おじいちゃんはビッグボス【完結】 (難民180301)
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1話
志摩家の庭は奇々怪々の様相である。
「何やってんの……父さん……」
「リンにダンボールの魅力を教えている。なあリン、ダンボール箱はいいものだろう?」
「うん! ダンボール好き!」
二十代半ばの女性が巨大なダンボール箱を持ち上げており、その真下に老人と幼女が体育座りで向かいあっていた。まるで二人が被っているダンボール箱を女性が持ち上げたような形だ。
実際その通りの状況で、ダンボールを持ち上げている女性はひきつった笑顔を浮かべたまま、一度ダンボールを二人に被せ直す。
きっかり三秒ほどたったのち、女性はダンボールを投げ捨てて言い放った。
「孫に変なこと教えないでよ、父さん!」
---
志摩家に特大の怒号が響く数分前のこと。
老人は困惑していた。
自分の生まれ育った実家の庭先。娘夫婦の生活も安定し、定年退職した自身の老後についても見通しがついた春のことだ。かねてより興味のあったツーリングとキャンプを始めようと思い立ち、現役時代に買ったはいいものの使う時間が無くどこかへしまいこんだキャンプ道具を探し始めた。
まずは庭にある小さな倉庫へ向かい、扉をあける。そして扉を開いた先の光景に老人は絶句したのだ。
そこにあったのは空っぽの段ボール箱。数年前に娘が買ってきた冷蔵庫の外箱で、成人男性一人が入ってもまだ余裕があるサイズだ。保証書がついてるから念のためとっておいたのか、それともゴミ箱や収納箱として使う予定でもあったのか。こんなものをしまいこんでいた娘の意図はともかく、倉庫の中にある物品としてはさほど不自然ではないだろう。
そんなダンボール箱に対し、なぜか老人は使命感を感じている。
ダンボール箱を被らなければならない。この世に生まれおちて六十余年、初めて覚える謎の感覚に老人は眉をひそめるばかりだった。
彼とてダンボール箱を初めて見たわけではない。しかし成人男性がすっぽり入れるだけの空っぽのダンボールが、空いたスペースをあらわにして鎮座している光景を見るのは初めてといってよかった。
理由はともかく、老人は使命感に突き動かされるまま倉庫に入る。それからダンボールを倉庫の外へ引っ張り出して、細く引き締まった両腕でダンボールを持ち上げ、被った。
カポッ、と心地よい音とともに視界が暗くなる。ほどよい閉そく感に老人はしぜんと笑みを浮かべている。
続いて老人は中腰でダンボールを持ち上げ、被ったまま庭先を走り回った。春のうららかな陽気の中、民家の庭先をダンボールが走り回る光景は妙にシュールだ。
といっても本人は真剣そのもの、先ほどまでの笑顔は鳴りを潜め、難しい顔で考え込んでいる。ダンボールを被って動き回っていると使命感は満たされるが、新たに謎の郷愁を感じる。ここではないどこか、殺気が満ち銃声と爆音の響く血なまぐさい場所でダンボールと生死をともにしていたような――
「くっ、くく、はははは!」
突如老人は笑いだす。あまりにも荒唐無稽な事実とタイミングの悪さを知ると、笑いをおさえきれなかった。
脳裏にひらめいたのは前世の記憶だ。享年八十歳、伝説の傭兵とも呼ばれた一人の男の記憶。葉巻を愛し、ダンボールにこだわり、戦いの中に生き、袂を分けた親友と決着をつけて果てた男だった。一般的な日本の家庭に生まれた自身とは比べ物にならない劇的な人生だが、紛れもなくその男がかつての自分だったという強い確信がある。それに、幼いころからなぜか柔道や合気道、その他格闘技全般に秀でていたのも、前世で骨の髄までしみ込んだ近接格闘術、CQCの影響だったとすれば得心できる。
「ははは! 今更思い出しても仕方ないだろう!」
が、前世を思い出しても老人はもう老人だ。
友を得た。職を得た。生涯の伴侶も、大切な娘も、孫娘だってできた。人生の酸いも甘いも味わい、人並みの不幸と幸福を乗り切ってきた。戦うことでしか生の充足を得られない戦士ではないし、今の幸せを捨ててまでかつての自分に戻る気にはならない。もう少し若いころに前世を――空っぽの大きなダンボールを見つけていれば話は違っただろうが、すべては今更だ。
老人はダンボールの中で膝を抱え、前世をじっくりと反芻しだした。ダンボールの安心感が懐かしい記憶を思い出させてくれる。かつての師であり、母親であり、敵でもあった彼女と出会ったころのこと――
「おじいちゃん、何してるの?」
「!」
ダンボールの間から陽光がさしこむ。スネークの頭上にビックリマークが飛び出た。
小さな両手でダンボールを持ち上げているのは、五歳になる孫娘のリンだ。娘に似てきれいな黒髪が日光を反射している。
かわいらしく小首をかしげるリンに向け、老人はおごそかに口を開く。
「ダンボール箱を被っている」
「なんで?」
「分からない。だがこの箱を見ていると、無性に被りたくなったんだ。いや、被らなければならないという使命感を感じた、という方が正しいかもしれない」
「しめーかん……?」
「ああ。リンは三時のおやつが目の前にあったらどう思う?」
「たべたい!」
「そうだろう。それと同じだ。ダンボール箱が目の前にある。すると被ってみたくなる。人間はこうあるべきという、確信に満ちた安らぎがそこにあるからだ」
「んー?」
「分からないか?」
「うん」
「ならお前も被ってみろ。そうすれば分かる」
「うん!」
幸か不幸かリンの感性は老人のソレを引き継いでいた。体育座りで向かい合いダンボール箱を被ると、リンはなんともいえない安心感に満たされる。不思議な感覚にリンは頬を紅潮させ、「わあ……」と声を漏らす。
「どうだリン。ダンボール箱はすごいだろう?」
「うん、すごい……」
リンはお風呂の湯船につかっているときのように蕩けた表情で、その様子からダンボール箱の素晴らしさには世代も世界も関係が無い、と老人は確信した。ダンボール箱はスパイのマストアイテムとしての側面だけでなく、人類普遍の価値、母なる海に通ずる何かを有しているのだ。
こうして孫娘とダンボール箱の素晴らしさを共有する余生も、悪くないかもしれないな。
そんな老人の思惑に対し娘が「変なこと教えないで」と猛反発するのは、このすぐ後のことだった。
---
老人が前世の記憶を取り戻してから十数年後。
「お母さんしょうゆとって」
「はいはい」
「ありがと」
志摩家のリビングで母と娘が朝食をとっている。父はいつも早めに仕事へ出るので朝食は二人だけだ。特に和気あいあいとしゃべり合うわけではないが、朝のニュース番組をBGMに和やかな雰囲気が漂う。
女子高生となったリンは、母親似の黒髪をシニョンに結ってぼうっとテレビを眺めていた。朝に弱いのか眠たげに目を瞬いている。
『続いて今日のすごい人のコーナー!』
「あ、おじいちゃん」
「相変わらず元気でやってるのねぇ」
ニュースがひと段落して次のコーナーに移行すると見知った顔が画面に映し出され、リンの目がわずかに見開かれた。母は呆れまじりに苦笑しながら、画面の中で渋いキメ顔をする老人に目を向けた。
『このコーナーでは今話題になっているスゴイ人を特集していきます。今回のスゴイ人はこの人!』
ニュース番組だかバラエティだかよくわかんない企画だなぁ、とリンは内心で茶々を入れつつテレビに集中する。
『七十七歳にして無人島でのサバイバル生活を愛する、通称「スネーク」さんです!』
「どうも、スネークです」
リンの祖父――老人は定年退職後、キャンプに加え無人島でのサバイバル生活を趣味とした。もともとアウトドア系の趣味に興味があり、しかも都合よく前世の記憶と知識を取り戻したので、時間も金もあるのだからとサバイバルを始めたのだ。知識と暇があれば活用したくなるのが人情だった。
現役時代の友人のコネを活用し渡航可能な無人島の情報を集め、後は現地で送迎をしている漁師さんを探して渡航。目いっぱいサバイバルを満喫して帰港し、さらに近場のキャンプ場をはしごする生活を繰り返している。
転機はリンの母のSNSだった。祖父の元気すぎる生活を「もう少し落ち着いてほしい」という旨で投稿したところ、大衆の耳目を集めフォロワーが急増、テレビ局やアウトドア系の雑誌からたびたび連絡が来るようになった。本人のオープンな気質もあいまって人気が増し、今やサバイバル技術の第一人者として知られている。
「リンは絶対ダメだからね」
「分かってるよ。毒虫とか怖いし行かない」
「ダンボールでキャンプもダメ」
「……」
「リン?」
「わ、分かったよ」
おじいちゃんっ子のリンだが無人島生活にはついていけそうもなかった。文明の恩恵をしっかり享受する女子高生にサバイバル生活はつらい。
といっても大好きな祖父のマネはしたくなるもので、中学のころからキャンプを始めた。その際テントの代わりにダンボールを持っていこうとしたが、「絶対やめて」と両親に懇願され断念。大人しく一般的なテントを使ってソロキャンプを楽しんでいる。
『スネークさん、持ち物はそれだけですか?』
『ああ。ナイフ一本あれば大抵のことはどうにかなる。見ていろ』
祖父がナイフを手に川へ突っ込む。
『数分後』のテロップが流れると、片手に巨大な魚を、口にナイフをくわえた祖父が戻ってきた。
『大きな魚ですね!』
『まあまあだな。さて、こいつを焼きたいところだがこの雨じゃ難しい』
『となると、干物とかにするんでしょうか?』
『いや、このまま食う。サバイバルビュワー!』
『ちょっ、カメラ止めてカメラ!』
『ちなみに寄生虫はよく噛めば死ぬから平気だ』
謎の効果音とともに生の川魚をむさぼる祖父。続いて『しばらく音声だけでお楽しみください』というテロップ。リンは「おいしくなさそう」と顔をしかめ、母は頭を抱えた。
「リン、言っとくけど人前でああいうこと……」
「しないよ。人前じゃなくても」
祖父のことは大好きだ。でも全部マネしたいとは思わない。人をそんなに影響されやすいヤツみたいに言うのはやめてほしい。
と内心で憤慨するリンだが、彼女が自覚している以上に祖父の影響は強かった。
---
富士山にほど近い、本栖湖のふもとキャンプ場。
冬場で他のキャンパーの少ないがらんとしたそこに、リンは一人テントを設営しソロキャンを満喫していた。たき火のはぜる音以外何もない静まり返ったキャンプ場に一人でいると、自然にまぶたが重くなる。夕食を食べた満腹感があるからなおさら眠い。
しかしあったかいスープを飲み過ぎたせいか厠が近い。
リンはゆっくりと立ち上がり、言った。
「脱ぐか。で、トイレ行こ」
寝ぼけているわけでも酔っているわけでもない。リンは大真面目な顔で厚い防寒具に手をかけ――
「いやいや、何をしてるんだ私は」
すんでのところで思いとどまった。
『おじいちゃんって、無人島だとよく上半身裸だよね。虫に刺されるし傷もつきやすいのに、なんで?』
『気持ちいいからに決まってるだろう』
『気持ち……いい?』
『欲を言えば下半身も脱ぎたいんだが……お前のお母さんに「本気で泣くよ」と脅されているからな。あれで我慢している』
驚くほど頑丈な祖父とは違い、リンは普通の女子高生だ。真冬の湖畔で裸になろうものなら風邪は必至、悪くて低体温症で死ぬだろう。いくら開放感のあるガラ空きのキャンプ場でもそれはまずい。危ないところだった。
そそくさとトイレへ。手早く用を済ませ、そばにあるベンチに目をやる。そこで昼間寝ていた同年代くらいの女子の姿は消えていた。さすがに夜通しここで寝るほど無謀ではなかったらしい。
キャンプに戻ってスマホで祖父関連のニュースでも探そう、とリンが踵を返すと――
「ううううう」
「!」
リンの頭上に赤いビックリマークが飛び出した。
敵は一人。ベンチで寝ていた女子が大粒の涙を流しながらこちらを見つめている。振り返ったらそこにいるホラーっぽい演出のせいでリンの恐怖心と警戒心が一瞬で高まった。
即座に戦闘態勢へ移行、どんな動きにも対応できるよう神経をとがらせる。
すると涙を流す女子は、助けを求めるように片手をリンへ突き出した。
「ふんっ!」
「えっ、なになに!?」
その手を取って優しく関節を固めつつ、女子の背後へ。空いた手を首に回し、のど元にスマートフォンを突き付けた。祖父から教わったなんちゃって護身術、マイルドCQCである。
「あ、ご、ごめんつい」
「びっくりした~!」
優位な状況になったことでようやく平静を取り戻したリンは、即座に拘束を解除する。解放された女子は目を丸くしてリンに向き直った。
「今の何!? 合気道? ジュードー!?」
「CQC、かな。意味はよく知らない。それよりごめん、急に技かけて」
「ううん、私もびっくりさせちゃったから。こっちこそごめんだよ」
そう言って笑う彼女の瞳から、新しい涙は流れなかった。驚きで不安が吹っ飛んだらしい。
「私そこでキャンプしてるんだ。ここじゃ寒いし、移動しない?」
「キャンプ!? うん、行く行く!」
そうして移動した二人はお互いの事情――おもにベンチで眠っていた女子、各務原なでしこの事情を話しあった。お札にも印刷されている富士山を自転車で見に来たなでしこは、ベンチで休憩しているうちに爆睡。気付いたら陽が落ちてて、帰り途も暗くて帰るに帰れないとか。
カップ麺をごちそうするとなでしこは姉の携帯の番号を思い出し、迎えを頼むことに成功する。
後は迎えが来るまで待つだけだ。
「でもキャンプなんてすごいよねー。あれでしょ、ナイフ一本で蛇捕まえて、魚とか生で食べるやつ!」
「違わい」
「え? でもテレビで、『この程度東南アジアのジャングルに比べればキャンプみたいなものだ』ってスネークさんが言ってたよ! 今朝テレビで見た!」
「おじいちゃん……」
リンは頭を抱えた。祖父のせいでキャンプのハードルがすさまじく高くなったかもしれない。人混みの苦手なリンにとってはありがたいが、キャンパーをサバイバリストのように勘違いするのは勘弁してほしい。
「キャンプってのは、こうやってテント張って、たき火たいたり景色を眺めたりしてのんびりすること。生き残ること最優先のサバイバルとは違うよ」
「そうなんだ! たき火で景色ながめて、テントでのんびり……楽しそうだねっ!」
「ん……まあ結構楽しいかな」
たき火を囲った二人の談笑は、ゆったりと、しかし途切れることなく続いた。
---
「あれ? 斎藤からだ」
姉の車で帰って行ったなでしこを見送った後、テントに戻ってきたリンは、友人から新着メッセージが届いていることに気がつく。どうやらついさっき、なでしこと話している間に送ってきたらしい。
「なんじゃこりゃ」
内容は朝の番組のクリップ画像だった。焼いた蛇にかぶりつく祖父に『うますぎる!』と字幕のついたワンカット。斎藤からは『共食いおじいさん』のメッセージが添えられている。
(そういえば、アイツもうまそうにカレーめん食ってたな。食い意地の張ってるおじいちゃんと、案外気があったりして)
リンの脳裏に、並んで蛇にがっつきながら「うますぎる!」と叫び合う祖父となでしこの姿が浮かび、小さく吹き出してしまう。
そうして他愛ない想像と、斎藤とのやり取りにふけっていると、あっという間に夜が更けていくのだった。
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2話
「やーい、リンのおじいさんはビッグボスー」
「小学生みたいなノリやめい」
十一月下旬。閑散とした図書室のカウンターにヒジをつきながら、斎藤が唐突にそういった。ストーブの暖気でぼーっとしていたリンは、あくびをかみ殺して斎藤に目を向ける。
「ていうかビッグボスってなんだよ。缶コーヒーのブランドかよ」
「私はボスよりゆーしーしーが好きかな」
「適当言ってるだろ」
「うん。私コーヒーそんなに飲まないし」
言いながらスマホを取出し操作する斎藤。しばらくしてリンに画面を向けると、そこには『上司になってほしい有名人ランキング』と題したネットニュースが載っている。
誰が誰にアンケートをとっているのかリンにはさっぱりだが、芸能関係の報道に触れているとたいして興味がなくても一度は目にしたことがありそうな、ありがちなニュースだ。これが「ビッグボス」の名前とどう関係があるのか。
「……!?」
斎藤に問いただそうとしたリンは、とても見覚えのあるシブい顔がランキングトップに載っているのを見つけ、思わず二度見した。斎藤はニコニコといたずらっぽく笑っている。
昔より伸びたヒゲ、野性味あふれるみだれ髪、歴戦の兵士のごとき風格が漂う鋭い目つき。どう見てもその老人はリンの大好きなおじいちゃん、世間でいうところのスネークその人だった。
「すごいよね。有名なお笑い芸人とかタレントとか、アイドルとかを下して一位だもん」
「……うん」
「あ、めちゃくちゃうれしそう」
「うるさいな」
平静を装うリンだったが、斎藤の指摘通り内心では小躍りして喜んでいた。状況次第では本当に踊っていたかもしれない。大好きなおじいちゃんが何かのトップに輝くということは純粋に誇らしく、うれしかった。
たしかに祖父は昔から多くの人に慕われている。昔の知り合い、友人、顔見知り、腐れ縁、宿敵とかいっていろいろな人を家に招きお酒を飲むことがよくあった。祖父にかまってほしいリンはそのたびに拗ねて周囲を困らせていたからよく覚えている。みんな祖父のことを心から尊敬し、中には畏れている人もいた。人の上に立つ人とは祖父のような人のことを言うんだ、とリンは学んだ。
「ファンの人たちの一人がさすがはビッグボス、って呟いて。それがあっという間に広まって定着したんだって」
「ふーん。ビッグボス……」
上司になってほしい人第一位の称号、ビッグボス。シンプルだが試しに口に出してみると妙にしっくりくる。まるで祖父のために用意されたような作為さえ感じられる。
「そのページどこ?」
「ビッグボスで検索したらトップで出てくるよ」
ほほえましいものを見るような斎藤の視線も、今だけは気にならない。リンは自分のスマホですぐさまニュースのページに飛び、記事全文をコピペ、画像をスクショする。今でこそファンの多い祖父だが、もっとも熱心なファンは今も昔もこの孫娘である。ニュースの公開が授業時間中でなければ斎藤よりも早く気付いただろう。
年金と退職金、ネットを使った広告収入で悠々自適な放浪生活をする祖父だが、ちょうど今週末に帰ってくるらしい。そのときビッグボスと呼んだら、どんな反応をするだろう。最近初めて同級生とキャンプをしたことも話したい。
祖父の姿を思い浮かべ静かにテンションを上げるリンを、斎藤は笑って見守っていた。
---
野外活動サークル部長、大垣千明は自分の目を疑っていた。
サークルの次の活動場所を下見しにキャンプ地を訪れた千明。この世のものとは思えない光景に遭遇したのは、丘の上からの絶景や赤黄緑の入り混じる木立を楽しみながら歩いていたときだった。
木立が途切れ広場のようになっている場所で、一人の老人がスキレットで肉を焼いている。年季の入ったワンポールテント、使い込んだ木製ローチェア、老人の身にまとうシブい雰囲気はまさに老練のキャンパーだ。
「スネークさん!?」
しかし千明が思わず口にした通り、その老人はサバイバル技術の達人スネークである。
雑誌やテレビでたびたび目にするような有名人が目の前にいる。それだけでも千明が動揺するには十分だったが、何より千明を困惑させているのはそこではない。
「スネークさんが肉を焼いている……」
スネークが調理している。たいていのモノを生でかっ食らい「結構イケる」「ウマすぎる」「バッテリーが回復する味」などと独自のコメントをするスネークがスキレットで肉を焼いているのだ。
メガネをぬぐい目をこすってもう一度見返してみる。
ばっちり目があった。
硬直する千明。
一方、スネークは千明を見、肉を見、もう一度千明を見る。そして軽く手招き。
緊張してぎくしゃくと近づいていく千明に向け、スネークは口を開いた。
「肉、食うかい」
「……何の肉、ですか」
「何だと思う?」
ニヤリ、と意地の悪い笑みを浮かべるスネーク。千明はごくりとノドを鳴らした。蛇やカエル、キノコを見境なしに食べているイメージのスネークが一体何を焼き、自分にすすめているのか――。
「実は先ほど活きのいいアオダイショウを見つけてな」
「つつしんでご遠慮させていただきます!」
「ハハ、冗談だ。わざわざキャンプ場で動物をキャプチャーなんてしないさ」
警戒して距離を取る千明をスネークは笑い飛ばした。
「ただの牛肉だ。麓のスーパーで買ってきた。少しつまんで行くか?」
「スネークさんが言うと冗談に聞こえないですって……。ういっす、いただきます! ――!」
レアの肉を一切れ頬ばり、千明は声にならない悲鳴をあげた。めっちゃうまい。口に入れたとたんとろけるような肉ではない、噛めば噛むほど肉汁と旨みが出て来る男らしい肉だ。
スネークは幸せそうに肉を味わう娘を見ながら孫娘を思い出す。昔からよくなついているかわいい孫だ。常人には受け入れがたいダンボール箱の哲学にも理解を示してくれるのはいいが、サバイバル技術やCQCにも興味を持ってしまった。娘には「これ以上変なこと教えたら許しません」と脅され、どうにか興味の対象をキャンプと護身術に逸らした。
近いうちに会いに行く予定だが、元気にやっているだろうか――。
「ごちそうさまです!」
「ああ。道中、気をつけてな」
「はい! 失礼します!」
遠くを見ているうちに千明は肉を食べ終えていた。
そうして言葉少なにあいさつを交わし、別れる。千明はサークルの仲間に話す絶好の土産話ができたと喜び、スネークは肉に視線を落としつつ一人、孫娘に思いをはせるのだった。
---
志摩家の玄関先が緊張感に満ちている。肌がひりつくようなピリピリした空気は、まるでそこだけが戦場になったようだった。
「答えてくれ、リン」
その空気を作った張本人、スネークは鋭い声で孫娘に問いかける。
「どこでその名を――『ビッグボス』の名を知った」
「どこ、って……」
対峙するリンは、怒っているとも悲しんでいるともとれる祖父の謎の迫力に困惑するほかなかった。どんなことを言われても笑って受け流すか鋭いジョークで切り返すかする、泰然自若の化身のような祖父が明らかにうろたえているのだから。
待ちに待った週末。帰ってきた祖父を迎えるため俊敏な動きで玄関に向かったリンは例の称号をもって祖父の帰りを歓迎した。
『おかえりなさい、ビッグボス』
その途端、どんな状況でも落ち着いた姿勢を崩さなかった祖父は目を見開き、冷や汗を流して動きを止め、リンに聞いたのだ。どこでその名を知ったのか、と。
「え、っと」
「……怖い声を出してすまなかった、リン」
どうにか答えようとするリンを前に、スネークは頭を下げた。
「だが、二度とその名で呼ぶな。それは俺にとって、特別な意味がある」
『彼女』を殺した証であり、決別の意思でもあり、最強の英雄と同時に最悪の反逆者を意味するビッグボスの名は、スネークの前世を十二分に象徴するものだ。家族を愛する一人の老人として生きる今となってはもう二度と呼ばれることはないと思っていた。
その名前がかわいい孫娘の口から出たというのだから、動揺するのは当然だった。
「二度と……」
「そう、二度とだ。金輪際口にするな」
「二度どころか数万回は口にされてるみたいだけど」
「何!?」
「ほらこれ」
しれっとスマホを取りだすリン。リンの母のSNSが表示されており、匿名のコメントたちが「ビッグボス」の名を連呼している。中には「VIC BOSS」ともじっているものさえいる。
これは一体、と戸惑うスネークにリンはいきさつを説明した。よく分からんランキング。ネット上の誰かが言い出したビッグボスの称号について。
すべてを知ったビッグボス当人は――
「はははは! いい時代になったものだ!」
腹を抱えて笑いだした。
「あの称号がまさかこうなるとはな!」
「おじいちゃんは、この名前に嫌な思い出でもあるの?」
「んん、まあそうだな。昔のあだ名だ。この名前でよくからかわれた」
「ふーん……めっちゃシブいあだ名だね」
リンは釈然としない。その程度の理由なら苦い顔をして話をそらすのが祖父だ。きっと何か別の事情があるのだろう。
ただ、今の祖父はとても幸せそうに笑っている。過去にあった嫌な思い出をみんな呑み込んだかのように。
それなら深くは聞かない。過去に何があろうと、飄々と笑って悠々と旅をして幸せに生きている祖父が、リンは一番好きだから。
「ああ。だがほめ言葉としてならいくらでも呼ぶといい。今日から俺は、ビッグボスだ!」
「うん。ビッグボス」
許しが出たので早速口にしてみると、やはりしっくりくる。
ビッグボス。
おじいちゃんはビッグボス。
「二人とも、玄関でいつまで話してるの」
「お母さん」
「おお久しぶりだな! 元気にしてたか?」
「お父さんほどじゃないけどね。そこじゃ寒いでしょ。早く中に入れば?」
「そうさせてもらおう」
居間の扉からリンの母が顔を出し、リンとスネークに中へと促す。
いつもより上機嫌になった祖父の背中に、リンはとことことついていった。
おしまい
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おまけ
野外活動サークルメンバー、なでしこ発案の焼肉キャンプ当日。なでしこの姉の車でリンを拾い、千明提案の四尾連湖キャンプ場に向かう途中、肝心の肉を買うためにゼブラというスーパーに立ち寄る。
なでしこがリンの意外な一面を知るのはこの時のことである。
「リンちゃん、お肉なに買ってく?」
「そうだな……豚バラ、カルビ、トントロ、ホルモン、ハラミ、タン、ロース――」
「あ、私トントロ好きー」
スーパーに入店しつつ二人はおいしい焼肉に思いをはせる。特にリンの方はすでに頭の中で焼肉を始めているのか、肉への熱い思いが小さな体からにじみ出ている。なでしこもその熱に浮かされ、弾むような足取りでお肉のコーナーへ向かう。
しかし待っていたのは非情な現実だった。棚にひっついている『モリモリ焼肉コーナー』の名前とは裏腹に、そこにあった牛肉はバラとカルビだけだ。イメージしていた焼肉の理想像が崩壊し、二人はガクリと膝を折る。
「そっか、バーベキューって普通は夏だから、今は……」
「マイノリティー殺し……」
普段はリンが恩恵にあずかっているシーズンオフだが、今回ばかりは都合が悪かった。
割と本気でショックを受けているリンを慰めようとあわてて周囲を見回すなでしこ。
が、リンはすぐに立ち上がった。気のせいか表情はいつもより勇ましい。
「仕方ない、台所用品のコーナーで果物ナイフだけ買っていこう」
「なんで!?」
「現地調達もキャンプの楽しみの一つだよ。本当はサバイバルナイフがほしいけど」
「キャプチャーしちゃうの!? 落ち着いてリンちゃん! 野生の牛なんてキャンプ場にはいないよ!」
「あ、そっか。じゃあ鳥とか魚とか」
「焼き鳥用の鳥ならそこにあるよ! 豚串も!」
焼肉コーナーのすぐ隣に鳥肉と豚肉が勢ぞろいしている。ハンバーグの種もある。鮮魚コーナーには加工済みの新鮮なお魚だってあるだろう。現地調達の必要はなさそうだ。
計画を変更したなでしことリンは、豚串、鳥肉、ハンバーグ、野菜にお魚をしこたま買い込みキャンプ場へ。当初の思惑とはちがうものの、備長炭で直火焼きした上外ごはん効果で三倍おいしい焼肉キャンプを楽しむのだった。
---
「と、そんなことがありました!」
ガタゴトと揺れる電車内。学校からの帰り道で、焼肉キャンプの感想を聞かれたなでしこは話をそうしめくくった。なお、話の始まりは「リンちゃんがワイルドでびっくりした」である。
なでしこの両隣に座る野外活動サークルメンバー、千明とあおいは苦笑する。
「たしかにしまりんの提案もアレだが、なでしこのツッコミも大概だな」
「なでしこちゃんは基本、ボケ担当やからなー」
「どういうこと?」
「気にせんでええでー」
首をかしげるなでしこをしり目に、千明はカラカラと笑う。
「しっかししまりんも面白い冗談言うじゃねーか。ツッコミ役のイヌ子と組んだら世界狙えるぜ」
「勝手に人をツッコミ役にすな」
スーパーの肉の品ぞろえがイマイチだからといって、肉をキャンプ場で現地調達する女子高生なんているわけない。きっと空腹とショックで奇妙な冗談が口をついたのだろう。
「あれ冗談だったの?」
「そりゃそうやろ。志摩さんが動物をキャプチャーしてるとこなんて想像できへんやん」
「そうかなぁ?」
なでしこは納得いかない。リンの小動物のような体格とイメージは合わないし、根拠もないが、なんとなく無人島で大自然相手に一カ月サバイバル生活くらいはできそうな気はする。
「キャプチャーといえば、なでしこにスネークさんの話ってしたっけ?」
「まだしてないと思うよ。でもあれホントなん?」
「ホントだって!」
「なになに、何の話?」
「アキがこの前キャンプ場の下見に行ったときにな、スネークさんに会うた言うんよ」
話によると千明は、野外活動の偉大な先達であるスネークが、キャンプ場でワンポールテントを張りスキレットで肉を焼いているところに遭遇した。千明は肉を一切れごちそうになったとか。最近千明がスキレットを買ったのはその時の影響だとか。
「ええっ!?」
話を聞いたなでしこの目が大きく見開かれる。
「スネークさんがテントを!? しかもお肉をわざわざ焼いてた!?」
「なー? 私もそこが信じられへんのよ」
「いやなんでだよ!? スネークさんだってたまにはテントも張るし肉も焼くだろ!」
憤慨する千明だったが、一般的女子高生にとってのスネークの印象は良い言い方をすればワイルドの化身、平たく言えば野人である。テントを張るより洞穴を探すか木の上に登るかして夜を明かしそうだ。肉も焼かずに生で頂くだろう。なにしろどんな毒キノコを食べても「腹を壊した」で済む胃腸を持っているのだから。
「ファンの人がスネークさんの髪型とかヒゲとかマネしとっただけちゃう?」
「そんなわけ――いや、言われてみればそんな気もしてきた……」
「まあまあ、アキちゃんがかっこいいおじいさんに会ったってことでいいじゃない!」
「せやせや。ところで、そのスネークさんが今朝面白いことつぶやいとったんやけど――」
あおいがスマホを取り出し、SNSのページを開いたことで話題が変わる。姦しい野外活動サークル三人組にとって、電車での移動時間はあまりにも短かった。
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「ぶえっくしょい! すまん、で、トイレに行ってどうしたって?」
女子高生に噂されているビッグボス、もといスネークはベタにくしゃみを一つ。自宅のリビングでダイニングテーブルに隣り合って座る孫娘に向き直った。
話題はなでしこたちと同じく四尾連湖キャンプだ。初めての友達とのキャンプは祖父に真っ先に話したいことだったが、他にも原付の免許をとったことなど話が尽きず、祖父が帰ってきて数日たった今日やっと話している。
なでしこの美人なお姉さん、火がつきにくい備長炭、親切な火おこしのお兄さん、文字の読めない石碑――記憶にあることを取り留めもなく語っていたリンは、一度ごくりと生唾を呑み、声を一段低くする。
「トイレに行った後湖を眺めたら、月明かりが湖に反射してすごくきれいだった。星もよく見えて、対岸にはぽつぽつと明りがあって――そしたら、出た」
「出た?」
「牛鬼が。獣みたいに唸ってて、大きな枝角が生えてた。……言い伝えは聞いてたけど、まさかホントに出るなんて」
リンは無意識に祖父の袖を握りしめた。脳裏によぎるのは恐ろしい牛鬼のシルエット。唸り声とともにぬっと闇から現れた怪物の姿は、しばらく忘れられそうにない。
「CQCで戦おうとしたけど、怖くなって必死で逃げて……」
「その判断は正しいぞ、リン。情報のない敵との交戦は避けた方がいい。それにCQCはあくまでも対人戦闘術だ。怪物の類には使えない。――怖かったな」
祖父の大きな手がリンの頭に乗せられる。頭から感じる温かみが、恐怖心を嘘のように消していく。まるでダンボール箱を被ったような安心感がリンの全身を覆った。
と、そこで祖父はニヤリと笑う。
「しかし牛の鬼とは、本当なら惜しいことをしたかもしれんな」
「え?」
「幻や伝説、空想と呼ばれるものは最高にウマいと相場が決まっている。ましてや『牛』の鬼だ、ウマいのは確実だろう」
「その手があったか……!」
リンは目からウロコが落ちる思いだった。妖怪、亡霊と聞いていたからキャプチャーするという発想がなかった。しかし目の前に現れた時点で実体があるのは確実。ならば味を確かめるのが正しいキャンパーのはずだ。そこに気付くとはさすがビッグボス。
今度行ったら探してみようと決意するリン。すると、ハッと何かに気付いたように祖父を見上げた。
「そう言うってことは、おじいちゃんは食べたことあるの? 伝説とか、幻とか呼ばれるものを」
「無論だ。まあつい最近のことだが。コイツを見てくれ」
おもむろにスマホを取り出す祖父。リンに向けられた画面に映っていたのは蛇である。ビール瓶程度の太さの胴体、それに比して細い尻尾、蛇の頭。これはどう見ても――
「ツチノコじゃん!」
「ああ。UMAの代表格。日本各地に生息するといわれる幻の蛇だ。実は先日――」
「で、味は?」
話が早い、とばかりにスネークは笑みを深める。リンとスネークにとって発見の経緯とか場所とか、その他もろもろの情報に大した価値はなかった。
問題は味。大自然に生きる野生動物たちのもっとも重要な情報は、味に他ならない。
目をキラキラさせる孫娘に対しツチノコの詳細な食レポを語り始めようとしたその時――インターホンがなった。
「私が出るよ」
「――悪い。頼む」
出鼻をくじかれた形のスネークは腕を組む。
リンは続きが気になって、俊敏に玄関へ駆けていく。買い出しに行ったお母さんが帰ってきたのだろう。いちいちインターホンを鳴らすということは、鍵を忘れたのかもしれない。
そうして不用心にリンが開けた扉の向こうにいたのは、
「お母さん、鍵忘れ……あれ?」
「やあリン君、久しぶりだな。また背が伸びたようだ」
「久しぶり。背だって伸びるよ、前に会ったのは二年以上前でしょ――ゼロおじさん」
真っ白な髪の毛をきれいになでつけ、しわだらけの顔に人のいい笑顔を浮かべる老人。
祖父の親友、ゼロおじさんだった。
---
ゼロ。本名はデイビッドというらしいが、リンもリンの母親も彼がデイビッドと呼ばれるのを聞いたことがない。祖父も本人もゼロの名前を「しっくりくるから」と気に入っており、周囲も彼らに倣っているのだ。
「で、どうしたゼロ。護衛も付けずに一人で」
「私の意志はもう次世代に託した。ただの老人に護衛など人員の無駄だよ」
「今頃ただの老人を慌てて探す人員が無駄になっているだろうな」
「そうかもしれん」
ダイニングテーブルをはさんで二人の老人が向かい合い、リンは少し離れたソファに座ってその様子を眺めていた。飄々と笑うゼロはこの時間を楽しんでいるようだ。
護衛の話からも分かるように、ゼロはいわゆる有名人だった。超巨大IT企業「サイファー」の創始者にして元代表取締役社長。世界長者番付の常連であり、世界中にその名をとどろかせた偉人だ。祖父とはサイファー誕生前からの古い付き合いらしい。
インターネットの概念すらない時代に「電子の網によって一つにつながった世界」を提唱し、以後技術者を育成しながらサイファーを起業。携帯電話、タブレット、パソコンなどの開発・製造・販売、大手検索エンジンや通販サイトの作成・運営などで瞬く間に規模を拡大し、今や世界に知らぬものはないほどの大企業となった。その規模のほどは、普通に運営してるだけで独占状態になっちゃうから規制を考えた方がいいのでは、と国に危険視されるほどだ。
ゼロはそんな超巨大企業のトップであり、爆発的なIT革命の爆心地になったことにちなみ「グラウンド・ゼロ」の異名をとることになる。
巨大になり過ぎたせいか、最近では黒い噂も絶えない。たとえば検索のサジェスト機能や広告表示で人々を無意識下で操っているとか、サイファーは世界を裏で牛耳る支配者とか、ゼロの思想は世界征服そのものであるとか。
(どう見ても普通のおじいさんだけど)
といってもリンにとっては関係なかった。
ゼロにどんな噂があろうと、黒幕だなんだと言われようと関係ない。
気まぐれに現れ、お小遣いやお菓子をくれて、祖父とお酒を飲んで帰っていく。それがリンにとってのゼロおじさんだから。
「さて」
ゼロは雑談を切り上げ、居住まいを正した。
「ここに来たのは他でもない。君が今朝投稿したSNSの画像についてだ」
「ああ、ツチノコか。どうだ、UMA探求クラブ副会長の見解は」
「実に興味深い。ぜひ実物を見せてほしいね。そのためにイギリスから自家用ジェットで飛んできたんだ」
リンも確認してみると、たしかに今朝投稿されていた。朝はバタバタしていたから気付かなかったらしい。
(あれ? でも確かクラブの会長って――)
「それで実物はどうした? 会長?」
「食った」
「おじいちゃんだった……」
スネークが即答したとたん、空気が凍りついた。
UMA探求クラブとはその名の通りUMAを探し求める趣味人のクラブで、ゼロが引退後ひそかに立ちあげた。当初はゼロが会長になる予定だったが、ゼロとの私的なコネを求めて人が群がるのを避けるため、その時点である程度有名だったスネークが会長となり、ゼロは偽名を使って副会長となった。
近年はそこそこの規模でゼロを初めとしたUMA大好きな会員たちが活動していたのだが、ソロ活動の多い会長は名前だけ貸しているような状態だった。
「……なんだって?」
「おいおい耳が遠くなったのか? ツチノコを食べた、と言ったんだ」
「そうかそうか。味はどうだった?」
「最高だ。膨らんでいる胴体はほとんど筋肉で食べごたえがあった。風味はアミメニシキヘビに似ているが、脂のノリが段違いだ。程よい歯ごたえがあって噛めば噛むほど味が出て来る。旨みの塊のようなヤツだった」
「なるほど……君はバカか?」
ゼロはテーブルを叩いて立ちあがる。リンは頭を抱えた。
「私は言ったはずだ! もしUMAを見つけても絶対食べるなと! つい最近のことだろうにボケたかスネーク!?」
「誰がボケるか! そもそもお前の言い方にだって問題があるだろ! 食べるなと言われて食べないヤツがあるか!」
「あるに決まってるだろう! ニッポンのバラエティじゃないんだぞ! よしんば食べるにしても、それより先に観察、スケッチ、生態調査、クラブメンバーを呼んで祝うとか、いろいろやることがあった!」
「……あー、実は最近耳が遠くなってきてな」
「こいつぬけぬけと……!」
反論が思いつかなかったのか、面倒になったのか。スネークは一時的に高齢者と化した。
さらに激昂するゼロ。逆切れして怒鳴るスネーク。UMA探求の手法を巡る二人の対立は激化の一途をたどった。すなわち、味かそれ以外か。
リンはあきれ果てて肘をつきながら怒鳴り合う二人を見やる。
昔から二人はこうだ。基本的には仲がいいが、ほんの些細なことで食い違い対立する。たとえばコーヒーと紅茶の優劣とか、映画の好みとか、お茶菓子はせんべいかスコーンかとか。その頻度たるや前世からの因縁と言われても納得できるほどだ。
しかしどんなに本気で怒っているように見えても、体力が尽きればお互い酒を飲んでもとの関係に戻る。だからリンに焦りはない。
ただし、話がこじれて言い合いが長引くと――
「あ」
リビングの扉が開く。
現れたのはリンの母だった。マイバッグは購入した食材でパンパンに膨らんでいる。
普段は柔和な笑みを絶やさない彼女だが、言い合いを続ける老人二人に向ける視線は冷ややかで、表情がなかった。
「二人とも」
「おお、お前からも何か――」
「声が外まで丸聞こえ。近所迷惑」
部屋の温度が一段下がった気がした。
リンは飛び火を浴びないよう、ほふく前進で部屋を脱出する。
「大の大人がモノを食べた食べてないで大声出して……恥ずかしくないのっ!? リンも二人を止めなさい!」
「ごめんなさい!」
しかし発見されてしまい、老人二人とリンがそろって頭を下げる。争いを調停する平和の使者は平等だ。
「この際だから言わせてもらうけど、父さんはなんでも口に入れるのやめなさい! 拾い食いみたいでみっともないでしょ! ゼロさんも、珍しい蛇を食べられたくらいで大声出さない! 蛇なんてどこにでもいるわ!」
「ひ、拾い食い……」
「珍しい蛇じゃなくてツチノコなのだが……」
「過ぎたことをグチグチ言わない! 大体あなたたちはいくつになっても――」
長くなりそう。気まずげに口をつぐむ老人二人はあてにならないので、リンはおずおずと切り出した。
「ふ、二人も反省してることだし、このへんで終わりに……」
「まだよ。まだ終わってない!」
「はい」
リンはあきらめた。
なお、リンの母のお説教は外まで響いており、後日ご近所さんに「相変わらずだねぇ」と言われ、母娘そろって赤面することになるのだった。
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おまけ2
富士山YMCAグローバルエコヴィレッジ。
富士山を一望できる広大な原っぱは景観よし、バス停の近くで車もオーケーな立地はアクセスよし、温泉もついて一泊二千円以下でコスパもよし。三拍子そろったこのキャンプ場が、野外活動サークルのクリスマスキャンプの活動場所である。
なでしことのキャンプ経験と斎藤からの言葉もあって、ソロキャンの多いリンも今回は参加している。キャンプ場を提案したのも、キャンパーの先達としておすすめの場所を尋ねられたリンだ。
富士山をバックにした広い原っぱで、野クルメンバー三人に加えリン、斎藤、たまたま出くわしたどこかの子供たちとともにフリスビーで遊びまわった。
その後子供たちの保護者さんから遊んでくれたお礼にとお菓子をもらい、五人でキャンプ地へと向かう。西に傾いた太陽が空を朱色に染めていた。
なでしこが何かを思い出したように「あっ」と声をあげたのはそんな時だった。
「思い出した! リンちゃん、さっきの話ってホント!?」
「さっきの、ってなんだっけ?」
「リンちゃんのおじいちゃんはビッグボスって話!」
「ホントだよ~」
「なんで斎藤が答えるんだよ。ホントだけど」
さっき、といっても四時間以上前のことだ。キャンプ場で合流したリンとなでしこは、手作りのスモッグをつまみつつ、いいとこづくめのキャンプ場について話題にした。
『はぁー、いいところだよねー。富士山も見えて、芝生も気持ちいいし。リンちゃんに聞いてよかったよー』
『私じゃないよ。知ってたのは、うちのおじいちゃん』
『キャンプ道具くれたおじいちゃん?』
『うん。昔からいろんなところでサバイバルとか、キャンプとかしてて。富士山の周りにも詳しかったから、聞いたんだ』
『そうだったんだー。……サバイバル? 富士山の周りで?』
『いや、日本各地の無人島で』
『無人島!? へー、元気なおじいちゃんなんだねー。ビッグボスみたい』
『みたいってか、本人だし』
『ふぇっ?』
『それより犬山さん、すごいお肉で夕飯つくるんだよね。何作るか知ってる?』
『……えっ、あ、ううん。でもすごいよねー。私A5ランクのお肉なんて初めて――』
なでしこは唐突な新情報で思考停止、反射的に新しい話題に食いついてうやむやとなったものの、しばらく時間をおいた今になって真偽が気になりだしたようだ。
一方のリンは「そう来たか」と感心半分、呆れ半分の心境である。身内に有名人がいることを明かせばどんな反応をするんだろう、と好奇心で話してみれば案外食い付きが悪かったので、気まずくなる前に話を変えたが、時間差で来るとは。つくづくなでしこは読めない。
「リアクションおせーよ。言ったのほとんど忘れてたぞ」
「えへへ、びっくりしちゃって。でもそっか、だからリンちゃんってたまにワイルドなんだね」
「ワイルド?」
なじみのない単語に困惑するリン。
斎藤は深くうなずいて同意を示す。
「うんうん。隙あらばキャプチャーしようとするし、ダンボール箱持ち出そうとするし」
「ああ、そういえばアプリのアイコンもなぜかダンボール被っとったなぁ。あれもスネークさんの影響なん?」
「いや、ダンボール箱は誰でも被るでしょ。キャプチャーもキャンパーのたしなみだから、おじいちゃんは関係ないよ」
「これは孫やわ」
なでしこ、斎藤、犬山の三人は何かを察したようにうなずき合うが、リンは納得いかない。ダンボール箱は被るのが当然だし、野生動物のキャプチャーはキャンプをしていれば自然と意識するようになるのが普通だ。決して祖父の野性的な部分に影響されてはいない。
「おいおいお前ら、しまりんの冗談を真に受けるなよ」
すると今まで黙っていた大垣千明が口を開く。
「あのビッグボスがしまりんのじいさんって、世の中狭すぎるだろ。それに、あの人の孫って言ったらもっとたくましいはずだぜ。こう、歴戦の兵士みたいな感じの」
「あ?」
血縁を冗談ととられる初めての経験に殺気立つリン。しかし迫力が足りず、大垣は気にする様子もない。
ビッグボスは今や世界規模で知れ渡る著名人の一人だ。その高名をよく知るファンの一人、大垣がリンの言葉を冗談として受け取るのも無理はなかった。リンの外見が野性的なビッグボスとはかけ離れた小動物的なものだからなおさら信ぴょう性は低い。
リンの中で「やっぱりこいつ苦手」という感情が再燃しだしたとき、斎藤が割って入る。
「こう見えてうちのリンにもたくましいところがあるんだよ」
「おい、うちのって何だ」
「大垣さん、ちょっと耳貸して」
斎藤に耳打ちされた大垣は、カサコソとあやしい動きでリンの背後に移動。
そして突如リンにつかみかかった。
「うっひょーいしまりーん! ぐえっ」
「なんだいきなり」
リンの動きは素早かった。さっと反転して大垣の腕をつかみ、関節を固めながら背中に移動。空いた手を大垣の首元に回してガッチリ拘束する。この体勢なら投げ飛ばす、絞め落とす、尋問するとやりたい放題である。
「リンちゃんすっごーい!」
「ね? たくましいでしょ?」
「感心してないで助けろー! すっごい微妙に絞まってるって! イヌ子!」
「志摩さん、煮るなり焼くなり好きにしてええでー」
「了解。ホラ、吐け」
「何をだよ!? 疑ったのは悪かったから助けてくれー!」
祖父から変な虫が寄り付かないようにと教わった護身術、マイルドCQC。元はかなり物騒な技術だったとリンは聞いているが、本来の目的でこれを使う日は、当分来そうにない。
腹いせも兼ねて恥ずかしい経験を吐かせようとするリンを、斎藤が止めにかかる。最後にはリンと斎藤、ビッグボスのスリーショットが表示されたスマホを見せつけ、大垣が降参した。
「イヌ子てめー! あっさり見捨てやがって!」
「演技や演技。犯人の動揺を誘ったんやー」
のらりくらりと逃げる犬山を追いかけ回す大垣。
「リンちゃんすごいねー映画みたい! 私にも教えて!」
「あ、ありがとう。基本だけしか教えられないけど、それでいいなら」
なでしこに純真な瞳を向けられ、頬を紅潮させるリン。そんな二人をニコニコと見守る斎藤。斎藤に抱かれて眠っているチクワ。
原っぱではしゃぐ彼女たちの姿を、赤富士が静かに見守っていた。
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同時刻、四尾連湖湖畔キャンプ場。
リンたちのいるキャンプ場とは少し距離のあるスポットで、オフシーズンのため利用者は少ない。閑散とした中にキャンプを設営しているのはスネーク一人だけだった。
使い古したワンポールテントの横で、ローチェアに深く座った彼は、風に揺れる湖の水面に視線を落としている。
先日のツチノコの件ではゼロに負い目を感じていた。名前を貸していただけとはいえ、会長がUMAをキャプチャーして食べたのはさすがにまずい。
そこでゼロへの謝罪の意味も込めて、孫娘が見たという新しいUMA、牛鬼を求めてやってきたものの見つからない。キャンプ場の管理人に聞いても目撃例はないという。
どうしたものか。
途方に暮れたスネークは懐に手を入れ、葉巻を探る。喫煙者に厳しい昨今、娘や孫の前で煙を味わうのは無理だ。こうして人気のないキャンプ場でくらい――
「喫煙のルールは確認したか?」
「……お前か」
背後から声がかかる。
水を差されたスネークは葉巻をしまい、立って声の方向に向き直った。
「最後に会ってからもう五年になる。早いもんだな、サンダーボルト」
声の主、サンダーボルトと呼ばれた男は不気味に口元をゆがめる。二メートル近い身長、丸太のように太い腕、掘りの深い顔立ちも相まって、獲物を前にした猛獣のような印象を受ける。
元ヘビー級ボクシングチャンピオン、サンダーボルト。落雷のようなヘビーブローにちなみサンダーボルトの異名をつけられた彼は、スネークにとって因縁深い相手だ。会社関係の宴席で出くわしたとき、サンダーボルトは初対面でスネークの股間をつかみこう言った。
『気に入らんやつだ』
若き日のスネークはこれに対し『それがソ連式のケンカの売り方か』と語気を荒げ、売り言葉に買い言葉で関係悪化。顔を合わせるたびにらみ合い、時に暴力沙汰になり、お互いにビジネスを通して間接的な戦争さえ行った。
隠居後はさらに関係が悪くなり、放浪するスネークの居場所が判明するなりサンダーボルトが直接的なケンカを仕掛けて来るようになる。いつもは冷静なスネークもこれに真っ向から対立し、血なまぐさいケンカに発展する。
なぜヤツを前にすると熱くなるのか。なぜここまで憎いのか。第一印象が最悪だったからといって、それだけで憎悪の感情が湧くものだろうか。
その疑問が氷解したのはおよそ十年前のことだった。
『お前さえいなければ……!』
サンダーボルトは前世で元凶となったある男にうり二つだったのだ。スネークやゼロのことも考えると本人である可能性も否めない。最愛の彼女が抹殺される原因を作ったそもそもの元凶。ビッグボス誕生の遠因。彼女に汚名をなすりつけた凶人。スネークにとっては親の仇よりもなお憎い相手だ。
それは相手にとっても同じで、彼は脳死体となっても憎悪と報復の念によって蘇り、執拗にファントムを追いかけ回した。まさに前世から続く因縁深い宿敵である。
「もうやめにしないか」
「……何だと?」
因縁の始まりを知ったスネークは、憎悪を失った。
ゆっくりとローチェアに座り直し、サンダーボルトに背を向ける。
「俺たちにはいつも戦うべき相手がいた。だが今の時代は、俺たちに戦いを求めてはいない。俺たちの意志ですらも。時代が――いや、世界が変わったんだ」
「何を言っている!?」
スネークが遠い目を向ける先では、過去の自分とサンダーボルトが殴り合っている光景が広がっていた。サンダーボルトの関節を砕き、当て身で急所を突き、容赦なく投げ飛ばす。憎い相手を傷つけるたびに感じたのは虚しさだけだった。暴力を振るうたびに、家族の悲しげな顔が頭をかすめてしまう。
その原因を思い出したあの日にスネークは決意した。次にサンダーボルトと会ったとき、自分の心に向き合おうと。
向き合った結果は、宿敵に背を向けて座っているスネークの姿が如実に示している。すべてを知った上で宿敵を前にしても、身を焦がすような憎悪はみじんも感じられない。むしろ感じるのは、サンダーボルトへの憐れみだった。
「俺が何を言っているのか、お前も分かっているだろう」
「知ったことを! 私は貴様を――!」
「俺が今まで生きていることがその証拠だ」
サンダーボルトは返答に窮した。
前世を思い出す前のスネークの体は一般人の域にとどまる。元ヘビー級ボクサーとケンカをして壊れないはずがない。サンダーボルトが本気でスネークを憎んでいれば、スネークは何一つ思い出すこともなく死んでいただろうし、スネークの家族の前で気を遣って大人しくしておくこともなかったはずだ。
「もういないんだ。お前が憎む相手も、俺が憎む相手も」
「違う……私は、お前を……」
どすん、と地面が揺れる。サンダーボルトがスネークの背後で膝をついたのだ。老体を支えていた張りぼての憎しみは、空虚な音を立てて崩れ落ちた。残ったのは大きな体の老人一人。
「俺もお前も随分老いた。老いは誰にも避けられない――だが悪いことばかりじゃない。なあ、サンダーボルト」
「……かもしれんな」
恵体を生かしてボクシングに打ち込み、サンダーボルトと呼ばれるまで駆け抜けた男の人生は、家族に恵まれたスネークから見ても華やかで幸福だ。長く生きるうちに得られたもの、残したものだって多いだろう。その中には空虚な憎しみよりもずっといいものがあるはずだ。
サンダーボルトは緩慢に立ち上がり、スネークの横へ。そうしてどすんと腰を下ろした。
「ウォッカはあるか?」
「もちろんだ」
湖畔に瓶と瓶を打ち鳴らす澄んだ音が響き渡る。
その音色をもって、長い長い一つの宿縁が終わりを迎えるのだった。
まんぞく
かんけつ
ありがとうございました
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