招カザル来訪シャ~頼れる相棒は世界を喰らう者~ (あったかお風呂)
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1.邂逅
始マリハ突然ニ


需要があるか謎
俺得なので書いた
初執筆初投稿です




 四つの異世界と隣り合う世界、リィンバウム。

 魂の行き着く理想郷とも言われる世界にある大国、帝国の領内のアドニアス港は今日も賑わっていた。

 

 荷卸しのためか、木箱を抱えて忙しなく動く男たちの横を興味なさげに過ぎ去る少女は金色の髪を揺らしながら、その青い瞳で何かを探しているようだった。

 鼻孔をくすぐる潮の香りと、水揚げされた魚の生臭い香りに眉を顰める少女は、何やら思案しながら歩いている女性が視界に入ったのに気づく。

 どうやら少女は人探しをしていたようで、その女性の姿を観察する。

 赤い髪に、青い瞳、白いマント。

 帝国屈指の貿易商である少女の父から聞いた特徴と一致していた。

 大豪商マルティーニ家の嫡子である少女、ベルフラウはようやく見つけた目的の人物を呼び止めるべくその足の動きを少し速くする。

 

「そこのあなた!」

 

 ベルフラウに呼びかけられた女性は自分が呼ばれたことに気づいていないのか、歩みを止めない。

 

「あなたに声をかけているのよ!」

 

 女性の前に出たベルフラウが両手を腰に当てながらそう言うとようやく女性は気づいたようだった。

 

「あ……えっと、あなたがマルティーニのご当主様の手紙にあった……私が家庭教師をするっていう……」

 

「そうよ、私がお父様の娘。ベルフラウ・マルティーニよ」

 

 ベルフラウが父から聞いたことは女性の言った通り、ベルフラウの新たな家庭教師を雇うということだった。

 ベルフラウが自身の家庭教師の姿を上から下まで観察しているとその視線を感じたのか女性は委縮してしまっている様子。

 

「ほら、私が名乗ったのだからあなたも名乗ったらどうですの?」

 

「そうですよね、ごめんなさい。私はアティといいます。以前は帝国軍に所属していました」

 

 ベルフラウに促され、自己紹介をした女性──アティにベルフラウはあまり興味をもっていないようだった。

 

「元軍人、ね。一つ言っておきますけど、あなたは私の師である前にマルティーニ家に雇われた使用人であるわけです。軍隊ではどうだったかは知りませんが、そのあたりを弁えて行動しなさい。いいわね?」

 

 なにやら微妙そうな顔をするアティにベルフラウは鼻を鳴らすと、これから乗る船へと足を向ける。

 アティはそれを見て慌てて追いかけるのだった。

 

 

 

 ベルフラウたちの乗った船の行先は工船都市バスティス。

 そこには帝国軍の軍学校があるのだ。

 そもそもベルフラウの父がアティを家庭教師として雇ったのは、その軍学校の試験に合格するためだった。

 船内の客室では一癖も二癖もあるらしい生徒と打ち解けようとしたアティだったが、ベルフラウは『気分が悪い』の一言で突っぱねる。

 

 今まで、ベルフラウの家庭教師をしていた人物は何人かいた。

 しかし誰も長続きしなかった。

 誰もがベルフラウをマルティーニ家のお嬢様としてしか見ようとせず、ゴマをすってご機嫌取りを取ろうとした。

 ベルフラウ自身を見ようとしない家庭教師に腹を立てたベルフラウは今までの家庭教師たちを首にしてきたのだ。

 気落ちした様子で部屋から出ていくアティの背中を睨んだベルフラウはその姿が見えなくなるとため息をつく。

 

 ──どうせ、今回もあいつらと一緒なのだろうと。

 

 

 

 アティがベルフラウのいる客室から出て行った後、遠くから轟音が聞こえたかと思うと突然船が揺れ出した。

 不安に駆られるベルフラウだったが、心配して戻ってきたアティが扉を開けて飛び込んでくると安堵する。

 アティはベルフラウの手を掴むと、船から脱出するべく甲板へと走り出した。

 

 

 

 どうやら船は海賊に襲われていたようで、甲板へと出たベルフラウたちの目に入ったのは既に客船に乗り込んできていた海賊たちだった。

 ベルフラウを後ろに庇いつつ戦い、脱出用のボートを探すアティだったが、海賊たちの中から金色の髪の男が進み出るとその顔を険しくした。

 

「よぉ、嬢ちゃん。ウチのを可愛がってくれたみたいじゃねぇか」

 

 その男の筋肉質な太い腕と立ち振る舞いから苦戦が予想される。

 不安げに瞳を揺らすベルフラウを庇いながらなのだから余計にだ。

 

 ──だがその戦いが行われることはなかった。

 

「なっ……潮の流れが変わった!?」

 

 男の上げた声がベルフラウたちの耳に届いたのと時を同じくして、船が突然の嵐に襲われたからだった。

 大きく船が揺れ、甲板が傾く。

 

「なっ……こんな傾いて……きゃあああ!?」

 

 雨で濡れた床に足を取られ、傾きにしたがってベルフラウは滑ってしまう。

 そのまま甲板から投げ出されてしまったベルフラウは浮遊感に顔を青くし──海の中へ落ちていった。

 

 

 

 ベルフラウは何度か瞬きをすると、自分が生きていることに気が付いた。

 砂浜から身を起こしたベルフラウは、景色に見覚えが無いことに気づく。

 どうやら見知らぬ島に漂着してしまったベルフラウは茫然としてしまう。

 

「あの人……あの家庭教師は!?」

 

 辺りには家庭教師どころか人の姿すらない。

 

「まったく、こんな時にあの使用人は何をしていますの……」

 

 つい愚痴を言ってしまうベルフラウだったが、このまま途方に暮れているわけにはいかず、海岸を歩き始めた。

 

「あら……あれは……!」

 

 海岸を歩いていたベルフラウの視界に入ったのは複数のゼリー状の召喚獣とそれに囲まれている小さい白い蟲のような召喚獣だった。

 ふよふよと浮遊している白い召喚獣にじりじりとにじり寄っていくゼリーたち。

 その雰囲気は険呑であり、ベルフラウには寄ってたかって白い蟲の召喚獣をいじめようとしているようにしか思えなかった。

 その光景を見たベルフラウは思わず駆け出す。

 その光景の末路を想像して……結果自分に訪れるであろう末路は想像せずに。

 

「あっちへお行き! 弱い者いじめなんて恥ずかしいとは思いませんの!?」

 

 ゼリーと白い蟲の召喚獣の間に割って入ったベルフラウは気丈に声を上げると非難するような目でゼリーたちを見据えた。

 

「ギリギシィ!?」

 

 ゼリーと白い蟲の召喚獣の間にはいったベルフラウに驚いたのか、白い蟲の召喚獣は鳴き声をあげる。

 

「大丈夫。私が、あいつらを追い払ってあげます。絶対に……!」

 

 そうは言ったもののベルフラウはゼリーたちと戦う手段を持っておらず、このままではゼリーたちの獲物が増えただけだ。

 視線をゼリーたちへと向けたままベルフラウはどうするべきか思考を巡らせる。

 

「プギャア!?」

 

 すると突然、ゼリーたちの一体が悲鳴を上げる。

 ベルフラウが辺りを見渡すと赤い髪の女性、ベルフラウの家庭教師アティがゼリーに石を投げつけていた。

 

「あなたたちの相手は私です!」

 

 自分に注意を引きつけるため、アティは声を上げる。

 しかしアティはベルフラウが船から投げ出されたあと、後を追って自ら海に飛び込み武器を失っていた。

 大人とはいえ丸腰、状況が好転したとは言い難い。

 ベルフラウが素手で立ち向かう覚悟を決めたところで、辺りが碧の光に包まれる。

 光が治まると碧に光る剣を携え、髪を白く染めたアティがそこに立っていた。

 

 

 

 そこからは圧倒的な戦いだった。

 碧の剣を使い、ゼリーをいとも簡単に倒したアティが安堵の溜息をつくと碧の剣がその手から消える。

 アティは状況の変化に困惑するベルフラウに駆け寄ると抱きしめた。

 

「もう……大丈夫ですからね……」

 

「先生……」

 

 抱きしめられ、恐怖から解放されたベルフラウの緊張と感情が決壊した。

 胸の中でベルフラウが泣き出すとアティは抱きしめる腕の力を少し強くする。

 

 その2人の姿を白い蟲の召喚獣は何も言わず、ただ見つめていた。

 

 

 

 繭世界<フィルージャ>。

 四界ともリィンバウムとも違う世界で、全ての世界の存亡を賭けた決戦が行われていた。

 様々な可能性世界から集められた名だたる勇者たち。

 そして勇者たちと対峙しているのは禍々しい黄金の竜。

 その竜こそ、様々な可能性世界を跨ぎ世界を喰らい続けてきた存在。

 世界が崩壊を始めた原因、その張本人──異識体<イリデルシア>。

 異識体と対峙する勇者たちの一人、槍を持った青年が駆ける。

 

「俺たちには仲間がいる! ひとりぼっちのお前には負けない!」

 

「愚カッ! 愚カナ贄ガッ! 仲間ナドトイウ不確カナモノデ、圧倒的戦力差ガ覆ルトデモ思ウタカ!」

 

 黄金の竜の大口に魔力が集まり、青年の存在を消去するべく一撃を放とうとする。

 青年は渾身の力を振り絞り、槍を突出し──。

 

「お前に世界を好きにはさせるかよぉ!」

 

 ──黄金の竜の腹部に浮かぶ赤黒い球体を貫いた。

 

「オ……オオ……オ……! アリ……エヌ……完全……タル……我……ガ……」

 

 異識体の言うとおり、それはあり得ないはずだった。

 世界を喰らい、千眼の竜をも喰らい、その力を取り込んだ異識体は界の意志<エルゴ>をも超越した存在。

 例え勇者たちを集めようと勝ち目のないはずの戦い。

 覆ることのないはずの戦力差。

 だが……勝ったのは勇者たちだった。

 

「我ハ……何ヒトツ……存在……証ヲ……残セ……ナカッ……」

 

 その言葉を残し、爆発とともに光に包まれた異識体は繭世界から消滅した。

 

 

 

 ──敗れた。

『仲間』などという、他者に依存する不完全な者たちに。

『仲間』がいるから負けないなどとのたまった、不快な者たちに。

 何故敗れたのか……理解できなかった。

 自身は完全なる個であったはずだったのに。

 千眼の竜を喰らい、絶対無敵となったはずの体が爆発していく。

 そして体が光に包まれ──何かに、喚ばれた。

 

 

 

 喚ばれた先は、繭世界ではない世界。

 異識体が召喚されたのは砂浜であった。

 そしてその体は『核』にあたる部分──白い蟲の姿となり、あの不快なものたちよりも小さい体へと縮小していた。

 

「ギィィィ……?」

 

 辺りにはかつて贄と呼び見下していたものたちと同じ目線となった異識体の困惑した声と、海岸の波打つ音だけがただ響いていた。

 

 

 

 現状を把握すべく、海岸沿いをふよふよと移動していた異識体だったがゼリー状の下等生物に囲まれてしまっていた。

 本来なら気にも留めないような存在。

 だが現在の体は小さく、その魔力も本来のものとは比べるべくもなく小さい。

 異識体が下品な鳴き声を上げて近づく下等生物に対して取れる手立てはなかった。

 

「贄ニモナラヌ、下等ナゴミガ……」

 

 しかしそのゴミたちに敵うかわからないのが現在の異識体の身体である。

 ゼリーたちが慎重に距離を詰めてくると異識体が後退するが、背後には岩がありこれ以上後ろへ下がれそうになかった。

 

「あっちへお行き! 弱いものいじめなんて恥ずかしいとはおもいませんの!?」

 

 小さな影が走ってきたかと思うと少女が突然、異識体とゼリーの間に割って入って叫ぶ。

 異識体が見たところ少女からは何の力も感じられずゴミたちに敵うとは思えない。

 

 ──理解できなかった。明らかに無駄、自殺行為。

 他者のために敵うはずもない相手に対峙する。

 ──それはまるで自身に挑んだあの不快な者たちのようで。

 異識体は少女の背中を見つめる。

 その背中は小さく、簡単に壊れてしまいそう。

 だが──あの不快な者たちと同じ、『何か』を感じた。

 

 

 

 ゼリーたちは少女を助けに現れた女性によって倒された。

 異識体は少女と少女を抱きしめる女性を見つめる。

 今の体と魔力は矮小なものであるが故、今の異識体には加護者が必要だ。

 そして、確かめる必要がある。

 あの不快な者たちが何故完全な存在である自身を倒せたのか、その理由を。

 あの少女から感じた『何か』。

 その『何か』を知るため、異識体は少女たちについていくことにした。

 自身を打倒したその力を確かめ、理解し、その力を取り込み今度こそ唯一無二、絶対無敵の存在となるために。

 

 

 

 

 少女は邪神と出会い、その運命は変わり始める。

 ここから始まるのは小さな少女と強大な異識体、不釣り合いな二名の物語。

 本来居ないはずの招かざる来訪者を加えた、名も無き島での物語。

 

 

 




異識体inサモンナイト3。
ベルの護衛獣枠。
好感度が低いとカルマエンド不可避。

現在の異識体は核をオニビサイズまで小型化し、デフォルメ(護衛獣フィルター)したような感じです。

感想とか貰えると嬉しいです。

・異識体
繭世界の創造主であり、界の意志と同じく意識体の一種。
 リインバウムや四界の共界線は異識体によって喰われ、世界は滅びる寸前だった。

・繭世界
異識体が創った世界であり、異識体が引きこんだ共界線の欠片を喰らうための餌場。

・千眼の竜
狂界戦争によって荒廃した世界を響融化によって新生させたデウスエクスマキナ。
異識体戦においてもご都合主義解決のため召喚されたが異識体に返り討ちにされむしゃむしゃされた。
何しに来たんだこいつ。


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陽気ナ漂流者

 島への漂流から一夜明け、付近の散策へと出かけていたアティはベルフラウが起きたのを確認して笑みを浮かべる。

 

「おはよう、ベルフラウさん。近くを見まわってきたの。何かないかなって」

 

 ベルフラウと白い蟲の召喚獣の元へ戻ってきたアティは拾ってきた武器や日用品等使えそうなものをベルフラウに見せた。

 あまり上等な武器ではないが丸腰よりは遥かにましだろう。

 先ほどのゼリーのような友好的ではない相手がいる可能性は高い。

 

「あとは……ご飯をなんとかしましょう。昨日から何も食べていませんよね」

 

「ギリイイ!」

 

 白い蟲の召喚獣も賛同しているのか鳴き声を上げる。それを見たアティは微笑んだ。

 

「大丈夫。先生にまかせて、ね」

 

 

 

 華奢な体つきの女教師は意外にもうまく魚を釣って見せた。

 

「へぇ……うまいものですのね」

 

 ベルフラウが感心したように言うと、アティは心なしか誇らしそうに胸を張る。

 

「ふふふ、故郷ではよく釣りをしていたんですよ。なかなかのものだったでしょ?」

 

 そう言っているうちに、焚火に焼かれる魚から香ばしい臭いが漂い、ベルフラウの鼻孔をくすぐる。

 

「焼けたみたいですよ、ほら」

 

 アティから焼き魚を手渡されたベルフラウだったが、お嬢様であるベルフラウにとっては縁の遠い料理だ。

 お抱えのシェフが作った料理を食べて育ってきたベルフラウは庶民の料理に戸惑っているようだった。

 

「ギシィイ!」

 

 白い蟲の召喚獣はよほど腹を空かせていたのか戸惑うベルフラウに構わず焼き魚にかぶりついている。

 

「ほら、あの子みたいにかぶりついて食べちゃうの」

 

 アティ自身も焼き魚にかぶりついてみせると、それをみたベルフラウもおそるおそる齧り付いた。

 

「……おいしい。ソースもかかっていない、料理ともいえないシロモノなのに」

 

 ベルフラウは驚きながらも頬を緩ませ、焼き魚を完食したのだった。

 

 

 

 腹ごしらえを済ませた二人と一匹は散策を開始した。

 船からヒトやモノが流れ着いているかもしれない浜辺を歩く。

 

「そういえば、その子とベルフラウさんはどういった関係なんですか?」

 

「あの召喚獣たちにいじめられそうになっていたんです。囲んで、寄ってたかって……だから見ていられなくて。でも、私が軽率だったことはわかっていますわ……」

 

 それを聞いたアティは自然と笑みを浮かべる。

 自分の生徒がこんなにも優しい子であることを知って。

 自分の生徒がとても勇気のある子だと知って。

 

「ふふっ。そんなことはありませんよ。必死だったんだよね? その子のことを守りたくって」

 

 そんなことを言われたベルフラウは顔を赤くしながらも、小さく頷いた。

 

「ところで、その子に名前はあるんですか?」

 

「そういえば……ねぇ、あなた名前はあるの?」

 

 ベルフラウはとなりにふよふよと浮かぶ白い蟲の召喚獣に問いかける。

 問いかけられた白い召喚獣は少し間を開けると返答を口にした。

 

「ギイイ……イリデルシア」

 

 イリデルシア、と呟いたベルフラウは少し考えた後。

 

「そうね……これからイリって呼んでもいいかしら?」

 

 イリデルシアは了承したのか、頷いたような仕草をしてみせる。

 

「よろしくね、イリ!」

 

「これからよろしくお願いしますね、イリ!」

 

「ギィィイ!」

 

 

 

 イリの呼び名が決まり、浜辺を歩き続けていたベルフラウは遠くに人影をみつけた。

 しかしその人影は他の船客ではなくアティたちを襲撃した海賊たちだった。

 

「さあ、あのときの続きと行こうか!?」

 

 海賊の頭と思われる男は戦意を滾らせ、構えている。

 頭と一緒にいる召喚師らしき灰色の髪の男もベルフラウたちに聞きたいことがあるのか、戦う意志を見せている。

 

「ベルフラウさん、危ないから離れていて!」

 

 アティはそう言うが、相手は二人。

 しかも内一人はやっかいなことに召喚師だ。

 離れたベルフラウは心配そうにアティを見つめるが、傍にイリがいないのに気が付いた。

 

「ギシリリ!」

 

 いつの間にかアティの隣に移動しふよふよと浮かぶイリは声を上げる。

 

「もしかして、イリも一緒に戦ってくれるの?」

 

「ギイイ!」

 

 小さい体に戦意を滾らせているのか、イリは雄叫びを上げた。

 それを見て笑みを浮かべたアティは海賊たちに対峙する。

 これで二対二、数では並んだ。

 

「女一人にちっこい召喚獣一匹か。恨むんじゃねぇよ! いくぜぇぇーッ!」

 

 砂を蹴り、雄叫びを上げて向かってくるカイルをアティが迎え撃ち、戦いが始まった。

 

「私の相手はあなたですか」

 

 召喚師の男と対峙したのはイリだった。

 召喚師の男はイリを観察する。

 大した魔力は感じられず、体も小さい。

 力もあまり無いように見える。

 しかし、召喚獣にはやっかいな能力を持つものもいるため油断は禁物だ。

 見たところ、目の前の召喚獣は蟲の姿をしていることからメイトルパの住人であることが予測できる。

 メイトルパには毒や麻痺を使う召喚獣も多い。

 接近は危険だが、召喚師である自身は遠隔攻撃が出来るため有利であると踏んだ。

 

「行きなさい! タケシー!」

 

 男の召喚術により、霊界サプレスから黄色い魔精が召喚される。

 電撃を得意とする下級の召喚獣だ。

 

「ゲレサン……」

 

 召喚師の男がタケシーに指示を出そうとしたその時、召喚したはずのタケシーが消えてしまった。

 

「なっ……!? い、いった何が……ぐふぉ!?」

 

 突如消えたタケシーに驚愕し、動揺する召喚師の腹に勢いよく迫るイリの体当たりが直撃する。

 召喚師はもんどりうち、地面を転がり……ぴくぴくとわずかに痙攣するのみとなり、動かなくなった。

 

「ギリリリイイイイ!」

 

 イリが勝利の雄叫びを上げるとちょうどアティのほうも決着がついたようだった。

 海賊の頭は膝をつき、アティはそれを見下ろしている。

 戦いを見ていたベルフラウはイリに駆け寄り、抱きしめた。

 

「すごいじゃない、イリ! がんばったわね!」

 

「ギイイ……」

 

 イリは苦しいのか、それともこういったことに慣れていないのか困ったような声を上げた。

 それを見て安堵の溜息を吐くアティだったが、敗北して膝をついていた海賊の頭が突然笑い出す。

 

「あー負けた、完璧に俺たちの負けだ。女にしとくにはもったいないぜ。そこのちっこいのもやるじゃねぇか」

 

 痙攣していた召喚師も腹を押さえてふらつきながらもようやく起き上がる。

 

「ううっ……。カイルも敗れてしまいましたか。貴女、民間人ではありませんね」

 

「帝国の軍人でした。けど今は辞めてこの子の先生をしています」

 

 それを聞いて納得したのか召喚師の男は頷き、そして自身を倒したイリを注意深く見た。

 

「なるほど……どおりで強いわけです。そしてその召喚獣も只者ではなさそうだ……」

 

 

 

 カイルと名乗った海賊の頭はアティを気に入ったらしく、アティたちを海賊の客分として招待することとなった。

 召喚師の男はヤードと名乗る。

 ヤードもカイルたちの客分であるようだった。

 

「ほれ、あそこに見えるのが俺らの船──」

 

 カイルたちの船がようやく見えてきたが、船ははぐれ召喚獣たちに襲われているようだった。

 カイルと同じ金髪の少女が銃で応戦し、どこか妖しい雰囲気を感じさせる黒髪の男はナイフではぐれ召喚獣を斬りつけていた。

 しかし多勢に無勢、状況はあまり芳しくないように見えた。

 仲間の危機を見て走るカイルに続き、アティとヤードもはぐれ召喚獣たちへと向かっていった。

 

「ソノラ! スカーレル! 無事か!?」

 

「あ! アニキ!」

 

「ちょっとカイル! 帰ってくるのが遅いのよ!」

 

 銃で召喚獣を攻撃した金髪の少女はカイルに気が付いて声色に安堵を混ぜ、黒髪の男は口では文句を言いながらも表情には笑みを浮かべていた。

 

「私も戦います!」

 

「ちょっとあなた!? あいつらは……」

 

「船では戦ったけど……これから仲直りすればいいんです! イリ、ベルフラウさんのことお願いしますね!」

 

 ベルフラウの制止の声をきかずに召喚獣たちへと走るアティが碧の剣を呼び出すと再び赤い髪が白くなり、その手に碧の剣が現れる。

 

「ヒッ!? グヒィイイイ!?」

 

 碧の剣が刀身と同じ色の光を発すると何か底知れぬ力を感じとったのか、はぐれ召喚獣たちはアティの碧い剣に怯えて逃げ出した。

 謎の声によってアティに与えられた、謎の剣。

 ヤードはどうやらその剣のことを知っているようで、アティに詰め寄った。

 

「どうしてあなたがその剣を使いこなしているんです!?」

 

 ヤードたちの説明によれば、碧い剣の名は『碧の賢帝<シャルトス>』。

 アティたちの乗っていた船によって輸送されていた二本の魔剣のうちの一つで、カイルたちは碧の賢帝ともう一つの魔剣を奪取するために船を襲った……とのことだった。

 

 

 

 あのあとベルフラウたちはカイル一家に客分として正式に歓迎され、料理を振る舞ってもらい……その夜。

 ベルフラウは船の傍の浜辺で座っていた。

 

「はぁ……。先生は図太すぎるわ。ねぇ、イリ」

 

「ギィィ?」

 

「まったく……自分から進んで海賊の仲間になるなんて……」

 

 ベルフラウが隣に浮かぶイリに愚痴をいっていると、アティが船から姿を現した。

 

「二人ともこんなところに……。そろそろ眠ったほうがいいですよ、久しぶりのベットなんだから」

 

 しかし、ベルフラウとしては海賊船で眠るのが不安でしょうがない。

 もしも寝こみを襲われでもしたらなすすべもないだろう。

 

「心配しないで、いざとなったら先生がついてる。それに……イリだってね」

 

「そ、そうね……貴女には使用人として、その義務があるものね。さあ、イリ。一緒に寝ましょ」

 

 ベルフラウはふよふよと浮いているイリを抱きかかえると船内のベットに入り、眠りについた。

 

「おやすみなさい、イリ」

 

「ギィイイイ」

 

 イリを抱いて眠るベルフラウを夜空に浮かぶ月明かりが優しく照らしていた。

 

 

 

「ナルホド……月ノ『マナ』カ……想定ヨリモハヤク……」

 




夜会話で好感度を上げていけ。


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ハグレ者タチノ島

 夜が明け朝食をとった後、アティはベルフラウを船内の一室に呼びだした。

 

「今から授業を始めましょう!」

 

 もともとベルフラウの家庭教師として雇われたアティだったが、まだ一度も授業が行われていない。

 こんなときでも仕事をしようとするのは彼女の真面目さゆえか。

 

「おっしゃることはわかりますが……」

 

 こんな海賊船で授業ができるのか、ベルフラウはそう言いたいのだろう。

 アティはそれを見越していたのかカイルたちから借りてきた紙とペン、ヤードから借りてきた本を机の上に出す。

 そつなく授業のための環境を整え、意気込むアティとは対象にベルフラウは少し困ったような表情を見せた。

 その二人を横目にイリが教科書とペンをしげしげとみつめていた。

 

 

 

 メガネをかけ、気分を教師モードへと切り替えたアティは最初の授業として召喚術の基本について教え始めた。 

 

「ベルフラウさんは召喚術についてどれくらいのことを知っているの?」

 

 召喚術とは魔力と呪文で開いた異世界と繋がる門から異世界の住人、召喚獣を呼び寄せ使役する術。

 それを説明してみせるベルフラウは少し得意そうだ。

 アティは基本的なことを知っているよくできた生徒を褒めると次の段階、サモナイト石の説明と四界についての説明をはじめた。

 

 黒い石は機界ロレイラル、機械の世界と繋がる石。

 赤い石は鬼妖界シルターン、人と妖怪が暮らす世界に繋がる石。

 紫の石は霊界サプレス、天使や悪魔などが存在する世界に繋がる石。

 緑の石は幻獣界メイトルパ、亜人や獣などが暮らす自然豊かな世界に繋がる石。

 透明な石は『名も無き世界』に繋がる石。四界に属さぬ未知の世界に繋がる石。

 

「イリは多分……メイトルパの召喚獣だと思うんですけど……」

 

 蟲のような姿からイリの世界を推測したアティだったが、当の本人はその体を横に振り否定して見せた。

 

「先生、違うみたいですわよ」

 

 ベルフラウに胡散臭げに見られたアティは少し慌て……イリが透明のサモナイト石を見つめているのに気が付く。

 

「名も無き世界の……召喚獣……? あなたは名も無き世界から来たの?」

 

「ギィイ!」

 

 四界とは違う世界、繭世界。

 イリ自身が創造したその世界がイリの住んでいた場所。

 イリにとっては餌場でしかなかったが、四界とは違う世界の一つ。

 リィンバウムからみたら名も無き世界の一つだろう。

 

「へぇ……イリは特別なのね?」

 

「ギリィイ!」

 

 ふふん、と少し誇らしげに胸を逸らすベルフラウと当然だ、とでもいうように頷いたように体を動かすイリを見てアティは笑みをこぼす。

 

「具体的な召喚術の手順はこれから教えていきます。今日の授業はこれでおしまい」

 

 丁度初めての授業が終わったところで、部屋のドアがノックされる。

 ドアから顔を出したのは金髪の海賊少女、ソノラだった。

 

 

 

 ソノラから伝えられたのは船長室で話し合いが行われるため、集合してほしいとのことだった。

 ベルフラウたちが船長室に入ると他のメンバーは既に揃っているようだ。

 

「さて……集まってもらったのは……」

 

 まず口を開き、音頭を取ったのは頭であるカイル。

 それから海賊たち側の事情について説明を受けた。

 アティの持っている『碧の賢帝』。

 それは『無色の派閥』にて厳重に保管されていた魔剣。

 ヤードは無色の派閥を抜ける際に魔剣を持ち出し、無色の派閥の計画を阻止しようとした。

 しかし、追手との攻防の中で剣は帝国軍に回収されてしまい、あの船で輸送されていた。

 

「で、事情を聞いた俺たち一家が、ひと肌脱いだってワケよ」

 

 だが襲われた船に偶然のり合わせていたベルフラウたちはたまったものではない。

 

「そのおかげで、私がどれほどひどい目にあったことか……」

 

 当然、ベルフラウとしては納得いかない。

 バスティスへたどり着けずにこの島へ漂流することになってしまったのだから当然だろう。

 ヤードから謝罪を受けるがやはり納得していないようだった。

 

「この責任は、きっちり取らせてもらう。あんたたちは必ずここから連れ帰る。だからしばらくの間だけ辛抱してくれ、この通りだ」

 

 カイルが頭を下げるとベルフラウは一応は納得し、怒りを収めたようだった。

 話し合いの間ベルフラウの腕に抱かれていたイリはベルフラウの腕に入った力がつよくなったのを感じていた。

 少し強張った表情のベルフラウを腕の中で見上げ、話し合いが終わるまで見つめていた。

 

 

 

 話し合いが終わった後、ベルフラウは自分に割り当てられた部屋のベッドに座っていた。

 

「あの人たちを責めても意味のないことぐらい、私にもわかってるわ」

 

 膝に乗せたイリを撫でながらそう呟く。

 あの場では謝罪を受け入れ、引き下がった。

 だが内心納得しきれているかと言われればそうではない。

 溜息をついたベルフラウはイリがうとうとと船をこぎ始めたのに気が付く。

 膝の上で撫でられ眠くなってきてしまったようだ。

 

「ちょっとお昼寝にしましょうか」

 

 既に意識が夢の中に旅立ったイリとともにベルフラウも微睡の世界へ旅立った。

 

 

 

 船長室に再び集合したベルフラウは島の探索について話し合うことにした。

 カイルたちが言うには、島には中心部を囲むように四つの明かりがあり、住人がいる可能性がある。

 住人の協力を得られれば船の修理も捗るというものだ。

 

「問題は四か所のどこからまわるか、ということですね」

 

 カイルは赤の明かり。

 ソノラは紫の明かり。

 ヤードは青の明かり。

 妖しい雰囲気の男スカーレルは緑の明かりを推し、そこにアティの一票が加わり、青の明かりへむかうこととなった。

 

「ベルフラウさんはここで待っていてください」

 

 アティとしては子供のベルフラウを心配しての事だろう。

 この島にどんな危険があるのかまだわからないのだ。

 当のベルフラウは不満そうにしているが。

 結局ベルフラウとイリ、そしてスカーレルに留守番を頼むこととなった。

 

「ベルフラウさんのこと、よろしく頼みますね、イリ?」

 

「ギィィ!」

 

 

 

 アティたちが出て行ってしまい、海賊船にはベルフラウとイリ、そしてスカーレルだけが残った。

 

「あたしは備品の点検をしてくるから、何かあったら呼んで頂戴」

 

 スカーレルはそう言い残し、船長室から出ていく。

 ムスッとした表情のベルフラウはイリを連れて自室へと戻っていった。

 

「……わかってるわよ。まだこどもだからってことくらい。でも……あの人は私の先生なのよ」

 

 置いて行かれたことに不満があるベルフラウは相変わらず、イリを撫でながら愚痴を吐いている。

 この島に漂流してから様々な事件があったせいか、ずいぶんとストレスがたまっているようだった。

 

「あなたはいつも一緒にいてくれているわね。まったく、先生も見習ってもらいたいものよね!」

 

 

 

 しばらくして船に帰ってきたアティたちは住民と話をしてきたようだった。

 住人たちによればこの島は召喚術の実験場であり、この島に暮らしているのは召喚されたまま帰れなくなってしまった召喚獣たちらしい。

 

「この島では、私たち人間のほうが異分子だったみたいなの」

 

 捨てられ、故郷に帰れなくなってしまった召喚獣たちは人間のことを信用していない。

 はぐれ召喚獣たちが襲ってきたのも当然のことだった。

 召喚術の勉強を始めたばかりのところで召喚術の闇ともいえる部分を知ってしまったベルフラウは少し暗い顔をしていた。

 

「でも大丈夫、話し合っていけばきっとわかりあえます」

 

 しかし……人と召喚獣がわかり合うのは難しい。

 そのことを証明する爆音が大気を震わせ辺りに響き渡った。

 

 

 

 召喚獣たちの姿を見た緑髪の顔に刺繍がある男が悪態をつく。

 

「なんだってんだ? この島は……。化け物だらけじゃねぇかよ!?」

 

 その男が着ているのは帝国軍の制服。

 べルフラウたちが乗っていたあの船で魔剣の護送をしていた帝国軍人の一人だった。

 彼が化け物と言っている通り、一般的にはぐれ召喚獣は危険なモンスターであり討伐対象なのだ。

 

「死ね! 死ね! 死んじまえっ!」

 

 大砲の砲撃にさらされながら逃げる召喚獣たちを見て笑い声をあげる男。

 その前に島の代表者、四人の護人の一人である赤いマフラーを巻いた白銀の大鎧、ファルゼンが立ちはだかった。

 

 

 

 爆音を聞いたアティたちもその場に駆けつけ、人と召喚獣の間にある壁の大きさを目の当たりにする。

 

「あれが、現実よ。人間は異分子を嫌う。私たちを化け物としてしか見られない」

 

 護人の一人、アルディラは言う。これこそが人と召喚獣の関係なのだと。

 

「でも……それでも……!」

 

 アティは走りだし、ファルゼンと刺繍の男の間に割って入った。

 

「なんだてめぇ? 人間のくせに化け物に味方するつもりかよ?」

 

「私はあなたが許せない! だから私はあなたを止めます!」

 

 

 

 帝国軍はアティたちに敗れ、即座に退却した。

 召喚獣たちを守ったアティたちを護人たちは信用し、受け入れることにしたのだった。

 そして──その様子を見ていた小さな影。

 

「ギリシシシィイ。種族ノ差。自分タチト違ウ者タチヲ排除ノ対象トシカ見ラレナイ」

 

 あの不快な者たちは言っていた。

 一人じゃないから負けないと。

 仲間がいるから負けないと。

 ──だが。

 

「一人ジャナイ……? 自分タチ以外ヲ排除スル存在ガ……? 笑止千万! 理解不能! 自身以外ヲ喰ラウ我ヲ一人ボッチト呼ビ、人間以外ヲ排除スル自分タチハ一人デハ無イト……? ギシッギシッギシシイ!」

 

 月明かりのみが木々を照らす薄暗い森に白い影の嘲笑が響き渡っていた。

 

 

 

 



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海カラ来タ暴レン坊

 島の住人たちから受け入れられたベルフラウたちは船の修繕のため、朝早くから力に自信のあるカイルを中心に木材の伐採を行っていた。

 枝の処理を慣れた手つきで行うアティは傍で見学しているベルフラウと雑談していた。

 

「昨日はよく寝られましたか?」

 

「ええ。先生たちのほうは大変だったみたいですけどね?」

 

「あはは……」

 

 爆音が聞こえたあの時、ベルフラウはもう遅いから寝なさいと言われ仲間はずれにされた。

 どうやらそのことを気にしているらしく、嫌味を込めてベルフラウが言うとアティは気まずそうに笑った。

 枝の処理が終わった旨を報告すると、スカーレルからカイルに戻ってくるように伝えてほしいと頼まれる。

 アティとベルフラウ、イリはカイルを呼びに森の中へと向かった。

 

 

 

 カイルに会って船に戻るように伝えたあと、ベルフラウたちは辺りを少し散歩することにした。

 海賊たちと出会って仲間が増え、この三名だけで過ごす時間は少し減ってしまっていた。

 そのことに不満をもっていたベルフラウがアティを散歩に誘ったのだった。

 

「ねぇ、先生──」

 

 ベルフラウがそう切り出そうとしたところだった。

 茂みを掻き分けてシルターン風の服を着た女性が現れ──倒れた。

 

「ちょっ、ちょっとしっかりしてください!?」

 

 

 

 どうやら脱水症状で倒れていたらしい女性に水を与えると凄まじい勢いで飲み始めた。

 その飲みっぷりに一同が驚く中、意識を取り戻した女性が言うにはより美味しくお酒を飲むために水分を絶っていたとのことだった。

 その理由を聞いて呆れた様な目を向けるベルフラウたちの目線を気にせずに女性は笑う。

 

「干物にならなくてすんだのは、あなたたちのおかげだしぃ」

 

 そう言った女性がアティ、ベルフラウの顔を見て──イリの姿を確認したところでその表情が固まった。

 

「どうしたんですの? この子がどうかしまして?」

 

「ひっ!? にゃ、にゃははは……な、なんでもないわよぉ!」

 

 声を上ずらせた女性は誤魔化すかのようにお礼をするから付いてくるようにと言い、歩き出した。

 

 

 

 メイメイと名乗った女性から彼女の店に案内されたベルフラウたちはお礼を受け取り、船へと戻っていった。

 ベルフラウたちを見送り、その後ろ姿が見えなくなったことを確認するとメイメイは店のドアを閉め──吐いた。

 店の玄関に吐物がまき散らされる。

 しかし彼女にはそんなことを気にしている余裕はなかった。

 

「ど、どうして……!? どうしてあんなものが……異識体がリィンバウムにいるのよ!?」

 

 メイメイは異識体を知っていた。

 リィンバウムと四つの世界を喰らう意識体の存在を『別の世界のメイメイ』からの報告で知っていたのだ。

 別の世界のメイメイからは勇者たちが異識体を討伐し、世界の滅亡は防がれたと報告を受けていた。

 だが現に、目の前に異識体が現れてしまった。

 つまり討伐は失敗したということ。

 メイメイは腕で自身の体を抱きしめ、体を震わせていた。

 

 ──恐ろしい。

 何故、さも少女の護衛獣であるかのように傍にいたのか。

 異識体が人間の護衛獣に? 

 ありえない。

 

 ──恐ろしい。

 何故、異識体から力を感じ取れなかったのか。

 異識体は界の意志と同等以上の存在。

 そして界の意志をも欺き、気づかれずに世界を喰らい続けたほど偽装に長け、狡猾な存在。一体何を企んでいるのか。

 

 メイメイには何もわからなかった。

 わかったのはただ意識体級の存在がこのリィンバウムに顕現している、ということだけ。メイメイにはこの世界が深い闇に閉ざされてしまったかのように思えた。

 

 

 

 船へ戻ったベルフラウとアティは授業を始めていた。

 本日の授業は戦闘の基礎について。

 この島では既に何度も戦闘が発生している。

 ベルフラウの身を護るためにも戦闘の基礎を学ぶことは重要だった。

 

「まずは武器ごとの特色について。武器の間合いによって三つに分類されます」

 

 アティの剣やカイルの拳などの近接武器。

 ソノラの銃などの遠距離武器。

 槍などの間接武器。

 それぞれの間合いと周りの地形を生かし、有利な状況を作り続けるのが重要だ。

 一通り説明を受けたベルフラウにアティは問いかける。

 

「それで、ベルフラウさんはどの武器を使うつもりですか?」

 

「弓でしたらすこしかじったことがあるわ」

 

 お嬢様らしく鹿狩りもしたことがあるベルフラウは弓にはある程度の自身があるようだった。

 

「でも弓だと近づいて来た敵には不利になりますよ?」

 

「近づく前に、しとめてしまえばいいのよ。それに、イリもいるもの。ね? イリ?」

 

 ベルフラウは浮遊するイリの頭に手を載せると撫で始めた。

 

 

 

 アティに小さな来客が現れたのは授業が終わってすぐのことだった。

 

「はじめまして、マルルゥというです。ここに先生さんって人はいるですか?」

 

 マルルゥと名乗った妖精はアティたちを集落に案内するために迎えに来たようだった。

 アティに付いていくと名乗りを上げた者はだれ一人としていなかったが……。

 

 

 

 マルルゥに案内されたどり着いた集いの泉ではアルディラとファルゼンが待っていた。

 アルディラは言う。

 アティたちが本当に島の仲間として受け入れられる相手なのか、直に話をすることで島の住人たちに判断してもらいたいと。

 他の住人たちと話をしてみたかったアティとしては反対する理由はなかった。

 そしてアティは機界集落ラトリクス、鬼妖界集落風来の郷、霊界集落狭間の領域、幻獣界集落ユクレス村を回り、住人たちと挨拶をしていくのだった。

 

 

 

 集落を回る途中で迷い込んだのか『遺跡』への道へと足を踏み入れたアティの前に現れ、引き返すよう伝えたファルゼンとフレイズはアティを見送っていた。

 アティが視界から消えるとファルゼンはフレイズに向き直る。

 

「それで……先日の喚起の門の反応の件ですが……」

 

 大鎧のファルゼンから聞こえたのはその見た目からは想像もできないような少女のような高い声だった。

 

「まだわかりません……。喚起の門がいったいなにを呼んだのか……」

 

 異世界の存在を召喚する装置、喚起の門。

 偶発的に起動し、異世界の住人を呼び込むこの装置は危険な者を呼び込む可能性もあるため、警戒が必要だった。

 

「それに、今回は妙だったんです。いつもと何か違うような──」

 

 

 

 挨拶周りを終えたアティは集いの泉に呼び出され、護人たちから作物を盗む人間たちの存在を聞くこととなった。

 そしてその討伐に協力してほしいと依頼される。

 これは実質的に試験。

 アティたちの覚悟を試すための試験だった。

 カイルたちは討伐に協力することに了承する。

 島の住人の信頼を得る機会でもある今回の依頼を逃す手はなかった。

 

「それで先生、どんなだった? 集落の様子って」

 

 船に帰ってきたアティに好奇心を隠せない様子のソノラが島の集落について尋ねるとカイルとヤード、スカーレルもアティの傍に来て囲む。

 及び腰になってアティに付いてこなかった彼らだったがなんだかんだで集落の様子が気になっていたようだ。

 海賊たちがアティと楽しそうに話す中、それをベルフラウは少し離れた場所で見ていた。

 

 

 

 ──面白くない。

 楽しそうに話すアティと海賊たちを尻目に船から飛び出してきたベルフラウはイリを連れて夜の浜辺に座っていた。

 自分の家庭教師であるアティが海賊たちや島の住人ばかりを相手にしている。

 そのことがベルフラウにとっては不満だった。

 不満は積み重なり、行動や態度に出てしまう。

 

「私、子供みたいよね。子供扱いされたくないのに、悪い子みたい。本当はわかってるの……」

 

 ベルフラウは内心をぽつぽつと言葉にし始める。

 夜風で冷えた砂の冷たさが自身を責めているようにベルフラウには感じられた。

 

 

 

 ──理解できない。

 内心を吐露し始めたべルフラウの隣でふよふよと浮きながら話を聞いていたイリにとってベルフラウの感情は理解できないものだった。

 異識体にとって他者とは喰らうものでしかない。

 欲しいものがあれば喰らってしまえばいい。

 嫉妬という感情はイリからは程遠いものである。

 だがイリは理解出来ないベルフラウの話を聞き続けた。

 イリ自身にもその理由はわからない。

 理解できない感情が自身を打倒した『何か』のヒントになると思ったのかもしれない。

 それとももしかしたら他の理由だったのかもしれない。

 疲れたベルフラウが船へ戻るまで、ベルフラウの隣で感情の吐露を聞き続けていた。

 

 

 

 次の日、アティたちは野盗の正体であった海賊ジャキーニ一味を懲らしめるとジャキーニ一味に償いとして畑で働かせることとなった。

 畑仕事をすることとなったジャキーニは悲鳴を上げるが、野盗にたいしての罰としては温情のある罰だろう。

 悲鳴を上げるジャキーニを眺め、苦笑を浮かべたアティたちは護人たちからの依頼を終えて、彼らに覚悟をしめすことが出来た。

 

 

 

 シルターン風の店のなかでメイメイは椅子に座り、深呼吸をしていた。

 あれから落着きを取り戻したメイメイはまずは自分の役目、自分のしなければならないことを導きだす。

 

「報告しないといけない……。他の世界の……メイメイたちに、異識体は滅びてはいないと!!」

 

 魔力を練り上げ水晶に手をかざし、他の世界のメイメイたちに報告をしようとして──。

 

 

 ──視られた。

 

 




容疑者は「メイメイさんの胃に穴をあけたかった」などと供述しており


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自分ノ居場所

ついにたどり着いた誓約回


 ベルフラウはアティの部屋の前に立っていた。今日の授業が行われていないため、その催促に来たのだ。

 少し不機嫌そうな表情のベルフラウは扉をノックしようとして──部屋の中にいるアティの声を耳にした。

 

「さてと、今日は天気がいいし、集落のみんなに会いに行こうかな」

 

 案の定、授業のことを忘れて集落にいこうとしたアティの声を聞いたベルフラウは少し不機嫌そうな表情をしかめ面に変え、扉を開けた。

 

「ベルフラウさん、おはよう。いきなりどうし──」

 

 ましたか、と続けようとしたアティはベルフラウの表情に気づき、そこで言葉を止める。

 

「前々から思っていましたけど、貴方ご自分の立場を忘れているんじゃありませんこと!?」

 

 そもそもアティはマルティーニの当主にベルフラウの家庭教師として雇われた身だ。

 それを忘れているアティに対し、ベルフラウの口調は自然と強いものになっていく。

 

「ちやほやされていい気分になるのは勝手ですけど、貴方の仕事は私に勉強を教えることよ! そうじゃなくて!?」

 

 生徒にぐうの音も出ないほどの正論で叱咤された女教師は生徒に謝罪すると、授業を始めた。

 

 

 

 授業は召喚術についての実践的な内容へと移っていた。

 

「誓約の名の元に命じる……」

 

 シルターンと相性のいいベルフラウは小さい鬼の召喚獣を喚んでみせる。

 安定して召喚術を使えるようになったベルフラウの成長は著しいものだった。

 ベルフラウは次のステップ、術を作る誓約の儀式の段階へ進むこととなった。

 

「まずは『護衛獣』との誓約をやってみましょう」

 

 護衛獣とは召喚師の護衛や身の周りの世話をする召喚獣であり、召喚師にとっては非常に重要なパートナーとなる存在。

 強さはもとより性格的な相性も考慮しなければならない。

 

「だったら、イリで充分ですわよ?」

 

「ギィイ?」

 

 傍らに浮かぶイリを撫でるベルフラウは護衛獣を召喚することにあまり興味がなさそうだ。

 そこでアティは一つ提案することにした。

 

「それじゃあ、その子と誓約の儀をしちゃいましょうか」

 

 普通、はぐれ召喚獣は既に誓約に縛られているがこの島にいる召喚獣は誓約に縛られていないようだった。

 つまり、誓約が可能かもしれない。

 それを聞いたベルフラウは意気込み、誓約の儀を始めることにした。

 

「古き英知の術とわが声によって、汝へと新たなる名を与えん……。新たなる誓約のもとにベルフラウがここに望む……」

 

 ベルフラウが魔力を練り上げて部屋が光に包まれはじめる。

 ベルフラウはイリを真剣な眼差しで見つめる。

 この島に来てからずっと一緒にいるイリ。

 愚痴を聞いてもらったり、夜は一緒に寝たり。

 まだ会ってからそれほど経ってはいないがベルフラウの中ではイリが居てあたりまえの存在となっていた。

 

「ねぇ、イリ。私、もっとあなたと一緒にいたいの。これからも私と一緒にいてくれるかしら?」

 

 

 

 ベルフラウの言った『一緒にいたい』それはイリにとっては理解できないものだった。

 異識体にとっては他者とは喰らうものであり一緒にいるものではない。

 だがこの島に来てからは他者と一緒にいる状況が続いていた。

 初めてだった。他者と一緒に食事をするなど。

 初めてだった。他者と一緒に散歩をするなど。

 初めてだった。他者と一緒に眠るなど。

 それらを享受していた自分自身のことが理解できない。

 何故一緒にいることを受け入れていた? 

 何故跳ね除けなかった? 

 

 そしてイリは結論付ける。

 今の自分は『完全な個であるイリデルシア』ではない。

『不完全な個であるイリ』がいまの状態であると、だから他者と一緒にいることを受け入れてしまっていたのだと。

 力を取り戻し、『完全な個であるイリデルシア』に戻るまではベルフラウが必要なのだ。

 そう結論付けたイリはベルフラウの問いに了承する。

 自分の中に芽生え始めた『何か』から目を逸らしながら。

 

 

 

 イリの了承を聞いたベルフラウによって護衛獣の誓約が結ばれる。

 部屋を包んでいた魔力の光りが収まり、ベルフラウは胸を高鳴らせながらゆっくりと瞼を開ける。

 

「成功したみたいですよ、ほら」

 

 誓約は成功し、その証として透明のサモナイト石に刻印が刻まれていた。

 正式にイリが護衛獣になったことが嬉しいのか、ベルフラウの顔には笑みが浮かんでいる。

 

「この召喚石で喚べば、いつでもこの子はあなたのところにやってきますよ」

 

「改めて、これからもよろしくね! イリ!」

 

 ベルフラウはイリを抱きしめると、頬ずりをしながらそう言うのだった。

 

 

 

 授業が終わった後、ベルフラウは釣りに出かけるというアティについていくことにした。

 勿論、護衛獣になったばかりのイリを連れて。

 イリを抱きながら歩き、表情を綻ばせるベルフラウを見てアティも自然と笑顔になる。

 

「よかったですね、本当に」

 

 ずっと一緒にいた二人を見ていたからこそそう思う。

 どうかイリの存在が、この島への漂流という困難に襲われた小さな少女の支えになりますように。

 そう祈っていたアティはベルフラウの上げた声で意識を現実に戻した。

 

「あれは……人?」

 

 

 

 浜辺で倒れていた黒髪の青年を発見したベルフラウたちは急いで機界集落ラトリクスにある医療施設『リペアセンター』へと連れて行った。

 

「細かな外傷は認められますが、生命活動に支障をきたすようなものではありません」

 

 ベルフラウたちにそう報告するのは、看護用の機械人形<フラーゼン>であるクノン。

 彼女は普段はアルディラの世話役をしているが、このリペアセンターの設備を動かすこともできる。

 彼女の報告を聞いたベルフラウたちはひとまず安堵の溜息をついた。

 

 

 

 青年をクノンに任せたベルフラウたちはメイメイさんの店に行くことにした。

 アティが店のドアをノックするが返事はない。

 

「留守ですの? 閉店中なら看板でも出しておいてくださればいいのに」

 

「残念ですけど、また今度にしましょうか。……あれ、鍵が開いてる……?」

 

 鍵を開けたままだったのか開きそうだったドアを開けようとしたアティだったがイリに制止される。

 

「ギィイ!」

 

 体を横に振り、否定を伝えようとするイリを見て、アティは手を止めた。

 

「そうですよね。勝手に覗いちゃいけませんし、このまま帰りましょうか」

 

「あなたも教師なんだから、行動には気を付けてくださいな」

 

 そう言うベルフラウに謝罪を返しつつ、店を後にしたのだった。

 

 

 

 鬼妖界集落、風雷の郷にて、アティは鬼姫ミスミから子供たちの教師を引き受けてほしいと頼まれる。

 しかし、アティはベルフラウの家庭教師。

 ベルフラウに叱咤されたこともあり断ろうとしたが、ミスミの知人らしいゲンジと名乗る老人に叱咤され、子供たちの教師を引き受けることとなってしまった。

 

 海賊船へと戻ったアティは気分を重くしながらもベルフラウの部屋を訪ねる。

 教師を引き受けた旨をベルフラウに伝えなければならない。

 ドアをノックし、返事を確認したアティは扉を開けた。

 

 

 

 アティに事情を説明されたベルフラウは当然反対した。

 まだ家庭教師としての自覚が足りていないのではないかと疑うベルフラウだったが、アティに先生としての勉強をしたいと言われしぶしぶ受け入れる。

 

「ただし、そのために私をないがしろにすることは絶対に許しません!」

 

「絶対に約束します。そんなこと絶対にしないって」

 

 その返事を聞いたベルフラウはその心に不安を湛えてながらもイリとともに自室へと戻る。

 そして次の日、初めての授業が始まるのだった。

 

 

 

 最初のうちは順調だった。

 しかしこの島の子供、スバルとパナシェが喧嘩を始めてしまう。

 喧嘩の仲裁にかかりきりになってしまったアティと騒ぐこの島の子供たちに腹を立てたベルフラウは飛び出して走って行ってしまった。

 

「嘘つき……! 約束したのに……!」

 

 森の中を走るベルフラウの心の中に怒りと失望が渦巻く。

 

「やっぱり、私にはイリだけよ。先生なんて……!」

 

 やはり自分と一緒に居てくれて自分を見てくれるのはイリだけなのだ。

 そう確信し、隣で浮遊しながらついてくるイリを抱きしめようとしたところで──。

 

「……子供か」

 

 帝国軍の兵士たちがベルフラウの前に姿を現した。

 

 

 

「いい加減にしやがれこのクソガキがッ!」

 

『竜骨の断層』に緑髪の男の声が響く。

 帝国軍人たちがなにを聞こうともベルフラウはだんまりだ。

 何も喋ろうととしないベルフラウに男は業を煮やしていた。

 痛いめにあわせてやろうか、と言う男を制止したのは大柄な体格をした男だ。

 

「やめろ、ビジュ。相手は子供だぞ?」

 

 ビジュと呼ばれた男は大柄な男を副隊長殿と呼んだ。

 そして副隊長の男と共に女性が姿を現す。

 この女性こそアズリア・レヴィノス。この島にいる帝国軍を率いる隊長であり、帝国軍が誇るレヴィノス家の女傑だった。

 

 

 

 竜骨の断層に駆けつけたアティの視界に帝国軍に捕まっているベルフラウとイリが目に入る。

 

「ベルフラウさん!!」

 

 自分が約束を守れなかったから、ベルフラウをこんな目にあわせてしまった。

 そう自分を責めるアティは帝国軍たちの前に一人で立ち、対峙する。

 

「向こう見ずなのは、学生の頃とちっとも変らんな?」

 

 帝国軍の中から前に進み出てきたのは黒髪の女性、アズリア。

 彼女は帝国の軍学校を主席で卒業したアティのことをよく知っていた。

 何故なら彼女は軍学校時代アティと主席の座を巡って切磋琢磨した同期だったからだ。

 投降を促すアズリアだがアティは断固として拒否する。

 そしてその二人の会話にビジュが割って入った。

 

「おっとぉ! こっちにゃあ、人質がいるってことをわすれんじゃねぇ!」

 

 ベルフラウの隣で太陽光に反射し光るナイフをチラつかせ、ビジュはアティを脅してみせる。

 卑怯な手を嫌うアズリアはビジュを制止するがビジュは聞く耳を持たない。

 

「俺はその赤髪に借りがあんだよ。この手でぶちのめさなくちゃ気がすまねぇぜ!」

 

 アティは武器を捨てるよう要求され、その手から武器を離して見せる。

 

「やめて!? 私の事なんて気にしないで!」 

 

「ガキは黙ってろ!」

 

 叫ぶベルフラウが自分の復讐の邪魔になってはいけないと思ったのか、ビジュはベルフラウの腹を殴りつける。

 

「ギィイイイ!」

 

 ベルフラウが殴られたのを見たイリはその全身を使ってビジュの腹に体当たりを喰らわせた。

 ヤードを一撃で昏倒させた体当たりだったが、召喚師であるヤードと違い、ビジュは戦闘訓練を受けた軍人だ。

 よろめきながらもその一撃を耐えてみせる。

 

「てめぇ! この虫ケラがぁ!」

 

 痛みと怒りで顔を歪ませたビジュはそのナイフを振りかざし──イリに突き立てた。

 

「ギィシィイイ!?」

 

「イリ!? やめて!! イリを傷付けないで!!」

 

 突き刺さったナイフの痛みに悶えるイリを見ても怒りが治まらず、それどころかベルフラウの悲鳴を聞いて嗜虐心を刺激され、ビジュは追撃を加えた。

 

「趣味の悪いペットだなおい! なぁ嬢ちゃんよぉ!」

 

 ビジュはイリに膝蹴り食らわせ、膝蹴りを受けたイリは放物線を描いた後、地面をゴロゴロと転がる。

 

「イリ!! しっかりしてよ!! イリ!!」

 

「気持ちわりぃ化け物め……」

 

 悲鳴を上げてイリに駆け寄り、涙を流しながらイリを抱きしめるベルフラウとそれを見たアティは無力感から歯を食いしばる。

 

「赤髪、今度はてめぇの番だ。ブチ殺して……」

 

 アティへ向き直ろうとしたビジュだったが、イリを痛めつけることに夢中で周りが見えていなかった。

 

「てめぇがな!!」

 

 竜骨の断層へ駆けつけ、ビジュに接近したカイルに気づかず、その拳を顔面で受けることになった。

 

「イリ、漢を見せてもらったぜ。あとは任せとけ、今度は俺が漢を見せる番だ」

 

 吹き飛ぶビジュを尻目にベルフラウに抱えられるイリを見つめ、カイルは己に気合を入れる。

 カイルに続き、仲間たちが竜骨の断層に到着する。

 

「イリが……。イリが……」

 

「ベルフラウさん、イリを召喚術で治療します。きっと大丈夫ですから、安心してください」

 

 泣き続けるベルフラウの傍にヤードが駆け寄り、安心させるべく声をかける。

 ヤードは霊界の召喚獣を使い、イリの治療を始めた。

 

「ベルフラウとイリ、ね……。あの二人、なんだか……」

 

「オモイダスナ……ムカシヲ……」

 

「ええ、何故か懐かしいわ。召喚獣と人間が信頼し合う関係……」

 

 アルディラとファルゼンはベルフラウとイリを見てかつての光景を思い出し、懐かしんでいるようだった。

 

 無力感で立ち尽くしてしたアティの隣にスカーレルがやってくる。

 

「あの子、頑張ったのね。あんな小さいナリで……」

 

「私、何もできませんでした……。私のせいです……。私のせいでイリが……」

 

 ベルフラウとの約束を破ったばかりか、ベルフラウにとってとても大切なイリを傷つける結果となってしまった。

 表情を暗くし、落ち込むアティにソノラが声をかける。

 

「まだこれからでしょ、先生。まだあいつらはいるんだから、これから挽回しなきゃ」

 

「そうですよね……。これからですよね! ちゃんと謝らないと……!」

 

 

 

 帝国軍との戦闘が始まり、竜骨の断層に喧噪が響く。

 その中、ベルフラウはイリを抱き座り込んでいた。

 ヤードの召喚術である程度は回復したのか、イリはベルフラウの腕の中で身じろぎをする。

 

「私、怖かった。イリが死んでしまうんじゃないかって……」

 

 そう呟くベルフラウは自然とイリを傷つけた犯人であるビジュの姿を探す。

 そして見つけた。

 帝国軍の副隊長の男と対峙するアティと、その背後から襲いかかろうとするビジュの姿を。

 イリだけでなく今度は家庭教師まで傷つけようとするビジュを止めるべくベルフラウは覚悟を決めた。

 

「ねぇイリ……! ちょっと力を貸してくれるかしら……!」

 

「ギィイ!」

 

 ベルフラウはイリと誓約した透明のサモナイト石を握りしめる。

 魔力をサモナイト石に込め、自身の内にイリとの繋がりを感じ──行使する。

 イリの──異識体<イリデルシア>の恐るべき力の一端を。

 

「行くわよ、イリ! 『串刺シノ刑ニ処ス』!!」

 

 今まさにアティの背後へ躍り掛からんとするビジュは赤髪の女の末路を想像し、舌なめずりをする。

 しかし、ビジュの想像していた未来はこなかった。

 ビジュの足元から一本の巨大な爪のようなものが生え、ビジュに迫ってきたのだ。

 咄嗟に体を捻り、先端に串刺しにされることを回避したビジュだが、巨大な爪に体を殴打され、放物線を描いたように打ち上げられる。

 地面に叩きつけられ、転がったビジュは動けなくなった。

 

「召喚術!? ベルフラウさん、助かりました!」

 

 背後を取られそうになっていたところを助けられたアティはベルフラウに感謝する。

 ベルフラウはイリと始めて使った召喚術に興奮し、耳に入っていないようだったが。

 生徒に情けないすがたは見せられないと覚悟を決めたアティは魔剣の力を行使する。

 魔剣の魔力によって吹き飛ばされた副隊長の男と魔剣を手にしたアティの姿を見たアズリアは驚愕した。

 

 アティが持つその魔剣こそ、帝国軍が輸送していた魔剣。

 海賊たちと手を組み、それを奪ったのがアティだと思い込んだアズリアは激高した。

 

「どこまでも、私の邪魔をするというのか、貴様は……っ!」

 

 弁解しようとするアティの言葉を聞かず、アティを睨み付けたままアズリアは撤退命令を出したのだった。

 

 

 

 戦いが終わり、アティはベルフラウと二人きりで話をすべく仲間たちから少し離れる。

 

「驚いちゃいました。あの時、貴方が召喚術を使ったこと。私が思っていたよりもずっと強くなっていたんですね」

 

 子供だから、弱いから。

 だから危険から遠ざけるべき。

 そう思っていたベルフラウにアティは救われた。

 

「それに、約束を破ってしまって……。そしてイリも……」

 

「全部、私の我儘のせいよ……。怖かった……貴女がどんどん周りの人たちと親しくなるのが……。貴女は私の家庭教師。その関係以外、貴女が私を気にかける理由なんてない!」

 

 ベルフラウは怖かったのだ。この島に漂流してから、給金を払うことなんてできない。

 いつか見捨てられるのではないかと、不安だったのだ。

 

「だから心細くて……! だから私……! でも私のせいで一番大事なイリまで……!」

 

 ベルフラウが声を上げて泣き出すとアティは抱きしめた。

 

「ごめんね、不安にさせちゃって。何があっても、私はあなたの先生だから……」

 

 沈んでいく夕日の中、アティはベルフラウを抱きしめ続けていた。

 

 

 

 日が暮れ、戦いに疲れた皆が眠る中。

 ベルフラウとイリは船を出て浜辺に佇んでいた。

 

「ねぇ、イリ。ごめんなさい。私のせいで……」

 

 ベルフラウはイリを抱き寄せ、ビジュにナイフで刺された箇所を撫で始める。

 

「痛かったよね……。それと力を貸してくれてありがとう」

 

 そう言うベルフラウをイリはじっと見つめた。

 少し照れたように顔を逸らすベルフラウは照れくささを誤魔化すかのように船へ戻るよう提案する。

 

「そろそろ戻りましょう。今日は疲れたわ……」

 

 欠伸をしながらそういうベルフラウだったがイリは体を横に振り、ここに残るようだった。

 

「先に戻ってるわ。イリもすぐにもどるのよ?」

 

 

 

 ベルフラウが船に戻り、イリはただ一人浜辺に浮かぶ。

 

「ギイイイイイ……。理解不能。解析不能。何故我ハ……!? 何故!! 何故!!」 

 

 何故ベルフラウが殴られたのを見てビジュに立ち向かったのか。

 現在のスペックで帝国軍人たちと戦うなどあり得ない。

 勝ち目のない戦いだった。戦うという選択肢などありえない。

 そのはずなのに自分の取った行動は現実的な選択肢から乖離している。

 

 そしてベルフラウが使ったあの召喚術。

 ベルフラウとの繋がりから引き出された、異識体の力。

 威力そのものはかつてのものとは比較にならないほど弱いが、現在の魔力では到底扱えるものではないはず。

 あれを使えるようになるにはまだ時間が必要なはずだった。

 

「ベルフラウ……。何故……!? ベルフラウノ無事ナ姿ヲ見テ……何故我ハ『安堵』シタ……!?」

 

 ヤードの召喚術で治癒されたイリは無事な様子のベルフラウを見て……安堵したのだ。

 それは彼女の持つ『何か』を手に入れられなくなるからなのかそれとも他の理由なのかイリには解らなかった。

 

「何故!? 何故我ノ魔力ガ高マッテイル!?」

 

 ベルフラウが召喚術を使い、ベルフラウがイリとの繋がりを感じてからイリは自身の魔力の高まりを感じていた。

 本来完全な個であり他者を必要としないイリには何故他者との繋がりから力を感じるのか理解出来なかった。

 

「ギッギシッ!? ギリィイイイイ!?」

 

 月明かりのみに照らされた夜の名も無き島の浜辺に困惑したイリの叫びが響き渡った。

 

 




というわけでタイムリミットの設定です
イリデルシア復活までに
好感度が一定以上であること

●イリ
小さな身体に大きな力を秘めるベルフラウの相棒。
ベルフラウ専用召喚獣。

・ユニット召喚

・串刺シノ刑ニ処ス 
単体無属性Cランク術。

・未開放

・未開放


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2.片鱗
招カザル来訪シャ 前


 昇ったばかりの朝日を浴びる海賊船に甲高い声が響く。

 

「イリがいないの!!」

 

 朝になってもイリは帰らなかった。

 パニックになったベルフラウは食堂の扉を開けると、開口一口目からイリがいないと叫んだのだ。

 既にベルフラウ以外のメンバーは揃っていたようで、ベルフラウの叫びを聞いて茫然としている。

 

「あのね、ベルフラウさん……」

 

 アティはベルフラウに声をかけるが、落ち着いているアティが気に食わないのかベルフラウは声を荒らげる。

 

「先生はなんで落ち着いているのよ!? イリが、イリがいないのよ!?」

 

「ベルフラウさんはイリとはもう誓約しているんですよ。喚んでみたらどうですか?」

 

「あ……」

 

 パニックになったせいかベルフラウはそのことが頭からすっかり飛んでいたようだった。

 ベルフラウが透明のサモナイト石に魔力をこめる。

 

「来なさい! イリ!」

 

「ギィイイ!?」

 

 術により食堂に現れたイリは突然喚ばれたことに驚いているようだった。

 驚くイリに構わずベルフラウはイリを抱きしめる。

 

「もう、何処に行ってたの? どこにも行っちゃだめよ。私とずっと一緒にいること、いいわね?」 

 

「お、重い……」

 

 ベルフラウの言葉を聞いて思わずつぶやいたカイルだったがスカーレルによって鉄拳制裁される。

 

「ウチの船長はなってないわねー。乙女の想いを重いだなんて!」

 

「そうだそうだー! アニキは女の子の気持ちを考えろー!」

 

 スカーレルと囃し立てるソノラに弱ったような表情をするカイルと苦笑いするヤード。

 今日も海賊船は平和だった。

 

 

 

 ユクレス村の広場にて2回目の授業が行われていた。

 委員長に任命されたベルフラウがアティのサポートをすることでうまく授業が回っていた。

 授業が終わるとアルディラがアティの元へ訪れる。

 以前浜辺で倒れていた青年が意識を取り戻したことを伝えに来たようだった。

 ベルフラウの授業が終わったら面会に行くことを約束して、ベルフラウと共に海賊船へと向かった。

 

 

 

 ベルフラウの自室にやってきたアティは早速授業を始めた。

 

「今日は絵を描いてみましょうか」

 

 そう言うアティだがベルフラウは首をかしげる。

 

「別に構いませんが……どうして絵ですの?」

 

「召喚術を使うにはイメージも大切なんですよ。召喚してみたい召喚獣をなんとなくのイメージでもいいから、描いてみてください」

 

 頭の中でぼんやりとしたイメージを浮かべながら紙に絵を描き込んでいくベルフラウはだんだん夢中になってきたのか集中し始めた。

 部屋の中を浮かぶイリは興味がないのか窓から外を眺めているようだった。

 

 ベルフラウが絵を描き始めてからしばらくして、絵を描き終えたのかベルフラウは鉛筆を置き、額の汗をぬぐって見せる。

 

「先生、終わりましたわ」

 

「先生ちょっと楽しみです。ベルフラウさんはどんな絵を……これは、蜘蛛……ですか?」

 

 アティがベルフラウの絵を覗き込むと、そこに描かれていたのは蜘蛛のような召喚獣だった。

 

「ええ。何となく頭に浮かびましたの。大きい……蜘蛛のような……」

 

 それを聞いたのか窓から外を見ていたイリはふよふよとベルフラウのもとへ移動してくるとその絵を覗き込む。

 

「ギィイイ!?」

 

 そして声を上げたかと思えばベルフラウの顔を見上げ、その目をじっと見つめるのだった。

 

「ど、どうしたのイリ。そんなに見つめて……」

 

 イリに見つめられたベルフラウは頬を赤く染める。

 イリはベルフラウから視線を外すと、再びベルフラウの描いた蜘蛛のような絵を見つめるのだった。

 

 

 

 授業を終えたベルフラウたちは先日留守だったメイメイの店を訪れた。

 アティがノックをすると中から返事が聞こえた。

 

「今日は留守じゃないみたいですね」

 

「あら、いらっしゃい。ごめんねぇちょっと留守にしちゃっててぇ」

 

 扉を開けて店に入ったベルフラウたちを迎えたメイメイに挨拶をすませると武器や道具等を買い揃える。

 再び帝国軍と戦闘になる可能性があるため、より強力な武具が必要だった。

 

「毎度ありぃ。今度はお酒をもってきてくれるとメイメイさん嬉しいなぁ。キシ、キシシシ」

 

 アティたちに酒を催促するメイメイに苦笑しながらも次は用意すると伝えるとベルフラウたちは店を出ることにした。

 

「そういえば……メイメイさんってあんな笑い方をする人でしたっけ……?」

 

 

 

 メイメイの店を後にし、アルディラとの約束通りラトリクスへ向かったベルフラウたちはクノンから青年の容態について説明を受けていた。

 

「肉体的な異常は見られませんでした。しかし……記憶が混乱しているようです」

 

 そこにアルディラが付け加える。おそらく心因性のものである可能性が高いと。

 そこでアティが青年と会話をしてみることになった。

 会話によるリハビリが青年の記憶を取り戻す助けとなる可能性があるためだ。

 アティはイスラと名乗った青年と会話を続ける。

 ベルフラウとイリはガラス越しにその様子を眺めていた。

 

「記憶喪失……ねぇ、イリ。もしも私が記憶を無くしても、あなたは私の護衛獣でいてくれるかしら?」

 

 ベルフラウはイリに問うが答えは返ってこない。

 

「イリ……?」

 

 答えを返さないイリを不審に思ったベルフラウは隣のイリを見つめる。

 

「ギシ、ギシシシ……」

 

 イリは青年を見つめ……嗤っているように見えた。

 

 

 

 集いの泉に護人たちが集まり、緊急会議が開かれていた。

 アティがイスラを散歩に連れ出した際に見つけた森の異変が議題となっていた。

 木が枯れ、倒され、荒れ果てていた。

 アティの報告を受けてこうして緊急会議が行われることとなったのだ。

 とはいえ原因もわからず、現状は様子を見るしかない。

 アティは仲間に報告するため、船に向かうのだった。

 

 

 

 カイルの海賊船内でも森の異常について話し合いが行われる。

 

「倒れていた木を調べてみたのですが、破壊された部分も度合いも不揃いだったんですよ」

 

 ヤードは召喚術によるものではないと分析する。

 

「断面の傷は古い船によくある虫食いの跡に似ていた気がしたんだよ」

 

「虫食い、ですか……」

 

 カイルによる分析を聞いたアティが呟くと何人かがイリにチラリと視線を寄越した。

 

「なによ! イリじゃないわ!」

 

 憤慨してみせるベルフラウと体を横に振り否定して見せるイリをアティが苦笑しながら宥めていた。

 

 

 

 アティは一人で集いの泉を訪れていた。

 集いの泉にはアティを呼び出したアルディラ一人だけが待っている。

 

「あなたに見せたいものがあるの。……この先にある遺跡のことよ」

 

 アルディラは言う。

 遺跡を調べれば、もしかしたら魔剣のことがわかるかもしれない。

 召喚獣たちが帰る方法がわかるかもしれない。

 しかし、ファルゼンは言っていた。遺跡には近づくなと。

 アルディラと共に遺跡に行くべきか、断るべきか。

 アティは悩んだ末、アルディラと共に遺跡に向かうのだった。

 

 

 

 アルディラに案内され、遺跡への道を進むアティの視界に巨大な設備が映る。

 

「これは……?」

 

「『喚起の門』よ。この島の召喚獣はこの門に召喚されてきたの。でも争いの中で中枢部を破壊され、制御を受け付けなくなってしまった。偶発的に作動しては得体のしれない存在を呼び出す、危険なものになってしまったの」

 

 アルディラの説明を聞き、アティは喚起の門を見上げた。

 説明通りならとんでもない装置だった。

 この島にいるたくさんの召喚獣たちを召喚した装置。

 そしてそれは今もなお稼働を続けている。

 

「だけど、そんな不安もじきに無くなるわ。あなたの持っている剣。その魔力を用いたなら遺跡の機能を正常に回復できるはずなの」

 

 アルディラはアティの瞳を見つめ、続ける。

 

「あなたがこの島へ来てから、目に見えてこの門の活動は盛んになってきているの」

 

 そして、喚起の門が鳴動する。魔剣も魔力によって共鳴現象を起こしていた。

 

「『碧の賢帝』を抜いてみなさい。そうすれば……」

 

 アルディラに促され、アティが魔剣を抜剣した──その時だった。

 突然襲う苦しみにアティが頭を押さえしゃがみ込む中──徐々に大きさを増していた喚起の門の鳴動が──決壊した。

 

「な、何が起こっているの!?」

 

 苦しむアティを嗤ってみていたアルディラだが自身の計画にない異常事態に困惑する。

 だが、アルディラ自身が言ったことだ。

 得体のしれない存在を呼び出す危険なものだと。

 喚起の門によって喚ばれた複数の『得体の知れない存在』はその身を起こす。

 アティやアルディラよりも一回り大きい体躯は白く、四つの脚を持っていた。

 そしてその雰囲気からはどこか無機質な印象を受ける。

 

「ドウイウツモリダ! あるでぃら!」

 

 そして大鎧の騎士、ファルゼンがそこに乱入する。

 そしてアルディラに詰め寄る。

 何故アティを遺跡に連れてきたのか、新たな外敵を招いたのではないかと。

 だがアルディラは全て承知の上だと語る。

 そして二人は襲いかかってくる様子のない白い化け物を視線の端に意識しつつも対峙していた。

 

 ようやく気を取り戻したアティは状況を見て混乱するが、更なる乱入者の存在に気が付く。

 

「な、なんなのこれは……」

 

 巨大な蟻のようなソレは既にアティたちを包囲していたようで、顎をギチギチと鳴らしならにじり寄ってくる。

 アルディラとファルゼンは一時停戦し、蟻の召喚獣に応戦するのだった。

 未だに沈黙を保つ白い召喚獣に不気味さを感じながら……。

 



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招カザル来訪シャ 後

 蟻の召喚獣たちとの戦いを終えたアティたちが一息ついて周囲を見渡すと、白い召喚獣たちは何処かへ姿を消してしまっていた。

 

「なんだったのかしら、あれは……」

 

「テキタイスルイシガナイノナラ、ナンデアレカマワナイ。ソレヨリモ……」

 

「襲いかかってきたほうの召喚獣ですよね」

 

 アティたちは集いの泉へ向かい、蟻の召喚獣と白い召喚獣について報告をすることとなった。

 

 報告を聞いたユクレス村の護人、ヤッファは一刻の猶予もない事態だと語る。

 

「ジルコーダ……メイトルパの言葉で『食い破る者』って意味だ。連中はエサとなる植物がある限り、とてつもない勢いで増える。自然の多いこの島はジルコーダにとっての最高のエサ場ってことだ」

 

 つまり、爆発的に増える可能性が高い。そしてこの島の自然は瞬く間に食い尽くされてしまうだろう。

 そのことを察した一同は言葉を無くす。

 

「それを防ぐためにもあなたたちみんなの力を貸してもらいたいの」

 

 ベルフラウたちはアルディラの言葉に頷くと、準備が終わり次第再び集いの泉に集まることとなった。

 

 

 

 アティとベルフラウが各集落に挨拶と注意喚起をして回る中、イリは集いの泉で行われた会話を思い返していた。

 

「ギシイィ……。『喰イ破ル者』……『餌場』……! 我ガ居ルコノ島ヲ餌場ニスル? 不敬! 不快! 不遜!」

 

 世界を喰らう、捕食者の頂点である自身の居るこの島を餌場にしようとするジルコーダの存在を不快に思ったイリは兵隊を動かすことにした。

 

「ギシッ! ギシィイイ! 誅殺セヨ! ギリシィイ!」

 

 先ほど遺跡を利用して召喚された兵隊たちに指揮を出す。

 不敬な愚か者たちに身の程を教えるために。

 

 

 

 準備を終え、再び集いの泉に集まったベルフラウたちはメンバーが揃っていることを確認するとジルコーダの巣がある場所である廃坑に向かった。

 

「ねぇ、イリ。きっと大丈夫よね……?」

 

 ベルフラウは緊張した面持ちでイリに話しかける。

 大規模な戦闘が予想されることから少し不安があるようだった。

 

「あんまり緊張しすぎちゃだめよ? アタシたちも護人の人たちもいるんだし、それに小さなナイト様もいるでしょ?」

 

 ベルフラウの緊張を察したスカーレルにからかわれると少し頬を赤くしながらも、ベルフラウは小さく頷いた。

 

 ジルコーダの巣に侵入したベルフラウたちだったが、予想されていた歓迎はない。

 

「おいおい、出迎えもなしかよ」

 

「あまりにも静かすぎますね……」

 

 そう言うカイルとヤードの顔は険しい。

 あまりにも静かすぎる廃坑内が不気味だった。

 用心しながら進むベルフラウたちはついにジルコーダを発見する。

 

「これは……死んでいる……?」

 

 アルディラの言葉通りようやく発見したジルコーダは既にもの言わぬ屍となっていた。

 そしてそこからはジルコーダたちの死骸が点在している。

 

「これは一体……どういうことですの?」

 

 ベルフラウの疑問に答えるものはいない。

 アティも、海賊たちも護人たちにも見当はつかなかった。

 

 

 

 廃坑の最奥にはジルコーダの女王が鎮座していた。

 通常のジルコーダよりも遥かに巨大な体は少し離れたところからでも確認できる。

 

「あれが女王だ。……俺の知ってるのとは少しばかり違うみたいだがな」

 

 ヤッファの言う通り、女王の腹の部分が通常種と違い白い繭のようになっている。

 ベルフラウたちが武器を構えると女王は突然叫びだした。

 

「Gyaaaaaaaaaa!!」

 

 狂ったように叫ぶ女王はのたうちながら地面に尻をこすり付けると、繭のようなものを植え付ける。

 

「あれは……!?」

 

 アティが驚愕の声を上げた。

 女王が植え付けた繭のようなものが破れたかと思うと中から喚起の門で見た白い召喚獣が生まれてきたのだ。

 アティの上げた声に気付いたのか、女王はその顔をベルフラウたちの方向へ向ける。

 

「Gyshaaaaaaaaaaa!!」

 

 脚をバタつかせ、重い腹を引きずりながら絶叫をあげて女王はベルフラウたちへと向かってくる。

 

「来るぞ……!」

 

 

 

 本来移動には適していないのか、遅い速度で動く女王をスカーレルが速さで翻弄する。

 

「──シッ!」

 

 しかし、振るったナイフは甲殻によって弾かれてしまう。

「ちょっとどんだけ硬いのよ!?」

 

 カイルも続いて自慢の拳を叩きこむが──。

 

「かてぇなおい!?」

 

 硬すぎる甲殻にはあまり効果が無いように見えた。

 

「なら召喚術で──タケシー! ゲレサンダー!」

 

 ヤードが召喚した雷の精が放った電撃が女王を貫く。

 これは効いたのか、甲殻を一部焦がし女王が一瞬動きを止める。

 しかし女王の持つ再生能力によって瞬時に治癒されてしまう。

 

「再生能力とは……また厄介な……」

 

 刀を振るうキュウマが愚痴をこぼす。

 物理攻撃はほとんど効かない上、召喚術によるダメージも治癒されてしまう。

 そして……厄介なのが女王の吐き出す酸だった。

 射程が長いそれは召喚師にも届き得る。

 酸を慌てて避けるヤードを横目で見つつ、ヤッファはアルディラに声をかける。

 

「駄目だ、硬すぎて物理攻撃じゃダメージにならねぇ! アルディラ、頼めるか!」

 

「言われなくても! 召喚術での一点突破を狙うわよ!」 

 

 アルディラの声にヤードが頷く。

 

「ドリトル! ドリルブロー!」

 

「タケシー! ゲレサンダー!」

 

 機界の召喚獣が唸りを上げ、高速回転するドリルで甲殻を削っていく。

 削りきれずに消えるドリトルに続き、タケシーが電撃を放ってドリトルが削った場所を攻撃する。

 だがそれでも健在の女王を見てヤードが歯噛みする。

 この中で生粋の召喚師はヤードとアルディラのみだ。

 これでも倒せないならと、アティは魔剣の力に頼ろうとするが──。

 

「私、やるわ。あなたの生徒の雄姿、ちゃんと見てなさい!」

 

 召喚師はまだいる。先日召喚術を使えるようになったばかりの頼もしい生徒の言葉にアティは応える。

 

「ベルフラウさん! やっちゃってください!」

 

「行くわよイリ! 私たちの力、見せつけて上げるのよ! 串刺シノ刑ニ処ス!」

 

 地面から発生した巨大な爪が勢いよく女王に迫り──その身体を貫いた。

 

「Gyaaaaaaaaaaaaaaa!?」

 

 爪に串刺しにされた女王は口から泡を吹き、悲鳴を上げる。

 爪が消えると、女王は身体に開いた穴から体液をまき散らして転げまわった。

 だが繭状の腹部は女王の意に反して動き、地面に尻をこすり付けると──繭のようなものを生み出す。

 それで力尽きたのか、女王は動かなくなる。

 繭から生まれた白い召喚獣は自らを生んだ存在に興味がないのか、動かなくなった女王を無視して廃坑の出口へ向かっていった。

 

「……ようやく片付いたわね」

 

「ええ……」

 

 アルディラに答えるアティの表情は暗い。

 

「私たちとジルコーダは一緒に暮らせはしないとわかってはいるけど……」

 

 自分たちの都合でジルコーダを殺さなければならなかったことにアティは思うところがあったようだ。

 

「そうですわね……」

 

 イリを腕で抱きしめるベルフラウは自らの教師の言葉に頷いた。

 

 

 

 戦いを終えて帰ったベルフラウたちをマルルゥが出迎える。

 マルルゥは宴の準備を済ませて待っていたようだった。

 

「さあさあ、みんなで楽しくお鍋を囲むですよ!」

 

 楽しそうに笑って言うマルルゥに釣られて笑みを浮かべたベルフラウたちは宴の会場に向かった。

 

 焚火が闇夜を照らし、皆が鍋を囲む。

 大人たちは酒を飲んで出来上がっているようで、所々で騒ぐ声が聞こえた。

 

「ほれ、キュウマ。お主芸の一つくらいやってみせい」

 

 顔を赤くして言う鬼姫ミスミの無茶振りに答えようと生真面目なキュウマが踊っていたり……。

 カイルとヤッファは飲み比べをしているようで、次々と酒を煽っていた。

 ヤードはカイルの隣で潰れていたが。

 

「センセは気になるオトコはいないのかしらー?」

 

 スカーレル、ソノラ、アティ、ベルフラウは四人で集まりガールズ(?)トークをしていた。

 

「あははは……私はそういうのは……」

 

「軍学校に居たころはどうでしたの?」

 

 ベルフラウの問いにもアティは首を横に振る。

 

「えー。先生美人なのになー」

 

「生徒はちゃっかり青春してるのに情けないわねー、ベルフラウちゃん?」

 

「なんのことですの?」

 

 何故自分の名前が挙がったのか分からないベルフラウはきょとんとした顔でスカーレルを見るが、次にスカーレルが発した言葉を聞いて顔を紅潮させた。

 

「もう! 誤魔化さなくてもいいのよ。ベルフラウちゃんの気になるオトコはイリでしょ?」

 

「なっ!?」

 

「そうそう、ベルフラウちゃんったらイリにはデレデレだもんねー? ラブラブで妬いちゃうなー」

 

「ラブラブっ!?」

 

「あははは、いつか結婚しちゃいそうだなー、なんて……」

 

「け、結婚!?」

 

 スカーレルに続いてソノラも乗ってベルフラウをからかうとアティまでもがそれに続いた。

 酔った大人たちにからかわれたベルフラウはその顔を真っ赤にする。

 

「ほら、あそこで鍋掻き込んでるのの所に行ってきなさいよ」

 

 ベルフラウの背中を叩くスカーレルの視線の先には一心不乱に鍋の具を掻き込むイリの姿があった。

 顔を赤くしたままベルフラウはどこかぎこちない動きでイリに近づく。

 

「イリ……!」

 

 食事に夢中になっていたイリはその声でベルフラウの接近に気付いたのか、すぐ近くまできていたベルフラウを見上げる。

 

「わ、私と……! 結婚してくれないかしら!!」

 

 顔を真っ赤にしたベルフラウの叫びが宴会場に響き渡った。

 

 




どうしてこうなった…?

・蜘蛛の尖兵
白い姿の異形。異識体の操る兵隊。


・母胎ジルコーダ
蜘蛛の尖兵を産む機械にされたジルコーダの女王。
蜘蛛の尖兵を産むたびに生命力が削られるが女王が本来持つ再生能力が死ぬことを許さない。
ユニット性能的には甲殻体の軽減率が70%になったくらい。


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スレ違ウ想イ 前

 窓から差し込む朝日を顔に浴びたベルフラウはゆっくり目を開けると、まばたきを何度かしたあとに上半身を起こす。

 ベットで眠っていたことに気が付いたベルフラウが辺りを見渡すが、イリの姿はない。

 

「あれ……? 私は……」

 

 ベルフラウはまだぼんやりとする頭で昨日の夜のことを思い出そうとしていた。

 

 

 

 宴で皆が盛り上がる中、叫び声を宴会会場中に響かせたベルフラウは皆が何事かと見つめると突然倒れてしまった。

 

「ベルフラウさん!?」

 

 悲鳴を上げて駆け寄るアティが抱き起すと、アルディラがクノンを連れてやってくる。

 

「これは……」

 

「クノンさん! ベルフラウさんは大丈夫なんですか!?」

 

 診察を始めたクノンに皆が注目する中、クノンが診察結果を告げた。

 

「泥酔、ですね」

 

「で、泥酔って……。ベルフラウちゃんは酔っぱらって倒れちゃったってこと?」

 

 困惑したようにソノラが言う。

 子供のベルフラウが泥酔など、誰かが飲ませるか誤ってのんでしまうかしかない。

 

「なあ、あんさん……」

 

「う、うるさいわい! わしのせいじゃ……」

 

 オウキーニに声をかけられたジャキーニは自分に注目が集まったのに気がついたのか口を閉ざした。

 

「おい、ジャキーニ。ベルフラウに酒を飲ませたりしてないだろうな?」

 

「ちょ、ちょっとだけじゃい! レディーがどうのと言っていたのを聞いたから、レディーなら酒の少しでも飲んでみせんかいと……」

 

 白状したジャキーニはカイル一家に縛られると、引きずられたまま夜の闇に消えていった。

 

「とりあえず……ベルフラウさんは私が連れて行きますね」

 

 アティは名乗りを上げるとベルフラウを背負う。

 

「イリも一緒に帰りましょう。……今夜はイリは私の部屋にしましょうか」

 

 先ほどのベルフラウの叫んだ内容を思い出したアティはイリに提案する。

 いくら酔っていたとはいえあの発言。

 憶えていなければいいが、憶えていた場合彼女は大変恥ずかしい思いをするだろう。

 

「ギィイ?」

 

 よくわかっていない様子のイリだったが、アティの提案を受け入れたのか頷いたように体を動かすとベルフラウを背負うアティの後ろについて行った。

 

 

 昨晩なにがあったのか、自分が何を言ったのかを思い出してしまったベルフラウは顔を真っ赤に染める。

 アティの気遣いは正解だったようで、この場にイリがいたらベルフラウは自害を決意してしまったかもしれない。

 枕に顔を埋め、ベットの上でしばらくバタバタと悶えていた彼女だったがしばらくすると落着きを取り戻したのかむくりと起き上がる。

 とりあえず朝食をとることにしたのか自室の扉を開けると食堂へと向かっていった。

 その顔はいまだに赤かったが。

 

 

 

 食堂の扉を開けると、カイル一家が既に席についているようだった。

 

「あら、おはようベルフラウちゃん」

 

「おはよー!」

 

 食堂に入ってきたベルフラウに挨拶をするスカーレルとソノラだがその口元は少しニヤついていた。

 そのことに気が付いたベルフラウはムッとしながらも挨拶を返す。

 

「まあ……なんだ。ジャキーニの野郎はシメといたから……」

 

「アニキ、そういう問題じゃないって……」

 

 不器用ながらもベルフラウを慰めようとしているらしいカイルだったが、ジト目のソノラに睨まれてしまう。

 

「お気遣いしてくださらなくても大丈夫ですわ。私は気にしていませんから」

 

 そういうベルフラウだったが、扉を開けた人物が食堂に入ると顔を真っ赤にしてしまう。

 

「みなさん、おはようございます!」

 

 アティがイリを伴って食堂に訪れたのだ。

 食堂に入ったイリは顔を赤くして固まるベルフラウを気にせず、その右隣の席へと着く。

 余計に顔を赤くするベルフラウを見て苦笑いするアティはベルフラウの左隣の席に着いた。

 イリがベルフラウの隣の席に着いたのを見たカイル一家は心の中で合掌しつつ、痛ましい光景から目を逸らすと食事を進めた。

 

 

 

 しばらく停止していたベルフラウだったがこのまま固まっているわけにはいかないと決意し、口を開いた。

 

「ねぇイリ。き、昨日のことだけど……」

 

 ベルフラウの心情を気遣い、黙々と食事を取っていた一同の手が止まる。

 

「それくらい好きってことよ! それだけ!」

 

 そう言い切るとベルフラウは食事を始める。

 勿論、食事の味などわからなかった。

 

 

 

 朝食を終えたベルフラウはイリを置いてユクレス村を訪れていた。

 暖かな日差しを浴びながら気分転換に妖精の花畑を歩く。

 

「はあ……」

 

「あやや、委員長さんどうしたですか? ため息なんてついて」

 

 ベルフラウに気付いたマルルゥが声をかける。

 

「こんなにお天気がいいのにため息なんてついてたら、いい事が逃げちゃうですよー?」

 

「……そうね。いつまでも気にしているわけにはいかないもの」

 

 いつまでも引きずっているわけにはいかないと気持ちを切り替える。

 

「そうそう、そのいきですよー。……あや、あれはヤンチャさん?」

 

 マルルゥの視線の先にはスバルとパナシェが焦燥を顔に浮かべ、走っていた。

 

 

 

 焦った表情のスバルとパナシェから何事かと聞いたベルフラウは二人の口から報告を受け、表情を真剣なものに変える。

 

「巨大な蟲……」

 

「鋭い牙でメリメリって大木をへし折ってたんだぜ!」

 

 スバルの説明を聞き、ベルフラウは確信する。

 先日戦闘を繰り広げたジルコーダ、その残党だろう。

 あの日巣にいたのが全てではなかったということだ。

 

「先生に知らせないと……!」

 

 アティにこのことを報告すべく、ベルフラウは駆け出した。

 

 アティはユクレス村に訪れていたらしく、幸いすぐに見つかった。

 ベルフラウがアティに子供たちから聞いたことを報告するとその顔を青くする。

 

「クノンが廃坑に向かったんです! アルディラのために薬の材料になる鉱石を取りに行くって!」

 

 そういうと時間が惜しいのかアティは駆け出す。

 

「ちょっと!? 一人で行くつもりですの!?」

 

 仲間に連絡するつもりだったベルフラウだったが、アティを一人で向かわせるわけにもいかない。

 慌ててアティの背中を追いかけるのだった。

 

 

 

 元ジルコーダの巣である廃坑には、討伐が行われた日に外に出ていた残党たちがひしめいていた。

 

「警告します。それ以上接近すれば敵対行為とみなし……」

 

「Gyshaaaaaa!!」

 

 クノンの警告をジルコーダが聞く義理はない。

 威嚇の叫びを上げて侵入者であるクノンに迫る。

 

「……っ!!」

 

 するどい顎を振るったジルコーダの一撃を回避しようとしたクノンだったが、避けきれずに肩を損傷する。

 

「届けねば……アルディラさまに薬を……」

 

 クノンは損傷した肩から火花を散らしながらも飛び掛ろうとするジルコーダに抵抗すべく構える。

 

「行くわよ! イリ! 串刺シノ刑ニ処ス!」

 

 クノンに飛び掛ろうとしたジルコーダはベルフラウの召喚術に貫かれて息絶える。

 

「大丈夫ですかクノンさん!?」

 

 仲間がやられたのを見て足をとめたジルコーダとクノンの間に割って入ったアティはジルコーダを睨みつつ、クノンに声をかける。

 

「どうして……ここに? 無謀すぎます。これではあなたたちまで巻き添えに……」

 

 クノンの言う通りだった。

 こちらはベルフラウとイリ、アティ、そして負傷したクノンの四名。

 対するジルコーダは残党とはいえかなりの数だ。

 

「だからって見捨てるわけにはいきません! ほら、来ますよ!」

 

「Gshaaaaaaaaaaa!!」

 

 数の上で圧倒的に優位にたつジルコーダたちがベルフラウたちに襲いかかった。

 

 

 

 アティは剣を振るい、ジルコーダを切り裂く。

 既に何体かのジルコーダを倒しているアティだったが、その表情は険しい。

 

「ベルフラウさん、まだいけますか?」

 

 肩で息をするアティがベルフラウに声をかける。

 

「……ちょっと厳しいですわ。あと使えて数回ですわね……」

 

 それに答えたベルフラウは何回も召喚術を使ったからか息が荒い。

 負傷したクノンを守りながら戦うベルフラウたちは苦戦を強いられていた。

 

「Gsyyyyyyyyyy!!」

 

 獲物たちの末路を想像したジルコーダたちは嘲笑うかのような鳴き声を上げると包囲を狭める。

 

「ひっ!? イヤよ! こんなところで!」

 

 死を予感し恐怖に表情を歪めたベルフラウはイリを抱きしめて叫ぶ。

 

「これはちょっと……厳しいですね」

 

 アティも表情を暗くし、脳裏に最悪の未来をよぎらせる。

 ジルコーダたちがゆっくりと包囲網を狭めていく中──。

 

「ギシッギシシッ! ギシィイイイ!」

 

「Gyaaaaaaaaaaaaaaaa!?」

 

 ベルフラウの腕の中のイリが笑い声をあげると同時に、廃坑内にジルコーダの断末魔が響いた。

 

 

 

 仲間の断末魔に気づいたジルコーダたちは既に消耗しているベルフラウたちから視線を逸らし、廃坑入り口方面に目を向ける。

 そしてベルフラウたちも廃坑内に現れた乱入者に気付く。

 

「あ、あれは……」

 

 アティはそれの姿を二度見たことがあった。

 一度目はアルディラに連れられて訪れた喚起の門で。

 二度目はこの廃坑の最奥、女王の鎮座していた場所で。

 姿を現したのはアティよりも一回り大きい、白い異形だった。

 

 身体の一部を赤く発光させた白い異形は四本の脚でジルコーダに近づくと、それ自体が爪のような前足を振り上げてジルコーダを切り裂いた。

 続いて現れる白い異形たちを新たな脅威と見なしたジルコーダたちはギチギチと顎を鳴らして白い異形たちと交戦を始めた。

 

「敵の敵は味方……ということでいいのでしょうか……?」

 

「とりあえずはそういうことにしておきましょう。実際、助かりましたわ」

 

 危機が去り、ベルフラウは安堵の溜息をつく。

 

「とはいえ、あの方たちだけに任せるわけにもいきませんよね。加勢しましょう!」

 

「まあ……そうですわね。このまま押し付けるような恩知らずではありませんわ!」

 

 息を整えて剣を構えるアティにベルフラウが頷くとベルフラウたちは白い異形たちと交戦するジルコーダたちに向かっていった。

 

 

 

 数という優位が解消され、ジルコーダたちは大きく数を減らしていく。

 

「Gshaaaaaaaaa!?」

 

 その叫びを翻訳するのならば『どうしてこうなった!?』だろうか。

 次々と倒れていくジルコーダたちは数でも不利になっていき、自分たちが狩る側から狩られる側にたったことを悟る。

 敗北を悟り、生存本能に従ったジルコーダたちは廃坑入り口に向け逃亡を始めた。

 

「逃げる気ですの!?」

 

 女王がいない以上、これ以上増えることはない。

 しかし、ここで逃がしては集落に被害が出る可能性がある。

 焦ったベルフラウは叫ぶが──。

 廃坑内に響く振動に気づく。

 

「これは……足音?」

 

 だんだん大きくなっていく足音と共に巨大な影が見え始める。

 廃坑入り口に繋がる横穴から巨大な白い異形が現れ、ジルコーダたちは逃げ道を塞がれた。

 それを見上げたジルコーダたちは明確な死を悟る。

 

「Gsyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy!!!」

 

 廃坑内にジルコーダたちの怨嗟の声が響き──圧倒的暴力に磨り潰された。

 

 

 

 危うく死ぬところだったベルフラウたちは白い異形たちに頭を下げる。

 

「あの……ありがとうございました」

 

「…………」

 

 その言葉を聞いていないのか、理解していないのか。

 何も言わない白い異形たちは反応を返さず廃坑から出て行ってしまった。

 白い異形を見送っていたベルフラウたちだが、その姿が見えなくなるとクノンはアティに向き直った。

 

「あなたの行動は滅茶過ぎます。……ですが、そういうのは私も嫌いではないかもしれません」

 

 そういったクノンは頭をペコリと下げると、廃坑の入り口へと向かっていった。

 

「今……クノンさん、笑ったような……」

 

 アティには機械人形であるはずのクノンが笑ったように見えた。

 

 

 

 木々を揺らし、森の中を白い異形の集団が行軍していた。

 廃坑を後にした白い異形たちは次の目的地を目指す。

 主からの新たな命令を果たすために。

 新たな獲物を狩るために──。

 

 




・蜘蛛の尖兵L型
 通常の個体よりも大きくてつおい


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スレ違ウ想イ 後

ラスボスモノなのになかなかイリが活躍できない→カタルシスが足りない


 廃坑での戦いを終えたアティはベルフラウと別れると、戦いの疲れからか木に寄りかかると眠ってしまう。

 心地よい微睡の中、昔よく聞いた鋭い声を耳にする。

 目を開けたアティの視界にいたのはアティを見降ろし、剣を突きつけるアズリアだった。

 

「帝国軍人にとって任務は絶対だ。私は必ず、剣を取り戻して見せる!」

 

 アズリアはアティにそう宣言すると踵を返して立ち去って行った。

 かつて軍学校で共に学んだ学友と戦わなければならない。

 その現実にアティは一晩中悩み続けていた。

 そして一晩明けても悩み続けるアティは海賊船の外で黄昏ていた。

 

「先生……?」

 

 イリを連れて海賊船を出たベルフラウはアティの姿を見つけるとかけよった。

 

「何不景気な顔してるのよ。うじうじ頭で考えるなんてあなたのやり方じゃないでしょ?」

 

「私らしくないですよね? 立ち止まって考えてばかりいるのは……」

 

「そうよ。いつもみたいに笑い飛ばして、さっさと決着つけなさい!」

 

 生徒にこう言われては家庭教師失格だと、アティは暗い表情を変えて目に決意を灯す。

 そして教師と生徒の様子を少し距離を開けて見ていたイリは二人に聞こえないように呟いていた。

 

「安易……妄想……無闇……無為無策! 計画性皆無! 後先ヲ考エナイ……甘イ願望ノ垂レ流シ……」

 

 イリには理解出来なかった。

 二人が言っているのは要するに行き当たりばったりだ。

 何も解決していない。

 アティの友人と戦わなければならない現実は何も変わらない。

 それなのに何故、アティの表情は明るいものになっているのか。

 それなのに何故、アティの目には決意の火が灯っているのか。

 理解出来ない、分からない。

 

(他人とわかりあえない貴方は、哀れで可哀相なだけのバケモノよ!)

 自身に刃向い、打倒した不快な者たちの言葉がイリの脳裏によぎる。

 

「他人トワカリアウ……?」

 

 アティはベルフラウとわかりあったから、前を向いているというのか。

 

「却下! 断固ッ! 断固否定! ギシッギシギシギィイイイ!」

 

 

 太く低い声が響いたのはアティがベルフラウに叱咤され、決意を新たにしてから間もなくだった。

 

「わが名は帝国軍海戦隊所属第六部隊の一員、ギャレオだ!」

 

 そう名乗ったのはビジュに副隊長と呼ばれていた大柄な男。

 声を張り上げて、ギャレオは続ける。

 

「隊長殿の命令に従い、ここに宣戦布告の名代として参上した!」

 

 ギャレオの声が聞こえたのか、カイルたち一家が続々と甲板へと姿を見せる。

 

「わが部隊は後方にてすでに臨戦態勢にある。しかし、賊といえど弱者への一方的な攻撃は帝国軍の威信を損なう」

 

「……!」

 

 弱者と呼ばれたことに腹を立てたカイルは眉間に皺をよせ、ギャレオを鋭く睨む。

 それを気にせずにギャレオは剣を渡すように降伏勧告も行うと、立ち去って行った。

 

「弱者ときたか……」

 

 海賊としてのプライドを煽られたカイル一味は徹底抗戦の構えを取る。

 

「我慢してほしいなんて言いませんけど、その前に……少しでいいですから彼女と話す時間をください」

 

 怒りに燃えるカイルたちにアティはアズリアとの話し合いをする機会を設けるため、頭を下げるのだった。

 

 

 

 ベルフラウたちは森の中を歩き、決戦の場所である『暁の丘』を目指す。

 

「……あら? 奥のほうが騒がしいわねぇ」

 

 スカーレルの言う通りベルフラウたちの前方、暁の丘方面から音が聞こえた。

 そしてその音がだんだんと近づいてくる。

 

「これは……足音? 近づいてくるわ!」

 

 ベルフラウは抱きしめていたイリを離すと警戒態勢を取る。

 ──そして。

 

「なんなんだ、あの化け物たちは!?」

 

 ベルフラウたちの前に現れたのは、暁の丘でまっているはずの帝国軍たち。

 しかし既に傷だらけで、その姿は満身創痍と呼んでもいいだろう。

 

「帝国軍!? どうして……!?」

 

「くっ……アティか……」

 

 アティの声を聞いたのかアズリアとギャレオが進み出てくる。

 

「一体なにがあったんですか!?」

 

「丘で白い化け物たちに襲撃された……。やつらには攻撃が通じず……」

 

 そう言うギャレオの前にカイルが進み出る。

 

「おいおい、帝国軍さまよぉ。ずいぶんとボロボロじゃねぇか。ま、俺らには『弱者』をいたぶる趣味はねぇからよ。見逃してやってもいいぜ?」

 

 弱者と呼ばれたことを腹に据えかねていたカイルの言葉を聞いたギャレオは悔しげに唇を噛む。

 

「アズリア、私と話をしましょう。今私たちと戦うのは得策ではないはずです」

 

「……よかろう。聞こうじゃないか」

 

 このチャンスを逃してたまるか、とばかりに提案したアティにアズリアは承諾の頷きを返す。

 そしてアティは話した。

 この島が召喚術の実験場であったこと。

 無色の派閥の魔剣のこと。

 喚起の門のこと。

 そして、武器を収めればこの島の住人たちと共存できることを。

 

 ──しかし。

 

「なるほどな。この島を接収すれば、帝国にとって多大な利益となるということだな?」

 

 アズリアは和解などするつもりはないようだった。

 

「宣戦布告をしておいて戦わずに逃げるなど、帝国軍人には許されない! 私はそんな恥さらしになるつもりはないぞ、アティ。貴様に一騎打ちを申し込む!」

 

「一騎打ち? なに言ってるのよ、そんなの……」

 

 ソノラのその言葉を否定するかのようにアティが前に進み出た。

 

「受けますよ、アズリア。それであなたが分かってくれるなら」

 

「なるべく傷つく人を減らしたい、そうだろう? 甘い貴様ならそうするだろうな!」

 

「おい、先生!」

 

 カイルたちが止めようとするがアティはアズリアと向かい合う。

 アティとアズリアの一騎打ちが始まった。

 

 

 

 アティとアズリアが戦闘を繰り広げている中、森に潜む影があった。

 

「ヒヒヒ……チャンスじゃねェか」

 

 緑髪の男、ビジュはベルフラウの背後の茂みからベルフラウを睨む。

 前回の戦いでベルフラウの召喚術に倒れたビジュは幼い少女に敗れた恥さらしとして部隊内での評価がさがり、肩身の狭い思いをしていた。

 

「(小娘め……ただじゃ置かねえぜぇ!)」

 

 幸い、ベルフラウと仲間たちの視線は一騎打ちに釘付けだ。

 ビジュは恨みを晴らすべく、ナイフを手にベルフラウの背後へ飛び出した。

 

「なっ!? ベルフラウちゃん!!」

 

 スカーレルが気づき、声をあげるが──遅い。

 

「(取った!!)」

 

 狙うのはその白い首筋。

 そこを目指して引き絞った右手でナイフを突き出そうとし──。

 

「ギシシイイイイイ! 誅殺!」

 

 魔力が渦巻き、瞬間。

 ビジュの頭上の虚空から一条の閃光が降り注ぎ──。

 

「ぐぎゃっ!?」

 

 ──ビジュの体を貫いた。

 

 ベルフラウがそれに気づいたときには既に背後にビジュが倒れていた。

 仲間たちがベルフラウを心配し駆け寄る中、ベルフラウはイリを見つめる。

 

「イリ……あなたよね、助けてくれたの」

 

「ギシイイ!」

 

 自分の力を見たかとばかりに頷いたイリを抱きしめたベルフラウは顔を擦り付けた。

 

「ありがとう! イリ! ありがとう!」

 

 

 

 その様子を見ていたアズリアは舌打ちをする。

 

「ビジュめ……余計な真似を。恥さらしめ!」

 

「さて、これ以上続けますか?」

 

 すでに一騎打ちのほうも決着がついていた。

 そもそも消耗していたアズリアのほうが圧倒的に不利な戦いだった。

 アズリアにもそれはわかっていたのだろう。

 膝を付いていたアズリアは撤退命令を出すと、アティを睨む。

 

「次は万全な状態で決着をつけるぞ、アティ」

 

 アズリアは帝国軍とともに去って行った。

 

 

 

 戦いが終わり、ベルフラウたちは海賊船への帰路へつく。

 

「すごかったのよぉ! 空から光が……」

 

 ビジュに気づき、一部始終を見ていたスカーレルの話を真剣に聞くベルフラウとそれを横目に歩く仲間たち。

 

「そういえば奴ら、白い化け物に襲われたって言ってたな」

 

 カイルが思い出したように言うとアティは首をかしげた。

 

「でも……どうしてでしょうか。私たちは襲われなかったのに」

 

「変なことして怒らせたとか? そんなことしそうなヤツいるし……」

 

 ソノラはビジュの顔を思い浮かべ、考察する。

 

「一体、何者なのでしょうか……」

 

 ヤードはそういうと、内心付け加える。

 

 

「(イリに……似ている気がするのは気のせいでしょうか)」と。

 

 

 

 夜、皆が寝静まったころベルフラウはベッドに腰掛けてイリを撫でていた。

 

「今日はありがとね、イリ。それにしてもすごいじゃない、スカーレルから聞いたわよ」

 

 撫でられるイリは疲れてしまったのか、ベッドにぐったりして眠っているようだった。

 なすがままに撫でられるイリを見てベルフラウは何か逡巡したあと──。

 顔をイリに近づけると、口づけをした。

 

「おやすみ、イリ」

 

 頬を赤く染めたベルフラウはそう言うと横になり、夢の世界へと旅立っていった。

 

 




name イリ
class 護衛獣
skill   
全異常無効
全憑依無効
甲殻体(通常攻撃ダメージの70%を軽減する)
送還術(Cランク以下の召喚術を無効化する)
遠距離攻撃・誅殺(無属性の光で遠距離攻撃を行う)
   
出撃枠を圧迫しないユニット召喚獣にあるまじきインチキ性能
きたない流石ラスボスきたない


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卑怯者 前

卑怯者はだーれだ


 帝国軍たちとの戦いから一夜明け、朝食を終えたベルフラウとアティは授業を行っていた。

 いつもとは違い、ベルフラウの自室ではなく船から少し離れた森に移動すると授業が始まった。

 

「今日は戦い方の短所を克服しましょうか」

 

「短所……」

 

「ベルフラウさんは召喚術を主体にして戦っているよね。でもそれだと、昨日みたいに急に接近されたときに対応しにくいの」

 

 それを聞いて昨日のことを思い出したのか、ベルフラウは顔を青くする。

 

「昨日だって、イリが対応してくれてなかったらどうなっていたか……。だから、避ける力を身につけましょう」

 

「避ける力を身につけるって……具体的にどうしますの?」

 

 疑問を口にしたベルフラウに対してアティは木の枝を構えることで答えた。

 

「来る途中で拾っておいたんです。当たると痛いですから、ちゃんと避けてくださいね!」

 

「ちょっ、ちょっと!?」

 

 アティが枝を振るうとベルフラウは必至に避け始めたのだった。

 

 

 

 授業が終わると所々を枝で打たれたベルフラウがアティを睨む。

 

「やりすぎですわよ、先生……」

 

「あははは……。ごめんなさい、ベルフラウさんが上手く避けるものだからちょっとムキになっちゃいました……」

 

 謝罪するアティをジト目で見るベルフラウは隣で浮くイリを撫でつつ、リペアセンターへと向かっていた。

 勿論、枝で打たれたベルフラウの治療をするために。

 

 アティとイリがベルフラウの治療を待っていると、クノンがアティに相談を持ちかけた。

 

「アルディラ様はあなたと行動をするようになってから様々な表情を見せるようになりました。私が不完全な感情プログラムしか持っていないばかりに、アルディラ様があのように笑えることさえ知らなかったのです……」

 

 そして続ける。

 

「やはり……機械には生物の感情を理解することは出来ないのでしょうか」

 

 だがアティはそれを否定して見せた。

 

「でもクノンは悩んで、理詰めで納得できないから相談してくれたんですよね? それは感情を持った生き物の考え方だと思いますよ」

 

 しかし、クノンはそれを否定する。ありえないと。

 それでもアティは続けた。

 

「否定してるだけじゃ、その先にあるものには絶対届きません。よく考えてみてください、アルディラのことだけじゃなくてクノン自身の事を。そうすればクノン自身の答えが見つかるはずです」

 

「私自身の答え……」

 

 アティの言葉を聞いたクノンはクノンなりに、その言葉を受け止めたようだった。

 

「(否定スルダケデハ、ソノ先ノニアルモノニハ届カナイ……)」

 

 そして、その言葉を聞いていたのはクノンだけではない。

 イリもクノンの相談を聞いていたのだ。

 昨日の帝国軍との戦いでのことがイリの中で燻っていた。

 ビジュがベルフラウの背後に飛び出し、刃を突き立てるまでの一瞬の間にイリはビジュに攻撃を行っていた。

 イリにはその理由が分からなかったのだ。

 

「(反射……無意識……)」

 

 イリは理由を並べるが、イリ自身そうではないことはわかっていた。

 あの時、イリはベルフラウに害をなそうとするビジュを認識していたのだ。

 

「(ツマリ……。否定! 却下! 断固……)」

 

 浮かび上がった答えを即座に否定しようとするが、先ほどのアティの言葉が思い返されて否定が続かなくなる。

(否定するだけじゃ、その先にあるものには絶対に届きません)

 

「ギシャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 イリは突然声を上げると、リペアセンサーから飛び出していく。

 

「イリ!? どうしたんですか!? クノンさん、ベルフラウさんにイリを追いかけてくるって伝えておいてください!」

 

 アティはクノンにベルフラウへの伝言を頼むと、慌ててイリを追いかける。

 ベルフラウの治療が終われば召喚術でイリを呼び戻せる、追いかける必要はない。

 それはわかっている。

 しかしアティはそれでも追いかけないといけないような気がしたのだ。

 飛び出していくイリの姿が怯える迷子の子供のように見えた気がしたから。

 

 

 

 リペアセンターを飛び出し森を移動するイリを追いかけていたアティだったが、イリが突然移動を止めてこちらに反転したことに気づいた。

 

「はぁ……はぁ……どうしたんですか? 急に飛び出して……」

 

 少し息切れしながらも、アティはイリに問う。

 

「ギィイイ……理解不能……」

 

「理解不能……? 何が分からないんですか?」

 

「…………」

 

「私はまだ未熟ですけど、先生ですから……。イリの力になれるかもしれません。教えてくれませんか? 何が分からないのか、何に悩んでいるのか……」

 

「ギィイ……」

 

 

 

 

 アティの言葉を聞いたイリは少しずつ自身の戸惑いについて話し始めた。

 

「ベルフラウさんを守った理由が分からない、ですか」

 

 先日の帝国軍との戦いでベルフラウがビジュに襲われた。

 それを防いだのは他でもないイリだったが、その本人が自分の行動の理由を理解できないという。

 

「イリはベルフラウさんのことをどう思っていますか?」

 

「……」

 

「それもわからないんですね。ベルフラウさんが襲われそうになったとき、どう思いましたか?」

 

「……」

 

 質問に沈黙で返すだけのイリを見て少し悩んだアティは質問を変えることにした。

 

「じゃあちょっと質問を変えてみましょうか。ベルフラウさんがナイフで刺されたら死んでしまう。それはわかりますよね?」

 

「……ギィイ」

 

 イリの肯定を聞いたアティは続けた。

 

「そしてイリはベルフラウさんがナイフで刺されるのを防いだ。そうですよね?」

 

「……ギィイ」

 

「つまり、ベルフラウさんの死をイリが防いだわけですよね。ベルフラウさんが死んでしまうという結果をイリは拒絶したんですよね?」

 

「……ギィイ」

 

「それってイリはベルフラウさんに死んでほしくなかったということじゃないんですか? ベルフラウさんのことを失いたくないから守ったんですよね?」

 

「ギ……ギィイ……失イタクナイ……?」

 

「そうです。大切だと思ってるから失いたくないんです。大切だから、好きだから守りたいんです」

 

「ギ……ギギギ……却下! 論外! 撤回要求! 我以外ノ存在ハ不要! 他者ノ存在ハ不要! 発言ヲ取リ消セェエエエエエエエ!!」

 

 アティの言葉を聞いたイリはアティの言葉を否定すると、その身に魔力を渦巻かせる。

 渦巻いた魔力は虚空から光を呼び、アティの体を貫いた。

 イリは悲鳴を上げて膝をついたアティを見下ろすと、嗤いはじめる。

 

「ギシッ! ギシシッ! 撤回セヨ! ソシテ認メヨ! 我ニ他者ナド不要ダト!!」

 

「撤回……しません!」

 

 アティはふらつきながらも立ち上がると、イリの要求を突っぱねる。

 

「他者は必要ないなんて、そんなの寂しすぎるから! 私はイリのこと、仲間だと思ってます! もっと一緒に居たいと思ってます! もっと知りたいと思ってます!」

 

 そしてイリに言葉をかけながらも一歩一歩近づいていく。

 

「リ、理解不能……! 却下! 却下! 却下!」

 

 イリはアティの言葉を否定しながら後退しようとするが、接近したアティによって抱きしめられる。

 

「否定しないで! ちゃんと聞いて! イリは私のこと……嫌いですか? ベルフラウさんのこと……嫌いですか?」

 

「ギィイ……嫌イデハ……ナイ……」

 

「だったら、私とベルフラウさんと一緒にいてくれませんか? 私もベルフラウさんもイリのこともっと知りたいです。イリに私たちのこともっと知ってもらいたいです。私たちと一緒にイリなりの答えを探しませんか?」

 

「……ギィィ……」

 

 イリを見つめて言うアティの言葉にイリは弱弱しく頷くと、アティは笑みを浮かべてイリを抱きしめたままリペアセンターに戻ることにしたのだった。

 

 

 

 アティとイリがリペアセンターに戻ると、既に治療を終えたベルフラウが待っていた。

 

「あ……! ようやく戻ってきたのね!」

 

 ベルフラウはアティに駆け寄るが、腕に抱かれるイリを見ると目を見開いた。

 

「ごめんなさい、遅くなっちゃって……」

 

 待たせたことを謝罪するアティだったが、突然腕の中のイリをベルフラウに奪い取られる。

 

「先生! ずるいですわよ!」

 

「ずるいって……」

 

「……イリを誘惑して」

 

 アティは自分を睨むベルフラウの目線の先にあるものを察し、慌てて否定する。

 

「誘惑なんてしてないですよ!?」

 

「イリ、心配したんだからね? 先生に変なことされなかったかしら?」

 

「ギ……ギィイ……」

 

 ベルフラウに撫でまわされて困ったような声を出すイリを見るアティは心の中でイリへの声援を送っていた。

 

 

 

 アルディラに用があるというアティはリペアセンターに残るようだった。

 手を振って見送るアティと別れたベルフラウはイリを連れて鬼妖界集落風雷の郷へと足を向けていた。

 ラトリクスやユクレス村には顔を出すことの多いベルフラウとイリだったが、風雷の郷に訪れることはなかった。

 そこで挨拶がてら集落を見て回ることにしたのだった。

 

 

 

 ミスミの元へ訪れたベルフラウは自己紹介もそこそこに世間話を始めた。

 

「ふむ、ベルフラウとイリか。スバルが世話になっているようじゃな。スバルはお主らに迷惑をかけていないかの?」

 

 スバルの母親であるミスミは授業中のスバルの様子が気になっているようだった。

 スバルは最初の授業では問題を起こしていたが、二回目以降は大人しいものだ。

 

「大丈夫ですわ。パナシェと一緒に大人しく授業を受けてくれています」

 

 それを聞くとミスミは安堵の溜息をつく。

 それから少し雑談を続けていたベルフラウだったが、他の場所も見て回ることを伝えて立ち上がった。

 

「それじゃあ、そろそろ失礼しますわ」

 

「……少し待たれよ」

 

 ミスミはベルフラウを呼び止めると、傍まで近づき少し屈んで耳打ちした。

 

「イリ、といったか。あれからは少し嫌な気を感じる。……気を付けるのじゃぞ」

 

 ベルフラウとイリを見送ったミスミは少し呟くと少女の行く末を心配していた。

 

「妾の杞憂ならいいんじゃがな……」

 

 

 

 

 ミスミ屋敷を後にしたベルフラウは風雷の郷を歩きながら先ほどのミスミの言葉を反芻していた。

 

「(嫌な気……)」

 

 自分の横を浮かんで移動するイリはいつもと変わらないように見えるし、ベルフラウには気などわからない。

 イリについて思考を巡らせていたベルフラウだったが、あるものが視界に入り思考を中断せざるを得なくなる。

 

「あれは……煙!? もしかして火事ですの!?」

 

 ベルフラウの目線の先では煙が空に昇ろうとしていた。

 

 

 

 ベルフラウとイリが駆けつけると、既に火は消されていた。

 近くでかくれんぼをしていたらしいスバル、パナシェ、イスラによって火は消されたようだった。

 

「もし火が山に燃え移っていたらと考えると、ぞっとするよ」

 

 そう語るイスラの言う通りもしかしたらとんでもない事になっていた可能性がある。

 ベルフラウはミスミとキュウマへ報告しにミスミの屋敷へと戻ることにしたのだった。

 

「火事……ですか。大事にならなかったからよかったものの……」

 

 そう言うキュウマは顔をしかめ、真剣な表情だった。

 

「キュウマ、もしかしたら……」

 

「ええ、帝国軍の工作かもしれません。一度集いの泉に集まりましょう。ベルフラウ殿はアティ殿を呼んできてもらえますか?」

 

「ええ! まかせてちょうだい!」

 キュウマの頼みに頷いたベルフラウはラトリクスへとアティを呼びに向かうことにした。

 

 

 

 ラトリクスに到着したベルフラウはクノンにアティを呼びに来た旨を伝える。

 現在はアルディラとともに電波塔にいると教えてもらったベルフラウはクノンに案内され、電波塔へと向かっていた。

 

「アルディラ様たちがいる部屋はもうすぐです」

 

 クノンの言葉の後。

 

「ギシィイイイ!」

 

「動かないで!」

 

 イリが鳴き声を上げるのとアルディラが叫んだのは同時だった。

 

「気配を消したところで融機人のセンサーには無意味よ! 姿を現しなさい!」

 

「ギィイイ! 誅殺!」

 

 イリが虚空より光を呼び出そうとすると、その魔力を感じ取ったのか隠れていた何者かが走り去る足音が聞こえた。

 そして。

 

「スクリプト・オン!」

 

 アルディラの召喚術が何者かが去った廊下に放たれる。

 今廊下にいるのはベルフラウたちだけだ。

 迫る召喚術に目をつぶったベルフラウだったが、何も起こらないことに気づき目を開ける。

 召喚術は消えており、ベルフラウの前には背を向けたイリが浮かんでいた。

 

「ちょ、ちょっと! 危ないじゃないの!」

 

 自身を助けてくれたイリを撫でながらもベルフラウは抗議の声を上げる。

 

「ベルフラウさん!? どうしてここに!?」

 

「あなたたちを呼びに来たんです! 集いの泉に至急集合ですって」

 

 ベルフラウが現れたことに驚いたアティはベルフラウの用件を聞くとアルディラと目を見合わせた。

 

 

 

 集いの泉で話し合いが行われていた。

 帝国軍による放火の可能性が高い、その結論が出ると各集落で警戒態勢を強めることにになった。

 とはいえラトリクスと狭間の領域は狙われる危険性は低い。

 火攻めが効果的でないためだ。

 ユクレス村と風雷の郷、そしてカイルたちの海賊船を特に警戒することに決める。

 現在は敵の動きを待つしかないため、既に空から帝国軍を探しているフレイズの報告を待ち、一端解散となった。

 

 

 

 上空から地上を見下ろすフレイズは地上で蠢く影を見つける。

 

「あれは……」

 

 森の中を進む帝国軍たちと──それを追い、背後に迫る白い異形達。

 

「帝国軍……それに……。皆さんに報告しなければ!」

 

 フレイズは翼を羽ばたかせ、集いの泉へと向かう。

 後方から響く帝国軍の悲鳴を聞きながら。

 

 

 




イリはミスミ様に警戒されているようです
ラスボスだからね仕方ないね


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卑怯者 後

 集いの泉にてフレイズの報告を待つベルフラウとアティの頭上から翼が空気を扇ぐおとが聞こえると、フレイズが空から現れた。

 

「帝国軍は森の中にいました。ですが……」

 

「……何かあったんですか? もしかしてまた火事を……?」

 

「いいえ。帝国軍たちは例の……白い異形たちに襲われていたんです」

 

 白い異形たちによる帝国軍襲撃はこれで二度目となる。

 未だに正体が分からない白い異形たちの行動原理に疑問を抱きつつも、アティが心配したのはアズリアのことだった。

 

「アズリア……。無事でしょうか……?」

 

「こんな時に敵の心配ですの? 彼らが帝国軍を抑えてくれているのなら、私たちからしたらありがたいことじゃないかしら?」

 

「それは……そうですけど」

 

 ベルフラウの言う通り、現在は敵対している関係だ。

 それでもアティは心の内で同期の無事を祈らずにはいられなかった。

 

 

 

 先ほどまでは帝国軍が行進する足音しか聞こえなかった静かな森は──。

 悲鳴と絶叫が響く地獄となっていた。

 

「ぎゃああああああああ!?」

 

 逃亡しようとする帝国兵の背を切り裂く白い前足は赤く染まり。

 濃い緑色に茂る草や葉には血しぶきがかかり、一部を赤黒く染める。

 

「撤退だ! 撤退しろ!! クソッ! また……こいつら……!」

 

 命令を無視して一部の部下を連れて出て行ってしまったビジュを追いかけていたはずのアズリアは突然白い異形たちに襲われ、倒れていく部下たちを目にしながらも撤退命令を出すことしかできない。

 動けるものたちは動けないものを背負い、その顔を恐怖で凍らせながらも襲撃者から逃げる。

 

 前回もそうだった。

 逃げようとする帝国軍たちの背中を無感動に見つめる異様な襲撃者たち。

 攻撃するときも無感情にその前足を振るっていたように見える白い異形たちを振り返り、その口元を引き攣らせた帝国軍たちは今自分が生きていることに感謝しつつ祈る。

 二度とあの化け物たちに出会いませんように、と。

 

 

 

 

 

 フレイズの報告を聞いたベルフラウたちは集いの泉に続々と集まる護人たちが全員そろったことを確認すると、帝国軍への対応を話合いはじめる。

 

「肝心の帝国軍が襲撃を受けているとはね……」

 

「でもよぉ、それなら様子見でいいんじゃねぇか? あの白い連中が始末を付けてくれてるんだろ?」

 

 様子見を提案したヤッファに反論したいらしく顔をムッとさせたアティが口を開こうとすると集いの泉に小さな乱入者が現れた。

 

「たた、大変ですよぉー! ヤンチャさんが……つかまったですよぉ!」

 

 慌ててやってきたマルルゥによって伝えられたのは、スバルたち島の住人が帝国軍によって人質に取られてしまったということだった。

 

 

 

 風雷の郷に駆けつけたベルフラウたちが見たのはスバルやゲンジ達、人質となった島の住人たちとビジュ達帝国軍の姿だった。

 

「ヒヒッ! 待ちかねたぜぇ……! 赤髪と……クソガキィ!」

 

 ベルフラウは自分を睨むビジュの目線に負けず、瞳に強い意志を込めるとビジュを批難した。

 

「この卑怯者!! 恥を知りなさい!! 村に火を付けたのもあなたなんでしょう!」

 

「まあ……半分はそうだなぁ……」

 

「残りの半分……最初の一件は僕がやったんだよ」

 

 半分は自分がやったと自白したビジュに続いて名乗り出たのは黒い髪の青年、イスラだった。

 

「イスラさん!? どうしてあなたが……」

 

 イスラを海岸で拾い、時折世話を焼いていたアティが驚愕する。

 記憶を無くしながらも、島の子供たちと楽しげに過ごすイスラの姿をアティは知っていた。

 だが……それが……。

 

「全部、嘘だったっていうんですか……?」

 

「仲間同士、疑うことをしない君たちだから騙されるのさ!」

 

 イスラは自分は悪くないとでも言うように笑いながら言ってのける。

 

「卑怯者!!」

 

「卑怯? 利口なだけさ。体面ばかり気にする姉さんとは違ってね」

 

「姉さん……まさか!?」

 

 イスラの髪の色や顔立ちからよく知る人物を連想したアティは気づいたようだった。

 

「アズリアの……!?」

 

「気づいたみたいだね。僕の名前はイスラ・レヴィノス。帝国軍諜報部の工作員であり、アズリア・レヴィノスの弟さ!! さて、さっそく取引と行こうか。魔剣を渡してもらうよ」

 

 人質をとられているアティはイスラの要求を断ることが出来ない。

 前に進み出た帝国軍の兵士に魔剣を渡して見せる。

 それを見たイスラが合図をすると、ビジュが人質の一人スバルを解放した。

 しかし、少し待っても他の人質を解放する様子はない。

 

「おい、何のマネだ……」

 

 カイルがイスラを睨み付けるもイスラはそれを意に介した様子はない。

 

「品物ひとつに対して人質が一人。全員を解放してほしいんだったら、別の対価を用意してもらわないとね?」

 

「……これ以上、何を望むって言うんですか?」

 

 イスラの横暴に歯を食いしばるアティの問いにイスラは口元を歪ませ、楽しげに答えた。

 

「そうだね……君の命、かな?」

 

 

 

 イリにはイスラの言葉の意味が分からなかった。

 論外、取引にもならない。

 イリだけではない。

 イスラの言葉を聞いた誰もが馬鹿馬鹿しいと思ったことだろう。

 ──アティ以外は。

 アティはイスラの前へと進み出る。

 つまりそれは──。

 

「ちょっと!? こんなふざけた提案を聞き入れるんじゃないでしょうね!?」

 

 アティの選択を信じたくないベルフラウの悲鳴が響く。

 

「(自己犠牲……無意味……理解不能)」

 

「自分でも馬鹿だなって思っているんです。でも……私にはやっぱりあの人たちを見捨てることは出来ないから。ベルフラウさん、ごめんなさい。こんな先生で。軍学校の合格、見届けてないのに……」

 

 

「そんなこと!」

 

 アティから謝罪を受けるベルフラウは悲痛な表情を浮かべる。

(私はイリのこと、仲間だと思ってます!)

 その光景を見ていたイリの思考の中に、何故かアティの言葉が響く。

 

「ギギギ……」

 

(もっと一緒に居たいと思ってます!)

「ギシシ……」

 

(もっと知りたいと思ってます!)

「ギリリ……不能……理解不能……」

 

(私たちと一緒にイリなりの答えを探しませんか?)

 

 ベルフラウに謝ったアティはその隣に浮かぶイリにも頭をペコリと下げた。

 

「イリも……ごめんなさい。約束、守れそうにないです」

 

「ギシッ! ギリリリリリッ! ギシャアアアアアアアアアアアアア!」

 

 アティの言葉を聞いたイリは自分でも気づかないうちに咆哮を上げていた。

 

 

 

 アティが命を差し出すことを選び緊迫していた状況の中、突然響いた咆哮の発生源に注目が集まる。

 当の発生源は異様な威圧感を放ちながらも、アティの隣まで移動する。

 

「イリ……? どうして……?」

 

「君は……ベルフラウの護衛獣だったかな?」

 

 アティとイスラの言葉に答えないイリはその身から発する威圧感を高めていく。

 イスラは高まっていくイリの威圧感に気圧されるが、人質がいることを思い出し自身の恐怖心を落ち着かせる。

 

「なにをするつもりかは知らないけど、こっちには人質がいるってことは忘れないでほしいね!」

 

 自身を安心させる意味もこもったその言葉をイスラが発したと同時、突如風が吹き荒れた。

 帝国軍人たちに風が纏わりつき、動きを封じていく。

 

「な、なんだってんだこの風は!?」

 

 ビジュたちが風を振り払おうともがいている間に人質たちとの間に竜巻の壁が出現し、帝国軍と人質たちとを分断した。

 

「この結界がある限り、お主らは郷の者たちには指一本も触れられはせぬ!」

 

 凛としたよく通る声が響くと黒髪をたなびかせて風雷の郷の鬼姫ミスミがその姿を見せる。

 ミスミの結界によって帝国軍はせっかくの人質を失ってしまった。

 

「この女……余計な真似を……!」

 

 ビジュがミスミを殺気がこもった目で睨みつけるが、ミスミはからかう様に笑った。

 

「妾のことを気にしている場合かの……? 目の前におっかないのがいるようじゃが……」

 

「ギシィイイイイイイイ!」

 

 帝国軍は人質を失ったのだ。

 威圧感を放つ蟲の召喚獣から彼らを守る物はもうない。

 

「あの護衛獣がなんだ……。あいつらにはもう剣の力はないんだ……!」

 

 そういうイスラの言葉は自分に言い聞かせているようにも聞こえる。

 

「人質がいなくてもこちらが有利だ! アティ、君を殺して……」

 

「イリ! お願い! 先生を助けて!!」

 

 ベルフラウがイリと誓約したサモナイト石に想いと共に魔力を込めていく。

 

 ベルフラウとの繋がりから魔力を受け取ったイリの体に魔力が渦巻く。

 そしてその渦巻く魔力が口元に収束していき──。

 

「なっ!? に、逃げ──」

 

「やっちゃって!! 『破滅セヨ!!』」

 

 ──ビームとなって放たれた。

 

 

 

 紅い破滅の閃光が過ぎ去ると、そこには暴力的な破壊によって削られた大地と吹き飛ばされ倒れ伏す帝国軍たちの姿だけがあった。

 

「すごい……」

 

 すぐ近くでそれを見ていたアティが茫然としていると、アティを心配したベルフラウたちが駆け寄ってきた。

 

「先生!!」

 

 泣きじゃくりながら抱きついてくるベルフラウを抱きしめ、仲間たちに囲まれるアティは皆に心配をかけたと頭を下げる。

 

「もう……先生……本当に心配したんだから……」

 

「……これで終わりだと思ったかい?」

 

 倒れた帝国軍たちの中からイスラがよろめきながらも立ち上がる。

 

「てめえ! まだ……」

 

「ちょっと想定外だったけど……。切り札はとっておくものだよね」

 

 イスラの言葉と同時に伏せられていた切り札、召喚術師たちが姿を現す。

 そして全員が召喚術のためにサモナイト石に魔力を込めはじめた。

 

「まさか……召喚術の一斉射撃!?」

 

 ヤードが気づくがもう遅い。

 

「あはははは! 今更気づいても手遅れさ!」

 

 笑い声を上げたイスラの言葉通り召喚獣たちが呼び出され──。

 

「ギシッ! ギシシシシシ!」

 

 イリの嘲笑とともに──消え去った。

 

「……は?」

 

 消えた召喚獣たちを見たイスラは呆けたような声を上げる。

 何が起こったのか理解できないイスラだったが、未だに嗤いつづけるイリを見て誰によるものかは理解したようだった。

 

「お前っ! なんなんだよ! 一体何をした!?」

 

「……それで? 切り札とやらはそれでおしまいですの? 私のイリの前では無駄だったようですわね?」

 

 激高するイスラに気をよくしたベルフラウは自分がやったかのように胸を反らし、『私の』を強調しながらも煽って見せた。

 

「……撤退っ!」

 

 悔しそうに唇を噛みながらイリを睨み付けるイスラだったが、打てる手がないことを理解しているようだった。

 

 

 

 逃げ去る帝国軍を見て歓声を上げるベルフラウがイリに抱きついていると、カイル一味がベルフラウに近づいて来た。

 

「ベルフラウもイリもお疲れ様!」

 

「大活躍だったじゃないの!」

 

「それじゃあ……胴上げといこうか!」

 

 呑気にベルフラウとイリの胴上げを始めたカイル一味を余所に、ヤードやアルディラたち召喚術に心得があるものが集まり話し合いを始めた。

 勿論話題は先ほどイリが起こした現象についてだった。

 

「かつてエルゴが異世界の侵略にさらされるリインバウムの人々に、異世界の住人を送り返す『送還術』を授けたと言われています」

 

 無色の派閥で召喚術の探求を行っていたヤードがそういうとアルディラが続けた。

 

「そして送還術は今の召喚術の原型となった……。でも送還術は今はもう失われた遥か古の技術のはずよ」

 

「アレが送還術だって言うなら……。どうしてイリが使えるんだ?」

 

「ソレニ、アノイリョクノショウカンジュツ……。いりハイッタイ……ナニモノナノダ?」

 

「なんにせよ、警戒はしたほうがいいでしょう。あの時の威圧感……あれはあまり、良いものではありません」

 

 キュウマがそう締めくくると、一同は頷くのだった。

 

 

 

 その日の夜、アティはベルフラウの部屋を訪れる。

 

「ごめんなさい。ベルフラウさんもイリも……」

 

「本当に心配したのよ! 何もなかったからいいけど、二度とあんなことはしないで!」

 

 ベルフラウに叱られてヘコむアティだったが、自分の心を正直に明かした。

 

「ううっ……でもまた誰かを助けるためだったら、同じことをしてしまうかもしれません」

 

「……呆れた。本当にどうしようもない馬鹿よ、貴女」

 

「ギィイ!」

 

 ベルフラウに賛同したのかイリも声を上げる。

 

「イリ。今日はありがとうございました。もしかしたら今頃私はここにいなかったかもしれないから……」

 

「感謝しなさい! イリが頑張ってくれたんだから」

 

 ベルフラウがイリを撫で始めると、アティも続いて撫で始める。

 二人に撫でられるイリはムズ痒そうに体をよじさせていた。

 

 




●イリ
力の片鱗を見せ始めたベルフラウの相棒。
ベルフラウ専用召喚獣。

・ユニット召喚

・串刺シノ刑ニ処ス 
単体無属性Cランク術。

・破滅セヨ 
直線範囲無属性Bランク術。

・未開放
  


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先生ノ休日   ※4/9加筆

4月9日加筆


 自室の窓から朝日が差し込む中、帝国軍たちとの戦いから二日後の朝を迎えたアティだったが、何かに悩んでいるようだった。

 

「休日っていっても……どうしましょうか」

 

 昨日……つまり、帝国軍との戦いの次の日に仲間たちに言われたのは本日をアティの休日にしようということだった。

 

 働き詰めのアティを心配した仲間たちの提案だったが、アティは昨日の内に予定を決められなかったようだった。

 特に趣味もなく、学生時代も勉強ばかりしていたために決められずにいたアティはとりあえずベルフラウの元へ向かうことにした。

 

「まだ予定が決まってませんの?」

 

 自分の部屋に訪れたアティを迎えたベルフラウはまだ予定が決まっていない、というアティに呆れてみせる。

 

「私だけじゃなにも決まらなくて……だからベルフラウさんのところに来たんです。私と一緒に過ごしませんか?」

 

「……私と?」

 

「はい! 勿論、イリもね?」

 

「ギィイ?」

 

 

 

 イスアドラの温海。

 かつて無色の派閥の厚生施設として使われていたそこは地熱の影響で生まれた天然の海底温泉だった。

 

「すごい……海が煮たってる」

 

 以前アルディラからこの場所について聞いていたアティだったが、実際に見るのと聞くのでは違うのだろう。驚いた表情だった。

 

「この島にこんな場所があったなんて……」

 

「それじゃあ、さっそく……入りましょうか!」

 

 

 

 水着へと着替えたベルフラウは温泉に入るとため息をつく。

 

「はぁ……気持ちいいですわね……」

 

「ギィィ……」

 

 ベルフラウの腕に抱かれるイリも気持ちがいいのか鳴き声を漏らす。

 

「はあ……疲れが飛んで行ってしまいそうです……」

 

 アティも体に染み渡る温泉の暖かさが心地良いのか脱力していた。

 それを見たベルフラウはふと呟く。

 

「先生……ちょっとおばさんみたいですわよ」

 

「お、おばさん!? 失礼ですよ!! ほら、まだまだピチピチですからね!!」

 

 ベルフラウの発言を看過できなかったのか、アティは立ち上がると抗議する。

 本人の言う通りその白い肌は艶と張りがあり、とても若々しく美しい。

 

「ふふん! どうですか? これが大人の色気というものですよ。ベルフラウさんにはまだ分からないかな?」

 

 男たちを魅了するであろうそのプロポーションを見せつけるアティはおばさんみたいと言われたことを気にしているのか『大人』の部分を強調しつつもベルフラウを挑発し始める。

 言外にお子様だと言われたベルフラウはムっとすると腕に抱いたイリを解放して立ち上がった。

 

「くっ……お子様だとでもいうつもりかしら!? まだ私には未来があるわ! 成長の余地があるもの! それに何より……私の方がお肌に張りがあるわ!」

 

「ぐぅっ……」

 

 幼いベルフラウと肌の張りを比べても仕方のないことなのだが、アティは言葉をつまらせる。

 アティは冷静でない頭で思考を巡らせ……ぷかぷかと呑気に湯に浮かぶ第三者の存在を見つけた。

 

「イリ……イリに決めてもらいましょう! 私とベルフラウさんどちらが若々しくて色気があるのか!!」

 

「ギィイ!?」

 

「望むところよ!! さあ、イリ! 決めて頂戴!!」

 

「ギシィ!?」

 

 蚊帳の外から突然渦中に巻きこまれたイリが困惑するが無慈悲にも二人がイリに迫る。

 

「私よね? ずっと一緒にいたイリならわかってるわよね? 私が若々しくて色気たっぷりてこと!」

 

「私に決まってます! イリはちゃんと大人の色気が分かるんですよ!」

 

「ギィイ……」

 

 そして距離をじりじりと詰める二人を見たイリの困惑は頂点に達し──逃げた。

 

「なっ!? 逃げる気ですか!?」

 

「逃がさないわよ! 来なさい!」

 

 二人に背を向け飛ぶイリだったが──瞬間。

 

 無情にも発動した召喚術によってベルフラウの元に喚び戻されてしまった。

 

「ギィィ!?」

 

 突然ベルフラウの前にワープしたことに驚くイリの体はベルフラウに捕まれる。

 

「ねぇ、イリ。……私よね?」

 

「ギィイ……」

 

 鬼気迫る表情でベルフラウが顔を寄せるとイリは思わず頷いてしまった。

 

「そうよね! イリは私を選ぶに決まってるわよね! ……そっか、イリは私が若々しくて色気があって美しくて可憐だと思ってるのね……ふふふ」

 

「そこまでは言ってないような……」

 

「ギィイ……」

 

 アティとイリの視線の先には温海の環境が育んだ花々と一緒にご機嫌そうな少女の笑顔も咲いていたのだった。

 

 

 

 イスアドラの温海から船へと戻るとベルフラウとアティが何やら話こみ始めてしまい、なんとなく居心地がわるくなったイリは二人がいる部屋から出て甲板へと向かう。

 甲板にはどうやら先客がいたようでカイルとソノラが姿を現したイリに声をかける。

 

「おぅ、イリじゃねぇか。先生たちと何処かに行ってたみたいだが、何処に行ってたんだ?」

 

「温泉ダ」

 

「へぇー温泉かー。この島にあったんだ? 行ってみたいね、アニキ」

 

 ソノラがそう言ってカイルを見るとその顔は驚愕に染まっていた。

 

「……お前……先生たちと温泉に行ってきたのか……なんて羨ましい奴なんだ」

 

「……アニキ」

 

 ソノラがジト目で自分を見ているのに気が付いたカイルは咳払いをすると声を張って掛け声をあげた。

 

「俺たちもいっちょ行くか! カイル一家、温泉へ出航だ!」

 

「おー!」

 

 カイルとソノラがヤードとスカーレルも誘いに船内へ駆けていくと、イリは海賊船を出て森の中へ入っていった。

 

 

 

 特に目的地も決めずに森の中を進むイリは地面から水晶が生えているのに気が付く。

 いつの間にかイリは霊界サプレスの者たちの集落『狭間の領域』へと入り込んでいたようだ。

 

「あ! イリがここに来るなんて珍しいですね。今日はベルフラウと一緒じゃないんですか?」

 

 銀の髪の少女が自身の領域に入ったイリに気が付いて近くに寄った。

 イリはその少女の姿を見たことがなかったがその『魂』は見覚えのあるモノだ。

 

「……? 成程ファルゼンカ」

 

 その魂から少女の正体をイリが見破ると、ファルゼンはようやく自分が鎧ではない本来の姿でイリの前に現れてしまったことに気づいて慌てだした。

 

「あっ!? そういえば私ファルゼンの姿じゃない!! ……あの、私が女だってことは秘密にしてくれませんか?」

 

 少女が人差し指を立てて口元にもっていくと、それを言いふらす理由を持たないイリが頷いた。

 

「了承。承認。動機皆無。ヨカロウ」

 

「よかった! ありがとうございます。ところで、イリはこの狭間の領域に用事があるんですか?」

 

 ファルゼンは安心したような表情を浮かべて白い手のひらを両方重ねると、首を傾げてイリにここまで来た理由を尋ねる。

 コロコロと表情と仕草を変化させる少女にイリは短い答えを返した。

 

「暇」

 

「……暇?」

 

「暇ダ」

 

 つまり、イリには特に用事が無いと言うこと。

 ファルゼンは水晶と木々しかない周囲を見渡すと困ったような顔を浮かべて答えた。

 

「うーん……この狭間の領域にはこの通り水晶くらいしかありませんし……他の集落のほうが……」

 

「ヒマダトサケブ声ガスル! ワシヲ呼ブ声ガスル!」

 

 他の場所へ行くようにファルゼンが勧めるとイリが知らない声が聞こえた。

 

「こ、この声は!?」

 

「バアー!」

 

 イリとファルゼンの前に突然姿を現したのは青いイリだった。

 

「ホウ……影法師<ズィルウ>カ? イヤ……」

 

「彼は人の姿を真似てからかうのが大好きな幽霊……マネマネ師匠です」

 

「ワシハ霊界一ノモノマネ名人マネマネ師匠ジャ!」

 

 自慢げにモノマネ名人をなのったマネマネ師匠の姿は名人を名乗るだけあってイリにそっくりだ。

 

「マネマネ師匠、いたずらばかりしてるとまたフレイズに──」

 

「オマエ! ヒマナラワシトモノマネ勝負ヲシロ!」

 

 ファリエルの小言を無視したマネマネ師匠はイリへと挑戦状を叩きつける。

 

「面白イ! コノ我ニ勝負ヲ挑ムカ!」

 

 暇を持て余していたイリはその勝負を受けるとマネマネ師匠と共に水晶で作られたステージの上に移動する。

 

「最後マデワシノ真似ヲ続ケラレタラオマエノ勝チジャ! ワシニツイテコラレルカナ?」

 

「愚カ! コノ我ガ貴様如キの動キニ追従デキヌトデモ?」

 

 水晶のステージの下にはいつの間にか集落の住人たちが集まっており、イリとマネマネ師匠の勝負を見物するために居座り始めた。

 観客たちの中にはファルゼンも混じっており、イリへと手を振っている。

 

「言ッタナ? ワシノ動キニツイテコイ──!」

 

 モノマネ勝負と言う名の熾烈なダンス勝負が幕を開ける──! 

 

「ホッ! ヤッ! ホア!」

 

「ギシッギリリリ! コノ程度デ師匠トハ笑イガ絶エヌワ!」

 

 身体を左右上下に動かすマネマネ師匠の動きにイリは完璧に追従しおり、その声色は余裕そのものだ。

 

「ヌゥ……! ナンノッ! コレデドウジャ!!」

 

「ホウ……!」

 

 動きを上手くマネするイリを見て焦るマネマネ師匠はテンポを速くした。

 

「……可愛い」

 

 二人のモノマネ勝負をステージの下から観戦するファリエルは思わず呟く。

 小さな身体を懸命に動かすイリとマネマネ師匠の姿はファリエルに微笑ましさと愛らしさを感じさせていたのだ。

 だがほっこりしているファリエルとは違い周囲の観客たちはイリと同じように小さな身体の召喚獣たちで、彼らには勝負の苛烈さが分かるのか歓声を上げている。

 より激しさを増していく二人の舞に応じてファリエルを除いた観客たちが盛り上がり、ステージの周囲は熱狂に包まれていった。

 

 

 

 やがて二人の動きが最高潮に達するとマネマネ師匠が力尽きてステージ上に伸びてしまった。

 

「ゼェ……ゼェ……ヤルデハナイカ……」

 

 マネマネ師匠はバテて荒い息を吐くと悔しげにつぶやく。

 

「雑魚! 笑止! 師匠失格! 他愛モ無イ……」

 

「マネマネ師匠、これに懲りたらみんなにイタズラするのは止めてください」

 

 ファルゼンが腰に手を当ててマネマネ師匠を見降ろすと青い蟲は青い髪のファルゼンの姿に変化し、舌を出してファルゼンを挑発した。

 

「ベー! ヤーナコッタ!」

 

「……マネマネ師匠?」

 

 ファルゼンが底冷えするような低い声でその名を呼ぶと、さきほどまでの様子は何処へ行ったのかマネマネ師匠は素早く起き上がり逃げ出してしまった。

 

 

 

 モノマネ勝負を終えたイリはファルゼンに見送られて狭間の領域を出ると再び目的地もなく彷徨い始めた。

 

「あら、イリじゃないの」

 

 イリを見かけるとスカーレルが手を振る。

 ユクレス村へと到着したイリが出くわしたのは温海帰りのカイル一味たちと困った顔をするヤッファだった。

 

「反逆じゃ! 謀反じゃ! 戦争じゃあああああ!」

 

 ヤッファの視線の先には村の一角に陣取ったジャキーニ一味が道行く住人たちに嫌がらせをしていた。

 

「本人たちが言うには謀反のつもりらしいが……」

 

 ユクレス村の護人として集落の住人たちに被害が出るようなら実力行使も辞さない考えのヤッファだったが、ジャキーニたちのやっていることがセコ過ぎてどうするべきか困っていたようだ。

 

「今日は先生の休日なんだ。先生の手を煩わせないうちにさっさと片付けようぜ」

 

「あのバカに先生のお休みを邪魔されちゃたまらないもんね!」

 

 カイルとソノラがジャキーニの前に進み出るとジャキーニがカイルを睨んだ。

 

「どうして海賊であるワシらが土いじりのために使われなきゃいかんのか!」

 

 それは盗みを働いたジャキーニ一味がアティたちに敗れ、償いとして畑で働くこととなったからなのだが当人たちはそれに不満があるようだった。

 

「それはあなたたち悪さをして捕まったからでしょうに」

 

 ヤードが呆れたように言うがジャキーニは気にせずなおも続ける。

 

「再戦じゃ! 再戦を要求する! 貴様らが召喚術という反則技を使ったせいでワシらは負けたんじゃ!」

 

「戦力が変わらないのなら再戦しても同じだってわかってる?」

 

 スカーレルの言葉を聞いたジャキーニは我が意を得たりと笑うと奥の手を取りだした。

 その手に握られているのは──サモナイト石。

 

「ふっふっふっふ……戦力が変わらない? それはどうかのう! 出てくるんじゃ! 化け物ども!」

 

 召喚術により異界の門が開かれると半漁人のような召喚獣が喚びだされ──。

 

「ギィイ!」

 

 イリの送還術により即座に消えてしまった。

 

「な、なんじゃと!? このサモナイト石まさか壊れておるんか!?」

 

 召喚獣が消えると手のひらに握ったサモナイト石を様々な角度から凝視し、故障を疑うジャキーニだったが、カイルが一歩近づくと後ずさった。

 

「で、どうするんだ? 戦力は変わらねぇみたいだが……」

 

「せ、戦争じゃあああああ! ワシらは自由を勝ち取るんじゃああああ!」

 

 ジャキーニ一味が破れかぶれに突撃してくると、カイルたちは溜息をつきそれを迎撃した。

 

 

 

 難なくジャキーニ一味の自称謀反を鎮圧して海賊船へと帰ったカイル一家とイリを出迎えたのは食堂のテーブル一杯に並んだ料理だった。

 

「あ、おかえりなさいみなさん!」

 

「フレイズから聞いたわ。みんなお疲れ様!」

 

 今回の騒ぎはフレイズを通して各集落の護人たち、そして船にいたアティとベルフラウにも伝えられていたようだった。

 アティとベルフラウは暴動の鎮圧に尽力したイリとカイル一家のために手料理を作って待っていたのだ。

 

「お、こりゃ美味そうだ!」

 

 皆がテーブルに着くとわいわいと騒がしい食事が始まる。

 アティは仲間たちの様子を眺めながら嬉しそうに口元を曲げた。

 仲間たちがくれた休日は楽しかったけれど、アティにとってはみんなと暮らす今の生活が毎日休日のように楽しいのだ。

 だから仲間たちといる今の平穏を守りたいと願う。

 アティは視界に広がる光景を記憶に焼き付けると自身も仲間たちとの会話に加わるのだった。

 




嵐の前のなんとやら。


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3.暗雲
乱レタ振リ子


ベルフラウとイリにとって大事な転換点。


 機界集落ラトリクスの中央管理施設に呼び出されたベルフラウとアティは困ったような表情のアルディラから相談を受けていたのだった。

 

「最近、クノンの様子がおかしいのよ……」

 

 そう切り出したアルディラによると最近のクノンは口数が少なく、どこかアルディラを避けているような節が見られるそうだった。

 そしてアルディラにはその理由が分からないらしい。

 

「だからあなたたちに声をかけたの」

 

「うーん……。ごめんなさい、私にも見当がつかないです」

 

「分からないなら、本人に聞けばいいのよ」

 

「クノン本人に……? でも……」

 

 ベルフラウが提案するがアルディラには不安があるようで躊躇いを見せる。

 

「分からないことをいつまで考えていても仕方ないわ。そうじゃなくて?」

 

「それもそうですね。不安だったら私たちも付き合いますから」

 

 ベルフラウとアティの言葉を聞いたアルディラはおずおずと頷いたのだった。

 

 

 

 クノンのいるリペアセンターに到着したアルディラはベルフラウたちが見守る中、意を決してクノンに声をかける。

 

「ねぇ、クノン……少し話があるんだけど……」

 

「……何か特別な話なのでしょうか?」

 

「えっと……特別というわけではないんだけど……」

 

「でしたら、私は作業がありますので失礼します」

 

 アルディラの話に取り合おうとしないクノンが立ち去ろうとすると見かねたアティがクノンを呼び止める。

 

「待ってください! ちょっと話くらいは……」

 

「話し相手ならあなたたちがしてくだされば充分でしょう? 機械である私よりもあなたたちのほうが向いているはずです」

 

「あなたねぇ! 向いているとか向いてないとかそういう問題じゃ……!」

 

「私は看護人形です! 治療のために開発された人形なのですよ。それ以外の役目など……!」

 

 ──不要。そう続けようとしたクノンは突然胸を抑えだす。

 胸を抑えて苦しんでいるようなうめき声を上げるクノンを見たアティは慌てて傍に駆け寄る。

 

「どうしたんですか!? 一体何が……」

 

「……心配はいりません。これを解決する方法は解っていますから」

 

 クノンの右手がバチバチと音を立てると紫電が迸る。

 電流が迸りスタンガンと化した右手は──心配して駆け寄ったアティの腹を打ち据えた。

 

「なっ!? 先生!?」

 

「ギィイ!?」

 

「クノン!? 待ちなさい!?」

 

 身体を痙攣させて倒れていくアティとベルフラウたちの悲鳴を背にしながらクノンは走り去っていった。

 

 

 

 スクラップ場。

 壊れた機械の山と機械を粉砕する巨大な装置が鎮座するそこがクノンが向かった場所だった。

 

「自分を破棄します。この胸の真っ黒な痛みを知られるわけにはいきませんから」

 

「やめなさい! クノン! 馬鹿な真似はやめて!」

 

 追いついたアルディラはこの場所に来たクノンの目的を察して叫ぶ。

 

「そうです! あなたがこんなところに来る必要はないんですよ!」

 

 身体から痺れが抜けきらないアティだが必死に声を上げる。

 それを聞いたクノンはアティを睨むと叫び出した。

 

「ずるい! ずるいです! あなたたちはずるいです! アルディラ様と一緒に『うれしい』と感じることが出来る!!」

 

 叫んだクノンは止まらない。

 クノンの中枢である思考回路が生んだ言葉を吐き出し続ける。

 

「私には出来ないのに……! 羨ましい! 妬ましい! 私がいくら望んでも手に入らないのに……! あなたたちが憎くて……許せなくて! 殺してしまいそうになる!」

 

『殺してしまいそう』という言葉を聞いたベルフラウたち目を見開く。

 それほどまでに彼女は追い詰められていたのかと。

 

「だから……! こんなことを考える人形は処分しなければなりません! こんな欠陥品は……!」

 

 自身を欠陥品だと評したクノンは自分を破棄しなければならない理由を述べる。

 

「誰かを憎いって思うことは誰にもあることです! あなたは壊れたんじゃない、初めて知った感情に戸惑っているだけなんですよ!」

 

 クノンが語ったその理由に納得できない者が進み出る。

 赤い髪を揺らし、躊躇いのない足取りでクノンに近づいていく。

 

 そして──空から降り注いだ閃光がクノンの体を貫いた。

 

 

 

 光に貫かれて膝を付くクノンを見たベルフラウたちは驚愕と共に後ろを振り返る。

 下手人はわかっている。

 ずっと沈黙を続けていたベルフラウの護衛獣──イリだ。

 

「イリ……? どうして……?」

 

 自身の護衛獣の凶行に動揺したベルフラウの問いにイリは呟きで返す。

「ギシィィ……理解不能……」

 

「何を……」

 

「妄想……空想……絵空事……機械ニ感情ナド存在シナイ!」

 

「そんなことありません! クノンはあんなに悩んで……! 苦しんで……!」

 

 クノンの叫びを聞いていたアティは反論するがイリは即座に切り捨てる。

 

「ギギギ……錯覚ダ……機械ニ感情ナド分カラナイ。他者トワカリアエルハズモ無イ!」

 

 イリには理解できなかった。

 機械は感情を理解できない、他者とわかりあえない存在のはずなのだ。

 ──自分と同じように。

 それなのに感情を持ったかのように苦しんでいる。

 それなのに感情を持ったかのように叫んでいる。

 ありえない。

 あってはいけない。

 そんなことはあってはならないのだ。

 ──自分には理解出来ないのに。

 

「我ト同ジヨウニ! 他ヲ理解デキナイ、ワカリ合エナイ存在ナノダ! ギシッギシシッ! ギシギシィイイイイイ!」

 

 イリの嘲笑がスクラップ場にこだまする。

 嘲笑が響く中、イリの言葉からクノンは一つの答えにたどり着いた。

 

「イリさまも同じなのですね……私と同じように……真っ黒な痛みに苦しんでいる」

 

「黒イ痛ミ……? 否定! 断固否定! ソンナモノハ存在シナイ! ……不快! 超絶不快! ギリキシィイイイイイ!」

 

 イリの咆哮とともにスクラップ場が振動する。

 

「な、なんなの!? イリ……なにをするつもり……」

 

 イリに抗議の声を上げようとしたベルフラウだったが目の前の光景を目にすると口をあんぐりとあけてしまう。

 何かに釣り上げられたかのようにスクラップの山が浮かび始めたのだ。

 そしてスクラップは糸のようなもので結合し始めた。

 

「これは……!?」

 

 アルディラは目を見開き、普段の冷静さを忘れ驚愕してしまう。

 結合していくスクラップは段々一つの形へと変えていく。

 

「ギシィイイイイ! 存在消去! 超絶不快! 壊レタ機械人形! 『コレ』ノ一部トナルガイイ!」

 

 巨大な竜のような形となったスクラップは羽のようなものを広げると自らを構成する金属を軋ませて咆哮を轟かせた。

 

 

 

 竜が振るった巨大な腕を躱し、アティは剣で斬りつける。

 

「全然効きませんよ!?」

 

 スクラップとはいえ鋼鉄で作られた巨大な相手だ。

 剣で斬りつけたところでたいしたダメージにならない。

 

「だったら召喚術で……!」

 

「駄目よ! イリに送還されてしまうわ!」

 

 召喚術を使おうとしたアティだがアルディラに制止される。

 つまり、どうしようもないということだ。

 

「狙いは私です……。私は自分を破棄するつもりでしたから……私のことは構わず……」

 

 そもそもここに来た自分の目的を考慮し、最善の選択をクノンが提案する。

 

「そんなこと出来るわけがないでしょう!!」

 

「そうです!! 破棄なんて絶対にさせませんから! 絶対に守って見せます!」

 

「あ……」

 

 それは二人に却下される。

 二人の必死な表情を見たクノンは自分の中でこみ上げるものを感じていた。

 

「ギシシッ! 無駄! 抵抗ハ愚カ! 反逆愚カ! 大人シク差シ出セ!」

 

 アティとアルディラの抵抗を見たイリは嗤う。

 あの不快な機械人形を守ろうとする意味が分からない。

 諦めて差し出せばいいのだ。

 そうすればあの機械人形の望み通り、スクラップの仲間入りをさせてやるというのに。

 イリは竜を操り、クノンを鉄くずへと変えるべく次の手を打つ。

 竜の口が大きく開き、口内に組み込まれたスクラップの機能が作動する。

 かつてレーザー兵器だったそれがエネルギーを充填し始めるとイリはクノンが物言わぬジャンクになるのを想像する。

 

 ──だから気づかなかった。

 不快に思ったクノンを消すことに夢中になるあまり気づかなかった。

 

「ねぇ? イリ?」

 

 その声が聞こえて始めて知覚した。

 顔を俯かせ、幽鬼のように接近したその存在に。

 怒りに肩を震わせるその存在に。

 

「悪い子には……お仕置きが必要よね?」

 

 いつもとは違う低い声にイリは違和感を覚える。

 

「ギシィイイ……オ仕置キ……? 見ルガイイ! 出来損ナイノ機械ガ誅殺サレルノヲ!」

 

『悪い子』を暴走したクノンと解釈したイリにベルフラウの怒りは頂点に達し──。

 

「見るがいい、じゃないわよ……! このっ! 馬鹿っ!」

 

 ベルフラウが杖を振り上げる。

 召喚術用のそれは──鈍器となってイリの頭を打ち据えた。

 

 

 

 杖で殴打する鈍い音が聞こえ、浮いていたイリが墜落すると同時に竜が崩れていく。

 金属が擦れる音を悲鳴のように響かせ、アティたちを苦しめていた脅威は物言わぬスクラップの山へと戻っていった。

 

「ねぇ……イリ。どうしてこんなことしたのよ?」

 

 ベルフラウが地面に伸びるイリにあの行動の理由を聞いているとアティたちも傍にやってくる。

 

「……理解不能」

 

「それじゃわからないわよ! ちゃんと話しなさい!」

 

「……」

 

 答えようとしないイリと焦れるベルフラウを見かねたアティは口を開いた。

 

「イリ自身にもわかっていないと思うんです」

 

 そして語り始めた。

 以前のイリとの会話を。

 ベルフラウを守った理由が分からないと言っていたことを。

 ベルフラウのことをどう思っているのか分からないと言っていたことを。

 

「つまり……イリには感情が分かっていないということですの?」

 

「だから嫉妬したのね。機械であるクノンが感情を見せたことに……」

 

 ベルフラウは戸惑い、アルディラは納得する。

 ある意味、同類とも言えるクノンの変化にイリは嫉妬していたのだ。

 

「機械ではない、生き物でも感情がわからない……そういうこともあるのですね」

 

「イリはベルフラウを守ったんでしょう? 大切な人を守る理由なんて決まって……」

 

「ギィイ……理解……不能……」

 

「それが分からないなんて……もしかしてイリはずっと一人ぼっちだったの?」

 

「我以外ノ存在ハ不要……必要ガ無イ……」

 

 ベルフラウの質問をイリが肯定する。

 つまりベルフラウと出会う前のイリはずっと一人で生きてきたということだった。

 

「そもそもあなたは何者? 遥か古の技術、送還術を使える存在なんてただ者じゃないわ」

 

「……」

 

 アルディラの質問にイリは沈黙でもって答える。

 

「ねぇ、イリ。教えてほしいの。あなたが何者なのか。私はイリのことちゃんと理解したいから」

 

 ベルフラウに見つめられるとイリは観念したのか話し始めた。

 

「……ギィイ。我ハ他ヲ喰ラウ者。全テハ我ノ贄ニ過ギヌ。故ニ我以外ノ存在ハ不要」

 

「……自分以外の周りの生き物は全員食べてきたってこと?」

 

「だから一人ぼっち……だったんですね」

 

「感情が分からないのはそういうわけなのね。今から食べる食事の感情を理解する必要も、わかりあう必要もないもの」

 

 ベルフラウたちは理解する。

 イリが感情を理解していなかった理由を。

 イリにとっては周りの全てが食材。

 食材の感情を理解しようとする者がいるだろうか? 

 食材とわかり合おうとする者がいるだろうか? 

 つまり、そういうことだ。

 周り全てが食材故に誰とも触れ合わず、食べることしかしてこなかったイリには感情など理解出来ない。

 

「でも……! 今は私がいるわ! いままでは感情を学ぶ機会が無かった……そういうことよね?」

 

「その通りです! わからないなら、機会が無かったならこれから勉強すればいいんです」

 

 学ぶ機会が無くて分からないならこれから機会を作ればいい。

 これから学べばいい。

 そう考えたベルフラウとアティにクノンも続く。

 

「機械の私でも感情を理解することが出来ました。イリさまも出来るはずです」

 

「クノン……あなた……」

 

「ごめんなさい、アルディラ様……。心配をおかけしました」

 

 クノンがアルディラに頭を下げるとアルディラは強くクノンを抱きしめる。

 

「もうあんなことしようとしないで……」

 

 アルディラの瞳から涙が溢れて頬を伝って流れていく。

 抱きしめられるクノンの思考回路からは感情があふれ出して嗚咽が止まらない。

 

 

 

 泣いて抱き合う二人を見ながらベルフラウはイリに声をかける。

 

「イリも、もうあんなことしないこと。これから一緒に知っていきましょう?」

 

「……ギィイイイ」

 

「勉強のことなら任せてください。先生の専売特許ですからね」

 

 アティが自分を忘れるなと言わんばかりに言うとベルフラウが笑う。

 

「もう、先生。勉強なんていうと堅苦しいですわ」

 

(あなたは完全なんかじゃない。何も知らないだけよ)

 笑い合う二人を見つめるイリの中でかつて自身を打倒したものたちの言葉が蘇がえり、その言葉はイリの中にストンと落ちて染み込んでいった。

 

 




ベルフラウたちのイリへの認識は周りの生物を全て食べてきた孤独な肉食動物的な認識です。
孤独なライオンみたいな。

全て(世界)を食べるほどの規格外な存在であることなど想像もしていません。



・VSイリ率いる廃物竜
 勝利条件
リーダーの撃破
 敗北条件
クノンの戦闘不能





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モツレアウ真実

 海賊船内。ベルフラウの自室にて椅子に座り、机の上の紙と睨めっこをするベルフラウは何かに悩んでいるようで先ほどから唸り声を上げていた。

 

「うぅ……。将来の夢、ねぇ」

 

 ふよふよと浮いて紙を覗き込むイリを横目で見るベルフラウを悩ませているのはつい先ほどの授業で出された宿題だ。

 将来の夢を作文にして書いてくる。

 それがアティが課した宿題だった。

 

「きっちりとした目標じゃなくてもいいとは言っていたけど」

 

 未だに何も書かれていない紙を見て溜息をついたベルフラウはイリに視線を向けた。

 

「イリの将来の夢は……感情を知ることかしら?」

 

 

 

 悩むベルフラウと白紙を眺めていたイリだったが、ベルフラウの質問を受けて思案を始める。

 

「(ギシィ……夢……目標……)」

 

 イリは今まで、世界を喰らい己の力を高め続けてきた。

 それは界の意志をも超えるほどになっても止まることがない、飽くなき欲求。

 そしてそれは今も変わらない。

 力を高めること、それがイリにとっての目標だ。

 ──だが。

 感情を知ることも目標に加えてもいい、そう考えたイリはベルフラウの問いに頷いていた。

 

 

 

 イリが頷いたのを見たベルフラウは嬉しそうに笑う。

 

「そうよね! 私もイリに知ってもらいたいもの!」

 

 そしてベルフラウは何かに気づいたのかハッとした表情になる。

 

「そうだ……! そうよ……! それよ!」

 

「ギィイ?」

 

「夢よ! 私の……目標!」

 

 そしてべルフラウは何も書かれていなかった紙に文字を書きこみ始める。

 その目はとても真剣で迷いがない。

 ただひたすら想いを書き綴る。

 ベルフラウのイリへの想いを。

 

 

 

 作文を書き終えたベルフラウは自分の心の中のモノを吐き出したせいか、心なしかスッキリしたようだった。

 

「あの……ベルフラウさん。ちょっといいですか?」

 

 ノックの音とアティの声が聞こえるとドアを開けて迎え入れる。

 

「皆さんにお話があるんです。だから集いの泉に集まってほしくて……」

 

 ベルフラウがイリ、アティと共に集いの泉に到着するとすでにカイル一味が待っていた。

 それを確認したアティは早速話を始める。

 

「私たちだけで遺跡を調査しませんか? 私はこの剣と遺跡の真実を知りたいんです」

 

 アティは遺跡を巡ってアルディラとファルゼンが殺し合おうとしている場面を見ている。

 帝国軍との戦いもこの剣を巡ってのことだ。

 

「何も知らないまま誰かを傷つけるよりも、全てを知ったうえで傷つくほうがずっといいです!」

 

「そういうやつだよな、お前は」

 

 カイルはしょうがない奴だ、とでも言うようにため息をつく。

 カイルたちの目的は魔剣の処分だ。

 そのためにも魔剣の真実を知ることは不可欠。

 つまり利害は一致している。

 当然、カイル一味は賛同した。

 

「しょうがないわね……私も協力してあげるわ! イリも、いいわね?」

 

「ギィイ!」

 

 アティに目を見つめられたベルフラウはアティの自己犠牲精神に呆れながらも放っては置けないのか賛同する。

 それに倣い、イリも声をあげた。

 

「それじゃあ……皆さん! お願いします!」

 

 一同は向かう。

 島の中心部……島の全てが秘められた遺跡へと。

 

 

 

 遺跡の入り口である識者の正門にたどり着いたベルフラウたちだが、その扉は閉ざされている。

 だがアティには確信があるようだった。

 魔剣ならこの扉を開けられると。

 アティが剣を掲げるとそれに呼応し、扉が開いていく。

 そしてそれと同時に剣の魔力に当てられたのか、島の亡霊たちが姿を現す。

 

「亡霊……!? 予想はしていましたが……」

 

 ヤードの言う通り、島の中心部だけあって遺跡はかつての島でおこった戦争でも最も戦いの激しかった場所。

 亡霊の出現は予想できたが、実際に見てみるとやはり不気味なのだ。

 現れた亡霊たちとの戦闘のためベルフラウたちは武器を構えるが……。

 

「……襲ってこねぇぞ? ……怯えてんのか?」

 

 亡霊たちは何かに怯えたように透けている体を縮めて震えていた。

 彼らの魂を縛るもの──それよりももっと恐ろしい存在に怯えて。

 それの目に入らないように。

 それが過ぎ去るのをただひたすらに待つ。

 死を経験した彼らだからこそ、敏感だった。

 

「……襲ってこないなら、早く入りましょう? 彼らの気が変わらないとも限りませんわ」

 

 震える亡霊たちを不思議そうに見つつも、ベルフラウたちは遺跡内部に侵入した。

 

 

 

 遺跡内部、識得の間。

 薄い紫色の床と壁に覆われたそここそが島の中枢。

 その部屋の色合いはベルフラウたちに不気味さを感じさせた。

 識得の間に入ったベルフラウたちは部屋の中にある装置を目にする。

 ヤードは注意深く装置を観察すると、驚愕の声を上げた。

 

「サプレスの魔法陣とメイトルパの呪法紋、シルターンの呪符を組み合わせている。異なるそれらの世界の力をロレイラルの技術で統合……制御しているというのか。これならとてつもない魔力を目的に応じて変換して引き出すことが出来る」

 

 それを聞いたアティが驚愕する。

 当然だろう。召喚術の心得があるものならすぐに気付く。

 四つの世界の力を操るもの。

 すなわち、エルゴの王。

 かつてリインバウムを救ったとされる昔話のような存在。

 それに匹敵するだけの力がこの遺跡にあるということだった。

 この遺跡に秘められた力に驚愕しつつも、覚悟を決めたアティは進み出る。

 

「……やってみますね」

 

 魔剣の力を解放したアティの髪が白く染まり、碧色の光と魔力が溢れ出る。

 

 そして──魔剣と遺跡が接続された。

 

『長かった。断たれた回路を繋ぐための部品を見つけ出すまでの時は……』

 

『同じ形、同じ形の魂……これぞまさに適格者なり!』

 

『封印を解き放つ鍵よ! 新たな核識となりて断たれし共界線<クリプス>を再構築せよ!』

 

 識得の間に声が響く。

 それと同時にナニカがアティの頭に入り込んだ。

 

「あああっ……うああああっ……。アアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 ナニカが入り込み、アティの頭に割れるような痛みが走る。

 絶叫するアティの姿をその目でとらえたベルフラウたちはアティと魔剣を引き離すべく動き出す。

 

「書き換えの完了まで邪魔はさせない」

 

 アティを助けるべく動き出した脚は突如放たれたレーザーによって止められてしまう。

 

「それが、私の最優先任務」

 

 姿を現したのは機界集落の護人、アルディラだった。

 

「不要な人格を削除し、システムに最適化する。それが……継承」

 

「アルディラ!? どうして……。それに、削除って!?」

 

 人格の削除という不穏な言葉を聞いたソノラは今アティに行われていることを理解したようだった。

 その目を濁らせ光を無くしているアルディラはソノラの言葉に答えない。

 

「あの目……本来の意志とは違うものに操られているみたいね」

 

 アルディラの目を見て判断したスカーレルはそう告げるが、アルディラを止めなければアティを助けることなど出来ない。

 その証拠にアルディラは遺跡の防衛機構にアクセスし始める。

 送還術を扱えるイリがいる現状、それはアルディラにとっての合理的な最善手だった。

 

「ロック・オン」

 

 機械の駆動音と電子音とともに狙いを定めたのは……召喚術を妨害する存在、イリだ。

 

「……シュート!」

 

「イリ!? アルディラ!! やめて……やめてよ!!」

 

 防衛機構の銃口がイリと傍にいる自分に向いていることに気づいたベルフラウが叫ぶが既に放たれた光線はイリとベルフラウに迫り──。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 ──雄叫びを上げてイリ、ベルフラウとレーザーの間に割って入った大鎧によって防がれた。

 

「ブジ、カ? フタリトモ……」

 

 そう言うファルゼンの鎧はレーザーの直撃を受けて所々に罅割れが見られた。

 

「無事ですけどっ! あなたが……!」

 

 助けられたベルフラウだが破損のみられるファルゼンの鎧を見て当然、心配をする。

 

「大丈夫ですよ。傷つけられたのはこの鎧だけですから」

 

 透き通るような女性の声が聞こえたかと思うと鎧は光の粒となって霧散し、代わりに一人の少女が現れた。

 ファルゼンが女の子だった……その衝撃に一同が驚愕する中、少女は告げる。

 

「私は今度こそ……! アルディラ義姉さんを止めて見せます!」

 

 

 

 ファルゼンがアルディラを止めている今がアティを救出するチャンス。

 それを察したベルフラウたちはアティの元へと向かう。

 

「俺に任せろ! おらぁあああああ!」

 

 アティを殴ってでも剣と引きはがそうとするカイルが拳を振るうが──。

 

『脅威を確認。オートディフェンサ作動。魔障壁展開』

 

 ──弾き飛ばされる。

 床に背を叩きつけられたカイルが上体を上げて目にしたのはアティを覆う光の壁だった。

 

「これじゃあ……先生に近づけないじゃない!!」

 

 絶望の声を漏らすベルフラウを更なる絶望に追い詰める声が響く。

 

『照合確認完了。継承工程は読み込みから書き込みへと移行……』

 

 その声が告げるのは書きこみ……つまりは人格の削除が行われるということだった。

 

「このっ! このっ! 先生を返せぇえええ!」

 

 ソノラの銃撃も。

 

「止まりなさいよ!!」

 

「召喚術でもビクともしない!?」

 

 ベルフラウとヤードの召喚術も。

 

 全てが無意味。

 全てが阻まれ、ベルフラウたちの無力な叫びだけが識得の間に響いていた。

 

「ギ……ギシィ……」

 

 

 

 真っ暗だった。

 ただどこまでも続く闇だけがアティの視界に広がっていた。

 何も見えない、何も映らない。

 自分がナニカに上書きされ、消えていく。

 その感覚だけは感じることが出来た。

 

「消えるんですね……私……」

 

 自分の中の『自分』が占める割合が減っていく。

 別のナニカに変わっていく。

 

「昏い……。寒いです……。怖い……怖いよ……。こんな……一人で……消えて……」

 

 ──消えたくない。

 そう思った時、初めて自分以外の声が聞こえた。

 

「ギシシッ! 我ハ他ヲ奪ウ者! 我カラ奪ウナドッ! 言語道断! 傲岸不遜!」

 

 傲慢さを感じさせるその声にアティは暖かさを感じ──。

 その声とともにアティの視界の闇が晴れていった。

 

 

 

 ビクともしない壁。

 あらゆる手を尽くしても、障壁に罅の一つも入ることはなかった。

 手札を使い尽くしたカイルたちの表情は絶望に染まっている。

 ベルフラウの表情も絶望に染まり、その手を障壁に付け、縋る。

 すぐ近くにいるのに手が届かない。

 近いようで、途轍もなく遠い。

 

「いい加減に、目を覚ましなさいよ……」

 

 ただ障壁に縋りつき、叫ぶ。

 

「使用人のくせにっ! 勝手にへばったりしないでよ!」

 

 溢れる無力感と共に瞳から溢れる涙。

 

「約束したじゃない……なにがあっても、私の先生だって……!」

 

 喪失の恐怖に体が震える。

 

「いやよっ! 帰ってきてよ! せんせぇえええええ!」

 

 

 

 視界の晴れたアティの目には光の壁に縋りつく自身の生徒の姿が見えていた。

 その叫びが聞こえていた。

 だから。

 放っておくわけにはいかない。

 自分のために泣く生徒を。

 自分のために叫ぶ生徒を。

 

「(私は……! あの子の先生だから……!)アアアアアアアアアアアアアア!」

 

 アティの咆哮と共に障壁に罅が入る。

 

『回線……遮断!? システムダウン……。ば、馬鹿な!?』

 

 障壁は甲高い音を立てて割れると、光の粒となって消えていった。

 

「先生……!」

 

 力が抜けたのか、床に膝を付いて座るアティにベルフラウが走り寄る。

 ベルフラウが思い切りアティに抱きつくと、アティはベルフラウの頭に手を載せた。

 

「ありがとう……。ベルフラウ、あなたのおかげで私は……」

 

「馬鹿っ! 馬鹿っ! 馬鹿っ!」

 

 泣きすがるベルフラウの頭を撫でるアティの頬にも涙が流れる。

 空いた左手でベルフラウを抱きしめるアティの元に少し遅れてイリが浮遊しながらも近づいてくる。

 

「イリ……。ありがとう。あなたですよね? あの昏い世界で聞こえた声は……」

 

 涙を流したままイリに笑いかけるアティが真っ暗な世界で聞いた声。

 あの声に聞き覚えがあった。

 何度も己の感情を否定しようとした傲慢で孤独な声。

 でもあの世界で聞いたその声はアティにとってとても暖かかった。

 

「ギィイ……勘違イヲスルナ……。我ハ……」

 

「ありがとうございます。イリ、ありがとう……」

 

 イリは何と続けようとしていたのか。

 涙を流すアティの感謝の言葉を聞くとイリは黙ってしまった。

 

 

 

『声』が沈黙したことで、アルディラが正気を取り戻す。

 

「憶えているわ。私が何をしたのか……」

 

 自分が犯した罪を憶えているアルディラの表情は暗い。

 

「義姉さん。貴女は償えない罪を犯してしまいました。せめて……私の手で……」

 

「ギィイ! 断罪セヨ! 誅殺セヨ!」

 

 アルディラにファルゼンとイリが近づき、アルディラは目を閉じて刑が執行されるのを待つ。

 

「待ってください!!」

 

 そこに当の被害者であるアティが割り込む。

 

「アルディラはもう正気を取り戻しているじゃないですか!?」

 

「次がないと言えますか……!? また同じことが起きれば……! 次こそは……!」

 

「明々白々! 至極当然! 有罪確定! 贖ワセヨ!」

 

 また同じような悲劇が繰り返されることを警戒するファルゼンとどうやら怒っているらしいイリと向かい合い、アティは叫ぶ。

 

「私は絶対に認めません! 命を奪って解決するなんて、そんなこと絶対に認めません!」

 

 アティが叫んだのと、慌てた様子のフレイズが現れたのはほぼ同時だった。

 

 

 

 帝国軍の介入を警戒し、遺跡入り口上空を見張っていたフレイズだったが案の定というべきか。

 遺跡を目指して移動する帝国軍を見つけたようだった。

 

「そして現在帝国軍は……遺跡入り口付近にて白い異形たちと交戦しています!」

 

 フレイズの報告を聞いたベルフラウたちは帝国軍と聞いて顔を顰め、白い異形と聞いて少しそれを緩めた。

 

「またそいつらか……帝国軍のやつら、よほど嫌われてるのか、恨まれてるのか……」

 

「もしかして……私たちを助けてくれているのかも……」

 

 そう言うのは廃坑で直接助けられたアティだ。

 ジルコーダたちの数に押されて殺されてしまいそうになったところを彼らに助けられたのだった。

 

「理由はともかく、早く行きましょう? 彼らだけに任せるのも悪いですもの」

 

 アティと同じく彼らに助けられたベルフラウの提案に一同は頷き、識者の正門を目指すこととなった。

 

 

 

 識者の正門の前には悔しげな表情のイスラがいた。

 

「こいつら……ビジュから聞いてはいたけど……」

 

 兵士たちを率いて遺跡へと向かっていたイスラだったが、突然うけた妨害によって遺跡の中にすら入れずにいた。

 

「どうして僕の邪魔をするんだよ!?」

 

 自身の目的が遠ざかるのを感じるイスラは歯噛みする。

 不気味に体を揺らす白い異形達が自分をあざ笑っているようにイスラには感じられた。

 

「こうなったら……」

 

 怒りで冷静さを失いかけたイスラは自身の切り札を切ろうとして──。

 遺跡から出てきたベルフラウたちに気づく。

 

「……ここで君たちの登場か」

 

 現れたアティの姿を見て理性を取り戻したイスラは深呼吸をして落ち着きを取り戻す。

 

「イスラ! てめぇ! どの面下げて現れやがった!」

 

「流石に君たちまで相手にする気は無いよ……撤退だ!!」

 

 イスラの号令に従い、帝国軍たちは撤退していった。

 

 

 

 その日の夜。

 海賊船の甲板にてベルフラウはイリと星空を見上げていた。

 

「イリ……ありがとね」

 

「ギィイ?」

 

「私にはよくわからないけど、先生のこと助けてくれたんでしょう?」

 

 イリは無言で頷く。

 

「だから、ありがとう。私の大切な人を助けてくれて」

 

「ギイイ……」

 

 ベルフラウとイリが見上げる星空の無数の光がひたすらに美しい。

 二人は横に並んでしばらくの間それを眺めていた。

 

 



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ー幕間ー 舞台ノ裏側デ

 1. 始マリハ突然ニ・裏『ゴミ共ノ足掻キ』

 

 ベルフラウが海賊船から投げ出され、島に漂着したその日。

 海岸を仲間と共に移動しているゼリーたちは見たことのない存在を見つける。

 地面からそれほど高くない位置を浮遊する白いそれは自分たちの縄張りを我が物顔で移動していた。

 お世辞にも知能が高いとは言えないゼリーたちだが、その分本能的な感覚についてはなかなか鋭い。

 だから察することが出来た。

 

 ──あれがここに居てはいけない異物だと。

 

 ゼリーたちの獣にも似た本能が警笛を鳴らす。

 アレはいけない。

 自分たちの縄張りにとって……いや、この世界にとっての異物。

 自分たちが現在暮らすこの世界を──それどころか自分たちの故郷までも脅かしかねない。

 

 メイトルパの生命としての本能が故郷の世界を滅ぼしかねない存在を排除しろと叫ぶ。

 ゼリーたちは遥か遠い世界に望郷の念を抱きながらも、故郷を守るために異物の元へと歩みを進める。

 

 ふと隣を見ると仲間たちも故郷を守るべく意志を固めているようだった。

 仲間たちとともに異物を囲んでいく。

 決して逃げられないように追い詰めていく。

 故郷を守るのだ。

 自分たちが、掛け替えのない故郷を……! 

 

「あっちへお行き! 弱いものいじめなんて恥ずかしいとはおもいませんの!?」

 

 突如聞こえた声と共にニンゲンが自分たちと異物の間に立ちふさがる。

 ……ニンゲン。

 自分たちをこの世界に連れ去ったものたち。

 何度想おうと何度願おうと故郷には帰れない。

 ニンゲンを見たゼリーたちが抱いたのは原始的な感情──怒り。

 

 自分たちが今故郷にいないのはニンゲンが原因なのだ。

 当然、ゼリーたちにとってニンゲンは憎い存在だった。

 目の前に現れたなら丁度いい。

 自分たちの怒りをその身に味あわせてやるのだ。

 

「プギャア!?」

 

 仲間たちの内の一体が突然悲鳴を上げる。

 

「あなたたちの相手は私です!」

 

 投石による攻撃を行ったらしい声の主はまた別のニンゲン。

 邪魔をするというのか。

 自分たちを故郷から引き離すだけでは飽き足らず、故郷そのものを消し去ろうというのか。

 怒りはふつふつと煮えたぎり、沸騰する。

 ゼリーたちは咆哮を上げて突撃し──。

 

 ──視界が碧い光で焼かれた。

 

 

 

 

 

 2. 招カザル来訪シャ・裏『我ノ意ノママ』

 

 ベルフラウが結んだ誓約によって出来た繋がり。

 その繋がりから力が引き出されたことに困惑していたイリだったが、今では落着いていた。

 そもそも、魔力が高まること自体はイリにとって有利なのだ。

 過程はともかく、結果だけ見ればイリにとっては利益。

 そしてこれだけの魔力があれば出来ることも増える。

 

 イリはベルフラウと過ごしていた浜辺を離れ、夜の森に入る。

 島の中心部、『遺跡』を目指して。

 

 

 

 動物たちも眠る静かな森を抜けたイリの視界に入ったのは巨大な施設。

 それこそ、この島の住民たちを召喚した『喚起の門』。

 

「ギシシッ!」

 

 イリはそれを見上げて嗤う。

 損傷し、今は制御を受け付けなくなった『喚起の門』。

 その無差別な召喚に指向性を与えるのだ。

 破損した制御ユニット部にイリが糸を吐くと制御ユニットは繭に包まれる。

 繭は内側から胎動するかのように赤く光っていた

 

 

 

 朝を迎えるとパニックになったベルフラウがアティに諭されてイリを喚ぶ。

 ベルフラウによって強制的に呼びだされてしまったが、すでに仕込みは終わっていた。

 

 そしてアティがアルディラに連れられて遺跡へと向かう。

 アティの持つ魔剣の魔力に『喚起の門』が鳴動し──白い異形たちが召喚された。

 

 




1.お願い勝ってゼリー!あなたが負けたらメイトルパはどうなるの?大丈夫、相手は丸腰のニンゲンなんだから!
次回、ゼリー死す。
抜剣スタンバイ!


2.裏話という名の伏線解説回。
イリがいないの!!の間に仕込みが行われていましたよ、という話。
「どうしてイリは帰ってきていないのか?」の答えがこれ。


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昔日ノ残照

 遺跡による『継承』は失敗し、遺跡は沈黙した。

 あれ以来あの声が聞こえることもなく、『継承』の失敗によって遺跡は打撃を受けたようだった。

 それでも根本的な問題は解決していない。

 また時間が経てば遺跡は再び活動を開始する。

 遺跡が沈黙している今の内に対処のために動かなければならない。

 だが、遺跡のことをよく知る護人たちの内二人──アルディラとファルゼンは先の一件以降誰とも会おうとしない。

 二人にはまだ時間が必要だった。

 

 

 

 ベルフラウの自室にて本日の授業が行われる。

 椅子に座るベルフラウは机を挟んでアティと向かい合っていた。

 

「先日宿題で出した将来の夢の作文を提出してもらいましょうか」

 

「構いませんわよ!」

 

 どうやら自身満々らしいベルフラウを見てアティは内心首を傾げる。

 宿題の内容を伝えたときのベルフラウは嫌そうな顔をしていたからだ。

 少し意外に思いつつ、ベルフラウから紙を受け取る。

 

「それじゃあ、読ませてもらいますね」

 

 ベルフラウの作文を読み始めたアティだったが、読み進めるうちにその頬に朱がさしていく。

 

「あの……ベルフラウさん」

 

「あら、どうしましたの? 私の渾身の作文に感動してしまったのかしら?」

 

 腕を組んで胸を反らすベルフラウにアティは少し恥ずかしそうにおずおずと言い出した。

 

「これ……作文じゃなくて……ラブレターなんじゃ……」

 

「ラ、ラブレター!? 私が全力で書いた作文をラブレターですって!? 失礼にもほどがあるわ!!」

 

 激昂して椅子からたち上がったベルフラウは机に両手を付け、アティを睨む。

 アティはそれに一瞬怯むが、すぐに言い返す。

 

「私は将来の夢の作文を書いてきて下さいって言ったんですよ!? ラブレターを書いてきて下さいなんて一言も言ってません!」

 

「だから……! ラブレターなんかじゃないわ!! 作文よ!! 作文!!」

 

「そんなに作文だと言うのなら! 音読して発表してみて下さいよ!」

 

「臨むところですわ!!」

 

 売り言葉に買い言葉。

 ベルフラウはアティから作文の紙を受け取ると立ったまま声にして読み上げ始める。

 始めは怒りからか声を張り上げて読んでいたベルフラウだったが、だんだん顔が赤くなっていき、その声は小さく窄んでいく。

 聞いているアティも恥ずかしいのかベルフラウと一緒に顔を赤く染めていった。

 ベルフラウがか細い声で音読を終えると、そこには真っ赤な二つの彫像が完成していた。

 

「……ギィイイ?」

 

 

 

 しばらく部屋のオブジェと化していた二人だったが、ベルフラウが口を開いたことで部屋の空気が変わる。

 

「ねぇ、先生。いつまであの二人を待って日常ごっこを続けるつもりなの?」

 

「うっ……」

 

 アティにとってそれは耳の痛い話だった。

 二人に配慮して待っているが、時間がないことも解っている。

 遺跡が活動を再開するまでに動かなければならないのだ。

 あまり悠長にはしていられない。

 

「踏み込むことで相手を傷つけてしまうかもしれない。でもね、そこで迷っていたら大切なモノをなくしてしまうかもしれないのよ」

 

「ベルフラウさん……」

 

 何もしなくて後悔するよりも行動を起こして後悔するほうがましだと、ベルフラウは考えているようだった。

 

「先生失格ですね……。私は受け身になることで逃避していたのかもしれません」

 

 アティは椅子から立ち上がると、扉に手をかけた。

 そしてベルフラウを振り返り、笑顔を見せる。

 

「行きましょう。ベルフラウさん、イリ。私はもう迷いません!」

 

 機界集落ラトリクスにあるアルディラの自室前。

 閉ざされた機械の扉の前で必死に説得するアティをベルフラウは見つめる。

 無言を貫くアルディラに声をかけ続けるその姿に内心で激励を送り、胸の前で手を組む。

 やがて根負けしたのか、扉が開き少しやつれた表情のアルディラが姿を見せた。

 

「……全てを話すわ」

 

 

 

 アルディラが話たのはこの島の遺跡についてのことだった。

 莫大な魔力を引き出す施設と、様々な世界から様々な存在を喚び出す喚起の門。

 だがそれらを無色の派閥は廃棄した。

 施設も門も、彼らにとってはある目的のための副産物でしかなかったからだ。

 

「彼らの本当の目的はね……人の手で界の意志<エルゴ>を作り出すことだったの」

 

 アルディラの告げた無色の派閥の目的を聞いたアティとベルフラウは目を見開く。

 

「界の意志を……作る……?」

 

「そんなの、出来るわけが……」

 

 界の意志とはそれぞれの世界に宿ると言われる世界の意志。

 意識体と呼ばれる超存在であり、全てのものは界の意志から生じたと言われている。

 それを人の手で作り出そうなどと言うのだ。

 出来るわけがない、馬鹿しい。

 誰もがそう思うことを無色の派閥は本気で行おうとしていたのだ。

 

「世界の全てはエルゴと見えない力によって繋がっている。その力を彼らは共界線<クリプス>と呼んでいたわ。共界線を人為的に操作して、世界そのものを自由に操作しようとしていたの」

 

 人の意志が界の意志に成り代わろうとする。

 世界そのものに対する反逆であり、冒涜。

 

「ギシシッ! 不相応! 身ノ程ヲ知ラヌ愚カ者共!」

 

「……ええ、イリの言う通りよ。装置の制御中枢である『核識』となるために何人もの召喚師たちが実験に挑んだけれど、その負荷に耐えられなかったわ。あらゆる物から送られてくる莫大な情報の全てを同時に把握するなんて、現実には不可能だったのよ」

 

 万物とエルゴとを行き来する莫大な情報を処理する。

 それは人の身では耐えられないものだった。

 

「だから無色の派閥は廃棄を決めたんですね」

 

 アティは納得したように頷いたが、ベルフラウは違うようで疑問を口にした。

 

「なら、どうして島ごと廃棄したのかしら? 廃棄するのは施設だけでいいのではなくて?」

 

「……核識となり得た召喚師が一人だけ存在したからです」

 

 ベルフラウの問いに答えたのはいつの間にか現れたファルゼンの正体である少女だった。

 

「ファルゼン!?」

 

「ファリエル。ファリエル・コープス。それが私の本当の名前です」

 

 ファルゼン改め、ファリエルと名乗った少女に続いてカイルたち海賊一家が姿を見せる。

 彼らがファリエルを説得して連れてきたようだ。

 

「その人の名はハイネル・コープス。アルディラにとってのマスターであり、私の兄でした」

 

 ファリエルは語る。

 ハイネルは限られた時間ならば、『核識』となることが出来た。

 そして限定された個人がそれほどまでの力を持つことを恐れ、無色の派閥は彼と島を抹消しようとしたのだ。

 そして島を守るためにハイネルは島そのものを武器に戦ったのだ。

 共界線から送られる莫大な情報の負荷とも戦いながら。

 

「『碧の賢帝<シャルトス>』そして『紅の暴君<キルスレス>』。二本の剣によって力を封印された彼は敗北したわ」

 

 ファリエルに続いてアルディラがそう締めくくると、アティは今までのアルディラの行動の理由が理解できたようだ。

 

「遺跡を復活させれば、封印されたハイネルさんの意志も復活するかもしれない……ということですか?」

 

「そして私はそれを止めたかった。今のこの島こそが、兄さんの夢見た皆が共存する楽園だと思ったから。過去を知らずに生きる皆の暮らしを守るために」

 

 アルディラとファリエル、二人の願いは相反したものだ。

 どちらかしか叶えられない。

 そしてそのどちらかを決める鍵を持つのが魔剣の適格者であるアティだった。

 

「あなたが決めて頂戴」

 

「私たちはあなたの選択に従います」

 

「……封印をしましょう。遺跡を復活させるのはやっぱり、危険すぎます」

 

 アティが選んだのはファリエルの願い。

 つまり、遺跡の封印だった。

 そして、それを聞いてアルディラが黙っているはずもない。

 

「ふふふ……やっぱりね。封印なんて、絶対にさせないわ! 私はもう一度マスターと会うのよ!!」

 

「約束を破るつもり!? 先生の選択に従うって!!」

 

「私が護人になったのはあの人が帰ってくる場所を守るためよ! それが叶わないのならっ! この島も! 私自身も! 存在する価値が無いわ!」

 

 アルディラの叫びが鉄の床と壁に囲まれた空間に響く。

 涙と声と想いをまき散らす。

 

「どうしても封印を行うというのなら……! 私を壊しなさい! 壊して全部っ! 終わらせてよぉっ!」

 

「ギィィ。ソレガ望ミカ。良カロウ。我自ラガ誅殺ヲ……」

 

「それには及びません、イリさま」

 

 アルディラの叫びを聞いて進め出ようとするイリを制止してクノンがアルディラの前に進み出る。

 ──そして。

 クノンがアルディラの頬を張った。

 その音が響き、アルディラの目は見開かれる。

 ビンタされたアルディラは少しよろけながら頬を手で押さえた。

 

「いい加減にしてください! 生きて、幸せになって、この島を笑顔で満たしてほしい……あの方があなたにそう望んだのを忘れてしまったのですか!? あの方の意志を、あの方を愛しているあなたが踏みにじるというのですか!?」

 

「あ……」

 

「アルディラ様は私の主人なんですよ? あなたが居なくなったら私は……」

 

「ああっ……」

 

 機械人形であるはずのクノンがその目から涙を流していた。

 それを見たアルディラは自身の内から湧き上がる感情の波に耐えられない。

 

「ああっ……。あああああああああああああああっ!」

 

 叫び、泣き崩れる。

 鋼鉄の床が濡れていく。

 クノンは膝をつき、アルディラの後頭部に手を回して抱く。

 主従は二人でラトリクスに大雨を降らしていた。

 

「三人だけで、遺跡を封印しにいきませんか?」

 

 アルディラたちが泣き止むとアティが提案する。

 三人とはアティ、アルディラ、ファリエルのことだ。

 

「ええ……そうね。このまま放って置くわけにはいかないもの」

 

 未だに瞳に涙がにじむアルディラが肯定すると慌ててベルフラウが割り込む。

 

「ちょっと待ちなさいよ! 私も行くわ!」

 

 あんなことがあった後なのだ。

 現地でまたもめたりしないかベルフラウは心配していた。

 ベルフラウの瞳を見てその不安を感じ取ったアティは頷く。

 

「それじゃあ、お願いしますね。ベルフラウさんも、イリも」

 

「任せなさい! 私がちゃんと封印を見届けるわ!」

 

「ギィイ!」

 

 

 

 再び訪れた遺跡内部、識得の間。

 識得の間にたどり着いたアティはファリエルから封印についての説明を受けていた。

 

「制御板に碧の賢帝を突き刺して『止まれ』と強く念じてください。儀式の細かな部分は私たちが行います」

 

 アティの正面にあるロレイラルの技術で作られたであろう装置。

 制御板と呼ばれたそれを見つめるとアティは深呼吸をする。

 

「先生……」

 

「やります……!」

 

 ベルフラウの不安げな視線を受けながらもアティは覚悟を決め、抜剣する。

 碧の光が識得の間を照らすと、アティの右手には碧色に輝く魔剣が握られていた。

 

「もう一度、静かに眠って……」

 

 アティが輝く魔剣を制御板に突き刺そうとして──その動きが止まる。

 

「な……何? 体が……動かない!?」

 

 アティの意志に反して身体が動かないのだ……その身体に巻きついた魔力の糸によって。

 

「ギシッ! ギシシッ! 動ケマイ!」

 

 それを見て嗤うのはイリだ。

 

「なっ!? イリ!? 何をしたの!?」

 

 ベルフラウたちはアティの元に駆け寄ろうとして自分たちの身体が動かないことに気づく。

 

「私たちの身体にも……糸が!?」

 

 ファリエルの言葉を聞いてベルフラウも自身の身体を見下ろした。

 魔力の糸はベルフラウたち三人にも絡みつき、その動きを封じていたのだ。

 

「ギシッギシギシッ! コレヲ人質……ト言ウノダッタナ」

 

「人質……というからには何か要求があるんでしょう?」

 

 以前イスラが使った作戦から学習したのだろうか。

 イリはベルフラウたちを人質にとったのだ。

 この状況においてもアルディラは冷静にイリの意図を聞き出そうとする。

 しかしその頬には冷や汗が流れていた。

 それに気づいているのかイリはなおも嗤う。

 

「ギシシッ! 封印ナドサセルモノカ……! 扉ヲ開クノダ。遺跡ノ最奥ヘト続ク扉ヲ!」

 

 イリが指し示したのは閉ざされた扉。

 その扉がイリの言う通り、最奥へと続く扉なのだろうか。

 少なくとも、イリはそう確信しているようだった。

 

「……あの扉を開けばいいんですね」

 

 アティに巻きついていた糸が消え去り、アティは動けるようになる。

 ベルフラウたちは依然動けず、人質に取られたままだった。

 人質がいる以上、アティに出来るのは指示通り扉を開くことだけだ。

 アティが剣を掲げると閉ざされていた扉がゆっくり開いていく。

 ギシギシと嗤いながらイリはその扉の先に消えていった。

 

 

 

 扉を潜るイリを見つめるベルフラウの頭に渦巻いていたのは『どうして』という想い。

 それだけがベルフラウの思考を占め、ベルフラウは言葉を発することが出来なかった。

 ただ茫然とイリが扉の先に向かうのを見送ることしかできない。

 

 どうして。

 何故。

 ベルフラウの疑問に答えるのならば、それはベルフラウが間違いを犯したからに他ならない。

 ベルフラウがここに来たのがそもそもの間違いだったのだ。

 

 ベルフラウが封印に立ち会うことは必然的にイリが封印に立ち会うことになる。

 そうすればイリは我慢出来なくなる。

『ご馳走』を目の前にしたらイリは間違いなく土壇場で我慢できなくなる。

 封印によって、すぐそばにある『ご馳走』が食べられなくなることに耐えられなくなる。

 その内に荒れ狂う食欲を抑えられなくなる。

 アティの提案通り、三人だけで来るべきだったのだ。

 

 

 

 三人を縛っていた糸が消えてもベルフラウは茫然として動かないままだった。

 アティが肩を掴み、何度か揺さぶるとようやく気が付いたようで口を開く。

 

「先……生……イリが……」

 

「ベルフラウさん! イリを喚んでください!」

 

「……いやよ」

 

 イリと護衛獣の誓約を結んだベルフラウならイリを喚び戻せる。

 しかしベルフラウは首を横に振ったのだった。

 

「どうして!?」

 

「だって……怖いの。喚んで現れたイリが……私の知ってるイリでは無くなってしまっているんじゃないかって!」

 

 イリは今までアティたちに牙を剥いたことはあった。

 それでもベルフラウには手を出したことはない。

 しかし今回は違った。

 魔力の糸でベルフラウを縛り上げ、人質に取ったのだ。

 自身の目的のために。

 今まで起こした癇癪や感情の否定のための暴走ではない。

 自身の欲望のための計略、明確な裏切り。

 

 ベルフラウの瞳の端に涙が浮かぶ。

 あのイリからは何かに対する執着のようなものを感じられた。

 今まで見てきたイリとは何かが違う。

 自分の知っているイリとは別の存在であるかのように思えてしまった。

 ベルフラウにはそれが怖くてたまらなかった。

 やがて涙をポロポロと流したベルフラウは嗚咽を漏らす。

 

「イリ……どうしてベルフラウさんを裏切ったんですか……」

 

 アティは泣き続けるベルフラウに声をかけることが出来ずただそう呟くことしか出来なかった。

 

 

 

 アティは泣き続けるベルフラウを連れて海賊船へと向かっていた。

 そしてその帰路の途中で突然の嵐に襲われる。

 それはまるでこの島に流れ着く前、船で嵐に襲われた時と同じようだった。

 違和感を感じたアティが遺跡を振り返ると遺跡から空に向かって紅い光の柱が伸びていた。

 

「紅い……光……。一体、何が起こっているんですか……?」

 

 涙で濡れたベルフラウの頬を冷たい雨が叩く。

 激しい風をその身に受けながら、アティは新たな嵐の始まりを予感していた。

 

 




ベルフラウが特殊ルート入りの地雷選択肢を踏みました。
ベルフラウがついてこなかったら普通に原作通りです。

name イリ
class 護衛獣→共界線の捕食者

skill
全異常無効
全憑依無効
甲殻体(通常攻撃ダメージの70%を軽減する)
送還術(Cランク以下の召喚術を無効化する)
遠距離攻撃・誅殺(無属性の光で遠距離攻撃を行う)
動ケマイ(対象を行動不能にする)
   

動ケマイは憑依無効、異常無効にも通る行動妨害。
イズナ眼の誰にも効いて腐らないバージョン。


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黄昏、来タリテ 前

 アティに海賊船の自室に送り届けられたベルフラウはベット上に座り、ぼうっと窓を眺めていた。

 光のない瞳が見つめる窓の外は暗い闇に閉ざされ、激しく降る雨が窓にぶつかり音を立てる。

 いつもならこのベッドにいるはずのイリの姿はそこにはない。

 ベルフラウの右手は自然とイリの頭を撫でるように動き、何にも触れずに空を切った。

 ベルフラウの昏い瞳から一粒の滴がながれると、その頬を伝って落ちていった。

 そのまま窓を眺めつづける。

 それで何かが変わるわけでもないとわかっていながら。

 

 

 

 カイルたち一味よりも少し遅れて海賊船の食堂に訪れたアティが扉を開けるとカイルたちは既に朝食を食べ始めていた。

 

「……ベルフラウは?」

 

 カイルの問いにアティが首を横に振って答えるとカイルは思わずため息をついてしまった。

 昨日、海賊船に帰ってきたアティはベルフラウを部屋に送り届けるとカイル一家に事情を説明していた。

 イリの裏切りはカイル一家も知ることとなった。

 

「あの子、イリにお熱だったから……。その分ショックなんでしょうね」

 

 スカーレルの表情には憂いが浮かぶ。

 まだ幼いベルフラウの受けた精神的な傷を想像して眉をしかめた。

 

「ベルフラウ、イリのこと大好きだったもんね……。仲が悪かった訳でもないのに、どうしてイリはベルフラウを裏切ったのかな?」

 

 ソノラのその問いに対しての答えを持つ者はこの場にはいない。

 未だ部屋から出てこないベルフラウを心配することしか出来なかった。

 

 

 

 アティは海賊船の甲板に出ると伸びをする。

 昨日の嵐は晴れて暖かい日差しがアティを照らしていた。

 しかし空模様とは違いアティの心は晴れていない。

 部屋に篭ったきりのベルフラウのことで頭を悩ましていた。

 しばらくベルフラウをどう励ますべきか思案しているといつの間に海賊船に訪れていたのか、クノンが甲板に姿を見せる。

 

「アティ様。アルディラ様がお呼びです。話がある、と」

 

 

 

 ラトリクスの中央管理施設に訪れたアティにアルディラは開口一番に切り出す。

 

「まずはこれを見てほしいの」

 

 アルディラの合図でクノンが差し出したのはリペアセンターに入院していたイスラのカルテだった。

 

「これは!? 一定周期で心肺停止寸前まで陥っている……!?」

 

「つまり、死と再生を繰り返している。そう言っても間違いではないでしょう」

 

 クノンが告げたのはイスラの身体の衝撃的な事実。

 医学の常識ではとても考えられないような事態だ。

 

「驚いたでしょう? 普通ならあり得ない。でも魔力よる干渉を前提とするならば医学の常識は覆されるわ」

 

 そしてそれが真実ならば、イスラは死と再生を繰り返す不死の存在である可能性がある。

 告げられたイスラの事実に衝撃を受けるアティに対してアルディラは話題を切り替えた。

 

「それと……イリのことで話があるの。あなたにとってはこちらのほうが本題かもしれないわね」

 

「イリのことですか!?」

 

 その話題にアティが食いつく。

 ベルフラウのために少しでもイリについての情報が欲しいところだった。

 喰い気味のアティにアルディラは少し苦笑するとコンソールを操作して三つのデータをディスプレイに表示した。

 

「……これは?」

 

「イリの魔力反応よ。左から順に昨日の昼間……遺跡に入る前、昨日の夜、今日の朝のイリから観測された魔力反応を示しているの」

 

 三つのデータに記載された数値は昨日の昼間の時点のものが一番小さく、今日の朝の時点でのデータが一番大きい。

 それを見てアティはすぐに察した。

 

「……増えている?」

 

「ええ。イリの魔力は時間の経過とともに加速度的に増しているの。私はイリが遺跡の機能を使って共界線から魔力を吸い上げているのではないかと推測したわ」

 

「共界線から……魔力を……」

 

「幸いというべきか、今の遺跡は不完全よ。遺跡の機能で汲み上げられる魔力はそう大したものではないと思うわ」

 

 それを聞いたアティはあることに気づく。

 遺跡が不完全な今でも急速に力を増しているのなら……。

 

「でもそれってつまり……。遺跡が完全に復活したら……」

 

「どうなるかなんて、想像がつかないわ。もしかしたら……ロレイラルの機神やサプレスの魔王……そういう領域まで、届き得るのかもしれない……」

 

 アティはディスプレイに表示された数値をじっと見つめた。

 そして『その先』の数値を想像し……アティの心に不安という影が差し始めた。

 

 

 

 海賊船へと戻ったアティはベルフラウの部屋の扉の前に立っていた。

 扉の向こうへ遠慮がちに声をかける。

 

「ねぇ、ベルフラウさん。さっきアルディラさんからイリの話を聞いて来たんですよ」

 

 扉の向こうからは返事が聞こえない。

 それでもアティは言葉をつづけた。

 

「イリが遺跡で何をしているか推測してくれたんです。イリは遺跡の設備を使って共界線から魔力を吸い上げているのかもしれないって」

 

 イリの情報を伝えてもなお、部屋からは返事はおろか物音すら聞こえなかった。

 

「……ベルフラウさん、そろそろ出てきてくれませんか?」

 

 アティは返事が返ってくることを祈るが、その祈りは通じず沈黙だけが帰ってくる。

 アティは肩を落とすと扉の前から離れていった。

 

 

 

 アティは出てこないベルフラウに落ち込みながらも集いの泉に向かっていた。

 アルディラが遺跡で起こった騒動を知らない護人の二人──キュウマとヤッファに事情を説明するらしいのだ。

 勿論、アルディラの行った裏切りについても含めて。

 集いの泉に集まったのは護人四人にアティを加えて五人。

 アルディラがキュウマとヤッファに事情の説明を始め、アティとファリエルは要所で注釈を加える。

 アルディラが説明を終えて口を閉じるとキュウマとヤッファは真剣で、それでいてどこか納得したような表情をしていた。

 

「お二人の様子がおかしかったのはそういう訳ですか」

 

 アルディラの遺跡での裏切りの後、アルディラとファリエルは誰とも接触しようとしなかった。

 そのことが気になっていたらしいキュウマは事情を知り、得心する。

 

「私のしたことは許されることじゃない。私のしたこと、全てを背負って生きていくつもりよ」

 

 アルディラは真剣に二人を見つめて視線を逸らさない。

 その視線を受けてヤッファが口を開いた。

 

「過去を全て背負って前に進む……そういうことか?」

 

「そうよ。自分がしたことから目を逸らさない、絶対に」

 

 それを聞いたキュウマはその表情を緩める。

 

「そういうことならば、我々が口を挟む必要はありませんね」

 

 ヤッファもそれに頷く。

 アルディラが選んだのは自分で自分を裁き、苦しめ続ける厳しい道。

 キュウマとヤッファはアルディラの決意を見届けることにしたのだった。

 

「……それと、話しておかないといけないことがあるわ。イリについてよ」

 

 イリが遺跡で行った裏切りのこと、そしてアティに見せたイリの魔力反応のこと。

 アルディラが二人にそれを話すとキュウマは顔を顰める。

 

「ミスミ様がおしゃっていました。アレには気を付けろと。とうとう本性を現した、というところでしょうか」

 

「そもそもが送還術を使う得体の知れない存在なんだ。何をしても驚かねぇよ」

 

 キュウマとヤッファの言葉を聞いたアティはつい口を挟んでしまう。

 

「そんな言い方……! イリはベルフラウちゃんの護衛獣なんですよ!」

 

「その護衛獣が主人を裏切ったんだろ?」

 

 そう言われてアティは返す言葉が無くなってしまう。

 悔しそうに手を握りめ、唇を噛む。

 

「なんにせよ、いつまでも放置するわけにはいきませんね。いつか手が付けられなくなります」

 

 アティにとって悪い方向に話が進み始めたその時、集いの泉にマルルゥが急いだ様子でやってくる。

 

「帝国軍の人が先生さんに会いにきたですよぉ!」

 

 マルルゥが告げたのは帝国軍の到来。

 決戦の時は近い。

 



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黄昏、来タリテ 後

 帝国軍の使者として現れた副隊長ギャレオは決着を望んでいると語った。

 勝利か玉砕か二つに一つであり、敗北による撤退などもうないと。

 帝国軍が指定した場所は夕闇の墓標と呼ばれる、建造物の残骸があちこちに点在する丘。

 石柱や石畳だと分かる残骸がかつてここに暮らしていた人々の残した影となっていた。

 

 アティたちが夕闇の墓標にたどり着いた頃にはすでに待っていた帝国軍が部隊を展開していた。

 アズリア、ギャレオ、イスラ、ビジュ……そして個々の名は知らぬ兵士たち。

 

「来たな、アティ。我らは我らの未来のために戦う。貴様が自分の願いのために戦うのと同じようにな」

 

「アズリア、やっぱり戦うしかないんですか? 今ならまだ間に合います! この島のみんな、きっと受け入れてくれるから……!」

 

「くどいぞ、アティ。さあ、決着を付けようじゃないか!」

 

 アズリアの号令と共に戦端が開かれる。

 アティ達と帝国軍の未来を決める決戦が始まった。

 

 

 

 夕闇の墓標に剣戟の調べが響く。

 お互いが剣に誇りを込めて打ち合い、かつて戦場であったであろうこの場所を再び戦場に変えた。

 数で勝り、帝国軍式の訓練を受けたその腕はある程度以上の実力が保障されている。

 対するアティたちは少数精鋭といえば聞こえはいいが、数で劣りその腕も得意分野もてんでばらばらだ。

 それでもアティたちは善戦し、戦局は拮抗していた。

 

「うぉらっ!」

 

 カイルの叫びとともに振るわれた拳が兵士の腹にめり込み、吹き飛ばす。

 その左から槍を持った兵士が拳を振り終え隙が出来たカイルに接近していた。

 

「ほら、アニキ! 左! 危ないって!」

 

 それをカバーしたのはソノラだ。

 ソノラの銃弾が槍を持った兵士を打ち抜き、倒れ伏す。

 

「ありがとよ、ソノラ。それにしても流石帝国軍の一部隊ってところか。多いな、こりゃ」

 

 カイルの視界にはまだ多くの帝国軍兵士たちが見える。

 

「ベルフラウとイリが居ればバーって薙ぎ払ってくれるのになー」

 

 口をアヒルの嘴のようにしてぶーぶーと言い出すソノラにカイルは呆れる。

 

「言っても仕方ねぇだろ! ほら、次くるぞ!」

 

 ソノラを窘めつつ、拳を打ち鳴らしたカイルは迫りくる敵に構えた。

 

 

 

 徐々にアティたちが押し始め、戦況が傾いていく。

 その立役者となっているのが島の護人たちだ。

 彼らは伊達で護人を名乗っているわけではない。

 遺跡で召喚術を学び、さらには儀式で自身を強化した彼らは島内においては優れた戦闘能力を発揮できるのだ。

 ファリエルの大剣が、ヤッファの爪が、アルディラの召喚術が、キュウマの刀が敵を次々と倒していく。

 そうして出来た道はついにアズリアたちの元へと届く。

 

「来たか……アティ」

 

「今日はあのガキはいねぇのかよ。しまらねぇなオイ」

 

「あいつがいないなら好都合じゃないか。今日こそ、君たちには死んでもらうよ!」

 

「今日こそ貴様たちに勝利し、帝国に剣を持ち帰る! 覚悟しろ、海賊風情共!」

 

 アズリア、ビジュ、イスラ、ギャレオ。

 部隊内でも実力者の四人と相まみえる。

 

 

 

 アティとアズリアはお互いの合図も無しに自然と闘いの中心から外れた場所へ足を向けていた。

 少し歩くと足を止めて向かい合い、剣を構える。

 

「これが最後だ。ここで決着をつけて、部下たちを故郷へと帰す。それが隊長としての私の役割だ」

 

「私は諦めません。命を奪い合う以外の道を探して見せます!」

 

 アズリアは素早く踏み込みアティに肉薄する。

 狙うのは先制開幕の必殺。

 魔剣の力を使われる前に、これ以上戦況が不利になる前に仕留める。

 紫電の如く高速で突きを繰り出す秘剣──。

 ──紫電絶華。

 

「クロックラビィ! 『ムーブプラス』!」

 

 アティが召喚したのはメイトルパの召喚獣。

 時計を持ったウサギのような姿の召喚獣の持つ力は憑依召喚と呼ばれる特殊なもの。

 召喚獣はアティの身体に吸い込まれるように消えるとアティに特殊な力を与える。

 その効果は時間感覚を狂わせアティの意識を加速させる。

 加速した世界の中でアティは高速の突きを躱していく。

 本来躱せるような速度ではないはずの剣はアティの世界では頬に掠らせながらも躱すことができる速度になっていた。

 やがて突きを放ちきりアズリアは硬直する。

 本来なら一瞬の隙だが加速した世界においてはその隙は長すぎた。

 アティは隙だらけの顎にアッパーを繰り出す。

 

「ごがっ!?」

 

 アズリアは少し宙を浮き、すぐに背から地面に叩きつけられる。

 その首筋にアティの剣先が突きつけられた。

 

「私の……負けか……」

 

 アズリアの視界に膝を付くギャレオたちの姿が目に入り、勝敗を悟った。

 

「勝者はお前だ、アティ。全てを終わらせてくれ。お前にはその義務がある」

 

「そんな義務、ありません! 義務というのなら、勝者に従うのが敗者の義務じゃないんですか!?」

 

「それは……」

 

「私は命を奪いあって決着をつけるなんて、認めません! だから生きてください。帝国に帰る手助けならしますから、恥でもなんでも生きていてください!」

 

「……負けた以上、従うしかないか。敗者に生き恥をさらせとは、酷い勝者もいたものだな……」

 

 アズリアは肩を竦めて少し笑うと部隊に降伏の宣言をするために立ち上がる。

 そこで始めてイスラが肩を震わせて笑っているのに気が付いた。

 

「……イスラ? どうしたんだ?」

 

「あはははは! ……まあ、こんなものかな。終わってみれば結局戦争ごっこか。姉さんにとってそいつはオトモダチな訳だしね、仕方がない」

 

「ま、所詮甘ちゃんだからなぁ。隊長殿は……」

 

 イスラとビジュのアズリアへの侮辱に怒るギャレオが吼える。

 

「貴様らっ! 隊長を愚弄するなぁ!」

 

「あはは! 役立たずの番犬がよく吼える。役立たずはそろそろ黙っていてもらえるかな? 僕の部隊が到着したみたいだからさ……!」

 

 イスラの言葉を証明するかのように丘に影が現れる。

 いつの間にか傾いた夕日をバックに浮かび上がった無数の影にその場の誰もがざわついた。

 

「援軍……援軍が来たのか!?」

 

「俺たちはまだ戦える……!」

 

 帝国軍の兵士たちは影を見て歓声を上げる。

 自分たちは本国から見捨てられたわけではなかったのだと。

 これでまだ戦えるのだと。

 作戦を終えて故郷に帰れるのだと。

 そしてその幻想は──隊長自身によって打ち砕かれた。

 

「違う……あれは……帝国の兵士じゃない!!」

 

 

 

 隊長であるアズリアの口から告げられた言葉を兵士たちは理解出来なかった。

 目前まで迫った希望に縋りたかった。

 帝国の兵士じゃない、その言葉を飲み込めず茫然とする兵士たちを正体不明の死神が襲う。

 

 そこから始まったのは一方的な虐殺だった。

 精神的にも肉体的にも追い詰められ、希望の光を目の前にぶら下げられた帝国軍兵士たちはそれに群がる小魚だ。

 そして碌な抵抗もできずにアンコウに丸呑みにされる。

 次々に殺されていく兵士たちを見てアティたちは混乱するほかなかった。

 

「どうして……? 味方にどうして攻撃してるの!?」

 

 ソノラの質問に嗤いながら答えたのはイスラだ。

 

「僕の部隊は僕の味方だよ。援軍なんて一言もいったかな? あははは!」

 

 イスラが口を歪ませ嗤う間にも兵士たちは次々に殺されていく。

 それを見てアティは思う、ベルフラウがここに居なくてよかったと。

 それは決して子供に見せていい光景ではなかった。

 

 

 

 謎の襲撃者たちに指示を出していたマフラーを首に巻く女性は辺りを見渡すと呟く。

 

「雑魚の始末はこれでおしまい……」

 

 その言葉通り辺りには帝国軍の兵士たちの無残な屍と赤い海が広がっていた。

 

「さて、会場の準備が出来たみたいだし……そろそろ式典が始まるよ。病気で苦しんでいた僕に生きるための力を与えてくれた偉大な力の持ち主を迎える宴がね」

 

 イスラが宣言すると謎の勢力は整列し、集団を二つにわけて道を作った。

 部下たちの作った道を悠然と歩くサングラスをかけた黒い長髪の男とそれによりそう様に歩く白いローブで身を包んだ女性が歩いている。

 

「馬鹿な……まさか直々に出向いてくるなんて……!?」

 

 黒い長髪の男を目にしたヤードはその顔を真っ青にし、身体を恐怖に震わせる。

 

 黒い長髪の男の前に進み出たイスラは跪く。

 つまりそれはこの男がイスラの主人であるということ。

 

「同志イスラよ。ご苦労だった。目障りなゴミ共も掃除されたようだな」

 

 黒い長髪の男の言葉でそれが証明される。

 黒い長髪の男に寄り添う白いローブの女性はアティたちに聞こえるように声を上げて宣言する。

 

「控えなさい、ケダモノどもよ! この御方こそこの島を継ぐためにお越しになられた……無色派閥の大幹部、オルドレイク・セルボルト様です!」

 

 オルドレイクと呼ばれたその男は不敵に口の端を曲げた。

 無色の派閥……かつてこの島を実験場にしていた勢力であり、魔剣を作り上げた勢力。

 無色の派閥の始祖が残した遺産であるこの島を手にするためにやってきたのだ。

 

「貴様ら……! さっきから雑魚だ? ゴミだ? 目障りだ? 貴様らにそんな扱いをうける謂れが……部下たちを殺される謂れがあるものか!! 帝国軍人をっ! 舐めるなぁ!」

 

 目の前で部下たちを皆殺しにされたギャレオが走る。

 許せなかった。

 不出来な寄せ集めの部隊ではあったが、共に過ごし共に戦った仲間たち。

 それをむざむざと殺されて黙っていることなど、ギャレオには出来なかった。

 雄叫びをあげて突撃するギャレオを見るオルドレイクの目はゴミを見る目。

 

「我が手を下すまでもないゴミだ……ヤレ」

 

「仰せのままに……。ほんと、最後まで馬鹿だよね? 脳みそまで筋肉しか詰まってないんじゃないの? ははは!」

 

 イスラの振るった剣がギャレオの胸を貫き──。

 

「あばよ副隊長殿! あんたは最後まで無駄に暑苦しくて、ウザいだけの男だったぜぇ!」

 

 ビジュの召喚術による稲妻がその身を貫き、焼く。

 

「ギャレオ……そんな……イヤあああああああああ!」

 

 自らの腹心の死を目に焼き付けたアズリアが絶叫を上げるが、オルドレイクはそれを意に介さずアティに歩み寄る。

 

「まずは『剣』のほうから受け取るとしようか?」

 

「こ、来ないでください!」

 

 オルドレイクから発せられる魔力と威圧感に背筋を震わせる程の恐怖を感じたアティは魔剣を抜き、対抗しようとする。

 しかしそれはオルドレイクを歓喜させただけだった。

 魔剣から放たれる膨大な魔力の波動を心地のいいそよ風のように受けながら、笑みを浮かべてアティとの距離を縮めていく。

 

 やがて恐怖が限界に達し耐えきれなくなったアティは召喚術を行使する。

 

「ワイヴァーン! 『ブラストフレア』!!」

 

 銀色の翼竜が召喚され、その口から火球が放たれる。

 オルドレイクは右手を翳し、『魔抗』と呼ばれる魔力の結界を展開した。

 炎が消えて視界に現れたオルドレイクは──無傷。

 それに驚愕する仲間たちだったが、アルディラは冷静に分析した。

 

「やつの結界が強力なだけじゃない……。相手の身まで案じる優しいアティには、命を奪うような一撃を放てないのよ!」

 

「ふん、興ざめだな……。いくら道具が良くても使い手がこれでは宝の持ち腐れというものよ」

 

 迫るオルドレイクにアティの膝はがくがくと震え、やがて腰が抜けて尻もちをつく。

 

「ひっ!? 来ないで……! 助けて……!」

 

「全く……下らん。これで終いだ」

 

 怯えるアティを見て冷めたような目をするオルドレイクは溜息をつきつつ、手を翳す。

 オルドレイクに魔力が集まり、召喚術を放とうとする。

 

「貴様らの思い通りにさせるものか! 外道どもめ!」

 

 それを阻止したのはアズリアだった。

 アズリアはオルドレイクに切りかかり、その剣はオルドレイクの抜いた剣とぶつかる。

 

「早く逃げろ、アティ。こんな血まみれの戦場に立つのは軍人だけで充分だ。そうだろう?」

 

「帝国の犬如きが、我が野望を邪魔するか……。来い、砂棺の王。『霊王の裁き』!」

 

 オルドレイクの背後に現れたのはそれ自体が棺のような姿をしたサプレスの死霊の王。

 それが錫杖をもった両手を掲げる。

 

「姉さん、そんなやつかばう必要はないよ。そいつは他人を傷つけることで自分が傷つくのが嫌なだけなんだ。綺麗な自分が汚れてしまうのが怖いだけの卑怯者だよ!」

 

「それでも私は……守りたいんだよ。その綺麗なアティの笑顔を……」

 

 砂棺の王の魔力が雷となり、降り注ぐ。

 アズリアは尻もちをついたまま震えるアティを振り返ると笑いかけた。

 

「アティ……。逃げて……生きて、ね……」

 

 そしてアズリアは笑ったまま雷に飲み込まれて──消えていった。

 

「あ……アズリア……。嘘……ですよね? アズリア……アズリアァァアアアア!」

 

 夕闇の墓標は夕日に照らせれ、血に染められ……その名に相応しい朱い墓標となる。

 朱い墓標に響く赤い髪の女の絶叫は丘の向こうにまで聞こえるほどだった。

 顔に冷や汗を流すカイルは必死な形相で叫ぶ。

 

「アティを連れて逃げるぞ……! じゃなきゃあの女隊長の覚悟が無駄になっちまう……!」

 

 顔に冷や汗を流すカイルは必死な形相で叫ぶ。

 

「でも……どうやって逃げるっていうのよ!?」

 

 アルディラの言う通りだった。

 アティは腰が抜けて座り込み、他のメンバーも帝国軍との戦いでの消耗が激しい。

 そして敵は多数で実力も手練れ、消耗もほとんどしていない。

 

「妾が結界で防ぐ……! そのうちに逃げよ!」

 

「ミスミ様……! 殿を務めるおつもりですか? そんなこと認められません! スバル様を残して逝かれるおつもりですか!?」

 

 ミスミが殿を引き受けようとするが、キュウマがそれを即座に却下する。

 

「じゃが……ならばどうしろというのだ……!」

 

 焦りながらも状況を見渡すミスミはあるものに気づく。

 それは丘の向こうから現れた夕日に照らされる黒い影。

 

「嘘……また増援……? これ以上、どうすればいいのよ……」

 

 ソノラもそれに気づき、その表情は絶望に染まる。

 現状ですら逃げられないかもしれないのだ。

 これ以上増えてしまったらどうなるかなど、簡単に想像できる。

 

「……ツェリーヌよ。別働隊を配置していたのか?」

 

 オルドレイクが白いローブの女性、ツェリーヌに問いかける。

 しかしツェリーヌは首を横に振った。

 

「いいえ、あなた。別働隊など配置した覚えはありませんが……」

 

 それを聞いたオルドレイクは注意深く影を見つめる。

 そして影が近づき、皆が気づくことになる。

 その影が人の形をしていないことに。

 四つの脚を忙しなく動かす無数の異形の群れ。

 

「あれは……何だ? なんなのだ……あの数は……」

 

 おびただしい数の異形が迫る。

 そしてその恐ろしさをよく知るビジュとイスラは顔を引き攣らせた。

 未知の勢力として襲撃する側から未知の勢力に襲撃される側へ一転した無色の派閥は応戦を余儀なくされる。

 

「あいつら……! 今だ……! 急げ……! 逃げるんだよ!」

 

 カイルはアティを背負うと突然の乱入者に茫然としていた仲間に指示を飛ばす。

 異形と無色の派閥の戦闘を背に、アティたちは逃げ出したのだった。

 

「(大切なものを守れなかった……私が弱いから……綺麗ごとばかりで夢を見たから……)」

 

 夕暮れに染まる丘を駆けるカイルの背でアティは自身を責める。

 その瞳は……昏く濁っていた。

 

 




楽しい通常ルートは遥か遠くに
特殊ルートはツライけど
明けない夜はきっとないから
ツライの先に幸せな未来があると信じて…!



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微笑ミノ代償

『特殊ルート』
曖昧な呼び方をしてきました
何が特殊なのか?
今話のタイトルを見ればわかりますよね


 夕闇の墓標の戦いから撤退して一夜が明けた。

 アティが自室のベットから身を起こすと、ソノラが顔を覗き込んでいた。

 

「先生……大丈夫? 昨日あんなことがあったから心配で……」

 

 目を伏せるソノラを見てアティの脳裏に昨日の光景が蘇る。

 帝国軍と戦ったこと。

 無色の派閥がやってきたこと。

 帝国軍の兵士たちが虐殺されたこと。

 ──そして、アズリアが殺されたこと。

 

「……アズリア」

 

「あたし、アニキたちに先生が起きたって知らせてくるね!」

 

 顔を伏せて呟くアティを見たソノラは気まずそうに言うと、部屋から出て行った。

 それと入れ替わるようにドアがノックされる。

 扉から顔をのぞかせたのはアルディラだった。

 

「……アティ。話があるの……剣のことについてよ」

 

 アルディラはベッドの端に腰を掛けると話始める。

 

「まず最初に言わせてもらうわ。あなたはこれから先の戦いに加わるべきではない」

 

「えっ……どうしてですか!?」

 

「あなたの持つ魔剣……碧の賢帝は持ち主の怒りや憎しみ……そういった感情を糧に力に増すわ。そしてその感情を苗床にして持ち主を侵食していく。昨日殺された帝国軍の隊長と親交があったあなたが無色の派閥との戦いに加わることはリスクが高いのよ」

 

「私は何もせずに待っていろって……みんなに任せて待っていろって……そういうことですか?」

 

「そういうことよ。もしあなたが魔剣に侵食されて取り込まれてしまったら……遺跡で行われた『継承』の続きと同じ結果が齎されるかもしれない」

 

 無色の派閥との戦いに加わるなら、オルドレイクとの対決は避けられない。

 アズリアを殺した張本人を前にして怒りや憎しみを抱かずにいられるだろうか。

 もしも魔剣に取り込まれてしまえば、アティの人格は上書きされてしまうかもしれない。

 そして遺跡は復活を遂げるだろう。

 

「それに……ベルフラウが立ち直って部屋から出てきたときにあなたが居なくなってしまっていたら、どう思うかしら」

 

「それは……」

 

 部屋に篭ったきりの自分の生徒を想って俯く。

 まだ不安定であろうベルフラウのことは心配だった。

 

「後は私たちに任せなさい。あなたはこの船でベルフラウと待っていればいいのよ」

 

 アルディラはそう言うと部屋から出て行ってしまう。

 アティは俯き、自分がどうするべきか葛藤し始めるのだった。

 

 

 

 ベルフラウとアティを除いたメンバーは集いの泉へと集まっていた。

 アティへの説明と説得を行ったアルディラは報告を始める。

 

「説得はしてきたわ。……納得したかは微妙なところだけどね」

 

「少しの間だけじっとしてもらえれば充分です」

 

「そうね。アタシたちが一仕事終えるまでじっとしてもらえれば充分よ」

 

 ヤードとスカーレルの言葉に皆頷く。

 

「行こうぜ。無色の連中と遺跡をぶっ潰しによ!」

 

 カイルは自分に気合を入れるように拳を打ち鳴らす。

 カイルの言葉を合図に一同は遺跡へと向かうのだった。

 

 

 

 自室で俯き悩み続けていたアティだったが、ようやく結論が出たのか顔を上げる。

 

「やっぱり……みんなにだけ任せてじっと待っているなんて出来ません!」

 

 自分が待っている間に無色の派閥との戦いで仲間たちが傷つくかもしれない。

 そんなのはアティには耐えられない。

 仲間が傷つくのよりも自分が傷ついた方がずっといい。

 それがアティの出した結論だった。

 アティは部屋から出ると、遺跡に向かう前にベルフラウの部屋の前に立ち寄る。

 

「ベルフラウさん。あのね、昨日……アズリアが殺されてしまったんです。島にやってきた無色の派閥という集団に襲われて……。私は無色の派閥と戦いに行きます。もうこれ以上、大切な人を傷つけられる訳には……失う訳にはいかないから!」

 

 相変わらず返事のない扉に向かって『だから待っていてくださいね』と付け加えると、アティは遺跡へと駆け出して行った。

 

 

 

 カーテンが閉められた真っ暗な部屋。

 ベットに腰を掛けていたベルフラウは床に足を付けると立ち上がった。

 

「先……生……」

 

 アティの言葉を聞いていたベルフラウは状況を理解した。

 アティの学友であったアズリアが殺されてしまったこと。

 それはこの島を作った集団、無色の派閥によって行われたこと。

 アティが無色の派閥と戦いに行こうとしていること。

 

「行かなきゃ……!」

 

 きっとあの優しい先生は傷ついている。

 きっと無茶をするだろう。

 みんなを守るために自分を犠牲にするだろう。

 だから自分が先生を助けないといけない。

 ベルフラウは閉ざされていた扉に手をかける。

 開いた扉から光が差し込み、真っ暗だった部屋の中とベルフラウを照らす。

 ポケットの中にあるお守り代わりのサモナイト石の感触を確かめ、ベルフラウは部屋の外へと飛び出していった。

 

 

 

 島の中心部、遺跡前。

 遺跡を手に入れるためにこの島にやってきた無色の派閥は既に遺跡の前へと侵攻していた。

 

「それにしても流石は無色の派閥の精鋭……あの化け物たちを追い払っちまうとは」

 

 無色の派閥に混じってイスラの横を歩いていたビジュは昨日の戦いを思い返していた。

 無色の派閥は召喚師の一派、当然多くの召喚師を抱えている。

 暗殺者たちの攻撃は白い異形たちに効いていないようだったが、どうやら召喚術は効くようでダメージを受けた異形たちは早々に撤退していったのだ。

 

「そこ! 無駄口は慎みなさい! 優秀なのは当然です、オルドレイク様の率いる軍勢なのですから」

 

 ビジュはツェリーヌの叱咤が飛んでくると肩を竦めた。

 

「奴らからは生を……気を感じられなかった。まるで生物ではないかのようにな」

 

「ほう、すると何か? 命を持たぬものたちがダメージを受けて逃げたと? 奇妙なことだ」

 

 ウィゼルの言葉を聞いてオルドレイクが小さく笑う。

 オルドレイクの前に赤いマフラーを巻いた暗殺者が跪くと報告を始めた。

 どうやら遺跡内部、入り口近辺の調査が完了したようだった。

 オルドレイクは機嫌が良さそうに口の端を曲げると遺跡内部へ向けて進行を始めた。

 

「もう少しゆっくりしていってくれよ、おっさん!」

 

 それを止めたのは後方から聞こえたカイルの声。

 

 それに振り向いた無色の派閥が見たのはカイル一家に護人四人とミスミを加えた海賊と島民の混合部隊。

 

「先生の姿が見えないみたいだけど、いいの? 来るまで待っててあげようか?」

 

 イスラが煽るようにいうとヤッファが吼える。

 

「あいつがいなくても、俺たちだけで勝ってやるよ!」

 

「今度は俺たちの手であいつを……あいつの笑顔を守るんだ!」

 

 ヤッファに続いて吼えるカイルの叫びを合図にして戦いが始まった。

 

 

 

 遺跡へと向かうアティの耳に届いたのはイスラの笑い声だった。

 

「あははは! 大口を叩いていたわりにはこんなものかい? 何もできていないじゃないか!」

 

 走るアティの視界の遠方に映ったのは膝を付くものや倒れるものたち──仲間たちだった。

 その顔を悔しげに歪め、無力感に打ちひしがれる仲間たち。

 

「戦術の一つも用意していないなんてね。戦力差を理解しているのかしら?」

 

 マフラーの女がカイルたちを見おろし、冷笑する。

 

「雑魚どもが無駄なことをしただけだ。……砂棺の王」

 

 オルドレイクが召喚したサプレスの死霊王はアズリアを殺した時のように錫杖を掲げる。

 

「……さらばだ! 『霊王の裁き』!」

 

 アズリアの命を奪った雷が今度は仲間たちの命を奪わんと降り注ぐ。

 

「させません!!」

 

 その雷を弾き返したのは抜剣したアティだった。

 

「アティ……来てしまったのね」

 

「ごめんなさい、アルディラ。私にはただ待ってるなんて出来なかった」

 

「剣のほうから来てくれるとは、手間が省ける」

 

 クツクツと嗤うオルドレイクは部下たちに指示を出す。

 魔剣の主を殺して、奪えと。

 

「私はもう大切な人を失いたくない……!」

 

 アティは心の中で剣に呼びかける。

 力を貸してほしいと。

 怒りや憎しみがほしいならいくらでも渡すから、大切な人たちを守らせてほしいと。

 魔剣はそれに答えて輝きを増す。

 アティの中で沸いた怒りや憎しみを力と殺意に変え、アティに流し込む。

 

「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 力と殺意を携え、白い髪を揺らしたアティが駆ける。

 

 

 

 アティが無色の派閥へと突撃するその最中、この場にいなかった人物の叫びが響いた。

 

「先生……!」

 

 姿を現したのはイリの裏切り以来、ずっと閉じこもっていたベルフラウ。

 すこし痩せたように見えるその脚で大地に立っていた。

 

「ベルフラウ……出て来れたんだ」

 

 呟いたソノラと同様に倒れた仲間たちもベルフラウの登場に気づくがその内心は複雑だった。

 部屋の外に出てきてくれたのは嬉しい。

 だがここには来てほしくなかった。

 

 

 

 ベルフラウが目にしたのは倒れる仲間たちと殺意に満ちたアティの姿。

 きっとアティは無色の派閥を殺すつもりだろう。

 二度と大切な人たちを失わないようにするために。

 でもきっと人を殺してしまったら、命を奪ってしまったら。

 ベルフラウの大好きな先生はいなくなってしまう。

 優しい先生はいなくなってしまう。

 先生の笑顔は見られなくなってしまう。

 

 ベルフラウにはアティを止められない、その力がない。

 どうすれば止められるのか、その手段に思考を巡らせて……気が付く。

 ポケットの中にある、大事な絆の証に。

 唯一、アティを止めうる存在に。

 

 対面するのは怖い。

 何かの衝動に駆られ、ベルフラウを裏切った大切な存在が自分の知らないナニカに変わってしまっているのではないかと恐れている。

 でも、それでも。

 ベルフラウ自身がアティに言ったことだった。

『そこで迷っていたら大切なモノをなくしてしまうかもしれない』、と。

 ここで躊躇ったらアティまで失うかもしれない。

 これ以上、大切な存在を失わないために、自分から離れさせないために……ポケットの中にある透明のサモナイト石を掴んだ。

 

「お願い……もう一度だけでいいの! 力を貸して! 先生を助けて……!」

 

 ベルフラウを中心に色のない魔力の嵐が吹き荒れる。

 ベルフラウの中にある繋がりから溢れた魔力がその源だった。

 その魔力に倒れた仲間たちが驚愕に目を剥く中、召喚術が発動する。

 

「来て……イリ! 『爆散セヨ』!!」

 

 現れた白い召喚獣を中心として発生した青い魔力の爆発は無色の派閥を包みこんだ。

 弾ける魔力とその轟音に混じり、ベルフラウの耳によく聞いた声が聞こえた。

 

「ギィイイ……ギシッギシギシ! ギシャシャシャシャ!」

 

 




ラスボスは遅れてやってくる


●イリ
元の力へと近づきつつあるベルフラウの相棒。
ベルフラウ専用召喚獣。

・ユニット召喚

・串刺シノ刑ニ処ス 
単体無属性Cランク術。

・破滅セヨ 
直線範囲無属性Bランク術。

・爆散セヨ 
中範囲無属性Aランク術。

{情報開示}
  ・協力召喚 未開放


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逃レ得ヌ業

 突如齎された爆発はやがて収まり、衝撃が生んだ風を残響のように残すのみとなった。

 魔力の爆発をまともに受けた無色の派閥の軍勢たちは吹き飛ばされ、地面を転がり倒れ伏している。

 オルドレイクやツェリーヌ等、一部の力のある者たちは立ち上がることが出来た様だが、それ以外が立ち上がることはなくほぼ壊滅にも近い状態だった。

 

 無色の派閥に接近していたアティもその衝撃に巻き込まれたのか、元々いた場所から少し離れた地面に叩きつけられ上半身を起こす。

 殺意に染まった意識は痛みと衝撃によって冷め、ようやく変化した状況を把握したようだった。

 

「ベルフラウさん!? それにイリも!?」

 

「ぐっ……馬鹿な……たった一発の召喚術で……」

 

 流石のオルドレイクも受けたダメージは大きかったのか、口の端から血を流しそれを拭う。

 死屍累々とも呼べる惨状を見て目を見張った。

 

「あの小娘……いやあちらの召喚獣か。白い蟲の召喚獣……なるほど。同志イスラよ、あれが貴様の報告にあった……」

 

 オルドレイクはベルフラウへ向けた視線をすぐにイリへと向ける。

 イスラから聞いた報告にあった項目を思い出し、味深そうに笑う。

 近くで伸びているビジュとは違い、イスラは立ち上がることが出来たようでオルドレイクの問いに肯定を返した。

 

「はい。あれが何らかの手段で召喚術を無効化した召喚獣です」

 

「……なるほど。少し試してみるか」

 

 オルドレイクはサプレスの召喚獣を召喚すると、イリへと嗾ける。

 その直後に召喚獣が消えてしまったのを見るとオルドレイクは右手で額を抑え、肩を震わせ始めた。

 そのまま背を少し仰け反らせて開いた口からは笑い声が漏れだした。

 

「ククク……ハハハハハハ! 素晴らしい! 間違いない、あれこそ間違いなく送還術!! 失われた古の秘術!!」

 

 送還術は召喚術の元となり、召喚術の体系に取り込まれる形で消えていった。

 現在ではその技法をもつのは家系の秘伝として伝承するクラストフ家のみである。

 それを扱う召喚獣の存在にオルドレイクは歓喜した。

 

「アレを捕えるぞ! 送還術を我がモノとするのだ!」

 

「ギシシ! 愚カ! 誅殺スル!」

 

 残ったツェリーヌ、ウィゼル、イスラに号令を出すオルドレイクだったがイリに動きがあったことを悟り、咄嗟に魔抗の結界を展開した。

 共界線から吸い上げた魔力によって以前とは桁違いに威力の上がった光が降り注ぎ、結界を揺るがす。

 ガラスに罅が入るような音と共に結界に亀裂が広がっていく。

 

「ぐぅ……送還術だけでなくこれほどの魔力まで備えるとは……」

 

 やがて光と相殺するような形で砕けた結界を見たオルドレイクはイリへの評価を上げ、捕えることが困難であると悟る。

 

「……召喚獣よ、貴様の力は素晴らしい。その強大な力に対してその小娘では不足だろう? どうだ、我の同志とならぬか?」

 

 オルドレイクは捕獲から勧誘へと方針を変え、それを聞いたベルフラウが噛みついた。

 

「なっ!? 何勝手なことを言っているのよ!!」

 

「小娘には聞いていないぞ。貴様の矮小な力では、奴に相応しいモノを与えられまい? 我ならば何でも、望むモノを与えてやる」

 

 それを聞いてベルフラウは言葉に詰まる。

 イリの離反は自身の力不足のせいではないか、イリの望むモノを与えられなかったからではないかと考えてしまう。

 

「ギィイ……。我ノ望ムモノヲ……」

 

「そうだ! このオルドレイク・セルボルトならば唯一、貴様に釣り合うだろう! 我と共に来い! 我が同志となり、我が野望の成就のために……我に従うのだ!」

 

「ギシッ! ギシギシッ! 愚カ! 愚カ! 愚カァ! 我ガ従ウ……? 笑ワセル!」

 

 小さな体を揺らしてイリは嗤う。

 それが可笑しくて仕方が無いように。

 やがて嗤いを止めたイリの目のように見える赤い発行体がその光を強めた。

 

「我ニ従エ! 我ニ全テヲ差シ出セ! 貴様ノ全テヲ喰ラッテヤロウ!」

 

「この狂気……オルドレイクをも超えるか……!」

 

 イリの放った傲慢な言葉と共に発せられた威圧感に背筋に悪感が走り、ウィゼルは狼狽えた。

 

「我に従う気は無いか……なら」

 

「諦めろ、オルドレイク。あれは貴様の器ですら収まらぬ狂気の化生よ」

 

「あなた……流石にこれ以上は……」

 

 剣を構えようとしたオルドレイクはウィゼルによって諌められる。

 見ればツェリーヌはイリの威圧感に当てられたのか、冷や汗を流し足をガクガクと震わせていた。

 部下たちは倒れ、オルドレイクは大きく消耗しツェリーヌはもう限界。

 これ以上は危険、明らかに潮時だった。

 

「……撤退するぞ!」

 

 

 

 正気を取り戻したアティは召喚術で仲間を治療していたようで、仲間たちが立ち上がり始める。

 無色の派閥が撤退していくとイリはベルフラウたちに背を向け、遺跡の奥へと戻るべく遺跡の入り口へと向けふよふよと移動を始めた。

 ベルフラウは大切な相棒へと右手を伸ばし、その背へ声をかけようとするがそれは止まってしまう。

 イリが裏切ったあの時の光景、そしてオルドレイクの言葉がベルフラウの思考にチラつき行動を起こすことを躊躇わせていた。

 迷っている間にも次第に遠ざかっていく視線の先の白い背が揺れるベルフラウの瞳に映り、その姿が歪んでいくとその頬を滴が濡らす。

 ベルフラウは恐れている。

 イリに明確な拒絶の意志を示されるのではないかと考えると怖くてたまらないのだ。

『もしかしたら』を想像して怯え、行動を起こせずにいるベルフラウを見かねたアルディラが震える小さな肩に勇気づけるよう手を触れた。

 

「イリは私たちに重要な何かを隠しているわ」

 

 スクラップ場でのイリの暴走を治めたとき、イリはアルディラの質問には答えなかった。

 イリが語ったのは自身が周りの全てを喰らってきたことのみ。

 だがそれはアルディラの問いである、イリが送還術を扱える理由にはならない。

 アルディラはイリが何かを隠そうとしていることを確信していた。

 

「……でもね、好きでいることにそんなことは関係ないのよ。オルドレイクが言ったこともそう。好きなことにも一緒にいることにも釣り合うとかそんなことは関係ないわ」

 

「あ……」

 

「行きなさい、ベルフラウ。失ってから後悔しても遅いのよ。……私みたいに、ね」

 

「義姉さん……」

 

 アルディラが自嘲するように笑うとファリエルは目を伏せる。

 イリと過ごしたこの島での日々を思い返し自分にとってイリがどんな存在であるか、自分のイリへの想いとはどんなものであるか自身の心に問いかけ、想いを再確認するとベルフラウはイリの後ろ姿を追いかけて駆け出した。

 

 

 

 今までの人生で一番の全力で走るベルフラウはイリに追いつき──再びよぎる一瞬の迷いを想いでねじ伏せるとその背に掴みかかった。

 当然驚愕するとともに振り払おうとするイリだったが、意地でも離すまいとするベルフラウに根負けしたのか動きを止めた。

 ベルフラウはイリの前に回り込むとその顔を見つめる。

 

「ギィイ……何ノツモリダ」

 

「あなたに話があるのよ!」

 

「話? ギシシ! 話ス事等今更アルマイ」

 

「あるの! いいから聞きなさい」

 

 ベルフラウは胸に手を当て、深呼吸をすると己の想いを言葉にし始める。

 

「イリ……私はね。あなたとずっと一緒に居たいの。ずっと傍にいて離れないでほしいの。あなたと別れた後の私は酷いものだったわ……部屋にずっと引きこもって何の気力も湧かなかった。私、情けないことにあなたが居ないともう駄目みたいなのよ」

 

 ベルフラウが語った想いと願い。

 それに返ってきたのは──否定。

 

「……不可能。我ハ他ヲ喰ラウ者……喰ライ続ケル事シカデキヌ。我ハ……イズレ我慢ガ出来ナクナリ、全テヲ喰ライ始メル。故ニ、ズット一緒ニ居ル事等……出来ハシナイノダ」

 

 遺跡の封印を行えば、イリにとってのご馳走とも言える共界線と繋がる設備が利用できなくなる。

 目の前で行われようとする封印を目にしたイリの食欲は暴走を始め、封印を防いだ。

 それどころか暴走した食欲を満たすためにベルフラウたちを人質にとり、設備へと繋がる扉を開くように脅したのだ。

 

 そしていずれまた食欲による暴走を起こすことを予期したイリはベルフラウの元へ戻らなかった。

 それはきっと──喰らいたくない、そう思っていたからだろう。

 

「いつか私を食べてしまうかもしれないってこと? だから一緒にいられないの?」

 

「ソノ通リダ。今ハマダ耐エラレル。ダガ何時カ……我慢デキナクナリ、我ハベルフラウヲ喰ラウダロウ」

 

 今のイリ小さい身体ではベルフラウを喰らうことはできない上、食欲の衝動も大きくはない。

 しかしイリの魔力は過ぎる日々の中で高まり続け──元の力に近づいている。

 何時か復活を果たした時、その力と身体に見合うだけの食欲の衝動が湧いたときそれに耐えられるだろうか。

 

「そんな……そんなのっ我慢してよ!! 我慢しなさいよ!! 我慢すれば一緒に居られるんでしょ!?」

 

「ギィイ!? 論理破綻! 支離滅裂! 貴様ノ言ッテイル事ハ無茶苦茶過ギル! ソノ我慢ガ出来ナイカラ、貴様ヲ喰ラウト言ッテイルノダ!」

 

 ただイリと居たいと願うベルフラウの論理も何もない叫び。

 イリからしたら滅茶苦茶なそれに困惑したイリは駄々をこねる子供に言い聞かせるように再び答えを突きつけた。

 

「だってあなたさっきから我慢出来ない我慢できないってそればっかり! まるっきり子供じゃない!」

 

 だがベルフラウからしたら駄々をこねる子供なのは我慢出来ないとからと繰り返すイリのほうだ。

 

「コ……子供!? 我ヲ否定スル……消去! 消去! 消去ォオ!」

 

 長い時を生きてきたイリは自分より遥かに少ない年月しか生きていない、人間の少女に子供と言われ激昂し消去と口にし始める。

 

「そうやって! すぐに癇癪を起すところが子供なのよ!」

 

「ギィイ……」

 

「あなたは甘えているだけよ。我慢できないから、食べてしまうのはしょうがないって甘えているだけ。楽な方に逃げているだけよ」

 

「……我ガ我慢出来ナクナッタラドウスルツモリダ」

 

「その時は私を食べなさい」

 

「ベルフラウさん!?」

 

 ベルフラウとイリの様子を心配そうに眺めていたアティが思わず声を上げる。

 しかしベルフラウはそれに構わずイリから目を逸らさなかった。

 

「真っ先に私を食べなさい! 他のみんなには手を出さないで!」

 

「ギィイ……ナルホド。自分ノ命ヲ担保ニスルカ……」

 

 イリが我慢できなくなり、食欲の衝動に従ったときに危険にさらされるのはベルフラウだけではない。

 イリといることを周りに認めさせるために、自分自身の命を担保にしたのだ。

 

「シカシ何故ダ? 何故命ヲ賭ケテマデ我ト居ル事ヲ望ム……?」

 

「そんなの……好きだからよ! 自分の命を賭けてもいい、それくらい好きなの!」

 

「……貴様ハドウカシテイル。ダガ……嫌イデハナイ」

 

 イリが本当にベルフラウを嫌い、もしくはどうでもいいと考えていたならば……土壇場になって衝動的に裏切ったりなどしていない。

 アティたちが遺跡の封印をすることを決めた時点で、イリの操る兵隊たちを使って妨害すればいい。

 それをしなかったのはベルフラウを裏切りたくないと思っていたからに他ならない。

 スクラップ場の一件以来、密かに自覚してきた感情。

 嫌いなわけでもなく、興味が無いわけでもなく……好意を抱いていたのだ。

 

「……嫌いではないなんて、そんな言い方じゃだめよ……ちゃんと好きって言って」

 

「………………好キダ」

 

「私もよ! 私も大好き!」

 

 イリの言い方に不満があったらしいベルフラウの催促に長い沈黙の後、イリが応える。

 それを聞いたベルフラウは嬉し涙を流しながら勢いよくイリを抱きしめるのだった。

 

 

 

 ベルフラウがおんおんと泣きながらイリに顔を擦り付けはじめると、それを見た大人たちは安堵の溜息をついていた。

 

「どうやら丸く収まったようじゃな」

 

 イリを一番警戒していたミスミはいつでもベルフラウを助けられるように構えていたが、ほっと溜息をつくとその構えを解く。

 スバルという子を持つ身のミスミとしてはベルフラウがどうなるか気が気でなかった。

 

「ベルフラウ……あの年であそこまで……」

 

「あれほどの決意を見せられると我々は何も言えませんね」

 

 まだ幼い身で命を賭けると啖呵をきったベルフラウ。

 ファリエルはその度胸に驚き、キュウマは目を閉じてその決意を認めていた。

 

「さっきの戦い、イリに不甲斐無い俺らの尻拭いをさせちまったわけだしな。借りが出来ちまった」

 

「私たちは護人よ。島の子供の未来を見守るのも私たちの役目じゃない?」

 

 アルディラの言葉にファリエルとキュウマ、ヤッファが頷く。

 ベルフラウのほうを見ればアティとカイル一家たちに囲まれているようだった。

 護人たちもその輪に加わるべく歩き出した。

 

 

 

 やがて海賊船へと帰ったベルフラウはイリとアティとともに海賊船近くの砂浜に腰を掛けていた。

 夜の海を満月が照らし、海面には満月が映り込む。

 それを見ながらベルフラウとアティは言葉を交わしていた。

 

「本当に良かったですね、ベルフラウさん。イリが帰ってきて」

 

「ええ、本当によかったわ。……先生のこともね」

 

「えっ」

 

 強い口調で言われた後半の言葉にアティが固まる。

 

「聞いたわ。また随分と無茶をしてくれたそうじゃない?」

 

「え、えっとそれは……あははは……」

 

 怒りを滲ませたベルフラウにアティが笑って誤魔化そうとするが、余計に怒りを煽っただけだったようだ。

 

「聞き分けのない悪い大人にはお仕置きが必要じゃないかしら?」

 

「許してくださいー!」

 

 逃げ出したアティとそれを追いかけるベルフラウが夜の砂浜を駆けまわる。

 その二人の姿をイリは何も言わず、ただ見守っていた。

 

 




特殊ルートのツライところはイリを喚ばなかった場合、原作カルマエンドを迎えてアティを失い、イリとも離別したまま。
つまりアティとイリの両方を失うことになるわけです。


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4.巨影
砕ケユクモノ


 長い夜はやがて明け、昇った朝日が海賊船を照らす。

 カイル一家の海賊船はいつも通りの朝を迎えていた。

 ベルフラウが立ち直り、イリが帰ったことでようやくいつも通りの日常に戻ったのだ。

 心なしか雰囲気が明るくなったような海賊船に明るく元気な声が響く。

 

「おはよう!」

 

 その挨拶とともに明るい笑顔を浮かべて食堂の扉を開いたのはベルフラウだ。

 イリを抱え、金色の髪を揺らしながらテーブルの前に並べられた椅子まで歩くとイリを抱えたままそのうちの一つに腰を下ろした。

 何が楽しいのか、ベルフラウは床から浮いた足をパタパタと動かし何やらご機嫌な様子だ。

 

「ベルフラウが元気になったのはいいんだけどさ……顔、ニヤケすぎ」

 

 ソノラの指摘通り、ベルフラウの表情はだらしなく緩みきっていた。

 閉じこもりふさぎ込んでいたがベルフラウ元気になり、部屋から出てきてくれたことは素直に嬉しい。

 だが一人の女の子としてはベルフラウの表情に思うところがあるのか、ソノラの目は複雑そうだ。

 

「そうねぇ……。乙女としてはどうなのよ、とは思うわ。両想いになったんだから嬉しいのは解るんだケド」

 

 両想いという表現が正しいのかはさて置き、スカーレルもある程度の理解は示しつつもソノラに同意していた。

 

「イリが好きって……イリが好きって……ふふふ」

 

 当の本人は自身に向けられる視線も話題も気にしていないようで、相変わらず緩ませた口元から今度は何事か呟き始めた。

 その腕に抱かれるイリの目にも見える発光体に光はない。

 ベルフラウは一晩中こんな様子で、耳元で『イリは私が好き』と囁き続けられたイリは既に考えることを止めていた。

 ベルフラウとイリの様子を見てだいたいの事情を察したのか、カイルとヤードは心の中でイリへ黙祷を捧げる。

 海賊たちがベルフラウの家庭教師がニヤケながら呟く彼女を止めてくれることを切に願っているとそれが届いたのか、食堂の扉が金具の軋む音を立てて開いていく。

 

「おはようございます!」

 

 その優しげな声が食堂に広がるとアティにベルフラウ以外の視線が集まる。

 食堂内を見渡し、自身に集まった視線に気づくとアティは首を傾げた。

 

「どうしたんですか? なにかあったんですか?」

 

 その問いに答えてカイルたちの視線はベルフラウに向けられる。

 無言での『どうにかしろ』という訴えはアティに届いたのだろうか。

 自分の次に向けられた視線の先がベルフラウであることに気が付いたアティはその傍まで近づいていく。

 

「おはようございます、ベルフラウさん」

 

「イリが好きって言ってくれた……うふふ、私も好きよ」

 

 挨拶に返ってきたのは頓珍漢な返し。

 それに困ったように笑ったアティが優しく注意する──と海賊たちは予想していた。

 だがアティが浮かべたのは困ったような笑みではなく──嬉しそうな笑み。

 

「よかったですね、本当に。ベルフラウさんの想いがイリに届いたんですよ!」

 

「そうよ、そうよね! 私の想いが届いたのよ!!」

 

 ばっと顔を上げてアティを見上げたベルフラウは興奮したような声色で今度はちゃんと返事を返す。

 アティはベルフラウの隣の椅子に座るとそのままベルフラウと談笑を始めた。

 ベルフラウを止めるどころか自分も仲間に入った女教師にジト目が突き刺さる。

 もはやブレーキをかけるものはいない。

 女二人のきゃいきゃい話す声が諦めて朝食を食べ始めたカイル一家の耳に聞こえていた。

 

 

 

 カイルたちが食事を終えて出ていってから少しすると話題は別の物に変わっていた。

 

「先生……ごめんなさい。ずっと閉じこもって……心配かけたわよね」

 

「いいんですよ、ちゃんと立ち直って出てきてくれたじゃないですか。それにね、実は私にも閉じこもっていた時期があったんですよ」

 

「え? 先生にも?」

 

「軍を辞めた時に、落ち込んで引きこもっていたんですよ。その時にベルフラウさんのお父様から手紙が届いて誘われたんです。娘の家庭教師になってくれないかってね」

 

「それで私の家庭教師に……。そういえば、先生はどうして軍を辞めたの? お父様は軍人時代のあなたを大層褒めていたけれど」

 

「……場所を変えましょうか」

 

 アティに誘われて、ベルフラウは場所を変えるために食堂を出ることとなった。

 アティの後ろに着いていくベルフラウがたどり着いたのは見覚えのある浜辺。

 ベルフラウがイリと出会った場所であり、初めてアティが魔剣を使用した場所でもある。

 ベルフラウとイリ、アティの三者にとっての始まりの場所。

 浜辺に座ったアティは右手で砂を叩き、ベルフラウに隣へ座るように促す。

 ベルフラウが砂浜に腰を下ろして、イリを右側に置いたのを確認したアティは語り始めた。

 

「帝国軍の任務で旧王国の諜報員を捜索していた私はついに諜報員を発見して追い詰めました。でもその諜報員に命乞いをされて、見逃したんです」

 

「先生らしいといえばらしいですわね」

 

「でも逃げた諜報員は召喚鉄道を乗っ取って乗客を人質に取ったんです。……その乗客の中の一人がベルフラウさんのお父様でした」

 

「なっ……!?」

 

「その後はお父様から聞いたかもしれませんね。私は無我夢中で戦って人質を解放しました」

 

 ベルフラウはアティの話を聞いて唖然としているようだった。

 それも無理のない話だろう。

 ベルフラウが父親から聞いたのは最後の部分のみ。

 父親は自身を助けた勇気ある軍人を大層気に入り、その軍人の武勇伝を娘に話して聞かせたのだ。

 何故なら、アティに助けられた当の本人も事の真相を知らないからだ。

 軍部は真相を隠し、アティを英雄に祀り上げることを選んでいたのだ。

 

「……お父様は本当に感謝していたわ。自分が生きているのは先生のお蔭だって。……私にとってはそれが真実ですわ」

 

「ベルフラウさん……」

 

 ベルフラウが目を閉じて自分が出した答えを告げる。

 アティは失敗したかもしれないが、責任をもってそれを取り返してみせた。

 ベルフラウにとってはそれで充分で、アティを責める言葉など無かった。

 

「ギィイ……」

 

「あら、ようやくお目覚めなの? お寝坊さんね」

 

 しばしの沈黙の後、イリが意識を取り戻したのか身じろぎを始める。

 光の灯った赤い発光体はジト目で見るかのようにベルフラウへと向けられていた。

 

「私……本当はわかっているんです。自分が甘いって……。今回失敗したらきっと取り返しがつきません。オルドレイクやイスラたちを放っておけば、多くの島の人たちが犠牲になると思います」

 

「……先生」

 

「だから……今度こそ、全力で戦います。……安心して、前みたいなことはしないようにするから……」

 

 言い終わって立ち上がったアティをベルフラウは不安げに見つめる。

 アティはベルフラウを安心させるように微笑むと船のある方向へ歩き始めた。

 ベルフラウにはアティの心がその足で踏みしめる砂のように脆く、儚いものに思えてしまう。

 

「……本当に……それでいいの……?」

 

「ギィイ……?」

 

「イリ……私、不安なのよ。なんだか……先生が壊れてしまいそうで……」

 

 

 

 岩槍の断壁。

 そこはその名の通り、槍のように尖ったような形をした崖だ。

 崖に打ち付けられた波が激しく音を立て、飛沫が舞う。

 イスラは無色の派閥の兵を引き連れて崖の傍を歩いていた。

 

「なぁ……本当に独断で兵を動かしても良かったのか?」

 

 先頭を歩くイスラに不安げに聞いたのはビジュだ。

 ビジュの言う通り、イスラはオルドレイクの許可をとらずに勝手に兵を引き連れていたのだ。

 イスラはそれをもっともらしい言い訳で誤魔化し、ビジュを言いくるめると近づく一人の気配に気が付いたのか後ろを振り向いた。

 

「オルドレイクに頼まれたのだよ。結末を見届けろ、とな。封印の剣同士の激突には剣士としても鍛冶師としても興味がある……見物させてもらうぞ」

 

 どうやらイスラの独断行動はオルドレイクに気付かれていたようだった。

 それを知った上でウィゼルというお目付け役を寄越し、イスラの勝手な行動自体には目を瞑るようだった。

 ──勿論、結果を出せればという前提は付くが。

 

「イスラ!」

 

 アティの姿と声が聞こえるとイスラは深い笑みを浮かべる。

 まさか自分のほうから出向いてくれるとは思わず、思わぬ僥倖に嗤い声を上げた。

 

「あははは! 自分から出向いてくれるとはね! 村を襲う手間が省けたよ!」

 

「……前口上はいりません。決着をつけましょう!」

 

「へえ……。覚悟が出来たんだ? それなら……僕も本気を出そうか!」

 

 イスラの挑発をばっさりと切り捨てたアティの目に浮かぶ覚悟。

 それを悟ったイスラは隠し持っていた切り札を切る。

 イスラが紅い光に包まれたかと思うと、その手には血のように紅く光る剣が握られていた。

 

「まさか……あの魔力……!?」

 

「間違いありません……もう一本の魔剣、紅の暴君<キルスレス>!!」

 

 驚愕に目を見開いたアルディラの言葉を継いだのは無色の派閥から剣を持ち出した本人であるヤード。

 ようやく判明したもう一本の在処にベルフラウたちが驚くが、もう片割れの魔剣の持ち主であるアティは真剣な眼差しで構えた。

 

「そんなの……! 関係ありません! あなたが何を持ち出そうとも、私は負けませんから!」

 

「ははは! そうこなくっちゃ! さあ、僕を殺しに来いよ! アティ!」

 

 帝国軍の船で別れた二本の魔剣。

 再会した碧と紅の魔剣が激突する。

 

 

 

 魔剣の適格者同士が戦いを始めると、傍観に徹するつもりのウィゼルを除いた者たちが戦いに向けて動き始める。

 

「ヒヒヒ……こっちも決着をつけようぜぇ、ガキぃ」

 

 ベルフラウとイリの目の前に現れたのは二人に何度も辛酸を舐めさせられたビジュだ。

 投具・ジョーカースローを構えて見せつけるように舌なめずりをしてみせる

 ビジュは殺意を込めた目でベルフラウを睨むが、ベルフラウは狼狽えない。

 ベルフラウが短弓をとりだすとビジュはほう、と声を漏らした。

 

「弓ねぇ……。いいじゃねェか! 遠距離武器対決と行こうぜェ!」

 

 そう言い終わる前にビジュが鋭い針を投擲する。

 それは咄嗟に避けようとしたベルフラウの左肩に突き刺さり、ベルフラウは痛みに顔を顰める。

 痛みに耐えながらもベルフラウは弓を引き絞り、矢を放つ。

 ビジュの足元へと向かっていく矢にビジュはせせら笑った。

 

「おいおい、どこを狙って……」

 

 だがその言葉は続かない。

 ビジュの足元に着弾した矢が魔力の爆発を起こしたのだ。

 魔力を武器に込めて攻撃する『マジックアタック』。

 武器を扱う希有な召喚師が使うとされるそれを使用し、矢に魔力を込めたベルフラウが狙ったのは矢そのものによる点攻撃ではなく、魔力の爆発による面攻撃。

 矢による直撃ほど威力はないが、攻撃が面である分命中はしやすい。

 魔力の爆発がビジュの脚にダメージを与えて動きを止める。

 大きなダメージが無くとも、動きを止めれば充分だった。

 ──何故なら、ベルフラウは一人ではないのだから。

 

「ギシギシッ! 誅殺!!」

 

 何時かのようにビジュの頭上から現れた魔力の閃光が、何時かの時よりも増した威力をもって降り注ぐ。

 

「クソッ……! クソがぁああああああああ!」

 

 迫る一条の光を見上げ、叫ぶビジュは光に貫かれる。

 怨嗟の残響が風にのって海へと運ばれていった。

 

 

 

 碧の賢帝と紅の暴君が何度もぶつかり合う。

 繰り返し振るわれる二本の魔剣は激突する毎に辺りに衝撃を生むため、他の者は近づけずにいた。

 

「はあっ!」

 

「ぐぅっ……!?」

 

 イスラの隙をうまく突くように振るわれたアティの剣がイスラを追い詰めていく。

 最初は互角かに思われた両者だったが次第に素の技量の差が表れてきていた。

 帝国軍学校の首席とは伊達で成れるものではない。

 帝国軍の名門であるレヴィノス家の長女であり、イスラの姉でもあるアズリアを差し置いて主席となったアティの技量はイスラを上回っていた。

 やがてイスラはアティの攻めに対応するのに手一杯になっていく。

 切り札を切っておいてこの様。

 自身の無様さを自覚したイスラが吼える。

 

「なめるなぁっ!」

 

「隙だらけですよ!」

 

 冷静さを失ったイスラの一撃を軽やかに躱したアティの一撃はイスラに直撃する。

 口から唾を舞わせながら吹き飛んだイスラはゴツゴツとした地面を転がっていく。

 

「ははは……君もその気になれば出来るじゃないか……」

 

 上半身を起こし、痛みが走る体に顔を顰めたイスラは乾いた嗤い声を上げる。

 その前に立ち、イスラを見下ろすアティは魔剣をイスラの鼻先に突きつける。

 

「勝負ありましたね」

 

「君の勝ちだ……でもね、継承した者を殺さない限り魔剣は持ち主から離れないんだ。みんなの笑顔を守るために……僕を殺して剣を奪ってみせなよ!」

 

 アティはイスラに突きつけた魔剣でイスラの首を刎ねなければならない。

 そうしなければ魔剣の適格者という脅威が再びこの島を脅かすことだろう。

 

 だが──出来ない。

 アズリアを殺したオルドレイクには怒りと憎しみを抱くことが出来た。

 だがイスラには誰かを奪われた訳ではない。

 アティの心から怒りや憎しみが湧かない。

 怒りや憎しみがなければ魔剣から殺意が流れてくることはなく──魔剣から与えられる殺意がなければ、アティに人を殺すことなど出来なかった。

 

「……出来ません。私には誰かの命を奪うなんて……」

 

「馬鹿だね……! 君は!」

 

 迷い、揺らいだアティの心の剣をイスラの剣が打ち付ける。

 アティの心に呼応して脆くなった碧の賢帝に次第に亀裂が入っていき──。

 ──アティの心と共にガラスの様に砕け散った。

 

 

 

 碧の賢帝が砕けると共にアティの髪は白から赤へと戻っていく。

 ビジュとの戦いを終えてアティへと目を向けたベルフラウにはその光景がとてもスローに感じられた。

 碧の破片が辺りに飛び散り、太陽の光を受けてキラキラと光る。

 

「あ……? あああああああああっ!? うああああああああああっ!」

 

 封印の魔剣とは心の刃だ。

 それを砕かれるとは即ち、心を砕かれるのと同義。

 心を砕かれたアティは虚ろな瞳で赤子のように泣き出してしまった。

 

「嘘……だろ……剣が砕けちまった」

 

 大の大人であるアティが赤子の様に泣きわめくその光景は異様。

 狼狽えるカイルたちは呆けたようにその光景を見るしかなかった。

 動けない仲間たちを置いてベルフラウは駆け出す。

 自身の教師のあんな姿は見ていられなかった。

 だから──自分が止めるのだ。

 先生を泣かして嗤い声を上げるあの男を。

 

「あはは! お似合いだよ! 赤ん坊みたいに泣いてさ! でもそんなんじゃ先生として恥ずかしいよね……? 楽にしてあげるよ!」

 

「『串刺シノ刑ニ処ス』!」

 

 アティに止めを刺そうとするイスラだったが、感じた召喚術の気配に咄嗟に後ろへと飛び退く。

 アティとイスラの間に現れた巨大な爪のようなものが消えると、アティを庇うようにベルフラウとイリがイスラの前に割り込んだ。

 

「行くわよイリ! 私たちが先生を守るの!」

 

「ギィイ!」

 

「へぇ……君たちか。生徒に守られるなんて、本当に情けない先生だね! あはは!」

 

 生徒に庇われて後ろで泣きわめくアティを見て、イスラは嘲笑を浮かべる。

 教師失格なその姿が滑稽で仕方なかった。

 

「確かに先生は情けないわ。生徒の私に叱られるし、人の心配も知らないで無茶ばっかりするもの。それでも……私はそんな先生が好きなのよ! 私の大好きな先生を泣かせたあなたを、私は許さない!」

 

「言うねぇ……! それじゃあ……君を殺して先生をもっと泣かせてあげようか!」

 

 イスラは紅の暴君を構えてベルフラウへと振り下ろすべく飛び出そうとした。

 しかしその位置は動かず、身体も振り下ろそうとした体勢から動かなかった。

 

「……動ケマイ」

 

 イスラの動きを封じていたのは遺跡でベルフラウたちを動けなくしたものと同一のもの。

 魔力の糸がイスラの身体を縛り動きを封じていたのだ。

 

「なっ……体が!?」

 

 自由が利かなくなった体に驚愕するイスラの目の前でベルフラウが目を閉じて集中し、魔力が集まっていく。

 それと同時にイリの口元にも魔力の粒が集まり、小さな球体を形成していた。

 

「クソッ! 動け! 動けよ!」

 

 イスラは糸から抜け出そうともがくが、ビクともしないその糸は余計にきつくイスラを締め上げる。

 

「ギシッ! ギシギシ! モガケ! 苦シメ!」

 

 イスラの無駄な足掻きを嗤うイリの口元にある魔力の球は次第に大きくなっていく。

 もがき続けるイスラは一回りずつ大きくなっていく球を見て顔を引き攣らせた。

 

「ひっ!? 嘘だろっ!? 動けよぉ! 逃げれない……ひっひぃい」

 

 歪んだ笑顔であるかのように口の端を引き攣らせたイスラは自身の末路を悟った。

 やがて球がイリの顔程の大きさになるとベルフラウは目を見開いた。

 

「受けて見なさい!! 『破滅セヨ』!!」

 

 眼の端から涙を零し、顔を引き攣らせたままイスラは力の奔流に呑まれた。

 

 

 

 イリの放ったビームが消え去ると、ベルフラウの視界に倒れ伏したイスラが見えた。

 放った召喚術の疲れと安堵から溜息をついたベルフラウは後ろを振り向き、泣きわめくアティに近づいていく。

 

「……先生」

 

「ごふぅ……ごあっ……。ぐあああっ……ちく……畜生……」

 

 後ろから聞こえたのは血を吐く音。

 後ろを振り向いたベルフラウが見たのは口から血を吐き、身体からも血を流し息も絶え絶えな様子のイスラだった。

 剣による治癒力で無理やり立ち上がったイスラはベルフラウとイリを恐怖に染まった瞳で見つめる。

 

「なんなんだよお前たち……。正統な適格者である僕にはもう敵はいないはずなのに……」

 

 二人の魔剣の適格者の内一人は剣を砕かれた。

 唯一の適格者となったイスラにはもはや敵となり得るものはいない──はずだった。

 それなのに自信を一方的に叩きのめした者が存在する。

 イスラには幼い少女ベルフラウとその護衛獣イリがとても恐ろしい存在に思えてしまう。

 ベルフラウが強い意志の篭った眼差しで怯えるイスラの瞳を見つめるとイスラは悲鳴を漏らして転びそうによろけながらも森の中へと逃げ出していった。

 

 

 

 その結末を見届けたウィゼルは無色の兵士たちを連れて撤退し、残ったのは泣きわめくアティとベルフラウたちのみ。

 魔剣が砕けるなど誰も予想していない事態だった。

 仲間たちはこの事態にどうすればいいのか分からず立ち尽くすのみ。

 

「先生……」

 

「ギィイ……」

 

 ベルフラウはアティに近づくが自分が何をするべきか全くわからない。

 今のベルフラウに出来るのは心を壊されたアティをただ抱きしめることだけだった。

 

 

 

 

 

 




・name ベルフラウ
 class おてんば繭姫

ベルフラウはMAT型ビルド。
無属性で高威力な召喚術(イリ)があるためMATを伸ばしています。
マジックアタックも習得済み。


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一ツノ答エ

 赤ん坊のように泣き続けたアティはやがて泣き疲れたのか眠りだしてしまう。

 ベルフラウの膝に頭を乗せて眠るアティの頬には涙の跡が太陽に反射してキラリと光る筋を作っている。

 砕けてしまった魔剣とアティの心をどうすれば直せるのかは分からない。

 だがこのままここで途方に暮れているわけにもいかなかった。

 アティを自分たちの拠点である海賊船へと運び、ベッドに横たえる。

 アティを背負って運んでくれたカイルにベルフラウがお礼を言うとカイルは気落ちした様子で出て行ってしまう。

 カイルは……いや、他の誰もがアティに無理をさせてしまったのではないかと後悔しているようだった。

 

「先生、泣いてたわ。全く、情けないわね……」

 

「ギィイ……」

 

「……情けないのは私よ。戦いが嫌いな先生がみんなのために戦って……誰かを傷つけるなんて無理だってわかっていたのに、止められなかった……」

 

「……」

 

「きっと、止めれられるとしたら私だった。先生を一番近くで見てきた私だった……」

 

 表情に後悔の念を滲ませるベルフラウは扉へ向かい、手をかける。

 一度だけ後ろをふり返り、眠る赤子の様なアティの寝顔を僅かに眺めるとベルフラウはイリを連れて部屋から出て行った。

 

 

 

 あれから三日経ってもアティは部屋から出てこなかった。

 生徒であるベルフラウに続き、閉じこもった教師はどうやらこれはまたベルフラウと同じように飲まず食わずの様子で仲間は大層心配した様子だった。

 無理やりにでも食事を食べさせるべきだとカイルは主張するが、そっとしておくべきだと言うスカーレル、そしてこの局面を今の戦力でどう乗り越えるかが重要だと言うファリエルで意見が割れ、口論が始まってしまう。

 だがその口論は静観しつつ、何かを探して辺りを見渡していたヤードの言葉で中断されることになった。

 

「さっきから気になっていたのですが……ベルフラウが見当たりませんね」

 

 傍にいるのならば口論に口を挟むであろうベルフラウの不在に気付いたヤードは先ほどから幼い少女の姿を探していたようだった。

 

「イリもいねぇな……」

 

「あの二人だったらきっと一緒に居るよ! ベルフラウがイリを離す筈がないし」

 

「フレイズに捜索をお願いしておきますね。彼なら空から探せますから!」

 

 一同はベルフラウとイリの捜索のために動き始める。

 無色の派閥がいるこの島での単独行動は命の危険にも繋がるのだ。

 早急な発見が必要だった。

 

 

 

 ベルフラウは早朝の森の中を歩いていた。

 その前を浮遊し先導しているのは彼女の護衛獣、イリだった。

 

「もう……! どこに行くって言うのよ!?」

 

「タダツイテ来レバイイ」

 

 イリについてくるように言われ、ベルフラウは目的地も知らずにイリと二人森の中を進む。

 やがて森が開け、ベルフラウの視界に見えたのは岩槍の断壁──アティの剣が砕けた場所だった。

 アティの剣と心が砕けたその瞬間を見たベルフラウとしてはあまり来たい場所ではない。

 

「ここは……ここに何の用があるのよ……?」

 

 あの光景が半ばトラウマとなっているのか、ベルフラウは不機嫌な様子。

 

「ギィイ……。壊レタモノハ直セバイイ。壊レタモノヲ直スノニハ……部品ガ必要ダ」

 

 アティの剣のことを言っているのだろう。

 イリの言う部品……砕けて辺りに散らばった魔剣の欠片が太陽の光を受けて光っていた。

 

「そうよね……。直す方法は分からないけど、この欠片が無いときっと先生の剣は……心は直せない」

 

 イリの言葉に頷いたベルフラウは魔剣の破片を拾い始める。

 自身の教師の笑顔を再び取り戻すために。

 

 

 

 アティの部屋に訪れたソノラが語ったのは、ベルフラウがいなくなったということだった。

 それをアティに伝え、自身も捜索のために海賊船を出て行ったソノラを虚ろな目で見送るとアティは立ち上がり始める。

 自分の生徒だから探しにいかないといけない、半ば義務感のようなそれに動かされアティはベルフラウ捜索のためにフラフラとした足取りで外に出ていくのだった。

 

 風雷の郷で老人ゲンジに叱咤されて教師としての在り方を解かれ、ユクレス村ではフラついた様子を見かねたジャキーニに果物をもらい、少し気力が湧いたアティがたどり着いたのは岩槍の断壁だった。

 そこに自然と足が向いたのは壊れた心が失った部分を求めたからだろうか。

 

 ベルフラウがこんなところに居るわけがないと思いながらも辺りを見渡すアティの視界に入ったのはしゃがむベルフラウの後ろ姿。

 崖の端ぎりぎりのところでしゃがみ、崖の下に手を伸ばそうとするベルフラウは断壁に引っかかっている何かを取ろうとしていた。

 幼いベルフラウの腕は短く、もう少しのところで届かない。

 その少しの距離を埋めようとして体を乗り出し──バランスを崩した。

 

「ベルフラウさん!?」

 

 バランスを崩し、前のめりに崖から落ちたベルフラウはアティの視界から消え、思わず悲鳴をあげたアティは崖に駆け寄っていく。

 アティが顔を青くしていると何かが崖に遮られた視界の向こうから現れた。

 ベルフラウが消えた崖から姿を現したのは浮遊し、上昇してきたイリと服の背中部分をイリに咥えられたベルフラウだった。

 

 顔を青くしたアティは安堵の溜息をつくが、教師としては叱らないわけにはいかない。

 

「どうしてあんな危ないことをしたんですか!? あんな高いところから落ちたら死んでいたかもしれないんですよ!?」

 

「これよ……。これを拾おうとしていたの」

 

 ベルフラウが差し出した手の平の上にあるのは碧の欠片。

 

「これは……砕け散った碧の賢帝の欠片……」

 

「剣を元通りに出来れば、先生の心も元に戻ると思って集めてたのよ」

 

「私の……ために?」

 

「あんなあなたを見るのはもう嫌なのよ! あなたは私の先生でしょう!? あんな情けないままでいるなんて、許さないんだから!」

 

 涙を浮かべて訴えるベルフラウにアティは気づかされる。

 弱い自分が剣を砕けたことを理由に逃げていただけだったのだと。

 アズリアを失ったこと、戦わなければならないこと、それらの現実から目を伏せていただけだったのだと。

 ベルフラウのしてくれたことが、ベルフラウのくれた言葉が、こんなにも嬉しく感じられるのだから──自分の心は折れてなどいないと。

 

「約束します、もう負けません。誰にも、自分自身にも」

 

 

 

 約束をすると地面に膝を付けて、ベルフラウの小さな身体を抱きしめたアティだったが、ベルフラウの頭を一回撫でて立ち上がる。

 

「剣の破片を直そうなんて、よく思いつきましたね」

 

「実はイリの案なのよ。壊れたモノを直すために部品を集めなきゃいけないって」

 

「そうなんですか?」

 

 それが意外だったのか、少し驚いた表情のアティがイリに問いかけるとイリは頷きで返す。

 

「ギィイ」

 

「それで、集めた破片はどうやって直すつもりだったんですか?」

 

「えっとそれは」

 

「……我ガ復活サエスレバ──」

 

「──その魔剣の欠片を渡してもらおうか?」

 

 イリの言葉を途中で遮った声は低い男の声。

 驚いたベルフラウたちの前に現れたのはオルドレイクと行動を共にしていた剣士、ウィゼルだった。

 着物と呼ばれるシルターン風の服を海風ではためかせ、鞘に納刀された武器の柄に手を翳しているその男はその目から独特の圧力を発しながらベルフラウたちに近づいてくる。

 

「砕けたとはいえ、魔剣だ。何か使い道もあるだろう」

 

 ベルフラウとアティはウィゼルの眼力に負けず、確固たる意志を持ってウィゼルを睨め返す。

 ウィゼルは二人の目から何かを感じたのかほう、と感心したように息を吐いた。

 

「剣が砕けてもなお、立ち上がったのか。心が砕けてはそう簡単には立ち直れまい。それを成したのはそこの小娘か」

 

「……ええ、この子のおかげで私は立ち上がれました。私はもう負けません! 自分にも、イスラにも……あなたたち、無色の派閥にも……!」

 

 ウィゼルの問いにアティは肯定で返す。

 自分の自慢の生徒のお蔭で自分は立ち直れたのだと、もう絶対に負けないのだと。

 それを聞いたウィゼルは口元を緩め──面白そうに笑った。

 

「心が折れても立ち上がった魔剣の主に、狂気の化生の主か……。面白い……久しぶりに面白い素材に出会うことが出来た」

 

 笑い始めたウィゼルにベルフラウとアティはきょとんと目をぱちくりとさせる。

 立ち込めていた緊張感はいつの間にか霧散し、笑うウィゼルを見てベルフラウとアティは気が抜けたようだった。

 

「その砕けた剣、俺が修復してやってもよい」

 

「でもあなたは無色の派閥の一員なんですよね? 敵の私にどうして……」

 

 アティの疑問は尤もだ。

 オルドレイクと行動を共にするウィゼルは立場で言えばベルフラウやアティたちの敵であると言える。

 その疑問にウィゼルは機嫌を損ねた様子もなく答える。

 

「何か勘違いをしているようだが、俺は無色の派閥の徒でもなければオルドレイクの部下でもない。奴らの言う新世界など俺にはどうでもよいのだ。俺の望みは使い手の意志を体現する最強の武器を作り上げること」

 

 そして武器を使うべき強い意志を持つ使い手としてウィゼルが選んだのはオルドレイクだった。

 彼の狂気を武器に込めるためにウィゼルはオルドレイクと行動を共にしてきた。

 だがウィゼルは狂気への興味と同時に見たくなったのだ。

 狂気に立ち向かおうとする二人の意志が狂気に勝てるのか、その結果を。

 

「あなたに剣の修復をおねがいします。私はもう負けたくないから、そのための力を……」

 

「任されよう。俺もお前の意志に相応しい腕を振るってやる。……ついてこい」

 

 そう言って自分の後についてくるよう促すとすぐにウィゼルは歩き始めてしまう。

 ベルフラウとアティは顔を見合わせ、そのあと慌ててウィゼルの後ろを追いかけるのだった。

 

 

 

 ウィゼルの後ろを追いかけるベルフラウたちだったがウィゼルが足を止めたのを見て安堵する。

 ウィゼルの目の前にあるのは赤い外壁のシルターン風の建物──メイメイさんの店、そこがウィゼルの目的地だったようだ。

 

「……あらあら、これはまた珍しいお客さんねぇ。キシシシ」

 

 遠慮なく扉を開けたウィゼルを出迎えたのは店主メイメイ。

 相変わらず酔ったように顔を赤らめるメイメイの手には酒瓶が握られていた。

 

「む……? 店主……いや、今は何も問うまい……」

 

 メイメイを見て少し目を細くしたウィゼルだったが、それよりも剣を打つことを優先したいのか工房を借りる旨を伝えるとさっさと工房へと向かってしまう。

 

「キシシ……彼、すごいのよぉ。伝説と謳われる魔剣鍛冶師だもの」

 

 まさかウィゼルがそんな人物であったとは知らないベルフラウたちの驚愕を知らず、炉と道具の確認を終えたウィゼルは工房から戻ってくるとベルフラウに声をかける。

 

「修復作業に取り掛かる。娘よ、助手と頼めるか?」

 

「え……? 私が……?」

 

「魔剣は心の刃だ。こやつの心を打ちなおす助手に相応しいのがお前以外にいるのか?」

 

 そう言われて断るわけにはいかない。

 アティを一番近くで見ていたのは間違いなくベルフラウなのだから。

 

「……わかりましたわ。やってやろうじゃないの!」

 

「魔剣の主には別にやってもらわなければならないことがある。俺がこれから打つ剣は遺跡の意志ではなくお前の意志を核として力を振るう。お前がこの剣に込めるべき確たる想いを探せ」

 

 アティ自身の意志を核とする新たな魔剣は込められた想いを魂にして完成するのだ。

 魔剣の魂となる想いをアティが自分自身の心の中から見つけ出さないといけない。

 工房で作業を始めるウィゼルとベルフラウと店側のスペースで待つアティとイリ。

 メイメイは在庫整理に行くようで、店の奥の扉に消えてしまった。

 アティの目の前で浮かぶイリは、汗を流し作業を続けるベルフラウをじっと見守ることを決め込んでいるようだった。

 

 アティは自身の心の中に思考を巡らせる。

 考えているのはウィゼルに言われた確たる想いについて。

 そしてほどから引っかかっていることについてだった。

 岩槍の断壁でウィゼルが現れたときからずっと気になっていた。

 ウィゼルが現れたときに遮られたイリの言葉が。

 

(『……我ガ復活サエスレバ──―』)

 

 その後に何を言おうとしていたのか、と考えて首を降る。

 いや、それはきっと重要なことではないのだ。

 きっと重要なのは『復活』という言葉そのもの。

 復活さえすれば、ということはつまり──裏を返せば、目の前に浮かぶイリは復活していない状態だということ。

 

 アティの脳裏に以前アルディラから見せられたデータと説明が思い起こされる。

 見せられた三つのデータ、それが示していたのは時間の経過とともにイリの魔力が増え続けていることだった。

 増え続ける魔力、その先が──あのデータの先がイリの言う『復活』だとしたら。

 イリはどうなってしまうのか。

 イリとずっと一緒に一緒に居たいと願うベルフラウはどうなってしまうのか。

 

『復活』によってベルフラウとイリの関係に再びひびが入るようなことがあるのならば、きっとベルフラウの笑顔はまた失われてしまう。

 それは絶対に嫌だった。

 ──だから。

 生徒に叱られたり守られたりする情けない先生だけれど、ベルフラウの笑顔を守りたい。

 先日ベルフラウとイリがしてくれたように、二人を守りたい。

 二人にはずっと仲良くしてほしい。

 ベルフラウとイリの間にある絆を守りたい。

『復活』によって何がもたらされるとしても、守って見せる。

 それが──アティが見つけた答え、確たる想い。

 

 店内、工房スペースへと足を踏み入れたアティに気が付いたのかウィゼルが顔を上げ、その目を見つめる。

 アティの目を見てウィゼルは変化に気づいたようだった。

 

「どうやら見つかったようだな……。では、最後の仕上げにとりかかるとしよう」

 

 生まれようとしている魔剣にアティの想いを吹き込むのだ。

 それが新たな剣の命となる。

 

 

 

 ウィゼルが剣を叩く音がしばらく店内に響いていたが、ようやくそれが止まる。

 それは最終工程が終了し、ついに魔剣が完成したことを示していた。

 ──それは蒼。

 碧ではなく透き通った蒼色の剣。

 それに手を伸ばしたアティが剣を握ると蒼い光と共にアティの髪は白く染まり、その手にある魔剣は蒼く輝き始めた。

 

「ありがとうございます、ウィゼルさん」

 

「礼はいらぬ……俺が好きでやったことだ。その剣を戦場で振るってみろ、それが俺への手間賃だ」

 

 鍛冶師であるウィゼルにとって自身が打った剣が戦場で使われることが重要なのだろう。

 アティの礼を流すと助手を務めていたベルフラウに目を向ける。

 

「娘よ、いつか貴様のための剣も打ってみたいものだ。……その時が来るまで化生に呑まれるなよ?」

 

 最後にベルフラウに忠告をするともう用はないのかウィゼルは店の扉を潜り、出て行ってしまった。

 

「ちょっと遅れちゃったかしら? まあ、めでたしめでたしってことで……キシ、キシシシ」

 

 店の奥の扉から姿を現したメイメイはアティの魔剣の完成の瞬間に出遅れてしまったようだった。

 

「折角だしぃ……めでたいついでにメイメイさんが名づけ親になってあげる。果てしなき蒼<ウィスタリアス>なんてのはどう?」

 

「果てしなき蒼<ウィスタリアス>……この剣なら……」

 

 混じりけのない透き通るような自身の新しい剣を見つめ、アティは改めて決意をする。

 島のみんなを守って見せると。

 無色やイスラには誰も傷つけさせはしないと。

 そして──何があろうともベルフラウとイリの絆を守って見せると。

 

 

 

 ──島に迫る巨影、その大きさに気づかぬまま。

 

 

 

 

 

 

 店を出て行ったアティとベルフラウを入り口で見送り、店の中に戻ったメイメイは僅かに聞こえる何かを叩くような音に気付くと眉を寄せた。

 

「全く……うるさいっての」

 

 苛立ったように吐き捨てたメイメイは先ほど在庫整理をすると言い訳をして入った扉を再び開ける。

 扉の先は細い通路の両脇に棚が並び、雑多なものが並べられていた。

 視界の端を過ぎ去る様々な商品には目をくれず、メイメイは奥へと進んでいく。

 やがて行き止まりにたどり着いたのかメイメイはその歩みを止めた。

 

 通路の一番奥、その壁に張り付いていたのは──白い繭。

 大人一人よりも少し大きいそれからは左右の壁と天井、床に糸が伸び、繭を支えていた。

 繭の中からは僅かに赤い光が透け、暗い通路と相まって不気味さを感じさせる。

 さきほどの叩くような音は繭の内部から聞こえているようで、音と共に繭が僅かに揺れていた。

 

 メイメイが繭に手を翳すと内部の光が強くなり、それと同期して揺れと音が弱まっていく。

 メイメイが少しして手を下すと揺れと音は完全に停止していた。

 

「大人しくしてなさいよぉ……『私』。キシ、キシキシッ! キシシシシ!」

 

 




終局に向けての前振りのお話。
アティが気づいたのはタイムリミットの存在。
それに対してアティは答えを出しました。

答えを出そうが出すまいが、タイムリミットは刻一刻と迫っています。

次回、決戦。


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彼ガ願ッタコト 前

 メイメイの店を出たベルフラウとイリ、アティが報告のために集いの泉へと向かうと、既に皆集まっているようだった。

何か頭を悩ませ、話し合いをしている様子の仲間たちにベルフラウが声をかけると振り向いた仲間たちが元気になった様子のアティを見て驚愕していた。

 

「アティ、その顔……元気になったのね」

 

「よかったぁ。先生の笑顔がないとアタシたちも元気でないもん」

 

口々に喜びを表す仲間たちを見て、すっかり笑顔が戻ったアティは嬉しそうに告げる。

 

「私はもう大丈夫です。心は砕けていませんから。それに剣も……」

 

そう言って魔剣を解き放ったアティの右手にある蒼い魔剣は太陽の明かりを受けて煌めき、アティの心を体現したかのように透き通った刀身は剣の向こう側を見通せるほどだった。

 

「碧の賢帝……復活したのですか……」

 

「いや、違うみたいよ。アタシたちの知ってる魔剣じゃない」

 

ヤードの言葉を呟くように否定するスカーレルの目は新たな魔剣に釘付けだった。

他の仲間たちも輝く刀身に吸い込まれたかのように見つめ、感嘆の声を上げていた。

 

「綺麗……」

 

「これが果てしなき蒼<ウィスタリアス>です」

 

「果てしなき蒼……綺麗ね、本当に」

 

「これなら、無色の派閥の奴らにも負けねぇ!」

 

「そうだよね、アニキ!先生が戻ったんだし、あんな奴らケチョンケチョンだよ!」

 

アティの新たな魔剣は仲間たちの希望の芽にもなったようで、仲間たちは奮起し始める。

碧の賢帝が砕けた時から漂う悲壮感はもう無かった。

仲間たちの顔を見て微笑んだアティを満足そうに見ていたベルフラウだったが、少し気になっていたことがあるようで、その問いを口にする。

 

「そういえば、みんなで集まって何を話してたのよ?」

 

その問いに仲間たちは気まずそうに目を伏せる。

このままだんまりと言う訳にもいかないことを分かっているのか、カイルが口を開いた。

 

「先生抜きで無色の連中に挑むべきかって話し合ってたんだよ」

 

「しかし我々はそれで一度敗北していますからね。議論が煮詰まっていたのです」

 

「それに……あの時と違ってイスラが魔剣という切り札を切ったわ。同じことの繰り返し……それどころかもっと酷い結果になるでしょうね」

 

カイルに続いたヤードの言う通り、以前ベルフラウとアティ抜きで無色の派閥に挑み、敗北している。

そればかりか、アルディラの補足通りイスラは紅の暴君を躊躇いなく抜くだろう。

普通に挑んでも勝ち目は非常に低い。

同じ過ちを繰り返す気は無い仲間たちは頭を突き合わせて議論していたのだ。

 

「またあの時みたいな無茶をする気だったんですか!?」

 

「す、すまねぇ。そうしていたかもしれないって話だけどよ……」

 

「それでもだめですよ、もう!」

 

無茶をしようとしていた仲間たちにアティが注意をする光景は先生らしかった。

頬を膨らませて怒って見せるアティに場が少し和やかになるが、その空気を換えるためかアルディラがパンパンと手を叩いた。

 

「もうアティとベルフラウ、イリ以外には話したんだけど、無色の派閥が魔剣の復活をまだ知らない……あるいは知らないうちに動いたのなら、壊れた『お目当て』とは別の『お目当て』を確保するために動いているはずよ」

 

「……遺跡、ですか」

 

アティの言葉にアルディラは頷いて見せる。

無色の派閥の目的のものは魔剣と遺跡だった。

魔剣が砕けて目的の物の片方が失われたのなら、もう片方を確保しようとするのが必然。

つまり無色の派閥は遺跡に向かっているか、すでにもう遺跡にいる可能性が高い。

 

「それに……彼らはベルフラウとイリに手痛い目に遭わされています。遺跡の力を手に入れて二人に対抗する狙いもあるでしょう」

 

以前の戦いでオルドレイクたちはベルフラウの召喚術によってほぼ壊滅と言っていいほどの損害を受けた上、オルドレイク自身がイリとの戦いで大きく消耗した。

ファリエルの言う通り、強大な遺跡の力を手に入れてベルフラウとイリに対抗したいところだろう。

 

「ふふん、やつら私とイリに怖気づいているのね!」

 

「ギィイ!至極当然!戦々恐々!震エテ待ツガイイ!」

 

それを聞いて誇らしいのか、鼻を高くしたベルフラウはご機嫌な様子だった。

無色の派閥という強大な組織に恐れられることで、自分とイリが認められたように感じられたのだ。

 

「それじゃあ、怖気づいている無色のやつらをいっちょとっちめてやるか!」

 

「これで終わらせましょう!無色の派閥に遺跡を渡すわけにはいきません!」

 

決意がこもったアティの言葉に皆が頷き、決戦の覚悟を決める。

無色の派閥に島民の生活や安全が脅かされている。

無色の派閥をこの島から排除しなければ平和は訪れない。

今から、無色の派閥に挑む。

 

 

 

 遺跡内部・現識の間。

遺跡の中でも中枢部に近いその部分まで無色の派閥は侵攻していた。

 

「流石は先達の作り上げた施設なだけはある。構造が複雑だ……だが、もうすぐだ。もうすぐ最奥部、核識の間へと辿り着ける」

 

「……間に合ったようだな」

 

「ウィゼル……遅いぞ。どこに行っていたのだ」

 

「俺には俺の都合というものがあるのだ。それに、こうして間に合ったのだから文句はあるまい?」

 

オルドレイクたちの後からやってきたウィゼルが合流する。

単独行動をしていたウィゼルにオルドレイクが不満を示すが、ウィゼルは取り合おうとしない。

ウィゼルがこういう人物であると知っているオルドレイクは溜め息をつきつつも、更なる探索の準備を開始する。

 

「ヘイゼル!探索を急がせろ!奴らが我らの目的に気付く前に遺跡を手中に収めねばならん」

 

「はっ!」

 

「オルドレイク様、どうやらもう気付かれていたようですよ」

 

後方を見つめて言うイスラの言葉を聞いて振り返ったオルドレイクたちは現識の間入口から姿を現したベルフラウたちに気付く。

 

「オルドレイク!あなたたちに遺跡を好きにはさせません!」

 

オルドレイクの野望を阻まんとするアティを憎々しげに睨み付け、迎撃のためにオルドレイクは号令を発した。

 

「どこまでも我らの邪魔をするか!良かろう……そんなに死にたいのなら、殺してやれ!」

 

 

 

 ベルフラウたちは、迎撃のために陣形を整え始めた無色の派閥の戦力を分析し戦略を立て始める。

 

「やっぱりイスラの野郎、もう隠す気はねぇわけか」

 

カイルの視線の先にいるイスラは既に魔剣を抜いており、その髪は白くなっていた。

 

「イスラの相手は私が引き受けます」

 

「それじゃあ、私たちはオルドレイクたちを引き受ければいいのね?」

 

適格者であるイスラの相手は同じく適格者であるアティが。

オルドレイクたち無色の派閥の軍勢はベルフラウたちが引き受けることになった。

アティはイスラの前へと飛び出し、対峙する。

 

「イスラ!あなたの相手は私です!」

 

「へぇ。あれから立ち直ったんだ?でも、剣が折れた君なんか僕の相手になんてならないよ」

 

「それはこれを見てから言ってください!」

 

アティが果てしなき蒼を抜き、髪が白く染まる。

イスラはアティの手に握られてる蒼い剣を目を見開いて凝視し、ひどく驚いているようだった。

 

「な、なんでだよ!?剣は折れたはずだろ!?僕が折ったはずだ!」

 

アティの魔剣は確かにイスラによって折られた。

オルドレイクは折れた魔剣の修復が出来る人物に心当たりがあるようで、その人物を睨み付ける。

 

「ウィゼル……貴様、裏切ったのか!?」

 

「俺は俺の都合で魔剣を修復した。それに魔剣も貴様の目的の物の一つ。修復しなければ、手に入れられまい?」

 

「ぐっ……まあよい。イスラよ、今度は折るなどという失態をしてくれるなよ」

 

独断で動き、魔剣を折るという失態を犯したイスラだったが適格者であるイスラはまだ利用価値があることから見逃されていた。

次はないと暗に言うオルドレイクの言葉を受け、イスラが構える。

 

「……というわけだからさ。君たち弱者の足掻きもこれでお終いだ。もう一度君を負かして無様に這いつくばらせてあげるよ!」

 

「私はあなたなんかにもう絶対に負けません!」

 

「言うねぇ!だったら今度こそ僕を殺してごらんよ!」

 

蒼い剣と紅い剣が切り結び、辺りに衝撃の波動が走った。

 

 

 

既に戦闘を始めた適格者二人を横目に、無色の派閥の方にも動きがあったようでソノラが声を上げる。

 

「うん?何あれ……?あいつら、何か置いてるみたい」

 

無色の派閥たちが設置を始めたのは角張った水晶のような物。

それを複数、陣形の内側に置き始めたのだ。

 

「あれは反魔の水晶と呼ばれるものです。周囲への召喚術の効力を弱める効果があります」

 

「恐らくはベルフラウの召喚術への対策なんでしょうね。実際、召喚術対策としては効果的よ」

 

召喚術の深い知識を持つヤードとアルディラの説明通り、ベルフラウとイリの召喚術に対する策として無色の派閥が用意したのが反魔の水晶だ。

これが在る限り、召喚術の威力は大きく削がれ決定打にはならないだろう。

 

「つまり、召喚師には頼れねぇ。俺たちの出番ってわけだな」

 

「上等じゃねぇか」

 

この状況では召喚術の火力には期待できない。

つまりは前衛組が頼りだ。

ヤッファとカイルは自分たちが活躍できるこの状況にさらに戦意を燃やしているようだった。

 

「我々も負けていられませんね」

 

「アア、ソウダナ」

 

鎧の姿になったファリエルはキュウマの言葉に頷くと大剣を構える。

お互いに戦闘態勢が整ったようで、緊張感が戦場にたち込める中先に動いたのは無色の派閥だった。

散会して駆ける暗殺者たち。

それらが向かう先は――ベルフラウだ。

 

「なっ!?このっ!」

 

驚きつつも魔力を込めた矢でその内の一人を打ち抜いたベルフラウだが、既に一人が接近を始めていた。

 

「シッ!なんなのよこいつら!」

 

そのベルフラウに近づいた暗殺者をナイフで斬りつけて倒したスカーレルが毒づく。

 

「奴ら、ベルフラウに召喚術を使う隙を与えない気よ!」

 

ベルフラウに攻撃を集中させることでそもそも召喚術を発動させない。

それこそが反魔の水晶だけでは飽き足らずにオルドレイクが用意した策だった。

カイルたちは攻めるべきかベルフラウを守るべきか迷っているようで、敵陣に踏み込めずにいた。

 

「ベルフラウの護衛はアタシとイリに任せてちょうだい!あんたたちは攻め込んで!暗殺者の頭……あのマフラーの女を抑えれば連携が乱れるはずよ!」

 

マフラーをつけた女こそ、暗殺者たちに指示を出す頭。

頭さえ倒せば暗殺者たちの連携は乱れてベルフラウへの攻撃は弱まるだろう。

それまでの護衛をイリとスカーレルに頼み、他の仲間たちは敵陣に攻め込む。

 

 

 

 ベルフラウは大変歯痒かった。

迫る暗殺者たちを打ち抜きつつも、敵陣に攻め込んだ仲間たちを見る。

無色の派閥の兵士たちをなぎ倒していく仲間たちの力になれないばかりか、スカーレルという戦力が自分の護衛のために割かれている。

そんなことばかり考えていたからだろうか、気付かなかった。

――銃を持った兵士がベルフラウを狙っていることに。

 

放たれた銃弾は空気を裂きながらベルフラウの眉間に吸い込まれるように突き進み――。

 

――その直前でまるで壁にぶつかったかのように弾かれた。

 

「ギシシ!我ガヤラセルトデモ思ウタカ!」

 

「えっ?」

 

弾かれて転がった鉛弾を見たベルフラウは呆けたように声を漏らす。

ようやく、自身に迫っていた死に気付いたようだった。

 

「もしかして私……」

 

「危なかったわね。イリが防いでくれたんでしょう?素敵なナイト様に感謝しなさいな」

 

「ごめんなさい、私が迂闊だったわ。それと、ありがと」

 

「ギィイ!」

 

 




name イリ
class 共界線の捕食者→世界を喰らう者

skill
全異常無効
全憑依無効
甲殻体(通常攻撃ダメージの70%を軽減する)
送還術(Bランク以下の召喚術を無効化する)
闘気
遠距離攻撃・誅殺(無属性の光で遠距離攻撃を行う)
動ケマイ(対象を行動不能にする)
不可侵防護(対象のDEF、MDFを30%上昇させる)
自己修復(HPを100回復)


不可侵防護は憑依無効の仲間にもかけられるバフスキル。
勿論自身にかけることも可。


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彼ガ願ッタコト 後

サモンナイト6がバランスの壊れた世界に変わったのはこいつのせいですよ(メルギトス風)


 後方にいるベルフラウ、イリ、スカーレルと単独でイスラを相手取るアティを除いた仲間たちは順調に敵陣への侵攻を進めていた。

 暗殺者たちがベルフラウに集中している分、オルドレイクたちがいる本陣以外は薄い。

 先陣を勢いよく下したカイルたちはその勢いのまま、マフラーの女ヘイゼルのいる左翼を攻める。

 

「てめぇら! このまま暗殺者の頭をとるぞ!」

 

「おー! このままガンガンいっちゃおー!」

 

 カイルのかけ声にソノラが追従する。

 反魔の水晶の効力で威力を減らされるなら、と回復や憑依召喚によるサポートに徹しているヤードたち召喚師組のサポートもあり、その勢いは破竹の如くだ。

 

 その勢いで攻められるヘイゼルは堪ったものではない。

 たった一人の少女の召喚術を警戒したヘイゼルの主人は、暗殺者たちを絶え間なく少女に差し向けるように指示した。

 飼い犬が主人に逆らえるはずもなく、オルドレイクの指示通りに暗殺者たちを動かしたヘイゼルだったが、それが原因で追い詰められつつある。

 人員が攻撃のために割かれたせいで、ヘイゼルの周りを固める戦力が薄いのだ。

 

「くっ……一旦下がって……」

 

「逃がしませんよ、暗殺者!」

 

 倒されていく部下を尻目に後方へと下がろうとするヘイゼルに追いすがる影。

 護人の一人であり、シルターンの忍びでもあるキュウマが暗殺者であるヘイゼルを超える身のこなしで追撃した。

 

「なっ……!? は、はや──」

 

「必殺必中……居合い!」

 

 自身を追うキュウマに気付き、後ろを見たヘイゼルはその速さに目を剥き──。

 研ぎ澄まされた集中力と技から放たれた一閃に切り裂かれ、意識を刈り取られた。

 

「あの人に怒られてしまいますからね、致命傷は避けました。命は奪いませんが、暫く静かにしていてもらいますよ」

 

 金属製の冷たい床に伏せたヘイゼルからは返事がない。

 キュウマの見事な技を見た仲間たちから歓声が上がり、敵はどよめく。

 左翼の崩壊、それはベルフラウが動けるようになることを意味していた。

 

 

 

 暗殺者たちに指示を出していたヘイゼルが倒れたことで、暗殺者たちは混乱し始めた。

 召喚術を使うなら敵の指揮系統が乱れた今しかない。

 だが──。

 

「狼狽えるな! 本命は反魔の水晶だ! これが在る限り奴の召喚術は脅威ではない!」

 

 動揺する配下を叱咤するオルドレイクの言う通り、『爆散セヨ』を使ったとしても以前のような決定打にはならないだろう。

 そして動揺が収まり、オルドレイクたちが動き出してしまえば仲間たちはきっとただでは済まない。

 ベルフラウは目を閉じると、意識をイリとの繋がりの中に埋没させる。

 ただ威力が高いだけの召喚術では反魔の水晶が在る今、効果が期待できない。

 別の何かが必要だった。

 

 ベルフラウの意識が潜ったイリとの繋がり。

 そこはまるで糸の海のようだった。

 絡み合う無数の糸で構成されるその場所では、動こうとする度に糸が絡みついて動きを封じようとする。

 糸に抗いつつ、何処かにある『力』を探さなければならない。

 より強い力を求めるのなら、より深くへ。

 糸を掻き分けて奥へ奥へと進むベルフラウはようやく、輝く力の欠片を見つけ出した。

 それに手を翳そうとして──。

 首を横に振ると手を引く。

 それはきっと強い力だろう、だが現状を変えることが出来ない単純に威力が高いだけの力。

 より奥へと目を向けたベルフラウの目に、糸と糸の隙間から漏れ出す程の強い光が見えた。

 

「きっと……あれなら……!」

 

 その光の強さから、それこそが自分の探している物だと確信したベルフラウはその光に手を伸ばす。

 だが、届かない。

 伸ばした指先が光に触れられずに目前で空を切る。

 ベルフラウにはまだそれを手にする資格がない、力が足りない。

 それを自覚したベルフラウは──。

 

「先生、お願い! 力を貸して! もう少しで、もう少しで届きそうなの!」

 

 助けを求めた。

 自分一人で出来ないなら、頼ればいい。

 みんなとならもっとすごいことが出来る。

 それが、この島に来てアティや仲間たちから学んだことだったから。

 

 

 

 イスラと魔剣を打ち合うアティの耳に、ベルフラウの声が届く。

 だが、ベルフラウの下に行きたくても行けないのが現状だった。

 

「ベルフラウッ! 待っていてください!」

 

「あはは! 行かせるとでも思ってるのかな? 舐めてくれるね!」

 

 当然、アティを行かせる気がないイスラの妨害を受けて防御を余儀無くされる。

 

「くぅっ……!」

 

「ほんと情けない先生だね、君はさ! この前は生徒に助けてもらったのに、自分は生徒を助けられないんだ? あははっ!」

 

 そう嗤うとイスラが魔剣を振り下ろす。

 アティはベルフラウに内心で謝罪しながらもそれを自らの魔剣で受けようとして──。

 

「アクセス! 魔障壁展開!」

 

 イスラの魔剣はアティの魔剣にぶつかる前に、魔障壁によって阻まれた。

 

「何っ!?」

 

 驚愕に顔を歪めるイスラの横から大剣が迫る。

 咄嗟に後ろへ跳んだイスラの視界に入ったのは大剣を振り終えたファリエルの姿。

 そして着地の硬直を狙い、目前に迫るヤッファの姿だった。

 

「うぉぉおおお!」

 

 ヤッファの爪がイスラを切り裂くと、ヤッファがすぐに飛び退く。

 

「召鬼召炎!」

 

「ぐあああ!?」

 

 ヤッファが飛び退いて間髪入れずに発動したキュウマの妖術がイスラの身を焼くとイスラが膝を着いた。

 

「みんな……!」

 

 アティを助けに現れたのは護人たち四人。

 アルディラ、ファリエル、ヤッファ、キュウマがイスラの前に立ちはだかった。

 

「ここは俺たち護人に任せろ!」

 

「あなたはベルフラウの下に行ってあげなさい!」

 

「ぐうっ……護人共め。適格者であるぼくに刃向かう気か!?」

 

「相手が魔剣の適格者でも、時間稼ぎくらいはしてみせます!」

 

「少しの間、お願いします!」

 

 アティは頼もしい仲間とたちにこの場を任せて急ぐ。

 自分の大切な生徒の下へ。

 

 

 

 意識の世界で相変わらず届かない光に手を伸ばすベルフラウだったが、現実世界の手が何か暖かく柔らかい物に包まれたのに気がついた。

 

「先生……!?」

 

 それと共に糸の海にいるベルフラウの隣にアティが現れる。

 アティは周りを見渡して混乱しているようだった。

 

「えっと……それで私は何をすればいいんですか?」

 

「あれよ、あの光に手が届かないの。私と一緒に手を伸ばして。そうすればきっと……」

 

「あの光、ですね。わかりました。ふふふっ、私嬉しいんですよ。あなたがこうやって助けを求めてくれて」

 

 ベルフラウは優秀だ。

 本当に家庭教師が必要なのかとアティが疑問に思ってしまうくらいに。

 きっと家庭教師がいなくても軍学校の試験に合格するだろう。

 アティにはそれが少し寂しくて、こうして頼られたことが嬉しかった。

 

「もう、こんな時に言うことじゃないでしょう? ほら、手を伸ばしますわよ」

 

 少し照れたように言うベルフラウに頷いたアティが同時に光に手を伸ばすと、二人の指先が光に触れた。

 

「行くわよ、イリ! 『抗ウガイイ』!」

「行きますよ、イリ! 『抗ウガイイ』!」

 

 

 

 ヘイゼルが倒れたことで乱れた指揮系統を立て直したオルドレイクは重い腰を上げる。

 不甲斐ない部下たちに苛立ちが頂点に達し、自ら前線に出ようとしているのだ。

 

「ツェリーヌ、ウィゼルよ。出るぞ」

 

「いや、待て。あれは……?」

 

 だがウィゼルに引き止められるとオルドレイクは足を止めてウィゼルの視線の先を追う。

 その視線の先では、オルドレイクにとって要警戒対象であるイリが赤い靄のような物に包まれていた。

 赤い靄はイリを覆うように広がって行き、やがて晴れていく。

 

 まず見えたのは翼だ。

 薄紫の翼膜を広げた白い翼、それが四対。

 そしてイリの頭の左右に現れた砲門のような形状の部位。

 イリの背後には光輪を思わせる輪のような物体が浮かぶ。

 その輪の周りには側面へと向かって棘が生えており、見る者には神々しさよりも禍々しさを感じさせる。

 

「あれは不味い……! あれが動く前に仕留める!」

 

 イリの姿が変わった瞬間にウィゼルの背を走った悪寒、それが正しいのなら──。

 流れる冷や汗と己の中に湧いた恐怖を振り払い、駆ける。

 狙うは一撃必殺、キュウマが使ったものよりも一段上の技。

 居合い切り・絶。

 

「ここで倒れて貰うぞ、化生!」

 

「ギシシ! 無駄! 蛮勇! 『ヴァイア・スレイグ』」

 

 ベルフラウとアティの協力召喚により姿を変えたイリは繭世界の創造主である異識体のもつ力の内、三つの力を解放する。

 一つ目、それは行動阻害。

 刀と呼ばれるシルターンの片刃の剣の柄に手を添え、必殺の一撃を放たんとしたウィゼルの身体は泥のような黒い魔力に包まれて動かなくなる。

 動けなくなった邪魔者を睥睨し、イリは破滅の宴の準備を次の段階へと進める。

 

「見ルガイイ、我ガチカラノ片鱗ヲ! 『トラン・スレイグ』」

 

 二つ目、それによって行われるのは自己強化。

 ツェリーヌは増幅するイリの魔力に震え、悲鳴を漏らす。

 ……それすらも、前座でしかない。

 

「卑小ナゴミ共メ、何モ出来ズニ朽チルガイイ! 『シュペル・スレイグ』」

 

 三つ目、それは高速化。

 クロックラビィのような体感速度だけではない。

 行動速度、反応速度、思考速度、さらには放った攻撃そのものの速度までが高速化される。

 その速度は通常時と比べて──実に六倍。

 

「串刺シノ刑ニ処ス!」

 

 ベルフラウの召喚術としてではなく、イリの持つ能力として発動したそれは、六倍の速度で発生し瞬く間に反魔の水晶を砕いていく。

 

「なっ!? 反魔の水晶が砕かれただと!?」

 

 オルドレイクが用意した策が破られたことに焦るが、遅い。

 無色の派閥に接近したイリの頭部と両脇の砲塔に魔力の光が灯る。

 それはベルフラウが召喚術として使う『破滅セヨ』とよく似たもの。

 違うのは溜めにかかる時間が六分の一であること、そして同時に三発放たれることだ。

 

 無色の派閥の兵士たちはこの後に起こる未来を察してか顔を絶望に染める。

 イリには無色の派閥への慈悲などない。

 当然、躊躇いもなく放たれる。

 

「ギシシッギシギシ! 破滅セヨ!」

 

 三条の暴力が戦く兵士たちを蹂躙した。

 

 

 

 アティと協力して術を使ったベルフラウは身体から力が抜けたようにふらつくと、重力に従って倒れ始める。

 慌ててアティが支えて顔を覗き込むと、顔色は悪く息荒い。

 アティの補助があってもなお術の負荷が大きかったようだった。

 

「ベルフラウ様!? ご無事でしょうか!?」

 

 ベルフラウが倒れたのが見えたのだろう、慌てて前線から戻ってきたクノンが診断を始める。

 

「あの、ベルフラウさんは……」

 

「ベルフラウ様のことは任せて下さい。それよりも、アルディラ様たちと交代を。長くは保たないようですから」

 

 ベルフラウを心配するアティだったが、クノンに言われてイスラと戦う護人たちを見るとどうやら押され始めているようだった。

 アティはクノンに礼を言うと、イスラの下へと戻るべく走る。

 

「みんな、ありがとうございます! ここからは私が!」

 

 駆けつけたアティと交代するように護人たちが下がる。

 

「ははは、なんだよあれ? 反則じゃないか」

 

 イスラの視線の先では魔力のビームを連発するイリに無色の派閥が蹂躙されている。

 それを見て渇いた笑い声を上げていたイスラだったが、アティが目の前に立つとその表情を真剣な物に変えた。

 

「イスラ、待たせましたね。決着を付けましょう」

 

「向こうもそろそろ終わりみたいだしね。いいよ、これで終わらせよう。ここで君が死ぬか、僕が死ぬかだ!」

 

「私は負けませんよ。そして、あなたの命も奪いません」

 

「ほざけぇ! 偽善者が! 夢に溺れて死んでしまえ!」

 

 相変わらず命を奪い合いをする気がないアティに怒りを抑えきれないイスラが吼える。

 イスラの内の怒りと憎しみを殺意と力に変換した紅の暴君は輝きを増していく。

 殺意の衝動のままイスラがアティに切りかかった。

 

 




ラスボスは遅れてやってくる



●イリ
繭世界を創造した恐るべき力を持つベルフラウの相棒。
ベルフラウ専用召喚獣。

・ユニット召喚

・串刺シノ刑ニ処ス
単体無属性Cランク術。

・破滅セヨ 
直線範囲無属性Bランク術。

・爆散セヨ 
中範囲無属性Aランク術。

協力召喚 
・抗ウガイイ 
1ターン、イリが飛行形態になるSランク術。
発動時ヴァイア・スレイグ、トラン・スレイグ、シュペル・スレイグを使用。
効果中破滅セヨ、串刺シノ刑ニ処ス、爆散セヨ使用可。

・ヴァイア・スレイグ 
対象を行動不能にしダメージ。

・トラン・スレイグ
ATK、MAT、DEF、MDF+40%

・シュペル・スレイグ
行動回数+6高低差無視移動可。

ざっくり言うとイリ版抜剣覚醒。
酷いのはスレイグ三種の効果が大体原作通りなところ。
抜剣とは違って形態変化自体のステータス上昇は無しでトラン・スレイグ分のみ。


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破滅ヘノ誘惑

 蹂躙され、倒れ伏す無色の軍勢たちと散乱する反魔の水晶の残骸。

 オルドレイクの眼前にはその惨状とそれを齎した主の姿だけがあった。

 

「ありえん……新世界の礎となる我が軍勢が……」

 

「ギギギ……新世界……?」

 

「そ、そうだ! 今のこの世界を破壊し、必要な存在のみの新たな世界をつくりあげるのだ!」

 

「成ル程……面白イ。ソノ新世界、我ガ喰ラッテヤロウ! ギシシ! ギシャシャ!」

 

「あなた……もう駄目、こんな化け物……ああっ」

 

 ツェリーヌの恐怖は限界に達したのか気を失って倒れ、チョロチョロと水音が聞こえたかと思うと、遺跡の床を濡らし始めた。

 妻の醜態から目を逸らしたオルドレイクはイリを睨み付けるが、イリはそれを見て嗤うばかりだ。

 

「おのれ……舐めるなぁ! 砂棺の王!」

 

 怒りのあまりか、送還術の存在を忘れてオルドレイクが霊王を召喚する。

 召喚した後に自身の失策に気付くが、砂棺の王は送還されない。

 それを見てイリの送還術の欠点に気付いたオルドレイクは笑い出した。

 

「ククク……分かったぞ! 貴様の送還術は高位の召喚術は無効化出来ない! 違うか!?」

 

「……」

 

「そういうことなら恐れる必要などない! やれ! 『霊王の裁き』!」

 

 魔力の雷がイリを打ち据えるが……イリは微動だにしなかった。

 

「な、何故だ!?」

 

 自身の召喚術の腕に自信を持つオルドレイクが信じられないように叫ぶ。

 確かに、高位の召喚術ならイリに無効化されない。

 だからといって効くかどうかは別問題だ。

 何故なら、イリは全ての属性に対しての耐性を持っているのだから。

 オルドレイクにもはや手などない。

 残る手段は撤退のみだが、何かしらの方法で時間稼ぎをしなければそれすらままならないだろう。

 

 辺りを見渡したオルドレイクはヘイゼルが立ち上がりかけているのに気がついた。

 召喚獣たちに倒されたときには腹立たしく思ったものだが、今ならその失態を帳消しにしてやっていいとすら思えた。

 

「ヘイゼル! その化け物の足止めをしろ! 時間を稼げ!」

 

 その命令には言外に命をかけてでも、という意味が込められている。

 ヘイゼルがふらつきながらもイリに向かおうとする姿を視界の端で捉えたオルドレイクは、漸く拘束がとけたウィゼルに目配せをする。

 それで察したのかウィゼルは気絶したツェリーヌを背負うと、動けるものに声をかけ、オルドレイクと共に動き出した。

 

 

 

 主人からヘイゼルへと最後に言い渡された任務、それが撤退までの時間稼ぎだった。

 所詮自分は捨て駒であり、消耗品。

 今でなくても何時かはきっとこうなっていたのだ。

 それに不満は無い。

 ヘイゼルがナイフを手に化け物へと近づいていくと、化け物が振り返る。

 振り返った化け物の赤い眼のようなものに見つめられ、ヘイゼルの足は動かなくなった。

 特別何かをされた訳ではない。

 恐怖、ただ恐怖によって足が竦んでいた。

 

「(ありえない……)」

 

 組織で受けた訓練によって恐怖など克服したはずだった。

 しかしそれは結局、克服したつもりになっていただけなのだろう。

 生物としての本能的な恐怖を克服出来るわけなどなかったのだ。

 

「ひっ……」

 

 赤き手袋の暗殺者に相応しくない悲鳴が漏れ、足が震える。

 奥歯をガチガチと震わせて漸く声として出たのは命乞いだった。

 

「ゆ、許して……許してください」

 

 そこに垂らされたのは一本の蜘蛛の糸。

 

「ギィイ。我ノ下僕トシテナラ、生キルコトヲ許ソウ」

 

 もしかしたらそれは破滅への誘惑だったのかもしれない。

 だがヘイゼルはそれに縋った。

 

「あなた様の……下僕になります」

 

 ふと見れば、オルドレイクたちは現識の間から出て行こうとしていた。

 主人……元主人からの最後の任務は果たされ、もう義理はないだろう。

 ヘイゼルは新しい主人の前に膝を着くと忠誠を口にするのだった。

 

 

 

 自らの怒りと憎しみを糧に大きな力を手に入れたはずのイスラはアティに押されていた。

 意志無き大きな力は、武器と心を合わせた一撃に弾き返されていく。

 心体技全てが揃ったアティの蒼穹の剣技は真紅の暴力をいなして、イスラが晒した隙に一撃を叩き込む。

 

「な、なんでだよ……どうして僕が負けるんだよ!? 叶うはずのない無責任な希望ばかり口にしてるお前に!」

 

「イスラ……」

 

 倒れたイスラをアティが見下ろすとイスラはそれが悔しいのか叫び始めた。

 

「見るな……そんな憐れみの目で見るなよ! お前を見てるとムカつくんだよ! 周りに迷惑かけてもヘラヘラして笑って! 気持ち悪いんだよ! ……お前が悪いんだ、お前さえ居なければ!」

 

 魔剣の力で治癒されたのか、イスラは立ち上がるとアティに躍り掛かる。

 アティの命を奪わんとする凶刃は冷静に果てしなき蒼を振るったアティに防がれるばかりか、紅の暴君に罅が入っていく。

 

「ひっ!? ああっ……僕の剣が!? うああああああっ!?」

 

 完全に砕ける一歩手前まで破損した紅の暴君を見てイスラが悲鳴を上げる。

 アティはイスラに歩み寄る。

 きっと、聞くなら今しかないから。

 

「イスラ、教えてください。あなたの目的は何ですか?」

 

「目的? はははっ! 何言ってるんだよ、君を殺すことに決まって……」

 

「……あなたの体のことと、何か関係があるんですか?」

 

 その言葉を聞くと、誤魔化す意味はもうないと悟ったのかイスラの表情は真剣なものになった。

 

「へぇ。知ってたんだ? それなら教えて上げるよ。僕の身体はね……召喚呪詛に犯されているんだ」

 

「召喚呪詛……病魔を憑依させることによって、永遠に死の苦しみを与え続ける呪い」

 

 かつて兄と共に無色の派閥に属していたファリエルは召喚呪詛について知っているようだった。

 

「なるほどね、それならあのカルテにも納得がいくわ。呪いが何度もイスラを殺し、同時に生かしていたのね」

 

 永遠の苦しみを与え続けるために呪いがイスラを生かす。

 当然、自殺など出来ない。

 呪いの意味がなくなってしまうからだ。

 

「それで……僕の目的が知りたいんだったよね? 僕の目的はねぇ! 死ぬことだったんだよ!」

 

「なっ!?」

 

「死ぬための方法を探した僕は魔剣の存在を知ったんだ。凄まじい力を持つ魔剣なら、呪いを打ち破って僕を殺せるだろうって思った。でも実際は魔剣が意志を持っていて、持ち主を生かそうとするんだってさ! あはは、笑っちゃうよね。僕は余計に死ねなくなったんだ」

 

 二本の魔剣は持ち主の傷を癒やし、不老に近い命を与える。

 二つの不死性が重なったイスラは彼の望む死から遠ざかってしまった。

 

「でもね、魔剣が言ったんだ。適格者同士ならお互いを殺せるってね。だから僕は君に殺して貰おうとしたんだ! でも君は戦いたくないとか、命を奪いたくないなんて言ってさぁ! それじゃあ僕は死ねないだろう!?」

 

 そこでようやく、仲間たちは気付く。

 どうしてイスラがこちらの怒りを煽るような言動を繰り返していたのかを。

 

「だからイスラはずっとあんなことばかりを……」

 

「ああ、そうだよ! 君を裏切って、憎まれることばかり言って君を挑発したんだ! なのにさ、どうして殺してくれないんだよ……お願いしますっ! その剣で僕を殺して下さい、お願いだから……」

 

 

 イスラは啜り泣きながら、お願いしますと繰り返す。

 アティがどう声をかけるべきか悩んでいると、術の効果が切れたのか元の姿に戻ったイリがイスラに近づいていく。

 

「ギィイ……。貴様ガ望ムノナラソノ呪イ、我ガ喰ラッテヤロウ」

 

「えっ?」

 

「そんなことが出来るの……いや、出来るんですか!?」

 

「当然。我ハ全テヲ喰ウ者! 容易イコトダ」

 

 突然降ってわいた希望にイスラは口調を敬語に直して縋る。

 イリが肯定すると一同が湧いた。

 

「それで……どうすれば……」

 

「ソノママデ良イ」

 

 イリの口から魔力の糸が伸びると、イスラの身体に繋がる。

 すると、糸を伝うように黒いモノがイスラからイリの口へと移動していく。

 

「この黒いのが病魔?」

 

「良かったですね、イスラ。これでもう苦しまなくても……」

 

 ソノラは糸を伝う病魔をしげしげと眺め、アティは争う理由が無くなりイスラの苦しみも無くなることを喜んでいるようだった。

 

「うん……僕もこれで……ごはぁっごあああああああ!?」

 

 微笑んでいたイスラが突然血を吐き、身体中の傷から血が噴き出し始めた。

 

「ど、どうして!? 何が起こったんですか!?」

 

 円満に終わらせられると考えていたアティは大きく慌てる。

 

「まさか……!? 彼は剣と呪い、二つの不死性に任せて身体を酷使していたのよ! 魔剣が機能を停止した今、彼の身体は死ねない呪いによってぎりぎりのところで生かされていたんだわ!!」

 

 そして、呪いが無くなり今まで抑えつけてきたダメージの反動が一斉に襲いかかったのだ。

 

「イリ! 中止です! 止めて!」

 

「ギィイ。何ノ問題ガアル? コイツ自身ガ望ンダコトダロウ? 呪イヲ喰ラッテ欲シイト……死ニタイ、トナ!」

 

「なっ!?」

 

 アルディラの分析を聞いたアティは慌ててイリに止めるように言うが、イリにはその理由が分からないようだった。

 イリは確かに、自身の感情と向き合いベルフラウへの好意を自覚し始めた。

 それでもイリはやはり異識体<イリデルシア>なのだ。

 価値観の次元が違う存在、人の心が分からない化け物。

 誰にでも降って湧いた希望を与えてくれる都合のいい存在ではないし、救済の糸を垂らしてくれる甘い存在でもない。

 ベルフラウのことは大切に思っていても、イスラなど煩わしいゴミでしかないのだ。

 

「ソレニ……モウ遅イ」

 

「あがっ!? ぐぅ……ああっ、僕は死ぬんだ……はははっ、ようやく、楽に……」

 

 血を吐き、呻いたイスラは最後にそう呟くと深い眠りへと沈んでいった。

 

「イスラ……」

 

「センセ、イスラはね。永遠の苦しみから解放されたのよ」

 

「そう……ですよね。ううっ」

 

 落ち込むアティの肩を優しく叩くスカーレルが慰めると、頷きつつも涙する。

 仲間たちも他に出来ることは無かったのかと落ち込んでいるようだった。

 

 

 

 ベルフラウが目を開けると、視界一杯にクノンの顔が広がった。

 

「え!? クノン!? どうしたの!?」

 

「ベルフラウ様、憶えておられないのですか? 使った召喚術の負荷によって倒れてしまわれたのですよ」

 

 ベルフラウの頭に倒れる前の記憶が段々蘇ってくる。

 アティと協力して召喚術を使ったこと。

 そしてベルフラウが最後に見たのは翼の生えたイリの姿だった。

 

「そういえばイリの姿が変わって……。イリは!? みんなはどうなったの!?」

 

 クノンがベルフラウの口元に立てた人差し指を持って行くとベルフラウは口を噤む。

 ベルフラウの手を牽いて立ち上がったクノンは仲間たちの所へと向かう。

 そこには黙祷する仲間たちとイスラの亡骸があった。

 

「イスラ……? 何があったのよ……」

 

 状況を良く理解出来ていないベルフラウが困惑するが、状況は彼女を待ってはくれない。

 突如遺跡が地震でもあったかのように震え始めた。

 

「ま、まさか!? 遺跡の封印が……!」

 

 イスラは自身の怒りと憎しみを込めて好き勝手に魔剣を振るっていた。

 そうしてイスラが魔剣を使う度に封印が弱まっていたのだ。

 そして今、封印が砕け散る。

 

『やっと……! やっとこのときがやってきた! 忌まわしい封印は砕け散り、我を縛るものは存在しない! ぐふふふっ! ぎひゃひゃひゃひゃ! 我が名はディエルゴ! ハイネルのディエルゴ! 怒りと悲しみに猛り狂う島の意志なり!』

 

 その声が告げるのは遺跡の意志の復活。

 島の核識が復活の雄叫びを上げたのだ。

 

 

 

 

 あの後、とっさに封印の魔力を共界線に叩き込み、遺跡の力を削ぐことに成功した。

 とはいえ、本格的な封印が出来たわけではない。

 遺跡の復活に呼応して床から沸き出した亡霊たちから逃れるため、遺跡から脱出する。

 ひとまず先の戦いの疲れを癒やすため、ベルフラウたちは海賊船へと帰ることになった──のだが。

 

「どうしてあなたがここにいるのよ!?」

 

 ベルフラウの自室に叫びが響く。

 その室内にいるのはベルフラウとイリ、そしてヘイゼルだった。

 敵であるはずの暗殺者が、居るのが当たり前であるような顔をして自分の部屋の壁に寄りかかっているのだから、ベルフラウの困惑も当然だろう。

 

「落チ着クガイイ。コレハ我ノ下僕トナッタノダ」

 

「イリ! 暗殺者なんて拾って来ちゃ駄目よ! 元いたところに帰してきなさい!」

 

「ご主人様のご主人様、それは困るわ。私はご主人様の下僕としてしか生きることを許されていないもの」

 

 ベルフラウを見つめるヘイゼルの目の中にどこか縋るような想いを感じると、ベルフラウは見せつけるように溜め息をついた。

 

「イリ、拾って来たんだからちゃんと面倒みなさいよ。それとあなた」

 

「ヘイゼルよ、ご主人様のご主人様」

 

「……ヘイゼル。ご主人様のご主人様なんて呼び方は止めなさい」

 

「……わかりました、お嬢様」

 

「まあ、それでいいわ。私はもう休むから……おいで、イリ」

 

 イリをベットに呼ぶと、ベルフラウは召喚術の疲れからかすぐに眠り始めてしまった。

 イリは布団の中から出ると、ベルフラウの顔を眺めて眠ったのを確認する。

 

「ギィイ……眠ッタカ。サテ、下僕ヨ」

 

「はっ!」

 

 呼ばれたヘイゼルが姿勢を正すとイリは目のような発行体を怪しげに光らせた。

 

「最初ノ任務ヲ与エヨウ」

 

 

 

 三日月に照らされる海岸には無色の派閥が列を成していた。

 順番船に乗り込んでいく彼らは夜の内にこの島から脱出する腹積もりらしい。

 そしてそれを森から眺める影。

 緑の髪と入れ墨が特徴の男、ビジュだ。

 

 イスラと共に独断で動いた挙げ句失敗した彼だったが、紅の暴君という利用価値があるイスラと比べてビジュには何もなかった。

 戻ったところでお目こぼしされずに処罰される可能性が高い。

 それを恐れた彼はあの後オルドレイクたちの下に戻らず、身を潜めていたのだ。

 

 恐らく、この島から出るチャンスはここしかない。

 あの様子では任務は失敗したのだろう、あまり細かいことを気にしている余裕はないはずだ。

 あの列に混じって何事もなかったかのように無色の派閥に戻ればいいのだ。

 ビジュが船に乗るために森から出ようとすると、何度も見た白い召喚獣が行く手を遮る。

 

「ギィイ」

 

「あ? テメェは……。そこを退けよ! それともまた前みたいに痛めつけられたいかよォ!?」

 

 何度も自身を邪魔した存在が現れたのに苛立ったのか、ビジュはナイフをちらつかせて見せるとイリを脅す。

 

「……不快」

 

「ああ?? 退けって言ってるのがわからねぇか! あのクソガキを殴りに行っても行いんだぜ? いいから退けよ!」

 

「超絶不快!!」

 

 イリの怒りに呼応してか森の中から白い異形が現れると、イリの左右に控えた。

 まるで白い異形がイリに付き従っているような、その光景を見たビジュは真実に気付く。

 

「白い化け物!? まさか……そいつらはテメェの差し金だったのかよ!?」

 

 ビジュがまだ帝国軍に所属していた頃、帝国軍は何度も白い異形たちの襲撃を受けていた。

 執拗なまでに幾度も行われる襲撃に彼らは疲弊していき、追い詰められた彼らはベルフラウたちに決戦を挑んで敗北した。

 

「テメェら、俺たちに何の恨みがあって……」

 

 言って気付く。

 本当に白い異形たちがイリの差し金だったのだとしたら。

 白い異形たちが執拗に帝国軍を襲撃していた? 

 なるほど、そう見えたのかもしれない。

 だがそれは勘違いだ。

 イリが恨んでいるとしたら、それは誰なのか? 

 

「まさかテメェ、ずっとあの時のこと根に持って……」

 

「ギシッギシギシ! 我ニ仇ナス愚カ者……ベルフラウヲ傷ツケル愚カ者メガ!」

 

「ひいいっ!! ……ぐあっ!?」

 

 逃げ出そうとしたビジュだったが、何者かに脚を払われて背を地面に叩きつけられる。

 仰向けになったビジュが見たのはマフラーをつけた女、ヘイゼルだった。

 

「ヘイゼルさま!? たっ助け……!」

 

 同じ無色の同朋に助けを求めるビジュだったが、当のヘイゼルはそれを無視してイリに語りかける。

 

「ご主人様、まずは脚からが良いかと」

 

 それを聞いたイリの意志に従い白い異形たちの一体が前脚を振り上げると、ビジュの脚に突き刺す。

 白い異形は返り血で赤く染まるが微動だにしない。

 

「ぐぎゃあっ!? いてぇ! 脚が、俺の脚がぁ!!」

 

「ギシシ! 処刑開始! 悶絶躄地! 苦シミナガラ逝クガイイ!」

 

 木々の間に何かを裂く音、何かを突き刺す音、そして絶叫が響く。

 元紅き手袋所属、ヘイゼル監修の下行われた白き繰り手の演奏会は楽器がコーラスを奏でなくなるまで続いた。

 

 




レヴィノス家断絶。
当作品にはイスラ君生存ルートはありません。
どのルートでも死にます。
ビジュもだけど。

イリはラスボス特有の全属性レジスト。
ラスボスだから許される能力だけどまあズルい。


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楽園ノ果テデ

遂に此処まで来ましたね
駆け抜けていきましょう


 島の意志が復活して一夜明けた名も無き島は混乱に陥っていた。

 突如島の至る所から亡霊が出現し、暴れ始めたのだ。

 

「きゃあああ!?」

 

 悲鳴を上げるのはユクレス村の亜人、シアリィだ。

 よくオウキーニについて回る姿を目撃されている彼女の傍には当然──。

 

「シアリィはんに何さらすんじゃボケェェエエ!」

 

 オウキーニがシアリィを襲わんとする亡霊に拳を振るうと、亡霊は霞のように消えていった。

 

「オウキーニさん……!」

 

「船長! ウチはシアリィはんを送って来ます!」

 

「おう! こっちは任せて行くんじゃあ!」

 

 オウキーニはシアリィの手を握ると海の方向へと駆け出した。

 亡霊の剣士と剣を交えるジャキーニの背後には白髪の亜人が庇われている。

 

「亡霊なんぞに、海の男は止められんわい!」

 

 ジャキーニの剣に切り裂かれた亡霊が消えると、振り返ったジャキーニは不安に揺れる赤い瞳に手を差し出す。

 

「ほら、嬢ちゃんも早く逃げるんじゃぁ!」

 

「はいっ!」

 

 

 

 ユクレス村と同じように各集落でも亡霊による襲撃が行われていた。

 ベルフラウたちは島の住人たちをカイルの海賊船に避難させると、船長室に集まり今後の方針について話し合い始める。

 

「あの数が相手では立てこもって戦うには分が悪すぎってもんだ。亡霊の発生源を叩くしかねぇぞ」

 

 ヤッファの言葉通り、亡霊たちの数は凄まじく時間をかけるほどに此方が消耗するだけだろう。

 その前に亡霊の発生源である遺跡を叩く必要があった。

 

「遺跡の意識が名乗ったディエルゴの『ディ』は否定の意味がある言葉なの。つまり、界の意志を否定する者、界の意志の反逆者ってところね」

 

「なるほどね。随分と大層な名前みたいだけど、それくらい強いのかしら?」

 

 自称するにはあまりにも大層な名前だ。

 本当にそれだけの力がある存在なのか疑問視したベルフラウの質問はもっともだが、キュウマはそれに肯定で答えた。

 

「ええ、恐らくは。かつてこの島で行われた実験についてはもうご存知ですね? あの遺跡は共界線を操って界の意志に成り代わるためのもの。その遺跡を操るあの意志は、界の意志ならぬ島の意志と言っても過言ではないでしょう」

 

「島の意志……。とんでもねぇ話しになってきたな。それで、対抗する手はあるのか?」

 

 勿論、手はある。

 かつて島の意志となったハイネル・コープスは無色の派閥に敗北したのだから。

 

「遺跡の中枢部、核識の間に乗り込んで直接封印の剣を叩き込むの。それが一番現実的な方法だわ」

 

 無色の派閥がハイネルを封印したときに取った方法こそがディエルゴを倒せるであろう方法だった。

 

「ですが、ディエルゴのほうもそれを警戒しているでしょう。簡単にはいかないと思います」

 

「難しいのかもしれません、でもそれしかないならやりましょう!」

 

 アティは蒼い剣を掲げて、同じ色の瞳に決意を灯す。

 

「私はこの島を守りたい。みんなと出会ったこの島を、みんなと思い出を作ったこの島を守りたいんです! これから先ももっとたくさんの思い出を作っていきたいから!」 

 

「先生……! 私もよ! 私もこの島を守りたい!」

 

「お前さんたちだけじゃねぇぜ! 俺たちカイル一家もだ!」

 

「アニキも偶には良いこと言うねー! 勿論、最後までアタシたちも力を貸すよ!」

 

「彼らがやる気なんじゃ。妾たちも気合いを入れんとな」

 

「我々護人も、集落の皆を代表して戦いましょう!」

 

「傷の手当ては私に任せてください!」

 

 アティは仲間たちの顔を見渡すと、果てしなき蒼を上に突き出し声を上げる。

 

「みんなで、この島を守りましょう!!」

 

 それに応じて仲間たちも拳を突き出し決戦への覚悟を決めた。

 

 

 

 

 イリは皆の顔を見渡す。

 その誰もがやる気に満ち溢れ、ディエルゴに勝つ気でいる。

 だがイリの見立てでは──勝てない。

 それが現在の戦力から算出した結論だった。

 あの遺跡の持つ機能から考えればそれが当然のことだ。

 人造のエルゴモドキとはいえ、仮にも界の意志を目指して作られた存在。

 本物にはその力の規模は遠く及ばないだろうが、それでも人の身で勝てる相手ではない。

 

 それなのに、彼らは勝つつもりでいる。

 その勘違いの源は仲間だ。

 彼らは群れることで増長し、錯覚を希望にすり替えて縋っている。

 依って立つには曖昧過ぎるモノに縋り現実から逃避している。

 甘い願望を垂れ流して戦力差という現実から目をそらしている。

 イリにはそれが滑稽でならなかった。

 

「どうしたの、イリ? 不安かしら?」

 

「ギィィ……。本当ニ勝テルトデモ?」

 

 黙っているイリを心配したのか、ベルフラウが顔を覗き込むとイリが質問を口にする。

 それにベルフラウは迷わずに返した。

 

「当然よ、私とイリがいるんだもの。私とイリが揃えば、無敵なんだから!」

 

 ベルフラウが笑顔でそう言うと、イリは再び黙ってしまう。

 かつて、仲間がいるから負けないとのたまった不快な者たちがいた。

 イリはその者たちを蔑んだが、その者たちはイリを倒してのけた。

 ベルフラウの笑顔を見たイリはそれを思い出して、本当に勝ってしまうかもしれないと僅かに思ってしまったのだ。

 

 

 

 皆が戦いの準備を始める中、クノンからベルフラウに伝えたいことがあるようで声をかけていた。

 

「ベルフラウ様。看護士として伝えなければならないことがあります。先の戦いで使った召喚術をもう使わないで欲しいのです」

 

「えっ!? どうしてよ? 厳しい戦いになるんでしょう? だったら!」

 

 ベルフラウの疑問も当然だろう。

 ディエルゴとの戦いは苦戦が予想されるのだ。

 手札は多いにこしたことはないし、それが強力なものならばなおさらだ。

 

「あなたの命にも関わるのですよ!? あなたの体にはまだあの召喚術は負荷が大きすぎます!」

 

 あの召喚術を使った後、ベルフラウは倒れてしまった。

 共界線から膨大な魔力を引き出せるアティのサポートを受けているのにも関わらず、だ。

 あの召喚術は強力だが負荷があまりにも大きすぎる。

 

「で、でも!」

 

「看護士としてだけではありません! あなたの仲間としても言っているのです!!」

 

「あっ……」

 

 クノンが涙を浮かべているのに気づいたベルフラウは何も言えなかった。

 

「……我カラモ禁ジル。ニンゲンノ身デ扱ウニハ過ギタチカラダ」

 

「イリ……。分かったわ、あの術は使わない。ありがとね、クノン」

 

 

 

 準備を終えて出陣の為に甲板に出ると避難してきた集落の者たちに手を振られる。

 振返しているソノラだったが、重要なことに気づいたようだった。

 

「そういえば、誰かが皆の安全を守らなくちゃいけないよね」

 

「しかし、戦力を二つに分ける訳にも……」

 

 誰かが亡霊たちから島の住人たちと船を守らないといけない。

 しかし、ヤードの言う通り戦力を分けるのは愚策と言えるだろう。

 頭を悩ませるベルフラウたちの耳に笑い声が響いた。

 

「ガハハハハ! ワシらの出番が来たようじゃのう!」

 

 大きな声で笑いながら現れたのはジャキーニ一味。

 彼らが船の防衛を買って出ようというのだ。

 

「まあ、戦闘の経験があるだけ貴重な存在よね。アタシはその心意気を買いたいわ」

 

 スカーレルはこの重要な場面で名乗りをあげたジャキーニの心意気をいたく気に入ったようだ。

 

「ありがとうございます、ジャキーニさん!」

 

 アティが礼を言うと、照れたのかジャキーニが顔を逸らす。

 仲間たちはそれを微笑ましげに笑っていたが、ベルフラウとしてはそれでも不安だった。

 ジャキーニの戦闘能力はさておき、亡霊たちのあの数だ。

 ジャキーニと船員たちの数では手が回らなくなるだろう。

 

「それだけで大丈夫かしら……。亡霊たち、きっと凄い数ですわよ」

 

 ベルフラウはつい不安げに言ってしまう。

 それを聞いた仲間たちも確かに、と頷く。

 しかし、他に手がないのが現状だ。

 仲間たちが悩み始める中、ジャキーニの手下が森を見て声を上げた。

 

「せ、船長!!」

 

「ん? どうしたんじゃ……な、森が揺れとる!?」

 

 森の木々が揺れ始め、同時に響く足音のような音。

 段々大きくなるその音に敵襲かと身構えたベルフラウたちの前に木々の間から何かが姿を現す。

 それは白い異形の群れ。

 次々に森の中から姿を表した異形たちの中には廃坑で見た巨大な個体も混ざっていた。

 

「なっ!? こいつら、どうして!?」

 

 突然の異形たちの出現に驚いたカイルたちは警戒を解かない。

 帝国軍も無色の派閥も居なくなった今、ついに自分たちをターゲットにした可能性が考えられるからだ。

 そんなカイルたちを置いてアティは白い異形たちの前に進み出る。

 

「お、おいアティ! 下がれよ、危ねぇって!」

 

 アティはカイルの警告を聞かずに白い異形たちにペコリと頭を下げた。

 仲間たちがアティの行動に首を傾げる中、アティは頭を下げたまま異形たちに話しかけた。

 

「お願いします、私たちの大切な人たちを守ってくれませんか?」

 

「……」

 

「先生何を……ってえええ!?」

 

 アティが白い異形たちに頭を下げて懇願し始めるとソノラは困惑の声を漏らすが、それは直ぐに驚愕の声に変わった。

 白い異形たちが船を守るかのように囲み始めたのだ。

 

「嘘っ!?」

 

「でもこれで後願の憂いはなくなったわね」

 

「あなたたち、頼んだわよ!」

 

 ベルフラウが恐る恐る手を触れて声をかける。

 相変わらず返事はないが、とても頼もしく思えた。

 もう心配することはこの後の決戦のみだ。

 島の未来を護るため、ベルフラウたちは遺跡へと向かう。

 この先に待つのはディエルゴとの決戦だった。

 

 

 

 予想されていた通り、遺跡内部には亡霊たちがひしめき合っていた。

 一々亡霊たちと戦っていてはディエルゴへたどり着く前に消耗してしまうだろう。

 

「どうする? 無視しては行けねぇが、まともに相手してたらキリがねぇぞ」

 

「私とイリに任せて頂戴!」

 

 自信満々に前に出たのはイリを伴ったベルフラウ。

 この状況に相応しい術を選び、魔力を練り上げる。

 

「いけるわね、イリ!」

 

「ギィィ!!」

 

「『破滅セヨ』!」

 

 イリから放たれた一直線に伸びる破滅の奔流が亡霊たちを消し飛ばし、強引に道を作る。

 再び亡霊たちが沸き出す前に、一気に駆け抜けて核識の間へとなだれ込んだ。

 

 

 

 核識の間の中央には巨大な彫像が鎮座していた。

 手足の無い赤いヒトガタの顔には黄色く光る目らしきものが存在している。

 

「あなたが……ディエルゴなんですか?」

 

「如何にも。我こそがディエルゴ! ハイネルのディエルゴ! この島の共界線を束ね、支配する者なり!」

 

 アティの問いに何度か遺跡で聞いた声が応える。

 それと同時に幾つもの浮遊する球体が出現した。

 

「島の意志に刃向かう愚か者どもよ! 我が貴様らを支配してくれよう! 島の意志という一つの意志の下に従うがいい!」

 

 ディエルゴがそう言い終えると共に意志を持ったかのように動き出した球体がベルフラウたちに襲いかかった。

 

 ベルフラウたちは襲い来る球体を破壊しつつ、ディエルゴに接近していく。

 ディエルゴの左右には柱のような物が佇んでいるのが見える。

 

「あれが共界線の集合点であり、制御装置よ! あれを破壊すればディエルゴの力を封じることが出来るはずだわ!」

 

 アルディラ曰く、二つの柱にこの島の共界線を集めて制御しているらしい。

 ディエルゴの力の源である共界線とディエルゴを繋げるあの柱を破壊すれば、ディエルゴへの魔力の供給は途絶えるだろう。

 

「そういうことなら、オラァ!」

 

「ぐぬぅ!? 小賢しいわ!!」

 

 カイルの拳が唸り柱を打ち据えるとディエルゴが苦悶の声を漏らした。

 すぐさま黒い魔力の爆発の反撃がカイルを襲う。

 傷ついたカイルをヤードが癒やし、アティは柱を更に斬りつける。

 反対側の柱にはアルディラの召喚術とベルフラウの召喚術が襲いかかる。

 

「おいで、ドリトル! 『ドリルブレイク』!」

 

「いくわよ、イリ! 『串刺シノ刑ニ処ス』!」

 

「ぐうううう!? 貴様らあああ!? 許さぬ! 貴様らの存在、否定してくれる!!」

 

 何度も攻撃を受けて怒り狂ったディエルゴはその魔力を一気に解き放った。

 その膨大な魔力の奔流は床から吹き出し、ベルフラウたちの存在を消し飛ばそうとする。

『存在否定』とでも呼ぶべき一撃が収まるとベルフラウたちは吹き飛ばされて床に倒れていた。

 

「なんて威力なんですか……。み、みんなは……」

 

 アティが何とか上半身を起こすが、皆ダメージが大きく動けないようだった。

 

「くぅっ……。やっぱり、あの術を使うしか……」

 

「駄目です、ベルフラウ様! 今あれを使ったらあなたが……!」

 

「でも、このままじゃみんな死んじゃうわ! だったら私が……!」

 

 無色の派閥を圧倒した召喚術を使うしかないと言うベルフラウをクノンが止める。

 今の消耗し傷ついた状態では本当に命を失いかねない。

 だがベルフラウは反論した。

 このまま全滅するくらいなら自分だけが死ぬほうがいいと。

 ベルフラウは痛みを堪えながらサモナイト石に手を伸ばし──。

 

「……動ケマイ」

 

 魔力の糸に絡みつかれて動けなくなった。

 

「イリ、放してよ!」

 

「……ベルフラウ。大人シクシテイロ。我ダケデ充分ダ」

 

 イリはベルフラウを拘束すると、単身飛び出していく。

 その向かう先は──共界線の集合点である柱だ。

 イリは柱に飛びかかるとその口で噛みついた。

 

「くっははははは! ムシケラが何をするかと思えば……ムシケラらしい無駄なあがっ!? ぐあああああああああ!?」

 

 小さなイリの抵抗を嗤って見ていたディエルゴだったが、その嗤い声は突然苦悶の絶叫へと変わり始める。

 何とか身を起こして一体何が起こったのかと見ていた仲間たちだったが、ディエルゴ自身からその理由が語られ何が起きたのかを知ることとなった。

 

「ぐぎぃいあああああ! き、貴様! ま、まさかっ!? 共界線をっ!? 喰らって!? ぐおおおお!? 喰らっているというのかああああああああ!?」

 

 ディエルゴより語られたのはイリが共界線の集合点である柱に噛みつき、共界線そのものを喰らっているということだった。

 

「共界線を喰らうですって!? 有り得ない!! そんなことが出来るわけがないわ!」

 

「でも義姉さん、実際にディエルゴは苦しんでいるわ! ベルフラウ、イリは一体何者何ですか!?」

 

 アルディラは有り得ないと否定するが、ディエルゴが苦しんでいるのが現実。

 ファリエルが真剣な表情でベルフラウに問うがベルフラウにもそんなことは分からなかった。

 

「し、知らないわ。共界線とかそんなこと!」

 

「ぐおおおおお……ム、ムシケラがぁ! 図に乗るなぁ!」

 

 ディエルゴは苦しみに喘ぎつつも力を行使し、イリの頭上に巨大な重りを作り出す。

 落下し始めたそれは島の意志へ刃向かう愚か者に罪の烙印を押す物だ。

 その烙印の名こそ、死。

 

「イリ! 逃げて!」

 

 ベルフラウが叫ぶが落下速度と比べて遅すぎる。

 重りがイリの直ぐ真上まで迫ったかと思うと、重りは床まで落下しきり轟音を核識の間に響かせた。

 

 

 

 誰もその光景を信じなかった──いや、信じたくなかった。

 

「お、おい。嘘、だよな?」

 

 瞬きを繰り返すカイルも。

 目を見開いて口を押さえるソノラも。

 思わず剣を取り落としてしまったアティも。

 

「嘘……よね? だって……イリは私とずっと一緒にいるんだもん。これから……ずっと一緒に……」

 

 その呟きを聞いて護人たちは目を瞑って顔を伏せた。

 誰にもベルフラウにかけるべき言葉が見当たらない。

 

「ふ……はっ……はははははは! ムシケラ如きが、島の意志である我に逆らうからこうなるのだ!!」

 

「イリ! ……イリ……返事してよ……。うぁぁ……ああああああああ!!」

 

 核識の間にはディエルゴの高笑いと、ベルフラウのすすり泣く声だけが響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「キッキシキシギリギリッ……!! ギシャァァアアアアアアッ!!」

 

 ディエルゴの高笑いが止み、沈痛な面持ちのアティたちの耳にベルフラウの泣き声だけが聞こえていた核識の間に突然耳障りな音が響き渡る。

 その音の発生源は──上だ。

 上を見上げたベルフラウたちに見えたのは天井ではなく、巨大な影。

 核識の間そのものを覆い尽くすほどの巨大な影が揺れると、その大きさにベルフラウたちは目を剥いた。

 

「全知全能! 唯一無二! 絶対……無敵ィィイイイ!」

 

 その白い巨体から伸びる八本の脚が動くと遺跡内部そのものが揺れたのではないかと思うほど床が震動する。

 

「我ッ!! 異識体<イリデルシア>ハッ!! 此処ニ再臨セリ!! ギッギシギシ! ギシャシャシャシャシャ!」

 

 その口から発する異音で大気を震わせ。

 その存在そのものでリィンバウムを震わせ。

 異識体<イリデルシア>が名も無き島に顕現した。

 

 




祝・イリデルシア復活!!
復活条件については伏線おいといたはず。

さて、ここでタイムリミットです。
イリ→ベルフラウの好感度が
一定以上→このまま続行
一定以下→カルマルートへ

一番書きたかった場所かけて満足。

・nameイリ→イリデルシア
 class世界を喰らう者→異識体
 skill
 ????


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世界ヲ喰ス創造主

 遺跡から離れた森の中にある赤い建造物。

 シルターン風の内装で彩られたその店のカウンターに肘をついて頬杖をつく人物がいた。

 この店の店主であるメイメイだ。

 

「ようやく、みたいねぇ。キシシ! もう誰にも止められないわ」

 

 遺跡で起こった異変に気づいたメイメイは嗤う。

 全てが順調、それが楽しくて仕方がないのか口を裂けるほど開いて笑い声を漏らしていた。

 だが何か物を叩くような音が聞こえるとそれを中断して不機嫌そうに舌打ちをした。

 

「チッ……。今良いところだってのに!」

 

 メイメイは倉庫の扉を開くと繭の前まで突き進んで行く。

 内側から音を響かせる繭を黙らせる為に手を翳すが──。

 

「オリャアアアアアア! 至竜、舐めんじゃないわよ!!」

 

 繭を打ち破り、中から人が飛び出したのだ。

 その人物は──メイメイ。

 繭の前に立って面倒そうな顔をする人物と全く同じ姿の人物が繭の中から姿を現した。

 

「へぇ。出てこれたんだ? 流石は至竜、と言うべきかしら?」

 

「へ……? わ、私!?」

 

 繭から出てきたメイメイの目の前に立っていたのは自分と同じ姿をしたメイメイ。

 驚いて素っ頓狂な声を上げたメイメイだったが、すぐに状況を理解した。

 

「なる程ね、閉じ込めた私が居ないことに気付かれたら不信がられる。あなたはそうさせないための偽者ってところね」

 

 繭の中に閉じ込められたメイメイが店にいなかったら、アティたちや住人たちが不信に思うだろう。

 ここ最近にベルフラウたちが会っていたメイメイは偽物だったのだ。

 

「キシシ! 御名答! でもわかってる? 今私があなたを殺せば私が本物に成るのよ?」

 

「どうせこのまま逃がすつもりは無いんでしょう? さっさとあんたを倒して先生の所に行かせてもらうわ!」

 

「今更あなた如きが何をしても無駄なんだけどねぇ。まあいいわ。かかってらっしゃい、本物!」

 

「行くわよ、偽物! 異識体が何をするつもりか知らないけど、この世界を好きにはさせない!」

 

 二人のメイメイが衝突する。

 遺跡から遠く離れたこの場所で、誰も知らないもう一つの決戦が始まった。

 

 

 

 遺跡に突然現れた巨大な蜘蛛に皆が驚き、呆然とそれを見上げる。

 白い巨体を揺らして復活の産声を響かせる異識体を見上げたベルフラウはそれの正体が何であるのか気がついたようだった。

 

「あなた……イリよね? イリなのね?」

 

 仲間たちが何を言っているんだとベルフラウを訝しむが、ベルフラウは確信したかのように巨体を見つめる。

 それを聞いたアティはあの巨体な蜘蛛に見覚えがあるのを思い出した。

 あれはベルフラウと行った授業でのこと。

 召喚術に必要な創造力を養うために絵を書く授業を行ったのだ。

 

 その際ベルフラウが書いたのが蜘蛛のような姿の召喚獣だった。

 そしてその絵を見たイリがひどく驚いていたのを覚えている。

 恐らく、あの蜘蛛のような姿こそが復活を遂げたイリの姿なのだろう。

 遂に来てしまったのだ、あのデータの先である『復活』の時が。

 

『復活』によって何が齎させるとしてもベルフラウとイリの絆を守ってみせるとアティは誓った。

 だが──アレは駄目だ。

 アティの生物としての本能が、戦士としての直感が、膨大な魔力を扱う魔剣の主としての感覚が警笛を鳴らす。

 あれには勝てない、存在としての格が違うと。

 遥か高みから自身を睥睨する異識体との距離こそが格の差だと嫌でも理解させられる。

 

 かつて、サプレスの魔王たちは異識体をこう評した。

 魔王バルレル曰く、ありえない魔力。

 魔王メルギトス曰く、触れてはならない禁忌。

 ただ無知、想定が甘かった。

 機神や魔王に届き得るかもしれないなどとは今のアルディラは口が裂けても言えないだろう。

 その魔王たちですら『ありえない』『禁忌』だと言うほどの存在なのだから。

 

「肯定! 我コソガ異識体! 見ルガイイ、ベルフラウヨ! 復活ヲ遂ゲタ我ガチカラヲ!」

 

「なっ!? ムシケラが大きくなっただけだろう!? 我が核識の怒りよ! 嘆きよ! 痛みよ! 島の意志に刃向かうムシケラを滅ぼせ!!」

 

 ディエルゴは一瞬感じた恐怖を振り払い、虚勢を張ると攻撃を開始する。

 それは島の意志としての自負故か、共界線の支配者としての誇り故か。

 再び出現した球体が異識体の脚へと集まり攻撃を始める。

 それに対し異識体は煩わしそうに脚を振り上げた。

 

「愚カナ!」

 

 そのまま脚を振り下ろすと圧倒的質量に押し潰された球体は簡単に砕け散る。

 次の手としてディエルゴが生み出したのは巨体な重り。

 だがその重りの質量は異識体の質量に対してあまりにも小さ過ぎた。

 島の意志の攻撃を受けた異識体は何の痛痒も無いばかりか頭部の左右に存在する砲門のような物をディエルゴに向ける。

 その砲口が輝くと緑色の魔力が集束していき、一瞬の間の後緑色の光が強くなった。

 

「矮小! 卑小! 塵屑ガ、存在スル価値モナイ! 破滅セヨ!」

 

 左右の砲門から放たれた魔力のビームがそれぞれ共界線を制御する柱を打ち抜き、破壊していく。

 

「ぬおおおおお!? み、認めぬ! 島の意志である我に勝る存在など……認めてなるものか!!」

 

 柱を打ち砕かれる苦痛に叫びつつも、ディエルゴは異識体の存在を認めることが出来ない。

 共界線の支配者であり、島の意志であるディエルゴに勝る存在などこの島にあってはならないのだ。

 故に異識体の存在を否定するべく使用するのは、先ほどベルフラウたちを吹き飛ばしたディエルゴ最大の一撃。

 魔力の奔流が床から溢れ出して異識体に襲いかかるが、それすらも意に介さずにその脚を爪のように振るう。

 

「思イ上ガルナ! 意識体デスラ無イ貴様ニ、意志ヲ名乗ル資格ナド無イ!」

 

 振るわれた脚はディエルゴ本体を貫くと、大きな風穴を空けてしまった。

 

「ぐおおおおおお!? ぐぅうううグヲオオオオオ!?」

 

 力の源である柱を破壊され、本体に穴を空けられたディエルゴが絶叫を上げると核識の座が崩壊を始めて沈んでいく。

 

「勝ったんですか……?」

 

 そう呟くアティの目には叫びながら崩れ、沈んでいくディエルゴの姿が映る。

 

「勝ったのよ! 私たち、勝ったのよ! すごいわ、イリ! あなた本当にすごいのね!」

 

 ベルフラウが喜びの声を上げると、仲間たちも勝利を実感したのか張り詰めていた顔が笑顔に変わっていく。

 自分たちは勝ったのだと、この島を守れたのだと。

 だが。

 

「グウウウ……ま、まだだ! 島の意志たる我が力……こんなものでは無いぃぃいいい!!」

 

 未だに自身の敗北を認めようとしないディエルゴが何を仕出かしたのか、それはラトリクスの観測設備との繋がりを持つクノンの口より告げられた。

 

「地盤崩壊を感知!! 島中の水脈、火山脈が乱れていきます!!」

 

「我はこの島の共界線を束ねる存在! その我が消えれば、要を失ったこの島の共界線は崩壊して消え去るのだ!!」

 

「そんな……この島がなくなってしまうってことですか!?」

 

 そもそもこの島を守るために戦っていたというのに、ディエルゴを倒したことでこの島が無くなってしまうというのだ。

 みんなの思い出の詰まったこの島を守りたいと願うアティの顔は絶望に暮れる。

 

「我を超える存在などあってはならないのだ! この島ごと消え去るがいい!」

 

「イリ! あいつを黙らせて!!」

 

「良カロウ! 誅殺!」

 

 それが止めになったのか、誅殺の光に貫かれたディエルゴは完全に砕け散ると消滅した。

 

 

 

 ディエルゴを倒したベルフラウたちだが、肝心の島が崩壊を始めてしまった。

 遺跡の主の消滅により、遺跡そのものも崩落を始めたようで天井がパラパラと崩れ始めている。

 

「島が……これじゃあ、あいつを倒しても意味ないじゃない」

 

 ベルフラウが表情に影を落とす。

 ディエルゴとの戦いはこの島の未来を救うための戦いだったのだ。

 これでは戦いに勝っても意味がない。

 

「……ベルフラウ。コノ島ヲ守リタイカ?」

 

 上から聞こえたその質問にベルフラウは異識体を見上げて答える。

 

「当然よ! だってこの島は、あなたと出会った場所だもの」

 

「ソウカ……。我ナラバ、島ノ崩壊ヲ止メラレル」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 異識体が告げる希望。

 この島を守ることが出来る、その可能性。

 顔を伏せていたアティはそれを聞いて顔を上げると目に希望を灯す。

 

「オ前タチハ船ニ戻レ。後ハ我ニ任セルガイイ!」

 

 見れば、遺跡の崩落が激しくなってきている。

 急がなければ帰り道が無くなってしまうだろう。

 だが脱出のために動き始めた仲間たちとは違い、ベルフラウはこの場を動こうとしない。

 

「私も残るわ!」

 

「ベルフラウ……戻レ」

 

「嫌よ! 私言ったでしょ? あなたとずっと一緒にいるって」

 

「イリ、私からもお願いします! ベルフラウと一緒にいてあげてくれませんか?」

 

「……好キニスルガイイ」

 

 意地でも動こうとしないベルフラウを見たうえ、アティの懇願まで受けた異識体は説得を諦めたようで、ベルフラウが残ることを認めた。

 アティは核識の間の入り口へと走るとベルフラウたちを振り返る。

 

「ベルフラウさん、イリ。みんなの島を、この島の未来をお願いします!」

 

「任せなさい! 私とイリに不可能なんてないんだから! 先生は安心して待っていればいいのよ!」

 

「はい! 信じますよ! 絶対無事で帰って来てくださいね!」

 

 最後にそう叫んだアティは崩壊していく遺跡の通路の先に消えていった。

 それを見届けると異識体が脚を屈めてベルフラウに顔を近づける。

 自身に近づいたその顔にベルフラウは手を添えた。

 

「それで、どうするの?」

 

「共界線ヲ掌握スル。……チカラヲ貸セ」

 

 ベルフラウは異識体に手を添えたまま、自身の意識に埋没する。

 その中にある自身とイリの繋がりに魔力を流し込む。

 

「イリ……ありったけを持って行きなさい! 私とイリの大切な場所を守って!」

 

 ベルフラウの想いの篭もった力、それを流し込むとイリとベルフラウとの間にある繋がりの光が震え始めた。

 それでも構わずに力を送り続けるベルフラウは次第に理解した。

 震えているのは、繋がりではない。

 それが繋ぐベルフラウとイリの魂が共鳴しあって、響きあって。

 結果的にそれを繋ぐ光が震えているのだと。 

 

 ベルフラウとイリの魂の共鳴はより強くなっていき、より響き合う。

 魂同士を響かせあう友。

 遥か遠い未来の世界ではそれを響友<クロス>と呼んだ。

 

 




好感度足りてないなんて嘘でも言えませんよ。
というわけでカルマルート回避成功。
このまま最終話へ。


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響界ノ到達点

 海賊船へと戻ったアティたちの視界の先では島の大地が大きく揺れていた。

 所々で地割れが起き、地面が隆起し、木々が倒れる。

 この世の終わりではないかと思ってしまうようなその光景は島の住人たちの目に焼き付き、心に不安と焦燥を抱かせる。

 

「辛れぇな。俺たちの島なのに見てることしか出来ねえってのは」

 

「信じましょう。ベルフラウとイリを」

 

「そうね……。信じて待つしかないものね」

 

 自分たちが住む島の危機なのに自身は何も出来ない、そのことがとても悔しくて苦しい。

 甲板の上から島の崩壊を目にするヤッファがその心情を吐露すると、自分の生徒と護衛獣がこの島を守ってくれると信じて疑わないアティから声がかかる。

 アルディラもそれに同意して、成り行きを見守ることにしたようだった。

 

「みんな、無事なの!?」

 

 どこから現れたのか、傷だらけの姿で海賊船に近づいてきたのはメイメイだ。

 

「メイメイさん!? どうしたんですか!? 傷だらけで……!!」

 

 それを目にしたアティが驚いたような声を上げるが、アティの姿を確認したメイメイはそれを上回る勢いで驚くと大声で叫んだ。

 

「せ、先生!? どうしてあなたがここにいるのよ!?」

 

「えっ? えっと??」

 

 惚けた顔で混乱しているアティに腹をたてたのか、メイメイの口調は叱咤するような物に替わる。

 

「あなた、自分の役割分かってるの!? あなたは遺跡に残って、剣の力で共界線を繋ぎ止めないといけない、そうでしょう!?」

 

「遺跡にはイリが残ってくれてますよ」

 

 メイメイはアティに役目を説くが、その返事は信じられないものだった。

 島の共界の集合点である遺跡に共界線を喰らう異識体を残して来るなどと、正気ではない。

 

「は? な、何で!? あの異識体を遺跡に野放しにしてるっていうの!?」

 

「イリだけじゃありませんよ。ベルフラウも一緒です」

 

「先生あなた、自分の生徒が可愛くないの!? 異識体と一緒に置いてくるなんて!?」

 

「メイメイ、あなたさっきから……随分とイリのことを知っているみたいな口振りじゃない」

 

 メイメイに詰め寄られるがその原因がわからずアティが首を傾げていると、そのやり取りを聞いていたアルディラが口を挟む。

 

「メイメイよ、教えてくれんか? イリが何者なのかをな」

 

 騒ぎを聞きつけたのか集まってきた仲間たちの中からミスミがメイメイから核心を聞き出そうとする。

 すると隠し通すわけにもいかないと判断したのかメイメイはベルフラウの護衛獣イリの──イリデルシアの全てを話しだした。

 

「……話すわ。異識体が何者なのか、何をしてきたのかを」

 

 

 

 

 メイメイから語られたイリ……異識体<イリデルシア>の正体。

 それはアティたちの想像を遥かに超えるものだった。

 異識体とは界の意志に匹敵する存在、即ち意識体の一種。

 界の意志たちが世界を作ったのと同じように、繭世界<フィルージャ>を作り出した異識体は共界線を刈り取って繭世界に引き込み、喰らっていたのだ。

 共界線を失ったリィンバウムと、それを取り巻く四つの世界はやがて崩壊を始めた。

 それでも満足しない異識体は崩壊を始めた世界をも喰らい始め、やがて界の意志を凌駕する存在になってしまったのだ。

 

「最終的に異識体は勇者たちによって討伐されたわ。それで事件は解決した……はずだった」

 

 メイメイがそう締めくくると、皆が想像以上のスケールの話にあっけにとられていた。

 リィンバウムどころか四界まで巻き込んだ壮大すぎる規模なのだから無理は無いだろう。

 

「世界……いや、五界の危機だったというわけですか」

 

「あまりにもとんでもねぇ話だなこりゃ」

 

 ポカンと口を開けているソノラの傍でヤードとカイルが唸る。

 今回の島の危機だとかそういう規模の話ではないのだ。

 

「しかし、それならばイリがディエルゴを終始圧倒していたのも分かりますね」

 

「ああ、界の意志を凌駕する存在なんだ。島の意志なんざハナからメじゃねぇだろうさ」

 

「それに、イリが送還術を使えたのにも説明がつきます」

 

「そうね。送還術を人々に授けたのは界の意志。授けた側と同種の存在ならば使えても可笑しくはないわ」

 

 護人たちはメイメイの説明を聞いて各々抱いていた疑問を晴らし、納得した様子だ。

 

「イリさまの言う全てを喰らうというのは文字通り全て……世界そのものという意味だったのですね」

 

「全てを……世界を喰らう存在。だからこそイリは一人ぼっちで、感情を知らなかったんですね」

 

 スクラップ場でイリとぶつかったクノンとアティはあの時にイリが言っていたことの真意を理解する。

 

「世界を喰らうとは……嫌な気だとは思っておったがそこまでじゃとはな」

 

 戦慄するミスミの顔を見て我が意を得たかのようにメイメイはアティに訴える。

 

「わかったでしょう? アレがどういった存在なのか。あれは世界を滅ぼす存在なのよ!」

 

「イリが何者なのかは分かりました。でも私たちは仲間ですから。信じますよ、ベルフラウとイリを」

 

「なぁっ!? 異識体を信じるっていうの!? お人好しなのはあなたの良いところだけどねぇ! 流石に限度ってものがあるわよ!!」

 

 異識体の正体を知ってもなお、信じる意志を曲げないアティにメイメイが呆れるが──。

 

「それにメイメイさんの言う通りイリが界の意志を超える存在なら、私たちにはどうにも出来ませんよ。全員でかかったって敵いっこありません」

 

「ぐぅ。それは……そうなんだけど」

 

 アティに核心を突かれてメイメイは何も言えなくなってしまう。

 メイメイの言うことが真実なのなら、遺跡に残った異識体をどうこう出来る人物などいないのだ。

 

「信じて待ちましょう? 私たちに出来るのはそれだけですよ」

 

「あっあれ! 遺跡が!」

 

 アティがメイメイを諭すと遺跡の変化に気づいたソノラが声を上げた。

 

 

 

 ソノラが指をさす先に聳える遺跡が白い糸のような物に覆われていく。

 重なり合う糸の層はやがて球体を形成した。

 遺跡そのものを覆い尽くしたそれは卵のようにも繭のようにも見える。

 

「あれは……繭、よね?」

 

「異識体……一体何をするつもりなの?」

 

 メイメイは異識体が何を仕出かすのか気が気でない。

 異識体の動向次第ではこの島どころか世界が滅ぶのだから。 

 繭が形成されると、その頂点部分を銀色の翼のようなものが突き破って出てくる。

 その光景は蛹から羽化する蝶を思わせる。

 翼が大きく広がると繭を構成する糸が解けて崩壊を始めた。

 その姿を隠していた糸の層が消えていき、翼の次にアティたちに見えたのは白銀の竜の頭部。

 

「まさか!? 狂竜!?」

 

 別世界のメイメイが勇者たちの一人、誓約者アヤから受けた異識体に関する報告。

 他者を喰らい続けた異識体が際限のない欲望と狂気の果てに黄金の竜の姿へと辿り着いたとアヤは言っていた。

 竜とは魂の行き着く究極進化系だ。

 元々界の意志を凌駕する力を有していた異識体は更なる進化を遂げ、界の意志の概念をも超越した邪神となる。

 欲望と狂気によって竜へと至った異識体をアヤは異識体・狂竜と呼称した。

 竜の姿を見たメイメイは異識体が狂竜になったのではないかと思ったのだ。

 

「銀色の竜……綺麗」

 

 太陽の光を浴びて輝く白銀の竜を見たファリエルはその姿に目を奪われた。

 光の粒子に包まれたような竜の姿はある種幻想的な光景だ。

 

 異識体が他者を喰らい続けた果てに到達した、黄金の竜を狂竜とするのならば。

 他者であるベルフラウと魂を響かせあった異識体の到達点である白銀の竜は──響竜。

 島の住人たちの視線を一身に受けながら異識体・響竜は産声を上げた。

 

「完全無欠! 永遠不滅! 古今無双ナリ! ギリリッ! ギシャアアアアアア!」

 

 

 

 異識体はその翼を大きく広げ、島の上空へと飛び立つ。

 ベルフラウから受け取った力は異識体をして驚くべきものだった。

 現在の力は黄金の竜の姿であった時と謙遜がないほどだ。

 ただの人間の少女でしかないベルフラウにそんな力があるはずはない。

 だが現にベルフラウは異識体に大きな力を供給している。

 

 これがベルフラウから感じた『何か』なのか。

 かつて自身を倒した人間たちから感じた『何か』なのか。

 かつて異識体は自身に刃向かった人間たちが仲間がいるから負けないとのたまった時、それが不完全である証だと断じた。

 依って立つには曖昧すぎるそれは現実からの逃避だと。

 甘い願望に縋るのは不完全で弱い証だと。

 人間たちが縋ったそれが、かつて完全なる個であった自身を打倒した力だというのか。

 

「理解……不能ッ!? ダガ……現実ニッ!? ベルフラウ……貴様ハ何者ナノダ!?」

 

 思えば、異識体にとってベルフラウという存在は最初からわけのわからない存在だった。

 自分の危険を省みずに異識体をゼリーたちから助けた。

 異識体と共に食事を食べて、共に眠った。

 異識体といると嬉しそうに笑った。

 異識体に好きだと言った。

 異識体とずっと一緒に居たいと言った。

 

 そんな存在は今まで居なかった。

 そんな存在は今まで知らなかった。

 そんな存在が異識体は嫌いではなかった。

 

(「……嫌いではないなんて、そんな言い方じゃだめよ……ちゃんと好きって言って」)

 

 そんな存在を異識体は好きになった。

 他者を喰らう対象としてしか見てこなかった異識体が他者を好きになった。

 ベルフラウの笑顔を見ると悪い気がしなかった。

 ベルフラウが傷付けられた時には怒った。

 復活した今でもベルフラウを喰らおうとは思えなかった。

 

 ベルフラウの想いと、ベルフラウとイリの絆が有り得ない筈の奇跡を産んだ。

 異識体がその身に宿した業──飽くなき食欲を抑えたのだ。

 

 だから果てのないはずの食欲さえ、ベルフラウの笑顔が想起されると大人しくなった。

 それどころかより強い力が異識体の内のベルフラウとの繋がりから湧き出すのだ。

 

「何故ダ……ベルフラウヨ! 何故コレ程マデノチカラヲ我ニ与エル事ガ出来ル!?」

 

「(私とイリが揃えば、無敵なんだから!)」

 

 ベルフラウの笑顔と共に思い起こされたのは、遺跡に来る前にベルフラウが言った言葉。

 ベルフラウと異識体が揃ったから、無敵になったのか? 

 荒唐無稽、滅茶苦茶な理屈だ。

 しかし現に今は無敵といえる状態。

 その理屈を否定する材料がない。

 

「我トベルフラウガ揃エバ無敵、カ……。キシキシ!」

 

 その馬鹿しいはずの理屈が真実であるかのように思えてしまう。

 白銀の竜の身体から魔力の糸が伸びると、島の各地の共界線へと接続される。

 島を流れる共界線に接続し掌握、要を失い制御を失った共界線を再び束ねていく。

 さらには崩壊した箇所に魔力を伸ばすと修復を始める。

 かつて共界線を刈り取り、喰らうだけの存在であった自身が共界線の修復をしている。

 しかも、かつてなら絶対にやらなかったであろうそれは、たった一人の少女の願いを叶えるために行われているのだ。 

 それが異識体には可笑しくて仕方がなかった。

 たった一人のために行使された強大な力は崩壊した島の共界線を完全に修復した。

 

 

 

「イリ!!」

 

 ベルフラウが見上げた空に飛び立った巨竜がベルフラウの頭上に戻ると、精一杯に手を振るベルフラウの体が糸に吊り上げられたかのように浮かび上がった。

 

「きゃあっ!?」

 

 小さく悲鳴を上げたベルフラウが目を閉じると少しの浮遊感を感じた後、何かの上に乗ったのに気がつく。

 ベルフラウが恐る恐る目を明けると、白銀の竜の掌の上に乗っていた。

 異識体が翼を羽ばたかせ、上空へ上昇するとベルフラウは帽子が飛ばないように手で抑え、下を見下ろす。

 ベルフラウの眼下に広がっていたのは名も無き島とそれを囲む広い海。

 彼女たちが守った島の全景がベルフラウの視界に映っていた。

 

「凄い……。こうやって空の上から眺めるのなんて、初めてよ。ふふっ、こうやって見ると小さく見えるわね。あれが、貴方が守った島なのよ」

 

「……我トベルフラウガ、ダ」

 

 異識体がベルフラウの発言を訂正すると、ベルフラウはパチクリと瞬きをして

 、小さく笑う。

 

「そうね、イリ。私たちが守った島よね。……ありがとう、イリ。島のことも、この素敵な空のデートもね」

 

 最後に付け加えた言葉を頬を染めたベルフラウが言うと、異識体は青空に咆哮を轟かせた。

 

 

 

 アティたちが船の上から結末を見届けていると、響竜から伸びた糸が虹色に光って消え、島を襲う揺れが収まる。

 隆起した大地とひび割れた地面は元に戻り始めた。

 

「地鳴りが……止んだ?」

 

「それどころか地割れが直っていくわ。……にゃはは、なんでもありね」

 

 揺れが収まった島の様子を見てヤードは安堵し、異識体による修復の結果を見て乾いた笑いを漏らすメイメイは張り詰めていた気が抜けたのか甲版に膝をついた。

 

「あっ! 二人とも戻って来たみたい!」

 

 空から降りてくる銀色の竜に気がついたソノラが声を上げて手を振ると、銀色の竜は船の近くに着陸し、ベルフラウを掌から大地に下ろした。

 

「アティ、迎えに行ってあげなさい」

 

「はいっ!」

 

 アルディラに促され、自分の生徒の下にアティが駆け出す。

 ベルフラウもそれに気づいたらしく、アティに向かって走り出した。

 

「お帰りなさい、ベルフラウさん!」

 

「ただいま! 先生!」

 

 飛びついてきたベルフラウを受け止めて抱きしめたアティは異識体を見上げると微笑む。

 

「イリも、お帰りなさい」

 

「……戻ッタ」

 

 異識体がぶっきらぼうに返事をすると、アティに抱きついていたベルフラウが頬を膨らませて異識体を振り返る。

 

「もうっイリ! そんなのじゃだめ! ただいまってちゃんと言うのよ!」

 

「……タダイマ」

 

「うん! お帰り、イリ!」

 

「ふふっ。お帰りなさい、イリ!」

 

 ベルフラウとアティが嬉しそうに笑うと、仲間たちが船を降りて集まってくる。

 青々とした空の暖かな日差しと柔らかな風がいつも通りの島を包む。

 島を覆っていた凶妄は消え去り、名も無き島にようやく平穏が訪れた。

 

 




・nameイリデルシア→響界竜イリデルシア
 class異識体→異識体・響竜
 skill ????


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ズット、一緒ニ

 ディエルゴによる島の崩壊は食い止められ、名も無き島にはベルフラウたちや帝国軍たちが流れ着くより以前の平和が戻った。──いや、それはきっと正しくない。

 アティたちの影響で閉鎖的だった各集落同士の交流が始まり、以前にもまして平和で賑やかな島になっていた。

 平和になったのが嬉しいようで騒いでいた住人たちに別れの挨拶を告げたベルフラウは、初めて流れ着いた砂浜に座り込む。

 そう、別れの挨拶だ。

 ベルフラウは元々、工船都市パスティスにある軍学校の試験を受けるために定期船に乗っていたのだ。

 島を覆う結界は消え去り、カイルたちの海賊船の修理も終えた。

 本来の目的を果たす為、ベルフラウはこの島から去らなければならない。

 

「……イリ、憶えてる? ここが私とイリが初めて出会った場所よ」

 

「……ソウダッタナ」

 

「寂しいわね……この島から出なきゃいけないだなんて」

 

「……ベルフラウ。話ガアル」

 

「イリから話? 何かしら?」

 

 いつも話題を振るのはベルフラウからで、イリからというのはあまり多く無い。

 ベルフラウは興味深そうに隣にいる白銀の竜へと目を向けた。

 

「我ハ繭世界ニ帰ル」

 

「え……? 帰る……?」

 

「ソウダ。我ガ創造シタ世界ヘト帰還スル」

 

「どうして!? リィンバウムにいればいいじゃない!」

 

「我ハ繭世界ノ創造主デアリ、繭世界ノ意志。今ノ繭世界ハ意志ガ不在ナノダ。チカラヲ取リ戻シタ今コソ世界ノ意志デアル我ガ戻ラネバナルマイ」

 

 

「なによそれ!! 私とその世界、どっちが大事なのよ!!」

 

 護衛獣に叫んだベルフラウはハッと気づく。

 自分と世界。

 それを比べようなどと驕りすぎている。

 

「ドチラガ大事……ギシッ! ギシシシ! 世界一ツト人間一人……比較ニスラナラヌ! 解答明白!」

 

 その両者を天秤に乗せればどちらが重いかなど明らかだ。

 

「でも……それでも。……私を選んで。私とずっと一緒にいて」

 

 自分がわからず屋だとも、自分が言っていることが傲慢なことだともよくわかっている。

 だからといってここで引き下がるほどベルフラウのイリへの想いは弱くない。

 ベルフラウは目を潤ませながら懇願する。

 その要求はイリにずっとベルフラウの護衛獣でいろという要求。

 イリに繭世界のエルゴであることを辞めろと言っているのにも等しい要求。

 あまりにも不敬で、あまりにも傲慢すぎる言葉。

 だがイリはそれを却下する言葉を出せなかった。

 涙に濡れるベルフラウの瞳が、切なげな表情がイリの思考を惑わす。

 目の前の光景が──ベルフラウが悲しんでいるという現実が──天秤を傾けた。

 

「……良カロウ。我ハ今暫ク、ベルフラウノ護衛獣デイルトスル」

 

「嬉しい。イリ、ありがとう」

 

 イリの銀色の腕へ頬を寄せるベルフラウは安心したように笑みを浮かべる。

 だがその安心の中に一抹の不安が生まれていた。

 もしまたイリが帰りたくなったら? 

 どうすれば自分とイリがずっと一緒にいられるのか、そればかりをベルフラウの思考が占めていた。

 

 

 

 良く晴れた空と同じ色の大海原を掻き分けて一隻の木造船が進む。

 マストに掲げられてはためく海賊旗が、その船が海賊船であることを示していた。

 その船の一室は少し前までは椅子に腰掛ける少女の自室だった。

 

 名も無き島での事件が解決された後、ベルフラウはイリ、アティと共に当初の目的地であった工船都市バスティスへ行き、軍学校の入学試験を受けた。

 結果は見事合格。

 ベルフラウは帝国軍学校の生徒として学校に通う日々を送っていた。

 

 護衛獣のイリと共に学校生活を送っていたベルフラウだったが、現在は夏期休暇中だ。

 丁度オウキーニとシアリィの結婚式があの島で行われるとの知らせを聞き、結婚式に参加するカイルたちに拾ってもらったのだ。

 久し振りに名も無き島へと帰ったベルフラウたちは島の住人たちとの再会を喜び、積もる話に花を咲かせた。

 特に島の子供たちはベルフラウが島から離れてから寂しがっており、マルルゥはベルフラウの姿を見たとたん泣いて飛び付いたものだ。

 

 メインイベントである結婚式が始まると、タキシード姿で現れオウキーニとドレス姿のシアリィをベルフラウたち出戻り組を含めた島の皆が祝福した。

 仲人を務めたのは勿論ジャキーニで、弟分の晴れ姿を見て男泣きしたジャキーニに続いて部下たちも泣き始めてしまい、新郎新婦共に困ったような嬉しいような表情をしていたのが印象的だった。

 

 

 

 今ベルフラウが乗っているのは結婚式を終えた帰りの船の中だ。

 船に揺られるベルフラウの記憶には結婚式の光景がまだ焼き付いていた。

 ドレスに包まれたシアリィはとても綺麗で、並んで微笑む二人はとても幸せそうだった。

 それを思い返したベルフラウは部屋の中をふよふよと浮かぶイリをチラチラと見てしまう。

 現在のイリの姿はベルフラウの良く知る小さな蟲へと戻っていた。

 バスティスへ向かうにあたって、巨大な蜘蛛の姿や白銀の竜の姿では都合が悪い。

 あれではとても街には入れない。

 もしも街に巨大な蜘蛛や竜が現れたら大混乱に陥ってしまうだろう。

 どうしても離れたくないと白銀の竜にしがみついたベルフラウのためにイリは小さな蟲の姿に戻ったのだ。

 自身に頻繁に視線を寄越すベルフラウの様子に気がついたのか、イリはベルフラウの前まで寄ってくる。

 

「ギィイ……ドウシタノダ? ベルフラウ」

 

 イリに話しかけられるとベルフラウは肩を跳ねさせたが、二度深呼吸をして心を落ち着かせると覚悟を決めたように決意を瞳に込める。

 

「あのね、イリ。話があるの」

 

「ギィイ……?」

 

「私と……! 結婚して欲しいの!!」

 

 

 

 ベルフラウは如何にも高級そうな、フワフワとした絨毯を踏んで掃除の行き届いた廊下を進む。

 やがて木製の扉の前で脚を止めると、胸に手を当てて深呼吸をする。

 何度も開けたことがあるはずのこの扉が今のベルフラウにはとてつもなく大きく、重い物に思えてしまう。

 意を決して扉に手を添えて押すと扉から軋むような音が響き、ゆっくりと開き始めた。

 

「やあ、お帰り。可愛いベル」

 

 開いた扉の先、陽の日が差し込む窓を背後に椅子に腰掛けて執務机に肘を置いて出迎えた声は気さくな男の声だった。

 鼻のしたに髭を生やした男は目と口を弓なりに反らして、嬉しそうにベルフラウを出迎えた。

 

「ただいま、お父様」

 

 その男こそが、帝国屈指の大豪商。

 そしてベルフラウの父親でもある、ジャン・マルティーニその人だった。

 

「無事、軍学校に入学出来たみたいだね。おめでとう!」

 

「ええ、ありがとう。先生のおかげよ」

 

「彼女に家庭教師を頼んで正解だったみたいだね。学生生活は順調かな?」

 

 話題が合格に関するものから学生生活についてのものに変わり、ベルフラウは授業や成績、そして学友たちとの生活について話し始める。

 それを嬉しそうに聞いていたジャンだったが、イリという名が話の中に頻繁に出てくることに気づくと眉をひそめた。

 

「楽しんでいるみたいで何よりだよ。ところでベル、イリという名前が度々出たんだけど……」

 

「お父様、そのことで話があるの。私……結婚したい殿方がいるのよ!」

 

 ジャンが思ったのはついにきたか、ということだった。

 軍学校では様々な男と会うことになるだろう。

 想定よりも早かったが、いつかは娘にそういう相手が出来るだろうとは思っていた。

 

「……結婚したい、か。近いうちにその男に挨拶してみたいものだね」

 

「えっと……それがね。イリには扉の前で待ってもらっているのよ」

 

「ほう。それではその男に会わせてもらえないかな?」

 

 いつか娘に好いた男が出来ると予想はしていたが、それを受け入れるかは別問題だ。

 自分の可愛い娘に手を出した不届き者の顔を一目見て叩き出してやるのだ。

 軍学校に入学したばかりの青二歳、その上娘に手を出した愚か者。

 どうせ碌でもない男に違いないのだ。

 

「イリ、入ってきて」

 

 ジャンは開いていく扉を鋭く睨みつける。

 両開きの扉から姿を見せたのは、白い蟲だった。

 

「は?」

 

 ジャンが思わず間抜けな声を漏らしたのも無理はないだろう。

 どんな男が入ってくるのかと身構えていたのに、入ってきたのはベルフラウの頭くらいの高さを浮遊する蟲。

 人の形すらしていない異形。

 これが亜人だったのなら、ジャンは困惑しつつも対応していただろう。

 だが目の前の光景は彼の許容量を超えていた。

 

「お父様、紹介するわ。イリよ」

 

 ベルフラウによれば、あの蟲こそがイリに違い無いようだった。

 ジャンがチラリとベルフラウの顔を見ると、白い蟲を紹介し誇らしいような顔をしていた。

 ベルフラウが当たり前のように蟲を紹介し始めたことで、ジャンはもしかしたら自分の常識が間違っているのではないかと疑ってしまう。

 少し固まったジャンは首を振り、目の前の光景こそがおかしいのだと思い直すと恐る恐る口を開いた。

 

「えっえっと、まずは自己紹介してもらえるかな?」

 

「不敬! 厚顔! 無礼! 貴様カラ名乗ルガイイ!」

 

「えっ? ええっ!? た、確かに礼を欠いていたかもしれないな。僕はジャン・マルティーニ。マルティーニ家の当主、そしてベルの父親だよ」

 

 身内が招待した客に対して先に名乗らなかったのが礼を欠いていたかもしれない、そう思いジャンが自分から名乗ると異形もそれに応えた。

 

「我コソハ異識体<イリデルシア>! 繭世界ノ創造主ナリ!」

 

「そ、創造主……?」

 

 だが返ってきたのはジャンの理解を超えたもので、困惑混じりに聞き返してしまう。

 

「お父様、イリとの結婚を認めて欲しいの!」

 

 混乱の渦に飲み込まれたジャンだったが、ベルフラウに結婚の承認を求められると慌てて拒否を口にした。

 

「み、認めん!! 認められるか!?」

 

「どうしてよ!?」

 

「ベル、よく見てみるんだ! お前の連れてきたイリとやらは人の姿をしていない! 化物じゃないか!」

 

 よく見なくてもイリは異形の化け物だ。

 ジャンは父として娘と化け物の結婚を認めたくなどなかった。

 

「そんなの関係ないわ! 私とイリは愛し合っているもの!」

 

「ギィイ……? 愛……??」

 

「関係無いだって!? そんなわけがあるか! 子供はどうするんだ!? ベルはマルティーニ家の跡継ぎなんだぞ!? その化け物と子供を作れるとでも言うのか!?」

 

「そ、それは……」

 

 マルティーニ家は帝国随一の商家だ。

 それを継ぐ立場にあるベルフラウは子供を作らないといけない、それを理解しているベルフラウは顔を伏せて言葉に詰まった。

 

「子供……? 可能ダ」

 

 何やら困っている様子のベルフラウを見たイリが口を挟む。

 ベルフラウは顔を上げてイリに食いついき、ジャンは呆けたように声にならない音を吐いた。

 

「本当!? 本当に子供を作れるの!?」

 

「へ?」

 

「創造主デアル我ニトッテ、生命ノ創造ナド容易イ」

 

 イリは先ほど名乗った通り、繭世界の創造主だ。

 一つの世界に存在する全ての事象を生み出したイリにとって生命の一つや二つを生み出すことなど容易いのだろう。

 それを聞いたベルフラウは勝ち誇ったかのように鼻を鳴らした。

 

「ふふん、これで問題は解決したみたいですわね? さあ、結婚を認めて下さいな」

 

「ぐぬぅ……」

 

 ジャンが視線をあちこちに彷徨わせ、否定の材料を探すが見つからない。

 

「……ベル、お前はまだ幼い。結婚するには早すぎるだろう」

 

 ジャンに残された手は時間稼ぎだった。

 ベルフラウが自分を見つめ直し、化け物から離れるのを待つしかない。

 結婚出来る年齢までを時間制限とした賭けだった。

 

「それじゃあ!?」

 

 事実上の敗北宣言にベルフラウは目を輝かせる。

 

「結婚出来る年齢まで待つこと、いいね」

 

「やった! やったわよイリ!」

 

 ベルフラウはイリを抱きしめると今まで父親が見たことがなかった程の笑顔を浮かべ、イリを抱えて飛び出して行った。

 

 

 

 あれから幾許の時が経ち、名も無き島にて再び結婚式が行われていた。

 仲間たちと住人たちが見守る中、白いドレスに身を包んだ新婦は隣りの新郎と共に前へと進む。

 是非自分が、と名乗り出て仲人を買って出たアティの前に新婦が進み出ると、アティは笑いかけた。

 

「ベルフラウさん、綺麗ですよ。とっても」

 

 アティから見て、幼さが抜けて妖艶さが入り混じったベルフラウは先生という贔屓目を抜きにしても美しい。

 かつてこの島で暮らしていたときよりもベルフラウの背丈は大きくなり、アティに近づいていた。

 小さな蕾はもう花へとなりかけていたのだ。

 

「ありがとう、先生」

 

 ベルフラウが微笑みを返すと、生徒の成長が嬉しいのかアティは笑み深くしつつ目の端が濡れ始める。

 少し感傷に浸っていたアティだが、皆の視線を感じると咳払いをして仲人としての役目に入った。

 

「新婦、ベルフラウは病める時も健やかなる時も新郎、イリデルシアを愛し続けることを誓いますますか?」

 

「誓います!」

 

 力強く、素早く答えたベルフラウに頷き、アティはイリへと視線を向ける。

 

「新郎、イリデルシアはどれだけ辛く、苦しい時も新婦、ベルフラウと共に過ごし、愛し続けると誓いますか?」

 

「……」

 

「えっとイリ……?」

 

 返事がないイリに小声で声をかけたアティはイリの発光体が明滅しているのに気がつく。

 オウキーニとシアリィの結婚式の帰りの船の中でベルフラウがイリにプロポーズをした。

 だがイリに結婚の意味が分かるはずもなく、その意味をベルフラウに問うたのだ。

 その時、ベルフラウは『ずっと一緒にいる約束』だと答えた。

 それなら、とイリは頷きベルフラウのプロポーズを受け入れたのだ。

 

 その『ずっと一緒にいる約束』がどうしてこんな式典になっているのか、イリには分からなかった。

 発光体をひたすら明滅させ、イリは困惑する。

 隣りでドレスを着て、期待の目で見つめてくるベルフラウも。

 式の進行が止まってしまい困った様子のアティも。

 ベルフラウとイリを祝福する参加者たちも。

 この状況そのものがイリにとって理解不能。

 

「イリ、誓ってほしいの。私とずっと一緒にいるって」

 

 ベルフラウの言葉と、困り果てて無言の圧力を発し始めたアティに押され、イリは誓いを言葉にした。

 

「……誓オウ」

 

「それでは2人とも、誓いのキスを」

 

 イリが誓いの言葉を口にしたことでほっとした様子のアティは結婚式を先へと進めた。

 

 

「……ギィイ??」

 

 式典の次の段階への移行を告げるアティの言葉にイリが疑問符を浮かべるが、ベルフラウはイリの身体を両手で掴むと自分の顔に近づける。

 

「イリ、愛してる。ずっとずっと、一緒にいましょう」

 

「……ベルフラウガソレヲ望ムノナラ、共ニイヨウ」

 

「イリ、言わなくてもわかってるでしょう? お願い!」

 

 今まで何度か同じようなことを繰り返したのか、イリはベルフラウの望む答えを察した。

 

「……愛シテイル」

 

 それを聞いて我慢が出来なくなったように、ベルフラウはイリとの距離を零にした。

 皆が固唾をのんで見守るなか、しばらく二人の影は重なったままだった。

 

 

 

 マルティーニ家の屋敷に慌てた足音と声が慌ただしく響く。

 

「お嬢様!! フランお嬢様!! 待ってくださいよぉ!」

 

 慌てて追い掛けるメイドに振り返ったのは、白い髪と青い瞳の少女だった。

 

「あら、パッフェル。使用人の分際でこの私の歩みを止める気かしら?」

 

「フランお嬢様! 困りますよぉ! 奥様からお嬢様と留守番しているようにって頼まれてるんですから」

 

「お母様……ね。あの人のことだからどうせ、またハネムーンとかって言ってお父様を連れまわしているんでしょう?」

 

「う゛っ」

 

 マルティーニ家のメイド、パッフェルは図星なのか眉を下げて言葉を詰まらせる。

 フランと呼ばれた少女の母親は七日に一度程度、彼女の父親を連れて旅行に出かけているのだ。

 

「私からお母様にガツンといってやらないといけないわ! お父様を独り占めするなってね!」

 

 そう言うと少女は再び屋敷の入り口へと突き進んでいく。

 

「だから待ってくださいって! どこに行くつもりですか!?」

 

「言ったでしょう? ガツンと言いに行くって」

 

 少女は屋敷の入り口を開けると大地を踏みしめる一歩を踏み出す。

 

「待ってなさい、お父様! お母様! このフランネル・マルティーニが会いに行きますわ!」

 

 彼女こそが、ベルフラウとイリの魔力を混ぜてイリが生み出した二人の娘。

 人間と異識体の響界種、フランネル・マルティーニ。

 他者を喰らい続ることしかしなかった異識体がベルフラウと生み出した二人の証は、慌てて追いかけてくるパッフェルを尻目に敷地の門に手をかけ、旅立ちの門出を開いたのだった。

 

 

 




原作本編編はここまで。

・フランネル
フランネル・マルティーニ。イリとベルフラウの娘。イリとベルフラウの魔力を素にイリの力によって創造された。意識体と人間の響界種という、異端とされる響界種の中でも異端の存在。
 


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幕章
母ト娘ト創造主


ベルフラウがバレンタイン短編書けっていったんだ!
作者は悪くない!
ベルフラウに脅されたんだ!



 マルティーニ家の屋敷の中をドタドタと騒がしい足音をたてて少女が走る。

 大きな窓から差し込む日の光に照らされながら執務を片付けていたベルフラウはその音に気がつくと、眉間に皺を寄せた。

 すっかり大人になったベルフラウは人差し指で眉間をマッサージすると、椅子から立ち上がり部屋に入ってくるであろう人物を迎える準備をする。

 

「お母様!!」

 

「どうしたの、フラン。屋敷の中を走るなって言わなかったかしら?」

 

 勢い良く扉を開けて部屋に飛び込んで来たのはベルフラウの娘、フランネルだ。

 母親譲りの青い瞳でベルフラウを捉えると、母親からの注意を流して話始めた。

 

「ナツミから聞いたんだけどね、ナツミの世界では今日はバレンタインって日みたいなのよ!」

 

 ナツミとはフランネルがサイジェントの街で出会った少女の名前だ。

 ナツミはニッポンなる世界から召喚された人物らしい。

 サイジェントで発生したオルドレイク率いる無色の派閥の一派による、魔王召喚事件に偶然巻き込まれることとなったフランネルはナツミやその仲間たちと共に事件解決に尽力したのだ。

 それ以降ナツミたちと仲良くなったフランネルは文通をしているらしい。

 

「バレンタイン? ゲンジさんからは聞いたことなかったけど。どういう日なの?」

 

 あの島にいた老人、ゲンジもニッポンから召喚されてきた人物だが、彼からバレンタインなる日について聞いたことはなかった。

 

「ふふん! バレンタインっていうのはね……好きな人に想いを伝える日みたいなのよ!」

 

 フランネルはナツミの手紙に書かれていた知識を自慢げに披露する。

 それを聞いたベルフラウの行動は早かった。

 自分の娘の両肩を掴むと顔を寄せて目線を合わせる。

 どこかぎらついたような迫力のある目でフランネルの目を見つめると、驚いたフランネルはその迫力に押されてか怯えたように目を揺らした。

 

「詳しく教えてくれるかしら?」

 

「は、はひ!」

 

 

 

 ところ変わってマルティーニ家厨房。

 普段はお抱えの料理人たちが腕を振るっているその場所だが、今は彼らの姿は無く女性二人だけの姿があった。

 

「それにしてもチョコレートを、ね」

 

「チョコレートと一緒に想いを送るんですって。何故チョコレートなのかは知りませんけど」

 

 厨房で仲良く横に並び、銀色のボウルをかき混ぜているのはベルフラウとフランネルだ。

 しばらく作業を進めていた親子だったが、ベルフラウが懐かしむようにポツリとこぼした。

 

「そういえば、フランと一緒に料理をするなんていつ以来かしら」

 

「もう覚えていませんわ」

 

「ごめんね。私、フランに母親らしいこと出来てなかったかもしれないわ」

 

「仕方ありませんわ。お母様は帝国が誇る大貿易商マルティーニ家の当主なんですもの。忙しいのは私も理解しているつもりよ」

 

 ベルフラウは父の後を継いでマルティーニ家の当主となった。

 当主の身は忙しいらしく、あまり娘の相手を出来ていないのが実情だ。

 

「ありがとうフラン。私ったら、ついついパッフェルに甘えてあなたのこと任せちゃうんだもの」

 

「いつも振り回してる私が言うのもなんだけど、パッフェルを労ってあげて頂戴。あとは私としては……ハネムーンとやらに私も連れて行ってくれればいいわ」

 

 マルティーニ家のメイド、パッフェルは忙しいベルフラウの代わりにフランネルの世話役を任せられることが多い。

 フランネルは母親への不満をパッフェルを振り回すことである程度解消していた。

 フランネルとしてもその事を内心申し訳なく思っていたらしい。

 

「パッフェルの事は任せて頂戴。でもね……ハネムーンのことは無理なのよ」

 

「どうしてよ?」

 

「当主というのはね、ストレスが溜まるものなのよ。忙しいし、やっかみは受けるし、他の家の当主たちは下品な目で見てくるし」

 

 ため息をつくベルフラウはフランネルから見ても美しい。

 母親の美しさはフランネルの誇りの一つだった。

 当主として表舞台にたつベルフラウは多くの人々の前にたち、見られることになる。

 そのため、やっかみや下卑た目を向けられることもある。

 フランネルの自慢の母の美しさは、母のストレスの原因となっていた。

 

「まあ、そういうことはあるでしょうね。その……お母様は美人ですし」

 

「だからね、そのストレスを癒やすためにイリ分が必要なのよ」

 

「……イリ分?」

 

 同情したフランネルが最後の部分を照れたように言うと、ベルフラウの口からなにやら造語が飛び出し、フランネルは首を傾げる。

 

「イリと一緒にいるとイリ分が補給されるのよ。イリ分は心の栄養。イリと二人きりで過ごしてイリ分を補給すれば、荒んだ心が癒されるの。ハネムーンの後はまたしばらく頑張れるのよ!」

 

 熱く語り出したベルフラウにフランネルは閉口する。

 返事をしないフランネルに構わず、ベルフラウはイリの事を考えてかニヤニヤし始めた。

 聡明で美しい母はフランネルの誇りだが、こういう所は全く誇れなかった。

 

 

「イリ、喜んでくれるかしら? チョコレートより私を食べて、なんて……!」

 

「お父様相手にそれはシャレになりませんわよ……」

 

 両手を頬に当て顔を横に振るベルフラウと比べて、それを半目で見るフランネルは冷静だった。

 フランネルの母親は夫のことになるとすぐにこうなってしまう。

 勿論フランネルはその事を知ってはいたが、今回ばかりはドン引きだった。

 フランネルが母親の残念な部分を憂いていると、少し落ち着いたらしいベルフラウが話題を変えた。

 

「それにしても、良かったわ。こうやってフランと一緒に料理が出来て。少しは母親らしいことできたかしら?」

 

「お母様……。そうね、こうやって親子らしいことはなかなか出来なかったから……。その……嬉しかった」

 

 いつも忙しくなかなか一緒に何かをすることはないし、残念なところもある母親だが、フランネルはそんな母親のことを尊敬しているし、大好きだった。

 

「フラン……。私も嬉しかったわ。さて、あとは召喚術で冷やして仕上げにしましょうか」

 

「私に任せなさい! 私だって召喚術、使えるようになったんだから!」

 

 フランネルの召喚術は危なげなく成功し、娘の成長を目の当たりにしたベルフラウはその頭に手を乗せ、フランネル目を閉じた。

 そのままベルフラウが頭を撫で始めるとフランネルはなすがまま受け入れる。 

 親子二人水入らずの時間は止まった二人の時計の針を動かして、開いた距離を縮めていった。

 

 

 

 チョコレートを完成させた二人は待ちきれないように早歩きで屋敷内を移動してイリがいるはずの部屋を目指す。

 

「イリ!」

 

「お父様!」

 

 ベルフラウとフランネルが扉を開けると、机に広げられた敷地の地図を見ながらイリとパッフェルが何やら話し合っているようだった。

 

「ベルフラウトフランネルカ」

 

「イリとパッフェルの二人で何をしてたの?」

 

 ベルフラウが地図を覗き込むといくつか印が書き込まれているのが分かる。

 その印の意味が分からず首を傾げたベルフラウにパッフェルが答えた。

 

「ご主人様とお屋敷周りの警備について相談してたんですよ」

 

「警備っていうとお父様の兵隊……蜘蛛の尖兵たちのことよね?」

 

 名も無き島での事件の後、白い異形たちの正体がイリより語られた。

『蜘蛛の尖兵』それが異形たちの名前で、イリが生み出した兵隊たちだったというのだ。

 それを知った仲間たちの反応は様々だった。

 驚愕、困惑、感謝。

 その中でもアティの反応は感謝だった。

 天然の気がある彼女だが、軍学校で首席だった彼女は聡い。

 

 アティは悟ったのだ。

 無色の派閥が上陸したあの日、アズリアが殺されたあの日。

 絶望と恐怖で動けなくなったアティと、逃げようにも逃げられなかった仲間たちを助けてくれたのがイリだったと。

 ベルフラウを裏切り離反して遺跡に閉じこもっていた筈のイリが、アティたちを逃がすために蜘蛛の尖兵たちを動かしてくれたのだと。

 アティがイリに頭を下げると、仲間たちも真実に気がついたようだった。

 

 その蜘蛛の尖兵たちは現在、マルティーニ家の敷地内で警備要員として働いているのだ。

 

「フランお嬢様がオルドレイクを叩いてから、残党がちょくちょくくるんですよぉ」

 

「なるほどね。……そういえばパッフェルってオルドレイクの部下だったわよね? そのことはもういいの?」

 

 パッフェルの口からオルドレイクの名が出るとベルフラウが思い出したように言う。

 

「う゛っ。あれは黒歴史です! あの頃は若かったんです! 忘れてくださいよぉ! そ、それよりお二人共何か用があったんじゃないんですか!?」

 

 苦い顔をしたパッフェルが誤魔化すように言うと、ベルフラウとフランネルは本来の用を思い出した。

 

「今日はね、ナツミの世界ではバレンタインって言って、好きな人にチョコレートを送る日みたいなの!」

 

「だからフランと二人でチョコレートを作ってみたのよ」

 

 ベルフラウとフランネルの二人が取りだしたるは手作りのチョコレート。

 それを二人はそれぞれの渡したい相手に差し出す。

 

「イリ、受け取ってくれるかしら?」

 

「是非モ無シ。捧ゲラレタ贄ダ、受ケ取ルトシヨウ」

 

 初めてのイベントに緊張しているのか、ベルフラウが顔を赤らめながらも渡すとイリは躊躇いもなく受け取る。

 

「私からはその……パッフェルに。いっつも迷惑かけちゃってるから」

 

「お嬢様、迷惑だなんて一度も思ったことはありませんよ。私、今の生活がとっても気に入ってるんですから。でも折角だから貰っておきますね。ありがとうございます、フランお嬢様」

 

 照れて顔を逸らしながらチョコレートを手渡すフランネルにパッフェルが微笑む。

 オルドレイクに捨てられ、イリに拾われたあの日からパッフェルの人生は変わった。

 かつて暗殺者だったパッフェルは今ではマルティーニ家のメイドだ。

 組織からの追っ手は敷地内にひしめく蜘蛛の尖兵たちによって侵入後即排除される。

 追っ手に怯えることなく平穏を過ごすことが出来る今の状況に感謝しているし、彼女の主人とその妻、そして娘との生活が楽しかった。

 

 

 

 恥ずかしいのか視線を彷徨わせるフランネルは父親がチョコレートを食べようとしているのに気がつく。

 イリは魔力の糸で包装紙を破ると、一切の感慨もなくチョコレートにかぶりついた。

 

「お父様……感動も情緒もありませんわ……」

 

 母親が想いを込めてチョコレートを作ったのを知るフランネルはチョコレートを貪る父親を微妙そうな顔で見つめる。

 

「ご主人様はそういう方ですから……」

 

 フランネルと同じくなんともいえない目でイリを見るパッフェルは主人のフォローを入れようとするが、フォローにはなっていなかった。

 

「お母様はあれでいいのかしら」

 

「……どうやら満足してそうですよ」

 

 母を不憫に思ったフランネルだったが、パッフェルの視線の先を追いかけると自分が作ったチョコレートを喰らうイリをニコニコと嬉しそうに見つめるベルフラウの姿があった。

 

「私にはお父様とお母様がわからないわ……きっと、二人にしかわからない何かがあるのね」

 

「私も長い付き合いになりますけど、さっぱりわかりませんよぅ。ご主人様も奥様もあんなですから、お嬢様も結構苦労されてますよね」

 

 ため息をついて首を振るフランネルをパッフェルが慰める。

 フランネルは父親譲りの態度の大きさを持つが、それでも両親と比べれば常識人だ。

 色々と常識外れな両親に振り回される立場にあるフランネルは苦労人なのだ。

 それを理解しているからこそ、パッフェルは自分に当たることがあるフランネルに怒らないし、嫌いになれない。

 むしろ二人はマルティーニ家の苦労人仲間なのだ。

 

 フランネルとパッフェルは同時に溜め息をつくとベルフラウとイリをおいて部屋から出て行った。

 

 

 

 夜は更け、ベルフラウとイリの寝室の窓から見える空には星の光が瞬いていた。 

 

「イリ、いつまでそうしてるのよ。早く寝ましょう?」

 

 寝間着姿のベルフラウがベッドに腰かけて、窓から夜空を見上げるイリに声をかける。

 

「我ハ思ウコトガアル。我ハ本来此処ニ居ルベキデハナイノデハナイカトナ」

 

 自身を呼ぶベルフラウを見ずに夜空を見上げたままイリは語り出した。

 

「そんなことっ!」

 

「我ハ全テヲ喰ライ、奪ウ者。我ハ本来ナラコノ世界ヲ喰ラッテイル筈。ベルフラウ達ト居ル事自体、有リ得無イ間違イナノダ」

 

 イリは世界そのものの捕食者であり、簒奪者だ。

 こうしてベルフラウたちと一緒に暮らしていること自体が異識体としては歪んだ在り方。

 異識体の正しい在り方とは全てを喰らうことなのだから。

 

「ベルフラウ、一ツ問イタイ。我ハ此処ニ居テモ……ベルフラウト共ニ居テモイイノカ?」

 

「そんなの良いに決まってるじゃない! 絶対に否定なんてさせないわ! 誰にも、イリ自身にも! あなたの妻である私が保証する! イリは此処に居ていいのよ!」

 

 ベルフラウの護衛獣は世界を喰らう存在だ。

 こうして此処にいるだけで世界は滅亡の恐怖に脅かされている。

 だがベルフラウにそんなことは関係なかった。

 イリが例え何者であろうとも、世界を滅ぼしかねない存在であろうとも。

 それを知った上でずっと一緒にいると誓ったのだから。

 

「……ソウカ」

 

 

「ええ、そうよ」

 

「……ベルフラウ」

 

「今度はどうしたの?」

 

「愛シテイル」

 

 ベルフラウは耳に入ったその言葉を一瞬理解できなかった。

 月明かりに照らされるイリの言葉を次第に脳が咀嚼し始める。

 

「えっ。わっうわっ!? イリ……! わ、私も! 私も愛してる! 愛してるわ! 好き、好きよ! イリ! 好き!」

 

 イリの言葉を理解したベルフラウは想いの丈を叫びながらイリに飛びつき、思い切り抱き締めると『好き』と連呼しはじめた。

 余程嬉しかったらしいベルフラウの叫びは大きく、しばらく屋敷の外まで響いていたが突如勢いよく扉を開けた乱入者によって中断された。

 

「うるっさいのよ! あなたたち!」

 

 青かった瞳を赤く光らせ肩を怒りに震わせ、鼻息を荒くして寝室に入ったフランネルは一直線に母親まで向かうと母親と父親を引き剥がし、母親の寝間着の襟元を掴んで引き摺る。

 

「待ってフラン! 今イリが愛してるって! 愛してるって言ってくれたの!!」

 

「はあ!? またお母様が無理矢理言わせたんでしょ?」

 

「嘘じゃないの! 本当なのよ! イリが……!!」

 

 フランネルと引き摺られるベルフラウは扉をくぐり抜けて廊下に出て行く。

 聞こえる声が小さくなるとともに姿も小さくなっていき、角に突き当たると向こうに消えていった。

 

「全ク、ヨクモアソコマデ騒ゲルモノダ」

 

 見えなくなるまで二人を見届けたイリは布団の中に潜り込んで眠りにつく。

 マルティーニ家の騒がしい一日はこうして幕を閉じた。

 

 




・ベルフラウ
マルティーニ家のヤベーやつ
大人になったことでヤバさに磨きがかかった
当主となり、立場と金を手に入れた彼女を止められる者はいない

・ハネムーン(ベルフラウ命名)
イリ分(ベルフラウ命名)を補給するための小旅行のこと
大抵日帰り

・イリ
相変わらずの価値観異形

・フランネル
両親と比べると遥かに常識人
両親がアレなせいで苦労人だったりする
ナツミたちと共にオルドレイクと魔王をしばいた

・パッフェル
元暗殺者の敏腕メイド
自分を拾い、追っ手を排除してくれるイリには恩義を感じている
マルティーニ家の苦労人
フランネルの旅に着いていった際かつての上司とついでに魔王をしばいた

・蜘蛛の尖兵
マルティーニ家の警備員
うようよいるため侵入者にとっては死地

・ナツミ
サモンナイト1の主人公にして二代目誓約者<リンカー>
日本から召喚された女子高生
現在でもフランネルと文通している

・オルドレイク
サイジェントの街で魔王召喚事件を引き起こした黒幕
パッフェルが久しぶりに目にした元ボスは前頭部の毛根が死滅していたらしい


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5.宿命
日常ニ這イ寄ルモノ


時間軸的には原作番外編です。


 聖王国の一都市サイジェントでオルドレイク率いる無色の派閥によって行われた魔王召喚に関わる事件──無色の派閥の乱。

 それは更なる悲劇と争いの火種となった。

 それが傀儡戦争。

 聖王国と旧王国を巻き込んだ大規模な動乱は魔王メルギトスの手によって引き起こされた。

 魔王召喚の際に霊界サプレスから流入した魔力を糧に復活したメルギトスは人々の心を弄び、巧みに誘導して人間たちに負の感情と争いをもたらした。

 

 そのメルギトスに挑んだのがかつて運命をも律するとして調律者と呼ばれ恐れられたクレスメントの一族の末裔、マグナ・クレスメントだ。

 傀儡戦争末期、超律者<ロウラー>を名乗ったマグナと仲間たちに追い詰められたメルギトスは悪魔が齎す悪意の風、源罪<カスラ>を世界中にまき散らし、リィンバウムに更なる争いを生み出そうとした。

 

 その源罪は当然、名も無き島にも到来する。

 島の空に吹き荒れた黒い風は島の中心部──遺跡に憑りつき、メルギトス復活のための苗床にしようとする。

 遺跡へと近づいた源罪は遺跡に辿り着くことなく──喰われた。

 黒い風は白い影に喰らわれ、その姿を消す。

 だが、消えてなくなったわけではない。

 ──源罪は悪意を齎す風だ。

 白い影に喰われた源罪はその内に眠るモノと結びつき──抑えられていたそれは鎌首を擡げる。

 遺跡よりももっと恐ろしいものと結合した源罪は世界を滅ぼす、触れてはならないモノを叩き起こした。

 

 

 

 帝国領の海に浮かぶ小さな名も無き島、召喚獣たちの楽園。

 今はもう嵐の結界が失われて出入りが可能になったその島に訪れる者たちがいた。

 その者たちこそ、超律者一行。

 機械遺跡を使って世界を手にしようとしたメルギトスの野望を彼らが阻止したことにより、遺跡の危険性が認知された。

 マグナたちは各地の遺跡を調査するためにこの島を訪れたのだ。

 

「ほれ、ここが例の島じゃい。……本当はそっとしておきたかったんじゃがのう」

 

「私もそうしておきたかったんだけどね。そうは言ってられないでしょ?」

 

 島までの案内役を任されたのはジャキーニとメイメイだ。

 島を訪れたことがある数少ない人物である二人が地図に記されていない名も無き島への先導役に任命されたのだ。

 ジャキーニやメイメイとしては召喚獣たちが静かに暮らすこの島に騒ぎを持ち込みたくなどなかった。

 だがディエルゴが倒されたとはいえ、あの遺跡が危険なものであることには変わりはない。

 また誰かがあの遺跡の力を利用しようとすれば、かつてのようなことになりかねないのだから。

 

「この島に本当に遺跡があるの? すごく平和そうに見えるけど」

 

 船から浜辺に降り立った青い髪の青年、マグナが見渡す景色は平穏そのものだ。

 良く晴れた青空に、海鳥の鳴声。

 思わず昼寝をしたくなってしまうほどだ。

 心地よい風を受けてマグナが目を閉じると、その頭が棒状のもので軽く叩かれた。

 頭を抑えたマグナが後ろを振り向くと、マグナを呆れたような目で見る兄弟子の姿があった。

 

「痛いっ!? ネス、何をするのさ!?」

 

「君の事だからどうせ昼寝をするのに調度いい……なんて考えていたんだろう? これから重要な任務なんだ。緊張感というものを持ってもらいたいものだよ」

 

「うぅ……」

 

 マグナの兄弟子、メガネをつけた青年ネスティに図星を突かれたマグナは助けを求めるかのように栗色の髪の少女に目を向けた。

 

「まあまあ、許してあげてください。いいじゃないですか、マグナらしくって」

 

「うん……ハサハもそう思う」

 

 栗色の髪の少女アメルに続いて、マグナの護衛獣である狐の耳が生えた少女ハサハが同意すると、ネスティは溜息をついた。

 

「全く……君たちはこの馬鹿者に甘いんじゃないか?」

 

「そ、それよりも……メイメイさん、遺跡はどの辺りにあるんですか?」

 

「にゃははは。あなたたちは相変わらずよねぇ。遺跡に行く前に、この島を纏めてる人に挨拶をしに行くわよ。遺跡の調査を手伝ってくれるかもしれないしね」

 

 マグナの露骨な話題反らしを見て笑うメイメイに先導され、超律者たち一行は名も無き島の森の中へと入っていった。

 

 

 

 メイメイに先導され、森の中の道を進むマグナは周りをキョロキョロと見まわしながらメイメイに声をかける。

 

「それでメイメイさん、そのまとめ役の人はどんな人なんですか?」

 

「先生ってみんなから呼ばれているわ。この島の子供たちの教師をやっている人なのよぉ」

 

「ほう……教育者の方ですか。きっとマグナとは違って真面目で厳格な人なんだろうな」

 

 教師と聞いてネスティが興味深そうに反応すると、メイメイが乾いた笑声をあげた。

 先生──アティは真面目ではあるが天然で子供っぽいところがある、どちらかというとネスティよりもマグナに近いタイプの人物なのだ。

 

「にゃ、にゃははは……そうだといいわね……にゃははははは……」

 

「ん? 何か気になる言い方だが……。その方はどこにいらっしゃるんですか?」

 

 教育者である『先生』と話をしてみたいらしいネスティがその所在を問うが、メイメイが返した答えは驚くべきものだった。

 

「え? 知らないわよ。私はしばらくこの島に居なかったわけだしぃ」

 

「ええっ!? 知らないんですか!? じゃあ私たちはどこに向かって……?」

 

 先導するメイメイが知らないと言ったことに驚いた一行の中でアメルは気づく。

 まとめ役である先生に挨拶するために歩いているのに、その場所が分からないのなら自分たちはどこに向かっているのかと。

 

「適当にほっつき歩いてんのよ。そのうち誰かに会うだろうから、その人に先生がどこにいるか聞けばいいでしょ? にゃははは!」

 

「なっ!? そんな適当な!?」

 

 ネスティが信じられないものを見るような目でメイメイを見るが、メイメイはどこ吹く風だ。

 

「知らないんだから聞くしか無いでしょ? それにほらほら、噂をすれば第一島民発見!」

 

 前方を指差したメイメイの言う通り、初めて見る島民の姿がマグナたちの視界に入った。

 マグナたちの前から歩いて来た赤い帽子をかぶった金髪の女性はマグナたちの姿に気づいて嬉しそうに笑みを浮かべて駆け寄ってきた。

 

「メイメイさんにジャキーニ! 久しぶりね! それと……後ろの人たちはお客さんかしら?」

 

「嬢ちゃん、随分と立派なレディーになりおって……」

 

 かつて酒を飲んで倒れた少女とは思えないほど立派に成長したベルフラウを見て感慨深そうにジャキーニがヒゲを撫でる。

 少女だったベルフラウに酒を飲ませたのは他でもないジャキーニなのだが。

 

「ベルフラウ!? あなた、この島に戻ってきてたの?」

 

 あの事件の後ベルフラウは受験のために島から出て行ってしまい、卒業後はマルティーニ家を継いで当主となった。

 あれから聖王国の王都ゼラムへと店を移していたメイメイの耳に度々マルティーニ家の女当主の噂が入っていたため、今も帝国に居ると思っていたのだ。

 

「ちょっとした帰省ってところかしら。娘にこの島を見せてあげたかったのよ。勿論、私がみんなに会いたかったのもあるけどね」

 

「娘……。なんというか時の流れを感じるわねぇ。そういえば……あの護衛獣もこの島に来ているの?」

 

 あの幼い少女だったベルフラウが今では大きくなり、娘までいるというのだ。

 時間の流れに感じ入っていたメイメイだったが、ベルフラウがここにいるということがどういうことかに気づきメイメイにとっての最重要事項を確認する。

 

「当然じゃない。イリもこの島にいるわよ」

 

 それを聞いて苦々しげな顔をするメイメイの脇から狐耳の少女が顔を出した。

 

「護衛獣……ハサハと一緒……?」

 

「ハサハちゃんも護衛獣なのね?」

 

 こくこくと頷いたハサハはとてとてとマグナに近寄ると服の袖を引っ張った。

 

「うん……ハサハはお兄ちゃんの護衛獣なの」

 

 お兄ちゃんことマグナはハサハに引っ張られてベルフラウの前に出ると自己紹介を始めた。

 

「俺は蒼の派閥の召喚師マグナ・クレスメントって言います」

 

 蒼の派閥は聖王国の王都ゼラムに本部を置く召喚師たちの組織だ。

 真理の探究を目的とする学術的な派閥であり、世俗との繋がりを避けている。

 その性質上、保守的な考えの人間が多く所属している。

 

「蒼の派閥……ということは聖王国から来たのね。私はベルフラウ・マルティーニよ」

 

「マルティーニですって!?」

 

 ベルフラウの名乗ったマルティーニの家名を聞いて驚きの声を上げたのはマグナたちの仲間の一人、金髪の少女ミニスだ。

 拝金主義で知られる金の派閥、その議長ファミィ・マーンの娘であるミニスは大貿易商として名を馳せるマルティーニの名を知っているようだった。

 

「ミニス、有名な家名なのかい?」

 

 蒼の派閥で育ってきたのもあり、世俗に疎いマグナを一瞥したミニスはその事情を鑑みてしかたないとばかりに説明する。

 

「有名も有名、超有名よ! マルティーニといえば帝国屈指と言われるほどの豪商で聖王国まで噂が届くほどなんだから! もしかしてあなたが噂の女当主の……!?」

 

「噂の件は知らないけど……私がマルティーニ家の当主という立場なのは確かね」

 

 マルティーニ家の噂は隣の国である聖王国まで届いていた。

 曰く、代替わりしてから破竹の勢いで利益を増している若い女当主がいると。

 その若さで当主という立場につき、優秀さを見せるベルフラウはその容姿も相まって嫉妬ややっかみを受けることが多いが、同時に憧れの目も向けられていた。

 どうやらミニスは憧れを抱いていたようでキラキラとした目でベルフラウを見上げている。

 

「へぇ……。すごい人なんだ?」

 

「あのお嬢ちゃんが今では有名人じゃけぇのぅ。世の中分からんもんじゃわい」

 

 ミニスの説明を聞いてマグナが分かったように感心する。

 実際はあまりよくは理解していないのだが、とにかく有名ですごい人であることは分かったようだ。

 頭の中でかつてのベルフラウの姿と目の前のベルフラウの姿を比べるジャーキーニがヒゲを撫でていると、ハサハがベルフラウを好奇心に満ちた目で見つめた。

 ハサハの周りには自分以外の護衛獣はいなかった。

 だからこそベルフラウとその護衛獣に興味を抱いたのだろう。

 

「ねぇ……ベルフラウおねえちゃんと護衛獣さんも仲良しなの?」

 

「ええ、そうよ。私とイリはとっても仲良しなの。結婚だってしたんだから!」

 

「結婚……! ハサハもおにいちゃんと結婚の約束したの」

 

「ふふふ、そうなのね。ハサハちゃんとマグナ君もきっと素敵な夫婦になれるわよ」

 

「は?」

 

 弾んでいたハサハとベルフラウの会話を遮ったのはメイメイの呆けたような声だった。

 仲間たちの目線が集まるのも気にせず、メイメイは狼狽える。

 

「け、結婚って……? ベルフラウ……あいつと結婚したっていうの!? 嘘よね?」

 

「そういえばお前さんは結婚式におらんかったのぅ」

 

「え……? 結婚式? そんなことまでやってたの!?」

 

 ベルフラウとイリの結婚式にはメイメイは参加していなかった。

 ジャキーニがそれを思い返して言うとメイメイはさらに動揺したようだった。

 

「異界の者同士の愛……なんだか素敵ですよね」

 

 人間と恋仲にあった豊穣の天使アルミネの魂の欠片であるアメルは、アルミネだった頃の記憶を無くしていても感じるものがあるのだろうか。

 異界の存在同士の愛に肯定的な反応を示した。

 

「素敵!? 素敵ですって!? 冗談じゃないわ! 結婚なんてありえない。あの化け物との間に愛なんてありえないのよ!!」

 

「メイメイさん……まさかあなたがそんなことを言う人だったなんて」

 

「メイメイおねえちゃん……ハサハもおにいちゃんと結婚出来ないの?」

 

 メイメイが召喚獣への差別的発言ともとれる発言をしたことにショックを受けたマグナが目を伏せ、ハサハが涙目でメイメイを見つめる。

 この場の空気が冷えたのを察したメイメイは慌てて弁解した。

 

「ち、違うのよぉ。ハサハちゃんのことじゃなくてベルフラウの護衛獣、異識体のことよ。異識体はね……メルギトスよりも恐ろしい存在なのよ!」

 

 メイメイの口からマグナたちに伝えられた衝撃の事実──それはベルフラウの護衛獣がメルギトスよりも恐ろしい存在であるということだった。

 だが目の前に居る女性の護衛獣が自分たちの宿敵である魔王メルギトスよりも恐ろしい存在などとは到底信じられることではない。

 

「メイメイさん、いくら冗談でも言っていい事と悪いことがありますよ。ベルフラウさんの大切な方をメルギトスより恐ろしいだなんて」

 

『何を言っているんだ』とメイメイを見つめるマグナたちの中でもアメルはメイメイの言葉を冗談と受け止めたようだった。

 

「冗談にしてもたちが悪すぎるぞ。人の心に付け込み、弄ぶメルギトスよりも恐ろしいだなんてな」

 

 ネスティがメイメイに批難の目を向けると、ベルフラウが口を挟んだ。

 

「メイメイさんを責めないで。メイメイさんは私のことを思って言ってくれただけだから。それに……メルギトスのことは知らないけど、メイメイさんが言ったならたぶん本当のことだと思うわ」

 

 ベルフラウの言葉にメイメイが頷くとマグナはメイメイの言葉が冗談でないことを察してベルフラウに確認した。

 

「じゃあ……本当に?」

 

「私の護衛獣……イリは界の意志<エルゴ>と同等以上の存在よ」

 

「界の意志だって!? そんな馬鹿な!?」

 

 想像を超える力のスケールの話を信じられないネスティがベルフラウとメイメイの顔を見るが二人の顔は真剣そのものだ。

 

「ちょっとまってくれよ。今同等『以上』っていったよな?」

 

 マグナがベルフラウの発言を思い返してその一部を自分で口にして確認する。

 彼らの困惑も当然だろう。

 彼らの常識ではあらゆる森羅万象の頂点とは界の意志であり、それを超える者など存在しないからだ。

 

「……そうよ。異識体は界の意志をも凌駕する力を持つ存在なの」

 

 空いた口が塞がらないとはこのことだろう。

 メイメイから告げられた言葉にマグナたちは何も言えなくなってしまっていた。

 

「メイメイさん、私はね……イリの事を全部知ったうえでずっと一緒にいるって誓ったの。イリがどんな存在か、どれだけの力を持っているのか全部知ったうえで愛しているのよ」

 

「そっか……。あなたたち、先生と生徒二人そろってほんと頑固よねぇ。一度決めたら絶対に曲げないんだもの。本当は分かってたのよ、私が何を言ってもあなたの意志は変わらないって。……頼んだわよ。何かあった時に異識体を止められるのはあなたしかいないんだから」

 

 アティも頑固な人物だった。

 何度も帝国軍を説得しようとして、そのたびに手を振り払われて自分が傷ついても諦めなかった。

 メイメイが異識体の危険性を説いてもアティは信じると言って聞かなかった。

 生徒としてアティの影響を受けたベルフラウも頑固だと分かっているからこそ、自分が説得しようと無意味だと理解していた。

 それでも言ってしまったのは老婆心だろうか。

 

「任せなさい!」

 

 メイメイにはそう言い切るベルフラウがまぶしく見える。

 島の崩壊を止めたあの時の様に、どんな困難も乗り越えてしまうのではないかと思わされてしまう。

 メイメイは祈る。

 どうか異識体が大人しくし続けてくれますようにと。

 リィンバウムの平穏がいつまでも続きますようにと。

 

 

 

 ──既にその平穏を犯すモノが胎動していることには誰も気付かない。

 

 

 

 

 

 

 




マグナ君はどうやらハサハルート(護衛獣ルート)みたいですね。
つまりこれがどういうことなのかは……。

とりあえず完結という目標は達成済みなのでエクストラシナリオはのんびり気まぐれ更新でいきます。


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狂気劇ノ傀儡タチ

 あれから少し話し込んでいたメイメイとベルフラウだったが、メイメイがようやく住民を探していた理由を思い出す。

 

「私たち先生を探してるんだけどぉ、どこに居るか知らない?」

 

「ええ、知ってるわよ。ついてらっしゃい」

 

 メイメイは積もる話もそこそこに当初の目的であるアティの居場所をベルフラウに問うと、ベルフラウはアティの居場所を知っているようでマグナ達一行を先導し始めた。

 一行にベルフラウを加えたマグナたちはアティがいるというユクレス村へと向かう。

 

「先生って人がいる場所ってどんな場所なんですか?」

 

 ユクレス村への道中、マグナはメイメイと並んで先頭を歩くベルフラウに話しかけた。

 

「ユクレス村って場所よ。幻獣界メイトルパ出身の召喚獣が暮らしている集落なの」

 

「メイトルパの住人を集めた集落か。もしかして他の世界の集落も……?」

 

「あら、察しがいいのね。その通り、この島には四つの世界の召喚獣たちが別々の四つの集落に暮らしているのよ」

 

 ネスティが現在の情報から推測をすると、ベルフラウは察しのいいネスティを褒め、肯定した。

 

「ベルフラウさんはこの島のことをよく知っているんですか? ミニスが言うには帝国で商人をしているって話でしたけど……」

 

 ミニス曰く帝国屈指の豪商らしいベルフラウがこの島について詳しいことについて疑問を抱いたアメルにベルフラウが昔を懐かしむように答える。

 

「子供の頃にこの島で暮らしていた時期があったのよ。嵐にあって漂流した先がこの島だったの。イリともこの島で出会ったのよ」

 

「イリ……例の護衛獣ですか。それにしても界の意志をも超える存在がどうしてこの島に……?」

 

「そういえば……そうね。言われるまで考えたことも無かったわ」

 

 ベルフラウがイリの正体を知ったときには既にイリは居て当たり前の存在になっていた。

 イリがどうしてこの島にいたかなど考えたことも無かったのだ。

 

「たぶん喚起の門に喚ばれたんだとは思うんだけどぉ……」

 

 メイメイが推察するが歯切れが悪い。

 この島に来たばかりで事情を知らないマグナたちを代表してミニスが質問した。

 

「喚起の門って?」

 

「無色の派閥が作った装置よ。時折起動して異世界の存在を呼び出しているの」

 

「なるほど……。それで、その装置は界の意志級の存在を喚べるほどの代物なんですか?」

 

「問題はそこなのよねぇ……」

 

 ネスティの言った通り、喚起の門にそれほどの力があるのかが問題だった。

 それほどの装置を無色の派閥が作れるのならば魔王召喚の儀など行う必要がないはずなのだ。

 

「私が初めてイリに出会ったときイリはゼリーたちに囲まれていたわ。寄ってたかって追い詰められて……今にもやられてしまいそうだった。それに私が割って入ったのが私とイリの馴れ初めなの」

 

「異識体がゼリーに……? そんなはずは……でも確かにあの時力を感じなかった……」

 

 あの異識体がゼリーに追い詰められるなど、ありえない話だ。

 メイメイはベルフラウの話を聞いて眉を寄せるが、思い返してみれば初めて異識体の姿を見たときに力を感じなかった。

 メイメイはそれを偽装だと思っていたが、本当に力がなかった可能性も考えられる。

 

「イリは力を失っていたんじゃないかしら。その理由は分からないけどね」

 

 メイメイはそれを聞いて思案する。

 繭世界で異識体は勇者たちとの決戦に敗れた。

 もしもそれが原因で元の力を失い、喚起の門に喚ばれることとなったのなら勇者たちの戦いは無駄ではなかったのだ。

 滅ぼすことは出来なかったがその結果、異識体はベルフラウと出会い大人しくしているのだから。

 

 

 

 ユクレス村を目指して森の中を歩くベルフラウたちはやがて森を抜けて視界が開けると巨大な樹が一行の目に入った。

 マグナは姿を現した巨大な大樹を見上げると感嘆を漏らした。

 

「大きい……」

 

「集落のみんなはあの樹をユクレス様って呼んでるのよ」

 

 大樹、通称ユクレス様を象徴とする幻獣界出身の者たちの村が集うのがユクレス村だ。

 ユクレス村の中を一行が進んでいるとすれ違う亜人たちに手を振られるベルフラウが手を振り返し、ベルフラウと住人たちの関係が良好であることが見て取れた。

 ユクレスの大樹のそばまで近づくと、白い帽子とマントを身に着けた赤い髪の女性が亜人たちと話をしているのが見える。

 

「先生! あなたにお客さんよ!」

 

 ベルフラウに先生と呼ばれた赤い髪の女性、アティは話していた亜人に別れを告げると、ベルフラウたちの元へと駆け寄ってきた。

 

「ベルフラウさん、お客さんって……えっ!? メイメイさん!?」

 

 サプライズのつもりなのかベルフラウの後ろに隠れていたメイメイが顔を出して手を振ると、久しぶりに会う知人の姿にアティは驚きつつも嬉しさに笑みを浮かべた。

 

「にゃははは、そんなに驚くことないじゃないの。久しぶりね……先生」

 

「本当に久しぶりですね。メイメイさんはベルフラウさんの結婚式にはいなかったから……あの騒動以来ですもんね」

 

「まあわかってはいたけど、先生は結婚式に出たのね?」

 

「ええ、勿論ですよ。私は仲人でしたから」

 

「仲人……ねぇ、先生。ベルフラウと異識体の結婚を止める気はあったの?」

 

「止めるって……どうしてですか??」

 

 メイメイの問いにアティが首を傾げるとメイメイは見せつけるように大きくため息をついて見せた。

 

「あーはいはい、その発想すら無かったわけね……。ほんとに生徒と先生揃って変人というか……」

 

「……それはどういうことかしら。そんなことより、本題があるのではなくて?」

 

 青筋を立てたベルフラウが鋭い目でメイメイに本題を話すように促すと、メイメイがマグナ達を紹介してお互いに挨拶を交わした。

 

 

 

 自己紹介を終えると本題──今回の旅の目的をマグナがアティに伝える。

 

「この島の遺跡を調査させてほしいんです。誰かが遺跡を悪用しないとは限りませんから」

 

「……遺跡の調査ですか。それ自体は構いませんけど、私も同行させてもらえませんか? 私にはこの島のみんなを守る者としての責任がありますから」

 

 島のまとめ役としての顔を見せたアティに感心したネスティがそれに頷いた。

 

「こちらとしてもありがたい。この島について詳しい人がいたほうが調査も進むだろう」

 

「それじゃあさっそく……」

 

 マグナが遺跡へと出発するための掛け声を上げようとしたその時だった。

 アティがこちらに近づいてきた亜人たちに気が付いて声を上げる。

 

「みなさん、どうしたんですか?」

 

 アティの声に返事をせずに足を止めることもなく近づいてくる住人たちの様子がおかしいことにマグナが気が付く。

 

「様子がおかしくないか……?」

 

「みんな、気を付けてください! あの人たちから悪しき気配を感じます!」

 

「キシッ……ニンゲン……許さないぃいいい! キシシ……俺たちを! 帰せぇえええええ!」

 

 アメルの言う悪しき気配を纏わせた集落の住人たちは突然の事態に混乱するベルフラウたちに襲いかかってきた。

 

 

 

 突然襲い掛かってきた住人たちに困惑しながらも住人が振るった爪をアティが剣で受け止める。

 暴徒と化した住人たちは人間の暴徒とはわけが違う。

 肉体的に人間よりも優れた亜人たちはそれなりに脅威と成り得る。

 

「なんで集落のみんなが襲い掛かってくるのよ!?」

 

 ベルフラウはぼやきつつも弓を引くと魔力を込めずに住人たちの足を射り動きを止める。

 ベルフラウとアティにとってそれなりに親しい住人たちに攻撃することに心を痛めながらも二人は暴れ出した住人たちを鎮圧する。

 マグナ達もなるべく傷つけないように手加減しつつも住人たちを気絶するなり動きを封じるなりして次々住人たちを倒していく。

 やがて襲い掛かってきた住人たちは全て倒れ、辺りに静寂が戻った。

 

「私は護人たちにこの事態を報告してくるわ。……嫌な予感がするのよ。もしかしたら他の集落でも同じことが起こるかもしれない」

 

 メイメイはそう言うと一同と別れて護人への報告に向かった。

 もしかしたらもう既に他の集落でも同様のことが起こっている可能性すらあるのだ。

 各集落の護人たちに早急に対策をしてもらわなければならない。

 

「……どうしてみなさんは突然暴れ出したりしたんでしょうか……?」

 

 倒れ伏す住人たちを痛ましげに見渡したアティが目を伏せると、突然何かに気が付いたようにハサハが声を上げる。

 

「あれ……! おにいちゃんたち……よく見て! あの人たちから糸が……!」

 

 声を上げたハサハ指差した倒れた住人たちの上の空間をよく目を凝らしてみてみると、糸のようなものが空から垂れて住人たちに繋がっているのが見えた。

 

「もしかして住人たちはあの糸に操られてるんじゃないのか?」

 

「たぶん、マグナの言う通りです。あの糸は召喚獣が持つ故郷に帰りたいという気持ちと人間を憎む気持ちを利用しているんだと思います」

 

 マグナの推測にアメルが同意する。

 天使の欠片であるアメルの補足により、あの糸のようなものが住人たちが暴れる原因である可能性が高まった。

 

「だが……原因がわかったところでどうするんだ? またいつ起き上がるか分からないぞ」

 

「あれが心を操る糸なら……心の刃である果てしなき蒼<ウィスタリアス>で断ち切れるかもしれません!」

 

 現状では対処法が無いと言うネスティに対してアティがその答えを提示する。

 アティは自身の心に宿る魔剣の力を解放して白い髪の姿になると現れた蒼い剣を糸めがけて思い切り振るった。

 

「果てしなき蒼! 島のみなさんの心を操る糸を断ち切って!」

 

 輝く魔剣が蒼い軌跡を残すと、住人たちに繋がっていた糸が切れて消え去った。

 それを見てベルフラウたちは安堵の溜息をつく。

 もうこれで住人たちが暴れ出すことはないだろう。

 

「これで一安心だな……」

 

「それにしても……あの糸はなんだったんだ?」

 

「それについてですが……心当たりがあります」

 

 マグナが肩の力を抜いて一息つくとネスが顎に手を当ててあの操り糸の正体について思案を始める。

 その糸を断ち切った本人が心当たりがあると声を上げるとアティに一同の視線が集まった。

 

「あの糸に見覚えがあるんです。昔この島が崩壊の危機に陥った時に……」

 

「先生……それって……」

 

 ベルフラウはアティの言わんとしていることを察して眉を顰めた。

 

「ええ、そうです。イリがこの島の共界線を修復したときに見た糸とよく似ていたんです」

 

 アティはかつてこの島でみた光景を思い出す。

 白銀の竜──異識体・響竜は無数の糸を島中の共界線へと伸ばして接続し、崩壊した共界線を修復したのだ。

 

「えっと……イリってベルフラウさんの護衛獣ですよね?」

 

 話の雲行きを察して不安げな顔をしたアメルがベルフラウに確認するとベルフラウは頷く。

 

「先生はイリが集落のみんなを操って暴れさせたっていうの?」

 

 アティの言っていることはつまりそういうことだ。

 怒りを滲ませるベルフラウの目は鋭くアティを見つめる。

 マグナたちは雰囲気が険呑になりつつあるのを感じていた。

 

「……その可能性はあります。少なくとも、私はそれほどの力を持つ存在をイリ以外には知りません」

 

「先生はイリを信用してないっていうの!?」

 

 アティを責めるかのようなベルフラウに対してアティが感情を露わにして叫ぶ。

 

「そんなのっ!! 信じたいに決まってるじゃないですか!! 私だってイリのことが好きです! 仲間だと思ってます! でもっ!! あの糸は……ほぼ間違いなくイリのものなんですよ!!」

 

 あの糸も、あの糸を構成していた恐ろしい魔力もアティの知っている物だった。

 イリを信じたいというアティの感情を理性が否定する。

 理性がアティに結論を突きつける。

 

「でも……! イリがそんなことをする理由はないわ!」

 

 そう言ってサモナイト石を取り出したベルフラウはいつものようにイリを喚ぼうとする。

 だが──来ない。

 

「嘘……なによこれ……。イリを喚べない……」

 

 基本的に召喚獣は召喚師に逆らえない。

 召喚対象の意志で命令を拒否されるような技術は戦争に使えずここまで発展することもなかっただろう。

 召喚術には誓約と呼ばれる強制力があり、術者は召喚獣の意志を無視して従えることが出来るのだ。

 

「……基本的に術者の力量を大きく超える召喚術の使用はご法度だ。召喚獣を制御できずに暴れ出すことがあるからだ」

 

 だが、例外も存在する。

 ネスティの言った通り、召喚獣の力が術者の制御できる限界を超えている場合だ。

 

「君の護衛獣……イリは君の制御できる限界を超えているんじゃないのか?」

 

 初めてイリと召喚術を使った次の日や、イスアドラの温海に行った日等ベルフラウは過去に何度か無理やりイリを喚んだことがある。

 だがそれもイリが力を失っていたからこそ可能だったことだろう。

 現在のイリはかつての力を取り戻し、界の意志以上の存在に返り咲いている。

 ベルフラウだけではなくこの世界の誰にも従えることの出来ない存在になっているのだ。

 

「……イリが来るのを拒否しているってこと?」

 

「ベルフラウさん……イリが無実か確認するためにも教えてください。イリは何処にいるんですか?」

 

 いつもなら喚べば来るはずのイリがこない異常に動揺しつつベルフラウは顔を伏せてイリの居場所を口にした。

 

「……遺跡よ。イリはフランと一緒に遺跡にいるはずだわ。フランに共界線の扱い方を教えるって……」

 

「遺跡……どのみちこれから行く予定だったんだ。急ごう!」

 

 マグナに頷いたアティに先導され、一同は遺跡へ続く道へと走っていった。

 

 

 

 ベルフラウたちがかつての戦いの時に通った遺跡への道を進んでいると突然、道の脇の森から人影が姿を現した。

 それはベルフラウとアティが何度か見たことがある姿──黒い髪の青年。

 

「えっ!? イスラ!?」

 

 ベルフラウたちの前に姿を現したのはイスラだ。

 イスラはベルフラウたちを見つめると口を裂けるほど開いて喋りはじめた。

 

「……どうして殺してくれないんだよ!! 僕を殺して下さい! お願いします! キシシ、キシシシ!」

 

 肩を揺らして口を大きく開けてケタケタと嗤うイスラの背後に帝国軍の兵士たちが現れる。

 

「援軍だ……!」

 

「俺たちはまだ戦える……!」

 

「おいおい、知り合いか? ずいぶんとまともじゃなさそうだが……」

 

 マグナの仲間の一人、緑の髪の体格のいい男──冒険者フォルテが大剣を構えた。

 

「彼らは昔の戦いで死んでしまった人たちです……」

 

 彼らはかつての戦いでアティの目の前で死んでいったものたちであり、アティが救えなかったものたちだ。

 

「死んだ……? だったらどうしてあの人たちはここにいるんだ!?」

 

「お兄ちゃん……あれ……人じゃないよ……からっぽ……虚ろなの……」

 

「空っぽ……? どういうことなの? あのイスラたちは何者なのよ!?」

 

 ハサハ曰く、空っぽで虚ろな死者たちは狂ったように笑いながらベルフラウたちに近づいてくる。

 

「キシシ! 殺して下さい! 殺して下さい! キシッ! キシキシキシィイイイイ!」

 

 イスラは紅の暴君を発現させて髪を白いものに変えると紅い魔剣を手にベルフラウに躍り掛かる。

 

「魔剣……! だったら……! 来なさい、不滅の炎<フォイアルディア>!」

 

 ベルフラウの手に燃える炎のような橙色の魔剣が現れると紅の暴君を受け止めた。

 その魔剣こそかつて砕けた紅の暴君を打ちなおして作られた魔剣、不滅の炎だ。

 

「今の私にはイリがいなくてもあなたに対抗できる力があるの! あなたなんかに……もう二度と先生の笑顔を奪わせはしないわ!」

 

 アティの剣が砕かれたあの瞬間は今でもベルフラウにとってトラウマだ。

 だからこそもう二度と同じことはさせない──その意志に反応して強く輝いた不滅の炎がイスラと紅の暴君を押していく。

 

「勝てるわ……! これなら……!」

 

「キシッ!? お前さえいなければ……お前さえギッギギギ……オ前サエエエエ!」

 

 イスラよりも今の自分のほうが強い、それを確信したベルフラウが笑みを浮かべるとイスラの声にノイズが入ったように乱れて紅の暴君の輝きが強くなる。

 

「キシッキリキリ……異分子ハ消去! 消去! 消去!」

 

 力を増したイスラはイリに似た口調でベルフラウを異分子と呼ぶと魔剣を振るってベルフラウの命を奪わんとする。

 だがその言動がベルフラウの怒りに火を付けた。

 

「あんたなんかが……イリを真似るなぁあああああ!」

 

 彼女が愛するイリの口調でイスラが喋ったのがよほど気に喰わなかったのか不滅の炎がより輝きを増すと振りかざされた紅の暴君を両断し──続けざまにイスラを切り裂いた。

 イスラが切り裂かれるとその姿は糸くずとなってパラパラと地面に落ちて消えていく。

 それに驚いたベルフラウが周囲を見渡すと仲間たちが倒した帝国兵たちも同じように糸くずとなって消えていくところが見えた。

 

「消えた……? 一体なんだったんだ……?」

 

「ハサハは人間じゃないって言ってたけど……」

 

 マグナにこくこくと頷いたハサハも詳しいことが分かっているわけではないらしく、それ以上のことは何も言わなかった。

 先ほどの敵の正体は不明だがそれについて考えている余裕はない。

 今も集落の住人たちが操られて暴れている可能性がある以上、早く原因を突き止めなければならないのだ。

 再び遺跡へと仲間たちを先導しようとアティが足を一歩踏み出すと自身を呼び止める声が聞こえた。

 

「アティ」

 

 その声が聞こえたのはベルフラウたちが来た方向──後ろだ。

 後ろを振り向いたアティは驚き動揺して瞳を揺らした。

 黒い髪の女性──アティのかつての同期にして帝国軍の女傑。

 

「あ……ああぁ……う、嘘……アズ……リア?」

 

 アズリア・レヴィノスがそこに立っていた。

 

 




一戦目
VS操られた住人達

二戦目
VS死者たちの影法師

・影法師<ズィルゥ>
記憶の残滓を核に魔力の糸によって編み上げられた存在。
魔力の糸に記憶が投影されて実体を持っているように見える。
故に空っぽ、虚ろ、ハリボテ。


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蘇ル悪夢ト悪食

 ベルフラウたちの背後から突然現れた人物アズリア・レヴィノス。

 帝国軍海戦隊第六部隊の隊長であり、アティの軍学校時代の同期であり──無色の派閥がこの島に上陸したあの日、アティの目の前で殺された人物。

 オルドレイクに怯え震えていることしか出来なかったアティとオルドレイクの間に割り込み、アティを守って散っていった人物。

 アティの後悔の象徴、アティのトラウマ。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……私が弱かったから……ごめんなさい……」

 

 生前のままの姿の同期を見て顔を青くしたアティは震える脚で後ずさり、顔を俯かせて口元を手で押さえると胃の中の物を逆流させた。

 

「先生!! 惑わされないで!! あなたはアズリアが殺された瞬間を見たんでしょう!?」

 

 口を押さえる指の間から胃液を垂らすアティは地面に膝をついて蹲って震え始めてしまい、ベルフラウの言葉は届かない。

 

「ごめんなさい……私のせいで……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

「アティ……会いたかったぞ……」

 

 蹲るアティに近づこうとするアズリアだったがその行く手を遮られて足を止める。

 

「おっと……事情はよくわからねぇが……先には行かせられねぇぜ、姉ちゃん」

 

 大剣を構えて牽制するフォルテに鋭い目で睨まれたアズリアはアティに近づけずにいた。

 その隙にベルフラウがアティに近寄ると膝を地に付け、左手でアティの顎を強引に持ち上げて自分とアティの目を合わせる。

 ベルフラウの目と涙を流すアティの目が合うとベルフラウは右手を大きく振りかぶってアティの頬を勢いよく叩いた。

 

「しっかりなさい! それでも私の先生なの!? さっきのイスラ達が糸くずになったのを見たでしょう? あれはアズリアじゃないわ!!」

 

「……アズリア……じゃない……?」

 

「ほら、しゃんとしなさい。これ以上私に先生の情けない姿を見せないで」

 

 ハンカチをポケットから取り出したベルフラウがアティの涙をふき取り、アティの手を握って立ち上がるように促すとアティはベルフラウと共に立ちあがった。

 

「アズリア……私は……」

 

「どうして貴様は生きているんだ……? あの日私は殺されたのに……どうして貴様だけ……?」

 

「っ!?」

 

「先生」

 

 アズリアの言葉に動揺したアティだったが、自身を呼び手を握るベルフラウの存在に励まされるとアズリアを見つめる。

 あれはアズリアではない。

 アティの知るアズリア・レヴィノスはあの日確かに死んだのだから。

 

「アティ……貴様も死ぬんだ。私と同じところに来い……キシ、キシシシシ」

 

「……ごめんなさい、それは出来ません。私にはまだやらなければならないことがあるから!」

 

 アズリアからの死への誘いをアティは強い意志が篭った瞳で跳ね除ける。

 今も隣で手を握ってくれている生徒のためにやらなければならないことがアティにはあるのだ。

 

「死ねっ死ね! 貴様も死ね……! キシシシシッギッギギギッギ……」

 

 アズリアの声にノイズが入りはじめる。

 イスラの時にも起こった現象とまったく同じことが起き始めていた。

 

「まさか!?」

 

「ギシリリリ! 排除セヨ! 異分子ヲ! 罪人ヲ! 咎人ヲ!」

 

 イスラと同じようにイリと似た口調となったアズリアが剣を振り上げた。

 それを見たベルフラウたちも武器を構えるが──予想もしていなかったことが起こった。

 

「ギッ!? ギィイイイ!?」

 

 アズリアが振り上げた剣はアズリア自身の腹に振り下ろされたのだ。

 

「アリ得ヌ!? 影法師<ズィルゥ>ガ制御ヲ……!?」

 

 自ら腹を貫いて倒れたアズリアを見たアティがアズリアに駆け寄ると顔を覗き込んだ。

 

「アズリア!?」

 

「あの性悪の思い通りになどさせるものか……」

 

「アズリア……もしかして本物のアズリアなんですか?」

 

 アズリアの口調は落ち着いた彼女自身のものに戻っていた。

 もしかしたら本物のアズリアなのかもしれない、そう思ったアティの問いにアズリアは顔を横に振って答える。

 

「私はただの残滓……残りカスにすぎない。私に構わず早く行け、アティ。お前にはやらなければならないことがあるんだろう?」

 

 それにアティが頷いたのを見届けたアズリアは微笑むとイスラたちと同じように糸くずとなり、溶けるように消えていった。

 アティはアズリアが消えた地面を一撫ですると立ち上がって仲間たちの顔を見渡す。

 

「行きましょう。私たちにはやらなければならないことがありますから」

 

 そう言ってアティが歩き出すとマグナたちも慌ててアティを追いかけるのだった。

 

 

 

 ベルフラウはアティの横を歩きながら思案する。

 ──何かがおかしい。

 ベルフラウはイスラとの戦いの後からずっと違和感を覚えていた。

 イスラもアズリアもそれぞれベルフラウとアティのトラウマとなる人物だ。

 それをわざわざベルフラウたちに差し向けてきた。

 それがおかしいのだ。

 今回の件の犯人がイリならば──―そんなことをするだろうか? 

 イリの妻であるベルフラウから見てもイリは人の心を理解していないと言える。

 そのイリが人のトラウマに付け込むようなことをするだろうか? 

 その疑問がベルフラウの中で生まれて違和感としてこびりつく。

 ベルフラウはイリ以外の何らかの意志の存在を感じていた。

 

 

 

 かつての戦いの崩落により天井の無くなった鉄の空間。

 遺跡最深部・核識の間にフランネルは父親と共に訪れていた。

 普段、イリからフランネルをどこかに誘うことなどない。

 だからこそフランネルは父親からの『共界線の扱い方』を教えるという誘いに飛びついた。

 もしかしたら父親との距離を縮められるかもしれない、そう期待したフランネルは自分もついていくと言い出した母親を苦労して説得して父親と二人きりで遺跡へとやってきたのだ。

 

「ふぅ……これが……共界線」

 

 共界線へと意識を接続し、埋没させていたフランネルが共界線との接続を切ると意識を浮上させた。

 核識であったディエルゴがいなくなってもこの遺跡そのものの機能が失われたわけではない。

 この遺跡はこの島の共界線の集合点であり、未だに共界線に接続したことが無かったフランネルにその方法を教えるのに最適だった。

 

「お父様! 終わりましたわ!」

 

 初めて共界線へ意識を接続した疲れからか溜息をついたフランネルは周りを見渡すが、あの小さな白い蟲の姿は見当たらなかった。

 

「お父様……?」

 

「ギリッキシキシギィイイイイイ!」

 

 上から声が聞こえたフランネルが頭上を見上げると巨大な蜘蛛の姿となったイリが崩落した天井から差し込んだ光に照らされていた。

 

「お父様……? どうしてその姿に……?」

 

 父親が蜘蛛の姿へ変わっていたことにフランネルは疑問を抱くがイリはそれに応えずに巨大な脚を一本動かして振るうとフランネルを床に押し倒した。

 悲鳴を上げて冷たい床に体を押しつけられたフランネルは突然の父親の行動に困惑する。

 

「だ、駄目よお父様!? お父様との距離は縮めたかったけれど……こういうのは違うと思うわ! 私たちは親子なのよ!?」

 

 床に押し倒されたフランネルは父親の顔が自身に近づくと混乱して何事か口走りはじめる。

 するとそれを聞いていた第三者の呆れたような声がその場に響いた。

 

「何を言っているのですか、この娘は……」

 

「誰っ!?」

 

 この場にはイリとフランネルしかいないはずなのだ。

 それなのに聞こえるはずがない三人目の男の声が耳に入ったことで異常を察知したフランネルが辺りを見渡すが父親以外の姿は見えない。

 

「その娘の戯言に構う必要はありません。さあ、異識体よ! その娘を喰らうのです! 己の食欲のままに!」

 

 相変わらず姿の見えない男の声から自分の父親がなんのために自分を押し倒して顔を近づけているのかフランネルはようやく理解した。

 

「嘘よね……? お父様……私を食べたりなんてしないわよね?」

 

 フランネルが瞳に涙を浮かべて自身に迫る父親を見上げた。

 大きな円形の口に牙の様な物が並んでいる父親の顔がゆっくりとフランネルに近づいていく。

 イリの目に涙で潤んだ娘の顔が映りこむと──狼狽えたように八本の足を動かして後退した。

 

「お父様……」

 

「何をしているのです!? 早くその娘を……!」

 

 自分から離れた父親を茫然と見るフランネルの耳に焦ったような男の声が聞こえると核識の間入り口方面から複数の足音が近づいて来た。

 

「イリ! フラン! 二人とも無事かしら!?」

 

 母親の声を聞いて入り口から姿を現したベルフラウとアティに気が付いたフランネルは戸惑いながらも母親に目を向けた。

 

「お母様……」

 

 ベルフラウはフランネルに駆け寄ると強く抱きしめた。

 母親の体温を感じたフランネルはベルフラウを抱きしめ返して胸に顔をうずめた。

 

「あれが……ベルフラウさんの護衛獣なのか……」

 

「ベルフラウお姉ちゃんの旦那さん……すごく大きい……」

 

 マグナとハサハはイリを見上げるとその規格外の巨大さに驚嘆して口をぽかんと開けていた。

 普段は冷静なネスティですら驚きのあまり言葉が出なくなってしまっている。

 

「それに……凄まじい魔力です。……この感じ……? なにか混ざって……!? まさか……マグナ!!」

 

 アメルはイリの魔力を感じ取ってその凄まじさに圧倒されそうになるが、その魔力に覚えのある感覚が混じっていることに気が付いた。

 

「ああ、アメル。わかるよ……間違いない……間違えるはずはない……! この魔力は……!!」

 

 マグナもアメルと同様にそのよく知る魔力を感じ取ったようで、イリを──いや、彼の宿敵を睨んだ。

 

「ヒヒヒ……気が付いたようですねえ」

 

 その声とともにイリから黒い風が吹き荒れる。

 その声、その魔力、その風──マグナが間違えるはずもなかった。

 その全てが彼のよく知る物──彼の宿敵の物。

 

「メルギトス!!」

 

 虚言と姦計の悪魔王として恐れられる存在──メルギトスだ。

 

「正確にはメルギトスの源罪ですよ。自我を持つまでに成長した……という正し書きは付きますがね」

 

「あなた、イリに何をしたの? イリはあなたなんかに操られるほどヤワじゃないわ!」

 

 ベルフラウの疑問ももっともだろう。

 いくらメルギトスが魔王とはいえ、その源罪にイリをどうこうする力はないはずなのだ。

 

「ええ、確かに……残念ながらその通りです。だから……私は背中を押して差し上げただけですよ。彼の中に眠る……彼自身の業の背中をねぇ!」

 

「業……? ベルフラウ、君の護衛獣の業とは一体何なんだ?」

 

「……食欲よ。この世界を……全てを喰らうほどの食欲」

 

「世界を!?」

 

 世界を喰らうほどの食欲──それこそが彼女の護衛獣の業だというのだ。

 マグナ達はメイメイがベルフラウとイリの結婚について否定的な態度をとっていたのを思い出す。

 メイメイのあの態度もそれならば納得できるというものだ。

 

「ええ。イリはかつて世界を喰らう存在だったそうです。でもベルフラウさんのお蔭で食欲は大人しくなっていたそうなんですが……」

 

「アイツが……メルギトスの源罪がその食欲を焚きつけたのか」

 

 そしてその世界を喰らう食欲を目覚めさせた犯人こそが源罪なのだ。

 

「イリがこうなったのはあなたのせいなのね? 絶対に許さない!」

 

 イリが纏う黒い風をベルフラウが睨み付けるが、源罪はそれをあざ笑い──語りだした。

 

「許さない? 可笑しなことを言いますねえ。異識体を苦しめる罪人であるあなたが許さないと言いますか」

 

「私がイリを苦しめているですって?」

 

「ええ、そうですよ。あなたが異識体を苦しめているのです。惨いとは思いませんか? いずれ全てを喰らい、孤独になる運命にある異識体に他者と共にいることを教えたのですから!」

 

「抑えられていたイリの食欲を焚きつけたのはあなたでしょう!?」

 

「ふふふ……その抑制がいつまでも続くとでも思っていたのですか? 私の後押しによって少し時期が早まっただけですよ。私がいなくてもいずれ同じことが起こったでしょう」

 

「そんな……」

 

 メルギトスは虚言と姦計の悪魔王と呼ばれているが、常に真実しか話さない。

 彼は例えそれがどんなに残酷であったとしても真実を突きつける。

 そして人間たちはそれを嘘だと言って逃避し、彼を嘘つき呼ばわりするのだ。

 故に彼は虚言と姦計の悪魔王であり、その呼び名こそが人間の心の弱さの証明。

 

「何も知らなければ苦しまずに済んだのに……あなたと出会って余計なことを知ってしまったせいで異識体は苦しむことになるのです」

 

 明けない夜が無いように、落ちない陽も同様に存在しない。

 幸せな時間はいつか終わりを迎え、その後の闇をより深く濃いものにする。

 全てを喰らうだけだったイリはもう他者と一緒にいることを知ってしまった。

 全てを喰らった後、イリはきっと苦しむことになるだろう。

 甘い悦楽を知ってしまったが故に。

 いずれ消えゆく光とはとても罪深いものなのだ。

 

「私が……イリを苦しめているなんて……」

 

「ふふふ……さあ、裁かれなさい。異識体自身が罪人を誅殺して下さるそうですよ」

 

 イリの周りに魔力が渦巻き始める。

 それはベルフラウとアティが何度も見たことがある前兆だった。

 次に何が起こるのか察したベルフラウは目を閉じて佇む。

 自分が存在することでイリを苦しめるのなら、自分はいない方がいい。

 それがベルフラウの意志だった。

 かつてきった啖呵は嘘ではなく、彼女は本気でイリのために命を賭けているのだ。

 

「イリ……ごめんね……愛しているわ」

 

 目を閉じて抵抗の意志を見せず断罪の時を待つベルフラウの頭上に光が発生して降り注ぐ。

 

「そんなの間違っています! 果てしなき蒼<シャルトス>!!」

 

 その光を切り裂いたのは蒼色に輝く魔剣だった。

 飛び上がり、ベルフラウの頭上に迫った誅殺の光を裂いた白い髪のアティがベルフラウの前に降り立つ。

 

「先生!?」

 

「ベルフラウさんの命を奪っても何も解決しません! それどころかイリの食欲を抑えられる人がいなくなってしまうんですよ! それこそ源罪が言った通りイリが孤独になって苦しむだけじゃないですか!」

 

「都合のいい真実だけを話して相手を誘導する……メルギトスの常套手段だ」

 

 アティとネスティの言葉を聞いてベルフラウはハッとする。

 自分はイリへの想いを利用され、思考を誘導されていたのだと気づかされたからだ。

 

「もう少しで邪魔者を排除できるところだったのに……残念ですが仕方ありません。力ずくで排除させてもらいましょうか! なにせこちらには異識体がいるんですからねぇ!」

 

 源罪が実力行使に移ることを宣言し、アティ達はそれに応じて武器を構えた。

 人の心を理解していない異識体と人の心をよく理解している源罪。

 恐るべき二つの脅威が動き出そうとしていた。

 

 




次回真ボス『イリデルシア』戦。


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楽園ヲ喰ラウ者

今話のタイトルはカルマルートで使用する予定だったタイトルです。


 言葉によってベルフラウの心を惑わしていた源罪はついにその恐るべき力を振るわんとする。

 戦闘態勢を整え始める仲間たちと同じように武器を構えようとしたベルフラウだったが、後ろにいるアメルに制止されてその手を止めた。

 

「ベルフラウさん、あなたにはお願いしたいことがあります」

 

「何でも言って頂戴。私がイリのために出来ることなら」

 

 後ろをふり返ったベルフラウがアメルの目を見つめてそう言うとアメルは嬉しそうに笑った。

 目の前の女性は本気で種族の違う相手を愛しているのだとその言葉とその目に灯された意志から読み取ったからだ。

 豊穣の天使アルミネもそうだった。

 天使の身で一人の人間──アルス・クレスメントを本気で愛していた。

 

「メルギトスの源罪を倒しても根本的な解決にはなりません。あの源罪自身が言った通り、イリさんの食欲を焚きつけているだけだと思います」

 

 たとえ源罪を消し去っても既に目覚めたイリの食欲が止まることは無い。

 この事態の根本を解決しなければならない。

 つまり──。

 

「食欲のほうをどうにかしろっていうのね?」

 

「ええ、その通りです。源罪が食欲と結合しているのなら、イリさんの中の源罪の気配を追えば食欲に辿り着けるはずです。誘導は私がやりますから。私の手を握って……目を閉じて……」

 

 ベルフラウはアメルの言葉に従いその手を取ると目を閉じて意識を埋没させる。

 ベルフラウとイリの繋がり──広大な糸の海へとその精神を飛び込ませた。

 

 

 

 源罪が言葉による奸計から力による排除へ移行することを宣言すると、イリの魔力が解き放たれる。

 辺りに魔力が吹き荒れて大気が震え、物理的な風が発生していた。

 アティたちはそれに吹き飛ばされないように懸命に踏みしめる。

 異識体の身体に漲る界の意志を超えるほどの魔力に酔いしれた源罪は自身に立ち向かおうとする矮小な者たちを見下ろして嗤う。

 

「うひひ……ひゃはははは……あーっはっはっはっは! 素晴らしいですよ、異識体の力は。運命の糸を律するどころか思うがままに運命の糸を生み出せる……思い通りに世界を操れる存在。世界そのものを舞台とした操演者となれるわけです。ひひひ……」

 

 メルギトスの源罪による人の心を弄ぶ言葉と奸計、異識体の操り糸、そして異識体の持つ魔力によって世界そのものを手の平の上にのせて玩具とする操演者。

 メルギトスの源罪と異識体が組み合わさることによってリィンバウムに発生した脅威。

 今までに戦ったこともない強大過ぎる敵を前に──マグナは絶望していなかった。

 剣を強く握りマグナは源罪へ一歩近づく。

 

「源罪<カスラ>……お前が自分の思い通りに運命を生み出すと言うのなら……俺は因果を超える者……超律者<ロウラー>としてお前が生み出す運命を超えてみせる!」

 

 かつて運命を律するとして恐れられたクレスメントの一族の称号『調律者』ではなく運命を超える者『超律者』の称号を名乗ったマグナはその声を自身の宿敵に向ける。

 マグナが名乗りを終えるとアティも前へと踏み出してマグナに並んだ。

 

「私は……救い、切り開く者……抜剣者<セイバー>として! ベルフラウさんとイリの絆を守ってみせます!」

 

 アティもマグナに続いて抜剣者の称号を名乗る。

 魔剣の適格者として切り開く者であり救うもの。

 SaberでありSaverでもある者。

 その声を核識の間に響かせて名乗りを上げるとアティは自身の手にある果てしなき蒼<ウィスタリアス>を見つめ、果てしなき蒼が誕生したあの日の事を思い返していた。

 あの日ウィゼルは魔剣の魂となるアティ自身の確固たる思いが必要だと言った。

 そしてアティは答えを見つけ出して決意をしたのだ。

 

『生徒に叱られたり、守られたりする情けない先生だけれど……ベルフラウの笑顔を守りたい』

 

『ベルフラウとイリがしてくれたように、二人を守りたい』

 

『二人にはずっと仲良くしてほしい』

 

『ベルフラウとイリの間にある絆を守りたい』

 

『何があろうともベルフラウとイリの絆を守って見せる』

 

 砕けた碧の賢帝<シャルトス>を打ちなおしたあの日、果てしなき蒼<ウィスタリアス>に込めた確固たる想いと誓いを今ここに。

 蒼き魔剣と共に想いと誓いを胸に掲げる。

 

「みんな、勝ちましょう! この島と……この世界と……二人のかけがえのない絆を守るために!!」

 

「ほざけぇええええ! この圧倒的な力の差を前に……そんなことが出来るものかよォ!!」

 

 アティが掲げた蒼く澄んだ魔剣を構えなおすと、黒い風を纏わせたイリデルシアが源罪の声とともに巨大な八本の脚を動かして巨体を揺らし、耳障りな異音を核識の間に響かせた。

 

 

 

 ベルフラウはかつて新たな力を得るために訪れた場所──糸の海の中を移動していた。

 かつてと違うのはベルフラウを先導するように前方を浮かぶ光の存在があることだった。

 光に従って糸の海を掻き分けて進んでいるとついにその果てが見え始める。

 ベルフラウとイリの繋がりである糸の海を抜けると宙に放り出されたような浮遊感のあとにベルフラウは薄暗い空間に降り立った。

 

 自身が降り立った足元の感触に違和感を覚えたベルフラウが地面を見下ろすと、幾つもの糸が織り重なった糸の層が足元に広がっていた。

 一面に広がる糸の層──それは異識体が創造した世界、繭世界<フィルージャ>の再現。

 ベルフラウとイリの繋がりの先──イリの深層意識内には疑似繭世界とも呼べる空間が広がっていた。

 そしてベルフラウの眼前──糸の層で出来た床の上の空間に浮かぶ黒い靄のようなもの。

 アメルによる誘導が上手く行ったのなら、あれこそが──。

 

「あれがイリの食欲なの?」

 

「ギッギィィ。異識体ノ意志ヲ惑ワス異分子ガ……ワザワザ喰ワレニ来ルトハナ」

 

 遺跡に来る前に戦ったイスラやアズリアと同じようにベルフラウを異分子と呼んだ靄はその形を忙しなく変えている。

 

「喰われに来たわけじゃないわ! あなたを倒しに来たのよ。イリとずっと一緒にいるために!」

 

 当然ながらベルフラウは自分からエサとして食べられにきたわけではない。

 彼女の護衛獣であり、今は結婚までして夫となったイリとずっとに一緒に居たいという願いを叶えるためにここに来たのだ。

 

「愚カ! 異識体ハ全テヲ喰ラウ者! 全テヲ奪ウ者! 我ハソノ食欲ソノモノ! 我コソハ宿業<カルマ>! 宿業ノイリデルシア! 異識体ガ身ニ宿ス業ノ具現ナリ!」

 

 宿業<カルマ>のイリデルシアを名乗ったそれこそがイリの食欲そのもの。

 ベルフラウと出会い、他者と共に在ることを知った『イリ』ではなく、他者を喰らい孤独こそを是とする『イリデルシア』。

 かつてイリがベルフラウを裏切った原因。

 ベルフラウに存在によって抑えられていたもの。

 いつか抑えられなくなり全てを喰らうもの。

 かつて五つの世界を消滅寸前までおいつめたもの。

 イリの中で荒れ狂う飽くなき衝動そのもの。

 イリがその身に宿した業そのもの。

 ベルフラウの願いを阻むもの。

 そして──ベルフラウが倒すべき最大の敵。

 

「イリは喰らうだけじゃない! 奪うだけじゃない! 私と二人で娘を生んだもの!」

 

「娘……無駄! 無意味! 異識体ハ簒奪ト浪費ヲ繰リ返ス者! 自ラガ生ミ出シタ後継者サエモ自ラガ喰ラウ! ソレヲ何度モ繰リ返シテキタ! ドレダケ願オウトモ……異識体ガ何カヲ残スコトナドッ! アリハシナイノダ!!」

 

 ベルフラウは二人の間の娘フランネルの存在でもって、イリが喰らい奪うだけの存在ではないと主張するが宿業のイリデルシアはそれを無意味だと断じた。

 それは──イリは今までに何度も自身の後継者となる存在を生み出してきたからだ。

 かつてイリは自分が存在した証を残したいと願い、後継者を生み出した。

 だが後継者を生み出したはずのイリはずっと孤独だった。

 何故ならば──喰らってしまったからだ。

 後継者が育つのを待っていたイリは我慢しきれずに喰らってしまった。

 そしてイリは新たな後継者を生み出してまた我慢出来ずに喰らってしまった。

 後継者を生み出すたびに我慢出来なくなっては喰らう、そのサイクル。

 それを何度も何度も何度も何度も繰り返し──イリはずっとひとりぼっちだったのだ。

 

 そしてベルフラウは理解する。

 自身を裏切ったイリを喚び自身の想いをイリに伝えたあの日、イリが何度も『我慢出来なくなる』と言っていたその理由を。

 あれはイリの経験則。

 何度も我慢できずに喰らってきた経験があるからこそ出た言葉なのだ。

 イリ自身ですら逃れ得ぬ業。

 イリの宿業とはイリ自身の願いをも阻むものに他ならない。

 それを理解したベルフラウは目を閉じて深呼吸をすると再び目を見開き、宿業のイリデルシアを敵意のこもった眼差しで見つめる。

 ベルフラウは目の前の宿業のイリデルシアを名乗る存在がイリにとってどのような存在なのか判断し──絶対に滅ぼすべき敵だと断定した。

 そしてベルフラウが次に口を開いたのはアティが抜剣者の名乗りを上げたのとほとんど同時だった。

 

「宿業のイリデルシア……あなたがイリ自身の願いを阻むと言うのなら……私たちの未来を喰らおうと言うのなら……私はイリとイリの願いを結ぶ者、イリと魂を響かせ合い共に生きる者──響命者<ハーモナイザー>として……私とイリの幸せな未来を作り上げてみせる!」

 

「却下! 否定! 妄言! 妄想! 幻想! 空想! 虚妄! 笑止ッ!」

 

 宿業のイリデルシアはベルフラウの言葉を否定するとその靄のような身体を広げて大きくなっていく。

 広範囲に広がった靄は拡大を辞めると蠢き、形を成していく。

 まず形が出来たのは太く長い脚。

 先端が鋭く尖り爪のようになっている巨大な脚が八本。

 そして頭部。

 その口は円形で周囲にいくつもの鋭い牙が並ぶ全てを喰らう口。

 その頭部の左右には砲塔のようなものが出来上がり、明らかに攻撃用のものだと察せられる。

 宿業のイリデルシアの姿は今アティたちが戦っているイリと同じ大蜘蛛の形態をとった異識体のものだ。

 だがベルフラウの知るイリとは決定的に違う。

 何故ならその体色は白い大蜘蛛であるイリの対極──黒だからだ。

 宿業のイリデルシアはその黒い身体の所々に紅い光を灯すとその頭部にある目のような発光体を輝かせた。

 

「融合捕食! 完全同化! ギシシッ……リィンバウムゴトッ! 我ニ喰ワレテ消エルガイイ!」

 

 黒い大蜘蛛は異識体本来の在り方を歪める異分子を睥睨しそれを喰らわんとする。

 巨大な黒い脚が振るわれるとそれを斜め前に跳んで避けたベルフラウはそのまま自身が打倒すべき敵へと駆け出した。

 ベルフラウ自身の願いを叶えるために。

 イリの願いを叶えるために。

 

 

 

 核識の間では既にアティたちの戦いが始まっていた。

 各々が武器を手に源罪とイリデルシアに立ち向かって行く。

 アティも果てしなき蒼で白いイリデルシアの脚を斬りつけるがその巨体故に大きなダメージを与えたような手ごたえはなかった。

 

「全く……雑魚もこれだけ多いと煩わしいですね。折角の機会ですし教えて差し上げましょうか。実力行使とは何も破壊力に任せることだけを言うのではないのですよ」

 

 アティたちの攻撃を儚い抵抗だと嘲笑する源罪が打った手は──糸だった。

 イリデルシアの身体から操り糸が伸びるとアティたちに向かっていく。

 まず糸が狙ったのは糸を断ち切ることが出来る存在であるアティ以外だ。

 通常の武器では切れないその糸はただ避けるしかない。

 それに捕まってしまったのは前衛組よりも動きが鈍い召喚師たちだった。

 まず幼いミニスの身体に糸が繋がれ、次にネスティの身体にも糸が接続される。

 

 その糸の効果をアティたちは知っている。

 その糸こそ島の住人たちを操っていたものと同一のものだからだ。

 それによってどのような結果が起こるか知るアティは果てしなき蒼を手に駆けるとミニスとネスティの糸を断つべく剣を構える。

 だがその背後から糸がすぐそこまで迫っていた。

 そう、ミニスやネスティはアティの隙を作るための囮に過ぎなかった。

 本命は糸への対処法を持つアティだったのだ。

 

「アティさん! 後ろだ!」

 

 マグナが気づいて叫ぶが既に糸はアティまであと僅かな距離まで迫っており──そして接続された。

 

「そんな……」

 

「ひひひ……さあ、踊りなさい。この世界の操演者たる私の手のひらの上で朽ちるまで踊り狂い続けるがいいわ!」

 

 アティが糸に捕らわれたことで糸を断ちきれるのは同じ魔剣の所有者であるベルフラウだけとなってしまった。

 しかしベルフラウは既に別の戦いを始めてしまっており力を借りることは出来ない。

 つまり操り糸への対処法を持たないマグナたちはこのまま全員源罪の操り人形になるしかないのだ。

 誰もがその状況に絶望し、リィンバウムは源罪の手に堕ちてしまうのだと悟ってしまう。

 

 その時だった。

 操り糸とは違う糸が後方から現れるとそれはアティ、ネスティ、ミニスに繋がって──それに弾かれるようにアティたちの操り糸が外れて消えてしまった。

 驚いて後ろを振り向いたマグナたちが見たのは両手を前に突き出して指先から糸を伸ばすフランネルの姿だった。

 フランネルの糸はマグナたちにも繋がり、マグナたちは己の内から湧き上がる力を感じていた。

 

「これは一体……? 身体の中から力が湧き出てくる!」

 

「『トラン・スレイグ』……お父様とお母様の娘である私を忘れないで欲しいわね! あなたがみんなの心と運命を操る操演者なら……私は勝利の可能性を指し示し、輝かせる者……指輝者<コンダクター>としてみんなを勝利へと導いてみせるわ!」

 

 フランネルの使ったトラン・スレイグはイリの使うものとは少し違った。

 イリのトラン・スレイグは自身だけを強化するものだがフランネルのそれは自身以外を強化するものだ。

 それは異識体であるイリの性質と人間との響界種であるフランネルの性質の差が原因なのだろう。

 白い髪の少女が母親と同じ青い瞳で自身の父親を唆した源罪を睨むと己の企みを阻止された源罪が吼える。

 

「異識体の娘!! 本来存在しないはずの……存在してはいけないイレギュラーが……消え去れぇええ!」

 

 本来なら異識体が他者と何かを生み出すなどということはありえない。

 ましてやそれが異識体に喰われずにまだ存在しているという事態はありえないイレギュラーなのだ。

 何故なら異識体は個で生命を創造出来る存在であり、自身が創造した生命を我慢できずに喰らう存在なのだから。

 そのイレギュラーを消去するために二つの砲門から放たれた破滅の一撃は操り糸から解放されたアティの輝く魔剣とマグナの魔力を纏わせた剣によって受け止められる。

 

「やらせません! フランネルちゃんはここに生きています! それをイレギュラーなんて呼んで否定する権利なんて誰にもありません!」

 

「イレギュラーなんかじゃない、必然で生まれた命なんだよ!」

 

 トラン・スレイグによって力を増したアティとマグナは攻撃を防ぎきると確信する。

 身体から溢れ出すほど力が漲る今ならばこの強大な相手にも太刀打ち出来ると。

 

 

 

 ベルフラウは立て続けに振り下ろされる黒い脚を躱しながら走り宿業のイリデルシアに接近すると自身の心に宿る魔剣不滅の炎<フォイアルディア>を喚び出す。

 抜剣覚醒により白くなった髪をたなびかせるベルフラウは自身の右腕に出現した橙色に輝く魔剣で宿業のイリデルシアの身体に切りかかる。

 

「ギッ!? ギィイイイイ!?」

 

 その攻撃を大したものではないと想定していた宿業のイリデルシアは予想外に大きい痛みを受けて叫ぶ。

 封印の魔剣とは心の刃。

 ベルフラウの心そのものである刃はイリの心にある食欲そのものである宿業を傷つけることができる数少ない武器の一つだった。

 さらに不滅の炎は浄火の力を持つ魔剣だ。

 その斬撃は宿業そのものを浄化せんとする炎の一撃なのだ。

 つまり不滅の炎とは宿業のイリデルシアに対して特効ともいえる唯一の武器。

 ベルフラウが追撃に舞うような美しい剣技を繰り出すと何度も宿業のイリデルシアの身体が斬られて焼かれていく。

 

「勝つのは私よ! 勝ってイリとずっと……」

 

「贄ガ! 思イ上ガルナァ!」

 

 自身に傷をつける愚か者への怒りを燃やした宿業は左右二本計四本の脚をベルフラウを挟み込むように勢いよく振るう。

 空間を切り裂く風切り音とともにベルフラウに迫る四本の脚の内の一本が躱しきれなかったベルフラウの胴を打ち据える。

 

「きゃあ!?」

 

 悲鳴を上げたベルフラウは脚に弾き飛ばされて糸が織り重なる床へとごろごろと転がった。

 確かに不滅の炎は宿業のイリデルシアを傷つけることが出来る武器だ。

 だがベルフラウが有利というわけではない。

 宿業のイリデルシアの攻撃は強力無比でありその全てがベルフラウの攻撃よりも重い。

 不滅の炎を持つことでベルフラウはようやく勝負という土俵に立っただけなのだ。

 

「負けないんだから……絶対に負けたりなんか……しないんだから!」

 

 ふらつきながらも立ち上がるベルフラウの眼にはまだ闘志が灯っていた。

 強大な敵を前に未だ勝利を掴む意志を見せるベルフラウの姿に対し宿業はイラついたように吐き捨てた。

 

「敗北確定! 勝率皆無! 抵抗ハ無意味! 愚カ者ガ……誅殺!!」

 

 次に宿業のイリデルシアが放とうとする攻撃はベルフラウが何度も見たことがあるよく知る攻撃だ。

 虚空から出現した光を見ずに前を向いたまま躱したベルフラウは跳び上がると宿業のイリデルシアの頭部へと魔剣を突き立てた。

 

「ギッギリィイイイイイ!!」

 

 宿業の存在そのものを焼くような痛みに絶叫を上げた黒い巨蜘蛛はベルフラウを振り払おうと脚を振るうがベルフラウは咄嗟に黒い頭部を蹴って離れる。

 空中を落下しているベルフラウに黒い二つの砲門の先が向けられた。

 

「空中デハ躱セマイ! 破滅セヨ!」

 

 砲の内部に魔力の光が輝いたのを見たベルフラウは不滅の炎を構えると次に放たれた破滅の力を輝く剣で受け止めた。

 緑色のビームを受けたベルフラウは吹き飛ばされて糸の層に叩きつけられる。

 身を起こしたベルフラウの受けたダメージは大きいが──その顔に浮かぶのは不敵な笑み。

 宿業のイリデルシアの攻撃は確かに重く強力だ。

 だがベルフラウは見たことがあるのだ。

 イリが振るった脚の先端がディエルゴの体躯を貫いたのを。

 イリが放った緑色のビームがディエルゴにとって重要な装置である共界線を制御する柱を打ち砕いたのを。

 

 ベルフラウが受けた宿業のイリデルシアの攻撃はそれと同一のものだった。

 だが実際に身体で受けたベルフラウは確信した。

 確かに強力な攻撃だがディエルゴとの決戦で放たれたイリの攻撃よりも威力が低いと。

 その原因についてもベルフラウは既に推測していた。

 ベルフラウが核識の間に入った時に見た光景──イリがフランネルから離れるように後ずさっていたあの光景から推測されるのは。

 

「宿業<カルマ>……あなた、全力を出せていないんでしょう? イリの意志に邪魔されて」

 

 ベルフラウがはじき出した答えはイリ自身の意志が宿業に抵抗しているということだった。

 だからこそイリはフランネルを喰らわずに離れた。

 だからこそベルフラウへと振るわれる攻撃の威力が落ちている。

 それを指摘された宿業はベルフラウに憎しみの篭った視線を向ける。

 

「ギリギシィイイイイ! 異分子ガ……貴様サエ居イナケレバ……異識体ノ意志ヲ惑ワス貴様サエ居ナケレバ……我ガ異識体ノ全テヲ掌握出来ルトイウノニ!!」

 

 源罪がイリにフランネルを喰らわせようとしていたのも、宿業がイスラの影法師<ズィルウ>を直接操作してベルフラウを排除しようとしたのも、源罪がベルフラウを惑わして排除しようとしたのも全てはそれが理由だ。

 ベルフラウとフランネルを排除することでイリが食欲に抵抗する理由を無くすためなのだ。

 

 ベルフラウへの憤怒と憎しみによって黒い大蜘蛛の身体が沸騰したように泡立っていくと肥大化しつつもその形を変えていく。

 警戒するベルフラウの目線を受けながらも姿を変えた宿業は新たな形態へと変化した。

 内側に棘が生えた禍々しい光輪とそこから生える八枚の翼。

 太く頑強な腕と巨体を支え疑似繭世界を踏みしめる足。

 後ろへ生えた二本の角と捩じれた二本の角を持つ竜の頭部。

 そしてその腹には噛み合わさった大きな牙が生えた二つめの口。

 それこそが異識体の狂気と欲望の到達点。

 これこそが異識体の無尽蔵の食欲と宿業の象徴。

 黄金の竜──異識体・狂竜。

 

「ギシッギシシ! 絶望セヨ! 喰ワレヨ! 贄トシテ捧ゲラレヨ!」

 

 界の意志<エルゴ>の概念すら超越してしまった絶対的な上位者である狂竜が降臨する。

 疑似繭世界に狂竜が現れたその光景は、かつて繭世界で行われた世界の存亡を賭けた戦いの光景に似ているが──あの決戦の時とは違い、狂竜に立ち向かっているのは勇者たちではなくベルフラウただ一人だ。

 

「私は絶望なんてしないわ。だって……」

 

 だが絶大なる邪神を前にしてもベルフラウの意志は屈していなかった。

 何故なら──。

 

「私は一人じゃないから! 来て、イリ!」

 

 イリの意志が今も宿業に抵抗しているのならばきっと──。

 イリの深層意識内であるこの疑似繭世界の中でならきっと──。

 

「ギィイイ!」

 

 イリの意志がベルフラウの喚びかけに応えてくれるはずだから。

 

 

 

 

 




真ボス戦は現実世界側と精神世界側を切り替えながら戦うザッピング方式。
宿業のイリデルシアは食欲そのものであり、メタ的な意味ではその名前の通りカルマルートそのものでもあります。

サモンナイト恒例行事、称号名乗りを終えて戦意は十分。
役者も揃い、戦いは後半戦へ。
イリ&ベルフラウ VS イリデルシア開始。

・現実世界:核識の間アティ側
VS源罪のイリデルシア

・精神世界:疑似繭世界ベルフラウ側
VS宿業のイリデルシア


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二ツノ到達点

 一切の光が遮られ、界の意志の加護さえ届かぬような昏い深淵の中にイリの意志はいた。

 イリの意志を覆うその闇こそがイリの無尽蔵の食欲──宿業<カルマ>。

 イリの意志はその闇に飲み込まれようとしていたが──イリにとってはいつものことだ。

 そう、いつものことなのだ。

 いつも食欲に呑まれて我慢できずに全てを喰らってきた。

 ──世界を。

 ──後継者を。

 ──自身の願いさえも。

 いつものことだ。

 いつものことなのに──いつもとは違ってイリの意志は抵抗している。

 いつも通り全てを喰らってしまえば楽になれるのに抗っているのだ。

 

「何故? 不明……。抵抗ハ無意味……ソレハ理解シテイル。ナノニ何故我ハ抗ッテイル?」

 

 どうせ我慢しきれずに全てを喰らうことになる。

 それを一番理解しているのはイリの意志自身だ。

 今までに何度も繰り返してきたのだから当然だろう。

 だが無駄だと分かっていながらも未だにイリの意志は抵抗を続けていた。

 イリの意志自身その理由が分からず疑問を抱くがその答えは記憶となって甦った。

 

『ギ……ギィイ……失イタクナイ……?』

 

『そうです。大切だと思ってるから失いたくないんです。大切だから、好きだから守りたいんです』

 

 いつかのアティとの会話が想起される。

 それはベルフラウを守った理由が分からないと言ったイリとアティとの会話の記憶だった。

 

「大切……失イタクナイ……好キ……守リタイ……」

 

 かつてアティの言ったその言葉、それらに該当するのは当然──。

 

「……ベルフラウ」

 

 ベルフラウが大切だから、失いたくないから、好きだから、守りたいから。

 だから敵わぬと分かっていても、無駄だと思っていてもイリは食欲に抵抗しているのだ。

 他者のために勝てない相手に挑む、それはまるで──イリを倒した勇者たち、そしてイリを守るためにゼリーに立ち向かったベルフラウのような行為だ。

 つまり今イリの意志がここまで抗うことが出来ているのは勇者たちやベルフラウから感じた『何か』によるものなのだ。

 それを理解した瞬間。

 イリの意志が光に包まれ──よく知る声に、喚ばれた。

 

 

 

 イリの意志が喚ばれた先は疑似繭世界。

 糸の層によって構成される空間に小さな蟲の姿をしたイリの意志が現れる。

 馴染みのある白い蟲の姿を目にするとベルフラウは顔を綻ばせた。

 

「イリ!」

 

「異識体の意志!? ……ギシシッ! ダカラドウナルト言ウノダ? 我ニ……食欲ニ勝テタ試シノナイソイツヲ喚ンダトコロデ無駄! 無意味!」

 

 宿業のイリデルシアはイリの意志が現れたことに僅かに驚くがそれを無意味だと評する。

 

「……」

 

 宿業の言う通り今までに異識体の意志が食欲に勝てたことなどない。

 一度も我慢出来ずに全てを喰らってきたイリはそれが分かっているのか反論することが出来ずにいる。

 ベルフラウはいつもと違い弱弱しいイリに触れると励ますように笑いかけた。

 

「大丈夫よ、イリ。私がついてる。二人なら勝てるわ、絶対」

 

「軟弱! 惰弱! 虚弱! 他者ニ依存スル貴様ラデハ孤高ニシテ絶対デアル我ノ領域ニハ届カヌ!」

 

「あら、それはどうかしらね? イリの中にずっといたならあなたも知ってるはずでしょ? 私とイリが揃えば無敵だって!」

 

 それを聞いてイリはベルフラウの顔を見上げる。

 

「(私とイリが揃えば、無敵なんだから!)」

 

 ベルフラウは以前もイリにそう言ったことがある。

 それを思い出したイリが見つめるベルフラウの表情はあの時と同じ勝利を微塵も疑っていない笑顔だ。

 その笑顔と馬鹿馬鹿しいはずの理屈がイリに反抗の為の力を供給し始めた。

 

「ギィイ!」

 

「クダラナイ……馬鹿馬鹿シイ世迷言ヲ! 完全ナル個タル我コソガ唯一無二! 絶対無敵ノ存在ナリ! ソレヲ証明シテクレヨウ!」

 

 狂竜の両腕が掲げられるとベルフラウと狂竜との間にメイトルパの翼竜ワイヴァーンとロレイラルの機械兵器ナックルボルトが出現する。

 

「召喚術!?」

 

 イリの精神世界内であるこの疑似繭世界に召喚術で異界の存在を喚び出すことなどできない。

 あれらはイリに捕食されて取り込まれた存在達の意志そのものだ。

 

「我ハ一ニシテ全! 全ニシテ一! 融合セヨ! 同化セヨ! 恭順セヨ! ヒトツトナレ!」

 

「私とイリは絆で繋がってるもの! 一つになる必要なんてないわ! それに……私はイリと触れ合いたい。抱きしめたい。キスだってしたい。同化なんてお断りよ!」

 

「肉体的接触……理解不要。価値絶無。『ブラストフレア』!! 『ダブルロケット』!!」

 

 ワイヴァーンの口内に炎の揺らめきが灯ると火球ブレスが放たれる。

 燃え盛る火球を燃えるような橙の魔剣で弾いたベルフラウに機械兵器の両腕が分離し推進器から火を噴出して迫る。

 

「イリ!」

 

「誅殺!」

 

 ベルフラウに名前を呼ばれたイリはそれだけでベルフラウの意図を察してナックルボルトの右腕を糸の層に叩き落とす。

 残った左腕を躱したベルフラウは右腕を踏み台にして跳び上がると狂竜の右腕へと不滅の炎を突き立てた。

 

「ギリッギィイイイ!? 断絶! 細断!」

 

 浄火の魔剣に焼かれて狂竜の右腕が力を大きく損なう。

 狂竜はベルフラウを鋭い爪で切り裂くべく左腕を振り上げるが──。

 

「サセルモノカ! 破滅セヨ!」

 

 イリより放たれた紅い破滅の光が振り下ろされようとした左腕を貫くと断絶の一撃は阻止されてしまった。

 

「思い知ったでしょう? 私とイリは負けないわ。二人で積み重ねた思い出が私たちに力をくれるの」

 

「ギシギシッ! 愚カ! 記憶消去! 忘却喪失! 貴様ラガ依ッテ立ツモノガドレダケ脆イモノナノカ知ルガイイ!」

 

 黄金の竜が嗤うと右翼が妖しげな光を放つ。

 狂竜の翼はただ飛ぶだけのための器官ではない。

 その翼自体が異識体の権能を宿しているのだ。

 右翼が持つ権能の名は『失われし記憶』──記憶への直接干渉だ。

 

「え……あ……」

 

「……ベルフラウ?」

 

 狂竜と対峙していたベルフラウの瞳から光が失われると、ベルフラウの様子がおかしいことに気が付いたイリが近寄るが──。

 

「蟲の召喚獣!? いやっ来ないで!」

 

 ベルフラウが示した反応は拒絶。

 イリを怯えたような目で見るベルフラウは身体を震わせてイリから距離をとった。

 

「……」

 

「絆……思イ出……ギリギシキリッ! 愚昧! 阿呆! 浅慮! 記憶ニ裏打チサレル物ガ、ドレダケ曖昧デ儚イカ思イ出シタカ? 異識体ノ意志ヨ」

 

 イリが無言で見つめるベルフラウはもうイリの事を覚えていない。

 ベルフラウがイリと積み重ねてきた記憶は狂竜の権能によっていとも簡単に消え去った。

 イリは相変わらず怯えているベルフラウから目を離すと自身の宿業を睨み付ける。

 

「ソノ人間ノ記憶ガ失ワレテモナオ、我ニ刃向ウ気カ? モウ貴様ガ我ニ抗ウ理由ハ無イダロウ? 我トトモニソノ人間ゴト世界ヲ喰ラエ!」

 

 以前、ベルフラウがイリにある質問をしたことがある。

『もしも私が記憶を無くしても、あなたは私の護衛獣でいてくれるかしら?』と。

 あの時に返さなかった答えはもうイリの中で出ている。

 

「我ハ異識体! 繭世界ノ創造主! ソシテ……ベルフラウノ護衛獣ナリ!」

 

「護衛……獣? 知らないわ……あなたを護衛獣にした憶えなんか──」

 

 無い、と言い切ろうとしたベルフラウの言葉はその直前で止まってしまった。

 ベルフラウの発言を止めたのは他でもないベルフラウ自身の魂。

 ベルフラウがイリの事を忘れた今でもベルフラウとイリの魂は繋がっている。

 今この瞬間もベルフラウとイリの魂は共鳴し、震え、響きあっている。

 もはやベルフラウとイリの間柄はただの召喚師と護衛獣のそれではない。

 ベルフラウとイリは魂を響かせ合う友──響友<クロス>とも呼べる関係なのだから。

 イリと繋がり、響きあうベルフラウの魂は二人の関係を否定しようとする発言を中断させる。

 そればかりか──。

 

「ぐぅっ……頭が……割れそう……」

 

 ベルフラウの魂は失われた記憶を修復し始めた。

 ベルフラウの記憶が失われていてもベルフラウの魂は憶えている。

 魂に想いが刻まれている。

 ベルフラウは激痛が走る頭を手で押さえると痛みのあまり顔を顰めて目を閉じる。

 ベルフラウの魂がベルフラウ自身に絶対に忘れるなと叫び、思い出せと訴えかけているのだ。

 

「知っている……気がする。あなたのこと……護衛獣……違う。そうじゃない……あなたは……」

 

 ベルフラウは痛みのためか頭を手で押さえながらも目を見開くとイリを愛おしい者を見る目で見つめた。

 

「そうじゃないでしょ? あなたは私の夫なんだから」

 

「ベルフラウ……」

 

「ごめんね。少しの間あなたのことを忘れてた……」

 

「記憶ヲ消シタハズダガ……? モウ一度消シテクレル!」

 

 ベルフラウの記憶が戻るとそれを不可解に思った狂竜が再びベルフラウの記憶へと干渉を開始する。

 

「ベルフラウ!?」

 

 またベルフラウの記憶が消されてしまうと心配したイリだったが、ベルフラウは痛みに耐えながらもしっかりとイリの名を呼んだ。

 

「心配しないで、イリ。もう二度とあなたのことを忘れたりなんかしないから!」

 

 再度ベルフラウの記憶が消されるが、失われた記憶をベルフラウの魂がすぐさま修復した。

 つまりもう『失われし記憶』はベルフラウに通用しない。

 

「アリエヌ!! 何故記憶ガ消エナイ!? 何故!? 何故!! 何故!!」

 

「残念だったわね。あなたなんかに私とイリの愛は引き裂けないわ!」

 

「意味不明! 理解不能! 解析不能! 却下! 却下! 却下!」

 

 宿業のイリデルシアは記憶への干渉が効かないベルフラウを見て狼狽えると今まで閉じていた腹部の口を開いて咆哮を上げた。

 その口には上下に鋭く巨大な牙が生えており、その隙間から赤黒い球体が口内にあるのが見える。

 そしてその口が咆哮を上げたのと同時に黄金の竜の周囲にベルフラウの背丈ほどの大きさの紫色をした球体が四つ出現する。

 紫色の球体が現れるとベルフラウは背筋が凍るような悍ましい視線を感じ──それらが眼であると察した。

 

「な、なによあれ……」

 

「呪眼ダ。アレガ動ク前ニ破壊シロ」

 

 イリ曰く『呪眼』。

 四つの呪眼はベルフラウに視線を向け、ベルフラウの心に恐怖を与え続けている。

 あの呪眼が良くない物であるのはベルフラウも本能的に理解している。

 イリの言う通り、呪眼が何かをする前に破壊するべきなのは明らかだった。

 

「呪眼……あれを壊せばいいのね?」

 

「存在拒絶! 存在否定! 存在消去! 認メヌ! 消エロ……消エロ! 消エテ無クナレェエエエエエ!!」

 

 記憶が消えないベルフラウの存在を拒絶し、否定する狂竜の声が響く中ベルフラウは白い髪を揺らしながらイリと並んで呪眼へと駆ける。

 

「それで、どれくらい猶予があるの?」

 

「猶予ト呼ベル程ノ時間モ無イ」

 

「だったら……あれしかないわよね?」

 

 全力がだせないのは宿業のイリデルシアだけではない。

 イリの意志もまた宿業によって宿業以上に力を削がれている。

 だが削がれているのならその分を埋めればいい。

 宿業とは違い、イリは一人ではないのだから。

 

「行くわよ! 『抗ウガイイ』!!」

 

 ベルフラウとの繋がりを通してイリに供給された力はイリの姿を変化させた。

 白い翼の生えたイリの姿を見たベルフラウは呪眼へと向き直り不滅の炎で横薙ぎに切り裂く。

 

「まずは一つ目!!」

 

「『シュペル・スレイグ』!! 串刺シノ刑ニ処ス!!」

 

 翼を広げたイリはまず自身の速度を高速化し、続けて爪を発生させると爪の先端が呪眼を貫いて串刺しにする。

 

「二ツ目ダ! 破滅セヨ!! コレデ三ツ目──」

 

 さらにイリの口と砲門から放たれたビームが三つ目の呪眼を消滅させる。

 だが──。

 

「ギシッギシャシャシャシャ! 鈍間! 愚鈍! 緩慢! 間抜! 卑小! 塵芥!」

 

 狂竜の嘲笑と共に残った最後の呪眼が世界に溶けるように透けはじめる。

 それは前準備だ。

 狂竜最大の一撃のための、偽りの響融化のための前準備。

 ベルフラウが魔剣を手に駆けるが──わずかに距離が足りない。

 

「もう少しなのにっ!!」

 

「『ヴァイア・スレイグ』!!」

 

 完全に消えようとする呪眼はその直前に黒い魔力によってその動きを止める。

『ヴァイア・スレイグ』その効果は行動阻害。

 イリによって呪眼は行動を阻止され──直後ベルフラウによって破壊された。

 

「これで全部!!」

 

 不滅の炎を振り抜いて四つ目の呪眼を両断したベルフラウが狂竜を見ると攻撃を阻止されて怒り狂い、次の攻撃へ移ろうとしていた。

 

「貴様ッ!! 人間……矮小ナ塵屑ガ! 粉砕! 圧潰! 潰レヨ!」

 

 狂竜は飛び上がると巨大な尾を勢いよくベルフラウへと振り下ろす。

 その巨体から放たれる一撃は単純ではあるが攻撃範囲が広く威力が高い非常に強力なものだ。

 ベルフラウが見上げる狂竜の尾は先が広がっており、面積が広く今から走っても躱しきれない。

 巨大な尻尾がベルフラウの頭上へと迫るがベルフラウは微動だにしない。

 それどころかそれを見上げながら余裕さえ感じる笑みを浮かべている。

 それはきっと──彼女の相棒を信頼しているからだろう。

 ベルフラウを叩きつぶさんと迫っていた黄金の尾はその途中で制止させられた。

 黄金の尾を止めたのは──尾を掴んだ白銀の腕。

 その姿は狂竜とよく似ている。

 しかしその竜は白銀に輝く竜であり、狂竜とは明確に違う。

 その竜こそかつて名も無き島の崩壊を止めた竜。

 ベルフラウと魂を響かせ合ったイリの到達点。

 白銀の竜──異識体・響竜。

 響竜は掴んだ狂竜の尻尾を振り下ろしてその身体を糸の層へと叩きつけた。

 疑似繭世界に大きな振動が響くと響竜は翼を大きく広げて狂竜へ吼える。

 

「全知全能! 永遠不滅! ギシシッ! 我トベルフラウガ揃エバ……無敵ナリ!」

 

「響竜……認メヌ!! 有ッテハナラヌノダ! 異識体ガ他者ト魂ヲ響カセ合ウナド! ソレニヨッテ進化スルナド!!」

 

 起き上がった狂竜は体勢を立て直すと空中へと上昇して滑空するように響竜へ飛び掛る。

 黄金と白銀、狂竜と響竜。

 真逆の性質を持つ異識体の二つの到達点が激突した。

 

 

 

 

 

 

 




カルマがんばえー!
響竜VS狂竜はやりたかった。


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イツカ夢見タ明日ヘ

 精神世界内でベルフラウが対峙する宿業のイリデルシアが狂竜へと姿を変じさせていたころ、現実世界での戦いも激しさを増していた。

 フランネルのトラン・スレイグによって強化されたアティたちのイリデルシアへの攻撃は有効打となり、それに応じて源罪の攻撃も激しくなっていく。

 

「私はお母様とお父様と一緒に居たいのよ! あなたなんかに私たちの日常を壊させはしないわ!」

 

 指から伸びる糸──トラン・スレイグによってアティたちに力を供給するフランネルは源罪を睨み付ける。

 彼女が大好きな母と父との平穏な日常は現在によって壊されようとしている。

 フランネルにはそれが我慢ならなかった。

 母は時々娘に残念な部分を見せるし、父はそもそも価値観が大幅にズレている。

 それにフランネルとパッフェルが振り回されたり苦労させられることもある。

 それでも母がいて、父がいて、パッフェルがいて、そこに自分がいる──その日々が彼女にとっての宝物だった。

 

「一緒にいたい……? 何故です? 何故世界を喰らう化け物と一緒にいたいなどと願うのですか? 命が惜しくないのですか? いつ喰われるかも分からないのに……怖くはないのですか?」

 

 源罪にとってフランネルの願いは心底不可思議だった。

 世界を脅かす化け物の近くにいること自体が恐怖であり、命惜しさに逃げ出して離れるのが普通だ。

 勿論、異識体がその気になったら世界ごと食べられてしまう以上、どこにも逃げ場などないのだが。

 

「怖くなんてありませんよ。イリを信じていますから」

 

 アティは蒼く輝く魔剣を振り下ろしてイリデルシアの脚を攻撃すると怖くないと言い切った。

 

「理解……出来ない。あなたがたは全てを喰らう業を背負った存在を……界の意志をも超える存在を……信じると言うのですか?」

 

「源罪……人の心は理論や理屈だけじゃないんだ」

 

 メガネ越しに鋭く目を光らせるネスティが召喚したロレイラルの召喚獣のレーザーが空から降り注ぎ、イリデルシアの脚を打ち据える。

 

「誰かと一緒に居たい、その思いに損得なんて関係ないんですよ」

 

 イリデルシアの脚が振り下ろされ、傷ついた仲間たちをアメルの力が癒していく。

 

「俺だって普通の人からしてみれば化け物だよ。クレスメント家の罪と調律者の魔力を持つ俺は許されない業を背負う化け物だ。それでも……そんな俺にも一緒に居てくれる人たちがいるんだ! どんな存在かなんて、どれだけ強い力を持っているかなんて関係ないんだよ!」

 

 クレスメント家はかつて許されざる罪を犯した。

 他でもない悪魔王メルギトスと取引して強大な魔力を手に入れた彼らは取引を反故にした。

『リィンバウムへの門を開く』という対価を踏み倒し、メルギトスを騙した彼らはメルギトスの報復を恐れて更なる罪を重ねていった。

 メルギトスに対抗するため、人間の味方だった豊穣の天使アルミネを機械による強化改造と自我の消去を施した兵器──召喚兵器<ゲイル>にしてしまったのだ。

 人間の味方をしてくれていた異世界の友人たちはそれに怒り、人間たちを見捨ててしまう。

 メルギトスを騙して怒らせたばかりか、リィンバウムが異世界の友人たちに見放される原因を作ったクレスメントは大罪を背負う家名なのだ。

 

「分からない……源罪である私が……ココロの闇と結びつく私が……ニンゲンのココロが分からないだと!? 何故無闇に信じられる? 何故私に立ち向かえる?」

 

 困惑した様に問うメルギトスの源罪に答えを返したのはアティの諭すかのような声だった。

 

「本当に分からないんですか? こうして結果にも出ているのに」

 

「な、なにを……」

 

「あなたの言う通り、イリは界の意志を超える力を持つ存在です。だったらおかしいですよね? あなたと戦っている私たちはまだ生きて存在しているんですから!」

 

「お父様の力なら私たちの存在そのものを消滅させることなんて簡単よ。でもあなたはそうしていない……いや、出来ない! お父様の意志があなたの力を押さえているんでしょう?」

 

 界の意志を超える魔力を誇るイリのもつ力は強大で、それを前にしたアティ達がまだ立っていること自体が本来なら奇跡とも呼べることだがそれだけではない。

 イリはかつてこの島の共界線の要であったディエルゴに代わり島の共界線を支配している。

 イリならば敵対者の共界線に直接干渉して存在そのものを消滅させることすら出来るのだ。

 それなのに未だアティたちは消滅していない。

 つまり──アティ達が今も生きて存在していること自体がイリを信じられることの根拠。

 

「ふふふ……確かにその通りですよ。ですが……だからどうだと言うのですか? 異識体の力が抑えられていてもなお、私とあなたがたの間には大きすぎる力の差が広がっている! 貴様らに勝ち目などありはしないのだ!」

 

 源罪は異識体の意志による抵抗を素直に認めたが、その余裕は崩れていない。

 出力が減少していても酔いしれてしまうほどの膨大な魔力は圧倒的だ。

 

「まあ……その力の差は気合でどうにかするさ」

 

 フォルテが大剣を振り下ろすとその重さが威力に加わってイリデルシアの脚を傷つける。

 

「それに私たちには仲間がいるもの! 来て、シルヴァーナ! 『ガトリングフレア』!」

 

 ミニスが召喚したのはミニスの相棒である銀の翼竜だ。

 ミニスの意志に応えたシルヴァーナのブレスがイリデルシアの脚を焼いて焦げ付かせる。

 

「そうだよな……メルギトスを倒した仲間たちが一緒なんだ!」

 

 膨大な魔力を纏わせた剣を振り下ろすマグナは不敵な笑みを浮かべた。

 メルギトスとの戦いも絶望的だったが、それでも仲間たちと共に乗り越えてきたのだ。

 それが彼らの自信となる。

 

「小癪な!」

 

 イリデルシアの口から糸が伸びるとマグナの首を締め上げる。

 心を操る糸ではなく物理的な力を持つ糸はマグナを絞め付けて苦しめる。

 

「もがきなさい! 苦しみなさい! このままくびり殺してくれるわ!」

 

 マグナが糸を必死に引きはがそうとしているのを見て嗤う源罪はマグナを絞め殺すべく糸の力を強くしていく。

 

「やらせませんよ! 力を貸してください! 天兵! 天誅斬!」

 

 アメルが召喚した天使がマグナの首を締め上げる糸を切り裂くと解き放たれたマグナは鉄の床に着地する。

 それを視界の端で確認したアティは果てしなき蒼を構えると神経を研ぎ澄ませ、魔剣に強く想いを込める。

 

「絶対に守ってみせます! 私はベルフラウさんの先生だから!」

 

 アティの想いに応じて強く輝く蒼穹の魔剣は蒼い弧を描いて残像を残しながら──イリデルシアの脚を切り裂いた。

 度重なるダメージが蓄積され、全ての脚が動きを停止する。

 脚がその体重を支えられなくなりその巨体が揺らいでいく。

 

「ば、ばかな……こんなことが……」

 

 そしてついに──イリデルシアの胴体が核識の間の床に崩れ落ちた。

 核識の間を覆っていた巨体が大きな振動と共に床に激突するのをアティたちは呆然と見つめていた。

 

「勝った……のか? 俺たち……」

 

 マグナの言葉が耳に届くと皆が勝利を実感しはじめた。

 

「そうです! 勝ったんですよ! これで──」

 

「ひひひ……ひゃははははははは!」

 

 アティの声を遮ったのは源罪の嗤い声だった。

 その声と共に赤い靄が発生するとイリデルシアの身体を包んでいく。

 

「これは……まさか!?」

 

 アティはこの赤い靄を見たことがあった。

 これは無色の派閥との最後の戦いで見たのと同じ光景だ。

 靄が晴れるとアティたちの視線の先に白い翼膜が見える。

 役に立たなくなった脚は既に消え、代わりに生えた八枚の白い翼がイリデルシアの身体を飛翔させている。

 その背後には外側に向かって棘の生えた禍々しい光輪が現れ、その地位を──世界を喰らう創造主の地位を主張していた。

 

「勝ったとでも思いましたか? 一瞬でも勝ったと思いましたか!? あっはははははははは! 言ったでしょう? 勝ち目はない、と」

 

 かつてオルドレイク達無色の派閥を蹂躙した力が今度は敵となり、アティへと牙を剥く。

 

 

 

 黄金の竜が上空から強襲すると白銀の竜はその巨体からは想像できない俊敏さで後ろへ跳んで回避し、口を大きく開いてその内に蓄えられた魔力を放出した。

『絶大なる邪神』の一撃に相応しいブレスが狂竜へと向かうと狂竜も口を開いて同様の攻撃を繰り出す。

 魔王がありえないと評した魔力同士がぶつかり合うとその衝撃波で疑似繭世界を構成する糸が揺れ、ベルフラウは自分とは存在の格が違うもの同士の戦いに瞠目する。

 お互いのブレスを打ち消し合った狂竜と響竜は相手に掴みかかると格闘戦を始めた。

 金と銀が混じりあう光景を目にしたベルフラウはこのまま見ているわけにはいかないと自らも戦闘に参加するべく走り出した。

 

 駆けるベルフラウが目指すのは狂竜の腹部の口の中に存在する赤黒い球体。

 ベルフラウの記憶が消えなかったことに動揺し、激怒した狂竜は今まで隠していたあの球を晒した。

 怒りと同時に腹の口を開いたことからあの口を解放することには狂竜にとってベルフラウを倒すための何かしらのメリットがあり──今まで隠していたことから同時にデメリットもあるはずなのだ。

 ベルフラウはあの球体こそが狂竜の弱点に類する部分ではないかと推測した。

 狂竜と響竜が組み合い動きが止まると響竜の尻尾に跳び移ったベルフラウが尻尾を伝って背へと駆け、銀の腕へと移りその上を危なげなく走る。

 そしてその上から飛び降りて不滅の炎を赤黒い球体へと振り下ろした。

 

「なっ!?」

 

 だがその刃は見えない壁に弾かれ、ベルフラウが驚愕に目を見開く。

 弱点と思われていたあの球体は不可侵の防壁によって護られていたのだ。

 

「安易! 軽率! 餌食! 馬鹿ガ釣レタカ……誅滅!」

 

 狂竜がベルフラウを嘲笑うとベルフラウ目がけて赤い光が降り注いだ。

 

「きゃああ!?」

 

「ベルフラウ!?」

 

 光に貫かれたベルフラウは悲鳴と共に糸の層に叩き落とされ、ベルフラウの身を案じたイリがそちらへ目を向けると宿業のイリデルシアはその隙を見逃さず尻尾をイリの胴に叩きつけた。

 

「他者ヲ気ニカケル……愚カ! 完全ナ個タル異識体ニ他者ナド不要! 他者ナド余計ナモノデシカナイ!」

 

 立ち上がったベルフラウは申し訳なさそうに響竜の顔を見上げた。

 

「……ごめんなさい、足引っ張っちゃったわ」

 

「無謀……蛮勇……無知。左ノ翼ノチカラ『不可侵防護』ニヨッテ奴ハ守ラレテイルヨウダ」

 

 右翼が記憶へ干渉する能力を持っていたように左翼もまた別の能力を持っていた。

『不可侵防護』かつて無色の派閥との戦いでイリがベルフラウを守るのにも使用された不可視の壁を生み出す能力。

 

「もう、知ってたなら教えてくれてもいいじゃない……なんて、私も何も言わずに突っ込んじゃったからお互い様よね」

 

 少し拗ねたように言うベルフラウの視線の先には未だ護りの力を発揮し続ける左翼があった。

 あれから破壊しなければ球体に攻撃することは叶わないだろう。

 

「翼ハ我ニ任セルガイイ。不可侵防護ガ消エタラ──」

 

「私があの球を叩けばいいのね?」

 

 自身の言葉を引き継いだベルフラウに頷いた響竜は吼えると魔力のブレスを放つ。

 

「無理! 不可能! 夢物語! 貴様ラガドウ足掻コウガ、チカラノ差ハ変ワラヌ!」

 

 魔力の奔流を上空へ飛翔して躱した狂竜は翼の破壊を待つベルフラウを睥睨して嗤う。

 

「貴様ハ何モシナイ気カ? ヤハリ足手纏イ! 不必要!」

 

「夫が任せろって言ったんだもの。信じて待つのもいい妻ってものよ」

 

「戯言ヲ……」

 

 嗤われてもそれを気にせずにイリへの信頼からか笑みを浮かべるベルフラウを見て機嫌を損ねる狂竜だったが、ベルフラウが信じるイリが自身へ飛び掛ったことで視線の変更を余儀なくされる。

 

「我ハベルフラウノ夫ラシイ。ギシシッ! 何時マデモ待タセルワケニモイクマイ!」

 

「他者……依存……夫婦……不快! 不要! 消去! 滅ビヨ!」

 

 黄金の竜の口に魔力が集まると自身へ掴みかかっている白銀の竜の肩へと放つ。

 あまりにも膨大な魔力が白銀の身体を焼き、イリは激痛に悶えた。

 

「ギッギアアア……ム、無敵ッ! 絶対──無敵ナリ!」

 

 襲い続ける痛みを受けるイリが想起したのは自身を信じて待つベルフラウの笑顔だ。

 他でもない異識体が、完全な個を名乗る異識体が任せろと言ったのだ。

 それをたがうことなどあっていいはずがない。

 内より強い力が湧きだすと苦痛に耐えながらも、イリは狙いを定め竜の口から魔力を解き放つ。

 指向性を持ったその魔力は黄金の左翼へと向かい──貫いて爆発した。

 

「ギィイイイイ!? マ、マダダ!! 我ガ翼ハマダ……」

 

 左の翼より爆発が起きて狂竜が右へとよろめく。

 黄金の輝きが鈍くなり、朽ちかけた左翼だがまだその権能を発揮していた。

 だが響竜とて一撃で破壊できるとは思ってなどいない。

 狂竜がよろめいた隙にすばやく接近し──。

 

「断絶!!」

 

 その翼を根元から切り落とした。

 

 

 

 飛行形態へ変化したイリデルシアはアティたちへと怒涛の連続攻撃を仕掛けていた。

 遺跡の硬質な床から発生した爪がネスティ達召喚師組を襲い、連続で放たれるレーザーがアティたち前衛組に降り注ぐ。

 それでもフランネルの力によるアティ達の強化とイリの意志の抵抗によるイリデルシアの弱体化が相まって激しい攻撃を耐えることが出来ていた。

 

「本当にしぶといですね。それでは少し趣向を変えてみましょうか」

 

 倒れないアティたちを眺める源罪は新たな一手を打った。

 核識の間の崩れた天井と床に巨大な魔法陣が出現すると回転し始めた。

 

「これは……!」

 

 マグナはメルギトスが全く同じ攻撃を使用したのを見たことがある。

 源罪の記憶を核にしてイリデルシアの魔力により再現されるのはメルギトスの特殊召喚攻撃。

 回転しながら合わさるように移動する魔法陣同士が接触した瞬間、魔力の大爆発が核識の間を包み込んだ。

 

「メルギトスの攻撃!?」

 

 それを魔抗によって軽減し、耐えたマグナが驚愕するとそれの表情を見て声色を愉悦に染めたメルギトスの源罪が嗤う。

 

「まだまだ……これだけではありませんよ。これはどうです?」

 

 サイジェントの街でオルドレイクが召喚し、誓約者たちに倒された餓竜の悪魔王スタルヴェイクの振るう力──巨大な隕石が召喚されると穴が開いた天井から核識の間へと侵入し床へ激突する。

 

 かつてこの場所でハイネルのディエルゴが使用した『存在否定』により床から魔力があふれ出しアティ達を襲う。

 

 少し先の未来に現れる堕竜ギアンの魔力が雨のように降り注ぎ逃げ場を奪う。

 

 遥か遠い未来の人物、遺産継承者ブラッテルンが扱う冥土の力が周囲にまき散らされる。

 

 イリデルシアが今までに喰らった世界の記憶から再現される、過去から未来へ至るまでの時代に存在する者たちの猛攻が繰り返される嵐の中源罪は狂ったように嗤いつづける。

 

「あはははははは! ひゃっははははははは!!」

 

「おいおい、滅茶苦茶じゃねぇかこりゃ……」

 

 常人ならば一瞬で灰燼へと帰すだろう熾烈な嵐の中に、靴の底で鉄の床を踏み高い音を響かせて一歩一歩を踏みしめながら進む者がいた。

 

「イリは今も食欲と戦っているのに……私がここで諦めるわけにはいきません!」

 

 蒼穹の魔剣の主アティの闘志は未だ折れず敵をしっかりと見据える。

 

「アティ先生。私が共界線に接続して一瞬だけあの攻撃を止めるわ」

 

「お願いしますね、フランネルさん」

 

 アティが嗤い声を響かせる源罪とイリデルシアへ駆けると、同時にフランネルの背にイリデルシアの背後にある物と同じ形の光輪が現れ共界線へと意識を埋没させる。

 フランネルは思うのだ。

 このタイミングで父親が共界線の扱い方を教えるなどと言いだしたのは源罪による暴走を予期してのことだと。

 自身を止めるために娘であるフランネルに力を授けたのだと。

 自分は父親に期待されている──そう思うと力が湧いてくるのを少女は感じた。

 

「お父様。あなたの娘フランネルは期待に応えて見せますわ! だから……見ていてください!」

 

 フランネルはこの島の共界線に触れるとその支配権を一瞬奪い──数多の激しい攻撃を消すべく干渉を始めた。

 イリデルシアへと走るアティの頭上から巨大な隕石が迫るがそれに構わず走り続ける。

 

「ひゃははははは!! 気がふれましたか? 自分の頭上にあるものを避けようとすらしないとは!」

 

 だが源罪の嘲笑に耳を貸す必要はない。

 アティがすべきことは自身の生徒の娘がそれを止めてくれると信じてひたすらに距離を詰めることだ。

 

「な……!? 消えた!? 何故です!? 私の攻撃が……」

 

 源罪が動揺した声が聞こえるとアティの口元が弓なりに曲がる。

 源罪の声からフランネルが攻撃を止めてくれたのだと察したアティがそれに応えるためにするべきことはただ一つ。

 

「やぁあああああ!」

 

 源罪が狼狽えたことで動きが止まったイリデルシアへと必殺の一撃を叩きつけることだけだ。

 アティの不屈の意志に呼応して蒼い魔剣が輝くと飛翔していたイリデルシアを遺跡の床へと叩き落とした。

 

 

 

 黄金の翼が切断されて落下を始めると響竜が銀の尾を振って追撃を加える。

 体勢を大きく崩した狂竜が響竜へと吼えると翼の付け根から黒い泡が立ち始めた。

 

「再生! 修復! 復元! 不滅! 無限! 無駄! 翼ノ一ツ、スグニデモ直シテクレル!」

 

「そんな時間はあげないわよ!」

 

 自身の相棒の攻撃が狂竜の翼へと直撃したのを見た時に走り出していたベルフラウは既に狂竜の腹部の口へと接近していた。

 白い髪と赤いスカートをたなびかせるベルフラウの目前には見えない壁が消えて護る物が無くなった赤黒い球体が黒いスパークを放ちながらも胎動している。

 膨大な量の糸が重なって出来た地面を蹴って跳躍したベルフラウと滅ぼすべき敵の距離は手を伸ばせば届くほどだった。

 

 ベルフラウはふと思う。

 ベルフラウがこの名も無き島に漂着したのも、その島が魔剣にまつわる島だったのも、そこでイリと出会ったのも、紅の暴君の主であるイスラと戦ったのも、その魔剣が戦いの中で破損したのも、イリと魂を響かせ合ったのも、魔剣を修復できる人物に出会ったのも、ベルフラウが適格者の素質を持っていたのも、打ちなおした紅の暴君が不滅の炎になったのも──全てが一本の糸によって繋がれていたことだと。

 

 全てがこの時、この瞬間、この一撃のための必然だったのだと確信する。

 ベルフラウが自身の内の感情を燃え上がらせると不滅の炎の刀身も燃える炎のように揺らめく美しい光を放った。

 

「もう二度と……イリを苦しめないで!」

 

 振り下ろされたベルフラウの心の刃が球体を縦に両断すると胎動していた球体は動きを止め──黒い粒子を噴出すると悲鳴のような高音と共に弾け飛んだ。

 

「グギッギギギィ……ギッギギ……アアア……アアアアア!?」

 

 響竜の糸がベルフラウへと伸びるとそれに身を任せて宙に釣り上げられ、銀色の頭の上に足をつける。

 目線が高くなったベルフラウの視界に映ったのは失われた左翼の付け根から黒い粒子を噴き出し、身体がドロドロと崩れ始めた宿業のイリデルシアの姿だった。

 

「あいつ……崩れていくわ。私たち勝ったのね?」

 

「肯定……勝利……奇跡……」

 

 ベルフラウとイリが狂竜を眺めていると健在だった右翼が朽ち果てて落下し、糸の層にぶつかると消滅した。

 

「敗北……何故……不可解……」

 

「あなたは他者に依存する私たちに……私とイリの絆に負けたの。大人しく消えなさい!」

 

「ギシ……ギシシ! ココデ我ヲ滅ボソウト無駄! 徒労! 無益! 我ハ再ビ蘇ル! 異識体ガ異識体デアル限リ……ナンドデモ! 業カラハ逃レラレヌノダ!」

 

 異識体そのものが他者を……世界を喰らい続ける存在。

 同じ意識体である界の意志が世界を見守り育むのに対してあまりにも『異なる』あり方。

 だからこそ『異』識体であり、存在として身に宿した食欲からは逃れられない。

 いつか再びイリの内に全てを喰らう食欲が湧きだすことだろう。

 

「……そう。だったら私が何度だってあなたを叩きのめすわ! あなたが出てこなくなるまで何度だって!」

 

 何度でも現れるのなら、逃れられないのならその度に倒せばいい。

 ベルフラウにとって愛する相手の為ならばそれは苦ではない。

 その答えを示したベルフラウが不滅の炎の剣先を宿業のイリデルシアへと向けると響竜の周囲に四つの朱い呪眼が出現した。

 

「リ、理不尽!? 何故貴様ハソコマデスル!? 貴様ハッ……貴様ハ何ナノダ!?」

 

 朱い邪眼に見つめられる宿業のイリデルシアはもはや竜の姿を保つことすら出来なくなり、竜の口は半ば崩れかけていた。

 今の狂竜に呪眼を止めることなど到底出来ない。

 

「至高! 究極! 最強! ギシャシャシャ! 準備ハイイカ? ベルフラウ」

 

「いくわよ! イリ!」

 

 ベルフラウが頷くと朱い呪眼が消えて世界へと融合する。

 大きく開いた響竜の口元には魔法陣が展開されて輝き始めた。

 

「『絶対消去』!!」

 

 魔法陣からブレスのように放たれた絶対消去の一撃は周囲の織り重なる糸を消滅させつつ宿業のイリデルシアへと迫ると──もはや口の形すら無くして断末魔すら上げられなくなったその存在を消し去った。

 

 

 

 核識の間の床にはアティの放った一撃により地へと堕ちたイリデルシアの姿があった。

 

「ありえません……この私とイリデルシアを倒してのけると……?」

 

 覆るはずのない戦力差だったはずなのに源罪とイリデルシアは倒れ、アティやマグナたちは立ったままだ。

 信じられないと言いたげな源罪だったがもう一つの信じられない事態に驚愕の声を上げた。

 

「宿業が……敗れた!? ニンゲンの弱いココロに……全てを喰らうイリデルシアの欲望が敗れたと言うのですか!?」

 

 イリに喰われた源罪はその内に眠る宿業と結合することでイリの中に存在している。

 苗床となっていた宿業が消えたことで源罪はイリの中に居られなくなるのだ。

 自身とイリの結びつきが薄くなっていくのを感じ取った源罪はイリの身体から引き離されまいとしがみつく。

 その隙を見逃すまいとすかさず動いたのは──アメルだ。

 

「今なら! 光の翼よ! ベルフラウさんの大切な旦那さんから源罪を引きはがして!」

 

 アメルの背に白く輝く翼が現れるとその光が必死にしがみつこうとしていた源罪をイリから引きはがす。

 

「おのれぇ! アルミネェエエエエエエ!」

 

 イリから引きはがされた源罪はイリの頭上にその姿を晒した。

 生物を欲望のままに狂わせる黒い力は結晶となり不気味に蠢いている。

 

「二人とも! 今です!」

 

 アメルが作ったこのチャンスを逃すアティとマグナではない。

 頷いたアティが果てしなき蒼を源罪へと向けるとマグナが駆け寄ってきた。

 

「マグナ君、魔剣に手を添えて。特大の召喚術を打ち込みます!」

 

 アティの右に立つマグナが魔剣の柄へ手を添えると、マグナの反対側からもう一つの手が伸びてきて柄を握った。

 アティとマグナがそちらを見るとアティの左には決意を瞳に宿したフランネルが立っていた。

 

「私もやるわよ! 私はお母様とお父様の娘なんだから!」

 

 アティとマグナがそれに頷くと三人で源罪へ強い眼差しを向けた。

 

「超律者クレスメントと抜剣者、指輝者の連名において命じる」

 

 超律者マグナの人並み外れた魔力が魔剣へと送られる。

 

「私たちの平穏を……」

 

 ベルフラウと異識体の娘である指輝者フランネルが父親譲りの膨大な魔力を魔剣へと込める。

 

「かけがえのない絆を閉ざす闇を打ち払って!」

 

 抜剣者アティが魔剣の機能により共界線から魔力を汲み上げるとマグナとフランネルの魔力に上乗せして三人の協力召喚が発動される。

 召喚されたのは光り輝く天使の翼をもつ紫色の竜。

 怠惰の悪魔王を滅ぼすために竜へと至った天使『至竜レヴァティーン』。

 レヴァティーンの口元に眩しさで目がくらむほどの光が収束すると三人分の魔力を乗せて放つ。

 

「ヒッ……やめろ!! 最強の身体を手に入れたのに!? こんな馬鹿な……馬鹿なぁぁああああ!!」

 

 レヴァティーンのブレス『ギルティブリッツ』が放たれると核識の間全体を覆うほどに広がった光に呑まれ源罪は完全に消滅した。

 

 

 

 ベルフラウの意識がイリの精神世界内から現実世界へ戻り、目を開けたのは丁度源罪が消滅する瞬間だった。

 

「あれは……源罪? 先生たち、やってくれたのね」

 

 アティたちによって源罪が倒され、ベルフラウとイリの意志によって宿業が倒された。

 イリデルシアの身体がみるみるうちに縮んでいくとベルフラウのよく知る小さな蟲イリの姿になった。

 

「イリ!」

 

 駆けだそうとしたベルフラウだったが自分よりも早くイリの元に走った人物の姿を見るとゆっくり歩き始めた。

 

「お父様! 私、成し遂げましたわ!!」

 

 イリの元へと急いで走ったフランネルは何かを期待するかのようにそわそわしながらも自分がやったことを報告し始めた。

 

「期待以上ダ。我ガ後継者ニ相応シイ」

 

「お父様!!」

 

 報告を受けたイリが満足げに言うとフランネルの幼い顔にぱあっと笑顔が咲く。

 フランネルはこの遺跡に来る前までは価値観が違いすぎる父親に自分が愛されているのか不安だった。

 だが今なら自信を持って自分は父親に愛されているとフランネルは断言するだろう。

 フランネルがご機嫌そうな笑顔で自身よりも小さい父親を抱きしめていると、ベルフラウがやってきてフランネルの頭を撫で始めた。

 

「フラン、よくやったわ。お疲れ様。イリもお疲れ様。それと……お帰り」

 

「タダイマ」

 

 イリの返事を聞いて昔この島でしたやりとりを思い出したベルフラウが小さく笑う。

 

「うん、お帰り! そしていらっしゃい!」

 

 べルフラウの言葉の意図がわからずにフランネルが首を傾げた。

 

「いらっしゃい?」

 

「私たち、イリの食欲をやっつけてきたのよ。だからいらっしゃい」

 

「新しいお父様にってことかしら? じゃあ私も! お父様いらっしゃい!」

 

 イリは共に自身の食欲を倒したベルフラウとイリが願ってやまなかった『自分が存在した証』であるフランネルの二人を見つめる。

 ベルフラウとフランネルの隣こそが後継者を喰らい続けてきたイリの願いがかなう場所。

 イリは生み出しては喰らう、何も残さないそのループから抜け出して新しい明日へとたどり着いたのだ。

 

 




Name 源罪のイリデルシア
Class 異識体
Skill
抵抗の意志(全ステータス低下・一部能力使用不可)
甲殻体
送還術
全異常・憑依無効
愚カナ!
潰レヨ!
誅殺!
破滅セヨ!
思イ上ガルナ!
串刺シノ刑ニ処ス!
シュペル・スレイグ
トラン・スレイグ
ヴァイア・スレイグ
魔王の怒り
機械魔の嘲笑
存在否定
裏切りの破片
完全否定



Name 宿業のイリデルシア
Class 具現体
Skill
抵抗の意志(全ステータス低下・一部能力使用不可)
甲殻体
全異常・憑依無効
愚カナ!
潰レヨ!
誅殺!
破滅セヨ!
思イ上ガルナ!
ダブルロケット
鬼神斬
ゲレサンダー
ブラストフレア
失われし記憶
絶大なる邪神
断絶
圧潰
誅滅の光
迫りくる絶望
不可侵防護
自己修復
絶対消去


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新シイ今日トコレカラ

 名も無き島だけでなくこの世界リィンバウムをも脅かす存在、イリデルシアの宿業<カルマ>とメルギトスの源罪<カスラ>が倒されそれを成した英雄たちが死闘の舞台となった遺跡を後にする。

 行きとは違い一行にイリとフランネルを加えたベルフラウたちが来た道を戻ると空に向かってそびえる大樹ユクレスが見えてきた。

 

「あの樹が見えたってことは……」

 

「はい、集落はもうすぐですよ。皆さん無事だといいんですが……」

 

 マグナに頷いたアティの顔には憂いの影が差している。

 心を弄ぶ操り糸によって争い合っただろう住人たちの身を案じてのことだった。

 

「……やはり被害無しとはいかないか」

 

 鋭くメガネを光らせるネスティの視線の先には傷ついた建物や倒れた住人達の姿があり、無事とは言い難い。

 それでも荒れ果ててはおらず、集落の被害は襲った危機を考えれば軽微と呼べるものだった。

 

「先生!! ベルフラウ!! 無事だったか!」

 

 ベルフラウたちの姿を見てホッとしたような表情で走ってきたのは集落の被害を最小限に押さえた功労者ヤッファだった。

 

「ヤッファさん!? 傷だらけじゃないですか!!」

 

 ヤッファの身体はいたるところに切り傷や打撲痕があり、暴れ出した住人たちとの激しい戦闘があったことをうかがわせる。

 

「丁度メイメイから報告を受けてる最中に住人たちが急に暴れ出してな。マルルゥに無事な連中の避難を任せて俺が暴れだした奴らを押さえてたんだが……つい今しがたまるで糸が切れたように暴れてた連中が倒れちまった」

 

 傷を見て慌てたアティに召喚術で治癒されるヤッファは痛みに顔をしかめつつもユクレス村を襲った惨事を語りだした。

 予想されていた通り、操り糸によって暴徒と化した住人たちが他の住人たちを襲っていたようだった。

 マルルゥに避難誘導を頼んだヤッファはユクレス村の護人として暴徒たちの鎮圧を行っていたが、ベルフラウたちの活躍により操り糸の効果も消え去ったようだ。

 

「他の集落の様子も心配ね……」

 

「メイメイが他の護人にも連絡してくれてるはずだが──」

 

「みなさんご無事ですか!?」

 

 ヤッファの言葉を遮った声と共に聞こえたのは翼が羽ばたく音。

 空を見上げたアメルの頭上にいたのはフレイズだった。

 

「あ……天使……」

 

「ファリエル様たちは既に集いの泉に集まっています。お疲れでしょうがみなさんもいらしてください」

 

 どうやら他の護人たちも無事らしく、安堵の溜息をついたアティは両手で頬を叩いて気合を入れなおす。

 疲れた身体に鞭を打ち、報告を待っているだろう護人のためにベルフラウたちは集いの泉へと向かった。

 

 

 

 島の中心であり四つの集落の中心部に位置する集いの泉にはキュウマ、ミスミ、アルディラ、クノン、ファリエル、メイメイの姿があった。

 

「よかった……みんな無事で」

 

「ええ、おかげさまで。アティ殿たちが元凶を止めてくれたのでしょう? お疲れ様でした」

 

 護人たちの無事な姿を見たアティが安堵するとキュウマが事件解決に尽力した英雄たちを労わる。

 

「集落の被害は無いとは言えませんが……」

 

「思ったよりも軽く済んだのが不幸中の幸いね。メイメイのお蔭で事態を把握できたのも大きいわ」

 

 ファリエルの言葉を引き継いだアルディラはメイメイの報告を受けて現状を把握すると各集落に機界出身の住人たちを派遣していた。

 それもあって暴徒たちによる被害を最小限に抑えられていた。

 

「それで……聞かせてもらえるかしら。あなたたち側の顛末を」

 

 各集落への伝令のために駆け回ったメイメイが報告を促すとベルフラウたちは語り始める。

 核識の間で行われた激しい戦いと今回の事件の犯人とも言える源罪──そしてそれが目覚めさせた宿業のことを。

 

 

 

 アティから遺跡の前で戦ったイスラやアズリアたち、そして源罪との戦いの顛末が語られるとそれに付け加えるように源罪の発生した原因となった傀儡戦争についてマグナたちが語る。

 最後にベルフラウがイリの精神世界内で戦った宿業のイリデルシアを名乗った存在の事を話し終えて口を閉じるとそれを聞いていた護人たちが神妙そうな顔をして沈黙した。

 

「……メルギトスは悪魔たちの王の中でも最もずる賢い存在として知られています」

 

 沈黙を破り、最初に口を開いたのはここにベルフラウたちを連れてきたフレイズだった。

 

「そのメルギトスの源罪がばら撒かれてこの島にやってきた……あんな趣味の悪いことをしたのはソイツだったわけね」

 

「……なにかあったんですか?」

 

 疲れたようにも哀しんでいるようにもとれるアルディラの表情を見て何か自分が把握していない事態が起こったことを悟ったアティが問うとため息を一つついたアルディラが言う。

 

「マスターが……ハイネル・コープスが私の前に現れたのよ」

 

「え!?」

 

「それだけではありません……私の元の主であり──」

 

「妾の良人リクトもまたハイネルと同じように妾たちの前に現れたのじゃよ」

 

 アルディラのマスターであり、ファリエルの兄でもあるハイネル・コープスとキュウマの元の主人であり、ミスミの夫リクト。

 この島の成り立ちに関わる戦いで死んだはずの二人が彼らの前に現れたというのだ。

 

「それってイスラたちと同じ……」

 

 イスラとアズリアと帝国の兵士たちと同じく死者が現れる現象が集落でも起きていたというのだ。

 

「イリ、あいつらは一体なんなの? どうして死んだはずの人たちが現れたのよ?」

 

 死者たちを使い、アティたちのトラウマに付け込むようなことをしたのは間違いなくメルギトスの源罪。

 だがその源罪が使った力そのものはイリの力なのだ。

 力の持ち主である白い蟲に注目が集まると特に隠す気もないのか話し始める。

 

「影法師<ズィルゥ>ダ。記憶ヲ核ニ糸デ編ンデ生ミ出サレル。核トナッタ記憶ガ糸ニ投影サレテ実体ガアルヨウニ見エルダケダ」

 

「なるほどね……さしずめ糸は記憶の影を投影するためのスクリーンといったところかしら」

 

「だから空っぽで……うつろなの……?」

 

 ハサハの問いにイリが頷いたように身体を動かすと今度はファリエルがイリに問いかけた。

 

「じゃあ死者が蘇ったわけじゃないんですね?」

 

「否定。死者蘇生デハ無イ」

 

 死者たちが現れた現象が死者の蘇生ではないと知ったアルディラたちの表情は安堵と落胆が入り混じったものだった。

 ハイネルとリクトもイスラと同じく狂ったように襲い掛かってきた。

 アルディラたちは自分たちが倒したのが愛する人そのものではないと知って安堵をし、同時に彼らはもう帰ってこないのだと知って落胆したのだ。

 

「……いや、それでよい。あの狂ったようなリクトが妾の愛していたリクトでは無いと知れただけで十分じゃ」

 

 イスラと同じく口を裂けるほど開いて嗤っていたリクトの影法師の姿を思い返したミスミが首を振って脳裏の幻影を振り払うと重い空気を換えるためにメイメイが話題を宿業へと移した。

 

「メルギトスの源罪がやったのは死者の利用だけじゃないわ。異識体の食欲を叩き起こしたんでしょう? 私からしたら源罪よりもこっちのほうがよっぽど脅威よぉ。なにせ本当に世界が消えかねないんだもの」

 

 源罪によって目覚めた食欲の衝動のまま異識体が世界を喰らっていた可能性があった──それを考えたメイメイは肝を冷やす。

 

「もう大丈夫よ、メイメイさん。イリの中の宿業は私が倒したわ」

 

「倒したって言っても食欲なんだからまた──」

 

「心配しないで。私があいつからイリを守るから」

 

 勿論報告の中で宿業が倒されたのは聞いていたがそれでも懸念を抱くメイメイに対してベルフラウはさも当たり前のように言い切った。

 そのベルフラウに向けられるミニスの瞳は憧れからか輝いていた。

 

「かっこいい……」

 

「当然よ! 私の自慢のお母様なんですもの!」

 

 呟いたミニスにフランネルが胸を張っていると、ベルフラウは自身を見上げて顔を見つめるイリに気がつく。

 

「イリ、どうしたの? もしかして私に惚れ直したかしら?」

 

「アア」

 

「ほ、本当に!?」

 

 今までキリッとしていたベルフラウがだらしなく破顔するとそれを見たフランネルは嘆息をひとつ。

 

「お母様……台無しですわよ……」

 

 ふとフランネルがミニスに目を向けると目の前でかっこいい理想の女性像をぶち壊されたせいか何とも言えぬ表情を浮かべていた。

 

「ねぇフランネルちゃん……ベルフラウさんってかっこよくて素敵だとおもうけど……その……」

 

「お母様は見ての通り……時々なんというか……残念になるのよ」

 

 理想は所詮理想でしかないのだと思い知らされたミニスと自分の母親が理想像を壊して申し訳ないと思うフランネルが遠い目をしている間にも報告会は進行していった。

 

 

 

 遺跡で起こったことと集落で起きたことをそれぞれお互いに報告を終えるとアティがマグナたちに頭を下げる。

 

「マグナさんたちも本当にお疲れ様でした」

 

「この島の為に戦ってくれたんだもの、感謝してもしきれないわ」

 

 続いてベルフラウも頭を下げるとネスティとアメルが頭を上げるよう促した。

 

「いえ、そんな……メルギトスの源罪は僕たちとも関係があることですから」

 

「それに、私たちが好きで力を貸したんです」

 

「……ありがとうございます。お礼になるかわかりませんが遺跡の調査の手伝いは任せてくださいね!」

 

「あ……そういえばそれが目的だったんだっけ」

 

 アティに言われるまでこの島に来た目的を忘れていたらしいマグナが呟くとネスティが杖の先でその頭を軽く叩いた。

 

「君は馬鹿か!? リーダーがそれを忘れてどうする!!」

 

 兄弟子に叱られマグナが涙目になるとミスミが可笑しそうに笑いを零して話題を変える。

 

「さて、客人たちへのお礼も兼ねてここはひとつ──」

 

「お鍋を囲むのですよー!」

 

「お、おいマルルゥ!?」

 

 どこからか飛んできたマルルゥがヤッファの頭の上に乗ると元気に声を上げた。

 

「お鍋って……?」

 

「宴会ですよ。この島ではみんなで鍋を囲って宴会をするんです」

 

「戦いの疲れもあるでしょうし、ゆっくりしていきなさい」

 

 首を傾げたマグナにファリエルとアルディラが笑って答える。

 どうやらベルフラウたちがここに来るまでに宴会の準備の根回しがすんでいたようだ。

 

「いやしかし……集落の復興もあるだろうに甘えるわけには……」

 

「まあまあ、ここは素直に甘えようや。誘いを受けないのも失礼だぜ?」

 

 遠慮しようとするネスティだったが背を叩いたフォルテに諭されると既に歩き始めたマグナたちに続き宴会会場へと歩を進めた。

 

 

 

 ベルフラウたちが会場に着いた時には既に日が傾き、辺りが暗くなりかけていた。

 風雷の郷の住人が会場の中心にある組み木に妖術で火を付けると焚火が激しく燃えがって周囲を照らす。

 

「我々の勝利と力を貸して下さった客人たちに──」

 

 音頭をとったキュウマに皆が『乾杯』と続くとそれを合図にこの島流の宴会が始まる。

 

「ベルフラウさん、本当に大きくなりましたね」

 

 グラスを手にしたアティが自身の生徒を上から下まで観察するとベルフラウは恥ずかしそうに身をよじらせた。

 ベルフラウは恥ずかしさを誤魔化すためかグラス傾けるとその中で揺れる自分が持ち込んだ帝国産のワインを口に含める。

 

「もう、よしてよ。恥ずかしいですわ」

 

「すっかり大人になって……」

 

 自分が家庭教師として授業をしていたころのベルフラウの姿を脳裏に浮かべたアティは感慨深げに眼を細めた。

 

「先生……」

 

「先生、か……いつまでたっても私はあなたの先生ですからね」

 

「うん……」

 

 アティの瞳が潤み始めるとベルフラウの声も釣られてか涙声になっていく。

 二人の間でしばらく沈黙が流れるがそれは何者かがベルフラウの背を叩くことで破られた。

 

「おうおう、飲んどるかいのぉ! 嬢ちゃん、昔みたいにぶっ倒れてはいかんぞ」

 

 ベルフラウの隣に現れたのは立派なヒゲを生やしたジャキーニ。

 既に酔いが回っているのか顔を赤らめガハハと笑うその男はベルフラウに酒を飲ませたのが自分だったことをすっかり忘れているようだ。

 

「もう! 大丈夫に決まっているでしょう? 大人になったんだからお酒くらい飲めるわ!」

 

 先ほどまでのしんみりした空気を振り払うようにベルフラウの声は少し大きくなっていた。

 

「そういえば、そんなこともありましたね。たしかあの時は……」

 

「ちょっと先生!?」

 

 いつまで子ども扱いするのだと呆れたベルフラウだったが、アティがかつての光景を思い出すべく記憶の引き出しを開け始めるとベルフラウのすました顔に焦りが混じる。

 

「あの時嬢ちゃんが大声でプロポーズを……」

 

「ジャキーニも!? やめなさい!! 恥ずかしいじゃないの!!」

 

 ベルフラウが慌ててジャキーニの口を塞ごうとするが、時すでに遅し。

 

「面白そうな話をしてるじゃない」

 

 ベルフラウたちが騒いでいるのに気が付いたのか近くまで来ていたフランネルに聞かれてしまっていたのだ。

 

「フラン!? あなたは知らなくてもいいことよ! スバルたちのところにでも行ってなさい」

 

 娘に弱みを握られるわけにはいくまいと追い返そうとするベルフラウだったが、ジャキーニがフランネルに近づいて屈んでなにやら耳打ちするとその目論見は挫かれてしまった。

 

「へぇー! お母様がねぇ……へぇ……」

 

 ニヤニヤし始めるフランネルとは対照的にベルフラウの表情は青くなっていく。

 これからこれをネタに娘からからかわれ続けるかもしれない。

 だがそれだけならまだましといえるだろう。

 フランネルがこのことをパッフェルに伝える可能性があるのだ。

 そうなればベルフラウはメイドから生暖かい目で見られながら生活しなければならなくなってしまう。

 

「ねぇ……フラン。お願いがあるんだけど……」

 

「そうね……私、そのプロポーズ見てみたいわ」

 

「え?」

 

 ベルフラウの言葉を遮ったフランネルはお願いの内容を既に察しているのか要求を突きつけた。

 

「今みたいな宴会の時だったんでしょう? 丁度いいじゃない。もう一度お父様にプロポーズしてみせてちょうだいな」

 

 これは取引なのだ。

 今ここでフランネルにプロポーズを見せれば誰にもベルフラウの黒歴史を話さない、そういう取引だ。

 目を閉じてパッフェル他使用人たちの生暖かい眼差しを想像し──そしてイリへのプロポーズについて思考を開始したベルフラウはしばらく考え込むと口を開いた。

 

「……いいわよ」

 

「あら、呑むのね?」

 

「ベルフラウさん!? まさか昔みたいに酔っぱらって!?」

 

 フランネルの要求を呑んだベルフラウが昔のように酔ったせいでプロポーズをしようとしているのかと思ったアティだったが、ベルフラウからの返事にはある程度の冷静さが含まれていた。

 

「違うわよ!! ……丁度いい機会だと思ったの。もう一度やり直したいのよ」

 

「プロポーズを……ですか?」

 

「うん。私、行ってくるわ」

 

 そう言い残したベルフラウはアティたちへ背を向けるとイリのいる方向へ歩き出した。

 

 

 

 焚火に照らされる木製の机の上の白い大皿には丸みのある物体がいくつか置かれていた。

 その物体に近づいた円形の口はその周りに生えた牙を器用に動かし、口の中へと物体を押し込んでいく。

 白い蟲がそれを繰り返していくと瞬く間に皿の上の物は無くなってしまった。

 

「すごい……食べっぷり……」

 

「アメルのパンは美味しいからなぁ」

 

 小さい口ではむはむと両手で持ったパンを頬張るハサハと片手で持ったパンを噛みちぎり満足げに頬を緩ませるマグナがチラリと机の向かいを見ると、イリがすさまじい勢いでパンを喰らっていた。

 

「はーい! お芋のパン、焼き上がりましたよ!」

 

「お、きたきた」

 

「ギィィ!」

 

 アメルが今まさに焼き上がったパンを運んでくると待ってましたと言わんばかりにマグナとイリが反応する。

 アメルの作るパンは芋が混ぜられていてざらざらとした独特の食感が特徴的だ。

 イリはアメルが作った芋のパンがお気に召したようで、先ほどから夢中になって貪っていた。

 

「イリったらそのパンそんなに気に入ったのね?」

 

「あ、ベルフラウさん」

 

 イリの後ろまで来たベルフラウがパンを興味深そうに眺めるとマグナが顔を上げてその名を呼んだ。

 

「呼び捨てでいいわ。一緒に戦った仲間でしょ?」

 

「それじゃあ……ベルフラウ。イリがすごい勢いで食べてるけど、食欲は倒されたんじゃなかったのか?」

 

「食欲自体が根本から消えてなくなることは無いわ。それでも私が倒したから少なくなっているはず……なんだけど」

 

 ベルフラウがチラリとイリに視線を寄越すと相変わらずパンに齧り付く相棒の姿があった。

 宿業を倒したベルフラウ自身ですら本当に食欲が少なくなっているのか疑問を浮かべてしまう。

 

「世界を食べてたくらいだから……これでも少ない……のかも」

 

「なんというかスケールが違うなぁ」

 

 ハサハの言葉になるほどと頷くマグナは納得した様子。

 リィンバウムそのものと比べたらイリが食べたパンなど本当に微々たるものだろう。

 確かにと相槌をうったベルフラウは咳払いをして姿勢を直すとマグナへと向き直った。

 

「改めてお礼を言わせて頂戴。ありがとう。マグナたちがいなかったら勝てたかわからなかったわ」

 

「困ったときはお互い様じゃないか。俺たちも遺跡の調査を手伝ってもらう訳だし、助かるよ」

 

「そんなの当然よ。まだまだ足りないくらいだわ」

 

「ふふふ、こうして宴会まで開いてもらったんだからそれで充分ですよ」

 

 芋をふんだんに使った新しい料理を運んできたアメルが宴会場を見渡すと仲間たちが楽しそうに騒いでいる姿が目に入る。

 こうして楽しい時間を過ごせているのだからアメルにとっては十分すぎるお礼だった。

 

「……本当にありがとう。そういえば、ネスティの姿が見えないみたいだけど」

 

 新たな友人たちの優しさに感じ入っていたベルフラウだったが、マグナとアメルの近くにネスティの姿が無いことを意外に思ったらしい。

 

「ああ、ネスならあそこだよ。アルディラさんと話してるんだ」

 

「そっか……そういえば、二人とも融機人<ベイガー>だったわね」

 

 マグナが指差した先ではネスティとアルディラが皆と少し離れた場所で話し込んでいた。

 ロレイラルの種族である融機人の数少ない生き残りである二人には積もる話もあるのだろう。

 ここはそっとしておくべきだと判断しネスティとアルディラから視線を外したベルフラウは服の袖が糸に引っ張られたのに気づき、後ろを振り向くとフランネル、アティ、ジャキーニに加えてファリエルやミスミ等の住人達も集まりベルフラウを見ていた。

 先ほどの糸はフランネルからの『早くしろ』という催促なのだと察したベルフラウは溜息をつくとそのまま深呼吸をしてイリを見つめた。

 

「ねぇ、イリ。話があるの」

 

「我ハ贄ヲ喰ラッテイル最中デアル。後ニセヨ」

 

「……いいから聞きなさい」

 

 ベルフラウに声をかけられてもイリが構わず料理を貪っていると、ベルフラウの語気が強くなる。

 苦笑いしたアメルがイリの前から皿を取り上げるとイリは皿のあった場所を名残惜しそうに見つめた後しぶしぶベルフラウへと向き直った。

 

「何ノ用ダ」

 

「あのね、イリ。私と……結婚してくれないかしら」

 

「意味不明。理解不能。我トベルフラウハ結婚シテイルノデハナカッタカ?」

 

「私ね……自覚あるのよ。あなたが結婚や愛についてよくわかってないことをいいことに強引に結婚したって。オウキーニとシアリィの結婚式を見た時ね、思ったの。私もいけるんじゃないかって。結婚すればあなたとずっと一緒にいられるんじゃないかって。一緒に幸せになれるんじゃないかって思ったの」

 

 ベルフラウのやり方はあまりにも強引で、そして性急過ぎた。

 結婚や愛を理解していないイリや結婚に反対する父親にたいしてゴリ押しとも言えるやり方でことを進めた。

 

「……? ソンナコトヲセズトモ我ハベルフラウガ望ムナラ……」

 

「……本当に? だってあなた繭世界って場所の創造主なんでしょう? 私怖かったの。あなたが自分の世界に帰ってしまうんじゃないかって」

 

「……」

 

 あのプロポーズはつまり楔なのだ。

『ずっと一緒にいる約束』をすることで大切な存在をリィンバウムに繋ぎ止めるための楔。

 ベルフラウには創造主という立場の価値など分からないし、格が違い過ぎて想像すらできない。

 だがそれがイリにとって価値がある地位であるのなら、自身が生み出した世界に君臨することに価値があるのならベルフラウの傍から離れて行ってしまうかもしれない。

 ベルフラウはそれを恐れたのだ。

 既に一度、イリは帰ろうとしたことがあるのだから。

 そしてイリもベルフラウの恐れたことを否定しなかった。

 イリは復活を遂げ、更に『何か』の力を手に入れ響竜となった。

 その時点でイリの当初の目的は達成されており、リィンバウムに──ベルフラウの傍に居続ける理由が本来存在しないのだ。

 再び繭世界のエルゴとなるべく、繭世界へと舞い戻っていた可能性も十分あったと分かっているからこそ、イリには否定できなかった。

 

「あの時プロポーズしたことには後悔はないわ。でもあの時の気持ちは純粋とは言い切れない。だからね、もう一度プロポーズしたいの。今度はちゃんとした気持ちで伝えたいし、あなたにちゃんと受け止めて欲しいから」

 

「……ソウカ」

 

 ベルフラウは姿勢を正すと船で口にした楔のための言葉ではなく、遺跡での時のように自身の想いを言葉にして吐き出す。

 

「私はあなたのことを愛しています。例えどれだけ姿カタチが違っていても、どれだけ存在が違っていても。私はあなたと一緒にいたいの。だから私はあなたに食べられてなんてあげない! 宿業が出てきたら私がまた倒すから! あなたをただ喰らうだけの存在にはさせないから! あなたに大切なモノを残させてみせるから! だから……私と幸せになってください!!」

 

 ベルフラウがそう言いきって頭を下げた時には宴の喧噪が収まってしんとしていた。

 元々ベルフラウのプロポーズを見物する予定だったフランネルたち以外もベルフラウとイリに注目し、イリからの返事を待っている。

 

「我ハ……」

 

「……」

 

 イリが言葉を発した時にごくりと鳴った音は誰の物であったのか。

 

「我ハ……ベルフラウニ感謝シテイル。マサカ本当ニ我ノ食欲ヲ倒セルナドトハ想像モシテイナカッタ。アレハ我ガ一度タリトモ勝テルコトハ無カッタ相手ダ。ベルフラウトナラ我ハ食欲ニスラ負ケヌ絶対無敵ノ存在デイラレル。ベルフラウトナラ我ハ願イヲ叶エラレル。存在シタ証ヲ残セル。ソノ為ニ……ベルフラウト居続ケル為ニ……我ヲ夫デイサセテクレヌダロウカ」

 

『存在』としてあまりにも違いすぎるイリには人のココロなどやはり理解できていない。

 それでも『ずっと一緒にいる約束』を破らない程度にはベルフラウとの夫婦生活を悪くはないと思っていた。

 人のココロがわからずともイリは自身の中に芽生えた『何か』を理解した。

 少なくともベルフラウを大切で、好きで、失いたくないと思っていることを自覚した。

 だからこそイリの意志が絶対に敵うことがない相手である自身の宿業に抗っていた。

 その宿業をベルフラウと共に倒した時──ベルフラウが自身を終わらない創造と捕食のループから連れ出したのだと理解する。

 イリが願った存在した証を残すためには己の業を止めてくれるベルフラウが必要なのだ。

 その為に──業を止めうるベルフラウと一緒にいるために──大切な存在となったベルフラウと一緒にいるために夫という立場にいる必要があるのなら、イリはベルフラウの夫でいたいと思うのだ。

 

「イリ……! 私……私……!」

 

 イリがベルフラウの想いを受け取って答えを返すとベルフラウはイリを強く抱きしめた。

 揺らめく焚火に照らされるベルフラウの顔には目の端から流れた涙が宝石のように煌めいてイリの白い身体へ落ちていく。

 ベルフラウは自身に抱かれる小さな存在が本当はとてつもなく巨大で強大な存在であることを知っている。

 イリデルシアは意識体で、別の世界の創造主で、世界を喰らってきた存在──だがそんなことはベルフラウにとっては関係ないのだ。

 ベルフラウにとってのイリデルシアはただの『大好きなイリ』でしかないのだから。

 

「先モ言ッタ通リベルフラウニ感謝シテイル。礼ヲシヨウ」

 

「いいのよ、御礼なんて……」

 

 大好きなイリからの礼の申し出を辞退しようとするベルフラウだったが──。

 

「望ミヲ言エ。何デモ応エル」

 

「な、なんでも……」

 

 イリが言葉を発した時にごくりと鳴った音は明らかにベルフラウのものだった。

 

「肯定! 全知全能タル我ガ願イヲ叶エテクレヨウ! 願イヲ言ウガイイ!」

 

「それじゃあ……キスしてほしい」

 

「……? ソレデヨイノカ? 我ナラバ新タナ世界ヲ創造シテ与エルコトモ──」

 

 異識体に乞うにはあまりにも小さすぎる願いにイリが再確認しようとするが、ベルフラウの願いが変わることは無い。

 

「そんなのいらないわ。あなたからの口付けがほしいの」

 

 ベルフラウの要求に困惑したイリはベルフラウの表情の変化に気づく。

 イリを見るベルフラウの瞳はどこか物欲しそうで、その唇はいつもより艶やかに見える。

 頬が朱く染まって見えるのはきっと焚火の光だけが原因ではないのだろう。

 イリの身体とベルフラウの胸が触れている箇所から高鳴る鼓動と共にベルフラウの情動がイリへと伝わる。

 

「ギィイイ……」

 

 未知のそれにイリが戸惑っているとベルフラウがイリの輪郭を確かめるように撫でて嬉しげに告げた。

 

「感じるわ。イリ、ドキドキしてる」

 

「我ガ……? 有リ得ヌ」

 

「本当よ。こんなにも私に伝わってくるんだもの。あなたにも私の気持ち伝わってる?」

 

「ベルフラウノ気持チ……ダガ我ニハコンナモノ存在スルハズガ……」

 

「今まで知らなかっただけよ。これからもっと知っていきましょう。だから……ね?」

 

 お互いに想いを感じ合った二人の視線が混じり合うとベルフラウに促されたイリがぎこちなく口づけを落とし、宴会場を照らす焚火がいっそう激しく燃え上がった。

 

 

 

 ベルフラウたちの様子を会場の端で眺めている女性の姿があった。

 ずいぶんと酒を飲んだのか服と同じように顔も赤くしたメイメイは酒瓶から口を離すとメガネを外す。

 

「ベルフラウ……本当に大したものよ。あの異識体にああまで言わせるなんてね」

 

 メイメイの視線の先では再び皆が騒ぎはじめ、その勢いは先ほどよりも多くなったのではないかと思うほどだ。

 

「ベルフラウのプロポーズに乾杯じゃ!」

 

「ミスミ様!? 少し飲み過ぎでは!?」

 

「ベルフラウさん……イリ……幸せになってくださいね」

 

「そういえばアティ先生にはいい人はいませんの?」

 

「う゛っ」

 

「フラン、言葉は時に残酷な刃になるのよ」

 

「痛いです……子供の純真さが痛いです……」

 

「イリさまもお酒を飲まれてみてはいかがでしょうか」

 

「いいですね! どうなるのかちょっと見てみたいかも」

 

「我ニ泥酔ナド無効! 残念ダッナファリエルヨ」

 

「お兄ちゃん……ハサハ素敵なプロポーズ……待ってる」

 

「言われちゃいましたね、マグナさん」

 

「あはははは……」

 

 夜闇を明るく照らす焚火とその周囲で騒ぐ英雄たち視界に収めたメイメイの表情に浮かぶのは優しげな微笑み。

 

「王よ……聴こえていますか? あなたが守りたいと願ったものはこうして新たな時代の子たちに受け継がれています。……変なのも混じってはいますが、大丈夫。貴方の愛した世界は決して失敗作ではありません」

 

「何言ってるのよぉ? 失敗作に決まってるでしょ? 界の意志がそう判断したんだから! キシシシ!」

 

 自身の独白を否定した声が聞こえ、慌てて後ろを振り向いたメイメイが見た人影は──ヒラヒラと手を振るもう一人のメイメイだった。

 

「あんた……!」

 

「ずいぶんと久しぶりね。偽物に負けた挙句見逃されたなっさけない本物さん?」

 

 ディエルゴとの決戦が行われた日以来姿を見せなかった偽メイメイの出現にメイメイは激しく動揺する。

 

「今更何しに来たのよ!?」

 

「奥様の面を拝みに来たのよぉ」

 

「奥様……ベルフラウのことね?」

 

「そう! ベルフラウ・マルティーニ! 私の予想を覆したとんでもないニンゲン。私の予想ではディエルゴを倒した後、食欲を抑えきれない異識体がこの島を喰らっていたはずなんだけど……なんなのよ響竜って。全く、どうやって異識体をコマしたのやら」

 

 首肯した偽メイメイは己の予想した可能性を披露した。

 それはあったかもしれない可能性。

 復活したイリが宿業に呑まれ、召喚獣たちの楽園を喰らうIFの可能性世界。

 

「ベルフラウが真摯に異識体と向き合い続けた結果でしょう?」

 

 だが『楽園を喰らう者』が現れることは無かった。

 それはひとえにベルフラウがイリと向き合い──イリの業すらも受け入れて共に居ることを決意した結果なのだろう。

 

「向き合う? ……理解不能」

 

「偽物、あんたに一つ聞きたいことがあるのよ。影法師は記憶を核にしているのよね?」

 

 メイメイは自身と全く同じ姿をしている人物に質問を投げかけた。

 

「ええ、そうよぉ」

 

「だったら……異識体はアズリアやイスラ……そしてずっと昔の人物ハイネルとリクトの記憶を何処で手に入れたのよ?」

 

 その問いはあの報告会でイリに聞けなかった問いだった。

 アティやアルディラたちの心情を考えれば皆の前で出来る質問ではない。

 

「キシシシ! 奥様たちがディエルゴと戦ったあの日、異識体が共界線を喰らって復活したのは知ってる?」

 

「アティたちから聞いたわ。でもそれが影法師となんの関係があるっていうのよ」

 

「ねぇ、本物。おかしいと思わない? 共界線が喰われたはずのこの島は変わらずに存在しているのよ? 住人たちも自然も変わらない、何かが失われたようには見えていない! 共界線が失われたはずなのに!!」

 

 偽メイメイは両手を大きく広げてあの日この島に起きた異常事態を愉しげに語りだす。

 まるで答えあわせをしているかのように。

 

「住人たちの共界線も自然の共界線も喰われていない……?」

 

「そうよ! 奥様がこの島を守るために戦ったんだもの! だから異識体は喰らっても問題ないモノを喰らったの」

 

 イリは『島を守りたい』というベルフラウの意志を考慮して喰らっても島に影響が出ない範囲で共界線を喰らっていた。

 では、その喰らっても島に影響が出ないモノとは一体なんなのか? 

 

「まさか!?」

 

「気づいたみたいねぇ! そう、答えは簡単よぉ! 異識体が喰らったのは──死者たちの魂!!」

 

 ディエルゴによって共界線を支配されていたこの島で死んだ者は転生できずに魂のまま島の中に囚われる。

 ベルフラウたちがかつて戦った亡霊たちはそうしてディエルゴに縛られた者たちだ。

 イリがあの日喰らった『喰らっても島に影響が出ないモノ』それこそがディエルゴによって囚われ、彷徨い続ける死者たちの魂の共界線だったのだ。

 

「……最低ね」

 

 嫌悪感を隠せないメイメイに対して偽メイメイは愉悦を前面に押し出して嗤う。

 

「最低? 最善の間違いでしょう? もしかしてあのまま全滅してディエルゴに支配されるのがお望みだった? それともディエルゴを倒す代わりに島の大部分が喰われて消えたほうが良かった?」

 

「だから最低って言ってるのよ」

 

 選択肢とはいえないそれを突きつけてくる偽物に吐き捨てるメイメイの表情は暗い。

 あの場では死者の魂を喰らうのが最善だったのかもしれない。

 理屈では分かっていても感情ではそれを認められないのだ。

 イリによって捕食された共界線はそのまま取り込まれた。

 だからこそイリはアズリアたちの記憶を使って影法師を作ることが出来た。

 そしてイリに喰われた以上、ディエルゴが倒された今でも死者たちは安らかに眠ることが出来ずにいる。

 

「まあまあ、結局丸く収まったんだからいいじゃないのよぉ。キシシ!」

 

 最終的にディエルゴは倒され、この島は変わらずに存在し続けている。

 結果だけ見れば偽物が先ほど言った通り最善といえるものだ。

 犠牲となった魂たちの存在を考慮しなければ、だが。

 

「ハア……。それであんたはどうするつもり? ベルフラウに会うの?」

 

 いくら言っても労力の無駄でしかないと悟ったメイメイは嗤う偽メイメイに大きくため息を吐くと眉間を指でほぐした。

 だが返事が返ってこないことに気が付いた本物のメイメイが顔を上げて周りを見渡すともう一人のメイメイの姿は消えていた。

 

「こうして遠目で拝むだけで充分よ。馬に蹴られたくないしねぇ」

 

 いつの間に移動したのか宴会場を望む崖の上に立つ人影はそう呟くとキシシと嗤って声と一緒に夜闇へ溶けていった。

 

 

 

 騒がしい宴から数日たち、アティたち協力の元遺跡の調査を終わらせたマグナたちは船を背に名も無き島の浜辺に立っていた。

 

「もう行っちゃうんですか?」

 

「この島に来て源罪の恐ろしさを再確認したんだ。世界中にばら撒かれた源罪はまた何処かで悲劇を起こそうとしているかもしれない」

 

 寂しそうに言うアティに後ろ髪引かれる思いがあるマグナだったが、彼には成すべきことがある。

 源罪はこの島に来たものが全てではない。

 メルギトスの悪意の種子は恐らく世界中に存在し、人々に負の感情をもたらすべく虎視眈眈と機会を窺っているはずだ。

 

「そっか……マグナは源罪と戦い続けるのね? あんなやつに絶対に負けちゃだめよ」

 

「ベルフラウも宿業に負けるなよ!」

 

「ええ、当然よ! お互いに勝ち続けましょう!」

 

 ベルフラウとマグナは互いに手を差し出して握ると両者のこれからの健闘を祈り合う。

 

「アルディラ、遺跡の調査の手伝い助かったよ」

 

「いいのよ、ネスティ」

 

 ネスティとアルディラは呼び捨てで呼び合うほど仲が良くなっていたようだ。

 

「本当によろしかったのですか? 遺跡が危険なものであるなら処分するのがあなたたちの任務なのでは……」

 

「大丈夫ですよ。この島には頼もしい抜剣者さんがいますから悪用なんてされませんよ」

 

「感謝します」

 

 天使のフレイズが天使の欠片アメルに頭を下げるとアメルは慌てて頭を上げるように促している。

 

「フランネル! 聖王国に遊びに来てね! 案内するわ!」

 

「ミニスも帝国に来たら私の屋敷によりなさいよね!」

 

 やがてマグナたちを乗せた船が出港し、大海原へと旅立つ。

 ベルフラウたちは水平線から見えなくなるまで船を見送っていた。

 

 

 

 マルティーニ家の当主の座をベルフラウに明け渡したジャン・マルティーニは自分が住む屋敷の離れで呼び出した人物を待つ間、記憶に想いを馳せていた。

 帝国でも格式が高いとして知られる軍学校を卒業した娘、ベルフラウ・マルティーニは実の父が驚いてしまうほど美しく育った。

 軍学校卒業後、軍に入らず父の仕事を手伝い始めたベルフラウは今までジャンが手を伸ばしていなかった分野に手を付けて、見事に利益を上げてその聡明さを披露した。

 父から見ても美しく聡明さを兼ね揃えた自慢の娘と言えるだろう。

 異形の化け物イリデルシアを愛してしまったということだけを除けば。

 

 娘が家庭教師と昔漂流した島から再び帰ってきて父に見せた表情は島に行く前よりも増して幸せそうな表情だった。

 あの忘れもしない結婚式の時もそうだった。

 父の心配を知らずに娘は実に幸せそうにしている。

 あの日ジャンがどれだけ苦悩したことか。

 何故自分の娘があの化け物と出会ってしまったのか、あの化け物と出会わなければ今頃娘は人間の男と結ばれてごく普通の幸福を享受できていたのではないかとジャンは思わずにはいられない。

 それと同時に分かってもいた。

 あの化け物は娘が抑えていなければならないと、娘があの化け物と出会っていなければ今頃このリィンバウムが存在していなかったかもしれないと。

 何故ベルフラウなのか、何故自分の愛おしい娘でなければいけないのかと運命を恨んだこともあった。

 運命を決めたのが界の意志ならば恨み言の一つでも言ってやりたいとさえ思ったこともあった。

 

「来たか……」

 

「貴様ガ我ヲ呼ビ出ストハナ」

 

 待ち人が来るとジャンは追憶の旅路を中断して来訪者を向かえ入れる。

 扉を開けて部屋に入ってきたのはジャンの娘が愛する化け物イリだ。

 小さな異形は一切気後れする様子もなくジャンの前に進み出た。

 

「例の島から帰ってきたベルが嬉しそうに言っていたのだよ。夫婦仲を深めてきたとね。あの娘は君と居ると心底嬉しそうにしている。だから君にベルを預けたままにしておく。だがこれだけは言っておきたい。私の大事な愛娘に傷が一つでも付くようなことがあれば君を絶対に許さない」

 

「ギリッギシシ! 我ガ加護ヲ受ケタベルフラウヲ傷ツケル? 不可能! 不可侵!」

 

 イリは最悪の災厄であると同時に最強の守護者だ。

 誰がベルフラウに悪意を向けようと、世界中がベルフラウに敵意を向けようと、たとえ界の意志がベルフラウを害そうとしようともイリに守られる限りベルフラウに一切傷がつくことは無いだろう。

 ベルフラウを傷つけ得る本当の意味で敵と呼べる存在はあの宿業のイリデルシアだけしかいない。

 娘の安全を保証する加護は人間の男と結ばれた場合では得られないものだ。

 そう考えれば娘が目の前で浮遊する化け物と結ばれたことは悪い事ばかりでもないとジャンは気づく。

 

「それもそうか。君は界の意志をも超えた存在だったね。それに、君がベルをちゃんと守る気があるのもよくわかった。……イリデルシア。私のたった一人の大切な娘を幸せにしてほしい」

 

「却下。ベルフラウハ私ト幸セニナッテ下サイト言ッタ」

 

 圧倒的上位の存在に幸せにしてもらうのではなく二人で一緒に幸せになる、そこに娘の強さを垣間見たジャンは口元を緩ませると言葉を変えて言い直した。

 

「……そうか。じゃあ、私の娘と幸せになってくれないかな。義息子君」

 

「任サレヨウ。義父ヨ」

 

 自分よりも遥かに長い年月を生きたであろう存在を義理の息子と呼ぶことに可笑しさを感じたジャンは顎に手を当ててくつくつと笑い出す。

 イリは不思議そうにジャンの顔を見上げていた。

 

 

 

 多くの人々が行き交い賑わう帝都ウルゴーラの街角に最近開店したばかりの店があった。

 その店はサンドイッチ等の軽食を看板商品として売り出している店のようで、店先には食事用のテーブルと日光を遮るパラソルがおかれていた。

 椅子に座る二人の人影と浮かぶ小さな影は昼食を摂るベルフラウとフランネル、そしてイリだ。

 

「イリ、あーん」

 

 甘い声で言うベルフラウがイリの口元へと掴んだサンドイッチを運ぶと傍にいた通行人が美女と異形の組み合わせを見てギョッとする。

 それを微塵も気にした様子がない母の色ボケっぷりを娘が半目で睨みながら油で揚げた棒状の芋を手に取って無言で齧る。

 イリがサンドイッチを丸のみにすると今度はベルフラウが口を開いてイリに同じことをするよう催促した。

 まさか自分の父親がそれに応えるわけがないだろうと呆れかえるフランネルだったが、イリがサンドイッチを潰さぬよう器用に牙で掴みベルフラウの口の中へ入れると信じられない光景に目を見開いて硬直してしまった。

 数秒してフランネルが動きだし、現実を再確認するため両親の顔を交互に見るがベルフラウはそれに構わず蕩けた顔でサンドイッチを咀嚼して飲み込むと息を吐いた。

 

「はぁー……幸せ……」

 

 すでにあの島での宿業と源罪との戦いから一つの季節が去り新たな季節を迎えていた。

 あれからイリの食欲はなりを潜めている。

 だがあの戦いは終わりではなくむしろ始まりに過ぎない。

 これから永遠に続くであろうベルフラウと宿業のイリデルシアとの宿命。

 いつかまた宿業がイリの中で大きく膨れ上がり、再び世界を喰らおうとするだろう。

 だからこそベルフラウはいまひとときの平穏を噛みしめたいと思うのだ。

 

「お母様! お父様! 食べ終わったら早く行きますわよ!」

 

 娘の声に意識を戻したベルフラウがふと見ると既に食べ物は無くなっており、椅子から離れた声の主がベルフラウとイリを待っていた。

 

「ごめんねフラン。それで、次は何処に行くの?」

 

「そうね……お花畑に行きたいわ。お父様に花冠でも作ってあげようかしら!」

 

 白い髪をゆらりと踊らせて先に進むフランネルが、遅れて来る両親へ手を後ろで組んで振り返ると、イリが花冠を被った姿を想像したベルフラウが噴きだした。

 

「ふふふっ……それは似合いそうね」

 

「ソウナノカ?」

 

「お父様も少しは可愛らしくなると思うわ」

 

 ベルフラウとイリがフランネルに追いつくとイリを挟んで母と娘が笑い合う。

 良く晴れた空の下、親子は三人並んで次の目的地へと歩き出した。

 

 




小さな島で起こった世界を賭けた戦いは終わりを迎えた。
その戦いを知る者は少なく、ベルフラウの功績が歴史に残ることは無い。
だがベルフラウにとってそんなことはどうでもいいことだ。
彼女は名誉や富の為ではなくイリとフランネルとの日常を守るために戦ったのだから。

これにて予定していた全行程を終了。
ここまでお付き合いしていただきありがとうございました。
そして彼女たちの未来に幸有らんことを。

あとがき、解説等は活動報告にでも。


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Clearbonus!!
マルティーニ家会議


 空の上で輝く太陽の光とぽかぽかとした陽気に包まれるマルティーニ家の廊下を掃除している使用人が暖かい空気に眠気を誘われて欠伸をしていると、慌てた様な足音と共に当主が視界に現れた。

 使用人が欠伸を誤魔化すように口を閉じるが当主はそんなことには構っていられないのか、使用人には目もくれず廊下を走り去っていく。

 いつも娘に屋敷の中を走るなと注意しているはずの当主は一つの扉を見つけるとようやく足を止めて勢いよく扉を開いた。

 開いた扉の中の部屋にはベットや机、そして部屋の所々にぬいぐるみが置かれていてその部屋の主が少女であることが分かる。

 

「フラン! 話があるの!」

 

 扉を開いた金髪の女当主が部屋の主へと声をかけると、椅子に腰かけて本を読んでいた白い髪の少女が部屋の入口へと目を向けた。

 

「どうしたのよ、お母様。そんなに慌てて」

 

 ベルフラウは息を整えると、先ほど気が付いてしまった衝撃の真実を娘へと告げる。

 

「あのね、私気づいたの!! 私ばっかりイリにスキスキして、イリは私にスキスキしてくれてないことに!!」

 

 ベルフラウのその言葉を聞いたフランネルはまるで信じられないことを聞いたかのように目を見開いた。

 娘の表情をみたベルフラウはその反応も当たり前だと内心頷いた。

 ベルフラウとて、この事実に気が付いてしまったときは大変ショックを受けたものだ。

 今まで自分とイリは相思相愛ラブラブ夫婦でお互いが向ける愛は同程度だと信じていたベルフラウだったが、自分ばかりがイリに好きだ好きだと言ってベタベタしており逆にイリからはあまり好意を伝えられていないし、ベタベタもされていないことに気が付いてしまったのだ。

 まるで足元が崩れ去ってしまうかのような感覚を受けたベルフラウはこれを聞いた娘が受けたショックも相当大きいだろうと予想する。

 

「そんな……お母様……信じられませんわ……今まで気づいていなかったの?」

 

「え?」

 

 

 

 マルティーニ家の一室、扉の上に『会議室』と書かれた木の札が張り付けられている部屋の中には円形のテーブルと三つの椅子、そしてその椅子それぞれに座る三人の人影が存在していた。

 円卓に両肘をついて顎のあたりで手を組んでいた人影の内の一人がこの会議の主題を告げるために口を開く。

 

「さて、集まってもらったのは他でもないわ。どうすればイリが私にスキスキしてくれるのか、案を出してほしいの」

 

「はーい! 奥様、質問なんですけどー。スキスキってなんのことですか?」

 

 ベルフラウが議題を発表すると人影の内の一人である元暗殺者にして現イリの下僕兼マルティーニ家メイドを務めるパッフェルが手を上げて質問した。

 突然『スキスキ』などと言うよくわからない造語が含まれたぶっとんだ議題を聞かされたパッフェルの疑問も尤もだろう。

 

「簡単にいえば……言葉や行動で相手に好意を伝えることかしらね」

 

「へー。なんかどうでもよさそうな会議みたいなんで、仕事に戻ってもいいですか?」

 

「駄目に決まっているでしょう! 当主命令での強制召集よ!」

 

「ひどい職権乱用です! 抗議します! マルティーニ家使用人組合の長として抗議しますよ!」

 

「あなたはマルティーニ家の使用人である前にイリの下僕でしょう?」

 

「ぐぬぬ! ご主人様の奥方と言う立場を躊躇いも無く振るうとは!!」

 

 そもそもパッフェルがマルティーニ家の使用人となったことの発端は、オルドレイクに捨て駒にされたパッフェルをイリが下僕として拾ったことから始まっている。

 だからこそパッフェルはイリを『ご主人様』と呼び、ベルフラウを『奥様』と呼ぶ。

 ベルフラウはパッフェルの雇い主ではあるが、主人ではなく奥方。

 パッフェルにとっての主人は今もイリであり、今もイリに絶対服従の下僕。

 だから使用人として雇い主であるベルフラウに抗議しようとしても、主人の奥方であるベルフラウには逆らえないのだ。

 

「使用人たちの組合の長が当主に絶対服従の犬ってなかなかひどい状況よね」

 

 二人の掛け合いを聞きつつ自部屋で読んでいた本の続きの文を目で追うフランネルが呟くと、話が脱線したことにベルフラウが気付きようやく会議が進み始めた。

 

「こほん。それでね、どうすればイリが私に好意を伝えてくれるか考えてほしいんだけど」

 

「そうは言ってもご主人様ってそもそも自分からそういうことしないっていうか……。奥様が求めればちゃんと応えてくれるんでしょう? それじゃ駄目なんですか?」

 

 咳払いをしてベルフラウが会議を仕切りなおすが、最初に出た意見は議題そのものに否定的な意見だった。

 

「私からだけじゃなくて、イリからも好きって伝えてほしいの。一方的じゃなくて相互の関係がいいのよ。でも結局イリからキスしてくれたのはあの一回きりで……」

 

 ベルフラウが眼を閉じるとあの島でのことが思い出される。

 焚火に照らされる中で行われたあのプロポーズのことはベルフラウの記憶に深く焼きついていた。

 

「えっ? えええ? あのご主人様からですか!?」

 

「そうよ。びっくりしたでしょう? まあ、お母様からお願いされて……だけどね」

 

「はぁー。そんな世にも珍しいことが……。でもそれなら、もしかしたらがあるかもですねー!」

 

 世の中何があるか分からないものだと実感したパッフェルだったが、理由さえあればイリから動くという前例から可能性を導き出した。

 

「パッフェル、何か思いついたの!?」

 

 旦那の優秀な下僕へと期待の眼差しを向けたベルフラウにパッフェルが勿体付けながらも自身ありげに案を出した。

 

「ふっふっふっふ。それはですねー……ずばり嫉妬です!! ご主人様を嫉妬させるんですよ!」

 

「恋のライバルってことね!!」

 

 読んでいた本から目を離し、顔を上げたフランネルの眼はキラキラと輝いている。

 ちなみに、フランネルが読んでいた本は帝国婦女子に大人気の恋愛小説『恋する乙女は片手で龍をも殺す』である。

 彼女が会議中に小説を読んでいたのは会議に必要な情報を収集するためであり、会議より読書を優先したからではない、決して。

 

「恋のライバル、ねぇ。でもイリ以外に好きな殿方なんかいないわよ」

 

「奥様は好みの男性のタイプとかないんですか?」

 

「そうね……こう小さくて丸っこくて、でも実はとても大きくて頼りになって……」

 

「話になりませんわね」

 

 どう考えてもイリの事を指している説明を始めた母から目線を外したフランネルはパッフェルへと顔を向けた。

 

「あははは……でもどのみちライバル役を用意しても最悪殺されちゃうかもですし、架空の人物をでっち上げるのが一番じゃないですかね」

 

 ライバル役(仮)が怒ったイリに『誅殺!』される光景を思い浮かべて苦笑いするパッフェルに提案され、ベルフラウとフランネルは架空の人物の設定について考え始めた。

 

 

 

 ベルフラウたちが会議室を出るころには窓から紅い光が差し込んでふわふわとした絨毯に色彩を加えていた。

 三人はベルフラウの私室へと向かうと入り口前で一旦別れる。

 ベルフラウのみが扉を開けて中に入り、パッフェルとフランネルは部屋の外に残ってドアの隙間から中を覗き込んだ。

 

「ねぇ、イリ。あのね、この前先生のお兄さんにあったんだけど」

 

「ホウ、アティノ兄カ」

 

 部屋の中ではさっそくベルフラウがイリへと架空のライバルについての話題を振っていた。

 適当な人物をでっち上げたところでイリはきっとゴミと判断し、興味すら持たないだろう。イリがこの屋敷の人間の次に興味を持っているであろうアティの兄をでっち上げることで、まずイリの興味を引くのがこの作戦の第一手だ。

 

「レックスって名前の殿方なんだけどね。先生によく似て太陽みたいに優しく笑うのよ」

 

「想像。空想。幻視」

 

 そして二つ目の手はイリがよく知るアティとよく似ているという情報を与えることで架空の人物レックスを想像しやすくするというもの。

 同時にベルフラウ側もレックスの特徴をイメージしやすくなり、ボロが出にくくなるのだ。

 

「それに瞳も先生みたいに強い意志が篭っていて、目が合うとまるで吸い込まれそうになるの。そのまま目が離せなくなって見つめ合っているとなんだかドキドキしてくるのよ」

 

「……」

 

 あの島で暮らしていた時期にイリがベルフラウに次いで長く一緒にいたのは間違いなくアティだ。

 アティが帝国軍や無色の派閥たちとの戦いで見せた強い信念の篭った瞳を思い返したイリはなるほどと思う。

 アティの周りにはベルフラウを始め、海賊たちや護人たちなど多くの仲間たちがいた。

 あの瞳には人を惹きつける魅力があるのだろうと得心する。

 続けてベルフラウがアティの魅力を架空のレックスという男に言い換えて並び立てると、まるで完璧超人であるかのようなレックス像が出来上がってしまった。

 イリを嫉妬させなければならないために、アティの欠点となる部分はひとつも言わなかったのが原因だ。

 

 

「レックスさん、とっても素敵な殿方よね。イリもそう思うでしょう?」

 

「……欠点ノ無イ人間ノヨウニ聞コエルナ」

 

 アティから欠点を取り除いたかのようなレックスの完璧ぷりにイリが疑いを持ち始めるとドアの前で待機するパッフェルが慌てた。

 

「ど、どうしましょう。疑われてますよぅ。もし本人に会わせろって言われでもしたらばれちゃいます」

 

「ふふふ、パッフェルったら何を慌てているのよ。私を一体誰だと思っているの? お父様の娘なのよ」

 

 だがパッフェルとは対照的にドアの前で待つもう一人の人物フランネルの態度は冷静沈着そのものだ。

 

「お嬢様!? まさか……」

 

「異識体の娘である私にかかれば生命の一つや二つちょちょいと作れるわ! さあ、生まれなさい! レックス一号!」

 

 フランネルが行使するのは生命創造という奇跡の力。

 イリより受け継いだ偉大なる力はリィンバウムに新たな命を産み落とす。

 フランネルの魔力の光が収まるとそこには男が立っていた。

 

 短めの赤い髪に、強い意志を感じさせる青い瞳。

 その顔はシルターンの遊びである福笑いが失敗したかのようで、身体の輪郭は子供の落書きのようにうねうねとぶれていてパッフェルに不安を感じさせた。

 

「えっ……うわぁー……なんですかこの謎生物は」

 

「やあ」

 

 レックス(仮)はドン引きするパッフェルへと右手を上げて挨拶する。

 その手を上げる動作はなぜかカクカクしていてこれもやはりパッフェルに不安を感じさせていた。

 

「どうかしら? なかなかの出来でしょう?」

 

「いや……えええ……」

 

 フランネルは自慢げに胸を張るが、レックス(仮)は足が長い割に胴が短すぎて明らかにアンバランスだ。

 落書きがそのまま動き出したかのようなそれを生み出したフランネルに対してパッフェルは返すべき言葉を見つけられなかった。

 父親であるイリはそもそも世界を一つ作った存在だし、母であるベルフラウも絵画などをやらせればそれなり以上の作品を仕上げるだろう。

 それなのに何故娘であるフランネルにはセンスが欠けているのか。

 パッフェルにはそれを嘆くことしかできなかった。

 

 

 

 パッフェルたちがそうこうしている間にも、ベルフラウはなんとかイリの疑いを誤魔化して作戦を進行させる。

 

「一度会ってからずっと彼のことばっかり考えてるの。これが恋なのかしら」

 

 ついに計画は三手目であるイリに嫉妬させる段階までたどり着いた。

 ベルフラウはまるでレックスのことを想っている恋する乙女のようなため息をつく。

 その名演技が功を成したのか、イリに少し動揺が見られた。

 

「ギィィ……恋?」

 

「そうよ。レックスが好きになってしまったかもしれないの」

 

「ベルフラウガアティノ兄ヲ好キニ……」

 

「このままだと私、レックスに取られちゃ──」

 

 ベルフラウの言葉の途中でイリの背後の空間から、蜘蛛形態の時の脚を小さくしたようなモノが四本出現する。

 その脚の先端が素早くベルフラウの背まで伸びると、ベルフラウの身体がイリへと引き寄せられて言葉が遮られた。

 イリの顔とベルフラウの顔が触れてしまいそうな距離まで彼女の身体が引っ張られると、四本の脚がベルフラウの細身の身体を逃がさぬように強く抱きしめる。

 

「ギシッギリリリ! 我ハ簒奪者ノ頂点ナリ! 我ノモノヲ奪ウ事ナド出来ヌ! 故ニベルフラウハ永遠ニ我ノモノダト知レ!」

 

「はい……」

 

 ベルフラウがイリの宣言にしおらしく頷くと、ドアの隙間から成り行きを見守っていた二人が部屋の中を凝視する。

 

「うわぁ……お父様ったら大胆ですわ」

 

 やがてベルフラウを抱きしめていた脚が消えるが彼女はぽーっとした表情でイリを見つめる。

 心臓はバクバクと早鐘を打ち、体温が上がったかのように顔色が赤く染まる。

 頭からは会議で建てた計画の事など消し飛び、ふわふわとした浮ついた思考に支配される。

 

「奥様の顔見て下さいよー。いざご主人様から行動起こされるとああなっちゃうんですねぇ。いやーいいもの見させてもらいました」

 

「なんにせよ、作戦は成功みたいね。両親の夫婦仲を深めるだなんて、私ったらなんて孝行娘なのかしら」

 

「私たちはここらで退散しましょっか。お邪魔になっちゃいけないですし」

 

「そうね。レックス一号! ついてらっしゃい!」

 

 フランネルたちがドアの前からそそくさと立ち去り、誰もいなくなった廊下の窓から差し込む光は月明かりになっていた。

 

 

 

 イリのベルフラウは我のもの宣言から一夜明け、三人は再び会議室へと集まっていた。

 

「いやー、『ライバル登場!? 気になる恋の行方は!?』作戦は見事に成功でしたね! もう完ぺきでしたよ!」

 

「お母様もあれなら満足でしょう?」

 

「どうしましょう……私、イリのものにされちゃった……」

 

 抱きしめられた感触を確かめるかのように自身の身体を掻き抱くベルフラウは『どうしましょう』と言う口ぶりに反して嬉しそうにニヤケている。

 

「あの後はどうなったの?」

 

「もう……いわせないでちょうだい」

 

 自分たちが立ち去った後のことが気になったフランネルが聞くと、ベルフラウは火が出るような顔色で恥ずかしそうに俯く。

 

「なんというかごちそうさまですー。でもこれでようやく奥様も落ち着くんじゃないですかね」

 

「ん? どういうことよ」

 

「ほら、ご主人様があんなだから好意を示してくれないじゃないですか。だから奥様からぐいぐい行くしかなかったんですよ」

 

「お母様はお父様からの愛に飢えていたってことね」

 

 結局のところベルフラウの願望は夫から愛されたい、愛されているという実感が欲しいというごく当たり前のものだ。

 だからこそ自分からアクションを起こさない夫からの反応を引き出す為に、ベルフラウが今まで行き過ぎた言動をしていたのだとパッフェルは思う。

 

「でも今回、ご主人様から独占宣言なんてされちゃったわけですし」

 

「これで満足してお母様の色ボケが少しでも収まるといいわね」

 

 だがフランネルたちは知らない。

 自分たちの予想があまりにも浅はかであったことを。

 ベルフラウはただイチャイチャしたいからイチャイチャしていただけであり、あまり深いことは考えていないと言うことを。

 今回の件で収まるどころかベルフラウの愛はより強く燃え上がってしまったのだということを。

 

 

 

 昨日の作戦の成果確認を終えたベルフラウたちは朝食のために屋敷内の食堂へと向かう。

 長いテーブルには白いテーブルクロスがかけられ、その上に置かれた三つ又の燭台には小さな火が幻想的に揺らめいている。

 そのテーブルに運ばれてきた料理は流石帝国でも有数の商家と言うべきか、お抱えのシェフたちが腕によりを振るって作った料理たちで、色彩豊かなそれらは見る者の食欲を誘う。

 食欲の大きさは父親譲りなのか、料理を次々に平らげるフランネルが舌鼓を打っていると、母親が料理に手を付けずに隣のイリにチラチラと視線を寄越しているのに気が付いた。

 

「ベル。何故餌ヲ喰ラワヌ」

 

「えっとね、なんだかココロがお腹いっぱいというか」

 

 イリもベルフラウの皿に乗せられた料理が全く減っていないことに気が付いたのか、その顔を見上げるが妻は食欲がわかないようで首を横に振る。

 

「お父様がお母様をベルって……」

 

「昨晩一体何があったんですかね」

 

 つい昨日まで父が母をベルフラウと呼んでいたのに、その呼び方がベルへと変わったことに衝撃を受けたフランネルは傍に控えるパッフェルとともに二人に一体何があったのか想像を巡らせた。

 

「意味不明。不食即チ活動停止ノ定メ。馬鹿ナコトヲ言ワズ喰ウガイイ」

 

 どうやらベルフラウが朝食を食べる気が無いらしいと理解したイリは皿の上のソーセージを咥えると彼女の口の中へと無理やり突っ込んだ。

 イリの行動を予想もしていなかったのかベルフラウは目を見開くと何度か瞬きをしつつ、夫を見つめてよく噛んだソーセージをごくりと呑みこんだ。

 

「喰エルデハナイカ。喰エルナラ喰エ」

 

「たべりゅ」

 

 夫の行動に驚いたせいか舌が回っていないベルフラウがイリに応えると始まった雛鳥と親鳥の如く光景は、娘とメイドが驚愕のあまり停止した脳を再起動させるころには終わっていた。

 

 

 

 イリがベルフラウをベルと呼んだこと、そしてイリが自分からベルフラウに口移しをしたという連続の衝撃に頭が真っ白になったフランネルとパッフェルが我に返った切っ掛けはベルフラウがイリを呼んだ声だった。

 

「ねぇ、イリ」

 

「ドウシタ、ベル」

 

「呼んだだけよ」

 

「ソウカ」

 

「なんだかとんでもない光景を見てしまったような気がするわ」

 

「お嬢様もですか? 奇遇ですねー同じ白昼夢を見るなんて……て夢じゃないですよね」

 

 パッフェルが頭を振りつつ自身の正気を確かめるが、雇い主の口元がにやけているのを見るにどうやらあの光景が現実のものであったと察して軽くため息をついた。

 

「イーリー!」

 

「ベルヨ。何カ用カ」

 

「呼んでみただけ!」

 

「ソウカ」

 

 イリとベルフラウのやりとりを見ていたフランネルだったが、見ているうちにイラついてきたのか両親に抗議の声を上げる。

 

「ちょっとお母様!? いつまでやってるのよ! お父様もお母様にわざわざ付き合わなくてもいいんだからね!」

 

「……ベルヨ」

 

「なあに、イリ」

 

「呼ンダダケダ」

 

「そう? えへへ」

 

 だが止めるどころか父親まで同じことを始めるとついにキレたのかフランネルが椅子から立ち上がった。

 

「お父様!! あなた自分が何者か分かっていますの!? 世界を喰らう者、世界の創造主、価値観の次元が違う存在でしょう!? そこは『意味不明』とか『理解不能』とか言ってお母様を適当に流すところじゃなくて!? 何よ『呼ンダダケダ』って!!」

 

「フランネルヨ。我ハベルノ夫デアル」

 

「そうね。だから?」

 

「妻ト仲ヲ深メルベキダトハ思ワヌカ」

 

「何? お母様とイチャイチャしたいってこと?」

 

「……結果的ニハソウナルナ」

 

「イリ!! 私もよ!! 私もイリとイチャイチャラブラブしたいわ!」

 

「お母様は黙ってなさい! どうしましょう、お父様まで色ボケに……」

 

 フランネルが父の変化を嘆くが、イリはベルフラウとは違い単純にイチャイチャしたいというわけではない。

 昨日の『ライバル登場!? 気になる恋の行方は!?』作戦によって簒奪者としてのプライドを刺激され、ベルフラウを奪われたくないという想いを抱いたイリは自分なりにどうすればベルフラウをレックス(架空)に奪われないかと考えた。

 対象の排除も勿論プランとして用意したが、より盤石にするために挙げた別のプランがベルフラウが喜ぶことをすることで仲を深めるというものだった。

 では、一体何をすればベルフラウは喜ぶのか? 

 イリがこれまでの経験から導き出した答えが、好意を言葉や行動にして伝えること。

 イリはベルフラウを奪われないために、喜ばせるために、結果としてイチャイチャしていると呼べる行動をとったのだ。

 勿論、フランネルたちが部屋の前から立ち去った後に起きた何がしかがイリに変化をもたらしたのも確かではあるが。

 

「フラン、前から思っていたんだけど……あなた、両親への敬意というものが欠けているんじゃないかしら」

 

 ベルフラウは娘の目上の人物に対して失礼な発言を看過できなかったのか母として注意をする。

 しかし──。

 

「はあ!? 敬意なんて消え去ったわよ!!」

 

「なっ……ど、どうして!?」

 

「自分の胸にでも聞いてみなさい!!」

 

 マルティーニ家の当主として所謂デキる女性の姿を娘に見せてきたベルフラウは自身が娘に尊敬されていると信じて疑っていなかったようで、娘の言葉に動揺した。

 ベルフラウはおもむろにイリを抱き寄せるとその小さな白い身体を自分の胸に押し当てる。

 

「イリ、聞こえる?」

 

「ベルノ心音ガ聞コエルナ」

 

「誰がお父様に聞かせろって言ったのよ!? ばっかじゃないの!?」

 

 何かとつけてイチャつこうとする母に我慢の限界に達したのかフランの口から罵倒が飛び出す。

 

「フラン!! 今お母さんに馬鹿って言ったわね!?」

 

「馬鹿よ馬鹿!! 色ボケ馬鹿夫婦よ!!」

 

 母と娘がなにやら言い合いを始めると、イリがベルフラウの腕から抜け出してパッフェルの傍まで移動する。

 その小さな体は少ししょげているように見えた。

 

「……色ボケ……? 創造主タル我ガ娘ニ敬ワレテイナイダト? 有リ得ヌ」

 

「ご主人様ちょっとショック受けてます?」

 

 マルティーニ家の一日は今日もきっと騒がしくなるのだろう。

 朝から騒ぐ主人たちの声を聞いた使用人たちは察したそうな。

 




■ベルフラウ
イリに一生独占宣言されてご満悦。

■イリ
腕が無くても抱きしめられる!そう、創造主ならね!

■フランネル
父譲りの大食い。愛読書は恋する乙女は片手で龍をも殺す。
最近両親にイライラしはじめた。

■パッフェル
なんだかんだで『ライバル登場!?気になる恋の行方は!?』作戦にのりのりで参加。

■レックス(架空)
アティから欠点を抜いて男にしたような架空の存在。
別世界のレックス氏とは別人。

■レックス一号
フランネルに創造された謎生物。
別世界のレックス氏とは別人。


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特別ナ日

5月23日はキスの日らしいですね。


 ベルフラウ・マルティーニは私室の椅子に座りながら、少し緊張した面持ちで自身の夫を見つめていた。

 彼女にとって年に一回の大切な日を迎えたベルフラウはつばを飲み込むと口を開く。

 

「ねぇ、イリ。今日が何の日か憶えてる?」

 

 今日は他でもない、ベルフラウとイリの結婚記念日。

 あの名も無き島で結婚式を挙げて結ばれ、晴れて夫婦となった日なのだ。

 あの日の事は今でも忘れない。

 嬉し涙を流す恩師、祝福してくれた仲間たちや島民たち。

 白くて綺麗なドレスと愛を誓い合った白くて小さい最愛の存在。そして──誓いのキス。

 あの光景を思い出しただけでベルフラウはとても幸せな気持ちになるのだ。

 イリもきっとあの日の事を忘れずに憶えてくれているだろうと期待するベルフラウは、夫の返事を楽しみにしながら待つ。

 

「キリキリギシッ! 当然! 暗記! 既知! 全知全能タル我ガ憶エテイナイハズガアルマイ! 今日ハ……我ガ初メテアティノ手料理、焼キ魚ヲ喰ラッタ日デアル!」

 

 だが、夫から返ってきた答えはまるで的外れなものだった。

 

 

 

 マルティーニ家に仕える使用人は鼻歌を歌いながら、ベルフラウの私室前の窓を拭いていた。

 

「ふーんふふーんふーん……綺麗になった! 流石私、今日も完璧! 今日は頑張ったご褒美に──」

 

 独り言で自画自賛する使用人が自分へのご褒美を考えていると、当主の部屋の中から大声が響いた。

 

「イリの馬鹿! もう知らない!」

 

 その声と共に扉が勢いよく開くと、当主が部屋の中から飛び出してきた。

 驚いて飛び上がりそうになった使用人は、廊下を走っていく当主が丁度自分の前を通った時──その頬に涙が流れていたのが見えた気がした。

 

 

 

 イリはベルフラウが去って開いたままの扉をじっと見つめていた。

 どうやら自分がベルフラウの機嫌を損ねたらしいことと、返した答えが間違っていたらしいことはわかるが、正しい答えは思い浮かばない。

 

「何ガ違ウ? ……焼キ魚ヲ喰ラッタノハ明日ダッタカ?」

 

 イリはあの名も無き島にいた時に初めてアティに作ってもらった手料理である焼き魚を食べたのが今日ではなく明日だったことを思い出した。

 だがベルフラウがその間違いで機嫌を損ねるだろうか、そもそもベルフラウが言っているのは焼き魚云々の日ではないのではないかと思うが、イリが考えても今日が何の日なのかさっぱりわからない。

 

「……結論、総論……他者ニ聞クシカアルマイ」

 

 どうすればいいか考えた末、イリは他人に頼ることにした。

 昔のイリなら絶対にしなかったそれはきっと、イリが進歩した証なのだ。

 

 

 

 イリがまず訪れたのは、自身の下僕であるパッフェルの所だった。

 

「今日が何の日かわからない、ですか」

 

 パッフェルは主人が自分のところに聞きに来たことを意外に思いつつも、イリの話を聞いていた。

 

「パッフェルヨ。ベルノ機嫌ヲ直ス必要ガアル。思イ当タルコトハアルカ?」

 

 勿論、パッフェルには今日が何の日なのか分かっていた。

 ベルフラウがわざわざ言い出したのだから、結婚記念日かイリと出会った日くらいだろうと想像がつく。

 そしてパッフェルの記憶が正しければ、ベルフラウはイリと出会った日と同じ日を結婚式の日に選んでいたはずだから、答えは一つだ。

 

「ご主人様。私はその答えを知っています」

 

「ギシシ! 知ッテイタカ! ナラバ──」

 

『教エルガイイ』と続けようとしたイリの言葉はパッフェルに遮られる。

 

「でも私からは教えられません」

 

「……貴様ハ我ノ下僕トシテシカ生キルコトヲ許サレテイナイ。従エ! 服従セヨ!」

 

 パッフェルはイリの下僕となることを条件に生かされ、拾われた。

 そのパッフェルが答えを教えることを拒否したことにイリが怒るが、パッフェルは物怖じない。

 

「私から答えを教えるのは簡単ですよ。でも、それじゃ意味がないんです」

 

「無意味? 答エヲ知ッテモ無意味……? 理解不能」

 

「ご主人様がご自分で考えて答えを見つけないと意味がありません。奥様もそのほうが喜ばれると思います」

 

 ただ他人から答えを得ても意味がない──パッフェルからそれを聞いたイリは困惑する。

 

「我自ラガ答エヲ……ソウスレバ、ベルガ喜ブノカ?」

 

「はい。奥様はそれを望んでいるかと」

 

「……ソウカ」

 

 それでベルフラウが喜ぶならと、パッフェルから直接答えを聞くことを辞めたイリは答えを得るため、別の場所へ移動を始めた。

 

 

 

 次にイリがやって来たのは自身の娘であるフランネルの私室だった。

 

「フランネルヨ。入ッテモヨイカ」

 

「お父様? ……どうぞ、入って」

 

 以前勝手に入って怒られたことがあるのか、ドアを開ける前にイリが声をかけるとフランネルが入室を促す。

 イリが部屋の中へ入ると、勉強中だったのか机の上の本と睨めっこをしていたフランネルが振り向いた。

 

「フランネル……相談ガアル」

 

「相談!? お父様が私に!?」

 

 イリが自分に相談に来るのが珍しいのか、パッフェルと同じくフランネルも意外そうに驚く。

 

「我ダケデハ解答不可……知恵ヲ貸セ」

 

「お父様が分からないことね……それで、相談ってなんですの?」

 

 フランネルは意外そうに思いつつも、父親に頼られたのが嬉しいようで口元を曲げながら興味津々に聞く。

 

「実ハ……」

 

 

 

「なるほどね。事情は分かりましたわ。私もパッフェルが言った通り、お父様が自分で答えを見つけるべきだと思う」

 

 今日が何の日かわからずベルフラウを悲しませてしまったこと、パッフェルからその答えは自分で見つけるべきだと言われたことをイリがフランネルに説明すると、娘もパッフェルの言葉に同意する。

 

「フランネルモソウ思ウノカ。シカシ我ニハ見当ガツカヌ」

 

「うーん……私が思うに、お父様は乙女心ってものを分かってないのよ」

 

「乙女心……?」

 

「そう、乙女心ですわ! というわけで……これよ!! 『恋する乙女は片手で龍をも殺す』! スカーレル師匠から授かったこの本を読んで乙女心を勉強しなさい!」

 

 立ち上がって本棚をごそごそと漁ったフランネルが取り出したのは、ご存知帝国女子御用達のバイブル『恋する乙女は片手で龍をも殺す』である。

 師匠と呼んでいる通り、フランネルは母の仲間の一人スカーレルからこの本を布教されたようだ。

 

「書物……? 解析……? コレデ乙女心トヤラガ理解可能ナノカ?」

 

「読む前よりはだいぶましになるはずよ」

 

 娘にそう言われて『恋する乙女は片手で龍をも殺す』を読み始めたイリは本に書かれた文章を追いかける。

 全ては乙女心とやらを理解するため、ベルフラウを喜ばせるためだ。

 だが──。

 

「……理解不能」

 

 状況描写等はイリでも理解出来た。

 だが、心理描写となるとイリの中に入ってこない。

 何故主人公の女の子が恋をしているのか、何故ドキドキしているのか、どうして切ないのか、どうして想い人を目で追ってしまうのか分からない。

 

「読んでも解りませんの? しょうがないわ! 私がお父様にみっちり教えてあげる!」

 

 父の様子を見かねたのか、今まで読んでいた本を閉じて勉強を中断したフランネルは、イリの読んでいる恋愛小説を覗き込むと説明を始める。

 

「此処ノ意味ガ解ラヌ」

 

「ここはね、主人公の女の子が──」

 

 小説の主人公の心理をイリに説明するフランネルは内心燃えていた。

 必ず父に多少なりとも乙女心を理解させてみせると。

『恋する乙女は片手で龍をも殺す』のファンとして、スカーレルにこの本を布教された身として、使命を果たしてみせると。

 

 

 

 ベルフラウは執務室の隅で膝を抱えて座っていた。

 自身の膝に顔をうずめるベルフラウの頬の涙の跡が、天井のシャンデリアに照らされて輝く。

 

「イリのばか……」

 

 か細く呟いた彼女の心はきゅうきゅうと締め付けられる。

 結婚記念日の今日を楽しみにしていたベルフラウは、夫に今日が何の日か聞いたときにちゃんと結婚記念日だと答えてくれると期待していた。

 だが夫は一体何といったのだったか。

 

『今日ハ……我ガ初メテアティノ手料理、焼キ魚ヲ喰ラッタ日デアル!』

 

 あまりに見当違いなその答えにベルフラウは唖然とした。

 ベルフラウにとっては焼き魚を喰った日などどうでも良いし、何より他の女の名前が出たのが信じられなかった。

 そもそもベルフラウの記憶が正しければ、アティが焼いた魚を食べたのはあの島に漂流した日の翌日のはずである。

 大切なこの日に夫が結婚記念日だと答えられなかったばかりか、恩師とはいえ自分以外の女の名前を言ったことでベルフラウは妻としての自尊心を傷つけられる。

 とても悲しくて、惨めだった。

 自分だけ楽しみにして期待していたのが馬鹿みたいに思えてしまう。

 以前イリが、『ベルフラウハ永遠ニ我ノモノダト知レ』と言ってくれたのはなんだったのかと思ってしまう。

 もしかして妻である自分のことを言葉通りモノとしてしか見ていないのではないかと疑ってしまう。

 愛し合っていると思っていたのは自分だけだったのではないか、自分だけが相手を愛しているのではないかと考えてしまう。

 そんなマイナス思考に陥っていたせいか、嗚咽ともにベルフラウの瞳から再び涙があふれ出してきた。

 

「イリ……イリぃ」

 

 それでも口から出てきたのは夫の名だった。

 イリからの反応に傷つけられても好きで、愛おしくて……たまらず夫を求めて呼ぶ声が漏れてしまっていた。

 

「ベル。我ダ」

 

 ベルフラウの呼び声が届いたのか、彼女の耳に聞こえたのは執務室の扉の外側にいるイリの声だ。

 娘から乙女心についての授業を受けたイリは、『まあ……最初にしては及第点ね! 早くお母様の所に行ってきなさい!』と後押しされてベルフラウに会いに来たのだ。

 イリの声を聞いたベルフラウはうずめていた膝から顔を上げると、口元が緩む。さっきまでの落ち込み様はどこへやら、イリが自分に会いに来たというだけで嬉しくなってしまっていた。

 

「……入って」

 

 我ながら現金だなと思いつつ、ベルフラウは入室の許可を出す。

 だがその声はいかにも不機嫌そうなものだった。

 今のベルフラウは夫に怒っているのだ。

 だから夫が来て嬉しい気持ちは表情にも声にも出さず怒っている演技をする。

 

「……ベル。謝罪スル。スマナカッタ」

 

「謝るだけ? 今日が何の日かは思い出したのかしら?」

 

 イリからの謝罪を聞いてもベルフラウは背を向けて言葉を返す。

 

「今日ハ我トベルガ結婚ヲシタ日ダロウ」

 

「……思い出してくれたんだ。そうよ、今日は私とイリが夫婦になった日なの。ずっと一緒にいるって約束した日なの。お互いに愛し続けるって誓い合った日なのよ」

 

 イリが今度は正しい答えを返すと、ようやくベルフラウが振り向く。

 彼女の眼は充血していて、何度も泣いていたことがイリにもわかる。

 

「再度謝罪シヨウ。ベルヲ悲シマセテシマッタ」

 

「……いいのよ。ちゃんと思い出してくれたんだもの」

 

「ベル。左手ヲ差シ出セ」

 

 イリが結婚記念日を思い出したことに喜ぶベルフラウが微笑むと、夫に左手を差し出すように要求されて首を傾げながらもその通りに従った。

 蝋のように透き通ったシミの無い細い手がイリへと差し出されると、その手が強い光に包まれる。

 思わず目を閉じたベルフラウがゆっくり目を開けると、しなやかな薬指に先ほどまでは無かった白銀に輝く指輪がはめられていた。

 

「……指輪……」

 

 ベルフラウが右手の人差し指で左手の薬指に通されている指輪に触れると、銀色一色だったそれの外側に赤く発光する一本のラインが浮かび上がった。

 

「夫ハ妻ニ指輪ヲ送ルト聞ク。故ニ……」

 

「うぅ……ああああ……うああああああ……」

 

 左手の薬指に指輪をはめられることの意味が分からぬベルフラウではない。

 もしかしたらと想像したところにイリの言葉を聞いて、ベルフラウの内の感情が決壊した。

 

「ベル!? 嫌ダッタカ!? 再ビベルヲ悲シマセテシマッタ。難解……難儀……」

 

 ベルフラウがボロボロと泣きだすと、また悲しませてしまったのかとイリが妻の顔を覗き込む。

 

「違うの……そうじゃないの……嬉しくて……嬉しくて……」

 

 首を横に振って否定するベルフラウの顔は腫れた目と涙で美貌が台無しになっていた。

 それを自覚しているのか、両手で顔を隠そうとするベルフラウだったが、イリはそれを魔力の糸で退ける。

 

「ベル。我ニ顔ヲ見セヨ」

 

「でも……! 今の顔はイリに見せられな──」

 

 拒否の言葉を口にしようとしたベルフラウだったが、その口がイリの口と重なったことで強引に止められてしまった。

 そのままベルフラウとイリが見つめ合っていると、執務室の扉が開いて二人の娘フランネルが顔を覗かせた。

 

「お父様! お母様! お夕食が冷めてしまいま──お邪魔しましたわ!!」

 

 突然無遠慮に扉が開く。

 夕食の時間になっても来ない両親を呼びに来たフランネルだったが、キスしたままの二人を見ると踵を返して出て行ってしまった。

 慌てて離れたベルフラウとイリは再び閉じた扉を見る。

 

「ギシッキリキリ……夕食カ」

 

「ねぇ……イリ。夕食はいいから……続きをしましょう?」

 

「了承シタ」

 

 ベルフラウが潤んだ瞳で夫に愛を求める。

 天井からつるされたシャンデリアのよって床に映し出される二つの影が再び一つになった。

 

 

 

 




このあと滅茶苦茶イチャイチャした。


■ベルフラウ
この日以来、指輪を撫でて微笑む当主の姿が頻繁に目撃される。

■イリ
この年以降の結婚記念日はちゃんと覚えていたそうな。
ちなみに毎年イチャイチャした。

■フランネル
両親分のご飯はフランネルが美味しくいただきました。

■パッフェル
主人に答えを教えなかったときは正直死を覚悟した。

■スカーレル
パッフェルがマルティーニ家のメイドになった為、彼が死亡する原因となる事件が起きていない。
つまり無事生存!やったね!

■焼き魚
二話でアティが焼いた魚。
他者と関わることが無かったイリにとっては、初めて食べた他者に作ってもらった料理。


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舞踏会ノ美女 前

Belle Of The Ball


 陽はもう傾き、時はもう夕暮れ。マルティーニ家の食堂ではいつも通り家族三人が夕食を摂っていた。

 燭台に顔を照らされる女主人はナプキンを手に取ると口元を拭く。夫や娘と比べると小食である彼女の分の料理はあまり量が多く無い。ベルフラウの目の前に置かれた皿はもう空になっていた。

 ベルフラウは隣に座る夫へと目をやる。大きな皿の上に盛られた料理をガツガツと食べている彼にはもうちょっとお上品に食べてくれないかしらと思うことはあるが、彼は存在からしてそのような価値観とは無縁の存在なのだから、言っても仕方がないのだ。

 ベルフラウは向かいに座る娘へと目をやる。父親の皿と同じサイズの皿に盛られた料理を食べるフランネルだが、父とは違いゆったりと味わうように食べている。

 マルティーニ家の娘なのだからとベルフラウが食事の作法を叩きこんだ成果は、フランネルの様子を見る限り充分出ていると言えるだろう。

 娘を見て満足そうにうなずいたベルフラウは、二人が食事を終えるのを待ってから口を開いた。

 

「イリ、フラン。話があるの。実はね、舞踏会に招待されたのよ」

 

 そう言ってベルフラウが取り出したのは、昼間に届いた招待状。

 差出人は帝国内でもそれなりに名の知れた家の当主。

 建前上は長男の誕生日を祝うパーティーのようで、他家とのコネづくりの一環なのだろう。

 帝国随一と言ってもいいほどの商家となったマルティーニ家とのコネを作るためにお声がかかったというわけだ。

 

「へぇ……舞踏会ね。どんなドレスを着ていこうかしら」

 

「無関心。無価値。我ハ興味無シ」

 

 興味深そうなフランネルと、興味がなさそうなイリ。

 返ってきた反応は対照的だった。

 

「イリ、行かないの?」

 

 夫と一緒に行きたかったベルフラウが残念そうに言うが、イリは身体を横に振る。

 

「我ガ舞踏会ナドニ行クドデモ思ウタカ」

 

「お父様は行かないのね。……お母様は美人だから、きっといろんな男から声をかけられるでしょうね。そして男たちの毒牙にかかってしまう……誰かさんが来なかったばかりに……残念ですわ」

 

「……我モ行コウ」

 

 母の表情が暗くなったのに気が付いたフランネルは溜息をつくと、演技かかったように空想を語り始める。

 娘の語りを聞いたイリは有象無象のゴミがベルフラウに群がる光景を思い浮かべると、空想のゴミたちに誅殺の光を下して同行の意志を表明した。

 

「イリ!!」

 

 沈んでいたベルフラウの気分が一転、その表情とともにパッと輝いて浮上するとイリを抱きしめる。

 

「我ガゴミドモカラベルヲ守護スル」

 

「ふふふ……頼りにしているわ。私のナイト様」

 

 ベルフラウの腕と胸に挟まれるイリの姿を見つめるフランネルはぽつりとつぶやく。

 

「お父様……チョロいですわ」

 

「お嬢様にコロッと乗せられるご主人様……」

 

「舞踏会に行くならドレスを選ばなくちゃね。フラン! さっそく選びに行くわよ!」

 

「はい! お母様!」

 

 ベルフラウに誘われてフランネルが椅子から立ち上がる。

 女二人はきゃっきゃと姦しく話しながら食堂から出て行った。

 

 

 

 そして舞踏会当日。

 イリの目の前にいるのはドレスで着飾った二人の女性。

 一人は妻であるベルフラウ。赤いドレスを着た彼女は流石当主と言うべきか絢爛なドレスを着こなしていた。

 一人は娘であるフランネル。黒いドレスを着た少女はまだドレスを着なれていないのか、イリの視線を受けるとむずかゆそうに身じろぎをした。

 

「お父様……私のドレス姿……綺麗?」

 

「私もフランも綺麗よね?」

 

 妻と娘から綺麗かと問われても、イリには人間の醜美などわからない。

 イリ自体が蟲のような姿をした存在なのだ。人間とは感覚が違う。

 だが──。

 

「綺麗ダ」

 

 人間の醜美が分からなくとも、こう言えばベルフラウが喜ぶことは知っていた。

 ベルフラウが喜ぶならばおそらくフランネルも同様だろうとは予測できる。

 

「お父様が綺麗と言って下さいましたわ!」

 

「ありがとう、イリ。フランもよかったわね」

 

 夫に美しいと思われたいベルフラウと父に褒められたいフランネル。イリの意図したとおり、妻と娘の顔に笑顔が咲く。

 

「ご主人様にも情緒ってものが生まれてきましたよね。それは私もですけど」

 

「そういえば、最初のパッフェルは固かったわね」

 

 幼いころから暗殺者として育てられてきたパッフェルは殺すことしか知らなかった。

 あの島での事件以降、マルティーニ家のメイドとして働くことになったパッフェルは他の使用人たちや、ベルフラウ、ベルフラウの父との交流の中で感情を知り、情緒を育んだ。

 そういった意味では、自分以外の全てを食べることしか知らなかったイリと似た者同士なのかもしれない。

 

「へぇ……意外ね。パッフェルにそんな時期があったなんて」

 

 今のおちゃらけたような口調で喋るパッフェルしか知らないフランネルとしては信じられないことだろう。

 

「昔のパッフェルは淡々とした喋り方しかしなかったのよ」

 

「もう……昔の事を言うのはやめてくださいよぅ。それより、早く行かないと。遅刻なんてしちゃいけませんから」

 

「……逃げたわね。まあ、パッフェルの言うことも尤もですし。お父様、お願いできるかしら」

 

 恥ずかしがってヘイゼルだったころの話題を必死にそらそうとするパッフェル。

 使用人をイジるのはここまでだな、とフランネルは父へと顔を向けた。

 

「任セルガイイ!」

 

「それじゃあ、私たちは行ってくるから。留守は頼んだわよ」

 

「ええ、行ってらっしゃいませ。お屋敷の警備は私と尖兵たちに任せてください」

 

「出立スルトシヨウ! 座標移動! 空間転移!」

 

 手を振るパッフェルに見送られるイリ、ベルフラウ、フランネルの姿が突然掻き消える。

 次の瞬間にイリたちは舞踏会の会場近くへと前触れもなく姿を現した。

 

「まさに瞬間移動ね。イリ、お疲れ様。ありがとね」

 

「ギシシ! 造作モ無イ」

 

「此処が会場? ウチよりは小さい屋敷ね」

 

 フランネルが会場となる屋敷を見上げて零す。

 帝国内でも中堅程度の家とマルティーニ家の屋敷では財力が違いすぎると言うものだ。

 屋敷の門番にベルフラウが招待状を見せると、門番は名簿に目を通してから許可を出す。

 マルティーニ一家はつつがなく会場入りすることとなった。

 

 

 

 ベルフラウたちが通された場所はちょっとしたホールのような空間だった。

 

「舞踏会を開くだけのことはあるわね」

 

 フランネルが少し感心したようにホールを見渡す。

 部屋の広さもそうだが、天井からぶら下がるシャンデリア等の調度品もマルティーニの屋敷で暮らすフランネルから見てそれなり以上だ。

 この屋敷の主人の財力を考えれば金をかけすぎていると言ってもいいほどに。

 

「……ここの当主は見栄っ張りみたいね」

 

 ベルフラウが呟いた通り、この屋敷の当主は少々見栄を張りたがる癖があるようだ。

 

「虚飾……虚栄……理解出来ヌ、全クナ」

 

 ベルフラウたちが話している内に、舞台の上に誰かが上った。

 全身を煌びやかな服に包み、指にはゴツゴツとした宝石をはめた男は金色の髪を後方へ向けていた。

 

「本日は当家にお越しいただき、まことにありがとうございます。私はルックハート家の当主、ジョセフ・ルックハート。そして、こちらが──」

 

 壇上へあがった男はどうやらこの屋敷の主人らしい。

 ジョセフが挨拶と名乗りを行うと、それを引き継ぐようにもう一人の男が舞台の上に昇った。

 細身で長身。金の長髪を輝かせる男は右ひじを腹の前で曲げて、頭を下げる。

 

「ルックハート家の長男、ジャック・ルックハートです。今日は僕の誕生日を祝うパーティーに来てくださってどうもありがとうございます。紳士淑女の皆様方、この舞踏会をどうぞごゆるりとお楽しみ下さい」

 

 このパーティーの主役となるジャック・ルックハートの言葉が終わるのを合図に、舞踏会は始まった。

 

 

 

 舞踏会が始まってから半刻ほどの時間が経った。

 だが、ベルフラウはまだ誰とも踊っていない。

 

「ギシッギリリ……ギシャアアアアア!!」

 

 それは舞踏会が始まってからずっとベルフラウの隣で周囲を威嚇するイリが原因だった。

 それに怯えてた男たちはベルフラウに近づけず、誰も彼女に声をかけられない。

 美しいベルフラウと踊りたいと考える男たちは大勢いれど、遠目に眺めるのがせいぜいだ。

 だがそんな男たちを押しのけて、一人の男がベルフラウの前へと進みでる。

 

「あら、あなたは……」

 

「ジャック・ルックハートです。美しいレディ、名前を窺ってもよろしいですか?」

 

「ベルフラウ・マルティーニよ」

 

「おお、ではあなたがあの有名なマルティーニ家の女当主様ですか。噂通りお美しい」

 

「ありがとう。あなたも、勇気があるのね。イリが威嚇してるのに私に声をかけられるなんて」

 

「イリとはあの番犬君のことですね。あなたのような美しい花に近づけられるなら、たとえ火の中水の中……。番犬君を恐れて花に近づけぬのでは男の名折れです」

 

 言外にイリを恐れてベルフラウに近づけずにいる他の男とは違うのだとアピールするジャックは少々キザったらしい。

 

「へぇ……」

 

「どうか、この勇気ある男があなたに触れることをお許しください。そしてどうか、このひと時だけ僕をあなたの騎士にさせていただけないでしょうか?」

 

「……いいわよ」

 

 ジャックからのダンスの誘いにベルフラウが頷く。

 このパーティーの主役からの誘いを受けたのだから無下には出来ない。

 それに、少々キザったらしいがまるでお姫様であるかのような扱いをされたベルフラウは少し嬉しくなっていた。

 

 ジャックはベルフラウの首肯を見て内心ガッツポーズをする。

 ベルフラウは参加者の中でもかなりの上玉、しかもあのマルティーニ家の当主。

 さらには番犬のせいで他の男たちが声をかけられない中で、自分だけが声をかけてダンスに誘ったのだ。

 これはいい武勇伝となるだろうと想像したジャックはそれを表情にも出さず、純粋にうれしそうな笑みを顔に張り付ける。

 

「よかった! では、ベルフラウさん。一曲踊りましょう」

 

「ベル!?」

 

「イリ、私はルックハートさんと踊ってくるわ」

 

 ベルフラウがジャックの誘いを受けたことに動揺するイリは、ホールの中心へ歩いていく彼女の背中をじっと見つめていた。

 

 

 

「意外ね……まさかあの状況でお母様に声をかけれる男がいたなんて」

 

「ギィィ……ベル……」

 

「何落ち込んでいますの? 舞踏会なんだから、男と踊ることだってあるわよ。ねぇ、お父様……よかったら私と……」

 

 ベルフラウが向かった方向を見たまま落ち込んでいるイリをフランネルが慰める。

 恥ずかしそうに顔を横に逸らしたフランネルが父親にダンスの誘いをしようとしたところで、彼女の耳に聞き覚えのある声が届いた。

 

「フランネル!! 久しぶりね!!」

 

「えっ……ミニス!?」

 

 フランネルの下へ駆けてきたのは名も無き島で出来た友人、ミニスだ。

 共に強敵と戦ったミニスとの再会にフランネルの表情はほころんでいる。

 

「今日はお母様とこの舞踏会に招待されたの」

 

 ミニスの後ろから金髪の女性がゆっくり歩いてくる。

 

「あら、あなたがフランネルちゃんね。ミニスちゃんから話は聞いてるわ。そしてそちらが、イリデルシアさんね。私はミニスちゃんの母親、ファミィ・マーン。金の派閥の議長をさせてもらっているわ」

 

「ぎ、議長!?」

 

 金の派閥の議長──つまり、召喚師たちの二大派閥の内の一つのトップ。

 友人の母親がそんなビックネームだとは思わなかったフランネルは仰天する。

 

「このルックハート家も金の派閥に属しているものだから、私にも招待状が届いたの」

 

「なるほど……それでミニスがこの舞踏会にいるわけですのね」

 

 ジョセフ・ロックハートは国外の有力者にも招待状を送っていたようだ。

 金の派閥に属しているらしいジョセフはその繋がりを使い、議長とのコネを作ろうとしたのだろう。

 

「イリデルシアさん、金の派閥の議長として大切なお話があるのだけど……」

 

「我ニ話? 言ッテミヨ」

 

「名も無き島への調査任務を任命した、マグナ・クレスメントから異識体<イリデルシア>についての報告を受け……金の派閥議長ファミィ・マーン、蒼の派閥総帥エクス・プリマス・ドラウニー両名はイリデルシアへの不干渉を正式に決定しました」

 

 あの戦いの後、マグナたちは一連の事件のことをファミィ、エクスに報告をしていた。

 その中で問題となったのが、界の意志級の存在であるイリデルシア。

 派閥の教えの中には存在しない、界の意志をも超えた力を持つイリデルシアを知った幹部たちは大混乱だ。

 様々な意見が幹部たちの口から飛び出し、議論は紛糾した。

 新たな界の意志として、イリデルシアの加護を求めるべきだという意見。

 そして、世界を滅ぼしかねない災厄だとして討伐するべきだという意見。

 特に後者の意見が多かったが、マグナの口よりイリデルシアの力が語られると場が静かになった。

 

 彼らを黙らせたのは、イリの操り糸についての報告。

 討伐隊を派遣したところで、操られて殺し合うだけかもしれない。

 それどころか、討伐隊そのものがイリデルシアの手駒となり、自分たちに刃を向けるかもしれないのだ。

 味方が敵になる恐怖。傀儡戦争を経験した彼らはそれをよく知っていた。

 討伐隊が操られるだけならまだましかもしれない。それどころか、この世界そのものが……と想像し背筋を震わせた幹部たちは、ファミィとエクスがイリデルシアへの不干渉を提案すると大人しく頷いたのだ。

 

「それが賢明ですわね」

 

「そういうわけなので、金の派閥も蒼の派閥もイリデルシアさんに敵対する意志は無いと知っておいてくださいな」

 

 自身に刃向いさえしなければゴミ共などどうでもいいと考えているイリは頭を縦に動かす。

 

「承知シタ。我ニ刃向ウ愚カ者ガイナイノナラ構ワヌ」

 

「ありがとうございます。さて、真面目なお話しはここまでにしておいて……イリデルシアさん、私と一曲踊ってくださいませんこと?」

 

 真面目な話からうって変って、ファミィがイリをダンスに誘う。

 それに驚いたのは両者の娘たち二人だ。

 

「ミニスのお母さん……すごい度胸ですわね。流石議長……」

 

「……というより、そもそもフランネルのお父さんって踊れるの? 手も足もないけど」

 

「自称全知全能だし、ダンスくらい踊れるんじゃないかしら……?」

 

「じ、自称……」

 

 フランネルとミニスがこそこそ話している間にも、ファミィとイリの話は進む。

 

「ヨカロウ。コノ我ガ貴様ト踊ッテクレヨウ」

 

「まあ! それじゃあ、リードをお願いするわ」

 

 イリがどうやって踊るつもりなのかとじっと見るフランネルとミニスの視線の先で、その姿が変わり始める。

 小さな蟲の姿が、人間より一回り大きい竜の姿へ。

 イリは響竜を人間サイズまで縮めたような姿へと変身した。

 

「りゅ、竜……!?」

 

「コレナラ問題アルマイ」

 

「これはまた素敵なダンスパートナーだこと。竜と踊れるだなんて光栄だわ」

 

 源罪との戦いの時は竜の姿になっていなかったわね、とイリを見て驚くミニスを眺めるフランネルはふと思い出す。

 あの時のイリは巨大な蜘蛛の姿と、翼の生えた姿、そして小さな蟲の姿しか見せていなかった。

 白銀の竜になったイリへとファミィが手を差し出し、イリがその手を取る。

 そのまま、流れている曲に合わせて踊り始めた。

 

「まさかお父様が踊っているのを見る日が来るとは思いませんでしたわ……」

 

「踊れること自体に驚きよ。シルヴァーナも踊れたりするのかな」

 

 シルヴァーナが聞いたなら全力で首を横に振るだろう。

 イリは普段から全知全能だの完全なる個だのと名乗っていることもあって、リズム感覚は十全にあるようだ。

 だが、ダンスパートナーのファミィからイリへと注意が飛ぶ。

 

「イリデルシアさん。リードするのも大切ですけれど……相手に合わせることも大事ですよ」

 

「合ワセル?」

 

「ええ。ダンスとは一人でするものではなく、二人でするものなのですから」

 

「二人デ……」

 

 我に従えとでも言っているようなイリの踊り方に合わせていたファミィからのアドバイス。

 それを聞き入れたイリはファミィの動きを読んで合わせる。

 一つの世界の意志だったイリにとって人間一人の動きを知覚することなど、造作もないようだ。

 二人のダンスは段々と自然なものになっていった。

 




長くなったので分割です。
舞踏会エアプだけどゆるして。


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舞踏会ノ美女 後

Belle Of The Ball
舞踏会のベル


 ジャックと踊り終え、ベルフラウは彼の手から自分の手を離す。

 

「ルックハートさん、ダンスがお上手なのね。楽しかったわ」

 

 リードしつつもうまくフォローするジャックのおかげで快適に踊ることが出来たベルフラウは彼の技術に感心しつつ、嬉しげに笑みを浮かべる。

 

「こちらこそ、あなたのような素敵な女性と踊ることが出来て光栄です」

 

「口もお上手なのね」

 

「ベルフラウさん、よろしければ舞踏会が終わった後にも会えませんか?」

 

 人好きのする笑顔をしていたジャックの表情は真剣なものになった。

 

「悪いけど、お断りさせてもらうわ。私には夫がいるもの」

 

 首を振って否定を示したベルフラウは左手の薬指に輝く指輪を見せつけた。

 

「そんなこと、関係ありません! あなたのような美しい女性を独占することなど誰にできましょうか!」

 

「私は夫に独占されているわ。私もそれで満足しているの」

 

 この男は他の女性にもこうやって言い寄っているのだろうと内心呆れつつ、イリに抱きしめられたあの日を思い出す。

 夫が自分を『我ノモノ』と言い放ったあの時から、ベルフラウのイリへの想いは以前にも増して勢いよく燃え上がっている。

 

「その旦那さんの姿がみあたりませんよ? あまり相手をされていないのではないですか?」

 

「夫もこの舞踏会に来ているわよ。あなたも目にしたはずだわ」

 

「え……?」

 

 ジャックはイリをただの護衛獣だと思ったらしい。

 一目でイリがベルフラウの夫だと気づける者などいないのだから仕方がないことだ。

 イリを探すべく、辺りを見渡したベルフラウは目を見開く。

 響竜となったイリが金髪の女性とダンスを踊っているのだ。

 

「イリ!!」

 

「ちょっと!?」

 

 ベルフラウは慌てて引き留めようとするジャックを置いて、夫の下に駆けだした。

 イリが誰かと踊るなど予想すら出来なかった。信じられなかった。

 ベルフラウの心の中で警笛が鳴る。

 イリから誘うことは無いはずだから、あの女性から声をかけたのだろう。

 今までイリをダンスに誘えるような女性は周囲にはいなかった。

 いるとすればアティくらいのものだが、彼女はベルフラウに遠慮して誘うことは無いはずだ。

 イリが他の女に取られるかもしれない。焦燥感がベルフラウの胸を焦がす。

 

「この短時間でかなりお上手になったわね。意識体の方と踊るのは初めてですけれど、流石というべきかしら」

 

 意識体と踊ったことがある者など今までいるはずもない。

 その第一号となっているファミィはマイペースにのほほんと微笑みながら言う。

 

「キシシ! 当然! 我ハ全知全能ナリ! ……ベル?」

 

「あら?」

 

 イリは走りにくいドレスで慌ててこちらにくるベルフラウの姿に気が付く。

 

「イリ!! その女の人は誰なのよ!!」

 

「イリデルシアさんの奥さんで、フランネルちゃんのお母さんのベルフラウちゃんね? 私はファミィ・マーンと言いますわ」

 

 ファミィから自己紹介を聞いて、ベルフラウのは少し冷静になる。

 マーンという家名には憶えがあった。

 

「マーンってたしか……取引先に……」

 

「ええ。マルティーニ商会からは帝国産のクッキーなどを卸してもらっているわ」

 

 港町ファナンのマーン家はマルティーニ商会の取引先の一つ。

 そして、ファナンには金の派閥の本部があり、マーンといえば──。

 

「もしかして……金の派閥の議長様!? し、失礼しましたファミィ様」

 

「様なんてつけなくてもいいんですよ。ミニスちゃんのお友達のお母さんなんだから。ファミィさんと呼んでくれると嬉しいわ」

 

「えっと……ファミィさん。どうしてイリと……」

 

「あらあら、いけないわ。あなたの旦那さんを借りちゃったわね。お話があるんでしょう?」

 

 ファミィは口元に手を当てて笑いながら、脇に引く。

 用は済んだから返す、ということだろう。

 自分の心配が杞憂だとわかり、安堵の溜息をついたベルフラウだったが、そうだとわかればイリに対して言いたい別の気持ちが生まれる。

 すこし離れたところでベルフラウとイリを眺めるファミィは、きっとそれをお見通しだったのだろう。

 ベルフラウは響竜の顔を見上げ、その目を見つめる。

 そして自分とも踊ってほしいと、想いを吐き出そうとした。

 ──その前に、銀色の腕がベルフラウの目の前に差し出される。

 

「我ガ妻ヨ。我ト共ニ舞踊ヲセヌカ?」

 

 自分から誘う前に夫から誘われ、ベルフラウの目が輝く。

 

「はい! よろこんでお受けしますわ、旦那様」

 

 そして本当に嬉しそうに、その手を取った。

 

 

 

 人間と異識体が踊る。

 ファミィからフォローを教わったイリはベルフラウをリードしながら、彼女が動きやすいように合わせる。

 あの島の意志──ディエルゴは島に存在する全ての物から送られてくる様々な情報を処理していた。

 それが意志となるということ。

 イリはベルフラウの挙動一つ一つを解析し、情報を処理する。

 それに合わせた動きを取る。

 それはファミィの時と同じだ。

 だが、それだけではない。ファミィと踊った時よりも、イリ自身が動きやすいのだ。

 それはまるで──。

 

「お二人とも息がぴったりね。妬いちゃうわ」

 

 そう、息が合っている。

 ファミィは金の派閥の議長として、イリとベルフラウの仲を確かめたかった。

 マグナはファミィとエクスへこう報告していた。

 イリデルシアはベルフラウという人物を愛している。だから、何も心配することは無い。イリデルシアがこの世界を脅かすことはないだろうと。

 

 それを確かめるために手を回したが、この様子なら本当に心配はなさそうだった。

 この二人は愛し合っている。

 身分を超えて。

 種族を超えて。

 存在を超えて。

 禁断の愛という言葉がファミィの脳裏に浮かび、年甲斐もなく応援したくなってしまった。

 どのみち、リィンバウム存続のためにはこの二人の愛が永遠に続かなければならないのだ。

 私情を抜きにしても、金の派閥の議長として手回ししなければならないだろう。

 

 天井のシャンデリアの光が白銀の竜に当たり、拡散される。

 それによって二人の周りは輝いて見え、その光景は妖精と竜の舞踊のようだ。

 おとぎ話のような、幻想的な光景は見るものたちを恍惚とさせる。

 

「お母様……お父様……綺麗ですわ」

 

「うん……なんだか……夢でも見てるみたい……」

 

 フランネルとミニスもイリとベルフラウに見入っていた。

 

「な、なんだよこれ……僕と踊るより嬉しそうじゃないか……ありえない……この僕よりもあの化け物のほうが……? 僕が男として負けているって……? ありえない……」

 

 その容姿と甘い言葉で数々の女性たちを口説いて来たジャックはあんぐりと口を開ける。

 自分よりも人間ですらないイリのほうがベルフラウを楽しませている。美しい彼女に愛されている。彼女の魅力をより引き出している。その現実を受け入れられない。

 

「イリ、楽しいわね。素敵。とっても素敵よ」

 

 楽しくて仕方がないといった具合にベルフラウが微笑む。

 ご機嫌な妻を眺めるイリだったが、その姿から目を離せなくなっていた。

 明るい赤のドレスがベルフラウの白い肌を映えさせる。

 シャンデリアと、拡散した響竜の光が露出しているベルフラウの肩に光沢を作り出す。

 イリは返事の言葉を告げれなくなっていた。

 ベルフラウを美しいと感じ、魅了されているのだ。

 ドライアードのフェロモンすら容易く跳ね除けるであろうイリデルシアが、人間の女に魅了されているのだ。

 有り得ないと思いつつイリは原因を分析する。

 白と赤のコントラスト。

 それは、白い身体と赤く光る発光体からなるイリの配色パターンと同じなのだ。

 意識体であるイリが自らの美的感覚により作り上げた魂殻と同じ配色パターンである、ベルフラウを美しいと感じたのは自然なことなのかもしれない。

 

 だが、それだけではないはずなのだ。

 白と赤の組み合わせだけが理由ならば、アティもそれに該当するはずなのだ。

 ベルフラウほどでないものの、白い肌と赤い髪。赤い服と白い帽子と白いマント。

 完全に合致する条件を満たしたアティだが、それなりの好意こそ感じてはいるがイリは彼女を美しいと感じたことは無い。魅了されたことは無い。

 ならば、何が理由なのか。

 ベルフラウとアティ、両者は何が違うのか? 

 要素を分解し、思考する。

 ベルフラウの髪が金色だから? ──否定。他ノ金髪ノ人間ヲ美シイト感ジタコトナド無イ。

 ベルフラウとアティでは体型に差がみられるから? ──否定。体型ノ差ナド無価値。両者ト近似シタ体型ノニンゲンヲ美シク感ジタコトハ無イ。

 ベルフラウが所謂お嬢様だから? ──否定。異識体ニトッテ貧富ナド無価値。

 ベルフラウが妻だから? ──否定。人間ノ世界ニオケル立場デシカナイ。

 ベルフラウとの間に娘を産んだから? ──否定。フランネルノ存在ハコノ状況ニ影響ヲ与エテイナイ。

 ベルフラウへの好意はアティへのそれを上回っているから? ──保留。

 ベルフラウと一緒にいたいと思っているから? ──保留。

 ベルフラウを愛しているから? ──……。

 

「どうしたの、イリ?」

 

 黙ってしまったイリを心配してベルフラウが顔を見上げる。

 夫を見つめるその瞳の奥は不安で揺れていた。

 イリは楽しめていないのではないか、ファミィと踊っていた時の方が楽しかったのではないかと。

 自分はこんなにも楽しいのだから、イリにも楽しんでほしい。

 イリと一緒に楽しみたい。

 もっと絆を深めたい。

 ベルフラウの眼差しを受けたイリはようやく口を開いた。

 

「ベル。愛シテイル」

 

「私も! 私も愛してるわ! 大好きよ、あなた」

 

 ベルフラウの瞳からは瞬く間に不安が消え去り、喜色が浮かぶ。

 やがて二人の舞踊は終わり、それに魅了されていた他の参加者たちの万雷の拍手がホールに響いた。

 

 

 

「おかしい! こんなのおかしいじゃないか! ベルフラウさん、この化け物があなたの夫だというんですか!?」

 

 そこに横ヤリを入れたのはジャック・ルックハート。

 金の長髪を揺らしながら、ベルフラウとイリに詰め寄る。

 

「そうだけど……何か文句があるのかしら?」

 

「ああ、あるね! あなたにはこんな化け物は相応しくない! あなたは美しいんだ! その自覚を……」

 

「そうかしら? 私はお似合いだと思ったわ」

 

 ジャックの言葉を遮り、ファミィが進み出る。

 

「なっ!? ファミィ様!?」

 

「ジャックちゃん。この二人の仲がいいからって嫉妬はいけないわ。それに、奥さんに負けないくらい綺麗な旦那さんじゃない」

 

 参加者たちはファミィの言葉に頷く。先の光景を見てそれを否定する者はジャック以外にはいなかった。

 自身が属する組織のトップに窘められて、ジャックは黙るしかない。ホームにいるはずなのに、完全にアウェーだ。

 ジャックは自身の父親に助けを求めるべく、視線を向ける。

 だがジョセフ・ルックハートの目はマーン家とマルティーニ家を敵に回してくれるなと訴えている。

 二つとも自身よりも大きい家柄な上に、片方は金の派閥の議長。もう片方は帝国内でも最上位の商家の当主。

 父としては息子がベルフラウとファミィの不興を買わぬか気が気でない。

 

「で、でも……僕のほうが美しいんだ……美しい女性は僕にこそ相応しいんだ……」

 

「ジャック! いい加減にしなさい。すみません、息子が失礼なことを……なにぶんまだまだひよっこでして……」

 

 ベルフラウとファミィの機嫌を損ねない為に、ぐずる息子の頭をジョセフが抑えて無理やり下げさせた。

 

「いいわよ、別に。他人から理解されないってことは分かっているもの」

 

 それよりもベルフラウが気になっているのはイリが機嫌を損ねていないかということだった。

 ファミィもそれを気にしているからこそ、妥協点を用意する。

 

「ジャックちゃん。派閥の子たちから聞いているんだけど、おいたが過ぎるみたいですね。泣いてる子たちもいるのよ。悪い子には、お仕置きです」

 

 金の派閥内部でもジャックの女遊びの激しさは問題になっていた。

 手を出すだけ出して捨てられた娘は数知れず。

 ジャックが何股かけているらしいなどの噂が飛び交う始末。

 その矯正のためのお仕置きにもなるのでファミィにとってはいい機会だ。

 

「お、お仕置き!? ファ、ファミィ様……一体なにを……」

 

「ミニス、お仕置きって?」

 

 フランネルが隣の友人に訪ねると、そのお仕置きとやらを受けたことがあるらしいミニスは震えあがっていた。

 

「びりびりどっかーんよ……」

 

「びりびり?」

 

「さ、いきますよ。びりびり……どっかーん!」

 

「ひっ!? ぎゃあああああああ!!」

 

 サプレスの魔力がホールに満ち、紫電が走る。

 バチバチと空気を裂く雷がジャックの身体を貫いた。

 

 

 

 鼻水を垂らしながら気絶したジャックは屋敷の使用人たちに運ばれ、ジョセフが舞踏会の終わりを告げる。

 あの後、ジョセフは息子がすいませんとファミィにペコペコと頭を下げていた。

 派閥から既に何度か警告を受けていたジャックだったが、その女癖の悪さは収まらず、ジョセフとしても頭を悩ませていたようだ。

 

「イリデルシアさん、ベルフラウちゃん。二人とも仲良くね? フランネルちゃんはまたミニスちゃんと遊んであげてちょうだい」

 

「フランネル! またね!」

 

 屋敷を出てマーン親子と別れを告げる。

 

「フランは誰かと踊ったの?」

 

「ミニスと踊ったわよ」

 

「友達と仲がいいのはいいけど……殿方は?」

 

 フランネルは母の問いに首を横に振って返す。

 まだ幼いのだから急ぐ必要もないだろうと母は娘の頭を撫でる。

 

「いつか、私にとってのイリみたいな人を見つけなさい」

 

「……お父様みたいなのが他にもいたら困るわ。世界が滅びるわよ、そんなの」

 

 確かにと娘の言葉に苦笑したベルフラウは家族三人で屋敷へと帰還したのだった。

 

 




イリデルシアとベルフラウの夫婦書くのが楽しい。
作者の推しカプになってしまった。
種を超えた純愛……いいよね!
■ベルフラウ
旦那のことが大好き。

■イリ
案外ちょろい。

■フランネル
父を操るすべを覚えた。

■ファミィ
禁断の愛の経験があるとかないとか。

■ミニス
びりびりどっかーんはいやぁ……。

■アティ
え……?私引き合いに出されただけですか?

■パッフェル
今日も尖兵たちとお留守番。最近尖兵たちが可愛く見えてきた。


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