拳のマニフェスト (蜘蛛ヶ淵)
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イマジナリィ・ザファル

 …ふと気が付けば、彼は見知らぬ場所に居た。

 辺りは薄暗く、けれど空に浮かぶ月の光が強いせいか、

周りが見えないという程ではない。

 目の前に広がる空間は結構広く、なんとも味気の無い場所であり、

草木一本すら見当たらない。

 そんな広場を囲っているであろう高く長い塀は、

何とも立派な物だというのに、宝の持ち腐れも言い所。

 コレは日本家屋特有の土塀という奴であろうか。

 自身が置かれた訳も分からぬこの状況、

彼は不安に駆られながらも把握の為に周りを見渡し、…そして感じる妙な違和…。

 

 (どうも、視界が低い…様な。)

 

 その他にもナンとも妙な感覚が自身を襲い、まるで自分の身体では無いかの様。

 確認するかの様にまずは…と、自分の手のひらを視界に入れ 思考が止まる。

 

 (…え?)

 

 薄闇の中、はっきりとは見えないが…小さく、綺麗な手。

 

 (自分の手は大きく、もっとこう…ささくれ立った、

歳相応のモノだった、様な…。

 コレ、どう見ても子供の…。)

 

 混乱と疑念が渦巻く中、視線は自身の手の平へと留まり…、

そこでふと隣に気配を感じた。

 振り返ればソコには着流しを羽織った男が一人、

廊下の縁側に設けられた柱の一つにもたれ掛かり、寝息を立てる事無く眠っていた。

 世の中に疲れ果てた様な表情をして眠るその男を見て、

彼は更なる違和感に襲われた。

 薄暗さの中でも分かるその男の顔立ちは、二次元チックとでも表現すればいいのか。

 どうにも現実的に見て、ありえない造詣をしているのだ。

 

 (…いや、1/1フィギュアとかなら、まぁ…。)

 

 なんでこんな金のかかっていそうな代物(モノ)が目の前にあるのか。

 そんな疑問を一先ず横に置き、そんな職人芸輝く立体フィギュア(仮)を、

自らの顎に右手をあててガン見をしつつ、その出来栄えに彼は素人ながら感心する。

 

 (このキャラクターどこかで見た事あるなー。)

 

 自らの現状を一端棚に上げ、何処でこの人物を見たか思い出そうと記憶を探り、

…その結果、ひらめきが一足飛びして自分の今の状況とよく似たシーンを思い出す。

 その上で死んだ様に眠る男(立体フィギュア)の顔にはっきりと見える位置まで自らの顔を近づけて、

改めて確認した。

 

 「…衛宮切嗣?」

 

 思わず声に出してまで確認しなければならない程に、彼は混乱の極みにあった。

 

 (は、いやナニ?これは一体どうゆう…。

 おォ…、俺は何時の間に型月アミューズメントパークに迷いこんだんだ?)

 

 無論そんなテーマパークは現実に存在しないし、

これから先もきっと無いだろう…そう、きっと。

 もしそんなものが建設されたのならば、

コン○イル・S○Kに続き、型月も終わりの始まりの様な気がしてならないし…。

 いや、S○Kはプレ○モアとして黄泉返ったからまだその限りでは無いが、

まぁソレは置いといて…。

 

 (じゃあ…じゃあえっと、なんだ。

 …このシチュエーションからして…自分の、立ち、位置?

 …自分は…今の自分って、何だ?)

 

 一瞬襲う眩暈を堪え、低めの視界に映したるは何とも古びた日本家屋。

 その縁側から屋内へと上がりこみ、恐らく鏡があるであろう洗面所を必死に探す。

 そして見つけたその場所で、電灯の灯りのスイッチをカチリと入れて、

鏡面が設置されている洗面台へと手を掛ける。

 …そして、その顔を見てしまった。現実に観てありえない、

まるで漫画やアニメのキャラクターの様な造詣をしているその顔を…。

 

      幼い顔立ち…

       

              赤みがかった髪…

 

                        橙色の瞳…

 

 「…エェ?…衛宮…シロ、う?」

 

 もともとそんなに多くない彼の脳は許容量が遂に限界を迎え、

その意識はあっさりと奈落の底へ落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …そして早朝。

 いつもの日課として朝の挨拶に衛宮邸へと来訪した藤村大河により、

縁側で事切れている衛宮切嗣が発見。

 密かに恋慕していた憧れの男性が死んでいるという、

年頃の女学生から観て中々に重い事実に直面し、

衝撃で半狂乱になりつつも家屋内にいるであろう息子である士郎へ報せに、

足早に彼の自室へと辿り着くが当人がおらず。

 涙でウワづる声で士郎の名前を連呼して必死に各部屋を巡り続け、

とうとう洗面所内で気絶している士郎(仮)を探し当てたところで

彼女の脳も許容量が限界を迎え、弟分(仮)の隣で仲良く気絶。

 その後しばらくしても帰ってこない孫娘を迎えに、

藤村組若衆の一人が衛宮邸を訪問し事態を把握。

 士郎(仮)は大河共々藤村組の方で介抱され、

彼らが眠っているその間に、衛宮切嗣の葬儀が藤村雷画主導の下、

粛々と進められていった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 線香の香りと沈経と、そして木魚の一定の音が空間を満たす衛宮邸…その一室。

 襖は取り払われ仕切りを無くした広い空間の中で、けれど弔問客は訪れず。

 式場と化した和室(その場)にいるのは、息子である衛宮士郎(仮)、

次いでこの場を整えてくれた藤村雷画とその孫娘である藤村大河、

そして菩提寺(柳洞寺)から呼びよせた住職の計四名だけである。

 

 通夜の最中、士郎少年(仮)はふと意識を自身とその周囲へと向ける。

 

 (…いや、どう考えてもこれは夢だろう…。

 この身体、本当に本物なのか、実体なのか?

 感覚の方はどうなってるんだろう…?)

 

 そんな疑問に駆られ、彼は現状で出来る範囲の確認作業に入っていた。

 通夜が終わった後に用意されていた食事からは味覚を感じとり、

その後は匂いに手触りにと、事細かに何度も何度も確認した。

 …終始彼の傍には大河が付き添っていた為、

渡りに船とばかりに彼女の身体をそれとなくペタペタと触るなどして

他者がどのような感触なのかも確認した。

 対する彼女の方は、頼る養父がいなくなり不安になっているのだろうと思い違い、

今にも泣きそうな表情で士郎(仮)を抱きしめ、彼の好きな様にさせていた。

 

 青臭く(乳臭く)、けれど女性特有の甘い香りが士郎(仮)の鼻腔を優しく(くすぐ)る。

 所々引き締まりつつも、柔らかな彼女の肉の感触を掌の上で何度も感じ取り、

徐々に調子に乗り始めた彼は胸や腹まわりを撫で回し、

さて と臀部へ手を延ばした辺りでさすがに度が過ぎた為か

「不謹しーん!!」という彼女の怒声と共に

脳天にチョップを喰らいお叱りを受けるはめになってしまった。

 先程の泣き顔は何処へやら…。

 恥じらいと焦りで表情が真っ赤に染まった藤村大河という、

なんとも希少なものが見られた為、そして年頃の青い果実(肢体)を堪能出来た為

「収支でみればおじさん得したなー」と思う事にした。

 

 (…まぁ確かに故人を偲んでる最中に…、

そもそも女性の身体は気安く愛でるモンじゃないわなー、うん。)

 

 そう、喪服姿の女学生に胸の高鳴りを覚えた(タイガーに触指が動いた)という訳では決して無い。 

 …決して、無い。

 

 常識的にそういった行為や感情など、彼の実年齢上あっさりと制御が可能であるし、

なにより場の空気から察し、自重も出来るはず…なのだが、実際に彼の目の前では、

常識云々とは懸け離れた、非現実的な光景が広がっている。

 先程の藤村大河を始めとして、アニメの立体フィギュアみたいな存在(人間?)が、

確かな質感を持ち、個人それぞれが微かながらに体臭を放ち、物を食べ、

鎮痛な面持ちでこそあるが表情豊かに会話をし、世話しなく動き回っているのである。

 そんな非現実的な光景に、彼は察するという機微(常識的行動)が取れずにいた。

 

 (ア~○メじゃない♪ア~○メじゃない…♪)

 

 …と、不思議な世界に対してこのまま現実逃避を決め込みたかった士郎(仮)。

 しかしそれも限界の様で、彼の感覚が目の前にあるこれらの現実(虚構)を、

徐々に受け入れ始めていた。

 ただ現実(本来)を知る意識のみが現状の感覚とのズレを生じ、

僅かな苦痛と長く続く不快感に顔を顰める。

 

 (ウゥ、…現実?…現、実?これは俺の…いや、違……。)

 

 朦朧とする意識の中、少しでも自我を保とうと、

彼は本能的に外界からの情報の一切を、一時シャットアウトした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして気が付けば、あれよあれよという間に衛宮切嗣の葬儀は恙無く終了し、

恐らく事前に拵えたであろう衛宮家之墓と彫られた墓石の前で、

彼が納まった骨壷を両手に抱え、墓穴に納めようとしている士郎(仮)がいた。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 …その後…式が終わって以降、無気力状態に陥った(不登校児童になった)士郎(仮)に気を遣ってか、

藤村組の面々がちょくちょく様子を伺いに衛宮邸へと訪れたり、

大河が食料持参で頻繁に泊まり込みに来たりしているのだが、

現在、士郎(仮)の心情は彼らに対し感謝する余裕など欠片も無く、

焦燥という沼地に嵌まり込んでおり、他者を気遣う所では無かった。

          

 (死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。)

 

 居間の畳に寝転がりながら絶望を詠う児童 SHI-RO(仮)。

 

 (あかん…死ぬ…このままいけば確実に死ぬ。

 主にバーサーカー(ガチムチ)のせいで死ぬ。

 次点は何だ?モジャだっけ?それとも金ピカ?

 あぁ、最初の一突きカマしにくるのは変態青タイツだっけか…。)

 

 

 

―――最初(最後)の一発、くれてやんよぉ~オラァン!―――

 

 

 

 そんなふざけた台詞をのたまいながら、

憎たらしいくらいのイイ笑顔で槍をブッ刺しに来る、

憎いアンチクショウを幻視する。

 

 (お互い合意の上での一突きならばまったく問題無いが無理矢理突くのは強姦だろうが!

 そのほんの先っちょだけで俺は簡単に逝く(死ぬ)んだぞ!

 もう少し(ヤリ)の扱いというものを学べや原人(サル)が!

 というかそもそも何でこうなった!?

 型月作品なんて最後に触れたの虚淵FATE(ZERO)ぐらいだぞ!

 たまに二次創作に目を通しはしたけど、

最近触れてるサブカルは専ら神姫(エロブル)ぐらいで…。

 あぁ畜生もうせっかく四属性までは武器と幻獣が整ってきたってのに…。)

 

 そんな具合に混乱と現実逃避に身を浸しつつも、この非現実めいた現実に対し

少しでも多くの打開策を捻り出そうと葬式が終わった後ここ数日の間、

外界の情報を最低限までシャットダウンし脳ミソをフル稼働させながら

居間中をゴロゴロと寝転がっている彼であるのだが、堂々巡りで一向に進展がない。

 

 (…試しに原作を、なぞらえて…みる、か?)

 

 それはつまり原作主人公と同じ様に一日の終わりには下手を打てば死ぬかも知れない

魔術の鍛錬をこなさなければならないということだ。

 後にその鍛錬方法自体が間違いであると、

登場人物の一人である遠坂 凛によって指摘される訳なのだが、

この基地外鍛錬法により衛宮士郎の魔術回路は、

そこらの魔術師よりも異様に強固になった…とも言える。

 

 (うーん、うーん、……うん、無理☆)

 

 そもそも中身からして、まったくの別人なのである。

 中身が違えば当然「起源」というのも違う訳で…。

 今後、彼が衛宮士郎(オリジナル)の真似をどれだけ擬えたところで、

解析や投影なんて魔術は出来るはずも無く…。

 ましてや弓矢による的当て百発百中(与一プレイ)など夢のまた夢である。

 

 (……とゆうか …もう、粗方試した後だし……あ――…。)

 

 

 

 

 


…数日前…。


 

 

 

 葬儀後、彼は何かと付き纏う藤村大河の目を盗み、

今後の命綱になるかもしれぬ原作知識を必死に脳内から漁っては試行錯誤。

 実際に衛宮士郎が劇中で想像している魔術回路を思い出し、

起動するイメージを何度も思い浮かべてはトレースオンと口ずさむ。

 『強化』『解析』『投影』と、頭に浮かぶ魔術を一通り試してみた訳だが、

彼の身体はうんともすんとも言いやしなかった。

 台所の中央に置かれたダイニングテーブル…その上に置かれた、

まったく変化の無いオーブントースター(実験素材)を前にして、悩む彼。

 

(と言うか、やり方ゲームでしか知らないんだけど、コレ間違ってるの???)

 

 額に手を当て、生前(?)のゲームプレイ(マウスクリック)中の記憶を掘り起こし、

彼は衛宮士郎というキャラクターがどういう風に魔術を使っていたか、

思い出そうとしていた。

 

 (えーと…リボルバー?式拳銃の撃鉄を下ろすイメージが

衛宮士郎(コイツ)の魔術回路の起動スイッチだったはず。

 ………今おじさん、その撃鉄とやらを一昔前の百円ライターばりに

むっちゃカチカチ鳴らしてるんだけど、なんで起動してくれないんスカねぇ~…。

 …あぁ!クッソ今の俺、そーいやヤ二吸えねぇじゃん!?

 …いや、吸おうと思えば…。あ~そっか、売ってくれねぇか、こんなナリだし……。

 …あっ!親父のお使いって事にすればいけるのか?

 この時期なら自販機にタスポも無いし…。

 じゃあ無くて…、そもそも俺、拳銃なんて持ったこと無いんだけど、

撃鉄ってこんな風に気軽に下ろしたり上げたり出来るもんだっけ?

 ん―――……やり方が違うのか? 少し位、変化があってもいい様なモンを…。)

 

 元々、拳銃のイメージすら曖昧な彼の連想する撃鉄は、

愛煙家としての邪念も入り込み、

フリントライター(百円ライター)のヤスリと着火操作部へと変貌を遂げていた。

 一端やさぐれだった心を落ち着ける為、

彼はテーブルに収まっているダイニングチェアを引き、腰掛ける。

 そして溜息と共に顔の前で両手を組み、

目の前にあるオーブントースター(実験素材)を苦悶の表情で凝視する。

 

 (いかんな…。これはまず衛宮士郎というキャラクターを、一から思い出さんと…。)

 

 そして何とか彼の初期設定からチートと呼ばれる迄の成長過程を、

思い出してはチラシの裏に箇条書き。

 …思い出したのは以下の通り…。

 彼がチート主人公と呼ばれるのは原作終了後のお話である事。

 チートの片鱗が見えてはじめるのは原作中盤以降、

それ以前の彼はただの足手纏いである事。

 『強化』の魔術が完璧に成功したのが聖杯戦争初日で、

ランサー(青タイツ)に二度目の襲撃を受けてる最中だった事……等々。

 日常生活等に於いて主に使っていたのが『解析』で、

『投影』は気分転換の為の息抜きで使用。

 魔術回路は通常では開いておらず、開く為の通過儀礼(施術)を鍛錬と称し、

遠坂凛に出会うまでの約十年間、休まず続けていた事…。

 鍛錬失敗で死あるのみである事…。

 

 (…死…あるのみである事…。死、死…あぁ、そうだ!

ここから逃げるという選択肢は…。)

 

 二次創作でたまに見かける変り種の物語…。

 しかし目を通したソレ等は話を盛り上げる展開上、ほぼこうなってしまうのだ。

 …………アインツベルン(イリヤスフィール)が存在する限り、

聖杯戦争から逃がれられない……と。

 

 …一瞬止まったペン先を、深い溜息と共に再び動かしては箇条書き。

 

 (…―――で、回路が開いてない現在、

認識が出来る回路の数は二本か三本だけ…だったはず。

 …で、本来なら使える数は二十八本?だったか…?

 その二、三本も認識出来無いんですが…僕…。

 …あ~…いや、もしかしたら今から始めて十年間の鍛錬の成果で

なんとか認識出来るのが二、三本になる訳か?

 と、なると「解析」も十年間の苦行の果てに身に付いた感じ?

 じゃあ少年時代の時に気軽に出来た魔術って「投影」の失敗作だけな訳か?

 ……いや俺、実際に投影なんて(そんなモン)出来ねーしぃ、出来なかったしぃ…。)

 

 「………あとは何かあったっけかな?」

 

 利き手に持ったボールペンを器用に回しながら、

生前プレイしたエロゲーについて思い出そうとする彼であったが、

再び知恵熱に襲われ思考作業を一端中断。

 その後、熱が冷めては朧げな記憶を探り、

チラシの裏にソレ等は書き足してはまた知恵熱に苛まれ、そして…。

 

 

 


 

 

 

 

 

 …そして現在、こうしてやさぐれている。

 

 そもそもオリジナル士郎が原作初期(少年時代)から息抜きで使えたであろう

『投影魔術』(出来損ない)すら使えないという時点でもう無理である。

 仮に原作開始まで日課をこなしきったとして出来上がるのは、

魔術の使えない海賊版士郎とか劣化士郎(自分を魔術使いだと思い込んでる精神異常者)だと思われる。

 無論、原作以下の戦力外であるし、

ランサー辺りと出くわした時点でFATE/stay nightお終いである。

 

 (…あ! 今風に言えばニア士郎、かな…。フフ。

 

 …などと、くだらぬ思いつきに薄ら笑いを浮かべつつ…。

 彼は頭に浮かんだウロ憶えの知識を、手元にあるメモ帳で確認しては、

今後取れるであろう手段をツラツラと脳内に並べ、ダメ出しする作業を行う。

 

 (戦争開始前に篭城決め込むとして、

仮に身体に埋め込まれてる鞘を触媒にしてセイバーを喚び出せたとしても

燃費の悪さですぐガス欠になるだろうし、

じゃあエネルギー補填の為相撲(S〇X)取ろう(しよう)ぜと進めたとして…、

…まぁ応じてはくれるんだろうよ。

 もううろ覚えだけど菌糸類セイバーって確か

勝つ為ならばよほど非道な行為で無い限り手段は選ばないって感じのキャラだったはずだし。

 …だから勝利に繋がるなら搾りたての精液の一杯や二杯、

嫌な顔しながらもガブガブ飲み込んでくれるはずだ。

 …先週の葬儀の最中にも大河嬢で色々と確認させてもらった通り、

二次元フィギュアの様なニンゲン(3Dカ○タム少女)でも

欲情するだけならばあっさり出来るし、精通が来れば出すモノだって出せるだろう。

 セイバーのガス欠問題がこれで解決されたとしても…だ。

 彼女と懇ろになったのがあの金ピカに知れた日には恐らく、

イの一番にやって来て「死ね雑種」。

 うん、無理無理無理のカタツムリ。

 仮に精液(ハイオク)満タンになるまでヤリまくったセイバー(イケイケ女)

金ピカの所へ送り込んだ(投下した)所で勝率4割も届くかどうか。

 バトルフィールドによっては多少勝率が変わるかもしれんけどさー。

 でもなーあの野郎、慢心云々言っときながらその時々の気分次第で

あっさり最大宝具(エヌマエリシュ)使って来る危険性がある訳でー…。

 …仮に聖剣の鞘を返せばほぼ勝ち確だとしてもさー、

じゃあどうやって返すんだって話になるわけで…。

 …投影なんて使えないし…俺…。)

 

 まぁ、まずは目先の金ピカ(ラスボス)よりもまずバーサーカー(中ボス)をどうにかしたいんですよねー…と、

彼は一端思考のプールから這い摺り出て上半身を起こす。

 例え無気力であろうと腹は減る。

 簡単な昼食でも摂ろうかとカップ麺がストックしてある台所へと向かいつつ、

「今日は何味にしようかなー」と型月世界(こちら)に来て以降、

数少ない楽しみに頭を悩ませる。

 

 (今の所、コッチ来て良かったと思う点は糖尿を気にしなくてよくなった事と、

関節痛が無くなった事。

 …あとは胃モタレしなくなったってところかなー。)若いって素晴らしい。

 

 先程の陰鬱さはどこへやら。

 ルンルン気分で食用箪笥の戸棚からストックされてるカップ麺を一つ取り出し、

ペリペリと紙蓋を捲りつつ、流し台に置かれたポットの給湯口の下へ、

コトリと容器をそこへ置くと、給湯スイッチをポチリと押す。

 静かにそこへ流れ落ちる熱湯の音をBGMに、

「これでスマホでもあればなー」と現状の不満点を彼は嘆いた。

 

 現在彼が住んでいる衛宮家なる空間は、時間が90年代前半でほぼ止まっており、

ネット環境と呼べる代物が本格的に整い始めるのはまだ先の話。

 スマホが普及するのは年代的にも先の話である。

 

 (お昼○~すみはウ○ウ○ウォッチング~…♪)

 

 動画サイトとはおろかネット通信すら無く、

パソコン通信すら出来るか怪しい90年代そのままの衛宮邸。

 居間に設置されているブラウン管テレビから流れる某番組のテーマソングを

脳内でリフレインさせつつ、座卓に置かれたカップ麺を一口啜る。

 

 (周りの人間があくせくと働いてる中過ごす、

気だるい午後の一時…なんと贅沢な事か。)

 

 …などとくだらない優越感に浸りつつ、

彼は明確な答えに近い打開策の内の一つを思い浮かべてみる。

 

 (逃げる…やっぱりこれが一番正解に近い様な気がする。

 うん、グズリーズ(漫画のキャラ)も言っていた、嫌なら逃げてもいいんだよって。

 …とは言ってもじゃあ何処に逃げるんだという話になる。

 正直この世界は弱者に対して非常に厳しい…。 

 仮にヴィンランド(避難所)的な場所があったとしてもだ。

 そこにもいずれは型月特有の魑魅魍魎が入り込む。だってここ型月世界だもの。

 そもそもアラヤだとかガイアだとかいう得体が知れねぇ物(型月二大巨頭)の匙加減次第で、

滅びがどうの救いがどうの決まっちまう世界ってだけでもう詰みじゃん逃げ場無しじゃん。)

 

 コネでもあれば話は少し変わるかも知れないが、

モニター越しでしか知らぬ世界でそんな上等な物は彼には無い。

 切嗣あたりなら持っていたかもしれないが彼は既に故人である。

 出会い方からその後の関係遺憾によっては、

切嗣自身が士郎(仮)最大のコネになったのかもしれないが、

出会い頭で既に彼は往生している。

 この時点で詰み2である。

 

 (…やっぱアレかー、正義の味方云々のくだりとか喋ってから死んだんだろなぁ…。)

 

 麺を下品に啜りつつ、彼の死に顔を思い返す。

 まるで救われた様な、満足した様な表情をしていたので恐らくは士郎(仮)の予想どうり、

「じゃあ俺が…」と、オリジナル士郎が口にしていたと思われる。

 

 (で、何故かその後を引き継ぐ男・俺……。いやいやいやいやいやいや!)

 

 士郎(仮)(いち小市民)にとってはそんな事、冗談では無いし無理な話である。

 そんなに正義の見方云々に拘りたければ警察官なり自衛官なりにでも成ればいい。

 …が、衛宮親子(コイツラ)が求めるであろう正義の味方というのは、

どうにもそういった地に足着けた堅実的なモノでは我慢ならないモノらしい。

 もっと具体的に言うならば、こう…本来目立っちゃいけないのにド派手に決める

正義的なモノ(戦隊ヒーロー)に惹かれるのだろう。

 具体的に言えば旅客機☆撃墜とか都市部でのホテル☆爆破とかがソレである。

 

 (まぁ、そりゃあこういう物語の中央にいるのが「堅実的な主人公」(現実主義者)とかだったら、

面白みは無いんだろうけどさー…。

 仮に原作終了後のチート主人公が国家公務員に成って御国(正義)の為に云々なんて言われても、

読み手からしてみれば「は?」と思いたくなる顛末ではあるわ。

 昼はサラリーマン じゃあ夜は(特命係長)…見たいなノリなら面白いかもしれんけど、

主人公が魔術師って肩書きである以上、

やっぱり人生裏街道を派手に爆進して正義だ信念だと

一々拘って懊悩してくれた方が読み手側としては面白いだろうし俺だって思うわ。

 …俺が読者側ならな…。)

 

 しかし今は悲しいかな艱難辛苦に塗れる(読者を楽しませる)予定の主人公(憑依)。

 本当にどうしてこうなった、である。 

 ちなみにそんな彼の掲げる正義は「一にお金、二に女」である。

 現代日本を生きるティピカルな若者からしてみれば珍しいものの、

それでも一般大衆の大体の野郎共が今だ持っているであろう確かな正義である。

 まぁ、金はこんな(型月)世界だから何れはケツ拭く紙にもなりゃしねぇ日が来るかもしれない。

 女に限っては正直、型月世界(アニメキャラクター)は彼の感性(ゴースト)が違うと囁く。

 

 (いや、かわいいっちゃかわいいんだけどねー、でもねーでもさー…。)

 

 …彼の場合、呼吸する様に二次元キャラクターをG行為のネタとして使う事は出来るのだが、

じゃあソレらと恋愛行為やら結婚生活が出来るのかというとまったくもって出来そうには無い。

 と言うよりもまず考えた事が無い…。

 まぁ現実の大半の人間はまずそんな事は考やしないが…。

 

 (現実に戻れず(夢から覚めず)一生をここで過ごすとなれば、

そういう事もいずれは考えなきゃならんのかー…。)

 

 つまる所、こちらに来た以上彼は現実にいるかもしれない少数派(選ばれし者)

ならなければならないという事である。

 これがスカイリム(無論MOD導入)の世界だったならば、

まだ彼の感性が受け入れられたかもしれない。

 

 (話を戻して魔術回路…なまじこれがある分、他の魔術師や人外に見つかれば確実に

素材扱いとして採取される…詰み3。

 そして身体に埋め込まれた聖剣の鞘…みつかったらやっぱり無理矢理に摘出されたあげく、

下手すれば魔術回路もズタズタになって心身共に再起不能…詰み4。

 それら4つの死亡フラグを邪魔だとばかりに

薙ぎ倒して迫り来るバーサーカー(イリヤスフィール)という聳え立つ詰み5(クソ)

 まぁ、それらが無くても死ぬ時はやっぱり死んじゃうんだよね。

 深夜帰宅途中に間桐臓硯(妖怪ジジィ)にモシャモシャ貪り食われる一般会社員さん(♀)みたいに。

 ……色々と考えてみたが結局一般人にも優しくない仕様やんけ。

 せめて魔術が使えればなー。)

 

 …ふと考えを一端打ち切り、容器に残った汁に視線を落としつつ、

ボソボソと何事かを嘆く彼。

 

 「R-typeよりマシだ、ベルセルクよりマシだ、Dead Spaceよりマシだ…。」

 

 この世界に迷い込んでからここ数日間で、

彼なりに自我を保たせる為に何とはなしに思いついた、この魔法の言葉…。

 とは言え、この世界の場合例え運命の夜(原作)を乗り越えたとしても、

何時か何処かで不審死するかもしれない、又は行方不明になるかもしれないという

恐怖(ロクデナシ共)との邂逅という名の不安が死ぬまで続いてく訳であり、

魔法の言葉に出て来た作品群と比べても、

単純に緩急の違いというだけで、そう大差が無いと思われる。

 終始出ずっぱりなのか、忘れた頃にやってくるのかぐらいの違いといえばいいのか…。

 最近は神経が急激に擦り切れた弊害なのか、

「突発的な交通事故ってまだ日常の範囲内だったんだなー」などと

色々と間違った安心感までついてしまっていた。

 …何時の間にやら汁まで飲み終わり、空になったカップ麺の容器を座卓の上へそのままに、

彼は座布団からゆるりと立ち上がると、居間から陽の当たる縁側へ。

 前傾姿勢のまま向かい、溜息と共に腰を下ろす。

 陰鬱としたこの気分を、彼は少しでも転換したかった。

 

 (あ~~…両手から突然イデオンソードとか出てこねぇかな~~…。

 もし出てくれたら列師範も目ん玉飛び出るぐらいにグルグル回すわ~~…。)

 

 もはや捨て鉢気味の思考で縁側に腰掛けたまま、

死んだ魚の様な目で両手をグルングルンとブン回す。

 端から見ればもはや気が触れた子供にしか見えない。

 もしもこの場に大河がいれば、彼の背中をそっと優しく抱きしめていたことだろう。

 まぁ今の士郎(仮)にとっては、その優しさは非常に鬱陶しい以外の何物でも無いのだが。

 

 (死ぬ…死ぬのか、俺…。普通こういう状況だとチートとかさ…、

そういうのも……無いか…。)

 

 身体中からは大量の脂汗。

 瞳には訳も無く涙が溢れ、内臓が下腹部に下がる様な感覚に吐き気を覚え、自らの肩を抱く。

 

 (終わり…終わりか…。訳もわからず…こんな世界に放り出されて…。

 これでもう…終わり。俺が? 嘘みたい…。)

 

 実際始まってもいないのだが始まる前に色々ともう終わってる…それが彼の現状である。

 涙目のまま膝を抱き、後ろに体重を傾け、起き上がりコボシ…。

 昼下がりの青空を視界に映し、黄昏る。

 

 「…ハハハ…ハハハハハ…。無理無理無理の、かたつむりー……。」

 

 

 

 

 

『無理と諦めては何事も成し得んぞ』

 

 

 

 

 

 黄昏ていた士郎(仮)の耳朶(じだ)に突如、力強く芯の篭った男の声が響いてきた。

 

 『お前の年は幾つだ、ペドロ』

 

 『物心ついてこれまでにどれ程の努力をした?』

 

 『何に挑み 誰に負け 何時何処から落ちこぼれたというのだ』

 

 

「ペドロじゃねぇよ!!」

 

 

 俺は士郎(仮)だ!―――…と、現状名乗らざるを得ない自分の名前を挙げ、

抗議しようと声のした方へ面を上げると、目の前にある何も無い寂しい庭の中、

杖で身体を支えている一人の中年男性が立っていた。

 肌は浅黒くかなりの高身長…鍛え抜かれたその身体はまるで一つの芸術作品の様。

 身に着けている衣類こそ粗末な物のはずなのに、

それを身に纏う彼自身から放たれる闘気(オーラ)のせいか、

その程度の些事等一切気に無らない。

 むしろ気になる点と言うのなら、左脚の膝に着けられた痛々しい補助器具であるが、

当人にとっては素知らぬ風。

 現役時代(真夏の熱狂の中)を生き抜いた拳闘士()にとってソレは誇るべき(思い出)である…と、同時に奴隷解放を願う彼の教え子達にとっての忌むべき(訓戒)でもある。

 

…決してこうはなってくれるな、と。

 

 その偉丈夫は厳しくも暖かい眼差しで静かに士郎(仮)を見据えていた。

 …そう、士郎(仮)はこの漢を知っている。

 

 「えぇ、チョッ、待って…。 作品が違ウッ、なんでココに…えぇ!?!?」

 

 『たかが十年足らずの小僧如きが俺の前で挫折を気取るつもりか?』

 

 

 

『寝言を抜かすな!!』

 

 

 

 『目を醒ましてしっかりと前を見ろ!』

 

 『挑みもせずに諦めるなど俺が許さん!』

 

 『拗ねるな 嫉むな 逃げるな 誤魔化すな!』

 

 『今この場で出せる全力を振り絞れ!』

 

 『今日現在辿りつける己の極点に登れ!』

 

 『他者との競争は常にその先にあるのだ!』

 

 …あぁ、いちいちこの男の口から紡がれる訓戒はどれもこれもが心に響く。

 この男が登場する格闘漫画を読みふけり、ふと思ったことが彼にはあった。

 

 ―――子供の頃、もしもこんな大人が傍に居れば(ゴミの様な)俺の人生、

少しは変わっていたのだろうか、と。

 

 

 

『いいかッここがッ出発点だ!』

 

 

 

 そう檄を士郎(仮)へ飛ばすと、彼は持っていた杖の穂先を力の限り地面へと打ちつけた。

 

 ―――今、まさにその『もしも』を可能にしてくれるかもしれない 存在(大人)が、

彼の目の前に立っている。

 

 『ここからどう動くかで将来が決まる』

 

 『考えろ!時間だけは全ての人間に平等なのだ』

 

 『十年後、泣くも笑うもお前の努力次第だぞ』

 

 「…ザファルッ…先生(ゼンッゼイ)ッ……!!」

 

 …あぁそうだ、そうだよ先生。十年後、俺は笑いたい…。

 …例えこんな世界(末法の世)でも、笑って生きていきたいんだ。

                    

 萎えた両脚に自らの拳を叩き付け、腰掛けていた縁側からゆっくりと彼は立ち上がる。

 そして涙と共にあらん限りの雄叫びを上げ、彼はなけなしの闘志を振るい起たせた。

 

 『確約しよう。向上心を捨てず、前へ進む奴を決して見捨てたりはしない』

 

 そう言い終えると、彼は何時の間にか右手に持っていた、

『ある物』の持ち手部分を士郎へ向けて、差し出した…。

 

 

 

…さあ、まずは穴掘り…。

 

 

 

 

 ……翌日早朝、衛宮邸の庭を余す限り穴だらけにしてなお満足出来(飽き足ら)ず、

掌に出来た血豆が潰れ血塗れになったツルハシの柄を、あらん限りの力で握り締め、

その先端を大地に全身全霊でもって打ち続けようとする士郎少年(仮)と、

そんな彼を羽交い絞めにして涙ながら必死に止める大河嬢がそこに居た……。

 




高度云千メートルからの落下で着地点がわかりません。


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不運と踊ろう

産みの苦しみ…。


 夕刻に差し掛かり黄昏の光が窓ガラスを透して差し込こんでいる衛宮家、台所…。

 その流し台の前で包丁片手に、もう片方の手に持たれたジャガイモの皮を剥きつつ、

藤村 大河は物思いに耽っていた。

 物思い…と言うより、最早悩みの種と言っていい、その対象…。

 ソレはこの家の元家長である衛宮切嗣の忘れ形見であり、

彼女の弟分でもある衛宮 士郎の事である。

 

 (最近、士郎の様子が(とみ)におかしい…。)

 

 溜息と共に、皮を剥き終わったジャガイモを再び水洗い。

 その後適当な大きさへと切り分け、熱湯が収まった鍋へ、手早く入れる。

 

 (玉葱…炒めるのめんどいな…。)はぁ…。

 

 玉葱の皮を毟りつつ、彼女は衛宮切嗣の葬儀後から今日に至るまでの弟分の奇行、

それ等を思い出しては頭を悩ませる。

 最早それは彼女の日課の一つになりつつあった。

 憂いを帯びたその表情は、同回生(異性)の大半が見れば、

瞬く間に恋煩いに罹る者もいるだろう。

 実際、彼女は喋らなければモテている。

 …だが彼女との恋愛を発展させるにおいて最大のネックと言えば、

やはり実家が893という一点にあったりする。

 …とは言うものの、

藤村家自体が地域の商店街やご近所との折り合いが悪いという話は特に無く、

周囲とは比較的良好な関係の下、

長年受け入れられている事は誰もが知るところな訳で。

 その為「大丈夫だろう」タカを括っては、

大河に交際を申し込む者も中には居た訳だが、結局は藤村組総出に迎えられ、

彼等に気に入られなければ、ソレも叶わず諦める他に無しという…。

 …つらつらと書き連ねてみたが、やっぱり主に実家のせいで彼女の春はまだ遠い…。

 まぁ、彼女の恋愛模様はさて置いて。

 刻み終えた玉葱を、結局炒める事も無く鍋へと投入。

 人によっては文句を言う者もいるだろうが、作っている大河本人は勿論の事、

共に夕食を済ます士郎本人も、特に気にする事はないだろう。

 

 「結果カレーであるならば、過程なんぞどうでもいい。」

 

 毎食インスタントで済まそうとする士郎に対し、

「コレではいけない」という考えの下、

彼女なりに四苦八苦しながらも最初に作った衛宮家での夕食に対し、

彼の感想がコレだった。

 当初、調理に不慣れな彼女なりに一所懸命作ったメニューを前にしての、この感想。

 この言葉で居間の空気が瞬時に凍り、彼女の表情も極寒の如き無表情。

 

 (…私は今、馬鹿にされてるのか?)

 

 そんな思いに駆られ、眉間に皺を寄せつつ壁に立て掛けていた竹刀の方…ではなく、

その隣に何故かある木刀の方に手が伸びかかりもした訳だが、

まぁそれも今の彼女には詮無き事。

 正直今夜、彼に切り出す話の内容を考えるリソースに時間を割きたい彼女に取っては、

悠長に腰を据えて調理をする精神的余裕はあまり無い。

 どうせ適当に作ったところで奴自身が文句は言わないだろう事からも丁度良かった。

 ―――今日彼女が夕食で切り出す話の内容。

 それは目下の悩みの一つである士郎の不登校問題についてである。

 …まぁ他にも彼については悩むべき内容が結構な数あり、

彼女の頭の中はその整理にてんてこ舞になっているのだが。

 

―――とりあえず一つずつ解消していく他にない。―――

 

 そう答えた彼女の祖父・雷画からの助言は尤もであるし、

それは彼女自身も解ってはいる。

 それでも日々の日課になってしまったが為に、彼女の思考はやっぱり止まらず、

今日も葬式当日まで記憶が(さかのぼ)ってゆく…。

 

 (葬儀の最中は父親である切嗣さんが亡くなったからか、

年相応に取り乱してたり、遅い夕食の最中に気を失ったりと大変だったけど、

あの子の事情を考えてみれば、ソレは当然の事かもしれない…。

 新都での災害で実の御両親を…、今回で育ての親(切嗣さん)を失ったんだ。

 精神的な限界から混乱したり、挙動がおかしくなったりするのは…、

なんらおかしくない…。)

 

 当時の年相応の弟分を思い出しつつ儚く笑い、刻んだ人参を鍋へ投入。

 

 (……まぁドサクサ紛れに胸とかお尻とかお腹とか……、

揉みくちゃにされた様な気もするけど、

きっと親を立て続けに失ったショックによる幼児退行的なものでしょう…。

 実際あの子、精神面もまだ幼いし…。

 本来なら甘えたい盛りな年頃だろうから…。)ウン。

 

 当時の親父臭い弟分を思い出しつつ、真っ赤な顔で鶏肉を鍋へ投入。

 

 (葬儀後しばらくは無気力状態からの不登校児にもなっちゃったけど…。

ソレも…まぁ、おかしくはない。)

 

 葬儀が終わって(しば)らくの間、

陸に打ち揚げられ力つきかけてる魚の様に横たわる弟分を思い出しつつ、

疲れた表情で灰汁(あく)取り開始。

 

 (でもある日突然家の庭中を穴だらけにするっていうのは、

どういうことなの…!?)

 

 ある日の事、最早日課である朝の挨拶をしにお隣さんを訪問した彼女。

 門を潜った彼女の目の前に突如広がるのは、

家屋を除く敷地内全てが穴だらけという何とも信じられない光景。

 ソレを思い出した瞬間、眉間に皺を寄せながら刻んでいたカレールーに、

彼女は勢いよく包丁を入れてしまう。

 まな板から「ダン!」という鈍く重い音が台所に響くが、

その包丁捌きは手馴れたもので…。

 …何故手馴れているのか…実家稼業が関係しているのかどうかは置いといて…。

 指を怪我するという事も無く、彼女はその後もルーを淡々と刻み続ける。

 刻んでいるのは玉葱では無いはずだというのに、

その目尻にはじわり…と、涙が浮かんでいた。

 

 「ど~してぇ…一体どういう事なのぉ…。」

 

 思わずそう口に出してしまう程、後見人である彼女は精神的に追い込まれていた。

 それほどまでに今日まで続くあの光景は、衝撃的かつ悩ましい出来事であった。

 その後も士郎の異常な行動は留まる事を知らず。

 現在も隙あらば取り上げた筈のツルハシを片手に庭中に穴を掘ろうとするし、

誰もいないはずの空間に突然話しかけたと思えば、

突然おかしな行動を取り始めたりと…。

 具体的に言えばシャドーボクシング的なアレとかシフトウェイト的なソレとか…。

 まぁソレ等は全て、彼女には視えないヌミディア生まれの妖精さんの仕業な訳だが。

 

 (最初は男子思春期特有のゴッコ的な行動かと思ったけど、

ソレにしては度が過ぎてるでしょお…。)

 

 彼女の様に妖精さんが視えない以上、

士郎がやってる行為の数々は中二病…その考えに行き着く。

 刻み終えたカレールーを涙目になりつつ鍋へ投入。

 お玉で中身のカレーを掻き回しつつ溜まった涙を指で拭う。

 

 (わ、私がしっかりしないと…私がしっかりしないと…私がしっかり…。)

 

 もはや口癖になりつつある台詞を頭の中で反芻しつつ、

彼女は今夜、彼に話すべき問題について再び頭を働かす。

 出だしは士郎(仮)の好物でご機嫌を伺いつつ、

後はどのタイミングでどう切り出すべきかと悩ませる。

 正直もう見捨ててもいいんじゃないかと例え後見人であろうと思う所だが、

そんな選択肢は最初から考慮に入っていないという所が、

藤村大河という人間の美徳であり彼女が周囲から慕われている理由でもある。

 

 (…えーい!もうウダウダ悩んだってしょうがないじゃない!

 出たトコ勝負だ!!)

 

 そしてこの思い切りの良さもまた彼女の長所であり、

人に好まれる理由でもある。

 まぁ、今回の不登校云々の問題が解決されたとしても、

今後また新たに生まれるであろう問題に頭を抱えていく彼女な訳だが…。

 

 (うん、そうよ!―――私が…、私があの子をちゃんと看ていかなくちゃ!!

 あの子にはもう私しかいないんだから!」

 

 陰鬱な気持ちを無理矢理切り替え気合を入れた結果、

自身に念じていた言葉が声に出ていた彼女。

 ソレが恥ずかしかったのか、

場を誤魔化すかの様に赤くなった表情(かお)で更に声を張り上げる。

 

 「しろ―――!ご飯できたわよ―――!!」

 

 主に士郎(仮)の影響で、

何気に原作よりも家事・育児能力が上がっている藤村大河であった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 ―――食後の満腹感から心地の良い眠気が襲うが、まだ彼は眠る訳にはいかない。

 この後また身体を丹念に解しつつ、

疲労が残らぬ程度に筋トレを行わなければならないからだ。

 …ここ毎日の日課内容…。

 朝日が昇るよりも早く起きては柔軟して筋トレしてランニング。

 朝食済ませたらウィービングしつつシャドーして、

ミット打ちの最中に突然飛んでくる反撃に対し、

スウェー及びダッキングにパリィングという複合訓練。

 昼食済ませたらツルハシ握って、ひたすら穴掘って穴掘って穴掘って穴掘る。

 本来ならば、ここまで詰め込む様な訓練など素人目から見てもド論外。

 児童の身でこんな無理を押し通せば最悪成長の妨げに成りかねない。

 しかし彼の前に立ちはだかる最大の壁、それはギリシアの大英雄ヘラクレス。

 これだけやってもまだ足りない…この休憩時間すら彼には惜しい。

 正直死んで楽になったほうがマシかもしれぬ程の質と量である訓練内容。

 本格的な死を経験した事が無い彼にとっては、死は本能的に避けるべきモノ。

 死にたくないと願うからこそ今もこうして、日々繰り返される苦行に耐えていられる。

 出来る事ならば訓練以外の時間は食事と睡眠に当て、

このクソッたれな現実から少しでも逃避したい…しかし…。

 

 「ねぇ士郎、そろそろさ…その…学校、行く気にはならない?」

 

 苛烈な訓練による疲れを、瞑目しつつ癒す食後の貴重な休憩時間を、

藤村大河のそんな一言によって台無しにされた。

 正直そんな時間は欠片も無いし、出来る事ならば実年齢上を鑑みて、

小学校なんて通いたくも無い。

 しかし精神的に殺伐としたこの現状下。

 鼻水垂れた小学生共を尻目に優雅なシエスタ決め込みたい。

 平和な時間を体感したいし満喫したい…そういう気持ちも確かにあった。

 だが、彼の答えは既に決まっている。

 

 「悪いがそんな時間は無い。俺にはやるべき事がある。」

 

 これが特になんら生命の危機も迫っていない、

緩やかな作品の二次創作トリップであるならば、

実年齢上の事もあり曖昧にお茶を濁しつつ、事態の先送りを計るのだろう。

 しかしハッキリと生死に関わる事案が数年先に待ち受けているとならば話は変わる。

 この碌でも無い世界に訳も分からず放り出されてしまった以上、

彼の精神は既に典型的な日本人と違い、

はっきり「NO」と言える人間へ切り替わっていた。

 …だが、次の彼女の発言で空気(士郎)が凍る。

 

 「…でもさ…アナタ、来年は中学生になるでしょう?」

 

 「………………………………………………………ハイ?」

 

―――チウガクセイ…?今、目の前のこの女は何と言った?―――

 

 『中学生』…現在の士郎にとっては聞き捨てならないそのワード…。

 ソレが彼の脳内一帯を埋め尽くし、両の眼球が小刻みに震え出す。

 身体中からは冷や汗がドッと流れ出し 、

(はらわた)が重力に負けその全てが下腹部へ垂れ落ちる幻覚に襲われる。

 この混乱から来る動揺を少しでも落ち着けようと、

彼は懐や腰周りにあるポケット等を執拗に弄るが、

何時もならばソコに在るであろう目当てのブツが存在しない。

 それに気付いてしまい、しかし少しでも体裁を整えたかった喫煙者。

 利き手を自らの口元に着け喫煙中の体を取る事で、

苦し紛れながら心を落ち着かせる様必死に努めていた。

 

    ―――来年中学生という事は今、何歳だ?12歳?

        待て、という事はあと五年?十年じゃなくて?五年?―――

 

 …が、そんな努力をしようとも、口元に置いたその利き手は面白い程に震えている。

 限界は最早目に見える距離に在り、正直彼はこのまま意識を手放したい気持ちで一杯だった。

 しかし彼には聞かねばならない事が…、確認しなければならない事がある。

 

 「…あの…藤村さん。」

 

 「ふ、藤村さん!!?」

 

 「あの~ですねぇ、非常~に申し訳無いんですがぁ、

…藤村さん宅にある今日か、昨日の新聞あたりを拝見させて頂けるとですね…

大変ありがたいのですが――…。」

 

 胸元で両手を揉み擦りながら平身低頭。

 取引相手に顔色見つつお伺いを立てようとするその様は、

生前取った杵柄による悲しき宮使えのソレである。

 

 「…ちょっと、その気持ちの悪い喋り方は止めなさい。

 その仕草も…揉み手も止めろ!!はぁ―――…

 …で、何で突然新聞なんか…?

 それに新聞読みたいなら家の…あ、そっか…。

 切嗣さん、家空ける事が多いからって新聞契約して(取って)なかったんだ。」

 

 そう言うや、彼女は疲れた表情(かお)でその場から立ち上がる。

 

 「…ちょっと待ってなさい。」

 

 そう言い残しつつ溜息と共に居間から退室。

 その後、頼んでいた物を片手に数分と経たず彼女はその場に戻ってきた。

 そしてその手から渡された、新聞のとある箇所に目を通す…。

 

 …平成12年(2000年)○月○日発行…

               …平成12年(2000年)…

                        …2000年…

                             2000ネン

                                  2000

 

 (エ、ナンデ!?2000ネンナンデ?95ネンチガウ!?ナンデ!?!?)

 

 最早本来(・・)の現状を受け入れる余裕など欠片も無く…。

 訓練による疲労も相まって、心身共に限界を迎えた士郎は意識をあっさりと手放した。

 気持ちのいい虚脱感と嘔吐感が彼を襲い、

胃に収まっていた夕食を盛大に吐き出しつつ倒れ逝く。

 その様を見ている大河は慌てる以前にこれまでの疲れで呆け掛けており、

 

 (…あ、なんかコレ前に観た映画のワンシーンみたいな倒れ方だ。)

 

…と、なんとも場違いな感想を抱いていた。

 宙に吐き出された吐捨物が綺麗な放物線を描き、

吐き出した張本人の顔に盛大にブッかかると同じくして呆けから覚める大河嬢。

 

 「し、しろぉ―――――!!」

 

 笑いの神が降臨した士郎(仮)の傍らで彼女の叫び声が木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …暗い意識の遥か底で…。

 生暖かい空気漂う真っ暗な空間の中、膝を丸めて身体を横たえる士郎(仮)。

 その(さま)はまるで母体に包まれた胎児の様…。

 傍から観ると何とも穏やか()つ安寧たるその光景。

 しかしその(じつ)、これは彼の諦めの心象である。

 

 (もうダメだオシマイだ。

 残りあと5年て何だよ 10年じゃなかったのかよ...。)

 

 現在、彼が宿る衛宮士郎と呼ばれるこの身体。

 見た目小学校低学年くらいの体格をしていた為に、

今迄彼は致命的な勘違いをしていた。

 10年もの猶予があるのならばもしかしたら…と、ある種タカを括っていた。

 余裕がある…希望がある…そう思っていたというのに、

実際の士郎終末時計は10年どころかその半分、…5年である。

 5年しか無いのである。…―――詰みである。

 

 (こんなよぉ分からん状況に陥った時点で、

まず最初に調べておくべきだったろうが!

 重要項目やんけ、西暦何年か調べるのなんざ!!

 あぁ―――…、よくよく考えてみれば、

士郎が切嗣に引き取られてから死に別れるまでの期限もあった訳だし、

ソレを考えに入れて当たり前だったってのに馬鹿なの俺は…。

 …コッチに来てから本当に冷静に物を考える余裕が出来てねぇ…。

 俺の型月知識まったく使い物になってねぇやん…。)

 

 生前、彼は仕事の合間合間に出来た微妙に暇な時間があれば、

何とはなしにネット小説などを掘り起こし、時間を潰していた。

 それが実際、我が身にハ―○ルンやらアル○ディア的な展開が降り掛かってみれば、

ご覧の通りトコトンな迄の空回り。

 正直ここに至り、彼はスコッパーとしてもそうであるが、

それ以上に、これまでに纏めた自分の原作知識を欠片も信用出来なくなっていた。

 実際穴だらけの知識である…仕方の無い事やもしれないが。

 

 (てゆーか、なんで小6にもなってこんな背ぇ低いんだよ!

 130cmも無ぇじゃねーか!!欠食不良児かコイツは!

 もっとご飯食べろよ!肉を食えよ!お米!食べろよぉ…!!)

 

 彼の魂からの慟哭が、黒洞々たる闇の中へと吸い込まれていった…。

 

 

 

 

 『立て。』

 

 もはや音すら響かぬ静寂な意識()の中。

 蹲り不貞腐れる士郎(成れの果て)を見下ろすは、

地面に杖を突いた、一人の屈強な伝道師。

 

 『もはやお前には絶望に浸る時間すらも無い。

 生き残りたければ、まずは立て。

 これからの五年間、一分一秒・刹那の間でさえお前の血肉に変えねばならぬ。』

 

 「…今迄十年の余裕があると思い込んでいたのは俺のナリが小学校高学年にしては

幼すぎた為だとか、現状の衛宮士郎の情報のみを掻き集める為に必死になり過ぎて

やる気無くなったりして正確な年代を調べなかった俺自身の落ち度もある訳だが

俺が勘違いをしちゃった遠因を作ったのはアンタのせいでもあるんだからな。」

 

 彼を見下ろすザファルに対し、流暢なペラ回しで非難する衛宮 士郎(成れの果て)。

 

 

 

―――十年後、泣くも笑うもお前の努力次第だぞ。―――

 

 

 

 …前回、そう彼に言われた言葉を思い出し、

非難がましい目でザファルのツラをガン見する。

 …そんな成れの果て(士郎)とザファルの(もと)へ、静かに歩み寄る男が一名。

 その人物、どう見ても堅気には見えず…、本職の893よりも893している風体。

 剃髪した坊主頭に右目には眼帯が…顔面は至る所が傷だらけ。

 そして服の上からでも解るほどに鍛え上げられた、武術家特有の機能的な肉体。

 常在戦場を掲げているのか、その身に纏う空気は精練に、

且つ混じり気無く淀んでいる。

 

 『クク…五年でこのワッパを一端の玄人に仕立て上げるかぁ。

 …中々の無茶振りだが、まぁ無理ってぇ訳じゃあねぇ…。』

 

 「…オ、愚地、館長…?」

 

 士郎は目の前に現れた男の名を、震えた唇で紡ぎ出す。

 彼を見下ろす二人目の男…その人の名は愚地独歩。

 長く続く格闘漫画 『刃牙シリーズ』の登場人物の一人である。

 彼を視界に入れ、その姿を認めた時、

士郎は驚きと共に正直なところ、安堵していた。

 あの漫画ともなると、どうしても地上最強の生物が思い浮かんでしまうし、

ソレは士郎(仮)本人とて例外ではない。

 もし仮に、この場にあの男が出て来たとしても、

士郎はあの男が指導者として優れているとはどうしても思えない。

 息子の事を極上の餌とかヌカす割には育成は妻まかせ。

 途中からは息子本人の自主性任せだったし、

最後は範馬の血如何(どう)こうでゴリ押しするしで

その性格上、欠片も信用が出来ないのだ。

 まぁ長期連載が故の弊害と言えば、それまでなのかもしれないが。

 しかし、目の前にいるこの男は奴とは違う。

 長期連載故の弊害こそ被ってはいるが、才能云々で物を言わぬ、

文字通り努力型の人間だ。

 しかも物語上、指導者としてその地位を確立させている。

 この男ならば、ザファルの指導も相まって、

さらに自身を強くしてくれる事だろう。

 でもやっぱり五年の時間制限の上に、その先に立ちはだかるは、

死亡フラグの大権化であるギリシアの大英雄ヘラクレスである。

 それに彼が半世紀も努力して、やっと手に入れた珠玉の正拳突きとやらを、

十分の一の時間で体得なんて、まず無理無理無理のカタツムリであるし、

5年努力したところでやっと一端の空手家を名乗れるかどうか。

 しかもソレは空手一本で努力した場合の話であって…。

 その考えに至ったところで、再び士郎に絶望の(とばり)が降り始める…。

 

 『まぁ一番成長の見込みがある時期だ。

 徹底的に鍛え上げりゃあ、一通り使える(・・・)様にはなるだろ。』

 

 そんな黄昏始めた士郎の前に、闇の向こうから、

言葉と共に両腕を胸に組みつつ、ユルリとした足取りで現れた三人目。

 服の上からでも分かる程に屈強な体格を誇る、

無精髭の目立つ短髪・高身長の中年男性。

 …その男の名は入江文学。

 武術富田流六代目継承者…38歳童貞。無職。普通自動AT限定。

 十兵衛ちゃん曰く「教え方がヘタ。」

 

 「童貞(文さん)…。」

 

 『……ねぇ、何か俺だけ呼び方おかしくない?!

 紹介も何かこうアッサリ風味っていうか…。

 特に最後の方が何かこう、何か…。ねぇ、おかしくない?!』

 

 彼等の他にも、かつて観た事のあるキャラクターが、

暗がりから続々と此方へ現れる。

 何故か皆が皆、格闘漫画のキャラクターで統一されているのだが。

 それ等の中には、どう見ても格闘漫画から逸脱しているだろうチートキャラが、

ちらほらと士郎の視界に映る。

 例えば長髪で黒いカンフー服を身に纏った仙人志望の青年(年齢不詳)だとか。

 質素な着流しを着込み、その身長は2Mを超え、

立派な白髭を蓄えた老人(年齢不詳)だとか。

 それからパンツを被り網タイツを履いた、

これまたマッパで筋骨隆々の―――…。

 

 『君の慟哭の叫びが、私の魂に届いたんだ…。』(イケメンボイス)

 

 「…待って。」

 

 『諦めずともいい。君の身体からは常に、無限の可能性が(ほとばし)っている。』(セクシーボイス)

 

 「いや、あのちょっと…。本当に待って。」

 

 『さぁ正義の為、共に戦って行こうではないか!』(イメージCV:紅茶)

 

 「話聞いて。」

 

 何とか冷静を保たせつつ会話を試みるものの、相手は常に全力投球。

 会話のキャッチボールをする気配は無く、常識も通用しない。

 挙げ句の果てには実力行使。

 何処から持ってきたのか知らない女性用下着を手に、

ソレを無理矢理 士郎に被せようと両手を後頭部に組み、

腰をクネらせながら彼の方へジワリジワリと近づいてくる…。

 …その後繰り広げられた語りたくもない長い死闘の末、

無敵超人と元スプリガンに脇をガッチリと固められ、

闇の彼方へ引き摺られ消えていく変態仮面。

 連行される最中、『フォオオオオ!!』という名状しがたい奇声がその場に残る…。

 

 『ふぅ…おぅ、切りもいいところだ。

 今日はもうここ等でお開きとしようかぁ。』

 

 その後、静まり返る暗い空間の中、

先程の一種壮絶な殺り取りに満足したのか、その奇声を終わりの合図と定めたのか。

 薄っすらとミミズ腫れした両腕を(さすり)りつつ、

周りに同意を求める愚地館長。

 

 『…そうだな。今宵はここまでとし、明日からの訓練に備えようか。』

 

 同じくミミズ腫れした肩などを擦りつつ、それに応えるザファル先生。

 

 『あ―――っ!!クソ!サイン貰うの忘れてた。

 いや、そっか…。 ○んど先生じゃなくて主人公キャラの方だから…、

 ソッチのサインは、…違うのか?』

 

 メタい事を口にしつつ、片手を額に当て変態仮面が消えた方角に目を向ける文さん。

 

 「はははははっははハッ、ゲフォッゲホッ……ゲフ…フゥ――…。」

 

 士郎(仮)の目の前で起こった一連のひょうげた馬鹿騒ぎ。

 彼は某織部正(おりべのかみ)の如く腹筋が()る程に笑い切り、

落ち着いていくその過程で色々と吹っ切れてしまった。

 

 (どうせ死ぬのが確定というならば、もう盛大にコイツ等に任せちまおう。

 胡散臭いけれど、もう仕方がないし…。うん、仕方ないし…。

 目の前のコレが希望(中年共)というなら縋ってみよう…。うん、仕方ないし…。

 

 ある種言い聞かせに近い決意内容であった。

 とゆうか正直なところを言えば、彼には切れる札が無い以上、

もはや目の前の胡散臭いモノに縋る他に無かった。

 人、それを自棄とも言う…。

 宴(たけなわ)の中、中年共が一人、また一人とこちらに片手を振り、

闇の向こうへ帰っていく…。

 その内の一人…独歩が思い出したかの様にこちらへと振り返り、

士郎の今後について、簡単に言葉を残していく。

 

 『あ~、そうそう…。今後はちゃんと学校には行っておけ。

 テメェの最終目的は平凡な日常を取り戻す事だろう。

 なら、ある程度の学や社会的立場は必要になる訳だ。

 な~に心配するなぃ!

 訓練の遅れは授業中、下層意識化(この場所)に引き擦り込んで、

 手ずから揉んでやるからよぉ。』

 

 そう言いながら彼は再びコチラに背を向け、

片手を軽く振りつつ闇の向こうへと消えていった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …そして、その後の三年間…。

 毎日休む事無く行われた、グラップラー式イメージトレーニング。

 教室内で授業中、居眠りしているにもかからわず、

彼の身体中至る箇所が痣だらけ。

 着ている私服が、後には学生服が血塗れとなり、

机に突っ伏し痙攣する衛宮少年がそこにいた。

 始まった当初こそ内外共に騒然としており、泣き出す女子まで出る始末。

 しかしその都度、士郎本人からゴリ押しに近い誤魔化しの言葉が入る。

 

 「あ、大丈夫。」

 

 「持病みたいなものだから。」

 

 「まぁ、よくある事だし。」

 

 …この様に、何とも軽薄な口調と態度で、

その場を乗り切る血達磨少年・衛宮 士郎。

 日常の一幕として、どう表現しても異常とも言うべきこの光景。

 そんな光景が五年後の原作開始に至るまで、

信じられぬ事に周囲に受け入れられてしまう。

 因みに小・中・高と進学するに連れ教師陣…、

特に上の役職にある教頭・校長、両教諭等からは、

彼と顔を会わせる度に遠回しにこう勧められる。

 

―――…その手の施設に診てもらったほうが…―――。

 

 彼を気遣っての言葉なのか、それとも厄介払いがしたいのか…。

 恐らく後者だと思われるが、それでもそんな彼等に対し申し訳なく感じつつ、

士郎はやんわりと断っている。

 なので教師陣も、これ以上は強くも言えず…。

 まぁ言えば言ったで後見人である藤村大河が、

鼻息荒く出張ってきそうである為、

結局現状維持を貫き通し、遂に小学校をめでたく卒業。

 …中学進学後は悪魔憑きなんていう心無い綽名までついてしまったが、

彼にとっては瑣末事。

 言い得て妙だが、ある意味悪魔以上に性質の悪い連中が、

彼の身体には憑いている。

 まぁ仮に、神社・仏閣・教会などの霊験あらたかな

神主・僧正・神父に御祓いなどを依頼したとしても、

対象者(士郎)を視た瞬間に敷地内から平身低頭しつつ追い出される事だろう。

 「二度と来ないでくれ」という熱い言葉(エール)と共に…。

 

 

 

 

 

…―――そして、血と汗と涙と鼻水による思春期の日々は過ぎて行く―――…。

 

 

 

 

 

 『数を追う事に専念し手段が目的化してしまったか。

一打一打を意識して打ち込め。罰として追加50回。』

 

 「はいッ!!」

 

 

 

 

 

 

 『…――習得と体得では次元が違う。真理を悟り初めて技は身となり――…』

 

 「あの~…先生、僕もう腕が…腕が上がらないんですぅ…。」

 

 『何故たやすく諦める!?何故言い訳を捜して怠ける道を選ぶ!?』

 

 

 

 

 

 『いいか坊主 、琉球空手にはコッカケという技法があってだなぁ…。』

 

 「あの、僕まだ空手習い始めて今日で三ヶ月くらいなんですが…。」

 

 『あぁ?三年も経ってりゃ充分出来んだろぉ?』

 

 「いえ、三ヶ月です三ヶ月!!」

 

 

 

 

 

 『オイオイ…家、出てすぐにメタルスライムと出くわすたぁ、

お前中々持ってるじゃねぇか!

 よぉし、教えた通りに殺れ!奴の弱点は心臓だ!』

 

 「…いや、あの兄ちゃん藤村さんトコの若衆さんで…。」

 

 

 

 

 

 『さぁ被りなさい。』

 

 「ねぇ待って。やっぱりこの縞パンお隣の藤村さん()の娘さんのだよね!

 俺この間顔パンッパンになるまでボコボコにされたんだけど!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


―――そして三年後―――


 

 

 

 

 冬木の地から遠く離れた、とある夜の繁華街。

 小雨が降り始めている街中の、人気が感じられない路地裏の更に奥。

 四方を雑居ビルに囲まれた、微かな光差す袋小路…。

 薄汚れたビルの外壁に不満を発散するかの如く、

バンテージでガチガチに保護された両の(こぶし)を、

何度も打ち付ける一人の大男がそこに居た。

 

……衛宮 士郎……そう、彼である。

 

 その風体は三年前の欠食不良児と同一とは思えぬ程に様変わり。

 現在中学三年生にして背丈は190cmに迫る程。

 着込んでいるスカジャンから覗く、

タンクトップをはち切らんばかりに自己主張する大胸筋。

 ジーパンの上からでも分かる程に盛り上がった大腿筋から観て、

体重の方も恐らくは100kgを優に超えている事だろう。

 15歳という年齢でこれだけの体格を誇る事から、目立つなと言う方が最早無理な話である。

 その為か最近は地方のローカル番組にて、

冬木市在住のスーパー中学生としてテレビデビューを飾ってしまった。

 これも(ひとえ)に現代科学に基づいたトレーニング理論を真っ向からガン無視し、

文字通り『日に30時間の鍛錬という矛盾!!』をコレでもか コレでもかと

この身に施してくれた中年共(一部例外あり)と、彼の為に教師として働く(かたわ)ら、

栄養士資格を取得してまで食生活向上に徹してくれた、

藤村大河の食育による賜物であろう。

 …後は原作版衛宮士郎の様に無茶な魔術の鍛錬という、

心身共に来る弊害を日課として組み込んでいない事も付随しているかと思われる。

 ここまでガチムチに成った要因は他にも幾らかあるだろう。

 しかし挙げれば切りも無さそうなので、とりあえずココまでとさせて頂くが。

 堅気連中はなんとも分かりやすいその画風と言うか、見た目に注目されがちになるだろうが、

それに対し、玄人連中は彼が纏う修羅場めいた空気と首や肩の異常なくらいの盛り上がり、

そして本職のマルボウや機動隊ですらも顔負けする程の拳ダコにこそ、まず目を向けるだろう。

 もはや堅気のソレでは断じて無い尋常為らざる雰囲気を持つこの男に、

学び舎の全校生徒や教師陣からは当然の如く恐れられ、

『悪魔憑き』などという綽名は既にナリを伏せており、

懇意(こんい)にしているお隣さん()が893という事も相まって、

現在、新たにこの男についた綽名は『リアル片桐智司』『世紀末世界からの来訪者』等である。

 

【挿絵表示】

 

 最初、士郎がコレ等の呼び名を聞いた時、目に見える程に驚いた。

 

 「この世界にあの漫画とかあんのかよ?!」

 

 …と、この様に声にまで出す程だったが、

ファンディスクである『ホロウ』の日常イベントに於いて

英雄王(金ぴか)が小学生達相手にジャ○プ買ってこいとパシらせていた場面があった事を思い出し、

○ンデーやマ○ジンがコチラにあっても不思議じゃないかと彼なりに結論づけた。

 その後、生前読んだ事のある、漫画の登場人物の名前を偶然聞いた事により、

懐かしさを覚えた士郎は、コチラの世界のサブカル関連がどうにも気になってしまい、

苦行による時間の合間を見つけては、その手の書籍を求めて書店へと足を運んだ。

 俗世間から、ある意味で懸け離れた生活を送っていた彼にとって、

昔を…生前を懐かしめるナニかがあるのは、一種の心の慰めへと繋がっていた。

 けれど特定の漫画…彼が生前読んでいた、格闘漫画関連の作品群だけが、

何故か掲載されてはいなかった。

 もしかしたら日々、目の前に現れては無茶振りを要求する中年共と、

何かしら繋がりがあるのかと思いはしたが、

彼自身が納得出来るソレらしい答えこそ出るものの、

結局ソレ等は確信めいたモノとも言えず、

今日に至るまで、この一部胡散臭い中年共と彼は日々を過ごしている。

 

 ―――まぁ、中年達の正体云々における考察は、本筋には関係ないので一先ず置くとして…。

 

 …さて、現在…。

 そこ等のチンピラ、ヤクザも視界に入れた瞬間、

泡食って逃げ出すであろう鉄人・衛宮 士郎の足元には、

数人の男女が、顔や胸を陥没させて倒れている…。

 一見、彼等はこの大男の手に掛かった、憐れな一般市民に見えるのだが、

その正体は食屍鬼(グール)と呼ばれる超常たる存在だ。

 要は人間を辞めさせられた憐れな犠牲者達であり、簡単に言えば『人外』である。

 この世界に彼が来訪して三年…。

 ジャック・ハンマーと範馬刃牙を足して更に、

色々と掛け合わせるという空前絶後の健康的な生活を送り続けた結果、

もはや人間如きでは彼の遊び相手…もとい訓練相手は務まる事(あた)わず、

必然、彼は人間以上を追い求めた。

 

―――人間以上…そう、先程も言った『人外』である。

 

 もしも、この世界に彼と同じ様な生活を送っているグラップラー…、

もとい人間が無数に存在したならば、彼もここまで実戦相手に苦心する事も無く、

食屍鬼(グール)という犠牲者達が、彼に止めを刺される事も無かっただろう。

 しかし、残念ながらここは型月世界であって、

グラップラーの世界線でも無ければ、拳闘暗黒伝の世界線でも断じて無い。

 彼は来るべきDOOMS-DAY(聖杯戦争)に備え、

三年前の運命的な出会いから今日に至る迄、常に実戦相手を求めていた。

 更なる強者との立会いを望むが故に、自らの更なる高みを目指し、

それ故に呆れるほどの修練を己に課す。

 それに併用して、とある身体的問題から常時、大地に広がる龍脈から『精』を、

冬木の管理人から無断でその身へと吸い上げ続けた結果、彼は一般人程度ならば、

もはや地を這う虫けらと認識出来る程の強さと身体を手に入れてしまった。

 力を求め苦行に励み、力を得たならば強者を求め自らが現在、

どこまでのモノなのかを確かめる…。

 そして、また満足出来ず更なる力を、強者を追い求め、また ひたすら歩き続ける。

 …もはや終わり無く続くこの男坂に、

主に中年共のせいで見事に囚われてしまった、憐れな『闘い』の巡礼者…衛宮 士郎(仮)。

 当初、願っていた本来の目的は一体何処へやら…。

 かつて死亡フラグとして恐れていたヘラクレスでさえ、

今や恋焦がれた想い人へと昇華してしまった彼は、来るべき2年後を指折り数えながら、

今日も強者を求め夜の街を彷徨い歩く。

 …なんとも傍迷惑なホーリーランドであった…。

 

 しかし今日、今宵は少々事情が違う。

 食屍鬼(グール)というワードが先に書かれていた通り、ここは地元冬木市でも無ければ

その隣の市という訳でも無い。

 更なる強者である『人外』を求めての遠征である。

 

 …強者…実戦を始めた当初は刺激的で、

今まで溜まりに溜まった鬱憤も晴らされ、満足していた。

 しかし成長するにつれ、地元内ではその非常に目立つナリで知られ過ぎてしまった。

 実地訓練というヤンチャが出来なくなり、彼なりに考えた結果、

その後は冬木から駅を二つ三つ程離れた見知らぬ街で、

腕に覚えのあるヤンキーやチンピラ相手に、花金の夜には火種を振り撒いていた。

 時には893相手にその(こぶし)を振るうケースもあったが

自身の風貌から正体が露見され、お隣さんに御迷惑がかかり、

最悪、血で血を洗う仁義無き抗争に繋がりかねないという考えから、

半グレ連中との接敵は、出来うる限り避けていた。

 最低限の変装で顔も隠してはいるが、なにせ目立つ体格だ。

 念には念を入れての事であるし、本来であるならば関わらない方がいい。

 なにせ、ほんの少しの切欠で下手をすれば、

和風伝奇ノベルから地域制圧型シミュレーションに移行しかねない

何ともデリケートな問題でもある為、喧嘩を売る相手には、厳選に厳選を重ねていた。

 『FATE/stay night』というタイトル名が『大大河』なんて物になってもまた困るし。

 とりあえず、そのおかげもあるのか、彼の観察眼は徐々に養われ、

現在パッと相手を観ただけで、どれくらいのヤバさかが大雑把にではあるが、

判別出来る様になっていた。

 簡単に説明するのなら、奇生獣の物語上で、

強さの表現を巨大なカマキリやらクモ等で表現した様なものだろうか。

 …しかし、それなりに腕に覚えのある893と違い、街中を練り歩く場馴れした不良程度では、

彼の経験値的に見て1とか2程度であり、

しかも下手に加減を間違えてしまえば彼等を殺しかねない為、

当然の如く現在の士郎では、満足に力を振るう事も出来ず。

 ストレス発散も出来ないこの現状に 彼のキチゲは当然の如く溜まっていくばかり。

 レベルアップのファンファーレが鳴る気配の無い…その現状に焦りを感じ、

狩場、もとい自分に適した訓練相手に事欠かない場所はないものか…と、

頼りない原作知識を漁ってみた結果、

『吸血鬼』という一つのワードが彼の頭の中に思い浮かんだ。

 

―――そうだ、ここ型月ワールドなんだし吸血鬼がいるんじゃね?―――

 

 『吸血鬼』という型月世界においての『絶対強者』…。

 訓練相手に難儀していた彼がその存在に思い当たり、

興味を示すのは必然だったのかもしれない。

 ただ、彼のこの思いつきだが、本来『英霊召喚を可能とする』FATE時空であるならば、

死徒二十七祖自体が結成されていないという点もあり、

バルダムヨォンさんが、もしかしたら遠野四季として転生こそしてはいても、

吸血鬼では無いという可能性等があった為、

本来のFATE/stay nightという物語上、今回の遠征はほぼ徒労に終わるだろう、そのはずだった。

 しかし、食屍鬼(グール)という存在が現在、遠征先である(くだん)の町で彼に確認された通り、

二十七祖の存在はともかくとして、少なくとも『吸血鬼』はこの街に存在する様だ。

 衛宮 士郎(仮)にとって都合がいい事に、この型月世界は『なんでもありの世界線』らしい。

 しかし原作…というよりも型月知識に乏しい士郎(仮)本人が、

そんな細々(こまごま)とした設定など、知る由も無いのだが…。

 

 話を戻し、その後、彼なりに調べた関東のとある地域…。

 …吸血鬼が、もろびとこぞりて来訪する例の都市、○○県三咲市三咲町。

 もはや吸血鬼連中にとってのメッカなんじゃないかという、

そんな物騒な場所へ、せっかくの思いで喜び勇んで遠征と称し、

安くもない交通費を支払って、関東くんだりまでやって来たと言うのに、

結果、求めた相手は挨拶代わりに放ったジャブによる、ワンパンダウンの体たらく。 

 メタルスライムと呼ぶ事すらおこがましい。

 甘く見積もったとしても、せいぜい経験値16(バブルスライム)くらいであろう。

 そこらのヤクザですら格闘技を齧った使い手であるならば、

68(さまようよろい)くらいはあるというのに。

 当初の絶望から三年、それなり以上に実力を身につけてしまった為、

実戦(レべリングとも言う)を常に求めている彼の不満も

今回の遠出に於いて特に期待していた以上、殊更溜まるというモノである。

 標的である彼等を発見した当初、彼は思わず嬉しさの余り笑いが込み上げ、

(つい)「エフッ」「エフッ」と 、ガラにも無くエヅいてしまった程だというのに。

 しかもその弱さのみ為らず、矢鱈に数が多い為に鬱陶しい事この上ない。

 恐らくは原因であるバルダムヨォン先生、

もしくは遠野 四季先輩がハッスルした結果と思われる。

 この惨状を作った張本人を知っている者ならば、

「そら座敷牢にも幽閉されるわ」と、士郎ならずとも思う事だろう。

 こうして、彼が今抱いている不満をツラツラと記述してみたが、

とは言え人間とは違い、気兼ねなく殴り倒せる相手ではある。

 なまじ見た目がソコ等の人間と差異が無い所為か、

良心の呵責が多少働き、何時もの様に手心を加えてしまうところはあるが、

仮に殺したとしても、何等問題の無い都合のいい動く木偶(でく)人形である。

 あまりにも脆過ぎるその耐久性にさえ目を瞑れば、

本当に都合だけはいい存在なのだ。

 

 (…既に死んでる人間な訳だから殴り倒しても問題無いし、

心臓潰せば消えて無くなってくれる訳だから…まぁ、うん。)

 

 先程まで「エフッ」「エフッ」と、熱に浮かれていた士郎であったならば、

木偶(でく)人形生産機』に対して「いいぞもっとやれ」と、

適当に声援を送っていたのだろうが、すっかり熱が冷めてしまった現状、

こんな糞の役にも立たないチリ紙を大量生産して、

一体何がしたいんだろうという疑問が浮かぶだけだった。

 

 (正直、ここまで脆弱にも程がある兵隊なんぞ作って、一体何の意味があんのよ?

 え~と、確か死都を造って………んで、何だっけ?

 あ~いかんな~、如何せん知識が足らんわ…。)

 

 正確には戦う為の兵隊としてでは無く、

食事を用意させる為の小間使いとして、彼等は大量生産される訳だが、

吸血鬼の生態に明るくない彼がソレを知るには、型月知識が足りない。

 

 (奴等の行動原理なんぞどうでもいい。

 それよりもこれから如何するか…。

 いっそ木偶(グール)に見切りつけて大物(吸血鬼)狙い、行っちゃうか?)

 

 溜息と共に戦意を失いつつある拳を壁に撃ち付ける事で、

モチベーションの維持に努めつつ、今後の予定を組み替える。

 

 『不満そうだな、士郎(セスタス)。』

 

 眉間に皺を寄せながら壁に拳をぶつける士郎に対し、

そんな言葉を投げ掛けるのは、屈強な肉体を持った浅黒い肌のターバン男。

 彼の名はザファル…士郎の内に存在する、比較まともな方の師の一人である。

 

 「…不満?…当然さ…、あるにきまってるだろう!」

 

 ただでさえ想定していた相手が期待はずれにも程があり、

キチゲがさらに溜まってしまい苛立っていたところへ、

ザファルから無遠慮な言葉を投げ掛けられた事で、

ついに彼のフラストレーションが爆発。

 自身の(こぶし)をあらん限りの力を籠めてビルの外壁へと撃ち付ける。

 元々壁の強度が限界を迎えたのか、それとも建物自体が元々老朽化していたのか。

 結果はどれもが違う…たったの一撃、それだけで叩き付けた箇所を中心にして、

ビルの外壁に凄まじい数の罅が(またた)く速さで入り始めてゆく。

 

 「ゲッ…、ウッソ、やべぇ…!」

 

 結果、音を立て派手に崩れ逝く外壁を見ながら、焦り始める士郎。

 今迄、中年親父共の訓練を除けば実戦ですら本気らしい本気を出した事が無かった為に、

この様な見慣れぬ異常事態に出くわした経験が彼には無かった。

 その為、見た目一般市民の何人かが死屍累々としているその中で、

見っとも無く慌てる大男という客観的に見れば日常であるかも知れない…、

そんな光景がその場に生まれる。

 …因みに彼がこうして暴力を振るう上で、

身体に在るであろう魔術回路なるモノは一切用いてなどいない。

 …かと言えば今、このビルにデカい風穴を空けてしまったのは、

彼自身による純粋な膂力による結果という訳でも無い。

 実は、彼には前述した身体的問題から、常時とある権能が発動していたりする。

 

 

 

 …三年前、彼が衛宮 士郎に成り代わった当初、

欠食児ながらも取り合えずは心身共に正常の範囲内で、

まともに人として機能出来ている状態であったのだが、

妖精おじさんことザファル先生が彼の前に現れた事によって、

とある問題が発生してしまった。

 このザファルを始めとする中年親父共は、

士郎の身体に寄生しているオカルト的な…こう、よく解らぬナニかであり、

寄生している以上、彼等は存在維持に必要な栄養源を欲している訳で。

 ソレは人間の想いだとか、感情だとかそういうフワッフワしたものでは無く、

動物が生命活動をする上で必要な活力だとか、精力と言った至極単純なモノである。

 ザファル一人のみを維持するだけならば、

特に日常生活に支障も無く自然と賄える量であり、

 一晩休息してしまえば回復してしまう為、

士郎が生きていく上で特に問題も無かったのだが、ある日を境に大所帯となり、

どう見てもこのままでは宿主である士郎が精気不足へと陥り、

いずれ衰弱死する事は必至であった。

 この事態を早急に対処すべしと、

彼等は余所から取り入れられる栄養源を、急遽探す事になったのである。

 他者から精気を失敬する房中術から、

果ては魂魄を喰らう事で力を維持させる魂喰い等々…。

 見つけられた候補に挙げたモノを幾つか列挙し、

宿主である士郎の心情も考慮したその結果、

一番穏便と思われる方法として、

大地を巡る龍脈から流れている『精』を、日に少しだけ失敬すれば、

この問題は取り合えず解決するだろうと彼等は結論づけた。

 そして、おあつらえ向きな事に、

ソレが出来る技能をもったキャラクターを知っていた士郎の生前の記憶に、

無断で手を伸ばし漁り散らかした末に、

その人物を見事サルベージし、こちら側へと招き入れた。

 呼ばれたその男の容姿と言えば、やっぱり筋骨隆々とした体格を有しており、

身長は無敵超人と並んでも遜色の無い巨漢の老人であった…。

 

―――その漢の名を、風祭蘭白という―――

 

 格闘系…と言うよりは、もはやバトル系と表現した方がいい漫画の登場人物であり、

どちらかと言えばチート枠に位置するこの人物の、

人となりを簡単に説明するならば…。

 

 『例え味方であっても弱い奴は所詮そこまでだから死ね。

 敵は無論殺すし、女は美人ならば敵味方関係なく○す。』

 

 …大体こんなヤベェ人物である。

 

 …そんな危険人物、通称『蘭白老師』が主に用いる武術である『白鶴拳』には、

『地根力』と呼ばれる奥義があり、その技の内容は、

足の裏から大地の精を吸い上げ身体へと取り込む事で、

己の力に変えるといったモノである。

 

 『あ、いいですねぇソレ。後で私にも教えてくれませんか?』

 

 『いや教えてて…。一応これ奥義なんじゃが…。

 ま、ええわ。テメェ功夫(クンフー) 異様に高ぇし。

 あと何かココ、ワシの知ってる場所(世の中)と違うし。』

 

 士郎の身体を通じて、地根力を用い精を吸い込んでいる蘭白老師に対して、

軽い口調で教えを請う元スプリガン。

 取り合えずこれにて問題は解決…かに思われたが、

更なる問題が彼等…というか士郎を襲った。

 吸い上げていた精気に不純物が混じっていたのである。

 そう、皆さんご存知アンリ・マユである。

 大聖杯と霊的に繋がっている冬木の龍脈へ、長年かけて入り込み、

冬木市全土に浸透していたこの黒い泥が、

吸い込んだ『精』にも当然混じっていた為に、

士郎の身体へと侵入してきたのである。

 士郎本人の預かり知らぬところで、生命最大の危機到来である。

 原因を作った中年共が侵入先で待ち構えてなければだが。

 

 『何じゃ、あいつ等?吸っとる端からワラワラと湧いてきよったぞ!』

 

 『うむ、少々雑味が酷いか…。出来うるなら海鮮物が欲しいところだが…。』

 

 『毒も喰らう、栄養も喰らう――…。』

 

 『いや、それアンタの台詞じゃ無いだろ。』

 

 『さぁ食べなさい。』

 

 『ヒィッ……!!!いややぁ~~…』

 

 『…色丞さん、食べ物(?)で遊ぶのはお止めなさい。』

 

 『ホホ、なんとも賑やかな食卓じゃの~。』

 

 アンリ・マユにとって侵入してきたその場所は、正しくモンスターハウスだった。

 武術家として、時には泥を啜る事もあった彼等はどこまでも悪食であり、

当初こそ彼等もこの予期せぬ襲撃に驚きこそしたモノの、

今やアンリ・マユによる襲撃など日常茶飯事であり、

士郎本人の知らないところで繰り広げられる「中年共VS人類約60億人分の悪意」という、

レイダー同士の一大抗争は、三年経過した現在も士郎の内側で絶え間無く続いている。

 この結果、士郎の身体というか中年共という濾過装置(ろかそうち)を通す事で、

大聖杯に溜まった泥は少しづつ除去が進んでいき、その後も彼等は空腹を感じては、

その都度逆探知したその先にある大聖杯へと逆襲撃をかまし、

外食と称してはアンリ・マユと書かれた暖簾(のれん)をくぐる。

 結果、溜まっていた魔力やソレに含まれている泥なども、

彼等の糧へと成り変わってしまい、

現在アンリ・マユとして構成されているであろう3分の1近くの泥が、

この三年間続く彼等の食害によって、大聖杯の中から消失してしまった。

 無論、数世紀程溜まっていた大聖杯内の魔力に至っても、

セルフサービスと称して少しづつ中年一同の腹の中へ…。

 こうして今日に至るまで、そして現在も精を吸い続けている事により、

彼等の宿主である士郎にもその恩恵に与り、

常時、仙人の如き凄まじい力を振るえるに至ったのである。

 因みに士郎本人は、ソレ等一連の出来事を一切知らない…。

 

 「くそっ…、全然ッ殴り足りねぇ――――――…!!

 

 常時『地根力』という反則能力が発動している事など露知らず。

 仙人という領域に知らぬ内に迷い込んでしまっている小物、

その名は衛宮 士郎(仮)…。

 彼は路地裏を囲むビルの外壁の一方を、盛大に粉砕してしまったその瞬間、

一般人的な感性からくる罪悪感が働き、脱兎の如く逃げ出した。

 …彼が犯罪者の如く逃げ去った直後、倒したであろう動く亡骸が、

霧の如く闇の中へと消えてゆく。

 彼らが身に着けていた衣服と雨音をその場に残して…。

 

 

 

 

 その後、地理に明るくもないというのに、

見知らぬ街中を 食屍鬼(グール)達を殴り倒して尚、ありあまる体力発散の為、

遮二無二走り続けたその結果、繁華街の喧騒から少々離れ、

閑静な住宅街の入り口付近と言っていい場所にある、

結構な広さを有している公園に入った辺りで、彼は徐々に足を止めていった。

 

 (あ~ビビッた~…。

 ちょっと力入れただけで壁壊れるってマジありえへんわ…。

 そりゃ~見た目逞しく為ったし、力もついたな~と感じるけどアレは無いって!

 偶々あのビルが老朽化してただけだって、きっと!)

 

 顔に両手を当てつつ、言い訳めいた理由を頭の中でつらつらと展開し始める鉄人 ・衛宮 士郎。

 ここまで本気で走っていた彼であるが、

本来ならば特に息が切れるような事も無く、疲労から来る発汗もまったく無い。

 …が、意図せぬ損壊行為によって、焦りから来る激しい動悸と、

(いま)だ止まらぬ冷や汗ならば、身体中からわんさと出ているが。

 とりあえず…と、少しでも自身を取り繕ろうと、

不自然なくらいの笑顔と判り易いくらいの挙動で辺りを見渡し、

初めて来訪した公園内を観察する。

 因みに時間帯故に周囲には人っ子一人いない為、

この大男の行動は非常に滑稽にしか見えない。

 

―――この曇天の空の下、

俺の不安(こぶし)を受け止めてくれる誰かは、

何処にもいないのか…?―――

 

 …ふと、そんなキザったらしい台詞を思いつつ、

空を見上げてみれば、夜も更け始めた曇り空に、

彼の待ち人であるヘラクレスがキメ顔で浮かび上がっていたが、

高々三年程度の苦行でアレに勝てると思うほど、

彼は楽観的ではないし、自らの力に自信も驕りも一切無い。

 …まぁ正直な所を言うならば、

現状の彼でも充分あの大英雄と真っ向勝負が可能なのだが、

当の士郎がグラップラー式イメトレによる弊害を被っており、

彼のイメージするヘラクレス像が、原作よりも遥かに強大になってしまっていた。

 しかも何度も対戦を繰り返す度に、イメージ的な強さが加算されていき、

「絶対に勝てない」という現実の格闘家であるならば、

最悪の事態に陥ってしまっているのだが、

当の本人は「まぁ、だってヘラクレスだし?」と納得してしまっている。

 苦手意識以前の問題であったが、

「闘いは思い通りに行かぬもの」という事を知っている中年達から見れば、

(むし)ろいい傾向だそうである。

 因みに師匠連中がじゃあ暇つぶしに…と、

原作よりも遥かに強化されたスーパーヘラクレスと一戦交えているのだが、

皆が皆必ず一度以上は殺しきっている上に、

無敵超人に至っては不殺を貫いた状態で、あの大英雄を再起不能に追い込んでいる。

 

…そして、変態仮面は鞭と蝋燭のみで12回分、彼を昇天させている…。

 

 かつて絶対無敵として恐れていた存在が、

亀甲縛りで天井から吊るされた挙げ句、

鞭で攻められて恍惚の表情で、オンオンと鳴いている…。

 そんなふざけた光景を観た事により、

士郎の自信と正気度は最底辺にまで下がると共に、

これまで以上に『日に30時間の鍛錬という矛盾!!』という不定の狂気に

ドップリと浸かる破目になった。

 …余談だが時期を同じくして、大河が胃薬を常薬するようにもなった。

 

 (男は女以上に強い者に惹かれる…だったか。

 まぁ、強い云々で言ったら俺に憑いている連中、大概にも程があるんだが。)

 

 公園の中央付近までゆったりと歩を進めつつ、

脳内で何度も見学させてもらったあの死合い…、

あのヘラクレス相手に遠慮無くブチかまされる中年達の美しい闘技の極致、

その数々を頭の中で反芻する………約一名分を除いてであるが。

 ほんの少しでも手透きであるなら、自然と行うようになった彼の習慣である。

 やがて目的地まで辿り着くと面を上げ、

物思いに耽っている最中から感じていた、妙な静けさが漂う公園内を、

またゆっくりと見渡す。

 

 (あの(・・)三咲町に夜の公園か。中々嫌なシチュエーションだなぁ…。)

 

 先程の器物損壊行為と、鬱憤(うっぷん)を発散出来ぬ苛立ちによる気持ちの昂ぶりから、

ある程度の落ち着きを取り戻した彼は、

視界にあったブランコを取り囲んでいる鉄柵の一つに、

溜息と共に腰を下ろす。

 上手く事が運ばないこのイラつく現状から、一時でも気を紛らわせる為、

彼は既におぼろげとなった原作知識(笑)をソレと無く漁り始める。

 

 (こんな時、ヤニでも吸えれば気も紛れるんだろうけどな~。)

 

 こちら(・・・)に来て以降、事ある毎に懐を(まさぐ)り、

タバコの在り処を探る癖があった彼であるが、

(範馬兄-薬物+範馬弟)×アトラクションみたいな数式的に合っているのか、

よく解らない死すら生温(なまぬる)い健康的な生活を三年間も送っていく内に、

すっかりその癖は無くなっていた。

 とは言え、かつて喫煙していた頃の名残なのか、

物事を考える最中の彼は利き手を口元に運ぶという癖が、

自然とついてしまっていたが。

 

 (そう言えば、月姫の主人公が襲われるロケーションの一つに公園があったな。

 襲ってきた人物は―…確か吸血鬼化した女子生徒だったはず。

 名前は―――…えーと、なんだっけ?)

 

 そんな物思いにふけっていると、突如後方の風の流れが極端に変わり、

同時に獣じみた臭いが、瞬く間に彼の背後へ近づいてくる。

 瞬時にそれを害意と判断し、士郎は上半身をやや前倒しにしつつ、

鉄柵から腰を浮かせて右脚を軸に反時計回りに回転し、

左脚による気持ち手を抜いた後ろ廻し蹴りで迎撃。

 襲い掛かってきたソレを、見事左足の踵で視界の左端の方へ蹴り飛ばし…。

 

 「あっしまった。」

 

 対象に衝撃を与えた彼の左脚は、直後ピタリと宙に止まり、

一連の殺り取りによる余波で奇怪なオブジェと化した元鉄柵の上に、

音も無く足を着けた。

 

 (あ~あ、ま~た器物損壊…。)

 

 暢気にまだ一般人的な罪悪感に苛まれつつ、

公園の端にある植え込みまで雑に蹴り飛ばしてしまった、物体の方へ目を向ける。

 訓練通りに殺るならば…、蹴りの軌道を地面へと変えて、

自身の足元に対象を叩き付けてからの踏み砕きまでが、

喧嘩完了までの綺麗な終わり方だ…と、

どう訊いても人を殺すまでの一連の流れを、懇切丁寧に泣くまで教わったのだが、

どうも突発的な事態になると対処が雑になってしまう。

 まぁ、その雑さに救われてるお陰で、未だに人殺しには至っていないのだが。

 「まぁやっちまったモンは仕方ないな」と、とりあえず気持ちを切り替え、

油断無く蹴り飛ばしてしまった下手人を確認する為、

ゆっくりとソレに近づき…、パッと見で分かるオカルト的なソレに対し、

思わず彼は呻りを上げる。

 

 (人…じゃあ無ぇ。猿…、にしてはちとデカ過ぎないか、コレ…。

 生前愛読していたオカルト漫画に、ヤマコとか言う猿の化け物がいたなぁ。

 うん、アレに似てる。)

 

 正直パッと見では人間と変わらない食屍鬼(グール)と違い、

ここまで分かりやすい化物を見たのは初めてである士郎は、

口元に手を当てつつ「あぁそっか、非現実的な世界に来ちゃったんだな~」と、

改めて実感が沸く。

 

 (あぁそうだった、そういえばココ型月世界だった。

 なんだろうな~、今迄こういったオカルト的な存在と接触した経験が皆無だったせいか、

実際に観るとナンかもう感動的だわ。

 思えばこの三年間、寝ても覚めても訓練鍛錬調練修練ばっかりで…。

 もう途中からココ、格闘漫画の世界なんじゃないかな~と思ってたし。)

 

 ちなみに、そんな士郎に訓練鍛錬調練修練を施す連中は、

どう考えてもオカルト的な存在であるのだが、

身近に居る弊害故か、彼自身はソレに気付いていない。

 

 既に死んでいるであろうソレの傍にしゃがみ込み、

マジマジと観察していた彼だが、やがてソレは霧の如く夜の闇へと溶けていった。

 

 (ありゃ、消えた。手加減し損ねたのかな?)

 

 彼の耳元に『見た目よりアッサリ風味』という、

よく解らない誰かの囁きが届くと同時に、

心成しか全身に力が湧いたような感覚を覚える。

 はて、誰が言ったのかと首を左右に振りつつ、

周囲にいる士郎にしか視えない親父どもを見回し…、

まぁ、取り合えずその場から立ち上がろうかと腰を浮かせた辺りで、

ぞわり…と、悪寒が背中に走るのを感じ取る。

 過去、実戦経験において一度も体感した事が無い未知なるソレに反応し、

勢いよく気配のする後ろへ振り返ってみれば、

数メートル…目と鼻の先とも言える距離に、ソレは居た。

 

 「何時まで経っても帰ってこぬと思い、こうして来てみたが…。

 貴様がやったのか?」

 

 公園の街路灯による頼りない灯りから、

ぼんやりと映し出されたソレは全体像が黒く、人の形を模した人以外のナニか。

 体格や背丈の方は此方と然して変わらず…、

だというのにその存在感は、見た目以上に大きく感じ取れてしまう。

 晒している頭部は病的に白い地肌と、白髪と言うよりは灰色の毛髪。

 初めて目の前のソレと対峙した彼の身体は、本能的に判ってしまう…。

 …あれは人間では無いと…。

 

 (…ネロ・カオス…?)

 

 グラップラー式イメトレにより、

散々ヤバイ空気というものを疑似体験してきた士郎ではあるが、

こと現実においてソレを体感してみれば、肌の粟立ちに脂汗、

生理的嫌悪から来る吐き気等が全身を襲い、

自身を正常に保つ事がここまで辛いのかと痛感する。

 生前の感覚で言わせてもらえば、

月姫もしくはメルブラでよく見たセレクトキャラクターの一人程度の認識であり、

目の前に現れた実物にしても、

よく出来た3Dカスタム兄貴という暢気な感想しか浮かんでこない。

 この様に彼自身の精神面は至ってフラットなのだが、

彼のガワである衛宮 士郎の身体の方が、目の前のキャラクターに対し、

完全に拒絶反応を引き起こしている。

 

 (あ~、これクトゥルフ的に言えばSAN値チェックのお時間って奴だワ。

 …で、多分この反応からして士郎君のダイスロール、物の見事に失敗してますワ。)

 

 久方ぶりに中身である彼が、外身である衛宮 士郎に引っ張られる感覚に襲われる。

 小雨が降りしきる夜中に加え、目の前に突如現れた圧倒的な存在に相対し、

今迄彼の身体に発せられていた熱が、急速に冷えていく。

 衛宮 士郎の身体が吸血鬼という存在に対し、声無き悲鳴を上げる中で、

中の人である彼が必死に意識を保とうとしている…そんな状況下において、

この二人の大男の遣り取りを少々離れた場所から観戦している、

ギャラリー達の方はと言えば………。

 

 『…ほぉ。』

 

 『コイツぁ、中々…。』

 

 『なんとも………闘り甲斐がありそうな…。』

 

 『いいねぇ、このヒリつく感じ。』

 

 『WELCOM!!(いらっしゃいませ!!)

 

 各々が目の前に現れた黒尽くめの大男に対し、呑気に意見や感想を言う中で、

約一名だけシリアスぶち壊しのM字大開脚で見当違いの発言をしていた。

 簡易的な作りとはいえ、人避けの結界が施されたこの場所に、

仲良くwelcomしちゃったのはむしろコイツ等の方である。

 「暢気なモンだなあんた等」と、

こんな危機的状況であろうと自由に泳ぐ野郎共に対して怒鳴りたい気分の中、

目の前の化物の方はと言えば、

信じられないモノを視る様な目で士郎を凝視し、

恐らく疑問対象であろう親父共にも、その視線を向けた。

 

 「…貴様、その身に何体の魔を飼っている?一体ナニを 此方に持ち込んだ?」

 

 「…はぁ?」

 

 

 

 『ああ、どうやら彼は我々の事が視えているようですね。』

 

 『こりゃあ生かして帰す訳にはいかねぇなぁ。』

 

 『いや~、本当に残念じゃのぉ~…。』

 

 士郎にとって化物と認識しているその男が、

言いようの無い…まるで怯える子供の様な表情で、

よく解らぬ疑問をぶつけてきた為、彼が戸惑いを見せるのと同じくして、

普段は士郎にあまり関わらず、言葉も特に発することも無いチートな連中が、

各々に意見を述べる。

 どうやら中年達にとって、己の存在を知られる事は結構拙い事態らしい。

 本来、不殺を信条としているはずの人物からも、

ナニやら不穏な言葉が出ているし…。

 しかも最後の方では皆が皆、口を揃えて『殺そうか』『殺そうぜ』と、

不気味に囁いてまでいる。

 それにあの吸血鬼の口から、なにやら聞き捨て為らない単語まで出て来た。

 コレ等一連の事から、士郎の彼等に対する胡散臭さが二割増す。

 

 (………色々と訊きたい事はあるが、オイ。

 今、アイツは聞き捨てなら無いワードを口にしてたな。

 『魔』って一体なんだ、『魔』って!

 テメェ等!今後も本ッ当に信用してもいいんだよな!?)

 

 『相手の動揺から隙を造る…、まぁ言葉を用いた一種の忍術だな。

 俺から言わせれば 分かりやすいったらありゃしねぇ。』

 

 『なんでぇ、動揺を誘う魂胆丸見えの安い手じゃねぇか。』

 

 『あなたも修羅場に身を置くと決めた身ならば、常に明鏡止水を心がけなさい。』

 

 『フォフォフォ、まだまだ若いのぉシロちゃんも。』

 

 『フォオオオオ!!

 

 普段以上にペラが回ってる上に、普段喋らない連中までもが必死に説得の言葉を紡ぎ、

最後の一人に関しては奇声を発してこの場をゴリ押しで乗り切ろうとしてる魂胆が、

士郎ならずともバレバレである。

 彼等を見つめる士郎の眼が 徐々に半目になっていく。

 彼等に対し、更なる胡散臭さが二割増す。

 

 『えぇい!落ち着け、士郎!

 今日初めて邂逅した者の弁に信を置いてどうするか!

 今迄我等と共に過ごした、苦楽の日々を思い出せ!』

 

 中年共の中では比較的、良識のある師であるザファルにそう言われ、

仕方なくコレまでの苦い日々を思い出す。

 まぁ、彼が士郎と呼ぶたびに付けられる『セスタス』というルビが無い時点で、

奴も充分に胡散臭いのだが。

 

 

 


 

 

 

 ツルハシ用いた穴掘り作業で、両手の平に出来た豆が潰れてはまた出来てを繰り返し、

痛みの余り箸等の食器が使えない時期、

大河の目を盗んでは、犬喰いで食事を行っていたのだが、

当然見つかり咎められた挙げ句、ツルハシを取り上げられた春…。

 

 

 空手を習い始めて日も浅い中、

無理だ無理だと言っているのに身体の主導権を乗っ取られ、

無理矢理コッカケを敢行され腸捻転を引き起こし、

大河に発見されるまでの数時間、炎天下の中ひたすら悶絶し続けた夏…。

 

 

 秋を向かえ未だ残暑の続くある日、

水分補給を行う為に台所へ赴くと、中央にあるキッチンテーブルの上に、

カスピ海ヨーグルトと書かれたタッパーが置かれてる。

 流し台で夕飯の仕込み作業をしている大河に対し、

「何コレ、どうしたの?」と 訊ねてみれば、

 

 「何ってあなたが作ってって頼んだんでしょう?」

 

 ………いや『俺は』頼んでないです。

 

 

 三年前、『士郎自身』は盗んでもいない大河のショーツ群が、

士郎の自室や衣服の中に見つかる度、

彼女による物理的な教育指導が入っていたが、

肌寒さを感じ始めたある日、顔を赤らめながら、

 

 「まぁ、士郎も男の子だし…。」

 

 …と、コチラに対し異性として意識しているかの様な、

恥じらいの眼差しで口元を手で隠しつつ、

やんわりと咎められてしまった、そんなある冬の一幕…。

 

 

 そして極めつけは、日々の就寝後も深層意識下で行われる、

グラップラー式イメージトレーニングによって、

次の日の朝目覚めると寝具・寝巻き共に血塗れ、身体は切り傷、痣だらけ。

 体力こそ回復してはいるものの、けれど痛みで身体は動かない。

 結局何時まで経っても起きて来ない士郎に対し、

不振に思った大河が自室に様子見に来るまでの間、

死の淵を延々と彷徨う破目になった、そんな毎日…。

 

 

 


 

 

 

 (おぅ…、色々と思い出してみたけどな。

 心身共に苦しか残って無かったワ!苦しか!!

 楽は一体何処にあんだよ、楽は!?)

 

 『『『『『『『『カスピ海ヨーグルト?』』』』』』』』

 

 (やかまし――…)

 

 中年共に向かって怒鳴ろうとしたその一瞬、

視界から外していた目の前の黒い大男から放たれる強烈な殺意。

 ソレと同時に、黒い身体から全く同じ色合いをした黒い体毛をざわつかせ、

全体で見ればまるで熊の様なフォルムをした、

巨大な獣が鳴き声と共に湧き出てきた。

 その熊擬きは一瞬の逡巡を見せた後、こちらの存在に気付くと、

勢いよく立ち上がり、こちらに向かって圧し掛かるように襲ってきた。

 両の前脚を天に掲げる熊特有のなんとも典型的なフォームで。

 

 (…あ、コレ綺麗に殺れますわ。)

 

 立ち上がったその状態で、

大体2メーター半といったところはあるその熊擬きの動きが、

徐々にスローモーションへと知覚されていく…、その過程で。

 士郎は迎撃方法をあれやこれやと摸索し…、

結局「ああ、でも熊といえばコレだろう」と、

見た目阿吽の如き肉体を誇る彼の身体から、

もはや大開脚と言ってもいい、ダイナミックな右上段前蹴りが放たれる。

 熊擬きの心臓に形容しがたい擬音と衝撃を与えた必殺のソレ…。

 

(かつ)て入江文学の父親である入江無一は、

2Mを超える灰色熊を、一撃の下に殺害せしめた。

その一撃に用いられた技の名は…『金剛』…。

 

 敵対象の心臓部に目掛け、力の限り打ち込むソレは、

打ち込む箇所が心臓であるならば、その過程は一切問わず。

 拳であろうが蹴りであろうが構わない。

 状況によっては肘や膝による心臓打ちも『金剛』として扱われる。

 文字通りの一撃必殺である。

 例え言いようの無い恐怖に駆られていようが、身体は自然と動くもの。

 …いや、そうなる様に徹底的に泣くまで仕込まれてきたのだ。

 公園の端で管巻いてギャラリーに徹する、得体の知れない存在達に。

 …現在、『地根力』というバックアップを受けている士郎により放たれた、

全く遠慮の無い彼本来(・・・)の『金剛』。

 原作である『喧嘩商売』よりも遥かに馬鹿げた威力により、

巨大な熊擬きが蹴鞠の如く前方へ、

まるで一昔前のワイヤーアクション並みの勢いで蹴り飛ばさる。

 蹴鞠の持ち主であるネロ・カオスの横を(またた)く間に通り過ぎ、

大きく弧を描き宙から、そして地面へと落下。

 それでも勢いは止まらずソレは地面を転がり続け、

やがて彼等から遠く離れた後方に設置されている街路灯のひとつに、

甲高いド派手な音を立てて衝突した。

 その黒い蹴鞠はそうしてやっと止まる事が出来たのだが、

間を置かずして、止めとばかりに衝撃を受けた部分を起点に、

倒れたポールが熊の頭にゴンという音と共に圧し掛かる。

 見事なまでにへし折れた街路灯を背にして、

黒い液体の混じった泡を吹いて静かに事切れる熊擬き。

 …その様を遠目で見て、ふと思い出す。

 嘗て実戦に於いて、彼が『金剛』を使用したのは、たったの一度きりだった。

 記念すべき最初の犠牲者は最初にヤのつく自由業。

 吸い込まれる様に心臓部分にソレをカマした直後、

血の泡吹いてゆっくりと倒れ逝く自由業…。

 そんな変わり逝く自由業だったモノを見ていく内に、

(なん)か恐くなり、殺害現場その場から逃走してしまった為、

その後ヤ93の人がどうなってしまったのか…、それは彼にももう分からない。

 それ以降から彼は金剛を撃たなくなった。

 トラウマから、というものでは無い。

 単純に出会う相手が悉く脆かったから。

 

 しかし今日この日をもって、初めてなんの躊躇いも無く放った『金剛』。

 その感触に彼は総身が粟立ち、とても晴れやかな気分と、

襲い来る開放感に打ち震えていた。

 やっとこの現実において、気遣う事無く暴力を振るえる相手(とも)と出会えたこの瞬間に、

思わず「ありがとう」と満面の笑顔で言いたくなるほどに。

 …もはや完全にバトルフリークである。

 

 『フッ…。調子を取り戻してきた様だな。』

 

 微かに笑い、心なしか軽快に士郎へと言葉を掛けるザファルと同じくして。

 何も出来ず霧の様に消え逝く憐れな熊に対し、一体誰がソレを発したのだろうか。

 

―――臭味がひどい―――。

 

 そんな謎の呟きが、またしても士郎の耳元へ届いてきたと同時に、

心身に力が湧き出てくるのを感じ取る。

 不可思議な力によって自身が(みなぎ)っていく事により、

充実していく社会不適合者・衛宮 士郎。

 彼は嬉々とした(まなこ)でこれまで願い、

追い求めていた絶対強者に対し、視線を向ける。

 その視線に捉えられた人物は、先程の一連の遣り取りの中に、

何か気になるものでもあったのか。

 吸血鬼ネロ・カオスはまた、あの信じられないモノを見る様な目で、

士郎を凝視していた。

 一度彼から視線を外し、黒尽くめである自身の身体を手早く確認。

 そして再度士郎へと、交互に何度も視線を向ける。

 

「…もう一度訊く。…貴様等は一体、なんなんだ?一体何をした?」

 

 (さっきから何だ何だと疑問を投げ掛けられてもな…。

 寧ろ何だと言いたいのは、襲われたコチラの方なんだが。

 あ~、もしかして名前を尋ねられてんのか?)

 

 しかし仮にそうだとしても正直に名乗るほど彼は馬鹿ではないし、

もちろん度胸や心意気もまったく無い。

 とは言え、思わぬエンカウントからの見事なカウンターにより、

衛宮 士郎の身体は今や、脳内麻薬の作用によりドエライ事になっている。

 グラップラー式イメージトレーニングが行われている時と同様、

総身が力に酔い痴れている程に。

 けれどソレに反するかの如く、精神を司る彼の方はこと保身や打算が絡めば、

何処までも行ってもフラットである。

 それ故に黙して名乗らぬか、若しくは偽名で答えるか。

 それは一般的な感性を未だに保つ彼にとっての普通であった。

 故に彼は呼吸する様にこう答える。

 

 

 

「愚地独歩です。」

 

『…………………………まぁ良いけどよぉ。』

 

 

 

 

 

彼に取って生涯忘れる事の出来ぬ、熱い夜が始まる…。

 




次回、人間卒業。

気長に待ってもらえると有難く…。


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人間卒業

シリアスって何なんでしょうね…。


 関西圏のとある県に在る地方都市冬木から、

遠く離れた関東圏内のとある県…三咲市三咲町。

 その繁華街と住宅街のほぼ境目(さかいめ)に設けられた、結構な広さを誇る公園内。

 (よい)の口など()うに過ぎてしまった現時刻午後10時過ぎ。

 本来、この時間帯であるならば人の気配などあったとしても知れたもの。

 いつもならば近所を徘徊する野良猫達の談笑や、

虫達の微かな鳴き声ぐらいしか存在しない。

 けれど彼等にとって残念な事に今夜は雨だ。

 野良猫達は軒先を求めこの場に居らず、

虫達も(まば)らに響く雨音により、鳴りを潜めてしまっている。

 生物の息遣いも申し訳程度にしか感じられない公園内。

 小雨がポツリ…ポツリ…と、地面を優しく叩く音だけが聴こえる仄暗い園内は、

現在二つの強大な気配によって占領下に置かれていた。

 

―――ネロ・カオスと衛宮士郎である。―――

 

 小雨が降りしきる中、何かしらの動きを見せるでもなく、

ただ静かに対峙する傍迷惑の権化・両名。

 刻一刻と進む時間の中、何かしらの言葉を交わすでもなく、

双方共に不気味な薄嗤いを その(かお)に浮かべながら、

互いの足元付近に視線を落とすのみである。

 まるでこの二人の居る時間と空間だけが、ごっそりと破り取られたかの様。

 男二人が三間(さんけん)程の距離を取り、見合う様にして立っている…。

 (ただ)それだけの事だというのに、死を連想させるかの様に映るその光景は、

そのうちに相対する両者から発せられる熱気と殺意により、

中心部分から空間が グニャリ…と、ゆっくりとゆっくりと()じれていく。

 万物がそんなありえないグラップラー的な事象を錯覚する中で、

(せき)を切った様に止まっていた両名の時間が徐々に動き始める。

 公園という(いこ)いの場が修羅場へと変貌を遂げていくその過程で、

一方に居る黒尽くめの大男スペック…、

もとい吸血鬼ネロ・カオスの身体の内から、

大小様々な気配が何度も表れては消えて…と、絶えず(うごめ)く。

 それ等は相対するもう一方の大男である花山…衛宮士郎に対し、

明確な殺意と抑えきれぬ食欲を向けており、

彼等の主であるネロ・カオスに食事の了解を得ようと、

それぞれが健気に自己主張をし始める。

 飼い主である彼を除き、どんな動物学者であろうと決して聞いた事が無いであろう、

人が持つ本能的な恐怖を掻き立てる獣達の鳴き声。

 金属音にも似た鳥達の翼の羽ばたき。

 そして、地面をまるで砕くかの様な大型動物達の激しい足踏みの数々…。

 それ等が統率の欠片(かけら)も無く混じり合い、

形容し難い不協和音が暗い園内に響き渡る。

 本来この様な騒音が響き渡れば、当然ご近所迷惑であるし、

何処ぞから警邏(けいら)中のパトカーでもかっ飛んで来そうではあるが、

そんな気配はまったく無い。

 恐らくは園内に張られている結界に、防音効果でも付与(ふよ)されているのだろう。

 真っ当な人間であるならば、そんな身の毛がよだつ状況に遭遇した時点でSAN値直葬、

発狂しながら絶望のドン底へと精神が転がり落ちていくのだろう。

 ところが、その異音を聴覚どころか全身で受け止め、

一種恍惚(こうこつ)(ひた)っている衛宮士郎という逸般人の場合はと言えば、

SAN値減少どころか、これから始まるであろう闘争の幕開けに、期待と不安で胸一杯だった。

 期待や不安…と言うならば、士郎本人だけではなく、

(かたわ)らで彼を見守る中年一同にも当てはまる。

 強くなり過ぎてしまったが(ゆえ)弊害(へいがい)により、

これまで本当に彼は対戦相手に恵まれなかった。

 しかし…いずれは来るであろうこんな日を、誰もがずっと待ち望んでいたのだ。

 これまでの三年間、試す事の出来なかったアレやコレ…。

 人間や木偶(でく)相手に出来なかったソレ等が(つい)に今夜、

ここに解禁されるのだ。

 

 (さっきの熊(もど)きとの()り取りで身体と精神のズレは解消されている。

 …とは言え機眼(きがん)(タイミング)の見極めが未だに甘いな。

 いままでの実戦と言えるかどうかも怪しい実戦じゃ技の程度も知れるし、

イメージトレーニングとの違いもモロに出てるワ。

 深刻な問題ではあるが、もう始まっちまう以上、

実戦で覚醒・矯正(きょうせい)させていく他にない…。)

 

 ナイフに脂を塗り付けた様な嫌な眼つきでニタニタと(わら)いながら、

自身の状態が理想と現実でどう違うかを確認する為、

彼は頭の中で、今まで習得させられた動作を一通りなぞらえる。

 その都度、身体中に(おお)われた彼の筋肉がピクリと何度も反射的に()らぐ。

 そんな細々とした点検作業に、身体の方が我慢の限界に来ているのか、

とっとと始めろと武者震いを行う事で抗議し始める。

 これまでの三年間、散々お預けを喰らった上に、

積み上げた成果が(ようや)く問われるこの一戦に対し、

身体の抑えが効かなくなっている様だ。

 (かたわ)らで観客に徹している中年連中も、表面上は平静を保ってはいるが、

その心中はこの一戦に対し胸を(ふくら)らませ、浮き足立っていた。

 …―――今夜、この三年間の答えが出る…。

 士郎を始め、中年一同誰もが求めていたソレに答えてくれるであろう相手が、

ようやっと現れてくれた事に対し、

落ち着きが無くなるのも致仕方のない事なのだろう。

 

 (例え、ここで死んでも悔いは―――…。)

 

 これから行われるであろう死臭漂う暗黒舞踏に対し、

(うす)(わら)いを浮かべつつ、そう言葉を(つづ)ろうとして…。

 一瞬、藤村大河の困った様な笑顔が彼の脳裏を(かす)め、

瞬く間に()き消えていった。

 

 (…チッ。コチトラもはや死なんぞ何(べん)も体感しまくったし、

(あき)れるくらいに殺されまくったワ。

 ここまで来たんならもう拳を信じて突き進むのみよ。)

 

 武者震いによる(たか)ぶりで震えていた彼の身が、

本格的な実戦の空気に当てられたのか…。

 言いようの無い不安と恐れによる震えが、その身に混じり始め、

彼から一瞬表情が消え掛けた。

 萎えかけ、恐れを抱いた彼の心持ちであるが…、利き手を握り拳へと変え、

もう片方の掌に勢いよく叩き付ける事で自らに喝を入れ、

その小さな負の感情を無理矢理 戦意へと塗り替える。

 再びニヤつく(わら)いを浮かべ、半端ながらも覚悟を決め込んだグラップラー士郎。

 そんな彼の周囲を、野性味(あふ)れた獣臭と、

ソレに混じって嗅ぎ慣れた濃密な鉄の臭いが漂い始める。

 その芳醇(ほうじゅん)な香りは、

一度は陰りを見せた士郎の戦意高揚を促すが如く、彼の鼻腔(びこう)を刺激する。

 得も言われぬ(かぐわ)しい匂いの中、

場の支配を主張し始めた目の前に(たたず)む黒い男の身体から、

見た事も無い多種多様な形をした、何とも冒涜的な生命が溢れ出る。

 名状しがたいソレ等を、視覚のみならずその全身で感じ取り、

士郎は(まばゆ)い眼差しで、その尊い(おぞましい)光景を見据え、

感慨深い溜息と共に両の空拳を静かに構える。

 

 (どうか、お前こそが…、

俺の不安(こぶし)を全力で受け止めてくれる誰かであってほしい…。)

 

 士郎の切なる祈りを殺意と捕らえたのか。

 それに呼応し、主たる吸血鬼を守るかの様に獣達が前に躍り出て、

横一列に倣い雁首揃え、それぞれが唸りを上げる。

 その内の一匹が、聴いてる者の下腹が底冷えする程の遠吼えを上げたと思えば、

それが食事の合図だったのか我先にその肉たる者を喰らおうと、

雪崩(なだれ)の如く士郎の元へ殺到し始める…。

 

 

 

―――吸血鬼と人間による壮絶な生存闘争が、今…児童公園にて火蓋(ひぶた)を切った…。―――

 

 

 

 …幾つもの死の体現が目前まで迫っている…。

 士郎の知覚が鋭敏になるにつれて、徐々にそれ等の動きが緩慢(かんまん)になっていく。

 そんな状況下にあって、彼は特に緊張する素振りも見せず、

微睡(まどろ)みに(ひた)る様な気分で、揺ら揺らと身体を左右に揺らす。

 

 …――相手が人の形をしているのならば、

例え大英雄を(うた)う存在であろうが、この拳で応戦してみせてやる――…

 

 日課である脳トレ中の彼は、フィードバックで全身血塗(ちまみ)れになりながらも、

是迄(これまで)そう自身に言い聞かせ続けていた…。

 もはやそれは信仰そのものにまで昇華されており、

無論 彼をそんな人間に仕立てあげたのは中年一同である。

 弟子の敗北、ソレ即ち師の敗北であるが故に…。

 敗北=死という紀元前におけるローマ闘奴(とうど)としての当時の在り方は、

2000年の時を超え、衛宮 士郎という青年の身に、

泣くまでその身に刻み込まれ、見事に継承されていた…可哀そうに。

 …しかし今、21世紀最後の闘奴(とうど)たる彼の、

その眼前に展開されている敵性対象の群れは、

その全てが獣の形をした人()らざるナニかである…。

 一斉に押し寄せるその数も()る事ながら、

生物としての(てい)すらまともに為しているかも怪しい有象無象。

 現実的に観るならば、拳闘や空手等では、どう見ても対処しきれないこの異常事態。

 しかしこの世界、レギュラーキャラは()れなく人外とお約束の型月ワールドな訳であり、

両の拳を構え、独特のリズムを刻み始める彼もまた、

この三年間ですっかりと人外の仲間入りを果たしていた。

 まぁ その人外の仲間入り…と言っても彼の身体は、

三年前の着工から突貫工事を行いつつも、未だ完成に至っていない。

 入るな危険の看板が至る所に設置されている

超大型軍事要塞予定の歩く火薬庫な訳だが。

 

 形状・行動共に統率性が一切感じられない獣達。

 一斉に襲い掛かってきたソレ等、

有象無象の『攻撃』と呼ぶには余りに酷い粗雑なソレ等を、

彼は制空圏で自身のパーソナルスペースを広げてからの、

両手を攻防同時に行う古流空手の技法である夫婦手(めおとで)を主軸においた戦法により難なく対処。

 迎撃出来るものは打拳により斬って落とし、

無理だと判断したものは受け流してからの後回し。

 人間と違い、呼吸を置く間も無く続く馬鹿げた連撃や、

視覚外からの攻撃などに最初は驚かされこそしたものの、

制空圏を発動させているからか、言うほどの焦りは特に無く、

彼は終始穏やかな心持で「ああ、こんなものか」と、

何とも不思議な納得感が、現在の彼の心を占めていた。

 …穏やかという割には、終始影が差した不気味な笑顔で、

その両の(まなこ)は怪しげに発光しているが…。

 まぁとは言え、先程までの一触即発による感情の(たか)ぶりが、

まるで嘘の様である。

 実戦において、ここまで長く制空圏を使用した経験が無いせいか、

彼は新鮮()つ、おかしな感覚に酔い()れる。

 流れに身を任せる感覚に心地よさを覚える中で、

時間の感覚が徐々に曖昧(あいまい)になっていく…。

 …そして、ふと気が付いてみれば周囲の害獣達の数が、

片手で数えられる程(まば)らになっている事に、

驚きと名残惜しさを感じてしまう。

 驚愕(きょうがく)と哀愁の中 とりあえず…と、

彼はある程度片付いてしまったその締めとして、

自身とほぼ同じ大きさはある、鹿によく似た哺乳動物っぽいナニかを、

繰り出した打拳一発で公園の(はし)まで景気よく殴り飛ばす。

 その後、前方から打ち漏らした害獣の何体かが、

此方へと(ひるがえ)り、再び攻撃に転じる気配を彼は背中から感じ取る。

 けれど彼は、それ等を視認する事は無く、

ネロ・カオスを視界から外さぬまま流れる様に迎撃体制へと移行する。

 自らの左脚を前方に出し、

右脚を重心と共に後ろへと少しだけずらして腰を落とす不動立ち。

 背後から此方の右肩へ迫り来る気配に対し、

腰を勢いよく時計回りに(ひね)り体重をタップリ乗せて、

(ひじ)を自らの肩より上へ突き出す『後回し猿臂(えんぴ)』で迎撃開始。

 無論、左(てのひら)で右拳を包み込みしっかりと固定させる事も忘れない、

まるでお手本の様な猿臂(えんぴ)で、

背後から襲ってきた害獣を容赦なく撃ち抜き、あっさりと沈黙させる。

 撃ち抜いたその勢いのままに、

右脚を(じく)にして腰を徐々に沈ませつつクルリと回り、

自らの両拳を前方に突き出す夫婦手(めおとで)の型を再び取って、

彼は襲い掛かってくる残りの害獣共に対して、

次なる迎撃処理へと入る…。

 

 (圧縮打法は上手い事イってるな。

 機眼(きがん)(タイミング)の方は…そもそもコイツラ人間じゃないからな、

呼気が掴み辛いワ。

 そもそも呼吸してんのか、コイツラは?

 息してないの何匹か見かけたんだが、まぁいい…。

 受け流しの方はまだまだ…か。

 害獣共に対して身体の方がまだビビってやがる…。

 まぁヤ○ザも結局慣れだったし、コイツ等の方も殴ってる内に慣れるだろうけど。

 あ、熊だ。今度は見様見真似の数え貫手でも試してみようか?

 いや、折角の人型だし時間をかけて間接からじっくりと壊してみたいし…。

 う~ん、どうするかなぁ。)

 

 間断無く続くこの無間(むけん)地獄において、現在の彼は生の充足に満たされていた。

 力の限り己の有り様を表現出来るこの一時(ひととき)に幸せを感じていた。

 この型月世界で訳も分からず必死に過ごした三年間、

いくら思い起こしてみても、決して味わう事の出来なかったこれ等の前向きな感情…。

 そんな感情の大波に乗り、思わず鼻歌を歌ってしまう程に絶好調だった。

 これまでの経験ならば一合か、せいぜい二合で終わってしまう…。

 それが彼の知る実戦であり、

(ただ)のストレスとフラストレーションのささやかな捌け口というだけの認識だった。

 むしろ相手に考慮して手心まで加えなければならない分、

実戦も彼にとっては苦行の一部としか捉えられなかった。

 けれど今この時、この場において相手に気遣う必要も無く、

(おの)が力を存分に振るえる事で、三年間血塗(ちまみ)れに(いろど)られた青春の日々と、

これまでに掛かったクリーニング代は決して無駄では無かったと、

初めて彼は、そう実感出来ていた。

 制空圏の影響により心は静寂であるにも関わらず、総身は興奮に震え粟立っていた。

 しかも不思議な事に、相手を殴れば殴るほどに身体の底から力が湧き出でて、

集中力も増している。

 その為、殊更(ことさら)彼の()る気は更新に更新を重ねていき、

遂には第三の欲にまでその影響が働き始めてしまったのか…。

 彼の股座(またぐら)に収まっている一物までもが、

ムクリと、鎌首を(もた)げだしていた。

 

―――衛宮士郎…灼熱の時間(とき)―――

 

 対してネロ・カオス…彼の現在の心情は、寒冷混じった時化気味である。

 得体の知れぬ存在に出くわした瞬間に感じた言いようの無い恐れ。

 ソレに伴ってやって来る不快感と焦りから、彼のゴースト直感が囁く。

 

 ―――目の前に(たたず)む人間は、自身が最も嫌う人種と同一の匂いを(まと)っている…と。

 

 一刻も早く従僕を殺したであろう目の前の人間を、

この世から排除したい衝動に駆られ、

物量に物を言わせてさっさと終わらせてしまおうとした訳だが。

 その(ことごと)くを(またた)く間に殴り殺され、あげくに喰われてしまった。

 …その存在が無かった様にぱっくりと…。

 この辺りで直感通り、アレは彼の嫌うトラブル人間であると確認が出来た訳だが、

彼自身に退くという選択肢は無い。

 今までその手の人種に遭遇(そうぐう)したならば、

自らの手で対処してきたという自負があるからだ。

 …本来…この手の裏家業に勤しむ人種(主に聖堂教会)は、

想定外の事態なんてモノに遭遇したならば、

様子見しつつ情報収集、駄目ならとっとと退却し、

上や雇用主に報告を上げるまでの流れを視野に入れて、慎重に行動する。

 対してネロ・カオス…本名、フォアブロ・ロワインという男の元々の本職は、

ワンマンプレイの代名詞『魔術師』である。

 教会と違って、縦・横共に繋がりは基本的に薄いし、それに比例して情も薄い。

 トラブル関連は自らの手で処理するのが当たり前。

 魔術師というカテゴリー上もあり、想定外だのトラブルだのという事象とは、

切っても切れない間柄。

 それ故、避けては通れぬ(いさか)い事や派閥闘争に付き合い上、嫌々ながら巻き込まれ、

そんなトラブルの果てに死の際を垣間見た経験は何度もあった。

 まぁそれは、この男の人付き合いの良さも要因の一つではあるが、…とりあえず。

 そんな様々なトラブルを乗り越えて、その身を死徒というトラブルの権化へと変じて以降は、

そういった(わずら)わしい世間のしがらみからも、やっと開放された上、

死を匂わせる様な事態に巻き込まれる機会もめっきりと減ってくれた。

 死徒に成った事で、新たな(つな)がりや厄介事もまた生まれはしたが、

それくらいの事ならば まだ想定内。

 一介の魔術師であった当事と比べれば、

人間関係や死に縁遠くなった分、精神的負担は減った方だ。

 死徒に成り代わって以降は、聖堂教会から定期的に送られる襲撃に辟易(へきえき)していたが、

不死である彼には最早それも瑣末(さまつ)事。

 並みの魔術師ならば死を伴う嫌がらせの数々も、

現状の彼にとっては(わずら)わしくは思っても、片手間程度で処理出来る。

 これまでに彼が携えた魔道の(すい)を用いれば、

教会から送られた刺客程度では、遅れを取ること事態が()ずありえない。

 もし仮に、想定外の事態にまで追い詰められたとしても、

一度理性のタガが外れてしまえば、彼等が考えついた戦術・戦略の一切を度外視し、

()散らせる程の力を彼は有している。

 強大な力を持つに至った現在の彼にとって、

荒事というのは、もはやストレスとフラストレーションの()け口でしかなく、

トラブル足りえないモノとなっていた。

 そう、死徒に変じて以降のこれまでは…。

 そして今回の一件も結局は…と、そう見通していた。

 

 (―――ましてや相手は見た目こそ威圧的ではあるが、所詮は(ただ)の人間。

 例え特殊な手札を持っていようと、結局は片手間で始末出来る。)

 

 …そう、見通していた…というのに、

目の前で広がる現状というか彼視点で言えば惨状は、

そんな思惑とは180度真逆(まさか)の展開…これである。

 長々と書き連ねてみたが、とどの詰まり人間を辞めて久しく過ごしてきた弊害(へいがい)を今回、

彼は分かり(やす)いくらいに表面化した形で認識した事になる。

 死徒である彼にとって、襲撃事態が定期的に訪れる予定調和。

 それ故に魔術師であった頃と比べて、

予期せぬトラブルに対しての危機意識や慎重性が薄れてしまっていたのである。

 …目の前で衛宮士郎(トラブルの元)が全身をフルに使い、動物愛護反対を訴える中、

何故こうなってしまったのだろう…と、彼はこれまでに至る経緯を、

レ○プ目で思い返す。

 

 

 

 

 来日して早々、友人が根を張る地へと足を運び、

本来ならば久方振りに顔合わせ等をすべきなのだが、当人とコンタクトが中々取れず。

 事後承諾の下、仕方なく彼の領地で餌場を幾つか品定め。

 早速見つけた それなりの広さを誇る公園を第一候補として仮決定。

 簡単な人避けの結界を園内に施しつつ、獣達の幾つかを番としてその場に残し、

さて次へ行こうかと思った、その矢先…。

 周囲の探索を行う為に放った従僕…その一体との繋がりが突然途絶えてしまった。

 何者かに殺されたのか、若しくは思わぬ要因で死に至ったのだろうと、

彼なりに適当な予想を組み立てる。

 だと言うのに、彼の身体にその従僕を構成する生命因子が、

何時まで経ってもその身に戻ってこない…。

 本来、従僕が死を迎えれば、必ず彼の身に還ってくる(はず)だというのに。

 この時点で彼は異常性に気付いていたが、

それは自身の内に発生したエラーか、若しくは未知なる進化か、

又はその種に限り発生した、何らかの変異に()るものだろうと彼なりに結論づけていた。

 

 (もしかしたら何らかの要因で、この身から独立を果たしたのかもしれない…。)

 

 この時の彼は、これらの原因が外的からの力に因るモノだとは思いもよらなかった。

 取り合えず、解き放った従僕がどのような状態にあるのかを一刻も早く確認したいが為、

学者特有の浮き浮き気分で、繋がりが途絶えた地点へと軽い足取りで向かい、そして―――。

 

 

 

 

 ―――そして現在…、原因の元に対し、怒りに任せて従僕共をけしかけて、

いつもの様にさっさと終われと悪態吐きつつ行った駆除作業は、

彼が恐れる想定範囲外(トラブル)により、遅々として進まぬ状況にあった。

 

 『海の幸から山の幸まで、地の果てまで続く満貫全席じゃのぉ~!』

 

 『なんと ♡なんとなんと 、なんとなんとなんと ♡』

 

 『いや、それアンタの台詞じゃ無いだろ。』

 

 『え、コレ全部食っていいのか!!』

 

 『ああ、しっかりと食え、おかわりもいいぞ!

気に病む事は無い、存分に食え!どうせ皇帝(ネロ)の奢りだ。』

 

 『…何故こんな所にチマキがあるんでしょう?』

 

 『それはチマキではない、私のおいなりさんだ。』

 

 もはや彼の中に薄々と感じていた確信は、ここに至り確証へと至った。

 

 (…こいつ等…、私が何世紀もかけて育て上げてきた生命因子を喰っていやがる!

 目の前の人間の身体を介して!)

 

 どういう手段を用いて、あんな(おぞ)ましいモノを幾つもその身に降したのかは知らないが、

所詮は人間…などと、(とら)えるべきでは無かった。

 その(あなど)りの結果が目の前のこの惨状。

 永い時間をかけて、観察し続けてきた大切な研究成果…。

 それは本来研究家である彼にとって、もはや我が子と言っても過言ではない。

 そんな大事な子供等が面白半分で殴り殺され、

身体(いえ)に戻る事無く生命因子(その在り方)ごと(むさぼ)り喰われていく。

 その度に彼自身を構成する広大な異界に小さな穴が空き、哀愁(あいしゅう)の風が吹き荒れる。

 …まぁ風穴が空く度に、彼の世界は失われた部分を他の因子によって補われ、

瞬く間に修復されてゆく為、結果を見れば損失なのかもしれないが微々たる物で。

 彼の身の内に構築された世界の規模から観れば、その損失は限りなくゼロに等しい。

 

 (そう、何も問題は無い……。だが、そういう問題では無いのだ。)

 

 眉間に(しわ)を寄せ、彼の目の前で繰り広がれる悲劇を、

喜々として作り出す諸悪の根元を、怨みの篭った眼で睨み付ける。

 人間であった頃ならば感情を抑え、割り切る事も出来ただろう惨々たるこの結果。

 冷静に観るのならば、彼にとって目の前で暴れる人間(ゴリラ)は、

高々(いき)の良い食料一匹程度、ムキになってまで得るべき物では無い獲物。

 微々たる損失と割り切って、物量で攻め上げた状態を維持しつつ、

このままアレを疲弊させるべきか。

 若しくは日の出までの制限時間を考慮して、

撤退も視野に入れるべきか…そんな想定をする状況である。

 しかし、現在の彼は吸血鬼。

 当時、魔術師として持てる限りの(すい)を掻き集め、人外へと昇華したこの男には、

連綿と積み重ねてきた超越者としての矜持があり、この現状を割り切るという事が出来ない。

 しかもその矜持の結晶とも言うべき従僕達(研究成果)が殺されたとあらば尚の事。

 無論、撤退など論外である。

 結局彼は、目の前にいる敵対象が人間である事から、

(あなど)りを捨てきれる事は出来なかった。

 ある意味、英雄王(金ぴか)と通じるものがある。

 意識を改める事も無く、結局彼は…タカが人間如きに…と、

自らの矜持とその結晶が踏み(にじ)られた怒りと憎しみに、

その身が塗りつぶされていく。

 結果、彼の堪忍袋の緒がブチブチと嫌な音を立てて、

引き千切られようとしていた。

 何時もの如く、差し向けられた刺客共を蟻の如く踏み潰す…。

 聖堂教会の皆さんからはもうお馴染みとさえ言える、彼最大の武装を以って…。

 

 

 

 

 何時の間にやら、雨が止んでいた。

 怒涛(どとう)の如く襲い来るSAN値チェックの荒波は、

粗方士郎の手によって美味しく片付けらた。

 本来ならば死屍累々(ししるいるい)であるはずの園内は、

(かたど)っていた最後の一匹が死を迎え、霧の如く消え逝くと、

本来そうあるべきである真夜中の静けさを取り戻した。

 だが、目の前に広がるこの惨状を見るに、

日常に戻った…とは、とてもじゃないが言えはすまい。

 ネロ・カオスと呼ばれる怪物が、この浮世に顕現(けんげん)せしめた等活地獄によって、

園内は見るも無残な光景が広がっているのだから。

 要所要所に設置されていた遊具は、最早 使い物にはならないし、

景観を整える為に植えられていた木々も、

園内を取り囲むそれ等を除き、薙ぎ倒されてしまっている。

 それに、その惨状の中心地点には、

そんな暴挙をヤらかした非日常の権化・計二名が今(なお)健在なのである。

 お互いがまだ底を出し切っていない事もあり、

(むし)ろここからが開幕本番と言ってもいい。

 先程までの一幕により、相当の距離が空いた場所で、互いを認識しあう二人。

 相手を見据(みす)えリズムを刻む士郎とは対称的に、

俯き微動(びどう)だにする事無く、静かに(たたず)むネロ・カオス。

 お互いがその場から動かぬ様子から、

(しば)らくの膠着(こうちゃく)が続くのかと、ギャラリー連中は観ていたが、

突如対峙(たいじ)する一方、ネロ・カオスが勢いよく天を(あお)ぎ叫び出す。

 もし一般人が聞いたならば、底冷えする程の雄叫びを上げるや、

彼の身体から生まれている朧気(おぼろげ)な影法師から、黒い獣達が一斉に現出する。

 それ等は、彼の足下から始まり全身にかけて、

生理的嫌悪を(うなが)す様な音を立てて這いずり(まわ)ったかと思えば、

時を経てずして彼自身を完全に(おお)い尽くし、その有り様を変えてしまった。

 理性をかなぐり捨てて、怒りと共に(まと)ったソレの名は武装999…。

 怒れる教授のご降臨(こうりん)である。

 

 (あぁ、ゲームで見たなアレ。確か突進三回だったか…。)

 

 『ようやっと本番みたいだぜぇ…。』

 

 『人ではないと事前に知ってはいたが、何とも奇っ怪な。』

 

 士郎を始め各々が、異形へと変貌(へんぼう)()げた黒い大男に対し感想を(ふく)む中、

異形に包まれた怪物が雄叫びを止めたと同時に、突貫の一歩目を踏み込む。

 その反動でアスファルトにより舗装(ほそう)された地面が派手に砕け、その破片が宙を舞う。

 そのたった一歩目で、30メートル相当は離れていたはずの互いの距離が、

(またた)く間に()められる。

 踏み込んだ粉砕音を後方へ置き去りにして、

怪物は今まさに士郎へとぶつかる直前にあった。

 

 「…は?」

 

 制空圏が展開されているにも関わらず、瞬く間に彼の領圏内へと入り込み、

肉薄する怪物に対し、あっさり虚を衝かれてしまった士郎。

 そこから生まれた驚きと、次に生まれる焦りとが合わさり、

気もロクに練り込まれていない形だけの回し受けで、

その突進を凌ごうと試みるが――。

 

 『あぁ…、馬鹿野郎が。』

 

 彼のその慌てようを観て、独歩ちゃんが片手を自らの額に当て、

首を小さく振りつつ(なげ)く。

 その呟きが吐かれた直後、凄まじい衝突音が周囲に響き渡った。

 受け流しが成功したならば、この様な不細工な音など発生する筈は無い。

 相反する両雄は今だ健在。

 仕掛けた側は無論の事、(しの)いだ側もであるが、しかし…。

 それは(しの)いだと果たして言えるのだろうか…。

 一合目の突進を受け流そうとした士郎の両腕は、

上着が皮膚に巻き込まれ、血と肌とスカジャンとが混じり合った奇妙な(まだら)模様を描く。

 ユニークな擦過傷(さっかしょう)を負った事により、

思わず苦痛の声を上げる…、そんな(ひま)すら与えられず、

怪物による折り返しによる突進が、背を向ける士郎に再び襲い掛かる。

 気の運用を咄嗟(とっさ)に切り替え、対処に移ろうと振り向き様に相手を(とら)えた時には既に遅く。

 皮一枚にまで迫ったソレの突進に対して、現状の彼に取れる手段は、

衝撃の直前に後方へと飛び、少しでも衝撃を(やわ)らげる事だけだった。

 …結果…、2メートル近くある大男が勢いよく宙を舞い、

大きく弧を描くという豪快な絵面(えづら)が展開。

 重力に逆らうソレは激突地点からかなり離れた地点へと、

嫌な音を立てて無様に墜落(ついらく)

 その後も止まる事は無く、地面をゴロゴロ転がり続けるソレは、

園内を取り囲む様に植えられた木々の一つに背中からぶつかった挙げ句、

その反動で前方へと前のめり。

 …()めにヒキガエルの様な(うめ)き声を上げ、

(ようや)く彼は一時ながら落ち着く事が出来た。

 

 『面白いくらいに意趣(いしゅ)返しされたのぉ。』

 

 蘭白老師が大爆笑しながらそんな台詞(せりふ)を吐きつつ、

倒れ()す士郎の身体状況を遠間(とおあい)から観察する。

 現在、衛宮士郎の容態は全骨格の至るところに(ひび)が入り、

腹部に収められている臓器の幾つかは破裂。

 防御に使った両腕は、皮膚表面が(まだら)模様を描き、形は奇妙にへしゃげており、

所々から折れた骨が皮膚から突き出てしまっている。

 中途半端ながらも二度目の接触時に()いて、

咄嗟(とっさ)に『硬気功(こうきこう)』をその身に施し、防御力を極限まで引き上げていたというのに、

気の練りこみが甘かったのか、この惨状。

 これだけの現状説明で判るとおり、彼は完全に危篤(きとく)状態である。

 とは言え吸血鬼の攻撃を…ましてや、その最上位であるネロ・カオスの概念武装を(まと)った突進、

往復による計二回も接触して(なお)、人の形を保っていられるこの男・衛宮士郎…、

この程度では死なないし終わらない…。

 と言うか、決して終わらせてはくれないのだ…主に中年一同が。

 

(―――大きな収穫だ……………

せる…………………………………………………………………………)

 

 立ち上がる事を全力で拒否する敗北台詞(せりふ)を脳内でのたまいつつ、

意識が地獄の底へと()ちていく士郎。

 そんな彼の身体から地面へ、大きな血溜(ちだ)まりが出来ていく…。

 人間は最高速度の新幹線に()かれた場合、

恐らく真っ赤な花が血の(きり)と共に咲くはずであるし、

開花後は影も形も残るまい。

 新幹線ネロ・カオスに二度も()かれ、この程度の損害で済んだのならば、

彼にとっては僥倖(ぎょうこう)と言えるだろう。

 何故ならばこの程度の損傷、イメージトレーニングによるフィードバッグにより、

最早(もはや)日常茶飯事だからである。

 身体に取り入れられた膨大(ぼうだい)(ジン)により、

彼が負った致命傷であるはずの大怪我の数々が、(またた)く間に修復される。

 その際に身体中からけたたましい異音が(かな)でられ、

患部からは日常では滅多に()ぐ事のない異臭が周囲へと放たれる。

 何時もならばこの異常、彼の学び舎である教室内で行われ、

絹を引き裂く様な悲鳴の一つでも聞こえるモノだが、

ここはそんな学び舎から遠く離れた関東圏。

 何時もの如く息を呑み、ブルーシート越しから彼を見守るクラスメート達は居ない…。

 そんな冬木の地から遠く離れた見知らぬ場所で、

彼に取って日常である筆舌に尽くし難い違和が、身体中を駆け巡る。

 急激な修復作業が行われる中、彼はいつもの如く、

主に脳トレ終了後に襲ってくる死の微睡(まどろ)みに(ひた)されようとしていた。

 いくら怪我が完治されようが、その身に受けたダメージまでは抜ける事は無い。

 治癒(ちゆ)を行う上で急激な新陳代謝が作用した影響と、

何より怪我を負った原因である、新幹線並みの衝撃をモロに受けた事により、

彼の意識は現在、今朝済ませたはずの日課である(さい)の河原手前までの、

往復ランニングへと出かけていた。

 …無論、身体に流れるのは爽やかな汗などではなく、真っ赤な血であるが。

 

 

 

『…て…(タス)

 

 …心地良い微睡(まどろ)みの中、誰かの呼ぶ声がする…。

 

 『………s(タス)

    『………て!』

       『(セス)…』

 

 ―――声が…誰?

 

士郎(セスタス)、立て!!』

 

 ―――セスタスって誰だ…!?

    ―――…オレか?

       ―――あれ、待って?俺、そんな名前だっけ…?

          ―――ん…?あれ…?

 

 

 

 

 

『起きろぉォ!立ち上がれッ士郎(セスタス)!!』

 

 

 

 重い(まぶた)を徐々に開け、声のする方へ気だるく首を動かしてみれば、

その視線の先には両手を握り締め、倒れ込んだ士郎に対し、

何かしらの言葉を叫んでいる誰か…。

 しかし士郎は何故、その誰か(ザファル)が必死に叫んでいるのかが解らない。

 

 (何だ?何で叫んでる?この程度の怪我、何時もの事じゃないか…。)

 

 ボヤける頭で愚痴(ぐち)を垂れつつ、彼は再び微睡(まどろ)みの中に溶け込もうとした。

 だが、どうにも何時(いつ)もとは勝手が違う。

 視界に入る景色が(うす)暗い上に土一色、その上うつ伏せで倒れているからだ。

 はて、何故こうなっている?…と、彼の中で疑問が浮かぶ。

 

 ―――血溜(ちだ)まりの方は、まだいい…。

       何故俺は暗がりの中、うつ伏せに倒れているのだろう…と。

 

 本来、彼が致命傷を負う場所は、決まって自宅か真昼間の教室内である。

 気を失うにしても、前者であるならば、

何時の間にか自室で床に就いている上、起きたら起きたで大河の第一声が耳に入るし、

後者ならば両腕を胸に組み、オッサンの様な大股開きで、

自分の身体に見合わない学級椅子に座ったままの状態が常である。

 この三年間、ここまで無様に倒れた事などありはしないし、

仮に死ぬにしても、最低限の体裁を整えた上で、彼はちゃんと地獄へ堕ちてゆく。

 何より、これ程の血溜まりが出来てしまえば、何時もの如く血飛沫も辺りに飛び散り、

学校ならば女子生徒連中が、自宅ならば大河が悲鳴の一つでも上げるものだ。

 ―――それが無い時点で………そんな考えに至ったところで、

彼は自身が置かれた異常性に気づき、(こうべ)を勢いよく引き上げる。

 

 (………どこだ、此処(ここ)は?)

 

 ボヤけた視界に映る先は、見慣れぬ場所だった。

 辺り一面が(うす)明かりの中でも判るくらいに酷い有り様で、

災害にでもあったのか、所々に設置されていた街路樹が圧し折られ、

何らかの設備だった物が散乱している。

 

 (何かの破片でも腹にぶっ刺さったのか?

 …その程度の事で、ここまで血溜(ちだ)まりが出来るものなのか?)

 

 一般人の観点から「お前の言ってる事はおかしい」と、

ツッコミが入るであろう疑問が、彼の中で湧きあがると同時に、

「早く気付け」と脳内で警鐘(けいしょう)がけたたましく鳴り響く。

 

 (何だ?いったい何を見落としている?俺は!?)

 

 場の状況から情報を取り入れるべく、忙しなく視界を働かせていたその先に、

警鐘(けいしょう)の原因であろうソレは居た。

 黒い人の形をしたそのナニかを視界に認めた瞬間、頭に閃光が(はし)り、

彼はこれまでの経緯(けいい)(またた)く間に思い出す。

 

 「チィ…!」

 

 力の抜けた身体に無理矢理にでも熱を(とも)し、起き上がる為…再び闘う為に、

既に完治した両拳を地面へと押し付ける。

 朦朧(もうろう)とした意識が目的を思い出した事で、

徐々に霧が晴れていくかの様にクリアになっていく。

 五体の感覚を取り戻しつつある彼に対し、ギャラリー達の反応は様々なモノだった。

 必死の形相で彼を叱咤激励(しったげきれい)し、起き上がることを(うなが)す者。

 その程度の損傷ならば立って当然と彼の挙動を見守る者。

 戦意が(くじ)かれたならば所詮(しょせん)そこまでと冷ややかに観る者。

 

 ―――()いていたブーメランパンツの両端を、両肩まで無理矢理引き伸ばし、

股間を強調しだす者…。

 

 変態の両肩から景気よくパン!…という乾いた音が鳴り響いた直後、

「ゲフォアッ!」という呻き声と共に盛大に喀血し、再び地面へと突っ伏す士郎。

 ザファル先生の声援により()り減った気力を取り戻そうとしていたというのに、

変態野郎による無言の応援(?)のせいで、完治間近の横隔膜(おうかくまく)痙攣(けいれん)を引き起こす。

 ソレによりダメージを負った身体中が引き()り、

絶えず血を吐きながら彼は白目を()きつつ悶絶(もんぜつ)開始。

 

 『何をしている!場の空気も読めんのか!』

 

 『私なりの激励のつもりだったのだが…。』

 

 『そんな激励の仕方があるか!』

 

 『…あ、コリャもう駄目かもわからんね…。』

 

 中年共が(いさか)いを起こすその(はし)で、

彼は必死に失いかけた意識を現世へと(つな)ぎ止める。

 引き()る痛みを少しでも(やわ)らげる為なのか、

何故かラマーズ呼吸法を用いているが。

 (かす)んだ視界の中で、見慣れた人物の幻影が、

うつ伏せで倒れる士郎の(そば)に、腰を下ろした形で現れる。

 

 

 

―――はぁ、また士郎が死んでる…。

 

 

 

 何時(いつ)もならば疲れた顔であんまりな台詞を口にしつつも、

彼が目を開けるまで枕元に座っている藤村大河はこの場に居ない。

 それが殊更(ことさら)に自身の置かれた状況が、

日々感じている安らぎからは程遠い切迫した事態だと、

朦朧(もうろう)とした意識下であろうと本能で理解する。

 (うす)暗い闇の中、園外に設置された街路灯から差し込まれる、

微かな(あか)りによって生まれた彼の影法師…。

 ソレがうつ伏せの状態から起き上がろうとしている

彼の(かす)んだ視界に収まると、此処は彼が望んだ修羅場であり、

同時に彼が追い求めた敵の存在を改めて認識。

 …そして…そんな望んだ相手によって、

初めて与えられた現実的な苦痛も相まって、

彼は実戦による本格的な死というものを強く意識してしまう。

 

 (―――(ひと)り…誰にも看取(みと)られぬまま……俺は、死ぬ?)

 

 枕元でいつも疲れた様に微笑(ほほえ)んでいた彼女の顔が、

彼の中で遠い存在に成り代わろうとしている事に、

得体の知れぬ感情が彼の(なか)に生まれ、胸の辺りでざわつき始める。

 本来ならば持ち掛けたであろう彼の戦意。

 それが変態の(いき)な激励で()し折られ、

不安と恐れが死という形で身体に()し掛かり、

デカイ身体が産まれたてのゴリラの如く小刻みに震え出す。

 そんなゴリラに―――…。

 

 『(ひと)り…。』

 

 様々な感情が渦巻き意識が朦朧(もうろう)とする中、

少年特有の中性的な声が突如 ゴリラ士郎の耳元に響く。

 

 『―――闘いは孤独だ…道連れは俺自身の影法師だけ…

頼るべきは双拳(そうけん)のみ…。』

 

 (あきら)めという負の念に(とら)われかけていた彼を鼓舞(こぶ)するかの様なその叱咤(しった)は、

全身へと染み渡り絶望を戦意へと()り替える。

 

 『()えた脚なら気迫で支えろ!(あきら)めるな!立ち上がれ、立ち向かえ!

 自ら招いたこの窮地(きゅうち)、自分の(こぶし)で打開しないでどうする!?』

 

 (…うぅぬぅれェエ―――!!)

 

 何処(どこ)かで今も(なお)闘っている誰かの声が、

倒れかけた彼の心身に決して消えぬ火を()けた。

 うつ伏せの状態で彼は地面に顔を向けたまま、

今だ痛む腹から声無き雄叫(おたけ)びを上げ、心身に(かつ)を入れる。

 

 (…三度目ッ、三度目が…来る!)

 

 焦燥の中で己の上半身を何とか起こし、軸足である左(ひざ)を曲げ腰を落として(うずくま)る。

 立ち上がる事をを拒否する右太腿(ふともも)に何度も右拳を打ち付け(げき)を入れる事で、

振らつきながらも立ち上がり、彼は自身を()き飛ばした張本人を必死の形相で視界に入れる。

 暗がりの中でも判る今だ解除されていない吸血鬼の概念武装。

 三度目である止めの突進が来ると判断した彼は、

息を整える暇も無く衝撃に備える為、大股開きになり腰を深く落とす。

 未だ(まだら)模様が浮かんでいる両腕を、

顔面手前で交差させての何とも分かり(やす)い防御行動である。

 

 (クソったれがッ!)

 

 ダメージによりフットワークが覚束ないこの現状。

 短い悪態を吐きつつ「今みたいな本来の覚悟があれば…」と、

先程喰らった怪物の突進を苦虫噛み潰した表情で反芻し、

中途半端な行動を悔いる彼は防御した両腕越しに、

たった二合で自分をここまで追い詰めた怨敵を、恨みがましく睨みつける。

 しかし当の相手は此方に振り向く事もなく、

彼の記憶にある三度目の突貫を起こそうとしない。

 二度の突進があれだけ間髪入れずに行われたというのに、

その後、此方に振り向きもしない怪物に対し訝しむ士郎。

 最早一切の油断も無く、怪物の次なる動向を見据えるが、

何時まで経てど彼が懸念する三度目の突進が来ない。

 むしろクールダウンでも計っているのか、

異形と化したその身体をこちらが観て判るくらい大仰に何度も弛緩させ、

状態を整えさせているかの様にも見える。

 

 (………もしかして、突進って二回だけ?…俺の記憶違い、か?)

 

 そう思い至った瞬間、気が抜け落ちそうになるが何とか保たせる士郎。

 突撃を喰らった衝撃と地面に叩き付けられた挙げ句引き摺る様に横転した事で、

無残に擦り切れてしまったスカジャンを引き裂く様に脱ぎ捨て戦意を引き上げる。

 周りに気を病む事無く音を立てて行った士郎の存在に気付いたネロ・カオスは、

筋肉を弛緩させつつ驚きと共に此方へと振り返る。

 本来ならば人の形を保つこと事態不可能である全霊の突進。

 ソレを二度も受け、尚も耐え切った目の前の人間に対し、

彼の中で鳴りを潜めていた恐怖という感情が、

塗り固めたはずの殺意に僅かばかり混じり始めた。

 そんな好敵手の心情など露知らず…士郎の方はそんな彼を視界に留めつつ三戦立ち。

 腰まで引いた両腕…その両拳を掌へと変え、それをゆっくりと前面へ押し出しつつ、

同時に肺に溜まっていた空気を徐々に体外へと出来る限り出し切る。

 …『息吹』…取り乱した精神を平常に戻し、気の流れを高める空手独自の丹田呼吸法。

 

 「ふぅぅ……ぅぅぁぁああ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!

 

 『息吹』により心身が整った事を実感した瞬間、

変態に対しての怒りとここまで追い込まれてしまった自身の不甲斐無さを、

雄叫びを上げる事で発散する。

 同時に自らの筋肉を最大まで一気に膨張させる事で、

彼は着用しているタンクトップをド派手に破り脱いでしまった。

 ご存知、これは世紀末救世主を真似てみた脱衣法であり、

かつて士郎が自信を持って他人に自慢出来る持ちネタだったものである。

 …―――思い起こせば今年の二月。

 藤村大河によって無理矢理参加させられた檀家催しによる節分行事。

 彼はその風体から理不尽にも赤鬼役に抜擢されたのだが、

ならばその腹いせとして牙一族に迫る程の鬼を演じてくれようと、

この世紀末式脱衣法を豆持った子供達の前で披露した。

 結果を言えば、参加した子供達による阿鼻叫喚の泣き声が寺院内に鳴り響く

地獄絵図と相成った。

 男性陣からの受けは約一名…柳洞 一成を除いて非常に良かったのだが、

女性陣からの受けは約一名…蒔寺 楓を除いてドン引きだった。

 子供達が目を真っ赤にさせてガン泣きする柳洞寺という名の賽の河原…。

 満面の笑顔で檀家連中に応える赤鬼士郎に対し、

「加減を覚えなさいよ!」という叱責と共に大河キックが赤鬼の脛へと炸裂。

 蹴りをカマした当人が、自らが放った蹴り脚を両手で押さえ蹲り、

涙目で士郎を睨み上げるその隣で、

雷画翁が腹を抱え笑っていたのはまだ記憶に新しい。

 この地獄の節分以降、彼はこの持ちネタを大河による厳命により、

強制的に封印せざるを得なくなった訳だが、

何人(なんぴと)も咎める者の居ない今、ここに解禁された。

 

 『「ひゅ~~~…。服なんか着てられるか!」』

 

 まるで何処かの誰かと重なり合ってるかの様な不思議な気分の獄卒・衛宮童子。

 興奮で真っ赤になっている上半身が露わになった事で、

制空圏の精度がより上がった事を実感する。

 この勢いでズボンの方も脱ぎ捨てたい衝動に駆られていたが、

目の前の吸血鬼がその様な間抜けな隙を見逃す筈も無いだろう事から、

恍惚にも似た何とも言えぬ感情を抑え込み、諦めざるを得なかった。

 溢れ出る氣を身に纏い、両腕を音も無く前へと伸ばし上方へ…。

 その後それぞれを左右へ、世紀末救世主伝説初期OPの様に暗闇の中スローな動作で、

大きな円を描くようにゆっくりと両腕を回しながら深く息を吐き、

再び前羽の構えを取った士郎。

 今度は前回の様に咄嗟に行った中途半端なものではない。

 氣を整え練り込むだけ練り込み、全身へと行き渡らせた本格的な迎撃体勢である。

 

 (―――あの突進…知覚は出来ても即座に反応する事は不可能…。

 しかも現状、ダメージの残滓で微かに震えるこの足で回避に回るなど…。

 恐らく万全の状態であろうと、あの突進は避けられまい。

 ならば全力で最初の一撃は受けに徹してくれよう…。だが…。)ニチャア

 

 「コーホー…」と男の呼吸法を行いつつ物騒な攻撃設計を組み立てるは、

見た目世紀末の現役中学生(15+生前の年齢α)。

 そして大雑把ながらに組み立てられたその内容―――…、

 

 (…実行するには、氣が足りぬ…。)

 

 そう思うや否や、彼は無意識下で三咲市に張り巡らされている龍脈から、

吸えるだけの精を吸い上げ続け、その影響からか大地が鳴動し始める。

 結果、素肌を晒し薄っすらと湯気まで出ていた彼の上半身は、遂に発光までし始めた。

 地球(ガイア)にバックアップを無理矢理引強制させた事により、

彼の新たな持ちネタが生まれた瞬間である。

 …しかし龍脈を枯渇する勢いで精を吸い上げ続けるこの一芸…。

 二年後、冬木の地で行われる聖杯戦争において知り合う事になる少女…遠坂凛に、

三白眼が殊更強調された形相で「二度とするな殺すぞ」と、そう言われたのを皮切りに、

その数年後、原因足る彼の身元を探り当てた全国津々浦々の霊地管理者連中が、

度々彼の下へ定期的に訪れては出会い頭の攻撃と同時に「二度とするな殺すぞ」と、

警告され続ける破目になる訳だが、その程度で終わってくれるならば、

彼自身は屁でも無く塩対応。

 しかしその後、抑止力までもが手を替え品を替え何度も襲撃かましてきた為に、

身内に被害が及ぶことを懸念して、

泣く泣く彼自身の手で封印する事になる事が確定されている文字通りの厄ネタである。

 突如大地が震え始めた挙げ句、目の前の敵性対象である人間の全身が、

蛍光灯の如き眩しさで輝きだした事により、目に見えてうろたえるネロ・カオス。

 

 「何なんだ!?本当に何なんだ、貴様!!?」

 

 あまりの出来事にかなぐり捨てたはずの理性を一旦 取り戻し、

吸血鬼は、現在も振るえ続ける地震の原因であろう眼前に居る人間LEDに対し、

泡を吐きつつ大声で問いかける。

 

 「愚地独歩…デ

 

 「…オロチ…ドッポ…ッ!」

 

 『…もう好きにしてくれや。』

 

 反射的に偽名で応える士郎に対し、そう称する人物が、

まさかこの期に及んでまだ偽名を名乗っているとは露知らず、

相手の名前を再認識するネロ・カオス。

 そんな二名の遣り取りを呆れた表情で眺めつつ、

剃り上げた頭部を一撫でするオロチ・ドッポご当人。

 …若干緩みはじめた空気を醸すギャラリーとは対照的に、

その目線の先にいる二人の漢達による死闘は、

今、最高潮を迎えようとしていた。

 動揺する感情を抑えて努めて冷静に、

ネロ・カオスがどれだけ感知能力を働かせても、

魔術回路を一切使っている痕跡が見られない眼前の人間発光体。

 最早この未確認生物の行っている事象に、

怪物は今まで培った知識と経験を総動員しても理解がまったく追いつかず…。

 それでも彼は挫ける事無く、灰色の脳細胞をフル活動。

 

 (―――もしや目の前のこの男、私を排除する為に現れた抑止力か…?

 …否、自身の固有結界(在り方)を鑑みればそれは無い。

 …ならばこの男はいったい何だ?!)

 

 堂々巡りの思考に陥り、彼は思わず後ずさり。

 そんな無意識の上で行った反応に気付き、

吸血鬼はこれから訪れるであろう自らの破滅を幻視する。

 

 (…何を…馬鹿な。)

 

 咄嗟に浮かんだ映像を恥じると共にその感情を掻き消す為、

彼は腹の底から雄叫びを上げる。

 自らを再び殺意で塗り固める最中も、頭の中では警鐘が鳴り止まない。

 その鐘の音を雄叫びの声を張り上げる事で無理矢理にでも掻き消す。

 身体中に行き渡らせた魔力を纏い、力の限り一歩目を踏み抜くと、

その瞬間には既に両名の間合いは詰められており、

遠く離れていた双方が息詰まる程の距離にまで肉薄する。

 後退のネジを全て外し迎え撃つ衛宮士郎と、

進撃にアクセルベタ踏みフルスロットルのネロ・カオス。

 相対する二名の知覚が鋭敏になるにつれ、

彼等の身に纏わり付く時間の流れが徐々にスローになっていく。

 …今、正ににぶつかり合おうとする…そんな二名をそっちのけにして、

周囲の動きがゆったりと感じる時の流れすらガン無視し、

中年達は何時も通りの調子で意見を交わす。

 

 『スケールの違いなんていう弊害をモロに受けてるなぁ、アレ。

 まぁ(あり)ンコ踏み潰す為に必死に修行する人間なんてこの世には居やしねぇが。』

 

 『あの黒コートがこれまで殺してきた連中は、

奴から見りゃあ(あり)だったんだろうがなぁ…。

 今、テメェの目の前に居るのは(おんな)じスケールの生物(にんげん)なんだぜぃ。』

 

 ネロ・カオスの行動に対して呆れた様に感想を評する入江文学に対し

応える様に話す愚地館長。

 

 『結局凝り固まった考えを改める程の柔軟性は持っていなかったという事じゃろ。

長く生きてると誰しもがそうなっちまう…ワシ等も気ぃつけんと…。』

 

 『と、言いますか彼の場合、年齢が千年以上…でしたっけ?

 それだけ在り続けたならば、人間だった頃の事など忘れてしまったのでしょう。

 彼自身の現状を(かんが)みれば、仕方の無い事かと思いますが…ね。』

 

 人の振り見て…という諺を思い出しつつ腕を組み成り行きを静観する蘭白老師と、

ネロ・カオスの有様に何やら思う所があるのか、

手を顎に当て考え込む仙人志望の元スプリガン・朧。

 

 『そもそもあの男、闘技者では無いだろう。

 身体を運用する上での技も術も見受けられん。

 挙げ句に一度功を奏した策に拘り、また突進だ。

 あの膂力と瞬発力だけなら目を見張るものはあるが。』

 

 『牙無き人から見れば、それだけで充分 脅威ではあるんじゃろうなぁ。

 しかし相手はあのシロちゃんじゃ。

 あそこまで単純な手は二度は通じんて。

 あの面妖な奇術で押し続ければ、いずれは逃れる機もあったじゃろうに…。』

 

 『さて、逃げるだろうか?

 あの男の視点で言えば蟻に馬鹿にされている訳だろう?』

 

 『うむ、まぁ結果は御覧の通りじゃて。』

 

 何時も通り対戦相手の総評を淡々と述べる平常運転のザファル先生と、

士郎の前に立ちはだかった吸血鬼に対し、哀れむ様に言葉を紡ぐ無敵超人。

 

WELCOME!(いらっしゃいませ!)

 

 一同の議論の末、変態仮面がM字開脚で発した締めの台詞。

 それにより完全に止まっていた世界に、時という因子が激流の如く動き出す。

 時間の流れが正常に戻った瞬間、

ぶつかり合った二人を基点に凄まじい音と衝撃が園内全体に響き渡る。

 周囲に散乱していた嘗ての設備がその余波により四方八方へと飛んでいく。

 怪物による全霊を賭した突貫…。

 その馬鹿げた一合を瞬間的に、前方へ突き出した両の掌で受け止めて(なお)

一拍置く事も無く動き出す男・衛宮士郎。

 最大の一手を放ち刹那、硬直した相手…ネロ・カオスの僅かな間隙を縫うかの如く。

 彼は左脚を軸点に自らの身体を回転し、その動きによって舞い上がる粉塵と共に、

怪物の左真横を旋風(せんぷう)となって横切っていく…。

 その身を一瞬、竜巻へと変えた大男は怪物の左斜め後ろ側へと(またた)く間に占位を変える。

 不恰好な形ながら強引に()じ開けた勝機への扉。

 それは人外の領域にドップリと浸かったこの大男だからこそ出来る力技。

 占有出来たその場所に、回転を加えていた軸足の勢いを無理矢理止めると、

舗装された地面に僅かな軌跡が出来上がる。

 土煙の舞う闇の中、光り輝く大男が握り締めたその右拳で狙うのは、

異形の鎧で手厚く守られた極太い首筋…では無く。

 動きの阻害を嫌ってか、装甲が全体に比べ薄い両脇腹…第一に狙うは無論左脇。

 まともな人体であるならば、12対で構成された肋骨の環状結合されていない最下部位。

 その内側に収められた臓器に目掛け、今…彼は渾身の一撃を放つ。

 大地に縫い付ける巨大な釘を自らの右拳に連想し放たれたソレは、

凄まじい打撃音と共に意識が漂白する程の痛みを怪物に齎した。

 衝撃の瞬間、腕の全筋肉を締める事で運動エネルギーを拳の打点部分へと圧縮。

 更にその身に取り入れた膨大な量の(ジン)により、

原作漫画以上に馬鹿げた破壊力へと変貌を遂げ、怪物を撃ち抜いたその魔拳。

 …悪魔の鉄槌『腎臓打ち(キドニーブロー)』…近代拳闘においては無論反則技である。

 本来ならばその身が混沌と化しているこの怪物に、人間としての機能などとうに無く。

 士郎が撃ち放ったその箇所に、目的の臓器など既に存在してはいない訳ではあるが…。

 しかし士郎の拳には、中年達の特性が宿っている。

 怪物の身に纏った分厚い鎧越しに、

人であるならば収められているであろう腎臓部分をド派手にブチ抜かれた衝撃が響く。

 久方ぶりに怪物は人としての痛みを思い出し、

足がよろけ嘗ての勢いも遂には止まってしまう。

 士郎の連想通り、地面に縫い付ける事こそ叶わなかったが、

その威力によって齎された被害は甚大であり…。

 怪物…ネロ・カオスが幾星霜を掛けて、

その身に構築してきた異界に巨大な風穴が穿たれる。

 

 「グァアアあ"あ"

 

 ネロ・カオスが痛烈な叫び声を上げると共に、その身に苦痛を与えた下手人に対し、

振り向き様に自らの左腕を勢いよくその下手人…士郎 目掛けて振り抜こうとする。

 型も何もあったもんじゃない怒りに任せての裏拳打ち…。

 彼はその反撃を流れる様な動作で掻い潜り、

(なお)も叫ぶ怪物の懐へ、音も無く入っていた。

 

―――…最初の相手が…―――

   ―――あんたで良かった…―――

 

 そんな囁く様な言葉が、ネロ・カオスの耳にはっきりと聴こえた直後…。

 彼の右脇腹、人間ならば収められているであろう腎臓部位に新たな衝撃が走り抜け、

それが激痛へと変じていき、その身を光が(はし)る様に侵食する。

 彼の右脇腹に差し込まれた士郎の左鉤突き…。

 そう、それは左鉤突きから始まった。

 …それとは即ち…。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 『煉獄という。』

 

 衛宮士郎がグラップラーとして身体が仕上がりつつあった、三年目の春…。

 衛宮家、居間…その中央に置かれた座卓を囲み、入江文学による講義が行われる中、

皆が思い思いに余暇を過ごす。

 縁側に腰を掛け、一間毎に設けられた柱の一つに背を預けながら、

ボクシング入門と書かれた書籍を静かに捲りつつ感慨深い息を吐く、

頭にターバン巻いた色黒のオッサン。

 その縁側の軒先で攻夫の何たるかについて延々と立ち話しつつ、

大地から精を強制徴収しているタンクトップ着た2M超えのクソジジィと、

黒いカンフー服着た年齢不詳・黒い長髪の美青年。

 現在まともに文学の講義を受けているのは、彼の真向かいに座り、

これから無理矢理 件の技を習得させられるであろう衛宮士郎(仮)。

 そんな彼の右隣の席に座り、技の性質上、興味本位から参加している愚地独歩。

 そして左隣で正座しつつお茶を啜りながら拝聴している無敵超人。

 この三名のみである。

 …最後に問題の人物は、一人でどう自縛したのか知らないが亀甲縛りに成っており、

天井の中央からロープでぶら下がっている…。

 聞きたくも無い変態野郎の鼻歌を極力無視し、

文学の説明のみを拝聴する様に努める士郎。

 

 『一撃に重きを置いた空手に連打、か…。』

 

 『この場に逆鬼君が居れば満面の笑みで喜びそうじゃのぉ~。』

 

 『ま、俺が5分くらいで考えついた技なんだけどね!』

 

 (煉獄…仕組みだけなら覚えている…。大雑把にだが。

 …確か、五つの連続攻撃が計七つあって、そこに左右二つのー…、

5×7×2で構成された反撃させない高速連打…だった、はず?

 まぁどんな技でパターン化されてたかまでは、まったく思い出せんが…。)

 

 講義を聴き感想を述べる二名の前で、

十兵衛ちゃんに張り合ってなのか、原作上で考えついた時間が更に5分短縮され、

くだらない嘘をのたまう38歳無職。

 そんな三名の存在を隅に置き、煉獄がどういう技だったかを、

うろ覚えながら思い出す士郎。

 亀甲縛りで天井に吊るされた変態が旋回しながら歌い出す…。

 そんな奇怪なオブジェの下に置かれた座卓を囲み、

今後の予定を大雑把ながらに組み立てる男四名。

 その後、形稽古による反復練習の積み重ねにより、

士郎は煉獄をその身へ浸み込ませていった…無論、独歩ちゃんも御一緒に。

 …しかし問題は習得後にこそあったのだ…。

 

 

 

 

 

 

 『技は充分に浸み込ませた。

 だがよぅ…、こちとら実戦相手は愚か訓練相手にすら難儀してる始末だ。

 そいつ等、どこから見繕えばいい?』

 

 『隣にメタルスライムの巣窟があるじゃねぇか。』

 

 「いや、あの…出来れば表沙汰になる様な事案はちょっと…。」

 

 衛宮家敷地内にある結構な広さがある道場。

 そんな道場内のほぼ中心で胡坐を掻きつつ、

どう体得するかについて疑念を言葉にする武闘家・ドッポに対し、

腕を組みつつ当然の如くそう答える勇者・ブンガク(ロト)

 そんなレべリング作業を平然と推奨する効率重視の中年勇者に対し、

両掌を合せつ擦りつつ、現実的な代案を何とか促そうと試みる武闘家・シロウ。

 

 『ふむ…。じゃあ、もう借りるしかないのぉ…。お隣さんに。』

 

 梁山泊から来た武闘家・ハヤトのその一言により、

その発想に思い至らなかったデンジャートリオは目から鱗がポロポロ落ちる。

 早速駄目元で、お隣さんの大親分・藤村雷画翁に相談してみた所、

粋のいい鉄砲玉を二名も紹介してくれた。

 空手にも明るく段位持ちだそうだが、現在はどう間違ったのかヤクザ稼業。

 若気の至りでつまらぬ喧嘩に首を突っ込んだ挙げ句に補導され、

社会的に腐っていたところを藤村雷画直々に拾ったそうだ。

 組自体が抗争に縁も無く、日々ヤる気を持て余していたこの半グレ二名…、

そんな彼等の御協力の下、遂に煉獄は体得の至りへと成りはした。

 だが訓練相手として招かれたこの二名、燻っていた空手家としての熱が再燃したのか、

煉獄について必死に教えを乞い続け、遂には土下座までする始末。

 結局彼等の熱意に負けて、『基本的には門外不出、

衆人環視の目が無い状況でのみ使用可能』という絶対条件の下、

彼等にも一から教える事に相成った。

 

 

 

…『煉獄』とは…

 

空手団体進道塾・塾頭、山本陸が編み出した秘奥義である!

その内容は5つの技で構成された連続攻撃を1セットとし、

内容の異なるモノを7パターンまで用意。

更に左右反転による構え2つ分を組み合わせたものである。

状況に応じてパターンを組み変える事で、

相手の反撃を決して許さぬ高速連打…それが『煉獄』なのである!

 

 

 

門外不出という条件を出したのは、第三者に観られた場合、

この技の法則性に気付いて対策を講じられる事を恐れての事である。

 

 

 

…事実色々あって、こうして富田流によってパクられているし…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …藤村の家には二匹の獄卒が棲んでいる…。

 裏稼業連中がこの二名について語る時、そんな出だしから始まる武勇伝…。

 …―――後に恐れられる藤村組の赤鬼・青鬼誕生秘話である。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 …―――ち』『両―――…

 

 …―――時と場所を戻し、現在…。

 両脇腹の激痛に苛まれつつも身を縮こませ、

必死の形相で防御に徹し続ける怪物ネロ・カオス。

 頭部を覆うその両腕越しの先には、今も尚 止まる事の無い連打を続ける男・衛宮士郎。

 金色に輝く奇っ怪な大男が繰り出し続ける、息もつかせぬ高速連打。

 

 (ただの勢いに任せての連続攻撃か…。)

 

 痛みという冷や水を被せられ冷静さを取り戻し、そう相手を分析する吸血鬼。

 …しかし彼のその分析は…10、15、20と流れるように繰り出される攻撃によって、

何時しか間違いである事に薄々ながら気付き始める。

 

 (…―――まさか、この一連の攻撃は勢いによるものではなく、

繋がっているモノなのか?)

 

 そんな疑問が彼の中で生まれ、その考えに行き着いてから瞬く間に、

30、40と打撃の数が超えた頃には疑問は確信へと変わった。

 これは一つの技であると…。

 

 (だが、この連撃が長く続くとは到底思えん…。

 いずれは呼吸に乱れが生じ、勢いも衰え始めるだろう。)

 

 生命因子で覆われた分厚い鎧が剥がされていくにあって、それでも彼は冷静だった。

 

 (…―――どれだけ強かろうが所詮は人間…いずれは体力が尽き息も上がる。

 …その瞬間をただ待てばいい…。その時こそが貴様の最後だ…。)

 

 理性をスッカリと取り戻し、努めて冷静になったネロ・カオス。

 けれど悲しいかな相対しているこの人間、

相手を殴れば殴るほどに活力と集中力が湧いてくる社会不適合者。

 彼に憑いている中年共の特性がその身全体を覆っている為、

(さなが)ら人間ストームブリンガーとでも称しようか。

 現状の彼の攻撃は、例に挙げた魔剣の通り人間の魂…だけでは無く、

その魂と共に、あらゆる呪い・術・結界といったオカルト要素を

小難しい理屈など抜きにして吸収し、己が活力へと塗り替える。

 例え実質不死の存在であろうとも、いともアッサリと…とまではいかないが、

喰い殺すゲフンゲフンもとい吸収する事が可能だろう。

 …ネロ・カオスの読み違いの下、

彼の存在を守るべく装着された、膨大な数で構成されている生命因子の肉体を、

ソウルイーター為らぬオカルトイーターと化したその拳で、

時には脚で喰らっていく光り輝く大男…その名は衛宮士郎。

 煉獄による高速連打がより一層激しくなるにつれ、

彼の股座に鎮座する唯一無二のご子息も完全に起き上がり、

今の彼はとても痛気持ちがいい!

 テンションとボルテージがクライマックスに差し掛かった現在の彼が織り出す攻撃は、

その一合一合が非常に馬鹿げた威力を叩き出しており、

防御に徹する等という悠長な選択肢を吸血鬼から綺麗さっぱりと奪い取る。

 彼の内に構築された固有結界に穴が空く度、

リアルタイムで行われていた補填作業が、遂に追い着かなくなったのだ。

 ここまで来ると、一体どちらが怪物なのか判ったモノではない。

 嘗て聖堂教会に黒き混沌という名を冠された吸血鬼は、

この場に於いて最早待つという事さえ出来なくなってしまったのだ。

 ジリ貧の状況下、それでも彼は諦める事無く虎視眈々と反撃の芽を捜す。

 ここまで追い詰められた以上、目の前の人間に対し最早油断をする気は彼には無い。

 飽きる事無く攻撃を繰り出す相手を、彼は両腕越しから必死で観察し続けた。

 …そう、観察し続け…そして観てしまった…。

 

 …―――攻撃を繰り出す相手…衛宮士郎のその背後で、

両手を後頭部に組み、上半身を振り子の如くリズミカルに動かす変態仮面の姿を…。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 「ぶオ!!」

 

 緊迫に置かれた中で変態の奇態をモロに捉え、盛大に吹き出すネロ・カオス。

 笑いのツボにはお国柄やら価値観、個人差等が影響するモノらしいが、

緊迫した状況下で、こんなふざけた存在を目の当たりにすれば

誰でも笑ってしまうのは恐らく万国共通と思われる。

 そしてそんな憐れな隙を晒してしまった吸血鬼を見逃すほど、

社会不適合者は優しくない。

 

 …―――『裏『裏『鉄―――…

 

「げオ”!!」

 

 痙攣した横隔膜に社会不適合者士郎の繰り出す裏拳が深く入り、

彼の間抜けな笑顔が苦悶の表情へと、あっという間に切り替わる。

 事ここに至り、防御の体すら為す事が困難になってしまったネロ・カオスに対し、

それでも一片の容赦無く、苛烈なまでの連打を繰り出し続ける衛宮士郎。

 所々で音速の壁にでもブチ当たっているのか、

繰り出す攻撃や間接の駆動部の節々で、パンパンと乾いた音が屋外に響き渡る。

 そんな彼から奏でられる衝撃音にシンクロするかの如く、

上半身による振り子運動が更に激しくなっていく変態仮面。

 殴る者、殴られる者、踊る者…光と闇と音とが調和された空間の中、

遂に各人が各人による悟りへと至る。

 

 …―――嗚呼、なんてこった…今なら解る。俺にも解る…。

 精子が止め処なく作られていくのが解っちまう…!!

 

 …―――ここが…、私の終わり、か…。

 

 『フォオオオオオオオオオオオオオオ!!!』

 

 

 

もはや彼等は止まらない…絶頂に至る、その瞬間まで…。

 

パン

 

パン

 

パン

 

パン

 

パン

 

 燃える…燃えて逝く…。

 彼がこれまで積み上げてきた世界(つみ)が、煉獄の炎によって浄化されていく…。

 

 『チタタチタタチタタチタタ…。』

 

 『何やっとるんじゃ?』

 

 『いや、こうして肉を叩く調理法が、とある漫画にあるんだよ。』

 

 『あぁ?坊主が散々ブッ叩いたろう、ソレ。』

 

 『そうだっけ?』

 

 『さぁ食べなさい。』

 

 『まずは貴様が食ってみろ。』

 

 煉獄の炎により荒涼と化した彼の領地で和気藹々と過ごす七人のインベイダー。

 一体何処から取り出したのか、二本のキッチン包丁でまな板に置かれた謎肉を、

几帳面に叩き続ける無精髭生えたオッサンを中心に取り囲み、

残りのムサいオッサン達が思い思いに寛いでいる。

 屋外で暢気に闘いを観戦している中年共とは別にして、

何故かネロ・カオスの体内にも同時に中年共が存在しているこの状況…。

 理不尽極まる事態に直面し、彼は当初混乱の極みにあった。

 殴られる最中、覚束ない思考を働かせこの理不尽をについて熟考した結果、

分霊という概念に思い当たる。

 …まぁ、彼らが英霊や神霊の類かと言えば、正直怪しいところだが。

 ともあれ、この内外共に燦々たる状況に直面し、

彼は身体は愚か精神も完全に圧し折れる。

 最早自力で身体を支えること事態が困難になっていた。

 殴られた反動でバランスを崩し、もうとっとと楽になりたい衝動もあって、

進んで横倒れになろうとする。

 …しかし…そんな彼の脇腹に素早く『鉤爪』が差し込まれ、

苦痛と共に無理矢理、直立にされてしまう。

 

 (…―――横には、倒れられない…。)

 

 為すがままに打たれ続ける彼は今度は前のめりになりつつ、

膝から崩れ落ちようとした。

 だがその瞬間、『肘打ち』が彼の顎を綺麗に捉え、

訪れる痛みと共に景気よく打ち上げられたと同時に、再び直立に姿勢を正される。

 

 (…―――前にも、倒れられぬのか…。)

 

 鈍い痛みに襲われ諦観の唯中、

何時しか倒れる事そのものが彼の目的へと成り代わっていく。

 

 (…―――もう解放してくれ…。)

 

 後方へ重力に身を任せ倒れようとした瞬間、

『踏み砕き』による痛烈な一撃が彼の爪先に深く入る。

 痛みと衝撃によって三度立たされた挙げ句クリアになった意識へ、

『上段足刀』による顎への一撃で脳を激しく揺らされ、瞬く間に酩酊状態にされる。

 もはやモーションすら置き去りにして、連打を与え続ける士郎に合わせる様に、

その身を委ねる嘗て怪物として恐れられた彼…。

 苦痛と衝撃に身を侵される中、前後左右…何処にも倒れることが許されない。

 まともに頭を働かせる事など出来るはずも無く、

何時しか彼の脳内はたった一つの疑念で埋め尽くされる。

 

(…―――なんで?なんで倒れられない?なんで?なんデ?ナンデ、ナンで!?)

 

…―自らの意思で倒れる事も許されない―…

 

(…―――ナンで…なんで…ナンで、なんで…なん…、)

 

…―言葉も届かない―…

 

(…―――…もう…止めて、クレ…止めテ…ヤ…、)

 

…―泣いても―…

…―叫んでも―…

…―懺悔しても―…

 

(…―――助けて…助けて…た…、)

 

…―逃れる術はない―…

 

 

 

 

 

            ……―――『裏拳』

             『裏打ち』

          『鉄槌』

      『肘打ち』

   『手刀』

『左下段前蹴り』『右背足蹴り上げ』『左中段前蹴り』『左中段膝蹴り』『右上段膝蹴り』『振り上げ』『手刀』『鉄槌』『中段膝蹴り』『背足蹴り上げ』『鉤突き』『肘打ち』『両手突き』『手刀』『貫手』『右中段回し蹴り』『左上段後ろ回し蹴り』『左中段猿臂』『右下段熊手』『上段頭突き』『鉤突き』『肘打ち』『両手突き』『手刀』『貫手』『下段回し蹴り』『中段回し蹴り』『下段足刀』『踏み砕き』『上段足刀』 『左下段前蹴り』『右背足蹴り上げ』『左中段前蹴り』『左中段膝蹴り』『右上段膝蹴り』『裏拳』『裏打ち』『鉄槌』『肘打ち』『手刀』―――……

―――それが煉獄―――

……―――『振り上げ』『手刀』『鉄槌』『中段膝蹴り』『背足蹴り上げ』『左上段順突き』『右中段掌低』『右上段孤拳』『右下段回し蹴り』『左中段膝蹴り』『右中段回し蹴り』『左上段後ろ回し蹴り』『左中段猿臂』『右下段熊手』『上段頭突き』『鉤突き』『肘打ち』『両手突き』『手刀』『貫手』『裏拳』『裏打ち』『鉄槌』『肘打ち』『手刀』『左下段前蹴り』『右背足蹴り上げ』『左中段前蹴り』『左中段膝蹴り』『右上段膝蹴り』『下段回し蹴り』『中段回し蹴り』『下段足刀』『踏み砕き』『上段足刀』『裏拳』『裏打ち』『鉄槌』『肘打ち』『手刀』

                       『左上段順突き』

                    『右中段掌低』

                 『右上段孤拳』

            『右下段回し蹴り』

   『左中段膝蹴り』―――……

                                  

 

 

 

 

 …この三年間、溜まりに溜まった欲求不満を発散するかの如く打ち続けられた煉獄…。

 士郎がもう何手目になるか分からない右拳による『鉤突き』。

踏み込みがまったく足りず、それが盛大に外れるやいなや、

矢の如く続いていた連打から、念願叶って解放されたネロ・カオス。

 煉獄と言う支えが無くなり、焼き払われたその身体は、灰の如く崩れ落ちる。

 漸く倒れる事が出来た彼の身体は現在、

高い身長を除くその全体が急激に萎んでおり、まるで衰弱死寸前の病人の様。

 それでも辛うじて意識を保っている辺りは、人外としての面目躍如といったところか。

 彼に取って生涯の支えであり、自身の至上命題でもあった固有結界『獣王の巣』が士郎…、

と言うか、中年達の食害により散々に喰い荒らされてしまった今の彼に、

戦意も気力ももう感じられない。

 戦いに敗れ生命因子を粗方喰われた影響で、固有結界の維持すら困難となった彼は、

完全に黄昏に暮れており、直に訪れるであろう滅びを素直に受け入れようとしていた。

 

 (…―――弱肉強食は、世の常か…。

 終わらせた相手が強者であるならば、もう何も言う事は無い…。)

 

 そんな悲観的な考えに至る彼とは対称的に、

衛宮士郎…今の彼は身体中を駆け巡る絶頂感で何度も痙攣する状態に堪え、

恍惚の表情で何時の間にか晴れている満天の空を仰いでいた。

 煉獄による度重なる激しい動きにより、遂に限界を迎えた士郎の股座にあるご子息は、

盛大に雄としての役割を果たしてしまった。

 その結果、集中力や攻撃精度も盛大に右肩下がり。

 次のパターンに入る為の一手目(右鉤突き)を繰り出す事が億劫になり、

これまた盛大に空振ってしまったのである。

 現在、身動き一つ億劫な状態で彼は生前読んでいた、

陰惨極まる格闘漫画の主人公が口にした、ある台詞を思い出す。

 

―――そのギリギリの先にはなぁ、女の股座より気持ちいい事があるんだぜ。―――

 

 事実、その通りだった。

 人を殴って盛大に吐精する等、彼にとって生まれて初めての経験である。

 勝者と敗者がそれぞれ違う理由で黄昏始めた辺りから、

勝者である衛宮士郎の身体から放たれていた光はその輝きを失い、

傍迷惑な地震の方も治まっていた。

 

 (…嗚呼、俺は…俺はなんて卑しいんだ…。)

 

 某漫画のイカレタ銀髪の主人公と同じ様な台詞を、

脳内でのたまうバトルフリーク。

 遠い眼差しでゆっくりと地面に横たわる愛しき怨敵へ視線を移す。

 性交渉ですら子供のお遊戯だと断言出来るほどの触れ合いをした漢同士。

 そんな彼等に煩わしいピロートークなど一切必要無い。

 それでも言葉を相手に伝えたいならば、ただ一言、こう言えばいい。

 

 『『『『『『『「ありがとう(ごちそうさま)。」』』』』』』』

 

 静かに横たわる怪物だった男を取り囲み、

士郎を始めとした一同は感謝の言葉を送る。

 言葉が重なる中、歯の隙間に挟まった食べカスを取り除く為か、

その口から鬱陶しく「シーハー」とせせる音を出す者が何名か居るが、

気にしてはいけない。

 …その言葉が耳に届いた瞬間、目を見開き彼等を見上げるネロ・カオス。

 そんな彼を感慨に浸る瞳で見つめる漢・士郎...ある意味真っ白に燃え尽きた彼に、

老人二名がそれぞれ現状に対して意見を述べる。

 

 『人避けの結界が完全に晴れちまったな。

 まぁ元々大掛かりなモノじゃないし、術者自身の手で維持されていた簡素なモンだ。

 コイツが坊主にボコボコに殴られてる辺りでもう使い物にならなくなっていたし、

当然っちゃ当然だわな。』

 

 『シロちゃんが派手に轢かれた辺りから、

コチラに出歯亀決め込んどった者も居るしのぉ。

 宴(たけなわ)、そろそろ引き時じゃろうて。』

 

 名残惜しいが、この乱痴気騒ぎもどうやらここまでのようだ。

 衛宮士郎は倒れたままコチラを今だ呆然と見上げるネロ・カオスに

警戒する事もなく背を向けて、

後ろ髪を引かれる思いで嘗て児童公園だった場所から立ち去った。

 …淡い栗の花の香りをその場に残して…。

 

 

 

 

 「オロチ・ドッポォ…オロチィ・ドッポォオぉお…!!」

 

 つい先程まで修羅場だった荒地を這い蹲りながら、

彼をここまで追い詰めた相手の名を口ずさむ…。

 嘗て、混沌と言う異名で恐れられた二十七祖が一体、ネロ・カオスは最早おらず。

 そこには絶対者としての自信も矜持も消えかけていた憐れな吸血鬼…、

その一匹が一刻も早く、この場から離れようと藻掻いていた。

 もはやナケナシとなった生命因子を掻き集め、

繕う事で何とか己が存在を維持する様必死に努める。

 嘗て死闘を繰り広げた経験は数あれど、

ここまで完膚無き敗北を味わった経験など彼には無かった。

 況してや、その後礼を言われ、その挙げ句に見逃されるなど、

彼にとっては前代未聞の事であり、筆舌に尽くし難い屈辱である。

 様々な情念が渦巻く彼の胸に、しかし僅かながらの清しさも生じていた。

 それは死力を尽くし命を削り合った者同士に芽生えた、共感の様なものだろうか。

 

 (―――思い返してみれば…あの死闘とも呼べる戦いはまるで

互いを語り合っているかの様な何とも可笑しい一時だった…。変態は別にして…。

 

 口の片端を吊り上げ薄く笑う、心なしか人間味のあるその表情(かお)で。

 オロチ・ドッポ(衛宮士郎)との再戦を渇望し、

誓いとしての言葉を胸に秘めようとした瞬間、突如として彼の意識が断たれた。

 

 

 

 

 「二十七祖第十位、混沌の消滅を確認…。」

 

 この世界の裏側を識る人間達に於いて恐れられていた吸血鬼の一体…ネロ・カオス。

 その存在は、この街に派遣されていた聖堂教会代行者である彼女の手により、

完全な終焉を迎えた。

 本来であるならば致命傷を与える事など不可能な存在。

 しかしそんな彼の現状は、目に視える程に解れていた箇所に刃をするりと通すだけで、

いともアッサリとその首を落とせる程に弱体していた。

 断頭に用いた刃は役目を終えると、文章が書き綴られた一枚の用紙へとその姿を変え、

ソレは風に乗り彼方へと飛ばされていった。

 ソレを見届ける事も無く、

彼女は刃の無くなった黒鍵の柄を着用している法衣の中へと仕舞う。

 彼女の視線は今だ、嘗てそこに吸血鬼の亡骸が在った地面を油断無く注視している。

 信じられぬ事象を観た事による余韻もあるのか…。

 彼女は柄にも無く興奮してしまい、両の掌がじっとりと汗ばんでいた。

 …完全にいち観客である。

 

 (まさかあの混沌がただの人間に…。いや、アレは本当に人間か?)

 

 彼女…シエルの中で人間の定義が大きく崩れかけていた。

 彼女は思い出す…。

 どう視ても魔術回路を行使していないただの人間が、

何とも解らぬ方法で霊脈から魔力を強制的に徴収し、

全身を金色に輝かせ、恐らくはあの微弱ながらの地震まで引き起こし、

…挙げ句の果てに、教会が恐れる死徒を打倒してしまった。

 彼女なりにこの一晩の経緯をまとめてみたが、結論を言えば…。

 

 (……意味が解らない……。)

 

 …これである。

 その上、ネロ・カオスを殴り続ける彼の真後ろで、

奇妙な舞を必死に披露していたあのパンツ被った変態については、

女性の観点から言えば、解りたくもないし思い出したくもない。

 魔術回路を行使せず、あれだけの奇跡の数々を起こした事から、

あの大男はこの世に誕生した新たな聖人なのかも…と、思い至りはしても、

その聖人のバックで振り子の如く踊り続ける嫌なオプションが付いてる以上、

そこから生じる個人的嫌悪が沸き上がり、絶対に認めたくなどなかった。

 …が、上に報告書を提出する以上、文章として記さねばならない事案である。

 二十七祖の一体が討伐されたのは喜ばしい事ではあるが、

正直これからの処理を思うと、非常に憂鬱な彼女であった。

 目撃したモノを洗い(ざら)い報告したところで、

最悪上司に「頭大丈夫?」と本気で言われかねない。

 溜息と共に彼女は視線を彼が去っていった方角へ目を向ける。

 

 「オロチ・ドッポ、か…。」

 

 微かに栗の花の香りが漂う園内…。

 心なしか疲れた声色で彼の名前を呟くと、彼女はその場から音も無く立ち去った。

 

 

 

 

 

 これが後に、下北沢ヤンキー狩りボクサー…、

三咲町ヴァンパイア狩りグラップラーと呼ばれる、

『聖人(仮)指定オロチ・ドッポ』誕生の顛末であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


―――二年後―――


 

 

 

 

 ―――…2005年…初冬が近づき木々も衣替えを迎えつつある冬木市深山町、郊外…。

 日本各地と比較してみれば春の如く暖かな気候の土地柄ではあるが、

さすがに早朝ともなれば、少々の肌寒さを感じてしまう。

 しかし、そんな事など物ともせず黒いボクサーパンツ一丁のみでをほぼ全てを外気に(さら)し、

大の字で母なる大地に横たわり瞑目(めいもく)する大男がそこに居た。

 裸男(らおとこ)が寝そべるその場所は、(かつ)鬱蒼(うっそう)とした森が広がっていたのだが、

現在は寂寥(せきりょう)とした更地である。

 一見すれば土木現場と見紛うその場所は、その所々が穴だらけ、

大小様々な木々が生えていたであろう場所はその数々が根元から引き抜かれ、

どんな手法を用いたのか、引き千切られた物・両断された物等

無残な末路を迎えた色とりどりのモノが、

破片となって辺り一面に転々と散らばっていた。

 これらの惨状は、全て更地のど真ん中で寝そべるパンツ一丁の大男…、

衛宮士郎の五年間に及ぶ鍛錬(たんれん)による成果である。

 あの初体験(ネロ・カオス)による()り取りから二年…。

 元々精悍(せいかん)だった風体は更に磨きがかかり、現在身長213cm体重160kgという、

ある意味負けフラグが立ちそうな数値を誇る肉体へとその身を昇華させていた。

 最早存在自体が特徴の(かたま)りである彼の肉体は、常にベストコンディションを維持させており、

筋張ったその皮膚からは、鍛錬(たんれん)後によるモノなのか()っすらと汗が浮き出ている。

 そして身体の至るところには大小様々な傷が付いているが、

なかでも一際目立つのは左腕であろう。

 肘から指の先に掛けてまるで鉄の如く黒ずんでいる。

 まるで彼が今履いているボクサーパンツの様に…。

 まぁ、裸一丁の大男が屋外で臆面も無く眠ってるこの異常な状況を(かんが)みれば、

黒ずんだ左腕程度注目に値しないだろう。下手すれば通報案件である。

 (しば)らくすると彼はゆっくりと(まぶた)を開き、上半身を起こす。

 彼の視界の向こうには、()っすらと西洋細工の古城が霞んで見える。

 五年に渡る鍛錬(たんれん)の余波を受け続け、

その所々に傷が付き、尖塔(せんとう)の幾つかが欠けている。

 幾重にも張られていた高度な結界も現在は所々が穴だらけ。

無論、森の周囲に張られたそれ等も使い物にはもう為るまい。

 これまで、度重なる近所迷惑を引き起こす士郎に対し、

「やるなら森でやってくれ」と藤村 大河に懇願(こんがん)された為、

鍛錬(たんれん)の場を移してみたが、思いの他 伸び伸びと自身と向き合えたと彼は感じる。

 まぁ彼が好き勝手やった事で、後にアインツベルン勢は来日早々、

この有り様に対して、教会に抗議する暇すら惜しみ、

不眠不休で工房の復旧に勤しむ破目になるのだが、

そんなものは彼の知った事じゃなかった。

 現在この森の現状を知るのは、

二年前ローカル番組で士郎を見かけて以降、使い魔を通して彼を観察し続ける間桐 臓硯と、

聖杯戦争監督役という立場から、冬木の地を定期的に視察に回る言峰 綺礼、

計二名のみである。

 冬木管理者である遠坂 凛はフェアプレイの精神からか、

戦争本番まで敵領地には決して近づかない様にしている為、

森がこの様な有り様になっている事を欠片も知らない。

 まぁ仮に近づいても周囲は一応木々に覆われている為、

一見は森ではあるし気が付くまい。

 …中に入って10メートル弱歩けば土木作業場であるが。

 本来、この様な蛮行が知れたなら、監督役から手痛い制裁が与えられるモノなのだが、

彼の養父である切継が(かつ)てアインツベルン陣営として第四次聖杯戦争に参加していた事から、

今だに衛宮=アインツベルンという図式が、

間桐・言峰両名の中で深読みという形で成立していた為、

特にお(とが)めなどは来なかった。

 …仮にアインツベルンとの関係が既に御破算(ごわさん)している事が知れたとしても、

この両名が制裁に動く事など無いだろう。

 間桐 臓硯は自らに不利益さえ被らなければ他陣営の事などどうでもいいし、

言峰 綺礼は他人が四苦八苦する(さま)を観賞する事が密かな趣味だからである。

 

 

 

 

 鍛錬(たんれん)による心地良い疲労に身を委ねつつ、

遠くに浮かぶ西洋細工の城を胡坐(あぐら)を掻きながら眺める士郎。

 パンツ一丁のこの大男の身体に、

あらゆる箇所から使い魔による視線が注がれているが、

特に士郎は咎める様な行動に移す事はなかった。

 「(むし)ろもっと観ろ」と、視線を感じる方角に向けてサイド・チェストまでかます始末。

 その瞬間、四方から感じた視線が波を引く様に無くなると、

(しば)らくしてパトカーによるサイレン音が幾つも森を包囲している様子が

彼の耳朶(じだ)にまで届く。

 妖怪ジジィとパンツ男による二年に渡るこの死闘…。

 結局それは、第五次聖杯戦争が始まる前にケリが着くという事は無かった様だ。

 鉄の様に黒ずんだ左腕で額から浮かぶ汗ををひと拭きすると、

朝食が待っているであろう我が家に帰るべく、

彼はアインツベルンの更地から静かに立ち去った。

 

 

 

 

 

 




次回…『俺は正義の味方だが…』。


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俺は正義の味方だが、世間ではただの犯罪者らしい…

 士郎(仮)「誰でもいい訳じゃない、藤ねぇのじゃなきゃ駄目なんだ!」

 大河「………何が?」



 月姫・メルブラ女性陣…特にシエル先生が結構ひどい目にあいます。
 苦手な方はブラウザバックを推奨致します。

 彼女たちの下の事情が分からない為、独自解釈をタグに追加。


 …早朝…衛宮家の敷地内…その片隅に設けられた小さな稽古場(けいこば)

 赤黒い染みが至る箇所に点在し、この五年間ですっかり血生臭くなった、

けれど手入れがしっかりと行き届いている場内。

 気持ちのいい空気と静寂(せいじゃく)の中、その中央で悠然とモスト・マスキュラーをかましている、

一人の益荒男(ますらお)がそこに居た。

 

…衛宮 士郎…そう、彼である。

 

 日の出と共にこの男は一体何をしているのかと言えば、

彼にとっては当然の事ながら日課である自らの肉体チェックである。

 本来ならば掛け軸が掛けられているはずの神前には現在、

罰当たりな事に彼の姿が収められる程に巨大な姿見が()え置かれている。

 この姿見が設置された当時、藤村 大河がどれ程に怒り狂ったかは想像に(かた)くない。

 姉弟仲が一時期氷点下にまで冷え切った、そんな原因を作った姿見を前にして、

彼は様々なポージングを(ゆる)やかな速度で行いつつ、

筋肉のカット具合や次のポージングへと至るモーションに阻害(そがい)が無いか、じっくりと確認する。

 

 (hum…m…m。また、少し…、筋肉が(ふく)れた…か…。)ミシ…ミシ…

 

 鍛え上げられた肉体に張りが出来る事は、彼自身いち(おとこ)として正直誇らしくもあり、

しかし同時に複雑な想いでもあった。

 筋肉が肥大化すればそれだけ動きが阻害(そがい)されてしまう為、

技を行う上でフォームが崩れ、パワーを拳に伝えきる事が難しくなる。

 今まで(つちか)った格闘技術を繰り出す度に、

自身の身体に振り回されるかの様な感覚に苛まれ、

スピードとキレが感じ取れなくなってしまうのだ。

 常に切迫した時間の中、訓練と平行して行われてきた実戦に()いて、

調整及び覚醒を繰り返す破目(はめ)になるのは、衛宮 士郎に成り代わった以上はもはや常であり、

こうして無理矢理にでも身体を慣らしていく他にない訳だが、

その度にこの違和感が原因で危機に(おちい)り死にかけては、

正直戦闘狂である彼であれど辟易(へきえき)してしまう。

 特にこの間行われた戦闘等では、序盤から本調子とはズレた感覚に苛まれ、

何度か地に(ひざ)を着き掛けた。

 最終的にはこうして命を拾い、生き(なが)らえる事が出来た訳だが、

連戦に次ぐ連戦もあって彼自身、(しば)らくは厭戦(えんせん)気味になりかけていた。

 それでもこうして喉元過ぎて熱さを忘れてしまえば、再び闘争を追い求めてしまうのだから、

何とも救えぬ男になったものである。

 …5年前、母屋の縁側(えんがわ)に座って死んだ魚の様な目で、

両腕グルグルさせながらイデオンソードとか(のたま)っていた事が、本当に嘘の様である。

 一通りの作業が終わると、彼は身体の所々に付いている、

既に(うす)くなっている傷の一つ一つを見つけては、

利き手の人指し指と中指でゆっくりとソレ等をなぞり、

ついこの間の様に遭ったであろう鮮烈な闘争の記憶を、遠い目で思い出す。

 

 

 


―――…半年前…〇〇県三咲市三咲町、夏。―――


 

 

 

 ―――冬木の地より遠く…○○県三咲の地で生じた、後にタタリと呼ばれる怪奇現象。

 FATE時空であるならば、本来起こるはずの無い出来事ではあるが、

生憎とココは何でもありの世界線。

 そんな怪奇的な事件を解決する為、深夜の街を彷徨(さまよ)いゆくのは、

この物語の主人公である少年少女…そう、メルティブラッドな彼等である。

 本来彼等により、()り成されるであろうボーイミーツガール…、

しかしそんな学生共の青春模様なんぞ一切知るものかと、

更なる闘いを追い求める漢・衛宮 士郎による強制武力介入が、

深夜の三咲町にて遂に開始されてしまった。

 以前、何処かでチラリと見かけたであろう(こん)色の学生服着た眼鏡男子と、

ちょっと変わった異国風の服装をした少女とが、

キャッキャウフフとお互いの関係を構築している、その間…。

 そんな甘酸っぱい()り取りどころか、婦女子との出会い事態が、

もはや無縁となってしまった今生を往く(おとこ)・衛宮 士郎はと言えば、

目的地に着いて早々、個人情報保護法の下、持参していた虎の覆面をズッポリと装着。

 これで紺色の軍服とサーベル辺りも拵えれば、

思わず『ありがとう…』と言いたくなる様なキャラクターの出来上がりな訳だが、

実年齢上そこまで趣味に走る気もない為、マスクのみで妥協した。

 まぁ、仮にソレ等を揃えたとしても、左手に宿る予定であろう令呪が、

破滅の刻印なんていう馬鹿げたモノに挿げ変わっても、また困るし…。

 おまわりさんに職質されること請け合いなお色直しを公衆トイレで済ませ、

その出入り口で人の気配が無いか、巨躯を屈めながら何度も左右確認する覆面拳法家、

…その名は衛宮 士郎…改め、安直にタイガー・ジョー。

 そんな、なんちゃって閃真流の使い手へとジョブチェンジを果たした覆面男は、

さっそく深夜の街並みを、ヤクザよろしく肩で風を切りながら彷徨い歩く。

 そうして辿り着いた、人の気配が微塵も感じられない、光もまったく届かない路地裏で、

再び好敵手ネロ・カオス…などではなく、

街に広がる噂を元に、ソレを象ったタタリとの邂逅(かいごう)を果たしてしまう。

 半端者だった嘗ての士郎であるならば、

出会い頭に膝下ガクブルでSAN値チェックものだっただろうが、

この時期の彼は、最早完全に覚悟ガンギマリの拳奴死闘伝…。

 

―――ラウンド…1…、ファイト!―――

 

 なんとも可愛らしい少女の声で、そんな幻聴が耳朶(じだ)に届いた、…その瞬間…!

 両雄がド派手な音と共にぶつかり(アイ)

 衝撃と光とが奔流(ほんりゅう)となって、(またた)く間に周囲に被害を広めてゆく。

 (はた)迷惑の権化・計二名がド派手に三咲町内を縦横無尽に駆け巡る中、

タタリ現象を切欠(きっかけ)に主たる登場人物たちが、

忌まわしい因縁によって引き合わされていく…。

 …そして、そんな和風伝記から完全に蚊帳(かや)の外へと追いやられた阿呆共の方はと言えば、

お互い合意の下、(しば)しのインターバルを設けた(のち)怒涛(どとう)の第二ラウンドへと突入。

 様子見一切無しの攻撃から始まる、息つく暇も無い死の応酬(おうしゅう)が、

鉄風雷火の如く展開されるそんな中、少年少女達の物語の方も遂に佳境を迎え、

彼等は心身共に傷付きながらも互いを支えあい、

タタリの元凶の下へと辿り着く…。

 

……もう、何と言えばいいのだろうか……。

 

 圧倒的に落差のあるアチラとコチラ。

 もしもタイガー・ジョー(シロウ)が互いの在り様とその違いを知ったならば、

恋愛バトル青春群像劇を謳歌(おうか)している少年少女達に対し、

怒りの炎と共に大地から吸い上げたありったけの(ジン)

こねてこねてこねてこねて極限にまで圧縮したソレを拳に乗せて、

彼等の延髄(えんずい)目掛けて躊躇(ためら)う事無く

閃真流神応派奥義・天破雷神槍とでも叫びながら、ぶちカマしていた事だろう。

 …正確に言えば、ソレはそんな大仰な浪漫奥義などでは無く、

『断頭』という名のえげつねぇ殺人奥義であるが。

 

 ―――しかし、互いにそんな事情や状況など(つゆ)とも知らず。

 現在、21世紀最後の闘奴たる士郎青年は、眼前に相対する好敵手(ネロ・カオス)と共に…

彼等両名以外もはや何もかもが存在しない、真っ白い空間の只中(ただなか)に居た。

 

((―――…あらゆる事象や状況が頭から蒸発してゆく…))

 

((ほかの奴らの思い…頼み…目的…しがらみ…))

 

((もう何もない…))

 

((ここはオレとオマエだけに用意された純粋な空間…))

 

 

 

((ここがオレ達の聖地(ホーリーランド)だ!!))

 

 

 

 キャンペーンシナリオをガン無視し、闘う(おとこ)達の物語は今、

クライマックスを迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな落差のある両陣営をつぶさに観ていた、

元凶足るタタリこと、死徒ズェピア・エルトナム・オベローンの方はと言えば、

傷だらけになりながらも、目の前に立つ少年少女達の方に視線だけは向けているが、

その実、もう一方…ネロ・カオスにクロスレンジで対処する、

頭オカシイ虎頭の覆面男にこそ注目していた。

 自らが構成し、本物に迫る程に()されているはずの二十七祖…その一体が、

異能持ちであろうとはいえ、それでも(いま)だ、ただの人間であるはずの存在に、

(きわ)(きわ)まで追い詰められているという、異常な状況。

 アレこそ、まさに規格外。

 アレほどの面白い素材、注目するなと言う方が無理である。

 

…―――どうにかアレを再現できないものか―――…

 

 思案に暮れる吸血鬼。

 そも、アレほどに目立つ風体(ふうてい)と、現在進行形で破天荒を地で往く男である。

 彼に(まつ)わる噂の一つや二つ、無い方がおかしい。

 そう思い立ったら吉日とばかりに、三咲町全域に広げていた食指(しょくし)を再度動かす吸血鬼。

 …そうして彼は、この街にここ最近流れていた、あの大男に(つな)がる幾つかの噂の中で、

最も強烈的かつ眉唾(まゆつば)なモノを手繰(たぐ)り寄せ、(つい)にはソレを再現してしまったのである…。

 

…―――パンツ被った全裸の変質者が夜の繁華街を(ちょう)の如く飛び回り、

吸血鬼(へんしつしゃ)を縄と(むち)蝋燭(ろうそく)で成敗せしめる―――…

 

 結果、この物語の最終演目を(いろど)るのはタタリの元凶…、

死徒二十七祖第十三位、ズェピア・エルトナム・オベローンではなくなった。

 夜半、静まり返ったシュラインビルの屋上を舞台に、少年達を出迎えたのは、

頭の天辺(てっぺん)から爪先(つまさき)まで鍛え抜かれた暑苦しい大男のシルエット。

 その男は後ろ姿のままコチラを向こうとはせず、何故か両手を後頭部に組んでおり、

丸太よりも太ましい両脚を、(なま)めかしく交差して(たたず)んでいた。

 静寂(せいじゃく)が支配するこの場に()いては一種、タタリよりなお異質な存在。

 そして月光という(あわ)い照明の中、慣れてきた目でよくよく見ればその巨漢、

パンツ一丁ほぼ真っ裸(マッパ)、そのうえ網タイツまで()いている分、

より異様さが(きわ)立っている。

 月明かりの下、鍛え抜かれた真っ裸(マッパ)の肉体、

その(たくま)しい広背筋を()しみなくオーディエンスに(さら)す、パンツ一丁の大男…。

 十代(なか)ばの観客二名が、混乱の中で片唾(かたつば)を飲むと、(つい)にソレはクルリ…と、

上半身のみを(ひね)らせ、彼等の方へと振り返る。

 その怪人物の頭髪は炎の様に赤く、天を()く様に()らめいており、

その(かお)は白目を向いた狂相とも言うべきもので…。

 いや、ソレより何より注目すべきは、

ソイツは女性用下着と思われる縞柄(しまがら)のショーツを顔面に被っている…、という点である。

 

 

 

『「W E L C O M E!(ようこそ!)」』

 

 

 

「「 変 態 だ ―――――― ! ! ! 」」

 

 

 

 キャンペーンシナリオの方もある意味クライマックスを迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 …結論から言おう…。

 少年と少女、二人だけではまったくもって対処不可能だった。

 目を合わせた瞬間行われるSAN値チェック、男女共に見事失敗。

 精神が急激に磨り減り硬直した未成年達の方へ、

一歩目で音速の壁を景気良くぶち抜き接近する真っ裸(マッパ)の変態。

 そんな性犯罪者が彼等の真横を(すべ)る様に通過したその瞬間、

この物語に()いて今回、少年の相棒(バディ)を務める少女…、

シオン・エルトナム・アトラシアは下半身に気妙な違和を感じ、

(かたわ)らに居る少年に気付かれぬ様、手早く確認した直後、

その場に素早くしゃがみ込み、早々に戦意を喪失(そうしつ)

 主に変態による変態技巧により、すれ違いざまに彼女が()いているはずの下着が、

脱ぎ取られてしまった為である。

 

 『「ふむ…、白か。初心を思い起こさせる、良い色合いだ♡」』

 

 「か″え″せ″コ″ラ″―――!!」

 

 涙目でその場にしゃがみ込み、パンツを被ったパンツ一丁にパンツの返還を訴える、

ノーパンのシオンさん。

 そんな哀れな彼女に対して下手人たる変態は、彼女が()いていた白いショーツを、

これ見よがしにびよ~ん・びよ~んと広げつつ、

屋上に(もう)けられたペントハウスの上へと華麗な動きで飛び上がる。

 

 『「フォッ…!この(なめ)らかな手(ざわ)りに、(かぐわ)しきこの香り…。

 では早速、被らせてもらうとしよう!!」』

 

 「や″め″ろ″ コ″ ラ″――――――!!!」

 

 (ゆで)ダコの様な顔色で、腹の底から泣き叫ぶシオンさん。

 そんな意気揚々(ようよう)たる変質者の変態行為を、涙を流す彼女の為に少しでもそらすべく、

(かたわ)らに居た少年は、掛けていた眼鏡をゆっくりと外し、頭上で鼻息を荒くする変態に向け、

静かに問うた。

 

 「…おい…。お前は一体、ナンだ?」

 

 問いを投げかける少年の()んだ殺意に(こた)えるかの様に、

新たなパンティへ被り変えようとする変態の動きがピタリ…と、止まった。

 その瞬間、月が厚い雲に隠れ、場の影が色()くなり、

間を置かずして屋上が闇に(おお)われる。

 先程まで色んな意味で騒然としていた空間に、不気味なくらいの静寂(せいじゃく)が訪れる。

 まるで今までの悪ふざけが(うそ)の様に…。

 …そして張り()めた空気の中、再び月が顔を出し、

(あわ)い光が徐々に変質者の全体像を照らし出すと、

パンツ一丁の大男は(なめ)らかな動きで奇妙なポージングを決め、眼下に居る彼等に対し、

高らかに名乗りを上げた。

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

『「私の名は変態仮面!日々街の人々の安寧(あんねい)を守る‟正義の味方”だ!!」』

 

 

 

「「ふ ざ け ん な !!!」」

 

 

 

 無理矢理にでもシリアスに持っていこうと少年なりに努力してみたが、やはり駄目…!

 もはや完全に不条理に支配されてしまった空間で、

相棒である彼女…シオンが動けなくなってしまった以上、彼女に付き()う少年…、

遠野 志貴のみで正義の味方と大見得(おおみえ)を切った、あのフザケた存在に対処する他にないのだが、

出合い頭から続く精神的な(ひる)みゆえに、ファーストコンタクトから出遅れた。

 名乗りを終えた途端(とたん)に軽快な動作で、様々なポージングを取りつつ、

彼等の周囲を愉快(ゆかい)()ね回るワラキアの夜feat.(フューチャリング)変態仮面シロウ。

 慣性の法則を(むち)と縄を用いて、無理矢理ガン無視した変態軌道(りったいきどう)によって、

蜘蛛(くも)の糸に(から)められる哀れな獲物(えもの)の如く、彼等は徐々に行動範囲を(せば)められてゆく。

 そして(つい)には、屋上の中央から身動きが取れぬ状況にまで、

彼等は追い()められてしまっていた。

 …と、言うか変態の方は、とうとうトップスピードに乗ったのか、

彼等のパーソナルスペース()()れを通過するたびに、

某宇宙世紀作品の光学兵器とまったく同じ効果音が周囲に鳴り(ひび)いている…。

 

 『「ふぉおおおおおおおおお…!!」』ズギューンズギューン

 

 …もはや色んな意味で、タタリ事件は志貴達の手からかけ離れる展開になっていた。

 変態仮面が桃色のオーラを身に(まと)い、奇声を上げ周囲を飛翔(ひしょう)するたびに、

鉄筋コンクリートを主軸(しゅじく)に構成されたビルの屋上が、

豆腐の如く(けず)られてゆき、無残な姿を(さら)けだす。

 周囲の大小様々なビル群に至っても、変態機動の余波を受け、

窓枠に()められていた強化ガラスが連鎖(れんさ)的に割れまくり、室内に置かれた様々な業務用品が、

発生した強風により次から次へと夜空へ舞い上げられてゆく。

 地表で変態が亜光速で動き回ればこうもなろう…。

 それでも言うほど被害規模が少ないのは、

()の力だとかそういうフワッフワしたナニかが、変態の周囲で作用しているのかもしれないが。 

 …ちなみにだが、この時点でタタリこと死徒ズェピアの思考回路は、

変態仮面の形を()した時点で、文部科学省も真っ青な色()い内容ばかりとなっている。

 

 「…いや、もう目で追えないんだけど、…コレ。どうしろと…。」

 

 「…うぅ…。」グス…

 

 戸愚呂(弟)がビルを粉砕していく過程を、

呆然(ぼうぜん)()ている他にない霊界探偵の様な心境になっている志貴少年とシオン嬢。

 そんな身動き取れぬ彼等の下へ、この事態を重く見た土地の管理者…遠野 秋葉も腰を上げ、

教会からは三咲町へと派遣されていた代行者が。

 そして果ては、偶々(たまたま)この地に滞在していた真祖の姫君までもが、

抑止としての役割からこの事態の収束を(はか)るべく、変態仮面の(もと)へと走り出す。

 …この状況を作ったのが性犯罪者だというただ一点を除けば、

まさにシリアス…、風雲急を告げる事態であった。

 

 

 

 

―――数時間後―――

 

 

 

 

 完成間近だったはずが、もはや見る影もないシュラインビル…その屋上…。

 雲一つ無い晴れやかな空の下、暖かな朝の光が場にゆっくりと差し込み始めると、

痛々しい戦火の爪痕(つめあと)が、そこかしこに見受けられる事が分かる。

 

 『「このシルク特有の(なめ)らかな質感と、なんとも(あらが)いがたく芳醇(ほうじゅん)な香り…。

 いったい何年物……、(いな)。何時間物なのだろうか…。

 この一枚を手に取っただけで、()ってしまいそうだ…。」』

 

 そう(つぶや)くのは、(かろ)うじて残っているビルのヘリ部分に悠然(ゆうぜん)(たたず)んでいる、

パンツ被った真っ裸(マッパ)の巨漢。

 全身が白日の下に(さら)されている性犯罪者が、現在何をしているのかと言えば、

それは孤独のテイスティング。

 

 …―――ソレは繊細(せんさい)意匠(いと)随所(ずいしょ)(ほどこ)された、色とりどりの、

何とも頼りなさを感じる(うす)い布…。

 

 …―――ソレは男であるならば、一度は(あこが)れを抱く魅惑(みわく)の一品…。

 

 …―――そう、ソレ等は先程まで美少女たちの下腹部を健気に守護(まも)り続けていた、

脱ぎたてのパンティー…。

 

 興奮で大胸筋がピクピクと何度も弛緩(しかん)する中、

その一枚一枚をパンティーソムリエたる彼は恍惚(こうこつ)眼差(まなざ)しで鑑定(かんてい)してゆく。

 

 (…釣果(ちょうか)で言えば、最初にスポーティショーツが一枚、その後にランジェリーが二枚。

 カレー友達(代行者)に至っては()いていなかったので、

思わず(むし)り取ってしまったが…。さて、これは数に入れていいものだろうか…。)

 

 そんな具合に変態仮面タタリは数点の戦利品と数十本の〇毛を(あらた)めつつ、

コレ等を獲得(かくとく)するまでの経緯(けいい)を軽く振り返る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 急行した(かしま)し三人娘のうち、現場への一番乗りを果たしたのは遠野 秋葉であった。

 最早、扉としての体を成していない、へしゃげ掛けたソレを、

人為らざる力を以って瓦礫(がれき)と共に気化し終えると、彼女は颯爽(さっそう)と屋上へ(おど)り出る。

 

 「兄さん!ご無事ですか!?」

 

 彼女の放つ安否(あんぴ)の声に、月明かりに照らされた屋上のほぼ中央で座り込む、

二つの人影が反応した…。

 (うす)明りの中見えたソレは、兄と呼ばれた(くだん)の人物…遠野 志貴と、

彼と共に寄り()う見知らぬ女性…シオン・エルトナム・アトラシアのモノである。

 

 (…また、他の女とッ…!)

 

 二人の姿を視界に映した当初の秋葉は、志貴とその隣で寄り()うシオンに対し、

何時もの如く嫉妬と殺意の念が、ムクりと鎌首をもたげていたが、

彼等三名が現在立ち入っている現場を始め、視界に映る周囲のビルの一つ一つが、

惨々(さんさん)足る状態である事を眉間(みけん)(しわ)を寄せながらも認めると、

冷静さを取り戻した上で彼等に近づく事を一旦避け、出入口付近で踏み(とど)まった。

 

 (…詰問は後に回しましょう。今はこの事態を引き起こした下手人の処断をしなくては。)

 

 (あわ)く頼りない光に照らされた傷だらけの修羅場を、油断なく見渡す彼女。

 …一分、…二分、…三分と、未だ姿を見せぬ相手に対し、彼女は徐々に()れてゆき、

腰まで届く()れる様な黒い長髪が、苛立(いらだ)ちで瞬時に(あか)く染め上がる。

 感情が表に出始めてしまったかの様に異能を発現させた彼女であるが、

その(じつ)何処(どこ)かに潜み此方(こちら)の出方を(うか)がっているであろう手合いに対しての、

彼女なりの本能的な迎撃態勢でもあった。

 

 (…―――こと、荒事に於いて、先走れば命取り…。)

 

 …自身に生まれた(わず)かな苛立(いらだ)ちを(しず)める為、秋葉は心に一つ念じる。

 かつて、荒事関連は経験の浅さもあり未熟であった彼女であるが、

今日(こんにち)に至るまで、数多(あまた)の泥棒猫たちと演じた()く無き死闘の数々が、

遠野 秋葉という少女を立派な戦闘巧者(こうしゃ)として鍛え上げていた。

 

 『「ふぉおおおおおお…!」』

 

 「えッ…、何!?」

 

 そんな(たくま)しく育った鬼女秋葉嬢の耳朶(じだ)に、聞きなれぬ男の(かす)かな(うめ)き声が響く。

 一瞬身体がピクリと反射し、精神が乱されかけた彼女であったが、それも即座に持ち直す。

 (いま)だ姿を見せようとしない得体の知れぬ相手に対し、

瞬時に対応出来るよう彼女は重心を低めにし、油断無く身構える。

 

 『「ふぉおおおおおお…!」』

 

 「…―――何?…何なの、コレは?」

 

 まるで地獄の底から聞こえてくる怨嗟(えんさ)の様な(うめ)き声に、

首を振りつつ周囲を視るも、発生源が分からない…。

 ふと中央に居る二人を見れば、彼女に対し、何かしらを訴えている。

 しかし、シュラインビルの屋上は結構な広さがあり、なお()つ彼等とは距離もある。

 何より、この得体の知れぬ(うめ)き声も相まって、

秋葉は彼等の声を上手く聞き取る事が出来なかった。

 (いま)だ分からぬこの状況に、平静だった心が乱れ、再び()れ始める秋葉嬢。

 彼女のイラつきに呼応するかの様に、その身に(まと)う空気が、

(あか)い髪の一本一本が、陽炎(かげろう)の如く()らめく…。

 

 「…この声は、いったい何処から聞こえてくるの…?」

 

 …若干(じゃっかん)、ドスの効いた声色で疑問を(つぶや)く、秋葉嬢…。

 

 …―――そんな鬼女彼女に対し、その答えを言わせてもらえるのならば…、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…―――それは無論、彼女が着用している長いスカートの下からである―――…。

 

 

 

『「ふ ぉ お お お お お お …!」』

 

 

 

「イ″ヤ″―――――――――――!!!」

 

 

 

 余りにも()み込めぬこの状況に、呆気(あっけ)に取られ、アワアワとその場にへたり込む秋葉嬢。

 そんな間の抜けた彼女の顔に黒い影をつくるその(おとこ)の名は、

月をバックにして仁王立つ不条理の化身、変態仮面タタリ。

 そんな彼の顔を見れば、先程とは容姿というか、

明らかに被っているパンティの種類が違う。

 

 『「…これはオー〇クチュール製か。

 縫製(ほうせい)職人の方々は、相変わらず良い仕事をしていらっしゃる。」』

 

 「なっ…ナッ…なぁあ″ッ…!!?」

 

 彼の顔面を()れば誰もが分かるように、登場当初から着用していたであろう

(うす)い緑を下地として白い横線で(いろど)られた縞柄(しまがら)ショーツから、

蠱惑(こわく)的なワインレッドのランジェリーへとお色直し。

 実家の様な安心感からチョイと刺激を求めて冒険してみた…そんな気分の変態仮面は、

この気持ちを(あら)たに、今宵(こよい)も犯罪者どもの悲鳴を上げさせる所存にあった。

 …対して、この状況から置いてけぼりを食らっているかの様な

錯覚に(おちい)っている一人の少女が居た…遠野 秋葉である。

 現在、彼女の思考は目の前の変態によって完全に漂白されており、

表情も若干(じゃっかん)ながら白恥(はくち)がかっていた。

 しかし、そんな状況下であっても、彼女なりに分かっている点が一つだけあった。

 変態が覆面の如く頭からズッポリと被っているその下着は、

まごう事無く彼女自身が先程まで着用していたモノだという事である。

 

 「う″ぅ…うぅう″―――…ッ!」

 

 変態が被っているワインレッドのパンティによって我に返った彼女は、

()れ出る(うめ)き声を(おさ)えつつ、手早くスカートの下を確認してみるが、案の定と言うべきか。

 本来あるべきモノが下腹部に収まっていない事を確認した直後、

力無くへたり込んでいたままの間抜けた体勢から、

瞬時にスカート越しから両手で下腹部を(おさ)えつつ座り直す。

 こうしてノーパンである事を強いられてしまった彼女は、

沸々(ふつふつ)と込み上げる羞恥(しゅうち)心ゆえに戦闘行為はおろか、まともに動く事さえ出来ない、

のっぴきならぬ状況下へと(おちい)った……一部分のみを除いて。

 

 「かッ…、かっ…、かッッ…、」

 

 顔面を(あけ)に染め、まるで過呼吸でも起こしたかの様に、

(のど)まで出かかった言葉を何度もつっかえさせる秋葉嬢。

 その過程で羞恥(しゅうち)憤怒(ふんぬ)へと徐々に変換されてゆき、その感情に合わせるかの如く、

彼女の背後で()らめく、(あか)い髪が風を受けた炎の様に勢いを増してゆく。

 ―――そして…。

 

 

 

「 か″え″せ″コ″ラ″―――!!! 」

 

 

 

 怒声と共に彼女は異能を発現し、その(あか)く染まった髪が束となり変態の下へと襲い掛かるも、

当の変態はいったい何処からソレを取り出したのか…あまりにも華麗な鞭捌(むちさば)きにより、

ソレ等はアッサリと(しの)がれてゆく…、と言うより吸収されてしまう。

 

 

 

 

 

 

 『甘辛い…。こう、綿菓子?みたいな?』

 

 『駄菓子でこういうの無かったか?…こう、ピリっと来る様な…。』

 

 『そもそも駄菓子喰う様な世代じゃなかったからなぁ。』

 

 『あぁ、美羽がたまに食べてた様な気がするのう、コレ…。』

 

 

 

 

 

 

 タタリが変態仮面へと(かたど)った直後から、

分霊という形でちゃっかりとズェピアの内へ潜伏していた中年達が、

思い思いに秋葉の攻撃に対して感想を述べる。

 そんな暢気(のんき)な空気を、タタリの一部と化した中年達が(かも)し出す中、

(なお)も続く秋葉嬢の(すさ)まじい猛攻を、

空気を叩き割る音を小刻みの良いリズムで奏でつつ凌いでゆく変態仮面(マスタークラス)

 攻撃を()り出す最中、鬼気迫る形相(ぎょうそう)(おん)敵たる変態を(にら)み上げ、

 

 「パンツ…パンツ…パンツぅ…!」

 

 …そう何度も(つぶや)き続ける秋葉嬢。

 しかしそんな彼女の執念も、(つい)には底が尽きたのか…、

燃える様に(あか)かった髪の色も、徐々に黒髪へと戻り始めていく。

 …若干(じゃっかん)ソレに(つや)が無くなり、所々が乱れているが。

 

 「…グウゥ……、く ち お し や …。」

 

 怨嗟(えんさ)(つぶや)きと共に、力の(こも)らぬ(こぶし)で地べたを何度も叩く秋葉嬢。

 もはや力を使い果たした彼女に出来る事は、

自らに恥を欠かせた変態を(にら)み上げ、涙する以外になかった。

 

 

 

 

 

 

 秋葉がブツブツと(つぶやく)く恨み節がBGMとなって、

陰気な空気が辺り一面に醸《かもし》し出されているシュラインビル…その屋上。

 

 「とぉおおりゃぁああああああ―――!!」

 

 そんなしめやかな空気を破るかの様に、

子供の様な勇ましくも可愛らしい掛け声と共に闘いの場へと乱入、

及び奇襲にもなっていない奇襲を行ったのはアルクェイド・ブリュンスタッド。

 真祖の姫君、堂々の二番乗りである。

 この街に(たたず)むビル群の中で、地上から最も離れているであろう建築途上の摩天楼。

 彼等が現在留まるその屋上の、(さら)にその真上から、

飛び降りざまの()りを変態へと見舞うべく、彼女は殲滅(せんめつ)対象たる変態へと勢いつけて直下する。

 人知では視認すら難しいその一合はしかし、至極あっさりと(かわ)される。

 それにより変態と交差した瞬間、彼女は着用していたシルク製…、

ベージュのセクシーランジェリーを、造作もなく(かす)め取られはしたが、

本来感情の起伏が(うす)かった名残もあって、彼女はその程度の奇手で(ひる)む事は無かった。

 着地後からの流れる様な動作で二合、三合、四合と踊る様に変態を襲う攻撃の数々。

 …この様に一切、手を(ゆる)めぬ彼女であったが、型も何も無い力任せの激しい動作ゆえに、

着用しているスカートの方も派手に舞い続け、(あわ)い光に照らされたデリケートな一部分が、

変態を始め、その場に座り込んでいる周囲の(まなこ)に映り込む。

 

 「チィッ…、この…!」

 

 『「…ほう…、パイパンか。」』

 

 攻撃がまったく当たらずイラつく彼女に対し、変態が何気なく放ったその一言。

 それは人間臭くなった彼女が最近気にしていた点であり…、

 何より、その場に居た遠野 志貴にまでソレを聞かれてしまったのは、致命傷でもあった。

 コンプレックスを想い人に知られた彼女はその後、攻撃の手に段々と勢いが無くなってゆき、

最後はまるで力尽きた様に、赤く染まった泣き顔を浮かべ、

スカートを両手で(おさ)えつつへたり込んでしまった。

 

 「…いったい何しに来たんですか…、アナタ?」

 

 「…今のアンタにだけは言われたくないわ、妹。」

 

 

 

 

 

 

 二人の戦乙女が変態の前に(ひざ)を屈し、彼女達のすすり泣く声が、

静寂に包まれたシュラインビル屋上に響き渡る…。

 ―――戦いは終わった…しめやかに泣く声を終了の合図と(とら)えたのか、

満点の星空の下、(なま)めかしいポージングで月を(あお)ぎつつ、

そう判断を下す変態仮面タタリ。

 

 『「それでは早速、二度目のお色直しを行わせていただこう!」』

 

 意気消沈中である婦女子たちの怒りを再燃させるかの様な台詞を(のたま)うと、

変態は蠱惑(こわく)的な赤から健康的な純白へ、華麗なるカラーチェンジに移るべく、

未だ生暖かさの残るショーツに両手を通した。

 

 「 ヤ″ メ″ ロ″ コ″ ラ″――― ! ! 」

 

 手に持ったハンドガンを変態に向けて撃ちまくり、再び必死の抵抗を試みるシオンさん。

 しかし変態の(なめ)らかな腰振り(さば)きで弾丸は(ことごと)く回避され続け、

(つい)には予備マガジンの弾まで撃ち()くしてしまう。

 最後は持っていたエーテライトを必死に伸ばし、最後の抵抗を試みるが、

奴が(たたず)んでいるその場所は彼女の射程範囲から今一歩届かない…。

 奴の鼻っ柱がパンティのクロッチ部分に届かんとする辺りで、

(つい)に諦めたのか頭を()れる、真っ赤な泣き顔のシオンさん。

 ―――しかし、その行動と同じくして。

 突如、変態の背後へ上空から無数の刃が襲いかかる。

 彼の広背筋に吸い込まれる様に向かうソレ等の武器は黒鍵(こっけん)…。

 聖堂教会に(ぞく)する代行者が悪魔祓いに用いる正式な概念武装である。

 コレを投擲(とうてき)した本人は、この一合で主導権を握る算段なのであろうが、

しかし相手は規格外の大変態である。

 

…―――戦場では後ろにも目をつけるんだ―――…

 

 そんな不条理(ニュータイプ的)な教えを、極一部の中年共から徹底して叩き込まれた()の肉体…。

 生憎(あいにく)(かたど)ったソレは模倣(もほう)なれど、分霊としてタタリ()の中へと(おさ)まった中年共による

人知を超えた第六感がまるでトグルスイッチのレバーが切り替わる様に次から次へと働く。

 結果、黒鍵の数々は彼に視認される事も無く、片手でアッサリと叩き落とされてしまう。

 

 『「ヌゥ、千客万来とはこの事か。」』

 

 そう(つぶや)きながら変態がクルリ…と気配が徐々に色濃くなってゆく背後へ、

(なま)めかしい動作で振り返ると、ソレは(すで)に目前。

 彼との距離をほぼ三間(さんけん)ほどにまで(せば)め、今まさに両手の指々に(つか)まれた無数の黒鍵(こっけん)を、

対象たる変態へと突き刺さんと突進する代行者シエルの姿が。

 しかし、その刃の先端がムクつけき変態の肌へ届くよりも先に、

奴が前に突き出していた黒い左腕が瞬く間に大きく円を描き、ソレ等の進行方向を阻害する。

 すると、左腕に打たれた白刃の数々が、(かん)高い音を立てて砕かれてゆき、

その破片が(まばゆ)きながら周辺へと飛び散ってゆく。

 まるで鋼鉄にでも剣を当てたかの様な衝撃が、シエルの両手や腕へと伝わったその直後、

(にぶ)い痛みと(するど)(しび)れが彼女の感覚を(さいな)み始め、

持っていた黒鍵(こっけん)の全てを我慢出来ず、地面へ落としてしまう。

 彼女の端正な顔が(ゆが)む程の頑健(がんけん)性を見せた、奴の黒い左腕の正体…。

 

―――その名を『鉄砂掌』―――。

…お隣りラーメン大陸沿岸部…特に台湾に於いては有名な拳法である白鶴拳その奥義であり、

世の白鶴拳士達が目指して止まぬ到達点のひとつである。

 

 視認出来うる限りで、変態に向けられていた害意の数々が、

刹那の早さで排除されたその直後、円やかに弧を描いていた例の黒い左腕が、

その軌道を直線へと滑らかに転じさせ、目前に迫るシエルへ襲い掛かる。

 とは言うものの、変態が狙う箇所は頭部や胸部など、

彼女に致命打を与えうる部位では無論なく、

その下腹部に収められているであろう例のブツ、ただ一点のみであるが。

 そんな彼女の方も、相対する変態の行動を予め分かっていたのか、

防御による接触を嫌い回避に徹する。

 現状、変態に手が届く位置にまで肉薄していた彼女は、

突進による速度を尚も維持したまま、自身の胸を軸にして前方へ、変態目掛けて宙返り。

 変態の繰り出した黒い魔の手を、擦れ擦れで飛び越える彼女であるが、

その過程で奴の巻き起こした拳圧が、群青色の頭髪を掠り、髪の毛数本ほどが泣き別れ。

 目を見張る様な速度で、変態の攻撃を空を舞うかの如く躱しきると、

その一瞬の交差の後、彼女は変態の背後から五間ほど開いた距離へと、音も無く着地した。

 

 『「……何故だ?」』

 

 …性犯罪者と修道女…。

 社会的に相容れぬこの二名が、息を呑む様な刹那の攻防を演じ、

互いが背中を見せ合うそんな中、

変態が彼女に対し、静かに疑問の声を投げかける。

 たった三文字という短い言葉ながらも、その声は動揺するかの如く震えている事が

その場で留まっている者達にも判る。

 

 『「…何故なんだ!?」』

 

 変態は狼狽える様な挙動でシエルの方へ、勢いよく振り返ると、

彼女の背中に向け、尚も問いを投げ掛ける。

 変態の言葉と挙動には、理解出来ないが故に解を求める必死さが見て判り、

その場で様子を見守る者達も、この二人の先程の攻防に一体何があったのか、

関心を持ち始めていた。

 …対して、この場に居る全員から注目を受けている、彼女の方はと言えば、

涼やかな表情で変態仮面の方へ、緩やかに振り返りながら、

法衣に仕舞われている予備の黒鍵の幾つかを、両手に持てるだけ取り出すと、

流れ作業の如く同時に形成していた白刃ソレ等を、

素早く黒鍵の束へと取り付け、体勢を立て直している。

 変態の必死の問いに、応える気配が感じられない彼女に対し、

遂に奴の苛立ちが最高潮に達したのか…。

 真っ裸の巨体が今まで発していた言葉同様、小刻みに震え出し、

苦悩を身体全体で表現するような暑苦しいポージングまで取り始める。

 

 『「…なんという事なんだ…。まるで意味が分からない…。」』

 

 彼は若干、怒りの混じった言葉を静かに吐き出しながら、

シエルに向けて、まるで射殺すかの様に利き手たる右手人差し指を差すと、

空気が震えるほどの大声で三度、彼女へ問いかけた。

 

 

 

 『「何故、パンティーを履いていないんだ!!?」』

 

 

 

 怒気を孕んだその絶叫は、まるで背信者を弾劾するかの如く。

 その大音声は遠く、閑静な住宅街にまで届くかの様。

 そして無論、これ等一連の遣り取りは屋上に留まる遠野 志貴や、

その他シエルにとって邪魔な敗北者達にも、現在ライブで視聴されている。

 平静を装う様な余裕綽綽としたシエルの笑顔に、ゆっくりと陰りが差してゆく…。

 

―――屋上に一陣の風が吹くと共に、その場に居た男女全員に、

沈黙の帳が下りる。―――

 

 …以下、各人の感想であるが、それぞれ誰のモノであるかは色で判別して頂きたい…。

 

 「あぁ~…、まぁ、うん…///。

 

 「まぁ、最近はノーパン健康法と言うのもあるそうですし…。」

 

 「いえ、あのカレーの場合は趣味でしょう。」

 

 「そういやアイツ、法衣の下は真っ裸(マッパ)だったわ!!」

 

 「ソレはロアだった頃の話でしょうが!!」

 

 見に徹していた四名が、何やら居たたまれない空気を感じ取り、

思わず一人ひとりが場を取り繕おうと、当たり障りのない感想を述べていく。

 まぁ三人目からは、そのまま感じた通りを言葉にしていたし、

四人目に至っては過去、まだ一般人だったシエルの身体へ憑依転生を果たして以降、

気の向くままに悪逆無道の限りを尽くしていた死徒…、

ミハイル・ロア・バルダムヨォン活動期間中の性癖混じった様な戦闘スタイルを、

シエル本人のモノとすり替えてしまっているが。

 中途半端に記憶を掘り起こし、脊髄反射でいい加減な事を言うアルクェイドに、

思わず怒鳴り声を上げるシエル嬢。

 そんな必死な彼女に弁護を入れるなら、ノーパンはあくまでも職務中のみであり、

ピッチりと肌に密着した戦闘用のインナーを着用する以上、

下着は動きの阻害に成りかねないという彼女なりの理由があったりする。

 …まぁ、仮にこの場でそんな事を長々と主張したとして、

彼女の都合など他の女性陣にとって、知った事ではないだろう。

 闘争から懸け離れた緩んだ空気がボーイミーツガールズの間に漂う中、

変態の方はと言えば、気を一旦落ち着ける為、

新着していた赤いランジェリーから被り慣れた縞柄ショーツへ、

いそいそと仮面を被り戻してみたが、

ノーパンという(シエルの)ライフスタイルに欠片も理解が追い付かず、

ソコから生まれる苦悩を身体全体で表現するかの如く、

誰も観ていないというのに、汗だくでポージングショーを披露し続けていた。

 

 『「おぉ…!おぉ、神よ…!」』

 

 

 

 

性犯罪者(アナタ)が神を語るなぁ―――!!!」

 

 吸血姫から変態へと振り向きざま、怒声と共に投擲された黒鍵の群れが、

再度変態仮面タタリを襲う。

 その速度、その威力…ギリシアの大英雄もかくやと言うべきソレ等の攻撃群は、

やはりと言うべきなのか…未だ苦悩のフリーポージングを続ける変態によって、

もはや作業の如く片手間で叩き落とされてしまう。

 怒りと羞恥により若干赤くなった表情で、変態に対し猛追を仕掛ける彼女であったが、

感情面は置いておくとして、思考の方は割合平常運転だったりする。

 投擲及び彼の者から弾かれてゆくソレ等黒鍵の回収を、

縦横無尽に屋上を駆け回りながら同時に行うシエル嬢。

 ミドルレンジ以上の距離を置き、戦況を維持しつつ、

彼女はジパング(いち)の大変態を視界から離す事なく、その攻略法に思考を働かせる。

 

 (…そもそもあの汚物、直接接触してもいないのに、どうして履いてないと分かって…。)

 

 思考に若干の愚痴を織り交ぜつつも、細心の注意を払いながら、

真っ裸の変態に攻撃をし続けるシエル嬢。

 魔術によってより強化されたその眼球は、変態の一挙手一投足を嫌々ながらもつぶさに捉え、

…程なくして彼女は変態の奇妙な変化に気付く。

 彼女が攻めあぐねている要因の一つでもある、奴の忌々しい黒い左腕。

 ソレが何故か握り拳を維持したまま、何とも精彩を欠く挙動で、

投擲された黒鍵を弾いている、という点にである。

 

 (―――先程の攻防で負傷でもしたのか?…あの左腕が?)

 

 疑念を持った彼女は奴の全体を捉えつつも、その左手を特に注視する。

 通常よりも強化された、その両の眼でつぶさに視れば、

その左手には動物の体毛らしきモノが十数本ほど握られている事が判別出来た。

 

 ―――アレは一体何だ?

 

 ―――接敵当初、奴はあんなモノなど持っていなかったはずだ。

 

 ―――何時から持っていた?

 

 ―――なんらかの呪物か?…いや、奴そのものが呪物か。

 

 慣れてくるにつれ、単調に為りつつある戦闘行為。

 思考にも余裕が出来たのか、彼女は此処に至る一連までの流れを、一通り回想し始める。

 しかし、延々と変化が訪れない状況により、思考が暇を持て余してしまったのか。

 延々とソレ等の過程を、脳内で反芻し始めてしまうシエル嬢。

 そうして、彼女は自身の記憶を何度も掘り起こしていく内、

特に気になっていたとある一部分を抜萃し、しつこいくらいに思い返していた。

 

 ―――何故、パンティーを履いていないんだ!!?―――

 

 ―――直接接触してもいないのに、どうして履いてないと分かって…。―――

 

 …その堂々巡りの末、遂に彼女は答えに辿り着いてしまった。

 あの黒い左手に握られているのは、嘗て彼女の身体の一部分だったものだ…という事に。

 彼女が身に纏う法衣の下に、密着するように着込まれた、

レオタードを改良したかの様な戦闘服(インナー)越しから、

どのようにしてソレを毟り取ったのかは分からない。

 しかし今までの事を考えうるに、恐らくアレは彼女のモノだ。

 そう…あの変態は最初の接敵で、履いていないパンツに代わり、

見事にソレを毟り取っていたのである。

 よくよく股座に意識を向ければ、痛みに似た微かな刺激も確認出来るし…。

 正直、アレの正体が分かった途端、理性が吹き飛びかける彼女であったが、

何とかその感情を抑え込む。

 精神の昂ぶりを少しでも抑える為、歯軋りしつつも一旦攻撃の手を止めて、

変態からも一定以上の距離を取り、立ち止まる。

 

 「………………左手に持っているソレを、今すぐに捨てなさい。」

 

 変態を見据え、静かに警告の言葉を吐くシエル嬢。

 溢れ出る怒りを際の際で抑えているが、その目は若干据わってる。

 

 『「フム…、ソレとは一体何かね?」』

 

 「………………三度は言いません。左手に持ったソレを、今すぐに捨てなさい。」

 

 『名称で言い給え、ソレとは…一体なんなのかね?」』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ソレを…」

 

「捨てろと…」

 

「言ってるだろぉが―――!!」

 

 羞恥と怒りと苛立ちが最高潮に達し、

遂に感情・思考共に爆発してしまった涙目のシエルさん。

 某格闘ゲームの登場キャラクターを彷彿とさせるかの様な、

モーションを置き去りにした連続投擲を行い、まるで無限に湧き出るカード(カーネフェル)の如く、

その身に纏う法衣から黒鍵を次々と取り出しては変態へ向けて全力で投げ続ける。

 …まぁソレ等も、変態の滑らかな腰の動きと華麗な鞭捌きで鎬がれてしまうのだが。

 本来ならば、こんなチマチマした飛び道具等ではなく、

切り札である第七聖典をブチかましてスッキリとしたい彼女であったが、

件の武装に宿っている精霊セブンは現在、とある事情から要介護状態にある為、

持参する事が叶わなかった。

 もう一つ挙げれば、この現状はジリ貧であり、

彼女の魔力許容量は規格外と言えど、無尽蔵という訳では無い。

 未だ死ににくい身体ではあれど、ロアと霊的に繋がっていた捨て鉢気味の当時と比べ、

現在は未練(男)が出来てしまっている分、肉体的な無茶には自制が働くし、

超必殺技もといアークドライブをプラクティスモードよろしく

延々とぶっ倒れるまで撃ち続けられるほどの特攻精神も、

既に持ち合わせてはいなかった。

 …それ故に…傍から観れば、留まる事無く続くかと思われた怒涛の黒鍵投擲は、

消耗により徐々にその勢いを無くしてゆき、ブチ切れたその表情も、

やがては様々な感情が綯い交ぜになった様な真っ赤になった泣き笑いに。

 遂にはその場に力無く蹲り、彼女…代行者・シエルの闘志は、

魔力量や体力と共に空となってしまった…。

 

 …―――当初、目を見張る程の異常事態に対し、

異端狩りとして培われた経験から、相当な修羅場であると判断したシエル。

 武者震いを抑えつつ現場へと駆け付けてみれば、ソコには何度か視た忘れ去りたい存在が…。

 着いて早々、ゴリゴリと削がれる戦意をそれでも何とか維持しつつ、

放棄しつつあった思考を再開。

 両手を後頭部に組み、腰をくねらせながら志貴とその敗北者たちに近づく汚物を、

オリジナル汚物を模倣したタタリであると瞬時に断定。

 ソレと同時に異変の元凶たる変態仮面タタリに対し、

奇襲を試みた結果、陰毛をゴッソリ毟りとられた挙句、

現在ノーパンである事を周囲に座り込む厄介な連中に知られる始末。

 何よりその後に続く一連のアホな遣り取りを、

意中の相手にまで観られているというこの事実が、彼女の闘争心をポッキリとへし折った。

 本腰入れて躍り出れば、出合い頭から悪ふざけにも程があるこの内容に、

あんまりにもあんまりだ…と、彼女は吐露したい心境であった。

 

 「えぇ…と、その、大丈夫…?…シエル?」

 

 「………………………もう、ほっといて下さい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 …簡単にこれまでに至る回想を終えつつ、品評を終える変態仮面タタリ。

 彼女たちのパンティー、その一枚一枚を丁寧に丁寧に折りたたむと、

最後ソレ等は被っている仮面(パンティ)の下へ…。

 思春期を迎えたムッツリ少年の様な趣きで、宝物(エロ本)を隠す様に仕舞っていく。

 

 『「ホフゥ…♡」』

 

 仮面(パンティ)の中がパンティたちの甘酸っぱい匂いに包まれて、幸せいっぱいの変態仮面。

 そんな生粋のド変態を、屋上だった場所でしゃがみ込む女子三名が、

羞恥と怒りとが綯い交ぜになった泣き顔で睨み上げる。

 残り一名の修道女に至っては、今日(こんにち)まで鳴りを潜めていた羞恥心と乙女の尊厳が、

押し寄せる波の如くその身を襲っており、未だに体が小刻みに震え、(うずくま)っている…。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 戦闘に参加した女子四名の中で、一番ダメージがデカいのは恐らく彼女かもしれない。

 そして黒一点である遠野志貴、…彼はと言えば…。

 

 「…ああ、兄さん…。なんて、おいたわしい姿に…。」

 

 彼女たちの視線の先には仁王立つ変態仮面…、その股間に注目してみれば、

妙な人型オブジェが力無くぶら下がっている事が、皆さんお分かり頂けるだろう。

 

…遠野 志貴…そう、彼である。

 

 

 

…回想にはまだ続きがある…蛇足とも言うべき内容が…。

 

 

 

 

 

 

 スペック的に見るならば、遠野 志貴よりも遥かに優れ、

絶対強者のカテゴリーに入るであろう姦し娘三人組が一人…、また一人と

身体の極一部分を繊維喪失し行動不能に陥っていく中、遂に最後の一人に至っては、

ノーパンとバラされた挙句、下の毛まで毟り取られるという、

ある種、筆舌に尽くしがたい様まで見せつけられ、

兄として、友人として、そしてひとりの男として義憤に駆られた志貴は、

彼我との戦力差から感じる絶望的な身体スペックの違いを顧みず、

怒りを抱いて変態の下へ、短刀片手に駆け抜ける。

 空間を瞬時に把握した上で周囲を跳ね回り、

相手を翻弄しつつ死角から致命の一撃を見舞う…これが遠野 志貴の基本戦法である…が、

奇しくも飛んだり跳ねたり回ったりは変態自身の十八番でもあった。

 周囲を飛び跳ね、必死に肉薄する志貴少年とご一緒に、変態は今宵も蝶の如く夜に舞う。

 

 『「アン・ドゥ・トロワ♪…アン・ドゥ・トロワ♪…」』

 

 「ちぃいいいッ…!」

 

 爛々と屋上を照らす赤い満月を背景に、二つの影が幻想的なワルツを踊る。

 必死の形相で殺害対象を志貴の持つ魔眼で視れば、変態の掛け声と合わせる様に、

その巨体に黒く奔る死の線は直線から曲線へ…、点に至っては大小様々に大きさを変え、

イチ・ニ・サン・シ…と、リズミカルなビートを刻む。

 湧き出る反転衝動を怒りで抑え込み、全霊を以って変態へと食い下がる志貴。

 

『「愛がある。」』

 

 彼に対し、何か感じ入るモノでもあったのか…、何事かを呟く変態仮面タタリ。

 そんな何気無い呟きを掻き消すかの如く、何合もの激しい打ち合いの末に、

星が煌めく天上から傷だらけの地面へと、目まぐるしく舞台転換を行う演者二名…。

 

『「…………哀しみもある。」』

 

 未だ続く、吐露するかの様な呟きと共に、

屋上の地面擦れ擦れを深海魚の如く、背面越しに高速移動するド変態。

 そんな変態のほぼ真上へと横っ飛び、志貴は力の限り速度を維持しつつ追いすがる。

 

『「―――しかし、」』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『「誠実さが無いでしょッッ」』

 

 

 乙女心を解さない無自覚ハーレム野郎の存在など、

現実から型月世界へと舞い降りた衛宮 士郎(仮)が許さない。

 此処が本来フィクションの世界である事を士郎(仮)たる彼は知っているし、

物語の成り立ち上、主人公の周囲に女性キャラクターが多いのも仕方のない事ではある。

 …そう、プレイヤー目線で観るならば、彼も納得は出来たのだ。

 …しかし…こうも真近で一人の男が複数の女性を侍らせているという、

そんな場面をこうも見せつけられては、恐らく彼ならずとも、

怒りと殺意くらいは生まれるというものである。

 ましてや現状の彼にとって、この世界は最早創作上のモノではなく、

不本意ながらもノンフィクションとして成立している訳であり…。

 遠野 志貴というプレイヤー目線で体感していたならばいざ知らず、

今の彼は本来無関係な第三者…八つ当たりによる怒りも倍増である。

 まぁ実際のところ、現実に於いて複数の女性と関係を持つなどという混迷とした状況、

一国の王様かアラブの石油王並みの甲斐性でもない限り、彼自身は真っ平御免であるが。

 

 …もはやハーレムタグとは完全無縁な存在である、鋼の肉体を持つ漢…、

その名は衛宮 士郎(仮)…もといソレをベースに象った変態仮面タタリが、

そんな士郎(仮)の精神性と思考に引っ張られてしまったのか、

人としてのモラルを力の限り叫んだ、その瞬間…。

 ビームライフルの効果音と共に志貴の視界から瞬時に掻き消える変態仮面(アンモラル)

 次に彼の視界に映ったのは、変態の後を追う様に地面の上を奔る、一本の白い縄だった…。

 

 

 

『「貴様には特別なおしおきをしてやる」』

 

 

 

 

 

 

 …そして翌朝、光差す屋上において、着衣緊縛・後手縛りに処され、

力無く萎れている十代男子学生の顔面が、変態仮面タタリの股間と今、

熱いベーゼを直に交わしていた。

 取り合えず、肉体的には生きている様で、時折ソレを思い出したかの様に、

身体がビクビクと痙攣している。

 尚、余談ではあるが、この一晩の出来事で彼はトラウマでも刻まれたのか、

プロレスラーやボディビルダーを視界に入れてしまうたび、蹲りながら小刻みに痙攣し、

数時間ほど泣きながら嗤い続けるという精神疾患に暫く悩まされる事になる訳だが、

変態仮面タタリは兎も角として、

衛宮 士郎(仮)本人に取ってはまったくもって関係の無い話である為、

どーでもいい事だったりする。

 そんな不幸真っ只中な遠野 志貴改めクライベイビーナナヤとは対照的に、

幸福に包まれている変態仮面の方はと言えば、

色取り取りのパンティから香る芳醇な匂いを嗅ぎながら、

終了を告げる日の出を遠い目で眺めていた…。

 

 『「至福の一時も、もう終わりか…。」』

 

 ―――演目は全て終わった…。

 名残惜しくもあるが、この陽の光をカーテンコールと捉え、

へたり込む観客達へ向けて謝辞を述べよう…。

 

 『「それでは紳士淑女の皆様方。」』

 

 昨夜の印象深いシーン…その一つひとつを、その厚い大胸筋に想起させつつ、

変態は滑らかな動きで彼女たちの方へとポージング、もとい姿勢を正すと、

別れの挨拶を送る。

 ちなみに紳士のカテゴリーに入るであろう志貴少年に、

変態からの別れの口上を聞く余裕など欠片も無い。

 

『「一夜の夢を、ありがとう♡」』

 

 未だ地べたにへたり込む婦女子達に対し、心からの賛辞も含ませての挨拶を済ますと、

夏の残滓を感じさせる暖かな光の中へ、溶け込むように消えていく変態仮面タタリ…。

 奴が完全に消えたその瞬間、志貴少年の頭部を拘束していた股座とパンツが掻き消える。

 死の束縛から解放された途端に、支えるモノが無くなった彼の頭が、地面へと直下。

 傷だらけの地べたへと頭から叩きつけられ、ゴンという鈍い音が周囲へ響き渡る。

 その一連の様子を、怒りと憎しみの感情を以って網膜に焼き付けていた彼女達は、

もはや此処には存在しない変態に対し、全霊を込めて怨嗟の叫びをシャウトする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「か″ え″ せ″ コ″ ラ″ ――――!!!」」」

 

 

 

 ―――朝焼けが日常の始まりを告げる中、彼女たちの罵倒が三咲町の空に木霊した…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 …ところ変わって…。

 此処はかつて二人の漢が互いの自己(エゴ)をぶつけ合った、因縁の大地…。

 またの地名を三咲町児童公園…。

 朝を告げる雀の囀りが響く薄暗い園内に、一条の光が天からスゥ…と差し込むと、

ソレを照明にして、奇妙な一つのオブジェが暗がりから浮かび上がる。

 ソレは被っていた虎マスクが半ばまで敗れた上半身真っ裸で血塗れの巨漢が、

もう一方の異形と化した血達磨となった巨漢の上体を両肩に担ぎ上げ、

ファイアーマンズキャリー決め込んでいるという、ナンとも奇怪なモノ…。

 通常の担ぎ上げと違う点を挙げるなら、両肩に乗ったブツを取り逃がさぬよう、

右手は対象者の後ろ首を、左手はその股間部分を、

強烈な握力で固定しているというくらいか。

 血が一滴…、また一滴と地面へ吸い込まれる様に滴り落ちる…ソレはまるで生ける彫刻…。

 今にも躍動しそうな芸術作品…その持ち上げている方の人間っぽい巨漢の方から、

微かながらに空気の漏れ出る呼吸音が聞こえてくる。

 

「コォオオオオ…、ホォオオオオ…」

 

 力を溜め込むかの様なその呼吸音が突如、止まったその直後、

上半身真っ裸の巨漢の両目が妖しく光り出したかと思えば、天馬の如く大空へと跳躍。

 その反動で粉塵が彼を追う様に宙へと舞い上がる。

 見た目による総重量二人合わせでおよそ四百前後の物体が飛び上がるその光景は、

まさに圧巻の一言であり、観ている者がこの場に居たならば、

プロレスファンならずとも興奮する事、請け合いだろう。

 

 「ぬぅうんッ!」

 

 腹の底から絞る取るように吐き出される唸り声と共に、

異形の股座に差し込まれていた左手が、股間部分を鷲掴み。

 力の限りソレを握り潰す。

 異形の絶叫を待たずして、右手によって絞められた首すじから、

地面目掛けて真っ逆さまに投げ落とす真っ裸の巨漢。

 

―――その名を富田流『高山』―――…、文字通りの必殺である。

 

 …原作を知っている方々が見れば、

コレはもう『高山』じゃねぇと突っ込みたくなる程の絵面の下、

異形が大地へ向けて高速直下。

 その頭部が地面と触れ得たその瞬間、生まれ出る轟音と衝撃波。

 無論その被害は凄まじく、公園の彼方此方に置かれた遊具の数々が、

原型を留める事無く明けの空へと吹き飛ばされてゆく。

 遊具だったモノと共に、周囲に舞い上がる大量の砂塵。

 瞬く間に辺り一面を砂のカーテンで閉められ、けれどソレが鮮やかに晴れていくと、

ソコには公園敷地ほぼ全体を占めるドデカいクレーターが出来上がっており、

その中心部には悠然と佇む人影が、一つだけ浮かび上がる。

 ソレはまごう事無く、この一戦の勝利者である。

 そんな俯く勝者の目線、その先には、

超人奥義によって大の字で地面に平伏す悪魔超人…敗者の姿も当然あった。

 しかし、そんな彼の心中に敗北を恥じる気持ちなど微塵も無かった。

 全身全霊を出し尽くした事など、互いが痛いほどに理解し合えているのだから。

 死闘とも呼べる戦いが終わりを迎えた…両者がそう判断したと同時に、笑い合う両名。

 

 「…次は、負けぬ…。」

 

 満足しきった表情を浮かべながら、朝焼けの中へと消えゆく清しき好敵手。

 ソレを静かに見届けた直後、力が抜ける様に両膝を大地へ着け、

組んだ両手を天空へ掲げ、勝利という美酒を一身に味わう血に塗れた一人の闘士。

 …そんな勝者の名は衛宮 士郎…。

 青春群像劇とはまったく無縁の人生を往く、悲しき漢である…。

 

 (―――何もかもを出し切った…。)

 

 オーディエンスが一切見当たらない闘技場と言うか三咲町児童公園、その中央で…。

 未だ両手を天高く掲げ、空を仰ぎ瞑目する士郎の背後へ、数本の黒鍵が投擲される。

 

―――戦場では後ろにも目をつけるんだ―――

 

 …そんな非常識を地で行く彼は、

自分目掛けて投げられたソレ等を、視認する事無くやっぱり片手で叩き落とすと、

背後にいるであろう下手人の方へゆるりと振り返る。

 

 「朝っぱらから随分と物騒なご挨拶ではないか、プリーステス。」

 

 「…もうこの街から出ていってもらえませんか…、『D』。てゆーか帰れよマジで…。

 

 朝の光を一身に浴びて、爽やかに受け応えする士郎とは対照的に、

不機嫌極まりない表情で、開口一番存外な言葉を彼に叩きつける彼女はシエル。

 そんな彼女が口にした『D』とは彼…衛宮 士郎に対し、

聖職者連中から呼ばれる様になった渾名(あだな)である。

 呼び名の由来は小説『吸血鬼ハンターD』からでは勿論無く、

ドッポ・オロチの頭文字から取ったモノからだと思われる。

 まぁそういう意味合いで言うならば、彼は間違い無く吸血鬼ハンターDで合っている…。

 …(ちな)みに聖堂教会はオロチ・ドッポと言うか衛宮 士郎という人間について、

既に根掘り葉掘りと調べ上げている為、

彼のプロフィールに至っては本名どころか本籍までバレている。

 それ故に過去、何名かの教会関係者が士郎に対し、接触を試みていたのだが、

派遣された関係者たちが総じて高慢(こうまん)な性格だった事が災いし、

第一印象からして最悪であった。

 …挙句、保護という名目とは名ばかりに、『藤村 大河』の名前を出してしまったのが

彼等にとっての運の尽き。

 ある者は外傷がまったく見当たらぬ状態で再起不能にせしめられ、

またある者は外科施術はおろか心霊治療を用いても回復不可能、頭陀(ずだ)袋の様な有様へ…。

 …そして、ある者は股間と熱いベーゼを交わす羽目になった…。

 その後、彼等は一枚の張り紙と共に、まとめて聖堂教会と繋がりがあろう冬木市新都に在る、

言峰教会の軒先まで送り返されている。

 …ロシア語ではなく、日本語のカタカナでそのまま書かれているが故に、

当時の教会連中にはまったく意味が通じる事がなかった一文と共に。

 

 

―――ダヴァイッッ―――

 

 

 …―――話を戻し。

 最近、聖人かどうかも疑わしく思われる、上半身を露わにした血塗れ男の下へ近づく傍ら、

叩き落とされた黒鍵数本を力無く拾い上げる修道女。

 そんな修道女シエルさんから見た、士郎との関係を簡潔に言うならば、

彼女自身、不本意ながらこの巨漢と共同で死徒討伐を行ってきた経緯が幾度かあり、

その過程で、一定の交流ならばある…その程度のモノであった。

 …まぁ、この二人の今日に至るまでの付き合いの大半は、

主にシエル嬢の涙声が混じった罵詈雑言で占められている訳だが…。

 ―――彼女自身…当時、この筋肉聖人との遣り取りの数々にストレスの溜まり具合が半端なく、

何度目かの討伐任務でかち合った際、本当に本当につい魔が差してしまい、

討伐対象もろとも亡き者にしてしまおうと、

第七聖典を仏ッ血KILL(ブッチギリ)全壊で使用してしまった過去があったりする。

 

 

 


 

 

 

 とうの昔に裏とか闇とか付きそうな夥しい数の組織に身バレしているにも関わらず、

それでも精神衛生上、素顔を隠さずにはいられない…そんな彼は事件当時、

バッタ(太陽の子)の造形をした覆面を被っていた。

 

 「クックック。お久しぶりかなプリーステス。

 改めてお互い名乗り合おうではないか。己の名は後藤 劾以。

 戦闘中でのTACネームは…そう、バーモントとでも呼ぶがいい。」

 

 「以前、お互いに自己紹介しましたよね~?…エ ミ ヤ シ ロ ウ ク ー ン ?」

 

 「そちらの今後の呼び名は…ヌゥ…面倒な…。

 ククレかクレアおばさん、どちらかを選ぶがいい。」

 

 「会話のキャッチボールする気無いんですかね、貴方は?」

 

 「ちゃんとしているではないか、我が心のカレー友達。」

 

 …その後、罵声が飛び交う中で行われた簡易的な打ち合わせを済ませ、

手筈通りに討伐対象を追い詰める凸凹コンビ。

 討伐対象と筋肉聖人が射線上に重なり合ったその瞬間、

彼女の手からぶっ放されるパイルバンカー。

 ソレと同時に凄まじい轟音と衝撃が大気と鼓膜を震わせ、周囲に粉塵が舞い上がる。

 今までに無い程の手応えを感じ取っていた彼女は、聖人殺しという咎もなんのその。

 これまでに見た事が無いくらい満面の笑顔で、ガッツポーズまで取りつつ、

粉塵が晴れてゆく過程を浮き浮き気分で見続ける。

 その結果、目的の死徒は無事殲滅が完了し、

同じ射線上に居たであろう筋肉聖人の方はと言えば…着用していた覆面や衣類を除けば、

当然の如く健在だった。

 …まぁ、一糸まとわぬ姿であるが。

 

 「…………申し訳ない。好機と思い、つい殺ってしまいました。」…チッ!

 

 「ヌゥ。ドンマイ、クレアおばさん!!」

 

 「殺すぞ。」(そう言ってもらえるとコチラも救われますよ。)

 

 見た目こそ笑顔で対応しているものの、

解消されたはずのストレスゲージが瞬く間に元通りし、

本音と建て前が真逆になっているシエル嬢。

 そんな彼女の心情など、まったく知らぬ裸体を晒す大男・士郎の方はと言えば、

特に気にする事も無く彼女の目線まで腰を下ろし、満面の笑顔でサムズアップ。

 続けてアメリカンなノリでHAHAHAと笑い、彼女の肩を何度も叩く。

 肩を叩かれるたび、シエルさんのストレスゲージが何度も振り切れかけ、

彼女の胃もキリキリと痛みが奔る。

 胃痛に加え、溢れ出る怒りと苛立ちを理性を総動員し必死に抑えるシエル嬢。

 その一環なのか、遂にはラマーズ呼吸までし始めているが、まぁ気にしては駄目なのだろう。

 そう…必死たる彼女故に、この時シエルは異常に気付いていなかった。

 手に持ったパイルバンカーもとい第七聖典に予期せぬ事態が生じている事に。

 彼女の手からぶっ放された、不意打ちにより始まるその一合。

 巨大な杭と奴の手が触れえた瞬間、新たな別荘…、

聖典の内へと来訪したインベイダー計六名…そう、六名である。

 問題の一名は、なんだかんだと理由をつけて、結局参加しなかった。

 …その男の名は入江 文学…齢40を前にして未だ童貞を拗らせる、悲しき漢である…。

 

 

 

 

 

 

 『なんでぃ、お前さんは行かねぇのかい?』

 

 『いや、だって…。年頃の女の子の部屋にお邪魔するのって、

 それなりに距離を縮めてからが一般的じゃない?』

 

 暗い空間の中、頬を赤く染めて自身の恋愛観を語る38歳無職。

 若干あきれた様な表情でソレを聞く独歩ちゃんのその背後で、

タンクトップを着た2メーター超えの筋肉ジジィが、ウンザリした様な顔で何気なく(つぶや)く。

 

 『…そんなんだから、何時まで経っても童貞切れねぇんだよ。』

 

 『『『『『あ』』』』』

 

 タンクトップジジィもとい蘭白老子のその一言で、場の空気が瞬時に凍る。

 『童貞』…ソレはある意味、この場に於いて禁句であった。

 様々な感情が()い交ぜとなり背中から滲み出る文学に対し、

各々の身に間を置かずして緊張が走る。

 NGワードを口にした当の本人・風祭 蘭白は張り詰める空気を察し、

入江 文学を見据え、静かに身構える。

 …しかし、いくら経とうと一向に構える事無く背中を向けている文学に対し、

訝しんだ面々は、ひとり…また一人と彼の正面へ、恐る恐る顔を覗かせる。

 

 

 

 …入江 文学は声を殺し、泣いていた…。

 彼は非常にデリケートな人間だった。

 

 

 

 『いや、うん。…悪かったよ…。』

 

 『ほれ、風祭殿もこうして謝っとる訳じゃし…。』

 

 『…私の秘蔵だ。受け取り給え。』

 

 気まずい空気が漂う中、タンクトップのジジィがぶっきらぼうに頭を下げるその横で、

着流しを着たボリュームある白い髭がまた特徴的なジジィも、

場を和ませようと優しい声色でフォローを入れる。

 しまいには何時の間にか(かたわ)らに居た変態仮面によって(なぐさ)められる童貞。

 差し出されたその手には、簡素ながら装飾が施された薄緑色のショーツがあった。

 

 『…え、コレ…ま、まさか愛子ちゃんの?』

 

 『大河ちゃんのだ。』

 

 

 

 

 

 

 未だに女性に対して理想を抱く入江文学を除いた中年共が原因となり、

精霊たるセブン嬢を存在させる上で編み込まれていた概念の極一部が、

中年六名に吸い取られてしまった為に機能不全を起こしかけ、

聖典は一時期使用が困難な有様にまで(おちい)ってしまった。

 …今でこそ持ち直しているセブン嬢ではあるが、現在要介護中である。

 たまに当時の事をフラッシュバックし、うなされているが…。

 

 

 

 

 

 

―――…もう、聖典(ココ)から出てってくださいよぅ(泣)…!!―――

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 …―――再び話を戻し―――…。

 園内が()に照らされ、近づいてくるシエルの顔を確認すると、

目元が赤く()れ、(ほほ)には涙の後がくっきりと付いている。

 そんな彼女に対し、士郎は両腕を胸に組みつつ話題を振るかの如く(たず)ねてみる。

 

 「ナニか悲しい事でもあったかね?」

 

 「えぇ、えぇ!ありましたとも!

 主にアナタの背後にいるド変態のせいでねぇッ!!」

 

 「ヌゥ?」

 

 今回、彼に(まと)わりつく親父連中は、変態含め(そう)じてヤジを飛ばしていただけであり、

タタリ事件とは直接的には無関係だったりは…、した。

 …しかし迎えた最終局面…タタリによる興味本位から、

彼等の情報に食指(しょくし)をのばした事により、本来(つづ)られるべき物語の歯車が非常に大きく狂い始め、

挙句(あげく)の果てには舞台装置を含めた何もかもが瓦解(がかい)してしまった。

 ―――そして、その結果は泣き()らした彼女の表情を視ればお分かりだろう。

 非常に切ない目にあった彼女からしてみれば、

怒りをぶつけるべき相手が、朝焼けと共に()き消えてしまった為に、

間接的に関係のあるであろう、あのド変態に怒りをぶつけたがるのも無理からぬ話であった。

 そんな泣き()らした顔を見せるシエル嬢に対し、この男なりに察するモノでもあったのか。

 彼はシエルの涙の理由を面倒そうなので特には聞かず、

彼なりの不器用ながら励ましの意味も込めて、

本来、栄養補給用として予め買っておいたスパゲティパン(・・・・・・・)数個に、

午〇ティーが入ったコンビニ袋を無言で差し出すと、

ニヒルな笑顔で片手を上げ、彼女の泣き顔に対しサムズアップ。

 受け取ったビニール袋の中身を、

眉間に皺寄せながら覗き見るシエルに背を向け、

児童公園とは最早名ばかりとなった血の荒野から、静かに立ち去った…。

 

「イヤミか貴様ッッ―――!」

 

 …背後から絶えず聞こえる、修道女からの罵詈雑言…、別れの言葉を背に受けて…。

 

 

 

 

 

「…アレ…待って。コレ、後始末するの…ワタシ…?」

 

 音速の壁をぶち抜き、三咲町を後にする彼の背に、

何やら途方に暮れるような修道女の呟きが届いた様な気がしたが、

ソレも彼にとっては過去の話である…。

 

 

 


 

 

 

 …これまでの長い長いあらましからも分かる通り、

タタリ事件は一切解決しておらず、むしろ(さら)性質(たち)の悪いモノへと成り代わってしまった。

 タタリという一概念に中年共…というか、

主に変態仮面の分霊が色()く入り込んでしまった事で、新たな変態が誕生してしまったが為に、

毎年関東圏の一部では夏が訪れるたび、変態仮面タタリによる納涼破廉恥(はれんち)祭りが、

彼主催の下、数日間開催される事態になってしまっている訳だが、

大元となっているこの大男・衛宮 士郎が直接関与している訳でもない為、

彼自身の知るところではなかった。

 …とは言え、彼の自室の片隅(かたすみ)に置かれている簡素(かんそ)な机の引き出し…その二重底には、

何故か見覚えのない色とりどりのパンティ数枚に数十本の〇毛らしきモノが、

それはもう大切に保管されている訳だが、そんな仕掛けなど一切知らない分、

やはり士郎の知るところではない。

 国家ヤクz…大量の警察官が各地域に導入され、

怒りに燃える婦女子の方々も奮ってご参加していらっしゃるその光景は、

(つい)にはマスコミの手によって全国報道されるまでになり、

放映当初、お茶の間でこれを観ていた藤村大河は、士郎に対してしきりに詰問(きつもん)する始末。

 

 「ねぇ、何かした?何かしたでしょ、ねぇ?」

 

 「怒らないから。お姉ちゃんに全部話しなさい。」

 

 「だって!コレ、どう()てもアナタでしょ!!」

 

 モニターに映るパンティ被った男の特徴(とくちょう)的な部分である、

赤銅色の頭髪や2メーターを超える(はがね)の巨体、変色した黒鉄(くろがね)の左腕などを何度も指さし、

涙目でゲロするよう士郎に訴える大河嬢。

 何より、その巨漢が被っているパンティー自体が決定打。

 

 (うす)い緑を下地にして白い横線で(いろど)られた縞柄(しまがら)ショーツ…。

 ソレはまごう事無く、藤村大河の所有物である。

 

 しかし、モニターに流されていたVTRは録画されたモノであり、

()られていたその日時、彼は藤村組の若衆と共に衛宮家の稽古場(けいこば)で組手を行っており、

彼等と共に(さわ)やかな汗を流していたというアリバイがあったりする。

 …にも関わらず、動かぬ証拠(ショーツ)を泣きながら何度も指差し、

余りにもしつこく()れ衣を着せようとしてくるこの姉を、アイアンクローで悶絶(もんぜつ)させると、

何処(どこ)にでもある何の変哲(へんてつ)もない縞柄(しまがら)ショーツだと指摘しつつ、

しかし狼狽(うろた)える様に座卓から離れようとする士郎。

 

「正直に…正直に言えば、まだ許してあげるから…。」

 

 (うずくま)りながらもそんな台詞(せりふ)()きつつ、

居間から出ていこうとする士郎の()いているズボンの(すそ)を必死に(つか)み、

なおもしつこく食い下がる大河嬢…。

 

 (…ヌゥ…その日は、ちゃんとしたアリバイがあったはずだが。)

 

 …最近、自身の記憶に若干(じゃっかん)自信が持てなくなっていた彼は、

()き手を自らの口元に当て、何度も自信にそう言い聞かせる。

 (いま)だにしつこく彼の足にしがみつく保護者の頭を、

無意識にグリグリと踏んづけつつ、今日も彼はあやふやな記憶を頼りに生きていく…。

 

 

 

 …ちなみに変態によるお祭り騒ぎ期間中、複雑怪奇な事件の数々が人知れず

解決されているのだが、日常を生きている人々の知るところではなく、

世間様から見れば奴は、やはりただの性犯罪者でしかなかった…。

 

 

 

 

 


―――…時と場所を戻し…現在、冬木市旧都、衛宮邸。―――


 

 

 

 主に変態によるこれまでの軌跡を、苦労して書き起こしたというのに、

秒の速さで回想を終わらせてしまう筋肉聖人こと衛宮 士郎。

 しつこいくらいに丹念なボディチェックを終わらせた彼は、

現在、道場ほぼ中央で逆立ちをしていた。

 しかし逆立ちと言うには、どうにも不自然なそのシルエット…。

 ソレもそのはず、その巨体を支えているのは、丸太のような右腕一本…では無く、

更にその先…右手の人差し指一本のみだからである。

 

 (クックックッ。嘗ては至難と言われた勁すらも自在に扱えるな…。)ミシィ…ミシィ…

 

 現状のパフォーマンスを確認し終えたと判断した彼は直後、

自身を支える一本の指へ、血流を一気に流し込む事で力を解放。

 そこから生まれる爆発力の反動を利用し、飛び上がってからの前方宙返り。

 ド派手な音と共に板張りへ着地すると同時に、

自身が映っている姿見に向けて、流れる動作で再びポージングポーズを取る。

 

 (……………やはり(オレ)は美しい。)キレテル!キレテル!

 

 この世界に迷い込んで早や五年…。

 来訪した当初、中年共の無茶ぶり一色の生活で、

あまりにも潤いの無い生活故に、発狂しかけた彼ではあるが、

ソレも最早過去のモノ…。

 かつて、思春期真っ盛りの肉体に精神が引っ張られ、

追い求めていた女性関係にしても、毎日の健康的な運動を強制された事によって、

現在の彼は常に賢者モード。

 そんな日々を送るが故に出会いなんてものは更々無く、

結局、藤村 大河を除いてトコトンまでに縁が無くなってしまっていた。

 …まぁ一部、例外も居るには居るが。

 とは言え目の前に映る姿見からも分かる通り、こんな筋肉ダルマに心惹かれる異性など、

少なくともこの日本国内に於いては少数派として数えられる方だろう。

 実際に、すれ違う女性の大半が、彼に嫌悪の眼差しを向けてたし…。

 

 (…ただ己を鍛え上げているだけに過ぎんというのに、

何故か女子供からは非難轟々だ…。

  だがこの美しき肉体の前では、もはやソレすら些事よ…。)

 

 こと此処に至り、あらゆる妄執から解き放たれていた彼にとって、

色事を始めとした俗世関連に対しては、トンと興味が薄くなっていた。

 まぁ、目の前でイケメンがハーレム作ってイチャコラ見せつけてくれば、

鉄拳粉砕もとい制裁するくらいの心の機微くらいなら残っているが…。

 

 (ククク…、かつて悟りを開いた釈尊も、こんな心境だったのだろうか…。)

 

 …明鏡止水…そんな境地へ至った彼の内にも、未だ揺らめくモノが一つだけ…。

 ソレは彼をこんな怪物にまで変貌させる原因ともなった、ヘラクレスに対しての情念である。

 

 (…奴を打ち倒したその瞬間、喜びの余り強制解脱でもしかねんな。)

 

 サイド・チェストからサイド・トライセップスへ、

滑らかな動作でポーズを変えながら、彼はヘラクレス打倒までの過程を、

何度もイメージトレーニングする。

 …何故か脳内同時上映で、ブッダや士郎に加え更にもう一名、

ブッダの友人と称するロン毛・髭面・茨の冠被った変なオッサンと共に、

三人仲良く肩を組みながら東京立川のとある商店街入口で自撮りするという、

何とも不敬かつ可笑しな妄想もしていたが。

 

 ―――感謝しよう。お前のお陰で俺は理想の肉体(オレ)を手に入れた。

 

 ―――お披露目の舞台も(アインツベルンの更地(もり)を除いて)整いつつある…。

 

 ―――共に心ゆくまで競技会(聖杯戦争とも言う)と洒落込もうではないか…。

 

 …尚、女性にはとんとモテないが、

学生という若輩でありながら極限まで鍛え上げた肉体を持つ故か、

野郎共には老若問わず(すこぶ)るモテる彼である。

 

 「…もういいかなー、衛宮 士郎くぅーん?」

 

 折角気分が(いち)ビルダーとして最高潮に差し掛かろうとしていた…そんな彼の背後へ、

水を差すかの様に冷めた女性の声が掛けられる。

 道場の出入り口を仕切る両引き戸…その片側に疲れた様に肩からもたれ掛って、

若干冷めた目で彼を見ている彼女の名は藤村 大河。

 主に士郎(仮)のせいで、原作からかなりキャラクター性が乖離してしまい、

家事全般が万能に成ってしまった超優良物件である。

 …実家がエラいハンディキャップになっている上、

ソコにボディビルダーも付随している事を除くなら、

交際相手は文字通り引く手数多であっただろう。

 

 「朝餉か?姉よ。」

 

 「そーだよ。だからとっとと身綺麗にしとくれ。…あと分かっているとは思うけど、

風呂上りにワセリンだけは絶対に塗るんじゃないわよ。」

 

 「ソレは女性に対し、化粧をするなと同義では?」

 

 「同義じゃねぇよ、馬鹿野郎。」

 

 

 広い居間の片隅(かたすみ)に置かれた大型ブラウン管テレビに映る情報番組…。

 コメンテーター二名による軽快なトークが室内に流れる中、

座卓の上に並べられた朝餉(あさげ)を黙々と口に運ぶ衛宮家の家人二名。

 栄養バランスが考えられた献立は、とある一品を除いて、

全て藤村 大河が(こしら)えたモノばかりである。

 

…そう、とある一品…座卓の中央に置かれたサラダボウルを除いて。

 

 ボウルの中に収められたソレは、千切りにされた山盛りのキャベツ…。

 …山盛りのキャベツである。

 

 (全くもって、ご機嫌な朝食だ…。)

 

 ―――モリ…メリ…モニュ…。

 キャベツの千切りを口内に()めるだけ()め込んで、

牛の如く頬張(ほおば)士郎(仮)()を、冷めた目で見つめる大河嬢()

 家庭崩壊一歩手前の様な空気が居間内に(かも)し出されているが、

これが彼等にとって何時もの食事風景である…。

 なんら問題は無い。

 

 「…はぁ。」

 

 毎朝の習慣になってしまった溜息(ためいき)を一つ()くと、

仕切り直した様に食事を再開する大河嬢。

 もう諦めて、ありのままの士郎(仮)を受け入れてしまえば楽になれるだろうに、

未だに何とか出来ないものかと頭を悩ませる辺り、彼女の人となりが良く分かる。

 …まぁ、最近はもう半ば捨て(ばち)気味になってはいるが。

 そんな彼女が咀嚼(そしゃく)をしつつ、ふとテレビの方へ視線を移してみれば、

明るいスタジオ風景が報道ニュースへとタイミング良く切り替わる。

 心なしか険しい表情で、けれど淡々と報道内容をお茶の間へ伝えるニュースキャスター。

 …最近、新都で頻発(ひんぱつ)するガス()れ事故に、刃傷(にんじょう)沙汰による無差別殺人…。

 なるほど、確かにソレ等は聴いていて気分の良くない物騒なモノばかり。

 原稿を読み上げるキャスターが、沈鬱(ちんうつ)な表情になるのも(うなづ)けよう。

 街の人々の安寧(あんねい)を妨げる、暴虐武人な(やから)が日常に(まぎ)れ込めば、

善良な市民の方々ほぼ全員が不安と(いきどお)りを(いだ)くのも至極当然だろう。

 現に食事を進めていた藤村 大河も、(はし)が止まり表情も(くも)っている。

 

 「おい」

 

 そんな陰鬱(いんうつ)な空気に反応し、士郎(仮)の内に眠る性技…もとい正義の心が、

股座(またぐら)もとい身体からいきり立つ…ソレもまた致し方無い事なのかもしれない。

 

 「おい」

 

 と言うか、先程から(けわ)しい表情で士郎(仮)の顔を(にら)み、

ドスの効いた声色で何度も彼に呼び掛けている大河嬢。

 まぁ、それもまた当然だろう…。

 現在、彼は(あふ)れ出る義憤(ぎふん)(まみ)れ、

両手で広げたパンティを、(たか)ぶりと共に今、被ろうとしている瞬間なのだから。

 …ちなみに、最早言うまでもないだろうが、

彼の顔面が今まさにがぶり寄ろうとしているその下着は、

藤村 大河の所有物である。

 

 「ハッハッハ!コイツは失敬!」

 

 「…失敬じゃあ、無ぇんだよ。」

 

 被りかけた縞柄(しまがら)模様ショーツを中空で丁寧(ていねい)に折り(たた)み、胸ポケットにスルリと収める士郎。

 つい内なる正義の心が(あふ)れ出てしまった…そう独り()ち、朗らかに笑う彼の(あご)下に、

剣道の訓練において用いられる六角棒、その先端が差し込まれる。

 本来両手で持つべき大きさのソレを、片手で軽々と持っている彼女は、

そのショーツの本来の持ち主である藤村 大河25歳…怒れる社会人である。

 普段学園で見せる朗らかな笑顔とは打って変わり、

今の彼女が見せるその(かお)は正しく極道の女のソレ。

 笑顔で謝意を見せる士郎に対して、(いかづち)の如く(ほとばし)る彼女の黒い殺意…。

 年代的に片落ち手前である大型テレビから、

芸能ニュースが明るいBGMと共に流れる現在午前七時二十五分、衛宮家・居間。

 最早日課となった、朝の体操(たたかい)が始まろうとしていた…。

 

 

 「じゃあ、お姉ちゃん…もう行くけど…。アンタ、ホンットに後で覚えてなさいよ…。ハア…ハア…

 

 (かす)かに肩で呼吸をしつつ、原付バイクにゆるりと(またが)る大河嬢を、

開け放たれた玄関越しから見送る士郎(仮)。

 若干(すす)けた背中をご近所方に(さら)しつつ、勤め先である学園へと向かっていく。

 その哀愁(ただよ)う姿は、正しく疲れ果てた社会人のソレ…と、

彼女を観た大半の者ならばそう思うのだろうが、

彼女の疲労の大元は衛宮 士郎(仮)に()るモノである。

 本来であるならば幸運値EXランクを誇る彼女であるが、

今作品に()いては主に士郎(仮)のせいでA‐‐にまでダダ下がりしている。

 そんな人並み程度の幸運となってしまった彼女の(またが)る原付の駆動音が、

遠くなってゆくのを確認すると、玄関の戸をゆるりと閉め、台所へと向かう士郎。

 台所…そのほぼ中央にあるダイニングテーブルの上には、

鋼の巨体を維持する上で、食事だけでは到底(まかな)う事の出来ない栄養素を取り入れる為、

これまた馬鹿げた量のサプリメントが各種、常備されていた。

 

 ―――用法・用量を守って正しく服用する事。 

 

 ラベルに記載された警告文、

及びソレとまったく同じ台詞を(のたま)っていた姉の警告をガン無視し、

士郎は薬物系グラップラーの如くソレ等を口の中へジャンジャカ流し込むと、

飴玉かチョコレートでも()み砕くかの様に、バリボリと口内で音を鳴らす。

 甘みと苦みで()き出る唾液を各種サプリと共にゆっくりと嚥下(えんか)し終えると、

彼はその後、深く息を吐きつつ瞑目(めいもく)すると同時に(うつむ)き、

そして(しばら)くの間を経て、ゆったりとした動作で木目細工の天井を仰ぎ見た。

 

 「今日も一日、がんばる『『『『『『『ぞ!」』』』』』』』

 

 

 

…貴様等に萌えなど求めていない…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 申し訳ありません。次話は士郎とザファル先生が主にやらかしてます。
 変態はせいぜい二割。


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男子学園生の日常

 かなり時間を空けてしまい、申し訳ありません。
 今回、変態仮面は二割ほどしかヤラかしてません。



 ※氷室 鐘さんのキャラクターが崩壊してます。
 ※蒔寺 楓さんのキャラクターも若干崩壊してます。

 彼女達のファンの方、またキャラクター崩壊が苦手な方は、
ブラウザバックを推奨します。


最強の英霊とは誰か

 

―――ギルガメッシュ―――

―――トミュリス―――

―――始皇帝―――

 

 二月初旬、冬木市…時刻は現在、深夜を回っている。

 深山町西端、円蔵山…その中腹に位置する、柳洞寺へと続く長い石段…。

 参拝客が辟易(へきえき)するであろうその長い道程を、

一陣(いちじん)の風の如く駆け上がる、一体の影があった。

 

―――サラディン―――

―――チンギス・ハン―――

―――トラヤヌス―――

 

 ソレは片手になんとも物騒な長物を携え、

今夜の行動指針として定めていたその場所へ、嬉々(きき)として突き進む。

 …そして、寺院の(なか)に続くであろう山門…その手前で、

目的とする内の一体を、その身に感じ取ると、

疾駆(しっく)していたその影は、慣性を無視するかの如く瞬時に止まった。

 

―――ハンムラビ―――

―――ハーラル三世―――

―――フリードリヒ一世―――

 

 月明かりの(ほの)かな光の下、影はその身を(さら)け出す。

 ソレは獣を彷彿(ほうふつ)とさせる、しなやかな肉体を持つ偉丈夫だった。

 ライダースーツの様な、なんとも奇抜(きばつ)な出で立ち故、

均整(きんせい)の取れたボディラインが強調されているせいもあってか、

殊更(ことさら)ソレを連想させる。

 この男…名義上はランサーと呼ばれている。

 此度この冬木市で行われる聖杯戦争において、

槍兵のサーヴァントとして招かれた、超常たる存在であった。

 

 …―――対して。

 

 身体から湯気の如く(にじ)み出る()る気を、

一切隠そうともしないランサーなる超危険人物を前にして、

く微動(びどう)だにする事無く、山門手前の石段の上に疲れた様に座る、

一人の男が居た。

 

―――北条時宗―――

―――ガンジー―――

―――ンち…モンテスマ―――

 

 その男の出で立ちは、月明かりからでもよく分かるモノだった。

 涼やかな色合いながら、現代人から観れば何とも派手な陣羽織を着こなす、侍然とした風体。

 …ただし枯れ果てた老人の様な、気怠(けだる)い空気を(まと)っている為か、

その衣装から感じる持ち味が、(なか)ば死んでいたりする…。

 侍はランサーの存在に気が付くと、座っていた石段から力無く立ち上がる。

 座していた時はその頭部が、完全に地面を向いていた為に判別が付かなかったが、

月明かりに(さら)されたその(かお)は、

同性であるランサーでさえ見紛(みまご)うばかりの美男子だった。

 

 …しかし何故だろう…所々が微妙に(すす)けてる…。

 

 後ろに()われた群青色に近い彼の長髪は、

本来ならば()れた様に(あで)やかで、観る者を()きつける程なのだろう…、

何故か白髪(しらが)が少々目立つが。

 …(ほほ)も妙にやつれており土気色に近いその肌も、観る者によっては病人を想起させる。

 きっと本調子の彼は、浮き名を流すほどの美青年なのかもしれないが、

何故こうなっているのだろう…。

 

 「…ソチラの事情は知らんが…大丈夫か、オイ?」

 

 「…気遣い、無用。」

 

 これから刃を競うべき相手が不調であるならば、

この槍兵の性格上、当然ヤる気は()がれる訳で、

何なら一度、出直したい気分にまでなっていたりするのだが…。

 しかし、彼と主従の(ちぎ)りを結んでいるマスター本人からは、

ソレを良しとしない(むね)を、念話を用いて伝えてくる。

 為に、彼は溜息(ためいき)混じりに持っていた長物を、空気を斬るかの如く一()ぎする事で、

()えかけた自身を維持させる事に努める。

 そんな彼の挙動に応えるかの様に、侍姿の青年もゆったりとした動作で、

手に持った鞘から刀を抜き、名乗りを上げる。

 

 「アサシン…。佐々木…小次郎。」

 

 「…ほぅ…。真名を自ら明かすとは、気風(きっぷ)の良い事で。」

 

 目に見えて体調不良ながら、しかし(なお)矜持(きょうじ)を貫くこの男の姿勢に、

ある種の感動を覚えてしまったランサー。

 そんな彼の心の内を言えば、とある願望が徐々に鎌首をもたげ初めていた。

 

 ―――出来うる事ならば、この侍がベストな状態で()り合ってみたい…。

 

 そんな心境もあってか、ますます出直したい衝動に駆られた彼であるが、

やっぱり雇用主が念話を通して、グチグチと小言を()れ流す為、

苦虫()()めた様な表情で、槍を構える以外に無かった。

 

 …槍兵から見て、半ば不本意ながら始まるであろう、殺し合い…。

 しかし彼は一合目を仕掛けるその前に、どうしても気になる点が一つだけあった。

 

 「おっぱじめる前に…ひとつ、聞いていいか?」

 

 「…何だ?」

 

 「テメェ、何で受肉してやがるんだ?」

 

 

 

「 聞 く な (泣) 。」

 

 

 

現在、最強の…英雄は

 

まだ決まっていない…

 

 

 

 

 


 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 時間を数日前の現在に戻し…―――早朝、冬木市深山町。

 山のほぼ中腹付近にあると言っていい、穂群原学園へと続く通学路。

 肌寒くも(さわ)やかな朝の陽射しを()びて、

学生服に身を包んだ穂群原学園生徒諸兄等が、

学び舎へと続く長い長い坂道を、白い息を吐きながら歩いてゆく。

 周囲に飛び交う会話の内容は、十代学生特有のモノばかり。

 

 億劫(おっくう)な科目…。

 

 課題の提出期限…。

 

 とある教師に対しての心象や、その評価…。

 

 昨日視聴した深夜番組の感想、等々…。

 

 皆が皆、思い思いに気怠(けだる)い学生生活を謳歌(おうか)する…そんな極ありふれた日常の一場面…。

 そんな喧騒(けんそう)とした公共の場が突如として、波を引く様に静まり返る。

 先程まで(ただよ)っていた学生達特有の(ゆる)んだ空気が、

まるで傷口に塩を()り付けられ、挙句(あげく)に冷水を浴びせられたかの如く、

急速に引き(しま)ってゆく…。

 現在、彼等の心身に(せわ)しなく働くその機能は、元々人類が古来より備わっているモノ。

 石器時代から今日に至るまで、個人差こそあれど持っている、本能的なシグナル。

 少なくとも、この現代日本という社会の枠組みに()いて言うならば、

働かせる機会など娯楽媒体(ばいたい)を除くなら、そうそう訪れる事は無いであろう。

 …そう、その機能の名は…恐怖…。

 

 「拳王だ!拳王が来たぞぉ!」

 

 「目線下に向けろ…、踏み(つぶ)されるぞ…!」

 

 「おぉ、遠目からでもよく見ゆる…。相変わらず、良い仕上がり具合よ…。」

 

 「あぁ…あの大胸筋。一度でいいからこの手で触れさせてはくれまいか…。」

 

 学生達により構成された群衆が真っ二つに割れるその様は、

まるで大海を割るモーゼの如く。

 しかし彼等は波よりも静かに音を立てる事無く公道の両端へ、

まるで訓練されたかの様に速やかに整列してゆく。

 

 「ウッソでしょ…。今日、ワタシ登校時間念入りにずらしたのに、なんで…いつもこんな。」

 

 まぁ、中にはこうしてグチグチ文句を()れつつ、

(すみ)っこに寄ってく紅い外套(がいとう)を羽織ったツインテール女学生も居るが。

 ―――彼女の名前は遠坂 凛。

 今日に至るまで朝の通学時間帯が、

衛宮 士郎と完全にかち合ってしまっている不幸体質というか、

ある意味持っている少女である。

 おかしな方向に突き進んでいる物語を、

原作側が無理矢理に修正させようとしている結果なのかもしれないが。

 メタ視点を持たぬ彼女にとっては、ほとほと迷惑でしかない。

 

 「…あっ…。お、お早うございます…遠坂先輩…。」

 

 もはや毎朝恒例(こうれい)ゆえに、

不機嫌を取り(つくろ)う気も起きなくなった遠坂 凛に向かって、

一人の少女が()し目がちに小さな声で挨拶をしてくる。

 ―――間桐 桜。

 冬木の地において名家である間桐の長女であり、

訳あって遠坂から養子に出された凛の実妹である。

 

 「…えぇ、おはよう、間桐さん。」

 

 原作と違いコチラ側の間桐 桜は、

自身を変える契機(けいき)となった運命的な出会いが一切無かった為、

陰気寄りな性格に拍車がかかっており、

本来入部するはずであった弓道部にも入っていない。

 その為、衛宮 士郎はおろか藤村 大河という庇護(ひご)者も居ない現在の彼女は、

原作以上に(はかな)げな空気を(まと)っている有様ゆえに、(かつ)ての実姉である凛は、

殊更(ことさら)に気をかけていた。

 とは言え、お互い家の関係上、

この弱々しい妹に対し、必要以上に関わる事が出来ぬ故、

遠巻きから見守る他に無く、彼女は非常にヤキモキとする日々を送っていた。

 ―――ぎこちない空気を(かも)し出す二人を、沈黙が包む…。

 

 「…お互い、ツイてないわね…。」

 

 「…はい…。」

 

 隣に(たたず)むかつての妹を横目で見つつ、

どうにもならないこの現状を、どうにか理性で割り切る遠坂嬢。

 取り合えず、こうして偶然という形で直接顔色を()れただけ良しとすべきか。

 そう自身を納得させると、視線をゆっくりと晴れ渡る青空へ、

途方に()れるかの様な心持ちで移してゆく。

 

 (―――ハァ…本来ならマジで辟易(へきえき)する時間ではあるけれど、

今日ばかりは筋肉ゴリラに感謝かしら…。)

 

 もはや(ちぢ)まる事の無い距離が出来てしまった(かつ)ての姉妹、

(つつ)まし気な朝の交流であった。

 

 

 (はば)む者一切が存在しなくなり、静寂(せいじゃく)が辺り一面を支配する通学路…その中央…。

 よく響く羽音と共に、空から一羽の白い(はと)が地面へ舞い降り、

ことさら静謐(せいひつ)感が(ただよ)い始めるこの空間に、程無くしてズシン…ズシン…という地鳴りが、

整列している生徒諸兄等の耳朶(じたぶ)に届き始めると、住宅街へと続いている下り坂の向こうから、

徐々に型月世界観に真っ向から反逆する絵面(エヅラ)とゆーか、

いかにも劇画(げきが)タッチの大男がその姿を現す…。

 ソレは(きた)え上げた肉体を、張り()けんばかりの学生服に包みこんだ、

身長2M超えのムクつけき男子学生。

 両(はし)で整列している学生諸兄等を始め、深山(みやま)町住人一同からは、

拳王だの聖帝だのと呼ばれる程に、諸々(もろもろ)と極めてしまった大(おとこ)

 

 ―――名を、衛宮 拳士郎…もとい士郎。

 

 青春を謳歌(おうか)する穂群原学園在校生及び教師陣から、

文字通り()れモノ扱いされている、(かな)しきモンスターである…。

 (ちな)みに、ここ最近は深山(みやま)町がサザンクロスと他称され、

ソコに君臨(くんりん)と言うか居を構えているが故に、キングとかいう異名が新たに付け加えられた。

 暗にそのキングと同じ様に早く死んでくれないかなーとでも、

皆に思われているのかもしれない。

 まぁ(いく)ら冬木市住民がソレを(せつ)に願おうと、

この世界にキング足る士郎にトドメをさせる世紀末救世主なんてモノは存在しないし、

何なら彼の方が聖堂教会連中に救世主の如く扱われている。

 …()れモノ扱いの救世主ではあるが。

 

 「…ハァ。」

 

 学生達による様々な視線が自身に注目する中、

肩を落とし、誰にも聞こえぬくらいの小さな溜息(ためいき)()らしつつ、

校門を通過する悩める男・衛宮 士郎。

 闘争という非日常から一旦抜け出てみれば、

この男は一般的な感性と道徳心を合わせ持つ冬木市市民の一人である。

 生前には持ち合わせていなかった有り余る力を常日頃から持て余し、

偶《たま》にタガが外れる事はあるけれど、人間相手にだけはまだ一線など超えてはいないし、

誓って殺しはヤッていないと彼自身、自信を持って…………。

 

 …一瞬、彼の視界に血の泡吹いて大の字に倒れこむ、名も無き893の幻影がチラついたが、

ソレはきっと、朝の陽射しが彼に見せた白昼夢…。

 

 話を戻し…これまでの所業を(かんが)みて、一般人とはもはや言い(がた)くはあるけれど、

本来ナイーブな気質を持つ彼に取って、毎朝必ず訪れるこの登校時間は只々憂鬱(ゆううつ)の一言であり、

数ある悩みの種の一つであった。

 だってまだ学園生たる彼等に対して(物理的に)ナニモシテイナイというのに、

周囲の学生全員が毎日毎日この態度だし…。

 

 (―――…もう…イっそ何もかも蹴散らシて、楽になってシまイたイ…。)

 

 何やら物騒な考えと共に重苦しい空気を身に(まと)いつつ、

昇降口を身を屈めながらくぐり抜けた彼は、

出入口手前に置かれた数ある下駄箱の一つにまで(よど)みなく歩みを進めると、

ただ静かに立ち止まる。

 そしてそのまま上履きを取り出す様子も見せず、

能面ヅラのまま、何故かピクリとも動かない…。

 ただただその場で不穏な空気と言うか不快なくらいに濃密な闘氣を、

どうしてか全身から(かも)し出し始めてゆく士郎青年。

 グラップラー特有のねっとりとしたオーラが昇降口全体を秒で(おお)いつくし、

その場に居合わせた生徒一同は空間がぐにゃり…と()じれてゆく様な、

恐ろしい錯覚に襲われる。

 本能で危険を察知した生徒一同が、身体中から冷たい汗を吹き出しながら、

一斉にSAN値チェックの強制ダイスロールを開始。

 結果として(うめ)きながら(うずくま)る者、泡吹いて卒倒する者など様々な疾患者が出始める。

 (たま)に発狂する者もいるが、まぁソコは御愛嬌。

 さて、そんな士郎が不機嫌を(あら)わにした事で、

日常から完全に遠ざかってしまった光景が今、こうして展開されている訳だが、

ここ穂群原学園では週にニ・三回の割合でよく見られる、

極々日常的な光景であったりする。

 ―――実際に当校の学園理事も、この怪現象について現在こう(のたま)っている。

 

 「第三者から観れば異常に映るかもしれない…が、

当学園側から観れば物理的な被害者が出ている訳でもない為、

今のところなんら問題は無いと判断している。」

 

 …(ちな)みに…かつてこの光景に遭遇した倫理教諭である葛木 宗一郎氏が、

原因足る士郎を(いさ)めようと行動を起こしはしたが、

奴に近づくにつれ、範馬 勇次郎に近づく渋川先生の如く、

次から次へと強烈な幻覚に襲われ続け、

(つい)には奴の五歩手前で(ひざ)を屈し、保健室へと運ばれていった過去もあったりするが…。

 

 まぁこうして、まったく腰を上げようとしない理事長や、

葛木先生による知られざる武力無き死闘等もあって以降、

結局この地獄の様な光景を毎度毎度処理する為、

藤村 大河が泡食って現場に急行する事がほぼ恒例(こうれい)となっており、

彼女の登場で場はいつも収束していた。

 …そう本来ならば、彼女が現場に割って入る事で非日常から日常へ、

回帰するはずなのだ。

 しかし生憎と今日の彼女は職朝により、この場に現れる可能性が微妙に低い。

 (かす)かな(うめ)き声が、そこかしこで聞こえる地獄と表現してもいいこの惨状…。

 何時もの如く亡者たる学園生達の頭上に、

蜘蛛(くも)の糸を()らすはずのお釈迦様もとい大河が一向に現れぬ…。

 そんな事態ともなれば、さていったい誰がこの現状を解決へと導くのか。

 皆が皆、悲嘆(ひたん)()れて涙と吐瀉(としゃ)物を()れ流す即席地獄、

その中央に君臨する士郎の広い背筋に、聞きなれた少女の大きな声が届く。

 

 「…お、おはよう!衛宮くん!」

 

 今にもこれからナニカシソウナ彼が声のする方へと振り返ると、

ソコに居たのは小動物を思わせる、小柄で可愛らしい女子生徒。

 ―――彼女の名前は三枝 由紀香。

 士郎とクラスは別なれど、檀家(だんか)主催の行事において何度か顔を合わせて以降、

こうして挨拶を交わす程度には交流のある………こんな人でなし(士郎)を見ても、

怖気づく事無く接してくれる、希少な人物の一人である。

 

 「…あァ、おはよう…三枝さん。」

 

 絵面が戯画(げきが)タッチゆえに、表情が微妙に読みずらい士郎ではあるが、

そんな彼の心情はと言えば…。

 

 (…彼女のお陰で、今日も一日頑張っていける…ぞい。)

 

 一学生として気さく(?)に声をかけてくれる彼女に対し、機嫌を取り戻したのか。

 鬼…もとい士郎から放たれていた制空圏が見る間に(しぼ)み、

昇降口全域を占めていた(おぞ)ましい瘴気(しょうき)(うそ)の如く晴れていく。

 

 …―――助かった―――…その場に居合わせた皆が皆、

まったく同じ感想を共有する瞬間であった。

 

 …三枝 由紀香…今や彼女の存在は、

衛宮 士郎という危険物に日々その身を(さら)されている学園生たちにとって、

藤村 大河不在の際には無くてはならぬ、もう一人の救いの神であり、

学園生及び一部教師陣からは、藤村・三枝両名を穂群原二大女神として持て(はや)し、

(つい)には隠れファンクラブまで出来てしまう程であった…。

 …まぁ大河の場合、とある二面性が問題視されてたりしているが、ソレはさておいて。

 現状そんな有様もあり、本来ならば高嶺(たかね)の花として男子生徒に人気のある遠坂 凛は、

その存在がかなり気薄(きうす)になっているのだが、

当の遠坂嬢は気にしていないどころか、

(まつ)り上げられてる彼女たちに対して不憫(ふびん)に思っていたりする。

 …(ちな)みに、士郎を(なだ)められそうな存在として蒔寺 楓も居るのだが、

彼女の場合、近所の気のいい兄ちゃんの足元に(まと)わりつく小学校低学年の如く

士郎に(なつ)いているせいもあり、あまり期待されてはいない。

 むしろ不機嫌な士郎をおかしな方向にハイにさせ、

状況を(さら)に混迷とさせる危険性を(はら)んでる為、あまり歓迎されてはいなかった。

 そして本来ならば、そんな悪ノリした蒔寺嬢のストッパー役として三枝に加えもう一人、

氷室 鐘の存在が出てくるのだが、そんな彼女は現在何をしているかと言えば…。

 

 …三枝嬢の背後に身を(かが)める様に隠れつつ口元を両手で(おさ)え、

涙目になりながら気配を必死に殺そうとしている真っ最中であった。

 

 (…色不異空(しきふいくう)空不異色(くうふいしき)色即是空(しきそくぜくう)空即是色(くうそくぜしき)…)ヒッヒッフー…ヒッヒッフー…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オハヨウ。氷室サン。」

 

「ヒィッ…!!」

 

 般若心経から抜粋(ばっすい)した一部分を、

何度も何度も暗読する氷室 鐘の視界に、音も無く入り込み、

今出来る最大限の壮絶な笑顔で、彼女に挨拶を試みる士郎。

 そんな彼に対し…か細い悲鳴を上げて膝下ガクブルで応えてしまう氷室 鐘嬢。

 本来ならば何事にも毅然(きぜん)とした態度で接するはずの彼女が、

何故ココまで士郎に対して、過剰な拒絶反応を示す残念少女と成り果てたのか…。

 ソレはとある事情から…と言うかやっぱり士郎のヤラかしによって、

こうなってしまったとしか言えない訳で…。

 

 

 


 

 

 

 思い起こせば去年の夏場…。

 檀家(だんか)(もよお)しにより行われた納涼百物語。

 柳洞寺本堂を会場にして、

和気あいあいとした(ゆる)い空気が流れる当時刻は午後7時30分。

 板張りの床にそれぞれが輪を作る様に間隔を開けて、

用意されていた座布団の上に胡坐(あぐら)をかく子供達。

 そんな彼等の内側には何本もの蝋燭(ろうそく)沿()う様に置かれ、

藤村 大河や住職の(せがれ)である柳洞 零観など、

朗読会に参加している成人組の一部が、ソレ等に灯りを(とも)していく。

 十代学生たちの楽し気な声が飛び交う、なんとも賑やかな光景。

 その輪の中に、どう見ても場違いな存在感を(かも)し出す、独りの益荒男(ますらお)がソコに居た。

 

 ―――衛宮 士郎。

 

 世界観を圧倒的に間違えている(いか)つい風貌(ふうぼう)と、前世から合わせての実年齢故に、

若人達が(かも)し出す十代特有の空気は無論の事、

現在経歴上学生故に成人組連中にすら、馴染む事叶わぬ悲しき男の名である。

 しかしながら今、彼の心情は哀愁(あいしゅう)とは少々遠く、

見た目超然とした態度とは裏腹に、その内は焦燥の只中(ただなか)にあった。

 真っ当な人間社会に少しでも溶け込ませようという藤村 大河目論見みの(もと)

強制的にこんな(もよお)し事に参加させられてしまった彼ではあるが、

正直この手の朗読会は生前から某動画サイトを通しての聞き専であり、

語り手としては不得手どころか、経験事態が皆無だからである。

 何よりライブで、人前で慣れもしない朗読などと言われても…。

 生前だったあの頃と違い、今世に()いては平穏とは程遠く、

まるでアトラクションのような日々を今日(こんにち)に至るまで送ってきた彼にとって、

怪談の元ネタになった連中と、(こぶし)で語り合った方が遥かに気楽と思うくらいには、

高難易度の季節限定イベントであった。

 

 (朝礼のスピーチ以上に億劫(おっくう)なんだが…。)

 

 もはや斑模様(まだらもよう)の如く、穴だらけになってしまった生前の記憶達。

 だというのに(かつ)ての苦々(にがにが)しい勤め人としての日々だけは、

思い出したくも無いというのに事ある(ごと)に、こうしてフラッシュバックを引き起こす。

 知らぬうちに彼の眉間(みけん)(しわ)が寄る。

 一瞬脳裏によぎった懐かしくも不快な記憶…ソレを眉間(みけん)(しわ)と共に打ち消すと、

彼は(ざわ)めく心を(りっ)するべく深く息を吐き、利き手を自らの口元に添える。

 そうして落ち着いたかに思えば、これから行われる朗読会に対し、再び陰鬱(いんうつ)になってゆく…。

 そんな具合に、繰り返しコンセントレーションを失敗し続けて、

不機嫌な空気を徐々に醸し出しているこの男…衛宮 士郎。

 現状コレに近づく命知らずな(やから)等、身内である藤村 大河ぐらいに居ないものではあるが、

何事にも例外は居たりする。

 ソレは不機嫌男から吹き出す瘴気(しょうき)に一切物怖じする事無く、

太い首に細い両腕をするりと回し、背中からぶら下がって童女(わらべめ)の如くはしゃぐ女・蒔寺 楓嬢。

 そして彼女を(いさ)めるべく、慌てて士郎というか主に蒔寺嬢に詰め寄る三枝・氷室両名である。

 

 木枯らし吹く心境だった自身の周囲が一変、図らずして賑やかになってしまっているが、

その喧騒の一切をガン無視し、彼は取り合えず今日の為に仕入れた怪談ネタの数々を、

一部殴り倒したモノ含め、何度もしつこいくらいに脳内で反芻(はんすう)し続けていた…。

 

 

 

 

 用意された蝋燭(ろうそく)の全てに灯りが点いている事を確認し終えると、

本堂の照明が順に消され、辺りが闇に包まれる。

 しかしその中央で、暗闇に抵抗するかの如く照らされた、

頼りない十数本もの蝋燭(ろうそく)…。

 その(ともしび)によって、大小様々な影が幾つも広い本堂に生まれる。

 中でも一際大きな人影が、

一同の背後にあろう立派な仏殿を(おお)い被さっている事を視界に認めると、

各々が場の雰囲気に()まれ、皆の背筋に怖気が(はし)る。

 この場に居る誰もがこの圧迫とした状況に対し、

大半が某暗殺拳の修練場を連想していたりするのだが、ソレもまぁ無理はない。

 どこをどう見ても十代半ばに見えぬ世紀末覇者みたいな存在と、

厳粛(げんしゅく)な空気が流れる本堂内、そして暗がりを妖しく照らす蝋燭(ろうそく)という、

ぱっと見よくばり三点セットである。

 その光景に皆それぞれが重苦しい空気に委縮(いしゅく)する中、

成人連中の何名かが『そういえば北斗神拳伝承者も連載当時は十代半ばだったな』…と、

この雰囲気に対し感想を浮かべていたりする。

 誰かが生唾(なまつば)を飲みこむ音が、各々の耳朶(じだ)へと響く…そんな暗がりの中。

 輪の内に居る一人の男子が、軽く片手と声を挙げる。

 発言元へ皆が一斉に注目すると、その先に居る人物は柳洞寺住職の次男坊、

柳洞 一成である事が分かる。

 

 「―――…で、では一番手は、俺からで(よろ)しいか?」

 

 一成を始めこの場に居る参加者…藤村 大河を除いた全員が、

士郎の方へと視線を移し、恐る恐ると(うかが)いを立ててくる。

 ソレもこの場に居る誰もが本能で悟っているが故の行動だろう。

 

 ―――…この空間の支配者は奴だ、と。

 

 (いや、なんでコチラにいちいち了解求めてくるんだよ…。)

 

 だが、当人はそんな彼等の心情など(つゆ)知らず。

 (ただ)でさえ気持ちに余裕が無い為か、思わず生前口調でそう独り()ちる士郎であったが、

取り合えず場の空気を読んだ上で静かに頷く。

 こうして万人恐怖もとい士郎から許しを得られた一同が、安堵(あんど)溜息(ためいき)()らす中、

一成少年は場を仕切り直すかの様に(しば)瞑目(めいもく)した後、

静かに記念すべき一話目を語り始めるのであった。

 

 

 

 

 朗読会が粛々と進行するにつれ、今日この日の為に士郎が貴重な(ひま)を見つけては、

せっせこ用意しておいた怪談ネタの数々が、他の語り部達によって次々と消化されてゆく。

 特に彼が「こりゃ(きも)いりだ~」と感じて仕入れた怪談ネタが語られるや(いな)や、

仁王の如く眉間(みけん)(しわ)を寄せ、焦りの感情をつい(あら)わにしてしまう。

 まぁ、その感情の発露(はつろ)もほんの一瞬の事ではあるが。

 しかし本能的恐怖から、彼の一挙手一投足を盗み見る参加者一同にとって見れば、

その何気ない瞬間ですら嫌でも目に付いてしまう訳で…。

 そう、(とら)え方によって視れば、先程この男が垣間(かいま)見せたその表情は、

場の雰囲気も相まって憤怒(ふんど)、または不快とも取れてしまうのである。

 「正直なんでそこまで不機嫌なの…?」と朗読会参加者一同、頭に浮かぶ疑問を持て余す中、

不穏な圧が暗い本堂内を制圧…。

 主に士郎のせいで怪談話とはまったく違う方向で空気がどんどん(うす)ら寒くなる中、

参加者一同の大半が、その身に冷たい汗を()れ流す。

 ある意味、(りょう)を取る為に開かれた肝試しは大成功と言っていいだろう。

 …怪談から生まれる精神的恐怖と言うよりも、

衛宮 士郎と言う物理的強迫観念から()き出る納涼でこそあるが…。

 彼の両隣に座る藤村・蒔寺両名を除いた他参加者全員が、

「もう帰りたい帰らせて…」と本気で願う…そんな中、

士郎の対面に鎮座する氷室 鐘、及び彼女の両隣に座る(あわ)れな語り部達に至っては、

彼の圧をモロに受け続けた為か、心身共に疲弊(ひへい)しきっており、

(つい)には冷や汗の出し過ぎによって、脱水症状を引き起こす。

 我慢強さが災いして倒れる機会を(いっ)した氷室嬢を残し、

両隣の語り部計二名、間を置かずしめやかに脱落…。

 (ちな)みに、その(あわ)れな被害者にして、

この後起きるだろう惨劇を回避出来た幸運な二名は、美綴姉弟だったりする。

 さて流石にこの事態に対し、主催側である柳洞寺住職が、

早々に朗読会を切り上げるよう、周りに提案した訳だが、

しかし中途半端で終わらせてしまうのも、切りが悪いと(とら)えたのか。

 次の語り部を最後に、今回は()めとしようと言う運びとなった。

 …そのオオトリを飾る記念すべき語り部の名は、衛宮 士郎。

 この場に居る語り部ほぼ全員が心身共に衰弱(すいじゃく)する原因となっている、

人間災害である。

 

 

 …さて、そんな人間災害であるが、正直なところ困り果てていた。

 よりにもよってオオトリを任されてしまったこの状況に。

 百物語という慣れない朗読会にしても元々辟易(へきえき)していた為か、

彼が集めた怪談ネタの数々は、彼のやる気の無さの表れとも言うべきか、

よくある都市伝説の類ばかりであった。

 トリとして扱うにはどうにもこうにもパンチが弱い。

 …まぁ中には実体験を元にしたモノも(いく)つかあるが、

よくよく考えてみれば、ソレ等は怪談話と言うよりは武勇伝の類であろう。

 仮にこの場でこの男が―――…

 

 「人外相手に激闘の末、人間マフラーならぬ化け物マフラー(アルゼンチンバックブリーガー)()めてみた。」

 

 ―――…等と笑顔で話したところで、誰も信じはすまいだろう…多分、きっと、恐らく。

 

 (ヌウゥウゥ…。己はいったい、何を語ればいい?)

 

 (うな)りと共につい出てしまったその苦悶(くもん)の表情、正に阿吽(あうん)の如し。

 周囲の聞き手の内何名かがその相貌(そうぼう)に恐れ(おのの)き、思わずか細い悲鳴を上げてしまう。

 無自覚に周囲の空気を殊更(ことさら)重くしてゆく士郎を(いさ)めるべく、

張り付いた笑顔のまま無言で彼の脇腹を何度も小突くというかブン殴る大河であったが、

当の士郎本人は蚊ほども気付く事無く、更に思考を(めぐ)らせる。

 

 (インパクト、だ…。トリを飾れる程の…。

 そう、この場に居る誰もが一夏の思い出だと語れる程の、

強烈なインパクトが欲しい…。)

 

 正直に言えばソレらしいモノは取り合えず…という形で用意してはいる。

 ソレは朗読会前日ターバン巻いた伝道師から彼に与えられた余計な一計。

 ただソレは見る人によっては講談というよりも一発芸の類であり、

本来皆が求める「恐怖」というよりは、むしろ「戦慄」に近い。

 これが忘年会であるならば高確率で受けるだろうが、

現在行われているのは朗読会…。

 下手を打てば場がしらける危険性すらあるだろう。

 …何よりも…彼はその一芸、未だ成功した試しが無い。

 

 (…(いな)…―――追い詰められた、この得難き局面…。

 為ればこそ、挑んでみる価値がある。)

 

 今居るこの場が親睦(しんぼく)の下に開かれた一行事である事をすっかり忘れ、

いつも通りグラップル思考に行き着いているアホ一名…。

 そしてこの状況に追い詰められた末に、

悪い方向へ開き直ってしまったこのグラップラーは、

用意されていたその一芸に、(つい)に手を伸ばしてしまったのである。

 ソレが後にこの場に居る少年少女達にとって、

払拭(ふっしょく)(がた)いトラウマを植え付ける破目になるとも知らずに…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――最終話『秘伝』―――

語り部・衛宮 士郎feat.ヌミディアのザファル

 

 

 

 『「…拳闘…いやボクシングに限らず拳を扱う武術を手習う者ならば、

何を今更と思うかもしれないが。

 拳というものは握り方、その強弱で質の異なる打撃を繰り出す事が出来る。

 特に拳を主体とする武であるならば、握力と集中力は必要不可欠な要素だ。

 拳を命中させる一瞬の集中力、そして極限まで(きた)え上げた握力が()み合えば、

堅牢(けんろう)な肉体を誇る大男さえ打倒しうる故にな。」』

 

 「ちょっと、士郎…ッ!!」

 

 誰がどう聞いても怪談とは全く趣旨(しゅし)の異なる内容をつらつら展開していく弟分に、

たまらず苦言を(てい)しようとした大河であったが直後、

彼女はその身を硬直し、息を()む事になる。

 何故ならば彼女の視界に映る弟分…衛宮 士郎に重なり合わさるかの様に、

何者かの姿が視えているからである。

 

 ソレは何の(かざ)り気も無い粗末な衣服を身に(まと)う、異国の男性だった…。

 …日に焼けた薄黒い肌…半(そで)から通された両腕は太く、

けれど見()れるくらいにしなやかで…。

 精悍(せいかん)な顔立ちと力強いその眼差しは、

有無を言わさぬ迫力と、言葉には無い説得力を感じられる程。

 そして服の上からでもよく分かる、(きた)え上げられたその肉体は、

一種の芸術作品と見(まご)うばかりの感動さえ覚えてしまう。

 

 (…へッ、幽霊?!!)

 

 場の雰囲気も相まって彼女が抱くその感想は、

一般的に見れば至極当然のモノだった。

 そんな推定幽霊らしき存在から、歴戦の猛者独自のオーラを肌身で感じ取り、

総身(そうみ)(あわ)立ち頭髪も一気に逆立つ大河嬢…。

 まぁ元々そんな空気事態だけならば、

主に士郎のせいで慣れ切ってしまった感のある彼女であったが、

ぼんやりと映る男のソレはその(たたず)まい、その気配に、

彼自身が積み重ねた筆舌に尽くし(がた)い半生が(にじ)み出ているせいもあり、

士郎のソレとは一線を(かく)していた。

 彼女自身、学生時代から一介の剣士として相当の実力を備えてこそいるものの、

しかしその男から放たれる空気に圧倒され、こうして微動(びどう)だに出来ずにいる程であった。

 …あと何気に彼女のストライクゾーンに入る、(しぶ)(あふ)れる男性でもあった。

 

 

 『「―――何故俺がここまで握力に(こだわ)るか分かるか?」』

 

 「…拳が打撃の、出口だから?」

 

 『「うむ…正解だ。」』

 

 彼女が呆気(あっけ)にとられている最中であろうと、格闘談義は粛々と続く。

 最早怪談とは程遠い内容から来る問いに対し、

参加者の一人である柳洞 零観が自らの(あご)に手を()えつつ応え、

ソレに瞑目(めいもく)しつつ満足げに頷く士郎(ザファル)

 

 『「打撃力の圧縮は握力で完了する。

最後の握りの極め方次第で打撃効果まで一変するのだ。

 …と、言葉にしたところで想定はしづらいか。」』

 

 自身の鍛え上げられた利き手を握り拳に変え、

薄暗い周囲に見せつける士郎(ザファル)に対し、

周囲の反応と言うか面持ちも別の意味で薄暗くなってゆく。

 

 ―――もうコレなんの集会なんだよ…。

 

 そんな白け切った突っ込みが、

柳洞 零観を除いた朗読会参加者一同の胸に去来する中、

暫し静まり返った堂内に士郎(ザファル)が次なる言葉を発する。

 

 『「ならば一つ、ここで分かりやすい事例を披露しよう。」』

 

 その言葉と共に彼は、自身の背後に置いていた小さなバスケットへ手を伸ばし、

ソコからとある果実を取り出した。

 ソレはなんの変哲も無い一つのリンゴ。

 彼のデカい掌に収まっている事から見た目通常サイズと思われがちだが、

実際のところ成人男性すら片手で掴む事が困難なくらいに大きい。

 いったい何処でそんなギネスとタメ張れる様なモノを仕入れてきたのか…、

この際ソレに突っ込むのも野暮というものか。

 

  『「一度きりだぞ…真剣に観ろよ。」』

 

 規格外サイズのリンゴが握られた規格外サイズのゴツい右手を、

円状に座る参加者達が注目し易い様、その中央にゆっくりと突き出す士郎(ザファル)

 「リンゴ潰しかよ―――」…と、完全に今回の趣旨から外れたその行為に、

本来ならば注意なり非難なりが周りから飛び交いそうなものではあるが、

現在正しく鬼気迫る程の闘気をその身から間欠泉の如く吹きだす(しろう)に対し、

そんな命知らずな行動を起こす者など誰一人として居なかった。

 恐怖で身を(すく)ませる紳士淑女の皆様方の、

そんな心情など一片も考慮に入れず、漲る士郎。

 後は手筈通りこのリンゴを握り潰すだけ…しかし今の彼の思考は、

不安で埋め尽くされており、ザファル先生によるお膳立て(フィーチャリング.)からその身を解放された今、

既に身体の自由が効いてはいるものの、

右腕を前方に突き出したまま、ピクリとも動く事が出来なかった。

 

 (出来るのか…この俺に?)

 

 リンゴならばこれまで何度か潰してきた士郎だが、

これから行う例のアレは正直に言って次元が違う。

 潰してきたリンゴの数だけアレに挑戦してきたが、

結果はよく居る握力自慢が握り砕いた不細工なモノばかり。

 そんな士郎の背後に悠然と佇み、

叱咤激励の一念を彼の背に送るターバン巻いた色黒のオッサン。

 

 ―――諦めるな 士郎(セスタス)

      この局面 正念場だぞ!!―――

 

 …別に正念場じゃあ無いし、なんなら今後の事を考えると、

サッサと取りやめた方がいいモノであるが、

これが回想と言う時点でその懸念も、もう遅い。

 周りの重い空気を置き去りにして今、師弟はクライマックスを迎えていた。

 もはや日課の如くコチラへ襲い来るヘラクレスを思い浮かべ、

ソレに合わせる様に自らの拳を命中させるまでのプロセスを思い描く。

 

 ―――永遠を錯覚する様な一瞬の静寂…そして―――…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その音は空気を叩き割る鞭の如く。

 暗い本堂に響いたその派手な音と共に、

士郎の手により握られていたデカいリンゴが、

瞬く間に観測者たる彼等の眼前から消え失せる。

 

 「…は?」

 

 「ぇえッ!?」

 

 「消えたッ?」

 

 士郎が彼等の前で起こしたソレは、語り部というか一般市民の目の前で、

本来見せちゃいけない集大成。

 流れに身を任せた結果とは言え、ソレを堅気連中の前で披露した挙句、

尚且つ成功までしてしまったこの事態に、

彼は事の重大性の何もかもをかなぐり捨てて、

涙と共に喜びの雄叫びをこの場で張り上げたかったが、

現在行われているのは檀家行事の親睦会。

 腹の底から止め処なく湧き出る狂喜の衝動を、

理性で自制する他に無かった。

 …しかし…耳をすませばホラ、聞こえるだろう…。

 

 ―――ミシミシ…ミシィッ…

 

 何かが軋むその音の出所(でどころ)は、

総身を小さく震わせつつ昂ぶりを抑えている士郎に代わって、

背後から(かな)でられたモノ。

 ソレは弟子の成長を目の当たりにして、

溢れ出る喜びに感極まり、本堂を支える幾つもの太い柱の内の一本を、

嬉々として片手で握り砕こうとしている、ターバン巻いた()の恩師。

 

 『―――開眼したな…(つい)に』

 

 薄っすらと微笑みながら、弟子の背を(とら)えるその眼差しは、

子を(いつく)しむ父の如く。

 …周りで置いてけぼりを喰らうオーディエンスを放置して、

師弟は今、今日(こんにち)に至るまでの苦難の日々を、

万感の想いで振り返っていた。

 …衛宮 士郎へと成り代わったあの日から、

ヘラクレスという強迫観念に日々、苛まれ続けた五年間…。

 決して短くなかったこの年月を、休む事無くひたむきに走り続けるよう、

イカれた連中に強制されてきた凡人たるこの男は、

今日、遂にひとつの頂きへと辿り着いたのだ。

 

 

―――…(ゼロ)距離打法『無間(むけん)』開 眼の瞬間である―――

 

 

 因みに現在、漢達が居るこの場所は、

血沸き肉躍る闘技場でも、凄惨極まる修羅場でも無く、

清浄な空気流れる寺院である。

 一般大衆たる語り部達にとって、滅多に縁の無い非日常…。

 ソレを垣間見た事で周囲が騒めく中、

彼等をそっちのけにして尚も感動の余韻に浸り、

世界そのものが停止している師弟(アホ)二人。

 しかし、そんな余韻も束の間だった。

 

 「―――フゥッ!?」

 

 士郎は自身の左脇腹に、突如感じた事の無い凄まじい衝撃を受けた。

 雷の如く全身へ走り抜けてゆくその痛みに、たまらず視線を向けてみれば、

ソコには肘鉄を彼の左脇に叩きこんだままの藤村 大河が、

にこやかな笑顔でコチラを見上げていた。

 

 「…とっとと、何とかなさいよ、コレ…。」

 

 笑顔とは裏腹に、その声色はまったくもって笑っていない。

 先程のザファルとタメを張る程のド迫力に圧倒され、

急速に熱から冷めてしまった士郎は、事態の収拾をつけるべく、

騒ぐオーディエンスもとい語り部達に、狂喜と恐怖が綯い交ぜになった様な、

形容し難い声色で応える。

 

 「………手品じゃないんだ、消えちゃいない…。」

 

 そう言うやいなや、士郎の前で目を見開き固まったまま座る氷室嬢へ向けて、

彼の右手に収められているであろうブツをほうり投げた。

 反応が一瞬遅れつつも、一旦正気を取り戻し、

慌ててソレを両手で何とか受け取る氷室嬢。

 そして両手に視線を落とした瞬間、

石化の魔眼にでも魅入られたかの様に、再び固まってしまう氷室嬢。

 そんな彼女の両手に投げ込まれたリンゴを確認すべく、

彼女の下へ集まった語り部一同も、

先程まで瑞々しかったはずのリンゴだったソレを目撃した瞬間、

彼女に倣うかの様に、目を見開いたまま石像化。

 

 ―――先程まで新鮮なリンゴが…、一年干ししたかの様にカラカラに!?

 

 ―――床も殆ど濡れていない…。

 

 ―――果汁はいったい何処へ消えたんだ!?

 

 最初に疑念と驚嘆の言葉を発したのは、いったい誰だったのか…。

 ソレを切っ掛けに堰を切ったかの如く、それぞれが感想を漏らしてゆく。

 恐々とした面持ちを並べ、冷や汗を流す一同の鼻腔に、

何時しか甘い芳香が届いていた。

 リンゴの香りが暗い本堂内を満たす中、

もはや生気すら感じられない能面ヅラを並べる一同に、

ゴリラが静かに語り出す…。

 

 「…思い返してみれば常日頃から…己は、この場に居る諸君等に対し、

事あるごとに迷惑をかけてきた。

 今日この場を借りて、謝辞を述べさせてもらおう。」

 

 氷室嬢を先頭に、彼女の両脇やその背後に居た朗読会参加者一同、

微動だにする事無く、ただ静かに目の前の霊長類が発する言葉を拝聴する。

 …しかし、森の賢者から次の言葉が紡がれた瞬間、

一同は脂汗と共に五臓六腑がただれ落ちる様な錯覚に見舞われ、

脳内にけたたましい警鐘が鳴り響く。

 

 「そんな皆に、これまでの謝罪とこれからの親睦を深めたく、

一人一人に握手をしたく思うのだが…どうだろう?」

 

 彼の、その本気かどうか分からない提案に対して、

この場に居る皆が皆、彼から出来る限り距離を取るべく、

首を左右に振りながら徐々に後退を始めてゆく。

 なお、不幸にも彼の真正面に座っていた氷室 鐘は、

心身共に限界を迎えていた為、最早動く事もままならず、

唯一逃げずに彼女の傍らに留まっていた、

藤村 大河のスカートの裾を、只々必死になって掴んでいる。

 因みにそんな大河の方はと言えば、

ここから先の展開がもう分かってしまっているのか。

 終始、士郎の方へ視線を向けており、その目も完全に据わってる…。

 

 

「さ ぁ み ん な 、握 手 を し よ う じ ゃ な い か !」

 

 

 彼が壮絶な笑顔を浮かべ、目の前に座ったまま金縛りにあっている氷室 鐘へと、

機動隊顔負けのゴツイ右手が差し出された…その瞬間、

本日最後の蝋燭から明かりが一陣の風と共に消え、本堂は深い闇に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――深夜の墓前の傍で~…騒がないで下さい~…♪

 

 …そんな出だしから始まるかもしれないテノール調の歌声が、

逃げ惑う少年少女たちの耳朶に幻聴として流れる中、

柳洞寺管理下にある墓地を舞台にして突如として始まった、運動会。

 チョークスリーパーを必死にかます藤村 大河をその太い首にぶら下げたまま、

逃げ惑う語り部一同をひたすら追いかけ回す、その物の怪の名は衛宮 士郎。

 百にも満たない物語、その最終話の末に降臨した悪鬼羅刹は現在、

涙と喜びの表情で満ち足りており、まるでヤベェ薬でもキメた格闘選手の如く、

ヘッドバンキングしながら絶叫を上げていた。

 喜怒哀楽…様々な感情が綯い交ぜとなった柳洞寺での一夜は、

参加者一同にとって決して忘れられぬ、

ひと夏の悪夢もとい思い出となった事だろう…。

 …藤村・蒔寺両名を除いて、全員本気で泣いてたし…。

 

 

 

 

 

「ファウッ」

 

「ファウッ」

 

「ファウッ」

 

「ファウッ」

 

「止ォまれッつってんでしょうが―――!!!」

 

 

 


 

 

 

 (―――強くなるって楽しいな…。)

 

 感慨深い言葉と共に瞳を閉じて、思い返してみれば、

未だ耳目に残っている…。

 夏場の夜空に鳴り響く、老若男女の絶叫が。

 中でも飛び切り大音量の金切り声を張り上げて、

火事場の馬鹿力よろしく人生裏街道を驀進(ばくしん)している皆さんと、

本気でタメ張れる程の身体能力を遺憾なく発揮して、

柳洞寺内を飛び跳ねる様に逃げ回った一人の語り部が、

彼の瞼の裏に、強烈なくらい印象に残ってる…。

 そう、ソレが三枝嬢の背後で今尚も震えているメガネっ子、

氷室 鐘その人である。

 

 ―――氷室 鐘…彼女は藤村 大河同様に、

士郎のせいで原作設定から大きく乖離してしまった、

哀れな犠牲者の一人であった…。

 

 

 

 

 

 

 「行った?!ねぇ、もう行った?!ねぇ!!」

 

 「あぁ…うん、もう行ったから。取り合えず、落ち着こう、ね?」

 

 諸悪の根源・衛宮 士郎が自身の教室へと立ち去った直後、

堰を切ったかの如く恐怖に安堵と…様々な感情が溢れ出す氷室嬢。

 

 「…うぅ…ゴメン、ほんと…ゴメン…。」

 

 本来ならば古風な口調を日常的に使う彼女だというのに、

士郎が接触した後は、何時もの超然とした余裕も消え失せるのか。

 年相応の言葉使いで、三枝の小さな背中に自身のおでこを押し付けつつ、

申し訳なく謝る涙目の氷室嬢。

 その有様はさながら、母親に縋る幼子の様。

 彼女は立つ事すら叶わぬほど力が抜けているのか、

三枝の両肩に自身の両手を置き、震えるその身をただ必死に支えている。

 そんな彼女の様子を背中越しで感じつつ、三枝は百物語が行われたあの夜を、

遠い目で振り返る…。

 衛宮もといゴリラから差し出されたゴツイ右手を前にして、

腰が抜けて動けぬ友人を置き去りに一目散に逃げてしまったあの苦い夜を…。

 その負い目故に、氷室に対し「少しはフォローしてくれよ」等とは、

決して言えぬ三枝であった。

 

 

 

 ―――事情を知らぬ者から見たならば、

二人の女学生が織りなす、何ともてぇてえ光景…。

 そんな彼女たちを静かに盗み見る、幾つもの生温かい視線。

 そのねっとりとした視線の内に、慈しみが混じったモノが、

氷室嬢だけを捉えている。

 

「…守護る」

 

「…守護らねば」

 

「俺(私)以外にはおらん」

 

「「「「俺(私)が氷室 鐘を、守護らねばならぬ」」」」
 

 

 …小動物の様な愛らしい存在へと変貌を成し遂げた氷室 鐘…。

 そんな彼女を遠まきから見守ると言うか守護ると心に誓う、

『氷室 鐘を守護る会』なる業深き集団組織が、

氷室本人の知らぬうちに、日々その勢力を拡大。

 粘りある草の根活動により現在、穂群原二大女神信徒を切り崩しており、

じわりじわりとその勢力図を塗り替えようとしていた…。

 ―――が、ソレは本筋とはまったく関係の無いお話…。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …―――2年C組…。

 HRが始まる時間まで続くだろう学生達の喧騒が、

両隣のクラスから聞こえてくる…。

 しかしこのクラスのみが、その喧騒からゴッソリと剥ぎ取られたかの様に、

静まり返っている…。

 因みに、その静寂の原因足る存在は現在、

無骨な貌でただ黙々と自身の席周辺を覆い隠すかの如く、

分厚いブルーシートを四方に設置している最中である。

 これは日々授業毎に、

微動だにする事無く血しぶき巻き上げ周囲へ迷惑かけまくっている、

彼なりの配慮であった。

 最近では学生諸兄の精神衛生上を鑑みて、

士郎に対してとっとと自主退学を勧めるべきだとの声が、

PTAを始めチラホラあがっているのだが、当の学園理事長がソレをしようとしない。

 ソレもそのはず、士郎が縁故にしている藤村組・組長と穂群原学園理事長が、

昔ながらの旧友だから。

 まぁ、あとは何気に他教師の何名かが藤村 大河に対して、

衛宮 士郎という問題に対してどう思うか…と、遠回しながら振ってみるモノの、

彼女はのらりくらりとその難題を躱し切り、挙句問題を棚上げしたりもしているが。

 藤村家・水面下における静かな暗闘の下、

日々社会的に守護られている彼・士郎であった。

 

 「みんな、オハヨー―――!!」

 

 ―――午前8時35分。

 先程までお通夜状態だった教室内に、

生徒たちの心を和ませる、女性の元気な声が響き渡る。

 実家では決して見せる事の無い、朗らかな笑顔と共に、

当教室担任である藤村 大河先生のご登場である。

 彼女が現れた事で、張り詰めていた教室内の空気が

徐々に緩和されてゆく。

 ソレは彼女の人柄故に成せる業、と言ったところか。

 そんな彼女は本来ならば、

『タイガー』なるあだ名で学園生に親しまれている訳であるが、

この物語においてもあだ名こそ付けられているが、その呼び名が異なっている。

 最も代表的なモノを挙げれば、

『お釈迦さま(♀)』・『女魔物使い』・『飼育員のお姉さん』などだろうか。

 …『タイガー』というあだ名もあるにはあるが、ソチラは後述するとして。

 対し、士郎のあだ名と言うか渾名と言えば、

前述した『拳王』・『聖帝』・『キング』等があるが、これ等は冬木市市民の間で、

何時の間にか、まことしやかに呼ばれる様になったモノであり、

ソレ等に学園内で呼ばれるモノも加えると、結構な数になる。

 生徒内で呼ばれている代表例を挙げてみると、

『筋肉ゴリラ』・『エミヤ・エミヤ』・『一人エクソシスト』等である。

 まぁ、士郎本人に面と向かってこれ等で呼ぶ者など、

当然の事ながら皆無であるが。

 因みにこれ等の名付け親は、その大半が間桐 慎二であったりする。

 と言うか中学時代のあだ名に関しても、大体彼が名付け親である。

 なお、士郎本人は名付け親が慎二である事に薄々気付いているが、

特に気にも留めていない。

 あだ名を付けるなんて学生特有のモノであるし、

仮に彼が慎二の立場であったなら、恐らく似たようなあだ名を付けるだろうからだ。

 …しかし…むしろソレ等のあだ名を耳にした、

当時の大河の剣幕が非常にヤベぇモノだった。

 

 

 「…え…イジメ…?ウチの士郎が、私のクラスの糞餓鬼(だれか)にイジメられてる…?」

 

 

 …2年C組一同は見てしまった…。

 何時も朗らかな藤村先生の、怒り狂った虎の如きその気性を…。

 その後、彼女は怒りに身を任せた挙句、

急遽学級会議まで取り開き、議題として取り上げた。

 あの苦々しい放課後の教室を、士郎は本当によく憶えている…。

 …だってある意味、槍玉だもの。

 そもそも、こんな筋肉ゴリラをイジメようとする勇者など、居るはずがない…。

 むしろあの学級会議自体が一種イジメの様相を呈していた。

 だが議題に取り上げた大河本人が、

まるでナニカに憑りつかれたかの如く暴走していた為に、

士郎を始め皆が皆、ソレを指摘する気になれなかった…だってナニか怖いもの。

 それ以降、大河の逆鱗が士郎である事を思い知った2年C組一同を始め、

一連の騒動を噂で知った他クラス生徒諸兄等も、

表立っては無論の事、裏であっても士郎をあだ名で言い表す者は、

文字通り皆無となった。

 とにかく今後、衛宮 士郎関係にさえ触れなければ、

彼女は何処までも優しく、生徒思いな藤村先生でいてくれるのだから。

 …こうして、大河の度が過ぎるほどの過保護故にヤラかしたこの一件で、

元々腫物扱いだった士郎は、更にボッチ化が加速する破目となった…。

 

 …因みに、逆鱗に触れ暴走状態に陥った大河のあだ名が、

『タイガー』であるという事は、何とも皮肉な話である…。

 

 

 

 

午後十二時二五分

 

 

 

 

 

 

 ―――午前の科目が恙無く終了し、迎えた昼休み…。

 ソレは衛宮士郎が席を空け教室から不在となる、とても貴重な時間帯。

 学生達の下にかくあるべき安寧たる一幕が、戻ってきた瞬間である。

 …まぁ、先程まで非日常が鎮座していた教室の一角から、

鉄の香りが匂い立ち、血痕等が所々に飛び散っているのだが、ソレも慣れ。

 もうじき一年近くなるこの異常も、過ごしてみれば彼等にとっての日常だ。

 年端もいかぬ学生諸兄も、いい加減悟ってしまうものである。

 もはや気にするだけ無駄なのだから…諦めろ、と。

 さて皆が皆、崩れた笑顔で気の許せる者同士がグループを作り、

昼食の準備をする、そんな中…男子学生が思春期特有の、

よくある下世話な遣り取りが周囲の耳朶に届く。

 ソレに対し女生徒の内何人かが、

非難がましい目を向けて、当の男子学生グループを無言で咎めたりもしているが、

そんなモノなど歯牙にもかけず、盛り上がる若人達。

 そんな彼等もあと数年程すれば、女性陣の手前、

下ネタを控える様になるのだろうが、現在彼等はまだ恐れを知らぬお年頃。

 「モラハラ何するものぞ」とでも言わんばかりに、青臭い話に花を咲かせてゆく。

 

 「う~ん…やっぱり俺は、鎖骨あたりに仄かな色気を感じるな。」

 

 「オレは腹回り…というか、臍まわりに心惹かれる…。」

 

 「身長(タッパ)(ケツ)がでかい女がタイプです。」

 

 とは言え内容それ自体は、下世話と言っても所詮は知れたモノ。

 議題に取り挙げられた今回のテーマは、

『女性の肉体でどの部分に拘りを感じるか』…といった、

ややマニアックなモノであった。

 …が、ソレも徐々に話題が尽きたのか、

現在彼等の話題は『好みの女性は誰か』という

ダイレクトかつ極有触れたものへ、内容が変化していた。

 

 「氷室一択。もはや譲れん。」

 

 「…ウム…守護らねば。」

 

 「三枝×氷室で。」

 

 「皆、定番過ぎてツマらんな。

 オレは総合的かつ具体的な理想像として藤村を推す。

 いいよな…藤村。あの野暮ったい服の上からでもよく分かる…。

 出るとこ出て引き締まったエロい肢体もそうだが、

ソレを感じさせない天真爛漫で包容力ある大人の女性って感じが。」

 

 「いや、教師を推す時点でお前の発想も定番だから。

 ソレにアレはもう一生衛宮くん家の飼育員で確定だろ~。

 お前も覚えてるだろ…ホレ、あの学級会議…。」

 

 「あぁ、アレなぁ…。申し訳なさそうな表情(かお)した間桐見たのって、

後にも先にもアレが初めてだったよなぁ。」

 

 「衛宮くん、いいなぁ…。年上の美人教師ゲットして。

もう人生半分勝ち確じゃん。」

 

 自宅から持参した弁当や、学園側が購買している菓子パンを食みつつ、

話を弾ませる男子学生一同。

 彼等が交わす話の内容から分かる通り、皆が皆もう察してる。

 藤村 大河の、衛宮 士郎に対しての、あの病的な扱いぶり。

 アレは「教師」と「生徒」という枠を超え、

女としてのいち部分が所々で悪目立ちしている。

 現在あの二人の関係性…、ソレは後もう一押しでもあったらば、

禁断の関係めでたく成立という、

危うい均衡の上に成り立っているモノだった…。

 

 「とゆーか衛宮くんて、女に興味とかあんのかな?

 空間捻じ曲げる事*1以外、特に趣味もなさそうだけど。」

 

 「あぁ…拙者、衛宮殿の好みのタイプ知ってるでござるよ。」

 

 溜息混じりに誰かが何気無く口にしたその疑問…。

 しかし、ソレに至極あっさりと応える人物が居た。

 その人物の名は後藤 劾以。

 その日その日によって口調や行動がコロコロ変わる、愉快な男子学生である。

 …士郎がよく偽名に用いる名前ゆえ、

裏とか闇とか付いて廻るなんとも物騒な連中に、

知れ渡ってしまったビッグネームでもあるが。

 

 「ソレはちゃんとした有機生命体か?ダンベルとかバーベルとかじゃなくて?」

 

 「いや、れっきとした人間でござるよ。

 …まぁ、空想上というかある意味、

青年男児みんなの憧れみたいな存在というか。」

 

 後藤君の一言一言に気になったのか、

教室で昼食を摂っていた生徒達皆が皆、

誰も彼もが意味の無い雑談しつつも、自らの聴覚を研ぎ澄ます。

 

 

 


 

 

 

 ――――あれは去年の晩秋…。

 毎年恒例である体育祭も無事終わり、

体育委員会側から各学年へ、片付け要員が募集された。

 当時C組からは、大河による必死の静止を振り切って、

色々とヤリ遂げてしまった衛宮 士郎が強制参加扱い。

 残り参加枠として数名の生徒があみだくじにより選出され、

その放課後、燦燦たるグラウンドへと駆り出された。

 後藤君は外れクジを引いた、そんな不運な参加者の一人だった。

 因みに、同じく外れクジを引き当てた間桐 慎二も、

片付け要員として加わる事が決定されていたハズだったのだが…。

 

 「これ以上ゴリラと一緒になんて居られるか!僕は家に帰らせてもらう。」

 

 そう言うや彼はサッサと学生服に着替えると、勝手に自宅へと帰ってしまった。

 無論、取り巻きの女子生徒数人を引き連れて。

 

 

 大小様々な爆心地の如き窪みが、

そこかしこに出来ている、黄昏時のグラウンド。

 そんな光景を呆然と眺める穂群原学園在学生…と言うか片付け要員一同。

 体育祭による疲労もあり、殊更気怠くなった身体に鞭を打ち、

予め分担されていた役割を、雑談交じりにこなし始めてゆく。

 士郎を始めとしたC組参加者に割り振られた作業は、

取り寄せていた土砂を、グラウンドへ運搬・補填するという内容だった。

 尚、士郎本人は穴だらけになったグラウンドの補填作業、ただ一択である。

 最早クレーターと言ってもいい穴の底へ、

シャベルを肩に担いで意気揚々と飛び降りてゆく士郎を横目に、

残りの彼等はゾロゾロと校舎裏手へ…。

 ソコには役割分担の際、説明にもあった、気の遠くなるぐらいの土砂の山。

 その光景を目の当たりにして、彼等は一瞬立ち眩みを覚えるものの、

何とか気を持ち直すと、土砂の脇に予め用意されていた幾つもの手押し車に、

乗せられるだけの土砂を乗せ、再び月面の如きグラウンドへ…。

 まるで戦場跡の様なその惨状を、深い溜息と共に遠い目で眺める一同。

 疲れた表情を最早隠すことも無く、彼等は指定された場所へ到着すると、

手押し車を前方へ、順に勢いよく傾けて土砂を穴へと落としていく。

 体育祭を適当にやり過ごした彼等とは言え、

それでも疲労はそれなりに溜まっている。

 故にちょいと一息…とばかりに、先程まで行われていた体育祭を振り返り、

彼等は口々に感想を漏らし始める。

 

 「…敵無しだったな…ウチのクラス。」

 

 「まぁ、衛宮くん居るしな…。」

 

 「いや~…怪我人出なくて、本当に良かったよ。」

 

 「片付けには難儀してるでござるが…。」

 

 届けられた土砂をシャベルで掬い、

黙々と補填作業に勤しむ士郎に配慮して、小声で話す男子達。

 見た目ヤクザも逃げ出す厳つい巨漢でこそあるが、心は硝子の如く繊細だ。

 だってほんの少しでも機嫌を損ねてしまえば、

この男は身動きひとつ取る事無く能面ヅラで、

場の空気を文字通り捻じ曲げて、板垣ワールドへと塗り替えるし。

 …この場に居る誰もが通過儀礼の如く、一度は必ず味わっている、

昇降口での正気度チェック…、ソレを何故か一斉に思い出し、

男子一同が范然(はんぜん)とした面持ちになってゆく…。

 

 「…いかん、一旦仕切り直そう。

 何か…こう、やる気の出る話題とか無いのか?」

 

 「…やる気の出る話題~…?」

 

 「…そ~だなぁ…体育祭はやっぱりダルいけど、

堂々と女子連中の体操着姿が見られるってのはイイかな~…って。」

 

 「「「あ~…。」」」

 

 正直終わる見通しが全く着きそうにない作業に、皆が辟易としている中、

一人の男子生徒が何とはなしに口にした色ある話題に、

何気なく同調する他一同。

 当時、体育祭が終わった直後もあってか、

年頃の男子学生の間で、そういった下卑た話題になるのも、

まぁ仕方の無い事なのかもしれないが。

 

 「美綴の、あの健康的な肢体から飛び散る汗…。」

 

 「遠坂のおみ足って結構しなやかだよなぁ。」

 

 「蒔寺もなぁ、スタイルだけならイイんだよなぁ…。

 性格は…もうこの際、置いといて。」

 

 「今日はイイ目の保養にござった。いやはや、眼福眼福。」

 

 結局、思春期男子の原動力はエロなのか…。

 陰鬱な気分から一転し、枯渇しかかっていた活力も、

徐々に湧き出てくるC組男子一同。

 和やかな空気に気も緩んでいたのか、

一人の男子生徒がつい、士郎に向けて気軽に話を振ってしまう。

 

 「そう言えば衛宮殿は懸想する女人等、居られぬのか?」

 

 (おい――――!!)

 

 (正気か後藤―――!!)

 

 (なんでソッチにまで話を振った、オマエ!!)

 

 後藤君から突然振られた質問に、ピタリと動きを止める士郎…。

 士郎は持っていたシャベルを地へと差し、

瞳をゆっくりと閉じて、茜色の空を悠然と仰ぐ。

 難題に悩むかの如く両腕を組んだまま、真剣に逡巡する事、暫し…。

 …―――そして…天啓を得たかの如く目を見開くと、

彼は自身の理想とする女性の名を、噛み締める様に口にした。

 

 『「…小野田ぁ…優良さんが、好きだぁ…。」』

 

 ((((あ~…))))

 

 何か四十歳手前の童貞臭いオッサンみたいな声色で吐き出すその答えに、

妙に納得してしまうC組男児一同。

 何故ならば、この場に居る彼等は奇しくも「ふ〇り〇ッチ」の愛読者であったから。

 まぁとは言え、文学もとい士郎の場合、ほんの少し事情が異なるが。

 生前含め、こうして年齢を重ねていった結果、

異性の好みに対して原点に立ち返ったというか、典型的になったというか。

 闘い・戦い・斗いと…そんな心休まらぬ日々を過ごす内にこの男、

ツンデレとかヤンデレと言う変化球などよりも、

何時しか傷付いた自身の帰りを待ってくれている、

母性溢れる女性に対し、バットをぶん回す様になっていた。

 …まぁ決定打として言えば、ある日最寄りのコンビニで、

偶々手に取ったヤ〇グ〇ニマルをペラペラ適当に捲ってみたら、

偶々目に入った、思春期男児の入門書「ふ〇り〇ッチ」。

 「あ~懐かしいなぁ読んだ読んだ」という仄かな感慨の下、

何となく読み耽るうちに、長い禁欲生活が祟ったのか、

徐々にKAPPEI化していく士郎なのであった。

 

 「なるほど、優良さんでござるか…。男の憧れでござるものなぁ…。」

 

 そして彼の答えに共感を覚えている後藤 劾以…。

 この少年も、ある意味「終末の戦士」であった。

 お互いが心地良い殺風(さっぷう)を身に纏い、

まるで十年来の旧友(とも)の如く、由良さん談議に花を咲かせる。

 

 「一度男として世に生を受けたならば、あの様な素晴らしい女人と、

人生、歩いて行きたいモノでござるなぁ。」

 

 『「ウム、(しか)りよ。」』

 

 「ただ(それがし)、少々心配にござる。

 あの夫婦(めおと)、毎週アレだけ(はげ)んでいるというのに、

(いま)だ目出度い話のひとつも上がってこぬし…。」

 

 (((…ソコは連載上の都合だろう?)))

 

 『「なぁに、あれだけお盛んならば十年後、お子さんの一人も出来るだろうさ。」』

 

 「じゅ、十年後でござるか…。

それまで〇・〇樹先生は執筆しているのでござろうか?」

 

 『「しているさ…必ずな。」』

 

 (((何だ、この会話?)))

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

「小野田 優良って誰だ―――!!!」

 

 

 

 怒鳴り声と共に突然、教室の引き戸が豪快に空け放たれかと思えば、

エラい剣幕でC組へと乱入する一人の女子生徒。

 ―――彼女の名前は蒔寺 楓…。

 前述した通り、何故かゴリラに懐いている、よく分からない女である。

 お隣り2年B組に籍を置き、本人は穂群原の黒豹を自称しているが、

在学生一同は彼女をこう呼んでいる…穂群原の取扱危険(人)物…と。

 その日の士郎と彼女の接触次第で、士郎が文明人を維持出来るか、

ゴリラへと退化するかが決まると言っても過言では無い。

 故に、士郎とこの女が接触したその瞬間、

その場に居る生徒達が、波が引くかの如く居なくなる。

 誰だって爆発物の近くになど居たくも無いので、至極当然の事だろう。

 …まぁ、中には運悪く逃げ遅れる犠牲者も出てくるが。

 その後、彼女の行動如何によっては、

一時的発狂という深刻な被害を受ける者も居れば、

1D3のSAN値減少程度で済んでしまう者、

または何事も無く場が収まり、その日は平和に終わる…なんて事もある為、

何とも評価のしづらい人物であった。

 そして、そんな危険(人)物の管理担当として、

本来ならば三枝・氷室という両生徒が居る訳だが、

三枝は必要に迫られない限り、士郎には一切近づかないし、

氷室に至っては前述した通りで役にも立たない。

 現在、奴は席を空けているとは言えども、

彼女達がC組に近づく事など、文字通り皆無であった。

 

 ―――二人の手から解き放たれた、蒔寺 楓(この女)を除いては…。

 

 蒔寺は勢いのままに、ズカズカと後藤君の座る席まで歩み寄ると、

彼の胸ぐらをガシリと掴み、天高く持ち上げて、力の限り前後に揺さぶった。

 

 「答えろ後藤―――ッ!小野田 優良って奴は、

いったい何年何組だ―――!!?」

 

 「オッオッオッ落ち着くで、ござるッよォッ!!」

 

 ここ穂群原学園に於いて、ストッパーの居ない蒔寺ほど、

厄介な存在は居なかった…。

 

 

 

 

 

 

 

 学園関係者の皆が皆、ランチタイムと洒落込み始めている現時刻は、

午後十二時三十分。

 雲ひとつ無く晴れ渡る、冬木市の空の下…穂群原学園校舎その屋上。

 その片隅に設置された給水塔の上に独り、両腕を胸に組み悠然と佇む巨漢が居た。

 最早名前すら書かずとも、もう皆さんお分かりだろう…奴である。

 現在彼の出で立ちを簡単に記そう。

 頭部に何とも魅惑的な一品を装着している以外、上半身に纏うモノ一切が無く、

下半身のみが学園指定の服装で極めこんでいる…というモノである。

 正直に言うならば、本能の赴くまま下もとっとと脱ぎ捨てて、

純白ブリーフ一丁となり鍛え上げたこの総身を、

冬木の空の下、晒したくあった彼であるが、

今度見つかれば停学どころでは済まされないだろう事を考慮して、

上半身のみで妥協した。

 そう、この中途半端なスタイルは、苦慮の末に生まれた産物なのである。

 …目を閉じれば、この間の様に思い出す。

 黄昏時の陽射しが差し込む衛宮邸・居間にて、

大河嬢が真っ赤な顔で泣きながら士郎の大胸筋を何度もしつこく叩きつつ、

明け方近くまで説教かましてきた、あの苦い日を…。

 

 「………今度やったら、士郎殺して、私も死ぬから。」

 

 説教の締め括りに、まったく冗談に聞こえぬ声色で、確かに彼女はそう言った。

 日を跨ぐまで泣き続けた為に充血しきったその目は、本当に笑っていなかった。

 この出来事以降、服を脱ぎ捨てたい衝動に駆られる度に、

彼はその言葉を電流が奔ったかの如く思い出し、

自重という言葉をその身に刻み込まれてしまっていた。

 しかし現在、士郎はその身の内に、

正義の味方・変態仮面が舞い降りてしまっている状態だ。

 自重などという言葉など、当然変態の辞書に存在しない。

 …そう、存在してはいけないはずだったのだが、

あの日…大河が発したあの言葉が、あの鋭い眼光が、

この変態の身にも、恐怖という感情と共に刻み込まれてしまったのか…。

 上着だけならばまだしも下履きに手をかける度に、

大河が締めに発したあの台詞と能面の様な貌が、

変態の脳というか精神にフラッシュバックを引き起こし、

変態仮面へと完全脱衣(クロスアウト)する事に、深い躊躇いを覚えていたのである。

 

 

 

変態仮面、最大の危機到来である!!!

 

 

 

 『「―――…せ、せめて昼間は自重しよう…。」』

 

 …まぁ、それでも変態なりの抵抗の表れなのか、上半身のみ露わにした上で、

奴のレゾンデートルと言っていいパンツ(藤村 大河)だけは、しっかりと被っているが。

 奴からみれば、「これならばセーフだろう?」と本気で思っているのだろう。

 当然ながらそんな訳など一切無く、現行犯で見つかった場合、

姉弟仲はおろか、社会的にも終了案件である。

 モノのついでに今後紡がれるだろう物語…StayNightの方も即終了…とまではいくまい。

 仮にこの変態…では無く士郎が拘置所だか留置所辺りに収監されたとして、

あのイリヤスフィールが止まるとは思えない。

 原作では面識も無いのに初見から、

一方的にぶつけてくる逆恨みに関してもそうだったが、

コチラの世界において言えば、冬木市郊外にあるアインツベルンの森を、

アインツベルンの更地(もり)にした挙句、

彼等が丹精込めて練り上げたであろう結界も穴だらけにした事も相まって、

必ずや何も考えず感情任せで襲撃カマして来る事だろう。

 まぁ今の彼にとっては、そのくらい望むところであるが。

 最悪な展開と言えば、どさくさ紛れに大河までもが、

黒を基調とした振袖をその身に羽織り、

ドスを構えて襲撃カマして来るかもしれないという事くらいだろうか。

 …こうして考えてみると、

今やイリヤスフィールやヘラクレスよりも厄介な存在と成り果てた、

藤村 大河という最大の懸念事項…。

 ソレを半ば無理矢理、思考の方隅へと追いやる士郎。

 そうして取り合えず気を持ち直した彼は、とある方角をただ静かに見据える。

 

 ―――その方角に在るのは円蔵山・柳洞寺。

 

 …去年の夏場、

百物語という惨劇を味わった者達にとって因縁の地であると同時に、

衛宮 士郎にとっては零距離打法開眼を果たした記念すべき地である。

 

 『「私の目に狂いはない。」』

 

 まるで何処ぞの部隊を率いる高慢ちきな首領の如きひと言を発すると、

彼は今宵行われるであろう祭りを想起して、

その分厚い大胸筋を高鳴らせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
グラップラー現象




次回、冬木市破廉恥祭り。
柳洞寺にて、しめやかに開催…。


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