ジオン独立戦争 グリフォン小隊 虹のキセキ (Rosso)
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蒼の衝動

 

 

 絶え間無く続いていた振動が不意に途切れ、自分の機体が母艦から切り離された事をニコ・クロフトは知った。

 姿勢制御用のサブスラスターを吹かしてムサイ級ヒュンメルから更に距離を取ると、火器管制システムの再度チェックを行う。小隊の合流地点に向かってバーニアに点火すると、メインカメラが攻撃対象を捉えた。漆黒の闇に浮かぶ銀のシリンダー、羽化を控えた昆虫のように三枚の翅を拡げ、太陽の光を反射して光り輝いている。

 

 宇宙コロニー《 アイランドイフィッシュ》サイド2ハッテに建設された首都バンチでもあり、それは遂に独立戦争に踏み切ったジオン公国軍の初戦の攻撃目標の一つでもある。

 

 ノーマルスーツの中で心臓の鼓動が高鳴っている。機体に接続されているセンサーがその身体的な変化を記録している筈だ。生体モニターは案外と厄介なものだな、とニコは思った。後で笑い話のネタにでもなればいいが、それはこの実戦を無事に生き延びて帰還出来ればの話だ。

 自機と併走する僚機のソフィア・カミンスカヤ少尉のMS06CザクⅡが、コロニー周辺に展開するジオンの艦隊を指差している。

「ねえニコあれ見てよ。もう海兵隊が制圧したみたいよ、私達の出番なんてないんじゃないの?」

 本来ならばそれはニコ達グリフォン小隊が属するランバ・ラル中佐率いるMS大隊が先鞭をつける筈だった。ところが開戦の一週間前に突然指揮官の配置替えがあり、ラル中佐は降格の上に予備役として後方の教導大隊に異動、更迭されたのでは?との噂が流れていた。

 開戦直前のデギン公王を招いた御前会議に於いて、何か一悶着あったらしい。しかし関係者には厳重な箝口令が敷かれており、一介のパイロットに過ぎないニコ達にまではその情報は伝わってはいない。

 

「ソーニャ、あらかた戦闘は終わったようだが油断するな。戦闘コード37が発令されている、周囲の警戒を怠るなよ」

 軽口を叩くソーニャを戒めるように小隊長のルドルフ・イェーガー大尉が釘を刺した。

 コード37、戦闘区域に於ける敵性の艦艇や機体は、軍・民間を問わず全て撃滅せよとの命令だ。

 その必要があるのだろうか、とニコは訝った。そもそも《 アイランドイフィッシュ》は人類が宇宙に進出した初期に建造された、第一世代に当たるコロニーの中でも最大の規模を誇る。近年に建造されたものよりかなり大きく、その収容人口は二千万人に近い。それだけの居住者を避難させるだけでも相当な時間が掛かる筈だが、海兵隊は既にコロニーを制圧し手中に収めていると言う。

 開戦直前のラル中佐の更迭といい、何か釈然としない事案が続いているような気がする。いや気の所為だろう、とニコは頭を振った。

 初の実戦で緊張か高揚しているだけだ。生体モニターには表示されない精神の昂り、それはそうだろう、なにしろこれは紛れもない本当の『戦争』なのだから。

 

 小隊長のイェーガーの指示を受けて自動操縦を解除するとニコは操縦桿を振って機体をロールさせた。青いロービジ塗装を施されたMS06Cで編成された小隊の中で、自機の斜め後方に一機のMS05ザクスナイパーが見える。その機体と同じく旧型だが一撃で巡洋艦クラスを撃沈する事も可能なMN-76対艦ライフルを携え、今は自分と同じように火器管制のチェックをしているのだろう。

 

 オリガ・エレノワ。半年前にグリフォン小隊に転属になり、初めてその姿を見た時の事を鮮明に憶えている。肩まで伸ばした美しい黒髪が、艦内の気圧調整の風に吹かれて柔らかく揺れていた。自己紹介をした後、ちらりと一瞥をくれただけで目線を合わせる事もなく「よろしく」と短く応えたのが強く印象に残っている。それはソーニャが酒飲みで常に騒がしい為に、余計にそう思うのかも知れない。

 

「火器管制オールグリーン。オリガ・エレノワ、予定通りクェジェリン暗礁宙域外縁にて哨戒・索敵に入ります」

「了解。オリガ、ラファールを連れて行け。連邦のMSを目撃したとの情報もある、接敵した場合はすぐに増援を呼べ」

「ダー」

 慣性で飛行する編隊からオリガのザクスナイパーが加速しながら離れて行く。バーニアから眩い光を発しながら美しい弧を描き、やがて二機のザクは暗礁宙域の中へ消えて行った。

「オリガめ、作戦行動中はジオン公用語を使えと言うのに」

「小隊長、それにしても妙ですね、ちょっと静か過ぎます」

 誰もが感じていた違和感をヤンネ・ラトバラがぼそりと呟いた。先程まで大規模な戦闘があったにも関わらず、海兵隊の無線が殆ど入って来ない。チャンネルを変えているのかも知れないが、同じ戦闘区域で作戦行動を共にする以上、友軍がそれぞれの通信チャンネルを変えて連携する事は不都合が多い。それとも海兵隊は我々攻撃軍には聞かれたくない行動に従事しているのか?と勘ぐりたくもなる。

「ラトバラ、海兵隊からの応答はないのか?」

「はい、何度も呼び掛けていますが反応ありません」

「クロフト、コロニー外壁に展開している海兵隊のMSが見えるな?」

「はい、何か作業をしているようですが」

「このような状況では仕方あるまい。接触して通信チャンネルを合わせるように伝えろ。ソーニャを連れて行け、ラトバラは通信を続けろ」

「ヤー、コマンダー」

 

 バーニアを吹かしてコロニーの後方から接近すると、後方ドック周辺で作業している工兵部隊を視界の隅に捉えた。一基の大きさが巡洋艦程もある核パルスエンジンを何基も取り付けようとしているようだ。

 核パルスエンジン?コロニーをこの宙域から移動でもさせるつもりなのか?ニコがそう考えていると、同じように不穏な空気を感じたのかソーニャが呟いた。

「ねえ、やっぱりおかしい。このコロニー自転していない、と言うかもう止まりそうじゃない?」

 宇宙コロニーは遠心力を使った擬似重力を得る為に、かなりの高速で常に回転している。海に浮かぶタンカーがエンジンを停止しても、タンカーはその質量と慣性によって数キロは進み続ける。それと同じ理由で例え自転機構に不具合があっても数日は回転し続ける筈だ。ソーニャが言うように、グリフォン小隊の誰もが感じているように何かがおかしい。一体海兵隊は何をしているのか。

 

 ニコは逆噴射して減速し、コロニー外壁の継ぎ目がはっきりと視認出来る程の低空飛行に入った。眠気を誘うように整然と並ぶ外壁パネルを眺めながら、不意に父親とモビルポッドに乗って行った修繕作業を思い出していた。

 ムンゾコロニー公社の技師だった父親の仕事場に、長期休暇の度にニコは入り浸っていた。そのお陰でハイスクール最終学年の半ばにはコロニー公社から内定を貰ってもいた。コロニー外壁の設置やメンテナンス、マニピュレータの細かい操作などはその時に覚えたようなものだ。

 あの時あんな事がなければな、軍に入る事もMSを操縦する事もなかったのに、とニコがぼんやりと考えていると突然耳元で誰かの声が弾けた。

「ニコ、避けて!避けなさい!」

 反射的に機体をロールさせると巨大な構造物が眼前のぎりぎりを掠めて行く。すぐに上昇して機体を立て直して振り返ると、そこにある筈のないガスタンクのようなものが設置されていた。何故ならコロニー外壁はデブリの衝突に備えて、極力突起部位を排除された連続した平面で構成されているのが常だからだ。

 核パルスエンジンの設置などで気を削がれていたとは言え、誰かの声がなければ間違いなく激突していた。一体誰だろう、あの声はオリガかも知れない。しかし暗礁宙域で待機しているオリガからこの場所まで見える筈がない。望遠の倍率を上げてでもしない限りは。

 

 様々な憶測が脳内を駆け巡って行く中、ふと足元を見ると通称「川」と呼ばれる巨大な窓の上空にいる事にニコは気付いた。太陽光を取り込む為に何層にも耐宇宙線コーティングを施された超強化ガラスのむこうに、ほぼ無重力状態のコロニー内部がうっすらと見えた。

 擬似重力を失ったコロニー内部では、エレカや様々なものが宙を舞っている。ノーマルスーツのヘルメットには瞳孔センサーが組み込まれており、瞳孔の大きさにより自動で対象を拡大する機能が付いている。

「ソーニャ!クロフト!今すぐ戻れ、戻るんだ!」

 異変を察知したイェーガーの叫びはほんの二秒ばかり遅かった。何故ならその時にはニコとソーニャのモニターには、最大限に拡大された恐るべき真実が映り込んでしまっていた。

 

 擬似重力を失ったコロニーの中で無数の塵のように浮遊していたのは、夥しい数の事切れたコロニーの住人達だった。その多くが苦悶の表情のまま微動だにしない。中には幼い我が子を抱えた母親の姿もあった。関節と言う関節が全て深く折れ曲がっている。それは神経に作用するガス中毒の症状を明らかに呈していた。

 ガスを、毒ガスを使ったのか?手っ取り早くコロニーを制圧する為だけに?

 アドレナリンが全身を駆け巡り、早鐘のように心臓が脈打っている。

 自軍の海兵隊が取った戦術、行為が信じられない。人は目的の為にここまで人に対して残虐になれるのか。茫然と立ち尽くすニコの目の前をソーニャのザクが駆け抜けて行く。

「うわああああああああぁぁぁー!」

 凄まじいまでの感情を爆発させたソーニャのザクⅡが、手にしたマシンガンをフルオートでガスタンクを破壊しながら海兵隊に向かって突進して行く。

「これが無抵抗の民間人にする事か!外道がぁ!」

「ソーニャ止めろ!もう手遅れだ、そんな事をしても住民達はもう───」

「うるさいうるさいうるさい!幾ら友軍と言えこんな事が許せるか!」

 

 ソーニャは全弾を撃ち尽くしたマシンガンを躊躇いなく捨てると、腰からヒートホークを引き抜き海兵隊のザクにすれ違い様に斬り掛かった。斬りつけられた海兵隊員は噴射器を盾にソーニャの斬撃を躱すと、爆砕ボルトに点火して背中のボンベを切り離した。そして剪断された噴射器をヒートホークに持ち替えると、その刃先に熱を入れた。

「何だ貴様!宇宙攻撃軍が何故ここにいる?我々の作業を邪魔だてすると為にならんぞ!」

 ヒートホークを互いに構えながら相対する二機のザクの間にニコは割って入ると、ソーニャの前に手を翳して後退を促す。

「頭を冷やせソーニャ・カミンスカヤ!こいつらが武装していたら今頃蜂の巣だぞ!」

「退けニコラス、格闘戦ならこんな雑魚ども私の敵ではない!」

 ナニ、俺達が雑魚だと?様子を見ていた他の海兵隊機が色めき立った。非常にマズい状況だ、確かに一対一の格闘戦ならソーニャはいい勝負をするだろうが、何しろ相手の数が多過ぎる。イェーガー大尉とラトバラがこちらに向かっている筈だが、まだその姿は見えない距離にいる。

「その肩の部隊章、ランバ・ラル大隊のグリフォン小隊だな?噂のエリート部隊って奴か、気にいらんな」

 噂のエリート部隊?海兵隊員の物言いは気になるが、今はそんな事に構っている場合ではない。

「いいだろう、我が海兵隊の御旗の元、ティエリ・グロムルの名に於いて勝負してやろう。その思い上がったプライドを叩き潰してやるぞ小娘!」

「ソーニャ挑発に乗るな、相手の思う壷だぞ!」

 接近するイェーガー大尉のザクが視界に入った。あと数秒だけ持ち堪えればいい、ニコがそう祈るように考えていると、ソーニャのザクのモノアイがちらりと動いた。その瞬間ニコは、物言わぬソーニャのザクがにやりと笑ったような気がした。

 

 激しい衝撃と共にソーニャのザクが遠ざかって行く。いや違う、ソーニャのザクに体当たりされ、弾き飛ばされたのだ。

 ニコはメインバーニアを吹かして機体を安定させるが、その間隙を縫ってソーニャは海兵隊機に向かって突進して行く。駄目だ、間に合わない───二体のザクが振り上げたヒートホークを互いに振り下ろそうとした瞬間、ニコの真横を火花と共に何かが駆け抜けて行った。

 息を呑む刹那の後、切断されたザクの腕が宙を舞う。

「あぁ、ヤンネ───何て事を」

「ラトバラ無事か?応答しろ、ラトバラ!」

 ニコの側方から最大出力で駆けつけたヤンネ・ラトバラは、減速が間に合わないと見るや、コロニー外壁にザクの足元を叩きつけるようにめり込ませた。そしてその摩擦と逆噴射によって急激に減速しながらソーニャと海兵隊機の間に割り込んだのだ。それと同時に左腕で海兵隊機の、右腕でソーニャのヒートホークを受け止めると言う神業をやってのけていた。しかし正確に相手のコクピットに狙いをつけたソーニャのヒートホークは、ラトバラ機の右腕を切断した上に胸部の装甲に深く食い込んでいる。

 

 茫然と立ち尽くすソーニャのザクを遅れて来たイェーガーが引き剥がした。依然としてヤンネの応答はない。胸部装甲にめり込んだヒートホークを恐る恐る引き抜くと、その割れ目から完全に硬直したヤンネ・ラトバラの姿が覗いていた。

「おい、ラトバラ無事なのか?無事なら応答しろ」

「───すみませんイェーガー大尉、連邦とやる前に機体壊しちまいました───」

「無事なのだな、何故直ぐに応答しない?」

「手の届くところにヒートホークの刃先があるんですよ?そりゃあね、言葉も無くしますよ」

「まったく無茶な事を。自力で動けそうか?」

「ええ、正面のモニター類と足底部の偏向ノズルは駄目ですが、駆動系統は問題なさそうです。ただ───」

「何だ?」

「───『元帥』にまたどやされるな」

「整備長には私が話をつける、オリガ達と合流してバックアップに回れ。通信と索敵出来るだけでも十分だ、行け!」

「ヤー!」

 暗礁宙域に向かってゆっくりと上昇して行くラトバラ機を見送ると、別の海兵隊機が近付いて来た。イェーガー機と同じく、その機体の頭頂部には部隊長を示すブレードアンテナが付いている。部隊長は先程の海兵隊機と『お肌の触れ合い会話』で状況を確認しているようだ

 

「さて、ソフィア・カミンスカヤ少尉、自分が何をしでかしたのか判っているのだろうな?」

 ソーニャの返答はない。無理もない、感情の爆発に頼ったとは言え、同じ小隊のヤンネを危うく蒸発させてしまうところだったのだから。

「まあいい、話は後でも出来るからな。我々もオリガ達と合流して哨戒任務に戻るぞ」

「ちょっと待て、本来の任務に戻るのは構わないが、その女の身柄はこちらに引き渡して貰おう」

「貴様誰だ?」

「この海兵隊ケルベロス中隊を預かるミラン・シュタール大尉だ。我が隊のグロムル曹長が世話になったようだ。まさかこのままただで済むとは思っていないだろうな?」

 ケルベロス中隊。オルトロス中隊と双肩を成す、猛者揃いで知られるジオン海兵隊の中でも、更に精鋭を選りすぐった特務戦隊だ。今や海兵隊機は作業を完全に中断し、その手には噴射器ではなくそれぞれがライフルに持ち替えている。

「シュタール大尉とやら、こちらも一機のMSが損傷しているのだぞ。悪い事は言わん、それで手を引いておけ」

「手を引け、だと?我々に何ら瑕疵はないのだぞ!大人しくその女パイロットを引き渡せ」

「悪いがそれは断る。処罰はこちらで検討する、諦めろシュタール大尉」

「イェーガー、ならば力ずくででも連行するまでだぞ!」

「ほう面白い、それなら俺が相手をしてやろう」

 イェーガーは自らの言葉が嘘ではない事を示す為、持っていたASR-78対艦ライフルの遊底を引いて薬室に弾を装填して見せた。対艦ライフルは連射は効かないが、MSならば一撃でそして確実に破壊出来る。

「部下が部下ならその上官も上官と言う訳か。まあ開戦直前に更迭されたランバ・ラルの部下では致し方あるまいが」

「貴様、我が上官ランバ・ラル中佐を愚弄する気か?」

「国の存亡を賭けた戦いに於いて、ギレン・ザビ総統の立案した作戦に異議を唱えるなどとは正気とは思えん。連射の効かない対艦ライフルに弾を篭めたところで脅しにはならんぞイェーガー」

「部隊の長である貴様を潰せば後はカミンスカヤが言うように雑兵に過ぎん。どうしたシュタール、早く遊底を引いて見せろ」

 ニコはシュタールの歯軋りが聞こえて来るような気がした。イェーガーの気迫がシュタールを圧倒している。

「大尉、目標を捉えています。いつでもご命令を」

「オリガ・エレノワ少尉、ここは私が片をつける。いいか、まだ手を出すなよ」

「ダー、待機を続けます」

 オリガ・エレノワに狙われている事を知って、じりじりと間合いを詰めていた全ての海兵隊機の足がぴたりと止まった。グリフォン小隊の名をジオン軍内に知らしめているのはイェーガー大尉でもソーニャ・カミンスカヤでもなく、オリガ・エレノワに他ならない。

 

 開戦より半年程前、ジオン船籍の輸送艦ハイデルベルクが連邦軍の軽巡洋艦コンスタンティンの追跡を受け、ジオン宙域目前で停船させられる事案があった。

 厳しい経済制裁の最中に禁輸品目を積んだ輸送艦が拿捕され、ジオン公国軍司令部に衝撃が走った。何故ならアルカナ級輸送艦からムサイ級への改装は始まったばかりであり、連邦と正面切って事を構えるにはまだ準備が全く整ってはいない。

 ジオンの独立機運を武力侵攻によって押さえつけたい地球連邦と、早期開戦は避けたいジオンの命運がハイデルベルクの臨検の結果に掛かっていた。

 そしてその時、ハイデルベルクに一番近い場所で、偶然にもグリフォン小隊が訓練を行っていた。とは言っても使える武装はオリガの持つ旧型のMN-76対艦ライフルだけ、しかも近いとは言っても有効射程の三倍近い距離は離れている。

 しかしオリガ・エレノワはやってのけた。オリガの放った一撃がコンスタンティンを撃沈した瞬間、ジオン本国総司令部では地鳴りのような歓声が沸き上がったと言う。

 後にジオンは領宙侵犯に拠る違法な臨検であり、女性士官オリガ・エレノワによる正当な攻撃であると発表した。しかしその事実を信じられない連邦政府は、コンスタンティン遭難事故はデブリ衝突に拠るものとして処理し、武力侵攻は回避された。オリガは早期開戦の危機からジオンを救った英雄としてサイド3に帰還し、その名声は現在に至っている。

 

 その一撃必中のオリガ・エレノワに狙われているのだ、海兵隊に動揺が走るのも無理はない。

「部隊に狙撃手がいるからと言っていい気になるなよイェーガー。どうした、撃てるものなら撃ってみろ!」

 最早開き直りとも取れる挑発をするシュタールだが、シュタールもまた一部隊を率いる長である以上、部下の手前もう後戻りは出来ないのだろう。それまで押し黙っていたソーニャがすっと前に進み出た。熱を失っていたヒートホークの刃先は再び赤く輝き出している。

「ほう、本当にやるつもりかグリフォン小隊。我がジオン海兵隊に刃を向けた事を後悔させてやるぞ」

 一触即発、永遠にも似た数秒がゆっくりと過ぎて行く。誰かが不用意に動いた瞬間に、至近距離での銃撃・格闘戦が展開される事になる。

 まさか連邦軍と対峙する前に自軍の海兵隊と事を構えるとはな。ニコはゆっくりと安全装置を解除すると、目の前にいる海兵隊機を対象に捉え、瞬きをして照準をロックした。

 相手の機内ではロックされた事を知らせる警報音が鳴り響いている筈だ。じりじりと過ぎて行く緊張に耐えられなくなった海兵隊機がぴくりと動き、グリフォン小隊の三機がまさにケルベロス中隊に襲い掛かろうとしたその時、背後で閃光が瞬き、コロニーの外壁が地震のようなその振動を伝えた。

 

「一体何事だ?ラファール、状況を確認しろ」

「イェーガー大尉、旗艦ワルキューレより入電。コロニー後部に展開している工兵部隊が攻撃を受けた模様。核パルスエンジン一基に被弾、損傷の程度は不明。大隊本部よりクェジェリン暗礁宙域の索敵を強化せよとの事です」

「ラファール少尉了解した。これよりポイント505/310にて合流し索敵を開始する。合流前に接敵した場合は追跡に努め、我々との合流を待て」

「ヤー!」

「今の通信の通りだ、カミンスカヤ、クロフト、暗礁宙域に向かうぞ」

「待てイェーガー、尻尾を巻いて逃げるのか?」

 海兵隊員達の下卑た笑い声がオープン回線から聞こえて来る。イェーガーはシュタール機の足元に対艦ライフルを撃ち込んでその声を黙らせると、遊底を引いて排莢し次弾を装填した。

「勘違いをするなよミラン・シュタール。大隊本部からの命令だ、残念だがお前達と遊んでいる暇はない」

「何だと?」

「しかし我が指揮官ランバ・ラルを侮辱した事は忘れんぞ。オリガ聞こえるか、援護しろ。我々に向かって発砲する機体があれば全て撃滅しろ、責任は私が取る」

「ダー」

 警戒態勢を取りながらグリフォン小隊がコロニー外壁から上昇して行く。安全な高度に達するとメインバーニアに点火した三機の青いザクは暗礁宙域の中へと消えて行った。

 

 開戦初日に同士討ちと言う、最悪の事態を辛くも回避した事で、海兵隊員に安堵が広がった。精鋭揃いのケルベロス中隊長ミラン・シュタールに対して、ただの一歩も譲らなかったイェーガーの度量を認める者さえいた。しかし面白くないのはそのミラン・シュタール本人だろう。

 自機の足元に撃ち込まれた際、何故反射的に反撃しなかったのか?オリガ・エレノワに狙われていた所為なのか?

 シュタールは大勢の部下の前で自身のプライドを踏み付けられたように感じていた。

「グロムル曹長!」

「はっ、何でありますかシュタール大尉」

「このままでは貴様も腹の虫が収まらないだろう、連中の跡をつけろ」

 シュタールは自分が持っていたライフルをグロムル機に押し付けた。

「暗礁宙域はミノフスキー粒子の濃度が濃く通信は使えん。私の言っている意味がわかるな?」

「あの女パイロットを連れて来ればよろしいんで?」

「女パイロットなどどうでも良い、連中に灸を据えて来い。海兵隊に刃向かうとどうなるのかを教えてやれ」

「はっ、了解しました!」

「クローゼ軍曹を連れて行け、あと何機かつけてやりたいが我々はこの作業を急がねばならん」

「いえ、クローゼが居れば充分であります」

「もし後々問題になれば、私が直接ガラハウ少佐に掛け合ってやる。頼むぞティエリ・グロムル曹長」

 グロムルはモニター越しに敬礼すると、クローゼ軍曹を伴いグリフォン小隊の後を追って暗礁宙域へと向かった。シュタールはそれを見送ると振り返り、残った他の海兵隊員に向かって激を飛ばした。

「お前達何をしている?もう間もなく連邦の宇宙艦隊かルナ2を出立してこちらに向かって来るのだぞ。とんだ邪魔が入ったが予定の時間内に作業を終わらせろ。その後は連邦相手に存分に暴れさせてやる」

「はっ、了解しました!」

 シュタールは海兵隊員の作業を監督しながら、ふと振り返って暗礁宙域を見上げた。後はグロムルとクローゼが上手い事やってくれればいい。そう思いながらも、シュタールは心の片隅に消えない靄がずっと残っている事を認めざるを得なかった。

 

 

 クェジェリン暗礁宙域に向かって慣性飛行をしながら、ニコは操縦桿を握る手が汗でべっとりと湿っている事に気付いた。そして自分はとんでもない思い違いをしていたものだと自嘲気味に笑みが漏れた。グリフォン小隊の中の爆弾はてっきりソーニャなのだと思い込んでいた。しかしイェーガーは更に想像の上を行く核弾頭のようなものだ。

 普段の飄々とした素振りからは想像出来ない、叩き上げの職業軍人の真髄を垣間見たような気がした。この男から見ればソーニャなど小猫同然なのかも知れない。

「クロフト、お前の父親はコロニー公社の技師だったな?」

「はい、そうですが、それが何か?」

「海兵隊がコロニー外壁に何か吹き付けていたが、あれが何かわかるか?」

「恐らくですが耐熱コーティングかと思います。本来なら大気圏突入用の機体に塗布するもので、通常コロニー外壁に使用するものではないと思いますが」

「やはりな、私もまさかとは思ったが───」

 ニコはイェーガーが言わんとしている事を、既に自分で答えている事に気付き、驚愕した。

「まさか、《 アイランドイフィッシュ》を地球に落とすのか」

「え、ウソ、嘘でしょ?ねえ大尉そんな事って───」

「いいか、ソーニャ良く聞け。核攻撃にも耐えうる地球連邦の拠点ジャブローを、質量兵器で宇宙から攻撃すると言う作戦立案は何年か前からあった。その点についてはラル中佐も反対はしていない、寧ろ積極的に推し進めていた方だ」

 つまりその時点以前にジオンは地球連邦との戦争を、既に現実的な事案として考えていた事になる。

「連邦が一番恐れているのは、宇宙からの質量兵器に拠る攻撃だろう。だからこそソロモンやア・バオア・クーの要塞化を半ば黙認して来た。ジオンにとって重要になればなる程、質量兵器として使用されるリスクか下がる訳だからな」

「だからと言ってその代りにコロニーを使うなんて」

「そこが軍上層部の狙いなのだよ。守備の手薄なコロニーを制圧し、直接ジャブローを攻撃する。しかしこの作戦には高い障壁が幾つか存在する、わかるかクロフト」

「例えば突入時の進入角度やその中で生活する住民の処遇、ですか」

「一つはその通りだ。恐らくラル中佐はその住民の処遇に於いて、毒ガス使用について異議を唱えたのだ。非武装の民間人に毒ガスを使うなど、それは戦術ではなく只の虐殺に過ぎん。根っからの武人ランバ・ラルがそれを認めるとは到底思えないのでな」

「武人と言えば、ドズル中将が許可されたのもちょっと自分には理解出来ませんが」

「恐らく、ギレン・ザビ総統とキシリア・ザビ少将に押し切られたのだろう、残念な事だがな。そこで、そこでだソーニャ・カミンスカヤ」

「はい、何ですか大尉」

「お前が先程取った行動は上官としてとても褒められたものではない」

「はい、それは自分でも理解しています。でも───」

「まあ聞け。ラル中佐は自身の立場が悪くなる事を顧みず、自らの信念に従って抗議したのだ。ソーニャ、お前も無抵抗のまま死んで行った者達の為に悲しみ、怒り、そして行動したのだろう?軍の規律には触れるだろうが、人として正しい反応をしたのだ。顔を上げて、ない胸を張れ、私はお前のような部下を持った事を誇りに思うぞ」

「あのう、た、大尉?」

「何だ、どうした?」

「私、オリガより胸あります!」

 ちょっと!ソーニャいきなり何言ってんのよ!雑音混じりのオリガの珍しく焦った声が聞こえる。姿はまだ見えないが他の三機も近くにいるようだ。ヤンネとラファールは笑い過ぎて喘いでいる。

「何よ、本当の事じゃない。オリガ何そんなに焦ってんの?」

「ばかソーニャ、うるさい!」

 

 

 この暗礁宙域は《 アイランドイフィッシュ》攻撃に備えて、開戦以前にかなりの濃度でミノフスキー粒子の散布が行われたようだ。合流地点でオリガ達を目視するまで、レーダーによる反応は断続的であり、その機影がはっきりとモニターに映る事はなかった。

「ラファール、どうだ異常はないか?」

「いやそれがですね、おかしいんです」

「おかしい?」

「ええ、レーダーが効かなくても動いている機体があれば、サーモセンサーが断続的であれ航跡を拾います。ところがそうした動きがありません、IFFにも反応なしです」

「つまり工兵部隊を攻撃した後、暗礁宙域からは離脱していないと言う事なのだな」

「はい、しかもここから核パルスエンジンまでかなりの距離です。ミノフスキー粒子干渉下で光学補正は使えないので、恐らくただの望遠だけの肉眼に拠る照準です。下手するとオリガにも匹敵するレベルですよ、かなりの腕です」

「厄介だな、観測手も一緒にいる筈だ。護衛も含めれば二機かそれ以上で潜伏している可能性が高いな。連邦のゲムと言う情報に間違いないのか?」

「ブリュンヒルデ小隊が目撃したそうですが、細かいところはまだわかりません」

「ブリュンヒルデの小隊長はアリア・ハーベラー中尉だな。接触して詳しく状況を聞きたい、ラファール連中の現在地を確認してくれ」

 

 連邦初の量産型MSゲム、連邦側からはジムと呼ばれる機体は、徹底した生産性と整備性を重視して設計・生産されている。しかしジェネレータ出力に劣り、大気圏内での運用を前提に開発されたゲムは、機体の総重量に厳しい制限がある。その結果装甲を薄くせざるを得ず、ジオンパイロットからは『歩く棺桶』と揶揄されている。しかし部品の換装が比較的容易な為、ジェネレータ出力の開発の成否によっては、ザクⅡに匹敵又はそれを上回る性能も有り得ると予想されている。

「クロフト、以前お前が出した報告によればゲムの性能はザクⅡに遠く及ばないとの事だったが?」

「はい開戦前の先行試作機では機体制御に難があり、マニピュレータの関節強度、モーター出力共に特筆する性能ではないとの情報でした」

「各コロニーの防衛部隊に試験運用として配備が始まったばかりの筈だ。ゲムの宙間運用型が存在するとなると、連邦のMS開発に何かしらのブレイクスルーがあった事になるな」

「テストパイロットの間では、現時点では手動計算による数値補正が煩雑になる為、対艦ライフル並の口径の精密射撃には対応出来ていない、との意見で一値しています」

「イェーガー大尉、ブリュンヒルデと繋がりました、近くにいるようです。向こうからこちらにやってきます」

「一体どう言う事なんだ、我々は『幽霊』でも相手にしているのか?」

 

 クェジェリン暗礁宙域にはコロニー建設の資材確保の為に運搬され、そしてその後余剰となって放置された小惑星やその破片が散乱している。散布されたミノフスキー粒子の干渉によりレーダーは殆ど役に立たず、その中に潜伏している敵を目視で発見するのは至難に思える。そんな中、傍らの小惑星から三機のザクがその顔を覗かせ、周囲を警戒しながらブリュンヒルデ小隊が現れた。

「アリア・ハーベラー中尉、早速で申し訳ないが現況を確認したい。連邦のゲム、それも狙撃型を視認したのか?」

「いえ、それはそのはっきりと確認した訳ではなく───」

 どうもハーベラー中尉の歯切れが悪い。そんな中イェーガーはブリュンヒルデ小隊にオリガ機と同型のMN-76対艦ライフルを持つ機体がいる事に気付いた。

「では交戦した、と言う訳ではないのだな?」

「え、ええ。目標を完全に捕捉する前にもう移動していたようなので」

「それはおかしいな、この宙域で我が軍以外の動体は検知されていないのだぞ」

「それはこのミノフスキー粒子高濃度散布下の環境だからでは?」

「大隊本部からブリュンヒルデ小隊が連邦のゲムを現認したとの報告を受けたのだぞ。しかし現認も交戦もしていないのだな?教えてくれ、アリア」

「ですから先程も言ったように───」

「グリフォン小隊構えろ!」

 やれやれ、海兵隊の次はブリュンヒルデ小隊か、先が思いやられるなと思いながらニコは正面のザクをロックした。

「イェーガー大尉、一体何の真似です!」

「ブリュンヒルデの狙撃手、ゆっくりと前に出ろ」

「こんな事をしてどうなるか───」

  複数の相手にロックされた警告音が鳴り響くハーベラー機を手で遮り、ブリュンヒルデ小隊の狙撃手が前へ進み出た。

「名前は?」

「デニル・ヨンセン曹長であります」

「ヨンセン曹長、引き金からゆっくりと指を離し弾倉を引き抜け」

「デニル止めろ、お前の上官は私なのだぞ。弾倉など見せる必要はない!」

「ハーベラー中尉、ありがとう。自分も軍人の端くれです。責任は自分で取ります」

 デニル・ヨンセンは弾倉を引き抜いてイェーガーに渡すと、コクピットの中で静かに目を閉じ指示を待った。

「オリガ確認しろ。この弾はお前と同型のものか?」

「はい、間違いありません」

「そうか、では弾倉を交換しろ。交戦していないのに弾薬が減っているのは不自然だからな」

「イ、イェーガー大尉、どう言う事ですか?」

「グリフォン小隊全員ロックを解除しろ。ブリュンヒルデ小隊は旗艦に戻り報告を行え。我々は暗礁宙域に残り狙撃型のゲムの『幽霊』と交戦しなければならん。アリア・ハーベラー中尉、何か質問は?」

「ルディ、あなた───自分が何をしようとしているのかわかっているの?そんな事をしたらグリフォン小隊の立場が───」

「先程ウチのお転婆娘が海兵隊とちょっと揉めてな、核パルスエンジン攻撃時に我々がコロニー周辺に展開しているのは他の部隊も確認している。我々に嫌疑が掛かる事はない、それになアリア」

 イェーガー機のモノアイがヨンセン機を見ている。

「これからも暫くは厳しい作戦が続く。この距離からの狙撃を成功させるような優秀なスナイパーを、今失う訳にはいかないのでな」

 

 イェーガーがブリュンヒルデ小隊と情報の摺り合わせをしているのを見ながら、ニコはこのルドルフ・イェーガーと言う男の評価を、改めて上書きせざるを得ないと考えていた。イェーガーほど大胆かつ繊細に、そして機転に富んだ対応が取れる指揮官は、ジオン広しと言えどそう居ないだろう。

「───我々は海兵隊の突撃後、殆ど時間を置かずにこの宙域に展開しました。そしてその行動の一部始終を目の当たりにしたのです」

「我が隊のお転婆も同じ理由で止める間もなく海兵隊に斬り掛かって行ったのだ。その気持ちは我々もわからんでもないのだがな」

「ふふっ、それなら私達もソーニャに感謝しなければいけないわね」

「───ん?なんでお転婆が私って事になってるの?グリフォン小隊には他にオリガだっているのに!」

 二つの小隊の間でどっと笑いが起こり、ブリュンヒルデ小隊は手短に礼を言うと、旗艦との通信を行う為に暗礁宙域を離脱して行った。

「さて、一応形だけとは言え我々も捜索を行うぞ。二手に分かれて散開しろ、クロフト、ソーニャは私について来い」

 ブリュンヒルデ小隊との話の辻褄を合わせる為に、暗礁宙域の索敵を再開する事になった。当該宙域には小惑星の欠片の他に、コロニー守備隊との激しい戦闘を窺わせる残骸が数多く漂っている。コクピットを包む圧力隔壁の向こうは、音のないひたすら冷たい死の世界だ。

 あれ程煩雑にやり取りしていた無線が不意に途切れると、その中に独り取り残されたような疎外感が襲って来る。何故だろう、妙な胸騒ぎがする。ニコは予感めいた感情の揺らぎに困惑しながら、先行するイェーガーとソーニャの後を追った。

 

 現時点でその可能性は低いものの、もし『コロニー落とし』が失敗した場合、核パルスエンジン狙撃が問題視され、調査対象になるであろうとイェーガーは踏んでいた。アリア・ハーベラーにとっては咄嗟に口を吐いて出たのかもしれないが、狙撃型のゲムとは面白い事を考えたな、と感心していた。何故なら、狙撃に特化したゲムなど現時点では存在していないからだ。

 この世に存在していないのだから、誰も確認も証明も出来ない。裏を返せばブリュンヒルデの無実もまた証明出来ないのだが、同じように嫌疑を確定する事も出来ない。

 テストパイロット出身のニコが断言したように、連邦のMS開発はジオンのそれに較べればまだまだ発展の途上にあり、成熟と言うレベルには達していない。

 以前小惑星掘削の爆発事故によってMS05ザクが失われ鹵獲された際、連邦軍でもMSの開発を促す声が高まったと聞く。しかし近距離支援程度しか役に為に立たないと判断され、その上宇宙戦艦の新規開発並の予算要求に政府高官が激怒し、議会に却下された為に一度頓挫していた。

 恐らく状況が変化したのは、ミノフスキー博士亡命に端を発したスミス海会戦だろう。

 ランバ・ラル中佐を筆頭としたプロトタイプザク五機に対して、迎撃に出た連邦のMSガンキャノン十二機が壊滅すると言う連邦としては受け入れ難い結果になったからだ。

 MS運用を軽視していた連邦軍は認識を改め、開発費が暴騰していた新型機の研究開発を凍結し、次期主力機GMの開発に邁進する事になる。

 本来なら年明けの三月頃に予定されていた開戦が三ヶ月も前倒しにされたのは、連邦がゲムの開発に成功し試験運用が始まった事もその一因と言われていた。

 

「───ねえ、それじゃあさ、ゲムは潜在的な脅威に成りうるって訳?」

「可能性は否定出来ないだろ。連邦の技術開発は馬鹿にしたもんじゃないし、向こうには鹵獲されたザクのデータだってあるんだから」

「そうかなあ、連邦のキャノンタイプのMSを見る限りそうは思えないけど」

「現時点では、な。それにジャブローの正確な攻撃起点だってまだジオンは把握してないんだ」

「まあゲムが本格的な運用される前に戦争が終わればいいんだけどさ───あれ?」

 一際大きな小惑星の横で、先を行くソーニャのザクがぴたりと止まった。そのモノアイが忙しなく左右に動いている。

「ソーニャどうかしたのか?」

「今、声が聞こえたような───」

「声?」

 当然の事ながら真空の宇宙空間では音を伝達する物質がない為、声など聞こえる筈もない。ただ自分が乗っているMSのモーター音などを、ストレスの度合いに拠って人の声のように感じる事はさほど珍しい事ではない。

 その小惑星は削岩機によって掘られた坑が無数にあり、ソーニャのザクはその一つを覗き込んでいる。

「まさか、ね───」

「ソーニャそろそろ引き揚げるぞ。イェーガー大尉と合流するんだ」

「私、ゲムなんかよりやばいモノ見つけちゃったかも───」

 ザクが直立したまますっぽりと入れそうな横坑に、止める間もなくソーニャが入って行く。

「おいソーニャ、ちょっと待っ───ああ、くそ!」

 ニコは苛立ち隠そうともせずにイェーガーに現在座標を知らせると、ソーニャの後を追って横坑の中に入った。

 恐らくは鉱脈に沿って巨大な削岩機で掘り進め、資源を取り尽くした後に放棄されたのだろう。横坑はほぼ一直線に奥まで続いており、ソーニャのザクはその途中で岩盤にアンカーを打ち込んで機体を固定していた。

「ソーニャ何を見つけたんだ?」

「ほら、これ見てよ」

 ソーニャがザクの前腕のサーチライトで前方を照らすと、そこに貨物用のシャトルがひっそりと佇んでいる。

「なんでこんな所にシャトルが?」

「赤外線で見てよ、機体の後部がまだ冷え切ってない」

「まさか、《 アイランドイフィッシュ》から脱出して来たのか?」

「イェーガー大尉に連絡は?」

「ここの座標を送った、すぐに来る」

「もしかしたら生存者がいるかも。私行って来る!」

「大尉が来るまでちょっと待てって、おい!───」

 言うが早いかソーニャはコクピットハッチを明け、ライフルを手にしてもう外に飛び出している。

 相手が武装して立て篭もっていたらどうするんだ?まったくあのバカロシア女!

 ニコは乗機のザクのシステムを全て待機にすると、急いでシートベルトを外しソーニャの後を追った。

 バックパックのスラスタを微調整しながら、ゆっくりと貨物シャトルに近付いて行く。使い込まれ古ぼけた機首の横を通過する時に、消え掛けた登録番号とモルゲンレーテと言う船名が何とか確認出来た。コクピット内は照明が消えて中の様子は伺い知れないが、計器類の照明がうっすらと反射して見える。間違いない、この船はまだ生きている。

 

「モルゲンレーテ、か。この船ジオン船籍っぽいな。ソーニャ、中から反応は?」

「呼び掛けているけど反応はなし。もう脱出したのかな」

「それはないな、まともな船乗りなら緊急時を除いてシステムを落としてから退艦するだろうし、救難信号も出ていない」

「ねえこの横坑さ、すぐそこで行き止まりなんだ。もしこの船が《 アイランドイフィッシュ》から来たのなら、ちょっとすごくない?」

 ソーニャの言っている事をニコはすぐに理解した。もしソーニャの仮定が正しいなら、この船は追撃する海兵隊を振り切ってこの横坑の前で急減速し、後退しながらこの坑に収まった事になる。

「確かにな、もしそれが本当なら凄い腕だぞ。我が軍にスカウトしたいぐらいだ」

「まあただ単に戦争が始まった時にその辺飛んでただけかも知れないけど」

「暗礁宙域は正規航路じゃないからな、それならこの船が密輸船で武装している可能性が高い」

「どっちにしてもさ、船長に話を聞いた方が早くない?」

 密輸船とも思われる船に突入するリスクはかなり高いが、ソーニャの提案には同意せざるを得ない。工兵部隊が核パルスエンジンを設置して移動開始するまではまだ時間が掛かるだろう。もし生存者がいた場合、恐らく機内の酸素がそれまで持たない可能性もある。

 ニコとソーニャがライフルの装填を確認し、シャトルのハッチ爆破の準備に掛かった頃、横坑の出口にブレードアンテナの付いたイェーガーのザクが姿を現した。

「クロフト、状況は?」

「はい、ソーニャが貨物シャトルを見つけまして、これから最終通告の後、船内に入ります」

「了解した。シャトルが動き出す事に備えて私は機に残って警戒にあたる。応援は必要か?」

「いえ、貨物シャトルなので乗員は三か四人程度と思います。現状では必要ありません」

「そうか、何か異常があればすぐに退艦して乗機に戻れ」

 ヘルメット越しにソーニャとアイコンタクトを取ると、ニコはライフルの安全装置を外した。

 

「こちらはジオン宇宙攻撃軍所属グリフォン小隊のソフィア・カミンスカヤ少尉である。貴船の運行目的及び状況を確認したい、これは最終通告である。もしエアロックハッチを開けない場合、爆破して───」

 ソーニャが最終通告を読み上げている途中で、ハッチが解錠され扉が開いた。ニコはソーニャと顔を見合わせてこくりと頷くと、二人は恐る恐るエアロックに入った。

 エアロック内が空気で満たされるにつれ、船内に通じている内側の扉のロックが解除された。

 ニコはソーニャに自分を援護するように指示して、意を決して船内に飛び込むと、そこにはがらんとした貨物室が広がっていた。

「なーんだ、何もないじゃない。やましい事ないならさっさとハッチ開けなさいよ!」

 遅れて船内に入って来たソーニャが悪態を吐く。ニコは船内に入る際、エアロックで加圧された事に違和感を感じていた。通常宙間運送の荷物は完全密封されており、貴重な空気を貨物室に使用する必要はない。

「ねえニコこの貨物室さ、船の全長に比べてちょっと狭いと思わない?」

 やはりソーニャも同じ事を思っていたのだろう。二人は警戒しながら貨物室の奥に進み、その区画を仕切っていたパーテーションを開き、そして息を飲んだ。

「これは───」

 百人かそれ以上の宇宙防護服を着た避難民が、物言わずにじっと縮こまっている。ニコとソーニャが手にしているライフルを見て、明らかに怯えている様子が見てとれる。恐らく海兵隊の毒ガス攻撃を受けて、脱出口を求めて宇宙港に逃げて来たのだろう。そこで備えつけの防護服を着てこの貨物船に飛び込んだのだ。

「ニコ、まずいよこれ。戦闘コード37があるし」

「そうだな、取り敢えず大尉に報告を───」

 ニコがそう言い掛けた時、前方の操縦席に通じているドアが開いた。そして中から現れた乗組員らしき人物は両手を上げると、壁を蹴ってふわりと二人の側に近付いて来た。

「君は?」

「副操縦士のギグスだ。アンディ・ギグス」

「ギグス、か。武器は持っていないな?この艦の船長に会いたい。船長は何処に?」

「なあ教えてくれ、戦争が始まったのか?」

「そうだジオンが地球連邦に対して宣戦布告した」

「船長が出国の手続きをしている時に攻撃を受けた。この船には俺の他には機関士がいるだけだ」

 アンディ・ギグスの話を要約すると、このモルゲンレーテ号は《 アイランドイフィッシュ》で荷物を降ろし、出港の準備をしている途中で海兵隊の攻撃が始まったのだと言う。取り敢えず避難して来た民間人を乗せるだけ乗せて宇宙港を出たのはいいが、そこで海兵隊に更に攻撃を受けてこの暗礁宙域に逃げ込んだらしい。

「この船を追い掛けて来た一つ目の巨人、あんた達が乗って来たあれだよ。ジオンのマークが見えたから俺はジオン国籍で、この船もジオン船籍だって言ったんだ。海兵隊?あの連中はお構いなしに撃って来たよ」

「それじゃあ殆ど一人で切り抜けてここに来たのか。あんたいい腕をしているな」

「そりゃあどうも」

 アンディ・ギグスにしてみれば心中は穏やかでは居られないだろう。一介の民間パイロットから見れば突撃機動軍と宇宙攻撃軍の違いなどわからない。ましてやニコとソーニャはこの船を追い回したザクと同型のMSに乗って現れたのだ。更に出口にはこの船の進路を塞ぐようにイェーガー機が待機している。

「で、どうするつもりなんだ?あんた達もあの連中と同じなのか?」

「我々に攻撃する意図はない、この船には避難民もいるしな。なあギグス、何でこの船はここに留まっているんだ?」

「プロペラントが残り少ないんだ。逃げる途中でかなり激しく回避機動をしたし、補給する時間すらなかったからな」

「つまり加速でプロペラントを使い果たすと、今度は減速出来ないって事か」

「そう言う事だ、ついでに言うと避難民が着ている宇宙服の酸素もそう長くは持たない」

「参ったな、時間がないのか」

「待ってよ、この貨物室、空気が循環してるんじゃないの?酸素分圧も問題ないみたいだけど」

「ソーニャ、この船何処から来たと思ってるんだ?海兵隊に───」

 ニコがそう言い掛けると、ソーニャががっちりとニコの腕を掴んだ。

「この人達、助けようよ!」

「ソーニャ、気持ちはわかるが俺達だけで決められないだろ?」

「ニコだって見たでしょ、あの惨状を。この人達みんなもっと酷い事を見て来たんだよ?幾ら戦争でもあんな事許されていい訳ない!」

 ソーニャの感情が弾けてニコがそれに驚いていると、ソーニャは持っていたライフルをニコに押し付け、ノーマルスーツの襟元にあるヘルメットのシールに手を掛けた。そしてその封入を解くと、ヘルメットを外して避難民に向かってにこりと微笑んで見せた。

 その場にいた全員が信じられない思いでソーニャを見ている。この船は毒ガス攻撃を受けた《 アイランドイフィッシュ》から来たのだ。

「ねえギグス、この貨物室の酸素は余裕があるの?」

「あ、ああ、普段使用しないからな。しかし、姉ちゃんあんた大丈夫なのか?」

「見ての通りよ。後はこの船を加速出来ればいい訳よね」

「加速すればってどうするつもりなんだ?」

「ザクがブースターになればいい。暗礁宙域を抜けるまでにザク二機のフルパワーで加速出来れば誰も追いつけない」

 こいつ、凄い事を思いつくな、と驚嘆した思いでニコはソーニャを見つめた。必要に迫られたとは言え、常識的に考えればこんな発想はそうそう思い付かない。かなりリスキーではあるが、理論上は確かに不可能ではない。

 ソーニャは肩を竦めて避難民達に向き直ると、ヘルメットを外しても安全であるとジェスチャーで示した。

 

「私はジオン公国宇宙攻撃軍ランバ・ラルMS大隊所属、グリフォン小隊の少尉、ソフィア・カミンスカヤである。私達はあなた達を傷つける意図はない、あなた達の身に何が起きて今此処に居るのか私は理解している。その事については深く哀悼の意を示したい───」

 避難民は自分達の運命をソーニャに委ねるように聞き入っている。その殆どが女性と子供ばかりであり、老人は見受けられない。動ける者から宇宙服を着させて宇宙港に押し出したのだろう。

「───だが、私は軍人としての立場上、あなた達に謝罪は出来ない、これは戦争なんだ。しかし戦争だからと言って全てが許される訳ではない。我が同胞たるスペースノイドを無差別で攻撃するような、あんな事が許されていい筈がないんだ!あなた達は───」

 悲痛とも言えるソーニャの訴えを、イェーガーとグリフォン小隊全員が静かに聞き入っていた。最終的な判断はイェーガーに一任する事になるのだろうが、ソーニャはその事を百も承知の上で無線を開けて話しているのだとニコは思った。

「───あなた達は生き延びるべきだ、そして真実を語るべきだと私は思う。先にも言ったように私はあなた達に謝罪する事は出来ない、ただその代わりにあなた達を現状から助け出したい。このソフィア・カミンスカヤの命に換えてでも」

 

 避難民は困惑し、明らかに動揺が広がっているように見えた。自分達に無差別攻撃を仕掛けて来たジオン軍と同じ軍の女性士官が、今度は自分達を助けたいと言うのだ。半ば信じ難いと言う反応は致し方ないだろう。

 ただ戦闘コード37が発令している以上、これはイェーガーでも頭を抱えるようなデリケートな事案には間違いないとニコは思っていた。

「いいじゃないか、悪くない。同じジオン国民としてあんたの言動は敬意に値するよ、カミンスカヤ少尉」

 少し皮肉めいた言い方ではあるものの、ギグスはそう言って控えめに手を叩いた。

「それで、あのう───私達はこれから一体どうなるんですか?」

 避難民の最前列にいた少女が口を開いた。傍らには小さな子供がその脚にしっかりとしがみついている。

「あの、私アオイって言います。ハッテの他のコロニーには行けないんですか?」

「ハッテ全域に海兵隊が展開しているんだ。連中に捕捉されれば直ちに撃墜される」

「それなら私達はどうすれば───」

「私達宇宙攻撃軍は海兵隊の後方支援で展開しているんだ。本来なら私達の艦に収容するのが確実なんだが、それも出来ない理由があってね───」

 ニコがアオイにそう説明していると、ソーニャが身を屈めてアオイにしがみつく子供に手を差し伸べた。

「大丈夫、怖がらないで。みんなを安全な所に連れて行くから」

「───じおん、いやっ!」

「ちょっとフラン、そんな事言わないで。この人達は悪い人じゃないのよ」

「その女の子、フラン?あなたの妹なの?」

 ソーニャは何気なく言った自分の言葉にすぐ後悔する事になる。

「いえ、知らない子なんです。親御さんとはぐれてしまったみたいで───」

 恐らくフランの両親はせめて子供だけでもと、混乱の中フランをエアロックに押し出したのだろう。コロニー内の残酷な様子がフラッシュバックのように蘇り、ソーニャは唇を噛み締めそして立ち上がった。

「私ソフィア・カミンスカヤは約束する。あなた達を必ず助ける!」

 

「───イェーガー大尉、聞こえますか?」

「───ソーニャ、その件については、やはりジオンの艦に保護するのが現時点では一番安全ではないか?」

「はい、ですがコード37が発令している状況ではどんな扱いを受けるか───それでは私は彼らに安全を確約する事は出来ません」

「ふむ、それもそうだが───ザクをブースターに使うにはリスクが高過ぎないか?タイミングがズレたら貨物シャトルなど木っ端微塵になるのだぞ」

「勿論相応のリスクはあります。ですが試す価値は十分にあると思います」

「海兵隊がハッテ全域を掌握している以上、この宙域を脱出するのが最善と思われますが?」

 ニコとソーニャの進言に、イェーガーは様々な可能性を頭の中で張り巡らせていた。何よりもこの行動は秘密裏に完結しなければならない。

「私はソーニャの考えに賛成するわ───」

 イェーガーですら決断に悩むような重苦しい空気の中、オリガの遠い声がその沈黙を破った。

「───貨物シャトルなら水も食料もなく、プロペラントと空気も残り少ないなら、この宙域を出てリーアに向かうのが一番確実では?」

「自分とラファールも賛成です。やってみましょう大尉!」

「ちょっと待ってくれ、この宙域を出てリーアに行く前提みたいな話になってるが、そもそもサイド6は安全なのか?」

「それなら問題はない、リーアは攻撃対象に入っていないし、恐らくはこれからもないだろうよ」

「あそこの知事はやり手だからね、すぐに中立を表明すると思う。連邦もジオンも交渉するチャンネルは残して置きたいだろうし」

「なら決まりだな。この船も元々はリーアのパルダ経由でジオンに戻る予定だったんだ。パルダベイなら入港を拒否される事もないだろう」

「よし、では作戦行動に移るぞ、クロフトとソーニャはすぐに自機に戻れ───」

 そう言い掛けてイェーガーは息を飲んだ。何故ならそこには居る筈のない、武装した海兵隊のザクが目の前にいたからだ。

「──何故海兵隊機が此処に?」

 

 イェーガーの呟きを聞いたニコとソーニャは互いに顔を見合わせ、一瞬で全てを理解した。

 海兵隊のザクは掘削坑の前に立ちはだかると、手にしたヒートホークをゆっくりとイェーガー機に向けた。

「こちらは海兵隊ケルベロス中隊のエヴァン・クローゼ軍曹である。グリフォン小隊だな?一体ここで何をしている?」

「所属不明機を発見した、今部下が機体を調べている。この暗礁宙域の索敵は我々に一任されている、海兵隊の出る幕ではない。下がれクローゼ軍曹」

「下がれ?妙だなイェーガー大尉殿、戦闘コード37が発令されているのをお忘れかな」

「下士官風情が上官である私に楯突くつもりか?海兵隊の関与する余地はないと言っている、元の任務に戻れクローゼ!」

「俺に与えられた任務はな、グリフォン小隊に灸を据えて来いとさ───グロムル曹長見つけましたぁ、奴ら何か隠してますぜ!」

 イェーガーは思わず舌打ちをしながら後方モニターを見た。ニコとソーニャはまだシャトルから出たばかりで、二人が乗機に戻るまで時間を稼ぐ必要がある。しかしクローゼ機のヒートホークは赤く熱を帯び始めており、その猶予をイェーガーに与えるつもりはないようだ。

 イェーガーが致し方なく銃口をクローゼ機に向けようとした時、それを察したクローゼが掘削坑の中に突っ込んで来た。

「へっ、やらせるかよ!」

 ニコが自機にやっと戻った時、イェーガーは狭い坑内でクローゼの斬撃を、取り回しの良くない対艦ライフルで何とか凌いでいた。

「クロフトまだか、これ以上は下がれない!」

「ソーニャ行くぞ、おい何してるんだ?」

 ソーニャは自機を固定する為に、岩盤に打ち込んだアンカーが抜けずいる。

「ニコ、アンカーが抜けない、抜けないんだよ!」

「ヒートホークでワイヤーを切断しろ、早く!」

 ニコがクローゼ機を照準に収めようとした時、その後ろにもう一機の海兵隊を認めた。このままでは逃げ場のない坑内でシャトルごと斉射を受けてしまう。

「イェーガー大尉、いつでも行けます!」

 ニコの言葉を聞いたイェーガーは、メインバーニアの推力を目一杯吹かしてクローゼを掘削坑の外へと押し出した。体勢を立て直そうともがくクローゼ機を、ニコはイェーガー機の背中越しに捉えた。そしてニコは標的をロックすると同時に躊躇う事なく引き金を引いた。

 

 クローゼ機の胸部に三つの弾痕がつくと同時に、その背後から爆炎が吹き上がった。背後の射出口から機体の破片を周囲に撒き散らしながら、クローゼ機は宇宙空間を漂い、そして完全に沈黙した。

「クローゼ?───クローゼェェェ!」

 目の前で僚機が撃破された事を知ったグロムルは、瞬時に反撃しようとライフルを構えた。イェーガーも同じく対艦ライフルを構えるのだが、ライフルはクローゼの斬撃に拠って激しく損傷している。

「よくもクローゼを───消えろグリフォン小隊!」

「イェーガー大尉、回避を!」

「駄目だ、シャトルに弾が───」

 ニコはゆっくりと時間が流れて行くような奇妙な感覚に陥りながら、何故かオリガの思念が脳内に流れ込んで来たような錯覚を感じていた。

 

 誰でもいい、私に撃てと命令してくれればそれでいい

 

 一瞬オリガの心の声が聞こえたような気がした。ニコは《アイランドイフィッシュ》上でガスタンクを躱した時の声を思い出し、オリガがこの状況を知らない筈がないと確信を持った。

「オリガ──────撃てぇ!」

 ニコがそう叫ぶと同時に、オリガが短く「ダー」と応えたような気がした。その瞬間、グロムル機が眩い光を放ち、夥しい破片と共に爆散した。機体中央に大きな穴を穿たれたグロムル機が、小惑星の欠片にぶつかって反転し力無く漂っている。

「ああ、何て事だ。同じジオンの軍が同士討ちするなんて───」

「アンディ・ギグス、と言ったか?君が気に病む必要はない。我々は攻撃を受け、ただ単にそれを排除しただけなのだからな」

「しかしそうは言っても───」

「我々は成すべき時に成すべき事をしたのだ───ラトバラ、グレネードを持ってここに来れるか?」

「ギグス、そろそろコロニーが移動を開始して、周辺に展開している艦隊が動き始める」

「ああ、わかった。モルゲンレーテの準備はもう出来てる。いつでも大丈夫だ」

「イェーガー大尉、海兵隊機はどうしますか?」

「海兵隊機は私とラトバラで爆破処理する。クロフトとソーニャの両名はモルゲンレーテの射出に集中しろ」

「はっ、了解しました」

 二機のザクCはモルゲンレーテを挟み込むように対峙すると、ニコはメインバーニアの推力レバーに手を掛けた。

「ギグス、ソーニャ、いいか?タイミングが少しでもずれたらモルゲンレーテは宇宙の藻屑になる」

「ギグスはプロペラントの残量を計算しながら、暗礁宙域を飛び出す直前に燃料を切って。熱源なしで慣性飛行している内は恐らく追跡は受けない」

「シャトルが燃料噴射を切ったら、俺とソーニャが同時に離脱する。いいかソーニャ、時計を合わせろ」

「いずれにしても、こいつはギャンブルには違いない。ただこれしか方法がないなら、これに全てを賭けるしかないよな。頼むぜお二人さん!」

 

 眩い光を発しながらモルゲンレーテのバーニアに火が入った。アンディ・ギグスはサイド6に向けて軌道を微調整しながら、推力を少しずつ開けて行く。

「なあ、クロフト中尉?」

「ん、ギグスどうした?」

「俺は無事にジオンに帰れたら、実は従軍しようと思ってる」

「ああ、そうだったのか。ギグス程の腕なら間違いなく歓迎されると思うぞ、まあ配属先にも拠るだろうが」

「それでその、MS?そいつに乗るにはどうしたらいいんだ?」

 ギグスが柄にもなく照れた様子でそう言うと、ソーニャが堪らずにぶーっと吹き出した。

「ちょっと何よあんた、実はザクに興味津々て訳?」

「戦争なんかが始まったんじゃ、密輸稼業も商売上がったりなんだよ!」

「まあそうだな、士官学校に入ってMS教練を受ければ確実だが、戦争が始まった今なら下士官でも乗れる可能性は高い。何しろパイロットは今でも足りてないからな」

「まあ仮に下士官でも戦時任官された後に士官教育ってパターンもあるし、後は本人のやる気次第じゃない?」

「おい、でも間違っても突撃機動軍の士官学校には行くなよ?」

「どうしてだ?」

「海兵隊と一緒に汚い仕事をしたいのか?俺達は宇宙攻撃軍だ、間違えるなよ」

「ああなるほど、わかった宇宙攻撃軍だな」

「そう宇宙攻撃軍よ、アンディ・ギグス船長代理。また一緒に飛べる日を楽しみにしてるわ」

「了解した。モルゲンレーテ出力八十七パーセント、燃料カットまで十五秒」

「ソーニャ出力全開、最大戦速まで行くぞ」

「ニコ、フランが───」

 フラン?ニコはそう言われてアオイの脚にしがみついていた小さな女の子をすぐ思い出した。

「───フランがこっち見てる、あの子私に手を振ってる!」

「モルゲンレーテ出力九十九パーセント、燃料供給バルブ遮断、暗礁宙域離脱まで十ニ秒」

「ソーニャ行くぞ───三、ニ、一、グリフォン小隊離艦する!モルゲンレーテ進路そのまま、貴艦の航海の無事を祈る!」

 アイランドイフィッシュの避難民百余名の運命を乗せて、モルゲンレーテ号はリーア宙域へと飛び立って行った。ニコとソーニャはそれぞれの機体を減速しながらそれを見送ると、他のグリフォン小隊が待機している暗礁宙域を振り返った。

「ニコ、あの艦無事にリーアに行けるかな、大丈夫よね?」

「ああ、あのギグスの腕なら心配ないさ、大丈夫だきっと」

 うんそうよね、とソーニャは呟くとモルゲンレーテが飛び去ったリーア宙域へと目を見やった。

「なあソーニャ、そう言えばよくあのタイミングでヘルメットを外したな」

「え?いくら貨物船だって空気清浄用のフィルターくらい付いてるでしょ?」

 良く言えば無邪気とも言えるソーニャの何気ない一言に、それを聞いたグリフォン小隊の全員が絶句した。

「え、何よ?私何か悪い事でも言った?」

「あのな、あの手の貨物船に付いてるフィルターはな、あくまでも粉塵除去用で、毒ガスに対する効果は全くないんだぞ?」

「はぁ?───ちょっと、それ何でもっと早く言わないのよ!」

「止める間もなかっただろ!」

「危うく死んじゃうところだったじゃん!」

「それはこっちのセリフだ、ばかかお前は!」

 グリフォン小隊の創設時から、最早恒例になりつつあるニコとソーニャの痴話喧嘩が始まったところで、暗礁宙域外縁で小隊の全機が集合した。

「まあまあ二人ともいい加減にしとけよ、ワルキューレから電信が入ってる。ヒュンメルに帰還してコロニーの護衛に付けとさ」

「ルナ2からティアンム艦隊がこちらに向かってるそうだ、恐らく大気圏突入時に会敵する事になる。各員これからが正念場になる、気を抜くなよ」

 ヒュンメルの座標を確認してグリフォン小隊機が飛び立って行く中、ニコはクェジェリン暗礁宙域を振り返った。そしてそこが自らが辿る事になる、数奇な運命の始まりである事に誰も気付く事はなかった。

 



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重力の鎖

 

 

 母艦ヒュンメルに格納され何時間か振りにヘルメットのシーリングを解いて、オリガ・エレノワの口元に自然と笑みが零れた。

 クェジェリン暗礁宙域で海兵隊機を撃ち抜いた時、ほんの一瞬であれ、ニコ・クロフトと心が通じ合ったように感じたからだ。

 ニコは現在地を尋ねるでもなく、ただ単にオリガに「撃て」と言った。それはあの切羽詰まった状況下で、オリガがそれを把握している前提で成されたものだ。過去に両親を事故で亡くして以来、安穏と生きて来たオリガにとって、それは何にも代え難い人との絆を感じさせるものだったのかも知れない。

 

 帰艦後のブリーフィングでルナ2のティアンム第四艦隊の接近とその予想会敵時間が示された。そして先のアイランドイフィッシュ上で機体を損傷したヤンネ・ラトバラ以外は、可能な限り睡眠を取るようにイェーガーから命令が下された。ヤンネは自機損壊の罰として、予備機の05ザクを睡眠時間を削ってセットアップしろと言う事らしい。

 オリガはソーニャと相部屋でもある個室に戻ると、自分のカプセルの中に潜り込んで体を固定した。少しでも寝ようと目を瞑るのだが、そう思えば思う程余計に目が冴えるような気がした。気晴らしにソーニャに何か話し掛けようとしたが、その内ソーニャの寝息が聞こえて来てそれも叶わない。しかし静まり返った部屋の中ですやすやと眠るソーニャの寝息を聞いていると、いつの間にかオリガもまどろみの中へ引き込まれて行った。

 

 ───オリガは自分を取り巻く周りの風景が、赤く燃え盛っているのに気付いた。呼吸をする度に熱い大気が肺を焦がすように、重くのしかかって来る。

 オリガは完全に立ち竦み、その場から動く事すら出来ない。余りに多くの哀しみの念が、火災旋風のように渦を巻いている。誰かに助けを求めようと試みるのだが、喉は焼け焦げていて声は出ない。

 大気はひたすら重くその圧力でオリガは押し潰されて行く。やがて限界まで大気に押し潰され、狂気にも似た叫びと共に事切れる瞬間───

 

 オリガは目を覚ました。全身が冷たい汗でしっとりと汗ばみ、心臓の鼓動が早鐘のように高鳴っている。

 こんなに酷く不快な目覚めは今までの記憶にはなかった。時間は確認するまでもなく、眠りに落ちてから一時間も経って居ないはずだ。オリガは赤く燃え滾った空が落ちて来るような残像を思い出し、まさかとカプセルから飛び出した。

 個室に設けられた小さな窓から、遠く月上空を飛ぶアイランドイフィッシュが見えた。何基もの核パルスエンジンに拠って、地球に向かって何の問題もなく加速しているように見える。次の作戦行動開始までにはまだ時間がある、しかし熱に握り潰されるような悪夢の印象が意識から離れない。ソーニャは何やら寝言を言いながらまだ寝ているようだ。オリガは再び寝るのを早々に諦めると、ノーマルスーツに袖を通し、食堂を経由してヤンネ・ラトバラが作業しているであろう格納庫へ向かった。

 

 ニコはコクピットの中でプログラム修正を行うシモンとヤンネを覗き込みながら、不意に欠伸をしようとしてオリガの姿を認めた。オリガは手にしたシリアルバーをひらひらと見せつけると「はい差し入れ」と差し出した。

「オリガどうした、まだ寝ててもいいんだぞ」

「うん、さっきまで寝てたんだけど変な夢を見て───」

「変な夢?」

「何て言うかその───」

「ソーニャは?あいつはまだ寝てんのか?」

 オリガはどう説明していいものかと言葉を選んでいる内に、矢継ぎ早に返されて意気消沈し「ソーニャは寝言言いながらいびきかいて寝てる」とだけ応えた。

「そうなんだよな、いびきかく奴に限って妙に寝付き良かったりするよな」

「ねえプログラム修正まだ終わらないの?」

「いやもう終わるんじゃないか、なあシモン───」

 そう言い掛けたニコの表情が凍りつき、その視線を追ってオリガは恐る恐る振り返った。するとそこには寝ていた筈のソーニャが仁王立ちしており、ソーニャは壁を蹴って無重力の中を魚雷のように真っ直ぐに突っ込んで来た。

「オリガこらぁ!誰がいびきかいてるってぇ?」

 ソーニャはニコに体当たりするようにして慣性を相殺すると、間髪入れずに立ち上がりオリガの頬をつねり上げた。

「イテテ、おいソーニャ、その人間魚雷みたいな移動は危ねえから止めろって言ったろ!」

「うるさいわね、私がいないとすぐこれだ!」

「お前いびきかいて寝てたんじゃねえのかよ?」

「私いびきなんかかいてない!」

「だって私が部屋出る時ふがふが言ってたもん」

 それを聞いたシモン・ラファールがコクピットの端末から顔を上げると「ふがふがって、豚かよ」とボソリと呟いた。ソーニャはその一言にぴくりと反応すると、今度はコクピットの中に突進して行く。

「ちょっといいシモン?豚さんはね、ああ見えて体脂肪十パーセント以下の全身筋肉質なの。それにね、豚さんは私達の為に一生懸命に飼料を食べて頑張ってる訳。その豚さんを馬鹿にするような物言いは私ちょっと許せない、おいシモン豚さんに謝れぇ!」

 そう言ってシモンに掴み掛かるソーニャを見て、オリガはなんて酷い言い掛かりだと思った。シモンの呟きのどこにソーニャを逆上させる要素があったのだろうと考えると、オリガは途端に笑いが込み上げて来て腹を抱えて笑った。

「もう止めてよ、私お腹痛い」

「ソーニャいい加減にしろ、お前うるさいからもう一回寝て来いよ」

「いやよ!何か変な夢見るし、びっくりして起きたらオリガはいないしさ───」

 変な夢?それを聞いてオリガはニコと顔を見合わせた。

「───何か空が真っ赤に燃えていて、押し潰されそうになんの。すごい息苦しくってさ、まじびびったんだから!」

 ソーニャの言葉にオリガは凍り付きそうになった。ソーニャも同じ夢を見ていた?

「まあアイランドイフィッシュでイヤなもの見ちゃったからね、その影響かなとは思うんだけどさ」

 それは違う、とオリガは思った。何故ならソーニャは間近でアイランドイフィッシュの惨状を目撃しているが、オリガは直接的にはコロニー内部を目にしてはいない。

 偶然の一致にしては出来過ぎている気がした。そしてあの夢が暗示するような近しい未来の姿は、決して喜ばしい状況ではない。

「これから連邦の艦隊と対峙するって時によ、縁起でもねえ事言ってんじゃねえぞ」

 コクピットの後ろから現れたヤンネが冷やかしを入れる。

「もしかしたら予知夢とかだったりしてな。ソーニャ、まさかお前ニュータイプかよ」

「ふざけないでよ、私本当に息が止まるかって思うほどヤバい夢だったんだから!」

 ニュータイプ?ヤンネの冷やかしを聞いてニコとシモンは顔を見合わせると、途端にげらげらと笑い出した。

「オリガならともかく、ソーニャがニュータイプ?ないない、ありえねえよ」

「失礼ね、私がニュータイプで何の問題があるってのよ」

「お前みたいに脳みそも筋肉で出来てるようなニュータイプがいてたまるかよ」

 ソーニャはそれを聞いて不満げに「ふんっ!」と鼻を鳴らすと、05ザクの胸部装甲を蹴って自分の機体へと飛んで行った。

「そう言えばオリガも変な夢見たとか言ってなかったか?」

「あの私───」

「いやあ、終わった終わった。基準機と狙撃型って意外に変更点沢山あるのな、シモンいて助かったわ。ニコ、お前は何の役にも立たなかったけどな」

「狭いコクピットに男三人もいりゃ息苦しいだけだろ───で、オリガ何だって?」

「いや、いいの。何でもないから」

 力なく愛想笑いをするオリガを見て、ニコは眉をひそめた。ソーニャが夢を見た話をしてから、オリガはあきらかにそわそわして様子がおかしい。

「おいオリガどうし───」

 ニコの呼び掛けは格納庫に鳴り響く警報音とそれに続く艦内放送に掻き消された。

『グリフォン小隊各員に告ぐ、0400から出撃ブリーフィングを行う。サブブリッジに集合しろ』

「やれやれ、結局仮眠はなしか。みんな、サブブリッジに行くぞ」

 

 サブブリッジに集合したグリフォン小隊の隊員を見て、イェーガーは不満げに顔をしかめた。僅か数時間とは言え、与えた筈の仮眠を誰も取っていないように見えたからだ。

「衛星軌道上の偵察部隊から報告が入った。ルナ2からマクファティ・ティアンム少将率いる第四艦隊が、そしてルウム近海に展開していた第八艦隊がこちらに向かって来ている───」

 ニコはイェーガーの話を聞きながら、横目でオリガの様子を盗み見た。オリガはしっかりと正面を見据え、その様子はいつもと変わらないように見える。ニコは考え過ぎかと頭を振り、イェーガーの説明に戻った。

「───第四艦隊はコロニーの地球降下阻止の為、核魚雷を装備していると考えられる。我々の任務はコロニーから連邦艦隊を遠ざけ、その攻撃を封印する事にある。何か質問は?」

「我々の装備は対艦砲などに限定されると言う事ですか?」

「そうだ、しかし後の作戦との兼ね合いから核弾頭の使用は見送られる事になった。通常弾頭では厳しいものがあるが、撃沈が第一の目的ではないと言う事を各自頭に入れておけ」

「了解!」

「それともう一つ、個人的なスタンドプレイは絶対に許さん。任務を遂行する事で個人の戦績など勝手に付いて来る。我々グリフォン小隊はチームとして作戦に従事する、わかったなソーニャ?」

 ちょっと何で私だけ名指しなのよ?とソーニャが悪びれもなく呟いた。ニコはその物言いに半ば驚きながら「お前が一番危ないって事だろ、黙って言う事を聞いとけよ」と言うと、即座に脇腹にソーニャの肘が飛んで来た。

「どうしたクロフト、具合でも悪いのか?」

「いや、あの、さっき食べたレーションが体に合わなかったみたいで」

「まったく、機体の整備と同じく各自体調管理にも気を配れ。私からは以上だ、グリフォン小隊解散!」

 サブブリッジから格納庫に戻る途中で、ニコとソーニャの不毛な小突き合いが始まった。後方からそれを見ていたオリガは溜め息をつくと、小隊の後を追った。

 

 アイランドイフィッシュは核パルスエンジンに拠ってまず月に向かって加速し、月スイングバイに拠って更に加速して地球へと向かっていた。途中ルウム近海に展開していた第八艦隊の雷撃戦隊の攻撃を受けるものの、相対速度にかなりの開きがあった為に、攻撃は限定的であり殆ど影響はないと思われた。

 問題はティアンム率いる第四艦隊だった。第四艦隊は高度百二十キロの宇宙と大気圏の境とも言えるラインを、第一宇宙速度を維持したまま迎撃して来ると予想されていた。ティアンム艦隊を下方から攻撃しようとすると、減速した時点で地球の重力に捕まり、大気圏に引き摺り込まれてしまう。つまりティアンム艦隊は下方からの攻撃を殆ど気にする事なく、上方に対空砲火を集中させコロニーに攻撃を仕掛ける事が出来る。だがそれは諸刃の剣のようなものだった。むしろその当落選上を維持しなければならない連邦艦隊の方が危険度は高い。

 大気のない宇宙空間では核に拠る攻撃は効果が薄い為、そこまで高度を落とさなければいけない事情が連邦艦隊にはあった。またコロニーの降着目標がジャブローである事ははっきりしている以上、他の選択肢がティアンム艦隊にはなかったのだ。

 完全に虚をついたコロニー駐留軍との戦闘などとは、比較にならない激戦になると誰もが思っていた。

 連邦軍でも名将と名高いティアンム少将が、背水の陣を敷いてまさしく死に物狂いでやって来るのだ。ニコ達グリフォン小隊は狭いコクピットの中で、永遠にも思える待機時間を過ごしていた。

 

 突然格納庫内が慌しくなった。サイレンが鳴り響き、非常警告灯にはノーマルスーツ着用の文字が踊っている。

 与圧されていた格納庫の空気が減圧されるに連れてサイレンは聞こえなくなり、ゆっくりと圧力隔壁が開いて行く。遂にその時が来た、アイランドイフィッシュ周辺に展開している宇宙攻撃軍に出撃命令が下されたのだ。

 ニコは火器管制システムをチェックしながら、やはり物憂げなオリガの表情が気に掛かっていた。圧力隔壁が開いて外部シャッターが開放されるまで、まだ多少の猶予があった。ニコは意を決してコクピットを飛び出すと、オリガの乗る05ザクの元へ向かった。

「オリガちょっといいか?」

 オリガはシステムチェックを終えてコクピットハッチを閉めようとした時、ニコの存在に気付いた。

「ニコ?もう発艦する時間よ、どうしたの?」

「さっき様子がおかしかったからな、戦闘の前に不安は取り除いた方がいいかな、と思って」

 オリガはニコに見透かされている事を知って赤面すると、バツが悪そうにもじもじしながら生体モニターをオフにした。

「色々考えてたら、私わかんなくなっちゃって───」

「わからないって、何が?」

「例えばコンスタンティン撃沈の時はジオンの正義の為って思えたんだけど、アイランドイフィッシュ攻撃に関しては全然理解出来ないのよ」

 ニコはオリガの吐露に対して軽い衝撃を覚えた。何故ならそれはブリティッシュ作戦に参加した多くの将兵が抱える事になる、大いなる矛盾を内包した事実だったからだ。ジオンの軍上層部の真意が何処にあるのか、頭の中に疑問符を抱きながら作戦に従事しているのはほぼ間違いがない。

「でもわかってる、わかってるの。私はジオンの軍に所属するパイロットで、ただ命令に従って敵を撃滅するばいい。だけど───」

 つまりオリガはジャブローにコロニーを落とす為に、同胞である筈のスペースノイドを虐殺する事の何処に大義があるのかと言いたいのだ。

「───私がしている事が本当に正義なのか、本当にわからないのよ。もしかしたら、とてつもなく恐ろしい事に加担しているんじゃないかって」

 ソーニャ・カミンスカヤが感情のまま即応するのとは対照的に、オリガは極めて論理的な事象の捉え方をするのだとニコは感心した。思えばオリガ・エレノワはまだ二十歳にも満たない、少女と言っても差し支えのないあどけなさを残している。

「オリガ、アイランドイフィッシュで起きた事は残念だった。でも歴史にもしかしたらはないんだ、今ここでそれを悔いても彼らが生き返る訳じゃない」

「じゃあ地球の人達はどうなるの?あの押し潰されるような空が燃えて落ちて来るのよ───」

 ニコは目を見張り、そして自分の耳を疑った。「空が落ちて来る」とオリガは間違いなくそう言ったのだ。オリガもソーニャと同じ夢を見ていた?出撃前にオリガがこれ程神経質になるきっかけが、その夢の存在である事はほぼ間違いないように思えた。

「なあオリガ、それならこう考えてみてくれ。俺達ジオンは何の為に戦っているんだ?」

「分かりきった事聞かないでよ、ジオンの独立の為でしょ」

「そうだ、それなら今はあのコロニーをジャブローに落とし、この戦争を終わらせて独立を勝ち取るのが最優先されるべきじゃないか?」

「それはそうだけど、でも───」

 ちょっとニコ、何やってんのよ!さっさと出なさいよ、後ろ詰まってるんだから!オリガの反論は騒がしいソーニャの無線に掻き消された。

「考える事はいつでも出来る。切り替えろよ、連邦艦隊に足元を掬われないようにな。わかったか?」

 オリガは明らかに納得していない様子だったが、こくりと頷くとニコが機体から離れたのを確認してコクピットハッチを閉めた。

 ニコはオリガの発言に対して否定も肯定もせず、角を立てる事なく受け流しているように感じていた。小隊の副長と言う立場上仕方ない事なのかも知れないが、オリガにとってはその場凌ぎの的外れな言い訳としか思えなかった。

 切り替えろ、ですって?それが出来ないから困ってるって言うのに!

 オリガは収束するどころか更に加速して行く苛立ちを抱えて、漆黒の海へ飛び込んで行った。

 

 ムサイ級ヒュンメルの格納庫中央のウェポンラックから、ニコのザクCはA2バズーカを手に取った。そして今は開放されている格納庫の出入り口にザクの歩を進めた。

「グリフォン小隊ニコラス・クロフト、出るぞ」

 サブスラスターを噴射して母艦から距離を取ると、ニコはメインバーニアに点火して小隊の集合座標へ向かった。ヒュンメルと並走する何隻ものムサイ級からMSが次々に飛び出して来るのが見える。

 遅れて小隊に合流してすぐに、イェーガーが機体を接触させて来た。音を伝達する物質がない真空では、それぞれの機体を接触させる『お肌の触れ合い会話』が有効だ。通信を伴わない為に、その会話を他に聞かれる心配もない。

「クロフトどうかしたのか?」

「オリガが少しナーバスになっているみたいで」

「オリガが?珍しい事もあるものだな。まあアイランドイフィッシュの件もある、多少の動揺は致し方あるまい」

「そうは言ってもオリガはまだ若いですから、作戦行動に影響なければいいですが」

「ジオン女学校を二学年飛び級して来たのだぞ、オリガなら自分で答えを見つけるだろう」

「ならいいんですが───」

 イェーガーはニコの言葉をただの杞憂であると一笑に付す事もできた。しかしニコの憂慮には根拠があり、前例があったのをイェーガーも思い出していた。

 

 オリガがグリフォン小隊に配属されて程なく、ハイデルベルク号拿捕事件があり、連邦の軽巡コンスタンティンを撃沈したオリガは時の人となった。オリガの活躍はジオン士官学校の優秀さを立証するものとして、国内外に喧伝する為に積極的にプロパガンダに利用されたのだ。本来の任務とは掛け離れた業務に謀殺されたオリガは、次第に精神的に疲弊して行った。またその直後に唯一の肉親である祖母が亡くなった事も重なり、訓練に於いても精彩を欠く事が多くなった。

 天才的な閃きを持っていたオリガは優秀であるが故に、自らが招いた結果に拠って精神面での未熟さを露見する事になってしまった。しかし開戦が近くなり、その気配を掻き消したい軍が新兵獲得キャンペーンを取り止めると、オリガは本来の落ち着きを取り戻したように見えた。その矢先にこの開戦があり、そしてブリティッシュ作戦である。

 アイランドイフィッシュでソーニャ・カミンスカヤが見せた衝動と同様の事が、オリガに影響を与えたと考えても不思議ではない。そしてその危険性を予見しているのは他でもない副長のニコラス・クロフトなのだ。

「わかった、観測手でもあるラファールにオリガの行動をよく見ておくように強く言っておく、私も状況を注視しておこう。それで良いな?」

「はっ、ありがとうございます!」

 自機から離れてクロフト機が相棒でもあるソーニャの元へ飛び去って行く。その姿を見送りながら、イェーガーはふっと笑みをもらした。

 

 イェーガーはグリフォン小隊の核はオリガでもソーニャでもなく、このニコラス・クロフトだと思っていた。

 士官学校の成績は凡庸なものだが、テストパイロットを経験し機体の試験評価に於いては抜きん出た才能を持っている。そしてイェーガーですら手を焼くあのソーニャ・カミンスカヤを、何だかんだと言いながらも上手く手なずけている。

 イェーガーはニコの事を『水』のような奴だと思っていた。荒ぶるソーニャを液体のように包み、時には気体のように煙巻き、そして時には友軍の海兵隊ですら躊躇なく撃ち抜く氷のような非情さをも持ち合わせている。あの時、ニコがオリガに撃てと命じなければ、自分とソーニャは貨物シャトルごと穴だらけになっていてもおかしくない状況だった。

 イェーガーにとって不可解なのは、何故あの時オリガが目標を捉えているとニコが把握していたのか、と言う事だ。ニコはオリガに対して現在地の確認すらしていない。単純にその余裕が無かっただけかも知れないが、イェーガーとしてはニコが何らかの確信を持ってオリガに命じたような気がしてならなかった。

 小隊が帰還した後、イェーガーはその功績を称えようと二人を呼び止めた。ところがオリガは「誰かわからなかったが、撃てと言われたから撃った」と言い、ニコに至っては無我夢中で覚えていないと言葉を濁していた。

 そそくさと格納庫を後にする二人を見て、イェーガーは二人とも嘘を吐いていると看破していた。恐らくそれは一般的には理解し難い、言葉に起こすのが難しい事なのだろうと思っていた。つまり直感や第六感と言った類の精神的な閃きの事だ。

 戦局が膠着しそれぞれの技術や戦力が拮抗していた場合、最後の決め手になるのは直感や精神力になる事をイェーガーはよく知っていた。そしてそれは時間と共に誰でも獲得出来るものではなく、生まれ持った天性に拠る部分が大きいとも思っていた。

 些細なきっかけから、コロニー公社に内定が決まっていたニコ・クロフトを見い出し、そしてテストパイロットにまで引き上げたランバ・ラルの先見の明を、改めて感嘆せざるを得なかった。そしてイェーガーはこの戦争を通じて自分の命を救った部下達の行く末を、この目で見届ける必要をひしひしと感じていた。

 ニュータイプか、もしかしたらニコラス・クロフトのような奴の事を言うのかも知れんな。

「イェーガー大尉、アイランドイフィッシュが降下軌道に乗りました、ジャブロー直撃コースです!」

 イェーガーはコロニーに対し熾烈な攻撃を加える連邦艦隊の中心に舵を切ると、グリフォン小隊の先陣を切って突っ込んで行った。

 

「一体どうなってんだよ、連邦の艦隊に押し込まれてるじゃねえか!」

 ヤンネ・ラトバラが驚くのも無理は無かった。連邦艦隊を迎え撃った海兵隊機は一部を除き、その殆どが冷却材の入った外部タンクを背負っていた。耐熱コーティング作業が予定よりも長引いたか、連邦艦隊の到着が思っていたよりも早かった、又はその両方の理由で海兵隊機は余分なペイロードを背負ったまま迎撃に出たのだ。

「海兵隊の奴ら口ほどにも───」

 シモン・ラファールはメインカメラの望遠倍率を上げながらそう呟き、そして口をつぐんだ。

 MSの利点である機動性を犠牲にしながらも、背部に冷却タンクを背負った海兵隊機は果敢に連邦艦隊に攻撃を加えていた。

 アイランドイフィッシュの降下軌道を確定させる為にミノフスキー粒子は散布されておらず、その為に多くの海兵隊機は誘導ミサイルや対空砲火の餌食となっていた。しかし海兵隊はそれでも全く怯む事なく、執拗に連邦艦隊に波状攻撃を繰り返している。事実連邦艦隊は撃破しても撃破しても飛来する海兵隊に、底知れぬ恐怖を感じて恐慌状態に陥っていた。

「───いや、こいつらすげえ。これがジオンの海兵隊なのかよ」

 ある者は厚い対空砲火に阻まれて被弾し、ある者は対空防御の薄い艦底に潜り込もうと高度を落として、重力の鎖に絡まって墜落して行く。それでも海兵隊は食い下がり、絶え間ない攻撃を仕掛けている。被弾して損傷した機体を除いて、戦線から離脱する機体は一機たりともいない。それは厳しい訓練に拠って培われた、海兵隊の統率の高さを見事に現していた。

 連邦艦隊の先頭を航行していたサラミス級が遂にメインエンジンに被弾し、炎を噴き上げながら戦列から離脱して行く。サラミスが失速し大気圏に沈没して行くのを見届けると、海兵隊機は次々と他の艦に目標を変えて襲い掛かった。それは傷付いた大型の草食獣に牙を立てる、肉食獣の群れのようにも見える。

「何よこれ、何でみんな冷却タンク背負ってるのよ。何で外さないまま戦ってるのよ!」

 著しく機動性を損なう仕様で、次々と撃墜されて行く海兵隊機を見てソーニャが叫んだ。アイランドイフィッシュ上でソーニャと対峙した海兵隊機のように、何故爆砕ボルトに点火してパージしないのかと言いたいのだ。

「ソーニャ、それは出来ないんだ。格闘戦を見越して開発された06ザクと違って、汎用機である05ザクにはその設定がない」

「そんな、そんな事って───」

「我々グリフォン小隊は当初の目的通り艦隊の中心から後方の艦を叩く。我がジオンの理想の為に、その命を賭して散った者達の死を無駄にするな。行くぞ!」

 小隊長イェーガーの号令の元、グリフォン小隊は散開し対空砲火の雨の中に飛び込んで行った。

 

 ソーニャが危惧しその命を散らした海兵隊の働きは、決して無駄死になどではなかった。その証拠に執拗な攻撃に手を焼いた連邦艦隊は混乱し、その戦列を乱し始めている。コロニー攻撃に集中出来ないと判断したティアンムは、何隻かのサラミス級を迎撃に振り分け反撃に打って出ていた。

 連邦艦隊がコロニー攻撃と迎撃に艦隊を振り分けた事で、対空砲火は更に熾烈を極めた。戦端を切り拓こうと飛び込んだニコとソーニャでさえ攻めあぐね、連邦の艦に中々接近出来ずにいた。

「グリフォン小隊各員に告ぐ、連邦艦隊の進行高度が予想より十キロ低い、各自高度の維持に務めろ」

「一機でも多く地獄に道連れってか、趣味が悪いねえ」

「ソーニャ、ミノフスキー粒子の濃度が薄過ぎる。誘導ミサイルに気を付けろ」

「そんな事言ったって、何処から潜り込めばいいのよ!」

「どうしたソーニャ、怖じ気付いてるのか?」

「はあっ?誰に向かってもの言ってんのよ!」

 ソーニャの闘争心に火を付けるニコの言葉に、イェーガーはにやりとほくそ笑んだ。

「私はグリフォン小隊二番機、ソフィア・カミンスカヤだ!」

 ニコが立て続けに放ったバズーカの弾頭が、サラミスの艦橋近くに命中し爆炎を上げた。ソーニャはその間隙を突いて艦橋に取り付き、ヒートホークの刃先をメインブリッジに叩き込んだ。

「これだけコロニーに近いと連中も核魚雷を撃てない、ソーニャ主砲とメインエンジンを狙え」

「主砲とメインエンジン?───方向が逆じゃない!」

 命じたイェーガーとニコの脳裏に疑問符が浮かんだ。

「誰が同時にって言ったんだバカ、順番に片付けりゃいいだろ」

「ああ何だそう言う事?もう、早く言ってよ!」

 自動ファランクスに追尾されたソーニャはその対空砲を蹴り潰すと、艦から離れ様にバズーカをサラミスの主砲に命中させた。

「ちょっと誰よ、どさくさに紛れてバカとか言ったの。後で頭引っぱたいてやるから!」

 悪態を吐くソーニャにニコが応えようとした時、不意に高度の下限設定アラームが鳴った。

 

 シモン・ラファールはチャフやフレアを駆使して誘導ミサイルを排除し、オリガに最適な狙撃ポジションを作ろうと躍起になっていた。敵艦の高度や速度を計算しながら弾道を割り出し、最小のリスクで最大の効果が得られる場所を探索していたのだ。

 幾度目かの対空砲の火線を回避した時、シモンは同じように回避行動を取るオリガ機を見やった。小隊が合流して散開する時、シモンはイェーガーにその行動をよく見ておけと厳命されていた。

 ニコがオリガの不安定さを危惧しているとイェーガーは言ったが、シモンには別段変わったところはないように思えた。機体の動きも悪くない、無線のやり取りにも不安定さはまるで感じられなかった。

 ───まあオリガはジオンの英雄だからな、心配する気持ちは判るがちょっと過保護すぎやしないか?

 ソーニャが艦に取り付いて艦橋と主砲を破壊した後、サラミスの対空砲が前方へと一斉に偏ったのをシモンは見逃さなかった。そしてその時に異変は起きた。

 艦の右舷後方に回り込んだオリガは、慎重に狙いをつけ初弾を発射した。シモンは我が眼を疑った、ベストポジションに居る筈のオリガが狙いを外したのだ。

 シモンもオリガ自身も初めは不発だったのかと思っていた。オリガはすぐさま排莢して次弾を装填し、続けて何発か撃ったが結果は同じだった。

 高度百キロでは大気は希薄な為に殆ど影響はないが、重力の影響は実は地上とさほど変わらない。勿論オリガがそれを知らない筈はないし、疑似重力下のコロニー内部や月面上での狙撃訓練も経験している。例え初弾を外したとしてもオリガは直ぐに修正し、次弾以降は必ず的を撃ち抜いていた。そのオリガ・エレノワが狙撃に失敗したのだ、それも立て続けに何発も。

 シモンはオリガの持つMN-76の不具合を疑ったが、当のオリガはその原因が自身にある事に気付いていた。何度もフラッシュバックのように『焼け爛れた空』が脳裏に現れ、出撃前のニコとのやり取りも相まって、オリガは完全に冷静さを失っていた。

「シモンごめん、狙撃位置を変えるから───」

 オリガはぼそりとそう呟くと、止める間もなく対空砲火の中へ飛び去って行った。シモンは直ぐにオリガを追い掛けたものの、完全に見失い顔面蒼白になった。

 単独行動を厳しく禁じられている上、イェーガーにオリガの行動を見張っておけと言われているのだ。ニコが指摘したオリガの不安定さが、暴走と言う最悪の形で的中する事になってしまった。そして対空砲火を掻い潜りながらオリガを探すシモンの機体も、ニコと同じく高度下限アラームが鳴り始めた。

「やばいよ、オリガお前の機体はやばいんだって!」

 シモンは何度もオリガに呼び掛けたが返答はなかった。

 まさかオリガが撃墜されたとは思えないが、その可能性も捨て切れない。艦後方からの狙撃ポイントには限りがある、オリガと連絡が取れない以上シモンは虱潰しに探すしかない。

 シモンは「過保護」と簡単に割り切っていた自分の浅はかさを呪い、オリガ捜索の為に幾度となく対空砲火の中へ飛び込んで行った。

 

 ソーニャがメインブリッジを潰したサラミスは、生き残った将官に拠ってサブブリッジに操舵を移管し、しぶとく航行を続けていた。イェーガーが止めを刺そうとグリフォン小隊に号令を掛けようとした時、高度下限アラームが鳴った。

 連邦艦隊はジオンのMS部隊を引き連れながら、高度を高度百キロのカーマンラインまで少しずつ落としていた。

 撃沈には至らなかったものの、メインブリッジを破壊し、対空防御を無効化した事でイェーガーは満足していた。当初の目的であったように、サラミスの主砲をほぼ封印し艦隊の戦列から引き剥がしたのだ。更なる深追いは無用だった、戦闘能力を失った艦の乗組員を無駄に殺す必要もない。

 傷付いたサラミスを見送るグリフォン小隊の元に、シモン・ラファールの無線が飛び込んで来た。シモンと一緒に居た筈のオリガが「何処を探しても居ない」と言う。

「そんな馬鹿な話があるか!全員で探せ、探すんだ!」

 イェーガーの怒号と共にオリガの捜索が始まった。オリガの05ザクも高度下限アラームが鳴っている筈だ。オリガが生きているなら周辺のカーマンラインより上空に居る筈なのだが、やはり何処にもオリガの姿はない。

「シモンあんたオリガの観測手のくせに何やってんのよ!もしオリガに何かあったら───」

「ソーニャ止めろ、そんな事言ってる場合か!」

「だってオリガが、もしオリガが───」

「今シモンを責めて何になる、オリガが簡単に敵の弾を食らう筈ない!」

「じゃあ何処に居るってのよ!オリガは───」

 ソーニャのヒステリックな叫びと同時に、眼下のサラミスのエンジンが被弾し爆炎をあげた。ニコとソーニャの口論を他所に、サラミスの後方を注視していたヤンネのザクが指を差した。

「なあ、サラミスの後方にザクが居るけど、あれまさかオリガじゃないよな?」

 グリフォン小隊のザク全機のモノアイが、その指差す方向へ動いた。

「あんな低い位置にオリガが居る筈ないよな?なあ、誰かそうだって言えよ!あれ、オリガじゃねえよな?」

 

 オリガは『焼け爛れた空』の印象に苛まれ、立て続けに狙撃に失敗した事で出口のない迷路に迷い込んでしまった。コロニー落としは悪魔の所業ではないのかと自問自答した挙げ句、泥沼のような精神の深淵に引き摺り込まれていた。一方ではジオンの英雄と祭り上げられた自分に対する期待と、考えられる悲劇的な結果の救いようの無いジレンマに陥ってしまったのだ。

 シモンに何と言ってその場を離れたのか、思い出せない程オリガは混乱していた。

 ───右舷後方からの狙撃には失敗した、そうだ重力の影響を考えていなかった。距離が問題ならその距離を詰めてしまえばいい。

 撃沈に拘る必要はないと言ったイェーガーの言葉も忘れていた。連邦の艦は大気圏と宇宙の境ぎりぎりを飛んでいるのだ、艦のアシを止めれば勝手に大気圏に沈んで行く。

 ───ニコがコロニーをジャブローに落とせば戦争は終わると言った。あのニコ・クロフトが間違った事を言う筈がない。このサラミスを沈めてコロニーを落とす、それでこの間違った戦争は終わる。私が終わらせるんだ!

 オリガはサラミスの後方から接近し、対空砲火を掻い潜りながら狙撃ポイントを探した。弾道を計算しながらミサイルを回避し、また弾道計算をやり直すと言う行動を繰り返した。

 ───シモンは毎回こんな事をしてくれていたの?対空砲火を回避しながら狙撃ポイントを探して弾道計算と観測も?あの人もしかして天才なんじゃないの?

 オリガはそれまでシモンに委ねていた事を全て自分独りで経験する事で、改めてシモン・ラファールの存在の大きさを再発見する事になった。

 オリガは幾度となく接近を試みたが、最適な狙撃位置を確保できずにいた。そしてそんな時オリガは奇妙な事実に気付く。

 対空砲を避けて艦底の後方に回り込んだ時、全く攻撃を受けなかったのだ。しかもその位置からは艦底が丸見えと来ている。オリガは地上に背を向けるように仰向けに機体をロールさせると、対艦ライフルを構え弾道計算のキーを叩いた。

 

「なんて事だ、オリガその位置じゃダメだ。その機体じゃダメなんだよ」

 シモン・ラファールが弱音を吐くところなど、誰も聞いた事がなかった。そしてそれはオリガが置かれた状況が、窮めて困難である事をグリフォン小隊の全員が悟る事にもなった。

「シモンどう言う事なの?オリガの一体何がダメなのよ」

「06ザクならともかく、オリガの05ザクではあの高度を維持出来ない───」

「ウソ、そんなの嘘よ。だってオリガが下限アラームに気付かない訳ない」

「───推力が足りないんだ、恐らくずっと全開で飛んでいる筈だ」

「ふざけないでよ!それじゃあオリガは───」

「いずれプロペラントが尽きて地球に落ちる」

「シモン貴様ぁー!」

「止めろ!口論なんかしてる場合か、解決法をみんなで考えろ!」

 イェーガーはそう言ってその場を収めたものの、イェーガー自身良さげな解決法は思い付かない。

「大尉暫定ですがこの前ニコとソーニャがシャトルを挟み込んだように計算してみました。二機のザクCなら辛うじて高度は維持出来ます。ただ上昇するまでにプロペラントが持つかどうか───」

 ヤンネが弾き出した答えは、ソーニャにとっては死刑宣告にも等しい残酷な事実だった。例え一時的に高度を維持出来たとしても、プロペラントは無限ではない。それは誰か二人がオリガの元へ駆け付けても、全員助からないと言う可能性の高さを示していた。

「オリガ見えるところに居るんだよ?それなのに何で助けに行けないのよ!」

「ソーニャ、お前の気持ちも判るが───」

「イェーガー大尉やりましょう、考えてるだけでは時間の無駄です」

 ニコの言葉にイェーガーは激しく動揺し、言葉に詰まっていた。成功する可能性はゼロではないが、この試みに失敗した場合機体はともかく三人の部下を一度に失う事になる。

「もう無理、私耐えられない。軍規なんてどうでもいいわ、私行くから!」

「ソーニャ勝手な行動は許さんと言った筈だぞ!」

「じゃあどうしろって言うのよ!ここで指を銜えてオリガが燃え尽きるのを見学してろっての?冗談じゃないわ、私のオリガを見殺しにするくらいなら、一緒に焼け死ぬ方がましよ!」

 ソーニャがイェーガーに厳しく詰め寄ると、またサラミスの後部から爆炎が噴き上がった。それを見たヤンネは未だに狙撃を続けるオリガを指差し、そして叫んだ。

「オリガあいつ、まだ諦めてないんだ。オリガ・エレノワは生きる事を諦めてなんかいない!」

 

 オリガは前後に並走している筈のサラミスと、全く距離が縮まらない事に首を傾げた。メインバーニアはほぼ全開であるにも関わらず、寧ろ距離は離れつつある。

 不意に嫌な予感が胸をよぎった。オリガは視界の隅にちかちかと点滅する赤い光を認めて、意を決してそのスイッチに指を伸ばした。その途端にけたたましい警報音がコクピット内を満たし、オリガは酷く驚いて慌ててそのスイッチを切った。それは高度下限アラームの音量スイッチだった。

 オリガはその意味を理解すると、一気に血の気が引いて行った。帰還出来る高度の下限を下回っているのだ。そしてメインバーニアを全開にしても高度の下降は止まらない。つまり地球周回軌道から外れて、アイランドイフィッシュと同じく地上に向かって落下し始めていた。

 何て迂闊なのだろうとオリガは自分自身を責めた。しかしシステムチェックした時は異常はなかった筈だ。

 システムチェック?オリガは出撃前にニコが話し掛けて来た事を思い出した。ニコに動揺を悟られまいと慌てて生体モニターのスイッチを切ったのだ。そして高度下限アラームの音量スイッチはその直ぐ横にある。

 その事実を知った時、オリガは途端に大声で笑い出した。

 ───信じられない、こんな事ってある?

 一頻り笑い終えた後でオリガはふうっと息を吐いた。もうじたばたしてもどう仕様もない、プロペラントが尽きるまで飛んで後は落ちるだけだ。あの『焼け爛れた空』はこの事を示していたのかも知れない。

 そう言えばソーニャも同じ夢を見ていた筈だ、もしかしてソーニャも?オリガは頭を振ってその考えを無理矢理掻き消した。ソーニャはそそっかしいところもあるが、そんなミスはしない。そうだソーニャ・カミンスカヤはそんなヘマなんかしない。

 オリガはやっと出会えた唯一無二の親友ソーニャの事を思って泣きそうになった。もう全てを投げ出して重力に身を任せてしまおうかとも考えた。

 思えば何時の間にか無線は完全に沈黙していた。大気圏に突入して機体がプラズマに包まれると、MSでは通信の手段がない。そもそもオリガはシモンを振り切って来たのだ、オリガの位置など誰も把握していないかも知れない。例え知っていたとしても通信が使えない以上、助けを呼ぶ事も出来ない。そして誰かが助けに来たとしても助かる可能性は皆無に近い。

 オリガは溢れ出る涙を堪え、そして覚悟を決めた。

 助けには来られなくても、もしかしたら落ちて行く自分を誰かが見届けているかも知れない。

 ───不様な格好は見せられない、私はジオンの英雄オリガ・エレノワなのだから。

 オリガは正面に向き直り、再び弾道計算を始めた。そしてサラミスを照準に捉えて、弾倉が空になるまで撃ち続けた。そして遂に最後の弾を撃ち終えた時、ゆっくりと目を閉じて来たるべきその時を待った。

 突然機体に衝撃を受けてがくんと高度が落ちたような気がした。オリガは断熱圧縮が始まった事を悟って、機体の爆散が近いのだと思った。するとまた似たような衝撃があり更に高度が落ちた。オリガは流石に何かおかしいと思ったが、サラミスの破片でも当たったのだろうと無視した。

 ───オリガ?オリガ?

 今度は幻聴が始まったのだと思った。この高度で自分を助けに来るようなバカはいない。

 ───オリガ?オリガ?

 ちょっと待って───オリガは思い出した。自分の最も身近に極めつけのバカが居た事を。

 ───オリガ、ちょっと生きてんの?返事しなさいよ!

 オリガは大きく息を吸い込むと、慣れ親しんだその声にありったけの大声で返事をした。

「生きてるに決まってるでしょ!このばかソーニャ!」

 

 ソーニャがイェーガーに詰め寄っていた時、ニコは姿勢制御用のスラスターを操作して自機をソーニャ機にぴたりと寄せていた。

 ───ソーニャ聞こえるな、行くぞ準備しておけ

 ───ニコ?行くぞって、あんた本気なの?

 ───当たり前だ、オリガを見殺しには出来ない

 ───でもイェーガー大尉が

 ───失敗したら一辺に三人を失うんだ。イェーガー大尉の心情も察しろよ

 ───でもどうやってオリガを助けるのよ?

 ───心配するな、勝算はそれなりにある

 ───それなりかぁ、ゼロじゃないだけましだけど

 ───どうした、もしかしてびびってるのか?

 ───びびってる?誰に向かって言ってんのよ!

 いいぞ、乗って来た。ニコは独り拳をぐっと握り締めた。

「何回言えばわかるのよ、私はソフィア・カミンスカヤだ!」

『お肌の触れ合い会話』である事を忘れて、ソーニャは突然自分の名前を宣言した。イェーガーはぎょっとしてソーニャ機を見た、すると傍らにニコのザクがぴたりと寄り添っている。最早恒例になりつつあるソーニャの口上は、決断を渋るソーニャを焚き付けるニコの常套手段だ。クロフトめ、ソーニャに何か吹き込んだな?

 ソーニャのザクの背後がぽっと明るくなり、メインバーニアに点火したのをイェーガーは知った。ソーニャは相反するスラスターを噴いてホバリングしているが、飛び立とうとしているのは一目瞭然だった。

「ソーニャ、勝手な行動は絶対に許さんからな」

「ふうん、それなら単独行動じゃなきゃ良いって事でしょ?」

 イェーガーはソーニャが急に何を言い出したのかと眉を顰めた、その瞬間ニコのザクCが突然飛び立って行った。

「ソーニャ行くぞ、付いて来い!」

「あい了解!」

 ソーニャの動きに気を取られていたイェーガーにとって、それは完全に不意打ちになった。

「クロフト、ソーニャ、勝手な行動は許さんとあれ程───」

「大尉、いつか話した例のブーストを使います」

「例のブースト?しかしこの状況であれを試みるのは───」

「我々グリフォン小隊の信条は『成すべき時に成すべき事を成す』でしたよね?」

「あと『窮地に陥った仲間を決して見捨てない』でしょ?」

 イェーガーは二人の言葉を聞いて完全に出し抜かれた事を知ると、くくっと愉快そうに笑った。

「グリフォン小隊長として命令する、ニコラス・クロフトとソーニャ・カミンスカヤ両名はオリガ・エレノワの救出に全力で当たれ。なお失敗は絶対に許さん、全員必ず生きて帰って来い!」

 

 ニコは一直線に高度を落としながら、ソーニャに全ての武器を投棄するように命じた。もし上昇したところに連邦艦隊がいたらどうするのよ?とソーニャが聞くと、「ただ撃たれて死ぬだけだ」と事も無げにニコは応えた。ソーニャは一瞬躊躇ったが、例のブーストとか言う秘策をニコが持っている事を思い出し、予備弾薬も含めて全ての武器を投棄した。

「シモン、無線まだ取れるか?」

「ああ大丈夫だ、どうした?」

「残りのプロペラントから逆算して、何パターンかのランデブーポイントの抽出を頼む」

「わかった任せろ。ヒュンメルにも連絡をつけておく」

「ヤンネ!」

「な、何だどうした?」

「ヤンネはそうだな───オリガ救出をとにかく祈れ」

「祈れ?」

「そうだ、もし成功しなかったらお前の祈りが足りないせいだからな!」

 ニコとソーニャは急降下してオリガの高度まで下がると、微妙な軌道修正を繰り返しながら少しずつオリガに近付いて行った。何度もソーニャが呼び掛けてはいるが、三機のザクはプラズマに包まれ始めており通信は使えなかった。やはり直接接触して『お肌の触れ合い会話』をするしかない。

 この高度、この速度で手荒く接触すれば、瞬時に全員が弾き飛ばされるのは明らかだった。そして回復不能なスピンをしながら、大気圏に引き摺り込まれるのだ。

 ニコとソーニャは互いに距離を取り、まずニコがオリガ機に追いついて05ザクの脚をしっかりと掴んだ。そして続け様にソーニャが組みついてオリガに呼び掛ける。

 返って来たオリガの応えは「ばかソーニャ」の一言だった。

 

 オリガは機体を通じて伝わって来たソーニャの声を聞いて、夢でも見ているのかと思った。そして自分を救う為にこの高度まで下降して来たばかはもう一人いる。それは他でもないあのニコ・クロフトだった。

 ニコはオリガにも武器の投棄を命じた。オリガの持つMN-76は狙撃手の誇りとも言えるものだ。オリガはソーニャと同じ理由で一瞬躊躇ったが、直ぐに対艦ライフルを手放した。

 ソーニャだけではなくこの場所にニコが居るやと言う事は、少なからず助かる可能性があると言う事を示していた。でなければあのイェーガーが許可などする訳がない。

「オリガ、ザクの腕を拡げるんだ左右均等に」

 オリガはそれを聞いてニコの狙いをすぐに読み取った。クェジェリン宙域で貨物シャトルを加速させたのと同様の事を試みようとしているのだ。

 ニコとソーニャはザクの脇の下に潜り込むと、それぞれスカートの縁とバックパックをしっかりと掴んで三機のザクを結合させた。

「ソーニャ行くぞ、フルパワー!」

 三機のザクの集合体の推力に拠って、下降を続けていた高度計の数値がぴたりと止まった。そして苛立ちを覚える程ゆっくりとだが、確実に上昇へと転じて行った。

 もしかしたら本当に助かるのかも知れない。淡い仄かな期待が現実味を帯びて、確信へと変わろうとしていた。しかしその時、その希望を打ち砕こうと警報音がオリガのコクピット内に鳴り響いた。

「ニコ、プロペラントが───」

 推力の足りないオリガの05ザクは、高度を落としてからずっと全開で飛行していた。遂に噴射する燃料が無くなり、オリガのザクのメインバーニアから炎が消失した。

 明らかな推力不足に陥ったザクの集合体は、再び大気圏内に落下し始めていた。

「ニコ何か秘策があるんでしょ?何とかしてよ!」

 激しい熱と振動で死の恐怖に駆られたソーニャが叫んだ。今や三機のザクは完全にプラズマに包まれ、どんどんと高度を落として行く。

「ソーニャ、バーニアのリミッターを切れ!やり方は前に教えただろ」

 ソーニャはそれを聞いてニコの頭がおかしくなったのかと思った。

「本気で言ってんの?この状況でそんな事したら───」

「この状況だからやるんだ。いいからやれ!」

 確かにリミッターを解除すれば推力は明らかに上がる。しかしこれだけ熱の影響があると、バーニアが爆発する危険性は非常に高い。ソーニャは途中までリミッターを解除する作業を行ったものの、どうしても解除に踏み切れずにいた。そしてソーニャが迷っている間にも機体は降下を続け、断熱圧縮に拠って機体の表面温度は急上昇していた。

 機体表面の青い塗装は炎を噴き上げ、超高張力鋼スチールの装甲を溶かし始めている。熱膨張に拠って機体の各所から、不気味な軋みや異音が絶え間なく聞こえて来る。

 ザクのモノアイが割れて吹き飛び、メインカメラはその機能を失った。コクピット内のモニターはブラックアウトし、ありとあらゆる警報音が鳴り響き、制御不能な振動が機体を揺さぶり続けている。

 忍び寄る死の影が確信へ近付き、ソーニャは恐怖で完全に硬直してしまった。

「ソーニャ何してる、早くリミッターを解除しろ!」

「ソーニャお願い、ニコの言う事聞いてよ!」

「お前ここに何しに来たんだ、オリガ助けに来たんじゃないのかよ!」

 ───オリガを助けに?そうだ、オリガを助けに来たんだ。殺しに来た訳じゃない。リミッターを解除したら、その瞬間みんな吹き飛ぶかも知れない。オリガもニコも、そして自分自身も。

「ソーニャいい加減にしろ、俺一人の推力じゃ無理だ」

「だって失敗したらみんな───」

「このまま何もしなくてもみんな死ぬ、早くやれ!」

 極限の状況で極度の緊張を強いられた事で、ソーニャは完全に放心状態になり自分を見失ってしまった。

「ソーニャ、お願い!」

「俺達は心中しに来たんじゃない、オリガを助けに来たんだろうが!」

 振動が更に激しくなり機体の制御もままならない、限界がすぐそこまで来ている。

「このばかソーニャ、オリガはお前の妹みたいなもんだろうが!」

 ───オリガが、私の、妹?

 

 

 ソーニャがジオン女学校最終学年の学期半ばに、新しい編入生が入って来ると噂になった。やがて教師に促されて教室に入って来たその生徒は、名前をオリガ・エレノワと言った。ぼそぼそと消え入るような声で自己紹介するオリガは、小柄で驚く程華奢だった。

 もう卒業まで一年を切った学期半ばの編入は珍しい、聞けば二学年飛び級して来たと言う。

 へえ、あの子頭良いんだ。同じロシア系ではあったが、大人しそうな年下のオリガとは合わないだろうなと考え、ソーニャは暫く様子を見る事にした。

 二学年を飛び級して来たにも関わらず、オリガの優秀さは誰もが知るところになった。直ぐにに学年トップに踊り出ると、オリガはその位置を不動のものにしていた。

 オリガは当時の担任の点数稼ぎの為に飛び級をさせられていた。自分の意思とは関係なく二学年上に放り込まれた事で、オリガは周囲に見えない壁を作ってしまっていた。それが結果的に妬みや僻みを呼び込む事になった。

 陰湿ないじめがオリガに降り掛かった。オリガは黙って耐え続けていたが、ある日その事件は起こった。

 別室の授業から教室に戻ると、オリガのランチがぐしゃぐしゃに潰されていたのだ。オリガは立ち上がり、言った。

「群れなければ個人を攻撃出来ないような卑怯者の無能が、気安く私に関わるな!」

 オリガのその魂の叫びは、下手するとクラス全員を敵に回す可能性があった。しかしソーニャはその言葉を聞いて面白がり、オリガの元へ歩み寄った。オリガに嫌がらせを繰り返していたのは誰なのかソーニャは何となく知っていた。ソーニャはそのクラスメイトを机ごと蹴り飛ばすと、オリガに手を差し伸べ「おい、飯に行くぞ」と言った。

 校舎の屋上で無言のままサンドイッチを食べながら、突然オリガはぽろぽろと涙を流し始めた。

 慣れ親しんだ級友から大人の事情で切り離され、本当は孤独で寂しかったのだと泣いた。自分の事はどうでもいいが、年老いた祖母が折角作ってくれたサンドイッチを、粗末にされた事が許せなかったのだと言う。

 ソーニャは自分の弁当を差し出して「半分やるから食えよ」と言ったが、折角おばあちゃんが作ってくれたからと潰されたサンドイッチをオリガは泣きながら食べた。

 追い詰められたオリガは泣き寝入りして媚び従うより、例え孤立してでも誇り高く戦う方を選んだ。そしてその時からオリガはソーニャ・カミンスカヤの庇護の対象になった。

 

 ソーニャはソーニャでサンボのジオンの十八歳以下代表選手であり、素行の悪さと相まって学校内外である意味有名だった。ソーニャは体重差がそれ程なければ、相手が男でも組み倒す事が出来る。そのソーニャが味方についた事で、オリガに対する嫌がらせはすぐに収まった。

 焦ったのは学校の関係者だった。オリガは何度もソーニャとは関わるなと言われたが、全く気にしなかった。

 ソーニャ・カミンスカヤはそれまでオリガが出会った事がない破天荒な人物で、お互いないものを持っていると言う点で心地良かったからだ。

 やがて進路を決める時期が来て、突然オリガは士官学校に行くと言い出した。ソーニャは叔父のミハイルが軍にいる事もあって早期に士官学校入りを決めていたが、オリガは当然国立大学に進学するものだと誰もが思っていた。今度は学校関係者だけではなく、その進路選択に多大な影響を与えたであろうソーニャも大いに焦る事になった。

 軍と言うところは体を動かすしか能がない、自分のような人間が行く場所であって、お前みたいなガリガリが耐えられる訳がないとソーニャは断じた。

 国立大学に奨学金付きで入れる能力を持ったオリガが、わざわざ士官学校に行って脱落しそのキャリアに傷をつけるべきではないとも説いた。そしてソーニャは当時機密扱いであったMSの事を引き合いに出し、もしかしたら戦争になるかも知れないから絶対に止めろと釘を刺した。しかしその余計な一言が、オリガの意思を更に強固なものにしてしまっていた。

 確かにオリガは華奢で基礎体力に於いては男やソーニャはおろか、その辺にいる同年の女子にも適わない。しかしMSなら?機械に乗るのならそのマイナス分を十分に相殺出来るのではないか?

 各方面からのオリガへの説得は、オリガの鉄の意思の前に全て不調に終わった。かつての担任もやって来たが、自分の点数稼ぎの為に私の意思とは関係なく、無理矢理飛び級をさせられたと学校に暴露した。驚いた学校は元担任を問い詰め、失職に追い込んだ事でオリガは復讐を果たした。

 ソーニャと卒業は同じだったがオリガは飛び級をしている為、その時点では十七歳以上と言う士官学校の入学資格に達していなかった。そしてソーニャから遅れる事半年、満を持してオリガはジオン士官学校に入学した。

 先に士官学校を卒業したソーニャは、叔父のミハイルと懇意だったランバ・ラルの元に引き取られ、グリフォン小隊に配属される事になる。

 グリフォン小隊の人選にイェーガーが頭を抱えていたところ、ソーニャはどこからともなくイェーガーが狙撃手を探していると聞きつけた。ソーニャはイェーガーの元に行き、「丁度いい奴がいる」と卒業間近のオリガを推薦した。

 イェーガーはソーニャの友人であるとの理由から、当初は露骨に拒否反応を見せた。しかしソーニャが余りにもしつこい為に、一応ポーズとして士官学校からオリガの成績を取り寄せてみた。驚いた事にソーニャの言っていた事は嘘ではなかった。オリガは戦術理論や狙撃の成績が飛び抜けていた。しかし体力のなさが響いて全体の成績順位は低かった。士官学校の成績優秀者は上位から順にどんどん引き抜かれて行く。しかしオリガは体力面での点数の低さから全くのノーマークだった。

 これはもしかしたらとんでもない拾いものかも知れん。

 イェーガーは上官ランバ・ラルに連絡し、オリガ・エレノワを受け入れる事にした。そしてその数ヶ月前後にハイデルベルク号拿捕事件が起きる事になる。

 

 

 ニコが苦し紛れに発した一言が、ソーニャが自分を取り戻す引き金になった。

 そうだ、オリガをグリフォン小隊に引き込んだのは自分に責任がある。クェジェリン宙域でシャトルパイロットのアンディ・ギグスが言ったように、「助かる可能性がそれしかないなら、それに賭ける」しかない。

「私どうなっても───もう知らないからね!」

 ソーニャはそう叫びながら、リミッターを解除する最後のボタンを押した。

 白熱化したルナチタニウムのロケットノズルが限界まで開き、更に大量のプロペラントが供給された。それまで機体を押し出し続けていた光の帯が太くなり、強烈な加速がニコ達をシートに押し付けた。絶え間無く続いていた振動が激しさを増し、最早計器の数値を確認する事も出来ない。運用限度を越えたメインバーニアは高温に包まれ、ルナチタニウムのノズルでさえも溶け始めていた。

 厳しい加速と振動にソーニャは歯を食いしばった。ブラックアウトしたコクピット内ではあらゆる警告ランプが点滅し、種類を判別出来ない程多くのアラームが鳴り響いている。このまま空中分解するのではと言う程激しい振動に、恐怖に駆られたソーニャが叫んだ。

「何なのよこの振動、このままじゃ機体がばらばらになる」

「泣き言をいうな、ジオニック社の技術を信じろ!」

「そんな事、言ったって───」

 ニコの怒号とオリガの悲鳴が、ソーニャの焦燥を極限へと駆り立てて行く。淡い虹色の光を纏った三機のザクは、大気の層を突き破りながら未だに加速を止めない。絶えず爆散の恐怖に晒されながら、耐え続けていたソーニャの精神に限界が近付いていた。

「───ああ、そんな、まさか───」

 そして突然、静寂が訪れた。

 眩い白い光がコクピット内を満たし、ソーニャはその輝きに包まれ涙を浮かべた。

 

 

「遅いな、遅過ぎる。三人から連絡はまだないのか?」

「大尉、ニコとソーニャのプロペラントがそろそろ尽きる頃です。オリガはそれ以前に燃料が枯渇していると思われます」

 くそ!とイェーガーは独り愚痴た。難しい選択を迫られ、ほんの数秒だが迷い答えを完全に見失ってしまった。その間隙をニコとソーニャに突かれたのだ。

 小隊の長として決断を躊躇した失態をイェーガーは恥じた。その結果、二人を危険な救出行動に駆り立ててしまった。

 自分が即座に判断し行動に移っていれば、もっと楽にオリガを救出出来ていたかも知れない。オリガと残った部下の身を案じた挙句に決断を躊躇い、ただいたずらに時間を浪費してしまった。リスクを切り崩せない優柔不断さが招いた、致命的なミスだとイェーガーは自身を責めた。

 結果的に二人の背中を押し出す事にはなったが、その判断が正しかったのか未だに答えを見い出せない。そして過ぎて行く時間がイェーガーの希望を蝕んで行く。

 物思いに耽りながら軌道上を浮遊するイェーガーの眼下に、連邦軍第四艦隊の本隊が見えた。マクファティ・ティアンム少将が座乗する戦艦マゼランに、ジオン宇宙攻撃軍のMS部隊が襲い掛かっている。

「ブリュンヒルデとラーズグリーズ小隊ですね、かなり苦戦しているようです。援護しますか?」

「いや、サラミスを戦列から排除した事で我々のノルマは果たした。オリガ救出の為に戦局からの離脱も了解を得ている。ここは彼らに踏ん張って貰おう」

「大尉、護衛のサラミスが高度を下げて行きます。もう一隻も追従するようです」

 船体前方の上部甲板のサブスラスターを噴射し、艦首を下げた二隻のサラミスが艦隊から離れて降下して行く。

 何機かのザクが追撃しようとしていたが、下限アラームが鳴ったのか直ぐに追跡を諦めて元の高度へ戻って行った。

「サラミスが大気圏内に?耐えられるんですか?」

「連邦宇宙軍の艦に大気圏突入に耐えられる能力はない。腹を括ったのだな、コロニーに特攻するつもりだ」

「連邦の艦がカミカゼ攻撃をするなんて───」

「連中も必死なんだ、我々がジオンの理想の為に戦うのと同じく、連邦もまた彼らの正義の為に戦っている。あの姿をその目によく焼き付けておけ」

 前方の艦が戦列から離脱した事で、視界が開けたマゼランが遂に魚雷を発射した。幾筋もの白い尾を引いて核魚雷がコロニーに向かって行く。

「やはりこの大気の薄さでは効果が薄いようだな。ヒュンメルの現在位置は?」

「こちらに向かって来ています。ランデブーポイントまでおよそ三百秒」

「大尉、極地方の───いや世界中の発射基地から迎撃ミサイルの上昇を確認。二十、三十、物凄い数です、数え切れません!」

 地球連邦の最後の悪足掻きか、とイェーガーは唸った。高高度核爆発に拠る電磁パルスは、広範囲に渡ってインフラを瞬時に破壊する筈だ。対核設備のある軍事施設を除いて通信は遮断され、あらゆる経済活動が停止する。そしてその直後に降着するコロニーの影響を加味すれば、地上の生活は前世紀はおろか近代以前まで後退する可能性がある。それは自らの手に拠ってその事態を招いたとしても、それ以上にコロニー落着を阻止したい地球連邦の悲痛な意思の表れでもあった。

「電磁パルスが来る。対核仕様のザクとは言え、何かしらの影響があるかも知れん。我々も高度を引き上げるぞ」

「了解、ランデブーポイントの変更と修正座標をヒュンメルに送ります」

 オリガ、ソーニャ、そしてクロフト。一体どこに居るのだ?

 アイランドイフィッシュに向かって集束する無数の光点を見下ろしながら、イェーガー達は上昇して行った。

 

 

「───もしかして私、死んじゃったの?」

 唐突なソーニャの呟きに、ニコは思わず吹き出しそうになった。

「そうだ、天国にようこそソーニャ。安心して成仏してくれ」

 余りにも眩い光に白飛びしたサブモニターが、光度を自動補正しソーニャはその正体を知った。地球の夜の境界線の向こうから、太陽がその姿を現したのだ。

 メインバーニアのプロペラントが完全に枯渇した事で、ロケットエンジンは機能を停止し振動は消失した。

「神様にしては随分とブサイクな声ね」

「ブサイクな声って。なあ俺の声ってそんなに変か?」

「ニコ、ソーニャ、あの私───」

「オリガ、礼を言うのはヒュンメルに収容されてからにしてくれ。まだ完全に助かった訳じゃないからな」

 三機のザクは殆どの機能を喪失し、衛星軌道を漂流していた。落下軌道からは脱出したものの、いずれまた重力に引かれて行く事になる。そしてその時には重力に抗うプロペラントは残っていない。

「うん、判ってる。でも───二人ともありがとう」

 ソーニャは元気そうなオリガの声を聞いて安堵し、凄い事を成し遂げたのだと自画自賛して柔らかく微笑んだ。

「ソーニャ、ヒュンメルに救難信号を出してくれ」

「やだ、私もう何にもしたくない。ニコがやってよ」

「もう試したけど駄目だったから言ってんだろ───あっ、二人とも極地方を見てみろ」

 北極上空にオーロラが大きく張り出していた。エメラルドグリーンに輝く光のカーテンが、ゆらゆらと妖しく揺れ動いている。神々しい輝きを見てオリガはその美しさに目を細めた。

「オーロラだ、俺も直に見るのは初めてだな」

「はえー、なにナニ?何なのこれ、すっごいキレイ!」

 ソーニャは生まれて初めて見るオーロラに驚嘆し、コクピットハッチを開いて機外へ飛びだした。

「人類は宇宙に進出して宗教を捨てたけど、古代の人がこれを見て神の存在を信じた訳が判る気がする」

「『 空は暗く地球は青かった、そして宇宙に神はいない』か」

「そう、ユーリイ・ガガーリンね。本当はそんな事言ってないって説もあるけど」

「ねえ、オーロラの下に見える光の点は何なの?アイランドイフィッシュに向かってるみたい」

 ソーニャにそう促されてニコはサブモニターを見た。すると夥しい数の光点が、確かにコロニーに向かって集束しようとしている。

「迎撃ミサイルだ、恐らく戦略核だろう。あれだけの数だと電磁パルス障害が広範囲に起きるな」

「連邦軍も必死なのね、下手したら馬車の時代に逆戻りなのに」

「そう言えばソーニャ、お前もしかして機外に出てんだろ?」

 ショルダーアーマーのスパイクにしがみついて地球を眺めていたソーニャは、驚いて手を離しそうになった。

「何で判るのよ。仕方ないじゃん、サブカメラみんな壊れてるし」

「核爆発は直視するなよ。高高度核爆発のガンマ線は千キロは飛ぶぞ。ヘルメットのバイザー越しでも網膜が焼けるからな、失明するぞ」

 失明!と驚愕したソーニャは、慌ててコクピットに戻ってハッチを閉めた。

「あ、ヒュンメルから連絡が来てる。救難信号を受信してこっちの座標も確認したって。ランデブーまでおよそ五十分、大丈夫みんな助かるよー!」

 アイランドイフィッシュは重力に引かれて加速し、赤熱化しながら長く尾を引いて落下を続けていた。連邦艦隊の砲撃に拠っても辛うじて原型を留めていたコロニーは、核攻撃に拠って遂に外殻表面に穴を穿たれた。そしてそこから侵入した熱が亀裂を促進し、アイランドイフィッシュは大きく三つに崩壊を始めた。

 コロニーが空中で分解し空気抵抗を受けて軌道を変え始めた事で、ブリティッシュ作戦の失敗は確定的になった。

「そう言えばさ───」

 地球に降り注ぐコロニーの塊を眺めながら、明らかにロシア系である筈のソーニャが言った。

「───その『 ユーリイ・ガガーリン』てのは一体誰なのよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




初めましてRossoです、数ある作品の中から目に留めて頂きありがとうございます。今回から後書きにて解説や小ネタを投下して行きたいと思いますので、よろしくお願いします。

先ず設定については基本的にオリジンや各OVAを踏襲していますが、ジムの生産や配備の開始時期などで若干の変更があります。出来るだけ従来の世界観の中に収めたいとは思いますが、かねてから抱いていた疑問などについては私なりの解釈で展開して行きます。

改行が少なく読み難い部分があるかとは思うのですが、書き込みたい情報量が多いので───ガマンして下さい(泣)まあこれが私のスタイルですので、「それでも良いよ」と言うハードコアなガノタの為に書き続けます。

前回「蒼の衝動」に出て来たシャトルパイロットのアンディはある人物をモデルにしています。シャトル乗りで名前がアンディ───Zでシャトル発射の際に仲間を援護する為に地上に残り、戦死したロベルトの活躍に涙した方も多いかと思います。そうです、アポリー・ベイなんです。シャトル乗りのアポリーがMS乗りになるにはそれなりのきっかけがあっただろうと、私の勝手な都合で登場して頂きました。

最終話までのエピソードやプロットはほぼ固まっていて後は書くだけなのですが、二話を書き終えてとりあえず先は長いなと言う印象です。まだブリティッシュ作戦ですから。まあ時間を見つけては書き込みたいと思っています。

最後にこの物語は私個人の妄想全開のお話ですので、願わくば仏様のような寛大な視点で眺めて頂ければ幸いです。では次作をお待ち下さい、Rossoでした。


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