神の幼馴染 (〆鯖缶太郎)
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前菜

 料理は全くできないけど、ふと書いてみたくなった。
 リアルの息抜きで書いただけなので亀更新です。
 次話は今日中に投稿。


 北海道の北端に位置する離島。そこにある某会場の中。観客席では大勢の学生達が、後に歴史の節目と語られる瞬間に立ち会っていた。

 

『……こ……この連隊食戟。勝者は――……』

 

 連隊食戟。

 学生間に起こった争いごとを、一騎打ちではなく集団 対 集団によって解決するための変則的な食戟形式。

 今回賭けられたのは前代未聞。遠月十傑評議会全席と、一人の料理人の人生。

 正しく今、その勝敗が決した。

 

『――勝者は、反逆者連合!!!』

「……お粗末!!」

 

 司会者の熱の籠った宣告の後、今回の主役とも言える女生徒の凛とした声が会場全体に響き渡った。

 中枢美食機関(セントラル) 対 反逆者連合。

 一体この会場にいるどれだけの生徒が、反逆者連合が勝つと予想したのだろうか。

 恐らく、ほぼ全ての生徒が予想しなかったのだろう。観客席で喜ぶ者は誰一人としておらず、歓声を上げるのはステージに簡易的に設けられた檻の中の一部生徒のみ。

 

 そしてここに、新たな歴史の1ページが刻まれた。

 

 

 

 遠月茶寮料理學園「総帥」

 ――薙切えりな

 

 遠月茶寮料理學園 十傑評議会「第一席」

 ――幸平創真

 

 

 

 後に 薙切仙左衛門はこう記す。

 

 磨けば光る「玉」の世代ではない。研けば人を魅了する「宝玉」の世代であった。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 桜舞い散るこの季節。

 寒さの中に暖かな風が吹き込み、ここ 遠月学園にも新たな春が訪れていた。

 それは出会いの季節であり、同時に新生活の始まりでもある。

 

 総帥が座する一室にて。

 卓上に置かれた書類の山がようやく平地になった頃、それを見計らったようなタイミングでノックの音が響く。

 

「えりな様 今日もお疲れ様です。生薬をお持ちしました」

「ありがとう 緋沙子」

 

 秘書である緋沙子から受け取った生薬を飲みながら、えりなは窓の外に広がる遠月を一望する。

 高等部へ進学して一年。たったそれだけの期間で、この学園とえりなの雰囲気は大きく変わった。いや、変えられた。

 幸平創真と出会い、振り回され、そして魅せられ。間違いなく中心に立っていたのは あの男だった。

 

「懐かしいですね。一年前のえりな様が今のえりな様を見たら、きっと別人だと言い張りますよ」

「あら? そう言う緋沙子だって、随分と丸くなったんじゃないかしら?」

 

 束の間の休憩。そこでこんな冗談を言って、笑い合う日が来るなんて……いや、あの時もこんな風に、

 

「あっ、えりな様」

 

 過去に思いふけようとするも、緋沙子の呼び声で現実へと引き戻される。だが続く言葉によって、再び思い起こされた。

 

「青葉様が編入してくるそうですよ。それも 昨年の幸平創真と同じで、合格者は彼だけだそうです」

 

 編入試験合格者の資料を手渡されながら、久方ぶりに彼の名を耳にする。

 昨年はえりな自身が編入試験の試験官を担当したが、それは十傑評議会第十席という立場であったからだ。総帥となった今、度重なるトップの交代とその後処理、そして卒業式やもうじき始まる入学式の準備など。立場的にも時間的にも、編入試験を見る余裕などなかった。

 そして合格者は一人しかいないが、編入試験を受けたのは数百人規模だ。つまり、その他は全て不合格となった。

 確かにえりなが総帥となり、十傑の席もガラリと入れ替わった。やろうと思えば試験基準を優しくし、全員合格だってできる。

 だがそれをしないのは遠月ブランドを落とさないためであり、大きな変革は混乱をもたらすからだ。

 加えてえりな自身が、お爺様である薙切仙左衛門の築き根付かせた考えを崩したくないという思いが強かったのも大きい。

 

 閑話休題

 

 緋沙子が青葉様と呼び、資料に貼られた証明写真に見覚えがあるように、この芳賀青葉と氏名欄に記入された人物は知り合いである。

 一つ年下の幼馴染でもあり、緋沙子がえりな以外に様付けする数少ない昔の友人であり、恩人だ。

 

 そこでふと、彼とした約束を思い出した。

 

「……約束、破っちゃったわね」

「約束 ですか?」

 

 緋沙子はどの様な約束をしただろうかと過去の記憶を探るが、ボンヤリとしている部分も多いのか思い出しそうにない。

 そんな首を捻る姿を見て、えりなは自らにも言い聞かせるように言った。

 

「あの時は確か、緋沙子もいたはずよ。お父様が屋敷を空けて、若菜さんと彼の住む自宅でお世話になった最後の日」

 

 緋沙子は漸く思い出したと頷き、確かにえりな様は約束を守れなかったなと納得する。

 そしてその約束の内容を、えりなは幼き日の光景を思い出しながら 呟く。

 

「私の必殺料理(スペシャリテ)が完成したとき、その時は青葉くんが……一番に召し上がってください」

 

 桜の木がざわめき、花弁が舞った。

 これから遠月に新しい風が吹くだろう。えりなが『神の舌』であるならば、差し詰め彼は『神の手』と称するに相応しい。

 謙遜する彼の姿が 目に浮かんだ。

 




 お読みいただきありがとうございます。
 拙い文章力ですが、極力違和感や矛盾が無いよう頑張っていきたい……。
 前書きで書いたように亀更新です。リアルの都合や作者のやる気で数ヶ月とか平気で空けるかもしれません。
 お気軽に感想や評価をしてください。


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一皿目

 因みに原作知識は創真達が二年生になった所まで。
 アニメは一応全話見ましたが、どちらも断片的にしか覚えていません。


 ~十数年前~

 

 

 

 遠月茶寮料理學園総帥――薙切仙左衛門。

 日本の料理業界を牛耳る存在であり、食の魔王と恐れられるその人を前に、一人の女生徒が立っていた。

 部屋には重苦しい空気が立ち込め、もしこの部屋に第三者がいれば今すぐにでも逃げ出したいと思ったことだろう。

 仙左衛門は手元にある女生徒の資料と本人を見比べ、深くため息をつく。

 

「本当に、退学するのだな?」

 

 その問いかけに含まれているのは、目の前の女生徒が遠月から去ってしまうという惜しみ。

 出来ることならば、退学をしてほしくないという願望であった。

 

「いくら総帥のお願いでも、それは聞けませんよ。私はもう、一人じゃないんです」

 

 自身のお腹を撫でながら、決意の眼差しで女生徒は返す。

 膨らみこそまだないものの、そこには確かな生命が宿っていた。

 仙左衛門も初めて聞いたときは耳を疑ったものだ。突然退学したいと申し出があったかと思えば、その理由が産休など。

 何十年と続く遠月の歴史でも、こんな生徒は初めてであった。

 

「分かっておる。ただの儂の我儘だ。聞き流してくれ」

「ふふふ。総帥にそこまで言って頂けるなんて、遠月の生徒として嬉しい限りです」

「もしお主の退学を二つ返事で承諾する者がおれば、それこそ耳を疑う。ただの生徒であれば、こんなにも気にかけなかったのだがな」

 

 この女生徒がそれこそ、ただの平凡な生徒であればこんなにも気にかけることはしない。

 遠月学園は少数精鋭教育であり、多くの生徒は退学の申請をせずとも振るい落とされる。寧ろ此方から退学を言い渡すことの方が明らかに多い。

 しかし 彼女はそんな玉ではない。誰の目から見ても、一流の料理人が確約されたといえる生徒なのだ。

 

「嘆いても仕方ないな」

 

 仙左衛門は再びため息をつくと、いよいよとばかりに本題へと乗り出す。

 

「ここに呼んだのは他でもない。以前申請された件の目処が立った。薙切薊という男を知っておるか?」

「それは勿論。総帥の義息子ですよね」

「ああ。実はそやつの所にも最近、子が生まれてな。その子の為に 腕のいい料理人が欲しいと言っておって、お主の事を話したら直ぐ様了承したよ。住居の提供もしてくれるそうだ」

「本当にいいんですか? 私が薙切家で働くなんて」

 

 料理の名家 薙切家で、それも料理人として働くなどそうそうできることではない。

 しかも住居の提供もされるとなれば、それだけ価値のある料理の腕が備わっていると認められたということだ。

 だからこそ女生徒は驚くが、仙左衛門からすれば何を今さらという話だ。

 

「……お主はもう少し、自分の立場を自覚したらどうだ?」

「え~……。私はただ、学園内では普通に生活していただけなんですけど。この子を授かって、今冷静に思えばかなり異端でしたが」

 

 大本の話が終わり、今後の女生徒の対応や機密情報を二人は世間話の様に話していく。いや、女生徒からすれば それは世間話でしかなかったのだろう。その事について仙左衛門にまた呆れられ、頬を膨らませる。

 そして漸く本人が立場を自覚し 話が終わりに差し掛かった頃、女生徒は最後の願いを口にした。

 

「あ、もう一つ頼みたいことができました」

「何かな?」

「少なくとも、今いる生徒には私という存在は実在しています。世間も暫くは騒ぐでしょう。だけどこの子が成長したとき、私の存在であまり迷惑をかけたくありません。心配しすぎかもしれませんが……できればでいいので、私を遠月が創り出した架空の人物と情報操作してほしいのです。教員もいますし、全てを消すことは難しいでしょうから」

「ふむ……善処しよう」

「有難う御座います」

 

 二人が顔を合わせてから一時間ほどだろうか。

 遂に遠月から女生徒が去るときがきた。

 

「此れを以て、遠月茶寮料理學園 第76期生 芳賀若菜を――退学とする!」

 

 力強い声と共に、仙左衛門は女生徒の資料へと自らの手で烙印を押した。

 それを見届けた元生徒だった彼女は語ることなく、軽く一礼して部屋を後にする。

 

 総帥として、そして学園の利益として。延いては日本料理界の宝となる料理人を……手放したくはなかった。

 薙切家が実質的に引き取るとはいえ、彼女が表舞台に上がることはもうないだろう。

 遠月を去る姿を見送り、改めて退学の烙印が押された名簿を仙左衛門は見る。

 

 

 

 遠月茶寮料理學園 高等部 第76期生

 二年 芳賀若菜

 遠月十傑評議会 第一席

 得意ジャンル:フランス料理

 

 高等部一年生にして第二席に着き、その卓越した料理センスは当時の第一席をも超えていたと評価する者が多い。

 座学にやや難があるものの、料理に関しては全ての授業において評価A以上。

 特に注目すべきは食戟戦績。中等部だけで200戦以上。高等部に進学してからは席次を狙う者が増え、また彼女自身が勝っても対価を一切要求しないため挑戦者も多かった。

 高等部一年生までに中・高合わせて447戦。その全てが相手の指定ジャンルであり、黒星を付けたことはない。この時点で歴代最多の食戟戦績である。

 人目に付く事を嫌っているのか、中等部入学以降料理コンクールに出場経験はなし。交友関係はほぼ無く、その姿からも『孤高』と評されている。

 今後の動向に注目すべき生徒である。

 

 

 

「ふははは」

 

 将来語られるであろう芳賀若菜という架空の人物を想像し、あまりの可笑しさに笑いが込み上げる。

 

 高等部一年生にして遠月最速で第二席となり、三年生の卒業と同時に第一席に座した唯一の生徒。しかし二年生では第一席の座にいながら突然の退学。

 加えて食戟戦績は現在で561戦。そして負けなし。

 過去の資料を漁ろうと、正確な情報は出てこない。

 当然だ。遠月の生徒を奮い立たせる為に生まれた架空の人物なのだから。

 

 だが、彼女を知る者は思うのだろう。

 それらは真実であり、全てではない。彼女はそんな生易しい存在ではないと。

 

「遠月第一席の突然の空白化……。城一郎は第二席であったがゆえ まだ調整できたが、果たして今回はどうなることか」

 

 この数日後。高等部全体で起きた出来事が、更に芳賀若菜という生徒の噂に拍車をかける事となる。

 その時できた校則は確かな形として残り、出来事は上級生から下級生へと語り継がれた。当時を知る者から知らぬ者へ。そして知らぬ者から知らぬ者へ。

 伝言ゲームとなったその情報は、時に抜け落ち 付け加えられ。彼女という謎の生徒の噂は何年経とうが消えることはない。

 

 

 

 校則:遠月十傑争奪戦

 遠月十傑評議会のトップである第一席が退学した場合、残る第二席から第十席の多数決で過半数が賛成すれば、その十の座を賭けて高等部に在籍する全ての生徒は等しく遠月十傑に名を連ねる権利を得る。

 過半数を下回った場合、遠月十傑の席を繰り上げ、残る第十席を賭けてその他全生徒は争奪戦を行う。

 

 

 

 元第一席は知らない。その席にどれだけの価値があるのかを。その後起こった出来事さえも。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 某県某地区。

 高級住宅が建ち並ぶとある街の一軒家に、芳賀若菜は移り住んでいた。

 

「今日は青葉のお誕生日で、3歳になりました。だから~スペシャルお誕生日プレゼントで~す♪」

 

 若菜の子が生まれて3年。

 芳賀青葉と名付けられた男の子は、障害や病気を持つこと無く 順調に成長していた。いや、成長しすぎていた。主に精神的な面で。

 例えば今日。青葉は己が生まれてから3年目だと理解していた。1年は365日であり、今日で1095日目。言動は凡そ同年代の子より大人びている。

 

 しかし若菜はそんな事を気にはしないし、寧ろ聞き分けが良くて手間がかからず、立派な大人になるだろうと喜ぶ。

 若菜の我が子に対する溺愛ぶりもなかなかのものであった。

 

「見てもいい?」

 

 高級感溢れる装飾が施された紙袋を前に、青葉はワクワクを胸に確認を取る。

 いくら精神年齢が大人びていようと、やはり3歳児には変わりない。若菜が頷くのを見て、紙袋から慎重に中身を取り出した。

 中から出てきたのは長方形の木箱。そこに入っているのだろう誕生日プレゼントに、果たして何が出てくるかとゆっくり蓋を開ければ、

 

「…………母さん?」

「ふっふっふ~」

 

 青葉はそれをたっぷり10秒ほど見て困惑。若菜はそんな我が子の反応を見て、してやったりとほくそ笑んだ。

 

 箱から姿を現したのは、一点の曇りもない銀色の刃身。その切っ先から黒い柄元へと流れる刃紋は、芸術品だと見紛うほどの美しさを放つ。

 一目で高級であると分かるそれは、刃渡り18cm程の包丁であった。

 

 青葉はこの世界に料理人が多いことは知っている。テレビ番組やCM、ニュースに至るまで料理関連が多く。母である若菜も料理好きなのは理解している。

 だが だからと言って、3歳児に包丁はどうなのであろうか?

 そんな青葉の気持ちを余所に、勝ち誇った笑みで若菜は宣告した。

 

「青葉には、今日から料理を作る練習をしてもらいます!」

 

 ビシリと効果音が付きそうなほど綺麗な指差し。

 こうなったらもう止められないと理解しつつも、最後の抵抗として青葉は質問した。

 

「何で俺が料理を作らないといけないの?」

 

 それは至極真っ当な疑問である。

 そもそも青葉は将来の夢に、料理人になりたいと言ったことなど一度もない。

 なら他に夢があるのかと問われれば まだ無いのであるが、だからと言って3歳から料理を作る理由にはならないだろう。

 今から料理を作らずとも、もっと年月が経ってからでも遅くないはずだ。

 はずなのだが、

 

「これはお母さんの我が儘であり、青葉のためでもあるの。だからまずは料理を作ってみて、青葉が嫌なら諦めるわ。今日だけでもいいの。だから 一緒に 料理を作らない?」

 

 青葉のため。

 若菜が提案する突拍子もないことは、大体が何らかの形で青葉を思ってのことである。

 

「具体的には?」

「青葉が大きくなって、一人でお留守番出来るようになったから 最近お母さんは働き始めたでしょ? その働いている家に一つ年上の女の子がいるの。だから、青葉を呼んで遊ばせてもいいかって雇い主に聞いてみたんだけど……。だけどその人、かなりの美食家だから、料理の才があると分からなければ会わせるわけにはいかないって言われちゃって」

 

 それを聞いて青葉は納得する。

 要するに友達をつくって欲しい、ということなのだろう。

 そもそも青葉は3歳であり、若菜が働くならばどこかの施設に最初から預ければいい。そうすればそこで出会った子と友達になることも簡単だ。

 だがそれは出来ない。若菜がさせないといった方が正しいか。

 

「分かった。やる前から断るなんてことはしないよ」

「うんうん。青葉ならそう言ってくれると思ったわ。それに初めてなんだから、できなくて当然。子供は失敗できる内に失敗しないとね」

 

 お母さんもサポートしてあげるから と、二人はキッチンへと向かう。

 

 

 

 そんなやり取りを終え、青葉と若菜はキッチンに立っていた。といっても、青葉は身長が足りないため台の上だが。

 高級住宅に備えられた広々としたキッチン。食器や調味料、料理器具まで様々揃っており、隅々まで掃除が行き届いて清潔感で溢れている。

 

 料理前に若菜から手取り足取り説明されながらお手洗いをし、始めてだから上手く出来なくても大丈夫、包丁で怪我だけはしないようにと青葉は言われた。

 

「それじゃあ今日のお昼はカレーを作りましょう。青葉はジャガイモや人参の皮むきをよろしくね」

 

 目前にはまな板と先程プレゼントされた包丁。カレーに使う各種野菜類が置かれている。

 何も包丁で皮をむかなくても、子供ならピーラーとかの方が余程簡単で安全に出来るだろうと思いつつ、青葉は覚悟を決めて包丁を持つ。

 

 やはり3歳児にはまだ大きく、手に余る包丁だ。けれど不思議と手に吸い付き、まるで長年扱ってきたかの様な感覚にとらわれた。

 怪我をしないか 若菜がハラハラと見守る中、一先ず手前に置かれたジャガイモを手に取り、意識を集中させるために目を閉じる。

 イメージとしては充分だ。若菜の調理は毎日のように見ているし、暇さえあれば料理番組を眺めていた。

 それに失敗しても大丈夫だと、青葉が心の中で決心したとき。

 

「……え?」

 

 若菜が目を見開き、今起きたことが信じられないと驚きをあらわにした。

 その声に気付いた青葉は若菜の顔を見て、その視線の先で起きていた出来事に同じく、

 

「……は?」

 

 現実を理解できないでいた。

 それもそのはずだ。青葉が先程まで持っていたのは皮をむいていないジャガイモ。

 では今、手の中にある丸裸にされたジャガイモは何だというのか。それはもう丁寧に、優しく薄く美しく。まるで女性の柔肌を扱うかの様な繊細な皮むき。

 

「青葉、もう一度ジャガイモの皮をむいてみて!」

 

 キラキラとした眼差しを向けられ、青葉はまた別のジャガイモを手に取ると、今度はちゃんと意識を向けて皮をむこうとする。

 すると どうだろうか。料理をするのは初めてのはずなのに、どういう訳かむき方が感覚で分かる。それに従って包丁を動かせば、忽ち二個目のジャガイモが丸裸となった。

 しっかり青葉の意思で動かしているし、操作されている気もしない。にも関わらず、こんなものは出来て当たり前だと言わんばかりの手捌きだ。

 

「流石私の青葉ね!」

 

 青葉の頭をよしよしと撫でる若菜。

 果たしてそれで済ませていいのだろうか。

 親の才能が子に受け継がれるとは良く聞く話だが、これはそれだけで済ませる話でもない。

 

 青葉は難しく考えることを止め、取り敢えず野菜の下処理に集中することにした。

 皮をむくときと同様、野菜を切る時にもその能力ともいえる感覚が伝わってくる。従って切ればトントンと心地よく包丁が入り 気持ち良い。けれど、わざとそれに反して切ってみると 気持ち良くない。

 確かに見た目は変わらぬ切られた野菜だが、まるで均等が取れていない様に感じるのだ。

 

「母さん、別々の鍋で同じ種類のカレーって作れる?」

「ん? 別に作れるけど、どうして?」

「ちょっと味を比べてみたいと思って」

 

 若菜はやや考えた後、折角料理に興味を持ってくれそうだし、このぐらいの頼みなら聞いてあげようと頷く。

 下処理を終えれば、火元に関しては若菜がこなす。

 片方は能力で野菜を切ったカレー。もう片方は能力を使わずに野菜を切ったカレー。

 

「……こっちの鍋の方が野菜の香りが良いわね」

 

 カレーを煮込む際に立ち上る香り。

 ルーやスパイス、そして野菜が混じりあってできる香りの中に、確かな違いを若菜は感じる。全く同じ行程で同じ環境なのに違いがある。その差の多くは、素材の質と料理人の腕によって生まれるものだ。

 けれど野菜を切ったのは青葉であり、見守っているときに特に違いは感じなかった。

 二つのカレーが完成し、それぞれを皿に移して昼食にする。

 

 まず二人が食べたのは、能力を使わずに野菜を切ったカレー。味に関しては美味しい。

 それもそうだ。青葉は野菜の下処理をしただけで、他の事は若菜がやったのだ。野菜の切り方も教えてその通りにできていたので、いつも通りの味といえる。

 そして次に、能力を使ったカレーを前にして若菜はやはりと思う。

 スパイスの中に確かに存在感を主張する野菜の香り。だがそれは互いを邪魔するのではなく、より良いものへと高めあっている。

 そして一口。

 

「うん。やっぱりこっちの方が――母さん? どうしたの?」

「…………」

 

 無言で立ち上がり 足早に洗面所へ向かう若菜を見て、青葉はトイレかなと思ってまたカレーを頬張った。

 

 そして若菜は洗面所へ辿り着き、今まで止めていた息をよくやく吐き出し 鏡を見た。

 顔を赤らめ、息が荒い。表情筋が自然と緩む。

 それ程までにあの二つのカレーの味は違い、美味しかった。

 違いがあるとしたら、やはりあの時。野菜を切っている最中、青葉が二つのカレーを作ろうと提案したあの時だ。

 恐らくそこで、青葉は野菜に何らかの細工を施した。若しくは何かに気付き、違いを確かめようとした。

 若菜が見ている限りでは、その違いはなかったはずだ。取り揃えた野菜の質も確認したが、何ら変わりない。なら可能性があるとすれば、野菜の切り方。

 食材は繊維の向きに対し、どの様に切るかで舌に与える印象を大きく変える。勿論料理人はそれを気にするし、注意を払う。だがあそこまで香りや味を引き立たせる事はできるのか?

 それにカレーを煮込んだのは、野菜を切った青葉ではなく若菜だ。

 いつもの感覚で煮込んだのに、まるで各野菜の火の通りまで最初から見透していたかの様な……更に言えばオリジナルブレンドのスパイスとすら完璧に調和してみせたあの味。

 

「ふぅ……」

 

 漸く体が落ち着き、若菜は深呼吸をする。

 今回の料理を通して分かったこと。それは青葉にとてつもない料理人としての才があるということだ。

 これは若菜にとって非常に嬉しい。幸い野菜を切り終えた後に青葉から「楽しい」と聞けたので、続けてくれる可能性は高いと感じている。

 これならば、あの人にも青葉は認められるはずだ。

 

 

 

 意気揚々と青葉の元に戻る若菜は気付かない。共に過ごしてきた若菜だからこそ、気付かないと言うべきか。

 今の青葉に、決定的に欠けているものがあるということを。

 




 料理描写とか書けないので……テキトーに誤魔化して書いていきます。
 一応今作の最終話までの物語は頭の中で出来てます。
 ではまたいつの日か会いましょう。


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二皿目

 初投稿にも関わらず ”UA3968” ”お気に入り106件” 評価や応援の感想も頂けて嬉しい限りです。


 料理人といっても得意ジャンルは様々だが、多くの者に共通していることがある。

 それは自らが素材を一から調理し、料理をお客様に振る舞うこと。そう、料理人を目指すならば 調理とは避けては通れぬ道である。

 

 『焼く・煮る・蒸す・揚げる・炒める・茹でる』などなど。

 基本的な調理に欠かせないそれらの工程。それを青葉は3歳の誕生日以来、着実に覚えていった。

 

 ――料理をするのが楽しい。

 

 初めて包丁をプレゼントされた時の忌避感はどこにもない。純粋に料理を楽しむ青葉。

 そんな青葉の姿を見て、若菜も心から喜び 楽しむ。

 

 これだけ聞けば、親子の仲睦まじい料理風景を想像するだろう。

 確かにその想像は正しい。しかし、調理した料理を果たしてどうするのか?

 それは勿論、二人が食べることになる。

 そしてお忘れではないだろうか。青葉の能力で野菜の下処理をしただけで、若菜の舌を虜にするということを。

 故に、とある事件が芳賀家で起こるのは、確定的な未来であったと言えるだろう。

 

 

 

 ――時は遡り、事件当日。

 

 若菜は椅子に腰掛け、遂にこの時が来たかと気を引き締めていた。視線の先ではキッチンに立つ青葉を捉え、我が子が初めて一人で調理する姿を目に焼き付ける。

 そう。今日は青葉が一から全て調理するのだ。

 今までは常に若菜が隣で付き添い、何かとアドバイスをしていたがそれもない。

 だからこそ大丈夫だろうかと、二重の意味で心配してしまう。

 

 一つは青葉の心配。

 青葉は包丁を使うことに才能を発揮したが、それ以外の調理に関しては初心者だった。

 教えたことは直ぐに吸収するし、よく料理番組を見ていた影響かある程度は把握していたが、やはり実際にやってみると感覚が違うのだろう。料理とは一分一秒で差がでるのだ。同じ料理でも環境によって味は変化し、基準も変わる。

 だから今日まで調理法を教え、遂には一人で出来るようになったが、やはり親というのは子が心配になる。何かの間違いで指を切ったり火傷をしないか、内心ヒヤヒヤとしていた。

 

 そしてもう一つの心配は、若菜自身が青葉の一から作った料理を食べて、正気を保てるかどうかということだった。

 

「どうぞ、召し上がれ」

 

 コトリッ と、青葉がテーブルに置いた料理を若菜は見る……までもなく、確信した。

 できたての料理から立ち上る鼻孔をくすぐる香り。食してもいないのに 思わず意識を手放しそうになるそれは、若菜が遠月に在籍していた時ですら味わったことのない感覚だった。

 

 今ならまだ、食べないという逃げの選択肢もある。

 しかし、しかしだ。愛する我が子が折角自分のために作ってくれた料理を、無下にできる親が 果たしているのだろうか?

 少なくとも、若菜にそんな事はできなかった。

 

 平静を装いながら箸を持ち、覚悟を決める。

 そして意を決して料理を口へと運んだとき――。

 

 

 

 その後何が起きたのか、敢えて語るまい。

 一つだけ語るとすれば、青葉は自身の持つその能力について若菜に打ち明けた。

 包丁を持つと、その食材をどの様に下処理すればいいのかが分かる。若菜が感じている美味しさ、それはこの能力があるからなのだと。これを使わなければ、ただ料理を教わった子供でしかないのだと、どこか悲観的に話す。

 そんな年相応に素直になれない我が子に、若菜は優しく声をかける。

 

「青葉はその力を能力っていうけど……じゃあ、才能はどんな力の事を言うのかしら?」

 

 包丁を巧みに操ることができる能力。

 包丁を巧みに操ることができる才能。

 

 能力と才能。その言葉の印象は人それぞれだ。

 だからこれは持論だけど……と、若菜は語りだす。

 青葉がその力を能力といっている理由。それは力に振り回されている――扱いきれていないからだ。

 料理を始めて一年と数ヶ月。時間にすれば更に少ない期間しか、青葉は包丁を握っていない。

 そこで青葉は、初めて己の力を知った。

 

 人は生まれながらにして、何か他者より優れた力を持っている という人がいる。

 確かに持っているかもしれない。

 だが、誰しもが己の持つ力に気付いているだろうか? そして気付いたとして、その力を磨いているだろうか?

 青葉が今いるのは正にここである。自身の力に気付き、しかし扱いきれていない。磨ききれていない。

 

「その力を能力だと思っている間は、まだ芳賀青葉という料理人は完成していない。その能力を才能へと昇華させたとき、初めて完成するわ」

 

 能力を持っているのではない。まだその力が能力でしかないのだ。

 青葉は同年代の子より大人びており、何かあったとき考える力を持っている。もしそれが無ければ、今回の事は話さなかっただろう。ただ包丁を扱えるという自己完結で成長していったかもしれない。

 だから子供のように素直じゃないと思うと同時に、若菜は青葉に可能性を感じる。

 その力を能力だと気付き、いつか才能へと昇華させたとき、一体どの様な料理人になるのかと。

 

「だから悲観することはないわ。寧ろ能力だと思っている間は、まだ 青葉が未熟な証拠。本当の力を――才能を持っている人は、そんなものは意識せずとも自然と扱えるものよ。能力なんて持っていないって思えるほどにね」

 

 ――だから こうしましょう。

 

「青葉が能力で作る料理。それそのものを必殺料理(スペシャリテ)としなさい」

 

 必殺料理。

 それは一般的に、料理人が持つ自信の一皿。顔となる料理のことである。

 

 だが青葉の力は、一皿などという枠組みに囚われてはならない。出す皿の全てが必殺料理となりえる可能性をもっている。

 そしていつの日か、能力を才能へと昇華させたとき――。

 

「そこまでは長い道のりだと思うわ。それでも青葉は、その道を選ぶかしら?」

 

 その言葉に、青葉は力強く頷いた。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 芳賀若菜が退学した理由。彼女を知る者、特に当時の遠月学園の生徒に聞けば、百人中百人が“結婚したから”と 答えるであろう。

 若菜は高校生にして恋に落ち、結婚し、子を宿した。だから退学した。

 だが、これは嘘である。

 生徒が嘘をついているのではない。流された情報そのものが嘘なのだ。

 遠月十傑評議会 第一席。その地位は、学生の身であったとしても影響力は計り知れない。それを表すかのように、若菜が退学したという情報はニュースで取り上げられた。芳賀若菜は結婚し、子を宿した為に退学したと。

 この報道の何が嘘なのか。子を宿したのは本当だ。だからこそ、芳賀青葉が生まれた。退学したのも勿論本当だ。そして残ったのは、結婚したこと。

 そう。芳賀若菜は結婚していない。

 一体誰が青葉の父親なのか? 誰が虚偽の情報を報道するように操作したのか?

 前者は分からない。若菜すら知らないのだ。具体的には知ろうと思えば知れる、といった方が正しいだろう。

 だが後者は知っている。情報操作をした人物。その人物の名は――薙切薊。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

「本日からお二人の料理人を任された芳賀若菜です。よろしくお願いします」

 

 青葉が一人で留守番ができるようになった頃、若菜は自身の仕事場に訪れていた。

 これは元々契約していたことであり、遠月を退学して初めて働く日でもある。

 数秒お辞儀をし、顔を上げると まだ幼い二人の子供が視界に入る。

 青葉より一つ年上であり、料理界で知らぬものはいない薙切の名をもつ少女。薙切えりな。そして薙切アリス。

 

「若菜さんですね。こちらこそ、よろしくお願いします」

「よろしくね 若菜さん」

 

 軽くスカートの裾を持ち上げ頭を下げるえりなとは対照的に、片手を上げ気軽に挨拶するアリス。

 

「ちょっとアリス。初対面の、それも私達のコックになる方にそれは失礼でしょ」

「あら? 今まで料理を食べる度に大抵不味いと言って、相手の心を折ってきたえりなには言われたくないわね。この人も 今日中に逃げ出さなければいいけれど」

 

 突然始まった二人の口論に、若菜は思わず苦笑いをしてしまう。

 流石は食の一族と呼ばれるだけはある。特にえりなに関しては、余程舌が肥えているのだろう。今もなお聞こえてくる二人の会話には、今まで料理を振る舞ったのであろう料理人の悲しい結末が語られる。

 子供だから正直と言うべきか、子供なのに恐ろしいと言うべきか。少なくとも今までの経緯からして、若菜に対するえりなとアリスの評価は料理を振る舞う前から低かった。

 

 プライドがある料理人であれば、こんな子供に自身の料理が見下されているという事実に腹を立てただろう。事実、そういった料理人が今までにはいたし、等しく撃沈してきた。

 しかし若菜はそんな素振りを見せない。慢心ではない、絶対の自信があった。

 見下されて結構。寧ろその方が、後々の衝撃というものは大きくなるのだ。それは料理の味以上にスパイスとなる。

 だから二人のやり取りを若菜は微笑ましく見守っていた。そこにあるのは紛れもない余裕の笑み。

 そんな雰囲気が他の料理人とは違うと感じ取ったのであろうか。えりなとアリスは口論を止め、後ろから来た人物を見やった。

 

「直接会うのは久しぶりだね 若菜」

 

 立っていたのは若菜の雇い主。薙切薊だ。

 

「薊さん お久しぶりです」

「元気そうで何よりだよ」

「お陰様で、平穏な生活が出来ていますから。今日からよろしくお願いします」

 

 時間もよい頃合いだった為、さっそく料理を振る舞ってもらおうと薊に屋敷を案内される。

 外から見るより広く感じる屋内を見渡しつつ、幾つもの扉を横切り。辿り着いたのは大きな厨房であった。

 清掃は完璧で、用意されている食材もみな一級品。調理器具も申し分ない数と種類が取り揃えられている。

 

「作る品は任せよう。僕とえりな、それとアリスの分だけで構わない」

「分かりました」

 

 薊が出るのを見送り、若菜は改めて厨房を見渡す。

 懐かしい。数年とはいえ、そう感じてしまうほど厨房を離れていた。

 遠月では毎日のように立っていたが、今では家の中のキッチンだ。感覚を忘れていないか軽く距離感を計り、調理手順を思い浮かべる。

 果たして若菜の料理を食べた時、あの二人はどの様な反応をするだろうか。その姿を想像しながら、若菜は包丁を振るった。

 

 

 

 

 

 よく晴れた とある昼下がり。

 若菜はえりなとアリスに連れられて、庭先に設置されたテーブルに腰かけていた。

 

 若菜の仕事内容とは昼食・間食・夕食を作ることであり、その時間以外は基本的に自由時間となっている。

 その為、暇さえあれば主にアリスの誘いで共に行動することが多かった。若菜は気付いていないが、他の使用人からすればこれは驚きの光景だった。なぜならあの二人に、そして薊にもここの料理人として認められているのだから。

 長くとも数日だろうと見ていた者も多く、ある種 尊敬の眼差しを向けられていた。

 

 そして今日 若菜が頼まれたのは、二人の料理の審査員である。

 目前に置かれた二つの皿を食し、美味しいと思った方を選んでもらう。因みに若菜はどちらが作った料理なのかは知らない。しかし、そんなものは料理を食べれば一目瞭然のことだった。

 

「こっちかな」

 

 若菜から見て右の皿を選べば、えりなは当然だと頷き、アリスはまた負けたと悔しさを露にする。

 二人の勝負はこれが初めてではない。そしてアリスは、えりなに一度も勝てないでいた。

 

「何で毎回毎回えりなが勝つのよ! 不正よ不正! 賄賂を贈っているに違いないわ!」

「塩と砂糖の中身と容器を偽装した……と見せかけて、どっちも塩と塩にしたあなたに言われたくないし、不正もなにもしてないわよ。いつも右手側に置いていたから、今日は左手側に置くって言ったのもアリスじゃない」

「むー!」

 

 こうやって屋敷が騒がしくなるのも、今や珍しくない。一見喧嘩しているように見えるかもしれないが、実の所 二人は大の仲良しだった。

 だから想像してしまうのだ。この二人の間に青葉がいればいいなと。けれども、それは他ならぬ薊によって却下されてしまった。

 

『料理の才があると分からなければ、例え君の子であろうと僕のえりなに会わせるわけにはいかない。もし青葉くんが料理を振る舞ってくれる日があれば、その時はいつでも歓迎するよ。勿論、その後どうなるかは料理次第だがね』

 

 この事からも分かるが、この屋敷で働くようになってから若菜はより一層 薊が美食至上主義であると実感した。

 故に、青葉が3歳になったときに包丁をプレゼントすると決意したのだ。二人と友達になって欲しいがために。

 そうでなくとも、若菜としては青葉に料理人を目指して欲しいと思っていた。もちろん青葉の気持ちを尊重するが、断られた日には暫く立ち直れないかもしれない。

 

「――――でしょ? つまり、アリスの料理は不味いわね」

「うぅ……。若菜さん……えりながぁ……」

 

 アリスの料理を食べ、徹底的にダメな所を指摘したえりな。それに耐えかねたのか、涙目で抱きついてきたアリスを優しく抱き止め、若菜は頭を撫でてやる。

 このやり取りも恒例になってきたと思うと同時に、えりなの味覚には若菜ですら驚かされる。まだ4歳にも関わらず、更には料理の腕までプロ顔負けだ。

 薊がいつの日か言っていた『神の舌』という表現も納得できる。

 

「今度は私も厨房に立ってあげるから、同じものを一緒に作りましょうか。アリスちゃんもまだ先は長いんだから、いつか えりなちゃんをぎゃふんと言わせましょうね」

「そうよ! いつの日か見てなさい!」

「まずは美味しい料理を作ってから言いなさいよ」

 

 

 

 

 

 そんな出来事もあっという間に過ぎ、青葉が3歳の誕生日に包丁を貰い、更に一年と数ヶ月が経った頃。屋敷にはもう、あの時の騒がしさは無くなっていた。

 

 

 

 

 

 やけに重く感じる扉を内側から開けると、薄暗い部屋の中に日差しが差し込む。

 その眩しさに思わず眉をひそめながら、若菜は音を立てぬよう ゆっくりと扉を閉める。

 

「…………」

 

 長い廊下を進む足取りは重い。

 ここをこんな風に歩くのも何日目だろうか。そんな思考を巡らせていると 反対側から歩いてくる人物を見て、ふと足を止めた。

 

「えりなの様子はどうだったかな?」

 

 全身を黒い衣服で統一し、オールバックの髪の一部が白く染まった男。

 薙切薊に、軽く頭を下げる。

 

「相変わらずでしたよ」

 

 そんな曖昧な返事を薊は気にすることなく、若菜の手にある空の皿を見て満足そうに頷いた。

 

 ――たちが悪い。

 

 内心そう思いながらも、口には出さない。

 この男が娘に対し持っているのは愛情だ。それはここで働いている間に充分理解している。

 しかし、その愛情は限りなく捻じ曲がっていた。

 だからこそ、たちが悪い。

 自身の目的、そして娘を想っての行動。それを信じて疑わず、娘にあの様なことを平気でするなど。

 

「……ふぅ」

「お疲れですか? 最近屋敷を開けることが増えているようですが」

 

 ネクタイを締め直し、予定帳を確認する薊。

 普段から完璧主義な彼にしては珍しい行動だ。

 

「なに。最近話が食い違う事が多くてね。少し面倒な事になりそうなんだ。全く……。真の美食とは君のような料理人の料理だと僕は思うが、どうかね?」

「私は私の出来ることをしているだけなので、他人の評価や価値観は何とも……」

 

 苦笑いをしながら若菜は返事をする。

 

「確かに、君はそういう料理人だったね。さて、少しえりなの様子を見て、また出掛けるよ。お勤めご苦労」

「――薊さん」

 

 薊が腕時計を確認し、横を通り過ぎようとするのを呼び止める。

 

「青葉のこと、覚えていますか?」

「もちろん覚えているよ。僕とえりなに料理を振る舞う約束だろう?」

「はい。お忙しいとは思いますが、青葉も一人で料理を作れるようになったので、食べてもらいたいです」

「そうだね……」

 

 予定帳を手にした薊はペンを走らせ、

 

「最近予定が変わることも多くてね。近々海外に発つ予定なんだ。確実に空いているとすれば、その前日のこの日かな」

「……分かりました。ではその日に、青葉を連れてきますね」

「ああ。君がそれほど言う青葉くんの料理には、少し興味があってね。どんな料理を振る舞われるか、楽しみにしているよ」

 

 ――えりなの舌に合えば、是非仲良くしてやってくれ。

 そう言葉を残して、二人は再び歩き出す。

 

 青葉にはまだ話せていない。

 最初はただ純粋に、えりなやアリスと友達になって欲しいと思っていただけだったのに。

 

「……ごめんね」

 

 静まり返った廊下に、その声はやけに響いた。

 




 もう原作は読んでいませんが、異能とか能力者が出ているようですね。
 本作のオリ主も一応チート能力という設定だったので、私が思う能力に付いて書かせてもらいました。
 つまり本作の視点で言えば、幸平創真は能力を才能まで昇華しきっている。だから無能力者だと本人は思っている……みたいな感じですかね。そもそも幸平創真に能力と呼べるものが無かったら、何で主人公やれてるんだって話ですからね。料理を作るのだって言わば能力ですし。
 といっても、ネットで現在の食戟のソーマの情報を軽く見ただけなので、間違った事とか書いていたらすいません。

 では改めて。初投稿の作品で100件を超えるお気に入り、そしてお気に入りをせずとも読んでくださっている方。ありがとうございます。
 今回は一ヶ月とかからず 私の中では早めの投稿でしたが、次話はいつになるか分かりません。気長にお待ちください。
 評価や感想もお気軽に。感想に関してはいつ書かれても全て返信しますので、ご自由にお書きください。
 また次話でお会いしましょう。


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三皿目

 現実逃避をしてると描ける描ける……。
 いや、本当はもっと亀更新のはずなんですけどね……。


 広い屋敷の中。その部屋だけは、他から隔離されているかの様に存在する。

 長い廊下の先にある扉を押し開けると、暗闇に光が差し込む。この部屋には窓がない。そう思う度、少し息苦しく感じる。

 けれども中へと歩を進め、中央のテーブルの上に設置された蝋燭に火を灯す。

 

 ――これで明かりが確保できた。

 

 扉を閉めると、蝋燭の淡い光が辛うじてテーブルの周りを照らし出す。

 そして蝋燭と向かい合うように席に着いた少女、薙切えりなの顔もまた 映し出された。

 テーブル、蝋燭、ナイフやフォークといった食器類。そして屑籠。この部屋には、それだけしか置かれていない。

 

 蝋燭の灯りを暫く見つめていると、後ろから扉の開く音が聞こえる。

 けれど 振り向くことはしない。

 一歩。また一歩。

 そしてえりなの隣に立った者は、手に持っていた皿をテーブルの上に置いた。

 ナイフとフォークを持ち、皿に乗せられたソレを口へと運ぶ。

 

 人間には『視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚』の五感がある。

 その中でも情報を知覚する時に最も使うのが視覚だ。その割合は全体の八割。料理に関わる味覚・嗅覚は、全体の一割にも満たない。

 

 では、視覚情報が限りなく少ない状態ではどうなるのか。蝋燭一本しかないこの部屋において、えりなの味覚は……嗅覚は……より一層 研ぎ澄まされたものとなる。

 

 ――不味い。

 

 たった一口。えりなが皿に乗ったソレを評価するのには、それだけで充分であった。故に、躊躇いなくソレを屑籠へと捨てる。一級品と称される、最高級の食材をふんだんに使ったソレをだ。

 

 不味い。つまりこれは餌だ。餌は屑籠へ。そうしなければ、お父様に怒られる。

 

 またドアが開き、ソレが机に置かれ、屑籠へ。

 ドアが開き、机に置かれ、屑籠へ。

 開き、置かれ、屑籠へ。

 

 不味い。不味い。不味い。不味い。不味い! これは餌だ! 餌は屑籠へ。私は人間だ! 餌は家畜の食べ物だ。だから私は……。

 

 一口食べ、その美味しさに思わず手を止めた。料理(・・)を運んできた者は、えりなの後ろから動かない。

 ゆっくりと後ろを振り向けば、決まって彼女が立っている。芳賀若菜。薊が雇い、えりなの幼少から料理を作ってくれる料理人。

 専属ではないが、その付き合いは長い。

 初めて会ったときはそう、まだアリスと一緒に過ごしていたあの頃だ。

 あの時は楽しかった。若菜はいつもお昼前に現れ、昼食と間食、夕食を作ってくれた。雑談に花を咲かせることもあった。どうすれば美味しい料理が作れるかと問うこともあった。アリスと料理対決をした時には、審査員をしてもらうこともあった。

 そう言えば、北欧へ行ったアリスは今どうしているのだろうか? 手紙を書いてくれると言ったのに、あれから一度も手紙は届かない。

 私と喧嘩したから? 私を嫌っていたから? 私がアリスの料理を不味いと言ったから?

 アリスのあの言葉は、全部嘘だったの?

 

 視界が歪む。

 頬に何かが伝っていると気付いた時には、若菜に優しく抱き締められていた。

 温かい。いつまでもこの感覚を味わっていたい。だけど、やることがあるから。

 

 若菜を軽くを押し退け、テーブルに置かれた料理を食べきり、空になった皿を渡す。

 部屋にはまた、えりな一人となった。

 後ろでドアの開く音が聞こえると、また一皿 テーブルに置かれたソレを食べる。

 

 不味い。つまりこれは餌だ。餌は屑籠へ。そうしなければ、お父様に怒られる。

 

 またドアが開き、ソレが机に置かれ、屑籠へ。

 ドアが開き、机に置かれ、屑籠へ。

 開き、置かれ、屑籠へ。

 

 不味い。不味い。不味い。不味い。不味い! これは餌だ! 餌は屑籠へ。私は人間だ! 餌は家畜の食べ物だ。だから私は……私は……。

 

 ――どうすればいいの?

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 朝。

 柔らかなマットレスとふかふかな羽毛布団に包まれ、意識が覚醒した青葉は目覚まし時計を見る。

 時刻は朝7時。目覚ましのセットはしていないが習慣となっており、いつもこの時間までには体が起きてしまう。

 

 だが、起きるといっても本音はまだ寝ていたい。このまま体を預けてしまい、二度寝をすればさぞ気持ちいいだろう。

 が、今日は生憎と予定があった。

 二度寝をしたい気持ちを振り払い、モゾモゾとベッドから這い出すと外出用の衣服に着替える。

 

「母さん おはよう」

「おはよう 青葉。冷めない内に食べましょう」

 

 居間に入るとエプロン姿の若菜に挨拶し、テーブルに着く。

 ホカホカの白米に卵焼き。お味噌汁や鮭の塩焼きなども付いたバランス良い温かな朝食。

 青葉にとって当たり前な朝食を終えると、今日の予定について二人は話し始める。

 

「今日だよね。俺が母さんの仕事場についていくのって」

「そうよ。お迎えがもうじき来るみたいだから、ちゃんと準備をしておいてね」

 

 今日は青葉が若菜の仕事場に行く日だ。

 そこで若菜の雇い主である薊、そしてその娘であるえりなに料理を振る舞う。

 3歳の誕生日から決まっていたことではあるが、遂にこの日が来たかと実感する。まだ実際に会ったことはないが、美食至上主義であるという薊やえりなのことは既に若菜から聞いていた。

 果たして自身の料理が二人を満足させるものなのか。料理を若菜以外に振る舞うのも初めてであり、青葉は少し緊張していた。

 

「俺の料理……美味しいって言ってもらえるかな」

「慣れない環境かもしれないけど、いつも通りやれば青葉なら美味しい料理を作れるわよ」

 

 キッチンにある誕生日に貰った包丁をケースに入れると、インターホンが鳴る。

 どうやらお迎えが来たようだ。最後に改めて身だしなみを確認し、家を後にする。

 

 玄関の前にはサングラスと黒服に身を包んだ男。そして如何にも高級そうな外車が止まっていた。

 

「若菜様、青葉様、お待ちしておりました。本日運転を務めさせて頂く者です。どうぞ お乗りください」

「ありがとう」

 

 慣れた動作で車に乗り込む若菜に続き、ドアを開けてくれた人に軽く会釈をして青葉も乗り込む。

 中には広々としたソファが広がり、備え付けのテレビモニターや透明なガラステーブルにグラスと飲み物が置かれている。

 ふと窓の外を見れば、いつの間にか景色が流れ走り出していた。振動もなく、ソファの座り心地も快適だ。

 暫く二人で談笑し、目的地まで後少しと言うところで若菜は改めて青葉を見た。

 

「さて……突然だけど、青葉に伝えないといけないことがあるわ」

 

 先程までとは打って変わり、真剣な表情をした若菜。

 それに答えるように、青葉も気を引き締める。

 

「どうしたの?」

「えりなちゃんの事なんだけど――」

 

 そこで若菜は、初めて薊とえりなの現状について話した。

 曰く、薊はどうしようもなく美食至上主義であると。

 

 娘であるえりなに閉鎖的空間で料理を食べさせ、英才教育を行う。

 多くの者にとって、それは普通ではないと感じるだろう。

 けれど、薊にとってはそれが普通なのだ。愛する我が子を、自身の思う料理人へと育て上げる。いや、薊の思う自称料理人にならないように教育しているというべきか。

 それ程までに薊の中には完成された料理人とその料理があり、今の世にある料理の多くはそれに反していた。

 

「でも、ここにえりなちゃんの気持ちは一切考慮されていないわ。例え、えりなちゃん自身や他の誰かが反論しても、薊さんは この世界に毒されているからそう考えてしまうんだ。だから本当の美食を教育してあげなければならない って言いそうだけどね」

「じゃあ、えりなちゃんは今も?」

「そうね……。きっと、薊さんの教育を受けていると思うわ」

 

 ――だから。

 

「だから青葉には、えりなちゃんを救ってほしいの。ただ薊さんから引き離すだけだと、彼女はずっと囚われたまま。青葉の料理で二人を認めさせ、彼女と友達になって寄り添ってあげてほしい」

 

 車が止まる。ふと窓の外を見れば 立派な屋敷が建っていた。目的地に着いたのだろう。

 普段は閉じている鉄格子の正門。その前に車を停めた運転手がドアを開けてくれる。

 促されるまま外へ出ると、青葉と若菜を迎える為に立っていた男が此方に話しかけてきた。

 

「ようこそ、僕の薙切邸へ。そしてお久し振りと言った方がいいのかな、芳賀青葉くん」

 

 身長差で見下ろされるその姿は威圧感があり、何処と無く近寄りがたい雰囲気がした。加えてその男の青葉を見る目は、歓迎というよりも興味に近いだろうか。

 

 お久し振りと言われて記憶の中を探るが、少なくとも青葉はこの男に出会った覚えはない。

 

「薊さん。確かに青葉と会ったのは二回目だけど、それはこの子が生まれて直ぐの頃でしょ」

 

 返事に困っている青葉を見て、すかさず若菜が補足してくれる。

 

「フフフ。流石に覚えてはいないか。だけど、初めましてというのも何か違うと感じてね。決して 意地悪するつもりではなかったんだ」

 

 クツクツと笑い、膝を曲げて青葉と視線を合わせると右手を差し出す。

 一瞬何事かと思ったが、それが握手をする行為だと気付き、手を差し出した。

 温かみのない、冷たい手の感触が伝わってくる。

 

「では初めましてと言うことで、自己紹介をしておこう。僕の名前は薙切薊。いずれこの世界に、真の美食を広める者だ」

 

 薊はそう言い放ち、ニコリと微笑んだ。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 薊に屋敷を案内される中、話題に上がるのはやはり青葉について。そして同じ年頃のえりなについてだ。

 

「今日は青葉くんの料理が待ち遠しくてね。僕のえりなに勝る子はいないと思っているが、若菜の子ならもしかしたらと期待する気持ちもあるんだ。えりなの料理を食べたことがある若菜は、青葉くんの料理と比べてどちらが美味しいと思っているんだい?」

「当然、青葉の料理の方が美味しいです」

「ふっ、即答か。だとすれば 非常に楽しみだけどね」

 

 その会話は非常に穏やかなものであった。

 薊はえりなを悪いように扱っているのではなく、本当に大切にしているのだろう。少なくとも、それは薊の中ではだが。

 

「薊さん。えりなちゃんは何処にいるの?」

 

 確認も込めて、青葉は先程から姿の見えないえりなの居場所を聞いてみる。

 

「えりなは今も仕分けの最中だろう。彼女も今日の主役だから、案内を終えたら連れてくるよ」

 

 それに対し、にこやかに薊は受け答えした。

 だがその言葉の節々に、どこか不穏な気配を感じさせられる。

 “仕分け”というのが何を表しているのか。その意味を薄々感じながら、後を付いていく。

 

 招かれたのは広い部屋だった。中央に置かれた白いテーブルクロスの掛かった長机と並べられた椅子。机には蝋燭が三本立つキャンドルスタンドが複数設置されており、天井から下がるきらびやかなシャンデリアと合わさって、幻想的な空間を作り出していた。

 この屋敷の食堂とみて間違いないだろう。

 薊はチラリと腕時計を確認し、此方へと向き直る。

 

「少しここで待っていてくれ。今からえりなを連れて来よう」

 

 部屋には青葉と若菜の二人が残された。

 若菜は軽く息を吐き出し、呼吸を整えてから声を掛ける。

 

「青葉。今から薊さんが連れてくるのが 薙切えりな。あの人の娘よ。私は普段から料理を振る舞っているから大分心を開いてくれているけど、青葉には冷たく接するかもしれない。だけど許してあげて。そして出来ることなら、あの子と友達になってほしい。これから料理を作るのは青葉だから、判断は任せるわ」

 

 その言葉から間もなく、先ほど潜った重厚な両開きの扉が再び開かれる。

 そこにいたのは薙切薊。そして、その隣には青葉と同い年ぐらいの身長の少女。

 髪は光の当たり方で金色にも薄茶色にも見えるロングヘアー。発育はまだしていないが、顔のパーツを見れば将来有望な容姿を手に入れるだろうことが分かる。

 だがその顔は暗く、覇気がない。

 若菜の姿を見つけ、僅かに顔が明るくさせたのも束の間、その隣に立つ青葉を見て 顔を俯かせる。

 

「挨拶しなさい」

 

 薊に促され、少女は一歩前に出ると両手で軽くスカートの裾を持ち上げ頭を下げる。

 

「若菜さん、いつも有難う御座います。そして初めまして、芳賀……青葉さん」

「えりなちゃん、そんなに畏まらなくていいわよ。青葉は年下なんだし、気軽に下の名前で呼んであげて」

「……分かりました。よろしくお願いします、青葉くん」

 

 えりなは一度薊に目配せし、改めて頭を下げる。青葉もそれに続き、自己紹介を返した。

 見たところ、えりなに決定権はないように思える。事あるごとに薊に確認を取り、その様子はどこか怯えているようだ。

 

「では青葉くん。今から料理を振る舞ってもらうんだが……何か聞いておきたいことはあるかな? 調理場所や食材は、此方で最高のものを用意しているから気にしないでくれ」

 

 青葉はえりなを見る。

 その表情はとても5歳の子供がするような表情ではない。笑顔を見せたのは若菜を見たときだけ。

 今 青葉に向けている申し訳なさそうな顔は、一体なんなのだろうか。

 

「では、薊さんやえりなちゃんは何が食べたいなどのリクエストはありますか?」

「ふむ……僕は特に無いかな。えりなは何かあるかい?」

 

 えりなは口を開こうとし、けれど つぐみながら。数瞬の後、漸くその言葉を発した。

 

「…………青葉くんの 必殺料理(スペシャリテ)と呼べるものがあるなら、それでお願い。いい加減な料理で、不味いなんて 言いたくないから」

 

 いい加減な料理で、不味いなんて言いたくない。

 つまり、いい加減でなくとも不味いと言う様にも聞こえる。

 いや、実際そう言ったのだろう。

 えりなは美食家だ。何より若菜の料理をほぼ毎日食べている。加えて『神の舌』と評される味覚の持ち主が、たかが4歳である青葉の料理を美味しいと感じられるのか?

 普通に考えれば否だ。

 何十年と研究して完成させたプロに、4歳の子供の料理が勝るはずがない。そのプロですら、えりなの舌を満足させられない者もいるというのに。

 

 そして、そう発言したえりなを見て理解した。

 先程から見せている何処か申し訳なさそうな顔。それは若菜に対して向けているものだ。支えられ、お世話になってきたのに、その子供である青葉の料理を不味いとこれから告げるのだから。

 

「リクエスト、承りました」

「…………」

「俺の出せる、最高の必殺料理で 必ず美味しいと言わせてみせます」

 

 不味いなんて言わせない。言わせるわけにはいかない。

 何よりも、食べる前から不味いと決めつけているのが気に入らない。子供だから? 料理の経験が浅いから? そんなものは関係ない。

 ならば振る舞おうじゃないか。『神の舌』に美味しいと言わせる料理を、この手で。

 

「では、厨房に案内しよう。付いて来たまえ」

 

 薊に先導され、青葉は一人 厨房へと向かう。

 暫く廊下を歩き、辿り着いた厨房を見渡して少し違和感を持った。

 並べられた作業場や調理器具など。その全てが本来の大きさより一回り小さい。

 少なくとも、市販されているようなものではないだろう。

 

「ここは普段、えりなが使っている専用の厨房だ。子供用に特注してあるから、君にも扱いやすいだろう。各種食材は最高級のものを最高の状態で用意してあるが、もし何か欲しいものや分からないことがあれば、そこにいる使用人を使ってくれたまえ」

 

 えりな専用の厨房。

 そんなものまであるのかと半分呆れながら、食堂へと戻る薊に礼を言う。

 いちいち台を移動する手間が省けて楽なのは事実だ。

 

 冷蔵庫や作業台に用意された食材はどれも一級品。芳賀家にはスーパーで買った食材も多いが、ここにはそれが一切ない。

 これで仮に不味い料理を作れば、食材のせいにはできない。いや、薊の事だ。食材が最高の物でなければ、最高の美食は出来ないと考えているのかもしれない。

 

 青葉は唯一この厨房にない、誕生日の時に貰った包丁をケースから取り出すと柄を握り、研ぎ澄まされた刃を見て振る舞うべき料理を考える。

 

 今回は初めて若菜以外に振る舞う料理。そして、何か調理に制限があるわけでもない。

美味しい料理を作って納得させる。

 ……いや、ただ美味しい料理を作るだけではダメだ。それに、青葉が真に料理を振る舞うのは薊ではない。薙切えりなだ。

 薙切えりなに美味しいと言わせ、その冷たく閉じてしまった心を引き戻す。そんな温かな料理を……。

 

「えりな様は普段、仕分けと称されて様々な料理人の得意料理を口にしていますが、その関係で食は肉や魚に偏り、精神もかなり疲労されています。良ければ参考にしてみてください」

 

 声がした方を向けば、そこには薊の言っていた使用人が立っていた。

 今まであまり意識をしていなかったが、よく見ればその容姿はえりなと同い年ぐらいの少女だ。

 淡いピンク色の髪を襟首まで伸ばし、その真剣な表情とえりなの事を様付けする姿勢は、どこか大人びて見える。

 

 教えてくれた情報に感謝し、再度青葉は思案する。

 肉や魚に偏りがあるなら、メインは野菜が良いだろう。

 ならば、振る舞うべき料理は――。

 




 次回は恐らく使用人の少女視点から。料理描写も少しあるかと思います。
 原作を知っている方や”前菜”の内容を覚えている方は誰か察していると思いますが、原作だと少女はまだえりなとこの時期には出会っていません。そもそも出会った経緯が書かれていないような?
 今後も原作改変をするかもなので悪しからず。

 前書きでも書いたように亀更新詐欺をしていますが、次こそは投稿が遅れると思います。なので気長にお待ちください。
 お気に入りや評価、感想ありがとうございます。
 高評価や低評価、お気軽にどうぞ。


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四皿目

 そう言えば祝日だったので書いてみました。
 いや……キリの良い所までどうせなら書きたかっただけなので……。


 新戸緋沙子。

 その少女の家系は古くから続く漢方医であり、薙切家とは以前から親密な関係を築いていた。

 例え関係がなかったとしても、緋沙子は由緒正しい家柄の娘である。両親からは期待の眼差しを向けられ、それに答えるように謙虚に成長していった。

 

 そんな彼女がえりなと初めて出会ったのは4歳の頃。まだまだ薬膳の完成には程遠く 研鑽している最中であった。当然それは、日本屈指の料理の名家である薙切家に提供できるような物ではない。

 それにも関わらず、薙切の名を持つ一人、薙切薊の屋敷に緋沙子は訪れた。

 本来ならば両親が出向く所のはずなのにだ。

 

 薙切薊の娘である薙切えりなと同い年であり、自身の更なる飛躍の為に使用人 兼 将来はえりなの秘書として。

 初めは両親にそう説明され、少し腑に落ちないながらも納得していた。

 

 実際に屋敷を訪れ、えりなと出会うまでは。

 

 えりなと初めて出会った場所。それは蝋燭の明かりが照らすだけの暗い部屋だった。

 屋敷を案内し、その状況を見せても何も感じていないかの様に、淡々とえりなを紹介する薊。そして精神的にも身体的にも疲労しきったえりな。屑籠に棄てられた料理だったもの。

 後に薊から聞かされる仕分けという教育。いや、洗脳と言った方が正しいだろうか。

 

 そんな状況を……惨状を見て、緋沙子はなぜ自身が選ばれたのかを幼いながらに理解した。

 両親はこの現状を知っていたのだ。この許されざる行為を何らかの理由で知って、緋沙子が代わりに選ばれたのだ。こんな事が公に知れれば薊は何かしらの拘束がされるはずなのに、それもない。つまりはそういうことなのだと。

 

 それと同時に、えりなを救いたいとも思った。

 だが、緋沙子の薬膳は完成とは程遠い。今の実力では録な生薬すら提供できないだろう。ならば研鑽するしかない。

 

 ――が、肝心の両親には見捨てられたも同然の行為をされた。

 

 ここへ連れて来て、あの取り繕った笑顔で送り出した両親の顔などもう見たくない。

 薊の屋敷に出向くことが急遽決まった時、喜んでいた周囲の人達にも会いたくない。その人らもまた、この現状を知っていたのだから。知っていて、自分ではなく緋沙子が選ばれたことに喜んでいたのだから。

 

 勘違いかもしれない。純粋に喜んでくれたのかもしれない。だが本当に知らなかったとしても、緋沙子はもう信じることが出来なかった。

 しかし漢方医を学ぼうにも、今まで教わった知識や書物、独学では必ず限界が来てしまう。このままでは、えりなの役に立つなど夢のまた夢。

 やはり両親に聞くしかないだろうか。

 

 そんな思考の中、彼女は芳賀若菜と出会った。

 薊の屋敷で働く料理人。緋沙子が来る前からえりなを支えていた人で、その料理の腕は一級品。この屋敷でも数少ない常識人だ。

 だからダメ元でも、若菜に教えを乞うことにした。

 

 漢方医など、知識を持ち合わせていなければ分かるはずもない。しかし若菜は持ち前の才能と緋沙子の知識を存分に活かし、丁寧に教えていった。

 事実 それは有意義なものであり、最近ではえりなに何とか生薬を提供できる様になったほどだ。

 若菜が説得し、えりな自身が体調に気遣うようになったのも大きいだろう。

 

 

 

 それから一年が経った。

 両親と顔を合わせることも話すことも減り、若菜と共にえりなを支える日々。

 そして今日、若菜は一人の少年を連れてきた。

 若菜の息子である芳賀青葉。

 以前から青葉については聞いていた。えりなと友達になり、支えられる存在になってほしいと。嘘か誠か、その料理の腕は遠くない内に若菜を超えるだろうとも。

 そんな年端変わらぬ少年の調理を見たいと思い、緋沙子は厨房に立つ補佐役を買って出た。

 

「えりな様は普段、仕分けと称されて様々な料理人の得意料理を口にしていますが、その関係で食は肉や魚に偏り、精神もかなり疲労されています。良ければ参考にしてみてください」

 

 厨房に立ち、どの様な料理を振る舞うべきか考える青葉をみて、思わずそう口に出した。

 それと同時にやってしまったと思う。

 今の発言はあくまでも緋沙子の考えだ。漢方医を学んでいるが故に体調を気遣った料理も作れるが、青葉にも同じ真似ができる訳ではない。精々野菜をメインに使うことぐらいだろう。

 勿論野菜をメインに使うことは構わない。図らずとも体調を気遣った料理は作れるのだから。

 

 しかし野菜をメインの料理として、それは青葉の得意料理なのだろうか?

 

 緋沙子が薬膳を作れるように、青葉には青葉の料理があるはずだ。仮に青葉が肉や魚がメインの方が得意な料理だったら?

 薊は美食家だ。えりなを気遣った料理を作ろうが、不味ければ切り捨てるだろう。ならば今は、体調を気遣うより最も得意な料理を作るべきだ。

 

 故に 緋沙子は失言したと思い、訂正しようとした。

 けれどもう、青葉は調理に取り掛かっていた為、口をつぐみ その姿を見守る。

 

 

 

 青葉が調理台に並べていく各種野菜類。その量と種類がかなり多い。どうやらメインは野菜にしたようだ。

 玉ねぎ、キャベツ、白菜、トマト、大根、人参などなど。本当にあの野菜全てを使うのだろうか?

 そして取り出したのは……無水鍋。

 それを見て緋沙子は理解した。あの大量の野菜。特にキャベツや白菜、トマトや大根は水分を多く含んでいる。更に無水調理は文字通り、水を使わず素材本来の栄養を逃さず 旨味を最大限に引き出すことができる調理法。

 

「ッ……!?」

 

 青葉が包丁を持った瞬間、厨房の空気が張り詰める。

 だがそれも一瞬。張り詰めた空気は既になく、今は包まれる様な温かさで満ちていた。

 包丁を持つ青葉の右手が煌めく。

 まず行われるのは皮むき。

 

 玉ねぎは芯である両端を切り落としたと同時に、添えていた左手のみで器用にはぎ取る。

 

 大根は筋が残ると熱を通しても固く舌触りが悪くなることから厚めに、それでいて均等に最後まで千切ることなく滑らかに。

 

 逆に人参は皮の下に栄養を多く含むため薄くむく。その薄さは向こう側が透けて見えるほどだ。

 

 極めつけはトマト。トマトは皮をむかないことも多いが、綺麗にむこうとすれば何かと手間がかかりやすい。だが青葉はそんなものはお構い無しだと直に包丁を入れる。しかし形は崩れない、汁も溢れない。内包されていた水分が表面にじわりと浮かび上がり、瑞々しい光沢が出るさまは、まるでトマト自身が皮をむかれたと気付いていないかのようだった。

 

 そして、全ての野菜の皮むきが終われば次は切りに入る。

 目にも止まらぬ速さで包丁を入れられる野菜達。一見すればそれは荒々しく乱雑に切り刻まれているように思えてしまうだろう。

 だがしかし、その手元を見れば全ての野菜はそれぞれが最適な大きさに切り分けられていく繊細さ。

 

 常人では到底辿り着けないだろう見事なまでの素早い皮むき。そして荒々しくも全てを知りつくし、計算され尽くされたその大胆で見入ってしまう切り技。

 緋沙子はその現実に、マグロの解体ショーならぬ野菜の解体ショーが行われている光景を錯覚した。

 それ程までに、青葉の調理姿は見入られる魅力を秘めていた。

 

 若菜が料理の腕を超えられると言っていたのが今なら分かる。どうすれば4歳にしてあの様な包丁捌きができようか。

 そして見てみたいとも思う。青葉がこれから歩む料理道を、この眼で。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

「そろそろか」

 

 火加減を調整しながら、じっくりコトコト煮詰めた鍋の蓋を青葉は開ける。

 炒めたベーコンとコンソメの香りの後を追うように、芳醇な野菜の香りが鼻を抜けていく。

 程よく煮崩れした野菜が浸っているのは、その野菜が内包していた水分が滲み出たもの。

 お玉でかき混ぜ、しっかり煮詰まった事を確認してから火を止めた。

 

 使用人である緋沙子に食堂へ運ぶよう頼み、配膳台を用意してくれる間に食器棚からスープカップとスプーンを取り出す。

 今回青葉が作ったのは無水野菜スープ。食材から出る水分を使ったので、野菜の旨味と栄養が凝縮されていることだろう。

 

 そして、最後の仕上げだ。

 丁度オーブンから焼き上がりの合図があり、中からそれを取り出す。出てきたのは、フランスパンを千切ってカリカリに焼いたもの。

 

 

 

 準備は整った。

 食堂への扉を開けると、冷たく重い空気。そんな感覚を覚えてしまうほどに空気が違う。

 薊を見れば青葉を値踏みするかの様に観察し、その隣に座るえりなは顔を俯かせている。

 配膳台を移動させ、青葉が鍋の蓋を開けると部屋全体に野菜スープの香りが広がっていく。それでようやく気付いたのか、えりなはバッと顔を上げ、香りの元である鍋を凝視した。

 

 調理はまだ終わっていない。

 盛り付けの最後まで、青葉は自身の思いを料理へと乗せる。

 よそったスープに最後は彩りと風味をもたらすチャービルを振り撒き、先程焼き上がったばかりの千切ったフランスパン――浮き身であるクルトンと共に二人の前に置いた。

 これをスープに入れればお好みで食感の変化を楽しむことができるようになる。

 

「これを……本当にあなたが?」

 

 えりなが信じられないという表情で青葉を見る。

 期待などしていなかった。故に良い意味で裏切られたとも思わず、ただ純粋に驚く。これほどの料理を本当に青葉が作ったのかと。

 青葉の後ろに控える緋沙子は、それが事実であると頷いた。

 

「俺の必殺料理(スペシャリテ)ですから。冷めない内にどうぞ お召し上がり下さい」

 

 青葉に促され、えりなはスープをすくった。

 そして一口。

 

 スミレ色の瞳を見開き、スプーンを咥えたままえりなだけ時が止まったかの様に微動だにしない。

 その瞳はここではない、どこか遠い過去を映しているかのようだった。

 

「温かい……」

 

 美味しいではなく、温かい。

 ポツリと自然にこぼしたその言葉は、青葉の料理で何を感じ出たのであろうか。

 顔が少し明るくなり、頬を微かに染める。

 

 えりながまた料理に手を付けようとする、そんな時だった。

 ゆっくりと、確かな称賛が込められた薊の拍手が部屋の中に木霊する。

 

「見事な料理だ、青葉くん」

 

 出されたスープを食べた薊は、青葉の皿を料理だと認めた。

 その事に青葉は一先ず安心する。だが薊の言葉は、まだそれで終わりではなかった。

 

「だが、まだ足りない」

 

 まだ足りない。まだこの先があると、首を横に振る。

 

「4歳にしてこれ程の料理、僕のえりなですらまだ到達できていない高みだ。だが、君は経験が足りない。食べた瞬間分かったよ。自身の力を出しきれていない、持て余しているとね」

 

 経験が足りない。

 それを青葉は当然だと思った。

 料理人を目指し始めてまだ二年と経っていない。経験などなくて当たり前だと。

 しかし、何かが引っ掛かる。

 

「美食とは完成してから芸術となる。価値がでる。だからこう表そう。青葉くんは宝石の原石だ。これから成長し、いつか彼のように……いや、彼以上の存在になる可能性を充分に秘めている巨大な原石」

 

 薊は席を立ち上がると脱いでいた黒い帽子を目深に被り、出口へと向かう。

 

「お父様……?」

「えりなにはまだ言っていなかったね。僕は暫くここを空けるよ。海外へ年単位でね。えりな、そして青葉くん。次に会うとき、成長した君達の料理に会えることを楽しみにしているよ」

 

 薊が食堂を出ると、空気が軽くなったように感じる。

 それが合図となったのか、えりなはようやく外れた呪縛から解放されたように泣き崩れた。すかさず若菜と緋沙子が宥め、えりなは再び青葉の必殺料理を噛み締めながら食べ始める。

 

「ありがとう青葉。えりなちゃんの為に料理を作ってくれて」

「私からもお礼を言わせてください。あ、その前に自己紹介がまだでしたね。えりな様の使用人 兼 秘書となる新戸緋沙子です。以後お見知りおきを」

 

 そんな挨拶と共に、薊が屋敷を出たことやえりなについて二言三言話すと、話題は青葉の料理へと変わる。

 

「ねぇ青葉。まだまだ量もあるみたいだし、お母さんにもスープをよそってくれないかしら?」

「私も食べてみたいです」

 

 予め二人にも食べてもらうつもりだったので、スープカップを余分に持ってきてある。

 鍋から二人分のスープをよそいながら、先ほど薊に言われたことを青葉は思い出す。

 

『だが、君は経験が足りない。食べた瞬間分かったよ。自身の力を出しきれていない、持て余しているとね』

 

 少なくとも、青葉は今できる全力をこの料理には乗せたつもりだ。ならば薊が言っていたのは、潜在的な力がまだ出しきれていないということだろうか? 薊が言った経験とは何だろうか?

 

「んんっ♪ やっぱり青葉の作る料理は美味しいわ。まだ何杯もいけそう。薊さんはまだまだ先がある様に言っていたけど、お母さんは充分美味しいと思うわよ」

 

 若菜は相変わらずの反応だ。

 スープを啜った後、ほぅと息を吐き出して頬を染める。青葉の料理を口にする機会が増え、ここは他人の目もあるためかいつもより我慢しているが隠しきれていない。

 

「美味しくて、気持ちのこもった料理ですね。料理で人がこんなにも温かな気持ちにさせられるとは思いませんでした」

 

 緋沙子もスープを啜るが、その反応は若菜と比べれば薄い。

 何だろうか、この違和感。青葉は二人の反応を見比べ、再び何かが引っ掛かる。

 二人とも本気で美味しいと思ってくれているようだが、その美味しさ加減に差があるように思える。どちらも同じスープをよそっているのに……。

 

「……そう言うことか」

 

 その引っ掛かりの原因を、青葉は理解した。

 青葉が今まで誰に料理を振る舞ってきたかと聞かれれば、それは若菜だ。正確に言えば、若菜だけにしか料理を振る舞ったことがない。当然料理の評価をしてくれるのは若菜のみ。

 そして青葉は、若菜以外の料理を食べたことがない。外食すらも味わったことがなかった。

 

 確かに出しきれていない力が潜在的なものもあるだろう。だが、それだけではない。

 青葉は他人の料理を食べる経験、更には振る舞う経験があまりにも無さすぎたのだ。

 

 だから自然と若菜の味に引っ張られた。知らず知らずの内に、若菜に食べてもらう味で調理をしていた。

 火加減、食感、味付けに至るまで。その全てを若菜の好みで、意識をせずとも作っていた。

 

 味覚は人によって違う。だけれど誰もが美味しいと口を揃える料理もあれば、不味いと口を揃える料理もまたある。

 けれども、その美味しいさ加減は全員同じか?

 ――否だ。

 青葉の料理はその美味しいが若菜個人に片寄っている。つまり、大衆向けではないのだ。

 

 この事実に、若菜がいち早く気付いていれば変わっていたかもしれない。

 だが、若菜は気付かなかった。料理を唯一振る舞われている若菜だからこそ気付けなかった。

 日々の特訓で美味しさを増す青葉の料理が、若菜の舌のみを喜ばすことに特化しているなどと。

 

 それは言わば、家庭の味とも呼べるものだ。けれども料理人になるならば、それは時にマイナスの作用をもたらすこともある。

 

「成長した料理に会えることを楽しみにしている、か」

 

 薊が去った扉を見つめ、青葉は両手を固く握り 決意した。

 

 ――なってやろうじゃないか。薊の言う美食すらも凌駕する美食。それを作る料理人に!

 




 料理描写難しい……。味の感想とか色々書くとなんかグダっちゃいそうだったので、こんな感じに仕上げてみました。まぁ料理以前に全ての描写が難しいのですが……。

 ”一皿目”の最後に言っていた青葉に欠けているもの。それが今回は露になりました。
 緋沙子の過去も暗い感じになっちゃいましたね。どうしても薊が絡むとそんな設定になってしまいます。
 原作の緋沙子ってどうやってえりなと出会って打ち解けたんですかね? 割とそこが気になる今日この頃。

 前書きで書いた通り、祝日だったのとキリの良い所まで書きたかったので早めに仕上げちゃいました。多分、次こそは、本当に、投稿が、遅れると思います。なので気長にお待ちください。

 後 今まで短編で投稿していましたが連載に変えました。あんまり長く書くつもりはなかったんですが、ここまでくると連載にした方がいいかなと。正直に言えば本作の本編は残り5話もせずに終わる予定です。そこからは仮に青葉が創真達と同級生だったら? という、言わば『神の同級生』みたいな番外編を多少書きます。
 若菜が学園や原作キャラに与えた影響や絡みも書きたいですしね。もちろん、青葉と原作キャラの絡みも。
 あくまでも予定なので、取り合えず本編を失踪せず書ききることを目標に今は頑張ります。
 ではまた、いつの日か。次話で会いましょう。
 お気に入り、感想や評価はお気軽にどうぞ。


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五皿目

 日間ランキングにちょろっと載ってましたね。
 沢山のお気に入りや評価、ありがとうございます。


 軽快なオープニング曲と共に、朝の情報番組が始まった。司会者の挨拶と一言から始まり、本日のトップニュースが紹介される。

 テレビに映し出されたのは、最早誰もが見慣れた屋敷。当然だ。このニュースは連日連夜報道され、屋敷が映ったのも一度や二度ではない。

 

 そしてその屋敷を見る度、青葉は少し複雑な気持ちにさせられる。

 何故ならそこは、ニュースになる前 一度訪れた場所なのだから。

 

『薙切家から追放!? その真相や如何に!』

 

 右上に表示されたテロップ。料理評論家による口論。薙切家。そして追放された――薊という男の名前。

 その屋敷は間違いなく、薊とえりなが住み、若菜が働いていた場所だった。

 

 薊が海外へ飛び立って直ぐの事。

 日本料理界を牛耳るえりなの祖父、薙切仙左衛門が薙切薊を追放したという緊急会見が報道された。

 その真相が未だ解明されていない辺り、薙切家は今回の件を公にするつもりは無いようだ。

 仮に公表しようものなら、薊の仕打ちが露になることを意味しており。それは同時に、えりなに対する世間の目が 彼女の成長の妨げになることを嫌ったのだろう。

 故に、真相は何であるのか。それをテレビの中では、様々な憶測と共に今も熱く語り合っている。

 

 

 

 ではここで、少し考えてもらいたい。

 

 薊が薙切家から追放された。それはこの世界に少なくない衝撃を与え、今も大々的に報道されている。

 そしてその真相はハッキリとしない。

 となれば、マスコミは当然真相を探ろうと行動に移す。

 その結果がテレビに映る薊が元住んでいた屋敷であり。それ即ち、多くの報道陣が屋敷の前に詰め掛けているのであれば。

 薊の娘であり、同じ屋敷に住んでいた薙切えりなは今 果たして何処にいるのか?

 

 

 

 多くの者が難問だと思うだろうその問いはしかし、青葉にとってみれば実に簡単だった。

 

「ねぇ青葉くん、緋沙子。今日はどんな事をして遊ぼうかしら?」

 

 テレビで流れるニュースはどこ吹く風。今日の予定(あそび)はどうしようかと、目をキラキラ輝かせるえりな。青葉の目の前に、そんな笑顔溢れる少女の姿があるのだから。

 更に言えば、その隣にやや遅れて朝食を食べ終えた緋沙子もおり、懐に入れたスケジュール帳を取り出して真剣な表情で本日の予定(あそび)について考案している。

 そしてその様子を、我が子のように微笑ましく見守る若菜。

 

 そんなやり取りが、薙切家ではなく芳賀家で行われている。

 何故この様な状態になったのか。それを説明するには、薊が去ったあの日まで遡らなければなるまい。

 

 

 

 ……薊が屋敷を去って暫く、一人の使用人が緊急の要件があると食堂へ駆け込んできた。

 その内容こそが、薙切仙左衛門が薙切薊を追放したというもの。

 既に緊急会見が行われており、各種メディアが屋敷を取り囲むのも時間の問題。仙左衛門もえりなを避難させるように使用人に伝えていた。

 

 薊の屋敷とはいえ、全ての使用人が息のかかった者ではない。中にはその非人道的行為に賛同していない者もいた。それを差し置いても、自身の主人の娘であるえりなを守るのが使用人たるもの当然の事。

 

 そこで若菜が一時的な避難場所として、距離も屋敷から程近い芳賀家へ連れていくことを決めたのだ。

 その際 緋沙子も付いてきて、使用人の車で無事芳賀家へ到着。その後は別ルートで二人の着替えなどを運んでもらい、ほとぼりが冷めるまで保護する流れとなった。

 緋沙子については両親の承諾を貰っているらしく、若菜が気軽に了承したのでちょっとした居候状態だ。

 

 

 

 芳賀家は二人暮らしにしては無駄に広く、今さら子供が何人か増えようと生活に支障は全くない。加えて えりなを住まわせるに当たって一番の障害となるだろう食に関しては、若菜がいるので問題がなかった。

 来客用の布団もあり、屋敷育ちのえりなが「これがお布団なのね!」と、ベッドとの違いに興奮していたのも記憶に新しい。

 

 他にも庶民的な物に触れてこなかったえりなは、事ある毎にその目を輝かせた。

 中でも特に反応を示したのがオセロやUNO、トランプといったゲームだ。

 今までえりなの生活は食に関してばかり。薊の教育が始まる以前からも、薙切家として様々な料亭の味見役の仕事をしていた。

 それもあってか、娯楽と程遠い生活をしていたえりなはゲームに強い関心を示した。

 芳賀家にテレビゲームの類いが無かったのは幸いだったと言えるだろう。お嬢様が突然、ゲーム廃人になる可能性もあったのだから。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 ――時にゲームをし、時に共に料理を作り、笑い合い。数日前までお互いの顔も知らなかったなど嘘ではないかと思うほどに、楽しく過ごす日々。

 

 けれど、そんな日常も終わろうとしていた。

 

 家のインターホンが鳴り、応対のため若菜が玄関へと向かう。そして中に入ってきたのは、青葉にとって会うのは始めてだが、ニュースではここ最近よく見る人物。

 

 立派な髭を貯え、画面越しでは感じることのできなかった逞しい肉体。右目に入った大きな傷痕も相まって、威圧感を醸し出す若々しい老人。

 

「お爺様!」

 

 薙切えりなの祖父、薙切仙左衛門。今、世間で話題となっている人物の一人だ。

 仙左衛門は部屋を見渡し、えりなに緋沙子、最後に青葉を視界に収め、口を開く。

 

「えりな、本当にすまなかった。儂があの男にえりなを任せたばかりに」

「お爺様のせいじゃありませんわ。それに……若菜さんや緋沙子、青葉くんが私を支えてくださいましたから」

「うむ。三人には礼を言わねばならんな。えりなを支えてくれたこと、感謝する」

「いっ、いえ! 私など、ただえりな様の秘書として側にいる事しか!」

 

 頭を下げた仙左衛門に、常に冷静沈着なイメージを抱かせる緋沙子が慌て始める。

 それも仕方のないことだろう。料理人を目指す者なら誰もが知る大御所が突然現れたかと思えば、次の瞬間には頭を下げられお礼を言われるなど……慌てるなという方が無理な話だ。

 最もそれは、その界隈に詳しくない青葉にとっては当てはまらなかった。

 

「俺も大したことは特には。寧ろ色々と気付かされる日々で、此方の方がお礼を言いたいです」

 

 他人の料理を食べる経験。振る舞う経験が無かったと気付かされたあの日から数日。

 二人と共に過ごすようになり、若菜も含めた四人で料理を作り 食べあって、料理の広さを青葉は理解させられた。

 恐らく外へ出れば、これ以上に料理は広く、奥深いものなのだろうとも。

 

「だが事実、えりなが支えられたと言っておる。それだけで感謝に値しよう」

 

 そう仙左衛門は締め括ると、えりなの体調の気遣いや今の生活についてなど会話し、次に若菜と青葉の顔を見る。

 

「芳賀若菜と芳賀青葉に内密に話さなければならないことがある。二人は少し、席を開けてはくれまいか?」

「分かりました。隣の部屋へ行きましょう、えりな様」

「ええ」

 

 緋沙子がえりなの手を引き、隣の部屋のドアが閉まったのを確認してから仙左衛門は席に腰かけた。

 

「久しいな……いや、最後に会ったのはあの屋敷以来か」

「お久しぶりです総帥。あの日を含めれば、二年振りですね」

 

 総帥という聞きなれない呼び方。そして会話からも、若菜は仙左衛門と昔から関係があったことが分かる。

 話を聞けば、どうやら若菜が通っていた料理学校の校長と生徒のような立ち位置だったらしい。

 

「先の件。あれは儂の最大の失敗だ。儂があやつを認め、若菜もいるから安心だと高を括ってしまった。よくよく考えてみれば、君は逆らえぬ立場であったというのに」

「いえ、私が変に律儀なだけですから。それに、ただ救うだけでは駄目だと思ったので。終わったことを悔やんでも仕方のないことです」

 

 余程今回の薊の件を悔やんでいるのだろう。話の途中で、度々薊やえりなについて語る仙左衛門。

 それを流石にくどく感じたのか、若菜はさっさと本題に入らんと話を切り出す。

 

「総帥。えりなちゃんの心配は分かりますが、そろそろ本題に入りましょう。まず、私の働き口はどうなりましたか?」

 

 若菜は薊に雇われていた。けれど薊が消えた今は実質無職であり、薙切家で知り合いでもある仙左衛門に職場の用意を頼んでいたようだ。

 

「君の頼みでもあったように、顔と実名を表に出さなくてもよい遠月の裏方の仕事を用意させてもらった。ただ料理を作ることは出来ないが、それでも構わないかね?」

「はい。私はもう、他人に料理を振る舞うことはそう無いでしょうし、今は青葉がいますから」

 

 そこで一度話を区切り、若菜は青葉の顔を確認すると 優しくこう告げた。

 

「青葉。遠月学園に入学してみない?」

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 遠月学園。正式名称――遠月茶寮料理學園。

 日本屈指の名門料理学校であり、中等部と高等部の各3年制。

 義務教育である中等部は料理の入学試験や面接があるだけで、その中でも優秀だと判断された千人近くが毎年入学。

 授業内容としては国語・数学・理科・社会・英語の五科目は勿論、学校名にも入っている料理に関することが主な授業となる。

 広大な敷地の中には様々な施設があり、料理の授業の際にも高級な備品や道具を全て貸し出してくれるなど、正に料理人を目指す者ならば必ず入学したい学校だ。

 基本方針として、料理の腕さえあれば家柄や出自等に一切関係なく在学でき、宿泊施設としてのホテルや寮もあるため、自信のある者にはなかなか好条件といえるだろう。

 

 中等部卒業後は高等部への進学試験が可能。基本的に授業を真面目に取り組めば、ここで落とされることはまずないらしい。

 しかし、この後が青葉のイメージする学校とは大きく違った。

 

「高等部には大多数が中等部からの内部進学。稀に編入試験で入学する者もおるが、新一年生となるのは千人近く。だが、二年生に進級できるのは凡そ一割。それ以外の者は全て退学となる」

「退学って聞くと将来が不安になるかもしれないけど、高等部に在籍した経歴があるだけでも料理人としての箔がつくのよ。設備も環境も充実しているし、青葉が料理人を目指すなら間違いなく遠月がいいと思うの」

 

 何と遠月では日常的に生徒が退学しているのだ。

 しかしそれは少数精鋭教育――徹底した実力主義のために行われており、故に業界からの信用は厚い。だからこそ、高等部に在籍しただけでも箔がつくのだろう。

 

 大体の話を聞いて、青葉は入学をするのも悪くないと思った。しかし……。

 

「母さん、それに学園の総帥直々のお誘いはありがたいですが、俺はまだ4歳です。入学まで時間はありますし、今すぐに答えは出せません。いや、恐らく中等部には入学しないと思います」

「……何故、中等部には入学しないと?」

「俺はあの日、初めて母さん以外に料理を振る舞って気付かされました。料理の広さ、そして奥深さを。自分がどれだけ料理に無知であったかを。学園で学ぶのも勿論良いと思います。だけど俺は、もっと広い……それこそ海外も含め 様々な料理を見て、食べて、そして俺の料理をより多くの人に振る舞ってみたいと考えているんです」

「青葉……」

 

 海外で料理を学びたい。

 それは、母である若菜にもまだ伝えていない事だった。

 もちろん明日から海外に行きたいなどとは言わない。そもそも海外で料理を学ぶと言葉でいうのは簡単でも、実現しようと思えば様々な問題があるだろう。言語や衣食住、料理を作れる環境など。

 だからもし仮に海外で学べないのであれば、中等部に入学することを検討する。その旨を青葉は仙左衛門に伝えた。

 

「その若さで自らの意思で海外へ行くことを望むか……。確かに時間はたっぷりとある。ゆっくりと考えればよいだろう」

 

 青葉の意思確認が終わり一区切り付くと、えりなと緋沙子が呼び戻された。

 

「さて、えりなよ。まだ世間は落ち着いたと言えぬが、新たな家屋が決まった。薙切家でも古くからある伝統的な平屋だ」

「お爺様。じゃあ、今日ここにいらしたのは……」

「ああ。いつまでも世話になる訳にもいくまい。それに、味見役の仕事も来ておる」

 

 束の間の休息。それが終わり、再び薙切家として料理に携わらなければならない。それはえりなにとって、いつも通りの日常のはずだった。

 けれど、今は違う。青葉や緋沙子と遊び、時間に縛られず自由奔放に動けた毎日。それがもう、無くなるかもしれないのだ。

 その事が分かったのか、俯いて服の裾を握り締める様は、正しく年相応の我が儘な少女に見える。

 

 そんなえりなを見て、青葉は徐に立ち上がった。

 何事だろうと皆の視線が集まるが気にも留めず、ここ数日 三人で遊んだ部屋からある物を持ってくる。

 

「俺はあまり遊ぶことがないから、えりなにあげるよ。緋沙子や使用人の人達と時間があるときに使って」

 

 その手に握られていたのは、共に過ごした中で一番遊んだトランプ。それが入ったトランプケースだった。

 青葉からすれば若菜とたまに遊ぶことはあっても、あまり使うことはなく他のゲームでも事足りる。一人で留守番する事も多く、そこまで必要がないものともいえた。

 対してえりなには身近に秘書の緋沙子がおり、使用人も多い。休憩中や休みの日には遊ぶこともできるだろう。

 

「ありがとう」

 

 その笑顔は、青葉がえりなと会ってから一番のものであった。初めて会ったときに薊に縛られていた顔は何処にもない、純粋な少女の笑み。

 それにつられて青葉も嬉しくなり、微笑んでいた。

 

「えりなちゃん。確かに今は青葉と離れちゃうかもしれないけど、暇なときでいいからまた遊んであげてね」

「うむ。此方としても喜んで引き受けよう。双方の日が合えば、迎えの使用人を出させることもやぶさかではない」

 

 若菜と仙左衛門の承諾を得て、えりなはまた顔を一段と明るくさせると、受け取ったトランプケースを両手でしっかりと胸に抱き込んだ。

 緋沙子もそんなえりなを見て、嬉しそうに微笑む。

 

 

 

 そして、別れの時がやってきた。

 

「えりなが世話になったな」

「いえいえ。私としては、もっといてくれてもよかったんですけどね。緋沙子ちゃんも、また一緒に遊んであげてね」

「お任せください 若菜様。青葉様も、またお会いしましょう」

 

 緋沙子はあれ以来、青葉の事を様付けするようになった。

 慣れないし背中がむず痒くなるので止めてほしいと青葉が伝えても、緋沙子の中で譲れない何かがあるのか、結局呼び方を変えることはなかった。

 

 別れの手を振りながら、玄関前から三人を見送っていると。

 

「青葉くん!」

 

 車に乗り込む直前、えりなが振り向いて青葉を真っ直ぐに見つめる。

 

「私はまだ、貰ってばかりで何も返せてない。あの日 青葉くんの必殺料理(スペシャリテ)を食べて、そして今日まで一緒に遊んで。返しても返しきれないぐらい、きっと君が思っている以上に、助けられた。それに、お父様が言ったように私はまだ、料理人として未熟です」

 

 そこで一旦呼吸を整え、ハッキリと、確実に青葉の元まで聞こえるように 言い放った。

 

 

 

「だから! 私が立派な料理人になって、必殺料理が完成したとき! ――その時は君が……青葉くんが! 一番に召し上がってください!」

 

 

 

 青葉の返答を待たずしてえりなが車に乗り込むと、すぐさま走り去ってしまう。

 突然の出来事に暫し呆然とし、頭の上に手が置かれ反射的に見上げる。

 

「えりなちゃんがあんな事を言うなんてね。すっかり緋沙子ちゃんともお友達になれたみたいだし、お母さん 安心したわ」

 

 青葉の頭を嬉しそうに撫でる若菜。けれど青葉の目には、その表情の裏に悲しい感情が見て取れた。

 

 今日まではえりなや緋沙子がいた。しかし若菜が働き始めればまた、青葉は家で一人となる。

 恐らくそういったことを考えているのだろう。

 

「母さん。俺は一人でも大丈夫だから。それに、友達が二人もできたんだよ。もっと喜んでほしいな」

「……ふふ。本当に、青葉が息子でよかったわ。そうよ、そうよね。今日は青葉に友達ができて、遊ぶ約束もした記念日ね。記念日は祝わなきゃいけないわ。久しぶりに腕に縒りを掛けた料理、青葉に振る舞ってあげる♪ お母さんの本気、とくとご覧なさい!」

 

 その日の夜。

 芳賀家の食卓に並んだのは家庭料理ではなく、料理人の料理だった。

 

 若菜のフルコース料理が8品。

 

 フランス語で前菜を表す『オードブル』から始まり。スープ『ポタージュ』、魚料理『ポワソン』、口直し『ソルベ』、肉料理『ヴィアンド』、デザート『デセール』、小菓子『プティフール』、コーヒー『カフェ』。

 

 材料の関係で完全なフルコースとまでは呼べないが、それでも食べ終えた後の満足感は大きい。

 最後のコーヒーは苦かったので、青葉はミルクと砂糖をたっぷりと入れる。

 それを見た若菜が「まだまだお子様ね」と笑い、二人にとって忘れることのない一日となった。

 




 原作でえりなはトランプなどのゲームが好きですが、その背景にこんな想い出があればいいなと思いながら書かせてもらいました。原作ではどういった経緯で好きになったか書かれていませんが、恐らく緋沙子がえりなの息抜きに持ってきたりでもしたんですかね?
 あと日常回をもっと詳しく書こうかと思いましたが、テンポも重視してバッサリカットしました。一体どの様な日常があったのか、皆さんのご想像にお任せします。

 さて、”前菜”で書いた青葉とえりなの約束(一方的)も出てきましたね。正直作者の中ではもう書ききった感がありますが、物語はまだ暫く続きます。食戟のソーマと言えば、あの人がまだいますからね。

 さてさて、本作にもついに評価バーに色が付いて、お気に入りも増えて大変うれしい限りです。日間ランキングに載ったのもちゃんとスクショしてあります(笑)
 亀更新(仮)、拙い文章力ですが、少しでも楽しんでもらえるように精一杯これからも書かせてもらいます。
 感想や評価はお気軽にどうぞ。


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六皿目

 今頃ですが、他作品で”非ログインの感想可”が結構あるので、本作も変更して書けるようにしました。
 普段からご自由に感想どうぞと言っていたのに、今まで書けなかった読者様がいれば申し訳ないです。


 瞬くフラッシュの嵐の中。

 多くのカメラが向けられるその先に、一人の少女がトロフィーを手に立っていた。

 

『第46回 日本プロフェッショナルコック協会

 フランス料理ニュースターコンクール』

 

 何処にでもありふれた料理コンクールの一つ。

 本来ならば、新聞や雑誌の片隅に掲載されるぐらいの記事にしかならないそこに、多くの記者が詰めかけていた。

 

 何故 これほどの記者が?

 

 それは今回のコンクールで最年少ながら、優秀賞を取った少女が目的――ではない。

 

 その時だった。

 少女を撮影していた記者の視線がある一点に集まると共に、微かなどよめきが起こる。

 その先にいた人物こそが 今回の主役。少女を超える、最優秀賞(グランプリ)を取った者。

 

 

 

『世界若手料理人選手権コンクール THE BLUE』

 

 ニューヨーク・パリ・ミラノ等で予備選出された世界中の若手料理人が一堂に集い、勝利を掴み取ればワールドクラスの名声と未来が約束されるコンクール。

 そこに高校生ながら選出され、優勝は間違いないと期待される、100年に一人と言われる料理の才を持つ男。

 

 

 

 そんな男が少女へと歩み寄る。

 

 最優秀賞と優秀賞の……いや。100年に一人の逸材と言われる男を後一歩まで追い詰めた、彗星の如く現れた無名の少女の会合。

 その二人が向かい合ったとき、記者の興奮はピークに達した。そして己の勘が告げる。今日のベストショットは、間違いなくここであると。

 

 今日一番のフラッシュの嵐に包まれ、二人の会話が記者に届くことはない。

 

「悔しいか?」

 

 男の問いに、少女は周りの騒ぎが鬱陶しいと思いながらも口にする。

 

「別に」

 

 強がりではない。本当に少女の中には、悔しさは微塵もなかった。

 寧ろ、このコンクールに出場した数多の料理人に呆れていたのだ。初めて出場したコンクールで、最年少である自分が優秀賞を取れたという事実に。

 

「私は私の今出せる納得の料理を作っただけ。他人からの評価なんて気にしないわ。勝手に期待なんてされたくないし、背負いたくもない。貴方のようにね」

「……そうか。凄かったぜ、嬢ちゃんの料理は。俺が嬢ちゃんと同い年の時だったら、確実に負けていただろうな」

「貴方の料理も凄かった。まだ私の料理には先があるんだって思い知らされたから。親に勝手に申請されたから仕方なく出場したけど、良い経験になったわ」

 

 そう言い終えると、少女はチラリと周囲の様子を確認する。

 そして未だに鳴り止まぬフラッシュに溜め息を吐き、この場から離れることを決意した。

 

「料理を作っている時よりも疲れちゃった。よく貴方はこんな中を平然といられるわね。そろそろ帰らせてもらうわ」

「――待ってくれ」

 

 踵を返そうとする少女を、男は呼び止めていた。別にまだ用があったわけではない。けれど、自然と口が動いていたのだ。

 そして呼び止めてしまった以上、何も聞かないわけにはいかなかった。

 

「……今さらかもしれないが、名前は何て言うんだ?」

 

 咄嗟に思い付いたのは、そんな質問だった。

 男と少女が会ったのは今日が初めてだが、既に表彰式を終えている。

 仮にも最優秀賞と優秀賞。聞かずとも、互いの名前など認識しているだろうに。

 

「若菜。芳賀若菜。貴方の名前は?」

「……俺か? 俺の名前は――才波城一郎だ」

「ふ~ん。知ってた」

 

 いち早くこの場を去るべく手短に答え。しかし、こちらが名乗ったのだから そちらも名乗り返せと問い。そして、貴方は私の名前を覚えていないのかと言わんばかりの台詞を残し、

 

「それじゃ 城一郎。また機会があれば会いましょう」

 

 ある意味豪胆で 緊張感のない自由奔放な若菜をみて、城一郎は何を思ったのだろうか。

 

「才波くん! 一言いいかな? 月刊『料理帝国』の者だけど、先程は一体どの様なことを二人で――」

 

 大勢の記者に囲まれ、カメラの次はマイクを向けられる。皆一様に 期待の眼差しを向けてくる。

 一体いつからだろうか。見ず知らずの人間の期待を背負うようになってしまったのは。料理を作る度に、息苦しく感じるようになってしまったのは。

 

 城一郎の目には、会場を去る少女の背が やけに眩しく見えた。

 

 それはまるで、嵐舞う荒野の中で到達点(ゴール)を指し示す、一筋の光のようだった。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 車窓から見える景色をぼんやりと眺める。

 知らない土地。知らない景色。

 車に揺られること数時間。漸く止まった車から降りた青葉は、一つ大きく伸びをした。

 

「母さん。外食に行きたいとは言ったけど、何でこんなにも遠い場所に来たの? 別に最初はそこら辺のチェーン店でもよかったのに」

「ちょっと青葉に会ってほしい人がこの町にいるの。それに、その人も定食屋をやっているからついでにね」

 

 多分こっちかな……と、運転席から降りた若菜も慣れない土地なのか地図を片手に歩きだす。

 青葉はそれに置いて行かれぬよう、小走りで駆け寄った。

 

 二人がこの町を訪れた理由。

 それは前々から青葉が外食をしたいと提案していたからだ。

 青葉に不足している、料理を振る舞う経験と食べる経験。その事について若菜も同意しており、しかし振る舞う経験とはすぐに積む機会があるものではない。

 そこでもう一つの食べる経験。これは外食をすれば解決するため、その候補として選ばれたのがこの町にある定食屋だった。

 

 その定食屋まで行く道中。夕暮れ時なこともあって、多くの学生とすれ違う。そして口々にあることをぼやいていた。

 

「マジで“ゆきひら”やってないのかよ~」

「前から今日は臨時休業だって張り紙が貼ってあったじゃない。それなのに何嘆いてんのよ」

「いや、もしかしたらやってるかもって思うじゃん? だけど行ってみたらやっぱやってないじゃん? 落ち込むじゃん? つまりそう言うことじゃん?」

「あんたが馬鹿で、それに付き合った私は大馬鹿だってことがよく分かったわ」

「二人とも落ち着こうよ。お店が逃げるわけじゃないんだし、明日また来よ?」

「でもさ~。じゃあ何でシャッター閉めてなかったんだろうな。本当にやってると期待したのに」

 

 反応の違いはあれど、多くの学生が“ゆきひら”という名の店を口にする。

 そして歩くこと数分。

 

「あった。すみれ通り商店街」

 

 若菜が歩みを止め、すみれ通り商店街と書かれたアーチ状の門の前で立ち止まる。

 目的の定食屋はこの通りにあるようだ。そのまま中へと進んでいけば、その定食屋はすぐに見つかった。

 

「お食事処 ゆきひら……」

 

 そこは先程まで多くの学生が言っていた場所だった。

 シャッターは開いており 一見営業しているようにも見えるが、出入口の戸には『本日臨時休業』と書かれた張り紙ある。

 

「やってないみたいだけど、本当にここなの?」

「そうよ。私たちの為に臨時休業にしてくれたって言う方が正しいわね」

 

 若菜は戸に手を掛けると、躊躇いなく開けた。

 

「いらっしゃい。悪いが今日は――っと、若菜じゃねぇか」

 

 中に入ると、厨房に一人の男が立っていた。

 赤みがかった髪を伸ばし、その風貌とあご髭を蓄えた様はワイルドな男らしさに溢れている。

 

「今日は臨時休業までしてくれて、感謝するわ」

「まっ、取り敢えずそこのカウンター席にでも座ってくれや。もうすぐ息子が帰ってくるからさ」

 

 言われるがままカウンター席に腰掛け、青葉は初めての定食屋がどんなものかと辺りを見渡す。

 少し古ぼけた店内。昭和のポスターや壁に掛けられた『焼き肉定食 600』といったメニュー表がいい味を出している。

 テーブル席に加え 座敷席もあり、どこか居心地のよい落ち着いた雰囲気を感じさせられた。

 今日は臨時休業だが、ここに来るまでの学生の話などを聞く限り、普段はもっと賑わっているのだろう。

 

「ところで、君が若菜の言っていた青葉で間違いないかな?」

「はい。初めまして。芳賀青葉です」

「俺がこの食事処ゆきひらの店主、幸平城一郎だ。よろしくな」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 人当たりの良い笑顔を浮かべながら、城一郎は青葉に手を差し出す。

 握手を交わし伝わってくるその手の逞しさは、長年料理の腕を研いてきた事を感じさせられた。

 そこでふと 思った疑問を青葉は聞いてみる。

 

「母さんと城一郎さんはどうやって知り合ったの?」

「ん~そうね。電話やメールでは何度も連絡を取ってはいたけど、こうやって直接会うのは 今日で三回目かしら」

「そうだな」

「え? まだたったの三回?」

 

 今日の為だけに臨時休業にしたり、親し気な様子を見て仲の良い関係かと思えば、まだ三回しか直接会った事がないと二人は言う。

 

「初めて会ったのは私がまだ中学に上がる前だったから、大体十年前。その後に薊さんの屋敷で偶然再会して、連絡先を交換したのよ」

「へ~。そうだったんだ」

 

 そんな世間話に花を咲かせていると、ガラガラと戸の開く音と共に幼い少年の声が店内に響いた。

 

「親父。今日は臨時休業だって言ってたのに、表が開いてるんだけど……お客さんいるの?」

 

 その少年の様子から見て、城一郎の言っていた息子が帰ってきたのだろう。

 城一郎よりも更に赤い髪を尖らせ、左目の眉に傷痕を残した幼さの残る少年。

 

「おう、創真。やっと帰ってきたか。さっさと着替えて厨房に立て」

「え!? 遂に俺もお客さんに料理を……」

「んなわけあるか。今のお前の料理で客から金を取れるわけねぇだろ。今日は知り合いを呼んだんだよ。まぁ、この二人の舌を俺よりも唸らせる事が万が一にでもあったら、そん時は考えてやる」

「言ったな親父。その勝負、受けて立つ!」

 

 創真と呼ばれた少年はやけに威勢よく、勢いそのままに厨房の奥へと入っていく。

 

「なんで勝負になってんだか。すまんな二人とも。少し創真に付き合ってやってくれ。ちゃんと俺も料理を出すからさ」

「別に気にしなくてもいいわよ。今日は青葉に食べる経験を積ませるために来たんだから」

 

 程なくして、着替えを終えた創真が厨房へとやってきた。

 

「注文はどうする?」

「そうね……。青葉は何が食べたい?」

 

 メニュー表を渡され、何を頼もうかと考える。

 勝負だと意気込んでいる創真を見て、これから青葉と若菜に食べ比べの為に二人分が出されるはずだ。となれば、量の多い定食系はまず選択肢から除外される。

 親子丼やカツ丼、天丼といった丼物は少し引かれるが、生憎昨日 家で食べたばかりなのでこれも除外。

 そうなると他に良さそうなのは……。

 

「それじゃあ、五目炒飯でお願いします」

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

「召し上がれ」

「おあがりよ!」

 

 五目炒飯ができたタイミングはほぼ同じ。創真が若干遅かったぐらいだ。

 定食屋特有の、しかもカウンター席ということもあって、二人の調理姿はよく見えた。

 創真は青葉と同じく3歳から包丁を握り、正式に客に料理を振る舞ったことはないが厨房に立ち続けているという。

 その成果もあって、その調理姿は見事であるといえた。

 具や薬味の下準備。油の使い方。焼き加減。投入の手際や鍋の振り方まで。

 本当にそれは見事だった。青葉より一つ年上である、5歳の料理にしては。

 

「城一郎の方が美味しいわね」

「俺もそう思います」

 

 しかし、創真の相手が悪かった。

 長年厨房に立ち続けた、店主でもある城一郎と共にその調理姿を見比べれば、食べる前から結果は分かりきっていた。

 創真も薄々感じていたのか、やっぱり負けたかと天を仰ぐ。

 

「あ~勝てね~」

「創真が俺に勝とうなんざ百年早いんだよ」

「へん! 今日は俺が負けたが、いつか絶対勝ってやるんだからな……。五目炒飯で負けっと」

 

 メモ帳を取り出し、創真は今日の日付と五目炒飯で負けたことを書き込んでいく。

 後に連敗を書き込んでいく事となるそれを仕舞うと、青葉と若菜に向き直った。

 

「それにしても、親父の知り合いか。全然そんな話とか聞いたことがなかったんだけど、その子も料理は作るの?」

「青葉も家ではよく作ってくれるわ。ちょっとした事情で外出を控えていたから、今日は始めての外食にここを選んだのよ」

「へー! 始めての外食で"ゆきひら"を選んでくれるなんて、光栄だな!」

「おい創真。何自分の飯を食いに来た見たいに言ってんだ」

 

 得意気に鼻の下を掻く創真を見て、城一郎は思わずツッコミを入れる。

 一般には臨時休業の為、客が入ってこないことや若菜と城一郎が知り合いな事もあって、話が段々と弾んでいく。

 自己紹介も改めて終え、青葉と若菜が炒飯を食べ終えた頃、創真がこんな事を提案した。

 

「そうだ。材料はまだ余ってるし、良ければ青葉も五目炒飯作るか?」

 

 あまりにも突拍子のない提案に、青葉は一瞬思考が停止する。そして、それは悪いからと断ろうとするも。

 

「いいじゃない。折角料理を振る舞うチャンスなんだから、作ってみなさい」

「俺も構わないぞ。それに、どんな調理をするのか見ておきたいしな」

 

 若菜と城一郎もその言葉に乗り、なし崩し的に青葉は厨房へ立つこととなった。

 道具や調味料は出してあり、段取りも先程まで調理姿を見ていたので覚えているが、念のため一連の流れを想像する。

 

「こうやって親父以外が厨房に立ってるのを見ると、何か新鮮だな。そう言えば今更だけど、青葉は鍋を振れるのか?」

「もちろん振れるわよ。私がちゃんと教えているし、青葉も覚えが良いのよ」

「そいつは楽しみだな」

 

 そんな話し声も、青葉の耳には次第に届かなくなる。目を閉じて、イメージする。

 

 思い出せ。城一郎の調理姿を。あの無駄の無い動きと手順で、完璧な大衆料理を作り上げた様を。

 そして使いこなせ。己が持つ能力を。更なる高みへ、才能へと昇華させるために。

 

 ――こうなるんだったら、包丁(あいぼう)を持ってくればよかったな。

 

 目を開き、包丁を握る。

 創真が使っていたものだが、握った感覚はいつもより多少違えど問題はない。

 これから調理し、料理を振る舞うんだ。そう思うだけで、自然と笑みがこぼれた。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 創真はカウンター席に座りながら、厨房で目を閉じて集中している青葉を眺めていた。

 

 料理を作れると聞いて、特に考えることなく五目炒飯を作らないかと誘ってしまい 悪いことをしたなとは思う。けれど実際、どの程度調理ができるのだろうかと興味があったのだ。

 

 もちろん料理の腕で負けるつもりは更々ない。

 親父であり 料理人でもある城一郎の姿を見続け、3歳の時には包丁を握り厨房に立った。いつの日かこの店を継ぎ、そして城一郎を超えるために。数え切れない程の料理を作り、研鑽してきたのだ。

 店のメニューは一通り作れるし、五目炒飯を作ったのも一度や二度ではない。まだ認められてはいないが、客に出せる味だと自負している。

 

 料理の経験も青葉より一年先輩だし、多少出来が悪い五目炒飯になっても褒めてやろう。

 そんな軽い気持ちで、最初は見ていた。

 

 ――目を開け、包丁を握った青葉が笑う。

 

 まな板には五目炒飯で使う具材であるチャーシュー、人参、玉ねぎ、椎茸、ちくわなどが置かれている。

 まずはいしづきが切り落とされた椎茸に包丁をそっと当てると、空気が変わった。

 

 そして始まる 青葉の調理。

 

 最初は具材のみじん切りからだ。創真は自分の調理姿を青葉に重ね合わせるように見る。

 まず炒飯に入れる具材だが、基本的にご飯粒と同程度でなければならない。炒飯のパラパラとした米を食べたとき、具材が大きすぎると口の中で喧嘩してしまい、味と食感が台無しになってしまうからだ。

 そして定食屋は料理の美味しさ、そして調理の速さが何よりも重要。

 速さを求めるあまり、具材を大きく切りすぎるのは論外。しかしゆっくり丁寧にやれば、それだけ一品に使う調理時間が延びてしまい、回転率が悪くなる。客入りがピークの時にそんな事をやれば、間違いなくパンクしてしまうだろう。

 

 つまりみじん切りは、炒飯作りで最も差のでる場所ともいえる。

 だからこそ創真は、ここで青葉にどの程度の実力があるのかを判断しようとし、

 

「嘘……だろ……?」

 

 思わず、そんな言葉が口から漏れた。

 目の前の光景。その速さ、そして正確さを創真は知っていた。それは未だ求めても届かない、城一郎の姿と重なって見えたのだから。

 

 目にも止まらぬ速さとはよくいったものだ。

 店内に響く包丁とまな板が当たる一定のリズム。目を閉じてそれだけを聞いたならば、それは心地よい音色にも聞こえる。

 だが、目を開けてみればどうだ?

 何故その速さでそれだけの音しか出ないのか。何故その速さで、具材をムラ無くみじん切りにできるのか。

 それはまるで、包丁を当てただけで 食材が自らの意思で最適な大きさになっているかの様ではないか。

 

 城一郎と同等……。いや、それ以上の速さと正確さかもしれない。

 気付けば創真は、全身の毛が逆立つ感覚を覚えていた。

 

 青葉の動きは川のように淀み無く、止まることはない。

 みじん切りを終えれば、それを湯で沸かした鍋の中へ入れる。

 軽く火を通している間に卵を割って溶き卵を作りつつ、中華鍋を温める為に強火で点火。

 さっと茹でた具材をザルへと移し、袋に入れて醤油で下味を付けるように揉めば、丁度鍋が温まった。

 

 油をたらし、細かく刻んだ生姜とネギを入れて香りが立てば溶き卵、すかさずご飯を投入。

 卵とご飯が絡み合い、それをおたまで押しながらほぐしていく。ご飯がパラパラになるように。そして、底にあるご飯が焦げぬように。鍋を振り、酒を入れて水分を飛ばし、先程下味を付けた具材と塩胡椒などの調味料を加え。

 それらが混ざりあい、パラパラのご飯が出来上がった時――。

 

「どうぞ お召し上がりください」

 

 皿に盛られた五目炒飯が、三人の前に置かれる。

 

 創真は青葉の事をなめていた。

 自分の方が厨房に立ってきたのだ。料理だって一年早く初め、これまで研鑽してきたのだ。

 なのに、それなのに負けた。

 食べなくとも分かる。少なくとも、創真は青葉に負けたと確信できるぐらいに。

 

 だが、城一郎と比べたらどちらが美味しいのか?

 もしも、城一郎の味すらも超えているならば……。

 

 震える手で炒飯を口へと運び、咀嚼し――創真はその味に安堵した。

 

「旨い。旨いけど……親父の方が上だな!」

 

 城一郎の料理の方が旨い。それが分かり創真は安堵し、まるで自分の事のように誇る。

 それを聞いた城一郎が「何言ってんだ」と拳骨を入れた。

 

「いってーな親父!」

「分かっちゃねぇな。俺や創真の皿と青葉の皿。旨い旨くない以前に、決定的に違う部分があるんだよ」

「違う部分?」

「料理を出す相手だ」

 

 料理を出す相手? それは今、ここにいる人に出しているのではないのか?

 そんな事を創真が考えていると、

 

「俺と創真の皿は大衆のお客様に向けて。だが青葉の皿は、若菜に向けて出されているんだよ。正確に言えば、若菜個人が好きな味付けをしている。恐らく若菜のみに関して言えば、俺の皿より青葉の皿の方が旨いと感じているはずだぜ」

「そうね。私としては、城一郎よりも青葉の皿の方が美味しいと感じたわ」

 

 そもそも同じ料理、同じ行程で作られたのに何故味が違うのか。それは火入れや食材の切り方、調味料の量といった微妙な違いなどから生まれる。

 

「恐らく無意識でやっているんだろうが、料理人を目指すならちと厄介な癖だな」

「無意識でやれるもんなの?」

「実は青葉が私以外に料理を振る舞うのはこれが二度目なのよ。今までずっと家で練習してきたから、それが染み付いちゃったみたいで」

「これで二度目!?」

 

 その事実に創真は驚愕する。

 家が定食屋の為あまり意識はしていなかったが、確かに多くの家庭では料理を頻繁に振る舞うことは難しいだろう。

 けれど、今日で振る舞うのが二度目。しかも青葉の外食はここが初めてと言っていた。つまり経験値は圧倒的に創真が勝っているのだ。

 それなのに、料理で青葉に負けた。

 拳を握りしめる創真を横目に、城一郎は五目炒飯をもう一口食べ 納得したように頷く。

 

「なるほどな……。分かった。青葉の件、受けてやってもいいぞ」

 

 青葉の件。その意味が分からず、何の事だろうかと青葉は若菜を見る。

 

「そう言えば、城一郎が受けるか分からなかったし、期待させたら悪いと思ってまだ伝えていなかったわね」

 

 ここに来る前、若菜は当然 城一郎と連絡を取った。

 そしてその時、青葉について語ったのだ。青葉に料理を教えてやってはくれないかと。

 それが若菜の考えられる中で最適であり、そして青葉の希望に答えられる方法でもあったから。

 

「こう見えても城一郎は、私なんかよりずっと顔が広くて 料理も上手くてね。海外で学ぶのはいつになるか分からないけど、確実に連れていってもらえるわ。それに普段から料理を学ぶにしても、ここの環境が一番だと思うの。だから青葉さえよければ、これから城一郎の元で料理を学んでみないかしら?」

 




 冒頭のコンクールなどは原作で出てきたやつをそのまま使いました。けれど少し違う点として、原作では『プロフェショナル』という部分を『プロフェッショナル』に変更してあります。どっちが正しいかは分かりません。

 若菜と城一郎の初めての出会い。そして青葉も城一郎と創真に出会いましたね。
 いよいよ青葉が城一郎の元で学んで創真が触発されたり、青葉が海外へ行ったり色々ありそうって感じがしますが、残念ながら次話は時系列が飛んで本編が完結すると思います。
 作者に文才と知識があれば青葉メインの料理道を書くのもいいと思うんですが、生憎そんなものは無いのでバッサリカットの予定。料理描写はもうこりごりです……。味の感想描写とかも無理……。
 それに、書きたいのは青葉の成長記録じゃなくて、原作キャラとの絡みだからね。仕方ないね。

 前々回も言いましたが、本編が完結しても番外編(第二部)として『神の同級生』(仮題)という、青葉と創真達がもし同級生だったらの物語も書く予定です。連載形式になるか短編を繋げるかは不明。
 これについては次話に詳しく説明しようと思います。

 ではでは、今回も読んでくれてありがとうございました。
 感想や評価、お気に入りなどお気軽に~。


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デザート

 いよいよ第一部完結。
 時系列は前回の最後でいったように飛んでいます。
 ”あとがき”も同時投稿していますので、よければそちらもご覧ください。


『――勝者は、反逆者連合!!!』

 

 会場に響く、司会者の熱の籠った宣告。

 それを背に受けながら、城一郎は一人 会場の外へと歩を進めていた。

 

 北海道の北端――礼文島(れぶんとう)

 

 本来ならば、遠月学園 高等部一年生の進級試験が行われる最終到達地点。

 その場所で、創真率いる反逆者連合。薊政権率いる中枢美食機関(セントラル)が、連隊食戟を行う異例の事態となった。

 

 会場の外に出るとすっかり吹雪は止んでおり、雲は晴れ。まるで、反逆者連合の勝利を祝福するかの様に、天から光が降り注ぐ。

 

「全く。ヒヤヒヤさせてくれるぜ」

 

 今回の食戟で賭けられた対価。

 中枢美食機関は遠月十傑評議会全席を。対して反逆者連合は一人の料理人――城一郎の人生を。

 もし反逆者連合が負ければ、城一郎は薊の犬になっていたのだ。

 自身の人生をチップにし、あまつさえ高校生に託すなど、今冷静に考えればあまりにも危ない橋だった。

 

「あっ」

 

 白い息を吐きながら、天を仰いでいた城一郎はふと、あることを思い出す。

 ポケットに突っ込んでいたスマホを取り出し、画面を開いたと同時に映った大量の通知に……再び天を仰いだ。

 

「まずいな、こりゃ」

 

 映っていたのは電話の不在着信。それが数件ならまだよかっただろう。

 だが、それは全て同一人物からの電話であり。加えて数えるのが億劫になるほど、軽く見ても数十件は並んでいる。

 そして城一郎は、何故これ程の着信がこの人物から届くのか心当たりがあった。いや、心当たりがありすぎた。

 

「電話を折り返すべきか。返さないべきか……」

 

 答えは一択しかないのだが、この問題に暫し葛藤する城一郎。

 そして漸く決心したのか。恐る恐る画面を操作し、スマホを耳に当てた。

 

 数回コール音が鳴ると、電話が繋がる。取り敢えず言い訳をするため口を開こうとし。しかし、相手の方が城一郎よりも先に話しかけてきた。

 

『城一郎さん!? 今どこにいるんですか! 大体こっちが何日前から電話をしていると――』

 

 どうやら相手は相当慌てているようだ。

 此方が口を挟む間もなく捲し立てるように、次から次へと言葉を発する。まるで大雨が降っている時に流れる濁流のように。

 故に城一郎は、何とかして相手を落ち着かせようと強引に話しかけた。

 

「落ち着けよ青葉。らしくもない」

『落ち着いていられる訳が無いでしょうが!!』

 

 電話の相手――青葉が叫ぶ。果たして彼が、ここまで慌てた事が今までに一度でもあっただろうか?

 いや、ない。断じてない。

 

 ならば、これ程までに慌てている理由とは何なのか?

 それは続く青葉の言葉で、城一郎の中にある自信が確信へと変わった。

 

『何で、何で俺が! ニューヨークシティー マンハッタンロイヤルホテル VIP専用レセプションホールで! 料理長代理になってるんですか!!』

 

 そう。青葉は現在料理を振る舞っていた。それも、ただの客に振る舞うのではない。

 世界の名だたる有名人、重鎮、美食家が集うVIP専用レセプションホール。そこで、料理長代理として料理を振る舞っていたのだ。

 もし仮に下手な皿をだそうものならどうなるか?

 そんな鬼気迫る青葉に対し、城一郎は開き直ることにした。

 

「HAHAHA。おっかしいな~。ちゃんと置き手紙は書いておいたはずなんだが?」

『ええ、ええ。ありましたよ、置き手紙。“ちょい任せた”って書かれただけの、ペラッペラの紙切れがねぇ!』

 

 城一郎が日本に帰国する前。それは青葉と共に海外を巡り、料理を振る舞っている最中だった。

 そして薊の件で呼ばれたとき、丁度ニューヨークシティーで料理長代理を任されており。そんな大役を引き受けた以上、容易に断ることはできない。

 

 そこで城一郎は考えた。その役目、全て連れの青葉に任せてしまえばいいじゃないかと。

 

 当然青葉はそんな事を一言も聞かされていない。

 朝起きたら突然料理長代理に任命され、城一郎を探して見つかったのは何の説明も書かれていない紙切れ一枚。加えていくら電話をしようと繋がる気配はない。

 青葉が慌てるのも当然と言えた。

 

『もう言い訳は後でいいです! 早く帰ってきてください! というか今、何処にいるんですか!?』

「北海道」

『Oh My God...』

 

 神は死んだ。

 即答した城一郎の言葉に、電話越しでも頭を抱えている青葉の姿がありありと想像できる。

 

「まぁなんだ。今から帰るからよ。それまで、もうちょい頑張ってくれや」

『ちょっと待っ――』

 

 強引に通話を止め 電源を切ると、再びスマホをポケットの奥底に突っ込む。

 そして、一仕事終えたと言わんばかりに大きく息を吐いた。

 

「なんだ。やれてんじゃねぇか」

 

 青葉が料理長代理になったのは今日ではない。それこそ一週間以上前の話だ。

 それを今日まで、城一郎がいなくとも問題なくやれている。名だたるVIPを――美食家を相手に。

 

「いよいよだぜ、創真」

 

 いよいよだ。いよいよ青葉が、遠月学園へと編入する。

 

 あの――芳賀若菜の子が。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 ――遠月茶寮料理學園 高等部一年生 始業式。

 

 遠月学園の校章がデザインされた陣幕。それに囲われた広々としたスペースには、今年も中等部から進学した多くの生徒が立っていた。

 プログラムは着々と進んでいき、やがて終わりに差し掛かった頃。遂にあの人物の名が呼ばれる。

 

『続いて、式辞を頂戴いたします。遠月学園総帥――薙切えりな様』

 

 司会者の声で、裏の天幕に控えていた総帥が現れると、新一年生はピシリと姿勢を正す。

 やがて総帥は壇上中央に設置された演台に立ち、口を開いた。

 

「……皆さん。高等部進学、おめでとうございます。現遠月学園総帥――薙切えりなです」

 

 学生服に身を包み、一見 遠月学園の生徒に見える彼女はだが、歴とした総帥である。

 

 そんなえりなを見る生徒の瞳には、不安の色が見て取れた。

 それも仕方のない事だろう。昨年は短期間で総帥が二度も入れ代わったのだ。薙切仙左衛門から薙切薊。そして薙切えりなへ。

 遠月学園の歴史全体を見ても、昨年ほど荒れた年はなかった。

 

「今年進学された皆さんは、特に不安な気持ちになった事でしょう。総帥が短期間で二度も交代し、一時 学園の運営形態が大きく変わることもありました」

 

 薊政権による変革。

 それは高等部に比べ被害は少なくとも、中等部にまで確かに拡がっていた。

 

「そこで、皆さんの率直な意見を聞かせてください。薊政権が良かった。そう思う者は、手を上げなさい」

 

 ――薊政権の方針。

 中枢美食機関のメニュー通りに作れば、十傑レベルの料理技術、アイデアやレシピを得られる。

 

 それは実力の無い者からすれば、夢のような話だ。

 何故なら、従来までの方針は圧倒的な実力主義であり、卒業まで辿り着けるのはほんの一握り。一年生から二年生への進級ですら、10%の生徒しか生き残れない。

 残る90%の生徒が薊政権を支持したとしても、それは当然と言えるだろう。

 

 故に、ここにいる新一年生も、恐る恐るではあるが続々と手を挙げる。

 そしてその光景を見たえりなは、失望したと言わんばかりに大きく溜め息を吐いた。

 

「なるほど……。少なくとも、ここにいる約八割の生徒は、薊政権がよかったと……。それはそれは、随分と落ちぶれたものですね」

 

 分かりやすく煽ったえりなに、手を挙げた生徒から非難の声が上がる。

 

 いくら相手が総帥であろうと、何を言われるかと思えばいきなり愚弄されたのだ。

 そしてここにいる生徒の多くは、薊政権に魅力を感じていた。次第に声も大きくなり、非難から暴言へと変わった頃。えりなは再び口を開いた。

 

「退学が嫌だ? 今の方針が理不尽? ならば問います。皆さんは何故、遠月学園の門を叩いたのかと!」

 

 腕を振り抜き、その力強い一声に呼応するかの様に、一陣の風が駆け抜けた。

 桜の花弁が舞う中、勇ましくも凛々しいその姿は、正しく総帥と呼ぶに相応しい。

 醸し出されるカリスマに気圧され、そしてたった今 問われた内容を理解しようと、皆が押し黙る。

 

「退学が嫌なら、方針が嫌なら、他の学園で学べばいい。それでも様々な料理学校がある中で、ここにいる人達は遠月学園の門を叩いた! そこには並々ならぬ覚悟があったはずです!」

 

 そう。料理を学ぶなら、他の料理学校でも事足りる。それでもここにいる生徒は、遠月学園の門を叩いたのだ。

 

 その言葉を受けた新一年生は、すっかり忘れてしまっていた当時の記憶を思い出す。周りのライバルと競い合い、研鑽し、卒業まで辿り着くという覚悟を決めたあの日を。

 

 だが、その覚悟は日に日に薄れてしまった。

 何となく、授業を受けているだけで進級できる。知識が深まり、料理の腕が上がり、ある程度の実力がついた。

 何だ。遠月学園とは、随分簡単な場所ではないか。皆と同じ教育を受け、自分はできるのだと慢心してしまった。ただの料理人でしかない己に、多くの者は満足してしまった。

 

「例年、この中の90%は進級までに退学となります。しかし、私は生徒として実際に多くの退学者を見てきましたが、その半数以上は競争ではなく、単なる料理人としての実力不足で篩い落とされていました。中等部で習った事ですら、いざ実践で活用できない生徒も多くいました」

 

 中等部は義務教育であり 退学もなく、料理の基礎を学ぶことを重視している。対して高等部は実践向け。更には遠月ブランドと呼ばれるほど、その教育は徹底されている。

 その敷居の高さの違い、そして環境の変化に付いていけず、退学を言い渡される事が一年生ではほとんどなのだ。

 

「そんな生徒は、この学園において……。ひいては料理人として、退学が言い渡されて当たり前です!」

 

 退学が言い渡されて当たり前。

 最早その言葉に、先程のように声を荒げる者は誰もいなかった。

 

 静寂の中、多くの者は過去を見つめ直し、俯く。

 

 己の愚かさを恥じた。己の甘さを恨んだ。三年間を無駄にしてしまった己に、後悔した。

 当時の覚悟とは、そんなものだったのかと。

 

 三年前の自分に言われる。

 お前みたいな料理人は失格だ。お前みたいな料理人にはならないと。

 

「……何故、俯いているのですか? 皆さんはまだ、誰一人として欠けていないというのに。それともここにいる料理人を志す者は、所詮その程度の集まりだったのですか?」

 

 ――違う。

 

 誰かが呟き、皆が顔を上げ、壇上に立つえりなを見た。

 そこにはもう、腑抜けた料理人は誰一人としていない。覚悟を持った料理人のみが立っていた。

 

「……良い顔つきになってきましたね。だからこそ今、言わせて頂きます……」

 

 かつての総帥、薙切仙左衛門がしたように。えりなはその右手を、大衆へと突き出した。

 

 

 

「――諸君の99%は、1%の本物に憧れるだけの凡人である!」

 

 

 

「今からでも遅くはありません。本物に憧れる料理人ではなく、本物になれる料理人を目指しなさい! 才能がある者もない者も、努力無くして高みへは至れない。そして、その覚悟を持って――」

 

 

 

 ――――研鑽しなさい。

 

 

 

「……私からは以上です」

 

 シンと静まり返った会場。えりなは頭を下げ、踵を返す。

 彼女の足音のみが響く中、何処からともなくパチパチと音がした。それは次第に連鎖していき、やがては大きな歓声へと変わる。

 

 遠月学園総帥――薙切えりな。

 日本料理界に、彼女無くして飛躍はなかった。後に伝説の序章とまで謳われ、後世に語り継がれる出来事になろうとは。今はまだ、誰も知らない。

 

 そしてもう一人。料理人を目指す者ならば、誰もが知っていて当然となる男が編入してきたのも、この日である。

 

『最後に、本日より編入する生徒を一名紹介します』

 

 編入と聞いて、ざわりと空気が揺れる。

 遠月学園へは、何も内部進学でしか高等部に入れない訳ではない。もう一つだけ、編入試験で合格すれば高等部へ入学する事もできる。

 

 だが、その厳しさは内部進学の比ではない。

 毎年多くの料理人を志す者が試験を受けるが、合格者がでないことなどざらにある。

 実力があるか、それともないか。正しく本物だけが、入学を許される制度。

 

 その中でも最も記憶に新しいのが――幸平創真。

 一年も経たず、遠月十傑 第一席まで上り詰めた男。

 

 故に多くの生徒は身構えた。今年は一体、どんな化け物が編入してきたのかと。

 

 ――コツリ、コツリ。

 やけに響いて聞こえる壇上を歩く音。やがてその音は止み、演台には一人の男が立つ。

 千人弱の視線を集める中、その男は軽く周囲を見渡すと、端的に言った。

 

 

 

「初めまして。芳賀青葉と言います。これから三年間、よろしくお願いします」

 

 

 

 たったそれだけの事を言って、男は壇上を後にする。

 

 そのあまりにも手短に言われた挨拶に、多くの者は思わず拍子抜けしてしまう。

 

 しかし、一部の者は気付いた。

 さも当然の様に、まるで周囲に悟らせず、この男は言ったのだ。

 

 

 

 

 

 ――これから三年間(・・・)、よろしくお願いしますと。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

「全く。もうちょっとマシな入寮希望者はいないのかねぇ……」

 

 広大な敷地を持つ遠月学園の外れに位置する寮内。

 かつて多くの十傑を輩出した極星寮で、この寮の管理責任者である大御堂ふみ緒は、つまみを食べながらそんな愚痴をこぼした。

 

 極星寮黄金時代の再来。

 この寮には現在、遠月十傑 第一席である創真を始めとした三人の十傑がいる。加えて昨年は、寮生である一年生の退学者がゼロ。

 全員進級を果たし、そのレベルの高さから"遠月スポーツ"という学内新聞にも取り上げられ、今や入寮希望者が後を絶たない。

 

 後を絶たないが、新たに入寮できた生徒はまだ一人もいなかった。

 

「そんな事言いながら、ふみ緒さん嬉しそうだよね」

「うんうん。入寮希望者なんて、幸平くんが来て以来 今まで全くなかったもんね」

「お待ちどおさん。追加の皿持ってきたぜ!」

「皆お待たせ~」

「よっ! 待ってました! 十傑の料理!」

「これは僕も、そろそろ一肌脱ごうかな……」

「今宵も一色先輩の裸エプロンイリュージョンが出るのか!?」

「旨い」

「どうせこの後、また僕の部屋で宴会があるんだ……。ここでやってればいいのに、何で……」

「あ? 何か言ったか丸井!? 酒だ! 追加の酒を持ってこい!!」

 

 他者からすれば混沌としたこの空間も、極星寮メンバーからすればいつも通りの日常。

 それに創真も乗っかろうと、一升瓶に入ったお米から出来たジュースを持ち出したとき、ポケットに入れたスマホからメッセージ音が鳴る。

 

「ッと。誰からだ? ……おお!」

「ん? 何かあったか幸平?」

「なになに?」

「いやぁ。前の連隊食戟の後、親父伝で幼馴染と連絡先を交換してな。そいつから明日、遠月に編入するって連絡が来たんだよ」

「そう言えば、明日は新一年生の入学式か」

「だからえりなっちが今日はいないのか~。準備大変そうだもんね」

 

 薊の一件以来、えりなは何だかんだで極星寮に住む事となった。

 その姿が見えない事に納得する面々だが、創真の幼馴染と聞いて気が気でない者が一人。

 

「……幼馴染? そっ、それって創真くん」

「どうしたんだ 田所?」

 

 遠月十傑 第十席――田所恵。

 創真に想いを密かに寄せている女生徒だ。

 

「その幼馴染って言うのはその……。おっ女の子……だったり、とか……?」

「青葉が? いやいや、あいつは男だよ」

「そっ、そっか……。よかったぁ

 

 幼馴染が男だと聞いて安堵する恵。

 もしその幼馴染が女の子なら、恋敵になる可能性があったからだ。

 だが創真は「いや、待てよ」と、顎に手を当てる。

 

「よくよく考えてみれば、あいつに性別聞いたことなかったわ。子供の頃以来会ってないし、今思えば中性的な顔だったから女かもな!」

 

 そう言って笑い飛ばす創真に、恵は思わずズッコケた。

 

「ほぉ……編入生……。幸平。アンタから見て、その青葉って子はどうなんだい?」

 

 ふみ緒はそんな事よりも、その青葉という編入生が気になるようだ。

 骨のあるやつなら今から唾を付けておこうと、どんな者なのか問いかける。

 

「そっすね……。俺が同世代で唯一、絶対に勝てないと思わされた相手……ですかね。」

「マジかよそれ」

「幸平が?」

「で、でも。その子とはもう随分と会ってないんでしょ? 創真くんは第一席になるぐらい成長したんだし、きっと今なら……」

 

 けれど、創真は首を横に振る。

 

「いや~。多分無理だわ。この前なんか親父が、青葉に高級ホテルの料理長代理を押し付けたら、めちゃめちゃキレられたって笑い話してたし」

「ほぉ、城一郎が。そいつは中々見込みがありそうだね。明日にでもここに来るよう連絡しときな」

「あいよ」

 

 入学祝いと共に、今言われた件をメールに入力していく創真。

 

「因みにフルネームは何て言うんだい?」

「あ~っと、芳賀ですよ。芳賀青葉」

「……芳賀?」

 

 故に、芳賀と聞いたときのふみ緒の反応には気付かなかった。

 

「確かあやつは第76期生……。あれから15年だが……いやしかし……。もしやその青葉って子の母親は、芳賀若菜だったりしないかい?」

「そうだけど。ふみ緒さん 何で知ってんの?」

 

 その返事で漸く確信したのだろう。

 夜空に浮かぶ満月を見上げながら、ふみ緒はつまみを一口食べる。

 

「ふふふ。知っているさ。そうか、若菜の子かい。アンタがそこまで褒めるのも納得だよ」

「何か面白そうな話してるね~」

「おっ? 何かあったか~?」

 

 そんな様子に何かを感じたのか、お米のジュースで盛り上がっていた他の面々が集まってきた。

 

「丁度いい所に来たね。アンタたちなら一度は聞いたことがあるんじゃないかい? 遠月学園にかつて、伝説の料理人がいたと」

「伝説の料理人?」

 

 編入してきた創真だけ首を傾げるが、中等部から上がった他の者は聞いたことがあるようだ。

 

「あっ。もしかしてあの、遠月学園が生み出した謎の料理人ってやつ?」

「先輩から聞いたことある。確か絶世の美女だって」

「俺は筋肉ムキムキの男だって聞いたぞ?」

「何か色々あるよね~」

「馬鹿馬鹿しい。遠月の過去の文献を見ても、そんな生徒がいた事実はありませんよ」

「でも丸井さんよぉ。記録には残ってるし、色々な噂もあるじゃねぇか」

 

 遠月学園には、過去の学生の記録が数多く残されている。

 

 遠月茶寮料理學園――食戟戦績公式記録。

 

 その頂点に、金輪際抜かれることはないと言われる記録がある。

 氏名、年代、その他詳細情報は一切なし。ただ、勝率だけが書かれた 嘘のような記録。

 

 ――561戦 561勝 0敗

 

 あまりにも突き抜け、異彩を放つその記録を信じる者はまずいない。

 しかし、その資料は毎月更新され。そしてその記録もまた、毎回一番上に記載されている。作成時に見逃すことはまずないはずだ。

 

 ならば、この記録はなにか?

 

「僕や同じゼミ生の見立てでは、それは遠月学園が意図的に作り出した記録や流した噂だと結論が出ています。大方、生徒のやる気を出させる為のものなのでしょう。特にあの食戟戦績。加えて名前もなければ詳細もないなど、常識的に言って考えられない」

 

 それには創真も心当たりがあった。

 

「その食戟戦績なら俺も知ってるわ。561戦して負けなしってやつだろ? あれやべーよなマジで。俺ですらタクミとか他の十傑にもう何度も負けてるし。そもそも、そんだけ食戟を出来る気がしねーわ。中等部の頃から一年に100回ぐらい食戟してんじゃね?」

「だからあれは全て作り話だと――」

 

 ――言っているじゃないか。

 そう続けようとした言葉は、ふみ緒によって遮られた。

 

「本当さ。あの記録は全て、本当なのさ」

「……いくらふみ緒さんが言おうと、こればかりは信用できませんね」

「アンタが言った通り、あの記録は――あの生徒の記録は学園側が意図的に作り出した。噂を流したって言うのもね」

「それなら……」

「だが、その生徒は確かに実在した。学園側がしたのはあくまでも、その生徒が実在しなかったと見せかける細工だけさ」

 

 仮にそれが本当だとして、何故そんな回りくどいことを。

 納得できないといった様子に、ふみ緒は続けて言った。

 

「それが当時、遠月十傑 第一席にいた芳賀若菜の、最後の願いだったからね」

 




 次の”あとがき”で”デザート”に触れながら第二部や裏話について書いています。
 そちらも是非ご覧ください。


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あとがき

 【注意】
 本日は“あとがき”の前に、本編の“デザート”を一話投稿しております。先にそちらをご覧下さい。


 先に書いておきますが、第二部である『神の同級生』は本作で章を分けて投稿する予定です。

 このまま気長に次話をお待ち下さい。

 

 

 

 これは単なるあとがきであり、作者が本作について色々語ったり裏話をするだけです。

 読まなくても本編に支障はありません。

 

 

 

 どうも、作者の〆鯖缶太郎です。

 

 まず初めに、ここまで読んでくださった読者様。

 本当にありがとうございます(*´∀`)

 

 初めて本作を投稿したとき、途中で失踪するかもなぁ……って思っていましたが、無事第一部を終えることができました。

 

 これも閲覧・感想・お気に入り・評価をしてくれた読者様のお陰です。

 お気に入りも二桁いけばいいかなって思っていましたが、予想を大きく上回って嬉しい限りです。

 

 

 

 取り敢えず本日同時投稿した“デザート”に触れながら、本作を書こうとした切っ掛けでも書いていきますか。

 

 本作を最初に投稿した時点では、作者が持つ『食戟のソーマ』の原作知識は、創真達が二年生に進級した辺りでした。

 

 薊政権からえりな政権へと変わり、進級すると言うことは創真達に後輩ができる訳です。

 なので、えりなが総帥として入学式に立つ姿や、新しく創真達の相手となるような新一年生が来るのかなって期待したんですよね。

 

 だけどそれが丸々カットされて、新一年生もほぼノータッチ。

 えぇ……割と面白そうなのに、そこをカットしちゃうんだ。新一年生は創真達が玉の世代って言われてたからまだしも、もうちょっと掘り下げても良かったのにな~。

 

 そうだ。ならオリ主を創って後輩の中に入れればいいじゃん。

 そしたらえりなの演説とかも書けるじゃん。

 取り敢えずアイデアまとめて、いけそうならやってみよっと。

 

 とまぁ、そんな軽い気持ちで始めました。

 

 なので正直に言えば、本作を書き始めた目的はもう達成されているんですよね。

 原作に登場させても違和感のないオリ主創り。創真やえりなとの過去の関係。そして、後輩として入学して久しぶりに再開するまでの物語。

 

 えりなの演説も書きましたしね。まぁ……正直に言えば、全然書ききれた感がありませんが……。

 地の文を書くのが苦手で、視点もブレブレなせいで演説はあれでも書くの頑張ったんですよ……。多分30回以上は書き直しています。小説を書くのって難しいね。

 

 

 

 では、第二部である『神の同級生』を何故書くのかという話ですが。これは単純に 折角オリ主を創ったんだし、同級生編も書きたいな~って思っただけです。

 特に深い意味はありません。

 

 その為、もしかしたら気分が乗らずやっぱ止めた~ってなるかも?

 そしたら今回が最終回ということになります。

 

 でも青葉ではなく、若菜と絡ませて書きたい話がまだあるんですよね。それを書こうと思ったら青葉を同級生にしないと都合が悪い訳でして、なので書く可能性は高いと思います。

 一体若菜と誰を絡ませるのか。それは勘のいい人だったら直ぐに分かると思います。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 ここでちょっとした第二部のネタバレ的要素を書きます。飛ばしたい方は次のまで飛んでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして『神の同級生』では、創真達と青葉を同級生にするのですが、ここで今現在迷っている事があるんですね。

 それは青葉を中等部から入学させた設定にするか、高等部から創真と共に編入させる設定にするかです。

 

 

 

 まず中等部から入学させた場合ですが、これは中等部編を書くことができます。

 と言っても、大した事は多分書けないのでカットすると思いますが。

 

 なのでそれを除いてもう一つ。高等部に進学するとき、青葉を遠月十傑評議会に えりなと共に入れることが出来るんですね。

 設定は適当に調整して十傑入りさせれば、他の十傑メンバーとの絡みを書けますし、何より秋の選抜に合法的に参加しなくていい。

 確か十傑だと秋の選抜に出場できませんでしたよね。えりなも出ていないし。

 料理描写は割と本当にこりごりなんです(笑)

 宿泊研修は気合いで何とかする……。

 

 後は青葉と茜ヶ久保もも先輩の絡みを書きたいと思ったり思ってなかったり。

 もも先輩をお菓子で餌付けして愛でたい(願望)

 

 

 

 じゃあ創真と共に編入させたらどうなるのか、これは原作順守で単純に書きやすいです。

 

 創真と共に入学式で挨拶。極星寮に入れて、そこで寮生と自然に関係を持つ。これが進学の場合だと、恐らく青葉はえりなに付いて行って、暫くは極星寮と関わりを持たせる事ができないんですよね。

 進学の方でも無理矢理にでも極星寮に入れればいいじゃんって思うかもですが、そこは作者なりの拘りと言うか何と言うか。現状では考えてないです。

 

 

 

 色々書きましたが 自由度で言ったら断然進学コースなので、恐らくそっち方面で書くと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 さて、では裏話というか裏設定というか。それをちょこっと書きますかね。

 

 

 

 まずは芳賀青葉。

 

 本作の主人公であり『神の手』です。

 本当はもっと神の手と周囲に認識されるような展開を書いていきたかったのですが、第一部では書けませんでした。多分第二部では出てくるかな?

 

 ただ 海外では既に名が多少広まっていたりします。あの城一郎が連れている弟子みたいな認識で。

 なので料理長代理を任されても、向こうの責任者がオッケーしているみたいな感じですね。実際に実力もありますし。

 

 実はアリスとメールをする仲です。

 えりなが幼少の頃、これは原作でも言われていますが、アリスの手紙を薊が破いて見せないようにしていたんですね。

 それがえりなを救ったことで手紙のやり取りが再開。そこでえりなが青葉の事を書いて、アリスが認識したって感じです。

 「アナタがえりなの従者なのね。えりなを助けてくれてありがとう」みたいな感じですかね。

 

 青葉本人は全く自覚していませんが、超が付くほどの美食家です。

 幼少の頃から若菜の料理を食べて育ってきた訳ですしね。本人はそれが普通の料理だと思っていますが、毎日毎食プロの料理を食べていたので。

 なのでどんな料理を食べても、美味しいけど若菜の味には劣っているという認識を持っていたりします。他者の料理を食べても興奮しません。

 

 チート能力――原作でいう異能は既に才能へと昇華させており、スイッチの様に切り替え可能。

 普段は能力を使わず、素の実力で料理を作っています。それでも他者から見れば、飛び抜けた料理の腕を保持している。

 

 容姿に関しては、“デザート”で創真が中性的だったと言っていますが、特に設定はしていないです。若菜も容姿の設定はなし。

 皆さんのご想像にお任せします。

 

 

 

 続いて芳賀若菜。

 

 青葉の母親であり、ちょっと謎めいた人物でもあります。

 遠月学園の生徒時代はどんな人物だったか。詳しくは第二部の方で書く予定です。

 

 他者に左右されず、自分らしさを貫く。息子である青葉を溺愛していますが、それは責任感から来ているものもあります。

 

 そして外部に自身の名前を出すことを恐れていたりしますが、これは退学した後、若菜の想像以上にニュースで取り上げられたからです。

 

 若菜自身は基本的に自由奔放で、遠月十傑 第一席を特に気にしてはおらず、寧ろどうでもいいとまで思っている節がありました。

 けれど世間からすれば、遠月十傑 第一席が退学するというのは信じられず。加えて子を育んだというのもあって、顔は出なくとも名前が一時期出回りました。

 

 自分のせいで青葉に迷惑をかけるのではと、ちょっと空回り気味で過保護になりすぎた所もあり。顔や名前は世間に極力出さず、青葉を施設に預けることもなく、外出もさせず。そのせいで、いつも一人でいる青葉に申し訳なく思っている気持ちを持っていました。

 なので、事情を知っている薊の元にいた えりなやアリスと友達になって欲しいと、青葉に包丁を握らせたわけですね。

 

 時が経ってすっかり若菜の存在が忘れられてからは、安心して外出しています。

 

 また、本作では『芳賀若菜』という名前ですが、実は投稿する以前は『芳賀若稲』という名前で書く予定でした。

 それを投稿したときに変えたのですが、たまに間違えて『若稲』と書いてしまっている事がありました。

 誤字に気付いた方や報告してくださった読者様向けの裏話です。

 

 

 

 大体こんな感じですかね。

 もし何か気になることがあれば、ここはどうなの? っと、気軽に感想で書いてもらえると返信いたします。

 

 

 

 さてさて、第二部についてはいつから投稿するか分かりませんし、どういった形式で書くかもまだ未定です。

 できれば連載形式で書きたいですが、無理そうだと思ったら短編を繋げるかもしれません。

 

 それと実は他作品のSSアイデアが思い付いているので、先にそちらに手をつける可能性もあります。

 まぁそっちは数話で終わる短編予定なので、仮に書き始めてもすぐに戻ってきますが。

 

 リアルの都合もありますので、気長にお待ち下さい。

 




 ではでは、第二部でまた会えたら嬉しいです。
 お気に入り、評価、感想など。お気軽にどうぞ。


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IF『青葉が創真達と同級生だったら』
第一話


 生存報告も兼ねて投稿。

 【補足】
 青葉の過去の出来事やスペックなどは年下編と変わらずで、もし創真達と同級生だったらどうなっていたかを書いていきます。


 47都道府県の料理人を目指す小学生に聞いた、あなたの進学したい料理学校はどこか?

 その質問に対し、第一希望に間違いなく挙がるのが遠月茶寮料理學園。略して遠月学園。

 食の最先端と呼ばれ、その広大な敷地には料理に関する全ての施設が揃っているとも言われる。

 加えて高等部に在籍しただけでも箔が付き、卒業まで辿り着けば料理界での絶対的地位が確約されるのだ。

 

 そんな料理人を目指す者ならば 誰もが憧れる遠月学園には、当然のように全国から入学希望者が集う。

 その数は数千人、時に万人を超え。そこから選ばれた千人程が、毎年中等部に入学を果たす。

 

 

 

 ――遠月学園 中等部 入学試験面接会場。

 

 

 

 料理学校の遠月学園だが、筆記試験や料理試験の他に 面接試験も勿論存在する。とはいえ、数千人もの受験生を一人一人相手にしていたのでは、時間が掛かりすぎてしまうのも確か。

 よってこれは最終段階。既に二つの試験に合格した者のみが受けることを許される。

 

 最終段階と聞いて多くの学生は緊張するかもしれないが、実は面接に辿り着いた時点で、合格はほぼ確定している。

 それは遠月学園の基本方針として、料理の腕さえあれば家柄や出自等に一切関係なく在学できるというものがあるからだ。

 余程態度が悪くない限り、それはその者の個性として捉えられ。また、そういった個性的な者がいるからこそ、学園の生徒達に刺激がもたらされる。

 

 つまりこの面接は、入学が決定した生徒がどういった人物であるかを見極める為のもの。

 決して学園側が手を抜いていい試験ではない。

 

 とは言えだ……。

 

 面接官である男は、今日最後の受験生の資料を確認していた。

 そこに書かれた名は――芳賀青葉。

 筆記試験、料理試験共に首席レベル。もし今年、あの総帥の孫娘である薙切えりながいなければ、間違いなく首席であった男。

 

 筆記試験で僅かなミスさえなければ……。いや、わざと手を抜いたのだろう。

 中等部卒業レベルの問題もあったとはいえ、現時点でここまでデキる料理人が、そんな些細なミスを犯すとは思えない。

 大方、首席になって目立つのを嫌ったのか。はたまた、薙切えりなに花を持たせる為に敢えてミスをしたか。

 恐らく前者であろう。

 総帥直々の推薦を受けている学生。加えて芳賀という名字。親子揃って同じ性格というわけだ。

 

 この面接官の男は、遠月に何十年も前から勤務している。もう架空の人物として扱われているあの生徒の名を知っているし、当時 中等部に入学した彼女の面接官も担当していた。

 

 ――コン、コン。

 

「どうぞ」

「失礼します」

 

 部屋に入ってきた青葉を見るが、その声や足取りに緊張感は一切みられない。

 そのまま対面まで来ると軽く挨拶を済ませ、席に着いた。

 

「では初めに、当校を受験した理由を聞かせてください」

「そうですね……」

 

 口元に手を当て、面接の対策をしていれば即答できそうな事をこの場で考える青葉。

 その容姿。仕草。そして悪びれた様子を全く見せない様を見て、面接官の男は確信する。やはりこの青葉という受験生は、あの芳賀若菜の子供なのだと。

 

 そして漸く発せられた言葉に、かつての芳賀若菜の姿が重なって見えた。

 

「日本で料理の腕を磨くなら、遠月学園が一番良いと薦められたので」

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

「納得いきません!」

 

 デスクに両手を叩きつけ、感情を露にしたえりなの表情は真剣そのものであった。

 その気迫を受けた実の祖父である仙左衛門は思わず身動ぎ、隣に立つ青葉はえりなを落ち着かせようと宥める。

 

「どうしたのだ、えりなよ」

「どうしたのだ……ではありません! 何ですか、これは!」

 

 仙左衛門の前に突き出されたのは、遠月スポーツと呼ばれる校内新聞の号外であった。

 その見出しにはデカデカと『遠月十傑評議会 新メンバー決定!!』と書かれている。

 

 そう。今日は遠月十傑評議会 新メンバーの最終審議と任命式があったのだ。そして事前の新メンバー予想で、今年の十傑任命は荒れるだろうと言われていた。

 その理由が最終審議まで残ったメンバーに、中等部から二人が選出されるという異例の事態があったからだ。

 

 一人は言わずと知れた薙切えりな。

 遠月学園 中等部へは首席で合格し、『神の舌』と呼ばれる味覚は人類最高峰とも言われる。

 その味覚は絶対であり、もし彼女に料理で不味いと言わせようものならば、料理人の人生が閉ざされる事を意味している。

 それもさる事ながら、料理の腕も既に一流と呼んで差し支えなく、調理棟を建てるために食戟も行っているほどだ。

 

 そしてもう一人。ダークホースとして名が挙がったのが芳賀青葉。

 遠月学園 中等部へはえりなに次ぐ次席で合格し、しかしその実力はあまり知られておらず、多くの者からは未知数だと捉えられている。

 その理由として食戟戦績がなく、にも関わらず授業評価は当然のように毎回満点。えりなとも友好的で学園内の同じ屋敷で過ごし、日頃から共に行動している事などが理由だ。

 

 しかし実は、青葉は一度だけ非公式に食戟を行っていたりする。

 それは青葉が中等部二年生へ進学し、暫く経った頃。

 その時期になると学園内ではグループが確立され、青葉がえりなや緋沙子の二人と歩いていても、見慣れたメンバーとして認識されていた。

 けれど、それを面白くないと感じる者も中にはいる。

 その代表こそが『えりな様親衛隊』なるファンクラブのメンバーだ。

 

 ファンクラブの言い分はこうだ。

 学園内で全く力を示そうとしない青葉だが、その実力は本当にえりな様の隣に立つに相応しいのか?

 よって“えりな様親衛隊”の一番隊にして、隊長でもあるこの私と一騎打ちをしろと。

 

 何故これが非公式の食戟なのかと言えば、この食戟は青葉の力をファンクラブに示す事が目的であり、えりなと青葉を引き剥がす事が目的ではないからだ。

 

 二人が幼馴染で仲の良いことは周知の事実であり、仮にこの二人を引き剥がしてえりな様を悲しませるようなことになれば、それはファンクラブの掟に反する。

 しかし青葉が力を示してくれなければ、“えりな様親衛隊”として隣に立つことを容認できない。

 

 そういった経緯に加え、青葉が食戟を仕掛けられた事そのものにえりな様が不安になるのではという計らいによって、非公式の形で食戟が行われた。

 その結果、青葉が“えりな様親衛隊”の大将に何故かなっていたりするのだが、それは置いておこう。

 

 

 

 閑話休題

 

 

 

 中等部在学の身にして、最終審議まで残った二人。

 そして任命式では、えりなと青葉は歴代最年少で十傑入りを果たす結果となった。

 しかしえりなはこの結果のある一点が納得できず、こうして総帥である仙左衛門の元まで訪れたのだ。

 

「何故私が遠月十傑 第九席で、青葉くんが第十席何ですか!」

 

 その一点とは、席次に関して。

 遠月十傑の席次は上が一席、下は十席という順になっている。今回の場合で言えば、九席のえりなが十席の青葉よりも実力が上ということだ。

 だが、えりなはこれが納得できなかった。何故私が青葉くんよりも上なのかと。聞く者によっては、耳を疑うような申し立てをしていたのだ。

 

「なるほど。つまりは青葉こそが第九席に着くべきだと。そう言いたいのだな?」

「そうです」

「すいません 総帥。俺は気にしてないのですが、えりながどうしても納得できないようなので」

「ふむ……」

 

 二人のどちらが料理人として上か。

 そう考えたとき、本当の実力を知る者は青葉こそが上だと主張するだろう。故にえりなは青葉こそが第九席に相応しいと思い、自ら取り下げる様な事を言っているのだ。あの『神の舌』本人が。

 だがそれは、あくまでも青葉個人を知っている極少数の者からすればの話。

 

「だが、遠月学園という視点で見れば、えりなが第九席に選ばれるのだ」

「…………」

「中等部三年生まで、授業評価に関して言えば、両者共に申し分ない。申し分ないが、それだけで十傑に選ばれる訳ではない。授業評価に加え、行事による実績。学園への貢献度。そして最も評価の対象となるのが――食戟」

「食戟……」

「左様。青葉は現在までに食戟戦績がない。対してえりなは数十に上り、全勝しておる。よってえりなが第九席となったのだ」

 

 そう言われてしまっては、えりなも反論できなかった。

 青葉は平和主義というか 無欲なところがあり、食戟を進んでやろうとはしない。

 そのせいで成績という目で見て分かる数字がえりなより低いと判断され、第十席に落ち着いたのだ。

 寧ろ食戟をしていないにも関わらず、十傑入りした青葉を多くの者は疑問に思っているのかもしれない。

 

 ――なるほど。ならば、他の手段を選ぶまで。

 

「……分かりました。……ねぇ、青葉くん」

「どうした えりな?」

「私と食戟をしましょう」

「は!?」

 

 だったら食戟をすればいい。

 青葉が勝てば、周囲に彼の実力がハッキリと認知される。えりなが勝つ結果となったとしても、青葉の実力は間違いなく証明されるだろう。

 

「大体青葉くんは、食戟をしなさすぎなんです! そのせいで周りから、私の側にいつもいるひっつき虫みたいに言われるのよ! だったら食戟です。私と食戟をするしかありません!」

「いやいやいや。俺は別に、周りから実力が低く見られようと気にしてないから。十傑の席次もどうでもいいし、何だったら十傑を辞退してもいいぐらいで……」

「青葉くんはもっと評価されるべき料理人なんです! そもそもですね――」

 

 すっかり蚊帳の外となった仙左衛門は、二人の口論を見守る。

 

 えりなの言い分は最もだ。

 青葉はもっと評価されるべき料理人であり、えりなの考えからすれば焦れったいものがあるのだろう。この学園の多くの生徒は上を目指しており、青葉のような考え方をしている方が珍しい。

 

 とは言え、遠月学園の本番は高等部からだ。

 青葉も十傑となった以上、その実力が知れ渡る日がそう遠くないうちに来る。

 

 その様な言い分もあり。「し、仕方ないわね……」と 最後はえりなが折れ、代わりにトランプなどで夜通し付き合う約束を青葉は取り付けられていた。

 トランプの話が持ち出されたとき、あっさりと折れたのを見て。「えりなはこれを期待していたのでは?」と 青葉と仙左衛門は心の中で思ったが、真相を知るのはえりなだけである。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 遠月十傑評議会 新メンバーに選出された青葉を見て、中等部・高等部のほぼ全ての生徒はある疑問を持った。

 

 何故 彼は十傑に選ばれたのかと。

 

 最終審議の段階では、えりなと共に中等部にして名が挙がった事でダークホースとして扱われ。その注目度は増したが、しかし今まで何か注目するような事をした生徒ではない。授業評価こそ高いが、言ってしまえば努力次第で誰でも満点は取れる。

 故にダークホース。結局は十傑に入れずに終わるだろうと、大半が思っていた。

 

 だが、その考えは覆される。

 

 新メンバーを決定するのは毎年、学園総帥を含む経営幹部らが決めることであり、ここに生徒が介入する余地はない。

 そこで青葉が十傑入りしたことに対して、誰もが考えるのは 不正行為の可能性。

 青葉は料理に関してそこまで注目はされていなかったが、学園の日常生活では有名人であった。

 共に十傑入りした薙切えりなと仲良く歩く姿は学内で多く見られ、宿泊しているのも同じ屋敷。総帥と話す姿も確認され、幼少期からあの薙切家と関係を持っているのは想像に難くない。

 

 遠月学園のトップである総帥が、芳賀青葉を優遇したのではないか?

 そんな噂話は忽ち広まり、多くの者が共感できることもあって まるでそれが真実のように浸透していく。

 それから数日。青葉に向かってある生徒は言った。

 

 ――第十席の座を賭けて食戟をしろ と。

 

 その話を持ち掛けた者は思った。これは自身が十傑に名を連ねるチャンスであると。

 この遠月学園にいながら、青葉が功績を上げたという話は誰も聞いたことがない。記録にもない。

 それはつまり、料理人として平凡であるから。

 

 十傑を賭けた食戟など、そう起こりうる事ではない。

 食戟をする際にはその欲するモノの対価を差し出さなければならないが、十傑の座は挑戦者の退学を賭けても足りないからだ。十傑側が食戟を断ればそれで終わってしまう。

 しかしここで、不正行為をしたのではという噂について言及すればどうなるか?

 仮に青葉が断るような事があればイメージがより悪くなり。解決するには食戟を受け、その力を示す他ない。

 

 青葉が不正行為をしたというのはあくまでも噂だが、ほぼ真実だろう。

 つまり勝つのは容易い。十傑に入り、地位と名声を手に入れられる。

 

 ――そして青葉は、食戟を受けることにした。

 

 その光景を見ていた学生も、それに続けと言わんばかりに食戟を申し込んでいく。

 青葉の隣にいた、えりなと緋沙子の冷ややかな視線に気付かぬまま。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 食戟が行われる会場。

 観客席とは別で設けられた、ステージを見下ろせる特設室にて。仙左衛門は事の行く末を見守っていた。

 

『3―0! 勝者は……芳賀青葉!!』

 

 数日に渡って行われた食戟は予想通り……いや。多くの者にとっては予想外の結果で、青葉の完勝に終わった。

 本当は仙左衛門自身が審査員を務めたい所だったが、それでは公平な審査にならない可能性があると言われてしまい、こうして見守る事しかできなかった。

 

「仙左衛門殿よぉ。あの青葉ってやつは……何者なんだ?」

 

 ふと声が掛けられ方を向けば、そこには十傑の面々が立っていた。いないのは食戟を終えたばかりの青葉と、迎えに行ったえりなだけだ。

 

 

 

 遠月十傑 第一席――司 瑛士

 

 遠月十傑 第二席――小林 竜胆

 

 遠月十傑 第三席――茜ヶ久保 もも

 

 遠月十傑 第四席――斎藤 綜明

 

 遠月十傑 第五席――紀ノ国 寧々

 

 遠月十傑 第六席――一色 慧

 

 遠月十傑 第七席――久我 照紀

 

 遠月十傑 第八席――叡山 枝津也

 

 

 

 遠月を代表する生徒が集まったのは言わずもがな、今日行われた青葉の食戟を観るためだろう。

 

「青葉が何者なのか……。それは、どういう意味かな?」

 

 枝津也の含みある問いに、仙左衛門はその意図を計り兼ね 問い返す。

 

「どうもこうもないっしょ。十傑の権限を使って青葉ちんについて調べようと、分かることは入学試験からそれ以降の事だけ。それ以前の事は、第一席である司さんですらほとんどシークレット」

「中等部へは総帥本人の推薦で入学。薙切くんと共に学園を過ごしていることからも、過去に関係があったことは明らかでしょう。にも関わらず、薙切家と芳賀家の繋がりも秘匿されていました。詮索するのは褒められた行為ではないと分かっていますが、同じ十傑メンバーとしてどうしても気になりまして」

「ふむ……」

 

 照紀と慧の説明を聞いて、漸く納得する。

 確かに芳賀家に関してはその多くが秘匿されている。それは青葉の母親が若菜であり、そして薙切薊の件も重なってその大部分が秘匿される結果となった為だ。

 

 そんな秘匿されすぎた情報を、何も知らない第三者が見ればどう映るか。

 加えて今日まで行われた食戟。十傑ともなればその調理姿と確かな料理で、青葉のレベルの高さに薄々気付いているはずだ。彼が本気を出していないということにも。

 

 青葉が何者なのか。

 ただの料理人を目指す遠月生徒などと答えようと、恐らく納得してくれないだろう。

 そこでふと、仙左衛門の脳裏に浮かんだのは、かつて一度だけ振る舞ってもらった青葉の必殺料理(スペシャリテ)であった。彼からすれば、その手で作り出す全てが必殺料理足り得るのだが。

 

「――神の手」

「……神の手?」

「左様。まだ公になってはいない。しかし、直に広まる時が来る。後は己の目で確かめるがよい」

 

 若菜の時はまだ確証がなかった。しかし本人らは自覚していないだろうが、親子続けてあの御業を魅せられては認めるしかない。

 『神の舌(ゴッドタン)』の薙切。『神の手(ゴッドハンド)』の芳賀として。

 




 前回の投稿から約一ヶ月。時が経つのは早い……。
 リアルの方がちょいとあれなので、相変わらずの亀更新予定です。他のSSを書く件に関しては、思ったより大作になりそうなので設定ねってます。まずは本作を書き終えたいですね~。

 さて、ついに第二部がスタートしました。青葉を十傑入りさせるにあたって、本来は第三席の女木島冬輔を除名させました。薊編など見越したときに、一番調整しやすいからっていうのが理由ですね。もし女木島ファンがいたら申し訳ないです。

 第二部はどこまで書くのかは現状決めてないです。一応朝陽編も見越した設定にしていますが、恐らくは薊編まで……それも途中経過をカットするかも。相変わらずの見切り発車のため、今後色々と考えていきます。

 本作のお気に入りがいつの間にか1,000を超えましたね。失踪だけはしないように頑張っていきますので、今後も見てくれると嬉しいです。
 ではいつになるか分かりませんが、次回また会いましょう。
 お気に入り、評価、感想など……お気軽にどうぞ。


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第二話

 いつもより文字数がやや少なめですが、何とかGW中に投稿完了。
 令和からも亀更新ですが、よろしくお願いします。
 最後にちょっとしたアンケートもあるので、気軽にポチッてくれると嬉しいです。


 司瑛士は憂鬱だった。

 遠月十傑 第一席の地位を引き継いで早半月。その席次はこの学園を代表する生徒の証であり。誰もが憧れると同時に、責任や重圧が最ものしかかってくる席でもある。

 瑛士に責任感は勿論あるが、それ以上に繊細な男で 自らの料理以外に関しては気弱な面もあった。

 そして今日は、遠月十傑評議会 新メンバーによる初めての定例会。第一席である自身が議長となり、遠月の中でも一癖も二癖もある面々を果たしてまとめ上げられるだろうか。そんな事を考えるだけで、思わず溜め息が出てしまう。

 

「はぁ……」

 

 何事も初めが肝心だ。第一席としての威厳を示し、これからの学園を共に創っていこうではないかと提案し、皆を引っ張っていく――様な事ができれば苦労はしない。

 もし仮にそんな提案ができたとしても、中等部の頃から付き合いのある第二席の竜胆に笑われ、一生ネタにされるのがオチだろう。

 そもそもの話、竜胆がいる時点で瑛士に十傑をまとめられる自信がなかった。

 昨年も十傑内で共に過ごしたが、先輩が相手であろうと躊躇いなく絡んでいき、初対面の相手でも非常にフレンドリーなのが彼女の持ち味である。それによって場は和むし、会議特有の堅苦しい空気もなくなるため、ムードメーカー的存在と言えば聞こえはいい。

 しかしそれも、行き過ぎてしまえば騒がしさの元凶。周りの人間を巻き込んで会話し、自身の気の向くままに進んで行く様は まるで台風のようだ。

 

 考えれば考えるほど憂鬱になっていく瑛士。今年から十傑に入った面々も気難しそうなうえ、何より総帥に“神の手”と言わしめた青葉の存在が気がかりだった。

 

「はぁ……」

 

 せめてもの、竜胆に書類作成といった 割り当てられた十傑の仕事は自分でやる様に説得しよう。

 そう心に決めて、瑛士は定例会が行われる会議室の扉を開けた。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 部屋の中央に鎮座する円卓を囲うは、今や名のある料理人となった者達が代々座してきた十の椅子。

 十傑のみが立ち入ることを許され、学園の礎を築いてきたこの場所や備品は、遠月学園で最も神聖なモノといっても過言ではないだろう。

 そして今日。その全ての席に当代の十傑が座していた。

 卓上に置かれた芳しい香りのタルトと喧騒から、定例会はもう終わったか休憩中だろうと思われたが……。実の所、まだ始まってすらいなかった。

 

 

 

 ――遡ること凡そ十分前。

 定例会に遅刻する者はおらず、一先ずは無事に開始できると議長の瑛士が安堵したのも束の間。青葉が運んできた芳しい香りに、瑛士に十傑の仕事を自分でやるよう説得されていた竜胆が これ幸いとばかりに真っ先に飛びついた。

 

「おっ! 旨そうなタルトだな!! 青葉が焼いてきたのか?」

「はい。何かつまめるお菓子があった方がいいかと思ったので」

「分かってんじゃ~ん。では早速……うんまー!」

 

 するりと青葉の懐に入り、皿に盛られたタルトを一つ食べると目を輝かせる。

 

「所でさー、聞いてくれよ。さっきから司のやつがな――」

 

 そしてそのまま話しかけながら、瑛士から一番遠い席に誘導して青葉の隣に腰掛ける竜胆。

 そのあまりの手際の良さに、青葉と共に入室したえりなが置いて行かれ どこか不服そうな顔をするが、幸い円卓なので もう片方の席が空いている。故にその席に掛けようと歩き出すも。

 

「ふーん。ももがいるのにタルトを焼いてくるなんて、どんなものかと思ったけど……」

 

 ブッチーと呼ばれるクマのぬいぐるみを抱えた少女……にも見える、菓子職人のももがそこにはいつの間にか座っていた。

 ももは視線の先にある青葉が焼いてきたタルト。まずはその見た目を確認する。

 芳しく焼き上がったタルト生地にはアーモンドクリームが敷き詰められ、その上はアイシングによって可愛く色とりどりにデコレーションされていた。中にはブッチーを模したであろうクマのぬいぐるみも描かれており、その細部にまでこだわった繊細さと立体感、そしてタルトが焼きたての事から手際の良さも伝わってくる。大きさが一口サイズなのも高ポイントだ。

 

「……結構やるじゃん」

 

 見た目は文句なしの合格。

 一つとして同じものが無いにも関わらず、そのどれもが可愛い。いや、想像以上に可愛すぎる。ならばこの可愛さを残し、共有しなければ。

 そんな使命感に駆られ ももはスマホを取り出すと、今なお竜胆に絡まれている青葉に声を掛けた。

 

「ねぇ、青にゃん」

「青にゃん?」

 

 恐らく自分が呼ばれたのだろうと青葉は顔を向けるが、慣れない呼ばれ方に思わず首を傾げる。

 

「ああ。ももはな、人の名前を呼ぶときに“にゃん”とか“みゃん”って付けたりするんだよ。なのに私や司には付けてくれないんだぜ。酷いよな~」

「へぇ、そうなんですか。ところで何でしょうか、もも先輩」

「このタルト。写真に撮ってSNSにアップしてもいいかな?」

 

 人の料理を勝手にSNSへ載せるわけにはいかず、確認を取るもも。

 ももの日課は『まいにちすいーつ』。

 毎日可愛いスイーツを作っては、それを世界中の人々と共有する。その人気は絶大で、若い女性を中心に現在のフォロワー数は120万人を超えていた。ファンの間ではもも様と呼ばれ神格化されているほどであるが、それを知らない青葉は特に断る理由もなかったのであっさりと了承する。

 

 承諾を得ると、早速とばかりに様々な角度で撮影。手に持ってその大きさや細やかさ、そして可愛さなどを記録し終えると、一言メッセージを入れて投稿した。

 可愛いタルトの写真と『後輩くんが作ってくれたよ』というメッセージにより、もも様に春が来たのではないかと いいねやリツイートが爆発的に増え、多くのそういったリプライが届くのだが、それに本人が気付くのは暫く経った後だ。

 

 むふーっと満足気にももはスマホをしまうと、今更ながらまだタルトを食べていないことに気付いた。

 皿の上から一つ手に取ると、口の中に放り込む。

 

「……!!」

 

 見た目から多少の甘ったるさを覚悟していたが、サクリと噛めば 弾けるように酸味とほのかな甘みが口いっぱいに広がっていく。

 生地に敷き詰められていたアーモンドクリームの下に、スライスしたイチゴやキウイ、ブドウなど多種多様な果物が隠されていたのだろう。それでいて果物の味は損なわれておらず、更には一口サイズであるからこそ、完璧に調和された味わい深さが伝わってくる。

 最後は舌触りのよいコクのあるアーモンドクリームが、口の中をスッキリとさせてくれた。

 

 その美味しさと手軽さに、いつの間にかまた一つタルトを手にしようとしている自身に気付き、ももは思わず恥ずかしさを覚え 手を引っ込める。

 見た目の可愛さに加え、味も文句なしに合格。

 けれども一つだけ、ももには気に入らない事があった。

 

 

 

 ――時は戻り 現在。

 

「実は最近、知り合いから生餌が増えすぎたって食用のカエルを貰ったんだけどさー。そういったのをタルトに入れてみるってのはどうよ? よければ青葉の所に持ってくぜ!」

 

 相変わらずの距離の近さで青葉に会話を振る竜胆。

 その会話の内容は一見何気ない様にみえて、隙あらば青葉の過去について何か探れないだろうか という考えが見え隠れしていた。

 他の十傑の中には二人の会話に実は耳を澄ませている者も数名おり。それもあって、定例会の始まる時刻になっても彼女を注意する者はいなかった。それ以外の理由としては、一応竜胆は今年で三年生となり あれでも第二席だから。注意して絡まれたら面倒だから。瑛士が何とかしてくれるだろう……などがある。

 

 そして、青葉に話しかけるのはもう一人。

 

「ちょっと青にゃん、聞いてる? 確かに青にゃんのタルトは可愛さも美味しさも合格だけど、一般生徒用の安物のオーブンを使ったでしょ。お菓子作りは技術も大事だけど、機材が何よりも大事なの。特にオーブンは保温性が大事で 蓋の開閉で熱が逃げやすいから、ももがオーダーメイドを頼んでる所を紹介してあげる。……お金? 十傑だったら学園側が出してくれるよ。それに菓子職人(パティシエ)になるんだったら、そのぐらいの出費は当たり前」

 

 何故か青葉が菓子職人になる前提で話を進めるもも。

 ももが青葉のタルトを食べて思った事。それはタルトを焼いたオーブンについてだった。

 遠月学園に置かれているオーブンは、所詮この学園で過ごす生徒が誰でも使用できる程度のもの。確かに一般家庭から見れば高級品ではあるが、最高級品というわけではない。

 

 そして、オーブンを使う菓子作りで最もネックとなってくるのが保温性だ。

 オーブンはその構造状、焼くものを入れる時に蓋を開け閉めしなければならない。だけれど開閉する度にオーブン内の温度は大幅に下がり、本来焼きたい温度を保つことが難しい。ものによっては焼きムラもできやすく、ももレベルとなってくるとその僅かな違いですら感じ取れてしまうのだ。

 

 因みに二人に青葉の隣の席を奪われてしまったえりなは、その光景を何とも複雑そうに眺めていた。

 幼少期に青葉に救われ、中等部に入ってからは学内の同じ屋敷で過ごし 毎日の様に顔を合わせる。

 そんな彼が、自分や緋沙子以外の女子とあんなにも仲良さそうに会話している。そう思うと何故だろうか。まるで、胸が締め付けられたかのように痛む。竜胆やももが彼に触る度、もやもやと感情が渦巻く。

 

ウッ……

 

 そんな黒いオーラを放つえりなに当てられ、空いていた席の関係上 隣に座られた瑛士が思わずうめき声を上げる。

 それを知ってか知らずか、寮内では裸エプロンを披露するとは思えないほどに 今はビシッと制服を着こなした、この場で一番冷静に状況を見ていた慧が口を開いた。

 

「そろそろ定例会を始めないかな? もう開始時刻は過ぎているし、中にはこの後に予定が入っている人もいるだろうしね。世間話なら終わってからでもできるだろう?」

 

 その言葉を受け、騒がしかった室内に漸く静寂が訪れる。

 

「ありがとう 一色。これでやっと定例会が始められるよ……」

「司先輩も色々と大変でしょうから、気軽に僕達を頼って下さい」

「そう言ってもらえると助かるよ。それじゃあ資料を配るから、まずは各自 軽く目を通してくれ」

 

 最初の騒がしさはどこへやら。十傑としての意識は確かにあるのか、定例会はつつがなく進んでいく。

 今後の予定や主な仕事内容、十傑としての在り方を一通り確認したところで、議題は十傑による最初の大仕事の件に入ろうとしていた。

 

「さて、ある程度の説明が終わったところで、最後に来週行われる高等部への編入試験について話そうか。この編入試験の試験監督は毎年、十傑のメンバーがそれぞれ担当することになっている。入試課からは一応、面接や実技などの試験の流れがあるけど……最終的な判断は、全て此方側に委ねられているよ。まぁ一つだけ言っておくと、面倒だから全員合格にすると言ったような行為は厳禁。どんな形であれ、試験はちゃんと行う事。その結果が全員不合格であればそれは構わないよ。過去の資料を見ても、高等部への編入試験に合格した生徒がいない年なんてザラにあるし、合格した生徒の大半はその後十傑入りするか、卒業していった者がほとんどだからね。受験生の人数は恐らく十傑一人につき百人前後。大体は資料にまとめられているから分かると思うけど、何か質問はあるかな? なければ今日は、これで解散だけど」

 

 何とか無事に終われそうだ。

 そう瑛士が思ったのも束の間、中華料理研究会で主将を務める照紀が手を上げた。

 

「久我、何処か分からない所でもあったかい?」

「いやぁ。寧ろ分からないところが無さすぎて、さっすが司さんのまとめてくれた資料は読みやすくて頭に入ってきやすい! そこで俺は思った訳ですよ。十傑が毎回、態々ここに集まる必要なくない?」

「えっと……。具体的にはどういうことかな?」

 

 照紀の言い分はこうだ。

 サインを書く資料があるなら集まる必要があるが、今日の様に話し合いだけで終わるならば情報社会の現代、通話アプリでグループを作って情報共有すればいいじゃないかと。

 

 確かにそれには一理あった。

 

 定例会の度にその日の予定を開けるのは面倒であるし、確実に参加できるとは限らない。けれどもグループを作ればいつでも確認することができ、情報共有もしやすいだろう。加えて、十傑内でそれぞれの連絡手段があった方が便利なのは確かだ。

 そして何より、合法的に青葉の連絡先を得ることができる。

 

 照紀の意見にいち早く乗ったのは枝津也。寧々もその意見に感心したように頷いた。

 

「ほう。珍しく良いこと言うじゃねぇか。俺は久我の意見に乗るぜ」

「本当に、アンタにしては珍しくまともな事を言ったわね」

「いやー、二人とも素直じゃないねぇ。もっと俺の提案を褒め称えてくれてもいいのよ?」

 

 どこか勝ち誇ったかの様に胸を張る照紀だが。

 

「本当に珍しいな――」

「本当に珍しいわ――」

 

「「チビのくせに」」

 

今は身長関係ねぇだろうがごるぁああああ!!

 

 枝津也と寧々の示し合わせたかのような連携によって、本人が気にしている身長をいじられブチ切れる。

 その怒声は話し合いの空気を壊すのには充分であり。再び騒がしくなった室内を見渡して、瑛士はもう解散にしてもいいかなと力なく笑うしかなかった。

 

「…………」

 

 木製の鞘に収めた巨大な包丁を壁に立て掛け、さながら武士の様な面構えで最後まで瞑想し 沈黙を貫いていた綜明。

 ある意味彼こそが、この中で一番まともだと言ってもいいのかもしれない。

 




 今回は十傑メインの話となりましたが、司先輩が物凄く不憫に……。無理やり十傑全員をネジ込んだけど、中々カオスな闇鍋になってしまいました。

 タルトは学校の給食以来食べたことが無いので、全部想像で書いています。味の保証はしません。
 えりなの青葉に対する恋心みたいなのも書いていますが、愛の告白といったような露骨な恋愛物語は書いていかないつもりです。

 感想で色々ご指摘いただき、章の名前を変更しました。これが第二部となっていますので、今後ともよろしくです。

 それでは最後にアンケート!
 もも先輩の青葉の呼び方です。次話を投稿するまでに一番多かったものが選ばれます。それまでは取り敢えず青にゃんが暫定。下にアンケートがあると思うので、気軽に押してね。

 お気に入り、評価、感想なども。お気軽に。


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第三話

 前回のアンケ、圧倒的な”青にゃん”でしたね。
 今回も今後の展開に関わるアンケをしますので、答えてもらえると嬉しいです。


 その出会いは偶然か、必然か。はたまた運命と呼ぶべきか。

 きっと幾重の時を繰り返そうと、二人は何度でも巡り会うのだろう。

 

 ――遠月学園 高等部 編入試験場

 

 本日10ヶ所で行われる編入試験の内、この会場で試験官を務めるは薙切えりな。

 その対面に、実家である定食屋――“ゆきひら”の正装に身を包み。たった今、一品作り終えた幸平創真の姿があった。

 

「おまちどぉ!」

 

 食事処ゆきひら 裏メニューその8

 『化けるふりかけご飯』

 

 えりなが提示した試験のお題は「卵を使った料理」

 そのお題に沿い、創真が出した白い器には もっそりと卵そぼろが盛られていた。

 それを見た緋沙子は、本当にただのふりかけだと困惑し。えりなはこの神の舌である私を馬鹿にしているのかと怒鳴りたくなる気持ちを押し止め、席を立つ。

 

「話にならないわ。所詮 二流料理人の仕事ね……。全く食指が動かない。試験はこれで終了です。緋沙子、次の予定は?」

 

 こんな料理、食べるまでもない。

 会場を去ろうとするえりなを見た創真は、残念だと言わんばかりに呟いた。

 

「この品の本当の姿はこれからなのに……」

「……どういう意味かしら?」

 

 立ち止まり、再度創真が作った卵そぼろをえりなは見る。

 

 ――あれは……?

 

 よく見れば、卵の陰で金色に色付く 半透明の何かが敷き詰められていた。

 

「まぁ、見てなよ」

 

 ――ふりかけの真価は、白米の上でこそ発揮される。

 

 創真は器を手に取り、卵そぼろの下に隠されたソレを見せ付ける様に、炊き立ての白米の上へとふりかけた。

 姿を現し、光を浴びて金色に輝くゼリー状のソレは着地すると、白米の熱に耐えかね溶け始める。

 すると どうだろうか。溶けたソレは次々と卵をコーティングすると同時に、じっくりと煮込まれた鶏肉のまろやかな香りを放つ。

 

 これが、これこそが化けるふりかけご飯の真の姿。

 想像とはまるで違う見映え。そして立ち上る香りに、えりなは思わず喉を鳴らす。

 一体、どの様な味がするのだろうかと。

 

「……一口だけ、味見して差し上げます。し……審査してほしければ、さっさと器を寄越しなさい!」

 

 好奇心には勝てず。しかし先程 試験はもう終わりだと伝えた手前、素直に審査したいとも言えず。誤魔化すように威勢よく言ったえりなに、創真は素直じゃないと思いながら 器を差し出した。

 

「おあがりよ!」

 

 化けるふりかけご飯を前にし、えりなは金色にコーティングされた卵を箸で摘み、口へと運ぶ。

 噛めば卵のふわふわ感と、プルンとした柔らかさ。その食感と味わいに思わず審査を忘れてしまったえりなは、はっと目を見開く。

 今の食感は何なのか? それを探ろうと再び箸を伸ばすも、

 

「あれー? 二口目イッちゃうの? 一口だけって聞いた気がするけど?」

 

 言わなくてもよいものを。創真に煽られたえりなは顔を真っ赤にし、何か文句があるのかと台を叩く。

 そんなやり取りを経て、えりなはその食感の正体を言い当てた。

 

「……煮凝りね?」

「大正解!」

 

 卵をコーティングし、独特な食感を生み出していた正体は手羽先の煮凝りだった。

 ゼラチン質の多い肉や魚の煮汁が冷えてゼリー状に凝固したものを指し。それを熱々の白米にふりかける事で、溶けだした手羽先の煮汁が卵そぼろに絡みついた訳だ。

 言うなればこの煮凝りは、鶏肉の旨味が溶け込んだ濃厚なスープ。それが卵の美味しさを格段に引き上げていた。

 

「こんなありふれたメニューでも、創意工夫で逸品に化けさせる! これが、ゆきひらの料理だ!」

 

 今まで食べてきたどの料理にも当てはまらない、えりなの知らなかった味の世界。本来ならば迷わず合格にしてもいいレベルだ。

 しかし、えりなのプライドが邪魔してしまう。

 神の舌と呼ばれ、美食の天上界に生きるこの私が、こんな定食屋で育った庶民代表のような男が作った料理を認めるわけにはいかないと。

 

 だが、えりなの舌は、躰は。どうしようもなく、正直に反応してしまう。

 

「確かにウチはちっこい定食屋だし、アンタが食の上流階級なのも本当なんだろうな。けどさ――上座にふんぞり返ってるだけじゃ、作れねぇ物もあるぜ。きっと」

 

 ……作れない、物?

 

「さぁ、どうだい? ゆきひら流 ふりかけご飯」

 

 確かに、えりなにとってこのふりかけご飯は、知らなかった味の世界を見せてくれた。今までのえりなには、間違いなく作れなかった。

 

 けれど――。

 

「美味いか? 不味いか? 言ってみな!」

 

 けれど――彼ならば。

 

「まっ……」

「ま?」

 

 

 

 彼ならば――もっと知らない味の世界を見せてくれる。もっと美味しい料理を――創ってくれる!

 

 

 

「不味いわよっ!!」

「アレェ――――――?!」

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 すっかりと日の落ちた 夜の閑散とした商店街。

 スーパーの袋を引っ提げ、ふらふらした足取りで漸く自宅に辿り着いた創真はその外観を見上げ、裏口ではなくシャッターの閉まった表口から態々入る。

 そして中に入るや否や 電気も付けず、暗がりの店内で適当な席に突っ伏した。

 

 ――不味いわよっ!!

 

 今日の編入試験でえりなに言われた言葉。それが頭の中で永遠にループし、消える気配がない。

 ガサリと音を立てた袋には 自炊をする気力すらないのか、値引きシールの貼られた惣菜が入っていた。

 

「不合格……」

 

 正確にはまだ合否の通知が届いていないため、不合格と決まったわけではない。

 だが、面と向かってあんなにもはっきり不味いと言われれば、それはもう 不合格と同義であると誰もが思うだろう。

 

 ――その学園で生き残れないようじゃあ、俺を越えるなんて笑い話だな!

 

 編入試験を受ける直前、親父である城一郎と交わした言葉。

 蓋を開けてみれば 生き残るどころか、その土俵にすら立つことができなかった。寧ろ、笑い話で済めばどれだけ良かったことか。

 

「正直言って、笑えねぇ……」

 

 笑えない。マジで笑えない。

 炙りゲソのピーナッツバター和えを食べた時の方が、その不味さに余程笑えただろう。

 

 創真は想像してみる。

 城一郎に試験に落ちたと報告したら、何と返事が来るだろうかと……。

 

 

 

「親父。俺――試験落ちたわ!」

「は? 創真……お前、マジで言ってんのか? 試験で合格できないようなやつに、俺の店は継がせられねぇわ」

 

 

 

 全くもって笑い話になる気がしない。

 何が親父を越えるだ。何が美味いか、不味いか、言ってみな だ。ドヤ顔していた自分をぶん殴ってでも、もう一度やり直したい。

 しかし仮にやり直したとして、どうするべきだろうか? 化けるふりかけご飯は創真の自信作だった。

 何が不味かったのか。火入れか? それとも調味料の分量か?

 

「考えても、後の祭りだな……」

 

 いくら考え 妄想しようと、結果が変わるわけではない。

 取り敢えず城一郎に報告するのは後回しにして、もう一人の人物。既に遠月学園にいる幼馴染へと電話をかける。

 

『もしもし?』

「こんばんは、青葉さん。……創真です」

『えっ……。創真ってそんな口調だっけ? しかも さん付けって』

 

 あまりのテンションの低さに、電話越しの青葉が戸惑っている様子が伝わってくる。

 創真にとってそれ程までに、今回の出来事はショックだったのだ。

 

「今日の遠月学園の編入試験に関して何ですが……」

『あぁ。俺の所じゃなかったみたいだけど、手応えはどうなの?』

 

 遠月学園の編入試験を受けるに当たり、創真は事前に青葉にもその旨を伝えていた。

 その時に青葉が試験官を担当する立場であるという話も聞き。出来れば知り合いである青葉が試験官なら良いな~っという会話もしていた。

 

「……落ちました」

『……マジで?』

「はい。はっきりと……不味いと言われました」

『まさか新作料理とか言って、ゲゾピーみたいなゲテモノを――』

「いや、流石の俺でも試験の時は真面目に受けるからな!? それで不味いって言われたんだよ!」

 

 心外だと叫ぶ創真だが、普段の彼の所業を知っている者ならば疑ってしまうのも無理もないことだ。

 青葉としてはそんな事は分かっているし、冗談半分で言ったつもりだったが あまりにも本気で捉えられ、相当心に余裕がないのだろうと察した。

 

『冗談だって。因みに、誰が試験官だったか分かる?』

「誰だったかな……。女生徒で、何か試験の前に俺以外全員逃げ出して……そうだ。神の舌とか言われてた気がするな」

『ふむ。もう一つ聞くけど、不味いとは言われても不合格とは言われてないんだな?』

「確かに言われてはないけど、不味いってはっきり言われたし……」

『大体分かった。今日はもう遅いし、明日総帥の方に創真の結果を確認してみるよ』

「頼む……」

 

 通話を止め、再びテーブルに突っ伏す創真。

 本人の余裕の無さとは裏腹に、腹の虫の音が元気よく店内に響いた。

 

「……食べるか」

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 時を同じくして、創真とのやり取りを終えた青葉はとある部屋へと向かう。

 可愛らしくデザインされたドアプレートには「えりな」と名前が書かれており、青葉はそのドアを躊躇う事なく開けた。

 

「「おかえり」」

 

 中に入れば、トランプを持ったえりなと緋沙子が迎えてくれる。

 女の子の部屋。更には既に風呂は済ませ、パジャマ姿で女の子座りをしている美少女二人に歓迎されるという光景を他の者が見れば、さぞ羨ましがるだろう。

 尤も青葉からすれば、この生活を中等部 一年生の頃から続けているのだ。最初こそ多少の遠慮や戸惑いはあったものの、日常となった今ではほとんど抵抗が無くなっていた。えりなや緋沙子も他の男なら断るが、青葉ならいつでも来てくれて構わないという姿勢だ。

 

「誰からだったの?」

「ちょっと知り合いからね。次は俺の番かな?」

「はい。青葉様が席を立っている間に、えりな様が私のカードを引いたので」

 

 えりなの問いを適当に流しながら、持ち場に戻った青葉は床に伏せていたカードを手に取る。

 三人が興じていたのはトランプの中で最もシンプルと言ってもいいゲーム。通称ババ抜きだ。

 1枚のババと52枚の数字のカードを配り、同じ数字がペアになったら場に捨てる。手札が無くなれば勝ち抜け、最後までババを持っていたらその人が負けというもの。

 順番的に、次は青葉がえりなの手札からカードを引く番だった。

 

 青葉が思い出すのは、先程電話越しで創真と話した内容。

 神の舌という大層な名で呼ばれているのは、この遠月学園を見渡してもえりなぐらいなものだ。つまり、創真の試験官を担当したのはえりなと見て間違いないだろう。

 問題なのは、創真の料理が合格に値したかどうか。そしてえりなが、それを正当に評価したかということだ。

 

 青葉と創真は幼馴染であり、一時は彼の父である城一郎の元で料理の修行をしていた。

 今の創真の腕は分からないが、それでも連絡を取り合う仲で その間にどれだけ研鑽をしていたかというのは知っている。

 別に幼馴染だからといって贔屓するわけではない。不味かったら不味かったで、不合格になって当然だ。

 だが青葉の中ではどうしても、創真が不合格になるという姿が想像できなかった。

 

 その事について、えりなに今から問いただすのもいいが……。実際に明日、合否を確認してからでも遅くはないだろう。えりなが照れ隠しで美味しいのに不味いと言った可能性もあるし、何なら創真が聞き間違えていたり、嘘を言っている可能性も無いとは言い切れない。

 

「青葉くんの番よ?」

「ごめんごめん」

 

 一先ずはババ抜きに集中しようと、青葉はえりなの手札を見る。

 すると一枚だけ、手札から飛び出しているカードがあった。ババ抜きの際にある心理戦のようなものだ。

 露骨なカードを取るか、それとも敢えて避けるか。

 だが青葉はあることに気付き、それが可笑しくて思わず笑ってしまう。咄嗟に手札で口元を隠した為、えりなからその笑みは見えなかっただろうが、緋沙子には丸見えだったようで苦笑いをしている。

 

 青葉が席を立つ少し前。その時はババを青葉が持っていた。

 それを緋沙子が引き入れ、丁度そのタイミングで電話がかかってきたのだ。つまり青葉としては、席を立っている間にえりなの手にババが渡ったかどうかは知りえない。可能性としてはあるが、手札の枚数からしても緋沙子の手にあると思うのが普通だろう。

 それなのにえりなが心理戦を仕掛けてくるということは、自分はババを持っていますと宣言しているようなものだ。

 勿論それがブラフで実はババを持っていないかもしれないが、態々三人のババ抜きでそんな事をする意味はない。

 

 試しにどのカードを取ろうかと迷うように指を動かせば、飛び出したカードの右隣を触れると「それよそれっ」と聞こえてきそうな、期待するような顔をする。

 実に分かりやすく 少し抜けているが、それがえりなの可愛い所だ。普段の学園生活で見せるキリッとした表情でやれば良いものを、ポーカーフェイスも知らないのだろう。それとも慣れ親しんだ仲だからこそ、思わずそういった表情を見せてしまうのか。

 

 青葉は敢えて、飛び出したカードを引く。

 結果は当然のように数字。それも手札でペアとなったため、場に捨てる。

 チラリとえりなを見れば自身の失敗に気付いた様子もなく、そっちにすればよかったかと小さく頬を膨らませ、次は引かせると意気込んでいた。

 

 そんな様子を見て、流石にずっとババを引いてあげないのは可哀想だから、どこかタイミングを見て引いてあげようと青葉は思うのであった。

 




 まずは前回のアンケに参加してくれた読者様、ありがとうございます。
 青ひゃんはまだしも、青みゃんはもっと伸びるかと思っていただけにちょっと驚いています。今後、もも先輩が青葉を呼ぶ展開がある時は青にゃんです。

 さて、いよいよ本作も原作スタートという事で……。勝手が分からない状況にあります……。
 今までは原作の設定を活かしたオリジナル話だったので、特に気にすることなく書いていましたが、いざ原作がスタートすると どう書いていいのかが分からない……。
 例えば次にありそうな創真 VS 水戸郁魅とか、まだ先の話ですが十傑である青葉は参加できない秋の選抜とか。青葉がいるので少しはオリジナル要素もあるかもですが、正直原作と料理も展開も何ら変わりなく進む予定なんですよね。けど、主要キャラはそこで出てくる。
 勿論漫画と小説だと同じモノでも表現や印象は変わってきますが、だからといって全く同じ展開を書くのもどうなんだろうと私は思ってしまいます。
 今回の前半の創真の編入試験なんか原作そのままですしね。どうやって書き出してまとめようか本当に悩みました。

 そこで今回のアンケートとして、読者様に秋の選抜などで原作と同じ展開になっても、私が文字に起こした文として読みたいかどうかを聞きたいです。
 まぁ秋の選抜はまだ先の話ですし、私が突然物凄い閃きをする可能性もありますが、ほぼ絶望的ですので……。勿論展開はそのままでも、青葉を絡めて多少のオリジナル要素も書けたらいいな~とは思っています。
 仮にアンケート結果が偏っても、最終的に私が無理だと思ったら勝手に判断してしまうのでご了承ください。

 下にアンケートがあるので、率直な思いで気軽に押してもらえると嬉しいです。

 お気に入り、評価、感想なども。お気軽に。


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第四話

 原作完結してしまいましたね。一応エピローグ的なのが別であるみたいですが。
 アニメ化は一体どうなるのか……。


「本日の編入試験。合格者は――ゼロ名です」

 

 編入試験を終えた後、えりなは確かにそう報告した。

 会場を訪れた受験生の大半は辞退。唯一試験を受けた幸平創真も基準を満たせず、不合格にしたと。

 

 ――思い出すだけでも、腹立たしい。

 

 百歩譲ろう。百歩譲って、創真の作った化けるふりかけご飯は合格基準を満たしていたかもしれない。

 しかし、人間性に大いに問題があった。

 料理人であれば誰もが敬意を払う薙切えりな(神の舌)に対して、馴れ馴れしく偉そうな物言い。実家は定食屋で、如何にも無神経な二流料理人。

 そんな男、遠月学園には相応しくない。

 だから不合格にした。不合格にしたはずだったのに――。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

「それじゃあ、今日の定例会は終了だ。各自 解散してね……」

 

 回を重ねるごとに手慣れてきた瑛士の掛け声によって、本日の定例会も締まらない空気ではあるが 無事終了した。

 他の十傑が退出しようと席を立つ中、竜胆とももに挟まれ話しかけられている青葉を無意識に見ながら、えりなは入学式の出来事を思い出す。

 

 

 

 生意気で威勢の良い、聞き覚えのある声が聞こえた時は まさかと思った。

 彼が遠月の入学式にいるはずがない。何故ならその男は、他ならぬ えりなが落としたのだから。

 だが壇上へと目を向ければ、そこには幸平創真の姿があった。

 

「――思いがけず編入することになったんすけど、客の前に立ったこともない連中に負けるつもりは無いっす。入ったからには――てっぺん獲るんで」

 

 たった数十秒で遠月生徒全員を敵に回し、罵声を浴びながらえりなの控える天幕に入る創真。

 噛まずに言えたと安堵しているそんな彼に、えりなは問いただした。

 

「幸平くん! なぜ君がここに?!」

「いや。何故ってお前……合格通知が届いたら、そりゃ来るだろ。あの時はビビったぜー。不味いとか言うんだもんよ。美味いなら美味いって、素直に言えよな」

 

 違う。認めてなんかいない。私はこの男を確かに、不合格にしたのに!

 

「言っておきます。私は認めていないわ。君も、君の料理もね!」

 

 

 

 幸平創真……どうすればあの男を……。

 

「お疲れのようだね、えりなくん」

「……一色さん」

 

 振り向けば、にこやかな笑みを浮かべた慧の姿があった。

 青葉をジッと見つめながら何やら考え込んでいるえりなの姿を見て、心配して声を掛けてくれたのだろう。

 

「青葉くんの事が気になるのかい?」

「ええ。それもありますが、今は別の悩み事が……」

 

 そこまで答えて、えりなの思考がはたと止まる。

 慧が何でもないように発した問いをもう一度脳内で再生し、かみ砕き。そして今、自分は何と回答したか思い出そうとする。

 そしてえりなの結論が出る前に、慧はより一層嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「ふふ。青春しているね! 何か悩み事があれば、気軽に相談してよ」

「……なっ!」

 

 点と点が繋がり、慧が一体どの様な結論に辿り着いたかを理解し、思わず顔を赤らめるえりな。

 これではまるで、青葉を他の女に取られて嫉妬しているようではないか。

 誤解されぬよう慌てて訂正しようとするも、既にその姿は扉の向こうへと消えていた。青葉を含む他の十傑の耳に届かなかったのは、不幸中の幸いと言えるだろう。

 

 ――これも全て、あの男が悪い!

 

 えりなはその遣るせない気持ちも全て、創真の所為にすることにした。

 そんな時にスマホに電話が掛かってきたものだから、多少強く返事をしたのも仕方がなかったのかもしれない。

 

「もしもし?」

『あ、えりな様……。タイミングが悪かったでしょうか?』

 

 付き合いの長い緋沙子だからこそ、電話越しでもえりなの変化には敏感であった。

 十傑の定例会が終わったと思い連絡をしたが、まだ早かっただろうかと恐る恐る尋ねる。

 

「い、いえ。そんな事はないわよ。それで、何か用かしら?」

 

 コホンと誤魔化すように咳払いをするえりなに、緋沙子はあまり詮索しない方がいいと判断し、手短に用件を伝えることにした。

 

『はい。丼物研究会の下見に行った水戸郁魅からの報告です。正式に丼研と食戟をすることが決定したと』

「そう……」

 

 水戸郁魅とは、えりなの派閥に属する生徒の一人だ。

 『ミートマスター』とも呼ばれる彼女は、中等部でも常に成績上位者。特に肉料理の授業では「A評価」しか獲った事がない腕の持ち主である。

 そんな彼女に任せたのが丼研を取り壊し、えりな専用の調理棟を建てる事だ。勿論そんな決定はいくら十傑の一人と言えど、所有権を持つ相手の同意なしに出来るものではない。そして二つ返事で同意してくれる酔狂な者はいない為、結果的に食戟となるのだ。

 

 えりなは今回、当然食戟になることを見越していた。

 十傑の仕事の合間を縫って、えりな自身が食戟をするという手もある。だが、今回の食戟テーマは恐らく丼物。丼研の主将は高等部二年生だが、郁魅でも充分勝てるとリサーチ済みなので、ミートマスターの彼女に任せたのだ。

 だから何の心配もない。後は食戟が行われる日まで待っていればいいだろうと考えていた。

 だが――。

 

『実はその食戟に関して何ですが、対戦相手に変更があった様でして……』

「もしかして、対戦テーマが変わったのかしら?」

 

 相手が丼で来ると思ったからこそ郁魅を配置したが、対戦テーマが変わったとなれば少々厄介だ。

 テーマや相手によっては郁魅では荷が重いだろう。

 

『いえ。メイン食材は肉。作る品目は丼なので大方予想通りです。ただ……』

「もったいぶらずにいいなさい」

『……はい。その対戦相手が――あの編入生。幸平創真です』

 

 緋沙子も秘書として編入試験に付き添い、えりなが創真を不合格にした事は知っていた。入学式で壇上に立った彼の姿を見たときは驚いたし、えりながその後 見るからに不機嫌になったことも理解している。

 だからこそ編入生に関する話題はなるべく避けていたのだが、まさか編入して数日で食戟をするとは思いもしなかった。しかもそれが、直接えりなに関係しようとは。

 故に今回の報告で更に機嫌を悪くしないだろうかと身構えたのだが、返って来た言葉はその予想に反したものだった。

 

「――あら、そうなの。報告ありがとう」

『……食戟は三日後となっています。また何か分かり次第、此方から連絡させて頂きます』

 

 通話を終えたえりなは上機嫌だった。

 どうすれば悩みの種であるあの男――幸平創真を貶める事ができるかと考えていれば、のこのこと向こうからやって来たのだから。

 

「まさか、こんなにも早く機会が来るなんてね……」

 

 今から三日後が楽しみだと、えりなはほくそ笑むのだった。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

「食戟の観戦?」

「ええ。噂の編入生が今日、私の派閥の子と食戟をする事になっているの。青葉くんさえよければ、特等席で一緒に見てみない?」

 

 幸平創真 対 水戸郁魅の食戟が行われる当日。

 入学早々なめた口を利いた創真が食戟をすると聞きつけた生徒が集まり、会場は熱気を帯びた超満員となっていた。

 今日が休日であることに加え、食戟で賭けられる対価も これだけの生徒が足を運ぶ理由の一つとなったのだろう。

 

 水戸郁魅が勝利した場合――幸平創真は退学すると。

 

『お待たせしましたぁ! 食戟管理局より、この勝負が正式な食戟であると認定されました! 審査員は三名! テーマは丼、メインの食材は肉! それでは各コーナーより――両者入場!』

 

 いよいよ始まる食戟に、会場が割れんばかりの歓声に包まれた。

 

 まず先に姿を現したのはミートマスター、水戸郁魅。

 フードを目深に被り、全身を包む黒いロングジャケットが照明の落ちた会場で暗闇に紛れる。

 しかし、それも数秒。

 (まばゆ)い光に照らし出されると同時に脱ぎ捨てられたジャケット。その下から現れた褐色に色付くグラマラスな姿態は、忽ち会場にいる男達を沸かせた。

 

 続いて現れたのは今回の主役とも言える編入生、幸平創真。

 彼が入場するなり今日一番の大歓声……いや、大ブーイングが浴びせられる。

 けれど本人は至って平常運転。寧ろ何故これ程嫌われているのか理解できないと、内心首を傾げていた。

 

『それでは、改めて今回の食戟の対価を確認させて頂きます。水戸さんが勝てば、丼物研究会は廃部。かつ、幸平くんの退学。幸平くんが勝てば、丼研の部費増額。調理設備の増強。さらに――水戸さんが丼研へ入部することになります!』

 

 改めて聞いても、とても釣り合うとは思えない対価。

 だが創真はこれに同意するどころか、自ら進んで選んだのだから正気の沙汰ではない。

 相手の力量も分からずにそんな事をするのは余程の実力者か、後先を考えない愚か者のどちらかだ。

 

『では、参りましょう! 双方調理台に! 負けた者は全てを失う、舌の上の大一番!! 食戟――開戦!!』

 

 ゴングが鳴ると同時に、二人は直ぐ様行動に移す。

 郁魅が持ってきた食材はA5和牛。対して創真がスーパーの袋からガサゴソと取り出したのは同じく牛肉。それも、半額シールの貼られたサーロインステーキだった。

 創真のなめ腐っているとしか思えない食材選びに、再び会場が罵詈雑言の嵐となる。

 

 そんな様子を高見から見下ろしながら、えりなは隣に座る青葉へと問いかけた。

 

「青葉くんはこの食戟、どちらが勝つと予想しているのかしら?」

 

 それは興味本位の質問だった。

 A5和牛とスーパーの半額シールの貼られたサーロインステーキ。どちらが勝つかと聞かれれば、誰がどう考えても前者だ。

 仮にA5和牛が負けるとすれば、碌に料理のできない者が作った場合だろう。

 

 しかし水戸郁魅は、そんな料理人と呼べるかどうかも分からない低俗とは違う。

 肉を自在に捌くパワーと、それとは正反対に位置する食材に慈しみを持った繊細さを持ち合わせ。彼女であればどんな肉であろうと輝かせこそするが、その光を失わせる事は無い。

 どちらが勝つかなど、火を見るよりも明らかだ。

 

 そう考えていたからだろう。数瞬の後、青葉が出した返答に えりなは目を見張った。

 

「どっちが勝つかは、まだ分からないかな。食材だけ見たら、水戸郁魅の方がリードはしているけどね」

「……それはつまり、あの食材を見た後でも、編入生の方がより美味しい品を作れる可能性があると?」

「ん~。何て言うかな……」

 

 どう言葉で表そうかと、困ったように眉根を寄せる青葉。

 

 編入試験から一夜明けた後、青葉は約束通り 総帥に創真の合否を確認していた。

 その時に言われたのだ。「不合格となっていたが、儂が食した結果 合格に値していた為取り消した」と。

 食の魔王とも呼ばれる遠月学園の総帥――薙切仙左衛門が美味と評した以上、創真の品は合格に値していたのだろう。

 

 ならば何故、えりなは不合格にしたのだろうか?

 

 入学式での創真の発言を見れば、えりなの気に障る言動をしたのは何となく想像ができる。

 だがそれ以上に、神の舌と呼ばれてきた周囲の環境と、その影響で根付いたエリート気質が不合格にした原因だろうと青葉は考えていた。

 薙切という名。そして神の舌と称されるその味覚は、料理界において絶大な力を有している。そのプレッシャーに加え、味見役という幼少期からある多忙な仕事は、薙切薊の件を除いても えりなの価値観を決定付けるものであったのだろう。

 美味しいか、不味いか。上物か、安物か。料理とはそういうものであると。

 

 その考えが必ずしも悪いとは思わない。けれど青葉は、えりなにもっと広い視点で料理を見てもらいたかった。

 それが出来ればきっと、えりなは今よりも大きく成長できるから。

 

「料理は突き詰めたら美味しいか不味いかだけど、本当に大切なものはそこじゃないと俺は思うんだ。その料理を、その組み合わせを、その発想を自分なら思い付いたか思い付けなかったか。例え料理が不味かったとしても、そこには自分では想像も付かなかったモノがあるかもしれない。そう言った視点で見られる様になればきっと、えりなの料理に対する受け取り方や、視野がもっと広がると思うよ」

「思い付いたか……思い付けなかったか……」

 

 その言葉は、えりなの胸にストンと落ちた気がした。

 料理とは何であるか。料理人としてあまりにも当たり前に見聞きする故に、深く考えた事はなかった。

 えりなの思う料理と、青葉の思う料理。いや、全ての料理人にとっての料理は、それぞれ違う価値観を持っている。

 料理とは――美味しいか不味いか。その縛られた鎖を解きほぐした時、一体どんな光景が見えるのか。そんな事をえりなが考えた時だった。

 

『何よこの扉。開かないじゃない!』

『いや、お嬢。多分鍵が閉まってると思うんですけど』

『全く。折角ここまで来てあげたのに、面倒くさいわね。えりな、いるんでしょ! 早く開けなさい!』

 

 どこか懐かしいような、聞き覚えのある声。

 えりなを敬う事も臆する事もなく、乱雑に声を掛けてくる者は一人しかいない。最近ではその一人として、創真が追加されていたりするのだが……。

 

「この声は……アリスね」

「えりな様。どういたしましょうか」

「通してあげなさい」

 

 了承を得た緋沙子が扉を開けると、そこにはえりなの予想通り、薙切アリスの姿があった。

 その後ろには、彼女の側近である黒木場リョウが気怠げそうに立っている。

 

「あら、青葉くんもいたの。秘書子も元気そうね」

「誰が秘書子だ」

「ほら、リョウくんも ちゃんと挨拶しなさい」

「……どうも」

「アリス。一応聞くけど、どうしてここに来たのかしら?」

「私も編入生に興味があってね。そしたらここでふんぞり返っているえりなの姿が見えたから、態々来てあげたのよ。感謝しなさい」

 

 一体どこに感謝する要素があるのかとえりなは思うが、従妹であるアリスにそんな事を言った所で無駄だと理解しているので、心の中に留めておく。

 

 中等部の頃に久しぶりに再会した時は、えりなとアリスの関係は過去のわだかまりによって大分拗れていた。

 しかし直接会うのは初めてだが、アリスと手紙のやり取りをしていた青葉が間に入り二人を取り持つ事で、今では仲の良い従姉妹に戻った……と、青葉とリョウは思っている。何故思っているなのかと言えば、本人らは仲が良いと断じて認めようとしないからだ。

 

「ふ~ん」

 

 アリスはえりなの隣、青葉とは逆側に位置する席に座ると、郁魅と創真の調理風景を眺める。表情は先程までとは打って変わり、相手の力量を見定めようとするものだった。

 会話が途切れ、暫し無言の時間が流れる室内。調理も中盤を過ぎ、いよいよ料理の完成形が見え始めた所で、アリスは話を振った。

 

「確か彼女、えりなの派閥の子よね。えりなはあの子と編入生くん、どっちが勝つと思っているのかしら?」

 

 その質問は奇しくも、えりなが青葉に問いかけたものと同じであった。

 昨日までのえりなであれば、その調理姿を見るまでもなく 郁魅が勝つと答えていたかもしれない。いや、間違いなく答えていただろう。

 だからこそ、郁魅を創真にぶつけたのだから。

 

 ――けれど、今ならどうであろうか。

 

 一度根付いた倫理観は、そう簡単には変わらない。A5和牛と郁魅への信頼。それが創真に負けるとは……今でも思えない。

 だが、編入試験で食べた化けるふりかけご飯。馬鹿にしているのかと一時は席を立ったが、完成された姿を見て思わず足を止めていたあの料理。

 不味いと評してから、ずっと心の何処かで引っかかっているあの料理。

 

 ……考えれば考えるほど、らしくないと思ってしまう。何も無い虚空を懸命に掴もうとしている感覚だ。

 でも、一つだけ分かった事がある。もしあの料理を作った料理人と、郁魅が勝負をしたら。その時は、きっと――。

 

「――幸平くんが、勝つと思うわ」

「……えりな、何だか変わったわね」

「……どういう意味よ」

「そのままの意味よ」

 

 二人の会話を遮る様に、調理終了の合図を告げるゴングが鳴った。

 

『そこまで! これより審査に入ります。両者、品を前へ!』

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 ――フランス パリに店を構える料理店『SHINO'S(シノズ)

 そこでシェフを務める遠月茶寮料理學園 第79期生 元遠月十傑 第一席である四宮小次郎の元に、一本の電話が入った。

 

「四宮シェフ! 日本から電話が来てますよ」

「あ? 漸く一息吐いてるってのに、誰からだ?」

「遠月学園の堂島と名乗っていました」

「堂島さんから……?」

 

 堂島と聞いて心当たりがあるのは、遠月リゾート総料理長 兼 取締役会役員である堂島銀。

 学園を卒業して以来、プライベートの関係もない大先輩から電話が掛かってくるという事は、間違いなく遠月絡みの話だろう。

 だが、何故卒業してから十年近く経った今 電話を寄越したのかと、訝しみながら受話器を手に取った。

 

「お電話変わりました、四宮です」

『よお。久しぶりだな、四宮』

「堂島さん、お久しぶりです。それで、突然何の用ですか?」

『なに、遠月学園ではもうじき宿泊研修が始まるからな。そこにゲスト講師として呼ぼうと、直々に電話をさせてもらったまでだ』

「なるほど」

 

 友情とふれあいの宿泊研修……というのは名ばかりで、その実態は無情の篩い落し宿泊研修だ。

 遠月学園 高等部一年生の最初の試練であり、山奥の合宿所で毎日過酷な料理の試験を課される。そして当然、合格点に届かなければ即退学。

 四宮もかつてこの宿泊研修を生き抜き、遠月十傑 第一席まで上り詰めるに至ったのは懐かしい思い出だ。

 それがまさか、ゲスト講師として呼ばれる日が来ようとは……。

 

「態々直接声を掛けてくれたのはありがたいですが、俺がそこに行くメリットはあるんですかね? 骨の無い奴の集まりだったら、全員落とすだけですよ」

 

 この宿泊研修は学生側からすれば地獄かもしれないが、講師側からすれば遠月のより良い人材をいち早く確保する為のリクルート材料になる。

 だから四宮も良い人材がいるのであれば参加したい所だが、いなければ断ろうと考えていた。

 

『今年は特に期待できるぞ。何と言ってもあの仙左衛門殿が、今年の一年生を玉の世代と評しているのだからな』

「玉の世代ねぇ……」

『それに、お前の他にも水原や乾といった他の79期生や80期生も参加する予定だ。乾に関して言えば、四宮先輩が来るなら私も行きますっと言っていたが……。おっと、これは本人には黙っていろと口止めされていたんだったな。まぁそんな訳だ。久しぶりに同朋と会ってみるのもいいんじゃないか?』

 

 玉の世代と呼ばれる生徒達。それにかつて、共に研鑽しあった同級生や後輩と久しぶりに会うのも悪くはないだろう。

 一先ず参加の意思表明をしようと、四宮が口を開いた――その時だった。

 

『それに今年は、芳賀若菜の子もいるしな』

「――ッ!!」

 

 狙って言ったのだろう。言葉を詰まらせた四宮の反応を楽しむ様に、堂島は不敵に笑う。

 

『返事は一週間以内にしてもらえればいい。それまでじっくりと考えることだな』

 

 通話の切れた受話器を握りしめ、四宮は暫し呆然とその場に立ち尽くす。

 そしてポツリと、言葉を漏らした。

 

「あれからもう……そんなに経ったのか」

 

 芳賀若菜。もう聞くことは無いと思っていたその名を、四宮は噛みしめる。

 

「俺はアンタと――肩を並べられる料理人になれただろうか……」

 




 前回のアンケに参加してくれた読者様、ありがとうございます。
 秋の選抜とかが原作と同じ展開でも読みたいかどうかは割れますよね。全ての読者様の希望に沿う事はできませんが、他も含め面白くしていければな~と思います。
 そもそも、私がそこまで辿り着けるか謎ですが。
 料理作れないし知識無いくせに、料理の描写を必要とされる原作のSS書く……。りんどー先輩に悩まされる司先輩の心境が分かる気がしますね……。多分未来の私は料理描写書いてなさそう。

 さて、創真が入学。えりなが悩まされるという訳で、創真 VS 郁魅を書きました。最初の頃のえりなは以外と悪い性格をしていた為、青葉の影響もあって多少温厚にした結果こんな感じに。えりなの郁魅に対する扱いもまともになったかな?
 アリスとどのタイミングで会せようかと考えていたんですが、中等部の頃から直接付き合いがあるはずだし、宿泊研修で突然自然に会話させるのはきつい。と言う事で、今回の食戟を活用しました。
 料理や結果は書いてませんが、食戟は創真が勝ちました。今回は書かない方がいい感じに終わると思ったので。

 そして再び出てきた芳賀若菜の名前。
 前話の後、感想で若菜って何かヤバくない? って頂きましたが、まぁ……はい。寧ろ何故今まで誰も聞いて来なかったのだろうと思いながら返信させてもらいました。予告みたいな感じにしてあるので、興味がある読者様は見てみてください。
 次回はそれにお答えする形で、ちょっと本編とは外れますが若菜の過去に付いて書こうと考えています。元々このタイミングで書こうとは決めてたんですよね。
 そしてそれは事実上、本作の最終回みたいなものです。私が第二部でそこまでは書きたいって思っていたので。
 本当の物語の最終回は既に考えてありますが、アニメ終了までに書ききれるかな……。
 もう書くのが無理だと思ったら、要所要所書く短編集に切り替えて強引に最終回です。

 まぁそれはあっても先の話なので置いといて、恐らく次回は難産になります。
 若菜の設定は考えてあるのですが、それを言葉で表すのはまた別問題でして……。一応読んでて楽しめる感じに仕上げたいと思っているので、リアルの都合もあって暫く時間がかかりそうです。
 何ヶ月かかるかは分かりませんので、気長にお待ちください。

 そして今回は、本文が何気に過去最高の7,600字でした。次回はそれ以上になる予感もしますが……。
 ではでは、いつになるか分かりませんが、また会えたら嬉しいです。

 お気に入り、評価、感想など。お気軽に~。


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孤独な生徒

 若菜の過去編(一部)
 一回書き途中で間違えて投稿してしまったのですぐに削除しました……。以後気を付けます。


 かつて、才波城一郎という男がいた。

 

 世界屈指の料理の名門校――遠月茶寮料理學園出身。

 遠月十傑評議会と呼ばれる、学園の最高意思決定機関で第二席という地位に就き。

 『世界若手料理人選手権コンクール THE BLUE』に内定。

 100年に一人の才能の持ち主と称され、BLUEの優勝は間違いないとされながら――突如として姿を消した料理人。

 

 城一郎がこれ程までに注目される事となった切っ掛けとして、彼が出場してきた料理コンクールが挙げられる。

 最優秀賞。金賞。優勝。言い方は違えど、出場した全てのコンクールに於いて頂点に立つ姿を見れば――なるほど。素人目に見ても、彼が如何に凄い料理人なのか一目で分かる。

 それに加え、BLUE内定や100年に一人の逸材などと連日報道されれば、人間誰しも多少の興味を抱くものだ。

 

 ……断っておくが、コンクールのレベルは決して低くはない。

 寧ろ、城一郎が出場するコンクールは軒並み、過去に類を見ないほどハイレベルなものとなっていた。

 才波城一郎を倒せば、忽ち脚光を浴びることができる。そう考えた一流の料理人が、ごまんといたのだから。

 

 ――そう。コンクールは間違いなくハイレベルだった。

 それ即ち、この様な解釈もできるのではないだろうか。

 

 常に優勝している城一郎も凄いが、そんな中で準優勝に輝いた料理人も中々であると――。

 

 ましてやそれが、一流ですらない。

 無名の……年端もいかぬ子供であったとするならば。

 二人を見比べた時。果たしてどちらが、より卓越していると言えるのだろうか?

 

 

 

 ――思い出さなければならない。

 『第46回 日本プロフェッショナルコック協会 フランス料理ニュースターコンクール』の事実を。

 

 ――見落としてはならない。

 そこに出場した数多の料理人が、一流であった事実を。

 

 ――忘れてはならない。

 その中で優秀賞に輝いたのが、無名の少女であった事実を。

 

 ――知らなくてはならない。

 少女が料亭や定食屋の生まれですらない、庶民であった事実を。

 

 ――認めなければならない。

 そんな少女が唯一、あの城一郎を後一歩まで追い詰めた事実を。

 

 

 

 その少女の名は――……。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 ――食戟。

 

 それは、遠月学園に古くからある、言わば伝統的な料理対決による決闘。

 負けた者は全てを失い、勝った者は全てを手に入れる……とまではいかないが、互いに賭ける対価は同意さえあれば厭わない。それが食戟。

 

 しかし対価といっても、その多くは大したモノではない。

 例えばそれは 意見が食い違い、どちらが正しいのかを決める為に。

 例えばそれは 行事で場所取りをする際に、どちらがそこを確保するかを決める為に。

 例えばそれは 己の実力を相手に認めさせる為に。

 

 ほとんどの場合、他人からすれば取るに足らない内容ばかり。最早、対価があるのかすら怪しい。

 いや、それが普通なのだ。

 

 互いに同意できる対価を差し出し、負ければ絶対行使される契約。

 そんなものに自ら首を突っ込み、学生の身で人生を棒に振るような賭けをする者はまずいないし。仮に退学を賭ける様な大事を挑まれたとしても、大抵の生徒は拒否するものだ。

 もしそんな食戟に同意し、一度でも勝利したとなれば。それは正しく、勇者と呼んでも差し支えないだろう。

 

 ――故に、その記録は伝説として語られる。

 

 【561戦 561勝 0敗】

 

 生徒を含む、遠月学園の関係者であれば、誰もが閲覧することができる資料――『遠月茶寮料理學園 食戟戦績公式記録』に於いて、最上位に記載されている嘘のような記録。

 名前、年代、お題、その他食戟内容は全て空欄。唯一戦績のみが記された 自称詳細資料を見れば、信憑性は皆無に等しく。

 そして、その記録を元に作られたであろう生徒の噂が、遠月学園には存在する。

 

 曰く――遠月学園にはかつて、伝説の料理人がいたと。

 

 なるほど。確かにこの記録が本当であれば伝説だ。

 561戦。仮にこの生徒が中等部から入学し、高等部卒業まで至っていたとしても、単純計算で年に100回近く食戟をしていることになる。日数にすれば、凡そ4日間に1回。

 ……あまりにも馬鹿げている。子供が嘘を吐くにしても、もう少し現実味のある数字を書くだろう。

 その食戟内容は定かではないが、そんな頻度で食戟をし、あまつさえ全勝するなど不可能だ――と、大抵の者は考える。

 

 ――しかし、ある者は言う。この記録は、間違いなく本物であると。

 そして、その隠された詳細内容を聞けば。皆無に等しかった記録の信憑性が、地の底に付く。

 

 曰く――全ての食戟に於いて挑まれた側である。

 曰く――相手の指定ジャンルで勝ち続けた。

 曰く――審査員の一票すらも与えたことがない。

 曰く――己が賭けた対価は退学ないし、遠月十傑の席である。

 曰く――対戦相手に対価は一切要求しない。

 

 ……あまりにも馬鹿げている。

 全て挑まれた側? 相手の指定ジャンルで勝ち続けた? 審査員の一票すらも渡したことがない? それはもう、この際置いておこう。

 

 だが、これは聞き捨てならない。

 賭けた対価が退学ないし、遠月生徒であれば誰もが欲する十傑の席? なのに、対戦相手には対価を一切要求しない?

 

 ありえない。リスクとリターンが全くもって釣り合っていない。

 本当に言った通りの食戟を行っていたのであれば。その生徒は食戟の度、文字通り己の人生を賭けていたことに他ならない。

 なのに、相手が失うモノは一切無いなんて……。

 普通ではない、狂人の所業だ。所詮は噂。認められる訳がない!

 

 仮にそんな生徒が実在したとして、何故無謀とも言える食戟を繰り返す必要がある――!!

 

 ……だが、無情にも。

 この記録は全て、嘘偽りない真実であり――芳賀若菜が望んだ結果なのだ。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 芳賀若菜が遠月学園の門を叩いた理由。

 それは、両親に薦められたからという単純なものだ。

 

 当時の若菜からしてみれば、料理とは己の長所の一つに過ぎなかった。

 他人よりも料理の腕が抜きんでているという自覚は 地頭の良さで幼い頃から持っていたが、両親は料理人ではない。

 小学校の授業で料理に触れる家庭科は、班の皆で協力して先生の言う通りに作っていくだけであり。料理人を目指す友達などいなかったし、学ぶ機会などもなかった。

 ただ長所は伸ばすべきだと独学で研究を重ね、最初で最後のコンクールで優秀賞を取った実績もある為「ダメ元でも一回、遠月学園に挑戦してみたら?」という、両親の言葉に従ったに過ぎない。

 

 ――遠月茶寮料理學園。

 日本が世界に誇る料理の名門校であり、中等部の試験会場を見渡せば千人単位。

 しかもほとんどの受験生が、如何にも高級そうな服を身に纏ったお坊ちゃんであったりお嬢様であったりと、場違い感が半端ではない。

 知り合いなどおらず、すれ違う中で聞こえる会話から、どの受験生も名のある一流料理店や食産業の跡取りだと分かる。

 

 幼い頃から親元で料理について学び、受験に来るということは当然合格する自信があるのだろう。

 そんな中、料理とは無縁の家庭で生まれ育った若菜が定員に入ることができるのか。

 普通に考えれば“無理”の一言に尽きる。

 かく言う若菜も、この時点で受かる気は微塵も無かった。ただ折角の機会なので、全身全霊で挑むことにしたが。

 

 そして……。

 

 後日、自宅に届いた結果通知には合格の文字。

 更には筆記、料理試験共に主席。入学する際には特待生として迎え入れられ、学費や生活費は全て免除されるという。

 

 筆記試験は確かに手応えがあった。

 受験者数の関係か 全てマークシート形式であった為、詰まることもなく解けた自信はある。

 料理試験に関しては、公開されたレシピ通りに作れというもの。

 所詮は小学校を卒業した者が受ける試験なので、才能を見る面もあってか特に難しいものではなかった。それでも、周囲に比べ料理に触れる機会が少ない自分が主席という結果に若菜は戸惑う。

 

 最後に行われた面接も、練習などしてこなかったが為に印象が良いとは思えなかった。

 質問される度にその場で考え、一番大事な掴みの受験理由ですら「親に薦められたから」で済ませたのだ。

 とは言え、主席には変わりない。

 その事実に両親は喜んだ。裕福と言える家庭ではなかったし、若菜自身も親の負担が減るならばと 遠月学園に入学することを決意した。

 

 ……もし、若菜に料理の才がなければ。もし、若菜が庶民でなければ。もし、若菜が主席で合格しなければ。未来は大きく変わっていただろう。

 

 

 

 ――今年の一年生は、庶民が主席。

 

 入学式から暫く。その情報は、瞬く間に遠月全体に広がった。

 若菜にとって――悪い意味で。

 

 遠月学園の基本方針として“料理の腕さえあれば家柄や出自等に一切関係なく在学できる”というものがあるが、在校生の多くは一流料理店や食産業の子息や令嬢。

 そして そんな生徒達は総じて虚栄心が強く、自己中心的でエリート意識が高い。中途半端にある料理の腕と知識も、それに拍車を掛けている。

 勿論、全員がそんな生徒ではない。中には若菜と同じ庶民もいるし、心優しき者もいる。過去には庶民から成り上がった者もいた。

 

 だが、若菜は過去に類を見ない例外であった。

 入学早々、主席という立場。それがあまりにも不味すぎた。

 何の肩書きも後ろ盾もない若菜という庶民。それだけで標的の対象となり得るのに、更には学年の代表。それは言わば、遠月の代表ということでもある。

 存在するだけで遠月ブランドを、延いては自分自身の価値を傷つけかねない邪魔な人間。

 その様に多くの生徒から認識されてしまった。

 

 若菜に関わろうとする生徒は――当然いない。一度でも関われば対象が己に飛び火しかねず、社会的に潰される可能性すらあるからだ。

 当然若菜も周囲の視線には気付いていた。明らかに避けられ、まるで存在していないかの様に扱われていると。

 これが分かりやすく、暴力などの嫌がらせであれば本質に気付くことができただろう。

 しかし若菜は、そんなエリートの考えを理解することができなかった。

 

 ――分からない。庶民であるが故に、迫害される理由が。

 生まれた環境が違う。ただそれだけなのに、同じ人間なのに、何故それ程までに目の敵にするのだろうか。

 クラスでは馴染めず、いつも独りぼっち。

 

 それは、若菜が初めて味わう感覚だった。

 他人からどう思われようが気にしない。それが若菜のスタンスであるが、そこにはいつも心優しい両親や少なからずの友達がいた。

 だが、今はどうだ?

 遠月学園に入学する際に親元は離れ、友達とも離れ。学校へ行けば皆から避けられ、用意されたホテルでは自学自習と寝泊まりをするのみ。ただ、それを繰り返す日々。

 

 いつからか若菜は、孤独感と虚無感に苛まれるようになった。

 どうすれば、皆と馴染むことができるのか。どうすれば、皆に受け入れられるのだろうか。

 

 ――そんな、ある日の事だった。

 若菜の学園生活を決定付ける出来事があったのは。

 

「お前が芳賀若菜か?」

 

 教室で寂しく料理本を読んでいた若菜の前に、一人の男が立つ。

 教師や必要最低限の会話を除けば、この学園で初めて生徒から話しかけられたという事実。そんな久しい感覚に一瞬 同姓同名かと疑うが、それはないだろうと顔を上げた。

 心なしか、声を掛けられただけだというのに 若菜の表情はどこか嬉しげだ。

 

「そうですが……。何でしょうか?」

 

 制服の詰襟に着いた校章から、相手が高等部二年生であると分かるが、そんなモノを気にしたことが無い若菜は気付かない。

 ただ初めて見る顔なので、少なくとも同じクラスの生徒ではないとしか認識していなかった。

 

「食戟をしないか? 俺が対価として求めるのは――お前の退学だ」

 

 男の言葉に、その場にいた生徒達がザワつく。何故なら男が、遠月十傑の一人だから。

 そんな男と――十傑と食戟をする。勝てるわけがない。そうで無くとも、遠月で四年以上料理を学んできた相手と、今年入学したばかりの生徒。どちらが勝つかなど、想像するまでもないだろう。

 

「何故……私とそんな食戟を?」

 

 さすがに若菜も、食戟ならば知っている。

 いや、最近知ったと言うべきか。自身の置かれた現状を打開する策として。

 食戟をする為には相応の相手が必要な訳で、実現は無理だろうと半ば諦めていたが……。

 

 恐る恐る訊ねた若菜に、男は怖気づいていると思ったのか。気を良くした様に言い放った。

 

「決まっているだろう。お前が庶民だからだ。食の上流階級に生きる者だけが学ぶことを許される。それがここ、遠月学園だ。その癖 主席らしいな? 一体どんな手を使ったのか、はたまた今年の一年が低レベルなのか知らんが。まぁ、俺からすれば大体の奴が下だから関係ないさ。だが、お前の主席という事実が気に入らない。その事実があるだけで、遠月全体の品位と価値が下がる。低俗な庶民は大人しく消えな。食戟を受けなかったらどうなるか、分かるな?」

 

 そんな脅しを聞きながら、若菜は思う。

 ずっと考えてきた。何故、庶民というだけで迫害されるのかと。

 相手はエリートの集団。自分よりも良い環境で、中には一流のプロの元で学んできた者も多いだろう。

 食の上流階級に生きる者だけが学ぶことを許される。けれど、自身への周りからの評価は低俗な庶民……。

 

 ならば、証明すればいい。自分は低俗な庶民ではないと。食の上流階級足り得る、遠月生徒であると。

 そしてその方法が今、目の前にある。

 食戟を受け、自らの料理の腕を見せつければ――。『料理が全て』の遠月生徒に、芳賀若菜という料理人が認められれば――。

 リスクはある。だが受けなければ、どうせ何をされるか分からない。それに、こんなチャンスがもう二度と無いかも知れないならば、答えは一つ。

 

「分かりました。その食戟、受けさせていただきます」

「ほう。その聞き分けの良さは評価しよう。もし俺が負けるようなことがあれば、お前から求められる対価は何だっていいさ。どうせ、俺が勝つんだからな」

 

 二人のやり取りは、一日と経たず周知の事実となった。

 

 

 

 ――食戟当日。

 優に五千人は収容できる観客席は、高等部・中等部に在学するほぼ全ての生徒によって埋め尽くされていた。

 彼ら、彼女らの一番の目的は若菜ではない。

 普段お目にかかる事ができない、十傑の料理を見に来たのだ。庶民の退学に関しては、そのついでに過ぎない。誰もが十傑の勝利を確信していた。

 

 そんな内心を知らぬ若菜は、注がれる視線を噛みしめる様に 会場をぐるりと見渡す。

 これだけ多くの生徒が、注目してくれている。

 今まで誰一人として相手にしてくれなかったのに、この瞬間 観客席を埋め尽くす何千人という生徒が観てくれている。

 それが堪らなく嬉しく、若菜はかつて無い程の高揚感に包まれていた。

 

 司会者の言葉巧みな話術によって進行され、徐々に会場のボルテージも上がっていく。

 そして審査員として姿を現した者を見て、どよめきが起こる。

 遠月茶寮料理學園総帥――薙切仙左衛門その人が、審査員席に着いたのだ。

 

 総帥自らも、十傑の料理に注目しているのだろう。

 多くの生徒がそう思う中、若菜と相対する十傑の男だけは ここに来て焦っていた。

 

 ――何かがおかしい。

 総帥は今日の審査員として呼ばれていなかった。つまりはこの食戟を聞きつけ、あの薙切仙左衛門自らが審査員を志願したということになる。

 

 男は確かに十傑であるが、相手は何の取り柄もないはずの庶民。そこに志願するほどの価値があるとは考えにくい。

 加えて若菜の表情が、男にとって先程から気掛かりであった。

 負ければ退学。相手は十傑の一人。若菜の勝ちの目は皆無に等しい。もし男が逆の立場であったならば、絶望しているだろう。

 だと言うのに、あの表情は何だ? 何故若菜は、この絶対的不利な状況で笑みを浮かべている?

 

 いくつもの不可解な点に思考を巡らせる中。男はふと、ある事を思い出す。

 かつて憧れ、今でも目標としている才波城一郎という先輩。

 どんなに小規模であろうと、彼が出場したコンクールの情報を男は手に入れてきた。

 その中の一つに、今この時の様な違和感を持ったのだ。

 

 ――才波城一郎が……ついに!?

 

 デカデカと 読み手を煽るような見出し。しかし結果は、城一郎がまたコンクールで最優秀賞を獲得したというもの。

 だがその内容は、いつもの圧倒的勝利とは異なっていた。

 城一郎と向かい合う、優秀賞を獲得したという少女の写真。それと共に語られる、コンクールの一片。名だたる料理人を押しのけ、あの城一郎すらも追い詰めた少女がいたと。

 冗談か何かの間違いだろう。今までそう思い、少女の名も男は忘れていた。あの先輩が、そんな少女に追い詰められるはずがないと。

 

 けれど、もしそれが本当だとすれば? 記載ミスや冗談でもなく、全てが真実で。当時の少女が成長していたら、今は何歳だ? そして、その少女の名は――……。

 

「あぁ……。あああぁぁ!!」

 

 男は、全てを思い出した。

 城一郎を追い詰めたという少女の名は――芳賀若菜。今、目の前に立つ庶民に他ならないと。

 主席になる為にどんな手を使った? 今年の一年はレベルが低い? ――違う!

 此奴が! この庶民こそが――!!

 

『――以上をもって、これが正式な食戟であると認定されました。それでは、参りましょう! 食戟――開戦!!』

 

 食戟の開始を告げるゴングが鳴り、死へのカウントダウンが始まった。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 ――何故、こんな事になってしまったのだろう。

 食戟を終えた若菜は、両手両膝を付け 地に伏す男を見下ろしながら、そんなことを思った。

 

 本当に五千人以上がいるのかと疑いたくなる程に、会場は静まり返っている。

 若菜がチラリと観客席に目を向ければ、ただそれだけで恐れるように身を引かれ、軽く悲鳴まで上がる始末。

 

 積み上げてきた全てをこの食戟で出し切った。例え負けて、退学が現実のものとなっても悔いが無いように。

 そしてこの食戟に勝てば、認められると思って。

 

 ――あぁ。確かに若菜という生徒は認められただろう。

 けれども、受け入れられなかった。

 

 中等部一年生が、十傑を下す。

 ありえない。目の前で起こった現実を、ほぼ全ての者は受け入れられなかった。同時に、若菜という料理人に恐怖した。

 おはだけし、辛うじてふんどしのみを残して逞しい肉体を晒す仙左衛門の姿。その手に握られた特大筆によって書かれた勝者の名は――芳賀若菜。

 司会者はどうすればいいのか分からず、マイクを片手にただ立つことしかできない。

 

 この後 どうなってしまうのだろうかと、誰もが思う。

 

 若菜は理解していた。少なくとも自分は、何かとんでもないことをやってしまったのだと。

 取り敢えず退学は阻止できただろう。だが、その後はどうなる?

 また誰とも関わりが持てなくなり、今度こそ取り残されてしまうのではないか?

 

 そんな若菜と同様に、負けた男も焦っていた。

 今回の食戟で若菜に求めた対価は退学。更には自身に求められる対価は何でもいいと言った。

 十傑の席であれば、まだマシだろう。汚名はつくかもしれないが、遠月を卒業できれば料理人として挽回できる。

 しかし退学や、それ以上の事を要求されれば?

 親の顔に泥を塗り、庶民に負けたという事実だけがひとり歩きし、料理人として死ぬ。

 

 果たして、事の行く末は……。

 緊迫した空気が漂う会場で、最初に動いたのは若菜であった。

 司会者からマイクを受け取ると、仙左衛門に向かって問う。

 

「総帥。私は、私の料理は近い将来、十傑になり得るレベルでしょうか?」

 

 何を言っているのかと、皆が思った。

 たった今 十傑に勝利し。その実力は最早、現遠月十傑の第一席レベルと言ってもいいだろう。

 なり得るレベルではない。既になっていなければならないレベルだ。

 そんな若菜の問いに、仙左衛門は意をくみ取った様に 冷静に返す。

 

「うむ。実績を残し、高等部へ進学すると言うのであれば、間違いなく十傑に名を連ねておるだろう」

「ありがとうございます」

 

 その言葉が聞けて良かったと安堵し。若菜は次に、今なお這いつくばる男へと視線を移す。

 客観的に見れば、死刑宣告を言い渡そうとする裁判官と 絶望する被告人のようだった。

 

「もし負けるようなことがあれば、対価は何だっていい。そう言っていましたよね?」

 

 男は何も答えない。ただ両手を握りしめ、この大衆の前でどんな要求をされるのかと震えるのみ。少しでもマシな結果になることを願って。

 そして紡がれた言葉は、誰もが予想すらしていないものだった。

 

「私が望む対価。それは……何もありません」

 

 負ければ退学だったにも関わらず、何も無い。若菜は会場にいる誰もが聞き漏らさぬよう、声高らかにそう言った。

 観客席を見渡し、続けて言う。

 

「皆さんもどうぞ、私に食戟を挑んでください。例えどんな食戟であろうと、正当な審査さえしてもらえれば、提示される対価は一切問いません。退学でも、私が将来就く十傑の席でも。そして私は――対価を何も望みません。実質無料(ただ)で食戟をしましょう」

 

 若菜が一番恐れるもの。それはここで対価を要求することで、誰も自身と関わろうとしなくなり、独りになってしまうことだ。

 だから、対価は要求しない。それに加え、誰もが若菜を相手にしたくなるような、食いつきたくなるような餌を撒けばいい。

 退学など、今回が稀なだけでまず寄ってこないだろう。

 それならば、遠月学園に通う生徒であれば誰もが欲する十傑の席を賭ける。総帥自らの言質も取った。ほぼ全生徒がいる中で宣言もした。

 

 普通であれば賭られることさえ稀で、相応の対価が要求される十傑の席が、何のデメリットもなく誰もが手に入れるチャンスがある。

 ダメ元でも、挑んでみる価値はあるのではないか。そんな事を思ったのか、会場が次第にざわめきだす。

 

 だが、この案には欠点がある。

 それは一度でも負けた時点で、芳賀若菜という生徒の価値が無に帰すこと。

 

 ――故に、負けられない。絶対に負けてはならない。

 

 しかし、悲しきかな。

 食戟という条件に於いて若菜は居場所を得たが、普段の学園生活で関わる者が結局はいないという……本来若菜が望んでいたモノとは異なる事実。

 後に『孤高』と呼ばれる彼女の真意を知る者は、未来永劫 誰もいない。

 

 

 

 

 

「素晴らしい。あれが才波先輩の言っていた――芳賀若菜」

 




 芳賀若菜の過去(一部)を漸く書くことができました。
 本当は全部書くつもりだったのですが、切り良く終わったし 全部書いてもつまらないかなっと思ったので、一旦ここで投稿。
 次回は宿泊研修に多分入ります。若菜の過去は要所要所で書いていく予定。
 まぁそれだと過去編を全部書ききれないと思うし、本編を書き終えたら裏話で書くと思います。明かされるまでは色々予想して、楽しみに待っていて下さい。

 そして思ったのですが、これは絶対にアニメ終了までに書ききれないなって……。カットしまくれば行けなくはないけどね。最終回まで失踪せずに頑張ります。

 次回の投稿はアニメ開始前にはしたいなって感じです。
 ではでは、またいつの日か会いましょう。

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第五話

 気分が割と良かったので、着手から二日間で仕上がりました。


 四宮小次郎は夢を見ていた。

 母国である日本を離れてからはすっかり見なくなっていた、懐かしい記憶を再現する夢。

 

 見渡せば、七つの山を切り抜いた広大な土地に立ち並ぶ建物。歩いている者が身に纏う制服からも、ここが遠月学園だということが分かる。

 その中の一人に、初めて遠月生徒として門を潜った幼い四宮の姿もあった。

 九州の田舎から出てきたばかりの自分は、人目もはばからずに辺りを見渡し。如何にも田舎者といった感じで、入学した当初はナメられることもあった。

 あった……と言うだけで、その頻度は別に多くは無かったし、気にするようなものでもなかったが。

 すると、偶然近くを通りかかった生徒の会話が聞こえてくる。

 

「聞いたかよ。例の、今日もやるらしいぜ」

「始業式があったばっかなのにか?」

 

 見れば、辺りの生徒全員がとある会場へと向かっていた。

 ――ああ。そこで、初めてあの人と出会ったんだ。

 もしその出会いがなければ、今の四宮は存在しなかっただろう。そんな事も知らない幼き自分は、人の流れに身を任せるまま歩き出した。

 

 場面が変わる。

 そこは、先程向かった会場の中。

 ステージ中央に爛々と降り注ぐ照明の光。超満員の観客席。今日は春休み明けで授業が無い平日とは言え、ここまで人が集まるものなのだろうか。

 今思えば、普通はありえない。あの人が特別なのだ。

 

 天井から吊るされた大型モニターには、この日の対戦カードの一人であるあの人――芳賀若菜の名が映し出されている。

 そして始まった食戟に、当時の自分は彼女の調理に魅せられ、料理に惚れていた。

 当然だろう。何故なら若菜は、遠月学園きっての料理人。後にも先にも、四宮は彼女を越える料理人など見たことが無い。

 卒業試験を歴代最高得点で突破した堂島銀ですら、当時の若菜の足元に漸く及ぶといったところなのだから。

 

 再び場面が変わる。

 食戟に当然のように勝利した若菜の前に、自分が立つ姿。

 学園最強の料理人。だが近付く者は誰一人とおらず、そこには四宮と若菜の二人しかいない。

 誰もが恐れる若菜を前にし、幼き四宮は言った。

 

「俺を――弟子にしてください!」

 

 腰を折り、頭を深々と下げ、手を差し出す自身の姿は。傍から見れば、付き合ってくださいと愛の告白をしているようにしか見えず。

 そして夢の中の若菜は。当時は頭を下げていて見えなかった若菜は。困ったような声色に反し、決まって表情は嬉しそうに言うのだ。

 

「じゃあ、食戟する? って、それで私が負けたら、師匠になる必要はないか。……なら、もし君自身が私と肩を並べられる料理人になれたと思ったら。その時はまた、声を掛けてね。そしたら師匠になってあげるよ」

 

 この一年後に若菜は遠月学園から姿を消し。四宮は結局、再び会うことも弟子入りすることもなかった。

 

 

 

「…………夢か」

 

 ベッドから身を起こし、カーテンを開けると朝日が眩しい。

 四宮がいるのは、遠月リゾートの一つである遠月離宮の一室。

 今日から遠月学園 高等部一年生の宿泊研修が始まる場所であり。ゲスト講師として昨日の夜、到着したばかりだった。

 審査で食べることも考慮し 軽く朝食を済ませると、シャワーを浴びる。

 

 今なお鮮明に残る夢の記憶。

 自分は果たして、若菜と肩を並べられる料理人になれたのかと思う度に、心の何処かでなれていないと思ってしまう。

 もう十年以上経ち、日本人として初めてプルスポール勲章すらも受賞したというのに。

 

「この俺がレギュムの魔術師……。笑わせてくれる」

 

 身の丈に合わない称号。もっと凄い料理人が、評価されていない本物がいることを知っているというのに。

 そして己の料理は今、停滞しているというのに。

 

 ――変われるだろうか。

 

 四宮がゲスト講師として参加した一番の理由は、将来有望な人材を確保する為でも同朋と会う為でもなく。

 今の自分自身が変わる切っ掛けがあるかもしれない。そんな漠然とした想いを、たかが遠月の高等部一年生に期待しているのだ。

 

 シャワーを終えて 店の正装に着替えれば、自然と気が引き締まる。

 時間も丁度良い頃合いだ。ゲスト講師の紹介も兼ね、最初に学生が集められるという大宴会場へと四宮は向かう。

 そこには既に、20人程の講師が集まっていた。実際に会うのは初めてだが、料理雑誌で見たことがある顔ぶればかりだ。

 そんな中で軽く辺りを見渡せば、目的のグループはすぐにでも見つかる。

 

 先輩である“銀座ひのわ”の関守平。

 同級生である“リストランテ エフ”の水原冬美。

 後輩である“霧のや”の乾日向子。“テゾーロ”のドナート梧桐田。

 

「あっ。やっと来ましたね 四宮先輩。遅いから来ないかと思ったじゃないですか!」

 

 声を掛けるまでもなく、乾に真っ先に見つかる四宮。

 そんな当時と変わらぬ後輩の態度にどこか安堵しながら、口を開いた。

 

「久しぶりだな。全員、変わりは無さそうか?」

「四宮も久しぶりだな」

「お久しぶりです 四宮さん」

「あんたも昔と変わらないわね……」

「ちょっ。無視って酷くないですか!? 皆さんも普通に流してますし!」

 

 声を掛けたのにスルーされ、他の面々に挨拶する四宮にツッコミを入れる乾。

 全くもうっと 怒ったように呟くが、内心は四宮にまた会えた嬉しさと懐かしさで満たされていた。

 二度と会えないと思っていた憧れの先輩が、また触れられる距離にいる。

 それだけでも、今日ここに訪れた甲斐があったというものだが……。

 

「でも、四宮先輩のことだから本当に来ないとも思っていたんですが……。もしかして、私に会いに来てくれたんですか?」

 

 後半は冗談半分であるが、前半は本気である。

 乾の思う四宮であれば、遠月学園の生徒が参加する宿泊研修といっても、興味なさげに断るだろうと考えていた。

 なのに参加するとは どういう風の吹き回しかと問い詰める。

 

「んな訳ねぇだろ。堂島さんから直々に呼ばれたんだ。仕方なくだよ。仕方なく」

 

 そんな後輩に、説明するまでもないと適当にはぐらかす四宮。

 何か言った所で乾の性格上、続けて色々と問い詰めてくるのだろうと目に見えていたからだ。

 加えて 少なからず会うことも楽しみにしていたなどと、四宮の性格上言える訳も無かった。

 

 互いが互いを信頼し、理解し合っているからこそできるやり取り。そんな夫婦と言ってもいい二人の掛け合いを見ながら、相変わらずだと水原らは思うのだった。

 

 ぶーぶーと口を尖らせ絡んでくる乾をあしらいながら、四宮は会場を見渡し目的の人物を見つけると、断りを入れてから 一人歩き出す。

 その先には、今回の宿泊研修で代表を務める堂島銀の姿があった。

 

「堂島さん」

「おう。相変わらず、お前らの所は賑やかだな」

「主にヒナコの奴がうるさいだけですよ。それで、例の件のことですが……」

「安心しろ。要望通り、初日に当たる様に手配してある」

 

 例の件とは、芳賀青葉のことだ。

 あの芳賀若菜の息子の実力がいかほどであるか。そして実際にその姿を見てみたいという思いから、事前に初日に担当したいと四宮は志願していた。

 

「お前と芳賀若菜の間に何があったか詳しくは知らんが、その息子までデキが良いとは限らんぞ?」

 

 探るように、堂島は問いかける。

 才能とは、必ずしも受け継がれる訳ではない。

 実際に会ってみれば、期待外れの可能性も大いにある。比べる対象が若菜なのだから その期待値も段違いに高く、そこそこ才能がある程度では四宮を満足させることはできないだろう。

 

 けれども、確信してしまうのだ。

 あの芳賀若菜の子が、普通であるはずがないと。

 

「その時は、俺の見込み違いってだけの話ですよ」

「確かに……そうだな」

 

 言い終えると 堂島は腕時計を確認し、マイクを手に取った。

 

「さて、そろそろ生徒が到着する。全員、ステージ裏へ移動してくれ!」

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 軽くゲスト講師としての自己紹介を終えた結果、四宮は一人の退学者をだした。

 その生徒が付けていた整髪料に柑橘系の匂いが混じっており、料理の香りを霞ませる原因となるからだ。

 そんな事すら意識できないやつは不必要という、至極真っ当な理由なのだが。その後 退学にした生徒から咄嗟に出た言葉が、四宮には印象的だった。

 

 ――たったこれだけの事で……。

 

 何がいけないのかと、まるで理解していないように口答えする姿。

 あまりにも意識が低すぎる。一体今まで何を学んできたのか。

 やはり期待はしない方がいいだろうかと、四宮は会場へと移動するバスの中で、担当する生徒の資料を確認する。

 

 芳賀青葉。

 中等部時代は授業評価が優秀なことを除けば、特に目立った功績はなし。

 しかし遠月十傑 第十席に選ばれ、その後行われた食戟では全戦全勝。

 

 中等部時代は最低限の点を稼ぎ、目立つことを極力避けていたとしか思えない内容。

 薙切えりなと共に最年少で遠月十傑に名を連ねた実力は、果たしてどれ程のものだろうか。

 試験が行われる屋敷にバスが停車したことを確認し、四宮はマイクを通して生徒に声を掛けた。

 

「全員降りろ。屋敷に入れば全員分の厨房が用意されている。場所の指定は無い。各自、自由に選ぶように」

 

 

 

 生徒達から遅れること数分。

 四宮が中に入るなり、会場がシンと静まり返る。

 この期に及んでまだ私語をする余裕があるのかと思いながら、用意された椅子に深々と腰掛けた。と、同時に運ばれてきた食材の山。

 

 ――厨房の場所の指定はない。自由に選ぶように。

 そう言ったのは、四宮なりのちょっとした警告だ。

 何故なら、厨房の上に食材はまだ用意されていない。となれば、各々が食材を選ぶ可能性があるという事。

 食材が運ばれる扉の位置。そして置かれるスペースなど、四宮が座る前方以外にありえない。

 

 知っていれば、若しくはその事実に気付けば、誰もが前の厨房を欲しがるだろう。

 だがバスを降りた後、その大半はトロトロと歩いていた。

 前の厨房に立つ生徒を見れば、資料で見た青葉の姿がある。

 一先ず期待外れではないと確認し、四宮はルセットを列ごとに配った。

 

「改めて おはよう。79期卒業生の四宮だ。この課題では俺が指定する料理、今手元に配られたルセット通りに作ってもらう。そしてこの課題では、チームは組まない。一人で一品仕上げてもらう。調理中の情報交換や助言は禁止だ。食材は今運ばれてきた前方にある山から任意で選び、使用してくれ。制限時間は三時間。それでは――始めろ」

 

 手を叩くと 止まっていた時が再び流れ出すように、生徒が一斉に動く。

 前の厨房に立っていた者は直ぐに食材を選び終え、調理に取り掛かるのも当然早い。

 対して後方にいた者は遅れて食材の山に駆け込み、食材を奪い合い、罵声が飛び交う。

 そんな様子を見ながら、手元の名前が書かれた紙に 問題のある生徒の横へ次々とチェックを入れていく四宮。

 

「食材選びの最中も採点を行っていることを忘れるなよ」

 

 忠告した途端、静かになった生徒達。

 採点をしていると言って静かになるということは、己の行いが悪いことだと自覚していた訳で。

 故に、それらの生徒は問答無用で退学させると四宮は決めた。

 例えどれだけ良い品を作ろうが、自分勝手に周囲を巻き込む料理人は必要ない。そもそも四宮からしてみれば、そんな生徒の料理が合格ラインに届くとは到底思えないが。

 

 ――四宮が全員に用意したルセットは“9種の野菜のテリーヌ”。

 野菜によって下処理や火入れが違い、一種類の主張が強くても弱くても味のバランスが崩れてしまう、何かと手間の掛かる料理だ。

 

 いくらルセットが用意されているとはいえ、知識も経験も浅い学生が作るには あまりにも難しいと言えるだろう。

 初めてプラモデルを組み立てる者とそうでない者の違いと言えば、想像しやすいかもしれない。経験が無い者は何度も手が止まり。限られた食材と制限時間により、失敗ができないと躊躇いが生まれる。

 手順が決められていようが、全くその通りの味を再現するのにはそれなりのセンスも必要となってくるだろう。

 

 とは言え、四宮としてはこれでも大分優しくしたつもりだ。

 料理人は一食作って店を閉める訳ではない。一日に何百、何千という注文を受け、同じクオリティの料理を提供し続けなければならないからだ。

 一皿で合否が決まるなど生温い。少なくとも十食作り、全ての皿が基準を満たせと言いたいぐらいだった。

 

 早々に食材を選び終えた青葉に視線を移すが、その動きに迷いは一切見られない。

 キャベツ、パプリカ、ズッキーニ、ヤングコーン、ニンジン、カリフラワー、オクラ、アスパラガス。そして付け合わせで使うプチトマト。

 今回のテリーヌを象徴する九種類の野菜の下処理は既に終わらせているようだ。

 パプリカ、ズッキーニ、アスパラガスは炒め。他の野菜もルセット通りに野菜毎の調味料を加えて茹でれば、下ごしらえは自ずと完了しているだろう。

 次の工程にすぐ移れるよう、タイミングを見計らってコンソメのゼリー液を作り出す時間も完璧だ。

 

 野菜の下ごしらえが完了すると 四宮の予想通り、ゼリー液も仕上がっていた。

 テリーヌ型にサランラップを敷き、先に記した通り キャベツからアスパラガスまでを順に入れていく。

 全ての野菜を敷き詰め終えた所でコンソメのゼリー液を流し込み、最後にキャベツの葉で蓋をしてサランラップで包めば、後は冷蔵庫で冷やすだけだ。

 

 青葉の手際の良さはとても学生のレベルではなく、見ていた四宮も思わず舌を巻く。

 食材選びの時間で差ができたとは言え、まだほとんどの生徒が下ごしらえの半分もできていないのがその証拠だ。

 完成までの道のりを見透かしていたかのような時間管理と それを可能とする確かな料理技術は、今から現場に入ったとしても彼ならば任せられるという安心感すら与えてくれるだろう。

 そしてその調理姿と面影は、どことなく若菜を連想させられる。

 

 ――思った通りだったか……。

 

 冷やし終えた後、切り分けて提供されるまでは まだ時間がある。

 四宮は立ち上がり、不要となった道具を片付けながらソース作りの準備をしている青葉を尻目に、他の学生の様子も確認しようと歩き出した。

 

 

 

「どうぞ お召し上がりください」

 

 “9種の野菜のテリーヌ”を一番に完成させたのは、当然青葉だった。

 乱れのない均一で美しい野菜の層は、最初に食材を確保する際に品定めも完璧に行い、細部にまで拘って調理していたことがよく分かる。

 切り分けて一口食べれば、口の中で広がる野菜の香りと味のバランスは文句の付けようがなく。普段何百皿と作る自身のテリーヌすらも凌駕していると四宮は感じた。

 点数稼ぎではない。一品しか出さぬ故に、妥協することなく全てが注ぎ込まれた……そんな一皿。

 考えるまでもなく、四宮の口は勝手に動いていた。

 

「芳賀青葉――合格だ」

「ありがとうございます」

 

 期待通り……。いや、期待以上の腕だった。

 他の生徒はまだテリーヌを冷やしている最中なので、審査は暫く後だろう。

 そんな事を四宮が考えた矢先だった。

 

「どうぞ お召し上がりください」

 

 青葉からやや遅れて提供された皿。だがその瞬間、四宮は何故か既視感を覚えた。

 皿を出す時の仕草。言葉遣い。それらが青葉と非常に酷似していたのだ。

 思わず顔を上げると 立っていたのは青葉とは到底似つかない、ガタイの良いドレッドヘアーの男――美作昴だった。

 

 形容しがたい雰囲気に若干の戸惑いを覚えながら、四宮は提供されたテリーヌを一口食べる。

 合格基準には達しており、学生の中でもかなりのレベルだと分かるが……。如何せん 最初に食べたのが青葉の皿だった為か、その味も香りも劣っていると強く感じてしまう。

 同じ料理を作る際の弊害だ。その料理に対する実力の差が 明確に出てしまうという弊害。

 四宮は考えるように咀嚼を続けた後、一つ頷いてから口を開いた。

 

「美作昴――合格だ」

「……ありがとうございます」

 

 結果を聞いて安堵したように昴は息を吐くと、皿を持って厨房へと戻る。

 手早く片付けを済ませ、課題が終わるまでの別室へと移動する青葉の横に並んだ。

 

「酷いですよ、青葉さん」

「……何がだ?」

 

 突然声を掛けられた青葉は 昴の第一声を聞いて、何が酷いのかと首を傾げる。

 その様子から、二人が以前から知り合いであるという事が窺えた。

 

「あんなテリーヌを出されたら、恐らく今日のグループは俺と青葉さん以外……全員落とされますよ」

 

 やや大袈裟に首をすくめる姿を見て、冗談を言っているのだろうと思いながら青葉は答える。

 

「そんな事はないだろ。ルセット通りに作るだけだぞ?」

「サラッと言える辺り、さすがですね。編入試験で当然のように全員落とした人には見えませんよ」

「はぁ……。もしかして、また見てたのか?」

「いえ、あれは本当に偶然ですから。それに今回は仕方なくですよ、仕方なく」

 

 美作昴にはとある異名がある。

 その名も『キング・オブ・ストーカー』

 いざ料理勝負となれば相手の生活まで徹底的に調べ上げ、誰も気付かぬ間に全てを暴いてしまう。そして相対した時『周到なる追跡(パーフェクト・トレース)』によって相手が作る料理をコピーし、途中でアレンジを加えることで勝利をもぎ取るのだ。

 

 因みに今回の課題、昴は青葉をトレースしていた。

 そうでもしなければ、四宮の課題で落ちる可能性があったからだ。

 

「……あまり俺をトレースするのは止めてくれよ。えりなから見ていると寒気がするって不評なんだよ」

「分かってますって」

 

 それに……っと、昴は思う。

 自身のトレースでは、到底青葉に追い付くことはできないと。

 

 

 

 それはまだ、中等部の頃。

 昴は調理実習の授業で偶然にも、青葉とペアを組む機会があった。

 

「――では、以上の事を踏まえてペアと協力して作るように。それでは、始め!」

 

 授業評価だけはいい男。薙切えりなの腰巾着。

 それが多くの者が当時の青葉に持つ印象であり、昴の認識でもあった。

 だが生徒をストーカーしてきた昴には分かる。青葉にはまだ隠している……目に見えない何かがあると。

 

 ――果たしてどれ程の実力なのか。

 

 この授業はペアで作らなければならない。当然 全く協力していないペアが見つかれば、料理以前にE評価は避けられないだろう。

 授業評価だけはいい男が、果たしてどんな反応をするだろうか。

 手順などを何も相談せず。昴は用意された二人分の内、料理の工程通りに一人分だけ下処理を始めた。

 

 明らかに協調性がなく、このまま行けば間違いなく評価は落ちる。

 どんな反応が来るのかと一つ目の食材の処理を終えた所で、掛けられたのは信じられない言葉だった。

 

「あ、やっと終わった?」

 

 青葉の手元には、たった今 自分が下処理を終えたものと同じ状況が出来上がっていた。

 昴は本来の料理の腕も確かである。

 そんな自分が、後から動き出した奴に負けた?

 苛立ち、次に牛肉を手に取って赤身と脂身を分けていくが――。

 

 ――早い!

 

 遅れて牛肉を手に取った青葉の包丁捌き。

 刃先がケーキでも切るかのように滑らかに入り込み、目にも止まらぬ早さで切り分けられていく。

 『周到なる追跡(パーフェクト・トレース)』を使うが……完全にはコピーできなかった。

 

「美作昴……だっけ? 下処理は俺がやるから、調理の方を頼めるかな?」

「…………」

 

 何も言い返せない。こんな屈辱を感じるのは初めての事だった。

 はやる気持ちを押し止め、一旦冷静になろうと昴は鍋に湯を沸かす。

 沸かし終えたら当然、食材を茹でるのだが……。自分が作った状況とはいえ、何と声を掛けるべきなのか悩んだ時――。

 

「はいこれ」

「――ッ! ……おう」

 

 丁度欲しいと思ったタイミングで渡される食材。下処理を行っていた青葉は湯が適温まで沸いたかなど一切見ていない。

 なのに、まるで知っていたかのように食材を渡され 昴は驚く。

 そして、調理を進める中で気付いた。

 

 これはペアで作る授業だが、間違いなく青葉一人でやった方が早く正確にできるだろうと。

 それでも青葉はサポート役に徹している。食材を、調味料を完璧なタイミングで渡され、ストレス無く円滑に進んで行く。

 即席ではない。まるで長年同じペアを組んできたかのような感覚。いつの間にか昴が主役に立たされ、不思議と悪い気はしない。

 

 ――授業評価だけはいい男? これが、薙切えりなの腰巾着?

 今まで他の生徒は、青葉の何を見てきたのだろうか。

 昴の分析力を『周到なる追跡(パーフェクト・トレース)』とするならば、青葉はその上位互換。『完全掌握(パーフェクト・ビジョン)

 まだ彼の凄さが知られていない中、昴は確信した。

 

 青葉は間違いなく――本物であると。

 




 久しぶりの早めの投稿。
 前回は完全にオリジナル話だったのと気分が落ち込んでいたので上手くまとまらなかったですが、今回は良い感じに仕上がったと作者は思います。
 個人的には毎回こんな描写をしていきたいけど、中々安定しないんですよね……。

 “9種の野菜のテリーヌ”という事で、軽く原作とアニメを見比べていたら使う食材が違ったという……。なのでアニメの方に合わせました。
 後は四宮の性格上、料理が美味しければいいという感じではないので、原作とは違い食材の山を前方に置いたり色々してみたり。
 タグにもありますが、割と作者は原作改変をするのでよろしくお願いします。そもそも青葉がいる時点で改変しないと無理だしね。

 美作昴はここで登場させました。
 完全掌握(笑)とか言っていますが、昴が勝手にそう思っているだけですので。
 後は葉山アキラをどこで出すか……。全然思い付いてないんですよね。
 このままだと原作通り、秋の選抜で出すことになるのかな……。現状 秋の選抜を上手くまとめられる自信がないので、その前に何処かで登場させたいんですけどね。

 次回に関して、宿泊研修の夜とか書くかどうかは決めてないです。
 ただその後に絶対ある、朝食の新メニュー作りをどうしよう……。
 一応考えはあって、とある子と協力みたいな形にはしようと思っているんですが、如何せん描写をする自信が無い。
 原作の料理はそれを見ながら書くだけなのでまだ楽ですが、料理もできない作者が想像で作るのは骨が折れます……。

 後 特に気にしなくていいですが、四宮といった先輩の名前は何となく下の名ではなく名字で書いています。

 今回は偶然気分が良かっただけなので、次回はアニメ前までには投稿できればと思います。何故か今話は8,000字いったしね。このペースで毎日書ければいいのに。

 お気に入り、評価、感想など。お気軽に。
 作者の活力になります。


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第六話

 お盆だったので……。
 久しぶりのアンケートもあるので、よろしくです。


 宿泊研修二日目の早朝。

 東の空が白み始めた頃。初日を生き残った学生達が宿泊する遠月離宮の一室で、二人の兄弟が会話をしていた。

 

「兄ちゃん、本当に大丈夫? 顔は洗った? 寝癖は……大丈夫そうだね。他には――」

「イサミ。オレは本当に一人で大丈夫だから……」

 

 甲斐甲斐しく世話を焼かれる双子の兄――タクミ・アルディーニと。その弟――イサミ・アルディーニ。

 

 イサミがこれ程までに兄を気に掛けるのには、勿論理由がある。

 今回の宿泊研修では一つのミスが命取り。下手をすれば、そのまま退学へと直結してしまう。

 初日は偶然にも同じ課題でペアとなり、確かな連携で難なく乗り越えることができた。

 けれども、いつまでも同じ割り振りになるはずもなく。少々抜けている兄が一人で大丈夫だろうかと、こうして世話を焼いていたのだ。

 

 そろそろ集合時間が差し迫っている。今回タクミが受ける課題は、他の場所よりも集合時間が早く設定されていた。

 何とかタクミは弟を説得し、己のもう一つの腕とも言える“メッザルーナ”の入った包丁ケースを片手に会場へと向かう。

 まだ就寝している学生も多い為、足音は最小限にしながら。

 

 ――会場に着いて暫くすれば、今回のゲスト講師がステージに現れるが……。それは予想外の人物であった。

 

「未来を担う料理人の諸君、おはよう。自己紹介は必要ないかもしれないが、改めて……。遠月リゾート総料理長 兼 取締役会役員であり、今回の特別講師を務めさせてもらう堂島銀だ」

 

 あの堂島銀が、直々に講師を務める。

 何故この課題だけこんなにも朝早くからやるのだと思っていた学生達は、堂島から放たれるオーラに思わず息を呑んだ。

 

「突然だが、料理人として最も大切なものは何だと考える? 食材の目利きか? 応用力か? それとも、確かな料理技術か?」

 

 ――ああ、どれも大切だろう。

 だが最も大切なものかと問われれば、それは全て否となる。

 ならば、料理人として何が最も大切なのか。その答えは、堂島自身が体現していた。

 

「そう。最も大切なもの……それは『肉体』だ!」

 

 何を成すにしても、人間には限界がある。

 だがその限界の上限は人によって異なり、最後にものを言うのは本人のスペック。つまりは肉体だ。

 料理を作り続ける体力。そして最高の料理を提供し続ける精神力。人間がやる諸々のことは、相応の肉体という基盤があるからこそ成り立つ。

 

 今ここにいる学生の中には、前日の疲労がある者もいるだろう。

 しかし、たった一日の出来事で音を上げてもらっては困りものだ。

 会場に運び込まれる人数分の登山用リュック。各種調理器具や調味料を見ながら、堂島は告げる。

 

「今から一時間、準備時間を与える。リュックの中には地図と方位磁針もあり、本当の審査会場は山頂にあるキャンプ場だ。各自、スタートの合図と共に出発し、道中で確保した食材をキャンプ場で調理。三時間以内に、俺を満足させることができれば合格とする。道具の貸し借りをした場合は即退学。調理器具は持参したものでも構わない。何が必要で何が不必要か。周辺で採取できる食材もまとめられているので、よく考えてほしい。尤も、必ず狙った食材が手に入るとは限らないがな」

 

 その言葉を皮切りに学生達が動き出し、タクミも同じ様にリュックを確保すると 何を持っていくべきか考える。

 幸運なことに、昨日の乾日向子の課題でもタクミは食材を取りに森へと入っていた。

 知識と経験があるというのは大きい。食材が採り尽くされている場所を知っているだけでも、時間のロスは限りなく少なくなる。

 

 また合鴨を食材として使うかと一瞬考えたが、あの時は弟であるイサミがいたからこそ連携して確保できたのだ。

 今回は一人でどうにかしなければならない。それに、一つの食材に選択肢を絞れば持ち運ぶ器具は少なくて済むが、予定通り確保できなければ満足な料理は作れず、待っているのは退学。

 ここにいる学生全員が食材を奪い合う敵なのだ。

 臨機応変に行動する為にも、多少余分にタクミは調理器具や調味料を選別していく。

 

 漸く構想がまとまった頃には、リュックの重さは十キロ近くになっていた。どうやら全てのリュックに重りが入っているようで、これで山頂のキャンプ場まで歩くのは中々に体力を使うだろう。道中で食材も探すとなると、尚更だ。

 開始の合図があるまで軽く準備運動をしながら辺りを見渡していると、とある男子生徒がタクミの視界に入った。

 その生徒とは――芳賀青葉。今や十傑に入った彼を知らぬ者はおらず、タクミも当然知っていた。

 加えて昨日の夜。ライバルの創真と温泉に入浴中、会話の中で度々出てきた名前でもある。

 

 ――俺がこの学園のてっぺんを獲るには、青葉を越えなきゃなんねぇ。

 

 同じく最年少で十傑入りをしたあの薙切えりな、そして他の十傑は眼中にないと言わんばかりに、執拗に青葉に拘る創真の姿はタクミにとって印象的だった。

 そこでふと、妙案が浮かぶ。

 創真が越えようとしている青葉。そんな彼に勝つことができれば、それはライバルの創真に勝ったも同然ではないかと。

 

「芳賀青葉……だよね?」

「……そうだけど。君は?」

「オレの名はタクミ・アルディーニ。今回の課題、どちらが先に合格できるか 勝負をしないか?」

 

 行動力はある癖に、後先を全く考えていないタクミの行動に、もしこの場に弟のイサミがいれば頭を抱えただろう。

 昨日も会場の去り際で創真に対して「また会おう」と決め顔で言ったにも関わらず、数分後には帰りのバスで隣の座席となり、恥を掻いていたのだ。

 

 今回の場合。青葉視点からしてみれば、タクミの行動があまりにも謎だった。

 タクミの名は中等部二年生の頃に、イタリアから双子の編入生が来るということで聞いたことはあったが、だからといって今まで直接的な関わりはない。

 それが今日、同じ課題になった途端 いきなり勝負を持ち出してきた……。

 何故勝負を吹っ掛けられたのか。皆目見当もつかないのは当然と言えよう。

 

 ただ こうして絡まれるのは、青葉とて初めてではない。

 過去にはえりなと緋沙子という、男ならば誰もが羨ましがる両手に花状態だった為、食戟までいかずとも勝負事を挑まれることは少なからずあった。

 

 ――まさかタクミも、えりなや緋沙子のファンなのだろうか? だとすれば、相手にするのは非常に面倒だ。

 そんな事を瞬時に考えた青葉は、適当に話を合わせることにした。

 

「勝負……か。別に構わないよ」

「ふっ。失望させてくれるなよ。食材が確保できなかったり、森で迷子になって料理も作れずに終わる様ならつまらないからな!」

 

 此方に背を向けて去るタクミを見て、青葉は何気なく思った。

 食材の確保はともかく、遠月学園の私有地で地図と方位磁針まであるのに、迷子になるものだろうかと。

 

 

 

「クソ! ここは何処なんだ!?」

 

 開始から暫く。

 案の定と言うべきか、タクミは森の中で迷子――もとい 遭難していた。

 

 キャンプ場までの道沿いにある食材は他の者が採ってしまう。

 そこで森の中へと足を踏み入れ、鶏の巣を見つけたまでは良かったが……。鶏卵を獲ろうと親鳥と死闘を繰り広げている最中、ポケットに入れていた方位磁針をいつの間にか茂みに落としていた。

 森の深くまで入り、卵を獲るのに必死で動き回ったせいで方向感覚もない。

 幸い食料は豊富に採れ、後は調理するだけなのだが、一向に森を抜け出せる気がしないのは何故なのだろうか。地図を見ながら歩いているが、先程から同じ場所をぐるぐると回っている気さえする。

 

 ……いや。本人は知る由もないが、同じ場所をぐるぐると回っていた。

 

「このままオレは……野垂れ死ぬのか?」

 

 冷静に考えればそんな事はありえないのだが、今のタクミは軽いパニック状態だ。

 試験中に連絡を取り合わないようにと、スマホといった通信機器は回収され、弟のイサミに助けを呼ぶこともできない。

 心なしか、森の中も次第にどんよりと暗くなっていくと感じた時。

 

「ヒィッ!」

 

 ガサリと茂みが揺れる音に、何とも情けない悲鳴を上げてその場で崩れ落ちるタクミ。

 その音は次第に近付いてきて――。

 

「……何してんの?」

 

 現れたのは、呆れ顔を隠しもしない青葉の姿だった。

 それを見たタクミは、何事もなかったと言わんばかりに立ち上がる。

 

「いや、軽く木の根に躓いてしまってな。芳賀はもう食材は集め終えたのか?」

「ああ。これからキャンプ場に向かおうと思っていたところだ」

「――!! それは丁度良かった。実はオレも今から向かうところでな。良ければ一緒に行かないか?」

「……先に合格した方が勝ちなんだろ? だったら俺を置いて、さっさとキャンプ場に行った方がいいんじゃないか?」

 

 痛い所を付かれたと、タクミは歯噛みする。

 まさかこんな所で、自身が提示した勝負によって首を絞めることになろうとは……。

 

 プライドもあり、遭難したとも言い出せず。かと言って、このままでは己の退学もかかっている。

 数秒の葛藤の末、タクミが出した答えは――。

 

「……勝負? 悪いが、そんな事を言った覚えはないな。仲良くしようじゃないか」

 

 すっとぼけ、そんな勝負は無かったと手の平を返した。

 その後 無事キャンプ場に辿り着き、それはそれは見事なメッザルーナ捌きで合格した生徒がいたとか、いなかったとか……。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 早朝から行われた堂島に続き、他の講師の課題も続々と開始の合図を告げる。

 そして午前の部が終わりに差し掛かった頃。四宮の課題で、それは起こった。

 

「田所恵――退学(クビ)だ」

 

 あまりにも唐突な退学宣言に、恵は一瞬 心臓が止まった気がした。

 

 ――高等部内部進学試験で最下位。

 もう退学は免れないと諦めかけた時、偶然にも編入生である創真に彼女は出会い、変えられた。俯くことは止め、前を見て進むようになった。

 極星寮のメンバーと励まし合い、アドバイスし合い。高等部一年生の最初の関門である、宿泊研修の課題を合格するまでになった。

 

 そして迎えた、宿泊研修二日目。

 満を持して挑んだ四宮の課題――“9種の野菜のテリーヌ”の審査で、退学を言い渡された。

 いつかこの時が来るかもしれない。一度は諦め、受け入れる覚悟もしていたが、今では微塵も考えていなかっただけに。何が悪かったのかと、震える声で問う。

 

「あ……あのうっ。ど、どうして私の品……ダメなんでしょうか……?」

 

 全員の審査が終了し、立ち上がった四宮は恵の皿を一瞥してから言った。

 

「傷み始めているカリフラワーを茹でる時、ワインビネガーを使っただろ?」

 

 確かに恵は傷み始めているカリフラワーを使った。

 それは食材選びの際に出遅れ、残ったカリフラワーから使用するものを選ぼうとした時、既に傷みかけのモノしかなかったのだ。

 

 ――調理中の情報交換や助言は禁止。

 

 故に どうすればいいのか自分で考え、ワインビネガーの漂白作用で綺麗な色を保ち。下味にも使うことで甘みを引き立て。野菜の甘みと微かな酸味が絶妙にマッチしたテリーヌを作り上げた。

 一口食しただけでその事実を見抜いた四宮に、恵はならば何故 退学なのかと再び問うが……。

 

「誰がルセットを変えていいと言った?」

 

 そう。四宮のルセットには“酸味を活かす”という文言など一言も書かれていない。

 恵が作ったテリーヌ。それは最早、課題に沿わない別の料理でしかないのだ。

 だから退学にしたと説明する四宮に、暫く様子を見ていた創真が口を挟む。

 

「納得いかないっすね。それは不可抗力ってやつでしょ! だいたい、俺らは先輩達の従業員として扱われるわけでしょ。なら、食材管理の責任はトップである四宮先輩にある筈。そこんとこ、料理長(シェフ)として落ち度があるんじゃないっすか?」

 

 一見正論にも思える創真の意見。

 だが四宮からしてみれば、それはあまりにも的外れな物言いだった。

 

「ああ、そうだ。俺がここのシェフ。そしてお前らが従業員。なら、従業員の作った料理を審査するのは誰だ?」

 

 審査をするのは誰か?

 それは四宮先輩だろうと言いかけるのを、創真は既の所で止めた。

 

 ――違う。

 本来審査をするのはお客様だ。四宮は、その変わりとして審査をしているに過ぎない。

 

「漸く分かったか? お前ら従業員の料理を審査するのは俺じゃない。当然この料理はお客様に提供される。ならば同じ料理なのに、作る従業員によって味が違うことがあっていいはずがない。一体、ルセットを何だと思っているんだ?」

 

 それに――と、四宮は続ける。

 

 そもそも、状態の悪いカリフラワーは故意に四宮が混ぜたのだ。

 『酸化しやすい・傷みやすい・調理しずらい』の三拍子揃った、野菜の中でも最も気を遣う食材の一つ。

 冷静さを失い、目利きを怠った間抜けか、出遅れて良いモノを確保できない鈍間な料理人に掴ませる為に。

 四宮が見ていた限り、恵は鈍間に分類されていた。

 

「だけど……。恵は、その遅れをカバーする為に創意工夫をして対応したんだ。……そこは、評価の対象となってもいいはず――」

「当然、評価の対象だ。それも含め 退学だと言っている」

「……どういうことっすか?」

 

 尚も食い下がろうとする創真に。四宮はまだ理解できていないのかと、呆れたように創真から視線を外し、恵へと問いかける。

 

「はぁ……。田所。お前は何故、ワインビネガーを使った?」

「そ、それは。四宮シェフが先程言ったように、傷みかけのカリフラワーを――」

「そこだ。何故、傷みかけのカリフラワーをそのまま使う? 何故、シェフである俺にまずは報告しなかった?」

「――ッ!」

 

 ――調理中の情報交換や助言は禁止。

 四宮は確かにそう言い、恵は傷みかけのカリフラワーを活かす為の創意工夫を考えた。

 大前提として、そこから既に間違っているのだ。

 

 鈍間だからといって、即退学にする訳ではない。中には貧乏くじを引いてしまう者もいるだろう。

 問題なのは、そこからどうカバーするのか。従業員として、どう店に貢献するのか。

 

 ……誰しも分かることだ。何か問題があれば、まずは上司に報告すればいい。そんな単純なことが抜け落ちていた辺り、恵は冷静に対処したように見えて、冷静さを欠いていた。

 

「もう分かっただろう。田所はクビだ」

「けど――!!」

「創真くん、もういいの」

 

 それでも諦めきれない創真を引き留めようと。恵は創真の腕を掴んで、安心させるように、精一杯の笑顔を向けた。

 

「えへへ……。もう、大丈夫だから。わ……私の事は、もういいから」

 

 頬を伝う涙は、退学に悲しみ流れたものか。それとも、ここまで庇ってくれる彼に対して流れたものか。

 創真は呼吸を整えるように軽く息を吐き、改めて四宮へと向き直る。

 

「すいません、四宮先輩。最後にもう一個だけ……。田所の料理は、美味しかったですか?」

「他の学生に比べればな。味だけなら合格だったかもな」

 

 味だけなら合格。

 それはつまり、美味しかったということ。曲がりなりにも創意工夫をし、今まで学んだスキルを活かして、己の皿を作り上げたということ。

 

「そうっすか」

「他の学生も待たせている。さっさと――」

「じゃあ、もう一個だけ追加で。遠月のあのルールって、卒業生にも適用されるんすかね?」

「……何の話だ?」

 

 確かにこの場では四宮がシェフで、創真らは従業員。だがそれ以前に、講師と学生という立場でもある。

 ここが本当に四宮の店であれば、恵が取り返しのつかない事をしたのは明白。

 けれども学生とは、間違えて学んでいくものだ。

 

 その点、恵は他の退学者とは違う。

 中等部で習ったことすら活かせず、食材があったにも関わらず、基準を満たせなかった捨て石ではない。

 

「食戟――」

 

 これからの成長に大きく繋がる、重大なミスを犯した、玉の輝きを秘めた料理人。

 

「食戟で四宮先輩を負かしたら――田所の退学、取り消してくんないすか?」

 

 失敗とは――学生の特権だ。

 




 食戟のソーマと言えばこのシーンが人気なので、多少アレンジもしつつ書かせてもらいました。確か原作者も自信のある場所だったかな?

 前半のアルディーニ兄弟は、彼らの存在をすっかり忘れていまして……。急遽ボツにするつもりだった、堂島の課題を活用してみたり。
 感想で聞かれるまで、本当に存在が頭から抜け落ちていました(笑)
 なお、葉山アキラのアイデアは未だに思いつかない模様。
 まぁ、無理して全員を青葉と関わらせる必要があるかどうかは分からないけどね。

 それと前回の後書きで、朝食の新メニュー作りでとある子と協力させたい……みたいに書いていましたが、そっちは本格的にボツになりました。
 色々調べてみたら破綻してたうえ、作者に技量がないからね。仕方ないね。
 一応別の案はもう考えてあって、近々日本に初上陸する とある店の名前にも因んだ卵料理で書こうかと思ったり。
 ボツ案に関しては、朝食の新メニュー回の後書きで軽く公表予定です。割と頭の中では良い感じにできていただけに残念。

 そして、前書きでも言っていたアンケートに関して。
 今話の話の流れを見て分かる通り、次回は四宮との非公式食戟になるわけですが……原作とほぼ変わりない予定です。細かい所は変わってきますが、料理に変化はなし。
 そこで、本作で前も似たようなアンケをしたと思いますが、改めて。それでも私が書いたやつを読みたいかどうかのアンケをさせてください。
 勿論結果が偏ったからといって、最後に判断するのは作者自身であり。読者様全員の要望通りにいかないのはご了承ください。
 差し当たり、読者様の指標が欲しいので……。

 次話はアニメ開始までに……って、何回目でしょうね。
 書き溜めせずに、できたらそのまま投下しているせいでこんな事態に。矛盾が出ないように気を付けているつもりなのでご安心を。

 お気に入り、評価、感想など。お気軽に。
 高評価や低評価は気にせず、思った値を押してもらえると嬉しいです。
 下にアンケがあるので、気軽にポチッてね。


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第七話

 台風にはお気をつけて。


「食戟で四宮先輩を負かしたら――田所の退学、取り消してくんないすか?」

 

 恵を庇うようにして前に出た創真は、左手首に巻いていた手拭いを抜き払った。

 その瞳は、間違いなく本気。迷いもなく、曇りもない。ただ真っ直ぐと四宮を睨みつけていた。

 

 仲間の退学を覆すために、自分の身を犠牲にしようとする。中々に勇気ある行動だと四宮は思った。

 在校生以外との食戟の前例が無いわけではない。故に創真との食戟は可能と言えば可能であるが……。

 

「食戟か。また随分と懐かしい響きだな。だが、食戟には双方の合意が必要……だろ? 悪いが俺は、そんな勝負に付き合う気は無いんでね」

 

 この勝負は、四宮にとって時間の無駄でしかない。

 過去の自分なら間違いなく受けただろうと思うが、それはもう 昔の話だ。

 恵の退学は決定事項。さっさと話を終わらせようとしたその時、思わぬ乱入者が現れた。

 

「なかなか面白い事になっているようだな、四宮」

「……堂島さん」

 

 振り向けば堂島と、その後ろには乾の姿もある。

 

「途中からではあるが、話は聞かせてもらった。ここではなんだ。場所を移してゆっくりと話し合おうじゃないか。それと、そのテリーヌも持ってきてもらえると助かる」

「は、はい!」

「……チッ」

 

 大先輩の言うことには逆らえず、乾もいるため余計に話がややこしくなりそうだと舌打ちする四宮。

 創真の言葉に耳を貸さず、さっさと引き上げればよかったと後悔しながら歩き出す。

 

「四宮先輩。私の恵ちゃんに何をしようとしていたんですか?」

「お前には関係ないだろ。それに何だよ、私のって」

 

 他の学生へ先に移動バスで戻るよう伝えた後、頼んでもいないのに待っていた乾の言葉が引っかかり、問い返す。

 すると乾は途端に恵の可愛さについて熱弁しだし、聞かなければよかったと四宮はまた後悔するのだった。

 

 

 

「美味しいじゃないですか! 恵ちゃんの作った品!」

 

 場所を移して事務室。

 四宮が恵を退学にしようとしていた事を知った乾は、てっきり味が悪いとばかりに思っていたが、そうではないようだと驚きの声を上げる。

 そこで四宮は、改めて今回の退学までの経緯について語った。

 退学の理由が美味しさではないこと。傷んだカリフラワーを使う際、独断でアレンジしたこと。結果として、ルセット通りに作らなかったことなど。

 

「――と、言う訳だ。それに堂島さん。この課題は俺に一任されているはずだろ?」

 

 だから何の問題もないと語る四宮に、堂島は頷きながら。

 

「もちろんだ、四宮。お前が定めた試験内容と判定基準に不満は無いさ。だが……少なくとも、彼女は状況に対処しようとしたんだろう? そのガッツには一考の余地があるとは思わないか?」

「ちっとも思わないね」

 

 もし思っているのだとしたら、そもそも四宮は恵に退学を言い渡すはずがないとすぐにでも分かることだ。

 それなのに態々堂島がこんな質問をするあたり……。

 

「私は余地があると思いまーす!」

「むっ。なんとこれで同票だ……。退っ引きならんな」

 

 堂島自身が今回の退学の決定に賛同的ではなく、加えて乾が対抗してくると半ば確信めいたものがあったのだろう。

 四宮にとって予想通りすぎる展開に、だがどう結論を出すのかと皆が思ったところで、堂島は再び口を開いた。

 

「致し方ない。非公式の食戟をしようじゃないか」

 

 ――かくして、堂島によって取り仕切られる野試合が決定した。

 ルールは恵がメインで調理し、創真はサブとして参加する2対1。

 けれど今は合宿の最中であり、これから学生の二人は午後の課題に向かわねばならない。そこで今日の課題を全て終えた後、改めて行われる運びとなった。

 

「まったく……。こんな食戟に付き合わされるなんて、とんだ茶番だな」

 

 遠月離宮に戻った後、閑散とした廊下を歩きながら 四宮は思わずそう呟く。

 確かに恵の独断行動は不合格に値したが、一考の余地があるという堂島や乾の意見も理解できなくはない。

 だが非公式とは言え、食戟で勝つことができなければ結局は退学という条件。

 恵の料理の腕は既にテリーヌを食べた時に把握している。学生としては頑張っていた方だが、万一にでもあの腕の料理人に負けるなど 四宮は思えない。勿論、創真がサポートで加わったとしてもだ。

 そこでふと思ったことを、隣を歩いていた乾に投げかけた。

 

「なぁヒナコ。何で食戟を了承させたんだ? お前も田所の料理を食べたなら、少なくとも俺の皿よりも美味いとは思ってないだろ?」

 

 今回の食戟は四宮にとって不可解な点がある。

 それは、恵が食戟で勝てなければ退学という条件。元々退学にするつもりだった為、一見この条件は当然のように思えるが、相手は他ならぬ四宮自身。

 勝つのがどちらかなど分かりきっており、加えて堂島と乾は恵のテリーヌを既に食べ、その手腕を把握しているはず。

 食戟で勝つのはどちらか。そんなものは食べずとも、四宮だと察していなければおかしい。

 

 乾は四宮と同じく、自身の城を持つプロの料理人。日本料理がメインでジャンルは違うかもしれないが、その味覚は本物である。

 恵のテリーヌを食べて美味しいとは口にしていたが、だからと言って四宮と張り合えるとは思っていないだろう。故に、不可解なのだ。何故今回の食戟を押し通したのか。何故退学の引き延ばしにしかならない行為をしたのか。

 生憎と堂島は、会場の準備をしてくると言ってこの場にはいない。だから乾の考えだけでも聞こうと返答を待つ。

 

「そうですね……。確かに、恵ちゃんではプロの料理人である私達に到底及ばないでしょう。けど、四宮先輩の食戟に勝敗は関係ありません。だって先輩は、一度だって食戟で対価を要求したことが無いじゃないですか」

「…………」

 

 暫くして乾から紡がれた言葉に、四宮は思わず押し黙った。

 

 食戟と言えば、元遠月生徒からすれば懐かしい響きだ。

 そして乾にとって、当時の四宮の食戟は特別記憶に残っている。どんな対価を相手から要求されようと、決して自らは求めない。そんな先輩の姿が。

 

 ――何故無茶な食戟をするのかと、本人に直接聞いたことがある。

 だが四宮は、その質問の度に言葉を濁し。後に水原から聞いた話で、かつて学園に在籍していた とある生徒の真似をしているのだと知った。

 その生徒は乾が中等部に入学するのと入れ替わるように退学しており。十傑の権限で過去を調べても、詳しい記録は残されていなかったと記憶している。

 

「食戟の度に負けたらどうしようって、気が気じゃなかったんですよ? 十傑の席も退学も平気で賭けちゃいますし」

「……説教ならもう聞き飽きたよ。それに、もしもの時は私の店で雇ってあげますって言ってなかったか?」

「――そんな事も、言いましたね……」

 

 四宮と知り合った当初は、その考えを理解できなかった。いや、今も完全には理解できていない。

 意見がぶつかり合い、口論になることも多々あった。食戟の度に、人生を棒に振る賭けをするのは止めてくれと何度も言った。

 そんなある日。意地でも考えを改めない四宮に、つい――勢いで言ったのだ。

 

『何度でも言うが――これは俺個人の問題だ。俺がどうしようが、俺の勝手だろ』

『……分かりました。じゃあ、四宮先輩がもし料理人になり損ねたら。その時は私が先輩を貰います』

『はぁ? 俺がヒナコの店で働くってことか?』

『そ、そうです!』

『……分かったよ。もしもの時はな。まぁ、そもそもヒナコに自分の店を開けるかどうかが疑問でならないがな』

『できますよ! それはもう、四宮先輩を超えるような立派な料理人になるんですから、覚悟しておいてください!!』

 

 結局は……と言うべきか。四宮は遠月十傑 第一席まで上り詰め、あんな口約束などとっくに忘れられていると乾は思っていた。

 今の反応を見る限り、言葉の本当の意味はやはり理解していないようだが。

 

「けどな、ヒナコ――」

 

 そんな甘く切ない青春時代を思い出していた乾に、四宮は追い打ちを掛けるように言った。

 

「確かに俺自身は対価を要求したことはないが、相手自ら提示された場合は話が別だ」

「……え?」

「それに、今回は食戟じゃない。あくまでも非公式の食戟だ」

「じゃ、じゃあ。もし恵ちゃんが四宮先輩に負けたら……」

「そんなの、退学に決まってるだろ」

 

 何の迷いも無く言い放たれたその言葉に、乾は顔を引きつらせる。

 ――そうだ。そうなのだ。この先輩はこういう人であったではないか。四宮のことは乾もよく分かっていたはずなのに、すっかりと安心しきってしまっていた。

 

「俺はこの部屋だ。堂島さんから何か連絡があれば教えてくれよ」

 

 そう言い残し閉じられたドアの前で、暫し呆然と佇む乾。

 

「これは……まずいですね」

 

 あの余裕綽々なヘラっとした顔は冗談ではなく、四宮はやると言えば本気でやる男だ。

 恵が食戟で負ければ退学というのが決まった今、果たしてどうすれば阻止する事ができるのか。

 

 乾も割り当てられた部屋に戻り、脳をフル回転させた結果……一つの答えに辿り着いた。

 それはあまりにもセコイ、食戟に於いて禁じ手と言える行為。だが、形振り構っていられない。それに、四宮は言ったではないか。これは非公式の食戟だと。

 

「なら、何をしても構わないですよね……」

 

 不敵な笑みを浮かべ、早速とばかりにスマホを取り出し、乾は協力者となり得る者達に連絡していくのだった――。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 遠月離宮の別館。その地下一階の厨房で、食戟が執り行われる事が決定した。

 今この場にいるのは、創真と恵を呼びに行った堂島を除いた五名。

 食戟をする四宮。審査員として招集された関守、水原、ドナート。そして、椅子に縄で縛られた乾。

 

「うぅ……。いったい誰ですか、私を密告したのは……」

 

 彼女がしようとしたこと。それは言ってしまえば不正行為である。具体的には、そうするように呼びかけた主犯だ。審査員として集まった三人に、例え四宮の方が美味しくとも恵に票を入れてくれと――。

 が、それが四宮にバレて敢え無く御用。現在の椅子に縛られるという状況が出来上がっていた。

 

「水原先輩ですか?」

「私は特には」

「じゃあドナート?」

「俺は昨日恵ちゃんに出会ってから、ずっと彼女のことを――」

「黙っていてください。それならまさか……」

「俺でもないからな」

 

 完全に自業自得なのだが、本人は何故四宮にバレたのか納得がいかないらしい。三人にそれぞれ問いただすも、全員違うと言い張る。

 その時、乾の頭に何かが当たり。見上げれば、紐を通した段ボールを持った四宮と目が合った。

 

「誰からも聞いちゃいねぇよ。どうせヒナコならそうするだろうって鎌をかけただけだ。相変わらずお前は――単純な奴だな」

 

 手に持ったそれを乾の首にそっとかけながら。ぶっきらぼうに、だがどこか優しくもある四宮に、乾はさっと顔を伏せた。

 顔が熱いのも、鼓動が高鳴っているのも、気のせいではないだろう。

 全てを見透かしてくるような四宮の瞳を間近に見て。そしてこの合宿が始まってから起きた彼とのやり取りに、必死に押し留めようとしていた学生の頃の心残りが甦る。

 伝えようとして素直に伝えられず、結局最後まで気付かれなかった感情。

 

 ――やはり私は、先輩のことがどうしようもなく……。

 

「――って、何ですかこれは!?」

「あん? 何って、見たまんまだろ」

 

 顔を伏せ、視界に入ったそれを見て、乾は思わず声を上げた。

 そこにあったのは、お手製感が満載な首かけ段ボール板。板の表面には『ただの観客』と、マジックでデカデカと書かれていた。

 

「これ以上何かされると面倒だからな。ヒナコはそこで椅子に縛られて黙って観てろよ」

「酷いです! 酷いですよ 四宮先輩!!」

「外野に何を言われようが、知ったこっちゃないね」

「先輩のバカ、アホ、マヌケ、人でなし、意気地なし、頑固者、頭でっかち、ナルシスト、鈍感野郎――って痛い痛い痛い痛い!」

「はいはい。ただの観客は静粛に」

 

 青筋を立てる四宮と、右手一本で顔面を割れんばかりに掴まれる乾。

 そんな二人のやり取りを見て、審査員であり同朋でもある三人は昔と同じようにため息を吐き、顔を見合わせ微笑んだ。

 ――相変わらず、四宮と乾は何も変わってないなと。

 

 

 

 ――その後。堂島によって連れられた創真と恵が加わり行われた食戟は、当然のように四宮の勝利で終わった。

 四宮の皿には票を表す三枚のコイン。対して恵の皿には一枚のコインもない。

 審査員の評価はどちらも上々だった。だがやはり、経験の差がありすぎたと言うべきか。プロの料理に学生は敵わなかった。

 

「実力の差は歴然……。四宮の圧勝という所だな」

 

 これにより、恵の退学が決定。力になれなかったと謝る創真に、恵の涙が溢れ出した時。

 ――パチッと、一枚のコインが皿に乗せられる音が厨房内に響いた。

 視線を向ければ、堂島が恵の皿の前に立っている。

 

「勝負はもう着いたはずですが、それは何の真似でしょうか 堂島さん?」

「む? いやなに。俺はこちらの品を評価したいと思ったのでな」

 

 四宮の問いに、堂島は悪びれた様子も無く言ってのける。

 審査員でもないのに、一体何のつもりなのか。そもそも票を投じるにしても、何故恵の皿なのか。

 理解不能だと語った四宮に、堂島は一枚のコインを投げ渡した。

 

「本当に分からないのか? 田所くんが作った料理。その中に答えはあるぞ」

「……どういうことですか?」

「四宮。お前は今、停滞しているな?」

「――ッ!!」

 

 

 

 ――遠月茶寮料理學園 79期 卒業式式典。

 卒業するその日を、四宮は遠月十傑 第一席として迎えた。

 第一席。それは、かつて在学していた若菜と同じ席次。

 彼女に弟子にしてくれと頼み込んだ時、私と肩を並べられる料理人になれたと思ったらまた声を掛けてくれと言われ、そして当人に勝手に姿をくらまされ。

 気持ちを整理し、彼女と並び、あわよくば超える為に。ただがむしゃらに、学園を過ごしてきた。

 だがそれでも、若菜には到底敵わない。同じ第一席であっても、格が違い過ぎた。

 

『フランスで自分の店を持って、プルスポール勲章を獲る』

 

 その年に最もフランス料理の発展に貢献したシェフへ与えられる勲章。もし獲れたとすれば日本人初の快挙となることを目標に、海外で腕を磨くことにした。

 そうすることで自分の料理を完成させ、名を上げ、いつか若菜と並び、彼女の目に留まると思って。

 

 六年間フランスで修業し、自分の店を開き、スタッフすらも敵であると思うようになり。

 切り詰め、切り詰めて、張り詰め通して――プルスポール勲章を獲った時、改めて分からされた。

 

 ――ああ。やはり、あの人には敵わないなと。

 

 四宮の中で生きる若菜は、遥か先へと行っていた。

 いや、彼女は止まっている。何故なら四宮は、あの日以降、若菜の食戟を見ていないのだから。

 なのに、それなのに、追い付けない。

 

 プルスポール勲章を獲って、次はどうすればいいのか。

 どうすれば、若菜に追い付くことができるのか。

 ここはまだ頂ではない。通過点でしかない。それなのに、それなのに周囲の人間は、四宮を称賛する。

 

 いつしか周囲に流され、納得して――足を止めてしまった。今更若菜に追い付く必要はないのではないかと、思うようになってしまった。

 

 

 

「気付いているんだろう? 勲章を獲った今、次に何処へ向かえばいいか分からなくなっている事」

 

 気付いている。そんなことは、他ならぬ四宮自身が一番身に染みて分かっている。

 料理人にとって、停滞とは退化と同義。必死に詰めた若菜との距離もまた、徐々に広がっているのだと。

 

「四宮。この勝負で看板料理(スペシャリテ)を出さなかったのは、自分の料理が止まっている事を 俺たちに知られたくなかったからか?」

「――違うっ!!」

 

 その問いを、四宮は咄嗟に否定した。

 いや、それは否定と言うよりも、叫びに近かっただろう。

 

 堂島の言い分は確かに間違っていない。停滞している事は認めよう。

 だが、それが看板料理を――必殺料理を作らなかった理由ではない。

 

 ――作らなかった本当の理由。

 それは、自分の手で作った必殺料理を……今出せる最高傑作を――認められたくなかった。

 美味しいと、頑張ったと、一流だと認められたくなかった。

 その時こそ、完全に立ち止まってしまう気がして。

 

「俺は……俺の料理はまだ、認められる訳には いかないんだ」

「……そうか。お前はまだ、必死に足掻いていたんだな……」

 

 ただ一人。堂島だけが納得したように頷き。両手を力強く握りしめた四宮に、恵の料理を差し出した。

 

「食ってみろ。今のお前に、田所くんの料理はピッタリだと 俺は思うんだ」

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 食戟が終わり 閑散とした厨房内で、堂島は目前に置かれた二枚の皿を眺めていた。

 その皿にはそれぞれ、三枚のコインが置かれている。

 

 ――あの後。料理を食べた四宮が恵に票を入れ、乾も半ば強引に参加することで食戟は引き分けに終わった。

 それ自体は良かっただろうと、堂島は思う。

 

「……堂島さん。こちらの皿、下げてもよろしいでしょうか?」

「む? あぁ、悪いな 関守」

 

 見れば、もう片付けはほとんど終わっていた。

 今回の食戟を取り仕切ったのは堂島であり、片付けはしておくと言ったのだが。関守だけが手伝いを買って出て、この場に残っていた。

 

「……四宮の停滞は、鋭すぎる才覚故……ですか」

 

 皿を見つめ、ポツリと呟いた関守の言葉に 堂島は首を横に振る。

 

「確かにそれもある。だが、奴の根底にいるのはあの料理人――芳賀若菜だ」

「それはまた……随分と懐かしい名前ですね」

 

 芳賀若菜。その名を関守は知っていた。

 寧ろ、彼女が在学していた時期にひと月でも遠月にいれば、知らぬなどあり得ないだろう。

 今では存在そのものが幻となった生徒。狂気とも呼べる食戟の頻度と、一度も黒星を付けたことがない料理技術。

 全ての食に精通していると言われ。デキる料理人が若菜の食戟を見ると、自身の料理像が呑まれてしまい、その姿すらも拝めなくなるとはよく聞いた話だ。事実、関守も若菜の食戟を観戦しないようにしていた事を、今でも覚えている。

 

「四宮は遠月では珍しい庶民上がりだ。奴は(はな)から第一席の実力があった訳ではない。故に早期に彼女を目標とし、惹かれてしまった」

 

 最初こそ問題はなかっただろう。学生時代は誰もが未熟で、まだまだ伸びしろがあり、限界は見えない。

 けれど目標とは、達成してこそだ。それなのに若菜を目標としてしまった四宮は、どれだけ研鑽しようと彼女には届かず、そのまま一流の料理人となってしまった。皆が手前でゴールする中で、四宮だけは走り続け――立ち止まってしまった。

 

「目標があるのに一向に届かない。俺だってその立場なら 立ち止まっていたかもな。だが、それでも四宮という料理人は一人で進もうとしていた。お節介だったかもしれないが、俺が四宮に食戟をさせたのは、軽く背を押す切っ掛けがあればと思っただけさ」

 

 その堂島の期待に恵は見事答え、そして二人は今日を(さかい)に変わっただろう。

 未来ある料理人がこれからどう進んで行くのかと考えながら、堂島は若菜の姿を思い浮かべた。

 

「思えば彼女もまた、不必要と思うモノを切り捨て、壊れてしまったのかもな……」

 




 敢えて言うと、最後の堂島の言葉はあくまでも彼の視点から見たものです。

 どうも~約二ヶ月ぶりですね。
 いよいよアニメが始まるという事で、何とか投稿を間に合わせることができました。
 と言っても、色々端折った感が凄い。良い具合にまとまらなかったのは許して……。文章力が欲しい、切実に。

 さて、前回のアンケ、ご協力ありがとうございます。
 食戟の描写は結局なくしました。書こうと思ったんですが、そこまでの気力がなく……。気になる人は原作を読みましょう。

 気を取り直して、今回の話について。
 若菜が介入しているせいで、色々と展開が変わっております。後は原作で語られていない部分などを想像で書かせてもらいました。
 四宮と乾は結局どうなったんですかね。他にも色々カップリングはありましたが、果たしてどうなったのか……。ファンブックだけでも買うべきかな~。まぁ、多分買わない。

 ……ダメだ。後書きの書き方とテンションを忘れてしまった(笑)
 寧ろ作者的には好き放題言える後書きの方がメインまであったのに~。

 そうだ。実は最終回の展開がちょっとブレてきているんですよね。
 最終回はこうしようって元から決めていたんですが、そこまで辿り着ける自信がなく。作者としては第一部でほぼ完結していて、この第二部であるIFストーリーは本当に気楽に適当に流して終わろうと思っていたんですが、何か普通に連載みたいになってしまい。
 正直な話、多分このまま続けるのは難しいです。
 なのでその内、唐突に時が流れて最終回を迎えたらごめんなさいと先に謝っておきます。
 休載はしても失踪だけはしたくないので、どんなに強引な形であれ完結することをご了承下さい。
 多分流れとしては、宿泊研修は普通に終わって、そこから時の流れが早くなると思われ……。その場合はもちろん、物語の設定や補足説明は完結後にするつもりです。

 ではでは、できれば月に最低一話投稿を目指して頑張ります。
 お気に入り、評価、感想など。お気軽に。


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第八話

 いつもより短め。
 後書きは恐らく過去最長の模様。
 それとアンケも最後にあります。


 宿泊研修――三日目の夜。

 五泊六日にかけて行われる地獄の合宿であるが、事前に配られたしおりには今以降の予定はほぼ書かれていない空白地帯となっている。

 各々が風呂を済ませた所で呼び出された会場は、何時に無く静かだった。

 連日の疲れから声を出すのもしんどいという生徒が大半で。また、これから確実に何かが行われるという緊張感もあっただろう。

 今ここにいるのは全員生き残ってきた者ではあるが、目の前で他の仲間達が退学させられる瞬間を見てきた。事実、既に200人を超える退学者が出ており、初日に比べて会場がやけに広く感じるのは気のせいではない。

 

「よし、集まったようだな。全員、ステージに注目してくれ」

 

 集合時間である午後十時となり、生き延びた生徒全員がいる事が確認されると、遠月リゾート総料理長 兼 取締役会役員である堂島がマイクを手にステージに立った。

 

「集まってもらったのは他でもない。明日の課題について連絡するためだ。課題内容は……この遠月リゾートのお客様に提供するにふさわしい“朝食の新メニュー作り”だ!」

 

 ホテルに於いて朝食とは、宿泊客の一日の始まりを演出する大切な食事。言わばホテルの顔である。

 そのテーブルを晴れやかに彩るような、新鮮な驚きのある一品を学生に提供してもらう。それこそが明日の課題であった。

 

「メインの食材は卵! 和洋といったジャンルは問わないが、ビュッフェ形式での提供を基本とする。審査開始は明日の午前六時だ。その時刻に試食できるよう準備してくれ」

 

 明日の午前六時から開始。でありながら、現在の時刻は午後十時。

 つまり課題までの時間は八時間しかなく、試作や仕込みの時間も考えると多くの者にとって寝ている時間は無いと言ってもいいだろう。

 

「朝までの時間の使い方は自由。各厨房を開放するからそこで試作を行うも良し。部屋に戻り睡眠をとるも良しだ。詳しい試験内容の資料は今から配布する。各自受け取ってくれ。では……明朝六時にまた会おう。解散!」

 

 ここにきて今までで最も難易度の高い課題。加えてビュッフェ形式という事は、共に生き残ってきた者達を出し抜き、潰し合わなければならない。

 配られた資料を見れば、二時間以内に200食を達成した生徒は合格。そうでない者は不合格と、中々にハードだ。

 一秒すら惜しいと学生が会場を後にし、青葉もえりなと緋沙子と共に薙切家専用の厨房へと訪れていた。

 遠月ホテルにまで専用の厨房があるとは、流石としか言いようがない。

 

「私はもう休みますが、青葉くんと緋沙子はまだ試作を?」

「俺はまだ仕込みで時間がかかるかな」

「は、はい! 私もまだ半ばですので……」

 

 課題を宣告された時点で作る品は決めていたのか。

 淀みない手つきで試作し、早々に部屋に戻ろうとするえりなに二人は答える。

 

「そう……。分かったわ」

 

 少し悲し気な表情をしたのは、今晩はゲームができないことにガッカリしたのだろう。

 えりなにとって今回の宿泊研修はそれほど余裕であり、神の舌としての仕事や十傑の仕事から解放される休息に近いのかもしれない。

 明日の晩は一緒にUNOをしましょうと言って去っていくえりなを見送った後、緋沙子は対面に立つ青葉の姿を見た。

 

 その顔に焦りはなく、仕込みで時間がかかると言った通り、もう作る品は決めているのだろう。

 対して自分も試作をしてはいるが、ただ何となく作ってみただけで構想は固まっていない。考えれば考えるほど、本当にこの品でいけるのか。合格ラインに届くのだろうかと言う不安に苛まれてしまい、落ち着かないのだ。

 200食を作るだけならまだ楽だが、ビュッフェ形式で他のライバル達と競い合う事を考えると、どうしても様々な懸念材料が出てしまう。

 

「青葉様は、今回の朝食に作る品をどの様に決めたのですか?」

 

 直接料理のアドバイスを貰うのはまずいだろうが、このぐらいであれば大丈夫だろうと緋沙子は問いかける。

 

「……不安なの?」

「ええ、まぁ……。200食を確実に達成するような案が思い付かなくて。どうすれば、えりな様や青葉様のようになれるのでしょうか……」

 

 えりなの秘書として。そして恩人である青葉の友達として。

 もう長い間二人の姿を見て、共に行動してきたが。そうすると どうしても遅れを感じてしまう。

 遠月十傑に歴代最速で名を連ね、住んでいる世界が違う言えばその通りでもあったが、だからと言ってそうですかと納得できる緋沙子ではない。

 ――どうすれば、二人に相応しい料理人になれるのか。

 そんな内心を悟ったように、青葉は作業の手を止めると緋沙子を見た。

 

「別に、緋沙子はそのままでいいと俺は思うけどね。その方が緋沙子って感じだし」

「ふふっ。何ですか、それ? 私は私に決まってるじゃないですか」

 

 ちょっとした冗談だろうか。だとすれば珍しいものが見れたと思わず笑みをこぼす。

 そんな緋沙子に対し、青葉はわざとらしく咳払いすると。

 

「まぁ、取り敢えず。緋沙子は心配する必要はないよ。200食だって達成できる」

「ですが……」

 

 それでも不安気な緋沙子に、青葉は――。

 

「だって緋沙子の事は、俺とえりなが認めてるんだから。例え他の料理人が認めなくともね」

「――ありがとう……ございます」

 

 その言葉を聞いて、緋沙子は心が軽くなった気がした。

 仲間として、料理人として、そして……えりなの秘書として。二人に認められている。これほど嬉しいことは他にないだろう。

 

「何となく 分かった気がします」

 

 作るべき、緋沙子らしい品。

 そこに心配などいらないのだと。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 翌朝の午前六時。

 学生は抽選によってランダムな会場に振り分けられ。それぞれの会場では学生の作り上げた品が次々と並べられていた。

 そこには勿論青葉の姿もあり、割り当てられた会場の台に同じ様にして料理を並べていく。

 

「あら、青葉くんじゃない」

 

 どこか親し気な聞き覚えのある声に青葉が顔を横に向けると、そこにはアリスが立っていた。

 

「お隣になるなんて偶然ね。ちょっと位置の悪い場所になっちゃったけど、お互いに頑張りましょう」

「そうだな」

 

 今回の課題で会場と持ち場がランダムに決められたのは、少しでも公平性を生むためだ。

 会場にはそれぞれ出入り口が当然あり、そこから審査員が入退場する事となっている。

 そしてビュッフェ形式という課題故に、その審査員であるお客様がまずどの品を見て 手に取りやすいかと言えば、一番手近にある出入り口付近だ。そこから順に奥へと流れていくのは、自然な事であろう。

 そして青葉の持ち場は、出入り口から直線上ではあるが、最も遠いとも言える位置だった。

 アリスの言う通り、位置が悪いというのは確かだ。

 

『各自、料理を出す準備は出来たな? これより説明に入る。まずは……審査員の紹介だ!!』

 

 準備を終え、暫く二人で他愛もない会話をしていると時間になった。

 堂島の呼び声で扉が開かれると、そこからは老若男女問わず、少なくとも百人は超えているであろう審査員が入場してくる。

 

『遠月リゾートが提携している食材の生産者の方々! そしてそのご家族だ。毎年この合宿で審査を務めて下さっており“驚きのある卵料理”というテーマも事前にお伝えしている。そして、我が遠月リゾートから……調理部門とサービス部門のスタッフ達も審査に加わる!』

 

 そこに加えて入場したスタッフ達の中には、一度はテレビや雑誌で見たことがある顔ぶれが並んでいた。

 一つの会場でこの人数なのだから、全体で見れば中々の数だ。前半に入場した審査員は一般客のようにも見えるが、毎年審査をしているだけあってその面構えは違う。

 唯一無邪気に辺りを見渡す子供達も、素直すぎる故に遠慮なく味を評価してしまうのでやっかいだ。

 半端な料理では合格基準には届かないだろう。

 

『改めて、今回の合格基準について。生産者のプロと現場のプロ、彼らに認められる発想がなければ朝食を手に取ってはもらえない。そして、今から二時間以内に200食を達成する事。以上を満たした者を合格とする! それでは皆様、朝食のひと時を存分にお楽しみ下さい』

 

 

 

 審査が開始し、続々と審査員が気になった品を手に取っていく。

 その流れはやはり、扉から奥へかけて緩やかなものだ。数分の差ではあるが、料理を提供するうえでは注意しなければならない。

 出す品にもよるが、時間経過で美味しさが損なわれるのは致命的だ。

 程なくして、青葉の料理の前で一人の男が足を止めた。

 

「バゲットがあるのかい?」

「はい。今から焼くので、少々お待ちください」

 

 歳は40程だろうか。青葉の台に貼られた『お好みでバゲットもどうぞ』という紙を見ながら注文する。

 そして男は一息つくと、たった今気付いたかのように青葉の品を見た。

 透明な瓶に入れられているのはマッシュポテトと、その上には半熟状になった卵が乗せられている。

 

「パン、お好きなんですか?」

「え?」

「真っ先に張り紙を見て注文されたので」

 

 青葉の問いに男は頭を掻きながら、ばつが悪そうに「はい」と答えた。

 メインの朝食には目もくれず、サイドメニューであるバゲットを頼むという行為に今更ながら恥ずかしんでいるのだろう。

 そんな気持ちを誤魔化すように、男は口を開いた。

 

「実は、私は朝食でパンを食べるのが日課なんだ。いわゆるパン派ってやつかな。だから今日も朝食でパンを食べたかったんだけど……」

「なるほど。この会場で最初に見つけたのがここと」

「ははは、そういう事。手を汚れる事を嫌ってか、手間がかかるからか全然なくてね。だからここの張り紙を見て、思わず頼んじゃったよ」

 

 男の言う通り、審査が始まる前に青葉は軽く視察で歩いたが、パンを扱っている生徒はこの会場で他に見かけなかった。

 二時間という制限時間の間に数分の時間が取られるのは痛手であるし、他の学生と差別化する為に奇をてらう料理が多いのも理由の一つだろう。

 

「ところで、今更かもしれないけど 君のこの料理は確か……」

「はい。エッグスラットとなっております。そちらのスプーンでかき混ぜた後にお食べになるか、バゲットに乗せてお楽しみください」

 

 そう言って、青葉は丁度焼き上がったバゲットを一口サイズに切り分けて出す。

 エッグスラットとはロサンゼルス発祥の料理の一つだ。

 かき混ぜられた瓶の中ではマッシュポテトと半熟卵が絡み合い、ハーブと特性スパイスが散りばめられたその味を確認し。男は次に、切り分けられたバゲットで瓶から中身を掬い上げ、そのまま口に運んだ。

 焼きたてでサクサクなバゲットと、クリーミーなマッシュポテトの味わいが何ともマッチしている。

 

「……いい。凄く美味しいよ。これで今日も生きていけそうだ」

「ありがとうございます」

 

 男はそのまま食べ進めていき、やがて手が止まった頃には瓶が空になっていた。

 

「それじゃあ、僕はそろそろ場所を移そうかな。いつまでもここにいたら他の人にも悪いしね。もしかしたら、またここに帰ってくるかもしれないけど」

 

 見れば、青葉の台の前には続々と審査員が集まり、エッグスラットもそれに応じて無くなっていく。

 今ではバゲットも常時焼いている状態だ。

 

「その時は是非、他の皆さまにも宣伝してもらえると助かります。丁度200食分しか作る予定はありませんけどね」

「それは困るな。このままですらすぐに無くなってしまいそうだ」

「パンだけでよければ、バゲット以外にも完売後に焼きますよ?」

「ははは。すまないが、今日はもう君のエッグスラットがないと食べる気はないよ」

 

 そんなやり取りを終えた後。男は青葉の隣、アリスが分子ガストロノミーの最新調理器具を駆使して作った斬新な料理の前に足を止めていた。

 

「ちょっと青葉くん! さっきから私の料理を食べに来る審査員のほとんどが青葉くん経由なんだけど!!」

「ん? 売れ行きは順調みたいだし、問題ないんじゃないの?」

「むー。そうだけど、それだと私は納得がいかないのよ!」

 

 そうして時間は過ぎていき、今日最初に課題に合格した者の名が全会場に響き渡った。

 

『芳賀青葉――200食達成!!』

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 それからはあっという間だった。

 宿泊研修で一番の山場は四日目の朝に行われた朝食の新メニュー作りであり、そこを乗り越えた者達にとっては後の課題は簡単……という訳ではないが、まだ楽な部類だ。

 最終日まで生き残ったのは629名。実に352名もの生徒が脱落し、退学する事となった。

 

 そして――合宿最後のプログラム。

 ロビーに集合した学生の脳裏に過るのは、やはり新メニュー作りのような課題。ここに来て退学はしたくないと内心で悲痛な叫びを上げる者もいる中。

 

「宿泊研修の全課題クリア、おめでとう!!」

 

 という、堂島の声と共に開かれた扉の向こうには、遠月の卒業生達が作り上げたフルコースがあった。

 悲痛から反転、歓喜の叫びがロビーに響く。

 我先にとテーブルに腰掛ける生徒。料理を食べて泣く者も現れ、宿泊研修は終わりを迎えた。

 

 

 

「うわっ。なんだこれ」

 

 その夜。今日は一晩ぐっすりと寝て、明日の朝に遠月学園へと帰る生徒の一人である青葉は、五日振りにスマホの電源を入れた。

 今までは課題に集中するべく、外部からの情報は遮断していたのだ。

 画面を見れば、そこには主に十傑メンバーから通知が送られてきている。

 その内容は様々だ。

 

 えりなと青葉がいないから十傑の仕事が片付かないだの。

 お菓子がなくて定例会に行く価値がないだの。

 もし退学になったらまずは俺に言えだの。

 

 中でも一番通知が多いのはももだ。

 要約すれば初日から「別に気にしてないんだから」と言いながら、朝昼晩と毎日何かしら送られてきており、絶対に気にしているだろ と言わざるを得ない。

 青葉が既読した瞬間に合否を聞く通知が飛んできて、合格したと伝えればスペシャルデザートでお祝いすると言い出したので大袈裟だと青葉は断った。

 

「司先輩、大丈夫かな……」

 

 何はともあれ。青葉が一番に思ったのは、資料の山に埋もれて倒れている瑛士の姿であった。

 




 どもども、短めですが割と早めに投稿できました。
 早速ですが、以前から後書きで言っていたボツネタを軽く紹介します。



 今回の”朝食の新メニュー作り”ですが、最初は青葉とアリスの協力で書くつもりでした。
 同じ会場に割り振られて、悪い位置から一気に他の生徒から審査員を奪う感じでね。
 まず色々置いといて、作者の頭の中ではアリスが分子ガストロノミーでデッカイ調理器具を使ってこの朝食課題をクリアしていると思っていました。
 そんなものが会場にあれば、遠くから見ても目立つ訳ですね。
 そして青葉に”驚きのある”朝食作りということで、昆虫食を作らせて会場にはデッカイガラス張りのケースに虫を入れて、実際に調理で使う訳ではないですが目を引かせる為に用意。
 そのケースを用意する際に事前にリンドー先輩に連絡を入れて、貸しを作るみたいな展開も交えながら。そして会場に入った審査員(子供)が興味を引かれて真っ先に青葉とアリスの所にいく……。みたいな想像をしてました。
 子供が真っ先に行くことでその親が、他の人も気になって生徒の料理を流し見しながら向かうみたいな?
 この展開で書くなら会場は偶然でも持ち場はランダムにせず、希望性でいくつもりでした。そうすることで青葉とアリスが真っ先に誰も取らない不利な場所に行って、だけど審査員の目を引くことでそれが好転し、他の生徒は……って感じで。
 なので今回はその名残みたいな感じで書いている場所が所々あります。

 じゃあ何でボツにしたの? っということですが、まず原作やアニメを見てもアリスは会場にそんなデカい調理器具を入れていませんでした。小さいやつすらもなし。
 料理の作り方を作者はしらないので何とも言えませんが、恐らく380食分をアリスは事前に用意して会場に持ち込んだんでしょう。つまりアリスは卵にストローの穴を開ける作業を事前に380回行っていた……? 機械で開けるにしても中々に苦行そう。
 まぁそれはいいとして、別にこれなら原作から外れて無理やり持ち込めばいいじゃんって話ですが、問題は青葉の方にありまして。
 ……昆虫食って、どうやったらいい感じの料理になるの? っという問題にぶち当たった訳です。
 見た目そのままもあれですし、潰すとかはちょっと……。そもそもどう調理するの? どんな虫? 味は大丈夫?
 そんなこんな考えてたら、これは無理だという結論に至りボツになりました。
 もし今からでも食戟のソーマで二次創作書いてこのボツネタを活かしたい方がいればどうぞ~。



 さて、そんな訳で今回で宿泊研修編が終わりました。
 前回言ったように、恐らくここから時が加速していくと思われます。
 恋愛要素とかオリジナル要素はちょこちょこ入れていけたらな~って感じ。
 恐らくもう忘れていると思いますが、今話の本文の最後にもある通りももは青葉に気がある設定ですので。
 えりなとももの駆け引きはかなり前から思い付いているのが一つあるので、それは確定で書くかな。
 原作で恋愛要素全くなかったし、少しくらい……ダメ?
 まぁ作者が練習も兼ねて書きたいかな。前回の四宮と乾のやつも勝手に入れてみたし、今更気にしない。
 別に結ばれるところまでは行かないから、創えり派の読者様も安心してね。そこまでガッツリ恋愛を書く気は無い。

 今の作者の課題は、ここからどう時を加速させるかなんですよね。恐らく今読んでくれている読者様のほとんでは原作既読かアニメは見ているかと思うので大丈夫だとは思いますが、中には全く読んでも見てもないって人はいるのかな?
 だとすると飛ばし過ぎたら混乱しかないんですよね。
 まぁ、そうなって本来の展開が気になるなら原作を買ってくださいと言っておきます。
 原作を一巻も持っていない作者がいうのもあれですけどね。レンタルして読んでるし。そもそも創真達が二年生以降の展開はネットで拾った大まかな情報しか知りませんし。

 前回の不調が嘘のように何故か後書きが書ける。
 多分前回の話は全体を通して一番の難産だったからですかね。
 構想はあっても文字に起こせないのが辛くて、良いモノが書けないのは中々くるものがあったし。
 とか言ってたら次回また難産になりそう。どうやったら地の文をサラサラ読みやすく書けるんだ、本当に。
 これでも中学時代に趣味で書いてたクソ小説よりも結構書けるようになったはずなんですけどね。
 いつかちゃんと完結まで辿り着けるようになりたい。
 皆さんも是非挑戦してみましょう。文にしなくとも、ちょっとした思い付いた事をメモに書き溜めるだけでもいいと思いますよ。
 ふとした時に見返すとそんな発想があったか……って過去の自分に感心します(笑)

 勧誘はこのぐらいにして、次回はいつ投稿になるかは未定と言っておきます。
 時間を飛ばすにしても色々考えなくちゃだしね。
 そうだ。アンケートも取りますか。今読んでくれている読者が食戟のソーマの原作とアニメをどのぐらい見ているか。
 それで時の流れも少しは考えやすくなりそう。

 さてさて、かなり長くなりましたが、いよいよ後書きも終わりです。
 後書きだけで2000文字超えるって、過去最長かな? 前回が少なすぎた影響もありそう。
 というか2000文字って、短めの二次創作1話分の小説ぐらいありますね……。
 この量を構想なしでも後書きなら10分ちょっとで書けるのに、本文は全く進まないから不思議だなぁ……。

 ではでは、次はいつになるか分かりませんが、また読んでくれると嬉しいです。
 お気に入り、評価、感想など。お気軽に。
 下にアンケがあると思うので、気軽に押してね。


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第九話

 今回もちょい少な目。
 時間も多少飛びます。


「今日は皆、やけに静かだな」

 

 普段の私生活で自ら話すことの少ない綜明が、周囲を見渡してそう呟いた。

 遠月十傑の定例会が行われる室内。

 十傑が集まれば普段なら多少の私語が当たり前にあるこの空間は、彼の言う通り 今日に限ってはやけに静かだった。

 

「…………」

 

 一番の要因はやはり、竜胆が黙って座っているせいであろう。

 ムードメーカーで、良くも悪くも話の起点と中心になる彼女が黙ると、どうにも調子が狂わされる。

 冬になると爬虫類のように動かなくなる事もあるが、今は春から夏になろうかという時期。寒さが原因でないとすれば、こうなっている理由は一つしかないと この場にいる全員は理解していた。

 

 ――いつものメンバーが欠けているから。

 具体的には、宿泊研修に行っている青葉とえりながいないからだと。

 

 まだ、出会って同じ十傑のメンバーとなってからたった数ヶ月。

 特に深い関わりを持った訳ではないが、どうやら二人の存在はそれなりに大きかったようだ。

 それは、竜胆以外の十傑にとっても例外ではない。

 いなくなってから初めて気付くとは、まさにこの事だろう。

 竜胆の隣では、普段青葉が座っている席にももが腰掛けていた。

 此方もただ黙って、ブッチーと名付けられたぬいぐるみを力強く抱き締めるだけだ。

 

 誰も――二人が退学するとは思っていない。

 寧々も、慧も、照紀も、枝津也も。

 しかし、二人について話すことは不思議とはばかられた。同時に、他の話題について話すことも。

 

「……それじゃあ、始めようか」

 

 暫しの間を置いて、瑛士はトンッと資料の束を卓上で整えながら、定例会の開始を告げた。

 何事も無く定例会を終えた後、竜胆が一年生の分まで割り振られた十傑の仕事を 無言で瑛士の前に差し出したのは言うまでもあるまい。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 この日、ももの機嫌はすこぶる良かった。

 理由は勿論、一年生の宿泊研修が終了し、青葉が無事に帰って来たからだ。一応えりなも難なくクリアしたのだが、それに関してはどうでもいい。

 もも特製のデザートでお祝いすると伝えれば 大袈裟だと遠慮されてしまい、ならばサプライズする形で振る舞おうと 鼻歌まじりに調理を進める。

 作っているのは勿論、ももと青葉の二人分のデザート。今日は青葉が帰ってから最初の定例会が行われる日であり、それが終わった後に誘おうと考えていた。

 これも全て、可愛いお気に入りの後輩の為である。

 

「むっ……。もうこんな時間」

 

 盛り付けに集中するあまり時間を忘れ、気付けば集合時刻ギリギリだ。

 早く会いたい。されど、後でたっぷりと二人きりの時間はあるだろうと足早に向かい、扉を開ける。

 

 そこには既に、ももを除いた九人が座っていた。

 だがその光景を見て、思わず顔をしかめる。

 ――ももの席がない。

 いや、具体的にはあるにはあるが……。

 

「あら? 随分と遅かったですね、もも先輩」

「……何のつもりかな? えりにゃん?」

 

 常日頃から青葉にまとわり付くひっつき虫、薙切えりながいた。

 

「そこ、ももの席なんだけど?」

 

 ももが指差すそことは、当然今えりなが座っている青葉の隣のことである。

 青葉が十傑に加わってからずっと座ってきた席を勝手に取られれば、顔もしかめたくなるものだ。

 まさか、間違えて座ったという事はあるまい。その証拠に、えりなはももを挑発するかのように不敵に笑っている。

 

「別に、誰がどこの席に座ろうと自由じゃないですか? 私はただ、この席が空いていたので座ったにすぎませんが?」

 

 えりなの言い分に間違いはない。

 確かにこの定例会に指定席はなく、ただ何となく皆が初回に着いた席に座り続けていただけだ。

 えりなに関して言えば、青葉の隣に座りたかったが竜胆ともものガードが固く、渋々空いている席に座らざるを得なかっただけだが……。

 しかし今日、ももは遅刻寸前に入室。つまりは普段なら彼女が座っている青葉の隣が空いていた。

 ならばえりなが、その席に座らない理由はないだろう。

 普段はここに先輩であるももが座っている事など百も承知だ。

 

「ふーん?」

 

 その強気な姿勢に、どうしようかと考えるもも。

 この学園に通う生徒は、基本的に校内に存在するホテルや寮内で寝泊まりしている。

 そして、ももは知っている。青葉は普段、えりなと同じ薙切家の屋敷を利用していることを。

 まぁ、それは別にいいだろう。青葉と知り合うのが向こうの方が早かっただけであり、今更どうこう言った所でどうにもならない問題だ。

 だが、普段から同じ屋根の下で暮らしているにも関わらず、この場すらも先輩を押しのけて青葉の隣に座るのはいかがなものだろうか?

 そんなもの、まかり通っていいはずがない。けれどこの場で何と言おうと、えりなはテコでも動く気はないだろう。

 

「なら、別にいいよ」

 

 もものその言葉を聞いて、えりなは思った。

 

 ――勝った!

 

 いや、勝ったも何も無いのだが、えりなの心中は言葉で言い表すことのできない達成感で満ち溢れていた。

 もう少し抵抗されるかとも思ったが、どうやら本当にそれもないらしい。

 残った空席――普段ならえりなが座る席に着く姿を見ようと視線を向ける……が、ももが向かう先はそこではなく、青葉の席であり――。

 

「青にゃん。座ったままでいいから、少し椅子を下げてくれないかな?」

 

 突然始まり、そして終わりを迎えた女の戦いに戸惑いながら。青葉はももに言われた通り、椅子を軽く下げた。

 すると、どうだろうか。円卓と青葉の間に隙間ができるではないか。それも、体勢によっては人が一人入れそうな隙間が……。

 

「よっと」

「――なっ!」

 

 思わず声を上げるえりな。そしてももを除く全員が、驚きに目を見開く。

 もぞもぞと位置を調整し、漸く納得のいくポジションが見つかると、ももは椅子に頼み事をする。

 

「ももが落ちないように、ちゃんと支えて」

 

 椅子に拒否権はない。そもそもこうなった以上 どうしようもないと、大人しく椅子は――青葉は、その言葉に従って腕をももの前に回し、引き寄せた。

 ――完成したのは、椅子に座る青葉の膝の上に座るもも。

 可愛い後輩と可愛いブッチーに挟まれ、むふーっと この上なく満足気な表情だ。

 一見 幼い妹が兄の膝上に座っているようにも見えるが、ももは今年で高等部三年生であり、青葉は高等部一年生だ。

 

「えりにゃんはそこ、使ってもいいよ。今日からももはここに座るから」

 

 えりなに目を向けると、ももはドヤ顔でそう告げる。

 

 ――形勢は逆転した。

 

 自分もあのぐらい背が低ければ……いや、背が低くなくとも大丈夫なのではないかと思考するえりな。

 もし、自分が今のももの立場であったのなら……。青葉の膝の上に座り。背を預け。落ちないよう、より密着するようにお腹に腕を回され――。

 そこまで想像して、えりなは顔を真っ赤に染めてオーバーフローした。

 恥ずかしいとはまた違う、初めて味わう未知の感情に耐えきれなかったのだろう。

 

「いやー、これはこれは」

「うんうん、青春だね!」

「触らぬ神に祟りなし……」

 

 その光景を見る他の十傑の反応は様々だ。

 これから十傑はどうなってしまうのか。そんな一抹の不安を覚えながら、未だに定例会を始められない瑛士は気を落とした。

 

 

 

「――っと、言うような事があったのよ」

「まじか。青葉が?」

「……どうなってんだよ十傑は」

「まったくだ」

「いや、葉山も人のこと言えねぇと思うが?」

 

 あの事件とも言える出来事から時は流れ、高等部一年生 上位メンバーと現遠月十傑の顔合わせが行われる『紅葉狩り会』で、そんな会話が行われていた。

 一年生の上位メンバーが決定したのは、その間にあった『秋の選抜』でだ。

 

 ――秋の選抜。

 それは、1学期終了時に十傑によって選出された優秀な高等部一年生 60名によって行われる行事だ。

 流れとしては予選でAとBのブロックに半数が割り振られ、それぞれ上位4名の選手が本戦トーナメントに進出し、優勝者が決定されるというもの。

 選抜には予選から多くの料理界の重鎮が訪れる為、一年生にとっては自身の腕を公に示すことができる最初の機会だ。

 だが、秋の選抜は遠月十傑によって運営されている。よって十傑である青葉とえりなは運営側の立場であり、参加の資格は最初からなかった。

 

 夏期休暇を挟み、予選のお題は休暇中に告知された“カレー料理”。

 その結果、予選Aブロックを勝ち上がったのは、葉山アキラ、幸平創真、黒木場リョウ、美作昴。

 予選Bブロックを勝ち上がったのは、薙切アリス、新戸緋沙子、タクミ・アルディーニ、田所恵となった。

 

 Aブロックで注目されたのはアキラと創真だ。

 スパイスの権威者である汐見潤のゼミ生であるアキラは、その知識と技術、そして香りという武器を存分に活かす為、料理の器をパイ包みのように ナンで蓋をした。カリカリに焼けたナンの蓋を崩せば、内部に凝縮されていたカレーの香気が一気に解き放たれるという仕組みだ。

 料理の要であるスパイスには審査員をも唸らせる生のホーリーバジルが使用されており、現代カレーの究極点とも言えるそれは、94点という高得点を叩き出す。

 

 対して創真も、アキラと同じような発想に至っていた。

 一見オムレツのように見えたそこへスプーンを振り下ろせば、卵の中からリゾットが現れると同時に内包されていた香りが爆発的に広がる。

 そのスパイスと結びついた深い風味を演出している中心には、マンゴチャツネが使用されていた。マンゴーが軸になることでスパイス同士の持ち味が結びつき、料理に一段と深いコクが与えられ、美味しさが格段に跳ね上がる。

 

 香りに特化させたアキラと、味を重ねて連携させた創真の品。

 審査の結果、93点と惜しくも合計点ではアキラには届かなかったが、個人点で見れば5人中3人が創真の方に多くの得点を入れていた。

 それはつまり、もしこの場が得点制の予選ではなく、票数で決まる本戦だったのであれば――創真が勝っていた事を示していた。

 

 そして、Bブロックで一番注目されたのは恵だろう。

 点数だけでみれば88点と、ボーダーギリギリで予選を通過したようにしか見えない。

 だが彼女は、数ヵ月前まで授業評価は最悪。あがり性で本番に弱く、高等部に進学した時には退学間近だったのは 同級生であれば誰もが知るところだ。

 それが今回、地獄の宿泊研修を生き残って秋の選抜の予選に進出。それだけでも信じられない成長であるのに、その予選では小柄な体系ながらアンコウの吊るし切りを見事に捌き、“アンコウのどぶ汁カレー”で本戦進出を決めるという大番狂わせを見事起こしたのだ。

 小さな鳥籠から天高く大空へと羽ばたく。その日から間違いなく、恵自身の気持ちと彼女に対する皆の評価が一変した瞬間だった。

 

 そんな波乱万丈な予選を経て、本戦の決勝舞台に立ったのは創真、アキラ、リョウの三人。

 本来であればトーナメント形式の為、決勝に残るのは二人のはずだが、アキラとリョウの試合で審査員の一人が票を決めきれず、異例の三人で決勝を行う形となった。

 それぞれが因縁を持った対決。テーマとして選ばれた“サンマ”を三人はどう調理するべきか趣向を凝らし、後日行われた決勝戦では――辛くもアキラが勝利した。

 

 ――話を戻そう。

 秋の選抜を終えてから暫く。本戦に出場した上位メンバーは現在、紅葉狩り会に参加していた。

 この日の為に用意された屋外に畳の敷かれた会場。辺りを見渡せば紅葉が色付き、遠月の敷地内にある山々も赤く染まっている。

 ここで一年生と十傑の顔合わせが行われるが、上位メンバーである青葉とえりなも本来であれば一年生側に座らねばならない。

 しかし、何故か青葉だけが対面――十傑側に座り、それについて創真がえりなに質問しているところで、太鼓の音と共に十傑が登場。

 その人数は青葉とえりなを除いた八人。だが十傑側に用意された席は、青葉の座る場所も含めて八人分。

 これでは席が足りないではないかと思えば、ももが当然のように胡坐をかいていた青葉の上に座った為、えりなが何故そのような状況になったのかという事の経緯を軽く掻い摘んで説明していたのだ。

 

「青にゃん。食べさせて」

 

 運ばれてきた生菓子をももがねだり、青葉も先輩の言葉には逆らわず お人好しな面もあるので大人しく従う。

 その青葉の手付きはもう慣れたもので、口元に来た生菓子を一年生――主にえりなに見せつける様にももは頬張った。それを見たえりなが無意識の内に歯噛みする所までがセットだ。

 他の十傑メンバーは一切気にしていないが、一年生は初めて見る光景にある者は戸惑い、ある者は顔を赤くする。

 

「にしても青葉のやつ、もも先輩と付き合ってたんだな」

 

 創真の何気なく放ったその言葉は、知らぬ者から見れば実際そう見えてしまうので仕方あるまい。

 だがそれを聞いて、最近少女漫画で恋愛の勉強をしているえりなの不機嫌度が増すのは当然のことであり。

 

「大丈夫です! えりな様には私がいますから!」

 

 っと、それをいち早く察知した緋沙子が咄嗟にフォローに入った。

 ――とは言え、果たして何が大丈夫なのだろうか? 自分が青葉様の代わりになる? それはつまり、将来的にもしかしたら えりな様と……。

 そう自問自答した緋沙子は、あらぬ考えに至って顔を赤くする。

 けれどもえりなは、自分を励ますために言ってくれたのだと素直に受け取った。

 

「ありがとう 緋沙子」

「い、いえ!」

 

 そんなやり取りもありながら、遠月十傑と一年生 上位メンバーによる紅葉狩り会が始まった。

 




 そう言えば今日って振替休日でしたね~。
 早めに書けたし折角だから投稿した訳ですが、結構バッサリ時間を飛ばさせていただきました。
 一応違和感ないぐらいに軽く『秋の選抜』に触れてみたつもりですが、いかがだったでしょうか。
 創真や緋沙子が青葉と知り合ったことで、原作とはまた違った展開を書けたら面白かったのかもしれませんが、生憎作者は料理がからきしなので原作のままです。葉山アキラも結局ここで出すことにしました。

 ……まぁ恐らく、今後は主要キャラ以外あまり出ませんがね。
 次話はどうするかまだ考えていませんが、最終回に向けて考えようと思っております。
 けど当初予定していた最終回とは確実にズレると思うので、果たしていい感じに書ききれるかどうか……。
 一応当初に考えていた最終回は、本編が終わった後に”another story”として軽く書くなり何なりできればなって感じです。面倒になったら書かない。

 後かなり今更言いますが、オリ主である青葉に会話させると物凄く違和感を感じるんですよね。
 他の方の二次創作で読む分には全然感じないんですが、自分で書いて読むと違和感が凄くて極力青葉の会話文を書かないようにしています。
 勿論、絶対に書かないと無理ってところは書きますけどね。全然青葉の会話文ないなって思った読者様がいればそれが原因です。
 青葉のキャラが固まってないのもあるので、そこは完全に作者の力不足。

 本文の方では相変わらず司先輩が苦労し、何やらももとえりなが青葉をかけて争っていますが、二人の気持ちはご想像におまかせします。
 ももとの絡みを書きたかったから欲望のままに書いた。ヒロイン候補みたいな感じですかね?
 前々から言っていますが、特定の誰かと結ばれて終わる事はありません。どうなるのかは全て読者様の想像次第。

 さて、次回はどうなるのやら。もしかしたら次回で本編最終回まで飛ばす可能性も微量にあります。
 飛ばし過ぎたので少し時間を遡る可能性もあるかな。そこは作者の思い付き次第。
 それと、このままだと若菜の過去に関して書けないので、最終回の後にキャラ紹介をしようかと思っているので、そこに恐らく書きます。

 ではでは、またいつの日か。
 というか、時が経つのが早い……。もう後二ヶ月ぐらいで、本作を書き始めてから一年経ちますね。
 お気に入り、評価、感想など、ご自由に。
 前回のアンケも残っていると思うので、まだの人は気軽にポチッてね。


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第十話

 メリクリ。サンタさん投稿。
 今更『食戟のソーマ』の最終巻を読んで、改めて色々悩んでました。


 卓越した才を持つ料理人は絶望に抗い続け、やがて嵐に呑まれてしまう。

 

 父――薙切薊が去りゆく母を見ながら呟いた言葉は、幼きえりなにとって酷く印象的だった。

 

 

 

 ――神の舌。

 それが、料理に携わる者であれば知らぬ者はいない、薙切えりなの持つ異名である。

 幼少期から厳選された食材と様々な一流の料理を食べ、日本中の有名店の味見役の依頼をこなし。

 その才覚を活かし作られる彼女の料理もまた一級品で、自他ともに認める料理界の未来を背負った料理人の一人だ。

 そんな完璧に見えるえりなはだが、一つだけ明確に足りないものがあることを自覚していた。

 

「……ダメね」

 

 えりな専用の調理棟。食戟で手に入れてきた5棟ある内の一つで、えりなは今日も自分の料理と向き合っていた。

 彼女がダメと評した料理は間違いなく一級品。寧ろ、反論の余地がないほどに仕上がっている。それは常日頃から怠ることのない努力が、成果として現れている証拠であろう。

 それでもえりなは首を横に振る。

 こんなものは到底、必殺料理(スペシャリテ)と呼べるものではないと。

 

 かれこれもう――こんな日々を過ごすのは十年近くになる。

 それはつまり、あの果たすことができていない約束から十年ということを意味しており、えりなは一つ息を吐くと 食器や調理器具の片付けに入った。

 

『私が立派な料理人になって、必殺料理が完成したとき! ――その時は君が……青葉くんが! 一番に召しあがって下さい!』

 

 今でも鮮明に覚えている過去の記憶。

 青葉に助けられ、そして誓った約束を果たす為に、日々研鑽してきた。

 

『どう? お爺様。 これは特に自信作よ! これなら私の必殺料理として認めてくださるでしょう?』

 

 あの頃は料理を作るのが楽しかった。

 何度もお爺様である仙左衛門に試食してもらい、しかし必殺料理と認められず。それでも、日々上達していると実感できるのが嬉しかった。

 いつか必ず、必殺料理は作れる。

 そう信じて疑わなかった――あの日から十年。

 楽しさも嬉しさも、いつしか焦りに変わり。何かが足りないと分かっていながらも、その答えに辿り着くことはできなかった。

 このままでは私も、お母様のようになってしまうのではないか――。

 一人考え、悩んでいた時。また彼から、図らずとも助言を貰ってしまった。

 

『料理は突き詰めたら美味しいか不味いかだけど、本当に大切なものはそこじゃないと俺は思うんだ。その料理を、その組み合わせを、その発想を自分なら思い付いたか思い付けなかったか。例え料理が不味かったとしても、そこには自分では想像も付かなかったモノがあるかもしれない』

 

 幸平創真 対 水戸郁魅の食戟。

 そこで彼――青葉に言われたその言葉は、今もえりなの中に残り続けている。

 あの時確かに、何かが変わった。足りないピースが嵌ったような、そんな気がした。

 それでも答えは見つからない。いや、気付いている。身近にそのヒントがあることは。だがプライドが邪魔し、今まで決心が付かなかった。

 

「決めた!」

 

 最後の食器を片付け終え、えりなはいつまでもこのままではダメだと喝を入れる。

 

「――緋沙子? 今日は少し、用事ができたの。一人で大丈夫よ。夜までには戻ると思うから、心配しないで。また連絡するわ」

 

 電話越しに慌てている緋沙子に悪いと思いながら、強引に通話を切ったえりなは一人歩き出した。

 この遠月学園は広大だ。山七つに渡る敷地は移動にも一苦労で、目的地によっては車を使うことすら多々ある。

 えりながこれから向かう場所も、敷地内とは言え現在地から随分と遠い遠月の外れ。

 それでも決意を固めるために、前を向いて進む意味合いも込めて歩き出したのだが……。

 

「――これはちょっと、想像以上ね……」

 

 地図で見た時にはそれ程遠いとは感じず、掛かっても一時間程度だろうという甘い考えは打ち砕かれていた。

 この学園で最も高い山に建つ塔は遥か彼方。慣れない道を進むのは一苦労で、移動だけで二時間以上は既に経過し。体を鍛えているとは言え、普段屋敷内で不自由なく暮らすえりなにとってはそこそこキツイ。

 けれども足を止めることなく進み続け、日が暮れ始めた頃。遂に目的の人物がいる場所へと辿り着いた。

 

「やっと着いたわね――極星寮に」

 

 この場所にはここ最近、何かとえりなと関わりを持っている男子生徒がいる。

 初めて出会ったのは、編入試験場で試験官と受験生という立場として。

 今思えば、あの時食べた『化けるふりかけご飯』が全ての始まりだったのだろう。

 えりなでは想像もできなかった独創的な料理。食べた時の未知の味は衝撃で、それこそ青葉の料理を思わせた。けれども、性格はえりなと対照的で水と油。決して交わることなく衝突し――。

 

「だからこそ、なのかも知れないわね」

 

 ――新鮮で、表面上は取り繕いながらも。いつしか彼を認めていた。

 

「お? 薙切じゃん。どうしたんだ、こんな所で?」

 

 裏の農園で収穫したのだろうか。

 竹かごに色とりどりの野菜を乗せた彼と鉢合わせ、あまりのタイミングの良さにえりなは苦笑いを浮かべる。

 顔も見たくない。いつの日かそう思っていた男にまさか、自分から会いに行く日が来ようとは。

 

「幸平くん、丁度良いところに……」

「いやー丁度良かったぜ。月饗祭で久我先輩に挑むって話は知ってるだろ? 折角だしジャンルは中華にしようと思ってんだけど、まだアイデアがまとまってなくてな。味見頼むわ」

「ちょ、ちょっと!」

 

 創真は前回の紅葉狩り会で、遠月十傑 第八席の久我照紀に食戟を挑むという無茶な行動をし、結果的に食戟が成立することはなかった。

 だが条件付きで、料理に関する事で勝つことができれば食戟を受けてもいいと聞いた創真は、月饗祭の売上で勝負を挑む事にしたのだ。

 

 秋の最後を飾る遠月学園の学園祭――その正式名称こそが月饗祭。

 そして、この月饗祭は大きく三つのエリアに分けることができる。

 

 まずは一番人気の『目抜き通りエリア』。

 正門から続く大通りに仮設テントがズラリと並び、値段も千円以内とお手頃価格で最も人通りの多いエリアだ。

 

 次にあるのが、授業で使う調理棟が集中している『中央エリア』。

 専門性の高い料理や、特殊な設備が必要なジャンルの模擬店が集まり、照紀の模擬店が出展されるエリアでもある。

 

 最後に、十傑の多くが例年店を構える『山の手エリア』。

 料理人の知名度がなければ集客は困難。平均客単価が最も高い高級志向エリアで、隠れ家的レストランとなっている。

 

 模擬店を出店するかどうかは生徒の自由であり、場所も各自で選択することができる。

 自分が何を販売するのか。どこに出店するのが最適か。それらを考慮した上で、創真は十傑という肩書きを持つ照紀に 彼の得意分野である中華で挑むのだから、中々に無謀な考えと言えよう。

 現に まだ月饗祭まで時間があるとは言え、販売する料理すら決まってないのだから無計画具合が窺える。

 

「んじゃ、ちょっくら今思い付いてるのを作ってくるから、ここで待っててくれよ」

 

 えりながここに来た要件も聞かず、食堂のテーブルに座らせるや否や、創真は厨房へと入って行く。

 その後ろ姿を見送り、相変わらず調子が狂わされるとえりなは溜め息を吐くと、特にやることもないので軽く辺りを見渡した。

 外観を見た時は建物全体にツタが這い、とても人が住んでいるとは思えないような森の洋館といった感じであったが、中は隅々まで掃除が行き届いているようで綺麗だ。

 辺りにあるテーブルと椅子の数、そしてここが寮であることからして、他にも住んでいる生徒がいるのだろうと思っていると、団体の足音と話声が徐々に近づいてくる。

 一瞬どうするべきかと悩んだえりなではあるが、一応客人という立場なのだから大丈夫だろうと扉に顔を向けた。

 

「――それでその後、創真の奴がな……えっえ、えりなお嬢様!?」

「も~、何寝ぼけてんの? そんな大物がこの極星寮にいる訳……って、いるうぅぅぅ!?」

「えっと、その。お邪魔してます?」

 

 えりなが来訪している事をたった今知った寮生に 迷った末、疑問形でそう返した。

 未だ現実を直視できないのか、あたふたしている寮生。すると騒ぎに気付いたのか、厨房から創真が姿を現す。

 

「お? どうしたんだ?」

「ちょっと幸平! どうしたんだ、じゃないよ! 何でえりなさんがここにいるの!?」

「何でってそりゃ……何でだ?」

 

 数秒思案した創真であるが、今更ながらえりなが極星寮に来た理由を一切知らない事に気付き、首を傾げた。

 漸く説明できると思ったえりなではあるが、いざ面と向かって要件を伝えようとすると 途端に言葉が詰まる。それに今は、創真以外に他の寮生もいるのだ。

 出来ればこれから言う事は……いや、その考えが既にダメなのだろう。もう、プライドは捨てると決めたのだから。

 

「幸平くん。私から一つ、頼みがあります」

「お、おう」

 

 意を決したえりなの眼は真剣そのもので、先程まで騒いでいた寮生も思わず、一字一句聞き逃すまいと耳を澄ませた。

 

 

 

「私にあなたの――料理を味見させて下さい」

 

 

 

 あの神の舌直々に、味見をさせてくれと頭を下げる。

 それは見る者によっては、信じられない光景であろう。神の舌に頭を下げる者はいくらでもいようと、その逆を可能とする料理人は誰一人としていなかったのだから。

 

 ――これが、えりなの辿り着いた結論。

 自分に足りない何かを、この男ならばきっと……。

 

「なーんだ。そんなことか」

 

 えりなの一世一代の告白に、だが創真は思ったより簡単だなっと笑う。

 

「いいぜ」

 

 その言葉を聞いて、えりなは胸をなで下ろした。

 先程まで、何を緊張していたのだろうか。あまりにもあっさりとした返事に、気を張り詰めていたのがバカらしくなる。

 どうせこの男は、神の舌がどれ程のモノか 全く理解していないのだろう。

 顔を上げればいつも通りの創真がいて、ただそれだけで心が晴れていくようだった。

 

「と言うか、味見役は俺が既に頼んだことだしな。あっ、だったら夕飯 ここで食ってくか? もう日も暮れてきたし」

「え?」

 

 窓の外を見れば、既に日が傾き 辺りを赤く染めていた。

 余裕を持って来たつもりでいたが、どうやらそれなりに時間が経っていたらしい。夜までに屋敷に戻ると伝えた手前、どうしようかとえりなが悩んでいると。

 

「確か、青葉も同じ屋敷に住んでただろ? 俺が連絡しといてやるから、気にすんなって」

「ゆ、幸平くん? 何で青葉くんの連絡先を知っているの……?」

「何でってそりゃ、青葉とは幼馴染だからな」

 

 たった今知った衝撃の事実に、えりなの表情が固まる。

 最近ではあまりないが、学期初めの頃は散々創真の愚痴を青葉に言い、その度に慰められてきたのだ。それに結局合格の形となったが、編入試験の時に創真の料理を不味いと言って失格にしたのは、他ならぬえりな自身。

 もしかしたら知らず知らずの内に、とんでもない失態を犯していたのではと えりなは顔を青くする。

 ついさっき、プライドを捨てて創真に頭を下げたことなど疾うに忘れるほどに。

 

「そうだ。折角だからお前らも、今晩薙切に味見してもらえよ。全員で料理作って、久しぶりに宴会しようぜ!」

「まじか!」

「神の舌に味見してもらうチャンス!」

「ちょっと燃えるわね!」

「俺も昨日、燻した分を出すか……」

「そうと決まれば早速準備しよ!」

「おう!」

 

 えりなを置いて話はどんどん膨らんでいき、いつの間にか宴会に参加することが決定した。

 けれども今のえりなにとって、そんなものはどうでもいい事でしかない。

 

「青葉くんに、何て説明しよう……」

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 海外を放浪しながら料理を振る舞う城一郎は、基本的に一ヶ所の店に留まることはない。

 それでも根強いファンというのはいるもので、どこから聞きつけたのか 厨房に立てば決まって国ごとの常連が訪れるのはよくある事だ。

 そんな城一郎の元に、今日は珍しい客が訪れていた。

 既に営業は終了し、薄暗い店内。カウンター席には、グラスを傾ける知人の姿がある。

 

「まさか、若菜とこんな場所で会うなんてな」

「城一郎がいるって聞きつけて、久しぶりに会ってみたくなっただけよ」

 

 知人である若菜は何でもないように言うが、ここは日本ではない。

 彼女が態々城一郎の料理を食べる為に追いかけてきた可能性はほぼないだろうし、本当に偶然訪れたのだろう。

 

「確か、遠月で働いているんじゃなかったか? 何でまたこんな場所にいるんだ?」

「最初は穏便に遠月で働くつもりだったけど、色々あってね。今はまた、専属の料理人として働いているの」

 

 もう何年も前の話だが、若菜が薙切薊に専属の料理人として雇われていたことを城一郎は知っていた。その時の詳しい出来事は仙左衛門から聞き、同時に「人前で若菜が包丁を手に取ることはないかもしれん」と、嘆いていた事を今でも覚えている。

 若菜は自分の考えを曲げることがあまりない。包丁を置くと決めたら置くだろう。そう思っていただけに、付き合いの長い城一郎は少し意外そうに、若菜に問いかけた。

 

「ほー。やっぱ、料理の道を諦めきれなかったのか?」

「まぁ……それも少しあったかもしれないわね。でも、決め手はそれだけじゃないわ。その仕事が、現状私にしか務まらない。私が最も適任だと思ったから、仕方なく受けたのよ。今ではそれでよかったと思っているわ」

 

 その表情を見る限り、城一郎では想像もできないような事があったのだろう。

 あまり職場の話をするつもりはないのか、若菜は空になったグラスを城一郎の前に差し出した。

 

「城一郎は最近、遠月にいったりした? 青葉は元気かしら?」

「あぁ。遠月が夏期休暇の時に、創真に会いにな。青葉も元気そうだったが、何だ? 最近会ってないのか?」

「連絡は取り合ってるけど、直接はね。もう何年もここに住んでるから」

「……おいおい。その職場、大丈夫なのか?」

 

 てっきり休暇でここに来ているのかと思えば、どうやら仕事の合間に寄ったらしい。

 それも、実の息子と何年も会っていないとはどういうことだろうか。日本に帰る暇もないなら、中々酷い職場と言わざる負えない。

 そんな城一郎の心配する様子に、若菜は笑顔を向ける。

 

「大丈夫よ。寧ろ、私がこうして何事もなく外出できているのが何よりの証拠。近々、日本に帰れる予定だし」

「……ま、あんま無理すんじゃねぇぞ」

 

 丁度その時、カウンターに置かれたスマホに着信が届く。若菜はその内容を確認するとクスリと笑い、席を立った。

 

「そろそろお暇するわ。私の料理を早く食べたいって、駄々をこねてるみたい」

「そうか。またな」

「ええ。また、いつか会いましょう」

 




 次回、多分ですが……本編完結。

 また日を開けて投稿した訳ですが、前書きの通り今更ではありますが原作の最終巻を読みました。
 一応今までもネットである程度の情報を仕入れて書いていましたが、実はとあるキャラの存在が私を悩ませていまして……。
 本作はオリ主の影響で割と改変していますが、大体は原作遵守で書いてます。けれどそれだと本来予定していた最終回の展開では、原作と若干矛盾が生まれるんですよね。
 それが前から言っている最終回変更の理由です。
 まぁ軌道修正は問題ないと思うので、多分何とかなります。見切り発車だからこそできる切り替え。未来の私がきっとやってくれますよ。
 この件や今後に関しては補足して次回にまた書かれると思います。

 さて、本文の方ではえりなが創真に味見をさせてくれと頼みましたね。
 やはりえりなには創真が必要不可欠。果たして次回、必殺料理は完成するのか!?
 ……まぁ、それに関しては追々です。ネタバレすると次回までには完成しません、多分。
 そして後半の若菜と城一郎の会話。それが最終回の鍵になることは間違いないでしょう。
 原作では薊が登場し 総帥となりましたが、果たして本作はどうなるのか?
 ――気長にお待ちください。

 それとまた、アニメ決まったみたいですね。

 ではでは、次回も読んでもらえたら嬉しいです。
 お気に入り、評価、感想など。お気軽に。


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分岐点

 これで一応完結となります。


「うぅ~……。今日は一段とさっみーな……」

 

 季節が秋から冬に移り変わろうかという時期。

 既にこたつを出してぬくぬく生活を決め込んでいた竜胆は、外気に晒されて寒暖差に思わず身を震わす。

 その足取りはぎこちなく。だが、これから行われるイベントの事を考えれば多少軽くなった。

 

 毎年行われる遠月学園の一大イベント――月饗祭。

 竜胆からしてみれば美味い料理を沢山食べられる……程度ではあるが、その魅力は何と言っても 若き遠月生の料理を誰でも食べる事ができる点であろう。

 

 一番の目玉は勿論、遠月十傑の料理。

 卒業到達率が1%にも満たない遠月で、更に厳選された生徒のみが許された領域。将来が約束されているも同然で、そのほとんどが例外なく料理界に名を残していることからも、一足早くその料理を味わってみたいと誰もが考える。

 また、この遠月学園は原石の宝庫だ。

 中等部生も数多く参加するこの月饗祭は、現段階で注目されておらずとも、将来プロになる可能性を秘めた者は多い。

 そんな未来の十傑候補を見つけようと、注目株が集まる山の手エリアのみならず。目抜き通りエリアや中央エリアにも一般客に紛れ、お忍びで食の重鎮が食べ歩くというのはよくある話だ。

 事実、この月饗祭が切っ掛けでプロになった者も多く。生徒にも客にも、双方に利益がある。故に、遠月生でありながら月饗祭に出店をしないというのは、寧ろ少数派だ。

 

 そんな少数派の一人である竜胆は、客側として毎年参加している。

 今年の彼女の目標はいつもと同じ様に、全店舗を制覇すること。そして今日は月饗祭が始まってから五日目――つまりは最終日。

 実は既に、全店舗を制覇し目標は達成している。

 だから今日は新作料理が出ていないか適当に見て回って、今注目されている照紀と創真の売上勝負を見届けようと考えていた。

 そしてその後は――。と、そこまで考えた所で、竜胆は隣を歩く青葉を見た。

 

「なぁ青葉。今日ぐらいはさ。最終日なんだし、私……今まで頑張ったから……」

「ダメです」

「うっ……。でも、今日で他のメンバーも最終日で戻ってくるから……」

「今日で終わるからこそ、疲労が一気に出るんですよ。それに、まだ片付けとかもあるんですから、休ませてあげる為にも今日こそ頑張るべきじゃないですか?」

 

 今回の月饗祭で出店していない十傑には竜胆ともう一人、青葉がいた。

 そして十傑――遠月十傑評議会とは、学園の最高意思決定機関。当然、この月饗祭を運営しているのは十傑である。

 何が言いたいかというと、仕事をしなければならない。そうでなくとも、日夜十傑が整理しなければならない書類というのは溜まっていく。

 月饗祭が行われている今現在。手が空いている十傑は竜胆と青葉のみ。

 先程の二人の会話はつまり……そう言う事である。

 

 ……竜胆には仕事が分からぬ。竜胆は、遠月学園の十傑である。定例会の席に着き、青葉お手製のお菓子を食べながら内容は聞き流してきた。けれども割り振られた書類の山に対しては、人一倍に敏感であった。

 

 竜胆は基本的に、十傑の仕事を司に任せ(押しつけ)ていた。去年の月饗祭も何かした覚えはないが、何とかなっていた。だが今年は、青葉という後輩がいた。

 

 ――あれは、月饗祭初日の出来事。

 同じ十傑のメンバーで出店をしていない青葉に、竜胆は一緒に回ろうと声を掛けたのだ。

 それまでの竜胆から見た青葉の評価は、瑛士のような人物。温厚で優しい仲間だと思っていた。

 だが、その評価が彼女の中で一変したのは言うまでもない。

 何故なら瑛士は自分の仕事を引き受け(押し付けられ)てくれるが、青葉は引き受け(押し付けられ)てくれなかったのだから。

 逃げようとも考えた。しかし今の季節、森で夜を明かすのは厳しい。どこかの施設に隠れてやり過ごそうとも考えたが、結局はダメだった。

 

 ――竜胆先輩。逃げたらどうなるか、分かってますよね?

 青葉がやる時はやる男だと、そう竜胆が実感した瞬間だった。

 

「何で私が……」

 

 それでもやはり、やりたくないとごちてしまう。

 

「新聞部の人達が手伝ってくれるとは言え、各店舗の売上集計やフードチケットの整理とか、他にも色々あるんですからね」

「分かってるけどさ」

 

 分かっている。もう身に染みて分かっている。

 けれども、やりたくないものはやりたくないのだ。

 そんな子供のような反応をする竜胆を見た所で、青葉は切り出した。

 

「まぁでも。今日ぐらいはいいですよ」

「……え?」

「竜胆先輩が頑張っていたのは ちゃんと見てましたし。新聞部の人達とも話は付けて、昨日の内に大体は終わらせてあります。だから今日は、ゆっくり楽しみましょう」

 

 働いたらその分、休みも必要だ。

 そして誰よりも、青葉がその頑張りを認めたかった。

 

「ありがとう青葉ー!!」

「ちょっ! 竜胆先輩!?」

 

 感極まった竜胆が青葉に抱き着く。

 ただでさえ十傑の二人は目立つというのに、道端で突然そんなことをすれば余計に目立つのは必然。

 何とか竜胆を引きはがすも、その時には既に多数の生徒に目撃されていた。中にはスマホを構えている者もおり、撮影された可能性もあるだろう。

 

「そんじゃ行こうぜ!」

 

 だが竜胆は特に気にした様子もなく、上機嫌のまま青葉の腕を掴んで歩き出す。

 青葉も終わった事は仕方ないと付いて行った。

 

「それで、今日はどうするんですか?」

 

 二人の月饗祭は基本的に青葉が竜胆に合わせている。

 昨日までは全店舗制覇を目的に練り歩いていたが、それも達成した。

 

「今日は取り敢えず目抜き通りから順に新作をチェックして、久我と幸平の売上勝負でも見に行く予定だ」

「了解です……っと? ……あー、その前に、一回もも先輩の所まで行ってもいいです?」

「うん? いいけど、何でだ?」

 

 スマホを取り出した青葉が苦い顔をしながら提案し、竜胆に画面を向けた。

 

「ちょっと、機嫌を損ねちゃったみたいで」

 

 そこに映っていたのは先程、竜胆が青葉に抱き着いた瞬間の写真と。

【青にゃん。これは何かな?】

 と言う、ももの個人メッセージだった。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 月饗祭 最終日。

 初日に赤字を出し、だが四日目の売上で照紀に勝った創真だったが。前半で伸び悩んだこともあって、通算の売上金額では追い付けないかと日の暮れ始めた空を見て思った。

 

「頑張ってるなー幸平創真。でもその様子じゃ、通算の売上で勝つのは無理そうだな」

「おー、竜胆先輩。それに青葉も」

 

 創真の予定では三日目までは健闘し、四日目で圧勝してそのまま通算売上で勝つと言う大雑把なものだった。

 今日最後の胡椒餅(フージャオピン)を渡し、二人の食べる姿を見ながら考える。

 

 初日から味にはそこそこ自信があった。

 と言っても、えりなに幾度も試食してもらって「及第点」と評されたモノだったが。

 じゃあもっと詳しくアドバイスしてくれよと頼んでも、それでは模倣にしかならないと突っぱねられてしまった。

 ――アドバイスした所で、それは私の限界に過ぎないのよ……。

 恐らく本人は聞かせるつもりはなかったのだろうが、その独り言は確かに創真の耳まで届いていた。

 そこから久我照紀というネームバリューと実力に苦戦しつつも創意工夫をし、仲間の力も借りて何とか今日まで来ることができた。

 

「そうだ幸平。屋台閉めたら一緒に行こうぜ、司瑛士の模擬店」

「まじっすか」

 

 唐突な竜胆の提案に息を呑む。

 遠月十傑 第一席である司瑛士の料理。興味が無い訳がない。

 

「青葉も当然来るだろ? 私の奢りだぜ」

「お誘いありがとうございます。でも、今日はちょっと遠慮しておきます」

 

 当然承諾されると思っていたのにと、首を横に振った青葉を意外そうに竜胆は見つめる。

 

「今日はもう十傑の仕事はないはずだろ? それとも実はあるのか?」

 

 少し心配そうに問いかける竜胆に、違いますよと青葉は微笑んだ。

 

「今日は、久し振りに母さんと会えるんです」

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

「遠月茶寮料理學園……。ここに来るのも随分と久し振りだわ」

「うむ。まさかもう一度、戻って来るとはの」

 

 リムジンの車窓から見える景色。そこは二人にとって、良くも悪くも様々な事があった場所だ。

 期待と不安。二人の女性はどちらも同じ感情を抱え、そして同じ目的の為にここまで来た。

 ――果たして我が子は、元気にしているだろうか。

 

「青葉……」

「えりな……」

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 ――月饗祭もいよいよ大詰め。

 最終日の夜。目抜き通りエリアと中央エリアは既に店じまいが行われているのに対し、山の手エリアはこれからが本番と言わんばかりに 煌びやかに輝いている。

 その内の一つ。山の手エリアで通算売上二位である薙切えりなの模擬店では、残すところ後一組の予約客を待つのみとなっていた。

 

「えりな様、もうすぐ月饗祭もフィナーレですね。ご予約のお客様は残り一組だけなので、最後まで頑張りましょう」

「ええ、そうね」

 

 後一組。結局あの方――才波様はいらっしゃらないのだろうかと、今回の月饗祭で最後まで空席だった席をえりなは眺めた。

 出会いは子供の頃。若菜がえりなの専属料理人となって間もない時だ。

 若菜の事は勿論尊敬しているが、一度だけ食べた才波様の料理はやはり より印象深い。

 今だからこそ分かる。才波様も、遥か高みに存在する料理人だったのだと。そして可能であればもう一度、あの方の料理を――。

 

「いらっしゃったみたいですね。お出迎えしましょう」

 

 僅かな期待を胸に、えりなは緋沙子と共に来店されたお客様の元へと向かう。

 入って来たのは二人。けれど、どちらも女性だ。

 才波様ではないかと少し気落ちしながらも、最後まで全力でもてなそうと切り替える。

 そしてお客様の顔を見て、声を聞いて、えりなは驚きに目を見開いた。

 

「久しいのう、えりな」

「わー。えりなちゃんだ。緋沙子ちゃんも大きくなったねー」

「お母様!? それに、若菜さんも!?」

 

 驚きのあまり、予想以上に声が出てしまった。

 会話を楽しんでいた他の客も何事かと視線を向け、その道を行く食の重鎮たちが口々に言葉を漏らす。

 

「お母様。と言う事はもしや、薙切真凪……養生していたはずでは」

「それだけやない。現遠月十傑の名を見てまさかとは思っとったが、あの見覚えのある風貌。それに若菜っちゅーことは、あの伝説の!?」

 

 ざわつく店内に、えりなは軽率だったと思い 頭を下げる。

 事前に来店すると聞いていればこうはならなかっただろうが、あまりにも唐突だったので仕方ないだろう。

 

「お客様。突然大声を出してしまい、申し訳ありません。最後までディナーをお楽しみ下さい」

 

 一先ず緋沙子が二人をテーブルへと案内する。

 本来であればコース料理を作る為、えりなは厨房へと入るのだが、今回はその後を付いて行った。

 最後のお客様と言うのもあるし、何よりえりなは真凪の体質をよく知っているからだ。

 今の自分が料理をお出しした所で、お母様の口には合わないだろうと。

 

「お前も座るがよい。予約しておいて何だが、料理を用意する必要はないぞ。ゆっくり話そうではないか」

「お母様……。その、お体の具合は……」

「あぁ。今ではこの通り。全て若菜のおかげじゃ」

 

 それを聞いて、えりなはやはりかと思うと同時に、ホッとした。

 薙切真凪。その正体はえりなの実の母親にして、もう一人の神の舌。薙切家では代々神の舌を持つ者が生まれる。しかし、二代続けてと言うのは例が無かった。

 そして神の舌は例外なく、皆が料理に絶望する。えりなの知る真凪も、並大抵の料理では口にすらできず、プロと称される料理人の品でさえ喉を通らないはずだった。

 それが今、血色が良くしっかりとした足取りで歩けているというのは、余程の事がなければあり得ない。

 絶望した神の舌に対し、ここまで回復できる料理を提供する技量。今の自分では、そして大抵の料理人では不可能なそれを可能とする若菜は凄いと、えりなは改めて思った。

 

「時にえりなよ。若菜の息子である芳賀青葉という男を知っておるか?」

「はい、それは勿論。今は同じ屋敷で暮らしています」

 

 久しぶりの再会で柄にもなく緊張し、喉が渇く。

 そこへ丁度、緋沙子が紅茶を運んできてくれたので、えりなはこれ幸いと口に含み――。

 

「ならばもう、初夜はすませたのか?」

「――――ッ!!」

 

 狙っていたのではと疑いたくなるようなタイミングで真凪に言われ、吹き出すのを何とか堪えたものの、激しく咳き込むえりな。

 

「真凪さん。それは直球すぎますよ」

「よいではないか。それにこの反応では、まだのようだしの」

「しょっ、初夜って! 私と青葉くんはまだ夫婦じゃありません!」

「おや、まだとな?」

「あらあら。えりなちゃんもすっかり乙女ね~」

「言葉の綾ですっ!」

 

 からから笑う真凪に、頬に手を当てる若菜。弁明するえりなに、顔を真っ赤にしながら控える緋沙子。最早、周囲の客などお構いなしだ。

 

「悪かったな、えりな。だが良い案だと思うぞ? まだこの眼で見なければ断定は出来ぬが、青葉は神の舌の救世主――神の手じゃ。関係を深めれば、確実に絶望する未来は防げる」

「……神の手など、聞いたことがありません」

「確かに。だが現に、こうして神の舌が回復しておる。この様な事例は、過去に一度も無い。それが何よりの、神の手が存在する証拠じゃ。――それとも、あれかの?」

 

「その身を捧げ、共に歩むだけの価値ある男を、他に見つけたのか?」

 

 その時だった。扉が開け放たれ、えりなにとって見覚えのある二人の男子生徒が入って来たのは。

 




 同時投稿している『後書き』もよければご覧ください。


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後書き

 本日は先に『分岐点』を投稿しているので、まだ読んでいない読者様は先にそちらをご覧ください。


 これは単なる後書きであり、作者が本作について色々語ったり裏話をするだけです。

 読まなくても本編に支障はありません。

 

 

 

 どうも、作者の〆鯖缶太郎です。

 まず初めに、ここまで続けて読んで下さった読者様。

 本当にありがとうございます(*´∀`)

 

 さて、テンプレ的なのは置いといて、取り敢えずは同時投稿した『分岐点』に触れながら書いていきましょう。

 

 

 

 前から後書きで何度か書いていましたが、今回の第二部完結は本来予定していた内容とは全く異なります。

 そもそも、第二部そのものがほぼアイデアがない状態から書き始めたので、本編の九割以上はその場の思い付きをまとめて書いているんですけどね。

 だからその日の体調や出来事で、きっと全く違う内容が生まれたかもな~と思ったりしています。見切り発車でも何とかなるものです。

 でも、一応最終話だけは予め考えていました。それは第一部から引き継いだ通り、本作のオリ主である青葉とえりなの間には必殺料理を食べさせる約束があるからですね。

 

 創真風に言うのであれば、何かその約束を達成する為にえりなが頑張って。青葉や創真の影響を受けながら成長して。何か最後は必殺料理ができてハッピーエンド!

 みたいな予定でした。

 だから、えりなを中心に書こうかなーってふわふわと考えていたんですね。

 

 けーれーど。

 はい。途中で原作からえりなの母親である真凪が登場。しかも神の舌が何かめっちゃやばい!? まぁでもえりなには青葉がいるから……って。時系列的に何で若菜はえりなの専属なのに真凪を放っておくって展開になるんだ?

 ……ふむ。原作崩壊かな?

 

 まぁ、同様な事が第一部からあるんですけどね。

 創真の母親も青葉がお食事処で出向しだす頃には生きてましたし。感想でもまだ原作で情報が詳しく出ていない段階で質問され、既に私的にはこの歳には死んでいると思っていたり。

 まぁ、それは修正とかしてませんけど、丁度初めて食べに行った時は買い物に行っていたとか適当な理由をつければ何とかなるだろって思ってます。はい。実際に書くとなったら、創真母親の死を受けてとか色々面倒そう。

 

 ですが、今回の真凪が登場したときは流石に言い訳のしようがない。

 だって第一部の時点で若菜が遠月の裏方で働くみたいに書いちゃったし? 薊は若菜の才能を知りつつ真凪を放置していた……? うーん。

 まぁ、実際原作でも真凪よりもえりな優先にしていた節はありますが、だからと言って完全放置は流石になくない?

 そこでまぁ、薊が屋敷を出て真凪の元に会いに行き、事態が予想以上に深刻だったから慌てて若菜に頼み込んだ……みたいなのが一番自然かな~と思ってます。

 

 そして同時投稿した『分岐点』。そこで満を持して真凪が登場。

 別にえりなと真凪の仲が悪いとは私としては思っていないので、何か明るい感じに仕上げてみました。

 青葉とえりなの関係に詳しいのは若菜がいる事と、えりなの屋敷で働く使用人から情報を得ていたって感じですかね。娘の事を気に掛ける優しい母親、特に薊がやらかしちゃいましたからね。

 なので実は、薊も月饗祭の同じ現場近くにいます。ただえりなのトラウマになっているだろうということ、追放されているのもあって表には出ていません。

 多分次があるとしたら流れとしては月饗祭が終わり、客がいなくなったら家族会議的なのが行われ、薊が登場し頭を下げるみたいな?

 うん。個人的には割としっくりくる。そんな感じですかね。

 

 ただ、本来予定していた最終回とずれたのは間違いなく。実際は原作通り、薊の登場で中枢美食機関ができ、何か青葉がえりなに付いて行くとか言って、色々あって……何て感じに想像してました。

 まぁ、仮にその通りに進んでも薊編はそんなに書かなかったと思います。

 散々言ってましたが料理描写はこりごりなので……。スタジエール編とかもサラッと飛ばしちゃいましたし。秋の選抜もダイジェストだし。

 そこはもう、申し訳ないですが皆様の想像力にお任せで……。

 

 

 

 じゃあ本作はこれで終わるの? ってなると思いますが、大体一ヶ月毎にしか投稿しないしダラダラ書いている後書きの内容を覚えている読者様はお分りでしょう。

 まだ終わりません。

 具体的には、本編は終わったも同然です。

 

 今後の本作の予定としては、取り敢えず本来予定していた最終回部分のみを投稿。

 後は若菜の過去についても軽く書こうと思ってます。

 

 若菜の過去……正直書きたくないんですよね。

 何で自分は『一皿目』の時にあんな意味深なことを書いたのか……。別にどこぞの漫画みたく、父親が全く登場しないだけ! みたいにすれば良かったのにね。

 けど、当時の私は思っていたんです。家族の描写で父親が全然でないっておかしくない? じゃあ父親がいない理由を考えねばと。

 そして出来上がったのが、まぁ、はい。若菜の設定上、これなら矛盾はないだろうという暗い過去。

 正直、原作読んでいる人には少しネタバレになるかもしれませんが、薊の過去を知って思いました……。

 

 ――あれ? 若菜の過去と若干似てない?

 

 ……まぁそこまで被ってはないんですが、何か雰囲気が似てると言いますか。

 そして今に至って、やっぱあんまり若菜の過去編を書きたくないなぁ……って言うのが本音です。

 だって書いたら、100%若菜のイメージが損なわれますからね。想像するのと実際に言葉にするのは違うと言いますか。

 なので申し訳ないですが、若菜に関しては気分が乗らずに書かないかもしれません。書いたとしても、読むのは別に気にしないよって方限定かな。

 

 じゃあそれを経て何か続きを書くの? って話ですが、どうでしょうね。

 実際は他にも書こうかなーって思っていたのはあるんですよね。えりなとアリス、リョウがプールに行っていたのでそこに青葉を加えるとか。緋沙子が青葉の事を意識しちゃうルートとか。若菜が本当に狂う前の学園の過去編とか。十傑掘り下げるのもいいし。

 どれも短編って感じで、あんまり上手くアイデアがまとまらなくて結局書かなかったけどね。

 もしかしたらそう言ったのを書くかも?

 

 

 

 と言った所で、十傑から見た青葉の印象でも書いていきますか。

 そう言えば結局、ラーメンマスターは出ず……。本当は宿泊研修の時に講師の立場で出そうかなって思ったんですが、諦めました。

 オリジナルで書いた堂島が講師のやつがありますが、あれを本来 女木島冬輔を講師にしようと思ってたんですけどね。

 山で採れたモノのみを使う山菜ラーメン的な。料理に疎く描写力に乏しい私には不可能でした。

 

 では改めて、十傑から見た青葉の印象と言うなの本音。それぞれの会話口調で書いていきますか。キャラの本音なので、実際ではあまり言わなさそうな事も書くかも。

 

 

 

『遠月十傑 第一席 司瑛士』

 初めは俺ら十傑……というよりは、他の生徒とトラブルもあって心配だったけど それも落ち着いたし、関わってみると意外と真面目で安心したかな。十傑の役割を果たしてくれて、竜胆の分の仕事も受け持ってくれたりだとか、凄く助かっているよ。

 月饗祭の後の定例会で竜胆が書類を放棄するかと思ったら、珍しく……と言うか、初めて「今回は自分でやる」って言ったから。変なモノを食べたんじゃないかと心配しちゃって、やっぱ司がやれって怒られちゃったな。その後、青葉から月饗祭の竜胆についてこっそり教えてもらって少し反省しているよ。

 

 

『遠月十傑 第二席 小林竜胆』

 青葉は定例会の度にお菓子を持ってきてくれるし、話も意外と合っていいやつだなーと思ってた。そう、思ってた。

 まぁそれはいいや。あんま思い出したくないし。アレさえ除けばいいやつだしな。

 だから尻に敷かれるタイプだなって印象だったけど、最近は寧ろ逆かもなって考えるようになってきた。

 そうそう。実は以外と青葉のやつ、人気あるんだぜ? 今どきの女子はああいうタイプの男子が好きなのかねー。私? 私はまぁ……誰だっていいだろ。

 

 

『遠月十傑 第三席 茜ヶ久保もも』

 ももはよく名前に“にゃん”とか付けて、可愛がっている=見下しているって言われるけど、青にゃんだけは特別で意味も全然違うから。

 青にゃんのにゃんは真のにゃん。この世界の何を以ってしてもあの可愛さを再現することはできない。まさに完全体。

 だからももは敬意を払ってにゃんって付けてるんだから、勘違いしないでよね。

 お菓子作りはまだまだももの方が上だけど、それも直に越されちゃうかな。

 早く青にゃんを独り占めしたいなぁ……。

 

 

『遠月十傑 第四席 斎藤綜明』

 拙者自身はあまり会話したことがない。

 故に多くは語れぬが、此方が何も言わずとも察して行動してくれるのはありがたいと思っている。

 彼奴は恐らく流れに逆らわず、空気を読むのに長けているのであろうな。

 

 

『遠月十傑 第五席 紀ノ国寧々』

 まぁ、悪いやつではないわね。

 ただちょっと、恐いかしら。強大な何かを内に秘めている……そんな感じがするわ。うるさいチビと比べたら全く気にならないし、100倍マシなんだけど。

 いっつも定例会の時にお菓子をくれるのよね。皆にって出されたやつは竜胆先輩が基本的に全部食べちゃうけど、後でこっそり袋に詰めたやつを渡してくれるのよ。

 冷めてても美味しいけど、やっぱり出来立てを一度食べてみたいわね。

 

 

『遠月十傑 第六席 一色慧』

 同じ寮に住んでる創真くんと幼馴染って知った時は驚いたね。

 その関係で極星寮にも何度か来てくれて、創真くんが料理勝負を挑んで審査員を務めるってことが度々あるんだけど、青葉くんは別格だ。恐らく遠月の長い歴史で見ても料理の腕前はトップクラス。しかもあれで全力を出していないって言うんだから笑うしかないね。

 極星寮の聖母であるふみ緒さんは何か知っているみたいだけど、詳しくは教えてくれなかったよ。

 青葉くんについては過去を調べようとシークレットな部分が多いし、実に謎の多い人物さ。

 

 

『遠月十傑 第七席 久我照紀』

 芳賀ちんはそうだなー。今一掴み所がないんだよねー。

 ただ分かる事があるとすれば、あれは絶対に怒らせちゃいけないタイプかな。まっ、そんな姿は全く想像できないけどね。

 腕はいいし、研究会にも入ってないみたいだから是非とも中華料理研究会にって誘ってるんだけど、結局いい返事は貰えてないや。

 ……むっ。何だろう。誰かが俺の事をチビって思ってる気がするぞ。

 

 

『遠月十傑 第八席 叡山枝津也』

 そうだな。アイツは金になる。

 だから俺の傘下に是非とも入って欲しいんだが、生憎興味がないらしいんだよな。最初は力ずくでって思ったが、ありゃ分が悪い。

 将来についてはまだ決まっていないようだが、もし俺の邪魔をする存在になるようだったら社会的に潰すのも視野に入れねぇとな。

 勿論、協力するって言うなら大歓迎だ。

 

 

『遠月十傑 第九席 薙切えりな』

 知っているかもしれないけど、青葉くんとは幼馴染だわ。

 お母様の言う通り、付き合えって言われたら吝かではないけど……。けどやっぱり、気持ちがまだ整理できてないわ。

 一緒に遠月に通う様になってから、寧ろお兄ちゃんって感じがするのよね。

 いやでも、最近緋沙子が新しく買ってくれた少女漫画で、兄と妹の禁断の恋っていう展開が……。あーもうっ、やっぱりこの話は無しです!

 え? 幸平くんについて? そ、それは今、青葉くんの事について聞かれてるんだから 関係ないでしょ! 決して話したくないとかではないわ!

 

 

 

 十傑から見た青葉は大体こんな感じですかね。

 やっぱ、後書きを書いている時が一番気が楽ですね。何も考えずに好き勝手書けるのが楽しい。

 

 さて、もし次が投稿されるとしたら本来予定していた最終話。

 題して『Another End』ですかね。

 リアルの事情もあって失踪するかもしれませんが、気長にお待ちください。

 

 お気に入り、評価、感想など。お気軽に。

 



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【番外編】『Another END』

 【注意】
・今話は作者が本来予定していた最終話部分のみの投稿となっております。
・原作通り薊政権が発足した世界線であり、第二部と若干の異なりがあります。
・本文は2,000文字弱しかありません。
・後書きで本文並みに長い補足説明が入ります。

 それでも良い読者様だけお読みください。


 えりなの手によって――神の舌によって作られるその料理全ては必殺料理(スペシャリテ)足り得、必殺料理足り得ない。

 他者から見える完璧な料理も、えりなにとってはいつも通りに過ぎず。薙切の名を持つが故に 世界各国の最高傑作と評される料理を食してきた彼女には、料理で刺激を感じる事はほとんど無くなった。

 

 学びとは残酷だ。料理について知れば知るほど、己の限界が見えてくる。しかしその限界を超える為に、学ばなければならないという矛盾。

 ……頼る術ならば 身近にあった。

 幼馴染である芳賀青葉。そして、彼の母親である芳賀若菜。二人に聞いたならば間違いなく、えりなの望む答えが返って来るであろう。

 けれどもそれは、問題を解かずに答えだけを聞いて 分かった気になっている愚か者と何ら変わりない。

 だから、己の手で見つけたかった。己の舌で辿り着きたかった。

 

 ――料理とは何であるか。

 あの食戟の日。青葉から図らずとも得た問題(ヒント)と幸平創真の皿を見て、料理そのものについて考えさせられるようになった。

 あまりにも基本で当たり前すぎて、今まで疑問にも思わなかった料理に対する考え方。

 自身の皿。青葉の皿。そして――創真の皿。

 その全ては同じ料理という括りでありながら、全てが違っていた。

 

 神の舌は料理の奥深さをまだ――何一つ 学んではいなかった。

 

 

 

「……約束、破っちゃったわね」

 

 えりなは対面に座る青葉へと、そう話を切り出す。

 これから果たすのは、えりなと青葉の十年越しの約束。

 

「青葉くんは忘れちゃったかもしれないけど、ずっと……昨日のように覚えているわ。私の必殺料理完成した時、その時は青葉くんが 一番に召し上がって下さいって」

 

 けれどもその約束は結局、守る事ができなかった。

 中枢美食機関(セントラル)。遠月学園が一時、えりなの父である薊の政権となり。その後の進級試験で異例の連隊食戟が執り行われ、そこへえりなは出場し――人生初の必殺料理で勝利した。

 

「でもあの時、あの瞬間だけは何も意識してなかった。幸平くんに触発されて、お父様に昔の私とは違うって見せつけようと思って」

 

 気が付いたのは、その後。一夜明け、子供の頃の夢を見た時だ。

 ――ああ、そうか。私はついに必殺料理を作ったのか、と。

 

「勿論、まだまだ研鑽していくわよ。今の必殺料理だって、所詮は粗削り。第一歩に過ぎないんだから。でも――やっぱり一番は、青葉くんに召し上がって欲しかった」

 

 だから――。

 

「だからもう一度、約束をしましょう。私の必殺料理が真の意味で完成した時。その時は青葉くんが、一番に召し上がって下さい」

 

 えりながそこまで言うと、対面に座っていた青葉――の、役となって 代わりに座っていた緋沙子が神妙な顔で頷いた。

 

「えりな様。もういいんじゃないでしょうか? そろそろ青葉様がお見えになります」

「えっ? もうそんな時間? で、でも……あと一回だけ……」

「因みに、幸平創真は既にえりな様の後ろに」

 

 それを聞いたえりなは目にも止まらぬ速さで振り向くと、実際に創真の姿を確認して飛び上がらんばかりに驚く。

 

「ゆっ、幸平くん!? いつからそこに!?」

「いやーいつからって、最初から? あっでも、何回もそのやり取りを新戸とやってたって事なら途中からか?」

「――――ッ!!」

 

 見られた。見られてしまった。

 創真を呼んだのは他ならぬえりなであり、彼は呼ばれた時間通りに来たに過ぎない。つまりは完全にえりなの自業自得である。

 

「大丈夫だって。青葉に今のことは言わねーから」

「……まぁ、何れにせよ 幸平くんには見られる事ですし? せいぜい私の邪魔をしない程度に盛り上げて下さいな、前菜さん?」

「っ! おーっ やってやんよ! 何だったらあの時の俺とは一味も二味も違うアレンジを加えてやる」

「ちょっと。コース料理なんだから、前菜担当の役割はちゃんと果たしなさいよ!」

 

 前菜をやけに強調して言ったえりなに、創真は不敵な笑みを浮かべて厨房へと入っていく。

 その様子を見ながら、えりな様はすっかり変わられたと緋沙子は思う。

 

「私も早く、えりな様に相応しい秘書にならねば……」

 

 心の何処かで、焦りを感じながら。

 




 短い本文でしたが読んでくれてありがとうございます。
 青葉とえりなの約束が本作の要であった為、どうしてもこの部分は書きたかった、単なる自己満足です。

 軽く今話について補足していきましょう。
 『分岐点』の方では薊政権は発足しませんでしたが、此方は前書きでも書いたように発足した世界線……つまり流れは原作通りとなります。
 進級試験の最後、連隊食戟での青葉はえりなと同じ反逆者連合に属していますが、最終兵器のような扱いでこれといった目立った出番はありませんでした。
 最終試合となった創真&えりな vs 瑛士&竜胆の対決は創えりの勝利。
 その際コース料理対決となり創真が前菜、えりながメイン担当となり、基本原作沿いに進みます。アニメだと『神ノ皿』最終話付近ですね。



 以前のえりなであれば料理を作る際、候補にすらならなかったと断言できる食材を使った品。
 ゲソやピーナッツバターは、他ならぬ創真から教えられた食材だった。
 他の料理人にアドバイスをする。それは自分の限界を相手に伝えているだけだと、えりなは思っていた。
 けれど、それは違う。アドバイスとは情報共有だ。
 この世にある全ての食材を、そしてその全ての組み合わせを知っている者はいない。全ての調理法を知っている者もいない。中には自分では想像もつかないモノも多く含まれているだろう。
 長らく教える側に立ち、教えられる側に回らなかった故に抜け落ちていたえりなの考え。
 そもそも、教えるという行為は何なのか。
 一流の料理を作れる者が、二流の料理人に手解きをするものか? 二流の料理人を自分の思う一流の料理人にするためのものなのか?
 違うだろう。価値観を押し付け、価値観に縛られては新しい道は見えない。
 そしてその価値観を壊すのに、一流も二流も関係ないのだ。料理の美味しい不味いは関係ないのだ。
 自分では想像すらできなかったアイデア。教える側にとっては当たり前でも、教えられる側にとっては新鮮で新しい学びこそが、料理人にとって最も必要とするモノ。
 そしてえりなは見事、必殺料理を完成させた。
 これはまだ、えりなにとって序章に過ぎない。何故なら彼女の料理人生は今、始まったばかりなのだから。



 補足としてはこんな感じですね。
 本文の最後に緋沙子の不安が見て取れますが、続きを書く予定はないです。
 最後の二文は消してもいいかなっとも思いましたが、緋沙子ならばそう考えるだろうと思い、書きました。

 次回は若菜の過去編。
 それを投稿し終えたら何かアイデアを思いつかない限り、本作はお終いの予定です。
 本編の方はこれで完結とさせて頂きます。ありがとうございました。

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芳賀若菜

【注意】
・芳賀若菜に対するイメージが大きく損なわれる可能性があります。

 それでも気にしない読者様だけご覧ください。
 諸事情によりスマホから投稿しているので、誤字や文が変になっていたら申し訳ないです。


 世界に名だたる料理人を輩出してきた遠月茶寮料理學園。その背景には、圧倒的とも呼べる実力主義の教育方針が存在する。

 

 高等部に於ける卒業到達率――僅か1%。

 

 遠月学生にとって学園生活とは毎日が戦いで、一年生から二年生に至るまでに90%の者が退学を言い渡される。そこから更に厳選に厳選を重ね、全ての審査を潜り抜けた生徒のみが卒業に至るシステム。自ずと最高峰の料理人が生まれるのも頷けるだろう。

 そして そんな思考を巡らせれば、誰もが興味をそそられる議題が一つ浮かぶ。

 

 ――遠月学園に於ける歴代最高の料理人は、果たして誰なのかという疑問が。

 

 非常に難しく、証明の仕様がない問題だ。

 まず一番に、遠月学園の歴史は90年以上ある。中には既にこの世を去った者もいる為、全てを食し 比べる事は不可能だ。

 加えて、料理そのものが幅広すぎるというのも問題だろう。ジャンルによって性質が異なり、それに優劣を付けるなど『単純にどちらが美味しいか』を除けばできるはずもない。

 

 最善の案を考えようと悉く否定され、結局は誰も辿り着けない結論。

 唯一指標としてあるのは、遠月学園に残された卒業試験の点数ぐらいだろう。そして 歴代最高得点を獲得した料理人の名は堂島銀。結局そこで、多くの者は落ち着いてしまう。

 事実、一流の料理人の中でも堂島を尊敬し、一番の料理人だと憧れる者も多い。そういった面で見れば、堂島銀こそが歴代最高の料理人と呼べるのではないだろうか。

 

 だが、一部の者は断固として否定する。

 卒業試験――それは当然ながら、卒業まで至らなければ記録に残らないものだ。つまり、途中で何らかの理由で堂島をも超える存在が退学していた場合、当時を知る者のみにしか分からない歴代最高候補が生まれる。

 

 その一人として名高いのが、堂島と時を同じくして学園にいた才波城一郎。

 遠月十傑評議会では堂島に次ぐ第二席。それだけ聞けば劣っているようにも思えるが、世界若手料理人選手権コンクールである『BLUE』に選出された実績や、百年に一人の逸材と呼ばれた事実。他にも堂島との料理勝負で非公式も含め 勝ち越していた点など、料理人として見たならば確かに歴代最高と呼んでも遜色ないだろう。

 消えた天才。城一郎をそう呼び、惜しむ者も少なくはない。

 

 ――ならば彼女は、消失した天災だろう。

 そう言って、堂島と城一郎の存在を鼻で笑う者がいる。

 ――あぁ、勘違いしないでくれ。羨ましいんだよ、彼女を知らない青い君達が。

 そう言って、皮肉りながらも妬ましがる者がいる。

 

 信じられるだろうか? 中等部一年生にして、遠月十傑を相手に食戟で下した生徒がいた事実を。その後の食戟で、全戦全勝を成し得た生徒がいた事実を。歴代最速で遠月十傑 第一席の座に着き、学園の数々の記録を塗り替えた生徒がいた事実を。

 そして――彼女に関するほぼ全ての記録が、抹消された事実を。

 

 名前を呼ぶ事すら 烏滸がましい。

 

 彼女の痕跡は記録から消えようと、当時を共にした者の記憶から消えることは決して無かった。いや、或いは消えているだろう。卒業すらできず、料理人に成り損なった者であれば。彼女の料理を直視できていた者であれば。

 一流の料理人。卒業まで至った者は、ただ一人を除いて彼女の料理を見ることすら拒んだ。

 

 歴代最高の――最恐の料理人は、間違いなく彼女である。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 それは彼女が――芳賀若菜が遠月学園を訪れてから五回目の春。

 無事に高等部二年生へと進学を果たした若菜は、三月にあった三年生の卒業と共に遠月十傑 第一席の地位を引き継いだ。

 当然一年生の頃にいたのは第二席。本来であればその時点で第一席であったが、十傑に関する下地が一切なかったが為に、一年間は第二席という形で過ごす事となっていた。

 一年生にして第二席。二年生にして第一席。そのどちらも遠月学園では初の快挙であるが、彼女を知る者からしてみれば 成るべくして成ったというのが正しいだろう。

 その中でも最も評価されているのはやはり、食戟である。

 初回の食戟で当時の十傑の一人を下し、以降も全戦全勝。当初こそ若菜の境遇やその事実により周囲から避けられていた彼女ではあるが、それは時間が段々と解決していった。

 

 ――異常も長く共にすれば正常となる。

 

 実際に遠月十傑となったことも大きいのだろう。今も変わらず学園で友と呼べる者はおらず、周囲からは勝手に『孤高』などと言われているが、中等部一年生の環境と比べれば大分改善した。

 繰り返すが、学園で日常会話を楽しむような先輩も後輩も同級生もいない。

 

 そんな ほんの少しだけ余裕のできた若菜にも、未だに慣れない集まりがある。

 

「――以上になりますが、何か質問は?」

 

 若菜は問いかけながら、円卓を囲う同僚へと目配せした。

 物音一つしない部屋の中。彼女の声に応える者は誰一人としておらず、身動き一つない。そして始まりから終わりまで、声を発した者も 目が合った者もいなかった。

 

 ――まただ。

 

 遠月十傑評議会。その定例会は若菜が十傑の一員となって以来、この状況が続いている。昨年は一応、第二席という立場であったが故に議長ではなかった。だからまだ少なからずの問答はあったが、若菜が第一席を引き継いでからはそれすらない。

 一応、名指しで聞けば答えてはくれる。声を引きつらせ、目に見えてビクつかれながらではあるが。

 

「では……」

 

 そう締めくくり、空気の悪い部屋を後にする。

 自分がいなくなれば、少しは空気も良くなるだろう。彼ら、彼女らが怯えているのは、他ならぬ自分自身のせいであるのだから。

 

 ――何が悪いのだろうか。

 

 食戟が行われる会場に向かいながら、若菜は思案する。

 他の十傑メンバーの自分に対する扱いは異常だ。若菜から直接、何かをした記憶はない。一体自分の何にそこまで怯えているのか。どうすれば良好な関係を持てるのか。

 

「今に始まったことじゃ、ないけどね……」

 

 若菜が歩けば人が割れ、道が開ける。

 誰も隣を歩こうとはしない。興味深そうに、遠巻きにただ眺めるだけ。

 

 

 

「……行ったか」

 

 廊下から響く足音が遠ざかり、扉越しに聞こえなくなってから暫く。室内にいた一人がそう呟いた。

 半ば止めていた息を吐き、そして大きく吸う。それに倣うかのように、他の者も深呼吸をし、それぞれが思い思いの楽な姿勢をとった。ある者は円卓の上に足を投げ出すが、その行為を咎める者はいない。

 

「この後って確か、食戟だっけ? あの人」

 

 名前は当然知っている。だが話を切り出したその者は、今しがた部屋を退出した若菜を『あの人』と呼び。周囲の反応から察するに、それがこの十傑メンバーの若菜に対する呼び方だと分かる。

 

「確か今日でゾロ目……555連勝、だったかな?」

「おいおい。まだ勝敗は分からんだろ?」

「へぇ……。じゃあ見てくるってこと? あの人の食戟を?」

 

 問われた者は、冗談はよせと首を振った。

 

「俺様に料理人として死ねってか? 悪かったよ。ま、結果なんて分かり切ってるわな」

 

 そう。結果なんて分かり切っている。

 若菜に勝てる者はこの学園にいない。ここにいる者達が束になって挑んだって、勝てる未来が見えないのだから。

 そして若菜本人に悪気は無かろうと、食戟で挑んで文字通り死ぬのは自分らである。食戟のお題。それを何かの間違いで自身の得意料理などにしてしまえば、尚の事。

 

「相変わらず、化け物だな」

 

 化け物という表現すら、生温いだろう。

 料理人として生きたいのであれば、彼女の調理姿を見てはならない。料理人として生きたいのであれば、彼女の料理を食してはならない。

 実力の差に愕然し、灰になってしまうから。自分が今まで費やしてきた人生全てを、否定されるから。

 彼女を直視できる者。それは料理人として出来損ないの者だ。

 

『諸君の99%は、1%の玉を磨くための捨て石である』

 

 総帥の言葉を借りるのであれば、99%の捨て石しか、彼女を見ることはできない。料理人として未完成の者だけが、見ることが敵うのだ。

 

 

 

『勝者は――芳賀若菜!!』

 

 観客席を埋め尽くさんばかりの生徒。

 司会者の勝利宣告に場内が沸きあがり、若菜に一時の心地よさが訪れる。

 若菜が輝ける唯一の舞台。ここでならば、学園にいる誰もが見てくれる。自分を認めてくれる。興奮してくれる。

 けれど――この会場を出ればまた、一人ぼっち。

 

「今日はやけに歓声が大きかった気がするけど……何でだろ」

 

 勝利だけが目的の若菜にとって、勝利数など何の意味も無い。

 ただただ、仲良くなる方法を。友達を作る方法を考えるだけだ。

 

「そう言えば一年前の子、頑張ってるかな……」

 

 春。食戟を終えて会場を出た一年前。今と同じような状況で、少年と若菜は出会った。

 

 

 

『俺を――弟子にしてください!』

 

 あまりにも唐突な告白だった。

 会場を出た直後。息を切らしながら走って来たその少年は、若菜に臆することなく手を差し出し、頭を下げた。

 一瞬思考が停止した若菜は直ぐ様持ち直し、少年を観察する。

 シワの無いピッチリとした制服。新品同様の革靴。襟についた校章は、以前卒業した三年生と同じ色――つまりは中等部一年生。

 

『じゃあ、食戟する?』

 

 いつもと変わらぬ口調で、あまりにも気軽に、食戟を口にする。

 若菜に声を掛けてくる生徒は、決まって食戟に関することだ。故に今回も了承の返事を交わして終わるだろうと思ったところで。

 

『って、それで私が負けたら、師匠になる必要はないか』

 

 師弟関係なのに、最初から師になる予定の自分が負けては意味がない。少年が勝とうが負けようが、結局何も得られないことに気付き、考え直す。

 だからその日――。

 

『……なら』

 

 ――若菜は遠月学園に来てから始めて、己の欲を言ったのかもしれない。

 

『もし君自身が私と肩を並べられる料理人になれたと思ったら。その時はまた、声を掛けてね。そしたら師匠になってあげるよ』

 

 君自身が――。あくまでも、本人の意思でそう思ったのであれば。今からでも言ってくれれば、私はあなたを弟子として迎え入れる。

 それは決して、友達と呼べるものではないだろう。けれど、若菜にとって遠月学園で初めて、交友関係が生まれるかもしれない相手。

 上手い誘い方など分からない。本音を言えば、今からでも弟子にしてくれと言ってほしい。若菜にとって精一杯の答えに、だが少年は気付いた様子はなく。

 

『分かりました』

 

 決意を胸に抱いた少年は、それだけを残して走り去った。

 

 

 

「ほんと馬鹿だよなぁ……私」

 

 漸く手に入れられたかもしれない形の無いソレを、目の前で逃した。

 少年の名は聞きそびれてしまったが、一応十傑の権限を使って調べてはある。

 四宮小次郎。遠月では珍しい、若菜と同じ庶民であると。

 

「庶民か……。あの子は苦労してないかな」

 

 思えば若菜がこうなった切っ掛けも、元を辿れば庶民であったからだ。ただの庶民であったならば、こうまではならなかっただろうが。

 

 そして結局。あの日以来、少年とは会っていない。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

 その日は珍しく、夜風に当たりたい気分だった。

 寝て起きるだけの住みかと化したホテルを出て、当てもなく校外へと若菜は繰り出す。

 十傑に加入してから度々ある仕事以外で外出するのは……しかも、こんな夜も更けた時間は遠月に入学してから初めてかもしれない。

 実家に関しては現状について話したくも無いため帰る事はないし、普段は外に出る理由がないからだ。

 ただこの日は何となく、人混みに紛れたい気持ちだった。

 

 若菜は学園で常に距離を置かれる。

 それは当然、若菜という人間を相手が知っているからだ。だが、相手が若菜を知らなければ距離を置く理由もない。

 十傑となり、視察のために久方ぶりに外を歩く機会があった時は驚いたものだ。誰も若菜から距離を取ろうとはしない。すれ違う時、ぶつからないように歩くだけだ。

 来賓として会場に呼ばれた時もそうだ。寧ろ相手側から積極的に話し掛けてくる。

 若菜の心に明確な余裕が生まれたのも、それ以来だろう。ずっと居場所がないと思っていたのに、学園から一歩踏み出せば様変わりする景色。

 

 高校生がこんな時間に出歩くのはまずい。

 だから態々、雑誌を見て適当に注文した服を着て歩く。注目されたいが為に練習したメイク術も合わせれば、そこにはとても高校生とは思えない女性がいる。

 美というものを気にしていない若菜であるが、身長も容姿も間違いなく一級品だ。それこそ適当に雑誌の服を身に付けるだけで、モデルもかくやという着こなしをしてみせる。

 仮に警察に何か注意されようと、十傑の……それこそ第一席であれば そんなものはあってないようなものだ。

 

 ――初めての都会の夜の街。

 人混みに流されて歩くだけでも気持ちがいい。耳に届く喧騒が心地いい。

 

「お姉さん。うちのクラブ、寄ってかない? お姉さんだったら可愛いし 割引しちゃうよ!」

 

 ふと声を掛けられ、辺りを見渡した。

 歩いている内に奥深い中心地帯まで来たのか、周りにはクラブやバーといった店が立ち並んでいる。

 本来であれば当然、若菜が入れるような店ではない。声を掛けてきた男も、無理矢理客引きをしている訳でもないので、断れば諦めてくれるだろう。

 けれどこの日の若菜は、興味が勝った。こんな私の為に声を掛けてくれたのだからと、お世辞でも可愛いと言ってくれたのだからと、誘われるがままに入って行った。

 お金の心配だってない。何故なら若菜は遠月十傑 第一席。これは自分のメンタルケアのため……延いては創作意欲を掻き立て料理に活かすためだ。今まで全く使ってこなかったのだから、散財したって関係ない。

 仮にぼったくりだろうと、今の若菜であれば百万単位でも余裕で出せる。

 

 それからだろう。若菜が夜な夜な街へ繰り出すようになったのは。

 初めはお世辞だと思っていたが、若菜は自分自身を過小評価しすぎていたと気付き始めた。

 料理を知らない者達からしてみれば、若菜は上客以外の何者でもない。美人で金があって押しに弱い。そもそもメイクをしたその姿は、若菜を知る者からしても決して彼女であるとは分からないだろう。

 それ程までに別人で、誰もが関係を持ちたいと思った。学園内で関係を持ちたくないと思われていた若菜が、外の世界では誰からも求められた。

 求められることが若菜にとって快感で、何でもやれるだけの金があって、実行した彼女がいた。

 相手が男でも女でも関係ない。やる事成す事が刺激的で、様々な経験ができる。いつからかその身すらも差し出して、ひと月も経たない内に何十人と体の関係も持った。

 避妊に気を付けようが、それだけの事をすれば――結末も自ずと分かるだろう。

 お腹には、誰の子かも分からない子供ができていた。そして、気付いた。自分は何をやっていたのかと。

 

 

 

「総帥。話があります」

「急にどうしたのだ、若菜よ?」

 

 茶を啜りながらのんびりと腰掛ける総帥に、自身のお腹を擦りながらのんびりと 若菜は言った。

 

「子を――授かりました」

「――――ッ!!」

 

 辛うじて吹き出すことはなかったが、直後に総帥は激しく咳き込んだ。

 けれど若菜は それを気にも留めない。何故ならそうなるだろうと思いながら、態と話を切り出したのだから。

 今の若菜には総帥に対し、それだけの事ができる心の余裕があった。

 

「つきましては、私の退学手続き・住居及び仕事場の提供を、遠月十傑 第一席の立場から申請します」

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

「号外! 号外! 号外だーッ!」

 

 春の暖かな風に乗って、遠月学園の主要道にそんな声が響き渡っていた。

 多くの生徒が歩く方向とは逆に走り抜けるその生徒は新聞部の一人。今この瞬間、遠月校内の各地で号外の声が上がり、新聞がばら撒かれている事だろう。普段の号外であれば手渡しであるが、今はそれすら惜しいといった様子だ。

 皆が皆、足元に来た新聞を何気なく見下ろし。次の瞬間には拾い上げ、穴が開くほど読み込む。

 それはこの男とて、例外ではない。

 

「嘘……だろ?」

 

 後の遠月十傑 第一席である四宮の瞳には、新聞の内容が冗談としか思えなかった。

 

『芳賀若菜 退学』

 

 デカデカとそんな見出しが付けられていた新聞を握りしめ、駆け出さずにはいられなかった。

 

「ちょっと、四宮!」

 

 隣を歩いていた同期である水原の声など届かない。

 まず間違いなく、今回の件を知っている者の元へと四宮は向かう。そしてその者は――総帥は、まるで四宮が来ることが分かっていたかのように待ち構えていた。

 

「これは一体、どういう事だ!!」

 

 部屋に入るなり新聞を叩きつけた四宮を、総帥は品定めするかのように見やった。四宮は挨拶なしに 不法侵入に近いにも関わらず、全く意に介していない。

 

「ふむ。お主が四宮小次郎で間違いなさそうだな。芳賀若菜から儂のもとへ来れば伝えるよう、伝言を預かっておる」

 

 

 

 ――ただ一言、『ありがとう』と。

 

 

 

〆〆〆〆〆

 

 

 

「ねぇ青葉。約束して欲しいことがあるの」

 

 我が子を遠月学園の入試試験に送り出す直前、若菜は屈み込んで青葉と視線を合わせた。

 

「お母さんは昔、この学園で失敗しちゃったわ。取り返しの付かない失敗。だから青葉には、同じ気持ちを味わって欲しくない」

 

 青葉は本来の実力を既に抑えられる領域であり、そして素直で聞き分けがいい。

 これから伝えることも、本人の意思に反するかもしれないが、きっと分かってくれるだろう。

 

「手を抜きなさい。今年はえりなちゃんがいるから、彼女なら間違いなく満点を取る。だから青葉は、満点を取らないこと。それと余程の理由が無い限り、少なくとも中等部にいる間は食戟をしないこと。……えりなちゃんと緋沙子ちゃんとは、仲良くね」

 

 自分と同じ道を辿らない為にも、なるべく目立ってはならない。えりなと仲が良い時点で目立つだろうが、それは仕方のないことだ。

 せめてえりなと緋沙子と変わらず、今の友達としての関係を保ってくれればと 若菜は思った。

 




 ここまで読んでくれてありがとうございました。
 『一皿目』に若菜は座学に難があるとありますが、それは若菜なりの皆に受け入れてもらおうとした結果です。
 入試で満点の首席なのに何で? と思った読者様が今までいたかもしれませんが、態と手を抜いた結果 点数的には難があるとなっていました。

 ここで芳賀家に関して軽く補足しておきましょう。
 幼少期。若菜は自身に料理の才があることに気付き、長所だから伸ばそうと独学で勉強したと『孤独な生徒』にあります。
 庶民であるはずなのに、何故独学で料理を勉強できるだけの設備が整っているのでしょうか?
 それは芳賀家が薙切家と同じように『神の手』を生み出していたからです。
 じゃあ何で庶民になるか疑問でしょうが、これは神の手が秘匿された結果です。神の手の放つ光は強すぎ、神の舌を持つ者以外には毒にしかなりません。だから過去にも迫害され、しかし神の舌には必要不可欠とされていました。
 因みに神の舌が生まれたとき、時を経たずして神の手が生まれ、対を成すその存在は何の因果か必ず廻り合います。
 以下、軽くメモしてあったやつのコピペ↓



 神の手、その存在が公になってはならない。
 将来、何かの間違いで流出してもならない。
 誰かが言った、記録から抹消しよう。
 誰かが言った、時間が経てば記憶からもなくなる。
 誰かが言った、神の舌は絶望を余儀なくされるのか。
 誰かが言った、神の舌と神の手は惹かれ合う。
 誰かが言った、両者の関係を断ち切る事は不可能だ。

 だがしかし、それでも神の手の存在は いつの日か公になってしまうのではないか。

 誰か言った、それが神の手の運命(さだめ)なのだろう。



 まぁそこまで深く設定を考えた訳でもないから、許してね。
 そして本文に戻りますが……若菜の過去、大丈夫だったかな……。
 最初からこうしようとは決めていましたが、やはり父親が出張か単身赴任か何かでいないって設定のが単純で損なわないしいいかもですね。

 伝言で伝えられた若菜の四宮へのありがとう。そこに何が含まれていると感じるかは人それぞれです。けれど一つだけ確かなことがあるとすれば、若菜の退学を知って総帥のもとまで駆け込んだのは 恐らく四宮だけであり、若菜もそれを予感していたのでしょう。



 今までありがとうございました。
 また何処かで私の小説と廻り合った読者様がいれば、よろしくお願いします。

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