幼馴染が朴念仁で魔法オタクなせいで毎日気が休まらないのですが誰か助けて (塩崎廻音)
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前編

 魔法のことが好きじゃなくなったのはいつからだったろうか。具体的な日付とかは覚えていないけど、月日が経つにつれてどんどん『好き』って感情が小さくなっていったと思う。

 だって、教科書に載るような昔ならともかく、現代社会で魔法の出番なんてほとんどない。

 空を飛ぼうと思えば箒じゃなくて飛行機に乗ればいいし、大釜で時間をかけて作る秘薬より薬局で買ってきた風邪薬の方がよっぽど効く。惚れ薬も使い魔と視覚を共有した調査も法律で制限されているし、嵐を起こす魔法なんて使った日には即日逮捕待ったなしだ。

 基本的に、現代社会に魔法使いの居場所はない。一応、伝統の継承ということもあって細々と秘薬を薬局に卸したり箒の飛行を使った運送業なんかをしたりして一部の魔法使いたちは生計を立てている。それでも、どの魔法使いも後継者探しには苦労しているようだ。

 それも当たり前だと思う。魔法を使うのは才能と長年の修行が必須。それなのに、苦労に見合った対価はまず得られない。一体全体、誰がそんな斜陽産業に手を出すと言うのか。

 だから、魔法を捨てたって責められる謂れは無い。

 実家の伝統だとか、技術の継承だとかいう綺麗ごとは真っ平だ。

 そう何度も言っているのに、父さんも母さんも聞いてくれない。代々続いた魔法使いの名家なんて称号、今では何の意味もないのに。

 早く気付いてほしい。

 結局、お金が得られなければどうしようもないんだ。

 

***

 

「――ああ、もう。今度こそイケると思ったんだけどな…」

 世の中は太陽がまぶしい夏。空は吸い込まれそうなほどに深い青を湛える快晴で、窓の外から空き地ではしゃぎまわる子供たちの声が聞こえる。そよぐ風も、騒がしい蝉も、瑞々しい夏の陽気をこの身に伝えてくる。

 そんな晴れやかな夏の日、僕はと言うと自分の部屋に閉じこもってパソコンの前で唸っていた。

 いや、ちょっと言い訳をさせてほしい。

 確かに、外のあまりの暑さに負けてエアコンの効いた部屋に逃げてきたという理由も無いではない。正直、この陽気の中であれだかはしゃぎまわれる子供たちは凄いと思う。

 ただ、いくら僕がインドア派だとはいえ、この快晴の夏の日に部屋に閉じこもるだけが能ではないと言わせてもらいたい。これには少々訳があるのだ。

 いや待て、よく考えてみれば大体閉じこもっているか?登校を例外と考えれば一週間のうち六日くらいは…

 もとい。

 ともかく。

 僕がこうして部屋に閉じこもっているのは、どうしても今日部屋でやらなければいけない作業があったからなのだ。それがなければ外出したかは置いておいて。

 その理由というのが…

「『自分で書き換えられるカードゲーム』、一週間で売り上げ二本。魔法技術の粋を結集した最高傑作だったのに…」

 僕が売り出している魔法のグッズの売り上げ確認。

 ここ一年くらい、僕は何とか魔法を使ってお金を稼ぐことができないかを試しているのだ。魔法は確かに斜陽産業で、後継者探しが難しいくらいの技術。しかし、歴史の長さのわりにはまだまだ試されていないことも多いんじゃないかと思ったのだ。特に、娯楽関係なんかはあまり進出が進んでいない。と思う。

 そんなわけで、主にゲームに魔法要素を加えることで、新しい製品を作り出すことができないかと苦心しているのだが…

 はっきり言って、上手くいかない。

 特に今回の『自分で書き換えられるカードゲーム』は自信作だった。小さな紙片に多数の魔法を書き込むための最適化、魔法が使えない人でも簡単にカードを書き換えられるようにする術式の簡略化などなど。僕の魔法技術の限界に挑戦するような製品開発を乗り越えて、僕が使える魔法技術としてはほぼほぼ最高のものをつぎ込んだつもりだったのだ。

 それだけじゃない。自由に書き換えたことでゲームバランスが崩れないようにするための条件付与だったり、カードそのものが楽しみの一つになるようにするためにカードのイラストが動くような魔法をかけておいたり。魔法グッズとしての性能だけでなく、娯楽製品としての価値も高まるような工夫を凝らしたつもりだったのだ。

 だが、結果は惨敗。好き嫌い以前に見向きもされないあたりが泣ける。

 思わず、深いため息が出る。

 ここ一年の挑戦の結果は、すべて黒星。成功に繋がりそうな切っ掛けすら掴めない。一学生の力じゃそんなんもんだと言い訳しても良いのだが、あいにく僕の魔法使いとしての経験と実力はそれなりの物。かなり小さいころから手ほどきを受けているので、師匠から「そろそろ印可かな」と言われているくらいの研鑽は積めている。平たく言うと一人前だ。だから、これから経験を積んで…なんて言ってみても、今とほとんど変わらないのが目に見えている。

「ままならないなあ…」

 一年前は魔法を使ってお金を稼ぐんだ!なんて燃えていたけど、最近はその情熱も鎮火気味。まだ諦めるには早いと頭では理解しつつも、一年間なんの成果もなしだと流石に堪える。

 そんなわけで、僕は今絶賛不貞腐れ中だった。

 ベッドに寝転ぶ気も起きずに、床に転がってうんうん唸っていると…

「――そんなところに寝転がって、何してるの、拓海?」

 不意に、頭の上からそんな声が聞こえた。

 仰向けに寝転がって声のもとに視線を向けると、そこには制服を着た一人の少女の姿。

 彼女――小内亜梨紗は、部屋の扉を開けたままその場所に立ち止まり、怪訝な顔をして僕を見つめていた。

「…寝転がってると頭に血が上って、いつもより頭が働いたりしないかなって」

「本当に何してるのよ…」

 呆れた表情でため息をつく亜梨紗。

 おかしい。今の会話で呆れられるポイントが分からない。

 …いや、良いか。亜梨紗の考えが良く分からないのは今に始まったことじゃないし。

「それにしても、いつの間に来てたの、亜梨紗?」

「今だよ、今。帰ってからからすぐ来たんだから、感謝してよね」

「あれま。そんなに急がなくていいのに。まだ着替えてもいないでしょ?」

 亜梨紗は隣の家の一人娘で、小さいころから何かと一緒にいる幼馴染。何を思ったのか僕の魔法使いの活動における助手を申し出てくれていて、こうして僕の部屋に来ては作業を手伝ってくれているのだ。

 今日も、先日リリースした『自分で書き換えられるカードゲーム』の売り上げ確認と今後の計画立案ということで呼んではいた。それでも、制服を着替える時間も惜しんで急いで来てくれるとは思っていなかった。

「――……まあ、その、お仕事は早く終わらせて休みたいから。別に、早く来たかったとかそんなんじゃ…」

「ん?そんなに疲れてるなら、今日は帰って休んでもいいよ?別に今回くらい僕一人でも…」

「そういうのいいから。早くやろう」

「真面目だねえ…」

 僕の言葉に何故か亜梨紗はぎろりと僕を睨みつけるが、一拍おいて一つため息をつくと、転がったままの僕の肩をげしげし蹴りつけてくる。

「ほら、寝転がってないで早く座って。とっととお仕事終わらせるよ」

「痛…くはないけど、蹴らないでって。起きるから」

「口はいいから早く動いて」

 気持ちとしては寝転がっていたままでも構わないのだが、亜梨紗にせっつかれて仕方なく起き上がる。まあ、確かに寝転がっていると机の上のノートパソコンは見えないし、起き上がったほうが便利かもしれないが。

 そう言うわけで、起き上がって机に置かれたノートパソコンの前に座る。

 すると、亜梨紗が隣に座り、ノートパソコンの画面をのぞき込んできた。

 僕の顔のすぐ隣に亜梨紗の顔が来る。ふわっと何かの花のような匂いがした。

「さて。さっきの様子から大体分かるけど、今回はどうだったの?」

「ご想像通り。さっぱりだね」

「はぁ……まあ、予想はしてたけど」

「…予想してたなら最初に言ってよ」

「言っても聞かないでしょ?」

「む……それは確かに」

「…いや、そこで納得しないでよ」

 亜梨紗がじっとりとした視線を向ける。

「ごめんごめん」

「はぁ、いつも口だけは達者なんだから。…それで、ダメな理由は分かってるの?」

「うん。一つは自分で書き換えられるってのが売りだと面倒くさくて手が出ないってこと、もう一つはそもそもテレビゲームでいいじゃんってなることだと思う」

「聞いておいてなんだけど、いやに的確だね。感想に書かれてたとか?」

「いや、感想も何も見向きもされてないから。これは自分で思いついたやつ」

「…それが分かってるなら、最初から直しなよ」

 僕の言葉に、亜梨紗が呆れたような視線をよこす。

 いやまあ、その通りなんだけどね。

「さっき思いついたばっかりだからねえ…まあでも、これでまた一つ失敗の経験が詰めたから、次こそは大丈夫だって」

「その言葉が十回目くらいじゃなきゃ信用しても良かったんだけど…」

「まだ十回じゃん」

 げんなりとした感じの亜梨紗にそう返す。

 成功とは失敗の山の上に出来上がるものなので、十回ぐらいで諦めていては始まらない。

 そんな思いを籠めた言葉だったのだが、悲しいことに亜梨紗には伝わらなかったようだ。

 仕方ないので、次の製品についての話を進める。

「それより、新しい魔法の理論を思いついて。カード絵を動かした魔法の応用なんだけど…」

「ねえ、もう辞めにしない?」

 亜梨紗が、ぽつりとそう呟く。

 今までも何度か泣き言は言っていた亜梨紗だが、今回はいつもよりも口調が暗い。今までよりずっと本気の「辞めにしない?」だった。

「辞めに…って今諦めたら何にもならないじゃん。これからなのに」

「そんなことないわ。大体こんな事に時間を使うよりは、勉強したほうがずっと有益よ。拓海は学校の成績もいいし…」

「亜梨紗は勉強できないもんね」

「余計な茶々を入れないでよ、バカ!もう…魔法になんてこだわらないで、普通に進学して普通に就職すれば、それでいいじゃない」

「う~ん…」

「何が不満なの?」

 亜梨紗の言葉は、最近よく言われるものだった。

 僕が魔法を駆使したグッズを作ってお金を稼ごうと試みていることは周知の事実だ。そして、いつまでたっても上手くいかないその試みを諦めて勉学に励むべし、という説得も、耳にタコができるほど聞いている。

 僕は学校では成績上位者なので、自分で言うのもなんだが教師からかなり期待されているのだ。

 そして、その期待に背き続けるのも心苦しくは思っている。それに、普通に進学して就職する生き方を選ぶのが、一番利口なやり方だってことも。

 ただ、それでも今のこの挑戦を諦めたくはなかった。

「何が不満というと難しいんだけど……やっぱり、もうちょっとだけ頑張りたいんだよね。試しきれてないこともあるし…」

「もうちょっとって、いつも言ってるよ」

「ごめんごめん。でも、今回もまた言うよ」

「…強情」

「心配してくれてるのに、ごめんね?」

「……知らない。バカ」

 そう言って、亜梨紗はそっぽを向いてしまう。

 こうなると、暫くは話を聞いてくれない。それは経験から分かっている。

 仕方なく、一人で今後の活動計画を考える。

 ――とはいえ、先が見えないのは確かなんだよねえ…

 何度やっても鳴かず飛ばずで、なかなか次の案も出ない。実際、そろそろ諦め時なのかもしれないとは思う。

 でも、頭ではそう思っていても、やっぱりちっとも諦める気にはならない。

 それが、自分でもちょっぴり不思議だった。

 

***

 

 次の日。

 学校が終わった後、僕は街中へと繰り出していた。

 昨日の今日で早く次の計画を、と逸る気持ちもあるのだが、こういう時は焦ってもいい考えは浮かばない。

 気分転換とネタ集めを兼ねて、適当に散策してみようかと思ったのだ。

「と言っても、今さら目新しいものなんてねえ…」

 まあ、小さいころからずっと暮らしている街に、そうそう新鮮な発見などありはしない。それでも、近くの美術館にでも行けば何か面白いものでも見られないかと思い、街の中央通りを進んでいく。

 爽やかな夏の風が僕の頬をなでる。

 住めば都と言うが、この街は一等住みやすい場所だと思う。

 都会という程には人が多くないからストレスを感じないし、さりとてそれなりに施設がそろっているので用事を済ませるために遠出をする必要もない。

 駅が近くなってくるといよいよ商店が増えてきて、パン屋の前を通ったときにはおいしそうな甘い匂いが漂ってきた。

 ――焼きたてのパンの匂いをいつでも楽しめる魔法…

 ふとそんなことが頭に浮かんできたが、無駄に難しそうだったので頭から追い出す。五感に干渉する魔法は難易度が高いし、危ないから法律で制限されている。だったら匂いのもとの物質を保存すれば…なんて考え出すと「芳香剤みたいなのでいいじゃん」という結論になる。結果、苦労に成果が見合わない。いつものパターンだ。

 このままパン屋の近くにいてもお腹が空くだけ。

 そんなわけで、誘惑を振り切るように僕は足を速めた。

「…って、あれ?」

 すると、駅の前に差し掛かったあたりで、一人の女性が目に入った。

 優しそうな雰囲気の、美しい女性。何かを探すように、きょろきょろと周囲を見回している。

 何故その人が気になったのかというと、その人に僕はどこかで会ったことがあるような気がしたのだ。

 どこかで会ったことがある?なんて、ナンパみたい。

 なんて自分で笑ってしまっていたら、それに気づいた。

 どこかで会ったどころか…

 ――あれ?あの人、もしかして初音さん?

 その人は、僕が良く知っている人。しばらく会わないうちに雰囲気は変わっているが、よくよく見ると間違いない。

 近藤初音。

 彼女は、小さいころに近所に住んでいた、ちょっと年上の顔なじみの女性だった。

 そして何より、彼女は僕に最初に魔法を教えてくれた人だった。

 思わず、初音さんの元へ近づいていく。

 初音さんとは小さいころにはよく会っていたが、高校への進学とともに彼女は県外へと引っ越してしまった。そして、どの高校に行ったのかも聞けなかった僕は、それからずっと彼女に会えないでいた。だから、久しぶりに初音さんと話をしたい。そう言う欲求が抑えられなかった。

「初音さん!」

「…?あら…?」

 僕の声に、初音さんは戸惑ったように周囲を見渡す。

 さっきの様子だと何かの用事で探し物をしていたみたいだし、他人から声をかけられることが意外だったのだろう。やがて、彼女に近づいていく僕に気付く。しばし不思議そうな顔をしていた初音さん出会ったが、やがて僕の思い出したようで、ぱあっと花が咲いたように微笑んだ。

「…お久しぶりね。拓海君、であってるよね?」

「はい。お久しぶりです、初音さん」

「ふふ、大きくなったわね、拓海君。前にあったときはこんなに小さかったのに」

 そう言って、初音さんは右手の親指と人差し指の先を何センチか開けて見せてくる。

 つまり、身長数センチだった頃…

「あれ?最後に教わった魔法って小さくなる魔法でしたっけ?」

「……えっと…今のは忘れて」

「?」

 初音さんが赤くなってそっぽを向く。

 何だろう、亜梨紗と言い、女性の言うことはときどき良く分からない。

「…それより、こほん、お元気だったかしら?久しぶりに来たらすっかり街も変わっちゃったし」

「はい、おかげさまで。住んでいるとなかなか実感が湧かないですけど、そんなに変わりましたか、この街?」

「ええもう。今日も友達と待ち合わせしているのに、指定された場所が思い出と違ってて…」

 そう言って、初音さんががっくりと肩を落とす。

 なるほど、さっき何かを探していたのは、その待ち合わせ場所だったのか。

「…ちなみに、なんて場所ですか?良ければ案内しますけど」

「あら、良いの?じゃあお願いしようかしら。『喫茶なまこ』なんだけど、昔はそこになかったかしら…」

 そう言って、初音さんが一つの真新しいアパートを指差した。

 そのアパートは、数年前に取り壊された廃屋の跡地に建てられたもの。そう言えば、その廃屋は昔喫茶店だったような記憶がある。

 確か…

「…その喫茶店、場所が悪いとかで移転した記憶があります。息子さんに代替わりするタイミングで」

「そうだったのね。はあ…あずさもそれを教えてくれればいいのに」

「まあ、移転したのはだいぶ前なので、頭から抜け落ちていたんでしょうね」

「うう…運が悪い……はぁ、私って昔からこうなのよね…」

「それはなんとも…お疲れ様です」

「うん。ありがとねぇ…」

 気落ちした様子の初音さんを促して、喫茶店の移転先へと案内する。幸いというべきか、移転先はそれほど離れていないので、数分も歩けばたどり着けるはずだ。

「それにしても、懐かしいね、この感じ」

「…?この感じというのは?」

「ああ、ごめんごめん。君と一緒に、街を歩くことは昔もよくあったな、なんて」

「なるほど、確かにそうですね」

「懐かしいなぁ…昔は君の手を引いて歩いていたのに。今はこうやって、君に引っ張ってもらえる。ふふ、なんか不思議」

「――……ああ、えっと、はい。そうですね。」

「…何か言いたいことが?」

「いえ、なんでもありません」

 初音さんの言葉に速やかに否定の言葉を返す。

 初音さんは『君の手を引いて』、なんて言っているが僕の記憶にはそんなものはない。むしろ、魔法品店の場所なんて良く知っているはずなのに余計な横道に入って迷子になる初音さんや、見栄を張って買った道具を詰めた袋の重い方を持って半泣きになっている初音さんの姿を思い出した。が、なかったことにする。いや、これは元師匠の名誉を護るためであり、決して初音さんの視線が怖かったとかじゃないです。はい。

 ちなみに、余計なことを言って睨まれるのだけは昔と同じ。怖い。

「もう……って、ごめんね?なんだか、昔に戻ったみたいで、はしゃいじゃった」

「いえ、良いんですよ。僕も懐かしくて楽しいです」

「良かった……最近色々上手くいかないことが多くて。精神的に、疲れちゃってるのよね」

「なるほど。大変なんですね…」

「そうよ。本当に!…だから、君と話せて、楽しくって、甘えちゃった。ごめんね?」

「良いんですって。元師匠のためですから、これくらい」

「…ふふ、なにそれ」

 初音さんが、おかしそうに笑う。…あれ、何か変なこと言ったかな?

 まあ、ともかく。

 ちょっと疲れた目をしていた初音さんが楽しそうに笑っているところを見て一安心する。ひさしぶりに、本当に久しぶりに会ったが、やっぱりこの人には笑っていてもらいたい。

 そのまましばらく歩く。あとちょっとで、目的の喫茶店に着きそうだ。

「…ねえ、今度また、お話しできない?」

 ふと、初音さんがそんなことを言う。

「今度ですか?僕は構いませんけど…」

「そう?ありがとう。私も一週間くらいは滞在するつもりだから、暇なときにでも」

 そう言って、初音さんは鞄からスマホを取り出した。

「だから、連絡先、交換しましょ?」

「ああ、はい。今用意します」

 初音さんと、連絡先を交換する。

 昔もこれがあったら引っ越した後でも連絡が取れたのに、とちょっと惜しく思う。でも、今回こうやって会えたから、もういいんだけど。

 そうこうしているうちに、喫茶店の前に着く。

 初音さんは、一度こちらを振り返ってにっこりと笑った。

「今日はありがと。また後で連絡するね?」

「はい。それでは、また」

 初音さんが喫茶店の中に消えていく、その後ろ姿をしばし見つめる。

 あまり期待していなかった放課後だったが、思ってもみない出会いがあった。さっきまでは美術館にでも行こうかと思っていたが、今日はもうこれでお腹いっぱいだ。とっとと帰って休もう。

 魔法のネタになるようなことが見つからなかったのはちょっと心残りだけど。

 ――思いがけない出会い……捜索魔法?いや、夢がない…

 インパクトはあったが、魔法のアイデアには結び付きそうにない。

 なんて考えながら、僕は帰路へと着いた。

 

***

 

 放っておけない幼馴染。それが、私――小内亜梨紗にとっての新藤拓海の印象だ。

 拓海は昔から優秀な人間だった。学校のテストではいつも成績優秀者として名前が挙がるし、近所のお姉さん――近藤初音から魔法を習ってみてもすぐに上達する。基本的にインドア派だが、運動神経が悪いわけではないので体育でもそれなりには動いている。全くもって隙がない。

 翻って私は勉強も出来なければ運動もできない。ダメダメである。

 そんな無い無い尽くしのダメ人間である私ではあったが、それでも拓海は私にとっては『放っておけない』相手であった。

 なにせ、拓海の頭には基本的に魔法のことしかない。

 拓海は頭のいいバカなのだ。

 何年か前、いつもの通りに拓海の部屋にお邪魔してみたら、ぐったりと倒れた拓海が部屋の真ん中に転がっていたことがある。すわ何事かと思って抱き起こしてみると、奴は「腹が減って倒れた」などと抜かしてきやがった。もちろん、拓海が虐待やネグレクトを受けて食事をとれなかったとかそう言う事実はない。両親とも仕事で忙しいため家を開けがちだが、もちろん拓海のご飯は三食きっちり用意しているし、拓海もそれを把握している。では、なぜ拓海が腹を空かせて倒れていたかというと、それは拓海が自発的に食事をとらなかったからだった。

 何が何だか分からない。

 ご飯を食べさせた後によくよく話を聞いてみると、新しい魔法の構想を思いついた拓海はテンションがうなぎ上りに上がり、一気に魔法の完成まで開発を進めてしまおうと決心したらしい。そこまでは良いのだが、食事によって開発の時間を減らされてしまうことを危惧した拓海は、空腹を感じないようにする魔法を自分にかけた。そして、食事を後回しにして開発にのめりこんでしまったのだという。一応、当初の予定では一食を飛ばすくらいで開発を終えるつもりだったらしい。だが、開発中の魔法に問題が連鎖的に発生。それの対処に追われているうちに二食三食と食事を抜き続けることになったとのことだった。そして、魔法の開発が終わった瞬間に栄養不足で目が回り、床に崩れ落ちたということらしい。

 

 阿呆か。

 

 申し訳程度に水分だけは取っていたから死ななかったものの、下手をすれば今頃は天の上だっただろう。質の悪いことに拓海はこの件をあまり反省していない。「次は危なくなる前に警告を発する魔法もかけておくから」なんて言って暢気に笑っていやがる。私が、ぐったりと倒れた拓海を見つけたときにどれだけぜつぼ、もとい、驚いたたと思っているのだ。私の涙を返せ。いや泣いてませんけど!

 そんなわけで、その時から私は、毎日拓海の家に来てご飯を作るのが日課になっているのだ。拓海の両親からも是非にとお願いされた。なにせ、コイツは見張っていないと何食抜いていつ倒れるか分かったもんじゃない。

「ほら、拓海。おゆはん出来たよ。早く座って」

「…もうちょっと待って。今良いところだから」

「はぁ……前にそれを聞いて待ってたら、最終的に三時間くらい待たされたんだけど?ほら、座って、ね?」

「……」

「聞けよ」

 今日も今日とて拓海の夕飯を作る。しかし、これもいつものことながら、リビングの机でノートパソコンと睨めっこしている拓海は気のない返事を返すだけ。全く、仕方のない奴。

 拓海の方へと歩み寄り、その肩をつかむ。こうなると、実力行使をしない限りはなかなか食卓に着こうとしないのだ。ぐい、と力を入れるが、拓海は抵抗してソファから動こうとしない。手を引っ張って連れて行こうとする。振り払われる。後ろから目隠しをする。

「ねえ、亜梨紗。見えないんだけど」

「ごはんよ、ごはん。早く移動して」

「…分かった」

「よろしい」

 ようやく拓海がソファを発って食卓に着いた。始めから素直にそうすればいいのに。

 

 拓海と一緒に夕ご飯を食べていると、ふと思い出したように拓海がこう切り出してきた。

「あ、そうだ。土曜日に初音さんと出かけるから」

「……は?」

 初音さん…と言うと、拓海の知り合いでは一人しか思い浮かばない。近藤初音。小さいころに近所に住んでいたちょっと上の学年の『お姉さん』だ。だが、彼女は高校進学とともに都会の方に引っ越していたはずだが…

「…え、なに?初音姉さん、帰ってきたの?」

「うん。なんか、一週間くらい里帰りだって」

「聞いてない…」

 拓海はなんでもないように言うが、これはビッグニュースだ。初音さんは拓海の最初の魔法の師匠であるが、私にとっても近所の姉貴分だ。って言うか、同性のわたしの方が全体的にお世話になっているはずなんだけど。拓海もそれを知ってるはずなんだけど。なんで私に教えてくれないのか。

「あれ?亜梨紗、聞いてなかったの?」

「聞いてないよ…はぁ、母さんも多分知ってるだろうから言ってくれればいいのに」

 まあ、拓海はともかく、母さんはただのド忘れだろう。最近忙しいらしいし。

 むしろ、いつの間にか出かける予定まで立ててるこいつが話さなかったのがいけない。

「で、いつ?」

「…?次の土曜日」

「いや、じゃなくって。初音さんはいつから帰ってきてたの?」

「ああ…多分、一昨日。放課後に街中を歩いてたらちょうど駅前で会ったんだ」

「言えよ」

 もしかしたら今日会ったばかりで言う機会がなかったのかと思えば…全く。

 まあ、魔法のことしか考えていない拓海にそう言う機微を要求する方が間違っているのかもしれない。いや、そうだそしてもムカつくけど。

「…って言うか、出かけるってなに?何か初音姉さんと一緒にする用事でもあるの?」

「ん?用事って言うか、久しぶりに会ったからお話でもしないかって。初音さんが」

 それってデー…いや、どうだろう。少なくとも、拓海はそう思っていないと思う。初音姉さんは分からん。ただ、二人は初音姉さんが引っ越してから疎遠だったらしいし、恋愛感情で、と言う訳ではないと思う。

 ないと思うけど…

「…ね、ねえ、拓海。私も久しぶりに初音姉さんとお話ししたいし、ご一緒させて貰っても、良い?」

「え?…んんん、どうだろう。初音さんは僕一人って考えてたみたいだし…聞いてみよっか?」

「う、うん。お願い」

 拓海が、スマホを取り出して初音姉さんに連絡を取る。

 他人のお出かけに横入りするのはちょっとあれな気もするが、相手が初音姉さんなら多分問題ないだろう。流石に再会したばかりでデートってわけじゃないだろうし。そもそも私も初音姉さんに会いたいし。

 そんな風に自己弁護していると、初音姉さんからの返事を受け取った拓海がこう言った。

「あ、ダメだって」

 デートだこれ。

 いやだって、他に理由ある?!共通の知り合いで同性である私がついて行っちゃダメで、拓海と二人っきりでお話する場合の意図って?!

 加熱する思考に頭が真っ白になる。

 そんな私の脳内はつゆ知らず、拓海は「残念だったね」なんて能天気に笑っている。

 殴ってやろうか、コイツ。

 まあ、鈍感な拓海は初音姉さんがデートのつもりでいるなんて思ってないだろうし、本人もデートのつもりはないはずだ。いや、それでもムカつくけど。

 いや違う。これは別に拓海がデートに行くことに腹を立てているみたいじゃないか。それってつまり、私が拓海のことを好きだって事じゃないか。違うんだ、これは。

 そんな風にワタワタと慌てていたら、いつの間にか目の前に回り込んできていた拓海が私の顔をのぞき込んでいるのに気づいた。その視線に、自分の顔が真っ赤にほてっていることに気付く。

 ――え?え?もしかして、拓海、私が考えていることに気付いて…

 

「亜梨紗、初音姉さんにハブにされたからってそんなに怒んなくっても……子供じゃないんだから」

 

 殴った。グーで。

 

***

 

 ちなみに、初音姉さんが私の同行を断ったのは、私が初音姉さんの里帰りを知らなかったことで妙な気をまわした拓海が「友達を連れて行ってもいいか」みたいな中途半端な聞き方をしたせいだと知ったのは、もっと後のことだった。

 ふざけんな。



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後編

 

 土曜日。

 僕は約束通り初音さんとお話しするために喫茶店を訪れていた。初音さんが指定したのは『喫茶なまこ』。再会した日に案内した、あの喫茶店だ。店名のモチーフはそのまま海産物のナマコ。店内のあちこちにナマコを模した人形が置いてある不思議な店だ。足繁く通っている友人の話によると、ぶにぶにと滑らかな感触が癖になるらしい。とんだ色物だ。とはいえ、流石に出している飲食物までナマコに支配されている訳ではない。喫茶店に入るれば、ちゃんとコーヒーや焼いたパンの匂いが漂ってくる。そこは安心だ。

 さておき。

 指定された集合時間のちょっと前に喫茶店に入ると、既に初音さんは席に陣取っていた。昔からそうだが、彼女はこういう待ち合わせ時間にうるさい。多分、今日も十五分前くらいには来ていたのだろう。

「あ、拓海君!こっちこっち!」

 僕に気付いた初音さんが手を振って僕の名前を呼ぶ。店内に僕の名前が響いてちょっとだけ恥ずかしい。

「ごめんなさい。待ちましたか?」

「ん~ん。お腹が空いて先にご飯食べてただけだから、気にしなくていいよ?」

 訂正。十五分どころではなかった。

「そうだったんですか。もうちょっと早く来ればよかったですね」

「良いのよ良いのよ。私こそ、休日の貴重な時間をもらっちゃって、ごめんね?」

「こっちこそ、構いませんよ。僕も元師匠ともっと話したかったですし」

「ふふ……この前も言ってたけど、元師匠ってなぁにそれ?」

 初音さんが、僕の言葉にクスリと笑う。

 …って言うか、この前のあれは『元師匠』に笑ってたのか。

「元師匠は元師匠ですよ。一番最初に魔法を習った相手ですけど、今は別の師匠がいるので」

「ああ、なるほど……その呼び方、可愛くないからやめにしない?」

「あれ、お気に召しませんか?まあ、良いですけど。じゃあ初音さんで」

「よろしい」

 そう言って、初音さんがにっこりと笑う。昔から思っていたことだけど、やっぱりこの人は笑顔の時が一番綺麗だ。

「じゃあ、どっから話そっか?長い間会ってないから、話すことがありすぎて困っちゃう」

「別に、適当に思いついたことからでいいと思いますけど……そう言えば、今は何をやってるんですか?」

「今は普通に働いて…あ、そうだ。何か頼む?今日は私のわがままに付き合ってもらってるし、お礼にお金は私が出すよ?」

「えっと、適当にお茶を頼むつもりでしたけど。でも、良いですよそんな。普段から無駄遣いをする方でもないので、お金に余裕はありますし…」

「良いの良いの。私、それなりに稼いでるから。こういう時くらいお姉さんに任せなさい!」

 何故だか良く分からないが、初音さんのテンションがやたらと高い。僕としては初音さんに払ってもらう分には問題ないので、お願いすることにする。世の中には女性にお金を払わせるのは恥みたいな考えの人もいるが、僕はその辺ピンとこないのである。

「ありがとうございます。では、折角なので」

「うん。よろしい」

 

 そのあと、僕たちは互いの近況報告から伝えあった。

 初音さんは、今は大企業の総合職をしているらしい。収入も良いし働き甲斐もある、と言えば聞こえはいいが、結構な激務なので心身共に疲労が激しいとのこと。この前会った時にやたらと疲れたような雰囲気を放っていたのは、そう言う事情があったからなのだろう。

「お金は手に入るけど、使う間もあんまりないのよねぇ…」

 ちょっと困ったように初音さんが笑う。何もする暇もない激務というのは聞くだけでも大変そうだ。本人は、貯金はたまるけど、なんて冗談めかして言っているが、結構参っているらしいのが僕の目から見てもわかる。言葉の節々が、さっきよりも刺々しいのだ。

「…何と言うか、働くのが嫌になりそうですね」

「嫌よ、実際。逃げられないけど」

 初音さんが疲れたようにそう言う。

 労働というのは大変なものだということは、学生の身分でもよく聞く話した。特に、昨今はブラック企業だの働き方改革だの、労働者の苦労話の集大成のような話題がよく耳に飛び込んでくる。初音さんも、そんな社会の荒波にもまれて苦労しているということだろか。

「…といっても、まだ拓海君には実感は得られないかな?」

「まあ、そうですね。知識としては知ってても、実際どれくらいのものかと言うと…」

「そうよね。私もそうだった」

 ティースプーンでカップの中のコーヒーをかき混ぜながら、初音さんが懐かしむようにそう言う。

「実は私、昔は早く大人になって働きたい、って思ってたのよ?」

「え、そうだったんですか?意外ですね。もっと学生生活を謳歌しているタイプかと…」

「まあ、それはそれで合ってるよ。友達と遊ぶのは楽しいし」

「ですよね。僕に魔法を教えたり亜梨紗を連れまわしたり友達と遊んだりでいつ勉強しているんだろうって思ってましたし」

「……あれ、私、そんなに遊んでばっかだった?」

「はい。割と」

 僕の言葉に、初音さんが「おおぅ」と唸って頭を抱える。人生エンジョイ勢だと思っていた初音さんだったが、彼女に自覚はなかったらしい。

「…ま、まあ、中学生くらいの頃はそうだったかも知れないけど、高校以降は頑張ってたんだよ。本当に」

「なるほど…やっぱり、いい仕事に就きたかったとか、そう言う感じで?」

「うん、そう。やっぱりね、お金は大事なんだよ」

 そう言う初音さんの言葉には、世間でそう言ってるからとか常識で考えればそうだとか言うものではない、深い実感がこもっているように聞こえた。

「……なんだか、つまらない話になっちゃったね。やめやめ!それより、拓海君は最近どうなの?」

「僕ですか?最近は新製品の売り上げが全然だめで…」

「いやいや、そういう事じゃ…え、製品?売り上げ?」

「はい。魔法を使ったグッズを作って売ってるんですけど、なかなか上手くいかなくって…」

「…え、あ、うん。拓海君、そんなことしてたんだ。その年で凄すぎない?……って、そうじゃなくって!」

 バンバンと机をたたく初音さん。僕の近況を聞きたいのだと思っていたが、そうではないのだろうか。

 そう思っていると、ニヤリと笑みを浮かべた初音さんが、こんなことを言った。

「こんな時まで仕事の話なんて聞きたくないの。それより、彼女とかはいないの?あるいは好きな子とか!」

 やたらと楽しそうな初音さん。

 一方で、初音さんの言葉に僕は一瞬言葉に詰まった。

 なんとも、返答に困る問いかけ。

 それは、恋愛話をするのが恥ずかしいとか、そういう話に縁がなくて何も言えないとか、そういう理由もあったけど。でも、返答に困った一番の理由は…

 目の前で楽しそうにニヤニヤ笑う彼女が、僕の初恋の人だからであった。

 

***

 

「何それ聞いてないんだけど?!!」

 休日のリビングに、私の叫び声がこだまする。

 それは、拓海がデートに出かけた後のこと。小内家のリビングでの出来事だった。

 

 先ほど非常に不本意ながらも拓海をデートに送り出した私は、家に戻ると珍しくリビングでだらけていた母さんに拓海の薄情さを愚痴っていた。何だあいつは。十年来の幼馴染をほっぽって、初音姉さんとデートだなんて。

 そんな私の様子を、ソファに寝転びながらも母さんはニヤニヤと見守っていた。私が拓海のことを好きなんだと『思っている』母さんは、何かにつけてそのことで私を揶揄ってくる。今日も、目の前で愚痴をこぼす娘を面白そうに眺めていたかと思えば、所々で「亜梨紗は拓海君が大好きだもんねえ」とか「初音ちゃんに拓海君を取られちゃうかもねえ」とか余計なことを言ってくるのだ。違う。あんな朴念仁のことは全然好きじゃない。いつも一緒にいるのは私なのにちょっと美人のお姉さんに再会したからってそっちに気を取られるような薄情な奴は全然好きじゃないんだ!

 と、何度も何度も主張しているのに、母さんはちっとも信じてくれない。「うんうん。分かってる分かってる」なんて言って、聞き流しているのだ。…まあ、いい。こういう時の母さんは構うだけ調子に乗ることは良く分かっているし、飽きるまで無視しておこう。何年も同じように揶揄われていれば、さすがに頭の悪い私でも学習するのだ。

 そんなわけで、母さんを無視してキッチンへ向かう。とりあえず、今日の昼ご飯を作らなくてはいけない。

「あれ、亜梨紗?ご飯なら作るわよ?」

「別にいいよ。あいつのご飯作るのは、私の役目だし。二人分も一人分も一緒だし」

 それは、拓海の両親に彼の食事を作ると申し出たときにも言った言葉だった。仕事が忙しい母さんは休日でもしばしば家を空ける。父さんも同様。そんなわけで、昔からご飯は自分で用意する習慣はついていた。そこにもう一人分の追加があったところで、どうせ手間は大して変わらない。だから、放っておくと食事を取らないことがある拓海のために私がこうやって手を動かすのは、ある意味自然な流れだったと思う。

 そんなわけで、いつも通り拓海の昼ご飯を用意しようとキッチンに立ったのだが…

「…あれぇ、亜梨紗。今日は拓海君、初音ちゃんとデートなんでしょ?」

 母のその言葉に、私はびしりと固まった。

 忘れてた。

「違うから」

「うん?愛しの拓海君に、食べさせてあげたかった?」

「だから、違うの」

 違う。これは拓海が悪い。あいつは休日でも基本的に部屋から出ないから、私が昼ご飯を作るのはほとんど日課のようなもの。それが、いきなり初音さんとデートに行くものだから、ついついいつもの調子でやってしまったのだ。だから別に、あいつにご飯を作りたかったからとかじゃない。違うからその顔やめて、母さん!

 やたらニヤニヤとこちらを見てくる母さんを追いやると、適当に冷蔵庫からチョコレートを取り出して自分もソファへ向かう。なんだか、この短時間の間にどっと疲れてしまった。

 ソファに座って、冷蔵庫から取り出したチョコをポリポリと食べる。やっぱりチョコレートは、冷蔵庫で冷やした後に食べるのが一番だ。がちがちに固まったチョコをかみ砕くときの食感と、口の中で溶けて甘味が広がる感覚がたまらない。

「それにしても、亜梨紗が拓海君を素直にデートに送り出すとはねえ…」

 母さんの言葉を無視する。まったく、性懲りもなく揶揄おうとして…

 そのままチョコレートを楽しんでいた私。すると、そんな私を見て、母さんが何気ない口調で衝撃的な事実を口にした。

 

「初音ちゃん、拓海君の初恋の人なんでしょ?」

 

「え?」

 母さんの言葉に思考がフリーズする。

 はつこいのひと。

 つまり、初めて恋をした相手。初音姉さんが、拓海の…

「え、ちょっと、初音姉さんって拓海の初恋の相手だったの?!って言うか、拓海に好きな人っていたの?!」

「あれ、知らなかった?前に一度拓海君がそんなこと言ってような…」

「何それ聞いてないんだけど?!!」

 母さんの言葉に、思わず叫び声が口から飛び出す。

 拓海が恋愛感情を理解しているとは思っていなかった。何せ、口を開けば魔法、魔法で、そういう男女の機微に関してはさっぱりな風だったからだ。しかも、初音さんが相手という事は、初音さんがまだいたころ、つまり拓海がまだ小学生の頃にその初恋を済ませていることになる。

「え、ちょっと、拓海は恋愛とかそういうの分からないとばかり…」

「いや、それはちょっと拓海君のこと子ども扱いしすぎじゃない?あの子だって、年頃の男の子なんだから」

 母さんの言葉が頭の中を通り抜けていく。軽くパニックになっていた私には、その言葉に反応する余裕すらなかった。

 拓海が、初音姉さんを好き。

 それは、考えてもみない可能性だった。あの魔法バカがそんな感情を持つとは思わなかったし、だから初音姉さんがデートのつもりだったとしても大丈夫だと拓海を送り出したのだし。そんな思いが、ぐるぐると頭の中を回っていく。やばい。何がとは言えないけど、やばい。

 だけど、私にはもうどうにもできない。昨日知ったならともかく、拓海を送り出したあとにこんなこと聞いても、どうしようもない。精々、覚悟を決めておくくらいしか…

 

 まあ結局、その覚悟は無意味だったわけだけど。

 そんなことは分からないこの時の私は、ぐるぐる回る頭でずっと悶々としていたわけであった。

 

***

 

 初音さんの追及を何とか回避して、恋愛話を終了させる。彼女は弟分の恋愛話に興味津々で、言葉に詰まった僕の様子から何かをかぎ取ったらしく本当にしつこく追求してきた。「初恋はあなたですよ」とか言ってやろうかこん畜生、なんてやけになりそうになったが、辞めておく。それこそ、ろくでもないことになりそうだ。

 最終的には、初音さんの経験を逆に聞いてみたらすぐに大人しくなった。今までやるべきことに懸命すぎて、そういう出会いから遠のいてしまったらしい。どこか遠いものを見るような目が印象的だった。なんか、こう、ごめんなさい!

 そんなこんなで、ちょっとの間僕たちの会話は完全に止まってしまった。

 気まずい沈黙が場を支配する。

 仕方なく、ちょっとぬるくなった紅茶を口に運ぶ。友人には評判が良かった紅茶なのでオイシイのだと思うが、この状況だとちょっと楽しめない。初音さんの様子をチラリと覗き見ても、ちょっぴりへこんだ様子でコーヒーをかき回している。

 しばらくそんな風に黙り込んでいると、昔はこうじゃなかったな、なんて言葉が頭に浮かんできた。その思いはは、一度思い浮かぶとどんどん大きくなっていく。

 昔は魔法を教えてもらうときに二人とも黙っていることなんてざらだった。あるいは、僕がろくでもないことを言って初音さんが黙ってしまうことも。でも、それで気まずくなるようなことは一度もなかった。多分、僕の幼さゆえに許されていた部分はあるんだろうけど。

 でも、今は違う。しばらく離れていた内に互いが成長してしまったからか、曲がりなりにも師匠と弟子だった頃から関係が変わってしまったからか。昔を懐かしむためのデートだったはずなのに、僕たちの関係は昔とはすっかり変わってしまっていることに、今さら気づかされた。

 だから、そんな関係性の変化に意識が向いたから、僕はそのうかつな質問をしてしまったのかもしれない。それが、ちょうどいい共通の話題だと思って。でもそれは、今までの初音さんの様子から考えれば、避けておいた方が無難であった言葉だ。だって、初音さんは再会した時から今まで一言も、『それ』を口に出さなかった。でも、今の僕にはその間違いに気づくだけの余裕がなかった。

「…ああ、えっと。ところで初音さん。今は魔法の勉強とかはどんな感じですか?」

 その問いに、初音さんは顔を上げる。

 ただ、その顔には僕が期待していたような『元師匠』の表情はなく。

 どちらかというと仕事に疲れた社会人の表情で、初音さんはこう答えた。

「魔法なんて、もうずっと使ってないよ」

「え…?」

 それは、予想だにしていない言葉だった。

 魔法は、僕が初音さんに教えてもらったなかで一番大切なもの。だから、当然初音さんにとっても魔法は大切なものだという思い込みがあった。あの『師匠』が、魔法を使わなくなるなんて夢にも思わなかった。

 でも、現実は非常なもので。

 なんの気負いもない口調でその衝撃的な言葉を口にした初音さんは、フッと呆れるような口調で言葉を続けた。

「そう言えば、さっきも魔法を使ったグッズを作ってるとか言ってたもんね。ダメだよ、魔法なんて時代遅れの技術にこだわってたら」

「え、だって、魔法は初音さんに教えてもらった…」

「いや、まあ、確かにね。昔は私も魔法は色々勉強したけどね。でも、やっぱり社会に出て実感したの。魔法使いはもう居場所が無いんだって」

 初音さんのその口調には、昔あんなに精力を注いだ魔法が役立たずであることを憂う気持ちすら感じられない。まるで、彼女にとって魔法が取るにならないものであるかのように。

 いや、多分『まるで』じゃなくて…

「私も高校時代にそのことに気づけて良かったよ。そこから頑張って勉強して。良い大学にも行けたし大きい会社にも入れたし」

 初音さんにとって、魔法は取るに足らない過去の技術だった。僕にとっては初音さんとの思い出であって宝物だったけど。彼女にとっては違ったんだ。

「だから、拓海君も早いとこ魔法なんかからは卒業して、いい大学に行けるように勉強頑張ったほうがいいよ?」

 多分、初音さんからしてみたら親切心だったんだと思う。ろくでもない遊びにはまり込んだ弟分を、まっとうな道に戻そうとしてくれたんだと思う。

 ただ、それでも。

 僕にとっては、その言葉は心の柔らかいところを抉る言葉であったし。

 『魔法』という道を全力で進む僕を、全面否定する言葉であった。

 

***

 

 部屋に戻り、ベッドに体を投げ出す。

 あの後すぐに、僕と初音さんは別れてそれぞれの家路へと着いた。中途半端なタイミングでお開きとなってしまったのは申し訳ないが、僕には初音さんを気遣う余裕がなかった。

 極度に落ち込んだ僕を初音さんは心配してくれて僕の家まで送ると申し出てくれたが、僕はそれを断った。むしろ、今は彼女と一緒にいることの方が辛かったからだ。

 結局、僕を心配する初音さんをよそに、僕一人で帰路に就いた。元はと言えば僕のうかつな発言が原因であり、初音さんはむしろ被害者なんだけど。ちょっと今だけは、そういう気遣いはできそうになかった。

「…なんでなんだろう」

 ベッドに突っ伏したまま、そう独り言ちる。

 実のところ、なんでこんなにショックを受けているのか、自分でも不思議だった。確かに、初音さんが魔法を捨て去ったというのは衝撃的だ。初音さんは僕が魔法を始める切っ掛けになった人だから。でも、それでも僕がそのことにここまでのショックを受ける理由にはならないはずだった。そもそも、初音さんとは数日前に再会したばかりだし。彼女が師匠だったころならともかく、今は彼女に依存する理由もない。

 初音さんがいまだに恋愛の対象だったら、彼女が自分と全く違う方向に進んでいる事に悲しんだかもしれないけど。それだってIFに過ぎない。

 ああ、でも。

 そんなことはどうでも良いのかもしれない。

 ぐったりと、体をベッドに預ける。落ち込んでいる理由がなんだとか、今は考える気力もなかった。

 

***

 

 初音姉さんから連絡があって、拓海が家に帰ってきていることを知った。なんだか落ち込んでいたみたいだから、という事だったけど、それってつまり…

 ――失恋したってこと?

 だって、初恋の人とデートをして、落ち込んで帰ってくる。そうとしか考えられない。

 初音姉さんは特にそれらしいことは言ってなかったけど、そりゃまあ、人の失恋を吹聴するような人ではないから当然だろう。となると、やっぱり拓海は失恋したんだと思う。

 心に一瞬、歓喜の感情が生まれる。

 それを務めて排除して、今の拓海の状態に思いを馳せる。いくらなんでも、幼馴染の失恋を喜ぶなんて人としてどうかと思う。例え、拓海が私を置いて初音姉さんとデートに行くような薄情な奴だとしても!それよりも、今頃部屋でひとり泣いているであろう拓海を、どう扱うべきかを考えた方がいい。

 そこまで考えて、心に一つ迷いが生まれる。

 ――どうしよう、慰めに行った方がいいのかな…?

 失恋した幼馴染にどう対応すればいいかなんて、ちっともわからない。そもそも、私自身失恋なんてしたことがないから。だから、失恋直後の人間がどんな気持ちなのかは良く分からないし、どうやって扱ってあげるのが良いのかは全く分からない。

 チラリと、窓越しに拓海の部屋を見る。

 初音姉さんの言葉によれば拓海はもう家に帰ってきているはずなのだが、拓海の部屋は暗いまま。拓海の性格から言ってどこかの公園とかで放浪している線は薄いと思うから、多分電気もつけずに泣いているんだろうと思う。そうであるならば、何とか慰めてあげたい。

 どうしようもない阿呆で魔法バカな拓海だけど、大切な幼馴染なのだ。

 

 拓海の家の玄関のかぎを開け、中に入る。基本的に両親の信用がない拓海自身に代わって拓海の世話をするため、私は新藤家の鍵を渡されている。だから、今日みたいに拓海の両親が不在の場合でも家に上がることができるのだ。

 そして、勝手知ったる新藤家の廊下を進み、拓海の部屋に向かう。

 そのいつもの行動に、今日は少し緊張していた。なにせ、失恋して泣いている拓海なんて初めて見る。いや、そう言えば泣いている拓海自体が初めてかもしれない。

 ――思い返してみれば、泣いてるのはいつも私だったかも。

 小さいころから何かとダメダメだった私は、いつも優秀な拓海に追い付こうとして失敗しては、良く泣いていた。そしてそのたびに、拓海は私のところへ来て泣き止むまで一緒にいてくれた。…まあ、泣いてる原因が拓海だと言えないこともないんだけど。

 でも、それに思い至ると緊張していたのがバカらしいとすら思えてくる。

 そうだ、難しく考える必要はない。今まで拓海に優しくしてもらった分、今回は同じように拓海に優しくしてやればいいんだ。

 不思議と、心が温かくなる。

 そんなポカポカとした心のまま、私は拓海の部屋のドアを開けた。

「――もう、こんな真っ暗な部屋で何してるの?」

 部屋に入ると、明りのない暗い部屋の奥、ベッドの上に拓海が突っ伏しているのが見えた。

 ドアを閉め、部屋の電気はつけずに拓海の方へと歩みを進める。こうして落ち込んでいる時は、明りがうっとおしく思えることも多い。それに、今日は月が明るいから、窓から入ってくる光で部屋の中は十分に照らされている。だから、明りをつけないままでも難なく拓海のもとまで進むことができた。

「隣、座るよ?」

 問いかけ、ベッドに腰かける。返事が返ってくるとは思っていない。案の定、拓海は私の言葉に何の反応も示さないままうつぶせに寝転がっている。…まさか、寝ているなんてことはないよね。

 しばらく拓海の横に座ってリアクションを待ってみるが、拓海は何の反応も示さない。仕方なく、こちらで勝手にアクションを取ることにした。とりあえずは、拓海の頭に手をやって…

 拓海の頭に手を乗せると、一瞬ピクリと反応がある。でも、そのままちょっと待ってみても特に反応はなかったので、ゆっくりと手を動かして、拓海の髪を梳いていった。

 これも昔、拓海によくやってもらった覚えがある。私が何かに挫折して泣いていると、必ず拓海は私の髪をこうして優しく梳いてくれたのだ。

「ねえ、拓海」

 ゆっくりと、語りかける。ここに来るまではどうしようなんて言おうと迷っていたのだが、今はもうそんなことは気にならない。心の中から、自然と言葉が出てくるような感じがした。

「何があったのかは知らないけど、辛いことがあるなら私に話してみない?そういうのって、人に話すと楽になるっていうし」

 それは、私の経験則。小さいころに拓海が慰めてくれた時も、拓海は次々と不満をまくしたてる私の言葉を、文句も言わずにずっと聞いていてくれた。そして、一通りの文句を言い終わった後は、随分とすっきりしたものだ。

 拓海の反応はない。私は、特に次の言葉をつづけるでもなく拓海の髪を撫でていた。

 そのまま、しばし沈黙が訪れる。カチ、カチと時計の秒針が進む音だけが、薄暗い部屋の中に響いていた。

 やがて、秒針が一周するほどの時間がたったのち。

 ぽつり拓海が口を開いた。

「初音さんが、魔法を辞めたって…魔法なんて、時代遅れだって…」

 ――なんだ、そっちか…

 それは、私にとってはちょっと予想外の返答で、でも、拓海の性格を考えると「らしい」返答だった。

 そんな拓海の言葉に、思わずうれしくなってしまう。「初恋」の話で拓海が遠くに行ってしまうように気になっていたけど。でも、やっぱり拓海はいつもと変わらないんだ、って。

「全く、本当に魔法バカなんだから…」

「……」

 思わず、そんな言葉が口を突いて出る。拓海の方からちょっと拗ねたような気配を感じるが、無視。私をあんなにやきもきさせたんだ。これくらいは言わせてもらわなければ割に合わない。

「拓海が失恋して泣いてる、って思って慰めに来たけど。要らなかったね」

「……失恋じゃない」

「ふふ…失恋でもないのに泣いてる泣き虫さんはここですか~?」

「うっさい」

「まあまあ、拗ねないで」

 拓海の髪をなでて、言葉を続ける。

 いつも魔法魔法ってうるさくて、でも一生懸命がんばってる姿を見てきて。その拓海が、愛しの師匠とはいえ他人にちょっと魔法を否定されたくらいで落ち込んでいる姿が、妙に愛おしい。いつも自信満々なようで、やっぱり心の中では不安だったんだなって。

 だから、いつもだったら言わなかっただろうけど。今日だけはちょっと、拓海の背中を押す言葉を口にする。

「私は好きだよ。拓海が魔法を使って頑張ってるとこ」

 ずっと、思っていた言葉。魔法にばっかりこだわり続ける拓海に歯がゆい思いをしてきた一方で、彼のその姿は不思議と嫌いになれなかった。だって、自分の理想に向かって一生懸命走ってる姿は、なんだかんだで恰好良かったから。

 ピクリ、と拓海が反応する。その様子に、少しうれしくなる。良かった、私の言葉は拓海に届いているんだなって。

「まあ、もうちょっと現実に即した生き方をしてもらえると気も休まるけど?でも、そんな器用な奴じゃないってのは知ってるし、良いよ。そのままで」

 だから、不思議と今まで見たいな照れくささもなく。その言葉は口から零れ落ちた。

「私がずっと近くにいて応援してあげる。他の誰が否定しても。だから、もう泣かないで?」

 

***

 

 亜梨紗の言葉に、僕は顔を上げる。

 初音さんが魔法を辞めたって聞いて落ち込んでいた気持ちが、今はすっかり晴れていた。

 亜梨紗の言葉で気付いた。僕が落ち込んでいたのは、ただ初音さんに自分の頑張りを否定されたように思ったから。ただ、それだけだったって。そしてその気持ちも、亜梨紗の励ましでもうすっかり気にならなくなっていた。ずっとずっと僕の隣で手伝っていてくれた幼馴染が、僕の頑張りを肯定してくれた。それだけで十分だった。

 起き上がってベッドの上に座り、亜梨紗の顔を正面から見つめ返す。薄暗い部屋の中、雲間から現れた月の光に照らされて、亜梨紗の顔がはっきりと見える。その顔は、いつも見ているもののはずなのに、いつもよりずっと綺麗に感じた。

「亜梨紗」

 名前を呼び、その肩をに手をかける。彼女が愛おしくて、自分の中の衝動が抑えきれない。

 亜梨紗も、ちょっと恥ずかしそうにするが抵抗はしない。

 そのまま、彼女をゆっくりと抱き寄せていく。

 亜梨紗は一瞬体を固くするが、すぐに覚悟を決めたような表情になって目を閉じた。

 亜梨紗の顔が目の前まで近づく。

 ああ、僕は今から彼女にキスをするんだな、という思考が、ぼんやりと頭に浮かんだ。

 キス。

 近くにいて、応援してくれると言ってくれた亜梨紗と。

 そこまで考えて、僕の頭にとある発想が浮かんできた。

 浮かんできてしまった。

 

 その昔、一つのデザインコンサルタント会社が、とある商品のコンセプトを思いついたという。「キス・コミュニケーター」と呼ばれたそれは、単純な機能を持った一組の無線機器である。機能は単純で、片方の機器に息を吹きかけると、もう片方が光るというだけ。子供だましにも思えるその機械だが、これを恋人同士がペアで使うと途端に素晴らしい個性を発揮する。自分が相手のことを考えていることを知らせたいときに、自分の持つ片方のコミュニケーターに息を吹き込む。受信機は両手で握りしめたときだけペアからの信号を受け取るようにできているので、コミュニケーターが光るというのは、互いが同時に互いのことを想っていたことの証になるのだ。

 

「――…だから、例えば恋人の気配を遠くにいても近くに感じる魔法とかも、『キス・コミュニケーター』と同じような可能性を秘めているんじゃないか、って、あ……」

 自分の発想に夢中になって語っていた僕は、そこでふと我に返り、現状にようやく気付く。

 目の前には、仰向けに転がって震える亜梨紗。

 さっき、自分の発想に自分で感動してしまった僕は、思わず亜梨紗を突き放して思考に没頭してしまったのだ。

 キスの直前で、彼女を突き飛ばして。

 ぶわ、と嫌な汗が全身から噴き出すのを感じる。

 亜梨紗が妙に静かなのも、余計に嫌な予感を煽ってくる。これは、鈍感だ朴念仁だと言われている自分でもわかる、大失敗だ。この状況で「良い発想が浮かんでよかったね」なんて言ってくる女の子はいるだろうか。

「…それはそれは、良い発想が浮かんで良かったね、拓海?」

 いた。

 でも、絶対に意味が違う。

 だって、亜梨紗の怒りが形を持って具現化しているような、そんないような雰囲気を感じる。これは死んだかもしれない。

 恐る恐る、亜梨紗を抱き起す。

 意外にも何の抵抗も受けなかったが、僕を今にでも食い殺さんと言うようなその視線が、彼女の怒りのほどを物語っている。怖い。

 これ、どうすればいいんだろう。いや、もうどうしようもない気はするけど、だからと言って放置するわけにもいかない。とりあえず、謝らないと…

 

「…えっと、いきなりキスしようとして、ごめんね?」

 

 殴られた。グーで。五回くらい。

 

***

 

 新しい魔法グッズはそれなりに成功した。もちろん、まだまだそれだけで生計を立てるような売り上げには程遠かった。でも、魔法でしか出来ないスピリチュアルな効果を活用する、という発想は地味に新しいものだったし、これからの頑張りでもっと成果をあげられるだろうという自信は得られた。

 で、一方。

 亜梨紗はあの後大暴れして、三日くらい口を利いてくれなかった。ただ、ご飯は変わらず作りに来てくれたけど。さらに、三日たって話をしてくれるようになってからも、しばらくは口を開けば恨み言ばかり。曰く、「キスの直前で女の子を放り投げるとは何事か」とか「謝る部分はそこじゃないだろ」とか。全てその通りなので反論はできない。大人しく、言われるがままに彼女の言葉を受け入れた。

 そして、ようやく今日の夕方ごろに怒りが収まったらしく。今はいつも通り僕の部屋で次の製品の計画を立てている。まあ、僕はまだ床に正座させられているけど。

「何か不満が?」

 亜梨紗の眼光に、何も言えなくなる。はい、僕が悪いです。

 そんな僕の様子に、亜梨紗は一つため息をつくと、呆れたように一言。

「…まあ、拓海がそんな奴だってのは分かってたことだし。もういいんだけどね」

「だよね。いまさらだよね」

「黙れ」

 ぎろりと睨みつけられ、口を閉じる。ごめんなさい。

「全く……それにしても、あんな時まで魔法魔法。本当、飽きないよね」

「そりゃあね。こんな面白いもの、絶対に辞められないって!」

「こいつ……」

 呆れた視線の亜梨紗。でも、本当なんだからしょうがない。初音さんの件ではらしくもなく落ち込んでしまったけど。誰が何と言おうと、まだまだこんなに色々な可能性に満ちた『魔法』を、手放すなんて出来っこない。

 そう言って笑う僕を、亜梨紗はしばらくじっとりと睨みつけていたが、やがてフッと笑ってこう言った。

「まあ、分かってたけど。私も、応援してあげるって言っちゃったしね。拓海が飽きるまでは近くにいて手伝ってあげるよ」

 その言葉に、僕もつられて笑ってしまう。「飽きるまで」なんて。そんなこと、あるわけないじゃないか。多分、亜梨紗もそれを分かって言っているんだと思う。今までずっと一緒だった彼女が、それを分からないはずがない。だから、僕もそんな亜梨紗の気持ちに応えるように。はっきりした声でこう言った。

 

「だったら、一生一緒だね!」



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