孤独な蛇は、平淡な樹木の夢を見るか (藤猫)
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特別でなくなった話
トム・マールヴォロ・リドルは、幼いころから己が特別であるのだと知っていた。
彼が、望めば、大抵の事はするりといつの間にか叶ってしまう。
例えば、己を虐めた年上の少年が酷い目に遭うだとか、例えば、己の悪口を言った少女の大切のものがなくなるだとか。
だから、リドルは、己を特別なのだと認識していた。
だから、友達がおらずとも平気であった。だから、畏れるような目も平気だった。だから、独りであることを何とも思っていなかった。
なぜなら、リドルは特別であるからだ。他とは違うからだ。
違うのだから、交わらないのが当たり前なのだ。
物心ついたころから、ずっと、ずっと、そう思っていた。だから、リドルはいつだって一人だったし、独りであった。それでいいと思っていた。
なのに。
そうだというのに。
リドルは、その日、特別ではなくなった。
「・・・・・あー、ルツ・グリンといいます。どうぞ、よろしく。」
その日、また孤児院に新しい住民がやって来た。
時代が時代だ。孤児などいくらでも生まれる。そのため、孤児院の子どもたちはさほど騒ぐことも無く、それを受け入れた。
リドルは、一応の建前上としてその場に居合わせた。隅っこで見たその住民は、女であるようだった。
正直言えば、その髪と瞳だけは見事といって差し支えはない。
まるで金を紡いだような黄金の髪に、芽吹く新緑のような瞳は、それだけならば絵本に出て来る姫君の様であった。
ただ、その表情が、何とも言えないほどにやる気がない。やる気がないというよりは、眠たげというのが正しいのかもしれない。
顔立ちは悪くはないのだが。
そのややつり上がったアーモンド形の瞳のせいで、昼寝寸前の猫のような女だった。
現在、七歳のリドルより幾つか年かさの様だった。
リドルは、それに自分にはどうせ関係のないことだと、さっさと自室に帰ろうとする。
そこで、孤児院のミセス・コールが口を開く。
「それで、ええっと、グリン?あなたの部屋なんだけど。どうしても空き部屋が無くてね。男の子と、あそこにいるトムと一緒なんだけど。大丈夫かしら?」
その言葉に、リドルは勢いよく振り返った。そこには、自分を指し示すミセス・コールと自分を見つめる少女の姿があった。
「・・・・どういうことですか、ミセス・コール。」
リドルに、ミセス・コールは淡々と告げた。
今の所、ルツの眠ることのできる場所は、皆に同室を拒否されたリドルの部屋しかないということ。当分は、空きが出る予定のないことが淡々と語られた。
孤児院で、リドルだけが一人部屋であるのは事実だ。
少なくとも、今の所をこれを回避することも出来ないだろう。
(・・・・さっさと追い出してしまおう。)
リドルはそう思いなおし、大人たちに言われるがままにルツを連れて自分の部屋へと歩いて行った。
がちゃりと開けられた部屋には、私物らしいものはなく、左右に一つずつベッドがあり、その真ん中にキャビネットが置かれていた。
リドルは一旦自分の使っているベッドへ近づいた。リドルはそうして、くるりと振り向いた。牽制をしておくためであったが、ルツはいつのまにかキャビネットの近くに立ち、そうして扉に手を掛けようとしていた。
「触るな!!」
叫ぶように、リドルが言えば、キャビネットから火が上がる。それに、彼は、ルツから悲鳴が上がることを予想した。
けれど、ルツはその火を少しだけ見つめた後、手で払う様な仕草をした。それに、火はまるで夢であったかのように消え去った。
そうして、ルツは平然と、キャビネットを開けた。
その、予想外の行動に、リドルは茫然とそれを見送ってしまう。
ルツは、キャビネットの中に入ったリドルの数少ない私物に、今気づいたように振り返った。
「・・・・ここ、私が使って良い部分ってどこ?」
その、あまりにも普通の、平然とした逸脱した反応にリドルは立ちすくんでしまった。
「・・・・お前も、僕と同じなのか?」
キャビネットに持っていた少ない荷物をしまったルツに、リドルはそう聞いた。
「同じって、魔法族かってこと?」
「!それだ!その魔法族ってなんだよ!!僕は魔法使いなのか?」
「なんだい、君、知らないのか?親は?」
「・・・・・母さんは僕を生んで死んだし、父親は知らない。」
リドルからすれば、あまり両親の事は話したくなかったが、自分の正体というものを知っているルツからの質問には素直に答えた。
「ああ、なるほど。両親から聞けてないのかい。知られてないが、この世には魔法族と、マグル、魔法族じゃない存在がいるんだ。」
まるで、知っていることが当たり前のように言い放ったルツに、リドルは顔をしかめた。自分の応えたくないことを答えたせいか、不機嫌そうに言い返した。
「そういうお前は、それを教えてくれた親はどうなったんだよ。」
「父親は、数年前に死んで。母親は、それに病んで、私を殺そうとして、殺し切れずに罪悪感で自殺した。」
平然と、少女はそう言った。
リドルは、それにまた固まった。
逸脱した、事実であるそれを、彼女はまるで昨日の天気のような気楽さで語った。その、気楽さが、リドルには理解しきれなかった。ルツは、リドルに振り返り、彼の茫然とした行状に、少しだけ申し訳なさそうな顔をして、ごめんと呟いた。
「ああ、いや。うん。ごめん。」
「・・・・・別に良い。」
リドルは、動揺してしまった己を恥じ、ぷいっと顔を逸らした。そうして、少しだけ背の高いルツを睨むように見上げた。
「・・・・・それじゃあ、僕の両親は、魔法使いだったって事か?」
「いや。どうだろうか。魔法使いといっても、マグル同士から生まれることもあるし。君の両親のどちらかが魔法使いであった可能性もある。私も、父親はそこそこ古く続いた魔法族だったが、母は魔法が使えなかったし。」
それに、リドルは頭をひねる。
それはならば、自分の母親が魔法使いであったという可能性は低いだろう。もしも、魔法が使えたのなら、母は死なずに済んだはずだ。
ならば、父親が魔法使いであるのか。いや、この女の言葉が正しいというのなら、自分だけが魔法が使える可能性もあるのかもしれない。
(・・・・・こいつも、魔法族っていうなら、こいつから魔法を教わることが出来るかもしれない?)
素早くそこまで考えたリドルは、一先ず目の前の存在と仲良くしておくことを決めた。
「・・・・そうだな。せっかく、みない同種族と会えたんだ。仲良くして置こうじゃないか?」
「まあ、それは構わないけど。」
すっと自分に伸ばされた手に、ルツは少し迷った後に、こくりと頷いた。そうして、リドルの頭をぽん、と撫でた。
リドルはまた目を見開いた。そうして、ルツの手を振り払った。
「誰が、頭を撫でていいと言った!」
「そうか、すまない。」
激しい拒絶の言葉に、ルツは目をきょとりとさせて、こてりと首を傾げた。
それに、リドルは、頭を抱えたくなった。だって、そうではない。
こんな、こんな、間抜けそうな、考えなしが、今の所、自分にとって唯一同じものなのだ。
そうだ、リドルにとっての唯一、同族なのだ。
こんな存在に、これから魔法を教わろうとしている自分に、リドルはひどい不安を抱えてしまった。
ルツは、昔から、どこかぼんやりとしていた。ぼんやりとしているというよりは、平淡といった方がいいのだろうか。
人よりも感情の起伏を苦手としていたせいか、変わり者として扱われていたが、父親も似た様なものであったので気にしていなかった。
母は、父の在り方を不安に思っていたようであったが、良くも悪くも揺るぐことの少ない彼に安心していた面もあるようであった。
その平淡さというべきか、ぼんやりとした感じ方のせいか、彼女は父親が死んだときも、あまり動揺はしなかった。
人は死に向かってゆく者である。
植物を愛していた父は、枯れてゆく木々を見て、そう言っていた。それに、ルツは、そんなものだろうと納得していた。
命とは、途絶えるものであり、消えゆく者である。
それは、生きている者ならば当たり前のように知っている事実であった。だから、ルツは、父の死を受け入れた。
父は死んだ、生きていたからだ。ならば、仕方がない。
けれど、母は違っていたらしい。
ルツは迷惑をかけていたつもりはないが、母からはもしかすれば心労の種になっていたのかもしれないと、今では後悔している。
己の首にかけられた、その手を、彼女は覚えていた。
そうして、母は、空へと飛んで、死んでしまった。
命があるということは、死ぬことだ。だから、仕方がない。ただ、自分は今でも生きている。ならば、生きねばならず、けれど、非力な子どもでは、独りで生きていくことも出来ない。
そうして、彼女は孤児院へとやって来た。
ルツは、もぞりと、与えられたベッドの中で、目を開け、そうして隣のベッドに目を向けた。そこには、目を見はるような美しい少年が横たわっている。
その少年は、久方ぶりに会った、自分と同じ魔法族であるそうだ。
父以来の、自分と同じ存在を、ルツはじっと見つめた。
少年は、騒がしく、そうして怒りっぽかった。
(・・・いいことだ。)
少年は、美しかった。けれど、生きていた。それは、生きているからこその美しさだ。
父もまた、眠る様に横たわるその姿が美しかった。
父は、もう二度と起き上がることはない。怒ることはない。
けれど、少年は違う。怒ることが出来る。
それは、よいことだ。
少なくとも、植物にも出来ないことなのだから。
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特別の話
その日、孤児院は少しだけざわついていた。当たり前だ。昨日やって来たという新人は、あの、トム・リドルと同じ部屋で、おまけに一日経ってしまっているのだ。
いったい、どんな目に遭っているのかと、子どもたちはざわついていた。
死んでいるんじゃないかなんて声までひそひそと話されている中、リドルが居間に入って来た。
それに、一瞬だけ、部屋の中の声が沈んだ。
そうして、ひょっこりと、その後ろからリドルよりも背の高い少女が見えた。至って変わりのない様子に、子どもたちは一先ずほっと息を吐いた。
二人は、それぞれ空いた席に座る
いつも通り、リドルに関して構うものはいない。ルツに関しては、普段ならばお節介な存在が声を掛けるだろうが。リドルと関わりたくない一心で、皆、無視している。
ルツは、そんなことも気にした風も無く、ぼんやりと空を見つめている。
職員たちは、そんなこと気にすることも無く、淡々と朝食が続けられた。
ルツは、朝食が終わった後、ふらふらと施設から庭に出た。
外は、丁度冬に移り変わる途中の秋空だ。彼女は、ふらふらと施設の裏にある木を見上げた。
(・・・・どうしようか。)
ルツはぼんやりとそんなことを考えた。
彼女の脳裏に浮かぶのは、同室になった少年の事だった。
美しい顔立ちをしていたものの、どうも傲慢そうな部分が目立つ。
どんな縁なのかまでは分からないが、せっかく同胞とこんな所で出会えたのだ。出来れば、仲良くした方がいいのだろうが。
若干、9歳の少女では年下の少年との付き合い方など、見当もつかない。
ただ、ルツは、彼の少年に手を貸してやらねばならないと考えていた。
自分たちは、独りでは生きていけないのだから。生きては、いけないのだから。
ルツの父は、薬草の栽培に携わっていた。どちらかというと、学者に近かったのだと思う。彼女の知る限り、父の名を冠した書籍があったと記憶している。父は、彼女に、森の歩き方、人でないものとの付き合い方を教え、そう教えこんだ。
そうして、力を持つものとしての在り方を解いた。
その言葉の意味を、ルツは知らない。理解してはいない。
ただ、父がそう言うのだから。きっと、そうなのだろう。
少なくとも、あの少年は一人なのだから。一人、だったのだから。彼よりも、少しはものを知っているルツは、助けてやらねばならないのだ。
せめて、その足元を照らす灯りを貸してやらねばならぬだろう。
(でも、どうやって話しかけるか。)
リドルは頭を撫でられたことに腹を立てたのか、あの後、一切口をきいてくれなくなった。時折、怒っているのか、靴が飛んでくることはあったがルツがそれを弾いてしまうために、余計にだんまりを決め込んでしまうのだ。
(・・・・・頭を撫でられるの、そんなにやだったのか。)
ルツの記憶の中では、父や母に頭を撫でられるのは、嬉しいことだったのだが。
ルツは、木を仰ぎ見た。
ざわざわとした音が、ルツには慰めの言葉に聞こえる。
魔法には、相性というものがあるそうだ。
呪文に関すること、何かを作ること、杖などを作ることとても相性というものがある。
ルツは、植物に関して才があるそうだ。
父を真似して、植物に話しかけては一緒に遊んでもらっていたものだ。
「おい!」
不機嫌そうな声に、ルツは振り向いた。そこには、不機嫌そうな顔をしたリドルが立っていた。
「何だい?」
ルツはリドルに振り返った。それに、リドルは出来るだけ自分が大きく見えるように背を伸ばして、ルツに近づいた。
「・・・・・勝手にいなくなるな。探したじゃないか。」
それにルツは目を丸くした。てっきり、嫌われたものかという予想は違っていたらしい。ルツは、リドルに少し迷うように顔を逸らして言った。
「ああ、すまない。」
つかつかと寄って来たリドルに、ルツは不思議そうに言った。
「何だ、怒っていたんじゃないのかい?」
「・・・・お前みたいに失礼な奴は嫌いだが。今は良い。」
自分を見上げて来た少年を、ルツは見つめ返した。リドルは、自分よりも目の前の少女の背が高いことが面白くなかった。
けれど、目の前の存在が、自分と同じものであるというのは事実なのだ。昨日から、何とかやり返してやろうと、足を引っ掛けようだとか、転ばせてやろうとしていたのだが、彼の力は彼女に害を及ぼすことは出来なかった。
自分の力をより使うためには、この女から話を聞きだすのが一番の近道なのだ。
「・・・・・お前は、僕と同じなんだよな?」
「私が、君と同じ力を持っているという意味なら、そうだけど。」
「なら、お前もどんなことが出来るか見せてみろよ。」
ルツは、それに頷いた。
といっても、未だ魔法学校にも入っていない身だ。出来ることなどほとんどない。ただ、ルツにも魔法といえるものを行使できないことはない。
ルツは徐に、木の下に落ちていた枝を拾った。そうして、リドルの元に近づき、その枝を彼に見せた。
リドルが興味津々でそれを見つめる。
ルツは、ただ、芽吹けと願った。すると、枯れ枝からは青々とした葉が茂り、花が咲いた。
リドルは目を見開き、それを見つめる。
その間に、花と葉は枯れ落ち、元の枯れ枝が残るだけだった。
「こんな所だね。」
「お前、僕と同じなんだな!」
「まあね。」
興奮気味のリドルを落ち着けるように、ルツは淡々と言った。そうして、リドルはルツの服を掴んで、叫んだ。
「僕に、魔法を教えろ!!」
その言葉に、ルツはまた、どうしたものかと悩む。確かに、ルツには魔力はあるが、教えることは出来ないのだ。
自分には、杖も無ければ、知識もない。
「いや、無理だ。」
「なんでだよ、お前も魔法を使ってるじゃないか。」
それはそうなのだが。
ルツは宥めるように言葉を重ねた。
「私たちが使っている魔法は、不安定なんだ。使いすぎると、暴走することもある。魔法を教えてくれる学校があるから、そこで学ばないといけない。」
「学校!?学校があるのか?」
リドルはキラキラと目を輝かせて、ルツにぎゅーと抱き付いた。ルツは、リドルもろとも倒れぬように、その体を支えた。
「どうしたら通えるんだ!?」
「十歳になれば、通えるほどの魔力を持っていれば入学許可書が送られてくる。」
「・・・・あと、三年も待たないと駄目なのか?」
「ああ、そうだね。私は、来年からだな。」
それにリドルは仕方がないこととはいえ、不公平さを感じているのか不機嫌そうな顔になる。
「・・・・魔法は、複雑で、多くの種類がある。例えば、物を浮かせるなんて簡単なものから、人を思い通りにするなんて複雑なものもある。」
「・・・人を、思い通りに?」
リドルは、ルツの台詞に目を輝かせた。それに、彼女は釘を刺す様に言って聞かせた。
「リドル、言っておくが、魔法はそんなにも万能ではないよ。」
「・・・・なんだよ、急に。」
「なあ、リドル、思い通りに行くことなんて早々ない。魔法を使ったとしても、出来ないことも、出来ることも、ある。普通の人と同じように。」
「僕は、特別だ!」
ルツの言葉に、リドルは激昂する様に騒ぐ。それに、ルツは、首を振る。
「いいや、少なくとも、私にとって君は同じものでしかない。」
君は、私にとって特別ではない。
ルツに悪意はなかった。ただ、彼女は心からの素直な感想であった。
それに、リドルは目を見開き、そうして固まった。リドルは、茫然と、ルツを見つめ、遮るように言った。
「違う!僕は、僕は特別だ!蛇とだって話すことが出来る!」
(蛇?)
その言葉に、ルツは何だったのかと考え込み、黙り込む。リドルは、それに恐れを感じたのかと勘違いしたのか、不敵に嗤う。
(何だったか、一定の血筋に蛇と話すことが出来る奴がいるって、確か父さんが。)
「・・・・・確か、ある血筋だけが蛇と話せるって聞いたが。」
「なら!」
「でも、それは、私と君が違うだけだ。君が、私とは違う何かを持っていただけだ。それは、髪や瞳の色が違うのと一緒で。」
それにリドルは悔しそうに顔をしかめた。カタカタと、周りに落ちていた石が揺れる。
ルツは、それを気にした風も無く、ただ不思議そうに問うた。
「どうして、そんなにも特別あることに拘るんだ?生まれてしまえば、誰もがある種、特別であり、平凡だ。多くの人間にとっての特別であることよりも、たった一人の特別になることの方が、ずっと難しいのに。」
「・・・・・何言ってるんだよ。たった一人の特別なんて簡単じゃないか。」
リドルは、ようやく重くなった口を開いた。
それは、ひどく、素直な疑問であった。大勢の特別になるよりも、たった一人の特別になることの方が難しいなんて。
なんだか、酷く難しい哲学を聞いているようだった。
「うん、ああ。ごめんね。分かりにくかったね。私は、誰かの唯一になることのほうが難しいって話だよ。人の心は、魔法では、変えられない。
大勢の特別であることは簡単だ。頭がよければ、容姿がよければ、何か、たった一つでも秀でたことがあれば。
けれど、唯一は違う。
これだけがいればいいなんて特別には、早々なれない。魔法だって、この願いは叶えてくれない。
父にとっての母のように。母にとっての父のように。」
「君は、誰かの特別になれるといいね。誰かの、唯一になれるといいな。私は、そうなりたいと思っているよ。」
そう言って、少女は微笑んだ。静かで、穏やかな、笑みにリドルはお月様を思い出した。
夜を照らす、リドルを傷つけない静かな光。
リドルは、ひどく感情が平淡になるとともに、ひどい悔しさを感じた。
だってそうじゃないか。
リドルにとって、皮肉なことにルツは特別であるはずなのに。今まで、いなかった自分と、たった一人だけおなじものだというのに。
ルツにとって、リドルは特別ではないのだ。
ただ、自分と同じだけで。
それが、なんだかたまらなく悔しい。
今の自分では、目の前の存在の特別にはなれないのだ。一方的に、自分が負けているのだ。
それを悔しいと、少年は思う。
この箱庭で、ずっと、ずっと、リドルは特別であった。特別であったのに。
リドルは、特別ではなくなった。
ただ、ここで吠えたてることは、少年のプライドが許さない。
ルツは、悔しそうな表情を不思議に思った。そして、ふとリドルの顔が赤くなっていることに気づく。思えば、外に出てから、時間が経っている。
「ほら、寒くなって来た。中に入ろう。話は、部屋でしよう。」
「・・・・・わかった。」
リドルは悔しそうに顔を歪めたが、それでも寒いことは寒かったのだろう。建物の方に足を向けた。ルツは、それに頷きながら、ふと、リドルの来ている服がひどく古びて、薄くなっていることに気づく。彼女は、それに、自分の着ていた上着を脱ぎ、リドルの肩にかけた。
リドルは、自分の肩にかけられた上着に驚き、肩を震わせた。そうして、驚いたような顔で、ルツを見上げた。
「君に上げるから、着ていきなさい。」
「・・・な、なんで。」
ルツはリドルの隣りに立ち、疑問に感じているのか、はてりと首を傾げた。ルツが見たリドルの顔は、怯えであり、不審であった。
それに、彼女は、出来るだけ素直な言葉を伝えた。
「リドル。私たちは、独りで生きていってはいけないからだ。」
「・・・・どういうことだ?」
「私たちは、普通の人よりも、ずっと知ることが多い。それこそ、この世の事ではないことも。だからこそ、迷いやすく、分からないことが多い。私は、君よりも、知っていることが多い。だから、私は、少しの間だけでも、君を守り、手を貸さなくてはいけない。私が、いつか、父にしてもらったように。」
私と、君は同じものなんだから。例え、少しの間だけでも、足元を照らす灯ぐらいは貸してやれるように。
そう言って、ルツは、柔らかに微笑んだ。リドルは、その表情と、暖かな上着に、何となく黙り込んでしまう。
「・・・・返せって言っても、返さないからな。」
「いいさ。まだ、上着はあるから。」
ルツは、リドルの手を握り、促す様に歩き出した。リドルは、それに素直に従う。
掴んだ手は、温かい。肩に羽織られた上着も、もちろん温かい。握られた、自分よりも少しだけ大きな手は、リドルにとって知らない感覚だった。
リドルは、ルツのいない部屋で、ベッドの上に丸まっていた。
部屋の中は、相変わらず寒い。けれど、昨日よりはずっと温かい。何故なら、昨日よりもリドルは厚着をしていたからだった。
リドルは、その黒い上着をぎゅっと抱きしめた。
初めてであった。初めて、奪うのではなく、義務でもなく、リドルは誰かに与えられた。
(・・・・くそ。)
リドルにとって、少女は特別であるのに。少女にとって、リドルは特別ではない。
それが、ひどく悔しかった。
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非日常の話
リドルが魔法界に行く時が早まってます。
次回からは少し、ルツ単体だけになります。
「・・・・・ルツに、面会ですか。」
その言葉に、アルバス・ダンブルドアは不思議そうな顔をした。
「ルツ・グリンが何か?」
「いえ、ルツ本人には問題はないのですが。」
「と、言うと?」
その日、ダンブルドアは新しくホグワーツ魔法学校の生徒になるルツ・グリンの面会のためにとある孤児院にやって来た。
そして、もう一人、何の偶然かは分からないが、その孤児院にいるというもう一人の入学予定者にも面会をしておこうと計画していた。
ただ、やけに渋られた反応にはさすがに反応せざるをえなかった。
「彼女は、良い子ですよ。大人しく、院の手伝いも率先してくれます。ただ、彼女と同室の、リドルがねえ。」
「リドル?」
その名前には聞き覚えがあったダンブルドアは、反復する様にその名を呼んだ。
「ええ。ルツが来てからはまだ大人しくなったんですが。他の子とよくトラブルを起こしていて。ルツは何くれとリドルの世話を焼いていますが。あの子、幾度か引き取りの話はあったんです。ですが、その話が出るたびに何故か立ち消えて。」
呪われている様で。
言外につけたされたそれに、ダンブルドアは顔を歪めた。
グリン、という名には覚えがあった。十数年前にも同じ姓を持った少年が一人、学校を卒業していったはずだ。
良くも悪くも、話題には事欠かなかった少年のことは、ダンブルドアもよく覚えている。
魔法族らしい苗字のルツのことは、おそらく彼の娘であることは予想は出来ていたが。
「ああ、ここです。」
ミセス・コールはそう言ってとある部屋の扉を叩いた。
「ルツ、あなたに面会です。」
開け放たれた部屋は狭く、小さな部屋に向かいあわせてベッドが置かれている。そうして、その真ん中に申し訳なさそうなキャビネットが一つ。
右側のベッドには、少年と少女は隣り合わせで座っており、革で製本された本を読んでいるようだった。
思っていた以上に仲睦まじ気な様子に、ダンブルドアは何故かほっとしてしまった。
ダンブルドアが部屋に入ると同時に、ミセス・コールが扉を閉める。それと同時に、黒髪の少年の方が素早く、年かさの少女の前に立つ。
ダンブルドアは、その後ろの少女に目を奪われる。
黄金の髪に、新緑の瞳は、彼の記憶する問題児とよく似ていた。
「・・・・こんにちは、ルツ・グリン。トム・リドル。私は、アルバス・ダンブルドアだ。」
トムと呼ばれた少年はダンブルドアをねめつける。
ダンブルドアは警戒心をあまり抱かれないように、近くに置いてあった椅子に座った。向かい合ったトムは、不審そうにダンブルドアを睨む。
そうして、吐き捨てるように言った。
「あなたは、ドクター?」
「いや、私は教師だ。」
それに、リドルは反論するために口を開こうとする。けれど、それよりも先に、ルツが口を開いた。
「アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア。」
それに、二人の目がルツに向けられる。ルツは本を閉じ、じっとダンブルドアを見つめていた。
「リドル、警戒しなくてもいい。この人は、ホグワーツの先生だ。」
「ホグワーツって、前に言っていた?」
「ああ、そうだよ。そこの、変身術の先生だ。父さんも世話になったそうだよ。」
その言葉に、リドルは不審そうな表情を引っ込めはしなかったものの一応は引き下がる様な仕草をした。
それに、ダンブルドアは少しだけ意外に感じた。
リドルという少年に対して、ダンブルドアは、少しだけ遠い昔の親友と同じものを感じていたのだが。
リドルという少年のルツへの対応は、庇護しているという言葉がよく似合っていた。
それ故に、意外であった。
リドルという少年にとって、ルツという少女は守るに値する何かがあるようであった。
「・・・・・そう言えば、ホグワーツへ入学する年でしたね。手紙は、来ていませんが。」
「ああ。それは私が持って来たのだよ。ディペット校長の梟は年老いていてのお。」
「はあ。」
ダンブルドアはそう言って、どこからか蝋で閉じられた封筒を差し出した。ルツは、それを破り、中を見る。
そこには、ホグワーツの名と、己の名前が確かに書かれている。ルツはそれを確認すると、手紙をじっと見つめているリドルに差し出した。
「いいの?」
「別に良いよ。」
リドルは恐る恐るその手紙を受け取り、手紙を眺める。それを確認して、ルツはダンブルドアを見上げた。
「・・・・ところで、何故、あなたが私にわざわざ?」
「いやのお。魔法使いの保護者がおらんものの所には、我らが行くことになっておるんじゃ。ダイアゴン横丁に行く術もないじゃろう?」
「ああ、それなら納得です。なら、これから学校のものを買いに行くんですか?」
「おお、そうしようと思っておるが。大丈夫かの?」
「ええ。構いません。」
その時、リドルがルツの服の裾を引いた。それにルツは顔をリドルに近づける。
「本当に大丈夫なのか?」
「・・・・・そう言われると。なんか不安になって来るな。」
ルツがちらりとダンブルドアを見た。
確かに、そう言われると、自分はダンブルドアという人物の顔を知らないのだ。目の前の存在が、どこぞの人さらいではないという保証はない。
ルツとリドルは、そっとダンブルドアから距離を取った。
それに、ダンブルドアはおっほんと咳払いをして、おもむろにキャビネットの方を見た。
「あー。それでは、そうじゃの。少しばかり魔法を見せようではないか。」
そう言うと同時に、キャビネットが燃え上がる。
ルツとリドルは目を見開き、それを見つめた。そうして、リドルが叫んだ。
「止めろ!」
「・・・・どうやら、中のものが出たがっているようじゃの。」
その言葉に、リドルよりも先に、ルツがキャビネットに向かった。リドルは、それに思わずなのか、苦い表情を浮かべる。リドルは慌てて、その後を追う。
ルツは、燃えるキャビネットをものともせずに、中を開ける。
キャビネットの中には、ルツとリドルの上着や、私物が入っている。
そんな中に、ルツの見慣れないブリキ製の箱ががたがたと揺れていた。ルツがそれを手に取ると、その揺れは収まった。
「・・・・リドル、君こんなの持ってたか?」
リドルは、そのブリキ製の箱を見て、顔をしかめた。そうして、ゆっくりと顔を背けた。
ルツは、リドルの顔に、ああと頷きブリキの箱を開けた。
ダンブルドアもそれを覗き込めば、中には子どものおもちゃやらが雑多に入っていた。
ダンブルドアは、それがリドルが他の子どもから奪ったものであることを悟り、警告するように言った。
「人から、物を盗んではならん。」
何となく、いけ好かないと感じていたが、その言葉でリドルは本格的にダンブルドアという存在を嫌いだと感じた。
(・・・・・ああ、嫌な目だ。孤児院の、僕を疎ましそうに見る大人と同じ目だ。)
ただ、その魔法の腕に関しては、好奇心をくすぐられる。自分も、あれほどの腕を持つことが出来たのなら。そんな、認めたくはないが羨望を感じさせられた。
そこで、リドルは自分を見るルツに気づく。
リドルは、思わずルツから視線を逸らした。
ダンブルドアはリドルが視線を逸らしたのが、ルツであることを何となく察した。ルツはというと、ブリキの箱を持ってリドルに不思議そうに問いかけた。
「なんだい、リドル。君もこういうおもちゃ欲しかったんじゃないか。」
「違う!」
「恥ずかしがることも無いじゃないか。へそくりが貯まってるんだ。今度、買いに行こう。」
ルツはそう言ってまるでとっておきの秘密を話す様に、リドルに囁く。リドルは、ルツのその言葉に苛々としながら首を振る。
「頭湧いてるのか!違うって言ってるだろ!!」
どうして、この女はいつもこうなのだろうか。リドルの意図を微妙に湾曲して彼女は行動する。ブリキの缶に入っていたものたちは、リドルが仕返しに彼らの宝物をコレクションしていたに過ぎない。
盗ること自体が目的であって、盗ったもの自体に興味はないのだ。
「なら、どうして盗ったんだ?またなんかやられたのか?」
重ねて問われたそれに、リドルは動きを止めた。思わず、また視線を逸らしてしまう。それは、そうだと言っているのと同義だ。ルツは、全てを察して、ため息を吐く。
「リドル、何かをされたのなら、私に言えって言っただろう。誰にされたんだ?」
「何でもないって言ってるだろう!」
「なら、どうして盗ったんだ?」
「あー、もう!分かったから、返してくる!」
リドルは逃げるようにブリキの箱をひったくって扉を開けた。
リドルは、どうしてもルツに意地悪したという事実を隠したかったのだ。これ以上掘り返されるぐらいなら、コレクションを返す方が数倍ましだと考えられた。
さっさと行こうとしている後を追いかけるように、ルツが声を掛けた。
「リドル、それを返したら、一緒に魔法街に行こうか。」
「え?」
「先生、いいですよね。あの子も魔法族なのですから。」
「ああ、構わんが。」
その言葉に、リドルは顔を輝かせた。けれど、それを悟られるのが嫌なのか、表面上は冷静を装っていたが、その足取りは何よりも素直であった。
「・・・・ルツよ。」
「はい、何でしょうか。先生。」
「リドルのやったことをどう思う?」
ダンブルドアは、ルツという存在を善良なものであると感じていた。彼女は、確かにリドルという存在を大事にし、魔法界に連れて行ってやろうとしているのだ。
だというのに、ルツはリドルのした盗みということを咎めなかった。
返す様にということを促したとしても、その理由を問うても、ルツはリドルの罪を罰しようとはしなかった。
ダンブルドアは、ルツという存在を、測りかねていた。というよりも、自分と彼女の間に、何か、絶対的な溝があるように思えた。
悪ではないと分かっている。ただ、ルツの行動は、善でもなかった。
「さあ、どうとも?」
それに、ダンブルドアは口を閉じた。
悪いことでも、肯定するわけでも、ルツは心の底からどうでもいいというようにそう言い捨てた。
「・・・・何故かね?」
ダンブルドアは、そう問うた。
素直に問いかけをしたのは、ルツの父は、問えば応えることは答えてくれたためだった。ダンブルドアには理解の利かない返答であってもだ。
「物を盗られた彼らは、そうされても仕方がない理由があるからです。」
「・・・・それは、ふむ。どういった理由かの?」
「私たちは、事実、この孤児院には上手く馴染めていません。どうしても、力には制御が利かなくなることがあります。そうして、私たちが異分子であることは、共に生活していれば気づきます。先生、生きているものは残酷です。」
先生、知っていますか。魚も、群れを成せば一匹を標的にいじめられるんですよ。
ルツは、静かに微笑んだ。悲しそうだとか、苦しそうだとか、感情といえるような確かなものなどない、穏やかな微笑みであった。
その穏やかさが、ルツの言葉の何とも言えない残酷さを増させていた。
「私が来てからは、まだ、そういったことは減りましたが、リドルを殴ったり、ご飯を奪ったりするものはいます。大人に言っても、なくなりません。リドルは力を示さなきゃ甚振られるままです。私も同じです。甚振られるなら、私は抵抗します。」
先生、抵抗することはいけませんか。弱者のまま、傷つけられ続けることは、正しいのでしょうか。
ねえ、先生。
その声音は、無垢であった。無垢で、無邪気で、幼子のような素直な問いかけだ。
ダンブルドアは、それに、思わず目を閉じた。
その問いかけは、遠い昔に、誰かにしたことがあるものに似ていた。理想的で、きらきらと、美しく輝き続ける、そんな問いであった。
けれど、その果てに、その問いはあの子を傷つけた、殺して、しまった。
ダンブルドアは、誰かに胸をナイフで抉られるような痛みを感じながら、囁くような、絞り出すような声で言った。
「それでも、そうやって力を振るい続ければ、いつかその力はお前さんたちに帰って来る。傷つけられ続けるだけなのじゃ。やられたからやり返し続けていては、終わらんのじゃ。」
ルツは、その言葉の、その声の後ろにあるダンブルドアの後悔をみた。苦い、苦い、後悔を見た。
けして、納得しているわけではないけれど。けれど、そのひねり出すような声に、ルツは頷くことしか出来なかった。
(・・・・でも、どうしようか。確か、打撲を治す魔法薬があったはずだし。何とかそれを学校で覚えて、リドルに持たせてやらなくちゃ。)
ルツは、傷だらけのリドルを想ってそんなことを考えた。
漏れ鍋という寂れた古いパブの先。その大通りに足を踏み入れた時、リドルは魔法界がこんなにも身近に隠れていたのかと、愕然とし、そうして感動した。
基本的に、リドルは職員と共に居なければ外に出ることは出来ない。問題ばかりを起こすリドルを外に連れて行こうという奇特な存在もおらず、いくら外に出ることは出来なかったと言っても、こんなにも身近に己に望んだ世界があったのだ。
ルツは、自分の目の先に広がった世界を少しだけ懐かしそうに見た。
幼いころ、数度、父親に連れられて行ったことがある。
リドルは、自分の目の前に広がる夢のような世界を、きょろきょろと見回した。
とんがり帽子やマントを羽織った通行人はまさしく魔法使いに相応しく、立ち並ぶ店の数々はリドルには理解は及ばずとも、ひどく非日常に相応しいものが並んでいる。
そんな店の前では、井戸端会議に勤しむ女性たちが、何故かライトアップまでされている箒の前には同い年ぐらいの子どもたちがキラキラとした目をして並んでいる。
その他にも種々様々な魔法の品と思しい売り物がたくさん陳列されている。
そこで、リドルははっと我に返り、そっと後ろを窺った。ダンブルドアの姿があった。それに、リドルは、腹の底からかーっと、恥ずかしさがやってくる。
リドルの後ろには、にこにこと自分を微笑ましげに見つめるダンブルドアがいたのだ。はしゃいでいるなんて場面を見られたことに気づき、リドルは動揺する内心をプライドでねじ伏せて、何もなかったかのようにつんとおすましするように顔を上げた。
「リドル、はしゃぐのはいいけど迷子には気を付けてくれ。」
「はしゃいでなんていない!」
が、そんなリドルの慎ましやかなプライドに気づくこともなく、ルツはのんびりとそう言った。
ルツは、何故怒られているのか分からないという顔をした後に、リドルに向けて手を差し出す。それに、リドルは不機嫌そうな顔になる。
「リドル、私がはぐれてしまいそうだから、手をつないでくれないか?」
が、ルツの言葉にリドルは少しだけ考えるような仕草をした。
ルツという少女は、確かにしっかりしている様で、気を抜くと驚くほどにふっといなくなる。孤児院の中でさえも、消えてしまうほどにぼんやりすることがあるのだ。リドルは、一瞬で、ダンブルドアとルツを探し回る未来を想像して、その手を握った。
(・・・・まったく、僕がいないと変なことに巻き込まれるんだから。)
それと同時に、ほんの少しだけいつも年上面をしている相手に頼られるというシチュエーション自体には優越感を感じて悪くない。
ただ、後ろでにこにこと微笑まし気に眺めて来るジジイのことを考えなければ。
その予想通り、ダンブルドアは目の前で繰り広げられる幼い子どもたちのやり取りを微笑ましく見つめていた。
ダンブルドアは、どこか安心さえしていた。リドルという少年の幼さというものを目のあたりにし、彼が思っている以上に年相応の少年であることを知れたのだ。
翁の青い瞳は、そのきらきらと輝く知性の端々に、何とも言えない悪戯を成功させた幼さを垣間見せていた。
「それでは、二人とも、学校のものを買う前に、金銭を下ろしてこねばの。」
「・・・・ルツ、持ってるの?」
「ああ、父さんの残してくれた分がある。」
「なんでそんなのあるのに、孤児院なんかに来たんだ?」
ルツは、どこからか古く、大きなカギを取り出した。それを見たリドルの言葉に、ルツは困ったように笑った。
「ああ、金があっても、世話をしてくれる親戚もいないし。さすがに、子ども一人で暮らすのは無理だったんだ。母さんが死んだとき、丁度孤児院を紹介されてね。金自体は、学校とかのために取っておきたかったからさ。」
リドルは、それに、自分が学校に行くときの資金について考える。その不安を察したのか、ダンブルドアがリドルに言った。
「安心しなさい。そのようなときのために、援助する制度もある。」
「・・・・そうですか。」
「さて、グリンゴッツに行こうかの。」
「グリンゴッツ!?」
ルツが、その名前をキラキラとした目で言い返した。
「あれですか!前に来た時、ものすごい楽しかったんだ!」
「たのし、かった?」
「ああ!」
その反応に、リドルは嫌な予感を感じながら、恐る恐る頷いた。
「あああああああああああああ、うそつきがあああああああああああ!!」
「あははははははははははははははははははははははっはははっはは!!」
結論だけを言うならば、グリンゴッツのトロッコ路線には、少年の叫び声と少女の笑い声で満たされた。
「・・・・リドル、そんなに怒らないでくれ。楽しかっただろう?」
「・・・・さあね。」
グリンゴッツを出たリドルは心の底から不機嫌そうな顔で、ルツから顔を背けた。繋いでいた手も解き、つかつかとルツの前を歩く。ルツは、どうやって機嫌を取るかと唸る。そうして、すぐに何かを思いついたのか、こっそりと囁くように言った。
「リドル、誕生日のプレゼント、まだだったっけ?」
「・・・・・・そうだけど。」
「お金、少しあるから後で何か贈るよ。」
その言葉に、リドルはちらりとルツの方を見た。そうして、呟くように言った。
「・・・・何でもか?」
「うーん、さすがにあまり高いものは無理だが。ある程度なら、奮発しても構わない。元より、その気だったしな。」
「まあ、別に気にしてないからいいけど。」
リドルは不機嫌そうではあったが、その言葉には素直に従い、またルツの手を握った。それに、何とも言えない和やかさを覚えながら、ダンブルドアが声を掛ける。
「それでは、プレゼントの前にルツの学校用具を買いに行こうかの。教科書やらは買っておく。ルツ、お前さんは学校の制服を作っておいで。」
「そうですね。二度手間になりますし。」
「制服作るって、どこでですか?」
「リドル、君は先生について行きなさい。」
「え?」
リドルは当たり前のようにルツについて行こうと考えていたが、ルツの言葉を反芻した。
見る見る不機嫌そうになっていくリドルに、ルツはのんびりといった。
「服を作るには時間がかかるし。君は、ダンブルドア先生と一緒に行った方が魔法界のことをもっと見られるだろう。それに、実際何を売ってるか見た方が、プレゼントを決めやすいだろう?」
「・・・・それは。」
リドルは出来れば、この自分を観察するような目をする老人とは御免こうむりたかった。ただ、ここでルツについて行くと言って理由を聞かれるのもごめんであった。
ルツにべったりであると思われたくもない。
リドルは素早く頭の中で、どちらのほうがましであるかと考える。
「・・・・絶対に終わった後に、一人でふらふらとするなよ。」
「ああ、大丈夫、ちゃんと待っているよ。」
ルツはそうのんびりと返すが、リドルははあ、と呆れたようにため息を吐いた。
からん、とベルの音と共に入った店、マダム・マルキンの洋装店の中は、少々混雑していた。
ルツは、今までの道中で散々言われたリドルからの注意を頭の中で反芻して、店に入る。
店の中は、自分と同じほどの子どもたちが、親を連れ立って制服の採寸を行っている。
「あら、ホグワーツへの新入生ですか?」
「ああ、はい、そうです。」
ルツは自分に近寄って来た藤色の服を着たふくよかな女性に頷いた。
「なら、ここに乗ってくださるかしら?」
そう言われた台に乗ると、ふよふよとメジャーが勝手にルツの採寸を済ませていく。黙ってされるがままにしていると、隣りの台に誰かが経つことが分かった。
「・・・こんにちは。」
一応と挨拶をすれば、隣りの少年はそれに反応した。
「ああ、ごきげんよう。」
やけに気取った声の少年は、あらためてルツを見た。
少年は、見事なプラチナブロンドをオールバックに固めていた。彼の造形はハンサムといってよかったが浮かべた見下すような表情のためか、傲慢さが前面に押し出されていた。
見た所、服事態も上等なもので、なかなかの地位の家の子どもであるようだった。
(・・・・純血主義の家の子か?)
早々にあたりを付けたルツは、採寸に戻るために前を向く。
「見た所、僕と同じ新入生かな?名前は?」
「新入生だけど。そういう君は?」
「ああ、これは失礼。僕はアブラクサス・マルフォイ。さて、君は?」
「マルフォイ?」
その名に反応したルツに、マルフォイは少しだけ表情を和らげた。
マルフォイと言えば、『聖28一族』が一つ。名乗り方や雰囲気からして、もしかすれば次期当主だろう。
(あんまり、あそこら辺とうちの一族は相性が良くないって父さんは言ってたっけ。絡まれて遅れたなら、リドルが煩いなあ。)
さりとて、ここで名乗らぬわけにもいかずルツは、言葉少なに名乗りを上げた。
「・・・・ルツ・グリンです。」
「・・・・グリン?あのグリンかい?」
マルフォイは少しだけ年相応の素直さで、グリンという名を読んだ。ルツは、はいと答えた。
「・・・・なるほど、グリン家が僕と同じ年とは。君たちの悪食は、かねがね聞いているが。実際に見るのは初めてだ。」
「悪食、ですか。」
「ああ、君、ところで。」
そこで、ルツの採寸が終わった。ルツは、これ以上絡まれると遅れてしまうかもしれないと台から降りる。別にこのまま話してもいいのだが、リドルの機嫌を取るのは面倒なのだ。
「すまないが、人を待たせてあるので。」
「ああ。そうかい。それなら仕方がないが。ところで君は、自分がどこの寮に入ると思う?」
割り込ませるような台詞を、アブラクサスはルツに聞いた。そうして、付け加えるように聞いた。
「ゴドリック・グリフィンドールの子孫として、グリフィンドールかい?」
「さあ。あなたのように、自分の在り方を一つと断じれるほど、己を知らないので。」
ルツの素直な感想として、言葉を吐くと、さっさと彼女は店員へと歩いて行く。その後を、アブラクサスはじっと、後を追うように意味深に眺めていた。
「・・・・・遅い。」
リドルは、ぼそりと不機嫌そうに呟いた。それを、本などが詰め込まれたトランクを持ったダンブルドアがなだめるように言った。
「そう言うではない。レディーの身支度とはえてして長いものじゃよ。」
二人は丁度、洋装店の前で待ちぼうけを食らっていた。
揶揄う様な声に、リドルは思わず吐き捨てた。
「あいつのどこがレディーなんだか。」
「ほう、それはどういったところかの?」
その言葉に、リドルは思わず黙り込む。話してもよかったのだが、その、ルツがレディーでないという理由を話しても信じてももらえないだろうと感じていたのだ。というか、リドルでさえ、実際見ていなければ信じなかっただろう。
というか、若干トラウマである。
あれは、ルツの前で初めてリドルが意地悪をされていた時の事だった。その時、リドルは丁度、ルツに貰った真新しい上着を着ていたのだが、少しだけ年上の少年たちに上着を盗ったのだろうと、無理やりに奪われそうになっていた。
のだろうと、無理やりに奪われそうになっていた。
その場面に出くわしたルツは、慌てて弁解したが、リドルを気味の悪いものだと断じていた少年たちがそんなことを聞くはずも無い。
そうして、少年たちは何よりも、そこそこ見目の良いルツがなんだかかんだとリドルに構うことを面白く思っていなかったこともそれに拍車をかけたのだろう。
とうとう、リドルをバケモノだと言い始めた彼らに、リドルは呆れた。目の前の存在でさえも、彼らの言うバケモノであるのだ。
ルツは、静かに目を細めた。リドルは、内心ではワクワクしていたのだ。もしかすれば、ルツの魔法を見ることができるのではと。
けれど、予想に反して、ルツは、無言で足を振り上げ、そうして少年たちの股間に一発ずつ蹴りを入れたのだ。
予想外のそれに、少年たちは蹲る。ルツは、そうして、短く言った。
「・・・この上着は、私がリドルにあげたものだ。君たちにどうこう言われる筋合いはないよ。」
短く発せられたそんな言葉も、痛みにもだえる彼らには届いていないだろうに。そうして、ルツは、リドルを連れてその場を離れようとするが、そこで立ち上がった一人がルツに殴り掛かろうとする。
が、ルツは、それをひらりと躱して、足を引っ掛け転ばせると、また無言でその腹に突きを一発加える。
三、四人ほどいた悪ガキどもは、ルツに触れることも出来ずに痛みに悶絶して廊下に転がった。
ルツは、それを冷静に眺めて、同じ目に遭いたくないなら、二度と下らないことはするなと言い捨てて、リドルを連れ出した。
リドル、魔法族でない者、マグルを黙らせたいなら物理の方が早いぞ。というか、魔法で殴るよりも、拳で殴った方が手っ取り早いぞ。
そんな爽やかな顔で言うことじゃないだろうと、リドルはドン引きした。
少しだけ、ルツに母親という存在を重ね合わせようとしていた部分もあるために、ものすごくしょっぱい気分にもなった。
というか、あまりに鮮やかな立ち振る舞いに少しだけ感心した。
その後、あの悪ガキたちはルツに殴られたことを訴えたそうだが、もちろん信じられることはなかった。
普段から大人しく、手伝いを進んでする彼女がそんなことをするなんて信じる存在がいないのは、当たり前といえば当たり前だろうが。
(・・・・魔法使いなのに、殴った方が早いって。)
確かに少年たちは、それからルツにもリドルにも何かしてこようとはしなかったが。リドルの胸には、なんだかなあという感覚は確かに残り続けている。
あの鮮やかな蹴りや突きを見た瞬間から、なんだかルツに逆らう気が失せたのも事実だった。少なくとも、今の所はルツには勝てないだろう。
リドルのそんなしょっぱい感覚を知る由もないダンブルドアは、重ねていった。
「・・・・あの子とは、仲がよいのか?」
「・・・・ええ、数少ない同類ですから。院の皆は、意地悪ですから。」
言葉少なのそれに、ダンブルドアは戒めを、少しだけ付け加えた。
魔法を使って誰かを傷つければ罰則があること、学校でそのようなことをすれば最悪退学であること。
「努々、忘れてはならんぞ。」
「・・・・はい、分かっています。」
その素直な言葉に、ダンブルドアは少しだけ言い過ぎたかと己を戒めた。
確かに少年は、どこかダンブルドアの旧友を思わせるが、あの少女が近くにいることを考えれば大丈夫だろうと判断した。
けれど、そこで、リドルはダンブルドアを見て、微笑んでいった。
「先生、ところで、一つ聞きたいんですが。」
「なんじゃろうか?」
「・・・・僕は、蛇と話が出来ますが。これって、珍しいですか?」
その言葉に、ダンブルドアは、思わず黙り込んでしまった。殺すことのできなかった動揺に、リドルはぞっとするような美しい笑みを浮かべた。
「・・・・稀では、ある。」
「そうですか。」
リドルは、深くは追及せずに、そういって黙りこんだ。
ダンブルドアは、そのリドルの行動に、己の考えを改めることを決めた。
リドルは、見事に、自分にとっての奥の手であるパーセルマウスであることを最高の瞬間で示して見せたのだ。己が特別であるという事実に確信を持って、ダンブルドアに示した。
それを、ダンブルドアは空恐ろしくなる。
そうして、改めて、ダンブルドアはリドルという存在から目を離すまいと固く誓った。例え、彼女の存在があっても、周りのために、そうして本人の為にも、そうすべきであると感じた。
彼が、間違いを起こす前に。
遠い昔、自分が止めることのできなかった、関わるべきでなかった、あの間違いと同じものが、起こらぬようにと、固く誓って。
リドルは、ダンブルドアの反応に確信を持った。
己は特別であるのだと。
蛇と話せるという事実は、特別なのだ。魔法使いという枠組みの中でも、自分は特別であるのだと確信が出来た。
自分よりも魔法に長けた老人さえも恐れる何かを、自分は持っているのだ。
(・・・・けど、ルツは驚かなかった。あれは、きっと、ルツも特別だからだ。)
きっと、ルツは自分と同じぐらいに特別であるから、自分に驚かなかったのだ。それならば、仕方がない。自分と同じものがいることは腹立たしいが、自分が特別であるという事実には変わりはない。
リドルは、今日見た魔法界というものを想って微笑んだ。この場所には、リドルの嫌う孤児院のような奴らはいないのだ。
そう思えば、そう思うほどに、リドルにとってここが素敵な場所のように思えてならなかった。
「・・・おい、大丈夫か?」
「うーん、大丈夫。」
ルツは最後に杖を買うためにと歩く道すがら、リドルに殆ど引っ張られるような足取りで、歩いていた。ふらふらとしたそれは、今にも倒れ込んでしまいそうだ。それを、リドルは慣れた様子で先導する。リドル自身、杖を売る店には興味があり早く行きたかったのだ。
ダイアゴン横丁の通りを暫く歩くと程なくしてその店はあった。
オリバンダー杖店。
看板には紀元前三八二年創業と書かれてある。事実だとすれば相当な老舗であることは間違いない店だった。リドルは、内心で本当なのかと胡散臭く思う。
ルツとダンブルドアに連れられて、店に入った。
ショーウインドーの外からでも十分に分かるくらい、店内にはものがぎっしりしている。
長方形の箱がずらりと縦に横にと、棚に並べられている。おそらく、その多くの箱のひとつひとつに杖が一本ずつ入れられているのだろう。
「おお、ダンブルドア教授、お久しぶりです。」
「こんにちは、ミスター・オリバンダー。お元気そうでなにより。」
入店を知らせるベルが鳴るや否や、奥の方からすごい勢いで梯子に乗った男性が現れた。
興奮した面持ちでダンブルドアに声を掛けた。
リドルはそれに、考えれば、ダンブルドアと共に居ると視線を多く貰ったが、やはり高名な魔法使いなのかと察する。
そこで、ダンブルドアとオリバンダーの注目はルツとリドルに移っていた。
「今日はこの子たちの付き添いで?」
「いや、女の子の方だけじゃよ。世界最高の杖を、と思っての。」
「はっはっはっは。それは光栄な事ですが。おや、もしかお嬢さん。グレイ・グリンのご息女で?」
「・・・・ええ、そうですが。ルツ・グリンと言います。」
「おお!覚えておりますとも!ヨーロッパナラの木に、ヴィーラの髪!変わり者中の変わり者の杖でした。娘であるあなたも、杖を選ぶのには苦労しそうですが。杖腕は?」
その言葉に、ルツは左手を差し出した。
オリバンダーは苦労しそうと言いながら、うきうきとしてその手に杖を乗せた。
リドルは、杖腕は何だと思っていたが、ルツの仕草からして利き腕で良いことを察した。
「ヨーロッパナラにユニコーンの毛。」
ルツは渡された杖を振るが、棚に並んでいた箱が雪崩になって落ちる。オリバンダーは杖をすぐに回収すると、また新しい杖と取り換えてゆく。
「うーん、難しい。だが、グリン家は大抵、ヨーロッパナラや黒檀が多いのだが。」
オリバンダーがそう言って、杖を物色する。十数本ほど試しても、杖は決まらない。そんな中、ルツがとある棚を指さした。
「すいません、あれ、見せていただけませんか?」
「あれ?」
ルツが指さしたのは、棚の一番上の、隅にある埃を被った箱だった。オリバンダーは少しだけ考えるような仕草をした後に、その箱を手に取り、ルツの手に乗せた。
「・・・・・マツにセストラルの尾毛。強力だが非常に扱いにくい。」
一度杖を振った。
すると、ルツの足下から、見る見るうちに大木が育っていく。オリバンダーの店には、青々とした緑が茂った。
そうして、ふっと、まるで夢幻のように消えてしまう。
オリバンダーはそれに、叫ぶように言った。
「・・・・・わしは、己で売った杖はすべて覚えておる。グリン家の者は、植物や動物と相性の良いヨーロッパナラか、黒檀であることが殆どであった。お嬢さん、あなたは、もしやすれば、今までの一族とは変わったことを成すのやもしれません。」
そういって、オリバンダーはじっと、ルツの杖を見た。
「マツにセストラルの尾毛。長寿であり死を受け入れる。本来ならば、合わせることはないものたちであるが。所有者に会えて、幸運じゃ。」
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日常の話
時系列的に同い年でない人が同い年になっている人がいるのでご注意ください。
というか、マクゴナガル先生、リドルよりも十ぐらい違うんですね。
リドルは、ベッドの中でもぞもぞと寝ぼけた頭を叩き起こした。
ダイアゴン横丁から帰って時間が経った。リドルは、憂鬱な気分になる。今日という日が出来るだけ遅く来るようにと願っていたが、そうは問屋が卸さなかった。
その憂鬱さを振り払うように、リドルはいの一番にベッドを付けている壁に向き直った。孤児院の壁はボロボロで、くみ上げられたレンガが丁度外れるのだ。
リドルは、それをそっと外した。
レンガの中は、ぽっかりとした空間が広がっており、中には指輪が入っていそうな上質な小さな箱が入っている。
リドルはそれを手に取り、そっと箱を開けた。
中には、銀色の小さなペンダントが入っている。ただのペンダントではない、中には小さな鏡がはめ込まれている。
この鏡は両面鏡といい、特殊な作りらしく、マグルでいうところの電話のようなものらしい。
ホグワーツにいる間、手紙以外に連絡手段がないのは不便だから、ということでリドルがねだった呪文集のほかにルツが送ってくれたものだ。
リドルは、いつもは必死に隠している感情を、その顔いっぱいに広げた。そうして、その真新しいペンダントをうっとりと眺めた。
それは、リドルだけのものだった。
誰かが使っていたわけでも、誰かと共有しなくてはいけないわけでも、いつか誰かにゆずらなくてはいけないわけでもない。
リドルだけのものだった。リドルだけに与えられたものだった。
ルツとダイアゴン横町から帰って来た日、リドルはそのままぎりぎりまでダイアゴン横丁に居たかったのだがルツが断った、からずっと暇さえあればそのペンダントを眺めていた。
自分だけのもの、自分だけに与えられたもの。
赤子のまま孤児院に入れられたリドルの私物といえるものは、全てが誰かに譲られたものだ。本当の意味で、リドルだけの物はない。
そのために、ルツのくれたペンダントは、それだけ特別なもののように思えた。
孤児院の自分を虐める存在たちに盗られてはたまらないとそこに隠しているが、叶うなら肌身離さず持っておきたいものだ。
そこで、リドルはとんとんと、廊下を歩く音を聞いた。ペンダントを素早く隠し、ベッドから降りた。
こんこん、とノックの音が響く
がちゃりと扉を開けたのは、ルツであった。
「リドル、起きてるか?」
「・・・・起きてるよ。」
不機嫌さを隠そうとしたが、どうしても漏れ出てしまう。ルツは、そんなことを気にすることも無く、いつも通りであった。
「そうか、ならはやく着替えなさい。朝食の用意が出来るから。」
「うん。」
「・・・・もう少ししたら、私は学校行きの列車に乗らなくてはいけない。見送り、してくれるんだろう?」
「分かってるよ。」
下で待ってるからな。
ルツはそう言って、部屋を後にした。リドルは、とことこと小さな足音を立てて、キャビネットに近づいた。中をのぞくと、そこはリドルの私物と、ルツが退屈しないようにと置いていく数冊の本しか入っていない。
今日はリドルが来るなと願い続けた日、ルツがホグワーツへ入学する日だ。
「・・・・リドル。それじゃあ私は行くが。」
ルツが言いにくそうにリドルに言った。
二人は孤児院の門の前にいる。ルツは、マグルの中では目立つからと魔法のかかった小さなトランクを持っているだけだ。
「暇になったら、置いてある本を読んで。寒くなったら私の所にある、毛布を使いなさい。お前さんも使ったことがあるから知ってるだろう?布団に居れれば温まる様に父さんが加工してくれたものだ。あと、仕返しをするのは良いが、あまり目立つことをするな。面倒事は御免だろう?」
ルツは、黙り込んだリドルに言い含めようと言葉をかけていく。リドルは、不機嫌そうに地面を見つめたままだ。
どうしたものかと、ルツは悩む。
「何かあれば、鏡に話しかけてくれ。授業なんかで応答は出来ないが。夕方や朝なら大丈夫だから。」
「・・・・・分かってる。」
完全に分かってないだろうに。
子ども扱いされることは大嫌いなのに、こういったことに関しては徹底的に子どもなのだ。
リドルは、良くも悪くも、そう言ったところが年相応だ。
「・・・・そろそろ、私は行くが。」
「・・・・なあ。」
「うん?」
ルツはリドルのほうに体を近づけた。ようやく、言葉らしい言葉に、どうしたどうしたとルツはリドルの言葉を待った。
リドルは、顔を下に向けたまま、呟くように言った。
「・・・・お前の父親の本、置いていってくれ。まだ、全部読めてないから。」
リドルの口にしたその本、というのはルツの持っている父親の形見であった。一応は、革表紙でまとめられた本という体はなしているものの手描きの紙の切れ端をまとめ上げたものだ。
ルツの父親が個人的にまとめたもののようで、魔法生物や植物に関してのものだった。ルツは、それをリドルに好きに読んでいいと許可を出していた。
その行為は、リドル自身がルツという存在を気にかけるきっかけであった。
自分の宝物を、それも大事にしているらしい父親の形見を他人に好きに触らせるということがどんな意味であるか。
リドルには、そんな形見なんてないが、もしあればそれを赦すことなんてないだろう。
リドルが、ルツにそれを願ったのは、単に彼女を困らせたかっただけだった。
自分を置いて、仕方がないとはいえ、先にホグワーツに行くなんて。
リドルは、ルツから謝罪が来ると思っていたが、それに反して聞こえてきたのはトランクを開ける音だった。
「ほら。」
リドルは驚いて、顔を上げれば自分の顔の前には古びた分厚い革表紙の本が差し出されていた。
驚いたリドルは、思わずその本を受け取った。見上げたルツは、普段のぼんやりとした顔とは違い、柔らかく口元に弧を描いて微笑んでいた。
「・・・・リドル、私がそれを君に預けるのは、君がそれを守れる者だと信じているから。」
意地悪な奴らに、盗られたりしないでしょう?
その言葉に、リドルは、なんという感情を抱いたか、分からなかった。
ただ、ぎゅっと渡された本を抱きしめて、こくりと頷いた。
「・・・行ってらっしゃい。連絡、しろよ。」
「ああ、当たり前だ。君の助けになることが、私の役目なのだから。」
少女はそう言って、立ち上がり、トランクを持った。
そうして、幾度も、幾度も、リドルを振り返りながら、ゆっくりと道を歩いて行った。
リドルは、その背が見えなくなるまでずっと見送っていた。
宝物のように、その本を抱えて。
キングス・クロス駅。
一八五二年からロンドンの重要な窓口として機能しているこの駅にはその日、なんだかひどくおかしな人たちで溢れかえっていた。
時代錯誤な服装に、道化じみた装飾品を身につけた、なんだか変わった人たちが駅を歩き回る。
ルツは、そんな集団をすいすいと抜けて、無言でダンブルドアに示された場所に向かう。
それは、一見すればただの柱のようにしか見えない。九番線と一〇番線の間にある、レンガ造りの壁だった。
ルツは、その壁の前に立つ集団の後ろにそっと並び、そうして続くように壁の中に飛び込んだ。
文字通りに抜けた先には魔法族専用のプラットホームが広がっている。
ホグワーツへの唯一の道であり、魔法族だけの秘密であり不可視の入り口は通り抜けるには少々勇気がいる。
ルツは、プラットホームをごった返す魔法使いたちの間をすり抜けて、列車に乗った。
列車にいる魔法使いたちは家族との別れで、ルツに気をやることもない。
発車が近いといっても、家族との別れのために乗り込んでいない者も多く、空きコンパートメントが見つかった。
そこに入り込み、ダンブルドアのおかげで小さくなった荷物を棚に押し込むと、ようやく一息ついた。
そうして、考えるのはリドルの事だ。
リドルの下にある魔法道具たちは殆ど認識阻害の魔法が掛けられているが。それでも、ルツとしてはリドルを一人でマグルの中に置いておくことは避けたかった。
マグルにせよ、魔法族にせよ、根本的なことなぞ変わらないのだ。
生物とは異分子を嫌う。群れを成す生き物ならばなおさらに。
衣食住を共にしなければならないマグルたちの中に、魔法族を放り込むなんて馬鹿のすることではないかとルツは思っている。
本当のことを言えば、ダンブルドアにリドルと同じ年に入学できないかと聞いたが。特例でもないと、そういったことは赦されないそうだ。
ルツも、早く入学したがっているリドルの手前は隠していたが、本音を言うなら学校には来たくなかったのだ。
(・・・・リドルは大丈夫だろうか。)
両面鏡に呼びかけてみようか?
そこまで考えて、こんこん、とコンパートメントの扉を叩く音がした。
扉の方を見ると、そこには灰色の髪に黒い瞳の少年が立っていた。ルツは、どうぞ、という意味を含めて頷けば扉が開けられた。
「すまないが、ここは開いているか?なら、座りたいんだが。」
「ああ、どうぞ。」
少年はそれに頷き、コンパートメントに入った。そうして、荷物を棚に入れ、ルツの向かいに座った。
ひどく生真面目な雰囲気で、ぴんと伸びた姿勢がその雰囲気をよけいに増させていた。ただ、その視線の運び方は、ルツが森で見た獣のように抜け目がない。
躾の行き届いた軍用犬のような印象を持った。
「すまないな。僕は、アラスター・ムーディーだ。」
「ムーディー?」
ルツは思わず復唱した。ムーディーという家名には聞き覚えがあった。確か、それも父から聞いたのだ。
確か。
「・・・・優しい人が多い家だって聞いたなあ。」
その言葉に、少年の目が大きく見開いた。そうして、口を開き、大声で笑い始めた。
「あはははははははははははは!!優しい!?家がか!?」
「うん、まあ。父さんからは、そう聞いた。」
「ふ、あははあははははははは!!そんな変わった見解の御人がいたとは驚きだ!」
ルツは、何がおかしいのか理解できずにぼんやりとその笑い声を聞いていた。
父曰く、ムーディー家は、誰かを守りたいと願ってしまう、愚かで優しい人が多い家だと聞いていたのだが。
ひとしきり笑い終わったあと、ムーディーはルツの方に体をずいと寄せて来た。
「で、いったい誰がそんなことを言ってたんだ?」
「うん?父さんにだけど。」
「父さん?」
「ああ、グレイ・グリン。自己紹介が遅れたけど、私はルツ・グリンだよ。」
「・・・・グリン?それは。」
ムーディーがそう言ったその時、こんこん、と扉を叩く音がした。
二人が扉の方を向くと、そこにはこれまた背筋の伸びた同い年ぐらいの少女が立っている。二人が頷くと、少女は堂々とした足取りでコンパートメントに入って来る。
「すまないけど、ここ、座っても構わないかしら?」
「どうぞ?」
「ああ。構わんが。」
「ありがとうね。」
少女はそう言って持っていたトランクを棚に置こうとする。ルツは、それに立ち上がり、少女の代わりに棚にあげる。
「あら、紳士的なのね。」
「うん?大変そうだったから。」
ルツの言葉に、少女はくすりと微笑んだ。
美しい栗色の髪を背中まで伸ばしていた。勝気そうな顔立ちか、それともその正しい姿勢のせいなのか、ひどく人を寄りつけない雰囲気を持っている。
ルツは、少女には炎のような、ムーディーには剣のような印象を受けた。
少女の瞳に宿る苛烈さは生来の気質の様だったが、ムーディーの気真面目さには剣のように少しずつ築き上げたような感覚を覚えるからだろうか。
ルツの隣りに座った少女は、ムーディーとルツに向けて上品に微笑んだ。
「わたし、オーガスタ・ロングボトム。あなた方は?」
「お前、ロングボトム家のものか?」
「ええ、そう言うあなたは?」
(ロングボトム?あー。純血の子か。あそこは、どうだっけ。近寄らない方がいいのかな?)
「僕は、アラスター・ムーディーだ。」
「アラスター・ムーディー?じゃあ、あなたがムーディー家の麒麟児かしら?」
「ふん、そんな大層なもんじゃないがな。」
「それで。あなたは?」
ぼんやりと考え込んでいたルツに、オーガスタがそう聞いた。それにルツが応える前に、興奮気味のムーディーが言った。
「そうだ、お前さん、グリン家と言ったが。あの、グリン家なのか?」
「グリン家?あの、グリン家のこと!?」
「・・・・どのグリン家かは知らないけど。私の家は、グリンだが。そんなに慌てること?君たちの方が有名だと思うけど。」
それに、二人は余計に興奮したように言った。
「何を言ってるんだ!グリンだぞ、グリン!」
「あなたが、あのグリン家の方!?あの、グリフィンドールの末の子。親不孝者のアーヴェルの子孫!?」
「ああ、確かに御先祖様の名前はアーヴェルだけど。」
「まさか、今の今まで続いているとは。」
「すごいわ。まさか、グリンに会えるなんて。あなたも今年から入学?」
「そうだけど。そこまで有名なの?」
「当たり前だわ!というか、あなた、グリン家が有名でないわけないでしょう?」
「色々と有名になる理由があるだろうに。ゴドリックの子孫だというのに、一度だってグリフィンドールの寮に入ったものがいない、とかな。」
「ああ。その話か。」
実際の話をするならば、グリン家というのはしばしば歴史書にさえ乗っているほどに有名な家名であったりする。
そうして、純血、長く続いている魔法族の家系の中では特に有名なのだ。
事実、実際の話をするなら、ルツの家は何だかんだで純血と言っていいほどの血の濃さを保っていたりする。
グリン家の始祖の名は、アーヴェル。ついたあだ名は、親不孝者のアーヴェル。
ゴドリック・グリフィンドールの末の子にして、彼の人の騎士道を下らないと言い捨て、家を捨てた変わり者。
それが、グリン家の始祖であった。
その後も、グリン家は人と関わりをあまり持つことなく、人でない者や植物を愛し、学者のような生業を持つことで有名であった。
何よりもアーヴェルの話で有名なのは、彼の人がサラザール・スリザリンと、他の三人が交友を絶った後も、友好を保っていたという話だ。
ヘルガ・ハッフルパフを除けば、サラザールだろうが、ロウェナだろうが、我が父だろうが所詮は学ばせるものを選んでいる時点で、考え方は同じだろうに。
この言葉は、アーヴェルの変わり者ぶりを表す理由になっている。
「・・・・まあ、伝え聞く話では、ただの反抗期が激しかっただけの人だしなあ。」
「ゴドリックとした三日三晩の決闘の果てに引き分けた戦いを反抗期とまとめるのか。」
「すごいわ。まさか、グリン家の末裔に会えるなんて。ねえ、あなたはどこの寮に入りたいと思っているの?」
「寮?」
ルツはオーガスタの言葉に、はてりと首を傾げた。 それに、ムーディーが嗤う。
「そういうお前さんは、どうなんだ?」
「私は、先祖代々グリフィンドールですので。」
「ふん、グリフィンドールの子孫ならば、グリフィンドールにか?」
「あら、それだけじゃないわ。是非とも、こんな紳士的な方ですから。仲良くしたいなって思って。」
「ほう。お前さんの言葉が正しいなら、俺はレイブンクローか。」
「寮かあ。ええっと、勇敢なグリフィンドール、勤勉なハッフルパフ、狡猾なスリザリン、知己なるレイブンクローだっけ?」
「ええ、そうよ。あなたも、ここにいきたいって寮があるでしょう?」
ルツは、それに心の底から不思議そうな顔をした。
「なんでそんなこと気にするんだ?」
「え?」
思いがけない言葉に、オーガスタは驚いたような声を上げた。その言葉に、ムーディーは面白いことを聞いたかのように目を輝かせた。
「それは、どういう意味だ。グリン?」
「だって、寮がどこだろうと、それによって私の何が変わるっていえるんだ?」
「ほお。」
ムーディーは続けて、というように頷いた。
「なんというか、どこの寮だって皆は聞くけど。逆に、寮が変わるからって何が変わるんだ?別に、どこだろうと、寝床や食事や、教わることに変わりがあるわけじゃないだろうに。」
「ですが、寮に入る者には、それぞれ決まった性質があるのよ。」
それぞれの寮に入るということは、自分がどんなものであるかの証明になる。ならば、自分がこういったものであると、信じるものあるはず。
「・・・何よりも、スリザリンは。」
「なら、君は、スリザリンに入れられたら、狡猾に振る舞うようになるのかい?」
「そんなことは!」
「それと同じことだ。」
ルツは、まるで夢見るように、窓の方を見た。
「例え、何処に行こうと、私は私でしかない。私は、私以上にも、私以下にもなれない。それに、誰だって、四つの寮のそれぞれの性質を大なり小なりもってるんじゃないかな?何かを成し遂げるために勇気を持ち、誰かを想う優しさを持ち、何かを知りたいという欲求があり、目的のための狡猾さを持っている。」
ルツは、そう言って、ゆるりと微笑んだ。先ほどと同じように、まるで夢見るかのようなぼんやりとした笑みだった。
「私は、変わらない。そう簡単には、変われない。どこにいこうと、私は、私として、愛し、嫌い、望み、疎み、憐れみ、悲しみ、寂しがり、学ぶ。」
少なくとも、どこの寮に入ろうと、私にとって君たちは変わらないかな。
その微笑みに、その言葉に、ムーディーとオーガスタは変わり者の血筋を見た。
うーん、ルツの学校生活ってどれぐらい描写したものか
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選び取られる話
リドルが入学するまでの二年間は、二、三話でざっくりまとめようと思います。
ちなみに、組み分け帽子は、グリン家の組み分けの後は少しだけ萎みます。
美しいものだと、少女は心底感嘆した。
ルツは、森番だというオッズという男の促しに応じ、小舟に乗り込んだ。
小さな船には、ムーディーとオーガスタがルツの前後を固めていた。まるで、闇を溶かし込んだかのような湖を渡る途中、闇夜の中に浮かんだ壮大な、城をルツは見上げた。
ルツの耳には、彼女にとって馴染み深い、植物たちの騒めきが聞こえて来る。
久しぶりだな。帰ってきたねえ。ああ、馴染み深い。
(・・・・・古い魔法が、まるでヴェールみたいに積み重なって掛けられてる。とても、とても、古い魔法が。)
ルツとて、長く続いた家系の長子なのだ。家に伝わる魔法に、それを感じるための感覚とて持っている。
ホグワーツ魔法魔術学校。
まるで、お伽噺の中に出てくるような、荘厳で、息がつまるような魔力を感じる城。
ルツの先祖が飛び出した場所。ルツの父はあまり好きでなかったと言った場所。
遠い、遠い、昔。
魔法族の四人が、己が同胞の為にと作り上げ、決別した場所。先へ渡し続けるための学び舎。
同胞たちが四つに分かれたままの場所。
ルツにはその城にかけられた魔法がどんなものか察せられた。
そして、その圧倒される力以上に、ルツは、その城に妙な郷愁を感じる。
帰って来たとも、帰ってきてしまったとも、そうして、初めて来たとも言える様な妙な感覚。
(父さんは、学校があまり好きじゃなかったと言っていたなあ。)
「すごい・・・・!」
「ああ、さすがは魔法界の一の牙城だ。」
「ええ、ルツもそう思うわよね。」
「・・・・・なんだろう、これ。」
思わず、ぼそりと呟いたルツに、ムーディーとオーガスタは妙な顔をした。
「おい、ルツ。どうした?」
「気分でも悪いの?」
「・・・・ううん。いや、すごい場所だねえ。」
そう言って、ルツはぼんやりとした目で、うっそりと微笑んだ。そうして、頭の隅で、寝る前にリドルに手紙を書かなくてはと考えていた。
小舟を降りればいつの間にかオッグという森番はいつの間にか消えていた。
その代りなのか、現れたのはサンタクロースのような、見知った老人だった。
「おお、ようこそ。一年生諸君。ここからは儂が引率を引き受ける。遅れぬようにしっかりついてきなさい」
「あ、先生。」
ルツが囁くような声で言うと、彼はそのキラキラ光る青い目でぱちんとウィンクをした。
そうして、ダンブルドアはたなびくような長いローブをひらめかせて、一年生の先頭に立ち、城の中へと進んでいく。
騒めいていた一年生たちは、そのあとをぞろぞろとついて行く。
オーガスタとムーディーは城に来てからぼんやりとしているルツの両腕を持って、引きずるように荘厳な城の階段を上がっていった。
まるで古代の神殿のような中を進むと、ダンブルドアは一年生を小部屋へと誘導すると、静かに待つようにと言って隣の部屋に向かう。
一瞬だけ聞こえたざわめきからして、隣りの部屋に在校生や教員たちが待っているのだろう。
「・・・・・うう、緊張してきたわ。」
「ほお、ロングボトム家のお嬢さんが弱気な事で。」
「あなたは緊張しないの!?これから寮決めだっていうのに。どんな試験が待っているか。」
「ふん、今更慌てた所でしょうがないだろうに。」
「豪胆ですこと!周りを見てみなさい、私だけじゃないわ。」
その言葉に、ルツは周りを気にすると、確かに一年生たちは落ち着きなく、そわそわとしている。中には、予習してきたのか、呪文の暗唱を行っているものもいた。
「・・・・大丈夫だよ。寮を決めるのは、ただ帽子を被ればいいだけだから。」
「え、そ、それはどういうこと!?」
ルツの何気ない言葉に、オーガスタが食いついた。肩をゆすられて、ルツは驚きで目を見開いた。
「え。ああ、うん?」
「帽子を被ればいいってどういうこと!?」
見れば、不安そうにルツを見ているのは、オーガスタだけではない。多くの新入生が、不安そうにルツを見ていた。
ルツは、その剣幕におののきながら、言った。
「ああ、うん。ホグワーツで寮を選ぶのは、組み分け帽子って帽子なんだ。それには、創始者の四人の意思、つまり価値観やらが宿っている。これを被ると、その組み分け帽子が、新入生の資質を判断して寮に分けていくんだ。といっても、複数の寮に適性がある人もいるから、その場合は本人の意見も聞いてくれるそうだけど。」
「創始者のい、意思?」
「そうだよ。まあ、本格的な人格とまではいかないけど。どういったものを選ぶかという程度までは宿っているだろうね。だから、安心していいとおもうけど。」
ルツの言葉に、周りの子どもたちはほっと息を吐いた。そこに、これまた尊大な声が割り込んできた。
「・・・これはこれは、さすがはグリフィンドールの子孫。学校についてよく知っている様で。」
声の方に、ルツたちが視線を向けると、人垣が割れてプラチナブロンドをきっちりとオールバックにした子どもが歩いてい来る。
「・・・・あなたは。」
「ごきげんよう、ロングボトム嬢。」
「ルツに何のようで?」
「いやいや、そう警戒なさらずに。彼女とは知り合いなもので。」
そういって、ルツの方にそれは視線を向ける。
「お久しぶりですね、お嬢さん。」
ルツは目の前の存在に向けて首を傾げた。そうして、不思議そうに言った。
「・・・・私は、あなたみたいな綺麗な女の子に覚えはないんだけど。」
ぴし。
空気が凍る音が聞こえた気がした。ルツは、そんなこと気にするはずも無く、はてりとまた首を傾げた。
「うーん、君みたいな綺麗な子、忘れないと思うんだけど。」
うーん、と唸る声と共に集団の中から次々に噴き出すような声が聞こえ始める。その子どもの白い肌が真っ赤に染まりそうな瞬間、誰かの爆笑と言って良い笑い声が聞こえた。
「あ、あはははははははははははは!!お、女の子、君が、女の子!?」
「笑うな、ポッター!!」
その笑い声の方を見ると、そこにはくしゃくしゃの黒髪に、ハシバミ色の瞳をした少年がいた。
「ご、ごめん。だって、君が、女の子って。マ、マルフォイが、女の子!」
「くううううう!貴様!」
「・・・・マルフォイ?」
ルツは、必死に笑いをこらえているらしいオーガスタとムーディーの横から歩き出した。そうして、無言でマルフォイの前に立つと、そのローブを開帳した。
「あ、ほんとだ!スカートじゃない!!」
「当たり前だろうが!!」
このやり取りに、さらに笑い声が広がる。
「・・・・どうかしたのかの?」
いつの間にか立っていたダンブルドアにルツは振り返った。
「笑い声が響いているのは良いことじゃが。何かあったのかの?」
「はい。アブラクサス・マルフォイ氏があんまりにも綺麗な顔立ちで、私が女の子と間違えたので、皆がおかしくって笑っているんです。」
ルツの返事に、ダンブルドアは目をぱちくりとさせて、破顔した。
「ふむ、そうじゃの。確かに、綺麗な顔立ちじゃの。」
「はい、とても綺麗な顔です。」
にこにこと笑いあう二人に、笑っていた一年生たちはもちろん、アブラクサスまでどこか毒気を抜かれる思いだった。
「さて、友好を深めるのはよいことじゃが、そろそろ、組み分けの時じゃぞ?」
行こうか。
ダンブルドアは、まるでそう言うように、彼が先ほど入っていった扉の先へと新入生たちを促した。
扉の先には、ルツたちにとって先輩たちが待っていた。
縦長の四つの机に分かれた彼らは、それぞれの寮のイメージカラーを身につけ、己の後輩になるらしい新入生をじっと見ている。
普段ならば、そこで緊張でもしそうだが、新入生の目をそれ以上に釘付けにするものが、部屋には溢れていた。
宙に浮く数々の銀の燭台に並べられた蝋燭に、暖かな灯りに照らされた豪奢な調度品たち。長机の上には輝く金の食器がたくさんの御馳走が盛りつけられるのを待っているようだった。
そしてなにより、部屋の天井部分には、まるで星空をそのまま切り取って張り付けた様な、きらめきが広がっていた。
宝石のように煌めく星々が、天井となって新入生たちの頭上に広がっていた。
感嘆の声を聞きながら、ルツはリドルと見た星空を思い出す。
(・・・・実物の、森の中で、父さんと見た星空の方が好きだなあ。)
などと、驚かせがいのないことを考えて、ルツは長机の間を進んでいく。そうして、ルツたちは、教員用のテーブルの前に集められた。
教員用のテーブルは数段高い場所に座していたが、その前には一つの椅子と、そうして古ぼけたとんがり帽子があった。
(・・・・あー、そういや、組み分けはグリン家にとっても、あの帽子にとってもめんどくさいんだよなあ。)
ルツがそんなことを内心で考えていると、帽子の皺が集まって、ついには顔のようなものになる。人面のような模様を持った帽子は、高らかに歌い始めた。
勇猛果敢、己を獅子が如き騎士とするならグリフィンドール。そこで君は、何かをなしうる仲間を得る。
温和勤勉、己を穴熊が如き正直者とするならばハッフルパフ。そこで君は、支えあうべき隣人を得る。
怜悧狡猾、己を蛇が如き賢しき者とするならばスリザリン。そこで君は、同胞成り得る友を得る。
切問近思、己を鷲が如き探究者とするならばレイブンクロー。そこで君は、共有すべき英知を得る。
被ってごらんよ、この私。あなたが知りえるあなたから、あなたの知らないあなたまで、私は全てが御見通し。
あなたのあるべき場所へと導こう!!
帽子が歌いおわると、大広間は拍手の音で満たされる。
広間中の全員から喝采を浴びた帽子は、礼儀正しくお辞儀をして応えた。
その顔の得意そうな感情に、それは、いったい誰の感情であるのだろうかと考えた。
(・・・ゴドリックかなあ。)
しばらく拍手が続いた後、部屋には元の静寂が戻った。それを見計らって、ダンブルドアが椅子の隣りへと上がる。片手には名簿と思しい大きなスクロールが握られていた。
ダンブルドアは厳かな雰囲気を漂わせて口を開いた。
ABCの順に、次々と人が呼ばれていく。
ルツの隣りにいた、アラスター・ムーディーやオーガスタ・ロングボトムも呼ばれていく。ルツは二人に手をひらりと振りながら、ぼんやりと夜空を眺めながら待っていた。
ムーディーはハッフルパフに。オーガスタはグリフィンドールに。
そうして、アブラクサスはスリザリンに。加えて、アブラクサスの時に爆笑していたくるくるの黒髪の少年はグリフィンドールに組み分けされていった。
そこで、ふと、ルツは自分が最後の一人であることに気づいた。
(・・・・あれ、Gはもっとさきに呼ばれてるはずなんだけど。)
そう思っていると、ダンブルドアが最後の一人になったルツを見た。
「・・・・ルツ・グリン。」
グリン、という家名に部屋からざわめきが生まれた。ルツは、ようやくかあと独りごちながら、数段だけの階段を上がっていく。
蝋燭の、オレンジ色の明かりにルツの金の髪がキラキラと光る。くるりと振り返る。信じられないという表情で、部屋中の在校生がルツを見つめている。それをまたぼんやりと見つめていると、すとんと椅子に座ると同時に、とんがり帽子が被された。
『かあああああああああああああ!!!』
頭の中に響いた絶叫に、ルツは顔をしかめた。
『また!またなのか!!またグリン家の者が入学するとは!恨みますぞ、ゴドリックよ!!』
絶叫に次ぐ絶叫に、ルツは顔をしかめて無言で帽子を取った。寮が示されてもいないのに帽子を取ったルツの行動に、皆が唖然とする。
「どうかしたのかね?」
「・・・・・すごく煩い。」
「あー・・・・そうじゃの、お父さんも帽子を嫌がっておったが。寮を決めるには、仕方がないんじゃ。」
ダンブルドアに宥められて、ルツはまた渋々帽子を被った。
『いつも、いつも!!グリン家の者は厄介なのだ!知っておるか!?六代目のグリン家の者は、ワシを雑巾にした方がいいとまで言ったのじゃぞ!ただでさえ厄介な性質の者が多いというのに。あの代の者は特に。』
(・・・・・ごめん。私の組み分け、してくれないの?)
『・・・・・わかっておる。今回こそは、今回こそは!!納得のいく、完璧な組み分けをしてみせる!!』
やけにやる気の満ちた声が頭の中で広がる中、ルツはぐったりとため息を吐いた。
『・・・・それでは、どれどれ、うーん。勇敢、といえないわけではないが。困難に遭えば打ち勝つ気はあるが、出来れば回避したいと考えている。グリフィンドールに、該当しないわけではないが。勤勉さも、ないわけではない。義務であるならば、精進する気はある、な?狡猾さ、目的の為なら手段を択ばないこともあるな。英知、うーん、知れるならば知ろうとする気はある、と。』
一瞬の沈黙の後に、また頭の中で絶叫が響き渡る。
『かあああああああああああああ!!貴様も、歴代のグリン家と同じではないか!素質がないわけではないというのに、このぼんやりさ!温さ!あるにはあるが、ないと言えばないという中途半端さ!ゴドリックの末裔として恥ずかしくはないのか!?』
(グリン家の始祖のあだ名を知って、そんなこと言うの?)
『彼の人は、まだお前らほどぼんやりとしとらんかった!勇気に溢れ、英知を望み、公平で、狡猾なものよりも狡猾であったわ!』
(ああ、うん。わかったから適当に入れてよ。私はどこでもいいんだし。)
『組み分けがそんな適当でいいことがあるか!確かに、お前さんは中途半端ではある。だがな。ワシも数多くの組み分けをこなした。難しいものもあった。その経験を、ここで発揮するのみ!!』
頭の中で響く高笑いに、ルツは早く終わらないかと憂鬱になりながら待っていた。
ダンブルドアは、ちらりと時計を見た。
ルツが帽子を被って、数時間が過ぎた。それでも、組み分け帽子はうーんと唸り続けている。
とうとう根負けした職員たちによって、生徒たちには食事が振る舞われた。ルツは、ダンブルドアの隣りに座り、帽子を被ったまま食事を終えた。
永遠に続く組み分けに、生徒たちはおろか、ルツでさえも居眠りを始めている。
「・・・・はあ、今年もこうなったな。」
ディペットの言葉に、ダンブルドアは頷いた。
「・・・・・グリン家の恒例なのだよ。毎回のように、半日は組み分けをするのだよ。」
「・・・・・そうなんですか。すいません。」
生徒たちはそれぞれの寮へと帰り、ルツは寮が決まるまでダンブルドアの預かりとなった。
ディペットはぐったりとしながらそう語って、ルツをダンブルドアに渡して、自室へと帰っていった。
ルツは、ダンブルドアの部屋である変身術の教授の部屋にて、椅子に座っていた。
「組み分けはどうかの?」
「まだ唸ったまんまです。」
「そうか。」
ダンブルドアは、ルツにホットミルクを渡した。
ホットミルクを啜るルツに、ダンブルドアは口を開いた。
「・・・・リドルは、どんな様子かの?」
「気になるなら、会いに行けばいいのでは?」
何の気なしの質問に、ルツは不思議そうに問うた。それに、ダンブルドアは、固まった。そうして、そうじゃの、と頷いた。
ルツは、どうして固まっているのだろうと首を傾げて、出発前のリドルのことを伝える。
「うーん。私が行く前には愚図ってましたけど。でも、暇つぶしに本を置いていったり。あと、手紙を書くとか約束したら、渋々了解してくれました。」
手紙、書かないとなあ。
そう言うルツに、ダンブルドアは、その青い瞳をきらきらとさせながら、じっと見つめる。そうして、一つだけ、問いかけた。
「・・・・のう、ルツ。お前さんはトムをどう見る?」
「どう?」
「お前さんの目から見て、あの子はどんなこじゃろうか?」
その問いに、ルツははてりと首を傾げた。そうして、思い浮かぶままに、口を開いた。
「うーん、はっきり言って、性悪です。」
「しょ、性悪?」
予想外の単語に、ダンブルドアは目を見開いて、復唱した。
「まあ、頭もいいし、見てくれもいいもんだから、まず傲慢の塊なんですよね。下手に、マウント取れる人もいないし。魔法なんて力を得てる分、余計にそうなのかな。容赦ないし、短気だし、意地悪だし。性格は、ものすごい悪いです。」
上げられる性格に、ダンブルドアは、そ、そうかと頷いてそれを聞く。そうして、次に、ルツは淡く笑う。
「でも、大事だって思ったら、ちゃんと大事にできる子です。」
素直ではないから、時間がかかるけど。でも、そうだと理解したらそれに誠実で在れる子だと思います。
ルツの言葉に、ダンブルドアは黙り込み、そうしてそうかと頷いた。そうかと、深く、深く、頷いた。
ルツは、ダンブルドアがいったい何にそこまで感慨を覚えているのか不思議に思いながら、ホットミルクを啜った。
二人の間に、沈黙が落ちた。
その間に、ホットミルクも飲み干し、ルツも又うつらうつらとし始める。
「・・・・組み分け帽子よ。そろそろ、お開きにせんか?」
(・・・・私も、眠い。)
『・・・・くっ!またしても、またしても、納得のできる組み分けは叶わんか!』
組み分け帽子は悔しそうな声と共に、高らかに叫んだ。
『あなたの意思をまた、歪曲してしまうが、お許しを。少なくとも、学ぶに足る資質はあるのです!』
「ハッフルパフ!!」
『だが、しかし!グリン家の者よ、次代の時こそは、覚悟するがいい!その時こそは、納得に足る組み分けをしてみせるぞ!!』
そんな組み分け帽子の最後の言葉を聞きつつ、ルツは大きく欠伸をした。
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学校の話
「・・・・まったく。あいつはどこにいるんだ?」
アラスター・ムーディーがホグワーツに入学してから一か月が過ぎた。入学する前は、厳格な両親の手前、肩を張っていたという自覚はあるが、学校に慣れた今は前ほどではない。
というよりも、ムーディーにはそれ以上に気にしなくてはいけないことが一つできていたのだ。
ムーディーは学校の中庭へと歩みを進める。その間にも、家名のためか、それとも彼の才のせいか、注目を集めていたが、そんなことを気にする暇もない。
そんな視線に混じって、ムーディーに声を掛けるものもいた。
「ムーディー!ルツを探してるの?」
「誰かールツ見た人いる!?」
「あの子なら、またオッズのところでニーズルと遊んでるんじゃないの?」
がやがやと騒がしい声に、ムーディーは大丈夫だというように手を振った。それに、探しておくねーなどという声が返って来る。
中庭へとつくと、ムーディーはそこで本を読んでいる女学生に近づいた。
「すまんが、オーガスタ。ルツのやつを知らないか?」
その言葉で、少女は上を向いた。勝気な顔立ちで、ムーディーをじっと見る。
「ルツ?またいなくなったの?」
「ああ。今日は休みだからな。朝方から姿が見えんかったが、いつも通り走りにでも行っているんだろうなと思っていたんだが。昼になっても帰ってこないんだ。」
「・・・・まさか、また森に?」
「かもしれん。それとも、オッズの所でニーズルと遊んでるのかもしれないが。」
オーガスタの言葉に、ムーディーは大きくため息を吐いた。
ルツという存在が、同じ寮になった時から、ムーディーの想っていた以上の毎日が始まった。
彼女は、良くも悪くも、話題の中心にいた。
まず、入学した日に寮に振り分けられなかったのを口火に、ふらりとハッフルパフの中に潜り込んでいた時の騒がしさといったらないだろう。
元より、話題の種のルツが、スリザリンでも、グリフィンドールでもなく、ハッフルパフに入れられたことも目立つ理由なのだろうが。
結局、ルツはどの寮に入ったのかと気になって、早く目を覚ませば、談話室のソファーで居眠りしているのを見つけた時のムーディーの心境など、一言では言い表せないだろう。
その後、ムーディーは眠いとぼやくルツを引きずって大広間に向かい、朝食を食べるように促した。
そこからだ、どうも寮の内でムーディーがルツの係の様になってしまったのは。
最初は、さすがに世話をするのはごめんだと拒絶したのだ。
同性の奴がやればいいだろうと。
が、別に、ルツ自身はそこまで甲斐甲斐しい世話というものはいらなかった。普通に起き、身支度をして、というように身の回りのことは出来るのだ。ただ、妙な所でぼけっとしている。
例えば、ぼんやりと放っておけばずっと空を眺めているだとか、動く階段から落ちかけるだとか、中庭で居眠りして風邪を引きそうになるだとか。
妙な所で、気を抜くというか、ぼけっとしているのだ。
元より、性根が善良なものの多いハッフルパフだ。気づいたものが何くれと注意をしてやるのだが。
同学年であり、グリンの名に遠慮しない、そうして何だかんだで面倒見のいいムーディーがルツのお目付け係になっているのだ。
一度、お前は今までどうやって生きて来たんだとムーディーがぼやけば、彼女曰く、リドルが気にかけてくれていたのだそうだ。
聞くと、彼女の可愛がっている弟分らしい。ルツはにこにこと満面の笑みで延々と彼の自慢話を聞かされた。ムーディーは密かにそのリドルという存在に同情している。
けれど、そんな風に日常ではぼんやりしていても、授業ではそういったあやふやさを出すことはなかった。
というよりも、彼女は薬草学や魔法薬学だけで言えば、生徒の中では一番に知識があるやも知れない。
薬草学など、担当教員のハーバート・ビーリーにはその知識ぶりに、ハッフルパフに二十点という点を出していたほどだ。
魔法薬学では、教科書を確認することも無く手際よく最速で作り上げてしまった。おかげで、彼女はホラス・スラグホーンのお気に入りだ。
ただ、どうも呪文などの実技はあまり好きではないらしく、成功はさせているものの習得には時間がかかっているようだった。
いつもは、取り留めなく独り言を言っているが、そういった実技がある時だけは黙り込んでいることが多い。
また、変身術に関しても上達が早く、ダンブルドアに褒められていたのを覚えている。
ただ、その時、ムーディーはルツの隣りにいたというのに、呪文を聞いた覚えがないのだが。そこまで己は集中していただろうか。
それでも、ムーディーがルツの世話を何だかんだで引き受けている。
その、少女との日常を、気に入っていた。
少女は、他にあまり気づかれることは少ないが、ふらふらと色んな所に迷い込む。彼女を迎えに行くためにする冒険を、ムーディーはこっそりと気に入っていた。
ムーディーにとって、今でも一番に愉快なこととして記憶している、マルフォイへの女の子呼びがあるが。
あの時ほどルツという存在の変わり者ぶりを実感したことはないだろう。
ルツは目立つ少女だ。その血のため、その見事な金髪やグリーンアイのため、そうしてその優秀な成績のために、やっかむ存在がちらほらいた。
特に、純血として扱われているというのに、マグル出身者や血を裏切る者たちにも当たり前のように接しているのが頭に来たのか。いや、彼女が、聖28一族のマルフォイともそこそこ口を利くことが、なによりも癇に障ったのだろう。
とあるスリザリン生数人が、ルツに向けて呪いを放ったことがあった。
それは、背中からであり、普通ならば避けることは疎か、気づくことも出来ないだろう。だというのに、だ。
ルツは、それを避けたのだ。おまけに、近くにいたムーディーを突き飛ばしまでして!
それからのルツの行動をムーディーは全て把握しているわけではない。
ただ、ルツから聞いた話や自分の見たことを総合して話すと、彼女はその複数のスリザリン生たちの呪いを回避し、距離を詰めた。
ムーディーが見た限りでは、壁を走っていた気がしたが、さすがに己の神経を疑っている。
そうして、彼らの持っている杖を手で弾き飛ばすと、それを奪いムーディーの前に立った。
その、鮮やかな動きに、ムーディーを含めたスリザリン生たちは度肝を抜かれた。
もちろん、自分の杖を奪われた者たちが黙っているわけはない。取り返そうと、ルツに詰め寄るが、彼女は何を思ったか体を振り返して、その場から走り出した。
ムーディーは聞いただけだが、少しの間、スリザリン生たちとルツの鬼ごっこが学校内で繰り広げられていたそうだ。
是非とも見たかったものだと、ムーディーは今でも後悔している。
何でも、ルツがぶっちぎりの速さで、その後ろをぜいぜいと息切れしたスリザリン生が追っていたそうだ。
それを見たマグル出身の同寮の者曰く、ルツの走りっぷりは、それこそオリンピックというものに出ていてもおかしくないほどの走りだったらしい。
取り残されたムーディーは、そんなことを知る由も無く、自ら囮になったと思ったルツを探し始めた。
といっても校内を走り回っていたらしいルツを見つけることも出来ずに、一旦は寮に帰ったが。
なんと、ルツはいつの間にか、平然と寮に帰っていたのだ。
丁度、談話室には誰もおらず、一人でソファに座っていたルツは、大事にしているというペンダントを持ってぼんやりとしていた。
「ルツ!」
もちろん、心配していたムーディーが駆けよるが、ルツはこれまたのんびりとしながら、やあと挨拶をしてきた。
「やあ、じゃないだろう!お前、スリザリン生たちはどうしたんだ!?」
「ああ、あの人たちなら、すぐに撒けたよ。」
「ま、撒いたのか!?」
「うん、あの程度なら、造作もないよ。」
ルツ曰く、あの程度走れなければ魔法生物から逃げることも出来ない、のだそうだ。ルツの家庭環境を若干気にしつつも、というか非常に気になったが彼の理性が聞くなと囁くためにそれは頭の隅に置いておいた。そうして、ムーディーはよかったと息を吐いた。
「あの、使い道の悪い杖も、適当に隠してきたし。」
「杖を!?」
ムーディーが素っ頓狂な声を上げる。それに、ルツはきょとりとムーディーを見た。
「別に、杖を隠しちゃいけないってルールはないよ?」
「い、いや、だが。杖を、隠す、のか?」
「誰かを貶めて、傷つけるだけの力なら、少しだけ使えなくしたほうがまだましじゃないか。」
ルツは、どこか、珍しく不機嫌そうな顔をした。
「一方的に弄れる存在だって思われるのはごめんだ。傷つく覚悟がないなら、剣を持つ資格はないよ。」
ルツは、そう言ってじっとムーディーを見た。
ムーディーとしても、ルツの言い分は分からないわけではないが。
ムーディーは純血の出だ。彼の価値観は、魔法使いのものだ。その価値観が、杖を奪ったということに、何とも言えない感覚をもたらした。ただ、確実に、よくやった、という感覚を抱いたのも事実だ。
杖を奪われるというのは、犯罪者だけで在り、彼らにとっては相当の侮辱だろう。
「だが、なあ。杖を、か。面倒なことになるぞ。」
ムーディーが思わず呟くのを、ルツは、そう、とだけ返した。
ムーディーの予想は当たり、ルツは校長室に呼び出された。ムーディーはその場にいたということで証言をするために呼び出された。
校長室には、ルツを襲った少しだけ年上のスリザリン生たちが集まっていた。
そうして、ムーディーが驚いたことに、スリザリン生たちの杖は未だ見つかっていなかったのだ。
杖を隠されたのは昨日のことだ。
どうも、彼らは結局ルツに隠された杖を見つけることは出来ず、唐突教師の誰かに泣きついたのだろう
屈辱だと言っている顔がそれを示していた。
「・・・・・ルツ。お前さんは、そこにいるスリザリン生たちの杖をどうしたのかの。アラスター。お前さんは、その場に居たそうじゃが。」
「はあ、グリンの家の者か、また。」
校長室には、ディペットとダンブルドアが待っていた。その問いに、ムーディーがいの一番に答えた。
「ダンブルドア先生。ですが、先に呪文を仕掛けてきたのは、スリザリンの奴らです!ルツは僕を庇ったにすぎません!」
「だがな、ムーディーよ。杖を奪うのは、その、あまりいいことではないからなあ。」
「これ、落ち着かんか。」
「・・・・彼らのご両親からも抗議の便りが来ておるし。」
「・・・・校長、それは。」
後ろでスリザリン生たちがにやにやと笑っていることが分かる。ムーディーは頭に血が上る様な怒りが湧いた。
仕掛けてきたのは、元よりあいつらの方だというのに!己の喧嘩に、親まで引っ張り出してきやがって!
「・・・・先生。」
そこでようやくルツは口を開いた。それに、こそこそと何かを話していたディペットとダンブルドアが彼女の方を見た。
「先生、杖を見つけるのも、罰則についても私は受け入れます。でも、その前に、一つだけ教えてください。」
そう言うルツには、どこまでも悪意も、敵意も、欠片でさえも無かった。
その声にも、その瞳にも、あったのは素直な疑問。
幼子のような、その素直さで、ルツは大人に問うた。
「先生、なら、私はどうすることが正解だったのでしょうか?」
それに、ダンブルドアは、そのきらきらとした青い瞳でじっとルツを見た。
ルツも又、きらきらとした緑の瞳で、ダンブルドアを見返した。
「杖が一番最後に出した呪文を見れば、分かると思いますが。後ろの先輩さんたちは私に悪意を持って魔法を振るいました。私は、アラスターに傷ついてほしくなかった。私だって、痛いのは嫌です。だから、抵抗しました。」
ルツは、心の底から不思議そうな声で、言葉を続ける。
「ダンブルドア先生。先生は、やり返してはいけないと言いました。でも、やり返さないと私はずっと弄られるままです。だから、逃げました。後ろから追撃されるのが嫌なので、杖を奪って逃げました。先生、私は、されるがままであった方がいいのでしょうか。私が、弱いままであったなら、それでよかったのでしょうか?」
ねえ、先生。ダンブルドア先生、校長先生。
私に、正解を教えてください、分からないんです。だから、教えてください。
その言葉に、ディペットはおろか、ダンブルドアでさえ沈黙した。
ディペットは、思わず、というようにダンブルドアの方を見た。それは、スリザリン生はもちろん、ムーディーでさえ同じだった。
ダンブルドアは、じっと、どこか少しだけ茫然としたような表情でルツを見返していた。
「・・・・ルツよ。」
「はい。」
「傷つけられたくないと思うことは悪いことではない。戦うことには、大変な勇気が必要じゃ。じゃがの、誰も傷つけん為に逃げることもまた、勇気のいることじゃ。」
誰かのために己の行いを選んだお前さんは、立派じゃぞ。
ダンブルドアはそう言って、くすりと笑った。
「それにの、今日は別にお叱りのために呼んだわけではないぞ?」
その言葉に、ムーディーとルツはきょろんと不思議そうにダンブルドアを見上げた。ダンブルドアは、いつもは少しばかり大人びた雰囲気をした二人の、幼い行動にくすりと笑って、その頭をぽんぽんと撫でた。
「さすがに、杖を隠されては、お前さんたちの先輩の学業に支障があるでの。出来れば、ルツに出してほしくて呼んだんじゃ。」
ルツは、ダンブルドアの言葉に、少しだけ考え込んだ後、囁くような声を出した。
「・・・・今度から、分かりやすい所に隠します。」
その言葉に、ダンブルドアはくすりと笑った。そうして、後ろにいたスリザリン生たちに目を向けた。
「さて、彼らの杖をそろそろ取りにいかねばの。授業がおしておる!」
ルツがムーディーやダンブルドアたちを連れてきたのは、学校の側に立つ暴れ柳だ。
ゴドリック・グリフィンドールが何らかの気まぐれに植えたらしい巨木だ。ただ、近づく者に対して激しく攻撃するという性質を持っているため、近づくものもいない。
その時、少なくとも、ムーディーはてっきりルツは暴れ柳の近くに、スリザリン生たちの杖を隠したのだと思い込んでいた。
けれど、予想に反して、ルツは小走りで暴れ柳にまっすぐに走って行ってしまったのだ。
「ルツ!」
ムーディーは慌てて後を追い、暴れ柳に近づくのを止めさせようとしたが、それよりも前に信じられないことを目撃した。
暴れ柳は、ルツが近づいても攻撃するどころか、まるでただの植物の様にじっと静止していた。あろうことか、ルツが暴れ柳に手を伸ばし、登らせてと頼めば、言われるがままにルツが上りやすいように枝をしならせたのだ。
その光景に、ムーディーだけでなく、ダンブルドアやスリザリン生たちも茫然と見つめていた。ルツは、暴れ柳にとん、と飛び乗るとするすると登っていく。そうして、枝の間から何かを取り出した。
「・・・・グレイのサボり場所が、ようやくわかったのお。」
ダンブルドアの呟きも、ムーディーは聞き逃す。
そこには、スリザリン生たちの杖が握られていた。
ルツは、ぴょんと、勢いよく飛び降りると、まっすぐにスリザリン生たちの元に歩み寄った。
「・・・はい、返さなくてごめんなさい。」
ルツの謝罪の言葉を聞きながら、ムーディーは確かに目の前の存在がゴドリック・グリフィンドールという偉大なる魔法使いの血を引いた、変わり者の中の変わり者であることをしみじみと確信した。
早々と、その場を去っていったスリザリン生たちのあとには、ムーディーとルツ、そうしてダンブルドアが残った。
ルツとムーディーは、ダンブルドアに一言入れてから、寮に帰ろうとした。
そこで、ダンブルドアが二人を引き留める。
「さて、二人とも。」
それに、ムーディーとルツは、お叱りがまだあったのかと、互いに体を寄せ合うようにくっ付いた。
その、子犬が怯える時のような仕草に、ダンブルドアはやはり微笑ましい気分になる。
「・・・・・先ほども言ったが、誰かに立ち向かうことはそれは勇気がいる。じゃが、逃げることも又、勇気がいる。そこで、ルツ・グリンに十点を与える。」
それに、ムーディーとルツは顔を見合わせて、にやりと互いに笑いあい、ぱん!とお互いの手を叩いた。
そうして、元気よくありがとうございます、と言ってその場から走り去った。
ダンブルドアは、その背中を、どこか懐かしむ様な、そうして寂しがるように、ずっと、ずっと、眺めていた。
「・・・・リドル、大丈夫か?」
ルツは、暴れ柳の枝の上。丁度、枝と枝の間、ルツの体がすっぽり嵌る様な、丁度いい隙間に体を横たえていた。
木漏れ日から流れ込む柔らかな日差しだとか、そよそよと吹く風だとか、暴れ柳がわざわざ揺らしてくれるためか、今のルツは非常に眠たいのだ。
(・・・・ダンブルドア先生にも聞かれたけど、草木に言うこと聞かせられる人っていないのかなあ。父さんもそうだったし。いないわけじゃないと思ってたけど。)
そんな思考を挟みつつ、ルツはペンダントに潜めた両面鏡に語りかけた。
こうやって、裏でこそこそとしているのは、リドルがこのペンダントの秘密を他にもたらすことを嫌がったためだ。
ルツとしても、自分たちだけの秘密、という響きにはなかなかに魅力的なものを感じるので、好きにさせている。
そうして、今日は、何故かリドルから連絡を取ってきたためだ。
リドルは、その年齢からすれば驚くほど高い知能を持っている。そうして、そのエレベスト級のプライドのためか、自制心は人一倍ある。
授業中の場合を考えて、昼間に連絡してくることはほとんどないのだが。今日だけは、珍しく連絡してきたため、ルツは滅多に人の来ない暴れ柳の枝の中に隠れていた。
「・・・・・ビリー・スタッブズの奴に、馬鹿にされた。」
「ビリー?」
確か、兎を飼っていたリドルとさほど変わらない年齢の男の子だったはずだ。
「馬鹿に、かあ。」
ルツの脳裏に浮かんだビリーという少年は、お世辞にもリドルに勝っている部分というものがあるとは思えなかった。
もちろん、友達の数だとリドルは圧倒的に負けてしまっているが。
「珍しいなあ。君が、そんなに怒るなんて。何を言われたんだ?」
ルツは、やはりのんびりとそう言った。それに、鏡の向こうは沈黙した。ルツは、別段それを気にしない。
プライドは高いが、頭の良いリドルの事だ。本当に話したいことはしっかりと話すし、愚痴りたい程度の言葉なら言わないだけだ。
ルツは、のんびりとうつらうつらと夢現に鏡の向こうへと耳を澄ませた。
ざわざわとこの葉擦れの音を聞いていると、どうしても眠たくなる。
くああああとルツが欠伸をしていると、そんな音の中で、囁くようなリドルの言葉が聞こえた。
「・・・・・・女の後ろに隠れて威張ってるって、言われた。」
その、木の葉の騒めきに攫われてしまいそうな声を、確かにルツは捉えていた。そうして、彼女は一瞬だけ口を噤み、次には当たり前を言うように平然と言葉を発した。
「年上数人じゃないと向かっていけないお前さんがすごいから、ビーリーは嫉妬してるんだろう。」
それにリドルは黙り込んだ。ルツは、のんびりと、また気にするなと歌うように言った。それに、リドルは、黙り込んだままだ。ルツは、それに呆れたようにため息を吐いた。
「どうした、やはり収まらないのか?」
「・・・・いいこと思いついた!」
ルツの言葉を聞いていなかったのか、リドルは突然叫んだ。その声の後ろにある、妙なほの暗さを気にすることもない。
ルツは気にした風も無くなんだい、とリドルに問いかけた。
「あいつ、兎、大事にしてただろ?いなくなったら、どんな顔するかな?」
リドルの声に擡げる嗜虐心を感じながら、ルツは平然と聞いた。
「殺すのか?」
「まあ、やり方については色々考えようと思ってるけど。」
弾んだ声に、ルツは、呆れたように言った。
「リドル、兎を殺すのは止めろ。」
「は?」
一瞬の沈黙の後に、リドルの威圧的な吐息のようなものが聞こえた。
「・・・・何だよ、お前もそんなこと言うのか?」
どこか、肌がざわざわするような、ひどく残酷で身勝手な悪意を感じる。ルツは、それに口を噤む。
口を挟むと、リドルの怒りは大きくなるのだ。
「お前も、僕のこと怒るのか!先にやってきたのはあいつじゃないか!僕は、あいつに僕の方がすごいって分からせたいだけ!僕は悪くないのに!あいつの方が悪いんだ!あいつだって、僕が特別だって分かったから、もうそんなこと言ってこないだろう!?」
少しだけ、声に涙が混じっているような気がしながら、ルツはリドルが鎮まるのを待った。そうして、声が途絶えると同時に、ルツは兎を殺すのを止めた理由を言った。
「リドル、いいか。兎は、殺すなら秋ごろにしろ。夏の兎はまずいからな。」
ルツの言葉に、明らかに両面鏡から感じていた怒りは消えた。リドルは黙り込んだ。ルツは、リドルからの返答を待つが、一向に返ってこない。
「おい、リドル?」
「・・・・・お前、兎、食べる気なのか?」
明らかに引いている声に、ルツははてりと首を傾げた。そうして、次には、深々としたため息を吐いた。
「・・・・・なんか、馬鹿らしくなった。」
「なんだ、殺さないのか?貴重な肉だぞ?」
「いったいどこに、孤児院の子どものペットが死んだら食事にするやつがいるんだ?」
「このご時世だからなあ。ドイツの方も色々不穏だしなあ。マグルの知り合いが取ってる新聞を見る限り、二回目の世界大戦が起きそうだ。」
ルツは、そう言ってため息を吐いた。
「そういえば、食事はとれてるのか?」
「・・・・まあ、一応は。」
「送ったクッキーがあるだろ?足りないなら、それを食べなさい。こっちは、食事には困らないからな。君も、再来年には学校に通えるから、食事の心配もしなくていいんだが。」
「分かってるよ。僕だって、早くそっちに通いたいのに。」
また、ぶすりとした顔をしているだろう向こう側に、ルツはふふふと笑ってまるでとっておきの秘密を囁くように勿体ぶっていった。
「・・・・リドル。今年のクリスマスに帰った時、杖、少しだけ貸してやる。」
「・・・・本当?」
「ああ、ただし、私も面倒事はごめんだからな。軽いものだけだぞ。」
「わかった!待ってるからな、絶対帰って来いよ!」
はしゃいだ声に、ルツが目を細めていると、木の下から聞きなれた声がした。
「ルツ!」
それにルツは、地面に視線を向けた。
ムーディーとオーガスタが、暴れ柳から逃れられるほどの立ち位置にいると、木からたんと軽やかに飛びおりる存在がいた。
それは、てこてことムーディーたちのほうに歩み寄って来る。
「ああ、ムーディーにオーガスタ。どうしたんだ?」
「どうしたんだ、じゃないだろう!歴史のレポートをやろうって言ったのはお前だろうが!」
「あれ、探しに来てくれたのかい?それは、ありがとう。」
のんびりとした声音に、ムーディーはため息を吐く。そこで、隣りに立っていたオーガスタがむすりとした表情で言った。
「本当よ!心配したんだからね!?・・・・また、森に迷い込んだじゃないかって!」
こそりとしたオーガスタはルツに囁いた。
ルツが禁じられた森に時折分け入っているのは、ムーディーとオーガスタだけの秘密だ。もしかしたら、森番とダンブルドア先生は気づいているかもしれないが。
ただ、彼女は森の中の方が生き生きとして、自然体なのだ。
父もまたこっそりと森に学生の頃に入り浸っていたという話を聞いた時は、絶叫したぐらいだ。
ムーディーもオーガスタも、ルツを止めていた。ルツも頷いていたが、未だに入り込んでいるようだった。止めようにも、証拠がないため、今は保留している。
ムーディーは、ごめん、と目を細めてぼんやりと微笑ましいルツを見ながらため息を吐く。
本当ならば、己の立場を考えるならば、あまりルツと関わることは良いことではないのだろう。
父からも、グリンという名に止められはしなかったが、あまり良い顔はされなかった。
グリン家とは、魔法界の中では、扱いに困る一族であった。
グリンという一族が出来た経緯も特殊ならば、その在り方もまた逸脱していた。人よりも、獣や草木を愛した彼らは、外側で必要なこと以外は殆ど素性の分からない存在であった。定住をすることなく、放浪という生活を好んでいるらしく、あまり他の魔法使いと関わりがないというのが、その謎に拍車をかけているのだろう。
はっきり言えば、ルツのふわふわとしたというか、変わり者の在り方は付き合いやすくはなかった。
魔法使いという特殊な枠組みの、これまた特殊な一族のルツは、その血の為なのかひどく不思議な奴であった。
けれど、ムーディーはルツという魔法使いを好ましいと思っていた。
彼女は、不思議だ。誰の味方でないようで、誰かの隣りに当たり前のように立っているような人だった。
ルツは、良くも悪くも、他人をあまり気にしなかった。当たり前のように、自分の近しい人間が幸せならばそれでいいという人だった。
けれど、彼女は、誰にとっても敵でもなかった。そうして、正義でさえも無かった。
例えば、下級生を虐める上級生の輪に突っ込んでいくとか、喧嘩をしているスリザリンとグリフィンドールの間に何をしているんだと聞きに行くとか、純血の魔法使いとマグル出身の魔法使いの間をどうどうと歩くだとか。
それは、ただ単に空気が読めないだとか、ぼんやりしているだけとも言えるかもしれないが。
ルツは、結局どちらの味方もせずに、そのぼんやりとして、少しだけ見当違いな言葉で、その場をかき乱してしまう。
最終的に、毒気を抜かれて、もういいやと放り出させてしまう。
元より、純血主義の者たちは、ルツの血筋に強くは言えず。上級生たちがルツの杖強奪を遠巻きに見て。マグル出身の者は、助けられて感謝するものもいたがルツの魔法使いらしい不思議さに、嫌いはせずとも好きにもならずという微妙な立ち位置にいた。
そのためか、ルツがいると、不思議と争いが起きなかった、争いが呆れと共にうせてしまうことが多かった。
ムーディーは、悪党が嫌いだ。それは、闇払いの両親を持ち、当たり前の正義感を持っている魔法使いだった。
けれど、ムーディーは正義を語る人間も、あまり好きではなかった。両親を見ていると、しみじみと思うのだ。
本当の意味で、正しいということは、そうそうないのだ。だから、ムーディーは正義を語らない。正しさなんて、所詮は、それぞれの中にしかないのだと。
そんなことを、早々と悟っていた。
ルツは、悪人ではなかった、けれど、誰かを自ら助けたいという善意も無かった。
けれど、ルツは平等であった。
その平等という無関心さと紙一重のそれは、どこまでも公平であった。公平で、その場を平和にさせる、不思議な脱力感をムーディーが気に入っていた。
ムーディーは、オーガスタに叱られるルツを見て、少しだけ笑った。
ルツの側に居る間は、ムーディーは背負った家名だとか、正しさだとか、悪意だとかを気にせずに、なんだかただの子どものように振る舞えるような気がした。
ちょっとした冒険に、少しだけわくわくしてしまうのだ。
ムーディーは、ルツの起こした、愉快で、騒がしい日常を考えて、明日は何が起こるだろうかと考えながら、オーガスタを止める為に二人に視線を向けた。
ちなみに、ルツの本名は、ルツ・V・グリンです。
暴れ柳が出てきましたが。本来なら、暴れ柳はルーピンが入学したときに餓えられたものですが、この作品ではゴドリックがいたころから植えられていたことになっていますので、ご注意ください。
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始まっている話
誤字報告ありがとうございます。
ルツは、いつも通り、とてとてと道を歩いていた。珍しく、夜もそこそこの時間帯は、ルツのような下級生が出歩いていい時間帯ではないが、その時の彼女には、堂々とした言い訳があった。
「・・・・珍しい。ダンブルドア先生からの呼び出しなんて。」
ルツは、少しだけ裏技を使っているが、呼び出されるほど変身術が悪かった記憶はない。
時期は、夏休みの差し迫り、試験も終わって生徒の気が緩むころだ。
ルツとしては、リドルに会える日のことを考えて、列車の中で買うお土産についてうきうきと考えていた時だった。
(・・・・・父さんは、あんまり好きじゃないって言ってたなあ。)
ルツという少女がダンブルドアを知っていたのは、彼女の父が彼の教え子であったためだった。
ルツは、いつか自分が通うという学校について、もちろん興味を示した。うきうきと問いかけると、ルツの父は、彼女によく似たぼんやりとした目で、とつとつと学校のことを教えてくれた。
例えば、彼の通った禁断の森だとか、良くしてくれた魔法生物の教師についてだとか、料理だとか。
そうして、好きではなかったけれど、一番に印象に残っているというアルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアという人について。
父は、好きではない人を、フルネームで呼ぶのが癖だった。父の嫌いな人なんてそうそういないから、よく覚えていた。
だから、ルツは、父にダンブルドアという人が嫌いなのかと問うたことがある。それに、父であるグレイは、心の底から複雑そうな顔をした。
嫌いではないよ。ただ、あの人を見ていると、たまらなく哀れになるんだ。
ルツは、哀れという言葉の意味を、よく知らない。ただ、そう言って、微笑んだ父の目は、彼が母を見る時の目とよく似ていた。
だから、母も又、哀れな人だったのだろうと、ルツは思っている。
「先生、ハッフルパフのルツです。」
ノックの後に間を置いて、ルツは扉を開けた。扉の先には、机に向かって何かを書きつけているダンブルドアの姿があった。ダンブルドアは、ルツが入って来るのを見ると、にこにこと笑った。
「おお、ルツか。すまんな、こんな時間に呼んでしまって。そこに座りなさい。」
ルツは言われた席に、とんと座る。ダンブルドアは、彼女に背を向けていた。
「紅茶にかぼちゃジュースがあるが、どれがいいかの?」
「かぼちゃジュースがいいです。」
ダンブルドアは、ルツに振り向くと、彼女にゴブレットを差し出す。其処に入っていた液体を、ルツはいただきますと言いながら、くびくびと飲む。
「ふううううう。」
満足そうに吐息を吐き出すルツをダンブルドアはにこにこと笑いながら眺めていた。そうして、ルツと向かいあう形で置かれている椅子に座った。
「・・・・この一年、学校はどうじゃったかの?」
「楽しかったですよ!ムーディーやオーガスタにも会えましたし。アラブクサス君とかチャーリーも遊んでくれたし。敷地の中で遊ぶのは、楽しかったです。」
にこにこと笑うルツに、ダンブルドアもまたにこにこと笑った。彼女の表情を見ていると、父親には似ていないという感想を抱く。
ダンブルドアは、無愛想で無口であった少年のことを思い出した。
「・・・でも、どうして態々そんなことを聞かれるんですか?ハッフルパフの寮監でもないのに。」
「・・・いやの、お前さんのように魔法族として生活しておって、マグルの中で生活するものはあまりおらんからの。わしが代表として話を聞こうということになったんじゃ。まあ、心配せずとも、成績もよく、皆ともよくやっておるが。少々のトラブルに目をつむればの?」
ダンブルドアは、最後の言葉をそのきらきらとして目で囁いた。ルツは、それに少しだけきまり悪そうに目を逸らした。
「気を付けます・・・・」
「そうしてくれると大変うれしいがの。ところで、ルツよ。トムは、どんな様子かの?」
「リドルですか?突然どうしたんですか?」
「あの子も、お前さんがおらずに、一人で孤児院でどんなふうに過ごしておるかと思っての。」
「手紙とか、色々連絡は取ってますよ。特別なこともないようです。ただ、よく、ここに早く入学したいってぼやいてました。」
「特別な事は、特にないか・・・・」
「何かしらやらかしたら、自分ですごいだろって自慢してくるので何もなかったんだと思います。」
「そ、そうか・・・・」
ダンブルドアは、ルツのリドルへの妙な信頼に、なんだかな、と少し思ってしまう。というか、リドルの性格を笑顔で悪いと言い切るこの子は何なのだろうかとも思う。
ちょっぴり黄昏たくなるような心情で、ダンブルドアは空を見つめてしまった。
「でも、先生。どうして、リドルのことを私に聞くんですか?」
「リドルのことは、お前さんが一番知っておるじゃろ?」
「でも、リドルのことが知りたいなら、わざわざ私を介さなくてもあの子に直接会いに行けばいいじゃないですか?」
それに、ダンブルドアはまた口を噤んでしまった。ルツは、それを気にすることも無く、ゴブレットに口を付けながら言った。
「父さんが言ってました。例え、どんな著名な学者の本を読んでも、本当の意味で木々のことも、獣のことも、理解できないって。感触も、匂いも、泣き声も、走り方も、全部、自分の目で見なければ、それを本当の意味で理解できないんです。私の目から、リドルを見ても、それは私から見たリドルであって、先生の目から見たものじゃないんです。」
「わしの目、とは?」
「ええっと、うーん。」
ルツは、腕を組んで、頭をひねる。父親の言ったことを、自分の中で噛み砕いたそれを何とか伝えようと話し始める。
「ええっと、私は、色んな私がいるんです。父さんも言ってました。父さんも父さんとしての父さんがいて、旦那さんとしての父さんがいて、お仕事をするときの父さんがいて。私も、リドルには助けてあげるのが役目です。でも、私は先生に助けられる側です。だから、リドルだって私の前でのリドルと、先生の前のリドルは、違うんです。えっと、はい。」
ルツは、自分でこれが正しいのかと首を傾げながら、ダンブルドアに考えを伝えた。伝わったろうかとダンブルドアを見ると、彼は変わることなくその青い瞳で、ルツを見つめていた。
「会いに、か。」
「はい、リドルも喜びます。マグルの中に、魔法族一人は窮屈なようで。会いに行けば、喜びますよ。」
にこにこと笑うルツに、ダンブルドアは、そうかもしれんなあと、頷いた。
そう言って、こくり、こくりと、幾度も頷いていた。
そこでダンブルドアは、時計を見てそろそろ良い時間だと気づいたように言った。
「・・・・そろそろ良い時間じゃの。寮にお前さんを帰さねば。」
「はい、お話はこれだけですか?」
「・・・・そうじゃの。いや、もう一つ、用があった。」
「なんですか?」
「ルツよ、わしにもしも、話したいことや頼りたいことがあるのなら。いつでも、言ってきて構わんからな。」
「なんでも、ですか?」
「おお。何でもじゃ。」
ルツは、ダンブルドアの顔をじっと見た。
正直な事を言うのならば、ルツはリドルのことで気にかかっていることが一つあったのだ。ルツは、それにこんなことを相談してもいいだろうかと悩みつつ、恐る恐る問いかけた。
「実は、リドルのことで相談したいことがあるんです。」
「・・・・・ほう。」
ダンブルドアのきらきらとした青い瞳を見て、ルツは口を開いた。
ダンブルドアは、彼の隠し持っていた大量のおやつをせしめて意気揚々と寮に帰っていたルツの後ろ姿を見送った。
やけに真剣な顔に、身構えはしても、何のことはない。
相談内容は、リドルへの土産を何にするかというものだった。
(・・・・いや、当たり前じゃな。あの子はまだ、学校に入学したばかりの、幼い子どもじゃ。他愛も無かろうと、あの子にとっては大事な事なのじゃろう。)
時折、妙に老いた様な、聡い言動をすることはあっても、所詮は未だに幼いのだ。
ルツは、帰り際に、これからどんどん頼っていきますと言って出て行った。
(・・・・会いに、か。)
ルツの言う通りだ。あの子にわざわざ探りを入れずとも、直接に会いに行けば済むことだ。
分かっていることだ。
なのに、どうしたって、ダンブルドアはリドルに会いに行こうとは思えなかった。行けなかった。
ダンブルドアは、恐怖していた。
彼の中にある、未だかさぶたにだってなってくれていない、膿んだ傷。
彼にとって、光であったはずの、賢しく美しい、理想家だった、残酷な男。
そんな男に似た、美しく、賢しい、暗闇を孕んだ少年を、ダンブルドアは恐れていた。
仮にだ。もしも、リドルの言動を知りたいというならば、彼がどうなっていくかを分かりたいのなら。
いっそのこと、リドルを養子にでもすればよかった。間違えた方向になど行かないように、自分が道先を示してやればよかった。
事実、ダンブルドアは、彼にとって姉の様に振る舞っているルツだけでは不安になっているのだ。
それをしなかったのは、恐ろしかった。
リドルを自分が育て、その果てにまた、あんな結末を迎えてしまったのなら。
ダンブルドアは、小さく首を振り、書きかけのそれに目を向けた。
今は、まだ、考えたとしても仕方がないことだ。何よりも、きっと、自分はリドルと距離を置いた方がいいだろう。
ダンブルドアは、そう考えた。そうなのだと、考えた。
痛む傷から必死に目を逸らす様に。
そうして、彼は書いていたそれを封筒に入れ、窓に向かった。窓には、利口そうな梟が待っている。
ダンブルドアが梟に渡した、手紙にはエメラルドグリーンのインクで、ニュート・スキャマンダーと書かれていた。
「・・・・・・ねえ、一つだけ聞いていいかしら?」
「何だい?」
ホグワーツから帰る列車の中、アブラクサスは一人でコンパートメントで窓の外を眺めていた。
出入り口から聞こえてきた声に振り向けば、そこにいたのはブラック家の一人であるヴァルブルガ・ブラックだった。
真っ黒な髪に、勝気な顔立ち、そうしてピンと伸びた姿勢のせいか、ひどく威圧的な印象を受ける。
アブラクサスの前にだん、と座り足を組んだ。
「・・・・・あの、変わり者のグリンの女とずいぶん親しいようね?」
「ははははは、親しいとは。止めてくれ。ただ単に一方的に懐かれているだけだ。」
アブラクサスはなんてことないようにオーバーにリアクションを取る。それに、ヴァルブルガは苛立ったように、組んだ腕を指で叩く。
「そんなことが聞きたいわけじゃないのは分かってるでしょう。どうして、あなたやほかの者たちまで、あれに報いを受けさせないの?前に、杖を奪った時、どうとでも言い訳は立ったはずだわ。」
アブラクサスはそれに、おや、と内心で首を傾げる。
(・・・・・ヴァルブルガは何も言われていないのだろうか。)
「・・・・・知らないのか。グリン家の秘密を。」
「秘密?」
ヴァルブルガの反応に、アブラクサスは勿体ぶった仕草で顎に手を添える。そうして、まるでとっておきの秘密を語る様に、ヴァルブルガに囁いた。
「グリン家が人付き合いを滅多にしない、という話はお前も知っているな?」
「ええ。徹底的な人嫌いで、植物やら獣の相手をしている者ばかりだとか。」
「ああ、だが。あの家は、とても、とても、古い代からホグワーツで得た最高の知識を基に、独自の魔法を開発しているらしい。曰く、だ。」
グリン家のものたちは、永遠を求めている。
勿体ぶって、囁くような声に、ヴァルブルガは息を飲んだ。
普通ならば、失笑の一つでも吐き捨てていただろうが。
ルツ・グリンの特異さを一年でまざまざと知りえてしまった彼女からすれば、その言葉が、まるまる嘘であると断じることが出来なかったのだ。
久しぶりに、勝気な彼女に先手を取れたことが嬉しくて、アブラクサスはにやりと笑った。
「・・・・まあ、それがどこまで本当かは分からないが。あの一族は、色々と新しい薬の配合などを教えてくれることもあるらしくてな。まあ、何よりも、あの一族は付き合いなどの埒外にいる。昔、ちょっかいを出して痛い目に遭ったこともあるらしくてな。関わるなと言われているんだ。」
寝た子を起こすものではないだろう。
アブラクサスの言葉に、ヴァルブルガは黙り込んだ。元より、彼女には、家の決めたことを覆す力はないのだ。
アブラクサスとしては、確かにルツの行いに苛立つときはあるが、己から近づこうとしなければ対岸の火事だ。
己からちょっかいを掛けた存在には自業自得としか言えない。
アブラクサスは黙ったヴァルブルガが納得しただろうと視線を外す。そして、持っていた新聞を読み始める。列車が駅に着くまで、まだまだ時間がかかる。
そうして、新聞の端にとある記事を見つけた。
ゲラート・グリンデルバルド、イギリス国内で目撃。
(・・・・この国ではそこまで活発に行動していなかったが。)
そこで、ふと、アブラクサスは以前聞いた噂話を思い出した
(そう言えば、グリンデルバルドが、グリン家に近づいているなんて噂を聞いたことがあったが。まあ、どうせ勝手な妄想だろう。グリン家の話が、いったいどこから漏れ出てきたというのか。)
リドルは、その日、いつもよりもずっと早くに目を覚ました。そうしていつもよりもずっと早く、食事をして、用を済ませて、用も無く孤児院の前に立っていた。
(・・・・遅いな、あいつ。)
その日は、ルツが夏休みで孤児院に帰って来ることになっている日だった。
列車が来るのは、ずっと先の時間なのだが。
リドルは分かっているというのに、ぶつぶつと文句を呟く。
門の前で、駅の方の道をじっと見ている。門に背を預けて、むすりとふくれっ面になる。
(・・・・いの一番に、帰って来るって言ってたのに。)
「・・・・リドル?」
その言葉に、リドルは半場眠っていた意識を揺り起こした。声のする方を見ると、トランクを持ったルツが心配そうにこちらを見ていた。
「どうした?こんな所で。気分でも悪いのか?」
ルツがそういって、リドルの顔を覗き込む。リドルは、寝ぼけた頭で、ようやく待ちわびた存在に抱き付いた。
「うおっと。」
お世辞にも豊かとはいえない食事事情のリドルと、歳の差やホグワーツの食事のせいか、ルツはすくすくと育っていた。
前よりも、ずっと柔らかくなった体に、リドルはぐりぐりと顔を擦り付けた。
遅かっただとか、ようやくだとか、そうして心の片隅にあった恋しさにつられて、リドルはルツに抱き付いた。
「・・・・リドル、どうしたんだ?」
ルツの不安そうな言葉に、リドルは、ようやく我に返った。
そうして、自分のしていることにようやく気付く。リドルはいそいでルツを突き飛ばそうとするが、それよりも前にルツの腕がリドルの背に回された。
「ふふふふ、どうしたんだ、リドル。今日はやけにサービス良いなあ。」
その言葉に、リドルは、少しだけ考える。
(・・・・・そうだ、これはあくまで、こいつへのサービスだ。)
良くも悪くも、手間のかかるこいつが、一人でホグワーツで頑張って来たご褒美なのだ。自分を抱きしめられるなんて、すごいご褒美だろう。
リドルはこの行為と自分のプライドでのつり合いが取れたリドルは、今度こそ遠慮なくルツに抱き付いた。
「・・・・まあ、抜けてるお前が、一年間頑張って来たからな。」
「そうかあ。リドルは優しいなあ。」
「・・・・特別に、だ。特別に。」
リドルは、そう言いながら、ルツの肩に頭を押し付ける。それは、猫が甘える仕草をよく似ていた。
そうだ、ルツは自分と同じ特別だから。これぐらいはしてもいいだろう。
ちゃんと、寄り道もせずに、自分のもとに返ってきたのだ。ご褒美にこれぐらいはしてもいいだろう。
リドルは、そろりとルツの顔を見た。ルツは、うっすらとした、あのぼんやりとした笑みで、リドルを見ていた。
「・・・・おかえり。」
その幽かな声に、ルツは、心の底から嬉しそうに、満面の笑みを浮かべた。
「ただいま、リドル。待っていてくれてありがとうな。お土産もあるんだよ。」
「・・・・じゃあ、さっさと出せよ。」
「じゃあ、中に入ろうか。」
「・・・・うん。」
リドルは、少しだけ名残惜しそうに孤児院に向けて歩き出した。ルツは、その手を引いて、歩き始める。
そこで、ふと。リドルはルツが到着するまでに一、二時間ほど時間があることを思い出す。
自分が、そんなにもぼんやりとしていたのだろうか。
けれど、リドルの耳にルツの声が聞こえてきたために、思考が途切れる。
「孤児院のみんなにも、土産があるんだよ。」
「・・・・・なんであいつらなんかに。」
「まあ、何だかんだで世話になってるし。なにより、君の土産は、魔法界のお菓子だよ。」
「・・・・・そうか!」
嬉しくなって、うきうきと心が浮足立って、そんな疑問は頭の隅に追いやられてしまう。
ニコニコと笑うリドルとルツは、どちらからとも云わずに互いに手を結んだ。
そうして、てとてとと、幼い二つの影は、古びた孤児院の扉に歩き出した。
ゲラート・グリンデルバルドに関しては、映画で分かることがあるとは思いますが、いちいち設定を書き換えるのはしんどいので、ここでの模造として受け入れてくださるとありがたいです。
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迷子の話
ルツが二年の話は、少しだけ長めの予定です。
感想、ありがとうございます。励みになってます。
「・・・・・・それでな、ムーディーがな。ものすごく優秀なんだよな。」
ルツは、そう言いつつ、ちらりと隣を見た。
そこには、むすりと不機嫌ですという感情を前面に押し通したリドルがいた。ルツは、自分が何を間違えたのかと、悩ましくため息を吐いた。
ホグワーツでの一年が過ぎ去った後、孤児院に帰って来て誰よりも喜んだのは、リドルであったが。実の所、孤児院の面々もまたルツの帰宅を喜んでいた。
理由としては、さまざまにあるものの、簡単な話リドルの癇癪が収まるのを期待してのことだった。
リドルは、もちろん、ルツに言われた通り面倒事を起こすことはなかった。けれど、大人しくなったリドルは他の子どもたちが見逃すだろうか?
もちろん、見逃すこともなく、自分たちを撃退したルツの居ない間にと、彼らはリドルを虐めようとした。
もちろん、リドルがそれを赦すわけはない。抵抗はした。その、年に似合わぬ知恵で言い負かしてやった。
けれど、嫌がらせはやまない。ストレスと言える負荷が限界を超えるとどうなるか。
リドルの魔力が暴走するのだ。
窓ガラスや花瓶が割れるのなんて序の口で、家具が壊れるなんてことも多々あった。誰も言いはしなかったが、誰もが察していたのだ。
ああ、きっと、これはこの悪魔がしたのだと。
孤児院の人間は、忘れていたのだ。
それが、けして唯の子どもではないことを。
ルツが来てから、落ち着いていたというのに、また再発したそれに孤児院の面々は嫌気がさして、そして恐ろしかった。
皆は、リドルに寄りつかなくなった。
無関心を装っていたが、無意識の恐怖がリドルの神経を逆なでする。その、何とも言えないピリピリとした空気感といえるものが、リドルを苛つかせるのだ。
ひそひそ、こそこそ。
その、わざとらしい、空気感がリドルは大嫌いだった。
誰も、リドルの近くに寄らない。しゃべりかけない。
唯一の救いは、ルツが毎日の様に寄越す手紙と、そうして両面鏡の会話だけだった。
両面鏡から、少しだけ覗くルツの顔を、いや、瞳を見ていると、少しだけほっとした。
その感覚の名を、リドルは未だに知らずとも。
ルツの瞳は、ずっと、ずっと、変わらない。出会った時から、なんだか、変わらない。
その瞳は、ひどく、平淡だった。
リドルが何をしたって、その瞳はぼんやりと微睡むように静かだ。
変わらない、変わることなんて、なかった。
リドルとルツが過ごした、彼女がが入学するまでの一年間、なんだか今までにないぐらい平穏だった。
ルツは、リドルのやることなすこと、全て、あーあ、なんて言葉で片づける。
何かを壊せば、塵取りと箒を持って現れて、無言で掃除を始めるのだ。壊した張本人のリドルに、掃除しないならどいてなんて言葉まで添えて。
何をしたって、ルツはそのぼんやりとした目で、リドルを見る。
リドルは、その瞳が、自分にとって何なのか、わからない。分からないけれど。
その瞳に、自分が見られていると分かると、わけも無くなんだかほっとした。
真夜中にトイレに起きた時、暗闇の中で掴む誰かの温かい手のような。
そんな安堵を覚えた。
ルツが帰って来ると、リドルは彼女と二人で部屋に籠った。ルツは、魔法の宿題のために籠らなければならず、リドルはルツとだけの秘密である魔法に浸ることができた。
孤児院の人間は、基本的に二人を放っておいてくれた。
少なくとも、そうしていればリドルの力で何かが壊れるなんてことも無かったのだから。ルツに関しても、暇になると出てきて、孤児院の手伝いをしてくれるために子どもからも職員からもありがたがられていた。
リドルもリドルで、鬱陶しい存在もなく、自分と同じであるルツと魔法の勉強ができるのだ。
リドルは、ルツから魔法のことを聞いた。彼女が一年生から使っていた教科書を片手に、ルツの言葉を聞いた。
リドルの触れたかった、魔法のことを、ルツは教えてくれた。
ルツが杖を振ると、なんだか、楽しいぐらいに、世界にリドルの当たり前が広がる。
例えば、ルツが杖を振ると本を浮かび上がって、光が溢れて、花びらが舞った。
皆には、秘密だよと言って、杖を握らせてくれた。リドルが杖を振っても、何かが壊れたりして、ルツの様に綺麗な魔法が出てこない。
リドルの杖でないから当たり前だよ、と言われても、自分の魔法があまりにもルツの様にはいかなくて。
「・・・大丈夫だ、リドル。お前にだって、きっと、こんなふうに使える日が来る。君だけの、杖を持つことが出来るから。」
そう言って、不機嫌そうなリドルに、秘密だよと言って杖を振る。
教えてもらったんだよと言って、幻でしかないんだけどと言って、美しかったんだと言って、ルツの杖から花々が零れ落ちた。
ルツが、学校で見たという植物たち、七色に変わる花びらに、光を溢す花弁。
綺麗だった。
ルツが、リドルに見せたかった、リドルのいきたい世界の欠片。
ルツの語る、友人たちと一緒に会得したんだと言って。お前に、少しでも、私の場所を、お前がいつかいきたいと願う場所がどんなところか見せたくて。
きっと、私の様に、あんな素敵な友人が、君だって出来るだろうなあ。素敵だねえ。それは、とても素敵だねえ。
そう言って、ルツは、美しい魔法を使って、柔らかく微笑んだ。
その笑みを見ていると、なんだかほっと息を吐いてしまう。
そんな風に、心の底から楽しそうに、魔法を使うルツを見ていると、リドルはなんだかひどく安心してしまう。安堵する。
それと同時に、リドルは、別に気になんてしていないけどなんて思って、それでも、考えてしまう。
もしも、もしもの話で、自分が魔法を使えるようになっても、こんなにも美しい魔法を使えるのだろうか。
自分の魔法は、こんなにも美しいのだろうか。
きらきらと、きらきらと、現れては消える、美しい花びら。ルツの好きな、植物たち。
そして、ルツの語る、リドルの知らない彼女の友人たち。
なんだか、全てが遠くて、何もかもを知らなくて。リドルだけが、置き捨てられている様で。
それが、なんだか少しだけ、胸の中がくうくうと音を立てているような、ひどく寒々しい気分になってしまって。
美しい魔法を使うルツのことが、なんだか憎らしくてたまらなくなった。
それから、リドルは、ルツの話を聞くことがあまり楽しくなくなった。もちろん、魔法の話を聞くことは楽しかった。
けれど、ルツの話す、学校の話はなんだか面白くない。
ムーディーや、オーガスタ、学校でルツがどんなふうに過ごしているかなんて、どうだっていいじゃないか。
そんなの話されたって、知らない奴の話なんてつまらないに決まってる。
その日だって、リドルはずっと、ずっと楽しみだったのだ。
一年ぶりのダイアゴン横丁。
また、プレゼントを買ってくれるというルツの約束を、心から楽しみにしていたのだ。
だというのに、学校のものを買いに行くはずのルツが、その数日前に手紙を片手に、リドルに言ったのだ。
リドル、ダイアゴン横丁に、アラスターとオーガスタが来るんだって。
なんて、嬉しそうに言うものだから。
だから、その顔がひどく、ひどく、憎たらしくてたまらなくなって。
一緒にダイアゴン横丁に行くための道行きは、ずっと黙り込んだままだった。行かないなんて選択も出来ずに、むつりと引き結んだ口元のまま、ルツの後を追う。
ルツは、リドルの様子に困惑しながらも、機嫌取りなのか相変わらず彼女の友人の話を続ける。
その顔は、なんだか嬉しそうで。
目を合わせるのだって、口を利くのだって、相槌を打つのだってなんだか嫌で。嫌で、でも、離れることだって出来なくて。
僕は、行かないなんて。そんなことも言えなくて。
ダイアゴン横丁に行けないのだって嫌で。
そうして、ルツが、自分の居ない所で、自分の知らない誰かと笑い合っていることを考えるだけでたまらなく嫌になって仕方がなかった。
一年前と同じ、ダイアゴン横丁。
不可思議なものが溢れていて。不可思議な人に溢れていて。
特別が溢れる、リドルのいきたい世界。
リドルの目には前と同じように、全てが宝石のように、きらきらと光り輝いて見えて。
鬱陶しいダンブルドアもいない。
ルツとの二人だけ。
リドルは、ルツが迷子にならないように、手を繋いでやった。
ルツは、それに心の底から嬉しそうに笑う。
「リドルは、優しいなあ。」
にこにこと、笑って。手を繋いでやっただけで、そんなにも笑う。
ふん、馬鹿な奴。お前が情けないから、こうやって手を繋いでやるんだぞ。本当に、まったく、僕がいないと駄目なんだから。
ああ、本当に駄目な奴。僕がいないと、駄目なんだ。
彼女は、そのぼんやりとした目で、リドルを見る。リドルは、そんな彼女に、呆れたように言うのだ。
「もっとしっかりしろ。」
そう言って、手を引いてやるとルツがニコニコとしながら、分かったよ、とルツは言う。ルツの手を引いて、ダイアゴン横丁を駆けていく。
意味の分からないものが並ぶ店、変なローブを着た魔法使いたち、見たことも無い生き物、そんなものたちの合間を、二人は歩いて行く。
ああ、姉弟かな、なんて言葉を耳に滑り込ませて。リドルは、頼りない導き手の手を引いて歩き出した。
リドルは、その瞬間が一等に好きだった。理由なんて、なかったけれど、その瞬間がひどく好きだったのだ。
「ルツ!」
それは丁度、二人が本屋で教科書を探している時の事だった。
くるりと後ろを振り向くと、そこには灰色の髪に黒い瞳の少年と栗色の髪に青色の瞳をした少女が立っていた。
「アラスターにオーガスタじゃないか、久しぶりだねえ。」
「久しぶり、じゃないだろう!まったく、ダイアゴン横丁で会おうとは言ったが、集合場所も何も送ってこなかっただろうが!」
「本当よ!おかげでずいぶん探したじゃない!」
そう言って近寄って来る二人に、リドルは思わずルツの前に出た。
それに、二人はリドルの存在に気づいたのか、黒と青の目を彼に向けて来た。
リドルは、思わず動揺してしまいそうになるが、それでも彼のプライドで押し留まった。
リドルにとって、ルツ以外で初めて関わる魔法族の同年代だ。好奇心もあるが、それと同時に警戒心も確かに膨れる。
ムーディーとオーガスタは、好奇心にあふれた目をリドルに向けた。
「へえ、これが噂のリドルか?」
「噂以上に、綺麗な顔立ちねえ。」
それぞれ、リドルよりも二つも違うため、どうしても見下ろすような形になってしまう。リドルは、じっと自分を見る二つの対の目を必死に睨み返した。
「そう警戒するな。僕たちは、ルツの友人だぞ?」
「ふふふ、ルツ、あなた可愛いナイトがいるのね?」
「あんまり脅かさないでよ。変な所で臆病な所があるんだから。」
「誰が臆病だよ?」
ルツの言葉にリドルが不機嫌そうに声を上げた。
「まあ、そんなに怒るな。リドル、紹介するね。男の子の方が、アラスター・ムーディー。闇払いっていう、マグルでいう警察みたいなところの名門みたいな家の人なんだ。ものすごく優秀だよ。」
「ああ、紹介に預かったアラスター・ムーディーだ。お前さんは、ルツの自慢のリドルか?」
「・・・・・それは、分からないけど。ルツの近くにいるリドルは僕だけだよ。」
次にルツは、オーガスタの方を見た。
「それで、こっちはオーガスタ・ロングボトム。聖28一族っていうものすごく有名な一族の人なんだ。この人も、ものすごく優秀な人だよ。」
「聖28一族?」
「魔法族の中でも、一等に長く続いてる一族の通称だよ。」
「・・・・へえ。」
ルツの紹介にリドルは興味深そうに二人を見た。
「そう言えば、二人はお父さんとかお母さんは?」
「家は仕事だ。」
「ああ、闇払いだし、忙しいのか。」
「家は、きょうだいが多いので。両親は下の子たちを見てるの。」
「まあ、ダイアゴン横丁には馴染みあるしな。迷うわけも無いし。買うものなんぞたかが知れてるしな。」
「ふーん、オーガスタは?君、一応令嬢でしょう?」
ルツの言葉に、オーガスタは鼻を鳴らす。
「あら、おあいにく様。そこら辺の有象無象にやられるほどのたまではないの。」
よく言えばひれ伏したくなるような自信にあふれた笑みで、悪く言えばその地位に相応しい傲慢そうな笑みに、見える微笑みでオーガスタは笑う。
「それに、私にもルツほどではないですがナイトが付いていますので。」
「は、リドルほど男前じゃないがな。」
「あら、お気になさらず。私は、騎士には華やかさではなく優秀さを求めますので。」
「そうだねえ。ムーディーは顔立ちは普通だけど。実力は折り紙付きだよ。」
「・・・・・お前な、そこまではっきり言うか?」
ぐったりとしたムーディーの顔を見て、リドルは口を開いた。
「・・・噂のって、ルツは僕のことどう言ってたんですか?」
(・・・・あ、敬語。猫被ってる。)
ルツはそんなことを思いながらリドルを見ていると、それに対峙した二人は顔を見合わせた。
ルツ曰く、リドルは悪い子でもいい子でもなく、ひねくれていると聞いていたが。対面したリドルという子はなんだか礼儀正しい。
(・・・・まあ、外面というものもあるか。)
ムーディーはそんなことを考えながら、口を開く。
「そうだな。ひどく物覚えも良く、優秀だと、お前さんから手紙を貰うたびに飽きもせずに自慢していた。」
「あと、綺麗な顔で人気者になるだろうかとも聞いたわね。それと。」
オーガスタは、隣のムーディーに目配せをする。それに、ムーディーもああ、と頷いた。
リドルは、その動作を不審そうに見る。
その眼に、二人は示し合わせたように言った。
「まあ、少し。」
「捻くれているとも、聞いたけど。」
その言葉に、リドルは思わず斜め後ろに立つルツを見る。ルツはリドルの視線の意味も分かっていないのか、彼の肩を抱いた。
「ああ、自慢の子なんだ。ちょっとひねくれてるけど。」
その邪気のなさと、自慢の子、という言葉の鼻高々とした声音に、リドルはなんだか怒る気もうせてしまう、
そうなのだ、こういう奴なのだ。
リドルは諦めの意味合いでため息を吐いた。
その、苦労していそうなため息に、オーガスタとムーディーはああ、と何もかもを察してしまう。
そして、にこにこと笑っているルツにも目を向ける。
きっと、この少年も、ルツのマイペースさで色々と苦労しているのだろうと。
「そうだな。聞いた通りに優秀そうだな。」
「ああ、リドルはとても優秀だ。一年前の私の教科書も、理解してるしな。あと・・・・」
その場にいた存在は、ルツの話が長いと察して、オーガスタが横やりを入れた。
「そうね、リドルが優秀なのは分かったわ!ところで、さっそくだけど新学年の買い物に行きましょう?教科書、たくさん買わないといけないんだから。」
その言葉に、ムーディーは同意する様に頷いた。
「そうだな!教科書もそうだが、制服も替えにゃあならんしな!」
さっさと行くぞ!
ムーディーがそう言うのに、ルツもああ、そうだねと頷いて、彼ら四人は人のごった返すダイアゴン横丁に歩き出した。
リドルは、また、ひどく面白くなくて顔をしかめていた。
先ほどまでは、そこそこには気分がよかったのだ。
教科書を買うために寄った本屋にて、リドルは約束していた誕生日のプレゼントとして、昨年よりも少しだけ高度な呪文集を買ってもらったのだ。
一年前の本は、すでに隅から隅まで読み込んでいたため、内心だけを言うならばルンルンであったのだ。
買ってもらった本も、ルツの幾らでも入るトランクの中に入れられている。本当は、買ってすぐに読みたかったのだが、読みながら歩こうとしてルツに取り上げられてしまった。
もちろん、それは腹が立った。けれど、それについては自分も悪いと思っていたため、納得はしている。
(・・・・・・何だよ、ルツの奴。こいつと仲良いみたいだな。)
丁度、リドルは以前に来たマダム・マルキンの洋装店の前に立っていた。
ルツたちの学年では、一応買うものといったら教科書ぐらいで、他にはサイズの変わってしまった制服をし立て直すだけだった。
ムーディーはオーガスタやルツよりも早く採寸が終わった。リドルは、ルツたちの荷物を見ているために外にいた。
後は、オーガスタに、レディの採寸をじろじろ見るものではないと釘を刺されたためだった。
そんな時、リドルは買ってもらった本に夢中で、ルツの手を放していた。そうして、服屋が込むとオーガスタに促された時だった。
リドルは、いつものようにルツの手を取ろうとした。
けれど、伸ばした手はするりと空振った。
気づけば、ムーディーがルツの手を取って歩き出していた。そうして、伸ばされたリドルの手をオーガスタが取って歩き出した。
早く行かないと、そんな声が聞こえた。
リドルは、自分の手を取る馴染みのない温度を気にするよりも、ルツの手を見ていた。
後ろからだから、よく見えなかったけれど、確かにムーディーはルツを引っ張っていた。
ムーディーが、ルツの手を取っていた。
リドルは、ルツがその手を解くのだと、何の疑いも無く思った。
リドルがオーガスタの手を振りほどかなかったのは、ルツが、きっとその手を解いて。
そうして、リドルの方に手を伸ばしてくれると、何の疑いも無く、信じていたから。
けれど、ルツは、そんなことをしてくれなかった。
ルツは、微笑んでいた。
いつもの、ぼんやりとした、夢を見ているような目ではなく、表情ではなく。
確かな、嬉しさを見出した。
リドルといる時に、リドルが、難しい問題を解いた時とか、ほかの孤児院の子どもと上手くやった時とか、父や母のことを語る時のような、幸福そうな、確かな笑み。
(・・・・・ああ、何だ。お前、笑うのか。)
そんなにも、普通に、当たり前のように、ルツは誰かの前で笑う。リドル以外の、リドルにとって、特別な時しか見ない笑みを当たり前のように浮かべていた。
ルツは、リドル以外に手を引かれる。ルツは、リドルの前以外でも笑う。
当たり前のことなのに、リドルは、茫然とその笑みを見つめていた。
リドルは、同じように店の前で待っているムーディーの隣でルツの持っていた荷物を抱えていた。
(・・・・・こいつ、何をこんなに怒っているんだ?)
ムーディーはというと、突然不機嫌になったリドルを手前に困惑していた。
ムーディー自身も、リドルの性格など又聞きでしかないために、何が怒りの根源かもわからずに困惑していた。
(・・・・・まあ、ルツへの振る舞いからして、プライドは高そうだが。)
ムーディーは、リドルへの振る舞いで、なにか気に障ることがあったかと考えるが、特に思い当たることも無い。
が、ここでリドルを放っておくという選択肢もなかった。
ムーディーは、ハッフルパフに入った通り、善人であり、リドルの気難しさに友達が出来るかと心配になってしまった。
言ってしまえば、少々お節介を焼いてしまいたくなったのだ。
「・・・・ところで、リドル。お前さん、来年から入学だったか?」
「そうだけど。」
短い返事に、ムーディーは苦笑してしまう。
あからさまな、分かりやすい怒っていますという表情ではなく、口を真一文字に結んで、まるで大人のような顔でリドルは怒っていた。
なんだか、ルツよりもずっと、困った性質をしているように感じられた。
「まあ、そこまで警戒するな。ルツからよくよく話は聞いてるんだ。」
「あいつと仲良いんだね。」
ムーディーは、リドルのルツへのぞんざいさに少し笑ってしまう。
「お前さん、ルツに対して気安いな。」
「・・・・・ルツの世話は僕がしてるし。御相子だよ。」
「ああ、確かにあいつの世話は手がかかる。変な所で抜けているというか。」
ムーディーは思わずルツの世話について同意してしまう。
脳裏に浮かぶのは、ほっといても大丈夫なようで、幼児並みに気を張っておかなくてはいけない、何だかんだで構ってしまう友人のことだ。
リドルは、何故か苛立ったような顔でムーディーの方に視線を向けた。
「・・・・仲良いんだね。」
「まあな。同じ寮だか、何だかんだでな。」
「それは、申し訳ないね。まあ、あいつのことだから、どうせぼおっとしてるんでしょ。まったく、僕がいないと駄目なんだから。」
吐き捨てるような言い方に、ムーディーはなんだか察してしまった。
どうやら、この後輩の苛立ちの原因は、焼きもちを焼いているためであったようだ。
それに、ムーディーは少々、下種な気分になってしまった。無性に、この小生意気そうな後輩を揶揄ってやりたくなってしまったのだ。
「まあ、気にするな、あいつの世話も大分慣れたしな。お前さんは、入学してもあいつのことは気にしなくていい。」
本音としては嘘だ。ムーディーとしては、出来ればリドルに出来るだけルツの世話を押し付けようと思っていた。
けれど、やはり、揶揄いたいという気持ちが上回ってしまったのだ。
「・・・・・へえ。」
ムーディーは、リドルから聞こえて来た凍える様な威圧的な声音に思わず目を丸くした。
リドルの目が、赤く、まるで焔の様に染まっていた。
「ふん。僕だって、あんな奴の世話をしなくていいと思うと安心だよ。せいぜい、あいつのこと、お願いするよ?」
ムーディーは、それにたじろいた。
少なくとも、ムーディーは、畏れたのだ。恐れてしまったのだ。
その、赤い、朱い、紅い、瞳。
まるで、人でないような、人から逸脱したような。
ムーディーは、足を、一歩下がらせた。まるで、化け物を前にしたような、息を飲む様な、感覚を覚えて。
ムーディーは黙り込んだ。
リドルは、ムーディーから目を背け、反対側に体を向けた。
「・・・・少し、そこら辺を歩いてくるよ。」
ムーディーは、あの、冷たい声音と、そうして、その赤い瞳に茫然とその場に立ち尽くしてしまった。
ムーディーは意識を戻す前に、リドルの小柄な体は雑踏の中に消えていった。
(・・・・・何してるんだろう。僕は。)
リドルは、ただ、まっすぐと、何かを考えることもせずに、一心に色の洪水のような魔法使いたちの間を歩いて行った。
あんなにも心躍った、不可思議で、興味深い魔法街のことも頭にはなく、ただ、ただ、茫然と、自分の怒りに驚いていた。
(・・・・何を、怒ってるんだ?)
リドルは、歩みを速めた。
「なんで、怒ってるんだよ!」
リドルの歩みが小走りになる。
「怒る必要なんてないのに!」
とうとう走り出したリドルを、魔法使いたちは横目に見ながら、避けていく。
リドルは、走った。
胸の中にある、分からない、どうしてという感情をくすぶらせて、リドルは走る。
(・・・・・あいつは、利用するだけなんだ。)
利用するだけ、この力が何なのか、もっと上手い使い方が分かれば、魔法界との繋がりを自分で作ることが出来れば、それで。
ルツが、誰とどんなふうに仲良くしていても、リドルにはどうだっていいのに。
リドルは、走る。どんなに目立ったって、どんなに、視線を向けられても。
リドルは走る。
走るしかなかった、リドルの中にある、何か、分からない。
孤児院で悪魔だと陰口をたたかれたとき、自分にだけ宝物がないという事実を理解したとき、誰も机の席で隣に座ってくれなくなった時、化け物を見るような目で見られた時。
そんな時に感じた、腹の底に溜まる熱。
リドルの中には、それが渦巻いていた。渦巻いていて、けれど、似ていたけれど違う感情を紛らわせるために、リドルは走る。
けれど、体力のないリドルはすぐに立ち止まってしまう。
そうして、肩で息をしながら、立ち止まった。
気づけば、あまり人のいない外れまで来てしまった様だった。
リドルは、寂れてはいるが、何かの店の前でへたりこむように膝を抱えた。
丁度、木箱の重なったその店の軒下だ。
リドルは、子どものように小さくなって、じっと考え込んだ。
何を、そんなにもショックを受けている?
リドルは、それを己に投げかけた。
何を、何を、何を?
己は、そうだ。
自分以外に、ルツと手を握っていたから。自分以外が、ルツの手を引いていたから。
(違う・・・・)
そんなのじゃない!そんな、そんな、あいつのことなんて、そんなふうに。
思ってなんていない。
自分は、ひとりなのだ。ひとりであったはずなのだ。
リドルは、特別だから。
ルツがいなくたって、平気なのだ。
リドルは、特別だから。特別は、ひとりだから。
だから、リドルは、ルツがいなくたって平気なのに。
平気なんだ。
けれど、リドルが、幾度も、平気なのだと、思うたびに胸の中の熱が燃え上がるように、熱くなる。
まるで、リドルの中で、炎が燃えているように。
その炎は、まるで、リドルの心中を否定するかのように、熱く、燃えるように、熱くなる。それと同時に、目頭が、熱くなる。喉の奥から、何かが、せり上がってくるように、熱くなる。
平気なのならば、この、この熱さはなんだ?この、燃え上がる様な、感情は、何なのだ?
リドルは堪えるように、歯を噛みしめた。
(何だよ、なんだよ!なんでも、いないんだよ!)
言ったのに、ルツが、言ったのに。
自分は、リドルを守り、手を貸すからと。
なのに、あいつは、どうして。
「リドル?」
その声に、リドルは肩を震わせた。
(・・・・・なんで。)
「・・・・どうしたんだ、急に居なくなって。」
(どうして、いつも、こんな時に。)
リドルは、悲しくもないのに、流れて来そうなそれに必死にこらえる。
「リドル、どうした、どこか、痛いのか?」
声の主が、当たり前のように自分の目の前に屈んだのが分かった。
来るなと思った、視るなと思った。
リドルは、抱えた膝に顔を押し付ける。
けれど、声の主は、そんなことを察してくれるほどの繊細さなんてない。
「・・・・もう。」
リドルの両頬が手で覆われて、不躾なほどの力で無理矢理に上を向かされた。
そこには、リドルの見慣れた、ルツの顔があって。そうして、リドルの目からその反動で、ぼろりと涙がこぼれ落ちた。
「見るな!」
そうどなっても、ルツは気にすることも無い。そうして、心の底から不思議そうな顔をした。
「どうした、目にゴミでも入ったのか?」
「は?」
リドルが驚いて声を上げていると、ルツは取りだしたハンカチで、リドルの目を拭った。
「ほら、取れたか?」
それに、リドルは茫然としてしまう。
ルツは屈みこんだまま、少しだけ目線の違うルツの顔を下からのぞき込んだ。
「どうした?まさか、何かあったから泣いてたのか?」
「そんなことない!!」
リドルは、思わず立ち上がってルツに叫んだ。それに、ルツは、そうだろうなあと頷いた。
「ああ、知ってるよ。リドルが、強くてすごいことなんて知ってるよ。」
ルツは、そんなことを何でもないことのように言った。リドルは、その、あっけんからんとした態度に、黙り込んでしまう。
「でも、どうして黙り込んでたんだい?」
「・・・・・別に。」
「そうか。なら、まあ、いいけど。じゃあ、みんなの所に帰ろうか?」
そう言って、ルツはリドルに手を差し伸ばした。リドルは、その手を、取る気にはならなかった。
なんだか、その手を取ることが堪らなく嫌だった。
「リドル?」
ルツは問いかけるようにそう言った後に、リドルの手をすくい上げた。リドルは、思わずその手を振り払った。
ばしりと、音が響いた。
ルツは振り払われた手とリドルを交互に見た。
リドルは、それに咄嗟に何かを言おうとした。けれど、言葉が出てこない。
だって、今、どうして自分がルツの手を振り払ってしまったのか分からなかったから。
分からなくて、けれど、その手を振り払ってしまった。
「・・・・リドル。どうした、どうして、泣いてるんだ?」
リドルは、自分の頬を零れる涙を乱雑に拭った。
分からなかった。分からないことが、たまらなく、ただ、たまらなく不愉快だった。
「なんだよ!」
リドルは叫ぶ。自分の身にある感情に制御も利かずに、叫ぶしかなかった。
「お前、何だよ!なんで、なんで!」
僕を置いていくんだよ!!
とっさに出てきたのは、そんな言葉だった。それを皮切りに、リドルの口からはぼろぼろと言葉が零れ落ちた。
「何だよ!何が、僕を守るだよ!この一年、僕の側になんていなかったくせに!僕は、あのくそったれな孤児院にいたのに、お前は悠長に友達かよ!何だよ、嘘じゃないか、守ってもなんてくれないのに。僕の事、置いていってるじゃないか!!僕がいないと駄目な癖に!」
駄目な癖に、この女は、どうして僕を置いていくんだ?どうして、あの男は、この女と当たり前のように隣にいるんだ?
自分が幼いから?
たった、たった、数年違うだけで?
それだけで、どうして、こんなにも、置いていかれてしまうんだ!?
叩きこまれるような、怒気にルツは、やはりキョトンとしていた。
そうして、もう一度、リドルの方に手を差し伸ばした。
「うん、だから、リドルがいないから、迷子になってしまったんだ。」
だから、リドル、手を、繋いでくれないか。私が、迷子になってしまわないように。
そう言って、ルツは手を差し出した。リドルは、その手を、見つめた。
その手が、あまりにも、変わらないまま、そこに有ったものだから。だから、その手を、リドルは取ってしまった。
前と同じ、いつもと同じ、ルツの手だ。
ルツは、心の底から嬉しそうに笑う。
「やっぱり、リドルは優しいなあ。ちゃんと手を握ってくれる。アラスターは、腕を引っ張るから痛いんだ。」
「腕を?」
「そうそう。リドルは紳士だねえ。いつだって、ちゃんと私の手を握って、引いてくれるもの。」
「・・・・・当たり前だろ。」
リドルは、心の底から、不機嫌そうに言ったけれど。不思議と、涙は引いていた。
そうして、いつものように、リドルは、ルツの手を引いてやった。
彼女が迷子にならぬよう、リドルが先行してやった。
それにつられて、ルツは歩く。いつの間にか、隣り合わせになった時、ルツはのんびりと言った。
「・・・・リドル、私は、君が泣いてた理由、分かったよ。」
リドルは、無言のままだ。けれど、ルツは気にしない。
ルツが勝手に喋って、リドルが聞いているなんてよくあることだ。
だから、ルツは気にしない。
「リドルは、きっと悔しかったんだな。」
「悔しい?」
「そうだよ。きっと、リドルは私の方が先に魔法を学んで、ムーディーに言われたことで、私と開いた差を理解したんだね。」
悔しい。
その言葉が、リドルの胸の中に、すとんと落ち込んだ。
ああ、そうか。
自分は、悔しいのだ。
あの、熱は、悔しさだったのだ。きっと、そうだ。そうだった。
あれは、悔しさなのだ。
「・・・・君は、私がものすごく前にいるように感じてるだろうけどね。きっと、君はスタートラインに立ってしまえば。すぐに私を置いていってしまうと思うよ。」
「・・・・ふん。」
リドルは、ルツと繋いだ手の力を、少しだけ強めた。
リドルは、ルツの顔を見なかった。ルツも又、リドルの顔を見なかった。互いに、人気のなくなった道を二人ぼっちで歩いた。石畳は、すでに少しだけ茜色に染まっていて。
二人ぼっちの影を映し出していた。
リドルは、その影をちらりと見た。それだけを見るならば、まるで、本当に、二人ぼっちの様で。
「なあ、リドル。もしも、君が、私を置いて行ってしまうなら、それでもいいんだけど。でも、私は、この手を放したくないとも思ってるんだ。」
父さんは、手を離して行ってしまったから。だから、手を、繋いでいてほしいなあ。
「・・・・・そんなの分かってるよ。僕が学校に通い出したら、お前の事なんて、すぐに抜いてしまうさ。でも。」
リドルは、少しだけ、痛いかもしれないほどの強さでルツの手を握った。
「・・・・・お前は、すぐに迷子になるから。手ぐらいは、繋いでいてやるよ。」
それに、ルツは、ゆるりと微笑んだ。
「そうかあ。嬉しいなあ。」
とっても、とっても、嬉しいなあ。それなら、きっと寂しくないから。
ルツは、幾度もそう言って繰り返した。
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泥棒は誰?
ちょっと短めです。
書き手の仕事が始まるので、今以上にスローな更新になりますが、ご勘弁ください。
ルツの2年生は少し長めの予定です。
ルツは、ゆっくりと四つん這いになり、ゆっくりと進む。そうしていると、手からふかふかとした土の感触が伝わって来る。
そうして、自分の体にぶつかった木々がざわざわとこの葉擦れを奏でていた。鼻に付く、腐葉土のような、臭い。森のなかに放り込まれたような心地にはなるが、それにしてはあまりにも並んだ植物が整理されている。
風が吹くことも無く、静まり返ったそこには微かに誰かの立てる物音がした。
温室のガラス越しとはいえ、ぬくぬくと眠りに誘う様な日差しに思わずこのまま寝入ってしまいそうな気分になる。
辺りに漂う臭いは、ルツにとっては些細な慣れたものだ。
いや、本音を言えば、慣れ切った、ひどく懐かしい故郷のような親しみさえあった。
といっても、ルツは眠りに入りそうな意識を呼び起こした。そんなことをするよりも前に、やらなくてはいけないことがあるのだ。
ルツは植えてある株の一つ、一つをじっくりと眺めていく。そうして、ふんふんと鼻を鳴らして、何かの匂いを探す。
そうして、耳に微かな音が飛び込んできた。
いたい・・・・・
「・・・・見つけた。」
ルツは、とある一点で動きを止めて、おもむろにとある方向に向かっていった。
そうして、植えられたとある株の一つの根元に視線を向ける。
そこからは、微かな甘い匂いと、緑の茎には、白い斑点が広がっていた。
ルツはそれを確認すると、立ち上がり、自分と同じように広がっている畑を歩き回る男に話しかけた。
「ビーリー先生!」
それに、ゆっくりと人影が立ち上がった。
ひょろりとして背が高く、どこか気だるそうな男だった。無精ひげをはやしたそれは、いかにも草臥れた学者のような風体だ。
「・・・・なんだ、グリン。見つけたか?」
「見つけた!根腐り病!翠芯草の根元!」
ルツの言葉に、男は血相を変えてルツの元に歩き出す。そうして、ルツの見ていた白い斑点が広がった草を見て、ため息を吐き、その場から遠ざけた。そうして、おもむろに杖を振った。
すると、グリンの見つけた薬草の周りが一気に燃え上がり、焦土になった。
「っち、くそが。せっかく育てた翠芯草だっつうのに。」
「・・・・禁じられた森に入り込んだ生徒がいたんだっけ?」
「ああ、そうだよ。」
ビーリーは苛立ったように髪をがりがりと掻くと、すぐに踵を返す。そうして、ルツを振り返った。
くいっと、指で付いてくるように示した。
「まあ、おかげで早く終わった。茶でも飲んでけ。」
ルツはそれにこくりと頷いて、後をついて行く。
二年生になったルツは、新学期が始まってすぐに薬草学の教師であるビーリーからとある提案を受けた。
曰く、ビーリーはルツの植物に関する知識を買っているらしく、自分の手伝いをしないかというのだ。もちろん、謝礼は出すということだった。
ルツも、実は探していたものがあったため、それをビーリーに頼むこととした。
今、ルツがいるのは、ビーリーが個人的に使っている小さな温室だ。
学生たちの授業のために使うわけではないため、温室の中はお世辞にも安全とは言えない。知識を持たないものからすれば、毒にしかならず。知識を持つものからすれば、宝の山であるそこは限られた存在しか入ることが出来ない。
ルツも、許可された部分だけであるが、立ち入りを許可されたうちの一人だった。
ビーリーは、温室の隅に置かれた作業台の上に、欠けたポットやティーカップ、そうしてクッキーを置いた。
「ほれ、薬草茶とクッキーだ。」
「いただきます。」
ルツは、遠慮することも無くクッキーをもぐもぐと咀嚼する。ビーリーはそれを片肘を立てて眺める。
ルツは、ビーリーの知るグレイ・グリンとはあまり似ていなかった。その、見事な黄金の髪だけはよく似ていたが。
ビーリーは年下であったと言っても、少しの間同じ期間学び舎で過ごした男のことを思い浮かべた。
(・・・あいつは、ここまで愛想は良くなかったがなあ。)
そんなことを考えながら、ビーリーは、同じように薬草茶を啜った。
元より、ビーリーがルツに己の手伝いを望んだのは、彼女が魔法植物において高名なグリン家の跡取りであり、そうして彼女の父親と面識があったというのがある。もちろん、人手が欲しかったというのは本音だ。
彼がいる個人所有の温室は、非常に扱いの面倒なものが多い。そのために、管理も面倒なものが多いのだ。彼自身、教師としての役割もあるために、人手が欲しかったのだ。
けれど、それと同時に、ビーリーはルツ個人に対しての興味があったのは事実だった。
蓋を開ければ、少女は考えていたよりもずっと愛想もよく、そうして人間らしかった。
ビーリーが、ルツに手伝いを頼んだのは、彼の探す温室に入り込んだ犯人を捜すことにあった。ルツが、植物と意思疎通が可能な事は知っていたため、それを頼りにしたのだが。
植物に人の見分けがつくことはなく、計画はおじゃんとなった。
「・・・・先生、ほかに仕事はありますか?」
「あ?あー。そうだな。」
ビーリーははてりと首を傾げて、考える。他に、仕事はあったろうかと。けれど、彼女に任せそうなものなど、とっくになくなっている。
いや、本音を言えば、きっと彼女は己の代わりになることだって可能であるだろう。そんな確信が、ビーリーにはあった。
彼の脳裏には、己では追いつくことは出来なそうにない一人の男の顔が思い浮かんだ。
それを振り払うように、ビーリーは目を伏せた。
確か、より分けなくてはいけないものがあったはずだが。そろそろ、時間は昼に近い。いくら、休日と言ってもルツを解放しなくてはいけないだろう。
「・・・・とくにはねえな。」
「そうですか。」
ルツは、ぼんやりとした目で、それに頷いた。その眼を見て、ビーリーはしみじみ思う。
ああ、本当に、その眼は嫌になるほどあの男に似ていた。
「先生、あれ、見つかりましたか?」
「・・・・すまん。まだ、見つけられてないんだ。」
「そうですか。分かりました。では、私は行きますね。」
「ああ、また、頼む。」
ビーリーは、その背をぼんやりと眺めながら次にやることを考える。その時、何かを思い出したようにルツは振り返った。
「・・・先生!」
「あ、ああ。」
「温室に入り込んだ生徒、見つかったんですか?」
「いいや。まだだ。」
苦虫をかみつぶしたような顔で、ビーリーは応えた。それに、ルツは頷いて、今度こそ温室を後にした。
それを見送りながら、目下の問題である温室に立ち入った存在のことを考えた。
(・・・・そりゃあ、この温室にかけられた魔法は完璧ってわけじゃねえ。けどなあ、痕跡を一つだって残さずに温室に入り込むなんざ、ただの魔法使いに出来るはずがねえんだが。)
二年生になったルツの毎日というのは、ある意味パターン化されている。
ムーディーたちと授業を受け、宿題をし、そうして休日にビーリーの手伝いをする。空いた時間には、リドルからの連絡を受けると言った風だ。
といっても、ホグワーツでの生活は、もちろん魔法を習うということが刺激的だというならば別だが、特段に変わったことはない。
いや、悩みは一つや二つはありはするが。
ルツは、ビーリーの手伝いからの帰り道、いつも通りてとてとと道を歩いていた。道を行くルツに、顔見知りたちはそれぞれに手を振ったりして挨拶をする。
そんな中、グリフィンドールのネクタイをした少女が、ルツに話しかけた。
「ルツ!」
「うーん?オーガスタかい。どうしたんだ?」
「どうしたものこうしたもじゃないわ!あなた、ハッフルパフの子に聞いたけど、大丈夫なの?」
怒り心頭のオーガスタに、ルツははてりと首を傾げた。
オーガスタはよく怒る。
例えば、ルツが他の生徒に意地悪とされたとか、そんな時に彼女はよく怒る、ルツとしては、あまり気にしていないことばかりではあるけれど。
それでも、ルツは自分のために怒ってくれるオーガスタを見ると嬉しくなる。自分のために怒ってくれる人は、自分のことを思ってくれる人だ、大事に思ってくれる人だ。
そんな人がいることは、とても嬉しいことなのだと思う。
そんな上機嫌なルツのことなど気にすることなく、オーガスタは苛々と怒鳴る。
「何が?」
「何が、じゃないわ!あなたこの頃変な奴に付きまとわれるそうじゃない!」
それにルツはまた、はてりと首を傾げた。そんなものに、とんと思い浮かべるものがなかったのだ。
その仕草に、オーガスタは怒鳴り声を上げた。
「何、分からないって顔をしてるのよ!」
そう言われても、少なくともルツにはとんと思い浮かぶことがなかったのだ。
事の発端は、少なくともルツは気にすることではないと考えているが、彼女の教科書がなくなったことだった。
最初は、どこかに置き忘れたのだと思っていた。教科書にも色々とメモ書きをしている。そのため、ルツはまずしもべ妖精に教科書の捜索を頼んだ。
調理室に一番に近いハッフルパフ生と、しもべ妖精は仲がいい。それに加えて、しもべ妖精はホグワーツの掃除を一手に引き受けている。少なくとも、ルツが立ち入りそうな場所はしもべ妖精の管轄のはずだ。
すぐに見つかると、その時ルツは考えていた。けれど、一週間たっても教科書が届くことはない。
その時はすでにルツも諦めて、新しい教科書を取り寄せていた。溜め込んだグリン家の金庫には痛くもかゆくもなかったが、それでももったいないと思っていた。
けれど、ルツには不思議で仕方がなかった。
何故、自分の教科書が見つからないのか。
言っては何だが、ルツの教科書にそれほどの価値があるとは思えない。もちろん、ルツの家系や優秀な成績などから教科書に書かれたメモ書きを見たいものもいたかもしれないが。教科書にはでかでかとルツの名前が書かれている。有名なルツの名前が書かれた教科書なんてものを持っていれば噂になってもおかしくないはずだ。
名前も、盗難防止用にとムーディーが貸してくれたインクでかかれている。
ルツは、自分の教科書をいったいどこに置いたのかと頭をひねった。
といっても、そんな教科書のことも、すぐに忘れてしまった。無くしてしまったものは、仕方がないと。
けれど、その教科書を無くした件に変な色が付き始めたのはそのすぐ後だった。
また、教科書がなくなったのだ。
この時は、さすがにルツもおかしいと思った。何と云っても、失くした教科の教科書は部屋から持ち出した覚えのないものだった。
といっても、同じ部屋のものが取ったという可能性も限りなく低い。メモ書きぐらいなら、見たいと言えば見せてもらえるのは分かり切ったことなのだ。
どうしたものかと考えていた次の日、また一冊教科書がなくなった。これには、さすがにルツも不審に思い、誰かに相談しようかと考えた。
さすがに二回も同じ教科書を買うのは勘弁したい。
そうして、次の日、こんどはルツが個人的なメモ書きに使っていたスクロールがなくなった。
さすがに可笑しいと思い、周りに相談したところ大騒ぎになったのだ。
誰かに付きまとわれているのではと騒ぎになったのだ。
ルツは、中身はともかく見目は良い方なのだ。
ムーディーも怒り心頭で犯人を捜そうとしたが、次の日もまたルツの私物が盗まれた。
けれど、女子側の部屋に男子が入れることも無く、わざわざ女子がそんなことをするとは思えない。
そんな混乱が寮を包む中、不思議な事があった。
なんと、ルツの無くしたと思っていた、というか盗られていたらしい私物が全てルツのベッドの上に置かれていたのだ。
教科書には、特に何かされた後はなく、自分で書いたメモ書きも筆跡もそっくりそのままだったのだ。
これには、寮生たちも首を傾げた。
なぜ、今になって教科書を返してきたのか。犯人探しに怯えたためだろうか?
いや、ここで怯える程度ならば、何故教科書なんてものを盗んだのか。
というよりも、仮にだ。ルツ本人への好意によってそんなことをしたのなら、もっと服だとか小物を盗めばいいものを何故、教科書やスクロールなのか。
第一、ルツの盗難騒ぎで、寮監が彼女の部屋に警報を仕掛けてくれたのだ。部屋の住人以外が人間が部屋に入った場合けたたましくブザーが鳴る。それさえも、一度だって鳴ったことはない。
このために、ルツの教科書の盗難騒ぎはなんともすっきりしないままに終わってしまった。特に、ルツの保護者枠に収まっているムーディーなど怒り狂ったまま犯人を捜すのだと息巻いている。
「まったく!どうして、こういったことをあなたから聞かずに周りのうわさで聞くのかしら!」
ぷんすかと怒るオーガスタにルツは目を細めた。
静かにしているオーガスタよりも、感情を爆発させた彼女の方がずっと魅力的に見えるから不思議だ。
「うーん。そう言っても、私はあまり気にしていないしなあ。」
「何言ってるの!?人の私物がなくなってるのよ!もう少し気にしなさい!アラスターだって、色々と探してるみたいだけど。」
「・・・ムーディーかあ。」
「どうしたの?」
ルツたちは今、中庭に面した廊下にいた。廊下に備え付けられたベンチに座って話し込んでいた中、ルツは憂鬱そうにため息を吐いた。
「・・・よく、分からないんだが。新学期が始まってから、ムーディーの様子がおかしいんだ。」
「何、あなたたち喧嘩でもしたの?」
「いや、新学期が始まってから、何かムーディー、リドルのことやけに気にしてて。」
「リドル?そう言えば、私にもあの子のこと聞いて来たけど。」
「二人っきりにしたことはあったけど、何かあったのかなあ。そりゃあ、リドルはひねくれてるけど。ムーディーがそれを気にするほど、心が狭いとは思えないけど。」
新学期が始まってから、ルツの生活は特に変わったことはない。
ただ、己の私物がなくなったこと、ビーリーから温室へ入り込んだ犯人を捜すこと、リドルへの贈り物が見つからないこと、この三つの悩みが付きまとうことを除けばだが。
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未知への恐怖
「君にお礼をするとしたら、何が良いんだろうねえ。」
「そ、そのような!恐れ多いことです!!」
ルツは、そうかいと言いながら目の前の存在を見つめて出された茶を啜った。
「当たり前です!我らが恩人、アーヴェル様の子孫にそのようなことを望むはずがございません!」
キーキーと甲高い音が耳に触る。まるで大きなガラス玉のような目が、じっとルツを見つめていた。
大きな耳に、皺の寄った顔、そうして小柄な体。お世辞にも愛らしいとは言えない見目。
屋敷しもべ妖精のとしては特別な部分などない、それ。
名前をエヴェドというらしいそれは、何をトチ狂っているのかアーヴェルマニアであるらしい。
ホグワーツの屋敷しもべ妖精というのは、殆どが始祖の四人が集めたものだ。そうして、当時学校を作る上でその四人の身内たちも駆り出されていた。
エヴェドの家系というか、一族はアーヴェルにホグワーツに連れてこられたらしい。
けれど、エヴェドのそのアーヴェルへの献身ぶりの理由というのも連れてこられただけでなく、なんでも命を救ってもらったらしい。
当時、エヴェドの先祖は野良であったらしい。
(・・・・屋敷しもべの野良ってなんだろ。)
ルツとしてはそこまで屋敷しもべ妖精についてさほど詳しいわけではない。
ルツの記憶としては、屋敷しもべ妖精は元より家に憑く。人にではなく、家系につくものだ。
(確かに、家を追い出された屋敷しもべってどうなるんだろうか?)
後で調べて置こうかと頭の片隅に置いておく。
エヴェドの先祖は、拾われたアーヴェルにそれはそれは感謝したらしく、代々その恩を返すように言われているらしい。
エヴェドという名も、アーヴェルから賜ったのだそうだ。
ルツの記憶としては、エヴェドというのは記憶では所有物という意味があったはずだ。それを思うと、少々複雑な気分になる。
「・・・・それに、私は、その。ルツ様の落とし物を探すには至りませんでしたし。」
「うん、まあ、いいよ、かえって来たし。」
「いいえ。ですが、私が自分から探すと言ったというのに。にしても、不思議な事ですよねえ。誰かに盗まれたものがかえって来たのだから。」
「まあ、そんなこともあるのかもしれないよ。」
おかしなこともあるものだと、そんなことを思いつつルツはエヴェドとの出会いも同じようにおかしなものであったことを思い出した。
ルツは、教科書を無くした当初、散歩のついでに学校中を探し回っていた。
ルツとしても、学校中の人間と仲がいいとは思っていない。嫌がらせの可能性も考えて、ふら付いていたのだ。
(・・・・まあ、おかげで面白い部屋が見つかったからいいかなあ。)
そんな時、ルツはひどく甲高い声を聞いたのだ。
あったその時、彼、男であるらしいエヴェドはそれは感激したように目をキラキラさせていた。
ルツとしても、主に夜に行動する屋敷しもべ妖精が真昼間に人気がないとはいえ、廊下の真ん中に立っていることを奇妙に感じた。
彼は、ルツが自分を認識した理解したとたん、まくし立てる様に彼女に話しかけてきた。
自分たちがアーヴェルに助けられたこと、今でも慕っていることなどなど。
ルツとしては、アーヴェルが何かをしたとして、それは先祖の功績で自分がどうすればいいのか分からない。
ルツは、そうかい、とそれだけ返した。
彼は、エヴェドはそう言われても聞いた通りの反応だと余計にテンションを上げていた。
「・・・まあ、他に用がないのならもう行くけれど。」
特別なようも無いため、ルツはさっさとその場を去ろうとした。けれど、それをエヴェドは慌てて引き留める。
「お、待ちください!」
「うん?」
眠たそうな目をエヴェドに向けると、彼はそれに慌てて姿勢を正して叫んだ。
「さ、探し物をしているのではないでしょうか!?」
その言葉に、ルツはふむと頷いた。己を見つめるその、大きなガラス玉のような目を見て確かになと納得した。
学校中を、自由に動き回れるそれは確かに探し物のパートナーにうってつけであった。
そんな経緯で、エヴェドとルツは時折会うようになった。
ルツとしては別段、見つかれば届けてくれればよかったのだがエヴェドの強い要望により定期的に会うようになった。
今、ルツたちがいるのは、学校の奥まった場所にある行き止まりの踊り場である。この踊り場の可笑しい所は、なんと踊り場という体をなしているというのに、階段自体が途中で壁に続いているだけでどこにもいけなくなっている。
唯一、廊下の隅にあった洞窟の絵の後ろから、その踊り場に続いているだけだった。
人と会ったことのないそこは、ルツにとって気に入りの昼寝場所であった。
ただ、一度一日中そこで眠り、ムーディーに大目玉を食らった経験から彼ぐらいには場所を教えているのだが。
「にしても、君が淹れるお茶とはこれでお別れだね。」
「そ、そのようなこと!」
「でも、別に君とお茶をしたりするほどの理由ももう、なくなったわけだし。」
「そうです!このお茶、特別な製法のものが伝わっております!他にもありますので、また後日に!」
キーキーと甲高い音を立ててエヴェドはそう訴えた。
「アーヴェル様の代から伝わっております、レシピもありますよ!」
最初は断る気であったルツも、その言葉には惹かれるものがある。そこまで古いレシピはもしかすれば自分の所でも廃れている可能性がある。
薬草を煎じたらしいその茶の材料は、ルツが聞いただけで分からないような珍しいものも混じっていた。
(・・・・・はて、この子はいったいどうやって薬草を手に入れているんだろう?)
ルツはのその日、のんびりと己が寮にてリドルへの手紙を書いていた。この頃は、リドルへのプレゼント探しと忙しくなった勉強のためにあまり送れていなかったため、謝罪の言葉とご機嫌伺いの言葉を綴った。
以前は、日記の変わりかというほどの頻度で送っていたため久方ぶりの感覚に、少しだけリドルに申し訳ない気分になる。
ルツのこの手紙も、両面鏡に語り掛けても反応しなくなったことで慌てたためというのもある。
(・・・・よくよく考えたら、リドルには手紙を送るための手段ないもんなあ。私が梟を送った時に、手紙を渡すしかないもんなあ。)
孤児院で独りで怒り狂っているだろうリドルのことを考えて、ルツはため息を吐いた。
そんな時、ドアを乱雑に押し通して入って来る存在がいた。基本的に穏やかな存在の多いハッフルパフには珍しいなあと感じていると、その存在はルツが座っていたソファに近づいて来た。
ルツのいるソファは暖炉の目の前で、冬場の夜は特別に人気な場所であるものの、今は丁度昼休み。
昼食が終わった後で、皆が宿題や遊びに精を出すため寮はあまりひと気がなくなる。静かな寮はルツの気に入りだ。
どさりと自分の横に座った少年は心の底から不機嫌そうな顔で、じっとルツを見る。
「・・・・・おい。」
「なんだい?」
ルツが無視していると、少年は、ムーディーはひどく不機嫌そうにを見た。
ルツは、リドルへの手紙に目を向けたままだ。それに、ムーディーは思わず声を上げた。
「まだ、見つからない。」
その言葉で、ルツは未だにムーディーがルツの物を借りていた犯人を捜していることを察した。
「君、まだ犯人捜してるの?」
「当たり前だろ!」
噛みつくようなムーディーの言葉に、ルツはええーと首を傾げた。
「人のもん盗んで、そいつがそのまんまなんだぞ!?ほっとけるのか?」
「だって、もう盗まれたものは返ってきちゃったしねえ。」
「これはそう言う問題じゃないだろ!?」
ムーディーはまるで我がことのように怒り狂う。けれど、ルツはというとムーディーのことなど気にすることも無く、リドルへの手紙に夢中であった。
ムーディーはようやくルツが何かしらのことに夢中になっていることに気づいた。そうして、それが手紙であることにも。
「・・・・リドルへか?」
「うん。このごろ、書けてなかったからねえ。」
のんびりとした声音にムーディーは顔をしかめた。それにルツは気づかない。
ルツの毎日は、騒がしく、楽しい。
そんな毎日のことを書こうと思えば、手紙は何枚あっても足りないのだ。
うーんと唸るルツに、ムーディーは口を幾度も開けては広くということを繰り返した。そうして、少し経って囁くように言った。
「なあ、ルツよ。」
「なーに?」
「リドルの世話、お前、もう止めたらどうだ?」
間延びしたルツの言葉に、ムーディーの固い声音が被さった。ルツは、それに彼女にしては珍しく驚いたような目をした。
真ん丸になった緑の瞳が、光の加減か、少し金の虹彩が混じっているように見えた。
その、少しだけ人を逸脱した様な目が、リドルの赤く染まった目を思い出す。
少しだけ動揺したムーディーに、ルツは心の底から不思議そうな顔をする。そこにいるのはいつも通り、のんびりとした友人だけだ。
それになんだかたまらなく気まずさを感じて、ムーディーは目の前の暖炉を眺めながら口を開いた。
「・・・・・お前は、よくやっているとは俺も思ってる。ただ、お前はそれでも子どもだろう?同じような歳の奴の世話をするのは無理がないか?ダンブルドア先生に相談するとかあるだろう?」
そう言って、ムーディーは無言で火も灯っていない暖炉を見た。妙な沈黙が続いた。
少しだけ、早口になってしまったのはムーディーの内心を覚られたくないためだ。
己の中にある、まだ学校にも通っていない幼子への恐れ。それを、隠そうと必死であった。
(・・・・・俺にだって、分からない。)
ただ、あの時の、赤い目。
それだけ、それだけが、ムーディーの中の中にある怖気と言える何かを駆り立てられる。
それに、近づいてはならないと。それを、刺激してはいけないと。
何か、爆発寸前の爆弾を見ている気分になる。
リドルは、確かにルツを慕っている。それこそ、母のように、姉のように、妹のように、師のように、この世の全てのように。
けれど、ムーディーはリドルのそれを信用しきれていなかった。
ムーディーは、ルツという存在が善人であると知っている。ことさらに、リドルという存在を大事にしていることは知っている。
けれど、だからこそムーディーはその友人の近くに、彼の子どもを置いておきたくなかった。
いつか、その災厄に彼女が巻き込まれるという未来を想像してしまった。
拳を握りしめたムーディーをルツをじっと見た。
そうして、不思議そうに問いかけた。
「ムーディーは、リドルが怖い?」
急な核心を突いた問いかけにムーディーは固まり、そうして慌ててルツの方を振り返った。そこには、穏やかな目をしたルツがこちらを見つめているだけだった。
その眼は、不思議と凪いでいた。
疑念も、呆れも、親しみも、気遣いもない。
ただ、ひたすらに透明な、翠の瞳がそこにあった。
「どうして、そう思う?」
ムーディーの言葉に、ルツは困ったように肩を竦めた。
「君の今の目は、孤児院でリドルを見るマグルの目によく似てる。」
それにムーディーは納得したように目をつぶった。ルツは、また何事もなかったように手紙に視線を向けて、何かを書きつけ始める。そうして、何気ない口調で言葉を続けた。その声音は、まるで赤子をあやすかのように柔らかなものだった。
「どこが怖いの?確かに、リドルは性格は悪いけど。」
そこに咎める様な色がないことを察して、ムーディーは思わず、それこそまるで幼子のような声音で呟いた。
「・・・・見ていると、人狼に会いそうな月夜の晩が思い浮かぶ。」
ルツは、それにとんとんと羊皮紙を叩いた。そうして、ふむと頷いた。
「ねえ、ムーディーは将来何になりたい?」
「は?」
唐突に飛んできた疑問にムーディーは虚を突かれたような顔をした。何故、そんなことを訊くのか分からずにルツを見るが、彼女は相変わらず淡く笑ったままだ。
「やっぱり闇祓い?それとも、他にやりたいことがある?」
「あ、いや。その。」
唐突にそう言われ、ムーディーは混乱のまま考える。
確かに、そう言われると漠然とした将来というものを考える。もちろん、家系的に闇祓いというものに関して考えなかったわけではない。けれど、そう改めて言われると闇祓いになりたいかと言われると分からなくなる。
悩む様なその顔に、ルツは淡く笑った。
「それと同じだよ。」
「何がだ?」
「私たちは、まだ、何になるかなんて分からないんだ。」
ムーディーは無言でそれに耳を澄ませた。
「私は、確かに今は私だよ。でも、大人になるにつれて、私は私じゃなくなるかもしれない。」
「なぞかけの様だ。」
「そうかな、分かりやすいと思ったんだけど。そうだね。例えばね、芋虫はあんなにもコロコロして可愛いけど、さなぎを経て、美しい成虫になる。蝶はね、さなぎの中で一度体をドロドロに溶かして、蝶へと体を作り変えるんだ。それと同じ。私たちはね、変わりゆくものなんだよ。」
「変わりゆくもの・・・・・」
「私は、きっと私のままじゃいられないし。それは、君だってそう。そうして、リドルだってそう。」
ムーディー、父さんが言ってたよ。大事なのはね。どう生きるか何だって。
「どう、生きるか?それは、リドルがどうやって生きていくかってことか?」
「うん、そうだよ。あのね、ムーディー。どんな命だって生まれてきたら無垢なんだ。でもね、無垢ってね正しいことでも、綺麗って事でもないんだよ。それはね、ただ、何も持っていないってだけ。頭の先から足の先まで正しい人もいなければ、悪い人だっていない。私も、君も、そうしてリドルだって、どちらにもなれるし、なってしまうんだ。人は、生まれることを選べない。でも、どう生きるかは選べる。それだけは自由だ。でもね、どんなふうに生きていくか、色んなことに影響を受ける。優しさを知らない人が優しさを与えられない様に。導かれたことがない人が、どんな方に行くかは誰にだって分からない。」
「お前は導いてやっているんだろう?」
「でも、私はいつだってリドルの側にいるわけじゃない。私だけの正しさは、ただの独善だ。だから、リドルにはリドルなりに色んな価値観を知ってほしい。」
「不安か?」
「リドルのこと?まさか、あの子は優しい子だよ。」
「それは、リドルが善性を持っているって事か?」
「まさか、どっちかっていうとあの子は悪人だよ。」
それにムーディーはがくりと体を傾けた。予想外の返事に、彼はルツを見た。それに、ルツはくすくすと笑った。
「でも、善性だって持ってる。大事なものを守ることも、誰かを好きになることもある。ねえ、ムーディー。リドルは、まだ何も成していないよ。怖がることなんてない。あの子は、どこにだっている少しだけ捻くれてしまっただけの子だ。」
穏やかな声音に、ムーディーは少しだけ考え込んでしまった。
リドルのことを考える。
ムーディーは確かに、リドルのことを恐れた。けれど、彼の子に悪を感じていたわけではない。ただ、恐ろしかった。
何か、得体のしれない何かを感じてしまった。それ故に、恐ろしかった。
ムーディーは、すとんと胸の中に何か、収まった気がした。
そうだ、ムーディーが見た幼子は、確かに姉を待つ不安を孕んだ子どもであった。
「分からないものは、怖いよね。」
カリカリと、羊皮紙に何かを書きこむ様な音が辺りに響いた。
「分からないものは怖いよ。それはね、マグルも魔法族も同じ。どうしてか分からないから、恐れて疎んでしまう。だから、ムーディー。ちゃんと、あの子がどんな子か、君は見てほしい。」
「そうだな、確かに俺はあいつとろくに話してもいないのか。」
「・・・・植物ってね、肥料とか土とかで色々変わっちゃうんだ。人だって同じだよ。嫌なのを見る目で見られてたら、暗い方に行っちゃうもの。だから、ムーディーもあの子が何処にも行かない様に見ていてね。」
それが、リドルという少年が暗い方向に、闇へと行かない様に見張っていてほしいという意味だと察した。
「私は、リドルのことが大好きだ。大事な、私が導く子だ。でも、私じゃ見えないことも、分からないこともあるだろうから。だから、ムーディーもあの子を見守っていてね。誰にも気にしてもらえないのは寂しくて。一人ぼっちは、悲しいから。」
「・・・・俺は、嫌われてるだろう?」
「大丈夫だよ、ちょっと優しくしたらすぐに懐くよ。リドル、寂しがり屋だから。」
この、少しずつ挟まれるリドルへの辛辣さは何なのだろうか。
ムーディーは複雑な気分になりながら、少しだけ肩を力を抜いた。
恐ろしかったのは確かだ。けれど、ルツの言葉でようやく思い出す。
自分は確かに、あの幼子のことをほとんど知らない。ルツから聞かされた子を知っていたとしても、自分で直接知ったことなど殆どない。
自分は、厳しい両親に、正しく在れるようにと導かれた。
あの子は、どうだろうか。
あの子は、優しいことや、正しいことがどんなことか知っているだろうか。
あの子の抱えた、恐ろしさとは何なのだろうか。
ムーディーはそれを知らない。だからこそ、知らなければいけない。
疑わしきは罰せず。
あの子は、確かに自分と同じように、どんなものにだってなれる、どんなものにもなってしまう。
ムーディーは、その幼子がルツを待つときの不安そうな顔を覚えている。
ああ、そうだ。
あの子供は、自分よりもずっと幼い、ルツを慕っているだけだ。
「・・・・・ルツ、手紙に伝言を頼めるか?」
「うん?リドルにかい?」
「ああ、学校で来年、待っていると。」
すっきりとした。あの恐怖が、嫌な感覚が、晴れたような気分になる。
自分にどれだけのことができるかわからない。
けれど、せめて、兄貴分を気取るぐらいはできるだろうと、そんなことを考えた。
「・・・・そう言えば、お前教科書盗られたことリドルに言ってるのか?」
「さすがに、心配かけそうだし。犯人も見つかってないし。」
「まったくな。たく、お前、またなんかの魔法生物に懐かれてるんじゃないのか?」
「魔法生物?」
「人でもなく、ホグワーツに紛れ込めるのなんかそれぐらいしかいないだろ?」
その言葉に、ルツは頭の中でパズルを組みあげた。
(人じゃない、誰にも気づかれず女子寮に入れる、私のことが好き。)
一つだけ、そんなものに心当たりがあった。
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取り残された話
ちょっとしたリハビリなので短めです。
ニュートさんのキャラクターがつかめてないです。
「・・・・・・トム、あのね。ルツのことなんだけど。あの子、その、養子にでることになってね。ここには戻らないの。」
その時、リドルはいつも通り、自室にてベッドに座り本を読んでいた。彼は、部屋に入って来た職員の告げた言葉に目を真ん丸にした。
皮肉にも、その顔は職員の女が見てきた中で一番に年相応と言えるほど幼かった。
職員はそれだけを告げると、そそくさと逃げるように部屋を去っていく。
荷物に関しては、すぐにまとめて先方に送るからとだけ添えて。
出て言った職員の背などに目もくれずにリドルは膝の上に置いた古びた手記に目を向けた。
「嘘だ。」
口から漏れ出た声は、ひどく掠れていて、そうして本人は気づいていなくてもひどく弱々しく部屋に響いた。
リドルはその手記を、ルツから預かった父の形見を、強く抱きしめた。
「嘘だ。」
そんなこと言ったって、どうしたと問うてくれるものはいない。
リドルにルツのことが告げられてから少しして、部屋からルツの私物であったものは知らない間に消えていた。
職員に話を聞くと、リドルが庭に出ている間にやって来た保護者の代理人であるという存在がそそくさと荷造りして持って行ったらしい。
それを聞いて、リドルは急いで部屋に戻った。
確かに自室からはあからさまに物が減っている。クローゼットの中を開けると、並んでいたはずの書籍類も消えていた。
リドルは、それに飛びつく様にベッドへと駆け寄った。そうして、彼の秘密の隠し場所である壁に手をかけた。
「・・・・よかった。」
その声は、心の底から安堵に満ちていた。
狭い隠し場所から、リドルは恐る恐る、目当てのものを取り出した。
古びた、本。
リドルは、それを幼いころからの友人のように抱きしめた。
「分かってなかったんだ、そうだ、だから、大丈夫だ。」
そうだ、ルツの荷物の中で一番に大事なもの。これだけが、彼女に取って唯一のもの。
「僕は、見捨てられてなんて、ないんだ・・・・・!」
そうだ、大丈夫。これを置いていったなら、きっとルツは自分を見捨てて何ていない。
だって、これはルツにとって一番に大事なものだから。
信じて、預けられたものだから。
リドルは、本を抱きしめてまるで幼子のように丸まった。
まるで、院の中に囁かれる、ひそひそとした声から耳を塞ぐように。
ルツが養子、正確には後見人がつき、孤児院を出ると知らされたのは丁度、夏休みがもうすぐ始まるという夏の初めの事だった。
もちろん、リドルはそんなことがあり得ないと断じていた。
聞いたところによると、ルツは中々有名な家の出であるらしい。ならば、彼女に元より身元を引き受ける様な存在いるならばここに来る前にそうなっていたはずだ。
(・・・・何かに巻き込まれてるんだ。)
リドルはそうだと思った、そうに違いないと思った。周りから聞こえて来るひそひそ声だって気にならなかった。
そんなこと、ありはしないとおもっていたから。
リドルはじっと彼女の手紙を待った。両面鏡に話しかけた。けれど、返事は返ってこなかった。
そうして、彼女がいつだって帰って来る夏の始まり。
元より、気温の低い英国に少しの暑さがやって来てもルツは帰っては来なかった。
がちゃん!
何かが壊れる音がする。
がたん!
誰かが階段から転げ落ちた。
僕のがない!
誰かの宝物が無くなった。
リドルには興味がないことだ。
僕を嫌な目で見た大人にガラスの破片が降り注いでも。ルツが僕を捨てたんだという虐めっ子も、僕の抱えたルツの宝物を取り上げようとした誰かの宝物も、全部、全部どうだっていい。
(・・・・ルツは、帰って来るんだ。)
リドルはまるで呪文のように心の中で呟いて、本をまるでぬいぐるみの様に抱きしめた。それでも、ルツは帰ってこなかった。
孤児院の中は、まるで刑務所の様にうつうつとしている。誰もが、たった一人の挙動を気にしているし、たった一人の子どもに皆が怯え、支配されていた。
けれど、話題の中心であるはずの少年はその皆の自分への怯えに苛立ち、孤児院の空気は更に悪くなる。
リドルにはそんなことは関係ない。気にも留めない。彼は日がな一日窓から孤児院の玄関を眺めつづけた。帰って来る姉貴分を待ち続けた。
「リドル・・・・」
「・・・・・なんですか?」
この頃は食事を何も言わずに自室に運んできていた、孤児院の職員が珍しくリドルに話しかける。リドルがピリピリとした空気を放つと同時に、職員の女性の後ろから年若い男が顔を出した。
「・・・・あー、こんにちは。」
リドルは珍しく自分を訪ねて来たらしい男を睨み付けた。くしゃくしゃの赤茶の髪に青い瞳。どこか落ち着かないという風体の男だ。青いコートを羽織った彼は、一つのトランクを持っている。どこか、品のある男だった。
リドルは今まで見たことのないタイプの人種にじとりとした視線を向けた。
「リドル、この方は、そのあなたを引き取りたいと言われているんです。」
職員の言葉にリドルの眉間に皺が寄る。男はそれに職員の方に目くばせをすれば、彼女はそそくさとその場を後にした。
「・・・・トム、リドル君だね?」
「僕に何の用?」
猫を被る気分にもならず吐き捨てる様にそう言えば、青年はそっとリドルと視線を合わせる様に屈みこんだ。そうして、ちらりとドアの方を見た後に、青年はそっとコートに手を滑り込ませた。
「何する気だ!」
リドルの警戒に満ちたけたたましい声に、青年はしっと静かにするように口に指を与えてとあるものを取り出した。
「・・・・・杖。」
それは、リドルの庇護すべき彼女がもっていた、彼の憧れの魔法の杖だった。
「あー・・・・大丈夫かい?」
「平気。気にしなくていいよ。」
つんと澄ましたような声を吐きながら、リドルは今まで抱き付いていた男からすっと身を引いた。男はリドルのその様子をあまり気にした様子も無くそうかい、と軽く返した。
「じゃあ、今からこの森の中にはいっていくけど、僕から絶対に離れないようにね?」
「分かってる。」
リドルはそう言いながら、彼の数少ない荷物の入った小さな鞄と、ルツから預かった形見の本を抱え直した。そうして、彼の宝物である銀のペンダントをぎゅっと握りしめた。
リドルは目の前に広がる森と、後ろに広がる片田舎の光景に小さく息を吐いた。
男の名前は、ニュート・スキャマンダーというらしい。唐突にやってきたその男はリドルの親族の使いであると名乗った。
「君の家族から迎えを頼まれているんだ。荷物をまとめて僕について来てほしい。」
ニュートのリドルへの要求はそれだけで特別な言葉など欠片だってない。
「・・・・父親の使いだっていうの?」
「いや、違うんだが。僕も急いで頼まれただけで分からないんだ。ただ、相手のことは保証できるよ。」
リドルの一番の可能性である存在の名前を口にしたがニュートはそれをあっさりと否定した。ただ、リドルの親類だと言う存在に興味が湧いたのも事実だ。
何か魔法を見せてと言えば、彼は簡単に杖を振り、枕を浮かせた。男が魔法使いであることを確信して、リドルは頭をフル回転させる。
今、この男についていけば少なくともこの地獄のような環境から抜け出せる。そうして、魔法使いとのコネクションも作ることができるかもしれない。何よりも。
(・・・あのジジイと連絡が取れるかもしれない。)
リドルの脳裏にはすました顔をした、真っ白な髪と髭、そして、真っ青な瞳の老人の姿が浮かぶ。
あの老人ならば、今の今まで連絡を遣さないルツの行方も知っているかもしれない。
そんな思惑でリドルは男に連れられ、この国の片田舎までやってきた。といっても移動は魔法族の主要な方法だという姿現しというものだそうだが。
リドルはむくむくと湧き上がって来る好奇心を封じ込めて、森の中を歩く。最初は平淡だった道も、奥に行くにつれて大木が目立ち、リドルが通るには一苦労といえる足場になっていく。
そんな中、ニュートは一応はリドルのことを気にはしていても、どうも森の中の植物に関心が向かっているらしくせわしくなキョロキョロしている。
(・・・・信用してよかったんだろうか。)
そう思えるほどに、なんだろうか。ニュートと言う存在へ頼りがいと言うものは感じない。リドルの嫌いなあの老人でさえ、大人として頼るべきところは頼ろうと思わせるのに。
ニュートと言う存在は、大人と言えば大人なのだが子供じみたまっさらな感触を覚える。
それを、それに、リドルはけして認めないが、彼は無意識のうちにルツを重ねてみていた。
どこか、人とずれている様で、確かにそこにいると思わせる存在感。
リドルは少しだけ視線を下に向けてぼんやりと考える。
(・・・・どこにいるんだよ。あいつ。)
考えられるのはそれだけだった。
リドルは、ずっと、ずっと、待っていた。少し前までは、いつも通り帰って来るはずだろうと思っていた。下手をすれば、学校で何かやらかして補習でもさえられているのかもしれないと意地の悪いことを考えた。
けれどいくら待ってもルツはリドルの元に帰ってこなかった。
何かあったのだろうか、もしかしたら学校で何かあったのかもしれない、怪我をしたのかもしれない、病気をしたのかもしれない。
マグルの孤児院だから、知らせられないことがあるのかもしれない。
いく枚も手紙を書いてもフクロウは訪れなかった。幾度も両面鏡に話しかけても返事はなかった。
捨てられたんだよ、あいつ。
まあ、あんな奴と一緒にいるよりほかの家にいた方がましだよ。
くすくすと、嗤う声がする。
煩い、煩い、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!!
リドルは、どこからか聞こえて来る、大人の声、子どもの声に耳を塞いだ。
何が分かる!お前たちみたいな、凡人に、特別なリドルとルツの関係など理解が出来るはずがない!
ああ、そうだ。分かるはずがない、分かって何てたまるものか!
リドルはぎゅっとルツから預かった、いつか彼女に返すはずの宝物を抱きしめた。
ルツがリドルを裏切るはずがない。
だって、だって、だって!
(・・・ルツは、ぼくがいないと駄目なんだ。)
ルツ、ルツ、ルツ、みんなに好かれる、黄金の髪に緑の瞳の美しい少女。
優しくて、穏やかな彼女を皆が好いた。けれど、彼女はリドルを選んでくれた。自分が彼女と同じ特別だから。
そうだ、だから、きっと彼女は自分の元に戻ってくる。宝物を、自分は託されたのだから。
そうして、リドルが顔を上げると、そこにニュートの姿はなかった。
茫然とリドルはその場に立ち尽くした。
辺りにはざわざわと何かの騒めく音がする。
リドルは素早く、辺りをぐるりと見回し、自分のいた地点からあまり離れない程度に当たりを探した。
結果としてニュートはおらず、リドルだけは取り残されていることに気づいた。
(・・・・騙された?)
そんなことが思い浮かんだが、今はそんな時ではない。
今、リドルがすべきなのはここで生き残ることだ。
深い森で迷子になったらあまりそこから動かないこと。歩き回れば誰にも見つけてもらえないかもしれないから。
ルツの言葉を思い出して、リドルは考える。
今、自分はニュートが迎えに来ることを信じていいのか?
頭をぐるりと回るそれに、それでもと、リドルはニュートの青い瞳を思いだす。
青い、瞳。どこか人とずれた場所を見ている目。
ルツと、よく似た瞳。
信じたいと、思った瞳。
リドルは動かそうとした足をそっと止めた。
リドルは、木の足もとに腰を下ろしてニュートを待つ。なにか、煙でも出せればいいのだろうが、あいにくそんな便利なものはない。
リドルは、ぎりぎりと締め付ける様な不安感にルツの本を抱きしめる。
もう、誰も迎えに来ないかもしれない。
そんな言葉が頭の中でグルリと回る。騙されたのかもしれない。いや、孤児院にいた自分を態々こんな所に置き去りにする理由はあるのか?
そこまで考えて、リドルはまるで怯える子どものように膝を抱えた。
(・・・ルツ。)
思い浮かべるのは、自分に微笑む緑の眼。澄んだ、緑の眼だ。
そうだ、こんな時こそ迎えに来るべきだ。なんといっても自分は彼女に導かれるはずのものだから。
迎えになんて来ない。
違う。
だって、彼女は自分に何も告げずにいなくなった。
理由があったんだ。
僕なんてどうだっていいんだ。
ちがう、自分は、ルツの、特別で。
いや、違うのかもしれない。本当は、ルツにとって自分は、この宝物は、自分の過ごした時間は、結局。
心の奥が冷えていく。まるで、日向ぼっこをしている最中に陰りがあったように、体がどんどん冷えていく。それと同時に、頭の奥もまた冷たく、胸の奥で何かがはちきれそうになって。
「・・・・リドル?」
ああ、それは、ずっと、ずっと聞きたかった声だった。
リドルがばっと見上げた先、そこにはなじんだ金の髪に、そうして緑の瞳の少女は変わることなくのんびりとした顔でリドルを見ていた。
「よかった、迷子になったって聞いて心配したよ。」
リドルは、それに返事もせず、ただ、溺れる者が藁を縋るかのようにその少女に抱き付いた。
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止まり木を望んで
「ごめんねえ、リドル。この森は迷わせやすいところなんだよ。」
ルツはそう言って緩やかに少年の背中を撫でた。リドルは必死に涙を堪えようとするが、頂点まで達した感情に歯止めは利かずしゃっくりとしながらルツの服にそれらを擦り付ける様に顔を埋めた。
「わあ、珍しいねえ。君が泣くなんて。よっぽど怖かったんだね。」
ルツの不躾すぎる台詞にリドルは抗議の声をあげようとするが、今までたまりにたまった不安が爆発して涙と共に唸り声のようなものが漏れ出た。
「ゔゔゔゔゔゔ・・・・!」
怒りを表現するためにかルツの着ている服をぎっちりと掴んでいる。ルツはどうしたものかなあと困った顔で自分よりも少しだけ低い頭を見つめた。
「どうじて!」
「うーん?」
「がえっでっ、ごながった!?」
感情の発露で涙と鼻水交じりの濁った声にルツははてと首を傾げた。
「あれ、リドルのところには連絡言ってない?」
「れんらく?」
「そうそう。変だなあ。ダンブルドア先生に頼んだのに。」
ルツはそうぼやいた後、改めて周りを見回した。
「・・・・まあ、サプライズだと思おうか。リドル、森の中で何かに迷わされた時、どうする?」
「・・うわぎ、ひっくりかえして、きる。」
ルツの問いかけにリドルはまるで反射の様に答えを言った。それにルツはのんびりと笑って、正解だと微笑んだ。
「そうだよ、正解だ。」
ルツはそう言って微笑むと、緩やかに指先をくるりと回した。それは、彼女曰く花丸だよ、と微笑むものに似ていた。
ルツは着こんでいたジャケットをくるりと反転させて着こむ。リドルもまたそれに従ってくるりと気に入りの上着を反転させて着こんだ。
そこでリドルははっと我に帰る。
(・・・・僕はこいつに言いたいことがあるんだ!)
何時の間にかルツののんびりとした空気に飲まれてしまったけれど、そのまえにリドルは彼女に文句が言いたかったのだ。
共にあろうと言ったのはお前なのに。なのに、どうしてリドルを一人にしたんだ。
一人じゃ何もできない癖に、どうして、一人で、僕は。
怒りとも、悲しみとも、苦しみとも、それとも混ざりに混ざった感情の爆発とも言えるそれがリドルの中でぐつぐつと煮だって行く。
けれど、けれど。
小さな、幼いリドルからすれば大きな、白い手がそっと差し出された。
「行こうか。」
当たり前のように、そこにある手。リドルを招く手。迷子を導く、柔らかな灯り。
リドルの帰る場所へ、招く手。
「・・・うん。」
その声は、普段の彼を知る存在からすればたまらなく幼い声だった。まるで、母に甘える幼子のように、甘ったれた声だ。
けれど、そんなことをルツは気にしない。
その声が、彼女からすればひどくいつも通りの声だった。
カンテラの光だけが、もうすでに日が暮れかけた森の中でぼんやりと光を放っている。リドルは、お世辞にも舗装されているわけでもない道を歩いているが、不思議と不安感だとかそういったものを感じさせなかった。
「リドル、いいかい。森の中の目印は覚えたね?草木の生えていない、道があるところは通っても構わない。そこは、人の領域だからね。でも、それを外れては駄目だよ。そこは、人ではない者たちの領域だから。」
リドルは、ルツの言葉をどこか夢見心地で聞いていた。森の奥で、微かに何かの息遣いが聞こえた、ふわりと光る何かを見た、きゃらきゃらと笑う声がした。
けれど、不思議と恐ろしいとは思わなかった。
何となく、踏み込みさえしなければ、彼らはこちらに何もしてこないことを察したためだ。
ルツはそのまま、リドルと手をつなぎ、森を進んだ。そうして、森の行っていい場所、いってはいけない場所、それを丁寧に教え込んだ。
リドル。私たちは魔法使いだ。一人では生きてはいけない。だからこそ、境をちゃんと理解しなければいけないよ。
人である私たちと、人でない者たちの境。恐れなくていい。私たちは、彼らと敵対することも出来れば、友人になることも出来る。リドル、己が境に立つ、昼と夜の間にいる、黄昏の中で生きていることを覚えておくんだよ。
柔らかな声がする。リドルは、それに頷いた。うん、忘れないよ、覚えているよ。大丈夫だよ。
ルツの声がする。
スカボローフェアでも歌おうか?
カンテラの光と同様に、暗闇と木々の中を、色とりどりの光がふわりと浮かんでいた。
あれはなに?
ぼんやりとした思考の中でリドルは問うた。
あれは、風に末路うもの、炎と踊るもの、水と揺蕩うもの、土と育むもの。あるいは、それら自身。名を必要とせず、ただ、私たちの隣りにあるもの、優しく、そうして怖いもの。
仰ぎ見た先で、少女が微笑んでいる。
ほら、スカボローフェアを歌おうか。不安がらなくていい。大丈夫だよ。
子守唄の様に、優し気な声が響く。
それに、リドルは夢心地の中、カンテラの光と森の中、木々の合間に垣間見える人でないものを見つめた。
どうか、リドルはふわふわとした心地の中、その手を握り込んだ。
どうか、放さないでほしいと。
「リドル、着いたよ。」
柔からな声に意識を戻す。そうすると、リドルはいつの間にか自分が開けた場所にやってきていることに気づいた。
石を加工したらしい平たいそれらは細くではあるがくみ上げられて道を作っている。もう、日は暮れており、辺りは殆ど暗闇の中にある。
その小道には一定間隔でルツよりも少しだけ高い柵に囲まれており、その一つ一つにカンテラがぶら下がり、辺りを照らしている。ルツは、一番近くにあった柵に持っていたカンテラをぶら下げた。
「夜に森に出る時は使うといいよ。必ず、家に帰れるから。」
「あ、うん。」
リドルはまるで夢から醒めた様な、ふわふわとした心地のまま、ルツに手を引かれる。そうして、細い通路を辿った先、そこには小さな家があった。
「わあ。」
リドルは思わず声を上げた。何故って、その家はリドルの思う、魔法使いの家にそっくりだった。
石造りのその家は、表面に走る傷などから中々に年代が立っていることが察せられた。そうして、家に絡まりつくように生えた蔦も又その家の時間を感じさせる。可愛らしい煙突からは煙が出ており、家に誰かがいることが察せられた。
ルツはそのままリドルの手を引っ張り、そのままに駆け出した。そうして、勢いよく彼女は扉を押し開けた。
「ただいま。」
弾んだ声とともに滑り込んだその先には、心配そうに互いの顔を見る大人たちの姿があった。
「ルツ!」
真っ先に飛び込んできた二人の子どもに反応したのは、年若い男の方だった。
「君が飛び出していってしまうから・・・・」
「ごめんね、先生。でも、この森は初めての人には意地が悪いから。それに、先生をこの森に出したら、リドルと離れた時みたいに植物とかに夢中になってしまうでしょう?」
ルツの言葉に、男、ニュート・スキャマンダ―はさすがに何とも言えない顔をした。自分があまり見たことの無い存在たちに目を奪われて頼まれた子供の面倒を怠った自覚はあったのだ。
「まあ、森も久しぶりに子どもがいてはしゃいでたみたいだけれどねえ。」
ルツののんびりとした声を聴きながら、リドルは周りを見回した。
全体的な部分を見れば、部屋は平凡だ。
入口のすぐ先にリビングがあり、大きなテーブルが置かれている。そうして、椅子が四脚。丁度、入り口の真正面にドアがあり、左手にはキッチンらしき部屋への入り口があった。
机の上には湯気を立てたカップが二つ。
そうして、こちらを見る、アルバス・ダンブルドアが一人。
じっと、青い、キラキラとした目がリドルをじっと見ていた。凪いだそれは、まるでリドルを観察しているように無機質で不気味だ。
自分と正反対の眼がこちらを見る、そうして、頼りの綱のそれは自分を置いていった男と暢気に話している。
唐突に襲ってくるのは不安感だ。
何と言っても、リドルは自分がどうしてここに連れてこられたのか、ここが何なのか、どうしてダンブルドアがいるのかさえも分からない。
何よりも、今までルツにおいていかれたと思っていた精神にいきなりやって来た負荷によってぎりぎりと悲鳴を上げていた。
そこでようやく沈黙を有していたダンブルドアが立ち上がる。
「ルツ、おかえり。大丈夫じゃったかの?」
「はい、先生。特に何もありません。ただ、久しぶりに帰ってきたせいか、はしゃいでるものがいただけです。ああ、そうだ、リドル?」
くるりと、ようやく少女はリドルに振り返る。
黄金の髪に、緑の瞳、陽だまりのような、柔らかな笑みを浮かべて彼女はリドルに歩み寄る。
「君を送って来てくれたあの人、ニュートは私の父の同僚でね。これから私たちの後見をしてくれるんだ。ダンブルドア先生の紹介でね。そうだ、屋敷しもべもいるんだよ。学校にいたんだけど、ちょっと悪さをして追い出されたのを引き取ったんだけど。ちょうど、ダンブルドア先生から出された条件の最後だったから運がよくて。」
柔らかな声が自分の名前を呼んだ時、リドルの中で何かが決壊した。
ぶわりと、視界がまるで水の中の様に揺蕩うように揺れて、頬を暖かな何かが流れていく。
大人たちはそれに目を真ん丸にしていたが、ルツだけはああと頷いた。
リドル、と少女は少年に手を伸ばした。
ばしりと、叩きつける様な音がなる。ルツは、叩かれた自分の手を見た後、睨み付けて来るリドルを見た。
「怒ってるの?」
その言葉に、少女の、無邪気なそれにリドルは何もかもがせり上がって来る。
涙声の混じった、恥も外聞も無い、彼にしては珍しいプライドなんて放り出した声音だった。
ダンブルドアのことも、ニュートのことも目に入っていない。
それは、翠の瞳の少女へのことばだった。
「うぞづき!!」
叩きつける様な声音に、ルツは変わることなくぼんやりとした目をリドルに向けていた。
「がえっで、ぐるっていった!みやでだって、もってかえる゛って、いっだ!」
なのに、かえってこなかった。
それは、本当に喉からせり上がって来た感情をそのままに放り出したような声だった。
「ま゛ってだのに、ずっと、ま゛ってた。ばかから、いわれてもきにしなくで、ずっど、もんのほう、み゛で。」
リドルは抱えた、ルツの父親の形見である本を抱きしめた。まるで、それこそが自分にとっての蜘蛛の糸のように。
「ま゛ってたのに。」
とびっきりの、おくりものをくれるって、そういったのに。
掠れた声が辺りに響く。それに、大人たちは固まった。
ニュートはお世辞にもあまり仲の良くない子どもを慰められるほどの器用さは持っていなかったし、ダンブルドアはといえば警戒心を持っていた子どもの爆発への対応が思いつかず、固まった。
そんな中、ルツは笑みを深くして、そっとリドルの肩に触れた。自分よりも低いリドルの目線に合わせた。
「リドル、遅くなったけれど、君に贈り物をあげるよ。」
美しい、若葉の眼がリドルを見た。
ルツはそっとリドルの手をひいて、リビングの奥にあった扉を潜る。リドルはそれに素直に従った。心の奥で負担になった、ルツの怒りを吐き出した彼はそれにつれられるままに足を進めた。
扉の奥は人が一人ならば悠々と通れる廊下で、左右に二つずつ、奥に一つ、扉があった。
ルツは、右側の奥の扉の前に立つ。
それは、あめ色に磨かれた扉で、ドアノブは恐らく多くの人間が幾度も触ったせいか、彫り込まれている模様も曖昧になっている。つるつるとしたそれは、金属製でひんやりとしていた。
ルツはその扉を開け、そっとリドルを中に促した。それに従って、リドルは部屋に入る。
部屋の中は、がらんとしている。
最低限の家具だけしかなく、そこそこに広い部屋だ。
入り口から右側の壁には大きめの本棚が二個、ぎちりと詰められている。けれど、本棚には何故か一冊も本がない。そうして、向かい側には窓が付いており、それを避ける形で机が一つ置かれていた。見て左側にはリドルは三人は寝ても支障がなさそうな大きなベッドが置かれている。
家具の一つ一つが、リドルから見ても年代物であることが分かった。
本棚にしても、机にしても、椅子にしても、ベッドにしても、それぞれで細かなデザインが施されていた。
連れてこられた部屋に困惑していると、隣りに立ったルツがそっと屈みこむ。そうして、翠の瞳が赤い瞳と重なった、
「リドル、導き手の話を覚えている?」
「・・・うん。」
リドルは、幼い動作で頷いた。ルツはそっとリドルの手を掴んだ。
「私たちはね、元々は血ではなく力で繋がっていたそうだよ。只人ではないと覚るゆえに、それら自身のコミュニティを作る必要があった。そちらのほうが楽だし、そちらのほうが正しかったんだろうね。」
ルツはそう言ってリドルの頬に残る涙の後を拭った。
「己と同じように只人ではないものを見付ければ、助けてやることが義務だったんだよ。己が、いつかの日に助けられたのと同じように。それは、時として任せるべき誰かを探すことであったり、あるべき場所に返すことであったり、そうして、己で導くことであったり。導くものは母として、父として、導かれるものは子として、何時か飛び立つ子どもたちのために、住みかや寝床を貸すものだったんだ。」
私はね、リドル。
柔らかな声が、部屋に響く。空っぽの、必要最低限の部屋の中に、穏やかな声が響く。
「君に、帰る場所をあげたいと思ったんだ。リドル、ここを君の帰る場所にしないかな?」
その言葉にリドルは目を見開いた。
元々、リドルはそこまで感情的な子どもではない。
昔は、リドルと言う少年はそれでも望まれたことだってあったのだ。
誰だって、美しいものへ関心を向けずにはいられない様に。
天使のような赤ん坊だと、そういってちやほやされていたこともあった。けれど、リドルの周りで不思議なことが起こるたびに、人は赤子を遠巻きにした。
未知は恐ろしい。それは仕方がない。けれど、それでも、赤ん坊は確かに寂しかったのだ。
リドルを養子に望むものはいた。
美しく、人よりも賢しい子どもをちょうどいいと望むものはいた。そのたびに、リドルは、ひねくれて歪んでいたけれど、それでも、居場所を獲得できたのだと信じたのだ。
いつだって、その思いは裏切られたけれど。
大人たちはひそひそとリドルを遠巻きにして、孤児院へと送り返した。送り返されたリドルを、子どもたちは惨めだと笑い、当然だと頷き合った。
だから、リドルは、泣くことも無く、感情を揺らすことも無く、だから何だと周りを見下した。その程度で傷つくことこそ馬鹿らしいと思った。
ああ、そうだ。当たり前だ、誰も僕を理解しない。何故って、僕こそが特別なのだから。そう思って、背筋を伸ばして、前を見た。
リドルは、自分のことを柔らかに微笑んで見つめる翠の瞳へ嘲笑を向けようとした。
そんなのごめんだと。
それは、自分を裏切ったのだ。言えたはずなのに、言いもせずに自分の前から消えたのだ。そこに何かしらの偶然があったとしても、リドルは絶対に許さないと、そう思ったのに。
「どうして?」
口から漏れ出たのは、そんな拙くて、主体性も無い言葉だった。
そんなことが言いたいわけではない、そんな甘ったるい問いかけをしたいわけではない。
その言葉が、まるで自分がこの家にいたくて、けれど不安に思っているようにしか聞こえないではないか。
けれど、けれど、それ以上に言葉を紡げばまた涙が溢れてしまいそうで。
これ以上涙は流したくなかった、自分の弱さをさらけ出したくなかった。
歯を食いしばったリドルに、ルツは苦笑を混ぜて微笑んだ。
「リドル、ありがとうね。」
予想だにしなかった言葉にリドルは胡乱な目を女に向けた。それはゆるりと微笑んで、リドルの持っていた、形見の本に指先で摩った。
「君は私に裏切られたと思って、きっと傷ついただろうし、私のことだって嫌いになったはずだ。でも、君は、私の宝物を守って、こうやって抱えてきてくれた。君は、優しい子だね。」
するりと、暖かな指先がいくども、リドルの頬を滑っていく。
それにリドルは歯を食いしばった。そうして、きつく、きつく、本を抱きしめた。
当たり前だ。だって、約束した。お前は、僕にこれを託してくれた。大事にするようにと、そう、約束したのはお前じゃないか。どうして、お前がその約束を疑ってるんだ。
当たり前だ、そうだ、だって、約束したから。
お前はいつだって僕との約束を守ったから。だから、僕だって、その約束を守りたかったのに。なのに。
「私はちょっと駄目な所が多いけれど、リドルは私に優しくしてくれるでしょう?だから、優しくしてくれた分は君に少しでも何かを返したくてね。頑張って贈り物を用意しようとして、手紙なんかも送れなくてね。」
私は駄目だねえ。
ルツはそう言って眉を下げて、まるで叱られた犬のような顔でリドルを見た。
「大好きだよ、リドル。」
はっきりと告げられた言葉に、リドルは目を真ん丸にした。まるで、つぶてを食らったピクシーみたいな顔だった。
「優しくて、賢くて、すごい君のことが、私を見捨てないで信じてくれていた君のことが、私はとても好きだよ。だからね、リドル。私と一緒に、生きてくれたら嬉しいんだ。一人ぼっちは寂しくて、悲しいから。君が一緒なら、嬉しいなって思って。」
翠の瞳が少年を見る。じっと、じっと、どんな言葉を吐いたって、優しく受け止めてくれると信じて疑わない彼女はじっと、彼を見る。
そうして、そっとルツはリドルのことを腕の中に引き入れた。自分の背中に回るそれ。暖かで、そうして、華奢なそれ。
リドルは、それに、自分の体から力が抜けていく気がした。
ああ、ああ、振りほどいてしまいたい。
リドルは、何故か、その女の側にいると、自分がたまらなく弱くなったように思うのだ。まるで、それがいないと、それが自分から離れていくと思うと、なにか喚き散らしてしまいたくなるのだ。
手を引いて歩いてよ。導いてくれると言ったのはお前だ。
見ていてくれ。自分が悪い子になってしまわない様に。
どこにだっていくな。一緒にいてといったのはお前だ。
ああ、そうだ、分かった。
(僕には、義務がある。)
一人で生きていけないなんて、知っているから。お前は、情けなくて、どうしようもないなんて分かっているから。
そうだ、手を引いて、甘やかしたのはリドルが先だ。
だから、自分はこれと共に居る義務がある。そうしたのは、始めたのはルツでも、手をつないだのは自分だから
そうだ、ルツはこうやって謝罪をしているから。だから、赦してやるのは自分の義務だ。
リドルはそんなことを頭の中で考えて、ルツと同じように、相手の体に本を抱えた反対の手を巻き付けた。
暖かなそれは、ずっと、ずっと、彼が望んでいるものだった
「おまえは、すぐにまいごになるからな。」
だから、ぼくがそばにいてやるよ。おまえは、なさけないから、だから、いっしょにいてやるよ。たからものをあずけたまま、とりにだってこれないものな。
ぐずりと鼻をすする音がする。それに、ルツはそっとその背を摩ってやった。
あやすように、宥める様に、嬉しいというように。
「うん、リドルはやっぱり優しいねえ。」
明日は、そうだ、絨毯でも買いに行こうか。君の好きな色の。カーテンに、カバーも買いに行って。そうだ、本も買いに行こうか。
この本棚は、君だけのものだから。君の好きな本で埋めるといいよ。
大丈夫だよ、ここは君だけの部屋で、君の帰るところだから。
声がする。あやすようにそう言って、リドルを甘やかす声がする。それがあんまりにも心地がよくて、リドルはうんと拙い声で返事をした。
ちなみに、学校での教科書盗難はルツに構ってほしかったエヴァドの仕業です。それによってルツの家に転がり込めたから幸運だったのかな?
感想いただけたら嬉しいです。
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リドルの日常
ものすごいお久しぶりになります。リドルのホグワーツ編が始まる、のかな?
リドルのグリン家での生活になります。次で、入学式とかになると思います。
感想、評価、ありがとうございます。
感想、いただけると嬉しいです。
鳥の鳴き声が、微かにする。それに、リドルは目を見開いて、勢いよく起き上がった。
たんと、飛び降りて、素早く着替えた。
しっかりとした綿のシャツに、動きやすいズボン。少しだけ気にくわないが、ダンブルドアからの贈り物のブーツは大変履きやすい。そうして、後見人のスキャマンダーがくれた農作用の前掛けをつける。
たったと、洗面所に行って顔を洗い、そうしてリビングに飛び込んだ。そこには、変わった生き物がリドルを待っていた。
背格好やシルエット自体で、リドルにとって連想できるのは銀行で見たゴブリンだろう。
けれど、それはゴブリンたちよりも貧相な背格好で、かつボロボロの服を着ている。とがった耳はまるで翼を広げた蝙蝠の様だった。
なによりも目を引くのは、大人の拳ほどもあるガラス玉のような瞳だろうか。
「坊ちゃま!朝ご飯の支度は出来ておりますよ!」
キーキーと甲高い声でそれはダイニングに置かれたサンドイッチを指さした。それにリドルは飛びつくようにサンドイッチを掴んだ。
「ルツは温室だろ?そこで食べる!」
「お行儀が悪いですよ!」
そんなエヴェドの言葉など無視して、リドルは家の中で一番、奥の扉にかけていく。扉の先には短い廊下と、硝子製の扉があった。
リドルはそれを開けた。そうすると、暖かな風を感じる。
温室の中は、多くの植物が生い茂っていた。
リドルはサンドイッチを片手にその温室を進んだ。その温室は、見た目よりもずっと広々している。曰く、魔法がかけられているそうだ。
なんでもそれぞれ植えられている植物の性質によって温度や湿度が調整されているらしい。
(確かに、いるところによって寒かったり、熱かったりするんだよな。)
リドルは、きょろりと、辺りを見回した。
(・・・・ニガヨモギ。)
ニガヨモギは眠り、ユリはやけど、オオバコは熱、イヌハッカは毒、ハシバミは魔力を宿して。
リドルはつらつらとルツに教わった知識を反復した。曰く、リドルは非常に物覚えがいいそうだ。そう言われると、リドルとしても鼻が高い。
曰く、製薬での特許などで生活をしているグリン家の薬草や魔法薬に関する知識は相当にレベルが高いそうだ。
それについてもたやすく飲み込むリドルにルツも嬉しげに多くのことを教えてくれる。
「ルツ!」
「ああ、おはよう。リドル。」
穏やかに微笑んだルツはジョウロを片手に微笑んだ。
「ルツは朝ご飯食べたのか?」
「私はとっくに食べましたよ。」
ルツはハシバミの木の手入れをしながらそう言った。彼女は、防水性の長靴に使い古した厚手の前掛けをしている。そうして、サラマンダーの皮で出来ているらしい手袋もしていた。毒性のあるものでも平気であるらしいそれは父からのお下がりであるらしい。
長い金の髪は結い上げており、まるで王冠のように輝いている。
リドルはそれを眺めながら、温室のところに置かれた簡素なガーデニングテーブルとイスについた。
リドルはまた暖かなサンドイッチにかぶり付いた。
(・・・焼いたパンに、こんがり焼いた鳥のソテーとレタスと、トマト。バターとこしょうもたっぷりだ。)
自分のいた孤児院では考えられないようなそれにかぶり付きながらリドルはそんなことを考える。そうして、食べ終わるとイスから飛び降りた。そうして、ルツの元に走って行く。
「ルツ、朝ご飯食べ終わった」
「うん?」
ルツはちらりとリドルの方を見た。そうして、穏やかな翠の瞳を細めて前掛けのポケットからハンカチを取り出した。それで、リドルの口元を拭った。
「それじゃあ、今日も始めようか。」
ルツはそう言って微笑んだ。リドルは少々の恥ずかしさで顔を赤くした。
ルツは魔法についての知識ではあまり教えてはくれなかった。それはルツ自身が学生ということもあった。
そうして、魔力の扱いを知るよりも、世界との付き合い方というものを覚えておいた方が良いと言った。
それは、周りの草木が自分にどんな効果があるのか、森に棲まうものたちとの付き合い方、森の歩き方、そんなことを教わった。
こんなのつまらないよ。
そう言わないで。魔力の扱い方を知る前に、この世界がどんなものなのか、君にとってどんな意味があるのか、知っておいた方が良いんだ。
なんで?
そうだね、リドル。魔法って、どうして特別なものだって思う?
誰もが使えるわけじゃないし、何でも出来るから?
なんでもっていうのは語弊だね。魔法にだってできないことはある。それこそ、今は科学の方が安易に出来ることもあるしね。ただ、魔法がすごいのは、過程を吹っ飛ばして結果だけを手に入れることが出来るところだね。
材料を切ったりせずにすぐにご飯が食べられるってこと?
そうそう、そういうことだよ。でも、そうだね。リドル、どうして闇の魔術が表に出ないかわかるかな?
ええっと、人を殺したり、悪いことに使いやすいから?
それもあるけれど。それ以上に、闇の魔術が起こせる結果は魔法でなくても起こせるからかな。
人を殺すことは、マグルにも出来るからってこと?
ああ、そうだよ。魔法が奇跡であり、結果を簡単に手に入れることが出来るなら。その真骨頂はなおすことであり、そうして育むことだ。
はぐくむ、こと。
死因がわからないことも、苦しめることも、操ることも、マグルだって難しいこともあるけれど、出来ないわけではない。でも、なおすことや育むことは難しい。善し悪しはあっても、その結果にたどり着くことは魔法使いの方が優れている。探求者というのが本質である魔法使いたちは、わかりやすい暴力を用いる闇の魔法使いを邪道とした。
だから、植物を育てることを先にやらせるの?
ちょっと違うかな。私たちは安易に世界に影響を及ぼしてしまう。ただの蝶の羽ばたきが遠いどこかで嵐を巻き起こすように。いつか、君が奇跡を起こすときが来たとき、その喜びと罪深さを知ることができるように。
その言葉の意味を、リドルははっきりと理解できなかった。未だ幼いリドルには、その言葉の意味が本当の意味でわからなかった。
ただ、ルツの柔らかな笑みを見ていると、それがとても大切なことのように感じられた。
土をいじって、水をやり、肥料を与える。
リドルが世話を命じられたニガヨモギはすくすくと育っている。確かに、地味な仕事であるが、頑張った結果が目に見えるのは嬉しくはあった。
そうして、薬草の他にスキャマンダーが来た折にやらせてもらえる魔法薬も楽しかった。大鍋をぐるぐるするのは、昔見た絵本の中の魔女のようだった。
そうやって、ある程度土いじりをして、薬草の話を聞いた後はリドルは自由時間になる。
基本的な勉強は定期的にスキャマンダーやダンブルドアがやってきて見てもらっている。そうして、宿題も置いていっているが、優秀なリドルには些細なことだ。
「ルツ、森に行ってくる!」
そういって、リドルはルツに借りた釣り竿を持って森の中に駆けだした。
「教えた道以外、行ってはダメだよ?」
そんな声を後ろに、リドルは慣れた道を歩き出した。
リドルの住んでいる森は、一応グリンの家の管理下にあるらしい。イギリスの中でも深い森が広がるそこは、昔から古い魔法生物たちの住処であったらしい。
変わり者のグリンはそこを住処として決め、放浪してはそこに帰るということを繰り返していたそうだ。
すっかりマグルに混じり、都会で住むものや村を形成し、森の中で暮らすものが少なくなった今では珍しい生活スタイルなのだという。
魔法生物が多くいる森は放ってはおけないが、だからといって管理するのもうま味が足りない。
そのため、自ら森に住み続けるグリン家に白羽の矢は当たった。少額の管理費と森の資源をある程度好きにすることを条件に、森の管理人をしているそうだ。
管理人であったルツの父親が死んだ後、魔法省が管理していたそうだが、現在はルツがある程度の範囲をカバーしているそうだ。
大人になったら、私もここに籠りっきりになるだろうね。
そんなことをルツが言っていたのを覚えている。
リドルは森の曲がりくねった道をすいすいと歩いて行く。かれこれ、一年近く、森の中を遊び場として過ごしたリドルは孤児院にいた頃よりもずっと成長していた。
十分な食事に、山遊びをしていた彼の体は平均よりもたくましくなっていた。そうして、浅く日焼けしたそれは繊細な印象から精悍なそれへと変わり果てていた。そうは言っても、その顔立ちからして十分に魅力的であると言えた。
リドルは目的地である、川縁までやってきた。そこは岩の山場になっており、川魚が多くいる。リドルはそれに今日こそは、と決意した。
(・・・・今日も、つれなかった。)
リドルはがっかりして、釣り道具を片付け始めた。
リドルの釣りの趣味は、偏に彼の負けず嫌いさによる。最初、晩ご飯の調達にとルツに連れられていったが、ものの見事に結果はぼうずであった。
それに負けず嫌いの火がついて、仕掛けをいじっては川に来て釣りをしている。
が、結果はよろしくない。短気な気があるリドルには向いていない部分があるのだろう。
しょぼくれたリドルが立ち上がると、くいくいと服を引っ張るものがいた。
それにリドルが振り向くと、そこには二足歩行の狼がいた。
「・・・・なんだよ。」
不機嫌そうにそう言うと、その狼は両手に一つずつ、大きな川魚を差し出してくれた。
それにリドルは自分がぼうずであったことを無言で突きつけられたようで口元をへに曲げる。
が、リドルはそれを渋々受け取った。その魔法生物、または妖精、それは不躾すぎるからとルツ曰く隣人足るものは、ウルヴァーと言われている。
彼らは基本的によいものたちに分類されているそうで、意地悪をしなければよき隣人であるからとルツにも言われている。だからこそ、彼らの善意は受け取るようといわれている。
リドルも最初に彼らに出会った時は驚いた。
魔法生物の本を読破していたリドルさえも知らない存在であったため、すぐに逃げ帰った。ルツに言われた場所から出た覚えもないというのに出会ったそれのことをルツに話すと、彼女は苦笑気味に言った。
「ああ、リドル、なんだい、ウルヴァーたちに会ったんだね。」
曰く、彼らは釣りが好きなようで、何時間も石に座って魚を釣るそうだ。それ以外は、ただの狼の姿をしただけの生き物であるらしい。
「君が坊主だったから見かねて魚を分けてくれようとしたんじゃないのかな?」
「でも、そんなのいるの?本にだって書いてなかったのに。」
「今はうちみたいに森で生活するものも、わざわざ自給自足みたいな生活するものもいないからね。使う機会のない知識は省かれていくんだ。ウルヴァーたちもそれと一緒。」
昔は、珍しい友好的な種族だったから交流している家系もあったみたいだけれどね。
「・・・・・そうなの?」
そんなことを言っていると、窓辺の方がどさりと何かが落ちるような音がした。エヴェドがそれに反応し、確かめてくるとその場からいなくなった。
そうして、今のソファでくつろいでいたルツとその前に立っていたリドルの元にやってきた。エヴェドの手には、立派な川魚が握られていた。
「届けてくれたみたいだね。」
脂ののった川魚はその日の夕飯になった。
リドルは受け取った魚をじっと見た。見れば見るほどに、立派な魚だ。どうすればこんなにも立派な魚が釣れるのか是非ともご教授いただきたい。
「ヴァウ!」
元気なイヌの鳴き声にリドルはなんとも言えない顔をする。曰く、昔はこう言った生き物とも交流する術があったそうだがすったり廃れているそうだ。ルツ曰く、グリン家の倉庫をあさればそういった書物もあるだろうが。へたをすればウルヴァーたちも交渉のやり方を忘れている可能性もあるため、無駄足になることもあると言われている。
何よりも、他人に教わるというのはリドルとしても悔しい思いがある。リドルはかるくため息をついた後、口を開いた。
「これで、今日の食事は大丈夫だな。そうだ、それなら、腹を満たすためのこれはもういらないなあ。」
リドルはそう言って物入れの中から、おやつ用にと渡されたスコーンを取りだした。ドライフルーツの大量に入ったそれを、リドルは岩の上に置いた。
「ここに置いておけば、欲しい奴が食べるだろう。さて、僕はもう帰ろうか。」
リドルはそう言って、その場から歩き出した、がさりと、葉の揺れる音がした後、ちらりと後ろを振り返るとウルヴァーはおらず、そうしてスコーンも消えていた。
(人でないもの、特に意思疎通の出来ないものへのお礼はあくまで歪曲的にすること。)
リドルはルツから教わったことを思い出した。
曰く、会話の出来ないものとの間では、物理的なお礼の方が喜ばれるためである。
リドルは今日も釣れなかったことにしょぼくれながら道を歩いた。
家に帰ると、ルツはいなかった。
「ルツは?」
「お嬢様ならいつもの森の見回りです。今日は釣れましたか、坊ちゃま!」
「・・・・なんだよ、嫌みかよ。」
「そのご様子では、またウルヴァーたちに魚をもらったのですね。」
リドルはエヴェドに魚を差し出した。今日はムニエルにしようかとエヴェドは台所に引っ込んでいく。
ルツは時折、一人で森の中を歩き回る。魔法省からの契約で森に異変がないか、マグルが入り込んでいないかを調べて回る。
魔法生物がいるところまでマグルが入り込むことはそうそうないが、自殺志願者などの場合はより深くまで入り込みたがる。
「そういう人って、本当に、時々奥まで入り込んじゃう人がいるんだよね。」
死と生という堺を超える覚悟をしたものは、時折、魔法の効果が薄くなるものがいるらしい。
森の中で、深く、濃い緑の臭いの中でルツはそう言った。
(今日は、どうしようかな。)
リドルはそのまま自室に戻った。そこは、澄んだ緑を基調とした部屋が広がっていた。
ルツはリドルの瞳の赤を勧めてきたが、リドルは緑が良いとねだった。
淡い色の、カーテンにカーペット。布団は、緑地に銀の刺繍がされている。植物の絵柄が描かれているそれはルツのものと色違いのおそろいだ。
ルツは青の小物が多い。
赤でも、緑でもないことは以外だったが、曰く、彼女は青色が一番好きらしい。リドルの嫌いな老人を思い出すため止めて欲しいが、彼女の趣味を否定することも出来ずにそのままにしている。
片付いていた机周りには読みかけの本に、ノート類が広がっている。そこには、ルツやスキャマンダー、そうしてダンブルドアから教わったことがまとめられている。
ちらりと見た本棚はすでにだいぶ埋まっている。
呪文集や歴史、魔法薬に薬草関係の本。すべては魔法に関係するそれは、人からすれば嫌な顔をするだろうが、リドルからすれば好きなもので埋まったそこは奇跡のように気に入っている。
(今日は、呪文の復習でもしようかな?)
リドルはそう思って、本を手に取ったとき、こんこんと窓を叩く音がした。それに、ちらりと窓を見ると、大きなフクロウがじっと自分を見ていた。
リドルはそれに目を丸くした。
自分にはフクロウでやりとりをするような存在に覚えはなかった。
いや、一つだけ、自分に手紙を送ってくれる存在に覚えがあった。
リドルは逸る気持ちを抑えつけて、窓を開けた。フクロウから手紙を受け取る。
差出人は、ホグワーツ魔法魔術学校。
急いで、乱雑に開けた手紙の中には、トム・M・リドルへの入学案内書が入っていた。
「ルツ!!エヴェド!!」
リドルは叫ぶように部屋から飛び出した。
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魔法使いに祝福を
買い物編。
次が入学になります。
評価、感想、ありがとうございます。
モチベのために感想、いただけると嬉しいです。
「ああ、届いたんだね。」
丁度、森の見回りから帰ってきたらしいルツはマントに手袋などを脱ぎ、エヴェドに渡していた。
ルツはトム・リドルの差し出してきたそれに納得したのか頷いた。そうして、それを受け取り、目を通した。
リドルはそれに対して澄ました態度で手を後ろに組んでつんと顔をそらしていた。けれど、内心では胸はバクバクと脈打っていた。
(・・・・もっと、なんかあるんじゃないのか?)
リドルの予想としては自分の入学許可書を見たルツは、それはそれは喜ぶ予定だった。歓声を上げて、さすがはリドルだと弾んだ声を上げると思っていた。
けれど、ルツは澄ました顔で許可書を眺めていた。そうして、それを畳んだ後、リドルに微笑んだ。
「よし、じゃあ、リドル!次に何をするのか、わかるよね?」
その言葉にリドルは先ほどの沈んだ感情など忘れて叫んだ。
「教科書に、制服、あと、魔法の杖!」
「そう!ダイアゴン横町に行こうか!」
買い物については子どもだけで出かけることとなった。保護者役であるニュートやダンブルドアの都合がすぐには着かなかったせいだ。
リドルの入学許可書が届いて数日経ってから向かうことになった。
「それじゃあ、フルーパウダーを使おうか。」
「フルーパウダー?」
「登録された暖炉から暖炉に移動できるんだ。粉を掴んで、暖炉の炎に振りかける。そうすれば炎は無害になるから。その炎の中に入って、行きたい場所を大きな声で、はっきりと言うんだ。今回は、ダイアゴン横町って言えば良いよ。」
リドルは差し出された緑の粉を掴んだ。傍目には平静を装っていたが、内心では心臓がばくばくと脈打っていた。
そうして、暖炉にそれをふりかけ、炎の中に入り込んだ。炎は温かく、まるで春風のようだった。
そうして、リドルは叫んだ。
「ダイアゴン横町!」
ぶわりと緑色の炎が辺りに広がった。
気がつけばリドルは小汚い、という名称がよく似合うパブの暖炉にいた。リドルはそこから這い出した。周りには、以前見たようなローブを纏った魔法使いたちがいる。彼らは、暖炉から這い出してくる子どもが珍しくもないのか、それぞれでエールを飲んでいるようだった。
リドルは簡素にローブを付いた灰をたたき落とした。
(漏れ鍋だっけ?)
以前、ダンブルドアに連れてこられたときは早々とダイアゴン横町に向かったため物珍しい気分になって周りを見回した。
薄暗い室内にぞろりとしたローブを纏った大人たちがたむろしている様はなかなかに特殊だ。
そんなことを思っていると、近くにあった暖炉がまた大きく燃え上がった。そうして、金の髪を結い上げた少女がそこに降り立った。ルツはさっさとローブの灰を払うと、リドルに微笑んだ。
「それじゃあ、リドル。行こうか。」
それにリドルは顔を輝かせた。なんといってもようやく欲しかった魔法使いの証、杖が手に入るのだから。
わくわくとしたリドルの様子に、ルツはにっこりと微笑んだ。
「それじゃあ、先にお金を下ろしに、グリンゴッツに行こうね。」
その言葉にリドルの顔が青く染まったのは想像にたやすいだろう。
「・・・・気持ち悪い。」
「リドルは、トロッコ苦手だね。あんなに楽しいのに。」
グリンゴッツのトロッコの後、ルツはふらふらになりながらそんなことを言った。それを、リドルは忌々しいというように睨んだ。
「・・・・杖は、後にして先に制服を作りに行こうか?」
「え、でも・・・」
「ちゃんと寄るよ。でも、今は気分も悪いよね?なら、そっちを先にした方がいいんじゃないのかい?」
道ばたに座り込み、顔を下に向けるリドルにルツはそう言った。ちらりと上を見たげた先で、ルツは穏やかに微笑んだ。
リドルは不服だった。何よりも、どんなことよりも先に杖が欲しかった。
魔法使いの証、魔法使いの象徴。皆が持っている、特別の証。
駄々をこねるように口元を引き締めた彼に、ルツは苦笑しながらそっとその方に手を置いた。
「安心しなよ。後でちゃんと行くんだから。」
それにリドルは、仕方が無いかと立ち上がった。楽しみは後にとっておけばいいと思って。
立ち上がったリドルにルツは当たり前のように手を差し出してきた。
リドルはルツの方を見ると、彼女は不思議そうに首を傾げていた。その様子に、リドルは仕方が無いなあと言うようにその手を握った。
「ルツ、お前、もう少し大人になれよ。もう、いい年だろう。」
「そうだね、ごめんね。でも、リドルに手をつないでもらうと安心できるから。」
それにリドルは仕方が無いなあと頷いた。
いつまで経っても、隣に立つその女は自分がいないとダメな女なのだ。
「あら、ホグワーツの制服かしら?」
「はい、お願いします。」
連れてこられたマダム・マルキンの洋装店はひどく賑わっていた。出迎えた、藤色の服を着た魔女らしきそれにリドルは台の上に立たされた。そうすると、リドルの周りをふわふわと浮かぶメジャーが取り巻き、体の周りを測っていく。
ルツは店の中で商品を眺めている。リドルはそれを見つめた後、退屈な時間を過ごすことを決意した。
その時だ、隣の台にまた誰かが立った。リドルはそれにちらりと視線を向けた。そこにはおそらく、自分とそう変わらないだろう年の少女が立っていた。
見目は良いものの硬質な印象を受ける顔立ちをしており、黒い髪をきっちりとまとめている。そうして、ルツと同じ緑の瞳をしていた。
体格、そうして雰囲気からしておそらく今年入学するのだろう。
リドルは自分の同級生になるらしい存在に好奇心をくすぐられて、話しかけてみることにした。
「ねえ、君。」
リドルの言葉に少女は自分の方に視線を向けた。
「私のこと?」
「うん、そうだよ。僕はトム・リドル。君もホグワーツに入学する子?」
「そうよ。あなたも?」
「そうだよ。」
リドルはにっこりと微笑んだ。どんな人間だって目を奪われるような魅力的な笑みだ。リドルの本性を知らなければどんな人間だって彼のことをよく思うだろうそれ。
その表面的に人なつっこい微笑みに、そうして同い年であるせいか、警戒心を解いた。
「そうなの。なら、同級生ね。」
「うん、そうだね。君は、魔法族出身?」
「・・・・母は魔法族だけど、父はマグルね。」
「そうなんだ。」
リドルはそれに少々がっかりした。話を聞く限り、目の前の存在と仲良くしてもさほどのうま味はないように思う。
適度な距離を保つぐらいが丁度良いかもしれない。
そのためリドルは名前を聞くこともせず、また会った折にでも聞けば良いと考えた。
「あなたは?」
「・・・・僕は、魔法使いの家にいるかな。」
その言い回しに少女は少しだけ疑問に思った節はあったが突っ込んでくることはなかった。リドルはそのままその話をながして改めて話し出した。
「これから新しいことがたくさんあるけど、やっぱり不安だよね。出来れば、仲良くしてね?」
「そうね、私も出来れば仲良くして欲しいわ。」
良好な印象を与えられたことを理解してリドルは満足する。その時、自分の採寸が終ったのか、メジャーがするすると消えていく。
そうして、藤色の服を着た婦人が近づいてきた。そうして、仕立てをするので後で立ち寄って欲しいと言われた。渡されたのは、順番待ちの紙だった。それを受け取ると、いつの間にかルツがリドルの近くに立っていた。
「終わった?」
「終わったよ。」
「そうか、出来れば少し大きめに作ってもらった方がいいのかな。」
「なんで?」
「男の子って、すぐに大きくなるそうだから。君も、すぐに大きくなるよ。」
それにリドルはふーんと言った。ちらりと、自分よりも高い背の姉貴分を見た。
大きくなるのだろうか、自分は、それならば、きっと、この少女よりもずっと大きくならなくては。
いつか、何かがあれば自分が目の前の存在を守って、世話をしなくてはいけないのだから。
何よりも、見下ろされる現状自体が気に入らない。
そんなことを思っていると、自分のすぐ後にやってきた少女も近づいてきた。
「こんにちは。」
「うん、こんにちは。誰かな?」
「今年、ホグワーツに入学するんだって。」
「へえ、リドル、もう友達が出来たの?」
ルツの言葉はリドルにとって少々しゃくに障った。この程度が自分の友達だなんてごめんだ。
「初めまして、私は、リドルの家族のルツ・グリンというんだ。」
そんなことも気にせずにルツは目の前の少女に名前を名乗った。そうすると、彼女は顔をぱっと輝かせた。
「あの、もしかしてグリンって、あの、グリンですか?」
「グリンは、グリンだけれど?」
「もしかして、グレイ・グリンの?」
「私の父だけれど。知ってるの?」
それに少女は顔を輝かせた。
「あの、母が書籍を持っていて。以前読んだ、植物と妖精の関係を書いた本が面白くて!」
「父の本をその年で読んだの?すごいね。」
なにやら二人で勝手に盛り上がっている様がリドルにとって非常に面白くない。大体、ルツの父の書籍なら自分だって読んでいる。
リドルは二人の話を遮るようにルツの手を引いた。
「ルツ、次に行こうよ!」
それに対して少女は話を遮られたことが面白くないのかむっとした顔をした。
「・・・ねえ、少しぐらい、いいでしょう?」
「知らないよ。大体、君だって次の買い物があるんじゃないの?早く、親のとこにいったらどうだい?」
-
嫌みったらしい口調に少女の眉間に皺が寄る。
「少しぐらいの立ち話はいいじゃないの。あなたの買い物を邪魔する気なんてないわ。ただ、素晴らしい読み物に対して話をしたいってだけじゃない。」
「ああ、そう。ならもう満足だろ?僕達はもういくからな。」
それに対してルツはあーあという顔をして苦笑した。そうして、リドルが自分を引っ張るそれにあらがい、その少女に微笑んだ。
「そうだね、お嬢さん。今日はちょっと急いでるからね。」
それに対してリドルはほら見ろと少女を嘲るようにふんと息を吐いた。その腹の立つ顔に少女はこめかみを震わせた。けれど、ルツは言葉を続けた。
「でも、今は無理でも、他の時だったら大丈夫だよ。フクロウで手紙を送ってくれるなら、いくらもで話は出来るから。名前を聞いても良いかな?」
ルツのその言葉に少女は今度はリドルに対してざまあみろというようにふんと笑って見せた。それに今度はリドルの眉間に皺が盛大に寄った。
「ありがとうございます!私の名前は、ミネルバ・マクゴナガルです。」
その時、ミネルバとリドルは睨みあい、そうして同じように胸の内で吐き捨てた。
こいつは絶対に気に入らない奴だ!
リドルはそのままひどくふきげんそうな顔でルツとダイアゴン横町を歩いていた。その後、マクゴナガルは母親に連れられて分かれることとなった。
母親とルツが穏やかに挨拶をしている中、マクゴナガルとリドルは気に入らないとにらみ合っていた。
その後、ルツはリドルの様子を気にした様子もなく、道を歩いている。リドルはそんな彼女の態度が酷く気に入らない。何よりも、自分よりも他の少女に関心を向けたことが非常に気に入らない。
(優秀そうだったら、なんでもいいのか?)
むすくれるようにそう思っていると、ルツが気づいたように声をかけてきた。
「リドル。」
それにリドルは謝る気になったのかと少しだけ胸がすく思いだった。けれど、すぐに赦すのはなんだか癪で、少しだけ無視してやろうと思い無言で歩き続けた。
「リドル?」
(知らないぞ。)
「・・・リドル、オリバンダーのお店、過ぎてるけど良いの?」
「え?」
思わず声を上げて店の立ち並ぶ方を見ると、数件ほど過ぎ去っていることに気づいた。
リドルは無言でそのまま店に入っていった。
オリバンダーの店は変わることなく杖の入った箱で満たされていた。殆どが棚と杖の在庫で溢れたそこに入ると、以前の通り動くはしごにとって白髪の老人が現れた。
「やあ、ようこそおいでくださりましたね。」
「こんにちは、ミスター・オリバンダー。」
はしごを下りてカウンターに近づいてきたオリバンダーはずいっとリドルに顔を寄せた。
「今日は、坊ちゃんの杖をお望みで。」
「はい、お願いします。」
「よい返事だ。それでは、杖腕は?」
リドルはそれに右手を差し出した。オリバンダーはそれに棚をいくらかあさり、そうして箱を一つ持ってきた。
「ニワトコにドラゴンの心臓の琴線。非常に強力じゃが、きまぐれ。」
リドルは初めて持つ杖にわくわくしながら降った。が、バンと盛大な破裂音の後に焦げ臭い臭いが辺りに漂う。
それにオリバンダーはひったくるように杖を取り戻す。そうして、また箱から杖を取り出す。
「カエデにユニコーンの毛。非常に柔軟。」
リドルがそれを振ると、今度は近くにあった花瓶が割れた。それにまたオリバンダーは杖を奪う。
「黒檀にユニコーンの毛。頑固な杖じゃ。」
それはリドルが振る前に奪い取られた。
「うーむ、これまた難しいお方じゃ。」
オリバンダーはぶつぶつとそう言いながら、ふと思い立ったように棚の奥に消えていく。そうして、これまた古びて、埃だらけの箱を持ってきた。
「・・・・イチイに不死鳥の尾羽。強力じゃが、扱いにくく頑固者。」
リドルはそれをおそるおそるで手に持った。ルツはどこか嬉しそうにその後ろ姿を眺めた。振った、その時。まるでリドルを祝福するようにきらきらとした光がリドルを包んだ。
それにオリバンダーは穏やかに微笑んだ。
「坊ちゃん、おめでとう。それがあなたの杖じゃ。」
それにリドルは暖かな感覚を覚える杖をじっと見た。初めて、ようやく手に入れた、魔法使いの証、その象徴。
リドルは思わず、その杖を抱きしめた。
嬉しい、これで同じだ。誰にだって引け目を感じる必要は無い、ようやく、拒絶された世界から受け入れられた気がした。
「リドル。」
リドルはそれにルツの方を見た。彼女は緑の瞳を穏やかに細めて、リドルの頭を撫でた。
「おめでとう、良い杖だね。」
「当たり前だろう、僕の杖なんだから。」
すました顔でそう言った彼にルツは穏やかにそうだねと微笑んだ。
それを見つめてオリバンダーは頷きながら小さく言った。
「・・・・・イチイの木は偉大なる者を好む。そうして、不死鳥の尾羽もまた持ち主を非常によく選ぶ。」
オリバンダーは心の内で、その少年が非常に偉大なることをなすのではないかと考えた。
それが良きことであるか、悪しきことではあるかは関係ない。
ただ、それだけが事実のように感じられた。
「どうして、蛇をペットに連れて行っちゃいけないの?」
全ての買い物を終え、家に戻ってきたリドルはエヴェドの用意していたスコーンと紅茶をすすった。
すでに日はとっぷり暮れ、夕食の後のデザートだった。
ピカピカの鍋に、教科書。全て新しいそれはリドルにとって自分だけのものだ。良いものを選べたとほくほくした。そうして、最後に訪れたのは魔法生物ペットショップだった。
リドルは正直に言えば、杖以外でここでとあるものをルツにねだる気だった。
ホグワーツ魔法魔術学校にはファミリアとして動物を持って行くことが赦されている。リドルは是非とも、蛇が欲しかった。意思疎通が出来るそれならば、よき使い魔になるだろうと思っていたのだ。
「別に蛇を持って行くのはいいよ。蜘蛛だとかを持って行っている人もいるからね。でも、一年生には蛇は扱いが難しいからね。連れて行きたいなら、あと少し待たないと。」
「僕ならそんなへまはしないよ?」
「知っているけれど、大人は納得しないからね。それに、せっかく蛇を連れて生きたいなら、ニュートに頼んで、いい子を紹介してもらった方が良いよ。」
それにリドルは少しだけ考えた。確かに、連れて行くならばとびっきりの蛇がいい。元より、意思疎通が出来、尚且つ数少ないリドルにとって好ましい動物だ。ならば、よくよく選んだ存在の方が良いだろう。
「あの人に頼んでくれる?」
「うん、構わないよ。」
にこにこと微笑んだルツはちらりと外を見た。そうして、すでに眠る時間が近い。ルツは立ち上がった。そうして、リドルに微笑んだ。
「リドル、少し森の奥に散歩に行かない?」
「え、でも、夜なのに?」
ルツは基本的にリドルに何かを禁じることはない。それでも絶対にしてはいけないと禁じていることは幾つかある。それは、例えば教えられた道以外は森では通っていけないだとか。
夜も別段外に出ることは禁じられてはいないが、そうはいっても奥に行くことは禁じられていたし、近い場所でのみ、外出は赦されていた。
「いいんだ。今日は、何と言っても特別な日だからね。」
ルツはそう言って玄関近くのコートかけにあるマントを手に取った。それが何でもルツの家に代々伝わっているものであることはしっていた。
ビロードのような、さらさらとしたさわり心地の良い若草色の布に、まるで絡まるように蔦や花々が銀の糸で刺繍されている。
ルツはニコニコと笑ってリドルを手招きした。そうして、近づいたリドルにそっとそれをかぶせた。
「それじゃあ、行こうか。」
「え、でも。森の奥にはこれを被っていかないといけないんじゃないの?」
「うん、でも私は別に良いんだよ。ただ、それは約束の証みたいなものだから。」
それの意味がわからないが、そっと差し出された手をリドルは取った。暖かなそれに少しだけほっとした。
森はひどく静かで、けれど不思議と何かの音がする。がさがさと、何かがうごめいている。風の揺らめき、木の葉のささやき、水のせせらぎ、そんな音がする。
ルツは、ささやきのようにスカボローフェアを歌っていた。それに会わせて、リドルも口ずさむ。
時折、ふわりとフェアリーがリドルの横を飛んでいく。きらきらと、鱗粉が薄く、木々の間から差し込む月光に輝いていた。
ルツの持ったカンテラにつけられたベルが、時折カランと音を立てた。何かが、自分たちを見ている。怖いもの、名さえも忘れられたもの。
リドルはそれを無視した。
もしも、森の奥で、生き物であるかもわからないものを感じたら、けして見てはいけないよ。
見ると言うことは認識すると言うことだ。認識すると言うことは知ることの一歩だ。知るとは近づくと言うことだ。近づくというのは、境を越えることだ。
時折、ルツはリドルにとって意味のわからないことを言う。
それはどんな書物を読んでも書いていないことだった。
けれど、賢いリドルは理解していた。その言いつけはきっと、絶対に破っていけないものなのだと。
ルツのスカボローフェアにだけ、耳を傾けた
そうすると、不思議と森の奥からする視線は気にならなかった。ルツのかぶせてくれたマントは、まるでリドルを抱きしめるように寒さから守ってくれた。
どれだけ歩いたことだろうか、そうして、開けた場所に出た。
「ここだよ、リドル。」
その光景に、リドルは目を見開いた。
「ここが、グリンの一族が魔法使いの門出に訪れていた場所なんだよ。」
そこは、泉だった。直径はどれほどあるだろうか。小さな家二つ分ほどのそこは、フェアリーや、そうしてユニコーンたちが遊んでいる。月光の中でそれらは踊り、遊ぶそこはまるで光がはじけるように輝いていた。
そうして、何よりも目を引くのは、泉の真ん中にある小島に生えた、大きな木だ。
「大きいでしょう。あれはイチイの木だよ。君の杖と同じ木だね。」
リドルはその光景をじっと見た。きらきらと、何か、名前もわからないけれど。美しい、人ではない者たちが踊っている。歌うように、笑うように、泣くように、踊っている。
「門出の場所って?」
「正確に言うと、魔法学校とかに入学するときぐらいに連れてきてもらえるんだけど。父さんは、それよりも先に私をここに連れてきたんだけどね。それで、だ。リドル。」
ルツはリドルと向かい合うように立った。そうして、彼女はそっと彼にかぶせたマントを下ろし、微笑んだ。
「・・・・・ものすごい、昔はね。誰かに作ってもらうんじゃなくて自分で杖を作ってたんだ。自分で木を切り出して、そうして、芯を入れ込んで。幾度も作って、自分に合うものを作ってたんだ。己の人生と同じように。だから、昔はここに連れてこられて、自分で木を切って、杖を作ってたんだ。ここに連れてくるのは、その名残。」
ルツはそう言った後、リドルの手を取った。まわりを、フェアリーたちが飛んでいる。くすくすと、どこかで何かの笑い声がする。
なんだか不思議な気分だった。自分たちだけしか、いないはずなのに。なんだか、多くの者が自分の周りにうごめいて、笑っているようで。
「ここに連れてきたのはね。門出の時に、お呪いをするのがしきたりみたいなもので、私はしてもらえなかったけど。リドルにはしてあげたかったんだ。」
「おまじない?」
リドルの言葉にルツは穏やかに微笑んで頷いた、そうして、頭を下げてリドルの手の甲を額に押しつけた。
「芽を出せし若木よ、お前に詞を。唄いなさい、この世の喜びを手にするように。」
ざああああと風が吹いた音がする。どこからか飛んできた花びらが甘い香りを乗せて自分に吹き付ける。
ことばが、ただ、リドルの中で踊っていた。
踊りなさい、お前の楽しみを刻むように。知りなさい、この世のあまたを愛するように。
生きなさい、通らぬ道などないように。死になさい、お前の夢が覚めぬよう。
イチイは、お前の夢を見つめるだろう。
ヒイラギは、お前の敵を刺すだろう。
ニワトコは、お前のなすことを見つめている。
ルツのそれは、ただの言葉のようで、けれど、まるで歌のように響いていた。
ルツはそれに頭を上げて、リドルのことを見た。
彼女は、やっぱり微笑んでいて。
「そうして、全てが終ったその時は、ここに帰っておいで。お前の遺骸を土に埋め、この血と、この地は、お前の墓守、お前のゆりかごであるのだから。愛しき同胞よ、どうか、お前に良き旅があるように。」
額に暖かくて、柔らかなものが押しつけられた。額に、祝福するようにキスされたのだと、理解した。
「お呪いだよ。古い、古い、祈りの詞。長い旅をした同胞が、ここに帰ってきますようにって祈るものだよ。」
「祈り?」
「うん、私はね、リドル、とっても今嬉しいんだ。」
新しい同胞がいることが心の底から、嬉しい。
「私たちは、多くのことを知る。この世の裏に人でないものがいる。鉄と焔が世界を統べるよりも前に、この世が丸いと人が知るよりも先に、私たちはずっと昔、世界の悉くを知っていた。そうして、人とは違うものと生きていた。」
「魔法生物のこと?」
「ちょっとだけ、違うかな。」
ルツはまたリドルの手を取って、泉に近づいた。泉は、澄んでいるはずなのに不思議と底が見えなかった。
「・・・・私のご先祖様は、昔、赤い竜に会いたかったんだって。」
「赤い竜?」
「そうだよ。昔はね、竜はもっと賢くて、魔法だって使えたんだよ。でも、今はもう、蜥蜴もどきしかいなくなっちゃった。」
ルツは思い悩むように月光を見上げた。リドルはそんなことが本に書いてあっただろうかと首を傾げた。それでも、なんだかふわふわとした感覚があって、ぼんやりと輝く金の髪を見上げた。
「魔法とは、世界を知ることだ。特定の人間だけが使える技術であり、知識だ。だからこそ、私たちはそれを理解できない人々から離れた。誰だって、理解できないことは怖いからね。」
それでもつかず離れずに生きていた。私たちは人にとって医者であり、産婆であり、教師であり、助言者だった。
でも、人は結局理解の出来る自分たちの理を信奉して、私たちを遠ざけた。
リドルはその横顔をじっと見た。それはルツの浮かべたことの無いような顔だった。なんだか、今にも泣いてしまいそうな顔だった。
「悲しいの?」
「・・・・悲しいんじゃないかな。きっと、私は寂しいんだ。一緒に生きていたのに、離ればなれになったから。ねえ、リドル。私たちはどうして、魔法が使えるんだと思う?」
その問いにリドルは言葉を詰まらせた。だって、それに答えなんて持っていなかった。
「才能みたいなものだろう。そこに、意味なんてあるのか?」
「そうだね。そうとも言える。でも、この力に意味があるんだと信じて、それを探す人もいた。それぞれがその理由を見つけて、見つけられなくて、死んでいった。私のご先祖様が、赤い竜に焦がれて死んだように。私は、何を見つけるんだろうね。」
自嘲のように聞こえることはどこか不思議でリドルはルツを見た。そこには、今の湿った声など嘘のように穏やかに微笑むルツがいた。
彼女は自分を見上げるその瞳を見返した。
「リドル、君は賢い子だ。そんな君につかの間でもこうやってものを教え、そうして暗闇のための灯を貸せることができたことを誇りに思う。」
「なんだよ、お別れみたいなことを言って。」
「お別れ、じゃないけど。でも、これから君は違う人を師とする。だから、少しだけ区切りを、と思って。君はこれから多くのことを知るし、多くの人と出会う。それは良いことであると同時に、悪いこともあるかも知れない。それでも、これだけは忘れないで。」
リドル、君は自由だ。
力強い声だった。祈るような言葉だった。握った手は、ひどく温かかった。
「誰かを導く賢者にも、誰かのために戦う騎士にも、誰かを側で支える友にも、他を守る誇り高いものにだってなれる。」
それと同時に、道に迷う愚者にも、己の独善に彷徨う狂戦士にも、長いものに巻かれる事なかれ主義にも、誰かを騙す狡猾な者にだって成り果てられる。
「ねえ、リドル。人生って、面白いでしょう?」
さえずるような声音で少女は言った。踊るようにルツはリドルの手を取ってその場でくるりと回って見せた。
「リドルはリドルの人生を生きていい。君がいつか呪いに焼かれて死ぬとして、幾多の人間に否定される人生を生きたとしても、私はそれを否定しない。君の人生を肯定するのも、否定するのも、結局自分だけだからね。」
ただ、これだけは覚えておいて。
「誰かを傷つけ、誰かから何かを奪い、誰かを否定したその時は。君はきっちりと、傷つけられ、奪い返され、否定される日が来ることを忘れてはいけない。」
「どうして?」
僕の自由であるのなら、僕の幸せのために、他人を傷つけるのは、どうしてだめなの?
リドルはなぜかそんなことを反射のように言ってしまった。けれど、それは確かにリドルにとって素直な疑問だった。
リドルにとって人間とは嫌な者で、醜くて。
リドルにとって、ルツ以外の全てが不愉快であった。ルツはそれに困ったような顔をした。
「難しいね。人という生き物は、幸せでありたいと願う生き物だ。それが根源だ。マグルも、魔法族も変わらない。己の幸せのために、何故、他を傷つけてはいけないのか。」
私は私の答えを持っているけれど、それが君に納得の出来るものであるかはわからないよ。
困り果てたような顔をした姉貴分の顔に、それでもリドルは彼女の答えを求めた。リドルは素直に、そう言えた。
今のところは、それをする理由はない。けれど、いつか、必要があるのならリドルはそれをたやすくする。それに戸惑いはないし、躊躇もない。
それを目の前の少女は否定しないと理解して、皮肉のようにそう言った。
それにルツは苦笑気味に言った。そうして、泉の先の、フェアリーやユニコーンたちに眼を向けた。
「私は、自分と違う者を滅ぼして生きるよりも、違う者と生きていくほうがずっと面白いと思っているだけだよ。」
それがリドルにはわからなかった。煩わしい者なんて、滅ぼした方がずっと良いと思った。
そちらのほうがずっと胸がすく気がする。
明らかに理解が出来ていないリドルに、ルツはそっとその手を握った。
暖かな、自分以外の体温にリドルは視線をあげた。
緑の瞳を細めた彼女は、その手を握り込んだ。
「いつか、君にもわかるかな。私たちは、独りで生きていくものではないんだよ。誰かと共に生きていくんだ。」
私が君を見つけたように。君も、いつか、誰かを見つけるんだ。この世に愛された、数少ない同胞を。
おめでとう、私の同胞。お前の生に祝福を。お前のこれからに祈りを。いつか、私が受けたように。言祝ぎがありますように。
リドルには、その女の言葉がやっぱりちっともわからなくて。何が言いたいんだと、その女を見るけれど。
それでも、目がくらむようにそこは綺麗で。
それでも、己の手に伝わる熱は驚くほどに暖かくて。
(・・・・いらないよ。)
こんなくだらない世界に生まれてきて、誰を今更祝福するというのだろう。
魔法だけが素晴らしい。それだけは、本当に好きで。
世界には、魔法使いだけが溢れていればどれだけいいだろうか。
そう思ったのに。
きっと、目の前のそれはそんなことを言うと、悲しい顔をするのだろう。
(違う者に歩み寄っても、恐怖で目がくらんだ奴らにどれほどのことが理解できるんだ?)
そう思うのに。
それをリドルはついぞ、口に出来もせずに。
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運命の分かれ道
リドルの組み分けになります。
感想、評価、ありがとうございます。
感想、いただけると嬉しいです。
「なあ、本当にここにホグワーツへの道があるの?」
「そうだよー。」
リドルはそれに本当かよと、少しだけ上にある姉貴分の顔を見た。彼女は変わることなくにこにこと笑うだけだった。
それにリドルは目の前の光景をうろんな瞳で見つめた。
人々の行き交う、キングス・クロス駅。リドルは大荷物を抱えてルツと手をつないでいた。
「駅から行くのは知ってたけど、こんなマグルの往来する場所なの?」
「森を隠すなら、森の中。秘密を隠すなら、人の中が一番だよ。」
くすりとルツは笑った。
リドルはむすりとした顔をした。彼は今、たくさんの荷物でいっぱいになったトランクを一つ抱えていた。
なんでもルツの父が使っていたらしい、見た目に反してたくさんの荷物の入るそれ。
すでに書き込みのされた教科書に、入学前に幾度か着た制服、そうして、滅多に手放すことはなかった魔法の杖。
人前では出さないようにということで渋々トランクにしまい込んでいる。
そんなリドルに微笑み、彼女はその手を引いた。
「こっちだよ。」
人混みの中、ルツが歩いて行く。その後を、リドルはついていった。
そうして、たどり着いたのはプラットホームにあるレンガで出来た柱だった。リドルはそれになんだこれはと首を傾げた。ルツを見ると、彼女は楽しそうに微笑んだ。
そうして、勢いよくその場で柱に向けて飛んだ。ぶつかると思った。
そのまま、ぶつかって尻餅でもつくと思った。
「る!」
ひしゃげた声をリドルは出した。けれど、予想に反してルツはそのまま柱の中に吸い込まれていった。
「え?」
リドルは固まってその場でキョロキョロと辺りを見回した。どう見てもルツはその場にいない。
(ど、こに、きえた?)
リドルは慌ててトランクを抱え込んで途方に暮れた。冷静に考えればおそらく、その柱が学校行きの列車への出入り口なのだろう。
けれど、一人でその場に飛び込むのは少々戸惑いがあった。
入る上で何か特別な作法がいるのか、呪文は、体勢は、条件はあるのか?
「・・・リドルか?」
リドルが柱の前で途方に暮れていると、後ろから聞き覚えのある声がした。それに振り向いた、その先。
そこには一人、少年が立っていた。
灰色の髪に、黒の瞳。実直そうな印象を受ける顔立ち。
「・・・・・アラスター・ムーディ。」
リドルにとって忌々しいルツの同級生だった。
「どうしたんだ、お前。こんなところで一人なんて。」
「・・・僕だって今年で入学なんだけど?」
リドルはそう言うと、ムーディーはああ知っていると微笑んだ。リドルは、その反応を意外に思った。最後にあった時の印象からして、お世辞にも自分に対してそんな態度を見せるなんて思っていなかった。
が、再会したムーディーは肩の荷が下りたかのように朗らかに微笑んでいた。
そのあり方がやたらと不気味でたまらない。
「そうだったな。そういえば、ルツのやつはどうしたんだ?」
「ここ。」
指さした先の柱にムーディーはああと頷いた。
「・・・・リドル、いいか。ここは隠されてるが魔法使いの駅に繋がっている。呪文も、なにもいらない。思いっきり突っ込めばいいんだ。怖いなら目をつぶっていいぞ。」
それに対してリドルは胡散臭いものを見るような目をした。
ムーディーはあーと苦笑して、リドルに視線を向けた。
「なら、一緒に行くか?」
「なんでさ。」
「信用できないならそれが一番いいだろう。ほら、来い。」
ムーディーは持っていたトランクを抱えて、リドルに反対の手を差し出した。促すように差し出された手にリドルは迷うように視線を迷わせた。
が、それをまたずムーディーは、森の生活で鍛えられたとはいえ自分よりも幾分か小柄なリドルの体を抱え込むように引き寄せた。
リドルは今までにない扱いに固まった。ムーディーはその隙にリドルを引きずって柱へと飛び込んだ。
リドルは思わず目をつぶるが、体に衝撃は訪れない。そうして、くんと鼻を突く焦げ臭いそれ。
眼を思わず開ければ、そこには白い煙を吐き出す蒸気機関車、色とりどりのローブを纏った人々、そうして穏やかに微笑んでリドルを出迎えたルツの姿だった。
「ルツ!」
リドルはほっとしてルツの元に駆け寄った。彼女は穏やかに微笑んでトランクを置き、リドルを出迎えた。
腰に抱きつくように飛び込んできたリドルの背中に手を回した。
「ほら、あったでしょう?」
暢気に微笑む彼女はリドルからすれば非常に腹立たしいものだった。
「だからって置いてくなよ!」
「それは、ごめんね?でも、すごいでしょう。魔法の駅に続いている入り口。」
弾んだ声を出すルツに少し呆れながらリドルはため息を吐いた。ルツはようやくリドルを連れてこれたことが嬉しいらしく微笑んでいた。そうして、リドルの後を追ってきたムーディーに死線を向けた。
「やあ、ムーディー。リドルに付き添ってくれたの?」
「ルツ、お前、リドルを放っておいてどうするんだ。一人であの入り口を通るのは大変だろうに。」
「うーん、リドルならきっと大丈夫だと思ったんだけど。でも、確かにどうすればいいのかわからなかったね。ごめんよ。」
「いいよ、でも、二度とこんなことするなよ。」
「わかったよ。」
リドルはそれにルツを睨んだが、彼女は変わることなく微笑んだままだった。
「空いてるコンパートメントがあってよかったね。」
「ああ、早めについたおかげだな。」
リドルは荷物を備え付けの棚に置くムーディーとルツを眺めながら順番を待っていた。自分の荷物も押し上げようと考えていたが、そうはいっても背が足りないことはリドルもわかった。
ルツにでも頼もうかと考えていると、おもむろにムーディーがリドルのトランクを手に取った。
「お、おい!」
「届かないだろう。」
「あ、そうだね。リドルは少し高いかな。」
三人はそのままイスに座った。ルツの隣にリドルが、その向かいにムーディーが座っていた。
ルツとムーディーは学校での宿題や、今年度の勉強部分について話をしていた。リドルはひとまず会話に加わることなく、ルツにくっついてじっとムーディーを見ていた。
(おかしい。)
リドルは自分がお世辞にもムーディーから好かれているとは思っていなかった。初対面の折に、脅すように睨んでやったことを覚えている。
けれど、今回、何故かムーディーはやたらと友好的な態度を取ってきている。
何故かわからない。リドルはムーディーにとってそれほど有効な価値を示した覚えはないのだ。
リドルはルツの腰に抱きつくようにじっとムーディーを眺めた。
その時だ、コンパートメントのドアが叩かれる。三人はそのまま扉の方に視線に向けた。そこには、オーガスタ・ロングボトムと、見たことのある黒い髪。
「久しぶりね、三人とも。私と、この子もいいかしら?」
そう言ってオーガスタが部屋に招き入れた少女にリドルは顔を歪めた。
「マクゴガナル・・・・」
それに少女も顔を歪めた。
「リドル・・・・・」
オーガスタとムーディーは二人の間に起こった不穏な空気に驚いた顔をした。
リドルとマクゴナガルはばちばちと火花が散りそうなほどのにらみ合いを始めた。オーガスタとマクゴナガルはムーディーの隣に座った。
「久しぶりだな、マクゴガナル。」
「あなたこそ、久しぶり。」
「ふん、久しぶりすぎて顔なんて忘れそうだったよ。地味な顔をしてるしね。」
「へえ、私もあなたみたいなひねくれ者、覚えていようか迷ってたの。ルツさんとは、手紙のやりとりをしててそんなことは無かったけれど。」
「ふうん?僕はルツと毎日あって、魔法について教わってたよ。薬学だとか、薬草学だとかね?」
ばちばちと嫌みの押収のようなものを始めた二人に、オーガスタが向かいのルツに話しかけた。
(ねえ、どうしたの、これ。)
(うーん、リドルの学校のものを買いに行ったときに。仲良くなった、はずだったんだけど。)
(ルツの評価はあてにならんぞ。)
ムーディーの言葉にオーガスタはそれもそうかと頷いた。元より、ルツは色々と評価の上で雑なのだ。
「そう言えば、オーガスタとミネルバはどこで会ったの?」
「ああ、廊下でね。空いてる場所がないって悩んでて。私はあなたたちがどこかにいると当たりはつけてたから、そのまま連れてきたの。」
「ああ、それでか。」
「やあ、ミネルバ。手紙以来だね。」
「あ、ルツさん!はい、お久しぶりです。手紙では色々とありがとうございました。」
「ううん、ミネルバは頭が良いから、私も手紙を書くのは楽しかったよ。」
「はい、おかげでより、教科書の内容もわかりやすくなって。」
変わることなくのんびりとしたルツにミネルバはにこにこと笑った。元より、弟しかいない環境でルツのようなおっとりとした姉のような立場の彼女は非常に好ましかった。
事実、ルツと交わした手紙は楽しかった。
マクゴナガルが学校に行くことで魔法族のことが表沙汰になったことはよかったが、そうはいっても知識を蓄えられるのは教書と、そうして母が隠し持っていた数冊の本だけだ。
ルツとの手紙は新鮮なことばかりが知れた。
(この人以外に関しては。)
マクゴナガルはそう思って向かいで自分をにらみ付けてくるリドルに視線を向けた。ルツの手紙には少しであっても毎回のように目の前の存在が話題に上った。
話を聞く限り、ひどく優秀なのはそうだろう。
けれど、それとそれは別だ。
踏み込んでくるような嫌みな口調だとか、自分たちの会話に入ってくるところだとか、非常にマクゴナガルとしては面白くない。
「へえ、教科書、もう読んだの?」
「はい、面白かったです。」
「すごいな。大抵の奴は、文字の羅列は嫌がるんだが。」
マクゴナガルはそれにてれてれと頬を染めた。元より、母が魔法使いといってもマグルの世界で暮らすことを是としていたため、あまり魔法に触れては来なかった。
魔法界は。差別的な一面があるように思っていたが思う以上に友好的でほっとしていた。そこに呆れたような声でリドルは噛みついた。
「ふん、教科書を全部読んだくらいなにさ。そんなの当たり前だろ。」
それに対してルツではなく、ムーディーがたしなめるように言った。
「そうだとしても、勉学に対する姿勢は褒められるべきだろう。」
それに対してリドルはまた、驚いた顔をした。目の前のそれが自分にそんなことを言うなんて考えてもいなかったのだ。
「お前だってそう言われて、いい気分にはならないだろう?」
リドルはそれに対して不愉快そうな顔をしたがさすがに言い過ぎたと理解したのか、悪かったよと返事をした。
オーガスタは唐突にリドルをたしなめ始めたムーディーに不審な目を向けた。
「あんた、どうしたの?」
「まあ、どうかと思うことは言ったといた方がいいだろう。」
オーガスタはそれに意外そうな目をしたが、さほど気にはならなかった。なんとなく、ムーディーはリドルが逃げてそうな印象であったが、そうはいっても元より人がいい。
オーガスタは特別、その喧嘩を不快には感じなかった。
弟妹のいる彼女は、リドルのそれが焼き餅であることを理解していた。幼いその駄々について今のところ怒ろうとは思わなかった。
「そういえば、二人はどこの寮に入りたい?」
オーガスタはともかくと話題を変えることにした。それは新入生にとって何よりも食いつくものだろう。
それにリドルとマクゴナガルはぱっと顔を上げた。そうして、マクゴナガルはどこかうきうきとした顔をする。
「えっと、あまりどこというのは考えてなくて。でも、母さんはグリフィンドールだったから。」
「あら、なら私と同じ所に来るかもね。」
「そうだといいですね。」
「リドルはどこがいいんだ?」
ムーディーがそう言った。その時、ムーディーやオーガスタ、そうしてマクゴナガルはそれぞれで彼の行きたがる、または行くであろうと寮を予想した。
レイブンクローか、それともスリザリン。
なんとなくであるが、彼はそれに対して何よりも適性があるだろうと考えた。ルツによって事前情報があるのなら、彼はなんとなくレイブンクローにでも入りたがるのではないかと考えた。
リドルはムーディーの言葉に簡単に答えた。
「ハッフルパフ。」
それに三人は目を丸くした。
ハッフルパフ?
いや、聞き間違いか?聞き間違えるほど発音が似ていることなど無い。ならば、聞き間違いなどではない。
(無理だろう。)
それは三人が同時に思ったことだった。リドルという少年の、性質、能力、もろもろと考えてもハッフルパフに入れる要素などはない。
「リドルはハッフルパフに入りたいのかい?」
「そうだよ。」
リドルはふんとすました顔でルツに言葉に頷いた。ルツは特別驚いた顔もせずに、ゆるゆると目を細めてそれに頷いた。
「寮で勉強のカリキュラムに違いは無いんだろ?」
「うん、そうだね。まあ、後々の伝手だとか、寮の空気とかはあるけれど。」
「それなら、別にどこでもいいだろう。なら、ハッフルパフに入ってお前の世話をしないと。いつまでも他人に迷惑かけてられないだろう。」
「そっか、リドルに心配かけてしまってるね。ごめんよ。」
なんともほのぼの、というのだろうか。そんな会話を前にムーディーたちはいいのだろうかと顔を見合わせた。
万が一にも、リドルがハッフルパフに入れることはないと思ったのだ。
けれど、ルツはそれにそうかあと微笑んだ。そうして、リドルの頭をそっと撫でた。
「リドル、君がそこに行きたいというなら、私はどこにでも行けばいいと思うよ。でも、これだけは忘れないでね。君が、どの寮に入ろうと、私はそれを誇りに思うよ。」
「ねえ、そんなすねた顔しないでよ。こっちまで鬱々しくなるじゃない。」
「うるさいな。放っておいてくれないか?」
リドルは鬱々とした気持ちでボートに乗っていた。学校まではルツと共に入れると思っていたが、予想に反して一年生だけは湖を小舟に乗って学校に向かっていた。
オッグという森番に連れられて、リドルはまるで夜空が溶け込んだかのような湖を眺めた。
大イカに挨拶をしておいで。
リドルはルツに言われるままに小舟に乗り込んだ。そうして、同じ船に乗ったマクゴナガルはそんなリドルの態度を呆れたように眺めた。
姉が恋しくてすねるその少年は、自分の知る性悪さとは無縁のように見える。
その時、マクゴナガルは勢いよくリドルの背を叩いた。
「リドル、ねえ!」
ボートの縁で湖を眺めていたリドルはそれに顔を上げた。そうして、リドルは、眼を大きく見開いた。
美しいものを、リドルは見た。
闇夜に浮かんだ、壮大な、そうして美しい牙城。
ざわざわと、なんの声かわからない、けれど、何かが自分に語りかけてくる。
おかえりと、そう、言っている気がした。
リドルはそれに魅入られたように見つめた。
ルツが言っていた、遠い昔、彼女の先祖が先を託す子どもたちのために作った学び舎。
誰かと共に生きていくためにある場所。古きを知り、新しきを見つける場所。
ホグワーツ魔法魔術学校。
リドルは、ただ、理解する。自分は、ここに帰ってきたのだと言うことを。
小舟を下りた先で、現れたのはサンタクロースのような老人だった。リドルは己が苦手とする存在に眉をしかめた。
「おお、ようこそ。一年生諸君。ここからは儂が引率を引き受ける。遅れぬようにしっかりついてきなさい」
現れた、アルバス・ダンブルドアは少年のほうをちらりと見て、そうしてパチンとウインクをして見せた。リドルはそれにふいっと視線をそらした。
リドルは荘厳な城の階段を上がり、じっとその扉を見つめていた。
不安そうに教科書の内容を呟いているマクゴナガルのことなど無視していた。寮の選定内容については知っている。
が、それをわざわざ他人に教えてやるような親切心など持っていなかった。
それよりも、リドルにとっては気にするべきことがある。
ダンブルドアに連れられた、先。
四つの寮の先輩たちも、輝くような銀食器も、盛られたごちそうも、宙に浮かんだ蝋燭。全てが思考の範囲になかった。
リドルはじっと、教師たちが待つ長机の前に連れてこられた。
教員用のテーブルは数段高い場所に座していたが、その前には一つの椅子と、そうして古ぼけたとんがり帽子があった。
それにリドルは眼を輝かせた。それは、リドルがずっと待っていたものだった。
帽子の皺が集まって、ついには顔のようなものになる。人面のような模様を持った帽子は、高らかに歌い始めた
やあやあ、来る子どもたち!
そんな眼をしないでおくれ!私は薄汚い帽子に見えたとしても、何の役にも立たないように見えたとしても。私は誰より賢い帽子!
あなたの行くべき場所を示す帽子!
遠い昔、偉大なる魔法使いたちが、私に知恵を授けたのです!
勇敢なるあなた!誰よりも勇ましく、戦うことの出来るあなたはグリフィンドールに行くといい!
賢いあなた!誰よりも賢しく、知ることを愛するあなたはレイブンクローに行くといい!
公正なるあなた!誰よりも誠実であることを是とするあなたはハッフルパフに行くといい!
狡猾なるあなた!誰よりも願いに忠実なあなたはスリザリンに行くといい!
さあさ、被ってごらんよ、この私!あなたがあるべきその場所に!あなたが行くべきその場所に!どうぞ、私が導こう!
帽子が歌いおわると、大広間は拍手の音で満たされる。
広間中の全員から喝采を浴びた帽子は、礼儀正しくお辞儀をして応えた。それにリドルは本当に帽子に意思があるように感じられた。
拍手が鳴り終わると、ABCの順に生徒たちが呼ばれていく。
そうして、等々、リドルの番がやってきた。
どくどくと、心臓が鼓動する。少しずつ、リドルは階段を上った。
生徒たちは、リドルの容姿に目を見開いた。
リドルは、ひどく美しい少年だった。
まるで、絵画の中から現れたかのような美しい見目。けれど、その体は非常にたくましい。
森の中での生活はリドルの体を十分に成長させていた。
まるで若い獣のようにしなやかな体に、少年の危うい空気と、美しい顔立ちはそのアンバランスさに生徒たちは魅入られたように見つめた。が、リドルにとってはそんなことに興味は無かった。
とんと、イスに座る。そうして、とんがり帽子がかぶせられた瞬間。
ハッフルパフ!!
頭の中で盛大に叫んだ。
組み分け帽子は基本的に被った瞬間に答えを出すことが多いらしい。リドル自身、聞く限りどの寮かと言われるとスリザリンかレイブンクローであると考えられた。
ただ、リドルの願いはただ一つ。
ハッフルパフに入ること。
組み分け帽子は本人の意思を尊重してくれる。それを聞いていたリドルは、それにかけることにしたのだ。
組み分け帽子は困惑していた。
何と言っても、今までハッフルパフを自ら望んでいたものなどそうそういなかった。
何よりも、組み分け帽子は帽子を被ってすぐに彼が、誰であるかを理解した。彼の中にある、創始者たちの意思が、少年が正当なるその血を継いでいることを理解させた。
そのため、組み分け帽子はかぶせられたその瞬間、スリザリンと叫ぼうと思ったのだ。
が、間髪入れずに響いた少年の意思に固まってしまった。
(あー、その、ハッフルパフに入りたいのかい?)
(そうだよ!ハッフルパフは誰でも受け入れるんだろう?なら、希望してる僕だって入って良いはずだ!)
そんなへりくつな。
帽子は頭なんてどこかわからないけれど、頭を抱えたくなった。
そんな少年の意思なんて無視してしまえばいいけれど、確かに少年はほかの寮に入るための資質がある。ならば、できるだけ当人の意思は尊重する。それが、組み分け帽子としてのあり方だ。
(その、君はスリザリン、それか、レイブンクローに入る資質がある。どちらかだ。)
それにリドルの眉間に皺が寄る。よりにも余ってスリザリンだなんて。
もちろん、自分にそういった資質があるのは認めるところだ。けれど、スリザリンにだけはリドルは絶対に入りたくなかった。
スリザリンは四つの寮の中でも孤立しているそうだ。血という、生まれた頃から決められたそれを是とする寮は最初から選ばれる者が決まっている。
ルツはそんなことは気にしないだろう。けれど、周りは違う。
学校内でも劣等生が多いと思われているハッフルパフとなれ合っているとわかれば五月蠅いものが出てくるだろう。
リドルはそれを黙らせる自信はあったが、いちいちそれを気にしなくてはいけないような生活はごめんだ。
(ハッフルパフ!絶対に、ハッフルパフ!)
帽子はそれに困惑した。だって、この少年は、彼の人の血統なのだ。グリン以来の、創始者たちの末の子。
だというのに、この子には素質があるのに拒否するなんて。
無理矢理にでも、レイブンクローにでも入れてしまおうか。
そう考えたときだ。
(おい!絶対にハッフルパフに入れるんだ!)
(それはできんと・・・)
(入れるんだ!)
何という確固たるべき意思だろうか。普段ならば、さっさとスリザリンと叫んでしまうだろう。けれど、その、はっきりとした始祖の末の少年の言葉は帽子にかけられた魔法に影響を及ぼした。
それはバグだ。組み込まれた帽子に起こった、確かな齟齬。
(き、君はスリザリンに入れば必ずといっていいほど偉大になれる。どうだ、それは魅力的だろう?)
その言葉にリドルの中の野心が少しだけ振えた。
偉大になれる。己の名をとどろかせる。それは確かに魅力的なものだった。一瞬だけそれに悩んだが、その時、ハッフルパフの席に視線が向かった。
そこで見つけたのだ。
にこやかに談笑する、ルツとムーディーの姿を。
それにリドルの眉間の皺が深くなる。
(あいつ!!)
それにリドルの中で入学するときに決めていたことが蘇った。
ホグワーツでは、基本的に同じ寮で動くことが基本になる。
もしも、寮が違えば少ない休み時間ぐらいを共有するしかない。長い学校、唯一の夏休みはそれこそ短い。
同じ学校であっても、ルツと共に入れる時間は微かなものだ。その間に、ムーディーはルツと一緒にいるのだ。
ただでさえ、学年も違うというのに。同じ年格好の二人は、なんというか、一緒にいるのが普通に見える。彼らは自分の知らないところで交友を深めるのだろう。
リドルの中で、嫉妬心がめらめらとこみ上げる。
(ハッフルパフ!)
一瞬、言いくるめられると思った帽子にリドルは叫んだ。
(し、しかしなあ。)
(絶対にハッフルパフだ!)
(無理だ、レイブンクローで・・・)
(ハッフルパフ!絶対にだ、このポンコツ帽子!!)
(無茶を言わんでくれ!)
拒絶の意味を込めた帽子のそれに、堪忍袋の緒が切れたリドルは、小さくはあっても言葉を吐いた。
パーセルタングである彼の言葉、蛇の言葉で帽子に命令した。
「僕をハッフルパフに入れろ!」
シューシューという息を吐くようなそれを、生徒や教師は苛立ちのため息であると気にもとめなかった。
けれど、ダンブルドアだけは、それが彼の言った蛇語であると理解した。
組み分け帽子は困り果て、混乱した。
それは彼の中の、一人の創始者の証のような言語での命令。
魔法使いにとって、言葉とは魔法そのものだ、力を振るうための鍵だ。その言葉に、組み分け帽子の中に構築されたシステムにバグが起こった。
スリザリンはダメだという、レイブンクローさえも拒絶した。ハッフルパフに入る気質をあまりにも彼は持っていなかった。
本来ならば、妥協してさっさとレイブンクローに入れてしまうだろう。
けれど、組み分け帽子はバグっていた。
スリザリンも、レイブンクローも、組み分け帽子の選択肢は潰された。けれど、ハッフルパフだけはあり得ない。
が、ノイズの走ったシステムに一つの妥協案が示された。
確かに、彼はその寮にはふさわしくないかもしれない。けれど、皮肉なことに、本来の彼ならば持っていなかったものがリドルにはあった。
グリンという庇護者のための名誉を重んじ、そうして、彼を愛した少女への一心の執着と言える愛と、幼い献身があった。
少女のためにならば、己を奮い立たせる勇気があった。
その微かな素質に、ノイズの走ったシステムは、答えを導き出した。
「グ、グリフィンドール!!」
その言葉に生徒たちは歓声を上げた。その、美しい少年が己の寮に加わるのだとグリフィンドール生は眼を輝かせた。
ダンブルドアだけは珍しく、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。そうして、リドルは絶望しきった顔をして、茫然とそれを聞いていた。
そうして、彼の姉貴分は、これ以上無いほどに嬉しげに目一杯の拍手をした。
何よりも苦労したのは、組み分け帽子の歌詞。
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