双月の使い魔 (日卯)
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第1話・召喚

 

「早くしろよ『ゼロ』のルイズ!」

 

「『ゼロ』なんだから無理だって。いい加減諦めろ」

 

「何度やっても無駄さ『ゼロ』なんだから」

 

「これこそ本当に『ゼロ』だね! だっていつもみたいな爆発すらしていないじゃないか!」

 

 罵声が飛ぶ草原の中央で、ピンクブロンドの髪を靡かせた少女が一人、何もない宙を鳶色の瞳で睨みつけていた。

 

「なんで、なんで召喚、できないのよ――」

 

 トリステイン魔法学院そばの草原。現在そこには二学年への進級を控えた少年少女が集い、進級の通過儀礼、春の使い魔召喚の儀式を行っている最中であった。

 最中とはいっても、まだ儀式を終了できずにいるのはたったの一人であり、その一人のせいでいささか予定の時間を過ぎていたのだが。

 

「――なんでなのよ!」

 

 慟哭にも似た叫び声を中央の少女が上げる。

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。

 通称『ゼロ』のルイズと呼ばれる彼女は周囲の罵声よりなにより、離れていたはずの教師コルベールがいつの間にか側にいて溜め息を吐いたことに焦りをもった。

 

 時間がもうない。

 

 どれだけの失敗をしたのかわからない。いや、成功なんて今まで一度だってないのだ。ただの一度だって魔法が使えた試しがない。生涯の使い魔を召喚するための春の使い魔召喚の儀式。初めて使うこのサモン・サーヴァントの魔法ならばと思い、今日のために資料を読みあさった。大した数でもない注意事項をだからこそ完璧に実践出来るよう、何度も呪文を想像して脳内と口内でなぞった。

 

 そして完璧に実践したのだ。

 

 だがこの有様はどうだ。

 いつもとなにも変わらない。

 いや、これはもしかしたらいつも以上に酷いのではなかろうか。

 さっきから彼女が目にしているのは涙が滲むほど見慣れてしまった失敗の証である爆発ですらなく、なにも起こらないというさらに泣きたくなる事態だけであった。

 

「ミス・ヴァリエール、残念ですが今日のところはこれくらいにして、明日また挑戦しましょう」

 

 危惧した通りの言葉にルイズは唇を噛む。わずかに血が滲む。

 

(――変わりたい)

 

 凝った願いがカチリとルイズの心の中で形になる。

 

(――わたしはここで変わりたい)

 

 行きすぎた妄執が純化して、逆に真摯なまでの願いになる。

 

(――いつだって、これからだって、私は逃げない。だからここで私は、変わるんだ)

 

 周囲の生徒達はコルベールの声は聞こえなくても終了を告げたのだと把握し、先に召喚した使い魔達と下ろしていた腰を上げ始めた。

 

 ルイズは見下ろしていた地上から頭上、青い空に浮かぶ真昼の双月を睨み、涙をこぼさないようにして言った。

 

「……ミスタ・コルベール、お願いします。最後の一回をやらせて下さい」

 

 ルイズの言葉にコルベールは「いいでしょう」と頷いた。

 彼はこの小さな少女がどれだけの努力を重ねてここに立っているのかを知っていた。

 だから彼女の家柄や、この召喚が出来なければ進級できないかもしれないなどという事態よりなにより、誰よりも勤勉で努力家なルイズの願いを無下にすることなど出来そうになかった。

 

(はあ、これは明日と言わず、放課後も付きあって召喚できるようオールド・オスマンに掛け合っておきましょうか。――確かあの子も体調が悪くてまだ召喚できていませんでしたし……)

 

「ではミス・ヴァリエール、深呼吸をして心を落ち着けて下さい。そして強く願い、呪文のを唱えながら請うのです。最高の使い魔を。――何事にも全力でぶつかる貴女ならきっと出来ます」

 

「はい」

 

 ルイズの返事を聞いたコルベールは頷くと離れていった。

 

 言われた通りにルイズは呼吸を整え、蒼天の双月へ向けて呪文を唱える。

 最後の一回。これに全てをかける。全力をかける。一心不乱に、全身全霊をかける。

 彼女の視線はどこまでも真っ直ぐに、頭の中は愚直なまでの無心で、自然と紡がれた呪文は何の変哲もないもの。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! 五つの力を司るペンタゴン。我の運命(さだめ)に従いし、使い魔を召還せよ!」

 

 決して大きくはないがよく通る声が広場に行き渡る。

 短くも音程をともなったそれはまるで賛美歌のよう。

 今の彼女に出来うる限りの限界まで練られた精神力が、虚空のような何も無い空間を振るわせる。

 その音色に帰り支度をしていた生徒達が振り返ると、ルイズの頭上で水面のように揺らめく巨大な光の球を見た。

 それがカッと弾けたかと思うと、辺り一面を爆煙が被った。

 

 ゼロのルゥーイズゥ! またか! ロビン! 私のロビンが! と生徒達から悲鳴が上がり、小さな使い魔達は吹き飛ばされ大きな者達も混乱して暴れる。

 

 だがとうのルイズは爆風をもろに浴びながらも微動だにせずにいた。先ほど広がった光源の向こうに彼女は見たのだ。召喚成功の証である、光る鏡のようなものを。

 成功の二文字が彼女の心の内を埋め尽くし、思考が完全に停止していたのだ。

 そして爆煙が晴れた先で、ルイズはさらに目を見開く。

 

「げほっげほっ」

 

「おい、大丈夫か透(とおる)」

 

「――だ、大丈夫だよ才人(さいと)兄さん、げほっげほっ」

 

 そこには咳き込む少年と、彼を介抱する少年の二つの姿があった。

 

「あ、あんた達、誰?」

 

 舞う土埃を払い除けながら、ルイズは尋ねる。

 周囲にいた者達も少年達に気が付いたのか、「誰あれ」「おい、ゼロのルイズが平民を召喚したぞ」「平民、か? なんだあの服」「見たことないな」などとルイズへの罵倒から興味の対象が移行しつつあった。

 

「ルイズ、『サモン・サーヴァント』で平民を呼び出してどうするの?」

「ちょ、ちょっと間違っただけよ!」

「間違いって、ルイズはいっつもそうじゃん」

「さすがはゼロのルイズだ!」

「どうせ失敗するってわかってたから平民をさらって来たんだろ」

 

 笑い声の中、ルイズは混乱していた。

 サモン・サーヴァントで人間が召喚されたという話は古今東西聞いたことがない。姉に頼んでアカデミーの資料まで読み込んだのだ。こんなことはありえない。何かの間違いだ。証拠にこれも前例がないことに使い魔が二体もいるじゃないか。今の爆発で何かしらの事故があったのだ。そうとしか考えられなかった。

 

「ミスタ・コルベール!」

 

 駆け寄ってきた教師へと振り返る。

 

「なんだね、ミス・ヴァリエール」

「あの! もう一度召喚させて下さい!」

 

 彼女にとってはやっと成功したと思った初めての魔法が失敗だったのだ。

 だが光明も見えていた。召喚時に発生する出口の鏡は出来上がっていた。もう一度やれば次は完璧なサモン・サーヴァントが、生涯初めての完全な魔法が出来るかもしれないと考えたのだ。

 

 請われたコルベールは二人の少年を見て、首を振る。

 

 彼も二人を見たときは驚いた。黒い髪と黒い瞳に日焼けとも違う独特の色味を持つ肌。この辺りではあまり見ない風貌。服装も独特で平民が着る物の割には繊細な配色をしており、片方が着ているシャツは実に見事な細かいチェック柄だった。身形は良い。だが貴族の証したるマントは付けていないし、杖も見当たらない。帯剣もしていないようだ。おそらくはどこか裕福な商家の子ども達だろう。コルベールはそう判断した。

 だから彼が優先して選択したのはこの二人の少年のことよりも、王家とも繋がりを持つヴァリエール公爵家令嬢、ルイズ・フランソワーズだった。

 

「……それはダメだ。ミス・ヴァリエール。これは当校の規則であり、サモン・サーヴァントは神聖な儀式だからだ。それに使い魔の召喚後再度サモン・サーヴァントを行っても召喚されるのは同じものだとアカデミーでの研究でも結果が出ている。もしそれを覆そうとするならばどうしなければいけないか、優秀な君なら知っているはずだ。そんなことは監督者として許容できない」

 

 コルベールは使い魔すらも召喚できなかった。という外聞より、魔法使い(メイジ)としては召喚できた事実があった方が彼女の為になると思ったのだ。

 

「へ、平民が使い魔なわけがないじゃないですか! これはなにかの事故です! それにこれではどちらが使い魔なのかわかりません!」

「人が召喚された前例がないのはそうですし、確かにどちらか一方のみということはありえますが、初めての例が今起きて、二人ともという可能性もあります。まずは『コントラクト・サーヴァント』を両者に試してみなさい」

 

 言って、コルベールはルイズと共に少年達の元へと近づく。一応念の為にと、彼は少年達の物であろう近くに落ちていた鞄と彼らの間に立った。

 

「う、ううぅ」

 

 ルイズは愕然としていた。

 彼女が欲しかったのは魔法が成功した証である使い魔である。

 それがなぜこのような平民二人なのか、理解出来なかった。したくもなかった。

 先ほど飛んだ野次の中にもあったように、平民をさらってきたという目で見られても弁解のしようがなかったからだ。

 彼女のイメージにあった使い魔とメイジの関係は、言葉が通じない動物や幻獣と意思疎通をこなしている姿なのだ。

 そして通常において使い魔は一体のみしか使役できず、召喚そのものも一体しか出来ない。故に再度サモン・サーヴァントを行うには使い魔がいないことが、死んでいることが条件となってしまう。つまり彼らを殺さなければ不可能なのだ。

 

 呻くしか出来ないでいたルイズの前に影が差した。

 

「ごめん! どこの誰だか知らないけど、弟の調子が悪そうなんだ! 近くに病院あるか知らないか?!」

 

 召喚された少年の一人だった。

 彼の後ろではもう一人の少年がぐったりと体を横たえていた。

 

「む、それはいけない。ミス・ヴァリエール、早く彼らとコントラクト・サーヴァントを。それで儀式は完了します。誰か! 至急水メイジの先生を呼びなさい!」

 

 秀でた頭部を光らせコルベールが叫ぶ。

 ルイズは儀式の完了と聞いて覚悟を決めた。そうだ、使い魔になればルーンが刻まれる。それは魔法の成功した何よりの証ではないか、と考えたのだ。そのためにこの際平民を使い魔にするのは目をつぶろう、とも。

 

「あんた」

 

 ルイズに声をかけられた少年が焦った顔を向ける。

 

「な、なんだ! 病院連れてってくれるのか?!」

「感謝しなさいよね。貴族にこんなことされるなんて、普通は一生ないんだから」

「透を助けてくれるならいくらでも感謝する!」

 

 ルイズは手に持った小さな杖を少年の前で振るい、呪文を囀る。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! 五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我が使い魔となせ」

 

 そして混乱している少年の額に杖をあて、空いている手で彼の頭を押さえた。

 え? と少年が呟いたのと同時、ルイズは彼と口づけを交わしていた。

 数秒の間唇を重ね、離れると、ルイズがどう? と少々頬を染めて首を傾げる。

 え? と彼がまた言おうとしたとき、唇についた血の味に気付き、同時、体が熱くなってくるのを感じた。

 

「熱っ! ぐあ! ぐああああああああ!」

 

 それは彼の全身を芯から燃やし尽くすように熱を行き渡らせ、最後に左手に集まった。

 膝を屈した彼の手の甲を見て、ルイズが表情を輝かせる。コルベールもそこの刻まれたルーンを確認すると頬を緩ませた。

 

「サモン・サーヴァントは何度も失敗したが、コントラクト・サーヴァントはきちんとできたね」

 

 この調子でもう一人の少年ともコントラクト・サーヴァントをしてしまおうと動き出したルイズへと、また野次が飛んだ。

 

「相手がただの平民だから『契約』できたんだよ」

「そいつが高位の幻獣だったら、『契約』なんかできないって」

 

 ルイズが睨みつける。

 

「バカにしないで! わたしだってたまにはうまくいくわよ!」

 

 怒鳴ると、ルイズは横になっている少年へもコントラクト・サーヴァントの呪文を唱えて口づけを交わした。

 

 彼はもう咳をしていなかったが、意識が朦朧としているのか胡乱げな視線を彼女へ向けるとそのまままぶたを下ろして眠ってしまった。

 その様子にルイズはまた首を傾げた。先ほどの少年のときはルーンが刻まれるときに反応があったのに、彼にはない。見えるどこかに刻まれている様子もないことから、失敗したのだろうかと肩を落とした。

 ルイズは自分のことを考えるあまり先の少年の話を聞いていなかったのだ。だから彼の状況に気付いていなかった。召喚前から懸念していた、コントラクト・サーヴァント時に使い魔が爆発してしまうかも、なんていう最悪の想像すらも忘れて、消耗した精神力と思考力のまま彼女は契約を行っていた。

 

「ほんとにたまにはだったみたいね。ゼロのルイズ」

 

 いつの間にか側に来ていた、見事な金の巻き毛の女の子が彼女をあざ笑った。

 一瞬で沸点に達したルイズはその少女、モンモランシーを怒鳴りつけようとしたとき、別の怒鳴り声が間に入って来た。

 

「おい! 俺達になにをした!」

 

 先ほどまで呆然としていた、契約が成功した少年だ。

 

「透は! 弟は病気で体が弱いんだ! 透になにをしやがった!」

 

 ルイズに掴みかかろうとした少年をコルベールが「いけない!」と押さえ込む。

 後ろからだった上、完全に起き上がる前の中途半端な体勢だったのでコルベールは抑えることが出来たが、内心ひやりとしていた。

 

(――細身の上服で分かりにくかったが、鍛え抜かれた体をしている。なにか武術の心得でもあるのか? っ! この状態からでも抜けようとするのか! 何だこの力は!)

 

 両腕を取られ地面に縛り付けられても暴れる少年とコルベールの元に水メイジの教師がやってくると、コルベールはスリープクラウドを頼んで彼を寝かし付けてもらった。

 そうしてやっと落ち着いたコルベールは、生徒達に解散を伝えていなかったことに気付き、慌てて教室へ戻るよう指示を出したのだった。

 

 ルイズは一人、呆然とした表情で少年を見ていた。

 

 



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第2話・考察

 平賀才人(ひらがさいと)。高校二年生、十七歳。

 地球で最も平和とされる国の一つ、日本で生まれ、育った。

 彼女いない歴十七年で、ファーストキスは生まれたばかりのころに祖父に奪われている。初孫の嬉しさを我慢できなかったらしい。

 彼の自慢は年子の弟、透(とおる)である。

 非常に優秀で才能に溢れ、兄才人にはないものを数多く持った弟だったが、生まれつき体が弱く原因不明のとある病を患っていた。そんな弟を守るのだと才人は勉学に励み、心身を鍛え、実際に弟を支え、支えられていた。

 勤勉だが生来のオールレンジな好奇心旺盛さも合わせ持つ行動派の兄と、体が弱く故に慎重だが気に入ったものにはとことんのめり込み一部に傑出した才能と頭脳を発揮する弟。

 二人一緒で出来ないことなどなかった。反目し合うこともあったが二人は常に家族であり、絶対の信頼と絆がそこにはあった。

 そんな非常に仲の良い兄弟の平和はしかし、修理に出していた透のノートパソコンの受け取りと、才人の携帯電話の買い換えに一緒に出かけたおり、突如出現した鏡のようなものに吸い込まれて砕けたのだった。

 

 

 

 才人が目を開けると、薄らぼんやりとした明かりが見えた。電球などのように輝くでもなく、蝋燭のように揺らめくでもないそれは、その場で光っているのに間接照明のように周囲を仄明るく照らしていた。

 

「……ここ、は……?」

 

 起き上がろうとして、両手が何かで固定されていることに気付く。

 青銅製の大きく分厚い手錠がはめられていた。

 

「……なんだ、これ?」

 

 寝転んだまま両手を掲げ持ち首を傾げる才人に声をかける者がいた。

 

「あ、兄さん起きた。どこか痛むところはある?」

 

 見れば弟の透が朗らかに笑って才人を見つめている。

 

「いや、大丈夫だ――」

 

 そしてその隣にいる存在に気付いた。

 

「てめえ……」

 

 ピンクブロンドの少女と禿げ上がった頭部の中年男性だ。

 才人は気を失う直前に彼を取り押さえ組み敷いたのはこの男性だとわかっていた。そして、

 

(この男は、強い。透との距離は奴の方が近いし、この手では隙をつかなければ勝てない。だが、やらなければ――)

 

 その力量も理解していた。ところが、

 

「兄さん、ストップだ。この人達は敵じゃない」

「だがさっきこいつらは――」

「それは多分、半分くらいは誤解だ。彼らに僕らを害しようという悪意はないよ。僕らが害されたのは事実だけどね。だけどこの人達は僕に高価な薬も無償で使ってくれた」

「……お前、体の調子は?」

「いつになく良いよ」

 

 才人はふうと息を吐いた。彼は弟の判断力を信頼している。自分なんかよりも人を見る目や交渉術に優れた彼が言うのならば、わけが分からなくても害はないと確信できた。

 才人は気付いていなかったが、透の側にいたルイズは才人の放つ空気にあてられ全身を強張らせていたのが解けて、彼よりも大きく息を吐いていた。自身の母を思い出してしまったからだ。母には遠く及ばないが、彼女に本気の闘気を向けてくる相手は母親くらいなものだったためどうしても姿がかぶったのだ。別の理由もあったが。

 

「ミスタ・コルベール、鍵をよろしいですか? 兄さんはもう暴れることはありません」

「ええ、そのようですねミスタ・トール」

 

 渡された鍵で透が才人の手錠を外す。

 その間才人は室内を見回していた。

 二十畳ほどであろうか。簡素な部屋だった。コンクリートとも違うが一枚物の石壁と、壁と地続きにしかみえない石床。あるのは才人が寝かされていたベッドと机、透達が囲んでいたテーブルと椅子。そしてクローゼットとタンス。掃除は行き届いているようであるが、日本人の才人には馴染みのないことにこの部屋は靴履きらしい。他の三人は靴を履いたまま室内にいた。才人の靴もベッド脇に置いてあった。

 

 最後に透以外の部屋の住人をよく見ようとしたところで少女が才人の前に立った。

 小柄だがおそろしく綺麗な外人の少女だ。そう考え、才人は彼女とキスしたことを思い出して赤面してしまう。

 

「あ、えっと」

 

「ごめんなさい!」

 

 そしてどう声をかければいいのか分からないうちに突然少女が頭を下げてきた。才人は面食らってしまった。混乱した思考の最上段に上ったのは、後ろの男もこの少女も日本語上手いな、というものだった。

 

「ミス・ヴァリエール、兄さんはまだ状況の把握が出来ていないはずだから、謝罪は後にしてもらってもよろしいでしょうか?」

「……はい。ミスタ・トール」

 

 泣きそうな顔のまま引き下がった少女の変わりに透が才人を促し、窓際に二人で立つ。

 

「どうなっているんだ? それにここはどこだ?」

「見てごらん、兄さん」

 

 透が窓の外、天を指さす。

 その先を見て才人は固まった。

 どれくらい寝ていたのか、すでに外は暗く瞬く星々とやけに明るい大きな月が出ていた。

 

 青と赤の月が二つ、出ていた。

 

「……おい……これって……」

「ここはハルケギニアがトリステイン王国のトリステイン魔法学院。どうやら、僕らの知る世界ではなさそうです」

 

 

 

 

(……まとめるとだ。ここはハルケギニアという名の魔法がある異世界(ファンタジー)で、そこのトリステイン王国にある魔法学院であると。俺達はそこで行われていた進級試験、春の使い魔召喚の儀式で喚ばれたと。だけど人間が召喚されるなんて前代未聞。ましてや異世界という考え方すらない世界だから帰る手段はない、と)

 

 元の世界へは一生帰ることが出来ないかもしれないと透から聞き、才人は天を仰いでいた。

 椅子に座り行儀悪く背骨を反らし目覚めて最初に見た魔法のランプの灯りを視界の端に感じ取る。

 

 魔法だ。

 

 先ほどここの教師であるというコルベールにも杖先に灯る小さな火を見せてもらった。

 ここは魔法がある世界なのだ。

 それを聞いたとき彼は自分達も使えるのかと喜び勇んで尋ねたが、残念なことにこれは血統でのみ使えるようになるため使えないと知り落胆した。

 念の為にコルベールによって才能があるかどうか魔法で調べてもらったが、やはりそんな都合良くはないらしい。

 用事があるとのことで、そのコルベールは先に帰ってしまっている。

 

 左手の甲に刻まれた奇妙な文字をかざして眺める。

 

(使い魔の役目は主人の目となり耳となり手となり足となること)

 

 だがどうやらその目と耳の役割は果たせそうにないことがもうわかっていた。才人にとってぞっとしないことに、本来であれば使い魔が見たり感じたりしたものを主人も知覚することが出来るらしいのだ。だが、このルーンを刻んだ主人は何も見えないと言っていた。

 そのことに気付いたピンクブロンドの少女、先ほどまで才人が寝かされていたベッド本来の主であるルイズはまた失敗だったのね、と落ちこんでいた。

 その彼女も今はお風呂に出ているため、この部屋には現在平賀兄弟二人だけとなっていた。

 

「これって、一応、誘拐なんかな」

 

 才人が呟く。今日の晩ご飯はハンバーグだと平賀家のボスは言っていた。もうあの味は食べられないのかもしれない。

 

「強制的召喚という拉致。その上見知らぬ世界に閉じ込められたということは監禁でもあり、しかも召喚時におけるメリットは完全にあちらにしかなかったため営利誘拐。故意にしろ事故にしろ、誘拐だろうね」

 

 だよなあと才人。

 暴れようとした才人はまだしも、一時的なショックによる症状だったのか、透は召喚時に発作を起こして気絶してしまっている。これは完全に彼らの非だ。

 だが彼はそれを怒る気にはなれなかった。

 

「透、体調は」

 

 ハルケギニア組二人がいなくなってから何度目かになる同じ質問だ。

 

「かなりいいよ」

「治ったわけではないんだよな」

「らしいね。でも魔法で調べてもらったところ体内に複数の謎の反応があり、それが原因かもしれないってさ。あちらじゃ完全に原因不明だったのにね」

 

 透は生まれついたときから奇病にかかっていた。ある程度の周期で強烈な眠気を伴う発作に襲われ、意識を保った状態のままでありながら体だけが数日死んだように眠ってしまう謎の病だ。消化器系と免疫力にも異常があり、風邪などの簡単な病気にも罹りやすく悪化しやすかった。発作が起きると寝込んでしまうため、時期になると透はいつも病院か自宅での点滴生活を送っていた。

 

「でももう発作は起きないんじゃないかって気がするんだ」

「根拠は」

「ない。でも今までと体の感じが全然違うのだけはわかる。症状はもう現れないんじゃないかな」

 

 その通りならもう治ったのと同じだ。

 透がそういうのだからそうなのかもしれない。

 科学からなる医療で原因不明だった病気が、魔法で治せるかどうかなんて才人にはわからない。だが透の言うことは信用できるし、逆説的に魔法だからこそ治せる病気だったのかもしれないと素直に彼は思った。

 まだ予断を許さない状態には変わりないが、もしかしたら本当にもう大丈夫なのかもしれない。それは、時間が教えてくれるだろう。

 

 それにここには水の秘薬なる魔法の薬が存在し、物によっては睡眠症状が起きても体が起きるまで持ちこたえることは可能そうだった。ただ秘薬はかなり高価らしいが。

 彼女達のおかげで透の病気が治ったかもしれない。ずっと治してやりたいと考えていたそれが治ったかもしれないのだ。

 

 それなら才人に彼女達を怒る理由はなかった。

 

 帰れないという事実は絶望的だったが、側に元気な透がいるのなら、と考えると随分と気が晴れた。自分達にとって優先順位が高いお互いがいるのが大きかったのだが、透も才人も思考の順序はまったく違うものの「なってしまったものは仕方がない」という考えに最終的には至る楽天家であった。

 

「……じゃあ、とりあえず俺は使い魔がんばっとくか」

 

 話し合いの結果、才人はルイズの使い魔となることを了承していた。

 強制使役ではなく、給金もあるという。主な仕事は身のまわりの世話と、護衛だ。どうやらルイズは護衛としては期待していないようだったが。

 

「兄さん、本当にいいの? ルイズさんの様子ならまだ覆せるじゃない? 危険かもしれないし。僕のことは気にしないで、もっと状況を整理してから決めた方が良いと思うのだけど」

「いや、もう契約のルーンとやらは刻まれちまってるし、状況を整理するためにも金が入る立場は手に入れた方がいいだろ? 情けないが俺にはお前ほどの頭はないし、二人も相談役なんていらないしな。そんな状況で仕事がすぐに見つかったのはありだ。客扱いは自由になれるが、仕事しなきゃ金は入らない。ルイズさんは使い魔いないと留年するかもらしいし、お前はルーン刻まれなかったから使い魔にはなれないしな」

 

 透には結局体のどこにもルーンが現れていなかった。呼び出されはしたが、やはり契約は一人としか出来ないのだとコルベールは興味深げに才人のルーンをスケッチしていた。そして彼はその知識の一端をルイズ達に公開し、コルベールのお墨付きで賢者と呼ばれルイズへ幾ばくかの知識を与える相談役としての仕事を得ていた。才人が寝ている間に決めてしまったらしい。

 

「そんなこといってちょっと楽しそうだとか思っただけでしょ。兄さんがどれだけ立ち位置を考えているのか疑問なんだけど」

 

 笑いながら透が言うので、才人は苦笑いで返すしかなかった。その通りだったからだ。彼の好奇心はすでにこの世界に向けられていた。

 それとルイズという少女がしょげている姿を見て、なんだか悪いことをしているような気分になってしまったからだった。

 会った当初は上から目線だった彼女は、才人が起きてみると何があったのか随分としおらしくなっていた。

 それを才人は寝ている間に透にいじめられたからだと考えていた。

 このとき才人はまだ透からの説明でしかわかっていなかったが、ハルケギニアでは魔法を使えるものが強者であり、封建制度を布くトリステインでは平民を支配する貴族は須く魔法使い(メイジ)であるため、物理的にも社会的にも貴族と平民の差は隔絶されていた。そんな中で社会的背景すら持たない才人達はある意味平民よりも弱者であった。

 この貴族と平民の間にある格差はすでに数千年続くものであり、中には生物としてまったくの別物のように考えている貴族も、そして平民もいるのだ。

 さらにルイズはトリステインでも特に上位の貴族であるヴァリエール公爵家の三女であり、色々な事情から学院生徒内でこそ落ちぶれと評価されなめられているが、背景に家柄という圧倒的な暴力を持っていることに変わりはない存在だ。召喚時に彼女が取った態度は日本の常識と照らせば尊大で我が侭で非常識なものであったが、ここハルケギニアのトリステインで平民に対して行ったものとしてはとても優しい部類の反応であった。だから、そう、本来であればもっと高圧的な態度であってもおかしくないのだ。

 そんな彼女がさらに歩み寄って、才人達を同等な人間と見る理由と動機。

 貴族と平民の間に差があることを聞きかじっただけで理解まではしていなかった才人が回答として思いついたのは、透による口撃で凹まされた、というものだった。

 身体的な面でどうしても劣る透は、補うように色々な物事を口先一寸で誤魔化すのが得意だったからだ。才人もそれでよくからかわれていた。

 

 だが実際は少々違っていた。

 あれからすぐに治療を施され目覚めた透は簡単な状況説明をルイズとコルベールから受け、蒼穹に座する双月を見上げると、あっさり別世界であることを受け入れた。そしてすぐさま持ち込んできていたノートパソコンや携帯電話などの電源確認、赤外線通信などの動作確認をするとこの世界でも基礎の物理法則は同じであることを確信。重力の加減や息苦しさがないことから惑星環境は地球とそう変わらないことも理解した。言葉が通じる不思議も口の動きや使い魔召喚の説明から「魔法効果か」の一言でこれもあっさり納得してしまった。

 そして彼は召喚されたときすぐ側でなされていたコルベールとルイズの会話や周辺生徒の言葉を思い出し、彼らの性格や状況も含めた現状を大まかに整理した。あんな状況でも透は話を聞き、憶えていた。寝る直前までの記憶を保つという、意識を保ったまま寝てしまう奇病で得たあまり意味のない特技だった。

 それからあまり喋ろうとしないルイズにこれからどうするか、どうして欲しいのかを訊いてみた。

 このとき透は自分達が異なる世界から来たであろうとことと、病気がもう大丈夫な気がすることなどの体に起こった異変、物理法則などの交渉材料になりそうな情報はまだ黙っていた。彼には年齢以上の雑学の知識があったし、ノートパソコンにはwikiのキャッシュが生きていて、外で仕事をする為の外付けバッテリーもソーラーチャージャーも、大切な資料が入っているフラッシュメモリも無事だった。若さ故の柔軟性も、それ以上の創造性も元の世界で天才と呼ばれるほどにはあった。だからただハルケギニアの名前も聞いたことがないほど遠方の出身だとしていた。

 

 すでに透は自分には使い魔契約のルーンが現れていないことが確認していたため、使い魔にすらなれない自分の立場を如何にするつもりなのかを聞きたかったのだ。そしてなにより、ルーンが発現し関わる事が半ば決定しているであろう兄、才人のことが気になっていた。知ろうともせず平民と叫ぶ浅慮なところがあるらしいこの少女がどうでるのか、もっと彼らの性格や世界背景を知って、交渉ごとがあまり得意ではない兄が起きる前にある程度決めてしまいたかったのだ。

 しかしその返答は意外なものだった。

 

「二人を帰せる方法を探し、見つかるまでの間、わたしの客人としてもてなしたい」

 

 おそらくは彼女に出来る最大級に上等な扱いに、否定的な言葉が出て来るものだと身構えていた透は拍子抜けしてしまった。

 

 ルイズには透のような不治の病を患うカトレアという姉がいる。才人が透の病気を叫んだとき、ルイズはそのちぃ姉様と呼び慕う姉と透を一瞬重ねてしまったのだ。そして弟のことを叫ぶ才人の悲痛な表情に、毎度医者にさじを投げられ悲哀にくれる自分達家族の顔を見てしまった。しかも透の診断結果を水メイジ教師から一緒に聞いていたルイズは、以前聞いた姉の診断結果とよく似た正体不明の反応というものに驚き、透からも姉のそれとは症状こそ違うが原因不明の不治の病だと尋ね聞いて、自分がしてしまったことの意味を理解したのだ。

 もしちぃ姉様がさらわれてしまったらと考えてしまったのだ。

 突然、一生会えないし近況も知れない状況になるのは死んでしまったのと変わりない。むしろ死体すら残らないから悼むことも出来ない。残された者にあるのは混乱と悲しみだけで、知らない土地に放られた弱者には絶望しかない。

 カトレアは魔法の成績こそ優秀だったが、魔法を使うと激しく体力を消耗して咳き込み、動けなくなる。ちょうどそれは召喚されたばかりの透の症状と似通っていた。

 重なった彼らの表情に貴族も平民も関係なかった。もちろん貴族と平民は違うとルイズは考える。彼女の十六年間が同じだと到底言い出せない価値観になっている。だけど表情は、感情は一緒だ、と。

 

 訝しみ理由を尋ねた透にルイズは、「わたしにも、病気で苦しむ姉がいるの」と端的に説明して謝り、透は彼女の心情を察した。そして自分達の悪運の強さと少女の心根の優しさに感謝すると、自身の出身と知識の一端を公開した。

 ちょうど小腹も空いていたので鞄の中に入っていたカロリーメイトを開けて、厚さが均一な紙で出来た小箱という形状、中のビニール包装、両方へ施された印刷、そして本体の保存食としての説明と試食から初めて、他にすぐに理解出来る構造力学を教えた。部屋の窓が思いの外綺麗なガラス窓であったことから科学技術のレベルが判断つかず、化学はとりあえず置いておいたのだ。

 

 食いついたのはコルベールであった。彼はまだ生徒と変わらない歳の少年が持つ異界の世界観と計算し尽くされた知識に仰天し、はしゃいだ。透は気付いていなかったがここでも悪運の強さが発揮されていた。もし側にいたのがコルベールでなければここまで早く理解を得ることも、正しい評価を得ることも出来なかっただろう。だから最初はコルベールが透を雇いたいと申し出てきたのだが、それを止めてルイズが自分の責任だからと相談役として雇ったのだ。

 

 そこで才人が起きて現状に繋がる。

 

「そういや、俺達どこで寝たらいいんだ? ここはルイズさんの部屋なんだろ」

 

 女の子のベッドまで借りてぐっすり眠ったせいで才人は眠くなかったが、透は少々疲れているようだった。

 

「さあ。そういえば聞いていなかったね。ご飯も食べていないし、僕もお風呂入りたいんだけど、どうしたらいいんだろう」

「ルイズさんが戻ってくるまで待つしかないか」

「そうなるねー」

 

 と透が頷き、

 

「そうだ兄さん、」

 

 と人差し指で宙を指す。

 

「ここの辺りになにがあるかとか、わかる?」

 

 透は親しい者と話しているとき突然話題を変えたりする癖があった。

 普段は順を追って話すくせにそうするのは、これでわかってくれるでしょ? という彼なりの甘え方であると才人は知っていた。

 

「……指か? とんちかなにかか?」

 

 透は普段と変わらない特に力みのない表情をしていたが、才人には真剣な質問なのだとわかった。

 だがどうやら才人の答えでは不満足だったらしい。透の表情に含まれていた真剣さがなくなったのを、才人は正確に感じ取っていた。

 

「……なにか問題がありそうなのか?」

「現状ではなんともいえないね。もう少しわかったら教えるよ」

「ああ」

「まあ、それにしても今日は激動の一日だった。ふあ――」

 

 この話はおしまい。と透が欠伸をして立ち上がったときだった。

 

「あ」

「――え?」

 

 色々と彼も緊張が続いていたし、椅子に座りっぱなしであったため、いくら調子がいいと本人が言っても才人が思ったとおり疲れが出たのだろう。

 

 立った拍子に透の体がふらついた。

 だが、ただちょっと前へよろけただけだ。

 でもその一歩で、突如出現した鏡のようなものに入り込み、透の姿が消え去る。

 同時に鏡も消え失せ、後には何も残らない。

 

 何もない虚無だけが残ったともいえた。

 

 才人はしばらくの間なにが起きたのかわからず、呆然とした後、「とおるぅ」と小さく情けない悲鳴をあげた。

 

 

 

 

 女子寮がある火の塔と授業塔でもある風の塔の間、ヴェストリの広場と呼ばれるその場所に、双月に照らされる二つの影があった。

 

「……誰?」

 

 赤縁眼鏡の奥にある眠そうなブルーの瞳と、青みがかった髪の小さな女の子の問いに、平賀透は困ったような苦笑いをまず最初に返したのだった。

 

 



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第3話・再召喚

「……誰?」

 

 月明かりの下、タバサの内心を埋めていたものは微かな喜びと、大きな悲しみだった。

 

 シャルロット・エレーヌ・オルレアン。

 

 もう誰にも語ることが出来ない、いつか取り戻すことを誓うその名を用いて唱えたサモン・サーヴァントの呪文は、確かに神聖なる使い魔召喚の魔法を発動させた。

 仮の名とするタバサの名では為しえなかった儀式は成功したのだ。

 それはシャルロットこそが自身の名であり、本質であるのだという証明である。

 その証明が嬉しかった。だけどそれが証明であったなら、この目の前に立つ得体の知れない少年はシャルロットの名に最も適した使い魔だという証明でもあるということだ。

 

 タバサが欲しいものは力だ。

 

 母を救いだし、あの男への復讐を実現させ、シャルロットの名を取り戻すための力を欲する。

 

 『雪風』の二つ名を持ち風メイジとしての才覚を示す自分であれば、ヒポグリフやマンティコアなどの空を飛ぶ幻獣種が来てくれるかもしれないと思っていた。最高は風竜だ。もしそれらがだめで鳥類などの動物種が来てくれても、野外であればどこにでも行くことが出来る彼らは戦闘補助のための使い魔としては優秀なのだ。

 

 だが現実はどうだろうか。

 

 シャルロットの名によるサモン・サーヴァントで召喚された目の前に立つ少年は、どこか困ったように笑うだけだ。

 帯杖も帯剣もしていない。目に覇気はなく、線も細くて物腰は力ない。

 少なくともあの男を打ち倒すための直接的な暴力は持ち合わせていないだろう。

 服は上等そうだが、あの男以上の権力も考えづらい。

 極めつけはまるで平和ボケでもしているのではないかと思える笑み。

 

(……これがわたしの本質が望む使い魔)

 

 力を求めて己を鍛え上げ、幾つもの死線を越えてきた自負があった。

 だがこれではあの平和な日々のころの自分のままだと言われているようなものだ。

 

 成長しない自分。

 

 近づかない目的までの距離。

 

 歩幅が長くなることも、道程が短くなることもない。

 

 この努力は実ることがないのだろうか。

 

 そう思えてしまい、タバサの瞳に宿る悲しみが絶望に近い色を帯びたとき、それを見逃すまいとするかのように少年の瞳が一瞬鋭さを帯びた。

 

(――……え……?)

 

 タバサの疑問も一瞬。

 同時、いつの間にか出ていた雲により二人にかかる月明かりは陰り、少年の鋭さはなりを潜め、少々遠くから第三者の声がかかった。

 

「や、やはりミスタ・トール?!」

 

 この月影の下、どこからか射し出される光を見る者へ反射する見事な禿頭を披露するは、トリステイン魔法学院火の魔法教師、ジャン・コルベールである。

 遠くからサモン・サーヴァントの儀式を見守っていたのだ。

 昼間に行われた使い魔召喚の儀式でタバサはタバサの名での召喚を一度失敗していた。タバサではだめなのだと悟った彼女は本来の名であり隠さなければいけない名、シャルロットではと思いつき、多くの生徒に囲まれているここでは出来ないと考え、体調が悪いと言って儀式を延期してもらっていたのだ。

 座学でも実践魔法でも優秀な彼女が『普通』は失敗しないはずのサモン・サーヴァントで失敗するほどとは、確かに調子が悪いのだろうと誰も帰る彼女を止めなかった。彼女がいつも通りの無表情でも、本当にどんなときでも表情が浮かばないので生徒で疑問に思うものは赤髪の友人一人だけだった。そんな彼女もさほど悪くなさそうなタバサの様子と、召喚したサラマンダーに付きっきりであったため、わかったわの一言で終わりだったのだ。

 そして夜、コルベールがサモン・サーヴァントに誘った。

 タバサの持つ特殊な事情を知らなくとも察しているらしいコルベールは、シャルロットの名を聞かれたくなかったタバサの希望通りに、耳の良い風メイジでも声が聞こえないほどの距離で待機していたのだった。

 

「あ、ミスタ・コルベール。ということはやはりトリステイン魔法学院でしたか」

 

「……? ……?」

 

 普段は情けない姿しかさらさないが、実はかなりの強者ではないかと訝しんでいるコルベールとどうやらこの少年は既知の仲らしい。

 

「やや、なんという。まさかミスタ・トールがまたしてもサモン・サーヴァントされるとは」

「ははっ、さっきまで兄さんといたのですが、気付けばまた召喚されていました。もう笑うしかないですね」

 

「……また?」

 

 不可思議な言葉の応酬をする二人にタバサの疑問はもっともである。

 コルベールは透にちらりと目配せして、透も頷く。

 

「説明しなければいけませんね。ミス・タバサ。こちらはミスタ・トール。遙か東方、ロバ・アル・カリイエの賢者です」

 

「賢者」

 

 タバサの目が見開かれた。

 

 馴れた者にしか分からないほどの刮目だったが、表情が動いただけでも彼女の驚愕がどれほどの大きさだったのか計り知れない。

 この年若さで、ここハルケギニアよりも進んだ文化を持つといわれる東方世界の賢者と呼ばれる少年。

 

 タバサはもしやと思った。

 確かに彼には復讐するために必要など力ないのかもしれない。

 だがそれとは別に、彼がもしあの壊されてしまった母の笑みを救い出せるほどの英知という力を持つ者であるならば、確かにそう、彼はこうあるべきだろう。あのころの自分に近しい者であるべきだろう。そう思った。年の近い従姉といつも笑いあっていた、あの、シャルロットに。

 

 タバサは自身の身長よりも大きな杖をぎゅっと握った。

 それになんだ。と彼女の頭の中で自身への罵声が響く。復讐に他者を巻き込むなどという考え自体、逃避ではないか。あの男は自分の手で殺さなくてはいけないのだ。

 真っ先に巻き込むことを考えた自分を恥じ入り、怒りを覚え、彼女は知らずに唇を噛んでいた。

 その様子を透はふむ、と見つめ、コルベールも気付いていながらそんな彼女の闇を払おうとでもするように明るく声を上げる。

 

「それでですな、ミス・タバサ。実は彼は今日の使い魔召喚でミス・ヴァリエールによって――――」

 

 

 

 

「いやあ焦ったぜ透。いきなりいなくなるんだからよ」

「僕もまさかこんなことになるとは思わなかったよ」

 

 透が才人を睨む。

 

「まあ、無事でよかった」

 

 才人はそれを冷や汗とともに流す。

 

「残念ながら、サイトのせいで無事じゃなくなったけどね」

 

 ルイズの視線が、何度もすんすんと鼻をすすっている透に向かう。鼻血の跡が気になっているようだ。

 

「ルイズ、言うな」

 

 それを見てどうにもなくなった才人が罰が悪そうにしていた。

 ルイズの部屋に戻ってきた透を出迎えたのは部屋を飛び出した才人だった。

 透が扉の前まで来たところで才人が扉を勢いよく開け放ち、透は吹き飛び廊下を転がった。

 

「こういうコント要員ってさ、普通体が丈夫な人がやるものだよね」

「動かないで」

 

 タバサに水の治癒魔法『ヒーリング』をかけてもらいながら、弟が兄に愚痴った。

 正気を取り戻し透を探しに出ようとした才人と、戻ってきたら一人で取り乱している彼を押し留めようとしたルイズは言い争いになったらしく、しまいには言い負かされた不甲斐ない平賀兄は実力行使で部屋を飛び出した。その結果がこれだった。

 才人と透に負い目があったためしおらしかったルイズだったが、元来の気性は激しく、負けず嫌いなものだ。そして才人も多分に負けず嫌いであり、最初はお互い消えた透を思っての行動選択による言い争いだったのに、あんたわたしの使い魔でしょ! それ以前にてめえの被害者だこんちくしょう! などと気付けば怒鳴りあっていたらしい。

 二人ともいつの間にか名前を呼び捨てにしあっていた。

 

「まあ、まあ」

 

 大人なコルベールが誰をとも言わずなだめた。

 

「では、如何しましょう? ミスタ・トールをミス・ヴァリエールが相談役として雇うことにした後ですし、ミスタ・サイトのこともミス・ヴァリエールは使い魔として雇う事に決めました。ミス・タバサがミスタ・トールを無償で使い魔にしてしまうのは、いささか不公平感が生じてしまいそうですが」

 

 透がタバサに召喚されたことにより生じた微妙な問題だ。

 一応二人が契約する前に金銭関係など、後々問題が生じることがないようにしておこうという話になったのだ。

 ここはやはりわたくしがミスタ・トールを雇い……などと言い出したコルベールを無視してルイズが口を開く。

 

「わたしは構いません。雇用に関しては個人的な償いの部分が大きいので、ミス・タバサとミスタ・トールの問題は二人に任せます。ミスタ・トールの知識は必要なときに得られれば問題ないです」

「……お金ない」

 

 ルイズの実家ヴァリエール家はトリステインの貴族筆頭である公爵家。

 対してタバサはさる事情から家名を名乗れずお金も引き出せない身。

 資本力に差がありすぎた。

 透が手を上げる。

 

「こういうのはどうでしょう。聞けばミス・タバサは学業においても魔法においても優秀な方、僕達が帰る方法を探す助手役としてミス・ヴァリエールに雇ってもらい、そのお金の一部で僕を使い魔として雇う。そして僕は双方から得たお金でミス・ヴァリエールから水の秘薬を少々色を付けて買う」

 

 タバサにはまだ異世界出身のことを伝えておらず、病が治っているかもしれないことに至っては才人以外の誰にも教えていなかった。

 

「だめよ! 貴方のための水の秘薬はわたしが出すつもりだったんだから、お金なんて受けとれないわ」

「では水の秘薬は小切手代わりに僕が預かっているということで、一定期間ごとに現品支給にさせていただきましょう。お金が欲しくなったらミス・ヴァリエールに換金していただく、ということで。こうすれば僕はお金を消費しません。手元に小切手が常にあるようなものですから。同時に薬が懐にあるから緊急時も安心です。完璧ですね」

 

 実際のところそれは透が先に提示した方法のままなのだが、領地運営にも為替にも手を出したことがないルイズは彼の飄々とした態度のせいで混乱し始めていた。

 

「よろしいですか?」

 

 透はルイズとすぐ側のタバサを見る。

 タバサは透が言った内容を理解出来ていたので、彼に聞こえる程度の声で舌が回る、と言って頷いた。

 ルイズもタバサが了承してしまったのでよくわからないまま頷いた。

 コルベールは苦笑いだ。

 透としてはこれ以上の金銭的な面倒をルイズに頼むのはいささか問題があると思ったのだ。すでに彼女が平賀兄弟に提示している金額は平民の年収を大きく上回っていた。なによりも護衛等の正式な仕事外でヴァリエール公爵家からお金を引き出すのは、少々後が恐い。

 

「では、そういうことで。現在までに決まったことはミスタ・コルベールが証人ということで、後ほど雇用金額や暫定期間などを話し合いましょう」

「ええ、決まりですね。ではミス・タバサ、さっそくコントラクト・サーヴァントを」

 

 だがタバサは首を横に振る。

 

「調子が悪い」

 

 タバサが体調不良で昼のサモン・サーヴァントを失敗した話はすでにここの人間は聞いていた。後に透を召喚してしまったことから色々思うところはあったが、とりあえずはと納得した面々がああ、と頷いた。

 

「ふむ、昨日の今日で体調が悪いところを夜に補習させてしまいましたし、仕方がないことでしょう。無理をさせてすみません。ミス・タバサ。貴女のことも考えて都合を立てるべきでした。どうにも今日の召喚の儀は興味深いことが多すぎて、気が急いていたようです」

「少し休めば治る」

 

 タバサが立ち上がり、透の手を引いた。

 

「今日はもう休む」

 

 そういい残し、彼女はルイズの部屋を出てしまう。

 

「では今日はもう遅いですし、お開きとしましょう」

 

 追ってコルベールが解散を告げた。

 驚いたのは平賀兄弟だ。

 なすがままに腕を引かれていく透を追いかけて才人がタバサに声をかける。

 

「どこへ?」

「部屋」

「透も?」

「部屋に入れる使い魔はメイジと同じ部屋で生活する」

「「……へ?」」

 

 平賀兄弟の驚きと助けを求めるような視線が廊下に出ていたコルベールとルイズに向けられる。だが二人は当然のこと、と頷くだけだ。

 

「「……え?」」

 

 二人の声は石造りの廊下にわずかに響いて消えた。

 そして呆然としたまま引きずられていく透を見送り、コルベールが去って二人きりになったルイズも才人を部屋に入れて寝る準備に取りかかるのだった。

 ネグリジェに着替えることを思い出したルイズによって才人はすぐにまた追い出されたのだが。

 

 

 

 

「本当に同じ部屋で生活するのですか?」

 

 ルイズの部屋の真上、タバサの部屋に押し込められた透の問いに青髪の少女はただ頷いた。

 そして掴んでいた腕をぐいぐいと引っ張り、誘導していたベッドの上に座らせる。

 すると視線の高さが逆転して透をタバサがわずかに見下ろすようになった。

 この口数の少ない女の子は一体どうしたいのだろうと考えながらも、透はとりあえず害はなさそうだとされるがままにしていた。

 透は女性の趣味としては年上好きである。おそらくは三つか四つほど年下であろうこの少女をどうにかしようという気にはならない。

 この学院に通っているということはタバサも貴族の子女であることには間違いないのだろうが、教師が許可を出しているということは本当に問題はないのだろう。まさかメイジでもない者がメイジを襲えるとは考えていないだけなのかもしれなかったが。

 

(僕はともかくとして、兄さんは簡単に襲えそうなんだけどなあ。まあ、護衛でもあるからいいのか?)

 

 妙にあのコルベールという教師に気に入られてしまった気がしていた。

 

(都合はいいけど、不用心だ。それにいくら兄さんのこだわりとルイズさんが相反するからといって、あちらは歳も近いからちょっと不安だ)

 

 そんなことをつらつらと考えていると、タバサが杖をかかげた。腕は掴まれたままだ。

 一瞬身構えかけるが、真っ直ぐな少女の視線からは敵意を感じられず、おや、と思っていると、タバサはようやく透が聞こえるぐらいの声量で呪文を唱え始めた。

 

「我が名はシャルロット・エレーヌ・オルレアン 五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我が使い魔となせ」

 

 小さいが、しっかりとした発音。

 そして有無をいわさずに透は唇を奪われてしまう。

 小鳥の囀りのような口づけだった。

 

「……あの、ミス・――あ? ぐ! あぐう!」

 

 今の行為で生じたいくつかの疑問を尋ねようとした透の体内を火が駆け巡った。

 歯を食いしばり、燃えそうな自身の体をかき抱くように透は腕に力を込める。

 そして全ての火が胸の中心で尽きると、息を切らせながら額の汗を拭った。

 そこで呻いていた間自分が何を抱きしめていたのか透は気付いた。

 

「――! っと、すみません。えっと、ミス・――」

「タバサ」

 

 解放され、腕の中から覗いた青い視線が透を射貫く。その瞳は冷たく澄んでいて、だけど相当に強く抱きしめていた透を責めるような色はない。ただ有無をいわせない輝きのようなものがあった。

 透はタバサの一言で正確になにが不味いのかを察した。

 

「ではミス・タバサ。先ほどは――」

「ただのタバサ」

 

 正確には読み取れていなかったようである。

 

「……そうですか。では僕のことも透でお願いします。先ほどはすみませんでした。痛かったでしょう?」

 

 彼女は責めない気はしていたが、建前でも謝るのが男である。

 

「いい。痛くはなかった」

 

 それはそれで透も男として非力な自分を見つめねばならず、少々せつない気分になる。

 

「それより聞きたいことがある」

 

 そういって、タバサは杖を放して空いた手で透の目の前を指した。もう片方の手は透の腕を掴み、体は半ば抱きついたままだ。

 

 タバサが指したのは、透と彼女の視線の間。

 

 その指し方は、ルイズの部屋で透が兄才人への質問時にやってみせた、何もない宙を指している様相とよく似ていた。

 

「……これは、なに?」

 

 そこにはエメラルドグリーンの輝きを放ち宙を漂う、奇妙な流れがあった。

 

 



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第4話・使い魔

 ゲルマニアからの留学生、キュルケは燃えるような赤い髪をいじりながら首を傾げていた。

 

 朝食堂へ向かおうと部屋を出ると、隣室であるからかいがいのある仇敵、ヴァリエールの部屋から男が出てきたからだ。

 

 黒髪黒目で彫りは浅いが悪くない、独特の風貌を持った青年である。歳は少々下ぐらいであろうか。

 その少年と目が合い、常にそうであるように次の瞬間にはキュルケ自慢の胸元へと彼の視線が移動する。なかなか熱烈な視線だ。

 そんな視線を受けながら、だが、とキュルケは考える。彼女が知るあのヴァリエール家三女に、男を連れ込めるような色気も甲斐性もなかったはずである、と。ということは自分が知らぬ間にとうとう部屋替えが行われたのかもしれない。ヴァリエールがキュルケの隣を嫌がり、学院長に部屋替えの届け出を何度も出していたことは知っていた。

 化粧はばっちりできていても未だに寝ぼけていた頭でそんなことを考えていると、少年を追って件のヴァリエール家三女、ルイズ・フランソワーズが部屋から出て来た。やはりそこは彼女の部屋で間違いないようである。

 

(――ありえない――あ、そういえば……)

 

 さらに首を捻りつつ、あのルイズが男連れなどという非常事態に向けて覚醒していく頭の中からとある回答が導き出された。

 謎は全て解けたとばかりにキュルケはにやっと笑い、ルイズをびくつかせる。

 

「おはよう。ルイズ」

 

 警戒心を露わにルイズの顔が顰められた。

 

「おはよう。キュルケ」

 

 そんな反応に気をよくしてさらにキュルケは笑みを深くし、先日噂でだけ聞いていた話を切り出した。

 

「あなたの使い魔って、それ?」

 

 そう言って、少年を指さす。

 キュルケは先日の使い魔召喚の儀式で不調を訴え早退した友人を見送った後、いつまで経っても成功しないサモン・サーヴァントを続けるルイズの姿に飽きて使い魔と共にあの広場をこっそり抜け出していた。だからこの少年、平賀才人を見るのは初めてだったのだが、凶暴な平民を召喚したという話は彼女を取り巻く男子生徒から聞いていたのだ。

 

「そうよ」

 

 少々しょぼくれたような顔で肯定したルイズに、キュルケは笑い声をあげた。

 

「あっはっは! ほんとに人間なのね! すごいじゃない! サモン・サーヴァントで平民喚んじゃうなんて、あなたらしいわ。さすがはゼロのルイズ」

 

 いつものようにからかいのセリフを吐き出す。こうすれば彼女が食って掛かってきて、子猫のそれとよく似た形相で必死に威嚇してくるのだ。怖くも何ともない彼女の怒りは、異性を多く囲い同性の敵が多いキュルケにとってはとても可愛らしく、好ましいものがあった。

 そんな彼女の反応を心待ちにしていると、意外な事に彼女は顔色を悪くしてバツが悪そうに視線を逸らし、「うるさいわね」と言うだけに留まってしまう。悔しそうではあるが、どうにもいつもと違うではないか。

 予想外な事態に、あれ? とキュルケが思っていると、使い魔の少年がそんなルイズの頭に手を置き、「気にすんな。俺達は気にしてないからよ」となにやら慰めている。

 ルイズはその手を煩わしそうに弾き、少年に顔が見えないようそっぽを向いて、「わたしが気にすんのよ」と呟く。キュルケの立ち位置からはばっちり見えていたその顔色はさっきより良いものだ。

 

 あれあれあれ? と混乱してまたしても首を捻らざるを得なくなるキュルケ。

 

 凶暴だと聞いていた平民の使い魔がみせるルイズへの優しさもそうだが、あの気位が高く凝り固まったプライドで出来ているようなトリステイン貴族のルイズが、平民の使い魔が行った『頭が高い』行動に対して、まるで怒る様子がないのだ。むしろどこか、彼の許しを得て安心しているような節があるではないか。

 これはどうしたことだろう。まさかあのルイズがたった一日でこれほどまでに『棘』を抜かれてしまうとは、この平民の使い魔は一体どんな『魔法』を使ったというのだろうか。

 キュルケはルイズの見ていないところでちらちらと胸に視線を向けてくる使い魔に、興味を持ち始めていた。

 

「ねえあなた、お名前は?」

 

 にっこりと笑いかけ、少年を見つめる。

 

「平賀才人」

「ヒラガサイト? ヘンななま――」

 

「おお! これはまたファンタジーな……!」

 

 突然キュルケの後ろから声が上がった。

 驚いて振り返ると、これまたそこには黒髪黒目の別の少年がいた。どうやらキュルケの使い魔であるサラマンダーのフレイムを見て興奮しているらしい。開け放しにしていた彼女の部屋から頭を出したフレイムをおっかなびっくり眺めている。

 女子寮に朝から男が二人も入り込んでいるとはこれ如何にな状況であったが、彼女はそんな事など気にしない。それよりも後ろにいた少年と共にいる存在の方に目がいった。

 

「おはよう。タバサ」

「おはよう」

 

 キュルケの数少ない同性の友人、青髪青目の小さな少女、タバサである。

 いつもなら先に食堂へ行き食べ始めているはずの彼女が今日はまだ寮内にいて、

 

(あら? あららららら?)

 

 なんと隣の少年と手を繋いでいるのだ。

 無口無表情で他者を寄せつけない、思い上がりでなければキュルケ以外に同性でも異性でも友人がいないはずのタバサが、朝からキュルケの知らない男を引き連れている。

 ルイズといいタバサといい、今朝は一体どうしたことだというのだろうか。

 

「ね、ねえタバサ。お隣の御仁はどちら様かしら?」

「使い魔」

 

 そんな素っ気ない返答と共に、タバサにぐいと手を引かれキュルケの前に出された少年が頭を下げた。

 

「先日からタバサの使い魔をやらせていただいております、トオル・ヒラガと申します。よろしくお願いします。ええと――」

「……キュルケよ。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。キュルケでいいわ」

「では僕のことはどうぞトオルとお呼び下さい」

 

 するとキュルケの後ろから声がかけられる。

 

「はよう。透」

「おはよう兄さん。ミス・ヴァリエールもおはようございます」

「おはよう。ミスタ・トール。わたしのこともルイズでいいわ」

「そうですか。では僕のことも今後はミスタはなしでお願いします」

 

 キュルケは挨拶を交わす彼らに挟まれながらきょろきょろと見回す。

 

 本当に一体どうしたことだろう。

 

 ルイズの使い魔をタバサの使い魔だというトールが兄さんと呼んでいる。しかもどうやらルイズともすでに面識があるようで、その上ルイズがミスタと付けているということは、多少の敬意を払われているらしいのが窺えた。

 いやそれ以前にタバサも平民の少年を使い魔にしているとは、何があったらそうなるのだろうか。ゼロのルイズならまだしも、タバサは見た目こそちんまいが、魔法学院生徒内では最強の一角といって差し支えない実力者だ。使い魔はメイジの才能を示す一つの指標であり、才能ある者ほど強力な幻獣種を喚ぶ傾向があるのだ。必ずしもそうであるとは限らない傾向だが、雪風の二つ名を持ち若干十五歳で風と水のトライアングルメイジであるタバサが体調不良で召喚失敗したと思ったら、次の日にはゼロのルイズと同じように平民を使い魔にしているとは。

 

「タバサ。一体どういうことなの?」

 

 キュルケは友人に、揃ってフレイムを囲んで「うわ! 真っ赤ななにか! このしっぽの火は熱くないのか?」「あ、爬虫類なのに肌が温かい。恒温動物なのでしょうか?」などとはしゃいでいる少年二人の説明を求めた。

 だがタバサは未だ繋いだままの手を引き、

 

「ご飯」

 

 と名残惜しそうな透を引きずり先に行ってしまう。

 おそらくは説明がいやというわけではないのだ。

 ただ単にタバサは食欲を行動原理の上位におくため、早く朝食に取りかかりたいのだとキュルケにはわかった。だがわかっていてもキュルケはちょっとだけ寂しくなった。

 だからルイズでもいいかと彼女に視線をやると、

 

「ほらわたし達もさっさと行くわよ」

 

 さっさと行ってしまった。

 一人残されたキュルケは少ししてからもうっ! と叫び、フレイムと共に後を追ったのだった。

 

 結局彼女がルイズ達の事情を聞けたのは朝食が終わってからで、そして何故かタバサと透はキュルケにもルイズにも、ましてや才人にも手を繋いでいる理由を教えることはなかった。

 

 

 

 

 朝食を終えたルイズが教室に入った途端、先に教室にやってきていた生徒達が一斉に振り向いた。

 続いて才人が教室に入ってくると、所々からクスクスと笑い声が上がる。

 才人はそれに気付いているのかいないのか、物珍しそうにきょろきょろと室内を見回していた。

 

 大学の講義室に似た教室自体が一枚岩で出来ており、机も椅子も土メイジが魔法で岩から作り上げた作品だ。彼のいた世界では岩一枚からこのような建造物を作るとお金がかかりすぎて造れないと、ルイズは昨日部屋で透から聞いていた。目に映る全てが目新しいのだろう。

 

「ルイズ、あの目玉のお化けはなに?」

「バグベアー」

「あの、蛸人魚はなに?」

「スキュラ」

「うわあ、あの六本足はバシリスクだ!」

 

 キュルケのサラマンダーにも興味を示していたことから、どうやら彼は幻獣種の使い魔がお気に召したようだった。今日は昨日の儀式で召喚した使い魔のお披露目を兼ねた授業だ。室内には動物種や幻獣種の使い魔がひしめいていた。中には非常に珍しい種族の使い魔もいるようだ。

 だがそんな使い魔を見てルイズの内に湧くのは才人のような好奇心などではなく、羨ましさと悔しさであった。

 

 才人や透に対して負い目はある。

 だがルイズとて好きで彼らを召喚してしまったわけではないのだ。

 確かにルイズが彼らにとっての加害者であったが、彼女にとっても不可避といって差し支えない事態であり、過失があったとは言い難いものだった。ある意味では彼女は被害者であるともいえた。

 しかし加害者のいない被害者である彼女にはその不満の持って行き場がない。それどころか才人や透に対する負い目も重なり、彼女はいつも以上のフラストレーションを感じていた。

 鬱々としている彼女を見かねた才人の質問が止んでいることも気付かないほどに。

 

 才人は名目上の護衛とはいえ、せめてこれだけは形になるようにと席に着いたルイズの斜め後ろに立ち、使い魔達を観賞するフリをしながら彼女のつむじを眺めていた。

 彼は昨晩あった透を捜しに行く行かないのケンカの際、彼女が本当は彼らのような使い魔が欲しかったのだと聞いてしまっていた。だから今ルイズがどんな想いでいるのか想像がつくのだ。

 色々と彼の方にも思うところはあったが、才人からすれば彼女は良くしてくれている。

 使い魔召喚で人間を喚んでしまうなど前代未聞だったと聞いていた。だから寝具や食事の用意が後手後手にまわっているのだが、それも仕方がないことだとわかっている。前例のない事態に彼女は自分のベッドを気絶した才人に貸してくれたし、昨夜は眠くなかったので起きているといったら寒いだろうからと彼女の毛布を一枚貸してくれた。食事も直接厨房に掛け合い、貴族専用である『アルヴィーズの食堂』では他の風当たりが厳しいからと給仕の休憩場所で摂れるようにしてくれた。

 

 本当に良くしてくれている。

 それが負い目によるものだとしても、才人は嬉しかった。

 だから落ちこむルイズを慰めてやりたいと思うのだが、他にも理由がありそうな彼女の事情をよく知らず、その最たる原因である自分が何を言えばいいのかわからない。

 だが、わからなくても知っている事実はあった。

 

「色々いんなあ。でもこんだけいても人間喚んだのはルイズが初めてなんだよな。すげえなルイズは」

「……なに言ってんのよ。人間なんてそこら中にいるじゃない」

 

 才人の発言により一層不機嫌さが増した彼女の声音はドスが利いていた。

 だが才人は気にせず続ける。透が怒ったときに比べたら涼しいものだ。

 

「だからすげえんだろ。そこら中にいるってことはこの世界(こっち)でも地上の覇者は動物でも幻獣でもない、人間なんじゃないか? 俺達のところじゃ空の上も人間様のものだったけどな」

 

「……なによそれ……」

 

 ルイズは振り返り、才人を瞠目していた。

 

「なにって、そういうことだろ? なんつったっけ、ほら、使い魔はメイジの本質だっけ? 特質か? を現すとかならさ、人間喚んだルイズには人の上に立つ才能があるってことだろ?」

 

 今まで思いもつかなかった考え方に、ルイズは息も止まる思いだった。

 

 才人の言葉は知らずに彼女の重要な部分を突いていたのだ。

 

 何度かぱくぱくと口を開けては閉めて、ルイズは叫んだ。

 

「そ、そそそそそんなの当然じゃない! わわ、わたしは貴族よ! ラ・ヴァリエール家三女ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ!」

 

 どこから湧いて出るのか、どうしてそんなものを抱くのか分からない心の底から震える感情の中、教室中の視線を集め、彼女は顔を真っ赤に染めながら宣言していた。

 突然叫んだルイズに驚き静かになった衆目の中、才人は彼女の過剰ともいえる反応に頬をかき、「ああ、そうだな」と笑う。内心失敗したのかなとも考えたが、ルイズの目が輝いているのに気付き、これで良いのだと思った。

 と、そこへ声をかけてくる者がいた。

 

「なにを当たり前のこと叫んでるのルイズは」

 

 朝食を終えてやってきたキュルケである。

 

「うるさいわね。キュルケは黙ってなさい!」

 

 八つ当たりもいいところである。しかも怒鳴るその表情はなぜかゆるい。

 言われてキュルケは両手の平を肩の高さまで上げ、ふうと溜め息を吐いた。才人も苦笑いするしかない。

 このときこの二人が持っていた想いは「手間のかかる妹」に対するそれとよく似ていた。お互いにその感情を共有していることをぶつかった視線で理解し、同じ様な笑みを送り合う。

 朝食前の自己紹介くらいしかまだ会話のなかった二人であったが、なぜかこの一瞬は旧来の友人のような心持ちになっていた。

 驚いたのは教室内にいた他の生徒達だ。なぜルイズの使い魔とキュルケが親しげな視線の交わし合いをおこなっているのか。

 

 そしてぎょっとする。

 キュルケを追って教室に入ってきたタバサが、ルイズと同じように平民の少年を連れてきたからだ。しかもどういうわけか手を繋いでいるではないか。

 一部の者達は彼がルイズが召喚したもう一人の少年であることに気付いていたが、実はルイズとタバサは昨日までまともに会話もしたことがないような間柄であり、それを知っている彼らは彼女達の間になにがあったのか想像もつかないでいた。

 

 当の透は才人がそうであったように教室内の使い魔達を見て瞳を輝かせ、引かれるままにルイズ達の側の席に着く。彼のあずかり知らぬことであったが、タバサがルイズの席の近くに座るのも初めてのことであった。

 キュルケはそんなタバサを面白そうに見ると、彼女もその隣に席を取った。

 ルイズはキュルケが近くに座るのを見届けると心底嫌そうに顔を歪ませる。

 そんな彼らを後ろから見守るような形になってしまった才人。

 

 教室の一角に奇妙な一団が出来上がっていた。

 

 その様子を見て、普段はキュルケの取り巻きとして彼女に近寄ってくる男子生徒達は顔を見合わせた。

 そうやって彼らがどうしたものかと相談している内にまた扉が開いて、教師がやってきてしまったのだった。

 

 



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第5話・爆発

 

 紫のローブに身を包んだ女性教師が教室に入ってくるのを、タバサは未だ馴れきらない感覚に意味が無いと知りつつも目を凝らして見ていた。

 

 ミセス・シュヴルーズ。彼女が左腰脇に帯びた短い杖(ワンド)に纏う色は輝くような黄色だ。それは彼女が純度の高い土の系統の使い手だということの証だと、これまでの観察でタバサは理解出来た。今日見た土の中では最高位だ。

 キュルケに視線が移る。彼女が胸の谷間に挿したワンドが纏うはその髪色と同じ燃えるような灼熱の赤。これは火の系統に特化した者の色。これも今日見た火の中では最高位。

 そして目端に映る机に立て掛けた自分の長い杖(スタツフ)が纏うのは、色濃くも透き通る緑と光を帯びた薄い青が混じり合い、時折湖面か雪解けかけた草原のようにキラキラ白を乱反射させるエメラルドグリーン。おそらくは強い風と弱い水の系統の混合を現しているのだろう。昨日見たあれはこれからこぼれ落ち宙に流れたものであった。

 

 そして視界は動きタバサの顔を映す。

 

(……違う)

 

 タバサも隣に座るトオルに視線を移した。

 トオルを通して彼女は自分自身と目を合わせる。

 その奥で、彼は少しだけ耳を赤くして小さく笑んだ。キュルケの胸に視線がいってしまったことを恥ずかしがっているのだが、タバサは気にも留めない。

 

(彼の見解では纏うのではなくそこに滞っているだけ。おそらくそれが正しい)

 

 彼らが現在行っているのは、使い魔の基本的な能力とされる感覚共有だ。

 

 昨晩行ったコントラクト・サーヴァントで透の胸に現れたルーンは『ライゾー』『ウルズ』『ナウシズ』の三文字からなる言葉で、読みは『ルーン』。ルーンの語源であり秘密や神秘、ささやきや魔法といった意味を持つ、よく使い魔に現れる極々一般的な使い魔のルーンであった。

 そしてそのルーンによって現れる効果がこれもまた一般的なもので、使い魔から主人への感覚共有のみであり、使い勝手は良いが少々有り難みがかけるものであるため、目立ちたがり屋が多い貴族子弟には人気のないルーンでもあった。

 そのうえ人同士であるためかはたまた別の理由からか、透とタバサに至っては服越しでも良いから体のどこかに触れあっていないと感覚が上手く共有できないという謎の事態が発生しており、視覚やその他感覚を完全にかつ自然に受け取るには手を繋ぐことが最も簡単な方法となっていた。

 もちろん使い魔から主人への感覚共有であり、タバサの感覚を透は受け取ることは出来ない。

 つまり透がルーンで得た能力はこの一方的な感覚情報搾取ともいえるものだけであり、正直彼からすると常時手を繋いでいることを強要されている現状は「手のかかる妹」を突然得てしまったようなものであった。

 

 図らずもそれは兄才人が彼の主人たるルイズに感じている想いと字面がとてもよく似ていた。違うのはタバサに手間はかからないが文字通り手を取られることであろうか。

 

 手を繋ぐことのかわりにいくつかの交換条件を飲んでもらい、口約束とはいえ透にも益があるようにはしてあるためおそらく損はないのだが。

 だが、早くも精神的な消耗は起きていた。

 さっきのように気になる異性に自然と目がいってしまったときの気恥ずかしさが現在の消耗度ダントツだ。

 透とて年頃の男の子なのだ。別段キュルケに好意を持っているわけではないが、好みが年上である彼にとって、条件が一致するうえスタイルが完璧な美人とくれば気になるのは仕方がないことであった。

 それでも、

 

(まあいいか。実害はないでしょうし)

 

 とタバサの性格からして問題ないであろうことに気付けば途端に気にしなくなるのが彼なのだが。

 そして彼はタバサから視線を外し正面に向ける。

 これから行われるであろう系統魔法と呼ばれる奇跡を観測する為に。

 教室正面の教卓。そこでは中年の教師メイジが微笑んでいた。

 

「皆さん。春の使い魔召喚は、大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に、様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」

 

 また一度見回したシュヴルーズと視線があった透は。彼女に微笑みを返す。

 シュヴルーズはおやおや、と声をこぼした。

 

「変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴァリエール。ミス・タバサ」

 

 悪気があるのかないのか、シュヴルーズがとぼけた口調でいうと、教室中がどっと笑いに包まれた。

 

「ゼロのルイズ! 召喚できないからって、その辺歩いてた平民を連れてくるなよ!」

「タバサもだ! それはルイズのオコボレか? そんなものをもらうとは、あんまり無口なんで呪文の唱え方も忘れてしまったのかな?!」

 

 ルイズが立ち上がり、ブロンドの髪を揺らせながら可愛らしく澄んだ声で怒鳴った。

 

「違うわ! きちんと召喚したもの! それにあんた達に彼らの価値なんてわからないでしょうね!」

 

「嘘つくな! サモン・サーヴァント出来なかったんだろう? しかも価値だなんて、平民は平民じゃないか!」

 

 怒鳴り合う彼らを横目に平賀兄弟はジャンケンをしていた。最初はグー。じゃんけんぽん。そのままグーを出した透が勝ちどきを上げる。チョキを出した才人がうな垂れた。

 じゃんけんの文化がないキュルケやタバサは二人の不思議な行動に目を瞬かせる。

 そして才人はうな垂れたまま教卓へと向かった。

 

「ミセス・シュヴルーズ! 侮辱されました! かぜっぴきのマリコヌルに侮辱されました――って、サイト。あんたなにやってんの?」

 

 ハハッと若干乾いた笑いで答えた才人がとうとうシュヴルーズの横に立つ。

 

「えぇっと、ミセス・シュヴルーズ。このままでは我らのご主人様がいわれのない話によって侮辱され、授業も滞ってしまいます。よければ我らに自己紹介の機会を下さいませんか?」

 

 手を上げるのではすぐに止められないと悟り、才人は直接前に出て来たのだ。

 突然の使い魔の奇行に教室は静かになっていた。

 

「え、ええ。いいでしょう。どうぞお好きなように」

「はい。ではお言葉に甘えて。私の名前はサイト・ヒラガ。ロバ・アル・カリイエより参りました。若輩者ではございますが武芸者にございます。名乗るだけでは皆様の憶えも良くはなりませんので、小手先ではございますが簡単な見せ物を演じさせていただきます。――ミセス・シュヴルーズ。こちらのチョークを少々頂戴してもよろしいしょうか?」

 

 と数本のチョークを手にルイズの方を見ると、彼女は才人の言葉遣いがいつもと違うことにぽかんと口を開けている。

 才人だって高校生である。受験時に言葉遣いくらいは改めさせられた。

 

「ご主人! 杖を掲げて!」

 

 ハッとして、ルイズは反射的に才人に言われたことを実行していた。抜き出したタクトを素早く頭上へ掲げる。

 すると、ぱあんと小気味のいい音が響いてルイズの髪に白い粉が落ちてきた。

 

「――え?」

 

 粉に気付いたルイズが慌てて払う。

 そして何かを忘れていることに気付いた。

 払った手を見つめていると、そこに杖が受け渡される。渡したのは透だった。

 

「ルイズさん、兄さんのこと怒らないで上げて下さいね。昨日の今日なので、まだこちらの文化への理解が浅いんです。でも悔しかったのは分かりますが、まさかこう来るとは僕も思いませんでした」

 

 小声で言ってきた。

 そこまで来てやっとルイズは状況が判断出来た。

 前を見ると数本のチョークを上に投げてはキャッチを繰り返す得意げな才人。ルイズの足元には白い破片や粉。

 あの使い魔の青年はチョークを投げてルイズのタクトを撃ち落としたのだ。

 

「ささささ、サイトオ! あんたねえ! ご、ごごごご主人様の杖を撃ち落とすなんてど、どど、どういう了見よ!」

「いやだって他に丁度良い的なかったし」

 

 気圧された才人の口調が元に戻っている。

 

「杖は貴族の誇りなの! 軽々しく土を付けちゃダメなの!」

「透が落ちる前にキャッチしてくれたぞ」

「言い訳するな!」

「まあまあルイズさん。では、兄さん!」

 

 怒鳴るルイズの横から透が声を上げる。

 と、透は手に持っていた薄い円盤状のなにかをぽいぽいと上に放り投げ始めた。

 それに気付いた才人は「おう!」と声を張り、腕を振る。腕が振られる度に小気味良い音が響き、透が投げた的とチョークが空中で砕け散る。

 透が投げるタイミングを固定していると才人が投擲のタイミングをずらし、リズムが刻まれ、粗野で原始的ながらも音楽の様相を呈してきた。

 

 無限に湧き出るかのような的はタバサが作った氷の小皿だ。才人のチョークはシュヴルーズが練金でどんどん作っていく。授業に使うはずだった小石がなくなり教卓を削りながらも生産していく。

 

 どういった演出だろうか。高速で振るわれる才人の左手が光を放っていた。それもまた見せ物として室内を興奮へと誘っていく。

 

 過去に例がないくらいの絶好調で最後の的を撃ち落とし、才人が一礼をした後には教室中から拍手が上がった。

 

 やるじゃないか! すごい! と声もあがる。

 

 スタンディングオペレーションである。

 

 だが、

 

 ルイズがすっと杖を揚げた。

 

 それと同時にキュルケの顔色が悪くなり、タバサと共に机の下に隠れた。透もタバサによって連れ込まれる。

 

「――サイト」

 

 才人の肩がびくりとなった。普通の声音であったのに、教室に入ったときにもらったドスの効いた声よりも背筋にひやりと来る声であった。

 

 教室中の生徒が机の下に隠れる。ある者は杖を振り風の障壁を。またある者は水の障壁を。ある者は土の障壁を。机に隠れながらも入りきらない使い魔を守るために彼らは精神力を振るう。

 

 突然連れ込まれ状況が分からなかった透がタバサに押さえつけられながら見たものは、溶けかけた氷と石灰の粉に塗れたルイズの姿だった。

 

「こんのバカ使い魔があああああ!」

 

 絶叫と共に振り下ろされた杖は、透の目には眩いばかりに光り輝いて見えた。

 

 



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第6話・失敗

 

 ルイズの魔法でめちゃくちゃになった教室を見回し、才人は溜め息を吐いた。

 

 通っていた道場の古くなった畳に的を書き、削った割り箸を皆で投げる遊びで得た特技が、異世界でも受けるであろう事は予想していた。高校入学時の一発芸披露でも役に立ったので、同年代なら基本は同じだろうと思ったのだ。

 透から貴族連中を敵に回さないよう注意を受けていたので、直接的な行動に出るわけにはいかなかった。だが自分達のせいでルイズ達がバカにされるのは腹に据えかねる。まだ会ったばかりの他人とはいえ、良くしてもらっているし、なによりルイズをバカにしている連中の肩を持つ理由もない。

 ならば少しでも透や才人を認めさせるしかない。

 そう考えての行動だった。

 だが結果がこうなるとは誰に予想できようか。自分の不注意とはいえ、なにもここまで手ひどくやることはないんじゃないだろうか。才人は才人なりにがんばったのに。

 調子に乗ったのは認める。初投時から体が軽くなり、力がみなぎるのを感じた。透が投げる的がスローモーに見えた。狙えば狙うほど外す気がしなくなった。むしろ外そうと思わなければ外せなかったのでなかろうか。最高のコンディションを作るために何週間も精神統一と体調管理をしたときに似ていた。それほど調子が良かったのである。

 

 普段であれば昂揚する自分を律することも出来たかもしれない。

 

 だが初めての感覚にタガが外れていたのだ。あれほどの絶好調の感触、体に憶えておかせたく思うのはスポーツや武芸に本気で取り組んでいればわかるはずだ。それになにかあれば制してくれる透も一緒になって調子に乗っていたあたり、究極的にはあの空気が悪い。そうに決まっている。

 そんなことを一通り思考した後、才人はまた溜め息を吐いた。

 

(……情けねえ。結局俺の精進が足りないからだよな。どんな言い訳してもそれは変わらない)

 

 そうしてさらに溜め息を吐く。

 

「でも教室爆破はないな」

 

 その一言に、真っ白けな姿から着替えてきたルイズは元々落としていた肩をさらに落とした。

 俯きっぱなしのその表情は才人から見えないものの、本人もそれなり反省していることは察せられる。だがそれ以前に、今から掃除するのにわざわざ着替えてくる者がいるだろうかと才人は内心つっこんでいた。貴族のお嬢様だからそこら辺わからないのだろうが、被害にあってさらに一緒に掃除する自分は未だ彼女のおかげでススだらけであり、お気に入りのパーカーもぼろぼろだ。

 てっきり才人はルイズのことをもう少し自制が効く性格だと思っていたのだが、どうやら違うらしいことが今回のことでよくわかった。才人にも非常に覚えのあることなのだが、感情が高ぶるとどうにも自制が効かなくなるようなのだ。

 魔法の威力は直接実感した。一瞬気を失ったほどだ。これはしっかり言っておかないと。そう才人は考えていた。

 

「どう考えてもだめだろこれは。むかついてやるにしても俺にだけ被害が出るように魔法使うとか、別の魔法使うとかあんじゃないのか?」

 

 ぴくりと、ルイズの体が震えた。

 

「…………ない……い」

 

 今回の自分のことは棚上げになってしまうが、ルイズのこれは被害を出し過ぎる。仕方がないの一言で済ますわけにはいかない。一番被害を受けたミセス・シュヴルーズの目がまだ覚めていないのだ。

 

「俺も悪かったとは思っているけど、これに関しては言い訳は聞かないぞ。仕える側とはいえ、言うことは言っておく。やりすぎだ」

「……けないじゃない」

「第一、こっちの常識は知らないけどな、人に向けてこんなの放つこと自体やっちゃいけないことなんじゃないのか? さっきも言ったけど、もっと別の魔法で――」

 

「できるわけないじゃない!」

 

 ルイズが俯けていた顔を上げる。すぐにでも泣き出してしまいそうなその表情に、才人はぎょっとしてしまった。

 

「わたしには、これしかできないの! どんな魔法使っても全部爆発! ドットもコモンも全部爆発! 爆発! だから一人にだけとかもできるわけないの! さっきだって本当は念力を唱えたのよ! 昨日あんた達喚べたから、もしかしたらって! でも結果はこれ! 魔法が使えないの! 『ゼロ』なのよ!」

 

 叫ぶルイズを、才人は見下ろす。だがその視線から当初の驚きは消え去り、冷め切っていた。

 

「知るかよ」

 

 放たれた怒気にあてられ、びくりと少女の肩が震える。さっきの震えとはまったく別種の震えであった。

 才人の視線に押し潰されるように、ぺたりとルイズはその場に座り込んだ。

 

「魔法がどうとか知らねえ。俺が悪いんなら俺にやるのもまだ我慢できる。だけどな、人を巻き込むな。そういってんだよ。悪くねえ人まで巻き込んでなにしたいんだ? 敵作りたいのか? あの魔法は人を殺せる魔法だぞ。あんなん振り回してたら、敵ばっかだ」

 

「……人を……殺せる……?」

 

 ルイズは初めて聞いた言葉のように才人の言葉を聞き返していた。

 才人はしゃがみ、ルイズの頬を両手で挟んで覗き込むように目を合わせた。

 

「ああ、殺せる。お前は加減して爆発では怪我しないようにしてんだろうけど、近くで喰らった俺もシュヴルーズ先生も吹き飛んだ。吹き飛んだら地面や壁に体を打つんだ。打ち所が悪けりゃそれだけで死ぬ。もし吹き飛んだ先に刃物が置いてあったら刺さって死ぬ。タンスの角で頭打っても死ぬかもしれない。机の角でも椅子の角でも同じだ。外でも石ころが尖ってたら死ぬだろうな。死んだら、どうする? この世界には生き返らせる魔法はあるのか?」

 

 少女は愕然とした表情で首を振った。そんな都合の良い魔法、このハルケギニアには存在しない。怪我はすぐに治せても魂は戻らないのだ。

 

 それにルイズにとって人を殺せるというのは寝耳に水であった。

 才人は知らないことだが、ルイズの爆発はそれ自体によって人を傷付けることはないのだ。杖先に光を灯らせるライトの魔法ですら爆発するルイズはだからこそ、これまで無事でいられた。爆発という破壊の嵐は人体に強烈な衝撃とある程度の痛みを与え、だが壊すことはせずに周囲の『物』のみを砕いた。火水土風のどの系統にもそんな魔法は存在しない。第一何をやっても同じ結果にしかならないその爆発を、周囲の貴族(にんげん)達は魔法とすら呼ばなかった。

 ならばなんであるか? 

 彼ら彼女ら曰く、それは『失敗』である、と。

 だからルイズはそんな『失敗』で人が殺せるなど思いもしなかったのだ。

 彼女は不幸であり幸運であった。彼女の魔法の最初の師、母カリーヌは伝説的な風の使い手であり、最高の軍人の一人であった。如何に強烈な爆発であろうと完璧な受け身をとることも、そもそも吹き飛ばされようが地に足付ける必要すらないほどの風の使い手であったのだ。故にルイズの魔法で怪我一つ負ったことがなかった。そして自分の失敗で吹き飛ぶ幼少のルイズに、カリーヌは受け身の取り方を教えた。数えきれぬほど繰り返すその受け身に、幼子から少女になった彼女は自分の失敗で怪我を負わなくなった。そして誰にもその失敗しかない練習風景を見せることがなくなった。

 学院に入ってからもそうだ。

 一年時の初の魔法実践で、ルイズの失敗はすぐに知れ渡った。

 半年も過ぎれば魔法の使えない落伍者として、『ゼロ』が広まっていた。

 

 だがバカにしてくる者は多くいても、腐っても公爵家令嬢。ラ・ヴァリエールの娘に怪我を負わせようという者はいなかったため、口では何とでも言うが魔法戦などということにはならなかった。事故に見せかけ水をかけるなどのいたずらをする者もいたが、犯人がばれないようにしていたため報復も発生しなかった。

 直接的な手に出てこなければルイズも手を出さない。だけど実践授業の度に失敗は起こる。最初はその異常性に恐怖を持つ者もいたが、誰一人としてその矛先に立つものがいなかったが為に失敗という罵声ばかりが上塗りされ、若く苦労を知らない者が多い学院生徒達は集団の無意識に流されるままに恐怖を忘れていった。

 

 いつしか、生徒達どころかルイズ本人ですら、自分の『失敗』をただの『失敗』であると決めつけ、吹き飛ばされる恐怖を忘れていた。

 その『失敗』が、人を殺せるというのだ。

 想像して、ルイズは吐き気を覚えた。

 サイトに言われた内容に、何故今まで気付かなかったのかと眼前が暗くなり、殺してしまうところだったと恐怖を覚え、萎縮した胃からこみ上げるものが吐き出されずに留まり胸を焼いた。知らずに極度の緊張から気管が狭まり、ひゅーひゅーと息が上がっていた。

 

「前言撤回だからな。お前は人の上に立つことができねえ。貴族がどうとか知らねえが、今のまんまじゃ立たれたらみんな迷惑だろうよ。なにせ癇癪おこしたら爆発だからな。八つ当たりで巻き込まれたらたまったもんじゃない。その性根を叩き直さねえと、誰も付いてきやしねえよ」

 

 そう言って、サイトは挟んでいたルイズの顔を放すと掃除を始めてしまった。

 ルイズは一人、変わらぬ体勢のままだ。視線だけがサイトを追う。

 光のない目からは涙が流れていた。

 

(――……見放されちゃう……)

 

 今度こそ本当に愕然としていたのかもしれない。絶望に近いほどの空虚に襲われていたのかもしれない。

 

 ルイズはこの時になってやっと気付いた。今日教室に入ってきたとき、サイトに「人の上に立つ才能がある」と言われて感じた心の震えは歓喜であったのだと。あれが心の底から嬉しいという感情なのだと、やっとわかった。罵倒と嘲笑ばかりの人生で長いこと忘れていたその感情に、ついさっきまで気付かないまま、舞い上がっていたのだ。

 自身の『失敗』の恐怖を忘れていただけではない。舞い上がって浮かれていたから、魔法を向けてしまうなんてことをやってしまった。

 魔法は『失敗』しかなかったから、ルイズは貴族としての矜持だけでも持とうと凝り固まったプライドをその胸に育て続けていた。人の上に立てる理想の自分を想像し、夢想し続けた。

 そんな自分が欲する自分を認めてくれる人が現れたことに、喜んだ。望んだわけでもないのにルイズの元に召喚されて未来を奪われ、だけどルイズを許して、彼女の使い魔として仕える仕事を選んだ少年の存在が嬉しかった。

 

 人の上に立てる立派な貴族になりたい。

 

 そう願った自分に自ら仕えてくれる者がいる。

 初めて少女は自身の理想を叶えたといってもよかったのだ。

 彼は全部を許してくれる。わたしの使い魔だから、許してくれる。『失敗』だって――

 だから気が緩んでいたのだろう。甘えたくて仕方がなかったのだろう。

 ちぃ姉様は全部を受けとめてくれるが、お体が弱く思う存分に甘えることが出来ない。

 お父様は甘えさせてくれるが、甘やかすだけだ。

 家の使用人達はいうことをきいているだけ。

 お母様とエレオノール姉様に甘えるだなんてとんでもない。

 だから昨晩のようにケンカもできて、それでも自分の求める自分を肯定してくれる才人に甘えたかったのだ。

 なにせ相手は使い魔だ。自分だけの使い魔なのだ。反抗的なところもあるけれど、自ら使い魔になることを了承してくれた使い魔なのだ。

 お金を払うのも衣食住を保証したのも帰りの手段を探すのも、ルイズの罪悪感からだ。いつかは帰ってしまうかもしれない。だが今は彼女の使い魔であることには変わりなく、平民だが異世界の知識を持ち、ルイズと同じように家族を失うことを恐れる感情を持っている。

 

 わたしと同じ。わたしの使い魔。

 

 そんな彼だったらなにをしても許してくれるなんて、甘えですらないただの我が侭なのに。

 そのことに気付かないまま、あのとき少女は杖を振ってしまっていた。

 そしてさっきは自分の非を投げ出した。投げ出しても許されると思ってしまった。

 

 投げ出せば、自分が投げ出されるかもしれないとは考えもせず。

 

(…………いや……だ――)

 

 自らの非に気付いたルイズは這うようにサイトに近づき、その袖を掴んでいた。

 

「……ごべん、なざい。ごべんなざい。サイトごべんなざい。わだ、じ、わだじ、もうやらないがら、やらないがら、りっばになるから、なおす、がら。ごべんなざい……」

 

 ぼろぼろと涙を流しながらルイズは謝罪の言葉を繰り返した。

 

 それに驚いたのは才人だ。

 

 元の世界で異性の友達がいなかったわけではないが、彼女いない歴=年齢な男の子。如何せん女性の涙なんて間近で見たことがない。そんなものが男に向けられるのは彼にとってテレビドラマの中だけであり、ましてや自分に向けられるなど考えたこともなく、免疫がまるでないのだった。

 なにより、どうやら自分の言葉に酷く影響されているらしいことが謝罪の中に垣間見え、驚いていた。才人は己の存在がこの少女にとってどのようなものであるか、まるでわかっていなかったのだ。昨日出会ったばかりの二人。時間にしてまだ一日も経っていない。こちらの貴族社会という世界観も、ルイズのこれまでの人生もよく知らない少年に理解しろというのが酷というものである。だからこそ突き放すように言うこともできたのだが。

 

「いや、おい、その、泣くなよ。泣くなってば。俺も偉そうなこといったけど、元は俺の不注意のせいでこうなったんだから。ごめんな? だから泣き止めって」

 

 またしゃがんでルイズと頭の高さを合わせるも、泣きじゃくる彼女は止められない涙にきつくまぶたを閉じるばかり。才人の言葉を聞いているのかすらわからない。

 しばらくしてルイズが落ち着いてくると、その涙を空いている袖で拭い続けていた才人は息をついた。

 これほど泣いたのは随分と久しぶりなルイズは、聞こえた溜め息に体を強張らせた。

 

「……あの、サイト……」

 

「ルイズは自分で謝れるんだから、すぐに立派になれるな。仕える甲斐があるってもんだ。なあに、今度から魔法を無闇矢鱈に使わなきゃいいだけさ。どうにも我慢ならないことがあったら、俺が受けとめてやるよ」

 

 にかっと才人は笑う。

 才人は泣き虫で意地っ張りだった弟が、自分では到底追いつけない存在になったときのことを思い出していた。

 ルイズは目を見張って才人のことを見る。

 

「許して、くれるの……?」

「許すもなにも、俺はお前の使い魔だぞ」

「でも、誰も付いてこないって……」

「それはあれだ。言葉のあやってやつだ。昨日いってたじゃんか、本来使い魔は主と一生を共にするもんなんだろ?」

 

 才人はこの後に、俺達は帰るかもしれないけどな、とは続けられなかった。

 ふわりと、花のようにルイズが笑ったからだった。

 それは才人がこのハルケギニアに来てから初めて見たルイズの笑みだった。

 

「ありがとう。サイト」

 

 ルイズが立ち上がる。

 割れた窓から射す陽の光を背景するその姿に、しゃがんだままの才人は呆けたように見とれてしまった。

 

「わたし、ミセス・シュヴルーズに謝ってくるわ」

「あ、ああ、そうしな」

 

 慌てて立ち上がり、才人はルイズの頭に手を置く。

 

 ルイズは今朝キュルケの前でやったようにその手をはね除けようか迷った。今朝とは違い、こうされていることが嬉しいことを彼女は自覚してしまっていた。だからこそ迷った。貴族としてメイジとして、使い魔に撫でられて嬉しいだなんて、と。

 その躊躇いで視線が泳ぎ、幸か不幸か教室の出入り口に立つ人影と目が合ってしまった。

 

「相談役として、兄さんの弟として、ルイズさんの魔法の使い方に苦言を呈させていただこうかと思いましたが、その必要はなさそうですね」

 

 平賀透である。もちろんその隣には彼の主であるタバサの姿があり、さらにわざとらしく口元を手で隠し笑いを堪えるキュルケまでいるではないか。しかも、

 

「ごめんさないサイトですって……――」

 

 キュルケの呟きが聞こえた。

 

「――な、あ、うな」

 

 一体どこから見ていたのか。言葉につかえるルイズを見て、とうとうキュルケは爆発してしまった。あっはっはっはと笑うキュルケを、さすがに空気読もうよという目で見る透と、どうでもよさそうなタバサ。

 自分が犯した失態を思い出し、真っ赤になったルイズの自我は崩壊をきたした。有り体にいうと恥ずかしさのあまり八つ当たりを敢行した。唯一、先ほどサイトが言った、どうにも我慢ならないことがあったら、俺が受けとめてやる。という言葉だけを思い出しながら。

 

 つまり、

 

 未だ頭の上に乗っていた手が払い除けられ、

 

「いつまでご主人様の頭に手おいてんのよ!」

 

 怒声と蹴りがサイトへ飛んだのだ。

 

 至近距離でコンパクトに決まった母直伝の蹴りは、ルイズを撫でるために上げた腕の下、サイトの横っ腹に入り、防ぎきるはずの彼の鍛え抜かれた筋肉壁、その最も薄いところの一つを抉った。

 

 衝撃が、内臓を犯す。

 

「あ、綺麗にレバー入りました」

 

 透の解説に、タバサは興味深げにその急所位置を記憶した。そして笑いながらフライの魔法で逃げ出すキュルケ。

 そんな様子を意識の遠くに、才人は不条理に膝を屈したのだった。

 

 

 

 

 

 まかない場での食事を終え、才人はルイズの元へと向かっていた。

 

 あの後才人が気絶している間に透とタバサは買い出しに出かけ、キュルケは当然のように逃亡。ルイズはまたやってしまった才人の介抱をしつつ掃除を再開。途中起きたミセス・シュヴルーズが教室にやってきて、謝るルイズに「内緒ですよ? 私も練金で遊んでしまいましたしね」と壊れた物を魔法で直していった。そのため才人が起きたときには粗方修繕も終わっており、また必死に謝ってきたルイズをなだめて褒めようとしたものの、先のことを思い出して撫でずに言葉だけに留めると、なぜか彼女は不機嫌そうにさっさと昼食に行ってしまったのだった。

 彼は首を傾げつつ考えても仕方なしと、彼女の力ない拭き掃除ではとれていなかった汚れを道場仕込みの雑巾がけでしっかりとって厨房へ。腹の虫を治めると一緒にいたコック長や調理メイドさん達に感謝してその場を後にしたのだった。

 アルヴィーズの食堂ではデザートのケーキが振る舞われているところだったようで、才人が甘い匂いにふんふんと鼻を鳴らしながらピンクブロンドを探していると、少し前の席で騒がしい男達の一団がその目に付いた。

 

「なあ、ギーシュ! お前、今は誰と付きあってるんだよ!」

「誰が恋人なんだ? ギーシュ!」

 

 問われたのは金髪巻き毛の美男子だ。ここハルケギニアの人間は青や赤、緑という地球では見られない髪色が一般的に存在し、その上なぜか美男美女が多い。才人としては物珍しくて目にも楽しいのだが、ギーシュという彼はそのなかでもとりわけ見目が整った少年であった。

 だが残念なことに色んなセンスが壊滅的だと才人は感じた。

 服装は胸の開いたフリル付きのシャツに、胸元に挿した薔薇の花。なによりも、

 

「つきあう? 僕にそのような特定の女性はいなのだ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」

 

 ここまでナルシストに徹するのはいくらなんでもあんまりだろう。ある意味似合ってはいたが、日本人の感性でいくとネタとして最高なだけで実在するとなると失笑するしかなかった。

 才人は見ていられないような気分になり目を反らそうとしたが、ちょうどナルシストの足元になにかが落ちているのが見えた。ガラスの小瓶である。中身はラベンダー色の液体だ。

 おそらくこのキザな少年の物だろう。さすがに見て見ぬふりをするのは気持ちよくない。仕方なしに才人は小瓶を拾い、ギーシュに声をかけた。

 

「落とし物だ」

 

 しかしギーシュはちらと小瓶を目端に入れると、すぐさま前を向いてしまう。

 少し待ってもそれ以外の反応が得られなかったので、もう一度声をかけようかとしたところで別方向から逆に声をかけられた。

 

「なにをしているのサイト」

 

 突っ立っている才人を見つけたルイズである。隣には黒髪のメイドがカートと共に控えている。

 

「ああ、彼が落とした瓶を拾ったから、渡そうとしてたんだ」

「? その色、モンモランシーが自分のためだけに作っている香水じゃない。ギーシュの物のわけがないわ」

 

 言うが早いか、ルイズは小瓶を持って少し離れた女の子達が集まっている席まで行くと、一人の少女に声をかけ小瓶を渡して戻ってきた。受け取ったということは確かに彼女の物だったのだろう。だがその彼女も一緒になってルイズとこちらにやってくる。

 見事な金髪を縦ロールに巻いたその少女に才人は見覚えがあった。昨日召喚されたときルイズを嘲った少女だ。だがこうやって二人で来るということは、思ったよりも二人の仲は悪いわけではないのかもしれない。

 そして彼女は才人達の側まで来るとギーシュに小瓶を渡した。

 

「ギーシュ。これ、貴方にあげた香水じゃない?」

「ああ、『香水』のモンモランシー。ありがとう。肌身離さずポケットに入れていたのだけど、どこで落としたのか分からなくなっていたのさ」

「もう。持ち歩いてくれるのは嬉しいけど、落とさないでちょうだい」

 

 彼らの会話を聞いた男共が鼻息を上げる。

 

「おお! ミス・モンモランシからお手製の香水を贈られているとは、ギーシュ! それはつまり、そういうことなのか?」

 

 才人はなんだやっぱりこの色男のかと内心でごちていた。しかも女の子からもらった物ときた。才人としては少々羨ましい。いや結構羨ましい。手作りの香水をもらうなど、どれほどの仲なのか。才人は義理で買いチョコしか女の子からもらったことがなかった。

 それではなぜさっきは手に取らなかったのか。首をひねるも分からない。キザ男の考えることなど才人には想像も付かないことなのだろうと決めつけて、男はやはり顔なのだろうかと少々やさぐれた気持ちになっていたときだった。

 後ろの席で立ち上がった茶色いマントの女子生徒が、こつこつとギーシュのところまでやってきた。

 栗色の髪をした、可愛い女の子であった。席の位置とマントの色から一年生であることがわかる。

 

 その女の子を見て、ギーシュの顔が強張った。それだけで才人はピンときていた。

 

「ケ、ケティ……」

「ギーシュさま……」

 

 そして才人の予想通り、彼女がぼろぼろと泣き始めるではないか。

 

「やはり、ミス・モンモランシと……。あの遠乗りのときに仰ってくれた言葉は嘘だったのですね」

 

 それを見ていたモンモランシーの眉間に皺が寄り、眉尻がつり上がった。その様子を間近で見ていた才人は思わず後退る。

 

「ギーシュ、これはどういうことかしら。わたし、貴方と遠乗りに行ったこともないわ。それになんだか、わたしだけを見ているという言葉を思い出したのだけど、本当にどういうことかしら。ギーシュ」

「ふ、二人とも、ご、誤解なんだ」

「「なにが、誤解なのかしら(ですか)」」

 

 分かりやすい構図に周囲の騒がしかった男子達は沈黙してしまっていた。

 

 才人はごくりと息を呑み、「行こう。邪魔しちゃ悪い」とルイズの手を引く。悪くはないといっても事の発端が彼であったため、二人の少女の表情を見てなにやら逃げ出したくなったのだ。

 だがルイズと控えていたメイドは本物の修羅場に別の意味でごくりと息を呑み、「「も、もう少し様子を見ましょう(せんか)」」ときた。女の子はどこの世界でも色恋のでばがめが好きらしい。

 

 仕方なく才人もその場に留まるが、これがなかなかにえぐい。

 

 ギーシュは二人に両サイドから平手打ちされたうえ、モンモランシーに頭からワインをどぼどぼとかけられ、次いでケティにケーキをワンホール分叩きつけられた。そこにルイズを初めとした近くの女性陣による拍手がおこり、ノッてきた二人は魔法で彼の足元を凍らせお盆をフルスイング。軽快な音と共にギーシュはすってんころりんこーろころとされる。その際女子生徒の席の方まで滑って転がされたため、スカートの中を覗いたという嫌疑がかけられた彼はさらに複数の女生徒から折檻されていた。

 

 震え上がり見ていられなくなった男子生徒達が退散していくなか、しっかりとルイズに腕を掴まれた才人は逃げることもできずに一人の男の末路を見届けたのだった。

 

 



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第7話・韻竜

 トリステインの王都、トリスタニアの街を透とタバサは歩いていた。魔法学院からここまで乗ってきた馬は町の門そばにある馬車駅に預けてある。ちなみに一頭だけである。透には馬に初めてで乗れるだけの運動神経も体力もなかったので、タバサに必死にしがみついてここまで来たのだ。

 最初はレビテーションの魔法で透を浮かせてタバサの腰につかまえさせていたのだが、学院から馬で片道二時間ほどかかる都合上、精神力の温存のために魔法はきられてしまったのだ。そこから先は普通に相乗りである。

 貴族子女の腰につかまり相乗りしてくる平民の男などという、ありえないものを見た衛兵達は何事かと慌てふためいたのは仕方のないことだろう。

 この世界、貴族同士でも異性が相乗りすることはまずない。あるとすればそれは夫婦か恋人同士のみである。朝からずっと手を繋いでいたことや、小さな女の子に頼りっぱなしな自分への悲壮感、それらによって透はその辺りの機微の可能性をすっかり忘れていた。いいとこ情けない姿を笑われる程度だと思っていたのだ。

 だが予想以上に驚いていた衛兵につかまり、色々と問いただされてやっと町に入ることが出来たのだった。

 相乗りであったこともあって、学院を出てから予定より随分と時間がかかってしまっていた。

 

「イタタタ……これは要改善です。腰とお尻が自然分割されそうです」

 

 そうぼやきながら透はひょこひょこと歩く。

 その手を引いてタバサは人混みの中を進んでいく。

 

 才人がルイズの魔法によって吹き飛ばされてからすぐにタバサ達は学院を出た。教室の惨状がかなり酷いことになっており、吹き飛ばされた衝撃でシュヴールズは気絶。罰として魔法なしの修繕を言い渡されたルイズと才人が事を為すまでの間、タバサ達のクラスは自主学習となってしまったのである。

 その時間を有効活用しようと、二人は才人や透の生活用品を買いに出ることにしたのだ。

 おそらく午後の授業はサボることになってしまうが、タバサは構わないらしい。どうやら度々彼女はサボるらしく今更であるとのこと。成績も申し分ないため、問題ないと言っていた。

 透として昨晩タバサと色々話し合っていたため寝不足しており、休んでいたかったのだが、足りない物が分からないとだめなのでルイズに行けといわれたのだ。

 

(それにしてもルイズさんのあの魔法はすごかった。爆発……衝撃波かな? を主としたものなんでしょうけど、起点がないうえに熱量もないようでしたし、ま近くで受けたミセス・シュヴールズと兄さんの負った怪我は背中を黒板にぶつけた事による打撲のみ。前方から受けた衝撃自体は『吹き飛ばしただけ』とは。固定の机も吹っ飛んでいたのに……いやはや魔法のコントロール性は高いようです。そういえば、『色』も『流れ』も彼女だけなにか特別なような――)

 

 きょろきょろ通りを見回しながら透は考える。

 表通りは白い壁で出来た町並み。土木工事の基礎は土系統の魔法なのだろう。一枚の岩で大壁が出来ている。そして一枚で作る発想しかないから中に筋交いを入れたり、別素材を組み合わせることで各種力への抵抗力を上げる方法がこの世界ではあまり認知されていない。あるにはあるが、ちゃんと研究する人がいないのが現状のようだ。魔法で後から壁の厚みを継ぎ足せるのも問題だ。

 結果、目立つために壁を白の一枚壁にすることが多い表通りの建物は、そのせいで高層になるほど柱の数は増え建物下部の壁の厚みはかさばり、街の発展に伴う店の増改築で通りはどんどんと狭くなっていく。

 先日コルベールに教えた構造力学がありがたられるわけである。

 

(ん~。やはり別世界なんですね)

 

 つらつらとそんな原因に思いを馳せながら城下町最大の大通り、とはいっても道幅五メートルほどしかないブルドンネ街を行く。

 

 と、そこでぴたりとタバサの足が止まった。

 その視線の先を追えばあるのはどうやら食堂らしい。肉の焼ける良い香りが漂ってくる。

 

「そろそろお昼時ですし、ここで先に食事にしましょうか。ルイズさんから余分にお金はいただいてましたよね」

 

 頷いたタバサが我先にと店に入っていった。

 引きずられるままに透はテーブルに着き、いきなり来た貴族の少女と従者に冷や汗を流す食堂のおかみさんをなだめつつ料理を頼む。

 そんな貴族と平民の間にある壁を確認しつつ、この世界の文化や価値観、そして魔法のことに透が思いを馳せさせていると目についたものがあった。

 

 なぜすぐに気付かなかったのだろうか。

 ぼろぼろのマントを羽織った、格好だけ見るとやたらみすぼらしい女性である。透の席からは後ろ姿しか見えないため正確にはわからないが、服装のわりに青い髪には艶があり、まだ若そうであった。

 手を繋いでいたタバサもその異常性に気付いたのか彼女の方を向く。

 

「……あの滞り方はなんでしょうね」

「……異常」

 

 その女性を囲むように渦巻く巨大な深緑の『流れ』が透には見えていた。

 そしてそれはルーンの力でタバサにも見えている。

 学院で見た、メイジ各人の杖に滞るようにそこにあるのではなく、一人の人間を起点に渦巻く『色』。

 世界を漂う奇妙な『色』のなかから緑だけを寄せつけながら、その深緑の渦は周囲の人間や建物などをまるで意に介するふうもなく、何もないかのように彼らの体を通り過ぎては踊るように女性を覆っていた。

 この『色』の『流れ』は透がハルケギニアに来た当初から見えていた、否、感じていたものである。

 最初は蜘蛛の糸かと思った。爆煙のなかきらきらと光りながら視界をかすめるその細い『流れ』を咳き込みながら見ていた。透達が住んでいたところには小型の蜘蛛が多くて、春先になると子蜘蛛が糸を出して風に乗り空を舞うのだ。知らない人がそんな話を聞くとぎょっとするが、日本に生息するものの中ではわりとポピュラーな蜘蛛の性質である。

 だが爆煙が晴れて見てみれば、その『流れ』は世界中とも言える全てに至っていた。それこそ人体にもその『流れ』が入り込み、何事もないかのように通り過ぎているではないか。

 『流れ』は束になり、束になった『流れ』には『色』があり、より大きな『流れ』となって漂う。

 赤青黄緑が入り乱れて混ざり合って捻り合いながら『流れ』ていく。

 だが見えているのに視界の邪魔にはならない。その先の光景はしっかり見えている。まぶたを閉じても感じとれる。不思議な世界だった。

 透はあのとき、ルイズではなくその『流れ』の世界を見ていて、そして気絶した。

 目覚めてもそれは変わらなかった。透が異世界を早くに納得出来たのは双月の存在や魔法の実演だけではない、この奇妙な『流れ』が見えていることも大きかった。

 そして気付いたことがあった。それはこの『色の流れ』が透にしか見えていないことである。

 きっかけはルイズやコルベール、寝ている才人の体も『色の流れ』は完全に通り過ぎているのに、透のことだけは通り過ぎると薄くなることに気付いたからであった。

 

 そしてなにやら実感のようなものがあった。

 自分の体がこの『色』を取り込んでいる実感が。

 確認のためによく見ても確かに他の人は取り込んでいない。

 だからといって取り込んでいる透になにかいうこともない。

 さらに取り込んでいる自分の体調が良い。

 しかも魔法を使ったコルベールの杖に漂う『色の流れ』が目まぐるしく変わるではないか。

 それでそれとなくコルベール達に確認してみたのだ。魔法の使い方やそれ関する知識を。そして確信した。これは異端である可能性があり、独自の武器になり得る。交渉材料にもなるので今は黙っておこう、と。

 

 それも結局タバサとの契約であっさりとバレてしまうのだが。

 

 本当にあのときは疲れていて、思慮が足りていなかった。感覚共有はすでに聞いていたのに、才人の身に起こらなかったためにすっかり失念していた。体調が良くなっても元の体力は変わっていないのだ。

 おかげで、一から他世界人が調べるには時間がかかったであろう物事がすぐにわかったが。

 

(タバサの話ではこの『色の流れ』は精霊と呼ばれるものである可能性が高い。精霊とは自然そのものの具象化。その流れを滞らせるどころではなく、このように操るということは……)

 

「一般的なメイジが杖に滞った『色』を操るのに対して、あの方は全身で操っている。これぞまさしく纏う、ってところですか。伝承通り、魔法で姿を変えているのでしょう。正体、わかりますか?」

 

 精霊かもしれないとタバサから聞いたとき、同時に聞いたこともあった。それは杖がないと使用不可な系統魔法とは別の魔法の情報。精霊魔法、もしくは先住魔法と呼ばれる魔法を操る人外の種族に関する情報だ。

 

「……エルフ?」

 

 エルフはその代表格。だが、

 

「いえ、多分違います。よく見て下さい」

 

 透は視線を一度上げてから、ゆっくりと下ろしていく。。

 下ろす動きは渦の外周を確認するよう。

 渦が薄かったりぶれていたりするものの、そこには確かになにか決まった形状があるようであった。

 巨大なワニに似たアギトを開く端部。そこから続く曲がった巨木のようなものはすくめられた首であろうか。窮屈そうに折りたたまれた羽らしきものと、床を踏みしめる四肢。ここまでくると太く長大でとぐろを巻くあれはしっぽにしか見えない。

 

「……ドラゴン」

「それもおそらくは」

 

 だが通常の竜種では言葉を解することも精霊魔法を扱うこともできない。

 しかし伝説上、すでに滅んだとされる者達の中にはいたとされていた。精霊魔法を自在に操り、通常の竜種を遙かに凌ぐ能力をもった竜種が。

 

「韻竜」

「です。なるほどこうしてみれば納得できます。絶滅などしておらず、器用に人に紛れて生活していれば分かるわけがない」

 

 後ろからでも分かるくらい食事にがっついているその姿からは、伝説などという言葉を見つけることはできない。

 わざわざ人に紛れて食事をしているのだ。興味はあったがこちらが下手を打たない限り危険もないだろう。何もしなければ自分達の平和も、相手の平和も守られる。そう考え、やってきたおかみさんから料理を受け取ると、視界の端に収める程度にしてこちらも昼食を始めた。

 時折タバサが食べるために放していた手で透に触れてきたが、次第にそれも変わらず食べ続けるだけの韻竜女性に飽きたのかなくなり、食事に専念するようになった。

 朝食は別所で摂った透はそんなタバサがどんどん追加注文していく様子と、止まることのないもきゅもきゅに癒しと恐れの両方を感じ、この世界の女性はよく食べるなとか、箸が欲しいなどとどうでもいいことに思考を裂くようになって、韻竜からは意識が遠退いていった。

 

 そうやって、食事を楽しんでいたときだった。

 

「きゅいきゅい! どうしてもうだめなのね?!」

「だからあんたの持ってたお金じゃもう足りないの! わかったらもう出とっておくれ!」

「もっと食べたいのね!」

「だあ! かあ! らあ!」

 

 韻竜女性と食堂のおかみさんである。

 やっと見えた韻竜女性は結構な美人さんであった。

 どうやら韻竜女性の手持ちがなくなったのだが、まだ食べたりないらしい。

 店の中央で、しかもさっきまで大量の食事を摂っていたのにまだ食べたりないと騒ぐ妙齢の美女。目立って仕方がない。

 

「……あんまり紛れてないね」

 

 タバサもどこか唖然とした様子で頷く。

 それも仕方がないだろう。韻竜とは本来、高い知性と暴力を兼ね備えたハルケギニア最強種の一つなのだ。少なくとも現存する資料はそう伝えている。

 すると、韻竜女性がこちら見た。

 

「そこにいっぱいお肉あるのね! 食べたいのね!」

 

 タバサが大量に頼み、テーブルに並んだ肉料理に惹かれたらしい。

 それを聞いておかみさんや他の客は顔を真っ青にさせた。貴族に向かってなにをいいだしているのだと思ったのだ。とばっちりは敵わないと、客は一斉にテーブルを引く。おかみさんだけは韻竜女性に抱きついて、恐ろしい形相で力の限りに持ち上げると、文字通り韻竜女性を店の外に放り投げた。

 そして外に顔を出し、一言「二度と来るんじゃないよ!」と怒鳴り声を上げると、店内に戻りこちらまで駆けてくる。

 

「申し訳ございません貴族様! 二度とこのようなことは――」

「いい」

 

 タバサは謝罪を聞くのも億劫そうに首を振り、遮ると、食事を再開した。

 あまりの素っ気なさに逆におかみさんはおどおどとしたままだ。

 見かねた透が声をかける。

 

「こちらの料理はとてもおいしいですから、あの方もいくら食べても食べたりなかったのでしょう。タバサ様も夢中のご様子。このままではまだ足りないかもしれません。メニューの追加を頼めますか?」

 

 タバサに目配せすると、彼女もこくりと頷き、おかみさんが持っていたメニュー表を奪って何点か指さしした。

 おかみさんは、はい! と飛び跳ねるように返事をしてからメニューを復唱し、厨房へと下がった。

 

 透はまた韻竜女性が投げられた外を見る。

 

「ある意味完全に紛れているのかも」

 

 まさか先ほどのあれが韻竜であるとは誰も思うまい。

 タバサも頷いた。

 何故かその後頼んでいないデザートメニューも出て来て、追加分の料金はいいからと返された。

 透は悪い気がしたが、タバサは素直に嬉しそうであった。

 

 

 

 

 食堂を出ると目的のお店に向かった。

 まずは衣服。着の身着のままであったため、一着しかないのだ。当然であろう。日本人はきれい好きである。

 幸い才人はこのハルケギニアでも一般的なサイズの体格であったため、いなくとも適当な注文で事足りる。透は細かったため一応計ってみたがこれもよくあるサイズで問題なさそうだった。極論、腰などは紐でしばって整えればいいのだ。服は平民用の安物でも受注生産のため合うサイズと布を指定して数着予約し、学院への郵送を頼んだ。少々透には大きかったが当面の為に店頭品も買った。貴族ではないのだから余った丈は折って自分でとりあえず縫い付けておくのもいい。平賀透十六歳。成長期。切るのは勿体ない。そこまで上等である必要もない。後ほど着てみて予想以上のそのごわごわ感に眉を顰めることになるのだが。

 下着類に関して男性貴族はタイツ状のものだったりするらしいが、平民の一般的なものは褌のようだった。他にも種類はあったが褌系が安かったので布を選び、その場で裁断してもらってちゃっちゃと買っていった。タバサが平民男性の下着を知らなかったらしく、興味深げにしていた。

 

 他の生活用の小物は学院でも手に入るためよしとして、簡単な武器も買いに行くことになっていた。才人が護衛として思いの外強いことを知り、剣を使ったことはないものの体術と先ほどのような投擲が得意ということで、気絶した才人に代わり上申した透に、投げる用の短剣を数点買っておいてとルイズが言っていたのだ。

 もちろんお金は彼女持ちである。色んな意味で怒り狂ってはいたがその有用性は理解出来たらしい。というよりも透が懇切丁寧に説明した。遠隔攻撃で杖を落とせるのは対メイジ戦において高いアドバンテージを誇るのだ。

 才人の特技を自分のことのように誇らしげに語る透に対し、透はなにかできるのかとタバサが心なしか期待した目で訊いてきたが、これも透は自信満々になにもできないことを言いきっていた。だから透には彼自身の護身用に短剣一本だけと話し合いで決まった。

 そういうことで武器屋へと続く裏路地に入ろうとしたときだ。

 

「お金くださいなのね!」

 

 どこかで聞いたことのある声による残念な叫びが二人の耳に入った。

 そちらを向けば青髪の後ろ姿と強大な緑の渦があるではないか。

 想像以上に残念な気分になった透は聞かなかったことにして、そのまま目的を果たそうかとも思ったのだが、次に聞こえたものによって足を止めた。

 

「娘、金が入り用なのか?」

「とっても入り用なのね!」

 

 また見れば、紳士然とした格好の中年男性が韻竜女性に声をかけているではないか。

 これは大丈夫なのだろうか。主に紳士の方が。と考えていると「ついておいで」と紳士は韻竜女性を連れて行ってしまった。

 

「タバサ、いいかな?」

 

 彼女は頷くだけである。

 先ほどまでは大した滞りではなかったため見逃していたが、あの紳士が杖を隠し持っているのが『色』でわかったのである。隠すということは後ろ暗いなにかがあるということ。そんな人物が女性に声をかける理由なんて限られている。

 相手は多分韻竜だ。並のメイジなど、魔法戦を知らない透ですらあの渦を見ただけで敵わないとわかる。だから気にかける必要などないのかもしれないが、透にはこれがなにかターニングポイントのように感じられた。

 確実にあの男はこの世界の暗部だ。比較的浅いところの暗部であろうと、この世界の暗部であり、このハルケギニアを見る、いい意味でも悪い意味でも絶好の機会になると思った。

 これはもしこの世界で本当に一生を過ごすのであれば必要な見識であり、帰るなら帰るで絶対に帰りたいと思えるほどの理由にもなりえる、そういうターニングポイントなのだ。

 透はあらゆる意味で自分には覚悟が足りていないことを自覚している。だからこそこういったことは必要な気がしていた。

 二人は直接追うのではなく、回り道をしながら緑の渦の後を追った。

 

 そうしていくうちに街の外れに来て、ついには外に出てしまい、とうとう人気のない森近くまで来てしまう。そこには幌馬車が駐めてあった。

 平地に出たので見つからないよう二人は距離をおきしゃがんでいたが、透はあの渦を見逃すことなどありえないし、タバサは遠見の魔法を使って細かなところを確認している。

 森の入り口からぞろぞろと人が出てきて女性を囲んだのが見えた。

 

「どうなってます?」

「縄で縛られた」

「人さらいですか」

「そう」

 

 遠目にもあの韻竜女性が担ぎ上げられ、馬車に放られたのがわかった。どうやらそこには他にもさらわれた女性がいるようであった。

 

「殴られた」

「? なぜ抵抗しないのでしょう? 韻竜であればあの程度の相手、問題なさそうに思えるのですが。もしかして強いというのも噂だけですか」

「魔法の縄」

「なるほど。そんなものがあるのですか」

 

 なにやらあの韻竜女性が暴れているようであったが、御者台にはあの紳士っぽいメイジともう一人のメイジがいるようである。

 そしてその後ろから旗を掲げた別の馬車が出てきた。

 タバサの杖がその後続の馬車をさす。

 

「中にメイジ」

「……助けたいところですが、これは少々遅かったですね。帰りましょう」

 

 透が言うが早いか、しゃがんでいたタバサがすっくと立ち上がった。その視線は変わらず馬車に向いていた。

 

「縄が千切れる」

「え?」

 

 聞き返すと同時に緑の渦が弾け、くけー! という雄叫びとともに馬車の幌が吹き飛び、中から青い韻竜が起き上がった。

 どうやら変身の魔法を解き、無理矢理縄をちぎったようだ。

 男達が銃を撃つが竜の羽ばたき一つで吹き飛び、森の木々に叩きつけられると動かなくなった。あの一撃は透にはただ羽ばたきなどではなく、緑の『色』をともなった魔法なのだとわかった。

 だが、

 韻竜の後ろで、あの紳士男ともう一人フードを被った男が杖を振るう。

 すると杖先からなにやら糸のようなものが飛び出した。

 気付いて韻竜が振り返るも、なぜか韻竜は行動を起こさずその場に留まった。その足元には他に捕らわれていた女性達がいた。

 糸に絡め取られ、倒れる韻竜。倒れた際に女性を避けたが為に不自由な体勢になり、しかも側にいる女性達は気絶してしまっていた。あれではまともに身動きできない。

 

 透は走り出していた。

 

 タバサに至っては男達が杖を振った時点で走っていた。

 

 真っ先にタバサが振るった杖先から竜巻が生まれ、進行と共に大きくなり二人のメイジを吹き飛ばす。

 男達が吹き飛ばされると同時に後続していた旗付馬車の幌が断ち切れ、中から飛び出した風の刃がタバサに襲いかかる。

 

「タバサ!」

 

 透の叫び声。

 彼女は条件反射で風の刃を躱すと、ハッとして後ろを向いた。

 先ほどの透の声は真後ろから聞こえたからだ。

 

 だが透も刃を躱していた。むしろ彼の方が大きく刃から距離を取って、余裕すらある状況で躱していた。風は通常見えないが、精霊をともなう魔法は『色』がつく。事前動作にすら杖に集まる精霊で『色』をともなう。馬車の中故にわかりづらかったが、韻竜の羽ばたきのときにそれをしっかりと見ていたので、幌を通過して集まりゆく緑の『色』に気付き、彼も恐怖心から来る条件反射で避けていたのだ。

 タバサは再度杖を振るい、旗付馬車へと空気の槌を叩き下ろした。

 潰れる馬車と、飛び出す人影。再度人影から放たれた風の刃はタバサではなく、韻竜の足元にいる女性達へ向けられていたが、それすらもタバサが放つ空気の槌によって打ち消される。

 

 相手の方が近いのに当たる前に打ち消したということは、タバサが予測して先に放っていたということだ。

 その姿を見て、透はタバサを強者であると理解した。話だけではなく、彼女は強いと心が実感していた。

 向こうもタバサと同じ風系統の使い手のようだが、一対一で負けることはないだろう。杖に滞る『色』の量も同程度だが、才人という強者を知っていた透は確信できた。負けるはずがない。と。

 ならば、一対一ではなくなるとどうだ。そう考え、透はまた駆けだした。

 韻竜の元へと。

 

 一方、女性達を狙う事によってタバサの隙を作ろうとした敵のメイジは足を止め、タバサと対峙していた。

 銀髪の、まだ若い女メイジだ。だが杖を構える仕草も堂に入り、戦い慣れしていることを物語っていた

 タバサが小さな少女であったことに驚いたのか、相手はわずかに目を見張り、戻すと、唇の端を歪めて冷笑を浮かべた。

 

「おやおや、向こうの少年は平民のようだが、あんたは貴族様のようだね。こりゃちょうどいい」

 

 タバサは無言だ。その表情はいつもとなんら変わりはない。

 

「どうしてメイジが人さらいなんてやってるんだ? って顔だね。あんたは貴族のようだから、きちんと冥途の土産に教えてやろう。あたしは女だが、三度の飯より騎士試合が大好きでね。伝説の女隊長のように、都に出て騎士になりたい、なんて言ったら、親に猛反対されたのさ。で、こうやって家を出て、好きなだけ騎士試合ができる商売に鞍替えしたのさ」

「ただの人さらい」

「そりゃあ、食うためにはしかたないさ」

「あねご! 助太刀しやす!」

 

 先にタバサの竜巻で吹き飛ばされていた男メイジ二人が戻ってきた。タバサの立ち位置は最初から彼らも視界に収めていたので、これにも彼女は表情を動かさない。

 その様子に女メイジは首を横に振った。

 

「なに、これは騎士同士の決闘だよ。順序と作法ってもんがある。お前達はそっちに行ってな。さて、正々堂々いこうじゃないか」

 

「わたしは騎士じゃない」

 

 タバサは短く告げて杖を構えた。

 男達が素直に退いていく。

 

「ここまでやっているのに、それでもかい?」

 

 そう言い女メイジは杖を構えると、優雅に一礼した。

 めんどくさそうに、タバサもそれに合わせて礼をしようとした瞬間――女メイジの魔法が飛んだ。

 だがそれすらもタバサは避けきり、女メイジへと魔法を放つ。

 しかしその魔法は横にいた男が放った魔法によって止められてしまった。

 さらにもう一人の男がタバサに向けて魔法の矢を一つ飛ばした。

 避けたばかりで体勢が整っていない状態だったため、不可避の一撃であった。だが致命傷にはならない。この程度のことは予測していたタバサは怯まず、腕を盾にするように構えながら新たな魔法を唱え始める。当たっても勝てばいいのだ。

 

 そして魔法の矢がタバサの腕を抉るかと思われたとき、矢も敵メイジ達もまとめて風で吹き飛ばされた。

 

 風はタバサのショート髪もさらったが、目の前にあった矢が吹き飛ばされたとは思えないほど優しい風であった。

 風の吹いた方を見れば、立ち上がった韻竜が きゅいー! と鳴き声を上げている。

 局地的な突風を羽ばたきの精霊魔法で作り上げたのだ。

 

 敵メイジ達は今の一撃で吹き飛び地に叩きつけられて、完全に気を失ってしまっていた。

 念の為にとタバサは念力の魔法で三人の杖を奪い取り、折ってしまうと、韻竜の下へと向かった。韻竜の足元では息を荒げたトオルが座り込んでいた。

 

「ありがとう」

 

 タバサはトオルと韻竜に感謝を告げる。

 トオルは息が上がったままなので手を小さく振るだけであったが、韻竜はきゅいきゅいと嬉しそうになき、タバサの頬をなめた。

 

「お姉さますごいのね! かっこいいのね! さっそうと現れて、勇者さまみたいだったのね! きゅいきゅい!」

 

 ここに来て初めてタバサの表情が動いた。何に反応したのか、うっすらと頬に赤みが差す。

 そしてそんな彼女に気付かないまま、まだ呼吸が整わない胸を押さえ俯くトオルも言う。

 

「騎士、じゃ、ないね。確かに。もっと、かっこいい。勇者、だったよ」

 

 タバサの頬がさらに染まっていたが、見ていないのだから彼にはわからない。

 

「お兄さまもすごいのね! あのねばねば糸が、お兄さまが触ったら水になって消えちゃったのね! とっても助かったのね!」

 

 透はこの韻竜の下へ向かった後、男メイジ達が作った魔法の拘束糸を『色』を自身に取り込むことで解除したのだ。タバサが作った魔法の氷もそれで水にすることが出来ていたので、試したら予想通りだった。

 

「はは、お礼は、タバサへ。僕は逃げようと、しましたから」

 

 透は思っていた。このタバサという少女は一見無口で無愛想で妙に頑なな気がしていたが、それだけではない、とても情に厚く、優しい子のようだ、と。

 この韻竜もだが、捕らわれた女性達を助けようと自然と動き出したときは、タバサの小さくも大きな背中が悔しくなるくらいかっこよかった。彼はその背中に引っ張られ、動いたに過ぎなかった。

 

 それらは彼の中の英雄、兄才人と被った。

 

 いじめらていた透を助けた才人。助けるために強くなった才人。すぐにいじける透を引っ張っていってくれた才人。

 

 きゅいきゅいと騒ぐ韻竜の鳴き声を聞きながら、呼吸を整えると透は立ち上がった。

 そのときにはもう、タバサの表情は元通りである。

 

「さてと、この方達をしょっ引いて、衛兵さんに女性達も保護してもらいましょうか」

 

 夕日を背にした透の表情は、少しだけ晴れやかであった。

 

 



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第8話・伝説

「サイト、本当にやるのかい? 青銅の拳だ。打ち所が悪いと骨だって折れるよ?」

 

 魔法学院の昼休み。ヴェストリの広場の一角。ギーシュ・ド・グラモンは薔薇を模したワンド片手に困惑していた。

 

「ああ、ギーシュ。やってくれ」

 

 眼前には彼の十八番、二つ名『青銅』の元にもなった青銅製の女性型ゴーレム『ワルキューレ』が立っている。

 そしてその先にはまだ真新しい平民服に身を包んだルイズの使い魔、サイトが立ち、首や肩をゆっくりと回していた。

 その無手の立ち姿は堂に入ったもので、ギーシュは実家の諸侯軍で抱えている『メイジ殺し』と呼ばれる凄腕の平民戦士達の姿が重なったのを感じた。

 

 実際に彼が強いことをギーシュは知っている。先日の授業中に行われた使い魔紹介でサイトが見せた投擲による的当ては圧倒的の一言に尽きた。サイトのあの特技を知らず、あれがもし短剣で命を狙ったものであったなら、ほとんどのメイジはその一投に喉や頭を潰され、魔法を唱える間もなく命を散らせているだろう。命を取るのは難しくなるが、そこいらの石ころでも杖を落とし目を潰すには充分な武器になる証拠でもある。正確無比な投擲攻撃は暗殺でも正攻法でも強力な武器になるのだ。

 だが今の彼は無手であり、しかもそのままワルキューレ相手に戦うという。

 せめて武器があればわかる。メイジ殺し達はその鍛え抜かれた体と平民の牙と呼ばれる金属製の武器でもってメイジの魔法すらも凌駕し、倒しせしめるのだ。

 剣で斧で切り、細剣で槍で突き、棍で戦棍で叩く。弓で貫き、マスケット銃で穿ち、短剣に毒を仕込み、籠手で殴りかかる。

 それらこそが魔法を使えないメイジ殺しの武器であり、平民の牙なのだ。

 そんな牙も無しに一体どうやって青銅でできたワルキューレを破壊するというのか。ギーシュには想像も付かない。

 サイトがやった準備らしいことといえば、ギーシュに頼みワルキューレの動きを見せてもらい、数度その体を触っただけだ。そこになにかを仕込んだ様子もない。

 

「きみには恩がある。だからこそこんなことやりたくはないんだが、そのきみからの頼みだ。無下にもできない。そんな僕の葛藤も理解しておくれよ」

 

 先日の女生徒による集団リンチを最終的に止め、ボロ雑巾のようになったギーシュを介抱したのはこの使い魔の少年だった。彼を囃し立てていたその他の友人達が恐れおののきとっくに逃げ出した後の話だ。そして彼は主人であるルイズに頼み水メイジの先生を呼ぶ手はずを整えると、ギーシュを彼の部屋まで運び治療の準備や着替えの用意など行い、治療後には汚れや汗を拭き着替えさせたのだ。ギーシュがたった一日で完全に回復したのは治癒魔法のおかげだけではない、この少年あってこそだった。

 

 だが才人は冷や汗と共にハハッと笑うだけだ。

 

 ギーシュはあの惨劇で忘れているのかもしれないが、才人としてはあのとき自身が小瓶を拾わなければギーシュがあそこまで酷いことにならなかったのではないかと思え、この色男の自業自得とはいえ悪いことをしたような気分もあるため、恩など気にしないでほしいところだった。

 男としてあの光景は恐怖だった。一致団結した女性の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。

 それにあのときケティが投げたケーキやモンモランシーがかけたワインは、ルイズが連れていたメイド、シエスタがカートに用意していたもので、元を辿るとあれはルイズがサイトを交えてデザートにするために運ばせていた物らしく、そうなると後に行われたあの空瓶による金的や、カートにあった紅茶ポッドからの熱湯攻撃もサイトの存在があったからこそかもしれないことに気付いたのだ。それに本人の話によるとギーシュはあの二人の女の子と手も繋いでいないらしい。このキザな色男は甘い言葉を吐くが手は出していなかったのだ。しかも回復してすぐにそのことを知らなかったサイトに説教され、二人に謝りに走っている。存外に気持ちのいい男だった。

 

 そんな二人は一晩明けると、身分の差を超えて名前で呼び合うようになっていた。

 

「ミスタ・グラモン! 気にせずやっちゃって下さい。きっと面白いものが見られますよ」

 

 ギーシュが声の聞こえる方を見れば、サイトの弟、東方の若き賢人トールが、タバサの使い魔だという風竜にタバサと共に背もたれていた。そこには心配そうなルイズや、爪をやすりで整えるキュルケの姿もあった。風竜は厨房からもらってきた肉の塊を嬉しそうに食べている。

 先日教室に入ってきたときにあの風竜を連れていなかったのは教室に入らなかったからだとギーシュは聞いていた。確かにあのとき誰も彼をタバサの使い魔だと紹介していない。無口な彼女の事だ。説明するのも億劫だったのだろう。それをルイズの件で勘違いした者が騒いだだけだったのだ。

 

 となると今も手を繋ぐあの二人の関係は一体なんだとなりそうだが、ギーシュはそこは聞くだけ野暮というものと考えており、何も訊いていなかった。

 

「そうかい。じゃあ、いくよ! きみ!」

 

 ギーシュが薔薇を振り、その動きを合図にワルキューレがサイトに躍りかかる。

 

 だが、ギーシュから見てサイトの姿がワルキューレと重なった瞬間、がしゃんっ、と金属が潰れる音がしたかと思うと、ギーシュのワルキューレはサイトの横で地面に突っ伏していた。

 その様はまるで、ワルキューレが自ら転びにいき壊れたようだった。

 

 ギーシュは何が起こったのかわからず口をあんぐり開けていると、いつの間にかトールとタバサがワルキューレの残骸に近寄り、クリエイトゴーレムと練金の魔法が切れて土に戻っていくその姿を観察していた。

 

 タバサがサイトに何事か訊いている。ギーシュも近づいて荒い鼻息で尋ねた。

 

「今のは一体何だね! 強力な念力の魔法かなにかかい? 君はメイジじゃなかったんじゃないのかい?」

「ははっ。俺は正真正銘メイジじゃないよ。今のは古武道の一つで柔術っていうんだ」

「コブドウ? ジュウジュツ? 君の故郷だというロバ・アル・カリイエの魔法かね?」

 

 平賀兄弟のことを異世界人だと知っているのはルイズ、タバサ、そして教員のコルベールだけだ。上司や上には伝えないよう、コルベールには透が言ってある。こちらの了解も無しに伝えたら技術や知識の伝授はなしといってあった。実際は伝わっていても構わないらしいが、透がコルベールを試すためにそうしたらしい。他のみなにはロバ・アル・カリイエから召喚されたといっている。タバサにも当初はそう伝えていたが、透との秘密契約の関係上、二人はお互いの素性の一部を教えあっていた。

 

「いや、ただの技術さ。だから誰でも覚えられる」

「それはすごい!」

 

 くいとサイトの袖をタバサが引いた。

 

「教えてほしい」

「今のをか?」

「投げるのも」

「ああ、いいぜ」

「タバサ。先に注意しておくと、あんな綺麗に倒せるのは兄さんが天才だからだよ。兄さんの実力は師範代と同じくらいだから、メイジでいう『トライアングル』か、もしかしたら『スクウェア』みたいなものなんだ。同じところにいくには才能があっても二十年はかかる。あと、投擲はわからないや。流派にない趣味で、実践で比べられる人がいなかったから。でもこっちの方が実戦では使いやすいと思う」

 

 柔術とかも教わって損はないけどね。と透が言う。

 そこに後れてルイズがやってきた。

 

「サイトって、本当に強かったのね」

 

 なんだか随分と嬉しそうだ。

 

「まあな。ただ色々見せてもらった限りじゃ、魔法相手はこれぐらいしかできそうにないけどな」

「そうなの?」

 

 キュルケがサイトのしなだれかかってくる。ルイズがなにしてんのよ! と怒鳴った。

 サイトが真っ赤になりながらキュルケから逃げ出しつつ、説明を続けた。

 

「ギーシュのゴーレムとは相性がよかっただけで、素手じゃキュルケの火やタバサの風、ルイズの爆発は避けるしかないからな。特にルイズは厳しそうだ。こん中じゃ、ルイズが一番強いんじゃないか?」

「サイトったら、冗談が上手いわ」

 

 キュルケが笑った。ルイズは不機嫌さを隠すことなくサイトを睨みつける。

 

「サイトはご主人様が気にしていることを笑って楽しいのね」

「いや、本当のことなんだが」

 

 たじろぐサイトに賛同する声は意外なところからきた。

 

「ルイズの爆発は強い」

 

 タバサである。

 

「戦い方を知らないから今は弱いでしょうけど、自分にあったやり方を覚えればかなり強くなるでしょうね。意外なほどに脚力もありますし、しっかりとした受け身の取り方も知っています。魔法込みの才能だけで見ればルイズさんは相当なものですよ」

 

 そして賢者だという触れ込みのトオルまでルイズを高く評価するではないか。

 キュルケとギーシュは信じられないものを見る目で三人を見た。ルイズもだ。

 

「ど、どどど、どういうことよ!」

「ルイズよ? このちんちくりんよ? タバサ本気なの?」

「さすがににわかには信じられないな」

「僕らとしてはその固定観念こそ信じられないのですけどね。それとキュルケさん。そのセリフをタバサに言うのはちょっと……」

「う、ご、ごめんなさいタバサ。そんなつもりじゃなかったのよ。ね?」

「……いい」

「はは、じゃあ試してみましょうか。キュルケさん。ミスタ・グラモン。僕の言うとおりのものを作って下さい」

 

 笑う透に言われるがまま、二人はルーンを唱えた。

 

 出来上がったのは全身が燃え上がるワルキューレだ。普通に作ったワルキューレに、練金で油を塗ってそこに火を点けたのだ。

 

「ではルイズさん。あれの胴を狙って、兄さんにやったのと同じぐらいの爆発をして下さい」

「……なんだかその注文の仕方は気にくわないのだけど。まあ、いいわ」

 

 ルイズが精神を研ぎ澄ませ杖を振る。慌ててキュルケ達が風竜の後ろに下がった。

 

 爆音で空気と地面が揺れ、爆煙で視界が遮られる。

 

 それをタバサが風を起こして払うと、そこには右側頭部が消失し全身がぼろぼろになったワルキューレがいた。火もどこにも残っていない。

 

 その姿をキュルケ達が確認すると、ワルキューレは倒れた。近寄ったタバサとトールが興味深げに崩れゆくワルキューレを観察し、二人で何事か耳打ちしあっている。

 その間に気を持ち直したルイズが、ワルキューレのなれの果てから目を離さないまま、サイトの袖を掴んで呟いていた。

 

「……これがサイトの言っていた、殺せる魔法なのね……」

 

 ああ、とサイトも小さく返す。

 

「……ルイズ……あなたの『魔法』、こんなに強力だったのね……」

「驚いた。今日は驚いてばかりだ。……そうか。僕のワルキューレがこの中じゃ一番弱い『魔法』なのか……悔しいな」

 

 キュルケとギーシュが風竜の背から顔を出し、そんなことを言っていた。

 ルイズは二人の言葉の中にあった意味に嬉しくなると同時に、怖くもなっていた。殺せる魔法の意味が重くのしかかっていた。

 

「もうお解りかと思いますが、これが現在のルイズさんの実力です」

 

 戻ってきたトールが解説を開始する。

 

「不思議と人体へは最小限のダメージしか与えませんが、青銅製のゴーレムのような物体は破壊され、火は吹き消される。水と風も火と同様ですね。魔法の起動も杖の振りと同時ですので非常に速いです。単純な魔法戦でこれに正面から対抗するには非常に大規模で広範囲な魔法しかない。というのが僕の見解です。欠点としては――」

 

 魔法起動の速さや対抗策までは思い至っていなかった面々は、トールがここに来てまだ三日目であることを思い出して賢者の意味を考え始めていた。まだ彼はルイズの『爆発』を数度しか見ていない。それなのに誰も追究できなかった彼女の『魔法』を解説してみせている。

 

「――ルイズさん。確かにあのワルキューレの胴を狙いましたよね?」

「え、ええ」

「ですが結果は右側頭部の消失です。つまり『爆発』が起こったのはその右側頭部ないしその付近であったということになります。これはルイズさんの狙いが甘いか、この『爆発』の特性上狙いを付けづらいものだから。となりますが、そこで前回試してもらった『爆発』の位置と比べることで――」

 

 ルイズは自分のことだからか、トールの話を一字一句逃すまいという気概で耳を傾けていた。そのうち小規模な爆発が広場の片隅で起きるようになる。

 

 タバサは解説と実践に夢中なトールから手を離し、サイトに早速教えてほしいと頼むと、実力を計るために二人で組み手を始めてしまう。

 

 三日前までは考えられなかった光景だった。

 

 ルイズは落ちこぼれのレッテルとそのプライドから、味方がおらずいつも一人だった。

 タバサは優秀すぎる成績とキュルケ以外の誰にも近寄らせようとしない態度で、味方を作らず一人だった。

 

 だが内実はどうあれ、今や彼女達はあの不思議な兄弟と関わり、ああして彼らを近くにおいている。

 そんな彼女達を見ていたキュルケとギーシュは、この不思議な光景に笑いあった。

 彼らもまた以前であればほとんど話すようなこともなかった間柄であったが、気付けばここにいた。

 

「ルイズの召喚した二人ともすごいわね」

「ああ。なんだろうね。これが異国の風というものだろうか。なにか清々しい気分だよ」

「女の子二人にはフラれて、自慢のゴーレムはぼろぼろなのにね?」

「それは言わないでおくれよ……おや、ミスタ・トールが僕らをお呼びだ」

「なにかしらね?」

「わからないが、とりあえず向かおうか。どれ、僕も彼に魔法を教えてもらえないか頼んでみるかな」

「淑女の扱い方も教えてもらったら? サイトも得意そうよ」

「いや、きみぃ……」

 

 本当に、気付けば笑いあっていた。

 

 

 

 

「それで、ミスタ・コルベール。君は先ほどの動きや今のこれをどう見るね」

 

 学院本塔の最上階。一枚の大鏡に向けて白煙を吐き出す老人の姿があった。

 白い口ひげと髪を揺らし、古く艶のあるセコイアのテーブルに肘付ながら水ギセルを弄んでいる。トリステイン魔法学院学院長。王宮にも発言力を持つと言われる謎多き老メイジ、オスマンであった。

 

「本気を出していないと、私は見ております。オールド・オスマン」

 

 その隣に立ち同じ鏡を覗き込むのは禿頭の男性教諭、『炎蛇』のコルベールである。

 二人の視線が向かう大鏡にはとうの二人の姿は映っていない。そこにあるのはここ学院長室から遠く、ヴェストリの広場の片隅に集う少年少女たちの姿であった。

 

「ほっ、あれがまだ全力ではないとな。あれで充分に驚かされてしまったよ」

「おそらくは。先日のミス・ヴァリエールの一件はご存知で?」

「聞いとるよ。教室を半壊させたようじゃの。最近は大人しかったが、久々にやってくれたのお」

 

 楽しそうにオスマンは笑う。

 

「はい。その一件の際、あの使い魔の少年が投擲による演武を披露したようなのです。動く的を連続で射抜き続けたとか。そのとき、左手のルーンが光っていたという話があります」

「ルーンがのう。今は光っとらんようじゃが。……つまりはあれかの、光ると本気じゃと?」

「私はそう考えております。グラモン伯爵家の四男、ギーシュは一番レベルの低い『ドット』メイジですが、それでもただの平民には後れをとりません。特に彼は土系統の中でもクリエイトゴーレムに特化していると聞きます。そんな彼のゴーレムが赤子の手を捻るかのように倒されました。今のミス・タバサとの組み手を見ている限り、複数体のゴーレム相手でも結果は同じでしたでしょう。これだけでも、証拠たりえます! それにあの動き! 見たことがない武の技術! 私だって驚いているのですオールド・オスマン! あれが本気ではないのだとしたら、彼の実力はいったいどれほどのものなのか! さっそく王室へ連絡して、指示を仰がなくては……」

 

「それには及ばん」

 

 熱が入ってきたコルベールのつばを拭きながら、オスマンは重々しく頷く。

 

「どうしてですか? これは世紀の大発見ですよ! 現代に甦った伝説の使い魔『ガンダールヴ』! あの平民の少年は『ガンダールヴ』なのです!」

 

 コルベールは持っていたルーンのスケッチと、『始祖ブリミルの使い魔たち』と題された本の一ページを開いたままテーブルに叩きつけた。スケッチはサイトのルーンを書いたものだ。そしてその二つはまったく同じ文字を刻んでいた。

 

「ミスタ・コルベール。『ガンダールヴ』はただの使い魔ではない」

「そのとおりです。系統魔法とメイジ、そして王家の祖、始祖ブリミルの用いた『ガンダールヴ』。その姿形は記述がありませんが、主人の呪文詠唱の時間を守るために特化した存在だと伝え聞きます」

「そうじゃ。始祖ブリミルは、呪文を唱える時間が長かった……、その強力な呪文故に。知っての通り、詠唱時間中のメイジは無力じゃ。そんな無力の間、己の体を守るために始祖ブリミルが用いた使い魔が『ガンダールヴ』じゃ。その強さは……」

「千人もの軍隊を一人で壊滅させるほどの力を持ち、あまつさえ並のメイジではまったく歯が立たなかったとか!」

「で、ミスタ・コルベール」

「はい」

「あの少年は、ほんとうにただの人間だったのかね?」

「はい。ミス・ヴァリエールが喚び出した際、念の為に『ディテクト・マジック(探知)』で確かめたのですが、正真正銘、ただの平民の少年でした。纏う衣服こそ珍しい物でしたが、兄弟共にメイジの血統もありません」

「……兄弟共に、の。そんなただの少年を『ガンダールヴ』にしたのは、誰なんじゃね?」

「ミス・ヴァリエールですが……」

「彼女は、優秀なメイジなのかね?」

「いえ、というか、むしろ……」

 

 二人で鏡の向こうを見やる。

 

「爆発しかしとらんの」

「爆発しかしてませんね」

「さて、謎じゃな」

「ですね」

「まともに魔法の使えん無能なメイジと契約したただの少年が、何故『ガンダールヴ』になったのか。まったく謎じゃ。理由がみえん」

「そうですね……」

「とにかく、王室のボンクラどもに『ガンダールヴ』とその主人を渡すわけにはいくまい。そんなオモチャを与えてしまっては、またぞろ戦でも引き起こすじゃろうて。宮廷で暇を持て余している連中はまったく、戦が好きじゃからな」

「ははあ。学院長の深謀には恐れ入ります」

「この件は私が預かる。他言は無用じゃ。ミスタ・コルベール」

「は、はい! かしこまりました!」

 

 オスマンはスタッフを握ると、窓の外、遠く青い空に目をやった。

 

「伝説の使い魔『ガンダールヴ』か……。一体、どのような姿をしておったのだろうなあ」

 

 コルベールも夢見るように呟く。

 

「『ガンダールヴ』は、あらゆる『武器』を使いこなし、敵と対峙したとありますから……」

 

 オスマンは今一度鏡を覗いた。そしてなにかに気付いたかのように、眉間の皺が深くなった。

 

「……『武器』。『武器』かの。ふむ」

「……とりあえず、腕と手はあったんでしょうなあ。……? どうされました。オールド・オスマン」

「いやぁの。ちと思いついたことがあっての。それに……こちらの少年」

 

 鏡の映す中心が、『ガンダールヴ』の少年と一緒に召喚されたというその弟へと変わった。

 

「ミス・タバサがこの少年と契約したのじゃろう? それを公表せず、公式にはこの風竜をミス・タバサの使い魔にしたいと言っておるそうじゃな」

「はあ……なんでもその方が都合がよいからと。確かにミス・ヴァリエールの件でも、人間の使い魔は目立ちますから、ミス・タバサの性格を考えるとそのような申し出も理解出来ます。さすがに承認はできないので却下しましたが、すでに生徒達にはそのように噂しているようですな。なにせ風竜は目立つので、風の『トライアングル』である『雪風』のタバサにあれだけ懐いていれば、使い魔にしか見えません」

「使い魔は必要なときにいればよいからの。一々噂を修正する必要もなし、か。この少年のルーンはなんじゃった?」

「よくある『ルーン』のルーンです。残念ながら、他の始祖の使い魔ではなかったですな。若いながらも豊富な知識からミス・ヴァリエールが彼を相談役として雇い、生活費を払っております」

「本当は使用人を学院に入れるのは御法度なんじゃがのう。一体誰が許可したのやら」

「……は、はは。まあ、正式なミス・タバサの使い魔は彼ですから」

「あの風竜のエサ代は高くつきそうじゃの。ほれ、ようけ食べとる。いつからミス・タバサはあの風竜を手懐けていたのかの。あの少年にもよく懐いとるようじゃ」

「さあ? 先日突然申し出を受けましたので、近くにはいたのでしょうが……そこの森にでも住んでいたのでしょうか?」

「風竜が住んどるとは聞いたこともなかったの。不思議なもんじゃのう」

 

 オスマンはそれっきり沈黙し、コルベールが退室してからも秘書のミス・ロングビルがやってくるまで鏡を見続けていた。

 

(――さっき目が合った気がしたのは、気のせいなんかのう……)

 

 などと考えながら。

 

 



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第9話・青の味方

 

 ヴィリエ・ド・ロレーヌは廊下の向こうからやってくる二つの影に目をとめ、ぎりっと歯ぎしりした。

 

 みすぼらしい平民服に身を包んだ黒髪の少年と、小柄な青髪の少女だ。少女の両手は身長よりも大きなスタッフと少年の手で埋まっている。

 

 どうやら少年が何事かを話して聞かせ、少女がそれに熱心に耳を傾けているらしい。そのせいで少女の足の運びは普段のそれより大きく後れており、少年がその本来の歩幅よりも小さく遅く爪先を前に出すことで少女に合わせていた。

 話ながらのうえ馴れない歩幅ゆえにか、少年は少女に合わせやすいよう彼女の足元に目がいっている。結果、自身の足元が疎かになっており、少女の方も彼の話に夢中になり、その口元しか見ていなかった。

 だから二人とも目の前に迫るヴィリエに直前まで気付かず、気付いてからも脇によけるだけで通り過ぎてしまう。

 少年の話はなにかのおとぎ話のようであったことを、すれ違ったヴィリエは聞いていた。

 

(……きみに泥を塗られたぼくの存在よりも、そんな子供じみた物語の方が興味深いかね……! ミス・タバサ!)

 

 ヴィリエは過去に一度、風の使い手としてタバサに試合を申し込んだことあった。風の名門に生まれ、入学当初数名しかいなかったエリート、ラインクラスのメイジだった彼は自らを強者だと考えていた。だが授業中にタバサより早く高く空を飛ぶことが出来なかった彼は彼女をやっかみ、試合を申し込んだのだが、完膚なきまでの敗北を喫していたのだ。

 命乞いの上情けまでかけられたその敗北は、ヴィリエが眼前にした死の恐怖に粗相をしてしまったこともあって随分長いこと尾を引くことになった。

 

 しかしそれも最近になってやっと皆の記憶から薄れてきたのだ。

 そこにきて先の使い魔召喚の儀式である。あのタバサが失敗したのだ。本人は体調不良と言っていたようだが、ヴィリエはその様子をほくそ笑んだ。後に起こった誰もが知る落ちこぼれ、ゼロのルイズのなにも起きないという召喚失敗風景がタバサのそれと重なり、思わず声を出して笑ってしまった。さらにどうだ。翌日の朝ルイズが平民の使い魔を連れてきたのと同じように、タバサも平民を連れてくるではないか。しかもルイズが喚んだオコボレときた。彼は大声でタバサを罵倒し、笑った。あのタバサの落ちぶれ具合に笑いが止まらなかった。その後少々問題が起きて授業が中断されたが、再開された午後の授業をタバサは無断欠席し、ヴィリエは彼女が自身の使い魔を恥じて部屋に籠もったのだろうと考えて最高の気分であった。

 

 だが授業が終わってクラスメイト達と寮塔へ帰ろうとしたとき、学院の壁を飛び越えてくる巨大な影を皆が見つけた。風竜の幼生であった。夕日を照り返した事による赤とそれでも冴える青い鱗の輝きに、一瞬ヴィリエも見とれた。上級生の誰かの使い魔だろうかと思って見ていれば、下りてくるのはあのタバサと今朝一緒にいた平民ではないか。

 それを見ていた誰かが言った。

 

「あれがミス・タバサの使い魔か。腐っても風のトライアングルか」

 

「ああ。ゼロはまだしも、トライアングルが平民を召喚するわけがないよな。よく馴れているようだし、差し詰めあの平民は風竜の世話係か?」

「バカ見て見ろ。今朝もだったが手を繋いでいるぞ。あやしからぬ間柄なんじゃないか」

 

「……ミス・タバサは家柄も名乗れぬような庶子だ。片親は平民のはずさ。だから平民がお好きなんだろう」

 

 唯一同意できる意見に賛同し、鼻で笑いながらもヴィリエの内心は荒れていた。

 視線の先では平民が風竜の鼻先を撫で、気持ちよさそうななき声を上げたあと、手綱も無しに風竜はタバサ達の後を追っていく。ああまでいうことを聞く竜種は使い魔か王宮お抱えのよく調教されたものだけだ。

 その光景を視線で追いながら、ヴィリエは嘘だ! と思った。思い込もうとしていた。絶対にそんなはずはない。タバサは落ちこぼれたのだと叫びだしたかった。だがまだ調教馴れもしていないはずの幼生が言うことを聞くなど、使い魔しか考えられないのも確かだった。

 

 そして翌日、ミスタ・グラモンがあの平民と話しているのをヴィリエは聞いてしまった。先日は教室に入らなかったから外にいただけだ、と。

 結局、タバサはその実力に落ちぶれた点などないままであったのだ。

 

(気にくわない気にくわない気にくわない気にくわない!)

 

 過去の屈辱と先日の悔しさを思い出し、自分に目もくれない少女の背中にヴィリエはさらに激しく歯ぎしりすると、ふと思いついたイタズラに今度は口端を上げ、距離をとってからルーンを呟きワンドを軽く振るった。

 少々離れた場所で平民が風に足を取られ、派手に転ぶ。手を繋いでいた少女も引かれて難を受けそうになるがスタッフを支えにとどまった。ただその際に二人の手は離れてしまっていた。少年の方から離したようであった。

 

 そんな光景を見て、ヴィリエは愉悦に口元をさらに歪めていた。

 とどまりはしてもタバサが片膝を屈していたからである。

 一時でも満足したヴィリエは背を向けて立ち去ろうとした。彼は彼女に正面から相対する選択肢を無意識に排除していた。所詮その程度の度量しかない男であり、だからこそ自身のその浅慮さや浅ましさに気付かないのが彼であった。

 風の魔法はその軌跡が残らないことが最大の利点だ。詠唱を聴いていたり杖を振った瞬間を見ていなければどこの誰がやったのかわかるはずがない。

 にやにやとした口元のまま彼は杖をしまい、歩を進める。

 当然油断していた。

 

 やったらやり返される。それはこのハルケギニアでも同じだ。

 

 この完全に無防備な状態のときに足をとられた彼は、床に勢いよく口づけするとなにが起きたのか理解する間もなく気絶した。ラインクラスまでの魔法の実力はあっても、戦闘技術も経験も覚悟もない。杖より重たい物を持つ機会も少ない彼の打たれ弱さは折り紙付きであった。

 近くにいた生徒達がびっくりして、何もない場所で転んでのびているヴィリエに視線をやるが、にやついた顔のまま気絶した彼を皆はスルーした。

 

 一方、タバサは立ち上がりほこりを払ったトオルに手を差し出していた。

 

 トオルは立ち上がるときに一度ちらりと後ろを見ただけで、タバサに至っては一度も後ろを見ていなかった。音や空気の動きは感じ取っていたが。

 

「残滓から逆算して発動ですか」

 

 トオルの足元には、先ほど彼を引っかけた緑の流れが少しだけ残っている。そしてその端部にタバサはスタッフの石突きを突き立てていた。

 こくりと頷くタバサに、なるほどと彼も頷き返すと、手を繋ぎ直して二人でまた歩き出す。

 

 貴族と平民の男女が堂々と手を繋いでいることもあり、転ぶ前からも彼らは周囲の視線を集めていたが気にした様子もない。

 タバサもトオルも、以前から視線を無視することになれてしまっている人種であった。

 ただ話し声だけは注意する。二人だけにしか通じない話題は極力小さな声で話し合っていた。物によっては二人にとって最も親密な間柄であるキュルケやサイト達の前ですら耳打ちし合うほどだ。

 

「あなたが言った通りだった」

「? 僕がそんなやり方を教えたりしましたっけ?」

 

 首を横に振るタバサ。

 タバサはメイジにおける各系統の強さを示すトライアングル云々といった基準だけではなく、風を扱った技巧が元々非常に上手かった。細かな作業が可能な念力の魔法を用いずとも、さらに強力な出力を持つ風で同様かそれ以上の細かな作業が出来るほどであった。

 

 その技量がトオルと会ってからさらに上達している。

 明らかにこの『流れ』を知ったからだ。

 知って、トオルからいくつか利用法の可能性を聞き、言われた。

 力が欲しいのなら、考えなさい。考えることは――

 

「考えることは力」

 

 その返答にトオルが薄く笑うと、タバサは「続き」と促す。

 彼は先ほどまで話していた地球産の物語がどこまでいったかを数秒考え、物語を再開した。

 

 

 

 平賀透は考える。

 天から射す双月の明かりのみが光源の森の中。そこだけぽっかりと拓けた花畑の中心に座す透の腕の中に、タバサが収まっていた。彼女の両手もまた透の手の中にそれぞれ収まり、微妙な力加減からタバサの意志を推測して彼はゆっくりと動いていく。

 

 平賀透は努めて考える。

 時折腹の上でむずがるように動く小振りな臀部。二人の頬と頬は寄り添うというにはぴったりとくっついていて、一つの物のように離れることはない。重なった体重は敷き詰めた干し草をよりも深く沈ませている。

 

 平賀透は思考を分割裁断して内と外を隔てる。

 透に全体重をゆだね、まぶたを下ろして視界も任せ、呼吸のタイミングも合わせる少女。それでも合わせることが叶わない彼女の低めの体温も、鼓動と共に巡る血流に合わせて触れ合う全身から混ざっていく。

 

 平賀透は分割された思考の片隅で思っていた。

 

(……ここまでやるのは……信用されているのでしょうか。誘惑されているのでしょうか)

 

 タバサを後ろから抱くような体勢で、平賀透は一人、懊悩していた。

 

 透とて年頃なのだ。

 透の内部で分割された別の思考では、自分は年上好き自分は年上好き自分は年上好きと呪詛が唱えられ、その呪いを受けた体でもって鼓動すらも制御する彼の苦労は筆舌に尽くしがたい。

 病気のこともあり体と心を切り離すのは透の得意とするところではあったが、五感から訴えかけられる本能を抑えるのはやはり容易くはなかった。主に匂いとか、体温とか、肌触りとか。

 手繋ぎ程度であれば小さな子のお守り感覚でいられるが、身近な女性といえば母だけであった透にとって、これほど近くで異性を実感させられ続ければ平静などあってなきものである。それでもなんとか耐えしのげるのは、タバサを異性と意識するには彼女が少年にとって幼すぎたからであった。

 だが実はタバサの歳が透と一つしか変わらない事実を、彼はまだ知らない。

 

(言いだしっぺはこちらだから文句はないのですが、まさか四六時中『感覚共有』したうえ先日に引き続きこれは……まあ、それだけ本気ということですか)

 

 種族間名が人間には発音しにくかったためシルフィードと呼ぶことにした風韻竜の背に乗りやってきた学院外れの森の中。

 現在透は精霊の取り込みを停止させて、タバサの目線の高さを合わせた彼の視界を通し、彼女に精霊を繰る練習をさせていた。

 透の『取り込み』は彼の意志で段階的なオン・オフが可能であり、完全なオフにすると流れが彼の体を通らなくなることを利用してのものだった。

 通常全ての物体を通り過ぎる精霊の流れだが、特定の物品は通りづらくなることが二人の間で判明しており、それの代表格というのがメイジの持つ杖であった。メイジの精神力を通された杖は精霊の流れを通しづらくなり、ちょうど川の流れのなかに一本の木の棒が突き立ったように、その場で流れが滞り渦巻くようになるのだ。そしてメイジ達はこの滞った精霊をその精神力で掴まえ、寄せ集め、詠唱などで形を整えて別のエネルギーに一時変換することで魔法を起こす。それが透とタバサが考え出した系統魔法の構造だ。

 さらにメイジ各人の精神力によって通しづらい精霊の種類が決まっているようで、その通しづらい精霊とはつまり掴まえやすい精霊の種類と同義であり、杖先に滞った流れの色を見ればそのメイジが得意とする系統がすぐにわかるのだ。

 

 一般的にメイジはドット・ライン・トライアングル・スクウェアの四ランクに別れ、各ランクの画数に合わせて火・水・土・風の中から同一系統なり別系統なりで足せる数が増えていく。これは一回の魔法に込められる精神力の量にも差が出るため非常に重要なランク分けであり、基本的に自己申告や使った魔法からでしかそのランクを判別できないのだが、透の目だと杖の滞りの規模からそのメイジの実力も簡単に計ることが出来た。

 

 そしてこれが最も重要なことなのだが、使い魔ゆえにか透の体にタバサは精神力を通すことができたのだ。

 つまり透と手を繋いでいれば、彼を媒体に今のタバサは系統魔法が使えるのだ。

 

 さらにこれにより、精霊の流れを止めることでその身振り手振りで流れを動かせるようになる透の体をタバサが操って、本来であれば精神力で操作しなければいけない形を変える部分などを補助。人為的に作り上げた特定の流れの中に詠唱を交えることで通常と比べてより効率よく、より細かい魔法操作が可能となっていた。

 

 ただ残念ながら一度の魔法で掴まえられる精霊の量は精神力に比例しているようで、効率化で多少は向上したものの単純な威力に関してはそれほど大きな変化はなく、タバサが苦手とする土や火の系統も、彼女の精神力が元々掴まえるのを苦手としているために、風と同じように扱うという訳にはいきそうになかったが。

 

 それでも通常のメイジにはない大きなアドバンテージを得たタバサであったが、さすがに人前で杖無しの魔法を扱うわけにはいかなかった。先住魔法と同一視され異端認定を受けかねないからだ。そうなってしまえば最悪の場合殺されてしまう可能性もある。このハルケギニアの人間社会では、始祖ブリミルが広めた系統魔法以外は先住魔法と呼ばれ、宗教国家ロマリアの宗教庁から人類の敵と認定されている種族(エルフ)が使う魔法である為に、排斥されているからだった。

 そのためこうして夜遅くに他の誰もいない場所で操作の練習と効果の研究を行い、そこで得た成果を昼間に杖で再現出来るよう練習するということになったのだ。

 シルフィードを得た先日の夜から始めたばかりの訓練であったが、昼間ヴィリエにやり返したようにすでに杖での操作性向上は効果を現し始めていた。常時透と手を繋ぎ見続けたことで流れの中に法則性を見出し、例え見えなくてもタバサはそれをなんとなくで把握出来るようになりつつあったのだ。見た方が飛躍的に操作性は高くなるが、見なくても流れを知っているだけで魔法を使うことの捉え方が変わる。その結果だった。

 

(……実際問題、ここまですぐに予測した利用法を体現できるようになるには、ただ茫漠と見ているだけではなく相当に神経をすり減らせて観察する必要があるはずです。本当に向上心の塊のような方だ。……動機に面倒がなければ、もっと直接協力してあげられたのに)

 

 透はタバサから彼女の生い立ちや現在の状況、そして目的を聞き出していた。

 

 初めは彼女も誤魔化せるところは誤魔化そうとしていたらしい。

 だから召喚されたあの晩、最初に受けた相談は彼女の母親が患う病気についてのものだった。

 初めは診てもらいたい人がいるというもので、だがその一言だけで透は訝しんだ。彼女が契約時の名を隠そうとしていたことと、その目に宿る凝り固まったなにかが気になっていたのだ。

 

 だから聞き出した。治療するにしても何も知らないとどうしようもないから、と。

 タバサの口から出たのは、特殊な毒で心を狂わされた母親のこと。手を尽くしたが治療する手立てが見つからないこと。治すために透の知識を借りたいこと。もし知識になくても魔法薬で狂ったのだから、この目で見れば治療法が見つかるかもしれないということだった。

 

 正直透は頭を抱えたくなった。この少女には、話していないもっと危険な事情がまだあると悟ったからだ。

 生かさず殺さずの治療法がないほど強力で珍しい毒。隠したい名前。封建制度上での貴族。

 この時点で透はハルケギニアの人間と地球の人間に驚くほどその性質に差がないことを理解していた。地球ではありえない特殊な髪色の人が当たり前に存在するのだ。本来ならもっと違う文化や精神性が育っていてもおかしくないのに、不思議と人間性や創造性はほとんど彼の想定の範囲内だった。

 だからルイズの部屋でハルケギニア地図を見たとき、ここが本当の意味での異世界であると同時に想定の範囲内であった理由を納得したものだ。なにせ現在のハルケギニアはヨーロッパのそれと酷似した土地を有しており、諸国の名前も聞き覚えのあるものばかり。一部動植物は地球にも存在するもので、幻獣は地球の伝説に語られるファンタジー達。地図がまったく同じではないのは技術や文化の練度が最大の原因だろう。重力も空気も話に聞く病気の傾向も地球と同じなわけである。なんのことはない。ハルケギニアとは透達が住んでいた世界にとっての平行世界で、どこか別の星などではなく、ここもれっきとした地球なのだから。基本の文化やらなにやらが似て当たり前なのだ。月や魔法などの差違はあれど、その程度では人間性という根幹は変えられないらしい。

 

 つまり人間が持つ慈悲深さの果ても、悪辣さの果ても、同程度ということだ。

 

 そして人間性がそう変わらないのなら、先のタバサの身内話で何かあると思わない方がどうかしている。

 透がタバサとの契約を嫌がらなかったのは、すでに兄が例になってしまっていたからといのもあったが、なによりもルイズやコルベール以外の後ろ盾が欲しいと思ったからだった。すでにルイズという基盤を得ていた透は、タバサをもしもの際の基盤にしたかったのだ。

 感覚共有を忘れていたことは過ぎたこととしても、まさかこんなところに地雷があるとは思ってもみなかった。

 会ったばかりのときに感じた違和感は平民を喚んでしまった貴族の反応(ルイズ)と同じ理由程度にしか考えておらず、故にコルベールに説明された途端彼女のその違和感が取れたのも有用性を理解したからだと思った。

 別に透は表情や心情を読むのに長けているわけではない。無表情なタバサの思考で読めるのはあくまでなんとなくの範囲内であり、感じとれるのは違和感ぐらいなものだ。ただタバサの目が放つ凝り固まった感触は透がよく知っているものであり、こうと決めたことをどんな手でも使って実行するその頑迷さや意志力を、これまで身近に感じていたからこそ気付いただけの話だった。そして最初から上手く誘導できれば、この性格自体に危険性はないことも知っていた。

 

 だがだからこそ頭を抱えたくなるのだ。

 タバサにはそう簡単には人に話せない事情があり、目的もある。そしてそれをどんな手を使ってでも達成させる気概がすでに備わっている。つまり誘導するための最初の部分がとっくに決まってしまっているのだ。母親の話から察するに、タバサという存在の根底には有力者達によるなんらかの闘争があるのはわかりきっている。そして彼女の母親は毒に狂っても生かされており、タバサ自身もまた生かされている。この生かされている状態になんらかの意味があるはずなのだ。下手に解毒させたら彼女の身も透の身も危ない可能性があった。

 だが彼女にこの能力がばれてしまった以上、透は弱みを握られてしまったのと同じだ。この精霊を知覚する能力は明らかな異端であり、それこそ全ての協力を拒否して逃げれば然るべきところに報告が行きかねない。確実にそれは兄も巻き込んでしまうことになるだろう。ルイズ単独の意志しか示されていないヴァリエール家の助力がどこまで得られるか分からない現状、それだけはなんとしても透は回避したかった。

 

 結局この時点で透に出来ることは踏み込むことだけであった。

 相談された母親の件だけ協力して、それ以上踏み込まない方がいいという選択肢はない。その選択肢はよっぽどの強者か中途半端な愚者が取るものだ。透は目の前にある問題を先送りして後に解決できるほどの力もなければ、見過ごして未来を運に託すほどの愚かしさも持ち合わせていない。

 母親の件に協力してその後に知らずに最悪を向かえるより、知っていて事前に最善を尽くせる準備をした方が生存率は高くなる。直接的な行動手段が才人と比べて少ない透にとってそれは絶対だった。

 何事もなければそれでいいのだ。もしもの際のために知っておきたい。要はそれだけだった。

 それにタバサのようなある種の頑固さを持った性格なら、知っているが故のなあなあで協力を求められる事はないだろうという考えもあった。やるならば彼女の場合は強要だ。そして彼女が強要及び脅迫しなければいけない状況になっている場合、つまり追い詰められている場合、透が知っていても知らなくても同じだ。結局は強要される。

 

 だからすぐに踏み込んだのだ。

 そうして透が治療に協力するかどうか決めるためと言い訳し、説得してタバサから聞き出したものは、考えうる限り最悪な状況といってよかった。

 トリステインの隣国、ガリア王国がタバサの祖国であり、彼女はそこの現王、ジョゼフ一世の王弟であり今は亡きオルレアン公シャルルの一人娘だというのだ。さらにオルレアン公の死因はジョゼフ一世による暗殺であり、タバサの母であるオルレアン夫人はタバサを庇って毒杯をあおり、心を狂わされたという。

 

 タバサの目的は母の治療と、ジョゼフ一世への復讐。

 

 現在タバサの母は旧オルレアン公領、現王家直轄領の屋敷にいるもののその身柄は人質同然であり、タバサ自身もガリアの特殊部隊に配置され、度々呼び出されてはいつ死ぬかわからない名誉なき任務に就かされている。

 わざわざ他国のトリステイン魔法学院に通わされているのは厄介払いのようなものらしく、ほとんど粛正されてしまったが、残存するオルレアン派への牽制の意味があるのかもしれないとのことだった。

 話によればガリアはハルケギニアでも最大規模の国だという。そこで起きた王位継承権争いで負けた側に属し、またその敗者達が復活するための御輿にもなりえるタバサ。しかも彼女の望みは現王への復讐ときている。

 

 危険すぎる。

 

 タバサの側は大規模な火薬庫に火の着いた導火線が繋がっているのと同義だ。

 下手をしなくても国家規模の問題であり、母親を治療することすら実際はままならない状況だろう。この場合そのオルレアンの屋敷には見張りがいる可能性が高い。母親を逃がせばもちろん、知らぬ者が屋敷に入っても現王派の元へ知らせがいくものと考えた方がいい。このトリステイン魔法学院も同様だ。タバサと行動を共にすればたちまち透の存在は向こうの知れるところとなるのだ。

 とはいえこの頼みすら断るのはタバサの心情からするとよろしくない。

 精霊知覚の能力を知られている以上、彼女は是が非でも協力を求めてくるはずだ。治療手段としてだけではない、今は気付いていないかもしれないが復讐の手段としてもこの力は有効になりえる。しかもこれ自体が透への脅迫材料になるのだから無関係ではいられない。彼女のいうことが本当であれば、特殊部隊に所属し実戦経験も豊富なタバサは、透を殺すことも無力化することも簡単にできるはずだ。

 だから誤魔化しでもいいから折衷案が必要だった。もしくは状況を無効化出来る搦め手だ。いずれにせよ、使い魔となり関わってしまった以上危険を冒さないで済む方法はないのだ。ならば――

 

 透は正直に自分の情報を開示した。

 自分が異世界人だという素性を明かし、この能力もここに来てからのもののため馴れてないこと。魔法のない世界から来たため魔法薬による発狂の治療法は見当もつかないこと。そのためすぐにその母親の下へ行くのではなく、まずこの能力で出来ることを把握してからの方が良いということを話した。

 そして最後に、タバサに可能性を示した。

 

 ――この精霊の流れがもし魔法に影響を及ぼすならば、復讐するための『力』を求めているタバサはそこから得るものもあるのでは? 必要なときに精霊の研究として触れていれば、治療法に関してだけではなく『力』に関してもなにかしらの収穫があるかもしれない。もしこの精霊が僕の想像通りの存在であれば、戦いに使える利用法も教授できるでしょう。治すための知恵にせよ、倒すための力にせよ、貴女が我を通す『力』が欲しいのなら、考えなさい。考えることは『力』になります。そして――

 

 結局、あの晩透がタバサに語ったのは全部本当のことだけだ。

 ただすぐに母親の下へ向かおうとするなどの行動には至らないようにしただけで、結果的にはタバサを煽るようなかたちになった。

 そしてタバサは透の言葉を真に受けて、彼の予想を超える貪欲さで精霊の流れを把握しようと手を繋ぎ続けている。その為に学院中に自分達の噂が広まるのも気にした様子はない。自身の内に秘めた目的の為にはこの程度、犠牲の内には入らないのだろう。

 

 しかしこれでいい。透はそう考えていた。予定外に自分も恥ずかしい思いをすることになったが、とりあえず今は思った通りに事が運んでいる。むしろタバサの勤勉さや、シルフィードのような完全なイレギュラーの味方も得ることが出来た。順調だ。

 

 タバサがまぶたを上げた。自分の目で魔法の発動を見届けるためだ。

 

 望んだ通りのかたちになった精霊の流れにタバサが精神力を込め、ルーンを唱える。

 

 ――ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ――

 

 ウィンディ・アイシクル。

 

 最大効率化されたトライアングルクラスの氷雪魔法が発現する。

 通常であれば無数の氷の矢が対象に襲いかかる魔法なのだが、現れたのは指先に似た鏃部分だけであり、そしてその表面には螺旋を描くように溝が掘られていた。透が教えたその形状は地球の弾丸だ。

 そして矢よりも体積が少なくなった分、数を何倍にも増ました無数の弾丸がその場で回転を始め、飛び出していく。

 的にされた巨木が連続的に乾いた音を上げ、腰を折るように倒れた。まだ残っていた弾丸がさらに奥の木も撃ち抜き、砕いて倒してやっと連射が終わる。

 だが、

 

 ――ウィンデ――

 

 再度精神力を流し込み、ルーンの一部だけをタバサが唱える。

 すると先とまったく同じウィンディ・アイシクルが発現した。それはやはり同じように木を穿ち砕き倒し、その途中でさらにタバサが、

 

 ――ハガラース――

 

 ジャベリンの魔法を発現させる。これは滑らかな騎乗槍(ランス)に螺旋の溝が掘られたかたちだった。

 このジャベリンは回転しながら他の巨木を穿つと、そのまま貫通して森の奥へ消えていってしまった。

 また静かになった森の中で、透はタバサから離した手で自分の顎をさすった。

 

「事前準備をすることで同一の詠唱(スペル)部分を破棄発動。上手くいきましたね。使い勝手の方はどうです?」

「準備が長い」

「ふうむ。準備しておくにしても流れは動き続けますしね。準備完了からの使用期限が一分ももちそうにないですし、このままでの実用は厳しいですか。一応僕の方でも考えておきましょう。まあそれでは、矢や槍の形状変化と回転を加えることによる威力強化。これは良い具合のようでしたが、こちらの方は?」

「予想以上」

「ではこちらのイメージをしっかり持って次からは魔法を使いましょう。こちらももっといい形がないか考えておきます」

 

 黙ったままいつも通りこくりと頷いたタバサに、透は首を傾げた。

 

「どうかしました?」

「……なぜ、ここまでよくしてくれる?」

 

 唐突な、しかし先ほどまでの彼の思考をよんでいたかのような問いに、透はいつも通りの苦笑で答えると、タバサのを立ち上がらせて自分も起き上がる。

 会って三日。すでに二人の意思疎通はキュルケも驚く域に達していたが、その事実に二人は気付かない。

 

「言ったでしょう? 考えることは力になります。そして、信頼できる味方を得ることも力になる、と。だからまず実践しているだけです。正直、僕は貴女に巻き込まれると迷惑を被る。ですがすでに巻き込まれてしまっている。逃げることも出来そうにない。わかっているでしょう? だからこそ進んで味方になり、最大効率で目的を達成して僕の被害を最小限に抑える。そのために事情を聞いて、話して、互いの利益を擦り合わせて、必要最低限かつ必要最大限で味方する。――僕が考えた、生きるための『力』ですよ」

 

 それが透の答えだった。タバサを御するために吐いた戯れ言だ。全て正直に話し、彼女が透達に害をなさない限りは味方する。要約するとたったそれだけの約束をしたのだ。

 

「――でも、」

 

 それなら目立つのは――とタバサが言おうとして、続けられなかった。

 

「だってタバサ、味方少ないでしょう?」

 

 タバサは考え込むように俯き、結局また頷くだけだった。だが透はそんなタバサに笑いかけて口笛を吹く。双月に影が差し、シルフィードが下りてくる。

 

 透の下した決定は、人によっては子供だましで甘いだけの行動だと断じるだろう。

 だがよくある切り捨てるだけの大人な思考を、透は浅慮なものだと考えていた。

 そして考えもなしに行動しているわけでもなかった。

 

「自惚れないで下さい。互いのことを知り合い、そして利用しあう。考えた結果、これが最も貴女と相対したときに被害が少ないと行き着いただけです」

 

 繋いだ手を少年が引く。

 

 タバサは多弁なその少年の背中を、見上げることしかできなかった。

 

 



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第10話・武器

「シルフィード良い子。愛してます。お尻痛くないって素晴らしい」

 

 トリステイン上空。天晴れな青空の下、タバサの手を離してまで風竜の首に縋り付き頬ずりするトールを、ルイズ達はうんざりとした目で見ていた。

 

 先週とはうって変わって快晴となった虚無の曜日。前回トリスタニアにタバサとトールがおもむいた際買い忘れていた武器を購入しに、ルイズ、タバサ、キュルケ、ヒラガ兄弟の五人がまだ幼い風竜の背に乗って空を駆けていた。

 すでにヒラガ兄弟が召喚されてから十日以上経過している。サイトの強さの性質上、すぐに武器が必要というわけでもなかったので、四日目にあった虚無の曜日が雨だったこともあり延び延びになっていたのだ。

 

 トールに撫でられた風竜、シルフィードがきゅいきゅいと嬉しそうに鳴く。この風竜もトールに褒められる度に実に嬉しそうにしっぽを振ったり速度を上げたりするものだから、当初背中に腰を下ろしていただけのルイズは揺られて危うく落ちそうになったりもした。

 飛び出してからずっとこの調子なので、皆背びれの掴み方も馴れつつあったが。

 

「かわいいかわいいシルフィードには、後でマルトーコック長が焼いたお肉を上げましょう」

 

 その発言に、とっくに馴れているタバサは背びれにも掴まらずにバランスをとり、トレードマークでもある大きなスタッフで「甘やかしちゃダメ」とトールの頭を小突く。もう何度目か分からない光景だ。

 どうやらシルフィードの主人であるタバサと世話係のトールは、この風竜の教育方針で対立しているらしい。

 

「それにしても、ほんと、風竜の幼生なんてどこで捕まえてきたのよタバサ。今じゃもうみんなすっかりこの子がタバサの使い魔だと思ってるわ」

 

 脚を組んで座るキュルケがタバサに問う。

 タバサが障壁でも張ってくれているのか、風竜の背に乗っているとは思えないほど正面から吹き付ける風は弱い。だがそれでも靡くキュルケのスカートにサイトの視線がいき、ルイズは無意識に彼を蹴りつける。

 

「ついてきた」

「ついてきたって……風竜は見つけるだけでも大変なのに、そもそもそう簡単に懐くものじゃないでしょう……。まあいいわ。それよりトールはタバサの使い魔なんでしょう? なんでこの子が使い魔ってことになってるの?」

「特に意味はないですよ」

 

 呆れた表情のキュルケに答えたのはタバサではなくトールだ。叩かれた箇所が痛むのかしきりに頭をさすっている。

 

「なによそれ。どういうこと」

「まあなんというか、せっかく噂が広まっていたのだから勘違いさせておいた方が楽しいじゃないですか。強いて言えば対外的な意味でこちらの方が融通が利く、というのが理由ですか」

 

 街に着いたときの馬車駅にある騎獣預かり所で、使い魔だと書類手続きが簡単なのだ。これは調教したものより使い魔の方が言ううことをよく聞くことが理由だ。実際のところ使い魔と嘘をつく者も多い。ただ空を飛ぶ使い魔の騎獣は勝手に飛ばせておいてもそうそう問題を起こさないので、本当に使い魔の騎獣を持つメイジは預けないことが圧倒的に多いが。

 学院でもシルフィードを放し飼いにしているので馬車駅に預ける予定はない。

 

「呆れた。そんな理由だけであんな嘘をついているの」

「はい。そんな理由だけです。ですのでバレると怒られそうなので、ここだけの秘密にしておいて下さいね」

 

 若き東方の賢者の態度に、ルイズは溜め息をつく。平民が貴族に意味もなく嘘をつくなど、知られたら確かに危ない。しかも小馬鹿にするためとなれば、先日名誉がどうたら教育がどうたらとトールにつっかっかってきたミスタ・ロレーヌとの決闘騒ぎみたいなことになりかねないのだ。

 騒ぎは珍しくトールとタバサが別行動をとっていたときの出来事で、しかもキュルケやルイズ、サイトもいないときに起こり、ことの顛末を見た者でここにいるのは当事者のトールだけなのだが、なぜかギーシュがミスタ・ロレーヌと戦い勝利し、その場は収まったらしい。

 

「透になにか言っても無駄だぞ、ルイズ。こいつのやることを一々気にしていたら疲れるから、結果だけ見ていればいいんだよ」

「そうね。ギーシュもなんだかよく分からない訓練させられているみたいだし」

「トールは最初すごく頭が良くってマジメなのかと思っていたけど、今じゃもうすっかりそんな感じは吹き飛んじゃったわねー。サイトの方が文字覚えるの早いし、風竜(このこ)の溺愛っぷりとか、意外すぎて驚いちゃった」

「わかっていないですねキュルケさん。男だったら幻想動物に憧れるものなんですよ。それがドラゴンとか、最高じゃないですか。あと憶えの悪さは言わないで下さい。地味に気にしているんですから」

「透は文系暗記物壊滅的だもんな。まあなんだ、ドラゴンは良いよなドラゴンは。グリフォンとかも捨てがたいが、やっぱドラゴンには敵わない」

「よくわからないわ。でも今後の参考にしておこうかしら。ところでサイト、あたしのところのフレイムなんてどうかしら?」

「フレイムみたいなのもかっこいいよなあ。でもやっぱ空飛べた方がなあ」

「あら残念。じゃああたしは――」

 

 しな垂れかかってきたキュルケから引き剥がすように、ルイズがサイトの腕を引いた。

 

「というか、常々疑問だったんだけどなんでキュルケがここにいるのよ? 誰の許可をもらって付いてきているわけ?」

「あらルイズ。あたしはタバサに付いてきたのよ。あなたはお呼びじゃないわ」

「わ・た・し・は! サイト達の武器を買いに行くの! お呼びじゃないのはあんたでしょ!」

「ついた」

 

 それまで黙っていたタバサが口を開く。その両目は真っ直ぐにまだ遠く小さな王城に向けられていた。

 以前であれば常に本を携帯していた彼女だが、最近ではめっきり持ち歩くことが少なくなってきていた。

 特にシルフィードに乗ると、杖とトールの手で両手が埋まるだけではなくバランス取りもしなければならなくなり、地上ではまだどうにかなる場面もあるが空中では少々危いと自覚もあるようなので、飛ぶと決まっているときは杖以外の荷物をあまり持たなくなっていた。

 それに常に一緒にいるトールは雑学的知識や地球産の物語に造形が深く、本がなくとも好奇心や向上心を埋めるものに困ることがなくなってきたこともある。もちろん精霊の流れの観察をしなければいけないこともだ。

 その為、トールとも手を離している今は随分と手持ちぶさたな心持ちになっていた。

 だからこそ開口一番で到着を知らせたのだが、その異変に気付いていたのは以前から彼女と共にあるキュルケだけであった。

 突然母性が籠もった微笑みをタバサに向けたキュルケに、端から見ていたルイズは気勢をそがれて唇を尖らせる。

 サイトはそんな女性陣の異変に気付かず言われるがままに前方を見やり、徐々に大きくなってくる城の姿に感嘆の息を漏らした。

 

「すっげー。白いお城だ。昔行ったネズミのお城を思い出すな」

「あっちとどっちが大きいでしょうねぇ」

 

 以前一度見ていたトールも、余裕を持って遠くから見るのは初めてだったのでなにやら嬉しそうだ。

 

「失礼ね。トリステイン城にはネズミ一匹いないわよ」

「ああいやいや、俺達の国にな――」

 

 騒がしい彼らの話題は尽きないまま、風竜の影は王都の偉容へとのみ込まれていった。

 

 

 

 

 立地の問題もあるだろう。昼間だというのに薄暗い店内にはランプが灯っていた。魔法の光ではないようなので、普通の燃料ランプのようだ。店内は少々小汚く見えるが、常時ランプを灯しておけるほどの繁盛はしているらしい。

 店の奥ではこの世界ではとっくに老年といえる歳の男がパイプを燻らせている。

 彼は入店してきた五人組みの内、先頭に立っていた少女の胸元に輝く五芒星の紐タイ留めを見やり、何事かと目を細めた。その後ろに続く他の少女二人もマントを身につけ、杖を携帯している。

 

「若奥さま方あ。うちはまっとうな商売してまさあ。お上に目を付けられるようなことなんか、これっぽっちもありませんや」

 

「客よ」と答えながらルイズが入り口近くに飾ってあった甲冑をノックした。側に立っていたサイトが壁や棚に立て掛けられた武具を見回して、ほへーと間抜けな声を上げている。

 

「こりゃおったまげた。貴族が剣を! おったまげた!」

「どうして?」

「いえ、若奥さま。坊主は聖具をふる、兵隊は剣をふる、貴族は杖をふる、そして陛下はバルコニーからお手をおふりになる。と相場は決まっておりますんで」

「なるほど。だから商人は弁をふるうわけですね」

 

 後ろにいたトールが口を挟み、前へ出て来る。

 店主はにやりと笑った。

 

「あらそれなら、馬主は手綱をふる?」

 

 キュルケが続けて言い、タバサを見る。

 

「奴隷商は鞭をふる」

 

 タバサのブラックさにサイトは若干引きながら、

 

「い、犬はしっぽをふる」

 

 なんとかルイズへパス。

 

「え? え? ええっと……あ、雨がふる……?」

 

 少々の沈黙が流れた。

 

「……は、ははは。旦那さま方も言いますな! 一本取られましたわ!」

「……いえいえ。百戦錬磨の主人の舌先には敵いません。ところで幾つか武器を見繕っていただきたいのですが、よろしいですか」

「へい。どんなのをご入り用で」

 

 店主は上機嫌で手もみした。見た目よりはまともな客のようだと考えたからだった。

 

「まずは投擲に使える短剣と――」

 

 なかったことにされたルイズと、慰めようかどうか迷っているサイトを残して三人が店の奥へと進む。

 そしてあーでもないこーでもないと店主が持ってくる武器をトールが品定めしているうちに、遅れてルイズとサイトが加わった。サイトの頬にもみじがついていることに関して誰も何も言わないでおいた。

 

「そおいやあ、旦那さま方もやっぱり盗賊対策で?」

「盗賊?」

「ありゃ、違いやしたか。なんでも、最近このトリステインの城下町を、盗賊が荒らしておりまして……」

「ふむ。どんな盗賊か知ってますか?」

「へえ、『土くれ』のフーケとかいうメイジの盗賊が、貴族のお宝を散々盗みまくってるって噂で。それで昨今は宮廷の貴族さま方が下僕に剣を持たせるのがはやってきておりましてね」

「貴族ばかりを狙うの?」

「へえ、そう聞いとります」

 

 ルイズが嫌そうに眉をしかめた。キュルケは「まあ貴族の方がお金あるから当たり前よね」と頷き、タバサは手に持った大振りのナイフをいじるだけだった。ヒラガ兄弟が興味深げに店主を見る。

 

「『土くれ』ということは土メイジですか。どんな手段で盗むか聞いてますか?」

「詳しいことは知りませんが。なんでもまあ夜中に貴族邸の方で大きな音を聞いたと思ったら、二十メイルはあるでっかい人影が見えたとか。翌朝にゃあフーケが出たって大騒ぎだったらしいでさあ」

「すげえな。巨大ゴーレムか。ギーシュだとどこまででかく作れるんだろう」

「噂じゃ、壁もなんもかもぶっ壊して盗んでいったってえ話でさあ。他にも宝物庫に綺麗な穴が空いていて、気付いたら根こそぎやられてたってえ話もありまさあ」

「土なら、穴あけは練金かな。ゴーレムの大きさからして多分トライアングル以上。手練れだね。でもなんでフーケだってわかったんだろう?」

「犯行声明が残されてると聞きやすね」

 

 店主の言葉に「ネズミ小僧みたいだ」とトールがこぼす。

 

「史実のネズミ小僧は犯行声明文とか残してないし、義賊じゃなかった可能性が高いらしいぞ。透」

「時代劇だけですか。つまらないですね」

 

 師事した人間の影響でサイトの知識は少々渋い方面に偏っていた。

 

「そんなもんさ。そういった例については透の方が詳しいだろ」

「そうですね」

 

 どうにもこっちに来て、英雄願望でも出てきたかもしれません。と小さくトールは独りごちた。

 

「それで旦那、どいつにしやしょうか。短剣類をあるだけ持ってはきやしたが」

 

 ああ、とトールが頭を振る。

 

「試し切りできるような物はありませんか。実際の使用感覚を知りたいので。兄さんは投擲の……何やってるんですか、兄さん」

「……俺が聞きたい」

 

 呆気にとられたようにトールがサイトを見る。サイトも困惑の表情だ。ルイズやキュルケに至ってはぽかんと口を開けていて、タバサはいつも通りの表情だが注目していた。店主が「なんですかいそりゃあ」と尋ねてきた。

 カウンター側で灯されているランプの明かりとは別に、青白い光がサイトの左手から浮かんでいたのだ。

 左手に刻まれていた使い魔のルーンが光っているようだった。

 サイトがその光をちゃんと見ようと、握りを確かめていた短剣を手放す。

 すると途端に光が消えてしまった。

 あれ? とサイトが首を傾げ、その様子を見ていたトールが先ほどの短剣を手に取った。

 だがなにも反応はない。襟元を引っ張って胸に刻まれたルーンを確認したが、サイトのように光ることはなかった。

 

「兄さん。もう一度これ握って」

「あ、ああ……うわ」

 

 短剣をサイトに渡す。またルーンが光り始める。

 トールが腕を組み、ふむ、と頷いた。そういえばと思い出していたのだ。チョークの時も光っていた。それにトールのルーンは『ルーン』と呼ばれるごく一般的なものであったが、サイトのルーンがなんであるのか知らないままであった。

 

「ルイズさん。兄さんのルーンってなんだか知ってますか?」

「し、知らないわ。図鑑にも載っていなかったし」

 

 感覚共有などの補助効果がなかったため、ルイズはサイトの左手に現れていたルーンをただの失敗ルーンだと思っていた。それがここに来て突然反応を見せたため、彼女は動揺してしまっていた。そんなルイズの様子にトールはもう一度頷き、

 

「……兄さん、次はこっちの短剣を握って――」

 

 と冷静に状況を確かめようとしたところで声が上がった。低い男の声だった。

 

「おでれーた! おめえ、自分のこともわからねーのか!」

 

 ぎょっとして店主以外の全員が声の方を振り向く。店主は頭を抱えてカウンターに肘をついた。

 

「な、なんだ?」

 

 サイトが声のした方へと向かうが、そこにはただ乱暴に積み上げられた剣があるだけだ。

 

「おい! てめ、俺を買え」

「な、何なんだ? 誰もいないぞ」

「おめえの目は節穴か! ここだ!」

 

 トールとタバサもやってきて一本の剣を掴み掲げた。

 

「お、わかってるじゃあねえか。……ん? ……てめ……」

 

 剣がしゃべってる。と呟きサイトは後じさった。なんと声の主はトールが手に取った剣であった。錆の浮いたボロボロの剣から声は発されていたのだ。

 

 先ほどまで他の剣に埋もれていて気付かなかったが、トールとタバサにはその剣が奇妙な輝きを放っているのが見えていた。

 

「……へえ。これはまた、おでれーた。てめえ、変なヤツだな」

「剣の貴方には言われたくありませんね」

 

 トールがそういうと、店主の怒鳴り声が響いた。

 

「やい! デル公! お客さまに失礼なこと言うんじゃねえ!」

「デル公?」

 

 ルイズとキュルケもやってきてその剣をまじまじと見つめた。刀身が細い薄手片刃の長剣である。柄まで合わせた全長がルイズの身長と同じくらいありそうだ。だが錆のせいで見栄えが悪く、素人目で見てもいい剣とは言い難かった。

 

「ああ、そうだ! お客さまだ! だからそこの『使い手』、俺を買え!」

「これって、インテリジェンスソード?」

「そうでさ、若奥さま。意志を持つ魔剣、インテリジェンスソードでさ。いったい、どこの魔術師が始めたんでしょうかねえ、剣をしゃべらせるなんて……。とにかく、こいつはやたら口は悪いわ、客にケンカは売るわで閉口してまして……。やいデル公! これ以上失礼があったら、貴族に頼んでてめえを溶かしちまうからな!」

「うるせえ小僧! 『使い手』を見つけたんだ。俺は行くからな!」

「てめえ、なに言って……」

 

 睨みを効かせ立ち上がった店主を、サイトが手で制した。トールが両手でしっかりと持ち、デル公と呼ばれた剣を掲げる。

 

「ねえ、剣の御仁。『使い手』というのは兄さんのことかい?」

「ああ、そこのてめえに似た男のことだ」

 

 ふむ、と頷いてトールがサイトへ剣を渡す。両手で背の部分もしっかり支えていた。トールには些か以上に重量があったのだ。

 柄を握ったサイトの左手がまたしても光を放つ。

 

「ああ、やっぱりてめえは『使い手』だ。やっと会えたぜ」

「お、おう……」

 

 喋る剣に最初はおっかなびっくりなサイトであったが、それもすぐに興味に転じた。

 

「……自己紹介しとくか。俺は平賀才人。お前は? デル公か?」

「ちがわ! デルフリンガーさまだ!」

 

 サイトの光る左手の中で、デルフリンガーが吠える。威勢の良い静物にサイトが笑った。

 トールは左手一本でデルフリンガーの柄を握るサイトに尋ねた。

 

「兄さん。使いやすそう?」

「そうだな。軽いし、錆びちゃいるけど悪くない」

 

 言って、サイトがデルフリンガーを片手で振るう。一振り。二振り。三振り目は両手でだった。片手の時点でサイトの手元は霞み、剣先は消えていた。両手になると気付いたら振り下ろした後だった。両手で振った後になってサイトの表情が強張り、トールと視線を合わせた。

 サイトは剣なんて握ったことがない。いいところが竹刀や木刀だ。チョークのときのようにまた調子に乗っていたから三振り目まで気付かなかったが、両手持ちで振ったときにはさすがに気付いたらしい。自分の異変に。

 いくら鍛えていたといってもこんな素振りをサイトが出来るわけがないのだ。それにサイトはトールが両手でやっと支えられる鉄の塊を、片手で軽いと言っていた。体格にそこまで大きな差がないのにも関わらずだ。

 予想以上の結果を確認したトールは、全て分かっていたかのようにサイトの視線ににやりと口端を上げて頷く。

 ルイズ、キュルケ、店主はあんぐりと口を開けていた。タバサですら表情に表れていた。サイトのルーンが光ったとき以上の忘我状態だ。それに気付いたサイトは驚愕が一周まわってしまって冷静になり、女の子がはしたない、と思った。

 

「店主。デルフリンガーの御仁はいくらです?」

「――へ? あ! へい! デル公は……」

 

「店主。店主。僕らはトリステイン魔法学院の生徒とその従者なんだけど、本当は今日、陸軍元帥のお父上を持つミスタ・グラモンも来る予定だったんだ。なにせ、多くのメイジ殺しを擁するグラモンの私設軍で彼の方は揉まれていた。それに練金が得意な土メイジでもいらっしゃるからね。剣のことを教えてもらおうと思ってさ。だけど残念なことに、急遽来られなくなっていたんだ。だから土産話でも持って帰ろうと思っていたんだけど、どうかな?」

 

 どうかな?

 

 一体何がとはトールは言わない。ただ突然彼にまくし立てられて、店主はぎょっとして息を止めていた。止めてまでトールの言葉の意味を考えてしまっていた。

 陸軍元帥の覚えが良い武器屋という言葉が、店主の頭の中に生まれる。それでなくても、子飼いの兵士達に話がいく可能性はある。

 そしてデルフリンガーを振ったサイト。尋常ではない剣線であった。有名なら言うまでもなく、もし未だ無名の剣士であったとしても、ここで買った剣を携え立てる英名もまた尋常ではなくなるはずだ。

 トールが答えをせがむように笑いかけた。

 店主は息を吸い、まだ纏まってすらいなかった答えを吐き出した。

 

「……へえ! デル公……あいや、デルフリンガーは二十で結構でさあ!」

 

「そうですか。それは良かった」とトールが何度も頷く。

 

 トールは今日、本当にギーシュを呼ぶつもりであった。だが朝声をかけに行ってみると、すでに彼の部屋はもぬけの殻であったのだ。だから仕方なく自分達だけで来たのだ。

 しかしギーシュを呼ぼうと思っていたのは鑑定役としてで、トールはすでに数日前に彼から剣の一般的な値段を聞いていた。

 貴重な鉄の塊を豪勢に使った大剣類は、二百エキューは下らないという。ならば錆びているとはいえ、こんな面白そうな剣が二十エキューなら買いだろう。

 本当のところ、ギーシュは軍の備品の値段などよく知らなかったらしい。だが以前小遣いを稼ごうとして青銅の剣を作り売ろうと思ったことがあったらしく、残念ながら出来上がった剣は練度が足りないうえ、魔法製ということで二束三文にしかならなかったようだが、その時に知った鋳造されたゲルマニア製の鉄剣の値段を憶えていたのだ。それが安い物で三百エキュー。トリステイン製で粗悪品でも二百は当然さ。とのことだった。

 

「ところで店主、研ぎはどちらで頼めますか? せっかくミスタ・グラモンにお見せするんです。最高の状態が望ましいのですが……」

「へえ! うちで受けまさあ! 旦那の頼みなら十で結構でさあ!」

「期日は?」

「四日、いや二日でやらせていただきまさあ!」

「さすが店主。職人は仕事も話も早くていいですね。どうです、ミス・ヴァリエール。ミス・ツェルプストー。とても好感が持てると思いませんか?」

 

 店主はまたしてもぎょっとした。ヴァリエールといえばトリステインきっての大貴族。ツェルプストーは鉄鋼業が盛んなお隣ゲルマニアの大貴族だ。どちらも国境に面しており、私設軍の規模はグラモンに勝るとも劣らない。領地が隣り合っていて本来仲が悪い二家がどうしてこんな場所に揃っているのか知らないが、本物だとしたらこれ以上ない上客だ。

 トールに呼ばれたルイズはなんだかよく分からないといった顔をしていたが、キュルケはすぐに察してしなをつくった。真っ赤な髪をかき上げ、胸を張り、店主に色っぽく笑いかける。

 

「ふふ。そうね。とっても判断力があって、男らしいと思うわ」

「へ、へえ」

 

 迫る色気に店主はいい年して顔を赤らめ、だらしなく頬を緩ませた。

 そこにまたトールが畳みかける。

 

「それで店主。こちらのダガーセットなんですが――」

 

 

 

 

「全部合わせても五百いかなかったですね。いやあ、いい買い物が出来ました」

 

 店から出てほくほく顔のトールが言う。だが、

 

「トール。貴族は値切ったりしないわ」

 

 そんなトールを、ルイズが柳眉を逆立てて窘めた。

 しかしそれもどこ吹く風といった顔でトールは語り出す。

 

「ルイズさん。僕は店主と『お話』していただけで一言もまけてくれと言ってませんし、値段の提示すらしていません。ですから値切ったなんてとんでもない。全部武器屋の店主の善意なんです」

 

 まるでお布施を無心するロマリアの坊主のようなことを言い出したトールに、ルイズはさらに視線を鋭くした。

 ルイズもギーシュから一緒に剣の値段は聞いていた。だから全部合わせて通常の半額以下の値段で買えてしまったことに気付いている。そのことがどうにも気にくわなかったのだ。

 トールもそのことは理解している。貴族は名を汚すことを酷く嫌う生き物だ。特にここトリステインの貴族はある種の短絡的な部分が目立つことを、トールは聞きかじった国の歴史や現在の国の立ち位置から想像したり、現状を留学生であるタバサやキュルケからも聞き及んで予想していた。

 つまるところ、彼女はヴァリエールの名を出したことが引っ掛かっているのだ。今回の件で剣を安く買い叩いたなどと噂されるのは、ルイズの矜持に反することであった。

 これは真っ当な矜持だ。身勝手で心ない貴族が振るう暴力のような矜持や誇りではなく、上に立つ者として下々に背中を見せるためのルイズのそれは、ささやかながらも気高いものであった。

 だがやはり、まだ短絡的であることには変わりない。

 トールは視線を受けとめつつも、サイトへと受け流す。

 

「兄さん。お金は後どれくらい残ってますか?」

 

 財布袋はサイトが懐に入れ、管理していた。研ぎを頼んだデルフリンガーこそないものの、無数の短剣を肩やら腰やらに下げているその格好はなかなか危ない人だ。

 

「残り三百とちょっとってところかな」

 

 あれ? とルイズは首をひねる。全部で千持ってきたはずである。計算上ではあと二百ほど多く残っているはずであったからだ。

 そんなルイズにサイトが足りないお金の行き先を説明する。

 

「さっき俺達だけ店から出るの遅かっただろ? そのときにこう言って店主に握らせたんだよ。『改めまして、私どもはラ・ヴァリエール家三女、ルイズ様の従者をさせていただいておりますサイト・ヒラガと、トオル・ヒラガと申します。主人よりこちらをお渡しせよと仰せつかりましたので、収めていただきたく』ってな」

 

 その話にルイズとキュルケが目を剥いた。

 

「ただで二百も渡しちゃったの?」

「ああ」

「わたしそんなこと頼んでいないわ。なんでそんな勝手なことしちゃうのよ!」

 

 ルイズの怒りはもっともである。

 彼女としては噂が立つのも我慢ならないが、かといって意味もなくお金をまくのも許容できる話ではない。

 

 対して、「勝手にやったのは悪いと思ってる。ごめん」とサイトが謝り、トールも「すみませんでした」と頭を下げた。

 

「だけどこうしておけばあの主人は買い叩かれたと思わないだろ? ルイズの株だって下がるどころか上がるはず。それに俺達がギーシュにあの店のことや剣のことを話さないわけもないから、事実上の『紹介』もすることになる。だから嘘はついてないし、誰も損をしないんだよ。そのうえあの状態まで持っていけば印象づけは出来ているだろうし、舐められることもない。今後も何かあれば安く売ってくれるだろ。しかもあの店、それなりに儲けているようだったからな。顔が狭いということはない。商品の関係上、国軍とも傭兵とも繋がりがある。なにかあったときに役立つかもしれない」

 

 ま、さっき透が言ってたんだけど~、とサイトが笑う。

 さっきとはいつの間にだなどとルイズとキュルケは思いつつ、なるほどと唸った。

 

 ルイズとしては中々呑み込めない部分もあるが、理由は至極真っ当であるし方法も上策であったと今ならわかる。安く買った部分も店主に舐められないための布石になっているのだと理解出来た。ルイズは元々座学が得意だ。魔法に関するコンプレックスや理想の貴族像のために背負いすぎた矜持ゆえに盲目的になりがちであるが、頭が悪いわけではない。それに最近は他者の立場や心情を計ることも多くなってきており、努力することが得意な彼女は、ほとんど経験のなかった交渉事のいろはのいの部分を急速に学習していた。それが同時に、人の上に立つ者の重要な要素であることにはまだ気付いていてはいなかったが。

 

 キュルケはゲルマニア人であり、トリステインでの名にそれほど頓着していないため現状で損はなかった。これといって得があったわけでもないが、むしろ面白いものが見られたと気分だけは得をしていた。しかもそれが後に思い返してみれば値切りをしないという枷付きであり、ルイズの名を汚さないことも前提にしていたのだ。あの感じなら共にいたキュルケを悪く言うこともないだろう。誰も汚れないその手際の良さに、彼女は感心していた。

 

 タバサに至っては先ほどの『お話』中についででダガーとナイフを安く買っていた。しかもサイト用にナイフや寸鉄のような暗器類など多種多様に揃えている内にその中にタバサの物も紛れてしまい、知らぬ間に一緒に支払いが済んでしまっていた。つまり彼女はびた一文払っていない状態なのだ。前回の昼食代もルイズ持ちだったこともあり、勝手に彼女の中でルイズ株急上昇中であった。

 

 しばしルイズは考えて、「……まあいいわ」と怒らせていた肩を下ろした。

 

「それよりサイトよ。あなた、剣は使ったことがなかったんじゃないの?」

 

 トールが突然『お話』という交渉を始めてしまったせいですっかり忘れていたが、もとの発端はサイトのあの素振りだ。手が見えないほどの剣速など、素人のルイズでも異常であると理解出来た。

 

「ああ、いや、なんつうか……」

 

 訊かれてサイトがしどろもどろとしだし、トールに助けを求めるような視線を向ける。正直なところサイトにとってもあれはさっぱりなのだ。それを察したトールが説明を始める。

 

「兄さんが剣の修行をしたことがないのは本当ですよ。あれはおそらく左手のルーンの効果かと」

「そんな話聞いたこと……」

「人間が使い魔の時点で前代未聞で異例な事態なのです。ルーンももの凄く珍しいもの故に詳細が伝わっていないだけかもしれませんし、新たに生まれたという可能性もあります」

 

 そう言われてしまってはそれで納得するしかないルイズである。

 

「なんにせよ、ちゃんとどんな効果か調べる必要がありますね」

 トールが道端に落ちていた小石を拾うと、サイトに投げてよこした。

「兄さん、それで向こうの――」

 

 なにかを指さそうとして、トールの動きが突然止まった。皆が訝しみ、トールが見ている方向を向く。

 

「……あ、ギーシュ」

 

 ルイズがぽつりと呟く。

 

「あら。あそこは新しいお店かしら。それにしても……」

 

 キュルケもその存在に気付いたようだ。

 視線の先には今朝部屋にいなかったギーシュがいたのだ。

 そんな彼を見て、サイトが殺気立つ。

 

「……おい透。透にはあれがなにに見える」

 

 なにせ、優雅にオープンテラスでお茶を楽しむ彼の両隣には、

 

「……あの二人はミス・モンモランシーとミス・ロッタですね。両手に花――ああ、追加です」

 

 席を一時立っていたのか、ギーシュの前にもう一人女生徒がやってきて席にかける。もちろんギーシュは彼女が座る際、席を引いてあげていた。そしてまた歓談に戻る。実に楽しそうに笑うギーシュの歯がキラリと光っていた。

 

「あの方は存じませんが、マントの色からして一年生の方ですね。つまるところあれは――」

 

「「ハーレム!」」

 

 ヒラガ兄弟が声をあげた。

 

「全員美少女だぞ!」「独占とは、男の敵ですね」「いつの間に。最後の子は知らないが、あの二人とはケンカ別れしたんじゃなかったのか? しかもケンカの原因は二股だったはずだぞ。なんで増えてるんだ!」「先日僕がミスタ・ロレーヌに襲われた際ミスタ・グラモンが助けてくれたのですが、そこを彼女達が見ていたのを憶えています」「そこでフラグを立てたのか!」「漢を魅せましたからね」「クソォ! イケメンめ! 俺にはそんなイベントすら起きていないぞ!」「僕なんて助け出される役でしたよ。って男でこの役、脇役決定じゃないですか!」「なんでだよ俺ギーシュより強い自信あるぞ!」「僕だって一人でなんとかできる自信ありましたよ!」「謀ったなギーシュ! 友情を結んだと思ったのは俺だけかあ! あのとき助け出してやったのを忘れたというのかあ!」「まさか魔法利用法を教えてその恩を仇で返されるとは。やりますねミスタ・グラモン。これだからイケメンは」「――! ――!」「――。――!」

 

 血の涙でも流しそうな目でギーシュを睨みつつも、恨み言を重ねるばかりでなにも行動を起こさない二人。

 

 そんな彼らを放置して、サイトから財布袋だけを取り上げたルイズ達は仲良く昼食に向かう。

 この昼食時だけはルイズとキュルケは男のバカさ加減について話が合い、タバサも珍しく話に耳を傾け、時折頷いていたという。

 

 白昼の下、今にも怨敵に向けて投げ出しそうな小石を握りしめるサイトの左手が、虚しく光を放っていた。

 

 



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第11話・土くれ

 

「どうしてこうなったのかね?!」

 

 ギーシュ・ド・グラモンの叫びが風にさらわれて夜に融けていく。

 ぎぃっぎぃっという音と共に揺れる彼の体は、あと十数サントほど爪先が足りず宙に浮いていた。

 

「これは、禊ぎなのです。ミスタ・グラモン」

「全ての男の涙の海に、お前は溺れなければならない。ギーシュ」

「だから! なぜこんな真似をするのかと訊いているのだよ!」

「自分の胸に手を当てて考えてみろ」

「これじゃ胸に手も当てられないんだがね?!」

 

 どんなに叫んでも、ロープでぐるぐるに巻かれ、本塔近くの木の枝に吊されたギーシュに優しく微笑むのは双月だけであった。

 彼ら兄弟の二つの双眸は冷え冷えとした温度の明かりしか灯していないことに、ギーシュはこのときになってやっと気付いた。この兄弟のこんな顔を初めて見たギーシュは息をのんだ。

 

(――ぼ、ぼくが一体何をしたというのだ? ぼくは何をしてしまったのだ?)

 

 トリスタニアから帰り、湯浴みに向かおうとしたところでヒラガ兄弟と出くわしたのは憶えている。

 久しぶりに心浮き上がるような時間を過ごした後だったこともあり、ギーシュは言われるがままに話があるという二人に着いていった。そうしたら、

 

(……そうだ。トールに杖を取り上げられ、サイトがぼくを縛り上げた。それからサイトがロープを振り回して、枝に掛けたんだ。見事な縄掛けだったな。なぜか彼の左手も光っていて、驚いた。……だがなぜこんな真似をする? どうしてだ?)

 

「……すまない。ぼくには君たちの怒りがまだ理解出来ていない。よければそれを教えてくれないだろうか?」

 

 トリステインの名門、グラモンの四男坊が平民に頭を下げる。

 本来あってはいけないその光景にサイトはぐっと拳を強く握り、トールがそれを押し留めた。

 そんな二人の様子に、いよいよもって自分がなにか大層な間違いを犯してしまったのではないかとギーシュは顔を青ざめさせた。

 

 サイトには命を助けてもらった恩がある。あれはそう言っても差し支えない事態であった。以降身分の差こそあれ友人として彼と付き合い、奔放で快活、懐の温かいサイトの存在は一時とはいえ心的外傷を負ったギーシュを持ち直させてくれた。誰にも気付かれないようにはしているが、本当は女性全般に対して未だに軽い恐怖を覚えるのだ。それでも笑っていられるのは彼のお陰に違いない。

 

 トールには自分の弱さを気付かせてくれた恩がある。ドットとはいえ、土メイジとしての自分のワルキューレ(ゴーレム)は一角の物だと思っていた。だがそれが無手のサイトやオチコボレだと勘違いしていたルイズよりも惰弱であることを示し、そこから先の強さの手に入れ方を、心の鍛え方をサイトと共に教えてくれた。特に彼が考え出すワルキューレ強化訓練や土メイジ戦術論は聞いたこともないような突飛なものでありながらも、有効性はとびきりであった。

 実際にそれは証明されている。

 先日トールを庇うかたちで行われたヴィリエ・ド・ロレーヌとの戦いで、ギーシュは彼らから得たものを昇華させ、ドットからラインへと駆け上がったのだ。これ以上の照査はあるまい。

 

 付き合いはまだたった十数日。だがそれまでのギーシュでは考えられないほど濃密な十数日であった。だからそれほどの恩がある彼らここまで変えてしまった自分の正体不明な罪に、ギーシュは恐れおののいていた。

 

 サイトのきつく引き絞られていた口がゆっくりと開いていく様に、彼は息をのむ。

 

 すでに彼の心象風景では最終法廷の罪人席に立たされ、周囲を親兄弟に仲の良い友人達、今日という最後の日を飾ってくれた心優しき蝶々(おとめ)たちに囲まれていた。ただ皆一様に表情を苦渋にまみれさせ、様々な感情渦巻く瞳を向けている。

 見上げる眼前には裁判長、サイト。

 

「ギーシュ」

 

 かつて友と呼んだ彼の声が震えていることに、ギーシュの心に荒波が立つ。

 

「今日、どこに行っていた」

 

 意図は未だ分からない。だがギーシュは誠心誠意、罪を償うために応える。

 

「トリスタニアに」

「誰と居た」

 

 その問いに一体どのような意味があるのか。疑問に思いながらもギーシュの思いは変わらない。

 

「ミス・モンモランシ。ミス・ロッタ。ミス・ゼッサールのお三方と」

 

 俯いてまぶたを下げ、心象の中に立つ彼女達に、ギーシュは心の中で微笑む。

 

 嬉しかった。一度は自分の至らなさから遠退いてしまった蝶々達が、自ら舞い戻ってきてくれたことが。また寄り添ってくれたことが。

 楽しかった。今一度味わうことができた、煌びやかに舞う蝶々達と交わされる春の調べが。香しくも華やかな一時が。

 でも少しだけ、怖かった。許してあげると言ってきた彼女達の瞳が。迷い寄って来た彼女の笑みが。

 

 それでも、否、だからこそ、ありがとう。

 

 薔薇はここで散ってしまうけれども、蝶にはまた新たな花を愛で

る権利がある。

 せめて幸せになって欲しいと、良き思い出になってあげたいと、薔薇は気高さだけは失わずに、色褪せる前に手折れるのだ――

 

 ギーシュは顔を上げた。サイト達の判決を真摯に受けとめようとまなこを開く。

 その瞳が映したのは血走ったかつての友の両目。

 サイトが、トールが、叫んだ。

 

「なに良い表情してんだこのバカチンがあぁぁあああああ!」

「今絶対薔薇がどうとか考えてたでしょぉぉおおおおお!」

 

「――ぬあっ?! おわぁぁぁああああああ?」

 

 吊されたギーシュの肩を掴み、憤怒の形相の二人が右に回す。回し続ける。猛烈な勢いで回しまくる。

 回転を続ける世界にギーシュの三半規管はリンパ液の片寄りを生み、平衡感覚の異常を訴える。異常は平衡感覚から知覚全てに感染し、意識の全てを混乱させる。

 遠心力によるものか、じわりと、嫌な汗が全身から滲み出た。

 それに伴い意識が浮き上がる感触がギーシュを襲う。

 

「兄さん!」

「はあぁぁあぁぁぁあああああ――今だ!」

 

「「成敗!」」

 

 二人が掴んでいた肩から手を離した。

 今度はギーシュの身体に直接的な浮遊感。それは偏っていたリンパ液の移動ゆえにだ。

 ギーシュを支えるロープに対して大量に加えられた力のモーメントが、釣り合いをとるべくロープのねじれを取り除き始めた。

 

「――?! ――ふぉぉぉおおおおおおお?!」

 

 あわや意識を失うかというところで始まった逆回転。またしても平衡感覚を乱され、犯され、陵辱され尽くしたギーシュは、回転が収まったときにはだらしなく涙と鼻水とよだれを垂れ流す木偶と化していた。

 

「…………な……ぜ……?」

 

 ギーシュが声を絞り出す。刑が執行されるのはいい。だが彼もその罪科を知って罰を受けたかったのだ。だがそんな口上もなければこちらから問う余裕もなかった事に、ギーシュは疑問の声をあげた。

 

「まだ、わからないのか」

「……ぼくは、ぼくは……なに、を……」

「……ハーレムだ」

「……?」

「僕達を踏み台に、ハーレムを作りましたね」

「……な、なに……? そん、な。ぼ……ぼくは……」

 

 ギーシュも今日の出来事がハーレムであったという自覚はある。だがこの兄弟を踏み台にしたつもりなど微塵もない。

 今回の事は先日突然言い渡されたミス・モンモランシとミス・ロッタの謝罪受け入れ条件だったのだ。新しくできた貴族向け高級店での奢り及び歌劇鑑賞。それが条件だった。そしてミス・ゼッサールもたまたま同じお店にいてどうせだからと席をご一緒し、たまたま同じ劇を予約していて、たまたま劇の席も近かったから一緒に行動していただけなのだ。第一、謝罪だって前回サイトに言われて謝りに行ったときに一度は受け入れられていたのだが、なぜだか二人揃って別々に今回の条件を追加してきた。だからちょうどいいということで一緒の行動になったというだけで本当に全部たまたま――

 

「言い訳は無用! 事実ギーシュ・ド・グラモンは――」

 

「――兄さん!」

 

 突然、トールが叫び声をあげた。これまでの声とは趣が違う、本当の鬼気迫る叫びであった。

 そして、さあっ、と葉擦れの音が鳴り、三人に影が差す。

 ギーシュが視線を上に向けた。

 土の塊が、迫ってくるのが見えた。

 

「――っあ?!」

 

 悲鳴を上げそうになり、しかし上げる間もなくどんっとギーシュの体が押される。その衝撃の凄まじさに胸から全ての息がはきだされ、目の前まで迫っていた土くれが彼の金の巻き毛をかすった。吹き飛ばされ、地面を転がる。やっと止まって顔を上げれば、数メイル先、さきほどまで彼が吊されていた木がへし折られ潰されていた。

 

 ずうん。ギーシュの頭上で激しい音が響く。

 反射的に見上げれば、双月を隠す巨大なゴーレムが本塔の一角に拳を打ちつけていた。先ほどギーシュを潰そうとしたのはこのゴーレムの足だ。

 あの場にいれば彼も同じように潰されていたであろう。

 だが、そんなことよりも――

 

「サイトォォオ! トォォオール!」

 

 あの足の下にはサイトもトールも居たはずなのである。

 サイトが投げナイフでロープを断ち、トールがギーシュを体当たりではじき飛ばしたのだ。その後サイトがトールを抱えたのが視界の端に映っていたが、そこから先がわからない。

 いや、ギーシュの目には潰されてしまったように見えていた。

 

 なんてことだ。なんてことだ!

 

 わけもわからずギーシュは叫び出したかったが、まだ叫べるほど息が戻らない。焦れば焦るほど心臓は早鐘を打ち、鼓動するための息を欲した。そしてやっと喉に張り付いていたものが声になろうとしたとき、

 

「ギーシュ! 無事か?!」

 

 足の向こう側からサイトの声が聞こえた。聞こえたと思ったら、ざっ、ざっ、と影が走り、気付けばギーシュの体はサイトに片手で抱え上げられていた。

 

「サイトこそ無事だったか。よかった」

 

 すぐさま少し離れた木の側まで運ばれ、ギーシュのロープが断たれて解かれる。

 サイトの身のこなしはタバサやギーシュのワルキューレと模擬戦をしていたときよりも軽かった。ギーシュを抱えているのにも関わらずだ。ナイフが握られている左手ではルーンが青白く輝いていた。

 ギーシュの知らないことであったが、今日学院に帰ってきてすぐにサイト達はそのルーンの効果を実験して効能の確認をしていた。現在までにわかっていることは武器になる物を握っていると身体能力強化としか思えない、非常に強力な力を得ることが出来るということだけであった。サイトは今、そのルーンの効果を利用していた。

 

「トールは?」

 

 ギーシュの問いに、サイトは視線で答える。

 それを追ってみれば、巨大ゴーレムの足元でトールがその土肌に片手で触れていた。

 あのような場所に居続ければ、ゴーレムが動くだけで巻き込まれてしまうだろう。

 危ない! 速く逃げなければ! とギーシュの思考は焦りを走らせたが、サイトが「大丈夫だ」と一言放ち、状況を見るための余裕をギーシュに与えた。戦闘指南のときにも言われた冷静になれという言葉を、ロレーヌのときと同じくまたしてもすぐに実行できなかった自分にギーシュは歯がみしつつ、異変に気付いた。

 拳を打った状態のまま、ゴーレムが動き出さないのだ。

 

「見つけた。ゴーレムの左肩の上だ、兄さん!」

 

 サイトに向けてトールが呼びかけ、ピューィと口笛を吹く。

 

 サイトもギーシュに奪っていた杖を握らせると駆け出し、ゴーレムの下まで行くと、人間の限界を超えているのではないかと思わせる動きでその巨躯の上を跳ね、登っていく。

 彼が向かう先を、トールが呼びかけた場所をギーシュも見る。

 ゴーレムの左肩の上、そこに黒い衣装の何者かがいた。

 このゴーレムの繰り手であるメイジだ。

 そのメイジがサイトに向けて土轢弾(ブレツド)を放つ。

 サイトは両手に持ったナイフを獣の爪のごとくゴーレムの体に突き立て、それを起点に器用に体をひねり避けながらメイジに近づいていく。

 メイジがまた杖を振る。アース・ハンド。ゴーレムの体から生えてきた無数の手がサイトを捕らえようと迫る。

 

 だがその時には勝負は決していた。

 

 サイトの放った一本のナイフが、メイジの杖を弾き飛ばしてしまっていた。

 サイトはギーシュの訓練でブレッドもアース・ハンドも見知っていた。ゆえにその動きには微塵も躊躇いがなかった。

 精神力の供給を絶たれ、アース・ハンドがサイトに指を掛けるもその先から力を失い、土くれに戻り崩れていく。

 ゴーレムも同じく上からボロボロと崩壊を始め、メイジが体勢を崩して落ちる。

 

 ゴーレムの頭頂部で隠れていた双月がまた顔を出す。

 そこに再度差す影。ギーシュも見覚えがある影だ。

 

「シルフィード! 兄さんを!」

 

 聞くやいなや、ぎゅん、と風竜の影が急降下した。

 メイジ同様、足場を失い二十メイル上空から自由落下を始めていたサイト。ゴーレムのもとが土くれではなく岩などであったならば、今のサイトはそれらを空中で足場にして無事着地できていたかもしれない。だがただの土くれではそんな軌道は不可能であった。

 そのサイトをシルフィードが一度口に挟んでからギーシュの方へ放る。そしてトールがまた叫んだ。

 

「ギーシュさん!」

 

 言わんとするところを理解したギーシュは呆けていた頭を自ら叩き、アース・ハンドを詠唱する。だが詠唱したはいいものの、サイトが放られた時の勢いが相当なものだったらしく、まだ体調が完全とはいかない状態であったギーシュの集中力の問題もあって、受けとめた手がはじかれ粉々に砕けてしまう。

 そしてサイトはギーシュを巻き込んで木に激突。

 サンドイッチされたグラモンの四男坊はここで気を失ってしまった。

 

 その間にもシルフィードは速度を落とさないまま今度は地面すれすれまで迫り、トールをはむと、翼で大地を叩くように羽ばたいて衝突を回避。精霊の力も存分に借りて垂直方向から水平方向へと力のベクトルを変え、滑るように低空を飛びゴーレムの体から崩れて降り注ぐ土砂を避けていく。

 途中、落ちてきたメイジを透が「ぬあっ!」と奇声を上げながら掴み、力が足りずに手放し、すぐさまそれをシルフィードが前足で掴んで上空に飛び上がった。

 

 やっと安全を確保できたシルフィードが透を背中に上げる。

 次に風竜はメイジの胴を口にはんだ。手よりも顎の方が力が強くて疲れにくいからであったが、意識のあったメイジは気が気ではない。必死に抵抗しようとするも杖がない唯人では竜種の力に敵わず、されるがままになってしまった。

 

 地上で手を振る才人に、透も振り返す。

 だが先ほど無茶をして人一人を掴まえたせいで、その両腕には激しい痛みが走っていた。

 

「ぐあ、あ、あたたたた……。無理しすぎましたね。なんて言ってタバサに治してもらおう……」

 

 脂汗をかきながら透はそう呟いて、黒いローブに身を包んだ謎の襲撃者に笑みを向けた。

 羽ばたきによる風のあおりを受け、襲撃者が身に纏っていた黒ローブのフードがはだけた。夜闇に翡翠色の髪がこぼれて舞う。

 

「きず物にした責任はとっていただきますよ。ミス・ロングビル。――いえ、『土くれ』のフーケ」

「……あんた、なにもんだい」

「その様子なら本当にフーケだったようですね」

「――なっ!」

 

 澄まし顔で透が嘯く。

 学院長付秘書、ロングビルは、抵抗を止めて地上に降りるまでの間透を睨み続けたのだった。

 

 

 

 

「いや、それはさすがに不味いだろう、透」

 

 平賀才人は眉を八の字にさせて弟が思い直すよう、意見していた。

 

「そうですか? 現状考えられる最高の案だと思ったのですが」

「ダメだ。後々のことを考えろ。バレたらルイズやタバサにも迷惑がかかる」

「バレなければ良いんですよ。大丈夫ですって兄さん。僕らが力を合わせればこの程度、どうってことないでしょう?」

「何が根拠でそんな大丈夫って……。第一これは子どものイタズラで済ませられるレベルじゃないぞ」

「当たり前です。イタズラで済ませる気なんてありませんよ。それに根拠はあります。これまで彼女が捕まっていなかったのです。今回もたまたま僕らが居たから撃退できただけの話で、本来であれば犯行は失敗していたものの逃げることは造作なかったのではないですか。ねえ?」

「ああ。ホント、あんた達にさえいなけりゃね」

 

 ふて腐れたように透の問い掛けに答えたのは黒ローブを身に纏った眼鏡の女性、ミス・ロングビルだ。

 彼女の身はロープで縛られ、木に吊されている。一寸前のギーシュと中身が入れ替わったような状況であったが、場所が違った。ここは学院から離れた森の中であった。彼らのすぐ側では、森の獣が襲いかかってこないようにシルフィードが警戒している。

 

「というわけで、この道のプロがいうのです。これ以上ない根拠たり得ます。……ところで聞きたかったのですが、ミス・ロングビル。どうやってあの外壁に穴を開けるつもりだったのですか? あの宝物庫近辺は特に厳重に『固定化』の魔法がかけてあって、あのような攻撃ではヒビ一つ入らなかったと思うのですが」

「……企業秘密さ」

「そうですか。……インパクトの瞬間拳だけではなく腕部全体を『練金』で鉄に変えてましたし、その後もなにかしようとしてましたね。僕がギーシュさんに教えた方法ですか。ですがあれでも多分無理ですよ」

 

 ロングビルの顔が強張っていた。

 

「……あの坊やは壁に穴開けていたじゃないか」

「穴は開けてません。少々削った程度です。理論上極めれば貫通することも可能かと思いますが、実際は無理でしょうね。あれだけ部分練金が上手いなら連続することで穴を空けることも不可能ではなかったかもしれませんが、一回行う事に衝撃でゴーレム本体が崩れていたでしょう。土製でしたし、踏ん張りがききません。なによりあの規模のゴーレム作成と練金を複数回行うのは、いくら貴女でも精神力が保たないのではありませんか?」

 

 しばしロングビルは透を睨み続け、俯くと、諦めたように溜め息をつく。

 

「じゃああんたは一体どうやる気でいるんだい。わざわざあたしを仲間にしてまでやるってことは、メイジが必要なんだろう?」

「企業秘密です」

「あ、あんたねえ……」

「いやあのな、透。まずこんなことはダメだと……」

「まだそんなことを言っているのですか。兄さん。僕らが彼女を城の衛士隊に引き渡したところで利は薄いのです。主人であるルイズさんやタバサになんらかの報奨が考えられますが、それだけでしょうね。後は居合わせたギーシュさんですか。実際ほとんど役に立たないまま気絶していたので置いてきてしまいましたが。彼は有名貴族なのでなんらかの報奨を得るでしょう。封建社会の貴族とその従者とは、そういうものなのですよ。ですよね? ミス・ロングビル」

「ああ。だろうね」

 

「だからやろうと思うのですよ。王都貴族様のお宝強奪を」

 

 才人は頭を抱えた。こんなに攻撃的な弟は久しぶりに見た。こういうときは確固たる意志を持って彼は攻めるため引いてはくれないのが常だった。つまり才人が何を言っても聞かないのだ。

 気絶したギーシュを放置して、すぐさま才人を連れてここまでやってきた透は、大盗賊土くれのフーケことミス・ロングビルを衛士に引き渡さないことを条件に協力を申し出た。フーケですら手をこまねいていたとある大貴族様の邸宅からお宝を全て盗み出して、山分けしましょう。と。

 

「いやほんとさ。捕まったら打ち首ものだろそれ。世話んなってる人達にも迷惑かけるし、碌なもんじゃないぞ」

「策は無数にあります。僕達が組めば盗めない物はありません」

 

 それに、とトールが続ける。

 

「ミス・ロングビルにはこの一件で足を洗ってもらい、以後捕まる可能性を低くしましょう。できれば偽装工作して死んだように見せかけたいところですが、それは折りをみてですね。あ、もちろん職を奪うわけにもいかないので、その後のお仕事についても斡旋させていただきますよ?」

 

 呆けたようにロングビルはトールを見て、慌てて口を閉じた。

 

「……あんた本当になにを考えてんだい? ここで話が纏まったとして、あたしが裏切らない保証はないじゃないか」

「ミス。貴女は裏切りませんよ。もし貴女が裏切り、僕達のどちらか片方を殺したとして、そうしたら貴女はどちらかに確実に復讐される。何の意味もなくその復讐で死んでもいいというのならその必要はありますが、今回の件で共犯者になれば貴女は僕達の弱みも握ることになる。そうなれば僕らも貴女を裏切りませんし、貴女も裏切る必要はなくなるでしょう。貴女はそこまで愚かではないはずだ。ゆえに裏切りませんよ」

 

 ロングビルはサイトやトールとは学院で彼らの身元登録と寝具等の用意をした際、一度会っていた。

 ルイズの使い魔兼護衛として登録されており、直接戦って実力を知っているサイトはともかくとして、ルイズの相談役兼タバサの使い魔でしかないトールに彼女を殺すことなどできるだろうかとも考えたが、あのときなぜかゴーレムの操作が出来なくなっていたことをロングビルは思いだした。そしてその間、トールがゴーレムに触れていたことも。

 トールが東方の賢者だという噂は聞いている。学院長が妙に気にしていたことも知っている。メイジでもない癖に魔法の扱いを心得ている節もある。その上やけに風竜が懐いており、使い魔でもないのに声一つで言う事を聞いている。

 ロングビルはこの少年がまだ隠しているなにかがあることを理解した。下手に引っ掻けば火傷では済まない相手だ、とも。

 

 なんにしても今この場を切り抜けなければ待っているのは死だけだ。ここに放置されるだけでも獣がうろつくこの森では朝日を拝めない可能性がある。彼女の杖は今、周囲を警戒している風竜が口にくわえていた。諦めるしかなかった。

 

「わかったよ。協力させてもらうよ。その代わり本当に仕事の斡旋、あるんだろうね? あたしは野良メイジで身よりはないし、今の仕事より稼げなかったら、またやらなきゃならないんだからね」

 

 こちらに召喚されたばかりのトールには確固たる地盤はないはずである。ルイズによるヴァリエールの加護は多少あるであろうが、ロングビルには身元を証せない理由があった。そんな相手を雇えるほどの権力を持っているとは到底思えない。普通に考えれば仕事の斡旋など出来そうにないはずなのだ。

 だが同時にこの少年なら、とも思えた。

 

 トールはロングビルの最後の言葉になにか思うところがあったのか、ふむと頷いてから答えた。

 

「ええ、もちろんです。結果に関してはミス・ロングビルのがんばり次第というのもありますが、まあまず大丈夫でしょう」

「あのな透。だから――」

 

 このままなし崩し的に決定してしまいそうな雰囲気にサイトが口を挟もうとするも、トールがそんなサイトに口出し無用と言葉を被せる。

 

「兄さん済みません。これは決定事項なんです。これほどのチャンスはまずそう巡ってきません。兄さんがごねればごねた分だけ面倒が増えます。僕は何があっても兄さんを信用できますが、ミス・ロングビルは違います。僕達が不仲であるという印象を与え、仲違いの結果不評を買う可能性を考えて裏切られるかもしれません。犯罪に手を染めるのが嫌なのはわかりますが、僕達には絶対にルイズさんには頼らない経済力が必要なんです。一定以上の資本さえあればいくらでも増やすことが僕らなら出来ます。そしてその資本も、この一回で揃うでしょう」

 

 才人は俯き、頭をがりがりとかいた。

 

「あー、あー、もう。頑固なヤツだなホントに。わかった、わかったよ。ただし一回ぽっきりだからな。これっきりだからな。こっからは真っ当に稼がないとダメだからな。後、ちゃんとここまでする理由を教えろ。終わってからでいいから」

 

 才人の返事に透は嬉しそうに笑う。

 才人は透の行動パターンをよく知っている。平時に見せる攻勢は大抵ブラフで、ここまで本気で攻めの姿勢をみせるのは追い詰められているときだけであった。

 

「ええ。心配してくれてありがとうございます。兄さん。兄さんがストッパーでいてくれるから僕は気兼ねなく行動できる」

「言ってろ。言うことなんざ聞かない癖に」

「はは。ではまず戻りましょうか。兄さんはミス・ロングビルのフードを剥いで抱えて下さい。逃げたフーケに人質に取られていた事にしましょう。ミスを救出するも、僕は負傷。フーケには逃げられたということで」

 

「は? 負傷って……おい、その腕!」

 

 見えるように掲げた透の腕が酷く腫れ上がっていた。暗がりでもわかるくらい色もおかしい。

 

「最低でもヒビが入っていると思います。さっさと戻りましょう。さすがに限界です」

「ああ! もう! お前ってヤツはホント!」

 

 意味をなさない言葉を叫びながら才人は言われた通りに作業をこなし、二人を抱えてシルフィードに飛び乗った。

 

 学院に着いたときには透は気を失っていた。

 



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第12話・睡眠

 

 タバサは困っていた。

 

 いつものように湯浴みから部屋へ戻ったのだが、使用人風呂に行ったはずのトオルがいつまで待っても帰ってこない。あんまり遅いので捜しに行こうと階下に下りれば、部屋から出て来たルイズと鉢合わせ、サイトも戻って来ていないという。

 どうしたことだろうと二人寮塔を出れば、なにやら本塔の方で明かりが焚かれており騒がしい。近づけば目に映る大量の土砂と、教師陣。そしてギーシュ・ド・グラモンの声。

 どうやら賊が学院内に侵入し、たまたま居合わせたヒラガ兄弟とギーシュが応戦。賊が作り上げたゴーレムは撃退できたものの、ギーシュはその途中で気絶して、起きたときにはヒラガ兄弟と賊の姿が見えなくなっていたという。

 風メイジとしての特性である超聴力でその話を聞き取ったタバサは、とっさに口笛を吹こうとした。だがそれより早く耳が求めていた羽音を拾い、その方向を見ると、予想通りシルフィードがこちらに飛んでくる。

 教師陣の誰かも気付いたのかタバサ達の方へとやってくると、シルフィードがタバサの前に止まった。降りてきたのはサイトと学院長付秘書のロングビルだ。ギーシュがサイトに抱きつかんばかりに駆け寄るが、サイトはひらりとそれを避けて、抱えていたトオルをタバサの足元に寝かせた。

 慌てふためくルイズとギーシュを抑えながら話を聞けば、かの大盗賊『土くれ』のフーケが学院に侵入。宝物庫を狙ったがこれをヒラガ兄弟とギーシュが撃退するも、たまたま近くにいたロングビルをフーケに人質にとられ逃げられてしまったという。二人はフーケを追い、なんとかロングビルの救出は叶ったが、結局フーケには逃げ切られ、トオルも怪我をしてしまった。

 そのためシルフィードを呼んでここまで戻って来たとのことだった。

 そしてトオルが気を失う前、彼はサイトに自分の治療をタバサに頼むよう言っていたらしい。

 

 タバサは困っていた。

 

 タバサが治すのはいい。他の誰かが行えばトオルの持つ特異な体質が知られる危険性があるからだ。

 トオルはその体質上、治癒の魔法が非常に効きにくい。以前鼻血を止めようとした際、たったそれだけのことなのに苦労した記憶がタバサにはあった。あのときはまだトオルのその体質もなにも知らず、他の水系統と比べてあまり治癒の魔法が得意ではないからだと思っていたが、原因はトオルが治癒のために体内に侵入した精霊も取り込み、本来の働きが出来なくなってしまうからであったことが今はわかっている。ならば取り込みを止めればいいとなるのだが、止めても精霊が入りにくくなるだけであり、結局治癒を満足にかけることは出来ない。逆に攻撃系の魔法も効きにくいかもと思うかもしれないが、ことは体内に限った話であり、体外で生み出されたエネルギーをどうこうすることはトオルには出来ない。元々精神力の関係で対象の体内に攻撃用の魔法を作用させることは通常では不可能といわれており、この点においてトオルの体質は欠点でしかなかった。

 

 だからタバサは困っていた。

 意識がないトオルは取り込みスイッチが中途半端に入った状態であり、精霊で周囲を囲み浮かせるレビテーションが上手く作用しない。かといって精霊を介さないコモン・マジックの念力では出力不足で浮かせられない。だからサイトに頼んでタバサ達の部屋まで運んでもらい、部屋に残ろうとするサイトを追い出すと、右手に持った杖を軽く振りディテクト・マジックで怪我の状態を確認した。

 左腕は中指と小指の筋を痛めているだけのようだったが、右腕が少々酷い。橈骨が大きくヒビ割れており、人差し指と中指にもヒビが入っている。完全に折れていないのが不幸中の幸いかもしれないが、ヒビだけでもトオルの体質やタバサの治癒の腕前から考えると十分に難しい問題であった。

 だがタバサはそんなトオルを診て、ヒビだけで気絶して情けない。と思っていた。タバサならその程度では気を失ったりはしない。するとしても目的を完全にこなしてからであろう。敵を倒す前に自分が倒れるのはタバサの中の戦士としての部分が許さないからだ。

 だがタバサはフーケとヒラガ兄弟の間で行われたやりとりを知らない。もしあの場面を見ていればまたその評価は変わっていたかもしれないが、サイトやロングビルは内容が内容なのでタバサにも教える気はなかった。

 知らないまま、タバサはトオルの容態を確認していく。単純骨折だけで骨の転位はない。腕を固定して安静にしておけば放置していても治るには治るだろう。だがそれだけでは後遺症が残る可能性があった。治るのにも時間がかかる。

 

 できれば魔法ですぐに完全な状態に治したいとタバサは考えていた。

 我知らずにタバサはいつも繋いでいたトオルの右手をじっと見つめる。

 トオルはまだ一つしかルイズから水の秘薬を受け取っていない。貰っているそれも病症用の秘薬であり、怪我や骨折に効果が高いタイプの物ではなかった。多少なら効果はあるが、気休め程度の効果しか望めないであろう。

 ルイズから他の秘薬を工面してもらえるよう頼むべきだろうかとも考えたが、タバサはそれを否定した。まだ試していなかったが、水の秘薬は実質的にトオルには効果がないだろうと思われたからだ。トオルがハルケギニアに来て体調が良くなったのは、水の秘薬や治癒魔法の効果ではない。精霊を取り込んだからだと思われるからだ。トオルは世界に満ちる精霊と秘薬の中に濃縮してあった水の精霊、そして水メイジの教師が行使した治癒の際の精霊を取り込み、復調したのだろうと二人は予想していた。

 これが正しければ既存の効果は望めないであろう。精霊を取り込んだことでもしかしたら多少の効果は得られるかもしれないが、それも現在進行形で行われている通常の取り込みでも同じ事のはずだ。

 

 そこまで考えてタバサは思いついた。

 

(……体内のを使う)

 

 外部の精霊を治癒の魔法で行使し体内を癒すのではなく、体内にすでに取り込まれている精霊を使えばどうだろうか、と。

 さっそくタバサはトオルに触れながら再度ディテクト・マジックを行った。その際に彼を杖の代わりに魔法を行使するときと同じように精神力を通し、トオルの全身に隈無くタバサの精神力を巡らせる。より詳細な怪我の状態と共に感じるものがある。高密度に圧縮された柔らかくも激しいマグマのような『流れ』だ。それが取り込まれた精霊なのだとタバサは実感した。

 トオルの体質であり能力である精霊の知覚は寝ていても活動している。視覚に近い形で発動しているため連動しているように感じてしまいがちであるが、実際は独立した感覚であり、聴覚や嗅覚のように寝ていていても、まぶたを閉じていても知覚自体はしていた。だからこそタバサも意識がないトオルからこの感覚を共有できていた。

 そしてトオルの中にこのようなかたちで精霊が留まっていることは、以前彼を媒体に魔法を行使したのをきっかけに知っていた。蓄積させてそれを少量ずつ活動のために消費している気がする。とはトオルの言葉である。なんの活動なのかはよくわからないようであったが、おそらくトオルには一般的な人間として何かしらの欠陥があり、それを補う、もしくは消費を抑えるための生命維持活動が異常睡眠であり、現在はそれを精霊で補完している状態であると考えていた。

 ただ不明な点もある。タバサが感覚共有を行い精神力を流すことによって彼の中の精霊を知覚できる理由がわからないのだ。トオル自身は自分の中の精霊の流れがよくわからないらしく、なんとなくは知覚しているらしいのだが、自分の血の流れる音が知覚しにくいような、そんな感じだとのことだった。それに則ればタバサも感覚共有ではトオルの内部のことはわかりにくいはずであったが、なぜか知覚することができていた。

 

 タバサは十分に精神力を行き渡らせると、トオルの内部を満たしたその精神力を伝って、精霊の流れを操作し始めた。すると思っていた以上に簡単に操作することができた。むしろ操作するというよりも、そう考えただけで精霊がタバサの願い通りに流れていった気がした。

 いや、もっというのならば、元から治癒のための流れになっているような感じすらした。

 まるで後は誰かが精神力を流すのを待っていたような。

 タバサがそう思うほどであった。

 

(……でも、これなら……?)

 

 そう考え水系統魔法の治癒(ヒーリング)のスペルを唱えようとしたが、タバサは違和感を覚えて詠唱を止めた。トオルの体内の精霊が嫌がっている、そんな気がしたのだ。

 そして、こうしたらいいよ、というような概念のようなものを感じた。

 首を捻り、感じたとおりに精神力を流れに沿って精霊に与えていく。すぐに飽和に達したタバサの精神力に圧されて流れがさらに活発になる。

 それから彼女はいつも握っていた右手やその先にいるトオルの姿を思い浮かべ、ただ願った。

 

(癒して)

 

 変化は劇的であった。

 タバサは風を主体としたメイジであり、水も得意分野ではあったがその治癒の効果はドットクラスでしかない。もともと相当高価な水の秘薬を併用でもしない限り、全精神力を注いだとしても骨に入ったヒビをすぐさま治せるほどの治癒魔法は使えないのだ。

 だがタバサの目の前でトオルの腕の腫れは見る間に引いていき、色も正常に戻ってしまった。他の擦過傷などもかさぶたがぽろぽろと落ちて、幻のように消えている。

 わずか数秒の出来事であった。これほど見事な治癒はスクウェアクラスでもそうそうできる者はいないのではなかろうか。

 

 自分でやったことだからこそしばし驚きで思考を停止させてしまったタバサは、再起動するとまたディテクト・マジックを行った。やはり見たとおりにトオルの怪我は完治している。それどころか全身に溜まっていた疲労も癒えているようであった。他に変わったことといえばトオルの体内の水精霊が若干減っている気がしたが、本当にわずかな差であったので確証するには至らないと思い直した。

 

 思い直しながら先ほど自分が行使した魔法をタバサは考えた。

 今までトオルの協力のもと行っていた魔法の練習は確かに特殊なものであった。だがあくまであれは系統魔法であり、本質的には四系統魔法の一種を行使していたに過ぎない。だが先ほどのはどうだろうか。スペルの詠唱を必要としない、非常に強力な魔法。それも精霊を知覚してその意志を汲むようなかたちでの魔法行使であった。その様相にタバサは覚えがあった。もしかしたら使えるようになるかもしれないとトオルも以前言っていたが、本当にできるようになるかタバサは半信半疑であった。第一その魔法とて以前見たものは口語での詠唱か、シルフィードの羽ばたきのような身振り手振りによるなんらかの精霊干渉があったはずなのだ。

 

 だが先ほどのタバサは願っただけだ。

 精神力を与え、願っただけでブリミル教にとって異端中の異端の魔法をタバサは行使してしまった。

 

(……精霊魔法の治癒)

 

 おそらくなにかあればタバサにしか傷を癒せないであろうトオルの右手を、彼女は無意識の内に握る。

 人の外敵たる者達が扱い禁忌とされる精霊魔法に対する恐怖や忌避感はない。そんなもの、タバサはとうに捨て去っている。

 もともとトオルの能力は異端なのだ。それがさらに異端になったところで知られなければ問題は無い。

 

 ただ先ほどの治癒が、タバサに今まで以上の確かな希望の光となってその目に映った。それだけのことであった。

 

(……母様)

 

 タバサは己が癒したい存在を思い浮かべた。

 そして彼女の口から小さな歌声が漏れでる。それは彼女の母が寝るのをぐずったときに聞かせてくれた子守唄であった。

 揺れる瞳を、タバサはそっとまぶたで隠してトオルの手を握り続けた。

 

 

 

 

 平賀透は困っていた。

 

 夜中に起きてみたらタバサが腕にしがみついて同じベッドに寝ていたのだ。

 透の分のベッドがなかったときならわかるが、今は二人分の寝具がこの部屋に用意されている。一緒に寝る理由などないはずであった。

 

 どうしてこうなったのかと、透は考えた。

 ギーシュ。フーケ。骨折。兄に頼んだタバサへの治療依頼。それらが繋がり、掴まれている右腕が若干麻痺しているものの痛みはないことから治療が成功したことを理解する。

 

 普段であればそこまで理解して、タバサに抱きつかれている事態に対して透はなんの感慨も湧かないよう、さっさと二度寝を決め込んでいたところだろう。

 だがタバサの目元に残る涙の跡と、透やキュルケでもなければ気付かないほどわずかに緩んだ口元に、なぜか彼は多大な心的ダメージを受けていた。

 そのせいかどうにも眠れそうにない。

 最近は考え事ややらなければいけないことが多く、寝てていいのであればいくらでも眠っていられそうな気がしていたのだが、なんだか体も睡眠を欲している感じがしないし、そのくせして思考も上手くまとまらない。

 

 結局その晩透はずっと困り続け、翌朝空が白み始めたころにようやくうとうとし出すのだが、タバサが起きてしまいそれ以上眠れることはなかった。

 

 



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第13話・舞踏会

「衛兵の報告は?」

 

「巨大なゴーレムは見たそうですが、現場に向かっている途中でゴーレムが崩れてしまい、実際の戦闘の状況は確認出来なかったようですな。後に見たのは飛び去る風竜だけとのことです」

 

 コルベールの報告に、学院長のオスマンが真白い髭をさすって頷く。

 

 翌日の早朝。

 トリステイン魔法学院本塔前には学院教師と一部の生徒、そしてその使い魔が集まってきていた。珍しい時間帯に集まっている彼らに、使用人寮から仕事に向かおうとしていたメイド達がちらちらと視線を向けていた。

 

「で、犯行の現場を見ていたのは?」

「わたくしと、この三人ですわ」

 

 ロングビルがさっと進み出て、後ろに控えていた三人を紹介する。

 ギーシュにサイトにトールの三人である。サイトとトールの後ろにはそれぞれルイズとタバサが控えていた。

 

「ふむ……、君たちか」

 

 オスマンは興味深そうにサイト達を見つめた。この老人は少し前から度々目の前の少年達を『遠見』の魔法がかかった鏡で覗いていた。

 数日前、戦闘に最も向いた系統であるされる風のラインクラスを正々堂々降し、その戦いにて見事ドットクラスからラインクラスへと成長してみせた土メイジのギーシュ・ド・グラモン。

 コルベールの報告によって伝説の使い魔ガンダールヴではないかと睨んでいる遠い異国の武人、サイト・ヒラガ。

 魔法を使えない身でありながらギーシュやルイズに新たな魔法の使い道を教導するサイトの弟、トール・ヒラガ。

 

 ギーシュはトリステインの名門貴族。そしてヒラガ兄弟は平民でありながらもミス・ヴァリエールとミス・タバサの使い魔であり学院の準客員という、特殊な待遇だ。護衛と相談役の地位は、先日ヴァリエール公爵家から正式に手紙が送られてきたことによって確固たるものになっていた。どうやらルイズがサイトの強さやトールに魔法学で習ったことを家に伝えたらしい。それに伴い、学院も正式な待遇を決めることにしたのだ。それが準客員というかたちだった。それにトリステイン最大貴族家系であるヴァリエール公爵家のみならず、タバサの正体の件もある。学院長であるオスマンは、もちろんタバサの本当の名前を知っていた。

 

 学院における最高権力者のぶしつけな視線にギーシュはかしこまり、サイトは訝しみ、トールは眠そうに目をしばしばさせていた。

 

「詳しく説明したまえ」

 

 すでに話は聞いていたが、オスマンは彼らからの説明を求めた。

 ギーシュが進み出る。

 

「突然大きなゴーレムが現れて、踏みつぶされそうになったんです。ぼく達はそれをなんとか避けたのですが、その間にもゴーレムは宝物庫のあたりの壁を殴っていました。多分、宝物庫の中身を狙っていたんだと思います。それからすぐにトールがゴーレムの肩に乗っていた黒いメイジを見つけて、サイトがゴーレムをよじ登ってメイジの杖を落としました。ですがサイトがゴーレムから落ちてしまい、間一髪ミス・タバサの使い魔の風竜に助けられ、ぼくは落ちてきたサイトを受けとめました。……すみません。情けないことに力及ばず、ぼくはそのときに気を失ってしまいました」

 

「それで?」

 

 次にサイトが進み出る。

 

「落ちた俺はギーシュに助けてもらったんですが、その間にメイジが近くにいたミス・ロングビルを人質にして逃げたんです。杖を二本持っていたのか、もしかしたら俺が落としたのは偽物だったのかもしれません。それで俺と透とでシルフィードに乗ってフーケを追ったのですが、ミス・ロングビルを助ける際に返り討ちにあい、追撃を諦めました」

 

「返り討ちとな?」

 

 最後にトールが進み出る。

 

「もう治りましたが、僕が怪我を負ったのです。ただその際、メイジは自分のことをフーケだと言っていました。暗くて顔は見えませんでしたが、男の声でした」

 

「ゴーレムが出たとき、ミス・ロングビルはどうしておったのじゃ?」

「怖くて、木の陰に隠れていたのです。そこをフーケに……」

 

 そう言い、ロングビルは申し訳なさそうに俯いてしまった。

 

「他に手掛かりは?」

 

 三人は黙って首を横に振った。

 ロングビルは何も出来なかったどころか足を引っ張ってしまったことを恥じているのか、身をちぢこませて「申し訳ありません」と謝罪の言葉を口にした。

 

「これ以上の手掛かりはナシというわけか……」

 

 それからオスマンは、気付いたようにコルベールに尋ねた。

 

「ときに、昨晩の当直はどうしていたのかね?」

 

 その言葉に、近くにいたミセス・シュヴルーズが震え上がる。貴族子弟にものを教えるほど優秀なメイジである教師陣は、夜間交代制で門の詰め所に待機する当直の仕事も請けおっている。だがまさか魔法学院を襲う盗賊がいるなどと夢にも思わなかった彼女は当直をサボり、自室でぐっすり眠っていたのだ。

 ゆえに事が発覚し夜中に叩き起こされた彼女の全身を覆うローブの下は、寝間着であった。しかも帽子はいつも被っているものではなく、ナイトキャップである。

 

「も、申し訳ありません……。わたくしが当直でした……」

 

 告白したミセス・シュヴルーズに、他の教師から叱責の言葉が降りかかる。それは飛び火して、何も出来なかったロングビルにも向かった。

 とうとう自責の念にかられた彼女達はボロボロと泣き出し、よよよとその場に崩れ落ちて身を寄せ合った。

 

「これこれ。女性を苛めるものではない。どうせこの中にまともに当直をしていた者などおらぬ事ぐらい、私も知っておる」

 

 髭をさすりながらオスマンにそう言われると、教師達は顔を見合わせて恥ずかしそうに面を伏せてしまった。妙にお堅いところがあるコルベールですら、研究に夢中になると当直をちょくちょくサボっていたのだ。

 

「この中の誰もが……もちろん私を含めてじゃが……、メイジの巣窟であるここ魔法学院が賊に襲われるなど思っていなかった。好きこのんで虎穴に入りたがる輩はおらぬからな。しかし、それは間違いじゃった。全員が油断していたのじゃ。賊に侵入された責任は我ら全員にあると言えよう」

 

 オスマンは、ロングビルとシュヴルーズの二人を見つめた。

 

「それに、ミセス・シュヴルーズもミス・ロングビルも、メイジじゃが軍務経験はおろか戦闘経験もない女性じゃ。結局なにも盗まれていないのだから、これ以上責める必要はなかろう」

 

 シュヴルーズとロングビルはオスマンの慈悲に感激の声をあげて抱きついた。

 オスマンはそんな二人をあやすように背中をぽんぽんと叩いていたが、いつしか手の平は下がっていってお尻を撫でている。

 この老メイジ、実は普段から秘書のロングビルにこのようなセクハラをしているスケベ爺であった。ロングビルを秘書として雇った理由も、街の酒場で給仕をしていた彼女のお尻を撫でたのに怒らなかったからだという、筋金入りであった。

 ロングビルがフーケであることを鑑みれば、賊侵入の責任は確実にこのエロジジイのものであった。

 撫でられている間、二人はなにも言わなかった。

 オスマンは一頻り触覚を楽しんだあと、咳払いをして二人を解放した。周囲の視線に耐えられなくなったともいえた。

 

「まあよい。無事賊は退けられたのじゃ。しかも相手がフーケであったならば、初めて退治できたことになるはずじゃ。三人には私個人から何かしらの褒美をとらせよう。ただし今回の件は無闇矢鱈に人に話さぬように。無用な混乱を招きかねん」

 

 オスマンは城への報告をぼかして行うつもりでいた。

 フーケ撃退は称賛されるべき出来事であったが、退けただけで逃げられてしまってはフーケであったという証拠がないことになる。王都に居を構える宮廷貴族にはフーケにしてやられた者が多いはずであり、下手に騒げばやっかみを受けかねなかったのだ。宮廷貴族は無駄にプライドが高い者が多く、自分がやられたフーケを学生一人と平民二人で退けたあっては気にくわない者も出てくるだろうと考えてのことだった。

 

(これがミスタ・グラモン一人で退けていれば、話が早かったのじゃがな……)

 

 グラモンは軍部との繋がりが深い。そちらによって彼一人が英雄視されれば宮廷貴族との折り合いも逆に付きやすいのだ。だが話を聞けば実質倒したのは平民のサイトであり、ギーシュはあっさりやられてしまっている。このまま報告しては面白くない者が湧いて出て来るだろう。

 それに捕まえていたとしても、ギーシュはともかくヒラガ兄弟へ王宮から直接の報奨はなかっただろう。あっても主人であるルイズやタバサへのものだけであったはずだ。如何に学院の客員であろうと、貴族か正式な兵士でもない限り王宮はその身分を保障しない。それ故の仕方がない結果であった。もっといえば、オスマンが『ガンダールヴ』かもしれないサイトを王宮に紹介したくなかったというのもあった。

 故にただ、フーケと思われる賊に奇襲を受けるも学院の戦力で撃退、と報告するのだ。詳細な人員などは明かさず、その際にギーシュが頑張ったとでも添えておけば、グラモンに話がいっても問題はおこるまいという考えだ。

 

 だがなんにせよ、ここの教師や衛兵よりも早く三人は行動を起こし結果を出した。証言の少なさから狂言である可能性も最初はあったが、ロングビルも見ている。実際に衛兵も巨大ゴーレムを確認しているとあれば、嘘ということもないだろう。だからオスマンは三人への報奨は自身のポケットから出すことにしたのだ。

 

「詳しい話はさておき、今日の夜は『フリッグの舞踏会』じゃ。このとおり、宝物庫は無事じゃし、予定どおり執り行う。ただし教師陣は当直の組み直しじゃ。今晩から門前当直は二人ずつとする」

 

 オスマンがぽんぽんと手を打ち、それで昨夜のことに関してはとりあえずの終了となったのだった。

 

 

 

 

「精神力の方はまだ大丈夫ですか? 帰りに元通りにする必要があるので、絶対に無理はしないで下さいね」

「――そう何度も言わなくったって、わかってるよ。でもまだ余裕があるくらいなんだ」

「そうですか。それは重畳。予想してはいましたが、それ以上に上手くいっているようでよかったです。でも気は抜かないで下さいね」

 

 サイトの持つカンテラの僅かな光しかない暗闇の中、ロングビルがトールに念を押されて頷く。

 それを横目にしながらトールはサイトからカンテラを預かり、火を取り出すと、持ってきていた他二つのカンテラにも明かりを移した。その一つをロングビルへと渡す。

 

 三人同時に掲げたカンテラに、広い空間の一画が照らし出された。

 目深にフードを被った三人の目に黄金が煌めく。

 それは先行するトールの身長ほどまで積まれた、壁一面の金貨の山だった。

 

「……驚いたね、こりゃ。貯め込んでいるとは思っていたけど、想像以上だよ」

「これ全部金貨かよ……」

 

 ここは王都トリスタニアが貴族街に建つ、一等上等な屋敷の足下。ロングビルがその警備の厳しさから手出しできなかったとある大貴族宅の地下金庫だ。

 

 日が落ちて『フリッグの舞踏会』の時間も近くなったところで、三人はシルフィードの背に乗り学園を抜け出し、王都まで急ぎ駆けて来ていた。

 

「ロングビルさんは金貨の真贋や仕掛けがないか確認してて下さい。すぐに使える軍資金にしますので、問題ないようでしたら少し貰っていきましょう。メインは予定通り少し先にある魔法具や宝石細工ですので、持ちすぎないようにして下さいね。兄さんは僕と一緒に」

「ああ、わかった」

 

 ヒラガ兄弟を見送りつつもロングビルは言われた通り金貨を一つつまみ、懐にしまっていた別の金貨と重さを比べたり叩いたりしてその真贋をざっと調べた。

 本物と判断した彼女は手持ちの麻袋に詰められるだけ詰めて腰に下げる。

 

 それからもう一度全体を見渡し、先ほど三人で入って来た、彼女が開けた穴に目をやった。

 

 地下室にぽっかりと空いた穴。

 

 もちろんその先は大質量を誇る土壁と、遠く地上に続くトンネルとなっている。

 彼女の意識がその穴と、腰に下げた袋に向いた。

 腰にはまだ空いた袋がある。だがその内の一つだけから感じる重さはずしりと重く、一度の仕事で得る報酬としてはすでに悪くない額になっているだろう。さらに残りにも同様に金貨を詰めてしまえば申し分ない。

 逃げようと思えば、今すぐにここから逃げることが出来た。

 トライアングルの土系統メイジである彼女ならばここを出て練金の魔法で壁を再構成、ヒラガ兄弟を閉じ込めたままの状態で逃げることだって不可能ではない。

 事実帰りはそうする予定となっている。三人一緒に出て、だが。

 そして同様の手段でロングビルがここに彼らを残していけば二人とも餓死するか、見つかり賊として捕まってそのまま刑に処されることになるだろう。

 

(……まったく。本当にどうなっているんだい)

 

 だが彼女はここから単独で逃げようとは微塵も思っていなかった。

 単純に、もし二人が見つかってしまえば彼女の面が割れてしまうというのもある。

 しかしなによりも、本当にここまで来るのに自分が必要だったのかが疑わしかったからだ。

 そもそもにしてここは地上から十メイルは地下で、その上この地下室を覆っていたぶ厚い壁にかけられていた固定化の魔法は学院の宝物庫と同等レベル、つまり彼女よりも上位のスクウェアクラスのものだった。ここまで潜るだけでも土の処理などの問題から面倒が多く、ましてやスクウェアがかけた固定化の壁を突き破って侵入するとなると彼女一人では確実に不可能な作業だった。

 最低人数で想定すると、貴族街で屋敷の近くに穴を掘るのはほぼ無理なので、遠くから掘り進めるために土メイジがトライアングル一名。開けた穴を崩れないようにするため、練金と固定化をかけるトライアングル一名。壁の固定化を破るためにスクウェアが一名。運搬はそれぞれがそれぞれで請け負う。それが彼女の目算だった。

 長期の作業となればスクウェア一人でも事足りるが、こういった地下施設は定期的に土メイジがその大地への感度の高さを利用して調査しているため、時間をかけるほど見つかる可能性が高くなり難しい。さらに地下に施設を置く貴族は自身か身内が土メイジであることが多いのだ。時間をかけてやるのはほぼ不可能といえた。

 それをトライアングル一名に他平民二名という、実質一人でやってしまっている。しかもロングビルの計算は行きだけを考えたもので、帰りは掘った穴を放置することが前提だ。対してトールは壁も穴も埋めてしまうことまで想定した、発覚を遅らせ犯人及び犯行ルートの特定まで難しくさせるものだ。

 

(あのトールって小僧、何者なんだい。耳は尖ってないけど、エルフだったりするのかい)

 

 穴掘りは平民街にある空き家からのスタートだった。ただトールは方角を気にしながら、掘るべき地に手を数秒あてていただけ。そしてその場所をロングビルに魔法で掘らせ、掘った端から穴を固めさせていった。掘っては手をあてまた掘る。それだけの作業だ。だが何故か、不思議と想定していたよりも非常に少ない精神力で簡単に掘り進むことができた。壁面を固めるのも同様だった。気付けば大した時間もかけず、目的地まで精神力の半分も使わずに掘り進むことが出来てしまっていたほどだ。

 

(あの手をあてていたのに意味があるんだろうけど、さっぱりわからないね。本当にあの子はメイジじゃないのかい? 穴掘りだけじゃない。あいつが触った後は、スクウェアクラスの固定化も初めからなかったみたいにあっさり壁に穴が空いた。こんな技聞いたこともないけど、高位のエルフじゃないのかい?)

 

 考えてもわからないことだらけだ。

 だがなんにせよ、確実なことがあった。

 

(今敵に回すのは愚策だね)

 

 折角今は味方でいてくれているのだ。わざわざ危険を冒す必要はないし、話が本当であればこの仕事からも抜け出せるようになる。

 彼女とて、この仕事がいつまでも続けられるようなものではないことぐらい最初から理解していた。いつかは捕まって、そのまま縛り首となることも覚悟の上だった。

 それでも稼がねばならない事情が彼女にはあるのだ。

 

(新しい仕事がどんなだか知らないけど、稼ぎが悪かったらまた盗賊業にもどりゃいいさ。それまで当分の間は今日の稼ぎで問題ないだろうしね)

 

 上手くいくようだったら、めっけもんだねぇ。

 

 彼女のその呟きは、少々の悲哀と自嘲を伴って闇に解けて消えた。

 

 そして、その闇の向こうからお声がかかる。

 

「おーい、ミス・ロングビル。ちょっとここに練金で穴開けてくれませんかー?」

「今行くよ。少し待ってな」

 

 彼女はカンテラを片手に、暗闇に沈む黄金の向こう側へと歩を進めたのだった。

 

 

 

 

「なによ。せっかくわたしが誘ったんだから、サイトも参加したらいいじゃない。なにが学生でも給仕でもない平民が参加する訳にはいかないよ。わたしの護衛なら側にいなさいよ。――なにが、なにが楽しんでこい、だってのよ。フーケ退けたのだって、ほとんどあなたの功績だってギーシュから聞いてるのよ。せっかく頑張ったんだから、あなたも参加したらよかったじゃない……」

 

 にぎわうフリッグの舞踏会会場。その一角。楽隊が奏でる調べを背景に黒髪黒目のメイドの少女シエスタが、そうですよね、と頷いた。

 肯定の先はろれつが回らなくなってきているラ・ヴァリエールが三女ルイズ・フランソワーズだ。

 そしてシエスタの首から上はルイズに同意を示しつつ、手足は大量の料理を固形物流動物肉料理野菜料理問わず頬張り続けるタバサへの配膳と給仕をこなしている。

 またルイズのグラスが空いた。すぐさま彼女は準備されていた盆からワインの注がれた新たなグラスと交換して口を付ける。

 

 フリッグの舞踏会でのシエスタの仕事はホールでの配膳と給仕、そして汚れが出た際の掃除と貴族の補佐であった。

 そしてシエスタは舞踏会開始と共に壁の花となったこの二人の専属のようなかたちで使い回されている。

 他のテーブルや貴族の補佐に回ろうとすると、ルイズが愚痴を聞け酒が足りないと引き留め、タバサはハシバミ草の料理をもっとと言葉少なに訴えるのだ。さらにこのテーブルにはちょくちょくとキュルケやギーシュがやってくる。二人ともそれぞれ多くの異性を引き連れてくるものだからその都度ワインも料理も一気になくなる。なんとか隙を作り補充をするのだが、このテーブル一つだけでメイド一人がてんてこ舞いな状況であった。

 

「聞いているのシエスタ。サイトよ。あのバカはなんだってわたしを軽く扱うのかしら。こんなによくしているのに、なんでかしら。もっと敬ってもいいと思うの」

「ミス・ヴァリエール、飲み過ぎですわ」

「これっぽちじゃ、喉を潤すこともできないわ。それよりもサイトよ」

「サイトさんはミス・ヴァリエールをとても大切にされてますわ。ええ、それはとっても」

「そんなわけないじゃない。トールがタバサにするみたいに、わたしは大切にされたことなんかないわ」

 

 シエスタは終始マイナスな思考のルイズの様子に、こっそりと溜め息をついた。すでに彼女にとってこのようなルイズの姿は珍しいものではなくなっていたからだ。

 シエスタから見て、ルイズの使い魔で護衛のサイトはそこいらの貴族よりもずっと紳士的で、優しくて、強い。使用人宿舎がある広場の隅で度々行われるギーシュやタバサ、学院の衛兵達との手合わせは、メイド達の間ではよく知られていることだ。もちろん向こうで女生徒に囲まれているギーシュが平民のトールを守るためメイドからすこぶる嫌われているヴィリエを打ち破ったことも知られており、だからそんなギーシュよりも強くて弟のトールを大切にしているサイトであれば同じように救っていたであろうと、使用人のみんなが噂している。

 それだけではない。彼は言葉遣いがなっていないのだが、それがまたいい。彼の場合はそれが良い意味で作用している。自然体で誰に対しても偉ぶらないのだ。普通であれば自分の強さや特技、なんらかの手柄を自慢するものだ。だがシエスタが話したサイトは自分から語ることはなく、褒められると恥ずかしそうに頬を染める。平民なのにすごいといえば、まだまだ大したことはないと謙遜する。乾いた洗濯物を持っていくとありがとうと笑ってくれる。料理をおいしいおいしいと言って食べてくれる。その洗濯物や食後の食器洗いを手伝ってくれる。

 ちゃんと目の前に立つ人物を見ている感じがするのだ。

 ルイズの側にはそんなステキな男性がいて、しかも端から見ているととても大切にされている。

 それなのにルイズは度々このような愚痴を語るときがあるのだ。聞いているシエスタはなんだか惚気られているみたいで、溜め息もつきたくなるというものである。

 

 それに確かにタバサとトールのような感じではないが、シエスタの目にはタバサとトールのそれよりもルイズとサイトの二人の方がなんだか近しい気がしていたし、好ましい関係に映っていた。なぜだかはわからない。ただなんとなく、シエスタはいいなあと思っていた。思いながら気付くとサイトの姿を追うようになっていた。ただ今はここにその姿がないので、脳裏に想い描くだけであったが。

 

(まあ、きっとわたしがよくミス・ヴァリエールにお呼ばれしているからね。サイトさんとお話する機会は多いから、どうしたって一緒にいる時間の多い方との方が、馴染むのが早いはずだもの)

 

 サイトとトールが学院に来た翌日。さっそくルイズがサイト達を帰すための手掛かりを探していて、彼らと同じ珍しい黒髪黒目のシエスタに興味を持ったのが彼女達の親交のきっかけだ。初めて呼びたてられたその日はギーシュの浮気制裁事件で白紙になってしまっていたが、それからルイズとタバサにヒラガ兄弟、そしてシエスタの五人で彼女の容姿に関してや出身地、親族に関する質問がされていた。

 それからというもの、初期に厨房で彼ら兄弟に食事の用意をしていたことや、ルイズが名前を憶えたことで話しかけやすく思ったのか彼女によく用事を頼まれるようになり、深夜の晩酌に付きあわされるなどして今に至っていた。

 

 なんとかシエスタがルイズの愚痴とタバサの胃をなだめすかしていると、ギーシュとキュルケの二人が揃ってやってきた。二人とも踊りの相手を終えてきたのか、取り巻きの数は先ほどまでよりは少なくなっていた。

 

「君たちは踊らないのかい?」

 

 ヴィリエの件に加え昨夜のことがどうやら湾曲してどこからか漏れたらしく、フーケだとは知られていないが賊退治をしたと話題になり、去年よりも明らかに多くの女性に囲まれたギーシュが不用意な発言をする。

 学院長に一応であるが止められていて詳細を説明できないため、尾びれ背びれがついたままで肯定も否定もしていないがゆえのギーシュの現状であった。

 

 このギーシュだが、魔法修行時にトールやサイトから女性にかける言葉の語彙が貧弱とからかわれており、それをきっかけにメイドから借りた恋愛小説をこっそり読んで勉強をするようになっていた。そして早くもそのことが功を奏し始めている。以前であれば声かけと同時に毎度お馴染み薔薇がうんたらかんたらしか言わなかったところを、女性にあわせてちゃんと褒めることが出来るようになったのである。そのため初見で終わってばかりいた関係が少々長続きするようになっていた。現在引きと溜めを無自覚習得中である。後ろのモンモランシーやケティにとってはたまったものではなかったが。

 

「……踊らないわ」

 

 先ほどまでシエスタに延々と愚痴っていたルイズが、一言でギーシュに返答した。そうしてグラスの中身を一息に煽る。

 今度はキュルケが黙々と料理と格闘するタバサを見る。

 

「踊らないの?」

 

 青髪の少女は親友を見ることもなく、こくりと頷くだけだ。

 返答をもらった二人が周囲を見回し、終わりに側に控えていたシエスタに視線をやる。

 困惑した黒髪のメイドは首を横に振った。

 ルイズにもタバサにも、この席についてからキュルケやギーシュ以外の誰一人として声をかける者はいなかった。二人とも相当な綺麗どころであるにも関わらずだ。

 

 理由は複数ある。

 まず二人共に体型が細く、キュルケのような女性的な肉感に欠けていた。特に一四二サントしかない体を黒のパーティードレスで包んだタバサはその点において四つも五つも下の子どもに見えてしまっていて、どうしても同年代の男子には誘いがたいものがあった。そのうえ気を許した者以外にはとことん無反応。親友であるキュルケに対してですら先ほどの見向きもしないまま頷いただけという結果だったのだ。そのような相手に声をかけられる酔狂な男子はいなかったということだ。

 ルイズの方は胸元の開いた白のパーティードレスがよく似合っていて、飾りバレッタでアップにした髪も目を引いた。いつもは制服のせいで目立たないが、着飾ったときにわかる小柄なりのスタイルの良さは本物であった。だがほとんどの者にとっては『ゼロ』は普段からバカにしていた相手であったので、今更声をかけられるかというとそうはいかない。最初こそ声をかける猛者もいたがルイズはその最初から不機嫌を丸出しの様子であった。そのため近づいても声をかける前に退散。もしくはかけて玉砕。テーブルについてグラスを握ってから増したあからさまな近寄るなオーラに、免疫がある者かそれに付属してきた者ぐらいしか寄ることができないほどであった。

 

 二人を見て、キュルケがはっはーんと訳知り顔で近くにあったグラスを手にとって一口含む。口内で転がして香りを楽しんでから飲み込み、小さく呟いた。こんなんじゃ燃えないわ、と。

 

「ねえギーシュ。最近一番かっこいい男の子っていったら、誰かしら」

「それはもちろん、今その娘の心の中にいる男子さ」

「あら。てっきり貴方だったら、もちろんそれはぼくさ、って言うと思ってたのに。多少は言えるようになったじゃない」

「教えてもらえって言ったのは君だろう?」

「へえ? じゃあ今のはどっちから教えてもらったセリフ?」

「ぼくのオリジナルさ」

「本当に言うようになったのね。――あの娘達のパートナー探し、手伝っていただけるかしら?」

「是非もなく。見つけたら、引きずってでも連れてこようじゃないか」

 

 取り巻きを残して、語り合いながら二人は会場を後にする。

 シエスタは二人が何をするつもりなのか、どうするつもりなのかを悟って、わあっ、かっこいいなあ、と思っていた。

 なぜかちょっともやっとする気がしたが、彼女は素直に感激していた。

 

 そんな風に一頻り感動していた彼女の目は、しばらくしてから正面のバルコニーで動く物体を捉えた。あれ? と思っている内に灰色のそれは一気に大きくなって、シエスタ達のテーブルに近づいてきた。

 

「――わっ!」

 

 シエスタは驚いて片付けようとしてたグラスを落としかけるも、なんとか持ちこたえる。

 灰色のそれは一羽の伝書フクロウであった。それがタバサの肩に留まり、青髪の少女はその足から書簡を取り上げるとささっと読んで、フクロウが入って来たバルコニーへ向かう。その視線は先ほどまでとは違う固さを宿していた。

 そんなタバサが口笛を吹こうとするより早く、大きな羽音をたてて風竜がやってきた。

 

 その風竜の背から影が一つバルコニーへ飛び降りると、今度は風竜に乗っていたもう一つの影から手が差し伸べられた。タバサはその手の主と数言言葉を交わし頷くと、手を掴んで飛び乗る。そして風竜の上でタバサと影がしっかり手を繋ぎ直すと、大きな風竜の影は夜の闇へと消えていった。

 

 降りて見送った方の影が、バルコニーの闇からホールの光の中へと入ってくる。その黒髪黒目の青年の動きをシエスタは視線で追った。

 彼は笑いかけ、ルイズの前で立ち止まった。

 

「あなた、仕事は」

 

 サイトはルイズに誘われて断る際、学園外周の見回りをすると言っていた。まだフーケが近くにいるかもしれず、宴席などの酒精が入る席は隙になるから狙われやすいから、と。

 

「終わった。あとの見回りは衛兵の人とか、ギーシュがやってくれるってさ。……お前は、踊らないのか?」

 

 問われたルイズが視線を逸らす。

 

「相手がいないのよ」

 

 言いながら、ルイズはすっと肘まで白い手袋に覆われた手を差し伸べた。

 

「踊ってあげても、よくってよ」

 

 違うだろう、とサイトが腰に手をやって呆れた表情をする。

 ルイズはバツが悪そうな顔をして、ドレスの裾を両手で軽く持ち上げると、膝を曲げて一礼をした。

 

「わたくしと一曲踊ってくださいませんこと。ジェントルマン」

 

 だがサイトは首を振り、ルイズの手を取らなかった。

 代わりに自身の腰を折り、当てていた手を後ろ手にして、恭しくもう片方の手を差し伸べた。

 

「わたしと一曲踊っていただけませんか。レディ」

 

 サイトからのお誘い。理解して酒精のせいだけではない赤を表情に浮かべたルイズはその手を取り、二人並んでホール中央へ向かっていった。サイトの顔も赤かった。

 

 ゆっくりと、ぎこちないながらも何事かを語り合いながら踊り始める二人。

 

 シエスタはそんな二人の様子を、両手を自身の胸を抑えるように添え、見詰めていた。

 

 



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第14話・不問不答

 トリステインより南西、ハルケギニア一の大国とされるガリアが首都リュティス。

 その郊外に築かれた壮麗なる宮殿ヴェルサルテイルの一角に、薄桃色の壁で覆われた小宮殿があった。

 プチ・トロワと呼ばれるその小宮殿の奥にある一室。寝床を仕切るためにかけられたダマスク織物を払って現れたタバサを、部屋の主はベッドに腰かけたまま鼻を鳴らして出迎えた。腰まで伸ばした青髪と鋭さを持った碧眼の少女。現ガリア王ジョゼフ一世の娘、イザベラ・ド・ガリア王女である。

 血縁上彼女はタバサの従姉であったが、すでに二人の間のそういった暖かな繋がりなど途絶えて久しく、ここにタバサが呼ばれる理由は一つしかなかった。上司から部下へ仕事を振る。ただそれだけだ。

 彼女は王女にしてガリア王国暗部組織の一つである北花壇騎士団の団長であり、その北花壇騎士団団員であるタバサの上司でもあったからだ。

 そしてタバサにとって彼女は父を殺し母に毒を盛ったジョゼフの娘であり、イザベラにとってタバサは未だドットスペルもまともに扱いきれないオチコボレの自分とは隔絶した魔法の天才でもあった。

 髪の色も瞳の色もそっくりで、小振りで美しく整った面立ちには似ているところもあるというのに、二人の間にはありとあらゆる意味で埋めがたい壁が存在しているのであった。

 

 イザベラはやってきたタバサの姿を不躾な視線で見回し、にやりと笑みを浮かべる。

 

「人形娘。珍しく着飾ってるじゃないの」

 

 イザベラは表情を変えないタバサを、いつも人形娘と呼ぶ。

 舞踏会から着の身着のままプチ・トロワまで来たタバサは黒のパーティードレス姿であった。

 いつも通り何の反応を示さないタバサにイザベラは一瞬物憂げな視線を向け、それをテーブル上の羊皮紙の書簡に向け直すと、その書簡を乱暴に取り彼女に放ってよこした。

 タバサはその書簡を受け取ると小さく一礼をして、さっさと退室しようとする。だが、

 

「お待ち」

 

 イザベラに呼び止められた。

 イザベラはベッドから降りてタバサの側までよると、彼女のドレスの裾をつまみ上げる。

 

「ずいぶんといいものを着てるじゃない。こんなものを買えるほど、手当はもらっていないはず。盗んだんじゃないだろうね」

「母様のお下がり」

 

 タバサの返答に、イザベラの顔が一瞬怯んだ。しかしすぐに取り繕って消し去ってしまうと、いつもタバサや侍女達に向ける意地の悪そうな笑みを浮かべた。

 

「今度の任務の予行練習に、わたしとゲームをしようじゃないか」

 

 タバサはまだ今回の任務が書かれているであろう書簡の内容を確認していない。しかしそんなこととはお構いなしにイザベラはコインを取り出して弾くと、両手の甲と平でキャッチしてみせる。

 

「裏か表か。うまく当てたら、金貨百枚やろうじゃない。でも負けたら、その服をもらうわ。どう、受ける?」

 

 タバサはあっさりと首を左右に振った。

 

「あっはっは! 臆病だねえ!」

 

 ほっとしたような顔でイザベラは笑い、タバサの頬を杖で小突き回す。

 

「あんたみたいな臆病の能無しに、どうして北花壇騎士の任務が務まるのか、わたしには理解出来ないよ! あっはっは! あは……」

 

 笑いの最中、イザベラはタバサの目に気付いた。どこまでも冷たい、氷のような目。吸い込まれてしまいそうなほど透徹とした瞳。イザベラはその瞳の奥に潜む、わけのわからない迫力に気圧され、思わず後じさる。

 二人同じ色の瞳なのに、まるで水たまりと海の底ほどの差がそこにはあった。そこにすらも二人の違いが出ていた。

 イザベラは胸を反らし、必死に威厳を取り繕うと、タバサに挑むように睨みを効かせた視線を向ける。

 

「ふん。今度の任務を直々にわたしが説明してやる。ベクトール街に賭博場が出来てね、馬鹿な貴族どもから派手に大金を巻き上げているのさ。軍警を使って店を取り潰したっていいんだが、そうなったら恥をかいちまう貴族が何人もいるんで、おおっぴらに取り締まるわけにもいかない。で、あんたの出番ってわけ。小生意気な賭博場を、潰してくるんだ。儲けるカラクリも、きっちり暴いてくるんだよ」

 

 タバサは黙ってイザベラの話を聞いている。

 

「今回は、怪物や亜人を相手にするのとは勝手が違うよ。ちょっとやそっと戦いが得意だからって、どうにもならないよ」

 

 イザベラはにやっと笑みを浮かべた。それからタバサの足元に、金貨の詰まった財布袋を投げた。

 

「ほら、軍資金だ」

 

 タバサはそれを無表情のまま拾い上げる。

 

「賭博場で、お前はド・サリヴァン伯爵の次女、マルグリットと名乗りな。いいね?」

 

 イザベラのセリフを背中に受けながら、タバサはプチ・トロワを後にした。

 

 

 

 

 簡潔にいって、任務は一晩の内に終わった。

 任務そのものは簡単にとはいかなかったものの、同行した透によって仕掛けられていた精霊魔法をあっさりと看破してイカサマを暴き、タバサ自身の戦闘能力の高さもあったお陰で比較的すんなりと事は進んでしまったのだ。

 

 リュティスへ戻り、任務を終了を知らせたタバサを憎々しげに睨みつけ、運が良いね、と言い残して寝室へ入っていったイザベラの姿を、透は帰りのシルフィードの上で思い返す。さらにタバサに任務を言い渡したときの様子も思い出して、王女の人となりを彼なりに考えていた。

 そう。透は最初から最後まで、イザベラの様子を間近で窺っていた。誰にもその存在を問われることなくその場でタバサとイザベラのやりとりを見聞きしていたのだ。

 

「しっかし、あいつら許せないのね! シルフィの遠い遠い、いやもう遠すぎるけど親戚みたいな仲間を使ってひどいことするのね! あのギルモアって男、昔森で偶然あのエコーの子供を拾ったそうなのね。枯れ葉に化けたエコーの子供を見て、その能力に気づいたと。でもって、返してやるから言うことを聞け、なんつって、あのインチキをやらせてたらしいのね」

 

 タバサも透もシルフィードの愚痴を聞き流している。

 今回の任務はエコーという精霊魔法を操ることが出来る古代幻獣を捕まえた人間の男が犯人であった。エコーがもつシルフィードが人型に化けるとのと同じ原理の変化の魔法を利用し、手札を任意のカードに変えることで掛け金を巻き上げていたらしい。

 それも透の目をもってすれば一目瞭然であり、途中対抗策と解決策を言い渡された人型シルフィードによって企みは潰えてしまったが。

 

 だがどの段階においても透はタバサとシルフィード以外の誰にもその存在を認知されていなかった。

 終始タバサのすぐ側にいたのにも関わらずだ。

 それは数日前、タバサと二人任務で訪れたガリア貴族、ド・ロナル伯爵家に伝わる家宝『不可視のマント』と同じ効果の魔法を透とタバサで使っていたからであった。

 以前見たマントとまったく同じように透が自身の内に秘める精霊を放出し、タバサによる微細な精霊操作と送られる精神力を糧に、マントと同じ効果の魔法を周囲に展開していたのだ。風で物理的な認識阻害を、水で精神的な認識阻害を起こすこの魔法はタバサと透であったからこそ再現できた芸当と言えた。

 透本人にしかこの魔法を使用できなことや、使用している間タバサと手を離せない点、それ以外の魔法をタバサが使えなくなるという欠点こそあるものの、透を隠す方法としてはこれ以上ない魔法である。

 

 自身の周囲にある精霊に干渉する。

 

 透はこれを利用して固定化で石壁に滞っていた土の精霊を流して本来の強度へと戻したり、逆に精霊の動きを阻害して滞らせることで巨大ゴーレムの動きを停止させたのだ。

 そしてタバサがいれば、不可視化のように過去に見た特殊な魔法効果すらも再現してみせる。

 先日までは体内の精霊を利用するという考えを持っていなかったため、不出来な不可視化しか出来なかったが、タバサによる先日の治癒の報告によって体内の精霊を利用する方法を見出し、彼女の助力を得て完成にこぎ着けたのだ。

 

 王女が住まうプチ・トロワにおいても、不法侵入してきた透に気付くものはいなかった。おそらくは精霊魔法を扱う幻想種でもなければ、この魔法を使用中の透に気付く者はいないであろう。

 もうこの時点で機会さえあればジョゼフ王の暗殺は可能といえた。

 そしてこの魔法を使い、タバサの母親、オルレアン夫人の病状確認も安全な状況で可能となった。先日の治癒と精霊の体外放出操作で治癒の可能性も出て来る。

 現に任務を終えた今、タバサは旧オルレアン領にあるかつてのオルレアン家の屋敷へと向かっている。

 

「きゅいきゅい。でも良かったのね。お姉さまのお母さまを、助けられるかもしれないのね! シルフィード、いっぱい飛んでつかれたけど、がんばっちゃう! きゅいきゅい!」

 

 自分のことのようにはしゃぐシルフィードにタバサも、「パーティーのお肉、残っていたらあげる。無くても買ってあげる」といつになく甘いご褒美を提示している。

 透を召喚しておよそ二週間。たったそれだけの時間で彼女の人生を賭けた望みが全て叶おうとしているのだ。それまでの苦労を思えば、厳しく躾けているシルフィードに甘くなるのも仕方がないことと言えた。

 だが、普段であればシルフィードに甘く接する透の表情は優れない。

 

(……あの王女は敵ではないのかもしれない)

 

 タバサを腕の中に抱えながら、透はイザベラ王女のことが気になっていた。

 

(――軍資金は金貨百枚だった。その直前に嗾けた賭けのベットは金貨百枚。少なくとも最初から渡す気であったということだ。そして任務終了後、軍資金について言及がなかった。それにあのような表面性格なのに、学院でのタバサの動向についても言及がない。学院に間諜がいればすでに僕のことは知っているはず。となると、少なくとも彼女は学院に間諜を放っていないか、知りながらにして僕を放置している。国外におけるタバサの動向を無視している)

 

 それはつまり、タバサが母を見捨て単身で逃げようとすればいつでも逃げられるということであった。

 

(ガリア上層部から接触があると思ってわざと目立ってみたけど、無駄足だったかもしれないな。裏の一端を取り仕切る実力者でありながら、彼女がタバサの管理をこのような状態にしているということは……)

 

 イザベラが端々で見せていた感情を透は思い出す。

 

(……イザベラ王女はタバサの直接的な敵ではない)

 

 事前にタバサから王女の人となりはリサーチしていた。

 父王同様に魔法を不得手としているが権謀術数に優れる。だが底意地が悪く、常に悪辣とした態度を崩さない。

 その情報がそれほど大きな間違いではなかったであろうことは、透も理解している。彼女の周囲を護衛していた衛士や召使いの様子から、イザベラが身近な者にすら恐れられ、嫌われていることは一目瞭然であったからだ。

 そしてそれは同時にこういう意味でもある。魔法というファクター無しに恐れられ、嫌われながらにして従えている。人心掌握の実力は本物である。ということだ。だが、

 

(あの視線は、負い目か。憎しみや嫉妬もあったけど、滲み出る甘さがなによりも濃かった。――こんな深夜まで一人報告を待っていたなんて、あからさまじゃないか)

 

 透の目には、イザベラの行動全てがタバサを心配しているがゆえのものに見えて仕方がなかった。イザベラからタバサへ度々行われるという嫌がらせの数々も、遠慮無く嫌われるためにしているように思えた。本人たちに自覚があるかわからないが。

 

(少なくとも彼女は血統で立つ今の自身の権威が、薄氷の上の存在であると理解している。ゆえの近辺への厳しさ、かな。タバサをこんな仕事に就かせているのも、まるですぐ国外へ逃げられるように手配させているようじゃないか。……もしくは、いつかタバサに討たれるの待っている。そのための準備期間と討つ理由を与えている、か……)

 

 内実はどうか知らない。本当にタバサを嫌った結果として現状があるのかもしれない。だがその結果論でいえば、たしかにタバサは真実の名と母を見捨てることで生き延びることが可能になっている。そしてこのような状況が出来上がった原因の一端はあのイザベラであることは明白だ。さらにいえば、タバサのことをイザベラに任せたであろう、その父王ジョゼフ一世の意志ともみることが出来た。

 

(『無能王』ジョゼフ……ですか)

 

 透は今回の件も含めてガリア国内を二度見ている。数日前に言い渡されたタバサへの任務のときと、今晩の任務でだ。

 国政の内容はトリステインに近い。貴族至上主義であり、メイジ優遇・魔法優遇社会だ。だが基礎となる国土も国力もトリステインのそれとは比べものにならないほど大きい。

 

(――ガリアにもトリステイン同様、封建国家ゆえの腐敗がそこかしこに存在しているけど、トリステインよりも潤っているせいか安定している。内患の気もあるけれども、風評から全体としてみると平民の安心度も高い。つい四年前に王権の交代とそれに伴う弟王子、シャルル派の大粛正があったのにも関わらず、治世は出来ている……。なにが『無能王』か)

 

 ガリアの『無能王』は有名で、トリステインに居ながらにしてその風評が聞こえてくるほどであった。曰く、政は人任せ。曰く、人形遊びがお好き。曰く、部屋で一人チェスばかりしている。曰く、庭いじりが趣味。曰く、魔法がまったく使えない。

 そして父王の死と共に優秀で人望も厚かった弟のオルレアン公爵を暗殺し、王位を得た、簒奪者。

 どれもがちょっと耳をすませば聞こえてくる噂であった。

 この『無能王』の存在がガリアが孕む内患――腫瘍の正体であった。

 無能で残忍な王に、一部の貴族が叛意を持っている。ということだ。

 そしてタバサの話ではそれらは全て事実であるという。

 

(他国にまで聞こえる悪評があるというのに、大粛正以降罰を与えた話はない。つまり放置あるいは恣意的に広めているということだ。政をしている側近が扱いやすいように広めた可能性が高いが、それは逆に優秀な部下を抱えることが出来ているからこそ、自国も他国も扱いやすくするために自らが囮になった可能性があるということでもある。……もしくは、それら全てを一手に掌握しているか――。例え無能で残忍であろうと、非常に有用な王であることには変わりない。……それに、魔法が使えないというのも……)

 

 透は、自分と兄を召喚したルイズを思い出していた。当人には教えていなかったが、彼はすでにルイズが魔法をまともに扱えない理由に気付いていた。確認はしていないが、同じ視点を持っているタバサも気付いているだろう。

 系統魔法と全王族の祖、ブリミルのみが使えたという火水土風の四系統とは別の、最後にして最高の失われた系統。ペンタゴンの頂点。虚無系統。

 その伝説の系統に、ルイズは魔法適正が向いているのだ。向きすぎていて、他の系統魔法の適正がないほどに。透はそう考えていた。

 もしこの仮定が『無能王』にも当てはまるようであれば、それを国政に有効活用しない理由はない。これほど見事な政治を行える側近がいるのであれば、誰か一人ぐらいは本当の理由に気付く者がいてもおかしくはないように透には思えた。

 ガリアほどの国力があるのならば気付くと同時に利用、及び公表して然るべきなのだ。

 それはつまり、今のハルケギニアで最も畏敬を集めるブリミルの再来を示す、たった一枚でも最強といえるカードなのだから。

 

 だがあるのは悪評のみ。

 

 真実に扱いやすく、その利用価値以外は有用性を持たないただの暗愚な王であったならば、もっと栄誉があり一代限りではない、何世代も先を見越した国のための傀儡にしてしまうのが最善策であろう。少なくともその場合、無能の云われのまま放置はしない。

 だがもし、このカードを伏せておけるだけの度量と理由の持ち主がいるのだとすれば――

 

(――人の上に立つ才能……――)

 

 それは、才人がルイズに送った言葉だ。酔ったルイズが以前透に自慢していた。

 抱きかかえたままのタバサの後頭部を一度見て、視線を宵闇の先に向ける。

 真実は未だこの闇に覆われている。だが透の中で、初めてタバサから身の上話を聞いたときと同じ疑問が膨れ上がっていた。

 

 タバサは生かされている。

 

 好意的な意味でか、悪意的な意味でかはまだ透にはわからない。現在の状況からだけで好意的と解釈できるほど、彼はこの手の物事に対して楽観的ではなかった。

 だが確実に生かされている。

 自分の中に灯った復讐と快方への光だけを見詰めているタバサは、その事実に未だ気付く様子はない。

 

 二人向ける視線は、同じ旧オルレアン家の屋敷。

 だが見詰めるものは光と闇とで、まるで違うものであった。

 

 

 

 

「下がりなさい薄汚い宮廷雀たち! このように闇に紛れてまで無礼を働きに来ても、可愛いシャルロットは絶対に渡しはしないわ!」

 

 怒りをたぎらせる瞳でわずかな月明かりを爛々と照り返しながら、ベッドの上に痩身を半ば横たえた女性が叫んだ。タバサの母親、オルレアン夫人であった。

 彼女の腕の中には、ところどころ糸がほつれて布地もすり切れつつある、小さな人形が抱かれている。

 特殊な魔法薬によって心を壊され錯乱した彼女は、その人形を四年前から自らの愛娘と思い込み続けている。

 自ら手ずから選び娘に買って与えた、タバサと名付けられていたはずの人形を。

 

「シャルロットもわたしも、王位になど興味はありません! わたしたちは静かに暮らしたいだけなのです。だから、だからもう来ないで。来ないで! 立ち去れ!」

 

 ベッドサイドチェストに置かれていた何かを、すぐ側に傅いたタバサへ投げつける。

 タバサはそれを鼻先で受けながらも瞬き一つしなかった。

 ただじっと、隣で姿を隠すトオルと共に自身の母を見詰める。

 

「……どう?」

 

 一瞬降りた静寂の間隙を縫ったタバサの消えそうな問いに、トオルは小さく頷いた。

 共有された視界からその頷きを理解したタバサも、早まる鼓動を感じながら、無意識にさらに小さく頷いていた。繋いだ手にはわずかに震えが伝わっていた。

 

 深夜急にやってきたタバサを出迎えたのは、屋敷唯一の老執事ペルスランであった。

 屋敷は綺麗に整えられてはいたが、門前には不名誉印と呼ばれる没落貴族の証が掲げられており、彼以外にはまるで人の気配がない。屋敷の中にあったのは耳が痛くなるほどの静寂と、凝っているのでは思わせるほどの暗闇だ。

 だがそれも、廊下を行く微かな足音と、先導するペルスランの手元にある明かりで押し退けられていった。

 タバサはそれを不安と期待が入り交じった奇妙な心境で追い、夫人の寝室へ入った途端に先ほどの罵声である。だが彼女はいつも通り、微塵も怯まなかった。

 

 忠実な老僕とは部屋の少し前で別れた。

 ここにいるのは夫人と、タバサと、姿を消しているトオルだけだ。

 室内や近辺に遠見などの魔法の反応がないのはトオルが確認済みだ。ペルスランもメイジではない。近くに控えているようであったが、夫人のように叫ばない限りは声が届くことはないだろう。

 

 トオルを通して送られてくる夫人の容態に、入室してすぐタバサは自身の予想が正しかったことを理解していたが、それでもトオルに問わずにはいられなかった。自分以外の視点からの言質が欲しかった。

 

 水精霊を主として濁った色に見えるほど入り交じった精霊が、夫人の周囲を渦を描いて漂っている。おそらく多くのマジックアイテム同様に、恒久的に効果が損なわれないようにするためであろう。円を描く精霊の流れは、強力なマジックアイテムによく見られる仕組みであった。この状態で夫人自身の精神力を糧に精霊を拘束し、精神錯乱を起こさせているのだ。よくよく見てみれば、渦の中の精霊もまた一つ一つ極小の渦を描いている。これは例え一時精霊をはね除ける薬などを使用しても、再度この渦を構成させるための仕掛けであった。

 ぐるぐると渦の中に渦を内包するその薄気味悪さにタバサは怒りを覚えた。

 だがこれであれば、あくまで精霊による効果であれば――

 

(――治せる)

 

 精霊を知覚し触れることが出来るトオルであれば解除は事もないだろう。見えてさえいればタバサにも解除は可能かもしれない。もっと単純に、トオルがこの円環を全て取り込んでしまえば事は済んでしまう。

 タバサの怒りがふっと軽くなる。

 彼女を拒絶するための怒りだけではない、怯えを含んだ母の瞳に、タバサは長いこと見せることがなかった笑みを映してみせた。だがそれでも夫人は人形を守りながらベッドの上で後じさるが、タバサは立ち上がり、渦に杖で触れようとして――

 ――ぐいと手を引かれた。

 

「ダメです。タバサ」

 

 トオルだ。

 姿がないまま突如聞こえた囁くような声に、夫人は驚き周囲を見回した。

 

「なぜ」

 

 霧散したはずの怒気を再び孕んで、タバサがトオルに問う。

 

「母君を助けるとは、その願いを叶えるということでもあります。先ほどこの方は王位に興味など無く、わたしたちは静かに暮らしたいだけと仰いました。その意味を、考えて下さい」

「――っ」

 

 小さく、だがすぐ側のタバサにだけは確実に聞こえる声量で、トオルは理を囁いた。

 それを聞いたタバサはハッとして、今までにないほど顔を苦悶に歪めると、自身を落ち着けるために静かに深呼吸した。しばし黙って考え込んでしまったタバサに、トオルはなにも言ってこなかった。

 落ち着いてきたころ、タバサはトオルが見えない笑みを浮かべたような気がした。それと同時に見計らったようにトオルがまた口を開く。

 

「肝に銘じて下さい。戦いだけじゃない、こういった面に関しても考え続けることです。貴女の目的は母君を助けることなのですからね」

 

 タバサは以前からトオルに屋敷が見張られている可能性を聞かされていた。治療をすればそれはすぐに王宮に伝わることになる可能性が高い、と。そして政治的な動向も考えなさいと言われていた。

 だからトオルが言いたいことはすぐにわかった。この毒は夫人をこの場に押し籠める牢獄で、その夫人という鎖でタバサを繋ぐ首輪なのだ。それが解き放たれでもしたら、黙っていない輩は必ずいる。少なくとも毒を盛った張本人、ジョゼフ王が何もしないとは思えない。今はまだそのときではないのだ。

 

 そしてなにより、気付かされしまった。

 過去ここに来る度にタバサは母の罵声を聞いていた。常にそれは腕の中のシャルロットを必死に庇い、守るための叫びであった。壊された心が言わせる妄言や嘘である可能性もあったが、タバサはその叫びを否定したくなかった。

 対象が自分ではなくなっているといえど、その慟哭にも似た叫びにタバサ自身、救われてきた部分があるからだ。母が狂っても自分を想ってくれているかもしれないという、暗く薄汚い救いではあったが、これも彼女がここまでやって来られた理由の一つであった。

 だがそれを救いとしながら、タバサは今の今まで母の言葉にちゃんと耳を傾けていなかったことに気付かされた。

 

 タバサは自分の軽率さを恥じ、同時に母の願いに思うところが生まれ、今一度夫人に視線を向けた。

 夫人はベッドの上で姿の見えないトオルの声にガチガチと歯を鳴らせている。元々錯乱状態に陥っているところに、さらに得体の知れない声だ。恐ろしくてたまらないのだろう。

 腕の中にいる彼女のシャルロットを隠すように庇い、抱き、毛布を被せて、虚空を睨みつけている。

 敵意に塗れ狂気を孕んだ姿だ。穏やかに微笑んでくれた過去の母の姿とは似ても似付かない。

 

 決意をしたあのときから、タバサの内には母をこのようにしたジョゼフへの殺意が溢れ、凍える吹雪となって常に荒れ狂っている。それは今も変わらない。

 

 だが少し前からその吹雪の中、手を握る者が現れた。

 

 吹雪の中に立つタバサには、その手の温度が酷く暖かく心地好いものに感じられた。

 タバサは一部頑迷なところがあるが暗愚ではない。むしろ元は非常に聡明で柔軟な思考の持ち主である。

 だからその暖かなトオルの手が自身をどこへ誘導しようとしているのか、すでに理解している。

 いくら母の心を癒したところでこの殺意のまま復讐を完遂させれば、静かに暮らしたいという母の願いは叶えられなくなるだろう。そしてタバサはこの願いを無下に出来ない。したくない。

 少し前までジョゼフやその側近を殺し、母の心を取り戻せればいいだけだと思っていた。それで全て終わるのだと考えていた。

 だが実際はそうではない。ジョゼフやその側近を殺せば、王位継承権上位者でクーデターを成功させた者として、タバサは王権を得なければいけなくなる可能性が高い。病が治っていたとすれば母も引っ張り出されることになる。弟を暗殺し王位を簒奪したジョゼフといえど、すでに主流となっている現王派の貴族がタバサを快く思うはずがなく、となればジョゼフがやったように現王派の貴族を粛正しなければいけない場面も出て来るはずだ。そして加速度的に敵は増えていく。自分のことはどうなってもいい。だが母の安寧が守られる保証はどこにもないのだ。それにタバサに味方してくれる可能性がある旧オルレアン派のほとんどは粛正されてしまっている。権力者の味方が少ない分だけ、母の危険は大きくなる。国も荒れる。

 

 考えれば考えるほどろくでもない。

 復讐はしたい。だが実行すれば母が危ない。助けるべき存在の危険を招く。悪循環だ。

 

 煩わしい葛藤だとタバサは思った。ジョゼフを倒し、その側近たちも倒し、母を救いたいのに、その手段と力を得たと思ったら、簡単には出来ないことを知った。いや、知らされてしまった。

 

 思考の誘導。

 この葛藤こそがトオルの狙いなのだとタバサは理解している。

 彼はタバサに復讐を思いとどまらせようとしているのだ。

 そして誘導しているトオルも、タバサが誘導に気付いていることを前提にしているのだろう。たまにタバサへトオル自身のことを疑わせるようなことを言ってくるのがいい証拠である。自身はあくまでどうしようもない利害関係からくる味方であると、度々言ってくる。それがタバサには憎らしいく、煩わしいく、鬱陶しかった。だが、繋ぐ手はやはり暖かいのだ。

 

 彼の手をぎゅうと握り、タバサは傅いていた体勢から立ち上がった。

 姿を消したままのトオルを引き連れて、彼女は無言で部屋を後にする。

 扉を閉める際、こちらを睨みつけながらも、毛布にくるまった我が子の背を優しく撫で落ち着かせようとする仕草を繰り返す母に、タバサは悲しい笑みを浮かべた。

 

 廊下に出てもペルスランはいなかった。気を使ってくれたのか、それとも仕事があったのかもしれない。

 

 灯りのない暗い廊下を行きながら、タバサは幼少のころよく母が寝物語に聞かせてくれた、勇者の話を思い出して考えた。

 勇者は女の子を助け出すために龍に立ち向かい、打ち倒した。そうしなければ勇者は彼女を救えなかった。あの物語の中ではそうであった。なら龍と戦わずして女の子を助ける術があったのなら、あの勇者はどうしていたのだろう。それに物語の中、女の子を救い出した勇者は、助け出したあとどうしたのだったろうか。

 

 考えても答えは出ない。

 ちらりとその姿を確認できない隣の存在の方を見る。彼であればあの物語を知らなくても、その答えを知っている気がした。

 

 だがその答えを、タバサは隣に訊くことはなかった。

 

 

 




これで原作一巻分は〆となります。つぎにおまけを一話、すぐに投稿します。


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番外1・トオルの教導授業 土系統編1

 ※注・大量の独自設定及びご都合主義を多分に含みます。

 書き方がいつもと違います。会話主体です。そのうえかなり長いです。
 ルイズ達がハルケギニアに存在するかわからない数学的な単位や用語を語る場面がありますが、似たような言葉に自動翻訳されたと思うことでご容赦を。
 文中のクリエイトゴーレムのスペルは創作です。原作から見つけられなかったので勝手に作りました。謎の著者名なども妄想です。
 読まなくても作中で設定を使用する場合は説明が入る予定です。が、一応こういうことになっている的なものです。



「では今日のお昼は主に土系統についての教導研究です。本日から学院長秘書のロングビルさんもこの時間同行することになりました。彼女も土系統メインとのことでしたので、今後の実験にも協力してもらうことになっています」

「ミス・ロングビルも土系統だったのですか? もしよければ僕がこれまでのおさらいを先にお教えしましょう」

「大丈夫ですわ、ミスタ・グラモン。お話だけですが、事前にミスタ・トールに習っていましたので」

「へえ、足せる系統の数はどれくらいなのかしら?」

「トライアングルですわ」

「あはははは、ギーシュ、ラインになったばかりのあなたじゃ、なにも教えることはなさそうよ」

「おお、トライアングルですか、これは失礼いたしました。ではミス・ロングビル、よろしければ土の先達として、僕の土の至らないところを見つけたら教えていただけないでしょうか。そして共に切磋琢磨し、さらなる高みを目指しましょう」

「ええ、喜んで」

「なんかギーシュがギーシュじゃないみたい……」

「そうね……最近のギーシュはつまらないわ。ルイズも大人しくなっちゃったし。「ちょっとそれってどういう意味よ」からかい甲斐のある相手が――あら?」

「……」

「今日はあたしの手を握っていて「ねえっ」くれるのね、「まあまあ」タバサ」

「……」

「あ、でもトールの手も離さないわけだ。ふふ、でもなんだかこうしていると、あたしとトールの子供みたいねって痛いわタバサ! 悪かったから蹴らないで!」

「おほんっ。では始めさせていただきます」

「はい」「よろしくお願いします」「杖を離しているからって油断したわ。最近ルイズに似てきたんじゃない? タバサ」「……」「だからそれってどういう意味よっ!」「落ち着けってルイズ。キュルケの思うつぼだぞ」「うぅぅう」

「……はぁ。今度こそ始めますよ。ではまずギーシュさん、手の平ほどの大きさの青銅のゴーレムを一体作っていただけますか?」

「では小さなワルキューレを……イル・イサ・アース・デル! っと、こんな感じでいいかい?」

「ええ。ではこのゴーレムを……兄さん、斬りつけて下さい」

「おう」

「ってせっかく僕が作ったワルキューレをどうして壊しちゃうんだい?!」

「まあ見てて下さい」

「ああ、ぼくの小さなワルキューレがただの土くれに……」

「では次にロングビルさん、同じぐらいの大きさの土くれゴーレムを作って下さい」

「はい。イル・イサ・アース・デル。どうでしょうか?」

「ありがとうございます。ではこちらも、兄さん」

「とりゃ」

「あら? ミスのゴーレムは斬ったのに直ってくわ」

「私のゴーレムは土ですので」

「? どういうこと? 土だと壊れないの?」

「はい。正確には土で作った土のゴーレムだから、簡単に自動修復した、ですね」

「当然じゃないか。土のゴーレムなのだから」

「わかるように言って下さらない、ギーシュ」

「さすがにギーシュさんとロングビルさんはご存知のようですが、細かく説明しますね。まず『クリエイトゴーレム』という魔法はどのような魔法であるのか……はいルイズさん」

「え、あ、く、『クリエイトゴーレム』とは土系統のドットスペル、その代表格の一つで、上位になっても土に傾倒する者が戦闘で最も多く使う魔法。人足を簡単に増やすことができ、開拓、土木、建設、などの分野で非常に重宝される。術者の力量次第でゴーレムを構成させる金属の種類及び硬度を自由に変更でき、一般的であるとされる人大の大きさから術者の力量次第で最大五十メイルほどまで大きくすることが出来る。戦闘においては主に集団戦や防衛戦でその効果を発揮するが、逸話『アルテイルの都落ち』で語られる通り、超大型のゴーレムは単騎で攻城戦でも多大な戦力となる。その他にもゴーレムには種類があり、その場で作る即席型、事前に作っておき条件を満たすまでその場に留まる待機型などがある」

「はい、それぐらいで結構です。ありがとうございます。一般的な教科書に載っている内容ですと、今ルイズさんに語っていただいたものとなると思います。ですが最も重要な部分、『クリエイトゴーレム』とは一体どんな構造の魔法なのか? なぜ土や岩などから作るのか? なぜ土くれのゴーレムは再生したのか? という理屈的な性格面は教科書に載ってません。載っている書物もあるようですが、基本的にはこれらは土系統主体のメイジでもなければ価値のない情報でしょう。後は経験則で知るしかないでしょうね。

 今回はこの『クリエイトゴーレム』の子細と、ゴーレムの弱点克服。及び新規利用法考察などをしようと思います。

 まずはギーシュさん。『クリエイトゴーレム』には幾つの魔法が使われているか、わかりますか?」

「何を言っているんだいトール、『クリエイトゴーレム』は『クリエイトゴーレム』だろう? 一つしかないじゃないか」

「安心したわ。やっぱりギーシュはバカね。トールがこういう言い方をしたら、一個じゃないってことじゃない」

「そうは言ってもだねキュルケ、『クリエイトゴーレム』は――」

「不毛なのでストップです。

 ギーシュさんの答えで正解です。『クリエイトゴーレム』は『クリエイトゴーレム』という一つの魔法です。ですが、同時にこれは間違いでもあります。『クリエイトゴーレム』を一回使ったときに生じる魔法作用は、少なくても二種類以上あるのです」

「それは二種類の魔法を併用していることでしょうか?」

「はい」

「うん? どういうことなのかさっぱりわからないわ。一つって言ったり、二つって言ったり、はっきりして下さらない、トール」

「えっとですね、『クリエイトゴーレム』を使用した際、まず最初に起こる変化が人形を作るということです」

「ははぁ、そういうことか透。てことは次は動かす、か?」

「正解です兄さん。つまり『クリエイトゴーレム』は人の形を作り、それを動かし行動する、という少なくとも二種類の魔法作用を行っているのです」

「それは一つではないのかね?」

「いえ、これは二つです。僕も最初はこれらの作用を一つの魔法として行っているものと思っていました。ですがよく考えてみて下さい。ギーシュさんは『クリエイトゴーレム』を行った際、イメージするものはなんですか?」

「それは、ぼくの場合はワルキューレの姿を……あ!」

「わかったようですね」

「ああ、つまりゴーレムを作るとは、『練金』だということかい?」

「完璧です。そして残りのゴーレムを動かすは、『練金』と『念力』の複合だと考えています」

「どういうことよ、火のあたしにもわかるように説明なさいな」

「わたしにもわからないわ、トール」

「『クリエイトゴーレム』はイル・イサ・アース・デル……『練金』はイル・アース・デル。確かに『クリエイトゴーレム』のスペルの中に『練金』が含まれていますね。なるほどこれは……」

「…………ヘンリー・ブルフム・ラ・カッツネス著『練金学と金箔将軍の人形』」

「ふふ、タバサは知っていたようですね。おそらく各国のアカデミーではこのあたりは常識でしょう。

 土くれのゴーレムでは分かりづらいですが、ギーシュさんは青銅のゴーレムを土から作ります。つまり」

「土くれを青銅に『練金』している?」

「です。『練金』は石ころなどを金属に変質させることばかりに目が行きがちですが、実際には物質の形を変えたりするのにも使われます。このことから少なくともゴーレムの造形は『練金』でまったく同じように作成可能である、とわかります。そして『クリエイトゴーレム』の初期段階、人形作成は『練金』と同じ作用で生じる、といえることになるのです。

 ちょっと以前の授業をおさらいしますね。

 一番最初の授業、土系統で『練金』を実験したとき、『練金』で作られた青銅は火で熱すると、融解どころか変形を始める前にぼろぼろに崩れ、土に戻りました。バラバラに斬った場合も同じでした。

 ただ小さな水晶片を当時のギーシュさんの全力で一つの水晶に結合させた際、それを二つに割っても割ったことによる破損しか起こらず、何度割っても元の水晶片にはなりませんでした。

 ですが今度はそれで別な形のバラバラになった水晶を残りの精神力で『練金』でくっつけて二つに割ると、すぐにくっつける前のバラバラな水晶になりました。

 それから何回も『練金』の実験を繰り返し出した結論は、『練金』とは段階的に物質を擬態化させる魔法であり、込める精神力の多寡で物質としての安定度が変わる。最終的には完全に土から青銅などへ変質させることも可能であるが、同質の物質外から、つまりまったく別の物質からなにかを作り出そうとすると、その分だけ多くの精神力が必要となり、同じ物質、つまり砂から石にするなどは比較的簡単に行える。ということで考察の一時的な結論としました。

 ところでギーシュさん、ロングビルさん、話がちょっと変わりますが、建物の強度を上げたり、剣などの刃こぼれを防ぐ為にかけられている魔法はなんですか?」

「「『固定化』かね(ですか)?」」

「『固定化』をかけるとどうなりますか?」

「いや、だから今トールが言ったとおり固くなるんじゃないか」

「では水へ『固定化』をかけるとどうなりますか?」

「ええっと……凍る、のかね? ぼくは試したことがないな」

「わたしもありません」

「……(コクリ)」

「わからなければ試してみましょう。タバサが『コンデンセイション』で作ったこの杖先に浮く水球に、二人で念入りに『固定化』をかけてみて下さい」

「わかった」「はい」

「(話の流れがあったのはわかるけど、何も言わずにタバサが行動するだなんて、事前に打ち合わせでもしていたのかしら?)」「(さっきタバサは何に対して頷いたんだ? 透は何も言ってなかったよな?)」「(視線すら合わせてなかったわよ。テレパシー?)」

「「『固定化』かけました」」

「はい。まあ見た目の段階でわかりますが、凍ってはいませんね。そして杖先から落としてみても――やっぱりただの水です。水球の形は弾けて、地面に染みこんでしまいました」

「水には『固定化』は効果がない?」

「いえ、実際にはちゃんと効果がありますが、この効果についてはまた別の機会にしましょう。今回重要なのは、固くならなかったということです」

「水だから当然のように思うのだけど……」

「そうです。水だから、流体だから当然固まったりはしません。ですが石や金属に『固定化』をかけると明らかに硬度が上がります。そしてこの足元に出来た泥を使って……」

「どうしたの? 土団子なんて作って」

「触ってみて下さい。まだあまり固くありません。指を押し込めばご覧の通り突き刺さります」

「確かに」

「ではこれに『固定化』をかけてみて下さい」

「……固くなったわ」

「はい。これで分かったとおり、『固定化』とは現在の形状を維持する魔法であるといえます。もっと具体的な作用の仕方はひとまず置いておいて、つまるところ形を維持する魔法、ということですね。水は形がないもの、という意識があるため、『固定化』の効果の一端である形の維持にはなりませんでした。同様に空気に『固定化』をかけても意味がありません。

 ではこの団子にもっと念入りに『固定化』をかけてもらってもいいですか」

「はい」

「さらに固くなったこの団子をこちらの石ころにぶつけます」

「土団子も石も欠けてしまったわ」

「ですね。あの柔らかかった土団子が、石と同じくらいまで固くなったということです。さっきの段階でも分かっていたことですが、『固定化』は形の維持の中に強度の上昇効果も含まれているとみていいでしょう。

 ところで、砂が石になる。泥団子が石のように固くなる。この二つって似ていると思いませんか?」

「…………『練金』」

「そうです」

「……まさか、『練金』の中に『固定化』が含まれている?」

「はい。僕はそう考えています。『クリエイトゴーレム』に『練金』が含まれているように、『練金』の中には『固定化』が含まれている。

 別の見方をすると、『練金』は『固定化』ともう一つ別種の魔法、おそらくは物質としての性質変化と形状変化を司る魔法を一つか二つ以上併用している。そして変化して生まれた物質を、『固定化』で維持している。ということになるわけです。

 ここまでは理解出来ましたか?」

「……なんとなくは」「ちょっと他に疑問はあるけど、とりあえずわかったと思うわ」「タバサ、これも載っている本あった?」「……(コクリ)」「じゃあアカデミーとかでも分かっていることなのね」

「ではさらに視点を変えてみましょう。

 『練金』は変化後の状態を『固定化』で維持している。つまり土から青銅にした際、青銅は『固定化』で形状や物質の性質を維持している、ということです。

 これには反証もあります。

 最初にギーシュさんのミニワルキューレを斬った際、青銅製から土くれに戻りました。つまり『固定化』が解けて、変化を維持できなくなり、『練金』の効果が完全に失われて、土くれに戻ったわけです。

 そして以前試した小さいな水晶片を水晶の塊にする実験では、念入りに『練金』して出来た水晶塊は、バラバラにしても当初の状態には戻りませんでした。ですがその次にバラバラにした物を疲れ果てたギーシュさんが『練金』して纏めた後砕くと、一発で元のバラバラになってしまいました。

 これらのことをその後の実験から得た考察に照らし合わせると、

 前者は『練金』の形状変化と『固定化』の状態維持効果が完全に水晶に行き渡り、水晶片ではなく水晶塊の状態こそが最も安定した状態となったからでしょう。

 後者はそれが行き渡らず、纏まった形状が安定していなかった為に『固定化』が簡単に崩れ、バラバラの水晶に戻ってしまったからとなります」

「ちょっといいか?」

「はい兄さん」

「気になったんだが、今聞いた話だとさっきの土団子は『固定化』をかけ続けると石になるのか?」

「なりません」

「石を砕いて作った細かな砂で同じような団子作って、乾燥させて水分を飛ばしてから『固定化』をかけ続けてもダメか?」

「試していないので正確なことは言えませんが、おそらくはダメだと思います。そこいらの石以上の固さの土団子は確実に出来上がりますけどね。

 それにあまり知られていませんが、路傍の石も水分を含んでいます。実はこれが意外と多いんです。もちろん含有量に差はありますけど。なので水分を飛ばしてもそれ自体に大きな意味はないと言えるでしょう。

 そしてなにより『固定化』単体で得られる効果はあくまで状態の強制的維持であり、物体同士の結合や性質の変化ではないでしょうから」

「なるほど」

「『練金』の中の『固定化』以外の部分がその石になる変化を司っているからね?」

「その通りですルイズさん。

 『練金』の結合や変化の部分、定義上の魔法名を『変化』としましょう。これが作用していないので、『固定化』だけでは『練金』のように複数の物を一つの物に出来ないのです。水も小さな粒の塊ですので、だから『固定化』では固まらなかったわけです。そして見方を変えれば、『練金』であれば水を完全な石にすることも出来るということですね」

「ん~。ねぇトール」

「なんですかキュルケさん」

「水晶は砕けたままになったのよね? 『クリエイトゴーレム』には『練金』が含まれている。『練金』の中には『固定化』が含まれている。石を砕いて作った砂を固めて『固定化』をかけても石には戻らない。なら、なんでミス・ロングビルの土のゴーレムは直ったのかしら? 『クリエイトゴーレム』に含まれている他の魔法ってこと? でもそうなるとギーシュのワルキューレが壊れたのは?」

「いいところに気が付きましたキュルケさん。それが今回の本題です」

「……前置きが長いわ」

「すみません。今日からロングビルさんも加わったことですし、少し順を追って行かせていただきました」

「お気遣いありがとうございます」

「いえいえ。では本題に入りましょう。

 どなたか先ほどのキュルケさんの疑問に答えられる人はいますか? ――はいタバサ」

「……『練金』……『変化』が解けていないから」

「ちょっと説明が足りませんが、正解です」

「おお、ってどういうことだ? まだ俺には理解出来ないんだが」「今のも本で読んだの?」「……(ふるふる)」「違うの? すごいじゃないタバサ!」「(わたしもわかったけど、新参者があんまり出しゃばるわけにもいかないしね。……次ぐらいか)」「(手を上げたのに当ててもらえなかったんだが……。まあ、『練金』が解けていないから、と答えるつもりだったから、タバサの答えで足りないとなるとぼくは間違いにされていたかもしれないね)」

「進めますね。まずはもう一度お二人に同じ条件のゴーレムを作っていただきましょう」

「「はい」」

「ではこの二体、何が違いますか?」

「土か青銅か?」

「そうですね。そして――兄さん」

「とりゃ」

「ぼくのワルキューレぇ」「わたしのは直りました」

「先に説明したとおり『クリエイトゴーレム』には『練金』が含まれています。そしてギーシュさんはその『練金』部分で土を青銅の人型にしています。そしてロングビルさんの『練金』は人型にしているだけです。

 もう一度ミニワルキューレをお願いしてもいいですか、ギーシュさん。次は壊しませんので」

「……ああ……これでどうだい?」

「ありがとうございます。ではルイズさん、これをお人形だと思っていじって下さい。ギーシュさんはワルキューレを動かさなくていいです」

「わたしもうお人形遊びをする歳でもないのだけど……」

「女性型を兄さんに弄らせるのは少々絵図ら的に問題があったので……」

「「「……(たしかに)」」」「俺もそれは勘弁してほしいな」「……(作ったぼくの立場はどうなのだい?)」

「……それにしても、重いし、これ腕上がらないわよ。これじゃお洋服を変えることができないわ」

「(変えたかったんだ……)さてここで問題です。全身青銅製では、関節が固くて曲がるわけがありません。中までみっちり青銅ですから。でもギーシュさんのワルキューレに代表される金属製ゴーレム達は、稼働時は関節だって当然動きます。なぜでしょうか?」

「……もしかして、『練金』の『変化』だけで人型にしているのか?」

「兄さん正解です。実は『クリエイトゴーレム』には『固定化』がちゃんとかかっていないのです。そしてゴーレムを使う人達は『練金』内の『変化』でゴーレムの体積移動を行い、そこに『念力』も含めることで、あたかも柔らかい金属であるかのように動かしていたわけです」

「ちょっと待って、本題前にトール、『練金』は『変化』で物体の形状や性質の変化をさせて、『固定化』で維持させている。みたいなこと言わなかった? 『固定化』がちゃんとかかっていなかったら、すぐにゴーレムは崩れちゃうじゃない」

「崩さなければいいのですよ、ルイズさん。

 まず前提となる『練金』の工程を纏めると、次のようになります。

 第一段階、『変化』によって形状、性質の変化。

 第二段階、『固定化』による現在の状態の維持。

 大半はここで終わりで、『固定化』が解けると維持力がなくなり『変化』も解ける、いわゆる擬態状態となります。

 ですがさらにここに『練金』を念入りにかけ続け、細かな性質が安定するほど小さく、細かく、丁寧に『変化』を加えていくと、擬態は擬態ではなく、本物となります。つまり青銅であれば斬ったり焼いたりしても土に戻らない、『固定化』が解けても青銅のままの、本物の青銅になる、ということです。

 それでも『練金』商品の質が悪いと言われるのは、この本物状態になっても性質が安定しただけで、前段階の土などがどうしても残ってしまうためです。

 細かい話は分子や原子、電子などの話になるので『練金』のもっと詳しい話のときにしましょう。

 とりあえず、これが『練金』と呼ばれている魔法です。

 そして今話したとおり、擬態状態に『変化』を重ねに重ねることで『練金』は本物を作り出します。

 つまり『変化』は重ね掛けや内容の変更が可能な魔法ということであり、ゴーレムが立っていられるのは、崩れる前に『変化』でその形にし続ければ崩れないからということです。ついでに動かさない部分は『固定化』で固めておけばいいわけですね」

「あー、なるほど」

「そして青銅製などの金属製ゴーレムは、土製と違って青銅の維持のために大量の精神力を使いますわ。そのため一度修復量を超える傷を負うと、『練金』製品でも多く見られるとおり『固定化』が解け、『変化』に費やす精神力が最初に込めた分を越え、足りなくなるために瓦解してしまいます。

 対して土製ですと『変化』は人型への変化のみに使われ、性質変化等に余分に精神力を取られないため、『変化』の体積移動効果で直る余裕が残ります。バラバラの土を維持するのに『固定化』の力をほとんど借りられないため、少々難易度は上がってしまいますけれどね。

 そういうことですわね?」

「完璧です、ロングビルさん。このあたりはさすがにご存知でした?」

「いえ、体感としてはわかっていましたが、ここまで理論立てて考えたことはありませんでした。今までの話と経験則が当たったようですね(――あ、しまった)」

「「……(年の功)」」「さすがトライアングル。ぼくではここまでわかりませんでした」「そういうことかぁ。ロングビルさん頭良いんだな」「……(お腹空いた)」

「え、ええ。ありがとうございます(ピンクと赤いの絶対考えてる……)」

「だがそうなると、金属製ゴーレムは燃費悪くてダメだってことになるんじゃないか?」

「いえ。ロングビルさん、ゴーレムをお願いします」

「はい」

「ではワルキューレと土のゴーレムとで殴り合って下さい」

「……あ、土あっさり負けた」

「当然です。普通の土では金属製と殴り合って勝てるわけがありません。まあある程度再生はしますが、幾らやっても傷をつけられないのでは勝ち目などないのは道理です。……もちろん例外はありますが。

 ロングビルさん。勝っちゃって下さい」

「はい」

「あ! ぼくのワルキューレぇ」

「どうして土のゴーレムのパンチで青銅がひしゃげたの?」

「もしかして今一瞬ミス・ロングビルのゴーレム、手の部分が金属にならなかったかしら?」

「はい。当たる直前に鉄に『練金』したんです」

「なるほどそれで。……それにしても、青銅は一撃で撃沈か」

「ゴーレム戦の上等技術ですね。攻撃でも防御でも応用可能な技術です。ギーシュさんにも以前教えて練習しておくように言ってあったのですが、油断していましたね?」

「面目ない。細かく動かす練習はしっかりやっていたのだが」

「指先や微調整はだいぶ向上してますからそこは認めますけど、攻撃はこれを応用したあればかり練習していてもダメですよ。『練金』速度とかも実戦では重要な要素です」

「あれって?」

「そういえばルイズさんはちゃんと見てませんでしたか。あのときは『爆発』の練習ばかりさせてましたしね。

 ギーシュさん一回やって見せて下さい。小さなゴーレムだと勝手が変わってしまって失敗の可能性があるので、いつもの大きさで。くれぐれも慎重にお願いしますね。的はロングビルさん、ワルキューレと同じサイズの鉄製ゴーレムを。あと暴発の可能性があるので厚めの壁もお願いします」

「わかった」「はい」

「ルイズこっちだ。ゴーレム達の後ろに立ってると危ない」

「う、うん。わかったわ。……でも、前もちょっとだけ見たけどなにあれ? ギーシュのゴーレムが腕を突き出しているけど、あの距離じゃミス・ロングビルのゴーレムには手が当たらないわ。それになんだか腕の形が変になっているような……あ、なんか十字に突き出てきた。あれって……」

「クロスボウだ」

「板バネと弦を『固定化』と『練金』でかなり強化してあるので、人間には引くことすら不可能なほど強力な代物です。矢を番えるのではなく最初からセットした状態で『練金』で作ることで、重量と太さのある矢もある程度連続して撃てるようになっています。

 ああやって体の一部分だけ『練金』で形状を変化させて武器にするのって、あんまりないらしいですね」

「……3・2・1・撃てぇ!」

「――わっ?! え? え? 鉄のゴーレムの当たったところが砕けた? で、でもギーシュのゴーレムは青銅だから、矢も……」

「表面だけ『固定化』でかなり強化してありますが、もちろん青銅です。部分『練金』はしていません。それと貫通ではなく砕いたのは、矢の先端部分、鏃の部分の形状と重さに細工をしたからです。鉄塊相手だからこその威力なんですよ。もちろん貫通力を重視した鏃の形状もあります。

 他には……ロングビルさん。あれやれますか?」

「もちろんです」

「あ、今度は最初から鉄のゴーレムなのね」

「ギーシュさん、ワルキューレを壊されたくなかったら防御させて下さいね」

「青銅で鉄をどうやって防げと言うのだね?!」

「部分的に盾を作って、鉄に『練金』して防げばいいじゃないですか。後は気合いです」

「また腕が変形していく……でもあれだと板バネが後ろすぎないかしら? 肘の後ろから矢が出てしまっているし、それにあれじゃ矢じゃなくて……」

「あれでいいんだ」

「いきます」

「わわ! お、お待ちを!」

「……鉄製なのにギーシュのワルキューレ並みに足が速いわ。ミス・ロングビルってゴーレム動かすの上手なのね」

「今のギーシュはあれより早く走れるようになったけどな」

「そうなの? ……でもクロスボウならなにも接近しなくても――え?!

 パンチしたら……盾ごと貫いちゃったわ。でも鉄のゴーレムも……」

「パイルバンカーという武器です。

 これはロングビルさんじゃないと使えません。ギーシュさんも出来ますが、少々弱いんですよね。ですがロングビルさんだと板バネを鋼で作れる上にレベルの高い『固定化』がかけられ、引っ張り強さや曲げモーメントが――」

「つまるところが男の浪漫というヤツだ。

 実はあれスクウェアクラスが『固定化』かけた石壁も抉るからな」

「大きすぎると質量と精神力の問題で、今はまだ無理ですけどね」

「今はって……土のスクウェアの人なら……」

「最高クラスの攻城兵器になるでしょう。城壁に無傷で接近できればですが」

「でもクロスボウはともかく、パイルバンカーというのはダメそうね。だって使った後があれじゃあね」

「まああくまで浪漫ですから」

「女の子にはわからないか。ギーシュはすぐに理解してくれたのに」

「ロングビルさんも詳しく話したら顔顰めてましたし……やっぱり受け悪いかぁ。

 衝撃強すぎて、一回で腕がもげちゃうしなぁ」

「そこが一番の問題よ」

「金属『練金』したゴーレムですから、一回の打ち込みで腕が壊れると連鎖的に体の『練金』も解けてしまいます。クロスボウ同様引きの加減も難しいですし、部分『練金』と通常以上の『固定化』で精神力も多く消費しますから、実用性が低いんですよね(これで宝物庫に入ろうとしていたわたしが言えた事じゃないかもしれないけどね)」

「(くいくい)……本題」

「ああ、すみません。話が横道に反れていましたね。とはいっても今のも関係のある話でしたが……。

 と、その前に。ギーシュさんとロングビルさん。わかっていると思いますが、クロスボウなどは致死性の武器です。気軽に人には向けないで下さいね。暴発の危険もありますし。

 ギーシュさんは経験がありますが、直進力が高く簡単に風の壁を突き抜けますから。

 逆に風や水の壁だと微妙に狙いが逸れてしまい、牽制のつもりが直撃、とかなりかねません」

「わかっているとも(前の決闘騒ぎで、危うくミスタ・ロレーヌを殺してしまうところだったからね)」「はい(ここら辺があるから甘ちゃんなんだよ、この子は)」

「戦争中でも一撃で殺してしまうと捕虜にした貴族で賠償金取れなくなるので、自重ですよ。これらはあくまで対群、対城壁兵器です。的が大きいオーク鬼とかにも有効ですね」

「「「「……」」」」「……(前言撤回させてもうらうよ……)」

「まあ今のもあって金属に『練金』したゴーレムの長所と短所が大体わかったと思います。

 長所はその強度。

 短所は維持コスト。

 そこで今回はこの長所を伸ばし、短所を改善する方法を考えてきました」

「そんな方法があるのかい?」

「簡単ですよ」

「…………最初から本物の金属を使えばいい」

「あ!」

「そういうことです」

「……たったそれだけのためにここまで長い前置き……?」「でも前置き無いと重要度がわからなかったわ」「聞くとすげー簡単なことに思えるけど、土の二人の反応が悪いな」

「いや、だってだね……」

「そうですわね……」

「実は土系統では定石ではあるんですよ、最初から金属を使ったゴーレム。ただ問題があるんですよね?」

「はい。大きな問題が二つあるんです。

 一つ目は原価です。『練金』製ではない純度の高い金属塊は、どんな種類でも高額です。人間大のゴーレムを一体作るのにかかる量を算出し、ミスタ・グラモンやわたしが人間大作れるゴーレム数分揃えるとなると、とてもではありませんが手が出せません。

 二つ目は重量です。ゴーレムにしていないときは金属塊はただの重りです。一体分でも人が一人で持てる物ではありません。ゴーレム状態で移動させるという手もありますが、精神力の問題もありますので常時とはいきません。そんなことをしていたらいざ戦いとなったとき、精神力切れで戦えたものではありませんから」

「ああ、この二つの問題があるからその場にある土や岩から作られる即席型ゴーレムが主流なんだ」

「じゃあどうするの? まさかトールがそれの解決案を考えていないわけないわよね?」

「もちろんですとも。

 では問題です。ちょっとまた話は戻りますが、『クリエイトゴーレム』の際、なぜ僕は『練金』ともう一つ、『念力』の魔法が含まれていると言ったのでしょう?」

「それはゴーレム動かすために――……あれ? 動かすだけなら『変化』の効果だけで出来ちゃうじゃない?」

「いいところ補助にしかならないな。なくても問題なさそうだ」

「ですが実際はないと動かせなくなります」

「降参よ。どうしてかしら?」

「……キュルケさん、少しでも考えないと憶えませんよ? ギーシュさん達もわかりませんか?」

「ぼくにはわからないな」「……わからないですね」

「タバサは?」

「…………重さ?」

「さすがタバサ。

 単純且つ大雑把にいきますね。全身青銅製であるギーシュさんのワルキューレ。『練金』による擬態青銅とはいえ一体で重量は軽く千二百リーブル(六百キログラム前後)を超えます。

 よしんば立つのには問題がないとして、こんな代物があの足で地に沈まず走ることが出来ると思いますか?」

「『念力』で重量を誤魔化しているのか?」

「はい。全身の重量を念力で均等に上や進行方向へ吊っている状態だと思います」

「それなら『レビテーション』の可能性もあったんじゃないの?」

「『レビテーション』は風系統よ」

「あれ? そうだったかしら?」

「風の初級も初級なので気にしている方も少ないのでしょうね。メイジの方からすると日常魔法の一種ですし。

 なんにせよ『レビテーション』ではないことはほぼ確実なんです。土の初期から出来る『クリエイトゴーレム』に、土に偏っていると苦手な方が多い風が初期とはいえ含まれているとは考え難いですから(本当は風の精霊が集っていないのを知っているからだけど)」

「でも『念力』がどうかしたの? 金属塊の持ち運びなら『レビテーション』の方が出力高い分使いやすいはずでしょう?」

「『念力』を使わなければいけない最大の理由は先ほどタバサが言った通り、重量があるからです。

 ですがもしそれを別の方法で軽減できたら?

 もしくは使用する金属の量を元から少なく出来たら?

 ゴーレムの大きさはそのままに、使用する金属の量を少なくしてさらに丈夫にすることが出来たら?

 重量が少なくなった分、早く動くことも出来るようになったら?」

「そんなムチャクチャな……さすがに東方の賢者トールの言うことでも、そんな事が出来るわけ……」

「バカねギーシュ。出来るからトールは言っているんでしょう?」

「その通りですよギーシュさん。出来るんです。

 何事もやらなきゃ出来ません。諦めは発展の最大の敵です。

 すみませーん! 例の大釜持って来て下さい!」

「お、お待ちを~」「お、重ぃい」「ひっひっふー」

「ちょっと兄さんとギーシュさん、ぼさっと突っ立ってないで彼女達(メイドさん)を手伝って来て下さい」

「ああ――ちょっとそこで待っててくれ、今行く!」

「お嬢さん方、今向かいます!」

「……トールは動かないのね」

「力仕事は苦手です」

「男は頼りがいがあった方がもてるわよ? 指示してばかりでは頼られないって、貴方ルイズに教えてたじゃない」

「その役目は兄さんですから」

「よくわからないわ」「トールのことわかっているのなんて、サイトとタバサくらいじゃない?」「……(ふるふる)」「タバサにもわからないの?」「ミスタ・トールは媚びたくないお年頃ですか?」「否定はしません」「受け流すトールもだけど……ミス・ロングビルも中々言うわね(というか、ミス・ロングビルはトールのこと結構わかってる?)」

「えっさほっさ」

「あ、そこで結構です」

「あいよ。んじゃここで、おっちらせっと」

「サイトさん、ミスタ・グラモン、ありがとうございました」「「ありがとうございました」」

「いいって気にするな」「うむ」

「三人もありがとうございます(兄さんを後ほど賄い場へ向かわせます。好きにして下さい)」

「「「いえいえ(ありがとうございます!)」」」

「では続けましょう。

 この大釜は料理場で使われていた物で、鉄製の立派な物ですが古くなって傷んできたとのことでもらってきました(正確には買い取ってきただけど、ルイズさんの前でお金使っているところを教えない方がいいでしょう)。もちろん擬態ではなく、本物の鉄です。そのため『練金』で修繕すればまだまだ十分使えるものです。

 今回はこれを使って、ロングビルさんにちょっと特殊なゴーレムを作っていただきたいのです」

「どのようなゴーレムですか?」

「とりあえずこちらへ。えっとですね……で、……の中に…………してもらって…………の構造はこの紙に…………」

「これは……難しそうですね」

「無理ですか?」

「いえ、大丈夫です。やってみます。ですが構造が複雑なので、少々お時間をいただきますわ」

「はい。お願いします。

 それでギーシュさんにはさっきも作ってもらったクロスボウのゴーレムをもう一度お願いします。矢も同じ形状で」

「わかった」

「何が始まるの?」

「最強の巨大ゴーレムへ続く偉大なる一歩です」

「浪漫か」

「ええ、浪漫です。ですがまだ問題は山積みです」

「まずギーシュにはスクウェアになってもらわないとな」

「ロングビルさんにもなってもらいましょう」

「ギーシュの一家は土系統が得意らしい」

「ゴーレム技術も相当なものらしいですね」

「最低でもあと三人以上集めて……だよな?」

「そうですね。人型以外のゴーレムを作れるように練習もさせなければいけません。人外ゴーレムの歴史も調べておかなくては」

「個人的にライオンとドラゴンは絶対だと思うんだ」

「近々候補を挙げておきましょう。武器は……ミスタ・コルベールにも話を通しておかねばなりません」

「楽しくなってきたな」

「ええ」

「「ふふふふふ」」

「……男のことまだわかっているつもりだったけれど、ヒラガ兄弟はさっぱりわからないわ」

「同感ね。この二人たまに不気味なのよ。簡単にスクウェアとか言ってのけるし」

「…………」

「どうしたの? タバサ」

「…………やると言ったら、トオルはやる」

「……うー、サイトもやるわね……」

「……犠牲になりそうなギーシュ達がなんだか可哀想になってきたわ」

「――ミスタ・トール! 準備できました! 確認お願いします」

「ありがとうございます。

 ……うん。良さそうですね。さすがですロングビルさん」

「なんだか甲冑騎士みたいなゴーレムね。ワルキューレみたいに細い部分がないわ」

「そういう注文でしたので。

 ミスタ・トール。内骨格というのも言われた通りに出来ていると思います。本物の鉄は外骨格という部分優先でよかったのですよね?」

「ええ。

 ギーシュさんの方はどうですか?」

「とっくに準備完了さ」

「では実験を開始しましょう。みなさん離れて下さいね。

 ではお二方お願いします」

「では……3・2・1・撃てぇ!」

「……矢、普通に刺さったわよ?」

「成功です」

「…………!」

「だから――あれ? 刺さったのにゴーレムが動いて……」

「……自分で矢を抜いて、直っちゃったわ……」

「なるほど。表面の甲冑部分を本物の鉄で作ることで『練金』の維持費をコストダウンさせ、土くれのゴーレムと同じように再生させたわけだな。だがそうなると中がスカスカな分全体は確実に脆くなるはずなんだが……」

「…………砕けなかった」

「さっきは鉄のゴーレムが砕けたものね」

「貫通もしなかったわね。鏃部分が少し刺さっただけみたいだったわ」

「ぼ、ぼくは加減していないよ? ちゃんとさっきと同じ矢を使った」

「わかってるわよ。それでトール、どういう仕組みなの?」

「ロングビルさん、外骨格の兜部分を取ってもらってもいいですか?」

「はい」

「……空っぽじゃない」

「では上に集めて下さい」

「え? ……なにあれ? 何かが頭の形になっていく……」

「泥か」

「ええ、『練金』中の『変化』による泥です。甲冑の中に泥のゴーレムが入っていると思って下さい。内容量的には大体内部の六割ほどが泥ですね。残りは手足や胴を支えるため『固定化』を強くかけた『練金』鉄製内骨格と空気です。泥には硬度が変わるように砂利や粒の細かい粘土なども混じっています。土と水の複合ゴーレムですよ」

「でも泥が入っているだけじゃ固くはならないわ。なんであれしか傷を負わなかったの?」

「そこが元々考え方の違いです。

 逆に固いだけでは簡単に壊れてしまうのですよ」

「どういうこと?」

「ギーシュさん、手の平大でいいので青銅の塊を作って下さい」

「ああ」

「タバサは同じ大きさの水球を」

「……(コクリ)」

「兄さん、この二つを斬って下さい」

「うし」

「……塊は壊れて土に戻ったわね。水はまた水球に戻ったけど」

「実は『コンセンディション』にも『念力』か『変化』に相当する魔法がかかっているからですね。杖先で水球の形を取るのはそのためです。これは土製ゴーレムと同じ原理で術者が魔法を解かない限り自動修復します。

 ギーシュさんもう一度塊を」

「わかった」

「兄さんはこの二つをそれぞれ殴って下さい」

「水はいいが、塊は骨折れるぞ?」

「ナックルガード付けていいですから」

「おし。じゃあ、セイッ! ハッ!」

「……青銅の塊が凹むんじゃなくて砕けた。サイトも大概ね……」

「……僕も本当に砕くとは思っていませんでした。いいところ凹ませて『固定化』が解けるだけだと……」

「おい!」

「でも水球は壊れません」

「そんなの当たり前じゃない。水なんだから――あ!」

「無視かよっ」

「そういうことね」

「……でも……」

「疑問の通り実際はこんなに単純なことではないのですが、大まかには今の例が参考になると思います。

 水などの流動体にとって、斬撃も打撃も衝撃も大して差はありません。それは泥も同じです。

 体全部を本物の鉄塊で作ったゴーレムも『変化』の効果で鉄を流動体のように動かせるため近いと言えますが、硬度が高すぎて動かすのに精神力を多く消費します。そのうえこれも硬度のせいで逆に衝撃力に弱く、特殊な攻撃を受けると砕けてしまうことがあります。その分余計にダメージを負ってしまうわけですね。

 ですが表面だけを本物の鉄で作った外骨格――甲冑で覆い、内部への衝撃力を泥で吸収発散させれば表面の甲冑も砕けないのです。そうなると壊れる箇所は少なくて済むうえ、突き刺さっても実際のダメージは少なくなるわけです。中はどうせ泥ですから。

 使う鉄や『固定化』の度合いはこれから要研究となりますが、総合的な強度は全身鉄製を超えて、修復能力も土製ゴーレムと同じぐらいは確保できると思います」

「それが本当ならすごいじゃないか!」

「確かにすごいわね」

「もしかして、全部本物の鉄塊で作ったゴーレムよりもこっちの方が安いし強いの?」

「ええ。使い手の操作技量に因りますが」

「差が出るの?」

「かなり大きく出るはずです。

 なにせ体重の比率が均等ではないので、今までのゴーレムと勝手が違くなり操作が難しくなります。内部の泥もちゃんと制御しないと流動体のため動きに釣られてしまいますし、泥の密度が低いところで殴ったりしても全身金属ゴーレムより威力はかなり低くなります。空洞になっている箇所で攻撃を受けたら普通よりもかなり脆いです。泥の代わりに砂や土でもいいのですが、泥の方が効率がいいので水も使えるライン以上でないと維持が難しいという問題も在ります。

 操作に慣れが必要で、上級者向けということですね。

 代わりに体重は確実に軽くなり、内部の泥による体積移動をうまく使いこなせば全ての動作が速くなるでしょう。『念力』に頼る部分が少なくなる分を『変化』に回すことになると思うので、その部分にはそれほど精神力に空きは出来ませんが、維持コストも総合では土製より少なくなるはずです。

 現在の最重要課題としては内骨格の最適構造の究明と、軽くなったとはいえそれでもさっきの大釜で重量が二百リーブルほどあるということですね。泥はどこでも調達できますが、やはり一体分でも二百リーブルを超えるとなると、持ち運ぶわけにはいきません。つまりこのままではとっさに使えないということです。あとは大型のゴーレムに応用するために必要な構造も考えなくてはいけません」

「だがこれは軍事拠点用で考えると非常に有用な物だ! さすがはトールだ! すごいじゃないか!」

「ギーシュったらさっきそんなの信じられないみたいなこと言っていたのに、調子がいいわね」

「いえ、本当にすごいですわ。ミスタ・トールは説明の中に含めていませんでしたが、中の構造ですか? なんだか蜂の巣のような構造を足の中とか各所に入れろと言われたのです。どうやらそれがあるのとないのとだと、随分強度に差が出るみたいですね。色々工夫をされているようですわ」

「ふうん。まあ、トールがすごいのは今に始まったことじゃないわね」

「そうね。もう何が何だかわからないわ」

「簡単に言うと、泥のゴーレムに鉄の鎧着せたら強くなるんだよ」

「すっごいざっくりね」

「透のはそこに至るまでの説明と理由だからな。操作方法だけでもゴーレムは動かせるだろうけど、それを知っているかいないかで、実際に動かすときにかなり差が出るだろうしな。

 それに、知らないと気持ち悪いだろ?」

「……まあ、その気持ちはなんとなくわかるかしら」

「あたしにはわからないわ」

「…………よくわかる」

「「……(もしかしてトール、タバサのために説明しているのかしら?)」」

「とりあえず、すでにギーシュさんには似たようなことを始めてもらっていますが、土系統のお二人には今後、この新型ゴーレムを動かすための訓練をしていただくようになります」

「あのゴーレムの指先とか細かく動かすための訓練かい?」

「はい。あれを今度からは中身が空洞で泥が入ったゴーレムに変更して下さい」

「わかった」「わかりました」

「では今日はここまでです。お疲れ様でした」

「「「「「「お疲れ様でした」」」」」」」

 

 



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第15話・夢

原作二巻開始です。


 

「ルイズ、ルイズ、どこに行ったの? ルイズ! まだお説教は終わっていませんよ!」

 

 母の声が遠ざかるのを、幼いルイズは植え込みの影に隠れてやり過ごしていた。

 そんな彼女の視界に誰かの靴が映る。母に言われてルイズを探す屋敷の召使い達だ。

 

「ルイズお嬢様は難儀だねえ」

「まったくだ。上の二人のお嬢様はあんなに魔法がおできになるっていうのに……」

 

 まさか当人が聞いているとは思っていないその言葉に、ルイズは悲しくて悔しくて歯がみした。歯がみして、その場から逃げ出した。

 まだ六歳にしかなっていないルイズであったが、自分の不出来は理解していた。ただの一度も魔法を成功させたことがないことの意味を理解していた。

 

 オチコボレ。

 

 名家ラ・ヴァリエール公爵家に生まれながらもドットスペルの一つ、コモンマジックの一つも使えない、メイジとして欠陥品な自分。だからこそ召使い達も軽々しくルイズの風評を口に出来る。事実であるから、劣っているから、上に立つ者に相応しくないから、ルイズはそう、理解していた。思い込みであろうとなんであろうと、ルイズはそのようにこの召使い達の言葉を受け取っていた。

 

 ルイズは涙を流しながら、母や召使いから逃げ続ける。

 行き着く先は中庭の池に浮かぶ小舟だ。ルイズ以外の誰も来ないこの場所は、彼女が決まって最後にやってくる逃避場所であった。幼い彼女はそこで毛布と霧にくるまりながら一人涙に暮れ、涙が涸れるのを待つのが常であった。

 

「泣いているのかい? ルイズ」

 

 そうしてやっとその涙が涸れてきたころ、霧の向こうからやってくる影があった。マントを羽織り、つばの広い羽根つき帽子をかぶった立派な貴族だ。その顔は帽子の影になっていて窺えないが、ルイズはそれが誰であるのかすぐにわかった。

 

「子爵さま、いらしてたの?」

 

 最近よく晩餐会を一緒にする、近所の領地を相続したばかりの十も年上の子爵であった。ルイズは彼を見て、ほんのりと胸を熱くさせていた。彼はルイズの両親と仲が良く、少し前に彼女の父ととある約束をしていたからだ。

 

「今日はきみのお父上に呼ばれていたのさ。あの話のことでね」

「まあ!」

 

 ルイスは頬が熱くなるのを感じて俯く。

 

「いけない人ですわ。子爵さまは……」

「ルイズ。ぼくの小さなルイズ。きみはぼくのことが嫌いかい?」

「いえ、そんなことはありませんわ。でも……わたし、まだ小さいし、よくわかりませんわ」

 

 ルイズははにかんでいった。帽子の下の顔がにっこりと笑った。そして、手をそっと差し伸べてくる。

 

「子爵さま……」

「ミ・レィディ。手を貸してあげよう。ほら、つかまって。もうじき晩餐会が始まるよ」

「でも……」

「また怒られたんだね? 安心しなさい。ぼくからお父上にとりなしてあげよう」

 

 岸辺から小舟に向けて差し伸べられた大きな手。

 ルイズは頷いて立ち上がり、その手をとろうとした。

 そのとき、風が吹いて貴族の帽子が飛んだ。

 

「あ」

 

 現れた顔にルイズは当惑の声を上げる。

 気付けばルイズの姿は六歳から十六歳の姿になっていた。服装も白のパーティードレスに代わっている。さすがにルイズもここが夢の中なのだと理解して、伸ばしかけていた手を止めた。

 

「サイト……」

 

 帽子の下から現れたのは幼き日に現れた子爵ではなく、使い魔のサイトであった。

 

「さあルイズ。おいで」

 

 その言葉に、ルイズは胸を焦がすような熱を覚えた。

 熱に促されるままサイトの手をとろうとして、また止まった。

 迷いに、ルイズの手が震える。

 夢の中のサイトがさらに手を伸ばしてくる。

 だがルイズは俯き、彼の手を押しのけて、その反動で小舟を沖へと進めた。

 小舟がゆっくりと、だが止まることなく二人を離していく。

 俯いても見えていたサイトの足が、すぐに見えなくなった。

 今のルイズの視界に映るのは、小舟の端と霧と水面だけだ。

 それもすぐに涸れたはずの涙でぼやけて、歪んでしまった。

 

 十六歳のルイズは、毛布と霧に包まれながら、泣いていた。

 

 

 

 

 朝靄の中、いつもの朝練を終えた才人のもとに少女が駆け寄ってくる。彼女の姿を確認した才人は頬をほころばせた。

 

「お疲れ様です。サイトさん」

 

 そういって少女が手渡してくれるのはタオルだ。

 

「ありがとな、シエスタ。いつも悪いな」

「いえ。ミス・ヴァリエールに頼まれましたし。――好きでやっていることですから」

 

 一瞬はにかみ、俯いて顔を黒髪の下に隠しながら、ごにょごにょと何事かを呟くシエスタ。そんな彼女に気付かぬまま、才人はそのタオルで汗を拭い、終えると、交換で水差しを受け取ってレモンの絞り汁を混ぜた水を喉に流し込む。それはハルケギニアでは貴重な、平民がそのまま飲料可能な水だったのだが、才人は知らないままいつも飲んでいた。透がこの場を見ているればシエスタにもっとよく感謝するように、彼女に感謝を込めてなにかしらの贈り物をなどと言い含められていたであろうが、生憎と彼の弟は朝は主人であるタバサが起きるまで部屋を出て来ることはないため、今まで一度もこの場面を見たことがなかった。

 それから少しの間二人は談笑して、それぞれの仕事場へと別れる。とはいえシエスタはキッチンメイドとして厨房へ、才人は主人のルイズを起こしに部屋へ一度戻るだけであり、ここ最近才人はそのルーン効果を生かした薪割りに勤しむようになっていたため、朝食後厨房裏ですぐに会うことになるのだが。

 

 あの貴族邸地下金庫強奪から十日ほど経っていた。

 盗品の内、質に流して問題が無いものは先日ロングビルに顔役を頼み、国内外でバラバラに換金処理してもらっていた。問題があるものはいくつかに分散させて念入りに隠してある。

 そのときにもロングビルは自分が裏切る可能性について言及していたが、その際以前話していた新たな仕事と、新しく思いついた別の儲け話の概要をトオルが彼女にふっかけ、手間賃ぐらいは見逃しますよと付け加えて仕事に向かわせたのを、サイトは苦笑いと共に眺めているしかなかった。

 ロングビルはまだ学院長付秘書の仕事をしている。フーケの正体がバレていないとはいえ、今辞めると土メイジである彼女は後々疑われ可能性があったからだ。本人はセクハラに耐えかねていたらしくとても辞めたがっていたが、トオルに説得されて渋々仕事を続けることとなった。だがそのセクハラも、事件直後にトオルが学院長に一席設けてもらったときからはなりを潜めている。ロングビルがオスマンと共にいる時間が極端に少なくなったからだ。先の席でトオルはロングビルを自身の助手として雇う権利を学院長から獲得、学院長へはその代価としてトオルが独自に進めている魔法研究の途中経過を、ロングビルを通して教えることとした。それにより、研究と称してトオルが学院の仕事にほとんど手が回らないほど彼女を使い始めたからである。トオルの金策の始まりだ。

 

 ただサイトは疑問に思った。この手の知識や研究結果は貴重だとトオルは常々口にしており、ギーシュたちにもトオルが許すまで他者に教えるなと言ってあったのだ。それをあっさり教えることにした理由をサイトが尋ねてみると、ギーシュ達との修行は常に遠見の魔法で見張られており、実は隠すだけ無駄だったとのことである。皆に言っていたのは建前でしかなかったのだ。ならばそれが交渉材料になりえた理由は何かとなれば、発案者による正確な考察はもちろんとして、重要なのは魔法研究者としてのトオルとの繋がり、そして学院の準客員として研究結果を提供しているという事実だろう。とのことだった。サイトにはよくわからなかったが、それで一応の納得はした。

 

 トオルの頭脳はハルケギニアでは強力な武器となる。そのことはギーシュがすでに実証済みだ。しかもそれはサイトのような個人戦力ではなく、比較的短期で多人数を強化する集団戦力。そのうえトオルはサイトとは違い、タバサが主であるがゆえにトリステインを離れる可能性があることを学院長は知っている。だからオスマンは個人的な繋がりを作り、なるべく正確な研究結果を、公式に今の内に得ておくことにしたのだ。

 ただオスマンは当初ここまでロングビルがトオルに付きっきりになるとは思っておらず、給金カットをちらつかせてもロングビルがトオルの助手業を優先させ始めたため、許可を出してきっかけを作ってしまったことを激しく後悔することとなったが。

 

 他にも色々とあった。隠すしかなかった盗品の危険なお宝に関する処置やら、フーケ撃退報酬としてギーシュが提示したどばどばミミズ事件、サイトが提示した自身のルーン調査及び判明した『ガンダールヴ』という正体など、慌ただしいことには事欠かなかった。

 ただし『ガンダールヴ』のことを知っているのはオスマンとコルベール、当事者のサイトと、サイトと共に聞いたトオルだけである。ルイズへ伝えるのはトオルに止められていた。

 

 サイトもコルベールも知らないことであったが、その後にあったオスマンとトオルの話し合いの席でもガンダールヴに関しての話題があがっており、伝説の始祖の使い魔ということや、この情報に関してどこまでの人間が知っているのかなどを確認して、トオルはほっと胸を撫で下ろしていた。実はあの武器屋で購入した物の中に籠手を付ける前にはめる指ぬき革手袋があり、無手のスタイルが基本のサイトはその手袋も武器として意識、任意にルーンの効果を得られることがわかってその手袋をずっとはめていたからだ。気休め程度だが、ルーンに気付く者が少ないに越したことはない。

 

 そしてサイトの身近に起こったもう一つの変化、出来事として、デルフリンガーを得てから始めた剣の修行がある。

 トオル主導によって行われたサイトのルーン『ガンダールヴ』の効果確認の結果、このルーンが持つ効果は武具全般に対する使用最適化及び使用知識の獲得とされた。ただしあくまで扱う事への最適化であり、一時的な瞬発力や筋力にも多大な影響を与えるが、体術の技量そのものは素体のそれと変わりないことが判明していた。

 出会った当初、サイトのルーンを知っているかのような発言をしていたデルフリンガーをトオルは最初に追及したのだが、とうのデルフリンガーは「なんだっけ。忘れちまった。なあんか、思い出せそうなんだがなあ」と宣うだけだった。

 そこでトオルは一計を案じた。忘れたとはいえ、秘密図書に類する情報を知っていたインテリジェンスソードである。剣としての物も悪くなさそうだ。とりあえず思い出すまではこの剣の扱いに慣れたらいい。使っている内に何かあるかもしれない。それに剣を本命と思わせておいて、実戦で邪魔になるなら喋って目立つし最悪囮にも出来る。と。計というよりも、期待していた分からくる八つ当たりであった。それを聞いたデルフリンガーはそりゃねえぜとぼやいていたが、サイトは現在、めきめきと剣の腕を上げている。訓練で学院の衛士と仲がよくなっていたことが幸いして、剣が得意な者に基礎の手ほどきを受けることが出来たのが大きかったらしい。それを反復練習しながら、サイトが修めていた古武術の動きと擦り合わせているところだ。

 あまり知られていないが、柔術の類の中には暗器類を始め剣や槍などの武器を使ったものが多く存在している。特に実践派古武術の動きには武器術を前提としたものが多々あり、サイトが修めた術も元を辿ればそれに近いものであったため、彼は知らぬ間に先祖返り的な修業を行っていた。

 

 そしてその修行の最中、サイトの身のまわりの世話を学院メイドのシエスタがやってくれるようになったのも、変化の一つと言えるかもしれない。

 当初こそサイトはルイズの護衛としてなるべくその側に立っていたのだが、学院にいる限り基本的に危険なことはない。使い魔なので側にいることに問題はないのだが、あまりべったりのなのもとルイズから言われたこともあり、世話になっている学院の方々に恩返ししようと薪割りをはじめ水汲みや荷物の運搬、各種学院の雑務をサイトが手伝うようになった。

 それはいいのだが、如何せん広い学院の構造はサイトにとってまだ不明な箇所が多い。そんな彼への説明などをルイズがシエスタに頼んだのがきっかけとなり、二人はよく一緒に行動するようになっていた。サイトの鍛錬の補佐も、面倒見てやってとルイズがシエスタに頼んだものだ。

 

 これが最近のサイトの日常だった。

 

 そして気付いている者は誰一人としていなかったが、そんな二人を朝早くに起きてふらりと一瞬だけ見る影がいつもあった。ルイズである。彼女はその様子を視界に納めると、また部屋へ戻ってサイトが起こしに来るまで二度寝をする。端から見ると何が目的なのかまるでわからないこの行動がルイズの日常となっていた。

 

 

 

 

 ルイズは自身の想いを理解していた。

 サイト・ヒラガへの想いだ。

 

 平民だが自身と対等でもある彼への恋心に気付かないほどルイズは愚かではなかった。いや、気付かなければいけないほどその想いに追い詰められていた。といったほうが正確だったかもしれない。

 なんにせよ、彼女は出会ってまだ半月も経っていないころには彼に惹かれている自分に気が付いた。最大の原因はあの舞踏会が終わった後だ。ルイズの知らない場所で何人ものメイドが彼をダンスに誘い、片付けの終わったホールで使用人達が踊ったのだという。それは毎年恒例の慰安祭のようなもので学院長公認なのだが、そんなことと知らずぐっすり眠ったルイズはその夜、夢を見た。十年近くも前の実家であった晩餐会の夢だ。そのころの晩餐会にはよく近所の領地の新しい子爵が招待されており、彼はルイズの父である公爵と仲が良かった。そしてその繋がりで口約束ではあったが、ルイズとの婚約話も持ち上がっていたのだ。夢の中でルイズはほんのりとその子爵への想いを灯らせていたのだが、次の日の朝いつもよりも早くに起きて、すぐ側のベッドに寝るサイトを見た瞬間、ルイズは身を焦がすような火と、どうしようもない胸の痛みに襲われた。夢の中で灯った想いとは桁違いのそれに、ルイズはサイトへの想いを自覚せざるおえなかった。

 

 そしてシエスタから聞かされるメイド達とのダンス。シエスタもサイトと踊った一人であった。

 

 ルイズはその胸を抉るような痛みに耐えた。いっそのこと暴れ回ってやりたかったが、夢であんな場面をみたからこそだったのだろう、この時すでにルイズはある決意をしていた。

 

 ルイズの夢は立派な貴族になることだ。貴族の女子の存在定義とはそれ即ち結婚であり、家を血を絶やさぬことである。家徳や家格を失わないよう、夫を支えることである。

 サイトは平民だ。どれだけ有能であろうとどれだけ強かろうと平民でしかなく、魔法を使うことも出来ない。それにルイズはサイトに『立派になる』と約束をした。それは貴族として、上に立つ者として『立派になる』ということ。その為に彼女はそれ相応の相手と結婚しなければいけなかった。

 ラ・ヴァリエールは上位貴族である。そして現在のラ・ヴァリエールのお家状況では、ルイズの結婚相手がラ・ヴァリエールを継ぐ可能性があった。

 

 家に男児が生まれず、長女のエレオノールは色々な都合から相手が決まらない。次女のカトレアは体が弱く、出産などに耐えられる可能性が低い。残ったのは三女のルイズである。領主の貴族家を継ぐ者がいなくなれば領地の民が路頭に迷うようなことになりかねない。故に魔法が使えずとも彼女が貴族としての勤めの一つを全うしなければならない、否、全うできる状況となるのだ。

 

 可能性として、それならそれで相手が入り婿ならば強権を用いてサイトを側に置き、隠して愛人にすることも出来たかもしれない。だがルイズは潔癖であり、不貞を嫌った。彼女は感情的であり、その信念ともいえる高潔さは愚かしいといって差し支えないほどであった。ゆえに最初から愛人にするなどという考えが微塵も浮かばなかった。

 それにサイトはいつか彼の故郷に帰らなければいけないかもしれない。ハルケギニアに残って欲しいが、彼がここの残る決意をしたとしてもそれはルイズが理由であってはならないのだ。彼女は自分がそこまで彼の自由を奪ってしまうことを恐れた。

 

 ゆえにルイズはその想いに蓋をする決意をして、サイトに想いを寄せているシエスタを嗾けた。

 

 同じ人を好いた彼女の想いに気付かないルイズではない。彼女がいつもサイトを目で追っていたことなど百も承知である。そしてサイトも彼女のことが満更でもないことを知っていた。

 彼はなるべく紳士たろうとでもしているのか、女性の前で他の女性の話を振らない。場合によっては視線も向けない。それでもずっと一緒に居れば気付くものがある。それをルイズはちゃんと読みとっていた。

 

 彼がハルケギニアに残るのであれば、それならそれでルイズはその幸せのために心力を惜しむつもりはなかった。自分が彼を諦めることにも、努力を惜しむつもりはなかった。もし諦めきれなくても、自分の胸が痛いだけで済む。彼との約束は果たせる。

 それがエゴであろうがなんであろうが、今のルイズの嘘偽らざる気持ちであり、決意であった。

 

 ゆえに少女は毎夜夢を見る。

 

 彼の手を突き放す夢の先で、飽くことなく涙を流し続ける。

 

 



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第16話・最強

 

「では授業を始める。知ってのとおり、私の二つ名は『疾風』。疾風のギトーだ」

 

 風系統のスクウェア教師の登場に、教室はしんと静まりかえっていた。

 痩身に黒の長髪と同じく黒のマント。冷たく不気味な空気を放つ彼は少々激しやすいところがあり、生徒に人気がない。その上見た目とは裏腹に彼は軍務経験を持ち、教え方は体に憶えさせる形式のスパルタである。

 ゆえに教室を睥睨する彼の目に、ほとんどの生徒は萎縮してしまっていた。萎縮していないのはごく一部の生徒だけだ。

 

 その萎縮しない組にはルイズやタバサにキュルケとギーシュ、そして生徒ではないがヒラガ兄弟の姿などがあった。

 その中からギトーは一人の生徒を指名する。

 

「最強の系統は知っているかね? ミス・ツェルプストー」

「『虚無』じゃないんですか?」

「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いているんだ」

 

 そのギトーの問いに、キュルケは指先で巻いていた髪を解き、くるりと回して元に戻すと口を開いた。

 

「どのような回答をお望みですか、ミスタ・ギトー。環境を複数用意して全てを同クラスとした場合の、個人戦で最強? 集団戦で最強? 抜き打ちで相手の系統を知らないまま戦ったら最強?」

 

 ほう、とギトーが刮目する。

 

「ではその全て答えてもらおうか」

「はい。では、一対一の個人戦では風系統が最も勝率が高く、小隊編成以上での集団戦では全系統を混ぜた混成部隊が最も勝率が高く、抜き打ちで戦ったら――」

 

 ちらりとキュルケの視線が近くに座るルイズを捉えた。

 

「ルイズの爆発が最強ですわ」

 

 ざわりと教室が喧噪に包まれた。

 ぎょっとするルイズをおいてキュルケは席に着き、ギトーはくつくつと笑う。と、途端、

 

「静かに!」

 

 と魔法で拡声した渇を入れられて教室はまた静まりかえった。

 

「中々面白い回答だ。では答え合わせをしよう。まず集団戦だが、集団戦とは即ち戦争だと言える。その場合、堅固な土で防ぎ隠れ、目に見える脅威の火であぶり出し、生命の源となる水で仲間を癒して、縦横無尽な風で追い詰め、決する。これが軍人の戦い方だ。そうだな? ミスタ・グラモン」

「はい。ミスタ・ギトー。戦術に関してはその都度最良を求める必要がありますが、そのためにはどの系統も欠かせません」

 

 陸軍元帥の父を持つギーシュが答える。

 

「うむ。故にこの場合どの系統が最強か? とは無意味な質問となる。答えは、どの系統も『必要』だ」

 

 元軍人としての教えなのだろう。いつもより上機嫌に彼は語る。

 

「では次に個人戦での最強と、抜き打ちでの最強だ。これは今この場で試してみようじゃないか。ミス・ヴァリエール」

 

 ギトーが腰の杖を引き抜いた。その途端に彼の威圧感は増し、表情には怒りが混ざる。ざあっと生徒達の列は割れ、ギトーとルイズの間にいた者達は一斉に後退した。

 

「この私にきみの『爆発』をぶつけてきたまえ。最近広場の方で粋がっているらしいが、『失敗』は『失敗』であると教えてあげよう」

 

 ぴくりと、数人の生徒の表情が変わった。

 主に彼の視線に萎縮していなかった者達だ。

 そこにあるのもまた怒りである。

 

「ミスタ・ギトー、それでは前提が変わってしまいますわ。ミスタはすでにルイズの爆発を知ってますし、ルイズもミスタの風を知ってます。抜き打ちにはなりませんわ」

 

 展開に着いていけずに狼狽するルイズを置いて、表情が変わった一人、キュルケが話を進めた。

 ただ一言、言い出す前にルイズに小さく「あたしのせいでごめんなさい」と謝りを入れて。

 彼女としては最初にルイズの爆発最強説を唱えたのは、純粋に訊かれたからだ。ただそれだけのつもりであったのに、このような事態に発展してしまった。

 

「私がミス・ヴァリエールの爆発を受けるのが初めてでは、ダメだろうか」

「条件がまるで違いますわ。ただ、」

 

 なにやら微笑むトールをキュルケが見る。実は先ほどの前提云々のキュルケのセリフを用意したのは彼であった。タバサの風を使って耳元へ声を届けているのだ。

 

「ただ?」

「ミスタがわたし達にまだ見せたことがない最高の風魔法を使い、ルイズの爆発をその場で動かず受けきっていただけるのでしたら、条件が適うかと思いますわ」

 

 そしてトールは風の声をルイズにも届ける。

 ルイズはまた驚かされて彼に振り向き、ギトーはちらりとルイズを見て、ふむ、と頷いた。

 

「それでいいだろう。では諸君、まず先に教えておこう。個人戦において『風』が最強だ。理由は簡単だ。『風』は一つで全てをなぎ払う。『土』も、『火』も、『水』も、『風』の前では立つこともすらできない。故に土は固い塹壕を築いて潜り、水は水底に潜んでやり過ごし、火はその陽炎の先に姿を隠すしかなくなる。残念ながら試したことはないが、『虚無』さえも吹き飛ばすだろう。それが『風』だ」

 

 ここの教師は自身の系統に少々傾倒しすぎるきらいがある。とくにスクウェアにまでなったギトーは風に強い思い入れを持っているようで、少々以上に風の評価が高いのだ。その敬愛する風系統は不可視であることと自由度の高さに大きな利点を持つため、抜き打ちではルイズの『失敗』に劣ると言われたことを腹立たしく思ったのであった。

 そのうえ戦闘魔法に傾倒しているため政治面に明るくなく、色々考えが足りないところがあるというおまけが付く。このギトーも見た目に反して脳味噌まで筋肉のような風系統で埋まっており、ここは軍務学校ではないのに平気で上位貴族にも魔法を撃ってくるのだ。だから挑発すれば簡単に乗ってきてくれる。

 

「目に見えぬ『風』は、見えずとも諸君らを守る盾となり、必要とあらば敵を吹き飛ばす矛となるだろう。そしてもう一つ、『風』が最強たる所以は……――」

 

 ギトーは杖を立て、精神を集中して、低く呪文を詠唱する。

 

「――ユビキタス・デル・ウィンデ」

 

 すると、ギトーの姿がぶれた。

 一部生徒が目を擦りしっかりとその姿を見ようとしたが、ギトーが真ん中に立ったままさらに左右に一人ずつ分かれてしまったので、また擦っていた。

 擦っても変わらないその状況に、「おお~」と生徒達からは感嘆の声が湧き上がる。

 

 ギトーが三人、教卓の前に立っていた。

 

「「「『偏在』。風のスクウェアスペルだ。このようにまったく同じ自分を作り出すことができる。もちろん、この状態でそれぞれが魔法を使うこともできる。単純に偏在の数だけ戦力が増すというわけだ」」」

 

 そして三人のギトーは改めて杖を構えた。

 

「「「私はこの場に立ち防御だけをしよう。三重の防御だ。伝説の風、『烈風』カリンでもなければ、抜くことはできん。ミス・ヴァリエールは遠慮無く『失敗』をぶつけてきたまえ」」」

 

 ギトーは知らない。その伝説の風の使い手、カリンことカリーヌがルイズの実母であることなど。ルイズが彼女譲りの瞬発力と負けん気、そして集中力でこの短期間で得た力の正体を。

 

 ルイズは困惑しながらもトールを見て頷かれ、サイトを見て苦笑いで「許す」と言われると、おっかなびっくりといった様子で腰から杖を抜いた。

 

「ほ、ほほほ、ほんとに、だだ、大丈夫、か、かしら?」

 

 ガチガチである。

 彼女のこれまでの爆発をよく知るクラスメイト達はタバサ達を除いてすでに教室後方に陣取り、バリケードと防御魔法の準備に取りかかっている。

 

「大丈夫だって。いつもワルキューレにやる調子でいけば問題ない。あのときとはもう違うんだ。手加減の仕方も完璧だろ? それにタバサも補助してくれるんだよな?」

 

 サイトの声に、タバサはただコクリとだけ頷く。

 

「「「どうした? やってこないのかね?」」」

「ほら、お待ちかねだぞ。ルイズ。お前の魔法のお披露目だ。あ、ギトー先生! 早撃ちでもいいですか?」

 

 早撃ちとは、決闘の形式の一つだ。お互いに杖から手を離し、何かの合図にあわせて杖を抜くところから勝負を始める形式である。

 

「「「なんでも構わん。風の速さには追い付かないのだからな」」」

「じゃあこのコインが合図でお願いします。いいってよルイズ。ほらほら一度杖仕舞って」

 

 固まったままのルイズからサイトは杖を取り上げ、腰のホルダーに戻す。

 それからその手をふにふにと揉んで緊張がとれるようにくすぐってやると、もうっ、といってルイズはサイトの手を振り解き前を向いた。

 そんなルイズの様子に満足したサイトはすぐにいつも通りの立ち位置である彼女の後ろに控えてしまったので見ていなかったが、ルイズの顔は真っ赤であった。

 

 ただその表情はどこか泣き出しそうなものであったので、横から見ていたキュルケなどは心配したのだが、ルイズはすぐに顔色も表情も改めると、「始めます」とだけ言ってマントを大きくばっと広げた。

 

 どこかゆっくりとはためき落ちてくるマント。

 ルイズが言うと同時にサイトが弾いたコインが、両者の中央付近へと落下していく。

 

 カツッ

 

 とコインが床を叩く音が聞こえるか聞こえないかの刹那の後には、ルイズは杖を抜いてギトー達へと杖先を向けていた。

 

 だがそれはギトーも同じ事である。彼もほぼ同時に杖を抜き、構える動作と共にスペルを詠唱し始めていた。

 

 しかし唱え終わるより早く、偏在の一体が消える。

 

 終盤まで唱えたところで、二体目が消える。

 

 ぽんぽんとなにか軽い音が彼の耳に届いたときにやっと唱え終えた防御用のエア・シールドはしかし、発動しているのにも関わらず、ギトー本体は正体不明の小爆発に襲われて吹き飛ばされた。

 

 ルイズの爆発は任意の場所に起こせる。故にシールド系を張ったところで意味は無く、しかも詠唱もロックやライトなどの簡易なもので足りるため、速さにおいても敵うわけが無い。

 そして今のルイズは爆発の指向性すらも多少操ることが出来るようになっていたため、ギトー以外に爆発の衝撃がいくことはなかった。

 吹き飛ばされたギトーを襲った衝撃も前回のミセス・シュヴルーズのときと比べて非常に優しいものであり、どんと強めに押されたぐらいなものであった。

 しかもそのギトーの後方へ向けてタバサが弱めのウィンドを予め放っており、それをクッションにしたギトーは倒れることもなくその場に留まった。

 

 ただ衝撃とウィンドの風向きの関係でくるりと半回転してしまい、半回転した先で突然教室へ駆け込んできた珍妙な格好のミスタ・コルベールとご対面を果たすこととなったうえ、バランスを崩したため――

 

 ちゅっ

 

 教室中に響いたかのように思われたその音は幻聴かそれも現実だったのか。

 

 あまりの衝撃的出来事にミスタ・ギトーはその場で失神し、ミスタ・コルベールも何故か被っていた金髪ロールのカツラごと残り少ない頭髪を床に撒き散らして、その日の授業は終了となった。

 

 これによりルイズの爆発は新たな歴史を刻むこととなり、学院中でより恐れられるようになるのは余談である。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 魔法学院の正門をくぐり現れた一団を視界に入れると、整列した生徒達は一斉に杖を掲げた。

 

 一団の中央に位置する馬車は金銀プラチナでかたどられたレリーフで着飾り、聖獣ユニコーンと水晶の杖が組み合わさる紋章が彫られていた。これはトリステイン王国の王女がその馬車の主あるという意味であった。馬車を引く馬も紋章通りに四頭のユニコーンだ。

 

 そう、トリステイン魔法学院に、突如王女が訪問に訪れたのだ。

 授業中に乱入してきたミスタ・コルベールはこのことを知らせようとして駆け込んできたのだ。

 ただしめかし込んだ後で。

 もしくは変装しようとした後で。

 金のロールカツラに派手な刺繍入りローブやマントなど、あれはもうすでにおめかしの範疇ではなかった。

 

 ともあれ不慮の事故により連絡が行き渡るまでに少々時間がかかったものの、無事学院側の歓待の用意は終わり、王女一行も到着したわけである。

 

 呼び出しの衛士が、声を張る。

 

「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおな――――り――――――ッ!」

 

 しかしがちゃりと馬車の扉が開いて現れたのは御年十七歳だという王女ではなく、坊主が被るような丸い帽子に灰色ローブの痩せぎすの老人であった。現在王が不在となっているトリステイン王国を事実上切り盛りしている、枢機卿のマザリーニである。

 彼はロマリアから来たという過去やその血に平民が混じっているという噂から、貴族からは嫌われ、嫉妬ややっかみもあって平民からもあまり好かれていなかった。

 

 ゆえに王女を期待した貴族生徒らから一斉に鼻を鳴らされる。

 だが彼はそんなことは露ほども気にせず馬車の横に立つと、続いて降りてくる王女の手を取った。

 

 途端生徒達から歓声があがる。

 わずかに栗色セミロングの髪と、薄いブルーの瞳。すらりと鼻筋の通った美貌や優雅に手を振る仕草などには、たしかに気品らしきものが窺えた。

 

「あれがトリステインの王女? ふうん、あたしの方が美人じゃないの」

 

 キュルケがつまらなさそうに呟く。

 

「ねえ、お二人はどっちが綺麗だと思う?」

 

 尋ねられたのはヒラガ兄弟だ。

 二人は真剣な表情でうぅんと唸る。

 

 サイトはそれぞれ甲乙付け難いという意味と顔立ちの美人度ならルイズの方が、愛嬌ならシエスタの方が、などと考えていたため。

 

 トールは王女というわりに品があるだけでイザベラやタバサのような意志力が感じられないな、などと考えていたため。

 

 答えに詰まっていた。

 

 サイトのは完全に好みの問題であったし、トールのはもうすでにキュルケの話を聞いていないうえ王家別で比べていて問題外であった。

 それにトールにはどうしても気になることがあったのだ。

 

(王女の馬車から枢機卿が出て来るとか、問題すぎる。こっちじゃこれくらい普通なのかな? 嫁入り前の王女の馬車に、老いているとはいえ男性の枢機卿が二人っきりで一緒とか。大問題でしょう。……なんにせよ、トリステイン王家が政治的な権力(つえ)を持っていないのは噂通りということか)

 

 先王が崩御して早数年。トリステインの王座は空のまま埃を被っている。

 それというのも、王妃が夫であった先王の喪に伏したまま継承を拒み、王女も当時まだ幼かったため王妃を差し置いて女王とするのも憚られ、それがずるずると長引いて現在までそのままとなっているからであった。

 そしてその間の政を取り仕切っているのが鳥の骨と揶揄される、実はまだ四十代の見た目老人、枢機卿のマザリーニである。

 聞けば彼があそこまで老いたのは政務を仕切るようになってからだという。トールも現在のトリステインの腐敗度は理解しつつあったので、それを保たせている彼の苦労は如何ほどのものかともあの姿を見て考えたが、それでも先の一緒の馬車という点が気になっていた。

 

(完全に示威行為だ。貴族学校まで来てそれをやるってことは、どれほど現王家がお飾りであるかを知らしめようとしているということ。表向き貴族受けが悪い彼がこれまで王宮で生き抜いたどころか政務を仕切れた(杖をふれた)のは、やはりなにか裏がありそうかな。……まさか王家の弱体を広めてクーデターでも起こさせたいとか? でも現在の彼の人気ではその対象は彼自身になりかねないし、彼の政策を聞くに王権の失墜が目的とは思えない。……彼に成り代わろうとするものを捜している? ……いや、もしや彼の国で起こっているというあれを考えると、やはり……――)

 

 完璧に思考に没頭している様子のトールを放って、キュルケはサイトに詰め寄る。

 

「サイト、ねえ、どっち?」

 

 だがサイトもそのときにはすでに別のものを見ていた。

 王女でもキュルケでもない、どこか呆けたような表情をしたルイズの視線の先にいた男である。

 見事な羽帽子を被った凛々しい貴族騎士であった。グリフォンに跨るその姿は非常に様になっている。

 ルイズが見ていたので気になって視線を追ったのだが、サイトが彼を見た瞬間に目が合い、怖気が走ったのだ。

 サイトは強者を知っている。彼を鍛え上げた師匠や兄弟子達は本当に化け物のように強かった。だがそんな中でもあんな目をする人物は一人しか知らない。あれは、一度だけ師匠が見せた眼光だ。彼の師は八十を過ぎた枯れ枝のような老人であったが、戦争に参加し、人を殺した経験があった。そんな師匠がサイトが力の使い方を間違えたときに見せた眼光にとてもよく似ていた。

 だが……

 

(……違う。師匠のあれとは違う。殺気とかじゃない。あれじゃ、いつでも殺せる目だ。そこらじゅうの誰であろうと、殺せる目だ……)

 

 纏う空気が冷たく変わったサイトを見て、キュルケは自分がなにか失敗したのではないかと一瞬焦ったが、ルイズも同じ方向を見ていることから彼女の思考は別方向への理解を示し、訳知り顔になる。

 

 それから今日も今日とてトールと手を繋ぎ、やることがないのか彼の顔を見上げているタバサに言った。

 

「あなたたちは相変わらずね」

 

 だがタバサはキュルケを見上げ、しばし考えた後、首を横に振り呟いた。

 

「変わらないものなんてない」

 

 



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第17話・姫殿下

 

 その日、アンリエッタ王女が学院に泊まっていくとのことであまり下手な行動は取れないとなり、夜の森での訓練が取りやめとなったタバサとトオルは部屋でのイメージトレーニングを行う予定だった。

 だがその予定も、トオルの能力によって捉えられた複数のメイジの反応によって中止となった。

 

(室内に水のトライアングル下位が一名。部屋の扉前に土のライン下位が一名。少々離れた外壁に寄り添うように風のスクウェア上位が一名ですか)

 

 指さしで合図を送り、床面を視界に納めたトオルの思考をなぞるようにタバサもそれぞれの位置を確認して、最後の外壁のところで杖を握る手に力を入れた。そんなタバサにトオルは首を横に振り、力を抜かせると、ジェスチャーと口パクで授業中に使ったのと同じ、声を相手の耳元に直接届ける魔法を使うよう指示した。

 頷いたタバサが魔法を使い、二人の耳と口に空気の道を作る。さらに今度はトオルが風の精霊を床下へ向けて解放し、緑色の流れを作り上げると、二人して床へ耳を付けた。

 風メイジが音に敏感なのは、風の精霊が運んで来る音を拾うのが得意だからだ。その風の精霊の濃度を上げることでトオルはともかくタバサは擬似的に聴覚が増すことが出来る。

 二人のラインを繋げたのは、外の風メイジに声が漏れないようにするためだった。

 

(ガリアからの動き……というわけではなさそうですね)

 

 耳を澄ませたトオルにも、わずかにだが下からの音が届いてくる。

 

「姫殿下!」

 

 聞こえてきたのは、ルイズの慌てた叫び声であった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 ルイズの部屋に突然訪れた黒子のように真っ黒な輩が杖を引き抜いたのを見た瞬間、サイトの体は動いていた。

 一瞬でサイトはその真っ黒から杖を取り上げると近くの自分のベッド上へ投げ飛ばし、続いて片腕の関節を極めていた。

 ベッドへ投げたのは掴んだときに相手が女性だとわかったので、石床の上は可哀想かと思った中途半端な優しさからであった。

 

 それでも油断はしない。この間のフーケも女性だったのだから、襲撃者が女性であってもなんらおかしくはないのだ。

 

 だがベッドの上で被っていた黒頭巾がはだけ、覗いた顔にサイトはうっと息をのんだ。痛いと小さく呻かれた声にサイトも正気を取り戻し、慌てて手を離すと、彼女をベッドに押しつけていた膝をその背中から退ける。

 ルイズも黒子の正体に気付いたようで、慌てて彼女を起こしにかかった。

 

「姫殿下!」

 

「ああ、ルイズ」

 

 ルイズの手を取り、黒子の正体、未だ呆然とした様子のアンリエッタ王女が立ち上がる。

 夜更けに突然、トリスタニアの王女が姿を隠して訪れたのだ。

 お怪我はありませんか? どこかお加減が悪いところは? 大丈夫ですよルイズ。などとやりとりを終えると、すぐさまルイズは片膝をついて頭を垂れる。臣下の礼だ。

 

「申し訳ございません! 護衛の者が襲撃者かと勘違いしてしまったのです! なにとぞご容赦を!」

 

 サイトも慌てて同じ体勢をとる。アンリエッタに忠誠誓った憶えもないし、正確にはサイトに非があるようには思えなかったが、どう考えても立場上問題ありであったし、主人であるルイズに迷惑をかけるわけにはいかなかったためである。

 

「良いのです、ルイズ。言付けもなくやってきたのはわたくしなのですから」

 

 そう言うと、王女は徐々に感極まった表情を浮かべていき、礼をとり続けていたルイズを抱きしめた。

 

「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」

 

 力一杯の抱擁である。

 

「姫殿下、いけません。こんな下賤な場所へ、お越しになられるなんて……」

「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! あなたとわたくしはおともだち! おともだちじゃないの!」

「もったいないお言葉でございます。姫殿下」

「やめて! ここには枢機卿も、母上も、あの友達面をしてよってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族たちもいないのですよ! ああ、もう、わたくしには心を許せるおともだちはいないのかしら。昔馴染みの懐かしいルイズ・フランソワーズ、あなたにまで、そんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!」

 

 仰々しく、むしろ暑苦しく語るアンリエッタ王女を、サイトは若干引き気味に見ていた。王女の言葉には小さくながらも身振り手振りが加わっており、なんでこんなにも歌劇調なのかとつっこみを入れたくてウズウズしていた。綺麗だから様になってはいるのだが、初めてギーシュと対面したときに感じた居たたまれなさを覚えてしまい、初見時にどことなく儚さを漂わせていたので、そのギャップでサイトの中のイメージが強烈なものになりつつあった。

 

「姫殿下……」

 

 対してトリステイン貴族であるルイズは自室に王女が訪ねてきたとあって、そんな違和感も吹き飛んでいたし、昔からこの王女は大げさなところがあったので気にしていなかった。

 

「幼い頃、いっしょになって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって!」

 

 今の情報に、恥ずかしそうにサイトをチラリと見たルイズがはにかみ、応える。

 

「……ええ、お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ポルトさまに叱られましたわ」

「そうよ! そうよルイズ! ふわふわのクリーム菓子を取り合って、つかみ合いになったこともあるわ! ああ、ケンカになると、いつもわたくしが負かされたわね。あなたに髪の毛をつかまれて、よく泣いたものよ」

 

 実は今もあまり変わらないのだが、非常にお転婆であった自分の過去を晒されたルイズが顔を赤らめ、またサイトを見る。だがサイトはサイトで現在感じている居たたまれなさをどうにかしようと、つっこみを抑えようと、先ほどから必死で下を向いていた。

 ルイズはルイズでそんなサイトの様子に酷く狼狽え、口を滑らせる。自分よりも相手の方がお転婆であったのだと。

 

「いえ、姫さまが勝利をお収めになったことも、一度ならずございました」

「思い出したわ! わたくしたちがほら、アミアンの包囲戦と呼んでいるあの一戦よ!」

「姫さまの寝室で、ドレスを奪い合ったときですね」

「そうよ、『宮廷ごっこ』の最中、どっちがお姫さま役をやるかで揉めて取っ組み合いになったわね! わたくしの一発がうまい具合にルイズ・フランソワーズ、あなたのおなかに決まって」

「姫さまの御前でわたし、気絶いたしました」

 

 それから王女はあはははと笑い、ルイズはサイトを気にしながら口元を隠しながら冷や冷やとした様子で笑んだ。ルイズはサイトとどうこうなろうという気はない。だがそれでも好いた男に悪く思われるのを我慢できるほど、出来た心構えも経験もなかった。

 

「調子を戻してきたわね、ルイズ。ああいやだ。懐かしくて、わたくし、涙が出てしまうわ」

 

 ルイズとアンリエッタは幼少のころ、一緒に遊んだ仲であった。王宮から出ることが叶わなかったアンリエッタのもとへ、王家の血も混じる準王族であるラ・ヴァリエール家から歳も近いルイズが通っていたのだ。

 だがそれももう随分と昔のこと。先王が崩御してからは国政は徐々に荒れていき、王宮の内部にも不穏な空気が漂うようになってからは久しくルイズは王宮へ出向いていなかった。

 

「でも、感激です。姫さまが、そんな昔のことを覚えてくださっているだなんて……。わたしのことなど、とっくにお忘れになったかと思いました」

 

 アンリエッタは深い溜め息を吐くと、ベッドに腰かけた。

 

「忘れるわけないじゃない。あの頃は、毎日が楽しかったわ。なんにも悩みなんかなくって」

 

 そこに溜め込んだ憂いや疲れがよくわかる声である。

 

「姫さま?」

「あなたが羨ましいわ。自由って素敵ね。ルイズ・フランソワーズ」

 

 アンリエッタの視線が窓の外、遠くどこかへ投げられる。

 そんな彼女をルイズは心配そうに覗き込んだ。

 

「なにをおっしゃいます。あなたはお姫さまじゃない」

「王宮に生まれた姫だなんて、籠に飼われた鳥も同然。飼い主の機嫌一つで、あっちへ行ったり、こっちに行ったり……」

 

 なにを当たり前のことを、とサイトは思った。その籠に飼われている間は衣食住に困ることなどありえない。そしてその象徴としての存在が必要で支えられているのだと、皇家を持つ日本の国民として生まれたサイトは知っていた。だが同時に可哀想だなとも思っていた。日本の一般家庭人として生まれたサイトは自由を教えられて育った。その自由には色々と不自由もあったが、少なくともここいるお姫さまよりは自由であった。だから全て決められてしまうことに、忌避感を覚えてしまっていたのだ。どちらも彼の本心であり、結局そのことに対する答えを出すのはこのお姫さま本人なのだと考えて、ただ黙って彼は俯いていた。

 窓の外からアンリエッタの視線がルイズへ戻ってきて、覗き込んでいた彼女の手をとりにっこりと笑う。寂しい笑みであった。

 

「結婚するのよ。わたくし」

「…………おめでとう、ございます」

 

 突然の話題に、ルイズは動揺した。その二文字は現在のルイズにも重くのしかかる課題であったからだ。

 そしてアンリエッタの声に含まれた悲しみと寂しさを、ルイズは正確に受け止めていた。望んだ相手との結婚ではない、好いた相手との結婚ではないのだと、彼女もまたその心の内に住む人がいて、抱いた想いを遂げることは叶わないのだと、理解した。

 先ほどの、あなたはお姫さまじゃない、という発言に深く反省しつつも、祝言しか吐き出せない自分を悔しく思った。

 

 そんな彼女の様子に気が付いたアンリエッタが、ルイズの手の甲を撫でる。

 

「あなたは悲しんでくれるのね。ルイズ・フランソワーズ」

「……姫さま、わたしは」

「いいのです。ルイズ。その気持ちだけでわたくしは嬉しい」

 

 望まぬ結婚という話題に気持ちが沈んでいたルイズは気付かないでいた。アンリエッタが、ルイズが感じた悔しさを悲しみと言ったことの、その齟齬に。ルイズが自らその道を行くことを決めたのと違い、この目の前の友人は仕方なくその道を行くことにしたという差に、気がつけずにいた。

 

 それっきりルイズはなにも言えなくなってしまい、しばしの間沈黙が流れる。

 と、そこでアンリエッタの視線がルイズの横で控え続けていたサイトへ向いた。

 

「こちらの方は?」

「あ、わたしの護衛で使い魔の、サイトです。先ほどはこの者がとんだご無礼を」

「もう。また戻ってしまっているわ、ルイズ。おともだちでしょう……使い魔?」

 

 きょとんとした視線がサイトに突き刺さる。

 

「人にしか見えませんが……」

「人にございます。アンリエッタ姫殿下」

 

 サイトが一礼と共に応える。

 

「はぁ、ルイズ・フランソワーズ、あなたって昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」

 

 まじまじとサイトを見回したアンリエッタが感心したように言葉を漏らした。

 人が使い魔などという話は、アンリエッタでも聞いたことがない話である。おとぎ話や彼女が趣味にしている歌劇の脚本でも聞いたことがない題材だ。

 

「ああ、そういえばこんな話を聞きましたわ。なんでもルイズ、あなた風のスクウェアを倒したのですって?」

 

 言われて思い当たったのは、昼前に教室であった一幕だ。

 

「ど、どうしてそれを?」

「その様子だと、本当なのねルイズ! すごいわ! 今日学院に来るのに、こちらにルイズが通っていることを思い出したのよ。とっても懐かしくてオールド・オスマンにルイズの様子を尋ねてみたら、そんな話が聞けましたわ。あなたは変わっていて、とってもすごいわたくしのおともだちなのですね」

 

 そう言って、アンリエッタは溜め息をついた。

 

「あなたと比べてわたくしは……」

「姫さま? どうなさったんですか?」

「いえ、なんでもないわ。ごめんなさいね……、いやだわ、自分が恥ずかしいわ。あなたに話せるようなことじゃないのに……、わたくしってば……」

「おっしゃってください。あんなに明るかった姫さまが、そんな風に溜め息をつくってことは、なにかとんでもないお悩みがおありなのでしょう?」

「……いえ、話せません。悩みがあると言ったことは忘れてちょうだい。ルイズ」

 

 その言葉に、ルイズは彼女の力になりたいと思った。自分と同じ道を行こうとするこの目の前の友人の、せめて悩みぐらいは聞き、少しでも楽にしてあげたいと考えたのだ。

 

「いけません! 昔はなんでも話し合ったじゃございませんか! わたしをおともだちと呼んでくださったのは姫さまです! その友に、悩みを話すこともできないのですか?」

 

 ルイズの発言に、アンリエッタは嬉しそうに微笑んだ。

 

「わたくしをおともだちと呼んでくれるのね、ルイズ・フランソワーズ。とても嬉しいわ」

 

 そして決心したように頷いた王女を、サイトは冷めた目で見ていた。

 

(……ルイズが悩みと言い出したのにこの王女、悩みがあるといったのは忘れてちょうだいとか……都合良く話を進めるあたり、愚痴って甘えたいだけか。ルイズも妙にテンション上がって気付いていなさそうだけど。これで王族はちょっと拙いなぁ。これはさっさと嫁に行って大人しくしてもらっていた方がいいタイプだ)

 

「今から話すことは、誰にも話してはいけません」

 

(――は? まさか、国家機密とかか? こんなところでそんな話するつもり――)

 

 アンリエッタの視線がサイトへ向く。

 サイトはそれに気付いて、聞く気満々のルイズをちらと見て、内心の溜め息とともに居住まいを正した。

 先のような発言をした後だ。諫めたところで、ルイズはこのままこの王女の話を聞かないという選択肢は取らないだろう。最悪サイトを追いだして聞くだけだ。

 彼にはルイズだけに危ない橋を渡らせる気など、さらさら無かった。それにこの甘えたがりな王女のことだ。存外に大した内容などではなく、ルイズに友人として愚痴るだけで終わるかもしれない。

 すぐにサイトはその楽天的な考えを改めることになるのだが、そう考えた彼は口を開いた。

 

「使い魔とメイジは一心同体。お許しがいただけるのならば、ここにあろうと思います」

 

 アンリエッタは頷き、悲しそうな顔をしたあと、語り始めた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 話を要約するとこうだ。

 アンリエッタの嫁ぎ先は隣国、帝政ゲルマニア。それというのも現在アルビオン王国では貴族が反乱を起こしており、王室の負けはほぼ確定している状態。貴族派が勝った場合、次の標的になりそうなのがこのトリステイン王国。だが現在のトリステインではこの貴族派に勝つのは難しい。故にトリステイン貴族が蛮族と蔑むが国力が高いゲルマニアと同盟を結ぶことを望み、正当な始祖ブリミルの血筋を持たないゲルマニアはその血筋であるアンリエッタ王女を、正当な手続きでもって欲したのだ。

 

 ここまではただの愚痴で済まされる。本当は済まされないけれども、これ自体によって命を狙われるとか、そういったレベルの話ではなかった。

 

 だが話は続いた。

 なんでもこのアンリエッタ王女、アルビオンのウェールズ王子に向けて以前とある手紙をしたためたことがあるらしく、その存在が公になるとゲルマニアとの婚約が破棄されかねない内容らしい。

 そして現在アルビオン王室派の負けは時間の問題であり、その時間は同時に件の手紙が貴族派に渡るまでのタイムリミットということでもあった。もちろん貴族派に手紙が渡れば、彼らがその手紙を使ってトリステインとゲルマニアの同盟を壊しにかかるであろうことは明白である。もしそうなればトリステイン王国はアルビオン貴族派と一国で戦わねばならなくなるのだ。戦争になって勝てたとしても国の疲弊が凄まじいものとなることは確実であり、横やりが入ればそれで終わりな状況といえた。その横やりを入れそうなのがゲルマニアであり、だからこそ今の内に懐に入りたい状況ということであった。

 

 うわあ、このお姫さまアホの子だ。

 聞き終わったサイトはうっかりそう口走りそうであった。

 天を仰いだりなんだりと大げさな身振り手振りを交え、いかに自分が可哀想な状況なのかを訴えるアンリエッタであったが、サイトの心中はあまりにもあんまりなそのアホっぷりに呆れを通り越して、このままトリステイン王室滅んだ方が国の為にいいのでは? と殺意とともに思ったほどであった。

 例え攻め滅ぼされても全貴族が処刑されることはない。率先して王室を差し出して、皆が皆あちらに寝返ればいいだけとも言えたからだ。少なくとも、それができれば助かる者が多いのは確実であろう。アルビオン貴族派と戦争になるのは、彼らが物資を求めてだ。ならば戦闘を起こさずにあげてしまった方が、負けが確定しているのならば犠牲は少ない。それを条件にアルビオン貴族派と同盟を組めばいい。非常に短絡的であり、多くの問題を抱えることに違いないが、このような王女のせいで道連れにされることを思うとその方が幾分マシに思えてくる。

 トオルほど諸国情勢を知らず、ここで聞いた話だけしか知らないサイトは、それが最善のように思えた。

 ここでの内容だけでそう思わせるこの姫さまのアホっぷりがすごかったとも言えた。

 

 婚姻を妨げるほどの効果を持った手紙となると、想像は大体付く。

 年頃の王女と王子との間で交わされた手紙。となると、恋文だ。それもおそらくは永遠の愛を誓うほど熱烈な恋文。

 試しにサイトが「その手紙、偽物だとつっぱねることはできないのですか?」と問うたところ、「紙もインクも印も、全て王室の物です。誤魔化すことはできないでしょう」とのことだった。しかもさらに問い詰めると恋文であることを自白し、それが完全に私的なものであることも白状した。

 

 そしてその話を聞いている途中、トオルからタバサの風のパスを伝ってもたらされた情報があった。すでに怒り心頭で糾弾しそうになっていたサイトはトオルの声を聞いて落ち着き、その内容を聞いてさらに頭に血を上らせてむしろ冷静になりつつあった。

 

「僭越ながら、もう一つお尋ねしたいことがございます。アンリエッタ姫殿下」

「ええ、どうぞ使い魔さん」

「護衛の者は、どちらに?」

 

 ずっと気になっていた。扉の前と窓の外にそれらしき気配があったが、サイトがアンリエッタを取り押さえたとき、どちらも動く気配がなかった。扉の前のは内部の状況がわからない様子で、外のは我介せずといった様子であったことを、彼はしっかりと感じとっていた。だが王女とともにこの部屋に接近してきたので、てっきり護衛だろうと思っていたのだ。

 だがそこにトオルからの情報である。『扉の前にいるのはギーシュ。お姫さまをストーキングしてきただけの野次馬で、一人だったため寮塔前から心配になってつけたきたらしい』と。

 遠見の魔法などを駆使して相手を確認、サイトにコンタクトをとったのと同じ方法でトオルはギーシュにも接触し、何をしているのか聞き出したのだ。

 

 きょとんとしたアンリエッタの視線をサイトは正面から睨むように返すが、そこに含まれた怒気に彼女は気付かない。悪意などは向けられ慣れていても、怒りを向けられたことはなかったのかもしれない。

 

「? 見ての通り、一人ですわ」

「ここに来ることを知っている者は?」

「いませんわ」

 

 お忍びでしたので、とアンリエッタは微笑む。

 ぐっとサイトの拳に力がこもった。

 

「恐れ多い発言をお許し下さい。姫殿下。我が主と共にお送りいたしますので、お早めにお帰り下さいますよう、お願いしたくございます」

 

 これに驚いたのはルイズだ。姫殿下がわざわざ部屋にお越しになってくれているというのに、追い返すような真似など一体何を考えたらそうなのか。貴族として王族を敬い忠誠を誓うことを教えられ続け、それを真正直に受け止めていた彼女には想像も出来なかった。

 

「サイト! 何を言い出すの!」

「ルイズ、悪いが黙って聞いていてくれないか。ルイズも知っておかなければいけないことだ。姫殿下。御身が現在どのような状況か、ご存知ですか?」

 

 困惑した様子のアンリエッタは首を傾げると、「おともだちのルイズ・フランソワーズの部屋に、遊びに来ている……でしょうか?」と言った。

 

「はい。姫殿下はそのつもりでしょう。ですが姫殿下は家臣にそのことを伝えておりません。正式な護衛の一人も連れておりません。そのような状況で、昔馴染みとはいえ、王位継承権を持つヴァリエール家のルイズの元へ一人出かけた後、御身に何事か起こればその嫌疑がどこに向かうか、考えたことはおありですか?」

 

 はたと、少女二人の動きが止まった。そして二人とも顔色を悪くさせていき、サイトを伺うように見た。

 

「だ、大丈夫ですよ。使い魔さん。無事に帰ればいいだけです。それに、わたくしはそのようなつもりでは」

「確かにその通りでございますし、殿下のお気持ちも存じております。ですが現在、トリステイン王国の王位は空席となっております。そこで唯一の王女である御身になにかあれば、多くの物事が動くのです。否応なく、我が主ルイズもその流れに巻き込まれるでしょう。そして一番の問題は手紙のお話です。これは最高機密に類するものです。知っているだけでも国家転覆を狙う者、またはその者からそれを防ごうとする者との間に立たされる、非常に危険な情報でございます。このままでは両者から我が主ルイズは狙われることとなります」

 

 地球にいた頃のサイトは、和製のみであったが時代物や歴史物のテレビや小説等を好んで見ていた。テレビなんかではあまり目立たなかったが、小説関連では和物でもこの手の話は多くある。ゆえにトオルからもたらされた情報だけで現状がどの程度の危機感を持つべき事態なのか、おおよそには把握出来ていた。少なくとも、目の前の二人よりは政の権謀術数を知っていたのだ。

 

 そして、すでに大丈夫などではないのだ。事実としてギーシュがアンリエッタの尾行に成功してしまっている。彼が何かするとは思えなかったが、他の誰かであればサイト達にとってなにが起こるかわからない。それにまだトオルからの情報には続きがあった。『外に羽根突き帽の貴族騎士が一人。護衛隊にいた髭の若い男だよ。タバサが危険な相手と言っている』と。

 思い当たる相手が一人いた。あの凍えるような目の騎士だ。

 外にいるあたり隠れて護衛という可能性が一番高かったが、彼はサイトがアンリエッタを取り押さえた際に動こうとしなかった。ギーシュの尾行が成功しているあたり、彼のことも見逃している。つまり必ずしもアンリエッタの味方とは限らないのだ。まだ動きは見せていないようであったが、彼の者次第ですでに賽は投げられたことになってしまう。

 ここでの会話を聞いているであろう彼の者を刺激しないためと、トオルが何かあったときのために準備すると言っているので今はまだ口に出さないでおくが、彼が悪意ある者に繋がっていればとっくにこの状況は詰みなのだ。

 

「なぜ、ルイズにそのような話をしたのです。一体何をお考えで、このような暴挙にでたというのですか。失礼ながら、現在トリステインも王室から貴族の気持ちが離れつつあります。そのような状況下で、王家筋でもあるルイズにそのような情報が渡れば、ヴァリエール家を筆頭に反王室派が生まれてもおかしくはないのです。この事実があるというだけで、ルイズが望もうと望まなかろうと、そういう可能性もあるのです」

 

 大声を出すのではなく、小さく張り詰めるように言い募るサイトの言葉に、アンリエッタの顔はすでに蒼白となっていた。

 この様子を見るにどうやら悪意に類するものはなかったようだが、それで許される問題ではない。サイトがその杖を奪い投げても不問にしたあたり、懐が狭いということはないのだろう。それはこの学院に住む貴族子弟達を見る限り、とても得がたいものだ。だがどこからどうみても、このアンリエッタには上に立つ者としての知性も努力も足りていなかった。むしろ、マイナスにさえ向いているといえた。

 

 しかも彼女はサイトに言い訳でもするように、カタカタと震えながら、小さくこう漏らしたのだ。

 

「……わ、わたくしはただ……おともだちに頼んで、手紙を取ってきてもらおうと…………」

 

 それを聞いた途端、サイトはカッとなってこの王女を殴りそうになった。殴らなかったのは、ルイズがすぐ側でサイトを見ていたのが目に映ったからだ。そして遅れてではあるが、トオルの制止する声が届いたからでもあった。

 サイトは生来より、心を落ち着けるよりもむしろ昂ぶらせて集中力を増させることの方が得意であった。合気道や柔道のような『道』ではなく、柔術という『術』に高い適性を持っていたのはこのためである。それ故にか怒りで集中力が増した彼は、アンリエッタが呟いた一瞬で彼女がどんな思考を辿ったのか想像が付いた。

 お使い感覚なのだ。その感覚で、風のスクウェアを倒した『おともだち』なら誰にも怒られることなく手紙を取ってこれると、そう考えたのだ。

 

 怒気どころか殺気を纏い始めたサイトに、さしものアンリエッタもヒッと息を引いてベッド上で後じさっていた。

 

 もし、もし本当にそのような頼みを『おともだち』としてルイズが受け入れていれば、それこそ国を割っていた可能性は高い。

 正直ルイズも政治には疎い。サイトができる限りのことを教えようとはしているものの、そんなにすぐにどうにかなるものではない。さっきまでの様子を見る限りだと、あのままいけばなにも気付かずにその話を受けていたように思える。彼女は貴族たらんとすることを命題にしているのだが、知識や経験が圧倒的に足りていない。故に王女にして友人の頼みを蹴ることなど、出来そうになかったからだ。

 

 後の敵となりえる国の者が現在の敵の陣営中央へ向かおうとすれば、素通りなんてさせるわけがない。お忍びだといってもそこら中で略奪や侵略が行われている状況下では、元からして無事に済む公算は極めて少ない。もしルイズがラ・ヴァリエールのルイズ・フランソワーズだと知れれば、それこそ血眼になって捜すはずである。生きて帰れる保証などないどころか、普通に考えて九割九分利用されて死ぬのだ。

 もしルイズが死に、しかもそれを正式な令状も指令もなくアンリエッタが私的に送り込んだとなれば、ヴァリエール家がルイズをどのように思っていようといまいと、感情的にでも政治的にでも戦略的にでも、トリステイン反王室派を立ち上げてしまいかねない事態であった。アルビオンと同じ内乱が待ち受けていたのだ。

 

 なによりサイトが許せなかったのは、『おともだち』とルイズを弄んでおきながらも、自分可愛さだけで彼女を死地へ送り込もうとしたことである。

 

 サイトはルイズにあまり友人がいなかったことを知っている。サイト達が来てからタバサやキュルケなど友人らしい付き合いをする者ができただけで、それまで非常に寂しい思いをしてきたことをわかっていた。同じ部屋に住み、教室をずっと俯瞰してきたのだ。気付かないわけがない。そんなルイズがあそこまで心開いていたのだから、さぞかし昔は仲が良かったのだろう。本当の意味で友人であったのだろう。

 だから大切な友人が心配で、そこにあったお互いの齟齬にも、過度の甘えに気付かないほど熱心に悩みを訊いたルイズの想いを、この王女は裏切ったのだ。

 

 私人としても公人としても、アンリエッタ・ド・トリステインはありとあらゆる自分が守らなければいけないはずのものを裏切っていた。

 

 



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第18話・試し合い

 

 

「いい加減出て来たらどうですか。騎士殿」

 

 来賓室へ向かおうと、ルイズとアンリエッタを連れて寮塔を出たサイトが突然そう言い出したので、二人は彼が視線を向けている寮塔の影の方へと追うように視線を移動させた。

 そこから羽帽子の貴族が出て来ると、二人はあっと声を上げる。

 

「ギーシュ、お前もだ」

 

 言うが早いか、今度は横手の茂みから金髪のくせっ毛が葉っぱを付けて飛び出し、膝をついた。

 

「お、お初にお目にかかります。アンリエッタ姫殿下! わわ、わたくしはギーシュ・ド・グラモンと――」

「自己紹介はいい。なんでこんなところにいた? さっきまで部屋の前で盗み聞きもしていただろう」

 

 その言葉にアンリエッタとルイズは肩を震わせた。あそこで起きた出来事は確実に秘匿しなければいけないことだと、二人は嫌というほど意識に叩き込まれていた。それをすでに当事者達以外に知られてしまっているという事実に恐怖した。

 だがその共通認識をもった二人が身を寄せあうことはない。そうできない無意識の壁が、あのときのサイトの言葉で出来上がってしまっていた。そしてそれを払拭するための時間も、内心を納得させるための言い訳を得る時間もなかったのだ。二人の視線は交わることもなかった。

 

「薔薇のように見目麗しい姫さまのあとをつけてきてみればこんな所へ……。さ、サイト、ぼくは決してやましいことを考えたわけではなくてだね……」

「いや、いい。ギーシュ、お前はそういうヤツだもんな。女の子に悪さできるようなヤツじゃないってことぐらい、俺も知っている。だからとりあえずはいい。だが――」

 

 サイトの視線が貴族騎士へと向かう。彼は出て来た場所から動かず、ギーシュのように膝もついてはいなかった。

 

「――あんたは?」

「僕はグリフォン隊隊長、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。正式な殿下の護衛だ。ここからは僕がマザリーニ枢機卿のもとまでお送りしよう」

 

 それを聞いて、明らかにほっとするアンリエッタと、なぜか動揺しているルイズ。

 アンリエッタを捜していたのだろう。外に出て来た当初からちらちらと見えていた松明の明かりが、サイト達のいる方へと集いはじめている。

 

「隠れてか? それに、あんたを信用するに足る証拠が無い」

「君に信用される必要はないよ。事実として僕は正式なグリフォン隊の隊長であり、子爵位を持つ貴族であり、此度の訪問で殿下の護衛の任を受けた騎士だ。それは殿下もご存知のこと。それに――」

 

 ワルドの目が、ルイズのそれと交わる。ルイズの瞳は激しく揺れていた。

 

「僕はそこにいるルイズ・フランソワーズの許嫁だ。殿下からもルイズからも信用を得ていると思うが」

 

 サイトの目が見開き、ルイズに無言で是非を問うた。

 それに対して彼女はなにかを言おうとして、だが一度口を噤み、頷くように下を向くと小さな声で答えた。

 

「本当よ。だから彼の身元は保証するわ」

 

 サイトがなにかを言いだしかけるが、

 

『兄さん、今は何も言わずに受け入れて。ここで敵愾心を持たれると、他の護衛隊と接触したときに牢屋に入れられかねない』

 

 とトオルの声が風に乗ってやってきたので、口に出しかけた言葉をのみ込み別な言葉を吐き出した。

 

「……わかった。だが先ほどあったことを説明する必要があるから、俺もこのままルイズの護衛につく。ギーシュも聞いたのなら同行してもらう必要があるが、いいか?」

「ああ、構わないよ。では殿下、参りましょうか」

 

 サイトとルイズの側にいることに耐えかねていたのか、アンリエッタは足早にワルドのもとへと向かい、ルイズは少し迷った様子の後、サイトの側に居続けた。その際になにかをまた言いかけたようであったが、結局なにも口に出さずに二人黙ってワルド達の後を追っていった。

 

 サイトが部屋ではいないもののように扱った外にいる護衛者――ワルド子爵に声をかけたのは、トオルの準備が出来たからである。

 

 そしてそのトオルは現在、寮塔の屋上でサイト達とそこに集まりゆく護衛隊とを視界に収めながら、延々と周囲の精霊の流れを制御し続けていた。

 以前タバサと共に二人で試した技術、周囲の精霊の状態を事前に操作、準備することによって連続して魔法を使用できる『待機魔法』と名付けたものの照準を、彼はワルドやその周囲に展開していく衛士達に向けていた。

 この待機魔法、準備に時間がかかることはあまり改善できていなかったが、持続性と隠密性は飛躍的に上昇していた。それというのも、トオルの体内にあった精霊に限り、その流れを体外に出してもタバサが制御できることが判明したからである。これは精霊の『契約』と言い、エルフが在住地に漂う精霊の加護を得たり、風韻竜であるシルフィードが風の精霊を纏って引き連れているのは、この契約という行為の賜物であった。そしてタバサがトオルの体内の精霊を知覚できたのはこの契約が原因だ。タバサは知らぬ間にトオルの体内に流れる精霊達と契約して、精霊魔法の前提条件を済ませていたのだ。そのことを利用して放出した精霊の流れを魔法用に成形し、タバサの意志でその状態で待機させることに成功。あまり距離は離せないものの、さらにその待機させた精霊を維持したまま特定の位置まで移動させることで、誰もいない場所から魔法を放つことが出来るようになっていた。

 そしてトオルがサイトに騎士のことを外に出るまで言わないようにさせていたのは、これの準備のためであった。

 

 あの場で存在に気付いていることを口にし、彼が襲ってきた場合、サイトとギーシュだけで対応しなければならなかったからだ。

 ガリア人であるタバサが出て行くわけにもいかず、トオル自身は戦力にならない。この待機魔法も準備に時間がかかるうえ、見通しがいい場所でなければ遮蔽物や照準の関係から操作性が悪くなり、運用が難しくなる。まともにタバサとトオルによるサポートが行えないのだ。ゆえにタバサが危険と言うほどの相手となると、撃退は出来ても負傷者か最悪死者が出ていた可能性が高かった。

 もしあの場で逃げずに襲ってくるとしたら、暗殺の対象は王女かルイズしかいないだろう。アンリエッタが死亡すれば、如何に国賊を退けようとも証言者はルイズ一人だ。その場にいたのに守れなかったとしてサイトの立場は理不尽に悪くなり、最悪の場合首を跳ばされかねない。そしてサイトはそうとわかっていたとしても確実にルイズを守っていたはずだ。トオルは兄がそういう男であると知っていた。

 

 とりあえず最初から襲ってくるということはなかったが、それでも不意を突いてくる可能性が消えないどころか高まり、彼が隊長だというのだから護衛衛士達も敵である可能性すらある。故にトオルはその矛先を駆けつけてくる全員に向けていた。

 

 そしてトオルはサイト達を守るためであればと、当然のようにアンリエッタにすらその照準を合わせていた。

 

 誰もが見ている場所でその場にいる誰もが犯人ではない状態となれば、嫌疑をかけられても魔法を使えないサイトを他を差し置いて罰することは出来ず、最悪の結果は避けられるからだ。元々対ジョゼフ一世を想定していたため、幸いなことにあの銃弾型のウィンディ・アイシクルや螺旋ランスのジャベリンは他の誰にも見せたことがない。暗殺にはもってこいであろう。

 何が起こるかなんてわからない。だからそうしなければいけない場面が生まれれば、トオルは即座にあの王女を手にかけるつもりであった。

 そんなふうに思い詰めているトオルの側で、タバサはただ彼と共に在った。

 

 トオルの手が、タバサの手をいつもより強く握っていた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 王女の衛士隊と接触した当初こそ帯剣していたため矛先を向けられそうになったサイトであったが、ルイズが真っ先にサイトを庇い、ワルドやアンリエッタが追うようにその安全性を述べたので、すぐさま彼への警戒は解かれてマザリーニのもとへと向かう運びとなった。

 そして来賓室に入った一行を出迎えた第一声が、

 

「殿下!」

 

 というマザリーニの怒声である。

 骨と筋と皮だけのような彼の喉からどうしてそれほどの声が出せるのか、その一声は調度品で飾られた部屋をびりびりと震わせ、サイトですらもびくりとしたほどであった。

 

「一体、なにをお考えですか! あれほど言ったではありませぬか、付けこまれる隙は無いかと! あなたは、殿下は、本当に――」

 

 彼はそこではたと言葉を止め、手を振った。

 それを合図に一人を残して侍従が下がり、衛士も扉の向こうへと消える。その際サイトにも下がるように声をかけられたが、マザリーニは一言「よい」とだけ発して当事者達を残らせた。

 そしてそれを確認すると杖を小さく振った。

 

「そう警戒しなくもよい、ミス・ヴァリエールの護衛殿。今のはサイレント。この部屋から音を漏らさなくするための魔法ゆえ、害はない」

 

 そういってマザリーニは、痩身をソファにゆっくりと沈める。沈めながら息を吐いていくものだから、いからせていた肩も大きく萎み、彼の威風は途端に小さなものになってしまったように見た者達は感じた。

 実際、小さな肩であった。筋肉などとうにそげ落ち、骨張っている様子はそのローブ越しにでもありありと伝わってくる。

 先ほどの怒声とその細さから、サイトは彼の苦労が嫌というほど理解出来た気がした。主にこの姫さまが彼にかける負担とか、不満とか、不安とか。

 サイトもつられるように息を吐いてしまった。

 そうこうしている間に残っていた侍従がアンリエッタ達を席に促し、それぞれの前に茶の用意すると、彼女も部屋を出て行った。

 

『兄さん、聞こえていたら瞬きを三回して』

 

 と、サイレントがかかっている状態で一体どうやっているのか、トオルからの声が届き、サイトは言われた通り瞬きを繰り返した。

 

『OK、ありがとう』

 

 どうやら確認だけだったらしいが、防音の魔法を突き破ってくる弟の不条理さにサイトは頼もしさを覚える。

 そしてふと考える。こんなことが出来るとは今まで一度も聞いたことはなかった。トオルがサイトに言わないでおいたということは、あえて黙っていたのだろう。なにかあったら援護するとだけ言われていたが、寮塔を出てからなら外にいる貴族騎士のことを問いただしてよいと言われたのも理由がわからない。大体にしてハルケギニアに来てからのトオルは秘密が多すぎるのだ。他言無用だと厳命された精霊が見えることはすでに知っていたが、どんなことが出来るのかは聞かされていなかった。いいところルイズ達の魔法の訓練で役立てている程度の認識だったのだ。だがそういえば、姫さまのインパクトや怒りのせいで気付かなかったが、部屋にいたときの会話も全部聞こえていたようである。ということは今日までのルイズとの会話も全部聞かれていたのではないか、監視されていたのではないかと、今更ながらに彼は思い至った。

 今回はいつもにないメイジの反応があったので慎重を期して盗み聞きしただけのことであり、普段はトオルはそんな真似などしたことがなかったのだが、サイトは知らないのでただ決心していた。

 

(……あとでお仕置きだな)

 

 わずかに怒気が滲んだサイトをどう思ったのか、マザリーニが申し訳なさそうに言う。

 

「侍従も下がらせたので私がいれるものとなるが、護衛殿とワルド君も一杯どうかな」

 

 他の者達とは違って立ちっぱなしでいる彼らを慮ってのものだったのだろうが、枢機卿にお茶をいれさせるなど空恐ろしい二人は揃ってそれを辞した。

 

「猊下のお手を煩わせるわけにはいきません」

「俺も大丈夫です。お心遣い感謝します」

 

 それを聞いたギーシュは、自分が魔法衛士隊の隊長を差し置いて席に着いていることに気付き、一人で慌てていたが、誰もそんな彼を気にしていなかった。

 

 アンリエッタがカップに手を付けないまま顔を上げる。

 

「枢機卿、わたくし……」

「言い訳は結構ですぞ。殿下」

 

 まるで予期していたかのようにぴしゃりとお姫さまの言葉を塞ぐマザリーニ。

 紅茶を一口含み、喉をいたわってから再度口を開く。

 

「ミス・ヴァリエールの部屋に護衛もなく向かい要らぬ混乱をもたらした。このことの意味、殿下はご理解されてますかな?」

 

 それは、どうせこの娘はなにもわかっていないのだという彼の意志が、在り在りと見て取れる言葉と所作であった。

 

「……自身の身をわきまえぬ行動と、ヴァリエールへの不信ですわ」

 

 だが意外にまともな答えが返ってきて、マザリーニの白い眉が動く。その視線はルイズ、それからワルドへと動いた。

 

「ワルド君に教えられましたか」

 

 マザリーニはアンリエッタが帰ってきたことしか聞いていなかった。あの部屋で何があったのかなど知る由もなく、共に入室したワルドが行方を掴んで連れ帰ってきたのだと考えたのだ。ゆえにアンリエッタと同じくどこか気落ちしている様子のルイズではなく、ワルドが意見したのだと考えた。

 ただそれはマザリーニにとっても少々意外なことであった。ワルドはその若さで魔法衛士隊グリフォン隊隊長となった、根っからの軍人である。身分を越えてアンリエッタに意見するタイプだとは思っていなかったのだ。だがそれ以外に選択肢がなかったので、ワルドの名を出した、というような状況であった。

 だが正解はさらに意外であった。

 

「いいえ、枢機卿。教えてくれたのはこちら使い魔さんです」

 

 そういってちらりと視線がサイトに動くアンリエッタ。

 マザリーニはそれによって反射的にサイトに意識が向き、はて、と首を傾げそうになってからかろうじてその動きを止めると、じろじろとサイトを見回した。

 

「使い魔……ですと?」

「猊下、紹介させていただきます。わたしの使い魔で護衛の、サイトです」

「紹介に与りました、ルイズ・フランソワーズの使い魔兼護衛の、サイト・ヒラガと申します」

 

 マザリーニの視線がサイトとルイズとの間を行き来する。

 

「サイト君。君が殿下を諭されたと?」

 

 入室の際に預けたため武器こそ持っていなかったものの、サイトの格好は平民の戦士のそれである。まちがっても貴族やメイジのするようなものではなかった。マザリーニには、とても教養があるようには見えなかったらしい。

 

「僭越ながら、ルイズの護衛として姫殿下にお帰り願い、その理由を述べさせていただきました」

 

 きっぱりとサイトが言い放つ。

 その様子に、マザリーニは目を瞬かせた。

 それからまた一口紅茶を含んで何事かを考えている様子のマザリーニに、ルイズが言った。

 

「サイトはロバ・アル・カリイエの戦士です。腕もたち、知識もあります。以前学院に土くれのフーケが侵入してきた際、撃退したのは彼でした」

 

 どこか誇らしげに語ったルイズの言葉に、王女と枢機卿は目を剥いた。

 ここハルケギニアよりも進んだ文化を持つといわれている東方の出身にして、政治に関する教養も持ち合わせているうえに、王宮でも話題に上がった初のフーケ撃退者が彼だというではないか。驚かないわけがなかった。

 場の空気がサイトに集まったのにあわせて、彼がまた口を開く。

 

「猊下、先ほどルイズの部屋で何があったのか、説明させていただいてもよろしいでしょうか?」

「……う、うむ」

 

 サイトの言葉にアンリエッタの肩が震えていたが、ルイズは声をかけることが出来なかった。

 ルイズは彼女が他意あってあのような行動をとったわけではないと理解している。それはサイトも知っているだろう。だがその内容のほぼ全てがルイズをいたずらに危機へ貶めるものであり、サイトはだからこそ怒っていた。

 

 ルイズはその怒りが嬉しかった。

 

 そして無知であり愚かであったのは、なにもアンリエッタだけではない。あの場ですぐに彼女を帰さず、逆に話を聞き出したルイズにもそれは当て嵌まるのだ。

 そんなルイズに、アンリエッタを非難することも、擁護することも出来るわけがなかった。

 サイトの説明が進む中、ルイズは自身のいたらなさに歯がみしながら、さらなる成長を求めた。

 サイトやトールから多くのことを学んでいる。実際、一月前とは比べものにならないほど自分が成長した実感を、今日のギトーの授業で得た。だが現実はどうだ。まるで届いていないではないか。サイトに迷惑をかけているではないか。一体何を学んだというのだ。ギトーとの一戦だって、皆のお膳立てがあってこそであった。未だ一人では何も出来ないでいる。

 

(――……サイトに頼ってしまっている)

 

 ルイズにはそれが我慢ならない。

 一度も手を付けることなく自席の前に置かれたままの紅茶を、ルイズは硬い表情で見続ける。

 その綺麗な琥珀色の水面に映っているのは、彼女の少し後ろに立つサイトの姿であった。

 

 そしてそんなルイズと、枢機卿であるマザリーニにまるで臆することなく説明を進行させていくサイトとを、ワルドが昼間と同じ目で捉えていたことに気付いた者はいなかった。

 

 サイトの説明が終わる。

 マザリーニの瞳がぎょろりとアンリエッタを捉えた。

 ずっと俯きドレスを掴んでいた王女は、それだけで見てもいないのになにかを察しびくりと肩を跳ねさせた。

 だがマザリーニの口から怒声が飛ぶことはなかった。

 彼はまばたきの度にここに居る人員を一人一人見ていき、紅茶を飲みほした後、

 

「ワルド君。ミスタ・グラモン。すぐに済むので、席を外してもらってもいいだろうか」

 

 と提案してきた。

 ワルドがすぐにその返答として敬礼し、退室するために動き出すと、ギーシュも慌ててその敬礼を真似て部屋を出て行く。

 扉が閉まったところで再度マザリーニはサイレントをかけ直し、頭を下げた。

 

「ミス・ヴァリエール。サイト君。殿下がご迷惑をおかけした。私から謝罪させていただいてもよろしいだろうか?」

 

 実質トリステインのトップとも言える人物からの謝りたいという申し出に、その場に残っていた全員が硬直する。

 慌ててルイズがなにかを言おうとするが、すぐに立ち直ったサイトが手を差し出し彼女を止めた。さらにルイズに謝罪受け入れをさせないように、首を横に振ってみせる。

 困惑するルイズであったが、実はサイトも困惑していた。これはトオルの指示だったからだ。

 しばしの間沈黙が室内を支配し、マザリーニが口を開く。

 

「やはり、私の謝罪は受け入れられませぬか」

 

 わかっていた、というような言葉と表情であった。

 そこにサイトがトオルに言われた通り、

 

「聞かなかったことにさせていただきます」

 

 と伝えると、マザリーニは深い皺をその相好に刻んだ。

 

「そうしていただけると助かります。私も耄碌したようですな」

 

 それはアンリエッタも見たことがない表情であった。

 マザリーニは枢機卿だ。事実上の宰相として仕事をしていようと、国政で権力を持っていようと、その本分はブリミル教の司教であり、正確な意味でこのトリステイン王国の人間ではない。

 保身を考えた個人的な権力差で見れば本当は謝罪を受け入れた方がいい。ブリミルが全王族の祖であるためその影響力は絶大であり、枢機卿ともなればそこいらの貴族を大きく上回る発言力を有しているからだ。

 

 だがトオルは試したのだった。

 ラ・ヴァリエール公爵が多大な発言力を有していることはトオルも知っている。内政、外交、そして軍事においてすらもトリステインにおけるヴァリエールの力は絶大であり、その最たる理由は公爵自身の手腕と血筋にあった。

 アンリエッタにお帰り願ったときの理由である、ヴァリエールが準王家の一つであるということだ。

 今回の話はすでにトリステイン王家のお家騒動でもあるのだ。

 有能な準王家と、無能な現王家。両者の間に生まれかけた大きな軋轢。そこに他国人のマザリーニが口を出し、現王家の謝罪を肩代わりしたとあっては、トリステイン王家の沽券に関わる問題となる。

 そして枢機卿が自身の非からではない理由で一貴族に頭を下げたことも、宗教的に問題であった。

 どちらにせよ碌なものではない。

 サイトもこれが王家問題であることは認識していたが、ハルケギニアに比べて宗教色が薄い日本の政治しか知らなかった彼は、枢機卿という役職が持つ影響力がどれほどのものであるのか把握していなかったのである。

 

 そして試したのはなにもトオルだけではない。

 マザリーニもまた、ルイズやサイトを試していたのだ。

 いや、先に彼が試してきたから、トオルが答えたような形であった。

 ここで彼の謝罪を受け入れていた場合、現王家とヴァリエール家どちらが政権を握るに相応しいかを、暗に枢機卿とヴァリエールが意見し合ったことになりかねない。

 さらなる王権問題になる可能性もあったということだ。

 本当にサイトが説明したとおりルイズを守ることを大前提にするならば、彼には到底受け入れられないはずの事態だったのだ。

 それがマザリーニが試した内容であった。

 

 そして、トオルは昼に考えたマザリーニの思惑を計るために試した。

 マザリーニの思惑とは即ち、誘き出しだ。

 国内に巣くうゲルマニアとの同盟を拒む反同盟派、つまりはアルビオン貴族派に同調するものを突きとめること。それも早急にだ。

 その為には自分自身をエサに、トカゲのしっぽ切りをするつもりですらあった。それほどまでにアルビオンの戦況とトリステインの内情は逼迫していた。

 そしてこの状況を打開するために彼がした覚悟こそが貴族子弟達に見せつけた昼間の示威行為であり、ヴァリエールの新参者であるサイトを試した今の綱渡りであり、聞かなかったことにしてくれたサイトへの感謝であった。

 有無を言わせず謝罪するのでもなく、無言の回答で怒りもせず、権力を誇示もせず、ただその結果を受け入れたことに、トオルは彼の思惑を大凡にだが理解した。信用できると決まったわけではないが、損得勘定の基準が他の貴族とは違うことは確かであり、頭がいいことはわかったからであった。

 

 そしてマザリーニは自身がしっぽとして切れた際、その後を埋めるのはヴァリエール公爵である可能性が高いことを理解しており、同時にそれを望んでもいた。そんなラ・ヴァリエール家に得体の知れぬ男が接近していたため、試さないわけにはいかなかった。それが彼の真意であった。

 

 互いに互いの損をしない行動を前提にしていれば、マザリーニとサイト(トオル)は敵対しないことを今のやりとりだけで理解した。

 

 マザリーニがサイレントを解き、手を叩く。

 そして扉が開き、ワルドとギーシュが再び入室してくると、マザリーニは再度サイレントをかけ直した。

 

「衛士達も知るところですので、ミス・ヴァリエールのお部屋へ殿下が入ったという事実は消せないでしょう。ですが、飛び立った雁の使いを誰も見ていなかった。羽音も聞いていなかった。故になにも飛んでいなかった」

 

 サイトが頷く。雁の使いとは手紙の古い言い回しだ。サイトが知る限り中国の故事のはずであったが、どうやらハルケギニアにも似たような言い回しが存在するらしい。

 

「ワルド君」

「ハッ」

「殿下のご機嫌がうるわしゅうない。なにか気晴らしになるものを雲上(アルビオン)まで取りにいってきてくれないかね? 何人か連れて行ってもらっても構わない」

「かしこまりました」

 

 マザリーニは満足げに頷き、アンリエッタに体を向ける。

 

「殿下」

 

 先ほどからずっと呆けっぱなしであったアンリエッタは、突然呼ばれても反応しきれずマザリーニを見つめるばかりである。

 業を煮やしたマザリーニが叫んだ。

 

「殿下!」

「は、はい!」

 

「忠誠に報いようとする者に報賞を」

 

 慌ててアンリエッタが左手を差し出す。ワルドが傅きその甲に口づけた。

 

「ワルド子爵。よろしくお願いします。あなただけが頼りなのです」

「もったいなきお言葉。必ずやその御心に平穏をお持ちいたします」

 

 お姫さまの左手を持ったまま、恭しくワルドが頭を下げる。それは一枚の絵画のような、立派な貴族騎士の姿であった。

 

 それに見とれていたギーシュは終始空気だった。

 

 



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第19話・怪しい男

 

「ルイズ。頼みがあるんだ」

 

 ワルドがそう発したのは、アンリエッタがルイズに謝罪し、部屋を出て行ってからすぐのことだ。

 

 手紙のことについては無かったことにするため謝ることすら出来なかったが、護衛も無しに部屋に入ったことについては衛士達も知るところであり、無かったことには出来ない。だからアンリエッタには幸いなことに謝ることが出来たのだ。

 そして唯々謝ることしかできなかったアンリエッタを、ルイズもまた自分が同罪であると言い切り、そのことを教えてくれたサイトがとった行動を不問としてくれるよう、逆に頭を下げた。

 元々一番最初に取り押さえたのも許していたアンリエッタはそれを二つ返事で了承。

 サイトに感謝の言葉を述べ、彼もそれを受け取ったところで王女は左手を差し出した。

 先ほどまでの場面を見ていたサイトにもそれが意味するところは理解出来た。手の甲へのキスを許す。つまりある種の感謝や褒美の意である。そして忠誠の確認だ。

 

 しかしサイトはそれを辞退した。

 サイトはただ現状を述べただけであり、アンリエッタのために事を為したわけでも起こしたわけでもない。自らの意志に従い仕事をしただけであり、王女のお手を許されるにはほど遠いとして退いたのだ。

 だがそれらも一応は本心からの理由であったが、一番の辞退の理由は別にあった。

 なんのことはない、ただワルドとの間接キスを嫌ったのだ。

 気心の知れた者とであれば、サイトは男女の別なく間接キス程度気にはしない。だがどうにもワルドのことがサイトは気に食わなかった。あの目といい、態度といい、サイトは彼を見るとむかむかとして、トオルに一度止められた寮塔外でのみ込んだ疑問を投げかけたくなる。

 

 キスを断ったことに室内にいた者達はそれぞれ思うところがあったが、本当のその理由に気付いた者はいなかった。

 遠くでトオルだけはなんとなく気付いていたが。

 

 そしてサイトに言われて終始空気であったギーシュが退室し、マザリーニに促されたワルドが護衛に付きアンリエッタを寝室へと向かわせようとしたところで、彼は来賓室前で待機していた衛士に王女を任せると室内に舞い戻り、口を開いたのだ。

 ワルドに呼び止められたルイズは少々気まずげに居住まいを正し、何を言うでもなくただ彼に視線を向けた。

 

「そう固くならなくてもいいよ。僕のルイズ」

 

 ワルドが人なつっこい笑みを浮かべ、アンリエッタの前でしたように膝をつき、ルイズをこれまでとは逆に見上げるようにする。

 

「ずっときみを放っていたことは謝るよ。ただ、立派な貴族になってルイズを迎えに行くのに、随分と時間がかかってしまったんだ」

「あなたは、こんなちっぽけな婚約者を相手にしてくれるの?」

 

 ルイズが憂いを込めた瞳でワルドを見つめる。

 ただそこにある憂いはワルドへの申し訳なさを所以としたものであった。

 

 二人は確かに許嫁の関係であったが、実のところそれは十年近く前に親が交わしただけの、口約束に近い婚約話でしかなかった。

 今のルイズと同じ十六の時分には両親を亡くしていたが為に子爵位と領地を相続していたワルドは、家に仕えていた執事に領地運営を任せて魔法衛士となり、十年で三隊ある魔法衛士隊の一角、グリフォン隊の隊長にまで上り詰めた。見目も非常に整っており才気に溢れた彼は、彼が子爵家でルイズが公爵家の人間であること以外で比べられる要素などない、完璧な存在であった。

 

 無論幼いころの彼女はそんな彼に憧れもした。

 だがそれはもう過去の話だ。

 ルイズとしてはとっくに忘れ去られていると思っていた。そしてルイズ自身も最近までその存在を忘れていた。

 十年前に別れて以来、ワルドとはほとんど会うことがなかった。会っても会話らしい会話などない。そのうえ手紙のやりとりもなかったのだから当然といえば当然といえたが、ワルドはルイズにとって遠く離れた存在となっていた。

 彼が慰めてくれたボートの記憶にすら、一月前に出会ったばかりのサイトが出て来るのだ。その存在を憶えていても、憧れの記憶は憧れたことそのものの記憶となり、ワルドの記憶ではなくなっていたといえた。

 ワルドがどこまで本気かルイズにはわからない。自分のためであったと言われても、ルイズが放っておかれていたのは事実だ。自分の政治的価値を以前よりルイズは理解するようになっており、そのうえ先のようなことをサイトに諭されて時間も経っていない。公爵家。準王家。彼の出世欲が遠い過去を伝手に、自分に伸びただけかもしれないことは彼女も考えた。

 

 そして同時に思うのだ。それならそれで、結婚相手としてはちょうどいいのではないか、と。

 親も了承している。実力もある。彼がもし出世欲の強い人間であるならば、今後彼に必要なのは爵位や家柄だけであろう。それで今以上の地位を得ることが出来るようになる。ヴァリエールに連なる者となれば衛士三隊の総隊長どころかそれよりさらに上、軍部の最高峰である元帥、もしくは遙か上の大元帥の地位も夢ではないはずだ。ルイズが足を引っ張らないようにするだけで後は彼が勝手にやってくれる。立派な貴族にしてくれる。そんなどこか捨て鉢な考えが彼女の脳裏に揺らめいていた。

 だが、それでも、ルイズへの気持ちが本気にしろ偽りにしろ、ルイズの内に灯る火がワルドの甘言ではまるで靡く様子がないことに、彼女は申し訳ない気持ちを禁じ得なかった。

 ワルドが努力を重ね続けたのは、今の地位を見れば一目瞭然であったからだ。

 まるで実力が足りていないルイズがそんな彼にどのような感情も持ちえていないことに、彼を利用すれば立派な貴族が簡単に手に入るかもしれないことに、酷く自分が不義理で醜いもののような気がして、彼女は申し訳ない気持ちになるのだ。

 

 そんな内心を知ってか知らずか、ワルドは殊更にルイズに笑いかける。

 

「当たり前じゃないかルイズ」

「そう……それで、頼みって?」

 

 サイトはこのとき今にもワルドに食って掛かりそうな心持ちでいたが、トオルからいつでも飛びかかれるように言われていたため、逆になんとか踏みとどまっているような状況であった。

 サイトから見てこの男は怪しすぎるのだ。

 アンリエッタ王女が部屋に来たときから彼の気配をサイトは感じていた。つまり入室を止めることが出来たはずなのに、それをしなかったということだ。

 たしかに忠誠を誓う王族のすることに対し、問われない限り異を唱えないのは軍人の鏡であろう。軍人が政治に口を出すと碌な事にならないと、歴史が語っている。それはサイトもよく知っていることだ。

 だがそれでも王女を組み伏せたとき彼は動こうとしなかった。手紙の件に話が及んだときにも行動を起こさなかった。忠誠を誓う相手の危機にも、婚約者の危機にもただそこにいるだけで、騎士としても男児としても一体彼はなにをしたいのか、まるで不鮮明なのだ。これを怪しまないわけがない。

 

 それはトオルも考えているところであった。

 サイトとは少々視点が異なるが、トオルもまたワルドが最初からいたことは知っている。そして耳の良い風メイジであることもだ。

 どうにもあの場面でワルドが聞きに回っていたように思えて、きな臭さが鼻について仕方がない、というのがトオルの心境であった。

 

 そしてどうやらマザリーニにとっても同じらしい。

 彼はサイトから説明を受けた際、ワルドが最初から居たかどうかを聞いていない。

 トオルがワルドにシラを切られたときのことを考えて、あえて説明の中にその部分を含めないよう、サイトに言っていたのだ。気配でわかったというサイトのそれは証言として不十分であったし、トオルの精霊も教えるわけにはいかない。中途半端なことを言って下手に刺激するとハめられかねず、逆に場合によっては切り札にも出来ると考え、伏せていたのだ。

 だから寮塔外で合流してすぐにここに来たこと以外、いつからワルドが寮塔近くにいたのかマザリーニは知らない。故に彼は説明が終わったとき、その内容に対しまるで動じていないワルドの様子に違和感をもった。

 サイトはアンリエッタを一度取り押さえてしまったことも、意見したことも話した。

 王族に忠誠を誓うトリステイン貴族として、騎士として、それは本来許し難い行為のはずだ。そんな話を如何に王女に非があったとはいえ聞かされれば、何かしらの反応があって然るべきなのだ。

 だからこそ訝しんだ。サイトに説明されるまでもなく、ワルドのことを怪訝に思った。

 その態度は、まるでもう話の内容を知っていたようではないか、と。

 アンリエッタがミス・ヴァリエールと共にいたところや寮塔から出てきたところを見ていれば、彼女の部屋へ行っていたことは知れる。だが室内で話された内容は知り得ない。ここに来るまでの道中で説明したにしても、アンリエッタにそんな行動を取った者に対してまるで感慨が湧いているような様子もない。第一そんな説明していられる時間があったのかも怪しい。

 結果マザリーニが行き着いた思考は、もしやワルドは部屋であった内容を全て知っていたのではないか、外で聞いていたのではないか、となり、聞いていたのならばなぜアンリエッタの話を止めようとしなかったのか、護衛として軍人としてそこにあって止めなかったのならば、殿下への最初の暴力や、暴言とも捉えられるものを吐いたサイトになにもしなかったのは何故か、と嫌疑は加速度的に膨れ上がった。

 ワルドが真実に軍人であり、常在戦場の精神でここでの話を聞いていたため驚かなかったのならば問題は無い。自身が忠言出来なくとも、他者に任せることでその役割を果たしたというのであればそれもまたいいだろう。だがそれが別の理由からであった場合、有り体にいうとエサに食いついた鼠であった場合、他にも鼠がいることになる。鼠は決して一匹では家に住み着かない。まだどこかに仲間がいる。

 だから彼はワルドに任せると言って、アルビオンへ送り出すことにした。数名の隊員を連れて行っていい、とも。

 送り出した後には監視と別働隊とをそれぞれ動かすつもりで。

 

 そしてこのときのトオルの視点からしたとき、マザリーニは二つの思惑を抱えている状態であった。トオルの中ではすでにワルドは黒に近い灰色であり、いくらこの場で話を聞いていたとはいえ彼に任務の全権を託したマザリーニもやはり黒であったか、もしくはなにかしらのワルドの異変に気付き、先ほどの考え通りにマザリーニは鼠を誘き出すため彼に託すことで芋ずる式を狙っているか、の二つだ。

 故にトオルは伏せ札を切るために、ワルドのおかしな点をマザリーニに伝え反応を見るためにサイトに部屋に残るように言い、ギーシュに一人で帰るようサイトが促すと、それを見ていたマザリーニもサイトの行動にもしやと考え、アンリエッタに託けてワルドも下がらせようとした。

 

 マザリーニからすればこのとき、ワルドが黒であった場合にアンリエッタの暗殺が目的ではないのはほぼ確実であった。彼の役職上アンリエッタ一人を殺すだけであればいつでも出来るはずだからだ。そして今は手紙というエサがある。今アンリエッタに手をかければ、手紙奪還に託けた逆の手紙奪取に支障をきたすことになる。彼が黒でもアンリエッタの安全は保証されているようなものなのだ。トオルもワルドの役職とここまで一緒に話を聞いたことからその点は理解していた。むしろもし彼女が彼に殺されるようなことがあれば、色々と手間が省けるような状況ともいえた。

 

 それなのにワルドはその役目を部屋先にいた衛士の部下に任せ、残った。

 しかもルイズに話があると言い、甘い言葉を投げているではないか。ここにはマザリーニもいるというのに。

 

 マザリーニにはわけが分からず、サイトは苛立ちを覚えて、トオルは、

 

「任務の成功を祈って欲しいんだ。それと――」

 

 この時点で嫌な予想が立ってしまっていた。

 

「それと?」

 

「任務にきみの使い魔君を同行させてほしい」

 

 ワルドを除いた、この場の話を聞く男達の眉根が等しく顰められる。

 

「……サイトを?」

 

 ルイズもまたサイトを危険な任務に送り出すことに拒絶反応を示し、視線に険が籠もった。

 

「彼は腕が立つのだろう? 教養もあるようだし、もし僕になにかあっても、事情を全て知っている彼ならば任務続行は可能になる。これから加える人員には全部の事情は話さない方がいいと思うしね。だからこの重大な任務に彼が必要なんだ」

 

 サイトが我慢できなくなり、ルイズの前に出た。とっさにトオルは止めようとしたが、この後の展開が読めたので結局黙って状況を追うことにした。

 

「あんた何考えてんだ。俺の話を聞いていただろうが。ヴァリエールが関与していることが公になるのはマズイ――」

「きみは殿下の入室時に不敬を働いてしまっただろう。殿下がお許しになってもその事実は消えない。それではルイズの経歴に傷が付いてしまうことになる。だからこれは、それを払拭する為でもあるんだよ。それにフーケ撃退の実績から登用したことにすれば、なにも不自然なことはない。ラ・ヴァリエール家の為にもなる。どうでしょうか、猊下」

「な、あんたは――」

 

 ワルドの言に、サイトはワルドが部屋の外で話を聞いていたのにアンリエッタを止めようとしなかったことを言おうとした。入室時の不敬も何も、ワルドはアンリエッタを最初からつけてきておりそれを止めなかったという不義がある。証拠が無いとはいえ、こんなヤツの言うことなど聞く必要はないと思ったのだ。

 だがそのが言葉が彼の口から出て来ることはなかった。それならば先の場面で手紙奪還の任を彼が命じられた際、何故止めなかったのかという問題が生じるからだ。

 それにワルドが言うことももっともであった。任務が成功し、ヴァリエールが私兵を着かせることでトリステイン貴族としての仕事を全うしていたとなれば、今回のことが明るみに出ても現王家への忠誠の証になる。もし失敗してサイトの存在が公になっても、ワルドとマザリーニがフーケの件から登用した傭兵という身分にし、ルイズは何も知らなかったとしてヴァリエールはサイトを切るだけでいい。

 

 トオルが伏せた手札が、逆にサイト達の首を絞めてしまっていた。

 そのことに気付いたサイトの耳に、トオルが謝る声が届く。

 そして同時に別の案も届いた。それをするかどうかは兄さんに任せる、という言葉と共に。

 

 一方マザリーニとしてはこれは悪い話ではない。サイトが思い至った事柄だけでなく、サイトが信用できるかを試すのにはうってつけの人事であったし、少々言動が怪しいワルドへの牽制役にもなる。また、自らこのような案を出してきたということは黒ではない可能性も高くなった。

 サイトが黙ったのを確認すると、マザリーニは了承しようと口を開きかけて――

 

「許可できません」

 

 ルイズの待ったがかかった。

 

「姫殿下はご自身の非を認め、サイトを許し謝罪しました。ここでわたしの経歴を気にしてそのような行動に出れば、姫殿下のお気持ちを蔑ろにするようなものですわ。そしてサイトはわたしの使い魔であり護衛ですが、それ以前にわたし個人の客です。ですから、許可できません」

 

 マザリーニもワルドも驚き、ラ・ヴァリエール公爵家の三女を見つめた。

 アンリエッタの暴挙を許してしまった脇の甘い娘が、このようなことを言うとは思いもしなかったからだ。

 

 そしてこれはトオルにも予想外な言葉であった。

 トオルはルイズが兄を大切に思っていることには気付いていた。だから否定的な感情を持つだろうとは考えていたが、マザリーニ達同様ここまでしっかりとした理由をつけて拒絶出来るとは思っていなかった。

 それにこの少女は貴族としての矜持を重要視している。その貴族としての経歴に傷が付くと言われたのに、それをすっぱりと切ってまで否定したのだ。思えばルイズは先ほどから一度も婚約者だというワルドの名を口に出していない。だがサイトの名は平然とよんでいる。ワルドの案の拒絶には友人としてのアンリエッタへの想いもあるのだろうが、垣間見えたサイトへの感情に、トオルは考えていた色んな物事をすっ飛ばして、喜び以外に混ざりもののない、純粋な笑みを浮かべていた。

 彼のすぐ隣で、初めてそんな無邪気な笑みを見たタバサの視線に、少々の棘が混じったことに気付かないまま。

 

 ルイズは感情的であったうえに生きた知識や経験が極端に少なかったが、物事を考えるのは早く、思考は潔癖で胆力もあった。知識が足りなくとも、彼女にとって肯定的な感情論が型にはまる場面であれば、強くなるのは充分に考えられることである。

 そこに来てさらに、先ほどまでのサイト達のやりとりを間近で見ていたのだ。そして見ていただけではなく、考えてもいた。極端なこの成長はそれ故のものであった。

 

 サイトだけはそんなルイズの言葉に驚かず、代わりに妙にこそばゆい嬉しさを覚えていたが、それが彼女の成長故にか、それとも別な理由故にか、判断も、ましてや理由そのものを考えること自体しなかったため、わかっていなかった。

 わからないまま、彼は嬉しさに身を任せて、先ほどトオルが新たに提案した策を実行する決心をした。

 

「いや、ルイズ、俺も任務に行ってくるよ」

 

 

 



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