Fate/ Is animation holy ? (旅兎@pixivと併用)
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序章~次元を超えた邂逅~

プロローグ……?

 

 聖杯戦争。それは七人の魔術師が万能の願望機、「聖杯」を手にするために命を賭けて争う血塗られた儀式である。

 その儀式では「剣士(セイバー)」「弓兵(アーチャー)」「槍兵(ランサー)」「騎兵(ライダー)」「魔術師(キャスター)」「暗殺者(アサシン)」「狂戦士(バーサーカー)」と呼ばれるサーヴァントを魔術師たちは召喚し、魔術師たちはサーヴァントのマスターとして最後の一人になるまで戦い続けなければならない。

 そんな聖杯戦争であるが、その名を冠する儀式は数多の世界で星の数ほど行われてきた。日本の冬木と呼ばれる地では計五回。様々な世界に視線を変えれば数えきれないほどである。

 この物語はそんな莫大な回数行われてきた聖杯戦争の内の一つを描いたもの。世に蔓延るこの儀式の一つの側面だと思っていただきたい。

 

①「没落魔術一族の希望と騎兵(ライダー)クラスのイケメン少女」

 

「祖に軌跡と奇蹟の邂逅。

 降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、神の盃より出で、黄泉に至る三叉路は循環せよ。

 満たせ。満たせ。満たせ。満たせ。満たせ。

 繰り返すつどに五度。

 ただ、満たされる次元を破却する

 ……告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の馬に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ

 誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、

 又は常世総ての悪と成る者。

 汝三大の言霊を纏う十三天、

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ……!」

 薄暗く、湿った空気の中で一人の女性が赤黒い魔法陣の前で本当に小さな羊皮紙片を見ながらこんな魔術詠唱を行った。

 直後、赤黒い幾何学模様は仄かな青白い光を発し、その光の眩しさは一秒ごとに増していく。そして遂にはその女性の視界の全てを白く染め上げる程の光がそこには満ちた。

 それを遮るために女性は己の両腕をクロスするように自分の眼前に添え、眩きに耐えながらも決して目を逸らさぬようにと努力する。そんな彼女の眼にはとても大きな意志が見て取れる。先程まで手に握っていた紙片は今はもうない。光と共に発生した風圧でどこかに飛ばされてしまったようだ。

 この女性はジャネット・ヴェドリーヌ、十九歳。ヴェドリーヌ家の現当主であり、魔術師の卵である。

「どう、かしら……?」

 光と風の加減が若干和らいだこともあり、彼女、ジャネットは遮光のための両腕をわずかに下げる。

 彼女が景色を視界に取り込み始めると同時に光は加速度的に収束していき、物の数秒で数刻前、魔術詠唱を始める前のような部屋の景観が現れてくる。

 しかし、先程までとは違った点がある。それは……

「まさか、こんな事になるなんてなぁ。うーん……」

 赤黒い魔法陣は薄れて掠れ、その上に一人の可憐な少女が少し困ったような表情を浮かべながら静かに佇んでいた。まるで異界から転生されたようだ。

 そんな少女の第一声を聞いたジャネットは刹那の間、呆けてしまう。が、すぐさまその阿保みたいな表情を取りやめる。そして馬鹿みたいに叫ぶ。

「よっし、成功したわ!まずは第一段階成功ね!」

 彼女にとってこの儀式が一つの関門だったらしく、その成功を素直に喜ぶのはとても微笑ましいが、こんな薄暗くて陰気な部屋であからさまに年下の少女の前で彼女に対して背を向けて年甲斐もなくはしゃぐというのは少しばかりみっともない。

 そんなジャネットの様子を、今となっては破線で描かれている幾何学模様の上に立つ少女は苦笑いを口元に浮かべながら眺めている。この少女の方がよっぽど大人だ。

「あ、ごめんなさい。つい盛り上がってしまって」

 そんな少女の苦笑に気付いたのか、ジャネットは気持ちの昂ぶりを抑えて声を掛けながら少女を振り向き見る。その姿は少し優雅に見えた。そんな彼女の仕草に少女はほんのわずかに美麗さを感じる。

「私はヴェドリーヌ家当主ジャネット・ヴェドリーヌ、あなたのマスターよ。これからよろしくね」

「あ、よろしくお願いします。僕の名前は……」

 少女が名を告げようとする。しかし、それをジャネットが遮る。

「私の望みを叶えるまで共に頑張りましょ」

 その声は少女の肩をブルッと震わせるほどの凄みが含まれていた。

 

 二人の女が邂逅している部屋の片隅にちょっとした羊皮紙片がゴミくずのように置かれていた。それにはびっしりと黒色の文字が刻まれていた。筆記体で書かれたとても美しい字、とても人間の手によって生み出されたとは思えないような字体だ。

 その文字群の一部には次のようなことを記してある。

“貴殿は聖なる杯に願望を叶える資格が与えられた者なり。己の望みを明確にし、以下の陣と文を使い〈映霊〉と呼ばれる従者を召喚せよ。その身体に令呪と呼ばれる不可思議な文様が現出し、〈映霊〉を具現化出来たら貴殿も〈聖杯戦争〉の参加者たる〈マスター〉となる。〈マスター〉となれば他の〈マスター〉を蹂躙したった一人の勝者となれ。さすれば貴殿の望みを叶えるべく万能の願望機が貴殿の眼前に現れる”

 

 先程までの薄暗い部屋、地下室からは一転変わって今は来賓室にてジャネットと少女は向き合っていた。どうやらティータイムのようであり二人は華美な装飾が施されたアンティークカップを手に自己紹介をしていた。

「さて、先程はあなたの名前を聞きそびれてしまったわ。では改めて……」

 ここでジャネットは一つコホンと咳払いをする。この時に流れた重苦しい空気のせいか、少女の方は生唾を飲み込む。そんな彼女の様子を気に留めることは無く、ジャネットは言葉を続ける。

「貴女の真名はなにかしら」

 彼女は朗らかに笑みを浮かべながら少女に質問を投げた。しかし、その言葉にはどこか重みがあった。何かの責任か任務を背負わされた者が持つようなプレッシャーが無意識に放たれているのを少女は身体全体でひしひしと感じていた。そしてその感覚は少女にとっては初めてではない。むしろ彼女にとって数年前までは当たり前だった感覚だ。

 ここで少女が返答を少し遅らせたせいか、ジャネットが放つ圧が強くなった気がする。それに気付き、しまったと思った少女はついに口を開く。

「ぼ、僕はシャルロット・デュノア。聖杯の寄る辺に従い、二次元の電子空間から三次元の現世に見出された騎兵(ライダー)のクラスに当たるサーヴァント、です」

「……なるほど。シャルロット・デュノア、ね。聞いたことがないわ。途轍もない程マイナーな英雄か、それとも本当に今回の聖杯戦争のシステム通りなのか……」

 少女の真名を聞いたジャネットはしばしの沈黙タイムに突入する。がそれも三秒ぐらいで終わる。このままじゃ話が進まないと思ったのか次の行動に出るため立ち上がる。

「ど、どこに行くんですか……?」

 その様子を不思議に思った少女、ライダーはおどおどしながらジャネットに質問する。

「ちょっと取って来るものがあるだけよ。……ホントはあんまり使いたくないんだけど、アレを使えば貴女の事がもっと分かると思うしね」

 ジャネットはそうサラっと言い放ってすぐさま部屋から出て行く。

 ここでライダーはハァァとえらく長い溜息を吐く、吐いてしまう。重苦しい枷が外され、狭苦しい場所から解放された者が吐くような安堵の意が込められた溜息だ。

 溜息を吐きそのついでに深く深呼吸する。その後、今彼女自身がいる場所をグルッと見回す。

 ここで再び彼女は溜息を漏らしてしまう。今度は感嘆の意が籠っている。

「ほわぁ、なんかすごく豪華だよ。セシリアの部屋をレベルアップさせたって感じかな。っていうかセシリアの本家がこんな感じなのかな?行ったことないから分からないけど……」

 彼女が今座っているソファも、ソーサーが置かれているテーブルも、今は括られているカーテンも、壁に掛けてある絵画も、手に握られているティーカップも全てが輝いているように見える代物だとシャルロットは思ってしまう。

「これでも昔は名ある家だったのよ。この程度の物が無いはずが無いわ」

 ライダーが視界に入る全ての物に目を奪われている時に当主のジャネットは戻ってきた。その手にはこの部屋の調度品とは似つかないタブレット端末が握られていた。

「魔術師がこんなのに頼るのはホントは嫌なのだけれども、時代の流れに乗るっていうのも頭一つ抜けた魔術師になるためには必要かもしれないし使わせてもらうわ。遠坂の当主みたいな機械音痴は今時恥ずかしいしね」

 そう言ってジャネットは左手でタブレットを抱え右手でぎこちない操作を行う。

「シャ、ル、ロ、ット、デュ、ノ、ア、っと検索」

 こう呟いてジャネットは検索結果を眺める。時折右中指で画面をスクロールする。

「……やっぱり普通の聖杯戦争じゃないのね、今回の一件は。〈英霊〉ではなく〈映霊〉か。……シャルロット・デュノア、出典は『IS〈インフィニット・ストラトス〉』。原作は日本のら、ライト、ノベル?で2011年に初アニメ化。……ライトノベルって何なのよ」

「決まった定義は無いのですけれど大まかに言えば、本の中に数枚の挿絵があるのが特徴の中高生などの若者向け文学作品です。日本のアニメ作品はこのライトノベルを原作にしたものが多数あるんですよ」

 極東のサブカルチャーについて知る由もないジャネットの知識を補完するようにそのライトノベル出身のシャルロットが解説を行う。彼女も見た目的には日本のマイナーな文化を知ってそうな雰囲気では無いのだが彼女はそういう趣向の持ち主なのだろうか。

 それはジャネットも不思議に思った事のようで、そのことについて素直に問い質す。

「……その知識は聖杯から与えられたもの?それとも貴女が元から有しているものなのかしら?」

 だがその口調が怖い。ジャネットにとっては特に他意を含めているわけでは無いのだが聞く身になるとほんのちょっとした戦慄を覚える。下手なことを言ったら怒られるようなそんな感覚だ。

「えーっと、半分半分ってところですね。友達にライトノベルが好きな子がいるからそのおかげでちょっとは知っていたことを聖杯がより詳しく教えてくれたって感じです」

「なるほどね、現代のある程度の知識を与えるっているのはオリジナルの聖杯戦争と同じなのね。……この情報が現代社会で生きていく上で必要とは思えないのだけれども」

 ジャネットは溜息を漏らした後にまた溜息を漏らす。前半のは感動を表すもの、後半のは嘆息だ。

 こんなジャネットを見てライダーは顔を引き締め、彼女に注意を促す。

「いえ、そうとは限りませんよ」

 先程までのほんわかした表情とは打って変わりキリッとした目元や口角に少しの驚きを覚えたジャネットだったが特に気にすることなくライダーの放った言葉の理由を問う。

「だって今回の聖杯戦争は普通の聖杯戦争とは根本から違っているのですよ。その根本のところにはライトノベルなどの日本のサブカルチャー知識が必要不可欠になってきます。そのような情報が乏しいマスターのところにはその知識が補えるようなサーヴァントが召喚されるようになっているのですよ」

 ライダーのこの言葉にジャネットは「知識が乏しくて悪かったわね」と小言を漏らすがライダーは極力気にしていないような素振りを見せる。正直、ジャネットの小言にいちいちビクついていたら身体がもたないような気がしてしまうからだ。

 ライダーが自分の言った事をスルーしたと分かったのでちょっとした憤りを引っ込めてライダーに聞きたいことを聞く。

「やっぱり、今回の聖杯戦争は冬木のものとは根底から違うのね。……聖杯戦争の根底であるサーヴァントの選定基準そのものが違うなんて」

「はい。冬木の聖杯戦争を私たちは人工聖戦と教えられました。人工的に聖杯を用意し、それを巡って複数人の魔術師が鎬を削る儀式だと。それに対して今回の聖杯戦争は真聖戦と教えられました。人工聖戦で呼ばれるサーヴァントは神話や伝説、歴史の中で功績を遺した偉人、聖人、英雄だそうですね。ですが今回の真聖戦で呼ばれるのは……」

「勿論知っているわ。日本のアニメ作品に出てくる架空のキャラクター。なのでしょう?」

 ええ、その通りです。とライダーは短く答える。そして暫くの沈黙が両者の間に流れる。が、その沈黙を破る女性の発狂声が絢爛なヴェドリーヌ家来賓室に轟く。

「なぁにが真聖戦よっ!呼ばれるサーヴァントがアニメキャラの具現化とか全く神秘性とか聖性とかが感じられないんですけれどっ!!何!?カミサマっていうのはジャパニーズアニメーションヲタクなの!?」

 そんな事僕に聞かれても。と言いたげなシャルロットをよそにジャネットは頭を抱えている。ひどい頭痛に苛まれているかのようだ。

 こんなジャネットを見てライダーは、この聖杯戦争に際してこのマスターに従って大丈夫なのだろうかと思ってしまう。瞬時にこんな考えは失礼だと思考を止める。

 ふとここで彼女は己のマスターである外見をパッと見する。

 女性にしては背が高く、概算で百七十センチはあるであろう背丈、ここがどこの国で彼女がどこの国出身かは分からないが西欧風な顔つきにしては珍しい黒に近い茶髪を男性のように、とまではいかないものもそれなりにショートカットにしている。

 今は優雅の欠片も感じられないが先程、共にティータイムを過ごしていた時はライダーの学友である金髪縦ロールに引けを取らない令嬢感を放っていたように思う。とここで聖杯から与えられた知識の一つを彼女は思い出す。このヴェドリーヌ家についてだ。

 フランスにあるヴェドリーヌ家、起源を辿れば中世に遡るこの一族は商人、特に宝石商を営むことによって金と権力を手に入れ、貴族に引けを取らない程の力を手に入れた者たちである。

 ただの宝石商だった彼らだったがある時代から、交友のあった貴族に誘われて魔術を始めることにした。これがヴェドリーヌ家の魔術一族としてのスタートだ。

 最初はそんな軽い気持ちで始めたものだったが世代を重ねることに次第にその魅力に嵌まっていき、いつしか根源を目指す程の「魔術師」一族になっていた。ちなみに専門は宝石魔術ではなかったそうだ。

 そんな研究職である魔術に手を染める事が出来る程栄華を極めたヴェドリーヌ家だったがある時から衰退が始まる。それは商人としても魔術師としてでもある。

 最初に訪れたのは魔術一族としてのものである。ある代から子どもへの魔術回路の継承が上手くいかなくなってしまったのだ。優秀な魔術回路でもその継承が五割も出来なければ回路の劣化と言って差し支えないのになんと三割ほどしか継承できなかった代があったのだ。

 これの原因は不明である。ただただ時の運が無かったとしか言いようがない。

 宝石商の方は単純に取引相手がいなくなったのが原因である。それは魔術師としての能力が落ちぶれてきたのと時期が一致する。この重なり合いはまるで万事の神がこの一族に対してそっぽを向いたかのようであると、かつての当主は言ったそうだ。

 現在のヴェドリーヌ家の魔術界の位置づけは端的に言って「落ちぶれ一族」である。

 そんな一族であるが根源への渇望は無くなっておらず意地と根性だけで世の魔術師たちに対抗している。そんな中ヴェドリーヌ家には希望となりうる子が誕生した。それがジャネットだ。

 どんな異変が起きたか分からないがジャネットは全盛期のヴェドリーヌ家当主の六割ほどの魔術回路を持って生まれ、近代以降のヴェドリーヌ家の子の中で最有の魔術師になり得た。これには彼女の両親、親戚一同は大喜びし、彼女に一族の望みを託した。

 それでも彼女の魔術回路は非凡の域には遠く及ばないものであり、時計塔に所属しているものも意地と根性で食らいついていると言った方が的確な立ち位置にいる。このヴェドリーヌ家、どうやら食い下がろうとする根性だけは一丁前らしい。

 これがヴェドリーヌ家の歴史と現状と言ったところだ。

 ちなみにジャネットの専門は置換魔術である。

「そういえばここってフランスなのかぁ……」

 ここがはヴェドリーヌ家の領地だという事は、当然今ライダーがいる場所はフランス国内のどこかという事になる。暮らしている世界は違うが同じフランスという事でライダーは少し懐かしい気持ちになる。

「どうしたの?ライダー」

「いえ、実は僕の故郷がフランスだからちょっと懐かしい気持ちになりまして。ここってフランスなのですよね?」

 ライダーの質問に、そうよ。と簡略に返答するジャネット。大して興味が無い様だ。だがここでジャネットはハッとなり何かを思いつく。

「そういえば、私はあなたの事を何も知らないわね」

 ああ、それならば。とライダーが自分の事を語ろうとする。しかしジャネットは自然な形でそれを遮断するように己の言葉を続ける。

「まぁ、取り敢えずウィキペディアでも見ましょう。あれだったら大抵本当の事が書いてあるでしょうし」

 ウィキペディアを閲覧する神秘の継承者、魔術師。その図は何だか一種の面白さを掻き立てるものだが調べられる立場のシャルロットはたまったものではない。制止を促すがもう遅い。一度やると決めたことはすぐに実行に移す性格であるジャネットは既にタブレットを操作して閲覧を始めている。

 あうあうとシャルロットが恥ずかしっている傍らでジャネットは無言で記事を読み進める。が次第にその顔は暗くなっていく。

「貴女、こんな環境を幼少期に生きたのね」

 これはきっとライダーがIS〈インフィニット・ストラトス〉という物語に登場する前の「過去」に当たる部分を読んでのことだろう。彼女は作中人物の中ではそれなりに苦しい境遇の元、生きてきておりそうして主人公に出会ったことになっているのだ。

 ヴェドリーヌ家は悲しい運命を辿ってきた没落一族だが、ジャネット自身はそうでもない。寧ろ期待の星として周りの者からは寵愛を受けて成長し、幸せな日々の下魔術の腕を磨き続けてきた。だからこそ彼女はシャルロットを憐れんでしまうし、彼女の気持ちを汲み取ることが出来ない。

 こんなジャネットの反応に対して当の本人は、何も言わない。そう、彼女にとってはもう過ぎ去った過去の事、今となっては素晴らしい学友と共に日々研鑽に勤しむという楽しい日常を送っているからだ。

 引き続きジャネットは画面をスクロールする。その顔は悲しそうなものから一転、照れているような恥ずかしがっているような、そんな表情に変わっていく。

「って、貴女!女の子のくせに男子と同じ部屋で数日間過ごしたってどういうことよ!」

 これがジャネットの顔が紅潮した理由だ。彼女の言う通り、ライダーは作品に登場したばかりの頃は「シャルル・デュノア」という男子として登場したのだ。それにはのっぴきならない事情があり、ここで話すのは億劫であるがゆえに彼女は次のように言葉を返す。

「それを説明するのはちょっと面倒くさいので、どうしても知りたいのでしたらウィキペディアを最初から読んでみてください。そうすれば全てが分かるので……」

 こう言い放った瞬間、ジャネットはすぐさまサイトの最上部まで戻りそこから入念に読み込み始めた。その集中力は危険を伴う魔術儀式を行っている時に匹敵していた。

 数刻後。

「ライダー、貴女には悪いけど、私今からアニメ鑑賞するから邪魔しないでね」

 記事を読み終わったのか画面をスクロールする手を止めたと思ったらジャネットはこんな事を唐突に言い放った。そしてすぐさま来賓室を出て行った。恐らく自室に戻ったのであろう。

「え、えー……」

 それには流石のライダーもキョトンとしてしまう。だが彼女のマスターと入れ違う様に別の人間が入室してきた。

 それはエプロン姿の若い東洋人女性だ。若いと言ってもライダーやジャネットよりかは幾分か年上に見えるのだが。

「初めまして。私はこの家のメイドを務めますマイ・オシノと申します。本日からは貴女のお世話もさせていただきます」

 その女性、マイはこう言うと頭を深々と下げる。それに合わせてライダーも慌てて礼をする。マイの丁寧な仕草に釣られてか腰がほぼ九十度に曲がるほどのお辞儀になってしまっている。

「め、メイドさんがいたんですねこのお家には」

「ええ、そんなに意外ですか?」

 意外か?と問われたら正直、意外だとライダーは思った。だってこの一族は商人としても没落した一族であるのだからそんな人を雇うほどの金など無いと思っていたからだ。

 そんな彼女の意中を察したのかマイは簡単な説明を始める。

「私は雇われているわけではありません。ここに、というよりもジャネットの下に魔術を知るために来ているのです」

「ということはマイさんも魔術師なのですか?」

 ライダーの素朴な疑問に対してマイは首を横に振る。

「それの答えもいいえです。私は魔術とはどんなものかを知りたいだけのただの一般人なだけです。魔術師どころか魔術使いですらありません。実は私の本家もはるか昔は日本の魔術一族だったのですがここ、ヴェドリーヌ家と同じように当に廃れてしまいましてね。別に魔術一族として再興しようとは思わないんですが、せめて私たちの祖先がどのような事を学び、何を得たかったのかを実感したくてですね。そんな動機の元、私はこの家の当主ジャネットの世話役に就いたんですよ。あ、ちなみにこの家は廃れたと言ってもこの広大な敷地とバカでかい家を維持するだけの収入はあるのでご安心を」

 一連の話を聞いたライダーだったが魔術関連の事に疎いせいかあまり話が頭に入ってこなかった。マイが話したことで頭に残っていることはこのヴェドリーヌ家の邸宅はかなりお金がかかっていそうだという事だ。

 そんなライダーがマイの解説に対して返答できたのは、

「へ、へ~」

 というものだけだった。

 ここで話を変えようとマイが言葉を掛ける。

「というわけで本日から此度の聖杯戦争が終わるまで貴女のお世話もさせていただきますのでご用があればこちらの呼び鈴をお使いください。なるべく早く参りますので」

 そう言いつつ彼女はミニハンドベルを差し出してきた。それをライダーは恭しく受け取る。

「貴女のお部屋は既にご用意させていただきました。只今ご案内いたしますのでご同行をお願いします」

 マイの言葉の通りにライダーは従う。

 と、ここでライダーは不意に目の前を歩くマイに話しかける。

「あ、マイさん。いきなりこんな事を言うのも変かもしれませんが、そんな固い口調じゃなくてもいいですよ。僕の方が年下でしょうし」

「いや、しかし。貴女はヴェドリーヌ家に希望を与え得る神からの使者。そんな軽い態度何て取ることが出来ません」

「神からの使者なんて大袈裟ですよ。僕はただ聖杯に選ばれただけのただのIS操縦者です。だからフランクに話して欲しいです。あと、呼び方も貴女じゃなくてシャルロットって呼び捨てで良いですからね」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 このような会話をし、少しの雑談をしていたらすぐにライダーの部屋に着いた。内装は、見るからに寝心地の良さそうなセミダブルベッドが第一に目に入り、あとは煌びやかなデザインのカーペットやカーテン。一見豪華な部屋だが深く観察すると物があんまりないことが分かる。

「こんな部屋になってしまい申し訳ございません。しかし、この部屋はあくまでも仮の物なのでこれでご容赦下さい」

 口調が戻ってますよ。とライダーは微笑みながらマイを小突く。が、その後にマイの言葉に疑問を覚え、それに関して質問する。

「仮の部屋ってどういうことですか?」

 この質問に対してマイは、どうしてこんな事を聞くのかと言いたげな表情で一応の説明をする。

「聖杯戦争が行われる場所は日本なんですよ。理由は私には分からないですけど……。だから近いうちに私たちはここから離れないといけないんですよ。だからこの部屋も仮のものなんです」

「そういう事ですか。なるほどです。……近いうちっていつぐらいが出発予定なんですか?」

「そうですねぇ。当初の予定では明日だったんですが、今はジャネットがアニメ鑑賞を始めてしまったので二日後か三日後ぐらいでしょうか」

 そのマイの発言を聞いた瞬間、シャルロットはがっつくように彼女に身を寄せ、初めてのご用を言いつける。

「今のうちにフランスを観光しておきたいので着替えとちょっとのお金を下さい!お金は聖杯戦争内の働きで返しますので!!」

 そんなシャルロットの勢いに怯んだのかマイはしばし沈黙してからすぐさま行動に出る。

 これがマスター、ジャネットとサーヴァントライダー、真名シャルロット・デュノア。そしてジャネットのお世話係であるマイ・オシノの出会いであった。

 かくしてライダー陣営は席が埋まった。

 

②「師を仰ぐ者たち」

 

 とんでもない依頼を受けてしまったとその男は目の前にいる細身の少年をまじまじと眺めながら思った。

 

 事の発端はつい一昨日。唐突に魔術協会、時計塔から召集を掛けられたときはただいつも通りの依頼を承るだけだと思っていた。だが、その予想は時計塔に到着し具体的な集合地、会うべき人物の部屋を知らされた時に崩れた。

「召喚科学部長、ロッコ・ベルフェバンか。……知らんな」

 その男の現在の立ち位置の概略は「魔術界の私立警察」。または「時計塔の番犬」である。前半のものは魔術協会内での呼ばれ方で後半は魔術協会の敵となる者たちからの呼ばれ方である。

 彼の仕事は魔術犯罪者の暗殺をする魔術使いであり、封印指定執行者をランクダウンさせたようなものだ。そんな彼には仕事の注文が時計塔のあらゆる権威者から飛んでくる。そのためここで新しい名前が出てくる事自体は珍しくはないのだが、なぜかこの男はこの時違和感を覚えてしまった。

 取り敢えずその違和感は思考内の片隅に置き、呼ばれた場所へ馳せ参じることにする。

 彼もまたかつては時計塔の生徒であったためすれ違う現役生を見るたびに少々の懐かしさが込み上げてしまう。依頼を受けるたびにこの気持ちに浸ることを彼は気に入っている。

 そうしている内にすぐに目的の部屋に辿り着く。それと同時に中にいる魔術師が彼の存在に気付いたかのように「中に入りたまえ」と声を掛けてきた。

 それに従い男はノックもせずにドアを開け放ち、部屋に侵入する。

「お待たせいたしました」

 魔術協会、時計塔の重鎮という事で恭しい態度を心掛ける彼に対して部屋の最奥部にある椅子に鎮座する老人、ロッコ・ベルフェバンは好印象を覚えたかのような表情をする。

 ここで初めて男は室内をまじまじと見る。室内には魔術的な価値が高いのであろう物が並んでいる。途中で時計塔を退学した彼には分からないが、凄まじい圧を放っていそうな頭骸骨や歴史を感じさせる巻物、気味の悪い生物のホルマリン漬けなどが代表だ。

「いやいや、そんなには待っておらぬよ。むしろ来てくれたことに感謝するよ」

 ロッコは丁重な態度に対してそれに見合う返答をする。

 この部屋には多人数用のソファが一つのテーブルを挟んで二つあるので男から見て右方にあるソファにロッコから許可をもらって座る。

「初めまして、になるかな。私はロッコ・ベルフェバン。君の事は風の噂で聞いておるよ。戦争殺しクン?」

「それは光栄なことです。時計塔で名が知られることは私にとってはメリットでありますのでこれからも頑張らせていただきますよ」

 戦争殺し。これはこの男の二つ名ではなく、彼自身を言い表す真名である。生まれた時に親から授かった本名はとっくの昔に捨て、彼の功績を称えたこの俗称を彼は自分の名として受け入れたのだ。

「では早速今回の依頼を教えていただけませんか?……いつも通りの魔術犯罪者の暗殺でよろしいのでしょうか?」

 仕事に関して速さを求める彼らしい反応だ。戦争殺しはいきなり仕事の話を持ち込む。

 これに対してロッコはまあまあ、ちょっと待てと言いたげな仕草をする。その態度に戦争殺しは苛立ちを覚えてしまった。これは速さを重要視してしまう彼の癖故か。

「依頼の前に、一つ君に聞きたいことがある」

 ここでロッコの声色が若干変わる。普通だったらこの声色で依頼について話し合うのだが今この場ではその限りではないらしい。一応戦争殺しは意識を暗殺者モードに切り替えて耳を傾ける。

「君は聖杯戦争という魔術儀式を聞いたことがあるかね?」

 この一言が今回の依頼の皮切りとなった。

 戦争殺しは聖杯戦争を名前と大まかな概要だけは知っていた。七人の魔術師が己の従者となるサーヴァントを一騎召喚し、お互いを殺し合うという儀式。その目的は聖杯と呼ばれる万能の願望機を獲得すること。それを使えば魔術師の本望である「根源への到達」に至る事が出来るというのが魔術師たちを殺し合いに参加させる火種となったのだ。

 しかし彼がこれを知ったのは既に聖杯戦争のシステムがかつての聖杯戦争参加者の生き残りに破壊された後であったため特に大事な情報ではないと思っていた。そのため、ロッコに尋ねられた時は思い出すのに時間がかかった。

 さて、そんな聖杯戦争に参加して勝利することが今回の戦争殺しへの依頼であった。

 これを最初聞いた時、彼は身分と言う壁を飛び越え「ハァ?」と不躾な態度を取ってしまった。ロッコはそのような反応をするだろうと予想していたからかこの事については不問だったが、戦争殺しは口が滑ったと自戒した。

 その一方で彼は自分が驚いてしまうのも仕方が無いと思っている。なぜなら聖杯戦争とは過去の物であり、もう二度と起きようのないものだと認識していたからだ。

 この旨をロッコに伝えた時、彼はなぜか薄ら笑みを浮かべながらこう言った。

「そうだ。聖杯戦争は終わり、御三家が生み出した聖杯は誰一人の願いを叶えることなく数年前に解体された。だが、それはあくまでも第七百二十六号聖杯の事だ。……もし、別の聖杯が別の者たちに創られたら、それは新しい聖杯戦争の開幕ということになるのではないかね?」

 ロッコは続けて口を動かす。

「だがね、戦争殺しクン。今回の聖杯戦争及び聖杯は今までの物とは全くの別物なのだよ。いや、正確に言えば今までの聖杯戦争が別物だったのだがな」

 この言葉の意味は戦争殺しには全く理解できなかった。言っている意味が分からないとは正しくこういう場合なのだと知ったほどだ。

「さて、今回の聖杯戦争の話をしよう。今回の聖杯、聖杯戦争は魔術師によって生み出された紛い物ではない。正真正銘、神が、もしくはそれに近い存在が生み出した『本物の』聖杯をかけた戦争形式の儀式なのだよ」

 こう言われて戦争殺しはロッコが言う事全てが自分を貶めるか騙すためのものだと直感してしまい、直ちに何らかのアクションを取ろうとしたがロッコが次に取った行動がこれを阻止した。

 その行動とは、戦争殺しの前に杯を提示することだ。ワイングラスの形をしているが金のみで出来上がった豪華だが彼の趣味には合わない代物だ。

「これは『聖盃』だ」

 つい、『聖杯』という言葉に戦争殺しが反応する。してしまう。だってロッコの言っていることが真実であればこれが万能の願望機であるからだ。

 ここでロッコは戦争殺しの心中を汲み取ったかのように言葉を続ける。

「違う、これは『聖杯』ではなく『聖盃』だ」

 何が違うんだ。と短絡的な問いが戦争殺しの脳内を駆け抜ける。

「確かにこれは聖遺物としてとんでもない程の希少性を秘めた代物だが、これは万能の願望機ではない。そもそも『聖杯」とは彼の聖人が最後の晩餐の際に使用したグラスの事であって、何でも望みを叶えてくれるというものでは本来無いことを忘れているのかね」

 言われてみれば確かにそうだ。『聖杯』は願望機、とは所詮人間たちが生み出した空想、妄想であったのだった。では、今自分の眼前にあるこれは何なのか?

 と、ここで目の前の杯にある違和感、奇妙な点を戦争殺しは見つけた。グラスの、本来はワインを入れるべき場所に不思議な液体が入っているのだ。一見ただの水だがどことなく不思議な感じがする。光の反射の仕方が妙だと思ってしまう

 ついその液体に触れてみようと手を伸ばしてしまう。恐る恐るだったからその速度は遅いがそれでもロッコは何も言ってこない。

 液体の中に人差し指を入れてみる。その水の感触は、普通。ぬるま湯と同じ感覚だ。なんてことはない、これはただの水だ、と思い拍子抜けしながらパッと手を引っ込める。しかしここで己の指が信じられないような現象に晒されている。

 指が濡れていなかったのだ。

 この事象に対して戦争殺しが気味悪いと感じると予測していたかのようにロッコは再び口角を上げるように笑みをこぼしていた。

「君が今手を突っ込んだソレは液体などではなく、純粋な魔力だよ。この杯に注がれた液体型の魔力、我らが名付けた風に言わせてもらうと『聖人の血酒』を魔力源としてサーヴァントを召喚するのだよ。そして召喚したサーヴァントの魔力はマスターである魔術師からではなく、この『聖盃』から供給されるのだよ」

 もう何でもアリだ。

「そう、何でもアリなのじゃよ、今回の聖杯戦争は。今までの冬木の聖杯戦争ではありえないような事態に陥っても『神の奇跡』があるから。で全てが説明出来てしまうからな」

 ここで場を沈黙が支配する。ここまでロッコの話を聞いて戦争殺しが会話内容を頭でまとめているようだ。

 と、ここで沈黙を破る戦争殺しの声が室内に響く。

「取り敢えず、依頼内容が聖杯戦争の勝利という事が分かりました。で、その聖杯戦争は今までの、冬木のものとは違うという事も分かりました」

 続いてロッコも口を開く。

「ああ、今回の聖杯戦争は冬木のものとは全然違う。根本から違う」

「具体的な相違点を教えていただけますか?」

「そうじゃなぁ。まず一つ目、サーヴァントの数、およびマスターの数が多い。我々が今把握している時点で君を含め八人おる。これは魔術協会の予想なのじゃが今回の聖杯戦争、全員で十三のマスターとサーヴァントが闘う事になる。十三という数字は彼の聖人と最後の晩餐に立ち会った十二人の弟子という考えから来ておる」

 戦争殺しはロッコの言う事をカリカリとメモを取っていく。

「二つ目、これは一つ目を聞いて分かっておるかもしれないが、サーヴァントのクラスが従来のものとは違う可能性がある。まぁ単純に数が増えておるからのぉ」

 確かにそれはその通りだ。と彼は頷く

「次、今回のマスターは殆どが魔術と全く関係ない一般人であるという事。これは予想ではなく紛れもない事実じゃ。マスターである魔術師本人から魔力を供給するのではなく、この『聖盃』から供給される点がそれを裏付けている。そもそも、ここにある『聖盃』も一般人から手に入れたものだ。今魔術協会が把握している他マスターの内、魔術師であるのはたった一人、ジャネット・ヴェドリーヌだけだ。どうやら彼女はライダーを召喚したらしい」

 なるほど。と思いつつも、神秘の秘匿はどうした。とも考えてしまう。が、これも神の悪戯という事で説明がついてしまうのが今回の聖杯戦争である。そこに人間である魔術師の思惑など無力である。

 それにしても、ヴェドリーヌ家か。確か宝石商で金を稼いだ大富豪が魔術に足を突っ込んだ一族だったか、当の昔に衰退し今は権威もクソもない一族だったか。と思考を巡らす。

「おっと、これを忘れておった。今回の聖杯戦争も聖堂教会が首を突っ込んでくるのじゃが、その教会からは監督役ではなく、マスターが選出されるのじゃ。それも二人も。彼奴らも何らかの方法で『聖盃』を手に入れたのじゃな。そう考えると今把握しているマスターは十人ってことになるな。もちろん、教会の奴らを殺しても問題ない。今回の件はそういう風に協議が結ばれておるからな」

 聖堂教会ですか。と戦争殺しは小さく呟くが、それに大した意味は無く、ロッコはそれを無視する。

「四つ目、今回の聖杯戦争は『聖盃』を奪い合う戦いだと思ってもらいたい。というのもな、今回の『聖杯』、万能の願望機である『聖杯』の出現条件が、全ての『聖盃』を集めるということなのだよ。冬木の聖杯戦争も今回の聖杯戦争も、他のサーヴァントとマスターを淘汰するという事に関しては一致しておる。あまり重要なことではないかもしれないが一応心の片隅に留めておいてくれたまえ」

 ここでロッコは一拍置く。その間が気になった戦争殺しは彼の顔を窺った。その表情は何か言いたくないことを言わされる者のようだ。が、意を決したかのように彼は口を開く。

「で、最後の相違点なのじゃが……」

 

 時計塔から帰還し、今利用中のホテルの一室についた戦争殺しの顔には疲労が見えていた。依頼を聞くだけでこんな気持ちになるのは彼にとっては初めての事だった。

 結局、彼は今回の依頼、具体的には聖盃を十三個全て集めるというものを引き受けた。ロッコの言っていた通り今回の聖杯戦争のマスターが一般人で占められるのであれば寧ろ今までの依頼の中で一番イージーな仕事となり得る、ロッコからの報酬が目を疑う程破格のものであった。それに、彼にとって聖杯戦争とはある種の憧れを抱いていたものだった。

「聖杯戦争の再来、本物の聖杯、か。……そういえばあの人も聖杯戦争のマスターを経験したんだったけか」

 彼の言うあの人とは、彼が一方的な憧れを抱き今の地位に彼を就かせてしまった理由となった魔術師である。その人物は「魔術師殺し」と揶揄された者だ。

「いかんいかん。今は聖杯戦争に集中しないと。あの人は関係ない。俺は俺だ」

 気分を切り替えるためか自分の頬をペチペチと軽く叩いて、今回の依頼について情報を頭の中でまとめ上げる。

 ロッコに教えてもらった事を一から復唱していく。が、最後の一点でつい溜息が出てしまう。彼は呆れているのだ。

「『英霊』ならぬ『映霊』。『映像作品人物の霊』、か……。あらゆる国、あらゆる時代の英雄、偉人、聖人ではなく……日本のアニメキャラクターがサーヴァントとして、召喚される……」

 ここで一拍置く。そしてこう言う。言ってしまう。

「こう、なんか、神秘性とかが全く無いよなぁ……いや、魔術師であることを辞めた俺に言う資格はないのかもしれないけど、それでいいのか神様……」

 嘆息はそれまでにして、彼は目下の問題について考察する。それは召喚するサーヴァントについてだ。

これまでの聖杯戦争では自分の狙ったクラス、サーヴァントを召喚できたがそれは触媒を使って初めて行える。が、アニメキャラクターと言うぐらいなのだから実際に存在しているわけではない。いや、今までの聖杯戦争の中でも物語上の人物が召喚されることはあったのだがその事例を持ち出しても今回の聖杯戦争においての触媒についての考えは悩んでしまうだろう。

それにマスターが己の望んだサーヴァントを召喚するのは、その英霊が自分と相性がいいと踏んでいるのが大抵なのだ。それに対して戦争殺しは日本のアニメに対しては知識が皆無である。どんな奴がいて誰と相性がいいのかなど考慮しようがない。

「アサシンのクラスを引けただけでもマシか……」

 クラスの選択は聖盃を手にした時に決まってしまう、とロッコは語った。正確に言えば聖盃に付属する羊皮紙、通称「神の祝詞」にサーヴァントを召喚する際の詠唱呪文が記載されており、それがクラスによって変わってくるらしい。

 冬木の聖杯戦争で触媒を用いずにサーヴァントの召喚を行うとマスターと同じ性質、性格の英霊が召喚される仕様になっている。ある意味で最高の組み合わせとなり得るが一歩間違えると最悪の事態を招くと言われ、諸刃の剣とされていた。

「どんな奴が来ようが、アサシンのクラスに該当するような奴なら思想思考が正反対ってことはないだろう。全く、セイバーとかじゃなくて良かったぜ」

 戦争殺しはこの時点では自分が与えられたクラスを幸運に思っていた。彼の本来の仕事である暗殺に準ずる者であるアサシンを召喚することが確定しているからである。

 しかし、ここで彼は頭を抱え悩む。悩む。悩んでしまう。が、ここで彼は意識を切り替える。依頼を受諾してしまった今、聖杯戦争から降りる事など出来なくなっているのだ。

 早速手元の魔術礼装、ではなくスマートフォンでサーヴァントを召喚するのに必要な物品と場所を手配する。物品は魔術協会、ではなく通販サイトAmazonを利用して得る。本来魔術儀式に必要な物は魔術協会を通せば早く安く手に入るのだが戦争殺しはそれを忌避する。魔術師ではなく魔術使いである彼ではあるが魔術協会に雇われている身である彼には協会を利用する権利があるのだが、魔術師が嫌うことを平然とする、という「魔術師殺し」の意を汲み彼はこのような選択をとっている。

 一通りの受注を終えた彼はスマートフォンをスリープモードにし、意気込む。

「よし、これで準備は出来た。ここまで来たら後戻りはしない。なぁに今回の任務もいつも通りこなせばいいさ。サーヴァントはサーヴァントに任せて俺は相手マスターを、討つ……!」

 こうして彼はこの日眠りに就く。

 

 時計塔に呼ばれた二日後、彼はサーヴァントの召喚儀式を行った。場所は中国、黒竜江省ハルビン市にある鬱蒼とした森の一部開けたエリア。時間は夜分。

 この場所は戦争殺しが生まれ育った地、そして捨てた場所。彼の一族の領地跡である。

 よっぽどの事が無い限りここには戻ってこないと思っていた彼だったが、やはり自分の魔術回路に合う霊脈が通う地で召喚を行った方が良いと思い、この場所を選んだのだ。

 そんな場所で彼は予定通り儀式を行った。今回の聖杯戦争の導となる「神の祝詞」通りに魔法陣を描き、聖盃を据え、一応触媒という概念がある可能性にかけて彼が唯一知っている日本の殺し屋漫画である「ゴルゴ13」のコミックを置き、書いてある通りの詠唱を行った。そして、そこに、獣の血で描かれた鮮やかな深紅の魔法陣上に現れたのは、

「ど、どうも。サーヴェントアサシン。え、えーっと……僕は、潮田渚です」

 中性的な見た目を持つ若者だった。少なくともかの有名な異次元性能スナイパーには見えない。

「え……は……?」

 様々な事態を潜り抜けてきた百戦錬磨の戦争殺しでさえも目の前に現れたサーヴァントらしき少女のような少年に対しては目が点になってしまう。驚きという感情さえすっ飛んでしまった。

「ですよね~、そういう反応されますよね~。なんとなく分かってましたよ……」

 戦争殺しの狼狽え振りを見た渚という少年は分かっていたとは言うがどこか複雑な心境を抱いているかのような表情をしていた。

 ここで戦争殺しは目の前でジト目になっている少年を見て、すぐさま佇まいを正す。

「す、すまない。決して君を愚弄したわけじゃないんだ。だけどアサシンのクラスというぐらいだから、もっとこう、何というか、殺気立ったゴリゴリの奴が召喚されると思っていたものでな。……本当に君は暗殺者なのか?そもそもローティーンに見えるのだが」

 戦争殺しがこう聞くと少年、渚はちょっと困ったような顔をしながら口を開く。

「ローティーンに見えるというか、実際に僕は中学生ですよ。物語自体は大学四年生時点で終了しましたけど作中のほぼ全てを中学生として送りましたからね。……で、マスターさんが言った本当に暗殺者なのか。という質問に対してですが」

 少年は一呼吸置く。戦争殺しは固唾を飲んで返答を待つ。

「貴方が危惧するように確かに僕は暗殺者ではありません」

 つぎの瞬間、森の中にあるこの場所に描かれた魔法陣が発光する。ここで戦争殺しの中にふとした疑問が湧き出る。元来の聖杯戦争ではサーヴァントを召喚するとその際に使った魔法陣を消えてしまうのではなかったか、と。

 そんな疑問の解答となる光景が彼の目の前には広がっていた。

「ですが、僕たちは暗殺者です。」

 少年は、静かに微笑みながらそう答えた。その表情と声は、まるで無音で迫ってくる毒蛇のようだ。

 戦争殺しが召喚儀式を行う前はどんなサーヴァントが召喚されてもいいようにとそれなりの広さを確保したその場所だったが、その空間は戦争殺しと渚を含め二十八人の男女が集合していたため所狭しとなっていた。

「サーヴァント暗殺者(アサシン)。真名『3年E組』。聖杯の寄る辺に従い、貴方と共に闘う事をここに宣言します」

これは渚が言ったのか、他の者が言ったのか……。

 出典『暗殺教室』より『3年E組』がアサシンのサーヴァントとして具現化した。彼らとそのマスター、戦争殺しでアサシン陣営は席が埋まった。

 

③「ただの詐欺師がとなり得るのか?~キャスター陣営作戦会議~」

 

 アメリカ、ニューヨーク州ニューヨーク市、クイーンズ区にある平凡なアパートの一室で二人の男が、それぞれ一人用のソファに座り相対していた。

 片方の名はダニエル・オシノ・ブラウン。この部屋の主であり現在スポーツライターとして稼ぎを得ている青年だ。日本人である母親譲りの小麦色の肌と父親譲りの天然の茶髪を併せ持つ好青年だが、目の前に座る男を見る目は険しい。

 もう一方に座る男の名は貝木泥舟。此度の聖杯戦争にサーヴァントとしてダニエルに召喚された映霊だ。しかし着ている喪服のような黒装束と放たれる不吉感のせいかマスターを負けさせる気しかしない。どんな魔術師がマスターとなっても彼を使って聖杯戦争を勝ち抜くのは難しいのでは。と思わせてしまうほどだ。そんな彼は目の前に座る青年、ダニエルを飄々と眺めている、まるで勝者の傍観だ。この視線に対してもダニエルは苛ついている。

 しばしの睨み合いを続けた後にダニエルが溜息を吐きながら頭を抱える。その腕には立派な令呪が宿っていた。

「何でこんな奴がサーヴァントなんだ……」

「こんな奴とは酷い言い草じゃあないか、マスター。私の心が傷ついたでは無いか」

「平然と嘘を吐くなよクソ野郎」

 事実、貝木泥舟が発言した時の彼の顔は相変わらずの無表情で傷心したとは思えなかった。

「おいおい、いきなり嘘と決めつけるとは酷いマスターだ。……全く、俺がマスターに嘘を吐いたことがあったか?」

「あったわ!!しかも出会ったその瞬間に初めて言われて、それから二日間ぐらい一緒に過ごしてるけど嘘の方が多かったよ!!」

 ダニエルが聖杯戦争に参加したきっかけは全くの偶然だった。

 二日前、ダニエルは父母に家の片づけをするから手伝ってくれと故郷であるネブラスカ州の片田舎に帰省した。その片づけの際に不思議な茶碗を見つけたのだ。母親が日本人だから茶碗があること自体は不思議ではない。しかし、その茶碗に入っていた不思議な液体と小さく畳まれた古めかしい羊皮紙片が彼の興味を引いたのだ。

 彼に片付けを依頼したくせに海外旅行のために両親がいなかったから、その羊皮紙片、広げるとB5ぐらいのサイズが三枚重ねになっていた紙束に書かれていた儀式めいた実験をだだっ広い自宅の庭で行った。

 その実験の過程で描いた幾何学模様の上に気付いたらこの男、貝木泥舟が佇んでいたのだ。

 そして彼は開口一番次のように言い放った。

「サーヴァント除霊師(ゴーストバスター)。真名『鈴木健斗』。聖杯の寄る辺に従い、お前を今回の聖杯戦争の勝者にしてやろう」

「お前、何初っ端から嘘吐いてんだよ!お前のクラスは魔術師(キャスター)だろうが、ステータスにそう書いてあるぞ」

 こんな問答から始まったのが今回のキャスター陣営である。

 時は現在に戻る。

「他のクラスを騙るサーヴァントってどんなサーヴァントだよ……しかも実在しないクラスだし……」

「全くその通りだな。マスターの論にはぐうの音も出ない」

「お前の事だよ!!あとそんなこと微塵も思っていないだろ!!」

「しかしな、マスター。除霊師(ゴーストバスター)というクラスが無いという保証は無いのだよ。今回の聖杯戦争は本来の物とは違い七人七騎から十三人十三騎まで戦う人数が増えている。だから必然的にクラスも増えるのだよ」

「うっ、確かにその可能性はある……」

「まぁ、これも嘘かもしれないがな。同じクラスで二騎、三騎召喚されるかもしれない」

 この下衆野郎ッ!!と叫んでいるマスター、ダニエルは今まで魔術を知り得なかった一般人であったが、聖盃を発見し、『聖人の血酒』に触れ、『神の祝詞』を読み解いたことで聖杯戦争のルールを理解するに至った。

「ってかサーヴァントが詐欺師って……これでどうやって聖杯戦争を勝ち抜けばいいんだよぉ!!」

「お、俺を最初から詐欺師と看破した奴は初めてだ。素直に驚きを覚える」

 そんな事を言っている貝木の声は棒読みで、表情は変化していなかった。言葉通りとは到底思えない。

 流石にこの流れには慣れたのかダニエルは見事貝木の虚言をスルーする。

「まあな、結構日本のアニメは好きだからな、オタクって程じゃないけど」

「そうか。その要素は今回の件ではかなりの強みになるぞ」

「……ホントかよ、それ」

 ダニエルは貝木の言葉を疑いつつもその可能性を考慮する。確かに今回の聖杯戦争は本来のものと違いサーヴァントの選出基準が根本的に違う。だが、それを使役するマスターが本来の通り魔術師であれば、マスターは自他サーヴァントの特色を掴み切れない可能性が高い。なにしろ魔術師とは現代科学を嫌う。そんな者たちがアニメ、それも極東由来のものに目を向けるとは思い難い。なにしろ日本のアニメ文化は『サブカルチャー』と呼ばれている。つまりはマイナーなのだ。仮にダニエルと同じように一般人からマスターが選出されたとして、その者がアニメ好きである可能性は低い。

「でもそれにしたって、他のサーヴァントは大抵何らかの戦闘力を持っているんだろう?セイバーだったら剣を、ランサーだったら槍を、アーチャーだったら弓矢を。それぞれがそれぞれの物語で操った武器を持って参戦するのが聖杯戦争。……キャスターのくせにお前作中で魔術なんて使ってないじゃん」

「いやいや、使ったぞ、魔術。マスターよ、己の不勉強をサーヴァントのせいにしないでもらいたい。俺には立派な魔術がある。蜂と蛞蝓の、偽物の魔術が」

「それ魔術じゃなくて怪異だろ。しかもお前自身が偽物の怪異とか言ってなかったか?」

「怪異も魔術のようなものじゃあないか。それになぁ、本来の、冬木の聖杯戦争でも魔術を行使したという伝承が残っていない英雄がキャスターとして召喚されたことがあるのだぞ。まぁ、奴を英雄と言っていいかどうかは知らないけどな。そいつは蛸のような怪物を無限に生み出して戦ったらしい。俺もそいつと同じだ」

「いや、だってお前の使う怪異、威力というか脅威がそこまでないじゃん。ほら、偽物語で使った『囲い火蜂』って対象の体温を上げるとかっていう微妙な効果じゃん」

「確かに俺が阿良々木火燐に使ったあの蜂の怪異はその程度のものだ。だがな、聖杯戦争においてはその事実が拡大解釈されることがあるのだよ、マスター。もしかしたらあの蜂の怪異も凄まじい変貌を遂げるかもしれない。こればっかりは俺にも分からない」

「そもそも直接的な戦闘力が無い俺がキャスターを引いたのがアンラッキーだったんだよ。基本の七クラスの内キャスター以外は全部白兵戦に向いているのに」

「第五次聖杯戦争でのキャスター陣営はサーヴァントが後衛、マスターが前衛という戦い方をとったそうだ。これを模してマスターが先陣を切ればいいんじゃあないか?」

「ふざけんなよ!!なんで一騎当千のサーヴァントに対して平凡な一般人である俺が特攻を仕掛けるんだよ、確実に死ぬわ!!そもそもその聖杯戦争の例だってサーヴァントの魔術的なバックアップがあるからこそだろ?……お前はそれすら出来ないじゃないか」

「ああ、そうだ」

「そんな断言すんなよ!そこは嘘でも出来ると言えよ!言われても信用しないだろうけど……。あぁ、何て外れサーヴァントを引いてしまったんだ。そもそも何でこんな奴がキャスターとして召喚されるんだ?魔術師っぽいキャラなんてもっといるじゃないか。『とある』や『劣等生』なんてキャスター枠の宝庫だろうに」

「さあな、そんなこと俺に言われてもなぁ」

「しかも詐欺師って……相性最悪だ……」

「ほぅ、その口ぶりから察するに何か詐欺師と因縁があるのか?なんだ、結婚しようとした相手が結婚詐欺師だったのか?……アメリカにも結婚詐欺ってあるのか?」

「……お前には関係ない」

「そうか、人間話したくないことの一つや二つ抱えていることが常道だからな。詮索はしないさ。……そういえばマスターに一つ聞いておきたいことがある」

「何だ?」

「マスター、いい加減に名前を教えてくれ。一方的に名が知られているのがすごく気持ち悪い」

「そうか、まだ名乗っていなかったな。……名前ぐらいだったらいいか。俺はダニエル、ダニエル・オシノ・ブラウンだ」

「ダニエルか、良い名だ。ならばこれからはマスターを敬愛の意を込めてダニーと呼ぼう。よろしくな、ダニー」

「そんな清々しいことを言いながら手を差し伸べてくるなよ、形容しがたい違和感が込み上げてくるだろうが。言っとくが握手はしないからな。……まぁ、それでも、これからよろしく頼む」

「……つれないマスターだ、ダニー。それにしてもオシノ、か。それが因果となったとしたら神様とかいう奴は随分意地汚い奴だ。それこそ詐欺師並みに。でもまぁ俺ならそんな神様ってやつも……」

 簡単に騙してやるけどな。

 表情を変えることなく、相変わらずの不吉さでそんな臭い台詞を吐く貝木である。

 その最後の一言に謎の頼もしさを感じてしまったマスター、ダニエルだった。

 

④「???」

 

 日本某県某市。

「誰かの手下になるなんて真っ平御免だネ。僕は自由にやらせてもらうサ。じゃあね、マスター。その令呪とかいうやつは貰っていくヨ。いつか役に立つときが来るかもしれないしサ!」

 スパンッ。という気持ちの良い切断音が聞こえた。次の瞬間、ブシュゥゥゥ。という血が噴き出る気味の悪い音が聞こえた。さらにその後、パクン。という潔い食事音が聞こえた。そして最後にゴォォォォ。という掃除機でゴミを吸い取るかのような音が聞こえた。

「聖杯を手にするのはマスターじゃない、この僕ダ!!」

 声の主は夜道へ繰り出していく。

 

⑤「開戦」

 

 日本某県、尾仁市三尾仁町。この地で今回の聖杯戦争最初の戦いが繰り広げられようとしていた。

 相対するのは雲に隠れてしまっている月の弱い光を反射する美麗な銀髪を持つ少女たち。一方は民家の屋根上に上り、もう片方は下からそれを眺めている。

「サーヴァント裁定者(ルーラー)。聖杯の寄る辺に従い、ルールから外れるサーヴァントの排除を行うわ」

 下にいる方の少女が抑揚の無い声で淡々と告げる。だが、そこには確かな意志が見える。それは彼女の眼光が言い表している。

「サーヴァント逸脱者(イレギュラー)。聖杯の寄る辺に従い、マスターの願いを叶えるべくニャん事でも力の限りを尽くして遂行するニャ。手始めに、そこのルーラーとかいうサーヴァントを殲滅するニャ」

 猫のように屋根の上に佇む少女も返答するかのように告げる。その口調は不遜と言う他ない。

 この二人の周りに彼女らのマスターがいる様子は無い。

『私はお姉ちゃんをここで倒す!』

『私は妹をここで殺す!』

 そんな声が聞こえてきた。気がした。

 それが引き金となり、両者が激突する。下にいた方の少女が単純な跳躍力を使って屋根上の少女に接近を試みたのだ。

 そんな彼女の両腕の袖からは手の甲を隠すように刃が生えている。至ってシンプルな両刃の剣だ。

 少女がジャンプし、刃を現出させつつ屋根上に到達する。この一連の流れにどれほどの時間がかかっただろうか。並みの人間であればそれは一瞬であったかのように見えただろう。

 だが屋根上の少女の反応は違う。相手の行動を予測し、目で追い、それに対抗できるようなアクションを取れるように準備をする。

 両者の距離が近づく。下にいた方の少女は右腕を突き出し、相手の心臓を捉えようとする。一方の屋根上の少女はそれを読んでいたかのように余裕の表情を浮かべながら紙一重でそれを避けていく。

 不意打ちの一撃を躱された刃の少女はその刃を消失させる。

「……流石ね、サーヴァント逸脱者(イレギュラー)。真名『ブラック羽川』。人の域を超えた知識と獣のような身体能力、直感。簡単には倒せないと思っていたわ」

「……ケッ。いけ好かニャい野郎だニャ、サーヴァント裁定者(ルーラー)。いきなり真名看破とは、ルーラー特権かニャ?……まぁ、そんなことはどうでもいいニャ。俺だってアンタの真名ぐらい知ってるし。ニャぁ、『天使』よぉ。それとも『立華かなで』が正解かニャ?」

 サーヴァント逸脱者(イレギュラー)。真名『ブラック羽川』。出典『猫物語(黒)』。低級怪異である障り猫という怪異がとある超人女子高生に宿った事によって最高ランクとなった新種の怪異。宿主が有していた頭脳と障り猫が有していた『エナジードレイン』という能力を併せ持つ厄介な怪異である。

 サーヴァント裁定者(ルーラー)。真名『天使』もしくは『立華かなで』。出典『Angel Beats!』。死後の世界の秩序を守る者として何十年もの間、世界に反抗し続けた集団をたった一人で粛清してきた可憐な少女。その集団に対抗するために『ガードスキル』という自衛術を身につけて戦う。『天使』というのはあだ名のようなものであり、『立華かなで』が本名。

「今回の聖杯戦争は冬木のものとは断然に違う。だからルーラー特権もかなり弱められている。でもね、イレギュラー。私は貴女に対しては冬木のルーラーと同じくらいの力が使えるのよ」

 冬木の聖杯戦争のルーラーは他のサーヴァントとは一線を画すほどの能力を持っていた。それ故にこのクラスに選ばれた英霊は聖杯を手にすることに尽力するのではなく戦争自体の秩序を守るべく活動するのだ。言ってしまえば英霊の監督役のようなものだ。

 今回のルーラーはそうではない。聖杯を捕りあう一騎として召喚されるため当然権力は弱められる。ルーラーに与えられる特権は、どのクラスのサーヴァントが召喚されたかということと、どの位置にサーヴァントがいるかが漠然と分かるぐらいだ。

 しかし、ある条件を満たせばルーラーは冬木のルーラー並みの力を得られることが出来るのだ。それは、他サーヴァントが聖杯戦争のルールを破る事である。聖杯戦争における禁止事項は多々あるが中でも無関係な人間を巻き込むことはご法度とされている。それを犯したサーヴァントに対してルーラーは本領発揮出来る。真名看破ができ、そのサーヴァントがどこにいるのかが手に取るように分かる。そして、そのサーヴァントに対して効力を発揮する令呪を二画与えられるのだ。

 さて、このサーヴァントイレギュラーはおそらく初見のサーヴァントとなるだろう。少なくとも冬木の聖杯戦争で召喚されたことは無い。

 このクラスに似たものとして復讐者(アヴェンジャー)というクラスがある。冬木の聖杯戦争ではこのクラスがルーラーの対となると言われていたが今回はその限りではない。今回の聖杯戦争ではこのイレギュラーがルーラーの対として召喚されるのだ。

 その具体的な能力は、ただ一つ。ルーラーの抑止だ。

「イレギュラーは徹底的にルーラーに反抗するクラスだニャ。だから真名が分かるニャ。そして、大事な一点。ルーラーはイレギュラーに対しての令呪は宿らニャい」

 今回の聖杯戦争の秩序守衛の仕組みは三竦みになっているのだ。

 サーヴァントが違反行為を犯したらルーラーがそれを取り締まる。もし、そのルーラーが違反者側に立ったら、それを律するのがイレギュラーなのだ。そして、イレギュラーは本来の能力が他サーヴァントよりやや劣るのでこれに罰を与えるのが他サーヴァントとなる。

 今のイレギュラーはそのルーラーに対する特権をフルで活かしているのだ。

 こうなってしまった以上、本来の秩序維持役のルーラーは直接的な力をもってイレギュラーを制するしかない。そもそも今の奴は重大な違反を犯した無法者であるし、奴を倒すことがルーラーとしての役目であり、マスターの望みでもあるのだから。

「令呪なんて宿らなくても別にいいわ。力でねじ伏せるから」

 今度は右腕だけ剣を生やし、ルーラーが飛び出す。屋根上の決闘が始まる。

 此度の果し合いにおいて、イレギュラーはただただ防戦一方を強いられる。その理由は単純明快。ルーラーは得物を所持し、イレギュラーは素手での戦いを強いられているからだ。

 ルーラーには途方もない時間、そのプログラムで構成された不可思議な剣と共に戦ってきたという確かな歴史(ものがたり)がある。見た目は可憐でひ弱な少女だが、その剣技は熟練の剣士そのもの。冬木の聖杯戦争で召喚される英霊に匹敵する剣捌きを有し、セイバーのクラスで召喚されても問題ないほどのものだ。

 そして、ルーラーは知らないことだが、このイレギュラー『ブラック羽川』は剣という武具に弱いという弱点がある。彼女に止めを刺した武器が日本刀であったことがその弱点に由来している。

 この勝負、一見どころか誰から見てもルーラーの方が優位であり、イレギュラーの負けが確定しているように見える。

 しかし、実際に戦ってみるとどうやらその限りではないらしい。

 確かに、イレギュラーには繰り出される斬撃を躱す事しか出来ていないが、それでもその表情に追い詰められている様子は無く、寧ろルーラーを弄んでいるようだ。猫の様な、というよりも猫そのものの反射神経と身体能力で身体を動かしている。基本骨子は人間であるはずなのにどうしてそこまでの動きが再現できるのか不思議なほどだ。

 そしてイレギュラーは隙あらば腕を伸ばし、その陶磁器の様な拳でルーラーの身体を握ろうとする。それをルーラーが剣でぶった斬ろうとすれば、すぐさま腕を引っ込める。それほどまで彼女は徒手でルーラーに接戦を仕掛けているのだ。

 この戦況に逆にルーラーの方が困惑しているように見える。いや、彼女自身の表情は眉一つ動かずに淡々と刃を振るっているのだが、どこからともなく焦燥感が滲み出ている。

『アンタの攻めはそんなものか!?』

 不可思議な声が聞こえた。開戦前に聞こえた二つの声の片割れだ。

『ならこっちから行かせてもらうわよ!!』

「了解ニャあ、マスター!!」

 ここでイレギュラーの動きが加速した。先程までもルーラーが放つ人の域を超えた斬撃を余裕綽々で躱していた彼女だがそれ以上の速さで、バックステップを繰り出した。ほぼ瞬間移動だ。

 後ろに下がったイレギュラーは四つん這いのまま、妖しい眼を光らせ、嗤う。

 それとほぼ同時に月を隠していた雲が風に流され、眩しい程の月光が天近くで戦う二人の少女を照らしつける。

 髪色だけが共通している二人はそれを皮切りに再び交わる。

 ルーラーは先程のイレギュラーの後退を超える速さで直進する。一方、イレギュラーは小刻みに左右へステップしながらルーラーに近づく。

 ルーラーの刃の間合いに入り、彼女は己の刃を横薙ぎに振るう。身体を左右に振るイレギュラーがどこにいようがその剣先が当たらざるをえない攻撃範囲を得るためだ。

 しかしそれは空振りに終わる。イレギュラーはその攻撃を読んでいたのか、真上に跳んだのだ。

 真上と言ってもそれほど高度ではない。ルーラーの身長分だけ跳ぶ。そして隙を作ってしまったルーラーへそのままダイブしていく。それは獲物を見つけた四本足の肉食獣のように。

 イレギュラーは飛び掛かる。それに対してルーラーはなす術がない、と思われた。が、それは誤算であった。彼女はこの時点で振るった右腕を使う事を諦め、左腕に刃を生やした。

 空を舞うイレギュラーには横への回避行動は不可能となってしまった。ルーラーはその点に気付き、慣れないが確実に殺傷性のある左腕の刃でイレギュラーの身体を貫こうとする。

 流石のイレギュラーもこの状況では背中に冷や汗を垂らしてしまった。しかし、ここで両サーヴァントが考えもしなかった事象が起きる。

 完璧にイレギュラーの心臓を捉えていたルーラーの刃が大幅にずれてしまったのだ。そのずれ具合は、そのまま落下してきたイレギュラーの脇腹を掠る程度の損傷しか与えることが出来なかったほどだ。

 イレギュラーがその程度のダメージで物怖じするはずもなく、そのままルーラーのマウントをとる。そして両手両足と身体に宿る筋力を使ってルーラーを捕縛する。

「捕まえた。呆気なかったニャ」

 完全にルーラーに馬乗りになったイレギュラーは余裕の表情を浮かべ、舌なめずりをする。その際もルーラーは拘束を解こうと必死に足掻くが本来の彼女の力ではそれは厳しいらしい。

『る、ルーラー!!』

 ルーラーの身を案じる声がどこからともなく聞こえてくる。その声には心配する意と申し訳なさが含まれていたように思えた。

「マスター、やっちゃってもいいかニャ?」

 そんな声を他所にイレギュラーは己のマスターに指示を仰ぐ。それに対して『いいわよ』という声がこれまたどこからともなく聞こえてくる。この声の主もサーヴァントと同じように心の猶予があるようだ。優勢なのだから当たり前か。

「じゃあ、やっちゃうニャ」

 イレギュラーはそう言い残してルーラーの首筋を舌で舐めまわす。

『いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 そんな絶叫と勢いよく血が噴き出る音が夜の尾仁市に響き渡る。

 舐めまわすと言っても、ただベロッとキャンディーを厭らしく食すように舌を使っただけなのだがそれでもルーラーの首からの出血は止まらない。猫の舌が持つ、ブラシのように密集した棘がこのダメージを与えたのだ。

 首から鮮血を溢れ出させるルーラーをイレギュラーは傍目で見る。人を物理的に傷つけることに慣れている者がするような目だ。

『全く、甘い女なんだよ、アンタは。人殺しをする勇気も度胸もないくせに、こんな物騒な件に首を突っ込んだのが間違いだったんだ。分かったならさっさと自分のサーヴァントを自害させて身を引きな』

 またおかしな声が響く。どうやら音源はイレギュラー付近にあるらしい。

『う、うるさい!わ、私は、お姉ちゃんを、絶対に、連れ戻すんだっ‼』

 そのおかしな声に返答する声が聞こえた。これはルーラー付近に音源があるようだ。

「『攻撃は最大の防御(ガードスキル)怪魚黙す怪力(オーバードライブ)』」

 後者の声が聞こえた数秒後にルーラーが口を開き、こう呟いた。その声を察知したイレギュラーは余裕をかましていたのを止め、拘束を一層強める。がそれもいつまで()つかイレギュラー本人でさえ分からない。

「ニャ、ニャんニャんだ、これは!……宝具かっ!!」

 宝具。それはサーヴァントが己が物語で使用した武具や能力、エピソードの一コマを高次元なものへと昇華して放つ必殺の武器だ。

 ルーラーが発動した宝具、『攻撃は最大の防御(ガードスキル)怪魚黙す怪力(オーバードライブ)』は自身の純粋な筋力を底上げするという能力だ。数ある『ガードスキル』の内に隠れた優秀な宝具である。

『エナジードレインが働いているのに、こんな馬鹿力が!!……なんて子なのっ!?』

 こんな声が聞こえた時か、ルーラーの身体から完全にイレギュラーが剥がれた。そして彼女はのろのろと立ち上がる。そして相変わらずの口調であっさり告げる。次のように。

「箏音、撤退」

 その後、ルーラーは束の間の戦場と化した屋根から難なく飛び降り、そのまま闇の彼方へ消えて行った。

 一方、ルーラーの身体からどかされたイレギュラーはその勢いのまま屋根上にペタリと座り込んでしまっていたため彼女は身動き一つ取れぬままルーラーの退避を許してしまった。

 彼女はその姿勢のまま顔を下げて己のマスターに報告する。

「すまん。アイツを倒せニャかったニャ……」

 その声は先程の戦闘中のものとはかけ離れたひどく落ち込んだものだった。彼女の周りを沈黙が支配する。

『別にいいのよ、イレギュラー。いや、羽川。貴女は精一杯頑張ってくれた。これからアイツらの対策を考えればいいのよ。だから今日はもう休みましょう?』

 またこの声が響く。だがその声色は戦闘中に聞こえたものとは正反対に頗る穏やかで同じ人間から発せられていると思えない程だった。

 この声の主がイレギュラーのマスターであるのだ。名前は高梨弦羽。ここ尾仁市に住む高校三年生だ。今まで魔術とは無縁の世界で生きてきた一般人だった女子だ。

『それにしても、まさかあの子が関わってくるとは思わなかったわ……』

 弱音を吐くようなそんな声調だ。これを聞いたイレギュラーがつい、胸の疼きを覚えてしまうほどは儚い声であった。

 イレギュラーは今一度彼女に問う。

「ニャんだ?やっぱり心苦しいのかニャ?」

 それを聞いた弦羽は一旦黙る。その後戦闘中の声色を思い出したかのように確かな意志を込めて話す。

『……ううん。私は決めたの。貴女と共にこの聖杯戦争で勝ち抜き、願いを叶えるって。そのためならどんな障害でもぶっ潰すわ』

 それを聞いたイレギュラーも一安心したようで、彼女も彼女なりに方針を固めたようだ。俺はマスターに従うだけニャ。と呟き、猫の様な身軽さで夜闇に消えて行く。

 暗闇からは『そういえば傷大丈夫?』と「ちょっと痛いけど、まあ大丈夫ニャ。また、アレやればいいし」という話声が微かに聞こえてきた。

 こうして今回の聖杯戦争初のサーヴァント同士の抗戦が人知れず終了した。この時、お互いのマスターは顔を一度も出さなかった。

 

⑥「学園都市最強のアーチャー」

 

 ある秋の夜のことだった。ふとその少女は願った。唐突に思ってしまった。数年前に亡くなった両親に会いたい、と。何か辛いことがあったわけではない。何か悲しいことがあったわけではない。何か亡者を思い出す季節的な行事があったわけでもない。ただただそう思い願った。

 両親を亡くした時は幼すぎて流すことの出来なかった涙が、突然そう思った今、とめどなく溢れ出す。

 その少女は紛れもない子どもだが、子どものように泣き喚くのではない。せせらぎの様な一筋の涙が目尻から流れ出るのだ。いつまでも。

 遂には、少女は涙を流したまま眠りに就いた。

 

 次に目が覚めた時、その涙はすっかり止まっていた。悲しいという気持ちももう薄れていた。目の周りに凄まじいまでの違和感を覚える程度であった。

 その少女は意識を十分に覚醒させ、自室から出る。そして朝食を摂るためにダイニングに向かう。

 向かった先には誰もいない。これが少女にとっての当たり前だ。いつだって彼女の味方をしてくれる、身近にいて親身になってくれる人間なんていない。少女はそんな異常な当たり前に慣れてしまっていた。

 少女は特に何も考えることなく、黙々と朝食の準備をする、しようとする。しようとしたのだが、そう決断し、シンクの前に立った時、目に映った光景に疑問を覚えてしまう。

 眼前に水が入ったマグカップが置かれているのだ。

 おかしい、昨晩の内に使った食器類は全て片付けたはずなのに、どうしてここにこのマグカップが置いてあるのか。という思考が少女の小さな頭脳内を駆け巡った。

 しかもそのマグカップは少女が常用しているものではない。それは彼女の母親が亡くなる前、大事にしていたもので、言うなれば『思い出の遺産』と言ったところなのだ。そんな大事なものを易々と使うわけがない。

 少女はそれを怪しむ。もしかして夜中の内に何者かが侵入したのではないかと。

 すぐさま少女は行動を起こそうとするが、これまた視界に入ったものが彼女の行動を制限する。

 四人掛けのダイニングテーブルの上に奇妙な紙が置いてあったのだ。彼女に見覚えのない不思議な薄汚い紙片が、それも束で。

 手始めにその紙に触れてみる。その手触りに少し悪寒が走ってしまった。学校で配布されるプリントのように滑らかではあるのだが、確実に今まで一度も触れたことがないと直感できた。

 そんな紙如きで驚いている場合じゃないと思いなおし、少女はその文面に目を通し始める。

 文面と言ってもその紙束には、汝には途方もない望みがあるか?という明朝体で構成された文字群、文がたった一つあっただけなのだが。

 なんだコレ。と思うと同時に少女は昨晩の事を思い出してしまった。すると、今まで空白だった部分に次々と文字が浮かび上がってきた。

 この事象には流石に驚き、つい彼女は握っていたその紙束を手放してしまう。それでも独りでに文章は書き連ねていく。見えないペンが紙上を踊っているかのような速さでその紙束は日本語で埋め尽くされた。

 その異変が収まったと思った少女は恐る恐るソレに手を伸ばし、手元に寄せ、目を通し始める。

 この時点で彼女はいつも通りの正常な思考、判断が出来なくなってしまい、そこに書いてあることを概略的にしか掴めなくなってしまっていた。

 そんな彼女が読み解くに、変な戦いにパートナーと共に参加して勝利すれば両親に再び会える。ということだった。

 両親に会える。と愚直にその羊皮紙は書き表していたのだ。

 それには少女も色めきだった。色めきだってしまった。

 彼女はもう一度、昨晩のように強く、強く、願った。

 

「お母さんとお父さんに会いたいっ‼」

 

 それがトリガーとなったのか、今まで背を向けていたシンクに付属する蛇口からハンドルを捻っていないのにも関わらず勝手に水が出てきた。

 頭上から急に勢いよく水がこぼれ出る音が聞こえ、再び少女は驚き怯える。が、それでも勇気を出して足を震わせながらも時間をかけて立ち上がり、何が起きているのかを確認する。

 そして、少女の目に映ったものは水道水で描かれた不可思議な紋様だった。

 ここで少女の頭の中に唐突に言葉が浮かんだ。そして、誰かが頭の中で囁いてくる。その言葉を口にすると良い事がある、と。

 その声の主を彼女は知っていた。

 それで安心してしまったのか、彼女はわなわなとだが口を開く、開いてしまう。それがこれからさらなる苛酷な道への開門だと気付かずに。

 

「そ、祖に軌跡と奇蹟の邂逅。

 降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、神の盃より出で、黄泉に至る三叉路は循環せよ。

 満たせ。満たせ。満たせ。満たせ。満たせ。

 繰り返すつどに五度。

 ただ、満たされる次元を破却する

 ……告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の弓に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ

 誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、

 又は常世総ての悪と成る者。

 汝三大の言霊を纏う十三天、

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よっ……!」

 

 言い終わった瞬間、不可思議な紋様が青白く発光し始める。それに対して慌てて両腕で目を覆う。

 視界を自分で閉じてからどれほどの時間が経っただろうか。と思った時に次のような声が聞こえた。聞いたことが無い男の人の声だった。

「ッたくよォ。めんどくせェことに巻き込まれちまッたよォだなァ」

 ここで少女は腕をどけて視覚情報を取り込む。

 そこには、白い見た目で黒いオーラを纏っていそうな、痩身の、瞳が真っ赤に染められた見知らぬ男が立っていた。

「……一応言ッとくか。サーヴァント弓兵(アーチャー)。真名『一方通行(アクセラレータ)』。聖杯の寄る辺に従い、オマエの願いを叶えてやる」

 少女は唖然とする。恐怖はなかった。しかし、代わりにこんなことを思った。天使か悪魔の様だと。

「さて、マスター。オマエの名前はなンだ?」

「……わ、私は……」

 圧倒的神々しさ、あるいはどす黒さ。そのようなものに迫られて怖気づく少女、それでも何とか言葉を紡ぎきる。あの紙束が言ったことが本当であればこの人と一緒に戦うことになる。勝てば両親に会えるんだと二つのことを考えながら。そして最後には絶対に両親に再開するんだ。と強く思いながら。

「私は、きっ、霧崎小雨‼貴方のマスターとなる者だっ‼」

 その男は少女の、霧崎小雨の宣言を聞いて、「良ィ返事だ」とニぃと口角を上げながら言った。その笑みは天使の微笑みとはかけ離れていた。

 アーチャー陣営、完成。

 

 

 




初めまして、旅兎と申します。今回初投稿させていただきました。多々至らぬ点があると思いますがこれからも頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします。


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二章~緩やかな開幕~

①「魔術協会からの精鋭たち」

 

 戦争殺しは夜の街を三人の少年に囲まれながら闊歩する。その表情はどこか物憂げだ。

「ねぇ、オジサン。そんな顔しててもだるいじゃん。もっと明るく行こうよ」

 そんな声が彼の右隣から聞こえてきた。夜遅くである上に街灯が少ない場所であったため声の主がどんな表情をしているかは分からなかったが、どうやら楽し気にしているのだけは分かった。

「おい、業。マスターなんだからもっと言葉を選べよ」

 こんな事を言ってくれるのは戦争殺しの後ろから付いてくる少年だ。この少年は基本的に礼儀正しく、早くも信頼しても大丈夫だと思わせるような人格の持ち主だが、歩いている途中にふっと気配が消えることがあるからちょっとした警戒心を覚える。

(いや、この程度の気配遮断スキルはこのサーヴァントたちなら全員持っているか……)

 そう、今戦争殺しが共に歩いているのは彼自身が召喚したサーヴァント暗殺者(アサシン)、真名『3年E組』に属する三人。赤羽業、磯貝悠馬、そして最初の召喚した時に一番初めに現れた潮田渚なのだ。

 本日、今回の聖杯戦争の開催地である日本某県、尾仁市にやってきた戦争殺しだったが今回の依頼主であるロッコから、とある人物に会ってくれとの頼みがあったので夜な夜な静けさに包まれた市街を練り歩いているのだ。

 その際にマスターが一人で夜道を歩くのは危険だという事で『3年E組』中の男子の中から適当に選ばれた三人が同行することとなったのだ。

「これからどなたに会いに行くんですか?」

 左隣の少年、潮田渚が戦争殺しに問う。

「簡単に言えば、同業者だな。俺と同じように魔術協会から派遣されたマスターだ。……場合によっては戦うことになるかもしれんがいいか?」

 戦争殺しは本当に心配そうな口ぶりで聞く。それは彼らの実力を甘く見ているのではなく、親が子の何もかもを懸念するかのような感じだ。

 それに対して三人はそれぞれなりの返事をする。

「だいじょーぶだって」「任せてください、マスター」「心配しなくても、負けはしませんよ」

 業、悠馬、渚の順だ。

 それを聞いてもなお戦争殺しの心の靄はイマイチ晴れない。本当は全面的な信頼を置きたいし、昨日見せてもらった能力的にも信用に足るものなのだが、いざ戦争、人殺しに向かうと思うと躊躇いが生まれてしまう。

 しかし、それをとやかく言っても何も進展しないので「そうか」と短く答えて以降は黙々と歩く。

 一方で暗殺中学生は夜だというのにぺちゃくちゃお喋りしながら歩く。それには流石の戦争殺しも頭を痛めたが、こんなところで教師風に注意して今後の関係が悪くなるのも嫌だから特に何も言わない。だが、

「業、数学のこの問題でちょっと分からないところがあるんだけど……」

「あ~、そこは俺もちょっとちゃんと理解出来てるか怪しいな。俺にもついでに教えてくれ」

「えーっと、この問題は……あぁ、これはね~」

 渚のスマートフォンを中心に数学の問題について唐突に話し始めた時は戦争殺しも驚いた。

「お前ら、勉強熱心なのはいいが、時と場所を考えろよな。……それに、もう着くぞ。昨日話し合った通りにいくぞ」

 マスターが気を引き締めたのが伝わったのか、彼らもそれなりに身構える。業は相変わらず気怠そうだが。そしてそんな業と悠馬は一瞬にして消える。霊体化したのだ。一方で渚は現界したままだ。

「じゃあ作戦通り、俺が召喚したアサシンは渚だけってことにするからな。アサシンって呼ぶってことを覚えておいてくれ」

 渚は無言でコクリと頷く。

 そして彼らは目的地、追田公園に到着する。平凡な児童公園である追田公園であるが、夜遅くで街灯が一つポツンと寂し気に灯っているのは些か不気味だ。

 そんな公園のベンチに一人の人間が座っているのを戦争殺しは確認する。この距離ではそいつの顔どころか全体像すら見えず、年齢性別が全く分からなかった。もしかしたら何かしらの魔術を行使しているのかもしれない。

 そこで彼は立ち止まり、遠距離から声を掛ける。

「アンタが依頼主の言っていたマスターか?」

 戦争殺しの呼びかけが闇に溶け消えていく。しばしの沈黙が寂しい児童公園を包み込む。

 幾秒の静寂をかき消す音が聞こえた。それは人の声ではなく単純にベンチから立ち上がる音だ。

「ええ、長い時間待たされたわ」

 それはあからさまな女声だった。大人びている印象を第一に受けるがどこか瑞々しさをも覚える矛盾したようなものだ。

「それは悪かったな。……約束通り来てやったぞ。お前さんの言った通りサーヴァントを具現化したままな。そこにいたらこっちの事も良く見えないだろう?顔を見せな」

「最初からそんな好戦的だと良い事無いわよ」

 余計なお世話だ。と戦争殺しはすぐさま思った。それにこれぐらいピリピリしていなければ聖杯戦争なんて勝ち抜けないのではないだろうかとも彼は思う。少なくとも冬木の聖杯戦争においてなら彼の考えは正解だろう。

 そしてザッザッと何者かが歩み寄ってくる。やがて街灯が照らす範囲に入ってきてその全貌を晒す。

 戦争殺しと共にいた渚はその女の容姿に、羨望を覚えてしまった。

 東洋人風の顔立ちながらもその体躯は180㎝という身長を持つ戦争殺しさえも超えており、その身体にはメリハリがある。あの超人先生が見たら興奮間違い無しだなぁ。と渚は心の中で呟く。

「初めまして、戦争殺し。来てもらって悪かったわね。どうしても貴方に会っておきたかったの」

 その女は名乗ることなく自分の希望だけを語っていく。会話の主導権を握られたくなかった戦争殺しはあらかじめロッコから聞いておいた相手の名を使うため、口を開く。

「俺の名前を知っているのか、()()(ごう)(しろ)()。極東の魔術師にも知ってもらえるなんて光栄だ」

 彼女、城奈は「ベルフェルン氏から聞いたのよ。今回の一件について話をもらった時に」と端的に答える。その口振りは、そんな事はどうでもいいと言わんばかりだ。

 ちなみに、先程戦争殺しが宣った『極東の魔術師』というワードは皮肉である。

 獅子劫家の話をしよう。獅子劫と名乗っている魔術一族は本来日本ではない全く別の国にあった一族なのだがある時を境に急激な衰退を見せるようになる。そんな状況に対して彼の一族はいかなる手段を用いた。日本という辺境の地に移った事も苦肉の策の一つである。

 そして、一族はとうとう禁断の手段に手を染めてしまう。それの具体的な内容は分からないが例えるのであれば『悪魔に魂を売った』というのが言い得て妙だとか。

 その行為は結果として獅子劫家に再繁栄をもたらした。そこから数世代は栄華を極めた。

 しかし、ある世代でその幻想は打ち破られ、『悪魔に魂を売った』ツケが回ってきたのだ。その代というのが獅子劫城奈、今の一族当主の代である。

 城奈は子どもが産めない。心理的に男性との子作りが出来ないのだ。それは過去のトラウマによるものではなく、本当にただの先天性。普段なら気軽に接せる相手でもいざその行為を行おうとすると、全身を嫌悪感が駆け抜け、相手に暴行を加えてしまうのだ。最悪、男を殺めてしまったこともあった。

 ならば、養子を使えばいい。と獅子劫家は思いつく。そしてその考えは一族繁栄の最適解だと思われた。それは順調に進み、最後に魔術回路を継承するという大儀式に至った。そして、そこで問題が生じた。

 彼女の魔術回路は他人に移植できないものであったのだ。物理的には出来る。だが、移植してしまうと移植先の身体を徹底的に蝕み、精神を崩壊させてしまうものだったのだ。まさに『悪魔の魔術回路』。

 そして、獅子劫家は諦めた。一族繁栄と根源到達を。これは城奈の父、獅子劫界離の判断だ。

 彼は次のように述べた。

「今城奈が背負っている呪いはもしかしたら俺が請け負う物だったかもしれん。そう考えると俺は城奈を責めることが出来ない」と。

 こうして獅子劫家は彼女をもって長い歴史に終止符を打つことにした。

 話は聖杯戦争下での魔術師同士の邂逅に戻る。

「……で、何の用事だ?サーヴァントの顔見せっていうんだったらさっさとそちらさんのサーヴァントも見せてくれよ」

 流石仕事に速さを求める男言ったところだろうか、魔術師とは言え女性を待てないのは少々いただけない。

「……そうね、貴方のサーヴァントも見せてもらったことだし、こちらも開示するわ。出てきて、ランサー」

 城奈がそう言うとすぐさま彼女の背後に人物が現れようとする。現界するのだろう。それを見て渚は慌てて身構えた。いつの間にか緑色のナイフを握っている。

 ついに、その映霊の姿がはっきりする。

「なっ……!」

 戦争殺しはつい驚いてしまった。

 そこに現れたのは年端もいかない美少女であった。戦争殺しが召喚した『3年E組』の彼らと同じくらいの年齢に見えたのだ。不釣り合いそうで似合っているギターケースに目を引かれる。

「これが私のサーヴァント、槍兵(ランサー)

 そう城奈が言うとその少女サーヴァントは無言のまま頭を下げる。その姿は正しく(おん)(ぶん)()()

槍兵(ランサー)か、なるほどな。……ならばこちらも紹介しよう。俺のサーヴァント、暗殺者(アサシン)だ」

 急に話題を振られ戸惑いながらも「どうも」と言いながらお辞儀をする渚。それを見た城奈の表情が僅かに崩れる。微笑ましいと思ったのではない、このサーヴァントは大したこと無いと思ったのだ。一方のランサーは特に変化は見られず、警戒しているようだった。

「可愛らしいアサシンね」

 クスッと笑いながら城奈は言い付け加えた。それには温厚そうな渚もムッとする。

 しかし城奈はそんな相手サーヴァントの表情変化などどこ吹く風。すぐさま顔つきを切り替えて、話を進めようとする。

「さて、貴方に来てもらったのは聞きたいことがあったからよ。戦争殺し、この聖杯戦争に勝利して聖盃を全て手に入れたら本当にそれらを協会に渡すの?」

「……あぁ、それが依頼主との契約内容だからな。それに、俺には聖杯に、神に叶えてもらいたい大仰な願いなんて無いからな。俺が使ったら神の冒涜になっちまうさ」

 戦争殺しの返答を聞いた城奈はしばし俯き、無言のままでいる。が、やがて顔を上げる。その表情は先程のものより一層険しくなっている。そんな顔をして彼女は言い放つ。

「なるほどね。つまり貴女は私の敵ね」

 言われた瞬間、戦争殺しはその意味が分からなかった。だって聖杯戦争は自分以外の全てのマスターが敵であるのだ。自分が彼女の敵であることなど自明の理である。

 そんな彼の思考を置いてけぼりにし、城奈は引き続き言葉を言い重ねる。

「そんなことのために聖杯戦争に参加するなんて愚の骨頂!誰もがどうしても叶えたい願望があってこの殺し合いに参加しているというのに、貴方は金儲けのためだけに動くなんて。それこそ神への冒涜よ!これだから目先の金にしか興味のないハイエナのような魔術使いはっ……!」

 ひどい侮蔑の言葉を並べられた戦争殺しだったが、不思議とそれに対して怒りを覚えることはなかった。何よりもまず、最初に出てきたのは疑問。

「ちょ、ちょっと待てよ。じゃあお前さんは協会を裏切るってことか?」

「ええ、そうよ!」

 おかしい。と戦争殺しは思う。というかロッコから聞いていた情報と彼女の実際の人格が一致しないのだ。彼が聞いた人物像はもっと人間味が薄く、機械的に依頼をこなす仕事人だったのだ。それが目の前で己の意志を叫んでいる者と同一人物とは思えなかった。少なくとも、人前であのように本性を露わにするような人間だとは思っていなかった。

「私は絶対に聖杯を捕ってみせる。そして今まで散々馬鹿にしてきた他の魔術一族や魔術協会、それに勝手に魔術師の道を諦めた父さんを絶対に見返してやる!私には確固たる願いがある!そんな私がただただ仕事のために聖盃を集める愚か者に負けるわけにはいかない!!」

 突如、戦いの火蓋は落とされた。それまで無言で城奈の傍に控えていた彼女のサーヴァント、ランサーが直線的に戦争殺しの方に突進してきたのだ。いつの間にか槍が具現化している。おそらく金属製で冷ややかな印象を受ける

「危ないっ!マスター!!」

 その声と共に戦争殺しの真横から物理的な衝撃が襲い掛かってくる。渚がランサーの攻撃を読んでいたかのように動き、戦争殺しに無理矢理回避行動を取らせたのだ。

 急に身体を押された戦争殺しだったが持ち前の身体能力で衝撃を受け流しすぐさま戦闘態勢を取る。がそれよりも早くランサーが間合いに入ってくる。

「ハァぁぁっ!!」

 掛け声と共にランサーが繰り出したのは渾身の一突き。その速さは弾丸より速い。身体を反らすことによって咄嗟にその攻撃を躱した自分は回避の天才だと戦争殺しが自賛したほどだ。しかしこのままでは戦争殺しが無防備であることには変わりない。今、足を取られたら盛大に体勢を崩しそのまま槍で一刺しだろう。

 しかし、そうはならなかった。確かにランサーは足を出して柔道の小内刈のように戦争殺しを転ばせようとしたが、その前に自身の左足を軸に九十度回転することによって遠方からの攻撃を避けるようなモーションを取ったのだ。

 そのわずか数秒後に正面から何かが飛んできた。一般的な銃弾よりも小さな何かが。たまたま戦争殺しは身体を反らしたままだったがもし、体勢を整えていたらきっとそれに当たっていただろう。

 その何かが過ぎ去ってようやく彼は身体を起こす。そうして得た視覚情報はすさまじいものであった。

 単純に言えば渚とランサーが戦っているだけなのだが、その内容が凄い。

 渚はナイフを主武装にしつつ、時たまハンドガンを使って応戦しているのだがその攻撃方法の組み合わせと速さが人の域を超えている。流石サーヴァントといったところだ。

 だがランサーはそれら全てを捌く。回避するなり受け流すなどして一切のダメージを受けていないのだ。しかもその上、槍による斬撃、刺突を繰り出すことによって渚へのダメージを狙いつつ彼の攻撃を牽制しているのだ。

(マズい、ウチのアサシンにとって槍は未知数なんだ!)

 戦争殺しは咄嗟にそう思いついた。彼の考えは確かに正しい。

 ここでのアサシンは単に潮田渚のことを言っていているのではなく『3年E組』全員を含めているのだ。

 彼らはとある人物を暗殺するために養成された者たちなのだが、その過程で槍に関する知識は殆ど仕入れてなかったからだ。当然だろう、今時の暗殺で槍などという大仰な武具など目立ってしまうだけだからだ。

 それゆえ槍の特徴も知らなければ捌き方も分からない。もう、直感でやるしかない。そして渚はその直感とやらで何とか互角に戦っている。

「お前には私の相手をして貰うぞ、魔術使い!」

 サーヴァント同士の決闘に目を奪われていた戦争殺しに水を浴びせるような声があった。獅子劫城奈のものである。こちらはこちらで魔術師(マスター)同士の戦闘をしようという算段なのだろう。

 これに対して戦争殺しは黙って右手の人差し指を敵に向ける。そして短く一言。

「ガンド」

 その瞬間、突き立てた指から紺色の魔力弾が飛び出る。それは弾丸並みのスピードで彼に向かってくる城奈へと標準が合わされていた。が、それを彼女は易々と躱す。

 そして懐から取り出した水平式二連ショットガンを戦争殺しに向け、その引き金をあっさり引く。当然の如く銃口からは二つの銃弾が飛び出す。速度はそこまでないように思える。

 幾度に様々な依頼をこなしてきた戦争殺し、そんな彼にとっては自身のガンドを下回る速さの弾丸など躱すことなど容易であったがそれだけでは身に迫るあからさまな危険を除去できないとなぜか思い、より高度な技術であろう、向かってくる弾丸と魔力が込められた宝石をそのまま放出するガンドをぶつける。

 無事、両弾、四つの弾道は激突し全てが霧散する。それの副作用として小規模な灰色の煙が巻き起こる。戦争殺しは迷わずそれに突っ込む。獅子劫城奈は迷わず何かを投げる。

 やがてその灰煙は霧消していく。かと思われた。しかし、むしろその煙はモクモクと辺りに広がっていき、二人のマスターの戦闘範囲を全て包み込んでいく。

 これは戦争殺しの魔術の賜物だ。彼の本分としては先程までの開けていて視界良好な戦場で一騎打ちを行うよりも今のように相手の目を奪って奇襲を仕掛ける方が暗殺者としての性分に合っているのだ。今回は狙って煙を生み出し、それを増幅させたのだ。零から一を作るより一から百を作る方が圧倒的に楽でコスパが良い。

 戦争殺しは続けざまに魔術を行使する。魔術行使隠蔽を含む気配遮断。自身から発せられる音の静音化。ただの魔術感知ではない、相手の魔術特性から狙いの魔術師がどこにいるかを正確に検知する魔術。とにかく相手に接近を悟られないための魔術を次々と披露していく。彼が魔術師暗殺に長けたエキスパートであることを如実に表す鮮やかな技術だ。

 そしてあっという間に彼は対象である獅子劫城奈の背後に立つ。既に彼の身体にかかっていた魔術的な強化は消え失せている。ここまで来たら魔術感知に引っかかってしまうから。そしてそのまま油断することなく懐から何の変哲もないコンバットナイフを取り出し、それで喉元をかき切ろうとする。

 だが、それは獅子劫城奈にはお見通しだった。腕を挙げていたためか無防備になっていた戦争殺しの腹部に彼女は強烈な回し蹴りを叩き込んだのだ。少しは魔術強化をしていたかもしれないが基本は彼女の膂力だろう。それでも男である戦争殺しは煙が渦巻く範囲から吹っ飛んだ。

 彼が自身で構成したテリトリーから出てしまったためか煙にかかっていた魔術的措置がなくなってしまい、やっと視界が良くなる。

「まるで魔術のデパートね。一つ一つはその道のエキスパートからすれば三流の誹りを免れないけどそれらを組み合わせることによって真価を発揮している」

 戦闘前は彼に激昂していた獅子劫城だったが今は素直に相手の腕を称賛する。

「それはどうも……」

 完全に地に這いつくばっていた戦争殺しは身体を起こし、下から長身の女魔術師を眺める。そんな彼女の周りには何かが飛んでいた。二つの小さな球体が一本の細い金属棒で繋がれているものだ。

 これは夜行性の蛇の死骸から眼球をくりぬいて作った魔術礼装。視界が悪い状況でもサーモグラフィーのように体温を察知し相手の行動を把握するという偵察用の道具だ。

 そんなことまでは流石に分からなかった戦争殺しはそれが彼女の真骨頂である死霊魔術のものであるということしか分からなかった。

 そう、死霊魔術である。獅子劫城奈は死霊魔術師(ネクロマンサー)であるのだ。それは彼女の一族に掛けられた呪いの一つ。魔術適性の固定化によって強要された死者、死体、死骸を使う魔術。それが彼女の武器である。

 魔術師には彼女のように一つ道を究めようとする本命の魔術がある。だが戦争殺しはどうだろう。北欧の魔術であるガンドを使えば、それではない増幅魔術も使う。かと思えば純粋な暗殺技術であるナイフ捌きも心得ている。彼には魔術の一貫性が無いのだ。

 それが戦争殺しの強み。古今東西のあらゆる魔術、それどころかあらゆる技術を広く浅く吸収し、それらを総合させることによって仕事のクオリティを上げる。それが彼にとっての魔術であるのだ。彼のそれは言うのであれば『暗殺魔術』。

 獅子劫城奈は戦争殺しが立ち上がり、再び歯向かってくる前に決着をつけるべく再び水平式二連ショットガンを構えて銃弾を射出する。この銃弾も死霊魔術で加工済みだ。呪いがかかった亡くなった魔術師たちの指を加工した追尾式の銃弾だ。

 だがやはり弾速が遅いせいで彼が立ち上がるぐらいの猶予は作ってしまう。引き金が引かれたと同時に立ち上がり手に持っていたコンバットナイフでその弾を斬る。しかし、ここで戦争殺しは意表を突かれる。突如目の前に手榴弾のような何かが飛んできたのだ。勿論、トリガーは開放済み。

 これもまた獅子劫城奈の主武装。常用する銃弾と同じく亡くなった魔術師を素材にして作ったもので、心臓をメインパーツとしている。それに爪や歯という鋭利物と致死性の毒ガスを封入し、爆発させてそれらをまき散らすのだ。

 この時、獅子劫城奈は勝ったと思った。予想通り慌てて銃弾を防いだところに本命の手榴弾を目の前に送り込んでチェックメイト。完璧な流れだった。

 やがて手榴弾が起動する。爆発と同時にいかにも毒々しい霧が辺りに蔓延する。一応その毒の耐性を身に着けているが獅子劫城奈は呼吸器官を抑え、極力距離を取る。彼女は魔術に科学を取り入れたのだ。

 果たして暗殺者(アサシン)のマスター、戦争殺しはどうなったのか?

 

 魔術師同士がせめぎ合っている中、そのサーヴァントたるランサーとアサシン、の一部である渚も戦っていた。

 戦況を端的に言い表すと、圧倒的に渚が不利。槍一辺倒のランサーに対してナイフ、ハンドガンという二種類の武器をもってして攻め続けるがその攻撃が悉く避けられる、流される。

 ここで渚は一つの結論に至る。

「ランサー、貴女は未来視の魔眼持ちですね」

 そんな問いかけがあっても二人の鬩ぎ合いは止まらない。ランサーは槍を振るうし渚はそれを見切りつつハンドガンでのダメージを狙う。

 しかしここで、今まで殆どだんまりだったランサーが口を開く。

「ええ、この世界風に言わせてもらえば私は未来視の魔眼持ちです。といってもコレは生まれつきのものではなく、訓練によって身に着けたものですが。それがどうかしたんですか?そんな事が分かったからといって貴方の劣勢が覆るとは思いませんが」

 一度口を開けば聞いていないことまでペラペラと喋る饒舌なランサーであったことに渚は驚く。

 取り敢えずその点は置いておいて、確かにランサーが言った通り相手の特殊能力の一つが分かった所でそれを起点に状況を変化させることが出来るとは思えない。では、なぜ渚はわざわざそのようなことを問うたのか?その理由は、

『律、新しい情報!未来視の魔眼持ち!』

『はいっ!』

 ランサーの真名看破のための情報収集である。

 そう、彼は一人ではない。今回の聖杯戦争における暗殺者(アサシン)は『3年E組』の二十七人と一体で一人前のサーヴァントとなる。一人では出来ることが少なくても全員の力を使って戦うというのが彼らの特徴なのだ。

 彼らは霊的パスを通じていつでも通信が出来る。ちなみに今の渚の相手は自律思考固定砲台こと律と呼ばれる者だ。少々特殊な出で立ちのため、最初の召喚されたときは姿を現さなかったが、彼女もまたこの『3年E組』の大切な仲間だ。

『渚ぁ、だいじょーぶ?助太刀しようか?』

 別の声が渚の頭に届く。このどことなく気怠そうな雰囲気は業のものだろう。

 相変わらず、ランサーの猛攻に四苦八苦しながら耐え続けている渚を助けてやろうと思ったのだろう。しかし渚は彼の提案を断る。アサシンの正体が『潮田渚』ではなく『3年E組』であることはまだ隠しておきたいというマスターの旨を守るためだ。

 それを聞いた業は少々拗ねながらもあっさりと引き下がった。

『出てきて助太刀してくれるよりも一緒に考えて欲しい。どうやったら未来視を突破、もしくは無効化出来るかを。これは業だけじゃなくて皆の力が欲しい』

 実はここ、アサシン、と言うよりも渚は何気に凄いことをやってのけている。この時もランサーは手を緩めることなく鮮烈な槍技を繰り広げているのだが、それを渚はクラスメートと会話しながら回避しているのだ。ほんのかすり傷を負うことなく。防戦一方になってはしまっているがそれでもすさまじい。

『じゃあ僕は戦闘(こっち)に戻るから、そっちはよろしく!会話は聞きたいからパスは残しといて』

『はーい、りょーかいっ』

 こうして暫く渚は防戦を続ける。

 

 ここからは『3年E組(アサシン)』の作戦会議だ。

『さて、渚から難題が出されたわけだが、何か意見がある奴はいるか?』

 どこか別の場所で行われている話し合いで皆を統率するのは作中でも委員長を務めていた磯貝悠馬だ。

『その前に言いたいことがある』

 こう言って話の中に入ってきた人物がいる。竹林孝太郎だ。

『おそらくだが、相手のランサーが分かった』

 この一言に通信の向こうがどよめいた。

『ホントか!?竹林』

 そんな騒がしさを打ち止めるように悠馬が声を張って場の鎮静化を図る。

『ああ、実は俺には聖杯からこの世界のアニメについて皆より詳しく教えられていてな。渚がくれる情報を下に選別を行っていたんだよ。さて、その回答だが、俺が思うに(ランサー)は『姫柊雪菜』、出典は『ストライク・ザ・ブラッド』。簡単に言えば作中のメインヒロインだ。律、『姫柊雪菜』で検索かけてくれ』

 竹林が呼び掛けた時には既に皆の携帯端末に何かしらのプロフィールが表示されていた。

『竹林さんがその名を言った瞬間に検索し、情報を簡単にまとめておきました。では、読み上げます。渚さんも出来るだけ耳を傾けておいてください。……槍兵(ランサー)、真名『姫柊雪菜』。中学三年生、女性。作中では獅子王機関という組織に所属する剣巫だそうです。専門用語は送った文字資料をお読みください。続けます。幼少の頃から槍術、格闘術、未来視の訓練を積んでいて戦闘能力はかなり高い部類だと思われます。あの槍の()は『雪霞狼』。端的にその特徴を言うのであれば……あらゆる魔術の無効化です』

 最後の、相手の得物、律曰く『雪霞狼』の能力を聞き、一同は驚嘆する。者によっては背中に冷や汗を浮かべた。それほどその槍の効果は驚異的なのだ。なぜなら、

『それって要するにサーヴァント(オレたち)に少しでも当てれば、相手の勝ちになるってことなんじゃないのか……!?』

 そう誰かが呟いた。この声は前原陽斗だ。

 サーヴァントとは基本的には魔術的事象の塊。彼らが存在できるのは全て魔術のおかげ、それどころか存在自体が魔術と言っても過言ではない。だからそれを無効化出来る武具というのは聖杯戦争において最強となり得る可能性があるのだ。魔術で成り立っているサーヴァントを消滅させることが出来るからだ。

『でもそれって可笑しくないか?だってランサーもサーヴァントなんだろう?だとしたら奴は召喚されると同時に消滅しなければならない』

 また別の誰かがこんなことを言った。堀部糸成だろうか。

『あ、確かにそうかも。』

『じゃあ、その魔術無効化ってのは条件があるってことかな?本来の能力を使うためには環境を整えたり、使用する相手に限りがあるとか』

『もしくは真名解放かもしれないよ』

『実は今使っているのは模造品で本来の方でその力が発揮出来るとか?』

 あーだこーだと次々と意見が出てきて、段々収拾がつかないようになってきた会議にパンパンと手を叩く音が鳴り響く。もちろん悠馬のものだ。

『皆、今論じることはそこじゃない。確かにランサーの『雪霞狼』はいずれ対策しなければならない。でも今は目の前の戦闘に集中しよう。まずはさっき渚に頼まれた未来視の攻略方法を考えよう』

 ここで一旦議会は静まってしまう。静かになったのは悠馬の狙い通りなのだがここまで静かになったということは誰一人として意見が言えないという事だ。

 それも仕方ないだろう。彼らが潜り抜けてきた物語にそんな人外めいた能力を持つ者は一人を除いていなかったのだから。

 しかし、ここで誰かが声を発する。業だ。

『未来視って言ってもコレってあくまで予測の延長線なんじゃないの?だったら相手が予想出来ない程の奇想天外なことをすればいいんじゃない?』

 これに対して悠馬は『ふむ』と言ってしばし思慮する。

『……確かにそれはいいかもしれないが、具体的には何かあるか?』

 業はこの切り返しに対してニヤッと笑みを、何かを企んでいる笑みを浮かべながらこう答えた。

『俺らのうち誰かが、もしくは全員が出て行って集団でボコればいいんじゃない?意表も突けるし。所詮相手はタメだ。精神面や戦闘経験に俺たちとそこまで差がついているとは思えないしさ』

 この発言に対して『相変わらず鬼畜なことを思いつくな、お前は』と唖然する声があった。岡島大河のものだ。

『でも、マスターの意向的にしばらく渚以外は出れないんじゃないの?取り敢えずマスターに聞いてみる?』

 今回の戦闘が始まる前に渚と戦争殺しが確認し合っていたアレだ。この行為の真意はただただ他マスターに対して切り札を隠しておくというものなのだが、それを彼らは中々破らない。徹底的に忠実である。

 ここで一つ、話し合いを中断せざるを得ない事案が起こる。

『ま、マスター!!』

 マスター、戦争殺しが敵マスターの攻撃に倒れたのだ。毒ガス入りの手榴弾によるものだ。

 

「マスター!!」

 一連の会話を聞いていた渚が目の前の相手から注意を逸らし、後方で戦っていた戦争殺しの方に注目する。そこは毒々しい霧に囲まれ具体的な状況が察せなくなっていた。相手のマスター、獅子劫城奈はそこから少し離れたところで霧が晴れるのを待っていた。

 すかさず渚はそちらの方へ駆ける。がそれをランサー、『姫柊雪菜』は許さない。

「貴方の相手は私です」

3年E組(アサシン)』の一部である渚に与えられた敏捷性を上回る速さでランサーは彼の目の前に立ちはだかる。そしてすかさず一突き。渚はそれをナイフでいなす。

 ここで再びパスが繋がり、向こう側から通信が飛んでくる。

『渚さん!マスターの対処はこちらでしますから渚さんは気兼ねなくランサーと戦ってください。未来視の対策はさっきの通りです』

 声の主は奥田愛美だっただろうか。話し手も聞き手もひどく焦っていたから渚は明確には判別しきれなかった。

 一方、マスターである戦争殺しのこの時の状況は、一言で言えばマズい状態であった。

 魔術使いである彼は科学技術には疎い。いくら魔術師から思想思考を離そうと思っても根っこのところで彼は魔術師。無理矢理魔術使いになったことが祟ってしまっている。色が付けられた毒ガスの中で自分の身体が具体的に何に蝕まれているかも分からないまま身動きが取れなくなっている。

 吐き気、腹痛、倦怠感、頭痛、眩暈。その他諸々の症状が彼を襲ってくる。もはや立ち上がる事すら出来ない。このままでは確実に死ぬと悟ってしまう。

 しかし、具体的な対処方法が頭に上ってこない。かつて魔術と毒を絡めた者と戦った記憶が蘇ってくるが、その時どのように相手取ったか全く思い出せない。

 万事休す。まさにその状態だった。しかし、そんな彼の傍に急に立つものが現れる。戦争殺しはそれに気付けない。

「マスターさん、マスターさん!気をしっかり!!」

 彼は声が聞こえた方をノロノロと振り返り見る。そこには、全身を白い防護服で覆い、ガスマスクをつけた小柄な人間が立っていた。

「だ、誰だ……?」と戦争殺しは言ったつもりだったがそこにいた人間には聞き取れなかった。ただただもがき苦しんでいるということしか分からなかっただろう。

 そんな苦しむ戦争殺しに声をかけながらもその人間は何かの準備をしている。

「マスターさん、私です!奥田愛美です!解毒剤を持ってきたので今から注入しますね。ちょっと痛いですよっ」

 戦争殺しの思考が入る間もなく彼の首筋に刺激が走る。毒のせいで五感が鈍っている中、その刺激だけが明瞭に伝わる。

 しばらくは特に何も起きなかった。しかし次第に朦朧としていた意識がはっきりとし、様々な症状が薄れて行った。まるで何らかの呪いから解き放たれたかのようだ。

 状況判断が的確に出来る程の能力を戦争殺しは取り戻す。そして傍に立っていた者を仰ぎ見る。そこには全身を余すところなく包み隠す小柄なシルエットがあった。しかし、ガスマスクの奥に見える顔から自分のサーヴァントであるアサシンの一人、奥田愛美であることが分かった。

「大丈夫ですか?一応、対応した解毒剤を用意したので徐々にですが毒の侵蝕を阻み完全に消し去ることが出来ると思いますけど……」

 戦争殺しの気が戻ったと気付いたのか愛美は心配そうに声を掛ける。

「あ、あぁ。もう大丈夫だ。……多分。この毒は何だったんだ?」

 身体が元通りになったとはまだ言い難いがそれでも出来るだけ気丈に振舞う戦争殺し。己のサーヴァントを心配させまいという心遣いだろうか。

「これはサリンです。非情に毒性が強くて化学兵器として現代戦争でも一線級の威力を発揮するほどのものです」

 サリンについては化学に疎いという戦争殺しでも流石に知っていた。それこそ、ここ日本のある事件で猛威を振るったものなのだ。あれは冷酷な魔術師たちでさえも戦慄を覚えたのだから。

 だが、名前だけは知っていてもその症状や対策までは知らなかった。

「しかしよく、これがサリンだって分かって対抗策がすぐさま思いついたな。確かに君は化学が得意だとは聞いていたがまさかここまでとは」

 次第に正常な身体状態を取り戻してきた戦争殺しは悠長にも彼女の能力の褒め殺しを始めた。それに対して愛美は盛大に照れながらこう答えた。

「魔術ってすごいんですね。その化学物質を知ってさえすれば別の物質を代用させて自分の望んだとおりの物質を作れるんですから。さっきマスターに使った解毒剤は化学室に置いてあるような平凡なものを材料に、普通の実験器具を用いて作り上げたんですよ」

 こう言い終わった後、さっきまでの照れはどこへやら、彼女の表情には興奮が見られた。自由自在に製作したい化学物質を作れたのが今思い返してみるとすごいことだったと気付いたのだろうか。

 この高揚ぶりに戦争殺しは辟易しつつ、愛美のステータスを確認する。そこには『保有スキル:知毒B』と『保有スキル:成毒D+』があった。これらが具体的にどのような能力なのかは戦争殺しには分からない。

 これこそ、この暗殺者(アサシン)『3年E組』の強み。一人一人に別個のステータスが振られ、それぞれが己の特性を物語る保有スキルを有しているのだ。今回のアサシンは一人の能力で見れば他のサーヴァントに劣るかもしれないが全員の能力を総動員すればどのような相手にも勝つことが出来るサーヴァントなのだ。

「コホン。とりあえず私は戻ります。しばらくはアサシンの正体を隠したいとマスターさんはおっしゃられたので」

 気を取り直し、彼女はすぐさま霊体化しどこかに消えてしまう。染色された毒ガス、サリンもいい加減薄まってきた。ちょうどいい頃合いだろう。

 アサシンの一人、奥田愛美が姿を消してから数秒、ようやく戦争殺しは本来の力を取り戻した。この時点で視界はまだ少し悪い。

「奇襲をしかけるなら今か」

 相手、獅子劫城奈はおそらく彼は死んだと思っているだろう。だから今飛び出れば不意を突けるのは確実だろう。そこから死に至らしめるかは彼の腕次第だ。

 彼の暗殺魔術、対象の魔術特性を下にその対象がどこにいるかを察知する魔術を使い、彼女がどこにいるかは既に把握済み。勝負に出るなら今だろう。

 そして、戦争殺しは足を踏み出す。力強い一歩だった。霧が覆う範囲から出るのは容易かった。数歩の後にすぐさま視界は開け、獅子劫城奈(ターゲット)をすぐに発見する。

 死んだと思っていた人間が突如出てきては獅子劫城奈も驚かざるを得ない。低級幻獣の皮を使ったある程度の対魔力を持つハンカチで戦争殺しのコンバットナイフによる一閃を防ごうとするが、悲しいかな、彼の得物(ナイフ)には魔術的措置がされていない。その(ハンカチ)は文字通り布切れ同然だ。

 スパっという気持ちの良い音が聞こえた。その刹那後、戦争殺しが再び振りかざしたナイフを受けていたのは獅子劫城奈ではなく、そのサーヴァント姫柊雪菜だった。

「大丈夫ですか!?マスター!!」

 体勢を崩していた獅子劫城奈は尻もちを着いたまま呆然としていたがすぐさま意識を切り替える。

「ありがと、ランサー!!悪いけどここは一旦撤退する!!」

 そう言うと彼女は公園の敷地から出ようとする。がそれを戦争殺しのサーヴァント、渚が許さない。

「させません!」

 ハンドガンで牽制射撃をしつつ近寄る。しかしここで彼の集中を遮る念話(こえ)が入る。

『渚!!マスターをランサーと戦わせちゃダメっ!!』

 この声の主は茅野カエデだ。その声色からその緊急性を察することが出来た。

 すぐに目標を獅子劫城奈からランサーに変える。が、その時には既にランサーは消えていて戦争殺しはフゥッと溜息を吐いていた。

「マスター、怪我とかありませんか?」

 一見、マスターが無事であったようで安堵の気持ちを抱く渚。特に大事はなさそうだがそれでもサーヴァントとして一声かける。

「ああ、大丈夫だ。渚こそ大丈夫か?防戦一方に見えたが」

 少しの疲れが見えるがそれでも戦争殺しはマスターとして、それ以上に年長者として気丈に振舞う。

「問題ありません。サーヴァントですので」

 彼はそう言うとニコッと微笑む。その表情は中学生そのものだ。

『マスター、戦闘お疲れ様でした。お疲れのところ悪いのですけれどちょっとお話ししたいことがあるので具現化してもよろしいでしょうか?』

『悠馬か。具現化は構わないがどうした?何か問題が発生したのか?』

 念話の相手、磯貝悠馬の声が放つ緊迫感が戦争殺しを若干不安にさせた。

 戦争殺しが具現化の許可を出すとすぐさま悠馬が彼の目の前に現れる。

「マスター、ランサーの真名及び正体が分かりました」

 このカミングアウトには驚かざるを得なかったようで戦争殺しは驚嘆の意を表す顔をする。そしてすぐさまその正体の開示を催促する。

 それに従い、悠馬は律から送られた資料を基にランサーの紹介をする。大体は先程の戦闘中に行われていた会議で律に教えられたことの反復だ。

「なるほど、『雪霞狼』か……。確かにコレは脅威だな。しかし、魔力無効の宝具は過去の、冬木の聖杯戦争で召喚されたサーヴァントの誰かが使っていたような……」

「サーヴァント相手にこの槍の牙が向くのも確かにマズいのですが、もっと重大で危険なことがあるんですよ。この槍がマスターを貫いたら、どこに刺さったか関係なくマスターは死にます」

 それはどういうことだ。と戦争殺しが質問する前に悠馬が答えを述べる。

「この槍はおそらく魔術回路をも消します。これが魔術師の身体に傷を与えればその者が持つ魔術回路はズタズタにされ、魔術師として死にます。魔術回路の消失は魔術師にとっては死と同等なんですよね?」

 ここで渚はやっと気づく。先程の戦いで『ランサーとマスターを戦わせてはいけない』と言われた意味に。

「なるほど、な。情報ありがとう。『雪霞狼』に関しては俺も対策を考えるよ。……しかし、よくこの短時間でここまで情報を集めたな」

「いえ、お礼なら俺だけじゃなくて皆に言ってください。ランサーの正体に肉薄出来たのは皆で力を合わせたおかげです」

 そうか、と戦争殺しは言い、彼は手元にある聖盃に向かってありがとうと述べた。それを渚と悠馬は黙って見守る。彼らはこの時、自分たちは良いマスターに巡り合えたなと思った。

 

 尾仁市にあるビジネスホテルのツインルームで一人の女性と一人の少女が身体を休めていた。サーヴァント槍兵(ランサー)の姫柊雪菜とそのマスター、獅子劫城奈だ。

 身体を休めていると言ってもランサーは自身のベッドの上で正座して目を閉じながら瞑想しており、城奈もまた自分のベッドに寝そべりながらノートパソコンのキーボードを叩いていた。

「多分コレね、暗殺者(アサシン)の真名。『潮田渚』出典は『暗殺教室』。女子と見紛う容姿を持ちながらも暗殺者としての才覚を十二分に内包した、暗殺集団『3年E組』の中でも群を抜く実力を持った少年、か。……貴女もウェブ見とく?ランサー」

 こう尋ねられたランサーはゆっくり目を開き、その後足を崩してそそくさと隣のベッドに移動する。

「相手の情報は大いに越したことはありません。見せてください」

 ランサーがそう言うので城奈はノートパソコンを彼女に譲り、席を開ける。そして考え事を始める。

 なぜ毒ガス入りの手榴弾を食らってもあの男は死ななかったのかについて考察しているのだ。しかし、思考を張り巡らしても解答は見えない。彼が現代化学兵器に詳しいとは思えないのだ。彼は確かに魔術を使って荒稼ぎをする魔術使いであるが、それでも中身はより魔術師に近いところがある。そんな奴が純粋な毒に詳しいとは思えない。

ではサーヴァントが何かをしたのだろうか。しかし、あの時はランサーの攻撃を防ぐのに精一杯で何かをマスターに施す余裕はあのアサシンにあったとは思えない。

いろいろと可能性を考慮してみるがこれといった解答が見えてこない。濃い霧の中で探し物をするような感覚を覚えてしまう。

一方で姫柊雪菜(ランサー)も情報を得ながら考え事をしていた。あのアサシンの戦い方についてだ。

途中までは勇猛果敢に突っかかってきたのに、相手が、すなわち自分が未来視の能力持ちだと分かった瞬間、防戦一方になったのはなぜか。普通だったら、相手の情報が得られたらそれに対抗できるように戦略を組むはず。しかし、あのサーヴァントはむしろ逆のことをした。何かの時間稼ぎをしていたかのようだ。それがどうしても腑に落ちない。

「「ハァ……」」

 いくら考えても望んだとおりの答えが出てこないことに両者とも溜め息を吐いてしまう。その溜め息のタイミングが重なってしまった事に二人はつい、クスッと笑ってしまう。

「そんな溜め息吐いちゃって、何かあったの?ランサー」

「ちょっと相手のサーヴァントについて考えていたんですけどね。どうしても納得できなくて……。マスターも人のこと言えないような溜め息を漏らしていましたよ」

「私も考え事。あのマスターについてよ」

 二人の考えることは結局のところは同じ、聖杯戦争に勝つための事だ。それほどまでに獅子劫城奈は今回の聖杯を渇望しているし、ランサーもマスターの望みが叶って欲しいと思っているのだ。

 今回の聖杯戦争、ランサー陣営はなかなか良い関係を築けている。

 

②「逃げ踊るキャスター陣営」

 

 さて、今回の聖杯戦争の舞台が日本某県尾仁市となったわけだが、これの理由を明確に知る者は今回の聖杯戦争関係者には誰一人としていないだろう。この地が『本物の』聖杯降臨の場に選ばれたのもまた『神の気紛れ』とそれぞれが判断したのだ。

 しかし開催地がこの場所になった理由は知らないが、この場所だとそれぞれが決めつけた理由は明確にある。その決断材料は二つ。一つ目、今回召喚されたサーヴァントはどの方角に他の聖盃があるかを察することが出来、その集結地がこの尾仁市だったのだ。要するに今回のサーヴァントたちは殆どこの尾仁市で召喚されたのだ。

 二つ目、それは単純に、全てのマスターとサーヴァントがこの地に降り立った時、既に三度の戦闘が行われていたからだ。

 一戦目は裁定者(ルーラー)逸脱者(イレギュラー)。三戦目は槍兵(ランサー)暗殺者(アサシン)。この二戦とも客観的に見れば引き分けで終わり、各マスター・サーヴァントは闇夜に身をひそめる結果となった。

 この二戦はサーヴァント同士の戦闘らしい激しい戦いを見ることが出来た。仮にこの聖杯戦争に観客がいたら興奮間違えなしだっただろう。

 しかし、まだ全貌が明らかになっていない第二回戦がある。これはどうだっただろうか。

 

 ここは日本某県楠木(くすのき)別宝(べっぽう)町。楠木市中の主要地ながら近隣市の尾仁市に面しているという不思議な場所だ。そんな町の深夜、善良な市民は皆寝静まった頃にその静寂を破る銃声と機械の駆動音、それに絶叫がこの地に鳴り響いていた。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 その絶叫の主はサーヴァント、貝木泥舟のマスターであるダニエル・オシノ・ブラウンだ。

 そんな彼はひたすら叫び散らしながら夜の街を全力疾走していた。

 無理無理無理!怖い怖い怖い!助けて助けて助けて!嫌だ嫌だ嫌だ!死にたくない!死にたくない!と心の中でもフルスロットルで叫んでいる。その逃げ惑う姿は折角のナイスガイが台無しになってしまうほど無様である。

 そんな彼の隣を飄々とした男が並走している。ダニエルが召喚したサーヴァント、貝木泥舟本人だ。

「落ち着け、ダニー。叫んでも状況は変わらんぞ。寧ろ絶叫することで余計に体力を使う。今は黙って足をより速く動かすことに集中しろ。マスターなら逃げきれる。だからもっと速く走れ」

 いやいやいやいや、無理だってアレから逃げるのは。というのがダニエルの心中(しんちゅう)だ。

 彼らが何に追われているかはもうお分かりだろう。マスターだが一般人であるダニエルはともかくとして、サーヴァントまでもが逃げの一手を打たなければならない程の相手は、もうサーヴァントしかいない。

 事実上は今、聖盃あるいは聖杯をかけた熾烈な戦いが行われているという事だがどう頑張ってもそうは見えない。キャスター陣営が人間の目から逃れる害虫にしか見えないのだ。

 さて、そんなキャスター陣営の相手はと言うと、

『ライダー、取り敢えず狙いはマスターの方でいいわ。あの茶髪の方。あの様子だとサーヴァントも外れだと思うけど警戒はしておいて。どんな聖杯戦争でもマスターを殺せばサーヴァントが消滅するのは一律のルールだから』

『了解!!』

 没落一族の末裔、ジャネット・ヴェドリーヌとサーヴァント騎兵(ライダー)、シャルロット・デュノアだ。

 戦い始めて数分、彼女らは既に相手が圧倒的格下だと認定しているが、それでも決して手は緩めない。寧ろ手短に処理しようとしている。本来、魔術師は無意味な一般人の殺人は好まないのだが、今の相手は聖杯戦争におけるマスター。やむを得ない場合は平気で殺す、という方の魔術師の癖が働いているのだ。

 ライダーは念話で着実に指示を受け取り、実行する。魔術師(マスター)であるジャネットの姿は彼女には見えない。

 さて、騎兵(ライダー)として召喚されたシャルロット・デュノアだが彼女が使役するのは馬でも幻獣でも無い。彼女が操るのは、

「ISから生身で逃げ切れるわけないだろ!!」

 日本のアニメ作品に精通しているダニエルだからこそソレが何なのか。ソレがどれほどの威力を内包しているのか。そして、ソレがどれだけ簡単に自分たちを殺せるのか。その全てが分かってしまう。

 そう、彼女シャルロット・デュノアが扱う馬は通称『IS』、『インフィニット・ストラトス』と呼ばれる軍事用パワードスーツだ。一人の天才によって生み出された既存の武具を凌駕する殲滅兵器だ。

 彼女のソレの()は『ラファール・リヴァイブ・カスタムⅡ』。遠近距離戦双方に対応できるほどの豊かな技術が詰まったこの機体は作中では時代遅れの型であるが、今回の聖杯戦争では十分脅威を発揮するだろう。マスターは当然の如く、サーヴァントも基本骨子は人間であるのだから。事実、相手サーヴァントの貝木泥舟は逃げる事しか出来ない。

「ってかさっきから何でお前も一緒になって逃げてんだよ!何か反撃しろよ!!」

「それは無茶な話だ。というよりもさっきから蜂を飛ばしてはいるんだけどな。あの速さにまるで付いて行けていない。まるで兎と亀だ」

「それ以外に対抗策は無いのかよ!?」

「無いな。俺の本分は話術だ。交渉もせずにいきなり殴りかかってくる奴にはどうしようも出来ん」

 こいつは本当にダメサーヴァントだと心の中で愚痴るダニエル。その気持ちを最大限表情に出して貝木を見るが当の本人はどこ吹く風とまるっきり無視を決め込んでいる。

 仲間割れを起こしているキャスター陣営の一方、ライダー陣営でも何やら不穏な空気が流れていた。

『マスター、相手のマスターって本当に一般人?』

 と、ライダーが疑問を呈したのが始まりだ。不穏な空気と言ってもこちらは仲間割れなどではなく、ただただ疑問の渦に巻き込まれているだけだ。

『た、多分そうだと思うけど……何か腑に落ちないことでもあるの?』

 ライダーに言われたことが気になり、ジャネットも別のところから相手の観察をする。

 視線の先には二人の男が並走している。おそらく、両者とも自分より年上。黒髪の不吉そうな雰囲気を纏う壮年男は確実にサーヴァントだ。彼の存在自体から魔力をビンビン感じる。自分のサーヴァント、シャルロット(ライダー)からも感じる魔力量。秀でた魔術師でもこれほどまでの魔力は持ち合わせていないだろう。

 茶髪の青年は……どう分析しても一般人。まず、ロクな魔術回路を持っている雰囲気が無い。わずかな魔力であれば一般人でも持ち得るが、魔術回路が無ければ魔術師とは言えない。それに彼には魔術師らしさを微塵も受け取れない。これはあくまでも感覚のレベルなのだが、魔術師はいかにも魔術師であるというオーラを出してしまうものなのだ。それは神秘の秘匿者という誇り故に溢れ出てしまうプライドなのかもしれないが、とにかくそのようなものが無いのだ。

『一般人だとしたら可笑しいんだよ。マスター、僕のIS、『ラファール・リヴァイブ・カスタムⅡ』がどれぐらいの速度が出るか知ってる?』

 ISとはそれが開発されるまでの兵器をあらゆる面で凌駕する軍事用パワードスーツである。つまり、その速度は最大でジェット機を遥かに超すものであると考えられるのだ。今は最高速度を出しているわけではないがそれでも乗用車よりかは速度が高い。

 それを超える速さで走る一般人がいるとは思えない。サーヴァントでもパラメータの『敏捷』がそれなりに高くなければ乗用車を超える速さを叩きだすことは出来ないだろう。

 しかし、ジャネットの眼前で起きている事象はどうだろうか。事実、ライダーの高速移動を凌ぐスピードで街を駆り、雨霰のような銃撃を相応に躱している。

『た、確かに、可笑しい。そもそも魔術師を含む人間がサーヴァントと対等になるわけがない……。一回、私が相手のマスターと対峙してみるわ。ライダー、貴女は一度地に降りてきなさい。そして宝具の部分展開しておいて。分かった?』

 了解。という声が聞こえて念話が途切れる。それを確認したジャネットは戦闘準備を行う。

 

「おい、ダニー。相手サーヴァントの攻撃が止んだんじゃないのか?」

 相変わらず全力疾走で夜の別宝町を走り回っていた彼らだが、状況の変化に気付いた貝木が隣で死に物狂いに走るダニエル(マスター)に声を掛ける。

 そう言われてダニエルがふと周りを見渡すと、確かに銃撃は止まっていて相手サーヴァントの姿は見えなくなっていた。残っていたのは月面のクレーター並みにボコボコにされた道路だった。

「これ、誰が、修復、する、んだ……?」

 さっきまで走っていたからか身体全体を震わせながら口を開く。だがその第一声はひどくどうでもいい事であった。

「お相手さん、帰ったのか?」

 徐々に息を整えていき、それと同時進行で思考を聖杯戦争に移していく。

 そんな彼の隣では彼のサーヴァントが相変わらず飄々とした風貌で佇んでいた。まるで何かを警戒しているように全体を見まわしている。そして、彼もまた口を開く。

「いや、どうやらそれは外れっぽいぞ」

 え?と自身のサーヴァントにその言葉の真意を聞こうと思った瞬間、目の前の空間が歪む。

「初めまして、お相手のマスターさん。先程は私のサーヴァントがお世話になりました」

 その歪曲した空間から出てきたのは長躯の黒髪女性だった。安っぽい服装で身を固めているが溢れ出すオーラが高貴さを表している。

「その口振りからすると、アンタもマスターなのか」

 突然の出来事に頭が追い付いていないダニエル(マスター)の代わりに彼のサーヴァント、貝木が突如現れたその女に返答する。

「ええ、その通り。察しの良いサーヴァントですね。ですが、女性をアンタというのはいただけませんね」

「それは悪かったな。俺の周りに女は誰一人としていなかったからか、俺はそういう教育を受けていないものでね」

 コイツ、また嘘ついてやがる。とダニエルは心の中で毒づく。

 ダニエルを他所に貝木とジャネットの会話は続く。

「さて、アンタは何の目的で俺たちの前に現れたんだ?降伏か?」

「ふふ、冗談がお上手です事。むしろ貴方たちの方が降伏するべきなのでは?」

「生憎、俺は生まれてこの方一回も降伏なんてしたことがなくてな。勝手が分からないんだ」

 ダニエルはもう何も突っ込まない。

「そう。でしたら降伏を味合わせてあげますよ。」

 こう言い終わった瞬間、ダニエルの隣には一人の少女が立っていた。ライダーだ。彼女が何か盾のようなものを彼のこめかみに突きつけているのだ。

「さて、マスターさん。先程まで私の現出に驚いていたようですけれど、流石に今はもう、自分がどのような状況に置かれているか分かっていらっしゃいますよね?」

 この女マスターの言う通り、ダニエルはどのような状況に陥っているかは十分理解している。一撃必殺の兵器を突きつけられて、一方的な交渉をさせられようとしているのだ。

 アニメに詳しい彼だからこそ、今自分が向けられている武器がどのようなものか分かる。これはISの部分展開だ。このカラーリングは『ラファール・リヴァイブ・カスタムⅡ』。ということはこの盾のようなものは灰色の鱗殻(グレー・スケール)とかいうパイルバンカーだ。そしてこれを操るサーヴァントの真名は『シャルロット・デュノア』であると。

 いつ殺されるか分からないという中で彼は身体を震わせ、冷や汗を垂らしながらこう思考した。考えることが精一杯で眼前にいる敵マスターの質問には答えることが出来ず、首を縦に振るだけだった。

 それだけでもジャネットはよかったようで、本題に入るべく口を開く。

「単刀直入に申します。死にたくなければサーヴァントを自害させて、この聖杯戦争から降りてください。貴方、見たところによると一般人ではないですか。だから魔術師の領域に足を入れることなく普通の生活に戻った方が身のためですよ」

 この言葉には魔術師を煽るものも含まれていた。魔術師は自身が一般人だと思われるのを心外だと思ってしまう傾向がある。ここで彼女の疑問に解答できるような反応をダニエルに求めているのだ。特に何事もなくサーヴァントを自害させる、あるいはむざむざと死ぬのであれば一般人。それ以外の何かしらの打開策を練ってきたら魔術師ということだ。まあ魔術師だったとしてもライダーに敵うはずもないとジャネットは割り切っている。

 こう言われてダニエルは悪寒に襲われる。確かに命を狙われていることを実感する。さらなる汗が吹き出し、顔、顎を伝って地面に滴り落ちる。

 つい、右手の甲に描かれた紋様を眺めてしまう。令呪だ。これを使えばサーヴァントを殺し、この危機から脱することが出来る。

 次に自身のサーヴァント、貝木泥舟を見る。彼は顔の向きを変えずに視線だけをこちらに向けていた。と、ここで彼の思考に割り込む何かがあった。

『おい、ダニー、ダニー。聞こえていないのか?』

 貝木からの念話が来ていたのだ。彼の口ぶりからすると少し前からしていたらしいが、それに気付かない程ダニエルは心理的に追い詰められていたのだ。

『あ、悪い。聞こえてなかった。で、何だ?』

『おいおい大丈夫かよ、ダニー。お前は俺のマスターなんだ、しっかりしてもらわなきゃ困る。さて本題だ。マスター、今から相手のサーヴァントについて分かっていることをありったけ話せ。どうせマスターのことだ。あのサーヴァントの真名が分かっているのだろう?』

『いや、まぁ、分かるけど。それを言って何になるんだよ?』

 しばし沈黙が続いてしまったせいでジャネットの表情は厳しくなり、声の高さを落として話す。

「無言ってことは殺される覚悟があるってことですね。それじゃあ……」

 その声には恐怖を覚えた。一見、自分より若い女の子がどうしてこんな声の使い方を知っているんだ。とダニエルが思った程だ。

『チッ、短気なお嬢さんだ。仕方無い、路線変更だ。ダニー、頭上注意だ』

 え?と思う時間すら与えられなかった。貝木のことを外れサーヴァントだと思っていたジャネットとライダーは気付かなかったがダニエルはあることに気付いた。彼が何かを放り投げたのだ。

 それまでずっと黙っていたダニエルはついに殺される寸前であり、ライダーの引き金を引く指には力がこもっていた。だが、その引き金が引かれ、ダニエルの頭に風穴が出来ることは無かった。

 大質量、超体積の何かが上から降ってきたからだ。

 これにまず気付いたのはライダー。気付いた理由は上を見上げたからでも落下の音を拾ったわけでもない。突如、ノーマークだった敵サーヴァントが疾風の如く敵マスターを攫っていったからだ。

 その速さは正に疾風の如く。これだけ速ければ確かにISの爆撃から逃げることは出来るだろうと思わせるほどだ。

 ではなぜ、ここで相手は自身のトップスピードを出してまで自分のマスターを攫ったのか?という思考に至り、すぐさま何か広範囲の攻撃を仕掛けられたと直感する。そして上を見て、直感が確信に変わったのだ。

 しかし、気付いたところでもう遅かった。部分展開している今の武装では迫りくる何かを防ぐことは出来ないと思えた。かといってISをフルオープンする余裕もない。己の力では何もできないとライダーは断言してしまう。

ヴェドリーヌ家(わたし)の庭でヘンテコなものを放たないで欲しいわね」

 サーヴァントですらどうしようもないと思ってしまう事態でもその魔術師は堂々とした佇まいで構えていた。

 潰される。ライダーがそう思った時には身体が柔らかい物に包まれていた。地に足は着いているが、ジャネットに軽く抱かれる格好になっていたのだ。

 そして、ドーン!!という予想通りの大音量が辺りには響き、その衝撃で生じた砂塵が舞う。

 砂埃が時を待たずして晴れる。二人が目撃したそれは、

「な、何だ、コレ?」

 全く見たことがない。不可思議な物質あるいは生物であった。

 全体の大部分が白いのだが、体表が炎のように燃えている。だが不思議と熱を感じない。本当に得体の知れないものだ。

「よく分からないけど、破壊すれば大丈夫でしょ」

 そうジャネットが言うとその何かから三メートル上の空間が歪む。そして歪んだ空間から剣が四本現れた。そしてその複数の剣は重力に則って、垂直落下する。

 そしてその何かは刺突される。特に声、音はしないが、刺さった直後それは痛みに苦しむかのようにのたうち回るがそれもやがて終わり、フッと煙のように消えてしまう。と思ったらただただ小さくなっていた。一般的な消しゴムぐらいの大きさだ。

「さて、あのマスターとサーヴァントはどこに行ったのかしら?」

 対象の無力化を確認できた彼女らは二人そろって首を左右に振り、辺りをキョロキョロと見回すが発見できなかった。どうやら完全に逃げてしまったようだ。

「いないみたいね」とジャネット。

「逃がしちゃった、か……」とライダー。

 あからさまにライダーの気分が暗い。敵を逃したことをかなり気にしているようだ。当然だろう、相手は最弱の烙印を押したサーヴァント。勝てて当たり前と思っていた相手なのだから。

 傍若無人なお嬢様、ジャネットも流石にライダーの事を察せれたようで、何か言葉を掛けようか悩んでいる。が、それをライダーが待つことなく彼女自身で気持ちを切り替える言葉を生む。

「次こそは仕留めるよ」

 それを聞き、ジャネットは安心した顔をして「期待しているわ」と言い残し、二人は帰路に着く。

「そういえば、あのサーヴァントってどのクラスなのかしらね?」

「うーん。冬木の聖杯戦争だったら、キャスターですかね。武器とか持っていなかったし」

「でもあれがキャスターとしたら何か可笑しくない?とんでもなく俊足だし。足の速いキャスターなんて聞いたことないわよ」

 

「どうやら逃げきれたようだな」

 突如として姿を消したキャスター陣営であったが今もひたすら高速で移動している。

「ちょ、おまっ、おまっ!お前!!降ろせ!降ろせっ!!ヒィ!!怖い怖い!!生身でこのスピードはダメだって!!」

 ちなみに、ダニエルはまだ抱えられたままだった。米俵を担ぐように貝木の細い右腕と右肩に支えられていたのだ。まるで荷物を運搬しているかのようだ。

 ここで貝木は急ブレーキをかける。革製のビジネスシューズのくせにキイィィィィィというブレーキ音が鳴る。

「おっと、すまないダニー。逃げるのに一生懸命だった」

「嘘吐け!!絶対お前楽しんでいただろ!!あと、あの速度で走って急ブレーキはヤメロ」

 一体なぜ、キャスターであるコイツが戦闘機並みのスピードを叩きだすサーヴァントから逃げきれるほどの足を持っているのかとダニエルは不思議に思うが、すぐさま貝木にまつわるエピソードを思い出す。

「……貝木ストライド、か」

 貝木ストライド。それは貝木が学生時代に編み出したとかいう走行方法だそうで、彼が出てくる物語の中で最速の人間を追い抜いた走り方だそうだ。真偽のほどは分からないが。

 そんなことをダニエルが考えている内に、サーヴァントの方も何かを考えているようだ。彼にしては珍しく、手を顎に当てて、いかにも考え事していますと言った装いだ。逆に怪しんでしまう。

 が、それもすぐ終わったようで貝木はダニエルに声を掛ける。

「さて、マスター。帰りながら情報交換をしよう。あのサーヴァントの対策を立てるために」

 これにはダニエルの表情も硬くなり、キリッとなる。今回のキャスター陣営は綿密な情報収集と作戦建てが重要だと二人は勘づいているのかもしれない。

 

 こうして第二戦は終わった。結果は引き分けだがライダー陣営が苦虫を噛み潰すような結果となってしまった。

 

③「姉妹の戦い」

 

 尾仁市三尾仁町には有名な姉妹がいた。

 有名といってもテレビに出るような子役やタレントというわけでもなければ天才スポーツ少女というわけではない。あくまでも町内もしくは近隣町村で少し名の知れたと言ったところだ。

 その姉妹の父親は地元出身で尾仁市の市役所に勤めている公務員、母親は東京から嫁いできて今はパートで働いている主婦というごく普通な家庭で姉妹は生まれ育っただけなのである。それでも彼女たちは有名になった。

 二人まとめて有名なのではない。それぞれが何らかの特徴を持っているがために有名なのだ。

 姉は学業優秀、スポーツ万能、高い統率能力の三つを備えておりカリスマと人望がある。小中高では何らかの部活と兼ねて生徒会に所属し、必ず生徒会長を務めるほどだった。また、面倒見がよく困っている人を助けたがる癖も持っていて、これもまた彼女の人望を高める要因となっていただろう。

 妹は芸術性豊か、容姿端麗の二つ。部活こそは入らなかったが彼女は授業以外の場でもその芸術性をいかんなく発揮し、数多の賞を受賞してきた。だがこの特徴は比較的隠れがちである。何よりもその見た目が目立ってしまうのだ。綺麗と言うよりは可愛らしいと言った類の風貌を持った彼女だが、それに関して天使の降臨と例えられたこともるほどだ。

 この姉妹はそれぞれ特徴が長所となっているが、片方が持つ長所がもう片方の短所となっているわけではない。姉妹は同じ高校に通っているし、姉の容姿は悪いとは言い難く、寧ろ美人な方だと言われていた。美麗の姉、可愛げの妹とよく括られたものだ。

 そんな姉妹だが、姉妹仲はとても良かった。妹が常にべったりで姉は天性の甲斐性を持って妹に接していたのだ。それはそれぞれが高校生になっても続いていた。

 が、そんな温和な日々は唐突に終わりを告げた。その理由は、おそらく、聖盃出現による聖杯戦争の開幕だ。

 

『待って、お姉ちゃん!!そっちに行っちゃダメ!!』

 二人の少女が暗闇の中を進んでいた。一方はゆっくり一歩一歩踏みしめるように歩いていた。もう一方は前で歩いている少女の方へ息を切らしながら走っていた。

 そう、この二人は一定方向に進み、走っている少女が歩いている少女に追いつこうとしているのだ。だけど走っている少女はいつまでたっても追いつけない。速度はこちらの方が速い筈なのに、むしろ距離はどんどん広がっている。

 やがて歩いている少女の目の前に大門が現れる。中からはどす黒いオーラが溢れ出ていた。これが現れて歩いている少女はやっと止まる。この時既に二人の間にはかなりの距離が開いていた。

 待って、ともう一度後ろの少女は叫ぶ。すると門前に立つ少女は後ろを振り向き見て、口を開いた。

『――――』

 距離があり過ぎたせいか、それとも別の理由か、彼女の言った事は分からなかった。

 そして、少女は門の中に入っていく。それと同時に門扉は音を立てながら閉まっていく。門が完全に閉まり切る前に追いつこうと思い、少女はより速さを求めた。

 しかし、死に物狂いで走っていた少女が門前に着いた時はその重々しい扉は完全に閉まってしまっていた。

 

 その少女はバッと目が覚めた。勢いのあまり半身を起き上がらせてしまう程だった。身体全体は汗で濡れ非常に不愉快だった。そして顔には涙を流した跡があった。

「……」

 彼女はしばらく何かを考えていたが寝起きのせいか上手く思考がまとまらない。が、それも次第に薄れていき、思考能力が正常化していく。

「……そろそろ起きなさい、箏音(ことね)

 その少女の寝起き第一声はコレだった。しかし、周りには誰もいない。この四畳半の部屋には少女しかいない。

『ん、んあ~?もう朝~?』

 だけどこんな声が聞こえた。明らかに少女の声とはモノが違う。彼女と同じく女の子のものだろうが完全に別人の声だ。

「そう、もう朝よ。学校の支度しなさい」

 引き続き超現象は起きたままベッド上の少女は独り言を呟くように見えない誰かに話しかける。そう言いながらベッドから抜け出し、伸びをしながらカーテン前まで歩く。そしてカーテンをバッと開く。

『うわぁ!日光がぁぁ!!』

 少女のものではない、別の誰かの悲鳴が部屋の中に響く。日光に怯えるとはまるで吸血鬼のようだ。

「これで目が覚めたでしょ?いい加減出てきなさい」

 またしても少女の声だ。その声は平淡で無機質だが、言った意味とは別の何かを伝えようとしているのは分かる。諦めろという事を言いたいのだろうか。

『む~、分かったよ……』

 そんな声が聞こえた。次の瞬間、日光が燦々と入り込む窓の前でその光に負けない程の光をその少女が放つ。先程までの現象が霞むほどの異常事態だ。

 その光もやがて晴れる。そこには、二人の少女が立っていた。

 容姿は瓜二つと言って差し支えないだろう。幼げで可愛らしい見た目をしていて、万人受けする風貌だろう。そんな二人の大きな違いは髪色。髪型は同じストレートロングなのだが、片方が黒、もう一方は銀なのだ。

「おはよう、箏音」

「うん。おはよ、ルーラー」

 その二人の少女はマスターとサーヴァントだった。

 箏音と呼ばれたマスターはパジャマを着たまま眠たそうに佇んでいる。

 ルーラーと呼ばれたサーヴァントはどこかの学校にありそうなベージュ色のブレザーを身に纏っている。

「箏音、まずは着替えなさい」

「は~い。……全く、ルーラーはお母さんかよ」

「……何か言った?」

「何も言ってないよ~」

 箏音はいそいそと学校指定のセーラー服に着替えようとする。そのスピードは速かった。

「はい、準備完了~。じゃ、下に行こうか、ルーラー」

 ルーラーはコクリと首を縦に傾げ、箏音に追随する。こうして二人は部屋から出て行った。

 しばらくして彼女らは階下のダイニングルームに到達し、朝食の準備をする。

「今日もお母さんたちは……いない、か……」

 トーストが焼けるのを待ちながら箏音はシンクにもたれてそう呟いた。その顔には少し翳りがある。これに対してルーラーは声を掛けようとする。掛けようとするが良い言葉が思いつかない。

 箏音はそんなルーラーの様子に気付いたようですぐさま表情を明るくし、声のトーンを上げる。

「あ、ごめんね、心配かけちゃって。大丈夫、コレが解決するまで何も帰ってこないって分かってる。今は私の出来ることを精一杯やるよ。だからルーラーの力がいる時は貴女も力を貸してね。あ、パン焼けたみたいだよ」

 この箏音の言葉には明らかに無理がある。そんなことは出典作品内で不器用かつ鈍感と言われたルーラーでさえも分かってしまった。それほどまでに今の箏音は無理をしているのだ。それも仕方ないだろう。今の事態に陥るまではただの、普通の女の子だったのだから。

 今の箏音の心理状態は極めて不安定だ。いつか限界が来て、今の状況に耐えられないようになってしまうかもしれない。まるで彼女の姉のように。それまでに何とかしなくてはならない。そうルーラーは考える。

「ルーラー、ご飯出来たよ。さ、食べよ」

 ルーラーが一人で考え事をしていると、こんな声が彼女のマスターから声が掛かる。その声はいつも通りだった。朝起きた時と同じとも言える。

「あのね、箏音。いつも言ってるけど私たちサーヴァントはご飯を取らなくてもいいのよ。だから……」

 ルーラーの言う通り、サーヴァントは食事を摂らなくても生活し、戦う事が出来る。サーヴァントは魔力さえあれば生きていけるのだから。

「え~、別にいいじゃん。食べて死ぬわけじゃないんでしょ?それとも私の作ったご飯が不味い?」

「いや、そんなことはないけど」

 そう言ってルーラーは自身の眼前に広げられた朝食を一瞥する。一枚の大きなプレートにトーストされたミニサイズの食パンが一枚と、スクランブルエッグとウインナーのタンパク源が少々、それにトマトとレタスのサラダが盛り付けてある。プレート外にはミルクが入ったティーカップが添えられている。一品一品が非常に美味しそうで、それらが相乗効果をもたらしてより一層美味しそうである。

 これらを見て食事を放棄する者などサーヴァントでも在り得ないだろう。事実、ルーラーは召喚されてから箏音の作った料理を食さなかったことは無い。

「……じゃあ、いただきます」

「よろしい。それじゃ私も食べよっと」

 こうして二人は朝食タイムに入っていく。

「そういえば」

 ルーラーがスクランブルエッグを食パン上にのせている時に箏音が彼女に声を掛ける。その声調と表情は幾分か暗い。

「昨晩はごめんね。私がヘマしちゃったせいでルーラーに痛い思いさせちゃって」

 昨晩、サーヴァント逸脱者(イレギュラー)と戦った時のことを言っているのだろう。しかし、魔術師ではない彼女が聖杯戦争においてヘマをするとはどういうことか。

「別に、気にしなくていいわ。それに、私の痛みは貴女の痛み。箏音も十分痛かったはずよ」

「それは、そうだけど……」

 ここで両者は黙ってしまう。微妙に重い空気が流れたまま食事は進行していく。そして、やがて箏音は食事を終える。

「ご馳走様。それじゃ私は学校の準備、してくるよ」

 最後にもう一度ご馳走様と言い足して彼女は席を立つ。

「待って」

 そのまま箏音が過ぎ去ってしまうのを防ぐべくルーラーが彼女に声を掛ける。それに際して彼女は「何?」と言いながら笑顔で振り返る。

「何か、何かあったら私に言って。出来るだけ、力になるから」

 このルーラーの一言に箏音は短く「ありがと」と言って、そのまま立ち去ってしまう。そこには先程までの上っ面な笑顔とは違う、心からの笑顔があった。角度的にルーラーはそれを見られなかったが。

 こうして朝の食卓シーンは終わる。

 

このルーラー陣営は他の陣営とは違う形態をとって戦闘を行うことになっている。それは、サーヴァントがマスターの身体に憑依して戦うのだ。

今のようにマスターとサーヴァントが分離することもでき、その状態でもサーヴァントは戦う事が出来るのだが、実は憑依するといった形を取った方が、強い。その仕組みは詳しく明かされていない。

ではなぜ、今回の聖杯戦争のルーラーはこのように憑依することで真価を発揮するような形で召喚されたのか。それにはもう一騎の別のサーヴァントが鍵を握っている。あの、裁定者(ルーラー)と対になるというサーヴァント、逸脱者(イレギュラー)もまた、マスターに憑依して戦うサーヴァントだからだ。。

 

 場所は変わって、尾仁市三尾仁町内にある廃屋。誰もいつかなくなり、風化に至ってから長い時間が経ったと一目で分かるその建物内に一つの蠢く影があった。

「う、う~ん……っはぁっ、今日もよく寝れた~」

 この影に反応するもう一つの影があった。

「おはよ、弦羽(つるは)。よく眠れたみたいだね」

「あ、おはよう、ツバサ。相変わらず早いわね」

 近づいてくる人影に気付き、弦羽はそちらの方を振り向き見て返事を返す。その表情は寝起きのため少しトロンとしているが十分清々しい。

「うーん、やっぱり癖になっちゃているのかな、学校の時間に起きるのが。貴女はそんなことないようね」

 只今の時間、実に午前九時半である。学生が起きるには些か遅すぎる時間だ。

「なんか、一回この生活に慣れちゃったらね……アハハ……」

 弦羽はこう言いつつチラッと相手の顔を窺う。その様相はお母さんに叱られるのを怖がる子どものようだ。

 で、そのような表情を向けられた側はというと、

「別に怒らないわよ。いや、本当は怒りたいけど。私はサーヴァントで貴女は私のマスターだからね。これぐらいは許容しないと」

 特に怒るなどという事はせずに、弦羽の意向に沿う様だ。

 この二人も聖杯戦争参加者だ。昨晩、サーヴァント裁定者(ルーラー)と戦った者たちだ。マスターが弦羽。サーヴァントがツバサと呼ばれた少女、サーヴァント逸脱者(イレギュラー)の別の姿である。本名『羽川翼』。イレギュラーは薄紅色のセーラー服を着ている。一方でマスターは下着しか身に纏っていない。黒色の奴だ。

「そんなことよりも、ここも捨てたほうがいいわ。そろそろ嗅ぎつかれると思う。貴女の食い散らかしもあって汚いし」

 イレギュラーはそんな事を易々と、何の気兼ねなく言う。そんな事を言いながら彼女は右手の親指でクイクイと後方を指した。その示す先を見ると、

 木乃伊のように全身から水分が全て抜けきったような、人だったものがいくつか転がっていた。その数は優に十を超えている。

「そっかぁ……じゃあ仕方ないね。いつまでも汚いところにいるのも気分が良いもんじゃないしね」

 弦羽はそう言い放つと、ベッド代わりにしていた朽ちた長机から降り、服を着始める。手に取ったのは灰色のスウェットパンツとだぶだぶのパーカーだ。

「それじゃあ行きましょうか」

 マスターの着替えが終わったのを確認するとツバサはさっさと廃屋から出て行こうとする。その手には幾らかの荷物がある。

「待って、ツバサ」

 外まであと一歩、そんな所で彼女の後ろから声が掛かる。勿論、己のマスター弦羽からのものだ。

「貴女は、羽川翼は、出典ではひどく真面目な生徒だった。なのに、何でこんな私に力を貸してくれるの?こんな行動を是非とするの?何でこんな私を助けてくれるの?」

 マスターに背を向けていても彼女は分かった、今、弦羽は泣いているんだなと。今自分たちが行っていることは殆ど全てが間違っていると分かっている。手を染めた時は混乱していたからか気付けなかったけど、彼女の性分は真面目だ。とっくに自分の行動が恥ずべきものだと気付いていたのだろう。

 では、今の彼女はこの状況をどうしたいのだろうか。この状況、すなわち聖杯戦争からドロップアウトして普通の生活に戻りたいのだろうか。それとも別のことを伝えたかったのだろうか。そればっかりは超人と呼ばれた逸脱者(イレギュラー)、いや、羽川翼にすら分からない。何でもは知らない。知っている事しか知らない。だから聞く。

「マスター、貴女の望みは何?」

 その声は、口調は、トーンはいつも通りだった。でも何かが違うと弦羽は感じた。聖杯戦争やる気があるのかと問われているのかと最初思ったが多分それではない。おそらく、自分が彼女を引き留めた言葉の意を聞いているのだろう。

 じゃあ何で私はあんなことを言ってしまったんだ。弦羽はそう己に問う。その答えは明白だ。

「私の望みは最初に貴女に言った通り、――――――――!」

 ここで一拍置く。もはや窓が意味をなしていないこの廃屋に強風が吹き込み、台詞を遮られたからだ。

「でも、この私の望みを叶えるために貴女の、ツバサの考えを冒涜したくないの。さっきも言ったけど貴女は本来真面目な学級委員のはず、なのにこんなことをしてしまっている。……ここに貴女の意志はあるの!?」

 そう訴えた弦羽の声はわずかに震えていた。泣いているわけではないが、震えている。彼女の心境は次のような状態だ。自分は悪いことをしていると自覚しているしそれをやり続ける覚悟もある。だけど、それは親しい友人を巻き込んでまでする事なのかと疑問を持っているのだ。

 当然、弦羽とイレギュラーは友人同士ではなくマスターとサーヴァントだ。だが、出会ってから幾何か時間が過ぎた今、弦羽にとってイレギュラーは友人同然、もしくはそれ以上の存在となってしまったのだ。

 これを聞いたイレギュラーは何を思ったのだろうか。それは誰にも分からない。それを考えさせられる前にツバサは後ろを振り向き見、弦羽に言葉を掛ける。

「私は二人の同級生を助けようと思った。更生という名の元に人間らしい女の子と吸血鬼にしようと思った。それは無事に成功したと思っている。でもね、本当にあれだけが正解だったのか私には分からない。だから私は知りたいの。その人がやりたいことだけをやっても救われるんじゃないかってことを。それに……」

「それに?」

「私だって一度はなってみたいのよ。不良ってやつに」

 そう最後に言葉を付け加えた時、イレギュラーは笑っていた。無邪気な子どもが悪戯を仕掛けた時のような笑顔を浮かべていた。

 それが弦羽にとっては怖かった。自分のサーヴァントなのに天才過ぎて何を考えているのかが分からないのだ。彼女も散々秀才と言われてきたのだが、目の前のサーヴァントはその領域から遥か遠くに行ってしまっているのだ。

「それじゃあ今度こそ、出ましょうか」

 そう言ってイレギュラーは屋外へ消えて行く。それに慌てて付いて行くように弦羽も駆ける。

 その二人の距離はより遠ざかってしまうように見えてしまう。

 秀才と天才のマスターとサーヴァント(コンビネーション)が今日も尾仁市を闊歩する。

 

④「白い怪物、紅い騎士、黒衣の青年、そして……」

 

 その少女の両親が亡くなったのは、ちょうど二年前の事だ。高速道路上の玉突き事故に巻き込まれたのだ。その事故は他にも五人が亡くなる大事故だったという。

 その少女はたまたま家で留守番をしていたため助かった。いや、助かってはいない。むしろこの事故をきっかけに彼女の人生は暗転していく。

 両親が他界してしまった幼子はどのような心境に陥るのか、というのは想像するのが難しい。何せそんなケースは普通見聞きしないからだ。さて、その少女はどうだったかというと、その現実を受け入れることが出来なかった。

 両親が巻き込まれた事故のニュースを見ても、親戚を通して訃報が届けられても、黒衣を身に着けて葬式に参列しても、その実感を得ることは出来なかった。

 いつか元気な姿で再び自分の目の前に現れるのではないか。またあの温かく大きな身体で自分を抱擁してくれるのではないかといつまでも思い続けていた。しかし、そんな幻想は当然の如く、現実となることは無かった。

 少女の知らないところで彼女の親権について協議され、今住んでいる東京から遠く離れた尾仁市花崎町という田舎に住む叔母の下で暮らすことになった。ついでに少女の両親が遺した遺産の管理もその叔母がすることとなった。

 そして、少女は両親の死に直面出来ないまま、思い出の家を出発した。

 それからは、いや、それからも彼女の酷い人生は続いて行く。

 少女を引き取ったその叔母、彼女を引き取ったのは両親の遺産が目当てであり、それを手に入れると少女のことなどどうでもいいと言わんばかりの態度に出た。事実上の育児放棄が始まったのだ。

 その叔母は朝になっても帰ってくることは無い遊び人となり、少女の面倒などは一切見なかった。当然、そこには家族愛など無い。たまにその家で顔を合わせれば少女に対して、住まわせていることに感謝しろと小学生の彼女にとっては無理難題であることを平気で押し付けていた。一種のDVがこの家庭では行われていたのだ。

 そんな家庭環境の下、少女は日々を送っていく。

 そして、やがて少女は両親の死を着実に受け入れていく。だが、時が経ち過ぎていたせいか涙は出なかった。まるで他人事の様な感慨だった。

 唐突な家族の死、唐突な生活環境の変化、唐突な育児放棄、これらが彼女に何をもたらしたのだろうか。それとも何を奪っていったのかと表現した方が正しいか。

 そんな彼女は元の彼女を知る人間が見たら、そのギャップに驚いてしまうような女の子になっていた。いつも母親にべったりで甘えん坊であった彼女は、今となっては誰にも頼ろうとしない孤独主義者になっていた。

 そんな彼女の特徴は学校生活にも当然影響した。

 学校でも徹底的に孤独を貫いた。というか貫いてしまう人格になってしまっていた。当然、友人などは一人も作らずに教師に対しても不愛想な態度をとることが多かった。

 小学校という無法地帯でこのような状況が作られてしまえば、アレが始まってしまう。そう、イジメだ。

 なまじ顔が良かったせいか最初はクラスのリーダー格の女子を中心とした女子グループに様々な事をされて、それでも傷つかない少女を見て、さらに男子たちもそのイジメに加担するようになった。その具体的な内容は、言い表すのもためらわれる。

 彼女はイジメの標的になっても動じることは無かった。心を失ったかのように機械的に学校と住居を行き来する生活を送っていた。そんな無味な彼女をいたぶるのに飽きたのか、そのイジメは案外早く鳴りを潜めた。

 これが、聖杯戦争に参加するまでの霧崎(きりさき)小雨(こさめ)の人生だ。

 

 霧崎小雨という少女が召喚したサーヴァント、アーチャーは唐突に目が覚めた。悪夢から目覚めるかのように勢いよく瞼を開いてしまった。視界にはまだ見慣れない霧崎家の天井が広がっていた。

「クソッ、胸くそ悪ィモンを見せやがって……」

 そう言ってアーチャーは上半身を起こし、壁にかかっている時計の方を向く。

「十五時五十六分、か」

 彼は小さくそう呟くと敷布団から退け、布団一式を畳み始める。最初は慣れなかったのか、若干戸惑いながらだったが、流石の学習能力、すぐさま布団を畳み終え、彼に与えられた部屋を出て行く。

 部屋を出たアーチャーは、まずキッチンに行き冷蔵庫の前で立ち止まる。そしてその扉を開け中から昨晩買い貯めた缶コーヒーを一本取り出し一気に飲み干す。これが彼なりの気分転換の仕方なのだろうか。

「じゃあそろそろ行くか」

 そして、学園都市が生み出した怪物は別の世界にある尾仁市花崎町に繰り出す。

 

 場所は変わって、尾仁市立明和小学校。この学校の南門から多くの児童が楽し気に出てくる。六限までの授業を終えた五、六年生たちだ。

 少年少女たちは授業から解放されたためか、それとも元気がありあまっているせいか、何人かのグループでキャッキャと談笑しながら帰路に着いていた。

 そんないくつかの集団に埋もれた一つの影があった。赤いランドセルを背負った可愛らしい顔つきの少女が一人、若干下を向きながら歩いているのだ。

 そんな彼女だが、門を出ると一つの良く見知った人物を発見した。白髪に紅い眼を持った男だ。

「……何やってんのよ」

 一瞬スルーしようかと思ったが、そうする気にはやはりなれず結局その男の方に進路を少し変え、少女はその男に声を掛けた。

「何って、オマエを待っていただけだが。なンか文句でもあンのか?」

 この男のこの態度に少女はつい、ハァという重苦しい溜息を吐いてしまった。が、その後にこの溜息を訂正するかのように「別に無いわよ」と付け足す。

 この少女と男、今回の聖杯戦争に参戦したアーチャー陣営である。マスターがこの少女、霧崎小雨。尾仁市立明和小学校に通う小学五年生だ。

 そして、彼女が召喚したサーヴァントがこの男、弓兵(アーチャー)。真名『一方通行(アクセラレータ)』だ。

 他の児童は既にいなくなって周りに誰もいなくなった南門から彼女らは歩き始める。

「そういえば、貴方の物語読んだわよ。『とある魔術の禁書目録』ってやつ。三巻と五巻だけだけど」

 小雨は特にどうという事もなく、ただ事実をありのまま述べた。そしてチラッとアーチャーの方に視線を向ける。彼がどのような反応をするかを窺っているのだ。

 それに対してアーチャーは小雨が期待したような反応を見せることは無い。

「……そォか」

 こう短く呟いただけだった。

「つまんない反応ね」

「逆にどンな反応を求めてたんだ」

 別に、と小雨は言い、そのまま二人は黙って歩く。

その後は二人は何も話すことなく、霧崎邸に辿り着く。時刻は十六時五十二分。日も傾き、夕方から夜になり始める時間か。そんな黄昏時だ。

 小雨が家の鍵を取り出し、扉を開けようとした時にアーチャーは何かを察したかのようにハッとなる。

 マスターもそのサーヴァントの様子に気付いたようで、「どうかしたの?」と問いかける。アーチャーはそれに対してこう答える。

「サーヴァント同士の戦いが、始まった。嘘だろ……まだ日没前だぞ」

 日が傾いているといっても、今はまだ一般人の時間。神秘の秘匿を大事にする魔術が絡む聖杯戦争がこんな時間に行われてはいけないのだ。

 この事態には滅多に動揺を見せない一方通行も驚かざるをえなかった。というよりもこれは彼のものというよりも『聖杯』あるいは『聖盃』の秘匿機構の現れかもしれない。このことにサーヴァントとマスターは気付かない。

「どうする?取り敢えずその戦っているとこに行ってみる?」

 と小雨がアーチャーに問いかける。これに対し、彼はしばらく逡巡する。がすぐさま意志を固める。

「……あァ、行くだけ行ってみるか。敵サーヴァントの偵察にもなるしな」

 じゃあ、と小雨が自分も付いて行くということを言おうとした時、アーチャーはそれを制するかのように手を差し出す。そしてこう述べる。

「オマエは来るな」

 そして彼はすぐさまこう付け足す。マスターに反論を言わせないようにしているかのようだ。

「今回の目的はあくまでも偵察だ。だから聖盃による魔力補給はそこまで必要じゃない。だったらマスターの身を案じた方が無難だ。それにオレにはクラス特性で『単独行動』がある。だから聖盃から離れても他サーヴァントよりかは幾分か強い」

 そのアーチャーの口調は小雨に有無を言わせないものだった。そんな圧を持った言葉に怯んだのか、小雨は戦線に赴くことを諦めた。だが、その代わりに偵察に向かうアーチャーにこう言った。

「絶対帰ってきなさいよ。アンタがいないと、私の願いが叶えられないんだから」

 それを聞いたアーチャーは特に表情を変えることなく「分かった」と言って、そのまま飛び立った。

 

 霧崎邸を出て、三分も経たないうちにアーチャーは先程、聖盃を察知した付近に着陸する。そう、着陸である。彼は自身の能力、ベクトル操作で重力を操り、ここまで飛んできたのだ。

 サーヴァントは近くに他サーヴァントに魔力補給している聖盃が近くにある、あるいは二つの聖盃が近い位置にある場合、すなわちサーヴァント戦が行われている時、その場所を大まかに察することが出来る。アーチャーはその聖杯から与えられた索敵能力を使って、ここに来たのだ。

 彼は周りを気配りながら戦場を探す。降りた場所は鬱蒼とした山林の中だった。聖盃の気配を察知できるように感覚を研ぎ澄ませる。

 そして林の中を歩く事約三分、彼は金属同士がぶつかるようなキンッキンッという音を耳で拾った。そして、その音がする方を見る。

 その視線の先には、確かに二人の男が戦っていた。彼らから溢れる魔力からサーヴァントだと分かる。

 一人は高校生ぐらいの青年。学校の制服の様なブレザーを身に着けた一見痩身の男だが、その左腕には炎を象ったかのような小盾がくっついていた。その盾で相手の攻撃を防ぎつつ、何も持っていない右手で直接拳を叩きつけようとしている。殴打がメインの攻撃方法なのだろう。

 そしてもう一方は、茜色の鎧と白いマントを身に着けた中世の騎士のような壮年だ。彼の武装としては右手には十字架のようなシンプルな片手剣、左手には紅色の十字が描かれた盾が握られていた。基本的には剣で攻撃しつつ、時たま先端が尖った盾による刺突も行っていた。その戦いぶりは歴戦の剣士を彷彿とさせる。クラスは剣士(セイバー)だろうか。

 その戦況はあからさまに青年の方が不利だ。当たり前だろう、総合的な攻撃力は紅の騎士に劣るし、守りも小盾一つではあの二段攻撃は防ぎきれない。彼の拳はリーチが圧倒的に短い。そんなことで相手にダメージを与えられるわけがない。

 しばらく、アーチャーは二騎の戦いを黙って見る。

 青年は盾で騎士の斬撃を辛うじて受けつつ、接近を試みる。だが、第二の刃と言わんばかりに相手の盾による刺突あるいは薙ぎ払いがそれを拒む。

 それを何回か繰り返すが青年はこの攻撃方法は通じないと分かったのか、小刻みに左右に揺れる戦いを始めるようになった。

 ここは山林と言ってもあの二騎が戦っている場所は木などの障害物が無い場所だ。まるで自然に出来上がった決闘場のようだ。

 剣を盾で受け止めるのではなく、様々なステップによって躱して間合い管理を徹底する。剣も大したリーチではないのでこれは有効に見えた。何せ相手は頭部以外を重厚な鎧を纏った男、俊敏な動きに付いてこられるとは思えないからだ。

 が、それは誤算だった。

「何!?」

 騎士から結構な距離を取っていた青年は驚愕した。先程まで数メートルの場所にいた相手が数秒の間に眼前に迫っていたからだ。

 その騎士は突進の勢いに合わせるように剣を横薙ぎに振るう。回避は間に合わないと思った青年は左腕の盾で辛うじて防ぐ。防ぐが、その盾は左腕ごとはじかれる。すなわち、青年は防御をとることが出来なくなってしまったのだ、相手の盾による攻撃が残っているのに。

 紅の騎士はそんな相手サーヴァントを見て笑っていた。その笑みは勝利を確信している。

 誰もが予想した通り、騎士はがら空きの相手の腹部に盾による渾身の突きを繰り出す。そして、そこから何らかの奇異的な事象が起きることなく青年は吹っ飛んでいく。

 青年の飛ぶ勢いは大木に受け止められ、彼の背中には激痛が走ったのか、青年は吐血してしまう、そしてそのまま地に伏してしまう。

 アーチャーはここでこの戦いの観戦を止めた。決着が着いたと思ったからだ。この後はあの騎士が身動きの出来ない青年を完全に仕留め、終戦と言ったところだろう。あの青年のクラスは分からなかったが、ここで負けるから関係ないし、騎士の方はほぼ剣士(セイバー)で確定だろう。あれほどの剣技で他のクラスはよっぽどないだろう。と彼は考える。

 あのサーヴァントに自分の存在が気付かれる前に帰ろうとアーチャーは立ち振り返る。

「お兄ちゃん、こんなところで何しているの?」

 振り返った先には一人の少女が立っていた。小雨よりかは年上だろうけどまだまだ幼い少女だ。顔の詳しいパーツは周りが暗いせいでよく分からない。

 たまたまこの戦場に紛れ込んでしまった一般人だろうとアーチャーは思った。そのため、彼はすぐさま視線を先程の決闘場に向ける。もしかしたら今から人殺しが行われるかもしれなかったからだ。

サーヴァントといえどもその見た目は完全に人間である。この少女から見たらただの殺人現場だ。それを見せるわけにはいかないとアーチャーは思った。

結局、彼が見た決闘場にはサーヴァントも人間も誰もいなかった。

「やっちゃって、バーサーカー」

 そんな声が彼の背後から聞こえた。その直後、彼の背中に何か黒い弾が飛んできた。

 その黒い弾はアーチャー得意のベクトル反射で難なく防ぐが、その急な攻撃に驚き彼は慌てて弾が飛んできた方向を振り返り見る。

 そこには、先程の少女を左肩に乗せた、人外がいた。

 ヒトの形に近い薄紫色のボディに、どんな生物にも当てはまらない長くて太い尾。顔の輪郭は人間のそれとは若干違っており、額に当たる部分からは短い角が二本突き出ている。全長はそこまで大きくないがそれでも相対すれば身構えてしまうようなフォルムをしている。

 そんなモノを前にしてもアーチャーは狼狽することなく相手を見据える。その眼光は鋭い。敵を見る目としては正解だろう。

「やっぱり通じなかったか~、まぁ仕方無いね。三騎のサーヴァントを確認したし、それじゃ帰ろうかバーサーカー」

 少女がそういうとバーサーカーと呼ばれたサーヴァントはコクリと首を縦に振り少女を肩に乗せたまま浮遊し始めた。そして木々の高さを超えると加速して場を離れる。

 それを逃がさまいとアーチャーもそれに付いて行く。

「わお。バーサーカー以外に飛べるサーヴァントがいるなんて。貴方、ライダー?」

 アーチャーを視界に入れたその少女が気軽な口調でそう聞いてきた。

「そんなこと、答える義理は無ェ!!」

 質問に素直に答える気はアーチャーにはさらさら無く、それの意志表明と同時に竜巻を連想させる風圧を少女たちに向ける。この高さで叩き落せばサーヴァントはともかく、マスターであろう少女は即死だろう。

 しかし、彼女たちがその強風を受けることは無かった。それが彼女たちに到達する前に霧散したからだ。強固な壁に激突したかのように。

「そんな攻撃、バーサーカーには通じないよ。じゃあね、白いお兄ちゃん。また遊ぼ。バーサーカー、テレポート」

 アーチャーの攻撃を完全に防ぎ切ったそのサーヴァントは少女が不思議な命令をすると同時に消えてしまった。

「……アイツ今、テレポートって言ったか?」

 アーチャーは空中で立ち止まり、この事象について検討する。が、すぐに答えが出るものではないと決め、再び先程の戦場に赴く。その時間は一分もかからない。

 その決闘場には、やはり誰もいなかった。あのサーヴァント同士の戦いは決着がついたのだ。おそらく、あの剣士(セイバー)の勝利だろう。ここでアーチャーは頭の中で小盾使いのサーヴァントを消して、セイバーに思いを馳せる。

 こうして彼は帰路に着く。具体的には再びベクトル操作を行い、飛んで帰ろうとした。だがそれを遮る者が森の中から現れる。

「貴方、サーヴァントね」

 そう言いながら出てきたのは、赤い服に黒いスカートを履いた東洋人だ。日本語を使っているし、日本人だろうとアーチャーは予想立てる。

 彼がそんなこと以上に気にかけているのはこの女が一目で自分のことをサーヴァントだと見抜いたことだ。もしかしたら敵マスターかもしれない。というかその可能性の方が高いだろう。

 そう思いつつ、彼は目の前の女を睨む。

 そんなアーチャーの態度に対し、女は溜息を吐いて両腕を上げる。降伏のサインのようだ。

「先に言っておくけど私は貴方の敵じゃないわ。まぁ、味方でもないけど。取り敢えず私に貴方を害そうとする気は一切ないってことを知ってほしいわ」

 そんな言葉を受け取ったアーチャーはますます目の前の女を怪しむ。

「そんな事を言う奴を易々と信用できるような人格じゃねェんだよ。残念ながら」

 彼はドスの利いた声色で女に言い放った。

「そう。それは本当に残念ね。じゃあ、こうさせてもらうわ」

 女は再び溜息を吐いて、赤い袖に包まれた右腕を彼に突き出し、こう高らかに宣言した。

「令呪を持って命ずる。弓兵(アーチャー)、貴方は私の話が終わるまで一切の攻撃が出来ない」

 何だと。と思う隙すらなかった。彼女がそう言い終わった時にはアーチャーの足元に赤く発光する魔法陣が出来上がっており、何らかの魔術が行使されたのだ。

「オマエ、令呪だと!?裁定者(ルーラー)のサーヴァントか!?」

 彼は全身の不快感に耐えながら吠えた。彼の攻撃を封じるという事はベクトル操作を一切できなくさせるという事である。彼は普段、生活に不必要なベクトルを反射するようにしているので今は普段浴びないものを浴びることになっており、だから不快感に襲われているのだ。

「違うわよ、弓兵(アーチャー)。私はサーヴァントなんかじゃない、ただの魔術師よ。……そして、今回の聖杯戦争の監督役よ」

 しばしの沈黙の後、彼は「はァ?」と口走っていた。

 

⑤「教会の暗闇で手を組む者」

 

 夜。

尾仁市大塔町には一つの教会があった。名を尾仁教会という。

 その教会内にある平凡な祭壇の前で膝を床に付け、一人祈りを捧げる男がいた。祭服を着た、神父然とした男だ。身を屈めているが身長がかなり高く見える。

「私はこの戦いに勝利し、必ず貴方にもう一度会いに行きます」

 胸の十字架を強く握り、その男は小声で、だが確固たる意志を持ってそう宣言する。だがその宣言先は聖職者のような恰好をしているくせに神ではないようだ。

 その男が立ち上がり、礼拝堂から出ようとした時、扉が開かれ何者かが入ってきた。

「マスター、準備が整いました。とミサカは事務連絡をします」

 これを聞いた男は「そうか」と短く言い、その何者かが持ってきた外套を身に纏う。

「それでは私たちも参戦しよう。聖杯戦争に」

 その男の顔には薄ら笑みが張り付いていた。

 




 どうも、旅兎です。ここまでお読みいただきありがとうございます。さて、第二話でしたがいかがでしたか?一部真名を伏せたサーヴァントがいますが、彼らの正体が分かった方はいらっしゃいますでしょうか。というか、もしかしたら多くの方が分かるかもしれませんね。もし分かってもコメント欄には書かないでいただきたいです。お願いします。さて、文章の出来についてですが、正直こちらとしては誰にも読んでもらうことなく投稿させてもらっているのでダメな点、良い点が全く分かりません。なのでよろしければドシドシご意見、ご感想、ご質問して下さい。確認次第速攻で返信させていただきます。それでは、三話もお楽しみに!

 ここからは一話の段階で明らかになったサーヴァントの解説(?)をしていこうと思います。ただの解説では無く、なぜこのサーヴァントを選んだのか。みたいなメタネタ中心で作中では言えないようなことを書いていきます。原作、そして今後の展開のネタバレになる可能性がございますので閲覧は自己責任でお願いします。

 まず、サーヴァントの選定基準ですが、第一に「命のやり取りをしたことがあるか」または「命の重みを知っているか」というものがありました。聖杯戦争はあくまでもバトルロワイアル、殺し合いであります。サーヴァントを殺すことは当然、時にはマスターを殺さなければなりません。従って、人殺しをする資格を持つものが選ばれなければなりません。その判断材料が上記の二つです。ライダーとキャスターはそんな事無いような気がしてきましたが、まぁ、その、何というか、気にしない方向で行きましょう。(ガバガバでスミマセン)
 さてそんなライダー、真名はシャルロット・デュノア。『IS〈インフィニット・ストラトス〉』(以下IS)のキャラクターですね。彼女を選んだ理由の前に一つ、ライダー枠はロボットアニメから選出しようというものがありました。まあ、ロボットかそれに準ずるものに乗っているしいいかなぁって。で、私が観た事のあるロボットアニメがISとヱヴァしかないんですよ。流石にヱヴァパイロットを召喚するわけにはいかない、というかATフィールドをぶち破る方法を思いつかなかったためISになりました。で、そこからなぜ彼女になったかと言うと、主人公+自機持ちの女の子たちの中で彼女が一番、良い人格が出来上がっていると思ったからです。というのも、今回のライダー陣営は第四次聖杯戦争のすなわち『Fate/zero』のライダー陣営を少しばかり模しているところがありまして、マスターはへっぽこで偏屈な魔術師でサーヴァントはそれを正してくれるような性格の持ち主が良い、ということでそれに辛うじて当てはまるのがシャルロットだったということでございます。
 次、アサシンですね、真名は3年E組。原作は『暗殺教室』です。彼らをアサシンにした理由もライダーと同じようなものです。他に知っている暗殺者キャラを知りませんでした。二話を書いている途中に『悪魔のリドル』が浮かび上がりましたが、あの作品も詳しく知らないのでこの選択でよかったかなと思っています。3年E組全員の保有スキルとパラメータ考えるのめんどくさいです。
 次、キャスター。真名は貝木泥舟。『物語シリーズ』のあの詐欺師です。キャスター枠は最後の方まで誰にするか悩みました。数が多いんですよね。で、なんで彼になったかというと、私、『Fate/Apocrypha』の赤のキャスターがすごく好きなんですよね。だからあんな感じのキャスターを書こうかなと。しかし、彼らはどうやって勝ち上がるんでしょうか。私にもわかりません。あと、現段階だとキャスターのマスターがウェイバーっぽくなっちゃっているのは気のせいでしょうか。
 ルーラーとイレギュラーは飛ばします。
 最後、アーチャーですね。真名一方通行(もうルビ振りません)。『とある魔術の禁書目録』に登場する学園都市最強のレベル5です。なんでコイツがアーチャーなんだよと思った読者の方が大半だと思いますが、私自身もそう思います。最初は同じレベル5でも第三位の方にしようと思っていたのですが、どっかの金ぴかのせいでアーチャーは最強という固定観念に襲われ、彼になりました。そして彼をサーヴァントにしたせいでマスターが幼女になりました。
 と、この辺で今回は筆を下ろさせていただきます。ここまでご覧いただきありがとうございます。繰り返しになりますが三話もお楽しみに!


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