PSYCHO-PASS VS 楪いのり (石神三保)
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第一話

――その少女は、彼らの傍らにいた。薄い色の髪、透き通るような白い肌。腰まである長い髪は風に揺れ、妖精を思わせる、重さを感じさせない流麗な輝きを放っていた。

 

そして妖精のような少女は見ていた。車いすに乗った少女……というより、もはや大人の色香ある風格を纏った女性と、その彼女を乗せた車いすを押す青年。車いすを押す青年の視線は、虚空を見続けている。時折、愛おしそうにまばたきをする。そして、何処か定まらぬ場所へ視線を動かすのだ。青年は、盲いているようであった。

 

足の動かぬ女性と目の見えぬ青年、お互いの持たないものを相手に依存し、その姿は傍らから離れて見ると、相手を利用しあっている、とても悲しい関係に感じられる。だが、彼らはとても幸せそうに語り合っていたのだ。

 

「そう……」

 

そう少女は呟いた。その二人の傍らにある光のような空間の中で。そして、彼らを見送ると、再び両の瞼を閉じた。そのままゆっくりと踵を返し、もはや彼らとは二度と会う事はないだろうと、その時はっきりと確信したのだった。

 

瞼を閉じると、誰かの呼ぶ声が聞こえた。私を呼ぶのは誰だろう。少女は、声のする方へと歩みを向けた。その瞬間、周りの光が集合し、そして知らない町並みの風景が、少女の瞳に映し出されていた。あれは久遠の時だ――

 

 

二一一七年、東京。都市の喧噪を嫌うかのように、東京湾上に設置されたメガフロート。メガフロートは、高度に発展した東京中心部と、旧時代の廃棄された港湾区画、そのどちらからも隔離された洋上に建設されていた。人工的に作られた半陸地の巨大構造物上には、最新の副都心としての機能を有した建造物が幾重にも重ねられていた。その一つに、厚生省開発局の射撃場が設置されている。

 

厚生省公安局刑事課一係の監視官である、常守朱と霜月美佳は、通常の業務命令により、その射撃場に向かっていた。業務の記録を取るために、指揮下にある執行官二名、六合塚弥生と雛河翔を帯同して、厚生省公安局のオフィスからこのメガフロートへと、五人乗りのセダンタイプの公用車を走らせていた。以前は監視官と執行官が同じ車両に乗ることはなかったが、今は幾分か緩和され、一定の条件を満たせば同乗できるようになっていた。些細な移動のたびに、監視官と執行官が別々に移動することは非効率であった。そのため、執行官の犯罪計数が安定し、監視官との間にトラブルを起こしていなければ、簡易的な拘束装置を執行官が身につけることによって、同乗を許されるようになったのだ。捜査にあたる人員の不足を解消する、という意図もあった。

 

一行を乗せた車は、自動運転によって予定のルートに入り、新首都高速の湾岸方面へと向かう。そのルート上に、湾岸とメガフロートを結ぶハープ橋があった。そのハープ橋に向かって、高架化された首都高が上り坂になっている。その坂を上り始めた頃だった。

 

「ここは奇妙な場所ね。シヴュラで雁字搦めにされて発展を続ける新都市と、役割を失い滅び行く過去の歴史を積み重ねてきた街。その狭間にある地上でも海でもない場所」

 

目に飛び込んできた風景に郷愁を感じる様に、手錠をかけ助手席に座っていた六合塚が口を開いた。

 

「廃棄区画の再整備をするよりも、洋上にゼロから作り出す方が手っ取り早く、安上がりだったのだと思います。システムの死角が無いように、全てを計算尽くにして、街を作り出せますし」

 

そう答えたのは、後部座席右側に座っている霜月であった。霜月の手には、手錠から放たれる麻酔のスイッチが握られていた。

 

「そうね……」

 

一瞬バックミラー越しに霜月と目を合わせたあと、六合塚は再び車窓に流れる風景に目を移した。

 

都市部とメガフロートを結ぶ首都高速から見える風景は、二一○○年代に立てられた、ホログラムで虚飾された高層ビル群と、錆と埃と水たまりで溢れる、前世紀に壊滅した廃棄区画が並んで見えた。そのいずれにも属さない場所から見ると、両者のコントラストがいっそう強く浮き彫りにされて見える。この景色を見て色相を濁らす市民が増えれば、この風景もいずれ目隠しがされるだろう。代わりにホログラムが美しいベイエリアを映し出し、文化的文明的な風景に置き換えられてしまう。ここはそういった都市であった。

 

「ぼ……僕は嫌いな風景じゃない……」

 

新首都高を自動運転で走っている公用車の後部座席左側から、誰かに聞かせるつもりがあるのかわからない、独り言の様な呟きが聞こえた。六合塚と同じく、手錠を嵌められている雛河であった。

 

「こ……このごちゃごちゃした感じがデザイン的に……いい……と思う……」

 

霜月が「はぁ?」と言う様な顔をしたが、口に出して感情を表現することは無かった。その誰に向けたのか分からない言葉に応えたのが、常守であった。

 

「私はちょっと複雑な感想かな。色々な事件があそこで起こったわけだし」

 

車内の雑談に常守が応じる。昨今は常守が先頭に立って刑事課を率いており、車の運転席に座るのも常守であった。厚生省公安局刑事課は、二一一四年の鹿矛囲桐斗事件で、監視官及び執行官に大量の殉職者を出し、一時壊滅状態となった。事件後に大幅な人事改変がなされ、それ以降は結果的に常守朱が、年齢二十五歳にして監視官としては最も古株となり、事実上実働部隊のトップになっていた。多数の殉職者、サイコパスの色相悪化により転職を余儀なくされた者、そして監視官から執行官へ堕ちる者。様々な人生の破滅を目の当たりにして、常守はその位置に立っていた。今回の命令においても、先頭に立つのは常守であった。

 

刑事課一係が、今回の招集をかけられた時から遡ること二ヶ月前、シビュラシステムの更新が行われ、それに伴い新型のドミネーターが開発されていた。携帯型心理診断鎮圧執行システム・ドミネーター、かつて司法が行っていた事件受理、起訴、公判請求、裁判、刑の確定、それらの執行を全て担い、そして瞬時に行う人類の英知を形にした物体。命令を受けた業務とは、その新型ドミネーターの慣熟訓練であった。

 

ハープ橋を渡りメガフロートに上陸した所で、一行を乗せた車は首都高から一般道へ入り、厚生省開発局の射撃場のある、巨大な平屋建ての建物へと向かっていった。射撃場は完全室内になっており、建物自体は巨大倉庫とさほど変わらない風貌をしていた。

 

「着いたわね。行きましょう」

 

そう常守が一言声をかけると、全員が同時に車から降りた。刑事課一係は、チームを組んでからの時間が他の刑事課と比べ長く、いつの間にか何事においても、自然と阿吽の呼吸で同調して行動するようになっていた。そうなっていたからこそ、ここまでチーム全員が、今まで無事に生き残れてきたのかもしれない。そんな認識が、メンバー全員にあった。

 

射撃場の入り口にある、サイマティックスキャナーを通過し、認証を受ける。IDが確認されると、自動的に奥の扉が開き、現れた無機質な空間が全員を招き入れた。ここまでのパスは全てオートメーション化され、生身の人間は一人もいなかった。機密保持というストレスから、職員を遠ざけるという意味もあるのだろう。この社会では、心理的負担を及ぼす物の多くが機械化され自動化され、生身の人間を徹底的に排除していた。

 

そして、建物内での身体の保証が可能となった段階で、執行官の手錠が緩められる。

 

「二人ともお疲れ様。六合塚さんと雛河くんは初めてよね。私と美佳ちゃんは、何度か来たことがあるけれど」

 

「はい。ここは新しめの設備ですね。わたしがドミネーターの訓練を受けたのは、執行官専用の訓練施設で、ここよりもずっとオンボロでした。おそらくシビュラ導入以前からあったものかと」

 

手首をさすりながら六合塚が答えた。

 

「訓練……とは言っても適性を試されるだけで……あんまり教育的じゃなかったかな……ふるいにかけられる砂の感じがした……」

 

雛河の言うふるいとは、シビュラの適性審査を指す。シビュラが支配するこの時代、人はサイマティックスキャンによる適性審査によって、最も適した職を提示される。そのため人手は常に要事調整が基本となり、各人がバラバラの時期と場所で適性訓練を受ける。特に監視官と執行官では、まるで訓練環境が違うのである。古い時代に適応している人間には古い設備を、新時代に適応した人間には新しい設備を、という極めて合理的な割り振り方であった。

 

そんな他愛ない会話をしていると、室内にアラームが「ポーン」と鳴り、倉庫へ繋がる扉が自動的に開いて、一台の装備搬送用のドローンが入ってきた。ドローンは、刑事課のメンバーの手前に止まると、その貨物扉をゆっくりと開いた。

 

中には社会の権力の行使を具現化した物体が収められていた。漆黒に光る銃身に、ウォールナットを模した樹脂製のグリップが取り付けられ、火薬式の銃とは違う頭でっかちと言う名が相応しい新時代の銃が、専用のホルダーに固定されている。そこにあるのはドミネーターと言う、銃の形をした法の執行者であった。

 

「ようやく本題ですか」

 

霜月はドローンを見て、今日の任務が始まったことを認識した。

 

「今回は、私と霜月監視官だけがこれを使えます。六合塚さんと雛河くんは、それぞれ端末を用意して。記録の準備を」

 

「わかりました」

 

「了解……」

 

常守と霜月がドローンの貨物庫に手を伸ばすと、自動的にケースが展開し、ドミネーターが飛び出す。二人は差し出されたドミネーターのグリップを握り、銃床部にあるセンサーを目視し、網膜に情報を投影する。

 

《携帯型心理診断鎮圧執行システム、ドミネーター起動しました。ユーザー認証、常守朱監視官、公安許局刑事課所属。適正ユーザーです》

 

銃に内蔵されたスピーカーから、指向性音声で無機質なインフォメーションがシステム起動を告げ、ドミネーターは使用状態となった。霜月の方も認証が終わり、二人はこの社会において唯一の「法の執行者」の代理となった。

 

刹那、霜月は手にしたドミネーターの銃口を、常守に向けた。

 

[犯罪計数22.4、執行対象ではありません。トリガーをロックします]

 

無機質な声が、法の執行の基準となる犯罪計数を読み上げる。

 

「ふざけるのはやめてください、霜月監視官」

 

怪訝な顔をして、六合塚が霜月をたしなめる。

 

「冗談ですよ。でも、今のでデータ取りのテストができましたよね?」

 

霜月は半笑いで、六合塚の小言に答えた。事件の捜査中、仲間の精神状態を知るためにドミネーターを向け、犯罪計数を測定することは、基本的には問題とされていない。だがその銃口を向けると言うことは、シビュラが許せば仲間をも打ち抜くということであり、それは相互の不信感を植え付ける。そのため、刑事課の仲間内では、タブーに当たる行為だという考え方が一般的である。

 

執行官は捜査中、常に監視官からドミネーターで背後から撃たれる状態の、任意執行対象という立場だ。潜在犯でもある執行官に対し、トリガーを引くかどうかは、監視官の判断に任されている。執行官が少しでも間違いを犯せば監視官に撃たれ、時には肉体が文字通り灰燼に帰す。ドミネーターを握ると言うことは、相手の運命を握ると言うことである。それを、霜月が軽々しく扱ったことに対し、六合塚は嫌悪感を抱いたのだった。

 

「ええ。今までの常守監視官の犯罪計数と、違いはありませんでした」

 

六合塚は嫌悪感を一旦胸に納め、表面上は冷静を装い答えた。所詮は小娘がすることである、との諦念もあった。霜月は時折、常守に対して幼稚な振る舞いをする、その事実を何度か目にしていた。何よりその行動で色相が曇らない、それは霜月のやった行いが、シビュラの支配する社会では認められていることを意味していた。

 

一方で向けられた方の常守は、そんな霜月の行動を意に介していなかった。彼女の色相をクリアに保つためには、必要な儀礼であると考えていたからだ。悪意があるのか無いのかわからない行動に、いちいち目くじらを立てるほど幼くはなかった。半ば霜月の行動を無視するように、常守は指示を出す。

 

「六合塚さんは、このまま霜月監視官のデータ収集をしてください。事前に配布された手順書どおりに試験を行います。雛河くんは私の方をお願い」

 

「うん……わかった……おねえちゃん……」

 

雛河の言動もまた、幼稚さをにじませている。仕事上の上司と部下という関係で、実際の姉弟ではない事は明かである。常守は、それを雛河なりに色相を保つために必要な行為だと考えていた。雛河は潜在犯である。いつ犯罪計数が悪化し、即時処分になるかわからない立場の人間だ。厚生省入りした常守は、数々の事件の捜査で人がサイコパスを悪化させてゆく様を、まざまざと見てきた経験から、自分が耐えられる範囲であるならば、他人が行う多少の奇妙な行動は許容しよう、という考え方をしていた。

 

二人の監視官は、ドミネーターの試験を始めた。手順書に従い、各種パラメーターをチェックする。提示されたチェック項目を順番にクリアしていく。今のところは前システムとの齟齬は確認されない。

 

続いて、射撃場でドミネーターの試射を行う。今回は犯罪計数の測定、及びモードチェンジの確認のためシミュレーターモードになっており、さらに、安全のため内蔵バッテリーの電力は下げられていた。万が一にも事故で貴重な同じ刑事課の人間を撃ち殺さないためだった。もっとも、相手が本当に執行が必要であった場合は、この限りではないだろう。シビュラはいついかなる時でも、相手が誰であろうと審判を下す。そういう人知を越えたシステムであった。

 

射撃場では、シビュラが作り出す仮想の潜在犯がターゲットとして現れる。シビュラの本音としては、実際の潜在犯をそこに立たせたかったのだろうが、それを実行に移すほど下品なシステムではなかった。ドミネーターは、仮想の潜在犯の犯罪計数をはじき出し、同時に使用者のサイコパスもチェックしていた。何度かターゲットが変わり、それに対した新型ドミネーターの感知した情報が、シリアルパスを経由して計測者の端末へと落とし込まれる。

 

「霜月監視官の色相は安定……犯罪係数の変動値は測定限界以下ですね」

 

「ありがとう弥生さん。問題はなさそうですね」

 

六合塚に対する霜月の接し方は、常守に向けられるそれとは違い、柔和で親しみが込められている。潜在犯である執行官に、何故その様な態度で臨んでいるのかは、当の本人にしかわからないことであった。

 

「こっちも……異常なし……」

 

「それじゃ雛河くん、取得したデータを端末から指定のサーバーにアップロードしてくれる?」

 

「わかったよ……」

 

常守と雛河のペア、霜月と六合塚のペアはそれぞれ指定された試験項目をこなしていき、得られたデータを開発局のサーバーにアップデートしていった。小一時間ほど、業務的な会話をしながら、黙々と新ドミネーターの訓練をこなしていった。

 

 

 

 

「テスト終了。しかし、なぜ今更ドミネーターの試験を?二ヶ月前にシビュラシステムのアップデートとともに配備完了となっていたのでは?」

 

特に問題も無く試験が終わり、霜月は若干不満そうに、疑問を口にした。

 

「その辺りは、最近の事件との関連もあるのでしょう。人員装備を刷新した新体制が、まだスタートしたばかりだし」

 

常守には、ここに至るまでに気になることがあった。確かに慣れない人員とシステムの刷新、それに伴う新装備と数々の不安要素があるのも確かである。上層部が、あらためて「法の執行」が正しく行えるかどうか、念を入れて確認したいという考えは理解できる。

 

「それに霞ヶ関やノナタワーでは言えないこともあるでしょうし」

 

常守は小声で独白する。多くの人間がいる場所では、語る事が出来ない話の存在を感じていた。わざわざメガフロートに呼び出されたのには、慣熟訓練以外の理由もあるのだろうと。

 

――その時、常守にそう懸念させる要因の一つが、常守と霜月の背後から二人に声をかけてきた。

 

「常守監視官と霜月監視官に話がある。執行官の二人は外してくれないか」

 

声の主は禾生壌宗。厚生省公安局の局長を務め、刑事課の頂点に立つ人物であった。表向きには、である。

 

常守と霜月は後ろを振り返り、禾生に対して敬礼をする。六合塚と雛河も、記録端末を左脇に抱え敬礼をする。刑事の仕事が、警察庁から厚生省に移った時代でも、変わらぬ儀式であった。

 

「お話は何でしょう?禾生局長」

 

敬礼をしながら、常守は禾生に話しかけた。

 

「新型ドミネーターの調子はどうだね。訓練の方は順調か?」

 

禾生は返礼の代わりに軽く右手を挙げ、敬礼を解くように促す。

 

霜月が状況を報告する。

 

「はい、滞りなく終了した所です。まったく問題はありませんでした。データは、順次開発局のデータサーバーに送っています」

 

「そうか。ではこれからは新型ドミネーターを使って任務にあたってもらう。それから君たちの今後の体制についてだが」

 

禾生はちらりと執行官二人の方へ目をやり「場所を移そうか」と踵を返し、射撃場内にあるオフィスへと歩みはじめた。

 

霜月は即座に追随したが、常守は一歩歩き出したところで一回立ち止まった。

 

「六合塚さんと雛河くんは車へ戻って待機していてくれますか」

 

「了解です」

 

「了解……」

 

常守は二人の執行官に待機を言い渡し、霜月と共に禾生の後に続き、通路の奥にあるオフィスへと消えていった。

 

 

 

 

「刑事課の慣熟訓練の延長?今週中には二係、三係の新人配属が完了するはずではなかったのですか?」

 

開発局のオフィスで、霜月は思わず声を荒げた。刑事課は現在、慢性的な人手不足を解消するために、新たな人事改変を行っていた。新配属の人間が多くいるために、二係三係の練度は低く、そこへ新型ドミネーターへの装備更新が加わり、長期の慣熟訓練を行わざるを得ない状態であった。訓練は各研修施設において合宿形式で行われるために、刑事課のオフィスを離れている時間が多かった。そのためおのずと一番経験の多い一係が、空いた穴を埋める役割を担わされ、多大な負担となっていたのである。

 

そんな霜月の抗議を意に介さず、禾生は話を続ける。

 

「君たちも知っているだろうが、現在監視官の適性を持った人材を探す事は困難を極めている。監視官としての適性を持った候補が少ない中で、身体及び精神ともに戦力として投入出来る人材に仕上げるのには、それなりに時間を要するのだよ。これでも我々は急いでいる方だ」

 

「我々」とは誰のことを指すのだろう、そんな言葉が、常守の頭の中によぎっていた。一方で霜月は最初の勢いをそのままに抗議続ける。

 

「ですが、ただでさえ現場主義の独断先行的な捜査を行う常守監視官に、これ以上のオーバーワークを強いればどんな結果を招く事になるのか。新戦力投入以前に、今のような綱渡りの捜査体制では、将来深刻なアクシデントが引き起こされると思います」

 

「霜月監視官」

 

禾生は、一連の霜月の発言を塞ぐように言葉を放った。

 

「君の危機感も判らないではないが、我々厚生省公安局は、常守監視官の能力について、大いに期待しているのだよ。現にここまで、彼女は大きな失態らしい失態も起こしていない」

 

「ですが」

 

「これは厚生省の決定なのだよ。私個人の判断ではない」

 

ウッ、と呻くように言葉を飲み込み、霜月はそれ以上言葉を発しなかった。霜月は常々、監視官と執行官が同等に現場に出動し、一緒になって捜査に当たっている事に対して、不満を感じていた。「監視官」と「執行官」と言う名前が、有名無実化しているではないかと。本来は捜査に当たる執行官の監視が、監視官の役割ではないか、人材不足を理由になし崩し的に、監視官を危険な任務に当たらせているのではないかと。

 

「あの」

 

「なにかね常守監視官」

 

霜月の勢いが一旦収まった所で、常守が会話に割って入った。わざわざ残業を言い渡すためだけに、ここへ呼んだのではないだろう。何かの思惑を感じていた。その疑問を率直にぶつけてみようと思った。

 

「この慣熟訓練の期間延長には、最近連続している原因不明のサイコハザードが、何か関与しているのでしょうか?」

 

「そうだな。話を本題に戻そうか。君たちに連続勤務を命ずる理由だ。サイコハザードが頻発するようになる二ヶ月前、多様な需要に対応するため、シビュラシステムに新型の大容量の量子メモリーが実装された。目下の所、新型量子メモリー導入以前のシビュラシステムと、犯罪係数に相違が無い事が確認されている。新型量子メモリー導入以前に行ったシミュレーション、実装前の平行試験の結果も良好だった。今のところ新型量子メモリー実装によるシビュラシステムのアップデートと、サイコハザードとの間に直接的な関連性は認められていない」

 

禾生は官僚らしい、長々と責任を曖昧にした話し方をはじめた。

 

「ですが、あえてそれをおっしゃるという事は、何かがあると言う事ですか?」

 

禾生は僅かに本意を得た、と言った表情になる。はじめから常守に、何かを期待していたようであった。

 

「シビュラの判定は、常に適切で合理的だ。それは万事においてサイマティックスキャンで市民の色相をチェックし、データを取得蓄積し、そのデータを用いて常時シビュラシステムが学習しているからだ。そして演算結果を犯罪係数として算出し、最適な対処方法を提示する。だが一方で機械である故の欠点は、微細な誤差が必ず生じることだ。もし、その微細な誤差によって、判定基準が変わってくるとしたら問題になる」

 

先ほどは黙らされる格好になった、霜月が質問をする。

 

「その様な誤差があろうとも、大筋での判定は間違わないはずではないのですか?」

 

シビュラに間違いはない、これは霜月の信念である。シビュラの意思を読み取り、シビュラの望む行動をする、それこそ市民が幸福となるための義務であると考えていた。

 

「無論、学習によって生じた微細な誤差は表面上切り捨てられ、結果には反映されない。反映などしようものなら昨日の健常者が今日の潜在犯になる。昨日と全く同じ精神状態なのに、だ」

 

霜月の顔色が、そこで変わる。彼女は、常にシビュラと共に生きんとしていたからだ。シビュラが望み期待する最も優良な市民になるために、あらゆる手段を用いることに躊躇わない。その生存戦略の根幹であるシビュラの判定が覆るなど、想像する事すらおぞましかったからだ。

 

「些末な誤差による判断の間違いは存在しない、がこの社会シビュラの原理原則である」

 

「存在はしない、ですか」

 

常守は、相手の真意を問い糾すかのように、最も重要な点について言葉を繰り返す。

 

「そうだ。間違いは存在しない。故に昨今のサイコハザード事件との関連性を洗わねばならない。洗い尽くして間違いが存在しないことを確認しなくてはならない」

 

「悪魔の証明ですか?」

 

存在しないことの証明、それは、どれだけ行っても消えることはない地獄の道。神託を受ける巫女は、自らが潔白であることの証を望んでいた。

 

「こう事件が連続すると、シビュラシステムのアップデートとの関連性を疑う人間も出てくるだろう。その疑いが、杞憂であることを示さねばならない。我々の役割は、シビュラの健全性の証明だ。その杞憂を晴らすため、連続サイコハザード事件の原因を調べ尽くせ。以上だ」

 

禾生はそう言って話を切り上げ、監視官二人を退出させた。二人をメガフロートまで呼び出したのは、シビュラシステムに疑いがかけられているという、センシティブな話をするためであったようだ。その時は極限られた人間を完全にコントロール下に置き、情報が外部へ漏れることを嫌ったのだと思われた。

 

その後、監視官二人は会話を交わすこともなく車に戻り、執行官二人と合流して、霞ヶ関にある刑事課のオフィスへと向かう帰途へ着いた。

 

 

 

 

常守は、刑事課一係のオフィスに戻ると早々に内線を繋いだ。

 

「唐之杜さん、お願いがあるのですが」

 

『なぁに?デートのお誘い?とうとうその気になってくれたのかしら?』

 

電話の相手は、分析官の唐之杜志恩である。デートの誘いというのは冗談ではあるが、半分は本気であった。常守もそれを理解しているので、軽口が入ることに対しては半ば諦めながら、一応その意図はないと断りを入れる。

 

「いえそういったことではなくてですね……」

 

『冗談よ。ひょっとして、今絶賛炎上中の連続するサイコハザードについて?』

 

「やはり唐之杜さんは、マークしていたんですね。実は、上から原因を洗い直す様に言われました」

 

『よほどのボンクラでもない限り、そろそろ本格的な捜査をしなければいけないと思うでしょうね』

 

唐之杜は、医師免許も持つ才女である。それ故に観察力は鋭く、相手の思考を先読みし、問いに対する答えを的確に選んでくる。

 

「何か気付いたことでも?」

 

常守は、その唐之杜の鋭利な観察力が、今回の事件で頼りになると考えていたため、単刀直入に唐之杜の意見を聞くことにした。

 

『気付くも何も、シビュラのアップデートと呼応するようにサイコハザードが連発してるのよ?この商売やっていて、関連性を疑わない人間なんて、いると思う?』

 

「薄々疑問には……しかし、確証にいたる線が何も無かったですから」

 

常守には、シビュラが間違いを犯すであろう様を、まさに目にした経験がある。この国、この世界においてそれを知るものは、両手の指の数よりも少ないはずだ。最初から、シビュラ自体の欠陥が引き起こした事件である可能性が、常に常守の脳裏に浮かんでいた。それがある程度確証に変わったのは、禾生直々にメガフロートへ招集命令が出されたことからだった。霞ヶ関やノナタワーでは、大きな声では話せない何かが存在する、その「存在」がぼんやりとした疑いを、「確証」として浮かび上がらせてきたのである。

 

『シビュラに疑いあり、なんて考えたら、それだけで潜在犯として判定されても仕方がないものね。まあ、シビュラの判定基準なんて、私達の及びもつかない方法ではじき出されるんだから、考えるだけでも無駄ってものかも知れないわね』

 

唐之杜は、さらりと社会の理不尽さを、軽快な言葉で述べた。自分自身が、潜在犯として社会からはじき出されているにもかかわらず、このようにして社会の歯車として機能している。ある種の自嘲も込められているように思えた。

 

「じゃあ、すぐにでも一連の事件に関する、被疑者と目される人物と、サイコハザードに巻き込まれた人物のプロファイリングが出来ますか?」

 

『ええ、趣味でコツコツとデータの洗い出しをやっていたところよ。簡単なことなら、今すぐにでも出せるわよ。バレないようにやるの、大変だったのよ?』

 

悪びれもせずにシビュラの埒外で、独自の行動をしていることを明かす。唐之杜は気心の知れた人間には、そういったことを隠さない正直さも持ち合わせていた。おそらくは、その奔放さが、シビュラにとっては脅威であると、判定されたのであろう。唐之杜もまた、シビュラシステムから見れば、存在するに値しない、イレギュラーな存在であった。

 

「わかりました。公安局一係の全員を、ラボラトリーに招集します。アドバイスをよろしくお願いします」

 

そう言って常守は内線を切り、一係の全員、監視官霜月美佳、執行官宜野座伸元、六合塚弥生、雛河翔、須郷徹平に対し分析官のラボへ行くように指示を出した。

 

 

 

 

分析官のラボにあるゲスト用のソファーに、各々が勝手に座る。一行の目線の先には、分析官の大型モニターがあった。

 

「唐之杜さん、それでは始めて下さい」

 

「それじゃあ」

 

唐之杜はデスクにあるキーボードを叩き、全員が注視している大型モニターに、一連の事件の概要を示し始めた。

 

「この二ヶ月で、街頭スキャンの情報からエリアストレス警報が発令されて出動に至ったケースは、全部で二十四件。三日に一度は出動する事になってるわね。このうちサイコハザードにまで及んだ事件が六件あるわ。サイコハザードに至った経緯は不明。被疑者不詳のまま、捜査は暗礁に乗り上げているって所ね」

 

常守が基本的な情報を尋ねる。

 

「エリアストレスが発生した場所の共通点は?サイコハザードを起こした人物に、偏りはありませんでしたか?」

 

「現場の気象条件、発生時刻、環境的要素は全てバラバラ。サイコハザードを起こした現場にいた群衆は、述べ一万三千百四名。対象者の年齢、性別、色相、思想信条にいたるまで可能な限り洗ってみたけれど、プロフィール上で全員に共通する項目は無かったわ。いわゆる『善良な』一般市民そのものね。犯罪係数は、執行対象になるほど上昇した人物はいない」

 

唐之杜の説明を捕捉するように、宜野座が事件の報告の現状を語りはじめた。

 

「そうだ。だから、その際に色相の濁った人物は、全員サイコセラピーの受診を告げられ、あとはセラピストの手で対処がなされた。刑事課はハシゴを外され、結局原因不明被疑者不詳、非特異的に発生したエリアストレスが、偶然にサイコハザードにまで至ったという線でまとめられている」

 

宜野座はさらに続けて、事件の見解を述べる。

 

「エリアストレス警報の連発も、確率的にはあり得ない話ではない。街頭の検査精度を上げた結果、小規模のエリアストレスとして今まで見過ごされていた物が検出され、警報に至った可能性がある。実際にサイコハザードに至ったケースは六件で、これも多いと言えるほどではない」

 

「やっぱり問題ないんじゃ?」

 

霜月は一連の事件が、一本の線で繋がっていることに、懐疑的であった。

 

常守は頭の奥底にあった違和感を口にしはじめる。

 

「常に事件を扱っている刑事課公安局なら、事件件数もたいしたことはない、あり得る数字だとそう考えるかもしれない。でも事件が今までと違い不可解です。六件のサイコハザード全てで、執行対象者がいない。なのに、起こっている現象はよく似ている。それが連続して起こるのには、何かがある」

 

「刑事の勘ってやつかしらね?」

 

漠然とした常守の違和感を「刑事の勘」と唐之杜は言い表し、思考の整理を促した。それは、分析官ならではの気遣いであった。

 

六合塚は顎に右手を当て、考え込むようにして疑問を口にした。

 

「本当に、原因が不明なのでしょうか?やはり、周囲にエリアストレスの原因が何かあったのでは?」

 

須郷が分析室のモニターを見ながら、推理に必要な材料を得ようと唐之杜に尋ねた。

 

「唐之杜分析官、他にモニターされている現場のデータから分かったことはありませんか?」

 

「エリアストレス警報が発令される直前の街頭スキャン、カメラ、マイクの記録からは不審な点は無いわ。見えるのは日常の風景。ただ、エリアストレスが上がり始めると同時に」

 

唐之杜は一瞬間を作り、重要な事実を告げた。

 

「人々は、ある一点の方を注視するのよ」

 

「一点?」

 

何人かが、同時に声を上げ、思いがけずに発言が同調してしまった。

 

「ただ一点、を見つめるの。そして一点に、群集の視点が集まったその直後に、乱痴気騒ぎが起こって、エリアストレスが警報レベルに引き上げられたわ」

 

唐之杜は、記録されていた街頭カメラから撮影された、当時の状況を映し出す。

 

「見られる範囲では、それぞれが勝手気ままに騒動を起こしていて、首謀者らしき者の影は見えない。だけど、現場には、いずれも必ずある特徴を持った人物が、中心付近にいたのよ」

 

「特徴?ですか」

 

洗い出される一筋の共通点、それが事件を繋げる物かはわからなかったが、手掛かりとなる可能性があると感じ、常守は聞き返した。

 

宜野座もまた、自分の見解とは異なる結果を生むかもしれない、その「特徴」を持つ人物に興味を持った。

 

「どんな人物だそれは?」

 

「『サイマティックスキャン消耗症候群』サイマティックスキャンによって色相の濁りを何度も矯正され、結果として考えること自体をやめた人がなる精神症状よ」

 

「サイマティックスキャン消耗症候群……」

 

その言葉を常守は復唱し、記憶の扉を開こうとした。聞いたことがある。かつて分析官だった、雑賀穣治からだ。いつかははっきりと覚えていないが、常守はしばしば事件のアドバイスを得るために、雑賀の元へ訪れており、その際に行われた、精神分析の「講義」中に話を聞いたことがあったのを、思い出したのだ。

 

「その精神症状の特徴を教えて下さい」

 

須郷が基本的な質問をする。須郷は元々、刑事課二係の執行官であった。それゆえに何年経過しても、自分は余所者であるという自覚があり、一係内では外から俯瞰して物事を考える人物であった。その性格のため、ブリーフィングでは進行役に回ることが多かった。

 

「彼らは、サイマティクスの定期検診をやるたびに色相の濁りが指摘され、その都度セラピーを受け精神を安定化させる薬が処方される。指定されたセラピーを受けている間だけは、色相の濁りが解消しているわ。でも、色相がクリアになった後、治療を終えてから何かしらの行動を起こすと、色相が濁る。その行動は特別なことではなく、ごくごく日常的な社会活動、外を出歩いたり買い物をしたり食事をしたり、そういった誰しもが行う行動で、色相が濁る人達なの」

 

「つまり、生きているだけで色相が濁ると」

 

宜野座は、過去の自分を思い出していた。些細なことで色相が濁り、何度もサイコセラピーを受けていた。色相を濁らせないために、仲間と反目する場面も度々あった。それらは非常に苦い記憶であったが、それが病状の理解をを促してくれた。

 

「そう。だから、何度も何度もサイマティックスキャンを受け治療を繰り返し、結果色相をクリアにする残された手段は『何もしない』こと。何も動かず何も考えない。繰り返す治療によって、精神活動そのものが消耗されつくし、その消耗した状態が、最も安定している。そういう状態の症状よ。皮肉よね、シヴュラの言う通りにしていたら、お前は何もするな考えるなって、言われてしまったのだから」

 

「サイマティックスキャン消耗症候群、シヴュラが生み出した生きる屍か」

 

自身の経験から、宜野座はそれを「生ける屍」と表現した。過去の自分もまた、生ける屍であったとの思いから出た言葉である。

 

須郷がその話を聞いて、感じた疑問を口にした。

 

「しかし捜査対象者一万数千人中の六名では、偶然病歴が一致しただけなのでは?」

 

「そうかもしれないわね。でもね、サイマティックスキャン消耗症候群の罹患者はそれほど多くはないわ。それが過去二ヶ月間の事件で、サイコハザードまでに至ったケースでは一○○%の確率で存在する。この事実を軽く考えて、見過ごすことは出来ないわ」

 

 各々がブリーフィングで話し合っている中で、雛河だけが端末をぱたぱたといじり回しており、厚生省の管轄するデータベースから、サイマティックスキャン消耗症候群の疫学データを探し当てていた。

 

 それを表示した端末を、無言で全員に見せた。

 

 須郷がその数字を見て、今回の対象者の人数を弾き出し口にする。

 

 「発症率は五十万人に一人、東京だけだと三十人弱か」

 

 これが事件に対し多いのか少ないのか、一言では言い表しづらかった。

 

 一瞬、場の空気が停滞する。それを感じ取ったのか、宜野座が澱んだ空気を払う様に発言をする。

 

「しかし、なぜそんな何も動けず何も考えることが出来ない人物が、この事件の中心にいるんだ?そしてなぜ事件の中心にいて色相が濁らず、執行対象にならなかった?そんな脆いサイコパスの人間が、サイコハザードのまっただ中にいて。サイコセラピーでどうにかなる程度の精神汚染しかされないとは、とても考えにくい」

 

霜月がその問いに対し、簡潔な答を出した。

 

「色相を濁らすほど、何かを考えてはいなかったからでは?」

 

次に須郷が、ここまでの話で類推できたことを口にする。

 

「何らかの原因で現場では色相が濁りが進まない現象が起こり、我々は、執行対象者を誰一人として確認出来ず、事件は刑事課の捜査対象外となってしまったと言うわけだ。根本的に、原因を見落としていた可能性が高いと言うことか」

 

事件の概要が掴めてきた所で、常守がその解決法について話す。

 

「本当の原因を知るには、現場にいた何人かに参考人として、任意で事情を聴取するしかないですね。ただ任意の聴取は慎重にやらないと、参考人の色相を濁らすだけになってしまう。それだけは避けないと」

 

常守は、今回の事件で参考人となる人物に直接会って、話を聞きたいと考えた。だがそれは同時に疑いのない人間に、疑いをかけてしまう危険性を孕んでいた。疑われたことに対するショックで、参考人の色相が濁る恐れがあるのだ。果たして実行出来るのか。

 

それに対し、須郷が具体的な提案を示す。

 

「もしサイマティックスキャン消耗症候群が、事件の要因だとしたら、現在罹患している患者をピックアップして監視してみるのは?もしかするとマークした患者から、次の事件が起こるかもしれません」

 

「それ、良いアイデアかも」

 

怪しき者に目星を付け、先んじて捜査する、須郷の提案に霜月は共感を覚え、いち早く同意を示す。

 

「とりあえず、そいつらを参考人として事情を聴取しましょうよ。そうすれば、事件が一気に解決ですよ」

 

霜月は、事件を楽観的に考えているようであった。

 

それに対し、常守はあくまでも慎重な姿勢を崩さなかった。

 

「そうは言っても、犯罪計数が上昇していない市民から任意で事情を聴取することになるのだから、色相の濁りが起きない様に慎重に捜査をしないと。難しい捜査になる」

 

思い詰めた様子の常守に対して、唐之杜が助け船を出した。

 

「そうね、私のサジェストは、まずはこの六名から事情聴取することね。それから、サイマティックスキャン消耗症候群の罹患者のピックアップと追跡、私が各種データの洗い直しを本格的にやるとして、みんなはもう一度現場検証をお願い。モニターやセンサーでは拾えていない情報があるかもしれないから」

 

唐之杜が事件の分析官として、ここまでの話をまとめ、案を提示した。

 

常守はその提案を受け、捜査課一係の責任者として決断を下す。

 

「わかりました。その線で捜査を進めましょう」

 

決断が下れば、後は実行に移すだけであった。厚生省公安局刑事課には、絶大な権限が与えられており、それを駆使することによって、あらゆる方向あらゆる性質の情報を集める能力がある。適時権限を行使し、事件の解明をしていくだけである。

 

――その時であった。

 

館内放送で、エリアストレス警報が発令されたことが告げられた。街頭スキャンの情報から、システムが警報を発令すると判断した際には、自動的に無機質なアナウンスで放送がなされる。

 

[[エリアストレス上昇警報、大田区南蒲田一丁目付近で、規定値超過サイコパスを確認、当直監視官は執行官を伴い現場に急行して下さい。繰り返します……]]

 

「言っているそばからこれだ!」

 

宜野座は愚痴りながら、即座に立ち上がり廊下へ向かう。

 

同時に、常守が全員に命令を下す。

 

「刑事課一係全員出動します!」

 

全員が分析官のラボから駆け出し、地下の駐車場へと向かった。背後で唐之杜が「いってらっしゃい」とひらひらと手を振っていた。

 

駐車場にたどり着くと、監視官二人はセダンタイプの覆面PC、執行官は護送車に乗り込んで現場へと急行したのである。

 

 

 

 

現場に到着した一係の一行は、異様な光景を目の当たりにしていた。そこは町の商店街を抜けて、旧東海道である国道に接した場所に位置する、商業展示場であった。その展示場の敷地では群集が一点を見つめながら、渦を巻くように集まる。まるで一つの巨大な生物が、そこにいるようであった。

 

――そしてその中心に、「彼女」はいた。

 

群集の目線の先に、人々の注目を一身に集める、目立つ姿をした少女が立っていた。少女は、ピンク色のグラデーションがかかった髪を二つ分けに結わえ、オレンジと黒を基調とした色彩の衣装は、首元から下腹部まで大胆に開いており、着用者の若々しい肉体も露わにしている。見る物を釘付けにする、とても特徴的な装いであった。そんな装いの少女が、群集の中心でひらりひらりと舞い踊っている。

 

エリアストレスが上昇する際に、初動で出動する厚生省のドローンは、サイコセラピーの推奨を繰り返しながら、誰からも相手にされず、人の渦の中でもみくちゃにされていて、見向きもされない向精神薬の広告ホロが、まるでコンサートの照明演出の様に明滅していた。

 

唖然とするしかない光景である。

 

一係が、事件が起こっている真っ最中の現場に到着し、その少女が舞い踊る光景を認識した刹那、歌声が聞こえてきた。

 

 

――「ソー」

 

ファルセットの歌い出しとともに、中心にいる少女が歌い出す。特徴的な装いは、少女が声を発するたびにゆらりゆらりとはためき、場を支配している音の奔流に身を踊らしている。その姿は、水槽の中を優雅に泳ぐ金魚を想起させた。

 

歌声と共に届く曲は、葬送を想起させるプレリュードから始まった後、魂が復活するかのようにアップテンポに転調、聴衆を鼓舞し、人の渦が瞬時に熱気を帯びた。

 

その歌声と、揺らめく少女を目の当たりにした六合塚弥生の脳内では、重大な記憶の扉が開く音がした。それに気付いた時、思わず目を見開いて、その記憶を口に出して叫んでいた。

 

「あれは!耽美な歌声と甘い容姿に似つかない全身に張り付くようなダークネスで痛切で壮大な想いが込められている楽曲で相手を魅了させる歌う革命家!二○三○年代末期に現れた音楽グループEGOISTのボーカリスト『楪いのり』だわ!間違いないわ!」

 

「……六合塚さん……音楽の話になると早口になるの気持ち悪い……」

 

隣にいた雛河が、じっとりと六合塚の語り口を見て本音を口に出してしまった。

 

六合塚の口ぶりを同じく聞いていた霜月が、驚きながら尋ねる。

 

「知っているんですか!弥生さん?」

 

「でも……あれは二○三九年の曲で、聞くと色相が悪化するために公開禁止処分になったはず。裏で流通しているものを聞いた人間は限られているはずだわ……ましてや、公衆の面前で歌うなんて……」

 

六合塚は次々と記憶を呼び覚まされ、その記憶と目の当たりにした現状との矛盾点で、思考にかなりの混乱をきたしていた。

 

須郷が、率直な疑問を口にした。

 

「八十年近く前の歌が、何故事件現場に!」

 

その隣で宜野座は片耳を押さえ、周囲の状況を確かめようと端末を操作していた。

 

「それよりもこの歌は、一体何処から聞こえて来るんだ!」

 

歌声は一定方向からではなく、まるで耳元で囁かれているかのようで、全く音源の方向が判らなかった。全方位から音が聞こえる、そんな異様な状況であった。

 

情報端末を見ていた宜野座は、あることに気付く。

 

「街頭のマイクは、音を拾っていないぞ」

 

捜査のために、端末上に街頭のスキャナーやセンサーの情報を、リアルタイムで表示させていたが、街頭に設置されたマイクは、全くこの歌を捕らえていなかったのだ。

 

「何が起こっている!」

 

監視官、執行官全員が、自分が置かれている状況に困惑していた。常守はその状況から、混沌が刑事課のメンバーにおよびはじめたと判断し、一声を上げた。

 

「急いで全員ドミネーターの認証を!」

 

この混乱の中で正確な情報を示す唯一の道具が、ドミネーターであった。人の感情など意に介さず、混乱する人々の中で、冷静冷徹に指示を出す道具。

 

全員がふと我に返ると、既に装備搬送用のドローンが到着し、ドミネーターのユーザー認証を待っていた。ドミネーターの存在に気付き、メンバーは冷静さを取り戻す。

 

「宜野座さんと須郷さんは強襲型ドミネーターを使って下さい!この状況では何が起こるかわかりません。一気に多数の人を鎮圧しなければいけなくなるかも知れませんので」

 

そして全員が一斉にユーザー認証を行った。

 

「全員認証は終わりましたか?では状況を開始します。コードはいつもどおり」

 

常守は矢継ぎ早に指示を出す。

 

「ハウンド1とハウンド4はシェパード1に、ハウンド2とハウンド3はシェパード2に付いて下さい。二手に分かれてあの中心部に近付きます」

 

コールサインは監視官がシェパード、執行官がハウンド、常守朱シェパード1、霜月美佳シェパード2、宜野座伸元ハウンド1、六合塚弥生ハウンド2、須郷徹平ハウンド3、雛河翔ハウンド4、と言う並びである。

 

即座に常守の指示どおりに二つのチームに分かれ、常守のチームは国道を跨ぐ歩道橋へ、霜月はそのまま国道を横切る。それぞれ上下から挟み撃ちにするように、群集の中へ突入していった。

 

「シェパード2先行して」

 

『了解。シェパード1』

 

常守の現場主義を、あまり快く思っていない霜月であったが、鉄火場ではそれに慣れている人間に、指示を任せた方が上手く行くことを、この何年かで学習していた。効率を重視することこそ、色相を悪化させない極意であり、その前では些末なプライドや懸念は、押さえておくべきだとも考えていた。

 

霜月は、群集の合間を縫って、中心と思われる方向へ向かう。

 

人の合間合間から時折、一段高いお立ち台に立っている少女の姿が見える。

 

そして、ドミネーターの有効範囲に入ったと思われる距離で、少女に向けてドミネーターの銃口を向けた。

 

《犯罪計数18.5。執行対象ではありません。トリガーをロックします》

 

「犯罪計数が低い?低すぎるでしょ?」

 

霜月は想像していたよりも、遙かに低い犯罪係数に驚いた。

 

「それにこのIDはいったい誰よ!」

 

シビュラシステムがフェイスレコグニションで感知したIDは、目の前にいる人物とはまるで別人のIDを示していた。

 

霜月は、一瞬シビュラが間違ったのではないかと考えたが、すぐに頭の中から消し去った。シビュラは絶対だ、これは真実なんだと。

 

別行動をしていた常守が、すぐにその霜月の異変に気付いた。

 

『シェパード2、どうしたの?』

 

「犯罪計数18.5で非常に低いレベルです!本当にエリアストレスが上がっているんですか!?」

 

『こちらハウンド4……エリアストレスはなおも上昇中……サイコハザードの危険がある……』

 

「本当なの?ハウンド4!張本人よりも周りの聴衆の犯罪計数の方が高いくらいよ!」

 

ドミネーターが示す数字は、確かに群衆の方が高い。こうなると、そもそもあの中心で歌っている少女が原因であるかも判らなくなってきた。

 

「シェパード2は下がって!このままでは群集に押しつぶされてしまう」

 

六合塚が霜月の襟首を掴み、半ば強引に群集から引きはがす。

 

「こういう荒れた現場に突入するのが、執行官の役割ですよ」

 

「弥生さん……」

 

六合塚は、熱狂の渦となる群集から霜月を遠ざけ、その代わりに自身が突入していった。須郷もそれに続く。本来の監視官と執行官の役割どおり、監視官を外に置き、自分たちが猟犬となって相手に迫っていったのだ。

 

少女は歌い続ける。アップテンポに転調した曲は、さら に観客を煽り、サビを繰り返すクライマックスに達していた。

 

六合塚は強引に前に進み、少女にあと数メートルと肉薄する所まで来た。接近し近くで改めて少女の顔を眺め確認する。

 

「やはり楪いのり……しかし、本人であるわけがない。コピーバンド?」

 

顔を確認したが、やはりは八十年前のPVで見た、EGOISTの「楪いのり」によく似ていた。ドミネーターの有効範囲まで近付いた六合塚は、その銃口を向け楪いのりのサイコパスを計測した。

 

「犯罪計数18.5、同じだ。IDは別人?楪いのりが原因じゃない?ハウンド3、強襲型ドミネーターで周囲の犯罪計数を測定して」

 

『やっている!だが誰も彼もが犯罪計数は100以下!係数は上昇していくが上限前で失速している。なんなんだこの状況は!』

 

須郷は有効範囲が広く、同時に多目標のサイコパスを測定出来る強襲型ドミネーターで、群集ごと「楪いのり」のサイコパスを計測した。しかし、網膜に映し出される犯罪計数は、執行基準である100を超えたものが、一人もいないことを示していた。

 

この混乱の状況に、何一つ有効な手段を講じる事ができない二人の執行官は、群衆の流れに押し流され、排除しようにも、ドミネーターが全く執行状態にならない。鉄の重しを手に持ちながら、激流の川に翻弄されている様な状態であった。

 

『こちらシェパード1。ハウンド2、ハウンド3、私達のチームが到着するまでに、対象へ接触できそうですか?』

 

「こちらハウンド3。どうにも人が多くて、接近が難しいです。どうにかして群衆を散らさないと」

 

『こちらシェパード1。今歩道橋の上にいます。ここからなら手薄な場所を見つけられそうです。ハウンド2とハウンド3は指示に従って下さい』

 

「ハウンド3了解」

 

『ハウンド2、後もう少しで届きます!ドミネーターを使わず直接確保します!』

 

上から見渡すと、人の流れにもムラが出来ている。ちょっとした障害物の影などで、人の流れが遮られるからだ。それでも最前列は人が全く動かず、突入した六合塚が、ほとんど身動きが取れずにいた。

 

『ハウンド3の真後ろに空間があります。そこまで一旦そこまで戻ってきて下さい。シェパード2場所がわかりますか?』

 

「シェパード2、だいぶ後方に後退しました。今、国道上にいます」

 

『シェパード2は、私達と合流して下さい。今から歩道橋の階段を下ります。合流後、後方からハウンド2、ハウンド3を支援します』

 

「シェパード2了解。ったく」

 

一時群集にもみくちゃにされた霜月は、セットしたスーツが滅茶苦茶な状態になって、襟や裾が乱れていた。それを一旦整え、常守の指示どおり国道を横切り歩道橋の袂まで向かう。

 

国道を渡り追えた所で霜月と、常守のチームが合流した。

 

群集の外周から、六合塚を支援すべく、突入体制を取ろうとしていた。

 

その時、六合塚はもうあと何歩かで、「楪いのり」に手が届く距離になっていた。そして「楪いのり」に手を伸ばす。

 

六合塚の手が「楪いのり」に届いた、その瞬間であった。

 

「きゃっ」

 

六合塚は悲鳴を上げた。突然「楪いのり」は激しく輝き、六合塚の視界を奪ったのだ。

 

一瞬目がくらんだが、すぐに爆発の閃光ではないと判断できたため、再び「楪いのりが」いた場所を見る。

 

「消えた……」

 

忽然とその少女、「楪いのり」は消えていたのである。

 

やや後方からその様子を見ていた須郷も、突然さっきまで歌っていた少女が消えたことを目撃ていた。

 

『ハウンド2、ハウンド3、状況説明して下さい』

 

「き、消えました。目の前から突然」

 

 

――「消えたですって?」

 

それは、常守が霜月と合流し、突入しようとしていた群集に、視線を遮られた一瞬に起こったことである。すぐに記録されていたデータを、照合しなければならなかった。

 

常守は、状況をラボでモニターしていた分析官へ連絡を入れ、問い合わせを行った。

 

「LABOへ、先ほどのまで歌を歌っていた少女の照会をお願いします」

 

『現場の状況をリアルタイムで見ていたけれど、そんな歌う少女は写っていなかったわよ?』

 

「えっ?」

 

常守は、唐之杜の言葉に耳を疑った。そんなはずはない、さっきまでそこにいたのだから。

 

実際には、目の前で起こっていた現象が、現場にいない第三者の目には、何も写っていなかったのだ。後に判明するが、端末に録画録音されていた記録にも全く写っていない、ただ、一斉に狂乱状態に陥った群集が写っているだけである。システムの網に全くかかることもなく、忽然と少女は消えたのだ。

 

出動した一係全員の脳裏に困惑と混沌が渦巻く中、事件は終息を迎えていった。

 

「いったいあれ誰なの?何が起こったの?」

 

常守は、騒動を収めるべく近隣から応援で集まった公安局のドローンが群集に群がっていく中で、一人呟いていた。



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第二話

 ――私を呼ぶのは誰……?あなたなの……?それともあなたなの……?辛くて苦しくて悲しいの……?それなら私が歌ってあげる……。魂を送る葬送の歌を……――

 

「それで事情聴取の方は、どうだったの?」

 

 いささか疲労が顔に出ている常守に対して、唐之杜は何時もの調子で話しかけた。背もたれに体重をかけ、足を組み直す。まるで子供の言い訳を待つ大人のようであった。腰をかけていた椅子の背もたれが、ギィと音を立てる。

 

「それが、自分は言われた通りの行動をしていただけだと言っています。事件ことも、まるで他人事のように、人がいつの間にか集まってきて騒ぎ始めたと」

 

「そりゃあ、あれだけの騒ぎの渦中にいて公安にしょっ引かれたら、知らぬ存ぜぬを通そうとするでしょうね。それにしても誰の言う通りにしたのかしら?」

 

 実に奇妙な事件であった。サイコハザードが起ころうとしていたのに、その原因が特定できなかったのだ。そして霜月と六合塚が、騒動の中心人物に対して行ったフェイスレコニグションの結果と、公安一係が見ていた人物がまるで別人だったのが問題だった。表示されれたIDは、犯罪係数18.5のサイコパスが全く平常値の人物だったのだ。

 

 事件を不可解にしているのは、このIDを持った人物が本当にその現場の中心にいたことであった。まるで人に人の皮を一枚被せて別人に見せかけていたのではないか、と言う表現が一番しっくりくる奇妙な現象が起こっていたのだった。果たして、人の目で見ている物と機械が見ている物が全く別の物である、などと言うことがあり得るのだろうか。

 

 事件の概要だけ見れば、今回の騒動は原因不明のエリアストレスの上昇であり、現場に集まっていた人達にサイコセラピーの呼びかけをして終わりになる程度のもので、その原因まで追及するほどのものでもない事件であった。しかし今回は違った。サイコハザードの連続性を疑ってから、初めて公安の目の前で事件が進行し、機械的な処理では解決出来ない問題の存在が明らかになったのだ。

 

 この事件が単独の事件ではなく、昨今多発しているサイコハザードと関係していると強く疑わざるを得ないと確信する根拠が存在した。フェイスレコニグションで表示されたIDの人物、その人物のサイコパス測定の履歴から、彼が「サイマティックスキャン消耗症候群」であることが判明したのだった。

 

 事件の前のブリーフィングで、サイマティックスキャン消耗症候群に目星を付けた矢先に、その該当者が事件の中心にいたのである。しかも「サイマティックスキャン消耗症候群」の人物に事情聴取を行う方針が決まった直後であったから、殊更これを無視するわけには行かなかったのだ。

 

 さらに消えた「楪いのり」の存在である。事件性が無いわけがないと、刑事課一係の人間全てが感じていた。

 

 もはや、単なる偶然連続したサイコハザード事件として放置するわけには行かなくなり、常守は「楪いのり」に()()()いた人物を、重要参考人として連行する事にしたのだ。ただし、表向きは強度なストレスに晒されたサイコパスの検査を行う、サイコセラピーの相談と言う事にした。これは参考人に余計なストレスを与えないための配慮であった。

 

 事情聴取は監視官二人によって行われ、その報告が分析官のラボで行われていた。そこには刑事課一係の全員が集まっていた。そして常守は徒労感を露わにしながら、簡潔に結果を報告した。

 

「それが、シビュラによる行動指針を守っただけみたいなんですよ」

 

 それに対し唐之杜が、なかば茶化すような口調で答えた。

 

「それなのに、あんな事件が起こったと言い張る訳ね」

 

 常守はあくまでサイコセラピーの紹介をする、ということで任意同行を求めたので、突っ込んだ聴取ができずにいた。同じく、その聴取にあたっていた霜月が続けて報告する。

 

「供述はよどみもなく、色相はクリア。見事なサイコパス美人ってなものですよ、整形ですが。無駄にストレスかけただけですね」

 

 霜月は半ばこの事情聴取に意味は無かったと考えていたが、さりとて無視もできないという事に苛立ちを覚えていたので、余計な一言が口を突いて出てしまっていた。

 

「サイマティックスキャン消耗症候群の患者であることを考慮に入れて供述を取らないと行けないわね。なにせ誰かに言うがまま行動することが最もサイコパスを濁らせないと固く信じているわけだから、彼らはこちらが望むがままの供述をするわよ。そうなったら拷問による自白と同じで信憑性が全く失われるわ」

 

 唐之杜は、有力な情報を得られなかった二人をフォローするように、この参考人の特殊性について説明を加えた。

 

「彼らにとってのセラピーは拷問に等しいはずだから」

 

 だから、有力な情報を得られなくても、気にするなと言うことであった。

 

 唐之杜はしばらく考え込み、現状自分たちに何が足りないのかを考えていた。ふー、とため息を一つはいてから言葉を出した。

 

「犯罪心理の専門家が必要ね」

 

 足りないのは事件を分析する分析官であった。事件が唐之杜一人の手には負えなくなりつつあったのだ。考えなければならないことが多い。しかもある程度、状況を俯瞰できる人物が必要であった。

 

「とにかく事件の特殊性から、あの人に復帰してもらおうと思っているの」

 

 そう言って唐之杜は常守の目を見た。

 

「雑賀教授ですか?」

 

「朱ちゃん頼むわよ」

 

「わかりました。上に掛け合ってみます。許可が出たらすぐにでもこちらに配属できるように手配します」

 

 上層部に意見が出来るのは監視官だけである。常守はそれを、現状を打破する最優先事項であると認識した。

 

「そっちの件は上の指示を仰ぐとして、問題は『楪いのり』ね」

 

 一連のサイコハザードに事件性があると強く示唆する存在、楪いのり。この件は絶対に事件解決の手掛かりになる、そうれは刑事課一係全員が認識していることであった。

 

「こっちのモニターでは確認できなかったけれども、一度にこれだけの人数が同じものを見たって言うんだから、何かが存在したのは間違いないでしょう」

 

 唐之杜は楪いのりを見ていない。正直そんな人物がそこに存在したとは思えなかった。実感が無い。映像にも音声にも記録がされず、現場にいた人間だけがそれを見ていた。そんな事が本当にあるのだろうか。

 

 唐之杜の疑いを退けるように強い調子で六合塚が答える。

 

「あれは楪いのりだと思うわ」

 

「そうは言っても記録に残っていないんじゃ、証言だけでは証拠にならないわ」

 

 この時代において公共の空間で何かの存在を見たのが目撃者だけのはずはなかった。必ず何処かに何かが記録されるはずなので、目撃証言だけが残るなどということ自体が異例である。

 

「じゃあどうするんだ分析官?メモリースクープでも使うのか?」

 

 宜野座がこの事態に対応出来る手段の一つを口にした。

 

「こんな事件でメモリースクープ使って脳のスキャンなんて、馬鹿馬鹿しくてとてもとても。そんな脳に負担をかけて危ない目にあうこともないわ」

 

 半ば宜野座をあざけるように手のひらを、ひらりひらりと振りながら、唐之杜はその提案を即座に却下した。唐之杜は宜野座よりも学年が一つ下であったが、ほぼ同世代であり、話し方に気兼ねが一切無い。以前に常守に対してメモリースクープを行ったが、あの強靱なサイコパスを持つ常守ですら後遺症が出たのである。使うとしても最後の手であると、唐之杜は考えていた。

 

「それよりも」

 

 唐之杜が悪戯っぽく話題を変える。

 

「皆さんにお絵かきをしてもらいまーす」

 

「はぁ?」

 

 一係全員の声がハーモニーを奏でた。深刻な話をしていたはずなのに、急に予想だにしないことを提案され、戸惑いの声を上げたのだった。

 

「似顔絵よ似顔絵。そのほうがよっぽど捜査に使えるわよ」

 

「私似顔絵なんて小学生以来書いたことないんだけどなぁ……」

 

 常守が縮こまって独り言を吐く。

 

「デ、デザイン画ならいいけど……人物画はちょっと……」

 

 雛河はデザイン関係の仕事をしていたが、人物画となれば別である。

 

「自分もこういうのは苦手で……」

 

 須郷はもっと絵に無縁であった。

 

「目撃証言は証拠にならないって言ったじゃないですか」

 

 霜月も異を唱える。

 

 そんな一斉に抗議を上げる姿を見た唐之杜が声を張る。

 

「ぶつくさ言わないでやる!!」

 

 そう言うと唐之杜は、備品としてストックしてあったタブレット端末とタッチペンを全員に押しつけた。監視官と執行官が分け隔てなく、絵を描かされる事態になった。戸惑いながらも、刑事課一係のメンバーはタッチペンを手に取り、タブレット端末に絵を描き始めた。

 

「みんながお絵かきに勤しんでいる間に、楪いのりについて調べてみるわね。私の権限でどこまで調べられるのか、わからないけど」

 

 唐之杜は絵を描き始めた一係全員の姿を満足そうに見たあと、椅子のリクライニングを元に戻し向きをモニターの方に回転させた。そしてラボに備え付けの情報端末のキーボードを叩き、楪いのりの情報の収集を始めた。唐之杜の得意分野である。三十分ほどの時間を作り出し、その間に得られるだけの情報を引き出す作業に入った。



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第三話

 ――「さて、みんなそろそろできたかしら?」

 

 唐之杜が楪いのりの情報を過去のデータベースからかき集めている間に、他の刑事課のメンバーは、全員首を捻りながら『楪いのり』の似顔絵を描いていた。そしてその苦悶の表情を続けている時間が終わったことを唐之杜が告げたのだった。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!もう一回描き直します!」

 

 終始眉間に皺を寄せながら、似顔絵を描いていたのが常守である。

 

「いいのよ。こういうのは、第一印象が大事なんだから。描き直したら、頭の中で情報を合成したものが出てきちゃうでしょ?」

 そう言うと唐之杜は常守からタブレット端末をひったくった。

 

「あっちょっと!」

 

 思わず常守は素っ頓狂な声を出てしまった。そんな常守に構うことなく、唐之杜は常守の「作品」をいの一番に鑑賞した。

 

「常守監視官の作品は、と。って何これ?」

 

 唐之杜は良く整えられた眉を歪ませた後、タブレット端末を他のメンバーに見えるようにひっくり返した。

 

 その刹那、ラボにいた常守以外の表情が一斉に緩む。自分たちが捜査に必要な作業を、苦悶の表情でせっせとこなしていたのを忘れたかのように、辺りの緊張感が緩む。そして遂に宜野座が吹き出してしまった。

 

「ぶあははは!!!常守なんだその似顔絵は!!」

 

「笑ったらいけないですって」

 

 須郷が笑う宜野座に対してそう言って、肩に手をポンと置く。自身も半笑いになっていて、笑い出さないように堪えているようであった。

 

「前衛的……」

 

 雛河が鼻笑い混じりで、常守の作品をそう評した。

 

「!!!!!!」

 

 六合塚に至っては何も言葉を発していないが、その代わりに俯き必死になって笑いを堪えていて、肩がプルプルと震えていた。

 

 各々が常守の絵の出来の感想に、苦しんでいるのを見ていた唐之杜が、ある物を思い出した。

 

「あーあれ、なんだっけ。レモネードキャンディーちゃん?だっけ」

 

「やめてください……」

 

『レモネードキャンディーちゃん』それは常守がリアルタイムチャットで用いているアバターだ。へちゃむくれで潰れまんじゅうの様なキャラクターだった。常守自身はそのキャラクターが、かなり気に入っているようであったが。

 

「ブフーーーッッ」

 

 その一言で六合塚が遂に吹き出してしまった。写実性からはかけ離れた常守の絵は、粘土の人形を縦に潰したような、人物のパーツがそれぞれ非常にアンバランスで不格好になっていた。それだけで面白いのに、常守の愛用している、正直に言って不細工なアバターの名前を出され、潰れた『楪いのり』が常守の声で喋るのを想像してしまったのだ。

 

「レモネーッ!ブホッ!ゴホッ!」

 

「あら、弥生のツボに入っちゃったわ。むせるほど笑わなくてもいいでしょうに」

 

「もう、だから描きたくなかったんですよ……」

 

 そう言うと、常守は唐之杜からタブレット端末をひったくり返し、胸の前で画面を隠すように抱え、顔を真っ赤にしながら唇を尖らせた。唐之杜はひったくり返すような意地悪はせず、素直にタブレット端末を引き渡した。

 

「それじゃあ、全員の力作を私に見せてくれないかしら?」

 

 流石に一々反応を楽しんでいたら、時間ばかり取られてしまうと唐之杜は考えた。各自のタブレットを一斉に机の上に出すように言う。

 

 唐之杜は各々が出した似顔絵を、机の周りをぐるりとまわりながら観察する。

 

「宜野座君は、こう何と言うか普通ね。原始的な絵だけどこっちの方がまだマシだわね」

 

 宜野座の絵は原始的、と言うのか凡庸というのか、絵を描くことに馴染みのない人間が描いた絵そのものであった。

 

「せ、せんせい、霜月監視官の絵が一番上手いと思う……」

 

 机の上に並べられた絵を見比べていた雛河が、霜月のタブレット端末を指さして言った。デザイナーとしての審美眼が、この中で一番よく描けていると思った絵として、霜月の絵を選び出したのだ。

 

「霜月さん上手い。意外な才能……」

 

 常守は持っていたタブレット端末をひっくり返し、自分の絵を隠しながら、霜月の絵の才能に感心していた。

 

「神絵師霜月……」

 

 雛河はそう評した。

 

「神絵師言うな。こんなもの、基礎教養の範疇でしょう」

 

 霜月は言葉だけは謙遜しながらも、一人自信に溢れていたのだろう。腕を組み、若干文字通り胸を張って周りの反応を受けていた。その態度や言葉の力強さから、この中では、誰が見ても一番上手く絵を描けたと、そう自負しているのが周囲に丸わかりであった。

 

「さすが、桜霜学園出身者ね」

 

 笑いの収まった六合塚は、素直に感心して霜月の絵を見て言った。

 

 各々が霜月の絵に感心している中、唐之杜だけは違った視点から絵を見ていた。

 

「ふうん、みんなから見ても一番綺麗な絵なんだ。でもこの絵じゃダメね」

 

「どうしてです?」

 

 自信にみなぎっていた霜月が、不満の声を上げる。

 

「綺麗すぎるのよ。この絵を見て、綺麗以外の感想出てくるかしら?」

 

 確かに、綺麗以外の感想は出てこない。一見すると写実的で一番正確に『楪いのり』を描けていると思うが、前提知識がないと似ているかどうかもわからないし、別の誰かに見えなくもない。つまり捉え所がない絵なのだ。自分の評価を余所に、常守が感想を口にした。

 

「確かに綺麗な絵ではあるけれど、印象に残る部分が無いですね」

 

「そういうこと。似顔絵って強い偏見が出てないと、あまりいいものではないのよ」

 

 霜月以外のメンバーが考え込んだ顔をした所で、唐之杜が何故ダメなのかを言葉にして説明した。

 

 その一方で、霜月は若干不服そうな顔をしたが、そもそも似顔絵を描くことに興味はなかったし、言われたままに描いたので特にその絵に思い入れはなく、自分の絵が一番ではなかったことに対して不満は感じなかった。

 

 残るは六合塚、雛河、須郷の絵になる。六合塚の絵は何処かのアルバムジャケットのようなポップな絵柄で、雛河の物はデザイン画そのものであった。タブレットが置かれた机を一巡し、唐之杜がこれと思った一つを手に取った。

 

「この中では徹平君の絵が、似顔絵として一番良いわね。どう?これ『楪いのり』に見える?」

 

 それは絵としては拙かったが、かえってそれが印象に残る絵だった。

 

「ふむ、拙い絵だが、一番特徴を捉えているかもしれないな」

 

 宜野座は顎に手を当て、得心がいったという表情を浮かべている。

 常守は自分の絵のことはすっかり忘却の彼方に飛ばし、須郷の能力について素直に感心していた。

 

「意外な才能ですね」

 

「いえ、そんな。こんなので良いんですか?」

 

 意外な好評価を得た須郷が謙遜する。

 

「良いのよこれで。人間の脳の認識って強いバイアスがかかっているから、写実的な絵よりも特徴に引っ張られた絵の方が、より印象に残るのよ。これみんなが見ても『楪いのり』に見えるでしょう?」

 

 唐之杜は須郷の絵を描いたタブレットを指さして、どうしてこの絵が良いのかを説明した。全員が納得したような顔をしたところで、唐之杜は各人に配ったタブレットを回収した。

 

「それじゃあ、捜査資料として徹平君の絵を共有するわね」

 

 須郷が絵を描いたタブレットを操作し、刑事課一係の共有フォルダへその絵を移す。写真の代わりのこの絵を使って、捜査を行うのだ。何かしらの記録が必ず残るこの時代では、非常に古典的で珍しい捜査方法であった。似顔絵を使って人相や着衣の確認を取る、その選択肢を決して忘れていなかったのが唐之杜だ。

 

「さて、お絵かきの時間はお終い。次は『楪いのり』について情報を共有するわよ。頭を切り換えてね。一旦休憩しましょうか」

 

 唐之杜はそう告げると、ラボの隅に置いてあったティーセットを指さす。そこには唐之杜が息抜きに飲む、各種紅茶や緑茶、コーヒーが一通り揃っており、各人の好みに配慮できるような品揃えであった。

 

 一係のメンバー全員、流石に普段使わない能力を使ったために頭脳の披露があることは確かで、唐之杜の提案に異を唱える物はいなかった。唐之杜自身も胸のポケットからメンソール系の煙草を取り出し、いつもの所作で一本口にくわえ一服をつけた。頭脳労働には、適度な息抜きが必要不可欠である。デスクワークがメインの唐之杜は、そのタイミングもよくわかっていたのだ。唐之杜はラボの天井へ、自身から湧き出る紫煙をくゆらせた。

 

 *

 

 ――「さて、一息ついたかしら?」

 

 そう言うと唐之杜は自分のデスクに戻り、端末から大型多面モニターに情報を映す。そこには、唐之杜がこの30分ほどで集めた、『楪いのり』に関する情報がファイリングされていた。集まった一同の手元には、飲みかけのカップがあり、中身は全て異なっていた。それを見た唐之杜は、ここまで一係の個性が違うものかと思ったが、今は関係が無い感想なので口にはしなかった。

 

 モニターに目を戻す。

 

「『楪いのり』2030年代後半に活躍したウェブアーティスト、『EGOIST』のヴォーカル。それとともに、かつて存在した反政府組織『葬儀社』の主要メンバー」

 

 全員の視線が、大型モニターに集まる。

 

「反政府組織に所属しながら、アーティスト活動をしていたというわけですか?」

 

 霜月が驚きの声を出す。現代では考えられない人物だ。

 

「そういう時代だったのよ。混沌が世界を包み込んでいた時代。私達の社会はその混沌を乗り越えて、今に至るという訳よ」

 

 霜月を一瞥した後、視線をモニターに戻して唐之杜は続けた。

 

「続けましょう。『楪いのり』本名不明、年齢不明(推定16歳)、性別は女性と推定される。住所不明、職業不明、経歴不明、生没日不明。わからないことだらけね。わからないことがわかったというべきかしら」

 

 唐之杜は両手でお手上げのポーズを見せながら、皆の方へ振り向いた。過去の『楪いのり』の情報には、閲覧制限がかかっているのも多く、また混乱期の情報であるため、有力な情報は散逸していたのだった。

 

「私の権限で調べられたのはこれくらい。みんなにもファイルを送るわね」

 

 そう言うと唐之杜は楪いのりの捜査ファイルを全員の端末へと送った。

 

「過去のミュージックビデオは、軒並み閲覧制限がかかっているわ。見る必要があるか、今の時点では判らないけれど、一応監視官には、上に閲覧の許可を取っておいてもらいたいわね」

 

「わかりました。閲覧の許諾申請は、私がやっておきます」

 

 常守は、唐之杜の申し出を素直に聞き入れる。

 

「それにしも、本当に謎なんですね。性別すら推定ですし。あと好物は「おにぎり」なんですかこれ?」

 

 常守は端末のリマインダーに、閲覧制限のかかっている資料への閲覧申請の件をメモしながら、『楪いのり』に関する情報を見ていて気になった点を口にした。

 

「さあ?動画配信で、好物についてでも聞かれて答えたんじゃない?当時のウェブ放送は、若者の間で大人気だったらしいわよ」

 

「それならEGOISTの一曲に、そんな歌詞の歌があったわね」

 

 常守の疑問に答えを出したのは六合塚だった。この話題はやはり六合塚の方が情報を持っていそうだ。そう考えた唐之杜が尋ねる。

 

 

「弥生はこの閲覧制限がかかっている動画を見て、EGOISTのことを知ったの?」

 

「もちろん動画も見たことがあるけれど、それよりもEGOISTの曲を教えて貰ったことがあるの。公認アーティスト時代に他のバンドから」

 

「ふうん、まるでミームね。と言うよりはミームそのものね」

 

『ミーム』とは、『利己的な遺伝子』を著したリチャード・ドーキンスが提唱した、音楽のように生命体を媒介せずに伝わっていく、無形の情報単位の事である。

 

「歌い継ぐ様な記録には残らない行為、記憶によって伝達する情報、かつてこういったものをミームと名付けたのよ」

 

 唐之杜がミームの意味を簡単に説明する。

 

「歌い継ぐって事なら、アーカイブに対する閲覧制限も何も関係ないわね」

 

 六合塚は頷きながら答える。

 

「もちろん、スコアやリリックを口伝えで覚えたというのもあったけれど、当時のデジタル機器を持っているマニアがいてね、完全にオフラインでプロモーションビデオを見させてもらったことがあるわ。それで顔を覚えていたの」

 

「なるほどね。ちなみにその御禁制のプロモーションビデオを持っている人物に、今でもアクセスできるのかしら?」

 

 六合塚は黙って首を振る。

 

「そりゃそうよね。閲覧制限がかかるような物を、引き出しの奥にしまっておくような人物のサイコパスが、正常値でいられるわけでもないでしょうし。嫌なことを思い出させちゃったかしら」

 

「いいえ。私はもう、あの頃の私とは決別しているから」

 

 かつて公認ミュージシャンであった時の六合塚の姿を知る者は、この中にはいない。六合塚のプライベートな情報として、ほんの僅かに知っているだけだ。

 

 唐之杜は罪滅ぼしをしようと考えたのか、ある提案をした。

 

「ミームっていうことなら弥生、ここで一曲弾いてみない?」

 

「それは……」

 

 六合塚は躊躇う。サイコパスを汚染するかも知れない音楽を奏でることに、抵抗があったからだ。そして案の定、霜月が抗議の声を出そうとしたが、それに先んじて唐之杜が全員を安心させるような笑顔を向けた。

 

「そんなに心配しないで、みんなの色相は常にモニターしているから。ヤバそうだったら私が止めるわよ」

 

 唐之杜は六合塚にウインクを送る。

 

「それなら……」

 

 霜月は出しかけた言葉を引っ込める。それは、霜月がこの事件に対して、特別な興味を持ち始めていた兆しであった。今まで取り扱ってきた事件の解決法と、かなり異なっている点に、好奇心が惹かれつつあったのだ。

 

 絶対に抗議されると思っていた六合塚は、意外そうな顔をした後、黙って唐之杜を見つめた。

 

 それで六合塚の許可を得たと考えたのか、唐之杜はラボの隅に固められている荷物の山の中から、ギターケースを取り出してきた。

 

「はいこれ。弥生が私の部屋に置いていったやつ。邪魔だったから、こっちに持ってきて保管してたのよ」

 

 六合塚は、半ば戸惑いながらそれを受け取る。本当に弾いても良いものなのだろうか。

 

「これは……まあいいわ。一曲だけね」

 

 半ば渋々と、半ば生き生きとギターケースを受け取る。誰かに歌を聴かせるなど、久しくしていなかった。

 

「元公認アーティストの腕前を見せてちょうだい」

 

 唐之杜は、六合塚をそう言っておだてた。自分もおだてられるのが好きだったからだ。

 

「そうね、大人しめのバラードが良いかしら」

 

 ギターケースにはアコースティックギターが入っていた。アコースティックギターのネックを掴み取り出す。膝にギターのボディを置き、ペグを回しながらポロロンとチューニングをする。演奏するたびに音階がズレてしまう、そんな原始的な楽器がこんな時代には珍しくもあった。

 

 チューニングが終わり、一同がアーティスト六合塚弥生の奏でる音に息を呑んで耳を澄ます。

 

「曲名は確か……エウテルペ」

 

 六合塚が曲を奏で始めた――

 

 

 

 ――雛河は黙って手を叩く。ディ・モールト。そんな言葉を口にしていたかもしれない。

 

「う、上手い……」

 

 霜月は六合塚の歌の巧さに舌を巻いた。これがかつてシビュラによって音楽に適性あり、と判定された人の歌なのかと。

 

「綺麗な楽曲ですね」

 

 常守は奏でられた旋律が、思っていたよりも美しく、穏やかなものであったことに感心した。双眸が大きく開いており、素直に感心していたのが表情に良く表れていた。

 

「この曲を聴く限りは、なぜ閲覧制限がかかっているのか判らないですね」

 

 率直な疑問を須郷が言った。

 

「歌詞もこの事件を暗示するみたいだな」

 

 意外とロマンチックなことを言ったのが、宜野座だった。

 

「まあ上手いことエンディングテーマが流れたと言うことで、今日のブリーフィングはこんなものかしら。意外と長くなったわね」

 

 唐之杜は今ここで話し合うべき事は終わったと感じ、この会議を締めくくるように促す。

 

 緊張が緩んだのか宜野座が唐之杜に絡む。

 

「誰のせいだと思ってる」

 

「宜野座くんねぇ、細かいこと気にすると皺が増える歳よ私達」

 

 目尻のあたりをトントンと指さし、唐之杜は宜野座の悪態を軽く受け流す。

 

「弥生もご苦労様。この会議を締めくくる良いエンディングテーマになったわ」

 

「それほどでも」

 

 六合塚をそう言ってねぎらった。六合塚も久しぶりに大衆に歌を聴かせられたことに、満足感を覚えていたようだった。

 

「それでは、分析官との話はここまでにしましょう」

 

 常守がそう言ってこのブリーフィングを終わらせた。最後に確認のために要点をまとめる。

 

「事件の手掛かりは、やはり『楪いのり』ですね。その正体に迫れるよう、サイマティックスキャン消耗症候群の人達の証言に期待しましょう」

 

 全員異論は無かった。そして各々が深々と座っていたソファから立ち上がり、ラボラトリーから撤収する準備を始める。

 

「それでは一旦オフィスに戻って、各人調書の作成をしてください」

 

 常守は立ち上がりながら、指示を出した。そして自身の行動を知らせる。

 

「私は、雑賀教授の分析官復帰の件と、『楪いのり』に関する資料の閲覧許可を申請するために、公安局局長へ上申をするために、局長室へ直接出頭します」

 

 常守が言い終わると、それぞれがラボラトリーから退出していった。その姿を見送りながら、唐之杜は彼らの後ろでひらひらと手を振っていた。

 



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第四話

すいません前回の投稿から間が開いてしまいました…去年の年末に投稿をする予定でしたが今日の今日までかかってしまいました。


 常守は局長室に出頭していた。捜査のために閲覧制限記録の閲覧許可と、雑賀穣治の分析官復帰の許可を公安局局長に直談判するためだった。

 煩わしいメールでのやりとりを避け、一刻でも早く捜査を進展させるのが目的である。焦りは感じていなかったが、手早く解決しないと重大な事態になる、という思いがあった。禾生局長へ出頭する旨の連絡をメールで行ったが、事件が事件だけに、特に異議もなくもなくすんなりとアポイントが取れた。

 局長室の扉の前で、常守は一旦止まり姿勢を正す。ほどなくして扉が開いた。

 

「入りたまえ」

 

 禾生がそう言って、局長室の奥にある執務机から、常守に入室を許可した。

 局長室の扉が開くと常守は「失礼します」と一言発して入室し、禾生の机の前まで近付くと足を止め敬礼をした。

 

「それで、シビュラシステムに問題が無いことが証明できたかね」

 

 禾生は常守に敬礼を解くように片手を上げ、常守に問いただした。

 

「それはまだです。それを証明するためにはいくつかやらなければならないことがあります。その許可を頂きに来ました」

 

「それが雑賀譲二の分析官復帰と、制限がかかっている資料の閲覧というわけかね」

 常守はアポイントを取る際に、禾生に対し事前に用向きを伝えてあったのだ。

「はい」

 

 そう短く返答えると、常守は脇に抱えていた捜査計画を記したタブレット端末を、禾生の目の前に差し出した。禾生はそれを受け取り黙って資料を眺める。何度かスワイプして捜査計画の書類に一通りの目を通し、読み終わった所で端末を机に置いた。そして、一呼吸置いてから常守に話しかける。

 

「いいだろう。それがシビュラの健全性を証明するために必要であるならば、許可しよう」

「ありがとうございます禾生局長」

 

 『禾生局長』などとは、常守は我ながら茶番を演じているなと思った。だが、これは自分が刑事である限り必要な手順なのだと、刑事を刑事たらしめる根幹に必要なものであると、納得しての行動であった。

 そしてその許諾は、思いの外あっさりと出された。

 常守はタブレット端末を受け取り、脇に抱え退出しようと踵を返そうとした。だが常守がそうする前に、禾生は常守を呼び止めた。

 

「ああそれと、かねがね君たちが不満を漏らしている人員不足の件だが」

「はい?」

 

 自分では許可を取りに来ただけのつもりであったため、常守は禾生からのアプローチは予想していなかった。しかもここへ来て、人員の問題についてとは。そのため疑問の声を上げたのだった。

 

「紹介したい人物がいる。入りたまえ」

 

 常守は完全に不意を突かれていた。発するべき言葉を頭の中で探しているうちに、常守が入ってきた局長室の扉から、一人の若い女性が入ってきた。常守よりも身長はやや低く、150cm台後半だろうか小柄な印象を受ける。ブラックフォーマルなレディーススーツにタイトスカート、インナーは清潔感のある白い襟付きのシャツ、髪はウェービィなミディアムボブで軽量感がある。一目で、役所勤めをしているとわかる容姿だった。

 

「彼女は……」

 

 そんな女性の印象を、常守は頭でかみ砕きながら、禾生に事の次第を尋ねようとした。

 代わりに答えたのが、入ってきた女性である。常守に敬礼を掲げながら自己紹介を始めた。

 

「厚生省大臣官房統計情報部から、本日付で臨時監視官を拝命しました『巌永望月』です。厳しく永遠にでイワナガ、望月の(かけ)たることもなしの望月と書いてミツキと読みます。シビュラシステムの健全性を確認するため、公安局刑事課一係に非常勤で配置されました」

 

 清涼感のある、はつらつとした声で自身の身分を常守に明かした。

 

「そう言う事だ。常守監視官」

 

 禾生は余計な説明を省き、短く常守に伝える。そして巌永の前に立っている女性が、常守監視官であることを示したのだ。

 

「あなたが常守朱監視官ですね。よろしく」

 

 そう言って、巌永は常守の前に右手を差し出す。常守は戸惑っていた。人事の話などまるで聞いていない。この状況を受け入れるべきか迷っていた。いくつかの考えが逡巡したが、上層部が何らかの意図をもって、刑事課に人員を送り込んできたことは、すぐに理解できた。おそらく何をしても、この人員配置には逆らえないだろうと言うことは、強く感じられた。常守の要求を通す代わりの、代償と言ったところだろうか。常守の頭ではいくつかの打算が、まばたきをする間にはじき出されていた。結果として、その差し出された右手をとることにしたのだった。

 

「刑事課一係の常守朱です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 戸惑いながらも、常守は差し出された巌永の手を取り握手を交わした。

 

「巌永望月は、新人ばかりの二係三係よりも、私の意志を良く汲んでくれる。彼女の監視官としての能力に心配をすることはない。適性も十分にあることを私が保証する」

 

 禾生の()()()()()()、その言葉で少なくとも禾生局長は、明確な意図を持って巌永望月を、連続サイコハザード事件の捜査にあたっている一係に送り込んできたのだ。果たしてその意図とは何であろうか。

 

「早速だが、君たち二人はその足で、雑賀譲二をを迎えに行ってくれたまえ。君たちが雑賀のいる矯正施設に到着するまでの間に、必要な手続きは済ませておこう。常守監視官と巌永臨時監視官の両名は、協力してシビュラシステムの健全性を証明したまえ。そのためには何を使っても構わない。たとえ必要な人材が潜在犯であろうと、それが必要であるならば利用しても構わないと私は考えている」

 

 その言葉に常守は、禾生壌宗がシビュラシステムの健全性の証明に、強い執着を持っていると感じた。何を使っても良い、であるならば、禾生局長が作り出したこの状況を、積極的に利用するべきだと考えた。いつだったか霜月に言われた、空気を読むべき時だと常守は思った。第一歩として、雑賀譲二の分析官復帰という交渉は成立したのだ。ここで躊躇う理由は無かった。

 

「了解しました。常守朱、雑賀教授の召還に向かいます」

 

 今は急ごう、そう考え常守は敬礼しながら禾生の命令を復唱した。同様に巌永も禾生に敬礼をする。

 二人はそれから言葉を交わすこと無く、局長室を退出した。

 

 ――禾生は常守と巌永が立ち去ると、椅子を回転させ机を背後にしながら立ち上がり、独り言を呟いていた。

「さて、彼女は上手くやってくれるだろうかね」――

 

 

 常守は地下にある駐車場へ行くために、エレベーターへと歩みを向けていた。

 

「ちゃんとした自己紹介がまだでしたね、巌永さん。歩きながらでもいいかしら」

「禾生局長から、常守監視官のことは聞き及んでいます。堅苦しい挨拶は抜きで構いませんよ」

「そうですか……」

 

 常守の巌永に対する第一印象は、真面目で明るそうな人物というものだった。きな臭さがまるでない、典型的な役人のように見えた。だが、それがどうも引っかかる。不審な点が無いことが不審なのだ。明らかに不自然で急な人員配置、普通であればもう少し何かクセのある人物を、送り込んでくる様に思える。モヤモヤとした感情が、常守の胸の中を覆っていた。不安を払拭するために、常守は巌永に直接聞いた。

 

「巌永さんは、どうして刑事課に臨時配置されたのですか?私達刑事課は何も聞いていなかったので、良ければ理由を教えてくれませんか」

「そうですね、一言で言えば実地でのデータ収集と解析、その分析結果を用いて捜査に協力する、と言ったことです」

「刑事課が提出したデータに、不審な所があると言うことですか?」

「いえ、そんな事はないですよ。捜査資料に用いる元データはシビュラの監視下で取得されていますし、そこへの不信感は全く無いです。目的をもっと簡単に言えば、この目で確認してこいという、至極単純な理由なんですよ」

 

 巌永は軽快なイメージのウェーブがかった髪を揺らし、常守に微笑みを交えながら答えた。

 予想に反して、柔和な表情を見せた巌永に、常守は自分の感情が表情に出すぎていたのだろうか、不安な様子が表に出てしまっていたのではないかと思った。少し考えすぎただろうか。

 常守の不安を払拭するように、巌永が話を続けた。

 

「私の所属は、大臣官房統計情報部であることは、先ほど自己紹介した通りですが、この部が何をしているかというと、実際に行われた犯罪、その種類と犯罪係数、それらの相関を統計的に解析するのが、主な仕事です」

 

 巌永は歩きながらも、常に明瞭な受け答えをする。その立ち居振る舞いで、巌永に明確な目的と意思が存在することが感じられた。

 

「つまり、その統計が正しいかどうか、シビュラの健全性を確認している部署になります。仕事の内容は細かく別れていますが、概ねサイコパスの判定に用いるナレッジベースの管理運用、と考えていただければ良いと思います。実際の判定がどう行われたのか検証する、と言うのが今回の公安局刑事課へ派遣された目的です」

 

 巌永がそう話し終える頃には、エレベーターが到着した。二人はエレベーターに乗り、地下にある駐車場へ向かう。常守は話を続けるために、巌永に声をかけた。

 

「判定の検証ですか?」

「何をどう判定したのか、実際の現場で、どのようにシビュラシステムが用いられたのか、と言ったことの検証です。現在刑事課では、刑事事件になるかならないか、微妙な案件を取り扱っていると聞いておりますので、その解決に力添えが出来ると思いますよ」

「つまり、外部から見た方が、()()()こともある、と言うことでしょうか」

「そう考えてもらって構いません」

 

 巌永がそう言い終えるのと同時に、エレベーターは地下駐車場へと到着した。常守は、ドア側に立っていた巌永を先に通して後に続く。常守がエレベーターを降りた所で先に立ち、乗ってきたセダンタイプの公用車へと歩みを向けた。

 

「早々に私に付き合わせてしまって悪いけれど」

 

 常守はそう言って車のロックをはずし、巌永を車の助手席に乗せる。

 常守は運転席に着くと、ナビゲーションに雑賀の収容されている所沢の矯正隔離施設を目的地として入力し、自動運転モードに切り替えた。

 車が発進すると、巌永が常守に対し、捜査資料の閲覧を申し出てきた。

 

「到着するまでに、捜査資料を読み込んでおきたいと思います。ファイルを共有していただいても構いませんか?」

「構いませんよ。IDは?」

 

 巌永は自分が持っているタブレット端末に暗号化されたIDを表示し、それを常守の端末に向ける。巌永のIDを読み込んだ後に、常守がファイル閲覧の許可のパスワードを打ち込む。

 

「ありがとうございます」

 

 そう言うと巌永は早速、捜査ファイルに目を通し始めた。

 

「何か質問があったら、遠慮無く言ってください」

「了解です」

 そのようなやりとりを交わしている間に、公用車は首都高へ乗り入れ、行く先を郊外に向けていった。

 

 *

 

 雑賀の収容されている矯正隔離施設までの道すがら、常守と巌永は雑談も交えて、捜査の話をしていた。曰く住所は南青山である、曰く年齢は常守よりも一つ年上である、曰くまだ独身であるなど、身の上話を交わして巌永の素性を知ることが出来た。矯正施設に着く頃には、二人は打ち解けた雰囲気になっていた。

 

「悪いけど巌永さんは、車で待っていてください」

「わかりました。私のことは気にせず行ってきてください」

「正直なことを言うこと、あなたのサイコパスが、どれだけ強いのか判らなくて不安という理由が一番強いです。これから私が会いに行くのは、まがりなりにも潜在犯ですから」

 

 嘘は言っていなかった。かつて雑賀譲二が犯罪心理学の講義を行った際、受講者の色相が悪化してしまった事例があるからだ。その後、潜在犯になってしまった受講生もいる。狡噛慎也のように。したがっていくら厚生省の人間であろうと、簡単に雑賀へ面通しをするのは控えた方が良いと思ったのだ。

 もう一つの理由は、巌永には言わなかった。それに関して常守は、できれば雑賀と二人だけで話をしたいと考えていたからだ。

 

 巌永を車に残し、常守は隔離施設の窓口へと向かう。そこにいるスタッフに用向きを伝え、確認を取る作業に入る。局長室からここまでの移動の間に、禾生が手続きを終わらせていたため、簡単なIDの照合で隔離施設の内部へと入ることができた。

 施設職員棟と隔離棟は分厚い二重の扉で区切られており、万が一にも外部の人間と内部の人間とが接触しないよう、厳重な監視管理体制になっていた。

 常守は一人その扉をくぐっていく。多くの収容者にとっては、二度と戻ることはない道を進んでいく。例外があるとすれば、社会にとってその能力が、潜在犯と比しても大いに有用であると認められた場合のみである。公安局刑事課の執行官のように。

 二重の扉をくぐると、案内兼護衛用のドローンが待ち受けていた。そして常守の前を進んでいく。いくつもの規格が統一された部屋の間を抜け、雑賀譲二の収監されている独房へと一定の歩幅で歩いて行く。不意の来訪者に気付いた収容者が小窓からこちらを覗き込む。刺激を与えないために、視線を感じながらも目を合わすことなく、歩くスピードを変えずに機械のごとく進んでいく。

 そうやってようやく、雑賀の房の前まで来た。センサーが常守をスキャンして身元を照合、そして固く閉ざされた扉が開く。そこには強化ガラスで区切られた接見室があった。パイプ椅子が一脚置いてあるだけの、他には何も無い空間であった。

 そしてガラスの向こうにある什器に、雑賀は腰をかけて待っていた。

 

「待っていたよ、常守監視官」

「お久しぶりで雑賀教授。お変わりありませんか?」

 

 雑賀の独房は、何処かの研究室のように、山積みの書類の束が置かれた机、そして周囲はその机を取り囲むように、紙の本で埋め尽くされた本棚が置かれていた。

 潜在犯であっても軽度であるならば、ある程度私物を部屋に持ち込むものが許されている。一度社会にとって不用な人物であると烙印を押した後でも、一応は人権に配慮しているのである。社会から隔離され、人に影響を微塵も与えないのであれば、自由にしていいと。世捨て人となって初めて得られる自由がある、そういったこの社会の歪みが、集約されているのがこの場所だった。

 雑賀は、常守の社交辞令に答える。

 

「ああ変わりないよ。一見退屈そうに見えるかもしれないが、考える時間が無限にある、これはこれで優雅な生活なのだよ」

 

 雑賀は突然の来訪者にも、落ち着いた様子で対応をした。

 

「サイコパスさえ安定していれば、好きな本をいくらでも読めるからね」

 

 そう言って手に持ったハードカバーの本を閉じて常守に見せた。

 

「私はある事件について、雑賀教授の協力が必要だと考えてこちらに来ました。分析官として是非にも、刑事課に来ていただきたいです」

「詳しく聞こうか。今なら、二人だけで話せるしね」

 

 雑賀はそう言うと、常守に接見室にあるパイプ椅子に座るよう手で促す。

 常守は、椅子を強化ガラスの前まで引き寄せた後、雑賀に捜査の状況を知らせるため、捜査資料を収めた端末を接見室の脇にあるパスボックスに入れた。パスボックスの中でX線スキャンが行われ、武器や爆発物でないことが確認される。その上で、端末が雑賀の手に渡る。

 雑賀は端末を受け取ると、自分の机に戻り捜査資料に目を通す。事件のあらましを注意深く読み込んでいた。

 数分後に端末から目を離し、目線を常守へ向けた。

 

「ふむ。シビュラが感知できない何らかの方法を使われて、サイコパスが共鳴を引き起こしていて、連続サイコハザード事件が起こっている、と。目下のところ原因は不明、捜査も行き詰まっているというわけだ」

「はい」

「鍵になるかもしれないのは、『サイマティックスキャン消耗症候群』の患者と、新型量子メモリー増設に伴うシビュラのアップデート。それから『楪いのり』か」

 雑賀は捜査資料から要点を抜き出す。それを口にして常守に伝えることで、自分の理解を深めていく。

「君は、新型量子メモリーによる不具合を疑っているわけだ。より完全性を目指すために新たに作られた、シビュラの補助システムを」

「そのとおりです」

「刑事のカンってやつかね?」

「今はそう言うしかないかと思います。ただこの事件、『楪いのり』の登場によって単なるシビュラの不具合、バグの類ではなさそうだと考えています。なぜ私達には見たり聞いたりできるのに、システムを通すと一切、存在を証明する物が残らないのか。そこがわからないんです」

 

 雑賀は静かに目を閉じ、深く考えこむような姿勢となった。しばしの沈黙の後、再び常守に目線を合わせ話を始めた。

 

「ふむ、この事件で現れた『楪いのり』はシビュラが感知できていないのではなく、『楪いのり』感知していても、感知していたとは判別できないのだとしたら?楪いのりはシビュラにとって何の矛盾も無く、シビュラの見ている世界の外側に存在していたのだとしたら」

「鹿矛囲桐斗の事件のように、ですか?」

 雑賀の言葉で、常守はすぐにその事件を思い出した。敬愛していた祖母を巻き込み、刑事課に多数の殉職者を出し、今に至る苦境を生み出してしまった事件を。

「確かに似ていると思うが、あれはセンサーが反応しない、言わば感覚器の問題であったと言える。そう言えばあの時は全能者のパラドックスの話をしたね」

 

 その事件の時、雑賀は臨時の分析官として刑事課にいた。常守なら、すぐその事件を思い出すだろうと思っていた。その前提知識があったことを承知の上で、常守にこの事件に対する、一つの仮説を話し始めた。

 

「そうではなく、感覚器が感知してもそれを感覚として処理できなかったとしたら。その存在が起こす一切合切が無矛盾に合理的に処理されているとしたら。人間の目では存在するが、シビュラの目には存在していないもの。シビュラにとっては名前の無い怪物と言ったところだろうかね」

「名前の無い怪物……ですか」

「君は『ゲーデルの不完全性定理』というものを知っているかね?」

「いえ。全く」

 

 常守は聞き覚えがなかった。一通りの学業を修めてはいるが、専門性が高くなると、知らない知識も多いのが実情である。シビュラの適性診断によって、十代後半にはおおよその進路が決定する。その適性にあった職業に対する教育に重点が置かれる。言わば余計な勉学をしないで済む様、合理的に教育がなされているのである。

 

「そうか知らないか。まあ2080年代に大学制度が役目を失って久しいから、専門外の事柄を知る切っ掛けも無くなっているのだろう」

 

 常守が自分の言った言葉を知らないと確認した雑賀は、深く腰をかけていたキャスター付きの椅子から立ち上がり、部屋にあった、色々な言葉や図形や記号が書き込まれたままのインタラクティブホワイトボードを、部屋の奥から引っ張り出してきた。そしてまるで講義をするかのように、強化ガラス製の窓越しから常守に話を始めた。

 

「ゲーデルの不完全性定理とは簡単に言えばこうだ。全てを算術可能な理論が存在し、それが無矛盾であれば、証明も反証も出来ない命題が必ず存在する。これを第一不完全性定理という。算術可能とはシビュラシステムの原理のように、観測データから帰納的に公理化可能な理論と考えればいい。もしシビュラが完全に人の思考を全て算術している公理で動いているのであれば、不完全性定理によって必ず証明も反証も出来ない命題が存在することになる。これは全てを公理、つまり計算式に変換が可能なシステムの理論が必ず持つ宿命なのだよ」

 

 雑賀はインタラクティブホワイトボードに、模式図を書き込む。知識の無い人間にどうやって説明をするのか、要点をかみ砕き考えながら板書をしていた。

 

「そして次だ。もし公理化可能な理論が無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。これを第二不完全性定理という。つまりシビュラがいくら自分は正しいと言ったところで、正しいのか間違っているのか不明な問題が、シビュラの理論の中に存在するんだよ。シビュラ自体が『自分の理論体系は完璧に正しい』と証明することは、そもそもの問題として不可能なんだ」

 

 雑賀は書き込んだ模式図に、大きな×を付ける。そして再び常守に向かう。

 

「哲学では『自己言及のパラドックス』なんて言われちゃいるがね。自己言及のパラドックス自体は紀元前の古代ギリシアの哲学者のエウブリデスが考案したんだが、それが数学の世界でも同様に起こる現象であることが証明されているんだよ。証明されたのは1930年頃、ずいぶん昔の話なんだがね。すっかり皆忘れてしまっているが、数学を学問的に追究する人間には、よく知られている真理なのだよ」

 

 常守が必死の形相で話を聞いているのを見て、雑賀は少し話の手綱を緩めた。

 

「まあ、より詳しい話は私ではなく数学者に聞くといい。前置きが長かったね、つまり全てをスコアにして算術化するシステムは、どうにもできない問題が生じた場合に、自分自身では解決できなかったり、自身がミスを犯していてもそれを自覚する事ができないんだよ」

 

 雑賀が最も言いたいことを要約して伝えた。そしてより常守がこの話を理解できるよう、常守の知識にある物を利用する。

 

「経済省が開発した『パノプティコン』については知っているね」

「はい。鹿矛囲桐斗が生まれるきっかけとなった『地獄の季節』を生んだシステムですね」

「そうだ。あれは交通と銀行履歴をスコア化して理想的な国民支援制度として開発された、完全な機械による統治を目指したシステムだった」

 

 パプノティコン、それは経済省が厚生省から司法権及び行政権を奪還すべく開発した、シビュラに取って代わるはずの国民管理システムだった。

 

「この機械による理想的、つまり公理化可能なシステムによってのみ構成される管理制度、と言うこと自体が問題を生み出す要因だったんだ。おかげでシステムが気付けなかった問題が噴出し、結果として「地獄の季節」を産んでしまった。経済省は根本的な間違いに気付いていなかったんだよ」

 

 雑賀は、パノプティコンの根本的な失敗の原因に言及する。そして、常守の中に芽生えた漠然とした疑問を、表に引き出すことに成功した。

 

「つまりシビュラも間違いを犯しているはずだと?」

「そこだ。ゲーデルの不完全性定理が存在する限り、システムが解決できない問題を抱えているはずなのだがね。だが実情はどうだ。完全無欠のミスが存在しない、ミスの存在があり得ないシステムとして運用されている。不思議だとは思わないかね?」

 

 雑賀は、己の持つシビュラに対しての疑問点を、堂々と明らかにした。

 常守はその疑問に対して、率直に自分の意見を述べる。

 

「シビュラシステムで解決できない問題があるからこそ、刑事課が犯罪捜査に当たるのでは?」

「違うな。それはシビュラが、問題があると認識している。つまりきちんと算術した結果、人であるならば解決できる問題、『刑事事件』という形で計算結果をはじき出しているだけだ」

 雑賀は常守の意見に答え、一呼吸置いて話を続けた。

「そうではなく、もしもシビュラが完全に公理によって形作られているのであれば、シビュラ自身が認識できない問題が、何かしら存在すると言うことだよ」

 そう言うと雑賀は、板書をしていた手を止め、机に軽く腰をかけて腕組みをした。そして、何かを計算しているかのように、腕を組みながら、せわしなく人差し指を動かしていた。

「目下の運用上、そんな解決できない命題が無いように見える。と言うことは、帰納的にシビュラシステムは『完全に全ての事柄を()()()()()()()()()()()()()()()()』のではなかろうかという結論に至ることができる」

 

 改めて常守に目線を合わせ、持論の結論を常守に提示した。

 常守の表情は相変わらず硬く、頭の中で考えが錯綜しているようであった。

 そこで雑賀は、声のトーンを変えて、常守の思考回路に緩みを持たせようと考えた。

 

「もっと雑に言ってしまえば、シビュラが自己解決できる問題があるうちは不完全なコンピューターシステムであり、自己解決が不能な問題が現れたのであれば完全に近いコンピューターシステムである、ということだ」

 

 雑賀は組んでいた両腕を開き、これは簡単な話なのだと、ボディランゲージで常守に示す。

 常守はようやく雑賀の話を、頭の中で消化できたのか、長い沈黙を破って言葉を発した。

 

「それが今回の事件の手掛かりになると?」

 

 その言葉を出した常守は、口を開いた瞬間、なんて間の抜けた返答をしてしまったのかと、内心で自分自身を恥じた。

 雑賀もそれを察したのか改めて、会話の緊張の糸をほぐすように、常守へ話しかけた。

 

「ああすまん、少々難しい話にしすぎたかな……。いかんな年寄りになると話が長くなって」

「そんなまだ先生はお若いじゃないですか」

 

 常守の表情が緩む。雑賀が気を遣って、自分をリラックスさせようとしてくれているのだと、実感することができた。

 

「よしてくれ。現役を離れたロートルだよ」

 

 常守の緊張が緩まった事を確認できた雑賀は、より常守が理解しやすいように、持論を適度にほぐしながら話す事にした。

 

「そうだな、たとえ話としてこんなのはどうだ。正しいことしかできないロボットが『私は嘘つきです』と言ったとする。だが正しいことしかできないのに嘘をつくというのはおかしい。言葉が真実かどうか区別できない、パラドックスだ。翻って『私は正直者です』と言ったとする。正しいことしかできないのでこの言葉は正しいが、正しい嘘つきが嘘をついても正しいことをしているだけで、言葉の真実の区別が付かない。これもパラドックスだ」

 

 雑賀はパラドックスという、分かり易いキーワードを組み込み、自説が常守に伝わるように工夫を施した。

 常守もそれを即座に理解し、雑賀に答えた。

 

「つまり、シビュラはパラドックスを強引に解決して運営されている、不完全なコンピューターシステムだと言うことですか?」

「ここまでの話で、本当にシビュラは完全な算術システムを使っていると思うかね?どうやって自己言及のパラドックスを解決しているんだ?問題が生じていないのであれば、それは完全な算術システムではない不完全なシステムと言うことだ」

 

 雑賀はシビュラに起こっている問題の、最も重要な要点を抜き出し簡略する。そして自分の推測を言葉にして、常守にそれを話した。

 

「今までのシビュラは、何故自己解決出来ない問題がなかったのか。私にはシビュラではない誰か、あるいはシビュラ自体に、機械的ではない知能が介入していて、自己言及のパラドックスが生じないように調整しているのではないかと思えるんだよ」

 

 次に雑賀は、数学的知見から論理的に導き出される、推測だけで、ある真実の存在、それを臆すること無く口にした。

 そして核心に迫る。

 

「不完全なシステム故に、調()()()と名付けるべきか、そういった物の存在がシステムに組み込まれているのではないか、まあこれは私の仮説、推測の域をでていないんだがね」

 

 常守は驚愕した。常守は「()()」が何かを知っている。自分の目でそれを確認したから知っているのだ、あれを。だがこの人はどうだ。論理性をもって思考性のみをもって、()()()()を示唆したのだ。何一つ物的証拠も無しに、()()()()にたどり着いてしまったのだ。シビュラシステムにとっては、脅威以外の何者でもない。人に危害を加える恐れが無いこの人を、潜在犯に仕立て上げなければならない理由が、これなのだ。常守はその事を、今はっきりと確信した。

 雑賀は話を続けた。

 

「実のところ、これまでシビュラが完全なコンピューターシステムである事は自称したことはない。大量のスーパーコンピューターによる並列分散処理とは言っているが、その処理の判断をしているシステムのことについては、まるで語られていない。どんな理論に基づくAIを使っているのか、いや管理にAIを使っているのかいないのかすら、明かじゃあない」

「言われてみれば確かにそうですね……機械によって公平な社会の運営がなされている、と信じ込まされているだけですね……」

「そうだ。シビュラに対しては民衆の()()()()存在しない。しばしばアップデートと称してはいるが、この肝心の部分のシステムを民衆の信用を利用して、公然と入れ替えているのではないかと思うのだよ。そのアップデートによって、身近には問題が現れないから、皆は小さな修正だと思い込んでいる。しかし、実のところは大胆に、以前の不完全な部分を修正しているのではないか、と邪推するわけだ。より完全性を目指して、新たな技術を取り入れているのではないかとね。完全性を目指しているのは間違いない。それはこの国の歴史が、国民が、それを証明している」

 

 常守は常にシビュラの庇護の元、現在の職務を遂行している。シビュラの目指している理屈という物は、理解しているつもりであった。だがその理解を超えた何かが起こっている。そのヒントを、雑賀は与えてくれたのだ。

 

「シビュラが不完全性を是正し、より完全性に近付いた結果として、自身では解決できない問題を引き起こしている。そう考えると事件の真相が浮かび上がってくる、と言うことでしょうか」

 

 常守の、その理解力に雑賀は満足し、無精髭を生やした口元から笑顔がこぼれた。

 

「そう言う事だな。流石に察しが良い。その明晰さが君の持ち味だ」

「そんな事はありませんよ……」

「謙遜することは無いさ。刑事にとって、相手の言葉を理解する、ということはとても大事な資質だ。君はそれを、上手く使いこなせている」

「恐縮です……」

「それでだが、シビュラシステム、ありゃあ本当に存在するのかね?」

 雑賀の目が、眼鏡のレンズ越しにでもわかるほどに、鋭く光る。雑賀は、シビュラの抱えている秘密に確信があるのだ。

「疑いを持つならそこからだ」

 

 最後に常守へ対して念を押すように言った。シビュラを疑えと。

 

「もっともシビュラの存在に疑問を持ったりするから、色相が悪化して潜在犯になっちまうんだ。っと今のは愚痴だよ」

 

 息を呑むような目つきから一転、雑賀は冗談めかして表情を緩める。そしてそれは、雑賀の展開する持論が終わりを迎えたことも示していた。

 

「今話せるのはこれくらいだ。何か質問は?」

「すみません頭の中がまだ整理されきれていなくて、たくさん疑問点はあるのですが、とりあえず」

「そう言えば、君は私が分析官に復帰することの同意を取っていなかったね。私が復帰しないと言う可能性は考えていなかったのかな?」

「雑賀教授なら、断らないと思っていましたから」

「そうかい。そりゃ大正解だ」

「改めまして雑賀教授、公安局刑事課の分析官に復帰されることを、お願いいたします」

「謹んで拝命するよ」

 

 そう言って雑賀は話を切り上げ、椅子から立ち上がった。そして釈放への身支度を始める。既に準備をしていたのだろう、いくつかの私物をまとめたカバンをロッカーから、引き出してきた。

 その間に警備用ドローンがやってきて、雑賀の独房のロックを解除する。

 

「行こうか常守監視官。またしばらくご厄介になるよ」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 雑賀と常守がそう言葉を交わすと、雑賀を社会から隔離していた扉が開き、晴れて雑賀はかりそめの自由を手にした。そして二人は独房を後にし、無機質でなんの刺激性も無い隔離施設の廊下へと、その歩みを進めていった。

 



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第五話

ずいぶんと間が開いてしまい、申し訳ありませんでした。執筆途中でPSYCHO-PASS SSの上映が開始され、その内容を確認してプロットを練り直していたら時間がかかってしまいました……。年代がPSYCHO-PASS SSと全く被ってしまい、少々悩んでしまいましたが、二次創作の気楽さで、その辺はあまり追及しないようにして続きを書こうと思います。


常守は雑賀を引き連れて無機質で無味乾燥で、それでいて色相を濁らせないためだけに圧迫感だけは排除されている、暖かみがない隔離施設の廊下を進んでいった。

いくつか無人の関門を通り抜け、中央ロビーに向かう最後の廊下を歩いていた時であった。

それは最初、気にもならないノイズであった。完全に無意識の領域で、頭の中から排除してしまう雑多な音の一つであった。

 

コッコッコッコッ

 

一定のリズムで奏でられる、それは固い床を歩く人の足音であった。隔離施設は無人化が進められており、人の出入りは限られている。サイコセラピーの医師と看護師、そして常守のような公安局の人間と、セラピストのような一部の人間しか立ち入る事はできず、また治療のための巡察時間からは外れていたため、廊下を歩いている人間は、常守達以外に存在していないはずだった。それ故に、なにげのないその音が気になったのである

背後から近付くその音に気付いた常守は、反射的にその音がする方を見た。雑賀もそれに気付き、足音の方向を見る。

 

振り返って見たその先にいた人影を見て、常守と雑賀は声を失った。出口に向かうだけのことしか考えていなかった常守の頭中では、何かに殴られたかのような電撃が走り思考が迷走、目は驚きで大きく見開き、さらには瞳孔までもが限界いっぱいまで開き、衝撃の大きさが完全に顔に表れていた。

呆然とする常守の視線の先には、いるはずのない人物が歩いていたのである。常守の傍らにいた雑賀が、ようやく固く結んでいた唇の間から声を絞り出した。

 

「お、おい……あれは……」

 

雑賀は先ほどの常守との面会で、捜査資料の中にあった捜査資料としては、今時珍しいある似顔絵に目を通していた。

その特徴に一致する人物が、目の前にいる。だが言葉にならない。

しかし雑賀の言葉が常守の思考の呼び水となった。雑賀の発した声で我に返った常守は、その名を思わず叫ぶ。

 

「あれは……楪いのり!!」

 

現在引き起こされている連続サイコハザード事件の中心人物、もしかすると容疑者で有る可能性がある少女が歩いていたのだ。

さらに驚くべきは、楪いのりの傍らには一人の十代前半と思われる少女がいたのだ。あれはいったい誰だ。

捜査の容疑者が急に目の前に現れ、少女を連れて歩いている。頭の処理が追いつかない、いったいこの状況は一体何なのだろう、これは現実に起こっていることなのか、それとも悪夢なのか。

双眸から送り込まれた情報の津波に、思考の渦がかき乱される。何をどうすれば良いのかわからない。

それは急に極限状態に置かれた、人間の本能的な行動なのだろう。事件の状況を思考するほんの一瞬の時間を得ようとして、常守と雑賀は向かってくる楪いのりから数歩、後ずさりをしていた。

狼狽する常守と雑賀の存在を意に介する事なく、歩みを続ける楪いのり。こちらのことを全く無視して進む楪いのりに対し、常守は有事における刑事の本能が呼び覚まされ、叫んだ。

 

「止まりなさい!」

 

刑事としての本能、ここで彼女を抑止しなければ取り返しの付かないことになると、刹那の間に感じ取ったのだ。

そして常守は咄嗟に腰に手をやる。力としての抑止を見せなければならないという、訓練で染みついた所作であった。だが、その行動が全くの無駄であった事に次の瞬間に気付く。

 

「丸腰?」

 

いつもであればその位置に法の執行者たる象徴が存在するはずであった。

ドミネーター無しでは、もはや体を持って制するしかない。

なおも歩みを止めない楪いのりの前に、常守は身一つで立ちはだかった。

 

「あなたに聞きたいことがあります!止まって話しを!」

 

そう叫ぶ常守を一瞥しただけで、楪いのりは歩みをやめようとしない。

 

「あなたはいったい誰なの?その連れている子供はなんなの?」

 

なおも常守の問いに答えず、無視して歩み続ける楪いのり。

ついにその距離は手を伸ばせば届くほどに近付いた。そして楪いのりは、常守の横をすり抜けて立ち去ろうとする。

 

「待ちなさい!」

 

とっさに楪いのりの腕を常守は掴んでしまった。通常の職務質問とは違う行動に出てしまった。厳密には違法である。それほどまでに、常守はこの情況に混乱していたのだった。

そして楪いのりの歩みが遂に止まる。その時、常守は自分の間違いに気付き、握った楪いのりの腕を放した。

 

「おねえちゃん?」

 

歩みを止め、声を上げたのは、楪いのりに手を引かれていた少女だった。

 

「大丈夫……私が守ってあげるから…」

 

楪いのりはそう言って優しく少女に微笑みかける。

その時初めて常守は、楪いのりに手を引かれている少女の顔をしっかりと見た。全く普通の少女で、こんな矯正施設にはおおよそ似つかない、大人しそうな風貌をしていた。

そんな子供が何故ここにいるのか。常守は聞く。

 

「その子をどうするつもり!?」

 

常守は眉根に深い谷間を作り、楪いのりを自然と睨みつけていた。

その強い怪訝な表情で怯えたのだろうか、少女は楪いのりの袖をぎゅっと掴んだ。

 

「大丈夫……だから……」

 

そう言って楪いのりは、そっと掴まれた袖とは反対側の手で、不安に震える少女の手を優しく握った。そして再び歩み始める。常守の質問には答えなかった。

 

「待ちなさい!公安局です!あなたには先日のサイコハザード事件に関わった疑いがあります!」

 

ここでようやく、常守は職務質問の正式な手順に戻り、まずは手帳(バッジ)をかざし、職務としてやるべき事をやり直し、実行へと移した。

楪いのりはようやく目線を常守達に向け、かざされた手帳を一瞥した。そして消え入るような声で一言を発した。

 

「そう……」

 

囁きような一言を発しながら、楪いのりは歩みを続け、常守の横を通り過ぎ立ち去ろうとした。

 

「待ちなさい!あなたはそもそも入館許可を得ているの!許可証を提示しなさい!」

 

再び楪いのりが常守を見る。そしてまたしてもか細い声で答えた。

 

「そんな物は……ないわ……」

「ではあなたを住居侵入の現行犯で逮捕します!」

 

この情況をどうしても放置出来なかった。実行に移すしか無い。

常守はいのりの肩を掴み、身体の確保をしようとした。

そして強引にいのりの体を引っ張ったその時、楪いのりに手を引かれた少女がバランスを崩し転倒、「きゃっ」と小さな悲鳴を上げた。

その声で常守は一瞬、楪いのりから視線を離してしまった。

 

視線を離した眼球の周辺視野から、次の瞬間の映像が送り込まれていた。その映像によって、常守の脳内にある警報装置が、頭の中でけたたましく警報を鳴らしたのである。

その視覚からの警告に従い、楪いのりの方へ視線を戻した。が、楪いのりの姿が消えていた。

消えたと言うよりも、その長い髪の先端が僅かに残っていただけだった。

 

今度は、体が状況を判断して勝手に動く。顎を上げ、上体を捻りのけぞらせた。訓練でさんざんやった動作が、常守の意思を介さずに起こったのだ。

次の瞬間常守の目を捕らえたものは、高速で額をかすめる人の前腕だった。危うく常守は楪いのりからアッパーカットを食らう所だったのだ。

ようやく、自分が攻撃を受けていると意識が判断した。そして即座に、格闘訓練のスイッチが入る。

しかしほんの一瞬、相手の動きに意表を突かれた僅かコンマ何秒かの遅れによって、常守の動きは完全に後手に回っていた。

次に常守が感じた感覚は、左脇腹の鈍い痛みだった。

 

「ぐうっ!」

 

衝撃と痛みで勝手に声が出た。のけぞった事によってがら空きになった脇腹に、楪いのりのボディーブローが浴びせられたのだ。

常守はその一撃では倒れなかった。自主的に行っている格闘技の訓練で、何度か同じ場面に遭遇していたからだ。密かに鍛え上げられていた体が、その衝撃に耐えたのだ。

次の攻撃を受けるわけにはいかない。頭が完全に格闘戦のモードになり、常守はステップを踏んで楪いのりとの距離を取った。

その距離を埋めるように楪いのりの回し蹴りが来る。だが、その蹴りは虚空を切り裂いただけで、常守の体にヒットはしなかった。そして大技を繰り出した楪いのりに、常守が遅れを取り戻す事ができる隙ができた。

 

訓練で良く体に染みこませた動作が適切に呼び出され、常守は反撃を試みる。

犯人の鎮圧を目的とした総合格闘技のスタイル、パンチやキックにも対応し、最終的には寝技で組み伏せる、常守が有事の際に使えるようにと訓練を続けてきたスタイルだ。

相手に組み付こうと、楪いのりの襟へ左腕を半ばパンチのスピードで伸ばす。だがその伸ばした腕に合わせて、カウンターで楪いのりのリードブローが放たれ、常守の右頬骨の近辺にヒットする。

 

「ぐっ!」

 

常守が呼吸と苦痛とが入り交じった息を吐き出すと同時に、もう一度右頬骨にリードブローを食らう。ジャブのワンツーが綺麗にヒットしてしまった。

最初のヒットで既に視界の半分が歪んでいたのだが、ジャブの二連撃によって、右目は完全に像のぼけた歪んだ映像しか送り込んでこなくなってしまった。

それだけではない。脳もこの時激しく揺さぶられていて,冷静な思考ができるような状態ではなくなりつつあった。

そして思考とは関係なく、体が覚えている動作で楪いのりに攻撃する。二連撃でのけぞった状態から、最短距離で左のアッパーカットを撃ち込んだ。

今度はそのアッパーにカウンターを入れられ、楪いのりの右ストレートが常守の額に刺さる。常守の拳は楪いのりの右頬へ向かっていたが、数ミリの差で虚空に放たれる事になり、文字通り浮き足だった所へストレートパンチが入ってしまったのである。

全くの観客として見る羽目になってしまった雑賀から見ると、ワン、ツー、スリーと、一瞬の間にお手本のような連続パンチが繰り出され、常守のよく整えられた髪の毛の毛先を、リズムよく揺らしているように見えた。

 

『重い!これが女の子のパンチなの?』

 

頭の中でそう叫んだ。この時点では、幸いにも常守の意識はまだ飛んでいなかった。ただそれ程複雑な事を考えられる状態ではなく、ただ痛みと相手の姿との釣り合いが取れていないことへの混乱が、思考の大部分を占めていたのだった。

常守がそんな状態で下した決断は、相手の足を取り転倒させる事、打撃での勝算が薄いと考えたのだ。

常守は若干腰を下げ、楪いのりの胸に飛び込む。

 

だがその攻撃は功を奏しなかった。

楪いのりは、相手を取り押さえる事で焦った結果なのか、ほんの少し伸びた常守の腕を見逃さなかった。合気道の小手返しのように常守の腕を掴むと、軽々と体を入れ替えた。そして追い打ちとして、常守の臀部に前蹴りを入れて距離を取った。

常守はよろけながらも、転倒だけは避け即座に振り返る。だが、完全に後手に回った。距離が開いた事で楪いのりの大技が襲いかかる。鋭いミドルキックが放たれて、常守の胴を狙う。辛うじて肘でガードしたが、ガードの上からでもダメージが蓄積する重いキックであった。楪いのりはガードの上からでもお構いなく、今度はミドルキックの勢いを残したまま、バックスピンキックを常守に浴びせかけた。

そこからは、楪いのりの一方的な打撃が続く。常守は固くガードを固めるしかなく、その攻撃の圧力でじわりじわりと後退するしかなかった。

 

気が付けば出口前のロビーにまで来てしまっていた。

足をもつれさせながらロビーに転がり込むと、受付から悲鳴が上がった。

 

「きゃあ!!」

「警報を!!警備ドローンを動かして下さい!!」

「あ、あ、はい」

 

常守は狼狽する受付嬢に対して、非常の措置を取るよう簡潔に叫んだ。

ロビーの受付でまさに惰眠をむさぼっていた受付嬢は、即座に机の下に備えてある非常警報装置のスイッチを、訓練どおりに押す。それによって館内にけたたましく警報が鳴り、巡回をしていた警備ドローンが一気にロビーへと殺到する。

その様子を楪いのりは首を一周させて確認した。そして一瞬動きを止めると、先ほどまで手を繋いで歩いていた少女の方を見た。

少女は雑賀の両手で肩を抱えられいて、不安そうな表情で常守と楪いのりのやりとりを見守っていたのであった。

少女を確認すると、楪いのりは常守の相手をやめ、少女の方へと駆け出した。

 

「お、ちょっと、待て!」

 

少女の傍らには雑賀が立っていたが、それには目もくれず、少女を雑賀からひったくるようにして抱え上げ、今度は出口へと向かって走り始めた。

少女を奪われた雑賀は尻餅をついて倒れてしまった。

 

「あいたた……」

 

そう言って雑賀は右手で腰の辺りを押さえた

雑賀は楪いのりから攻撃を受ける恐れを感じて、半ば腰が砕けるように後ろへと倒れてしまったのだ。

そんな雑賀に一瞥もせず、楪いのりは少女を抱き上げたまま走るのをやめなかった。

 

「止まりなさい!!」

 

再び常守が楪いのりを制止する。

その声で楪いのりは一瞬立ち止まった。

 

「出口まで走って……できる……?」

 

そう言って楪いのりは抱いていた少女をそっと降ろす。少女は「うん」と軽く頷くと、出口へ向かって駆け出した。

 

「待ちなさい!!」

 

常守はその少女を制止しようとするが、間に立ったのは楪いのりだった。

 

「そこをどきなさい!あの子を理由もわからず外に出すわけにはいかないわ」

 

常守の言葉に楪いのりは反応しない。

 

「あくまでここを出てくつもりなのね。それなら!」

 

施設内の警報を鳴らした事で楪いのりの動きが止まり、ほんの僅かな時間ではあるがインターバルを取る事ができた。ほどなく警備ドローンが、ロビーを埋め尽くす事になるだろう。

後手後手に回っていた状況から、ようやく対等な条件にまで持ち込む事ができたのだ。次は先手を取る、そのつもりで楪いのりに挑みかかった。

だが常守の攻撃は読まれて当たらない。リードブローすら空を切り、間合いを詰めようとステップを進めても、その分下がられてしまう。このまま出口まで行かれてしまうと、取り返しが付かない事になってしまう。門番にいるドローンなどは軽くいなされ、そのまま突破されてしまいかねない。

先手を取ったつもりであったが、まったく掠りもしない攻撃は徐々に常守から余裕を奪い、気持ちを焦りへと変貌させていった。

 

「この!」

 

焦った常守は、半ば強引に楪いのりの腕を取りに行った。

途端に下がり続けていた楪いのりは前に踏み出し、常守の胴めがけて前蹴りを繰り出す。そして常守は自分の運動エネルギーと前蹴りの運動エネルギーが合わさった力を、隙だらけだったみぞおちにカウンターとしてまともに食らってしまう。

 

「くはぁ!」

 

肺腑から無理矢理呼吸が押し出され、そのまま呼吸が元に戻らなかった。苦しさのあまり意識が遠くなりそうであった。

意識をなんとか保たねばと、それだけに気持ちを集中していると、出口の方から叫び声が聞こえた。

 

「常守さん!そのドローンから離れて!」

 

突然響き渡ったその声に驚き、常守は楪いのりから目線を外してしまった。視線の先にいたのは、車で待機をしていた巌永だった。

その隙を楪いのりは見逃さなかった。

 

しなやかに振り上げられた右足が、重力と自身の体重を利用し、重たい鉄槌となって常守めがけて振り下ろされた。

常守は楪いのりのハイキックを、もろに顎下に食らってしまう。

視界にはチカチカと星のような物がいっぱいに広がり、目の前にある物体が人なのか物なのかすらもわからない。鼻の奥がツンと痛み、唾液と血が混じった臭いがする。耳は『ピー』と耳鳴りが続く。遠くで『常守さん!常守さん!常守!常守!』と複数の自分を呼ぶ声が聞こえる。そうこうするうちに、強い衝撃と共に視界いっぱいの白い世界が広がった。

それはロビーの床であった。常守は天地がわからなくなってしまっていた。なぜ床がこんな場所に、と考えたが結局何も思いつかず、視界に広がった白い世界が頭の中全体に広がり、ついに何も考えられなくなってしまった。

 



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第六話

小休止回です。次回からお話を大きく動かす予定です。次回は11月の連休か11月の半ばくらいにアップできればと考えています。


 ――遠くに響くサイレン、空を切り裂くローター音、何事か大勢が話している声、ゴロゴロと地鳴りの様に響くタイヤの音。それらが選り分けられず、ぐちゃぐちゃに混ざり合って頭の中にこだまする。それらの区別がようやくできる様になった時、頬に暖かみを感じた。そして双眸が明るさを捕らえ、それをたぐり寄せようと思った刹那、光に様々な色がある事に気付いた――

 

 「気が付いた?」

 

 そこには金髪に染め上げたウェービーなロングヘアー、よく整えられた眉と深紅のリップ、そして火の付いていない煙草を口に咥えている、見覚えのある顔があった。

 

 「ここは……私は……」

 「朱ちゃん?自分の名前は言える?」

 

 横たわる常守に寄り添っていたのは、唐之杜であった。深紅のツーピースの上に白衣をラフに羽織り、装いは真面目さからはほど遠かったが、この時の唐之杜の目は非常に真剣で鋭かった。

 

 「あ……唐之杜さん……どうして……」

 「それはいいから。自分の名前は言える?」

 「常守朱……です」

 「生年月日は?」

 「二○九二年……四月一日……」

 

 常守は唐之杜に言われるがままに質問に答える。その質問が何を意味しているのか、よく理解はできていなかった。半ば反射的に答えていた。

 口頭での質問に答えた常守を見て、唐之杜は次の動作に移った。

 

 「いいわ。じゃあ私は何本指を立てている?」

 「三本……です……」

 「じゃあこれは?何本?」

 「一本……」

 「これは?」

 「四本……」

 

 唐之杜はランダムに右手の指を立て、常守にそれが何本に見えるのか矢継ぎ早に聞く。常守が正確に指の本数を答えたのを確認し、唐之杜はまた動作を変えた。

 

 「それじゃあ、私が人差し指を立てるから、それを目で追ってくれるかしら?」

 

 唐之杜は常守の眼前で、人差し指を立てた手をゆっくりと左右ランダムに動かした。

 

 「どうやら意識に問題はなさそうね。でも、脳振盪で完全に気を失っていたから、救急病院へ行ってちょうだい」

 

 唐之杜は一連の質問で、常守の意識レベルをチェックしていたのだ。もし脳にダメージがあった場合、常守は唐之杜の質問に答える事はできなかっただろう。

 ここでようやく、常守も事態を把握出来た。どうやら自分は意識を失っていたらしいと気付く。

 少しずつ思い出してきた、雑賀譲二を迎えに行った帰りの廊下で、楪いのりと格闘になった事を。そして無様にも格闘で負け、地面にたたき伏せられてしまった事を。そして意識を失っている間に、唐之杜が駆け付け自分を介抱していたのだと気付いた。

 

 「でも……」

 

 意識を取り戻し、唐之杜の言葉を理解できる様になって初めて出た言葉は、抗弁の言葉だった。

 それに対して唐之杜は下がり気味の眉をさらに下げて、やさしく子供に諭す様に語りかける。

 

 「後始末は私達がやっておくから、ね」

 

 そしてさらに常守へ話かける声が聞こえた。

 

 「そうですよ先輩。私だっているんですから」

 

 そう声をかけたのは、霜月であった。考えてみれば当たり前の事であった。監視官の存在無くして、潜在犯である唐之杜が、外で自由に出歩ける訳はない。監視官の管理の下、己が持つ有益な能力を発揮しているにすぎない。

 ここではっきりと、自分の巻き込まれた事件で刑事課が出動し、自分はそのまっただ中にいたのだと、頭できちんと理解することができた。

 

 「美佳ちゃん……痛ッ……」

 

 常守は霜月に何事かを告げようと体を起こしたが、強打した顔が痛み、その苦痛で口元が歪む。

 

 「ほら、大人しく寝てなさい。ドクターストップよ」

 

 あらためて唐之杜が、常守を諭す。

 

 「突っ走りすぎなんですよ、先輩。ここは私に任せてさっさと病院へ行ってください。早いところ現場検証を済ませたいんですよ、こっちは」

 

 霜月も常守を諭す。一言二言が余計ではあったが、常守の身を案じているのは、唐之杜と変わりがないようであった。

 

 「ごめんなさい……私……頭に血が昇ってたみたいで……」

 

 常守はそう言うと半身を起こし、痛む方の顔を手でさすった。唇を切ったのだろうか、さすった手に乾いた血が付着する。

 

 「そうだ……私が見た事を話さないと」

 「それはいいですから。あとでじっくりと聞かせて貰います。だから、とりあえずは私達が乗ってきたティルトローターで病院に向かってください」

 

 霜月は親指を立てて、公安局が保有しているティルトローター機を指さした。その機のペイロードは、車を丸ごと運ぶ事ができるほど広く、刑事課よりも先に到着した消防の救急車をそのまま運ぶ事ができる。つまりは、常守を収容した救急車ごと格納し、そして適当な病院の近辺で降下して車を降ろし、極めて速やかに怪我人を病院へ運ぶ手立てはできていたのだった。

 現場に捜査車両と鑑識ドローン一式をここまで運んできたティロトローターは、現場検証をしているしばしの間、機体を持て余し待機していた。余らしている時間に怪我人を運べば、その暇も埋める事ができて、一石二鳥でもあったのだ。

 

 「美佳ちゃんの言う通りよ。監視官として来てもらっているし、それに臨時監視官で来た巌永さんも丁度いるし」

 

 思い出した。臨時監視官として巌永を帯同していたのだった。一係の誰にも言わずに。

 

 「そうだ彼女……まだ一係のみんなに言ってなかったですね……」

 「それも大丈夫よ。朱ちゃんが気を失っている内に、話は聞いたから。朱ちゃんから詳しく話を聞くのはあとで、ね」

 

 確かに目撃証言は巌永に任せれば良いのだろうし、直接現場に居合わせた雑賀もいる。常守は観念と安堵の念が入り交じり、ここは一端自分が引き下がる事を決断した。

 

 「わかりました唐之杜さん……それと美佳ちゃん、あとはお願いね……」

 

 霜月が、やっと観念してくれたのか、という表情で常守に答えた。

 

 「了解しましたー。少しは休んで頭を冷やしてください」

 「そうさせてもらうわ」

 

 常守自身も、流石に今は冷静な思考能力が取り戻せているとは、考えられなかった。ここは人に頼ろう、仲間なのだから事件の捜査を分かちあえるではないか、彼らの能力の高さはよく知っているではないかと、常守は自分自身にそう言い聞かせていた。

ようやく落ち着きを取り戻した常守に、唐之杜が餞別代わりの言葉をかける。

 

 「殴られ損じゃないわよ。いままで事件化できなかった異変が、今回の件ではっきり暴行傷害、もしかすると誘拐事件として扱えるようになったんだから。気休めかもしれないけど、事件化する事で前に進めそうになっているのよ」

 「そうですね……私も病院で休んで今回の件をゆっくりと考えたいと思います」

 「ここのところオーバーワーク気味だったから、この際たっぷり休暇を取るといいわ」

 「わかりました」

 

 そう常守は言い残し、ストレッチャーに乗せられ救急車に収容される。救急車は近くの病院へ行くのではなく、より精密な検査が行える東京都内の病院を目指す事になった。公安局のティルトローター機の貨物室に救急車が搭載されると、そのまま静かに離陸し、空路で都内の病院へと向かっていった。

 

 「さてと」

 

 唐之杜は周りを見渡しながら、咥えていたメンソールの煙草にライターで火を付け、一服を始めた。そして常守が収容されたティルトローター機を見送る。

 

 「君が現場に出てくるなんて珍しい」

 

 手隙になった唐之杜に雑賀が後ろから声をかける。唐之杜はスーッと一息分の煙草の煙をくゆらせながら、雑賀の方を見た。

 

 「お久しぶり」

 

 唐之杜は煙草のフィルターにルージュを染みこませながら、咥え煙草でフランクに話かける。以前にも分析官としてコンビを組んだ事があるが、その時も師弟と言うよりは親子のような話し方で雑賀に接していた。

 

 「人手不足が深刻で現場検証にあたる人員が足りてないんですよねー。私まで駆り出されて。それに今回の事件、現場に出ていないと、わからないことがあるみたいなんで」

 「例の映像に映らない、前時代の亡霊のことかね?」

 

 雑賀は娘をからかう様な口調で、事件の核心部分に触れた。

 

 「亡霊なら、それでもいいのだけど。それなら特別な能力がなければ見られない、凡人にとっては欠陥のある存在だし。でもこんな事件が現実に起こった。だから、霊媒師の出番ではなくて刑事課の出番ってわけ」

 

 唐之杜は風に揺れる、金色に染め上げたウェービーな髪を一回かき上げ、髪をすいた後の手を、そのままの流れで白衣のポケットに突っ込み、携帯灰皿を取り出した。

 

 「あの新人も使えるようになってきたじゃないか。前に見た時よりもずいぶんたくましくなっている」

 

 現場検証はドローンによる微物の収集が行われていて、あまり人が動いていない小康状態にあった。時間を持て余し気味だった雑賀は、唐之杜に雑談を話かけて、その時間を潰そうと考えていた。

 

 「一時期は凄く落ち込んでいたみたいだけどねぇ。色々あったけど、自分なりに悩んで考えて解決したみたい。今じゃすっかり一係に溶け込んじゃって。子供っぽい所も多いけど、それも経験を重ねるうちに落ち着いてきた感じになってきたたし」

 「ずいぶんと信頼してるようじゃないか?」

 「そりゃぁシヴュラシステムが刑事に選んだ、模範的市民ですもの。私たち潜在犯がその有用性を発揮するには、そういったシステム側の人間に従うほかないから。もっとも私の場合は、間に弥生が入ってくれてワンクッション距離を置けて気楽って言うのもあるかしら」

 「なるほど。適当な距離感で俯瞰している、唐之杜志恩様の掌で踊らされてるという訳だな」

 「そんなぁ、人聞きが悪い。ちゃんと捜査が進展するよう、的確にアドバイスをしているだけよ」

 

 唐之杜の言葉は、それ自体はいたって真面目であったが、戯ける様な口調で話していたため、言葉どおりの意味以外もありますよ、と暗に雑賀へ示していた。

 そして雑賀もその意味を読み取っていた。

 

 「ま、我々にとっては事件を解決させる事が、一番の目的だからな」

 

 雑賀は唐之杜との会話で、現在の一係の関係がどんな様子なのかを感じ取った。自分がその中に加わっても、その関係性は崩れそうにないという印象を得た。ならば、自分の能力を彼らのサポートのために、存分に発揮しようではないかと。今までどこか少し他人事として考えていた部分があった事は否めなかったのだ。

 

 「そう言う事でよろしく頼むよ」

 「こちらこそ」

 

 雑賀と唐之杜は軽く握手を交わす。

 

 「志恩さーん、鑑識のチェックお願いしまーす」

 

 一服入れていた唐之杜に、現場となった隔離施設のホール辺りから霜月の呼び声が聞こえた。

 

 「それじゃあ行きましょうか」

 「そうだな」

 

 唐之杜は吸っていたメンソールの煙草を携帯灰皿に押し込み、口を閉じて白衣のポケットに突っ込む。そして白衣のポケットに手を入れたまま呼ばれた方向へ歩き始めた。雑賀がそれに続き、現場検証が終わりを迎えようとしていた。

 

 

 常守は都内の病院に運び込まれると、即座に検査着に着替えさせられ、CT及びMRIによる頭部の検査が行われた。

 検査結果が出る間に他の外傷の手当を受ける。顔は内出血で歪んでいて、唇は少し切れていた。口の中も頬の辺りに出血があり、血の味をずっと感じていた。打撲の何カ所かをテーピングして、腫れと痛みを和らげる処置が施される。

 一連の傷の処置が終わったあと、担当医に呼び出され説明を受ける事になった。

 検査の結果、脳に損傷はなく、問診による意識チェックもクリア、脳震盪よる後遺症は今のところ現れていなかった。

 

 「今夜一晩は、入院していってください」

 「わかりました。そうします」

 

 常守は捜査が気懸かりだったが、タイミングよく巌永が派遣された事もあって、少し重圧から解放された気持ちになっていた。ここは医師の指示に従おう、何かあれば霜月から連絡が来るだろうから、と考えた。オーバーワーク気味だったのは自覚していたし、何よりも考える時間が欲しかったのだ。

 常守には個室のベッドがあてがわれていた。監視官という身柄の保護と言う事情もある。

 

 「何かあったらナースコールでいつでも呼んで下さい」

 

 病室まで付き添っていた看護師がナースコールのボタンの位置を教える。

 

 「ありがとうございます」

 「一時間後に点滴を外しに来ます。それまでゆっくり休んでいて下さい」

 「そうします」

 

 常守はそう言って自らの力でベッドに入った。ほどなくして点滴に含まれているアセトアミノフェンが効いてきたのだろう。痛みが退いていき、眠気が襲ってきた。清潔なリネンの香が心地よく感じられ、かけられたブランケットの臭いが鼻腔の奥を満たした時、常守は電池が切れたオモチャの様に静かな眠りに落ちた。

 

 

 ――あなたには聞こえる?あのこの声が――

 「誰?」

 ――あなたには感じられる?あの子の気持ち――

 「何?何を?」

 ――助けてという声を聞いてあげて。あの子の望みをかなえてあげて――

 「さっきから何を言っているの!?」

 ――あなたにはその力があるのだから――

 「待って!待ちなさい!!」

 

 常守はベッドから半身飛び起きた。

 

 「あれは……」

 

 あれは楪いのりだったと思う。白い光につつまれて、二つに結われた淡い色の髪をなびかせていた。

 

 「ここは……病院?私は……」

 

 常守の目に映るのは病院の無機質な白い壁で、つい今し方眠りに落ちた場所そのままだった。

 あれは夢?それにしてはずいぶんと会話の内容がはっきりとした夢だった。しこたま頭を床に叩きつけた影響が残っているのだろうか。

 ナースコールをしようと一瞬考えたが、いつの間にか点滴は外されていた事に気付く。寝ている間に処置をされたのであろう。その記憶は無かったが、針の刺さっていた肘の内側には、止血用のテープが貼られていた。

 常守のベッドがある個室には、処置を施す看護師以外が侵入した気配は無かった。個室に行くためにはナースステーションの前を通過しなくてはならず、人目に付かず医療関係者以外が部屋に立ち入ったとは考えにくかった。

 

 「やっぱりあれは夢……」

 

 今はそう思うしかない。ベッド脇に据え付けられた時計は深夜三時を指していた。まさか丑三つ時の幽霊では、などと冗談めいた事を一瞬考えたが、それよりも再び眠気が襲ってきたため、夢の様な些事なんかどうでも良いという気分になった。

 

 「声が聞こえるか、気持ちを感じられるか、望みをかなえられるか、確かそう言っていた気がする」

 

 そう口に出して夢の内容を確かめる。一応、何かのヒントなのかもしれない、そう思いベッド脇に据えられた床頭台にあるライトのスイッチに手を伸ばす。照明をつけると床頭台の上にメモ用紙があり、それに先ほどの言葉を書き付けて、常守は再び眠りに落ちた。

 

 

 翌朝の六時頃に常守は目が覚めた。時間を確認しようとベッド脇を見ると、床頭台の上に入院の手引きがある事に気付いた。とりあえず眠気覚ましになるかと、その手引きを手に取りパラパラとめくる。

 手引きによると朝食は七時半なので、まだ暫く時間があった。食事が不要かどうかは六時半までにナースセンターに知らせなければいけない事が書かれている。幸い食欲はあるようで、朝食は食べることが出来そうなので連絡はしなかった。再び時計を見て時間を確認した常守は、まだ横になっていればいいと思い、ベッドに倒れ込んだ後ぼんやりと事件の整理を頭の中でしていた。

 堂々と所沢の矯正施設に現れた楪いのり、そして彼女が連れていた少女。なぜ楪いのりはあの場所にいたのか、なぜ彼女に誰も気付かなかったのか。それに先だって決めていた、七人のサイマティックスキャン消耗症候群患者への事情聴取。関係性の洗い出し、そしてあの夢。

 七時すぎに顔を洗おうと鏡に向かう。腫れはだいぶ引いていていたが、眦が青黒く変色している。

 

 「酷い顔だなぁ……」

 

 普段でも鏡を見ると気になってしまう部分が多々あるのだが、鏡に映し出された今の顔はそんな些細な事が気にならなくなるほど酷い状態だった。

 

 「これじゃタヌキね、唐之杜さんに笑われちゃう。ファンデーションで隠せるかしら」

 

 普段はナチュラルメイクで、それほど化粧にこだわりは持っていなかったが、流石に今は念入りに化粧で誤魔化さないとみっともないなと思った。

 顔に貼られたテープの類が邪魔だったので、洗面台で顔を水で洗うのは難しそうだった。何か代わりになりそうな物はないかと床頭台の引き出しを開けると、真新しいタオルが出てきたので、これをお湯に浸し濡れタオルにして顔を拭く事にした。

 濡れタオルで顔を拭うった時、正直生き返った気がした。そう言えば入浴はずっとシャワーで済ませていたし、食事も仕事をしながら食べられるものばかり食べていた。

 食べ物の事を考えたら、ぐぅっと腹の虫が鳴いた。丁度その時、ドアをノックする音が聞こえた。

 

 「はーい、どうぞ」

 「常守さん、朝食を持ってきました」

 

 看護師が朝食を盛り付けられたプレートを、常守のベッドサイドまで持ってくる。

 

 「ご気分はいかがですか?」

 「ええ、おかげさまで。食欲もありますし、打撲の痛み以外では問題がなさそうです」

 

 その時の常守は体の心配よりも、また腹の虫が鳴いてしまうのではないかという心配をしていた。さっきは人が誰もいなかったからよかったものの、今は看護師が目の前にいるのでバツが悪い。

 

 「あとで検温に来ますから、それまでゆっくりしていてください」

 「ありがとうございます」

 

 そう言って、看護師が常守の個室を退出したあと、常守は再び腹から音を出さない様にするため、急いで朝食を食べ始めた。

 

 「これを食べ終わったら、オフィスに電話をかけよう。現状確認をしないと」

 

 常守が入院している間にも、刑事課一係では不眠不休で事件の処理に当たっているのだろう。切りの良い所で、彼らにも休息を取ってもらわなければ、刑事課自体が機能不全を起こしてしまう。

 朝食をとりながら、今後の捜査のあり方について考えているその時、常守の携帯にコールが入る。コール元は唐之杜だった。それを確認すると、常守は即座にその携帯に出た。

 

 「常守です。おはようございます」

 『おはよう、朱ちゃん。調子はどう?』

 

 いつもどおりの唐之杜の声に、ほっとする自分がいた。

 

 「今のところは大したことはないみたいです。担当医と話さないとわかりませんが、自分の感じからすると今日の午後にも退院できると思います」

 『それはよかったわ。ゆっくりしてなさい。せっかくだから迎えを出したいところだけど、美佳ちゃんが徹夜でダメね。巌永代理監視官に行ってもらおうと思うけど良いかしら?』

 

 確かに、誰かに迎えに来てもらいたいところだった。だが、臨時に派遣され、手続き上は正式に刑事課一係に配属されているとは言え、昨日の今日で来たばかりの新人に雑用を頼むのも気が引けた。そういった事を気兼ねなく頼める人物に心あたりがあったので、常守はその申し出を断る事にした。

 

 「ああそれなら、友達に頼みます。皆さんお疲れでしょうし」

 『そうねぇ、一段落したら全員が順番に休むよう進言するわ。私も徹夜で、お肌に悪いったらありゃしない』

 

 唐之杜が愚痴っぽく答えた。

 

 「唐之杜さんも休んでください。鑑識に任せられる部分は全部任せてしまって良いと思います。って釈迦に説法ですね」

 『そうさせてもらうわ。でも徹夜のおかげで、報告することがいっぱい。でも今話せる事は限られているから、ひとつだけ聞いてちょうだい』

 「何か進展でも?」

 『とりあえず、隔離施設から拉致された子供の身元が判明したわ』

 「それは本当ですか?」

 『まぁ、元々隔離施設に収容されていた子だし、それはすぐ判ったのだけど』

 

 確かに考えてみれば、造作もない事であった。所沢の隔離施設にいたと言う事は、子供であっても収容者である可能性が高かった。調べればその場でもわかった事だろう。常守は唐之杜の話を続けて聞く。

 

 『名前は『茅間芽衣』、年齢は十歳、性別は女性』

 「十歳?確かにそれくらいの背格好に見えましたね。でもそんな子がなぜ」

 

 常守の脳裏には縢秀星の事が思い浮かんでいた。縢はわずか五歳で潜在犯と認定され、子供の時からずっと収容所で暮らしていたのだ。

 

 『そうね、問題はこの子は収容理由がかなり特殊なケースで、おそらくこの事件の鍵になると見て間違いないわ』

 「その理由ってなんですか?」

 

 やはり、縢と同じ運命の子供なのだろうか。シビュラシステムは万人に平等なシステムである。いかに子供であろうとも、その法的能力は容赦なく発揮されるのである。

 

 『ちょっと電話口じゃ長くなるわね。詳しくは朱ちゃんが戻ってからにしましょう。取りあえず重要事項だけ』

 「お願いします」

 『茅間芽衣、この子の親権者って言うのが『帝都製薬・血液脳関門研究所』の所長の細谷介延(ゆきのぶ)

 

 常守は「親権者」と言う言葉に引っかかりを覚えた。

 

 『で、この血液脳関門研究所って言うのが帝都ネットワークグループと東金財団の共同出資で作られた研究所で、もうその出資者の名前を聞いただけで臭いったらありゃしない』

 

 唐之杜からその名を聞いて、常守は総毛立つ。両方とも常守がかつて捜査した事件に関わっていた団体だ。因縁浅からぬ相手である。

 

 『私達から見たら真っ黒な面子が作った研究所と、謎の人物によって起こされた謎の誘拐事件。捜査に先入観は禁物だけど、この辺を突っついたら何か出てきそうな感じではあるわね』

 

 唐之杜は自身の言葉に釘を刺しつつも、事件の糸口を常守に示していた

 

 「わかりました。その近辺を、休み明けに洗ってみましょう。続きは休み明けと言う事で」

 『まあ、どっちにしろ一係は順番に休みを取るでしょうから、今日一日は全員が揃ってのブリーフィングは無理ね。事件が起これば別だけれど。私もそろそろ休みたいし、もう少しまとまってから話すわね』

 

 唐之杜の声からは疲労の色は見えなかったが、おそらく彼女も限界まで捜査をしてくれたのだと、会話を通じて感じる事ができた。

 

 「朝早くから連絡をしていただいて、ありがとうございます。唐之杜さんも無理をしないでください」

 『そうさせてもらうわ。それじゃあね』

 

 そう言って唐之杜の方から電話が切られた。自分も退院の支度をしようと思い、常守は唐之杜の電話が終了するとすぐに、親友である水無瀬佳織にメールをした。着替えとメイク道具一式を持ってきてもらおうと考えたのだ。運び込まれた時の服はそのままあったが、血と汗で汚れていて流石に二度着るのは気持ちが悪い。それにあちこち傷とアザのある顔でそのまま外を歩いてしまっては周囲の色相を悪化させかねないと思ったため、少し化粧品で隠さないといけないと考えたのだ。

 

 「休み明けからが本番ね。唐之杜さんも何か掴んでいる様だし」

 

 自分自身を奮い立たせようとしたのか、常守は一人病室で言葉を口に出していた。

 



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第七話

予定より一週間遅れてしまいましたが、なんとか書き上げました。次回最終回の予定です。


 常守は親友である水無瀬佳織と何度かメッセージのやりとりをして、諸々の退院に必要な物を持って、迎えに来てもらうよう手はずを整えた。

 その後、午前中再び検査と診察が行われ、そして退院はその日の午後、すぐにでも可能であることが担当医から告げられた。佳織とは病室で落ち合うことにしていたので、診察後は病室に戻り退院の支度を始めた。昼食の入院食を取りやめることをナースセンターに連絡し、その代わりに昼食は佳織と一緒に、お礼代わりのランチをどこかのレストランでとろうと考えていた。

 診察を終えて身の回りの支度をしていると、ほどなくして常守の病室のドアがノックされた。「どうぞ」と常守が返答すると、ドアが開き隙間から見慣れた親友の顔が見えてきた。

 

「ごめん、ちょっと早かったかな?」

「ううん、大丈夫。それよりも身重なのに雑用を頼んでしまってごめんね」

「いいわよそれくらい、友達なんだから」

 

 佳織は常守に不安を与えないようとしているたのだろうか、いつもと変わらぬ調子の話し方で常守に接してきた。佳織は昨年シビュラシステムが選んだ相手と結婚し、現在は妊娠中であった。

 

「まあ、身重とは言っても全然お腹も出てきていないし、正直あまり普段の生活は変わらないのよね。食事が気になるくらいで。だから雑用程度だったら、まだまだ普通にできるからご心配なく」

「でも、佳織がお母さんになるなんて、信じられない。私もいつか母親になるのかな?」

「そりゃなれるでしょう。相手がいなかったらシビュラシステムから候補を推薦して貰えば良いし。もっとも朱様のお眼鏡にかなう人がいるかは、誰にもわからないけれど」

 

 常守はシビュラシステムに相手を選んでもらうことには、当然のごとく抵抗がある。したがって佳織の言葉に少し反感を覚えたが、内心に留めておける些細な事であったので、表情にも口にもそれは出さなかった。

 

「将来のことは、そのうち考えるわ。それよりも今は目先のこと、この顔を何とかしなきゃ」

「そうだった。また派手にやったみたいね……朱のことだから、また無理したんでしょ?」

「ちょっと、ね」

 

 常守はこうなってしまった原因について話すことは、彼女の色相が濁らせてしまうと懸念した。それなので内容については佳織に話さず、生返事で返してしまった。

 

「ふうん、待ってて私がお化粧してあげる」

「いいよ、自分でやるから」

「怪我人なんだから、いいのいいの。大人しく私に任せなさい」

「それじゃぁ……お願い」

「よろしい」

 

 佳織は常守に笑顔を向けると、荷物の入ったカバンの中から化粧ポーチを取り出した。常守は佳織がメイクしやすい様に、部屋に据え付けられていたパイプ椅子に座り、目を閉じて顔を佳織の方へと向けた。佳織は常守の肌の色に合う様なファンデーションを取り出し、顔に残る痣を隠すメイクを施していった。

 

「痛っ……」

「あっごめん、痛かった?」

「平気。痛み止めも効いているし」

「それじゃ、本当に軽くやさしくやるわね」

 

 常守は佳織に任せるがまま、しばらく目を瞑ってじっとしていた。

 

「ほら、できたわよ。こんなものでどうかしら?」

 

 そう言うと佳織は、常守に手鏡を渡す。常守はおそるおそる鏡を覗き込んだが、佳織の手際がよかったのだろう。ほとんど痣が消えて、擦り傷に貼られたテープを除けば、普段の顔とあまり変わらない印象になった。

 

「それから、これが替えの下着。上に着るホロジャケットも持ってきたわ」

 

 佳織は常守に持ってきた手提げ袋を渡す。

 

「何から何まで、ありがとう。お礼にこのあとランチどう?」

「そうね。今日はそれで手を打ちましょう。本当に大したことじゃないから」

「それじゃ私ロビーで待ってるわね」

 

 それから常守と佳織は病院のロビーで合流し、病院をあとにした。病院から自宅までは距離があったが、約束のランチを食べるレストランを探す目的もあり、病院で待機しているタクシーは使わず徒歩で病院をあとにした。そして、病院の近くにある、商業施設が集中するエリアへ二人で雑談をしながら歩いて行った。

 

「ここがいいんじゃない?」

 

 佳織は洒落たテラス席付きのレストランに目を付け、常守にこの店に入ることを提案した。

 

「私ちょっとこの店、気になってたんだ。ちょっと男性は入りづらい雰囲気でしょう?だから旦那と同伴では来づらかったのよね」

「そんなものなの?」

「そうよ。なんだかんだで家庭に入ると独身の時みたいには、いかなくなるんだから」

 

 そう佳織は不満げな口調で話したが、常守には惚気話にしか聞こえなかった。

 二人はレストランのテラス席に座った。そして各々がああでもない、こうでもないと言いながら、注文するものを決めて席に据え付けられていた端末に入力した。

 ほどなくして、給仕ドローンが二人の席まで料理を持ってきた。常守にとって、佳織との会話は癒やしであった。今朝まで続いた緊張感から解き放たれ、心が穏やかになっていくのを実感していた。

 ランチを食べ終えるのに三十分ほどかけ、最後に食後のコーヒーを注文する。その時、二人の間にあった気遣いの空気が緩み、佳織が鼻歌を歌い出した。最初、常守はそんな鼻歌を歌う佳織を眺め、ご機嫌は取れたようで微笑ましいと思ってしばらく見ていた。だが、彼女の調子外れな鼻歌のメロディーに聞き覚えがあることに気が付いた。

 そして刹那、常守はその曲が何であるのかに気付き、電撃を受けた様な衝撃を受けた。あれは、あの歌だと。

 

「ちょっ、ちょっと待って佳織、その歌はどこで?」

「えっ、この歌?」

「曲名は?いつ誰に教えてもらったの?」

「ちょっと待ってよ朱、なにそんなに興奮してるの?」

 

 常守は、思わず佳織の両肩を押さえてしまっていたことに気付く。

 

「ごめんなさい。その歌は今関わっている事件の鍵になりそうな歌なの。ねえお願い、どんな些細な事でもいいから、なにか教えてもらえない?」

 

 さっきまでの常守の雰囲気とは打って変わり、極めて真剣な眼差しを向けられているのに佳織は気付いた。

 

「いいけど、そんなに大したことじゃないわよ。胎教をする新米ママさんのサークルがあって、そこで歌われていた歌なの。本当にそれだけよ。何か問題のある歌なの?」

「ううん、大丈夫。問題があるとかではなくて、公式なアーカイブに残っていない歌なので気になっただけ。どうして、それを佳織が知っているのか由来が知りたかったの。私も大げさに聞いちゃってごめんなさい」

 

 常守は今回の事件のことを佳織に言うまいと思っていたが、少ない手がかりが見えたため、思わず佳織の都合を忘れてしまったことを反省していた。

 

「もしよかったら、集会の主催者に聞いてみる?連絡先教えるわよ」

「ありがとう。そうしてくれると助かるわ」

 

 この情報は事件解決の糸口になるかもしれない、そんな期待が常守の胸に湧いてきた。本当にこの親友は、自分が苦しい時の助けになってくれる、常守には感謝しかなかった。

 佳織から連絡先を受け取った後、少しその胎教サークルのことについても尋ねてみた。佳織から語られる範囲では、事件を起こすようなグループとは思えなかった。少なくとも佳織は、事件とは全く無関係と言っていいだろう。

 一悶着はあったものの、久しぶりの友人との会話を楽しんだ常守と佳織は、各々タクシーを拾って自宅に帰ることにした。通りに出て、自動運転で周回しているタクシーを呼び止める。そして常守は、先に佳織をタクシーに乗せた。多少二人の間でどちらが先に乗るのか遠慮のしあいがあったが、常守に促されると佳織は「お先に」と一言声をかけて、タクシーの後部座席に乗った。

 

「朱、がんばんなさいよ。それから無理しないで。何か助けが欲しかったらいつでも連絡ちょうだい」

「ありがとう佳織。今日は本当に助かったわ」

「それじゃね」

 

 そう常守に告げると、佳織は自動運転化されたタクシーに行き先を告げ、常守と別れた。

 その後常守もタクシーに乗り、自宅へと向かった。帰りの車内でメールをチェックする。霜月からは一係の各員に、休息を取るように指示を出したとの報告が入っていた。今日の時点での捜査報告は霜月がまとめ上げ、メールにファイルが添付してあった。

 

「みんな、がんばってくれたんだ」

 

 常守は安堵した。それぞれが自分の有用性を示すため、各々が為すべきを為す、今の一係の強い連携が常守の抜けた穴を塞いでくれていた。常守は一通り添付された資料に目を通すと、その報告のため、現在現場の指揮をしている霜月に電話をかけた。

 

『霜月です』

 

 短く霜月が呼び出しに応える。

 

「常守です。一応退院できたのでその報告を。あと送ってくれた捜査ファイルの方は、一通り目を通したわ」

『確認が早いですね。あまり無理をしないでくださいよ?この際だから、しっかり休んでください。報告書にあるとおり、こちらでも捜査は続けていますし』

「体の方はもう大丈夫だから。ちゃんと医師の診断も受けているし。それよりも美佳ちゃん、明日私はこの事件の捜査本部を立ち上げようと思ってるの。だから刑事課の二係三係にも連絡してちょうだい」

『捜査本部ですか?まぁわかりました。でも監視官の方は訓練中なので、集めるのは難しいと思いますよ。二係三係から来られるのは良くても執行官が一人か二人。監視官が加わらないんじゃ、とても私と先輩と巌永さんの三人でまとめきれないですよ?』

「捜査範囲が広範囲になりそうなので少しでも手が欲しいわ。情報分析だけでも手伝って貰えれば、唐之杜さんや雑賀先生の負担も軽くできるから。お願い」

『そうですね。とりあえずは明日の捜査会議で話しましょう。一係の皆さんも、もう休んでもらってますから』

「美佳ちゃんも、切りの良い所で休んでね」

『そうさせてもらいます』

「それじゃ」

 

 常守が電話を切るとほどなく、自宅マンションの前にタクシーが止まった。料金を精算しタクシーを降り自室に向かう。自室に入ると即座にホームセクレタリーのスイッチを入れ、いつものとおり、留守中の配達物の確認や洗い物や洗濯物の後始末をはじめた。残された家事をやろうと思い立ちホームオートメーションを立ち上げたが、洗濯物をランドリーに放り込んだ所で力尽き、そのままベッドで眠ってしまった。

 気が付くと朝になっていた。まだ出勤には早い時間帯であったが、昨晩入浴していないこともあり、まずは朝一番にシャワーを浴びる事にした。シャワーを浴びる前にクッキングマシンへ朝食のメニューを入力しておき、風呂上がりと同時に朝食がとれるようにタイマーをセットしておいた。

シャワーから上がると髪を乾かし、その後クッキングマシンが用意した朝食をとりながら、テレビでニュースを確認した。サイコハザードのような色相を悪化させるニュースは情報統制によって流れてこない。人気のヴァーチャルアイドルの密着取材だとか、最新のペットロボットがどうとか、どうでも良い情報が垂れ流されている。当然一昨日の矯正施設襲撃事件もニュースにはなっていない。

 朝食をとり終えると常守は新しいスーツに着替え、メイクを施して身だしなみを整え、厚生省公安局刑事課のオフィスへ出勤した。事件を抱えていなければ、いつもどおりの朝であった。

 

 

 常守が刑事課のオフィスに入ると、一係のメンバーは既に全員揃っていた。分析官の唐之杜と雑賀はこの場にいない。

 

「みんな心配かけてごめんなさい。このとおり私は大丈夫だから」

 

 常守はオフィスに入ると開口一番、自分の身に問題がないことを皆へ告げた。下手に気遣われて、今後の捜査に支障が出るのを避けたい思いがあったからだった。

 

「思ったよりも大丈夫そうだな」

 

 宜野座がねぎらうように常守に答えた。

 

「これからどうします?」

 

 須郷が常守に尋ねた。

 

「みんな霜月監視官から聞いていると思いますが、捜査本部の設置を考えています。第一会議室で会議を行いますので、そちらへ移動しましょう。捜査の進捗状況の報告と、今後の方針を刑事課全体で共有します」

 

 その言葉を受けて、霜月が常守に報告をする。

 

「準備はできてますよ。ただやはり他からの応援は限られました。二係からはゼロ、三係からは数名だけ。しかも執行官のみですね」

「ありがとう美佳ちゃん。少しでも力が借りられれば御の字よ」

 

 その常守の声は前向きな印象であった。一係の間で何度か会話が交わされた後、刑事課全体で捜査情報を共有するために、一行は会議室へと向かった。

 

 

「ほとんど一係じゃないですか」

 

 先に会議室に集まっていた三係の執行官の一人が、一係のメンバーが入ってきたのを見て言った。結局、捜査本部の立ち上げを話し合う会議に参加したのは、事件担当の一係を除くと、三係の波多野、芳賀、堂本の三人のみであった。

 

「なんだ、結局古株が集まっただけかよ」

 

 波多野が不満そうに声を上げる。

 

「仕方がない、新人はそもそもドミネーターに触るのも始めてな状態だ。訓練を早々に切り上げられなかったんだ」

 

 芳賀が波多野に向かって言う。

 

「こっちじゃ本番が始まってるって言うのにな」

 

 堂本が頭の後ろで手を組みながら、上層部を揶揄するような口ぶりで他の人間にきこえるように話した。

 

「はーい、お喋りはそこまで。これで全員揃ったわね」

 

 同じく一係よりも先に会議室に来て準備をしていた唐之杜が、そう言って場の空気を締めると、会議室のプロジェクターに今回の連続サイコハザード事件と、矯正施設での誘拐事件までが時系列で列挙された。

 

「事件の時系列はこんな所よ。とりあえず、今のところ犯人はまだ『不明』としか言いようがないわ。そしてこの犯人がEGOISTの曲を使ってサイコハザード事件を引き起こしていると疑われているのが現状。そして矯正施設で誘拐事件を起こし、常守監視官をノックダウンさせた。ここまではいい?」

 

 それに対して、六合塚が手を上げて意見をする。

 

「犯人については、とりあえず目撃情報から『楪いのり』と呼称する事を提案します」

 

 事実上、この事件で一番関わり合いが深くなった常守が、その提案に意見をした。

 

「名前の無い怪物って訳にもいかないですし、今回の事件をイメージしやすいから名前はそれがいいでしょう」

 

 他のメンバーからは異論が出なかった。犯人に渾名を付けることは、伝統的な刑事捜査のやり方でもある。なにより名前を決めることは、刑事全体でイメージが共有しやすくなり、余計な混乱を招かないで済むようになる。

 

「それでその楪いのりの足取りは?所沢の矯正施設から街頭スキャナーで何処まで行方が追えてますか?」

 

 常守が尋ねる。

 

「それについては須郷執行官から報告を」

「今回幸いなことに、矯正施設の監視カメラで、その姿を捕らえることができてました」

 

 須郷は唐之杜に変わってプロジェクターの前に立ち、説明を始めた。

 

「それでこの画像を解析した結果実は楪いのりは、光学的な迷彩服を着用していたようです。ほらこれ。このヒラヒラとした服」

「これが光学迷彩服?」

 

 霜月が不思議そうな顔で聞き返す。それはあの蒲田の混乱の時に目撃した金魚のようなひらひらとしたステージ衣装のような服と同じであった。蒲田の時には映像に全く残らなかったが、それが矯正施設の方では、はっきりと映像として残されていたのだった。それも不可思議な現象ではあったが、まさかあの衣装に意味があったとは思わなかったのだ。

 

「かなり旧型の光学迷彩服(ステルススーツ)ですが、これを使用すればホログラム無しで姿を隠すことできます。現代の軍用スキャナーの前ではさすがに役に立ちませんが、民生用の街頭スキャナー程度の光学カメラであれば、十分に今でも有効です」

 

 常守はあの所沢の事件で、一番気になっていたことを聞いた。

 

「顔は監視カメラの映像に映ってなかったんですか?」

「残念ながらフードを被っていましたし、なぜかわかりませんが監視カメラの角度がどれも顔を捕らえるような角度になっていなかたったようです」

 

 それを聞いて、宜野座が無念そうに天を仰ぎながら言った。

 

「またしても顔は目撃証言に頼るしかないのか」

「ええ、今のところは。そして楪いのりは所沢の矯正施設を出た後、このステルススーツを使って姿を隠し、逃走を図った模様です」

「でも、足跡くらいは残されていたのでは?」

 

 今度は六合塚が質問をした。

 

「それなんですが、パルクール並みに建物から建物へ飛び移り、足取りを追いにくくされています。それでもなんとか微細な足跡を追って見たのですが、所沢を南進し、多摩湖近辺まで来た所で見失いました」

 

 巌永と雑賀は常守が倒されたあと、楪いのりが少女を抱えたまま、塀や柵や駐車された車といった障害物を、軽々と飛び越えていったのを目撃していた。あの勢いのまま姿を消しつつ、逃走したのだろうということは、予想ができた。そして並みの人間の足取りの追い方では、対応ができなかったのだ。まさに飛び去っていった、という表現が一番合っているように思えた。

 

「当日夜の降雨で足跡が消されたこともありますし、多摩湖の水上を逃走ルートに使ったとしたら、そこから先の足取りを追うのは困難です。これ以上現場から足取りを追うのは不可能だと思います」

 

 唐之杜が呆れるように話をまとめる。

 

「ステルススーツにパルクール、それであっちこっち飛び回られたんじゃ、どっちみちまともな追い方じゃ足取りは掴めそうもないわね」

 

 宜野座は真剣な面持ちになり、この犯人が相当に厄介であると感じたようだった。

 

「少女が少女一人を抱えてそこまでするとは、並みの相手ではなさそうだな」

 

 女性とは言え、刑事の訓練を受けた常守をノックダウンさせてしまう。しかも少女一人を連れ去りながらだ。戦闘訓練のようなものを受けていない限り、人を抱えながら包囲網を突破するなど、常人では不可能である。

宜野座が犯人に対する印象を語った後、須郷の報告が一段落した。流れが滞らないように、唐之杜が会議を進めた。

 

「そんなわけで、犯人の尻尾はまだ掴めていない。だから次は、誘拐事件の被害者と周辺情報のおさらいからね」

 

 犯人については憶測の域を出ない、不確かな情報も多い。したがってはっきりと身元がわかっている、今回の事件の被害者から情報の共有を行っていく事にしたのだ。

 

「これ見てくれるかしら?攫われた子のプロファイル。厚生省から閲覧可能な部分に限られているけれど」

 

 唐之杜はそう言うとプロジェクターに、次の画像を投影した。

 

「一係のみんなはもう知っていると思うけれども、被害者の名前は『茅間芽衣』、年齢は十歳、性別は女性。先天性潜在犯として、所沢の矯正保護センターに生まれた直後から入所。以来現在まで矯正施設内で育てられているわ」

「先天性潜在犯?」

 

 霜月がその言葉に反応した。霜月の眉根が上がる。

 

「そう。先天性潜在犯。話の始まりは、ある女性が妊娠を機に色相が悪化した所から。当然この女性に対して、あらゆるセラピーと投薬が行われたわ。もちろん妊娠した状態で」

 

 次は常守が反応した。親友の佳織が妊娠していたという、身近な出来事があった直近にあったからかもしれない。

 

「そんな、お腹の子に危険はないんですか?」

「一応、血液胎盤関門があるから、それを通過しない薬剤が選ばれて、投薬が行われていたわ。とにかく色相の悪化を防ぎたくって、ずいぶん色々とやったみたいね」

 

 唐之杜が、即座にその質問に答えた。医師としての専門知識も持つ彼女の言葉には、この場にいる人間を納得させる重みがあった。

 

「でも色相は悪化する一方。そして遂に臨月を迎える頃には犯罪係数は100オーバー。それで矯正施設行きになったわ」

 

 その唐之杜の言葉に、常守は言葉を失っていた。霜月は眉間に皺を寄せており、他の執行官達は同情するわけでもなく、困惑するわけでもない、言いようのない表情をしていた。自分の身も潜在犯であるということもあるのだろう、語られる境遇の理不尽さを、受け入れざるを得なかったその苦悩が表情に表れたのだ。

 

「問題はここからよ。その妊婦が施設内で出産をした。その途端に犯罪係数は許容値に一気に回復」

 

 霜月が何かに気付く。目を見開き、唐之杜の顔を追った。

 

「それって……」

 

 唐之杜は霜月のその反応に応じた訳ではなかったが、続けて核心について話した。

 

「生まれた赤ん坊の犯罪係数は約140。つまり潜在犯はこの子だったってわけ」

 

 言葉を失っていた常守が、嘆息するように言葉を出した。何かに贖罪するかのように思わず手で口元を覆ってしまった。

 

「そんな……」

 

 常守は今回矯正施設から拉致された少女が、縢のように幼少期のサイコパス判定で隔離されたのだと思い込んでいた。唐之杜が続けた話は、それよりももっとおぞましいものであった。

 

「先天的な潜在犯。おそらくシヴュラ登場以来初めてのケース。そんなヤバい子供を『楪いのり』が攫っていった。連続サイコハザード事件と関係がないと考える方がおかしいわ」

 

 唐之杜の視線が鋭くなる。

 

「それから両親はその子の親権を放棄」

「なんて無責任な!」

 

 霜月が思わず立ち上がって言った。それに対して唐之杜は、霜月を窘めるように話を続けた。

 

「まあ当然じゃないかしら?無実の罪で矯正施設にまで放り込まれたんだから。いくらお腹を痛めて産んだ子だとしても、そんな子を愛せる度量のある聖母みたいな人ばかりじゃないわ」

 

 あえて唐之杜はドライな言葉で返す。その方が、反論が自分に対して集約され、この場にいる人間同士で言い争いが起こらないと考えたからだ。事実この後、意見の対立は起こらなかった。

 

「そしてその子の親権者になったのが、『帝都製薬・血液脳関門研究所』の所長の細谷介延。親権者には一応連絡はしたけれど、反応は鈍かったわね」

 

 唐之杜は話を戻す。そして一係の中では一番に冷静で、感情的にならない性格の須郷が質問をする。

 

「親権者については、あとで事情を聞きくとして、その親権者が所長になっている帝都製薬の血液脳関門研究所とは?」

「血液ってのはね、直接脳細胞に入るわけではないの。血液脳関門って膜を通して血中の成分が脳細胞に届く仕組みになっている。血液中の薬剤はこの膜を通過しないと脳細胞に作用しない。だから新しいセラピー薬を作っても、この膜を突破出来なければ意味がない。だからそのための専門の研究施設を持っている訳ね」

 

 唐之杜は医師としての専門知識を、この会議にいる人間にも分かるよう丁寧に解説した。

 

「表向きは向精神薬をいかに効率よく血液脳関門を通過させるかを研究している施設だけれど、実際に自前の施設で新薬の治験も行っていて、企業としては珍しい所ね。普通は病院と協力してやるものよ。厚生省もよく認可を出したものだと思うわ」

 

 どうやらこの時点で、唐之杜は何か裏があると感じたらしい。この研究所の情報を掘り下げていた。

 

「その認可についてはこの研究所の出資者の政治力が強くはたらいていると思うわね。出資者は帝都ネットワークグループと東金財団。つまりは厚生省の御用達。色々と話は通しやすかったと思うわよ」

 

 厚生省のノナタワーそして公安局ビルの建設を行ったのが、帝都ネットワーク建設であった。東金財団はシビュラ時代の医療特許などで、大きな既得権益を厚生省から与えられている。どちらも厚生省の身内とも言える関係であった。

 

「出資比率は帝都ネットワークグループが50%、東金財団が50%で株式は上場されてない。だから監査法人が入ることはないから、中でやりたい放題って言う状態ね」

「そこが今回の事件に絡んできた。臭うな」

 

 宜野座が、長年の刑事としての感じた感覚を口にする。政官財の癒着構造は、この場にいる誰の目にも明かに見えていた。

 

「そうね、そんな所が先天性潜在犯の子供を引き取った。矯正施設と外からは内部の様子が窺えない研究所が繋がっている。臭いなんてもんじゃないと私も思うわ」

 

 続けて唐之杜は、プロジェクターに視線を向けて話を戻す。

 

「この研究所だけれど、当然脳の構造についてもよく知っているし、関連論文を見ても脳そのものにアクセスして機能を調べるってのもあるわね。つまり人間の脳の構造についてのスペシャリスト集団。まさに茅間芽衣はサイコパス研究にとって、うってつけの研究対象だったというわけ」

「では、捜査令状(フダ)を取って血液脳関門研究所のガサをするか?」

「慌てないで宜野座くん。正体不明の被疑者と刑事課の刑事の証言だけじゃ、令状は取れそうもないわよ」

 

 そしてこの後どうするのか、唐之杜はその判断を常守に任せようと考えた。

 

「どうする?朱ちゃん」

「そうですね、研究所が直接関わっているという証拠がない以上、周辺情報の洗い出しを徹底してください。あくまで現段階では被害者の関係者、関係機関という立場です。資金の流れや、人の流れで何か掴めるかもしれませんので、その辺りを重点的に探りましょう」

 

 対処する問題が多いため、須郷が常守に具体的な方針を決めてもらうよう、常守に尋ねた。

 

「今後の捜査の方針はどういう方向性で?」

「私からは現時点をもって、刑事課に捜査本部を設置することを提案します。これには事前に、霜月監視官も同意してます」

「そうしましょう。正直、雑賀教授一人と臨時とは言え余所の部署からきた監視官が一人加わっただけじゃ、手が足りないと思っていたもの」

「やれやれ、戦力にはならないってか」

 

 雑賀が腕を組みながら頭を振って戯ける。

 

「そうは言ってないわよ?もっと映像の分析とか、鑑識結果の分析とかやることが多岐にわたるから、その辺を手分けしましょうって話。雑賀教授にはもっと別の面倒くさいことをやってもらうつもりよ」

「それで割り振りは?」

 

 宜野座が端的に常守に尋ねる。

 

「実は皆さんにはまだ言ってなかったんですが、実は偶然にもEGOISTの手がかりが掴めたので、私はそちらの聞き込みに行こうと考えています。ですから、私はEGOIST関連の方を担当します。巌永監視官、それから六合塚執行官、私と一緒に来てもらえませんか?」

 

 「了解です」と短く巌永が答え、六合塚は黙って頷き同意する。

 

「霜月監視官と唐之杜、雑賀、両分析官はサイマティックスキャン消耗症候群の人達に任意同行を求めて、事情聴取してください。名目上はサイコハザード事件におけるセラピーの経過に関する聴取ということで。事件に主体的に関わりがあると判断したら、拘留することを許可します」

 

 「了解~」と唐之杜が戯けるように返事をした。他の二名は短く「了解」と答えた。

 

「画像解析、現場検証の結果のとりまとめは雛河執行官にお願いします。それから三係の執行官がサポートについてください。とにかくデータ量が多いので手分けをして、些細な変異でも構いません、少しでも手掛かりを掴んで下さい」

「え……僕だけ一人……」

「雛河くんと三係の波多野さんは映像解析に詳しいでしょ。お願い、協力して捜査してくれないかな?」

 

 常守は子供を説得するような、優しい言葉で雛河に指示を出し直す。雛河は、その常守の言葉で納得したのか、短く答えた。

 

「り……了解……」

 

 最後に常守は、宜野座と須郷に対して指示を出した。

 

「宜野座、須郷、両執行官、は血液脳関門研究所周辺の情報を集めてください」

「唐之杜、フダは取れないとしても、研究所の所長から情報を聞き出すことはできないか?」

 

 指示を受けた宜野座が、唐之杜に事態の打開策を聞いてみた。

 

「そうねぇ、攫われた子供の親権者、被害者として聴取ができるでしょうけど、おそらくプライバシーを理由に血液脳関門研究所での研究内容やデータは公開しないでしょうね」

 

 常守がその会話に加わる。

 

「研究所に対して捜査を行ためには、事前に証拠を揃える必要がありますね。事情聴取から何か手がかりが掴めればいいのだけれど……」

「まあ、その辺は親権者の方から掴んでみせるさ。研究所方面の初めは、この細谷介延から任意に事情聴取をすることから始める、でいいな常守」

「それで良いと思います」

 

 最後に常守は、この会議でほとんど発言しなかった、雑賀にコメントを求めた。

 

「心理学者として、今回の犯人の動機について何か思い当たることはありませんか?」

「そうだな、そっくりなアバター使ってヴァーチャルアーティストの復活を目論むって言うなら話はシンプルだが、犯人の心理を推察できるような情報が少なすぎる。事件が派手なわりに、犯人の動機が見えてこない。私はそれよりも事件の共通点について、もっと探って見るべきだと考えるがね。その方が、この事件を浮き彫りにするのだと思うよ」

 

 雑賀は、あくまで事件のパズルのピースを集め、事件の全体像を固めることに力を入れるべきだと考えたのだった。

 

「他に意見はありませんか?」

 

 常守はそう言って会議室を見回す。特に発言者が現れることはなかった。

 

「それでは解散します。各自捜査に当たってください」

 

 そう常守が合図をすると、各々が自分の担当する作業を行うために散らばっていった。

 

「私達も行きましょう」

 

 常守は巌永と六合塚を引き連れ、地下駐車場へと向かっていった。

 

 

 常守は巌永と六合塚を帯同し、佳織から聞いた胎教サークルの主催者宅へと向かっていた。

 

「胎教でEGOISTの歌が使われているというのは、にわかには信じられないわね」

 

 六合塚はまさかEGOISTの曲が世間に広まっているなどとは、考えにも及んでいなかったのだ。

 

「なんと言うか、音楽配信とかPVを見るとかそういうのじゃなくて、顔を合わせてみんなでお話をしたり、胎教に良い音楽を歌ったり、安産のための体操を実践してみたりとか、そういう集まりみたいです」

 

 常守が佳織から聞いた話を、かいつまんで六合塚に話した。

 

「確かにそういう古典的な、『ふれあい』を好む層っていますよね」 

 

 巌永が、一般論的なことを言う。

 

「むしろメンタルケアにもなるからって、シビュラから推奨されているくらいよ」

 

 常守は胎教サークルのようなマタニティクラブについて、少し調べをしていた。なにかと不安になる出産という人生にとって大きいイベント、そのストレスを軽減し、子供を持つ者同士悩みを共有して心理的負担を少しでも和らげるよう、大小様々な団体が活動していることがわかった。シビュラもその様な団体を利用して、色相の安定を図るよう推奨していたのだった。

 

「シビュラが色相が濁るからと、閲覧不可の曲を伝えている集団を推奨するとは、皮肉ね」

 

 六合塚は、皮肉っぽく言った。かつて色相を濁らせるからと、音楽の世界から追放された曲、それがシビュラのあずかり知らない所で密かに伝えられていたのだ。真面目にその曲を封印していた、自分が馬鹿馬鹿しくも思えたのだった。

 

「さすがにどんな内容かまでは、チェックしていなかったという事でしょう。よほど色相が悪化する傾向でもなければ、何をしても干渉しないでしょうし」

 

 常守もある種の理不尽さを感じていたが、シビュラにとっては色相判定、サイコパスが判断基準の全てである。それが悪化しないのであれば放置するという、ある種の無責任さも兼ね備えているシステムなのだと、思い知っていた。

 そんな会話を移動中の車内でしているうちに、常守達が乗っていた捜査車両が胎教サークルの主催者が住むタワーマンションの前まで来た。車を止めると、常守と六合塚は装備のチェックをする。二人はドミネーターを携行していたが、臨時監視官である巌永には与えられていなかった。巌永の行動条件は正規の監視官と行動を共にすることであった。執行は他の監視官か、指揮する執行官に任せる形になっていた。

 装備の確認が終わると、近くのパーキングに駐車し車を降りて目的の部屋へと向かった。胎教サークルの主催者の住む部屋はタワーマンションの中層にあった。佳織に教えてもらった部屋へ行くためには一階にあるエントランスのオートロックを、住人から解除してもらう必要があった。常守はエントランス前にあるインターホンに番号を打ち込み、呼び鈴を押した。

 

『どちら様?』

「厚生省公安局刑事課一係の監視官、常守朱と申します」

『公安局?何か事件でも?』

「いえ、教えていただきたいことがあって、うかがいました。お時間は取らせませんので、少しお話ししていただけませんか」

『いいですけど……色相が曇る様な話ではないですよね?』

 

 インターホンに出た女性は、当然のように怪訝な声を上げた。一般市民宅に刑事が訪ねてくるなど、シビュラによって管理されているこの時代では極めて希なことであったからだ。当然良くない話を持ってきたのだと考えるはずである。

 

「そんなに難しい話ではありません。ある歌について教えていただきたいんです」

『歌?」

「はい」

「六合塚さんお願いします」

 

 常守がそう言うと六合塚は、エウテルペの一節をインターホン越しに歌った。

 

『ああその歌なら……立ち話もなんですから中にお入りになってください。人目もあるでしょうし』

「それではエントランスのロックを解除してもらえませんか?」

『わかりました。部屋へはエレベーターを使ってきてください』

「ありがとうございます」

 

 常守が礼を言うと、エントランスのロックが解除され、自動ドアが開いた。

 ドアの先にはエレベーターホールがあり、中層行きの急行エレベーターはホールの中程にあった。常守達はエレベーターに乗り、目的の部屋へと向かう。目的の階のボタンを押すと、幸い他に利用者がいなかったこともあり、即座に上昇し数十秒で到着した。

 エレベーターを降りると、ドアに書かれている部屋番号を確かめながら、先へ進んだ。エレベーターからは少し離れていたが、佳織に教えてもらった部屋番号と一致するドアの前まで来ることができた。

 常守は改めてドア前のインターホンのボタンを押す。

 しばらくするとドアが開かれた。

 

「すみません、今日は来客を考えていなかったので部屋が少し散らかっていますが、リビングへどうぞ」

「それでは失礼して」

 

 室内に入るとそこはごく一般的な市民の部屋であった。特に不審なものは無い。

 

「お茶を用意しますね」

 

 しばらく後、常守達にフードマシンから作られたお茶が出される。常守はそれに一端手を付けてから、聴取を始めた。

 聴取の結果、この胎教サークルの主催者は、ごくごく普通の主婦であり、二児の母であった。自身の育児経験をネット動画で配信し、育児についての相談を受ける活動をしていた。その動画をたまたま佳織が閲覧し、主婦が主催する胎教サークルに関心を持ったのだ。佳織は念のためシビュラで自分とこのサークルとの相性をチェックし、この主婦が開催する活動に参加した。この主婦と話の内容に不審な点は無かった。

 そしてEGOISTの曲について聴取する。主婦はこの歌は昔学生時代の音楽教師から、口頭で教わった曲だと言った。

 

「ちょっと待っててください。先生のお名前と住所をお教えいたします。私に聞くよりも事情をよく知っていると思いますよ」

 

 そう言うと主婦はサイドボードの上に置かれていたメモ帳に、歌を教わったという教師の名前と住所を書き留めた。

 

「すみません、こんなアナログな方法で。私はこっちの方が好みなものでして」

「いえ、大丈夫ですよ。助かります」

 

 常守はそのメモを受け取ると、早々に立ち去ることを決めた。聴取をしてみて、何か目的を持ってEGOISTの曲を広めていたわけではないとの印象を受けた上に、それがさらに別の人物から教えられたという事を考えても、この主婦が事件の主体でないことは明かだったからだ。

 主婦に捜査に協力してもらったことへの謝意を述べた後に、部屋をあとにした。駐車してあった捜査車両に乗り込むと、さっそく常守は端末で主婦から教えられた、その人物の名前と住所を検索した。該当する住民票はすぐに見つかったが、問題があった。住民票から戸籍を閲覧してみたが、戸籍廃止になってしまっていたのだ。シビュラから存在が抹消された人物。この社会から弾き出され、シビュラの管理からは外れてしまっていた。逮捕歴や施設への入所記録も無く、ぷっつりと行方が途絶えていることが判明した。

 だが住民票から顔写真がすぐさま手に入り、街灯スキャンでその人物の現在地を検索した。結果、直近で確認されたのは都内の廃棄区画への入り口近傍にある、監視カメラが捕らえた男の姿だった。

 

「つまりは、今は廃棄区画の住人って事……」

 

 六合塚は、その検索結果から導き出される結論を口にした

 

「本ボシに近付いた気がしますね」

 

 常守は、刑事として事件の真相に近付いているという手応えを、ようやく感じられたのだ

 

「私もそう思います」

 

 巌永の感覚でも、手応えが感じられたようだった。

 

「次は廃棄区画での捜査になるけれど、二人とも大丈夫ですか」

「私は問題ありません」

「私も」

 

 巌永と六合塚の同意を得ると、常守はナビゲーションに廃棄区画入り口までのルートを入力し、捜査車両を現場へと向かわせた。

 

 

 元教師の足取りが最後に記録されたのが、文京区茗荷谷の廃棄区画であった。廃棄区画としては比較的治安が安定している。湾岸地域の隔離区画とは違い、一度シビュラの管理区画を通らなければアクセスしにくい場所にあるため、おのずと住人は元々シビュラの管理下で暮らしていた一般市民が多い。そのため、市民生活がそのままの形で維持されていて、外部と遜色ない活気がある。それを支えているのは強力な自警団であり、彼らが秩序を守っているため市民生活が維持できているのだ。無論、無頼者達の秩序であり、一般の市民の治安とは全く別物である。

 比較的シビュラの管理区画からも入りやすく、矯正施設送りから逃れた軽い潜在犯は、市民生活を維持するためにこの区画に逃れてくるのだ。茗荷谷は都心にある廃棄区画で交通の便も良く、アクセスが容易であるという地理的な特徴もあり、東京の中心部から人が流入し、そこに定着しやすい条件が整っていた。

 廃棄区画へ入るのは危険ではあったが、手掛かりを掴みに行くしかなかった。

 主婦から教えてもらった元音楽教師、「寒川尋乃(ひろの)」の過去に記録されたサイコパスのグラフからは、強力な潜在犯に変貌したとは考えづらかった。したがって常守は、直接コンタクトしてもトラブルにはならないだろうと判断した。

 グラフから窺えるのは、じりじりと色相が悪化し、やがて回復が難しい段階へと徐々に徐々にと追い詰められる様子であった。そして遂に回復不能であると悟った時、行方をくらましたのだ。回復の見込みのないとの色相診断に追い立てられるように、廃棄区画へと逃れて行ったのだろう。

 常守達が向かった茗荷谷の廃棄区画、そこは二十一世紀半ばの風景がそのまま残され、人々は建物の老朽化と戦いながら生活を送っていた。ある意味では楪いのりが活躍していた時代の風景が、そのまま残されている場所であるとも言える。これも因果なのだろうか。

 廃棄区画の入り口近辺の駐車場に、捜査車両を停車させた。そして情況と装備の申し送りをはじめた。

 

「ここからは、通信状態が悪くて私と六合塚さんのドミネーターが使えないかもしれない。だから二人とも電磁警棒(スタンバトン)を持ってください」

 ホルスターに収められたスタンバトンを、上着の下に装着し動作を確認する。スタンバトンの携行は、巌永にも許されていた。一番先に確認し終わったのが六合塚であった。

「準備は大丈夫よ」

「私も準備が出来ました」

「それじゃ行きましょう」

 

 常守と巌永そして六合塚は、かつて春日通りと呼ばれていた大通りの入り口から廃棄区画へと入っていった。区画を分ける緩衝地帯を通過すると、端末にブロックノイズが現れた。

 

「やっぱりここは通信環境が悪い」

 

 六合塚が端末で電波状況を確認しながら歩いていた。端末に目をとして周辺の注意が甘くなってしまったのであろう、六合塚の前を歩いていた巌永にぶつかってしまう。

 

「どうしたの巌永さん」

 

 巌永は突然立ち止まり、虚空を見る様な目つきになっていた。生気が感じられないとでもいう表情であった。六合塚の問いに対して巌永は少し遅れて反応した。

 

「いえ、ちょっと」

「こういう場所は初めて?」

 

 常守は心配になって巌永に尋ねた。

 

「そうですね……あまり近付いたことはないです……」

「引き返しますか?」

「いえ、大丈夫です。行きましょう」

 

 そう言うと巌永は再び歩き出した。常守はこの時、巌永は廃棄区画独特の雰囲気に当てられ、足が少しすくんだのかもしれないと思った。メインストリートに入ると人が多く、雑多な人や物が所狭しと存在していた。それは異国の風景を目の当たりにするような感覚にさせられる。普段の市民生活とは全く異なる風景であった。

 

 

 茗荷谷の中心近くにある、元アミューズメント施設の一室にその男はいた。

 

「おい、例の朝鮮人が置いていったスキャンプログラムに応答があるじゃねえか。どっかの公安の犬が、ドミネーター持ち込みやがったみたいだぜ」

 

 監視カメラの映像が並ぶモニターが、所狭しと並べられた一室にいたその男は、ワイルドツーブロックの髪型が特徴的で、雑に着こなした上下のスーツ、だらしなく喉元が開いたYシャツに、足下はエナメルの革靴という出で立ちだった。その靴を机の上に放り出し、ふてぶてしくソファーに深く腰をかけていた男が、面倒臭そうに側にいたもう一人の男へ話かけた。

 

「公安がここへ来るなんて久しぶりですね」

「こっちはこっちで統制とって穏やかに暮らしてるっていうのに、面倒くせぇな。外でやらかしたヤツを追ってきたのか?」

 

 指で合図し、もう一人体格のいい男を呼び出した。

 

「まあいい。お前らちょっと見てこい」

「うっす」

 

 指示役の男は二人の男に対して、モニターに映った三人に接触を図るように言った。男二人はダラダラと部屋を退出する。

 

「いいか、春日通りの南側だ。間違えるなよ」

 

 部屋を出て行った二人からは、返事が返ってこなかった。

 

「返事くらいしろよな。ったく」

 

 二人の大男は、指示を出した男の言うとおり、メインストリートの南側へとで向いていった。

 

 

 常守の後ろを歩いていた巌永の足が急に止まる。そして今度は常守の腕を引っ張った。

 

「巌永さん?」

「常守さん隠れて」

 

 巌永は常守の腕を引っ張りながら、ビルとビルの間の狭い路地に身を隠した。

 常守は訳もわからず巌永に路地へ押し込められた。六合塚が周辺を警戒しながら、その後に続く。

 路地へ入り、メインストリートを覗き込むと、あからさまにこの廃棄区画の仕切りをしているであろう風体の、体格の大きい男二人が腕に付けた端末を見ながら周囲を探っていた。

 

「あれは……人捜しをしている?」

「私達が刑事ってバレたんでしょうか」

 

 巌永はこの男達の存在に、いち早く気付いたのだった。そして巌永は常守と六合塚に対して言った。

 

「私が行きます。お二人は例の人物の所へ」

「一人で大丈夫ですか?本来は刑事課の人ではないのに、一人置いていくわけには」

「言ったとおり私は実態調査が専門です。人との接触には慣れています。私に任せてください」

 

 そう常守達に言い残すと、巌永はメインストリートに出て、風体の悪い二人に近付いていった。二人は端末で何かしらを捜している様子だった。そして端末と巌永の顔を交互に見て、何事かを話かけ始めた。巌永はその二人に対して臆することなく話を返していた。

 

「あんた公安の人間だろ?」

「それが何か?」

「ここのルールでね、余計な物持ち込まれちゃ困るんだ。ドミネーター持ってるだろアンタ」

 

 巌永は黙って男達の顔を睨みつけていた。

 

「ボディチェックさせてもらうぜ」

 

 そう言うと、男の一人が巌永の体をまさぐりはじめた。

 

「硬ぇ尻だなぁ」

「やめてください」

「へへっ、いいじゃねェか減るもんじゃなし」

 

 どうやらドミネーターの持ち込みをチェックしているらしい。

 そんなやりとりを男達と交わした後、巌永は常守の方を見た。見ていないで早くこの場を立ち去るようにめで合図を送っていた。

 

「行きましょう。相手はドミネーターの存在を気にかけているみたい。私達がいたらトラブルになる」

「私も気になるけど、あの様子だと大事にならないと思う。一応、彼女の端末と常時接続を続ける」

 

 六合塚は巌永の状態をできるだけリアルタイムでわかるように端末を調整した。そして常守は先を急いだ。目的は廃棄区画の情報屋とコンタクトを取ることであった。常守は密かに、廃棄区画の住人と少しずつ信頼関係を築いていたのだった。情報屋の存在もその一つである。

 複雑化している路地裏を常守は進んでいった。そして目的の場所へ到着した。目的の場所とは言っても路地裏であり、そこにはハンティング帽に作業服、スキットルで昼間から酒をあおっている男がいた。常守はその男に声をかけた。

 

「こんにちは。お久しぶりです」

「ああ、あんたか。今日はどうしたい。そっちの美人さんは?」

 

 常守とこの男は顔見知りであった。

 

「こちらは私の同僚です。今日のお願いなんですが、この人物を探してもらえませんか?」

 

 常守は情報屋に音楽教師の写真を見せた。そうすると即座にその教師の居場所が判明した。

 

「知ってるぜこの顔。この写真よりは若干老けちゃいるが、間違いない」

「本当ですか?」

「意外そうな顔してるなあ刑事さん。まあ、この町で音楽やっている道楽者は珍しいから大体顔を覚えていらぁ。有名人てわけじゃあないが、何処にいるかはすぐわかる」

「教えて貰えますか?」

 

 常守がそう言うと、情報屋は掌を上に向けて常守に差し出す。

 それを見た常守は情報屋に謝礼と煙草を一カートン手渡した。

 

「まいど。ヤツなら今この先のミュージックバーにいるはずですぜ」

 

 男は親指で通りに面したミュージックバーを指さした。

 

「ありがとうございます」

「ああ、あと刑事さんに忠告だ。あんまりドミネーターを持って歩かない方がいい」

「どうしてです?」

「ここを仕切ってる連中が、どうもドミネーターの逆探プログラムを持っているようでね。下手に通信すると場所を掴まれてしまいますぜ」

 

 男がもたらした情報に心あたりがあった。六合塚が細い声で呟く。

 

「だから、さっきの男達……」

 

 なぜ男達が突然現れたのか合点がいった。だがなぜ男は常守にその様なことを話したのか。

 

「どうしてそんな頼んでもいない情報を私に?」

「まあ、ちょっとサービスですわ。もらいすぎたんで」

 

 男は受け取った煙草のカートンを見せて言った。本当は煙草ではなく金と常守との関係の方が重要だったのだろうが、あえて煙草をもらいすぎたというジェスチャーをして、情報屋としての矜持を見せたのだろう。

 

「助かりました。忠告ありがとうございます」

 

 常守はそう謝辞を述べ、六合塚は会釈だけして、その場を立ち去った。

 

 

 ミュージックバーに行くと奥のテーブル席で、一人の男が酒を煽っていた。住民票から取得した写真に経年を考慮し、機械学習を用いた予想モンタージュを作成していた。その写真と、ほぼ一致する男の顔がそこにあった。

 常守は店の奥へと進み、その男に声をかける。

 

「あなたが、寒川尋乃さんですか?」

「あんたは?なぜ俺の名前を知っている?」

 

 常守はバッジをその男に見せた。

 

「公安局刑事課一係、常守監視官です。少々お話を伺えないでしょうか」

「公安局がなんの用だい?まさか色相が悪化したからセラピー受けろって訳じゃないでしょうね?」

「いいえ。ちょっと聞きたいお話があります。それを聞いてもらいたいんです」

 

 そう言うと常守は、自分の端末の画像を男に見せた。

 

「この顔に見覚えは?」

「刑事さんなんだいこりゃ?」

「ある容疑者の似顔絵です」

「今時珍しい。奇妙な事するんだな刑事さん……」

 

 次は六合塚が男に質問をする。

 

「あと、こんな歌を知ってますか」

 

 そう言うと、六合塚はまたEGOISTの歌を歌った。

 

「ああその歌、EGOISTの歌ね。そうか楪いのりかこれ」

「知ってるんですか?」

「だがここじゃな」

 

 昼間で人がまばらだとは言え、誰もが出入りできる酒場であった。先ほどの男達のこともある。刑事であることを周囲に知られるのはリスクがあった。

 

「家はすぐそこだ。付いてきな刑事さん達」

 

 男はそう言うと立ち上がって、机に酒代を置いて出口へと向かった。常守と六合塚はその音この後を追った。

 しばらく通りを歩きビル街を抜けていく。そして通りから少し外れた雑居ビルへ向かってていった。そのビルの一室が男の自宅であったのだ。

 男は自宅へと常守達を招き入れた。そこはエレベーターのない雑居ビルの三階で、元々は居住用ではなく、事務所などに使われていたと思われる部屋であった。部屋は何室かに分かれており、それぞれを使い分けているようであった。

 常守と六合塚は、応接室へと通された。そしてそこにあった来客用のソファーに座るよう促される。

 

「さてと、なんだって刑事さんみたいな人が、EGOISTに興味があるんだい?」

「ある事件でEGOIST関連の情報を集めています。あなたが昔、音楽教師をやっていた頃に、EGOISTの曲を生徒に教えていたと聞きました。何かご存じなのでは?」

 

 常守がそう言うと、男は目を閉じ、しばらく考えた後に立ち上がった。

 

「ちょっと待ってな」

 

 男は奥の部屋のドアを開けた。そして中で何か物を取り出す音がした。しばらくすると、古い玩具のドローンを持って帰ってきた。

 

「俺の婆さんの遺品だよ。五年前に死んじまったがね」

 

そう言うと男はドローンを机の上に置き、頭部にあたる部分のハッチを開いた。中は小物が入るスペースになっており、そこには様々な品々があった。ただしどれもさほどの価値は無さそうであり、男にとっての思い出の品であろうことは見て判断できた。そして男はその思い出の品の中から、一葉の印画紙にプリントされた写真を取りだした。

 

 

「婆さん結構アナログな人間でね。プリントされた写真なんて見たことあるかい?」

 

 そこには学生だろうか、制服姿の男女が何人か並んでいる姿が写っていた。

 

「これが楪いのりだ。一緒に写っている、眼鏡をかけているのがうちの婆さん。婆さんが女学生時代EGOISTは、当時の人気アーティストだったらしい」

 

 男は指で写真の顔を指して説明した。常守は固唾を呑んだ。所沢の矯正施設で見た顔と全く同じ顔が写っていたからだ。八十年近く前の写真である。心の中であり得ないと呟いていたが、重要な手がかりを手に入れたという喜びもあった。緊張で手が震えそうだった。

 

「ありがとうございます。こんな貴重な物を見せてもらって」

「貴重と言ってもらえて嬉しいよ。だが、残っているのはこの一枚っきりだ」

 

 男はなにか寂しそうにそう言った。そして常守に心情を吐露した。

 

「ショックだったよ。婆さんの好きだった物がことごとく色相を濁らせるからって、世の中からことごとく消されちまったんだと知った時は」

 

 常守は黙って男の言葉を聞いた。男は常守の言葉で何かを感じたのだろうか、ドローンに収められていた遺品をいくつか並べ始めた。その中に古い電子機器があった。

 

「あとこれだ。電源さえ入れば今でも見られると思うが、当時のメディアとプレイヤーも残されている。ミュージックビデオ見るかい?色相の保証はしないがね」

 

 それもまた、およそ八十年前から残されていた物の一つで、今とは規格が全く異なる古いビデオミュージックプレイヤーであった。

 

「お願いします。今は些細な情報でも欲しいと思ってますので」

 

「それなら」と男は電源ケーブルをミュージックプレイヤーに接続し、プレイボタンを押す。

 

「婆さんが死ぬまでは動いていたから大丈夫だと思うが、おっ映った映った。婆さん物持ちがよかったからな、七十年以上経っても動いたぞ」

 

 ミュージックプレイヤーに映し出されたのは、EGOISTのPVであった。透き通る歌声、ポップな曲調、映像技術も素晴らしかった。これが見た者の色相を悪化させるため、閲覧制限の処置がされた映像とは到底思えなかった。

 

「どうだい?この曲この歌、これのどこに色相を濁らせる様な要因があると思う?どういう判断で世の中から消されたのか、経緯がさっぱり明かされていない。そんな精神色相(サイコパス)ばかりに気を取られ、この世界の本当に価値のあるものを理解せずに消してしまう。狂ってるとは思わないか?」

 

 常守と六合塚はすっかりPVに見入っていた。男の言うとおり、色相を濁らせる要因が何処にあるのかわからない。シビュラが何を恐れたのか映像を見る限りは、判断できなかった。

 

「いや、狂ってるのは俺の方か」

 

 そんな二人の表情を見て、男はぽつりと吐き出すように一言を言った。

 

「正直私達にも、シビュラがなぜこれを禁止したのかわかりません。アーカイブ内には残されているようですが、許可を得ないと私達でも閲覧することができません。ですから、ほんの僅かな手がかりしかないというのが現状です」

「私もシビュラの公認アーティスト時代に、裏音楽としてEGOISTを知っているにすぎません、何か知っている情報があったら教えて頂きたいのですが」

「楪いのりが現れたって噂は聞いてるよ。EGOISTの曲がちょっとした流行歌になってるってのもな。娯楽ってヤツは軽々と社会の分断する壁を越えてくる。刑事さんから歌を聴かされて確信したよ」

「EGOISTの曲が流行歌に?」

「なんだ知らなかったのか。それはあんたらが見ようとしてなかった、聞こうとしてなかっただけだろ。見ようとも聞こうともしない人間には届かない。ましてやデジタル化されたアーカイブなんぞに頼ってるから、あんたら出し抜かれたんじゃねぇかな」

 

 そして常守は、ここに辿り着いた経緯を男に話した。街中に楪いのりが現れたこと、そして常守の友人がEGOISTの歌を歌っていたこと、その歌を主婦から教わったこと、さらにその主婦は男から歌を教わったという事を話した。

 

「どうやら刑事さん達の話を聞くと、詠み人知らずの歌として伝わってるらしいな。聞くかぎり容姿や、歌われた歌のメロディー、そのリリック、それは間違いなくEGOIST、間違いなく楪いのりだ」

 

 そして男は表情を硬くし、真剣な眼差しになって話を続けた。

 

「だが流れた月日を考えると楪いのり本人だとは到底思えない。最新のサイボーグ技術を使っているでもなければ、とてもな。俺にだってそれ位はわかる」

「では正体というか、誰がこんな事をしているのか、見当がつきますか?」

「さあね?正直に言うと正体なんかどうでもいい。ただ俺以外の誰かが、俺のように歌を伝えた。歌は歌い継がれる。それはこの公衆監視社会でも止められやしない」

 

 男は苦笑いを浮かべながらそう言った。

 

「ええと、ミームって言うんだったかなこういうの。教師時代に聞いたことがある」

「ミーム……」

 

 唐之杜もその言葉を使っていたのを思い出した。常守が考え込む仕草をしたのをみて、男は私見を言った。

 

「刑事さん、彼女は何か伝えたいんじゃないかい?この社会に。本物だとしても、偽物だとしても」

「EGOISTとしてのメッセージを伝えたいと?そういうことですか?」

「どうだろうな。本当のところはわからない」

 

 それは本心のように思えた。男はただEGOISTが好きなだけなのだろう。時代が許せば熱心な一ファンでいられたのかもしれないと、そう常守は感じた。

 

「ビデオはコピーしていかなくていいのかい?もっとも今じゃ半世紀も前のメディアから直接記録をコピーする手段はないから、映し出された映像をカメラに収めるって方法くらいしかないが」

 

 正直、手がかりとして非常に欲しいものであった。なんとか現物を手に入れたかったが、男の提案に乗った方が、話がまとまりそうであった。常守はその提案を受ける。

 

「是非撮影させてください」

 

 常守は携帯端末のカメラをビデオプレイヤーに向け、非常に原始的ではあるが映像を映しているプレイヤーを撮影することによって動画をコピーした。今回はこんな古い手段と何度も巡り会う。

 バックアップとして六合塚も携帯端末で撮影していた。そして撮り終わった画像を刑事課一係の共有フォルダに送ろうと思ったが、廃棄区画の深部であったため、サーバーにアクセスできずアップロードができなかった。

 

「通信環境が悪くて、共有フォルダにアクセスできない」

「しかたがないですね、私達が個人でこのファイルを保管しておきましょう」

 

 常守はそう言って、ローカルストレージ内に動画を保存して撮影を終了した。六合塚も同様に、自身の端末のローカルストレージに保存した。手元にあるコピーは今のところ、この二つの動画ファイルだけとなった。

 

「今回は捜査に協力していただき、ありがとうございました」

「いいってことさ。俺を訪ねてくる人なんざ誰もいやしなかったし、昔話ができて気晴らしになったよ。こちらこそありがとうを言いたい」

「いえ、そんな……」

 

 そして男は最後にこう言った。

 

「いいかい刑事さん。歌っていうのはドラッグの類じゃない。決して流通は止めることはできないぞ。そこんところを間違えたらいけない」

「ご忠告痛み入ります」

 

 男の言う事は確かであった。歌を歌い継ぐ、これは止めることができない。例えシビュラの力をもってしても、データ上にない現象を解決することはできないだろう。だからこそ刑事が動かされる。常守はその事を今、肌身で感じていた。

 そして用件を済ませた常守と六合塚は、男の部屋から立ち去った。

 

「巌永さんと早く合流しましょう。彼女が無事か気がかりですし」

「一応、合流ポイントは渡してあるので、そこへ行けばなんとか。無事だといいのだけれど」

「合流したら一度、オフィスに戻りましょう。長居は無用ですから」

 

 そして常守と六合塚は、巌永と合流すべく、そのポイントへと足を向けた。

 

 

――

「なあ、あんたこれで良かったのか。その子を引き渡した方が、良かったんじゃないか?」

 

 常守達が立ち去ったあと、男はそう手前の部屋のドアを開けながら言った。

 

「出て行くのか」

 

 少女は黙って頷く。そして消え入りそうな声で言った。

 

「あの人ならこの子を救えそうだから……」

――

 



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第八話

前回、最終回とお伝えしましたが、文章量が多いので2回に分けます。


 常守達がEGOISTに関する聞き込みを行っていたその頃、刑事としては霜月、そして二人の監察官、唐之杜と雑賀が、サイコハザード事件の中心にいた、サイマティックスキャン消耗症候群の人物を厚生省に呼び出し、任意で事情聴取を行っていた。あくまで任意であったが、シビュラからの出頭を勧められという形を取ったため、シビュラに従順な性質である彼らは、全員が素直に聴取に応じた。

 

「まさにシビュラの言いなりね。なんの異議申し立てもなく出頭してくるなんて」

「時代の申し子って感じだな」

 

 雑賀と唐之杜は取調室の様子をモニター越しに見ていた。カメラの向こうでは、霜月がまさに連続サイコハザード一件目の人物に尋問をしようとしていた。

 

『繰り返し同じ質問をするかもしれませんが、落ち着いて正確に答えて下さい。あと、サイコパス保全のため、ご自身の意思に反する供述は、する必要はありません』

『刑事さん、これはサイコセラピーの進捗状況の確認でいいのですよね?』

 

 マイクが取調室の会話を拾う。その様子は全て記録されている。

霜月は、質問をする前に、参考人から質問をされ返されたことに、内心で少し苛つきを覚えたが、彼女にとっては当然の権利でもあるので、あえてその気持ちを飲み込んだ。

 

『ええ、そうです。実は先日のあなたが巻き込まれたサイコハザード事件は、当初考えていた情況よりも広範囲に及んでいたため、念のために現在の情況について教えていただきたいのです』

『お名前と年齢、生年月日を教えてもらえますか?』

『朝倉まなみ、二十七歳、二○九○年八月十日です』

『現在はどんなセラピーを受けていますか?』

 

 霜月は聴取を淡々と進めていった。当日の行動、どのような経過を辿ってあの場所にいたのか、

その様子を別室の雑賀と唐之杜が逐一観察していた。

 

「ふむ。嘘は言ってないようだ。もっともシビュラの言いなりになりすぎていて、彼女の自発的意思というものが薄い。バイタルサインは?」

「こっちも異常なし。でも変ねぇ、色相の変動が微弱すぎるわ。うーん……」

 

 唐之杜はリアルタイムで表示されるバイタルサインを見つめながら、何か釈然としないものを感じているようであった。

「脈拍、呼吸、体温、血圧、サイコパス、どんな質問が来ても安定している。安定というか、変動値がすごく少ないというか」

「変動値を微分してみたら何か見えないか?」

「ちょっとまって……ダメね、微分した所で全くピークが見えてこない」

「それはそれで奇妙だな。ずっと同じで変化がない。緊張やストレスによって、少しは何かが変わるはずだが」

「やっぱりちょっとひっかかる」

 

 唐之杜は現れるバイタルサインに、異常が無さ過ぎることに対して違和感を覚えた。これは「医師としての勘」としか言いようがないものであった。

 唐之杜は自らの医師としての勘に従うことにした。即座に取り調べをしている霜月に内線を繋ぎ、用件を手短に伝えることにした。

 聴取の最中だった霜月は、唐之杜からのコールが入ったため、一端途中で話を止める。そして呼び出しに応えた。

 

『はい、霜月です。何か問題がありましたか?』

「いいかしら、美佳ちゃん。CTスキャンとMRIの用意をしましょう」

『今すぐにですか?』

「そうよ。参考人の脳をスキャンしたいの。至急ラボまで連れてきてもらえないかしら?」

『ちょっと待ってください。一回離席します』

 

 内線の内容から、話を参考人に聞かれるのは、まずいのだろうと思った霜月は、参考人に対し、電話をするために一度離席する旨を伝えて、一端取調室を離れた。

 

『それで、そんなに急ぎになる問題が、見つかったんですか?』

「問題が無いのが問題。彼女はなんらかの身体的な秘密を抱えていると思うの。お願い」

『秘密?』

「そう、それが今回の事件の重要な鍵になるかもしれないわ」

 

 唐之杜のいつもとは違う緊迫した声色に霜月は、唐之杜の申し出には事件解決に結びつく手がかりがあるのだと察知した。

 

『わかりました。彼女になんて説明すれば?』

「事情聴取により色相に気になる点が見られたから、メンタルケアを施すための検査をする、って言えばいいわ。嘘は言ってないから」

『確かに。それじゃ分析室まで連行、じゃなかった、同行してもらうように言いますね』

「頼むわね」

 

 霜月は内線を切り、取調室に戻る。霜月は参考人に対し、唐之杜が話したようにメンタルケアのための検査が必要であると伝えた。参考人は特に異議を申し立てる訳でもなく、霜月の言うとおりに検査に同意した。

 あっけなく参考人の同意を得た霜月は、検査機器のある分析室まで参考人を連れて行った。

 分析室に到着すると、参考人はすぐに検査室へ通され、はじめにCT検査を受けることになった。唐之杜は参考人に検査内容を説明し、インフォームドコンセントを取ってから検査に入った。

 

「気分が悪くなったら、いつでも言ってくださいね。少しの間、体を動かさないようにしていてください」

 

 唐之杜はCTのコントロールルームから、参考人にマイクを通して声をかける。

 

「今から機械を動かしますので、機械に挟まれないように注意してください」

 

 コントロールルームには唐之杜の他、雑賀と霜月も同席して、検査を見守っていた。そしてモニターにCTのスキャン画像が次々と送られてきた。

 そのスキャン画像を見た瞬間、唐之杜の垂れ下がり気味の目が大きく見開いた。

 

「驚いた……これは現在の脳の状態をスキャンしたものよ……」

「コイツは……脳の萎縮じゃないな?」

 

 それは専門家でなくても判るほどの、脳の異変であった。

 

「一端大きくなって縮んだ萎縮ではなく、ここだけ成長が止まっているような感じね」

「ふむ、まるで誰かの脳を移植したかのようだな」

 

 映し出されたスキャン画像には、脳の一部がまるで縮小コピーしたかのように小さくなっているのが、映し出されていた。

それは、全く医学の素人である霜月でも、一瞥してわかる変異であった。

 

「こんな事があり得るんですか?」

「あり得ない。だから原因を解明しないと。おそらく連続サイコハザード事件の手がかりになるはずよ」

 

 唐之杜の目の色が変わったのが、言葉遣いや機械を操作する仕草で誰の目にも明かであった。

 

「サンプルを採取したい。私のカンが正しければ、これはこの人の元々の脳ではないわ」

 

 より詳細なデータを得るためには、生研が必要であった。容疑者でもない人物の体に、傷を付けると言う事を意味する。雑賀はそれを、唐之杜に確かめるように聞いた。

 

「とは言え、侵襲性の高い検査が必要になるな。患者でもない人間にそれを施すのは、倫理的問題があるぞ」

「そうね、これは少なくとも監視官権限、あるいはそれ以上の権限からの命令が必要だわね」

 

 そう言って、唐之杜は霜月の顔を見た。霜月はややバツが悪そうな顔をしたが、目の前のスキャン画像を見て、これを放置しておけないのは明かだった。誰かが捜査の責任をとらなければならないのは、十分にわかっていた。

 

「……わかりました。私が局長にかけあってみます。少し時間をください」

「悪いわね美佳ちゃん」

「いえ、仕事ですから。参考人には別室で待機してもらって、その間に局長の判断をもらいます」

「無理なら参考人を帰しちゃう?」

「いえ、無理を押し通します! ここは私がやるべき事をやる場面です!」

 

 霜月は、唐之杜にそう強く断言した。元々シビュラの正当性を、証明することが求められていた事件である。強気に出ないといけない場面であると霜月は考えていた。

 

「私が禾生局長に、この件に関する許可を直接かけあっててきます」

 

 霜月はこの件を局長に直談判し、その場で許可を得るつもりでいた。そう決めたが早いか、検査が終わったら参考人を待機させておくように唐之杜と雑賀に伝え、分析室をあとにした。

 

「あーらら、頼もしくなっちゃって」

「いっぱしの刑事になっているじゃないか。刑事課の女神さまのおかげかな?」

「今おだてても何も出ないわよ」

 

 霜月が戻ってくるまでの間、参考人はMRIによって精密な脳の検査がされ、色相も最高レベルの精度で測定がなされた。

 そして生研で問題になるような脳の腫れや、常用している薬剤に出血性の副作用が無いことなどを確認し、検査の準備を整えていった。

 

 

 一通り、参考人の非侵襲性の検査を終えた頃、霜月が分析室に戻ってきた。

 

「許可が下りました。局長命令です」

「ありがとう美佳ちゃん。参考人には私から説明するわね」

 

 そう言って唐之杜は別室で待機していた参考人の元へ向かう。

 唐之杜は参考人に対し、メンタルケアのための検査を行っていたところ、重大な変異が見られたこと、その原因を確かめるためには、脊髄から髄液のサンプルを採取する必要があることなど、丁寧な説明をした。そして参考人が質問をする。

 

「じ、時間はどれくらかかるんです?」

「局所麻酔をかけたあと、十五分ほどかけて髄液を採取します。そのあと念のため二、三時間ベッドで安静してもらって、問題が無ければそのまま普段の生活に戻っていいです」

「それじゃ入院する必要はないんですね? よかったぁ。サイコセラピーよりも短そう」

「検査は安心して、私達に任せてください」

 

 唐之杜はそうやさしく話しかけると、処置台に参考人を寝かせた。医療ドローンが局所麻酔をかけ、脊髄から髄液を採取する。その様子を、静かに唐之杜は見守っていた。

 問題なくサンプルが採取されると、唐之杜は参考人を別室のベッドへと案内し、安静にするように言って部屋を出た。かわりに看護のために、看護ドローンが一体、参考人の部屋へと入る。

 分析室に戻ってきた唐之杜は、霜月に意見をすることにした。事件解決の手がかりは、おそらくこの脳の異変だろう。早急に掘り下げるべきであった。唐之杜は霜月に、捜査の日程を聞いた。

 

「他の参考人聴取の予定は?」

「今日は残りあと三人、他の三人は明日聴取の予定です」

「今日中に残り全員を調べたいわ。残りの参考人に出頭要請を出せないかしら」

「そんなに急ぎで?」

「正直、事情聴取ではろくな証言が取れないと思うわ。それよりも全員の脳の状態を確かめたいの。こんな大チャンス逃す手はないわ」

 

 時間が経てば、参考人に問題が生じるかもしれない。そう考えると調べられるなら、予定を繰り上げてでもやるべきであった。

 

「美佳ちゃんは、残りの参考人の聴取、予定を早めてやってもらえないかしら?」

 

 霜月はしばらく考えた後、答えを出した。

 

「わかりました。捜査に必要なことなんですね?」

「もちろんよ」

「結構大変ですが、一応形式どおりの聴取をしてそれから検査という流れでいいですか」

「それでやってちょうだい。大仕事よ」

 

 唐之杜からそう意見具申された霜月は、さっそく参考人にアポイントを取るため、いったん一係のオフィスへと戻っていった。

 分析室では、唐之杜が急いで参考人の人数分、生研の検査をオーダーしていた。必要な器具と医薬品、医療ドローンを手配する。唐之杜はそれらを入力するため、端末をせわしなく動かしていた。

 それを見ていた雑賀は、唐之杜に声をかける。

 

「採取した髄液をどうするんだ?」

「髄液からDNAを分離して、メタゲノム解析をするつもりよ。私の医者としてのカンが正しければ、驚く結果が出るはずよ」

「ならさっそく手配しよう」

 

 雑賀は採取されたサンプルを、次世代シーケンサー(NGS)を用いたDNA解析へと提出するため、その手続きをはじめた。

 こうして分析室は、にわかに活況を帯びていったのであった。

 手続きを進めている間に、次の参考人が出頭してきた。霜月が連絡をして予定を早めて出頭するように伝えたのである。事情聴取は霜月に任せて、一通り形式的な聴取を終えた後に、分析室へ参考人を連れてくるように伝えてあった。

 そして、聴取を終えた参考人が分析室に来た。一人目と同様に、CTとMRIによる脳のスキャンをはじめた。

 映し出されたのは、やはり脳の一部が縮小コピーされたような画像であった。

 

「これは、金脈を掘り当てたわね」

「一人目と場所が違うな?」

 

 雑賀は脳が縮小している部分が、一人目と異なった場所であることに気が付いた。

 

「何らかの理由があって、こんな事になっているのよ。やっぱり、全員のサンプルを集めるべきね」

 

 それを見ていた霜月は、十分に急を要する事態であると認識し、残りの参考人の出頭を早めるよう、手配をする事にした。

 

「やはり急がないといけないみたいですね。素人目にも、この事態の原因を早めに解析した方がいいと言うことが、わかりますし。参考人とは、私が交渉します」

「悪いわね、美佳ちゃん。負担ばっかりかけちゃって」

「いえ、やっと私の出番が増えた所なので、頑張りますよ。先輩にばかりに、いい思いはさせませんて」

「あら? 言うじゃない」

 

 そう言って唐之杜は笑った。最近の霜月は常守の補佐役からすっかり脱して、一人で事件を解決するまでに成長している。そろそろ自分中にある霜月の評価も、常守と同等にするべきだと考えた方が良さそうだった。

 霜月の手配もあって、その後の参考人の調査と検査を、全て同日に済ませることが出来た。

 唐之杜は、最後の聴取を終えて分析室に来ていた霜月に、声をかける。

 

「美佳ちゃんお疲れ、今日はもう上がっていいわよ」

「そうさせてもらいます。流石に七人はキツいですよ」

 

 霜月の顔は、明らかに疲労の色を示していた。そばかすがある頬の上に、目の隈がはっきりと現れていた。

 

「美人が台無しになるから、ほらさっさと帰った。データの整理は私がやっておくから」

 

 そう言って唐之杜は、霜月を分析室から追い出すように退出させた。そして、あらためて今日撮影された参考人のCTとMRIの画像を並べてみた。

 並び終えた画像を見た雑賀は、驚きの表情を隠せなかった。そして全てを察した。

 

「コイツは驚いたな……」

「ええ、この結果を次の捜査本部の会議でみんなに話しましょう」

 

 唐之杜は分析官として、この結果を速やかに捜査本部で発表するつもりだった。

 

「今夜は資料作りで徹夜かしらねぇ……」

「私も手伝うから、君は切りのいいところで切り上げればいいさ」

「あらそう? じゃあお願いしちゃおうかしら」

「NGSの解析は私が担当しよう。少し現場を離れていたが、それくらいはできるよ」

 

 唐之杜はそんな軽口を叩きつつも、端末を操作する手を休めず、今日の結果を取りまとめていた。

 そして分析室の夜はふけていった――

 

 

 後日、捜査本部の合同会議が開かれた。常守達はEGOISTに関する手がかりを、霜月と唐之杜達は事情聴取、そしてその結果参考人の脳を調べた事、雛河と三係の一員は映像解析の結果を、それぞれ発表する事になっていた。

 まずは、唐之杜が合同会議の口火を切った。

 

「先日のサイマティックスキャン消耗症候群患者を、参考人として事情聴取したのだけれど、その際に彼らの脳に共通する異常が見つかったの。これを見て」

 

 プロジェクターに、先日事情聴取をした参考人の脳の画像が一覧となって現れた。会議室にどよめきが起こる。

 

「見てのとおり、彼らの脳は一部が他人と入れ替わっている。そういった外科手術を施された形跡があったわ」

 

 唐之杜は、さらに続ける。

「そして、この移植された部分を合わせると、およそ一人分の脳が出来上がることがわかったのよ」

集まったメンバー全員が、驚きの表情を浮かべ、それぞれが何かを考えているようであった。その反応を見た雑賀は、錯綜する思考を一纏めにしようと考え、声を上げある言葉を言った。

「こう並べて見ると、まるで八識だな」

「八識ってなんです?」

 

 一番前の席にいた須郷が、学校の授業で質問をするように手を上げながら、雑賀に尋ねた。

 

「八種類の意識作用のことだ。仏教用語だよ。眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識の八種類。まあ色々な感覚を分けると、八種類になるという概念だな」

「つまり、この入れ替わっている部分が、脳の感覚ごと別々になっているって事ですか?」

 

須郷が更に質問を続けた。

 

「ざっくりと味覚が入れ替わった、嗅覚が入れ替わったような感じだな。まあそんな感じで、感覚を感じる部分を狙って入れ替えが行われているように見える。本当のところは、これを施術した人間から、聞き出さないといけないがね」

 

 そう言って雑賀は、持論を簡単に説明した。

 

「続けてもいいかしら?」

 

 須郷と雑賀の質疑終わった後、唐之杜は参考人の脳の説明を再開した。

 

「これが本当に、他人の脳を移植されたものかどうか確認するために、髄液を採取したわ」

「よくそんな背骨に針を入れるような検査を、上が認めましたね」

 

 三係の波多野が、嫌味っぽく茶々を入れた。それに答えたのは霜月だった。

 

「サイコセラピーの名の下に行えば侵襲性の高い検査も容易に認められる。精神の安定こそここの社会で最も重んじられることだから。その話は、ここではよしなさい」

霜月はそう一喝して話を元に戻そうとした。それを見た唐之杜は解説を続ける。

「続けるわよ、髄液からミクログリア細胞を採取して、DNAを抽出、NGSで解析した結果、二種類の人間のゲノムが検出された」

今まで黙って座っていた常守が。声を出した。

「それってつまり」

「つまり参考人には正真正銘、他人の脳が埋め込まれているってこと。NGSのリードの深度の比率は、入れ替えられた脳の比率と一致する。そして二種類のゲノムのうち片方は全く同一。結論を言えば、誰か一人の脳が分解されて、サイマティックスキャン消耗症候群患者の脳に、移植されているってこと」

 

 宜野座はその説明を聞いて、思ったことを口にする。

 

「それじゃ出所は一カ所しかないってことか」

「そう、この施術ができると場所は、元を正せば一つしか考えられないわ」

 

 常守が尋ねる。

 

「それはどこですか?」

「血液脳関門研究所よ」

 

 唐之杜が短く答えると、会議室にざわめきが起こった。まさに楪いのりの事件に関して、捜査の対象にしようと考えていた研究所だからだ。事件の繋がりが見えてきた。

 

「どうして、最初の洗い出しで血液脳関門研究所が、ひっかからなかったのかしら?」

 

 六合塚が、素朴な疑問を口にする。

 

「彼らはそれぞれ別のクリニックで治療を受けていたのよ。実のところそれらのクリニックは一つのグループ会社で、一つの会社が別名義でクリニックを開いている様な物だった。出資元まで遡らなかったのが見落とした原因。その出資元が血液脳関門研究所と同じ東金財団と帝都ネットワークグループ、とここまで言えば、おおよそ関連は掴めたも同然でしょう」

 

 それを聞いた常守は、懸念を口にする。

 

「しかし捜査に入ろうにも、具体的な容疑が無い……」

 

 ここにいた一同が感じていた、歯がゆさだった。場の空気が沈む。それを察した唐之杜がいったん話を切る。

 

「分析室からはこれくらい、あとは映像解析の結果と、聞き込みの結果ね」

 

 唐之杜はそう言って、いったん壇上から下がり、映像解析を行っていた雛河達に司会をバトンタッチした。

 壇上に上がった雛河はおどおどとしながら、一言を放った。

 

「映像解析の結果……ですが……何もわかりませんでした……」

「はあ? 何を言ってるの? 何もわからなかったじゃないでしょう!」

 

 霜月が思わず声を荒げて叫んだ。それでは捜査が手詰まりになってしまう、そんな苛立ちが思わず声となって出たのだ。

 

「な、何かを見落としているとは思っているのですが……それが何か掴めなくて……」

「三係の応援も、全く役に立ってなかったって言うの?」

 

 そう言った霜月に対し、三係の堂本が抗弁する

 

「そうは言うがな、霜月監視官、記録された物を全部洗い出すだけでも、四人じゃ足りないぐらいだ。もっと人を増やすかなんかしてくれ」

 

 霜月は、キッと堂本を睨みつける。そのやりとりを見ていた常守が、二人の間に入った。

 

「まあ落ち着いて。私達聞き込み班は仕事が終わったから。映像解析のサポートに入れるわ。それでいいでしょう?」

「……それならいいですけど」

 

 霜月は常守の提案を渋々と受け入れた。映像解析も重要であったが、聞き込みや参考人の方から情報が得られる可能性が高いこともわかった。重点はそちらに置いた方が、事件解決に繋がる、そう考え納得したのだ。

 

「次は、私の番ね。EGOISTの歌について、聞き込みを行った結果を報告します」

 

 常守がそう言って、雛河と変わって壇上に立とうとした、その時であった。会議室に自動音声のアナウンスが流れた。

 

[[エリアストレス上昇警報、江東区新木場一丁目血液脳関門研究所、規定値超過サイコパスを確認、当直監視官は執行官を伴い現場に急行して下さい。繰り返します、エリアストレス上昇警報……]]

 

「なんだと!」

「なんてタイミングだ!」

「よりにもよって!」

 

 各々が驚きの声を上げる。そしてすぐさま、常守が指揮を出す。

 

「会議は中止です! 刑事課一係は現場へ急行します!」

 

 急ぎ指示を出す常守を見て、波多野は肩のストレッチをしながら、半ば会議終わった開放感から、独り言を言った。

 

「俺らは留守番か」

 

 常守は、捜査に協力してもらっている三係にも指示を出す。

 

「三係のみなさんは、引き続き映像解析の方をお願いします」

「へーい、いってらっしゃい」

 

 芳賀が、半分ふざけながらそれに答えた。

 こうして慌ただしく一係は現場へと急行するため、会議室を飛び出していった。

 一係が抜けて静かになった会議室で、残された唐之杜が誰に向けたでもない言葉を言う。

 

「グッドタイミングとしか言い様がないわね」

 

 

 現場へと急行する一係は、セダンタイプのPCに監視官、常守、霜月、巌永が搭乗し、執行官らは護送車に搭乗、現場へと向かっていた。

 

「今回は巌永さんにもドミネーターを使ってもらいます。コールサインはシェパード3。それで指示に従ってください」

「わかりました。使い方は訓練してきましたから」

「それでは、頼みます。美佳ちゃんも彼女のサポートをお願い」

「わかりました先輩」

「現場で何が起こっているのかわからない、今までの例から考えると大混乱に巻き込まれるかもしれないので、気を引き締めていきましょう」

 

 サイレンを鳴らしながら、首都高を十五分ほど車で走って血液脳関門研究所ヘと辿り着いた。

 門の手前で車を停車させ、一斉に降車する。外はエリアストレス警報が出ているとは思えないほど静かであった。

 

「何か妙な胸騒ぎがする。皆さんドミネーターの認証をすぐ行ってください」

 

 ドミネーター運搬用のドローンの貨物庫が開き、一係の全員が自分のドミネーターを手に取った。須郷と宜野座には強襲型ドミネーターが渡される。ドミネーターはすぐに認証シークエンスに入り、それぞれの生体データを認証し機動状態になった。

 

「これから研究所に突入します。中で何が起こっているのか全く分からない状態です。全員お互いのサポート忘れずに。二班に分かれましょう」

「裏手からは私が行きます」

「コールサインはいつものとおりで。巌永さんがシェパード3。シェパード3は私と一緒に来てください」

「了解です」

 

 組み合わせはシェパード1常守、シェパード3巌永、ハウンド3須郷、ハウンド4雛河で一班。シェパード2霜月、ハウンド1宜野座、ハウンド2六合塚が二班、となり二組で挟み撃ちにする作戦であった。

「それでは突入開始」

 

 常守が静かに口火を切った。霜月達が研究所の裏手に回った頃を見計らって、常守達の班は正面玄関から突入を開始した。

 

「あんたら誰だ!」

 

 常守達に気付いた、研究所の警備員が叫ぶ。

 

「入ってくるな!」

 

 そして両手を大きく開き、大の字になって常守の行く手を阻もうとした。

 

「厚生省刑事課です! この研究所でエリアストレスが上昇しています! 中を調べさせていただきます!」

「今入ったらダメだ!」

 そう叫び、警備員は警棒を取りだし、常守に向かって構えた。

 

《犯罪係数101.5ノンリーサルパラライザー》

 

 雛河が警備員に向けたドミネーターは、乾いた指向性音声で犯罪係数を伝えた。そして雛河は静かにドミネーターの引き金を引く。

 

「ぐああああああ!!!!」

 

 青白い光線と共に、警備員が悲鳴を上げてもんどり打って倒れた。

 雛河の後ろで、パラライザーの命中を確認した須郷は常守に呼びかけた。

 

「先を急ぎましょう」

 

 急ぎ足で常守は、倒れた警備員の横を通り過ぎていった。他のメンバーもそれに続く。

 そして研究所のロビーから研究室へ分かれる廊下に到達したその時、常守は何かに気付いた。そしてドミネーターを構え、一つの研究室の扉を開けた。

 扉を開くと中に研究所の所員が何人かいて、一様に驚きの表情を浮かべていた。

 

《犯罪係数102.8ノンリーサルパラライザー》

《犯罪係数110.7ノンリーサルパラライザー》

 

 常守と巌永のドミネーターが、中にいた犯罪係数を読み上げる。ドミネーターを向けられた研究員は体が硬直し、動けなくなっていた。

 その隙に、他の所員にもドミネーターを向けた。読み上げられた数字はいずれも100を超えて、執行対象者となっていた。

 

「これは、ここの所員にサイコハザードが起こっているって事?」

「どうやらそうみたいですね」

 

 常守と巌永が、背中合わせにコンタクトを取る。

 

「うっ……撃たないでくれ!」

 

 動きが固まっていた所員の一人が、手を上げながら言った。

 

「ここの管理者はどこだ!」

 

 須郷がその研究員に問いかけた。

 

「そ、その廊下の奥だ……」

「執行は取りやめます! そこへ案内してください!」

 

 それを聞いた常守は、その研究員を案内役にする事にし、執行は行わなかった。ドミネーターに引き金がついているのは、執行の最終的な決断を刑事に任せると言う意味でもある。執行を取りやめた方が、捜査がスムーズに進む場面も多いからだ。今がその時であった。

 

「あ、あの、刑事さん、あの歌を止められませんか?」

「歌?」

 

 常守はその言葉で、嫌な予感が起きた。またしても歌。常守の耳は何かを捕らえた。

 

「そう言えばなにか聞こえるような……」

 

 須郷が、耳を澄ませる様な仕草をし、音のする方向を探ろうとしていた。雛河もその真似をする。

 

「確かに……すごく遠くから聞こえるような気がする……」

 

 雛河は耳に手を当て、音のする方向を探る。

 

「ぼ、僕にも聞こえる……遠くの音」

 

 常守も音のする方向を探していたが、どの方向から聞こえてくるのかわからなかった。

 

「そうね……どこから聞こえてくるのかわからない遠い音……」

「……私にはさっぱり」

 

 巌永には聞こえていないようだった。

 その様子を見て、手を上げたままになっていた所員が常守に話す。

 

「あ、あの歌を止めてくれなければ、私達は色相がクリアにならない」

「それは後にしてください! 今はここの責任者の居場所が重要です!」

「わ、わかりました……案内します……」

 

 常守達は所員に方向を聴きながら、研究所の奥へと進んでいく。階段を二階上がり踊り場で待機した。

 そして須郷は慎重に曲がり角から、奥の部屋の様子を見た。

 

「この奥の部屋には何がある?!」

「そこは手術室で……民間用の犯罪係数が測定できるサイマティックスキャナーが……ある……」

「民間用だと?」

「ちゃ、ちゃんと厚生省からの認可が下りている……だから問題ない!」

 

 常守は、興奮気味の研究員を窘める。

 

「今はその話はやめましょう。研究用に機能を制限したスキャナーがあることは聞いているわ」

 

 そうしている間に、須郷は目視で人影がないことを確認し、廊下に出て手術室の扉へ向かって強襲型ドミネーターを向け、部屋の中をスキャンした。

 

「強襲型ドミネーターの遠隔スキャンで、手前の前室に五名、奥の手術室に五名人物を確認、うち九名の犯罪係数が100オーバーで執行対象です」

「執行対象が多いわね。二班が合流してから、突入しましょう」

 

 ここで常守は霜月と無線で交信した。

 

「シェパード2、状況は?」

『こちらシェパード2、執行対象者を3名執行、現在責任者がいると思われる、手術室に向かっています』

「シェパード2こちらは手術室前に到着。合流した後、突入を開始します」

『シェパード2了解』

 

 通信を終えてから、数分後に霜月達が到着した。全員がドミネーターを構え、突入の準備を終えた。

 

「突入します!」

 

 常守の号令のあと、六合塚が扉の取っ手に手をかける。

 

「扉を開けるわよ!」

 

 まずは手術室の前室にいた五人の執行を開始した。

 

「うわっ」

「こいつら!」

 

 一係に気付いた研究員らが、常守達に向かってくる。その五人をまとめて、宜野座が強襲型ドミネーターで執行する。全員同時にパラライザー命中し、五人が一気に床に倒れた。

 そして手術室の扉を蹴破ると同時に、歌が流れ込んできた。

 

「楪……いのり……」

 

 常守は三度目となるその少女の顔を、はっきりと確認した。反射的に楪いのりへ、ドミネーターを向けた。

 

「ダメ!」

 

 常守の腕を掴んで、それを止めたのは巌永だった。

 

「どうして!?」

 

 その一瞬、常守が目を離した隙に楪いのりは消えていた。

 

「き、消えた……?」

 

 またしても、楪いのりは忽然と姿を消し、代わりに一人の少女が残されていた。

 その少女に、常守はその顔に見覚えがあった。忘れようがない。

 

「あなたは……茅間芽衣さん?」

 

 名前を尋ねると「うん」と少女は頷いた。

 それを確認した常守は、手術室にいた男に言う。

 

「これはどういう事情か、聞かせて貰います。それからサイコハザード事件の証拠として、この研究所の資料を押収、家宅捜索も入れます。これからは、刑事課の指示に従ってください」

 

 その言葉に観念したように、男は頭を垂れた。

 

 

 研究所には、既に多くの鑑識ドローンが到着していた。資料の押収も進んでいる。常守は茅間芽衣を保護し、刑事課の車に乗せた。

 

「悪いけど美佳ちゃん、この子を連れて厚生省のオフィスまで帰ってくれるかしら。私はまだしばらく、こちらで現場の指揮をするから」

「了解しました。先輩、くれぐれも無茶をしないでくださいよ」

「わかってるわ」

 

 常守は霜月に茅間芽衣の身柄を預けると現場に残って、現場検証の指揮を執った。

 霜月は芽衣を車の助手席に乗せて、シートベルトをかけた。

 

「少し我慢してね。すぐに車を降りられるから」

 

 芽衣は黙って頷く。それを見た霜月は、助手席のドアを閉めると反対側に周り、運転席に着く。ナビのホームボタンを押し、厚生省の庁舎までの道順をインプットした。そして自動運転で車が走り出す。

 

「気分が悪くなったら言ってね」

「うん」

 

 芽衣は助手席で不安げな顔を浮かべていた。次に霜月が芽衣の顔を確認したときには、助手席に座ったまま眠っていた。

 

「疲れているんでしょうね」

 

 その時はただ疲れて眠っているだけなのだろうと、霜月は考えていた。身体検査もあるので、分析室のベッドで休ませてあげよう、ただそれだけを考えていた。寝顔は穏やかで、普通の子供と何ら変わらない。こんな子が、生まれたときから矯正施設に入らなければならない、先天性潜在犯とは、とても思えなかった。

 

 

 霜月は厚生省の庁舎に戻ると、芽衣を抱き抱えて分析室の検査室にあるベッドまで運んできた。芽衣をベッドに寝かしつけると、霜月は自身のドミネーターを取りだし、犯罪係数を測定した。

 

《犯罪係数12.8。執行対象ではありません。トリガーをロックします》

 

 ドミネーターは指向性音声で、犯罪係数を伝えてきた。

 

「どういうこと? 矯正施設の資料からは、常に100を超える犯罪係数が測定されていたはずなのに」

 

 霜月は実際の測定値との違いの原因がわからず、しばらく考え込んでいた。

 すると、芽衣が目を覚ます。

 

「ここは……」

「ここは厚生省刑事課の分析室。ここは安全だから大丈夫よ。安心して」

 

 霜月は声のトーンを抑え、なるべく安心できるようゆっくりと話した。芽衣が覚醒したことを確認した霜月は、検査室の扉を開け、唐之杜に話を持ちかける。

 

「なぁに? 美佳ちゃん」

「彼女の事情聴取を、ここでやりたいと考えています。記録をお願いできますか」

「いいわよ。ついでにあの子の身体検査もしちゃいましょう」

「お願いします」

 

 霜月は検査室に戻ると、ベッドサイドにパイプ椅子を置き、そこに座って寝ている茅間芽衣に質問をしていった

 

「名前を教えてくれる?」

 

 霜月の声は穏やかで、相手の年齢に配慮しているのが窺える。

 

「茅間芽衣です」

「歳はいくつ?」

「十歳」

 

 非常に簡単な質問からはじめた。

 

「ねえ、お姉ちゃんのお名前は?」

「私?」

「私は、霜月美佳」

「みか? じゃあみかんおねぇちゃんだ」

「えっ、みかんお姉ちゃんって……」

 

 霜月は唐突に渾名を付けられたことに戸惑いを覚えた。だがこれは子供が親しみを込めるため、よくやることである。霜月はその渾名を受け入れた。

 

「いいわ。みかんお姉ちゃんと呼ばせてあげる」

 

 霜月は笑いながらそう言った。

 こうして霜月と芽衣は打ち解け、言葉を交わすようになった。

 

 

 その様子を唐之杜と雑賀が、分析室のモニター越しに見守っていた。

 

「どう思うね?」

「そうねぇ、この子がサイコハザードの中心にいたとすると、やはりサイマティックスキャン消耗症候群なのかもしれないわね。犯罪心理学的に、何か特徴とか感じなかった?」

「この程度の聴取のやりとりではなあ、断言できるものはないな」

「そうよねぇ……」

 

 唐之杜も、参考人が未成年では、事件解決に結びつく証言が出るとは思えなかった。

 

「この子の身体も調べてみなくては、いけないわね」

 

 ちょうど検査室のベッドの上には、簡易検査のためのスキャナーがあり、それを使って、芽衣の脳を簡易スキャンする事ができる。CTやMRI程の精度ではではないにしろ、脳の状態を調べることが可能だった。

 唐之杜はその簡易スキャナーでスキャンし、送られてきた脳の画像を見た。それを見た瞬間、唐之杜は驚愕した。

 

「ああ、なんてこと! この子の脳は人間の脳ではないわ!」

「なんだ……こりゃ……」

 雑賀が見ても完全に異常な状態だった。

 

「機械的な……何かね」

 

 唐之杜はすぐに立ち上がり、検査室へ向かった。

 

「美佳ちゃん、急いで血液脳関門研究所の押収した資料をちょうだい。それと、血液脳関門研究所の所長の事情聴取をすぐに手配して」

「何かあったんですか?」

「何かあったなんてもんじゃないわよ。こっち来て」

 

 そう言って唐之杜は、分析室まで霜月の手を引っ張って連れてきた。本能的に、霜月の腕を掴んでいたのである。

 霜月はモニターに映された画像を見て、唐之杜と同じく驚愕の表情をした。

 

「なんですか……これ……これがあの子の脳だって言うんですか!」

「そうよ。あの研究所で行われていた研究の結果だと思うわ。だから押収した資料の解析が、大至急必要になったの。美佳ちゃんはすぐに事情聴取を。これは大仕事よ」

「すぐに手配します!」

 

 霜月はそう言うと、一度検査室に戻って芽衣に断りを入れ、そして一目散に一係のオフィスへと走って行った。

 

 

 霜月はサイコハザードの重要参考人として、血液脳関門研究所の細谷介延の出頭を求めていた。細谷は素直に出頭し、霜月の取り調べを受けることになった。

 聴取には雑賀も同席した。年齢名前生年月日住所など、一通りの質問を終えた後、霜月は本題に入ろうとした。

 

「あの子は……」

 

 質問の前に細谷が口を開いた。

 

「あの子に何をしていたんです?」

「彼女は先天的潜在犯という貴重なサンプル、いや稀少な患者だった」

 

 霜月は「サンプル」とまるで人を物のように言った細谷に強い苛立ちを覚えた。

 

「潜在犯とは何を持ってして決定づけられるのか、それを解明するためには重要な症例だ」

「それで、なぜ彼女がこんな状態なっているんですか」

「あの子……芽衣の脳を、領域ごとにサイマティックスキャン消耗症候群の脳に移植をして、移植前後の色相に変化があるかを確認した。移植してサイマティックスキャン消耗症候群の脳の色相が濁って、芽衣の色相がクリアになればその領域が、潜在犯を決定している領域と言えるわけだ」

 

 細谷は研究所で行われていた、研究の内容について語りはじめた。

 

「そして芽衣には移植して失われてしまった部分に、最新の量子メモリーをベースにした人工脳を移植する」

「それで、次々と移植を繰り返し、芽衣ちゃんの大脳は、完全に量子メモリーに置き換わってしまったわけですね」

 

 ここで雑賀が会話に割って入った。

 

「全身サイボーグ化とは、真逆の事をしていたというわけだ。潜在犯の脳の機能解析のために」

 

 血液脳関門研究所の行っていた研究を、簡単に説明すればそういう事である。

 

「説明してもらえますか?」

 

 霜月は雑賀の意見を聞いた。

 

「ノックアウト方式で、機能を推定する方法だ。機能する部分をだんだんと削っていき、残された機能から取り除いた部分の役割を推定する方法というわけだ」

 

 雑賀は更に続ける。

 

「例えば遺伝子操作の分野では、過去にゲノム編集などで活発に行われた。成長を抑制する遺伝子をノックアウトすると成長がどこまでも続く、とまあそんな感じの技術だ。ハイパーオーツが、まさにその結晶とも言える」

 

 雑賀はハイパーオーツという身近にある物を例えに利用して、霜月の理解を促すようにした。そして、細谷に質問をする。

 

「それで、その研究は上手く行ったのかね?」

「結果は……ご覧のとおりだ。芽衣の色相はクリアになった。しかしサイマティックスキャン消耗症候群の色相もクリアなまま。潜在犯の根源となっている領域は、何処かへ消え去ってしまったのだ」

「こりゃ、あれだな。魂の場所はどこにあるかって、そういう話だ」

「そうだ、我々は色相、犯罪係数、潜在犯と名前を付け変えているが、本当は魂を探していたのかもしれない。だから失敗したんだ」

 

 雑賀は「魂」という非科学的な言葉を使って、血液脳関門研究所が何を探っていたのかを、抽象化した概念として浮き彫りにした。

 

「だが驚いたことに、芽衣は大脳が量子メモリーと置き換わっても、人格はまるで以前と変わらなかった。何かによって魂が留められているかのように」

「そして、濁った色相だけが消し飛んだと?」

「そうだ。だが困った問題も見つかった。彼女の意識はシビュラシステムの存在下でないと存在し得ない。いわばシビュラによって形づけられた魂と言うべきか、そういう状態だ」

「では電波暗室のような場所では、彼女は意識を保つことが出来ないと?」

「ああ。でもそれだけではない。もっと不可解なことが起こった。あいつが現れた」

 

 霜月は、細谷のその曖昧な答えを聞き直す。

 

「あいつ?」

「あいつだよ、あのふわふわとした妖精のような少女だ」

「それは、私達が突入した時にいた、あの少女のこと?」

 

 霜月には心あたりがある。一係が追っている楪いのりだ。

 

「そうだ。そして、あいつを見た全員の色相が濁った。サイコハザードが起こったんだよ」

「どう言う事ですか? あなた方は以前からサイコハザードと、少女の関係を知っていたと言う事ですか?」

 

 霜月が問い詰める。

 

「そういう事だ」

「なぜそれを厚生省に報告しなかったんですか!」

「厚生省が介入して、研究が阻害される懸念があったからだ。だがそれ以前に、厚生省は我々の研究に多大な期待を持っていたのも確かだ。積極的な資金投入がなされ、研究結果もサイバネティクスの発展に大いに役に立っている。彼らも強く出てこなかったのは、その成果を、ふいにしたくなかっただろうと思う」

「そんな勝手な理屈!」

 

 声を荒げる霜月をなだめるように、雑賀が会話に入る。

 

「まあ落ち着け、霜月監視官。聞きたいのは、その妖精みたいな少女が現れた状況だ。どういう条件でそれが起こったんだね?」

「後の解析でわかったことだが、必要なのは芽衣の脳、サイバネティクスが施されネットワークと接続している神経、シビュラシステムによる犯罪係数の測定、それと」

やや言葉を選んでいるのだろうか。しばらく考えてから答えた。

「歌だ」

「歌ですって?」

「そうだ。これが今でも一番の謎だ。ただ関係があるかどうかわからないが、ある歌をサイバネティクスが施された神経細胞に通すと、その神経細胞が活性化するということだ。ほとんどオカルトめいているが、機械と神経を繋ぐため、ウイルスによって変異させた神経細胞が、何らかの副作用を生じているのだと考えている」

 

 細谷は、自分が持っている情報をさらに語り続けた。

 

「シビュラのネットワークを通じて、何かが芽衣の脳に送り込まれ、それが付近にあるホログラムやネットワークに接続された機器にダウンロードされる。そして、あの姿を現すと私は考えている」

それを聞いた雑賀は、何かに満足したような表情になった。

「なるほどな。正直話してくれて助かったよ。まあ謎も多いが、前よりは推論する材料が増えた。私も考えてみるよ」

 

 

 雑賀は細谷の取り調べを終えたあと、分析室へと戻っていった。分析室では唐之杜と雛河が、押収された資料の解析と、まだ解析が終わっていない映像解析を引き続き行っていた。

 

「収穫は?」

「収穫は大いにあったよ。楪いのりの出現条件がわかった」

「本当ですか? それは」

 

 丁度押収した資料の解析結果を聞くために、常守も分析室に来ていた。

 

「彼が言うには、条件として必要なのは茅間芽衣の脳、ネットワークに接続可能なサイバネティクス神経、シビュラシステムによる犯罪係数の測定、それと歌だそうだ」

「歌ですか?」

「おそらく、EGOISTの歌のことだろう。どういう経緯でそうなったのかは聞き出せなかったが、サイコハザードの現場で歌が聞こえたというのは、そういう理由なのだろう」

「あっ、そうだ。ちょっと待ってください」

「私、すっかり共有するのを忘れてました」

 

 常守は自分の端末のローカルストレージに保存してあった、EGOISTのPVを再生した。本来であれば一係で共有するべき資料であったが、事件が立て続きに起こったこともあり、共有し忘れていた。

 

「あれ? 所々映っていない」

 

 録画された映像を再生してみると、時々投影されたPV映像がぬけ、背景だけになる。

 

「そうか!」

 

 雛河が声を上げる。

 

「映像に残らなかったのは周りが明るすぎたからだ……」

「どういうこと?」

「被写体に対してシャッタースピードが速すぎて……映像をカメラのCCDが捕らえる前にシャッターが切られてしまう……それが連続して起こっていたんだ……」

 

 雛河のその言葉を聞いて、唐之杜は何かを思い出したようだった。

 

「なるほど。ヘリのローターを撮影すると止まって見えたり、逆回転が起こっているように見えたりするあれね」

「点滅している物を、明るい背景の所で撮影すると……消えている間にシャッターが切られてしまう……」

「でも全てのカメラで写らないのはどうして?」

「それは……」

 

 雛河が答えに窮していると、それに変わって雑賀が答えた。

 

「それは、おそらく何者かの意思によって、シャッタースピードが操作されていたと言う事だろう。つまりハッキングだ」

「音声は?」

 

 さらに常守は聞き返す。

 

「おそらく指向性の音声や、インプラントイヤホンなどを通じて、外部に漏れないようにしていたのだろう」

「そうか、だからあの時、最初に楪いのりと遭遇したとき、どこから歌が聞こえて来たのかわからなかったんだ」

 

 常守は顎に手を当て、蒲田でのサイコハザード事件の玄蕃を思い出していた。

 

「多分だが、ドミネーターの指向性スピーカーがハッキングされていたんだろうな」

「それでは、なぜシビュラは気付かなかったのでしょう?」

「常守監視官には言ったが、それをエラーと認識できなかった、というのが真実じゃないかな。ゲーデルの不完全性定理だよ」

 

 雑賀は、常守に矯正施設で話した事を思い出すように言った。

 考え込む常守に対して、唐之杜はある提案をする。

 

「ねえ、それよりもどうやったのか、本人に聞いてみれば?」

「本人?」

「だって、楪いのりの出現条件は、芽衣ちゃんの脳、ネットワークに、犯罪係数の測定、それに朱ちゃんのそれ」

「あっ」

 

 常守は気付いた。全てのカードを手にしていることに。EGOISTのPVが図らずとも最後のカードとなっていたのだ。

 

「芽衣ちゃんはまだ検査室に残っているし、条件が揃っているじゃない。ホログラム投影装置もあるわよ。これに楪いのりを呼び出しましょう」

「とんでもないことを言い出すな、君は」

 

 雑賀が呆れるように言った。

 

「あら、一番手っ取り早いじゃないの」

「わかりました。やってみましょう。責任は私が取ります」

 

 常守は決心した。もう楪いのりに振り回される段階ではない。自分たちから打って出る番なのだと。

 

「芽衣ちゃんと話してきます」

 

 そう言って常守は検査室に入り、芽衣と話をした。捜査に協力して欲しいと。

 しばらく検査室で話をしていた後、常守は芽衣を連れて分析室まで戻ってきた。

 

 

「やるんですか本当に……」

 

 雛河がおそるおそる常守に聞く。

 

「ホログラムの専門家に見ていて欲しいから」

「それじゃやりますよ……」

 

 雛河はドミネーターを向け、芽衣の犯罪係数を測定した。その刹那、ホログラム投影装置に大量のデータが送り込まれ、立体的な像を結んだ。

 

「ほ、本当に出た……」

「会話できるのかしら?」

 

 唐之杜はそのホログラムが、十分に会話ができるのか確かめたいと思っていた。

 

「教えて! あなたは誰! 目的はなんなの!」

 

 常守がホログラムの楪いのりに語りかける。

 

「私は楪いのり……助けの声を聞いてここに来たわ……」

「助ける? ほう、ずいぶんと抽象的な言葉を選ぶじゃないか。助けるとはなんだ? 肉体的か? 精神的か?」

 

 雑賀は何かを感じたようだ。これはプログラムによって作られた物ではないと。

 

「助けて欲しいって誰が言ったの?」

「ボイドよ……彼女のボイドが助けを求めていた……」

「ボイド?」

 

 雑賀がその言葉に反応する。そして何か得心したようだった。

 

「なるほど。ボイドか。案外、的を射ているのかもしれないな」

「ボイドの共鳴を聞いてあげて……」

 

 楪いのりは消え入りそうな声で繰り返しそう言った。

 常守がさらに語りかけようと、言葉を選んでいるその時であった。

 巌永が、分析室に会話を割るように入ってきた。

 

「何をやっているんですか!」

 

 巌永が叫んだ。

 全員が巌永を見る。おそらく、この刹那の出来事であったのだろう。振り返ると楪いのりは消えていた。

 

「なんで……」

 

 思わず常守は二の句が継げなかった。まだ聞きたいことは沢山あったのだ。

 そんな常守に構わず、巌永は自分が分析室まで来た理由を述べた。

 

「茅間芽衣の身柄は、統計情報部で預かることになりました。彼女のサイコパスについて、詳細な解析が必要と判断されたからです」

 

 元々巌永は、統計情報部から犯罪係数と、判定された実際の状況を確認するため、刑事課に派遣されたのである。彼女の本来の仕事に戻ったのだ。

 

「公安局局長からも命令が出ているはずです。確認を」

 

 巌永は常守に文書の確認を迫った。常守が自身の端末を動かすと、刑事課局長禾生壌宗からの命令書が送られてきていた。

 

「本当だ。そんな急に」

「彼女の安全は、統計情報部で保証します。引き渡しを」

 

 常守は悩んだ。事件解決の重要なカードを失ってしまう。しかし、今は彼女を都合よく利用していたにすぎない。ここは巌永の言うことを聞くしかなかった。

 

「わかりました。芽衣ちゃん、あのお姉さんについていって」

「お姉ちゃん……」

「ごめんね。後ですぐ、おうちに帰れるようにするから。良い子で待っててね」

 

 こうして常守は、茅間芽衣の身柄を巌永に引き渡した。

 

 

 巌永が退出した後、一係全員を分析室に呼び出し、事情聴取と家宅捜索の分析の結果、それから楪いのりの情報を一係の間で共有することになった。

 呼び出しに応じて、一係の全員が分析室に集まって来た。

 

「巌永さんは?」

 

 六合塚は巌永が存在しないことに気付く。常守は細部を省いて説明する。

 

「彼女は今回の件で、統計情報部に呼び出されました。だから、彼女は抜きではじめましょう。みんな資料は読みましたか?」

「ええ、茅間芽衣の脳がほとんど量子メモリーに置き換わっているなんて、にわかに信じられないですね」

 

 須郷は資料を読み、その異常性に眉をひそめた。

 

「どう見ても普通の子供にしか見えなかったな」

 

 宜野座は率直な印象を口にした。

 一同が資料を読み込みはじめると。雑賀が解説をはじめた

 

「血液脳関門研究所で行われていた研究は、潜在犯に対してサイバネティクスを用いた外科手術的に治療を試みる、そういう研究だった」

 

 雑賀が、要点をまとめそう言った。更に解説を続ける。

 

「彼らが今回開発していたのは、量子メモリーと神経細胞の接続方法だ。量子メモリーと神経細胞の接続には、弱毒化したアポカリプスウイルス(APV)が利用されている。神経細胞にAPVを感染させ、APVが起こす細胞変性効果によって、機械と細胞を接続する。APVによる機械と神経接続方法は、彼らの特許であり、一番の売り物だ。これによってインプラントや、様々な義手、義足、義眼、人工臓器、そういったサイバネティック・オーガニズムとの接続技術が飛躍的に向上した」

 

 雑賀は、茅間芽衣に使われていた技術の説明をし、それが一般的にも普及している技術であると付け加えた。

 

「すいません、アポカリプスウイルスって何ですか?」

 

 常守は、その聞き慣れない言葉を質問した。

 それに答えたのは、唐之杜の方であった。

 

「Apocalyspse Virus、略してAPV。オンコウイルス、いわゆるがんウイルスよ。感染するとガンを引き起こすわ。大崩壊時代に流行して、多くの死者が出た。けれども今使っているウイルスは、その毒性を弱めている。感染しても、ガンを引き起こさないから安心して」

 

 常守は、ウイルスのことはよくわからなかったが、唐之杜が太鼓判を押すのだから、きっと安全なものなのだろうと、考えた。雑賀は、その質疑が終わった所で話を再開する。

 

「話を続けよう。血液脳関門研究所と名乗りながら、その実態は、脳そのものの義体化の研究をしていた、という訳だ。潜在犯として不遇な一生を続けるか、脳を義体化させて体だけ社会で生かすか、いずれかを選択せよという研究だ」

 

 その言葉に対し、須郷は率直な疑問をぶつけてみた。

 

「そんな手間暇をかけてまで、潜在犯を治療する必要があるんですか? 我々のように有用性が認められれば、社会参加ができるようになっているのに」

「人材が少ないんだよ。だから有効活用しようとする。人間をまるで交換可能な機械か何かと思い違いをしている傲慢さを感じるが、問題の解決方法の一つであるとも言える」

 

 六合塚は言葉を失う。

 

「そんな……」

 

 その反応を見ながら、雑賀は解説を続けた。

 

「さて、問題はこのAPVを用いてサイバネティクス手術を受けた人間が、楪いのりの歌を聴くことによって色相を悪化させると言う事だ。彼らの研究では、歌によって何らかの作用が起こり、神経細胞が活性化される事が確認されている。これが色相悪化の原因となっているようだ」

 

 霜月が質問する。

 

「それってAPVを使った事のある人は、全員サイコハザードを引き起こす可能性が有るって言う事ですか」

「そういう事だ。だがAPVによる施術を施された人の数は知れない。ありとあらゆるサイボーグ技術に応用されているからだ。彼らを全員集めて、一人一人治療を施し直すなどは不可能といって良いだろう」

 

 次は常守が今回の事件の最大の謎について質問をした。

 

「それでは楪いのりとは、どういう存在なんでしょう?」

「これは私の推論だ。量子メモリーによって拡大され、連結された意識、クオリアというものが、その正体だろうと私は考える。コンピューターというのは、基本「0」と言う記号と「1」と言う記号の羅列だ。これは人間が便宜上付けている記号であって、+-で表してもいい。量子コンピューターが、いくら重ね合わせで0と1を同時に計算出来るとは言え、基本それは変わらない。その0と1でもない状態、コンピューターの計算に上には存在しない状態がある。数学的には定義がされていない状態、この状態をコンピューター側では観測できない、虚無とも言える。だから楪いのりが使った、ボイドと言う言葉が、うまく当てはまる。当人がどう言うつもりで言ったのかはわからんが、確かに心の核心部分という物は、観測の外にあるのかもしれない。血液脳関門研究所の悪魔的な実験が、奇しくもそれを証明してしまった」

 

 唐之杜が感心したようにこう言った。

 

「なるほど。幽霊を探し当ててしまったって事ね」

「そうだな、楪いのりの周辺で起こる不可解な事件は、まさに幽霊の仕業と表現するのが、一番しっくりくる」

 

 雑賀は、唐之杜の言った幽霊という言葉を拾った。それに対し少し反論も加え解説を続けた。

 

「だが、これは現実で起こっている現象だ。幽霊なんて安易な物じゃない。量子メモリーを加えたシビュラのアップデートがされたにより、シビュラの中に異なるクオリアが生まれたのだろう。犯罪係数の測定によってシビュラシステムに接続、そこで人格(クオリア)が形成される。ネットワークに閉じ込められた人格から押し出されたのが、おそらく楪いのりだ。それがホログラムとして実像を結び、我々の前へ姿を現した、というのが私の推論だよ」

 

 その説明に根本的な謎があることに、宜野座は気付いた。

 

「ホロだって言うのなら、常守監視官をぶちのめしたのは、ありゃなんだったんだ」

 

 その疑問に対して、答えたのは唐之杜だった

 

「それは多分これね。厚生省の備品にある格闘訓練用の女性型ドローンが、一体修理に出しているわ。それがまだ返却されていない。業者側はとっくの昔に修理を終えて返却したはずだと言っているけど、厚生省側にはその記録が無い。だから返却の際、どこかで楪いのりに奪われたのだと思うわ」

 

 唐之杜の報告を聞いて、須郷はため息交じりに言う。

 

「よりにもよって、身内からだとは……すぐにその機体のIDを追跡しています。現在も稼働中ならどこかで掴めるはずです」

 

 須郷は常守に対して目線を送り、返答を求めた。

 

「では、その探索を須郷さん、お願いします」

 

 一つの答えが導き出されそうなことに対して、六合塚が自信を納得させるように言う。

 

「でも、これでようやく楪いのりと量子メモリー、それと事件が繋がったわね」

 

 そんな周囲の反応を見ながら、雑賀は更に話を進めた。

 

「話を戻そうか。シビュラに生じた新しいクオリア、その自身のクオリアの問題は自身では解決できない。唯物論的にしか機能することができないシビュラが、根源的に抱える問題だ。より完璧なろうとすればなろうとするほど、その問題は顕在化してくる」

 

 雑賀が語っているのはゲーデルの不完全性定理であると、常守は気が付いた。

 

「逆に言えば問題の解決に、シビュラの埒外にあるシステムが、必要とされるということだ。自分では解決できない問題が発生して、それを解決してもらおうと、シビュラが我々を動かしているのであれば、全てが矛盾無く説明できる」

 

 雑賀の一連の説明を受けて、六合塚がその印象について語った。

 

「シビュラが解決できない問題なんて物は、シビュラからしてみたら名前の無い怪物のような物ね」

 

 そして雑賀は、この問題についての解決策を示す。

 

「この問題を片付けるためには、シビュラの埒外にあって外科的手術を行うのが一番の事態の解決方法だと提案するよ」

「外科的手術といいますと?」

 

 須郷がその意味を尋ねる。

 

「楪いのりの出現条件、茅間芽衣、量子メモリーネットワーク、犯罪係数の測定、そして歌。このうちどれを取り除くのが一番手っ取り早いと思うかね」

 

 霜月が絶句しながら、ある結論に到達する。

 

「まさか……」

 

 霜月と同じ考えに至ったのだろう、宜野座がその解決方法を語った。

 

「おそらく茅間芽衣の脳、そして茅間芽衣自身をこの世から消す。それが一番手っ取り早い方法だろう。そう決断が下されるまで、さほど時間はかからないのではないか?」

 

 須郷は、残された選択肢の一つを選び出して問う。

 

「歌を禁止するのは?」

「それは、私達の聞き込みから、相当社会に浸透している可能性が考えられます。ミームとして」

 

 常守がそう反論する。それを聞いた唐之杜は、何かに気付いた。

 

「そうだミーム、どうしてそれに気が付かなかったんだろう。自分で言っておきながら、完全に失念してたわ」

 

 唐之杜はデスクに戻り、急いで端末を操作した。

 

「街頭マイクからノイズ除いて特定の音階を割り出して……なんて事……こんなにも広まっていたなんて」

 

 唐之杜が分析した結果は、すぐに分析室の大型モニターに映し出された。

 

「これが今現在の情況。今まさに誰かが、EGOISTの歌を歌っている」

 

 宜野座はその画面を見て、改めて自分の至った考えを口にする。

 

「残された方法は茅間芽衣か、ネットワークの破壊二つというわけだ。どうする常守監視官?」

「私はこのことを局長に報告してきます。答えは一つ。美佳ちゃんの考えは?」

「私の答えも先輩と同じだと思いますよ。問題を抱えたシステムなど存在してはいけません。システム全体の綻びを産みますし、なによりも子供の命を犠牲にして成り立つ社会が正しいわけがない」

「決まりね。ネットワークの問題を解決する。最良の選択。皆さんそれでいいですか?」

 

 一係の全員が頷いて同意する。

 

「では、量子メモリーセンターノナリアについて調べてもらえますか?」

「それなら今すぐここでできるわね。ちょっと待ってて」

 

 そう言って、唐之杜は再び端末を操作しはじめた。

 

「ちょっと気になる情報を見つけたわ。ノナリアが本格的に稼働する一週間前にノナタワーから機材が運び出されているわね」

「映像は残っていますか?」

「待っててね。あったわ。ノナタワーとノナリアの監視カメラの映像が」

「では行きと帰り、運搬車のタイヤの沈み込みから中身が推定できますか?」

「このタイプの車のサスペンションのデータから、元々の積んでいた物それから運び出した物のおおよその質量が推定出来ると思うわよ。登録されているデータからは荷台以外は特に特別な改造を施してないみたいだし。あと車の振動のパターンから、中身の密度とかもおおよそであれば推定できそうね」

 

 唐之杜は分析AIに映像を流し込み、分析をはじめた。

 

「中身はそうねえ密度から水、それも少し比重の重い水、例えば塩水みたいなものが考えられるわね。あるいは細胞培養に使う培養液とか。でも妙ねぇ……ノナタワーから運び出されたのはデータサーバーだったって話しだったけど、ずいぶんと違う結果になっちゃったわね」

「まあ映像から解析したものできちんと測定した物でもないし、この場合は推定結果が間違っている可能性の方が高いかしらね。もう一度やり直してみるわ」

 

 常守にはそれで十分だった。そして自分の心の奥底にあった、ある疑問が解決し、全ての疑問の鍵が開いた音を感じていた。

 

「ああ、結構です。結論は変わらないですから」

 

 常守にはその中身が何であるのか、すぐに思い浮かんだ物がある。あれだ。あれが運び出されたのだ。

 常守は決断を下す。

 

「私はこれから局長に意見をするため、局長執務室まで行ってきます」

 

 



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最終話

最終話になります。PSYCHO-PASS VS 楪いのりをまとめた同人誌を冬コミC97で頒布します。日時と場所は2019年12月28日土曜日「西地区 "ぬ "01a」になります。紙の本も、よろしくお願いします。
https://webcatalog-free.circle.ms/Circle/14810811


 雑賀が唱えた仮説と、一連の事件の証拠をまとめて、常守は禾生壌宗の元へ訪れた。ある決断を迫るために。

 局長執務室の扉をくぐり、禾生の事務机に資料のタブレットを提出する。禾生は黙ってそれを受け取り、一通り目を通した。

 最初に口火を切ったのは常守だった。

 

「資料にあるとおり、量子メモリセンターノナリアが稼働した際に犯罪係数を測定すると、楪いのりが現れサイコハザードが起こる。これは間違いない事実です。これ以上事件を拡大させないためにもノナリアの停止を求めます」

「量子メモリセンターノナリアの停止は容認できない。犯罪係数測定によるトリガーが特定できるまでは。そのトリガーとしては、茅間芽衣の関与が強く疑われる。対応するならそちらが優先だ」

 

 常守はここで声色を変える。もはや刑事課の刑事と公安局の局長という茶番を演じるのが馬鹿馬鹿しくなったからだ。

 

「ノナリアは、シビュラシステムそのものでしょう?」

「ほう、確証でも?」

 

 禾生はやや首を傾げ頬杖をついて、常守の言葉を待った。

 

「これを見なさい」

 

 それは雛河を中心とする映像分析班が、先ほど解析した映像であった。

 

「これはノナリアの稼働開始一週間前の、ノナタワー近辺の監視カメラの画像よ。この画像から、ノナタワーからノナリアへ何かが持ち出されている」

「それはノナタワーのデータサーバーの持ち出しだと公表したが」

「表向きはね。でも映像解析の結果このトラックの荷物の中身は大量の液体よ。液体を使ったデータサーバーなんて無い。ここから持ち出される大量の液体と言ったら、一つしかないわ」

 

 禾生は表情一つ変えることなく、しかし常守が掴んだ事実を無視するわけにも行かなかったのか、じっと常守の顔を見つめた。

 

「そこまで調べ上げているとはな。確かに量子メモリーセンターのノナリアには、君の推理のとおり、免罪体質者の脳がノナタワーから移植された。だが、全てを移植したわけではない。現在ノナタワーにあるシビュラシステムと、ノナリアにある量子メモリーセンターは、免罪体質と同等の能力を持つ量子メモリーとのハイブリッドだ。搬出されたノナタワーで不足した免罪体質者の脳は、量子メモリーが組み込まれ補われている。具体的な比率は教えられないが、ノナタワーの方が、量子メモリーの割合が高いとだけは教えておこう」

 

 観念したのか、禾生は話を続けた。

 

「茅間芽衣のもたらした知見は、量子メモリーによる補完、言うなれば人工免罪体質脳というものを、我々にもたらしたのだ。潜在犯の核となる部分などは存在せず、脳の多彩な機能がもたらす影にしかすぎないことがわかったのだ」

 

 禾生は極めて淡々と話す。

 

「彼女のもたらした情報によって、新たな免罪体質者を探し出すことなく、シビュラシステムの拡張が可能となった。そして犯罪係数の計上も、格段に高速化されることになった。したがって我々は新たに量子メモリーセンターという形で、シビュラシステムの分割に踏み切ることができたのだ」

 

 禾生の話は続く。この分割が何を意図していたのかを説明するために。

 

「シビュラシステムを海外進出させるため、また多彩なニーズにシビュラシステムが答えるため、シビュラシステムの拡張が急務の課題となっていた。我々はその課題を克服したにすぎない」

「そのために、一人の子供の脳を勝手に、あちらこちらに移植したっていうの? 本当にあなた達はおぞましいことを平気でやるのね」

「おぞましいかどうかは、所詮人の同情にすぎない。社会システムたるシビュラシステムにとっては、問題とならない些末なことだ」

 

 常守は内心で激怒していた。シビュラシステムの正体を知ってから、彼らはこういう人として当然持つ感情を、非常に蔑ろにするのはわかっていた。だがそれを平然と言ってのけるのを目の当たりにすると、怒りを抑えられなくなり、殴りかかりたい気持ちになった。だが話を終わらせるわけにはいかない。

 

「芽衣ちゃんを返しなさい、シビュラシステム。あなた達が考えている、彼女を殺して事態の解決を図るというのは、もう手遅れよ。現段階では一人殺したくらいでは、楪いのりは止められない。市民の間で広がっているEGOISTの歌、そしてアポカリプスウイルスを使ったサイバネティクスに共鳴が起こっている。楪いのりとサイコハザードが無関係だと実証されない限り、このままだと大規模サイコハザードが起こるわ。けど、市民生活を完全にストップさせることは不可能よ」

「わかった、事態を公表し、今後EGOISTに関わる歌を、問題が解決するまで禁止することにしよう」

「今、事態を公表しても、市民に無用の動揺を与えるだけよ、それに」

 

 一息大きく深呼吸をし、常守は強く禾生に迫る。

 

「あなた達は、今の状況を抑える能力が無いでしょう!」

「そうだな。聡明な君なら解ると思うが、我々には何かと穴が多い。実行力さえ君たち刑事課がいなければ何も出来ない。赤子も同然だ」

「その実行力を自分でも試そうとしたのね。だから彼女を送り込んできた」

「なんの話しかね?」

「そうやってまた何かを隠そうとする。いいわそれを今ここで証明してあげる」

 

 常守は踵を返し、局長執務室の扉を開けた。

 

「巌永さん、待たせたわね」

「はい、別に問題はありませんが」

 

 そこにいたのは巌永であった。常守はあらかじめ、巌永を呼び出していたのだ。そして常守は巌永を執務室に入れ、再び禾生と対峙した。そして巌永に向かって言った。

 

「単刀直入に言うわ。巌永さん、あなた、シビュラシステムでしょう?」

「な、何を……」

「最初は私の記憶違いかと思ったわ。あの時は頭を打っていたし」

 

 常守は所沢の矯正施設での事件のことから話した。

 

「私が楪いのりと戦っていたとき、あなたは言った『ドローンから離れて』と」

 

 これが一つ目の常守の違和感であった。

 

「それから廃棄区画での出来事。あの男達はドミネーターの通信を感知するシステムを使っていた。あの時ドミネーターを持っていたのは、私と六合塚執行官だけ。あなたは丸腰だった。なのにあの男達は執拗に、あなたの身体検査をしていた」

 

 これが二つ目。そして三つ目を続ける。

 

「そして血液脳関門研究所で、あなたは私が楪いのりにドミネーターを向ける前に、芽衣ちゃんを庇ったでしょう? そして、あなたは楪いのりの歌が聞こえていなかった。それはドミネーターの指向性音声を通さず、直接ナビゲーションが頭に入ってきたから。違うかしら?」

 

 続けざまに、四つ目の違和感について語る

 

「最後に、分析室で楪いのりを呼び出していたとき、あなたは『なにをしているの』と言った。あれは諫める言葉ではなく、本当になにをしているのか聞きたかったのでしょう」

 

 巌永は、常守の指摘に対して動揺したそぶりもなく、こう言った。

 

「しかし、どれも常守さんの考え違いではないですか? 私がシビュラシステムってどういう意味ですか」

「しらばっくれるのね。いいわ」

 

 常守は上着のポケットから、プリントされた写真数枚を机の上にばらまいた。

 

「この中に楪いのりはいるか答えてみなさい、巌永望月!」

 

 常守は寒川の持っていた楪いのりの写真のコピーと一緒に、数枚の楪いのりのような姿の別の少女の写真を混ぜ、巌永に選ばせようとした。写真には本物を入れてあったので、山勘でそれを当てられたらお終いであったが、これは賭けでもあった。巌永はこの中から選ばないという確信があった。シビュラの性質を考えると、下手な小細工は、ここでやめるはずだと。

 

「一係が捜査資料として共有していたのは、一枚の似顔絵だけ。楪いのりの写真や映像は、一つも共有していない。共有しているのは目撃した体験だけ。あなたが本当に、生身の人間ならすぐにわかるはずよ」

 

 巌永は反応に困惑するようなそぶりをしていたが、やがて巌永は笑いはじめた。

 

「ああ、ダメね。なるべく存在感を消して、違和感を持たれないように頑張ったんですけど」

 

 常守が予想したように、写真を選ばなかった。選んで間違える恥よりも、自分の正体を明かしてプライドを保つ方に価値があったのだ。常守はこのシビュラの傲慢さを見抜いていたのだ。

 

「隠しても隠しきれるものじゃなかったみたい。特にあなたのような、優秀な刑事の前では」

 

 巌永は正体が明かされてもなお、巌永望月を演じるつもりのようだった。

 

「そうよ、私もまたシビュラシステムの外殻ユニットのひとつ。久しぶりに使ってみたけど、あなた以外にはバレていなかったみたいね。概ね成功していたと思っていたんだけど」

「ふざけないで」

「そうね、おふざけは抜きにしましょう」

 

 そう言って巌永は、常守の目を見つめた。

 

「あなたに教えてあげます、私達に起こったことを。人工的に免罪体質者の脳を作り出したことによって多大な恩恵を受けましたが、思わぬ副作用も現れました」

 

 巌永はシビュラが隠していた問題について、語りはじめた。

 

「認めたくはないですが、新型量子メモリーによって犯罪係数の計上が高速化された結果、我々が従来もっていた潜在犯の判定能力は、量子メモリーにあっさりと追い抜かれました。量子メモリーによって得られる恩恵が、我々の潜在犯判定能力と同程度として設計されていたので、量子メモリーから突きつけられた問題に対して、それをチェックする術を持っておらず、結果から判断を下すしかありませんでした」

「だから統計局からの出向という形で現場に出てきたのね。外務省からの出向者を受け入れなど、最近の刑事課の拡張方針を利用して、シビュラ本体を私達の中に滑り込ませた。私達を自分たちの耳目として使うために」

「そういう目論見でしたが、シビュラシステムでは、何を通しても認識できない存在とはわかりませんでした。雑賀譲二、あの人は流石です。シビュラにとっては脅威でしかありませんね」

 

 巌永は素直に本音を言っているように見えた。これがシビュラにとっての悩みだったのだと。

 

「それから、外殻ユニットとして私と禾生壌宗との違いは、私はノナタワーのシビュラの代理、禾生局長はノナリアのシビュラの代理という違いよ。わかりやすいでしょう?」

 

 常守の中に残っていた一つの違和感がなくなった。確信は持てていなかったが、禾生と巌永では、その背景が異なるのではないかと感じていたからだ。

 

「ええ、おかげですごくスッキリしたわ」

 

 短い間の付き合いであったが巌永の言動や態度には、シビュラで薄められてしまった人格ではなく、なにかより人に近いような人格を持っているように感じられていた。その要因が二つに分かれたシビュラと言うことであれば、イメージがしやすい。本質がそれぞれ異なるのだ。

 常守は巌永の話を聞き終え、そして今回局長室へ直談判に来た話へと戻すため、禾生に語りかけた。

 

「これでシビュラの問題もはっきりしたでしょう。だから話を戻すわ。シビュラシステムと量子メモリーで作られた人工免罪体質者の脳、それと芽衣ちゃんの脳がネットワークで結びついたとき、楪いのりは現れて、サイコハザードを引き起こす。これは間違いない」

「なるほど、あれは私達が作り出したと言うことか。いや作ったのではないな、呼び込んだと言うべきか」

「芽衣ちゃんを抹殺するのは論外。残された選択肢は、サイコハザードを起こした市民を全員執行するのか、街頭スキャナーを全て潰すのか」

「あるいは、か。そうだ、我々もそれが、問題と感じている。だから常守監視官、君が選びたまえ」

「選ぶですって?」

「そうだ。君の選択肢は、常に我々の進化に寄与している。だから君が選ぶといい」

 

 シビュラ社会の健全性を保つ、それはシビュラシステムにとって最優先事項である。その健全性を保つため、シビュラの一部が消えることになっても厭わないというのが、彼らの本質である。不完全故に完全である、それがシビュラシステムであった。常守はその事をよく知っていた。従って決断は早かった。

 

「わかったわ。あなた方では問題を解決出来ない。私が取れる唯一の選択肢はノナリアを停止させること。それだけよ」

「常守朱、知っていると思うが我々は生体ユニットだ。稼働を途中で止めることは出来ない。思考の連鎖反応は止める事ができないのだ」

「なら破壊するまでよ」

「面白い。やってみるがいい常守朱。私は積極的に協力しないがね」

「協力はしなくていいわ。その代わり邪魔をしないで」

「わかった能動的な邪魔はやめよう。そのかわり、関与しない一切の障害を乗り越えて到達してみろ。私は先に行って待っている。貴官が本懐を遂げられるかどうか、見届けてやろうじゃないか」

「絶対に辿り着いてみせる。首を洗って待ってなさい、時代遅れのシビュラシステム」

「よく言うようになったな」

 

 やる事は決まった。常守は自分のやるべき事、そして自分がどう言った立場で事を起こすのか、それをはっきりさせるために茶番と思ってやめていた態度に戻る。

 

「常守朱、これより量子メモリーセンターノナリアの無力化を実行します」

 

 常守はそう言って、禾生に敬礼する。それは、これから常守は一刑事となるための儀式であった。

 

「それとノナタワーのシビュラシステム、いえ巌永さん、あなたは私達と行動を共にしてください。あなたにはその義務がある」

「いいんですか?」

「大丈夫あなたの存在については、上手く誤魔化してあげる。その代わりに私達が決めたことに対して一切邪魔をしない事を約束して」

「いいでしょう。私もあなたの行動に、非常に興味がありますから」

「それから、茅間芽衣ちゃんを解放して。彼女の力が必要よ」

「わかりました。統計情報部に立ち寄って、彼女の身柄を刑事課に渡します」

 

 シビュラと共にシビュラを倒す。それが常守の決断であった。

 巌永との話が終わると、常守は禾生に敬礼して局長執務室を後にした。巌永がそれに続く。そして歩きながら常守は巌永に話しかけた。

 

「警察組織において、正義を執行することの全てが正しいとは限らないわ。法の執行はできる事と、それを実際に行使した際のギャップが埋められないことが多い。だから私はその穴埋めをすると決めたの。ただの破壊行為ではないことは覚えておいて」

「常守さんらしい考え方ですね。忘れがちですがその選択もまた、人類の可能性の形の一つにすぎないですね。いいでしょう、私はあなたに協力します」

 

 巌永がそう答えると二人の歩みはエレベーターホールまで到着し、そこで常守と巌永は別れた。

 

「刑事課一係で待ってます」

 

 常守は巌永に敬礼をして、一人下りのエレベーターに乗った。

 

 

 常守は捜査本部で自身の決めた決断について話した。そこに巌永の姿はない。残りの刑事課の間で会議を始めていた。

 

「つまり持ち出された旧来のシステムが、本来は犯罪計数に計上するべきではない数字を弾き出していると? それが不具合となって偽りのサイコハザードを起こしたと上が認めたのね?」

 

 唐之杜は常守の報告を聞いて要約した。

 

「原因が判明したと思ったけど、案外馬鹿馬鹿しい問題だったのね」

「ですから選択肢は一つしかありません」

「どういう事ですか」

 

 三係の堂本が常守に尋ねる

 

「ノナリアをぶっ壊すってことだろう?わかりやすい」

 

 同じく三係の波多野が、ぶっきらぼうに言う。

 

「それに対しては、局長の黙認を取ってきたわ」

 

 常守はそう報告し、これから行おうとしていることに対して、上が口出ししてこないことを伝えた。

 

「いくらなんでも無茶すぎるでしょう!」

 

 霜月が立ち上がりながら抗弁する。

 

「ええ、でもこのままだとノナリアが本格稼働した場合、大規模なサイコハザードが起こることになるわ。それはどこまで範囲が広がるか予想もできない」

「でもどうやってノナリアを止めるの?」

 

 六合塚が根本的な疑問を口にした。それに答えたのは唐之杜であった。

 

「それなら私にアイデアがあるわ」

 

 唐之杜は会議室のプロジェクターに、ノナリアの図面を映し出した。

 

「新型の量子メモリーセンターノナリアは、東京湾上に作られたメガフロートの一部となっているわ。非常時に基幹ジョイントを爆破し、キングストン弁を抜いて自沈するように作られている。だから私達はこのジョイントの破壊とキングストン弁を解放して、メガフロートごと沈めてしまう。これが一番シンプルで確実な方法よ」

 

 それを聞いた須郷が質問をする。

 

「これだけのことをやるとすると、他の省庁との調整が必要では?」

「そうですね。警察庁が管轄する警備保障と話は付いていないです。だからこれらの後始末は、上にやってもらうことにします。使えるのは刑事課の人員と資材のみ。それだけでやらなければなりません」

 

 常守は現在の状況を説明した。続けて話を付け加える。

 

「元々無人の区域なので人的損害の危険はないです。それでも人が入ってくる恐れがありますから、刑事課の資材を使い道路を封鎖して人が立ち入れないようにします」

 

 常守は、さらに困難な状況であることを説明する。

 

「それから、今回の件はあくまで黙認であって、厚生省の協力も得られません。ドミネーターはデコンポーザーで固定され、通信ほかデータリンクも自前で行わなければいけません」

 

 六合塚が率直に言う。

 

「それって孤立無援って事では?」

「そういう事になります」

 

 宜野座はそれを聞いて呆れたように言った。

 

「局長が黙認したとは言え、判断は現場に任せるか。しかもドミネーターはデコンポーザー固定ときた。おだやかではないな」

「事態の解決には刑事の力は要るが、シビュラは刑事課のやる事を見守るだけ。いったいどうしちまったんだ?」

 

 須郷も事態を受け入れるのに、少し思考の整理をしているようであった。

 同じく六合塚も、必要になりそうなことを頭の中でリストアップしていた。

 

「刑事課で揃えられるありとあらゆる装備、資材を掻き集めなければいけないわね」

「いくらなんでも……武器がスタンバトンとスタングレネードだけでは……ほとんど無力に近い……」

 

 雛河も事態の打開策を考えているようであった。

 全員の反応を見ながら、常守は改めて尋ねた。

 

「何かありませんか?」

「俺の義手なら多少はいじれる。だがそれだけでは十分でないだろう」

「武器になりそうなものが他に……」

 一同が会議室で考え込んでいると、会議室をノックする音が聞こえた。それに答えるとドアを開け、厚生省の受付から届け物があるとの報告がなされた。

 

「あの、一係の常守監視官あてにドローンが来ています、一応爆発物のチェックをして安全だとは思うのですが」

「こんな時になんですか、後にしてください」

「美佳ちゃん、ちょっと待って」

「これなんですけど」

 

 そういって会議室に運び込まれた台車の上には、薄汚れた古いドローンがあった

 

「ふゅーねる!」

「知っているんですか? 須郷さん?」

「昔からあるドローンの玩具でして、ユニットを組み換えて色々な形態で遊ぶことができる物です」

 

 六合塚はそれに見覚えがあった。

 

「これは確か寒川尋乃の所にあったものですね」

 

 改めて確かめてみたが、特徴的な傷から、同一の物であると結論づけられた。

 

「このタイミングで送ってきたということは、何かあるのでは? かなり大事にしていたもののようですし」

 

 宜野座はふゅーねるに近付き、よく観察してみた。

 

「危険なものではないと言うことか?」

「調べてみましょう」

 

 常守はふゅーねるの頭の部分が、小物入れになっていることを知っていた。そしてそこを開けてみる。

 

「手紙が入っているわ」

 

 常守はその手紙を開いた。

 

「ここにある物を使って、助けてあげて。楪いのり」

「「「楪いのり?」」」

 

 全員の声がハーモニーを奏でる。

 

「寒川尋乃のイタズラでは?」

 

 六合塚はそう訝しがった。愉快犯のような真似をするような男には見えなかったが、シビュラの管理を外れた人間である。何を考えているのか、本当のところはわからなかった。六合塚は常守に尋ねる。

 

「手紙には他に何が」

「数字が書いてある。これは座標? 緯度と経度みたい」

「貸してみて」

 

 それを聞いた唐之杜は、その手紙を常守から受け取った。そして書かれている数字を端末に打ち込んでみた。

 

「この数値に当てはまるのは、湾岸の廃棄区画。しかも地下は汚染水の浸水で、何十年も放置されている場所よ。大崩壊(アポカリプス)時代にどっかの財閥が所有していた土地。何でこんな所」

 

 六合塚はこの奇妙なサインに、興味を持ったようだった。

 

「調べてみる必要がありそうね」

「わかりました。私と須郷さん、それから弥生さんと調べてきます。その間、皆さんは、武器の調達方法について考えていてください」

 

 

 常守達は、刑事課が所有しているゾディアックボートに乗って、汚染水に満ちた地下水路を調査していた。

 

「指定された座標はここね」

「何か空洞がある? 調べてみましょう」

 

 壁を叩いていく。

 

「ここだけ音が違う。」

 

 須郷は試しに、ゾディアックボートで使っていたオールを叩きつけてみた

 すると簡単に壁が崩れる。そして崩れた壁の向こうには広大な空間が広がっていた。六合塚は驚きの声を上げる。

 

「こ、こんな物が東京の地下に残されたっていうの?」

大崩壊(アポカリプス)のドサクサで、壁の向こうがどうなっているかなんて、調べなかったのでしょう。そのまま丸ごと廃棄区画にして記録からも記憶からも、抹消された場所なんだと思います」

 

 常守はマグライトを片手に内部を探索した。しかしマグライトだけでは光量は十分ではなく全部を把握することは難しかった。三人が手分けをして周囲を探っていると、常守が何かを見つけた。それは大型のドローンのように見えた

 

「須郷さん、このドローン使えるか見て貰えます?」

 

 常守に呼ばれた須郷は、常守が指し示す方向にライトを当てた。

 

「これは……エンドレイブ!」

「須郷さん、これ知っているんですか?」

「ええ、旧時代の軍用ドローンの一つです。神経接続によってリモートでコントロールするタイプで、今の物よりも人の操縦能力に左右され易い機体です。神経接続そのものが危険なうえ、コンバットAIが急速に発達したため廃れましたが、まさかこんな物が誰にも知られずに残っているとは……」

「それで、これは使えそうですか?」

「旧時代とは言え、軍用に作られた物です。今の民生用警備ドローンよりも遙かに破壊力があることは間違いないです。使えれば大きな戦力になり得ます」

「それではこれ、エンドレイブでしたっけ、動くかどうか確認してもらえますか?」

「わかりました。調べてみます」

 

 須郷は照らし出されたエンドレイブの足下に、操縦用の外部ユニットを発見した。スイッチを押すと電源が入った。非常用のバッテリーがまだ生きていたのだ。だが流石に、コックピット内のモニターまでは点灯しなかった。中を照らしてみると、一枚の張り紙があるのに気付いた。書かれている文字を読む

 

「『全ての痛みをその身に受けてくれた楪いのりに、深い感謝と哀悼を。桜満集』テロリストが書いたポエムですかね?」

「やっぱり楪いのりと関わり合いがある場所だったのね……」

 

 全てが楪いのりに繋がる。この社会で忘れ去られていた存在。それが今ここに復活しようとしているのだ。

 

「非常に古い型ですがシステムは生きています。使えますね」

 

 須郷は消費電力の低いパネルを操作し、システムが動くことを確認した。

 

「須郷、ちょっと来て。これは使えるかしら?」

 

 六合塚が何かを発見して、須郷を呼んだ。須郷は六合塚が見つけたもをの調べてみる。

 

「物は古いが、信管も爆薬も問題ない。保存状態がよかったのだろう。使えるな」

 

 常守がその様子を後ろから見守っていたが。そこにはとうの昔に刈り尽くされた、正真正銘の武器がある。ここがどんな場所かおおよその見当を付けた。

 

「それじゃここは……」

「大昔のテロリストの武器庫って感じですかね。これだけあれば、計画は実行可能になると思いますよ」

「この量を三人で運ぶのは無理ね。大型のドローンもあるし。これは応援を呼んで運び出さないと」

「自分は賛成です。地上への出口があればいいのですが」

 

 そう言って須郷が天井を照らすと階段が見つかった。

 

「あれは出口かもしれない」

「行きましょう」

「いえ、危ないので自分一人で確かめてきます」

 

 そう言って須郷は発見した階段に近付き、錆ついた手すりを頼りに、一歩一歩慎重に足場を確認しながら、階段を上って行った。そしてその階段の突き当たりには、内側からしか開けないような取手のついたハッチ状の丸い扉があった。須郷はそれを試しに回してみると、多少力が必要であったが、取手を回してロックを外すことに成功した。さらに扉を押してみると、地上の光が見えた。

 

「ここは……」

 

 それは湾岸区域にある、廃棄区画との緩衝地帯となっている私有地の広場であった。須郷は歩いてきた方向と距離を考え、この広場の地下が例の空間になっていると考えた。地下空間の天井と地上までは、ほんの数メートルしかないようである。重機で掘り返せばすぐに穴を開けられそうであった。

 須郷はそれを無線で常守に伝えた。

 

「常守監視官、ここはどうやらその空間は、緩衝地帯の地下のようです。すぐに重機ドローンを手配してください」

『了解です。一度刑事課に戻りましょう』

「了解。ボートで落ち合いましょう」

 

 須郷は、地上では存在が忘れ去られていた鉄のハッチを元どおりに閉め、常守たちのもとへと向かっていった。

 

 

 楪いのりが指定した座標からは、大量の兵器が発掘された。どれも八十年近く前の物であったが、一部はそのまま使用が可能だった。物が物だけに刑事課の管理するスペースには置ききれず、それらは厚生省の管理する湾岸地区にあるドローン基地へと運び込まれた。

発掘された武器類を見て、唐之杜がため息交じりに言う。

 

「戦争でもするつもりなのかしら?」

「さあな。だがこれでノナリアを潰すことができる」

「宜野座くんも、物騒なことを言うようになったわね」

 

 常守は発掘された武器から使えそうな物を選び出していた。銃弾類は暴発の可能性があるので、ドローン用の物以外は使用しない事にした。その代わり一部の爆薬とプライマーを建物の破壊用に持っていく事にした。

 そして一番今回役に立ちそうな物を整備し、使える状態にした。

 

「それじゃあ須郷さんはこのエンドレイブの操縦をお願いします」

 

 コントロール系統は現在のデバイスに置き換えられた。元々あった神経接続デバイスは、専用のコンバットAIがエミュレートする。固定のモニターを使わず、VRでカメラの映像を見るようにし、現在のシステムで動かすことが可能となっていた。

 

「わかりました、ですが」

 

 須郷は苦い思い出を思い出していた。

 

「じ、自分はリモートでの火器取り扱いはちょっと……」

 

 須郷は過去、二度にわたってリモート操作で上官を殺している。それが須郷の色相が悪化した原因であり、執行官になった理由でもあった。

 

「大丈夫、火器の使用は目視の場合にのみ、お願いします。無理をしなくていいですよ。そういった事は私達がやりますから。須郷さんはこれで力仕事をしてください」

「了解です」

 

 一方、宜野座は左腕の義手に、工事用のアタッチメントを付けていた。それを見ていた唐之杜が尋ねる。

 

「なあに、そのいかつい義手は」

「これは溶断破砕マニュピュレーターだ」

 

 宜野座の左腕に取り付けられたのは、建物を解体するときに鉄骨などを切断するマニュピュレーターであった。意気揚々とした表情の宜野座に対して、唐之杜はからかい半分で声をかけた。

 

「宜野座くんはさあ」

「なんだ?」

「やっぱり男の子なんだなって」

「なんだいそりゃ?」

「オモチャに夢中になってるってことよ」

「そ、そんな事はないぞ! 唐之杜!」

「そんな恥ずかしがらなくていいわよ。こんなお祭り騒ぎにわくわくしないなんて、潜在犯じゃないわよ?」

「お前な……」

 

 唐之杜が言った言葉は完全にからかうものであったが、潜在犯になったことによって解放された思考もある。それを素直に言葉にしていたのだ。

 そんな作戦の準備をする一係を見て、雑賀が一人ぼやいた。

 

「やれやれ、とても刑事には見えないな彼らは。とても市民には見せられん」

 

 一方で三係のメンバーらは、外部サーバーの設定をしていた。

 

「いいのかよ波多野」

「いいんだよ、一係の頭のおかしい監視官に理由もわからず命令されたことをやっただけだ」

 

 自分たちがやっていることは、シビュラの黙認の元で行う破壊行為の幇助であることはよくわかっていた。堂本が笑いながら言う。

 

「頭のおかしい? 違いない」

「だが刑事になって碌な事が無かったが、今は一番楽しいと思ってるぜ」

「嬉しそうだなお前」

「そんなんだから潜在犯になるんだよ」

「ちげぇねぇ」

 

 冗談を言いつつも、唐之杜が準備した外部サーバーの接続作業を続けていた。

 

「先生ぇー、シビュラを通さないネットワークの形成は完了しましたよ」

 

 芳賀が、唐之杜にサーバーの設定が終わったことを伝える。

 

「持ち出したサーバーぶっ壊さないでくださいよ」

「はいはい、それじゃ私は外で一服してくるから」

 

 唐之杜はそう言って、ドローン基地の格納庫から外へ出た。外へ出るとポケットに忍ばせていたメンソール系の煙草とライターを取りだした。そして煙草に火を付ける。すうっと一息吸った後、ライターをポケットに戻して携帯灰皿を取りだした。

 そこへ常守と霜月が来た。二人は黙って夜空を見上げた。これから始まる試練について考えていたのだ。ドローン基地とノナリアは目と鼻の先である。首都高を走ればものの数分で到着できる。目標は目の前に見えていた。それを今から破壊するのである。

 

「先輩、これは正義なんですか?」

「正義かどうかはわからないわ」

 

 霜月が常守に質問する、最も単純な問い、正義とは何か。人類が文明を持つようになって、常にその時代時代の哲学者が考えていたことである。常守個人の考えでは言い表せなかった。

 

「ただ、人を救う、子供を救う、その一点においては正義の味方……と言えるかもしれないわね」

 

 それを見ていた唐之杜が、黙って吸っていた煙草を常守に差し出した。

 常守はそれを受け取ると、一息煙草を呑んだ。紫煙がゆっくりと空に上がり、あたりには沈黙が漂った。

 

「あー!! もう!! わかりましたよ!! やります!!」

 

 その沈黙した空気に耐えられなくなったのか、霜月が叫んだ。

 唐之杜は新しい煙草に火を付けようとしていたが、それを霜月に差し出した。

 

「美佳ちゃんも吸う?」

「吸います!!」

 

 霜月は差し出された煙草を口に咥え、唐之杜が付けたライターの火に煙草の先を近づける。息を吸い込み、ジリジリと煙草に火を付けた。

そして、一息煙を吐く。

 

「やるじゃない」

 

 唐之杜は首を傾げながら笑顔を向けた。普段の霜月なら色相が濁ると言って、絶対に煙草など嗜まなかっただろう。唐之杜の提案を受け入れたのは、霜月なりの決心がついたことを示していたのだ。

 そして三人は黙って煙草を呑む。空は吸い込まれそうに澄み渡っていた。そこへ三人の紫煙が混じり合い、絡み合いながら次第に溶けていった。

 そこへ一台の車が到着した。運転席にいたのは巌永だった。そして、助手席に乗っていたのは茅間芽衣だった。

 芽衣は車から降りると霜月の方へ駆け寄った。

 

「みかんおねぇちゃん!」

 

 そう言って霜月の足に抱きつく。その姿を見て唐之杜がからかうように言う。

 

「あらあら、子供には懐かれるのね、みかんお姉ちゃん」

「みかんって言わないでくださいよ。でも、本当にやるんですか? 先輩?」

「ええ、彼女を本当に救うために」

 

 霜月はしゃがみ、芽衣の顔の高さで話をする。

 

「ごめんね芽衣ちゃん、私のお仕事のためにちょっとだけ協力して」

 

 そして霜月の後ろで扉の開く音がした。全員、出発の準備ができたことを示す。

 雛河は女性型の格闘用ドローンを台車に乗せ、芽衣の前まで運んできた。

 条件は茅間芽衣の脳と、犯罪係数の測定用のシビュラネットワークヘの接続、そしてEGOISTの歌だった。常守は端末に録音してあったEGOISTの曲をかけ、ドミネーターを芽衣へ向け、犯罪係数を測定した。

 その瞬間、格闘訓練用ドローンに楪いのりが投影された。もう驚く人間はいない。これは現実なのだとわかったからだ。唯一見えてなかった人物に常守は話しかける。

 

「巌永さんにあれが見えます?」

「カラクリがわかってしまえば、対応出来ますよ。あまり馬鹿にしないでください」

 

 巌永は小声で常守に返答した。常守はそれを聞いて、改めて楪いのりと対峙する。

 

「楪いのり、この子を助ける。手伝って」

 

 楪いのりは黙って頷く。そして一係のメンバーの方を向いた。ドローンの格納庫には、常守の元へ送られてきた古いドローンもあった。

 

「おいでふゅーねる……」

 

 そう楪いのりが言うと、ふゅーねるが起動し、楪いのりの足下へ走って行った。

 

「あれ動くんだ……」

 

 雛河が驚きの表情を見せる。

 そしてふゅーねるを抱えると、楪いのりはノナリアの方向へと走り出した。そして、パルクールの要領で首都高の陸橋をあっという間に登り、そして消えていった。

 

「我々もいくぞ!」

 

 そう気勢を上げたのは宜野座だった。そして全員が車両に乗り込む。楪いのりの後を追うように首都高へ走り出した。そしてその車両を追うようにエンドレイブが走り出す。

 一係もまた、あっという間に格納庫から消えていった。唐之杜はそれを見送ると、臨時に設置した指揮所に向かっていった。

 

 

 首都高を走って数分後、メガフロートの一端にあるインターチェンジを降りると、そこにはホログラムで明るく照らし出されている最新の量子メモリーの集約施設ノナリアがあった。その実態がシビュラであることは、常守しか知らない。

 ノナリアの門の前で、全員が車から降りる。それぞれが装備の確認をして、改めてノナリアの見上げた。

 

『準備はいい? 自前のネットワークを使っての通信サポートだから、あまり細かいことは指示できないわよ。みんな目標は確認した?』

 

 唐之杜から通信が入る。

 

「みなさん、装備の確認は終わりましたか?」

 

 全員が、常守にアイコンタクトで返答した。

 

「各自目標の再チェックをしてください」

 

 常守はそれぞれが担当するチェックポイントについて、改めて確認するように言う。

 

「ここからは、各自の武器で対応してください。宜野座さんと須郷さん、頼りにしてます」

「わかった。俺が先頭に立とう。エンドレイブは援護を頼む」

「了解」

『みんな気をつけてね』

 

 唐之杜が全員の安全を祈る。

 

「では、行きます。突入!」

 

 常守のかけ声で、一斉に一係がノナリアの敷地に侵入した。

 第一関門は、警備ドローンの大群であった。

 すぐに一係の侵入に気付き、警備ドローンが襲いかかる。

 宜野座は義手に装備された溶断破砕マニュピュレーターを起動させる。暫く時間が経過した後、マニュピュレーターの手の部分が赤く発熱した。そして向かってきた警備ドローンの頭を掴むと出力を最大にし、ドローンの外殻をはぎ取りながら握りつぶす。

 一体倒すと、もう一体が即座に襲いかかるが、それも同じ要領で叩きつぶす。何体か潰すと、急にマニュピュレーターのパワーが落ちた。

 

「もうエネルギー切れか? クソッ!」

 

 宜野座は義手に接続してエネルギーパックを捨て、新たなエネルギーパックを装着する。

 溶断破砕マニュピュレーターが加熱するまでの間、内蔵されたハンドブレイカーで、一体一体潰していく。

 

「宜野座さん! あまりエネルギーを消費しないで下さい! この先でノナリアのドアをこじ開けなくてはいけませんから!」

「了解した。だがコイツは!」

 

 宜野座の前に現れたのは警備ドローンを繰り出す大型のドローン母機だった。ハンドブレイカーを試して見るも、あまりダメージは与えられなかった。即座に溶断破砕マニュピュレーターにモードをチェンジして、ドローンの関節を狙う。ドローンの電磁警棒が、宜野座の頭めがけて水平に打ち込まれる。宜野座はそれをダッキングでかわし、そのまま前進してドローン母機の懐に入り込む。

 そして十分に加熱された溶断破砕マニュピュレーターの手刀を、ドローン母機の中枢に打ち込む。

 溶断破砕マニュピュレーターは母機の外殻を易々と貫通し、内部の精密部品ごと溶鉱炉で溶かされたように、金属が混ざり合い灼熱の塊となった。十分に内部を破壊すると、宜野座はドローン母機から足早に遠ざかった。

 ドローン母機の中で熱せられた灼熱の金属の塊は、内部の様々な部品を燃やし、そして破裂性の部品にその熱が到達した時、遂に機体は爆発炎上した。

 地上で宜野座が格闘している上空では、クアッドコプターの警備ドローンが飛び回っていた。威力は低い物のティーザーガンを内蔵しているため、厄介な相手であった。

 その飛行ドローンは、エンドレイブの高さと機動性を利用して、なぎ払っていく。クアッドコプターはその性質上、ローターを一つ破損すればたちまちコントロール不能になり、墜落する。須郷はエンドレイブでハエ叩きをするように操縦し、次々と飛行警備ドローンを落としていった。

 しかし全てを落とせたわけではなかった。隙を突いて常守達に飛行ドローンが襲いかかる。常守はデコンポーザーを構えた。

 その瞬間、目の前を横切る影を見た。

 

「楪いのり!」

 

 楪いのりは飛行ドローンを空中で蹴り上げ、たたき落とす。すると次から次へと警備ドローンを倒していった。

 

「先輩、彼女に何をさせるつもりです?」

「本体の場所を教えてもらうのよ。確実に破壊できるように、工作しないといけないはずだから」

「信頼していいんですよね」

「彼女だけが確実に、本体の場所を特定することができる」

 

 ノナリアに向けて走りながら、常守と霜月は話し合っていた。

 その会話に巌永が割って入る。

 

「彼女の歌によってサイコハザードを起こさないと、本当の場所がわからないですからね」

「そうね」

 

 常守は巌永と目を合わさずに、そう短く答えた。

 宜野座と須郷のエンドレイブ、そして楪いのりが次々と警備ドローンを破壊していったため、他のメンバーは比較的安全に前進することができた。

 そして遂に第二の関門に到達する。

 

「宜野座さん、須郷さんお願いします!」

「よし!」

 

 宜野座はノナリアの入り口にある、頑丈な扉のロックを溶断破砕マニュピュレーターで溶かしはじめた。須郷のエンドレイブは扉の隙間にマニュピュレーターを引っかけて、強引にこじ開けようとした。

 扉はその力に負け、きしむような音を出し始めた。

 

「離れろ! 扉が倒れる!」

 

 宜野座がそういて扉から離れると、埃を舞い散らしながら正面入り口の鉄門扉が倒れてきた。

 あたりに土埃が舞う。その土埃の中、真っ先に突入したのが、楪いのりだった。

 そして内部を警備していたドローンを瞬く間に倒していく。

 

「出遅れたか!」

 

 そう言って次に突入したのが、須郷のエンドレイブだった。

 

「続け!」

 

 宜野座が手をあげて合図を送る。

 そして全員がノナリアの内部へと侵入した。楪いのりはドローンを倒しながら、地下へと向かっていった。

 

「全員目標に向かってください! 破壊に成功したら通信を!」

 

 全員が「了解」と返答し、各々が担当するターゲットへ向かう。その直前に霜月が常守に声をかける。

 

「先行しすぎて死なないで下さいよ、先輩」

「ありがとう。私にはまだまだやるべき事があるから、死ねないわ」

「言いますね先輩」

「それじゃ、また後で会いましょう」

 

 常守はそう言って霜月と別れた。そして巌永と共に、楪いのりを追う。地下へ向かったのはちょうど良かった。最重要目標のキングストン弁は、メガフロートの最深部にあったからだ。

 地下への階段を駆け下りていくと、楪いのりが破壊した警備ドローンが無数に転がっていた。常守達は、攻撃を受けることなくメガフロートの最深部付近まで到達した。

 そしてあるフロアで楪いのりは立ち止まっていた。

 

「ここなのね、楪いのり」

 

 楪いのりは、答えの代わりに、歌を奏で始めた。

 

「出てきなさい! シビュラシステム!!」

 

 常守はそう叫ぶ。するとフロアの奥から足音がし、禾生壌宗が現れた。

 

「来たか常守朱! さあ人類の変革を刻むがいい!」

「人類なんて大した物じゃないわ。私、単なる『常守朱』個人の決断よ」

 

 そのやりとりを見ていた楪いのりが、常守にささやきかける。

 

「気持ちを返して上げて……あの子はもう一人の私だから」

 

 常守はゆっくりと禾生壌宗に狙いを定め、ドミネーターの引き金を引く。デコンポーザーはたちまち禾生の義体を分子レベルで破壊、貫通して禾生の後ろにあったシビュラシステムの通路に穴を開けた。

 そのデコンポーザーの光の中で、常守は幻を見た。幻の中で聞いたのは楪いのりの声だった。

 

――あの子の居場所を返してあげる……私にはまだ行く場所があるから……あの子に伝えて……しあわせになってねって……――

 

 光の奔流が収まると、そこには何も無かった。壁には大穴があき、その奥にあるシビュラシステムの本体が露わになっていた。

 

「高いんですよ。あの義体(トランスボディ)

 

 後ろから声をかけたのは巌永であった。

 

「どうせ代わりはあるんでしょう?」

「スペアは必要ですからね。私もこの義体から、そのスペアへ移るでしょう。対外的には何も変わらない」

「あなた達は、こんな事をいつも繰り返していたのね」

「そうですよ。そして『そんな事』に付き合っているのは、常守朱さん、あなたです」

 

 辺りを見回すと、一体の格闘ドローンが停止して立っていた。

 

「いのりも旅立ったのね……」

 

 ただの格闘ドローンに対し、常守は言いようのない郷愁を覚えていた。

 

「まだ終わってない」

「私とはここでお別れですね。先に集合場所まで戻っています。また会いましょう常守朱」

「嫌でも顔をつきあわせることになるでしょうから、あなたに対してはあまり寂しさを感じませんね」

 

 それは常守の、精一杯の嫌味であった。

 そして常守は一人、最終目標であるメガフロートのキングストン弁ヘと向かった。

 ノナリアの本体よりも、さらに下った場所にそれはあった。常守は端末を取りだし状況を確認する。ここに来るまで、何回か轟音が響き割っていた。それは他のメンバーによってメガフロートの主幹ジョイントが破壊された音だった。各員が破壊に成功した場合、その信号を送ることになっていた。それを改めて端末で確認する。

 全てのジョイントが破壊されたことを確認し、常守はキングストン弁にドミネーターを向けて、デコンポーザーを照射した。キングストン弁は分子状態まで破壊され、そして海水があふれ出してきた。この海水は高濃度の汚染水である。この水がノナリアの本体に流れ込めば、確実に機能を停止するだろう。

 常守は流れ込んだ海水を確認した後、非常階段で地上へ向かった。

 

 

 常守達は集合ポイントでそれを眺めていた。沈みゆくノナリア。明るく照らし出されていたホログラムは消え去り、今はただ黒い塊となって海中に没しようとしていた。事件の全てが沈んでいく。それをただ静かに見守っているだけであった。

 

 

――後日

 常守は、厚生省の広いテラスで空を見上げていた。

 あの日以来、サイコハザードは起こっていない。EGOISTの曲も、普通に歌われるようになった。何もかも変わったはずなのに、世界は何も変わっていないように見えた。

 そこへ、雑賀が訪れる。雑賀は二人分のカップコーヒーを持って常守の所まで来た。そして片方のコーヒーを常守に渡す。

 

「砂糖ミルク入りでいいかな?」

「ええ、大丈夫です」

 

 コーヒーを受け取った常守は、テラスにあるベンチに腰をかける。そして雑賀に問いかけた。

 

「この社会は変わってしまうんでしょうか」

「それなら大丈夫だろう」

 

 雑賀は即答した。

 

「権威を強烈に信奉している人間にとって、以前の権威が失脚しようと知ったことではない。一時的に失望はするだろうが、それも一瞬にすぎず、すぐに自分の気分を良くしてくれる新た権威を見つけて、それを信奉する。そして、それまでの矛盾を簡単に無視して、都合のいい部分だけを利用するようになる。社会はそうそう変わらんさ」

「そんなものなのでしょうか?」

「そんなもんさ。そして、矛盾を感じ疑問を持つ人間を再び排除していくだけだ」

 

 雑賀は逆に常守に質問をした。

 

「君は、彼女のことをどう思ったんだ」

「彼女は最後「しあわせになってね」と伝えて欲しい、と言いました。きっとどこか違う世界から私達を観察して、困っている人をただ助けたいと思って現れたんじゃないでしょうか」

「意外と君も、乙女チックなんだな」

「バカにしないでくださいよ。雑賀先生は、どう思っているんです?」

「さあね。結局どういった数学的理論を使っていたのかは、私にもわからんよ。人間の数学では理解、解釈、認識、再現のいずれも不可能な数学記号を利用できる「神の計算機」が存在して、楪いのりを産み出したのかもしれない。つまりシビュラシステムのアップデートが、偶然にも「神の計算機」に近い物を生み出し、あの名前のない怪物が現れたのだろう。と私は解釈するがね」

「それが、一番合理的な考え方なんでしょうか?」

「そうだな、何せ人類の作った計算機では認識できない論理で起こった現象だとしたら、何をやってもわからないから、永遠に真相は判明しないさ。神の計算機のきまぐれが起こしたとしか表現出来ないな」

「神、ですか」

「紛いものの神託を巫女に与える神ではなく、本物の神とでも言おうかな。そう表現するのが一番わかりやすい。もっとも神なんか信じちゃいないがね」

 

 そう言うと雑賀は天を仰いだ。

 

「ありがとう常守監視官。私を頼ってくれて。だが、これでシャバともお別れ。元の隠遁生活に逆戻りだ」

「またお話をしてくれますか」

「いいだろう。だが私に会った後は、きちんとメンタルケアをするんだぞ」

「今さら何をおっしゃるんです」

 

 そう言って常守は笑った。そう言えば久しぶりに笑った気がする。事件の後はいつも陰惨な気分になったが、今回は一人の死者も出さずに事件が終わった。茅間芽衣も、ネットワークから切り離されても人格が維持できるよう元に戻り、現在は新しい親権者の元にいる。彼女にとってそれが幸せなのかは、これからの社会が決めていくのだろう。遠い未来を考えながら、常守は晴れ渡った空を見上げていた。

 

 




最後までおつきあいくださり、誠にありがとうございます。
おかげで完結することが出来ました。
終盤はコミケC97に出すため若干駆け足気味になっておりますが、ひとまずきちんと着地が出来て良かったと思っております。
推敲を重ねないうちに本にしてしまったため、色々と手を加えたいところもありますので、そのあたりはコツコツと改稿していこうと考えております。

着想としては2015年くらいからありましたが、具体的にプロット書いてみたのが2017年で、同年の冬に一部をコミケC93で頒布しました。その翌年のC95で完結させようと考えていたのですが落選、それがきっかけで続きを書こうとハーメルンに投稿して今に至ります。
思い返せばC95で落選したのは運がよかったです。
その間にPSYCHO-PASSが再起動しSSシリーズが劇場版で公開され、本作と全く同じ年の出来事が映像化されました。設定や人物関係やキャラクターの性格が微妙に変化したため、一度プロットを練り直し、長い中断期間に入ってしまいました。
その後さらにPSYCHO-PASSの3期放送が発表され、矛盾無く繋げられるだろうかと心配になった時期がありました。

3期が始まりSSシリーズと3期の間に、お話をねじ込める僅かなスペースがあるのを見つけ、なんとかつじつまを合わせながら続けました。
都合がよかったことに、曖昧にされていた設定が3期ではっきりしたこともあって、毎週放送を見ながら、その要素を足していったりしました。これはなかなかエキサイティングな体験でした。

もう一方の楪いのりの方ですが、これも書いているうちにハーメルンがJASRACと包括契約をして、歌詞を引用できるようになるという、かなり大きな出来事がありました。
なので歌詞を引用しながら、彼女の気持ちを伝えようとも考えましたが、読者がイメージする曲と違ってしまうのもどうかなと考えて、あえてご想像にお任せするスタイルにしました。あの場面なら「いのり」はこの曲を選ぶのではないかと、想像しながら楽しんでいただければと思います。

本家にかなり翻弄されながら書くことになってしまいましたが、それも二次創作の楽しみでもあります。
特に霜月美佳がかなり立場が変わり、当初はもっと酷い目にあってもらう予定でしたが、SS以降の彼女の成長ぶりに敬意を表して、常守とは反目するけれど、事件に対しては頼れる相棒みたいなキャラに変更しました。

後書きが長くなりましたが、ひとまず完結ということで、また何かアイデアがあったら新作を投稿したいと思います。
重ね重ね、最後までおつきあいくださり感謝申し上げます。



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