Word of “X” (◯岳◯)
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プロローグ

ホームページで見づらいという方がいましたので。

こちらもマルチ投稿とさせて頂きます。


 

多くを望んだことなんてない。僕はただ普通の夢を持っていて、それを叶えたかっただけだ。他の人と同じように生きたいから。

 

特別な存在になんて、一度も望んだことはない。ただ同じ空の下で同じリーゼ・マクシアに住まう一人の人間として此処に在りたかった。大精霊が見守るこの空の下で、両親と同じようにただの医者として行きたかった。そう成れるように努力した。

 

でも、それは叶わなかった。原因も分からず、機会だけが奪われてしまって。その原因を特定しようにも叶わず、ただ悪戯に時間は過ぎていった。

 

頼れる場所を探していただけなのに。焦がれる程の想いの下に、譲れない想いを以て挑もうとしたんだ。僕が僕として在れない、それを知った上でも―――"それ"を持てるだけの術が欲しかった。

 

だけどあの日、僕は諦めてしまった。でも諦めてしまった先にも道があったことは幸いだと思う。そう考えられるだけのものも、確かに手に入れた。それでも僕は、あの人―――ソニア師匠に出会わなければそこで死んでいたに違いないけど。

 

このラ・シュガルの首都、イル・ファンに出立した日のことだった。ハウス教授の助手になる前に聞いたあの言葉は、今もこの胸の中の奥に残っている。僕を導いてくれた師匠。僕という存在を、ジュード・マティスという一個人を初めて認めてくれた人だ。

 

実の母と同じぐらいに、いやそれ以上に尊敬している人は僕に言ってくれた。

 

『イル・ファンに行くんだってね? ………そんな顔をしなさんな、アタシは止めないさ。なんせ、アンタはまた夢に向かって走りだすんだろ? なら応援させてもらおうかい。だけど一つだけ………アンタの師匠として言わせてもらおうかね』

 

拳法の、護身術の師匠は。いや僕という存在、全てにおいての師匠ともいえるあの人は、僕にこう告げた。

 

『誰が相手であれ、何が立ちふさがっても、ぜっったいに自分からイモ引くんじゃないよ。あんたはやり切った。アタシの、あの厳しい修行を耐え抜いた。途中で止める子も多いだろうあの苦行を乗り越えた。それは、間違いなく誇れることで、そうして頑張れるあんたは、何にだってなれる素質がある。生まれ持っての才能が全てじゃない、努力を積み重ねれば形になるものもあるんだ。それに溺れない心もアンタはもっているはず。だからアンタ自身がそれを疑うんじゃない。アンタは本当に優しい、いい子だ。だから、疑うな。信じていれば、道は開ける。なに、医者がどうしたってんだい。アンタが胸を張って突っ走れば、出来無いことなんてないさ!』

 

快活に、それでも真面目な声で笑いながらも断言してくれた。これ以上ない後押しだった。嬉しかった。あの言葉は、胸のなかに燦々と輝いている。

 

『だから笑いな。そして自分が――――自分が成りたい自分になれるように、笑って生きな』

 

(絶対に忘れることはない。そう、決して――――「おい、聞いてんのかジュード!」)

続く思考は、飛び込んできた声に中断された。その声を発したのは、目の前の人物―――ハスキーがかった、少女の声だ。銀の髪は流れるようで美しく。白が大半をしめる眼の中心は、紅蓮に染まっている。その輝きは、見る人が見れば魅せられるものだが、眼つきの悪さが全てを台無しにしていた。そばかすは出会った頃より少なくなったけど。髪の毛の方は無駄に整えられている。だが、何度でも言うけど目付き悪い。そばかすに関しては栄養不足と無精がたたってこうなったんだと彼女ぶっきらぼうに説明していたが、それは嘘だろう。どう考えても心因性のものである。お人好しの店長でさえ同意していた。あれを渡した後に少なくなったのが良い証拠だ。

 

ふと、初めて会った時の事を思い出す。この少女、なぜか街道の真ん中で炎を纏わせた剣をぶん回していたのだ。薄暗いイル・ファン近くの街道で突如襲ってきた火の玉群を僕は決して忘れはしない。

 

だが、僕は我慢強い男である。それにこの口の悪い少女にも悪いところばかりではない、良いところがあるということも知っている。

 

だから僕は笑顔で告げた。

 

「ぴーちくぱーちく騒ぐな色白ソバカス。たった数秒も待つことができねーのか、この銀の毛並みの犬ッコロが」

 

言い切った途端に音が消えた。何故だか知らないが、店の中の空気が凍りついたようだ。でも、それはすぐに溶けた。皆が皿を持って顔を見合わせている。懐から何やら用紙を取り出す者も居た。

 

「ぶ、ぶ、ぶち殺すよこの野郎!? つーかそれが客に言う言葉か!」

 

「あーあーすみませんねえおきゃくさまごちゅうもんをどうぞ」

 

「聞けよエセ童顔!」

 

怒る銀髪の少女。その怒気は、並の者なら腰を抜かしそうなほどに鋭いだろう。だけどもう慣れたのだ。わざと嫌そうな顔を見せながら、笑う。

 

「んで、何を食らうって? いいから早くちゅーもんをどーぞ」

 

「くっ………とりあえず串10本だよ。とっとと持ってきな!」

 

「はい、分かりました! それよりもサラダを食べたらどうでしょうか、野菜が足りてない風味の、いかにもな顔してるしね!うん、栄養たっぷりなんで色々と元気になること間違い無し! 僕アイデアの店長アレンジした逸品から美味しいし、その貧相な部分がもしかしたら育つかもしれないね!」

 

「てめ………最後、どこを見てなにを言いやがった?」

 

「何も言ってやおりませんよー、ナデ………ナイ………ナイチチ? 元お嬢様閣下」

 

「よしお前ちょっと斬らせろ」

 

一息に腰の仕込み杖を抜き放つ銀の少女。対する僕は、手に持ったお盆を構えた。

 

「はっ、そんなもんでこのアタシの一撃を防げるとでも思ってんのかぁ? くされ医者の卵モドキ類狂人科生物が、ついに脳の中までやられちまったようだねぇ」

 

「元からイカレテるわ、このエセ貴族。それにこのジュード・マティスを侮ってもらっては困るね。"あの"ソニア師匠に教えを受けた僕に、できないことがあるとでも? 」

 

「くっ、このマスコンが………」

 

ちなみにマスコンとは師匠(マスター)コンプレックス。つまり師匠馬鹿である。一方、同じ店内に居た周囲の客は慣れた様子で、「やれやれ始まったか」と言いながら自分の皿を持って店の外に避難していた。一部では今日はどっちが勝つかで賭けが始まっているようだ。

 

「ふん、どうしてもやるってーのか?」

 

「今更命乞いか? つーか僕が師匠の事を思い出していたのに横から話しかけたお前が悪い」

 

「原因それかよ! ていうか、客のアタシが店員に話しかけて何が悪い!?」

 

「眼つき」

 

「ぶっ殺ぉぉぉぉす!!」

 

「いいぜ来いよ、ナディア!!」

 

「てめ、名前覚えてんじゃねーか!?」

 

 

その言葉が、開始の合図だった。僕と、そしてナディアのマナが大きく膨れ上がる。

 

そして、そのまま真正面から激突しようとして――――

 

 

「外でやれぇぇぇーーーッ!!」

 

 

―――店長がぶん回した光り輝く棍が僕とこいつに直撃した。

 

「ぷろッ?!」

 

「てめっ!?」

 

飛ばされた僕達は弧を描く軌道で、道の向こうにある池へと落とされた。ぽちゃんという虚しい音の後に、店長の声が聞こえてきた。

 

「あーあーお客さんいつもすみませんねえ。え、俺に賭けた客が居るって? そりゃアンタ嬉しいことだねえ。で、儲かったよねえ………今日入った特製肉の串盛でも注文してみるかい?」

 

喧騒が続く。中央の灯火がかすかに届く薄暗い裏町の、地元では有名な店では今日も客たちが騒いでいた。

 

 

 

 

―――かつて、誰かが言った。人の願いは精霊によって、現実のものとなり、精霊の命は人の願いによって守られる。故に、精霊の主マクスウェルは、全ての存在を守る者となりえる。世に、それを脅かす悪など存在しない。

 

あるとすれば………それは、人の心か、と――――

 

「ぷはっ、おいこら店長、前に不意打ちすんのは無しっつったろーが!」

 

「不意打ち受ける方が間抜けなんですー。実戦にルールなんて無いんですー。そんな事わからないなんてナディアちゃんはお馬鹿なんですー」

 

「キモイんだよこのクソジュードが! あと、ちゃん言うなって何度も言っただろ! ったく、さっさと上がるぞ!」

 

 

―――ならば、精霊に見捨てられた者はどうなるのというのか。現実をただ生きるだけで。何かを願うことすらも許されないのか。故に、精霊の主マクスウェルは、全ての存在を守る者とはなりえない。見捨てられたものを悪と断定するなかれ。善の定義などどこにも在ることはなく。この世界に善と悪を分けられる明確な境界などは存在しない。もって、守られるべきものなど、どこにも存在し得ないのだから。

 

 

あるとすれば………それは、何なのだろうか。

 

 

 

「あー、冷えるぜ………弱炎舞陣」

 

「おお、あったかーい」

 

「……フレアボム!」

 

「熱ッッ!?」

 

「ははっ、ばーか」

 

「くそ、性格悪ぃな!」

 

「お前が言うな!」

 

 

 

 

 

 

これは、人の心が交差することで浮かび上がる、どこにでもあるストーリー。

 

 

――――叶わない、物語である。

 

 

 

 



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1話 : イル・ファンの広場にて

 

僕達が生きるこの世界、リーゼ・マクシア。ここは精霊と人が共存する素晴らしき場所である。

 

――――そうほざいた奴の頭を、無性に殴りたくなる時がある。

 

それは今で、この時であった。世界で最大の規模を持つであろう都市の中心で、僕はそんな事を考えていた。この世界にある二大国のひとつ、"ラ・シュガル"、その首都の名前をイル・ファンという。夜の霊域が発達している常夜の街で、観光に訪れる者も多い。見あげれば、巨大な街灯樹の光が夜の空に映えている。そんな光の樹が咲く都市の中心で、僕は一人で通路である階段の上に座っていた。一応は敵国とされているもう一つの大国、"ア・ジュール"の影もない。20年前は大きな戦争があったらしいが、最近はその噂も聞かない。

 

刺激はないが退屈もない、平和な街の中で一人で何も考えないまま、ただ夜空を見上げていた。前を見ればやるせなくなるからだ。なんでって、そこかしこに精霊術を使う人達の姿が見えるから。

 

風を足場にして、街灯を調整する職人。橋のへりを修復する職人。水の精霊術を見せ合っていちゃつくカップル。自慢気に小さい火の玉を友達に見せつける少年。何気なく、当たり前のように使われる精霊術。

 

―――そのすべてが目障りだった。まとめて潰したいぐらいには。

 

「なあ、お前もそう思うだろ」

 

後ろに居るバカ女に告げる。気配を殺しているようだが、こいつはそういった忍び足が下手なのだ。忍び寄るには向いていない。そもそもそういった性格をしていない。何故ならばこいつは火の大精霊である“イフリート”に愛されているからだ。誇張だと揶揄する奴も居たが、こいつの使う精霊術を見れば誰もが黙りこんだ。

 

まるで火を従える主であるかのように、炎を自在に操りやがる天才。名前をナディアというらしい。僕はこいつは嫌いだ。それを自覚している所が余計に僕を苛立たせるから。

 

「………ちっ、このクソジュードよ。街中で物騒な殺気出すんじゃねーよ。つーか、気づいてたのか」

 

「お前みたいなクソ騒がしい、面倒くさい気配の持ち主なんか他にいねーよ。てか隠す気すらないんなら、ふつーに来いよふつーに」

 

「アタシもそうしたかったさ。でも、飽きずに辛気臭い顔してる馬鹿がいるんなら仕方ないだろ? その間抜けな後頭部を殴ってやろうと思っちまっても」

 

「それは通り魔だ。もっとやわらかーいコミュニケーションをしようとか思わないのか、不良娘」

 

「はっ、アタシもアンタにだけは言われたくないよ………それで、できてるんだろ?」

 

「へいへいまいどまいど」

 

答えながら薬を後ろに放り投げる。薬の名前は「グッド・ナイト」。命名したのは店長だ。この薬は、そこいらの店には売っていない、曰くつきのシロモノである。

 

………まあ、ただの安眠薬というか睡眠薬なんだが。

 

「ったく、お家でお抱えしてあらせられるお薬師にお頼み申せばいいだろうになぁ?」

 

「敬語のつもりかそれは。ま、あのヤブ医者にはいの一番に聞いてみたんだけどね。アンタに借り作るのは嫌だったし。でも、こんなもん作れねーって。無駄に手え光らせるのは得意みたいだけどね」

 

「………治癒術と言ってやれよ」

 

ああ羨ましい。まったくもって羨ましい話だ、それは。分かって言ってやがる、こいつは。苛つきの度合いが一気に上がり、それをナディアも察知しているだろうにこいつは言葉を止めなかった。

 

「馬鹿の一つ覚えみたいに、外傷を治すだけ。血ぃ止めるだけとかつまんねー奴さ。体力やマナ回復する、アップルグミとかオレンジグミと同じレベル………いや小煩くない分、あっちの方がマシってもんか」

 

「えー………ついにはグミ以下かよ、可哀想に。でもこんなもん医者としてはふつーだろ? 薬学も学んで一人前って教授は言ってたぜ? つか、一昔前にはふつーに作れたはずだって聞いたけどな」

 

外傷を癒すのだけが医者の役目じゃなかったはずだ。母さんから聞いたことがある。それにここいらの医療室もった医者は縁もないんで知らないが、ハウス教授や、故郷のル・ロンドで治療院を開いている父さ………………親父は違った。母さんも。患者を見て、何が悪いか"診て"。それから治療をしていた。治癒術で治せるのは外傷だけだから。

 

「はっ、おべっかと手え光らせて血ぃ止める術だけは一級品だけどなぁ。生憎と、そういった方面の知識の幅はお前以下だ。ああ、そういやあいつらは口も上手かったかねえ」

 

「はっ、世も末だな」

 

「貴族のとこ行く医者なんてそんなもんさ。元がいいとこの坊ちゃんだ。貴族様にもわかりやすーく、見えてる傷だけ癒すのが仕事だから―――――せいぜいが風邪薬程度。その点、アンタは本当に変態だね?」

 

「炎狂いのアバズレに言われたかない。で、いい加減金払えよお前」

 

「あいよ」

 

まるで読んでいたかのように、すぐに投げ渡されたガルド入りの袋。それは今までよりも少し多かった。

 

「………おい?」

 

「色、つけとくよ。で、余分があればそれも貰いたいんだけど?」

 

それは、今までにはない要望だった。しかし大して気にもせず、予備に持ってきていた余りの分を投げ渡す。懐に持っていた分――自分用も一緒に投げ渡した。どうせ、家に戻れば残っている。惜しい程でもない。

 

「容量用法だけはお間違えのないように。まあ、お前のことだから自殺だけにゃ使わねーと思うけど」

 

「はっ、自殺なんかするかよ。それならお前に殺された方がマシだ」

 

「………ああ、それについちゃ同感だ」

 

俺もそうだからな。そう答えかけた所にナディアの声がかぶされた。

 

「そうだろ。だって、そうだな。アタシが自殺するなんて―――――」

 

一息おいた、その後に。いつものように。通常の会話をするように、何でもないことのようにナディアは言った。

 

 

「それこそ、アンタが精霊術を――――治癒術を使えるようになるぐらいに、有り得ないことさ」

 

瞬間、血液が沸騰した。脳の中が一瞬にして沸き立ったのが分かる。まあ、このクソ女が。よりにもよって、よくもそのことを面と向かって、言ってくれやがったもんだぜ。

 

(ああ、わかってるさ。言われたいんだろ?)

 

口が歪む。そのまま、歪んだ言葉を開いた。なら、僕も奥の奥の傷まで引っ掻き回してやるよ、という意識を携えて。

 

「ああ、そうだなあ? 貴族のくせに――――ヒス起こして手前の家に放火した、お前ぐらいにありえねーことだわなぁ?」

 

「――――テメエ」

 

声は低い。まるで火が灯ったかのように、ナディアの中の何かが燃え盛るのを感じる。だけど、それがどうしたと見返してやった。

 

互いに臨戦態勢。一触即発。触れれば即爆発。空気が物理的に緊張していることを錯覚する。いや、現実なのかもしれない。僕は拳にマナを。ナディアは仕込み杖にマナをこめていた。

 

互いの武器に手をやって殺意をぶつけ合っているのだ、空気の一つや二つ根を上げていたっておかしくはない。

 

――――でも、それが開放されることはなかった。

 

「………ちっ。言いたいこといいやがるね」

 

「お前が言うな。でもまあ、アレだよ。こういうのって、なんつーの? 気の置けない友人っつーの?」

 

「思ってもないこというんじゃないよ」

 

そう。そんなことは思っちゃいない。僕にとってのこいつも、こいつにとっての僕も、そんな生なもんじゃない。

 

――――ただの無機物。冷たい外見をもつ、たたの"鏡"だ。

 

今でも思い出す。ガンダラ要塞に続く街道、その平原の中央で僕はこいつと出逢った。最初は、共感した。だけど次の瞬間に憎みあった。それは必然だったのかもしれない。互いに傷を―――似たものを持っていて。酷く似通っていて。本当に見たくもないものを、自分の肉眼で見せつけられたから。それはこいつも同じようで。

 

気づけば殺し合っていた。その途中で通りがかった店長に止められて、決着がつくことは無かったけれど。それでも、今でも関係は同じでずっと変わらないでいる。

 

………こいつは僕にとっての鏡で、僕はこいつにとっての鏡だ。虚飾なくそのままに互いの姿見と心を映し合う、心の鏡そのもの。互いに似たような傷をもっていて。

 

――――そして互いが、"奥に持っている傷を忘れることを許さない"、そんな感じだ。

 

(店長は同じような傷を持っている者が出逢った場合。それが男女なら、傷の舐め合いをするような関係になるって言っていたけど)

 

僕とこいつにおいては有り得ない。そうはならない、絶対にならない。出来るはずもないからだ。傷を舐めあうぐらいなら互いに傷つけあい、殺しあう方が万倍もマシだと断言できる。

 

でも、ああ、本当に非生産的も極まる関係だという店長の感想には同意できる。それでも、一緒にいて退屈しない間柄だというのはある。こいつは腹は立つが、腕も立つ。武術の上達の程度を試す相手にはちょうどいい。何より自分が死んでいないことを思い出させる程度には役に立つのだ。それにまあ、付け加えて言えば互いの奮発剤にもなっているというか。

 

"このまま無様な己でいられるか"と、初心をまざまざと思い返させてくれるのだ。見るだけで思い出させてくれるという相手は貴重だと思う。

 

あの心を忘れるな、と言葉なく訴えてくれるから。でも行き過ぎる事もしょっちゅうある。何事も計算では全てをカバーできないのが世の常なのだ。さっきみたいに、殺気のやり取りをするのも日常茶飯事だ。慣れたもので、日常の一風景と化している。

 

でも、それなりに上手くやっていた。以前は傭兵として互いに雇いあったりしていたし。俺は目的の資料を探す度の護衛に。こいつは、よく分からない任務だかなんだか知らないが、変な仕事の護衛に。きな臭いが、実力は信用できる。一度頼まれたら、絶対に裏切らない所も。その点でいえば、どの傭兵よりも信頼できる。今はもうどちらもそれなりのレベルになったので、最近は雇う間柄でもなくなったけど。

 

「で、入り用ってなんでだ?」

 

「ちょっと、大きな仕事があるんでね。しばらくはあの店にも行けなくなる」

 

「珍しいこって。店長が寂しがるな」

 

「………あの人も、ほんと物好きだね」

 

魔物の肉で串焼きを初めて、10年。今では裏町限定だが、人気店の一角となった――――串焼き屋『モーリア坑道』。

 

何故に飲食店なのに坑道とか、そういうことを言っちゃいけない。あの店長にまともに突っ込んで答えが帰ってくるとも思えないから。まあ、たまにちょっと酷い味付けの肉を出してしまうことがあるが、大概は貴族様をもうならせるぐらい美味しい串を出す、迷宮のような迷店――――違った、名店だ。

 

そしてグスタフ店長は本当に頭のイカレタお方だ。具体的にはモンスターの"ジェントルマン"の肉を調理しようとか言い出しやがりました。きっと、あんな事言い出したのはこの人が世界で初めてなんじゃなかろうか。

 

無駄に、多方面への新商品開発意欲に旺盛で、先週あたりに道具屋へ緑と黄という素晴らしい色合いのグミ――――ドリアングミを提供していた。ドリアンて、あんた。効果はおして知るべし。でもギャンブル性というか食べる直前のスリルがたまらないと、一部のイカレタ傭兵には人気なんだとか。

 

ちなみに、店長も以前は傭兵をしていた。本人曰くだが、冒険者も兼ねた傭兵戦士という職業についていたらしい。

 

自称だけど腕も立つので疑うことはしていない。ア・ジュールの武道大会でも決勝までいったらしいし。何より、武術の師匠が僕と同じ、"あの"ソニア先生だということで腕のほどは知れるというもの。少し前にソニア師匠に手紙で聞いたけど、"あいつは筋だけは本当に良かった"と言っていたからには、腕の良さは疑いようもない。

 

それもそうだろう。あのど外れて制御が難しい活身棍を使えるのは、師匠を除けば二人しかいない。グスタフ店長か、ソニア師匠の娘で僕の幼なじみでもあるレイアぐらい。店長の腕は今でも衰えておらず、真正面からやればいかな僕とて負けてしまうかもしれない。でも割りと寂しがり屋だ。あと、本人が変人だからか、変人からよく好かれている。時期によっては店がヘンタイの巣窟になってしまうのだ。それでも通うものは絶えない。例えば目の前のこいつとか。

 

「………なにか、変なこと考えてるね?」

 

「ああ、いつもな。でもって、お前もな」

 

「胸を張っていうことかよ」

 

「まあな。お前には張る胸もないが」

 

ちょっと殺意が増しましになったのは気のせいじゃないだろう。でも今日はそんな気分でも無かったようだ。

 

「………いいさ、ここは黙って帰っておいてやるよ。それじゃあな、クソジュード。生きてりゃまた、変なところで会うかもしれないね」

 

「は、なんだそりゃ? ………まあいいや、良い夢を」

 

「そりゃ、死ねってことかい?」

 

「言わせんなよ恥ずかしい」

 

互いに毒を吐きあって別れる。そのままぼーっとすること数分。近くに、銀髪で炎染みた気配を放つ小娘はいなくなった。しかし、入り用でしばらく顔出せないか…………初めてのことだな。

 

「えっと………ジュード、くん?」

 

「はい?」

 

突然かけられた声へ、反射的に返事をする。この声は………ハウス教授の、診察の時の助手の人か。足がきれーな人。

 

「こんな所で座り込んで、何をしているの?」

 

「この風景を見ているんですよ。普段は忙しいですから。座ってみるイル・ファンの風景も、またおつなものですよ?」

 

「ふふ、そうね。私も暇ができれば一度試してみようかしら」

 

他愛もないことを話しあう。ああ、心が癒されていく………他意もなく敬語を使える相手なんて、この街じゃ4人ぐらいだからなあ。

 

「それで、何か用事があって来たのではないでしょうか?」

 

「ああ、そうだ! えっと、ハウス教授が呼んでいるんです。なんでも、実験の手伝いをして欲しいって」

 

「分かりました………っと、そこ段差になってます、気を付けないと危ないですよ?」

 

 

会話をしながら、僕は助手の女性と一緒に、医学校へと歩をすすめる。

 

空には、いつもと変わらない夜空が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「叶わない夢のために、か………本当にバカだよ、バカジュードが」

 

「あの、アグリア様?」

 

「話は分かったよ。研究所には顔も聞く。しばらくは入り込んで情報を集める。そう、陛下に伝えな」

 

「了解しました」

 

 

下がっていく部下。その服装はこの国のものだが、身のこなしは違う。

 

銀髪の少女は、去っていく部下が姿を消すのを確認すると、空を見上げた。

 

 

相変わらず遠い、とつぶやく。

 

 

「ふん………次に会う時は本当に殺し合いになるかもね」

 

 

面白くもなさそうに搾り出されたその言葉は、ただイル・ファンの夜の闇へと消えていった。

 

 

 



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2話 : 今に至るまで

 

僕には夢がある。小さな頃、両親が営む治療院で見た時に思ったのだ。見たのは治療され、苦しみから解放された患者さん達の笑顔。苦しみに囚われていた人たちの顔が、安心したものに変わる。それは快活といった感じではないが、暖かく感じられて。だから、その風景を生み出す両親と、医者という職業に憧れた。

 

父さんと母さんは僕の自慢だった。昼夜問わず患者のために働いていて、多くの人に感謝されていた。あの頃、僕は両親を誇りに思っていた。自然と憧れた。将来の夢と聞かれた時の答えはひとつだ。

 

"とうさんやかあさんのようなおいしゃさま"―――反応は、良かったと思う。えらいねと褒められて、悪い気はしなかった。あの頃僕は幸福の中に在ったのだと思う。

 

だけど――――あれは、6才の頃だったろうか。将来のためにと、近くの精霊術師から精霊術を習った時に"それ"は発覚した。他の同年代の子供と一緒に、精霊術の先生から手順と危険さが説かれた後で、いざ実践しようとした時だった。課題は小さい風を吹かせるというもの、風の精霊術の初歩の初歩だ。

 

あの時の絶望は、今でも覚えている。言われた通り、頭の中で念じて、手をかざす。

手をかざす。念じる。マナを身体の中から発する。

 

かざす。念じる。念じる。念じる。だけど―――今でもあの時の感触は忘れない。簡単な精霊術のはずだった。なのにどんなに呼びかけようとも、僕だけが違う。反応すらしてくれない。僕の声に、精霊達は答えてくれなかったのだ。どれだけ頑張っても、マナを絞ったとしても、精霊術は発動しなかった。

 

その日から、僕の試行錯誤が始まった。本当に色々と試した。先生から事情を聞かされた父さんと母さんの協力の元、その原因を調べてみた。いったいなぜなのだろうと、原理を徹底的に学んだ。精霊術の原理など、何回復唱したかわからない。精霊術の原理は、本当に簡単なのものなのに。

 

人が、脳の霊力野(ゲート)と呼ばれる器官から世界の根源エネルギーであるマナを発し、マナを糧にしている精霊たちに分け与え、その見返りとして精霊が特定の"現象"を起こしてくれる。それが真っ当な精霊術というものだった。

 

なのに僕だけができない。体内にマナがあるのは間違いないのに。マナが無い人間などいない、命の無い人間が動かないように、マナが無い人間は自分を保つことすらできないのだ。だけど、そのマナを精霊に分け与えることができない僕は何なのだろうか。何度か試行錯誤を繰り替えして、分かったことがある。

 

マナは、ある。無い人間など存在をしない。だけど僕はそれを発し、精霊に渡す直前で留まってしまうことを。僕に練られたマナは、だけどずっと練られた位置に停滞したままだった。

 

結論はすぐにでた。

 

――――僕には、霊力野(ゲート)という器官そのものが存在しないのだ。

 

小さいのではなく、全くのゼロ。そして、悟らされた。医療術は、気候と水の精霊術の応用をもって生み出される。即ちの結論は――――“精霊術を扱えない僕は、医者にはなれないということ”。それを理解した時、僕はまるで底なしの暗い穴に落ちたかのような感触を覚えた。あれはきっと絶望だったのだろう。

 

10才の時。山ほどの本を読んで、知識を得て。必死になって理論を組み立てて、その終わりに導きだしてしまった結論。僕は、描いた夢の崩壊を、理解した。それからは本当に色々とあった。師匠と出会えたのは、本当に僥倖だったと思う。もしあの人がいなかったらなんて、考えたくもない。

 

しかし、予想外の方面から救いの手が差し伸べられた。僕がソニア師匠の元で教えを受けて、それなりに立ち直ってきたある日のことだ。故郷であるル・ロンドに、ハウスと名乗る医者が治療院にやってきたのだ。目的は親父と母さんの治療を見る事だという。

 

風変わりな治療をする珍しい医者として二人共それなりには名は知られているため、別段珍しい話ではなかった。親父も母さんも快諾した。代わりに、と僕の体質というか根本的欠陥について診てくれと言った。

 

ハウス医師はラ・シュガルの首都、イル・ファンにあるタリム医学校で名が売れている、高名な教授らしい。そこで僕はふと考えた。そんな人ならば、あるいは僕の組み立てた理論の中に破綻を見つけてくれるかもしれない。末に出した結論を否定してくれるかもしれないと。

 

――――だが、現実は残酷だった。解決策は得られなかったのだ。しかし、手がかりはあった。

 

ハウス教授は、そのような欠陥をもつ人間を知っているという。ただ、あまり他人には言えない人物で。その人達が精霊術を使えるように、と。ある意味での治療を施すために、と裏で研究を続けているらしい。

 

僕は歓喜した。そんな研究をしているなんて。そして、僕の頭にも興味を持たれたらしい。その後、タリム医学校に誘われた。教授の助手として、また医学の知識を深めるためにこっちに来ないか、と。

 

父さんは、何故か賛成してくれなかった。しかし、反対もしなかった。特別それに思うところもない。すでに父さんに対する思いは諦めが勝っている。母さんは背中を押してくれた。料理は作れくなるけどごめん、と謝った。忙しい二人の代わりに食事の用意をしていたのは僕だったから。ソニア師匠も、力いっぱい背中を押してくれた。良かったねと満面の笑顔を浮かべて。ちょーっと威力が強すぎて10mほどは吹っ飛んだけど。油断をするんじゃないよ、らしい。

 

いや師匠様、何もイル・ファンに乗り込んで戦争しにいくんじゃないですから。ちなみに背中の紅葉は2週間消えなかった。相変わらずあの人はパネェ。その時にくれた言葉。いや、それまでの言葉も、全て宝物のようだ。あれが無ければ、僕はもっととんでもない場所にまで行っていたかもしれない。ひょっとしたらだけど、眼を覆うような下衆に落ちていたかもしれない。だから感謝の年は絶えない。

 

でも「怠けて弱くなったらわかってるだろうね?」と言った時の眼光は超怖かったです師匠。

 

レイアは――――ソニア師匠の娘で一緒に修行をしていた同門かつ幼なじみである少女は――――別れを告げた途端に泣きはじめた。

 

で、泣きながら活身棍をぶちかましてきた。低い軌道での一撃が金的に当たった。俺も泣いた。今なら言える。あの貧乳が。

 

そうしてやってきた首都・イル・ファンは都会の中の都会だった。夜域の霊勢に支配される常闇の都市。ラシュガル王のお膝元で多数の貴族が住まうリーゼ・マクシア最大の都市だ。その景観はたしかに美事だった。夜に浮かび上がる樹の街灯は美しく、街をほのかに優しく照らしている。建物も違う、故郷のル・ロンドとは明らかに異なる近代的なつくり。医学校や、海停に繋がる道がある中央の通りでは、まるでお伽話の国のような、幻想的な光景だった。

 

でも、僕はそれが好きになれなかった。むしろ中央から外れた暗い裏道に惹かれた。暗い趣味をしているな、とは店長の言葉だ。その御蔭でいいバイト先を見つけられたんですけど。ナディアっつー名状しがたい関係の悪友とも会えたし。いや、あっちは会っちまったって感じか。出会いは選べないって看護婦の方が言ってたけど、それって本当ね。

 

イル・ファンの生活は目まぐるしい日々だった。助手としてハウス教授を手伝い、自分も知識を蓄える日々。休みの日には遠出をしたりもした。ラ・シュガルや、時にはア・ジュールにも足を運んだ。本を片手にあちこちを周り、色々な薬草や古代の本を探した。もしかすれば、精霊術を使えるようになる何かがあるかもしれないと思って。残念ながらそっちの方では結果が出なかったけど。

 

――――そうして、今に至る。

 

医学校で学んで。時折「え~精霊術も使えないなんて~」「精霊術が使えないのが許されるのは5才までよね~」などと吠えるビッ○………もとい医学校の医学生達に対して、殴って飛ばしたい衝動を必死に抑えながら。

 

蔑みが混じった白い目に耐えながら、ようやくここまでこれた。夢を叶える第一歩。いよいよスタートラインに立てるのだ。ナディアが姿を消して2ヶ月。教授の研究もいよいよ大詰めらしい。既に論文もできているとか。詳しい内容は聞かされていないけど、推敲も理論の見直しも九割九分は完了していて、明後日ぐらいには発表できると言っていた。

 

らしくなく、興奮している。

 

「へえ、なのに坊主はこんなところでなにしてんだ?」

 

とおっしゃるのは、ここガンダラ要塞の門番さん。本名はモーブリア・ハックマン、年は34のおっさんである。

 

「知ってるでしょうに。日課の修行ですよ。今日はちょっとはりきりすぎちゃいましたけど」

 

「あー、あっちの方で魔物がポンポン飛んでたけど、お前の仕業かこのクソ坊主」

 

「いやあ。つい出来心で」

 

「お前は出来心で魔物を空に飛ばすのか……ああ、坊主だから仕方ないな、坊主だから」

失礼な。僕の名前はジュード・マティス、どこにでもいるただの15才。そう、イル・ファン医学校に通う医者の卵をしている、どこにでも居る医学生なのですよ。そこいらの青臭い少年少女共と変わらない。無意味に明日にワクワクしている青い春も真っ盛りなお年ごろの田舎もんです。

 

「え、ここツッコミどころだよな? むしろ青い春だっていう笑いどころ?」

 

「あはは本当に失礼ですねこの門番風情が。僕はただの純朴な少年です。はい、リピートアフターミー」

 

「五月蠅えよこの純朴な ク ソ ガ キ が。っつーか何度も教えただろうが、いい加減名前で呼べよ! あと口が悪ぃ! 俺は一応軍人だぞ!?」

 

「えっと確か………ミスター、モン・バン?」

 

「ガアッ!!」

 

言うと、門番さん、興奮して第二形態になった怒れる戦士モンバランさんは顔を真っ赤にして威嚇してきた。ちなみに相方の兵士さんは今日も苦笑気味である。いや、街の衛兵さんとは違って懐の広いこと広いこと。しかし目の前の門番さんは狭量だ。いや、たまたま機嫌が悪いよう。どうせまた仕事が忙しいやらなんやらのやりとりで嫁と喧嘩したんだろうけど。原因は家に帰れないからか。まあ奥さんも大変だよね。事情もあるから仕方ないかもしれないけど。

 

「そのとおり、適任が少ないんだよ。もっと人員増やせたらなあ」

 

「よく言う。増えたら増えたでで、嫌がるくせに」

 

このガンダラ要塞の門番って鍛えられた軍人と言えどそうそう成れるもんじゃない。けど、一種のステータスでもある。だから仕方ないと思うね。まあ軍の人使いというか人材不足についてはよく聞いている。最近は特にひどいらしい。街に飲みに来る衛兵さんも愚痴っていたから、ただの噂で終わる話ではない。妙な研究棟の警備やその他もろもろに人手を割かれてるせいで、ローテが厳しくなっていると聞いている。それに、日帰りでの急ぎ旅は危険だ。迂闊な真似をすれば、二度と帰れなく可能性が大である。なんせ首都イル・ファンとここガンダラ要塞を結ぶ街道に徘徊している魔物の強さは、かなりのものなのだ。ここいらの魔物3体を同時に相手すると想定した場合、精鋭部隊を4人程度は用意しなければ完勝は見込めないだろう。

 

「なら、その魔物を蹴散らしながら往復するお前はなんなんだ?」

 

「ただの医学生です」

 

「正体を現して手を後ろに回せ。お前のような医学生はいない、少なくともここリーゼ・マクシアでは」

 

世界規模で否定して犯罪者にするとは失礼だなこの人。それにこれぐらい、元貴族の令嬢でさえやってのけるさ。

 

「え、最早令嬢じゃないだろそれ。というか、レイジョーとかいう怪物がいるとか?」

 

何かを想像したのか、してしまったのかモンバーンさんの顔が青くなっていく。あ、ぐったりした。きっと2m超のメスゴリラみたいな姿を思い浮かべているのだろう。あるいは、この要塞にあるというゴーレムににた令嬢型最終兵器みたいな。

 

うん、今度会ったときにナディアに言ってやろ。きっと顔を赤くするぐらいに喜んでくれるに違いないから。新しい話の種を考えつつ、僕は荷物の中から手紙を取り出した。白い封筒に、桃色のリボン。見てすぐに分かったのだろう、門番さんが興奮に色めき立った。

「はい、娘さんから」

 

「ありがとうよ」

 

素直に礼を言えるのはモンバーさんの良い所だと思う。そしてしばらくして手紙を読み終えた後、モンバリアさんはまた礼を言ってきた。

 

「まいどスマンな。正直、こうして届けてくれるのは助かるが………無茶だけはするなよ。お前でも、一人ではここいらの魔物をまとめて相手するのは危険だろう」

 

「いえいえこの程度。師匠とのガチンコ勝負に比べたら、毛ほどにも辛くないっす。まあ、これもいい修行になりますしね」

 

「何者なんだその師匠は………」

 

「僕の尊敬する人です」

 

あと、手紙を受け取るのは実は役得なのだ。たまに返信を持っていくのだが、渡した途端に娘さんも奥さんも笑ってくれる。そして二人とも、目の保養になると断言できるぐらいには整った容貌をしている。近所でも有名な美人親娘なのだ。そしてその美人度はかなりのもの。

 

門番さんの同僚さん、通称門番・弐型さんが家庭のことで悩んでいる門番さんに対して、混じりっ気なしの殺意をこめて睨むほどには。言葉も過激だ。代表的な言葉は"もげろ"。最近は"掘るぞ"に変化している。え、なにそれ怖い。

 

「………尻が、なんかむずむずするな………ともあれ坊主、アレはどこまでいった?」

 

「今の流れでアレと言われるとなんだか嫌な気持ちになるけど、まあ"ここ"までですよ。ちょっと最近は打ち止めぎみですね」

 

と、腰につけている自分のリリアルオーブを見せた。これは持ち主の潜在能力を覚醒させるためのアイテムだ。戦闘を重ね、経験を重ね、強くなっていくごとに成長の種子が花弁のごとく開かれる力の華、といえばいいだろうか。一枚の限界層は9層だが、その内容は持ち主ごとに異なる上、人によって限界が違うという。一般人は3層程度で打ち止めらしい。普通の軍人で5層程度、近衛の精鋭部隊で8層程度まで。比べて僕は、"2枚目"の1層めに突入中。ふつーに2枚目、とか出てきた時はびっくりした。日課としてイル・ファンとガンダラ要塞の入り口前までを往復していただけなのに。ちなみに2枚目に突入しましたー、と伝えた時の門番さんの顔は忘れない。「この最終兵器医学生が」とつぶやかれたことも。つーか、最終兵器て。なんていうことを言うんだモン吉さん。

 

「だから名前で言え………ったく、ほら」

 

「ん?」

 

と、投げられたものを反射的に受け取り、確認する。見れば、黄色いグミ――――レモングミだった。傷は癒せないが、体力を大幅に回復してくれるという神秘の食べ物。自然治癒力も高めてくれるので、ある意味で回復薬とも言えないこともないが。しかし、これも結構高いものなのに。やっぱり、この人はなあ。ここは礼を言うべきか。

 

うん、言おう。僕は深呼吸し、そして告げた。

 

「――――ありがとう。さようなら、モブ」

 

「さっさと帰れ!」

 

なんで怒るんだろう。親しみをこめて、本名のモーブリアを略して呼んだだけなのに。

 

「いいから、ガキがこんなところに来んな! 大人しく医学校でお勉強しとけ!」

 

つまりは、学べるうちに学んでおけよ、と。何だかんだいってお人好しな門番さんの言葉に、手を上げて応えながら僕はイル・ファンに帰るべく、足を踏み出した。

 

 

「………勉強するだけで治癒術が使えるなら、僕もそうするんだけど」

 

 

誰にも聞こえないように呟いたその言葉は、風に流されて消えた。

 

 

 

 



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3話 : いまが変わる刻

治癒術を使うためには3つの工程を踏破する必要がある。まずは、治癒術をかけるべき部位の特定をする。次に、治癒術者がその部位にマナを届かせられるかどうかを確認すること。最後は、術者が治癒術を発動させその部分を修復すること。

 

各々の技能の精度はそれぞれ鍛える必要があって、各種技能が高いほど回復の効力は高まっていく。ちなみに通常の医師ならこの3工程を一人でやってのける。一人でできて一人前だ。だけど学生の身でその域まで至る者は稀だ。

 

人体に関する知識が卓越していなければ、治療部位を見極めることが難しいからだ。学生生活の数年間だけでそこに至る者はほとんど居ない。だけど僕は違った。かつて自分を変えるため、人体の構造必死になって勉強したからだ。知識は、数年勉強した程度の学生よりも遥かに上であると自負している。

 

「次。肘の関節の………そうそこです」

 

「分かった………っと、行きますよ」

 

患者は転んだ時に肘を痛めた建築職人。まずは僕が怪我をした時の状況を聞いて、触診した。治すべき部位を特定すると、隣にいるアルフ君にそれを伝えた。あとは簡単だ。教えられた通りの部位に医学生Aことアルフ君が治癒術を行使する。

 

マナが上手く通って行き―――っと、調整が必要だなこれは。

 

「ちょっと、出力が強い。0.2ほど下げて」

 

「分かりました」

 

指示する。アルフ君も中々やるもので、指示通りに誤差なく出力を下げられたようだ。マナは余分なく、上手い具合に患部へと集中していった。

 

「………いきます」

 

言葉と共に治癒術が発動した。水の精霊が活性化し、傷ついた部位が徐々に修復されていくのが分かる。そのまま数分が経過した後。触診しながら患者さんに終わりましたがどうですか、と聞いたが顔を見るなり問題ないようだ。

 

「はい………動きます、もう大丈夫なようです! いや、やっぱり第五医療室は仕事が早い! 他は今でも外で並んでいるのに!」

 

「褒めても何も出ませんよ? ああ、治癒は終わりましたが、3日は安静にしていて下さい。怪我した部位は固定します。関節の怪我は癖になりますから」

 

「う、分かりました。それではありがとうございます」

 

処置を終えた後、顔をひきつらせながら去っていく患者さん。なんか仕事の納期とか厳しいのかな、ちょっと何かを怖がっているようだった。あれか、ドジして怪我して休むってことだから、現場を管理している親方に怒られるのが怖いのか。まあ僕のしったこっちゃないけど。

 

「ふう………今ので終わりですよね?」

 

「はい。とりあえずは。これ以上は規定に反しますし、他の治療室の方にもいい顔はされませんから」

 

「それにしても、今日は怪我人が多いですねえ。今の時期は観光客も少ないし、至って平穏。原因については特に思い当たりませんが………ありましたっけ? 何か怪我が多発するようなことが」

 

「私も思い当たりません。が………先程の方が言われていた言葉が気になりますね」

 

「“微精霊がいない”、ですか。ジュードさんもそのあたりはどう思われ………」

 

そこでアルフ君が言葉につまった。やっちまったという顔をしている。こっちの事情を気にしたのだろう。まあいいけどな、他の奴らがするような殴りたくなる顔じゃないし。

 

「で、でも微精霊がいなくなるなんてありえないですよね!」

 

「そうですよね! でも、確かに医療術の調整が難しかったですよ。いなくなったは大げさですが、その、少なくなったような感覚が………」

 

「僕にはわかりませんけどねえ。ええ、全然ちっとも微塵も分からないんですよ」

 

マナの動きなら分かる。だけど、微精霊の動きとか正直感じ取れんのよ。現象となった精霊術なら肉眼で確認できるから見えるけど、接したこともない相手なんぞはなから想像の範疇なのよ。って、僻んでないですよ。だから顔色を元に戻して下さい。別に貴方の事は嫌いじゃありませんから。好きでもないですけど。と、僕の下降していく機嫌を察したのか、アルフの野郎は慌てたように立ち上がった。

 

「お、お疲れ様です!」

 

頭を下げてすたこらと去っていくアルフ君。ちょっとからかっただけなのに、繊細な人だなあ。それとも俺が怖いのか。って、戻ってきた。そうだよな、業務日報書かなきゃならないもんな。僕に押し付けて帰るようならマジで睨むよ。

 

「っと、僕もそろそろ帰ります」

 

今日はバイトもないけど、ちょっと疲れた。そうして立ち上がると、看護婦さんがねぎらいの言葉をかけてくれる。

 

「あ、ジュードさん、本当にお疲れ様でした」

 

「いえいえ、僕はただ指示を出していただけですから」

 

マナも使っていないし。大したことではないと言うが、そこでさっさと立ち去ろうとしていた医学生アルフ君が振り返った。

 

「いやでも、患部の見極めは完璧にできていたじゃないですか! あと、マナの調整を細かに指示するなんて教授にも出来ませんよ!」

 

興奮したように言う。演技ではなく、お世辞でもない―――本気で言っているようだ。いや、僕より3つは年上のはずなんだけど、この人は謙虚だなあ。だから嫌いになるまではいかないというか。

 

それにこの医学校にしては珍しく、僕を奇異の目では見ることがない。医学生の大半は僕のことを下劣な虫を見るかのような眼をするのに。ちなみにそういう奴は大抵が、“私”というものを持たない、周囲に迎合するくだらない性格をしている。悪い意味での無私というか。なので、僕は関わらない。無私のまま誰かを虫のような眼で見てくる馬鹿な人間など無視するに限る。そのことを目付き悪いソバカスに言うと、「2点だ」と返された。ダジャレじゃねーっつのあの貧乳が。

 

あとはアルフ君が言っているマナの感知だが、あれは修行と一人旅の中で身につけたものだ。マナの微調整というか分配の把握は、マナによる身体能力強化を行使する時の基本だからおろそかにできないし。

 

それに、僕は拳術屋だ。五体を武器としているため、自己強化の練度が闘技者としての力量に等しくなる。強化しそこねた拳で亀モンスターとか殴ると余裕で拳が砕けるからね。

で、拳を潰された拳士など医療術の使えない医者と同じだし――――へっ。

 

「え、えっと…………じゅ、ジュードさん、何でそんなにやさぐれた顔を?」

 

「いえいえ。ちょっと自分の胸を自分で突き刺してしまうような事を考えてしまって」

 

自爆というやつです。勇気を出して聞いてきたアルフ君に対して笑顔で答えてみると、かなり引かれた。看護婦さんでさえ、顔をひきつらせている。

 

「それよりも、ハウス教授はまだ戻られる気配がないようですが………今日はどちらに? というかそもそも、何で僕が手伝いを?」

 

あの人はどういった理由で僕を呼んだのか。急すぎるし、何より僕はこの類の手伝いは嫌だって前に言ったはずなのに。いくらアルフ君も、こうして治療を手伝うような真似は御免被る。教授がそのことを忘れるとも思えないし、何があったんだろうか。

 

「あ、すみませんハウス教授の指定でして。ジュードさん以外には任せられないと。教授あとは、その、今日は………どうしても外せない用事があるようでして」

 

「あ~………それなら仕方ないですかねぇ」

 

そろそろ論文の結果が伝えられる頃だし。それに、あの人はこうと決めたら割りと他のものは見ない。それに、教授という高い役職を持っているってのに、らしからぬフットワークの軽さを見せることがある。

 

椅子に座って指示してれないいのに、何かと自分で動きたがるのだ。あとはあの年まで医療の道一本で生きてきたせいか、独自の価値観というか、視点をもっている。経験とか関係なく、素質や才能のみで人を見るのだ。ここを任せたのも、僕とアルフ君が居れば大丈夫だと判断したからだろう。

 

この世界において精霊術を使えないというのは――――まあ、あれだ。アレとしか言いようのない扱いをされる。特に医者などの高等教育を受けている人間からは結構な眼で見られるのだが、ハウス教授はそんなの関係ねえとばかりに無視をする。ちょっと変わった人である。いきなり突拍子も無いことをする事もあるし、妙に人間クサイところもある。

 

一年前は本当に驚いた。部屋をノックされ、現れたのは渋面を浮かべた中年。否、ハウス教授。何事かと聞けば、「娘の誕生日プレゼントに行くからついてきて欲しい」とか。いや、貴方教授でしょうに、相談する同年代のおっさん友達とかいないんですかと。遠まわしに聞いて、その答えが「娘さんと同年代である僕の意見を聞きたかった」らしい。友達の有無に関しては華麗にスルーされた。

 

うん、やっぱり教授にまで上り詰める人間ってこんな風にどこか変だから、友達とかできなかったんだろう。研究一本だもんなあ。論文を発表したのが先々月で、そこからは特に忙しくなった。

 

論文の内容に対する評価はまだ発表されていないが、国の上層部の眼に止まったらしく、軍部からお呼びがかかったらしい。どこかのスポンサーがついたとかで、研究費も潤ってきた。最近では今までに出来なかった研究にはりきっているらしい。らしい、というのは僕はその件に関しては手伝っていないからだ。何でも、精霊術を使える人でないと駄目らしいとか。

 

「しかし、論文の結果はどうなったんでしょうかねえ」

 

「教授自身、渾身の自信作だったようですけど………」

 

と、そんなことを話しているときだった。医務室に突然飛び込んできた彼。僕を見ると少し顔を歪めたが、はっと我に帰るとそのばにいる全員に告げた。

 

ハウス教授の論文が、今年のハオ賞―――――研究者として最高の賞である、あの栄誉に選ばれたと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、本人は何処だよちくしょう………」

 

ハオ賞の受賞を告げられた後。看護婦さんに、すみませんが探してきて下さいと言われた僕は、少し悩んだ。だが美人の頼みとあれば仕方あるまいと、僕は快く頷いた。

 

「――――嘘だな」

 

伝えたかったから、頷いたのだ。何より、ハオ賞に選ばれるということは、ハウス教授の論文が正しいものとして受け入れられたということ。その地位は最高位になる程高くなるし、研究も進む。僕の夢への道も縮まるかもしれない。直接伝えて興奮を分かち合いたいという打算も含まれているけどね。しかし、ついにここまで来たか。

 

「ソニア師匠………夢に届きそうですよ」

 

スタートラインに立てさえするなら、後は努力しだいでどうとでもなる。してみせる、それだけの気持ちはある。

 

「でも、肝心の教授が見当たらねえ………」

 

赴いたとされる研究所―――ラフォート研究所と呼ばれている建物に行っても、入り口にいる衛兵に止められて。ハウス教授は、と聞くけど「もう帰った」の一点張り。その後の行く先を聞いても、知らないと言われるだけそして見せてもらった研究所の退出者欄を見る限り、間違いは無さそうだ。退出者の名前の中に、ハウス教授の名前が書かれている。

だけど、何か変だ。強いて言えば眼の前の衛兵がおかしい。

 

(僕はただの医学生だけど………なんでそんなの相手にしてるだけで緊張しているんだ、こいつ?)

 

一般人ならわからないだろうが、僕には分かる。筋肉も、マナの動きもそうだ。いつもとは明らかに違っている。まるで戦闘が起こるかのような。そんな緊張が見て取れる。僕が変なことをすれば、今にも飛びかかってきそうなほど。

 

(臨戦態勢というか………民間人に気取られてどうするんだ)

 

何かあると宣伝しているようなものだ。そういった機微に疎い人でも、変な不安を抱かせる態度である。少しは要塞の門番さんを見習えといいたい。その点、この兵は未熟に過ぎるというか。

 

しかし、それを指摘する訳にもいかない。下手に探るとそれこそ戦闘になりそうだ。それは不味すぎるというか、犯罪だ。一応は国の兵だし、それと揉めたとか知られれば、助手の立場を追われること必死。それでは本末転倒に過ぎる。そう考えた僕は、素直に回れ右をして、また中央通りの中央広場にまで戻ってきた。

 

―――その時だった。

 

「っ!?」

 

急に風が吹いて――――その風が通るにつれて"街灯の火が消えていった。

 

(――――精霊術か。それも、かなり高度な)

 

街灯が消えた暗闇の中、一人思考を走らせる。先ほどの風は不自然だった。特にどうというわけもないが、風というには"薄すぎる"。どう考えても自然に発生した風ではない。あるいは、あの風に何らかの作用を持たせて、微精霊に干渉したのか。しかし、こんな広範囲の街灯を、さり気なく一気に消すとかそんなことが可能なのか。そして、風にはマナが満ちあふれすぎている。

 

こんなの、見たことがない。つまりは――――

 

「普通の精霊術じゃ、ない…………?!」

 

突如膨れ上がった気配。それは、膨大なマナの塊だった。

 

「って、こうして考えてる場合でもないか!」

 

思考に時間を割いている場合じゃない。この場はどうするか。

 

(…………衛兵に知らせる? いや、もう動いている。見れば橋の上に立っていた衛兵が何かを確認している最中だ、いや………このまま医学校に戻るべきか? いや、今の時期に厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだけど、それは意味がない)

 

何かが起こっている。ナディアの姿が消えたこと。ハウス教授のこと。それに何より、衛兵の様子。あれは前もって何かを通達されているのか。それにしては完全な戦闘態勢じゃなかった。要塞の門番さんも知らなかったようだし。そこまで考えると、またマナの塊が大きくなった。

 

ここまで大きいと、その場所も感知できる。これは――――研究室の方向!?

 

「っ、爆発した!?」

 

何かが爆ぜるような音。大気が揺れたような気がする。急ぎ向かうべきだと判断した僕は、一歩目からマナで強化、二歩目でトップスピードに乗る。踏み込み過ぎて板をへこまさないように、全力で広場を駆け抜けた。

 

その甲斐あって、"水の上に残された、円形の何か"を見ることができた。

その先にあるのは排水路だ。そして入り口の檻らしき鉄の格子は、何か巨大なものをぶつけられたかのように壊されていた。

 

「………くそ」

 

水場の上に浮かぶ円形に向け、近くにある石を投げる。予想通りに、円形の上に乗る。つまり、これは足場なのだ。直後に消えて上にあった石は水の中に沈んでいったが、これはもう間違いない。

 

――――誰かが街灯を消して。川の上に足場を作りながら潜入して、このいかにも頑丈な鉄の格子を一瞬でぶっ壊して、中へと乗り込んだのだ。

 

(化物かよ)

 

恐らくは精霊術だろうか、それをこの首都で使ってみせる相手。無謀な馬鹿であれば警備兵に片付けられるだろうが、勝機を確信している強者ならば話は違ってくる。そして、手際と破壊力を見る限り恐らくは後者だろう。ならば目的は何だろうか、と上にある建物を見た。

 

そこには、まだ灯りが残っている研究室があった。

 

「くそ!」

 

毒づく。迷っている暇はないだろう。乗り込んだ人物が強者であると想定した場合、仕事も迅速に行われるはず。

 

そして、その場合は――――この研究室は、あんな手練が乗り込むほどにヤバイものを隠しているということ。

 

「厄日かよもぉ!」

 

毒づきながらも、僕は橋の上から飛んだ。

 

そのまま、落ちる。壊れた排水路の前に着地した。

 

 

 

―――――あとになって思う。

 

あれが、選択の時だったのだと。迫られている選択肢、その刻限の橋の上が、それまでの生活で。降りることを選んだ瞬間に、飛び降りた直後に、それが音もなく崩れ去ったのだのだと。

 

あの日、僕の“それまで”は終わりを告げた。

 

かくして、長い旅が始まるのだった。

 

 

猪突猛進を信条とする美しい女神の、あまりにも急な来訪と共に。

 

 

 

 

 



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4話 : 現在喪失

 

水路に侵入して最初に感じた気配は一つだけだった。入り口の一本道から、右に曲がる角の向こうに誰かがいるようだ。だが、警戒するに値しない相手だ。戦闘者の練度はマナの制御によって分かる。素の筋力は確かに必要だが、マナによる肉体強化の恩恵はそれ以上に重要。

 

師匠は言っていた。相手を測るにはマナを観察しろと。それなりの使い手なら、高いところから飛び降りても足を痛めなくなる。また、ただの跳躍で身長の数倍の高さにまで飛び上がることができる。手練であればあるほどマナの流れは苛烈であり、清流のようであり。

 

――――そして、今まで出逢った戦う者達と比べ、目の前の気配はどうか。心の中で、結論づける。

 

(―――どこにでもいる衛兵だ。複数配置されているわけでもないらしい)

 

だけど、顔を晒すのはよろしくない。隠れている手練が居ないとも限らないからだ。なのでポケットにあるハンカチを口元にかぶせた。あとは髪を下ろせば大丈夫だ。ちょっと視界が防がれるが、この相手ならハンデにもならないだろう。これで変装は完了した。もう気にすることはないと、真っ直ぐに進む。

 

当然の如く見つかり、だけど。

 

「おい、そこの………止まれ!」

 

衛兵が声をかけながら、こちらに近づいてくる。鉄の棒らしきものを構えている、あれがこいつの武器なのだろう。まずは、会話をしようと僕は口を開いた。

 

「どうも、こんばんは。夜分遅くにすみませんが、お伺いしてもよろしいでしょうか」

 

「―――は? えっと………違う! 怪しいやつ、何者だ!」

 

「僕は僕です。で、この先が研究室に繋がってるんですね? で、貴方はこの道を警備している警備兵さんと」

 

「そ、そうだが………いや、待て小僧!」

 

様子が変わる。戸惑い混乱から、決意と何事か含まれたものを秘めたそれに。

 

「一つだけ聞くが………ここに来たのは、お前一人か?」

 

え、そこでその質問するか、ってそういうことか。ようするにあなたを始末しますが、ちょっと仲間が居ると困るので教えてくれませんか、って所か。つーか話の運び方が下手な。敵意見せるのが早過ぎるし。構ってる時間も惜しいので、手っ取り早くすませますか。

「勿論です。貴方ぐらいならそれで十分です………じゃ、今日はこのへんで。聞きたいことは聞けました、ありがとうございます」

 

礼をしながら横を抜ける。衛兵はすぐには棒を振り下ろさず、そのまま通してくれる――――はずもない。すれ違った直後、敵意が殺気に変化した。

 

こちらを侵入者と、殺すべき敵とみなしたのだろう。あるいは侮られたと怒ったのか。どちらにせよ、衛兵の手に持つ警棒に力が入ったのは確かだった。握った手元からぎり、と肉が軋む音が聞こえる。間髪入れず、間合いを詰めてきた。衛兵の足が、下にある水を跳ねさせた音が聞こえる。

 

そのまま、振りかざしたのだろう。敵意満面に、侵入者の後頭部を殴打すべく、高く振りかざされた鉄の棒。輪郭さえも感じ取ることができる敵意。

 

――――だが、その早さはブウサギにも劣る。踏み込みもその意さえも剥き出しに過ぎる、未熟な一撃。僕は振り返りもしないまま、ただ左足を軸に右足を一回転。

 

「あっ?」

 

後ろに回した蹴りをお見舞いする。衛兵の顎に当る音と、間抜けな声が聞こえた。間もなく、衛兵はそのまま前へと倒れ伏した。衛兵の身体が水を叩き、ばしゃりとうるさい水音が鳴った。

 

「遅ぇよ」

 

あくびすらも出ないとはこのこと。まあ正当防衛だなぁ。好奇心から迷い込んだ、って答えても殺すつもりだったと思う。余程のものが隠されているのかもしれない。しかし、その割にはこの兵士も応援を呼ぼうとはしなかったな。

 

きっとここは警備が手薄なんだろう。周囲には気配ないので、あるいは進入するには最適の穴場かもしれない。行けると判断し、そのまま侵入することにした。間もなく、梯子が見えた。上の研究所へと続いているようだ。その前で、僕は立ち止まった。

 

(………目的を整理しよう)

 

第一にハウス教授の確認。もしかしたら拉致されてるかもしれない。

 

「って、そうだよ。あのサイン………筆跡が違ってたよ、確か」

 

思い返せば、そうだ。あれはハウス教授のサインじゃない。ということは、教授は帰ったことにしたかったのか。サインまで偽造するとは、どう考えても尋常な事態じゃない。しかし、なぜそんな真似をしてまで教授を研究棟に止めようとするのか。

 

(研究所に、研究員の拉致………どう考えても碌な目的じゃない。考えても分からない、次だ)

 

第二の目的を整理する。それは、この研究棟の研究内容………もとい、成果物があればそれを調べること。ハウス教授が関わってるなら………ちょっと、その、何を研究しているか見てみたい。

 

第三は、侵入者の確認。あれだけの精霊術とマナは見たことがない。滅多に見れんだろうし、見ておいて損はない。強者を見るのもまた修行って師匠も言っていたし。

 

「さて、行きますか」

 

暗い水路から、研究室がある場所へ続く梯子。

 

―――それ登って抜けた先は、惨状だった。

 

「何か、こう……………そうだ、凶暴な魔獣が通ったあとのような?」

 

思わず呟いてしまう程の。研究棟は美しかった。水路とは違って、そりゃもうあちこち美麗さを思わせる造りで。思わず税金返せって叫びたいぐらいに、見事だった。でも、周りにあるオブジェが気品を損なわせている。

 

(そう、怪我をした人物が歩く度に残す血痕のように………いや通った痕跡というか)

 

おそらくは侵入者が通ったのであろう通路には、気絶している衛兵や犬の姿が。ある者は地面に、ある者は通路の端にある欄干に引っかかって洗濯物のように、また在るものは積み重なったクッションのように、そこかしこに無惨な姿で横たわっていた。

 

(侵入者はやっぱ一人か。衛兵と犬の傷跡を見るに火に風に水、そして土………)

 

思わず、また口に出してしまった。

 

「ちっ、厄介な。もしかして4種の精霊術、全部を行使できるのか」

 

かなりヤバイ相手だと分かった。また倒れた者達の怪我の様子からも、この侵入者の異常っぷりが分かる。兵士たちが倒れている位置と川にあった水の足場を見るに、侵入者は一人であることが推測できる。そして、倒れている衛兵の位置。恐らく侵入者は、ある一点から放射状に、強力な精霊術を行使したに違いない。兵士たちは一点を中心として、そこから放射状に倒れている。

 

となれば、中心にその侵入者がいて、全方位に派手な精霊術をぶっぱなしたのか。そういえばさっきまでドカンドカン聞こえてたな。地下のせいか、それほどまでには聞こえんかったけど。

 

「ていうか、一人で4系統全ての精霊術を駆使するとかどーよ」

 

旅の途中で盗賊や山賊まがいの真似をする反抗部族と戦ったことはある。精霊術使いとも戦ったこともある。だが、一人で4種の術を使いこなしている奴なんていなかった。

 

それにさほど時間もかけずに倒したということは、戦闘にも慣れているということだ。戦うことにも躊躇がない様子。戦闘にかかった時間がそれを示している。戦うことに迷いを持っている類の、軟弱者には出せない速さだ。つまりは熟達した技量でもって、明確な意志の元に襲い来るもの全てを倒したということ。全員が死んでいないというのもまた嫌な点だ。短時間で倒し、かつ殺してはいないというのはつまり、彼我の戦力差にかなりの余裕があったということ。

 

しかし、その侵入者の姿が見えない。この惨状を生み出したバケモンじみた侵入者は、一体どこに行ったというのか。そして、ハウス教授も。

 

(………思えば、教授の様子もおかしかったよなー)

 

なんとはなしに見せていた仕草。結論ありきで思い返せば、不審なものとして浮かんでくるから不思議だ。論文の時からそうだった。共同研究ではないが、僕の理論の一部も用いているはず。数式もそうだ。だが、特に僕に確認することもなかった。きっと教授はそれをきっちりと理解していて、聞いてくるまでも無かったのだろうと思っていた。だけど、本当にそうなのだろうか。ハウス教授ほどの人物が出す論文に、大きな間違いは許されない。

 

実際、2年前に出した時は一応だが僕に確認をとっていたこともあった。今日の急な診察補助依頼も、考えればおかしい。あの人はあの人で、無神経な輩ではないのだ。結論から言うに、常ではない対応を取らざるを得なかったということ。何か、強力な権力か何かが働いているのか―――

 

「って推理している時間も惜しいな」

 

見つかるのもまずい、まずは進もう。

 

――――そう思った時、2階から爆発音が聞こえた。2階の正面奥にある扉の隙間が、炎の灯りに照らされる。

 

「………おっかねえな」

 

侵入者が誰か知らないけど、こんな真正面から乗り込んで。そんで向かってくる奴を余す所なく、全員しこたま平等に蹴散らして。あろうことか研究棟全てに響き渡るような爆発音を奏でる。自分の存在を知らしめる事と同義だというのに。って、あ、また爆発した。

これで控えめに言っても豪快な、否、ずいぶんとゴキゲンな賊らしいということが判明した。ちょっと関わりたくない手合いである。

 

「既に侵入者っちゅーか、侵略者になってるような」

 

何というか、爆発音に身体を揺らされて、うめき声を上げる倒れた衛兵がリアルだし。

あ、また爆発した。

 

「ってやべえよ!?」

 

見れば、一階の角にある扉の向こうから気配が。こちらに向けて、多数接近中。

 

………あの位置的に、研究棟の奥に続く扉か。どうにもまずいな、これ。隠れるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっ」

 

何なんだこの女は!!?

 

「ファイアボール!」

 

渾身のマナを込めた一撃。不意をついたそれは、女の横っ面に吸い込まれていく。だが、直前でガードされた。マナの魔法障壁(マジックガード)で大半が中和されていく。それでもちょっとは通っているはずだ。全部をガードされていることもない! 

 

(なのに――――いや、問題はそこじゃない!)

 

「出ろ」

                     ・・・・

声と同時に、まだ出やがった。さっきと同じ、火の巨人が女の背後に現れて。直後に、超高密度の業火が襲いかかってきた。

 

「ぐっ!?」

 

マナの精霊術用防壁、“マジックガード”で正面からそれを受け止める、だけど威力が強すぎた。中和できない分が、アタシの身体を焼いた。

 

「………クソッ!」

 

火の精霊術で、真正面から撃ち負ける。こんなこと、あっていいはずがない! それに、この女、気に食わない。容姿。瞳。髪の毛。全てが整っていて。

 

そして何より―――――その胸はなんだ。何なんだその胸は! っつーか何でムカツイてるアタシは!

 

(くそ馬鹿ジュードが!!)

 

馬鹿な男の顔がよぎっちまう。くそ、もう忘れたいってのに何で思い出させる!アタシは陛下のために、って今は目の前に集中するべきだろ!

 

「ああ、もう!!」

 

毒づき落ち着こうとする、だが無理だった。この女、服装もふざけてやがる。なんて軽装だ。いや、そのマナの量を見れば納得できるかもしれない。

 

だけど――――気に食わない。

 

「気に食わないんだよッ!」

 

ムカつく、だから潰す!

 

「その胸――――ぐちゃぐちゃにしてやる!!」

 

そして渾身の、全力での一撃を喰らわせてやろうとしたが―――

 

「――――それは困るな」

 

対する女も、こちらのマナを感知したのか、今までにない真剣な表情で巨人を呼んだ。

 

「レイジングサン!」

 

「イフリート!」

 

タイミングは、全く同時。だけどアタシが気を失う間際に見たのは、自分が繰り出した極大の炎と。巨人が放った密度の高い炎が正面から衝突し、四方八方に爆裂した光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一時的に避難と、2階に上がって入った乱闘が行われていない方の部屋。そこには誰もいないようだった。いや、あっちの部屋には絶賛死闘中のだれかが居るのだろうけど。

 

(うわ、なんか、これ、すげーマナが膨れ上がってますよ?)

 

衛兵など比べものにならない、苛烈かつ膨大なマナの動きに若干だが恐怖を覚える。こんな相手と戦うのであれば、誰かを守りながらというハンデ付きは無理だ。ハウス教授を助けるまで出会いたくはない相手である。

 

だから反対の、2階の上がって右側の部屋に行こうと決めた。ドアの前に立ち、入れるか確認しようとして――――

 

「な、侵入者!?」

 

踏み出す直前、ドアが開いた。部屋の中と至近距離でまみえる。ああ、変な服を着ているが衛兵の類か。その衛兵は驚きながらバックステップで一歩下がり、腰にある何かを手に取って、構えようとした、が。

 

「掌底破!」

 

遅すぎだ。兵士が後ろに退くよりも早く、懐に踏み込みすかさず右の掌打を衛兵の胸へと叩きこんだ。十分な手応えが、掌の先から伝わる。衝撃が通った証拠で、まもなく衛兵が部屋の奥へと吹っ飛んでいった。そのまま転がり続けた後、壁らしきものにぶつかってようやくその動きを止めた。

 

――――らしきものとは、部屋の中は暗く奥まで見渡せないからだ。灯りが消されているのだろうか。でも、真っ暗というわけでもない。

 

なんせ、部屋の横には、淡い光を放つ円筒形の物体が―――――

 

「え?」

 

物体が、あって。その中には、ヒトが入っていた。

 

「………な、んだよ。なんだよ、これは」

 

壁沿いに並ぶ、ガラスのようなものでできた大きな筒の中。その中に液体が詰められていた。一緒に、人間も詰められている。中の人に外傷は見られない。

 

だけど、どうしてか手足をぐったりさせて浮かんでいる。身体にも何にも、生きているなら自然とあるのは必然で、だけど全然力もなにもこもっていなくて。

         

呼吸の気配も感じない。何より、マナを感じない。恐らく、ではなくて。間違いなく――――死んでいるだろう。一瞬でそれを理解する。だけど、その直後。それよりも遥かに、理解したくないものを目にした。

 

「………ぐ……マ…………ア…………ア…………だ………し…………な」

 

苦悶の声が聞こえる。見知った声が聞こえる。顔も知っていた――――白衣に、見慣れた顔の造形。探し人である、ハウス教授だ。意味を理解すると同時、すぐに駆け寄った。

 

「教授、ハウス教授!!」

 

教授が閉じ込められている。一瞬混乱するが、すべき事を見極める。教授の声は、液体の中に居るせいだろうか、この筒のせいだろうか、声も通らない。口から水泡を吹き出し、今にも死にそうな形相を浮かべている。そして、身体からは多くのマナが溢れ出している。

 

搾り取られていると言った方が正しい表現か。教授の身体から抜き出されたマナは、発生すると同時に何かに吸い取られ、そのまま跡形もなく消え去っている。

 

(な、んだこの装置は!? いや、考えるのは助けてからだ!)

 

死なせない。思いと共に、拳に力を入れた。

 

「このままじゃ………下がって、教授!」

 

マナの枯渇は死を意味する。こんなところでこの人を死なせるわけにはいかない。僕は迷わず、拳を振りあげて一息ついた。

 

「ハアアアアッ!!」

 

打つべきはガラスの円筒。気合を吐く呼吸と、それを声にして叫ぶと同時に十分と思われる一撃をそれに叩き込んだ。しかし、拳の先から返ってきたのは、予想外の"硬い"手応え。その手応えが告げる予感は嫌なもので。予感に違わず、円筒は割れてくれなかった。

 

(これ、見かけ通りの材質じゃない!?)

 

ガラスとは全然違う。一体何で、できているのか。見たことがない、変な物質だ。だけど考えず、まずは割る方を優先すべきだろうと思考を切り替えた。バックステップで下がり、助走の距離を取って、拳の先にマナを集める。割るべきは眼前の檻。ガラスの数十倍の強度があるだろう、未知の物質。

 

(だけど、渾身の一撃ならば!)

 

一歩踏み出して。限界まで高めたマナと、気合の声の終わるが共に

 

「ハ、アアアァァ――――ッ!」

 

渾身の一撃が、その檻をぶち破った・亀裂が入り、筒が割れる。流れ出る水と共に、教授の身体がこちらに倒れこんでくる。それを腕で受け止めると、必死に叫んだ。

 

「教授、大丈夫ですか! しっかりして下さい!」

 

必死に呼びかける。なぜって、マナが――――マナが、ほとんど残って無いんだ。

 

「まずい、このままじゃ………!」

 

マナ補充用のオレンジグミは持ってきていない。それ以外の方法も皆無で、だけど。

 

「教授! 教授!」

 

叫ぶ。呼びかけることしかできなかった。そうして教授は、ようやく反応してくれた。

 

「あ………ジュー、ド、君?」

 

「はいジュードです! 教授、今すぐ治療を………っ!」

 

「む、だだ。も、う、どうにも、ならんよ」

 

「教授、何を!?」

 

何を言うんです、とだけども。確かにと、認める冷静な部分があった。どうあってもマナは、枯渇しているのだ。勉強で身につけた知識は、絶え間なく考え続けた思考はこういう時でも惑わず、結果を導く動作を止めないでいる。

 

(っ、人に流れるマナは、あるいは血に等しいもの………!)

 

そして、マナ無くして生きていられる生物など、いない。魔物はもちろん、人間も同じだ。そして、それがこの場でどういったことを意味するのか。希望的観測などすぐさま消える、結果というものを理解する。嫌でも分かってしまうのだ。

 

――――目の前の光景と意味と、訪れる結末を理解している。

 

「す………まん。だま…………ヘイベル、スイセ………す、まん、ジュー………だま………して」

 

娘の名前。奥さんの名前。そして、僕の名前。

 

「すまない…………」

 

掠れる声の、謝罪の言葉。それだけを遺して、ハウス教授は空気のように消え去った。

 

 

「…………あ?」

 

 

推測が結論、そして現実となった瞬間、頭の中にある何かが膨張していくのを感じる。

 

無くなった。

 

亡くなった。

 

失くなった。

 

「あ、ああ…………」

 

肉体さえも消えた。この液体のように、溶けてしまった。それは、生が終わったということで。死んでしまったということで。二度と、この世界には戻ってこないということで。

(え? どうして? なんで? こんなところで?)

 

ここはイル・ファン。首都で王都。平和な、はず。少なくとも教授にとってはそうだったはずだ。ああ、そうだ。一時間前までは、幸せな状態があったんだ。偉大な賞を受けて、それを祝おうと。告げて、喜んで。教授も報われて、僕もこれから報われるはずで。

 

でも、たった今、全て消えた。

 

(どうしてなんでこんなありえない今までの努力はなんのためにベルお嬢にはなんとスイセさんにはなんてなんでしんだしんだなくなったいなくなったなんでこんなことに逝ってしまった僕を、娘さんを遺して!?)

 

止まらない。山のような言葉が胸の中を暴れる。身体の中のマナも。亀裂の入る音がする。度を過ぎた肉体強化に、筋肉が軋む。だけど痛みを感じない。その余裕さえ、無い。痛いのは理解しているが、それよりも優先すべきことがあると身体が麻痺しているのだ。

 

言い表せない感情が決して広くはない心の内を駆け巡り、その度になにかが削れていく。

「なん、で――――――っ!?」

 

言葉が、痛覚と音に消された。鋭い痛み。何か、小さい石のようなものが米神を打ったらしい。

 

「侵入者が――――これで!」

 

見れば、衛兵だ。さっき殴り飛ばした衛兵が、こちらに向けて細長い円筒状の何かを構えている。そこから何かが飛び出て、僕の米神を打ったのだろう。だけど、致命傷には程遠い。全然、足りない。足りない。足りない。

 

「ああ…………」

 

三半規管を揺らされたのか、視界が歪む。平衡感覚が掴めない。だけど、そんなものに関係があるのか。 

 

否と答えよう。そうして、任せて身を投げた。

 

 

――――この、抑えがたい、黒く視界を染め上げる感情の濁流に。

 

 

 

 

 

 

 

 

「な………!」

 

まともな人間なら死に至るはずの一撃が、まともあたったのだ。だけど少年は、侵入者は、転がるだけですぐに立ち上がった。

 

そして、その眼がこちらを向いた。

 

「ひっ………!?」

 

いや、見ていない。見てはいない。ただこちらの方に顔を向けているだけで、見てはいない!そうして、踏み込みは閃光のようだった。だけど、とっさに反応できた。構え、引き金を引く。直後に、構えた武器の中から高速の鉄の弾が打ち出される。まずは避けられるはずのない一撃。だけど、少年はそれをただの拳だけで払いのけた。

        

ガキンと音がなって、殴り飛ばされた弾が壁面にめり込む。

 

「は、ひ――――っ!?」

 

有り得ない光景。驚く前に、視界がふっと黒くなっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

得体のしれない武器。だけどそれがどうした、関係などない。ましてや退くことなどあり得ない。一度受ければ、形状を見れば、その性能を看破するなど容易い。ならば何事も同じものだ、恐れるに足りない愚劣な障害として。

 

拳で当てて粉砕する事と同じ、横に“どかす”のも、同じぐらいに簡単なことだった。打ち出されたものを弾き、そのまま直後に間合いを詰めきる。そして、"それ"を手で払って横に逸らしながら、その手首をつかみとる。

 

――――意識は怒りに凍てついている。まともな思考など夢のまた夢。だけど、身体は技を覚えている。

 

本能と身体に行動を任せる。両者が叫ぶのは、目の前の敵の撃滅。下手人らしき人間、教授を殺した人間の――――

 

(取った)

 

呼吸と同じように手馴れた様子で身体が動く。握った手首を捻りながら足を払い、すれ違いざまに突き上げの肘を上げて、"打ち上げる"。

 

『巻空旋・改―――』

 

本来ならば風の精霊術を応用し、敵を投げ飛ばす術。だかこれは違う。風が使えない僕なりの工夫をこらした新しい技だ。打撃と関節技を混合させた投げ技。

 

そうして、相手の腕が折れた感触が肘に走り、みぞおちに打った一撃の感触で消えた衛兵の意識を悟る。だけど、この技にはまだ続きがある。投げ技の本質は、相手を崩すことだ。崩した相手に追い打ちをかけるのは戦闘における基本。当然の如く、投げの後には追い打ちに繋がる技があるのだ。

 

(終わりだ、追牙―――)

 

見れば、目前には落ちてきた首筋。衛兵の、敵の無謀な延髄が目の前に見える。これを回し蹴りで蹴り飛ばせば、人ならばひとたまりもないだろう。まずもって生きてはいられない。胸を走る黒い衝動に駆られ、一歩、踏み出す。

 

(…………っ!?)

 

――――だけど踏み出したと同時に、師匠の声が頭に響いた。それは、師事する前の決まりごと。約束。そして、僕にとっては絶対に遵守すべき教え。人を殺せる技。それを学ぶ上で、師匠は言った。

 

『………決して、憎しみのままに。そして絶対に、自分の八つ当たりなんかで人を害するんじゃないよ。ましてや殺すことなんて』

 

懇願するかのような声だった。それを思い出し、同時に身を支配していた殺意がはじけ飛ぶ。追撃を受けなかった衛兵が、地面に落ちて倒れ伏した。

 

「は…………はは」

 

僕も地面に座り込んだ。とたん、全身が汗を覆う。身の底すらも冷やすかのような、冷たい汗。今、自分が何をしようとしていたのかを思い出し、身体が震えた。だけど、混乱が収まるわけもない。一体、この短時間で何があったのか。起きてしまったのだろうか。

 

思い返すも、わからない。ただ理解できるのは、まだこの胸の内に残るどす黒い欲情。

フラッシュバックする。閃光のように浮かんでは消える光景。

 

――――故郷の風景。

 

―――子供。

 

――猿のように偉ぶるやつ。

 

父さん。

 

母さん。

 

レイア。

 

そして、ソニア師匠。

 

思い出したが故に、最悪な気持ちに陥る。湿地で転び、泥の水を飲んでしまった時よりもひどい。気持ち悪さが全身を犯している。それと同じくして、やり場のない怒りと、失った夢への絶望が胸を締め付けている。何かに当たりたい気持ちが、思考を独占する。

 

――――直後に、自動で閉まっていた入り口のドアが開かれる。

 

(………ああ、また。またちょうど、良いところに)

 

姿を確認する前に駆けた。自分が八つ当たりしたいがために、敵か誰かも分からない内に戦闘の意志を固める。殺しはしない。だけど、この身は今は収まってはくれない。

 

「なっ!?」

 

驚いた誰かが、こちらに向かって腕をかざしてくる。迎撃の術を放つのか。それを見ながら。襲撃者たる僕だけど、素直に思えた。

 

 

(………綺麗だな)

 

 

逆行で顔は見えない。でも先に伸びる指は、まるで白魚のように美しいものだったと、それだけが思考の端に生まれていた。

 

 

 

 



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5話 : 未来発心

 

思考が加速する。相手を認識するより前に倒せと、本能が叫ぶ。止まることなんて考えない、抗わずに全身を駆動させた。

 

ただ、一歩でも前へ。二歩、先手を取れる状態でできるだけ距離を詰められるように。相手が精霊術を使おうとしているが、そんなものは関係ない。彼我との距離はそう遠くなく、このまま走れば詠唱完了までには一撃を与えることができる。

 

そう思っていたが、突如悪寒が背中を走る。

 

(詠唱を、して、いない?)

 

霊力野にマナが奔っているのが分かる。だけど、霊力野を通じて精霊に語りかける詠唱の声が聞こえない。それは一体、何故なのか。

 

「――――っ!」

 

考える前に選択を。走る勢いそのままに斜め前へと高く跳躍し、それは結果的に正しかった事を知った。

 

「ウインドカッター!」

 

翻った腕と同時に、風の刃が先ほどまで居た場所を薙いだ。切れ味は鋭く、そのマナの量は見たことがないほどに膨大だ。詠唱を必要としない術だというのに。

 

ナディアでさえあの規模の精霊術を使う時には、多少の詠唱を必要とするというのに。あいつの剣技―――フレイムドリルといった類の、小規模精霊術を併用して行う戦技とも違う、正真正銘の無詠唱精霊術。

 

(厄介過ぎる。短期決戦、一気に決めるべきか)

 

無詠唱で何が出てくるか分からないのなら多くは避けられまい。だから、その前に倒す

整理は一瞬で、僕は跳躍する勢いのまま、敵の頭上にある入り口の上にある壁を蹴った。

そのまま、地面に向けて加速する。

 

(――――飛天翔駆)

 

ソニア師匠曰く“ロランド流護身術”が戦技。本来ならば、飛び上がり、突っ込んだ上で相手を蹴り飛ばす技だ。それを落下の勢いのまま、こちらを見上げている敵の肩口めがけで放つ、が――――

 

「チィッ!」

 

前転で回避された。その時の反応と動きもかなり鋭い。ただの術師タイプということでもなさそうだ。空振った足で着地し、即座に体勢を立て直す。衝撃が走るがマナで強化しているのでどうということもない。

 

踏み出し、一歩前に。前転で逃れた相手に追い討ちを仕掛けた。相手の意図も同じようで、こちらの着地の隙を突こうとしたのだろう、剣を振り上げこちらに踏み込んでくる。

 

「はっ!」

 

振られた剣は速かった。単純な剣速でいえば、ナディアをも上回っている。だけど、ただ速いだけ。剣の重心も何もなく、ただ筋力のままに振り下ろした技術の無い一撃ならば対応は可能すぎる。前の足に体重をかけ、踏み出し一歩下がって避ける。追撃の一撃が、こちらの胴を薙ぎにくるが――――

 

(これなら、取れる)

 

こちらの拳は届かない間合いだが、それでもできる事がある。ただ守るだけの防御ではない、攻める切っ掛けを生み出す迎撃の技。

 

重心を前に、マナをこめた右の拳を振りかぶって、

 

「ここだ!」

 

軌跡を見切り、拳を振る。タイミングも位置も寸分の狂いなく、僕の拳と相手の剣が激突した。だが、威力はほぼ同等だったらしい。共に弾かれて一歩後退する、だけど、それでは終わらない。

 

身体のバランス、そして速度に関しては、誰にも負けるつもりはない。比べて、相手は馬力だけでその技術はお粗末なもの。体勢を整えるのはこちらの方が圧倒的に速かった。まずは牽制の一撃、腕に防がれるが、本命ではない。

 

踏み込んで、更に――――そこで、若干の違和感を覚えた。

 

(―――反射神経すごい、でもなんで?)

 

戦い慣れている、といった印象。ならばもっと、剣技や体捌きのスキルは上のはずだ。なのに――

 

(あとで考えるか)

 

余計な思考を切って捨てた。今は何しろ殴りたい。このやりどころのない怒りを、ぶちまけたい。だから一歩前へステップで踏み込むと同時に、渾身のマナをこめて掌打を繰り出す。相手も迎撃に、と剣を振り下ろしてくるが――――

 

「くっ!?」

 

驚く声が聞こえた、それもそうだろう。なにせ、剣が衝突したと思った瞬間、横に滑らされたのだから。やったことは簡単だ。マナで固めた掌で受け止め、そのベクトルを横に向けた。そのまま剣を流され、相手はバランスを崩す。空振りに等しい勢いで、相手の重心が崩れた。

 

同時に、一歩前に出て掌底の一撃を胸元に突き出す。

 

――――だけど、そこに敵の姿は無かった。

 

「ハッ!」

 

右側面から、声。混乱する思考を抑えつけ、声のした方向へと腕を突き出す。同時に、交差した防御の腕に衝撃が走るのを感じた。痛みを感じながらも、何が起きたか分析する。逸らしたまではいい、しかしその後に相手は――――

 

(反射的に、横に飛んでいた………化物みたいな反応速度だな)

 

技術は熟達していなくても、身体能力も反射神経も化物クラスだ。常軌を逸していると言ってもいいレベル。勘もいい。まるで大気をそのまま感じ取っているかのように、こちらの攻撃に反応してくる。だけど、速いだけの一撃に当たってやる謂れはない。踏み込んできた相手の追撃に、僕は退かずに前に出て、マナで固めた両腕を交差して正面から受け止めた。

 

そのまま、距離は間近。この暗さでも分かる距離で、相手の正体を確認して――――

 

「―――女!?」

 

言いながら、気づく。戦闘に思考を割かれていたが、確かに気合の声も驚く声も女性のそれだった。そして、目の前に見える体躯。

 

(つーか胸でけー)

 

それに、さきほどの指もそうだ。白い、汚れのない手。

 

―――しかし、なんだ。女だからってあり得ないだろう、この馬鹿力は。

 

(このままじゃ押し切られる)

 

それを待つほど僕も馬鹿じゃない。考えるのと行動は同じ。まずは、押されるままに、下へとしゃがみこむ。

 

「なっ!?」

 

押していたところを引かれた相手の、バランスが崩れたのを確認。自分の重心位置と同じ高さならともかく、下に剣を引っ張られればその分バランスは崩れるのは必然だ。

 

その隙をついて、足払いを一撃。

 

―――劣化・転泡。

 

本来ならば、水の精霊術を応用した一撃。だけど無い今は、ただの足払いにすぎない。だけど崩した上での一撃ならば十分にすぎる。しかし、手応えは返ってこず。相手がいないのだから仕方がない。また尋常ならざる反射神経でバックステップ、こちらの足払いを回避したのだ。

 

(やっぱり勘もいい、な!)

 

不意をついているはずだけど、その尽くが外れる。本当になんだこの相手は。考えているところに手が突き出された。降参か、とも思ったが違う。

 

手の先に赤い炎が浮かび、それがみるみる内に密度を上げていった。

 

「フレアボム!」

 

そして、紅蓮が集うと同時に大気もろとも爆裂した。

 

(あっ、つ―――いなチクショウが!)

 

ガードが間に合わなかったせいか、ダメージが大きい。そして余波も大きく、僕はそのまま後ろへと吹き飛ばされた。

 

(――――来る!?)

 

その途中で、相手のマナの増幅を確認。

 

「穿て、旋風―――」

 

詠唱する声も聞こえる。開いた距離と、こっちの足払いによる硬直時間。体勢の立て直しの時間差を利用して"決め"の詠唱術を叩きこむつもりだろう。そのマナの量は凄まじく、まともに受ければひとたまりもない。

 

(――――だけど、それは悪手だ!)

 

距離は離れている―――――だが、それがどうした。気付かれないように内心でほくそ笑む。指摘してやる義理もない。ただ一歩踏み込み、拳に渾身のマナを貯めこんで―――

 

「魔神拳!」

 

「なっ?!」

 

拳の先から射出されたマナの塊が直撃した。拳術においては基本も基本といえる遠距離技、“魔神拳”。拳に溜めたマナを前方に放つだけ、というものだが有用な技である。いつだって遠距離攻撃は重要だ。今回のように、知らない相手にとっては想定外の、こちらとしては隙を生み出させる技となる。無防備な所に予想外の一撃を受ければ、誰だって硬直する。そしてそれはこの敵にも同じだったようだ。

 

霊力野(ゲート)にマナを割いていたのか、防護のマナが薄い。威力に押され、相手が仰け反ったのを確認して、

 

(―――チャンス!)

 

この隙を逃す手などない。後ろ足を渾身に踏み出した。超低空での前方への跳躍。そのまま着地すると同時に踏ん張った。足元にある液体が滑る。そのまま床と足の底の摩擦係数はほぼゼロとなった。

 

前へ踏み出したベクトルは消えず、僕は"踏ん張ったまま前へと進む"という奇妙な体勢になる。だけど、これがいい。

 

(これなら距離を詰めたまま、マナの防御《マジックガード》を発動できる)

 

例えさきほどのような、無詠唱の精霊術――――魔技と呼ぼうか。それを撃たれても、ガードで防げる。そうして、距離を詰めた後に一気に決める。だからここで、例えどんな攻撃が来ようとも防いだ上で反撃を決めてくれる。

 

だけど、その考えは甘かった。

 

 

「出て来い――――」

 

 

突如、虚空に馬鹿げた量の熱量が生まれ出て――――

 

 

「イフリートォッ!」

 

 

炎の巨人が出てきて。ガードなど関係ないとばかりに放たれた暴虐の炎熱波が、目の前を覆いつくしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日で3度目の、イフリートを直接使役しての一撃だ。燃え盛る火炎が、衛兵だろう相手の身体を包んでいく。

 

(………手強かった、な)

 

剣を下ろし、ひとりごちる。ここは何というところ魔境か。まず、一人目。隣の部屋に居た女も強かった。かなりのマナを使わされ、最後の一撃には手傷を負わされた目の前にいる二人目は、それすらも上回っていたが。

 

このような強者を二人も警備に回しているとは。ここは、それほどに重要なものを隠しているのだろう。実際に―――国の研究所で、というのは初めてだ。黒匣(ジン)がこんなところで開発されているというのは、今までになかったこと。

 

ウンディーネの助言に従い、万が一を考えて裏から潜入を行ったのは正しかったということか。いつものように正面突破をしていれば、無駄にマナを消費する戦闘を続けた後ならば、もしかすればマナが尽きて四大を使役することが出来ずにやられていたかもしれない。特に目の前の少年は異様にすぎる。敵意なき戦意と言えばいいのだろうか。だけど純粋な戦闘能力で言えば今までに戦った誰よりも上だ。殺気は無かったが、見せつけられたマナの黒さは、人にあっては珍しい程に深かった。

 

体術も十二分に練られていた。身体能力強化はあるが、それに頼りきらない技術。剣技ではない、道具も使わない相手がこれ程に厄介だったとは。

 

全身を駆使して打倒すべく襲い来る者。道具で補う"あの組織"とは全く違う方向性だ。いや、人間とは面白いものだとつくづくに思わされる。

 

(しかし、危なかったな)

 

奇襲からの一連の動きは今までに見たことがない程に鋭かった。随所で見せつけられた技術は、心底肝を冷やさせられたものだ。

 

(だけど、これで…………!?)

 

終わった、と。あの一撃を受けて、耐え切った者などいないがゆえに。思い込んだ心を、修正するしかない事態を目の当たりにした。剣を握り直し、勝ったつもりになっていた心を叩く。そして再び気持ちを引き締め直した。

 

――――――何故ならば。

 

「い、ふりーと? え、なに、四大精霊がなん…………え、偽物? でもこの威力は………って熱ぃってクソ!!!」

 

少年は、口に巻かれていたハンカチが燃えただけ。大きなダメージもなく、依然にかわりなくそこに立っているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――急激に頭が冷えた。イフリート。炎を司る大精霊。20年前にいなくなったとされる、四大精霊が一つ。

 

(おーけー、まずは落ち着こう)

 

下に投げたハンカチ、燃えている部分を踏みつけて消す。そして、目の前の人物を改めて見る。

 

(――――違うな)

 

衛兵の類じゃない。目の前の女の瞳は、僕にも分かるぐらいに――――澄み切っている。間違えても、こんな研究に協力するような人物じゃあない。と、そこで思いついたままに質問する。

 

「アンタも、侵入者か?」

 

「………も? どういうことだ、お前はここを守る兵士ではないのか」

 

「違う」

 

とは言っても、一概には信じられないのだろう。油断せず、剣を構えなおした。

 

「どう説明したらいいのか………」

 

取り敢えず両手を上げて降参の意志を示す。

 

―――頭が冷えた。否、急速冷凍された今は、無闇矢鱈に拳を振るいたくはない。敵でない女性を殴るのは、趣味じゃないからだ。でも、相手はやる気満々だ。それもそうだろう。いきなり殴りかかられたのだから。途中にいきなり"違う"と言われても、納得はできない。

 

「一応聞いておく。お前は侵入者じゃないのか? ならば、何故こんなところに居る」

 

「教授を助けに。でも――――」

 

と、割れたガラスケースのようなものを見ながら、言う。

 

「来るのが遅かった。溶けちまったよ、全部。身体ごと持っていかれちまった」

 

思い返す度に、得体のしれない感情が沸き上がってくる。悲しみか、あるいはもっと別のものか。そうしていると、女性は剣を下ろした。

 

(―――え、もう?)

 

まさか、今だけのやり取りで信じてくれるとは。と、その時の僕は間抜けな顔をしていたのだろう。女性はため息をつきながら言う。

 

「………嘘は言っていないと判断した。その教授とやらも、気の毒だったな」

 

何というか、凛とした声だ。過ぎる程に。

同情ではないことだけには感謝できたけど。

 

「それで、これからどうする? もう目的は果たせないだろう。出口ならば、この先に良い抜け穴があるが」

 

「僕もそこから来た。というか、街灯樹消したり、水の上に足場を作ってたのはアンタだよな?」

 

僕の問いに、女性は頷で返した。

 

「そうか………なら一緒に行かないか」

 

「一緒に、だと?」

 

「ああ。教授をこんなにした、この研究の目的を知りたい」

 

思い出しただけで頭が痛くなる。それに、奥さんと娘さんに一体何と言えばいいのか。少なからず面識のある女性だ。悲しみに歪むであろう顔を幻視すると気が滅入る。だから、せめて詳細を。話せない内容かもしれないが、このまま逃げることはできない。また別の意図があることも確かだけど。

 

「それで、知った上でどうする? 有用ならば利用するのか」

 

「いや、ぶっ壊す」

 

即座に答える。すると何故か、女性は目をきょとんとさせた。

 

(つーか美人すぎるだろ、おい)

 

落ち着いて見てみる。で、結論。

 

(何この人パネェ)

 

教授が死んですぐの今、こう感じるのはちょっと不謹慎かもしれないが、それを突き破るほどの圧倒的美人だった。アグレッシブな髪型をしているけど、それは彼女の魅力を損ねるものではない。むしろ何か似合ってる。神々しいとさえ思える

 

(っつーかスタイルがパネェっす。レイアやナディアとは明らかに違いすぎる。実に豊かな山麓をお持ちで)

 

スタイルが良いってレベルじゃない。お目にかかった事が無いほどの美女だ。

 

「ぶしつけな視線を感じるが………今は置いておこう。それより、お前は何故その研究成果とやらを壊すことを選ぶ?」

 

「趣味じゃねーから。あと、これでも医者の端くれなんで」

 

人を傷つける研究なら、それを無くすのが医師たる者の役割。特別今更、正義感を振りかざす気はない。だけど、それでも人体実験で無差別に殺すという行為は認められない。

 

「趣味じゃない、か」

 

「嘘じゃないよ? だからぶっ壊す。踏んづけて踏みにじって、開発者の横っ面を張り飛ばす」

 

何より、ハウス教授を殺したのだ。

 

「骨的な意味で、両手両足は諦めてもらう。具体的には4本全てポッキリします」

 

「殺しは、しないのか?」

 

「……殺すのは、ちょっと。医者志望の学生だし。まあ医者だからできる事もあるし………死ぬより辛い目にあわせることもできる」

 

手加減などしない。ぬひひと笑いつつ、暗い所を抑えようと努力する。間違えて殺してしまわないように――――だって俺は、医者を目指しているのだから。

 

「君は………面白いというか、変な奴だな」

 

「アンタみたいな人に言われるとはね」

 

四大を使役するこんなけったいな美人に、苦笑まじりで変な人呼ばわりされるってどーよ。しかも真正面からきっぱりと。

 

(まあ、全てが"本音"ってことでもないけど)

 

意図はある。仇をうつこと。そして、僕の夢を―――ぶっ潰してくれたこと。殺しても飽きたらない。でも、他に道が見えたのでその憎悪は保留する。でも、まあ、この場においては。まずは証拠を示せと言われる前に、示してみるのが最善。

 

(都合よく、衛兵さんもやってきたことだし)

 

足音が部屋の中に来る前に、左手で顔を隠す。片手が不自由になるが、この程度のレベルならばそれすらハンデにならん。

 

「いっちょ強行突破と行きますかね」

 

「そうすることにしよう。それで、君の名前は? ――――私は、ミラ・マクスウェル

 

剣を入り口の方に構えた女性。ミラが、横目で名前を聞いてくる。同じく、こっちも構えながら横目で視線を受け止め、答える。

 

「ジュード・マティス。でも、ここ脱出するまでは呼ばないで――――」

 

そこで思考が止まった。

 

え、なに。ミラって良い名前ですね、って違う!!

 

 

「マクスウェル!?」

 

 

「声が大きい! 前を向け、来るぞ少年!」

 

 

見れば、衛兵の団体さんが部屋の中へと押しかけてくる。対する僕達は、一歩前に出て応戦を始めた。

 

思えば、この時は露程にも予想していなかった。

 

 

この奇妙なお姫様と、ずっと先まで長きに渡って共闘するような間柄になろうとは。

 

 

 

 



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6話 : 賢者の槍

 

爆弾発言より復帰した直後。僕は取り敢えず狭い部屋を強引に脱出することに決めた。まずは寝転んでいる警備兵の仮面をはぎ取り、装着。これで正体不明のアンノウン誕生だ。我が名は不審者Aなり。

 

そのまま1階へと降りたら、増援とかち合った。数は30程度。迂回した衛兵が後ろから来たせいで、挟撃される形になった。それほど広くない通路で囲まれた、お世辞にも窮地と言える状況で――――けど、そんなの関係ねえとマナを練る。

 

質で足りないから量で潰すって魂胆らしいが、ゼロに何をかけてもゼロなのである。だけど、後ろから小突かれるのは鬱陶しい。なので後ろを向きながら、提案することにする。僕は後ろの方を、と。

 

「ならば………ふむ、私は前ということだな。ああ、後ろから襲ってはくれるなよ?」

 

「そっちこそ。ひとりじゃ無理なんて言わないよな?」

 

「問題ない。君の方こそ、ひとりで大丈夫なのか?」

 

「こんなの、物の数じゃないって」

 

アナタ程の手練ならまだしも、この程度の“的”など脅威にすらならないです。敵ではない、正しく(まと)である相手に倒されるような理屈などない。

 

「貴様らぁ!」

 

「侵入者風情が侮ってくれたな!」

 

「ワン!」

 

一般衛兵プラス雑魚の犬型魔獣さんが怒ってる。けど、何でだろう。

 

(本当のことを言われて怒るとは人間がなっとらんですよ。犬は仕方がないとして)

 

この犬も犬で、それなりの速度持ってんだから機先を制するべきだろうに。彼我の力量差を全く把握できていないのか、まったく。そんなことを言っているから―――こうなる。

「な!?」

 

前へ、ステップ2つで一気に間合いへと踏み込む。予想外の速さだったのか、馬鹿の動きが完全に止まった。その隙、頂きである。

 

「獅子戦吼!」

 

掌から飛んだ獅子。それに吹き飛ばされた前衛の衛士が、後方の衛士を巻き込んで吹き飛んでいった。

 

「ウンディーネ!」

 

後方で、激流が飛んだ。後ろも同様の惨状が広がっている。

 

(ってこのマクスウェル子さん、本気過ぎる。遠慮が無いっす)

 

これぐらいの相手に四大とか、勿体無いってレベルじゃない。ていうか互いの持ち技を確認しあう暇がなかったから、何使えるか今も分かっていないけど、この人マジで四大を操れんのな。さすがはマクスウェルって事なのか。考えながらも取り敢えずは目の前の雑魚を殴って蹴って投げる。

 

「グボォゥア!?」

 

「一撃!?」

 

「ちょ、はや」

 

「どうしろってんだ―――?!」

 

「ウボァ!」

 

「応援を、応援を――――!」

 

「やめて―――!」

 

「キャイン!」

 

軟弱な衛兵と魔獣が仲良く悲鳴を上げて気絶していく。殺しはしない。でも、手加減なんかしない。まとめて地面を舐めてもらう。

 

ここでどのような研究が行われてて、自分たちが何を守っていたのか。知らないとか言われても、納得できるはずもない。さっき発散できずに溜まった憎悪。あんたらで、晴らさせてもらう。

 

「っ、遠くからの精霊術なら――――「魔神拳!」っ、いやぁ!?」

 

拳から発したマナの塊で、前衛もろとも術師を吹き飛ばす。その程度の精霊術なら当たってもそれほど痛くないし、意味はないんだけど――――ムカつくから優先して叩く。と、背後にまた強大なマナを感知。

 

「シルフ!」

 

風の塊が"障害物"をなぎ倒していく。というか、マナが大きすぎるから、そっちの方に驚いてしまう。

 

(四大を統括する精霊。偉大なるリーゼ・マクシアの守役、大精霊マクスウェル様か)

 

実際に眼で見る前なら、一笑に付していただろう。でも、あのマナと四大を使役する姿を見せられたら、納得せざるをえない。

 

(それにあの傍若無人っぷりも。あんなに容赦なく人を薙ぎ倒せるような女性なんて、他に知らな………いことはないな。ていうか、結構身近に居なくね?)

 

取り合えず3人の顔が浮かび上がった。それが誰かは、あえて言うまい。

 

(って、なんだ。女性ってそういうものだよねー)

 

別のベクトルだけど、理不尽の塊だよね。女性(笑)ってつきそうだよね。師匠以外は。

「………いま、なにか不愉快なものを感じたのだが?」

 

前方の的を全て倒したのだろう。振り返って、そんなこと言ってくるミラ女史様。そういう妙な所で勘に鋭いのもマクスウェル様の特権か………いや、師匠もレイアもそうだったな。ナディアも。

 

「つまりは普通の女性――――っと、これでラスト!」

 

お茶を濁すような返事をしながら、最後の的を殴り倒す。腹を打たれた最後の衛兵は、打たれた箇所を抑えながら地面へと倒れこんだ。うし、これで取り敢えずは状況クリアだ。

「あとは研究所の奥まで前進あるのみだね?」

 

「………そうだな。いや、戦闘せずに済んで良かったよ」

 

お互いにね。力量差はほとんどないから、どう考えても手加減抜きの殺し合いになってたし。

 

 

「取り敢えずは増援が来た方に進みますか」

 

 

 

 

 

 

増援倒した奥のドア。開くと、またおかわりの増援の一団が襲ってきた。でも特別強い個体がいるわけでもなし、さっきと同じようにボコにして適当に片していく。

 

「はい、しゅーりょー」

 

「………分かってはいたが、君は本当に容赦ないな」

 

「ノームでまとめて遠慮無くなぎ倒すような人には言われたくない。マクスウェルさんってばほんと慈悲もないね」

 

「場合が場合だ。それに、私も固まっている団体を鋭い回し蹴りでなぎ倒す君にも言われたくはないんだが」

 

「いや、僕の方はあくまで常識的な範疇でしょ。ていうか、本当にマクスウェル? いや、さっきのアレを見せられたから納得せざるをえないんだけど」

 

「私の名前は一つ、ミラ=マクスウェルだ。それよりも、君は………」

 

言葉に詰まった。それだけで予想はできていた。

 

「君は、なぜ精霊術を使わない?」

 

「………あー、まあ」

 

やっぱ、そう来ますか。

 

「非力な人間の身でも、君は上位の部類に立つほどの腕だろう。それほどの腕を持つ人間なら、戦闘に精霊術を戦闘に盛り込んでいると思ったのだが?」

 

「………それは、まあ」

 

でも正直に、答えてもなあ。まず、信じてくれないだろう。なにせ相手は4大の上位。嘘を言っていると思われるのがオチだ。というより、初対面の相手に誰であろうが『私は精霊術を使えません』なんて言いたくない。答えたくない。

 

あの眼を相手にするのは、ちょっとした覚悟がいるのだ。それに、相手はこっちを完全に信用してない。変な事を言えば、怪しまれるかもしれない。ここでまたガチの殺し合いはごめんである。

 

(精霊術のこと、使えないこと………その原因に心当たりがないかを、大精霊に聞きたいんだけど)

 

この場でいきなり聞けるようなことでもない。さっきのやり取りと今のこの距離を見て分かるように、マクスウェル子さんはこっちをまだ疑っている。それはまあ、当たり前なんだけど。でも、だからこそこの場でうかつな事は言えない。逃げられたりしても困る。

 

これを逃せば、ひょっとすれば二度と会えないかもしれないのだから。なんせマクスウェルが人間の形を取っているなんて、はじめて聞いたし、見た。きっと普段は存在しないとか、未踏の秘境に閉じこもっているのに違いない。ここは慎重にならねば。落ち着いてからでも遅くはない。

 

もしかすれば偽物かもしれない。天才精霊術師とかで、4大をそれぞれ召喚できる人間であるかもしれないし。

 

「ふむ、どうした?」

 

だから、差し障りない範囲で言い訳をするのが吉か。

 

「精霊術は苦手なんだよ。それよりも相手を殴る方が上手だから」

 

「殴る方が、か………それはなんとなく君らしいと思わされる」

 

「ノーコメントで」

 

納得するまでが早すぎやしませんか。まあ、誤魔化せたからいいけど。

 

「それでは、医療術を使えないのも?」

 

「あー、あー、聞こえないー」

 

「ふむ、耳が悪くなったか? 人間であれば、病院に行くといい。イバルから聞いた話だが、この町の医者は腕が良いらしい。治癒術で治療してくれると聞くぞ」

 

「…………そうですねー」

 

「どうした、眉間に皺を寄せて。ひょっとして目も悪くなったか?」

 

「いやあ、あははは…………ハハハノーハノアハハハハ」

 

「ふむ、面白い笑い方をするな」

 

うふふふこの人も、悪気は無いんだ、悪気は無いんだ。詠唱のように繰り返し―――なんとか。なんとか、踏みとどまる。知らないから聞いてるだけだろうし、ああくそムカつくけど。ムカつくけど、我慢する。だってそれは当然のことなんだから。医学生でも、医の道を志すものが医療術を使える、なんて当たり前のことなんだ。

 

………いや、話題を変えよう。このまま行くとまた戦わなければならない事態になるような気がする。具体的には喧嘩を売ってしまいそう。

 

「えーっと。それよりさっきのカードキーなんだけど」

 

「使い方は分かるか?」

 

「何とか、やってみるけど………」

 

何処で手に入れたんだろう。これ、ひょっとしてマクスウェル特製の万能鍵とか。そんなのあるのかどうか分からないけど、このマクスウェル子さんなら何でもアリな気がする。それとなく聞いてみたが、マクスウェルさんは違うといった。

 

「そんなものは無い。これは、君と戦う前にやり合った手練の衛兵が持っていたものでな。戦った時に落としていったので、拝借した」

 

「へえ、手練の」

 

「卓越した火の精霊術を使う奴だった。女にしては口が悪かったのが印象的だったな」

 

「…………えっと………もしかしてそいつって、銀髪? アンド、ソバカス?」

 

「――――その通りだ。もしかして、君の知り合いなのか?」

 

仲間なのか、とは聞かれなかった。しかし、どうやら警戒するに足る反応だったようだ。若干の敵意のようなモノを抱かれているのを感じる。だから、断言した。

 

「いや、敵だ。誰よりも敵対している相手で………ひょっとして殺したとか言わないよね?」

 

「………最後には精霊術の撃ち合いになってな。あちらはイフリートを受けとめたようだが、威力は殺せなかったようだ。そのまま出口から吹っ飛んでいったよ。『ぶっ殺す、必ずだ!』とは叫んでいたから、死んではいないだろうが」

 

「あー」

 

うあ、かなり物騒だな。でもあの貧乳らしいというかなんというか。

 

(それより、やっぱりここに居やがったか)

 

きな臭い研究所。侵入しているのか、はたまたここの警備をしていたのか。どっちにしても、一体何を企んでいるのやらそんな事を考えているとマクスウェルさんが念押しに聞いてくる。

 

「本当に、友人ではないのだな?」

 

「むしろ宿敵かなあ」

 

譲るものなど一つもない、正真正銘の敵。そう説明すると、マクスウェルさんはそうかとだけ返してきた。興味ないといった感じだ。冷たいというよりは、超然とした。それでいて何処か歪なものを感じるのは、彼女が人の形をしているからか。

 

って、今は考えている場合じゃない。

 

(それより、リリアルオーブを使いこなせてないなあ)

 

見る限り、リリアルオーブの補助は満足に得られていないようだ。オーブの発光が薄いし、感じられる力も弱い。それでもこの速さってのは恐ろしいけど。でも、剣術に関しては完ぺき素人だな。剣速は速い、間合いも理解できているけど、ただそれだけ。剣筋に工夫が見られない。切り返しの時の腕と手首の使い方を見ていれば分かる。あれは腕力にものを言わせた剣そのものだ。

 

それでも生き残れたのは………圧倒的な身体能力と精霊の補助、あとは戦闘経験のおかげか。自分より圧倒的に強い相手と戦ってきたことはないと見た。それに、メインとしていたのは恐らく精霊術。あの威力を見れば、納得もできるけど。

 

「ふむ、恐らくここだな」

 

ようやく、到着らしい。何やら難しい顔で、左の通路にあるドアを睨んでいる。

 

「えっと、この先が?」

 

「目的地だ。あれの気配がする」

 

言うと、警戒も無しにマクスウェルはドアを開いた。

 

 

「………でけえ」

 

 

最初に抱いた感想はそれだった。入り口からかかる橋の先にある、広大な空間の中央に座する台座。その上にあって。その場所を支配するように、"それ"は鎮座していた。

 

「やはりか………黒匣(ジン)の兵器」

 

「ん?」

 

何事かつぶやいたようだが、聞こえなかった。だけど、その声質は分かる。この声は、敵に対する者に向けるものだ。ともあれ、調べてみるに限る。壊すのはその後だ。もしかすれば、ハウス教授が戻ってくるかもしれない。そう思ってこの大掛かりな装置らしきものを操作するパネルをいじっていると、名前が出てきた。

 

賢者(クルスニク)の槍………?」

 

クルスニク。確か、創世記の賢者の名前だったか。

 

「ってぇ!?」

 

ふと、背後に強大なマナを感じた。振り返れば、マクスウェルが精霊術を使うための方陣を組んでいる。

 

「何を!?」

 

「クルスニクを冠するとは――――これが、人の皮肉と言うものか」

 

声には怒りがこめられていた。激昂ではない。静かな憤怒が、彼女の声の底と瞳の奥で燃え盛っている。

 

「やるぞ! 人と精霊に害為すこれを、破壊する!」

 

「っ、四大を全部―――まとめて召喚するのか!?」

 

イフリート、ウンディーネ、シルフにノーム。具現化できるほどに集められた、4代の系統の長。それぞれが、命じられるままに、破壊すると宣言した槍の周囲に展開していく。

「これが、マクスウェルの………!!」

 

ここに、確信を得た。コレほどの規模、これだけのマナを制御しきるとは、ただの人間では有り得ない!

 

「はああああああっ!」

 

四方に展開した四大。それを四半点として、宙空に円の方陣が組まれる。円の中央には、わずかに紫。かつ強大な、見たことのない程のマナの塊が集中していく。

 

―――だが。

 

 

「許さない…………うっざいんだよ!」

 

 

聞き覚えのある声が、装置の所から。気づけば、僕は叫んでいた。

 

「ナディア!?」

 

「っ、ジュードか!? テメエがなんでここに………!」

 

驚いているようだ。視線をこっちと、精霊術を行使しようとしているミラとを、交互に行き交う。次の瞬間、その顔は火山のように赤く、怒りを持つそれに変わった。

 

「クッソがぁ―――まとめて死んじまえぇ!!」

 

「な、何を………!?」

 

止める暇もない。何故か狂うかのように顔を歪めたナディアは、装置のすぐ横にある、操作パネルをいじりだした。すると、槍のような巨大な兵器の先端が開いていく。光が溢れ、その槍のような先端の前に、フラスコを十字に組み立てたようなものが出てきて。

 

――――直後に、展開していた方陣を"マナごと吸い込んでいく"。

 

「マナが………吸われる!?」

 

「これは………!?」

 

こっちの体からも、マナが吸い込まれていく。

 

全身から、何か大切なものがどんどんと無くなっていく。

 

霊力野(ゲート)に作用して………っ!?」

 

言おうとして止める。そんなはずがない。もし、そうならば―――霊力野《ゲート》が無い僕から、マナを吸えるはずがない。無差別に、ということになる。識別するような事はできないようだ。

 

「バカ者、正気か!? お前もただでは済まないぞ!」

 

隣からは、マクスウェルの叫ぶ声がする。そうだ。こんな距離にいて、あいつも巻き込まれないはずがない。四大も封じ込める、こんな馬鹿げた性能を持つ規格外の兵器だ。ひとりだけ無効化なんて、できるはずもない。

 

(………いや、ちょっと待て)

 

「アハ、アハハハ! みんな、まとめて死んじまえ!」

 

狂った笑い声。いや、それはいい。こいつは時たまこういう笑いをする。

 

(だけど、ちょっと、待ちやがれよ)

 

こいつ、マナのことを知ってやがる。装置のこともそうだ。

ぶちり、と何かが切れる音が、次々に連鎖していく。

 

「く、マナの使い過ぎか………このままでは………!」

 

膝をつくマクスウェル。だけど、そんなの知ったこっちゃねえ。僕は、聞きたい事を叫んだ。

 

「ナディアァァァァァァッッ!!」

 

「はっ、なんだい糞野郎!」

 

殺気を、乗せられるだけ声に載せて。偽ることは許さないと、問う。

 

「テメエが―――――ハウス教授を殺したのかぁ!?」

 

「ッッ!?」

 

見られたのは、驚いた顔。

 

「っ判断つかねえ………どっちにせよ、これ止めてからだ!!」

 

どうやれば止まるのか。考え、正面を見ればマクスウェルがよろけながら前へと、装置に向かって歩を進めている。

 

(あれか!)

 

装置の鍵のようなものが見える。あれをどうにかすれば、装置は止まるかもしれない。だけど、マクスウェルが膝をついた。

 

「くっ、こんな………所で!」

 

マナの使いすぎで、動けなくなったようだ。

 

―――それはそうだろう、僕とあいつと連戦して、その上で先ほどのような4大を召喚する馬鹿げた規模の精霊術を使ったのだ。まだ人間の形を保っているのがさすがのマクスウェルと言った所だけど、さすがにこれ以上の無茶はできないらしい。こっちも同様だ。

 

「馬鹿げたもん作りやがって………!!」

 

吸い取られる速度が早過ぎる。体内のマナが制御できないから、体もうまく動かせない。今から歩いて、あそこまでたどり着くのはかなり危険な賭けになっちまう。でも、今ならば。この場所からなら、なんとかなる。

 

背後までたどり着いた後、短いその名前を叫んだ。

 

「ミラ!」

 

「っ、何だ!」

 

「足ぃ上げろ!」

 

「何を?! っ、そうか!」

 

中腰に構えて腕を組む体勢のこちらを見て、やりたいことを理解してくれたのだろう。なんとか、といった調子で足を上げると、こちらに全体重を載せてきた。

 

これで、用意はできた。あとは―――

 

「いっせーの――――」

 

「今だ!!」

 

跳躍に合わせ、腕を思いっきり持ち上げる。直後、ミラは宙へと飛んだ。そのまま、パネルの上にある物体をつかむ。

 

「くっっ!!」

 

だけど、何かの反発を受けているようで、あと一歩で届かない。そして、僕の足の下から、光るリングが出てきて、それが体を拘束する。

 

「くそ………!」

 

体も動かない。見れば、ミラも同じように動きを封じ込められている。

 

(―――終われるか、こんな所で…………っ!?)

 

かくなる上は、命を賭しても。と、考えた時、脳の奥の何かがはじけて声が聞こえた。兵器の音も聞こえない。自分の鼓動の音も聞こえない。

 

正真正銘の静寂の中、声は言う。

 

 

『に……げ…』

 

(っ!?)

 

誰だ、と問う前にそいつは言葉を続けた。

 

 

『さ………ち……ら………使……』

 

『あ………子………そばを…………離………ど』

 

(これは………四大精霊!?)

 

少年のような声に、トボけた男の声。凛とした男女性の声が聞こえる。そして最後に、男の声はこう告げた。

 

『ミ……を………つ………逃…ろ!』

 

直後、四大の周囲から風が生まれた。突風が室内を吹き荒れ、そのまま僕は後ろへとすっ飛ばされ、入り口前にある橋まで転がる。

 

「四大が!?」

 

兵器の中へと吸い込まれていく。直後、ミラはまた立ち上がった。拘束を力任せに引きちぎり、マナの吸収をもねじ伏せ、パネルの上にある円筒状の"それ"に手を伸ばす。

 

(――――)

 

心の中が真っ白になる。辛いはずだ。今にも倒れたいだろう。なのにマクスウェルは、ミラ=マクスウェルは膝をついたままでいない。

 

賢明に立ち上がって、やがては――――

 

「う、あっ!!」

 

装置の部品らしき円筒状の何かを、声と共に引きぬいた。同時に、装置が止まる。しかし直後に、また突風が部屋を蹂躙する。ミラは完全に油断していたのか、その体を吹き飛ばされ、さきほどの僕と同じように橋の上に倒れる。

 

「っ、足場が!?」

 

二度の突風に、振動。足場は耐え切れなかっただろう。音を立てて橋の継ぎ目が外れていく。気づいた僕は、とっさに崩れ行く足場を蹴って跳躍し、通路の上まで避難する。ミラも体を起こし、尻餅をついたまま手に精霊術の陣を展開させた。

 

色は緑だ。シルフを呼んでどうにかするつもりだろうと思ったのだが―――――

 

「っ!?」

 

だけど、その陣はすぐに霧散して無くなった。

 

「ちょっ」

 

そして、驚く暇もない。足場は完全に崩れ、ミラも一緒に落ちていく。

 

――――金の髪が、翻って下に落ちていこうとして。

 

 

「――――っ!!」

 

 

気づけば、僕は跳躍していた。

 

「君は、何を………!?」

 

「煩い、手ぇ伸ばせぇ!!」

 

怒鳴り声に反応したのか、ミラが手を伸ばす。掴み、引き寄せると同時に、こちらに向かって降ってきていた足場の板材を蹴り飛ばし。

 

 

「厄日決定だちくしょぉぉぉぉおぉ!!」

 

 

僕とミラは、そのまま下へと落ちていった。

 

 

 

 



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7話 : 王都脱出

 

覚えがない。一分の間に肝が二回も冷えたのは生涯において初だと断言できる。

 

自由落下の途中、落下時間から高度を逆算した時の僕の顔は蒼白になっていたと思う。着地するにも無事にすまない高度。しかし、幸いにして落下先はそれなりの水深がある水場だった。着水した時にはそれなりの衝撃を受けたが、マナで防御したため肉体へのダメージはほぼ無いという結果に終わった。

 

そして現在である。直後に、僕は別の意味での衝撃を受けていた。何故かというと、

 

「ごぼ、ぼぼぼ?」

 

あらまあ盛大な泡、とか言っている場合ではない。なんともはや、マクスウェル子さんが力いっぱい溺れているではないか。急いで泳いで近づいて。

 

「ごぼ、ぼぼぼ!」

 

慌てるなと言おうとして、口から泡が。相当に焦っていたらしい、思わずやってしまった。そのまま、抱きかかえて水上に浮かび――――

 

「ぷはっ!」

 

抱えたまま、何とか水中から顔を出す。そのまま、かぶっていた面を取って、抱えていたミラを引き上げる。ああもう、ただでさえ服が重くてきついってのに!

 

「げほっ、げほっ………く、助かったぞ」

 

礼を言われたが、ミラはかなり苦しそうだった。まともに水を飲んでたから、無理もない。いや、冗談抜きで焦った。ミラが川に落ちる直後に何をやっていたかは見ていた。何かしらの精霊術を使おうとしていたのだ。しかし、術は発動しなかった。ミラは、それに驚いたせいか盛大に口から気泡を吐き出したのだという。危うく溺死する所だった。

 

「というか、何で泳げないんだよ精霊の主………」

 

まさかあそこまで泳げないとは思ってなかった。そんなお騒がせな精霊の主は、落ち着いてからこっちを見てぼやいた。

 

「流石に、ウンディーネのようにはいかないものだな」

 

「いや、当たり前だろ人間なんだから…………ん?」

 

ちょっと待て。考える暇無かったからあれだけど、マクスウェル子さんこと、ミラって見た感じ人間そのままだよな。

 

(………なんで、精霊の主様が人間なんだろう?)

 

大精霊ってのは、あの四大のようにそれぞれの系統の精霊が集まって形をなすものじゃあ。いやでも人間の精霊ってなんだろう。考えたこともない内容に悩んでいる僕をよそに、ミラはようやく呼吸を整えられたようだ。息を吐いたあと、こちらを向いた。

 

「助かったぞジュード。いつもはもっと泳げるはずなんだが………」

 

「いつもはもっと? ………もしかして、通常はは四大の力を借りて体を動かしているのか」

 

「あくまで補助だがな。水の中でも、空を飛んで移動する時にも四大の力を使っている」

「まじですか」

 

ていうか、マクスウェル様は空を自由に飛べんのか。うわ、乗せてもらいたい。っつーかこの服で飛んだら下からのナイスアングルがパンモロ!

 

(………じゃ、なくて)

 

今は鎮まれ本能。問題はそこじゃない。考えるべきは、何故四大の力が使えなくなったのかだ。そういえば突風が吹いた後、あの槍の中に四大が吸い込まれたように見えた。大きい気配が消えた感じも。と、いうことは―――もしかして、あれは目の錯覚じゃなかったのか。

 

「なあ……ミラ?」

 

「………ああ。四大の力を感じない………あの装置のせいだろうな」

 

ミラも見ていたようだ。同意しながら立ち上がると、濡れた髪を横に振る。いや冷てーな、おい。

 

「………ふむ」

 

ジト目で睨む僕をよそに、彼女はじっと正面を見据えている。視線の先は研究所の方だ。いや、まさか研究所に再突入はしないと思うけど………何やら心配だなこのマクスウェル子さん。

 

「分かっているとは思うけど………あの槍は四大の力無しに壊せるシロモンじゃないと思う」

 

「それは、そうだな」

 

返事をしながら、マクスウェル子さんはまた考えんだ。いや、僕もあの兵器を壊す方法を考えるべきか。まさか地道にどかりどかりと殴って壊すわけにもいかんだろうし。その前に拳の方が壊れてしまうだろう。

 

(あれ使えば何とか―――って、間違いなく死ぬがな)

 

禁じていた切り札はあるが、使えるようなもんじゃない。出来たとして死ぬのでは意味がない。そうして、しばらく考えていたのだが、ミラは思いついたようだ。顔を上げて、何事かを呟いた。

 

「あいつらの力、か………そうだ、ニ・アケリアに戻れば何とかなるかもしれない」

 

と、納得したように頷くミラ。すぐさま振り返ると、こちらの目をまっすぐに見てくる。その目に、落胆の色は毛程にも無かった。

 

「世話をかけたなジュード。手助け、感謝する………それではな。君は家に帰るといい」

「あ、ああ………」

 

すっぱりな感謝の言葉に、返事をして。階段を登って、去っていく彼女の背中を見ていた。後ろ姿というか、滑らか過ぎるヒップも綺麗だが――――考えるべきなのは、そこじゃない。

 

(………なんだ、この感覚は)

 

違和感、という程にはっきりとしてものではない。だけど、今のあの瞳は何だ。かなり大きな失敗をしたというのに――――欠片ほどにも、気落ちした様子が見られない。

 

(………迷いのない瞳は、綺麗だ。だけど、あれは何か違う)

 

これは彼女が精霊の主だからか。いや、もっと根本的な所で―――マクスウェルの"あれ"は違う。立ち直りが早過ぎるとか、そういうレベルにない。あの意志の強さには、どこか狂気を感じさせされる。先程見た瞳を思い返すと、どこか寒気を覚えるような。そんな時、階段の先から何か声が聞こえた。

 

「っ、なんだ?」

 

階段の上から女性の小さな悲鳴――――というか、苦悶の声というか。

 

「っておいおいおいおい! ずいぶんと、聞き覚えのある声だったなぁ、畜生が!」

 

気づけば、走り出していた。で、階段を登った先にあるのは、研究所前の広場だ。そこには思った通り、さっき別れた彼女と――――衛兵がいた。互いに武器を構えているのを見ると、すでに戦闘に入っているようだ。数にして1対4。

 

数にして4倍の兵力を持つ衛兵の方が、傍目には優勢に見える。彼らはミラを囲むような陣形を取っていた。先の報告を聞いたからか、慎重に手堅く攻めるようだ。対するミラは―――足を引きずりながら間合いを調整していた。

 

痛みに顔をしかめながら、足をひきずるようにして、何とかといった調子で距離を保っている。衛兵は、じりじりと合図を交わしながら、慎重かつ徐々に包囲の輪を狭めている。

(逃がさないように、か)

 

衛兵の目的は捕縛だろう。だからどうあっても逃げられないように、まずはミラの機動力を封じたのだ。上から出た命令だろうか。他に外傷が無い所を見れば、その推測は正しいように思える。

 

しかし、ミラは何故にそんな一撃を食らったのか。どう見ても研究所の中に居た衛兵と同レベルだ。まともに食らったとして、そんなにダメージを受けるような強さじゃない。その疑問の答えは、すぐに分かった。

 

「はあっ!」

 

ミラは、足をひきずりながら間合いに入った衛兵に剣を振る。

 

―――否。剣に、振り回されていた。まるで腕力が足りないか弱い女性のように、剣の重さに振り回されている。お粗末にも程があった。最底辺の傭兵のレベルにも達していない。当然に剣は防がれ、ミラは衛兵の反撃を食らう。

 

「………そういうことね」

 

四大の恩恵は無くなって。つまりは、これが彼女の素の実力ということだ。そうしている内にも、また衛兵の数は増えていく。対するミラは――――足音に気付いたのか、こちらをちらりと見た。

 

整った顔立ち。綺麗な瞳が、まっすぐとこちらを捕らえて。

 

しかし、直後に視線は逸らされた。

 

彼女は、先ほどまで共同戦線を組んでいたこちらに、しかし何も言葉を発さなかった。

おそらくは本格的に巻き込んでしまうことを避けるために、声をかけず。ただ無言で、敵のいる正面に向き直った。

 

――――ただの、一言も。

 

――――弱音さえも。

 

――――懇願しての助けなど、乞わないと。

 

自分の力のみで状況を打破せんと剣を構える。僕はそれを見て、笑いが零れるのを隠しきれなかった。

 

「………ばっかだなあ。勝ち目なんてないのに」

 

まずもって間違いない。研究所で対峙した時を思い返すに、彼女の戦闘経験はかなりのものだ。それゆえに自分と敵との現時点での実力差も、この絶望的な戦況も理解していると見ていい。

 

「ちょっと考えたら、分かるだろうに」

 

解決策はあるのだ。僕に助力を頼めばいいのだ。ミラも、僕の力量は知っているのだ。それが賢い選択。なのに、彼女はそれをよしとしない。それどころか、まるで知らない人扱いをする。

 

――――そう、僕を巻き込まないで。たった一人で、この窮地を戦おうとしているのだ。それでも。その背中は。

 

「あー、あー…………」

 

眩しい程に気高くて。

 

「あー………うー、もー!」

 

訳のわからない感情と共に、頭をかきむしる。そして重心は前に、後ろに出した足を踏ん張って。

 

「よーい――――」

 

マナによる強化は十二分に、全力で発射するように。

 

「だらっしゃぁぁっ!!」

 

踏み出し、地を駆ける。4歩目で、すでに敵は間合いの中に捉えていた。

 

「なん」

 

「セやっ!!」

 

兵士に何も言わせない程に、早く。先頭にいる衛士を一撃。腹に拳を叩きこんで、その場に昏倒させた。

 

「貴様、何も――――」

 

相手側は突然の乱入者に驚き、戸惑っているようだが、なにもかもが遅い。殴った衛士が倒れるより先に、ワンステップで踏み込み。二人が固まっている場所、その中間の位置にステップイン。

 

右の前回し蹴りで一人目を、

 

「続いてっ!」

 

続く左後回し蹴りで二人目を蹴り倒し、

 

「魔神拳!」

 

正面、直線上に居た二人を魔神拳でなぎ倒す。残すは後方にいる3人のみ。だけど、こいつらに構っている暇はない。そのまま振り返ると、ミラへと近づく。

 

「じゅ、ジュード!? お前は何を………!」

 

「いいから! さあこっちだ!」

 

何か言おうとするミラの腕を引っ張る。

 

「痛っ!」

 

「―――くそ、僕の背中に!」

 

足の怪我を思い出した僕は、咄嗟に背中を出した。ミラは一瞬だけ戸惑ったようだが、背中に乗ってくる。僕はそのままミラを背負い、唖然とする衛兵をその場に残して撤退を開始した。

 

「どういうつもりだ、ジュード!」

 

「本名はやめて欲しいなあ!」

 

僕の名前は不審者Aです! いや、さっき研究所でナディアに叫ばれたからもう無理か。

「君は………いいのか? このままじゃ君までお尋ね者になるぞ」

 

「いいから、そういうのは脱出した後で! このまま海停から船に乗ってラ・シュガルからトンズラする!」

 

ごちゃごちゃと背中から聞こえる声を無視する。それに、あいつらは倒すべき敵で教授の仇だ。殴っても何も問題はない。

 

だが、一人では流石に如何ともしがたい。ここは脱出すべきだろう。このまま、ラ・シュガル国内に留まるのは、絶対にまずい。あるいはここ、大都会であるイル・ファンの裏路地に潜伏することも考えた。だが、それは無謀だと言わざるをえない。時期に出口となる場所は完全に封鎖されるだろう。

 

それは国の手が届く場所全てに言える。つまり、ラ・シュガルにある街は全てだめなのである。それに、このイル・ファンから陸路でたどりつける街は少なすぎる。まさか、あの難攻不落のガンダラ要塞や、自然の要衝であるファイザバード沼野を抜けるわけにもいかない。

 

「ああくそ、流石は"輝きし王都イル・ファン"ってか!」

 

愚痴りながらも突っ走り続ける。間もなく、広場の向こうにある海停の前まで辿りついた。道中、通行人からの視線が痛かったがそんな視線には慣れている。

 

「ジュード、あれだ!」

 

「あれは―――しめた、イラート海停行きか!」

 

ア・ジュール所有の船だ。いざ船が出航してしまえば、ラ・シュガルには止められまい。その権限も無い。このまま、走って飛び乗るか。そう考えた時、目の前に衛兵が立ちふさがった。情報が速い、もうお尋ね者にされているのか。衛兵は、確信を持って進路に立ちふさがった。止まれと叫んでいる。だけど、止まれと言われて止まるお尋ね者は居ない。

むしろ加速したまま跳躍し、衛兵たちの頭上を飛び越す。しかし、相手も考えていたようだ。飛び越した先、予想着地点の周囲には、衛兵の団体さんが展開している。殺気飛び越した奴らのせいで、見えなかったのだ。見れば、先ほどまでとは1ランク違う衛兵もいる。

 

「ちいっ!!」

 

宙空で舌打ちをする。一人ならどうとでもなるが、ミラを背負ったままでは無理だ。だけど、留まる方が危険だ。国も、軍事機密を見た僕達にかける慈悲など無いだろう。捕まれば、ともすれば問答無用で処刑される。ならば、いっそ玉砕覚悟で突っ込むしかない。

 

そう思った時、横から何かが飛んできた。次々に飛んでくるそれは、石のように小さい。その礫のようなものが、待ち伏せしていた衛兵達に当った。衛兵たちが痛みに体勢を崩す。

 

「行け、そのまま走れ!」

 

「っ、分かった!」

 

飛び込んできた若い男の声。見れば、20過ぎの男がいた。何やら洒落た格好をしている。かなり胡散臭い風体だが、今は確認している隙がない。考えているよりも行動すべきだと判断し、着地直後に限界まで加速した。乱入者の攻撃に怯んでいる衛兵達の、その脇を駆け抜ける。

 

「船が出るぞ!」

 

「いや、この距離なら――――しっかり掴まってて!」

 

「ってえ、俺を置いてくなって!」

 

どこかの誰かの声を無視し、マナを足に集め、強化。

限界まで加速し、乗り場の門をくぐり抜ける。

 

「待て!」

 

後ろから衛兵の声が聞こえるが、無視。

 

「背負ったまま行けるか、無理なら代わるぞ!」

 

「こんな役得、譲るわけにはいかんでしょ!」

 

非常時にあれだけど、背中の感触がごちそうさまです!

 

「………役得?」

 

「よっしゃ口チャックだミラ! でないと舌を噛むぞ!」

 

追求を誤魔化し、正面にある木のコンテナに飛び乗る。その上を走り、更にクレーンに吊るされた木材に飛び乗り、最後に思いっきり船に向けて跳躍。船の甲板の上に着地すると衝撃を膝で殺し、背中のミラへ伝わる衝撃をできる限り少なくする。

 

でも、衝撃を完全には殺せず、ミラの姿勢が前へと傾いてくる。

 

(凄まじい弾力でごわす!)

 

混乱するほどの、見事なブツだった。思わずと口調が乱れてしまう。で、その隣では一緒に飛び移った男がいる。尻しか見えないと前置きがつくが。どうやら勢いそのままにコンテナに頭から突っ込んでしまったらしい。頭隠して尻隠さずといった風情で、もがいている。何という芸人か。素でこれだけの事をやってのけるとは。

 

驚く船員を見た後、僕は男を指してこういった。

 

「ビューティフォー」

 

「いや、助けろよ!」

 

 

切れ味するどいツッコミが、出航する船の甲板上に響きわたった。

 

 

 

 



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間話の1

 

「マクスウェルが、ここイル・ファンから逃げ出したようです」

 

「………そうか」

 

報告に来た兵士。対する上司は、何の感情も含めていないような声で、ただ返事をするだけだった。

 

「それで、四大精霊の方はどうなっている」

 

「あの槍に囚えられたとのことです。担当者がマクスウェルで無い方の侵入者に倒されていたようですが、代わりとしてあの女が」

 

「ふん、取り敢えずは予定通りか。それで、そのもう一人の侵入者は判明したか」

 

「は。名前はジュード・マティス。タリム医学校の医学生で、出身はル・ロンド。先に処理したハウス教授の助手とのことですが………どうしました?」

 

「いや。皮肉なものだと思ってなぁ」

 

男は、何かを嘲笑う顔を浮かべた。口からは、押し殺した笑い声がこぼれ出ている。

 

「"マティス"か………まさかあの腰抜けの息子がな。今更出張ってきたことはあり得んが………」

 

「あの、首領………?」

 

「戯言だ、忘れろ。それよりもマクスウェルの足取りだ。お前はどう考える」

 

「まず間違いなく、精霊の里とやらに戻るでしょう。力も、警備兵よりの報告を読む限りは、かなり落ちているようです。一人ならばすぐにでも捕らえられるほどですが………ジュード・マティスが厄介ですね」

 

「………ほう?」

 

「警備兵を薙ぎ倒した、と報告があります。誇張であればいいのですが………それとあともう一人、こちらは我らの武器を使う者のようですが、いかが致しましょう」

 

「ふん、放っておけ―――既に盤石の体勢だ。勝敗はもう決まっている」

 

「それでは、指名手配はせずとも?」

 

「いや、追うというポーズは必要だ。だが、名は伏せておけ。あの落書きのような手配書を書かせればそれでいい。しかし、ジュード・マティスか………そういえば、ハウス教授は一つのふざけた研究をしていたな」

 

「はい。何でも、霊力野を持たない人間が、精霊術を使うためにはどうすれば、と。そういう題目の一つでしたが」

 

「ずいぶんと面白い事を考えるものだな………ふむ、余計に放っておけ。手は出すな。

 

マクスウェルに関しては、いずれ必ず見えることになる。それからでも遅くはない」

 

「承知いたしました」

 

そうして、部下が去っていった後。男はこらえ切れないと、笑みを浮かべる。

 

「二十年………二十年の時を経て、ようやく始められるか」

 

愉悦。歓喜。男の顔には、それが浮かんでいる。

 

「卓は用意した。駒も揃えた。届くべき手段も整えた。20年、出来うる限りのことはやり尽くして――――ようやく、“弾”の目算もついた!」

 

抑え切れない喜び。裏には狂気が潜んでいる。何より、望みそのものがまっとうなものでない故に。

 

「――――アルフレド、お前が何を考えているのかは知らん。理解する必要もない、ただこちらの望みのままに働いてもらう。もとより、お前が望み、希てきた悲願であることには変わりない」

 

虚空に向けて話す男。その目には、異常たる何かが含まれている。

 

 

「精霊の世界の住人よ。お前たちにも協力してもらう―――――我々が生きるための、餌として」

 

 

何もない、暗闇で。男の笑い声だけが響いていた。

 

 

 



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8話 : 針路決定

 

輝かしき王都から脱出するために、船に乗り込んだ後。まあ色々あった。木箱に頭から突っ込んだせいで額から血を流していた傭兵と、足を怪我しているミラの手当をしたり。交易品の中から傷薬になるものを売ってもらって、それを調合して傷口に塗ったりしたり。傭兵の方は、明日ぐらいには治っているだろうけど。

 

船長に対しては、真摯に対応した。急な乗船認めません、それよりも何で追われてたんだコラ尋問するぞゴラァと詰め寄ってくるヒゲ船長に対しては、正直に答えた。「あれー尋問なんかされるとうっかり超ヤバイ機密喋っちゃいそうー………それでも聞きたい?」と。

 

直後、船長は無言のまま去っていった。

 

てーか引きつった顔されたけど何でだろう。僕はただの善意で、正直な話をしただけなのに。あーあー、世知辛いなー、空も海も青くひろいのに、人の心は狭いのなー。

 

「いやいや。軍に追われた奴からあんな笑顔で脅迫されたら引くだろうよ………お前さん、見た目に反して無茶苦茶する奴なのな」

 

疲れた顔でそんなこという傭兵。額の絆創膏が痛々しい、けどあの時の光景が思い出せてちょっと笑える。で、この芸人じみた落ちを見せてくれた傭兵さんだが、名前をアルヴィンというらしい。僕達をたすけてくれた理由は、「その方が金になると思ったから」らしい。正直な所は好感が持てるね。軍部に喧嘩を売るだけの理由にも思えないけど。

 

「お前さんも、だろ?」

 

「まーね。それにしても、奇襲のタイミングは本当に完璧だったよ。腕もいいようだし、なんで傭兵なんかやってんの? その力量なら士官しても良いところまで行きそうなのに」

 

この傭兵ことアルヴィン、見た目は飄々としているけど腕は良いと思う。身体強化の度合いも、強化した上での動きの良さ、後は奇襲のタイミングを見極める状況判断力も優れている。

 

「いや、入らねーさ。俺って縛られるのが嫌いな奴なのよ。それに軍なんて硬いしめんどくさいし、いやーな命令には従わなきゃなんねえし………なあ?」

 

「まあ………それは、分かるような気がするけど」

 

でも何で同意を求めるかな。確かに僕も、誰かに命令されるのは嫌いだ。そういう意味では兵士には向いてないだろう、自覚もしている。まあ、兵士には愛国心が必要だというし。

 

「でも、まあ、働ける人なんでしょ? ああまで良いタイミングで援護してくれたし、情報収集も得意なんだろうね」

 

「まーな。単純な護衛役受けるにしても、情報が大事だろ。魔物も、雇い主もな」

 

アルヴィンの物言いには含むものがあった―――が、確かに同意できる部分はある。事情を隠して依頼する奴なんてザラだし。僕も今まで傭兵みたいな仕事をしたことはあるが、5割は依頼の内容に虚飾を混ぜていた。後で問い詰めると、「知らなかった」の一点張り。特に商人に多かった。あいつら口がうまいし、いつの間にか丸め込まれてしまう。一度、根は正直な商人にそこらへんのレクチャーを受けたが、ああいった世界では騙される方が悪い、とのこと。

 

それで傭兵を怒らせて、逆に命を落としたバカもいるらしいけど。それも、情報収集が足りないからで片付けられる世界だ。前もって傭兵の評判を調査しなかった馬鹿、ということで商人の間からは間抜け扱いされていたとか何とか。

 

でも、アルヴィンという名の傭兵は、聞いたことがないなあ。あのタイミングで助けに来れるからには、腕も頭もかなりのモノなんだろうけど。

 

(いやでも、あの速さはおかしいか?)

 

考えるが、そういった状況になったことがないのでイマイチ分からない。勘の良い奴なら分かるかもしれないけど。それでもまあ、僕達の立場を考えた上で分析すれば分かるのだろう。王都にはとどまれない二人で、次にどうやって逃げるのか。そう考えれば、解答は2つだけだ。

 

街道を突っ切るか、あるいは船で国外に脱出するか。アルヴィンはその賭けに勝った――――ということにしておこう。ここで下手に揉めると、厄介な事になりかねない。裏切ると決まったわけでもない。イマイチ胡散臭いけど、使えるものは使わなければいけない状況だ。でも、油断は禁物である。こういった、悪意をおおっぴらに見せてこない奴は本当に対処に困るのだ。得てして何かを隠している場合が多いが、それを隠すつもりでいるから、発覚がどうしたって遅れる。表向きの関係を続けるのが吉だ。裏切られてもいいように、距離を取って。それに、見たことがないあの武器。研究所でぶちのめしたあの衛兵と同じような武器を使っているのは、きっと無関係ではあるまい。尻尾を出せば即座に捕まえよう。なに、表だけの関係を続けるのは得意だ。伊達に門番ことモーブリアさんから「外面は完璧な詐欺まがいの医学生」とか言われてない。

 

でも、この先どうするのだろうか。アルヴィンにはまだ聞いていないが、正直可能であればこのままついてきてほしい。今のミラは戦力には数えられない。ということは彼女を守りながらの旅になるのだが、それはきつい。研究所のような狭い場所ではない、広い場所で。例えば平原などでは、後ろを取られる可能性が高くなるのだ。マナの強化といえど、万能じゃない。特に背後からの攻撃は防御しにくく、当たり所が悪ければ致命傷になりうる。痛みも凄まじく、思わず悲鳴を上げてしまうほどきついのだ。

 

そんな痛みの危険も、落命の危険もできるだけ回避したい所だが――

 

(でも、どうするかなあ………ん?)

 

そんなこと考えている途中、ミラが甲板に出てきた。無事な方の足と、木材を借りて即興で作った杖に体重をかけて歩いている。

 

「具合はどう?」

 

「まだ痛むが、かなりマシになったよ」

 

「もともとそれほど大きな怪我じゃなかったしね。明日には完治していると思うよ」

 

「それは重畳………って回復はえーな」

 

アルヴィンが驚いている。その理由も分かるけど。自己治癒のスピード速いもんね。マナの量が豊富なせいか、羨ましい限りだ。何というか、見たこと無いぐらいに速い。流石は精霊の主ということかな。

 

そのミラは、アルヴィンに自己紹介をしていた。アルヴィンも同じで、互いに名乗りあう。ミラの方は、今の状態でフルネームを教えるのはまずいと思ったらしい。マクスウェルの名は隠し、ミラとだけ名乗っていた。

 

で、落ち着いた所でこれからどうするのか聞いてみた。ミラはふむ、といい、あの時思いついたと前置いて言う。

 

「ジュードには言ったと思うが、一度精霊の里に………"ニ・アケリア"に帰ろうと思う」

なんでも、これから向う先のア・ジュールに、ミラの故郷であるニ・アケリアは精霊の里と呼ばれる所があるらしい。そこならば四大を再召喚できるかもしれない、とのことだ。ただ、その精霊の里はア・ジュールの奥地にあるので、徒歩で行くならばかなりの距離になるだろう、とか。全く聞いたことがない村だ。しかし、ミラが言う通りにそういった村があるんだろう。それにしても、精霊の里か………そういえばハ・ミルの村でそんな話を聞いたような気がする。で、詳しい場所をミラに聞いてみると、ドンピシャだった。

 

ニ・アケリアは、山奥の村のハ・ミルの更に奥地にある、キジル海瀑を越えた先にあるらしい。

 

「しかし、かなり遠いな。ハ・ミルの更に奥のあそこを抜けるとなれば、ここからじゃ4日はかかるぜ」

 

「徒歩で行くしか無いしね………道中に魔物がいるし、それなりに準備してからの方がいいか」

 

距離についてアルヴィンと話していると、視線を感じた。そっちを向けば、ミラがじっと僕の眼を見つめている。

 

「えっと、僕の顔になにかついてる?」

 

「うむ、眼と鼻と口がついているな」

 

「いや、そうじゃなくて」

 

聞き返すと、ミラは冗談だと真顔で言った。そして、次に浮かべた表情は――――困惑。

「………ジュード。君はもしかして、私についてくるつもりなのか」

 

「そのつもり、だけど」

 

「何故だ」

 

ミラは、問うてくる。その顔に浮かぶ表情はわかりやすい。

 

―――困惑だ。まるで顔に文字が書かれているかのようだった。

 

(お前が何を考えているのか分からない、ってか)

 

一応の信用は、されているのだろう。しかしどこまで信用していいか、分からないといった具合か。どうしようかなんて、考えることもない。隠すことでもないので、正直に答えることにした。

 

「あの槍を壊したい。あのクソッタレのブツは絶対にぶっ壊さなきゃならんシロモノだと思ってるから」

 

教授の仇、という事もある。だけどそれ以上に、教授の研究成果が軍事転用されていたというのが許せない。あれは、あんな使われ方をされていいものじゃない。それに、自分の研究の一部があの糞ったれな槍に使われているかもしれないとか、冗談でも嫌だ。

 

「あの槍の存在だけは、認められない」

 

「一国と敵対することになっても、か?」

 

誇張ではない、事実だけをミラは突きつけてくる。しかし、問題はそこにはないのだ。夢のこともある、それでも――――

 

「認められないと決めた。なら邪魔する奴は全て、打倒すべき敵だ。例えラ・シュガルを相手にすることになっても、その結論を曲げるつもりはない」

 

「………剛毅なことだ。しかし、私についてくる理由になっていないぞ」

 

「理由ならあるさ。だってあれは僕一人じゃ到底壊せないほど、大きい。今頃は警備も更に強化されているだろうし」

 

だから僕、守る人。あなた、壊す人。告げると、ミラは納得したように頷いた。

 

「協力してくれるのは願ったりだが………辛い旅になるぞ?」

 

「―――"選ぶべき道の前で躊躇うな"。尊敬する師匠の言葉なんだ。そして、その教えは正しいように思うから。それに僕も、自分の事情で動いているだけだって」

 

そりゃあ、何かに振り回されている感はあるけど。昨日のこの時間は、晩御飯を食べながら勉強していたのに一日が経過しただけでこうなるなんて、思ってもいなかった。本当に、今でもちょっと現実とは思えないでいる。だけど、ハウス教授が死んでしまったのは確かだ。そして、絶たれたと思っていた道も、別方向だがわずかながらに残っている。

 

(………四大と会えるなんて思ってもみなかった。彼らがよみがえれば、聞きたいことも聞けるだろうし)

 

霊力野の仕組みや、精霊術を使えない人に関することとか。ともあれ、それとは別として今はミラを守らなきゃいけないんだけど。なんせこのミラ、無防備にすぎる。あの時でも、もうちょっと慎重に行けば何事もなく王都を脱出できたはずだ。今の自分の状況についても、本当に把握できているのか怪しいし。そこで、僕と――――もう一人。

 

「………アルヴィン。ちょっと、頼みたいことがあるんだけど」

 

頭の後ろに手を組んで傍観していたアルヴィンに、事情をぼかして依頼する。内容は単純なもので、ミラに剣を扱う術を。剣で戦う時の基礎を教えて欲しいのだ。

 

「それは………構わねーが、なんでわざわざ俺に?」

 

「だって僕は拳士であって剣士じゃないし。そんな大剣を使いこなせてるアルヴィンなら、きっと出来るでしょ。基本はひと通り理解しているだろうし」

 

見た所、アルヴィンが背負っている大剣はかなり使い込まれていた。こんな大きな剣を長期間使える、ということは間違いなく剣の振り方を知っているに違いない。力だけで使えるような大きさじゃないからな、これ。振る時に刃筋も立てられない剣など、ただのムダに重たい鉄の塊だ。使えないならば、そもそも使わないだろう。きっと違う武器を選んでいるはず。

 

「その年でよくそこまで知ってるな………まあいいか。俺でよければ教えるぜ」

 

「アルヴィンも、すまんな」

 

「俺ァ傭兵だからな。依頼料は坊主から貰えそうだし、報酬が問題なけりゃやるさ。それに、役得だしな」

 

「………役得? ジュードも言っていたが、何のことだ?」

 

「あー、まあ、いや、あはは」

 

誤魔化すように笑うアルヴィン。まあ、気持ちは分かる。

 

(だって剣振ってる時のミラってば、胸がたわわに揺れてらっしゃるもんね!!)

 

視覚攻撃とはああいうのを言うのだろう。落ち着いた今になって改めて見てみるが、これはスゴイ。思わず名前の後に様をつけてしまいそうになるぐらいには。

 

「でも教える時は真面目によろしく」

 

「わかってるさ、これでもプロだからな。でも………正直すごいよな」

 

こぼれ出た本音に、考えないまま頷く。男ならば、黙っていられまい。本能なのである。気づけば僕達は握手していた。

 

「少年も正直者だねえ…………それで、あれを背中で堪能したようだが、感想を一言で頼むぜ?」

 

からかうように問うてくるが、それで顔を赤くするような僕ではない。何故ならば、背負っている途中にこの世の至高を垣間見たが故に。

 

だから、率直に告げた。

 

「この世に楽園があるのなら―――きっと、あの胸の奥に詰まっているのさ」

 

「さらっと詩的な表現だな、オイ」

 

まじ羨ましい、とか素の本音を零しているアルヴィン。いや、その気持ちは分かるよ。緊急事態ゆえ致し方なしのあの事態。だが、副次効果が得られるとか思ってもみなかった。思わず背負った時のあの感触。

 

いや、まじですごかったよあの双丘。

 

「どうしたのだ二人共?」

 

「「何でもないよ(さ)、ミラさん」」

 

あなたのオパーイについて考えていたとか言えません。でも、ミラの首を傾げる様子はちょっと可愛かった。

 

 

 

船が目的地に到着したのは翌日だった。船が到着した場所は世界に数ある海停の一つ、"イラート海停"。ア・ジュールにある港だ。幸いにしてハ・ミルへと続く街道があるので、また船に乗る必要もない。そして、降りてからすぐに特訓が始まった。とは言っても、剣の握り方や振り方、戦闘中に注意すべきことを教えただけなのだが。

 

あとは、リリアルオーブについて。ミラは、今回の旅に出る直前にこれを持たされたようだ。人間の潜在能力を引き出すという、とんでもない道具。戦闘を職に持つ人間であれば、それこそ喉から手が出るほど欲しいというシロモノ。使いこなせれば、それこそ百人力となる貴重品だ。

 

「二人共も、これを持っているのか?」

 

「かなり前にね。修行が終わった後、師匠からプレゼントされた」

 

「俺も、だな」

 

見れば、アルヴィンは一枚目の5層目にまで花弁が開かれている。前はもっと開いていたはずだけどな、とアルヴィンは苦笑するが、まあそれはそうなるかもしれない。このリリアルオーブだが、戦いの中に身を置き続けないと、その効能を保てない。実際の戦闘を行わない、臨戦態勢を保たない、そういった"何もしない"期間が長ければ長いほど、その花弁は少なくなっていくのだ。

 

「その点、お前さんは異常だけどな」

 

「いや、これも修行だし。常在戦場は闘技者のたしなみですよ」

 

「………お前は医学生ではなかったのか? そういえば、私達を治療する時も治療術を使わないでいたが」

 

あー。やっぱり、そういう感想抱くよね。でも、ここで真実言うのはなんか嫌だ。というか、わざわざ説明したくもない。けど、そのままじゃあすまないか。よし、言い訳しよう。

 

「僕、実は精霊術は苦手なんだ。それよりも相手を殴る方が上手だから」

 

「殴る方が得意………それは、なんとなく君らしいな」

 

「……ノーコメントで」

 

まさかそんなに早く納得されるとは思わんかったよ。あと、気を使ってくれてありがとうアルヴィンさん。ていうか納得されてるけど、それはそれで引っかかる。殴る方が得意とか、間違ってないけどそれ何か医学生として致命的じゃないかね。いや、腕っ節が強いって誇れることなんだろうけど、なんだろうこの複雑な感情は。

 

「ふむ、謙遜することはないと思うぞ。対峙したから分かるが、君の体術は見事だった………しかし、最近の医学生は君のように武術を修めているのか?」

 

「うん、割りと普通に。ほら、医術は戦争だって言うじゃない?」

 

「聞いたことはないが………都会では、そうなのか」

 

勉強になった、と、真顔で顎に手を当てて頷くミラさん。いや、冗談なんだけどね。横にいるアルヴィンは、無言で手を横に振っている。ツッコミたければ突っ込めばいいのに。で、このままじゃなんだから、嘘だと説明すると、ミラは驚いたような顔を見せる。

 

「嘘? となると………君は、私に嘘をついたのか」

 

「そうだけど、バラす前に分かるでしょ普通は。あのお綺麗な医学校の中に、僕みたいなのが数百人いると思う?」

 

「それは………嫌だな」

 

「俺も、その意見には同意するぜ」

 

「えー二人共酷くない? 何か言葉の刃が突き刺さるんだけど」

 

涙がちょちょ切れる。まあ、慣れているからすぐに復活できるけど。

 

「いや、私は嘘が嫌いだからな。その意味では、君の方が先に言葉の刃をぶつけてきたのだろう」

 

「普通は冗談だと取ってくれるって………つーかさあミラさん」

 

か、顔が怖いって。何で怒るかなーっつーか自分で言うのも何だが、僕みたいな医学生が他にいるわけないでしょ。いや、本当に自分では言いたくないけど。

 

「ふむ、つまり君は………意地が悪いのだな。それとも、イフリートの一撃に対する意趣返しか?」

 

「そんなつもりは決して。単なる冗談のつもりだったんだけど、ていうかマクスウェルさん、誰かから真面目すぎるって言われたことない?」

 

反応が正直すぎる。ちょっと前まで、ゴロツキの傭兵相手に対し、時にはシモネタのやり取りをしていてこちらとしては。何というか扱いに困るレベルです。一方で、傭兵ことアルヴィンは「イフリート?」とか言いながら顔をしかめている。

 

「そういうのは、とんと言われたことがない。それに………いや、私は………私に対する冗談というものは、あまり聞いたことが無い」

 

また、考え込んだ。それなりに人付き合いがあるような口ぶりだけど、冗談を言われたことがないとは何事か。いや、言わないのか普通に考えて。まあ、マクスウェルといえば、いわゆる1つの信仰対象だもんな。

 

奉じるべきは精霊の主。この世に現界した、偉大なるマクスウェル。リーゼマクシアを創りたまりし君ってか。引っかかるものは多大にあるが、アレか。

 

「ひょっとして、ミラ様と呼んだ方がいいとか?」

 

「いや、やめてくれ」

 

返答は速かった。

 

「その呼び方をされるとあの者を思い出してしまうし―――何より君に様付けで呼ばれるとな。正直、鳥肌が立つ」

 

「あはは、それはひどいなあ」

 

そんな嫌な顔をするなんて――――いいことを聞いてしまった。そう思ってしまうのは、僕の性格が悪いからだろうか。でも、何ていうかこんなに感情を顕にしてくれるなら、それも悪くない。

 

「いや、坊主も複雑な奴だな」

 

ぼそりとアルヴィンが何事かつぶやいているが、聞き取れなかった。それでも、前よりは余程近しいものを感じられる。力が無くなったからか、その圧倒的な雰囲気が消えたからか。少なくとも今のミラ=マクスウェルは、話していて不愉快にならない。四大がなくなって、戸惑っているのもあろうが。

 

だけど、口調は――――ほんの少しだけど、人間味を帯びたような気がする。

昨日、四大を従え。超然としていた時よりは、余程に。

 

 

「ん、何か言ったか?」

 

 

「いや、何も」

 

 

笑顔で答える僕の、その横でアルヴィンが呆れた顔をしていた。

 

 

 



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9話 : 生物本能三大欲求、人間本能四大欲求

 

誤魔化す余裕もない。僕は激怒していた。

 

「畜生めが」

 

怒りの感情が溢れ、言葉になってしまう。それぐらいに許せないことがあった。自制は効く方だとは思っていたけど、今はその限界を越してしまっている。包丁を持つ手が震えるのを抑えられない。

 

だけど、やらなければならないんだ。以前にこの身に受けたイフリートの炎よりも熱く、濃いこの感情を。許せないという思いを基礎とする怒りが爆発する前に。

 

その選択を突きつけ、疑問さえも浮かばせなかった周囲に思い知らせてやるつもりだ。決死の気概を持って挑めば彼女も満ち足りるだろう。ゆえに、振り下ろす。赤い飛沫が、大気に舞った。

 

「ク、クククク」

 

笑って、振り下ろす。振り下ろす。振り下ろす。ああ、本当によく切れる包丁だ。これならばやれる。満足ゆくものまでに仕上げられるだろう。否、できないはずがあろうか。最初にこれを覚えてより、8年。絶え間ない修行の後に至った位階は、そこらの素人ならば薙ぎ倒せる程に。

 

ああ、我は無知を憎む一人の戦士ゆえに。知識あるゆえに許容できないことを知った、一人の賢者であるがために。

 

「さあ、戦おう」

 

足止めは用意している。メインディッシュが来る前の前菜。だが、決して手を抜いてはいない。きっと喜んでくれていることだろう。そして、それを越えるメインを今より創り上げる。

 

「敵は、まな板の上にあり」

 

“食べること。美味、すなわち戦争なのだよ”とは店長の言葉だ。故に従い、我はこれより修羅に入る。風と水しか味わったことのない、ただの一人の存在の。

 

彼女のあるべき欲求の三分の一を埋めるために。

 

 

「ミラに、美味しい料理を作るのだ」

 

 

 

 

 

で、完成した料理を持って行くと驚かれた。

 

「うわ………これ、本当にお前が作ったのか?」

 

「当たり前でしょ」

 

「いや………美味ーよ、これ。完成度たけーよ、おい」

 

出された料理にがっつくアルヴィン。その表情を見ながら、満足だと頷く。下ごしらえもなしに、30分。待たせてはならぬと作り上げた一品は、どうやら美味に足るものだったようだ。

 

「最初の、レタスとチーズとトマトを挟んだパンも美味かったけどな。いや、これも大したもんだ。肉は少ないってのに、やけに味わい深い………なんだ、魔法の調味料とか入れたのか?」

 

「料理に魔法は無用。基本こそが奥義と心得ております」

 

地道な研鑽に勝る調味料なし。あとは愛とか、心とか、想いとか。取り敢えず全部こめてやった。いや、捧げたと言ってもいい。この、無言で料理にがっついている彼女。ミラ=マクスウェルの――――生涯初めてという食事のために。

 

「でも決してアルヴィンに向けてじゃない。そこんとこよろしく」

 

「死んでも勘違いしねーよ!」

 

いや、でも僕も驚いたよ。先ほどまで、ミラの力量と、各々の力量、そして連携の確認具合を見るために受けた依頼をこなしていた。街道横のモンスターを退治して欲しいという依頼を達成して。その後直後に、ミラは倒れたのだ。曰く、腹が空いたとのこと。

 

それはまあいい。僕も腹が減っていたし、アルヴィンだってそうだろう。だけど、続く言葉に度肝を抜かれた。なんと彼女、今まで食事をしたことが無いという。シルフとウンディーネより、必要な栄養分を与えられていたので問題はないと言った。頭の中が真っ白になった。なんだそれ、という言葉さえも出なかった。

 

食欲というのは、人の三大欲求の一つと親父から聞かされている。食、睡眠、性。この3つを満たすことで、人は生きていることを実感するのだとか。事実、そうだと思う。特に前者2つは必須だ。それでいて、この欲を解消する時の"質"が高ければ、それだけで人は満足するだろう。

 

例えば、美味しい料理。例えば、陽の光が匂うふかふかの布団。良き食事も、良き睡眠も、考えるだけでワクワクしてくる。味わえば、至高だ。実際、そうだと思った。だから考えてしまった。

 

では、その一つが欠落している彼女は、そのひとつをずっと満たされないままでいたミラは、一体どれだけ満たされない人生を送ってきたのだろうと。ああ、人では無いかもしれない。だけど、まるきり人ではないとも考えられない。

 

見せる意志。戦う姿。発する言葉。そのどれを見ても、理解できない存在とは思えない。

なればこそ許せないのだ。人には、あるいは食のために人生を捧げる者がいる。店長のような料理人がそうだ。彼らは食を尊敬し、だからこそ料理を作る事に誇りを覚え、自らの時間を費やすことを厭わない。

 

その数は決して少なくない。それは、他者がその想いに共感していることの証拠とも言えよう。それほどまでに大事な食というもの。しかし齢にして20に近いと思われる彼女は、それを知らないと言う。

 

許せない。到底、許容できることではなかった。だから海停にある宿に走った。必死の説得により厨房を借りて。そして戦うことを決意した。

 

前菜はパン。空かせている腹を取り敢えずは満たすもの。だけど、買った食材の中から厳選し、短時間で出来る工夫をこらしたものだ。

 

アルヴィンの同意を得られたように、簡単なものではない。慣れていることもある。修行と勉強の合間、それでも治療院の仕事が忙しい二人よりは時間がある僕が、夕飯を作ることが多かった。短時間で作る料理は知り尽くしている。

 

「なんか大仰になってるぞ少年。でも、30分は確かに早いと思うぞ」

 

アルヴィンが言うが、それは確かだ。複数を作るならば、少なくとも2時間はかかる。だから捨てた。待たせてはならぬと、前菜一つにメインを一つで勝負することにした。

 

前菜は、簡単サンドイッチ。パンはロールパンで、中身はレタスとトマトとチーズに少量の胡椒とマヨネーズを入れたもの。最後に少し焼くのがコツだ。アルヴィンが言うに、それもなんかスゴイ勢いで完食したらしい。

 

二人に2つずつ、4つ作ったけどアルヴィンが食べられたのは一つだけだとか。

なんでも、ミラは電光石火の如く自分の分を完食。後に、アルヴィンの分も凝視していたらしい。

 

餓狼のような眼光に負けたアルヴィンは、自分の分の一つを分けたとか。でも、あげると言った時の顔はすげー可愛かったらしい。くそ、僕も見たかった。メインディッシュはミートパスタ。トマトをベースに、牛ミンチと刻んだ野菜を煮詰めたもの。

 

フライパンの上にミートソースに使うトマトを入れ、肉を入れ、細かく刻んだピーマンと椎茸と玉ねぎと人参を入れて30分ほど加熱したもの。

 

最後にマカロニを入れて完成。本来ならばスパゲッティを使いたいことだが、今は無いとのことなのでマカロニで代用した。

 

メインの味はトマト。かの赤き宝珠の如き野菜、その旨味成分は尋常でない。煮ることでまた味が代わる優れものである。

 

その旨味あふれるメインの中に、牛ミンチはジューシーさを、刻んだ野菜はそれぞれの旨みを、遠慮なく容赦無く染みこませていく。

 

玉ねぎと椎茸と人参はそれぞれ違った旨みを。ピーマンはアクセントに。混ざり合えば、それこそ至高。地面より取れる豊穣の恵みとも言える野菜の"味"は、時に肉をも上回る。

なるべく多くの旨味と甘みを味わってもらおうと作りあげたが、どうやら成功だったようだ。ミラさん、もう完食している。というか、満足した顔の後に突っ伏した。疲れたのだろう。というか早すぎるな、3人前はあったはずなのに。

 

「美味しかった?」

 

「ああ!」

 

ちょー眩しい笑顔でそんなこと言う。通常の、凛とした表情ではなく。崩れ、輝かしいばかりに笑うその顔はまるで子供のようだ。やべー、顔が整っているのは分かっていたし、凛とした顔も悪くなかったけど、この笑顔は反則すぎる。初めての料理、初めて知る美味というもの。それに出会えて歓喜しているのだろうが、その顔は無防備にすぎるだろう。

無防備な美女の笑い顔がこんなにヤバイものだとは知らなかった。見れば、アルヴィンもミラの顔を凝視していた。うん、これはちょっと、男として眼福すぎるよね。

 

―――というか、何だろうこれは。

 

感謝、というものをされた事は少ない。あっても、表向きだけ。門番さんはちょっと違うが、それでもこれほどまでに真正面から、何の含みも無く感謝を示されたことは、無い。それは、あの日精霊術を使えなくなった時から。故郷は言うにおよばず。

 

イル・ファンでも、僕が精霊術を使えないと知っている者は、また別の眼で見てくる。汚れた者を扱うように。はれものを扱うように。銀髪バカはまた違うが。あいつが笑顔でありがとうとか、まじでありえんし。

 

ともあれ今、僕の中の鼓動がヤバイ。そんな笑顔を向けるな。そんなにまっすぐ、笑顔を向けないでくれ。

 

三大欲求とは違うものが、満たされていくけど。何かが解けていくと同時に、何かが締め付けられるんだよ。

 

「ん、どうしたジュード」

 

「いや………」

 

笑わないでくれ、と言おうとしたが、止めた。言える雰囲気でもないし、言われた方も、意味が分からないだろうし。だから、首を振った。そんな僕にミラは、童女のような顔をしたまま、興奮したように言う。

 

「食事というものは良いな! 人は、こういうものをもっと大事にすべきだと思う!」

 

「いや、大事にしてるんだけどね」

 

力説するミラに苦笑を返す。なんかテンションが振りきれている。それほどに美味しかったか。

 

「ウンディーネもシルフもひどいな! ああ、もっと早くに教えられていれば、もっと味わえただろうに」

 

「それには全面的に同意する。マジで酷過ぎるだろ、それは」

 

消えにくいペンで顔を落書きされても許されると思う。というか、傍に居る人はなんも言わなかったのか?食事というものについて。旨い飯があれば、士気も上がるだろうに。なんていうか、歪だ。人間じゃないから、と彼女は言うかもしれないが人間の形をしている以上、人体の理に従うべきだと思う。いち医学生として、そう考えてしまう。あるいは食事も、人格形成のひとつであるかもしれないのに。そんな事を考えていると、隣に居るアルヴィンがミラを凝視していた。

 

驚いているようだけど――――あ。

 

そういえば、まだ説明してなかった。ミラの事情、マクスウェルについての事をちょっと話す必要があるな。それから食事を済ませた僕は、食器を厨房へと持っていった。

で、戻ってくるとミラは寝ていた。テーブルに顔を突っ伏したまま、穏やかな寝息が聞こえてくる。

 

「………かなり、疲れていたみたいだな」

 

「まあ、そうだろうね」

 

今に至るまで、大精霊の補助を受けられないまま活動することなんて無かっただろうし。

「それで………さっきの事について聞きてーんだけど、少年?」

 

「ご想像にお任せするよ」

 

恐らく、知っているだろうし。港で情報を集めたというなら分かっていないはずがない。

(ミラもなあ。研究所内で大精霊をブッパしすぎだろ)

 

あれでバレない訳がない。情報が漏れない理由もない。

 

「じゃあ、彼女が………"あの"マクスウェルだってのか?」

 

「どの、かは知らないけどね」

 

というか、なんだ今の口調は。精霊の主マクスウェルというのは、リーゼ・マクシアに住まうものから見れば、絶対的な存在に近い。それなのに、アルヴィンの口調からは、もっと別の何かを感じる。

 

(やっぱり、胡散臭いな)

 

通常の反応ではない。でも、何だろうこの感覚は。この時の僕はアルヴィンに対して、何か近しいものを感じていた。同じなような、決定的に違うような。

 

 

―――その理由が判明するのは、ずっと後になるが。

 

 

「いや、いいさ。それより、寝ちまったお姫様を部屋まで運びますか。このまま寝かせておくわけにもいかんしな」

 

「あ、それじゃあじゃんけんね。三回勝負で」

 

「………独り占めは良くないと思わないか、ジュード君?」

 

「だって少年だし。まだわんぱくなお年ごろだし。15才だし。青春まっただ中だし」

 

「自分で言うなよ!」

 

 

ツッコんでくるが、無視。青い春の欲は、それこそ蒼天のように無限大なのだよ。その後のことは、まああれだ。三回勝負の激闘の末。アルヴィンが勝った。ムッツリめ。だけどミラは、僕達の勝負が終わる前に自分で部屋の方に戻っていたらしい。気づけば、こつ然と姿を消していた。

 

「………うるさくしすぎたのが不味かったか」

 

「起こしてしまったようだね。って、あれ、宿屋の主人が、鬼のような形相で、こっちに――――」

 

 

その後、僕達は鬼神になった宿屋の主人に、こっぴどく叱られてしまった。

 

 

 

 



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10話 : ハ・ミルへ

 

明け方、僕らは海停の出口前で準備体操をしていた。起きてばかりだからか、身体が硬くなっているためだ。

 

「よし、これで十分だし行こうか」

 

「ああ。弁当とやらももったしな」

 

「いや、ミラさん………さっきあれだけ食べて、もう心は昼食にいってるんすか」

 

喜色満面なミラを見て、思わず呆れる声がこぼれ出てしまう。昨日の料理の衝撃が強かったらしい。少なからず感じていた壁も、今ではだいぶ薄まっているみたいだ。

 

「しかし、そんなに食事が楽しみですか」

 

「ああ。楽しみにしているぞ」

 

「いや、そんなに不敵に笑わんでも」

 

何このムダな格好よさ。威厳があった精霊の主が、今ではまるで飢えた狼のようです。

 

「いや、原因は少年のせいだよなあ?」

 

「ノーコメントで」

 

ていうか、料理作っただけであそこまで喜ぶなんて、誰が思うか。

 

「でも、慎重に行こうって意見は聞いてくれないのね」

 

「それはそれ、これはこれだ。私には使命がある………一刻も早くニ・アケリアに帰らねばならないのだ」

 

「分かってるよ。でも、中途半端な時が一番危険だってのになあ」

 

ミラは昨日の実戦でコツをつかんだらしく、剣を振る様もそれなりに形になっていた。マクスウェルとしての力を失う前までの感覚を、少し取り戻したのだろう。それでも、強行軍ができるような腕にはなっていない。下手な自信は、いらん油断を招くもの。生兵法は大怪我の元なのである。

 

「大丈夫だ。初歩だけだが、精霊術もいくらかは使える。それに、お前たちが居るのだから多少の無茶はきくだろう」

 

「それは………まあ、確かにそうだけど」

 

「だーいじょうぶだって少年。医療術は使えないらしいけど、薬草があるじゃねーか。昨日の内に買い込んでたんだろ?」

 

いいながら、肩に手を乗せてくるアルヴィン。馴れ馴れしい仕草を横にそっと移動して避け、反論する。

 

「それでも危ないって言ってるんだ。薬も万能じゃない。速いほうがいいってのは分かるけど、せめてもう一日は連携の確認をした方が良い」

 

怪我してからじゃ遅い時もある。それに、取り返しのつかないような大怪我をしたらそれで終わりだろう。そこまでいかなくても、骨折以上の怪我をしてしまえば十分に意味のないことになる。そうなったら余計に時間を取られるってのに。

 

「………駄目だ。連携の確認は、移動しながらでもできる。それにな、ジュード」

 

「なんだよ」

 

「私を守ってくれるんだろう?」

 

じっと眼を見ながら、言う。一切の遊びがない、真剣な眼差し。約束したのだろうと、眼で訴えかけてくる。

 

「はー………あい分かりました、はいですお嬢様。わーかりましたミラ様ー。降参です、降参ー」

 

「なんだそのやる気のない返事は。それに、様は止せと言っただろう」

 

手をあげて巫山戯る僕に、むっとするミラ。見ていたアルヴィンが、手を叩きながら仲裁してくれる。

 

「はいはい、喧嘩すんなって。連携が鈍って怪我すれば、どっちの主張も通らないぞ」

 

馬鹿みたいな結果になるぜ、とアルヴィンは肩をすくめながら提案してくる。対する僕は、いくらか納得できない部分もあるけど、折れることにした。

 

「………分かったよ」

 

アルヴィンの言うことは最もかつ正論であり間違っていない。それに約束したのも事実なのだ。僕はアルヴィンの言葉に頷き、念の為にと手持ちの装備を確認することにした。

 

「それは………」

 

僕の手にあるナックルガードを見て、ミラが息を呑む。それはそうだろう、今まではもっと安いやつ使ってたからな。でもこれからは本格的な戦闘になるだろうし、用意しておくにこしたことはない。

 

まあ、この街道の敵は弱いから相手にはならないだろう。だけど、ラ・シュガル兵や雇われた傭兵が僕達を追ってこないとも限らない。だから僕は、今までは使わなかった自分の武器を装備した。

 

「そのナックル………"グランフィスト"か。いいもの持ってんな」

 

「まあね」

 

修行中の素材の大半はショップに持っていったからな。ちなみにショップで売っている武器は、装備者のマナを増幅させる効果がある。精霊術を使うものならば、その威力を。肉体強化して戦う者ならば、そのマナの強度を増幅してくれるのだ。アルヴィンで言えば大剣。これは"バスタードソード"だったか。それなりにいい装備をしているな。

 

「そんないい装備もってるとはな。なんだ、血に汚れるから使わなかったとか?」

 

「いや、これ装備してるとな。修行になんないし、何より警備兵みたいな一般兵レベルだと――――打ちどころ悪ければ殺してしまうから」

 

進んで殺人をやる気はない。アルヴィンは察したのか、なるほどなと頷いている。

 

「そういえば、アルヴィンは剣を持っていないのか?」

 

横からミラがアルヴィンに訪ねる。予備の装備でもあれば、貸して欲しいと言うつもりなのだろう。実際、ミラが持っている剣はちょっと鈍らな数打の剣だから。

 

「いや、剣は持ってない。それに、最初の内はその剣を使った方がいいって」

 

「何故だ?」

 

安物の剣を見ながら、ミラは不思議そうに言う。

 

「最初に強すぎる武器を使うのは良くないからな。武器に頼ってるようじゃ、いつまでたっても半人前は卒業できないぜ?」

 

「………つまりは、性能に頼るなと言っているのか?」

 

こちらを見るミラに、僕はああと頷いた。

 

「強くなりたいなら、痛い思いをしないとね。それに武器によりかかってもらうのも困る。もし武器が壊れでもしたり、弾き飛ばされたりした時を想像してみなよ」

 

そんな機会は、いくらでもある。それで、失ったの時にショックを受けて硬直されてもらうようじゃあ困るのだ。命を賭けた戦闘をすると言うのなら。今までは圧倒的な力で粉砕していたかもしれないが、これからはそうはいかない。

 

「そう、だな」

 

そう言うと、ミラは精霊の力があった頃を思い出しているのだろうか。神妙な面持ちで頷くと、自分の剣を握った。

 

(いや、本当に強い女性(ひと)だな。それに女らしくない気性を持ってる)

 

説明して、その理屈に納得すれば頷き、肯定する。女性は割りと感情で動く人が多いと思ってたんだけどな。使命があるからか、芯が揺らいでいない。確固たる自分を持っている、というのか。その分、強情になってるけど。

 

(これなら大丈夫かもな)

 

一番恐れていたのはパニックになって怪我をすることだ。混乱している時、心が弱っている時にそれが起こりやすい。だから今は様子を見るべきだと考えていたのだけど、この調子じゃあ心配はいらないみたいだ。

 

――――そうだ。ミラは、精霊の力を失っている。恐らくは10年以上、連れ添ってきた相手を失っている状態だ。常に傍にあったものが失う。それはどれほど痛みを伴うか、僕には想像もつかない。

 

だから、強く見える彼女の心中も、小さくなく揺らいでるだろうと考えていた。だが、それは杞憂のようだ。

 

(それも、歪な事だと思えるけど)

 

常ならざることを異常というのなら、ミラのこれはどうなのか。それでも、ここで延々と問答してても仕方ないか。

 

「じゃあ出発するね。先頭はミラでよろしく。ああ、昨日と同じく、"合図してくれたら"後ろの方はフォローするけど………前の敵は絶対に倒してね」

 

だけど今は、ミラの剣の腕を上げることに専念すべきだろう。強い志があるならばそれに沿うだけ。いつか僕達は、イル・ファンに特攻するのだ。その時にミラが弱いままじゃあ、色々と取れる選択肢が狭まる。強くなってもらわなければ困るのだ。だからの雑魚街道の道中、僕とアルヴィンが無双しても意味がない。

 

「了解だ」

 

「じゃあ行こうか」

 

 

 

そうして意気込んで出発した旅路だが、道中では特に何も起きなかった。現れたのはあくびしながらでも対処できるぐらいの弱い魔物だけ。それでもミラにとってはいい経験になったのか、戦う度に剣の腕が成長していった。あるいは、四大無しで戦っていた時の感覚を思い出しているのか。単に成長しているのかもしれないが。

 

それでも、未だに剣速は定まらない。だけど、剣にこめる意志が揺らいでいないのは見事だった。振るとなれば斬る、傷つける。それを熟知していなければ、ああまで真っ直ぐに剣を振りきれないだろう。使命を第一に考えているからか。戦う者としての気構えは、あるいは僕以上かもしれなかった。それにしても、剣の腕だがその上達速度が異様に過ぎる。なんにせよ、あれだ。

 

「ほんと、どこにでも天才って居るんだよね。手を伸ばした先の更に先まで、一足飛びで行っちゃう人とか」

 

このままの調子でいけば、半年程度で追いつかれそうだなあ………凹む。こちとら5年も血に汗に流して頑張ったっていうのに。

 

「いや、数ヶ月間戦い続ける、ってそんなこと有り得ないだろ。なんだ、戦争でも起きんのか?」

 

「修行は戦争だよ?」

 

「いや、ねーよ。まあ少年も大したもんだと思うぜ? 何か格闘術でも習ってたみたいだが、かなり出来る師匠についたと見えるね」

 

「あー、近所に居る地上最強の主婦からちょっと教えを」

 

師匠、元気にしてるかなあ。僕はいつの間にか夢破れ、追われる身になってしまいました。思い出す度に何かを捻りたくなる。今は目の前の魔物に拳を向けてるから大丈夫だけど。で、アルヴィンは地上最強発現を冗談だと思ったのか、またまたご冗談をって顔になってる。

 

ちっとも嘘じゃないのに。でも説明しても信じてくれないだろうから、別の話題をふった。

 

「アルヴィンって、それ。面白い武器もってるね?」

 

「ああ、これか」

 

言いながら、何か礫を高速で射出する武器を見せる。

 

「火の精霊術のちょっとした応用でな」

 

「聞いたこと無いけど、どこにでも売ってんの?」

 

「貴重なものなんで、ツテが無いとちょっと無理だな。なんだ、欲しくなったのか?」

 

「いや、いらないけど――――っと」

 

そこで、リンクからミラの危機を察した僕は、すぐに駈け出した。

 

リンク。リリアルオーブが持つ特殊能力で、組んだ相手とある程度の意思疎通を可能とするもの。

 

(後ろの事は気づいていたか)

 

ミラの合図が無ければ、追いつけなかった距離だ。合図がなければ、昨日の戦い始めのように、後ろから攻撃を受けていただろう。

 

(昨日のはわざとだけど)

 

戦いの最中に後背を気にしない、というのを実地で知ってもらったつもりだが、良い具合に学んでくれたようだ。今日の戦闘はこれで10度ほどになるが、戦い始めてから二度目ぐらいには、もう後ろに注意を払えていた。一歩でトップスピードに、二歩目には敵を間合いの内に捉えている。

 

ミラを背後から襲おうという、狼の魔物の背後を。

 

「しっ!」

 

踏み出し、体重を載せた右拳の一撃が相手の肉にめり込む。

会心の一撃を後ろの受けた狼は、血反吐を吐きながら飛んでいった。

 

(次―――)

 

右後方からミラを狙っていた植物の魔物の方を向き、踏み出す。こちらに気づき、迎撃の蔦を鞭のようにして攻撃してくるが、遅い。顔面に迫る鞭を左手で打ち払い、その勢いで回転。右の回し蹴りから体を回転させ、左の後ろ回し蹴り、最後には右の足刀を相手の頭らしき部位に叩きこむ。

 

「飛燕連脚、っと」

 

技の名前を後には、魔物は塵へと還っていた。ミラの方も、狼の魔物を倒せていたようだ。死骸が塵になっていくのが見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………じゅるり」

 

「先生! ジュード先生! 何やら麗しい筈の女性が一人、とても見てられないような見苦しいよだれを垂らしております!」

 

「いいから落ち着いて。あと、先生言うな」

 

慌てるのは分かるけど、あんたキャラ崩壊してるがな。ミラも、女性としてどうかと思うよ。あと医者のアレ思い出すから先生言うな。てーか、なんだこの事態は。昨日の食事で美食道に覚醒してしまったのだろうか。

 

「食い意地が張っているというか、なあ。俺も、何となくだけど気持ちは分かるがな」

 

アルヴィンは苦笑しながら言った。僕も同意する。

なんせ、前方に見える村から、それはもう本当に美味しそうな香りが漂ってくるのだ。

 

「甘い甘い果物の香り………ナップル、か。そういえばそんな季節だったな」

 

前に来たのは、ちょうど一年前ぐらいか。

あの頃は色々と旅に修行に研究に、忙しかった時期だった。

 

(そういえば、あの妙な幼女は元気にしてるかなー)

 

 

僕は前にあった奇妙な少女の事を思い出しながら、足を早めた。

 

 

山奥にある小さな村、ハ・ミルへと。

 

 

 



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11話 : 山奥の村の少女

 

ハ・ミルに到着してすぐ、僕達は村の人々に歓迎された。というか、僕を歓迎したいのだという。何故に。しばらく考えたが、以前にこの村に来た時に果樹園で怪我していた人達を治療した事を思い出した。曰く、これは感謝の証らしい。

 

こういった辺境の村民はよそ者を嫌う傾向があるけど、仲間を助けてくれる人はまた別ということだろう。村に厄介事を持ち込まない限りは友好的になれるのか。お言葉に甘え、ひとまず宿を借りることにした。ミラがもう体力の限界だったからだ。

 

招待されたのは空き家だった。すわ嫌がらせかとも思ったが、見れば掃除が行き届いていたし、なかなかに洒落た内装をしているようで悪くなかった。窓の外から見える光景も悪くない。見晴らしよく、夕暮れが見渡せる。

 

そういえば前に来た時もずっと夕暮れ時が続いていたように思う。これは霊勢が偏っているのが原因か。イル・ファンは完全な夜域で、24時間空は夜に固定されていたが、ここは黄昏時に固定されているようだ。

 

ミラに確認してみるがどうやら彼女は霊勢について知らない模様で。えーと、リーゼ・マクシアでは一般常識なのだが………さすがは精霊の主と言った所かぁ。

 

言葉を選びながら告げるが、「人間が定義した言葉、その全てを知っているわけではない」とのこと。

 

精霊の力のバランスから成り立っている現象だから、把握していてもおかしくないと思うんだけど。いや、あるいは別の視点で把握しているのかもしれない。表現する言葉が違うとか。精霊と人では日常からして違うのだから、それもあり得るだろう、いやきっとそうですよね。精霊にとっては名付けるにも値しないような事なのかもしれない。

 

まあ、精霊の世界など知らない僕にとっては、そのあたりは全く分からないことなんだけどな!

 

急に黄昏れたくなった僕は、美しい夕暮れに叫んだ。馬鹿野郎と。

 

そして、今日もまた日が落ちる。青い空が血に染まる。乾いて黒く、夜になるのだ。

 

「ってなんだよアルヴィンとミラ。そんな眼で………え、ふひひって笑うなって?」

 

なんでも笑い声に加えて笑顔も怖かったとか。失敬な。無礼な二人は無視し、目の前の光景を楽しむことにした。冗談抜きで、なかなかに美麗だと思うし。この村自体がかなりの高台にあるから、はっきりと見える夕陽と照らされた景色が非常に“絵”になっているのだ。坂道を登り続けた甲斐もあるというもの。

 

心の栄養を蓄えてひとまずの休憩が終わった後、僕達は3人で村を歩きまわった。イル・ファンとは比べられないほどに人が少ない。煩わしい喧騒もなく、気持ちが落ち着くというか、安らかな時間に浸れる。以前もそうだった。感想を貧乳に告げると、「ジジイか」とか言われたけど。

 

それだけではない。今は収穫の時期なのか、村のそこかしこから、ナップルの甘い香りが漂ってくる。何にしても、食欲が唆られる臭いだ、ってまたミラさんがよだれを垂らそうとしていますね。

 

「そういうことで、今日はナップルを入れたソースを使おうと思います」

 

「是非頼んだ」

 

返事までおよそコンマ一秒未満、恐ろしい反射速度だった。食欲が本能を凌駕しているらしい。ので、ナップルを多めに買ってくることにした。時間があれば、明日の朝にデザートとして出せるだろう。

 

そして食料品屋で肉も買いつつ、また街を回っていた時に面白いものを見つけた。村の入り口より少し中に進んだ所にある、大きな樹。その中に、なにやら紫色の水晶みたいなのが埋めこまれたのだ。背伸びして取ろうとするが、そのままじゃ届かないので、マナで脚力を強化しながら飛ぶ。で、触ってみると紫色の水晶は、まるで宝箱のように開いた。

 

中身はお金だった。しかも結構な額だけど………

 

「う~ん………誰かのへそくり?」

 

「いや、屋外のこんな所に放置する奴はいないだろ」

 

「うわ! すごいや兄ちゃん、それ開けられたんだ!」

 

近くにいた少年が駆け寄ってきた。いや普通に開いたけど、と答えるが誰が何をしても動かすことすらできなかったとか。それでも、そんなに力はこめていない、となれば答えは一つか。

 

「マナを籠めたから、かな」

 

脚力を強化すると同時、何があるのか分からないので一応手にもマナを巡らせていた。結構なマナを発しながら触ったから、それが原因だろう。で、中から文字が書かれた手紙のようなものが出てきた。宝がうんたらかんたら、なんたらふんたら。さっぱり意味が分からなかったが、これを残した人物の名前だけは分かった。

 

「………アイフリード?」

 

聞いたことのない名前だ。けどこれは、大海賊アイフリードが各地に残したという宝の一つらしい。それでも大海賊と言う割には、金額がしょぼい。ていうか、あちらこちらの町や村を巡り歩いた僕でさえ聞いたことのない名前なんだけど。それなのに“大”海賊か――――うん、自称?

 

つーかもっと、こう、輝くような黄金でも入れとけってんだ。世界各地にばらまいたらしいが、どうにも期待できそうにないぞ。でも、あって困るもんじゃないし、見つけたら取りあえず拾っときますか。

 

しばらくして食事の時間になった。いい加減ミラの視線が獣染みたそれに変貌してきたので、急いで準備にかからねば俺が頭からガブリと齧られかねない。調理できるキッチンがあったのは僥倖だった。で、時間をかければアルヴィンが喰われかねないのでさくっと、しかし旨みの強いものを作る。

 

「ほいっと、出来ました」

 

「おお!」

 

「今日はチキンのナップルソースがけと、地元のポテトを使ったサラダでございます」

 

「いただきます!」

 

言い終わると同時、子供のように目を輝かせるミラは先日と同じように電光石火の速さで料理を食らいついていく。食べるスピードは相変わらず早い、けど道中いくらかマナーを注意して、それを意識しているせいか昨日よりは遅かった。

 

でも前よりマシだけど口の端に食べかすがついているよお嬢さん。苦笑しながら拭いてやる、ってこれなんか僕のキャラじゃないような。それでも、子供のように無邪気に礼を言ってくるミラを見ていれば苦笑が零れてしまう。

 

「まるで子供だな」

 

「ん、何か言ったか?」

 

「美味しいかな、って」

 

「ああ、旨いぞ! 君は料理上手なんだな!」

 

「まあ………必要だったからね」

 

父さんも母さんも忙しかった。だから僕が覚えたのだ。

 

「まあ、本当の昔には、一度父さんの酒のアテを作っていた時期もあったからね」

 

「ん、そういえばこの村ってワインも作ってるんだよな」

 

アルヴィンが目を輝かせているが、却下だ。

 

「まあ、あるよ。パレンジの実を原料として作られている酒がある――――けど明日に響くからアルコール類は却下ね」

 

「即答かよ。つーか変なところで真面目だねえ、優等生?」

 

笑われた、ていうか優等生と言われたのは初めかもしれない。それが顔に出ていたのか、アルヴィンが苦笑している。

 

「というか、一人旅に飲酒は禁物だろう」

 

「まあ、なあ」

 

戦闘の趨勢を左右するのは判断力だ。で、酔ってしまうと頭の回転がかなり鈍る。こうして護衛を抱える身としては、飲酒とは最も行なってはいけない行為の一つである。

 

「それに、なるべく酒は飲まないようにしてるんだよ」

 

前に飲んだ後のことだ。飲んだ直後の記憶が無くなっていて………その場にいたナディアからは『お前は金輪際酒を飲むな。酔うな。次は殺す。絶対に殺す』とか顔を赤くしながら言われた。かなりヤバイことやっちまったんだろう。見たことがないほどに顔を赤くしていたし。

 

なんにせよ、記憶が無くなるってのは何となく面白くないので、あれからはアルコールは取らないようにしている。

 

「ま、雇い主の意見に合わせますか。で、俺はこのまま休むけど?」

 

「あー、僕はちょっと外に出てるわ」

 

ちょうどいい。前に聞いた、ベストスポットとやらに出かけますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………見事、としかいいようがないね」

 

村外れにある果樹園、そこを登った先に見えたのは絶景だった。どこまでも広がっていくような赤い空の海に圧倒される。あの時は登れなかったけど、こんなに綺麗な風景だったのか。

 

「落ちた人、治療してたもんなあ」

 

思い出し、つぶやく。あの時はこの高い足場から落ちた人の治療をしていたせいで、この風景を見られなかったのだ。でも、この絶景ポイントも治療した相手から教えてもらったんだけど。この果樹園奥より少し手前にあるこの樹の近くから見た景色が一番良いらしく、その言葉は確かだった。ちょうど見晴らしを塞ぐ障害物が無くなる場所だ。広い空。遮る物は何もなく、遥か彼方の地平線まで見渡せる。

 

綺麗だ、と陳腐な表現が心に浮かぶ。だけど陳腐だが、コレ以外に現しようがないのでは仕方ないと思う。いつもは何の気なしに眺めている夕焼けも、こうしてみれば壮大なスケールで行われている現象だと分かった。

 

――――と、風景に見惚れていたその時である。

 

「あ………」

 

高台の奥の方から、幼い少女の声が聞こえた。いったいこんな場所に、しかもこんな時間に誰がいるのか。あるいは同じ目的で、ここに上がっているのだろうか。

 

考えている内に少女はこちらへと近づいてきた。とて、とて、と確かめるように歩いている。一目見て、どこぞの幼馴染とは違うと分かる。胸に人形を抱え、おっかなびっくり間合いを詰めてくるといった方がいいのか。活発とは程遠い、儚いや寂しいなどといった言葉を連想させられるような少女は立ち止まった。

 

そして、顔を上げた。

 

「あ………の………」

 

「ん、僕?」

 

ささっとまた顔が下がった。視線は僕の足元に固定されている。目が少し泳いでいたので、怯えているのかもしれない。見ているだけで暗い印象を感じさせるこの少女だが、顔は整っている方だと思われる。あるいは、美少女の域に入るのではなかろうか。

 

ミラとは異なる造形だ。綺麗というよりは、可愛いと表現した方が正しいか。セミロングで髪は金色。だけど、見た目の性格のような抑えた金の色である。年は10かそこらだろう。顔もそうだけど、雰囲気からも幼さが見て取れる。

 

しかし、どこかで見たような――――と考えた所で思い当たる絵があった。

 

果樹園で治療している最中、遠目に彼女の姿を見ていた。村人とは離れた位置にいて、だけど心配そうに怪我をした人の様子を伺っていた。特徴的な紫の色の服も、あの時の姿そのままだ。胸に抱いている人形も同じである。不気味なデザインの人形だけど、余程大切なものなのだろう。

 

まるで人間を相手にするような力で、優しく抱きしめている。抱かれている人形は、眼を閉じたままだけど………ん、閉じて?

 

なにやら違和感があるが、取り敢えずはその違和感を無視し、僕は少女に話しかけた。

 

「えっと、何か用かな」

 

取りあえずは営業スマイルで牽制する。なんていうか、この少女からは威圧感を感じるのだ。はっきりとしたそれではないけど。そう聞くと、少女は視線を左右に逸らしはじめる。焦っているのか、慌てているのか、それとも戸惑っているのか。混乱した様子を見せている。何にせよ大人しい子だ。

 

今までが今までのせいか、異世界人を相手にしているような感じを覚える。珍獣というか、触れれば壊れるプリンのような。ともかく、相手にしずらい。

 

どうしたものか。そう思っていると―――――――いきなり、爆弾が来た。

 

正面。抱かれている人形が、いきなり眼を開けて――――!?

 

 

「や! こんにちわぁァ!!」

 

 

「へあっ!?」

 

 

全くの予想外、かつ不気味な外見とその口に驚いた僕は瞬間的に間抜けな声を上げ、咄嗟にその場から飛び退ってしまい――――

 

「あ………!」

 

少女が焦った顔をする。うん、それもそうだろう。なんせ、今の僕の足元には、足場というものが存在しないのだから。

 

 

「あああああぁぁぁぁぁァァ」

 

 

 

僕は間抜けな声を出しながら、高台から真っ逆さまに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「天狗じゃ! 天狗の仕業じゃ!」

 

急いで宿に戻るなり、ミラとアルヴィンに向けて叫ぶ。悪魔のような魔物が現れたのだ、と。あれは危険すぎる、一刻も早くここから逃げなければならないだろう。さっき高い所から落ちたせいか、着地した足がしびれているが、そんなことを気にしている場合じゃない。

 

あれは天狗じゃ。この美しい黄昏の世界を侵略しようとする悪鬼羅刹、すなわち天狗が現れおった!

 

でも返答は切なかった。

 

「あー………えっと、ジュード? もう朝か? 朝ごはんはデザートとやらに、ナップルが欲しいぞ」

 

寝ぼけているミラ。寝癖が激しいってレベルじゃない。その姿を見たら、なんて言うか空気が一気にしぼんだ。

 

「ってミラ、よだれが! 一端起きろって! いくらなんでもそれはまずい! あと、少年は取り敢えずそこに座れ!」

 

落ち着かせようと声をかけてくるアルヴィン。こっちは大人の余裕を感じました。で、僕は深呼吸をしながら気を落ち着かせると、見たものを二人に説明した。

 

「ぬいぐるみ………それは食べられるのか?」

 

「よし分かった。いいからミラは寝ててくれ」

 

精霊の主は昼の戦闘がきつかったせいか、役に立たない。精霊の主の後に(笑)がつきそうなお人は、ひとまず寝ててもらおう。一向に話が進まん。

 

「で、それはマジもんか少年」

 

「ああ。可愛い顔してあの娘、やってくれるもんだね。まさか大人しい外見を囮にするとは………」

 

また一つ、女性の恐ろしさを学んだ僕であった。弛緩させた上でそこを突く。見事な奇襲だった。

それから対策案などを話していると、ふと背後に気配が。

 

「あの………」

 

声がして。振り返れば、奴がいた。具体的には、先ほどの金髪の美少女が入り口の所に立っている。

 

「お前は、天狗の!?」

 

「………天狗、ですか?」

 

「落ち着けって少年………どうみても悪い娘じゃなさそうだぞ」

 

カオスになりそうな場は、アルヴィンの一言でひとまずの沈静化をみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、それはただの喋るぬいぐるみだと?」

 

「そうそう! いきなり驚いて失礼しちゃうな~」

 

「黙れこの謎生物Xが。というかぬいぐるみが言語を解するかこの雌雄同体。ってか、性別という概念があるかどうかも怪しいわ」

 

取り敢えず説明してくれたが、この物体はなんなのだろうか。害する意図がないのは分かるが、こうも正体不明ではこちらが不安になってくる。さきほどは緊張していたせいで声が上ずってしまったと言うが、そんなこと誰が信じるか。でも、実際の所は判別がつかないでいる。見れば見るほどわからない。いったい、この目の前の物体は何科の何類に該当するのだろう。生物学的にもおかしいとこだらけだ。

 

いや、生物じゃないだろう。見た目は人形というか、獣を模したぬいぐるみそのものだし。自律して動いているようにも見える。腹話術じゃないし、宙に浮遊している。うん、見れば見るほど怪しい。でも確かに、悪いモノじゃなさそうだな。

 

「あの………わたし、エリーゼといいます。エリーゼ・ルタス」

 

「僕はティポ。エリーの親友だよ~」

 

なんか自己紹介をしてくる美少女+α。僕はアルヴィンを顔を見合わせる。意外そうな顔をしている。僕も、きっとそういう表情を浮かべているのだろう。まさかここで、礼儀正しく対応されるとは思わなかったからだ。見れば、少女の方は若干身体が震えている。ちょっと騒いだのが怖かったからだろうか。僕はそこまできて、ようやく自分の状態を把握した。この少女を、怖がらせていることも。

 

だから、苦笑しながら自己紹介をすることにした。若干の謝罪も含めて。

 

「僕はジュード。ジュード・マティスだ」

 

「俺はアルヴィンだ。よろしくな、将来が楽しみそうなお嬢さん」

 

「で、こっちで寝ているのがミラ。二つ名は美食に目覚めた女狼」

 

「………否定できんな」

 

アルヴィンの同意を得た後、エリーゼの互いの誤解を解いた。まだ何かを話したがっていたようだが、夜ももう遅いと判断した僕はお開きにしようと提案した。

 

空は相変わらず黄昏で、夜というものを感じさせないが、腹時計から言って時刻はもう夜半過ぎになっている。明日の出発に差し障ると思った僕は、少女エリーゼに帰宅を促した。

 

 

 

 

 

 

 

――そうして、翌日。

 

 

僕は朝食をしている最中、ミラに昨日のことを話した。だが、彼女は全く覚えていないらしい。ナップルの実を食べながら、首をかしげて「そんなことあったか」と言いたそうな顔をしている。まあ、ミラも昨晩はかなり疲れているようだったからな。

 

それから朝食後の食器を洗っている最中だ。ミラが、村の入り口か奥に続く、大きな通りで何をするわけでもなく佇んでいるのが見えた。食器を洗った後通りに出てみると朝から働いている村人の姿があった。

 

ミラは、そんな人達を、眩しそうな顔でじっと見つめている。昨日の駄目っぷりが嘘のようである。威厳あふれる精霊の主。そんな単語が脳裏に浮かぶ。

 

僕は何か、話しかけるのも躊躇われたので、取り敢えずは少し離れた場所に、同じように立った。手に持っているナップルをかじりながら、黙る。

 

(そういえば、なあ)

 

思えば、こうして落ち着いて二人で居るのは初めてのことだ。だから僕はミラに、かねてから確認しておきたかったことを聞いた。色々とあるが、本当に聞きたいことは一つ。

 

研究所にあった、兵器。全ての事態の中核らしきもの。

 

――――黒匣(ジン)と呼ばれるもの。

 

そう、賢者(クルスニク)の槍に使われていたものについてだ。

 

「あれは、人が手にしてはいけないもの。人の手から、離さねばならないものだ」

 

「それは………あの兵器が、危険なものだから?」

 

四大を捕らえうるほどの兵器。マナを吸い取り人を殺す、兵器そのものだ。なるほど、それならば確かにそうだ。どういう原理でできているかは分からないが、あれは人の手にあまる。どんな使い手でも倒せる程のポテンシャルはあるのだろう。だが、ともすれば無差別に多くの人間を殺傷する兵器にもなりうる。

 

だけど、それは剣も同じだろう。槍も。人を殺傷する存在としては、刃物も弓矢も似たようなものだ。あれだけが特別な意味が分からない。わざわざ精霊の主が出張るほどのものなのか。

 

「あれは、特別なものだと?」

 

推測をまじえて、問う。だが、ミラの返答はにべもなかった。今度は突き放すような口調で、答えを返してくる。

 

「君が、その理由を知る必要を感じないな………」

 

「それは、言えないってこと?」

 

問いながらも、わかっていた。なんというか、崩せない壁のようなものを感じる。ここだけは退けない、というような。確かに、あれが危険なものだというのは分かる。なにせ兵器だ。明記も明示もされていないが、あれを平和利用するなどありえないことだろう。兵器は兵器以外の存在には成り得ないからだ。その名を冠されたものは、全て等しく、何かを傷付けるために存在する。

 

だから壊すのだと、そう言えばいい。

なのに、言えない。言わないのか、言えないのか。

 

「いや………刃物と同じようなものだ。それだけではない。あれは、存在してはいけないもの。理由は関係ない、壊さなければいけない、使ってはいけないものなんだ」

 

「つまり、理由は教えられないと」

 

「赤子が刃物を手にしていたらどうする? 説明する前に、まず取り上げるだろう。そういうことだ」

 

ミラにしては珍しく、歯切れの悪い言葉。少しだが………言葉を選んでいるような。本当は、一言でばっさりと切り捨てたいのだろう。黒匣(ジン)とやらに対して、目に見えるほどの嫌悪感を持っている。

 

だから、分かった。ミラがなにかを誤魔化そうとしている事を。

 

「赤子、ね。まあ、精霊様から見たら、そういうものなのかな………それでも僕だったら説明して欲しい。赤子と子供の違いもある」

 

報せられない、ということはそれだけで痛い。倫理も知識も分からない赤子とは違う、何が痛いかを知ることができる人間であれば。

 

「それに子供だからといって、頭ごなしに言われる覚えはないよ」

 

子供も、必死に考えているのだ。一人前の大人と比べれば幼く、稚拙かもしれないが何も考えていないはずがない。明確な一個の存在としてここに在る。だから、一方的に頭を抑えつけられる覚えはない。そう告げると、ミラは困ったような表情を見せた。

 

「そういう意味で言ったのではないのだが………」

 

眼を閉じて、考えている。そうして、数秒はそのまま黙っていただろうか。その後、やはり眼を閉じながらミラは言う。

 

「上手くは言えない。だが、あれは絶対に壊すべきものなのだ。そのために、私は存在している…………」

 

ゆっくりと、確認するかのように、抱きしめるように。

 

「それこそが、何よりも大切な?」

 

「ああ―――私の、使命だ」

 

告げながら、向けられた視線の先。そこには、平和に暮らしている村人の姿があった。

 

「使命、ね………ん?」

 

そうして、感慨にふけっていた時。平和なはずの村人の顔が、緊張するものに変わった。何があったのかは、一目瞭然だった。村人達の視線が集中する先は、村の入り口。

 

そこには、ラ・シュガルの正規兵が居た。

 

「正気かよ………!」

 

ここはア・ジュール国内だ。いわば敵国。国境の先に、しかもこんなに早くやってくるとは。用心はしていたが、本当にこんな所まで兵を向かわせるとは思っていなかった。この兵は、僕達を追ってきたのだろうか。わからないが、聞いて確認するわけにもいかない。

「見つかる前に村を出ようか。キジル海瀑は村の奥、西に抜ける間道の先にあるから」

 

「………分かった」

 

見つかれば、ここは戦場になる。巻き込めば後々面倒くさいことになるだろう。

そう判断した僕達は、そのままアルヴィンを連れて村を出ようとする。

 

だが、村の奥にある海瀑へと続く街道の前には、すでにラ・シュガル兵が配置されていた。山の横からか、あるいは街道の横からか、先回りされていたようだ。

 

「どうする………?」

 

「正面から殴り倒していくか………いや、村に迷惑がかかるか」

 

至極まっとうなアルヴィンの意見。それを聞きながらも僕は強行突破を考えていた。補足される前に、顔を見られないままぶち倒すのが最善だと。だけど、後ろから聞こえた声に、思考を中断させられた。

 

「あの………なにしてるんですか?」

 

「あ、エリーゼ」

 

見れば、いつの間にやら昨日の少女がいた。

 

「ふむ………邪魔な兵士をどうしようか、考えていたのだが」

 

直球なミラの意見。聞いて、僕は思いついた。

 

「そうだ謎の物体。いっそのこと、あの兵士を食べてくれないかな」

 

「りょーかい~!」

 

「喋った!? って、食べる!?」

 

ミラが驚いている。だけど、昨日の僕ほどには取り乱していない。そんな僕達をおいて、ティポと名乗る遊星からの物体Xは兵士に突入。なんかの儀式のように、兵士たちの周囲をグルグルと回りだした。その兵士二人と言えば、恐怖のあまり頭を抱えて震えている。

「やるじゃねえか………」

 

親指をぐっと上げる。隣の二人は若干顔をひきつらせているが、これをチャンスと思いねえ。このまま突入しようと、顔を見合わせる。だけど、また声により行動は遮られた。

 

「ここで何をしておる」

 

僕達の背後。そこには、いつの間にだろうか、巨体が立っていた。一言で表せば、ジャイアントおっさん。ヒゲはもじゃもじゃ。衣装はどこかの部族のものだろうか、特徴のある柄をしている。というか、とにかくなにもかもスケールが違う。上にも横にもでかすぎるし、持っている武器もでかい。

 

「これ、娘っ子。小屋を出てはならんと言うに」

 

「っ………」

 

言われたエリーゼは、少し顔を逸らしたまま口を閉ざす。それもそうだろう。このおっさん、ただのおっさんじゃない。体格もあるが、それ以上に――――

 

(マナの気勢が厚い。それに、気配も鋭い)

 

身体にビリビリと来る程とは。両方を兼ね揃えている、という人とはあまり出会ったことはない。それこそ師匠か、店長といったハイレベルな武闘家以外では。そして実際に、おっさんは強かった。

 

道を塞いでいる兵士を見るや、「ラ・シュガルもんめ、勝手な真似を」と言った後だ。近寄るやいなや、手に持っているハンマーでぶっ倒した。頭をかじられていた兵士は為す術もなく吹っ飛ばされ、壁にたたきつけられた後、地面に倒れる。

 

「………あの二人、ついてなかったな」

 

アルヴィンが言うが、全くその通りである。正体不明のぬいぐるみに襲われてホラー。視界を防がれた後、怪力のバイオレンスである。それなんてスプラッタ。いや、兵士さんは死んでないみたいだけど。

 

「ともかく、助かった…………?」

 

ぬいぐるみ攻撃の礼を言おうとする。だが、エリーゼはすでにそこにはいなかった。

見えたのは、小屋へと走り去る小さな背中だけ。

 

「礼は………いいか、帰りにしよう」

 

槍を壊すなら、ニ・アケリアの帰りに寄ることになる。その時でいいかと、アルヴィンとミラに視線を向ける。

 

「分かった、行こうか」

 

「留まるのもまずいしな」

 

 

 

二人の同意を得て、僕達はまた出発を開始した。

 

 

 

 



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12話 : キジル海瀑にて

 

ハ・ミルを脱出して、5時間ほどが経過しただろうか。ガリー間道を進み続け、昼を少し過ぎた頃になってようやく僕達は間道の終わりまで辿りついた。

 

もう少し進めばキジル海瀑。

そこを越えれば精霊の里とも呼ばれる村、ニ・アケリアがあるらしい。

 

「でも、今日はひとまずここでストップね。野宿して、早朝に出発しよう」

 

「ああ、そうした方が賢明か」

 

「何………?」

 

アルヴィンは分かってくれたが、ミラの方は何故このまま行かないのか、と言いたそうな顔をしている。いや、そりゃ無理ってもんでしょ。

 

「突っ切るとしても、距離も道も分からないから。どれだけ時間がかかるか、全く分からないのはまずい」

 

それに、海のように水が大量にある所に強行軍するのは避けたい。そこに徘徊している魔物の強さも分からないし、迂闊に進むのは危険だ。せめてどのくらいの距離かがわかれば、あるいは魔物の強さが分かれば。どちらかの情報を得られていれば、このまま進んだかもしれない。だけど、ミラ曰くの"シルフで何時間か~"とかいうはっきりとしない情報を頼りに進むのは危険すぎると判断した方がいい。

 

夜になれば足場も見えなくなる。滑って転んで水の中に落ちるのは本当に危険なのだ。

 

「特にミラが危険だし」

 

「何故だ?」

 

「いや、ミラ泳げないでしょ」

 

「………おお!」

 

忘れていた、という風に驚いている。どうやら前に進むことしか考えていなかったらしい。それは大変結構なのだが、彼女を抱えて陸まで運ぶ作業はもう二度とごめんである。あの時はぶっちゃけ溺死するかと思ったし。

 

「しかし………どうしても無理なのか?」

 

「やれるといえばやれる。けど、命賭けになるから」

 

一日待つだけで、ほぼ安全に進めるのならばそうした方が良い。それに、だ。

 

「取り返しのつかない怪我でもすれば、そこで終わりになる」

 

「………そうなれば、あの槍を壊す者がいなくなるか」

 

言いたいことを分かってくれた、が少し渋い顔だ。

 

「あー、濡れている岩場は滑りやすいしなあ。いくらマナで防護していると言っても、岩場でこけると危ないぜ?」

 

アルヴィンのフォローの言葉に頷きを返す。それに、油断したまま浅瀬に落ちたとしよう。そのまま気絶でもしたら、死ぬことも十分にありえる。と、いう風に、アルヴィンと一緒にまだまだ納得いかないような顔をしているミラ姫へ、説明を繰り返していく。

 

そして苦節10分の説得の後、彼女は、ようやく納得してくれた。渋々という顔でミラが間道の方へと振り返った。まあ、シルフで移動する時の速度を自覚していない、ってのも強行できない理由になっているからな。

今度はちゃんと距離を把握しておきましょう。そのちょっとふてくされてる顔は、何かスゴイ可愛いから良いんだけど。

 

それから僕達は休める所を探した。魔物が襲ってこないような、高台が最適だ。こういうものは探せば見つかるもの。そして、探さなくても見つかる場合がある。代表的な例で言えば、近くの場所に別の冒険者や傭兵がいる時だ。一足先にここらにやってきていて、同じように休む場所を探している時。

 

――――例えばそう、右斜め前にある高台の上にあるような。

 

「ってあそこじゃん」

 

見あげれば、煙が上がっている場所があった。煙の色は白、漂ってくる匂いは肉が焼けるそれだ。間違い無いだろうから、と登ってみたら思った通り。そこには、傭兵と行商人の一行がいた。

あちらからも僕達の姿は見えていたようで、登ってきた僕達を迎えるように近づいてくる。

 

「よう。お前らは………盗賊って様子じゃないな。傭兵だけにも見えんが、旅人って所か?」

 

「そんなところです。僕とこっちの男は傭兵ですね。彼女に雇われたんですよ」

 

後ろにいるアルヴィンとミラを指す。

 

「へえ~………」

 

傭兵らしき男が僕達を見る。って、特にミラの方を見ている。全身を舐め回すような視線だ。しかし対するミラは全く動じていない。腰に手を当て、何を見ているんだというように見返すだけで気にもしていない。

 

だけど僕がムカツイた。男として気持ちが分かるが、なんかムカつく。

 

「っとお、怖い怖い。そう睨むなって。こっち来なよ。困った時はお互い様ってな」

 

傭兵の男が笑う。そこまで悪辣な傭兵じゃないようだ。で、連れられた先には、行商人の一行と傭兵達がいた。傭兵の7人は、団を組んでいるらしい。行商人は3人だろうか。荷物と立ち方から見るに、たぶんそうだ。しかし、傭兵の方はあれだな。言えた台詞じゃないが、眼つきが良くない。得にミラを見る眼が。傭兵の一人。恐らくはリーダ格であろう、整った顔に高い鼻を持つ色男が、ミラを眺めながら何事かほざいた。

 

「へえ~………上玉じゃん。初めて見たよ。あらかたの美人は知り尽くしたつもりだったけどなぁ」

 

先ほどと同じ、舐め回すような視線。特に胸のあたりに視線が集中している。対するミラは、腰に手を当てながら何でもない顔をしている。それを見た傭兵は、「度胸もあるじゃん」と口笛を吹いた。

 

「護衛が必要ってんならよ。そんな貧弱そうな奴らより、俺らを雇わねえ?」

 

「いや、断る」

 

ずっぱりと。まるで刃物のような口調で、ミラは告げた。

 

「お前たちと居ると、敵とは別に自分の身を守る必要が出てきそうなのでな。それに、今は別の雇い主が居るのだろう。私は不義理を働くような傭兵を雇いたいとは思わない」

 

「はっ、そりゃごもっともだな」

 

傭兵のリーダー格は、まいったと額を叩く。器はでかいようだ。統率もとれているらしい。まあ、喧嘩にならなくて良かったよ。負けるとは思わないけど、後々厄介なことになりそうだからな。

 

で、僕達は休憩する場所を確保した後、行商人の一行と情報を交換しあった。こちらから出す情報は、彼らがこれから戻るであろう、ハ・ミルのこと。

 

「なんだって、ラ・シュガルの兵がハ・ミルに? ………とうとう国境を越えてきたのか、ラ・シュガル側は」

 

とうとう、という言葉。引っかかりを感じて聞いてみると、行商人は「嫌な情報だがな」と、顔をしかめた。

 

「ここ数年の動きだけどな。ラシュガル軍部の中で、どうにもきな臭い動きをしている一派がいるらしい。ア・ジュールもそれに対応して、新たな研究を進めているってよ」

 

確定情報ではないがな、と。噂と同じような確度らしいが、一応気にしておく必要があるだろう。あの研究所の件もある。あの巨大な槍は、どう考えても対軍用。戦争に使われる類のものだったし。

 

「お前はどう見る? 俺はア・ジュールの方が有利だと考えているがな」

 

「思う、ではなくて考えるか。何か情報でも掴んだか? 20年前の開戦では、ラ・シュガルの方が優勢だったらしいが」

 

アルヴィンの問いには、傭兵のリーダーが答えた。

 

「王の差さ。ラ・シュガルのナハティガル王も、兄王を蹴落として王位についた傑物だが………ガイアス王はそれ以上の化物だぜ?」

 

「へえ、妙に具体的だな。アンタ、もしかしてガイアス王を実際に見たことあるのか?」

 

「ああ、両方の王にな。どちらも傑物だったが――――」

 

思い出した男の顔が、やや引き攣っている。

 

「ガイアス王は………あのお方は人間じゃねえぞ。あの、あの刀の前に立ちふさがるならファイザバード沼野を一昼夜越えする方が万倍マシってもんだ」

 

少し震えていたリーダーの顔色が、更に悪くなっていく。他の団員達も同じ意見のようで、全員が頷いていた。って、比べる対象が突き抜けている。あの沼を一日で越えようとか、自殺と変わりない。

 

一介の傭兵と言えど、実際に戦っていない相手にここまで言わせるとは。ガイアス王とは、一体どんな王なんだろうか。

 

「ああ、そういえば20年前の………ガイアス王はまだ12才だったって話だが。それでも会戦でかなりの活躍をした、って聞いたぜ?」

 

「半端ねえな、おい」

 

アルヴィンが呆れ顔だ。僕も同意する。いや、12才てあのエリーゼと同じぐらいの年じゃないか。それで、猛者渦巻く決戦の鉄火場で無双してたって?

 

「一体どんな化物だよ」

 

僕の言葉は皆も同感だったか、勢い良く頷いていた。そこからは、2、3くだらない話をするだけ。目新しい情報もなかったので、休むことにした。

 

 

 

 

―――そして、翌日。まだ薄暗い時に、僕達は出発した。行商人達には、昨日の内に出発する時刻を告げていたので問題ない。キジル海瀑に到着したぐらいで、普通の朝になった。

 

「おお、綺麗だな」

 

砂の平原が広がっている。その奥には海のように拾い湖が。そのまた奥には、見上げるほどの大きさの崖があり、上からは水が流れ出している。歩ける場所は、砂浜か、岩場の上か。魔物も居るようだ。

 

「見蕩れてないで、さっさと行くか」

 

「うん、夕方までには突っ切りたいしね」

 

「確かに、夜のここは歩きたくないな」

 

確認しあい、隊列を組んで先に進んでいく。だが幸いにして、このキジル海瀑に出現する敵の強さはそれほどでもなかった。砂場や濡れた岩場など、格闘術を使う僕にとってはかなり辛いフィールドになるが、それでも問題なくすすめるぐらいだ。

 

お荷物になるかと思ったミラも、かなり成長している。だんだんと剣筋が冴え渡っていくのが、目に見えて分かるぐらい。だけど、リリアルオーブのリンクはミラとつないだままにしている。成長して、守る必要が無いとはいえ、万が一ということもある。

 

出現する敵も、その全ては把握できなていない。今までの街道とは違う、未知の場所ということもあるので、今回は慎重に行くと昨日の内に決めたのだ。そうして、慎重に。うまく連携しながら、敵を順繰りに打倒していく。

 

「っとお、また団体さんが来たぜ!」

 

「僕は援護を!」

 

「私は左だな―――はっ!」

 

気合と同時に振り下ろされたミラの剣が、魔物に突き刺さる。しかし、また致命傷ではないようだ。そこに、ミラは追い打ちをかけた。

 

「ファイアーボール!」

 

火球が怯んでいる敵に直撃。まともに食らった敵が、たまらずに吹き飛んだ。

 

そのまま、マナへと分解されていく。

 

「おっとぉ、こっちを忘れてもらっちゃ困るぜ!」

 

アルヴィンの武器―――機構銃というらしい。火の精霊術を応用したというらしいそれが、文字通りに火を吹き、弾丸が瞬く間に突き刺さった。攻撃を受けた亀がひるむ。そこに、大剣の一撃が決まった。しかし、横合いから別の敵がアルヴィンに襲いかかる。なるほど大剣を振るった後、アルヴィンの身体は隙だらけに見えたが――――

 

「油断大敵、っとぉ!」

 

それは誘いだった。不用意に近づいた魔物が、アルヴィンのガンで迎撃される。

 

(なるほど、ああいう使い方もできるのか)

 

小回りのきくガンは、あくまで牽制用というわけだ。相手の体勢を崩したり、今のように大剣攻撃の隙を埋めるための武器。大したものだ。一人で戦っても生き残れる装備だろう。

 

(こっちも負けていられない)

 

拳打も蹴撃も足場が命。いくらマナで強化しているとは言え、体重が乗っていない拳や蹴りなど気の抜けたソーダと同じだ。でも、僕が使える技はそれだけじゃない。師匠から教えを受けたのは、護身を元とする格闘術。

 

環境がどうであれ生き延びるという、生存術にも似た武術なのだ。そして譲れないものを守る時、窮地においても真価を発揮する技。

 

しかし、この程度の苦境など飽きるぐらいに繰り返した。足場は良いとはいえないが、この程度の地面なら問題はない、何度か経験したことがあるぐらいだ。

 

まずは、ミラへの魔神拳での援護の間隙を縫って。

 

僕の方に近づいてきた魔物に、してやったりの笑みを返し、

 

「行くっ!!」

 

カニ型の魔物を足で掬い上げ、宙に浮かんでいる足を掴んだ。そして、ふりまわして岩場に叩きつけると同時に。

 

「砕けろっ!」

 

「ガアッ!!」

 

拳を叩き込まれた魔物が消えていく。だが、すぐさま背後からまた別の魔物が襲いかかってきた。

僕は咄嗟に前へと飛び、岩場を足場にして跳躍、敵の攻撃を回避しながら、攻撃の体勢に入る。

 

「飛天翔駆!」

 

脳天へ双足蹴りを叩き込まれた魔物が、声もなく絶命する。それを足場に、更に飛び上がり、また別の魔物へと蹴りを叩きこむ。

 

「おー、やるねえ少年!」

 

「ずいぶんと身軽だな!」

 

ミラとアルヴィンの声が聞こえる。どうやら、二人とも周辺に居る魔物を倒し終わったようだ。僕達はそんな調子で次々に襲い来る魔物達をたいらげながら、キジル海瀑を進んでいった。

 

ミラも、街道で戦っていた頃よりは、幾分かマシになっている。剣も、そして精霊術の使い所も上達しているのだ。近距離から遠距離まで、間合いを選ばない戦い方ができている。

 

それでも慣れない戦い方や、経験をしたことがない徒歩での旅に疲れを感じているだろう。なのに、愚痴の一つもこぼさないとは大したものだ。途中、妙な形の岩がたくさんある所があり、そこはちょっと進むのに骨がおれたが。ミラは望むところだとばかりに登っていく。

 

………ちょっとパンツが見えかけてドキリとしたのは秘密だが。

 

「ふむ、この岩は………精霊の影響を受けているな。精霊たちが集まっているのか」

 

なんでも、精霊たちが集まる場所には、こうした岩が多いらしい。ニ・アケリアの近くにある、精霊が集まる山とやらに似ているそうだ。

 

「つまりは、この先が?」

 

「ニ・アケリアで間違いなさそうだな」

 

少し疲れた顔をしていたミラの顔が、明るいものにかわる。故郷に帰られる事が、嬉しいのだろう。そのまま少しすると、また開けた場所に出た。大きな湖面があり、その中央を岩の足場が通っている。安定した足場だ。敵もいないので、ちょっと気晴らしにと雑談をしてみた。

 

「もうすぐミラの故郷か。精霊の里、って言うけど、いいところなの?」

 

「うむ、私は気に入っている。瞑想すると力が研ぎ澄まされる気がする。落ち着ける所だ」

 

「へえ~」

 

アルヴィンが感心したように頷いている。それより、座禅を組むとミニスカがいけない感じになるなーとか、そんな事を考えてしまう僕は駄目なのだろうか。

 

「ふむ、何やらまた不愉快な空気が………」

 

「ちょっと休憩しようか! 座ろうよ、うん! 硬い岩場歩いたせいか足も痛いし、疲れたままだと危ないしね!」

 

誤魔化しの言葉だが、二人も疲労がたまっていたのだろう。

 

頷き、提案に乗ってくれると足を止めた。

 

 

 

 

「いや~少年も少年っぽい所残ってるんだな」

 

「失礼な。どこからどう見ても普通の少年だよ、僕は」

 

「そう振舞いたいだけなのかも………っと、怖い顔で睨むなよ」

 

まあ、そっちの方が素に見えるがね。アルヴィンはそう言いながら、意味深な笑顔を向けてくる。

 

「何が言いたい?」

 

それにイラッときた僕は、思わず口調を取り繕うのをやめてしまう。

だがアルヴィンは予想通りだと、また笑みを深くする。

 

「やっぱり猫かぶってたか。なにか、違和感があると思ってたぜ」

 

「で、猫剥ぎとれて満足か?」

 

何が目的か。身構える僕に、アルヴィンはいや、と肩をすくめる。

 

「猫かぶったままなんて寂しいじゃねーか。俺だってお前とは仲良くしておきたいんだぜ?」

 

「よく言うよ。それならその全身から漂う胡散臭さをどうにかしてくれ」

 

「ははっ、素のお前さんは顔と違って辛辣だな。眼つきも悪い」

 

「よく言われる。そっちも同じような事言われてるんだろう。胡散臭くて信用しづらいってな」

 

嫌味を返すが、どうにもアルヴィンは動じない。一体なにがしたいというのか。

訝しる僕に、アルヴィンは「話は変わるが」と前置いて、言った。

 

「今日、動き良くなかったな。もしかしてハ・ミルのこと気にしてんのか?」

 

「………いや、気にしてはいない」

 

村人でどうにかできるだろう。怪力かつ手練なあのおっさんがい居るならば。むしろ一人でどうにかなるレベルだと言ってもいい。

 

「本格的な追跡部隊が編成されるには、まだ時間がかかる。あれは僕達を追うための兵じゃないと思うけど?」

 

「それには同意だな。で、別に懸念すべき事項はないと?」

 

「ああ………いや、エリーゼという少女な。たすけてくれたし、一言だけ礼を言わんと」

 

どうにも、寂しそうな。別れてからだけど、そんな印象を抱かせる少女だった。謎生物は不気味だけど、まあよくよく見れば面白い存在だ。それにしても、何故あんな所に一人でいたのか。もしかして、友達がいないのだろうか。

 

(かつての僕と一緒で、と………いや、そうかもな)

 

そこまで考えて、なんとなく分かった。話しかけてきた理由も、あの後僕を追ってきた理由も。

 

「………話し相手が欲しかったのかもな」

 

僕と一緒で。あの人形のせいか、妙な威圧感のせいか。エリーゼは、あの村の中での居場所を持っていないのかもしれない。だから、村の外の人間である僕達の手助けをしたのかもしれない。

 

一言、お礼の言葉を聞きたくて。もしかしたら、会話だけでもしたくて。

 

「どうした、なんだ藪から棒に。それに、何か………変な顔だぞ」

 

「ほっとけ。こっちの話だから」

 

初日のは、話し相手が欲しかったのかもしれない。すぐに追いかけてきたし、妙に追いつかれるのが早かったし。それだけ必死だったのかもしれない。でも、あれ、ちょっと。

 

(梯子で降りたにしちゃあ、追いつかれるのが早すぎたような)

 

もしかしてあの高さから、飛び降りたとか。いや、見た目あの華奢な身体で着地の衝撃に耐えるなら、どれだけのマナ補強が必要になることやら見当もつかない。まあ、それも今度お礼を言う時に確認すればいいか。お礼を言うのは確定だし。もしあの場で強行突破してたら、ラ・シュガル側に僕達の居場所がばれていたかもしれないし。

 

「まあ、何にしてももうすぐ到着だ。このまま何も無ければ―――――って」

 

あっちで休んでいるはずの、ミラの声が聞こえた。それは、何か苦しさを感じさせるような声で。僕はアルヴィンを顔を見合わせると、そっと近づいていった。

 

で、岩場の向こうにまでたどり着くと、予想外の光景が広がっていた。

建物の2階ほどの高さがある岩場の上。そこに、ミラに勝るとも劣らないナイスバディなお姉さまが立っていた。およそ女性として理想的であろうラインを描いている尻に、動物な尻尾のようなものがついている。服も大胆だ。太もも、そして胸元から下腹までに肌を隠すものはほとんどない。申し訳程度に、網のような布で覆っているだけ。

顔も、美人の一言だ。冷たい感じを抱かせるが、メガネをかけているその顔は、ミラとはまた違うタイプだけど、はっきりと美女だと言える。

 

そんな、見た目痴女な格好をしている美女が、大きな本を片手に。見たこともない精霊術のようなものでミラの身体を拘束したまま、その身体をまさぐっている。

 

端的に言って桃源郷だった。小声でちょっとアルヴィンと話し合う。

 

『エロス………そう、エロスを感じるね』

 

『あいつは………いや、そうだなエロスだな。ってなんだ、お楽しみの最中か? 何にしても眼福だな』

 

『いや、違うでしょどう見ても。超眼福なのは同感だけど………くそ、この距離じゃ何話しているのか分かんねーな』

 

アルヴィンの言葉にひっかかるものを感じたが、スルーする。と、何やらミラの胸の中から、円盤状の、カップの下に敷くコースターのようなものが出てきた。

 

『え、なにあれ。マイ・カップならぬマイ・コースター? 僕のいない間にハ・ミルで買ったとか……いやここは逆をついて、むしろ投げて遊ぶ的な?』

 

『それは無いだろうな』

 

『じゃあ何だよ』

 

『いや、こんな遠くから分かるかよ。お前どんな視力してんだよ』

 

『ちっ、アルヴィンって使えねー男なー』

 

『………お前さん、素だとホントきついし嫌な性格してんのな』

 

『胡散臭いアルヴィンよりはマシだよ。でも――――』

 

ともあれ、ミラを助けなければいけない。

 

岩場の裏から回り込み、二人同時の奇襲をしようと考えた。

 

――――が、遅かったようだ。

 

「出てきなさいよ」

 

僕達が覗いていること、もう悟られていたようだ。というより、僕達が居ることを見越しての奇襲だろうしね。ミラを人質に取られているも等しい状況だから、このまま隠れているという選択肢は有り得ない。取り敢えずは言うとおりにすることにした。

 

すると、美女がアルヴィンの方に視線を向ける。

 

「………あら、今度はこの娘にご執心なのかしら?」

 

「放してくれよ。どんな用かは知らないが、彼女、俺の大事な雇用主(ひと)なんだ」

 

「――――近づかないで。どうなるか、わからないわよ」

 

えっと、アルヴィンの方もあの痴女を知っているようだったけど、この雰囲気は何か。もしかして、元カノか何か? これって痴話喧嘩?

 

目の前のワイルドえろえろねーちゃんってば、アルヴィンの言葉がむかついたのか、かなり怒ってるように見えるんだけど。

 

ともあれ、ここはどうするべきか。

 

彼我の距離間は20歩程度と見た。一足飛びでは詰められない遠間な上、相手には高所の利がある。

隙をついて奇襲するには、ワンステップ足りない。賭けにもならない、勝ちの目は出ないだろう。

 

(アルヴィンの銃なら………いや)

 

確認できないが、もし彼女が知り合いというなら、アルヴィンの武器も知られている可能性が高い。もしかすれば、ミラを盾にされるかもしれない。だからまず、ミラに向いている注意を逸らすか、彼女を拘束している術をどうにかするべきなのだが。

 

(だけど現状、僕とアルヴィンだけじゃあ無理)

 

打開策の材料には、足りない。ならば、簡単だ。

 

声には出さず、頭の中で師匠の言葉を反芻する。戦うと決めた場所で、生き残りたいと決めたのならば、と教えられたことがある。目の前のことだけにこだわるな、解法は一つではないと。自分で足りないのならば、それ以外―――例えば周辺の環境も味方になる場合もあると。

 

僕は師匠の教えに従い、他に使えるものを探した。そして幸運なことに、"それ"はすぐに見つかった。それを軸とした、簡単な作戦も思い浮かんだ。

 

複雑でも綿密ではない、単純で大雑把な作戦だけどそれだけに修正は効く。数秒でそれをまとめるた後、小声でアルヴィンに話しかけた。

 

『アルヴィン、そのまま聞いてくれ………右上にあるあの大岩、それで撃てるか?』

 

視線は向けずに、答えを待つ。アルヴィンはすぐに答えた。

 

『この距離なら、まず外さねえよ。で、何か策があるようだがタイミングはどうする?』

 

『一射目はすぐに。で、合図するからその時にニ射目を。彼女の足元にある岩場を撃ってくれ』

 

『―――了解!』

 

これ以上話しあっている時間もない。まずアルヴィンが、ゆっくりとガンを構える。

 

「………あら、可哀想。この娘は見殺し?」

 

ガンを見据えながらも、少し動揺した後。アルヴィンは気を取り直すように挑発してきた痴女を無視し、目標を右斜め前に変えた。女は油断しているようだ。しかし、この武器をみて動揺もないということは、アルヴィンについてはある程度は知られているということか。

 

それが、この場では上手く作用する。もしガンを知らないものとして捉えていたのなら、敵の警戒は深まっていただろうから。

 

そして、アルヴィンが見据える先には、崖に張り付いている岩で。引き金が引かれると同時、数発の弾丸が岩に直撃した。

 

直後に、"それは起きた"。

 

衝撃を受けた大岩。

―――その横から突如、大きな足が生えたのだ。

 

「なっ?!」

 

 

痴女が驚きの声を上げたが、無理もないだろう。なにせ、岩だと思っていたものから足が生えて、突然動き出すのだから。しかし、予想通りだった。マナを注視すれば分かる。あの大岩は、巨大な魔物が擬態していたもの。

 

前に文献で読んだことがある、突然変異種の大型魔物だったのだ。生態は分からないので何故あの場所でじっとしていたのかは不明だが、恐らくは眠っていたのか、ただ動くのが面倒くさかったのか。

 

だが、撃たれたショックはかなり堪えたのだろう。覚醒し、何やら物騒なマナを出し始めている。

 

「今!」

 

そして合図と同時、僕は走りだした。合図を受けたアルヴィンが撃つ。弾は彼女の足場となっている岩に命中し、敵の女はそれに驚いた。集中が乱れたせいか、ミラを拘束していた術が解かれ、宙に身体を縫いとめられていたミラが、そのまま下の地面へと落ちる。

 

「ミラ、こっち!」

 

着地するミラの手を引きながら、即座にその場を離脱する。そして、間一髪。

先ほどまで立っていた場所を、魔物の巨大な足が踏みつける

 

軽く、地面が揺れた。

 

その中で僕はミラの手を引きながら、ひとまずアルヴィンが居る所まで退避する。

 

「上手くいったな………っと、そうとも限らねえか!」

 

「ああ、どうやらこっちに来るみたいだぞ!」

 

注視しながらも気配を探るが、あの痴女はいなかった。素早く逃げたのか、あるいは吹き飛ばされたのか。どちらにせよ、目の前の魔物をどうにかするのが先決だ。

 

距離は開いている。この巨体、そして先ほどのような機動力を見るに、注意すべきは突進の一撃。

まずはそれを避けてから懐に………

 

「って、ミラ!?」

 

横目に、ミラの視線が地面へとそれたのが見える。目の前の魔物から、彼女の足元にあったコースターのような、円盤形状のなにかに視線を向けて――――

 

「まえ、あぶな―――」

 

と言いながらも魔物のマナが膨れ上がるのを感じ。僕は、言葉では間に合わないことを悟って。

だから一歩、僕は注意を逸らしたミラの前に踏み出した。

 

予想通りに突進してきた巨体の前に立ちふさがり、そして。

 

 

「っ、ジュード!?」

 

 

巨体の体当たりをまともに受けた僕は、ガードした腕ごと、ボールのように吹き飛ばされた。

 

 

 

 



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13話 : 共鳴術技

 

 

まず感じたのは、気持ちが悪い浮遊感。

 

そして、化物が小さくなっていた、それだけの勢いで飛ばされているのだ。

 

しかし呆けてばかりもいられない。

 

(―――早く、逃げろミラ!)

 

(っ、分かった!)

 

リリアルオーブのリンク越しに忠告、それが上手く伝わったようだ。ミラは、巨大な魔物がいるその場から、即座に飛び退いて距離を取った。どうやら間に合ったのようだ。ガードの瞬間に僕が踏ん張ったからか、魔物は僕と衝突した場所でよろけていた。

 

間に合ったようだ――――と、僕は背中にマナを回して。

 

直後に、岩と衝突した。

 

「ギっ!」

 

背中に衝撃が奔る。一瞬だけ、呼吸が出来なくなるほどに強く。そして数カ所だが、岩にぶつかった場所に裂傷が出来たようだ。地面に落下している最中、血が肌を流れていくのを感じた。

 

「ジュード!」

 

「おい、大丈夫か!」

 

ミラとアルヴィンが叫び声が聞こえる、でも大丈夫だ。両足で着地、その場で踏ん張る。さりとて呼吸が回復しておらず、喋ることは難しい。なので僕は親指を立てることだけをして。ミラには『大丈夫だから前に集中して』とリンクで念を送った。

 

確かに負傷はしたしダメージも受けた、だけどこの程度なんのことがあろうか。せいぜいが打撲といった所だろう、いつかのあの時に比べれば怪我の内にも入らない。

 

―――だから反撃に出ることにする。何より、やられっぱなしでいる僕じゃない。

 

大怪我ではないが、痛いものは痛いのだ。そして、怪我の程度と苛立ちは比例しないもの。あるいは強敵から受けた一撃であればまた違った感想を抱いていただろうが、こいつは弱いのだ。図体がでかいだけで、マナの量も大したことがない。不意の一撃でもこの程度だ、取るに足らない相手である。

 

そして、ある意味でのフラストレーションが溜まっていたせいもあるだろう。先日の傭兵の分も、このクソ魔物にぶつけてやるか。

 

胸の中で、何かが燃え上がってきたことを感じる。

 

そして誓う。丁寧に、丹念に――――拳と蹴りを、骨身に染み渡らせてやることを。

 

「いくぞぁ!!」

 

声は自分への号令。それを出港の汽笛として、僕は魔物へ向けて走りだした。

 

『ミラ、ファイアーボールを!』

 

同時に、ミラに指示を出す。援護を受けながら、まずは一撃を鼻っ柱に叩きこむために。

だが、そう簡単にはいかなかった。

 

「ジュード、右だ!」

 

アルヴィンが叫んだ方向から、巨大な腕の一撃がうなりをあげて襲いかかってきた。

 

しかし、はっきりと見えているのに当たるはずがない。

 

「甘え!」

 

踏ん張り、腰を落とすと同時にマナを振り絞り、拳を横薙ぎに振り抜く。マナで固めた裏拳が、巨腕の一撃を打って落とした。この程度のマナならばマナの密度しだいでどうにかなる、だけど思ったよりリーチが長い。相手の身体に拳が届かないこの距離では、あちらの方が圧倒的に有利なのは明白だ。剣やガンといった中距離武器や、飛び道具。または精霊術があれば別だが、どれも僕には扱えない。

 

いや、魔神拳を撃てば問題ないのだが――――それよりも殴りたいこの気持ちに嘘はつけない。攻撃の威力も、マナを飛ばすだけよりは拳に纏わせる方が大きい。だから距離を詰めなければ。そう思った時、マナの膨らみを感じた。

 

「“業火よ、爆ぜよ”………ファイアーボール!」

 

ミラの声がして、直後に人間の頭ほどの大きさの火球が魔物に飛んでいった。不意をつかれたのか、火球が魔物の正面から直撃する。しかし相手は倒れず、その場で怯むだけだった。四大を失う前より、明らかに威力が小さい。

 

「言ってる場合じゃないか、魔神拳!」

 

ミラの、術後の隙を埋めるように、マナの塊をぶつける。

 

相手が怯み、その間にミラはまた距離を取った。

 

(それにしても、危なっかしい)

 

今の精霊術を撃つ時の間合いもそうだが、見ていて冷や汗がdフェル。失った直後よりは、かなりマシになっているが、それでも間合いの取り方が大胆すぎるのだ。フレアボムにウインドカッター、無詠唱の精霊術を使いながら、なんとか戦えてはいる。

 

だけど、ちょっと相手に近い間合いで戦い過ぎている。あれじゃあ、いつ死角からの不意打ちを食らうか分からない。相手の腕は大きく、その気になれば背後から抱き込んで潰すような攻撃も可能だろう。あるいは、また突進の一撃を受けかねない。

 

(まずは僕に惹きつける。その後、撹乱しながら殴り合うか)

 

ひとまず初撃をぶち込み、こいつに僕を意識させなければならない。その後でなら、ミラを援護しながらでも戦える。守りながらでもこいつを叩き潰せる。アルヴィンは一人でも問題ないだろう、だがどうやって僕を意識させるのか。強烈な一撃を叩きこめるのであれば話が速いが、この状況じゃあそれは難しい。威力を出すのであれば助走してその勢いを活かすのが一番良いが、恐らくは途中で止められるだろう。

 

間合いまでたどり着くのが難しすぎる、絶対に途中で邪魔をされて勢いが殺されるだけで終わる。とはいえ、近寄った上で、腰を落ち着けて拳を叩きこむというのも時間がかかる。

 

ミラは、あ、ちょっと、危ないって。

 

(早く。何か、利用できるものは………って、発見!)

 

視界の端に、アルヴィンが大剣を切り上げているのが見えた。

 

そこで、先日話し合った例の技を思い出した。普通に飛んでも叩き落されるだけだろうが、あの技ならば問題ない。僕はミラとのリンクを切って、アルヴィンのリリアルオーブとリンクすると同時に、叫んだ。

 

「ミラ、今は一端下がって! 僕に注意を向けるから、またファイアーボールを頼む!」

 

「っ、分かった!」

 

リンクを切られた時に、少し動揺したのか。気を取りなおしたという風に答えると、指示の通り、後ろに下がった。

 

『アルヴィン! いくぞ、僕の踏み台になれ!』

 

『いきなり何を――――』

 

共鳴術技(リンク・アーツ)だ! 前に話した! その剣で僕を………」

 

手早く説明。下地はあるので、分かってくれるだろう。

 

「なるほど、そういうことか!」

 

作戦を告げると、アルヴィンはすぐに納得してくれた。

 

「じゃあ牽制の後、行くぞ!」

 

言いながら、アルヴィンはガンで相手を牽制しながら、僕が近づくのを待つ。そして、僕がその範囲内に入ったと同時、大剣を構えた。

 

「ミラ、詠唱準備! 僕が"蹴った"直後に、お願い!」

 

「分かった!」

 

「行くぜ、ジュード!」

 

アルヴィンが大剣を振り上げようとする、その直前に僕はその刃の上に足を乗せ、

 

「いくぞ―――」

 

 

剣が持ち上げられ、そして僕は剣が持ち上がる勢いの任せ、飛んだ。

 

そして魔物の上空に舞い上がり、落下する勢いに渾身のマナの威力を加えて―――

 

「「飛天翔星駆!」」

 

敵モンスターの巨大な背中へ、右足で蹴りを叩き込んだ。

 

『ガアアアアアッ!!』

 

魔物の悲鳴がする。しかし、構うものか。そのまま僕は背中に捕まると、立ち上がる。背中に乗っている僕を、魔物は叩き落とそうとする。

 

だが、それもワンテンポ遅い。

 

「業火よ――――」

 

そう、僕に意識が集中しているのなら。

 

「―――爆ぜろ! ファイアーボール!」

 

ミラの術を止められない。その上、意識の外からの攻撃なので、不意打ちにもなる。そして、狙い違わず、ミラが放った火球が魔物の頭にぶち当たった。

 

火が弱点なのか、あるいは不意をつかれたからか。

 

魔物はたまらないといった感じに、また怯む様子を見せて。

 

(隙あり、だ!)

 

機は我にあり。魔物の背を足場に立ち上がり、腕を交差させる。

そしてマナを練りつつ、拳を力いっぱい振り上げ、

 

「これでも―――」

 

赤くなるほどにマナを、拳の先に集中させて、

 

「喰らえっ!!」

 

渾身の力で振り下ろす。見事に芯まで通ったのだろう、直撃した拳の先から、確かな手応えを感じた。硬化したこの振り下ろしの下段突き、"烈破掌"は本気で打てば岩盤をも打ち砕く。

 

決して誇張ではない。証拠に、魔物が悲痛な叫び声を上げて暴れ始めている。

 

「っとぉ!」

 

流石に乗っていられなくなったので、跳躍し、砂浜へ。

 

詠唱を終えたミラの前に、守るように着地する。

 

「ただいま!」

 

しゅばっと手を振り上げて、帰還の挨拶。しかし二人からはジト目で迎えられた。

 

「おい少年………普通、あんなでかい魔物の上に乗るか?」

 

「アルヴィンの言う通りだ。無茶をするな、君は」

 

「無茶じゃないさ。それにこの魔物は弱い」

 

威圧感なんて感じない。あの時のミラの方が、万倍は怖い。だから、無茶でもなんでもないと答えると、ミラは苦笑を返した。まあ、言葉にこまるか、今の発言は。

 

「なんにせよ、助かったよジュード。いや――――先ほどの礼は、こいつを倒してからにするか!」

 

「いいええ、戦闘前に良いモノ見れたから、それで良し!」

 

「ちょ、正直すぎるぞジュード少年!?」

 

 

まあ、そんなこんなあって。

 

 

あの一撃に恐怖を覚えたのか、僕の撹乱にあっさりとペースを乱された巨大な魔物は、ものの40秒で僕達に倒された。

 

 

 

 

 

倒れて、マナに還元されていく魔物を見ながら、僕はすっきりしていた。

鬱憤も晴れたし、ミラも無傷だし、貴重なエ………げふんげふん。

 

「ま、言うこと無いぐらいの快勝だね?」

 

「しかし、案外脆かったな………いや、それでも油断していたら、どうなっていたことやら」

 

「まあ、運が悪ければ………死にはしないまでも、足止めされるぐらいの負傷はしていたかもね」

 

そう言うと、ミラは真剣な顔で頷きを返す。

 

「確かに、正面からあの一撃を受ければ………あのタイミングでは、私では防御しきれなかった」

 

「まあ、僕もね。ああいうのを得意としているから」

 

僕は、精霊術は使えない。だから、精霊術の修行をしたことがない。だけどマナを扱う技術なら、誰にも負けない自信がある。マナを外に出して固める技術については、師匠やレイアに劣るだろう。

 

だから僕は“活伸棍術”は扱えない。だけど、防御や攻撃といった、咄嗟の対応が必要になる場合の“確度”と“精度”においてはそれなりの自負がある。

 

五体を武器として使うので、そのあたりはとことんまで鍛え上げたのだ。

今の僕ならば、常人の数倍の効率で、その結果を導きだすことができるだろう。

 

(それでも、あの一撃はぎりぎりだったんだけどね)

 

――――と、いうよりも。

 

「まさか、あそこで目の前の敵から意識を逸らすとは思わなかったよ」

 

あの瞬間は、本気で焦った。そう告げると、ミラは少し申し訳なさそうな顔をする。

殊勝な表情だ。なんか、見たことない顔をしてる。

 

「それについては、反論のしようがないな………助かったよ。あれも無事回収できたんで、結果はOKなのだが………」

 

自分の胸元を軽く叩くミラ。いやちょっと待って下さい。

 

てか、叩くとそのでかいのが………少しだけど、ぷるんと揺れますデスが。

 

とか考えていると、背中が痛くなってきた。主に興奮したせいで。つまりは自業自得なのだが、これは仕方ないだろう。野郎に聞けば、10人中9人は同意してくれるはずだ。つまりは貧乳派以外の男は。そんな事を考えつつもポーカーフェイスで我慢しつつ、何とか気をとりなおした。

 

で、水面下でどたばたしている僕に気付いたのか気づいていないのか。

どちらか分からないけど、ミラは申し訳なさそうな顔で僕を見た。

 

「先ほどは………すまなかった。岩にぶつかっただろう。どこか、怪我をしたのではないか?」

 

「いや、怪我は無いよ。まあ、僕が提案した休憩ってのもあるし。自業自得ってのもあるから」

 

怪我はないというのは嘘だが、僕に原因があるのも事実。

でも、こんなの大した怪我じゃないし。それに守ると決めたのは僕だから。

 

ていうかミラは僕なんかのことを心配しているんだろうか。わけが分からない。それに、欲しいのはそんな言葉じゃない。

 

「………ミラ。こういう時は謝るんじゃなくてさ」

 

言うと、ミラはきょとんとした顔をした後、その顔を微笑にかえた。

 

「ああ―――ありがとう、ジュード」

 

「どういたしまして」

 

うむ、受けるなら謝罪より感謝の方が気持ちいいよね。あと、笑顔の方が眼福だよね。そんな風に、余韻を味わっているというのに、アルヴィンが横から乱入してきた。

 

「いやー、ジュード君………俺とミラにする態度、あまりにも違わなくねえか? っつーか、王様と一等兵ぐらいの扱いの差だと思うんだけど?」

 

「それは自然の摂理だよ」

 

笑顔で言い切ってやる。何もおかしいところはないじゃないか。野郎と美女。胡散臭い男と、キレイかつなんか可愛いおねーさん。対応が別になるのが、世界の真理だ。一緒にする方が失礼だろう。主に世界に対して。

 

「ミラだって女性なんだし。美女を守れるなら、怪我なんてなんのそのって考えるでしょ………って、ミラ、変な顔してるけどどうしたの?」

 

「いや、私を女性扱い………は分かる。だが、私を守る者扱いにすると?」

 

「うん。だって、約束したし」

 

即答すると、また不意をつかれたように、目をぱちくりとさせるミラ。

その後、口を押さえて―――本当に小さくだけど、確かに笑った。

 

「えっと、どうしたの? ………まさか実は男とか!?」

 

驚いて、思わず言ってしまう。そんな立派な双子の山を抱えているのに。詰め寄るが、こつりと頭を叩かれた。

 

「誰か男だ。というか君の目には、私が男に見えるのか?」

 

「いや、それは冗談だけど。それより、何か可笑しかった?」

 

何が笑えるポイントだったのか。訊ねると、ミラは面白そうに答えてくれた。

 

「いや、君は私を人間のように扱うのだな、とな」

 

微笑むミラ。

 

―――その時の顔は、何というか、今までとは違っていて。料理の時とは別に、別の感情から笑っているように見えた。それが、本当に綺麗な顔で。

 

だから僕は、思わず動揺して、余計なことを口走ってしまった。

 

「いや……だって、さあ。見た目人間だし、さっきみたいに触れると変な感じをしているのが見て取れたし。その、女性なんだなって思って…………あ」

 

気付いた時には、遅かった。

 

「………さっき、触れられる? ………なるほど」

 

綺麗なはずの笑みが、恐ろしいものにかわる。声がその、笑顔なのに低くなってるんですが。

 

「ふむ、眼福と言った意味がわかったぞ………先程の一部始終を見ていたのだな? すぐに動かないで、じっと観察していたと」

 

「いや………チガイマスヨ?」

 

目を逸らす。でも、威圧感は消えてくれない。

そんな中、何とか誤魔化そうと口を開こうとした時だった。

 

「で、少年。あの場を見た感想は?」

 

「ぶっちゃけ混ざりたかっ痛え!?」

 

ごつりと、今度はゲンコツが落とされた。アルヴィンの声に、咄嗟に反応してしまったせいだ。おのれ優男。これ以上ない間で話しかけられたから、思わず素直に答えてしまったじゃないか。ひょっとして復讐か。あれは差別ではない、区別だというのに。

 

「まったく………昨日の傭兵といい、君といい。男というものは皆、そんなモノなのか?」

 

呆れたような、怒っているような。そんな口調で、ジトりとした目で睨まれながら、叱りつけられました。怖いから反論もできない。

 

 

で、数分後。僕達はミラを襲っていた痴女の事を話すことになった。

一体何者なのか。何故、ミラを狙ったのか。

 

「………実はレズビアンの変態、とか」

 

初っ端から爆弾発言を投下。しらばっくれそうなアルヴィンに対してのそれだったのだが、胡散臭男(うさんくさお)は華麗にスルーした。

 

で、ミラにはジト目で見られた。そんでもってまた怒られた。おのれアルヴィン。

 

「………何にしても、見たことのない精霊術を使うやつだったな。腕も、相当たつと見たけど、どう思うよ」

 

「ああ………確かに、な。地面に方陣が浮かんだかと思うとな。次の瞬間には、マナの輪が出てきて、すぐに捕らえられてしまった」

 

「一瞬で、か」

 

なるほど、見事な腕だ。とすれば、逃げたのだろう。道中の戦いを見られていたと仮定するなら、こちらの力量も計られていたと見て間違いない。

 

「そうだなあ。直接の戦闘力は分からないけど、見た目―――ソバカスの銀髪チビぐらいのマナは持っていたようだし。まあ、スタイルは天と地ほどの差はあったけど」

 

「それはもういい。だが、銀髪チビとは………研究所にいた、あいつか。なるほど、それぐらいの力量はあったろうな」

 

「いや、銀髪チビって誰?」

 

「年中発火している危険な野犬だよ。なんか酔っ払いみたいな歩き方してるから、見れば分かると思う。力量は………僕よりちょっと下ぐらい、かな」

 

何にせよ、今のこの状態でやり合うとか考えたくない相手だ。

性格はともかくとして、ナディアの力量は高い。舐めてかかれば丸焼きにされるぐらいには強い。

あいつは、誰かを気遣いながら戦えるレベルじゃない。

 

「………早く出発しようか。ミラが四大の力を取り戻せたのなら、話もまた違ってくるし」

 

厄介な相手を出会わないために、急いだ方がいい。

力が………まだ取り戻せるかどうかは分からないが、戻るならそれで問題は解決されるだろう。

 

僕の提案に二人は頷いて、荷物をチェックし始める。

 

「しかし、とんだ休憩になったね………」

 

「だが、もうすぐだろう。周囲を警戒したまま進むとするか」

 

そうして僕達は、またニ・アケリアに向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、雑魚の魔物を蹴散らしながら進んだ。道中、雑魚を相手に。さきほどアルヴィンと使った共鳴術技を披露した。ハ・ミルで考えたそれを、何パターンか試して、ミラに解説しながらどんどんと歩を進めていく。

 

「では、先ほどの技が?」

 

「"飛天翔星駆"ってね。僕がよく使う技、"飛天翔駆"の強化版だ」

 

案はあって、アルヴィンにも話していたのだが、練習はしたことがない。ぶっつけ本番だったが、よく上手く当たったものだ。着地点を間違えば、間抜けなことになっていただろう。

 

「二人で行うのか………コンビネーションが肝になるな。ああ、だからリリアルオーブを?」

 

「戦闘中に余った、余剰マナを貯めてからね。互いのリリアルオーブの余剰マナを共鳴させた後に、意識を深い所でリンクさせる。その上で、初めて使えるようになる特殊技なんだ」

 

「便利な技だな………だが、私には説明しなかったのは、どうしてなんだ?」

 

「まあ、基本の戦い方を知らないうちは、ね。取り敢えずは、まともに戦えるようになってからって思ったんだよ。集中も途切れるし、逆効果になる可能性が高いしね。でも、リリアルオーブもかなり成長してきたようだし………」

 

いくらか、動作補助のみだけど、オーブの種は咲いていた。このリリアルオーブに示されている種は、その色ごとに、マナの運用効率を高めてくれるのだ。花は自然に咲いていく。リソースは限られていて、そのオーブの出来る範囲にも限りはあるけど。だが、マナによる腕力増強、脚力増強、敏率増強。マナによる防御硬化、精霊術行使時の変換効率改善。そして精霊術防御に使うガードの効率改善、マナ総量の底上げなど。

 

自分の使う技を登録すれば、その精度や威力を上げることもできる、優れものだ。戦う者にとっては必須の、本当に重要な道具なのである。今では、作る技術が失われているせいか、かなりの貴重品になっているのだが。

 

「で、ミラも………自分の使う剣技を、いくつか考えたんでしょ?」

 

「ああ。力を失うまでを含め、今まで培ってきた戦闘経験からな」

 

「なら、早めに登録した方がいいよ。その上で、数をこなした方がいい。その上で、共鳴術技を考えようか」

 

そんな風に戦闘談義をしながら。それでも周囲の警戒を怠らないまま歩いて、一時間ほど経過した後だろうか。

 

「あれは………」

 

ようやく当初の旅の、最終目的地が見えた。砂浜の終わりに、村の門なのだろう、大きめの建造物と。その前に立っている、村人らしき人の姿が見える。

 

「………あそこが、ニ・アケリアか」

 

「そうだ。入り口から出入りしたことはないが、あの門の形状と、表面に描かれている模様には見覚えがある」

 

なるほど、ならばここが正真正銘の精霊の里というわけだ。

 

と、ミラの声の中に、少し違う感情が含まれていると、そう思えた。

 

「ミラ? えっと、何か変な所があるとか」

 

「いや、ここが私の故郷だよ。だが、徒歩で戻るのは本当に初めてなのだ。だから、かな。道中、辛かったというのもあるが………」

 

確かに、シルフで移動するのとは、理由が違うだろう。坂道も多かったし、慣れない状態で魔物との戦うこともあった。最後に、大型の魔物と戦って。道中、優しい旅ではなかった。そのせいだろう、ミラの声は、凛としたそれではなくどこか、普通の子供のようなものを感じさせる声で。

 

「何か、胸を動かされるものを感じてな。本の知識で知っていたが――――これが、帰郷というものなのか」

 

「………そうだよ」

 

感動を覚えている。つまりこの故郷は、彼女にとっては、本当に大切な場所なのだろう。

故郷が大切なのだ。僕とは、違う。

 

 

だって、ル・ロンドには、思い出したくないことが多すぎるから。師匠は好きだ。レイアも、まあ幼馴染だ。母さんも、嫌いじゃない。だけど、記憶の底にこびりついて、拭っても消えてくれない奴らの顔が多すぎる。

 

あそこは以前の僕が"亡くなった"場所だ。夢が砕かれた場所だ。

だからきっと、ミラみたいな顔で戻ることはできないだろう。長年過ごした、生まれ故郷なのに。

 

 

(嫌だなあ。背中が痛いはずなのに)

 

 

―――今は、胸が痛い。

 

 

喜びの念を全身から発しているミラの背中。

 

 

それを複雑な心境で見守りながらも、僕はミラの故郷であるニ・アケリアへと足を踏み入れた。

 

 

 



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14話 : 精霊の里、ニ・アケリア

 

ここは精霊の里、ニ・アケリア。だが、目的地に到着したというのに達成感は感じられないでいる。

奇妙な感情に囚われているのだ。意外と普通の村だった、とかそんなことではない。

 

行動を思い返してみる。ミラはまず、村に入ってすぐの正面にいる老人に話しかけた。

 

「すまない。イバルはどこにいる?」

 

「ん? イバルなら、マクスウェル様を追って………」

 

返事をしながら立ち上がる老人。だけど、ミラの姿を視認してからの態度は違った。劇的に、とはこういうことだろう。纏う雰囲気までも変化していくようだった。

 

「今、帰った。遅くなったな、長老」

 

ミラが、ニ・アケリアの長老とかいう人物に言う。祈るように膝をついているその長老は、ミラの問いかけにしかし答えない。祈っているだけ。「よくぞ帰って来られました」などといった、歓迎の言葉もない。驚き、すぐにひざまずいてしまって、それきりだ。

 

(………"わたし何かにお声をかけてくださるなんて"、か)

 

ミラの言葉に対して、長老の言葉はそれだけ。これでは、会話になっていないではないか。他の村人も同じだ。確かに、村人は集まってきている。尊敬の念をこめているのか、目を輝かせて彼女のことを見ている。だけど、また労いの言葉も何もない。

 

「………やっぱ、本物なんだよな」

 

「うん。だけど………」

 

アルヴィンの言葉に、いつもの嫌味は含まれていなかった。歯切れが悪い。

僕と同じだ………この光景を前に、何といっていいのか分からないでいる。村人たちの顔に負の感情なんかは含まれていない――――でも、その表情はあるいは憎しみよりも"酷く"思えるのだ。

 

どう表現すればいいのだろう。ミラは確かにここに存在している。彼女のマナはここにある。

なのに、村人達は"ミラ"を見ていない。目に映るのは、まるで別の存在だった。

あるいは、まるで遥か彼方の星を見るような視線のような。

遠くにあって届かない輝きを見ているのと同じ、届かないなにかを見ているだけの目だった。

 

ミラも、そんな村人たちを困った表情で眺めていた。前に彼女は、ミラ=マクスウェルはある者達にとっての信仰の対象ではなかろうか、なんて考えたこともあった。あったのだが、それは間違っていなかったようだ。実に神様らしく扱われている。遠くにあって君臨する者そのままの所作で、彼女はそこに認識されていた。

 

(………なのに、この感情はなんだろう)

 

僕はミラの事を色々と見てきた。イル・ファンからの短い旅だったが、それでも薄い付き合いじゃない。

 

まず、研究所で戦った。黒匣(ジン)とかいう兵器に対して憤りを感じていた。

 

イラート海停では、美味しそうに食事をしていた。その時のミラは、人間そのものだった。

ハ・ミルでは、疲れているせいか、あまり元気がなかった。

 

先ほどのキジル海瀑では、不用意な発言に対して怒っていた。

男はみなこうかと、呆れてもいたけど。

 

………なんてことはない。彼女は、感情のある人間だった。使命にひたむきであることは分かる。それが、マクスウェルとしての責務なのだろうから。でも、それとは別に"ミラ"という存在は確かにここに在るのに。

 

――――"こっちに来られないで下さい"なんて風に、崇め奉られて遠ざけられるような存在じゃないのに。

 

(ああいう顔を見せたことがない、んだろうけどなあ)

 

里の人間には人間の視線がある。そう自分に言い聞かせようとも、違和感は消えてくれなかった。あるいは巫子とやらも、あんなミラは見たことがないのかもしれない。そのことに僕は、どこか優越感を感じていて。それと同時に、どうしようもない哀しさが沸き上がってきた。

 

主に、ミラへの対し方についてだ。今も、ほら、そう。

 

「緊張するな。普段の通りに接していればいい」

 

ミラが、困ったように長老に言う。だけど長老や、村人たちは顔を上げない。

 

ただ、こう言うだけだ。「私なんかに、お声をかけてくださるなんて」って。

馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返すだけで、何も――――

 

(きっと、これが普通なんだろうな)

 

 

普段からこうなのだろう。ミラと長老の言葉とやり取りから、いつもこういったやり取りが行われているだろうことは、容易に推測できる。わからないのはミラだ。話しかけたとして、こうした受け答えが返ってくるということはわかっていたはずだ。なのに、違うと言いたそうに彼女はずっと長老に向け、言葉を発し続けている。

 

「―――分かった」

 

そうして、数秒の沈黙の後。困った風な顔が、本当に一瞬だけ――――なんといっていいのか分からない顔に変化した。その表情にこめられた感情の名前は知らない。だけど、良い物とはとても思えなかった。気丈なミラは、それでもと対応を変えた。

 

「………では、イバルは外に出ているのだな?」

 

言うが、頷くだけ。イバルとは誰だろうかなんてどうでもいい。最後までこうなのか。今の里の人達の視線を理解できない。人であるのに、人外を見るかのような視線に対し、納得することができない。そんな僕の心情はさておいて、会話と呼べない会話は終わった。

 

「手を止めさせて、すまなかった」

 

ミラはそれだけを告げて、歩き出した。付いてきてくれといいたげに、こちらを見る。顔は元に戻っている。だけど、どこか裏に影を感じる顔だった。そんな顔をされたら、無言で頷かざるをえないだろうに。

 

「行こうか、ジュード、アルヴィン。私は、これからすぐに社に向かい………そこで四大再召喚の儀式を行う」

 

喋りながら村の奥へと歩いて行く。そして彼女が近づく度に、村の人達は平伏していく。まるで古の時代の王が降臨したかのよう。ミラは偉大なる女王かのように見られ、ひれ伏す民のように扱われている。だけど、それは畏怖ではないと見て取れる。敬意であり、そして義務だ。

 

まるで自然現象にするような態度で、村人達はその場にひざまづいていく。

 

(子供達は、また違うようだけど)

 

だけど将来は大人たちと同じようになるのだろう。"マクスウェル様"に対する接し方は、親から叩き込まれるはずだ。

 

無礼のないように。星の輝きに手を組んで祈るように。

所作を仕込まれ、誰もがやっているからのは正しいものであり、だから子供はそれを疑いもせず。

 

昔を思い出してしまった。それ以上に、腹が立った。

 

じゃあここに居るミラはなんなんだよ。"マクスウェル"は存在する。だけど、その中に"ミラ"は存在しているのか。その答が何なのかは分からないが、彼らが何も見ていないのは理解できた。彼ら、あるいは彼女達はマクスウェルを崇めているだけだ。使命を果たさんとするマクスウェル様を尊敬の眼差しで見上げているだけ。その中に"ミラ"は含まれていない。

 

ミートソースをほっぺたにつけながら、美味しそうに料理を食べているミラなど、想像もしたことがないはずだ。もとより食事など取ったことがなかったと彼女は言っていた。ああ、これならば納得もできるじゃないか。

 

星は星だから輝いていて夜に見上げるもので。そこに疑問の入る余地はない。

誰もが、星の性格など。星が何かを食べるなんて、そんな事考えたりもしないんだから。

 

「………ジュード、どうした? ……巫子が不在のようなので、手伝ってもらいたいと言ったのだが」

 

「………あ?」

 

「おいおい、少年。安心するにはまだ早いんじゃないのか?」

 

アルヴィンの呆れたような声。全く聞こえていなかったので、もう一度聞き返す。

 

「村にある、四つの祠。そこにある石………世精石《よしょうせき》を、社に運んでもらいたいのだ。巫子のイバルが不在のようなのでな」

 

「えっと………それ、僕達にもできるの? 村の人でなければできない、とか」

 

先ほどの様子を見るに、この村のしきたりというか慣習。特にマクスウェル様関連は、特に厳しいと思うのだが。

 

「いや、そんなことはない。他の者は………見ただろう。普段は、巫子以外は私とあまり接していないのでな」

 

話にならない、とミラは言う。それは、どのような意味なのだろうか。会話にならないから、と言いたそうに見えるけど。

 

(………まあ、今は儀式を優先させようか)

 

ごちゃごちゃ考えていても埒があかない。それに、最重要目的は帰郷しゃない。ミラがマクスウェルとしての力を………四大精霊の加護を取り戻すことだ。なら、手伝わないなどという選択肢は有り得ない。それに、力仕事は男の仕事だ。先の戦闘の怪我は塞がっておらず、背中の痛みはまだ収まらないが、それでも石を運ぶくらいはできる。

 

ここで断る、なんて。心情から言って、そんなことは絶対にできないし。

 

「分かった。それで、社の場所は?」

 

「村を抜けた先だ。ニ・アケリア霊山のふもとにある」

 

 

 

 

運び、社に向かっている途中、気分転換も兼ねて様々な話をした。

それから得られた情報は、意外なものが多い。

 

「じゃあ、その服は巫子のイバルって人が?」

 

「デザインして、仕立ててくれた。手先が器用なのでな」

 

このデザインは動きやすさを重要視した結果、らしい。

それでも大胆すぎるんですが、なんて無粋なことは言わない。

 

(ただ、ジュードは巫女のイバルとかいうお方にグッジョブ、と惜しみない賞賛を送らさせていただきます)

 

というか、他の村人の服装と違うんだけど、との問いに、そんな答えが返ってくるとは思わなかった。その他、家も特徴的なデザインをしている。村人達は牧歌的、というか、先程の光景がなければ、普通の田舎町に見えたことだろう。農業に、畜産に、はたまた装飾品を作ったり。普通の生活を送っているように感じられる。そんな風に周囲を観察しながら、石を集めていく。石は大きく、両手で持たなければもてないほどの大きさだった。マナで腕力を強化しているので問題はないが、一気に持ってはいけない。アイテムパックもいっぱいだ。だから一つはアイテムパックに、一つは手で持って運ぶことにした。

 

「というかミラ、これって石というよりは岩………」

 

「うむ、頼んだぞ男の子」

 

にべもなかった。人使いが荒い――――とは、今は言えないけれど。

 

 

 

 

 

それから、出発前の準備に入った。僕達は一端解散し、それぞれに必要なものを買い出しにいくことにした。ミラはなにやら長老を話があるようだ。アルヴィンは「私用」らしい。特に追求しても躱されそうなので、追求はしなかった。

 

僕は行商人からはアイテムと食材を、近くにあった食材屋からは新鮮なブウサギの肉をもらった。これがあれば、3時のおやつ………というよりも、間食としてだが、良いものを作れるだろう。香辛料も良質のものが売っている。買い揃えながら、替えの肌着を買った。一番下の肌着は、血で塗れているのでもう洗っても着れないだろうから。

 

そうして、休憩時間が終わり。

集まった後、ニ・アケリアや村人について、休憩がてら話をしていると意外なことが聞けた。

 

ミラの出生について聞いた時だ。

彼女には親が存在しないという。20年前、四大を伴ってあの村に現れたと。その頃はまだ赤ん坊だったらしい。3才ぐらいまでは、四大が村の人達に世話をするよう命じたのだとか。ミラも、生まれた当初は、四大に触れることすらできなかったらしい。それもそうだろう。四大はそれぞれの系統に属する精霊を集め、それを媒介として現世に形を成している。

 

マクスウェルとしての力が無ければ、触れられるだけで大怪我をしてしまうとのことだ。実に不便なことだと思った。ちなみにマクスウェルはそれぞれの系統の精霊を媒介にするのではなく、人間を媒介にするらしい。よっつの精霊、それが最も集まり、バランスよく調和がとれているのが、人間の身体なのだと。

 

それにしても衝撃的事実だ。20年前、四大が消失した大事件―――大消失(グラン・ロスト)。四大が召喚できなくなったというその原因が、育児休暇だというのだから。ミラのお守りをするために。専念するために、姿を消したのだという。なんと荒唐無稽な話か。僕の中の常識が次々に吹っ飛んでいったじゃないか。同じ20年前には、ファイザバード沼野の会戦――――ラ・シュガルとア・ジュール間で戦争が起こったが、もしかしてあれにも関係しているのではなかろうか

 

(いや、それは違うかな)

 

戦争の原因はまた別だろう。あれは戦争で、純粋なる人間の世界の話だから。

目の前の女神さまの誕生と、戦争とに関わりがあろうはずがない。

 

(精霊の主――――美女の姿をするマクスウェル。ぶっちゃけ女神………ん?)

 

と、まあふざけたことを考えている最中………根本的な疑問に行き着いた。それは、何故ミラは女性の姿をしているのだろうかということ。人間ならば考えるだけ無駄なことだが、ミラは違う。

 

(想像上の話だけど、マクスウェルとはもっとこう………じじむさいような)

 

主だからして、ヒゲの生えた長老のような容姿をしていると。勝手な話だろうが、そんな姿を想像していた。それがなんで、こんな美人に生まれたのか。カモフラージュか、カモフラージュなのか。あるいは視覚心理戦のためか。確かに、この容姿とスタイルに、あの服は反則と思う。

 

(………それはまあ、誰かの趣味だから、ということで納得ができる………かも?)

 

男だからとして納得もできよう。ウンディーネ以外は男なのだから。精霊とは言え、野郎はみな兄弟。シルフとノームとイフリートが結託すれば、それもありうる………?

 

(って、ん? …………ちょっと待てよ)

 

何気なく、またふざけた思考を走らせている最中だった。なにやら、納得できない………引っかかった所があることに気付いたのは。同時に発生する、どうしようもない違和感。僕は、それを掘り下げることに専念した。考えるのが最善だと判断して。物事を論理だてて順序的に組み立てるのは得意だ。小さい頃から現在まで、精霊術を使うために、色々な事を考えてきたから。

 

その経験を活かし、組み立てる。出生。生み出すもの。ミラの姿。四大の性質。

手持ちの情報を組み合わせていき―――気づく。

 

ミラが生まれて、現在に至るまで。どうしても、必要となるピースが欠けているように思えるのだ。

端的に言えばこうである。

 

(――――誰が、ミラを生み出したのか)

 

四大がミラを生んだ? 

 

………違う。四大が力を合わせて、主であるマクスウェルを造るなんて、理屈にあわない。四大はマクスウェルに従属する精霊のはず。ならば、誰が産み出したのか。

 

(………ミラは、そうだな………明言はしていないけど、20年以上より前の記憶を持っていないだろうな。だって、"老人くささがない")

 

故郷の治療院でみたような、老人の雰囲気がない。むしろ若すぎると言った方がいいかもしれない。知識としては持っている。だが、体験はしていない。そんな感じを思わせるぐらいだ。少し事情が違うのかもしれない。だけど、間違っていないように思える。

 

先の表情もそうだ。なんせ、"反応が初心すぎる"のだ。とても、何千年も生きているような存在に見えない。今は力を失っているから―――と考えたが、それは否だろう。世界を作ったというのなら、世界を知り尽くしているはず。故に、もっと泰然としているべきなのだ。料理で一喜一憂している様は、眩しいがおかしい。事実、僕は………ミラが偉大なる精霊の主なんて、そんな高等な存在として捉えられなくなっている。これはちょっと、致命傷なのではないか。

 

"男とは~"の発言も、疑って考えれば実におかしい。もっと、世界の全てを………それこそ、腐るほどに熟知しているのが当たり前なのだ。世界を作った。ならば、知らないことはないだろう。それ故に管理できるのだ、と。複雑な感情抜きでいえば、それが偉大なる精霊の主として最も相応しいあり方だから。そのあり方から外れる道理もない。

 

(でも、僕は………ミラの事を、神様なんて。そうは見られなくなっている。ここが、どうしても引っかかる)

 

マクスウェルとして、ではなく――――ミラとして。

一人の女性としか思えなくなっている。

 

(あるいは、僕がオカシイだけなのかもしれないけど)

 

楔として胸に残る痛み。脱落者としての自分だから、そんな事を考えてしまうのかもしれない。事実、精霊の理なんて、精霊術を扱えない僕にとっては、ある意味医術所より難解なものである。精霊に対したことがない僕だから、精霊のことが分からないのかもしれない。

 

(………どこまで行ってもつきまとう、か)

 

精霊のこと、霊力野(ゲート)についての問題が、ここに来て絡まってくるとは思わなかった。

 

(でも、おかしい点が多すぎるだろう?)

 

生誕の謎。ここにきて、結論が出ない。四大が集まって、相談して決めた?

 

――それは、違うだろう。四大は均等で、だからこそ対等だ。その四大の全てが、目的を一緒とすることに違和感を覚える。音頭をとる人物がなければ、実現しないだろうに。

 

つまるところは、一つ。あるいは――――マクスウェルのもう一つ上に彼らを統率者する者が居なければ、ミラが生まれることについての、説明にならないような。

 

しかし、今現在の手持ちの情報ではそこが限界。それ以上は分からない。

そこで、僕は出発する直前、出口付近にいた長老に話を聞いてみることにした。

 

「貴方は………」

 

「ミラの護衛、ですかね」

 

僕がミラを見ると、ミラが頷いた。その後、話を聞いてみることにする。まずは、この世界を何千年も前に作ったマクスウェルについて。直接聞いても答えてはくれないだろうから、遠くから聞いてみることにしたのだ。何か、他所では聞けない話を聞けるのかもしれない、と。

 

聞くと、長老は嬉しそうに話しだす。

 

まずは世界の創世記について。このリーゼ・マクシアは、かの偉大なる精霊の主に作られた。それは一般常識だ。その話に関して、齟齬はない。だが、その内容が微妙に違っている。創世記とは、マクスウェルともう一人の人物を欠いては話せないもの。その人物こそがクルスニクだ。世界を創生するマクスウェルを補佐した偉人である。類まれなる知識を持っていた賢者と、普通の創世記には記されている。

 

だが、長老の話は違っている。クルスニクは、マクスウェルを補佐した者ではなく。

 

"マクスウェルに従った最初の人間"が、賢者・クルスニクと言っているのだ。まあ、槍のことはおいといて。この村の者が、クルスニクの末裔であるらしいが、それも特にどうでもいい。

 

"従った最初の人間"とはどういうことだろう。世界に広まっている創世記とは、異っている。

 

(内容が、解釈が、少し異なっているか………どちらが正しいんだろうな)

 

創世記だからして、多少の違いはあるだろう。しかし後者である場合。もし長老の言う内容が正しいとすると、腑に落ちないことがある。世界を作ったのが、マクスウェル。ならば、人はそのマクスウェルに従って当たり前だ。なのに、"最初に従った"とはどういうことだろう。その物言いは、まるで………"世界が作られる前に、マクスウェルに従わなかった者がいる"ことを思わせるが。

 

(いや、そんな存在は有り得ないだろう)

 

否定する。精霊術無くして、リーゼ・マクシアは成り立たない。生活の一部、人間でいえば臓器そのものと言っても過言ではない。無くして生きられる者はいない。ゆえに、精霊を必要なものとして、最重要なものであるとしている。

 

だからマクスウェルのことを、偉大なる精霊の主と呼ぶ。創世の頃から変わっていないはずだ。歯向かう人物なんて、生まれさえもしないはず。どうにも、おかしな点が多すぎるようだ。

 

あるいは、ミラ=マクスウェルが、問答無用で破壊すべきと主張するもの。

"人と精霊に害為すもの"と、マクスウェルである彼女が断言するもの。

 

―――黒匣(ジン)

 

全ては、その先に答えがあるのかもしれない。あの槍の秘密の、その向こう側に。だけど、今は目的を果たすべきだろう。そう考えて話を切ろうとしたのだが、長老さんがなにやらヒートアップしていた。長老も、村の外の人間、いわば他所の人間に偉大なるマクスウェル様のことを説く機会が少なかったからだろうか。

 

そこからはマクスウェル賛歌が続いた。食事も睡眠も取らずに成長した、とか。使命を果たすべく、昼夜を問わず動いてくださる、とか。クルスニクの末裔である私達を守ってくださる、とか。

 

「………ちょっと待って。クルスニクの末裔は自分たちだけ?」

 

前言はムカツイたが、それはいい。だけど、ラ・シュガルの六大貴族、"六家"こそがクルスニクの末裔じゃあ。それが違うと? ………彼らはマクスウェルに付き従った6人の子孫であるとされているけど。

ア・ジュールはそのことを信じていない輩が多いが、それは信憑性の高い情報だ。身分の高さが証明しているようなもの。世間一般からは、"六家がクルスニクの縁者の末裔だなんてものは嘘"だと主張する者は、ラ・シュガルの六家を陥れる詐欺師か。

 

あるいは、蛮族と言われる部族が多いア・ジュールの馬鹿か、どちらかであると認識されている。それをばか正直にアルヴィンが言うと、長老が沸騰した。反論した長老は、静かに叫ぶ。

 

「その伝承の方が怪しい! ………事実、六家はマクスウェル様から"世界の秘密の守護"を託されていない。それが、何よりの証拠だ」

 

「………世界の、秘密?」

 

秘密ってなんだ。世界の秘密。それは、あるいはミラに繋がることではないかと思って。

僕は、もっと話をと一歩踏み出して――――ミラに手で制された。

 

まるで、それ以上は許さないと告げるように。

 

「ジュード………長老も」

 

「っ! これは、わしとしたことが………お許し下さい」

 

また平伏する長老。だけど、今はそうした方が正解だろう。

ミラの声は、それほどまでに低く。少量だが殺気さえ混じっていた。

 

「えっと、ミラ?」

 

「………なんでもないさ。それより、石は集まった………出発するとしようか」

 

その声は、反論を許さないというような口調で。さっさとミラは歩き出してしまった。残されたのは、じっと地面を見ている長老と僕達だけ。

僕はアルヴィンと目を見合わせると、互いに肩をすくめた。

 

「おっかないね。顔色も、表情も………悪い」

 

「まあ、仕方ないと思うがね」

 

帰ってきてから。そして今の話を聞いて、気分が悪くなっただろうことは、推測できる。僕の立場であってもそうだろう。ミラだけが特別、人間からかけ離れているなんて、そんな風には思えない。

 

「行こうか、少年。ほら、お姫様がお待ちだぜ?」

 

面白くなさそうに言うアルヴィンの言葉に頷き、僕もミラの背中を追って歩き始めた。

 

 

 

 

そうして、社の前にまで来た。魔物はそれほど強くなく、石を運びながらでも対処できるぐらいだった。道中、たむろしていた魔物をボコったり。共鳴術技の発案をして、その練習をしたり。特に危険はなかったので、さくさくと進めた。

 

「さくさく、ね………君が世精石をもったまま戦おうとした時は、本当にどうしようと思ったが」

 

「いや、世精石アタックって………素敵じゃん?」

 

それぞれに四大の系統が宿っているらしいし。ぶつけたら火とか風とか出そう。ちょっとした精霊術気分を味わえるじゃないですか。そう言うと、ミラは呆れながらため息をついた。

 

「その発想は無かったよ………しかし、肝が冷えるのでやめてくれ。本当に君は………何をしだすか分からないな。まるで本で見たびっくり箱とやらだ」

 

「いや、場を和ます冗談のつもりだったんだけど」

 

「場が凍ったぞ。まったく心臓に悪い………」

 

「お詫びに特製のサンドイッチをプレゼントしたでしょ。まあそれで手打ちに………」

 

「―――ああ、あれは美味かったな。味付けもさることながら、肉の旨味が格段に違った。深みがあるというのか。野菜もしゃきしゃきとしていて、歯ごたえも抜群だった。あれは………もしかして、ニ・アケリアで売っていた材料を使ったのか?」

 

「かなり質が良かったんだよ。ちょっと田舎だけど、舐めてました自分」

 

お詫びにと差し出した特製サンドイッチ。ブウサギの肉を味付けした後、野菜と一緒に挟み込んだ特製サンドイッチ。故郷の味だからか、ミラのほっぺたは落ちそうになっていた。それほどまでに美味しかったということだろう。

 

しかし、ミラは何かに気付いたのか、ジト目になっている。

 

「………君は、あれか。美味しいものを差し出せば、私が引き下がるとか思っていないか?」

 

「そうでしょ?」

 

「………違う。と、思う」

 

ミラは馬鹿みたいに正直だった。くくく、順調に餌付けは進んでおるわ。

そんな顔をしていると、ミラに見つかった。やべえ。

 

「全く………君は思っていたより意地が悪いな」

 

「っ、照れるな」

 

「いや、間違いなく褒めてねーぞ少年。あと、ミラはその剣を抜いてもいい」

 

そこにアルヴィンが乱入してきた。さっと、視線を交わす。

 

「………なっ、裏切ったな胡散臭い男、略してウザ男!」

 

「いや、略せてねーから。あと、さり気なく悪口追加すんの止めてくんないかな? 俺って実は心がよえーのよ、滅茶苦茶繊細なハート持ってんのよ」

 

と、胸を抑えるアルヴィン。嘲笑を浴びせてやろう。

 

「ふ、本当の事を言って何が悪い! ………あと、最後のはツッコミ待ちか? そうなのか? つまりは覚悟完了か?」

 

「やめろ、って目がマジに!?」

 

「うるせー大岩ぶつけんぞ! 大岩だ、また大岩だ、って連投も可能だぜ?」

 

あの怪しいねーちゃんとも知り合いっぽいからってよう。いくらか追求するけど説明しやしねえ。ガンに関しても、だ。するりするりと追求を躱しやがる。本人も自覚しているんだろう、ニヤニヤと笑ってやがるし。そのあたりの苛立ちをぶつける意味"も"あってアルヴィンに鬱憤含めた意念をぶつけてやりあっていると、隣からミラの笑い声が聞こえた。

 

「えっと、ミラ?」

 

「いや、すまない………その、なんだ」

 

口を抑えながら、おかしそうに言う。

 

「お前たちは見ていて飽きない。なぜか、そう思ったのだ」

 

ミラが、笑いながらいう。

 

「………ちっ」

 

「なんでこっち見て舌打ちすんだお前はぁ!」

 

「一緒にすんなってポーズだよ。なに、僕の猫を無理やり剥がした貴様が悪いのだよ」

 

「猫? ………剥がすとはまた猟奇的な」

 

「ひどいよねー」

 

「咬み合ってねえ………あと、少年はもう少し年上に対する話し方ってのを学ぼうな」

 

「いや、冗談だって。ほら握手握手」

 

岩を置いて握手を求める。しかし、アルヴィンは半眼になった。

 

「なんか、掌が赤いんだけど? マナが唸ってるんですけど?」

 

「いけない、ついまなをこめてしまったー。ぼくっておちゃめさん」

 

「棒読みかよ! ………ってそれ、あのでかい魔物に喰らわせてたきっつい技じゃねーか!」

 

「流石はプロの傭兵。一度見た技は、忘れないんだね」

 

「………ひょっとして、こいつがこの旅の最大の強敵なんじゃねーか?」

 

アルヴィンがぼそりと呟いた。

 

「………失礼な、こんな良識な一般人をつかまえて」

 

「ちょっと待て。いい加減に反撃するぞ、俺も」

 

そんなこんなで漫談を続けていると、ついにミラはおかしくなったのか笑い出す。

 

「っ、いつの間にか………仲良くなったのだなお前たちは」

 

「「いや、ねーよ」」

 

「ほら、息もぴったりだ」

 

くすりと笑うミラ。その顔は、ニ・アケリアに到着する、その寸前のものに戻っいた。

あそこを出発する時の顔でも、長老や村人達に対して向けていた顔は、どこにもない。

 

それを見て僕はアルヴィンに視線でサインをした。ありがとう、と。

 

―――実はというと、村からここまで。歩いている時のミラの顔は、なんか見たくない"色"をしていて。アルヴィンに、それとなく視線でサインを送っていたのだ。ちょっとわざとらしかったかもしれないが、アルヴィンはそれに乗ってくれた。まあ、だからってお世辞とかそういうのではなく、自分の言いたいことを言ったのだけど。

 

結果はオッケーだ。ミラの顔が、元に戻った。これで気兼ねなく前にすすめるというもの。

ああ、そうさ。世界に対する謎。興味深いし、考える価値もある。疑問点も謎もひどく魅力的なものだ。それは確かだ。僕だって一端の知識人。世界の謎なんてロマンを前にして、魅力を覚えない方が嘘というものである。

 

―――あるいは、精霊術が使えないという僕の特殊体質が、分かるかもしれないから。それは本能に刷り込まれたものだ。このリーゼ・マクシアで人として生きるに必須な技術。人として生きられる、最低限のラインを越したい。それならば、片足片目、片腕さえも献上しよう。それほどに、僕は渇望している。旅の目的の一つでもあって。ミラについてきたのも、その目的を達成するためだ。

 

だけど同時に、譲れない想いがある。

それは――――ミラがそんな顔をしているのが嫌だと。笑わせたいという、そんな単純な想いだ。綺麗な顔が曇っているのが嫌で。四大を従えていた時のような、無機質な暴君を思わせる表情に戻っていくミラが、嫌でたまらない。

 

村人にしてもそう。食事も睡眠もだと? 

 

――――ふざけている。独りよがりと言われるかもしれないが、気に食わないという考えは止められない。探究心が、ある。だけどそれとミラの事、その想いの強さは今は等号で結ばれるようになった。

 

その両方を知りたいと思う自分がいる。精霊術のこと。そして、ミラのこと。その奥にある秘密も。

 

(興味がある、っていうのか)

 

どちらかは、判別がつかない。謎と彼女自身のこと、そのどちらに惹かれているのか。わからない。だけど、あの顔は――――もう二度と、させない。変えよう。嫌なものは、自らの手でどうにかするべきだから。

 

だから僕は、笑わせるためにも動くべきなのだ。師匠や、レイアに対するように。

 

 

あるいは、もう一人。僕と同じような、願っても届かなくて、一度壊されて。

死にかねない痛みを抱えながらも、どうしようもないと叫びながらも。

戦うことで発散させないと臓腑を焼くというのに、無理に溜め込もうとしていたどこかのチビに対するように。

 

(って何を考えた、僕は)

 

今は、ミラだ。"マクスウェル"だけど"ミラ"な、ミラを。我ながらミラミラ言っているとは思うが、止められない。だから、それを何とかして変えるべく動いた。石ぶつけようとしたりして、慌てさせて。食事で機嫌を取って、喜ばせて。感情を揺れ動かせば、ミラが戻ってきた。アルヴィンと即興でコメディを展開したのも良かったようだ。ある意味で本気が混じった一芝居だけど、上手くいった。アルヴィンも満足だろう。

 

僕と同じように、ミラを見ながら、微妙な表情を浮かべていたし。

 

(しかし、この男も分からないなあ)

 

胡散臭いを人形にすればこのような男が出来上がるのではなかろうか、それぐらいに得体が知れない傭兵。実力を隠している可能性が高い。そうでなければ、あの場面であの共鳴術技は決められないから。けど、嫌なものばかりでもない。短い付き合いだけど、それははっきりと分かる。

 

隠している実力を見せること、わかっていたはずだ。それなのに、僕達を助けるためにだろうか、隠したままでいなかった。こうして、漫談に付き合ってくれてもいる。怒らずに、合わせてくれた。それだけの男気は持っているのだ。だから、礼を言うことにした。

 

ミラが少し前に行った後。彼女に聞こえないように、小声で伝えようと。

対するアルヴィンは――――来ましたか、とばかりにまた厭らしい笑みを浮かべている。

 

読まれているのだ。僕はそんな仕草に、"このやろう"と思いながら。

それでも僕は礼の言葉を口にした。

 

『サンクス、中年』

 

「――――お前な!!」

 

「え、なんで怒る?」

 

「ってぇ、なんで不思議そうな顔をするよ!?」

 

なんで大声を。前にいるミラが驚いてしまっているじゃないか。

告げると、アルヴィンは手をわなわなさせた。

 

「はあ………馬鹿らしい。少年、素直に礼を言うのが照れくさいんなら、最初から言うなよ」

 

「はぁ、誰が照れ隠しだ!? 一体僕がいつ照れたって証拠だよ! このおっさんが!」

 

「てめっ………お前、本当に面倒くさい性格してんのな。というか中年はよせ、おっさんじゃない! 俺はまだ26だぞ!?」

 

「え、おっさんじゃん」

 

「…………お前とはいつか決着をつけなきゃならんようだな。というか、お兄さんと呼べ」

 

「いや、アルヴィンがもう少し秘密を打ち明けてくれたら………って、呼んでるよ」

 

 

ミラが僕達を呼ぶ声が聞こえる。前を見ると、社へ続くのだろう、長い階段が見えた。

 

恐らくはあれがミラの社に続く道なのだろう。

 

もうすぐ到着だと、僕はアルヴィンより先にミラへと駆け寄っていく。

 

 

 

「ほんっとに似てねえなあ、少年…………………あの生真面目な"お医者さん"とは、大違いだぜ」

 

 

 

そんな、後ろでつぶやかれたアルヴィンの声を聞き逃したまま。

 

 



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15話 : 巫子様参上

 

霧が濃くなっている街道。その奥に、階段はあった。樹に包まれるようにある長い石の階段が、森の奥へと続いてく。それを登って数分。登り切った先に、大きな建物が見えた。向こうには、ニ・アケリア霊山が見える。そのふもとに、でんと大きい一軒家が霊山に続く道を遮断するように建っている。

 

「ここが、ミラの社?」

 

「そうだ」

 

「へえ。じゃあ、ミラはここに住んでたんだ」

 

「住んでいる、か。考えたことはないが………そういうことになるのだろうな。人の生活とはまた違うものだと思うが」

 

「何もない所だな。こんな所で、退屈しなかったのか」

 

アルヴィンが言うと、ミラは腰に手をあてながら答える。

 

「別に、気にすることもあるまい。私の使命においては何の問題もないからな」

 

「生活は必要ないって?」

 

「そうとは言わないが」

 

ミラの言葉に、ふと思いついた。

 

「生活とはまた違う………生息していた?」

 

「魔物か私は」

 

「痛っ」

 

ミラのツッコミがずびしと頭に入る。

 

「何か、どんどんマクスウェル扱いされなくなっていくな………」

 

「そんなことないよミラ様」

 

ただミラ=マクスウェルとして見ているのであって。マクスウェル分が村で補充されたようだから、僕はミラ分を補充しようかと思って。そう思っている時、ミラはまた巫子を思い出したのか、何ともいえない顔をしている。

 

「よせと言っているだろうジュード。それとも君が巫子の代わりを努めてくれるのか?」

 

いたずらっ子のような口調。ミラは笑うと、社の方を向いた。

 

僕は望む所だ、と石を両手に運び出した。

 

 

 

 

 

社の中には何もなかった。奥に別の部屋があり、そこに書棚などあるという。

儀式には広場を使うという。奥にある玉座みたいなものは、今回は使わないらしい。

 

「………で、これでいいの?」

 

指示通り、広場の床に書かれている四色の紋様。その上に、それぞれの石を並べ終わる。

これで、四大を呼び戻す儀式の準備は完了したらしい。

 

世精石を四方に、その中心の座にミラが座る。

 

「では、始めるぞ」

 

「………っ!」

 

場が一気に緊迫する。

 

(パンツは見えない)

 

残念無念。アルヴィンに視線を送るが、首を振る。どうやらアルヴィンにも見えなかったらしい。

おのれ絶対領域。

 

 

と、煩悩まみれの僕をさておいて、ミラは真剣な顔で儀式を続けている。最初の構えは、賢者(クルスニク)の槍を破壊しようとした時と同じだ。弧を描いた手に方陣が現れ、同時にミラの中から、マナが溢れでた。

 

それは一つの流れとなり、ミラの意志の元に、一定の方向へと荒れ狂っていく。まるで嵐を制御しているかのよう。世精石の力のお陰だろうか。四つの系統だろう、四色のマナが生まれ、ミラの方陣の中へと収まっていく。

 

 

 

――――しかし。

 

 

 

「くっ!?」

 

「ミラ!」

 

 

石は砕けてしまった。ミラは倒れそうによろめいた。その時、背後から気配が近づいてくる。

 

(奇襲!? こんなタイミングで――――)

 

かなり早い。僕は振り向きざま、気配に一撃を加えようとして、

 

 

「ミラさげふゥァ!?」

 

 

走ってきた銀髪の男に、ラリアット。

首にカウンターの一撃をくらった男は、縦に一回転した後、顔から地面へと着地した。

 

無言のまま、全員が。しばらくしてミラが、慌てたように襲撃者へと駆け寄った。

 

「イ、イバル!?」

 

「少年………ついにやったな」

 

「ついにって何!?」

 

あと、二人の責めるような視線が痛い。

ってイバルって名前は………たしか、巫子の名前だったような。

 

「えっ、巫子って女じゃなかったの」

 

「女と言った覚えはないが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで、脳震盪を起こして気絶しているイバルを起こすことになった。とはいっても時間がもったいない。きつめ気付け薬を嗅がせると、すぐに覚醒させた。ほら、こんなに巫子が元気に飛び跳ねて!

 

「やったね、アルヴィン。ってなんでそんな恐ろしいものを見る目で?」

 

匂いは広がらないようにしてるから大丈夫なのに。

 

「いや、何でもねーわ。でもその薬を俺に使うのはやめてくれな」

 

ちょっと引くアルヴィン。

 

「お前! よくもやってくれたな!」

 

「いや、本当にすみません。この通り」

 

さておいて、イバルは巫子。つまりはミラを心配して駆け寄ったのだろう。そこで、僕が昏倒させてしまった。これは謝るしかないだろう。薬に関してはアレ以外の方法が無かったし。

 

「ジュードは、敵襲だと勘違いしたのだろう。あまり責めないでやってくれ。それよりもイバル………綺麗に一回転したようだが、大丈夫か?」

 

                                             「あれしきの攻撃、私には通じません! そんなことよりミラ様、心配致しました………と、これは。四元精来喚(しげんしょうらいかん)の儀?」

 

何故今になって、このような儀式を。巫子のイバルは儀式の内容を把握した後、しかめっ面で立ち上がり――――ちょっとよろけながら、虚空に向かって呼びかける。

 

「イフリート様! ウンディーネ様!」

 

きっと、いつも呼べば姿を現してくれたのだろう。しかし、イバルの声に呼ばれた四大は応えない。

 

「ミラ様、いったい何が………」

 

問われたミラは、少し黙り込んだ後、イバルに向かって説明した。イル・ファンで起きた事。そして、今現在何を目的として動いているのかを。アルヴィンに聞かれてしまったが、それも仕方ないだろう。どうせ予想はついてたろうから。

 

「んで、精霊が召喚できないのって、そいつらが死んだってことか?」

 

「バカが、大精霊が死ぬものか!」

 

「………あれ、常識?」

 

「僕に聞かないでよ」

 

死んだ精霊は化石になるって話はどこかで聞いたことがある。だけど、その実どうかなんて僕が知れるはずがない。で、イバルが言うには、大精霊も死ねば化石になるという。ただ、力だけは代替わりするらしい。記憶は受け継がれないらしいが、力だけは次の大精霊へと継承されると。

 

「ふん。存在は決して死なない、幽世《かくりよ》の住人………それが、精霊だ」

 

「だったら………」

 

ドヤ顔でポーズを決めるイバルはおいといて、僕は結論を口にする。

 

「やっぱり、あれは見間違いじゃなかったのか」

 

最後、四大精霊はあの槍の中に吸い込まれていくように消えた。もしかして死んだとも思ったが、再召喚の儀式に応じないということは違うようだ。代替わりしていない。だけど、呼びかけに応じない―――つまりは、である。

 

「四大精霊は、今も賢者(クルスニク)の槍にいる。捕まっているんだ」

 

「バカが! 人間が四大様を捕らえられるはずが無い!」

 

「じゃあ………えっと、イバル。巫子のイバルとしては、どう考えているんだ?」

 

「それは………」

 

押し黙るイバル。考えているのだろう。だけど、それ以外の回答があるとは思えない。主であるミラの呼びかけにも応えない理由なんて、出られない事情があるから。他には考えつかない。

 

まさか四大精霊がストライキを起こしたと思えんし。

 

「………何もない空間で、卵がひとりでに潰れた場合。その原因は、卵の中にある。『ハオの卵理論』ってやつだよな?」

 

ちょっとドヤ顔のアルヴィンが――――学生ならば誰もが知っていることを口に出す。

 

「僕の、嫌いな理論だけどね」

 

「へえ、どうしてだ?」

 

「前提として、条件を決め付けるのが嫌いなんだ。それに、夢がないじゃないか」

 

もしかしたら未知のパワーが働いたかもしれないじゃないか。既定の視点に囚われていて何になる。そう言うと、捻くれてるよなあ、とアルヴィンに言われた。

 

なにさ、夢をみたっていいじゃないか。こちとらアルヴィンと違って、夢多き少年だもの。

それに、そんな荒唐無稽な話を――――信じられなければ。霊力野(ゲート)の無い人間が精霊術を使うなんて、夢みたいな目標を追っていられないじゃないか。

 

しかし、槍の力はそれほどだったとは思わなかった。最後の一撃の時に見た、四大を束ねる大精霊達。桁が違う存在を逃さない。つまりはそれほどの拘束力を持っているということ。マナが吸収されていく、その勢いも尋常じゃなかったし。

 

「四大を捕らえられるほどの黒匣(ジン)だったというのか………」

 

ミラの落ち込んだ声に、僕とアルヴィン、そしてイバルもはっとなる。

3人とも、俯いているミラを見た。

 

「あの時…………私は、マクスウェルとしての力を失ったのだな」

 

「ミラ………」

 

弱々しい声。研究所を脱出した直後も、そんな顔は見せなかったのに。

ミラは立ち上がると、こちらに背中を向けた。顔を見られたくないのだろう。

 

「ミラ………」

 

「今は、いい。一人にしておいてくれ」

 

励ましの言葉をかけた方がいい、と思うけど。考えたいこともあるだろうし、ひとまずは落ち着いて

 

「そうだ、貴様達たちは去れ! ここはミラ様の社、ニ・アケリアの中でも、最も神聖な場所だぞ!ミラ様のお世話をするのは、巫子であるこの俺だ!」

 

ってな空気を完全に無視し、ポーズを決め、ドヤ顔で歯を輝かせながらイバル。視線でアルヴィンにサインを送るが、首を横に振った。僕と同じ感想だ。つまり処置なしということ。

 

で、落ち込んでいるミラもそれを聞いていて。

 

「イバル。お前もだ。もう帰るがいい」

 

「………は?」

 

全くの予想外って声を出すイバル。ってバカやめろ。背中から不機嫌のオーラが出ているのが分からないのか。凹んでいる時にそんな事して、怒るに決まっているだろうに。

 

「ミラ、様?」

 

「イバル」

 

名前を呼ぶミラ。しかし目が危ない。ジト目じゃない、混じりっ気なしのマジ睨みだった。目が見たこともないほどに釣り上がっている。イバルも同じなのか、思いっきり腰が引けているな。

 

その、たじろぎ気味のイバルに、ミラは容赦なく告げる。

 

 

「有り体に言うぞ――――――――― う る さ い 」

 

 

死刑宣告のような端的な言葉に、イバルは音もなく膝から崩れおちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かくして、巫子・イバルはこの世から去ったのであった………」

 

「っ、勝手に殺すな!」

 

「おや、生きてたんだ」

 

乾燥したワカメみたいになってたのに。瞬時復活するイバルを見て、僕は味噌汁にワカメを入れすぎた時のことを思い出していた。まあ、今はワカメよりイバルだ。

 

「どうしてミラ様はあんな言葉を………」

 

「いや、凹んでる時に騒がしくされたんだ、そりゃムカつくでしょ。まあ、そう落ち込むなってワカメ」

 

あと、首大丈夫? って聞くが、何やら睨まれた。

 

「誰がワカメだ! この、貴様らがしっかりしていないおかげでミラ様があんな事に!」

 

手を上下左右に動かしながら喚くイバル。何か奥義を繰り出すようにじたばたと動きながら、八つ当りしてくる。しかも文法間違ってるし。正確には"おかげ"じゃなくて"せい"だろう。事実を言えば、それも違うのだが。

 

「くそ………俺がついていっていれば」

 

「二秒で敵に発見されたろうなー」

 

さっきから手をバタバタと動かして、うっとうしいやら騒がしいやら。じっと見ていると面白いのだが、こんな騒がしい男を隠密行動なんかに連れていけないだろう。研究所内で四大をぶっ放しまくるミラもミラだけど。はっ、つまりは似たもの同士………隠密より侵略をってか。

 

あなどれんな。奥が深いよニ・アケリア、さすがは精霊の里――――と思っていると、アルヴィンの呆れ顔が見えた。おっさんには、この騒がしさはきつかろうよ。

 

「なんか無礼なこと考えられてるような気がする。だけど、マジで短気な奴だな………で、これからどうするよ、少年」

 

「僕はここで待ってるよ」

 

やるべき事は話し合うとして、まずは休憩だ。一区切りもついたし、これからのことを決めていかなければならない。槍を破壊するという目的は変わっていないのだから。それに、もうすぐ夜だし、ミラもお腹が空いたら戻ってくるだろう。そう思っての発言だったが、イバルはいたく気に入らなかったらしく、何やらつっかかってきた。

 

「いいか! これからも、ミラ様のお世話は俺がする! ぽっと出の、どこかの馬の骨かもわからん奴が………余計なことはするなよ!」

 

「世話、ねえ………それって食事も?」

 

「ミラ様は食事をしない! 四大様からマナを…………っ!?」

 

そこで気付いたのだろう。イバルが、驚いた顔になる。

四大がいない今、ミラは食事をしなければ生きていけないってこと。

 

「今まで通り、僕が作るって。さっきも美味しそうに僕の作った料理を食べていたしー」

 

「な、ミラ様が食事を!?」

 

「食べなきゃ死ぬっての。それよりもなにか。食事をするぐらいなら、いっそ飢えて死ねと? それも余計なことだって言うのか?」

 

ちょうどいい。お世話をしている巫子様に、一度聞いてみたかったんだ。

 

「なんでミラは食事をしたことがない? 旨いもん食べればやる気も出るってことは、そこらへんのガキでも知ってることだろ」

 

それが、どうしてだ。聞けば、眠ったこともないという。何故、二大欲求を封じ込めるのか。不必要だったはずがない。食事の匂いを嗅いだことがないなんて、あるはずがない。だけど必要ないものとして育てられた。自らを使命に捧げていたからか。ミラをマクスウェルとして"扱っていた"からか。

 

「おいおい、落ち着けよジュード。ミラにはミラの事情があるし、こいつにも事情がある。習慣もなにもかもが違うんだ。俺たちとは、視点そのものが違うって可能性もあるだろ」

 

だから、それを責めるのも決め付けるのも早急だし、間違っている。

アルヴィンが言うが、それでも僕は納得できない。

 

(………でも、確かに)

 

頭ごなしに責める問題ではないのかもしれない。ミラもこいつも、今までの生活があったのだ。

だから、ちょっと。落ち着いて、軽く謝ろうとしたのだが――――

 

「その通りだ! それに、ミラ様は今まで食事をしなくとも、使命を果たしてこられた! これからは………食事を作るが、それでも出会ったばかりのお前に責められる筋合いはない!」

 

「ンだとこの増えすぎるワカメが」

 

カチンときた。特に最後の言葉。時間がそんなに大切か、あとドヤ顔すんじゃねーよ。ぶっ飛ばすぞこの野郎。

 

「ふん、俺は強いぞ。お前のような、子供じみた顔している奴には負けない」

 

ふふん、という顔をするイバル。

 

「けっ、ラリアットの一撃で昏倒したくせに、よく言うよ」

 

「ぐ、あれは汚い不意打ちだったからだ! 正面からやれば、お前のようなチビにやられるか!」

 

「ぐ、お前だって僕とそう変わらないじゃないか!」

 

イバルは髪の毛が立っているからか、背は高く見える。だが、素の身長は誤差の範囲だろう。事実―――こうして、正面からメンチの切りあいになると、視点があうのだ。こいつも、僕も………ミラよりは背が低いけど。その時、横からアルヴィンの声がした。

 

「………どんぐりの背比べ」

 

「「何か言ったか?!」」

 

「いーや」

 

両手を挙げ、降参ーと言うアルヴィン。ちっ、このおっさんはほっとこう。

 

でも、このままじゃ埒あかねえ…………間違っている云々はともかく、こうまで言われて黙っている僕じゃない。

 

――――ここは分かりやすく男らしく決着をつけようか。

 

「………階段の下、草原でぶっ飛ばしてやるよ海藻類。一対一の勝負だ」

 

要約すると"表ぇ出ろやコラ"。

 

「ふん、ミラ様に迷惑がかからないようにか………望む所だ目付きの悪い男!」

 

受けて立ったか―――逃げない所は褒めてやろう。

 

 

さあ野郎同士、拳で語り合おうじゃないか。

 

 

 



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16話 :  夢の傷痕

 

草原の上で僕達は向き合っていた。

 

互いに武器なし、ただしマナの強化はあり。使う得物は己の拳だけだ。殺しあいをしたいのではない、ただ"お話し合い"をするだけだ。その話し合いに、刃物も精霊術も必要なかった。そう思っての僕の提案に、イバルは同意した。

 

そうして、拳での語り合いは始まった。

 

「お前に、ミラ様の何が分かる!」

 

「何も分からねえよ! 短い付き合いだからな! だけど、五感も感情もある一人の人間だってことは分かる!」

 

「ミラ様は精霊の主だ! 使命のために、ミラ様は戦われている!」

 

「だからって、使命だけに生きなくていいだろう! 笑顔だって、そりゃ超絶綺麗なんだぜ! あとちょー可愛い!」

 

「………う、嘘を言うな!」

 

「って、笑った所を見たことねえよかよ! 人生損してるなあ、今度僕が笑わせるから、一緒に見るかぁ!?」

 

「お、俺の手で見る、必要ない!」

 

「料理を作ってか!?」

 

「そうだ! 知ったからには全力でやるまで! よそ者の手など要らないっ!」

 

「僕がしたいからするっ! ほら論破完了っ!」

 

「どういった理屈だ!」

 

「あと、何であんな服にした?! 正直ありがとうございますっ!」

 

「普通の服だと、シルフ様の力で飛ぶ時に服に風が入って膨れ上がるだろうがっっ!」

 

「なるほど納得っ!」

 

最初はミラのことを、途中からは、痛みに混乱したせいか、思ったことを。そのまま口に叫びながら、僕達は幾度と無く拳をぶつけ合った。途中から何を言っているのか自分でもわからなくなったが、それでいい。

 

明確ではないが、何となく理解できた。上っ面の言葉ではない。

総じて、思う。ミラのことと、役割。イバルもそうだ。

 

イバルは、考えもしなかっただけなのだ。マクスウェルが食事をするなんて、ましてやそれで笑うなんてことを想像もしなかった。発想そのものが無いのだ。だから、それが当然だと思った。その中で、必死にマクスウェルに尽くしてきたのだろう。

 

(だけど、はいそうですかと納得できるか!)

 

責めるのは酷だとして、同情なんかしてやらない。

事実としてミラの20年があって、それは覆せないのだから。

 

―――そうして殴り合って、10分は経過しただろうか。

 

「はあ、はあ、はあ…………やるじゃねえか。でももう限界だろ?」

 

「ふん………お前の方こそ、膝が笑ってるぞ」

 

互いに強がる言葉をかけあう。形勢は完全に互角だった。この巫子、なるほど口だけではない。素の肉体も鍛えているが、マナの制御技術が半端ではない。今までにあまり見たことがないレベルだ。繰り出される拳は速く、キレもあるのでクリーンヒットされると意識が飛びそうになる。何とか耐えられているものの、気を抜けば即座にKOされるだろう。

 

手数も多い。口の中はあちこち切れているし、殴られた顔が痛すぎる。鏡を見れば、目の前のこいつのように、内出血で青くなっている自分の顔が見られるかも。

 

だけど、絶対に負けられない。先に倒れてなんか、やるもんかよ。あっちも同じ気持ちのようで、その顔に消えかけた戦意が宿っていくのが見て取れる。

 

「これからだ………いくぞ!」

 

「来いやぁ!」

 

と、また拳での語り合いが再開されようとした時。

 

 

 

「―――スプラッシュ!!」

 

 

 

ミラの放った水の精霊術に吹っ飛ばされ、気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きたようだな………ジュードも、そこに座れ」

 

で、気絶している間に運ばれたらしい。気がつけば社の前の広場にいた。起きるなり、イバルと一緒に正座させられる。イバルの方は先に目が覚めていたのか、勝ち誇った顔でこちらを見てくる。よし、上等だ。第二ラウンドといこうか。しかし、そこでミラに止められた。

 

「やめろ。それで………なぜ、あんなをしていた」

 

殴り合いのことを言っているのだろう。僕とイバルが同時に答えた。

 

「「いや、それはこコイツが挑発してきた(ました)から………」」

 

「………はあ。言い訳は聞いていないのだが?」

 

ミラは頭痛がすると言いながら、片手で頭をかかえると深いため息をついた。

 

「まったく、これからが大変だというのに…………それで、もう一度聞くが何が原因で殴り合っていたのだ?」

 

「「それは、コイツが…………!」」

 

またハモる。それを見たミラは呆れたのか。もういいと首を横に振った。気まずい空気が流れる。

そんな中、ミラは僕のアイテムバックの方を見る。

 

「ジュード、取り敢えず手当を頼む。君も、イバルもだ。この大事な時に、大怪我でもされると非常に困るからな」

 

若干表情を和らげて、ミラ。しかし、笑顔のまま彼女は宣告する。

 

「次は、無いからな?」

 

「「申し訳ありませんでした」」

 

素直に謝る。事実、うかつな行動だったから。全力で殴り合ったせいで拳が痛いし、筋肉を酷使したので全身が痛い。あと2日は休まなければ出発できないだろうし。断じて笑顔のミラが怖かったわけではない。ともあれ、治療だ。僕は自分のアイテムパックからあらかじめ煎じていた薬草と、ガーゼを取り出して腫れている頬や拳に処置をしていく。

 

「ほら、手え出せ巫子殿」

 

「ひ、必要ない! これしきの痛みなど………っ!?」

 

イバルは平気だ、と言おうと立ち上がる。だが、その寸前に、頬の痛みが響いたのか、涙目になった。

 

「大人しくしとけって、いいから。治療行為に悪ふざけを挟んだりはしねーよ」

 

「ぐ………」

 

半眼になりながらも大人しくなったイバルに治療を施していく。処置は10分程度で終わった。僕もイバルも包帯のガーゼだらけだ。これが美女を守って、となら格好もつくのだろうが、全くの自己責任なので不名誉な傷ということになるだろう。

 

「それはそうだ。君もイバルも、もう少し先を考えて行動して欲しいものだな」

 

――――ミラにそんなダメだしをされるとは。僕は呆然として、おもわずアルヴィンの方を見る、っていねえよあの野郎。

 

「ああ、アルヴィンなら先に村へ戻ったぞ。お前たちが喧嘩しているのを伝えてくれた後にな」

 

「村に?」

 

「ああ。ジュードもイバルも、ひとまずは村で静養していてくれ。それに、もう夜だが………ここに泊まるわけにもいかないだろう」

 

「しかし………!」

 

イバルが反論するが、ミラは抑えこむように視線を叩きつける。

 

「私も、少し………一人で考えたいことがある。だからイバル、今夜は二人をお前の家に泊めてやってくれ」

 

ミラの言葉に、イバルは心底嫌そうな顔でこちらを見る。

だが、巫子が逆らえるはずもない。すぐに跪いて、承知いたしました、と答える。

 

「………ついてこい」

 

「う~い」

 

睨みながら言うイバル。僕はその後をついていこうと、立ち上がって――――すぐに、ミラに呼び止められた。

 

「ジュードは残ってくれ。少し話があるのでな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、話ってなに?」

 

一対一で話すことなのか。イバルがちょっとした部外者扱いされたからか、ものすごい眼で睨まれたんですけど。

 

「ああ………」

 

ミラは僕の問いに答えず。近づき、顔を寄せてくる。

 

(な――――)

 

迫ってくる顔。金の髪、長いまつげに柔らかそうな肌。左右対称に整っている美貌は、至近距離で見せられると鼓動が高鳴るほど。

 

そして、ミラはそのまま僕の背中を触ってきた。

 

その部分はキジル海瀑で受けた"傷の所"で、僕は思わず痛みに声をあげてしまった。

 

「………やはりな。私をかばった時の傷か」

 

「なんで…………」

 

気付いたのか。上手く隠せていたと思ったのに。聞くと、アルヴィンから教えてもらったと言う。

 

「イバルとの喧嘩の時に気付いたらしい。君が、背中が痛む素振りを見せていた、とな」

 

「アルヴィン………」

 

あのおっさん、なんて余計なことをしてくれるのだろう。眉毛むしってやろうか。

 

「イバルと互角だったのはそのせいだろう。イバルは確かに腕は立つが………それでも君の専門分野である殴り合いで、互角に張り合えるほどとは思えないからな」

 

「まあ………」

 

実戦ならいざしらず、殴り合いっこ限定なら負けなかっただろう。ミラの言うとおり、背中の痛みのせいで拳に力が入らなかったのだ。背筋は下半身と一緒で、拳打を撃つときには要となる部位だ。力がろくに入らないから、突き出す力も弱くなっていた。全くの言い訳なんだけど。

 

「問題はそこではない。ジュード、怪我をしたというのに何故隠していた? 何故、私たちに嘘をついた」

 

怒る、というよりは困惑している顔。純粋に疑問に思っているからだろう。誤魔化すにも意味がないと判断した僕は、その問いに素直に答えることにした。

 

「心配されるほどじゃないと思って。ほら、手足がもげたってほどじゃないし」

 

心配されるような怪我じゃない。若干、甘めに見積もっていたのは確かだから、そんなに強くは言えないのだけど。そう答えるが、しかしミラは納得してくれない。腕を組んで、困惑の表情は消えていないのだ。

 

「分からないな………人間は、自分を大事にする生き物ではないのか? 怪我をすれば、人に言えばいいだろう」

 

「そんなに大したことじゃないよ。死ぬような傷でもないし、僕が痛いのを我慢すれば済むことなんだから」

 

そうだ。それに、こんなに心配してくれているのは何故だろう。

理由が分からない。僕は、精霊術を使えない人間で。

 

――――周囲からは、価値がないと言われる人種だ。

 

「だから、さ。別にこんな僕が怪我をしたって、特に何を心配することもないだろう?」

 

ミラも、使命を大事にしていればいい。生憎と僕は死んでも構わないと思っている。死にたくないから、最後まで足掻こう。でもあの夢を叶えるため、命を捧げる覚悟はとうに用意できているのだ。

 

 

「………分かった。だが、背中を見せろ。せめて治療させてもらう」

 

 

 

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

 

 

その後、私はジュードの治療をはじめた。教えられた通りに、背中の傷に練られた薬草を塗り、ガーゼで包んで包帯で止めていく。

 

(これは、酷いな)

 

出血はしていない、傷口の血はすでに固まっていた。体内のマナを循環させたから、止血だけはできたのだという。だけど、それだけで済むほどに背中の傷は軽くない。さぞかし痛んだことだろうに。事実、肌着の半分は血の赤に染まっていた。それなのに、何故あんな言葉を言うのか。心配するなと彼は言うが、これは一般的には軽傷と呼ばれるような傷ではない。男がするというやせ我慢か。だが表情から察するに、彼は本気で大したことがないと信じている。

 

(なんだ、この違和感は)

 

―――こんな僕が、と。ジュードの口から出た言葉を前に、私は何も言えないでいた。

 

理解不能の感情に襲われたからだ。それは何なのか、はっきりとは分からないが、胸が締め付けらているような感覚がある。

 

(何故、君はそんな風に笑う)

 

覚悟に対して感嘆の念は抱いている。命を賭けるという言葉に、なるほど嘘はないのだろう。今までの行動を見るに、ジュードの行動理念は一貫している。

 

―――助けられたことについて、本当に感謝をしている。研究所で溺れかけた所を掬い上げてもらったのが最初。脱出して、兵士に見つかり、苦戦していた時も助けてくれた。他人の振りをして、巻き込まないよう一人で戦おうとしていた私の前の立ち、兵士をなぎ払い。足を怪我していた私を背負って、船まで連れて行ってくれた。もしジュードがあの場所にいなければ私は溺死していただろう。あるいは、ラ・シュガル兵に捕まっていた。

 

海停についてからも世話になりっぱなしだった。食事の時もそうだった。彼は鬼気迫る表情で調理場に入り、出てきたものは至高と呼ばれる料理。あの時は精霊の使いか何かと勘違いしたものだ。戦いに関してもそう。文字通り、身体を張って守ってくれたこともあった。

 

約束はしていた。言葉として口約束はしていた。だが、実際に目の前で身体を張られる所を見ると、また違う念が胸の底から浮かんでくる。その後に、私を女性扱いする所までも。マクスウェルである私を、女として守ろうなどと、そのような者が現れるとは思ってもいなかった。

 

(嬉しいような、気恥ずかしいような)

 

あるいは、スケベな心があるからだろうか。それは置いておいても、ジュード・マティスという少年は大した男だとも言える。強さだけではない。彼の行動からは、思いやりを感じるのだ。何やら隠そうとしているようだが、私やアルヴィンから見ればみえみえだ。

 

子供らしいと言えばそうなのだろうか。アルヴィンに対して、素直ではないが、そう嫌ってはいない事も見て取れる。きっと、親からは良い教育を受けたのだろう。彼の行動は、深い愛情を受けた者が取る行動そのものだ。

 

(それなのに、ジュードは自分の事を軽んじている)

 

自分を大切にしないのだ。人間はまず自分のことを大切にするという。それは当たり前で、自然なことだ。だけどジュードはそれがすっぽりと抜けている。まるで自分には価値がないというように。

 

(矛盾している。ちぐはぐだ)

 

価値があるという言い方は嫌いだ。しかし、他人から見れば羨ましがられよう、大したものを持っているのに、自分ではそう思っていない。捨て鉢とも取れる。自分が死んだことによって周囲にどういった影響を与えるのか、分からないはずがないだろう。思えば、研究所を出てからもそうだった。あの場で私に手を貸すということ。それはすなわち国を敵に回すということ。その前、教授の研究について語っていたこともそうだ。発端である人物を殴る。なるほど、立派な心だが、一介の医学生が思うようなことではない。なのに、容易く踏み出せる。傷があっても告げない。力量に関してもそうだ。四大の加護がある私と伍する力量。イバルにしても、決して弱くない。選ばれた巫子として、幼い頃からそれこそ地獄のような訓練を受けているから、あれだけ強いのだ。それに、匹敵する医学生。修行の期間を考えれば、イバルには数年及ばない。才能だけで埋まる差ではない。

 

(素の筋肉も、鍛えられている。見惚れるほどに)

 

ひきしまっていて、無駄な所が一切ない。これも、男らしいといえば、そうなのかもしれない。

だけど全身のところどころに見える、傷の痕のように。

 

(胸元にある、大きく深い傷痕のように)

 

各所に"影"が見えてくるのも、確かだった。私は、面と向かって、人と深く関わったことはない。だけどジュード・マティスという少年は、そんな私でさえ分かるぐらいの大きさで心の中に何か重大な"歪"を隠しているのだ。

 

(………何があった、とは聞けないのだろうな)

 

ジュードは少年だが、男としての矜持を持っている。自分に自信がないという理由、過去に何があったか、聞いた所で答えてはくれないだろう。

 

だから、私は言葉で示すことにした。

 

 

○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

 

 

「ありがと、ミラ」

 

僕は背中の処置が終わった後。即座に着替え、ミラに向き直る。

ミラは何やら真剣な表情で考え込んでいた。何をそんなに考えているのだろうか。ひょっとして、四大のことだろうか。それも明日に考えればいい。イバルも交えて話した方が、後々に面倒くさいことにならないだろう。

 

告げようとした時、ミラは顔を上げた。まっすぐに、こちらの瞳の奥を見据えるように、正面から視線をぶつけてくる。そして、静かな声で言った。

 

「ジュード、ありがとう」

 

ぽん、とミラの手が僕の頭に置かれる。

 

「本当に助かった。君が居なければ、私はニ・アケリアに戻ることができなかっただろう」

 

「ミラ………」

 

感謝の言葉に、胸が熱くなる。素直に感謝された事は、あまりない。それこそ5年前のあの事件から。そうして感激している僕に、ミラは言葉を続ける。

 

「――――君の事情は聞かない。聞いても答えないだろうから。だけど、これだけは言わせてくれ」

 

(………え?)

 

凍りつく。ひょっとして、僕が精霊術を使えないことがばれたのか。

護衛はクビなのか、喧嘩したからダメなのかと、目の前が真っ暗になる。

 

しかし、出てきた言葉は予想外のものだった。

 

「私達は、目的を共にする同志だろう? ………だから、今回のような真似はするな。何より、私が心配をするから」

 

「心配………」

 

「そうだ。君が私の無茶にするように。私も、同じようなことを思うから」

 

「………そ………っか」

 

その時、胸中に浮かんできた言葉を僕は知らない。ただ、たまらなくなって。

 

「あれ?」

 

両の目から、涙がこぼれた。気付いた僕は、即座にミラに背を向ける。

 

「………ジュード?」

 

「何でもないから!」

 

泣いている所なんて、みっともなくて見せらない。問われても困る。自分でも、何故涙が出てきたのか分からないのだから。しかし、僕はミラに心配させていたのだろうか。

 

(事情を知らないから、ってのもあるだろうけど)

 

この時、僕ははじめて思った。ミラに、精霊術を使えないことを知られるのが怖いと。知って、嫌われれば。一体僕はどうなるのだろうか、と。

 

「ごめん………」

 

知らず、口の中からは謝罪の言葉がこぼれていた。秘密を持っていること。ミラもあるのだろうけど、僕の方がもっと罪深いものなのかもしれない。世界とかの謎じゃなく、自分に関することについてだからだ。偽りをもって接するという行為は、ある意味での裏切りに等しい。だからこその謝罪の言葉。だが、ミラは勘違いしたようだ。このような時に言う言葉は、そうじゃないだろうと言ってくる。

 

(ミラの時とは事情が違うのに)

 

チクリと刺す胸の痛みを感じる。だが、僕は目的のために。それを隠すようにして、言った。

 

「――――ありがとう」

 

我ながら、白々しい言葉だと思う。耐え切れず、僕はミラの社から走って飛び出した。

外は霧が深い。まるで今の自分の胸中のようだ。

 

その中で僕は走りながあ、誓った。

 

 

(酒を飲んでやる………!)

 

 

逃避なのは分かっている。だけど、今夜はなにもかも忘れたいと、そう思った。

 

 




※作者注

未成年飲酒ですが、ジュード君はリーゼ・マクシアの法に従って呑んでいます。

地球のみなは真似しないように。


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16.5話 : 子鬼上戸

※作者注

未成年飲酒ですが、ジュード君はリーゼ・マクシアの法に従って呑んでいます。

地球のみんなは真似しないように。


 

「それでは、ナディアお嬢様?」

 

「ああ。陛下に渡す情報は以上だ」

 

ラフォート研究所で行われていた実験の内容。それに携わっていたもの。

 

クルスニクの槍の詳細も含め、イル・ファン内で得られた情報を書いた手紙を、ボーボーの足に括りつける。

 

「じゃあ、頼んだよ」

 

クルックーと返すボーボーを見送る。分かっているのか、分かっていないのか。だけどあの子は間違えない。卵から孵した私の愛鳥。学術名はシルフモドキと言われるあの子は、私にとっては風の大精霊そのものだ。力強く羽ばたくその姿には、少し嫉妬を覚えるけれど。

 

「ナディアお嬢様?」

 

「アグリアと呼んでよ、プラン」

 

間違ってもナディアとだけは呼んでくれるな。思いを言葉に乗せて送るが、プランは堪えた様子もない。さすがは肝が太い。"医学校で情報収集をこなせるだけはある"か。

 

「これから発つのですか?」

 

「アタシはここで目立ちすぎた。迂闊に動くのもまずいからね」

 

研究所で動き過ぎた。警備の者には顔を覚えられてしまったし、これ以上この街で、陛下のためにできることはない。あの槍の"鍵"も、今はマクスウェルが持っていってしまった。鍵を作りなおす動きがあるらしいが、そんなに速くは作り直せないだろう。

 

―――そう、マクスウェル。ジュードと一緒にこの街を脱出した大精霊。

なるほど、あのマナの量は――――確かに、本物であることを疑わせない。どう奪い返そうか。考えている時、プランから予想外の言葉が。

 

「ではお嬢様、ジュード君との進展はいかほどに?」

 

「はあっ!?」

 

思わず答える。何を言っているのか。分からないと言う前に、プランは言葉を挟み込む。

 

「お嬢様唯一のオトモダチでしょうに。私は心配しているのですよ?」

 

「余計なお世話だよ!」

 

「………なら、そういうことにしておきますが」

 

落ち込んだ風に、プランは言う。まて、なんでアンタがそんなこと。

 

「お嬢様が、素で喧嘩できる唯一の相手。それはもう、私も覚えていますよ――――職場も同じですからね」

 

プランの言う通りで、彼女はハウス教授の医療室の看護婦を務めている。教授の助手であった、ジュードにも近い位置にいる。

 

「しかし、ハウス教授は?」

 

「死んだよ。研究成果だけはもっていかれたみたいだね。用済みとマナの補充、一石二鳥ってやつさ」

 

そう、ハウス教授はイル・ファンで活動する組織に消されてしまった。マナを吸い取られ、殺されたのだ。教授はマナのやり取りなしで。

 

つまり霊力野(ゲート)なしでマナをやりとりし、精霊術を行使する方法を研究していたようだけど、どうにもそれが組織にとって有用だったようだ。国にも大きな影響力をもっている組織に、成果だけを奪われ、始末された。アタシとしてもその動きを把握していた。とても止められるような状況じゃあなかったけど。

 

「そうですか………ジュード君、落ち込んでいるでしょうね」

 

「まあ、な」

 

ダメージは受けているに違いない。それ以上に、アタシの事を憎んでいるとは思うけど。

あの状況では、そう思われて当然だ。教授をアタシが殺した。そう見るのは自然なこと。

 

(手は下していないんだけどね)

 

だけど仮に説明をした所で誰が信じるのか。ジュードはきっと信じないだろう。だから、わざわざ説明なんかしてやらない。アタシを殺すというなら、殺し返すだけだ。事情を説明して和解するなんて、そんな光景、想像もつかないから。

 

「ナディアお嬢様?」

 

「だからアグリアと呼べって言ってるだろ。ジュードの事? はん、今頃は凹むあまりやけ酒にも手を出しているんじゃないか?」

 

言いながら、あの惨事を思い出す。思い出したくもない、あの時の言葉。声。言動。肌の温もり。

 

「何やら顔が赤くなっていますが」

 

「うるさいよ!」

 

叫ぶ。あんな事、思い出すだけで顔から火が吹き出そうになる。あれは、ジュードと一緒に傭兵じみた任務を受けていた時。村に魔物が出て、それを蹴散らして。ジュードは、驚いて高所から落ちた村人を治療して。勘違いされた後にもらったものが、バレンジワインだった。しかも10年以上寝かせた、ムーンライトという超高級酒、それも2本。アタシも一度飲んでみたかったので、イル・ファンに持って帰ってきて。店長が作ったハーブ鳥と、アタシが持ってきたチーズと、ジュードが作ったミートパスタ。

 

交えて、飲んだ時に"あれ"は起きた。

 

(美味しかったよ。口当たりもよくて、飲みやすいからって、どんどん飲んだ。それがいけなかったんだ)

 

しばらくしてジュードは変わった。変貌した。豹変した。

 

「お嬢様、もしかして酒宴での?」

 

「あれは、アタシの生涯の不覚だったよ」

 

「詳しくお願いします」

 

食い入るように迫ってきたプランにちょっと引きながら、思い出す。ガラにもなく、祈った。

 

――――どうか、アタシと同じように。

 

酔ったジュードにからまれて、痛い目を見る誰かがいますように、と。

 

 

 

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

 

 

あいつは、駆け込むように入ってきた。家主のイバルに怒られているが、まるで聞いちゃいねえ。いいから酒を飲もうぜ、と村のどこからか買ってきたのか、酒を5本手に持っていた。俺も飲みたい気分だったし、イバルもそうなのだろう。ヤサグレ気味だった巫子殿は、「なんで俺が」なんて顔をしながら、ジュードの意見を飲んだ。ミラ様がどーとか言っていたが、あいつも興味があったのだろう。友達いなさそうだし。

 

それよりも、対等な立場の人間がいなかったのかもしれない。ミラは上で、村人は下。その上下を繋ぐ役割を担っている巫子は、実は対等な相手に飢えていたのかもしれない。だからか、ジュードのただならぬ勢いもあって、結局は男3人で飲みだした。

 

ジュードが買ってきた食材で、簡単なつまみを揃えて。そうして酒宴が始まって、30分が経過した頃だった。

 

――――見るものを"呑み込む"黒髪の悪魔が、出現したのは。

 

まず、優しくなった。ジュードは酔ったのか、顔を赤くしながらも、イバルの言葉を真剣に聞きつつ、うなずいて、話の流れに乗って。うんうんと同意を示しつつ、時には感情を交えて話を盛り上げていく。聞き上手とはこういうことか。

 

「ミラ様は俺の憧れなんだ」

 

「お役に立ちたくて、頑張った。修行だって必死にやった」

 

「時々俺が買ったアレ系の本をかってに持っていかれて、後が怖い」

 

などといった。素面ではとても言えないだろう発言を次々に引き出している。いや、酔っていたって普通は言わないだろう。恐るべきはジュードの話術とオーラだ。にこにこと、いつもとはまるで人が違うようなそれは、警戒心を薄れさせるには十分な効果があった。

 

(こういう所も、あの医者と違う。似ていない)

 

ずっと昔に去っていった"主治医"。ニ・アケリアに到着した後、私用だと外した際に受け取った組織の伝書鳩で確認したから間違いない。ジュードはあの生真面目を絵に描いたような医者の息子なのだ。そんな、今となってはどうでもいいことを思いつつ、俺は二人の事を観察していた。

場が急変していた。なにか、ジュードはニコニコしながら――――イバルに質問を連発していた。

 

その様子は異様だ。イバルは顔を赤くしながら、眼をグルグルと渦巻のように回している。それも、ジュードの質問の内容が揃って"アレ"だったからだろう。

 

「ミラの胸って大きいよね。実はあの衣装ってイバルの趣味?」

 

「空気読んだ方がいいと思う。そうしたら、ミラもイバルの事を見なおしてくれるって」

 

「イバルって強いよね。冗談抜きで、イバルより強い相手と戦ったことって無いよ」

 

「ふとももは至高。そうだろう、同志イバル」

 

「ねえ………パンチラって言葉、素敵だよね」

 

―――これをなんと言おう。笑い上戸ではない。泣き上戸でも、ましてや絡み酒でもない。基本は素直だ。褒めていることもある。だけど、臓腑をえぐるような発言も色々とある。イバルは誤魔化そうとするが、ジュードは脈を手に取り、「嘘だね?」と笑顔。責めずに事実だけを告げてくるもんだから、イバルとしても反撃ができない。じっとされるがままになっている。

 

(おいおい………天然上戸? いや、これは)

 

―――鬼上戸か。人を襲う魔物とは違う、また異質な生き物のような。まずい。これはまずい。

 

と、思った時には遅かったのだが。気づけばジュードは何やら床に倒れ込んでいるイバルを背にして俺の方に。

 

酒と盃を持ちながら迫ってきたのだ。

 

「飲もうよ、アルヴィンも」

 

 

そして地獄が始まった俺も、最初の方は自分のペースを保てていたし、ジュードの話術に乗せられなかった。酒は強い方でもないが、我慢はできる。しかし、酔ったジュード。子鬼といおうか、こいつの恐ろしさはとても抑えられるようなものじゃない。それに気付いたのは、ちょっとつまみを作るから、と。ジュードが席を外し、料理を持ってきた後だ。

 

「はい、アルヴィン」

 

「あんがとよ」

 

軽く礼をいいながら、つまんで。

 

俺の脳髄に電撃が走った。

 

(これは、この味は…………)

 

故郷の味だ。こいつが知るはずもない、俺の故郷の味。一体なんのつもりか。問い詰めようとする寸前、ジュードは自分から答えた。

 

「んー、アルヴィンって父さんと似た空気をまとってるし。なら好物も、好きな味も同じかなって。あはは」

 

酔いに顔を真っ赤にしながらジュードは言う。間違いない、こいつは気づいていない。それなのに、勘というか、訳のわからない感覚で真実を的確にとらえてやがる。

 

 

(まずい………!)

 

 

 

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

 

 

「では、お嬢様。ジュード君は酔うと感覚が鋭くなるんですか?」

 

「頭の回転も速くなりやがるな。アタシが好きな料理を、しかもいつもとは違うレベルで。それで美味しい酒を進めながら言葉巧みにこっちを褒めてくるんだ。アタシが言いたくもないことも、引き出してきやがる」

 

「それは………お嬢様のような方には辛い。ある意味天敵ですね」

 

「そうだよ。それに………」

 

褒める言葉にも、何やらジュードの"想い"といったものがこめられている。

普段なら絶対に言わないような褒め言葉。でも、それは本当に感情がこもっていて。

 

「感極まったのか、抱きついてくるし………」

 

「お嬢様?」

 

「っ、なんでもない! なんでもないからな!」

 

余計なことを口走ってしまった。急いで取り消すが、プランには聞こえていたようだ。

口元を抑え、笑いをこらえている。

 

「ご、ごほん! それで、お嬢様は何を言われたのですか?」

 

「………髪がきれーだの、眼つきがよければ可愛いだの。思ってもいないのに、よ」

 

いつものやさぐれジュードなら、絶対に言わない言葉。でもそのギャップと。頭が混乱させられるのもあって。酔いがどんどん進められていくのもあって。いつの間にか、恥ずかしいことを口にだしていることもあって。翌朝、アタシは羞恥のあまり、ベッドを焼き壊してしまったほどだ。

 

(二度と、あいつと飲むか………!)

 

陛下にだって誓おう。というか、あいつは危険だ。酔ったあいつは兵器になる。ほっとけば何人虜にするか分からない。だから飲むなといった。次にあんなことを言えば許さないし、抱きつくことも許さない。

 

「で、その言葉の中で。お嬢様が、一番覚えていられたものは?」

 

プランの言葉。笑いもあるが、真剣な言葉もある。

――――こういった所は、母親と同じだ。アタシの乳母だったプランの母親。

 

優しい声で、似たような顔で。もう一人の母親と言えるそんな風に言われたから、アタシは思わず素直に答えてしまった。ジュードに言われるまで。まったく気づきもしなかった、ジュードにほめられた、アタシの長所を。

 

「………声が、綺麗」

 

歌がうまい、かな。

 

プランに教えた後耐え切れなくなって、"私"の顔はあの時のように、炎のように熱くなった。

 

 

 

○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

 

 

「アルヴィンって、寂しがり屋だよね」

 

「………ああ?」

 

「誕生日とか祝ってもらったこと少なそう」

 

かちんと来る。なんでお前にそんなことを言われなければならない。言うが、次の言葉を前に、何も言えなくなった。

 

「僕も、そうだから。だから何となく分かるんだ」

 

「お前………お前は、両親が居るだろ」

 

「医者だからね。誕生日に祝ってもらえることは少なかったよ。でもまあ、ソニア師匠やレイア、ウォーロックさんには祝ってもらえたんだけど」

 

イル・ファンに来てからは、全く。笑いながら言うジュードの言葉に、俺は過去のことを思い出してた。確かに、誕生日を祝ってもらえたことなんて、数えるほどだ。

 

こっちに来た頃は母さんに。仕事についてからは、全くと言っていいほどに無かった。

 

(いや………あったか)

 

相手は、かつて同棲していた彼女。別れる前、一度だけ祝ってもらった事がある。おままごとみたいな真似を、と俺はバカにしていて。それでも、言い様のない感情に襲われたのを覚えている。今はもう、一緒にはいられない関係になったが。

 

(あいつも、変わっていないな)

 

格好も前のまんまだ。青少年には目の毒だってのに。

 

(そういえば、あの時も。酒を、強くもないのに飲んでいたっけな)

 

大人の振りをしていた。大人になりたかった。他人の都合に振り回される存在から、子供から、そんな立場から脱却したかった。だから、大人ぶって。

 

(………っ!)

 

たまらず、酒をあおる。鼻に、きついアルコールの香りが抜けていく。

 

涙が出た。きっとアルコールのせいだ。決して、悲しいからじゃあない。

言い訳をするように、隣を見る。そんなんじゃねえ、と。

 

だけどジュードは、変わらぬ笑みを向けていて。

 

(こいつも、複雑だよな)

 

俺が気づいていること、ミラも気づいているだろう。こいつの歪は分かりやすい。疑ってみれば一目瞭然だ。微笑ましい部分もある。汚れた方向に突出していないのも、違った面白さを感じさせてくれる。思わず手を貸してしまいたくなるぐらいには。その奥が見たくて。こうして乗って、酔った後に豹変するかとも思っていたが、どうにも想定していた"傷"とは違うようだ。

 

(ほんと、分からねえよ。人間も、精霊も、この世界も。分からないことだらけだ)

 

愚痴るように言う。と、その時玄関の入口が開いた。

 

「すまない、明日の予定を…………ってなんだこの臭いは!?」

 

ミラだ。入るなり彼女の知らない臭い、アルコールのそれを感じて。驚いたのだろう、一歩引いて戸惑っている。だが、これが何の臭いなのか。ミラは気付いた後、ジュードに向かって詰め寄る。

 

「ジュード! お前たち何をしている!」

 

怒っている。そりゃそうか。怪我人、病人にアルコールはご法度だ。ミラとしても、それぐらいは知っているのだろう。

 

「聞いているのか?」

 

怪訝な顔をするミラ。しかしジュードは、ミラの顔を見たまま硬直している。そうして、徐に口を開き、言った。

 

「綺麗だ」

 

「………は?」

 

「ミラって、綺麗だね」

 

「いや、あの、ジュード? 大丈夫か?」

 

ミラにしては珍しい。真正面からの唐突な言葉に、ちょっと混乱しているようだ。顔も赤い。こっちからは見えないが、さぞかし真剣な眼をしているのだろう。

 

「綺麗だ………」

 

一歩、ジュードはミラに詰め寄る。そして、また徐に手を差し出し。

 

「えい」

 

その手が、ミラの胸元に埋まった。ふにゅっと、いう擬音が鳴った気がした。

 

「っっっっっ!」

 

ミラの顔が炎に鳴った。顔が、夜に輝く山火事よりも赤く染まる。

 

「ばかものっ!」

 

強烈なビンタが炸裂した。イバルに折り重なるようにして倒れた。音からして、その強烈さは分かる。眼をぐるぐる回して、気絶していようだ

 

ミラはそのまま出ていった。社の方に戻るのだろう。俺は呆然と見送ることしかできなかった。

 

そして、折り重なって昏倒する二人を見る。

 

 

「………ほっとくか」

 

 

最後の一杯を飲むと、寝ることにした。その日は、夢は見なかった。

 

 

 

 



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17話 : 危機との遭遇

 

鳥の鳴き声と共に目覚めた。体中が痛い。変な体勢で寝てしまった時のようだ。僕は身体を起き上がらせ、その原因となったものをみようと、腹の下に敷いているナニカを見る。

 

「なんだイバルか」

 

銀髪の褐色小生意気巫子。そんなことはどうでもいいと、二度寝しようとする。

 

いや、ちょっとまて。

 

「はあっ、痛ぁ!?」

 

驚くと同時、全身に痛みが走る。身体には筋肉痛、ほっぺたには謎の痛み。急いで外に出て、近くにあった湖面で顔を見る。なにやら、大きな紅葉が出来上がっていた。

 

「いったい何が………あ、ミラおはよう、てちょ、ちょ、ちょ!」

 

無言で襟首を掴まれる。そのまま、引きずられていった。

 

「ちょ、ミラ、あの?」

 

「いいから黙ってついてこい」

 

有無を言わせぬ口調だった。あの時のイフリートみたいな威圧感だ。これは黙るしかない。そのままイバルの家まで引きずられて、到着すると地面に座らされて、長い長い説教が始まった。主に昨日の僕の所業に対してだ。話の途中、目覚めたアルヴィンも説教に加わってくる。と、言われてもなあ。

 

「僕、昨日なにかしたっけ?」

 

「………もしかして、覚えていないのか」

 

「うん。というか、何故にイバルが下敷きに?」

 

未だにベッドの上で寝込んでいるイバルの方を見る。なんであれを下敷きにして寝ることになったのか。あとほっぺた痛い。巫子はうんうんと魘されているが、夢見が悪いのだろうか。顔も土気色である。まるで二日酔いの店長みたいな感じだ。って、そういえば。

 

「酒を飲んだんだっけ」

 

道理で記憶がないわけだ。おもえば、昨日は酒を片手にイバルん家に特攻したんだっけ。で、僕が酒を飲むとどうなるのか、ミラと、アルヴィンに説明した。アルコールが入ると、記憶がなくなること。とある人物から二度と飲むなと言われていた事。忠告した本人が、顔が赤かったことも含めて。

 

「………いや、そいつの言うことはマジで正しいわ。お前、もう酒飲むなって」

 

アルヴィンが珍しく真剣な口調。うん、なにやったの酔った僕は。聞くが、二人は口を紡ぐだけ。ミラは、珍しく頬を赤に染めていた。どうやら僕は、本格的にまずいことをやらかしたらしい。聞くが、教えてくれなかった。

 

 

そんな気まずい雰囲気の中での朝食が終わる。その後、方針を決定することになった。これからどうするのか。それを話し合うのだが――――その前にやっておかなければならないことがある。アルヴィンの雇用についてだ。ニ・アケリアまでとの約束だった。ひとまずの区切りはついたし、どうしようか。ひとまず今回の依頼料を払うべきだろう。提案したのは僕だし、僕が――――と言いだそうとした時、ミラに手で制された。

 

「私が全額払おう。とはいっても、村長に預けておいた村の貯蓄からになるが」

 

「ミラ?」

 

「私が雇ったのだ。そうでなければ筋が通らないだろう」

 

断固払う、とミラが言う。

 

「へえ。大丈夫なのかよ?」

 

「四大の力が使えていた頃にな。ソグド湿道で珍しい魔物を狩って得た素材品を売っていたのだ」

 

ソグド湿原とは、ニ・アケリアから繋がる街道の一つ。とはいっても、キジル海瀑より遥かに危険な所らしい。ア・ジュールの街の一つ、"シャン・ドゥ"の近くに繋がっている、普通の旅人ならばまず使わない街道とも呼ばない道。そこで得た素材品を村長に渡し、村長が村人を遣わして、行商人に売りつけていたらしい。もしもの時に貯蓄をしておけという、ウンディーネの提案があってこそだ、と言っていたが。

 

「………なら、大丈夫か。それにしても"シャン・ドゥ"、ね」

 

「英霊の集う聖地、だっけ。闘技場のある街だよね」

 

歴史家であり、教師でもあるカーラさんが住んでいる街でもある。

 

「知っているのか?」

 

「何度か行ったことはあるよ。知り合った人もいるしね」

 

「………へえ、例えば?」

 

なにやら妙にからんでくるアルヴィン。一体どうしたというのか。街の名前を聞いた途端、何やらまとう空気が変質したけど。まあ――――言ってみて、反応を見るのもいいか。どっちもカタギの人だし。

 

「一人は、カーラさん。カーラ・アウトウェイさん。メガネをかけた美人の歴史家で、ア・ジュールの歴史というか、遺跡について教わったんだ」

 

なんかみょーな連中に絡まれていた所を助けて、それで知り合ったんだ。聞けば歴史を学んでいるというから、色々と古文書のありかとか聞いた。同時に、部族間の抗争についても少々。そういえば歴史家っていうのに、巷で話題のガイアス王については言及しなかったな。話しにくいようだったけど、なんでだろうか。

 

「それで、もう一人は?」

 

「二人目は、イスラさん。薬剤師での女性でね。泣き黒子のある、これまた違ったタイプのびじ…………ってどうしたのアルヴィン、変な顔して」

 

「いや………なんでもねーよ」

 

どう考えても、何かあるって顔だ。と、突っ込もうとした時に、ミラから横槍が入った。

 

「ふむ。知り合いとは、二人とも女性なのか? ………それも、美人の」

 

「うん」

 

率直に答える。だけど、ミラの機嫌が何やら急降下。いったい何があった。

聞くが、答えてくれない。というより、今はアルヴィンのことについて決めるべきだろうに。

 

「アルヴィンに関しては………出来れば雇用を継続したいな。今はなにより戦力が必要だ。ラ・シュガル相手の大立ち回りをすることになるが、受けるか?」

 

「………勘弁してくれ、と言う所だけどな。確かに、聞いた通りにあの国が人体実験をしているってんなら、断るわけにはいかないだろーよ。金をもらって人助け。俺も貴方もハッピーに、ってのが俺の傭兵としての心情だしな」

 

ちょろけるアルヴィン。あいかわらず、こいつの真意は読めない。そもそも存在するのだろうか。だけど、アルヴィンほど有用な戦力がいないのも事実。信用においても、だ。今から新しい人を雇うのには時間がかかりすぎるし。ということで、本格的な方針を話しあうことにした。

 

まずは第一目的について。いわずもがな、クルスニクの槍の破壊だ。

 

「あれは二度と使わせてはならないものだ。一刻も早く破壊する必要があるのだが………」

 

問題点は多々ある。まずは、どうやって研究所があるイル・ファンに侵入するか。

 

方法は2つ。海路か、陸路だ。

 

「海路………船でイル・ファンに直接、ってのは無理だな。リスクが大きすぎる。最悪、港についた途端に包囲されかねない」

 

そうなればアウトだ。僕達3人対ラ・シュガル軍になって、あとは数の暴力でこっちが潰されて終わり。手配書が回ってないわけもないし、まともに乗船すればすぐにばれるだろう。密航という手もあるが、厳戒態勢にあるだろう今の状況では、途中でばれる可能性が高い。そうなった時のリスクも高いのだ。知られた後の対処は神の如き迅速さが求められる。判明してから、船員から港へ連絡が入る前にその報告を止める必要がある。止められなければ港に大軍が配置されるだろう。で、逃げ場はないわけだ。

 

すなわち、失敗すれば死ということだ。海上だし、逃げ場などない。まさか船員全員を皆殺しにして航路を変えさせるわけにはいかないし。

 

「となると………サマンガン海停からカラハ・シャールに向かう陸路?」

 

でも、サマンガン海停には警戒網が敷かれていないのだろうか。その疑問には、アルヴィンが答えてくれた。

 

「ガンダラ要塞があるんだ。わざわざカラハ・シャールを越えて警戒網を敷く必要はないだろう」

 

そうだった。ガンダラ要塞は、堅牢で知られる鉄壁の要塞。中には、対軍用の巨大ゴーレムも配備されているという。正面からの突破はまず不可能な、あのモン・バーンさんもいる難所だ。できればそんな事にはなって欲しくないけど。

 

「とはいっても、二択しかないか………それならば後者を選ぶべきだろうな」

 

アルヴィンが言うと、ミラはそうなのか、と疑問の声をあげる。

 

「そういうものか? 前者の方がずいぶんと簡単に思えるのだが」

 

ミラは、早く着くし、偽装も簡単だろうと言う。だが、ラ・シュガル軍もそう甘いもんじゃない。近衛の兵は警備兵より格段に上だ。それに、相手の実状も分からない今、海路は危険すぎる。

 

「失敗=死っていうのは勘弁願いたいよ。後者の案なら、失敗しても逃げることができる」

 

生きているなら、また別の方法も取れる。その時に、一か八かで海路という手段を取ってもいいだろう。方針が決定すると、僕達はひとまず解散した。

 

 

 

 

 

 

出発は明日だ。今のままでも戦えるが、怪我を直しておいた方がいいだろう。僕はグミを食べ、ひとまずの体力回復をはかる。これは下準備だ。グミだけで傷は癒えない。ここからは―――僕のオリジナルの技で治す。それは精霊術を介しない、特殊な治癒術。

 

以前にカーラさんから教えてもらった遺跡で見つけた古文書に書いていた、とある武術の奥義らしい。とはいっても、"他人に対しては絶対に使えない自己治癒のみの技"。

 

見つけた時は、ものすごい肩透かしを食らった覚えがある。「治癒術だと思ったのにぃ!」と、犬のように雄叫びを上げたものだ。ともあれ、有用なのは確かなので、一年かけてようやく習得した。

 

その技の名は『集気法』。誰にも教えたことがない、僕だけの秘術。切り札の内の一つだ。

 

(精進を怠らずの精神。師匠の教えは、守っています)

 

静かな所で瞑想すれば、マナの循環速度も早まるだろう。それは集気法の効果である、自己治癒力を高めることになる。ミラに良い場所がないか聞くと、また意外な場所を教えられた。

 

「確かに、ここなら邪魔も入らないしね」

 

その場所とは、ミラの社の前だ。樹に包まれているし、ここならば魔物も入ってこないという。

静かで、霧も深いため、一種心地よい閉塞感を感じる。瞑想をするには最適の場所だな。

 

「それでは、な………私はあちらで素振りをしている」

 

「うい~」

 

見送る。そうして、瞑想を始めた。

 

「集気法――――!」

 

声を出し、自分の意識に宣誓をする。同時に、体内にあるマナを循環させていくイメージを作る。体内のマナを感じ取り、血液に載っていると仮想して。それをゆっくりと、時計回りに回し始める。五感が高まっていく。神経が鋭くなっているのだ。森の木々が風に吹かれ、わずかに揺れる音。遠くに居るだろうミラの、素振りの音さえも聞こえる。

 

(………ちょっと、様子が変だったな)

 

どう話したらいいのか分からない、みたいな。昨日に僕がやらかしたせいだろう。その前の事もあるだろうが。瞑想をしながら考える。そのまま、二時間程度が過ぎた頃だろうか。体内の傷が、あらかた治ったのを感じる。やはりグミと併用すれば、集気法の効力も高まるな。どんどんと五感が鋭くなっていく。

 

目を閉じれば、世界が広がった。今の僕なら、見たことはないが――――"精霊"のように世界を感じ取れているのではないか。鼻に、木々と土の香りを。耳に、木陰のざわめきを。

 

広がって、広がって、広がっていく。まるで世界と一体になったかのよう。虫の鳴き声。鳥のはばたき。木の葉が落ちて行く音。普段ならば気づかない音が聞こえ、見えていないものでさえ見えているかのような感覚がある。闇に落ちていくような感覚。光に広がっていくような感覚。

 

 

その中で。

 

 

僕は、隠れていたものの気配を、察知して"しまって"。

 

 

それは、僕に悟られたことを察すると、はっきりとした声で告げてきた。

 

 

『―――しかし、気づかないでいいものまで。気づいて、しまうこともあるのではないか?』

 

 

(――――な)

 

 

次の瞬間、全身に雷に撃たれたような衝撃が奔る。産毛が逆立ち、背筋が芯から凍らされる。

 

「誰、だ」

 

叫びたいが、声が出せない。振り絞ったはずの声は、まるで老人のように枯れていた。僕の声とは思えない。それでもこのままじゃまずい。僕は声を発したであろう人物が居る方向に向かい、左手を前にして構えを取った。腰を落とす。重心は後ろに、カウンターの体勢だ。

 

前方には木々が並んでいるだけで、一見なにもないように思える。

 

だが、そうと認識してしまえば、分かる。この先に――――怪物がいる。キジル海瀑で戦った巨大な魔物でさえ、比べ物にならない威圧感。巨人だ。不吉な巨人がそこに居る。

 

僕は僕自身に問うた。もし、この先にいる何者かが襲ってきたとして、勝てるかどうか。

 

(無理だ)

 

即答する。疑いの入る余地など欠片もない。戦う前に"逃げるしか無い"、と思ったのははじめてのこと。それもそうだろう、威圧感でいえば師匠以上である。師匠が本気になった所は見たことがないが、それでもこれほどの威圧感は出せない。質の違いもある。目の前の人物のそれは、対峙する者の全てを跪かせるかのような、攻撃的なモノ。一切の遊びもない、例え対峙したとしても、一合で"斬り伏せられる"。それ以外のイメージが浮かばない。

 

勝負の前に負けを悟らされる。それほどまでに、目の前の相手は圧倒的だ。

 

(でも、ここで退くわけにはいかない)

 

ミラが居る。もう少しすればここに戻ってくるだろう。それなのに、ここで僕が退くわけにはいかない。逃げるのも駄目だ。誰と合流したって、こいつには勝てない。

 

『面白いな、少年。勝てぬと分かっても逃げないか』

 

男の、大人の声が言う。凛とした声は、どこかミラを思わせるものがある。しかし、遊びは一切含まれていない。それもおかしい。いま来られれば、僕はやられるだろう。対処法なんて皆無だ。

 

なのに、何故動かない。じっとこちらの様子を伺っているだけ。

 

――――これではまるで、僕を試しているかのようじゃないか。

 

『………こういったこと、柄ではないがな。俺がこうまで試したいと思った相手は初めてだ』

 

心を読まれたのか、即座に肯定された。予想は正しかったのだ。

僕はいま、目の前の化物に試されている。

 

(………クソ野郎)

 

ああそうだな。これほどまでの相手、誰かならば試されることさえも光栄と、そう思うかもしれない。だけど、僕には容認できない行為だ。

 

試すという行為は――――相手の全てを見下す、という行為に等しいのだから。

 

つまるところは、僕は今こいつに完全に舐められているということ。

察した瞬間、脳の奥が沸騰した。

 

(馬鹿にするな――――!?)

 

しかし、沸騰した感情もマナも、目の前の化物に散らされた。

 

「なっ!?」

 

 

相手のマナが更に膨れ上がったのだ。僕の激昂を抑えるように強く。僕は相手のマナに飲まれていた。怪我はない。だけど、心を圧迫してくる。まるで深い海を思わせるかのよう。信じられないぐらいに大きく、濃いマナ。この量に、この密度、これほどのマナが存在するのか。

 

すでに僕の理解の範疇を越えている。

 

(こいつ………本当に、人間か!?)

 

あるいは大精霊と言われた方が納得もできる。どこか遠くから来た怪物と、そう表現した方がしっくりくる。

 

気配は動きを見せない。じっと留まっているだけ。気づけば、僕の顔は汗にまみれていた。額から流れた汗が目に入った。目がしみるが、今は瞬きもできない。対峙しているだけで体力が消耗していく。このままではジリ貧だ。待っているだけでは、いずれやられてしまう。

 

状況を打破するには――――前に。この障害を越えるには、前に進むしか無い。ただの勘でもあるが、この相手に背中を見せるのだけはまずい。

 

(一か八か、突っ込むしかないか)

 

後ろに寄っていた重心を、前に。つま先に偏らせる。待つ構えではなく、攻める構えに転じる。一足飛びに間合いを詰めれば、あるいは何とかなるかもしれない。

 

「はっ!」

 

マナで全身の筋力を強化。限界まで振り絞る。汗がマナの噴出により、一気に散った。攻めの気は悟られているだろうが、どうせ隠したって無駄だろう。

 

ならば、威圧して、(あっ)す。

取るに足らない相手でも、舐めれば痛い目に会うということを教えてやる。

 

(5………4………)

 

カウントダウンを始める。マナをつま先へ、拳へ集めながら。

 

(3………)

 

色々な人達の顔がよぎる。師匠、レイア、母さん、アグリア。村であったエリーゼという少女。

 

(2………)

 

やるしかない。実戦では使ったことがない、一撃。ばかみたいに隙が大きいから、まず当たらないだろう。それでも、実行する以外の選択肢はない。相手の想像を超える一撃といえば、これしか思いつかないからだ。脳裏に、ミラの顔がよぎる。何をしたか、聞いて謝りたかったが、それも叶いそうにない。昨日の今日なのに、なんて状況だ。思わず笑みが零れそうになる。

 

って、女性ばっかりだな。まあ、男相手には――――碌な事をされた記憶がない。

だから仕方ないってもんだろう。

 

(1………)

 

マナを限界に。最後に、一歩。

 

 

踏み出そうとして――――

 

 

『趣味ではないが、実行した甲斐があった――――なるほどな』

 

 

 

それだけを言い残して、眼前の気配が消えた。

 

まるで最初からいなかったかのように。

 

「は………」

 

思わず息がこぼれる。漏れでたのは、遊ばれたという屈辱ではなく、安堵から来るもの。直後に、全身のマナが散り、筋肉が弛緩していくのを感じてそのまま前のめりに倒れた。顔面を強かにうったが、それも気にしていられない。

 

気が、遠くなっていく。

 

『ジュード!?』

 

視界が暗闇に閉ざされる寸前、ミラの声が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

 

 

 

小高い丘の上にその集団はいた。長身の男に、中背で細身の男。大男に、派手な格好をした女性。

一見すればばらばら、関連もなさそうな一団だが、共通している部分がある。

全員が一筋縄ではいかない、強者ということだ。

 

「………それでは、よろしいので?」

 

細身の男。黒い衣をまとっている男が、傍らにいる長身の男に言う。

 

「あの少年ならばマクスウェルを守りきれるだろう。そして、それはラ・シュガル側がかき乱されることを意味する」

 

長身の男が、面白そうにいう。周りに居る者たちは、長身の男のいつにない様子に驚きを見せた。

 

「随分と、買われているのですね。兵士でもないただの一人の少年を」

 

女がたずねる。普段ならば疑問さえも挟まないだろう。だが、長身の男、心酔する主君のかつて見たことがない様子に、戸惑っているのだ。

 

「………直接ではないが、知っているのでな。お前が翻弄されたと聞いて、面白くも思った」

 

 

命までは取らない。ただ見極めたかったのだ、と長身の男が言う。

 

その言葉に、女は黙った。両者は初めから立場も違うし、何より存在としての格も違う。

 

女が弱いのではない、長身の男が強すぎるのだ。

 

それだけにこの男は、強者揃いの一団の中でも、更に際立っていた。

 

「あれならば簡単に潰されはしまい。ならば、雲を乱す竜巻にも成りうる。ラ・シュガルの目を奴らに向けさせるのが得策だ。今は、こちらの動向を出来る限りラ・シュガル側に知られたくない」

 

「ええ。我らはマクスウェルの一団が、ラ・シュガルを混乱させる。その間に――――影に、静かに、我らがなすべき事を進めるのが得策かと」

 

黒衣の男が同意する。

 

「アグリアから何か連絡は」

 

「失われた"鍵"を新たに作成する動きがあるとか」

 

「………捨て置けんな」

 

そして、大男に向けて言った。

 

「ジャオ。例の娘の管理はもういい。お前は"鍵"の件を探れ。あれはこちらの切り札にもなりうる。入手しておくに越したことはない」

 

「いや、しかし………!」

 

驚いたように、大男が反論しようとする。だが、黒衣の男はばっさりと言葉を切った。

 

「ラ・シュガル兵どもが去ったというなら、もうお前が直々に護衛につく必要はない」

 

増霊極(ブースター)のデータが無事なんだから、優先事項が変化するのは当然ね」

 

「う、うむ………」

 

女の後押しの言葉に、大男は唸った。彼自身、自分がどういった立場にあるのか理解しているが故だ。

 

「プレザ。お前は単独でイル・ファンへ潜れ」

 

「アグリアは?」

 

「研究所の件で、ラ・シュガルの"あの"一派から警戒されているようでな。連絡役はまだ警戒されていない、彼女を伝ってこちらに情報を送れ」

 

プレザと呼ばれた女。彼女は黒衣の男の言葉に、マクスウェルはいいのか、と反論しそうになるが、口をつぐんだ。

 

「了解。でも、アグリアはまだこちらには?」

 

「例のシルフモドキで連絡があった明日には到着する予定だったが、昨日に海上で嵐にあったそうでな。船は航路途中の、ル・ロンドにに避難。一日だけだが、滞在することになったらしい」

 

シルフモドキとは、霊力野(ゲート)が発達している鳥だ。風の精霊術を使って、長距離間を移動することが可能な、連絡に最適な鳥だ。人間の霊力野(ゲート)も見極めるし、その位置をも確認することができるので、街にいない相手とやり取りすることもできる。その名は伊達ではなく、優秀なシルフモドキは嵐の中でも飛べるほどの、強靭な飛行能力を持っている。

 

「なら、明後日には合流できそうね。イル・ファンにはそれからでも?」

 

「ああ。直接聞かないと、分からないこともあるだろう。確認だけは念入りにしておけ。ジャオもだ」

 

「了解」

 

「………分かった」

 

黒衣の男の言葉に、二人はそれぞれの――――複雑な感情をもって頷き、場を外す。残っているのは二人だ。沈黙の後、長身の男が口を開いた。

 

「………今ある"鍵"の在り処、心当たりはあるのか」

 

「"駒"をつかって探らせている途中です。それよりも………」

 

丘から見える、ニ・アケリアの里。そこでは、少年がマクスウェルに背負われ、巫子が住むという家に入っていった。

 

「マクスウェルのこと、本当によろしいので?」

 

"鍵"は、マクスウェルが持っているだろう。視線だけで告げるが、長身の男は正面を見据えて動かない。まるで一本の刃のような、強靭な意志。男の目からは、折れず曲がらない、不屈の鋼を思わせる何かがあった。

 

「今は利用できるものを最大限に利用するべきだ。最早開戦は秒読みの段階。もう二度と………ファイザバードでの無様は、繰り返さない」

 

「けして油断をせずに、ですか」

 

「出来る限りの手は、全て打て。その上で全力を尽くす」

 

強大も極まる刀に、油断はない。ただ、全身全霊をもって、真正面から斬り伏せる。身体から溢れるマナに、黒衣の男でさえ畏怖を隠せない。

 

「………承知しました」

 

 

長身の男の言葉に、黒衣の男は同意を返した。そのまま、その場を去っていく。

 

 

 

少年を試した王もまた。家の屋根に一度だけ視線を落とした後、丘から去っていった。

 

 

 



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18話 : ひとり、ふたり

 

予定通りにニ・アケリアを週発し、キジル海瀑を越えてすぐ。

ハ・ミルまで続く道、ガリー間道に入った所で僕達は野宿していた。

 

「大丈夫か、ジュード」

 

「ああ、問題ない」

 

「とてもそうは見えない顔色だが………」

 

顔色の悪さを心配しているのだろう。ミラとアルヴィンが声をかけてくれているが、答えることさえも苦しい。あ、ちょっと吐きそう。

 

「おい………やっぱり、もう一日休んでから出発した方が良かったんじゃないのか?」

 

「それは、しかし」

 

話をふられたミラが、口ごもる。しかし迷ったあと、断固とした口調で言う。

 

「私だけでも行くと行ったんだ。危ないと、着いて来ることを決めたのはジュードだろう」

 

そうなのだ。謎の襲撃者のせいで、僕がマナの大半を消耗してしまって、昏倒した翌日。ミラは、自分だけでも先行して情報を集めるとか言い出したのだ。襲撃者の力量を知っている僕は、もちろん却下。だけど時間がないと渋るミラも、意見を曲げなかった。一刻も早くイル・ファンへ向かう必要があると。使命を優先するミラに、それでも危ないとこっちも譲らず。

 

結果、折衷案が採用された。僕は、ついて来るが、戦闘には参加しない。周囲の警戒は任されるけど、実際の戦闘はミラとアルヴィンの二人に任せる。戦いもしなければ、マナの過剰消費による疲労も軽くなるだろうと考えての案だ。それで確かに、症状は軽くなった。ほぼ一日、歩いているだけで、昨日よりは随分と体調は回復してきている。

 

「大丈夫だって。明日には全開になってるさ………イバルとは違って」

 

ちなみに飲み過ぎたイバルは、今日の朝にようやく体調が回復した。僕達に付いてきたがったけど、ミラの「お前はこの村を守ってくれ」の一言に固まった。そうして僕を睨むイバル。でも他に適任はいないのだ。僕じゃあニ・アケリアの里の人々の信頼は得られないだろうし、土地勘もない。その点でいえば、イバルの方が上だ。飛行が可能な魔物も使役できるらしいし、守り役としてお前以外にありえないだろうと。謎の襲撃者のこともある。そう頼むと、イバルは渋りながらもうなずいてくれた。まあ、途中に何か言いたそうにしてたけど。反論しようとして、何かを思い出して黙りこむ、というのが何回かあった。

 

「お前、飲んでいた時の記憶はないのか」と聞かれたけど、なんであんなに何度も確かめるように言うのか。アルヴィンは納得していたけど。曰く―――「本当に覚えてないのか、こっちじゃ判断つかんもんなあ………なるほど、その後も怖い、か」と。

 

一人で納得していたが、いやマジで覚えていないっつーの。覚えていたとして、それは一体なんなのか。もしかして脅しにでも使えそうな何かだろうか。それでちょっと怯えたようなリアクションを見せていたのかもしれない。襲撃者に関しては、正体は不明のままだ。事情を話すと、イバルからは「夢でも見ていたんじゃないのか」と言われたが、断じてそんなことは有り得ない。

 

あんな化物。夢にすらみたことがない。ミラも同意はしてくれた。あの時の、倒れる時の僕の顔を見たからだろう。安堵の顔をしていたと言っていたし、間違いなくとてつもない何者かが、社の近くに存在したのだ。もしかしてバチが当たったんじゃないか、とアルヴィンは言った。あるいは、ミラを影で守護する大精霊か何かが、お前にお灸を据えたのかも、と。いやいや失礼な、あんなトンデモ級の化物をけしかけられるような事をした覚えはない―――酒を飲んだ後のことは覚えていないけれど。敵勢力という可能性もあるのだが、もしそうなら不自然だとも言える。

 

僕だけに気配を悟らせたのと、現時点で何のアクションも起こしてこないのは明らかにおかしいからだ。目的もなく仕掛けてくるような相手とも思えない。思いたくないというのが本音だ。

師匠クラスの使い手が、そこかしこを気まぐれに歩いて、遊び半分で仕掛けてくる――――なんて背筋が凍ることだろうか。

 

どちらにせよ、今まで以上に警戒する必要がある。旅の足も遅くなるし、非常に頭が痛い問題だ。

 

「だけど、なんだな。もしその怪物が襲ってきたら、どうするよ?」

 

「一目散に逃げる。これしかないな」

 

クルスニクの槍を壊す。それが最優先事項で、謎の襲撃者を倒しても意味はない。逃げられないなら、戦うしかなくなるけどそれはできれば勘弁願いたい。別に、逃げられる状況を作り出せる小細工用の道具として、いくらか調達しておいた方がいいかもしれない。

 

それでも――――逃げるだけなのは癪だ。いつかはきっと、ぶっ倒してみせよう。無様なだけの自分なんて、存在する価値すらない。人の助けになれなくて、なんのジュード・マティスか。それと、僕を舐めた報いというものを受けさせてやる。黙って萎んでいるような男じゃないってことを証明するのだ。でもミラ達と一緒に居る今は、戦うことを避けるべきだろう。あの切り札も、できれば使わないで済ませたいから。

 

しかし、"アレ"を使うことを決めたのは僕だが、思い返すと何とも無謀な試みだったことが分かる。アレは切り札で――――しかし、どう考えても場当たり的な実戦で使えるようなレベルじゃないのだ。それでも、他にやるべきことはある。イル・ファンに向けて、このままの戦力では心もとない。状況を打破できる技は練っておいた方がいいか。

 

「例えば、共鳴術技とか。ミラはどう思う?」

 

「そうだな………一人よりは、強力な術技を使える。積極的に使っていくべきだろう」

 

協力すれば、個人の通常技よりも威力は大きくなる。集団で戦うことを選択するなら、共鳴術技を活かさないのは勿体なさすぎる。

 

「対多数の技も考えないとね。で、いくらか案はあるんだけど」

 

「ほう………いやでもこれは………ここをこうやって」

 

「それより、こうした方が良くねえか?」

 

その日は、僕とミラ。ミラとアルヴィンの共鳴術技を話あいながら。意見を出しあいながら、夜は更けていった。

 

 

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

 

 

その翌日、僕らはハ・ミルに到着した。どう侵入しようか迷っていたが、入り口にラ・シュガル兵の姿はないので助かった。逃げ帰ったのだろうか。そうであれば、それが最善なんだけど。そう思って色々と注視してみてみるが、どうも村の様子が変だ。

 

ここは平穏な村で、のどかな農村のはず。なのに今のここには、いかにもきな臭い雰囲気が漂ってきている。空気の味が違うのだ。人っ子ひとりいないというのもある、どう考えても何がしかの荒事が起きていることが推測できた。

 

―――と、そこで人々のざわめきが聞こえてきた。

 

「これは………村の広場からか?」

 

「そのようだな。ま、行ってみようや」

 

アルヴィンと視線を交わしながら、装備を確認。いつでも戦闘に入れるよう、準備してから入り口前の広場に向かった。しかし、そこに敵は居なかった。広場の中央にいたのは魔物でもない、兵士でもない――――たった一人の少女だった。

 

ミラとはまた違う金色の髪。紫の服に、間違えようもない謎な物体を傍に浮かべている。

そんな女の子。名前をエリーゼという少女に向かって、村の大人達が石と罵倒を投げかけていた。

 

「出て行けよ、おら!」

 

「疫病神! っ、あんたなんかいるから!」

 

声と共に、石が次々に投げられる。エリーゼは、何も言い返さず、必死にしゃがみこんだまま、村人の罵倒と投石に耐えている。石が、彼女の横に落ちて音がなる。エリーゼはその音に驚いたのだろう、小さく悲鳴を上げて、身体を更に縮こまらせている。

 

「やめて! ヒドイことしないで、お願いだよ~!」

 

ぬいぐるみのティポが村人に向かって、叫んだ。しかし、村人は聞く耳などもたないと、罵倒と投石を浴びせることを止めない。それを見ていた僕は、なんだか息が苦しくなって。視界に光のような白い色が混じるのに、時間がかからなかった。

 

これは怒りだろうか。分からないが、エリーゼの姿が何かに重なった。

 

膝を抱えて、座り込む子供。呼びかけても、返ってくる言葉は冷たくて。

 

そして、悟った。今のエリーゼは、あの時の僕だ。ティポはレイアだった。

 

視界が歪む。そして子供の頃の自分と今のエリーゼが、重なって、歪んで、重なってしまって。

 

気づけば、僕は駆け出していた。

 

「ジュード!」

 

「ちょ、坊主待て!」

 

静止の声が聞こえるが、知ったこっちゃねえ。僕は走りながらマナを拳に集め、今まさに石を投げようとしている村人の、その身体に狙いを定める。

 

(――――やめろ)

 

どこかの誰かの声が聞こえる。だけど、冷静な思考回路などとうに吹き飛んでいる。

無論、殺しはしない。だけど、石を投げたことを生涯にわたって後悔するぐらいには。

 

あと一歩の距離まで来ている。そのまま踏み込み、拳を握りしめる。掌に、肉と骨が軋む音が鳴る。そのまま腰を捻って、目標へ、回転すると共に拳を―――――

 

「ちいっ!」

 

金属の、特徴的な音が鳴る。直後に振りかぶった腕に衝撃が走った。拳筋がぶれ、拳は村人が投げようとした石だけに当たる。

 

「お前っ!?」

 

驚いた村人の声。僕がやろうとした事を察したせいだろう、盛大に睨んでくる。

だけど僕は気にせず、音の発生地点である、後ろを向いた。見れば、アルヴィンは銃を構えたままだ。その先からは、今の発射の余韻だろう、白い煙が立ち上っていた。その視線に遊びの色はなく、こちらの眼をじっと見据えている。

 

「………なんのつもりだ、アルヴィン!」

 

「それはこっちの台詞だぜ………今は護衛が最優先、だろ?」

 

銃を腰のケースにしまい、肩をすくめるアルヴィン。その視線に、先程のような真剣さはない。

いつもと同じ、暖簾に腕押しの"抜けた"視線だ。もう一人、ミラもこちらを見つめている。

こちらはまた違う。非難の色があるけど、それよりは困惑の色の方が勝っていた。

 

何故いきなりこんなことを、と。そんな声が聞こえてくるようで。

 

(――――くそ)

 

その視線のお陰で、冷静になる。そして優先すべきことを認識すると、行動に移した。

未だしゃがみこんでいるエリーゼに駆け寄り、声をかける。

 

「………大丈夫?」

 

「…………」

 

エリーゼは黙ったまま、頷きもしない。その顔に傷はついていなかった。

石が当たった様子もない。当てるつもりがなかったのか、それともコントロールが悪かったのか。どちらにせよ、反吐の出ることだ。

 

そこでエリーゼの顔が、少し変わった。何かを見つけたようだ。同じようにその方向を見れば、老婆の村長の姿があった。ここの宿泊場所を提供してくれた時とは違う、まるで怨敵を見るかのような眼で、僕とエリーゼの方を見ている。

 

「お前のせいで………こっちは散々な目じゃ!」

 

「僕達のせい………いったい何があったっていうんだ」

 

周囲を見渡せば、怪我をしている村人の姿が見て取れた。死人はいないようだが、それでもこの人数が一気に怪我をするとは。どう考えても穏やかなことではない。恐らくはラ・シュガル兵の仕業か。しかし、僕達のせいでもないだろう。僕達を追ってきたとして、行き先を素直に話せば済むだけだ。村長や村人達も、僕達の行方などを兵に聞かれたとしよう。だが、拒む理由はない。恩を感じたからと拒んだのならまだ分かるが、それでこちらを責めるだろうか。エリーゼが責められている理由も分からない。困惑していると、ミラが横から口を挟んできた。

 

「ラ・シュガル軍にやられたか」

 

「そうらしいが………それでも腑に落ちねえな。村長さん、この村には何かラ・シュガル軍に狙われるものでもあるのか?」

 

思えば、前にこの村に来た時もそうだ。あれは僕達の追手ではなさそうで………ならば、この村に用があったということだろう。その理由と、今の状況を見るに答えは一つ。

 

「………もしかして、エリーゼが?」

 

「っ、そうじゃ!」

 

その顔は、怒れる親鳥のようだった。

 

「まったく、よそ者にかかわるとろくなことにならん! お前たちもさっさとこの村から出てゆけ!」

 

取り付く島もない。村長は人が変わったようなヒス気味の声を残すと、こちらの質問には答えないまま。話を逸らしたまま、さっさと立ち去っていった。村人たちも同じように解散して、それぞれの家へと戻っていく。

 

「あっ」

 

エリーゼも家で戻るのだろう。僕の脇を抜け、空き家のある方向へと走りだした。夕焼けの下、あの時と同じ背中が見える。脇目も振らず、地面だけを見て走っていくそれはまるでこう言っているようだ。

 

(………追ってこないで、か)

 

明確な拒絶の意志。それはまるで、あの日の僕のようで。

 

「ミラ、アルヴィン」

 

名前だけを言った所で、二人はこちらを見た。

 

「なんだよ………って、聞かなくても分かるか。ま、さっきのような短絡的な行動に出ないならな」

 

「………仕方ないだろう。私たちは、村人からラ・シュガル軍の動向を聞いておく」

 

ため息をつきながら、二人は許してくれた。特に使命第一だというミラが、こういう言い回しをするのということは――――

 

(情報を集める。だから、それが終わるまでの時間は待つ、か)

 

つまりは、時間をくれるということ。

 

「………ありがとう、二人とも」

 

止めてくれたことも含めて、礼を言う。そして僕はエリーゼを追うために、空き家のある方向へと走りだした。間道に続く道の近く。果樹園の横に、空き家はある。まるで倉庫として使われているような立地だ。僕は閉ざされているドアに手をかけた。そのまま開くと、木質のドアがきしみ、中からナップルと、バレンジの香りが漂ってくる。倉庫としても使われているようだ。だけど走っていった方角から、ここにはエリーゼがいるはずなのだ。

 

しばらく探すと、部屋の奥に扉を見つけた。

 

(ここか)

 

二回もないこの家の構造から、これは地下へと続く階段を隠している扉か、あるいはただの物置か。開けて確認すると、階段の方だった。そのまま地下へと降りていく。そして階段の先。ワインの倉庫となっている部屋の奥に、エリーゼは居た。

 

悲しんでいるのかも分からない。顔が見えないからだ。エリーゼは、石を投げられている時と同じように。壁に向かってしゃがみこんだまま頭を抱えている。まるで外にあるもの全てを拒絶しているかのよう。ぬいぐるみのティポも同じようにして、隅っこに蹲っている。

 

僕はその小さな背中を見て、傍らのティポの様子を見て、なんとも言えない感情を覚えた。

 

(――――嘘だ)

 

本当は、自分自身、この感情の名前はわかっている。

これは――――怒りだ。同情もあるけど、それよりも怒りの気が強い。

なんでこんな少女が、こんなに暗い倉庫の奥で、一人膝をかかえて震えなければならない。エリーゼが僕達に話しかけてきた理由、今ならば分かる。彼女は話し相手が欲しかったのだ。村人たちとエリーゼを見るに、恐らくはそういうことだろう。厄介ごとを抱え込んでいるよそ者。よそ者に厳しいこの山奥の村で、彼女がいったいどういう処遇にあったのか。きっと想像しているイメージと大差はあるまい。

 

(山奥で、人との交流もないまま。じっと、孤独な境遇を強いられていた)

 

だから、だ。彼女は村にとってのよそ者だから、僕に話しかけてきたんだ。

 

(………怖い、か)

 

震えている。あんな所を見られたと、震えている。恐れているのだろう。

だから僕は、近づくより先に、まず声をかけることにした。

 

「大丈夫。僕はあんなことしないから、大丈夫だよ」

 

その声は、取り繕ったものではない。心の底からの声だ。それが伝わったのか、ひとまず少女の震えは収まった。おずおずと、立ち上がる。だけどこちらに背中を向けたままだ。まだ不安があるのだろう。

 

もしかしたら、少女自身、その理由がわかっているのかもしれない。自分がラシュガルに狙われる理由というものを知っているのかもしれない。

 

(だけど、それはこの少女のせいではないはずだ!)

 

こんな少女だ。自分から、軍に追われるような過ちの道に転がり落ちていったわけがない。まずは話をしよう。挨拶をして、話をしよう。全てはそれからだ。だからゆっくりと、正面から目を合わせながら話しかける。

 

「や、こんにちは………覚えてる? 初めましてじゃないよ。前にも会ったことがあるよね」

 

「…………ん」

 

「あの時は助かったよ。ありがとう」

 

笑顔でお礼を言う。すると少女は、こちらを向いてくれた。その目には不安が残っている。

 

「改めて自己紹介をしようか。僕はジュード・マティス。君は………」

 

自己紹介をしてから、少女に視線を向ける。貴方の名前はなんですか、と。

――――本当は覚えているけど、今は話すきっかけが欲しい。そして少女は、名乗った。

 

「エリーゼ………エリーゼ・ルタスです」

 

「ぼくはティポ! ってお兄さん、ぼくたちの名前を忘れたのか、酷いよ~」

 

「いや、あはは。もう一度自己紹介から始めようとおもって、ね」

 

「ふ~ん。じゃあ忘れないように、もう一度教えてあげようかな。僕はティポ。彼女の名前はエリーゼ! ぼくははエリーって呼ぶけどね」

 

「ご丁寧にどうも。僕は………」

 

膝を落として、しゃがみこんだ体勢に。視線をエリーゼに合わせて、自己紹介をする。

 

「僕は、ジュード。ジュード・マティスっていうんだ」

 

「ジュード君、さっきはありがと~! 石をたたき落としてくれたんだよね!」

 

「ありがと………ございます」

 

積極的にお礼を言ってくるティポと、控えめに小声でお礼を言ってくるエリーゼ。

エリーゼのほっぺたは、少し赤くなっていた。

 

「いや、あはは」

 

さっきの事を思い出して、頭をかく。本当はもっと過激なことをしようとしていたなんて………こんな可憐な少女相手じゃ、口が裂けても言えないな。それに、師匠の教えを破る所だったのだ。正直、気が凹む。けど、今はエリーゼのことだ。

 

「まあ………誰も、怪我しない方がいいからね。それに、ほら、僕って医者の卵だから。どうしても人が怪我する所は見逃せなくて」

 

「それは………まえに見たので………知って、ます」

 

「村を襲った魔物に、怪我させられた人を治療したんだよねー。でも、あの時に一緒にいた怖いおねえさんは、いないの?」

 

「あのおっかないお姉さんとは別れたよ。今はかっこよくて美人なお姉さんと、胡散臭い男と一緒、かな」

 

「ふ~ん、友達いっぱいいるんだねー」

 

それから、色々な話をした。まずは僕のことを簡単に説明する。ナディアとか、レイアのこととか。面白おかしくはなすと、エリーゼの顔が少し緩んだ。その後に、彼女の境遇に関しても話してもらった。あまり、面白くない話を。どうやら彼女あh村八分どころか、顔を見れば石を投げられるような酷い目にあっていたらしい。

 

「ジュード………その、どうしたんですか」

 

「ん? ああ、ちょっとね。それよりも、そのおじさんはどういった人なの?」

 

「エリーをここに閉じ込めた悪い人だよー」

 

水霊盛節(リヴィエ)に、一緒に来たの。でも、最近、居なくなった」

 

「エリーゼのご両親は?」

 

聞くが、エリーゼは無言で首を横に振った。つまりは、両親も居ないのか。あの大男、ジャオに連れられてこの村にやってきたらしいが、何を目的としているのだろう。しかしそのジャオも、僕達がハ・ミルを発ってからは、姿が見えないらしい。今まではジャオがラ・シュガル軍を退けていたと。だけど、ジャオは居なくなった。相手は軍だ。戦闘専門の傭兵や、部族の護衛がない村などひとたまりもないだろう。殺さないまでも、乱暴に扱われ、だけど暴挙を止められる人間もいない。エリーゼとティポはこの空き家に隠れていたので、見つからなかったらしいが。

 

それでもやはり。エリーゼが目的と見て間違いない。ならばジャオは、エリーゼの護衛か。あの腕から察するに、どこかの部族の手練か。姿が見えないということは、自ら護衛することをやめたか、あるいは上司に任を解かれたか。どちらにせよ、彼女がこの村に取り残されて一人でいるというわけだ。狙われている理由も分かっていない。つまりは、責はこの少女にないということ。

 

他の誰かの都合に振り回された結果、その挙句に、エリーゼはこの村に取り残されているということだ。ひょっとして迎えが来るかもしれないが――――と、聞いてみるが、答えは思った通りのものだった。

 

「ううん………わたし………お友達………いないから」

 

しゃがんでいる僕よりも下に。エリーゼは視線を落として、悲しそうに答えてくれた。

 

「エリー」

 

ティポも、名前を言うだけ。他に何も言わない。と、いうよりも、言えないのだろうな。

本当に友達や知り合いといった、頼れる人がいないのだろう。

 

僕はそんな彼女の表情を見て。気づけば、手を差し出していた。

 

「なら、僕が最初の友達だね」

 

「え………」

 

エリーゼが驚いた顔をする。だって、そうじゃないか。

 

「自己紹介した。お互いの名前を交換した。色々なことを、話し合った………ほら、友達でしょ?」

 

「あ………」

 

「ほら、友達の握手握手」

 

エリーゼの手が、僕の手を握る。ほんとうに小さくて柔らかい、女の子の手だ。

 

「よろしくね」

 

「はい………!」

 

エリーゼは今までよりも少し大きな声で返事をした。それが恥ずかしかったのか、慌てたように視線を落とした。白かったほっぺたを桃色に染めて、恥ずかしそうにしている。

 

(ちょ、おい、待て! この子、冗談抜きに可愛いすぎる………!)

 

恥ずかしそうに視線を落としている所も。それでいて、不安げに上目遣いでこちらを覗いている所も。その結果、僕と視線が合って、また恥ずかしそうに下を向くところも。

 

(か、可憐な少女とはこういうことか………!)

 

レイア(笑)や、ナディア(爆)とは違う。ミラとも、また違う。なんだこの生き物は、僕の知っている女性とは違う。可愛さのあまり、思わず頭を撫でくりまわしたくなるじゃないか。

 

こう、撫でて撫でて、しまいには火が出るまで撫で回してしまいそうだ。

 

「わーい♪ ともだちー♪ ジュード君は友達ー♪」

 

隣ではティポも嬉しそうにはしゃぎまわっている。

 

「ははは、ティポも友達ー、って噛むな噛むな」

 

手を出した所を、嬉しそうに噛んでくる。痛くないけど、なんか視覚的に嫌です。

 

「もー、つれないなあジュード君はー」

 

「ティポ………め、です」

 

「ははは。大丈夫だよ、痛くないし」

 

言いながら、おかしそうに笑いあう。そうしてじゃれあいながらも、僕は決心していた。

この孤独なる少女を絶対に一人にしないことを。

 

 

 

 




補足。ソニア師匠が◯◯◯◯並に強いのは公式設定だったりします。


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19話 : 選択と責任

 

エリーゼと話し合った後、離れにあったエリーゼの小屋から、村の中央にある広場の前へ。到着した時、すでに二人はそこで待っていた。どうやら情報収集が終わったようだ。そこで僕はミラに、エリーゼを紹介した。

 

「………ジュード。少し、話しがある」

 

呼び出されるままについていく。エリーゼにはアルヴィンと一緒にいてもらった。それでも、眼の届く場所まで離れたくない。告げるとミラは、少し離れた場所に来ると話しを切り出してきた。その目に遊びはない。どうやら、エリーゼを連れてきた理由と僕が言いたいことについて、彼女は察しているようだ。真剣な表情で、矢のような視線を飛ばしてくる。

 

「ふむ………それで、ジュード。いったい何のつもりなのか、はっきりと君の口から説明してもらおうか」

 

嘘は許さないという口調だ。僕はもとより誤魔化すつもりはないし、正直に答えた。エリーゼを連れていきたいと。すると予想通りというか思った通りというか、ミラの目が変わる。

 

どこか場の空気が重たくなったようだ。原因はミラから発せられている威圧感だろう。じろりという擬音が聞こえてきそうなほど、開かれた目がこちらを向く。目は口ほどにものを言うという。つまりは―――それだけでは納得できない、理由を説明しろと言っているのだろう。

 

「分かった…………彼女、ラ・シュガル軍に執拗に狙われているようなんだ。で、この時期に狙われるってことは――――分かるだろ?」

 

黒匣(ジン)が関連している可能性が高い、か? しかし確証はない。それだけであの少女を連れ回す気か」

 

この旅は妨害者も多い。連れて歩けば、エリーゼにも危害が及ぶだろう。ミラとて、それは理解しているらしい。確かに、僕もミラも今頃はラ・シュガル内ではお尋ね者になっていることだろう。つまりは、いつラシュガル軍に狙われるとも限らない立場だ。だけど危険に関していえば、こっちの方が得策だ。エリーゼがこの村に残るよりはマシな状況になる。今、この村には戦える者がいない、つまりは守り手がいないのだ。両国間がきな臭い状況になっていると聞くし、こんな時に、本格的な侵攻があればひとたまりもないだろう。この程度の小さな村、しかも防衛戦力のないハ・ミルなら、軍の中隊ひとつで制圧は可能だろうし。

 

「結果、村人たちは殺され、エリーゼは見つかって連れて行かれる。僕達と一緒に旅をすれば、そしてエリーゼは僕達と共にいることを告げれば、それも防げるだろう?」

 

村人に協力してもらってもいい。行商人に、裏から噂みたいなものを流してもらってもいい。そうすれば、村人たちも納得する。

 

だが――――ミラの顔は、晴れない。

 

「………ジュード」

 

名前だけを呼ぶ。その視線は、以前変わらず厳しい。まだ穴があると、そう言っているのだ。

 

(ああ、初めからわかってるさ。今の理由や理屈の中に、いくつかの穴があるってことは)

 

微妙に議論の点のすり替えをしていることに、気づかれたらしい。可能性の話しが多すぎるからな。緊張状態にあるといっても、実際に戦争が起きるとは限らない。あるいは、数年先かもしれない。

 

それなのに連れて歩いて、結果それ以上の危険に――――余計な敵をおびき寄せてしまう可能性だってあるんだ。エリーゼが狙われる理由についても。黒匣(ジン)とは全く別のことで狙われているかもしれないという可能性もある。ミラの言葉は至極当然な意見だ。全くもって間違っちゃいない。

 

この状況下においては、どっちかと言えば、理屈的には僕の方が間違っているのだろう。ミラはそれを指摘している。一人の人間を守って歩くことについてもだ。エリーゼの前では言わないけど、分かる。だけど、これ以上エリーゼをこの村に置いておきたくないのだ。あの様子から、相当に恨まれていることは察することができる。ジャオが戻らなければ――――あるいは戻っても、状況は変わらない可能性がある。ジャオが帰れば、閉じ込められる。いなければ村人に迫害される。そのままじゃあ、村人との距離は縮まらない。何よりエリーゼが狙われている以上、これ以上の進展は望めない。

 

下手をすれば、この先ずっとエリーゼはこの境遇のままになってしまう。

 

(ずっと続いてしまう。夢を失った時の僕のような気持ちで、ずっと)

 

子供だったあの時のこと。振り返ってみれば、それが分かってしまうから。僕は師匠がいなければ、ずっとあのまま“下”の方へ突き進んでに違いない。そのまま、腐れた男になっていたかもしれないから。エリーゼはもっと酷いだろう。何より救いがなさすぎる。

 

僕は、それは嫌なのだ。何としても回避すべきことだと思っている。

 

――――かといって、そんな個人的な理由で先約を反故にするのも、間違っている。ああ、僕も最初からミラを説得できるなんて思ってない。状況から言えば、僕の考えは愚者のもの。子供を連れていこうなんて意見こそが間違っているんだから。正直、ミラを説得できる理屈なんて用意できない。

 

(…………だけど、今ここで。エリーゼを見捨てることなんて、絶対にできない)

 

あの日あの時、師匠が僕にしてくれたように。

僕も、エリーゼを助けて上げたいのだ。

 

そうしなければ、あの日から今まで願い続けた僕が折れる。僕を支えてきた柱が折れてしまう。だけど理屈では無理なら…………気持ちで説得するまでだ。

 

「ミラ」

 

「なんだ、ジュード」

 

じっと、その目を真正面から見返す。

 

「―――全部、僕が背負う。責任を持つ。ミラも、エリーゼも、僕が守ってみせる」

 

片方だけで厳しいのに無茶だ、と理性は言う。だけど、それを無視する。

二人とも、だ。自分からした約束を、自分から破るつもりはない。先に約束したミラも、そしてエリーゼもだ。両方共、絶対に守ってみせる。だから――――と、そこでミラが口を開いた。

 

「それは、覚悟してのことか」

 

あくまで"ぼやかした"ままで。確かめるような口調に、苦笑しながらも即答した。

 

「ああ。そんなの当然だろう?」

 

約束したのは僕だ。言い出したのは僕なのだ。なら、自分以外に背負わせるものじゃはない。負担にはなるだろうが、自ら言い出した負担ならむしろ望むところだ。

 

「ジュード………」

 

対するミラの目は、僕の顔を捕らえたまま細まっている。観察されているような様子は苦手で、僕は少したじろぐ。だけど、それでも目はじっと逸らさない。

 

しばらくして、ミラは目を閉じると、ため息をついた。

 

「………分かった。どうせ言っても聞かないだろうしな」

 

「ミラ!」

 

「ただし! ………出発は今すぐにだ。今日の夜中にはイラート海停に着いておきたいからな」

 

「っ、分かった!」

 

 

○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

 

 

「何処に言っていた、アルヴィン」

 

「ちょっと情報収集をね………っと、やっぱりか」

 

アルヴィンの視線を追う。そこにはジュードが居た。エリーゼの前で、腕を組んで満足そうにしている。対面にいる二人は、ジュードが説明をしたのだろう、嬉しそうにはしゃぎまわっている。それからニ、三会話をした後、二人は空き家がある方へと走っていった。恐らくは、エリーゼが持っている荷物を取りにいったのだろう。

 

道の向こうに消えていく二人の子供の姿。それを見送っていると、隣から声がした。

 

「ずいぶんと、やさしいんだな」

 

「………こうした方がいいと思っただけだ。お前も、先ほどの様子を見たのだから分かるだろう」

 

激昂したジュード。あの時の拳は、下手をすれば大怪我を負わしていた。自分を御せる者か、あるいは冷静な思考を保てる者であれば、ああいった真似はしない。

 

「切っ掛けはあの少女か。あるいは、境遇かもね?」

 

「………人間の事は、よく分からない。だけどジュードの精神が不安定になってしまう、その方が困るだろう。それに、私はエリーゼの歩調に合わせて、進んで行くつもりもないぞ」

 

足手まといになれば捨てていく。仮に命を落としたとして、私は立ち止まらない。

もとより一人で完遂してきた役目だ。一人になったとして、止めなければいけない道理などない。

 

「ふーん………ミラ様は一人でやれると、そう思ってると?」

 

「出来る―――とは、最早断言できないな。だけど危険だからといつまでも同じ場所に留まっていられない」

 

危険なのは理解している。だけど、避けているだけでは成せないこともあるのだ。

 

「――――私には、果たすべき使命がある」

 

生まれてから今まで、貫いてきたことだ。すでに私の一部で、あるいは全てでもある。

それを止めることなどできないよ。そう言うと、アルヴィンは複雑そうな口調で聞いてくる。

 

「例え、危険があったとしても? もしかしなくても命を失う、そんな危険があったとしてもか」

 

「ああ」

 

迷うはずもない、断定する。しかしアルヴィンはしつこく質問を繰り返してきた。

 

「死ぬかもしれなくても―――その使命ってやつのためならば死さえも厭わないって、そう言えるのか」

 

「ああ、言えるさ」

 

断言する。何より、それこそが私の存在意義なのだからできないはずがないのだ。あの槍は危険すぎる。本当はあの場で壊さなければいけなかった、この世にあってはならない、一刻も早く壊さなければならないものだ。

 

今までの黒匣(ジン)とは違う。規模も強さも、明らかに違いすぎる。一度発動すれば、取り返しの付かないことになるだろう。ここで止まれば、あるいはもっと多くの人間が死ぬことになるだろう。それを防ぐために、ミラ=マクスウェルは存在する。

 

「人と精霊を守る。それこそが私の使命なのだから」

 

見返して、言う。するとアルヴィンは、ついと眼を逸らした。丘の向こうに見える夕焼け空を見ているのだろうか。そのまま、すっと零すように言った

 

「………強いよなあ。おたくも、ジュードもさ」

 

「強い、弱いは関係ない。出来る出来ないは問題ではない。私がやらなければいけない事なのだ。他の誰にも、任せるわけにはいかない」

 

「………そ、っか。ならもう何も言わないよ」

 

「ああ………と、来たようだ」

 

見れば、ジュードがエリーゼを連れてこちらに駆け寄ってくる。

 

「おーい!」

 

 

こちらに振られる、見かけよりも大きな手。もう一方の手は、エリーゼの手を握っていた。彼女はといえば、頬を染めて。少し下を俯きながら歩いている。

 

しかし――――

 

(…………まるで別人、だな)

 

足取りが違う。背筋が伸びている。その顔も、影を感じさせるものではない。それもそうだろう。今までの境遇から救われたのだから。それを成したのは、このジュード・マティスという少年。

 

――――この先、彼は余計な荷物を背負うことになるだろう。負担も増えるし、無茶をして大怪我をするかもしれない。エリーゼだって、救われていない。現に今、エリーゼは村を出ていくその最後に、少し笑顔を作って、村人達に手を振ってる。だが、誰も反応せず、すっと視線を逸らしてその場から去っていくだけ。それを目の当たりにしたエリーゼは、また悲しい表情を浮かべている。

 

だけど、村の出口を向いた時の顔は違う。心なしか、視線を上向きに。胸を張って、歩こうとしている。あるいは、今の行為は村との決別を意味していたのかもしれない。

 

最後の最後に、自分に優しくない村人達の反応を見て、それを踏み出す力としたのかもしれない。どちらにせよ、エリーゼという少女は変わったと、そう言えるだろう。最初に出会った時の、すがるような表情。二度目にあった時の、どこか寂しそうな表情は、無い。成したのはジュードだ。それも、意志と行動だけで。

 

黒匣(ジン)を壊さずに、人を救ってみせた。

 

(…………人、と。精霊を守るために)

 

自分でアルヴィンに告げた言葉。それはずっと自分を支え続けてきた信念の言葉だ。だけどこの瞬間だけは、なぜか、それがまるで別な言葉であるかのような。

 

胸の中に、言い様のない違和感が浮かぶような感覚が、うごめいていた。

 

 

 

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

 

 

ハ・ミルからイラート海停を結ぶ、イラート街道に出てから数時間歩いた。エリーゼは思っていたよりも健足で、僕達にも何とかついてこれている。戦いながら進んでいる僕達とは違って、疲労度が小さいこともあるだろう。だけど、息も切らさずついてこれるとは思わなかった。疲れたらおぶっていこうと思っていたが、その心配もなさそうだ。これなら、共鳴術技の練習もできそうだ。

 

試しに、とそこいらの弱い魔物が固まっている場所に、ミラと並んで突っ込んでいく。

 

「ミラ、あれをやるよ!」

 

「っ、分かった!」

 

僕のリリアルオーブとリンクさせているミラのリリアルオーブから、マナの塊を感じる。直後に、ミラが持つ剣の先に、マナが集められた。

 

剣によって増幅されたマナはその密度を増され、それは霊力野(ゲート)からの指令によって変換される。やがては見た目も緑の、風の精霊がミラが持つ剣に集まっていく。

 

僕も、拳の先に装着したフィストにマナを集め、増幅させて――――

 

「行くぞ!」

 

「ああ!」

 

叫び、ミラの風の精霊術に呼応して放つ!

 

「「絶風刃!!」」

 

十字になった巨大な風刃が、一気に魔物を切り裂いていく。

 

(やっぱり、精霊術使いとの共鳴術技は良いよなー)

 

ナディアの時もそうだが、まるで風の精霊術を使っているかのような感触があるのだ。最初に使った時は、三日間は興奮して眠れなかったほど。

 

「うまくいったな………どうした、ジュードにやついて」

 

「い、いや、なんでもないよ」

 

急いで表情をもとに戻す。そういえば、「ニヤつくなバカ」とナディアに蹴られた時のことを思い出した。バレるのも不味いし、自重せねば。それからは色々と試した。だけど、有用な共鳴術技は放てなかった。使えるのは、僕の"魔神拳"とミラの風の精霊術"ウインドランス"を合わせた技、"絶風刃"だけ。それ以外は相性がわるいのか、威力が低かった。

 

ちなみにナディアとは相性がいいのか、威力が高い共鳴術技は複数ある。

 

そのひとつが、僕が使う腕力を特に強化する武術技である"鋭招来"とナディアが使う技"グランドファイア"を合わせた共鳴術技、"絶炎陣"。放射状に炎の波を撃ち出す技だ。魔物に囲まれた時などで、多用していた。

 

それよりも、ミラよりアルヴィンとの方が共鳴術技の相性が良いってどういうことだ。僕の"魔神拳"とアルヴィンの"魔神剣"を合わせたマナの塊の固め撃ち、"魔神連牙斬"僕が、アルヴィンの斬撃を踏み出いに天高く飛び上がり、落下の勢いを利用して双足蹴りを決める"飛天翔星駆"。

 

アルヴィンのマナを込めた強化弾を、僕のマナをこめた掌打で撃ち出し、共鳴させ大きな弾丸にして撃ち出す"拒甲掌破"。使える技が3つもあった。どれも、要所要所で使える技だ。

 

男であるアルヴィンとの相性がいい、という事実に少し落ち込むが、それでも使えないよりはましだ。自分を説得して、なんとか気持ちを落ち着かせる。敵もいなくなったことだし、今はのんびりタイムだろう。その間、エリーゼは先頭に居るアルヴィンの所にいた。僕の時とおなじように、たどたどしく自己紹介をし直している。

 

「あの、その…………エリーゼ・ルタス、です」

 

名乗るエリーゼ。アルヴィンはエリーゼに気付かれないように、こちらを見た。どうすればいいのか、だろう。だから僕は視線で「頼むよ」と告げる。するとアルヴィンは、無言でウインク、承諾する意図を返してくれた。

 

「オレはアルヴィン………へえ~、前見た時も思ったけど五年後にはすっげえ美人になるな、エリーゼは。その時までよろしく、な」

 

「そんな………わたし………」

 

「あー、これってナンパだ―! アルヴィン君はナンパマンー」

 

恥ずかしがるエリーゼと、リズムよく相槌をうつティポ。

 

そこにミラが、難しそうな表情を浮かべながら、言う。

 

「私はミラという。よろしくな、エリーゼ、ティポ……………………で、だ。何か当然の状況といった風なんだがな――――このぬいぐるみは、何故しゃべっている?」

 

「え………」

 

戸惑うエリーゼ。しかしすぐに、以前からずっとしゃべっていた、と説明する。

なにもおかしいことはないと、こちらに同意を求めてきた。

 

「そうだよ、ねー?」

 

僕はティポの同意に頷きながら、更にアルヴィンに同意の流れをよこす。

 

「ねー」

 

呼びかけを見たアルヴィン。迷うかと思ったが、間髪いれず、ミラを見て「ねー」という。

 

――――だけど。

 

「きもち悪いぞ、アルヴィン」

 

「26にもなって"ねー"はねーよなー」

 

「ちょっと、寒くなった………です」

 

「年を考えた方がいいかもねー」

 

「ちょ、ひでえなお前らってエリーゼまで!?」

 

アルヴィンの叫び声が、イラート街道に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

夜になる少し前には、イラート海停に到着した。下り坂だったおかげか、往路よりずっと早い。とはいっても、今日の船はもう出航済みだ。船着場に居る船員のもとに行き、明日にサマンガン海停行きで出航する船の船室は空いているかたずねる。

 

「あー、サマンガン海停なら空いてるよ。明日の一番に出る船だったね?」

 

「はい」

 

「それなら…………ひー、ふー、みー、よー………うん、4人でちょうど満席だね」

 

「朝一番だというのに、随分と多いんですね」

 

「少し前に、ちょっとしたことがあってね」

 

 

聞けば、首都圏全域に封鎖令が出たらしい。ラシュガルの軍船でない限りは、イル・ファンの港にすら入れてもらえないと嘆いていた。しばらくは、サマンガン海停行きの船しか出ないとも。

 

しかし、派手にやることだ。恐らくは不穏分子を入れたくないといったところか。それは僕達か、あるいは――――あれだ。強国の関係もな。きな臭いって噂も流れてるし。

 

行商人の情報は本当に侮れないものがあるから、もしかしたら本当にア・ジュールとの戦争が起こるのかもしれん。実際、研究所で対軍用の兵器が開発されていたのだ。あの規模にあの威容、絶対に対個人用に作られたものではない。僕達が侵入するしないに関わらず、あれはあそこで作られていた。使われるために。それの意味することなど、一つしかない。

 

―――戦争。僕達の行動は、切っ掛けだったのかもしれないと、そう思えた。

 

 

何かが、起ころうとしているのだ。

 

 

僕は夜の海から流れる冷たい風に吹かれながら、胸の中に言いようのない不安を感じていた。

 

 

 

 

 



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間話の2 : ル・ロンドの一日

 

 

穏やかな街は嫌いだ。アタシに、居場所なんてないことを思い知らされるから。

そんな嫌な町の中を歩く。

 

「ったく、なんでこうなったのか」

 

朝に港を発ち、昼に嵐に揺られ、揺られ続けて気づけば夕焼け。船は目的地であったイラート海停に辿りつけず、船航路の途中にあったル・ロンドに寄港することになったのだ。

 

『本当に申し訳ありません!』

 

頭を下げながら謝る船員の姿を思い出し、苛立ちに襲われる。嵐だから仕方ないと言えば頭のひとつでも小突いてやるつもりだった。だけどああも素直に謝罪を示されたら、文句の一つも言えないじゃないか。正論は卑怯というが、ああいうのも卑怯だと思う。他の客も同じように謝られていたから、あれが誠意から来る謝罪というのが分かる。だから腹が立つ。宿の宿泊券が配られていたのも。財布の中に収まっている紙切れを思い出し、また苛立つ。

 

ル・ロンドに唯一あるという宿屋、一日で修理しますからここに泊まって下さい、と船長から直接に渡されたもの。急な話しだがよく対応できたものだ。どうやら船長の知り合いが経営している宿屋らしいが。

 

(………連絡は済んだし、やれることはないか)

 

ボーボーもしばらくは戻ってこないだろう。あのくそヒョロ男――――ウィンガルは、ボーボーを酷使するむかつく奴だ。今頃はあちこちに情報を伝達しているに違いない。参謀だから、あの手の連絡手段は重宝するのだという。一度、譲ってくれと頼まれ――――いや、頼みじゃない。"譲れ"なんて、命令にしか思えない言葉があった。本人は頼みのつもりだったと言っていたが、流石は元最高位上級部族のロンダウ族だ。アタシが言うのもなんだが、言い方ってものがなってない。あの貴族連中ほどに悪意が見えていたら、アタシはこの仕込み杖を抜いていただろうけど。もしくは、ジュードの奴のような――――

 

(………あー、やめだ、やめ)

 

思考が横に逸れるのを感じて、アタシは首を横に振る。本当は炎の一発でも吹き出してやりたかったが、嵐のせいか身体が酷く疲れている。今は宿に行くべきか。ここは鉱山都市だし、さぞかし汚い宿が待っていてくれていることだろうしな。聞けば、港のすぐ傍にあるらしい。いけ好かない潮の香りの中を歩く。周囲には馴染みの施設。海停というか、港の造りはどこも同じだ。混乱しないように、と決めたらしいが、こうも同じでは飽きがくるってもの。それでも、人が全て同じということでもないらしい。行商人から買い物をしている人間の様子が違う。見るからに屈強な体格を持つ者が何人かいる。あれはおそらく元鉱夫ってやつらだろう。イル・ファンに居た頃に聞いたこともある。かつては鉱山として賑わっていた街だけど、その資源も尽きかけていて。そのせいで鉱山の多くが閉鎖され、職を失った者も多いらしい。聞いた場所は首都。王都だからか、イル・ファンには色々な場所から流れてくる人間が多かった。種類にも様々あるけど。一時期のあの酒場にもたくさんいた、夢敗れたという鉱夫が、うるさくも毎日、飽きずにくだらない歌を歌っていた。

 

嫌になるぐらいに聞かされたから、メロディーも歌詞も覚えてしまった。たしか、こうだったか。

 

『掘れよ、掘れ掘れ掘りつくせ。男はだまってツルハシ振って、ヨホホイよさいと振り下ろせ。輝く石も輝く夢も、掘って壊して掘り起こせ。宝は女、そして美女。魅惑の笑顔で待っている。いつしか見えるさ岩の向こうに、彼方に眠って待っているから』

 

簡単なメロディーを軽く口ずさむ。本当に小さな声で、他人には聞こえないような音量。

しかし、それを確りと聞いていたやつが居た。

 

「おー………おー!」

 

子供だ。いや、ガキだ。6つぐらいか、ガキとしか言えないようなガキが、驚いたような顔でこっちを見てやがる。嫌な、予感がした。そしてそれは的中した。

 

「おねーちゃん!」

 

「なんだガキ」

 

睨みつけるが、聞きゃしねえ。ガキはそのまま、何かを喜ぶように言った。

 

「すっごい、歌うまいねえ!!」

 

「―――ばっ?!」

 

急いで口を塞ぐ。聞かれてたのも恥ずかしいのに、まだ恥を上塗りさせようとするがこのガキは!

ああもう、この街のやつらはこんな阿保ばっかりなのか。アタシはうんざりしながら、ガキに言い聞かした。

 

「ストップだ。これ以上喋るな、いいな?」

 

ちょっと脅してやると、ガキは青い顔をしたまま黙った。ふん、いい気味だ。

そうだ、こいつにちょっと聞いてみるか。

 

「なあ………この街に、治療院ってあるだろ。そこはどこだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこは、歩いてすぐの場所にあった。建物の大きさはそれほどでもない。他の家と同じぐらいの大きさ。違う所があるとすれば、それは人の出入りが多いことか。客の回転が早い。というよりは、患者と呼ぶべきなのだろうけど。それでも、出ていく人間と入っていく人間の数は多い。尋常な早さではないと言えるかも。

 

(プランはいつも、患者の数が多すぎるって愚痴ってたけど………)

 

酷い時は10人が一気に押し寄せるとか。それでも、ここの医者とやらならば上手にさばけるのかもしれない。ディラック・マティスとエリン・マティス。あいつが語ろうともしない両親、医者の夫婦ならば。遠い、と。あいつが言っていたそんな二人ならば。

 

――――そんなくだらないことを考えながら、治療院を見ていた時だ。

 

とんとんと、肩を叩かれた。

 

(――――な)

 

気づかなかった、ということに驚くと同時、アタシは臨戦態勢になりながら急ぎ振り返った。

 

「きゃっ!?」

 

急に振り返ったことに驚いたのか、肩を叩いてきた女はいやに耳に障る悲鳴を上げた。そう、女だ。治療院の場所を聞いたガキに連れられてきたのか、同い年ぐらいの女がそこに居た。ヘッドドレスに、馬鹿みたいに明るい服。アタシには死んでも似合わないだろう服だ。そんな、むやみめったら、無駄に明るい服を着こなしている女は、やっぱりムダに明るかった。

 

「えっと、この人が?」

 

「うん! 歌うまいけど、おっかないおねーちゃん!」

 

「おいコラそこのガキ」

 

黙ってろって言っただろ。言いながら頭をわし掴んでやる。痛い痛いと叫ぶが、いい気味だ。

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

「黙ってな。約束も守れないくだらねいガキにゃ、良い薬だろ」

 

「た、助けてレイアお姉ちゃん!」

 

「ほいきた」

 

瞬間に、掴まれたのは腕の付け根だった。軽くそこを握られたと思ったら、次には腕の力が抜けていた。ガキがアタシの手から逃れ、ぱぱっと逃げる。腕を掴まれてるアタシを見ながら、自分の唇を横に引っ張る。

 

「っ、やーいやーい、ざまーみろ! レイアおねーちゃん、この目付き悪いやつ、やっつけて!」

 

「って、コラ! 知らない人にそんな事言っちゃダメでしょ!」

 

ガキの脳天に、拳骨が決まった。たまらず頭を抑えつけ、痛いといいながらうずくまる。互いに悪意の見えない、ぬるま湯のようなやり取りを見たアタシは、思わず舌打ちをする。しかも、だ。

 

「レイア………?」

 

聞いた名前。そしてこの町は、あいつの。そこまで考えた時、自然に口が開いた。

 

「アンタ、もしかしてレイア・ロランドか」

 

「へ? そ、そうだけど、なんで私の名前を知ってるの!?」

 

狼狽える女は無視して、観察する茶の髪に、小柄で細身な体型。花飾りがついたヘッドドレス。極めつけは、無駄に元気で明るい声。確かに、あいつが言った通りだ。

 

「それに、胸もない」

 

「………って、はあ!? え、ちょ、今なんて言ったのあなた!?」

 

いきなりの言葉に、数瞬反応遅れての激昂。なるほど、妙に間抜けなところもあってるな。幼なじみだろうか、あいつは本当にこの目の前の女のことをよく知っているな。その深さまでは知らないけど、少し話しただけで分かるぐらいに知り尽くしている。そう思うと、なんか腹が立った。

 

「っ、声色たけえ。キンキンうるせーよ、アンタ」

 

自然、対応にも遠慮がなくなってくる。はじめからする気もないけど。心底うざったそうに耳を塞ぎ、鬱陶しいという視線を向けてやる。するとレイ――――いや、もうブスでいい。ブスは、手をわなわなさせて震えはじめた。

 

「こ、この傍若無人さには覚えがあるなぁっ………!」

 

と、何事か思いついたこっちを見ながら顔を指してくる。

 

「あなた! ひょっとしてジュードの友達かなんかでしょ!」

 

「何を根拠にそう思うんだ?」

 

「ん、乙女の勘!」

 

両腕を挙げて乙女とかほざきながら胸を張るブスがいた。アタシが着ている服はイル・ファンのもので、そのあたりから推測したのかも――――とも考えたけど、まさかの勘一本勝負ってないよ、バカ。

 

あの陰険でも妙に頭の回るバカとは違う、正真正銘の馬鹿だ。自信満々なところも鼻につく。ともあれ、これだけは否定しておかないとね。

 

「友達じゃないさ。でも、そいつが無駄に腕のたつ、頭もキレる陰険な医学生なら、あたしの知ってるバカかもな」

 

「んー………キレるってどっちの意味で?」

 

「両方だよ」

 

「ってやっぱりジュードのことじゃない!」

 

「即答かよ………」

 

あと、これ以上の会話は駄目すぎるね。会話のテンポがとことんあわない。話していると、何かイライラしてくる。

 

―――――もういい、これ以上の深入りはしないほうがいいか。

 

あの馬鹿から聞くに、あいつの師匠、こいつの母親は想像以上の化物に違いない。ア・ジュールへ行く途中である今、余計なやぶ蛇に手をつっこんで怪我をするのも馬鹿らしい。興味はあるけど――――

 

「いや、いいか。それでアンタ、ここに住んでるってんなら、宿の場所知ってんだろ」

 

「へ? えっと、うちに用?」

 

「………ぁんだって?」

 

で、話を聞けば、こいつの家がこの街唯一の宿だということ。

 

「マジかよ………死ねよ船長………」

 

「え、なに。私の家が宿だとまずいことでもあるの?」

 

当たり前だろうが。決意した途端それかよ、と思わず声が漏れてしまう。

 

「滅茶苦茶問題ありありだよこのブスが………」

 

「ちょ、何!? 失礼な人――――ってそんな所までジュードに似てるし!」

 

「ああ!? アタシのどこがアイツに似てるっていうんだよ!」

 

「なんかこー、妙にひねてるところ!」

 

「お前もあたしに失礼だろうが………っ!」

 

「あ、ごめん」

 

途端にしゅんとなる。散々言われてるってのに、ちょっと言った後に指摘されただけでしおれた草のようになるブス。

 

(ああ、いやだ。いやだいやだいやだ。毒がない会話はいやだ)

 

毒がある会話は、あしらうのが面倒くさい。だけど慣れているから、何とも思わないのに。こういった会話は、心が痛まないけど、別の所が痛んでしまう。ああ、嫌だ嫌だ。特にこういう奴は苦手だ。無駄に明るい。だから、光ものは臭い"。こちらまで侵食されそうで、たまらなくなる。話しているだけで、感情が暴走していく。そうして、高ぶりそうな感情のままに、更に口を開こうとした時だ。

 

――――突然、気配がそこに生まれた。

 

「こらレイア、店の前で喧嘩すんじゃないよ!」

 

「痛っ、ってお母さん!」

 

叩かれたのだろうか、後頭部を抑えるブス。それは、普通の親子の会話で。

だけど―――――

 

「っ、どうやったんだよ」

 

アタシは固まらざるをえなかった。だって、一切が見えなかったし感じられなかったのだ。このアタシが、今の刹那に何があったのかって聞かれたとして。それを説明できる材料が、"抑えているから、そこを叩かれたのであろう"という根拠だけなんて、こんな馬鹿な話があるかよ。

 

その当事者は、何食わぬ顔でこちらを見ると、納得したように頷いた。

 

「で、アンタがお客さんだろ? 船長から話は聞いてるよ、部屋に案内するからついておいで」

 

およそ客商売をする者ではない口調。だけど、それに不快感を感じず、何より逆らえないものを感じたのは初めてだった。

 

 

 

 

 

そうして案内された部屋は二人部屋だった。他の乗客は全員男性客だったから、アタシに配慮したのだろう。

 

(しかし、あれがあいつの師匠か………なるほど、陛下に匹敵する化物だ)

 

アタシも、並外れた達人なら見たことあるし、知っている。剣を向けられるだけで、敗北を悟らされるほどの傑物。いずれがリーゼ・マクシアの頂点に立つ、本物の英雄だ。このアタシが、心の底から敵わないなんて、そんなみっともないことを思った初めての人。だけど、あのソニアとかいう女将は別タイプの人外だ。なにせ――――とても"そう"は見えない。

 

(あいつの師匠だ。それにさっきの気配遮断。達人だけど………見た目からは、なにも察することができなかった)

 

初対面で。案内されるまで、色々と確かめたが、分からなかった。達人であるのは間違いないのだ。なのに、そうは思えないとはどういった理屈だろうか。あらかじめ事情を知っているからこそ分かるが、知らないなら絶対に気づかないだろう。それほどまでに、あのソニア・ロランドという女将の隠形は完璧だ。まるで思考の迷路にはまってしまうような。あるはずなのに、そこにないという事実が逆に恐ろしさを際立たせてくれる。見えないからこそ怖い、というのか。

 

確かに、宿を経営する時に武の威圧感は必要ない。理屈は分かる。だから悟らせないようにしているのだろう。だけど、こうまで完璧に隠されるなんて。

 

(あのバカが強くなるはずだ)

 

さっきのことといい、あのバカジュードといい。師匠が師匠なら、弟子も弟子ということか。それでも、今のあいつと陛下が戦ったらどうなるのか。

 

アタシは――――考えるだけ馬鹿だろうと、思考を切った。そして夕食の知らせがあるまでベッドの上に横になることにした。外に出るのも面倒くさいからだ。

 

 

外からは、子供の声が聞こえる。まだ遊ぼうぜ、とか。また明日、とか。母親らしき人が怒って、連れ帰る声とか。

 

(本当に………気に食わないよ)

 

穏やかな街は嫌いだ。アタシに、居場所なんてないことを思い知らされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食はすぐに。呼ばれた先のテーブルに、料理が出されていた。どこにでもあるような、普通の料理。しかし、その味は悪くなかった。そう、味が悪くない。すぐに食べ終えたし、食後の飲み物も悪くない。だけど――――なんだ、この従業員は。

 

「アンタ、なんでアタシのテーブルに?」

 

「えーっと………ちょーっと話を聞きたいかなあって」

 

「………ジュードの話か?」

 

「そう!」

 

「失せろ!」

 

「ちょ、一刀両断!? ちょっとは考えてくれても!」

 

「うっさいよ馬鹿、人の食後のティータイムを邪魔するんじゃないよ!」

 

しっしっと手を振る。だけどこのブス、諦める様子がない。正直鬱陶しいので、どっかに行って欲しいんだけど。そう考えていると、ブスの背後に影が見えた。

 

「………レイア?」

 

「ひっ、お母さん!?」

 

「あんた、お客さんになにやってんだい?」

 

「えーっと、これは、その………てへ?」

 

舌を出して誤魔化すブス。当然、長年の付き合いであろう、というか母親である女将に通じるはずもなく、襟首ひっつかまれると、奥の厨房に引きずられていく。

 

「ちょ、お母さん勘弁! 勘弁だから!」

 

「大丈夫。痛いのは一瞬だよ」

 

「おとーさーん!」

 

「すまんレイア、無力な俺を許してくれ………!」

 

まるで寸劇だ。というより、話が噛み合ってないような。そんな様子を、他の客――――おそらくは地元の者だろう。夕食を食べに来ている客は、「またレイアちゃんか」とか笑いながら眺めているだけだった。

 

「いや――――!!」

 

「レイア――――!!」

 

断末魔が。しかし、客はスルーしたまま、食事を続けている。なんだかね、この店も。まるでイル・ファンにいる、店長のあの店のようだ。

 

(そういえば、弟子だって聞いたような………まあいいか)

 

面倒くさいと、出された紅茶を飲む。悪くない味だ。そうして、落ち着いていると、入り口の扉が開き、また客が入ってくる。その客は疲れた顔をしていた。黒い髪に、白衣が映える。どこかで見たことのある顔だ。と、いうよりも―――――ジュードに似ている。

 

(あれが、あいつの母親か)

 

疲労に染まってはいるが、凛とした表情は残っている。

普通の母親に、疲れた医師を足したような顔。

 

「お、エレンじゃないか。しかし、今日もかい?」

 

「ごめんなさい、ソニア。最近は患者も多くて、ちょっと長引いてしまうから、ね………あら、レイアさんの姿が見えないようだけど?」

 

「ちょっと休憩しているのさ。あの子も疲れてるようだしねえ」

 

しれっとそんな事を言う下手人。ジュードの母親の方も慣れているのか、苦笑ですますと、荷物を受け取って店から去っていく。

 

(………ふ~ん。見た感じ、普通の母親だったけどね)

 

あいつは零していた。母親は苦手だ、父親は嫌いだ、と。しかし、母親の様子を見るかぎり、あいつが苦手とするような、そんな風には見えない。一体何が原因っていうのか。紅茶を飲みながらそんなくだらないことを考えている。だけど、どうにも首が座らないというか。疑問を感じると、解決しない性質なのだ、アタシは。それでも、誰かに聞かなければ答えの出ない問いだろう。そうして考えこんで数刻。気づけば、客はアタシだけになっていた。女将はといえば、テーブルとその周辺の掃除をしていた。今なら、聞けるかもしれない。そう思った時、ふと視線が返ってくるのを感じた。

 

「………なんだい、女将サン。アタシに何か用があるとでも?」

 

「無いさ。というより、アンタの方が何かあるって見えたけどね」

 

「ちっ…………」

 

視線というか、意識の方向を感じ取られていたようだ。変に言い訳するのも趣味じゃない。

 

「女将サン、ジュードの武術の師匠だってな」

 

「まあね。そういうアンタは、あの子の友達かい?」

 

「はっ、あり得ねーよ」

 

頭から否定してやる。友達の対極に位置するやつだ、あいつは。

そういった道もあったかもしれないが、今更無理だしね。

 

「………話に聞いていた通り、気難しい子だね。それに、あの子に似てる」

 

「勘弁してくれないかねえ、その台詞はアンタの娘に何度も言われてんだよ。ま、否定してやったけど」

 

「そんな枠で収まりたくない、ってかい?」

 

――――不意の一言に、心臓が跳ねた。どういうこった、ババア。

 

「睨むんじゃないよ。ただそう感じたから言ってみただけだよ。その様子を見るに、図星だったようだけどね」

 

「ちょ………そんなんじゃねーよ、ババア!!」

 

「まあ、女の子が照れなさんな!」

 

バンバンと背中を叩いてくるババア。腕で振り払ってやろうとしても、上手く避けられてあたりゃしねえ。まるで酔っている時のアイツのようだ。棘出しても何でか知らないままにするっと躱され、気づけば懐に入られるような。

 

「それで、あの子は元気かい?」

 

「あー………元気っちゃ、元気かもなあ」

 

指名手配されるぐらいには元気だよ、とは周囲に聞こえないように言った。当然のように聞こえていたのか、ババアは表情を変えずに、マナの調子をわずかに変えてきた。敵意ではなく、探るようなそれに、アタシは感嘆した。こんなの、ア・ジュールの諜報部隊にだって、逆立ちしてもできやしない。それでも害意はない。真意を探りたいのだろう。アタシは気にした様子も見せず、そのままに調子を変えず、会話を続ける。

 

「変わらないって感じかな」

 

「………その様子じゃ、ねえ。やっぱり、あの子は変わっていないのか」

 

「変わっていない所もあると思うけど? みょーにスケベ、というよりも―――――男と見れば突っかかって、女には優しい所とか」

 

アタシ以外の女には、敵対していたとしても、それなりの配慮を見せる。だけど、男は別だ。取り敢えずは社交辞令、ちょっと踏み込んでくると、口悪く対応して遠ざける。まるで試すかのように、悪ぶって対応するのだ。その上で牙を向いてくる奴には、本気で容赦しないけど。

 

(例外はガンダラ要塞の門番と、ハウス教授だけ………)

 

口ずさむと、聞こえていたようだ。ぴくりと、マナが動くのが見えた。そういえば、そうだった。この師匠に薦められて、あいつはイル・ファンにやってきたのだ。尊敬すべき、我が師匠。何度も繰り返されたせいで、耳にはタコができているだろう。

 

そんな師匠が――――こんな言葉を聞かされれば、どう出るのか。好奇心にそそのかされたアタシは、とある言葉を装填した。しながらに、考える。今からいう内容は、全くの嘘である。責任はあるかもしれないが、直接に関わってはいない。だけど、今のこの女将では、分からないことだ。だから口に出せば、信じこむかもしれない。

 

そういった時、憧れの師匠はどういった様子を見せてくれるのか。知りたいという誘惑に勝てず、アタシは呟いた。

 

『ハウス教授が死んだし。まあ殺したのは、アタシなんだけどね』、と。

 

「――――」

 

化物は、宿の中の空気を変えなかったな。そのままで、マナを戦闘態勢のそれに持っていく。鋭い刃のような、大金槌のように破壊力が高そうなそれを、アタシだけに叩きつけている。

 

対するアタシは―――まあいいかとも、思っていた。何故そう思ったのかは、自分でも分からない。ただ、そう思ってしまったのだ。手から力が抜ける。足からもだ。こんな手練、一対一ではどうしようもない。なにもかもが弛緩する。緩まっていく。

 

だけど、次の瞬間には別のものに変わった。なぜなら――――

 

(マナを、戻した?)

 

ババアは、マナを平時に戻した後。こちらを見て、にやっと笑った。

そのまま、ぽんと頭を叩いてくる。

 

「聞いてた通り、難儀な子だね」

 

「なにを………!」

 

「あの子じゃなくても、罰されたいのかい?」

 

その言葉は、矢となって胸に突き刺さった。死角からの言葉。それは、すとんとアタシの胸に突き刺さり、場所を占有しやがった。

 

「でも、それは私の役割じゃないようだしね」

 

「あ、私は………」

 

続く言葉に、何も言い返せない。だけど、なんだろうこの感情は。気づけば、脳裏にあの時の声と顔が浮かんでくる。怒った顔も声も、見てきた。だけど、あれほどまでに突き抜けたのは、見たことがない。

 

『ナディアァァァァァァッッ!! ハウス教授を殺ったの、テメエかぁ!?』

 

あんなに怒るなんて。分かっていたけど、正面からぶつけてくるなんて。あれから数日たったが、毎日のように夢に出る。そして、夢の中のアイツは言うのだ。裏切り者、と。

 

(そうさ、裏切り者さ………分かっていたはず。事実、そうさ。だけど、なんでアタシは………)

 

こんなに落ち込んでいる。

馬鹿馬鹿しい思考だけど、それが泥のようにへばりついて離れてくれない。

胸が痛い。抑えても、収まらない。それに、頭も痛い。

 

―――と、その時。ぽんぽん、と誰かが頭を叩いた。

 

それはまるで大切なものを扱うようだった。優しく、労るような手の調べ。

 

(――――)

 

その感触にアタシは、母さまとプランの母親、乳母のことを思い出していた。優しかった二人。頑張って、頑張って、見てくれて、褒めてくれた二人。もう居なくなってしまった人達でもある。アタシから、"私"に戻っていくような感覚。何も知らなかったお嬢様。トラヴィスという馬鹿げた檻を、壊す前のお嬢様。あそこに戻るなんて、未来永劫有り得ない。

 

だから"私"は―――――必死に、振り払った。

 

(甘える、なんて………それだけは、出来るもんか!)

 

既に戻れない所にまで来ている。最後の分水嶺とも言えるが、決意したアタシにとっては、もう戻れないのだ。だから、この感触に浸ることはできない。席から離れると、女将から距離を取った。睨みつけ、殺気をこめたマナをも叩きつけてやる。だけど、返ってきたのは敵意ではなく、悲しみの感情だった。

 

「やっぱり、かい………それが、アンタの選ぶ道なんだね?」

 

「ババア………?」

 

「本当に、難儀な子だよ。あと、ババアはやめとくれ」

 

こつん、と頭を叩かれる。

 

「悪かったね。これ以上は聞かないよ………だけど、一つだけ。あの子は、元気かい?」

 

言葉を聞き直す。少し悲しそうなその顔に、私は――――何故か、敵わないと思ってしまって。力でもなく、本当に、勝てないなんて思ってしまった。だから、正直に答えてやる。

 

「有り余るぐらいに、元気だと思う。念願の巨乳の女としけ込んだようだし、ねえ?」

 

意味ありげに行ってやる。だけど、返ってきたのは苦笑。そして、宿の奥に消えたブスの叫びだった。

 

「な、それは一体何よ――――!?」

 

「ちょ、うるせーよお前は!!」

 

「うるさくてもいい! それよりも、巨乳の女って誰!? あと、しけ込んだってどういう意味!?」

 

「うるせーな! 前半は、火遊び大好きな、危ない女だよ!」

 

イフリートを使役した、とは言ってやらない。

 

「で、後半は…………えっと、どういう意味だ?」

 

後半は、プランが言っていた言葉をそのまま言っただけ。けど、アタシにも分からない。しけ込んだって一体どういう意味だろうか。

 

「おかーさん?」

 

「女将サン?」

 

「えーっと………そうだ、おとーさんに聞きな!」

 

そこでババアの華麗なスルー。奥からタイミングよく、旦那の方が出てきた。

 

「お父さん! えっと、シケコンダってどういう意味!?」

 

「しけ込んだ!? まてレイア、お父さんは許さないぞ、そんなこと!! 相手は一体誰だ、お前ジュードくん以外にそんな男が!?」

 

「落ち着けよ………で、旦那サン。しけ込んだって言葉だけど、いったいどういう意味なんだ?」

 

聞くが、混乱したように周囲を見回す。

 

「ちょっと、聞いてんだけど」

 

「ちょ、よその娘さんと実の娘に卑猥な言葉攻撃のコンビネーション………? これは夢か、夢であってくれ!?」

 

なんかオロオロしているが、知ったこっちゃねえ。追求すること、一時間。ついにはダウンした旦那サンのせいで、アタシもブスも、真実を知ることはかなわなかった。

 

 

 

 

 

目覚めは爽快だった。朝日に、鳥の鳴き声。朝食にも文句をつける所なんてない。平穏無事な一日が始まるのだろう、そこかしこから安らかな空気が流れこんでくる。

 

「もう、行くのかい?」

 

「行かなきゃ、ならないからな」

 

「そうかい」

 

止めもしない。何もこちらの事情を話していないのに、おおよその様子は知られているかもしれない。そんな荒唐無稽考えさせてくれる女将、あいつの師匠は、黙ってアタシの頭に手をおいた。

 

挙動さえも見せない、正真正銘の達人の業。驚く暇もなく、女将は告げる。

 

「泣きたい時に、泣ける相手を探しなさい。可愛いんだから、頼めば誰だって胸を貸してくれるさ」

 

笑っいながら、諭すように。

 

「弱さも強ささ。できれば、あの子とよろしくね」

 

「………それは。それだけは出来ないと思うけど?」

 

「誤解は解くべきさ。その上でなら、誰も文句は言わないよ」

 

事情を知らず、端的に、告げられる言葉。だけどその言葉には、抗いがたいマナのようなものが含まれていて。思わず、私はうなずいてしまった。

 

そして置き土産として、一言だけ残してやる。

 

ブスの姿も見えたようだし、ちょうどいい。

 

「ジュードを追ってくる奴らがいるかもしれない。そしてあいつが一緒に消えた相手っていうのは――――マクスウェル。ミラっていう、四大精霊を使役する女だった」

 

それだけだ。告げて振り返し、港に向かって走る。途中に、治療院の正面に、メガネをかけた医師が立っていた。聞こえていたのか、驚愕の表情を浮かべている。

 

 

「アンタは嫌い、だってよ」

 

 

そのまま、港まで駆けていった。道すがら、朝だと慌ただしい街の人の様子が見える。

頑張ればいつもと変わらない明日が続くと、そう思い込んでいる人間がたくさん。

 

本当に――――穏やかな街は嫌いだ。かつての光景は遥か遠く。

一緒に居たかった人達は。一人を残して、全て死んだ。

 

もう、アタシに。居てもいいなんて場所が存在しないことを、思い知らされる。

 

 

(だから、アタシは行くしかないんだ)

 

 

決めたから、戻ることはしない。例え、あいつと殺しあうことになったとしても、立ち止まらない。

 

走るんだ。

今となってはただ一つとなった、アタシが存在してもいい居場所に向けて。

 

守るために、貫くために。

 

 

 

どうしてか、遠く懐かしい母さまの声が聞こえたような気がした。

 

 

 

 



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間話の3 : 目の中に見えるもの

 

 

「わぁ………!」

 

「おっきいねー!」

 

どこまでも広がっていく海原。向こうの向こうにまで広がっていくそれは、途中から青空と溶け合っていた。青と蒼がいっぱい。漂ってくるのは、潮の香りっていうらしい。ハ・ミルではこんな臭いがなくて、だから最初は驚いてしまった。もしかしてなにかいけないものが漂っているんじゃないかって。ジュードに説明されて、これが海の香りだということが分かったけど。

 

新しく知ったことがまた一つ。見るものなにもかもが新しい、発見の連続だった。山奥のあの村では出来なかったこと。それに数少ない記憶の中でも、見たことのないものばっかりだった。生まれてはじめて、連れられながら自分の足で踏み出したこの旅は、どきどきのわくわくだった。見ているだけで、退屈しない。街道でこっちを食べようとしてくる魔物は怖かったけど、それも退屈しないもののひとつだ。怖いだけですむのは、ジュードが守ってくれているから。戦えば前に立ち、一番に魔物を退治してくれるから、怖いけれど恐ろしくはない。魔物に襲われるのも初めてだった。ハ・ミルに来る前は、魔物と出会うことすらなかった。あの時は、おじさんのワイバーンで移動して、空中に魔物はいなかったから。

 

(だけど、その前はどうしていたんだろう)

 

今は忘れてしまった記憶。それは、ハ・ミルに来る前にいた、炭鉱のような場所――――じゃなくて。それより前に居た場所のこと。今、傍にいないパパやママのことを、私は覚えていないのだ。でも、誰かが私を守っていてくれたのは覚えている。大きな背中。あれはきっと、パパのことなんじゃないかって、思う時がある。

 

(それが、私の旅の目的)

 

ジュードからは、旅の目的を持った方がいいと言われた。連れ出すのは僕だけど、歩くのは私で。だから、自分の足で歩くための力を支えるものとして、目的や目標のようなものが必要だって。寄りかかることは許さない。そう言われたような気がしたけど、悪い気はしなかった。何故必要かというのを、丁寧に説明してくれたから。自分で歩いた方が、疲れるけれど楽しいこと。また、目標を持つとそれに向けて頑張れること。

 

頑張ることはいいことだと、昔。あのおじさんも言っていたような気がする。

だから、私は目的を持った。持ちたいとも思ったから。

 

そう、すぐに浮かんだことがあったの。それは、パパとママを探すこと。

私の、私が居てもいい居場所を探すことだって言ってもいいかもしれない。周囲の人からイジメられない場所が欲しいから。

 

石が飛んでこない、嫌な視線も飛んでこない、私をいじめるものが飛んでこない場所。

そこにいる人が居てもいいって、笑って言ってくれる場所を探したいと思った。

そんな場所があるはずもなくて、もしかしてって私が勝手に考えてるだけのものだけど。

 

ジュードは、両親がみつかるまで、私の居場所が見つかるまで、私を一人ぼっちにはしないと約束してくれた。ジュードにも目的があってその最後の最後を果たす時は危険だから、故郷の街にいる"ししょうさん"という人に預けるけど、やることが終わったら、私の目的を手伝うって言ってくれた。

 

(戦いに行く………んだ、ジュード達は)

 

ぜんぶは説明してくれなかったけど、ジュードとミラは、今から危ない所へ向かうそうだ。人を不幸せにするものを壊しに行くって。少しだけど、説明してくれた時のミラの顔を思い出す。本当に真剣で、村の人達とはまるで違うものがあった。

 

本当につよくてかたそうなものがこもっているって、そう感じられた。

 

(私も………戦える…………?)

 

ぎゅっとティポを抱きしめる。精霊術で戦う。身を守るために戦う。ジュードを守るために。助けてくれた彼を守るために。もし死んだら、なんで考えたくもない。私は、その、みんなの助けになる術を――――持っている、けど。

 

(護身のためだと、おじさんに教わった術があるけど)

 

人を助ける術も。村人に受け入れられるようにって、怪我を治す術を教えてもらった。でも、戦うのはとても怖い。マナで防御すれば傷は負わないって知ってるけど、間に合わなければどうなるか。それに、私なんかが戦っても意味がないと思う。雇われ傭兵と説明されたおじさん、アルヴィンは強いとおもう。ジュードはちょっと調子が悪いらしいけど、それでもアルヴィンと同じかそれ以上に強いってミラが言っていた。そのミラも、詠唱もなしに精霊術を使えるぐらい、すごい人だ。剣も使えるし、私なんかよりずっと凄い人だ。背も高くて、ジュードが格好いいって表した意味もわかる。おっぱいもおっきくて、戦ってる時にも揺れて。時々ジュードがそれをじっと見つめている時もある。というより、ミラってあんな格好で恥ずかしくないのかな。自慢のばでぃーというやつなのだろうか。

 

「ばりぼー!」

 

「うん、そうだねティポ」

 

ちょっと、羨ましく感じる。私も、あんなに………ジュードを魅了できるような、大人の女の人に成りたい。そんなことを考えていると、船室から考えていた人が出てきた。居るだけで、周囲の視線を集める人なんて、そんなに多くない。

 

そのミラは、外に出るなり船の前の方へ行った。まだ到着しないとは聞いているのに、何をしにいくのだろうか。ちょっと知りたいな、と思った私は、ミラの後をついていく。

 

船はそんなに広くない。少し駆け足をすると、すぐに追いつくことができた。

その先に見えたものは、また見たことのないもの。

 

(まるで、絵本のようだね、ティポ)

 

船の前の方に出たミラは、じっと船の進路の先を見据えている。こっちからは背中しか見えないが、それでも特徴的な美しい髪が印象的だった。風と共に、さらりと流れていって。陽の光のせいか、輝いて見える。すっと立つその姿は後ろから見ても格好よくて、女の人だっていうのに、弱さを感じさせない。まるでおとぎばなしに出てくる剣士のよう。

 

その剣士様は、しばらくすると振り返った。

そして私とティポに気付いたのか、こっちにやってくる。

 

「エリーゼか。船は初めてらしいが、船酔いは大丈夫か?」

 

「だい、じょうぶ………です」

 

「エリーは回復も早いんだよねー。って、そんなことよりミラ君は何をしていたの?」

 

「私か? 私は………少し、考え事をな」

 

そう言うと、ミラは私の顔をじっと見てくる。一体何だろうと、私は首を傾げて聞いた。

 

「えっと…………な、なんですか。私が、なにか?」

 

「ふむ………いや、そうだな」

 

すると、ミラは突然、私の頭の上にその綺麗な手をおいた。

確かめるように、すっと頭を撫でてくれる。

 

「………あの、ミラ?」

 

それでも、何故いきなり撫でてくれるのか。

何もしていないのに。聞くと、ミラは真剣な顔で答えた。

 

「ふむ………里の者の、な。子供にしていた行為を真似たのだが………嫌か、エリーゼ?」

 

子供は喜んでいたのだがな、と首を傾げるミラ。

 

「えっと………あまり、やってもらったことが………ないし………」

 

「エリーは嫌じゃないって!」

 

「そうか」

 

ミラは優しく、触れるようにすっすっと頭を撫でてくれる。ちょっと不器用な手つきで、髪に引っかかったりもしたけど、この感触は嫌じゃない。それにしても、突然どうしたんだろう。それより、行為を真似たというのが気になる。自分はやってもらったことがないのだろうか。

 

「えっと、ミラ君は頭を撫でてもらったことがないのー?」

 

ティポが、私の聞きたいことを聞いてくれた。ちょっと聞きにくい問いだ。

 

「ふむ、無いな」

 

即答だった。迷いなんて少しもなかった。思い出すとかそんなことはしないで、有り得ないと断言していた。それだけ言い切れるのは何故なんだろう。たずねると、ミラは説明をしてくれた。

 

「そもそも、だな………私には親というものが存在しない。私を守護する者たちは居たが、頭を撫でることはなかったな」

 

「えっと、里の大人の人達からもー?」

 

ティポの言葉に頷く。もしかしたら、私と一緒で。住んでいた村の人達から、嫌われていたのかも。親がいないというのも、私と同じだし。そう考えて聞いてみるが、逆に大切にされていたという。

 

「………触れるのも恐れ多い、というぐらいにな。敬われていたし、彼らにとって私は特別な存在だ。頭を撫でるなど、考えもしないだろうよ」

 

それは良い事のように聞こえる。だけど、ミラは笑ってはいなかった。

そうであるのが当然だって、事実を述べているだけのように、言葉を紡いでいる。

 

「特別な、存在」

 

繰り返してみる。特に別な――――そう、別な存在。そういう意味では、私とミラは一緒だったのかもしれないな。私の方はもっと違う意味での別だったと思うけど、距離が遠いって意味では同じかもしれない。

 

「うん、エリーとミラ君は似ているところがあるよねー」

 

「ふむ、似ている?」

 

「うん、私は…………村のみんなから、嫌われていたけど」

 

「ミラ君はボクでも想像が出来ないぐらいに敬われていたんだねー。それでも、距離を置かれていた、っていう点では同じ?」

 

「それは………」

 

「もう、ティポ!」

 

怒る。ミラが、硬直してしまったじゃない。それでも、ミラは苦笑しながら、言った。

 

「いや、それも一理あるな」

 

何かを思い出したのだろうか。ミラの様子が、少し変わっていた。何を考えているのか分からないけど、これは悩んでいるのだろうか。

じっと考えた後。ミラは、私とティポに優しく笑いながら、言った。

 

「撫でてくれる人もいない、か。それでもお前たちの方が、辛かっただろう?」

 

「うん。でも、ボクもエリーも、ジュード君に助けられたからねー。だから、僕達は平気だよー」

 

「………そうか。強いんだな、エリーゼもティポも」

 

優しく頭を叩いてくれるミラ。ぽふ、ぽふ、という音がしているような。その手つきは、さっきよりずっと優しくて。熱がこもっているように、思えた。

 

本当に、優しくて、暖かくて。だから、ちょっとした光景が浮かんできてしまった。

 

(………ママ?)

 

感触が重なる。かつてと今。昔と現在。

 

遠く――――本当に昔、まだママと居られた頃に、こうされたような気がして。

 

(そして私は………)

 

お返しに、とやって、喜ばれた事があるはず。

少しだけど、それを思い出して――――だから私は、ミラの腕をつかんだ。

 

「どうした、エリーゼ?」

 

「うん………その、ちょっと、頭を」

 

「ふむ、屈めばいいのか?」

 

はっきりとは言えなかったけど、言葉の意図を読んでくれたのか。ミラは膝を曲げて、すっと頭をこっちに降ろしてくれる。そこで私はすかさず、ミラの頭の上に手をおいた。

 

――――そして、◯◯にしたのと、同じように。ミラと同じように、頭を撫でた。

 

「エリー、ゼ?」

 

「撫でてくれたから。お返し、です」

 

少しびっくりしたのか、ミラの眼が丸く見開かれている。

もう子供じゃないけど。それでも、ママは喜んでくれたと思うから。

 

そして、ミラもママと同じで。驚きの眼が、優しいそれに変化していく。

 

「………優しいんだな、エリーゼは」

 

柔らかいものを帯びた眼。ミラは美人で、眼も綺麗で、だからちょっと怖かったけど。

今のミラの眼は、私から見てもとても魅力的だと、そう思えるものになっていた。

 

 

 

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

 

 

頭を撫でるエリーゼ。されるがままになっているミラ。ほんと、こっちに来てからあまり見たことがない――――心温まる光景ってやつか?それにしても、酷い境遇だってのに、他人を気遣うことができる、か。

 

「………良い、()だよな。ああ、皮肉でも冗談でもないぞ」

 

「分かってる。うん、アルヴィンと違って素直ないい子だね。だから連れだしたんだけど」

 

ジュードが皮肉まじりに返してくる。素直じゃないのは、お前も一緒だろうよ。

 

「それより、あの子はあの村で何してたんだ?」

 

「匿われていた、ってのが僕の予想だけど」

 

「やっぱりねえ」

 

一目見た時から、何か既視感はあった。そして二度目だ。ラ・シュガルの軍に追われているようだし、間違い無いだろう。

 

(ともあれ、今は迂闊なことはできないか)

 

ジュードとミラ。この二人を敵に回して、勝てるとは思わない。特に実行した時の、ジュードの奴の反応。それはそれは、想像以上のものになるだろう。激怒した隙をつくまでもなく、やられる可能性が高い。そんな事を考えている時、連絡用の鳥がやってきた。手を掲げて、そこに鳥を留まらせる。足にある手紙を取り、用意しておいた手紙をくくりつけ、放してやる。

 

白い鳥は、そのままばさばさと羽ばたいて、青い空の向こうへと飛んでいった。

見送りながら、手紙をポケットの中に入れる。

 

(これは………後で見よう)

 

ここで見られるような内容は書いてないだろう。それに、目の前の光景がどうにも――――らしくなく、引っかかってしまう。一端、間をおかないと、とてもじゃないが手紙を読めそうもない。

 

「手紙? 珍しいね、それ。鳥でやり取りしてるんだ」

 

「ん、まあな。多少場所がずれていても、マナを追って追跡してくれるし。俺のような風来坊にゃ、最適なのよ」

 

「ふーん。で、何の連絡? 何を送ったの?」

 

疑いの視線を向けてくるジュード。旅の途中だってのに、一体何をやり取りする必要があるのか。追われている身としては、それが知りたいのだろう。

 

(これは、下手に誤魔化すとまずいな)

 

肩をすくめながら――――答える内容を組み立て―――――説明を、してやる。

 

「遠い異国の愛する人に。素敵な女性が、目の前に現れたってな」

 

「………アルヴィンって、ロリコンだったんだ」

 

「ちげーよ! そっちじゃねーよ! いやエリーゼも可愛いけど!」

 

「やっぱり………」

 

「なんだその納得した面は!?」

 

昨日の発言といい、俺のことをどう思ってるんだ、こいつは。

小憎らしい坊主、しかし今度は話題を変えてくる。元に戻した、というべきか。

 

「ふーん。で、手紙でやり取りしてるって人って? もしかして、恋人とか」

 

「あー、そんな所だよ。こうして手紙を出さないと、ちょっと心配なんでな」

 

「もしかして、前に襲ってきた痴女とか」

 

その問いには、肩をすくめるだけで、何も答えない。しかし、また微妙なことを聞いてくる奴だな、こいつも。それだけ疑っているということだろうけど、このままでもまずいか。

 

(切れる札を一枚、もったいないけど)

 

仕方ないと、決心する。この先のためにも。二人が離れている今、ジュードに叩きつけるのが最善だろう。

 

「なあ、ジュード。俺だって人間だ。お前と同じように隠したいことがある。大人だし、他人には知られたくない部分があんのよ」

 

「………僕の、隠し事?」

 

「あるだろ? 例えば――――お前が」

 

特に気負わず、告げる。

 

「精霊術が使えないこと、とかな?」

 

「――――っ!?」

 

思ったとおりだ。俺の言葉を聞いたジュードの、その反応はまるで雷鳴にうたれたような。それぐらいに劇的だった。まるで用意しておいた言葉がショックによって軒並みかき消されたように、驚愕の表情で、こっちを見てくる。

 

「な、んで………」

 

「身近に、似たような奴がいるのを知っているからだ」

 

本当に、一番に身近な奴が、な。

 

「それは………その、ミラには?」

 

「言ってねーよ。どういう反応されるか分からないからな」

 

ある程度は、予想もつくが。まず真っ先に――――疑うだろうさ。お前は、"そう"なのかってね。

 

(それは、今はちょっと不味いんでね)

 

言わないというより、言えない。とばっちりがこないとも限らないからだ。

ほぼ、こっちの都合での理由である。でも、ジュードはいい具合に勘違いしてくれているようだ。

 

「心配しなくても言わないさ、って変な顔だな」

 

「いや………新鮮な反応だと思って。知ってるなら、もっと、こう…………」

 

「馬鹿にしないのかって?」

 

言うと、頷いた。まあ、このリーゼ・マクシアに生きている人間ならもっと別な反応をするだろうな。精霊術を扱えない。それを公言することは、文字の読み書きが出来ないということよりも重たい。少し努力すれば誰だって使えるものだからだ。それをしなかったということは、怠けていたということ。社会的信用はボロクズだ。誤魔化す手はあるし、精霊術をあまり使わないような連中もいることはいるが。

 

「医師志望だったか。そりゃ重いよなあ」

 

医師というのはつまり、治癒術を行使するもの。どうしたって、それを使う必要が出てくる職業だ。

その基本さえもクリアできていない人物なら、落ちこぼれとして扱われるだろう。

 

「だから蔑みの視線があったはず、ってか。まあ、今までがそうだった事は予想もつくが。精霊術が使えて当たり前のこの世界じゃあ、異端扱いされるだろうがな」

 

「………実際、されてきたよ」

 

声には喩えようのない重みがあった。さぞかし、酷い思いをしたんだろうな。

今ので分かった――――とう考えても、10やそこらの坊主が出すような声じゃない。

 

「アルヴィンもそうだろ? ―――精霊術さえ使えない、半人前ですらないって」

 

その目は、端的に表すととてもよろしくないものだった。だから、俺は。

 

「………それでも、おにーさんも色々と見てきたことがあんのよ? 少年と同じ、隠したいことが、さ」

 

だから、責めない。そう告げると、少年は目を丸くしていた。

 

「そもそも深い部分を追求しあわないのが傭兵だろ? いいじゃないの、使えない人間が居たってさ」

 

お高く止まっている頭デッカチの坊ちゃんならともかく、俺はそんな事に目くじらを立てるほど暇じゃない。笑いながらいってやると、ジュードは深い溜息をついた。

 

「………分かった。悪い、アルヴィン。余計な詮索して」

 

「良いさ。お前だって間違えることがあるんだなって、安心した」

 

「は、間違えてばっかりだと思うけど?」

 

自嘲するその顔に嘘はなかった。本当に、間違え続けてきたのだろう。でも、今は違うだろ?

 

「それが見えないから不安になんだよ。あー、いい。ほら、現美女と将来美女の二人が呼んでるぞ、色男」

 

「は? って、あ………」

 

見れば、前方に。ジュードを呼んでいる、二人の姿がある。

 

「行けよ」

 

「分かった………ごめん、アルヴィン」

 

「いいさ。体調も戻っていないようだし、存分に癒されてきたらいい」

 

「りょーかい!」

 

そのまま見送った。ジュードは駆け足で、遠ざかっていく。その足に、ゆらぎはない。疲れているだろうに、マナの調子は万全に戻っていないだろうに、それでも誰にも感づかせないと、しっかり一歩、踏みしめている。

 

「本当に不安定だけど、しっかりとした奴だな――――いざとなれば、ばらされても殺すんだろうけどな、お前」

 

人質には成り得ない。長年の経験が警鐘してくる、あれは一筋縄ではいかない奴だと。

弱点は多いが。何をしてくるか分からない怖さも持っている。素性をばらした上での、リーゼ・マクシアでの生活。笑ってられるほどに、容易いそれではなかったはずだ。世界に一人だけという孤独。助ける手はあったろうが、抱えるのは自分しかいない。それなのに、今この時でも前に突き進めている。

 

(強いと言うか、異常というか)

 

狂っているのかもしれない。ひょっとして、どこか壊れているのかもしれない。

そうでないのなら、揺らがないだけの何かを持っているからだろうか。

 

(それは、行動する意志を変えない。自らを支える士気の根っこ)

 

それは一体なんだったのか。言葉になるようで、やっぱり形にならなかった。それでも、さきほどの光景を思い出してしまうのは何故か。ミラとエリーゼ、美女と美少女がやっていたのはまるで、仲の良い姉妹か、親子のようだった。

 

互いが互いを慈しみ。見ているだけで、ほっとさせるようなものがあった。

 

(………母さん)

 

かつての光景が、重なっていく。今ではもう、そんなことを望めるような年でもないし、望めるような立場でもないけど。

 

(最悪の気分だな、マジで)

 

昼かどうかは知ったことか。酒でも飲んで寝ちまおうと、俺は船室へと向かった。

 

一緒にはしゃいでいる、少年少女の喧騒を背にして。

 

 

 

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

 

 

取り敢えず頭を撫でてみた。問答無用。エリーゼと同じ、柔らかい感触が掌に返ってくる。

 

「ちょ、ミラ!?」

 

「大人しくしていろ、ジュード」

 

透き通るかのような、柔らかい髪質。顔に似合っていると言った方がいいのか。童顔の、ある意味少女のような容貌。性格は正反対だが、それにしても肌が綺麗すぎるのはどういうことか。身体に傷を負っているのは分かるが、顔に傷を負っていることはない。

 

「えっと………ミラ?」

 

「そのまま。では、次はエリーゼの番だな」

 

「う………ん」

 

返事をするエリーゼの腰を掴んで、抱え上げる。エリーゼは少し嬉しそうにしながら、それでも目的の行動を完遂した。すなわち、ジュードの頭を撫でるのだ。

 

「ありがとう、ジュード。えっと…………よく、やりました?」

 

「うむ、それで正しいぞエリーゼ」

 

「いきなり男を子供扱い!?」

 

「感謝の気持ちを表したのだ。それとも、嫌なのか?」

 

「え………っと、嫌じゃないけど」

 

それきり、頬を染めながら黙るジュード。とても、私とエリーゼを守ると豪語してみせた猛者には見えない。

 

「ならば受け入れろ」

 

と、私も頭を撫でる。

 

―――実際、本当に感謝しているのだ。守ると誓ったし、責任を持つといった。それ以上に口を出せるわけがない。

 

(………私との先約があるのに、と、あの時。ちょっと、思っていたということは言えないが)

 

それでも、エリーゼはいい娘だ。あのような境遇にあって、私のような者を気づかえるほどに。使命を優先しなければならない私には助けられなかったが、あのままでいたら果たしてどうなっていただろうか。一連の事象を考えると、胸が痛む。それを考えると、ジュードには感謝せざるをえないだろう。今の私ができないことを、自ら受け持って、責任を持って果たすと言ってくれたのだから。

 

(最も、本人はそう考えていないようだが)

 

感情というもの、そのままに。自分自身の気持ちで動いた結果だろうと思う。そういう点では、本当に――――思ったこともない感情だが、尊敬できる部分がある。痛いのは嫌で、疲れるのは嫌。それが人間だ。ジュードは、それを知りつつも行動できる男。

 

大した奴だ、という以外に表現のしようがない。あるいは、いい男というのか。

 

(大人しく頭を撫でられている様子を見ると、とてもそうは思えないのだが)

 

ただの少年にしか見えない。この身体のどこに、あれだけの意志の力を宿しているのか。危うい所はあろう。里に居たという化け物のことも。あれから、体調も戻ってはいないだろうに、それでも私との約束を守るべく、意志を組むべく、休むことを拒否する。

 

一体何が、彼をつき動かしているのだろう。そんなことを考える時がある。

マクスウェルと知って。それでも私をミラと呼んで、その上で守ると宣言する少年。

 

(…………ん、なんだ。鼓動が早くなったような?)

 

ドクン、と心臓が跳ねたような。考えとき――――恥ずかしい?

そんな感情と同時、妙に甘い感覚が頭の中を占有したような。

 

(いいさ。今は、撫でくり回してやる)

 

エリーゼと一緒に。そして、その頭をくしゃくしゃにしている最中だった。

 

「取舵いっぱーい」

 

「よーそろー」

 

船の前の方から声が聞こえる。その直後、船は左に曲る。進路変更に船がわずかに傾いた。

 

「うわ!?」

 

油断していたのだろうか。バランスを崩したジュードが、こちらに倒れこんでくる。

私とエリーゼにしても予想外のことだったので、踏ん張ることもできず、後ろに倒れてしまった。

 

「っつ――――――!?」

 

痛い、ということよりも先に、異様な感触に支配された。

 

胸。

 

胸に、ジュードの手が。あの夜と同じように―――――って、エリーゼも!?

 

「痛ぇ…………っ!?」

 

「ジュー、ド………」

 

「あー! ジュード君、エリーゼを押し倒したー! ミラのおっぱい揉んでるー!」

 

「ティポ!?」

 

「ってそれより手をどけろ!」

 

「うわ、ミラ!?」

 

声が聞こえる、同時に、ジュードは起き上がろうとして―――――手を支えに、起き上がろうとして。

 

「んっ?!」

 

胸に、妙な感触がして。私は思わず、変な声を出してしまった。エリーゼも一緒なのか、赤い顔で自分の手で胸を押さえ込んでいる。まるで隠すように。それを見たジュードは、顔を赤くして、その場で頭を下げた。

 

「ご、ごめん!」

 

「ジュード………」

 

「ジュー、ド」

 

「ジュード、君」

 

「ちょ、今のは予想外のアクシデントだって! ってエリーゼ、ほっぺたを桃色に染めて上目遣いはよして、ほんと洒落になんないから!」

 

「ジュード………君という奴は」

 

「そんな眼でみないでよ、ミラ!」

 

そう言われても、そんな事をされたらな。ちょっと気持ちよ………げふんげふん。

 

(いや! そんな事は考えていないぞ!)

 

イフリートに知られたら炎と共に怒られそうな思考が浮かぶが、即座に振り払う。その隙に、ティポがジュードの前にすすすと飛んでいった。そして、面白そうな表情を浮かべながら、言う。

 

「ジュード君………男は正直になった方がいいんじゃよ? ほら、本能のままに突き進め! でも、責任は取った方がいいね!」

 

「ちょ、この謎生物がけっこうな重いことを言いやがるな!?」

 

ジュードが、ティポの頭をわし掴む。そのまま、びょんびょんと伸ばそうと縦に引っ張った。

 

「わー! やめて、ジュード君~!」

 

「黙れ! いい機会だ、解剖してやるぜ!」

 

顔を真っ赤にしているジュードが、眼をぐるぐる回しながらも、ティポを掴んで振り回す。エリーゼは我にかえったのか、急いでジュードを止めるべく抱きついた。

 

(………まったく)

 

慌ただしい光景を、私は苦笑しながら眺め続ける。

 

(でも………もし、ジュードに撫でられたら、どういう感情を浮かべるのだろうな?)

 

そんな、埒も無いことを。全くに有り得ない未知の光景を想像して。言葉には言い表せない、でも温かい感情に胸を占拠されたまま。

 

触れられた胸とその奥にある感情を、自分の腕で包んで隠しながら。

 

 

 

不安定な波に揺蕩う船の、水しぶきの音と共に、眺め続けた。

 

 

 

 



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20話 : サマンガン海停

 

 

「やってくれるじゃないか………ナハティガル!」

 

 

早朝に船に乗った僕達は、その夕方にサマンガン海停に到着した。ここならば、警戒網はしかれていまい。そう考えていたのだが――――甘かった。迎撃は、あった。ここに、あった。

船を降りて、まず最初に受けたのは迎撃だった。

 

――――僕達は見てしまったのだ。

 

直に剣や矢や精霊術が飛んできたということはない。しかしそれ以上にたちが悪い。何故なら、襲ってきたのは悪意の塊だったからだ。敵は恐ろしく周到に、僕達の身体ではなく、心を傷つけるべく罠を仕掛けてきたのだ。

 

 

ぶっちゃけると、僕とミラの手配書、その拡大版が港の中央に貼り出されてました。

 

(なんだコレ、なんだコレ)

 

バストアップという、なんだか通常とは違う仕様で書かれたのであろう手配書。そのあまりのあまりっぷりは、思わず二度繰り返してしまうほどだ。

 

まず、僕の手配書を説明しよう。なんか拳が林檎のような赤い球体になっていて、そこから物騒な爪が生えてる。(キラリ)と光ってるって、妙な描写はいらねーよバカ。

まあ、それはいい。いや、良くはないんだけどね。それよりも、顔だ。なんだこの絵は。マジで僕のことを探しているのか―――というのも、どうでもよくなった。ぶっちゃければ人外の顔すぎました。輪郭おかしいし、目と目の間が開きすぎている。5歳児レベルの落書きにしかみえない。それでいて、妙に性格悪そうな眼つきに仕上げられているのに腹が立つ。

 

次にミラだ。癖っ毛が強調されているのと、横顔イラストなのがまた妙にイラッとする。アホ毛も書かれているあたりに、なにがしかのこだわりを感じる。っつーか髪はそれなりに似て見える、というと怒られそうだけど。また、手配書のミラは指を立ててそこから炎を出していた。いや、そんな精霊術使ってねーだろってのに。

 

あとは――――

 

「何故、私の胸のあたりに画鋲が………?」

 

そう、なぜか胸のあたりに画鋲が刺されていた。おっぱいに2つ、画鋲が2つ。深く根元まで刺されているあたり、何がしかの意志を感じてしまう。そこでちょっと近くにいたおっさんに訪ねてみると、「銀髪の嬢ちゃんが、なにやら出航前に念入りに刺していったぞー」らしい。

 

――――あのナイチチめ、出る胸は打たれる、むしろ抉れろという意思表示のつもりか。

 

(そんなんだから、お前は無乳なのだ!)

 

ってなことを考えていると、エリーゼが驚いた様子をみせた。

 

「この手配書………ジュード、ミラ?」

 

「わー、ふたりともキョーアクー!?」

 

「ちょっとまてそこの美少女と謎生物」

 

この形容できない意味不明な絵を、僕達と断定するのか。うん、可哀想だけどエリーゼとティポにはちょっと後でお話する必要があるかもしれんなー。

 

「美少女、って言われました」

 

「うん、嬉しがっている仕草も可愛いけどあとでお説教ねー。で、なんか言えよヴィンちゃん」

 

「………っ不幸中の幸いだな………これならっ、捕まる心配もなさそうだ」

 

「うん、てめーもこっち向いてから言おうね」

 

フォローしてるつもりか。声が笑ってるし、肩も小刻みに震えてるじゃねーか。まだ素直に爆笑された方が腹も立たねえぞ。そして、残るミラは驚いていた。

 

「これが………本当に、私だと?」

 

愕然と、なんだかショックを受けている。嘆いているという風ではないのが気にかかる。率直に聞いてみたところ、「非常事態だ」らしい。えっと、何が非常事態なんでしょうか。

 

「私がこの現在の外見となったのは、人間の半数………つまりは、男性に対して有利だからだ」

 

「生々しいな、おい!? って、そのスタイルも!?」

 

「いや、ノーム曰くそれは『天然物』らしい」

 

「それならよかった」

 

危うく膝から崩れ落ちてしまうところだ。そうだ、偽乳などこの世にあってはならぬものなのだ。パッドはまだいい、女性の可愛げが具現したのだと見逃そう、って店長が言っていたし。でも偽乳だけはダメなのだ。と、いうよりも他に引っかかった部分があるだろう。今の言葉の一部に違和感を覚えてしまう。ミラが、人間と戦うのを前提にするのってさ。何だかおかしくない? 

 

人間を守るんだろうミラは。精霊の主人ってーのに、人間と敵対することを前提に身体を形成したのは何故なんだろうか。ミラの肉体を構成したのは四大みたいな感じだけど。これ、ひょっとして何がしかのヒントになるのかな。

 

(ミラのことだし。ひょっとすれば冗談を真に受けているのかもしれないけど)

 

嘘をつかれた経験が無いからか、ちょっとした冗談でも真に受けてしまう事あるし。

別の意味で冗談が通じない性格だと言えよう。

 

「っと、二人とも。そろそろ不味いかもしれないぞ」

 

「視線が集まってる………そうだな、ひとまず離れるか」

 

「目立つのもまずそうだしな」

 

ミラが頷き、僕も同意する。引っかかったあれこれは後で考えるとしても、今はここから離れるべきだろう。手配書の絵は、それはもうド下手だ。本人を前にしても舌かんで死ねって言えるレベル。落書きじみたこの絵を見て、パッと見で僕達と繋げられる可能性は少ないと思う。だが、それでも大体の外郭と髪の色、一部の特徴などは掴んで書かれているのだ。港を見渡せば、兵も巡回している。ラ・シュガル軍ではなくカラハ・シャールの兵士だが、見つかれば面白くない事態になることは間違いない。僕達は急いで、そこから立ち去っていった。

 

 

 

ひとまず、小休憩。宿屋に入って、受付をすませ、ひとまずコーヒータイムと洒落込んだ。道すがら情報も集めたし、方針を決めるべきだろう。そんな中、最初に口を開いたのはミラだった。

 

「………ジュード。私が手配書のように非魅力的ならば基本戦略を見なおさなければならないのだが」

 

「えっと、つまり?」

 

「お前の視点で正直に答えてくれ。私は、魅力ある存在だろうか?」

 

え、そんなこと。エリーゼの前で語れないっす。具体的にはちちしりふとももの素晴らしさを語ることになるから。気にせず赤裸々に語ってもいいのだが、教育に悪いだろう。どうかエリーゼはおしとやかに育ちますように。間違ってもあの銀髪娘のように口悪く育って欲しくないし、棍棒女のように乱暴になって欲しくないから。

 

ということで、率直に嫌らしくない風に答えることにした。全てはこの一言につきる。

 

「まことに良きおっぱいでございました」

 

「よし燃えろ」

 

「熱ぃ!?」

 

「ジュードは………おっぱいが、好きなんですか?」

 

「こっちは別の意味で痛い!?」

 

弱・フレアボムが小炸裂。立てた親指が焼かれた。言葉の短刀が、単刀直入に胸に。いや全くの自業自得なんだけど、貫かれた心が痛む。なけなしの良心が焼ける。やめてよしてそんな目で僕をみないで。

 

「あー、君たち? 漫才してないで、さっさと行動方針を決めるぞ。あとミラ、宿屋の中では火気厳禁な。イチャついて恋の炎を燃やすのも禁止」

 

「イチャつく、という言葉の意味は分からんが………ふむ、恋とは燃えるものなのか。物騒だな?」

 

「あら、ミラ様は経験なしか。あれは、そうだなあ………つーかむしろ、燃やされるっていう方が正しいな。どちらにせよ物騒だ、なあ?」

 

アルヴィンがこっちに聞いてくるが、僕がそんな事を知るわけねーだろ。旅に勉強に忙しかった僕に、彼女なんて出来たことねーです。

 

「そんなことよりさっさと情報をまとめようぜ」

 

「おや、つれないねえ。ま、確かに手っ取り早くやることを決めてしまいますか」

 

言うと、アルヴィンは周りに視線を配りながら、話を始めた。

 

「ここ、サマンガン海停からカラハ・シャールに続く街道なんだがな。今は、軍による検問が行われているらしいぜ」

 

カラハ・シャールへと繋がる道、それはサマンガン街道。その中央よりやや海停側に、軍が陣取っているという。

 

「………海際で無理なら陸で封鎖、ってことか」

 

「そのとおりだな。ラ・シュガル軍の兵士が、あの手配書を片手に、怪しい奴を探しているって話だ。身分が怪しいやつは、通されないらしいぜ?」

 

「そうか………でも、あれを日がな一日中持って検問ってなんだよ。まるで罰ゲームじゃないか」

 

あんな、精神の正気度を下げられる落書きを一日中眺めながら立ち仕事ってか。罰ゲーム以外の何ものでもない。むしろ拷問の域だ。とはいっても、あれが出回っている時点で、こっちの精神的ダメージも特大になっているのだが。

 

「でも、なあ。あの手配書そのとおりの人間がいるわけないだろ」

 

どっちかっていうとモンスターの絵だったぞ、あれは。

 

「それでも唯一の手がかりなんだろうな。服装を変えられれば、意味がなくなるようなもんだけど――――誘い、という可能性もある」

 

アルヴィンの推論は、こうだ。こちらの目的は知られている。そして、侵入経路も予測されている可能性が高い。ならば、港の入り口で油断させて、実は兵士達は詳しい似顔絵を持っていると。

 

「無い、とは言い切れないか。最悪を予想してしかるべきだし」

 

「そうそう。もしくは、研究所でお前さん達と戦った警備兵を、物陰に潜ませているとかな。印象深い容姿をしているミラなら、よっぽどの変装をしないと簡単に見ぬかれちまうぜ」

 

一理ある。オーラというか、マナによる威圧感もあるし。今はなりを潜めているが、それでも気配の質は変わっていない。一度対峙したことがある兵士なら、気づかれる可能性が高いか。

 

「なら、あそこを行くしかないか」

 

「どこだ?」

 

「サマンガン街道の横にある樹海。サマンガン樹界だよ」

 

木々が海のように広がっている場所、樹海。そこはこの海停を出てすぐ、街道の左側の岩場を登った先に入り口がある。以前、薬草を探すために、一度だけだが通ったことがあるのだ。

あの樹海を抜けた先は、サマンガン街道のカラハ・シャール側に通じていたはず。

 

「聞いたことはあるな。だが………エリーゼには、ちょっと厳しいんじゃないか?」

 

「それは………」

 

確かに厳しい。あの樹海は起伏が激しく、蔦をつたって登ったり降りたりを繰り返さなければ抜けられない。魔物もいる。視界も悪いので、もしかすれば奇襲を凌ぎ切れないかもしれない。

 

「ふむ………アルヴィン、別のルートは?」

 

「今のところは思いつかないな。海停の中でしばらく聞き込みをするかして、情報を集めれば別の道も見えてくるかもしれんが」

 

「………そんな時間は、ない」

 

そしてミラはジュード、と僕の名前を呼んだ。

 

「おまえは、守ると言った。あの言葉に嘘はないのだな」

 

「嘘は、ない。守ってみせる」

 

「ならば樹海を行く。エリーゼを置いていけないのなら、それが答えだ」

 

「………はい。私も………それで、いいと思います」

 

小さな声。少しふるえている声で、エリーゼが僕に言った。

 

「足手まといには、なりません。怖いけど………でも置いて行かれる方が、もっと怖い、です」

 

「そうだよー! 僕とエリーをおいていかないで、寂しいよー!」

 

エリーゼは僕の服の袖をちょんとつまみながら、ティポは僕の腕に柔らかく噛み付きながら、二人とも、同じことを言う。

 

「………分かった。全力を尽くす。いざとなれば僕が背負うから、心配しなくてもいいよエリーゼ」

 

「はい………」

 

「ボクも守ってねー!」

 

「ごめん、それは無理」

 

笑って却下する。

 

「ひどいよー、ジュード君ー!」

 

「いや、無理。というか飛べるから疲れはしないだろ。あと、何されても死にそうにないんだけど」

 

雰囲気的に。魔物に殴られても、ぼよんと跳ねるだけで死にそうにない。

 

「あはは、大丈夫。ティポは………私が、守るから」

 

「ありがとー!」

 

ティポと笑いあうエリーゼ。頬がやや赤くなっているのは、一緒に行けるのが嬉しいからだろうか。何にせよ、置いていかなくて済んだのは幸いだ。それにしても………

 

「置いていけ、とは言わないんだねミラは」

 

「お前は変に律儀な所があるからな。置いていけと言っても聞かないだろう」

 

「ごもっとも」

 

それなら、検問を強行突破する方を選んでいた。そうならなくて何よりだ。

 

「決まりだな。とはいっても、俺もフォローはするさ」

 

「ありがとう。じゃあ、腹ごしらえといきますか!」

 

「うむ!!!!」

 

食事と言った瞬間、ミラのテンションがだだ上がりになった。

具体的にいうと感嘆符がよっつ並ぶぐらいに。

 

「メタはよせ。それで、今日は食べたいものがあるのだが」

 

「リクエストとは珍しいね。って、ミラって食べ物の種類とかに詳しかったっけ?」

 

「ほとんど知らない。だが、それは食欲をそそる臭いを発していてな」

 

「嫌な予感がする………って、もしかして昼に隣の船室で出されてた、アレ?」

 

「そう、マーボーカレーだ!」

 

「予感的中! ちょ、ミラまで僕をマーボーカレーに染め上げるのか!?」

 

「全く意味が分からんが………そんなに食べたのか?」

 

「うちの近所には、棍棒振り回す猪娘がいましてね………」

 

その名もレイアという。で、なんでマーボーカレーが出てくるのか、その経緯を昔語り風に説明した。

 

三行だけど。

 

一、猪娘がわけもわからず怒る。

 

二、わけがわからないけど、喧嘩を売られたからには買わざるをえない。

 

三、仲直りにと、師匠が作ったマーボーカレーを持って家にやってくる。

 

「いや、美味しいんだよ? でも、いくらなんでも週3であんなに濃い料理を食べるのはね?」

 

「確かに、あれを短期間に食べるのはな。濃い味の分、飽きやすいだろうし」

 

「そうそう。いくらかアレンジを加えたりして、何とか凌いだけどさ………お陰でマーボーカレーを加工する技術が嫌というほどに向上しました」

 

マーボーカレーアレンジ技術に関しては、リーゼ・マクシアで覇を争えるほどだと思う。

 

「そんなに喧嘩してたのか」

 

「うん。こと武術に関しては競いあうライバルのような関係だったし。どっちも負けず嫌いだったから、ぶつからないって選択肢なんて思い浮かびもしなかったよ」

 

引くことを知らない子供たちでした。今でも変わってないと思うけどな。

うんうんと頷く。うなずいて、うなずいて、目をちらりと横に向ける。

 

見えたのは、何やら笑顔になっているミラとエリーゼの姿。え、なにゆえ。

 

「ジュード君、レディーの扱いがなってないなー」

 

「な、謎生物にダメだしされたっっ!?」

 

しかも女性の扱いを、雌雄同体に。普通にショックである。でも、怖いのでミラとエリーゼには何も言えないのである。そんな中、ようやくとミラが口を開いた。

 

「………ふむ。ならば、私も思い出の。あの、ミートソースの料理を頼む」

 

「え、いいけど」

 

思い出っていうほど経っていないけど、とは言わなかった。

ただ助かったという気持ちで、頷くだけ。

 

「なら、今日はスパゲッティにしようかな」

 

幸いにして時間はある。食感を考えると、少し太めのものを使うべきだろうか。

でも酒はなしね。

 

「私は…………その、えっと」

 

「遠慮しなくていいよ? さすがにサーロインステーキ持って来いとか言われたら財布と格闘する必要があるけど」

 

「そんな高いの…………! う、いえ、その………………………ふわふわの玉子焼きが食べたい、です」

 

おずおずといった様子で、恥ずかしそうに言ってくるエリーゼ。下を向いて恥ずかしそうに。

っていうか、そんなに遠慮がちに言う料理じゃないのに、遠慮しちゃってまあ。

 

「ともあれ可愛いから良し」

 

「ジュード君………言葉、もれてるぜ?」

 

「本音ゆえに致し方なし。っつーかアルヴィンもニヤついてんじゃねーか。で、そっちはなんか食べたいものがあるのか」

 

口止めがわりに作ってやんよ、と言外に含ませる。

対するアルヴィンは、少し考えた挙句に、ああと言った。

 

「俺も卵焼きな。でも、こっちは砂糖ので頼む」

 

「甘い味付けのやつか? なんつーか、まあ意外と子供っぽいな」

 

「おにーさんもたまにはそういうのを食べたい時があんのよ。あと、俺は甘党だしな」

 

「糖尿病には気をつけろよ」

 

医者として言わせてもらおう。

 

「医師の卵に言われたらたまらんねえ。ま、気をつけるさ。何故かは知らんが、説得力があるしな」

 

「そうしてくれ。でも、甘いもの系統か………まあ、そっちの方も作れんでもないけど」

 

とはいえ、普通の料理と比べれば、バリエーションは少ない。

特にケーキ系統は、数種類程度しかつくれんし。

 

「ふむ、私も興味があるな。例えばだが、ジュードは何が作れるんだ?」

 

「ホットケーキ………とか、そういうボケはミラには通じないからおいといて。ケーキ系でいうと………アップルパイとか、ピーチパイ、あとはチーズケーキってところか」

 

作ってる時に胸焼けするけど。そして、出来上がった時には臭いのせいか、腹がいっぱいになっているという。あ、空気を読まずに僕の取り分をもたいらげるバカ二人を思い出した。具体的に言えば茶髪と銀髪。想像の上で殴っておこう。体重が増えるのもあるしダブルショックだ、ざまあ。

 

「なんで菓子と聞くだけで悪い顔になる?」

 

「癖です」

 

「なるほど」

 

疑問を抱くことなく、納得された。微妙に傷ついた。

 

「いつも悪い顔している気がするけどな、ジュード君は。それにしても、ピーチパイねえ………それは親父さんが好きなものか?」

 

「………まあな。ちょこっと口出しされたこともある。でも、何でそんな事を知ってやがる」

 

ああ見えて甘いもの好きな親父。でも外面はいいクソオヤジは、そんな事は話さない。

親父が甘いもの好きなんてことを知ってる人は、僕を除けば二人しかいないのに。

 

「いや、全く知らなかったさ。でも料理ってのは家族に作るために、ってのが基本だろ?」

 

「そこで親父が出てくるところが胡散臭いんだけど………まあいいや。どっちにしろ、今から作るのはさすがに無理だぞ」

 

「へいへい。次の楽しみにとっておきますかね」

 

「そうしてくれ。なんなら店で売ってるのを買ってこようか?」

 

「いいさ。"こっち"に売ってるのは、ちょっと味が違うんでね」

 

「………"こっち"ねえ」

 

はてさて、地域ごとに味がちがったっけ? 言葉のニュアンスも微妙だし、また何か隠してやがるな。でも、余計な詮索はしないと言った所だ。それに、時間がない。

 

「ついでに、他のデザートを買ってくるよ。エリーゼもミラも、甘いものは好きだろ?」

 

「興味が無いと言えば嘘になるな。嘘はよくない」

 

「は、い。果物系は大好きです」

 

はい、素直じゃないのと、可愛い返事頂きました。アルヴィンは無視無視。

 

「ともあれ、さくっと行って作ってくるよ。厨房は借りられるみたいだしな」

 

「ああ、楽しみに待っている」

 

「私も………いい子に、しています」

 

「ボクもー!」

 

「ああ、頼むぜ」

 

三人と一体の声を背中に、僕は厨房へと向かった。デザートはチーズケーキあたりでいいか。数は、いち、に、さん、し………と数えた時だ。

 

ふっ、と思い浮かぶ。

 

 

「………そういえばティポって、なに食べてんの?」

 

 

 

結局、怖くて聞けませんでした。

 

 

 

 



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21話 : 樹界へ

サマンガン海停から一時間ほど歩いた先、岩場を登った所に、そこはあった。入り口は狭く、その先は暗くてよく見えない。それほどまでに、木々が生い茂っている。そう、ここにあるような、陽の光が少ししか届いていない証拠だ。ほぼ隙間なく、万便に、木々の葉の幕で空が覆われているのだ。

 

天の恵みの象徴である太陽ではなく、生い茂る深緑達が空を支配する世界とも言えよう。

 

ゆえに、"樹界"。サマンガン樹界と、この場所は呼ばれている。

 

「思ったよりも視界が悪そうだな………準備はオッケー?」

 

入口の前で、僕達は装備を確認することにした。僕はナックルガードで、ミラは剣。アルヴィンは銃と大剣だ。そして、エリーゼは杖を持っている。僕が万が一の時の護身具と思って、プレゼントしたものだ。見たところ、エリーゼのマナの総量は多い。同年代の子供たちと比べれば、破格のものだ。

 

だから稚拙とはいえ、マナをコントロールすれば、自分の肉体を防御することもできるだろう。

マナの増幅器である杖を持っていれば、その効率も防御力も上がるはずだ。とはいっても、それに期待することはない。この杖が使われない、使われる機会がおとずれないのが最善だろう。僕が守りぬけば、それでいいのだから。そう、危機におとしいれる気など、毛頭ないのだ。

 

それでも僕とて人間である。万能の力を持っているはずもない。精霊術も使えない僕が万全を語ろうなどと、学院の誰かが聞けば一笑一言にこきおろされることうけあいだ。それに同意する気もないが、事実は事実として認識する。だから、もしもを考えて然るべきなのだ。

 

守ると宣言した人間の義務もある。誰かに対して安全を誓うのであれば、もしもの場合まで想定するのは当然のことだから。

 

それに、この樹界は視界が悪く、障害物も多いから、死角が生じやすい。歩いている途中に、見えない場所から奇襲される回数も増えるだろう。僕はマナの気配はある程度は読めるが、それでも全ての気配を読み取ることなどできない。

 

(それに――――また、怪物が現れるかもしれないしなぁ)

 

それは、瀑布であった大型の魔物ではない。ミラの社の前で遭遇した、正体も不明の化物。ケタ違いの力量を持ち、それでいて人をいきなり襲う習性は、まさしく物語か何かでててくる怪物だ。

 

僕はあれの恐怖を知ってから、周囲の気配を頻繁に探るようになった。集中していれば気づくことができるはず、と。そうだ。"あれ"に奇襲されるなど、考えたくもない。"あれ"に比べれば、そこいらの魔物など塵芥のようなもの。

 

(そう、たとえば目の前にいる魔物なんか―――――ん?)

 

じっと正面に居る、狼系の魔物を見る。さきほどから、気配は感じていた。こちらの姿を察していたことは間違いない。だけど、数秒発ってもいっこうに襲ってくる気配を感じないのはおかしい。目はこちらを向いているし、こちらを視認していないということは有り得ないのに。狼型の魔物は、そのままじっとこちらをひと通り観察した後、森の奥へと消えていった。それはミラ達にも見えていたようで、おかしいなと首をかしげている。

 

「ふむ、あのような魔物は見たことがないが」

 

「こっちもだ。でも、もしかしたら…………いや、断定はできないか」

 

アルヴィンは何かを知っているようだが、勘違いだと首を横に振っている。知っていることがあれば教えてもらいたいんだけど。

 

「不確定な情報だからな、余計な雑音になりかねない」

 

間違った先入観は、逆効果になりかねない。そのあたりを言っているのだろう。それは、確かにそうかもしれない。妙な情報に踊らされ、勘違いした対応をするわけにはいかないのである。

 

「でも、なんだろう。もしかして警告かな。これ以上、こっちには来るなって」

 

「そうかもな。でも、行くしかないんだろ?」

 

「当然だね」

 

旅に障害はつきもの。それを乗り越えてこそ、次の目的地へとたどりつけるのだ。いつもの旅と変わらない。僕はミラとアルヴィン、そして少し怯えているエリーゼに頷くと、警戒をしながら森の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

戦い方は、環境に応じて変えるべきだ。広い場所と、狭い場所。草原と森の中では、同じ戦術は取れないから。

 

「はっ!」

 

呼気と共に、右手と左手を連続で突き出した。いつものように弧を描くのではない、直線的な打突が魔物の腹部に突き刺さる。草原であれば周囲の魔物を巻き込むように、また遠心力によって威力を出すためにと、回し蹴りや巻き込みの裏拳で薙ぎ払うように攻撃していただろう。

 

だが、この樹海ではその戦術は使えない。円運動を行えるような、広いスペースなどできないからだ。回転中に木々に引っかかる可能性も高く、また近くにいる味方をも巻き込みかねない。そうなれば大惨事である。落ち着いて、直突きや前蹴りといった直線的な打撃で一体一体、確実に仕留めていくのが最適だと言えよう。だが、戦場は常に一長一短。狭い場所、こうした樹界でこそ、有効になる戦術が存在する。

 

「ジュード、団体さんで来たぞ!」

 

「ああ、下がって、ミラ!」

 

 

例えば、そう。狭い通路の前で、敵が固まっている時などに、使える技がある。技の原理は簡単だ。おおまかに分類すれば魔神拳と似ている。

 

まずは体内にあるマナを両手に練りあげる。そして、一歩前へと踏み込むのだ。目前には敵意をもつ魔物。その鼻っ柱をにらみつつ、脳裏に勇猛な獅子を描き。

 

そして、極大の呼気と共に――――叫ぶのだ。

 

「獅子戦吼!」

 

言葉は形に、マナは獅子の塊に。何者をも吹き飛ばす獅子に模られたマナの砲弾が、魔物の集団を蹴散らす。直撃を受けた魔物は、ひとたまりもないだろう。そして、狭い場所での利点が生まれるのはここからである。

 

いつもならば、一体だけに効果がある技だが、敵が密集していて、またこうして狭い場所でこそ得られる付加効果がある。狭いがゆえ、吹き飛ばされた魔物に他の魔物が巻き込まれる。そして間接的にだがダメージを与えられるのだ。また、木々にぶつかったりしてダメージを受ける運の悪い魔物も。もっと悪ければ、地盤の割れ目へと落ちて行くやつもいる。共通しているのは、いつも以上に、そして一度に多くの魔物に痛打を与えることができること。

 

全身に与えられた衝撃は、魔物でさえも意識を奪われ。

 

そして、人はそれを好機と呼ぶ。

 

「よし、もらったぜ!」

 

「ああ、止めだ!」

 

倒れて動きが鈍くなった魔物が、ミラとアルヴィンの追い打ちによって次々に倒されていく。普通に対峙していれば一分はかかっているだろう魔物だろうが、ものの十数秒で片付けることができた。ここで戦っていくうちに、組みあがったパターン戦術の一つだ。

基本戦術は、正面に向けての一対一だが、固まって押し寄せてくれば僕の出番となる。獅子戦吼で一蹴、のちに追撃する。後ろから敵がせまっている場合はまた別だ。

 

正面をミラとアルヴィンに任せ、僕は背後へと回りこみ、はさみうちを防ぐ。後ろに控えているエリーゼを守るという意味もあるのだが。こうして、役割を決めて、混乱を防ぎ、余計な時間をできるだけ減らしていくのが最善である。馬鹿正直かつ最も単純な戦術である正面突破は余計なことを考えなくてすむ戦い方だが、反面体力の消耗が激しい。

 

先の分からないこの樹界の中でそんなことを続けていれば、いずれバテた挙句に魔物に囲まれ、やられてしまいかねない。環境に適した戦術は、戦いの労力を和らげてくれる。傭兵にとっての、基本的能力というか、必須能力でもある。特にこうした僻地、足の怪我や体力が尽きるこ事と、死が等号で結ばれる土地では重要になる能力になるのだ。

 

アルヴィンと僕の提案、そしてミラの意見も加わって出来上がった陣形。

それを組んだまま戦い、樹界を突き進んでいく。幸いにして、以前に来た時と、魔物の種類は変わっていない。以前はでかい樹というか、大きい植物のような外見の魔物に手こずっていたのだが。

 

それでも、今は物の数ではない。と、噂をすれば陰というか。その魔物が、正面からやってきた。

 

「また来たか………ジュード、私の余剰マナは溜まっているぞ!」

 

戦い方が様になってきたというか、熟練の域に達しつつあるミラ。

 

「耐久力が高くてめんどくさいし、頼むぜお二人さん!」

 

何だかんだいって要領のいいアルヴィン。今も、銃で牽制してくれている。

 

「ああ――――横薙ぎの大ぶりの一撃の後、懐に!」

 

そして、僕である。この3人であれば、むしろこうして単独でこられた方が楽なのだ。

 

(ミラの成長率は、若干おかしい部分があるけど)

 

嫉妬じみたものをこぼしつつ、敵の攻撃を見切り、ミラへとリンクで語りかける。

ミラが頷き、敵の大ぶりの一撃の後、一緒に敵のふところへと飛び込んだ。

 

「行くぞ!」

 

「ああ!」

 

拳打と剣戟の牽制が突き刺さる。そこから連撃だ。僕の左手にマナが、ミラの剣には風の塊が。

生まれ、その2つの力は、リリアルオーブの能力によって合わさっていく。

 

風の精霊とマナが融合され、十字の風刃と形を変えて、突風のように飛翔する――――!

 

「「絶風刃!!」」

 

極大のマナ2つに、この程度の魔物が抵抗できるはずがない。

草の魔物は巨大な風の十字斬に切り裂かれ、やがて自然の中へと散っていった。

 

 

 

 

 

「あー、そろそろ休憩しようか」

 

「そうだな」

 

まだ樹界の中だが、休める場所をみつけたのでひとまず休憩することにした。

無理は禁物だ。それに、エリーゼの方も疲れが溜まっているだろうし。

 

「って、わりと平気そうだね、エリーゼ」

 

「私は…………その、戦ってない、から」

 

「それでも大したものだと思うぞ。弱音も吐かない」

 

「そうそう。弱々しい言葉を吐いたら、怖いおねーさんに置いていかれるもんなー?」

 

「むー、アルヴィン君!? ミラ君はそんなことしないもんねー」

 

「まあ、流石にここに置いていくのはな。見殺しにしかならないだろう。アルヴィンなら置いていくが」

 

「やれやれ。都会派の俺には似合わない場所だから、そうとも言えないんだけどな」

 

「いや、お洒落かもしれんけど、都会派はそんな大剣振り回せないからね。でも、僕のようなひ弱な医学生なら………」

 

「吹雪く雪山の奥地からでも生還しそうな奴が何を言っている。お前なら大丈夫だろう。ふむ、こういうのを信頼というのか?」

 

「間違ってないけどね………でも納得できないというか」

 

「ボクもー。あんなでかい魔物を殴り飛ばすジュード君なら、大丈夫だと思うなー」

 

「医学生か………え、それってギャグのつもりか? つーかお前みたいなのが百人規模でいてたまるか。中隊規模であの"獅子戦吼"とかいう技を使われたら、たまったもんじゃねーぞ」

 

「えっと、私も………ジュードは、頼りになるって………思います」

 

「信頼が痛いなぁ!?」

 

なにこの敵だらけ。分が悪いので、話を変えることにした。昨日に海停で、宿の前の船着場で起きた事件と、海停の入り口で聞いた珍しい話についてだ。事件の方は、表面だけ。内容は、女性が何者かに殺害されたということ。詳しい事情を知っているのは僕とアルヴィンだけで、女性二人に教えるような内容でもないから、表面で流していたが。

 

(女の諜報員。敵方にばれて、トカゲの尻尾切りにされた、か)

 

女性であることを活用した諜報部隊。他の部族からは下衆の集団とも噂されている、とある部族の者らしい。僕の方はア・ジュールの部族にそれほど詳しくないので分からなかったが、アルヴィンは知っていた。昨日の夜遅くに、男ともめていたキャットという女性。彼女は翌日の朝方に、船着場で死体となって発見された。

 

それを見て、アルヴィンは彼女が所属しているであろう、諜報部隊の名前を呟いた。

"ガーベッジ隊"と。妙に確信を持っているようだから、恐らくは間違いないのだろう。

だけどこれだけの情報で察することができるとは。ほんとに過去に何をしていたんだろう。

で、話をして気が滅入ることは避けたいので、話題をサクッと次に移した。こんな所で疲労するような話は避けたい。もう一つの話、海停の入り口にいた、老人から聞いたお伽話のようなもの。老人は語った―――魔装獣という魔物と、魔装備と呼ばれる武器について。

 

まとめていうと簡単だ。北方のとある部族にいたトリルという者。彼は、魔物の霊力野《ゲート》に手を加えることができる、異端の能力を持っていた。研究の末、完成したのは六体の強力な魔物。

 

その魔物達は肥大化した自らの霊力野(ゲート)から、闘争本能を具現化したような武器を作り出し、己の身体の一部とした。その武器を、魔装備。それを宿す非常に強力な魔物を、魔装獣と呼ぶ。20年前の戦争、かのファイザバード会戦中に起きた大津波によって、秘術を知るトリルごと、魔装獣も押し流されてしまって。

 

トリルは死に、物騒な六体の魔物も、今はどこにいるのか分からないらしいが。

だが、決して近寄ってはならないと言われた。一度対峙すれば、死以外の結末はありえないと。

 

「それには、完全に同意するよ。あれは相手にしちゃいけないものだ」

 

「へえ、見たことがあるのか?」

 

「話を聞いた時は言わなかったけど………故郷の鉱山で一度、ね。因縁がある、と言えばあるのかな」

 

最も、向こうは直接的には何もしてこなかったけど。

 

「どんな風に、だ?」

 

「話したくない。聞いても面白くないし、長いし………こんな樹界で聞かせるような話じゃないしね」

 

つまりは、暗い話だ。己の恥部でもあるから、積極的には話したくない。

 

「それにしても、霊力野(ゲート)に手を加えるか………」

 

その秘術を教えてもらいたかった。もしかすれば、あるかも分からないけど、自分の脳の中の霊力野(ゲート)を何とかできたかもしれないのに。

 

「えっと、そういえば………」

 

「ジュード君って、精霊術を使わないんだねー。それでもめちゃくちゃ強いから、気にならなかったけどー」

 

「あー、まあ、ね」

 

苦手なんだと、苦笑しながら答える。

 

――――苦笑はできているだろうか。笑えているだろうかと、思いながら。

 

(なんで、こんな一言で動揺する)

 

エリーゼにも、ミラにも知られていない。二人からは、何も言われていない。だけど、胸の奥にもやもやが浮かんでしまう。心の中にささくれが、苛立ちがぽつぽつと滲みでてくるよう。こんな感情、二人の前で出したくはないのに。だから誤魔化すように、提案をした。

 

「そろそろ、いいか。もう出発しようか?」

 

「いや? もう少し休んだ方がいいだろうな。それ以上、無理をさせれば後々に悪影響が出てきかねない」

 

「………僕が?」

 

「あまり鈍いと思ってくれるな。あの――――社の前の怪物の一件。あの時の疲労の影響が、まだ抜けきっていないだろう。

 

隠しているようだが、戦いぶりを見ていれば何となく分かる」

 

「同感だな。威力は出てるが、身体のキレが戻っていないぜ?」

 

「あー………大丈夫、だって」

 

言葉につまる。実際は、大丈夫じゃないからだ。あの直後よりは、大幅に回復はしている。だけど、絶好調とも言い難いのは確かだ。特に足回りが鈍っているし、判断速度に関しても、いつもより下がっているのは否めない。よくて不調といった所だろう。周囲を警戒しすぎて疲労が溜まっているのもあるが。

 

(ここは、言うことに従った方が、いいかも)

 

胸中にそんな考えが浮かぶ。でも――――それに従うことは、できない。

 

「大丈夫だ。だから、行こう」

 

提案すると、アルヴィンとミラはため息をつきながらも、うなずいてくれた。

エリーゼとティポは、少し不安な表情になっていたが。

 

 

そうして、道中をまた進んでいく。先ほどよりも早く、そして少し乱暴な拳打で敵を蹴散らしていく。これならば問題ないだろうな。

 

そう思った時、僕は何かを踏んでしまった。直後、霧のようなものが当たりに広がっていく。

 

同時に、目と鼻に痛烈な刺激が走った。

 

「っ!?」

 

たまらず、咳き込んでしまう。

 

(これは―――ケムリダケか!)

 

ショックを与えれば、催涙性の胞子を撒き散らすキノコだ。そういえば、この樹界には多く生えていたのを思い出す。

 

「どこ………こほっ、こほっ、どこですか!?」

 

「勘弁してくれ………この煙はなんだ?」

 

「おそ、らく、ケムリダケだ………ということは、催涙性の胞子か?」

 

エリーゼもミラもアルヴィンも、そして僕も。全員が目をかばいながら歩き、何とか胞子の霧を突破する。だけど、眼や鼻に入った胞子はすぐに消えてくれない。一度入ってしまうと、しばらくは涙が止まらないと、図鑑で見たことがある。その効果は間違いがなく、涙は数分してようやく止まってくれた。魔物の奇襲がなかったのが不幸中の幸いだっただろう。もし視界が奪われている間に、魔物に襲い掛かられていればどうなっていたことか。やられはしないだろうが、エリーゼが怪我をしていたかもしれない。それは、かなり―――いや非常にぞっとする光景である。

 

「しかし、ジュード。もっと足元に注意して歩くべきだぞ」

 

「………ごめん」

 

謝る。ほんとう、ミラの言うとおりだ。何があるのか分からないし、根が地上に露出している場所なのに、足元の注意がおろそかになっていた。結果が、ケムリダケを踏んでしまった。

 

「謝らなくてもいい。だが、二度目は勘弁してくれよ?」

 

「ああ。戦闘中にあの煙は………魔物にも効果があるだろうが、こっちの視界が奪われるのは、かなりまずいしな」

 

「分かった。でも、僕は大丈夫だから」

 

こんな所で休んでなどいられない。休憩できる場所まで戻るのも一苦労だし、なにより早く汚名を返上しなければならない。だから僕は大丈夫だと主張して、突き進むことを提案した。

 

今度は足元に注意して、キノコを踏まないように、慎重に。

 

やがて、樹界の出口に差し掛かった。もうすぐ、この暗い樹界を抜けられるのだ。だけど、最後の障害物が、出口の前に立ちふさがっていた。出口を抜けようとしたその瞬間、突然周囲から気配が現れた。樹界の入り口でみかけたおかしな魔物、そしてその同種が数匹、こちらを取り囲むようにして出てきたのだ。

 

「こいつら…………っ!」

 

周囲を警戒する間もわずか。直後に現れたのは、巨大な敵そのものだった。ハ・ミルの出口で見かけた、手練の巨漢。

 

「あんたは………!」

 

「おっきいおじさん!」

 

 

そこには、ジャオがいた。

 

 

まるで、僕達を待ち構えていたかのように、ゆっくりとこちらに向けて歩き出してきた。

 

 



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22話 : 強敵、そして

 

「おっさん………アンタ、何でここにいる? いやそもそもどうやって………」

 

まさかラ・シュガル側の大陸の、しかもこんな僻地で遭遇するとは夢にも思ってなかった。

情報は漏れていないはずだ。ならば、見つかった原因は何なのか。

 

考えている内に、まもなく判明した。

ジャオの横に居るのは狼型の魔物だ。その頭を撫でながら、褒めていた。

 

「おうおう、よう知らせてくれたわ」

 

「………魔物を、使ったのか」

 

「そのようだ。まさか、イバルの他に魔物と対話できるものが居ようとはな」

 

驚いた風に言う。そうだ、確かイバルも魔物を使役することができたはず。あの夜、酒を飲む前にあいつが自慢していたかのように話していた。記憶の片隅の残滓程度だが、かすかにそんな単語が残っている。

 

「魔物使役………それで、そんな希少能力を持つアンタが、どんな御用で?」

 

「知れた事よ――――さあ娘っ子、村へと帰ろう。少し目を離している間に、まさか村を出ているとはのう。心配したぞ」

 

ジャオは優しく、手を差し出してくる。そこに悪意など、欠片も感じられなかった。純粋にエリーゼを案じているのだろう。だけど、エリーゼはそれを拒絶した。差し出された手を避けるように、僕の背中の後ろへと回りこむ。すかさず、ティポが叫んだ。

 

「イヤー! ジュード君と離れたくないー!」

 

目をバッテンにする謎生物。それを見たジャオが、うめくような声を出す。

そして困ったように、頭をかいた。しかしその態度は一体何なのか。

 

「………どういうことだ?」

 

「何がじゃ」

 

「とぼけんな、アンタ知ってるはずだろ! エリーゼがどういった目にあっているのかも!」

 

ジャオは、エリーゼの身を案じている。そして、その意志を尊重している。

無理に連れ帰ることなく、同意を求めているのが証拠だ。

 

「………すまんとは、思っておる」

 

「だったらなんで! それに、エリーゼの親はどうしたんだ!」

 

「――――それは」

 

それきり、ジャオは口を閉ざした。表情は渋いにもほどがあるってぐらい。

よほど言いたくないことなのかもしれない。

 

「………生まれた場所は」

 

「村は、知らん。だが………その子が、以前いた場所は、生まれ育った場所ならば」

 

「その、場所は?」

 

率直にたずねる。だが、言葉は返ってこない。返ってきたのは沈黙。そして、ジャオの視線がわずかに逸らされたこと。横目で見るエリーゼの視線は。おずおずと僕の背中の横から顔を出していたエリーゼの視線は、地面へと向けられていた。

 

――――言葉になくとも、理解ができてしまった。

その場所は、エリーゼの故郷は、もうこの世には存在しないのだということを。

 

「アンタは…………だから、ハ・ミルを故郷に? エリーゼの帰る場所にしようってのか。あんな、女の子一人を追い出すような場所を………!」

 

「………連れ歩くよりは安全だろう」

 

「っ、だからって………!」

 

「村の外は危険だ! そこに連れていったのはお前たちであろうに、何をいうか! それに、こんな所にまで連れ回すとは!」

 

「っ、危険な目にあわせているのはわかってる! だけど、隠れ家みたいな倉庫で一人泣かせているよりは………!」

 

「お前たちには関係ないわい! さあ、その子を返してもらおう!」

 

手を、エリーゼに伸ばしてくる。僕はそれを、身体でかばった。

 

「………仕方あるまい!」

 

ジャオが、背負っていた大木槌を右手にもって構える。尋常ではない重量のはずだ。なのにそれを、片手で軽々と――――しかもアルヴィンの大剣よりも軽いとばかりに。

 

「来るぞ!」

 

アルヴィンの声が、戦闘開始の合図になった。さっきまで言葉をぶつけあっていた距離だ。だからこそ、最初の衝突は僕とジャオになった。いい加減腹の立っていた僕は、真正面から踏み込んでいった。

 

そして先制の一撃を、

 

「甘いわぁ!」

 

と思った時には大木槌は振り下ろされていた。

機先を制された鋭い一撃を、間一髪でなんとか避ける。前髪に掠ったが、なんて速さだ。

 

そしてその一撃は、柔らかい地面を叩いた。岩盤ならばともかく、たかが土の地面がその強烈な衝撃に耐えられるはずもなく、砕け散った。その破片が、僕に襲いかかってくる。

 

「くっ!」

 

石はないし、巨大な破片でもない。だからダメージにはならないが、

 

(目眩ましか!)

 

次の瞬間には、間合いを詰められていた。今のは攻撃ではない、僕の攻撃を止めると同時に牽制をしてきた。引っかかってしまった僕は、すぐさま攻撃に転ずることができなくなっていた。

 

そこに再び、振り上げられた大木槌が僕の脳天に降ってくる。防御、は無理だろう。受けたとしてもかなりのダメージを負ってしまうし、悪ければ一撃だ。そう判断した僕は、咄嗟にバックステップで脳天の一撃を回避する。

 

直後に、大木槌が再び地面を叩いた。

 

(好機!)

 

木槌を振り上げて、振り下ろす。その速度は早いが、対処できないほどではなかった。そして今は攻撃の直後。こちらの攻撃の方が早い、絶好のチャンスになりえるだろう。

 

僕はバックステップした足を踏み台に、前方に跳躍したままジャオの懐に飛び込んだ。すかさず、先制の一撃を――――というつもりだったが、何故か僕は宙を舞っていた。右頬が、痛んでいる。そして飛ばされる前に、視界の端に見えていた相手の挙動。そこから分かる回答は、ただの裏拳でぶん殴られただけということ。

 

しかし、問題はそこにない。今のは誘われたということが分かる。ジャオは初撃に大木槌の一撃を見せた。威力を見せつけ、だがそれを囮にしたのだ。僕はまんまとそれに引っかかってしまったということ。恐らくジャオは木槌を振り下ろした直後に、武器から手を離したのだ。

 

そして飛び込んできた僕の攻撃に、カウンターを合わせた。

 

(例え一時でも、武器を手放すなんて!)

 

増幅器の役割も果たす武器は、戦いにおいて重要なキーアイテムとなるもの。それを手放すとは夢にも思っていなかった。と、長々と考えている内に影が。目の前には、追撃を仕掛けてきたジャオの巨躯が。

 

「っとぉ!」

 

またもや間一髪。そのまま後方に転がり、一端距離を取った。

立て直しだ。幸い、先の一撃はそう痛くない。

 

「ジュード!」

 

「っ、こっちは任せて! ミラとアルヴィンは周囲の魔物たちを!」

 

相手は恐らく歴戦の勇だ。マナの量も半端無く、素の筋力も相当なもの。今のミラじゃ相手にならないだろう。そして周囲の魔物も厄介だ。連携がとれているのか、つかず離れずで入れ替わり立ち替わりで攻撃を仕掛けてきている。

 

攻撃後に生まれる隙を、数で上手くカバーしあっているようだ。

見事な連携に、ミラとアルヴィンは押さえこまれていた。

 

「くっ、この、舐めるな!」

 

「っ、深く踏み込みすぎるな! 突っ込めばすぐに囲まれるぞ!」

 

苦戦しているようだが、こっちも不味い。恐らく、命令を出しているのはジャオで、倒せばすぐにでも事態をひっくり返せるのだが―――

 

「貴様に、出来るか!」

 

「やってやるぁ!」

 

挑発のままに踏み込み、まっすぐに――――と見せかけて、サイドステップで側面に回りこむ。

巨体は怪力、力が厄介だが利点ばかりでもない。小回りが効かなくなるから、

 

「烈破掌!」

 

「ぬうっ!」

 

速さで撹乱し、突けばいい。手のひらの先から、確かな手応えを感じる。

 

「く、小僧が!」

 

「なんだよ、おっさんが!」

 

言いながらも、横に横にと動き続ける。ジャオの体勢が十分であれば、真正面から当たっても押し負けるだろう。だが速度で撹乱し、重心を乱せば腰の入った一撃は放てなくなる。

 

「この、ちょこまかと! コソコソと動きまわりおって、それでも男か!」

 

「クソでかいおっさんと力比べなんてしてられっかよ!」

 

小刻みなステップで翻弄する。

 

「くっ、早すぎる――――」

 

おっさんが苦渋の声を。そしてついに、背後をとった。

素早く間合いの内に、わずかに跳躍して飛燕連脚を叩きこもうとするが――――

 

「とでも言うかと思ったか!」

 

読まれていたようだ。どこに居るのかなんぞ知らん、とばかりにおっさんは大木槌を横に大回転させた。跳躍したからには避けられるはずもない、なんとか防御は出来たがそのままボールのように宙へと飛ばされてしまった。

 

視界が揺れ、背後に痛覚が走る。どうやら樹の幹に背中を打ち付けたようだ。

そして、そのとなりにはエリーゼがいた。今にも泣きそうな表情で、だから僕は手を出した。

エリーゼも、急いで手を差し出し。僕はそれを握り、支えにしてもらって立ち上がる。

 

「咄嗟に防御したか。しかし、小僧のくせにしぶといな………よくやる」

 

「何がだ」

 

「対人の戦闘なんぞ、正気の沙汰じゃできんもの。兵士か、それに近い職業に就いているものでなければ」

 

すうっと、おっさんの纏う空気が変わった。殺気さえ混じった物騒なマナを発っしている。

 

「小僧、貴様もしかしてラ・シュガルの密偵か?」

 

「ありえるかよ、バカが。断じて違うわ。細い目え見開いてよくみてみろ、どう見てもただの医学生だろうが」

 

「ただの医学生――――いや、一般人は戦いに命など賭けん」

 

「………言いたいことは、分かるけど」

 

思うに、僕とおっさんの力量は互角か、あるいはおっさんの方が上だ。そんな状況で、命が一つしかないこの世界で、逃げを選択せずこの場に留まるような者は多くない。例外はある。傭兵ならば依頼人が、兵士ならば愛国心が逃亡を許さなくするのだろう。だが、今の僕はそのどちらでもない。僕とエリーゼの間に金銭のやり取りがないこと、おっさんは看破している。

 

だからこその質問だろう。理由は何か、聞きたいのだ。

それを、僕は鼻で笑ってやる。

 

「約束は守る主義なんだよ」

 

そして何より、エリーゼのために。

 

「膝を抱えて泣かせるのは、二度とゴメンでな!」

 

だからマナを練った。今出せる、最大級のマナを手のひらに集める。そうだ、それにエリーゼの保護者を――――村の外でも大丈夫だと示すためには、その根拠たる力を示さなければならない。

 

だから僕は、正面からジャオに向かっていった。

 

ジャオも、木槌を両手に正面から待ち構えていた。だけど迷わず一撃を叩き込む。

 

 

「獅子戦吼ォッ!」

 

戦迅狼破(せんじんろうは)ァ!」

 

奇しくも、同系統の技。獅子の形をしたマナの奔流が僕とジャオの間でぶつかり、そして砕け散った。追撃は、スピードに勝る僕の方が有利!

 

「掌底破!」

 

「ぬうっ!」

 

体重がたっぷりのった右掌底の一撃が、ジャオの腹部に突き刺さる。

そこからは追撃だ。返しとしての左の突き、そこから側頭部へ向けての右回し蹴り、

 

「飛燕連脚!」

 

勢いを殺さず、飛び上がりながら連続の蹴撃を繰り出した。だけど打突点の先から返ってきたのは、硬い感触だけ。初撃を除く全ては、その大きな腕で受け止められていたのだ。

 

(は、んしゃ速度も――――!?)

 

達人級かと、驚いている暇はない。まず見えたのは、軽い振り下ろしの一撃。マナをこめた腕で、それを受ける。だが、止めはしたものの腕はしびれてしまう。そこに、追撃が入った。振り下ろした大木槌を片手で、ひるがえしたかと思った瞬間、それは弧を描いて僕の側頭部に迫ってきた。

 

「ぎっ!?」

 

とっさに片手で防御したが、今度は止められなかった。勢いに圧され、僕の身体がわずかに飛ばされる。同時に、ジャオのマナが膨らんだ。

それは大木槌の先に。集まったかと思うと、ジャオは地面へと勢い良く叩きつけた。

 

魔王地顎陣(まおうちがくじん)!」

 

技の名前と同時だった。叩きつけられた地面は裂け、まるで魔王の顎のように大きなものに。同時に吹き飛んできた地面の破片が、僕の身体を打ち据える。

右腕と腹部に、やや重度の打撲。内出血が起きる自分の身体を客観視で診察する。

 

(マナの防御が足りてない!)

 

万全であれば、こうまでダメージは受けなかった。

とはいっても、もしもを語るのはおろかだろう。

 

「どうした、小僧! そんなものか!」

 

「っ、誰が!」

 

言葉を返しながら、正面へと―――――突っ込んだ瞬間、右に跳んだ。

今までいた空間を、ジャオの一撃が通りすぎる。そして僕は、側面から襲いかかる。

 

左の突きは脇腹に。返す刀で右足刀、そのまま左腕にこめたマナを振り上げる!

 

「魔神拳!」

 

「ぬおっ!」

 

速度を重視した連撃から、至近距離での魔神拳。全て直撃し、ジャオの体勢が崩れるのを察すると同時にさらなるに追撃に入る。

 

まずは左右の拳と蹴撃の高速コンビネーション技、連牙弾。

 

そこから巻き込みながらの裏拳と打ち上げの拳撃を組み合わせた、臥竜空破。

 

最後に得意である飛天翔駆を連続で叩きこんだ。

 

だけど、全部は直撃しなかったようだ。硬い感触がわずかに残る。しかし大半は当たっていたはず。事実、ジャオの顔色はわずかに変わっていた。

 

「マクスウェルに付き従う、ただの小僧だと思っていたがな」

 

「っ、アンタ知って!?」

 

「今は関係ない! それより、まだだぞ小僧!」

 

「はっ、こっちこそ!」

 

余計なことなど、考えている暇もない。少しでも気を緩めれば叩き伏せられて潰される。

毛ほどの隙さえも見せられない相手だ。だから緊張感を保ちつつも、しかし決着は中々つかなかった。互いの技量は離れていないからだろう。そこからは攻撃と防御が激しく入れ替わる、殴り合いになった。視界が揺れ、だけど拳を固めて打ち出し。

 

その度に、どちらともなく傷が増えていく。

 

時間にすれば、一分も経過していないだろう。だけど、僕にすれば一時間に思えるほど、長く感じていた。巨漢に、大木槌。何をするにもスケールの大きい一撃が、間断なく襲ってくるのだ。恐怖もあってか、攻と防、それらを一合するにしても、雑魚より何倍も長く感じられている。それでも僕は、小回りを意識しつつも攻撃を捌き、回避しながらも反撃に出ていた。守りに回っては、押し切られるだけだ。必死に追いすがり、攻めの意識を保ち続ける。

 

そうしてしばらくは、戦えてはいた。だが、時間が経つにつれ、形勢は完全にあちらへと傾いていく。最初の方にもらった一撃、特に打撲の影響が大きいのだ。激しい動作をすると痛みが増加してしまい、どうしても動きが阻害されてしまう。

 

ミラとアルヴィンも、統制のとれた狼の攻撃に翻弄されていて、仕留め切れないでいる。

 

「ジュード!」

 

「だ、いじょうぶ、だから!」

 

「冷静になれ! ここで、倒れる気か!」

 

「大丈夫だ! こいつを倒して通れば、問題ない!」

 

そうだ。エリーゼを一人にしないと誓った。

誓ったのだ。だから、ここでこいつを倒さなければならない。

 

「馬鹿者が…………アルヴィン、あれを狙え!」

 

「なにを………っとお、分かったぜ!」

 

「エリーゼはこっちに!」

 

「は、はい、でもその前に!」

 

「ボクもー!」

 

背後から何やら声が聞こえる。

 

「ジュードの、怪我を…………行きます!」

 

マナが膨らむ。エリーゼのマナが、不自然なほどに大きく。

 

「みんなに、安らぎを…………」

 

聞こえるのは、詠唱の声。やがて声は、その術の名前を描いた。

 

「ピクシーサークル!」

 

足元が光る。見えたのは、光に輝く方陣だ。そして僕はそれを知っていた。

 

――――夢にまで見た、医療術の上位版。

一度に多くの人の怪我を癒す、方陣形式の治癒精霊術なのだから。

 

 

(――――――――)

 

 

がつん、と。脳みそが何かに殴られるような音がした。

 

「っ、ジュード! ぼけっとしてんな!」

 

同時に、アルヴィンの怒声と。そして僕の脳裏に響き渡る音と、同質のような激音が。

アルヴィンが放つ銃弾、その銃撃の音が空間に反響した。

 

同時に、煙が当たりに立ち上る。

 

「ぬ、ケムリダケか!」

 

「―――――ジュード、こっちだ!」

 

僕の腕が掴まれる。布で口をおさえているかのようなくぐもった声。

でもこの声は、アルヴィンだろう。

 

鼻と目に、催涙性のものが染み渡っているので誰かはよく分からないが。

 

「おい!」

 

「あ、う、うん」

 

近くでの大声。そこで僕はようやく正気を取り戻していた。

 

「分か、った…………逃げ、る」

 

でも、声がうまく出てくれなかった。

なにより、今のあの"輝き"に思考のほとんどが占拠されていた。

 

それでも走る。出口へと走らなければいけないんだ。

 

だけど、ケムリを抜けたと同時に、背後から声がかかった。

 

「くっ、エリーゼ………」

 

ジャオだ。でも、襲ってはこない。視界の晴れない今、下手に攻撃をすれば、エリーゼに当たるからだろう。ジャオはそのまま、声だけをエリーゼに向ける。

 

「………なぜだ、娘っ子。その者たちといても、安息はないぞ」

 

胞子の霧の中から聞こえてくる声に、淀みはない。催涙性のガスはジャオの目と鼻に直撃しているだろうに。考えられないが、ジャオは尋常ではない精神をもって催涙性ガスの刺激に耐えているのか。

 

それでも、宣告するように、それでいて優しい口調だった。

だけどエリーゼは、地面に視線を落としている。

 

「あんそくって、いったいなんなんですか………? それに――――」

 

声は、掠れていた。まるで泣いているかのように。だけどエリーゼは、顔を上げた。

 

「ジュードは…………友達って言ってくれたもん! ミラは、頭を撫でてくれたもん!」

 

叫び、ティポも叫んだ。

 

「もう、一人で寒い部屋に残されるのは嫌! 寂しいのは、イヤだよ!」

 

少女とぬいぐるみ。孤独を知った二人の叫び声が樹界に響いた。

悲しみの感情に染まっているせいか、声は奥の奥にまで届いてくる。

 

「エリーゼ…………ワシも、連れて行くのは本意ではない。だが………」

 

言葉の間に、自嘲の笑いが挟まった。ジャオは、首を横に振る。

 

「ワシが…………許してくれなどと、口が裂けてもいえないな………っ、ごほっ」

 

ついにジャオが、目を押さえてうずくまる。

 

「行け、小僧………今回だけは見逃してやる」

 

どういったつもりか。その疑念を感じ取ったのか、おっさんは鼻を鳴らして答えた。

 

「諦めたわけではない。それまでは守れるだろう。だがもしエリーゼを死なせれば、ワシがお前を殺しにいくぞ!」

 

「っ、あぁ………ああ、分かってるよ!」

 

 

 

 

 

 

そのまま僕は、エリーゼと手をつなぎながら、脇目もふらずに走った。

 

暗い暗い樹界の終わりへ。光の射す方へ。

 

 

ミラが、居る方向へ――――後ろめたいものから、目を逸らすように駆けた。

 

 

 



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23話 : 人間だもの、人間だから

樹界を抜け、目的の街――――カラハ・シャールについたのは夜だった。表通りの店はその大半が閉店しており、見えるのは家々の中からこぼれる薄明かりだけ。宿を取る作業は事務的だった。ここに来るまでの道中と同じ、誰も声を発しようとしない。

 

(僕のせい、なんだけど)

 

自覚はしている。自分が原因なのだと。いつも通りの調子を見せず、不景気な空気をばらまいているせいだ。ミラが幾度か話しかけてくるが、うまく言葉を返せない。アルヴィンは黙り込んだまま。観察するように、こちらに視線を向けてくるが、それもどうでもいい事だ。

 

問題はエリーゼとティポだ。二人は、じっと黙り込んでいる。そして地面に視線を縫いつけられているかのように、俯いていた。その理由は分かっている。

 

樹界を抜けた後、僕の怪我が治りきっていないと、エリーゼは治癒術をかけてくれた。

その時の顔は――――戸惑いか、はたまた羨望か。鏡がなかったのであの時にどうした表情を見せてしまったかは不明だが、それでもエリーゼの顔を見て推測はできた。

 

(怯えていた………怖がってる)

 

そして、それきりだ。何か、僕の顔にあってはいけないものを感じ取ったのだろう。あれからは、物理的にも距離を取られていた。僕は嫌われたのだ。そして、エリーゼは落ち込んでいるのだろう。拒絶されることを怖がっているのか。彼女としても自覚があるのかもしれない。尋常ではない、精霊術の腕。あの年であれだけの精霊術を扱える子供なんて、見たことも聞いたこともない。

 

天才にしても外れすぎている。そこに、僕はエリーゼが村で嫌われ、恐れられている理由が分かった。

 

なぜ分かるかっていうと、それはあの頃の僕と同じだからだ。

明らかなる異端。通常ではありえない存在は、まるで異物を取り込んだ水の如く。

砂糖であれば溶けるだろう。だけど全くの異なる個体は、周囲に溶け込めず水の上に浮く。やがては水かさが増えると、その異端は排除される。また水の中に飛び込んでも同じ。どうあっても溶け込めない。そういった扱いを、エリーゼは受けていたはずだ。

 

なぜ分かるかっていうと、それはあの頃の僕と、そして今の僕と同じであるから。

そんなことを、考え込んでいる時だった。

 

「ジュード………」

 

エリーゼの声だった。後ろから、まるで糸のようにか細い声が聞こえる。僕はすぐさま振り返り、彼女の方に向き直った。

 

「あの………わたし………」

 

エリーゼは俯いたままだ。ティポさえも黙り込んでいた。やがて、その顔を上げた。

 

「もうしないから…………嫌われるようなこと、しないから」

 

その眼には涙が溜まっていて。やがてそれは雫となって、頬を伝う。

 

 

それを見た僕は、死にたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「眠れねえ………」

 

その深夜、僕は外に出ていた。周囲には兵士が徘徊しているが、その数は少ない。見つかったとして、殴りとばせばいい。立ち向かうのなら、薙いで払ってくれる。今はどうあっても、あの部屋には戻れないのだから。

 

そのまま僕は街道に出た。街の入口には、大樹があった。まるでカラハ・シャールを守るように立っている大きな樹。僕はそれに頭をぶつけた。何度も、何度も。マナによる強化など行うものか。ただ痛みを感じるために。幾度と無く、頭突きを繰り返した。やがて頭の皮膚が破れた。開いた傷口から溢れる血が、額を伝っていく。

 

「情けねえ…………っ!」

 

守るといったはず。誓ったはずだ。なのに一日も経過しないまま、僕は彼女に傷を負わせてしまった。それがたったひとつ、彼女が精霊術を使っただけで。治癒術でも癒せないだろう、形の無い傷を残してしまった。彼女は助けようとしてくれたのだ。それなのに僕が返したものといえば、彼女の心を傷つける刃となりうる、そんな態度だけ。

 

どうしようもなかったという気持ちはある。僕には背景があって。過去があって。

だからあれは反射的なことで、自分のアレはどうしようもないことなんだって。

だけど、そんなことは言い訳にしかならないのだ。エリーゼにとっての事実はひとつだけだ。

 

それは――――僕が、あの村人達と同じような態度を取ってしまったこと。

 

(でも、事情を話して分かってもらおうなんて………そんな浅ましいことなんか)

 

出来はしない。そんな馬鹿げたことを。歩いている道中、冷静になった後に気付いたことではある。それでも、何も言えない自分が情けない。あまりの不甲斐なさに、涙が溢れてくる。自分が情けなくて涙が出てくる。こんな姿、誰にも見せたくない。

 

――――なのに、こんな時だからこそ近づいてくる奴がいた。

 

足音から分かる。隠そうともしていないのもあるが。

 

「アルヴィン………」

 

「よう、少年。こんなところで夜遊びか?」

 

振り返らず、名前だけを言う。明るい声がまた癪に障る。努めてしているのか、何も考えていないのか。どちらにせよ、エリーゼのことに関して話があって来たのだろう。このタイミングで追ってきたといは、そういうことだ。事情を知っているこいつ以外、このタイミングで僕を追ってくる奴なんていない。背を向けたまま努めて平静に、涙顔をみられないようにして言葉を続けた。

 

「そっちこそ、こんな夜中に。一体何のようだ?」

 

「いやいや、何のようって聞かれてもよ。気づいたらベッドはもぬけの殻だったし、ほんとマジ焦ったぜ………って、これでも俺は心配してんだぜ?」

 

「………その遠まわしな性格は、さ。一回死ななきゃ変わらねーのか?」

 

本題に入れ。言葉に含めて言うが、アルヴィンはいつもの調子を崩さない。

 

「いや、さ。今の3人の中で、少年の裏事情を知っているのは俺だけだろう?」

 

「だから、なんだ」

 

聞き返す。返ってきた言葉は、予想外の言葉だった。

 

「お前は悪くないぜ」

 

責める言葉ではない、むしろ赦しているかのように、甘く。

 

「少年のせいじゃねーんだぜ? 仕方ないだろう。少年にとっては正に青天の霹靂だし………自分には無い才能を持っている相手を妬むのは、自然なことだしよ。子供だし、特別珍しいものじゃねーだろ?」

 

子供だから。仕方がない。アルヴィンの言葉は、すっと胸の奥に入っていった。

 

「だから、なあ」

 

「………自分を責めなくてもいい。仕方ないって、そう言うのか?」

 

「ああ、そういう事になるか。それに何度も言うが、お前さんは子供だ。元々が無茶なことだったんだ。それに、見ただろう? あの年であれだけの精霊術を扱えるなんて、よ。どう考えても尋常なことじゃねえ。エリーゼがラ・シュガル軍に狙われてたって理由は、あれのせいじゃないのか?」

 

「………多分、な」

 

それは、考えていたことだ。間違ってはいないだろう。

だから、とアルヴィンは言葉を続ける。

 

「そうなると、厄介だぜ。追手のレベルも、想定していた強さの………そうだな、一段か二段は上と見た方がいい。そんな奴らがこの先襲ってくるんだ。少年もミラも、やらなければいけないことがあるんだろう? ――――重い、しかも持っていて痛む荷物なら、いっそこの街の大人だかに預けてしまってもいいと思うぜ」

 

長い言葉。反論の隙さえない、連続して紡がれた言葉はある意味で正しかった。確かに、理屈にはかなっているだろう。あくまで大人の視点で考えるなら。アルヴィンの立場であるのなら。

 

感情、何よりも"情"を抜きにするという前提であれば、正論に聞こえる。大きな目的を前に、些事は極力省くべきは正道。余計な文章が多い論文が評価されないように。正しいことではある。アルヴィンの理屈なのだろう。それは一つの理で、間違ってはいない何かがあった。

 

………僕のせいじゃない。予想外だった。自分が大事だろう。ミラの目的も。

 

(だから――――仕方ないってか)

 

考える。理由を並べた。自分に要因はないと、そう考える言い訳の材料。それは、一つの選択肢に導くための理屈だ。

 

クルスニクの槍の破壊を優先する。もともとが不確定な要因だったんだって。それは、理屈である。正しい理屈であることは間違いない。その考えを助長するかのように、アルヴィンの声が響く。

 

「恐らくは今、お前が考えている通りだと思うぜ? 傭兵をしたのなら分かるだろうさ。荷物の選別は慎重にってことだ。余計なものを抱え込む余裕がないのなら、捨てて行けばいい」

 

重荷は自分の動きを鈍くするもの、そしてそれが危地にトドメを刺す材料に成りうるもの。あるいは、死に繋がる可能性だって。だから荷物の選別は慎重に、ムダのないものだけを抱え込んでいけ。それは恐らくは旅人が旅をする際、また旅を始めた後、まず一番はじめに学ぶことだ。鉄則といってもいいルールのようなもの。アルヴィンもそれを知っていて、だからこそ今こうして忠告しているのだろう。その理屈に従うならば、エリーゼはこの街に残した方がいいと。

 

信頼できる者を見つけるか、金を払って預けろ。そうしてそのまま、本来の目的を達成すべく、先へ進め。そして教授の仇を討て。あるいは人と精霊に害為すものを壊しに。アルヴィンが示しているのは、そういったことだろう。

 

四大を助け、ミラを助ければ――――もしかして、精霊術を使えるようになるかもしれないと。

 

それは、一つの理でもある。道理である。人間としての生命を優先するのなら。三大欲求、そしてもう一つある人間としての欲。それは自分のなすべきことを成したいという欲だ。賞賛されたいという欲。自分としての"何か"が確立され、それを認められたいという欲。

 

それがゼロである人間は少ない。生きるための欲求と、そう言い換えてもいい。

 

生きるために必要なことなのだ。言い換えれば、生存以上のものを目指すための材料。というのなら、生きる上で目的を果たすというのなら、それは正しい理屈である。

 

目の前にある大樹のように、真っ直ぐに伸びるために生きる。自分の欲を最優先し、自らの理屈を最優先にして、上に。小さい樹のままで終えたくないのなら。余計なものを抱え込んで、潰れたくないのなら。こうして、大きな樹になって、誰からも認められる。

 

そして自らも傷つくことなく、生きたいというのなら、不確定であり、害になりかねない余分なものは捨てていくべきだ。弁えればいい、と。そこまで考えて、頷いて。

 

 

―――――――――僕は、頭を振りかぶった。

 

 

「そぉい!!」

 

 

叫び、大樹に頭突きをぶちかました。轟音が樹と僕の視界を揺らす。

額には痛みが。どうやら皮膚が切れたらしく、額からつたわり血が足元に落ちていく。

 

だが、それでいい――――それがいいのだ。

 

血を見て笑い、そしてアルヴィンに振り返る。

 

「………おい、少年。まさか気でも狂ったか?」

 

「それは元からさ。だから僕は、宿に戻るよ」

 

言いたいことを察したのだろう。アルヴィンの顔がわずかに歪む。

 

「それは賢くないな。利口とは言えないよ、その選択は」

 

「だから僕は、こうして今ここにいる」

 

諦めれば、きっと僕はあの故郷の街にいたまま。見て見ぬ振りをすれば、きっと僕はイル・ファンのあの学校にいたまま。だけど、僕が今、こうしてここに来たのはなぜなのか。

 

それは、師匠の言葉もある。だけど、あの時の"あいつ"を否定したかったからだ。あの言葉を認めたくなかったからだ。救われた師匠に輝きを見た。夢を諦めるなと言われた。道半ばで諦めるようなことは、したくなかった。言葉だけで、声に出せない夢をそれでも叶えたかった。

 

僕が僕であるために。証明をするために。

そして、あのままでは居たくなかったし、何より寂しかったから。

 

――――思い出しても、震えがくる。世界に自分が一人だと、そしてお前は異物なのだと、在ってはいけないと思い込まされていた時。寒くもないのに、寂しさに震えた。一人は、本当に辛いのだ。

 

そして救いの手を見つけて――――その人に嫌われるのは、本当に辛いのだ。

 

そして、何よりも。

 

「できないよ。今のエリーゼは、あの頃の僕だ」

 

拒絶されても、それでもと手を伸ばす幼い子供。何よりずっと一人だったんだ。だから寂しくて仕方がなくて、それでもと手を伸ばしていたのが、エリーゼ・ルタスという少女なんだ。もしかして。いや、これは独善かもしれないけれど、だからこそ。

 

「………行くよ。戻っても許されないかもしれない――――だけどさ」

 

重なるエリーゼを。同じ境遇にある少女を助けたいんだ。泣かせたくないと、そう思ったから。

 

僕はアルヴィンの顔を見ないまま、エリーゼがいる宿へと走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その途中、宿に辿り着く前にエリーゼを見つけたのは、予想外だった。エリーゼは暗い街の中、誰かを探すように歩き回っている。あたりは暗い。エリーゼだと分かったのも、周囲にふわふわと浮いているティポが居たから。

 

「エリーゼ!」

 

「…………ジュー、ド?」

 

「どうしたの、こんな時間に………危ないって」

 

見渡す限り、ミラの姿はない。恐らくは、一人で抜け出してきたのだろう。僕はエリーゼに駆け寄るが、なぜか驚かれてしまう。視線は僕の額に釘つけだ、ってああ。

 

(…………忘れてた)

 

必死だったせいで、さっきの額から出る血のことを忘れていた。

それを見たエリーゼが、驚き、また涙目になる。

 

「………"あなたに安らぎを"、ピクシーサークル!」

 

詠唱の声が終わると同時、地面が光り、治癒の方陣に照らされた。

あの時とおなじ、緩やかに額の傷が癒されていく。

 

――――胸の奥に刃が突き刺さる。

 

それは嫉妬ではなく、自分に対する不甲斐なさ。なぜなら、エリーゼの行為に躊躇いがなかったからだ。治したいと、だから治してくれた。こんな僕でさえも、心配をしてくれて。

 

「………その………だいじょう、ぶ、ですか?」

 

「ジュード君、なんで額から流血してたの? もしかして敵にでも襲われた?」

 

エリーゼがたどたどしく。ティポが慌ただしく。二人は僕のことを心配してくれていた。

僕は何でもないと言い返し、まずはやるべき事をやると決めて。二人を正面に、直立不動の姿勢を取った。

 

「………ごめんなさい!」

 

そして、頭を90度前に倒した。

 

「ジュード………えっと、何で謝るの?」

 

「僕が変な態度をとったから。嫌だったよね、エリーゼ。怖かったよね」

 

「う………ん………」

 

詳しい事情など、言っても耳に入らないだろう。だから率直に告げた。否定の言葉がないということは、そういうことだ。嫌で、怖がらせていた。僕が村人と同じようになるんじゃないかって。

 

だからこそ、頷いた。だけど、辿々しい声は変わらないでいる。恐らくは、今まで見たことのない行動を取られて、その事実に戸惑っているのだろう。何かに恐怖しているかのようにも見えるが。そんな所に、ティポが言葉を挟みこんでくる。

 

「ジュード君こそ、怖くないの? 僕達といるの、嫌じゃないの?」

 

それは率直な言葉だった。言葉を返して、本当かと問い返してくる。本心で語られていることが分かった。

 

だから僕は嘘や見栄で虚飾しない、思っているままの言葉で返した。

 

「びっくりした、のは確かだけど。それでもエリーゼは僕の怪我を治してくれたんだ。嫌な態度を取った後の、今でさえ。だから、怖くないよ」

 

あの時も今も、目の前のエリーゼから感じられるのは、焦燥感だけだった。

僕が怪我をしたということ、それに対して焦って。ただ僕が心配だから、治癒術を使ってくれたと。それがはっきりと、理解できた。喩えようのないほどに大きい、後悔の念が生まれ出てきた。

 

自分の不甲斐なさに思わず泣きそうになり、エリーゼの健気さにまた別の意味で泣きそうになった。

 

あの村で嫌われるようになった原因である年に似合わない精霊術を、エリーゼはそれでも使おうと決心してくれたのだ。何よりも、僕の傷を癒すために。だけどそれに対して僕は、何も返せていないではないか。それどころか、全く反対の態度を、そして感情をぶつけてしまったのだ。

 

――――まるであの時の"あいつ"のように。知っている僕が、それを"した"のだ。

だからこそ、許してもらえるかどうかは分からないが、僕の口と心から謝らなければならない。

 

「ごめんなさい。そして、ありがとう………傷を治してくれて」

 

ジャオにつけられた傷と、今の額の傷。

指で抑えて、その後に握っていた拳を開いて掌で。

 

「怖くない。むしろ、綺麗だって思った――――もう痛くない。ほんとに、エリーゼはすごいな」

 

エリーゼの柔らかい頭に手をそえ、頭を撫でた。

 

「本当にありがとう…………エリーゼ?」

 

許してもらえるまで、感謝の言葉を告げるようとする。許してもらえなくても仕方ないと。

 

「えっと………エリーゼ?」

 

なぜかエリーゼは顔を地面に落としている。そのまましゃがみ込んだ。

顔を見せないようにして、なにやら肩が震えている。

 

「って、泣いてる?!」

 

エリーゼは声を殺して泣いていた。引き付けを起こしているように、時々肩が震えている。

 

「な、なんで泣くの!?」

 

「もう、ジュード君のせいだよー! いきなり驚くこというからー!」

 

「ちょ、僕のせい!? こ、こういう時はどうすればいいのかな、ティポ!?」

 

「えーっと………こう、がばっと、エリーを抱きしめてくれればいいかなー!」

 

「こ、こうか!?」

 

必死に抱きしめる。が、なぜか泣いているその勢いが、強くなった。

 

「ど、どうすれば…………!?」

 

傍目には深夜に少女を泣かせている不審者。手配されてなくても捕まってしまう。

 

「と、取り敢えず宿に――――」

 

そのまま、僕はエリーゼを抱えて宿へと走った。幸いにして、誰にも見つからないまま、戻ることができた。エリーゼを抱えた瞬間、ティポが驚いたように目を丸くして黙り込んだのは、さらに驚いたけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その光景を眺めている者の姿が、2つ。

 

「そう来るのかよ、ジュード・マティス(ご同輩)…………全く厄介な」

 

甘い蜜のような言葉を吐いた男は、予想外の結果に頭を抱えていた。

 

 

 

「…………揺らいだり、離れたり。それでもまた近づいたり…………人間というのは分からないな」

 

そして宿を飛び出た少女を見守っていた女は、不可思議だという顔をしていた。あっちにいったり、こっちにいったり。無駄が多くて、一貫性のない行動を理解できないと。それでも、いつもの調子が戻った少年と、泣いて嬉しがっている少女の姿を見ながら。

 

 

「分からない、けども――――」

 

 

自分でも名前をつけることができない何かが、胸の奥に灯ったような感覚を抱いていた。

 

 

 

 



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間話の4 : 暗躍者たち

 

「………ふん、面白い。厄介な駒が揃いやがったか」

 

暗闇の中で、男の声が響く。対面に座る、報告書を持ってきた女性に笑いかける。

 

「前衛に後衛に回復薬。連携に関しても見直し始めたようだ。正面から包めば潰せるだろうが、被害の面を考えると…………」

 

「甚大なものになるでしょう。"楔"があるとはいえ、あの拳士の少年の力量は侮りがたいです。マクスウェルも同じく、奥の手を隠しているとも限りません」

 

「ああ。だが、今は組織の黒匣《ジン》を表立って使うのはまずいか………さて、お前ならどうする」

 

「内から潰します」

 

考えるまでもないと、問われた女は即答する。

 

「外は固いかもしれませんが、中にはまだ付け入る隙が。特にエリーゼ・ルタスの方ですね。今回の一件で、それなりの繋がりができたようですが、まだそれなりです。信頼関係に傷ができたのも確か。じきに癒えるでしょうが、今ならばまだ。言葉しだいでどうとでもできるかと」

 

「時間をかけていない言葉だけの信頼は、か? お前の持論だったな」

 

「はい。少年と少女。単純な言葉のやり取りで、どうにか和解はしたでしょうが――――それには根拠がない。少女の方もまた。疑心を育てる"種"はありますから、あとは燃料を注ぎ込んでやればいい」

 

自然と綻びが生じますと、女は決定事項のように告げた。

 

増幅器(ブースター)の件もありますから、一石二鳥。協力の意志がなければ手間取りますし、むしろ都合がいいでしょう。ただ、閣下が表に出られる時期ではありませんので………」

 

「そうだな。ナハティガルから離れられん…………が、お前は動けるか」

 

「御意にございます。私の方はまだ御曹司には知られておりません。変装でもすればいいでしょう。実験は…………要塞の中で行いましょうか。要塞内の兵士の内、牢を警備する人員を組織のもので固めておきます」

 

「いいだろう、任せる。ここからは切り札を持っていないと本格的にまずいことになるからな。どうしても、あの氷の大精霊は必要になる」

 

「必要、ですか………それは、女だからですか?」

 

「――――冗談も大概にしろ、撃ち殺すぞハイドラ。よりにもよってこのオレが、だと?」

 

本物の殺気に、ハイドラと呼ばれた女性は、その顔を青くする。

 

「下らねえ事を言うな、お前じゃなかったら問答無用で撃ち殺してるところだ。オレに"そんな"趣味はねえよ。ましてや、ただの燃料(精霊)になんぞ、誰が欲情するか」

 

男は、追い払うように手を振る。

 

「さっさと行け。例の邪魔な動きをしようとしているお坊ちゃんの始末も任せる。平和主義者の命を矢の先で否定してやれ。まあ、あの食わせ物の爺いの隙をつくのは至難の業だろうが………」

 

「やれます。この20年の苦労を考えれば、何てことはありません」

 

「当然だろう――――さあ、始めるぞ。最高適合者であるあのガキのデータを。成果をぶんどれれば、いよいよ仕上げに入れる」

 

男が立ち上がり、腰元の銃を手に取る。造形も見事な、一目見て特殊であると分かる銃。

 

――――20年前に兄から奪った、当主の証を掲げて。

 

「何もかもが思い通り。だが、俺は油断しねえ――――ここまで来たんだ、やってやるさ」

 

その声は、まるで凶兆を告げる鳥のような。それでいて、芯のようなものがあった。

 

かくして、運命は流れていく。

 

 

そうして飲み込んでいくのだ。都合などしったことかと、大地を貫く大河のように、そこに存在するありとあらゆるもの全てを。

 

 

誰も彼もが、傍観者ではいられなくなる。

 

 

「邪魔なものは全て、撃ち砕く――――忌まわしいマクスウェルの壁よ、オレの前に砕け散るがいい」

 

 

言葉は虚空に響いて、やがて天へと昇っていった。

 

 

 

 



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24話 : 出会いと別れの町で【前】

 

エリーゼを宿に連れて帰って、その翌日の早朝。

 

僕はミラと一緒に買い出しに出ていた。エリーゼは昨日に夜更かしをしていたため、昼間では起きないだろうとのことだ。同じ時間に寝た僕も実は眠たくて、このまま昼まで寝てしまいたいのだが、迷惑をかけたこともあるので、こうして買い出しをすることにした。横にいるミラも少し眠たそうにしている。今はエリーゼが起きた時を考え、アルヴィンが宿に残っているのだが、あいつも眠たそうにしていた。

 

「ふあ………しかし、朝だというのに、人が多いな」

 

あくびしながら、ミラが言う。僕はそうだね、と頷くとこのカラハ・シャールという街について説明を始めた。

 

「ここは六家のひとつ、シャール家のお膝元。それもラ・シュガルの交易の中心となる街だからね。一般には、出会いと別れの街って言われているぐらいだから」

 

このカラハ・シャールはラ・シュガルにおける交易の、その大部分が集中する都市である。物が行き交い、そして人も行き交う。物の流れは人の流れとはよく言ったものだ。故に出会いと別れもこの街に集中する。

 

「人生の区切りにもなるからね。新しい仕事との出会い、それが都合で別れる人………傭兵の終着点とも言われているけど」

 

「出会いと別れ、か」

 

言ったきり、ミラは周囲の人たちをじっと見回し始めた。どうやら街の人たちを観察しているようだ。交易の仕事としてやってくる、荷物を抱えた商人。傭兵を生業としているのだろう、腰に剣を差している男。どこかの学生だろうか、見るからに観光に来ましたと集団ではしゃいでいる女性。まだ朝だというのに、元気なことだ。店側も稼ぎになると分かっているからか、こんな時間から営業を始めているようだ。さすがに武器防具や装飾品を扱っている店はまだ開いていないようだが、食料品屋に普通の道具屋は開店している。

 

「ちょうどいい、グミの補充をしておくか」

 

財布を取り出し、商人に話しかける。まず最初に見せるのは、ギルドのカードだ。溜まった交易品のポイントを見せて、それを確認してもらった後、グミを割引で買っていく。

 

「ジュード、それは?」

 

「グミだよ。アップルグミにオレンジグミ、数は少ないけどレモングミにパイングミ。って、ミラってひょっとしてグミを買ったことがない?」

 

「魔物が落としたものは何度かな」

 

「ああ、それもあるね」

 

グミとはマナの結晶だ。魔物が死んでマナに還る際、一定確率で特定の形に変わっていく。少ないマナならアップルグミやオレンジグミ。こちらは弱い魔物が落としていく。保有マナの総量が少ないからだろう。反面、強い魔物はそのマナの量も多く、レモングミやパイングミを落としてくれる場合が多い。

 

「しかし、なぜ果物の名前に?」

 

「いや、色と味がね。偶然似ているから、らしい」

 

誰がつけたかは知らないが。まあ、果物は自然のもので、このグミもマナという自然のパゥワから生み出されたものだ。何も、おかしいことはない。

 

「そういうものか。そのグミの効果は?」

 

「一言で言えば滋養強壮薬、かな」

 

「栄養薬のようなものか。ん、傷が癒えたりはしないのか?」

 

「はっはっは。やだなあ、ミラさん――――グミ食べて瞬間的に身体が回復するとか、あるわけないじゃないですか」

 

何かを敵に回した気がするが、それは置いといて。

 

「アップル、レモンは体力を。オレンジ、パインはマナを回復してくれるんだ。まあ、食べる過ぎると中毒になるから、使い所は限られてくるけど」

 

それに、値段も高い。商人ギルドに交易品を提出して、貢献していない者ならば特に。

 

「ここから先は何があるか分からないからね。ちょっと補充しておこうかと」

 

「用意周到なことだな」

 

「一人の身体じゃないからね」

 

前衛である僕が倒れると、なし崩し的に後衛がピンチになるだろう。それだけは避けたい所だ。

 

「………やはり、エリーゼの申し出を、受けるのだな」

 

「聞いてたのか、やっぱり」

 

昨日の夜遅くまで話していたこと、聞かれていたようだ。気配は感じていたから、そうなんだろうなとは思っていたけど。

 

「説得は無理そうだったから。下手に動かれてボン、ってのはまっぴらごめんだし」

 

「それならば指示に従え、と。確かにエリーゼは譲らなかっただろうしな」

 

足手まといになりたくない、役に立ちたい。それはダメだと言った。危ないからと。だけど、エリーゼの最後の言葉には抗えなかった。

 

死んでほしくないと、エリーゼは懇願してきた。面と向かって真正面からそう言われたからには、もうどうしようもなかった。その目にこめられていた意志は強く、抗いがたいような色の光を発していた。そしてその裏には梃子でも動かないという、強固な意志が感じられたから。

 

(それに、実際に回復役が居ると居ないのとでは、パーティの安定感が全く違う)

 

戦闘において、回復役がいるのといないのとでは、その安定感は雲泥の差だ。

具体的にいえばアグリアとミラぐらい違う。胸的な意味で。

 

「うん」

 

「人の胸を見て何を納得している。全く………お前も分からない奴だな」

 

「何が?」

 

「エリーゼに対する接し方についてだ。守るといったり、その反対の態度に出たり。その直後にはまた一変していたり」

 

「う………」

 

耳に痛い言葉とはこのことだ。確かに、情けないことをしてしまったのだから。

 

「決めたことならば、最後までやり通すべきだろう。それとも、簡単に揺らぐような決意だったのか?」

 

「それは………違う、けど」

 

もう決めて、これからは揺らがないと決めた。それでもミラとアルヴィンには迷惑がかかった。何よりエリーゼを傷つけたに違いない。そんな自分の行動を鑑みると、外からは確かにそう見えるわけで。でも、言い訳ができるような事でもない。

 

色々ある、と言っても言い訳にしかならない。こうだと決めて、最後まで揺れずブレず貫き通す、なんて強い心を持っている人間の方が少ないのだ。そう言えればいいのだが、それでは厚顔無恥であろう。ならば、はじめから言い出さなければいいのだ。

 

決めた挙句に揺らいで、それを人間だからと言い訳をするのは恥を知らない行為だと思う。全面的に僕が悪い。それ以外に、解答はないだろう。

 

世界にはそうした一念を貫けるような、強い人間だって存在するのだから。

 

そう、例えば――――

 

「そういえば、ミラは? リーゼ・マクシアを守るために黒匣(ジン)を壊すという使命を、自らに課しているって聞いたけど」

 

「ああ」

 

答える声と、瞳にも迷いは無かった。まるで雲ひとつない蒼天のような煌き。

純粋な意志だけが感じられる。

 

「でも、なんでそれだけの意志を持てたの? 決意した、理由とかは………」

 

ミラは、基本的な行動方針をブレさせない。イル・ファンの研究所の前でも感じたことだ。やると決めたのなら、自分の命を勘定にいれない。そんなミラだから、僕も助けたいと思ったんだけど。まあ、"マクスウェルだから"と言われればそうなのかもしれないが、ミラとしてはまた別の想いがあるのかもしれない。

 

「理由、か。それは…………人が好きだからだよ」

 

「人が、好き?」

 

「ああ」

 

言うと、ミラはポケットからひとつのビー玉のようなものを取り出した。

 

「私にも子供の頃があってな。これは、その時に友達からもらったものだ。日が暮れるまで一緒に遊んで………楽しかった。そうして、またあしたと約束した後に、これをもらったんだ」

 

「それで、次の日も?」

 

「いいや。その日だけだったよ。遊びに村の外へと抜けだしたのも、シルフと一緒に抜け出したからだ。帰った後にイフリートに見つかって、二度とするなと怒られた。もう遊ぶことはなかったのだが………」

 

それでも、あの時の記憶は宝物だったと。子供のように笑うミラが、一層魅力的に見える。

 

「旅をしながらでも感じる空気がある。ハ・ミルだって、そしてこの街でだって。守りたいと思わせる、何かがあるんだ」

 

「………そう、か」

 

声にまた、迷いはなかった。でも―――なにか、納得しきれないものを感じる。

 

(それだけで、とは言えない。でも、それだけで…………自分の命を賭けて、世界中を飛び回って。眠ることも食べることもせずに、長い間戦えるものなのか?)

 

僕だって、夢見がちな少年ではない。人並み外れた決意や覚悟には、相応のものがあると思っている。例えば、悲しい過去。それを見たくないからと、そこから抜け出したいと。そう思った果てに、自分を変える決意をするのが人間だ。例えば、大切なもの。例えば血や情の縁の果てに感じたこと。

 

絶対に失いたくないと、自分と繋がっている人たちを守りたいから、覚悟をもって苦境に挑むのが人間だ。使命も同じだろう。ミラの決意と覚悟は、半端じゃない。その使命という炎にくべる決意や覚悟の量は、並ではダメなはずだ。なのに、どうして。人間臭さを感じるミラから、そんな言葉を聞くと。どうしても、違和感を覚えてしまう自分がいる。マクスウェルは特別だと、そう納得してしまえれば別なのだが。

 

「どうした、ジュード」

 

「いや……ミラは、強いんだね」

 

「お前だって強いじゃないか」

 

「いや、叶わないよ。そうだね、例えば………目の前に賢者《クルスニク》の槍がある。意志ひとつで壊せる。でも、ニ・アケリアの村の人達が人質に取られていて、槍を壊せばその村人を殺すという。そういう時は、どうする?」

 

「そうだな。出来るだけ助けたいが………方法が無いとすれば、私は槍を壊すことを選ぶだろう」

 

「村人は、見殺しにするんだ」

 

「従ったとして、その村人を殺さないという保証もない。諸共に殺される可能性もあるからな。そうなれば、数え切れないぐらいの人間が死んでしまう………だから、見殺しにするな、私ならば」

 

ミラは断言した。だろう、などという逃げの言葉はなく、口調にも迷いがなかった。

 

「お前はどうなんだ? 例えばエリーゼが人質に取られたとしよう。お前の譲れないもの目の前にあって、それを取ればエリーゼを殺すと敵が宣言する………お前ならば、どちらを取る」

 

「僕は………」

 

守ると決めた。言ったんだ。それでも、医者の夢を諦められるのか。エリーゼを見殺しにすれば、精霊術を使えるようになると言われたら、僕は?

 

「………意地の悪い質問だね」

 

「お前の言ったことだろうに」

 

呆れたようにミラが言う。だけど、確かにそうだ。あるいは、そういった残酷な二択を迫られたときに、自分はどうするのか。

 

「どちらも選択しない。両方取る、ってのはダメ?」

 

「可能であればな。だが、それは恐らく厳しい道だと思うぞ。不可能を可能にしようとするのなら、自分の命をも捨てる覚悟が必要だ。私とて………イフリートとウンディーネを同時に使役することはできない」

 

両手でもってしても、救えるのは一人だけ。そうした時にどうするのか、とミラは問うているのだ。あるいは、命を差し出さなければならなくなると。

 

「そう、だね。肝に命じておくよ」

 

言いながらも、ずっとその問いは僕の頭の中に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、昼。昼食を済ませると、僕達はまた街へとくり出した。

 

「また、一段と人が増えたな」

 

「すげー熱気だな。ア・ジュールの街とか、イル・ファンとは違うわ」

 

「人が、いっぽいです………」

 

「目が回る~!」

 

「あ、エリーゼは僕の手を。ティポはちょっと上の方に飛んでて。低いと、人の流れに巻き込まれるから」

 

エリーゼの手を握って、引っ張りながら皆も連れて歩いて行く。目的地は武器屋だ。

ミラと、そしてエリーゼの武器を新調しなければならない。ミラも剣の技量はあの頃よりは、格段に上がっている。今ならば、性能の良い武器をもっても、それに振り回されないだろう。エリーゼは、マナの効率変換が高い武器を。戦いに挑むというのであれば、今の僕に買える、最高級のものを買うべきだ。あとは、マナの効率変換、特に防御に関しての効率が上がる装飾品を一つ。手持ちの金が全部なくなる勢いで買うべきだ。

 

「正直、嬉しいのだが………いいのか、ジュード?」

 

「わたしも、少しだけなら、お金もってます………」

 

「今のままでも、エリーは戦えるかもよジュード君ー?」

 

「いいよ。ミラは朝のと、昨日の………その、迷惑をかけたお礼に。エリーゼは未来のために」

 

「みらい、ですか?」

 

「うん。治癒術があるからって、深い傷なら後に残ってしまうし。ほら、傷物にさせるわけにはいかないし」

 

ジャオのおっさんとの約束もある。

傷つければ、あのハンマーで今度こそ叩き殺されるかもしれない。

 

(あのおっさんの力量も、尋常じゃなかったよなぁ)

 

力だけじゃない、技も持っていた。戦い慣れているようだったし、あのおっさんが本気で殺しに来る光景とか、ちょっと想像したくない。

 

(グミと午前中の集気法でかなり調子が戻ったとはいえ、な)

 

怪物の影響は少なくなっていた。あれだけマナの巡りが悪くなっていたというのに。

昨日になぜだか大幅に調子が戻ったのも大きいが、あれはなぜなのだろう。

 

(マナと心は密接な関係があるって師匠は言っていたけど)

 

錬無き心に意味はなし。心なき拳に威力なし。マナは自らの意志を試すものである。どれも、師であるソニア・ロランドの言葉だ。だから、拳と一緒に心も鍛えなさいと。その方向性が、一端の男にと、そういう事だ。自らに胸を張れるようになれば、拳の筋もまた通ると。

 

そんな事を考えているが、エリーゼの返事はない。見れば、耳を真っ赤にしてうつむいている。ティポは目を×にして飛び回っているが、何故だろう。まあ、いいだろう。今は買い物だ。そうして、ミラとエリーゼの装備を見繕って、買った後には入り口の所にまで来ていた。アイスクリーム屋に興味しんしんなミラとエリーゼにソフトクリームを買って、当たりをぶらつく。

 

(誰も、こんなくつろいでいる僕達が手配されている人物だとは思わないだろうな)

 

それでも、周囲の警戒は怠らない。360°、人の数が多くて全てのマナの気配を探るのは無理だが、それでもさり気なく視線を配っていく。と、そこで特徴のある人物を見つけた。

 

入り口の正面。まるで露店のように、屋台の上やその前に出された台の上に品物を並べている、骨董品屋らしき店。その前に、その二人はいた。

 

一見すれば、少女と老人にしか見えない。誰もが、そう考えることだろう。

 

実際、一人に関しては取り立てて警戒するような人物ではなかった。見るからにお嬢様なオーラを出している少女だ。年は、僕よりひとつふたつ上ぐらいと見た。普通に美少女ではあるが、戦いの経験もない、いかにも箱入り的なお嬢様だろう。いや、顔はすげー可愛いし、性格が優しそうで、温厚な顔立ちをしているからそれはそれで注目に値するんだけど。

 

だが、重要なのはもう一人の方である。

 

一見すればただの老人にしかみえないが、こいつは"違う"だろう。好々爺然としていて、その表情におかしい所はない。見る限りは、良家の執事のようにしか思えない。けど、マナのコントロールに関しては違う。特にマナコントロールと気配を探るのが得意な僕だけには分かる。その老人が纏っているマナが、あまりに整いすぎているということ。そして、重心の落とし方も臭かった。ただ立っているように見えるが、この爺さんはいつでも動けるようにという体勢を保っている。

 

それをお嬢様の方に気づかせないのも見事だ。まるで師匠のよう、無警戒を見せながらもまるで隙というものが存在しない。いや、師匠よりはレベルは落ちるんだけど。

 

それでも、積極的に立会いたい種類の人間ではない。エリーゼを抱えている今では特に。

と、いった結論に達するが――――ミラはそんなの関係ないとばかりに、骨董品屋に近づく。

 

「骨董品屋か………」

 

「いらっしゃい、見ていってくださいよ」

 

ミラの言葉に、店のマスターが答える。ミラは頷き、前に屈みながら台の上に並べられている品物をまじまじと見ている。

 

「なんだか、街のあちこちが物騒だな」

 

「ええ。なんでも、首都の軍研究所にスパイが入ったらしくて。王の親衛隊が直々に出張ってきて、怪しいやつらを検問したり、街を見回っているんですよ」

 

アルヴィンの言葉に、店主は手早く答えた。商人は情報に詳しくなくてはいけないというが、それでもすらすらと淀まず答えが出てくる所は流石である。ともあれ、王の親衛隊か。

 

「まったく、迷惑な話で………」

 

「ははは。検問止められたら、商売にならないもんなあ」

 

と、世間話をして注意をそらしてくれるアルヴィン。その横では、エリーゼが美少女の背中ごしに、置かれているカップをまじまじと見つめている。

 

「………キレイなカップ」

 

「でも、こーゆーのって高いんだよね?」

 

エリーゼの言葉に、ティポがすかさずツッコミを入れた。一方で老人は全く動じていない。僕でさえ初見の時は思わず飛び上がってしまったのに。

 

(並の胆ではない………って、僕が臆病とか、それはないから。ないから)

 

強がりなんかじゃない。って煩い目で見るなよアルヴィン。

 

「ああ、お目が高い。そいつは、『イフリート紋』が浮かぶ逸品ですからねぇ」

 

店主が調子良さそうに喋る。その一言に、美少女が反応した。

 

「イフリート紋! イフリートさんが焼いた品なのね」

 

友達か。

ツッコミそうになったが、こらえる。その天然気味な美少女はまた、まじまじとカップを見つめはじめた。なんか、素直すぎて騙されやすそうな子だ。見るからに素直そうでもあるが、見ていてちょっと不安になる子である。

 

―――と、そこでミラが手を伸ばした。

 

少女が持っていたカップを手に取り、宙に放り投げた後に手元でくるくると回して、カップの全てを観察しているようだ。そして、うんと頷くと、はっきりと告げた。

 

「ふむ。それはなかろう。彼は秩序を重んじる生真面目なやつだ。こんな奔放な紋様は好まない」

 

「ファッ!?」

 

思わず変な声を上げてしまった。こんな衆目の場でなにいってんすかミラさん。

そして、その言葉に爺さんが反応した。

 

「ほっほっほ。面白い人ですね。四大精霊をまるで知人のように………確かに、本物のイフリート紋はもっと幾何学的な法則性をもつものです」

 

言いながら、カップの皿を手にとって観察する。

 

「おや………このカップが作られたのは、十八年前のようですね」

 

「それが………何か?」

 

店主がどもりながら同意すると、爺さんの目が光ったように見えた。

 

「おかしいですね………イフリートの召喚は20年前から不可能になっていませんか?」

 

「う………」

 

店主がうめいた。その通りで、それは一般教養で、いわゆる一つの常識というやつだ。その後の事は、言葉にするまでもない。

ただ、美少女だけはカップを手に取ると、ちょっと落ち込みながら呟いた。

 

「残念………イフリートさんが作ったものではないのね」

 

「お、お嬢様………」

 

ちょっと狼狽える店主。だけど、美少女は表情を一転すると、店主に笑顔で告げた。

 

「でもいただくわ。このカップが素敵なことに、変わりないもの」

 

笑顔で告げられた店主は、ちょっと驚いていた。それはそうだろう。僕ならば至近距離でメンチを切った後、「にーさん、話ちがうんですが………これはどういうことや?」と告げていただろう。チンピラ風に。それに比べればこの美少女の、なんで器の大きいことか。ちょっと胸大きいし。この年齡を鑑みても、大きいし。

 

「はい………お値段の方は、勉強させていただきます」

 

店主の方も毒気が抜かれたのか、素直に応対することにしたようだ。

 

その後、お嬢様は5割引でカップを購入していった。

 

 

 

 

 

一段落してから、僕達は大通りに集まっていた。だけど、こうして何もしないのも暇すぎる。

そこで僕達は、休憩がてらにソフトクリームを食べることにした。

 

「ふふ、あなた達のお陰でいい買い物ができちゃった」

 

「いえ、やったのはミラですから」

 

「気にすることはない。こうして、ソフトクリームも買ってもらったことだ」

 

言っておくが、ミラは2本目である。なんていうか、今日もミラは食に対しては絶好調であった。特に甘いものに覚醒しはじめた様子だ。

 

「って、ああ。クリームがほっぺたについているよミラ!」

 

「ああ………っと、取れにくいな」

 

手でクリームを拭っているが、広がるだけでクリームは残っている。上質のミルクを使っているせいか、妙に柔らかい。純粋なアイスではないのか。で、そうして拭いている内に、逆の手に持っていたクリームがついたようだ。気づけば、ほっぺたとか鼻とか、顔のあちこちに白いクリームがついていしまっている。

 

「………ほら、ミラ」

 

「ありがとう、ジュード」

 

されるがままにするミラのクリームを、ハンカチで拭きとってやる。

ハンカチで拭うと、わりとすぐに取れた。

 

その後に僕は、振り返ってお嬢様の方を見るが――――

 

「って、アルヴィンどうしたの?」

 

かなり顔が赤い。ていうか、なあ。なぜかこっちを注視していた周囲の野次馬共、主に野郎共が前かがみになりながら去っていくのだろうか。

 

「ほっほっほ」

 

爺さんは笑顔のままだが、何か別のオーラを感じる。エリーゼとお嬢様の方も見るが、二人は訳がわからないという顔をしていた。

 

その純粋な瞳に、心が痛む。なぜだろうか。一方で、ミラも首をかしげていた。女には分からないものなのか?

 

――――まあ、いいか。取り敢えず無視して、僕はお礼をいう事にした。

 

「ごちそうさま。ありがとう」

 

「うむ、おいしかった」

 

「ありが、とう」

 

続いて礼を言うミラとエリーゼ。対する美少女は、笑顔でどういたしましてと答えた。

 

「それに、こちらこそです。私は…………ドロッセル・K・シャールと言います。よろしくね」

 

「執事のローエンと申します。どうぞお見知りおきを」

 

美少女の名前はドロッセル、爺さんはローエンというらしい。

 

「それで………お礼に、お茶にご招待させていただけないかしら」

 

ドロッセル嬢のいきなりの提案だった。見るからに貴族のお嬢様からのお誘いだ。ぶっちゃければ初めてである。それでも、何があるかは分からない。私兵などがいても遅れをとるつもりは毛頭ないが、騒ぎになるのも困る。なので僕はどうしようかを少し考えようとしたが、それより先にアルヴィンが返事をした。

 

「お、いいねえ。じゃあ後でお邪魔させていただきますか」

 

笑顔で答えるアルヴィン。止めようとするが、遅かった。

 

「はい。私の家は街の南西地区です。それでは、お待ちしておりますわ」

 

そう言うと、ドロッセルは優雅な礼を見せたあと、最後まで笑顔のまま。

礼をして去っていくローエンを後ろに連れ、街の中心部の方へと去っていった。

 

 

 

で、残った僕達は尋問タイムである。まずミラがアルヴィンにきっつい視線を飛ばした。

 

「アルヴィン………どういうつもりだ? 私たちには、そんな暇などないのだが」

 

ミラがアルヴィンを睨む。ここは、一国も早くイル・ファンに向かうべきだと思っているのだろう。

 

「どうもこうも………なあ、ジュードよ。彼女の姓を聞いて気づかなかったのか?」

 

「姓って………K・シャールだろ? ―――ってあのシャール家か!」

 

シャール家といえば、この街の領主だ。六家のひとつで、最高位の貴族と言っても過言ではない。

 

「さて、どうする………?」

 

「………ここは乗ってみるのも手だと思う。考えてもみろよ、あの堅牢無比なガンダラ要塞を抜ける手立ても見つかっていないんだぜ?」

 

情報を収集するにも、利用するにも、これ以上の相手はない。

アルヴィンは、そう言っているのだろう。

 

「まあ、相手は六家だし。あのお嬢様の人柄とこの街の様子を見るに、シャール家は悪い家じゃないとは思うんだけど」

 

「ふむ、六家か……」

 

「うん。ファン家に、イルベルト家に、シャール家に、ズメイ家に、バーニャ家に――――トラヴィス家」

 

ラシュガルの貴族の中でも、特に位の高い貴族のことである。貴族という風潮からして、僕にはどれも好きにはなれないが。特に最後の家のイメージが強すぎるのが問題か。

 

(ナディア―――――ナディア・L・トラヴィス)

 

それは、ナディアのフルネームである。本人から直接は聞いたことがないが、それでも耳には入ってくる。裏にあった事件も、貴族だからして、そしてあのナディアの様子から見ても。どう考えても、碌なことがなかったに違いないのだから。

 

「あとは、現王の名前もね…………確か、ナハティガル・I・ファンだったと思う」

 

「近しい立場にいるか。なら、手を借りられるかもしれないな」

 

それとなく情報を匂わせれば、利用できるかもしれない。特に研究所で行われていた実験だ。あれは後ろぐらいってレベルじゃない。ともすれば、六家内の騒動にまで発展しかねないほどの爆弾だ。それでも、シャール家が承知で協力していれば家の中で消される可能性はあるが、その時は逃げればいい。あの優しそうなお嬢様に告げるだけでも、場を引っ掻き回せそうだし。

 

(そうはならないと思うけど)

 

街を見れば領主の人となりは分かるとはよく言ったものだ。ここはイル・ファンとは違う。霊勢のせいもあるのだろうが、どう見ても良い街にしか見えないのだ。ドロッセルにしてもそう。あんな少女が居る家ならば、ひょっとしてという想いもある。街の様子が示している。そういえば、昨日の夜にも出歩いたが、治安が良いように思えた。朝も昼も治安が良いとは、思ったよりも良い街だ。良い為政者がいるということだろう。

 

それにここに来るまで観察していたが、地元らしき住民と、緑を帯びた装備をつけているシャール家の兵士との仲はかなり良好に見える。無理な弾圧が行われていないのがその証拠だ。反対に、赤を帯びた装備――――イル・ファンでも見たラ・シュガル国軍か。あるいは、また別の。国王の親衛隊はそうでもないらしいが、どうなんだか。

 

「それで、どうする?」

 

「………まあ、一時間程度で住むだろうしな。お茶をしてからでも、情報収集は出来る」

 

「決まりだな」

 

「お茶、楽しみです!」

 

「ははは、エリーゼは可愛いなあ」

 

和みまくるわーと、エリーゼの頭を撫でる。まるで猫のように目を細めて、頬まで染めるエリーゼの姿に、いつまでも僕の手は止まってはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その様子を、遠くから監視している者があった。大きな家が立ち並ぶ家の、その屋根の上で。

見るからに怪しい服装。黒い外套に、仮面をつけているその人物は、小さな声でつぶやく。

 

「く、まさかここで接触するとは………少々予想外ですね。少し、作戦を変える必要がありますか」

 

実に忌々しい、と。黒い人物はそう告げると、最後に見るものを見て、去っていった。

 

眼下に去っていく、ファン家の馬車を後にして。

 

 

 

 



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25話 : 出会いと別れの町で【後】

 

 

ドロッセルと執事のローエンからお茶会の招待を受けた後、僕達はひと通り町の中を歩きまわっていた。そこかしこに珍しいものが。種類も量も、半端無いぐらいにある。流石は"世界の物はひと通りここを通る"と言われるぐらいの事はある。

 

そしてひと通り回った後に、約束の時間となった。事前に聞いていた場所へと赴く。そこは観光名所として知られる広場の中央に見える風車の、その正面にある大きな石畳の通路、その先にある門を抜けた向うにあるらしい。言われた通りに歩くと、カラハ・シャールの南西地区が見えてきた。

 

この区画は見たところ、有力な貴族か商人達が大きな家を構える、いわゆる貴族街らしい。何やら猛烈に塀や壁に落書きをしたくなる衝動に駆られる。が、いらん追手も抱え込みそうなので自重した。ミラとエリーゼはどうやら僕とは異なる感想を抱いているようで、大きな建物や庭をしげしげと眺めている。

 

だが、ミラはいつもと違う。なんか、そわそわとしていて落ち着きがない。あまり見たことのない様子に、一体どうしたのだろうかと聞いてみると、ミラは真顔で頷いた。

 

「うむ………私はどうやら初めてお茶会に招待されて、少しワクワクしているようだ」

 

「そんな他人事みたいに」

 

あるいは、実感がないだけなのかも。

 

「で、ワクワクするのはお菓子目当て?」

 

「それもある」

 

真顔で頷く精霊の主。きっぱりと断言するその様は偉大なるマクスウェルでもないし、断じて女性のそれではないような。何やら無駄に男前すぎて、何やら今から戦いに赴くようで。つーか渋ってたのに調子いいなーこの人。あるいは、やると決めたのならば後ろを見ないタイプなのか、どうやら本気で楽しみにしているようだ。

 

先ほどのソフトクリームのことと言い、マクスウェルってお菓子の大精霊だったっけと思わせてくれる程のはっちゃけぶりである。

 

「私も、です」

 

「うん、エリーゼはお菓子の精霊っぽいね」

 

ふわふわしているし、とエリーゼの頭を撫でる。エリーゼの方は、意味が分からないと首をかしげているが、それでいいのだ。

 

「しかし、シャール家の本宅って一体どこだろうな。説明がなかったのは、来れば分かるってことだろうが」

 

アルヴィンは、頭の後ろで腕を組みながら歩いている。こうしていると、普通のにーちゃんに見えるから恐ろしい。しかし、言う通りではあった。家の正確な場所は教えられていないが、近くの人に聞けということだろうか。そう思った時に、正面に大きな家が見えた。

 

その屋敷は周囲の家よりも明らかに大きかった。大通路の行き止まりとなる場所に建っている大きな豪邸は、風格さえも感じられるほどのものだ。作りこまれているというか、見るだけで圧倒されるような。僕はそっち方面の芸術に長じているわけではないが、それでも何かしらを思わせる見事な造りであることは分かる。いや、これはむしろ"そびえている"といった方がいいだろう。そんな入ったことのない大邸宅の正面に、二人の姿が見えた。

 

あの童顔と胸は見覚えがあった、ドロッセルだ。どうやら僕達を待っていてくれたようで、きょろきょろと当たりを見回している。お嬢様を待たせるとは男の名折れ。すぐさま声をかけようとするが、目の前に見えた光景に声が止まってしまった。

 

邸宅の入り口。その大きな扉が開き、中から赤の装具を見に就けている兵士が出てきたのだ。

 

「ラ・シュガル兵………しかも重軍曹か、かなり上の奴らだな」

 

下っ端とは明らかに違う。正確な力量は分からないが、それでも研究所の警備兵とは明らかに違う雰囲気を纏っていた。

 

「………どうする?」

 

「今は、剣は抜かないで。もう帰るようだし」

 

出てきた兵士は、正面に止まっていた場所の前に立った後、邸宅の入り口の方に振り返ると戈を空に立てた。直後、奥から二人の人物が出てきた。距離が離れていて、わずかに輪郭が見えるぐらいなので顔つきはよく分からない。が、その二人が妙に特徴的な外見を持っていることだけは分かった。

 

一人は、巨躯の武人。ジャオとはまた違うタイプの身体つきで、歩く様もジャオとは別種の、どこか精錬されている威厳に満ちていた。まとっている服も違う、将軍クラスが身につけるような上質のもののような。そしてこの距離からでも分かるぐらいの、威圧感というのか見えないプレッシャーを放っていた。

 

もう一人は、こちらも背が高い男だ。だが、こちらは服装を見るに秘書というところだろう。身体の線は太くなく、どこかシャープな印象を思わせる。シャール家の客だろうか。その二人は、こちらに一瞥もくれることなく、そのまま馬車に乗って去っていった。

 

だがドロッセルは彼らを気にした様子もなく、僕達を歓迎してくれた。

 

「お待ちしておりましたわ」

 

明るい声に導かれ、僕達は邸宅の中へと案内された。

 

 

 

 

 

 

まるで別世界。何もかもが違う大邸宅の中、僕達はお茶を飲むサロンのような場所に案内をされた。そこで、自己紹介をかねてひと通り話すことにした。

 

「ジュード・マティスです。あの、もしかして?」

 

「ドロッセルの兄、クレイン・K・シャールといいます」

 

もしかしなくても、この街のトップだった。目の前の若いイケメンは、この家の当主でカラハ・シャールを治める領主様だという。ヒゲモジャのやり手の領主様を妄想していたが、全然違ったようだ。思っていたよりもかなり若い。物腰は柔らかく、貴族ということを仕草だけで分からせてくれる。上流階級の人間とはこういうものなのか。そういえば、家の中の何もかもが違っている。ゴージャスというのか、リッチというのか。そこいらにある小物でさえ、複雑かつ工夫されている細工が。

 

このソファーだって、イル・ファンの店の一ヶ月分の売りあげで足りるかどうか、という所だろう。しかし、納得できてしまうかもしれない。椅子ひとつにしたって、すわり心地がまるで違うからだ。やや呑まれた印象の中で―――ミラは相変わらずだったが――――僕達は、自己紹介をしあっていた。

 

(というか、名前も聞かないでお茶会に招待するとか、箱入りにもほどがありませんかお嬢様)

 

きっと甘やかされて育ったのだろう。ローエンか、クレインさんの苦労が偲ばれる。兄に僕達のことを紹介しようとして、まだ名前を聞いていなかったことを思い出した後に「いけない」と口を抑えたドロッセルにはかなり可愛かったが。つーかドロッセル嬢普通にかわいいな。18に見えない。あと、何気にスタイルが爆発している。

 

流石は六家のお嬢様ということか。仕草も話し方も表情も、これ以上ないってくらいお嬢様過ぎる。

 

(でも、あの銀髪もたしか六家のお嬢様………うん、オジョウサマ?)

 

オジョウサマという言葉に、哲学さえ感じさせてくれる。ていうか目の前のドロッセルは本物か。

ほんとにナディアと同じ種類の生き物なのだろうか。いかん、だんだんと不安になってきた。

 

「あの、どうしたんですかジュードさん」

 

「いえ………あの、つ貴方は突然フレア・ボムとかぶつけたりしてこないですよね?」

 

「はい?」

 

首を傾げるオジョウサマことドロッセル。ちがう、ここで首を傾げて可愛い仕草見せるとかおかしい。お嬢様ならここは「何言ってんだ、とうとう最後の脳みそまで消えちまったか霊力野と同じで」と返すところじゃあないのか。

 

てーか、こともあろうに、可愛く首を傾げるだけとか、何たることだよ。

 

「あの、身体のお加減が悪かったなら、すぐに言ってくださいね」

 

「はい。いいえ、なんでもありません」

 

心底心配そうな顔に、思わず軍人口調になってしまった。同時に、このお嬢さまはナディアたる全方位砲火型お嬢様とは異なる生物なんだと理解する。

 

いや、それはそれで問題なんだが。

だって、なにを話していいのか、まったくもって分からないのだ。

 

そういえば、僕もミラと同じで、こういった場所に呼ばれた経験が無いことを思い出す。年上の人と話すのも。医学校にいたころは、仕事関係で話すことをしていたが、こんなお嬢様な人と会話をしたことなんてない。

 

(どうしたものかなあ)

 

あの銀髪とはちょっと話し合った後に拳と剣での語り合いになることが多かった。でもまさか、この天然純粋箱入り培養お嬢様にそんなことはできない。ていうか、普通に外道な行いだろう。なのでここは、ミラとエリーゼと任せることにした。ちょうどお茶とお菓子がやってきたようだ。

 

ケーキは見事なもので、の外見にはどこか優美なものを感じることができる。きっと馬鹿みたいに高いのだろう。イル・ファンでも見たが、高いケーキは本当にばか高いのだ。一度だけだが、ハウス教授に連れられて行った事がある。娘のケーキを選んでほしいと頼まれた時である。

 

(………伝えきれてない、な)

 

遺言でもあった。でも、この状況で迂闊に伝えればまずいことになるだろう。

 

(イル・ファンに戻れば、必ず)

 

手紙では危険だ。直接会って話さなければならない。その時のことは、その時で考えるしかないだろう。僕は気持ちを切り替え、正面にいる面々の顔を見た。

 

ミラもエリーゼも、一口一口に驚きながらケーキを食べている。アルヴィンも素直に喜んでいるようだ。甘党だといったが、あれはあれで間違いないことなのだろう。お茶も美味しく、喉や口、鼻の中までも美麗な香りで潤してくれる。そうなると口も軽くなるのか、会話が弾んでいった。

 

例えば、お茶会に招待をされるようになった経緯など。

事情を聞いたクレインさんが、ドロッセルを見ながら言う。

 

「なるほど。また無駄遣いするところを、みなさんが助けてくれたんだね?」

 

「無駄遣いなんて! 協力して買い物をしたのよね」

 

ドロッセルが、すぐ隣に座っているエリーゼに笑顔を向ける。

だが、「ねー」と返事をしたのはティポだった。

 

「ははは、そうかもしれないね」

 

しかしクレインさん華麗にこれをスルー。全く驚くことなく、それどころか優雅な笑顔で同意していらっしゃる。そういえば、ドロッセルもふふふと笑ったまま、全く驚いていない。

 

(………あれ、初見であれだけビビったのって、僕とアルヴィンだけ?)

 

もしかして僕達って、割りとヘタレな部類に入るのか。アイコンタクトでアルヴィンに確認をしようとする。だが、胡散臭男は華麗にこれをスルー。ケーキに夢中で、僕のことなど全く見ていない。てーか甘党すぎるのもいい加減にしろ。一方で、女性3人の方はなんだかんだで話が弾んでいる様子だった。と、そこでローエンが背後から現れた。

 

クレインさんは耳打ちをして何かを伝えられると、少し表情を変えて「分かった」と頷き、席を立つ。

 

「すみません。僕は少し、用ができましたので………ローエン、みなさんのお相手を頼むよ」

 

「かしこまりました」

 

クレインさんは礼をすると、おなじく頭を下げるローエン、そしてドロッセルの方を見て、そのまま館の奥へと去っていった。

 

(………急用か。交易の中心となる都市だし、さっきも客が来ていたようだし)

 

物騒な噂もある。その一因を担っている僕に言えたことではないだろうが、町を治めるモノとしては忙しいに違いない。領主の仕事も、まだ18のドロッセルには頼めないだろうから、一人でまとめているのだろう。そのドロッセルの方と言えば、目を輝かせながらミラとエリーゼの話を聞いていた。内容は、僕達のこれまでの旅の話についてだ。ドロッセルはカラハ・シャールから出たことがないらしいので、例えば船に乗ったというなんでもない話でさえ、未知の領域なのだろう。

 

冒険譚はちょっとしたものでも、想像力豊かな人間ならば聞くだけで見たことのない新しい世界を旅しているように思える。ミラが語る直線的かつ端的な説明も、エリーゼがたどたどしく話す抽象的な言葉も、どちらも興味津々で、聞く度に大きな反応を返していた。ミラとエリーゼにしても、ドロッセルの素直な反応に嬉しく思ったのか、あるいは気持ちが乗ってきたのか。

 

まるで、明日の朝まで語り明かしそうな勢いである。アルヴィンはと言えば、席を立ち上がるとトイレに行った。声には出さず唇の動きだけで伝えてきたので確信はできないが、まあそれ以外にないだろう。ローエンは残ったままだ。というか、さりげにお菓子やお茶を補充している気遣いがすごい。主にドロッセルに気を使っているのだろう。話を中断させないようにと、気配を消しながら粛々と執事の仕事をこなしていた。

 

と、その視線がこちらを向く。

そしてローエンはどこか申し訳なさそうに、視線だけで何事かを告げている。

 

(………ん、席を? ああ、そういうことか)

 

ミラ達の話を中断させたくないということだろう。すっと気付かれないように席を立ち、離れていく。僕も、それについていった。

 

「すみませんね」

 

「いやいや、そろそろ居心地が悪くなってたし」

 

ガールズトークに混ざるものじゃない。そう痛感した僕である。こうした、遠くで見ている――――この距離にも、懐かしさと虚しさを感じるものだが。いや、今は思い出さない。

 

「ローエンさん、だったっけ。クレインさんは?」

 

「ローエンで結構でございます。クレイン様は、その急なお仕事で………申し訳ありません。私のようなただの爺いが相手では、退屈なさるでしょう」

 

「いやいや、とてもとても」

 

少なくとも油断ができないってことは確かだ。というか、さりげにこちらの間合いを外しているくせに何を言う。お前みたいな立ち振舞ができる"ただの爺い"がいるもんかっての。

 

だけど、余計な詮索はすまいと決めた。あの空間を壊すのも無粋だし、普通の会話だけで済ませばそれでいい。虎の尾を踏むのはゴメンだから、まあ毒のない普通の会話を切り出した。

 

「ローエンって、執事だよね」

 

「そうですが、何か気になりましたでしょうか」

 

「いやいや、何も。むしろ見事な執事っぷりに感動したぐらいだ。髭すらも執事っぽいし」

 

「はは、執事たるものまずは外見から整えなければなりませんので」

 

「そうなんだ」

 

「従者が主に恥をかかせるようなことなど、許されませんから」

 

そうなんだ。でも圧倒的年下に頭を下げるとか、どんな気持ちなんだろう。というより、いつから執事になったのだろうか。信頼っぷりが半端じゃないように見えるけど―――

 

「ローエンは、クレインさんの執事になってから、長いの?」

 

「はい、とはいえませんな。本職の方に比べれば、私などまだまだ。二年など、経験の内にすら入らないと聞きます」

 

「聞いた、ってことは先輩とかいて、それにいびられたとか?」

 

「いびられてなど。引退された前の執事の方に伺いました。ですが、あの方に仕えられたのは幸運であると思っています。クレイン様はまだお若いですが、民の自由と平等を重んじる立派なお方ですから」

 

「ああ、それは町を見れば分かるなあ」

 

造りもそうだけど、何より町の人の表情がいい。落ち込んでいる人も極稀にはいたが、それでも大抵の人達の顔には、笑顔が浮かんでいた。ミラも印象を受けていたのか、僕と同じ顔をしていたように見える。行き交う人々を見ながら、何やら満足そうに頷いていたし。

 

単純に楽しかったのか、それとも、守れたものを――――壊れなくてすんだ自分が好ましいと思う形、その価値を確かめていたのか。どちらかは分からないが、その表情は明るいものだった。ドロッセルも同じだ。連れはローエンだけで、周りに気にせず安心して笑顔で買い物ができる、というのを見れば、何となくだが治安の程度も分かるというもの。もっと警備兵を連れたほうがいいとは思うが。

 

「はは、以前はそうでした。ですが、その………クレイン様は、妹のドロッセル様には甘いですから」

 

「もっと軽い気持ちで買い物を楽しみたい、とか?」

 

「おっしゃる通りで」

 

そして、それが許されるほどの治安なのだろう。警備兵を連れてがちゃがちゃするのが嫌だというのは何となく分かるが。

 

僕はそんな調子で、ローエンと取り留めのない会話を続けていた。自分の事をただのじじいと言ってはいたが、ローエンの知識は奥が深かった。普通に会話するだけで面白いと思えるぐらいには。

話術の方も巧みで、こちらを退屈させないようにしてくれてもいるのだろう。

 

そうして10分ほど経過しただろうか。気づけば、ミラは席を立っていて、家の奥にある、皿を飾っている棚の前にいた。ドロッセルはといえば、エリーゼとまるで年の近い友達のように、楽しそうに会話をしている。

 

「………悪いけど」

 

「はい、いってらっしゃいませ」

 

ローエンの洒落の聞いたを背中に。僕は話に夢中になっているエリーゼとドロッセルの横を通り、ミラへと近づいてた。ミラは、熱心に家宝みたいな皿のようなものを見ている。表面には、美事としかいいようのない細工が施されていた。製造年月はかなり昔のもので、どうやら骨董品のようだ。

 

「ミラ、ずいぶんと熱心だね。もしかして骨董好き、とか?」

 

「ジュードか。いや、私が興味深いと感じているものとは少し違うな」

 

ミラは自分の綺麗な形をしているあごに指をあてた。

 

「興味があるのは………美という抽象概念を実用品にまで適用したがる、人間の不合理性についてだ」

 

「………難しいことを考えてるなぁ」

 

てっきり、この皿に料理を盛り付けたら美味しそうに見えるとか、あるいは単純に食べ物を思い出しているのかと。ともあれ、その話にはおかしい部分がある。不合理ではないだろう。

 

「ふむ、それはどういう意味でだ?」

 

「僕は合理的な思考だと思う。美しく、好ましいものならばいつも一緒に居たいってな。そう思うのは、別におかしいことじゃないだろ?」

 

欲望に正直ともいう。

 

「そういう、考え方もあるか」

 

「別の捉え方もあるけどね。好きだけど形になれば、壊れて失う恐怖もついてくるものだし。そう考えれば、不合理とも言えるのかもしれないけど」

 

「道理だな。しかし、君はそれに賛同していないようだが」

 

「まあ、ね。それでも、いっそ最初から手元になければ、なんて。考える前に諦める人間なんかいないから」

 

例えば――――明確な絶望を付きつけられてさえも、諦めを受け入れない人間だって存在する。それでも、欲しいものがあって叶えたい夢がある人ならば。時には正しさをかなぐり捨てて手を伸ばしてしまうこともあるだろう。

 

賢くは、ない。だけどそれは、誰にも否定できないことだって思う。

 

「きっと誰だって、そして誰からも、何かを憧れる気持ちを奪うことなんてできない」

 

例えば夢のはなし。

 

夢が叶うなんて夢を、最初から持たなければ――――なんて思う奴はいないだろう。

 

「………夢、か」

 

「ああ、夢さ。ミラにだってあるだろ?」

 

あるいは、夢というほどに大仰なものではなくても、欲しいものがあるって。

そう思い聞いたのだが、返事は予想していたものではなかった。

 

「考えたこともないな。そもそも、聞かれたことがない」

 

使命のほかには何も。直接は言葉にしていないが、そう言っているように見える。

 

「考えれば、お前もおかしな奴だな。私が何であるかを忘れたわけじゃないだろう」

 

「忘れるには強烈過ぎたからね。でも………」

 

見ていたら、思うんだよ。

 

「夢をみる大精霊。そんな人がいたって、いいじゃん」

 

精霊としての在り方には反するものかもしれないけれど、良いと思うんだ。僕だって医者――――両親の姓であり生業である"マティス"の名前通りには、生きてない。シャールが、トラヴィスが貴族という家と、その義務を示すものならば、僕の姓は医者を示すものなのだ。

 

そして僕は医者失格の烙印を押されている。押したのは、自分ではあるが。言うまでもないことだが、精霊術を使えない医者など有り得ない。薬学の知識だけを持っていたって、この世界では認められないのだ。患者は医者に身体を預ける。病気を治すために。だから医者は信用が第一なのだ。知識の多寡か腕の上下はあって、その信用度も変動する

 

だけど、治癒術を扱えない医者など、ありえない。存在してはいけないというぐらいには。

駄目だと、考えるまでもなく一言で切って捨てられるぐらいには致命的だった。

 

実際に言及されることなどないだろう。だって、持っているのが当たり前な技能なのだ。最低限も最低限の条件で、それが無いということがどういった事になってしまうのか。それを僕はこの5年で、嫌というほどに思い知らされてきた。

 

でも、当たり前かもしれない。精霊術を扱えるということは、文字の読み書きと同等の持っているのが当たり前の教養とされているのだから。それを持っていない医者を信用することができるのか。問われ、躊躇いなく応と返せるものはいない。それが正しい反応である。資格がないと指さされても、反論できないことで。

 

「ミラはすごいよ。精霊術は言うに及ばず、剣術の才能だってある。ミラなら、望めば何だって叶えられるさ」

 

「お前は違うというのか?」

 

「違う、とは言いたくないけど………今はそんな所かな」

 

それも、精霊術を使えるようになれば解決する。それまでは、医者には成り得ないだろう。誰だって、そんな最低限のものを備えていない人間に、自分の大切な身体を預ける気にはなれないだろうから。だから僕の方は"マティス"にはなれなかった、と言うのが正しい言になるか。

 

「難しい言い回しだな。しかし………夢、か」

 

「うん、考えたことがないのなら、今回がいい機会だよ。少し考えてみたら? ていうか、どうしたの急に難しいこと考えて。

 

 確かに色々とゴージャスな屋敷だから、そういう事を考えるのも分かるけど」

 

「………そういう日もあるということだ。もちろんシンプルな思考もしているさ。例えば、我々の現在の状況だが――――」

 

と、ミラは入り口に立っているカラハ・シャール兵の方に視線を向ける。

 

「ばれてはいないようだな。そして領主の人柄を見るに、もしかすれば協力を仰げるかもしれない」

 

「そう、だね」

 

良い人過ぎてちょっと本題の方を忘れかけていたのは内緒だ。

しかしどうやって話を切りだそうか。ミラと二人で悩んでいると、入り口の扉が開かれた。

 

鉄のきしむ音。それが止んだ後、入り口には3人の姿があった。クレインさんと――――緑の装具をつけた兵士。カラハ・シャールの兵だ。手には槍を、そして視線には戦意を携わせている。そして、その目の方向は僕とミラに向けられていた。

 

「ふむ、どうやらバレてしまったか。どうするジュード。強行突破してしまうのも手だが?」

 

「………やめとこう。扉で見えないけど、外にはかなりの数の兵士が配置されているだろうし――――」

 

座っているエリーゼとドロッセルを見る。

 

「この場所を暴力で汚したくない。それに、いい機会といえばいい機会だし」

 

話してみてからでも遅くはない。僕が言うと、ミラは分かったと頷いた。

 

「もしもの場合はどうする」

 

「庭側の窓のガラスを蹴り破って、脱出する。あ、エリーゼは僕が抱えるから」

 

「ふむ、アルヴィンはどうする?」

 

「自称プロの傭兵だからなんとかするでしょ」

 

信頼という名前の放置とも言うが。僕はミラに向けて頷くと、クレインさんの方へ歩いて行く。警戒しているのだろう、兵士が戈を構えようとするが、クレインさんが手でそれを制す。やはり、ここで早々にドンパチするつもりはないようだ。しかし、その表情は緩いものではない。

 

「………要件をお伺いしても?」

 

「イル・ファンのラフォート研究所について…………アルヴィンさんから、全てお聞きしました」

 

あの野郎。僕は心の中でアルヴィンに悪態をつき、表向きはため息をついた。

 

「アルヴィンが騙っているという可能性は?」

 

「考えました。なので、ひとつだけ確認したい」

 

クレインさんの視線が、ミラの方を向く。

 

「アルヴィンさんから聞きました。アナタの名前は、ミラ=マクスウェルだと………相違ない、ですか?」

 

「その通りだ」

 

ミラは間髪入れずに頷いた。ここまで来て隠すことに意味はないと悟ったのか。あるいは、自らの名前を誤魔化すつもちはないのか。何にせよ、クレインさんの顔が確信に満ちたものになる。

 

「ならば、間違いないでしょう。研究所での件、四大精霊を使役するものが暴れていたということは、確認が取れていることです」

 

あとは、ひょっとしてローエンか。ドロッセルの買い物の話で、疑いは抱いていたということだろう。ならば、なおさらに分からないことがある。怪しいのであれば、ドロッセルをここに留まらせている理由が分からない。なんらかの理由を持ちだして、連れだしたほうが安全なのだ。

 

聞けばクレインさんはドロッセルには甘いというし、まさか人質に取られるという可能性を考えなかったわけでもないだろう。つまりは――――

 

「僕達の情報………いや、研究所内の情報が欲しいってところ?」

 

捕まえようとはしていない。だけど、兵士を連れてやってくる。目的は威圧か。こちらの面子の力量は分かっていないようだけど、良い威圧にはなる。エリーゼもいることだし、後ろにはいつの間にかローエンがいるし。

 

"見せ"ている。荒事になる空気を漂わせている。その上で本気で捕まえるつもりはないとなれば、話はひとつしかない。

 

「ええ………話が早くて助かります。あなた達がラフォート研究所で見たことを、教えて欲しい」

 

「それは………なぜ?」

 

「ラ・シュガルは、ナハティガルが王位に就いてからすっかり変わってしまった。何がなされているのか、六家の人間ですら多くは知らされていない」

 

独断で政治を行うこと、それを人はなんというのか。

 

「そして、逆らえる者はいない………つまり今のラ・シュガルは、ナハティガルの独裁状態にあるわけか」

 

ミラの直球の言葉に、クレインさんは頷いた。

 

「研究所でのよからぬ噂も聞きました。しかし兵を動かすわけにはいかない」

 

下手をすれば内乱にまで発展する。そして僕達に聞くということは、派遣したであろう諜報員も帰って来なかったのか、あるいは情報を得られなかったのか。ドロッセルやエリーゼに聞かせる話でもないので、その辺りは言外に納得する。

 

「分かった、説明する。だけど、条件がひとつだけある。僕達がガンダラ要塞を抜けられるよう、工作をして欲しい」

 

「………目的はなんですか?」

 

「イル・ファンに。あの研究所の中にある、物騒なものを破壊したい」

 

「要領を得ません。それほどまでに危険なものだと?」

 

「それは、これから説明する………良いよね、ミラ」

 

「ああ。協力を得られるのならば、これ以上の事はないだろう」

 

ミラの了承を得て、僕は研究所であったことを全て話した。

軍が、民間人からマナを強制的に吸い出していたこと。

 

そして、大きな黒匣(ジン)の兵器、賢者(クルスニク)の槍についても。

 

「イル・ファンの研究所で人体実験を!?」

 

「この目で見た。きっと多くの人が犠牲になってる」

 

「そんな………まさか、とは思いましたが、ナハティガル王はそこまで………」

 

クレインさんは沈痛な面持ちで頭を抑えている。

驚いている様子はないので、どうやら予想の範疇であったようだ。

的中して欲しくないといった類の、だろうけど。

 

「最近、イル・ファンでの行方不明者数が増加していましてね」

 

最悪としての予想ですが、あたって欲しくはなかった。

 

「首謀者は、ナハティガル王だと?」

 

「間違いありません。つい先刻帰られましたが………王が私に告げられた内容を考えるに、それ以外は有り得ないかと」

 

王命として、告げられたらしい。カラハ・シャールの民の一部を強制徴用すると。

 

「本人が動いているなら、疑いようがないな…………でも、あれがナハティガル王だったのか」

 

「ええ」

 

「くそ、一発殴っときゃよかった」

 

「………は?」

 

クレインさんが驚いているようだけど、なんでだろう。

見れば、ドロッセルやローエン、エリーゼまで驚いている。

 

「って、僕の目的の方を言ってなかったか。え~と………つまり僕は、研究所の首謀者を殴りたいんですよ」

 

「それは………どうして?」

 

「目の前で、恩師を殺されたからです。あの人は、ハウス教授はあの研究所に捕らえられていまして。僕の前でマナを吸いつくされて………」

 

最後は溶けて消えた。命も身体もなくなったのだ。

 

「それは………いえ、よしましょうか」

 

「助かります」

 

「いえ。しかし貴方が望むのは、敵討ちか―――あるいは復讐ですか?」

 

「それもある。けど、知りたいことがある。ハウス教授はあの研究に協力していたようで………その内容を知りたい。僕はハウス教授の助手だったし、もしかすればあの考えるのもおぞましい研究に協力してしまっていた、という可能性もあるから」

 

「そうですか………ミラ殿は?」

 

「私は一度目の侵入と変わらないさ。あの黒匣《ジン》を壊す。あれは、人と精霊に害為すものだからな。あれほどの規模のものだと、どれだけの歪みが出るか分からない」

 

「歪み、ですか」

 

「ああ。人のマナを吸い尽くす、というのも凶悪ではあるがな。目に見えない部分での被害は、それ以上になる」

 

「エリーゼは………」

 

「理由は分からないけど、ラ・シュガル軍に追われていてね。だから僕達が匿っているというか、安住の地を探しているというか」

 

これ以上は僕の口からは言えないのだけど。それでも、苦労をしているというか、悲しい思いをしたのが分かったのだろう。ドロッセルがエリーゼの手を握っていた。クレインさんやローエンも似たような面持ちだ。ナハティガル王の話もあってか、信じたくないことを突きつけられたからだろう。

 

「それで、受けてくれるのか、どうか」

 

「………時間を下さい。何より、確認したいことがある」

 

「ラ・シュガル軍には売らない、と受け取っていいのかな?」

 

「国に仇なすものならば、捕縛もそれ以上の事もしましょう。だけど、あなた達はそんなことをする人物には見えない」

 

甘いとも言える考えかもしれませんが。クレインさんは言いながら、こちらを見た。

 

「それに、ドロッセルの友達を捕まえるつもりはありません」

 

「………了解した。分かったよ」

 

妹の名前を出した。つまりは、妹の名前に誓ったのだ。しかも本人の目の前で、だから疑うことはしない。恐らくは最愛の家族であろう妹の名前を出したからには、裏切りは有り得ないだろう。僕とミラは頷くと、取り敢えず邸宅を出ることにした。僕達は指名手配されている身だし、一般人でもある。そんな僕達がこの家にとどまると、否が応でも目立ってしまう。それは色々とまずい事態を引き起こすのだ。

 

あくまで秘密裏に。ばれても切れる関係を、あるいはしらばっくれることが出来る関係がお互いにベストなのだから。エリーゼは少し違うが。クレインさんも同じことを考えているのだろう。だが目の届かない所には行って欲しくないらしく、宿を手配してくれた。

 

了解することで、互いの意見の確認を取る。そうして頷き合い、僕達は別れた。

 

大きな家を出て、大きな扉をくぐる。合図があったのか、そこに配置されていただろう兵士の姿もない。そのまま出口へと歩いて行く。

 

だが、その最後に、僕だけがローエンに呼び止められた。

 

「えっと、何か用事が?」

 

今からミラと一緒に、殴りにいく所なんだけど。あいつを。

具体的にはケーキ食ってとんずらこきやがったあいつを。

 

あ、一緒に行きます?

 

「いえ、少しお話がしたくて…………あなたはナハティガル王を殴ると言いました。それは、彼の恐ろしさを知った上でのことですか?」

 

「いえ、まったく。でも、知っていたとしても殴らずにはいられないというか」

 

研究所のこと。主導した人物は、間違いなく殴られるべき存在なのだ。殺して、殺して、殺した。人をまるで道具のように、使って壊すみたいな感覚で殺されたんだ。ハウス教授と同じく、家族がある人達を一方的に、理不尽に。

 

「だから、まずは殴ります。その上で研究所の真実を暴いて、国に叩きつける」

 

殺しなどしない。そんな一瞬で終わらせてたまるか。最後までその責任を全うしてもらう。

何よりこんな外道の行いをする輩の命なんて背負いたくはない。

 

「しかし、ナハティガル王は一体何をお考えなのか………」

 

「他人の痛みが分からなくなった、というのは間違いない。でなきゃ、あんな真似はできない」

 

正気であれば、いやどっちでも同じだ。

 

「人の痛みを知れ、って意味でもおもいっきり殴ってやります。絶対に、忘れちゃならない――――思い出すべきなんだ」

 

「王としての、その在り方を思い出せと?」

 

「それ以前に人間としてダメでしょう。何より人道に反した人間は、まず殴られるべきなんです」

 

過ちは放置されれば災厄となる。だから、誰かが正さなければならないものだと思う。僕があの時、師匠にされたように。そうして、目を覚まさせてもらったように。そう告げると、ローエンは何とも表現できない表情になった。そして、僕の顔を見て、問いかけてくる。

 

「だから、ですか………それが、例え心を許せる友だとしても?」

 

「だとすればなおのことですよ。逃げたって何にもならないじゃないですか」

 

目を逸らしているだけで何もかもが解決するなら、人は部屋に引きこもっていればいいのだ。そうでないから、人は外に出ることを求められる。人と交わり、苦労しながらでも接することを求められる。膝を抱えて部屋の隅にうずくまっていても、誰も助けてはくれないのだから。

 

「そうですか………ジュードさんはお強いのですね」

 

「ぜんぜん強くはない。簡単なことで揺らいでしまう、まだ若造の未熟者ですよ」

 

一人で居た時は、あまり考えなかったことだ。あるいは、思うがままに行動していた、ナディアと一緒にいた頃とは違う。いざ守りたい者ができて、ようやく分かった。自分の弱さと、情けない部分が。

 

「いえいえ。こうして年を重ねても、自分の弱さすら認められない爺いもいます。向き合っているだけ、あなたは立派ですよ」

 

「………ありがとう。それじゃあ、また」

 

別れを告げて歩き出す。そして遠ざかった後に、誰にも声が届かないようにと、言葉を紡いだ。

 

 

「嫌われるのが怖いから、隠す………そんなことをしている僕が、立派な人間なわけないじゃないか」

 

 

ナディアのことも。情けない声は、だからこそ弱々しく響き。

 

 

遮るもののない、大きな広場の奥にまで、響きわたっていった。

 

 

 



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26話 : 流されてバーミア溪谷

 

 

その連絡が入ったのは早朝だった。

 

 

「クレインさんが捕まった!?」

 

「はい。昨日の夜、強制徴用の日を繰り上げるとの連絡がきまして、それで………」

 

直談判しにいったが、捕らえられてしまったらしい。止められなかった、というローエンの表情が痛々しい。それでも、まだどうにかはされていないらしい。今はナハティガルが居るという、バーミア峡谷へ連行されている途中だという。

 

バーミア峡谷とは、カラハ・シャールの南にある谷だ。リーゼ・マクシアでも稀有な霊勢下にあり、一年中風が吹いているという場所である。

 

「そこには軍の極秘研究所があるらしいのです」

 

「研究所………そこで、王と会う?」

 

「いえ、これは私見ですが………」

 

ローエンが言うには、そこで殺される可能性が高いらしい。連れていかれた民と一緒に、マナを吸い取られるかして、始末されるのだと。

 

「領主を一方的に処刑なんかしたら………!」

 

「いえ、内乱は起こせません。ア・ジュール軍の動向も、いよいよ妙になっています。今、カラハシャールから争いを起こせば、事態は泥沼になります」

 

なにより、旗となれる人物がいない。あのドロッセルでは、一軍を統率することなどできないだろう。単純な軍事力でも敵わない。ガンダラ要塞に駐留している兵力次第では、一ヶ月も経たない内に決着がついてしまうだろう。

 

「しかし、そのような暴挙が許されるはずがないだろう。六家を完全に敵に回すことになる………自らを苦境に追いやるなど、ナハティガルという男は狂っているのか」

 

ミラの言うとおりだ。そんな事をすれば、国内の大貴族全てが敵に回りかねないのに、どうして。

 

「………力で、抑えつけるつもりでしょう。ナハティガルは軍事においても、卓越した手腕を持っています。何も考えずに事を起こすことはない」

 

「ここで槍に繋がるわけか。それでア・ジュール軍を完膚なきまでに撃破して………」

 

「はい。槍とやらがどのようなものかは不明ですが、このような暴挙に至ったからには"それほどのモノ"である事は予想できます。その力を六家に見せつけ、反抗の意志を抑えつけるつもりでしょう」

 

場に沈黙が満ちる。エリーゼはクレインさんか、ドロッセルの気持ちを考えているのか涙目になっている。アルヴィンは落ち着き払っているが、何を考えているのか。

 

僕達の事情を勝手に説明したのは、シャール卿―――つまりクレインさんが現政権に不満を持っているのが分かっていたからだという。そのため先にこちらから情報を出して信用させ、向こうの情報を得た上、協力を得られるように段取りしたのだという。結果は万事OK。でも先に言っとけと、ミラと一緒にぶん殴った。両頬の絆創膏が痛々しいが、自業自得だ。

 

それもどうでもいいが。問題は、今からどう動くか、だが………

 

「ローエンが、僕達の所に来た、ということは?」

 

「はい………私に力を貸していただけませんか。クレイン様をお助けしたいのです」

 

ローエンは頭を下げて頼んだ。だけど、腑に落ちない部分がある。

 

「なぜ、よりにもよって僕達に? いっちゃなんだけど、指名手配されている身だし、信頼できる材料が無いと思うんだけど。カラハ・シャールの兵を使うのがベストなんじゃない?」

 

「いえ、あそこは大軍を展開できるような場所ではありません。通路は狭く、同質の兵を連れていけば、泥沼の消耗戦となるでしょう。そうなってしまってた後では、遅い」

 

同意する。マナを吸い取られていれば、もって一日ぐらいだろう。

 

「指名手配についても、理由があったとのことと。単純な技量でも、実戦をあまり経験したことがないカラハ・シャールの兵よりかなり上であるかと」

 

「だから少数精鋭………僕達に、か」

 

それに、両軍が直接ぶつかってしまうと、事態は一気に"危ない"方へと傾きかねない。軍と軍がぶつかれば、それだけで大事だ。全面戦争となったら、どれだけの人が死ぬか分からない。だからこその僕達、短時間での救出劇が最善。そしてその後に、何もせず脱出するのが目的か。

 

「その時の足は? 僕達のじゃない、捕まっている人には必要だと思う」

 

全部とは言わないまでも、体内にある多くのマナを吸い取られている可能性が高い。

そうなると、まともに歩けないだろう。移動手段が必要だが――――

 

「すでに、用意させております」

 

―――ローエンも、必要なものがなんであるかは分かっているようだ。

あまりの手際のよさに、只者じゃない感がこれでもかと言うほどに漂ってくる。

 

(本当に、ただの執事なのか?)

 

自問は浮かぶが、間諜の類ではないだろう。これまでの言動、どう考えてもクレイン・K・シャールを謀るためのものとは思えない。主のこと、クレインさんとドロッセルのことを心の底から敬愛しているのが見て取れる。断れば、一人で行くつもりだろう。それだけの覚悟はあると見た。

 

どうするべきなのか。迷っていると、声がかけられた。

 

「ドロッセルのお兄さんを助けよう! ねー、ジュード君!」

 

「いや、そうしたいのは山々なんだけどな、謎生物」

 

「ジュード………」

 

ちょ、そんな目でを見るな二人して。

 

「………私なら構わんぞ。あれを使おうというナハティガルの企みも見過ごせない」

 

昨日のお茶会の礼もあるしな、とミラは頷いてくれた。予想外の早い決断に、少し驚いてしまう。

 

「あ、お兄さんもオッケーよ。あのガンダラ要塞を正面から突破するよりはマシだしな」

 

「そうなった時は、アルヴィン君の健闘に期待しよー!」

 

「ちょ、いくら俺でも"あの"ゴーレムは無理だって!」

 

アルヴィンが叫んでいるが、無理も無いだろう。ガンダラ要塞に配備されているあの巨人兵器は、ラ・シュガルの最終兵器とも呼ばれているものだ。僕でさえも、単騎でまともに当たれば踏み潰されて終わり。それを考えると、確かにこっちの方が大分マシと言える。

 

下手をすれば、一団と戦闘になる可能性があるが、戦いようによっては何とかなるだろう。ここで留まっている時間も惜しい。色々と不確定材料や、不安材料はあるが、それらを気にするばかりではいつまでたっても前に進めない。

 

「と、いうことで善は急げ。なんで、急ぎましょうか」

 

「………ありがとうございます」

 

ローエンはまた、深々とおじきをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、僕達は準備を整えると、すぐに出発した。メンバーは今までの4人にローエンを加えた計5人。ティポは別。道中に連携の確認も兼ねて魔物と数回戦ったが、ローエンの戦闘方法は精霊術師タイプらしい。特にマナの制御に秀でいた。マナの変換効率や、精霊術の出力自体は高く、度合いでいえば今まで出会った中でもトップクラスのもの。その上で、術の精緻さにおいては頭2つ分ぐらい抜けていた。

 

技量というものについてランク付けをすれば、今まで出会った中でも、間違いなくナンバーワンに位置するほどだ。使い所もうまい。こちらとむこう、両方の立ち位置や体力、状態を把握しているのか、決めて欲しい場所にズドンと精霊術をぶちかましてくれる。体力はそれほどありそうにも見えないが、余計な動きをできるだけ省くことで体力の消耗を低減しているようだ。武器は投げナイフと小剣。近距離から中距離にかけて使える武器で相手を牽制し、その隙に精霊術を行使していた。

 

実戦経験も豊富なのだろう。集中力が尋常じゃないほどに高く、辿り着くまでに10程度の戦闘はあったが、爺さんはミスもゼロで、傷ひとつさえ負っていない。それを見ていたアルヴィンが、一言。

 

「なあ………爺さん一人でも良かったんじゃないのか?」

 

「いえいえ。魔物相手ではうまくいっていますが、組織だった動きをする人間が相手ではこうはいきませんよ」

 

ローエンは笑って否定する。確かに、複数の動きをしてくる人間相手では、こうもうまくいかないかもしれない。だけど、その戦闘力と戦闘技術だけは本物だ。僕としても、学ぶものが多いぐらいに。

エリーゼもその凄さが分かったのか、目をキラキラさせてローエンの方を見ている。

 

「すごいです、ローエン」

 

「エリーゼさんも、そのお年でそこまでの治癒術を使えるとは………驚きました。長生きはしてみるものですね」

 

「それほどでもー。でもローエンもじじいなのに、ヤル―!」

 

「ほっほっほ。しかしジュードさんも、その若さで凄い技量ですね」

 

「師匠に鍛えられましたから」

 

肉に染み込ませて、初めて技となる。それぐらいの反復練習はやったし、実戦もこなした。

これで技量が低ければ、それはそれで嫌なのではないか。

 

「ミラさんの詠唱を用いない精霊術にも驚かされました。流石はマクスウェル様、ということでしょうか」

 

「ふむ、特別なことをしているつもりはないのだがな。驚くほどのことなのか?」

 

「ははは。僕に聞かないでよ、あははははぁ………」

 

アルヴィンに肩を叩かれるが、ちょっとテンションが落ちてしまった。

 

「えっと、その、ミラは………どうやって精霊と契約しているんですか?」

 

精霊術の詠唱は、いわば精霊と取り引きをするための契約書らしい。

それもなしに、どうやって契約しているのか。実のところ、僕も興味がある議題だ。

 

「ボクも聞きたいー!」

 

「ふむ………そうだな」

 

ミラはエリーゼとティポに頷くと、説明をはじめた。

 

「といっても、特別なことはしていないぞ。精霊にマナを渡す時に、こう――――『つべこべ言わずに術を放てぇ!!』――――と意志をこめているだけだ」

 

叫び声にびっくりした。エリーゼの目も、ティポの目も丸く開かれている。っていうか、さあ。

 

「………それって契約じゃなくて、ただの脅迫じゃあ」

 

要約すると『証文ないけどワシを信じろやぁ!!』ってな具合の、いわゆるゴリ押しである。

あれ、これって大精霊というか大親分扱いじゃね?

 

「甘やかすのはよくないだろう。人も精霊も、な」

 

「じゃあミラの甘味も制限するということで」

 

「それとこれとは話が違う」

 

「するということで」

 

「待て」

 

と言われて止まる馬鹿はいない。

 

それよりも、気合だけで無詠唱の精霊術を行使できるのかあ…………はははは。

 

「………怒っているのか? いや、私は普通のことを言ったまでだが」

 

「ギギギギギギギ」

 

「落ち着け、ジュード!」

 

アルヴィンのツッコミに、ようやく正気に戻った。あはは、この胸の虚無感は消えてはくれないけど。それでも、エリーゼもローエンも凄いな。ナディアもそうだったけど。レイアに関しては、どうなんだろう。治癒術を勉強したいとか言ってたけど、もうモノにしてるんだろうな。

 

なんだかんだいって、才能だけなら僕よりも上だったし。流石は師匠の娘といった所か。

 

「ははは、空が青いなあ」

 

「どんより曇っておりますが」

 

「あれ、晴れなのに雨がー」

 

「って泣くなジュード! 悪気はないんだ、きっと!」

 

「……?」

 

―――そうしてあれこれ思考を逸らしている内に、いつの間にか峡谷に到着していた。風が吹きすさぶ山地、バーミア峡谷。足場はでこぼこで動きづらく、なるほど大軍を展開するには向いていない場所だと理解できる。

 

そして、入り口は大きな岩に囲まれているせいで、動ける空間が狭くて――――格好の的になる。

 

「なら、こう来るよなぁっ!」

 

「きゃっ!?」

 

エリーゼを抱えて横に跳ぶ。直後、エリーゼが立っていた場所に飛んできた矢が突き刺さった。

 

「まあこんな場所だし、普通は待ち伏せするよね」

 

岩陰に隠れ、抱えていたエリーゼを地面に下ろす。ミラとアルヴィンも、素早く反対側の別の岩陰に隠れていた。僕の方といえば、エリーゼとローエンが居る。その直後、風の精霊術が岩の間を抜けていった。

 

「軍の精霊術師ですね」

 

「厄介だな………弓兵のほかに歩兵もいやがるぜ」

 

アルヴィンが岩陰から覗き込み、相手の戦力を確認している。だがすぐに矢が飛んできたせいで、隠れざるをえない。

 

「おまけに、相手の方が位置的に有利か。一息に突破するのは危険だな」

 

ミラの言うとおり、相手は高台の上から攻撃を仕掛けてきているようだ。あの高低差だと、こちらからは拳も剣も届かない。可能性があるとすれば、アルヴィンの銃か、ミラとローエンの精霊術だけ。

 

だが、それよりもまずは――――

 

「ジュードさん、何をするおつもりですか」

 

「ちょっと、相手の戦力を確認するだ――――け!」

 

声と共に岩の上にまで飛び上がる。相手方は予想外だったのか、一瞬だけボウガンを引く指が止まっていた。それでも、数秒の遅れだけ。放たれたボウガンの矢が、僕の身体を貫くべく空を切って飛来する。だが、おとなしく当たるほど、僕は間抜けではない。

 

「よっ!」

 

岩を蹴って横に跳び、矢を回避。矢は虚しく空を切るだけで、後方へと目的もなく飛んでいった。

そのまま着地。ミラとアルヴィンが居る、反対側の岩陰へと隠れた。

 

「ジュード、なにを………」

 

「精霊術師が左の奥に二人。ボウガンを構えている兵士が正面に4人。右奥と正面奥には、歩兵が二人ずつ」

 

「………相手方の戦力の確認か。まったく、そうならそうと先に言え。心臓に悪いし………エリーゼを見ろ」

 

見れば、エリーゼは少し涙目になっている。

 

「いや、大丈夫だって。あの距離なら全部叩き落とせるし、当たっても大怪我はしない」

 

「そう、なんですか?」

 

「うん。体調もかなり戻っているし――――それを踏まえて、さてどうしましょ」

 

互いの武器は先程までの魔物相手の戦闘で確認済み。これらの手札をどう使って突破しましょうか。

 

「ジュードさん、先程の話しは本当ですか?」

 

「ん? まあ、至近距離でも狙われる部位によっては拳で弾けるよ。あとは、空中での牽制も一応はできる」

 

足を踏ん張っていないので威力はでないが、空中で拳大ぐらいの大きさの魔神拳を撃つことはできる。それも、せいぜいが一発程度だが。

 

「ふむ………ならば、こういう作戦はどうでしょうか」

 

ローエンはそう言うと、僕達に詳細を説明しはじめた。

 

「――――と、以上です。ジュードさんが危険に晒されることになりますが………」

 

「やれる。かすり傷程度なら、治してくれるエリーゼがいるしね」

 

「俺もだ。ボウガンに邪魔されないことが前提だが、この距離ならば当てられる」

 

「私も、問題ない」

 

「それえは始めましょうか…………どうやら、相手の方は打って出てくるつもりはないようです」

 

「迎撃主体か。なら、問題ないな」

 

言うと、ミラが相手に見えないよう岩陰をつたって、左奥の方へと移動していく。

残る4人は、ここで待機だ。

 

「エリーゼは、待っててね。出てきたらダメだから」

 

「ジュード………」

 

「大丈夫だから、さ」

 

「そうそう」

 

僕とアルヴィンが頷き、ローエンが微笑み、

 

「そうです。それでは………」

 

ローエンが投げナイフを構える。それを合図に、まず僕が岩陰から飛び出した。ボウガンを構えている4人に向かって、ゆっくりと歩いて行く。

 

そして、両手を前に構える。防御を主体とする守りの構えだ。相手はすぐには撃ってこなかった。

先ほどの僕の動きを警戒しているのか、こちらがどう出るか、様子を見ているようだ。

 

―――予想通りに。そして僕は、予定通りの行動に出る。

 

「………来いよ、グズ共。それとも当てる自信がないとか」

 

とん、と自分の額を指で押して、挑発する。

動作はあくまで前菜。メインディッシュは、言葉である。

 

「それとも、ボウガンの撃ち方を忘れちまったか? はっ、民間人を浚うクソ軍隊らしいよ」

 

そして、軍隊には禁句である一言を叩きつける。

 

「まるで山賊だな、お前ら」

 

「っ、貴様ァ!」

 

激昂。軍人に対する最大の侮辱、触れてはならぬ所に触れたと兵は怒声を上げ――――直後、弦の音が鳴った。その次の瞬間には、矢は放たれている。

 

4人の一斉射撃、ゆえに矢の数は4本だ。

 

だけど、無意識に引っ張られてか、狙いは"自分で指さした頭部付近に集中している"。

 

「これならぁ!!」

 

―――ばらけているならともかく、これならば腕に近い、叩き落とせる!

 

「っ、馬鹿な!?」

 

驚く弓兵。その隙に僕は前へと走りだした。弓兵も、当然追撃を加えようと前に出るが、それもこちらの思うつぼだ。前に出た二人の右、左、後ろに、僕を囮にして"物陰から投げたローエンのナイフ"が突き刺さり、

 

「なっ?!」

 

「精霊術か!?」

 

同時に、地面に魔方陣が描かれ、中に居る二人の動きが束縛された。

 

「させるか!」

 

フォローに来たのは左奥の精霊術師。

 

僕の方を注視し、僕を標的に、集中して詠唱を初めたその時、

 

「業火よ、爆ぜ「遅い!」ぐあっ!?」

 

左より回り込んでいたミラが、後ろから奇襲する。一人が斬り伏せられ、もう一人も近接戦闘は苦手なのか、粘る間もなくミラに斬り伏せられた。

 

僕はそれを確認すると同時に、前の高台へと飛ぶ。

 

当然、無防備になる。宙にいる間は足元も定まらず、身体も動きにくいからだ。

ボウガンで狙い撃たれれば避けることはできないだろう。

 

――――だからこその、アルヴィンだが。

 

「甘いぜ!」

 

銃撃の音が2つ、同時にボウガンを持つ弓兵の悲鳴があがった。

そして着地と同時に弓兵を束縛していた方陣が消えるが、もう遅い。

 

「獅子戦吼!」

 

二人まとめて吹き飛ばし、高台の下へと落とす。この高さならば死にはすまい。

 

残るのは、後詰めだ。その前に、迎撃をしなければならないが。

 

「隙あり!」

 

「調子にのるなガキィ!」

 

獅子戦吼を放った後の隙を狙っただろう、残っていた歩兵が二人、後ろから襲いかかってきた。

だけど、それも想定の内だ。高台の下と正面に輝くは、緑と赤のマナの色。

 

そして詠唱の声が聞こえ、

 

「穿て、旋風―――ウインドランス!」

 

「業火よ、爆ぜろ―――ファイアーボール!」

 

「「ぐあっ!?」」

 

ミラとローエンの精霊術が歩兵に直撃した。

 

同時に渾身の力で踏み出した。

高速の飛び回し蹴りで一回転、怯んでいる歩兵の頭を刈ってなぎ倒す。

 

着地後は目の前の弓兵の対応だ。

アルヴィンが銃で牽制した二人は体勢を立てなおして、既に僕の方に狙いを定めている。

 

「やらせるかよ!」

 

だが、アルヴィンも黙ってはいない。下からの援護に翻弄され、弓兵の二人は意識を割かれて、ボウガンを構えて撃つまでの体勢に持って行けていない。

 

回避に専念し、その隙が命取り。僕はすかさず間合いを詰めると、マナを篭めた一撃をぶちかました。更に突進の勢いを乗せた打撃で、ミラが居る方へと飛ばす。

 

もう一人は、後ろ回し蹴りからの、

 

「偽・三散華ァ!」

 

3連撃。地の精霊術による反動はないので教え通りにはできないが、拳と蹴りのコンビネーションを叩きこむ。飛ばされた弓兵も、ミラの剣に倒されたようだ。

 

残るは右奥にいた、歩兵の二人のみ。とはいっても、ここまで来れば終わったようなものだ。

特別な攻撃も、遠距離の攻撃もないため、さしたる脅威もない。

 

だから僕は無造作に間合いをつめ、二人を叩きのめすべく拳を振るった。一人目の兵士は回転を加えた裏拳、横っ面に叩きこんでなぎ倒すと、その勢いのまま残る一人に中段の回し蹴りを放った。

 

「ぐっ!」

 

しかし、返ってきたのは固い感触。見れば、兵士は両の腕によって僕の蹴りを受け止めていた。

 

「ぐうっ、舐めるなぁ!」

 

「くっ?!」

 

兵士が、渾身の力を振り絞った様子で防御の腕を振り上げ、それによって僕は足ごと飛ばされた。後ろによろめいてしまい、体勢が少し崩れる。だが、相手も僕の蹴りのダメージからかその場にとどまるばかりで、追撃にでられそうにないようだ。

 

僕は体勢を立てなおした後、また攻撃を加えようと意識を前に集中して――――音を聞いた。

 

右側。高台の下から弦の音。それは、聞いてはいけない音。

 

 

「この―――」

 

 

顔だけで振り向くと、そこにはボウガンを構えた弓兵。

 

高い所から落ちて満身創痍、でもこちらに矢の切っ先が。

 

 

「クソ、ガ」

 

体勢は立て直せない。相手との距離は近く、腕で防御するのも間に合わない。

マナの防御もしようが、この至近距離でこの矢を受ければ、貫かれるだろう。

 

(やば――――)

 

ようやく悟る。ここは死地。僕はなんとしてでも重要な臓器を避けようと、矢の先から逃れようと、身体をひねって―――――

 

「キィ「ティポサライブ!!」ィガ!」

 

弓兵の後頭部に、謎生物ことティポが放った光弾がもろに直撃した。

 

放たれた矢はおもいっきりブレて放たれ、そのまま明後日の方向へと飛んでいく。

 

 

 

「…………………………………」

 

 

 

場に、鉛のように重い空気が流れていく。

 

「もー、なんてことするのさー!」

 

怒っているティポ。心なしじゃなくて、明確に身体が大きくなっているような。そのビッグティポは、口をがじがじしながら、残っている歩兵の方を向いた。

 

「ジュード君を襲うなら、ボクが食べちゃうぞー!」

 

「ひ、ば、化物ぉっ!!」

 

歩兵は恐怖の声を上げ、そのまま一目散に逃げていった。

 

………残される沈黙がとても痛い。その静寂を破ったのは、他ならぬティポだった。

 

「ジュード君、危なかったねー…………助かったでしょ? ほめてほめて」

 

「ジュード、だいじょう、ぶ?」

 

ティポを抱きしめながら、ととと、と歩いてくるエリーゼ。ボクはなぜだか、その両方の頭を撫でなければいけないような気がしたので、二人の頭を優しく撫でる。

 

 

(うん………ティポは怒らせないようにしよう)

 

 

完勝だというのに、僕は得体のしれない恐怖と色々な敗北感を味わうことになった。

 

 

 



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27話 : 救出作戦

 

 

取り敢えずティポの巨大化は見なかったことにしようと、みんなの間で意見が一致する。だけど現実逃避してばかりもいられない。ひとまず僕達は、兵士たちが守っていた先にあった見るからに怪しい洞窟の奥へと向かった。否、向かおうとした。過去形になった原因はひとつ、入り口がふさがっているからだ。見たこともない、紫色の光で編まれた方陣のようなものが壁になっている。

 

位置と意図と敵方の目的を察するに、これは妨害障壁の類だろう。

 

(特殊な精霊術か)

 

それもかなり強力なもののようで、迂闊に触れると何が起こるか分からない。だけど壁ではないので、障壁の隙間から向こう側が見えた。奥は開けた場所になっている。普通ならば暗闇に閉ざされているところだけど――――

 

「見える。って、なんだあれは」

 

光の届かない岩穴ならば、暗闇につつまれていて当然。しかし、そうではない。広場には、あらゆるところに人間の手が加えられていた。高級そうな装置が並んでいる。それは、ラフォート研究所で見たものに酷似していた。何に使うのかも分からない、未知のもの。

 

だがその奥に、見知った人影を発見したのは同時だった。

 

「クレイン様!」

 

「他の人達も!」

 

方陣の向こう、その奥の扉。横にはガラス窓のようなものがあり、中が透けて見える。見せつけられていたといった方が正しいかもしれない―――なぜなら、囚われている人達がいたから。領主であるクレインさんと、名前も知らないがカラハ・シャールの住民だろう人達がそこには居た。彼らは一様に苦しんでいる。胸を押さえて膝をついて、もがきいているようだ。呼吸さえも出来ないというほどに。

 

原因は、周囲にある装置のせいだろう。僕は、それに見覚えがあった。

 

「あれは、ラフォート研究所で見た………!」

 

「………黒匣(ジン)か!」

 

「ま、ずいな。マナを吸い取られ続けて………クソ!」

 

こうもまざまざと見せつけられると、怒りしか湧いてこない。研究を変なことに使いやがって。

 

「アルヴィン!」

 

「ああ、やってみる」

 

アルヴィンは頷くなり、背負っていた大剣を抜き放つ。

 

呼吸を整えた後、叫びと共に大剣を一閃した。鈍い音が洞窟の外にまで鳴り響く。

だが、それは障壁が壊れた音ではなかった。

 

「………やっぱりな」

 

アルヴィンは大剣を背負い、つぶやく。手を抑えているのは、衝撃に痺れてしまったからだろう。そして衝撃をまま跳ね返した方陣は、当然だというように無傷のままそこに残っている。大剣の方も無傷ではない。当たった部分に黒い焦げ目のようなものがついていた。

 

頑丈すぎて、正面からの突破は困難のようだ。

 

「やはり黒匣(ジン)の兵器………だが、そう容易くは作れはしないはず………」

 

ミラが何事かをつぶやいているが、考察は後だ。今は今とてやらなければならないことを優先する。

 

「ローエン、あの方陣はどこから? 自然に発生しているとも思えないんだけど」

 

「恐らくは、あれでしょう」

 

そう言って指差す先、広場の天井付近にある大きな岩。そこには見るからに力がこめられていそうな岩があった。だが、方陣の向こうにあっては手が出せない。

 

「あのコアを破壊するしかない。ですが、正面からは無理………ならば、抜け道を探すしかないでしょうね」

 

「そうだな。っと、見ろよ。岩の上………あれ、穴があいてないか?」

 

アルヴィンの言うとおり、岩の上には穴があいていた。それもかなり大きめの穴だ。

あれだけの規模なら、もしかしたら山頂にまで繋がっているのかもしれない。

 

「………決まりだな。ロッククライミングと行きますか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

登りながら抜け穴を探す。もしかしたら、どこかで横穴に繋がっているかもしれない。だけどどうやら、風穴は山頂にまで続いているようだった。どこを見ても岩だらけで、崩れている場所など見つけられない。ならば一刻も早く登り切るまで。僕達は魔物を蹴散らしながら、急いでよじ登っていく。エリーゼはついてこれないので、僕が背負っていた。

 

これも僕の責任だからだ。アルヴィンは麓の洞窟付近に待機させとけばと言ったが、いつ兵士が戻ってくるかもしれないので、却下した。

 

(そうでなくとも却下だが)

 

樹界でエリーゼに不義理を働いてしまった今だから。なおさらエリーゼ不安を高めたくはない。とはいえ、山頂までの道のりは険しかった。子供とはいえ、人一人を抱えて昇るにはきつい段差だ。跳躍し、手で岩を掴んでよじのぼるも、腕の筋肉にかかる負荷はいつもの1.5倍だ。飛び降りる時も同じで、足にかかる負担が高まっている。それが続くのだから、いくら僕とはいえ疲れるのも仕方ないことだろう。かといって、愚痴を言っては背負うと言った男の名折れ。

 

掌が疲れようが、太ももの筋肉に疲労がたまろうが知ったことではない。ヘタろうとする意志をなんとかおさえつきながらも、僕は頂上にたどり着くことができて。だけどたまらず、転けるような勢いで地面に膝をついた。

 

「だ……大丈夫、ジュード」

 

背中から降りたエリーゼが、心配して声をかけてくれる。自分が荷物になっていたからか、すごく申し訳なさそうだ。だけど、これも僕の都合の一つでもあるんだから、何も言えない。

 

「すごいしんどそー。ちょこっとだけ休むー?」

 

ティポまでも心配の声。

だけど、空気が重くなるのは嫌なので、親指を立てて大丈夫だとジェスチャーだけで答えた。

 

今はちょっと喋るのもつらい。肺がきゅうきゅうになっているし、吐く息もかなり熱くなっている。

いわずもがなだが、全身も熱く汗が吹き出ている。

 

「無理するからだって。ったく、急ぎすぎだっての」

 

「というよりも、私ならば登りきれなかったと思うぞ。シルフで飛べれば、別だろうが」

 

アルヴィンとミラが呆れた風に言う。二人の額からも汗が出ている。

 

「それだけに危ない状況ということです………が、ここは5分程度は休憩すべきでしょう」

 

「休憩? ………よりにもよってローエンがそんな事をいうとは」

 

今は一刻も早くあの装置を止めなければならない。クレインが死ぬ。民が死ぬ。それをこの中で一番許せないのがローエンだろうに。

 

「時間が無いのは分かっています。ですが、焦りは眼を曇らせます」

 

失敗すれば何もならないと、ローエンは言う。

 

「こんな時だからこそ、冷静に。クレイン様や民の方達も、あと一時間は持つでしょう。そういった余裕があるならば、体調は万全な方が良い。今からではカラハ・シャールの兵も間に合わないでしょう」

 

「………クレイン卿、いや囚われている奴らの命は俺たち次第ってことか」

 

「ええ。失敗は許されません。それにナハティガルは馬鹿な男ではありません。こ

 

うして私たちが間に合うこと、彼ならば予測はしていたかもしれない」

 

「あの装置を壊した後に、何かが起きると?」

 

「はい。こうした有事において、優先されるべきは過程よりも結果。急いでいただけるのはありがたいですが、目的を果たせないのであれば意味もない」

 

「ふむ、その通りだな」

 

ミラが深く頷いた。

 

「はい。それに…………この風穴を降りる方法も考えなければなりません」

 

ローエンの指差す先には穴がある。コアはきっと、この下にあの広場があるのだろう。なぜ分かるっていえば、あれだ。馬鹿げた量のマナがまるで暴風雨のように湧きでてきているからだ。

 

「私が考えます。皆さんはご休憩を………10分後に、この穴から降ります」

 

高さのことも考えてだろう。僕達はローエンの言葉に従い、そのばに座り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いい景色だなー。ハ・ミルを思い出す」

 

高台から落ちた記憶も思い出したけど。でもまあ、こんな高さから落ちればどう強化してもミンチになるのは免れないだろうなー。そんな高い所からあの広場まで降りなければならないのだけど、はてさてローエンはどうするつもりなのか。

 

「どうにかするのだろう。しかし…………ジュードの言うとおりだな。この景色は、見ていて心が晴れやかになる」

 

横に座っているミラが感慨深そうに頷いている。

 

「うんうん………でもミラなら、シルフを使役できていた頃はこれよりもいいものを見ていたんじゃないの?」

 

高々度まで飛び上がれるなら、もっと高いところまで行けたはずだ。

 

「そうだな。だが、こうして自分の足で登ったのは初めてだ」

 

ほら、とミラは掌をみせてくる。その手袋は岩で切ったのかところどころ破れている。

服もそうだ。肌が見えている部分も、少なからず土埃に汚れている。

 

「足も、酷使したせいか痛い。だけど、それだけ自分が居る場所が実感できる」

 

「どーかんだ。まあ、やっぱり山登りは自分の足でこなきゃな………かなーり堪えたけど」

 

アルヴィンがおっさんくさそうに腰をさすっている。ふと振り返れば、ローエンも腰をさすっていた。さっき登り切った時は何でもない風に装っていたのだが、その実は疲れているのだろう。

 

「疲労さえも心地良い。四大を使役していた頃は考えもつかなかった理屈だよ」

 

「そうだな………与えられるよりは、手に入れる方が。自分の事なんだって実感できるし」

 

快楽も苦痛もだ。望んで得たそれは、骨身に染みる。

 

「私は………ジュードに、おぶってもらいました」

 

残念そうにエリーゼ。でも、今回は仕方ないのだ。

 

「そうだね。でも、今回は特別に急ぐ必要があったから」

 

急ぐ理由でもなければ、もっとゆったりとしたスペースで来れただろう。

エリーゼを待てるぐらいには。

 

「まあ、かなり疲れるけどね。それでも良いってエリーゼがいうなら、今度また来ようよ」

 

言うと、エリーゼとティポが顔を見合わせる。そして笑いながら、元気よく頷いた。

 

「兵士の邪魔さえなければ、だな………しかしナハティガルは何を考えている。民を守るのが王の仕事だろうに」

 

「軍人さんもなあ。あいつら、自分たちが民間人に手を出すってのがどういう事なのか理解してるのか?」

 

珍しくアルヴィンが文句を言っていた。その通りで、危機無き時に力を奮うべからず。それは流派の掟ですらない、力を身につけるものが心得ておく常識だ。人を傷つけるのが主な目的である力など、ただの魔物と変わらない。奮う意味もない、しかも力を持たない人間を力任せにとらえるなどと。

 

およそまともな軍人が行う所業ではない。

 

「ま、兵士には兵士で色々とあるんだろうさ」

 

「そうだな。それに、命令なら従うのも軍人の仕事だぜ?」

 

「上司の間違いを指摘するのもな」

 

軍人が民間人に手を出す。考えうる中では、最も愚劣な行いだ。

崖下に向かって一直線に突き進めというようなもの。それを正すのも部下の役目だろうに。

 

「そうだな………だが、本当にそんな兵士がいるのか?」

 

「めったにいないだろうなあ………基本的に命令違反は厳重処罰ものだし。その上で上司に意見をしようって兵士か」

 

そんな兵士、僕は一人しか知らない。その名もミスター・モンバン。違った、モーブリア・ハックマン―――ガンダラ要塞の門番さんだ。最初に出会った頃のあの人は、確かに他の兵士とは違っていた。自分の信念の元に、力を行使している。だけどそれは、ラ・シュガルを守るためだけではない。主成分は、もっとクサくて泥臭くて素敵なものだ。少し師匠に似ていて。だからこそ、僕は頻繁にあの場所へと通っていたのだ。

 

「あの人なら、こういった事は許さない。僕も許さない。ミラも許さない?」

 

「守るべき人間を道具のように消費する行為を、許せるはずがないだろう。ましてや黒匣《ジン》だ。許す理由などどこにもない」

 

「なら、行こうか。ちょうど用意もできたようだし」

 

 

きっかり10分。考えぬいたローエンの案は、シンプルなものだった。

 

 

「噴き上がる精霊力に対して魔方陣を展開します………それにのってバランスを取れば、無事に降下できるかもしれません」

 

「無傷か死ぬかは、賭けってこと?」

 

「その通りです」

 

じっと黙る皆。流石に危険なのでエリーゼには残っていてもらおうかとも考えたが、視線でそれを拒否された。覚悟はできたらしい。

 

「アルヴィン、コアをよろしく」

 

「ああ。だがあの位置………この高さから飛び降りるなら、狙うチャンスは一度ってことか」

 

「そういう事だけど、できる?」

 

「やってやるさ」

 

頼もしい返事だ。僕はそれを信じることにした。

 

「ローエンも。舵取りは任せるよ」

 

「………覚悟が早い。ミラ様も、度胸がお有りですな」

 

「他に方法もない。迷って間に合わずでは本末転倒だろう」

 

腕を組んで泰然と答えるミラ。いささかの揺るぎもない様子は、流石の精霊の主といったところか。そして皆が魔方陣に乗る。少し不安な表情を浮かべているエリーゼを、抱き抱えて座る。

 

エリーゼが僕の腕、服をぎゅっと掴んだ。

 

「手を離さないでね」

 

「はい!」

 

「あとティポさんは頭に噛み付かないでね。前が見えないし怖いから」

 

「えー」

 

「いやえー、じゃなくて」

 

「では………参りますよ!」

 

 

声と同時に天高く放り上げられたナイフ。そして描かれた方陣の形状が変わっていく。前を細く、後ろを広く。そのまま飛ばせば大空を飛び回りそうな姿になった方陣に、僕達は飛び乗った。

 

方陣が、体重に圧されて降下、マナの嵐吹きすさぶ中へ突入していく―――――!

 

 

「くっ!」

 

しっかりと踏ん張りながらエリーゼを抱きしめる。それでも飛ばされそうになった。このまま長時間は耐えられないだろうが、それは無い。登るのは大変だが、降りるのは一瞬なのだ。

 

そして――――

 

「アルヴィン!」

 

「ああ!」

 

撃てる時間もほんのわずか。声に応じて、見えたコアにアルヴィンが狙いを定める。

 

「く、だがこう揺れちゃ………!」

 

腕がマナの風に揺られている。

 

(あれでは当たらない………!)

 

狙いを定められないのだ。そして二度登る時間も、また無い。

 

(ならっ!)

 

僕はエリーゼを抱えたまま膝立ちながらも移動し、アルヴィンの懐へ行き。

そしてアルヴィンの腕を押さえ込んだ。

 

「気が利くな………汗臭いけど!」

 

「言ってる場合か!」

 

「いや―――――分かってるさ!」

 

揺らがぬ土台に支えられた腕。その先から放たれた弾丸が、巨大な岩のようなものの上にあった、標的を撃ちぬいた。

 

コアが粉微塵に砕け散る。すると、徐々に動力が弱まり、やがて装置は完全に停止した。

 

 

――――そして。

 

 

「はっ!」

 

ローエンが方陣を平にして、弱まったマナの奔流を正面から受ける。それに圧されて落下の勢いが弱まるのと、マナが途絶えるのは同時だった。方陣も消え、僕達は宙へと投げ出される――――が、問題ない。既に僕達はかなり下にまで降りていたので、難なく着地できる高度だったのだ。

 

広場に余裕をもって着地する。クレインさん達を閉じ込めていた部屋の扉も、動力を失ったせいか自動的に開いた。

 

「………死んでいる人はいない。何とかなったな」

 

囚えられていた人達が次々に広場へと出てくる。動かなくなっている人はいない。苦しんではいるが、まだ心臓は動いているようだ。それでも、かなりのマナが抜かれているようで、皆広場に出るなり倒れこんだ。

 

「やはり………いえ、今は救助を。カラハ・シャールの兵も来たようです。あとは彼らにお任せを」

 

ローエンの提案に頷く。馬車でも持ってこなければ無理だろう。それに僕達も数は少ない。さすがにあの20人あまりを町まで運ぶことはできないだろうし。ともあれ、一件落着だ。ローエンの心配していた"何か"も起きていないようだし。

 

「そうだな…………だが、一つだけ引っかかる」

 

「どうしたのアルヴィン」

 

「いや、あの扉だがな。何で自動的に開いたんだ?」

 

「それは………装置の構造的に、"そう"なって……………っ!?」

 

広場を見渡す。人が居た。クレインさんがいた。

みな、閉じ込められていた部屋から出て、それでも歩くことはままならず。

 

"広場"に倒れ込んでいる。

 

そう、"動けない"のだ。

 

「ローエン!」

 

「何か――――っ!?」

 

ローエンの顔が驚きに満ちる。ああ、どうやら忠告は遅かったようだ。

 

コアの下にあった、巨大な岩のようなもの。それが光り、開いて――――――

 

「何か、生まれる!?」

 

「危ない、全員下がれ!」

 

しかし、その声は最早遅いもの。

そうこうしている内に、いやしている暇もなく、"それ"は顕現の手順をやり遂げた。

 

―――いや、それは羽化だった。

岩は玉子で――――生まれたのは、美しい蝶々。

 

色彩も鮮やかな羽。だけどその身体は、戦うものの構造だ。それを象徴するのが牙のように付き立っている巨大な触覚に、視界いっぱいに広がる巨体。

 

その大きさは異様で、自然のものではありえない。キジル海瀑で見た巨大な魔物には及ばないが、それでも普通の魔物の3倍以上はあった。

 

 

「な、何だコイツ………!?」

 

「来るぞ、構えろ!」

 

 

ミラが忠告の声を広場にいる全員に向けると同時に。

 

巨大蝶は咆哮を広場へと轟かせながら、僕達の方へと襲いかかって来た。

 

 



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28話 : エレメンタル・バタフライ

 

 

まずいことになった。

前方には強靭かつ巨大な魔物、ではない。後方に力もない一般人がいることがだ。

 

(――――後ろに通せば、犠牲者が出かねない!)

 

この化物、どう見ても尋常なそれではない。マナを見る限り、強いことは間違いない。これだけ分かりやすく、密度の濃いマナを見せびらかしてこようとは。

 

表皮や羽の色も、通常の魔物とはどこか違っている。キジル海瀑に居たあいつと同じに、珍種の魔物なのかもしれない。いずれにしても、戦いを知らない人ならばひとたまりもないだろう。

 

悪ければ、一撃で終わってしまう攻撃方法は、羽かあるいは触覚か。

 

(もしくは――――っ!?)

 

考えている最中に、攻撃が来た。足元に精霊術特有の陣が浮かんだかと思えば、風が。

いきなりの攻撃にかわすこともできなかった。肌を浅く切り裂かれ、痛みと共に赤い血が飛び散る。

 

「っ、風の精霊術かよ!」

 

「気をつけて下さい! こやつ………強力な精霊術を纏っています!」

 

「そういうのは早く言ってね二人とも!」

 

精霊関係を看破するのは苦手だってのに。ともあれ、こいつは厄介だ。

今の術を見るに、ポイントを指定して術を発動させるタイプのものだろう。

 

このままこの位置を保ったまま、民間人を守り切る――――のは難しい。

 

で、あればだ。

 

「ローエン!」

 

「分かっています! 兵士の皆さんは民間人の避難を優先して下さい!」

 

爺さんは言葉で言わずとも分かってくれたようだ。ローエンの指示を受けたカラハ・シャールの兵達は、捕まっていた民間人達を抱えて洞窟の外へと走っていく。そして、僕は僕の役割を果たすことにした。

 

前衛として前へ。最も敵へ近づき、そして対峙して、相手を引きつけるのだ。

 

だけど、相手は空中を自在に飛び回っている。彼我との純粋な距離は遠い、注意を引きつけられきれていない。それを証拠に、化物はやや後方にいたミラの方へと敵意らしきものを向けている。

 

鳥が水面の魚を取るように。一瞬で降下して、ミラへと襲いかかっていく。

それを予想していたのだろう、ミラは化物の一撃を剣で受け止めた。

 

だけど勢いは強く、ミラは横へと弾き飛ばされた。

 

「ミラ!」

 

「大丈夫、だ!」

 

とっさに受け身を取ったようだ。そのまま転がり、すぐに立ち上がる。

しかし、早い。僕が走っても全力で走っておいつけるかどうか。

 

後ろに通せば、人死にの悲劇が量産されるだろう。

その前に何としても止めなければいけない。だけど、あの巨体は正直厄介だった。

 

そもそも届く位置にいなく、飛び上がったとて生半可な攻撃ではあしらわれて終わりだろう。

 

(それをさせないためには――――)

 

決めると同時、プランはすぐさまに浮かんだ。

 

「アルヴィン!」

 

「なんだ、ジュード!」

 

銃で牽制するアルヴィンに、叫ぶ。

 

「あいつに取り付く! 援護、そのまま頼んだぞ!」

 

「おま………ちっ、仕方ねーか!」

 

善は急げな状況ゆえに、迷うことはしない。僕はアルヴィンの了承の意を得るなり、すぐさま吶喊を始めた。マナで強化した足を台に、全力で前方へ"飛ぶ"。

 

「速い!」

 

ローエンの声はすでに後方だ。そして敵の真正面に躍り出ると同時に、挨拶代わりの魔神拳を放つ。

だけど距離は遠く、それは回避されてしまった――――が、ひとまずの意識は引き付けられたようだ。

 

化物はこちらに向き直ると、また風の精霊術を発動しようとする。

 

だが、それは銃声によって阻まれた。

 

「ギイッ!?」

 

アルヴィンの放った銃弾が羽を貫いたのだ。確認すると同時に、僕は前へと走りだす。

この場面でやるべきことは、ベストポジションの確保。

 

僕はマナで強化した足で跳躍して、化物の上空に飛び上がる。

 

しかし、まずい。こちらの思惑を読んだのか、化物は急速に方向転換して僕から逃れようとする。

 

「っ、させるか!」

 

咄嗟に、目の前にあった触覚をつかむ。

そのまま両手でしがみつく―――――すると化物は、触覚を振り回してきた。

 

「おおおおおおっ?!」

 

たまらず叫んだ。このまま岩壁に激突させるつもりだろう。

直撃すれば小さくない怪我を負うだろう。だが、これはチャンスでもあった。

 

かなりのスピードで迫り来る壁、だけどぶつかるのは間抜け過ぎる。

 

何より僕にぶつかろうとするなら、壁も敵だ。

 

敵ならば蹴りつけるべきで―――――されるがままに、というのも趣味じゃない。壁に激突する瞬間、僕は壁を蹴りつけた。

 

そして跳び、眼下に見えるのは化物の姿だ。

 

「取ったぁ!」

 

すかさず、体重を乗せた踵の一撃を化物の脳天に叩きこんだ。確かな手応えを感じ、虫の口から歪な悲鳴が上がった。

 

「ぎ、グゥゥゥッッ!」

 

虫の化物、この蝶野良は、怒ったのだろう。勢い良く頭を左右に振り、僕を振り落とそうとしてくる。しかし、ここで落とされては意味がない。

落とされないよう、触覚の根っこを両手で掴んで固定。飛ばされないように踏ん張り、やり過ごす。

 

そして体勢を立て直しながら再び頭の上に乗り、また踏んだ。踏んで、踏みつけ、踏み倒した。

 

また悲鳴。そして怒るお蝶さん。そんなこんなを三回ほど繰り返した後だろうか。

 

化物は今度は頭を振らないまま、岩壁の方へその進路を変えた。

 

「学習能力がないなぁ!」

 

さっきも繰り返したことだ。自ら手を離すと同時に化物の身体に蹴りを入れた。

その勢いには逆らわない。蹴り足から返ってくる手応えを跳躍力に変え、空中に。一回転をした後、硬い地面に着地する。

 

「ぐっ!」

 

思わず、声がもれる。どうやら衝撃は殺しきれなかったようで、足が痺れて動かない。

 

「ギアッ!」

 

そして、化物はそれを好機と見たのだろう。

動けない僕に向かって、追撃をしかけてこようとする。精霊術だ。

 

それも先ほどよりこめられているマナが大きいように感じる。

 

だが、その術が放たれることはなかった。

 

「「ファイアーボール!」」

 

後方と、敵の反対側から。2方向から放たれた火球が化物の頭部に直撃し、前後に爆ぜた。聞き覚えのある声に、見覚えのある火の精霊術。それを放った術者は、後ろから僕の横にまで近寄って来た。

 

「助かった、ミラ」

 

「ジュード………君は無茶をするのが趣味なのか?」

 

呆れたような声は、ミラのもの。頭痛がするのか、頭を抑えていた。いや、失敬な。

 

「役割を果たしただけだって。それに婦女子を庇って戦えるのは男の子の特権だってね」

 

師匠にそう教えられた。答えると、しかしミラはまた呆れ顔を一段と濃くする。

 

「囚えられていた人達のために、か。そういえば女性もいたか………君は本当に節操が無いな」

 

「あれ、そっちに取るの!?」

 

何かズレてるミラの見解。いや、主目的は貴方です。そしてエリーゼのためにです。しかし、時間は稼げたのか。見ると、民間人の避難は本当に済んでいた。半分は洞窟の外に、もう半分はさきほどまで閉じ込められていた装置の中に。エリーゼも一緒だ。クレインさんに付き添っている。

 

あそこは頑丈だし、精霊術も通さないだろう。

コアは死んでいるので、装置が再び作動することもない。

 

「そろそろ立てるか?」

 

「いや、もう少し」

 

―――ここだけの話なんですがね。ローアングルから見える貴方の太ももが輝いているんだ。

うん、エロすぎて、ちょっと足にきてるんです。

 

「………おい?」

 

「はい、起立!」

 

日直のノリで立ち上がる。

 

「次は、礼」

 

心の中で感謝を。良き、太ももにございました。

 

「………は?」

 

そして着席。座り込んだ僕の視界には、再び素晴らしきローアングルが。ってな所で、拳骨が入った。剣の柄の底が脳天に突き刺さった。僕は言葉も出せずに悶絶する。

 

「ってお前ら、漫才してないで応戦しろって――――おわっ?!」

 

アルヴィンの悲鳴が聞こえてくるが、うむ計画通り。すまん。先日のこともあるし、ちょっとした意趣返しのつもりだったんだ。ちょうど魔物が一番近くにいたし。

 

「ともあれ、放っておけるはずもないか」

 

「そうだな。だが、あの程度ならば問題はないだろう」

 

ローエンもいるし、包囲したまま全力で攻撃すれば、すぐに潰せるだろう。包囲していれば、まず僕達に攻撃を仕掛けてくるだろうし。

 

――――と思ったが、そう上手くはいかないみたいだ。

 

「………なに?」

 

それまでは近くにいる標的を。アルヴィンを優先して狙っていた魔物が、急にその動きを変えた。

ぐるりと、別の方向を向く。その先には、装置にこもっている民間人の姿。

 

「なっ!?」

 

ローエンが動揺する。僕も同じ気持だった。

そして僕は驚くと同時。蝶野郎の姿に、激しい違和感を覚えざるをえない。

 

(おかしい、だろう)

 

魔物といえば、人を襲う。しかし殺すことを目的としている訳じゃない。大半は自衛のためである。そしてこの場での自衛行為とは、強敵である僕らの排除だろう。それがなぜ、"優先して潰さなければならない強敵を放って、弱い方を先に潰そうとするのか"。

 

まるで、どこかの誰かに命令されたかのように――――

 

「…………ローエン?」

 

ローエンの顔を見る。蒼白になっていた――――直後に、赤くなった。感情が爆発したのか。そしてその感情の名前は、憤怒というのであろう。

 

あの爺さんはくせ者だ。此処に来るまでの道中も観察していたが、なにがあってもそれなりの余裕を保っていた。屋敷でのゴタゴタがあっても、動じなかった。ただものではないであろう、その爺さん見るも顕に感情をむき出しにしている。

 

「ナハティガル、あなたはどこまで………っ!」

 

続く言葉はアルヴィンの銃声にかきけされた。狭い洞窟の中に疾駆する銃弾が、魔物の羽を穿った。何か、よほど痛い部位に当たったのだろう。魔物はいつにない悲痛な色で、叫び戸惑っている。

 

まるで隙だらけだ。この機を逃す手はない。できれば精霊術で片付けたいが――――

 

「ローエン!」

 

ミラの声が響いた。激しい声に、ローエンの顔が跳ねるように上がった。

 

「何があったかしらんが、今は前を見ろ! 民を、主を見殺しにする気か!」

 

「ミラ様…………」

 

ローエンは、ミラの一括を噛み締めるように聞いた後。自分の頬を叩いて、気合を入れた。気を引き締め直したのだろう。

 

「って、まずい!」

 

見れば、体勢を立て直した魔物が装置の方へと近寄っていく。

アルヴィンが立ちふさがっているが、一人では厳しいだろう。

 

「くっ、ジュード、ローエン!」

 

「ええ、させません、撃ち落としましょう!」

 

「了解! ってかこの蝶野良、エリーゼに触んじゃねえよ!」

 

僕達はミラの号令に従って、化物の蛮行を阻止すべくマナを全力で絞りながら、魔物へと飛びかかっていった。強さ的には、ミラの社の前で出会ったあの規格外の化物より遥かに劣る。化物だからして、人間のような技量もない。樹界の出口でやりあった大木槌のオッサンのように、戦術として攻撃をしかけてくるわけもない。

 

ましてや、こちらは今や4人だ。負ける要素などどこにもない。

 

 

――――そうして、本格的な戦闘に入って10分後。

 

 

多少の負傷はあれど、死者なく勝利を収めることができた。

 

 

 

 

 

 

「もう、動かないよな」

 

最後に飛燕連脚で叩き落とした化物は、地面に落ちたままぐったりと横たわっている。

動く様子はない。

 

「そのようだ………だが、いつ復活するとも限らない」

 

すかさずと、ミラがトドメをさそうとする。

 

だが、僕はそれを制止した。

 

「っ、ジュード! なんのつもりだ!?」

 

「いや、ちょっと待って」

 

復活するかもしれない、その程度の危惧を抱くほどにこの化物は異様だった。戦闘方法も、この見た目も。そして生態もそうだが、色々とおかしい部分が多いのだ。トドメをささずに調べることが可能であれば、その方がいい。敵さんの目的か、あの装置の事が分かるかもしれないのだ。あるいは、ナハティガルの思惑が読めるかもしれない。

 

そう思ってミラを止めたのだが、

 

「なに………?」

 

次の瞬間だ。蝶の全身が光ったかと思うと、その輪郭が徐々に解けてゆく。

それはやがておびただしい数の光の粒に形を変えていった。まるで夜暗に映る蛍のよう。美しい光景に、その場に居た僕達は眼を奪われる。

 

「おお、これは………!」

 

「………微精霊、か」

 

マナではない、他の魔物とは違う。こいつは、微精霊の集合体だったようだ。あるいは、あの装置の産物というのか。だけど、それを考えるのは後でいいだろう。

 

僕はしばらく、その美しい光景に見蕩れていた。

 

どの場所でも、これだけの燐光を見たことはない。徐々に消えていく様もまた、儚くて綺麗だった。

そして消え終わった直後、横合いから声がした。

 

 

「………ありがとう」

 

「え?」

 

振り向くと、ミラは優しそうなほほ笑みを浮かべている。

一瞬だけ。僕はわずかに残った蛍のような光より、その笑みに意識を奪われた。

 

しかし、続く言葉は複雑なものだった。

 

「危うく、微精霊を滅してしまうところだった。だが、君は気づいていたのだな………止めてくれてありがとう」

 

「あ、うん」

 

いや、誤解なんですけど。でもちょっと調べたかっただけなんです、とは言えなかった。

なんでって、無粋な言葉を挟むには、ちょっとミラの笑顔が綺麗に過ぎた。

 

それに、微精霊のことは僕には分からない。マナのやり取りもしたことがないから。

複雑な気分のまま、ようやく光の粒子は全て消えた。

 

「………さあ、カラハ・シャールに戻りましょう」

 

「そうだなぁ。あー、しんどかったぜ、ほんとによ」

 

爺さんと疲れた中年の声が背後からする。

 

「聞こえてんぞぉ、少年」

 

「うん。聞こえるように言ったからね………って、こんな事をしてる場合じゃないか」

 

みな、マナを大量に吸い取られてしまっている。恐らくは、身体も相当に弱っていることだろう。

急を要する容態でもないが、早く休むに越したことはない。

 

「行こうか………手伝うよ」

 

これでも医者の端くれだし。そう言うと、ローエンは笑顔でありがとうございますと言った。

僕はそれに頷きながら、エリーゼ達がいる装置の中へと、歩いて行く。

 

(めでたしめでたし、といった所かな)

 

ひとまずの問題は解決しただろう。クレインさんも、イル・ファンへ行くための協力はしてくれるはずだ。ここに来て関係を断ち切ることも有り得ない。

 

色々と予想外の出来事は発生したが、カラハ・シャールにおける騒動は研究所とは異なり、いい方向で収束した。

 

――――と、誰もが思うところだろう。しかし、事実は異なっていたのだ。

 

この時期にカラハシャールで起きた一連の騒動。後に繋がる第二次ファイザバード会戦への、その発端の一部を担うことになったとして知られる、重大な事件。

 

 

―――僕は、この時にはまだ考えもしてなかった。

 

 

その騒動が、より本格的なものへと加速していくことを。

 

 

 

 



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29話 : 分岐点

 

 

救出した民間人を街まで護衛し、戻ってきた夜。僕達は再びシャール家へと招待されていた。だが、当主であるクレインさんはマナを大量に吸われたせいで今は寝込んでいる。それでも、僕もミラもエリーゼも。きっとアルヴィンにも不満はないだろう。

 

何しろ、先ほどまで見事と言える当主っぷりを見せつけられたのだから。クレインさんもマナを吸われ今にも倒れこみたいはずなのに、救出した民が治病院に運ばれる最後まで陣頭で指揮を取っていたのだ。この街に入院ができる病院は二つで、捕まっていた人達の住所から近い方へ。迅速に調べさせながら指示を出しきった。

 

そうして、全員の無事が確認されて館の中に入ると同時だった。力なく、膝を落としたのは。

それでも倒れこむことはなく、ローエンの肩を借りながらも自室へと戻っていった。

 

――――そして。

 

「ありがとう。お陰で、助かりました」

 

去り際に、僕達に礼を言う時は背筋をピンと伸ばしていた。返す言葉は、決まっていた。

 

「どういたしまして」

 

助けた甲斐があるってものです、と。お美事、としか言いようが無い。上に立つ者とはかくあるべし、を体現した人だろう。その気合は一時の師匠にも匹敵するように感じられた。それに加え、最後まで優しさを忘れず。アルヴィンも霞むほどの好青年っぷりだ。そしてシャール家のもう一人だが、こちらは見事な可憐っぷりを魅せつけてくれた。まず、戻ってきた時だ。顔色を悪くしているクレインさんを見るなり、涙目であたふたし始めた。

 

だけどクレインさんが一言二言告げるとじっと押し黙ったまま頷き、その後は指揮を取るクレインさんの横で、救出した民へと声をかけていた。

 

そして、最後にドロッセルお嬢様は僕達に頭を下げた。

 

『みなさん………本当に、ありがとうございました!』

 

声も大きく、感謝の意を示したのだ。あの時の光景は、しばらく忘れられそうにないだろう。言葉はもちろんだが、あれだ。可憐なお嬢様が、涙目の可愛い笑顔でお礼である。人の目がなければ、バンザイを三回していたかもしれない。

 

いや、論点がずれた。問題は、そう、大貴族であるドロッセル嬢が一介の旅人にしか過ぎない僕達に、頭を下げたのだ。

 

何も考えていないのか、あるいは理解した上での行為なのか。

判断はつかないが、どちらでも構わないって思えた。礼を言われるということ、イル・ファンに来てからはミラと店主以外の人間からは、久しく受けていなかった行為である。

 

故に身体は震えた。何より示されたその誠意と、そして――――頭を下げた瞬間に見えた驚異的な胸部に。ちらりと見えた谷間と、屈んだ時に見えた輪郭。もしかするとミラに匹敵するかもしれない。

 

正しく、傑物であろう。貴族っぷりも含め、どこぞの平坦胸貴族とはえらい違いである。

 

クレインさんの懐の深さも含めて。ああまでした理由は、きっと別にあるのだろうけど。

 

「で、その辺りの説明をしてくれるって?」

 

「………気づかれましたか。驚かせようと思ったのですが」

 

背後から足音を消して近寄っていたローエンに、一言。

でもこの爺さまは、驚いた様子もなく飄々としたままだ。

 

「しかし、クレイン様がすぐにお休みに成られなかった理由、ですか。観察眼もそうですが、やはり頭の回転もお早いようで………無礼を承知でたずねますが、本当にただの医学生ですか? 実はかの四象刃(フォーヴ)の一人ではないかと、疑っています」

 

なにその四象刃(フォーヴ)って。商人か誰かが話していたような気もするけど。

 

「ご存知、ないのですが。ガイアス王直属の最精鋭と呼ばれる4人です。2年前のシュレイズ島でラシュガルの特殊部隊120人がその4人に倒されたと聞いております」

 

なにその関わりあいになりたくない人達。特殊部隊ってーと、研究所にいたあの雑魚兵とは一線を画するほどの強さを持っているはずそれを戦力比1:30で勝つとか。特殊部隊の力量にもよるけど、どんだけ手練なんだよその4人の化物は。

 

「あいにくと、心当たりはないな。というより僕の出身はル・ロンドなんだけど」

 

あそこはガイアス王が治めるア・ジュールではなく、ナハティガルが治めるラ・シュガルの領に入る。遺憾ながら。

 

で、だ。いくらなんでも、敵対国を故郷とする者が、そんな大幹部になれるはずがないだろう。

 

「しかしながら、ガイアス王は革新的な政策を取られていると聞きます。有能であり、忠誠を誓うものであればどのような出自でもあれ受け入れると」

 

「いやいやいくらなんでもあり得ないでしょ………もしそんな事があるなら、そいつにキスを捧げたっていいぐらいだ」

 

そいつが男ならば、我が世の地獄。

女ならば、痴漢も真っ青な犯罪者確定である。エリーゼにも嫌われてしまうかもしれない。

 

「それは私も同感ですが………まあ、そうですか。あり得ないでしょうなあ、ほっほっほ」

 

「そうでしょー、はっはっは」

 

笑い合う僕達。

 

――――遠い何処かで、誰かがくしゃみをしたような気がした。

 

ともあれ、だ。ローエンを見ると、少し唇を笑みの形に曲げていた。

 

「ふふ、今のは冗談ですよ。何よりあなた方はクレイン様と民の危地に怒りを覚えておりましたし」

 

ゆえに信じましょうと、ローエンは話を戻した。

 

「クレイン様がその当主としての在り方を示した理由。それは、先の化物が取った行動に繋がっております」

 

あの蝶が、民を優先目標としたこと。ローエンは即座に相手の意図に気付いたという。

 

「想像してみて下さい。もし、私達が民を守れず、死なせてしまった時のことを」

 

「そうなれば………当主失格って言われる?」

 

行為と意志は立派。それでも守れなかった場合、立ち上がれども力無き民を守れなかった当主としてクレインさんは扱われるだろう。信頼が崩れるのは一瞬だ。全部が崩れ去ることもないだろうが、街に兵に、少なくない動揺が走ることは想像に難くない。

 

「あるいは、敵方もそれを見越し、助長する噂を流すことでしょう。そうなれば、カラハ・シャールはイル・ファンに反抗できなくなります」

 

もともとの戦力が違う。それに加え士気も低下すれば、勝ち目もなくなるというもの。無駄な犠牲を嫌うクレインさんにとっては、特にそうであると言える。なにがしらの強攻策を取れば解決、また、民の被害も増えるが故に。

 

それに、シャールの兵は私兵の域を脱しきれていないように思える。会戦を経験した優秀な軍人は、全てイル・ファンにいるだろうし。だから、最後まで立って指揮した。無言で示したのだ。クレイン・K・シャールはここに在り、そして我が民を守る当主であると。

 

「………エリーゼを預けても、心配なさそうだな」

 

「そうして下さい。今のイル・ファンでは、何が起こるか分からない」

 

ローエンの言葉に頷く。次に行く場所は、いわば敵の本拠地である。そして敵は未知の技術を使ってくる。相手の強さも、今まで通りというわけにはいかないだろう。エリーゼを守りながら、というのはどう考えても無謀だ。

 

「………分かった。守れなければ、なんてことは考えたくもないし」

 

「ええ。それと聞いておきますが、この屋敷にずっと、というつもりはないのですな?」

 

「本人にも聞くけど、それはないんじゃないかな。僕にとっても、エリーゼを預けてはいサヨナラ、なんていくらなんでもあり得ない」

 

自分で言い出したことだ。エリーゼはそんな僕を信じて、ここまで付いて来た。そんな少女を預けて去る―――放置して他人任せにするなど、男としてやっちゃいけないことだろう。でも、一時とはいえ預かってもらって本当にいいのだろうか。

 

「問題ありませんよ。むしろドロッセルお嬢様がお喜びになりそうです」

 

実は今もそうである。エリーゼとお茶を飲みながら、色々な話をしているらしい。それを言い出したのは、エリーゼなのだけれど。クレインさんが心配で夜も眠れなさそうなドロッセルを見て、ならお話をすればいいかもしれない、と言い出した。

 

一人は寂しいから、と。呟いた時の顔が印象的だった。

 

 

「………その事も含めて。明日、クレイン様からご提案があるようです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、次の日。見るも優雅な朝食の中、エリーゼとドロッセル嬢はある提案をした。

曰く、ミラを市場に連れていきたいのだという。

 

「………私が? 二人で行ってくればいいだろうに」

 

「いえいえ。ミラさんと一緒でなければ駄目なんですよ。ね、エリーゼ?」

 

「………うん」

 

こくりと頷くエリーゼ。対するミラは、困惑していた。

 

「いや、しかしまだ落ち着いたという訳ではないだろう。これからガンダラ要塞を越える話をするつもりだったのだが」

 

「あー、いいよ。今はシャール家の私兵も警戒態勢にあるようだし」

 

ミラの腕も、イル・ファンで力を失った後よりは格段に上がっている。それでも安全とは言いがたいけど。

 

「なら、俺がお供しましょうかね。旨い朝飯の礼もあるし、運動しないと太っちゃうからな」

 

言いながら、こちらに視線で合図を送ってくる。クレインさんの話か。エリーゼかドロッセルか、どちらかに聞かせたくない話なんだろう。仕方ない、と僕は視線で了承の意志を示した。

 

「よし、決まりだ。俺は先に外に出てるぜ」

 

アルヴィンは言うなり立ち上がると、玄関へと歩いて行った。

ミラの方は、かなり困惑気味だったけど。

 

「………待て、何故私と。話が見えないのだが」

 

「え、だってミラ、昨日にお話したじゃない。いつか一緒にお買い物に行きましょうって」

 

「確かにいったが、何も今日である必要は―――」

 

「でも、お話が済み次第出立するつもりなんでしょう? 善は急げっていうじゃない」

 

「それはそうだな。ではエリーゼとドロッセルの二人で行ってくるがいい、私は――――」

 

そっけないミラの言葉。しかし対する二人は笑顔でアイコンタクトすると、ミラの腕を掴んだ。

そのまま、玄関へと引きずっていく。

 

「ま、待て、なぜこうなるんだ? 私が行く必要はないだろう?」

 

「出発ー」

 

「「しゅっぱつー」」

 

ミラは抵抗するが、しかし二人と一匹は聞いちゃいなかった。

それを黙って見送る。なぜかといえば、あれだ。

 

「ミラさんは綺麗ですし、エリーゼは可愛いし。着飾りがいがありそうで、なんだか私わくわくしてきちゃった」

 

僕は黙って頷いた。是非ともやって下さいと親指さえ立ててやった。

だってそんな事を聞かされちゃあ、反対する理由が思い浮かばないではないか。

 

ドロッセル嬢にサムズアップをすると、同じくサムズアップとウインクで返されてしまった。

 

「ジュード! 待て、何故黙って手を振る!」

 

「諦めたほうがいいと思うから。それにミラは女の子なんだし、たまにはお洒落したっていいかと思うんだ」

 

「いや、だが、厳密には私に人の性別が当てはまるとは――――」

 

そんなスタイルをしておいて何を言うか。現出するさいに人の象をなしたが~、とか何とか言っていたが、ハンカチを振りながら見送ってやった。話は僕が済ませておくから、お元気でと。

 

やがて引きずられたミラは、二人ともども外へと去っていった。

 

扉が、バタンと閉じられる。しばしの沈黙が流れた。そうして少しした後、クレインさんはこちらを見て、言った。

 

 

「少し、玄関まで行きませんか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん、いい天気だなあ………」

 

屋敷の正面から見える空は、街の中で見上げるそれより、広く思えた。耳をすませば、子供達の談笑と、市場が賑わう音が遠雷のように聞こえてくる。結構な距離があるはずなのに、だ。かなりの賑わいを見せているのが分かるというもの。そして僕は、半歩だけ横にずれた。目の前には、クレインさんがいる。

 

彼はこの音に耳を傾けているのだろうか。

眼を閉じたまま黙り込み、やがて開くと同時に僕の方を見た。

 

「良い、街でしょう? 何より人々に活気がある。自慢ではありませんが、国内でも有数の都市だと自負しております」

 

それに反論する材料はない。皆無と言っていいほどだ。霊勢の関係もあるのだろうが、このカラハ・シャールにはイル・ファンよりもずっといい空気が流れているように思える。この当主の人柄が、その人の良さが伝搬したのだろう。

それを考えると、当主として何より誇っていいことだと思うんだけど。

 

「………いえ、まだまだ若輩者です。若くしてこの地位を継ぎ、何とか頑張ってこれたのは民の助力による所もあります」

 

一人では到底ムリだった、と。苦笑するクレインさんだったが、急にその視線を変えた。

緩やかなものから、鋭いものに。まるでカミソリを思わせるものに、変質する。

 

「それを守れぬというのであれば、当主として失格であります―――民あっての当主。父より幾度と無く聞かされた言葉であります。僕は、その理を死しても貫くことでしょう」

 

その言葉には、覚悟があった。威厳に満ち溢れた姿は、あるいは王と呼べるものにも感じられる。

 

「故に、民の命をもてあそび。独裁に走る王にこれ以上従うことはできない」

 

「………反乱を起こす、つもりですか」

 

戦争にするつもりか。その言葉は、視線の光によって肯定された。今までに抱いていた印象が、払拭された瞬間だ。いつの間にか、思い込んでいたのかもしれない。

 

このクレイン・K・シャールとう当主は、当主として見事な男ではあるけど、一種の甘さを持っていると思いこんでいた。

 

まさか、だ。ただ甘いだけの男ではない。

 

「ナハティガル王―――いえ、ナハティガルの独裁はア・ジュール侵攻も視野に入れたものと考えられます。そして一度走りだした彼は、民の命を犠牲にしてでもその野心を満たすことになるでしょう」

 

告げられた言葉は、過激なもので。そして、どこか確信的な匂いを感じさせられた。いくら当主と王とで関わりはあるだろうけど、ここまで確信できるものなのか。違和感があったが、言葉は更に聞きたくない調べを奏でていった。

 

「このままでは、多くの民の命が奪われる事態に。いつかの会戦と同じに、ラ・シュガルやアジュール両国に多大な犠牲者が出ることになるでしょう。無為な命が失われる―――それは看過できることではない」

 

確かにそうだろう。いつかの会戦の後は、餓死者さえも出るほどに国土が疲弊したと聞く。それを許さないというクレインさんの言葉。それには、言いようのない力があった。

 

「僕は、領主です。領主としての僕の成すべきことは、この地に住まう民を守ること―――あの輝きを汚す存在を排除すること。そして何よりも人間として。事情を知った今、外道を為す王をこれ以上許すことはできません」

 

「当主………そして、人間として………成すべきこと」

 

「はい。それを止めることが――――クレイン・K・シャールとしての、使命だと考えています」

 

誓うような言葉。そしてクレインさんは、僕の眼を見て言った。

 

「ジュードさん。力を、貸してくれませんか。僕達はナハティガルを討つという同じ目的をもった同志になれると考えています」

 

そして、非道を厭わない王を共に討とうと。

 

故に、協力してはくれませんかと、手を差し伸べてくる。

 

シャールの当主が、僕に。

 

正直を言えば、僕はこの提案が酷く魅力的に思えていた。

 

(良い、当主なんだろうなあ)

 

良識あり、覚悟ありだが基本的な人格は高尚の一言。

王や貴族といった人達との付き合いはないが、それでもこの人は最善と呼べる領主ではなかろうか。

 

その決意に嘘はない。その覚悟に濁りはない。その方向性に、誤りはない。あるいは、歴史的な瞬間に立ち会っているのではなかろうかと。そう思わせてくれるだけの人だ。

 

 

 

だから、僕は一歩斜め前に踏み出して。

 

 

 

そして、"進路を塞ぐように手を上げて"、答えた。

 

 

 

「それでも、お断りします」

 

 

 

――――同時に、鮮血が舞った。

 

 

 

「な………っ!」

 

 

 

驚愕の声は、ローエンのもの。そしてクレインさんも。二人の視線は、一つのものに注がれていた。

 

 

そこにある、手を握らす水平に薙いだ僕の手を――――"鏃の見事な一本の矢が突き刺さっている僕の手"を。

 

真っ直ぐにクレインさんの心臓へと、直線で結ばれる軌跡。

そこに僕は、手を差し込んでいたのだ。

 

 

「………できませんよ。僕は、医者を目指しています。その僕が、多大な戦死者が出る戦争の、手助けをするわけにはいかない」

 

 

医療術も使えない、医者の卵の不肖での端くれでもあるけれど僕にも目指すものがある。

だけど、こんな下らない矢に貫かれる人を増やすわけにはいかない。

僕が矢の進路に手を入れなければ、間違いなくクレインさんは大怪我を負っていたことだろう。いや、それ以上か、あるいは。

 

だから、許せない。こんな良い人を暗殺させるなんて、あってはならないことだ。

マティスではない僕の本音も同じだ。ただ、許せない。

 

そして人を助けるためにという信念の元に研究を行なっていたハウス教授。

その、助手だった身としても許容できるものではない。

 

「こんな腐れた手を使う輩は放っておけない、それには同意しますが」

 

「ジュード、さん」

 

「クレインさん。その選択を、否定はできません。それでも――――愚かと言われても、自分なりに諦めずにやってみますよ」

 

 

それだけを告げると、僕は矢を放った暗殺者へと走りだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方で、ミラの方も緊急事態となっていた。

 

「エリーゼ、ドロッセル!」

 

「く………まさかこんな手で来るたぁな」

 

アルヴィンは、肩から血を流している。もう一人、ミラの方も腕にかなりのダメージを受けていた。二人が睨むのは、ラ・シュガルの兵だ。その兵装は、今までに対峙していた者とは明らかに違っていた。そして、力量も。

 

「貴様ら………よりにもよって!」

 

だが、私達二人でも十分に対峙できるレベルだ。そう、詠唱も何も必要がなくなる"あるもの"を使わなければ。

 

そしてミラは、"あるもの"に――――兵士たちが今も構えている武器に、見覚えがあった。

 

「それは、黒匣(ジン)ではないか! 何故、こともあろうにラ・シュガルの国軍がこれを使う!」

 

ミラの怒りの叫びに、兵士たちは答えない。それは、対峙する指揮官も同様だった。

―――紫色のショートカット、その下にある美貌も。

 

凹凸の少ないスレンダーな身体をぴくりと動かすこともせず、ただ部下に命令をするだけだった。

 

「その女をただちに捕らえよ……分かっているとは思うが、お前たちは動くなよ………動けば、この小娘の命は保証しない」

 

 

警告の言葉と同時に。命じられた兵士達は、ミラへと襲いかかっていった。

 

 

 



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30話 : 悪意ある言葉と

 

御者の鞭の音が聞こえる度に、馬車の速度が上がる。その度に座っている椅子が揺れた。

街道の上を馬車が行く。私と、エリーゼを連れた馬車が。

 

(まさか二段構えで来るとはな)

 

思い出しても、始まりはあまりにも唐突過ぎた。買い物をしている私達が見たものは、陣形を組んだままこちらに向かってくるラ・シュガル兵だったのだ。もちろん、ドロッセルを守るシャールの兵が黙っているはずがない。向こうは精鋭に見えたが、こちらも昨日の件に腹を据えかねていたのだろう。見たところ力量については向こうの方が上だったが、対するシャールの兵は気合も十分。私達の助力もあって、形勢は互角になっていた。

 

しかし、そこに更なる奇襲が行われた。詠唱はなく精霊たちが動いた様子もない、それなのに私達は後ろから"遠距離攻撃を受けていた"。あまりにも独特。そして攻撃を察しにくい攻撃。

 

それが黒匣《ジン》によるものだと、私はすぐに理解した。構えているものは、それまで買い物をしていた、とおもわれる街の者だ。手には忌まわしき黒匣の兵器が構えられていた。そして、動揺したのも隙となってしまった。突如押し寄せてきた一陣に、エリーゼを連れ去られてしまう。背後から奇襲をした者達は、前方のラ・シュガル兵と合流した後にまた黒匣をこちらに構えた。

 

形勢は完全に不利になってしまった。捕らえられたエリーゼに呼びかけるが、ぐったりしているだけで反応がない。そうだ、あれは受けたものの意識を奪うことができるのだ、それだけに特化させられたものだ。恐らくは、"あの"研究所を壊滅させた直後に開発されたものと思われる。搦手と呼ぶべき兵器である。四大と共にあった頃の私ならばともかく、今の状態ではマナの防護がなければ意識をもっていかれるだろう。エリーゼのように身体が未成熟な子供ではひとたまりもないのだろう。事実、エリーゼが起きる様子は無かった。

 

そして、ドロッセルもいつの間にか捕らえられていた。指揮官はよほど頭が回る者だったのだろう。人を使うのが上手いようで、こちらの嫌がることを的確にこなしてくる。そして、その指揮官が姿を表した。紫色の髪を短くまとめた女。年はアルヴィンと同じぐらいか。その女は実にわかりやすく、私達を脅してきた。人質だ。

 

抵抗すればエリーゼとドロッセルを害するという。私は迷ったが、受け入れることはできないと答えた。受け入れてどうにかなる問題でもないからだ。何より私には優先すべきことがある。だから反抗を続けるべく、剣を再び正面に構えた。見るに、この女指揮官の腕は並のものではないだろう。迂闊に動けば一気にもっていかれる。油断なく構える自分に、少し違和感を覚えた。相手の動きに警戒するなど、四大が居た頃は考えられなかったことだ。何より強力なあいつらの攻撃で押し通るのが、最善の戦術であった。

 

失った今に気づける。この緊張感と――――相手の感情。向こうも、並ならぬ覚悟で挑んできている。今の私と同じような緊張感、そして生命が危機に曝されているという感覚に耐えながら戦いに望んでいるのだ。喉の奥は乾いている。そして肌は、ひりつくように熱い。

 

―――かつてない感覚だった。いや、気づけなかったと言おうか。

四大が居た頃は、気づけなかった感覚。同じように考え、同じように戦う。

 

そんな相手を害し害される――――平たくいえば殺し殺される空間に、自分は立っている。

 

目的はあろう。そして刃を互いに向けている。更なる一合で、またこの場にいる誰かが死ぬのだろう。そう考えると、言いようのない"もや"らしきものが胸に浮かんだ。

 

―――そんな事を考えていたからだろうか、私は次なる奇襲を避けることができなかった。突如、背中に奔る衝撃。薄れる意識の中、見えたのは黒匣(ジン)を構えている敵。服はさきほどまでは山ほどに居た商人にそれだった。商人に扮していたのだろう。

 

そして、気づけば今に至る。

 

「ついたぞ………降りろ」

 

窓の外には、見るも大きな要塞があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見上げるほどに大きい門をくぐった後。まず見えたのは、痩身の大男だ。見るからに陰険そうな顔をしているそいつは、かなりの高い地位にあるのだろう。私を連れてきた指揮官の女に様式的なねぎらいの言葉をかけている。こいつの命令か。私は敵意を隠さず、視線にしてぶつけてやった。

 

するとその男は腰を引かせて、怯えた様子を見せている。これならば何とかなるかもしれない。一瞬だけ、無詠唱の魔技を腕に展開して腕の紐を焼ききる。同時に前へ。指揮官らしき男を人質に取ろうと前へ踏み出すが――――

 

「させん!」

 

横から出てきた兵士が立ちはだかった。指揮官の男はその隙に、さらに通路の奥へと逃げていた。

しかし急ぎすぎたのか、尻もちをついている。

 

「ジ、ジランド様 無事ですか!」

 

この情けない指揮官の名前はジランドというらしい。

だが隣にいる兵士が厄介だ。守るようにして立ちはだかられては、一息に仕掛けるのは不可能になる。

 

「あ、暴れても無駄ですよ! さあ、牢へと連れていきなさい」

 

号令と共に囲まれてしまう。くそ、この場から逃げ出すのは無理か。

いざとなればエリーゼを置いて逃げることも考えたが、それもさせてくれないだろう。

兵士も手練が多い。特に筆頭はさきほど咄嗟に動いたやつだ。そいつは、エリーゼの方を見るなり少し表情を変えた。

 

「ジランド様。この少女も、牢へ?」

 

「当たり前だ。ただ、殺すなよ。その女ともども、逃げられんように足でも縛っておけ」

 

「………了解しました」

 

言われるがままに足を縛られる。これでは走ることもできないだろう。そうして、牢へつくなり何やら複雑な装置らしきものを両足につけられた。腕につければブレスレットで通るような形状をしているそれは、淡い光を発していた。市場で見た変わったアクセサリーと同じようなものだが、違うだろう。見るからに不穏な雰囲気を発している。

 

穏やかな用途で使われるものではないだろう。どういった効果をもつのか、さっぱり分からない所が不安感を煽る。目的に沿った使い方か。私の方は、きっとあの鍵に関することに違いない。ラ・シュガル側としては何としてもあのクルスニクの槍を起動に必要である、あの円盤の形状をしている鍵が欲しいのだろう。あれは、絶対に必要なものだと考えられる。渓谷で新しい鍵が作られようとしていたのがいい証拠だ。失敗したから、今度は私の方の鍵を奪いにきたか。

 

(しかし、エリーゼは………)

 

狙われている事情は察していたが、その理由がきになる。あのジランドという男は、エリーゼの方も重視していた。逃げられると困るとも。一体この少女のどこに拐う価値があるのか。年の割に大きなマナを持ってはいるが、それが目的ではあるまい。あるいは、ティポの方に目的があるのかもしれない。そのティポはエリーゼが気絶すると同時に眼を回して動かなくなったが――――

 

「ん………あれ、ここどこー? あ、ミラ君」

 

眼を覚ましたようだ。エリーゼも起きて、こっちを見る。

 

「ミラ………ここ、は?」

 

「ガンダラ要塞の中だ。私達は捕らえられてしまった」

 

簡単な説明をすると、エリーゼは不安な表情を見せた。

 

「その………ドロッセルは、捕まってない?」

 

「ああ、何とかな。アルヴィンも同様だ」

 

怪我はしただろうが、軽傷ではなかったはず。ジュードも無傷だろう。

今頃はこちらを助ける作戦を練っているはずだ。シャールの兵がどう動くかは分からないが。

 

「それでも、私達の方でも考えなければな。逃げる方法はないか………」

 

この装置が気になるが、それも頭の中に入れて考えなければ。

しかし、そこに声が割り込んだ。

 

「準備が出来た、ついてこい」

 

そうして連れてこられたのは正面の大きな門に通じている、入り口にある通路の前だ。

壁には、門とほぼ同等という驚異的な大きさをもつゴーレムがあった。

 

(これでは、確かに力押しは無理だな)

 

いくらかの精霊術が感じ取れる。これはノームのものだろう。そして何より驚異的なのは、その強度である。この規模のゴーレムとまともにやっても勝ち目はないだろう。四大を従えていた時の私でさえも危うい。だが、今の問題はこのゴーレムではない。入り口を塞ぐように展開されている、目の前にある大きな方陣らしきものだ。

 

「これは、なんだ?」

 

「こういうものだ………おい!」

 

ジランドという男が兵士に指示を出した。すると隣にいた兵士は私とエリーゼの腕と足につけられた装置を大きな木の枝に取り付けると、方陣へと投げつけた。

 

ゆっくりと放物線を描いて飛んでいく何か。

 

そして“それ”は方陣を通ると同時に、爆発した。一瞬の閃光。その大きな音に、耳が少し痛くなった。爆発した跡より煙が発生し、あたりを漂っている。やがて見えたのは、黒く焦げた、先ほどまでは枝だったものの残骸だった。

 

「見ての通りだ………意味は分かるな?」

 

「………逃亡防止用の装置か」

 

この装置を外さないまま逃げようとすれば、枝と同じ末路をたどる。

しかし、ジランドという男はそれだけではない、と答えると嫌らしく笑った。

 

「こういう使い方もできるのですがね」

 

「きゃっ!?」

 

「な、エリーゼ!?」

 

ジランドから合図を受けた兵士がエリーゼの腕を掴んだ。

 

そのまま、無理やり方陣がある方へと引きずっていく。

 

「貴様!」

 

「動かない方がいいですよ」

 

「は、離して!」

 

エリーゼは抵抗はしているが、大人の、それも兵士の腕力に抗えるはずがない。

あっという間に方陣の前へと連れて行かれた。

 

「さて………マクスウェル殿。私が何を言いたいのか、分かりますね?」

 

「鍵の在りかを吐けというのか」

 

答えなければ、エリーゼの両足はあの枝と同じようになると言いたいのだろう。

 

「お前たちはエリーゼにも用があると思っていたが?」

 

「死にはしませんよ。ただ、二度と歩けなくなるのは間違いないでしょうが」

 

問題はありません、と笑う。

 

「生きてさえいれば………私達の目的を達することはできます」

 

「小さな少女の未来と引換に、か」

 

「さて、どうします。鍵の在りかを言ってもらえるのならば、少女の悲鳴を聞かなくて済むことなりますよ? ………しかし、マクスウェル。全ての存在を守る者としての答えは決まっているんでしょうが」

 

答えを促してくる男。その眼には、奇妙な輝きがあった。

まるでこちらの答えを見透かしているかのような。

 

「ええ、その通りですよ。見た通りに、私は力も強くない文官のようなものですから。他者の心の機微に通じている必要がありました」

 

本当か、嘘か。ジランドという男はつらつらと言葉を滑らせる。

 

(だが………確信しているな。エリーゼを見捨てることを)

 

そして、それは当たっている。私は――――エリーゼを助けるよりは、鍵の方を取る。

クルスニクの槍が使われれば、比ではない数の人間の命と、精霊の命が脅かされるのだ。

ならば、より多くの人間を救うために。ミラ=マクスウェルとしての使命がある。

 

一時の感情で、それを見誤ることは、マクスウェルであるこの身においては許されない。

 

最善は、エリーゼも救うことだが――――

 

「言っておきますが、しばらくシャールからの援軍は来ませんよ。街道の途中にはこちらの兵を置いてあります」

 

そして馬車やシャールの軍が来れば、迎撃しろと命じているらしい。どう考えても、あと数時間はかかるだろう。

 

「それでも………ジュードなら、来てくれるもん」

 

小さな声は、エリーゼのもの。今にも泣きそうな表情を浮かべているが、負けないという意志が感じ取れる眼をしていた。

 

「約束したもん………守ってくれるって、言ってくれた」

 

「そうだよー! ジュード君なら、絶対にエリーもミラも助けてくれるって!」

 

少女とぬいぐるみの声がする。

 

しかし、ジランドはそれを一蹴した。

耐え切れない、というような――――嘲るような笑い声の後に、エリーゼを見た。

 

「さてさて。あの者が助けに来てくれるなんて………あり得ないですよ。特に貴方は目障りに映っていたでしょうから」

 

「………え?」

 

「だって、そうでしょう?」

 

勿体ぶった口調で、ジランドは言った。

 

私はふざけるなと口を開き言葉を出そうとして――――

 

「精霊術を使えないあの少年が。治癒術も使えない、落ちこぼれと呼ばれていた彼が、貴方を目障りに思わないはずがないでしょう」

 

 

――――反論するつもりだった意志ごと、塞がれた。

 

 

「かわいそうにねえ。生まれついてのもので、どうしようもないことで責められる。それはそうでしょう、精霊術を扱えない人間なんて、まさかいるとは思えない。ねえ―――マクスウェル殿?」

 

意味有りげに、こちらをみるジランド。

 

「何とか精霊術を使えないか、模索し続けて。意志も成績も十分。それなのに――――貴方は医者になれない、相応しくないと告げられ、あまつさえは他の生徒からも扱き下ろされる」

 

本当に滑稽です、とジランドは笑った。

 

「それは………本当なのか」

 

「彼はある意味で有名人ですよ。王都イル・ファンにあるタリム医学校ではね」

 

無能であると。告げながら、ジランドは視線を別の人物に移した。

 

「あなたも知っていますよね、ハックマン隊長」

 

「………事実です。ジュード・マティスが精霊術を使えないことは」

 

ハックマンと言われた男はどこか苦いものを答えるように、しかし断言した。

断言したのだ。断言、されてしまった。

 

「そう、事実で………ハックマン隊長。ふん、貴方は………いいです。万が一のために、シャール方面の門の方に行っていなさい」

 

指示をするが、今はそれどころではない。

私は告げられた事と、ジュードの今までの様子を思い出していた。

 

(そう思えば………いくらか、納得できる部分がある)

 

今までの道中で、何度か言葉に詰まったことがあった。何かを隠しているかのような。

あれは、精霊術を使えないということを隠すためのものだったのだ。

その他のことも。前提条件としてそのような事情があれば、時に奇妙に思えたあの様子も分かるというもの。

 

「大した努力もしていない小娘が自分よりも遥かに高度な医療術を使いこなす。さぞ、屈辱的だったでしょうよ」

 

言われているエリーゼは、言葉もない。顔の色は真っ青になっていた。

 

「どういう気持ちでしょうね? 努力して努力して努力したのに報われず、ただ才能があるだけの人間に追いぬかれていく。さぞかし、羨ましかったことでしょう、妬んだことでしょう」

 

「あ………」

 

「“自分には出来ないのに、こんな年下の少女が”―――なんて、ねえ。嫌悪の感情を、憎しみを抱いていたと言われても納得できますよ」

 

貴方にわかりやすく喩えるのならば、そうですね。

言いながら、ジランドはエリーゼの方を見る。

 

「毎日毎日汗を流して泥に汚れて丁寧に丹精に育てようとした果樹があって。しかし、努力したのに実はならず。繰り返しても、変わらず目の前にあるのは実のない無様な樹が一本――――その隣に。植えてそう時間が経っていないというのに。あまつさえは、何もしていないというのに。それなのに、売り物になるどころか――――味さえも見事な果樹が成る樹が出来ている」

 

ほら、妬ましく目障りで、何より自分がみっともなくて。

思わず、消えてしまいたくなるでしょうというジランドの言葉を、エリーゼは否定できないようで。

 

「………で、も…………ジュード、助けてくれるって」

 

言っていた、という言葉は出ない。そこまでいう気力がないというように、途切れた。

 

「嘘ですよ。態度も言葉も、表面上はいくらでも取り繕える生き物です。それに、人の心は変わるもの………心当たりはありませんか? 事実、彼はあなた方を助けに来なかった。あの距離ならば間に合っていたでしょうに、ね?」

 

エリーゼの肩が、びくんと跳ねた。村のことを言っているのだろう。

 

「エリーゼさんは、見捨てられたのかもしれませんね? マクスウェル殿の方は………ね?」

 

「………私は騙され、裏切られたと」

 

 

宿敵たる組織―――アルクノア。

 

精霊術を使えない人間と聞いて、脳裏によぎった言葉はそれだった。

 

それならば、辻褄はあう。あって、しまう。

 

「くっくっく。その言葉の意味は分かりませんが、貴方がそう考えるのならばそうかもしれませんね。どちらにせよ、無駄ですよ―――――故に、早く答えを」

 

嫌らしく笑いながらの言葉。だけど私は、何も答えられなかった。

 

答えなかった、の間違いかもしれないが。

 

「………それが答え、と受け取ります。ならば、仕方ありませんね」

 

手を挙げるジランド。兵士は頷き、エリーゼの腕を握った。

エリーゼは抵抗する意志さえも見せない。ただ、ジュードの事情にショックを受けているのだろう。

 

私も同じだ。あの無鉄砲かつスケベな少年の態度が、本当は全部嘘だったなんて。否定する材料はある。あれが嘘だなんて思いたくない。

 

だけど、精霊術を使えないということを、黙っていたのも事実で。

 

「これで最後です………返答は、如何に?」

 

答えられない。私の心も頭も止まったままだ。

 

そんな私を居て、ジランドは嗤いながらゆっくりと手を上げようとした。

 

「それがマクスウェルとしての答え、あるべき形ですよね―――なら!」

 

 

続く言葉は分かりきった内容で、ついには手が完全に上がる――――その直前だった。

 

 

言葉を遮るように、要塞の警報がけたたましく喚き始めたのは。

 

 

「これは………て、敵襲の!? 馬鹿な、いくらなんでも早すぎるぞ!」

 

うろたえるジランド。そこに、襲撃を指揮していた女がやって来た。

 

「ほ、報告します! シャール方面より敵襲あり!」

 

「数は! いや、街道に置いていた兵は何をしていた!」

 

待ちぶせは、あまりにも早すぎるとのジランドの言葉に女は答えた。

言いにくそうにしている、その意味はすぐに知れた。

 

「敵の数は………1人です」

 

「………な?」

 

「襲撃を仕掛けてきた敵は、たった一人です!」

 

 

繰り返された言葉に、今度こそ空気が止まった。他の兵士も同じだろう、言葉もでないと硬直している。そうして、驚愕の静寂に満ちた空間に待ち望んでいた声が、現れた。

 

 

「っの、そこどけやゴラァァァァァっ!!」

 

 

入り口の門の向こうから聞こえた声。

 

それは私にもエリーゼにも、酷く聞き覚えのあるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古来より要塞の役割は一つだろう。それ即ち、敵の侵攻を止める壁というもの。特にこのガンダラ要塞は対軍隊用の拠点として運用されている。門前の兵で敵軍隊を押しとどめ、その間にゴーレムを起動させ、最後にはゴーレムと歩兵で敵を制圧する。

 

それが前提。それが常道。その運用が繰り返された今、この要塞は突破できないものの代名詞として扱われるようになった。だけど、それも命知らずの馬鹿の前には通用しない。

 

最初に見えたのは、こちらに向けて走ってくる少年が一人。

それを見ても、門前の兵士は驚かない。

 

なにか、体力トレーニングをしているどこぞの少年か、にしか思わない。

あるいは伝令に走らされた傭兵か。魔物から逃げてきた、旅人か。

 

普通は考えないのだ。

こんな要塞に一人で走って突っ込んでくる馬鹿がいるなど、考えるはずがない。

 

だから、走ってきた少年が兵士を殴り倒して蹴倒しても、まず最初に考えたのは抜き打ちの訓練かなにかということだ。

 

しかし齟齬がある。そうして理解不能と状況不明の嵐が兵士の頭に吹きすさび、少年の怒声と怒涛の猛攻を前に気づけば門前の兵士はその半数にまで数を減らされていた。

 

瞬く間に、である。しかし兵士も馬鹿ではなく、少年を直様に包囲する。

最早彼らの眼に油断はない。そうして、扉の向こうからはゴーレムが起動されたとの報告が入る。

 

――――絶体絶命。

 

どの人間が見ても、この状況をそう表すだろう。

 

「一人でこのガンダラ要塞に特攻とは………どこの所属かしらんが、狂ったか小僧!」

 

「だが、もう終わりだ。ここまでしておいて、無事で帰れると思うなよ!」

 

包囲した兵士たちが口々に罵る。対する少年は汗まみれだった。肩をしていることから、体力も限界に近いように見える。左手には血で赤くなった包帯。滴り落ちた血液が、地面を赤く汚した。

 

しかし、声は死んでいなかった。

 

「狂ってんのはお前らだろうが! 何より女子供攫った外道が、威張ってんじゃねえ!」

 

むしろ感情に満ちあふれていた。怒気を剥き出しにして、少年は告げる。

 

「いいから、そこを退け。山賊もどきの外道集団が、僕の道を塞ぐな!」

 

「き、さま――――」

 

 

「黙れ!」

 

 

巻かれている方の手で頬の汗を拭い、叫んだ。

 

 

「お前らの狂った考えに付き合うつもりはない――――攫われた二人は、返してもらうぜ!!」

 

 

 

言葉は気迫となって、兵士たちに叩きつけられ。

 

直後に気迫の塊となった少年は―――ジュード・マティスは、ひるんだ兵士達へと踊りかかっていった。

 

 

 



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31話 : 名前と理由

 

 

「たった一人で大勢の敵を相手にしなければならない場合。その時に重要になるものが何か、分かるかい?」

 

 

師匠の問いに、僕は分からないと首を横に振った。

 

すると師匠は立ち上がって樹の後ろに隠れて、これならばどうだと聞いてきた。

 

「樹が邪魔で殴れないだろう? そう、位置取りさ。一斉に襲いかかってきた槍やら剣やら精霊術やら。死角からも襲ってくる飽和攻撃を完全に避けきるのは不可能に近い、だけど………ようはやりようさ」

 

それは、そうと思う。例えば、頭、胴体、腕、足。同時に仕掛けられたら、防御なんて不可能だ。

だからその数を減らせばいい。障害物を利用して、相手が攻撃するコースを限定すれば。

 

「だからこそ、例えば樹を盾に。岩の影に。人間を、相手の敵を障害物とする。攻撃を受けない場所へと自分を置くんだ。そうなれば自然と、攻撃の数は減る。中途半端に留まるのが、一番やってはいけない選択さね」

 

目は閉じるな、臆するな。それは、いつも師匠から聞かされている言葉で。

 

「怯えず前に踏み出し、勝機の懐に飛び込むんだ。徒手空拳は武器をもった相手に劣る、だけどそれはリーチだけを見た話さね。相手に近ければ近いほど、それだけ他の敵は攻撃できなくなる。味方に当たるからね」

 

それに、悪い部分よりは良い所を見つけた方が人生楽しいだろう、と師匠は豪快に笑った。

 

「ジュード。あんたは武術に関しては、突出した才能はない。武術のセンスだけをいえばレイアに及ばない。棍術も、活神棍術にも才能はない」

 

だけど、あんたしかない長所がある、と。僕の頭を指さして、師匠はにやりと笑う。

 

「あんた頭の回転の速さは、アタシでも叶わない。それは長所で、武器さ。だからそれを活かしな。

 

戦いながらも、常に相手の位置取りと武器の有効範囲を見極めながら、前に。後は度胸さね」

それは誰でも持っているものらしい。

 

「持っているものを振り絞りな。両の手と足があればなんだってできる。何より欲しいものがあるんなら、腕振り回しながら走ってでも掴みとりな。人間、必死でやれば案外どうにかなるってもんだよ。前提として、身を粉にする努力が必要になるけどね」

 

だけど、全身全霊であれば例え、大勢の敵を前にしても、踏み込む意志を吠えてやれば。

後はそれまでに培った努力が後推しするだろう。

 

「汗を流す努力こそが、実になる樹を育てるのさ。頑張って無駄になることなんて、きっと一つもないよ」

 

 

だから、と撫でられた頭の感触は忘れられなくて。

 

 

 

――――そうして時は今に戻る。

 

師匠の薫陶を逃さず飲み込んできた今だ、負けるはずがないだろう。

そして僕はそれを推進力とする。まず一歩、前にいる兵士へと突っ込んでいった。そしてやや右に身体をずらす。相手の間合いに入ると同時、兵士の膝の側面に前蹴りを当てた。時間稼ぎなもので、大した威力はない。

 

それでも攻撃の動作ゆえに一瞬だけ身体が硬直する、が攻撃はこない。

 

左の敵は蹴りを当てた兵士が邪魔で剣を振りおろせない。すれば味方に当たってしまうだろう。右にいる兵士はガタイが大きいせいで、足が遅いので問題はない。攻撃とは自分の間合いの中にいるものにしかできない。そして、僕はその外にいる。

 

その隙に、前蹴り分の隙をクリアする。すかさず遅れている兵士の方へ、自慢の脚で一気に踏み込んだ。こちらに気づき棍棒を振り上げるが、もう遅い。隙だらけの腹に踏み込みの勢いを乗せた掌底を叩きこむ。みぞおちに入った一撃は呼吸を奪う。息を止められれば、身体も硬直するのが人間だ。

 

でかい兵士はそのまま棍棒を振りおろすこともできず、よろめいた。

好機であると判断。前に進みながら、左右の拳を顎に叩きこむ。戦闘不能にできた、その手応えを確かめると同時に兵士の脇から背中へと移動。

 

同時に、双掌を兵士の背中に当てながら地面を踏みつけた。両手のマナを獅子の形に、象らせた直後に爆発させる。

 

「――――獅子戦吼」

 

よろめいていた兵士は大きく前に吹き飛んだ。ガタイの大きい兵士が、近くにいた他の兵士を巻き込んで転がっていく。それを確認せずに、横に軽く跳躍する。直後、いままでいた場所に風の刃と火球が着弾した。着地と同時にまた横に跳ぶ。そうして地の精霊術を回避しきると、前に。

 

痛む右手と全身にまとわりつく疲労感を振り切り、全力で疾走する。そして、その勢いを活かさない拳士はいない。走る勢いに任せ、左の膝をみぞおちに叩きこみ――――

 

「飛燕――――」

 

全身のマナを活性。右の前回し蹴りから、

 

「―――連脚!」

 

左の後ろ回し蹴りを後頭部に叩きこむ。体力の少ない精霊術師はそれだけで昏倒した。それを見ていた残る二人の精霊術師が慌てて詠唱をはじめるが、それも遅い。

 

詠唱開始から精霊術が発動するまでの時間は、先程の攻防で見切っている。突っ込んでも精霊術が発動するまでに倒せるだろう。三秒の後にそれは現実となった。再び走る勢いに任せ、まずは詠唱を止めるべく顔面に掌底を放ち、

 

「三ァ―――」

 

後ろ回し蹴りから、

 

「散華!」

 

右の拳をえぐり込むように頬へ。この技は『三散華・偽』。本来は地の簡易精霊術による反動を活かすので、偽だ。だけどこの場では十分に過ぎる。これで残る精霊術師は一人。だけど、転んでいた兵士が3人、この時にはすでにこちらの間合いの近くまで迫っていた。

 

間もなくこちらに向けて下級の精霊術が放たれたが、意識の中に捉えている。そして見えている下級の精霊術など、当たってやる理由がない。

 

軽いバックステップでやり過ごしながら、呼吸を整える。同時に相手の武器と間合いと隊列を確認した。相手は、動揺しているせいからだろう、隊列はやや乱れている。そして、その隙は突いてやるべきだろう。横に広く展開されていれば攻撃を捌くのに苦労しただろうが、密集しているのならば問題はない。

 

――――なぜならば、一対一を三回繰り返せばいいのだから。そして、外道集団相手にサシで負けるほど、僕も柔じゃない。拳士のリーチは短い。だが攻撃はあたる間合いであれば、使える攻撃の種類と角度は無限に近くなる。そして、こちとら殴るも蹴るもマナを飛ばすも自由な、ソニア流護身術の使い手で。間合いの中ならば、敵はない。その上、僕は体格が小さい。

 

相手にとっては当てにくく。そして味方の身体の大きさが、攻撃の軌道を制限する。三人、昏倒させるのに時間はかからなかった。だけど最後の一瞬で、油断してしまったらしい。

 

ジャリ、という音がなるまで全く気配に気づけなかった。

 

「しっ!」

 

「っ?!」

 

武器を振るう呼吸の音も聞こえ。攻撃を悟り、急いで振り向いた所に見えたのはこちらの胴体を狙った剣の横薙ぎだった。

 

だけど対処できない間合いではない。胴の間に差し込んだ両拳のナックルガードで、剣を受ける。

 

「ぐっ!?」

 

想像以上に重かった衝撃、受け止めきれずに剣の勢いのままに後ろに飛ばされた。それでも勢いに逆らわず、後ろに転げると同時に距離を取った。同時に立ち上がり、体勢を立て直す。起き上がった相手は、その場に立っていた。もしも僕がその場に倒れこんでいれば、追撃を受けていただろう。それだけの事が可能だ、この相手は。

 

先の剣の鋭さと、重さ。そして今も見える立ち居、そして振る舞いと威圧感は地面に転がっている兵士とは明らかに異なっている。

けど、本気じゃない。本気だったのなら、防御は間に合わなかっただろう。

 

(目の間のこの人が本気だったなら、肋の数本は逝っていたはず)

 

なぜ分かるかというと、知っているからだ。

 

「やってくれんじゃないの………まあ、本気じゃなかったんだろうけどな?」

 

この人の事はよく知っている。

 

「なあ、どういったつもりだよ門番さん」

 

口には出さない。心の中で、つぶやいた。

 

(なんであんたがこんな事を。答えてくれよ――――モーブリア・ハックマンさんよ)

 

顔見知りのモブさん。おちょくりの対象だったが、その力は侮れないものがある。出会った頃の手合わせで、大体の力量は察している。その人となりも、繰り返し言葉を交わしたことでなんとなく分かっていた。

 

(この人は、何よりも………娘と同じような女の子が傷つくのが嫌だったはず)

 

娘のことが影響しているのだろう。上の姉は15歳、そして下の妹はたしか10歳だった。奥さんに似て、可愛い系の顔。イル・ファン一度だけきっと、愛する娘と重ねているのだろう。

 

少女が誘拐された事件などがある度に、感情を顕にして、いかにも怒っていますという雰囲気を隠さないでいた。だから、解せないのだ。

 

「なあ、なんでだ………どうしてこんなことをする」

 

年端のいかない少女まで。別の理由があるかもしれないが、知ったことか。拉致したのは同じなのだから。だから、問わずにはいられなかった。

 

「聞かせてもらいたい。あんたらは何を考えてこんな事をしている?」

 

「………兵に、感情は必要ない。ただ命じられた任務を遂行するのが軍人だ」

 

「なるほど。抵抗もできない無力な人を、鍛えたその腕で。力づくで引きずり回して言うことを聞かせて――――」

 

最後にはマナを吸い取って殺す。外道と言って差し支えない所業だ。

 

「命令だ。これは………軍の仕事だ。多くの民を救うために必要なことだと、聞かされている」

 

「言い訳は聞いてねえ。僕はあんたの言葉が聞きたいんだよ」

 

足元で転がっている兵士にも問いたい。

 

「なあ、あんたら。例えばあんたらに大切な人が――――娘がいて。同じ目にあった所を想像してみろよ」

 

そして、何よりも。

 

「その人達に向けて! 自分の仕事を! やった事を言えんのかよ、それを誇れるんのか!

 

自分の娘と似たような少女拐かして、それが父さんの仕事だって胸を張って言えんのかよ!」

 

「――――っ」

 

兵士の仮面のスキマから見えるモブさんの口が、歪んだ。

仮面で見えないが、表情も同じように歪んでいるのだろう。

 

「しかたな……………いや、これは言えん言葉か」

 

言ってはいけない、と。そのまま、モブさんの口が閉じていく。

代わりにと、背後の門がついに全開になった。

 

そこから現れたのは、見上げるほどに大きなゴーレムの姿だ。土の巨人がその威容を表した。

 

「あれが、ガンダラ要塞の………っ!」

 

不沈の大要塞の名前を確たるものにした兵器。見るだけで分かるその威容、マナの量も半端じゃない。土を踏みしめる音から嫌でも分かったことだが、質量も桁外れた。いったい、どれだけの土が固められて造られたのか。重量がありすぎて、ゴーレムが一歩進む度に地面が揺れているではないか。

 

「終わりだ。降参しろジュード・マティス。いくらお前でもあれには勝てない」

 

「………だろう、な」

 

本当に嫌になる。まだ距離は遠いが、それでもあれの強さは分かるってものだ。例え一対一としても、勝てる手段がまるで見当たらない。ただでさえコンディションは最悪に近いのだ。

見えているだけでも、三体。相手をして生き残れるとは思えない、けれど。

 

「でも、降参はしない」

 

「………死ぬつもりか。この要塞に一人で挑むことといい――――何故だ」

 

理解できない、とモブさんがつぶやいている。

 

「自殺する者は狂っている。正気を失っているからこそ、自らの命を絶つということを選べる」

 

「同感だ。正気のまま自殺するものはいないと思う」

 

「その通りだ。そしてお前は………変わった所があるとはいえ、お前は違うと思っていたのだが」

 

見つめてくるその視線の気配は、いつもの門番さんの色だった。

 

「命は一つしか無いぞ。そして失えば二度と取り戻せない。医者を目指しているお前ならば、その重さが分かるだろう」

 

「ああ、分かるさ。なんせ――――父さんと母さんの背中を見て育ったからな」

 

なにも、軽傷の患者だけがあの治療院に来るわけじゃない。時には、手遅れな患者が搬送されてくることもあった。死にたくないと叫ぶ声。それは、今も思い出せるのだ。

 

声と、それにこめられた感情。だけど命は失われて。どうしてと叫ばれた言葉は胸を締め付けてきた。周りの人達の涙混じりの声は、耳の奥の奥、心臓にさえも届く何かがあった。幾度と無く見せられた中で、知った。

 

死ぬことは、絶対に絶対の終わりなのだと。それが覆ることは絶対にないのだと。

だからこそ、それを救う仕事はすごいものだと思ったんだ。涙ながらに、感謝される両親がいた。ありがとうございます、と今にも泣きそうな声で、泣いている声で繰り返される言葉は聞いているだけで嬉しくなる。安堵と感謝と感激がごった煮になったような。だけどあれは、とても心地の良いものだったように感じた。

 

それは見ているだけで、聞こえるだけで笑えるような。

 

「だから、医者としての二人に憧れて、それを目指した」

 

まるでヒーローじゃないかって、思った部分もあるけど。

それが、僕の原点だ。

 

「だから医療術は使えないけど。人を助ける医者として、逃げるわけにはいかないんだ」

 

出来損ないでも、マティスとして。

その答えを、門番さんは否定した。それは無謀な、賭けですらないものだと。

 

「助ける意志は分かった。だが、実際にそれが無理であるのも理解しているだろう。勝算が皆無なのは分かっているはずだ。いや、ひょっとしてお前は――――――まさかお前は、矜持に殉じるつもりなのか。医者を目指す者としての立場を貫いて」

 

「違う………と、答えるのは今日で2回目か」

 

モーブリアさんの言葉に僕は苦笑を返さざるをえない。なぜならば、それは今日の先程に聞いた言葉と同じだったからだ。脳裏に浮かぶのは、ここに来るまでの一連のこと。

 

 

 

 

 

 

―――シャール家の玄関めがけて矢を放った暗殺者を倒した後。ひとまず安心したのだが、そこで奇妙な違和感を覚えた。音が。市場の賑わいが、心地よかったはずの音がまた別のものに変化しているような。そこに、甲高い女性の声が聞こえた。

 

これは、悲鳴だろう。そして今、市場には誰がいるのか。

 

「くそっ!」

 

認識すると同時に、走りだした。しかし、遅かったようだ。襲撃者達は去った後。残っているのは私兵と、彼らに守られているドロッセル。うめき声をあげているラ・シュガルの兵士達と、その兵士たちにやられたのだろうか、普通の民間人もいる。

 

そして、僕は視界の端に発見した。肩を抑えながら壁によりかかっている、見知った傭兵の姿を。

 

「―――アルヴィン! ミラ達はどうした!」

 

「………すまん」

 

「っ、何やってんだよ………!」

 

任せろって言っただろうが。そもそも、謝って済む問題じゃない。

そんな言葉を叩きつけたくなるが、今は言い争っている場合じゃない。相手の目的がなんであれ、最悪の場合を想定しておいた方がいい。

 

だけど、それはあまりにも考えたくないことだ。もしもミラとエリーゼがハウス教授のようにマナを吸い尽くされ、目の前で消えられたら。目を閉じなくても、白昼夢のように脳裏に浮かびやがる。自分の鼓動が早くなっているのを感じた。

 

それは傷に障ったようだ。貫かれた掌から、血が滴り落ちる。

だけど今は、何よりも優先すべきことがある。

 

「教えて欲しい。二人を連れていった奴らは何処に逃げていった?」

 

「それは………あちらです」

 

指さされた先はタラス街道だ。その先にあるものは、一つだけである。

それは、堅牢の名に高きガンダラ要塞。戦略級のゴーレムが配備されている、不落の砦。そこに連れて行かれた二人。結末を想像する。

 

選択肢は二つ。だけど、答えは一つだけだ。

 

一つだけ、溜息を。深呼吸をした後に―――――常備している包帯を手に巻いた。

手の感触が若干怪しいが、許容の範囲内だ。だから手荷物を確認する。

その場で軽く跳躍し、屈伸する。朝食が消化にいいもので助かった。

 

これならば、問題はないだろうと判断する。

 

「ジュードさん、何を………っ、まさか、無茶です! 僕を庇って負った傷も………貫通していたはずですよ!」

 

「いや、庇って負った傷じゃないです。あれは僕に向けて射られたものだから」

 

嘘である。あの矢はクレインさんの心臓めがけて放たれたものだ。最初に気配を察知して、敵の射線を塞ぎ。握手するかと見せかけて半歩横にずれた瞬間、あの暗殺者は射ってきた。若干だが軌道が見えていたのだろう、ローエンもそれに同意している。だけど、それじゃまずいんだ。ラ・シュガルに領主を暗殺する意志あり、と知られればシャールの兵が黙ってはいない。クレインさんも同様だ。

 

だから、僕は一人で要塞に挑むのだ。内乱に発展させないためには、それしかないのである。

 

「無謀です! 馬車に追いつけるとも思いません、要塞での戦闘になるのは確実ですよ!」

 

それも分かってる。距離はあるし、体力も消耗するだろうけど、体力回復のグミがこれだけあればなんとかなるだろう。最後に、ポケットにある横長のハンカチで髪を上げたまま固定する。汗で視界が防がれれば、事だ。

 

これで準備も万端。最後に靴の紐を硬く結びつける。そんな僕を見かねたのか、ローエンが言う。

 

「不可能です………ジュードさんの力量は見せて頂きましたが、あのゴーレムに通用するとは思えない。単独で勝てる相手ではないのです。そして、要塞の兵の練度は相当なものでしょう」

 

兵に関しては知ってる。モブさんは、あれでエリートだった。

それでも、兵士だけならば突破できるだろう。

 

だが、ゴーレムは別だ。これだけの知識を持つ、そして元は軍属であろうローエンがここまで言うのならば、本当に無理なのだろう。

 

「死ぬ、おつもりですか」

 

諌めるような声。しかし僕は、首を横に振ってそれを否定する。

 

そして笑いながら、答えを返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――そして時は今に。

 

ローエンに対して答えたものと同じ言葉で、宣言する。

 

「僕は死ぬのが怖い。だから、死にたくはない。だけど――――二人を死なせたくもない」

 

ローエンに残した言葉そのままに、重ねる。

 

「死ぬつもりはない。医者としての意志はさっきの通りだけど、仲間としての僕はここに居る」

 

マティスではない、ただのジュードとして。接してきたからこそ、貯まったものがあった。

例えば、エリーゼ。

 

「ずっと一人だった。誰も頼ることはできなくて。周囲からも疎まれて、ずっと一人だったんだ。村はずれの小屋の小さな部屋に閉じ込められて、抱きしめられるぬくもりも知らなかった」

 

僕には師匠がいた。小さい頃は、母さんもいた。だけど、エリーゼにはいなかったんだ。

 

「だけど、頑張ってた。もっと、性格も歪んでいてもおかしくなかった。乱暴になっていてもおかしくなかった。石を投げつけられても、その場に膝を抱えてうずくまるだけだった。抵抗することぐらいは、できたはずなのに」

 

村の人達にも、良い所はあったと聞かされた。それを思い出して、信じていた。

そして旅に出てから、エリーゼが村の人達を悪くいったことは一つもない。

本当に、いい娘だから。眩しいほどにいい少女だから、

 

「それに、僕はエリーゼの友達なんだ………たった一人の。なら僕が行かないで誰が行くってんだよ」

 

ハウス教授の研究の結果ならば。誰よりも僕が行くべきだろうから。

 

そして、更にもう一人。ミラ=マクスウェルという女性がいる。

 

「ちょっと変な性格だけど。大精霊とか言ってるけど、いやそれは事実なんだけど。それだけの力を持っていたけど。使命と意志と、その在り方にはちょっと歪なものを感じるけど」

 

その在り方は綺麗だった。何より使命に一念を通す女性というのは、前を見てひたむきに生きている女性は美しい。元々の造形の良さもあるだろうが、それだけじゃないだろう。苛烈だが、それでいて眼を奪われるほどの鮮烈な印象を抱かせてくれる女性など、見たことがなかった。

 

あの笑顔はきっとずっと忘れないだろう。イバルとの約束もある。そして、また別の面もあるんだ。

 

「あの大精霊様さあ。僕の料理を食べている時は本当にただの子供みたいに嬉しそうな顔をするんだぜ?」

 

一度だけ見たけど、眠っている時の彼女は幼い少女に見えたっけか。安らかに、幸せそうに。

 

当たり前のことだ。でも、そう見えたのは―――――両方とも、知らなかったからだろうか。

 

そうした事もあって。いつのまにか、彼女は放っておけない存在となっていた。見ていない所で何をしているか、と考えるだけでハラハラする。ちょっと考えなしな所もあるし。そんな風に語れるほど。短い時間だけど、二人ともに接してきたのだ。

 

想像してみると、震えてしまう。もし死んだら、と。

 

「考えるだけで胸を裂かれるような気持ちになるんだ………だから」

 

拳を握る力になる。

 

「すげー苦しいさ。手は痛えーし走りすぎて身体は痛いし、苦しいし」

 

何よりこれからやろうってことの勝算が低すぎる。余裕があったのなら、もっと違った方法を取っていただろう。そして失敗すれば死ぬ。

 

それでも、と最後のレモングミとパイングミを口の中に入れた。残り少なかった体力と、マナが回復する。残りのグミはもうない。なぜならば、"ここに全速力で走ってきた道中"で、全て食べてしまった。そのせいで、身体に積もり積もった倦怠感と、グミの食べ過ぎのせいで頭痛が酷いけど。

 

クレインさんをかばって貫かれた掌の痛みは、脊髄にまで響くほどのものだけれど。

 

「それでも、死ぬのはこれ以上に痛いんだろう。そんな思いをあの二人にさせたくはない」

 

許せはしないのだ。認めることはできない。嫌だから。だからこそ一歩、その嫌を否定するために踏みだすんだ。何よりも、この方法ならば全員が助かる方法がある。切り捨てなくていい。

 

ミラもエリーゼも僕も死ななくてすむ方法がある。

 

「だから、選ぶのか」

 

「認められないからな」

 

「死のリスクを負ってでもか。お前は――――」

 

「ジュード・マティス参上、さ。門番さん………モーブリア・ハックマンさんよ」

 

自己紹介を。すると、門番さんは笑った。

 

 

「――――馬鹿すぎる」

 

 

どこか呆れたように、笑った。そして手にもっていた武器を、地面に落とした。

 

転がった金属の音が聞こえてくる。

 

「………どういうこと?」

 

「いや………絶対に勝てない、と思っただけさ。今の俺に勝てるとは思えん………何より"勝ちたくない"」

 

「まともにやれば勝てるような物言いだけど?」

 

「満身創痍の状態のお前ならば」

 

門番さんは苦笑する。そして、要塞の方を指差す。

 

「だが、あのゴーレムは違う。いくらお前でも絶対に倒せんぞ。あれは意志や根性だけで、どうにかなるものじゃない」

 

どうする、との問いはいちいち最もなものだ。だけどそれも、笑って答えてやった。

 

「うん、倒すのは無理だね―――だけどそれは、目的の達成とは関係なくない?」

 

履き違えてもらっては困る。僕の目的は、要塞を陥落させることじゃないのだから。

 

(ローエンに教えられた情報は、二つ)

 

それはゴーレムの速度と、門の開閉にかかる時間。そうして、目の前にまで迫ったきたゴーレムを前にして。僕は、笑った。ここまでは思い通りだ、と。

 

「ああ、相手してやるよ"デカブツ"」

 

拳を合わせ、交差して構える。

 

「さあ、一斉にかかってこいやぁ!」

 

掌で思いっきり挑発してやった。するとゴーレムはこちらを見るなり、巨大な両腕を振り上げたかと思うと地面にたたきつけた。

 

間一髪で回避。するも、砕けた地面を見て嫌な汗が流れる。

 

いや、こんなもんまともに受けたら一撃で終わりだ。

 

 

(―――だけど!)

 

 

やるしかないと、自分に言い聞かせながら、僕は再びゴーレムの足元へと走っていった。

 

 

 

 



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32話 : 力の意味は

 

 

警報が鳴って、声が聞こえてから少し後。

 

―――心に得体の知れない感情が吹きすさんでいる中、兵士に連行されとある変な部屋へと入っていた。ジランドと名乗る男をして、予想外だったようだ。仕方ないと舌打ちをしていたことだけはわかっていた。そうして入った部屋の中は広く、どこか異質なものを感じさせられるような。中央には大きな装置があった。そしてその前には、巨漢の男が腕を組んだまま待っていた。

 

そうして男は、見下ろすような視線のままこちらを鼻で笑ってきた。

 

「お前が、マクスウェルを名乗る女か」

 

「貴様が―――ナハティガルか!」

 

クレインに聞いていた通りの特徴だった。巨躯に金の髪に皺が深い顔、そして何よりも額の十字傷がその人物であることを示していた。間違いない、こいつこそが事の発端。クルスニクの槍を作った者であり、ラ・シュガルの王でもある男だ。

 

思ってもいなかったが――――調度いい機会だった。

 

「ナハティガル。貴様に聞きたいことがある」

 

「構わんぞ。言ってみるがいい」

 

尊大な態度を改めようともしない。苛立ちと共に、言葉を叩きつける。

 

「貴様は、何故あのようなものを作った! 黒匣が世界に、精霊にどのような影響を及ぼすのか知った上でのことか!?」

 

「ああ、知っている――――と言ってもどうせ囀るのつもりだろう。許すと言った、いいから聞かせてみるがいい」

 

「っ、ふざけるな!」

 

頭の中が煮立っているようだ。我慢できずに、私は出せる限りの声で告げた。

 

―――黒匣(ジン)。それは道具だ。本来の精霊術とは、協力の上で成り立っている。人がマナを生成し、自分自身の霊力野から精霊にマナを渡し、そして協力してもらう一種の共生関係ともいえるもの。だが、黒匣は違う。

 

「結果を見れば夢のようなものだろう。人の霊力野の違いによって、結果や効力が左右されない、誰であっても変わらず強力な術を行使できる便利な道具だ」

 

しかし、代償となるものがある。

 

「あれは強制的に、一方的に精霊を使役するための道具だ。術は発動するだろう、だが酷使された精霊は二度と戻らない―――死んでしまう!」

 

変えようのないリスクがあるのだ。起動させればそれだけでリーゼ・マクシアを満たす精霊達が死んでしまう。それは万物に悪影響が生まれることを意味する。それが行き着く先は見えている。

 

「世界の死………そして、精霊と人間の死だ、滅亡だ! 王である貴様が、望むようなことなのか!」

 

よりにもよって、民を守る王がなんとする。だが、返ってきた答えは耳を疑うようなものであった。

 

「――――くだらん」

 

「………なに?」

 

「くだらぬと言った。儂が滅亡を望むだと? ふん、あり得ぬわ」

 

ナハティガルの目が変わった。見下ろすような視線が、まるでつまらぬものを見捨るかのような。

 

「精霊の死のこともな。熟知しておる。しかし、強力な力を得られることに違いはあるまい」

 

「な………、本当に分かっているのか!」

 

「貴様の方こそ、口で言っても納得はせんか」

 

言うなり、ナハティガルは兵に視線だけで命令を飛ばした。すると用意していたのか、兵が駆け足で何かを持ってくる。そして、それには見覚えがあった。

 

「私達の装備か」

 

「小娘どもに渡せ。リリアルオーブもだ」

 

兵は言われた通りに、私へと装備を全て渡した。

 

「貴様は………一体、何を考えているというのだ?」

 

「いいから構えろ。儂が実体験で教えてやろうというのだ」

 

かかってくるがいい、というそれは挑発の言葉で。それが、私の我慢の限界だった。

 

「ナハ、ティガル――――!」

 

走りながら剣を抜き放ち、そして駆け抜けた勢いのまま剣を振り下ろす。真正面、脳天を狙った一撃だ。しかしそれは、届かなかった。

 

「遅いな」

 

止めたのは、槍ですらないただの鉄の篭手だ。そのまま力づくで弾かれ後退させられる、が。

 

「まだだ!」

 

剣を右上に、構えると同時に踏み込む。そして間合いに入ると同時、出来うる限りの最速でナハティガルの左肩へと振り下ろす。肉を裂けよとの一撃に――――返ってきたのは、硬い感触。

 

渾身の一撃だが、しかし先ほどと同じに、篭手で受け止められていた。

 

「………この程度か?」

 

「っ、舐めるなぁ!」

 

マナで全身を強化しながら。両手に持った剣で切り払い、打ち下ろし、突き出す。だがその全ては、ナハティガルのただの小手先で止められていく。

 

―――そして。

 

「もう、よい」

 

剣を掴まれた、と気づいた時には遅かった。ナハティガルは剣を横に振り、つられてこちらの体勢は崩され、

 

「飽いたわ!」

 

「ぐっ!?」

 

腹部に衝撃を感じたかと思うと、そのまま後ろへ飛ばされた。どうやら殴り飛ばされたらしい。そしてナハティガルは兵から槍を受け取ったかと思うと、すぐさまこちらへ投擲してきた。

 

魔物の突進より、明らかに速い一撃。回避しようとするが避けきれなかったらしい、足に鋭い痛みが奔った。バランスを崩して、そのまま倒れこんでしまう。

 

「く―――」

 

急いで起き上がる。だが、気づけば間合いは詰められていて。

私の喉元には、黒い槍の穂先があった。

 

「………分かったか。力の無いものは、こうなるのだ」

 

「くっ………!」

 

「悔しいか。不甲斐ないか。だが、これは全て貴様の招いた結果だ。貴様が弱いから―――こうなるのだ!」

 

くるりと、槍の柄と穂先が回転したかと思うと先が霞んで消えて。そして、肩口に硬い柄の一撃を叩きこまれたと分かったのはその刹那の後。吹き飛ばされ、転がっていく。

 

「貴様が強ければ、儂は討たれたかもしれん。だが、結果はどうだ?」

 

「だま、れ………っ!」

 

「聞けん相談だ。ア・ジュールの若造とて同じ。ただの言葉で止まれば、戦争など起きん………それともその顔で敵国の兵士を誑かしてみるか?」

 

「だま、れと、言って………!」

 

「小娘が、囀るな。その程度の力で精霊の主とは笑わせる。脆弱にも程があるその力で、一体何を成せるつもりだ」

 

そして、振り上げられた槍が。防ごうにも、持っていた剣は先ほどの一撃で飛んでいってしまった。

―――万事休すか。と思った直後に、マナの高まりを感じた。

 

「ミラから、離れて!」

 

それは今まで沈黙を守っていたエリーゼだった。少女は震える身体のまま一歩踏み出し、目の前にティポを掲げた。開かれた口先から、マナの光弾が撃ち放たれる、が。

 

「そのようなもので!」

 

全て槍で打ち払われ、ダメージさえ与えられなかった。だけど、抜け出す隙にはなった。その間隙をついて、私は剣のある所まで一時退いた。

 

構え、剣でマナを増幅して。

 

「天杯溢れよ!」

 

―――スプラッシュ。高圧の水の一撃をナハティガルへ向けて放った、そして。

 

「くっ!」

 

少しだが、苦悶の声。防御はできなかった様子のナハティガルは仰け反り、それを見ながらもまたマナを活性化させた。

 

「大地咆哮!」

 

―――ロックトライ。立て続けに土の精霊術を、三本の石柱を地面より隆起させて。

直撃するのも見届けぬ内に、火急の用だと火の精霊を呼び寄せて、

 

「業火よ爆ぜろ!」

 

―――ファイアーボール。火球が真正面から、ナハティガルへと飛んでいった。

 

「甘いわ!」

 

それを打ち払われるのを感じ取りながらも、手は休めない。

 

「穿て旋風!」

 

―――ウインドランス。その術名の通りの、不可視の風の槍がナハティガルへと迫った。

 

「ぬうっ?!」

 

ともすれば、岩をも切り裂く風はナハティガルの肌を浅く裂いた。

わずかな飛沫が、地面に赤い点をうった。

 

「………立て続けに、4種の精霊術か。なるほど、ただの小娘ではないことは確かか」

 

「マクスウェルと名乗っているだろう。しかし、今のは防げなかったようだな」

 

「ふん、こんな掠り傷とも呼べぬもので喜ぶか。底が知れるぞ、自称マクスウェル」

 

其の言葉に激昂しそうになる、が怒りにのまれるわけにはいかない。それに、傷は傷だ。

 

(防御術には種類がある。火には火の精霊術に対する、風には風の精霊術に対する)

 

それぞれの性質に必要な防御術は異なるのだ。さしものこいつとて、一気に四種の精霊術を放たれ、それを防ぎきるのは不可能だったということ。

 

エリーゼを背中にかばいながら、また戦闘態勢を取る。

 

「ミラ………」

 

「………すまない、助かった」

 

複雑な心境は、ひとまず置いて。ここはこの場を凌ぐことに専念すべきだろうと、振り向かずに前だけを見続ける。

 

「頑張って………あなたに安らぎを、ピクシーサークル」

 

エリーゼは、すっと私の背中に手を当てて治療術を発動させた。癒しの力が、傷んだ肩と足を包み込む。そして、背中には震えが。それは、エリーゼの手から伝わるものだった。

 

「………ありがとう」

 

エリーゼ礼を言いながらも、意識を前に集中する。そしてここはどのような行動を取ればよいかを頭の中で考察していった。だが、そんな時間はないらしい。

 

見れば、ナハティガルの威圧感が高まっていた。覇気とも呼べるかもしれないマナが、私とエリーゼに向けて放たれている。もう、嘲りの言葉は無かった。ただ、雰囲気だけが告げている。同じ小細工が二度通じるなよ、と。

 

そしてゆっくりと、拵えの見事な黒い槍を構えた。穂先はこちら。そして構えは、前傾で。

 

理屈ではなく、一目見るだけで理解できてしまった。

 

ナハティガルが放とうとしている技は、正面から相手を貫く技なのであると。

 

(これは………!)

 

まずいと、背中に冷や汗が流れる。突進の速度は並ではないだろう、横に逃げるしか活路はない。しかし後ろにはエリーゼがいるのだ。それを告げようにも、今この目の前のナハティガルから視線を逸らすことはできない。意識を逸らせば、その瞬間にやられてしまうことは明白だ。

 

分かっている。理解できている。横に逃げて、やり過ごして斬りかかれば勝てるかもしれない。

 

それが正しい選択だ。道理である。なのに、足はその場から動いてくれそうになかった。

 

「っ、エリーゼ、急いで逃げ――ー」

 

分かっているのに、口は開いてしまって。そしてそれを逃すほど、ナハティガルは甘くなかった。

 

「愚か者め」

 

声が聞こえて、そこから先は何もかもが遅く見えた。人間に言う走馬灯のようなものだろうか。ナハティガルの踏み込みは速く、剣を握りながらも間に合わないことを悟ってしまったのも早かった。その穂先はこちらの心臓を狙っていて、その勢いは背後のエリーゼごと全てを貫かんとするもので。

 

だけど、諦めないと。いちかばちかで剣を盾にする。もし当たれば、そのまま逸らせるかもしれない。当たらなければ、その時は私が死んでいる時だ。

 

その覚悟を以て挑んで。

 

だけど、構えた剣に返ってきた手応えは皆無だった。

 

―――しかし、痛みは無かった。

 

そして硬い感触は無かったが、甲高い"音"が前方すぐそこから聞こえてきた。

 

「………え?」

 

 

次に見えたのは、背中だった。後頭部だった。黒い髪には白い包帯が巻かれていて、それは赤い血に汚れていた。

 

 

「―――貴様」

 

 

ナハティガルの声は、驚愕に染まっていた。しかし声の先にいる乱入者は、答えずに動く。風を思わせる踏み込みは速く、そしてたったの一歩でナハティガルの懐に間合いの内に入り込んで。掌底破、と聞こえると同時にナハティガルが後ろに吹き飛んだ。

 

マナと体重移動と気合の妙技だ。そう自慢していた少年は顔を横に、目だけこちらに向けて告げる。

 

「………大丈夫?」

 

「あ、ああ。見ての通り、死んではいない」

 

「それは見れば分かるって」

 

苦笑する声が聞こえてくる。その通りで、随分と間の抜けた返事だろうとは、その時には思わなかった。自分の言動を気にする余裕などなかったからだ。否、なくなったと表現した方が適しているかもしれない。

 

何故なら、目の前の人物は無事ではなかった。実際に目にした後でも生死の行方を聞きたくなるぐらいに、満身創痍だった。後頭部から額にかけて白い包帯が。両手にも包帯は巻かれているが、破れて使い物にならないだろう。

 

服など、もう二度と使えないことは明白だった。剣によるものか、刃によるものか、あるいは精霊術によるものか。

 

全身がほつれ、破れ、裂けていた。そしてその先からうっすらと、傷口が顔を覗かせていた。

 

エリーゼは絶句していた。そんな私達に、彼は――――ジュード・マティスは告げた。

 

 

「無事でよかった………助けに来たよ、二人共」

 

 

心の底から安心するような声。そして得体の知れない感情が胸を襲って。

 

私は喜びに笑っているジュードの顔を、直視することができなくなった。

 

 

 

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

 

 

 

僕は視線を逸らすミラの様子に違和感を覚えつつも、ナハティガルに向き直った。

 

「貴様、どこの小僧だ?」

 

「ここの小僧だ、ナハティガル王」

 

「下郎が………そこを退け。貴様のような小僧が出る幕ではないわ!」

 

「女性を攫っといてその言い分かよ。成る程、山賊の王らしい振る舞いなこって」

 

「小僧………!」

 

威圧感も増し増しだ、どうやらいたく激怒していらっしゃる様子。

そしてようやくと気づいたのか、疑惑の視線をこちらに向けてくる。

 

「小僧、貴様………あのゴーレムをどうした?」

 

ナハティガルが質問をしてくる。そうだ、ここに辿りつけたということはゴーレムの難関を越えてきたということ。軍団でもそう容易く落とせないはずのアレを、どうやって。

 

どうしても聞きたい様子なので、自慢気に答えてやった。

 

「撒いた」

 

「………何ィ?」

 

「撒いたって言ったぞ。耳まで遠くなったかよ耄碌爺ィ」

 

ゴーレムは倒せない。それは覆せない客観的事実で――――ならば倒さなくていいです、と言ったのはローエンだ。僕の能力を把握した上での提案だった。小回りが聞き、足が図抜けて速く小柄である僕ならば脇を抜けて要塞へ侵入できると。複数、一箇所に集中させればその可能性は上がると。

 

しかしゴーレムは想像以上に強く、抜ける際にいくらか手傷を負ったんだけどね。

 

「貴様………しかし、要塞内の兵の方は。まさか全滅させたわけでもあるまい」

 

「いや、全部倒したのさ。一人ひとり丁寧に殴りつけて、こう、ね」

 

自分の傷を見せながら―――嘘をつく。そして思ったとおりに、ナハティガルは否定してくる。

 

「嘘をつくな小僧。貴様もいくらは使えるようだが、それでもこの短時間で全ての兵士を倒せるはずがない」

 

「でも、僕はここにいる。それが証明にならないかな?」

 

肩をすくめて、挑発する。しかしナハティガルは乗って来なかったようだ。ただ部屋の隅に居る――――僕がこの部屋へ侵入する際に殴ったので居たと表現した方が正しいが――――の兵士に視線を移しつつ、何事かを考え始めた。

 

そうして10数秒が経過したか。睨み合った後、ナハティガルは僕に槍を向けてきた。

 

「まあ、良い。どうせ貴様達はここで終わる」

 

「一人で終わってろ! ミラとエリーゼは返してもらうぜ!」

 

「満身創痍で、何を強がるか!」

 

一瞬だった。ナハティガルは瞬きの間に僕を間合いに捉え、槍を一直線に突き出してきた。

僕はそれを迎撃の拳で、正面から迎え撃つ。

 

先ほどと同じ、鉄と鉄がぶつかって生まれた甲高い音が部屋を騒がせた。

僕のナックルガードとナハティガルの槍が衝撃に後ろへと弾かれ、

 

「小僧!」

 

「クソ王ぉ!」

 

穂先と柄、複雑な軌跡によって放たれる連撃を全て拳で撃ち落とす。衝撃に身体が軋み、激痛が僕の意識を揺らした。止血していた額から血しぶきが飛んでいくのが分かる。

 

それでも一歩も退かず、ナハティガルの高度な連携を全て逸らして流していく。

 

(―――強い)

 

敵だが、その技術には舌を巻かざるをえない。ナハティガルの連撃は単純な力を頼りにした攻撃ではなく、槍術と呼べるほどに練られている。マナの強化だけではない、一撃一撃に遠心力と体重が存分に載せられていた。それは不調も不調な状態で受けきれるものではなく。遂に防ぎきれなくなった一撃が、僕の腹を打った。

 

「トドメだ!」

 

眉間を狙った刺突。意識が薄れていく、が――――

 

「ジュード!」

 

「ウインドカッター!」

 

エリーゼの悲鳴に意識を手繰り寄せ、ミラの援護の声に意識を取り戻す。そして目の前に見えるのは、ナハティガルの一撃。だがそれは決めを意識したせいか、あるいはミラのウインドカッターのお陰か、先ほどよりも動作が雑になっていた。

 

「にゃろっ!」

 

そして、正しく間一髪。穂先を拳で払いつつ首を捻って、どうにか回避に成功する。犠牲となったのは、髪の毛が数本。もしあと数cmずれていれば、地面に赤い花が咲いていたことだろう。

 

―――そんな怖い光景を全力で忘れつつ、一歩踏み込んで僕は拳を固めた。

 

「っしゃぁッ!!」

 

そして全力で、ナハティガルの頬を打った。とっさの一撃だったので、手打ちも手打ちな体重の載っていないパンチ。しかし交差法気味に懐に入られたナハティガルにとっては、想定外のことだったらしい。拳の先から手応えを感じて。そしてナハティガルは、そのまま小さくだけど後退した。

 

「貴様、王の顔を………っ!」

 

忌々しげな声だったが、それがどうした。

 

「一発だ。もう痛みすら感じられない人の、代わりの一撃だクソ王」

 

取り敢えずの目的だった、一発。不完全なので不満もあるが、確かに叩き込めたのは僥倖だ。そして僕は再び構え、ミラとエリーゼを守るために立ちふさがる。ここから先は防御に徹するのみだ。

 

すると足元で治癒術が発動した。

エリーゼのものだろう、全身くまなくある傷が、徐々に癒されていく。

 

「完治は無理………だけど」

 

「それでも助かったよエリーゼ。ミラも、ありがとう」

 

援護がなければどうなっていたことやら。礼を言う、けれども反応してくれなかった。ミラはただじっと、目の前に立ちはだかるナハティガルの方を睨みつけている。しかし、そんな視線を気にした様子もなく、ナハティガルは僕の方を見てくる。

 

「成る程。もしかして、内応者でもいたか」

 

「―――っ」

 

不意の指摘に言葉が詰まる。どうやら今の一連の攻防で僕の力を測っていたらしい。それを材料に、答えを言い当てたということか。

 

「ゴーレムは一瞬の隙をついてやり過ごし、要塞に逃げ込んだ後は内応者に入り口の門を閉めさせる。そしてこの部屋へと辿り着いた」

 

「………そうとは限らないかもよ?」

 

「そのトボけた口調もそうか。しかし、一体誰の策だ」

 

ナハティガルは訝しげな表情を浮かべていた。まさか、この部屋にまで侵入を許すとは想定していなかったのだろう。僕をここまで導いた人物に興味が出たらしい。

 

「奇策も奇策だが、結果だけを見ると見事と言ってもいい。どこぞの考えなしな自称マクスウェルとは大違いだな」

 

「貴様………!」

 

「小僧にも劣る力量で何を言うか。いいからそこで黙っていろ」

 

ミラの顔が憤怒に染まっている。初めてみる顔に驚きながらも、いったい何があったのだろうかと考える。そして、意識が逸れたその瞬間だった。

 

 

「ジュード、危ない!」

 

 

見れば、ナハティガルは地面に落ちていた槍を拾い上げていた。

 

「敵を前に気を抜くなどと!」

 

嘲りの言葉と共に、手に持った短めの槍を僕の方目掛けて投げつけて来た。完全に虚をつかれた一撃、しかしそれはすぐさま地面に落ちた。

 

上より投げられた、一つのナイフによって撃ち落されたのだ。ナハティガルが驚き、上を見上げる。

 

「ナハティガル王!」

 

部屋の外から声が。そして次々に、ガンダラ要塞の兵が部屋の中へと入ってくる。ここを案内してくれた内応者もいた。そして、迎撃を成功させた人物がゆっくりと、足場を作る精霊術に乗りながら降下してきた人物を見た後、更に驚いていた。

 

「どうやら、こちらも間に合ったようですな」

 

「―――イルベルト、貴様か………!?」

 

そして、要塞の兵士の一人が驚いたように戦慄いていた。

 

「ローエン・J・イルベルト………あの、“指揮者”イルベルト!?」

 

それは聞いたことがある名前だった。ラ・シュガル軍に在籍していた、超一流の軍師として。歴史の教科書に載るような、そんな人物だったはずだ。ならば任せてもいいはずだ。注意がローエンの方に集まっているのを見届けながら、ミラとエリーゼの方に向き直る。急激に視界が薄れていって、二人の顔も輪郭もぼやけているのだけれど。

 

そして近寄ろうと一歩踏み出したかと思うと、足の力が抜けてそのまま前に倒れそうになった。

 

「ジュード!」

 

硬い地面に頭をぶつける前に、受け止めてくれたようだ。右を、ミラ。そして左をエリーゼに支えられている。

 

「死なないで、やだ、死んじゃやだ!」

 

エリーゼの悲痛な声。治癒術が発動するのを感じるけど、もう意識を保っていられない。単に眠たいだけなのだけれど。そう説明するが、ミラもエリーゼも聞いちゃいない。身体がゆすられている。何か柔らかい感触を後頭部に感じて、非常に心地良いが。いや、これも役得だろう。

 

「どうして………」

 

こんな真似を、と言いたいのかもしれない。あるいはこんな無茶を、とか。二人共そんな風な感じだったので、僕は笑いながらこう言った。お姫様を助けるのは、男の役割だから。

 

言葉になっているのかすら分からない。

これが夢か現実か、それさえはっきりとしない程に意識は遠く。だけど、そうなのだ特に相手が山賊じみた軍ならば。

 

そして何よりもと、僕は親指を立てて言った。

 

 

「二人の友達、ジュード・マティス参上」

 

 

友達だから助けに来たと、あたりまえのように笑って。

 

しかしもう限界だと、自分の意識も聞かずに勝ってに目が閉じていくのを感じる。身体が休眠を欲しているのだ。だから僕はローエンとアルヴィンに頼むと、心の中だけで告げて意識を手放し、夢の中へと落ちていった。

 

 



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33話 : Cross Move

 

 

目が覚めてまず感じたのは、強烈な嘔吐感。ぐるんぐるりと、視界が定まらないでいた。これは、あれだ。レイアに両足を持たれて、振り回された時と同じだ。

 

「…………あー」

 

何とか耐えた後に、声が漏れでてしまった。直後、足元のシーツが揺れたような気がした。

一体何が、誰なのか。確認しようと顔を起こすと、そこにはエリーゼが居た。ベッドの横に椅子を置き、座りながら僕の布団に顔を伏せて寝ていたのだ。しかし、今の僕の声で起きたのだろう。ゆっくりと顔を上げ、目をこすりながらこちらを見た。

 

「えっと、おはよう」

 

「おはようございますぅ………」

 

寝ぼけているのか、声が定まっていない。そのまましばらく待っていると、エリーゼははっとしたように表情を変えた。寝ぼけ眼から一転して、泣き顔に。

 

「………っ」

 

「ちょ、っ………な、何で泣くかなぁ!?」

 

言うが、エリーゼは泣き続けた。ぽた、ぽたと。

溢れるようにこぼれ出た涙がシーツに落ちていった。

 

「え、な、どこか怪我でもした!?」

 

聞くが、うつむいたままぶんぶんと首を横に振るだけ。僕はそんなエリーゼに対し、何とか泣き止ませる方法を考えて――――けど、どうすればいいのか皆目わからなかった。レイアなら変な顔を見せれば笑いをとれるのだが、か弱いエリーゼにそんな事をできようはずもない。

 

だから何とか、手を握るかして気を落ち着かせようと、身体を起こす。

 

その途端だった。まるで、身体に存在する己の痛覚が一斉に蜂起したかのような。太い針に刺されたかのような激痛が、全身を襲ってきたのだ。それは叫び声も出せないほど。僕は起き上がった直後から、何も考えられないままに俯き、必死に食いしばって耐えていた。

 

しかし、ふと痛みが軽くなった。見れば、さっきまで泣いていたエリーゼは、治癒術を発動させていた。否、今でも鳴いている。小さい双眸の中に、涙をいっぱいに貯めて、それでもじっと僕の方を見つめながら治癒を維持してくれていた。そのまま数分が経った後、ようやく痛みが収まった。

 

「ありがとう、エリーゼ」

 

「………お礼なんて。それに、その、ジュードが怪我をした、のは………私達の」

 

「その先はいいから」

 

私達のせいだ、という言葉は封殺した。僕が好きでやったことで、エリーゼやミラのせいにするつもりは毛頭ない。

 

まあそれはひとまず置いといて、告げた。

 

「痛みがほんと、軽くなった――――ありがとう」

 

辛い時を助けてくれて。お礼をいうと、エリーゼは弱々しく頷いた。

そして、僕の目をじっと見ながら口を開いた。

 

「私こそ………ありがとう、ジュード」

 

「ありがとー助かったよー、ジュードくーん! 僕もほんっと怖かったよー!」

 

泣きそうなエリーゼ、そしてティポの顔には明るい色が少しだけ戻っていた。

僕はどういたしまして、と返しながら、気になっていたことを聞いた。

 

「えっと………その、ミラは無事?」

 

その問いに、エリーゼは顔を曇らせて。僕は間もなく、その原因を知った。

 

 

 

 

 

 

隣の寝室。寝息を立てているミラの横で、僕はシャール家のお抱えという医師と話していた。

 

―――ミラの怪我についてだ。言葉少なだけど、エリーゼから聞かされたことは二つ。あの後、ミラはまたナハティガルを単身追っていったということ。そしてその先で、呪帯と呼ばれるものが爆発し、片足に重傷を負ったこと。ナハティガルに負わされた傷もあってか、その傷はとても深いものだったという。クレインさんの口添えをもらい、医師に詳細とカルテを見せてもらったのだが、マナを供給する路が完全に切れてしまっていた。その他の肉の部分も、酷く損傷してしまっているらしい。

 

「それじゃあ、ミラの左足は?」

 

「………もう二度と、動かすことはできないでしょう」

 

残酷な事実だけを告げられた。どうして、と問いたくなる。もしも、僕があそこで気絶をしなければ。いやそもそも、なぜあの場面で一人でナハティガルを追おうとしたのか。やりきれない、後悔の念が胸を襲う。

 

その時、ミラが目を覚ました。僕と同じだろう、痛みに顔をしかめ、手早く医師とエリーゼが治癒術をかけた。表情が和らいでいく。そしてある程度痛みが収まったのか、身体を起こそうとする。

 

その時に気づいたのだろう。ミラは自分の左足を見つめて、触れて、訝しげな顔をする。

説明を受けたミラは、始終落ち着いた表情だった。

 

 

 

 

 

 

別室に場所を移した。僕は改めてエリーゼと、そしてあの時あの場に駆けつけてくれたアルヴィンとローエンと話をしていた。まずはローエンについて。

 

「生ける伝説、最高の軍師だったっけ。まさかローエンが、あの"指揮者"(コンダクター)――――ローエン・J・イルベルトだったとは思わなかった」

 

ナハティガル王と知り合っていたんじゃないかとは疑っていたけど、かつてのラ・シュガル軍の参謀。当代最高の軍師と謳われたその人だなんて、考えもしなかった。なんせ歴史の教科書にも乗るぐらいの人物だ。今のラ・シュガルが成立した、その切っ掛けとなったかもしれない戦いで活躍した軍師。六家の一つ、イルベルト家出身の軍人。指揮者と呼ばれるほどの芸術的采配で、同時に攻め込んできた三国の軍を追い返したと教えられている。その戦歴を鑑みるに、勇名と表現すべきだろうか。

 

「いえ、大したことはありませんよ。今はシャール家の執事。ただそれだけの存在でございます」

 

「あれだけ見事な作戦を、しかも即興で組んでやり遂げておいて、ただの執事だって?」

 

苦しい言い訳だと思う。そしてあの時の作戦だが、簡単に説明すると、こうだ。僕が単身で突撃して待ちぶせの網を抜ける、要塞に特攻する。そしてゴーレムが出撃して騒がしくなる、待ち伏せの兵が回りこまれたのでは、と動揺する。ゴーレムは適当にやり過ごすことを前提にして、倒すことは考えずに、目的だけを果たすことを念頭に置いて動く。そうして、起きた混乱を活かして内部へと突撃、事前に狼煙で命令を出していた内応者と一緒に要塞内部をひっかきまわすこと。

 

その段取りを即座に組立て、的確に命令を出し、動揺した待ち伏せ兵の隙を完璧について。一連の流れを、これ以上ないほどに迅速にやってのけたのがただの執事だなんて、誰が思えるのだろう。

 

「いえ、あれは策とも呼べない愚策ですよ。一つの無謀が根幹にあって、初めて成立するものですから」

 

「………まあ、少年の特攻が無けりゃそもそも成り立ってなかったか。それでも奇策って範疇だと思うがね」

 

肩をすくめて、アルヴィン。

気絶した僕を抱えて逃げてくれたらしいが、一つだけ聞きたいことがある。

 

「何か顔のあちこちに青あざできてんだけど? あと、頭が痛え」

 

「あー………そういえば、運んだ時に色々と当てたっけなあ」

 

主に壁とか、逃亡用の馬車の扉に。どうりで顔中が痛いと思ったよ。

まあ放り投げずに運んでくれたので、一応礼は言っておくが。

 

「仕事だよ、仕事。ミラに関しては………守りきれたとは言い難いからな」

 

わずかに顔を歪めるアルヴィン。そう、それを僕は聞きたかったのだ。一人で追っていった、とは聞いた。でも何でそうなったのか。二人にその時のことを尋ねるが、要領は得られなかった。ただ、その時の一連の出来事は説明してもらった。

 

嘲笑と共に去っていくナハティガルが居て、ミラがそれを追いかけて。爆発音に急いで駆けつけてみれば、渋い顔をしているナハティガルがいて、ミラが足から煙を出して倒れていたという。

 

「………ごめん、なさい。私がもっと治癒術を使えれば」

 

「いや、エリーゼのせいじゃ」

 

ないと言いたい。というか、責めるなんてできるはずがない。もしかすれば、もう片足の方も動かなくなっていた危険性があったらしい。それを防いだのは、エリーゼの治癒術だ。

 

むしろ誇るべきだと思う。何よりこんな少女に責任を負わせるとかあり得んし。というか、そこは本来僕が攻められるべきだ。

 

(とはいっても、その場居たと仮定しても医療術を扱えない僕じゃあ、何もできなかったろうし)

 

立つ瀬がマジで無くなっていたことだろう。何もできずに患者を見守ることしかできないとか、しかも患者がミラであるとか。実際にそうなれば、僕は今頃死にたくなっていたかもしれない。

 

――――それでも。

 

「僕が最後まで気張っていれば。何があったのかは分からないけど、ミラを止められたのかもしれないのに」

 

癒すことはできずとも、怪我をさせずに、守りきることができたのかもしれない。

だけど、ローエンを始めとした3人には呆れた表情を浮かべられた。

 

「あれだけの事を成して、何を言いますか。言葉は悪いかもしれませんが、これだけで済んだのは奇跡に近いんですよ」

 

軍師然とした口調で、ローエンは言う。

 

「相手はラ・シュガル軍、しかもガンダラ要塞に在する精鋭。それに加え、強力なゴーレムを要する不沈の砦。しかし結果的に、怪我人は発生しましたが、こちら側の死人はゼロでした」

 

下手をすれば、三桁は死んでいたかもしれなく、その上で目的を達成できなかったかもしれない。いやむしろその可能性の方が高かったと説明した後、ローエンは僕に笑いかけた。

 

「ジュードさんのお陰です、胸を張って下さい。もし違う手段を取っていれば。事態が過ぎるままに任せ慎重な策を取っていれば、お二人とはここにいなかったのかもしれないのです」

 

「………だな。間髪入れずの特攻じゃなかったら、事態はもっと悪化してたかもしれん」

 

ローエンが、そしてアルヴィンはそう言って。その言葉に、エリーゼは深く頷いた。実際に、危ない所だったらしい。

 

「でも、ジュードは………来てくれました」

 

「………エリーゼ?」

 

「危なかった………けど声が、聞こえました」

 

突入する前の声が聞かれていたらしい。嬉しかったと、エリーゼは立ち上がりながら、僕に向けて叫んだ。

 

「ジュードは、助けに来てくれました! あんなに多くの兵隊さんが居て、強そうな人たちが居て、血でいっぱいになっても………っ、だから………っ!」

 

エリーゼの言葉は、少し不明瞭で。それでも、今までとは違って全く口調に淀みがなかった。まるで叫ぶような大声で、必死だった。

 

―――だから、何だか胸がいっぱいになってしまって。

 

「ジュー、ド? なんで………」

 

「え?」

 

エリーゼの声に気づき、視線の先にある自分のほっぺたに触れた。撫でれば水の後があった。それはどうやら自分の目から出たものらしく。なんだか視界が滲んでいるな、と思ったら、そうだった。

 

何故かはわからないけど、僕はどうやら泣いていたらしい。

 

「なんだ、気でも抜けたか?」

 

「いや………わからない。何がなんだか」

 

なんで涙が次々に出てくるのか分からない。そういえば胸が何か、得体のしれない感覚で一杯一杯だった。だけど――――今までずっと胸の中にあった何かが一つ、取れたような気がした。

 

そう答えると、アルヴィンは目を逸らしてしまった。

 

「………まあ、いいさ。それよりも、少年はこれからどうするんだ?」

 

ミラのことを言っているのだろう。イル・ファンに行ってクルスニクの槍を破壊するという最終の目的について。確かに、ミラはこのままでは戦えないだろう。そして足手まといを抱えたまま、イル・ファンに乗り込むことなど出来る筈がない。何より目立つし、潜入できたとしても一発でバレて街の中で囲まれ、それで終わりになってしまう。

 

だから、まずやるべきことはミラの足を、治すことだ。

 

「しかし、それは可能な事なのですか? 先ほど確認しましたが、治癒術では不可能と聞きましたよ」

 

ローエンが疑問の言葉を投げかけてきた。その通りで、シャール家お抱えの医師は非常に優秀だった。そんな人物が不可能であるというのだから、実質そうなのだろう。しかし、恐らくは僕だけだろうけど、実はミラの足を治せる方法に“アテ”があるのだ。それは、かなり―――というか、口に出すのが非常躊躇う方法だけど、涙を拭って、深呼吸をした後に告げた。

 

 

「僕の故郷、ル・ロンドへ行こう。僕の父さんなら、きっとミラの足を治すことができる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、行ってしまわれるのですね」

 

「はい。それに僕達が残るのも、何かと問題がありそうなので」

 

「………その、お怪我の方は?」

 

「大丈夫です」

 

ドロッセル嬢が心配そうな声でたずねてくるが、笑顔で問題ないことをアピールする。実は問題ありありで、今にも倒れたいのだけど時間が許してくれない。

 

つーか、マジでやばいのです。今なら一般兵相手でもボコボコにされかねんのです。それでも、休むのはル・ロンドに戻ってからでも遅くない。ミラの治療をするにも時間がかかるだろうし、上手い時間の使い方というやつだ。それに、男なら弱音は見せられん。我ながら痩せ我慢にも甚だしいが、胸の前で腕を組んでただでさえ大きい胸が強調されているのだから仕方ないだろう。

 

ドロッセル嬢だが、起きてから初めて顔をあわせた後のこともあるし。なぜか涙目で近づいて、僕の腕を握って無事ですか、と聞いてきたのだ。手がまるで別の生き物のように柔らかく、何よりいい香りがしたのが忘れられない。その後、顔を真っ赤にして後ずさった時の慌てた様子も可愛かったけど。

 

「むー」

 

「いたっ」

 

そう考えていると、なんでか太ももに痛みが。見れば、エリーゼが僕の太ももを叩いていた。あの、エリーゼさん。何かほっぺたが膨れてますけど、僕が何かしましたでしょうか。敬語っぽくして聞いたが、エリーゼは剥れたまま答えてくれなかった。ドロッセルとは仲直りしたと聞いたけど。

 

あと、これもアルヴィンから聞いた話だけど、同じく無事に戻ってきたエリーゼに、泣きながら抱きついて、ごめんなさいと何度も。エリーゼも一緒に泣いてしまって、周囲の男達があたふたして。大層大変な状況だったらしい。

 

そして、僕と同じく気絶していたミラはといえば、変わらぬ不穏な様子で。クレインさんが用意してくれた馬の上で、僕の方をじっと見ていた。視線が痛いとはこのことだろうか。ル・ロンドへ行くと提案した時と同じ、難しい表情で黙り込んでいるだけだった。

 

だけど、カラハ・シャールには留まる訳にもいかないのだし。体外的には、カラハ・シャールの街中で仲間を攫われた僕達がシャール家に通報、その後兵士たちと協力して、拉致された仲間を取り戻したことになっている。これによって、シャール家とラ・シュガル軍との対立はかなり深いものになったんだけど。

 

「それでもラ・シュガル軍としては、その事実を内外に漏らしたくはないでしょうね」

 

不沈の筈の要塞がたった一人に特攻されて。挙げ句の果てに内部まで乗り込まれたという事実が決定的になるのは、ラ・シュガルとして旨くないことらしい。それが周知の事実となれば、軍全体に動揺が広がるのは間違いなく、また士気が低下する――――とは、ローエンの談だ。

 

だからあくまで噂レベルで止めようとするらしい。要塞の兵士にも口止めし、これ以上の士気の低下を防ぐという方法を取るはずだと。

 

「で、その最大の障害となるのが、僕達ってことね」

 

クレインさんは言った。強硬手段、死人に口なし、それを躊躇いなくやってくる程度には、戦争が近いと。六家の当主の口からそんな言葉が出てしまうほど、ア・ジュールとの関係は不味いものになっているのが分かった。

 

「ナハティガルがシャール家に仕掛けてくることは?」

 

「可能性としてはぼぼゼロに近いでしょう。ナハティガルが掌握している軍は多いですが、絶対ではありません。2正面作戦を仕掛けられるほどの余裕は無いはずです。今回のこともありますからね」

 

要塞付近の兵の動揺は、大きいものらしい。だからか、今から行う囮作戦に引っかかる可能性は高いと聞いた。囮というのは、僕達に扮した兵士を要塞の方へと偵察させること。

 

また、僕達がイル・ファンへ行こうと、要塞へ向かおうとしているフリをする。そうすれば兵の注意はカラハ・シャールか、要塞周辺に向けられ、サマンガン海停に戻ろうとする僕らに対して奇襲をしてくる可能性が低くなる。

 

「エリーゼも、ごめんね。必ず迎えに来るから」

 

ぶっちゃけ満身創痍のこの状態で、複数人を守りきれると断言できるほど無謀ではない。ホーリィボトルがあるので魔物は怖くないけど、人間が相手では不安がある。だかあら故郷で傷を癒し、完調したら必ず迎えに来ると言ったのだけど、エリーゼは頑なに首を横に振り続けるだけだった。

 

どうしても、離れたくないと。しまいには泣きそうになって、だから僕は同行を許しそうになった。だけど、そうしてエリーゼを危険に晒す方が愚かなことだと気づき、何とか説得したのだ。

 

「せめて、アルヴィンが同行してくれていたら………」

 

今は、おちゃらけ男はもういない。僕は昨日の夜に、街の宿で話した時の事を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

「―――え、ここでお別れだって?」

 

「出会いと別れの街らしいだろ? ああ、報酬は半分でいいさ――――とはいっても、もうシャール家から貰ってるんだけどな」

 

アルヴィンはそう告げるが、視線は横を向いたままだった。一体どういうつもりなのか。尋ねると、アルヴィンは苛ついたような表情でこちらを向いた。

 

「ミラのこと、聞いたろ?」

 

「………ああ」

 

何でも、ミラが倒れていた場所は特殊な方陣が設置されていて。そこに触れれば、ミラの足につけれられていた呪帯が爆発する仕掛けになっていたらしい。それをミラも、事前に知らされていたらしいとのことで。

 

「それでも、ミラは進んだんだ。ナハティガル王を止めるためにな」

 

その経緯の全てを見てはいないが、そうとしか思えない光景だったらしい。足を焦がしながら倒れているミラ。方陣の向うで、額に掠り傷を負って尻もちをついていたナハティガル。爆発のダメージもあったらしい。

 

「ナハティガル王を止めるのが目的だってのは、俺でも分かる。だけどそのために自分から………吹っ飛ぶってのを承知の上で。

 

それを知った上で迷いなく選択できるってのは、異常だろ」

 

「ミラは………それは、使命のために」

 

言うが、アルヴィンは僕の横をすり抜けて。そして頭をかきむしりながら、言った。

 

「なあ………俺の使命って、何?」

 

「それは分からん、というか知らされてないし」

 

「無いものは教えらんないからな。でも、それが当然だろ」

 

使命のために、自らの命を投げ打つ。それは当たり前ではないと、アルヴィンは言った。

 

「ジュード。お前も、いったい何のつもりだった?」

 

「………僕?」

 

「あの要塞に、一人で突っ込む。だけどお前は、何でそうしようって思った」

 

「二人を、助けたかったから。それだけだけど………」

 

「っ、格好いいねえ………だけどやっぱりだ。俺にはついてけねーよ、もう」

 

アルヴィンは、投げやりに手を上げて。そしてさよならと言うが如く、それを横に振った。

 

「誰かを助けたい、それもいいんじゃねーか? だけど、俺はただの傭兵なんだよ」

 

自身の命のリスクを忘れ、使命にひた走る――――そんな狂人にはなれない。

 

 

それだけを告げて、アルヴィンは去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、アルヴィンくんのバホー!」

 

「そうだよね、ティポ」

 

話の全てではなく、概略だけ。そしてもしもアルヴィンが残ってたら、エリーゼを連れていけたかもしれない。告げると、ティポもエリーゼは更に怒っていた。

 

「いや、ほとんど俺のせいだから。寂しい思いをさせてごめん、できるだけ早く怪我治してすぐに戻ってくるから」

 

「………そんなこと言われたら、何も言えなくなるじゃないですか」

 

エリーゼの視線は僕のほっぺたのガーゼと、そして貫かれた手に注がれていた。卑怯な手だと思うけど、納得してもらうにはこれしかなかった。

 

「いいです。ティポの歌でも作って、待ってます。ぜんぜん、さみしくなんて、ないですから」

 

「でも、早く戻ってきてねー! ボクは寂しくて泣いちゃうー!」

 

「ははは、泣く機構があるのかこの浮遊物体には」

 

「むー、乙女に対して失礼だなー」

 

「あはは、何をほざくかこの雌雄同体が」

 

そんな会話をしながらも、僕は馬の手綱を握った。クレインさんと、そしてローエンと視線を交わし、頷き合う。

 

「それでは、ご無事で。シャール家は、貴方に受けた恩を忘れません」

 

「なら、一度だけ美味しい酒を飲ましてくれると嬉しいかな」

 

色々あって忙しかったけど、今度はゆっくりと酒を酌み交わせれば。そう思わせてくれる程には、クレインさんは本当に良い人だった。

 

「ええ、お待ちしております」

 

そういう時間が訪れるような、平和な時間が保たれることを願って。どちらとも口にはせず、僕はクレインさん達に背中を向けて。

 

 

街道へと――――思い出したくないことが多い、故郷へと帰る道を歩き出した。

 

 

 

 



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34話 : 思うこと、想うこと

 

 

暗い雲の下、平原の中を往く。目的地であるサマンガン海停を目指して。道中には魔物たちがそこかしこに彷徨いているが、出発前に使ったホーリィボトルが発するマナに怯えて遠ざかっていくばかり。誰とも接しない時間。聞こえるのは僕が引っ張っている馬の蹄の音と、自分の足音だけ。

 

馬の上のミラは、黙ったままじっと虚空を見据えている。足の傷が痛むのだろうか、時折少し顔を歪めては元に戻した。我慢しているのだろう。痛々しくて、目を逸らして、だから前だけを見ていた。

 

 

だからか、感じ取れるのは単調な音と、似たような風景だけになっていた。

 

そして、全身を蝕む痛みが。我慢はできるが、痛いものは痛いのだ。

 

だけど弱音は吐かない。僕以上の怪我をしているミラが弱音を吐かないのに、一体どうして守れなかった僕だけが。

 

そんな事をぐるぐると考えこんだまま、気づけばあたりは暗くなっていた。夕方にしても暗すぎる。そう思った時、ぽつ、ぽつ、という水滴の音が聞こえ始めた。

 

「雨、だね」

 

旅に濡れ烏は禁物だ。体力の消耗は道程に支障しか来さないから。このまま濡れてはかなわないと、僕は馬を道の脇に引っ張っていった。そして雨に濡れないように大きな樹の下に連れていき、紐を繋ぐと、馬の上に飛び乗った。軽く、衝撃を与えて驚かせることが無いよう、優しく飛び乗る。

 

そして、何やら虚ろになっているミラに手を伸ばした。

 

「降って来ちゃった。今日は、あそこで休もう」

 

「………分かった」

 

手伝って、一緒に地面に。岩壁にあった窪みに入る。詰めれば4人は入れそうな横穴にミラを座らせ、道具袋を取り出す。

 

見れば、ここも旅人が休むための休憩場のようだ。焚火ができるような場所もあった。濡れていない、燃やしても問題がないような木も置いてある。

 

そうして僕は焚火をするため、木を組んで――――その後に、気がついた。道具袋に入れているものを思い出し、そして冷や汗が出た。種火がないのだ。そして火の精霊術が使えない僕は、この木を燃やすことが。そこまで考えた時、後ろから声がした。

 

「どけ、ジュード」

 

詠唱もない。ただゆるやかに火の精霊が活性化し、焚火に火が灯った。

 

「………このぐらいはな」

 

「ありがとう。じゃあ、夕食を作るから」

 

材料はクレインさんからもらったものが。かなり高級なものも多く、早朝に屋敷で下ごしらえもしてきたから後は調理をするだけ。とはいっても、簡単な肉野菜入りスープと、サンドイッチだけ。

 

僕はまず鍋を取り出し、水を入れた後に焚火の上へと持っていく。

 

手は矢傷を負っていない方。それでも怪我をしていて、水が入っている鍋は重くて痛みが全身に走る。だけど、我慢をする。

 

「良い材料を貰ったんだ。きっと美味しいから、お楽しみに」

 

ミラは食べることが好きだ。だから、美味しいものを食べればきっと元気になるだろう。そうして、火加減を見ているときだった。

 

後ろにいるミラが、僕の名前を呼んだ。

 

 

 

 

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● 

 

 

 

 

「ジュード…………ジュードは、何故武術を学ぼうと思った?」

 

 

手に頭に。白い包帯を所どころに巻きつけている少年は、じっと鍋を見たまま。痛みはあるのだろう。やや動作がぎこちなく、また歩く時の動作も今までの旅で見てきたそれより、荒い。だけど、力は本物だった。私も、四大が居た頃よりかなり力は落ちたけどそれなりにやれると思っていた。そんな自信を打ち砕いたナハティガル――――奴が言っていた事を思い出す。

 

倒れるジュード。ナハティガルはローエンに、女子どものお守りがお似合いだと言い捨てて、逃げようとした。だから追ったのだ。しかし、目の前には越えてはいけない方陣があった。事前に見た、呪帯を爆発させる忌まわしき仕掛けの。ナハティガル、そしてジランドという側近らしき男は既にその方陣の向うにいた。どうするべきか。火の精霊術を放つが方陣に防がれ、ここからでは攻撃も届かない。腰にある剣を投げたとしても、この距離では当たらないだろう。

 

そうして迷った時、奴は言った。

 

『無駄だ、"自称"マクスウェル』

 

酷く、癇に障った。それまでのご高説と同じか、あるいはそれ以上に。だけど使命を果たさなければと、問う。どうして、民を守るべき王が、その民を犠牲にしてまで力を――――黒匣を求めるのか。

 

ナハティガルは嘲りと共に、答えた。あの時のやり取りは、寸分違わず思い出せる。

王を自負するあの男は、声を張り上げて主張した。

 

『己を守るためには、力が必要なのだ――――国を! 地位を! 望みを! 意志を! 犯されず、守り通すには誰にも負けぬ力が!』

 

守るために。だが、国を守るというのに民を犠牲にするのはどういうことだ。

その問いに答えたのは、ジランドという男だった。

 

『貴方も同じでしょう。自分を――――"鍵"を守るためならばと、あのエリーゼという娘を見捨てようとしました』

 

『それは………っ!』

 

『出しゃばるな、ジランド。しかし、お前も分かっているではないか。何かを成すには、犠牲が必要なのだと』

 

『っ、守るものを、守るためにと傷つけるのがお前のやり方だというのか!』

 

『そうだろう! 大望のためならば、わずかな民の犠牲など些細なこと! 

 

大のために小を捨てる事否定するのは、現実を理解していない愚か者の言葉だ!』

 

『それが王の………黒匣を使ってまでも成すべきことか! そのようなものを頼り、守ってもやがては全て潰れてしまうぞ!』

 

『貴様ごときの言葉など聞かぬ。それが真実かどうかも、分からないのではな』

 

『何を………!?』

 

その言葉に、私は驚きを隠せなかった。よりにもよって、その部分を疑うのかと。その問いに返ってきたのは、さらなる疑惑の視線だった。

 

『本当の危機であれば、精霊の主たるマクスウェルが黙ってはいないのだろう。だが、お前のような"弱い"小娘がマクスウェルを名乗るだと?』

 

あり得ん、とナハティガルは嗤った。

 

『っ、黒匣(ジン)の力に頼らなければ、使命を果たせないと言う。そんな性根の腐った王に言われたくはないな。自らの意志を力にしようともせず、安易な武器に頼ろうとするお前に何が成せるというのだ』

 

『黒匣の力を使っていない我に完敗した貴様にも、言われたくはないことだな。まあ――――せいぜい囀っていろ』

 

ナハティガルは背を向けた。そして最後と、振り返らないままに言った。

 

『………そうだな、あの小僧であれば、何かを言う資格があったのかもしれんが』

 

『………何?』

 

『気に入らないことこの上ないが、認めてはやろう。意志一つでこの要塞に挑み、挙句は儂の身体に拳を打ち込みおった。力で意志を押し通したのだ。あ奴の主張であれば対峙するに足るかもしれん、が―――』

 

ナハティガルは興味もなさそうに、告げた。

――――儂に傷ひとつ負わせられぬ貴様が何を言っても、弱者の負け惜しみにしか聞こえんわ、と。

 

ナハティガルはそれだけを告げて、歩き出して。気がつけば、私は地面を蹴っていた。

何よりも、あそこで退けば私が私で無くなってしまうような気がしたから。

 

どういう攻撃をして、どういう防ぎ方をされたのか。あの時のことは痛みが酷く、方陣を抜けた後は思い出せそうにない。しかし、手に持っていた剣には血が、ナハティガルの額には傷が。

 

――――意志を通すことはできたのだと、知った。だけど代償になったものがあった。

片やジュードは、怪我をしていても治る範囲だ。意志を通すには力が必要だという。それは分かっている。諦めないからこその力であり、譲れないもののために我が意を貫くからこその強さ。

 

なのに、ジュードは――――精霊術も使えないのに、何故。そう思ってしまう自分がいた。血を流しながらも助けに。疑ってしまったのに、必死で駆けつけてくれたジュードに嫉妬していたのだ。

 

だから、黙っていた。だけど、どうしても気になってしまって、だから質問をしたのだ。ジュードは振り返らないままに、言った。

 

「………存在する理由が欲しかったから、かな」

 

目の前には背中。ジュードは、焚火の火をじっと見ながらぽつぽつと語ってくれた。

 

「僕には夢があったんだ。今のミラの足でも治すことができそうな、医者――――父さんや母さんのようになりたいっていう夢が」

 

やがてジュードは語り出した。治療院に訪れる人たち、そして感謝の言葉と笑顔。

それが眩しくて、だから憧れたのだと言った。

 

「だけど、届かないって知った。その、僕は精霊術の才能が無くてさ」

 

―――嘘だとは知っている。才能が無いのではなく、使えない。詳細を聞こうとした私達は、アルヴィンに説明をされた。ジュードは精霊術を発動させることもできないのだと。それを指摘しない方がいいとも言っていた。私達が指摘をすれば、ジュードは私達の元を去っていくかもしれないからと。

 

私達には理解できないことだと、そう渋い顔で教えられたからには従わざるをえなかった。

 

歴戦の傭兵であるアルヴィンがあんな顔をするほどの。

私では、想像することさえできない。

 

「ショックでさ。そんで、色々と事件があって……………誰とも話したくないって、引きこもって…………いっそ居なくなった方がいいんじゃないかって思うようになってた」

 

声はただ弱々しかった。いつものジュードの声ではない、弱気な少年のような声質。かなりの出来事だったのだろう。私も、四大を使役できなくなった時はかなり衝撃的だったが、ジュードはもっとショックだったのかもしれない。

 

心の底から望んだ夢があって――――だけどそのスタートラインにさえ立てないということを知ったのだ。事件があったとも言うが、どれだけの影が心に生まれたのか。心の内をうかがい知ることは出来ないが、このジュードが引きこもったというのだから、その衝撃が相当であることは分かった。

 

そして疑問が浮かぶ。

 

「何故、立ち上がろうと思えたのだ?」

 

「師匠が、ソニア師匠(せんせい)がいたから。あの言葉も、その時に聞かされたかなあ」

 

「何をだ?」

 

「頭が固いって笑われた。医者だけが人の命を救ってるんじゃないって、それでも嬉しそうにさ」

 

「それは………そうだな」

 

「言われてみればそうだったよ。例えば、食べ物を作る人。安全な寝床を用意する人。旅人を魔物から守る人。みんなが自分のために、そして誰かのために働いているんだ」

 

そして、働くことも。誰かの使命にしても、優劣を決めるものがあるわけじゃないと。

ジュードはそう言いながら、笑っていた。

 

「しかし、何故そこで武術を学ぼうと思ったのだ?」

 

「最初は………その、かなり自慢できない理由だったんだけどね。修行を耐え切れば、事件の当事者だったあいつを殴ってもいいからって、その条件なら修行するって答えて。まあ修行が終わった時には、その約束も忘れてたけど」

 

きつかったと、ジュードは言う。そして、その果てに夢の続きを見始めたらしい。きっと、何か別の方法で治癒術を扱えるようになるかもしれないと。

 

旅に出て、魔物と戦って鍛えて。そうして強くなったと、ジュードは言う。

 

「ナディアに会ったのはイル・ファンに出てきた後で。あいつも、色々と抱え込んでるもんがあるらしくて――――殺し合いになった」

 

「いや、何故だ」

 

「色々と理由はあるんだけどさ――――本当の所は、分からないんだ」

 

冗談抜きで、と。その声は今までとは違い、歯切れが悪かった。首をかしげているあたり、本当に分からないらしい。

 

「まあ、あんな銀髪チビは置いといて――――僕が鍛えたのは、こんな僕でもやれることがあるって知ったから」

 

「誰かを守るために?」

 

「使命、とまではいかないけどね。うん、怪我を未然に防ぐのも医師の役目だし」

 

「いや、それは事前の注意とかであって、物理的に防ごうとするのは違うだろう」

 

「結果を見れば同じだよ。万人を守る盾となる――――外科限定だけど新しい医療法だね、画期的だと言える。ハオ賞間違いなしかも」

 

ハオ賞が何かに知らないが、きっと違う。というよりは覇王賞なのではなかろうか。しかし、今の言葉には気になる点があった。

 

「万人、という割にはアルヴィンに容赦がなかったが」

 

「女性は守るもの、ってのが師匠の教えだから」

 

そう答えるジュードの顔は輝いていた。余程、その師匠とやらが好きらしい。そして思うのだが、男はあまり好きじゃないらしい。アルヴィン他、エリーゼを虐めていた村人を殴ろうとしていた所と見るに。8割は本当だが、何やら全ては語っていないような気がする。

 

しかし根本的な所は同じであろう。女性を守るというのも道理には敵って――――いやこのジュードを鍛え上げたという女性。その女性も、守られればならないほどに弱かったのだろうか。

 

尋ねた所、箒一本で盗賊団を掃除できる程度の腕前らしい。

何か、小刻みにぷるぷると震えているのを見るに、相当な使い手かもしれない。

 

「ちなみにジュード………そのソニア師匠とやらとナハティガル、どっちが怖いのだ?」

 

「レイアのマーボー・カレー攻勢の方が怖いね。ちなみに怒った師匠はその7倍強怖い」

 

レイアという名前が出てきたので、また尋ねる。その少女はソニア師匠の娘で、ジュードにとっては幼なじみだという。

 

今も故郷にいると説明しながら、ジュードは鍋に調味料と、そして材料を入れ始めた。

 

「………大丈夫。ミラならきっと、ナハティガルを倒してあの槍を破壊できるさ。何を言われたのか、聞きはしないけど」

 

それでも諦めてはいないんでしょ、と。ジュードの言葉に私は迷わず頷いた。

 

「なら、怪我が治ったら修行だね。ミラは才能あるから、ソニア師匠にアドバイスを受ければきっとすぐに強くなれる」

 

「強く、か。ああそうだな」

 

それから、色々な修行の計画を立てた。足が治っていない今に、その話をするのは気が早いがするが、それでも色々と前を向いて話すのは楽しい。

 

そして料理が完成して、ジュードは容器に盛り付けをはじめた。

 

「………美味しそうだな」

 

「栄養、つけなきゃならないしね。怪我治して、いっぱい食べて、修行して。最後には槍を壊して四大を取り戻して、さ。パワーアップしたミラの力で、あの凸親父にきついの一発かましちゃえばいいよ。それがミラのやりたい事、なんでしょ?」

 

「ああ」

 

「だったら、手伝うさ」

 

受け取った料理はいい匂いがして。だから食べる――――うん、美味しい。

 

「ジュードの料理は、やはり美味しいな」

 

「材料の恩恵もあるからね。普段なら手が出ないようなレベルの肉と野菜貰ったし」

 

「それでも、私ではここまで美味しく仕上げられなかった………到底、真似できないな」

 

「真似する必要はないよ。僕だって、ミラの無鉄砲さと、その、意志の強さは真似できないから」

 

「む、君にしては言うな」

 

「それだけ心臓に悪かったってこと。フォローするのも僕の役割だし、これからは無茶する前に相談すること」

 

「分かった。すまん、苦労をかけるな」

 

「………謝りはしても、無茶はしないとは言わないんだね」

 

「人は誰しも、成さなければならない使命がある………しかしやはり旨いな。サンドイッチのソースとか、絶妙すぎるぞ」

 

「あれ、真剣な話はどこへ………でもいいや。そのソースのレシピはシャール家の料理長に頼み込んで教えてもらったものなんだ。こっちは地方の色々な調味料のことを聞かれたけど、いい取引だった」

 

「本職のようだな。つまり槍を壊すのが私の使命だとするなら――――ジュードの使命は私に料理を作るということか」

 

「そっち!? いやてっきり、情報収集とか撹乱とか!」

 

「どちらにせよフォローに回るという意味では変わらないが」

 

言いながら、笑う私に、ジュードは言った。

 

「それもいいさ。ミラだけの使命なんだ、ミラ自身の力で果たさなければ意味ないからね」

 

「………ああ。私だけの使命だからな」

 

「頼りにしてるよ、ミラ=マクスウェル。これからも宜しく頼むね」

 

ジュードはそう言いながら手を前に――――出された掌には、包帯が巻かれていた。そこで、私は思い出した。色々と悩んでいたり。そして今は話が楽しくて忘れていたが、ジュードは私と同じぐらい重傷なのだ。

 

握手しながら、怪我のことをたずねる。最初の怪我は屋敷の前で、そして道中に行ったことの詳細を全て聞いた。この怪我の酷さも。

 

「無茶をするのは、君も同じではないか」

 

「大丈夫だって。こんなもん舐めときゃ治るし」

 

「本当か?」

 

いいながらほんの僅か、掌を握る力を強くすると、ジュードの顔がひきつった。

 

「………無理をするな。使命でもないのに命を賭けるなど、普通の人間が聞けばきっと呆れ果てるぞ」

 

「いやいや、美人の女性を助けるのが僕の使命だよ。具体的には胸が豊かな。それにドロッセルさんのことで役得もあったし痛ァ!?」

 

はっ、今は私は何を。見下ろせば、痛みに顔をひきつらせたジュードの顔があった。何故かむかむかするが、これも怪我のせいだろうか。いや、これはジュードのせいだ。

 

「その点でいえば、エリーゼは該当しないと思うが? 君はそんな男だったのか」

 

「えっと………いや、エリーゼはかよわいから。関係なしに守りたくなるっていうか、男の本能っていうか」

 

「ならば私は守りたくないと」

 

「話変わってるよね!? いや、将来に期待………というよりも、友達だからね。エリーゼも、そしてミラも」

 

――――友達。長らく聞いたことがない言葉だった。

というより、私には友達がいないような気がする。

 

「まあ、僕も友達いないしね。悪友しかいいないというか………なんでまあ、友達のためなら無茶だってするさ」

 

「そう、だな」

 

その言葉は、嬉しかった。マクスウェルだからと崇めたり、敵視する人間は居たが友達という関係を持っていた人間はいない。

 

だけど何故だか。面白くないというか、納得できないものを感じていた。

 

フラッシュバックするのは、血まみれのジュード。あの時のこいつは苦しい顔で、消えそうな声で、でも本当に――――

 

「えっと、ミラさん?」

 

「あ、ああ、すまん」

 

そうして、手を離す。しかし、お礼を言っていなかったことを思い出す。だけどここまで来て言い出すのは、少し。どうしようかと服に手をあて、そこで気がついた。

 

「ジュード………これを、受け取って欲しい」

 

「え、何?」

 

「私の気持ちだ」

 

言いながら、首飾りを取り出す。これはあの襲撃があった朝、市場で頼んだもの。幼い頃に遊んだ、外の友達。その時に貰った蒼のガラス玉を、失くさないようにと首飾りのアクセサリーとして仕上げてもらったもの。

 

ジュードにも以前見せたことがある。それを覚えているのだろう、酷く驚いた顔をしていた。

 

「こ、んな大事なものを」

 

「いいから受け取れ。女の贈り物は黙って受け取るのがいい男の条件だと、本で見たぞ」

 

少し叱るように言う。するとジュードは辿々しい手で、青いガラス玉に触れた。

 

「あ………りが、とう」

 

「こちらこそだ。君が助けに来てくれなければ今頃は…………ありがとう、ジュード」

 

礼を言う。するとジュードは、はっと顔を見上げて。

 

――――そして、静かに泣き始めた。泣きじゃくるとも違う、何か目の中から見えない何かしらの感情が溢れ出たかのようだった。

 

「ジュード!?」

 

「あ、ごめん………って、ま、じぃ」

 

ふっと、ジュードの目から光が消えて、そのまま倒れこんできた。

とっさに胸で受け止めるが、反応はない。怪我か何かと覗きこんだが、表情は穏やかなものだった。いつものような、目のあたりにいつも見て取れた険が消えている。そしてゆっくりとした呼吸も、よくよく観察すれば寝息であると分かる。

 

「………疲れていたのか」

 

私の事を心配してか、気を張っていたのだろう。そして、ひと通りの話をして安心したということか。あとはこの怪我。近くでみると、その痛々しさがよく分かる。その身体の小ささも。筋肉はついているが、やはりジュードはまだ成人もしてないのだ。私よりも小さな身体で、あれほどまでに。

 

考えていると、思わず手が頭を撫でてしまっていた。

 

「………さい」

 

「ん?」

 

寝言のようなものだった。そしてまた、ジュードの目から一筋の涙が溢れた。

 

「………ジュード」

 

それほどまでに怖かったのか、あるいは痛かったのか。途絶えた言葉を思うと、何故か胸が痛くなった。だから休めと、頭を撫で続ける。すると寝息はまたゆっくりと、穏やかなリズムを刻みはじめた。見ている内に、私も眠くなってきたようだ。

 

さっきまでははっきりと見えていた馬も、視界の遠くに霞んでいる。

 

ジュードの言う通り、食べて、そして寝て、明日からまた頑張ればいいのだ。意志を守ることができるだけの力を手に入れるために。

 

四大は、確かにいなくなった。精霊を使役する力も衰え、身体能力も比べ物にならないぐらい落ちた。納得はしないが、ナハティガルの言い分にも一理ある。確かに今の私の力は、マクスウェルと名乗るには足りないかもしれない。

 

だが、四大と共に在った頃とは違う、失ってから新たに得られるものがある。

 

ならば、負けることはないだろう。

 

そうして明日からもと、目を閉じた。傍らには温もりがある、今日はよく眠れそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――そして数ヶ月後、私はこの時のことを後悔することになる。

 

どうしてこの時、泣きながら呟いたジュードの言葉を、その意味を知ろうとしなかったのかと。

 

 



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35話 : 帰ってきた街で

 

船の甲板から、ル・ロンドの港に。降り立ったけど僕は、それどころじゃなかった。何って、腕がやばい。二の腕に感じるマシュマロティックな感触が、その、ひゃっほうである。

 

………本音が出てしまったが、問題はそこではないのだ。船酔いになったミラを支えている腕が、そこから感じられる感触が体温がやばいのだ。そして、悪ふざけな言葉を出す空気でもない。道中にあんな会話をしたせいか、なんて言うか何を言ったらいいのかわからなくなっていた。それはミラも同じようで、軽口もなしに黙り込んでいた。

 

どうすればいいのか。悩んでいた所に、救い主が現れた。

 

 

「あーどいてどいてーーーっ!」

 

 

車椅子の音。そして声。その方向を見て―――――てい、とマナで強化した足を出した。

 

車輪が静止し、乗っていた人物は放物線を描いて飛んでいった。

 

 

「あああああぁぁぁぁぁ………」

 

 

ぽちゃん、という音がした。海に、美しい波紋が広がっていく。

 

「―――よし!」

 

「いや………どう見てもよしじゃないと思うのだが………?」

 

そう言ったミラの声は戦々恐々としていた。しかし僕はあくまで、これでいいのだと主張する。だって彼女はレイア・ロランド。師匠譲りの頑強さを持つ、僕の幼なじみなのだ。理不尽なという言葉が枕につく幼馴染なのである。

 

だからして、勿論泳ぎも得意である。あるいは僕よりも達者かもしれない、故に良いのである。レイアと一緒に走っていたであろう少年少女がぽかんとしているが、これでいいのである。

 

僕は怪我人であるミラを車椅子に座らせ、そう諭した。納得していないようだが大丈夫、だってレイアは優しい奴なのであるのだから、分かって―――――

 

「ウエイクアップ、私ィ!」

 

「ぐはぁっ!?」

 

くれなかったようで、証拠となる足蹴りが僕の背中に炸裂した。結構な勢いで繰り出された蹴りはかなり強烈で、そのまま石畳の上を転がされていく。咄嗟に手を離していたおかげでミラは巻き込まずにすんだけど。つーか真面目に痛い。そのせいですぐに立ち上がることができなく、地面に倒れていると、何故か胸ぐらを掴まれた。

 

「え、ジュ、ジュード!? ジュードよねどうしたの包帯。なんで、その怪我は!?」

 

「蹴っといて言うのかよお前は」

 

突っ込んだが、無視された。僕も大概だったからか。しかしレイアは何でか滅茶苦茶に動揺していて、襟を掴まれるとそのまま全身ごと上下に揺さぶられた。寝転んでいたままなので視界が激しく動かされ、そのせいで吐き気がこみあげてくる。

 

やめろ、頭痛いんだっての。そんな反論も許さないような強めのシェイクは、ミラが止めるまで続いた。命の恩人という言葉を知った瞬間でもあった。

 

「あー死ぬかと思った。あー頭痛い」

 

「ご、ごめん………でも、ジュード」

 

何だかんだでようやく落ち着いた後、レイアはそんな彼女の様子をたっぷりと見て、そして僕の方を見た。頭と、そして身体中の傷を見て――――

 

「痴情のもつれ?」

 

「よしそこに直れ」

 

そのまま数分後は説教をかましてやった。昔と変わってない、走る前に前を見ろ、自分の馬鹿力を自覚しろ、とか。考えてから行動しろ、相変わらず胸のように貧相な頭だな、とか。

 

そうしてようやく落ち着いたレイアを前に、僕はミラを紹介した。

 

「いや、ジュード。ほっぺたに赤い手形をつけて………大丈夫か?」

 

ミラが何かを言いたいようだけど、話が進まないのでまずは自己紹介をさせた。

 

「み、ミラ=マクスウェルだ。よろしく」

 

「レイア・ロランド、です…………」

 

自己紹介をする二人。しかしレイアは握手をしながらも、その視線をミラの胸部に向けていた。

そこにはたわわに実った果実が二つ。そしてレイアは、何かを言いたそうにこちらを見てくる。

 

「ジュード………信じてたのにっ!」

 

「いや、ちょっと待って。待ってくれ頼むからお前説教聞いてねえのお前よぅ」

 

いくらなんでも鳥頭すぎる、と思っていたがそうでもないようだった。何が別の事情があるらしい。なだめすかしながら情報を聞き出していると、驚愕の事実が判明した。何故か僕は医学校を中退し、巨乳としけこんだということになっているらしい。色香に迷った青少年の逃避行がどうのこうの。

 

なんでも某銀髪の少女からタレコミがあったとのことだが―――あの腐れ貴族貧乳風味チンピラ和えめが。よりにもよってわざわざ、この町でやってくれましたよあのチビ。

 

「でも、この人は巨乳だし!」

 

「ああ、確かに巨乳だけど!」

 

「ふむ、私は巨乳なのか?」

 

ミラの言葉に肯定を返す。ミラの胸が巨乳じゃなかったら、レイアなんてどうなる。ただの板だ。いや、街道で時たま大回転しつづけてるバキュラにも劣る。ミラとドロッセルさんのダブルインパクトを知ったせいか、今は余計にそう思えるのだ。

 

「………な~んか腹立つんだけど。いっちょ活身根で、頭に一発入れていい?」

 

「流石にやめてくれ。頭ぁ痛いつってんだろ、何より―――」

 

ミラの足を見ながら、言う。いいかんげに治療院に行きたいと。

 

「え、ちょっと、彼女の足………!」

 

「ああ。だから、この町に帰ってきたんだよ」

 

ミラの足を治す方法はここにしかない。だから、だから早く行こうと。胸中も複雑に、自分の口から提案すると、レイアは戸惑ったままそれでも頷いてくれた。レイアは子どもたちに指示し、大先生に連絡をお願いと言われた子ども二人は治療院へと走っていった。

 

それに僕達も続いていく。揺らしすぎるのも良くないと、ゆっくりと。僕はミラが座っている車椅子を押して歩きはじめた。

 

そうして港と街の境にある門を抜ければ、そこは見慣れた故郷の姿があった。相変わらずのしけた街だ。昔は鉱夫で賑わったらしい街も、今では見る影もない。とはいっても、賑やかだった頃なんて知らない僕だけど。我ながらひねくれた感想を抱いていると、海からの風が吹いた。

 

緩くも頬を撫でる風は、港から運ばれた潮の香りを運んでくる。少しきついそんな匂いに鼻をくすぐられながら、石畳を歩いていく。昔には慣れた道中。

 

――――辛かった、思い出したくもない、過去の道の徒然。そんな言葉が浮かんでは消えた。少しどころではなく、気が重い。だから下を向いたのだけど、そこにはミラの瞳があった。こちらを見上げながら、僕に言った。

 

「いい町だな。寂れている部分もあるが、どこか風情がある。人の表情も暖かだ」

 

「まあ、ね」

 

同意する。鉱山の採掘が盛んだった頃は、露店も並んでいたような道だ。夜になれば、それはもう綺麗だったらしい。採掘がなくなり、人が少なくなった今でも宿場町のような雰囲気は無くなってはいない。ああ、いい場所だとは思う。イル・ファンのように華やかではないけど、それでも趣きのある町並みだとは思える。

 

(だけど、それは見る人によって違うんだよ、ミラ)

 

目に映る光景は同じでも、見る人が異なれば感想も違うものになるんだ。例えば、高所恐怖症の人と夕焼けが好きな人。二人がパレンジの樹の上から見える夕焼けに思う感情は、浮かぶ言葉は決して同じものではないように。僕だってそうだ。例えば、今も感じるこの視線のように。

 

すれ違う人。窓から僕を見下げる人。そして向こうに見える見も知らぬガキ達。

その全てが遠い。汚いものを見たかのように、自然と足は遠く、視線さえも向けてこない。

 

「ジュード………」

 

「慣れたさ、もう」

 

レイアに返答しながら、そんな事より急ごうと前へ。ミラは不思議そうな表情でこちらを見ていたが、その視線も振り切って歩を進める。それから、間もなくだった。前方から、歳若い男の集団が歩いてくるのが見えた。向こうは見えてないだろうが、こっちには十分に顔が判別できる距離だ。

 

そして僕よりも5つは上だろう、成人である彼らの顔には酷く見覚えがあった。そう、“酷く”である。それは、絶対に。死んでも忘れられない顔だった。だけど向こうはこちらに気づかないまま、そのまま道の横へと消えていった。

 

「………ジュード? 怖い顔だが、傷が痛むのか」

 

「ある意味でね。でも、今はミラの傷を治す方が先だ」

 

だから、前に歩き続けた。空は相変わらずの快晴だ。クソッタレと言いたいほどの晴れっぷりだ。だが、心の中はいつになく暗雲立ち込めていた。今ならば大雨だって降らせそうなぐらい。それでも、ミラには関係のないことだ。そのまま歩き続け、間もなくして見えてきたのは何年かぶりの我が家だった。信頼厚きマティスの治療院。ル・ロンドで最高と呼ばれる腕は、時にはイル・ファンにまで届いてきた。

 

故にいつものように、診察待ちの患者が外にまで溢れている。お年寄りの人はベンチに、比較的元気そうな人は立って待っている。

 

「ジュード、ここが?」

 

周囲の建物よりひときわ大きく、また特徴的な形式で建てられている建物を見ながら、ミラの言葉にそうだと答える。左奥に見える、レイアの家。この町唯一の宿となったあそこに行って師匠に

 

そう、ここがディラック・マティスと、母さん、エリン・マティスが経営する治療院だ。ちょうど昼になった頃だからか、昼休みに入るらしい。待っている人は順番待ちの札を持たされ、それぞれが家に帰っていく。

 

そして入り口にいた僕を見ると、驚いたのか目を丸く見開いていた。全身にある包帯に驚いたのか、はたまた別の理由か。でも今はどちらでも良いと、視線を無視して治療院に入る。今から昼休みだろうけど、こっちは急患だ。そして急患であれば何においても対応してくれることを、僕は知っている。だから家から出てくる人の間を抜け、家のドアを開けた。

 

懐かしい、木の扉の軋む音と共に扉が開いていく。

 

最初に見えたのは、母さんの姿だった。

 

「ああ、すみません今から昼の――――っ!?」

 

僕の顔を見るなり硬直する。だけど次の瞬間には我に返ると、ざざっと駆け寄ってきた。

そして上から下から、僕の姿を見る母さんに告げた。

 

「ただいま、母さん」

 

「た、ただいまじゃないでしょ!? どうしたのその怪我は!」

 

酷く不安げな表情で、おろおろとしている。瀕死の急患でも見なかった、珍しい様子だった。

だけど、心配はないと答える。

 

「大丈夫だって。ちょっと派手に転んだだけだから」

 

「転んだ、って………」

 

じっとこちらを見て、数秒で表情が変わった。恐らくは、僕の傷の性質に気づいたのだ。数秒で見ぬくあたりが、流石の熟練の医師の業である。ちらりとお客さんを見ながら、すみませんと帰宅を促していた。母さんは、受付に居るおねーちゃんまで少し昼でも食べにいってちょうだいね、と謝りながらも外に出てもらっていた。

 

「ジュード――――説明しなさい。尋常な事で出来た傷じゃないのは、分かってるわよ」

 

母さんは特に、痛そうにしている腕を見ていった。それは一度だけ、あの岩の巨人の一撃を避けきれずに防御した時の傷だ。服をめくって実際に見せると、絶句していた。

 

だけど、心配ないと笑ってごまかす。

 

「心配ないって、貴方………!」

 

「大丈夫だって。ああ、僕は"大丈夫"だって、母さんも知ってるでしょ?」

 

すこし皮肉をこめて、言ってやる。すると母さんは泣きそうな顔をして、一端黙り込んだ。その顔を見ると、胸の奥が軋んだ。ああ、こんな事を言うつもりじゃなかったのに。後悔に、息がつまる。それでも必死で診察を続ける母さんを見ながら、じっとし続けた。

 

しばらくすると、母さんはレイアの方を見て言った。

 

「レイアちゃん………ごめん、お願いするわ」

 

「は、はい。でも………」

 

どこか、気まずいような表情。何故だろうかと、その理由は次の瞬間分かった。

レイアは、そして母さんは僕の身体にそっと触れて、しばらくして告げた。

 

「「活力満ちよ………"ファーストエイド"!」」

 

治癒のマナが身体をめぐる。身体の各所から、脳に訴えていた痛みが徐々に緩んでいく。

だけど完全には治せないようで、しばらくして二人はそっと僕から手を離した。

 

「応急処置は………できたわ。でもジュード、貴方どうしてこんな傷を」

 

刃傷のことを言っているのだろう。そして、身体中のマナのラインが傷んでいるのにも気づいているようだ。僕はミラをちらりと見ながら、はぐらかすように説明した。大勢の山賊が現れたこと。不届き者が、ミラともう一人の少女を誘拐していったこと。苦戦するも、何とか勝利を収めたこと。それでもゴーレムの傷には納得がいっていなかったようで、母さんはこちらを心配そうな顔で見つめてきた。

 

それでも、振り切って問う。実際に――――もう、結構、限界だった。

 

レイアが治癒術を覚えていること、半ば覚悟はしていた。精霊術に関しても優秀で、マナの使い方も母親譲りの才能を持っているレイアだ、覚えないはずがなかったから。治癒術の素養があるとも言われていた、そしてそんな便利な技術を武術家の娘でもあるレイアが習得しないわけがなかった。

 

それでも、想像と実際に目の当たりにするのとではあまりに違う。違いすぎたと言ってもいい。胸の奥を叩く痛みに、頭痛に、そしてまだ物理的に痛む全身に。色々と磨り減っているのだからもう勘弁してもらいたい。痛みには慣れているけど、それでも痛いのはそれだけで疲れるのだ。

 

だから、帰ってきた理由を告げようとしたその時だった。

右手にある大きな扉が開き、中から人が出てきた。

 

「エリン、用意が出来た……………ジュード?」

 

「………ただいま、とうさん」

 

目を逸らしたまま、棒読みで告げる。そんな僕の態度に何を思ったのかは知らないけど、僕と、そして隣にいるミラと交互に視線を向けていた。やがて、顔を顰めるとこちらを見てきた。

 

だけど何事かをいう前に、用意していた紙を懐から出した。そして、ここにミラの容態が書いてある事を告げた。だけど紙には書ききれなかった要因と、解決するのに必要な情報について全てまとめていると説明をした。

 

足の怪我もさることながら、合併症による免疫力低下があったこと。それは栄養価の高い高価な食べ物とアップルグミで補ったけど、今後も十分に注意する必要があること。足が動かない原因の推測も加えた。治療術により神経は繋がったけど、マナの繋がりが途切れてしまっているせいで足が動かなくなっている可能性が高いと。

 

「話は分かった。しかし、まさかお前はあれを使えというつもりか」

 

「それ以外に方法があるなら、そっちを選ぶけどね」

 

一度だけ見たことがある。

同じような症状で、足が動かなくなった人に施した処置を、僕は覚えている。

 

「………エリン、患者を頼む。ジュードはこちらへ来なさい」

 

話があるのだろう。ミラは僕の方を見るが、大丈夫だと視線を返すと頷き、母さんにつれられて奥の方へ去っていった。僕は言われるがまま、父さんの診察室に入る。何故かレイアもついてきたが、今は気にしている余裕もなかった。

 

そして、診察室の中央。椅子に座る父さんは、僕の書いたカルテを読みながら不足していた情報を埋めようと、質問をしてきた。彼女には、体の状態を告知したのか。怪我の要因をもっと詳しく。他に気づいた点はないのか、など。

 

僕は淡々とそれに答えて、最後にこういった。

どうしても、これだけは確認しておかなくてはいけない。

 

「父さんなら、治せるんでしょ?」

 

「………完全には不可能だ。だが、歩けるようになるという意味で治すことは可能かもしれん。方法はある。だが、それ以外の問題点が多すぎる」

 

だから、施術はできん。予想外の言葉に、僕は驚かざるをえなかった。方法はあるのに不可能だと、何故やる前からそう言い切れるのか。問い詰めると、父さんは苛ついたように答えた。

 

「あれは………医療ジンテクスは、お前が思うほど生易しい施術じゃないんだ」

 

そう言うと、問題点をつらつらと上げてきた。その医療ジンテクスとやらは医療用の装置ではあるが、神経に直接繋ぐため、患者は想像を絶する激痛に耐えなければいけないこと。常人にはまず耐えられないほどらしい。そして材料として特殊な石が必要になるが、そのためには鉱山の奥にまで潜らなければいけないこと。

 

だけど、僕は反論した。本当にあれ以外に方法はないということ。そしてミラならばきっと耐えてみせるだろうということ。

 

――――そして。

 

「石が何だか知らないけど、あそこなら僕が行ける、取ってこれるさ! ガキだった"あの時"に行けたんだ、今の僕がいけない道理なんかない!」

 

「っ、ジュード!」

 

そこからは言い合いだった。ミラならば大丈夫だと言い張る僕に、あくまで一般的な観点から駄目だと主張する父さん。やがて、最後にこういった。

 

「駄目だ………諦めなさい」

 

それが限界だった。張っていた何かが切れる音が聞こえ、同時に僕は叫んでいた。

諦めなさいって、巫山戯るなと。

 

「諦めろと――――よりによって父さんが、僕にそれを言うのか!!」

 

床を力いっぱい踏みつけながら怒鳴る。それを聞きつけたのか、母さんが駆けつけてきた。部屋でおろおろしていたレイアと一緒に、僕と父さんを落ち着かせようと言葉をかけてくる。だけど、僕はそんなものを聞いてやるつもりはなかった。そして、父さんは言った。

 

「っ、ハウス教授ならば知っているかもしれん。悪い事は言わん、相談して――――」

 

「ハウス教授は、死んだよ!」

 

最後には、消えて果てて死体さえも残らなかった。そう告げると、3人はぎょっとなって僕を見た。

そこで僕は、失言に気づいた。しまった、今のは言うべきではなかった。

 

「………死んだ、だと? あのハウス教授がか!?」

 

父さんは心底驚いた様子で、問い詰めてくる。母さんは、その時の状況を。レイアの顔は、見えなかった。だけど、真実は一つだ。

 

「ああ、教授は死んだ。僕の目の前で、殺された」

 

そして、これ以上言うつもりはないと口を閉ざした。父さんも母さんも、僕の雰囲気から何かを感じ取ったのかそれ以上は追求してこない。無言のまま、時間が過ぎていく。

 

そんな重々しい沈黙を破ったのは、治療院の入り口の扉の音だった。

 

先生、と呼ぶ声。あれは近所の誰かだったろうか。祖父が屋根の修理中に落ちてしまい、全身を強打。意識がない状態になっているらしい。

 

「………いつもの急患だろ。行きなよ」

 

告げるなり、僕は診察室から外へ。ミラがいる方向へと歩いて行く。残る3人のうち、母さんは急患の元に行った。最後までこちらを気にしていた様子だったけど、医療具が入ったカバンを片手に外へと出て行った。

 

父さんは、追ってこない。そしてレイアは、僕の方を追ってきた。

 

「………ジュード」

 

「答えるつもりはない。僕も、思い出したくないことだから」

 

あの糞な馬鹿王は殴った。だけど、それだけだ。ハウス教授が戻ってくるわけでもない。残された人の思いはどこにいくというのか。それを考えてしまうと、イル・ファンに居るハウス教授の妻子になんと言えばいいのか分からなくなってしまう。

 

だから、今も。レイアに振り向けないまま、じっと立ち止まるしかできない。

 

「………泣いてるの?」

 

「………まさか」

 

レイアの前でなんて、泣いてやらない。だって先生に言いふらされるだろうから。

そう言うと、レイアはふっと笑った。馬鹿らしくない、悲しそうな顔で。

 

「まだ、何だね。まだ、ジュードは………」

 

そこで、レイアは言葉を切った。黙りこんだまま、じっと僕の背中を見ているようだ。そのまま何十秒が過ぎただろうか。いい加減に怒っている場合じゃないとレイアの方に、父さんの診察室がある方に振り返った時だ。

 

ぐわんと、視界が揺れた。そのまま、世界が急速に色を失っていく。あ、れ、と声を出すこともできないまま、自分の体が前に傾いていくのを感じる。そのまま顔面から倒れるコースかぁ、と思ってはいたけど違った。柔らかいようで硬い感触の何かに受け止められたようだ。

 

「ちょ、ちょっとジュード!?」

 

「あー………わるい、も、限界」

 

 

何かに抱きしめられる感触を最後に、視界は闇に閉ざされていった。

 

 

―――――気絶する瞬間、背後から扉が開いたような音が聞こえた。

 

 

 

 



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36話 : 優先すべきは

 

 

明けて翌日。目が覚めると、状況は一変していた。

 

「………あの父さんが許したってのか?」

 

「うん。なんか、あの女の人が………ミラさんが、説得したみたい」

 

レイアの言葉に、驚きを隠せなかった。諦めろとさんざん繰り返していた、医療ジンテクスを使うこと。それを、許したというのだった。聞けば、ミラが何事か父さんと話していたらしい。

 

どういう内容だったのか、たずねてみたけどレイアは首を横に振るだけだった。

 

「知らない。とても私が割り込める空気じゃなかったし………ねえ、ジュード。ミラさんって、どういう人なの?」

 

説得する直前、その時の迫力が並ではなかったらしい。

たまに町に来る傭兵なんか、比べものにならないぐらいの威圧感を放っていたとか。

 

「どういう人って………まあ、結構な考えなしっていうか? あと、戦う人であるとだけは」

 

猪突猛進なところは、誰かさんに似てる。あとは自分で聞け、とレイアに言う。僕だって付き合いは短いんだ、彼女が何であるか、それを語れるぐらいの事を知っているわけではない。

 

しかし、妙だと言える。確かに、彼女とは短い付き合いだけど、無闇矢鱈にそういったことをする性格じゃないのはわかっていた。あるいは、自分の怪我の事だからか。使命にそれこそ命を賭しているからして、説得する言葉も僕なんかじゃ比較にならないぐらいの力があったのかもしれない。

 

と、そんな事を話していると本人がやって来た。ドアの向こうから見える車椅子の姿が痛々しい。

だけど僕が起きているのを見ると、少し急いだ様子で部屋に入ってきた。

 

「ジュード、無事か。倒れたと聞いて心配していたんだぞ」

 

「………まあ。処置も良かったみたいだし」

 

これは恐らく父さんの処置だろう。薬草を混じえた治療は父さんの得意とする所。そして母さんの医療術も、この町じゃ一二を争うほどだ。完全回復には程遠いが、それでも戦えるぐらいには回復していた。ディラック・マティスとエリン・マティスの医師としての腕は、本当に流石だ――――という言葉しか出てこないのが複雑だった。

 

「ジュード」

 

レイアの呼びかけに、はっとなる。そうして戸惑うような表情を見せるミラに何でもないと言いながら、話題を移した。ここに返ってきた本来の目的、それを果たす医療ジンテクスという施術についてだ。父さんはミラの説得により、そのなんちゃらを使用するのを許したらしいが、それがどんなものなのか僕は知らない。

 

だがミラは詳細までは聞いていないらしい。なら気は進まないけど聞きに行くしかないか、と立ち上がろうとした所をレイアに止められた。

 

「駄目だよジュード。怪我もまだ完治していないんだから、安静にしておかなきゃ………ジュードが気絶する程の怪我だったんでしょ?」

 

心配そうな、レイアの声。だけど、僕は大丈夫だ、丈夫なのは知っているだろう。昨日と同じような言葉で説得すると、レイアは複雑そうな表情で黙り込んだ。いつぞやの事を思い出しているのだろう。この胸につけられた傷のこと、その一連の事件のことを。問いただしたことはなかったが、レイアは僕が怪我をした事と経緯のいくらかは知っていると思われる。この反応がいい証拠だ。だけど、レイアはそれでも折れないつもりらしかった。何でもないとの僕の言い分に、ともかく今日一日は安静に、と食い下がってくる。

 

――――でも、譲れないものがある。

 

「駄目だ。ミラの治療は早い方がいいんだ。医療ジンテクスが何だか知らないけど、治す方法は一つ、体と足とのマナの通り道を繋げることマナとの経路が断続される時間が長ければ長いほど、繋がった後の足の動きは鈍くなる」

 

これから国とドンパチ賑やかにやらかそうってな時に、その弱点を抱えるのは痛すぎるどころの話じゃない。声にはしなかったが視線だけで訴えると、レイアがたじろいだ。この幼馴染は宿屋の娘であり、戦いを生業にしたことはない。だが、あの師匠の武術を学んだ人間であるのだ。足が鈍るということの意味を熟知している。そして先ほど僕は、ミラが戦う人だと告げている。押しきれば反対はしきれないだろう。

 

だからミラからも言ってやってくれ――――と口を開こうとしたが、出来なかった。

 

ただ、じっと。ミラは僕を見つめていた。その視線に浮かんでいる感情は何なのか、察することは出来ないけれど、嫌なものは感じなかった。同情でもなく、睨むのでもなく。観察するような視線に居心地の悪さを感じていると、ミラは視線を逸らした。

 

そしてすまない、と。言って、レイアに向き直り、頼むといいながら頭を下げた。

 

レイアは、また何事かを言おうとしたが、口を閉じた。ため息をついて、横目でこちらを見てくる。

 

「………ジュードが、人助けに、こんなに一生懸命になるなんてね」

 

「どういう意味だ」

 

かちん、と来た。失敬な。僕はいつだって優しい男だろうが。

 

時にドジな幼馴染のやらかした料理のフォローに追われ。

 

時におてんばな幼馴染がぶっ倒したならず者の傭兵の仲間と戦って。

 

レイアのフォローと書いて日常業務と読めるほどに頑張ったというのにこのまな板が。

 

「ふーん。やっぱり、胸が大きい方が好きなんだ」

 

「それが、数少ない僕の正義だ」

 

「スケールでかっ!」

 

「なのにレイアの胸のスケールはなぁ………………いや、いい。これ以上は残酷になってしま」

 

最後の言葉は神速のアイアンクローで握りつぶされた。いや、ま、ちょ、待って下さいレイアさん。地味に痛すぎる。安静にして、早く怪我を治すべきだと言ったのはお前じゃなかったのか。問うが、レイアは笑顔のまま僕の蟀谷を放してくれなかった。

 

それはそれ、これはこれらしい。そして流れるようにヘッドロックをしかけてきた。

相も変わらず凶暴過ぎる。だけど何だ、後頭部にわずかに感じるこの柔らかい感触は………うむ。

 

「って痛っ!?」

 

右の二の腕に痛みが。そして僕の声に驚いたのか、レイアがぱっと腕を放した。しかし、原因はレイアではない。ヘッドロックの痛みではなく、何だか抓られたような痛みだった。当然ながら僕ではなく、レイアでもなければ答えは一つだけだった。

 

「あの、ミラさん?」

 

「なんだ、ジュード」

 

いや、なんだじゃなくて、とは言えなかった。

言わしてくれない何かを、目の前の人物から感じていたからだ。

 

「ふふ。久しぶりに会えた幼馴染とのスキンシップだろう。私も、野暮なことはしたくないぞ」

 

言いながらも、ミラは笑顔だけど怖かった。というか、野暮って何のことでせうか。

 

「隠さなくていぞ。ああ、昨日のことだ。いくら人通りがなかったとはいえ、自宅の廊下で抱き合うとは随分と大胆だな」

 

「………は?」

 

そんな事があっただろうかと、ちょっと考える。そして思い当たるふしに、ああと頷いた。きっと倒れた時のことを言っているのだろう。気絶する直前に誰かが見ているのを感じたが、あれはミラだったわけだ。というか、違う。あまりにあまりな勘違いすぎますぜ、と。

 

僕は拳をふるって熱弁すると、ミラはようやく納得してくれた。

 

「そ、そういえばそうだったな」

 

「そうだよ」

 

何でそんな勘違いをしたのか分からないけど。あとレイアさん、手をわきわきさせるのは止めて下さい。ともあれ、今は医療ジンテクスのことである。怒っているレイアに何とか頼みこんで、レポートを持ってきてもらった。装置も一緒だ。僕はそれを読みながらどういったものかを理解していくことにした。だけど理論というか装置の概要が複雑過ぎて、一朝一夕では完全に理解できそうにない。

 

「というか………見たことがない類の施術だな。学校でも、こんなの聞いたことない」

 

従来の施術とはかけ離れている。治療には特殊な石が必要だと書かれているが、これが原因だろうか。レイアにたずねるが、あまりよく知らないらしい。

 

だが、意外なことにミラは知っていた。

 

「君の父親は、治療には精霊の化石が必要だと言っていた。採掘してすぐに使わなければマナを失うともな」

 

「………それが原因、か?」

 

何かひっかかるものを感じたが、今は治すことだけを考えよう。採掘してすぐに使わなければならないとするなら、確かに普及させられるような方法じゃない。学校にも知られていないのは、これが原因なのかもしれない。だけど、入手できる目処は立っている。

 

装置に関しても、以前父さんが作ったものが手元にある。今から鉱山の奥に行って使えば、それで施術は完了する。しかし、そこでレイアから別の問題点があると言われた。

 

「副作用が………その、ね? 治療を受けた患者さん、8秒で歩くことを諦めたんだって」

 

「たったの、8秒。それほどの激痛だってことか」

 

ミラには耐えられるだろうか。視線を向けてみるが、決意には揺るぎがないようだ。問わなくても分かる。どうしたって治す必要があればそれを選択するしかないし、諦めるなんて端から考えてもいないと目が語っていたから。色々な意味であの頑固な石頭から許可が取れたものだと思ったが、使命への執着心はミラも負けてなく、それが説得の鍵だったのかもしれない。

 

それでも気になる僕は、ミラにあの石頭をどう説得したのかたずねる。

だが、少し困った顔をするだけで、一言だけ答えてくれた。

 

「それは、言えないな。約束もある」

 

「約束、って誰との?」

 

「それはちょっとな。その、なんだ………いい女には秘密があるというだろう?」

 

「――――ああ、納得」

 

「ん~ジュードくん? 何でそこで私を見るのかな?」

 

レイアからの気味の悪い敬語攻勢かつ、視線の刺突を受け流しながら、どの鉱山にあるのかを聞いた。昨日は取り乱していたせいか、覚えが薄かったので改めて聞いてみた。

 

「その、あそこだって。フェルガナ鉱山の最奥の」

 

聞いた途端、鼓動のペースが3割ほど上がったように感じた。あそこか、と声ならない声で呟く。しかし、よりにもよってとも言うべきだろうか。今ここであそこが出てくるとは、因縁の場所であるという以外にない。何とか気を落ち着かせ、色々と考え込んだ。

 

道中の危険や、その他について。そして浮かび上がってきた問題は、あの場所に潜む危機だった。あの奇妙な穴だらけの広場のこと。あそこには、確かにそのような石があったように思う。そこに巨大な蛇のような化け物が出ることを、忘れたことはない。だけど、修練を積んだ僕ならばどうにでもできる相手だ。拳と全身の感触を今一度確かめながら、よし、と頷く。

 

「ミラ。鉱山に一緒に来てもらうことになるけど――――ま、愚問だったね」

 

大丈夫か、とは問わせないと言いたげに、頷くミラ。それを見た僕も、決意を固めた。

恐怖に退くような彼女がいるなら、僕はついていくのみだ。そうして守り切るのが。

 

そんな事を考えていたのだが、聞いていたレイアがいきなり椅子から立ち上がった。

 

「わ、私も行く!」

 

「は?」

 

「じゃ、準備あるから! 車椅子はあれ使って! あ、街道の出口で待ち合わせね!」

 

それだけを告げ、嵐は去っていった。残された僕達はちょっと呆然としていたが、すぐに気を取り直す。いいのか、とミラが言ってきたけど、あの状態のレイアを説得するのは至難の業だ。不可能とは言わないけど、時間が掛かり過ぎる。

 

それにレイアは、強い。純粋な才能でいえば僕よりも上であるし、今まで武術の修行も怠ってなかったみたいだ。少なくとも今の状態の僕よりかは、強いと思う。そう説明すると、ミラは驚いていた。

 

「普通の町娘に見えたのだが、それほどか」

 

「まあ、あれで師匠の後継だから」

 

心配はいらないと告げて、僕の方も用意を済ませて外に出る。目的地は、もちろん鉱山だ。だけど、待ち合わせの街道出口に行く前に、立ち寄っておかなければならない。少しレイアから聞いたのだが、師匠が僕の見舞いに来てくれていたらしい。そうでなくても、是非にでも会いたい。通りの向こうに、手早く準備を済ませたのであろうレイアの姿が見えるが、スルーして左折。

 

この町唯一の宿屋の入り口へ――――行こうとするが、走ってきたのであろうレイアの姿が後ろにあった。息切れもしていないのは流石といった所か。だけどまあ、レイアなので流して、宿の扉を開ける。すると、まるで分かっていたような師匠の姿がそこにあった。

 

「ソニア師匠!」

 

「お、目が覚めたのかいジュード!」

 

「はい!」

 

駆け寄って、180°の会釈。そのまま静止していると、ため息の声が聞こえた。困った時にするそれだ。その後、頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。懐かしい感触に、思わず頬が緩んでしまう。

 

「まるで犬だな………いやブウサギか?」

 

「私はブウサギを見たことないけど、きっとあってると思うよ」

 

外野が煩いけど、今は後だ。まずは再会の挨拶を。次に、今までにあったことを簡単に説明する。勿論、研究所潜入の後に兵士一掃や、不落要塞に突撃の後に国王の顔にワンパン、などといった聞かれてまずい部分はぼかして。そして本題は後だ。

 

―――ミラの社の前で出会った強敵。それを対処する術を知りたいと告げると、師匠は難しい顔をしていた。

 

「今のアンタをそこまで怯えさせる敵、ねえ。俄には信じがたいんだけど………化け物?」

 

「そう思います」

 

思い返しても異常だった。要塞で戦った髭王も強かったが、それでも何とか届くと思わせるレベルだ。だが、社の森で遭遇したあいつは、それより上なのは間違いない。加えていえば、四大を従えたミラよりも威圧感は上かもしれないというのだから。

 

敵意があるかどうかはまだ分からないが、もしそうであれば対策は練っておくべきだろう。無策であれと殺し合いとか、考えたくないのだ。何としてでも、倒す方法を用意しておかなければならない。直に修行をつけてもらえば、その突破口を何か思いつくかもしれないし。

 

そう告げると、師匠はまた困った顔をしてため息をついた。そして、僕の頭を撫でるように叩いた。

 

「事情は聞いているさね。ま、先に用事を済ませておいで………気をつけてね」

 

ミラをちらりと見ながら、女の子を守るんだよ、と。それに、間髪入れずに頷き、はいと返す。

旅だった時、いやそれより前から変わらず、優しい人だった。

 

ミラのことで優先事項があるのも、知っているようだった。レイアが話したのかもしれない。

あの鉱山のことを師匠も知っているだろうに、それでも気をつけてとの一言で送ってくれるなんて。

 

あと、ウォーロックさんにも挨拶しておきたかったが、今は仕込みで忙しいらしい。邪魔してはならないと思い、明日か明後日ぐらいににまた来ますと告げて、きびすを返す。ミラの車椅子を押して、レイアが入り口の扉を開ける。レイアが行ってきますといって、ソニア師匠が行ってらっしゃいという。

 

――――相変わらず、酷く羨ましい光景だった。あるいは、いつかに夢見た。そんな感傷的になりつつも、外へと出ようとした時、僕にも師匠の呼びかけがあった。

 

「行ってきますと………エリンに、挨拶はしてきたのかい」

 

その声に、立ち止まって。

 

 

「いいえ。母さんは、起きた時にはもういませんでしたから」

 

 

僕は、決して向き直らないまま。きっと診察にでも行っているでしょうねと、それだけを告げて、宿屋から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、行こうか。レイアは前でいい?」

 

「もちろん! あ、でも私も女の子だし、ちょっとは男の子に守って欲しいかなー、なんて………」

 

「師匠は、レイアを見なかった。ミラだけを見た。オーケー?」

 

「………オーケー」

 

リリアルオーブの確認をしながらの作戦会議に、何故かしょんぼりとするレイア。

そんな様子を見かねたのか、ミラがレイアの持っている得物に対して質問した。

 

「レイアは、根を武器としているのだな」

 

「あ、うん。正確に言えば棍術を基本とした格闘術だけど」

 

相談している間にも、魔物が近寄ってきた。それを当然のごとく察知していたレイアが、迎撃に向かう。まずは、遠間からの根の先端による突撃。そして踏み込んだ足を軸に、駒のように回転しながら、怯んだ相手の横っ面に遠心力を乗せた根の一撃を叩き込み、

 

「三散華っ!」

 

更に身体を回転させながら、根と蹴りの連撃で相手を吹き飛ばした。根に篭められたマナの光の軌跡が見えるほどに強い一撃だ。十分すぎたらしく、吹き飛ばされた魔物は動かなくなった。

 

僕はといえば、基本的にはミラを守りながらの魔神拳での牽制を。

周囲に魔物がいない場合は、一時的に前に出てレイアとの連携の一撃を叩きこんでいく。

 

そしてリリアルオーブの余剰マナが貯まったことを確認すると、タフそうな大型の魔物を見ながら、リンク越しに呼びかける。

 

(レイア!)

 

(うん! いっくよ、せーのっ!)

 

マナが輝き、

 

「「六散華っ!!」」

 

鼻っ柱に叩きこんで勢いを止めてのレイアの根の追撃に怯んだ相手を蹴りあげて根の打ち上げに便乗した僕の上段蹴りを受けて宙に浮いた相手が。

 

最後は、跳躍したレイアの上からの根の一撃をまともに受けて、地面に叩きつけられた。そのまま、魔物は動かなくなった。今までの街道の雑魚に比べれば強い部類に入る相手だったが、怒涛の連撃には耐えられなかったようだ。倒したのを確認すると、レイアとハイタッチをかわす。

 

「ジュード、すっごい腕上げたね! 立ち回りの鋭さが段違いだよ」

 

「レイアも腕は鈍っていない………というか、相変わらず凶悪な棍術だな」

 

まだ少しマナが残るレイアの根を見ながら呟く。レイアの使うそれは、武具の周囲に固形のマナを展開し、間合いを伸ばすと同時に一撃の威力を上げる武法、“活伸棍術”。

 

マナのコストパフォーマンスが抜群であり、戦闘の重要項目である間合いをもコントロールできるそれは、便利にも程がある性能を持っている。ただ、才能が無ければ使えず、また才能があるだけでは使いこなせないと言われている。だけどレイアは、それをほぼ自分のものにしていた。

 

実戦で鍛えた僕の近接格闘護衛術と、レイアの活伸棍術。お互いに同じ流派で動きも把握しているからだろう、連携も滞りなく上手く回っている。そんな僕達にとって、道中の敵は最早敵ではなくなっていた。

 

順調に進んで、夕方。日が落ちる前に安全な場所を確保すると、今日はここで休むことにした。

 

用意しておいた食材をペロリと平らげたミラに、レイアはちょっと引いていたようだったけど。

 

「あー、でも美味しー。ジュード、こっちの腕も上げたんだね」

 

「そりゃまあ。こうやって美味しく食べてくれる美女もいるんだし」

 

正直に答えるが、レイアの顔が少し膨れた。なんだ、餅でも食べたいのかとたずねると、また更にほっぺたが膨れた。

 

「あーもー! あいっかわらずだねジュードは!」

 

「ふむ。ジュードは昔からこうなのか」

 

レイアの呟きに、ミラが反応した。するとレイアは、イル・ファンで見た衛士のように。

上司の愚痴を垂れ流す可哀想な門番さんのように、つらつらを僕の過去を語っていた。

 

「ほう、ではジュードは昔からスケベだったと」

 

「そうそう! ちょーっと綺麗な旅人がいれば、じーっと見つめてさ」

 

心外な。美しいものに見とれるのが男だろうが。そう言うが、何故かミラまでジト目になってこっちを見てきた。

 

「ほう。それにしては節操がないように思えるが。特に、エリーゼの胸を触った時はな」

 

「あれは事故だって!」

 

流石に、エリーゼはまだまだ。将来はさぞかし美人になるだろうけど。だけど、レイアは納得していなかったようだ。イル・ファンでの僕の生活までも聞き出してきた。別に嘘をつくようなやましいことをしてない僕は、素直に説明をした。

 

まず、無い乳な銀髪赤服の目つき悪いチビとバイオレンスな日々を過ごし。医療学校では、唯一僕を色目で見なかった看護師のプランさんの白衣を堪能して。教授の娘さんとは一度だけだけど、買い物に連れて行かれたこともあった。門番さんの美人妻とその娘と、美味しい料理屋について話して。旅先では、大人な雰囲気がたまらない眼鏡美人のカーラさんと歴史を語り合い。同じ町で、泣きぼくろがセクシーなイスラさんと、薬学について相談し。ミラも知っての通り、将来美人になりそうな可愛いエリーゼと親友となったことも。スタイルすげえお嬢様なドロッセルさんの手がやーらかかった事を熱弁する。

 

そうして話し終わった時、二人の目は何故か光っていた。

 

「ジュード………男友達は?」

 

「えっと………イバル、くらいかも」

 

悪友的な。ってあれ、僕ってもしかして友達少ねえかも。

 

「アルヴィンは、違うのか」

 

「あー………まあ、違うね。あ、クレインさんと、ローエンは………どっちかっていうと、同志になるのかな」

 

あとは、店長や門番さんはちょっとした知り合いって程度か。それ以外の男友達は特にいない。イバルに関しても、ミラの怪我が知られればどうなるか。守れなかった責任はあるのだ、足の怪我を知ればあいつならば斬りかかって来かねない。

 

何にせよ、男友達は少ないけど、将来含めて美人の知り合いは多い。そう告げると、レイアとミラは呆れた顔になった。

 

「ふむ、筋金入りだな。レイア、ジュードは昔からこうなのか? その、男友達がいないというか」

 

「えっと、うん」

 

ちょっと落ち込んだような、レイアの声。こいつは昔のことを知ってるからな。

そうペラペラと話すような、口の軽い性格でもないし。

 

「少ないね。ゼロだったというか………ねえジュード、鉱山ほんとに大丈夫なの?」

 

「まあ、昔のことだからな」

 

と言えるほどに、割り切れるような話ではないことは、自分が一番よく知っていた。時折、目眩と共に思いだすこともあるのだ。吹っ切れたとは言いがたく、受け止めたとも言い切れない。

 

だけど、約束のためならば何とかなる。リリアルオーブのリンク越しにそう告げると、レイアは少し躊躇ったあと、うんとだけ返してきた。

 

「それより、レイアも腕上げたよな」

 

「そう、だな。後ろから見ているだけだったが、舞うように流れながら繰り出す連撃は、本当に見事だった」

 

「ま、まあね~」

 

照れながら、レイア。それに関しては同意させてもらう。体重差をものともしない、遠心力を活かした根や足での連撃は鮮やかだった。動作が整っているのが分かる。傍目から見て動きが綺麗に思えるのが証拠だ。慣れていないものであれば動きは不恰好に見え、それはすなわち力が分散しすぎていることを意味する。

 

その点、レイアの動きは舞を見ているかのようで、綺麗だった。正直に言うと、レイアが顔を赤くして手を横に振った。照れているが、謙遜することもないだろうに。それにしても、ここまで早くこれるとは思わなかった。連携も、あれだけ回るとは思っていなかったし。そう言うと、レイアは嬉しそうに笑い顔をこっちに向けて。

 

「うん、私達って息ぴったりだよね!」

 

「うん、リンクの力って偉大だよな」

 

リリアルオーブさんには足を向けて寝られないってなもんだ。基本能力の強化もあるが、何よりコンビネーションの確度があがるし、リンクアーツも威力が高くなる。六散華がいい証拠だ。オーブの偉大さを列挙しながらうんうんと頷く。だが何やら不満があるのか、レイアは口を尖らせていた。

 

「オーブもそうだけど、その………お、幼馴染の力だよきっと」

 

「まあ、同流派だしな」

 

師匠の武術は、リンクを前提とした連携も考え、練られている証拠ともいえる。

やっぱり師匠って偉大だよな、というがレイアは更に口を尖らせていた。

 

「まったく、相変わらずジュードってばお母さんが好きすぎるんだから………」

 

「ん、何か言ったか?」

 

「何でもない! あーもう、おかわり!」

 

 

怒ったようにそっぽを向きながらも、容器を出してくるレイア。

 

 

それを装いながら、僕は何故怒ったのか分からず、途方にくれるばかりだった。

 

 

 



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37話 : 癒えない傷と

 

 

夜が明けて朝日が登って。そして鉱道の中に入って、間もなくだった。

 

「そうか、幼いころに一緒に護身術をな」

 

「僕は男だから、レイアはリハビリがてらにね。これでも僕の方が先に習ってたんだけど………師匠譲りの才能のせいですぐに並ばれた」

 

「あ、はは。でも今のジュードに勝つのはちょっと無理かもねー。まったく、イル・ファンでどれだけ無茶したんだか」

 

「大丈夫。それに無茶と男の傷は勲章になるってソニア師匠が言ってた」

 

ならばそれは真理だろう。胸を張って告げると、レイアには呆れたようにため息をつかれ、ミラには複雑な表情を返された。え、なんでだろう。そんな風に迷っている内に、入り口の半ばまで来た。

 

「えーっと、ジュード? 私は詳細を聞いてないからわからないんだけど、精霊の化石ってどんな形してるの」

 

「えーっと、色がついてて音がする奴らしい。純度の高いのは奥の方にあるから、探すのは進んでからにした方が良い」

 

道端にあるあれこれを探しているのも時間の無駄だ。小さいサイズのやつなら、いくつ集めても無駄らしいし。

 

「しかし………この鉱山は妙だな。何か、作業途中で打ち捨てられているように見えるが」

 

確かに、採掘に使う道具とかはそこいらに転がされていた。こういった物も、ちょっとした資源である。回収もされていないのには理由があるのだろうが。

 

「………まあ、色々とね。それよりも進もうよ」

 

レイアは知っているようだが、はぐらかしたままで腕をブンブンと振って進もうと主張する。隠し事をしているのが見え見えだ。でも、ああ、思うことは一つ。

 

「………揺れない乳の悲しさよ」

 

「えっと、ジュード?」

 

「分かった、謝りますから。だから落ち着いてまずはそのツルハシを下に置け、下さい」

 

変な言葉になってしまう。それで殴られるのは流石に嫌だ、というか普通に死にかねん。全く、冗談だってのに。説得したレイアだけど、どうしてか乗り気のようだ。そういえば昔から好奇心旺盛だったような気がする。それでももうちょっと落ち着いて欲しい。

 

でないと、また尻拭いをする羽目になるのだから。でも、言っても無駄らしい。あまつさえは、どっちが早く見つけられるが勝負だよ、とか言っている。

 

「はあ………いいけど、周囲の警戒も怠るなよ。暗いし、レイアは一つの事に熱中すると、すぐ周りが見えなくなるから」

 

「で、私が怪我したらお母さんが心配するからーってね。分かってるよもう。でもミラの怪我、治すには早い方がいいでしょ?」

 

「そりゃそうだけど」

 

反論する理由もないので、頷く。レイアはおっちょこちょいなドジ娘だけど、なんだかんだ言って誰かに優しくできるし、根は良い奴なのである。今も、ミラの方を心配してよ、と言っているし。

 

でも、ここの危険度は相当だ。足を怪我しているミラは言わずもがな、レイアも昔の病気の事がある。子供の頃はすぐにヘバッていたし。あの頃も、持続力と集中力だけは僕の方が優っていた。本当なら、こうした事に慣れている僕一人だけで探索する方が無難なんだけど。

 

試しにと提案してみたが、二人は口を揃えて駄目だと言われた

 

「それを言うならジュードも危ないだろう。昨夜も言ったはずだ。その怪我、すぐに治るような軽いものとは思えない」

 

「ミラの言うとおりだよ。それに…………本当に、この場所で。ひとりぼっちで探索できると思ってるの?」

 

レイアの言葉の矢がグサリと胸に突き刺さった。

 

――――あの日のことを言っているのだろう。

 

僕は反論しようとしたが、言葉が出てこなかった。確かに、ここに来ると否が応でも子供の頃の事を思い出してしまう。同時に、力が抜けるような感覚が。全く、これだからやりにくいんだ。

 

「………分かったよ。ったく、余計なことばっか覚えてるんだな」

 

「へっへーん、それが幼馴染の特権だよ!」

 

渋々と納得すると、レイアは明るい声で笑っていた。こうなっては勝ち目はない。僕の意見など完全に無視されて終わるだけだ。そして僕の方も、確かに一人で探索して万が一の事態があれば、どうなるのか分からない。

 

意見が纏まった所で、進むことにした。中は陽の光が入らないけど、微かに残る火の精霊術による照明装置のお陰で、何とか周囲のものが分かるぐらいの明るさはある。もし明かりがなければ、探索の難度は数十倍にまで上がっていただろう。とはいっても、まだまだ不安な要素がある。特に地面と壁にあるごつごつとした岩肌だ。

 

だけど、引っかかって転けるほど僕もレイアも鈍くないから何とかなるだろう。

 

森に居た時と同じ、僕はミラの車椅子を押しながら。レイアが先攻する陣形を組んで、奥の方を目指した。

 

 

「………忘れられないよ」

 

 

小声で、レイアが。しかし聞こえず、何か言ったか尋ねるとレイアは笑顔で振り返った。

 

「ん、なんでも! さあ、レッツゴー!」

 

そこいらに転がっているツルハシを持って進む。少々重たいが、戦闘中は地面に置けばいいだけだ。そのまま、危なげなく敵を倒しながら進んでいく。視界不良のため外よりは多少戦いにくいが、それでも許容範囲だ。トカゲのような化物に、こういった薄暗い場所では定番であるコウモリの魔物が多いが、僕とレイアの敵じゃない。

 

視界の不良は連携でカバー。リリアルオーブで情報を共有し、多少は自分より離れた位置にいる敵でも、把握しながら順繰りに片付けていく。特に鉱石が変容した結果産まれたような魔物については、念入りに潰しておいた。

 

「………石の化物の分際で精霊術を使うとは生意気な。なんだ、僕はそこいらに転がってる石ころ以下ってことかその喧嘩買うぞコラ」

 

「あ、あはは。ジュード、ちょーっと落ち着いてね?」

 

レイアは何故かミラを見ながら、冷や汗を流している。理由は何となく察したが、それ以上は言ってくれるなよ事情通。そうして進んでいると、通路の邪魔になる岩を見つけた。

 

「うーん、この岩邪魔だね」

 

「だな。じゃあ、レイアにお任せだ。僕は周囲を警戒しておくから…………っ!?」

 

最後まで言えなかった。壊すことに、頷いてくれたのはいい。だけど、改めて見た時、そこにはツルハシを抱えた修羅が現れていた。身長の半ば以上はあるという鉄の採掘道具を片手に、あらゆるものを破壊せんと気張る鬼がいた。

 

言葉など発することはできない。ものに自分のマナを加えて破壊力を増大させるのは、レイアの得意な技術でもあるのだ。

 

マナいっぱい元気盛りだくさんに振り下ろされたツルハシは障害物たる岩を砕き――――

 

「はうあっ!?」

 

「じゅ、ジュード!?」

 

 

飛び散った破片に額を穿たれた僕は、膝から地面に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気がついた時には、最奥までの道のちょうど手前だった。ていうか尻の下の感触が柔らかい。振り返れば、綺麗な金髪が見えた。

 

「………ん?」

 

そういえば、背中には素晴らしい感触が二つ。思わず体重をかけてしまうと、ふにゃっとした感触が背中より脳髄に駆け抜けた

 

「………グッド」

 

「ジュード、起きたのか?」

 

不思議そうな声は、ミラのもの。声の出処はちょうど背後からだった。うん、状況の整理は完了した。どうやら僕は気絶している間は、ミラの膝の上に乗せられていたようだ。尻から感じる柔らかい太ももの感触と、背中に感じる偉大なる双丘の感触が素晴らしい。古い文献に曰く、桃源郷とはここにあるのではなかろうか。背中と尻、両方に感じる桃のような感触がそれを証明している。

 

そうして一人頷いていると、何やら非難がましい視線が飛んできた。

 

「………ジュード? 起きたんなら早く降りてよね。ミラも疲れるんだから」

 

「あ、ああ御免。でもレイア、お前がいうなって言葉を知っているか」

 

諸悪の根源の言葉に反論してみせる。人の額をかち割ったお前のいうセリフじゃないと思うんだが。

だけどいつもの通りなレイアは、レイアらしくうっと言いながらも更なる反論を重ねてきた。

 

「それはそうだけど、防げなかったジュードが未熟って話じゃない」

 

痛い所をついてくる。相も変わらず、僕の急所を的確についてくる貧乳だ。

少しはミラを見習ったらどうだ。

 

「それにミラってけが人でしょ。そんな人に負担を強いるほど、ジュードが情けないって信じたくないな」

 

「よし分かった。それは宣戦布告だよな」

 

言葉は正しく、頷きながら即座にミラの膝の上から降りると、すぐにファイティングポーズを取った。軽く拳で大気を切ってみせる。師匠の言葉を引用するとは、レイアにしてはいい挑発だ。

 

だけどレイアの間合いは文字通りに伸縮自在。敵に回したくない相手で言えば、間違いなく上位5名の内に入る。さてどうしたものか、と考えていると後ろから声がかかった。

 

「じゃれていないで早く行こう。もうすぐ目的地なんだろう?」

 

「えっと………あ、確かに」

 

子供の頃に来た記憶を頼りに思い出す。どうやら気絶している間に、相当進んだらしい。ミラ曰く、レイア大活劇だったという。活身棍で狭い通路でもなんのその。でも一つだけ聞きたいことがある。

 

「なんか額の他に側頭部のあたりも痛むんだけど?」

 

「えーと…………テヘッ?」

 

頭にコツンと手を当てて、ベロを出す貧乳。説明もなにもなしだが、起きたことは分かる。この痛みには覚えがあるのだ。そう、活身根の"払い"の一撃である。

 

………こいつ間合いミスって後ろに控えていた僕を殴りやがったな。前だけ見るのは止めろって最初に注意したってのに。でもまあ、それ以外は特に失敗がなかったのでこれ以上は何も言わない。防げなかったのは確かに僕の方が悪いし。

 

「だったらコメカミを拳でグリグリするのやめてよー!」

 

「それはそれ。これはこれ」

 

まあ、気絶していた僕も悪いので数秒間だけで許してやる。この後の事もあるしな。

そう、ここは思い出の土地。それは、とても良いものではなくて。

 

………あの頃は、ホーリーボトルを駆使した上での、必死の潜入だった。まだ魔物は少なく、護身術を習っていなかった頃の僕でも何とかできるぐらいの場所だった。

 

っ、いかん。また思考が暗い方向に。それよりもレイアの事だ。

 

「一人で戦わせちゃったけど、体力は大丈夫?」

 

「問題ないよ。私も、こっちで相当修行してたんだからね」

 

むん、と両腕を上げて主張する。頼もしいけど、持ち上げたツルハシが怖いです。それで頭叩かないでね。まあ、棍ほどマナの通りが良くないから活身棍は使えないだろうけど。

 

「ミラも大丈夫?」

 

「問題ない。しかし、ここは本当に精霊の化石が多いな」

 

見れば、小さい結晶がそこかしこに転がっているらしい。これほど多い場所は、ニ・アケリア近くにある霊山ぐらいだとか。ていうより、精霊の化石ってどうやって出来るのだろうか。

 

「マナを失った精霊がこちらの世界に定着し、石になったものだ」

 

「こちらの世界? って、精霊界じゃなくて人間界のか」

 

「でも、マナを失うって言ってみれば死んじゃうみたいな感じでしょ。でも、マナを失って死ぬなんてあまり聞かないよ。人間もマナを失えば死ぬっていうけど………うん、精霊も?都会じゃよくあるのかな」

 

「…………無いよ、普通は。少なくとも、人為的なものじゃなければな。精霊術を使う人はマナを多用しているけど、自分の持っているマナを枯渇させるまでは使わない」

 

使えない、といった方が正しいか。無意識の内にか、あるいは本能のせいか。マナを使いすぎている精霊術死だが、マナ残量が危険水域までいくと、必ずぶっ倒れてしまうそうだ。

 

そう――――教授のように、外部から吸い出されてもしない限りは、マナ喪失で死ぬなんてことは起こりえない。

 

「………ん?」

 

「どうした、ジュード」

 

「いや、精霊もさ。自分の中からマナが失われればどうなるかなんて、知ってると思うんだけど」

 

「ああ、そうだな。微精霊とて馬鹿じゃない。普通はそんな危険な事はしない」

 

「んー………でも、だったらなんで此処にはこんなに多くの化石があるのかな」

 

精霊たちの自殺の名所、って訳でもないだろう。ミラの言葉どおりなら、こうした化石があることもおかしいけど、これだけの量の化石が生まれること自体がおかしいのだ。尋ねると、ミラは困ったような表情になっていた。

 

「そう、言われてみれば………だがその原因は私にも分からない。大半は私が生まれる以前の話だからな」

 

「あ、そうなんだ。だったら仕方ないか」

 

レイアは納得し、先に進もうと言う。僕も頷き、歩を進める。だけど頷いたのは、進もうという言葉に対してだ。生まれる前だという理由については、素直には頷けないものがあった。ミラはミラだけど、マクスウェルでもあると言う。なのに、精霊に関することを知らないとはどういう事だろうか。

 

この世に顕現してから、20年程度しか経過していないと聞いた。でも、それ以前にもマクスウェルは存在していたはずだ。人間界に居る精霊の事を把握していない、なんてどう考えてもおかしい。

 

「ジュード! ほら、あっち!」

 

「ん? ………おお、大きい」

 

見れば、大きな穴を隔てた向こう側の通路の壁に、大きな精霊の化石があった。あれなら使えるに違いない。とはいえ、油断は大敵である。魔物を警戒し、蹴散らしつつも先に進む。だけどどうしてか、辿り着いた時には壁にあった精霊の化石がなくなっていた。

 

いや、正しくは入り口付近にあった欠片のように、砕かれてしまっていたのだ。その先には道が出来ている。

 

「いったい何が………欠片も、さっき見たものより明らかに小さいし………って、なんだろう」

 

「どうした、ジュード」

 

「いや、地面か壁からか、何かが動く音が………ミラは聞こえない?」

 

「………確かに。音源はこの先からか」

 

「もしかして、石が勝手に動き出したとか」

 

レイアは冗談交じりに言う。だけど、僕はそれをあり得ないことだとは言わなかった。

なぜなら、知っているからだ。この鉱山の中には、そうした存在が居ることを。

 

「………行こう」

 

 

声が震えているのが、自分にも分かる。戸惑うレイアの声も、ミラの声も遠い。なぜなら、自分の心臓の音が頭の中に響いているからだ。一歩、一歩。

 

確かめるように、歩く。それは何時かの日に似ていた。

 

――――大変だ、モルクの奴が!

 

――――や、俺はやだよ。お前のせいだろ!

 

――――言い出しっぺなんだから、お前が助けにいけよ!

 

口論があった。責任の擦り付け合い。そうしている時間などないのに。だけど、強く言い出せなかった。親に言うのも怖い。そして、誰が行くかはサイコロで決めることになった。

 

2つのサイコロを振り、最も小さい出目を出した者が返って来ないモルクを助けに行く。そして、僕は6と6を出した。最高値であることは言うまでもなく―――――そして、ルールは変更された。運が良いよな、ジュード。それだけツイてるんだから、魔物からも見逃されるって。

 

そういえば、最高値出した奴が行くってルールだったよな。瞬く間に立場は最底辺になった。

あいつらにとっては、当たり前だったのかもしれない。親に倣った、と言えば正しいのか。

 

思い出している内に、広間へと辿り着いた。

 

「ジュード………」

 

「構えろ、レイア――――奴が居る」

 

胸の傷跡をなぞりながら、警戒を高めろと告げる。なぜなら、この傷が疼くからだ。同年代で唯一の、同姓の友人だったモルクを庇って受けた傷。あの時は、道中に居たトカゲと似たような魔物だった。そいつらと唯一違った特徴は、額に乗っていた光る石だった。

 

「けど、なあ」

 

「なんだ、地面が――――」

 

ミラの言うとおり、地面が揺れはじめた。レイアの緊張する空気が感じられる。それらを誰が起こしているかなんて、言うまでもない。

 

「ミラは、下がってて」

 

「なにが………って、うわぁ!?」

 

次の瞬間には、広間の地面が隆起し、一気に弾けた。ミラは急いで後ろに、レイアも棍を構えた。僕はといえば、こちらを見下ろしてくるそいつを睨みつけた。

 

トカゲの範疇になんか入らない、見上げる程の巨体。そいつは紛れも無く、僕の胸を抉ったあの時の魔物だった。

 

「………あの時よりも、随分と大きくなったなぁ」

 

震える掌を拳にして固める。怖くない。恐怖なんて、感じるものか。見上げるほどに大きくはあるが、微精霊で造られたあの魔物に比べれば幾分か小さい。鼻で笑ってやる。するとそいつは生意気にもこちらの考えを読み取ったのか、怒りのままの咆哮をこちらに向けてきた。

 

巨獣の大声。それを合図にして、戦闘は始まった。

 

「しっ――――」

 

 

踏み込み、進む。そこから数分の間は、よく覚えてはいない。敵の戦術といえば、その大きな腕を振り下ろしてくるか、地面に潜った後に下から奇襲してくるか。あるいは、声を超音波のようにしてこちらの鼓膜を揺さぶってくるか。その全てを真正面から受けて、ねじ伏せる。途中に小さなトカゲ共が集まってくるが、知ったこっちゃなかった。

 

邪魔だと、魔神拳を連発して端へと飛ばす。マナが薄れていくのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

変貌、というのはこの事か。ジュードは勢いで戦っている部分も多いが、馬鹿ではない。頭の回転は誰より早いのだ。戦闘経験も豊富で咄嗟の機転は効くし、無茶をしながれでもなんだかんだいって戦術を練った上で、勝てる方法を選択していく。

 

特に私が怪我をしてからはその傾向が強かった。だけど、今のジュードはまるで違う。というよりも、ル・ロンドに帰ってきてからだろう。ガンダラ要塞の傷は癒えていないというのに、自分の感情のままに戦っているように思えた。

 

普段なら避けられるはずの攻撃も受けてしまう。リリアルオーブに蓄積されたマナ変換効率の向上により、肉体の強度は高まってはいるが、それにも限界があるのに。

 

怒りのままに拳を振り上げ、振り下ろすだけ。無意識の内に護身術の技を繰り出すのは流石だと言えたが、それもどこか粗っぽい。レイアも分かっているのだろう。時々近づいて治療の精霊術を使い、落ち着いてと叫んでいる。だが、まるで聞き入れられる様子がなかった。それどころか、段々と無茶になっている。防御もなにもない。巨大な魔物の前腕部が振るわれ、ジュードが上半身を張り飛ばされて飛んで行く。だけどすぐに受け身を取り、その足で踏み出しては突進していく。魔物の巨大な手で掴まれたりはするが、その腕を攻撃しては飛び上がり、更に攻撃を重ねていった。

 

だが、相手の攻撃手段はそれだけではないのだ。ついには、超音波の攻撃によりジュードの額に巻いていた包帯が裂かれてしまった。ほとんど治っていたであろう傷が再度開いて、顔が血に、赤に染まっていく。

 

その光景は勇猛で、だけど痛々しくて。

何故か、私の胸の奥にも、締め付けられるような痛みが走った。

 

次第に魔物も押されていった。精霊の化石よりマナを吸収して強くなった魔物だ、長期戦には向いていないのだろう。不死身かと思えるぐらいのジュードの猛攻。そしてジュードを止めることは無理だと悟ったレイアは、一刻も早く戦闘を終わらせようと判断したのだろう。

 

ジュードを治癒しながらも、正面から攻め立てるジュードの攻撃の間断を縫うようにした側面からの援護攻撃に切り替えている。見事といえば見事な連携に、魔物も徐々に大きな傷を受けて、体力を削られていった。

 

そして、最後の悪あがきか。巨大な魔物は天井に向けて咆哮し―――――直後、大きな岩が落ちてきた。

 

「くっ!」

 

一つだけだが、私の頭上からも岩が降って来た。このままでは潰されると、動く方の足を支えに、咄嗟に横に転がって回避する。地面に寝転がったまま。見上げた視界の先に、殴りこんでいくジュードの後ろ姿が見えた。

 

見ている方が焦る程に危うく、大岩の間をギリギリですり抜けながら走って行く。そして懐に飛び込むと同時に、地面が割れるほどの踏み込みをみせて。そして最後の力だと言わんばかりの渾身のマナで、拳に獣を象った。

 

前にみた時とは、明らかに違う。ゆうにジュードの身体の3倍はあろうかというマナで出来た獅子の咆哮は、巨大な魔物を容易く吹き飛ばすと、岩壁へと叩きつけた。そして跳ね返ると、ジュードに頭を垂れるようにして倒れこんだ。衝撃のせいか、あるいは生命活動が停止したせいだろうか。

 

額にあった大きな精霊の化石が砕け、この医療ジンテクスに使うにはちょうどいいサイズの結晶が転がってくる。

 

レイアもジュードも、その石の塊に気を取られた。転がっている石。そして止まると同時だ。

 

倒れいていた魔物が、最後の力を振り絞るかのように起き上がった。精霊の化石が砕けた原因は、どうやら前者のようだった。魔物は弱っているとはいえ、死んではいなかった。

 

地面につけていた頭を勢い良く振り上げると同時に、横を向いていたジュードとレイアの両方をその頭突きで弾き飛ばした。

 

「きゃっ!? っ、ジュード!?」

 

宙を舞う二人。だけどレイアの方は見事な動きで受け身を取り、すぐに体勢を立て直すことができていた。しかし、ジュードの方は違った。

 

正面から受けた一撃に吹き飛ばされるまま、背中から地面へと叩きつけられた。

 

「ぐ、が、ごほっ!」

 

咳き込みには、血が混じっている。そして両肘を支えに起きようとしているが、もう限界なのか上半身を起こすことしかできていない。

 

レイアは、受け身をとるために転がったせいで、距離が離れすぎていた。魔物の咆哮が広間を覆う。間に合わないと、理解した同時に私は動き出していた。片足を引きずりながら、転がってきた石の元へと急ぐ。

 

最後には飛び込んで、地面にあった精霊の化石を拾うとすぐに足に装着してあった医療ジンテクスに取り付けた。擦りむいた膝と、打ち付けたあちこちが痛い。だけど、構うものか。

 

直後には起動したのか、医療ジンテクスから黒い稲妻のような者が走る。

 

「ぐっ、う!?」

 

まず感じたのは、背筋を走る激痛だ。あまりの痛みに、目の前が真っ白になっていく。先に注意されていなければ、叫んでいたであろう。確かに、これは普通の人間であれば耐えることは難しいであろう。だけどこの時だけは、忘れた。あの時より動かなくなっていた足が自分の意志に反応してくれる。そして何より、ジュードが危ない。行けると判断するのと、精霊に語りかけるのは同時だった。

 

踏み出し、地面にしっかりと足を根ざし。反転しながら風の精霊を使役し、刃と成した。

 

「ウインドカッター!」

 

声と共に、緑色の風刃が魔物の腕を切り裂いた。悲鳴を上げて、痛みを感じた魔物が泣くように吠える。止めには程遠い損傷、それを前に私はリリアルオーブのリンクをつなげた。

 

相手は、ジュード。呼びかけに気づいた満身創痍にも程がある彼は、すぐさまに立ち上がった。

 

「やれるな、ジュード!」

 

「っ、ああ!」

 

心と声で呼びかける。そしてリリアルオーブから、彼の感情らしきものの一部が流れこんできた。まず分かったのは、それが憎しみであるということ。そして、向けられているのは目の前の魔物に対してではないということだ。

 

訝しみながら、だけどやるべき事を見誤ることはなかった。

 

怪我をしながらも、ずっと考案し続けていた私の剣技。協力してくれたジュードと共に、余剰のリンクをその技に注ぎ込んだ。突進してくる魔物に、狙いを定めた。

 

「い、くよ―――ミラ!」

 

「任せろ!」

 

初撃は、ジュードの後ろ回し蹴り。まともに受けた魔物の体勢が、目に見えて崩れる。直後に私は大きく振りかぶり、遠心力を利用しての切り上げる斬撃を放った。身体を回転させながら勢いを殺す。敵に背後を向けてしまうことにより隙が生じてしまうが、小回りのきくジュードの切り返しの蹴撃がそれを埋めた。

 

同時に私は、宙空で身体の回転を縦に。

 

前転の要領で何度も回転し、その勢いのまま魔物を脳天から切り下ろす。回転を混ぜた強襲の剣技と、畳み掛けるような牙の如き体術を組み合わせた、複合の共鳴技。

 

まともに全弾を受けた魔物の額にある化石が更に砕け、悲鳴が。

 

そして最後に、たじろいだ魔物に対して二人で踏み込んでいき――――

 

 

「「滅爪乱牙(めっそうらんが)!」」

 

 

二人で考えた技の名前と。

 

同時に共に放った、マナが篭められた二重の掌底打ちが、魔物の胴体を叩き据えた。

 

 

 





これにて既投稿分は完了。

次話は今週末ぐらいになりそうです。


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38話 : 交差路

 

ル・ロンドの港町。そこに降り立った私達は、地元の人たちからジュードの実家だっていう治療院の場所を聞いていた。とはいっても、実際に聞いてくれたのはローエンだけど。

 

「はやくあいたいね~」

 

「そうだね、ティポ」

 

頷いていると、ローエンが戻ってきた。

 

「聞いてきましたよ、エリーゼさん」

 

マティス治療院は、港と街を隔てている門がある通りを真っ直ぐ道沿いにいった先にあるらしい。私はローエンにありがとうと言って、一緒に向うことにした。

ドロッセルの部下さんに教わって、基本的な戦い方は身についたつもりだけど、まだ危ないからって付いてきてくれたのがローエンだった。教えられた門は、ここからも見えている。歩いてそうかからないらしくて、さあ向かおうとしたその時だった。

 

空から、何か大きな鳥が羽ばたいているような音。見上げれば、そこにはワイバーンがいた。

 

「な、なんだあれは!?」

 

「お、おい、だれかソニアさん読んでこい!」

 

一斉に周囲が騒がしくなった。魔物が突然街の中に現れたのだから、仕方ないと思う。だけどどうしてか、私にはあの魔物が襲ってくるようには思えなかった。

 

「後ろに下がっていて下さい、エリーゼさん」

 

「えー。たぶんだいじょうぶだとおもうなー」

 

ティポの声に、私も頷く。そうしている間だった。ワイバーンの背中から1人、人間が飛び降りてきたのだ。大きな樹と同じぐらいの高さがあったのに、その白い服を着ている人はすたっと地面に着地して――――だけど勢い余ったのか前に転がって、そこにあったベンチに頭から突っ込んでしまった。

 

がいん、と痛そうな大きな音がここまで聞こえてきた。

 

「………生きてる、のかな」

 

「え、ええ………ふむ、ワイバーンが退いたようですね…………まさか、獣隷術でも?」

 

ローエンの言葉は分からなかったけど、さっきまでいた魔物は役目を果たしたといった風に、空高くまで帰っていったようだ。一方で飛び降りた人は、あちこち傷だらけになりながらもがばっと立ち上がった。

 

「つ、つつ………ええい、こんなもの!」

 

「あ、あんた大丈夫なのかい!? マティスの大先生に見てもらった方が………」

 

「それだ! 治療院はどこにある!」

 

「え、ええ? あの門の道を言って真っ直ぐだけど………」

 

白い服で褐色の肌、銀色の髪をしているジュードと同じ年か、少し上に見えるその男の人は、治療院の場所を聞くなり走っていってしまった。

 

ミラ様、と私もよく知っているあの人の名前を、大声で叫びながら。

 

「エリーゼさん」

 

「うん、いそごう」

 

私はローエンと顔を見合わせると、あの人を追うように急いで治療院へと向うことにした。

 

 

息せき切りながら、走って追いついた先。そこには、治療院らしき建物の前で揉めている人たちの姿があった。

 

1人は、さっきの男の人。もう一人はヘアバンドのようなヘッドドレスをつけている女の人だった。二人共、町中だっていうのに武器を構えている。何が起こっているのかさっぱり分からないけど、このままだと不味い気がする。

 

そう思っていると、ローエンが今にもぶつかりそうな二人の間にナイフを投げた。驚く二人がローエンの方を見る。

 

「………そこまでです。治療院の前で戦闘行為など、非常識ですよ」

 

「っ、誰だ!」

 

「武器を構えて名を問うてくる輩に、名乗る名前はありません。まずは落ち着いて下さい」

 

ローエンの落ち着いた声に、女の人がまず手に持っていた木の棒のようなものを横に向けた。

 

男の人はローエンと女の人との間に視線をいったりきたりしていたが、ようやく剣を鞘に収めてくれた。

 

「では、改めて自己紹介を。わたくし、ローエンといいます」

 

「え、エリーゼです」

 

「………イバルだ」

 

「レイアだよ。ってちょっとまって、イバルってミラの………?」

 

レイアと名乗った女の人が驚いた表情を浮かべていた。そしてイバルという人は、はっとなって大声を上げた。

 

「そうだ、ミラ様は! ミラ様はどこに――――」

 

「ここにいるぞ」

 

治療院の入り口の扉ががらりと開くと、中からミラが出てきた。それも、自分の二本の足で立ちながら。イバルさんはとても速い勢いで駆け寄ると、ミラの前で跪いた。

 

「ミラ様、ご無事ですか! お怪我をされたと聞いて、不詳このイバル急いで………?」

 

言葉は途中で止まった。たぶんだけど、ある程度の事情は知っていたと思う。シャール家のおかかえだっていう医者の人が、あれだけ無理だと言っていたから。私も、こんな短期間でミラの足が治っているなんて思ってもいなかった。

 

だけど、太ももについているあのアクセサリーのようなものはなんだろう。不思議に思っていると、ミラが少し顔を歪めて扉にもたれかかった。

 

「だ、大丈夫ですか!」

 

「声が大きいぞイバル。傷に響くし、治療院にいる患者に迷惑だ」

 

そういえば、ここはジュードの実家なんだった。怪我をしている人も多いだろうから、確かにあのイバルって人の大声は傷に響いてしまうかもしれない。

 

イバルって人も頷いて、だけどまたハッとなったように立ち上がった。

 

「こんな、怪我を――――おい女、あの野郎はどこにいる!」

 

「あの野郎って………ジュードの事?」

 

レイアって人が治療院の方に振り返る。すかさず怒っていた人が、ミラとレイアの脇を抜けて中へと入っていった。あまりに突然の事で、反応が遅れていた。だけど不味いと察したのか、すぐに走り出し。ローエンはミラの方へ、私はジュードが居る中へと走りだした。

 

「ちょ、待って、駄目だから!」

 

「うるさい!」

 

治療院の中はそう広くなかった。びっくりしている受付の人を置いて、奥の部屋に。そして、勢い良く気の扉を開いて、叫んだ。

 

「ここ! …………かぁ?」

 

「な、何ですか貴方は! この部屋には重症患者が居るんです、出て行って下さい!」

 

白衣を着ている女の人が、すごく怒ってイバルに怒鳴りつけた。そして、その横のベッドには、包帯でぐるぐる巻きにされているジュードの姿があった。

 

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ 

 

 

 

所変わって、私達はレイアの宿の中に借りた部屋の中にいた。私もまだ足が万全でなく、すぐに治療院に戻らなければならないのだが、このままイバルを放っておくわけにもいかない。

 

レイアとカラハ・シャールから駆けつけたというエリーゼ、ローエンも居る。

 

「それで………イバル。どうしてここにいる。どうして、ニ・アケリアから出てきたのだ」

 

「それは! ミラ様が歩けない程の重症を負われたと聞いて、いてもたっても居られず………!」

 

「………私を心配してきたのか。その心は素直にありがたいと思うが、私がお前に命じたのはニ・アケリアの守護のはずだ」

 

「は、はい。ですが、街に行ってみれば手配者があり………心配で馳せ参じました。村の者達も、ミラ様の力になることだと背を押してくれました」

 

イバルは家族を早くに亡くしていた。だがその後は村全体で育ててもらったということがあり、村長を始めとした村の者達に恩がある早々出てくることは無いと思って守りを託したのだが、それよりも私を追っかけてきたのか。

 

―――だが。

 

「ばかもの。そういう事を言っているのではない」

 

村を守る人間が必要だから、命じたのだ。相手がラ・シュガルの軍であるからにはア・ジュールの奥地にあるニ・アケリアに攻めてくることはまずないだろうが、ハ・ミルの例もある。万が一にもナハティガルに落とされる訳にはいかないのだ。

 

「ですが………私が居ないばっかりに、ミラ様にこんなお怪我を!」

 

「これは私の判断ミスだ。ジュードのせいではない」

 

刺し違えるつもりはあったが、あの場面ではむしろ退いた方が後々に繋がったと思える。

そもそも、捕まったのは私のミスであり、ジュードは我が身を顧みず助けにきてくれたのだ。

 

よくやってくれている――――という言い方は失礼に過ぎる、むしろ感謝すべきだろう。

イバルも思い込みは激しいが、決してバカではない。あの怪我を見たからには、全てでなくても一部は理解できているはずだ。

幸いにして命に別状はないが、ガンダラ要塞の時の傷が癒えていない内に新たに負傷を重ねてしまったのだ。

 

ジュードの父親であるディラックが言うに、全治三ヶ月だという。あの怪我も自分で望んだことであり、無茶な戦いを自ら捨てなかった彼ではあるが、原因としては間違いなく私の迂闊さが。私が居なければ、ジュードはあそこまで苦しい思いをせずに済んだのだ。イバルも、ジュードの姿を見ただろう。そう問いかけると、イバルは目を逸らしたまま俯いていた。

 

「ですが………いいえ、それでも………っ!」

 

納得はしきれていないようだ。でも、ジュードが居なければ死んでいたか、他の者達が大勢犠牲になったと思われる状況は多い。

 

「俺ならば………っ、そもそもそんな目にあわせません!」

 

もっと上手くやれると、イバルが叫ぶ。元来、私の傍役として我が身を顧みず務める従者を、マクスウェルの巫子と呼ぶ。だから、そもそも余所者に任せるのが間違いだったと。

 

「それに、あいつが約束を持ちかけたんです。ミラ様を守ると、だから――――」

 

イバルが更に言葉を重ねようとした時だった。何やら外が騒がしいと思ったら、突然入り口の扉が開かれた。

 

「………お前」

 

「よう。悪いな、イバルお前の言うとおりだ」

 

よろよろと、包帯でぐるぐる巻きで患者用の服を着せられているが、声から分かる。それはジュードだった。背後にはエリン・マティスが沈痛な面持ちで見守っていた。

 

「確かに………約束を守れなかった。イバルの言うとおり、僕から言ったことだってのに」

 

「そうだ、貴様は………っ!?」

 

イバルが驚きの表情に固まった。それだけではない、私を含む全員が。

 

見れば、ジュードの額に巻かれていた包帯から血が滲み出しているのだ。白い包帯が、徐々に赤く染まって、一筋の血液が頬より顎に落ちていく。

それを床に落とさないよう、服で拭うと、中腰の姿勢のままイバルに一歩づつ近寄っていく。

 

「原因は他にない。約束を破ったのは僕だ。何を言おうと、言い訳だよな?」

 

「………ああ、その通りだ」

 

イバルは立ち上がり、ジュードに向かって歩いて行く。そして目の前まで来ると、ぎゅっと拳を握りしめた。

 

鋭い動作でジュードに踏み込むと、拳を大きく振り上げた。

 

「ミラ様を傷つけた罪――――お前の身体で贖え!」

 

殴られるそう思い、私もレイアもエリーゼもそれを止めようとするが、間に合わない。

 

だけど、恐れていた事は起きなかった。イバルが振り下ろしたと思われた拳はジュードの目の前で止まっている。一方で、ジュードも。この状態でまともに殴られれば、更に怪我を負って危ない状態になるというのに、避けるどころか防ぐそぶりすら見せなかった。

 

険しい顔のまま見下ろすイバルと、怪我に呼吸を乱しながらも目を逸らさないジュード。

やがてイバルの口から、ぎりっと歯ぎしりの音がした。

 

「殴るのは、また今度だ………怪我を直したらまた来る。言っておくが、死んで責任を放棄するなどこの俺が許さんぞ」

 

「ああ。ありがとう、イバル」

 

「お、お前に礼を言われる筋合いはない! いいから早く殴られるために傷を治せ!」

 

ちっ、とわざとらしく舌打ちをしたイバルは、振り返ると私に向き直った。

 

「非常に納得はいきませんが………一度、ニ・アケリアに戻ることにします。ミラ様のおっしゃる通り、守り役は必要ですから」

 

「あ、ああ。感謝する、イバル」

 

それと、と。私はローエンに頼んでイバル以外の人を一端部屋の外に出してもらった後、懐に忍ばせていたものを取り出した。

 

「イバル。これをお前に託す。誰の手にも渡らないよう、守って欲しい」

 

「これは………」

 

「私の命と同じぐらい、大事なものだ。四大の命も、これにかかっている」

 

「ミラ様………そのような重要な役目を………お任せ下さい!」

 

「ああ。私の故郷と、お前の故郷。そして大事な四大を取り戻す鍵を、あの地で守っていてくれ」

 

イバルは、深く頷いたあと頭を下げて。そして、窓の外からワイバーンに乗って、ニ・アケリアに帰っていった。

 

これで一段落だろう。あれは研究所のあの時に奪ってきた、クルスニクの槍を起動させる鍵だ。

 

あの場所で今もまた作られている可能性はあるが、それでも完成するよりも、今あるものを奪い返されるよりはマシだ。

 

イバルも、ワイバーンを使役できる。機動力で言えばシルフを使えない私以上のものをもっている。

 

ジュードを責めようとした所を見ると、まだ視野が狭く思い込みが激しい部分はあるが、私が与えた使命さえあれば全力でそれを防ぐように努めることだろう。

 

「だが………」

 

そのジュードの事で聞きたいことがある。今は彼も治療院に戻っていることだろう。助けられた恩はある。だけど、どうしても確認しておきたい事があるのだ。

 

レイア達を呼んで、部屋の中に入ってもらう。彼女はいきなりやってきていきなり去っていったイバルに少し怒っていた。今にも死にそうな怪我をしているジュードを殴ろうとした事だろう。そういえば、ローエンは止めようとしなかったな。

 

聞いてみると、「男のケジメでしょう」と言っていた。当人同士で納得しなければいついかなる時でも再燃すると。推測なので、後は本人に確認した方がいいとも。だが、今聞きたいのはもっと別のことだった。

 

「レイア、聞きたいことがある。ジュードはいつから“ああ”なのだ?」

 

「えっと、ミラ? ちょっと意味が分からないんだけど」

 

「自分の事を低く見積もり過ぎている。まるで、自分の命に価値がないと思っているような………無茶な戦術を躊躇なく決行する」

 

死を恐れない、ということはないだろう。だけど、それ以上に自分の命を疎かにしすぎているような。あの広間で戦った時もそうだった。遡れば、研究所を脱出した後からだ。

 

国を相手にするというのに、一切躊躇った様子が無かった。決意に足る理由はあったのだろうが、それでもその決意に至るまでの時間が短すぎるように思えた。

 

「えっと、それは………どうしても言わなきゃ駄目?」

 

「心配なのだ。それに、事情を知らなければ何が原因で無茶に走るのか分からない」

 

「わ、わたしも………私も聞きたいです」

 

エリーゼも聞きたいと、背伸びして主張してくる。同じように、あの怪我を見てショックを受けているようだけど、ジュードが何かを抱えているということも気づいていたようだ。

 

唐突に激発することがあり、無茶を越えて無謀なレベルの作戦を。だが、その傾向がいまいち掴めないのだ。急に怒って敵の強さと自分の状態に関係なく猪のようになられると、援護や救助をするのが遅くなる。

 

推測できる部分もあるが、それはあくまでかもしれないといったレベルだ。例えば、胸のあの傷と。そして、鉱山の中で倒したあの巨大な魔物が関係しているようにも思えるのだが。

 

「ミラは、鋭いね………それだけジュードの事を見てきたのかな」

 

「助けられた事も多い。それに、あれだけの無茶を見せられれば気にするなという方が無理だ」

 

それ以外のことも。

 

「私も………ジュードのこと、知りたいから。私が助けられたように、助けてあげたいから」

 

「もう………モテモテだなあ、ジュードは」

 

「お姉さんも、そう見えます」

 

「レイアでいいよ。で、ひげのお爺さんもそうなのかな」

 

「ローエンとお呼びください。気になりますね。何より、気付かなかった私の代わりに主の命を救ってくれたのが彼ですから」

 

エリーゼもローエンも、純粋にジュードの事が心配なのだろう。レイアもそれは分かっているようで、しばらく黙っていたが、自分のスカートを強く握りしめると顔を上げた。

 

「私も………あの時の事件のこと、全部知ってる訳じゃないんだ。だけど、何に苦しんでいるのかは………」

 

辛そうに、レイアは少し視線を落としていた。だけど、何が言い難そうにしている。その理由が分からなかったが、ローエンは気づいたようだった。

 

「ジュードさんが精霊術を使えない、という事なら知っています。私もミラさんも、エリーゼさんも」

 

「そ………う、なんだ。知って………うん」

 

それが原因であると。レイアは、それまでとは打って変わっての暗い声で説明を始めた。

 

「はじめに、ジュードが精霊術を使えないってわかったのは………いつだったかな。うんと小さい時だったのは覚えてる」

 

それはそうだろう。ラ・シュガル、ア・ジュールに関係なく、このリーゼ・マクシアに生まれた人間は幼少の頃から精霊術の扱いを学ばされる。霊力野を持たない人間は“本来ならば”居ないはずなのだ。そして人々の生活に密着している精霊術を扱うのであれば、早い方がいい。

 

だけど、ジュードは使えなかった。発動さえもしなかったと、辛そうにレイアが語る。

 

「出来ないんだよね。あの時………日が落ちて、暗い中でも治療院の裏庭で何度も試していたんだ。でも、ジュードの声に精霊は応えてくれなかった」

 

あり得ない存在。そして、精霊術というのは誰しもが使えて当たり前の技術なのだ。それを使えない子供が、周囲の人間からどういった視線を向けられるか。マティス治療院はその職業と二人の有能さにより尊敬を集めているが、それを面白く思わない大人だっている。あくまで少数で、大多数がそうではないが。

 

だけど、逆にジュードと同年代か少し年上の子供達からすれば、マティスの子供というだけで「あら」と笑顔を向けられるような。その上で勉強が得意であり、大人達より褒められることが多かったらしい。それを面白く思わない子どもたちは多かったという。

 

そこに降って湧いたような、明確な弱点。子どもたちは、ジュードを徹底的に否定して、いじめていたという。また、精霊術を使えないというのは大人達からも奇異の目で見られる。エリンは特に医療術に関しては飛び抜けた者を持っていて、街でも小さな頃より有名だった。

 

もしかして拾い子なんじゃないかといった悪意ある噂も流れていたらしい。

そして、とレイアが辛そうに言う。

 

「唯一の例外は………ジュードが優しくしていた女の子数人と、私だけ。同年代の男友達は、いなかった」

 

「………それは」

 

ローエンが同意する。彼が何を考えているのか、私も推測できるものがある。

 

先にジュードの母親より聞いた話であるが、レイアも宿の主人でこの街有数というかぶっちぎりに強い戦力である“ソニア”という、尊敬と信頼を集めている人物の子供である。

 

そして本人は気づいていないだろうが、十二分に“可愛い”と呼ばれるような女の子であるのだ。苛めの口実と燃料になるのは、必然であった。その頃はジュードも素直で、悪戯ばっかりしていた同年代の子どもたちとは違い、女の子には優しく接していたという。

 

だからこそ、意地悪をする男の子達よりは、ジュードの肩を持ったと。

 

「でも………それだけなら、もっとジュードは………」

 

「何か、あったのだな? 今のジュードに変わる、決定的な事が」

 

事件、と言った。そして、彼の心の闇が見えるような、胸の大きな傷。レイアも、ここからは全てを知っている訳じゃないけど、と言いながらも説明をしてくれた。

 

「その頃は、男の子達の間で度胸試しが流行っていたんだって。最初は、街の中の廃墟に行くんだとか、ちょっと危ないってレベルだったんだけど」

 

徐々にエスカレートしていったという。大人たちは炭鉱が閉鎖されるかもしれない、という状況で子どもたちに目を向ける余裕がなく、子どもたちも無視されては当然面白くない。

 

様々な要因が重なって、度胸試しはステップアップしていったという。街の中から、街の境界へ。更にそこを越えて森の中、鉱山の奥まで。

 

そして、大勢から1人へと。

 

「………モルクって子がね。私とミラとジュードが行ったあの鉱山に………当時は魔物がほとんど居なくて、だから行けるって」

 

「まさか、子供1人であの場所に!?」

 

「鉱石の一つでも取ってくれば勝ちってルールだったみたい。だけど二日経っても、三日経っても、モルクは帰ってこなかった」

 

魔物がいないので戦う必要がなく、ホーリィボトルを駆使して走れば一日で往復できる距離である。なのに、モルクは帰ってこない。そこで、子どもたちはようやく気づいたのだ。自分たちのしでかしてしまった事に。

 

何とかしなければならない。その状況においての最善の選択と言えば、大人達に助けを請うこと。だけど色々と当時の街は暗澹たる空気が主であって、子供たちもなんとなく理解していた。とても言い出せる雰囲気ではなく、何より大人達には絶対にあの場所には近づくなと言い含められていた所だった。

 

大人に怒られるのが怖い、だけ、助けに行かないままの方がもっと怖い。でも、大勢で行くのはすぐにバレて、事が明るみに出てしまう。

 

「その………モルクという子の親は?」

 

「父親を、事故で無くしててね。母親の人は………そのショックと、元々が病弱な人だったから」

 

特に心臓が悪かったと。治療院に入院していて、モルクはその間は叔父に預けられていた。だけどその叔父が、街でも有名な飲んだくれだったのだ。

 

居ないにしてもどこかに泊まりに行っているんだろうと、楽観して特に気にしなかったらしい。そういった背景もあって、モルクもジュードほどではないが苛めの対象になって、だからこそ1人で鉱山に行かされたのだ。

 

そこで、子供たちは考えた。なら、もう一人の“弱い奴”を――――ジュードを救出に向かわせたらいいじゃないか、と。だけど、ジュードは断った。大人たちに相談するべきだと主張した。だけど、逆らえばもう二度と友達が出来なくなると、ジュード自身も分かっていたのだ。

 

苛められてはいるが、ジュードも友達が欲しかった。そして、親であるディラックとエリンに対して後ろめたい感情を持っていて。結局は、公明正大にとサイコロで決めることになった。2つを振って、最も小さい出目の者が救出に向うと。

 

そのサイコロに仕掛けをするほどには、子供たちも知恵は働かなかった。だけど、子供たちの狙いであるジュードは6と6という最高値を出してしまう。

 

ジュードはそれに安堵して。だけど、当時のガキ大将に言われたのだ。

 

――――最高値が出たから、お前だなと。そして子供たちの法律(ルール)とは、ガキ大将によって決まるようなものだった。

 

ガキ大将の参謀役のようなものだったもう一人の子供の、「運が良いから生きて帰れるって」との誤魔化しの主張に。子供たちの総意による圧力に、当時のジュードが逆らえるはずもなかった。

 

「でも………ディラックさんとエリンさんは、すぐに気づいた。大慌てで救出隊が結成されて………」

 

そこで、大人たちは見たという。あちこち傷を負って、胸から血を流しつつも気絶していたモルクを背負い、森の中を歩いていたジュードを。

 

「………ジュードは、鉱山の奥まで行ったんだな?」

 

「うん、そこで化け物に襲われて、命からがら逃げてきたって言ってた」

 

それを聞いてミラとエリーゼが怒りに感情を染めていた。当時は魔物が少なかったというが、1人で夜通し歩かされ、暗い鉱山に行かされて怖くないはずがない。その上で怪我をしていたという。そして子供であるジュードが、それほどの大怪我を負った経験など無かったはずなのだ。

 

「それで………子供たちは、どうした?」

 

「………親たちに怒られてた。でも…………っ」

 

忘れられないと、レイアは言う。何故モルクを、ジュードを向かわせたのかという、その発想の根本を尋ねた時に返した言葉だった。

 

「子供たちは言ったの。自分たちのお父さん、お母さん達が家で………あの子は駄目な子だって。悪口をいっているから、“要らない”子のように思えたから、別に良いと思ったって」

 

「な………っ!」

 

「酷い………!」

 

レイアの悲痛な声で告げられた言葉に、ミラとエリーゼが憤りを見せた。言い分からすれば、親の真似をしたのだ、というのだがそんな話はないだろう。だけど、その子供の事よりも心配なのはジュードの方だった。

 

嘘をつかれ騙された挙句に死ぬかもしれない向かわされ、恐怖の中で森を越えて。味わったことのない怪我の痛みに、それでも必死で歩いたのだろう。聞けば、背負っていたから歩くのが遅くなり、街道の途中で野宿することになったという。

 

襲われれば死ぬこと間違いなしの恐怖の中、当時は戦う方法を欠片も持っていなかったジュードがどういった思いだったのか、想像すらできない。

 

なのに、帰ってきた子供達は。言い訳と、そして。

 

「今の子たちは知らない。けど、当時ジュードと一緒にいた男の子達だけだったけど………ジュードを責めたんだ。“お前のせいでバレた”って、“要らない子供の癖に”って。そして、モルクは………」

 

「………友達になった、という訳ではなさそうだな」

 

「うん。でも………あの直後にジュードは治療院に運ばれたんだけど、その時に何かがあった事は間違いないんだ。けど、その事情は私も知らされてない」

 

知っているのは当時の治療院の中にいた大人数人と、ソニアとジュードの両親。そして、モルクとその母親と叔父だけ。レイアも、一度だけ母親にたずねたが、答えてくれなかったという。

 

「でも………多分だけど、ね。その“何か”があったから、エリンさんも大先生も、ジュードに何かを強いることができなくなったって思うんだ」

 

後ろめたい何かがあるのだろう。だからこそ二人共、ジュード強引に止めることはしなく、また教授の元に行くことを止めなかったという。また、ジュードも二人から距離を置くことになったと。レイアの母であるソニアを慕っているのも、それが原因かもしれないと、悲しそうな顔で告げていた。

 

「そこから、ジュードは変わった。それとなく、何を思ってるのかとか………何度聞いてもはぐらかされたけど」

 

死にそうなほどに辛い献身さえも報われなかった、だからこそ。小さいからこそ胸の奥深くに突き刺さった。小さい視界、小さい視点でも。

 

自分の周囲にある小さな世界であっても、絶対というべきルールがあると、幼いからこそ根底に刻まれたのだ。

 

 

 

――――精霊術を扱えない人間は、何をやっても認められず。

 

精霊から見放された自分は、大した価値の無い人間なのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃、治療院の診察室の中。

 

ディラック・マティスは急な客人に、警戒心を最大にしたまま対峙していた。

 

「業、だよなあ。運命って奴は性格が悪い。神様なんてものが居るなら、そいつ悪戯好きだって思ってるんだよ俺は」

 

「何故、どうして………君が今更私に。もしかして、レティシャさんが………」

 

「母さんなら変わっていないさ。いや、変わったのかな」

 

「………アルフレド君」

 

 

測るような視線。その呼び名に、茶色いコートを着た傭兵は唇を釣り上げて、言った。

 

 

「今はアルヴィン、って名乗ってるんだ。だから…………よろしく頼むぜ、元アルクノアの一員さんよ」

 

 

 

 



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