑顔でパクパク食べて行く凪沙を憎々しげに睨みながら、フーフー息をかけ始めた。

 

 

「ほら、雪菜ちゃんも食べて食べて!」

 

「いただきます」

 

 

 この二人、細く小さな身体の癖に、どんどんパクパク食べ進めて行く。

 冷まして食べる分、時間がかかる巧に具が残るか不安なスピードだ。

 

 

「お前ら早過ぎるだろ! 良く噛んで食えよ!」

 

「……巧さんが遅過ぎると思うのですが」

 

「そーだよ! たっくんが猫舌だから悪いんでしょー! 知ってる? 猫舌男子は情け無い人だってさ!」

 

「言ったな中坊! 食ってやるよ!!」

 

 

 受け皿の上の牛肉を睨む。

 まだ湯気が立ち昇り、アツアツだと主張している。

 

 

 箸で掴み、眼前まで持って行く。やはり熱気を感じる。

 

 

 そのまま震える手と顎で、熱いままの牛肉を食べようと頑張り始めた。

 

 

 

 

 

 舌に触れる。

 

 

「あッッッつぅッ!!!!」

 

 

 箸から落ち、牛肉が受け皿へ戻る。

 すると受け皿内の出汁が飛び散り、巧の皮膚を焼く。

 

 

「あッッッちぃッ!!!!」

 

 

 堪らず立ち上がり、テーブルから離れた。

 情け無い様を見て、ケタケタ笑う凪沙と、控えめながらも吹き出す姫柊。

 巧の怒りは爆発する。

 

 

「もういい! 食ってくる!!」

 

「お金あるの〜?」

 

 

 財布を開く。二十五円。

 絃神島は人口島であり、食料や生活用品は殆ど輸入に頼っている。つまり、物価が頗る高い。

 最悪、二百円が無ければ。

 

 

「……ちょっと貸せ」

 

「働かないニートに渡すお金はありませ〜ん」

 

 

 プルプル怒りに震える巧だったが、諦めたのかまた席に戻り、受け皿の具をフーフーし始めた。今度は両手をパタパタさせる、奇行も添えながら。

 

 

 

 

 

「……そういや、電話したのか。姫柊」

 

 

 雪霞狼を紛失した姫柊。

 預かっていた空港と、渡した本部へ連絡したいと言っていたが、お風呂から上がって尚もその様子はない。

 

 

「いえ。誰が持っているのか、分かりましたので」

 

「誰だ?」

 

「この人です」

 

 

 彼女が取り出したのは、チケット。

 クラシック・ギター演奏会の招待券だった。

 

 

「あっ! 海堂直也! 市場の小さいクラシック・ギターのCD業界なのに、アルバムが初登場時点でオリコンにランクインしたって話題だっけ。欧州じゃ既に有名で、何度も公演しているらしいよ。『アルティギア王国』の王族さんの前でも演奏したとか何とか!」

 

「そんな凄い人だったんですか……」

 

「え? 知らずにチケット持っていたの?」

 

「その海堂直也さんに、今日空港で貰ったんですよ」

 

「えぇ!? じゃあ海堂直也、絃神市に来てるんだ!! てか、雪菜ちゃん凄いね!」

 

 

 チケットにプリントされている海堂の姿を、何故か巧は凝視している。

 そんな彼に気付かず、彼女は続けた。

 

 

「……恐らくあのギター、海堂さんの物です。ギターケースも私の物と似ていましたから、取り違えたんでしょう」

 

「か、海堂直也のギター!? え、もしかして、玄関の……!?」

 

 

 凪沙は青い顔で、食事を中断し廊下に出る。

 有名人のギターを、目の届かない場所に放置するのはまずいと判断したからだ。

 

 

「なので、コンサートの会場に行けば会えると思います」

 

 

 演奏会は明日、夕方六時。市内のホールで行われるそうだ。

 

 

 

 ここで姫柊は、やけに海堂直也の顔を凝視する巧に気が付いた。

 

 

 

「……どうしました? 巧さんも、ファンだったり?」

 

「ん?……いや、そんなんじゃねぇけど……」

 

 

 顔を離す。その表情に一瞬、懐古の念が宿ったように見えたが、すぐに消失した。

 

 

「……見た事あるんだよなぁ。でも覚えてない……んー……?」

 

「有名人ですから、何処か広告とかで見たのでは?」

 

「いや、そうじゃなくてなぁ……」

 

 

 玄関先から、凪沙が巧を呼ぶ声が響く。

 大事なギターだから、慎重に運びたいのだろう。

 

 

 

「ペアチケットですので、妹さんと一緒に行かれます? 私は、ギターを返せば良いので」

 

「いや、音楽に興味ねぇし……アレなら凪沙を連れてけ。喧しい奴がいなくなる」

 

 

 そう言って彼も、玄関先へと向かう。



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待ち人に探し物 1

「ごちそうさまでした!」

 

「ごちそうさまでした」

 

 

 八人前はあったと思われる量を、全て平らげた。汁までオジヤにした為、鍋はスッカラカン。

 満足そうな幸せの表情で、二人は暫しぼんやりしていた。

 

 

 

「…………ごっそうさん」

 

 

 巧に関しては猫舌によるハンディが祟り、本番ならオジヤまで半人前しか食べていない。辛酸を舐めたような顔で手を合わす。

 

 

 

「……速いんだよ食うのが! てか姫柊、お前食べ過ぎだろ!?」

 

「あ、たっくんの言う事は無視して良いよ。シチューにしてもカレーにしても同じ文句言うし」

 

 

 相当、巧がアルバイトを一日で切った事が腹立たしかったらしく、凪沙の風当たりが強すぎる。

 

 

「食べ過ぎの点は認めますけど、巧さんは食べなさ過ぎかと」

 

「だから熱いんだよって!」

 

「……相当敏感な方なんでしょうか。十分食べられる温度でも冷ましていましたし」

 

「俺には熱いっての! 白飯まで全部食べやがって……!」

 

 

 炊飯器の中は空っぽだ。五合くらいあったのに。

 

 

「ひゃ〜、これはもう晩御飯はいいかなぁ」

 

「ふざんけんな! 餓死するだろ俺が!」

 

「熊が冬の間ずっと食べなくても平気なのが分かるなぁ。多分、たっくんが熊さんだと冬を越せないんだろうなぁ」

 

「……へぇへぇ、結構結構! 熊のようにブクブク太っちまえば良いんだ」

 

「デリカシーがないですよ、巧さん」

 

「モテないよたっくん?」

 

 

 姫柊と凪沙の波状攻撃に、また怒りを爆発。

 

 

「今度は二人がかりかあ?! もういい、俺は部屋に戻る!」

 

「なんかサスペンスの死亡フラグみたいだねぇ」

 

「このオシャベリ! ちったぁはその減らず口治せ!」

 

「たっくんは猫舌治しなよ〜」

 

「こ、このッ……ちゅ、中坊がぁ……ッ!」

 

 

 なに言っても言い返される事を学び、不機嫌な顔で自室に戻る巧。

 

 

「お片付け、手伝いますね」

 

「あぁ、良いよ良いよ! あたしがやっちゃうし! お客様にそんな事はさせられないよ!」

 

「でも、ご馳走になりましたから……」

 

「なら、たっくん宥めて来てよ。意固地だから一回機嫌悪くなると、ネチネチ引っ張るタイプだからさ」

 

 

 そう言えば家にあげられ食事までノンストップだった。当初の目的は、巧とあの怪物や謎の機械についての情報交換だ。

 彼はあの怪物……オルフェノクについて何か知っている様子。自分が戦う相手があのオルフェノクと言う存在になるかもしれない現状、全くの無知は命取りになりかねない。

 

 

 巧の部屋へ向かう前に、彼女は凪沙に質問した。

 

 

「……所で、凪沙さんと巧さんは、ご家族で?」

 

「そうだよ。たっくんが兄で。あとお母さんがいるけど、仕事が忙しくてなかなか帰ってこれないんだ」

 

「その……巧さんは、血の繋がったお兄さんですか?」

 

 

 凪沙はキョトンとする。

 

 

「うん、同じお父さんとお母さんから……まぁ、全然似てないもんね。だらしないし人間嫌いだし猫舌だし、本当にあたしと真逆!」

 

「……そう、ですか」

 

 

 すると巧の言っていた事と一致しない。彼は自分の家族を「家族だ」と断言しなかった。隠しても仕方のない事なのに。

 なら『乾』とは何なのか。偽名を使う必要もないのに。

 

 

 

 

「……でも、すっごく優しいから。雪菜ちゃんもすぐ仲良くなれるよ」

 

「……はい」

 

 

 しかし、巧と凪沙の関係は、姫柊にとって憧れだ。

 

 

 

 姫柊は巧の部屋へと向かう。

 部屋に入れば、例の機械が収納されたアタッシュケースを睨む彼の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

{ PARADISE・BLOOD }

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思い詰めたような、決意をしかねているような、そんな複雑な感情が見て取れる。

 姫柊はそっと話しかけた。

 

 

「……巧さん?」

 

「……ん?……おう。なんか、色々騒いで悪かったな」

 

 

 思いの外、自制が出来る人間のようだ。怒りっぽい人間かと思っていたが、それは親しさの裏返しなのかもしれない。

 

 

「それで、話を伺いたいんですが」

 

「その前にお前の……えっと、なんだ。獅子踊り機関の」

 

「獅子王機関です」

 

「剣崎ってのは」

 

剣巫(けんなぎ)です」

 

「なんだ? 職業か?」

 

 

 彼女の方も、何処から話すか決めかねているようだ。

 

 

「……剣巫と言うのは難しい言い方ですけど、凡そは獅子王機関に属する攻魔官の事です。なのでやる事自体は、攻魔官と変わりません」

 

 

 それを聞くと巧は話を遮った。

 

 

「攻魔官? そりゃおかしいだろ、だって……」

 

「えぇ。資格取得は中学卒業者から。私は今回の件で適任と判断され、四ヶ月前倒しで任命されました」

 

「適任? 強いって事か」

 

「さあ……」

 

「さあって……」

 

 

 ガクッとずっこけそうになる。

 

 

「……私より先輩で強い人はいるハズです。でも、『この件は君が適任』と言われまして。良く、分からないんです」

 

「大丈夫なのか? シシトウ機関ってのは」

 

「獅子王機関です。学生としてなら潜伏も簡単ですし、相手が中学生の女性ならば油断を引き出せるとか」

 

「神崎ってのは大変だな」

 

「剣巫です。しかし私としても、特別な任務にあたれると言うのは、非常に誇らしい限りです……私に出来るのかって不安はありますけど」

 

 

 こんな年端もいかない少女に、あんな怪物と戦わせようとする点は残酷なのか、それとも信頼と自信からなのか。

 だが巧からすれば後者のような気がする。確かに彼女の戦闘技能は高く、一蹴りで巨大な怪物を倒した。劣勢とは言え生身でこれだけ戦えるのなら上等ではないか。

 

 

 剣巫の強さは姫柊ほどがデフォルトなのか、彼女だけが特殊なのか。そこは分からないが、姫柊は強い点はよく分かる。

 

 

 

「任務ってのは? 誰を追っている?」

 

「………………」

 

「……ん? おい、どした?」

 

「すみませんが、私にも質問する権利があるかと思います」

 

 

 ちゃっかりした女だと、巧は肩を竦めた。

 

 

「あなた、あの……オルフェノクでしたね。オルフェノクと言う怪物を知っているようでした。関係があるのですか?」

 

 

 巧は考え込むように天井を見上げ、難しい顔のまま返答する。

 

 

「……知っているが、知らない」

 

「なんですかそれ……もう隠しっこ無しにしましょうよ」

 

「いや、名前とかそんなのはパッと浮かぶんだ。けど、知らねえんだ……」

 

 

 傍に置いていた、アタッシュケース。再び彼はそれを見やる。険しい顔付きだった。

 

 

 

「……たまにあるんだよ。信じてもらえないかもしれないけど。現実が嘘に見えて、嘘が懐かしく思えて……」

 

 

 言っている意味も、何を考えているのかも得体もしれない。

 しかし姫柊には、彼は本気で苦悩し、嘘ではなく本心で言葉を漏らしているようにしか見えなかった。

 

 彼女は特務員だ、人の表情や仕草には敏感だ。この人には嘘はない。

 

 

「……あなたの仰る意味は、良く分かりません」

 

「ストレートだなお前」

 

「けど、あなたは間違いなく善人だとは思えます。それは間違いありませんか?」

 

「…………まぁ、善人だと信じたいぜ」

 

「それで十分です」

 

 

 次に彼女はアタッシュケースを指差す。

 ファイズの話題に入るようだ。

 

 

「善人ならば正直に願います。あれについても教えてください」

 

「それも同じなんだよ……使い方とかパッと浮かぶが、何がどうとかまでは分からない。確か、ファイズだ」

 

 

 アタッシュケースに手を伸ばしながら彼は、「ただ」と続ける。

 

 

 

「……これの攻撃を受けた、オルフェノク以外の奴が灰になるなんざ知らなかった。俺の記憶と若干、性能が違うのかもしれねぇ」

 

 

 姫柊はその時の光景を思い出した。

 屈強な獣人が、青白い肌になり、膝から崩れ落ち灰となった姿を。

 

 思わず身慄い。この装置の力を受けた者は、この世に骨すら残せないのか。残酷で、悍ましい死。

 

 

「……そう言えば、もう一人いた魔族は」

 

「離れた場所に避難させた。気絶してたから放置したが……熱中症で死にそうだな」

 

「大丈夫ですよ。そんな柔じゃありませんし、今頃攻魔官が保護しています……それよりも」

 

 

 姫柊はアタッシュケースに恐る恐る手を伸ばし、慣れない手つきで開けた。

 中には変身デバイスのベルト、ポインター、デジカメのような装置、そしてご丁寧に『ユーザーズガイド』と言う取り扱い説明書まで一式揃っていた。不気味なほどに魔力を感じない、普通の無機物たち。

 

 

 なのに戦闘の素人でも、強力な魔力を有する吸血鬼に匹敵する力を得られる、危険な代物だ。獣人のカテゴリーでも特に強靭と言われるL種完全体を殺し、吸血鬼の眷獣を一撃で消し去った兵器。

 触れる事にも慄きそうなほどだ。今ここで破壊してやりたい気分でもあるが、何とか堪えた。

 

 

 

 彼女はそれらを見渡した後に、ある一点で視線が止まる。それは『スマートブレイン社』のロゴ。

 

 

「……スマートブレイン。こんな物まで作っていたなんて」

 

「あの大企業か……うさんくせぇな」

 

「…………まさか、これが……」

 

 

 これが、彼女に与えられた任務を完遂する鍵だろうか。

 姫柊はこの装置について、とても恐ろしい想像をしている。ゆっくり、ケースを閉めた。

 

 

 

 

「……巧さん。これを、私に預からせてください」

 

 

 彼女の頼みに、巧は若干眉を顰める。

 

 

「……なんでだ?」

 

「これは危険過ぎます。あなたは使い方を何故かご存知のようですが……これが世間に野放しにされている事は看過できません」

 

「………………」

 

 

 巧は装置の事を知っていた。何故か知っていた、初めてのハズなのに。

 知っていたからこそ、その危険性も分かっていた。自分が使う分には良いものの、これが敵の手にでも渡れば厄介だ。

 

 

 確かに、自分の中の『記憶』は、そうやって苦戦したと告げる。

 しかし、今彼自身の『感情』は、それを拒否していた。手放したくないと。

 

 

 

「……なぁ。これ、俺が使ってもいいか?」

 

 

 自分にしては、やけに執着が強い事に驚いた。

 

 

「……巧さん。これを使えるのは、あなただけではありません。敵に渡れば、私にも勝ち目はありません」

 

 

 姫柊は冷たい口調で切り捨てる。

 彼女が危惧するのも当たり前だし、妥当だ。

 

 

 

 

「俺なら、コレを正しく使える」

 

 

 だが、彼はこれが『欲しい』。

 欲しくて堪らない。

 

 

「しかし、スマートブレインが関わっている以上……」

 

「必要なんだよ! コレが、俺にはッ!!」

 

 

 アタッシュケースへ、衝動的に手を置いた。彼の急な動作もそうだが、ここまで激情を見せる巧にも姫柊は驚いていた。

 

 

「……巧さん、貴方……!?」

 

「……悪い」

 

 

 短く謝罪した上で、「けど」と巧は続ける。

 

 

 

 

「俺がこれを使いたいんだ。これを取り返しに奴らが来るかもしれないし、スマートブレインが関わってんなら、誰が敵かも分からねぇだろ」

 

 

 掴んだアタッシュケースを自分の方へ寄せたのは、無意識の行動だろう。

 

 

「…………敵の規模が分かったら、お前の言う八王子機関に渡す。それか、武器を取り返したらで……」

 

 

 必死な様子とアタッシュケースを寄せる無意識行動を見て、姫柊は呆れたような表情を浮かべた。

 しかし同時に、異様なまでの執着と、言っている事と現状に整合のないこの男へ、例えようのないモノを感じた。

 

 隠しているのか、忘れているのか、或いは…………

 

 

 

 もしかしたら、自分の追う『対象』に近いのかもしれない。この男を監視する必要があるのかもしれない。

 姫柊はそう判断し、眉を顰めたまま口を開く。

 

 

 

 

「……確かに現状、敵の規模は不明瞭です。こちらでも計り知れておりません」

 

 

 息を吐く、溜め息のようだ。

 

 

「……分かりました。一旦、預けます。しかし、貴方がこれの力に溺れるようであれば、即刻斬ります」

 

「斬るって、物騒だなおめぇ……」

 

「あと」

 

 

 姫柊はギロッと、巧を睨む。

 

 

 

 

 

「……何ですか、八王子機関って。『獅子王』機関です。この訂正、何度目です?」

 

 

 そんな細かい事かよと、巧は髪を掻きながら思う。

 だがファイズの力を得られ、ホッとした自分もいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外の光を極力排除したかのような、真っ暗な部屋。

 室内には水を透過した人工の光が照らされ、天井に不気味に蠢いていた。

 

 

「……何を企んでいるのですか?」

 

 

 部屋の中央に置かれた、祭壇のような箱。それの前に立つ男が、背後に立つ者へ問い掛ける。

 疲れたように息を吹き、もう一人の人間が応答した。

 

 

「この島へ引き入れたのは、私ですよ。まさか、疑っている訳ではありませんよね?」

 

「その点は感謝を申し上げますが、貴方だからこそ疑っております」

 

 

 男が振り返り、視線を合わせた。

 

 

 

 

「……私は島を沈めます。貴方に報酬は出せません。全く、貴方へ対価はありません」

 

 

 もう一人は全く、動じる様子を見せず、傍らの水槽を眺めている。

 

 

「……何故、協力を?」

 

 

 質問に対し、一拍置いた後に返答される。

 

 

 

 

「私は既に、一部の人間から命を狙われている身です」

 

 

 両手を胸の前で組ませた。

 

 

「謂わば、リセットですよ。ここさえ沈めば、私の足取りを完全に見失う事になります」

 

「……狡猾、しかし理解のあるお方です。社長の座を降りられた事は残念ですよ」

 

「こちらも貴方のような、高尚な人物を万全な状態でお出迎え出来なかった事を残念に思いますよ」

 

 

 互いに笑みを浮かべた。

 邪悪な思いを孕ましているにも関わらず、穏やかで人当たりの良い笑みだった。

 これから行う事全ては、神の許しの元だと信じているかのように。

 

 

 

「貴方は既に、この島へ未練はないと捉えさせていただきますが……やはり、何か隠されている。行動自体は私と『この子』の二人のみで実行させていただきますよ」

 

「……ハッハッハッ!」

 

 

 高らかに、短く笑う。その声は建物内に木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やはり貴方は、『上の上』の『殲教師様』……ですね」

 

 

 男の眼前にいたのに、いつの間にか消失していた。

 気配もなくなり、視線も消える。本当にこの場からいなくなったようだ。あの一瞬で。

 

 

 

 

「……怪物め」

 

 

 

 敵意を含んだ目を見せた後、慈愛に満ちた表情で水槽を眺めた。

 

 

 ライトに照らされる、液体に満ちた水槽の中には、少女が横たわっている。

 眠り、静止し、安らかな顔で。

 その時を待つかのように、その時まで時を止められているようで。



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待ち人に探し物 2

仮面ライダー鎧武とまどマギのクロス、『縢れ運命!叫べ勝鬨!魔鎧戦線まどか☆ガイム』も宜しくお願い致します。


 スマートブレイン本社前。攻魔官たちが撤収する。

 

 

「……やられましたね」

 

「あぁ。やられたな」

 

 

 歩きながら少女と、後輩の攻魔官が話し合う。

 事態は思った以上に複雑になっていた。

 

 

 

 

 

 

 時間は巻き戻る。

 社長室に隠されたギミックを解明し、立体映像越しのスマートレディーが登場した。

 映像は保存されていたものであり、逆探知は不可能だ。

 

 

『正解者の皆様には、とっておきの情報が与えられまぁ〜す』

 

 

 子どもに話しかける、保育園の先生じみた話し方は、少女にとって癪に障るものだった。

 苛つきを見せるも、これは保存媒体。動揺を見せる木場や他の攻魔官たちとは違い、感情を抑制し、静聴し、内容を記憶する事を重視する。

 

 

 

 

『なんとっ! 攻魔官の皆さんが見つけた「研究室」は、ほんの一部に過ぎませぇ〜ん!』

 

 

 彼女の言う研究室は、少女が村上を追い詰めた、あの幾多のケーブルが絡み合った紅い部屋だ。

 しかしその研究室は、そこ以外にもあると言う暴露。

 どよめく場だが、少女にとっては予想していた事だった。

 

 

(第一、天下のスマートブレインが一つだけの場所に研究を集中させるなんてしないだろ……しかし、あまり多く作っては情報の漏洩も出るハズだが)

 

 

 多過ぎず、少な過ぎず、情報の共有はされない独立された、或いは無関係組織に委託された場所と考えるのが妥当か。それならば芋づる式に判明されない。事実、本社の研究室以外で見つかっていない上、『第四真祖』は本社にあった為に別施設の存在は否定されていた。

 

 だが逃走した村上が一部の社員と共に行方不明である事を鑑みるに、スマートレディーの発言は信憑性がある。隠された研究施設に身を隠したと見て良いだろう。

 

 

 

 しかし何故……自分にしか解けないような難解なパズルの裏とは言え、そんな重大な事を暴露するのか。

 

 

 

 

(……奴ら自身から、我々を招いているような……?)

 

 

 嫌な予感が巡るが、スマートレディーは続ける。

 

 

『つまり、「ベルト」は他にも、開発されているって訳! きゃー! 言っちゃったぁ!』

 

 

 この一言で、場にいる全ての者の表情は固まった。少女さえも、木場でさえも。

 

 

「……なんだと?」

 

『どれだけ作られているのかは、残念ながら教えられませぇん……社長からきつ〜く、お口にチャックと言われていますぅ』

 

「……『アレ』が、まだあるのか?」

 

 

 保存媒体だと言う事を忘れ、つい問い掛ける。

 偶然か、彼女の問い掛けにスマートレディーは答えた。

 

 

 

『だ・け・ど、ここで良いお知らせ!「完全型」は一種のみで、他はプロトタイプ! つまり「別バージョン」! 良かったですねっ、攻魔官の皆さん!』

 

 

 とても良い知らせとは思えない。

 

 

『でも、早くしないと……ベルト、増えちゃうかも? 真祖が返されちゃっても、絶賛開発中でぇ〜す!』

 

「だと思った……」

 

『とりあえず、研究室の存在は教えましたがぁ〜……場所はひ・み・つ♡ 頑張って探してくださ〜い』

 

 

 この保存媒体越しでも教えられない点、ベルトの生産は難航していると見て良いだろうか。

 ともあれ、事態は複雑になってきた。少女は思わず、顳顬を指で押さえる。

 

 

 

 

『ではご一緒に! さぁ〜ん、にぃ〜い、い〜ち』

 

 

 意味深なカウントダウン。

 

 

「…………まさか」

 

 

 木場が呟くまでも、他の攻魔官たちも察知している。

 

 

 

 

『ゼロっ♪』

 

「離れろッ!!」

 

 

 彼女の警告よりワンクッション置いた後、ミュージックプレイヤーは火花を散らして爆発。

 机とパソコンを吹き飛ばし、上部のオブジェの柱を崩す。

 

 

 即座に少女は結界を張り、爆風と衝撃、破片を回避させる。結界内にいた木場を含めた総員は、何とか負傷は凌いだ。

 崩落するオブジェ。破片は爆心地から広がるように飛び、いくつかは窓ガラスを貫く。

 

 

 

 

 

 衝撃が落ち着き、白煙の中。火事は発生せず。

 

 

「…………フンっ」

 

「ば、爆発した……!?」

 

「やり口が前時代的だ。プログラム式の爆弾と言う点だけは評価してやる」

 

 

 負傷者はゼロ。せいぜい、腰を抜かした木場が強く臀部を痛めたくらいだろう。

 ただ今までを勉学や経営に費やして来た人間にしては、反応が早い。誰よりも先に後方へ逃げていた。臆病者ほど、命の危機に敏感なのだろう。

 

 

 

 

 しかし損害は甚大だ。割れたガラスから隙間風が吹き荒み、破片や煙を巻き上げる。

 床や備品、オブジェ等を合わせたら、被害総額五百万は見積らねば。

 

 

「そ、それよりも……ぱ、パソコンが……机が……!」

 

 

 木場は慌てて立ち上がり、身体の痛みを忘れて破壊された机やパソコンの残骸に駆け寄った。

 パソコンは部品全てが吹っ飛び、机に関しては引き出しに入れていた資料やデータ等も破壊しただろう。

 

 

「ど、どうすんだよ……大事な顧客情報もあったのに……!」

 

 

 混乱からか、木場は年相応に言葉遣いが荒くなる。

 そんな彼に対しても、少女の不遜な態度は変わらない。

 

 

「別の部署にバックアップは取っているだろ。さっさと見つけ出して復元しろ」

 

「………………」

 

「それよりも株主総会の名簿だ。それも予備はあるだろ?」

 

 

 ショックを受けた一般人にその態度はどうなのかと、他の攻魔官が宥めようとした。

 しかし木場は必要以上に荒れる事なく、思い出したように冷静になる。

 

 

「…………経理部署がファイリングしています」

 

「それを渡して貰おう。またこの部屋は警察に検分させる。了承は?」

 

「…………はい」

 

 

 彼は若いながら有能な男だった。

 この事態の原因は彼女ではなく、株主総会の『裏切り者』だ。寧ろ彼女は、隠れた敵を暴くチャンスを見つけてくれた。目の前の存在にその場凌ぎの怒りをぶつけるなど、愚かな事はしなかった。感情のコントロールが出来るほど、成熟している。

 

 少女としても、事態が危険な方向に向かい出したと見て、切迫感を抱いていた。不遜な言い方は、最短で物事を進めようとする彼女なりの合理的な考えの結果だ。

 

 

 

 

 

 

 

 そして時間は戻る。

 警察に引き継ぎをし、後に残る攻魔官へ指示を飛ばした後に彼女はスマートブレインを後にした。

 攻魔官の仕事と共に、学校教師としての顔もある。上への報告の他、補習を受ける哀れな生徒への課題の処理をしなければならない。正直この状況で教師の仕事は二の次にしたいが、表向きは平和で何の問題もない絃神市だ。平和を装う事も必要。

 

 それに、彼女には二つの仕事の他に『別件』も抱えていた。

 

 

「私は帰る。やる事が山積みでな……名簿が入手出来次第、即刻株主総会を当たれ」

 

「分かりました」

 

「あと、これを解析しろ」

 

 

 彼女は何も無かった手の平に、突然何かを出現させる。

 四角い黒い箱。それは外付けハードディスクだった。

 

 

「……これは?」

 

「爆破される寸前に、社長のコンピュータから抜いた」

 

「えっ!? ほ、報告しなくていいんですか……!?」

 

「イマイチあの新社長とやらも信用出来ん」

 

「でも、彼は無関係で……」

 

「何を言っている」

 

 

 垂れた髪を耳にかけながら、少女は呆気と信念を感じさせる曖昧な表情だ告げる。

 

 

「あの社長も、元々は『株主総会』だろ。筆頭株主が何も知らないなんて虫が良すぎる。調査が済むまでは、あの木場もマークしろ」

 

 

 

 

 

 それだけ話した後、彼女は車内から忽然と姿を消した。

 火が消えるかのように、この世から消えたかのように、突然消えた。

 

 

「政府が選んだのに、考え過ぎじゃ……」

 

 

 

 残された攻魔官は困り顔で、託されたハードディスクを見つめる。

 

 

 

「……あの人に相談しよっかな」

 

 

 車はまた、溶けたアスファルトの現場へ戻る。

 少女が帰ってしまった言い訳を、ぼんやり考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もいなくなった社長室。

 割れた窓の破片が落ちたり、床に散乱していたり、別の爆弾が仕掛けられている可能性もある。立ち入りは禁止させられていた。

 

 

 しかしスマートブレイン社長、木場勇治は隙を見て、社長室に戻っていた。攻魔官らを名簿の受け渡しの為に何とか追い出し、警察が来るまで一人になる時間を作った訳だ。

 

 崩されたオブジェの、瓦礫の山の前に立つ。

 

 

「…………言っていたのは……!」

 

 

 瓦礫を身体全てを使って掻き分け、何かを探す。

 彼の脳裏には、社長就任前夜に見た……映像。

 

 

 

 

 

『……木場君』

 

 

 彼にとって見知った人物であり、恩人であり、故人でもあった。

 

 

『これを見ていると言う事は、村上は始めたと言う訳だ』

 

 

 瓦礫を掻き分ける、掻き分ける、掻き分ける。

 

 

『私には止めることが出来なかった。だから、君に託す』

 

 

 

 

 彼の手が止まる。

 幾多の板が組まれ上げられた、オブジェ。

 それらを束ねる中心柱。爆発の衝撃で、大きく曲げられた柱のヒビより、何かを見つけた。

 正確には、ヒビより伺える柱の中。急いでそれを、取り上げる。

 

 

 そうだった。このオブジェ自体、『前々社長』がわさわざ絃神島へ持ってきた代物だったろう。

 

 

 

 

『カウントダウンが始まったら、机より離れたまえ……スマートレディーは、「スマートブレインに尽くす」』

 

 

 

 

 

「切迫詰まっているとは言っても、ちょちょっと強引ですよねぇ? でもここまでしないと、前社長さん気付いちゃうそうで!」

 

 

 聞き覚えのある声。あの立体映像の女の声。

 木場は見つけた物を抱えながら、振り向いた。

 

 

 

「ども〜新社長さん♪『スマートレディー』、ただいま着任いたしましたぁ」

 

 

 木場の腕の中には、『ベルト』があった。

 白と黒の、ベルトだ。小さな銃のようなアタッチメントもある。

 そして、液体の入った注射器。

 

 白い社長室はだんだんと、斜陽の橙を受け始める。

 

 

 

 

 

 

 

〔 PARADISE・BLOOD 〕

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は夕暮れに差し掛かる。

 巧と姫柊は、それぞれファイズギアの入ったアタッシュケースと、マエストロが入ったギターケースを持って、市内の大型ホテルを巡っていた最中だ。

 

 

「……ここにも宿泊していませんか」

 

「だから言ったろ。相手は有名人だからホテル側も秘密にしているって」

 

「そんな! ギターを預かっているって言ったのに!」

 

「それを信じた奴はホテルマン失格だろ」

 

 

『ブルーエリジウム』。

 絃神島屈指のテーマパークであり、南国の島らしいリゾート地でもあり、海堂直也のコンサートが開かれる場所でもある。

 

 彼が演奏するホールは分かるが、それまでの滞在場所が分からない。

 恐らくは近くのホテルだろうが、ホテル側の守秘義務により教えてもらえない。

 

 

 よって、時間だけが食われて行く。

 

 

「うぅ……アレを無くしたなんて知られたら私、機関にいられなくなるかも……」

 

「だからって、俺も連れてくか?」

 

「当たり前じゃないですか。もしあの怪物が現れたのなら、対抗出来る人がいなければ……なんならそれを私に下さいよ」

 

「やなこった。これは俺のだ」

 

「じゃあ護衛役で来てください!」

 

「めんどくせ……バイトしてりゃ良かった」

 

 

 

 ここに来るまでの交通距離と、着いてからのホテル巡り、二つを合わせるとマラソン大会のコース分は行ったのではないか。

 足がもう、棒になっている巧。しかし姫柊は全然、元気そうだ。

 

 

「お前、タフだな」

 

「剣巫は攻魔官同様、魔族との戦闘を想定して鍛錬を重ねます。ただ歩くだけに苦痛なんて感じないですよ」

 

「アレだけ食ったもんな。俺はもう死にそうだぜ」

 

「……はぁ。仕方ないから奢りますよ。何か食べます?」

 

「情けで奢られてたまるかよ!」

 

「子どもですか……いや、子どもの方がまだ聞き分けありますよ」

 

 

 とは言え、彼が疲れているのは見て取れる。

 仕方なく、休憩を取る事にした。海が見えるベンチに座る。

 

 

「何処にいるんでしょうか……海堂直也さんは」

 

「コンサート当日で良くねぇか?」

 

「それは私も、海堂さんも困りますよ。ギターがないと、向こうもリハーサルとか出来ないじゃないですか」

 

「律儀だなお前。どうせ予備のギターとかあんだろ」

 

「それはないですよ」

 

 

 傍らに置いたギターケースを、姫柊は優しく撫でた。

 

 

「特別な一つと言うのは存在します。同じ形で何十も量産されている物の一つでも、それを十年と使い続ければ、手に馴染んでしまいます。そうなれば同じ種類で買い換えても、全く使いこなせなくなってしまう。形は同じなのに、何故か上手く使えなくなってしまうんです」

 

「………………」

 

「それは同じ形であっても、同じ物じゃないからですよ。ほんの数ミリの歪み、コンマ数センチの重心の違い、僅かな触感の違い……作られた物にはどうしてもエラーが積み重なって発生します。そのエラーを深く理解して、エラーの積み重なりを総合して把握して、これにはこう動かすんだって、身体が覚えてしまうんです。一ヶ月二ヶ月じゃ足りません、沢山の時間が必要です」

 

 

 ギターケースから手を離し、ベンチに深く凭れる。

 

 

 

「ギターも同じです。彼の手には、このギターしか収まらないでしょうね……強い愛着と年季を、一瞬握った時に感じたんです」

 

 

 戦闘中にそれを感じ、だからこそしまい直して戦場から遠ざけた訳だ。

 

 

「……んなもん、握っても分かんねぇだろ」

 

「私には分かりますよ。剣巫は霊力を操作出来ます。霊力は感覚と密接に関わります……ギターからの、あの人の強い念が感じられるのです。だからあの人には、予備のギターはありませんよ」

 

「俺には分かんねぇな。愛着とか拘りとか」

 

「では、そのベルトは?」

 

 

 否定しつつも、彼はベルトを手放したがらない。

 その事実を突きつけられ、言い澱む。

 

 

「これは…………なんだろな」

 

「巧さんが示す執着は、何処か整合性がありません」

 

「ハッキリ言いやがんな」

 

「それを判明させる事は私にとっても必要ですが……貴方にとっても、馴染みの品って事になるのでしょうか」

 

「馴染み……」

 

 

 海を眺める姫柊の視線を気にしながら、彼はアタッシュケースを撫でる。

 全く記憶はない、記憶はないのに、このベルトを握ると胸が熱くなる。

 

 これを持って怒りに駆られたような、これを持って喜んだような。兎に角、このベルトは自分でも考えられないほど自分にとって、無くてはならない物になっているようだ。

 記憶がない為に不気味で不思議ではあるが、安心感と信頼感は確かだろう。

 

 

 

 

 

 

「……さっ。海堂直也さんを探しましょ」

 

「はぁ? もう夜になるだろ?」

 

「終電ギリギリまで粘れますよね?」

 

「やってられるかよ!? 日を改めろ日を!!」

 

 

 斜陽の橙が群青に代わり、段々と黒になって行く。

 街灯がポツポツ、灯り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、海堂直也は、二人のいるブルーエリジウムとは別の場所にいた。

 アイランド・ウェストは、絃神島屈指の繁華街。夜を迎えたとしても、街は眠らないだろう。

 

 

 

「俺は、もう……駄目なんだよぉおおお……」

 

 

 街をフラフラ、千鳥足で練り歩く彼の姿。

 ギターを無くし、ヤキを起こした彼は、ここで酔い潰れていた。

 

 

「マエマエちゃんがいないと俺は無価値な人間なんだぁあぁああぁうわあああん!」

 

 

 街灯に当たったり、三角コーンを蹴飛ばしたり、立入禁止の文字のついたパネルを倒したり、酔った彼は自分の立ち位置さえ気付けずにいる。

 

 彼は街の湾岸部に来ていた。一般人は入れない、ひと気のない暗い場所。

 

 

「グスっ……マエマエちゃあ〜ん……何処行っちゃったんだよぉぅ……俺を一人にしないでよぉおお……」

 

 

 繁華街には沢山あった街灯が、ここまで来れば点々としか見当たらなくなる。

 視界は最悪だ。だが彼はお構いなしに突き進む。

 酔って若干、気が大きくなっている彼だ。暗闇なんかマエストロの紛失と比べればアオダイショウよりも怖くない。

 

 

 

 

「……んえ?」

 

 

 路上を歩いている時、街灯の側で何かを見つける。

 大きな、黒い塊。酔っている彼には、自分のギターケースに見えた。

 

 

「マエマエ……マエマエちゃあん!! マエマエちゃあああん!!」

 

 

 駆け寄り、塊に触れる。

 しかし触れた途端、手の平のぬるりとした触感に気付く。

 

 

「……んぁ? なんだ?」

 

 

 手の平を見やる。

 

 

 

 

 その手は、真っ赤に濡れていた。

 鼻腔を突く、鉄の香り。気付いた彼はそれが何なのかを察し、同時に酔いが覚め始める。

 

 

 

「…………血? 血!?」

 

 彼が触ったのは、肉の破片だった。

 

 

 次の瞬間、暗闇は真っ赤な光で染め上がる。彼の背後を、炎の馬が駆け抜けた。

 

 

 

「ぎゃあああああああアッツゥ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 湾岸近くの駅より、巧と姫柊が出て来る。

 

 

「もう明日にしようぜ!」

 

「明日じゃ見つからなくなりますよ! 折角、海堂さんがアイランド・ウェストに行った情報が聞き出せたのに……!」

 

 

 苦節の末、タクシードライバーより彼をアイランド・ウェストまで乗せた情報を得た。

 本当に偶然だった。帰りたいとゴネる巧に堪え兼ね、タクシーで駅まで行こうとした。その時、彼女の背負うギターケースを見た運転手が、同じギターケースを担いだ人を空港からホテルまで運んだと話してくれた。

 

 彼の泊まっているホテルを特定した上で、やさぐれた彼をアイランド・ウェストまで運んだとも教えてくれた。

 

 

 そして現在、終電ギリギリながらも乗り、ここに来た訳だ。終電は迎えているので、勿論、もう帰れない。

 

 

「今日どうすんだよ!」

 

「タクシーを見つければ良いじゃないですか。或いは、泊まるか」

 

「それもお前の金だろ! 嫌だね!」

 

「何の拘りなんですかそれ……交通費でギリギリなんですよね巧さん?」

 

 

 

 途端、辺りに爆発音。

 それは二人から近く、一キロもない湾岸倉庫地帯。

 

 

 巧と姫柊は互いに顔を見合わせた後、そこへ急行する。

 地下ケーブルが崩壊したのか、街灯が消えた。だが暗闇は侵食しない。代わりに明かりとなった、紅い火が見えたからだ。

 

 

 

「ぎゃあああああああアッツゥ!?」

 

 

 

 情け無い悲鳴が聞こえて来た。

 立入禁止看板を巧は蹴り、現場へ到着する。どうやら車か何かが爆発したようで、火事が起きているようだ。

 

 

 その中を必死に走り抜けて来る人影。青いベレー帽、青いジャケット、青いジーンズと青い靴の見覚えのある姿。

 

 

「海堂直也さん!?」

 

「アツアツアツアツアッツゥ!!??」

 

 

 彼の背中に、火が移っていた。

 気力で走っていたものの、熱量に耐えきれなくなり路上に倒れる海堂。巧は急いで近付き、上着で叩いて火を消そうとする。

 

 

「おい! どうした!? 何があった!?」

 

 

 火が収まった所で海堂の上着を剥ぎ、路肩に捨てる。

 火傷の脅威から逃れた海堂は息も絶え絶えに後方を指差しながら訴えた。

 

 

 

「け、眷獣……! 吸血鬼の、アレ、アレ!!」

 

 

 

 それだけで二人は、彼の身に何が起きたのかを予想出来た。

 アイランド・ウェストは眠らない繁華街……夜行性の多い魔族にとっての、憩いの場でもある。よって他の場所と比べ魔族の数が多く、それは夜になるともっと増加する。

 

 故に、何かトラブルが発生すれば、とてつもない被害が発生する危険の高い一帯でもあった。

 攻魔官らが特に重視して警備はしているが、個人所有の湾岸倉庫地帯にはいない。悪事を働くのにうってつけだろう。

 

 

「……巧さん!」

 

「あぁ!」

 

 

 巧はアタッシュケースを開き、ベルト一式を取り出す。

 それを肩にかけ、彼は倉庫地帯へ駆け出した。まだ、誰かが襲われている可能性があるだろう、急がねば。



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薔薇の指先 1

全体的にサブタイトルを変更しました。


 ベルトを担ぎ、駆けた巧だが、その先の光景に思わず足が止まる。

 

 

「……なんだこれ……!?」

 

 

 見覚えのある炎の馬が、虹色の何かに首根を掴まれていた。

 呻くように身体を震わす馬を五メートル持ち上げ、一息に地面へ叩きつけられた。

 

 力尽き、動けなくなった馬だが、虹色の何かは手を止めない。何度も何度も、引き千切る引き千切る。

 

 

 

 

「う……うぅぅ……」

 

 

 呻き声が左側から聞こえ、目を向ける。

 これもまた、見覚えのある吸血鬼がいた。

 

 

「お前……今朝の野郎じゃねぇか!?」

 

 

 オルフェノクの襲撃から助けた、あのチャラそうな吸血鬼だ。

 

 駆け寄り、状態を見る。

 右腕が欠損していた。それも千切られた訳ではなく、スパッと斬られたような切断面だ。

 腕は別の場所に落ちてある。海堂はその腕を触った訳だ。

 

 

「おい! なにされたんだ!? おい! おい!!」

 

 

 彼は荒い呼吸を繰り返した後、気絶する。

 眷獣を全力で出した事による魔力の枯渇、更には重傷と肉体的なダメージが祟った結果だ。

 吸血鬼は人間より、回復力が高い。人間にとっての致命傷も、彼らにとっては何とか生きていられる重傷程度の生命力だ。

 

 この腕の欠損も吸血鬼ならあまり狼狽えるような怪我ではないだろうが、回復にも魔力は必要。それが枯渇した状態では、魔族と言えども危険な状態に変わりない。専用の医療施設に連れて行かねばと、巧は考える。

 

 

 

 

 

 

「おや。もう一人、目撃者ですか」

 

 

 そんな彼を遮るように、第三者の声が響く。

 吸血鬼の眷獣が蹂躙され、炎が散りばめられる中、その男は逆光を浴び静かに歩み寄る。

 

 

 聖職者のような、法衣に身を包んだ、身の丈二メートルはある巨体の男。

 身体つきや顔立ちも逞しく、日本人離れした異国の人間。巧のイメージにある聖職者とは掛け離れていた。

 

 

 虹色の何かが蠢く手前、彼は巨大な半月斧を掲げ、猛禽類のような目付きで巧と吸血鬼を見据える。

 

 

「一人は燃えながら逃げてしまいましたが……錯乱に陥っていたので、状況などまるで覚えていませんか。見逃す事にしましょう」

 

「……お前か! こいつの腕を斬ったのは!」

 

 

 斧は血濡れ、滴っていた。

 

 

「その通りですが、貴方は見るからに人間ですね。魔族を助ける義理でも?」

 

「義理とかじゃねぇだろ! 魔族とか関係なくなぁ、ヒトを襲う奴があるかよ!?」

 

「単なるお人好しと言う訳ですか。献身的な態度は私としても好感が持てます……が、運が悪かったですね」

 

 

 血濡れの斧を振り上げ、ゆっくりと巧に迫る男。その姿は聖職者というより、処刑人だ。

 

 

「口封じをさせて、いただきますよ!」

 

「上等だ!!」

 

 

 肩にかけていたベルトを腰に巻き、携帯電話型のデバイス『ファイズフォン』を開く。

 それらを見た男は立ち止まり、愕然として顔で眺めていた。

 

 

「それは……何故、それを貴方が……?」

 

「……ファイズギアを知ってんのか?……なら尚更、話を聞かねぇとなぁ!」

 

 

 

 巧は『五』のボタンを三回の後、エンターキーを押して変身準備に入る。

 

 

『STANDING BY』

 

 

 設定完了の音声を確認し、ファイズフォンを閉じて天に掲げた。

 

 

 

 

 

「変身!」

 

『COMPLETE』

 

 

 垂直にソケットへセットし、変身完了。

 赤い光と共に、乾巧は仮面ライダーファイズの姿となる。

 炎が照らす中、フレーム部分は薄い赤の光を帯びていた。

 

 彼の姿を見た男は、愉快そうに顎を撫でた。

 

 

「ほぅ……それが、『新生の力』! 手合わせ願いますよ!!」

 

「手加減はしてやるぜ」

 

「はっはっはっ! それは私の言葉になるやもしれませんねぇッ!!」

 

 

 手首をスナップ。

 

 男とファイズが駆け出したのは、ほぼ同時だ。

 戦斧を構え、ファイズを両断しようと振り下ろされる。

 重たそうな見た目とは裏腹に、とてつもない攻撃速度だ。ファイズはそれに反応し、身体を逸らして回避する。

 

 

 斧は地面に衝突した瞬間、コンクリートを砕き、辺りに衝撃を発生させた。人間離れした剛力、何かしらの魔法を使える人間だと察知させられる。

 

 

「しゃあッ!!」

 

 

 ファイズはそれらを横目で見ながら、男への攻撃を重視。

 懐に入り込み、腹部を思い切り殴り付けた。

 

 

 チタン合金などを、軽く穴を開けられる威力のハズ。

 しかし彼の拳は、男の鎧が難なく受け止めた。

 

 

「硬っ!? ッぐぁ!」

 

 

 懐に入った彼を、男は蹴り付ける。

 瞬時に腕で防御したものの、流し切れない衝撃により横へ吹き飛んだ。

 

 

「我が聖別装甲は防護結界で守られています! 貴方と言えども、打ち破るのは不可能のようですねぇッ!!」

 

 

 態勢を崩した彼の元へ、再び戦斧を構え斬りかかる。空気が切れるほど、一閃。

 

 

「うおっ!?」

 

 

 斜め右方向より降ろされた斧を、地面を転がり何とか回避。

 

 

「ぬぅううッ!!」

 

 

 しかし斧は地面へ刺さる事はなく、僅か一ミリ程度地面を掠め、振り子のようにファイズが転がった先へ上昇。

 立ち上がろうとしていた彼にはそれを避ける事が出来ず、胸に一撃を食らう。

 

 

「うぐぁあっ!!??」

 

 

 胸部装甲に火花が散る。

 異常の威力によるインパクトは彼の身体を浮かし、倉庫の壁へと叩きつけられる。

 

 

 いや、叩きつけられる程度ではない。

 猛スピードで吹き飛んだファイズは壁を突き破り、倉庫内へ。

 

 

「イッつぅ……に、人間ならどうかなるって思っていたが……」

 

 

 男もまた、壁を破壊して彼の前へ再来。

 

 

「……化けもんだな」

 

「ほぉ……装甲車さえスライスする我が一撃を耐えますか。頑強さのみなら、私の鎧に匹敵するようですね」

 

「分析してんじゃねぇよ!」

 

 

 立ち上がり、彼目掛けて蹴りを放つ。

 その蹴りさえ、装甲を付けられた腕部に遮られる。

 

 

「ぐぅっ……!!」

 

 がら空きの懐に短く握った斧を叩き込まれ、ファイズは衝撃で後退。

 

 

「……やろぉッ!!」

 

 

 顔ならば鎧がないと、顔面へストレートを放つ。

 しかしそんな彼の思考はまるで読まれており、拳を男の大きな手の平で捕まれ阻止。

 

 腹を蹴られ態勢を崩された隙に、斧による袈裟斬り。

 

 

「ぐぁあッ!!」

 

 

 大きく身体を後ろに反らせ、倒れた。

 全くこの男に歯が立たない。聖職者の癖に、戦闘経験が豊富なようだ……本当に聖職者か怪しく思えてくる。

 

 

「本当に頑丈ですね……少し、私の自信と言うものが失われてしまいますよ」

 

「神父の癖に、慈悲とかねぇのか!?」

 

「私の慈悲を受けたくば、その『悪魔の鎧』を解きなさい。苦しみもなく、一撃で……『介錯』と呼ばれる処刑法ではありせんでしたか?」

 

「んな日本語覚えんなッ!!……てか、悪魔の鎧だと?」

 

 

 ふらりと立ち上がるファイズに、余裕の笑みを浮かべる男。

 だがその笑みには、微かに憎悪が含まれていた。

 

 

 

 

「貴方が思う以上に、その鎧は忌まわしき物と言う訳です。この世に存在してはならない物でした……我が宿望の為とは言え、あの『男』の協力を得てしまった事は軽い屈辱ですよ」

 

「……あの男?」

 

「少々、喋り過ぎましたか。到底、貴方では辿り着けませんよ」

 

 

 腰を落とし、斧を立てる。

 顔は影が隠していたものの、不気味に赤く光る左目のモノクルが、ファイズを捉え続けていた。

 

 

 

「……私一人も倒せない以上ねぇッ!!」

 

 

 男は飛びかかり、ファイズの苦悶の叫びが響く。

 

 

 

 

 

 

 

# PARADISE・BLOOD #

 

 

 

 

 

 

 

 

 巧が行った後、怯える海堂を突然揺さぶりながら姫柊が叫ぶ。

 

 

「それより!『雪霞狼』!! 雪霞狼を返してくださいっ!!」

 

「せ、せつかろー!?……ちゅーか嬢ちゃん、今朝の飛行機の!……待て。じゃあ、あの槍っぽいのは嬢ちゃんのか!?」

 

「貴方がギターケースを持ったまま、ここに来ていた事は知っているんですよ!」

 

 

 タクシーの運転手が、ギターケースごと担いで飲みに行った海堂の姿を教えてくれた。

 だからこそ姫柊は終電間近なのにここへ来た訳だ。彼は今、持参しているハズだ。

 

 

 しかし今の彼は、そんな物を担いでいない。

 親に説教される子どものように、目線を落としてモジモジ。

 

 

 

 

「どっか……落とした」

 

「何処ですか!? 何処に落としたんですかぁ!?」

 

「なんか、武器っぽかったから、攻魔官に渡せたらなって、思っとりましたけど……うん。落とした……」

 

 

 遠くで激しい衝突音が響く。

 巧になにか起きたのなら助けに行かねばなるまいのに。

 

 

「……あれ? そいや嬢ちゃん、同じケース……も、もしかして、持ってる!? マエマエちゃん!?」

 

「うぅ……!」

 

 

 巧のある前方と、雪霞狼が落とされているであろう後方へと視線を行ったり来たりさせる。

 助けに行くか、武器を探すか。しかし探している内に、巧はやられてしまうのではないか。

 

 二択なのに、多岐亡羊。

 

 

 

 巧の悲痛な叫びが響く。

 その声が彼女を決心させた。

 

 

「……っ!!」

 

「へ? じょ、嬢ちゃん?」

 

 

 マエストロを海堂に返上し、姫柊は倉庫の方へ走る。

 愛しのマエストロを胸に抱えた海堂は、彼女の後ろ姿を呆然と見るしかなかった。

 

 

「……あ、あれと戦うのかよ……無理だろよ!? 絶対!」

 

 

 自分には関係ないと、海堂はさっさと逃げようとする。

 お気に入りの上着が燃えたが、マエストロは返って来た。なら、長居する必要は全くない。

 

 

 酔いは覚めた。さっさと退散しようとした海堂だったが、後ろから聞こえた呻き声で振り向く。

 

 

 襲われた吸血鬼が、何とか持てる力を振り絞って逃げようとしていた。欠損し、片腕でゆっくりと這っている。

 

 

 

「…………」

 

 

 海堂は仕事柄、魔族の前でも演奏する事が多く、魔族の演奏家とも共演したりもする。

 一般的な人間よりも、魔族に対する思い入れはある人間だった。

 

 

「…………あーもう!!」

 

 

 逃げる為の足を、吸血鬼を助ける為に使う。

 意識が朦朧としている彼の腕を肩に乗せ、立たせて逃げようとした。

 

 

「ほらー! しっかりしろー! おめーさん吸血鬼だろ! んな怪我、軽傷だ軽傷ー!」

 

 

 足が覚束なくなり、最終的には海堂に引かれて引き摺られる。

 その分彼に負担がかかり、少し後悔の混じった表情で身体全てを駆動させ走る、走る。

 

 

「お、オレ、救急隊じゃなくて、ギタリストなんすけど……でも待て。天才ギタリスト海堂直也、絃神島で人命を救う……ヌハハ、話題になるな!」

 

 

 ぶつくさ独り言を喋りながら、追手を恐れつつ前へ前へと進んで行く。

 

 

 

 視界が地面ばかりに集中している為、前方に立っていた存在に気付かなかった。

 黒い地面に、色白い素足が見える。

 

 

 

「……え?」

 

 

 恐る恐る顔を上げた彼は、そこに立ち塞がる者に驚愕する。

 

 

 敵の追手かと肝を冷やしたが、目の前にいたのは少女。

 夜の闇と青が融合した、インディゴの長い髪。海風に吹かれふわりと靡き、風が止むとスッと落ち着く。

 白い肌、海堂の腰までも行かない背丈。一見すれば普通の人間の女性だが、こんな夜中の渚に一人はまずおかしい。

 

 

「…………え?」

 

 

 服装はケープコート一枚。

 それよりも海堂の目を疑わせたのは、肌だ。

 

 

 青白い彼女の肌に、虹色の光が蠢いている。海堂はそれを見て、口をあんぐり開き立ち竦んだ。

 

 

 

「………………」

 

 

 ひたり。

 少女は一歩、海堂へと近付く。

 怯えた海堂は手負いの吸血鬼を抱えている事を忘れ、情け無く尻もちついた。

 

 

「ひ、ひぃぃぃっ! ちょ、ちょ、ちょっと待てーい!! お、俺は通りすがりのギタリストだぁ!!」

 

「…………」

 

「ゆ、許して……ぎ、ギターしか弾けないけど……!」

 

「………………」

 

「ちくしょー! こんな島来なきゃ良かったーっ!!」

 

「……………………」

 

「うわぁぁぁ!?!?」

 

 

 少女は眼前。

 

 

 殺される……そう思い、頭を抱えた海堂だったが、少女は彼と吸血鬼にも目を向けず、ゆっくり横を通り過ぎて行った。

 

 

「…………へ?」

 

 

 少女の後ろ姿を見る。

 彼女は一旦立ち止まり、抑揚のない冷たい声で話した。

 

 

 

 

 

警告します(ウォーニン)

 

「も、モーニン? 夜ですけど……」

 

「ただちにここから退去してください」

 

 

 表情のない顔が、海堂へ向く。

 

 

「こ、ここ? 倉庫の事か? 言われなくても逃げるっての!」

 

否定(ネガティヴ)。対象は、この島全体です」

 

「……は? 島? 絃神島か?」

 

 

 明滅繰り返す街灯の下。

 少女は無表情を貫いていたが、一瞬照る光の中の彼女は、寂しげにも見えた。

 

 

 

 

 

「この島は近く、沈みます。なるべく遠くに……」

 

 

 

 それだけ告げると、少女はまた前へ向き直り、歩き去って行く。

 

 

 与えられた情報量の多さから、後ろ姿を眺める事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファイズは未だ、男を攻略出来ずにいた。

 立ち向かえば受け止められ、隙を探せば回避で精一杯となってしまう。更に男はファイズにチャンスを作らせない。

 

 そして最後は、あの巨大な斧で蹂躙されるまで。

 

 

「うあああ!!」

 

 

 無様に転がり回るファイズ。

 男はモノクルを弄りながら、退屈そうに呟く。

 

 

「貴方のそれは、私の知る物よりかなり劣化していますね。データを取るまでもない」

 

「ぐぅ……か、かてぇ……壊せねぇ……!」

 

「強度は高いようですが、衝撃までは流しきれないようですね。魔法由来ではない……本当にデータを取るに値しない」

 

「データデータってうるせぇなぁ!」

 

「しかし貴方の肉体へダメージが行くのなら、リミッターがかかるまで斬るのみです……そう言う装置には、過剰なダメージを負った場合に緊急停止する機能があるものですよ」

 

 

 

 斧を構え、迫る。

 最早、「あの手」しかないのかと、しかし生身の人間に使うのはどうかと……ファイズは迷っている。

 

 

 

「巧さんッ!!」

 

 

 男の背後なら、姫柊が現れる。

 突然の乱入者に、男は即座に対応し、身体を大きく捻り彼女へ斬りかかった。

 

 

 だが、巧と違い彼女は実戦の鍛錬がされている。

 男が自分に攻撃すると読み、横から迫る斧を身体を反らして回避。

 そのまま垂直に態勢を整え、斧の柄に乗った。

 

 

「なんと!?」

 

 

 男が動揺した隙に柄から飛び、装甲のない顔面へ膝蹴りをお見舞いする。

 

 

「ぐぅッ……!!」

 

 

 男の視界を潰した、隙を見せた。モノクルが割れ、光が消滅。

 迷っていたファイズだったが、もう四の五も言わない。姫柊の登場で決心を固める。

 

 

 

 

 左腰に着いた、デジタルカメラ型のユニット『ファイズショット』を右手に握る。

 メモリーをバックルからショットに移し、フォンを開いてエンターを押す。

 

 

『READY』

 

 

 赤い光がバックルより流れ、フレームを辿り右手へと向かう。

 その間姫柊は男の顔面から宙を舞い、ファイズの隣へ降りる。

 

 

 

『EXCEED CHARGE』

 

 

 ショットのメモリーが赤く光り、姫柊が華麗に着地。

 

 仰け反る男目掛け、ファイズは右腕を振りかぶりながら突撃。

 

 

「ぬぅ……!? まだそんな芸当が……ッ!?」

 

 

「ヤアアアアアアッ!!!!」

 

 

 男の腹部目掛け、渾身のフック。

 ファイズショットに充填されたエネルギーが、聖別装甲へ流れ込む。

 

 

「こ、このエネルギーはあぁぁ……!?」

 

 

 身体が浮き上がる。

 滲む赤いエネルギーを放出し、ファイズの伸び切った右腕に合わせ、男の身体は離れて行く。

 

 限界まで伸びた時、男は宙へ吹き飛び、自分がファイズにしたように壁を突き抜け、外へ。

 

 

 

「ハッ! ざまぁ見ろ!」

 

「あの男の法衣……まさか、『祓魔師』……!?」

 

「ん? 祓魔師?」

 

「有り得ません……祓魔師は高位の聖職者。彼らが市街地で……まして、魔族特区の絃神島で戦闘を行うハズは……!」

 

「……良くわかんねぇが、偉い人って訳か?」

 

 

 口では強気に振る舞うが、この力を人間に使ってしまった。

 心の底で恐れを感じながら、男がどうなったのか、外へと足を運ぶ。

 

 

 

 

 だがその足はすぐに止まる事になる。

 男が、立ち上がってまた倉庫に入って来たからだ。

 

 

「……素晴らしい」

 

 

 身体を保護していた聖別装甲が、ヒビ割れボロボロと、老朽化した壁画のように崩れて行く。

 

 

「アレ喰らわせても、おっさんは倒れねぇのかよ……」

 

「実に興味深い……! 防護結界が破られました! 私とした事が、してやられた! 仲間の存在と、そのような隠し手があったなどと!!」

 

 

 怒りではなく、賞賛と歓喜。高らかに笑いながら、男はファイズたちの六メートルも前で立ち止まる。

 

 

「どのような術式か、興味深い所ではあります!……観測機が壊れてしまった事が悔やまれますねぇ」

 

「その法衣、強化鎧……『西欧教会』の祓魔師ですね」

 

 

 姫柊の分析に、男は片眉を上げた。

 

 

 

 

「ご存知でしたか。如何にも! 私こそ、『ロタリンギア』の殲教師、『ルードルフ・オイスタッハ』!!」

 

 

 

 男……オイスタッハは自らをそう呼ぶ。

 姫柊に再び、動揺が訪れる。

 

 

「ロタリンギア……何故そんな遠方の祓魔師が、絃神島で攻撃行動を……!?」

 

「目的として不埒な吸血鬼を狩っていたのですが。昼間に街中で眷獣を解き放った愚か者と聞きましてね……今頃片腕を失くし、這い蹲った所を『彼女』が喰らっている頃でしょうね」

 

「……仲間いるのか!?」

 

 

 オイスタッハ一人の犯行と思い込んでいた彼は、吸血鬼の保護に向かおうと駆ける。

 

 しかし、彼は宣告した。

 

 

 

 

 

「さぁ!!『アスタルテ』!! 貴女の力を見せる時ですッ!!」

 

 

 

 ファイズが向かう先にあるシャッターが、自動的に開く。

 思わず立ち止まった彼の前に、インディゴの髪の少女。

 

 

 艶かしく蠢く、虹色の光を白い肌に映される。

 念じるように、されどその時まで眠るように、目が閉じられていた。

 

 

「こ……子ども!?」

 

「巧さん!! 離れてッ!!」

 

 

 姫柊が忠告を叫んだと同時に、目が明く。

 無機質な目に、淡い青の光が宿る。

 

 

 

 

 

「……命令受諾(アクセプト)

 

 

 ケープコートをはだけさせる。

 

 

 

 

執行せよ(エクスキュート)、『薔薇の指先(ロドダクテュロス)』」

 

 

 コートの隙間より、何かが現れる。

 ファイズが見た、『虹色の何か』。その正体が、彼自身へと襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付いた頃には、彼は宙を舞っていた。

 そして意識を、手放してしまう。



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薔薇の指先 2

お待たせしました。


 卒然に景色は変わる。

 少女の身体より放たれた、巨大な虹色の腕。

 それはファイズを殴り付け、天高く吹き飛ばす。

 

 

 衝撃でベルトが外れ、光と共に元の姿になった巧。

 失神し、無防備の状態のまま、硬い地面に落ちた。

 

 

 

 

「巧さんっ!!??」

 

 

 姫柊が即座に、倒れた彼の側に駆け寄る。

 装甲を通過したダメージにより、痣だらけの顔。肩を叩いても、目は覚まさない。

 

 

「はっはっはっはっ!!」

 

 

 哀れな二人の様子を眺めながら、オイスタッハは高らかに笑う。

 

 

「どうです? これが私の切り札です。呪われた悪魔の鎧と言えども、神の加護を受けたこの力の前では無力ッ!!」

 

 

 はだけさせたケープコートを直す少女こと、アスタルテ。

 彼女とオイスタッハを、姫柊は睨み付ける。しかし内心、驚きで満ちていた。

 

 

「……その子、『人工生命体(ホムンクルス)』ですか……!? どうして、眷獣を……!?」

 

「おや、看破してしまいましたか。先程の戦闘能力、判断能力を含め、貴女は普通の少女ではないようですね」

 

「一体、どう言うつもりですか!! 祓魔師が人工生命体を引き連れ、虐殺行動だなんて!!」

 

「聞かれた所で、話す義理はありませんよ」

 

 

 オイスタッハはアスタルテへ、再び命令を飛ばす。

 

 

「アスタルテ。彼女たちへ慈悲を」

 

命令受託(アクセプト)

 

 

 素足のまま、一歩一歩、彼女は近付き始める。

 人工生命体らしい無感情な瞳。その瞳には、窮地に怯む憐れな青年と少女が映る。

 

 姫柊は巧を抱え、アスタルテから離れようと後退る。

 逃げなくてはならないが、巧を抱えて逃げるのは困難だ。

 

 巧を放置すれば逃げ切られる……そんな事、一縷も彼女は考えなかった。

 

 

執行せよ(エクスキュート)

 

 

 アスタルテの肌に、蠕動する虹色の光。眷獣を解き放つ準備だ。

 雪霞狼が無い現状。何かないか、この状況を打破する何かがないか。姫柊は辺りを見渡した。

 

 

 

 

 

 彼女の後ろに、外れたファイズギアがある。

 

 

「……これしかないんですか!」

 

 

 ベルトのソケットからファイズフォンを抜き取り、即座に開く。

 確かこれを開き、何かボタンを押せば変身出来る流れだったハズだ。

 

 

「ふむ。それを使うのですか。慣れていない様子ですが?」

 

 

 芸を覚えたペットでも眺めるかのようなオイスタッハを無視し、ファイズフォンの液晶に表示されたコード表を見る。

 

 

 変身コードは『5・5・5』……だが、それよりも目に止まったコードがあった。

 

 

 銃のような形のアイコン。コードは『1・0・3』。

 

 

(こ、これ、銃にもなれるの……!?)

 

薔薇の指先(ロドダクテュロス)

 

「うっ……!!」

 

 

 アスタルテのコートを突き破り、虹色の腕……眷獣が現れた。

 もう時間がない、姫柊は直感的に操作する。

 

 

 液晶部分が、ガチャっと左に折れた。

 慌ててコードを入力。

 

 

 1・0・3・Enter。

 

 

『SINGLE MODE』

 

 

 音声が流れた瞬間、一か八かの状態のままファイズフォンを向ける。

 

 

 

 

 その先はアスタルテではなく、オイスタッハ。

 

 

「なに?」

 

 

 余裕のあった彼の表情が歪む。

 

 ファイズフォンの持ち手部分にあったトリガーを握り、一息で引く。

 電子的な射撃音が響き、電話で言うアンテナの位置から赤い光弾が放たれた。

 

 

「銃にまで……!」

 

 

 彼の前に、眷獣を従え攻撃態勢に入っていたアスタルテが即座に守護に入る。

 光弾は二人に直撃する事なく、アスタルテが展開した防御結界により消失。

 

 

 

 

「やはり守りに行きましたね」

 

 

 今のオイスタッハには、防御をしてくれる鎧はない。巧が破壊してくれたからだ。

 ならばそれを補うのは、使役しているアスタルテのハズ。彼女の読みは当たった。

 

 

 そして今二人は、身を寄せ合うように近付いている。

 姫柊は銃口を出鱈目な方へ向け、トリガーを引く。

 

 

「何処を撃って……!?」

 

 

 ここは倉庫だ。搬送待ちの積荷が満載され、縦に積まれている。

 彼女はそれらに連発して光弾を浴びせた。

 

 

 弾は着弾と同時に、破裂するかのように小規模のスパークを発生。それによる衝撃は積荷を固定するロープを切り、揺らす。

 

 

 

 

「アスタルテッ!! 一掃をッ!!」

 

 

 

 積荷の山が覆い被さるように、二人に倒れかかる。

 

 

命令受託(アクセプト)

 

 

 羽のように生えた腕が、襲い掛かる積荷を薙ぎ払う。

 轟音、衝撃音、破壊音と破片を撒き散らし、豪快に蹴散らした。

 

 

 それでも雨のような降り頻る木屑と鉄屑、粉塵と中身の品物に視界を奪われた。

 

 

「追撃しなさいッ!! 彼女はこれを狙っていたのですッ!!」

 

 

 邪魔な物を払いのけ、粉塵を掻き分け虹色の腕が姫柊と巧のいた場所に伸びる。

 蚊を叩き潰すかのように、有無を言わさずその地点に手の平を落とした。

 地面が割れ、振動が倉庫中を揺らす。発生した風は、落ちた破片を再び舞い上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 煙が晴れる。

 

 

命令未遂(インコンプリート)。対象の消失を確認」

 

 

 気絶した巧も、銃を構えた姫柊も、忌まわしきファイズギアも無くなっていた。

 何処から逃げたかはすぐに分かる。アスタルテが入って来た、シャッターの上がった搬入口。

 

 

「逃した……ッ!! すぐに追跡をしなさい!!」

 

 

 アスタルテに命令するオイスタッハ。だが彼女は眷獣を消し、コートを羽織り直すだけ。

 

 

命令認識(リシープド)。ただし第三者の存在が確認されます。再度、命令の決定に一考を要求します」

 

「第三者……ぐっ……潮時ですか」

 

 

 遠方から響くサイレン。

 あれだけ暴れた上に、目撃者一人を前に逃してしまっていた。通報されてもおかしくはない。

 

 

「……仕方ありません、ここは引きましょう。着実に実験は進行しているのですから……」

 

 

 オイスタッハはそう呟き、倉庫から出ようと踵を返した。

 その後を続くアスタルテ。無感情な目に、憐れみが浮かんでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[ PARADISE・BLOOD ]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この絃神島に於いて、一軒家を持つ事は多大なステータスとなる。

 人工島と言う以上、慢性的な土地不足の問題からは逃れられない。故に店も企業も学校も、縦に伸ばして何とか土地を確保している。

 

 つまりは地価が桁違いに高い。そんな絃神島で贅沢に家を構えられる事は、天井知らずの社会的地位と莫大な財産を持つ『成功者』の証明だ。

 まさに、世界的企業スマートブレインの現社長に相応しい称号だろう。

 

 

 閉社後、帰宅した木場は例のアタッシュケースを持ったまま自分の家に入り、そのままソファに倒れ込んだ。

 最近は朝早くに発ち、夜遅くに帰る生活が続いている。休日もあってないような日々だ。家にいる時間は、殆どない。

 住居を構えたが、正直無駄な買い物だったのではと、最近は思い始めていた。これなら学生時代のような、ワンルームで事足りる。

 

 

「……たった八時間の為のマイハウスか……」

 

 

 自嘲気味に呟いた後、彼は乱れた髪をそのままに身体をよじる。

 

 

 視線の先にはテーブルの上に置いた、アタッシュケース。

 少し考えた後に、木場は身体を起こしてケースを開く。

 

 

 

 白いベルトと、二つのアタッチメント。一つは拳銃のような無線機、もう一つは前時代的な分厚いデジタルカメラ。

 一緒に入れられていたマニュアルを読む。『デルタギア』と、名前があった。

 

 

「…………これを、俺がどうしろってんだよ……」

 

 

 御誂え向きの社長時と打って変わり、ややぞんざいな口調。

 ケースから装置を抜き取り、観察する。とても不思議な力があるように見えないが、前社長の事件を思い出し、丁重には扱う。

 

 

「……花形さんは一体、何を……」

 

「ご説明しまぁ〜す!」

 

「うわぁぁあ!?!?」

 

 

 背後から飛び出す、スマートレディーの声。

 不意を突かれた彼は身体を跳ねさせ、ソファから落ちる。

 

 

「驚かしてすみませ〜ん! でもぉ、これくらい慣れないと今後が大変ですよぉ?」

 

「き、君、どっから入って……!?」

 

「それは問題ではありませぇんっ! ぷんぷん! 今、社長さんは大事な選択をしなきゃいけないんですよぉ?」

 

 

 スマートレディーが取り出したのは、怪しい薬品の入った注射。

 破壊されたオブジェから、デルタギアと一緒に発見された物だ。

 

 

「それは今の状態だと、絶対の絶対に使えません。ですので、このお注射をしなきゃいけないんですぅ」

 

「だからそれは、何なんだよ! そんな不気味な薬、注射出来るか!」

 

「痛くないですからねぇ?」

 

「痛い痛くないの問題じゃないんだよッ!!」

 

 

 注射針を近付けて来るスマートレディーを払いのけ、離れた位置で立ち上がる。

 

 

「第一、これはなんなんだ!? 花形さんは何でこれを俺に託したんだ! 花形さんが村上前社長の事件に関わっていたのか!?」

 

 

 花形は五年前に亡くなっている。棺桶越しに、死に顔も拝見した。

 何故、今になってこんな話が来たのか。

 

 

 

「説明すると時間がかかりますけどぉ……うーん。まず、このデルタギアについては、花形さんご本人からの物でぇす」

 

「あのオブジェに埋め込んだのも……!?」

 

「ご名答! 流石は社長さんですぅ! 前社長さんの行動を止める為に残した物でもあります。あ、丁寧に末長く扱ってくださいね♡」

 

 

 一々可愛子ぶった話し方で苛つくが、それを追求しても仕方ない。質問を進める。

 

 

「じゃあ、おかしいじゃないか。五年前にはオブジェが爆破されるって、花形さんは予言していたって事かい?」

 

 

 カウントダウン云々の話はそうだろう。

 しかしその疑問は、簡単に解決された。

 

 

「予言も何も、あれは花形さんが考えた計画ですよ?」

 

「……なんだって?」

 

「爆弾の設置を花形さんから前社長に提案させ、あのギミックを作ったんです!」

 

「ま、ま、ま、待ってくれ。ちょっと待ってくれ! だから花形さんは五年も前に死んでいるって!」

 

「衝撃の事実! 花形さんは死んでいません!」

 

「は?」

 

 

 

 スマートレディーの言葉に、木場は二の句を出さない。

 死んだハズの前々社長、花形が生きている。それもあっさりと言われた。

 

 

「な、何言っているんだい。僕は花形さん葬式に参列したし、遺体も拝見した! 状態も知っている、心臓発作だ!!」

 

「スマートブレインでしたら、替え玉も簡単で〜すっ」

 

「でも、心臓発作で死んだ事は確かだ!! 危篤状態で搬送された時に病院に行ったし、医師からも説明を受けた! あれも替え玉だってのかい!?」

 

「まぁ、正確には前々社長は死んでいましたけど、死んでいなかったんですっ!」

 

「だぁぁもぉッ!! 意味が分からないよ君の言う事がッ!!」

 

 

 理解出来ず、頭を掻き毟り片足を揺さぶり、癇癪を起こす。昔から少し短気な性格だった。

 

 

 そんな彼を前にしても、スマートレディーは相変わらずニッコリ笑顔。

 

 

 

 

「そう! 前々社長は、『蘇った』んです。蘇り、動き始めたんですよぉ」

 

 

 大袈裟な動作を取りながら人差し指を立て、彼女は続ける。

 

 

 

「私たちはこの現象を、『神下転生(しんかてんせい)』と呼んでいまぁ〜す♪」

 

「……神下転生?」

 

 

 スマートレディーは満足げに頷いた。

 

 

「つい十年前より確認された現象でしてぇ……条件は人間が死んだ時、『オルフェノク』として復活する事が前提でぇす」

 

「お、オル……?」

 

「あ、今は聞き流していただいて結構ですぅ。兎に角、花形さんは生きているって事で〜す! やったあ!」

 

 

 置いてきぼりの彼をそのままに、彼女はケースからデルタギアを抜き取り説明を続ける。

 

 

「でもぉ、緊急事態……前社長さんが第四真祖を発見したと同時に、欲を剥き出しにしたんですよぉ。え〜〜んっ!」

 

「……それが、例の……でも花形さんと関係は」

 

「関係はありますよ!『元々の用途』から、前社長が『アレンジした』んです! つまり乗っ取られちゃった♪」

 

 

 そんな可愛い言い方で軽く言われても困ると、木場は呆れて頭が痛くなって来た。

 

 しかしそうなると、結論はこうなってしまう。

 このベルトも、村上の事件の物も、花形が作ったのではないかと。

 

 

「……じゃあ! 前社長のアレも、花形さんの物って事かい!?」

 

「だからア・レ・ン・ジって言いましたよぉ? 前社長さんが全てを変えてしまったんです……と言うより、変えるのを待たれていたと言いますか〜……?」

 

 

 あやふやとした物言い。

 我慢ならなくなった木場がとことん追求してやろうと踏み込んだ瞬間、デルタギアを放り投げられてしまう。

 

 

「わっぷ!?」

 

「前々社長さんは、計画の『リスタート』を望んでいます」

 

 

 反射的に目を瞑り、スマートレディーを視界から消した。

 

 

 

 

「木場社長さんが、選ばれたんですよ! パチパチパチ!」

 

 

 デルタギアを受け取り、目を開ける。

 さっきまでいたスマートレディーの姿は、何処にもいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……うぅ……」

 

 

 陽の光を浴び、巧は目を覚ます。

 心地の良い波音が聞こえて来る、ここは渚だろうか。

 

 

「……お、俺は……?」

 

「あっ! 巧さん!」

 

 

 目を開くと、姫柊が傍まで近寄って来た。

 どうやら自分は気絶していたようだと、吹き飛ばされた記憶から判断する。

 

 

「姫柊……あ、あいつらは?」

 

「何とか逃げ切りましたよ。今はワンブロック先の湾岸にいます」

 

 

 辺りを見渡せば港の中、コンテナの後ろにいた。

 立ち上がろうとするが、身体全体に激痛が走り、顔を歪めて再び臥せる。

 

 

「無理はいけません!……でも、眷獣の一撃を食らっても重傷に至らないなんて」

 

 

 あれだけの攻撃に当てられた割には、彼の怪我は大きなものではなかった。

 本当にあのファイズギアはとんでもない代物だと、姫柊は改めて気付かされる。

 

 

「イテテ……あれは何だったんだ?」

 

 

 痛みのお陰で昨晩の記憶が蘇る。

 

 

 突如現れたインディゴの少女。

 その身体から顕現する、虹色の腕。闇を割いた暁。

 

 

 

「眷獣ですよ。それも、かなり強力な部類の」

 

「一撃で気失っちまった……じゃああの女も吸血鬼かなんかだったか?」

 

「いえ、あれは人工生命体です」

 

「なに? ホムンクルスぅ? なんだそれ?」

 

「ホムンクルスを知らないんですか? 人為的に生み出された生命体です」

 

 

 限りなく人間に近い、人造人間の事だ。

 思考、容姿、言語能力に至るまで人間と何ら変わらないが、そこまで至るには遺伝子からの創造が必須であり、その莫大なコストから今ではあまり製造はされていない。

 この魔族特区たる絃神島でも、見る事は殆ど無いだろう。

 

 

「限りなく人間に近い……って事は、眷獣なんか使えねぇじゃねぇか」

 

 

 無論、ほぼ吸血鬼の特権でもある眷獣の使役など、ただの人造『人間』である人工生命体には到底無理な所業だ。

 

 

「人工生命体の利点は、遺伝子レベルからの操作が可能と言う点ですが……だからと言って吸血鬼化なんて出来ませんし……」

 

「……考えても仕方ないか」

 

 

 軋む身体に鞭打ち、巧はゆっくりと立ち上がる。

 止めようとする姫柊だったが、彼自身がそれを手で制した。

 

 

 

 

「……サンキュー。なんか、助けられたな」

 

 

 痣の出来た顔で微笑んだ。

 いつも仏頂面で滅多に笑わない巧だが、時折見せる笑顔は優しい。

 その笑顔を見せられたのなら、姫柊もどうこう言う気が失せる。

 

 

「……あいつらの目的はなんだ? 吸血鬼狩りか?」

 

「享楽的に実行しているようにも、怨恨にも思えません。別の目的があるに違いありませんが……アジトすらも分からない今、何とも」

 

「何にせよ、目撃者ってだけで人間にも手を出す奴をほっとけない。止めねぇと」

 

「巧さん」

 

 

 姫柊に呼び止められ、振り返り視線を合わせる。

 彼女は真剣な表情だ。

 

 

「……これは魔導テロの可能性もあります。ロタリンギアの殲教師、眷獣使いの人工生命体……何か大掛かりな事をするハズです」

 

「それは分かってる。だから止めるんだろ」

 

「魔導テロの阻止は獅子王機関の仕事。巧さんは、関わらなくても良い案件です」

 

「あ?」

 

「……危険なんです。貴方を巻き込みたくありません」

 

 

 彼には妹がおり、家族がある。ならば何もない自分が、全てを背負えば良い。そう彼女は考えていた。

 いや、実務的な意味もある。彼はオイスタッハに苦戦し、アスタルテの眷獣に負けた。戦闘経験がない者に協力させてはならないだろう。

 

 

「今更かよ……」

 

「……昨夜、つい貴方を戦闘に立たせてしまいました。結果、こんな怪我まで負わせてしまって……とても、心苦しいんです」

 

「………………」

 

「……貴方には、死んで欲しくはありません」

 

 

 姫柊の言葉を受けながらも、彼は足元を見遣った。

 ファイズギアの収納されたケースがある。彼女が丁寧に仕舞ったのだろうか。

 

 

 ケースの持ち手を握り締め、ゆっくり持ち上げる。

 

 

 

 

「……それは俺にも言える事だぜ」

 

 

 目線を、姫柊に戻した。

 水平線から昇る太陽が、瞳に宿っている。

 

 

「俺が足手まといなら切れば良いし、勝手にしてくれても構わない。それでも俺は俺で動く」

 

「巧さん、分かってくださいよ……下手をすれば、国際問題に発展するほどの事案なんです!」

 

「お前一人に背負わせねぇからよ」

 

 

 彼の言葉で、姫柊は絶句した。

 

 

「お前はボロボロに打ちのめされても、それを隠してんだろ?」

 

「ボロボロだなんて……」

 

「昨日、オルフェノクにやられた傷、治ってないだろ」

 

「……っ」

 

 

 彼の言う通り。服の下には、痣や傷跡が生々しく残っている。

 

 

「辛いのなんのひた隠して、一人だけで動く奴をさ」

 

 

 

 また彼は微笑んだ。先程とは違い、何処と無く不器用な笑み。

 奥底には経験のない、後悔の記憶があった。

 

 

「……ほっとけねぇんだわ。個人的に」

 

 

 

 アタッシュケースを持ち、足を引きずりながら先を行く巧。

 その後ろ姿を呆然と眺めていた姫柊だったが、少し歩いた所で振り返る彼とまた目が合った。

 

 

 

 

 

「なぁ、家まで送ってくれよ。金がない」

 

 

 真面目な顔で情け無い事を言う巧に失笑しつつ、呆れと安堵を含んだ表情で姫柊も歩き始めた。

 

 

 

 

 

「雪霞狼、どうしましょう。海堂さん、どっか落としたと言っていましたから……」

 

「探すか?」

 

「今の巧さんの状態で探せませんよ……届け出があれば良いんですが」

 

「こうも見つからねぇとお前、その雪霞狼ってのに嫌われてんだろ」

 

「そんな事ありません! 絶対!」

 

 

 互いに愚痴り合う帰り道。

 橙色の日の出が次第に、白くなって行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃海堂直也は、昨夜飲んでいたバーの裏手である物を発見する。

 

 

「み、み、見つけた……!」

 

 

 ギターケース。

 中を開けば白銀の槍……雪霞狼。



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