シャルロッ党のお姉さま (小雲八泉)
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1.夢を馳せる話

就活時期に筆が走ったので初投稿です。
結構悩みましたが基本一人称視点で書かせていただきます。


皆さんは誰推しですか?

※時節を間違えていたので修正。
※矛盾するおかしな一文があったので修正。


 初夏の早朝、まだ春の涼しさが面影を残す中、朧気に瞼を開けた。カーテンの隙間から漏れる一筋の光が眩しくて手をかざす。

 

 

 ……やがて頭の靄も晴れてきたので、体を起こしてカーテンを開けました。

 

 ご機嫌よう(Enchanté(e))、皆さま。

 今日も新しい朝がやってまいりました。

 外のお庭では桃色のリコリスと紫のコスモスが美しく咲いております。

 こういう時こそ朝のティータイムを過ごしたいところです。此方だとサロン・ド・テでしょうか?

 あの子は甘い方が好きですし、今日は無難に甘めのカフェオレにしましょう。

 珈琲とミルクは5:5が基本です。

 

 ……こほん。

 先ずは自己紹介と行きましょう。何事も始まりが大事とはよく言いますからね。

 

 私の名はヴィオレット・デュノア。

 デュノア家の長女でございます。

 

 今時量産され尽くした特典付きの転生者でもあります。

 

 どんな基準で私などを転生させたのかは神様に聞かなければ分かりませんが、せっかくですから前世よりも楽しい人生を送れたらなと愚考しております。

 

 

 

 因みに特典の中身ですが、某同人誌ゲームでお馴染みのスキマ妖怪さんの能力を頂きました。

 

 これが凄いんですよ。ちょっと動くのが面倒だった時に空間をくぱぁっと開いて遠くの物を引き寄せられるんです。いやあニートが捗る…じゃなくて、とても便利な能力なんです。

 

 しかし何の変哲も無い一人間が扱う所為か、広範囲に展開したり多数同時に出したりするのが非常に難しいんですよね。

 さらに物体に対して効果を発揮するには結構な集中力がいる上、大雑把にしか行使できません。

 具体的にいうとグラスを割ることはできても曲げることは出来ないんですよ。

 上手くなれば割らずに曲げるとかも出来ると思いますがね。

 まあ現状はスキマホールとしてしか使っていません。

 

 これを苦もなく使いこなせてる永遠の17歳の実力の程がよく分かりますよ。

 凡人にF1カーは乗りこなせないのと同じ様なものですね。

 

 転生の恩恵は寧ろ生来の頭脳の方が大きいでしょう。前世はお世辞にも頭がいいわけではなかったので、すいすい記憶出来る今の身体は便利すぎて怖いくらいです。最近は技術革新もめざましく、毎日毎日新しい知識が増えていくのを実感できるのは楽しいですね。

 

 

 

 キッチンでカフェオレの準備を一通りできたら談話室に向かいます。

 元々は応接間の要素が強かった部屋ですが、どうせ誰も来ないことですし私達の団欒の場にしてしまおうと考えた訳です。

 

 上の部屋が寝室なので静かにコーヒーセットを置き、窓側のロッキングチェアに腰掛けてあの子が起きるのを待ちましょう。

 フランス人は時間にルーズなのです。

 

 左手の平を上に向けてスキマで書斎にある適当な本を取り出します。スキマから落ちてきた本を丁寧に掴み、栞紐が挟まれた部分を開きました。

 異形の力であることは自覚しているので妹や他人の前では使えませんが、こういう一人きりのときはいいでしょう。

 

 本の題名は『特殊相対論とPIC』。

 前世なら読む前に投げ捨てるだろう分厚さの学説本のページをめくりました。

 PICとは"慣性制御システム"といい、これも前世には無かったものですね。

 他にも色々ありますが、今日の技術革新の大半はとある兵器(?)によってもたらされているようです。

 

 で、それこそが、インフィニットストラトス。通称IS。

 前世で聞いたことがあるタイトルネームですね。はい、そのISのようです。

 

 なんか色々なオーパーツを詰め込んだ色物スーツです。

 現行の兵器では歯が立たないそうです。所謂最強伝説ですが、原作では生身の人間に落とされたり簡単に無力化されたり……眉唾物ですね。

 

 さらにゲッターよろしく成長進化する特性があり、その進化が技術革新の原因だそうですがそれは兵器としてどうなんでしょう?

 しかもISを動かすためのコアは開発者でもよく分かっていないらしいのです。おい生みの親。

 

 しかし当分はこのISの仕組みを理解することで暇つぶしが出来るので、よしとします。

 いつか生身で空を舞ってみたいですね。

 

 ページをめくる音と、時計が針を進める音、そして外の自然の音だけが心地よく静寂を埋めていきます。

 

 ここは都会からは遠く離れた洋館ですので、下手な雑音もしません。

 庭の手入れや家の掃除が大変ではありますが、逆を言えば暇つぶしに掃除するだけでぐーたら出来るので儲けものです。

 

 そんなことを考えたりしていると、不意に上の階の部屋の扉が開く音がしました。とてとてと足音が聞こえてきます。

 といっても私以外の住人は一人しかいないので特に動揺することもなく本を読み続けました。

 

 そうして待っていると、この部屋の扉が開いて綺麗な金髪の少女が顔を出しました。

 

 

「あ…おはよう、お姉ちゃん」

 

「ええ、おはようシャル」

 

 

 深い藤紫色の宝石を思わせる瞳を此方へ向けて、我が妹は微笑みました。

 

 この子こそ私の妹、シャルロット・デュノアです。

 

 まだ眠いのか目の下を擦りながら惚けた目で向かいの椅子に座りました。可愛い。

 シャルは天使です。私の天使で妹です。

 

 目に入れても痛くないとはまさしくこういう事なのでしょう。

 甘えん坊であざとくて、それも含めて可愛いです。

 

 

「まだ眠いの?はいどうぞ」

 

「ありがとう、お姉ちゃんは早起きだよね」

 

 

 シャルはえへへ、と笑って用意したカフェオレに軽く口をつけました。

 作ったばかりですからまだ熱いのでしょう。困ったような顔をしてテーブルに置きました。

 それを見て思わず頬が緩んでしまいます。

 

 シャルも私も同じ母親から生まれた子ですが、その母は一月前に不治の病で亡くなって、父は私達を放置して会社に精を出しているようです。

 

 しかも正妻として他の女を娶っているそうです。

 流石は雄鶏を国鳥に持つ国の男ですね。くたばれ。

 

 そんな訳で母の愛人時代の遺物なんかを売り払ったお金で当分は凌いでいましたが、母の負債を取り立てるとかどうとかで大半は取り上げられてしまいました。

 流石に残りの資産だけで家計を回すのは将来的に難しいことは明白でした。

 

 義務教育ゆえ教育費が無料で済んでいるのが救いでしょうか。私達の家計事情はお世辞にもいいとは言えませんからこれは有り難かったです。

 シャルをちゃんとした学校に出してあげなければいけませんからね。

 私は前世で一度学んでいますから、後は本やネット、指定の教科書などを読めばなんとかなります。

 

 なので、学校は行きつつも休日等に町の孤児院で子供達の相手をしたり、学べない子供達の為に臨時教師として習い事を教えたりしています。

 

 なのでシャルの相手をしてあげられない日があるのでとても心苦しいのですが、シャルは理解を示して応援までしてくれました。やはり天使っ。

 

 今日は特に何も無いので思う存分構い倒せます。

 さあさあシャルちゃん、お姉ちゃんとお医者さんごっこしましょうねえ〜。

 

 

 

 ……なんて事をするとお姉ちゃんの威厳が地に堕ちるので、お姉ちゃんは優雅にティータイムを過ごしています。時折目が妹の方を向くのはご愛嬌。

 

 でもやっぱりシャルは可愛い。ぐぬぬと唸ってカップを両手で包んでカフェオレが冷めるのをじっと待つ姿は小動物のそれです。

 

 時々こっちを向いて顔を赤らめて恥ずかしがるのも可愛らしい。

 

 

「……お姉ちゃん」

 

「どうしたの?シャル」

 

 

 目尻を下げて私を呼ぶので、なるべく優しく応えます。

 どうしたのでしょうか。

 

 

「お姉ちゃんは夢とか見る?」

 

 

 夢ですか、私も夢を見ることはたまにあります。この前は林檎のタルトがパイ投げの如く大量に降ってくる夢でした。タルトは大好きですが、空から降ってくるのは流石にご遠慮願いたいです。

 

 

「ええ。もしかして夢を見たの?」

 

「うん…空を飛ぶ夢」

 

 

 空を飛ぶ夢ですか。それはさぞ気持ちの良い夢だったことでしょう。…しかしシャルに羽が生えたら本物の天使と見分けが付かなそうです。絶対に見分けてみせますが。

 

 空を飛ぶといえば人が一度は夢見る偉業でした。今でこそ航空機に乗れば簡単に実現出来るものでしかありませんが、今でも何の助けなく鳥のように飛びたいと願う人は多いと思います。

 

 

「どうだった?」

 

「風を切るように飛んでいて、楽しかった。…夢だけど」

 

 

 楽しい夢というのは起きる時には忘れてしまうと言いますが、シャルは覚えていたようです。

 しかし覚えているならば、起きた時の失望感は大きいでしょうね。

 

 

「あんなふうに飛んでみたいなあ…」

 

「最近は技術の発達が早いから、大人になる時には出来るかもしれないわね」

 

 

 今でもISで出来ることは出来ますが、あれは国家の管理に置かれているので飛ぶ場所や時間が縛られるのが問題になりますね。そんな窮屈な状態では"自由に飛ぶ"感覚を得られるかは疑問です。

 

 出来るとすればISが量産化されたりして用途が多角化するようになることですが、現状ISコアは開発者の篠ノ之束しか出来ないようですし、解析の方はかのステイツ(アメリカ)でもロクに進んでいないそうですから難しそうですね。

 私も何処かで私の能力の元ネタのように自由に飛んでみたいと思っているんですから是非量産して欲しいです。

 

 ああ、何で魔法のような科学が発展したと思ったら軍やら兵器やらに使われてしまうのか。

 

 軍事利用を禁止する条約を結んでおきながら各国は素知らぬ顔で兵器(国は否定している模様)として開発している現状は国という組織の闇を垣間見ることが出来ます。

 アラスカ条約が息をしていませんね。

 

 何よりも酷いのはそれを知って尚賛同する世間の人達です。

 先進国の流行りは"女尊男卑"らしいですよ?なんでも最強のISを使える女が生物的に優位で男はただ使役されるべきだとか。

 その風潮は先進諸国から中進諸国まで広がり始めているらしいです。

 

 ……なんで21世紀にもなってアマゾネスしてるんですか。

 革命、戦争と膨大な死体と引き換えに築いた"平等"や"平和"はどうしたんですかね。

 

 

「空はこんなに青いのに」

 

「急にどうしたのお姉ちゃん」

 

 

 思わず溜め息をついたのを訝しく思ったのかシャルが聞いてきます。

 大したことではありませんよ。この世の世知辛さを憂いているだけですから。ええ。

 

 変なものを見るような妹の目線から逃れるようにカフェオレを仰いで窓から空を見上げると、綺麗な青空が広がっているのが見えました。

 

 

「でも今日はよく晴れてるね」

 

「ええ」

 

 

 とても。そう言って本を膝に置いて、遮るものの無い太陽に手をかざしました。

 

 木漏れ日の光を通り抜けて、鳥の鳴き声が耳を擽ります。

 

 

「絶好のピクニック日和ね」

 

「いいね、ピクニックしようよ」

 

「フフッ、それじゃあ準備しましょうか」

 

 

 兵器が世論を動かす世界。それがこのISの世界。

 それでも世界は概ね平和なのですから、それはとても素晴らしいことなのだと思います。

 

 

 

 

 

 




 批評、感想お待ちしております。


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2.お菓子とお返しの話

 ご機嫌よう、皆さま。

 

 花のピレネーを一度は見てみたいヴィオレットです。

 

 風は涼しさが抜けてきて、本格的に暑くなってきました。ここは緑豊かな自然と渓谷の川が涼しくしてくれますが、都会は結構高温になっているのではないでしょうか。

 

 熱が篭るといけないので、窓を開けて風を入れていきます。花瓶のコスモスを抜いて新たに差し替えました。

 

 応接間の窓側に置いてある細い花瓶は、一輪のコスモスを飾るためだけの場所として使われています。

 母はいつもここにコスモスを差しては思い出したように笑っていました。

 

 そのせいでしょうか?風に揺られるコスモスをじっと眺めていると、何だか母の顔を思い出すのです。

 

 母の座る場所に近づいて隣に座っては時折やってくる母の手に頬摺りしていた記憶。シャルと一緒に絵本を読んで貰いましたね。

 内容はそう特筆することもない在り来たりな童話でしたが、家族に囲まれるその時間がとても楽しみだったのです。

 

 ……人生はこれで二度目だというのに、私は子供の情緒に長い間翻弄されていた気がしますね。

 

 

 だからでしょうか?

 そこに母が()()()ことに慣れないのです。

 

 

 

 

 

 ……しんみりするのは止めにしてテレビでも見ましょう。喉も渇いたのでカフェオレを飲みながら。

 

 カフェオレはコーヒーとミルクを混ぜるだけで出来るお手軽な国民的嗜好品です。

 但し入れるミルクを間違えるとコレジャナイ味になるので注意が必要です。

 

 というのも、チーズで生きていると言われるほど乳製品が豊富な酪農国家フランスは、訳がわからないほどミルクの種類が多いのです。

 

 保存方法も大体常温で賞味期限もかなり長いです。日本の乳臭さたっぷりなミルクと比べれば幾分か薄い味に感じるかもしれませんね。

 

 でも、慣れてくるとこれも良いと思えるんですよ。

 

 まあカフェオレの味を拘りたいなら生乳も売られているのでそちらを使うのもありだと思います。

 

 

「私にも頂戴」

 

「了解っ」

 

 

 私が立ち上がったことで何かを察したのか、ソファに座っていたシャルも注文してきました。

 シャルはこのように偶にニュータイプ並の直感を発揮することがあります。女の勘とでも言うのでしょうか?

 

 この前は密かに隠していたおやつのマカロンを見つけ出されて必死に弁解する羽目になりましたから、全く怖いものです。

 

 二人分のカフェオレを用意して皿にマドレーヌを並べます。フランスの簡単なお菓子といえばこれでしょう。

 今回はもともとあったものを使いましたが。

 

 カフェオレとマドレーヌを運び、シャルの前に広げて座りました。

 

 

「マドレーヌだ!」

 

 

 目を輝かせるシャルに苦笑して、テレビの方に目を移しました。

 テレビを収納する隠し棚は既に開けられていて、テレビは場違いな熱狂を垂れ流しています。

 

 画面にはぐるりと囲む観客の姿とその中で目にも留まらぬ速さで動き回る二機の機影が映っていました。

 

 

「モンドグロッソ?」

 

「──はむっ……ん、そうだよ」

 

 

 早速マドレーヌを頬張るシャルを視界の端に収めながら、交差する度に風を切って甲高い金属音を発するそれを観戦していました。

 

 簡単に説明しますと、モンドグロッソは最近発足されたIS委員会主催の国際イベントで、ISを用いて競技を行うスポーツの一種となっています。

 

 限られた空間の中でIS同士でバトルをして相手のシールドを削り切った方が勝利となります。

 

 スポーツと銘打ちましたが、使われるのは実銃実弾、真剣です。

 どこのコロッセウムかと突っ込みたくなりますが、主催曰く安全性は保障されているらしいです。

 

 実際軽症者はいても死者は一人もいませんし大丈夫なのでしょう。

 

 世間からの評判はかなり良いそうです。

 仮にも兵器だと知っていて尚その評価なのですから、つくづくこの世界は前世とは似ても似つかぬ情勢なのだと再認識させられますね。

 

 私もISは昨今の兵器のイメージとはちょっと違うと思っています。どちらかというと戦隊モノやファッションに近い感じです。

 多分この前のモデル雑誌にISに乗ってポーズを決めるグラマーな女性が写ってたからだと思います。

 

 

 

 話を戻しましょう。

 

 テレビの端にはそれぞれ簡単な説明文が載ってあり、左上には両者の国旗が表示されています。

 

 一方は黒・赤・金の三色旗。その横に212の数字。

 もう一方は青地に金の十字。その横に180の数字。

 

 則ち隣国ドイツとスウェーデンの各代表同士の試合のようです。

 横の数字は各ISのシールドエネルギーのようですね。

 

 シールド値はドイツ代表が優勢のようですが、映像を見る限りだとスウェーデン代表が押しているように見えます。

 

 後退して弾幕を張るドイツ代表と高機動で躱しながら散弾銃と近接武器で肉薄するスウェーデン代表。

 変態機動のスウェーデンも凄いですがそれを銃床でいなすドイツも大概ですね。

 

 カフェオレを両手で包んで傾けます。

 この甘味の中にあるほろ苦いコーヒーがいいですね。

 

 一緒にマドレーヌも頂きましょう。

 

 

「あっ」

 

「?──あら」

 

 

 ブザーが鳴りドイツ代表の勝利がアナウンスされて……。

 しまった、見逃しました。

 

 テレビではハイライトシーンがスローで流れています。

 

 散弾で視界を奪って、あっ、散弾銃投げ捨てましたね。

 両手に持ち替えて一気に加速していきます。

 慣性にケンカを売る不規則な曲がり方で詰め寄って、ってドイツが懐に突っ込んで漫画みたいに交差していきました。

 スウェーデン代表、完全に予想外って顔してます。

 

 

『ここですね〜。イェシカ選手が多段瞬時加速でフェイントをかけて切り込んでくるっ。それを読んでいたエリーゼ選手、今まで引いていた体制から一気に踏み込んで、先制でレーザーブレードを叩き込んでいます』

 

 

 あー、これはドイツの胆力の勝利ですね。剣一本に賭けた相手に突っ込むなんて普通しませんし。

 寧ろこれが正解なのでしょうか。

 両手持ちだと大振りになるという予想だったとか?難しいところです。

 

 

『フェイントを逆に利用したんですねぇー、さあドイツがまた一つコマを進めてきた!次の試合はオーストリア対デンマークです!チャンネルはそのままに!』

 

 

 実況解説がまくしたてる中、ドイツ代表がエネルギー切れでふらふらしているスウェーデン代表を支えて降りていきます。

 アップで映された両者は共に笑顔で健闘を讃えあっていました。

 

 あーいいですよねこういうの。

 スポーツマンシップは何より褒められるべきだと思います。

 

 画面がズームダウンしていき、CMに切り替わりました。

 

 

「ドイツが勝っちゃうなんてね」

 

「予想外?」

 

「うーん、そうかも。今年のスウェーデン、相当強いって聞いたから」

 

「それじゃあそれを破ったドイツは期待できそうね」

 

 

 化粧品のCMからシャルの方に顔を向けて言いました。シャルもこちらに目を向けて、ぷくっと顔を膨らませました。

 とっても可愛いです。

 

 

「ドイツとイギリス、ジャパンばかり決勝に上がってくるんだから、たまにはダークホース的な人も出てきて欲しいなぁ」

 

「そうなの」

 

 

 スポーツにおいて特定の国が毎回強いなんて何処でもある話です。それでもシャルが誰かに勝ってほしいと思うのは、一スポーツのファンとしては当たり前だと思いますよ。

 

 

「『盛者必衰』。此彼も必ず首位が奪われる時が来るわよ」

 

「ジョウシャヒッスイ?」

 

「日本語。四字熟語っていうの」

 

「相変わらずなんでも知ってるなあ」

 

「シャルならもっと賢くなれるわ」なでなで

 

「むっ……子供扱いしてるでしょ?」

 

「シャルも私もまだ子供よ?」なでなで

 

「そうじゃなくて!」

 

 

 この世界は何故か日本語を学ぶ授業が世界規模で流行っているので、そこでもアドバンテージを得ている私は間違いなく勝ち組でしょう。

 

 シャルも勉強熱心な良い子ですが、流石に古文と四字熟語は教わってませんよね。

 

 それにしてもシャルは可愛い。なでなで。

 

 なでなでなでなで。

 

 

「もうっやめてよ恥ずかしい!」

 

「あらら、ごめんね。ほら」

 

「んむ……もぐもぐ」

 

 

 少し揶揄い過ぎましたね。

 今のは私が悪かったです、反省しましょう。

 

 マドレーヌを口元に持っていって食べて貰いました。

 それはストロベリーの入ったスペシャルなマドレーヌなのでいつものより美味しいと思います。

 どうかこれで許して下さいな。

 

 

「……美味しい」

 

 

 シャルの表情がみるみる和らいでいきます。

 どうやらお気に召したようです。これを買った菓子屋さんには暫くお世話になるかもしれませんね。

 

 

「落ち着いた?」

 

「……むー」

 

「はい、あーん」

 

「あむっ」

 

 

 誤魔化しているのがバレそう、というかバレてるみたいなので追加でマドレーヌを献上します。

 

 あたふたしながら妹にお菓子を与える姉と目で訴える妹、なんだか時代劇のお殿様がよく言うセリフが脳内に浮かび上がりました。

 

 

「ほらほら、いっぱいあるから騙されてね〜」

 

「言ったら意味ないよお姉ちゃん……もぐもぐ」

 

 

 美味しそうに食べるシャルを見ていると、こっちまで幸せな気分になりますね。さっきの余韻で少し頬が赤いのもグッドです。

 

 

 

 ここで悪戯心が芽生えてしまい、バレないようにそーっと頭に手を伸ばして───シャルに手を捕まえられました。

 

 あっ、と声が出ました。

 

 

「……お姉ちゃん」

 

「ど、どうしたの?」

 

 

 急にトーンを落として呼ばれたのではてなを付けて応えると、シャルは笑顔で私を見返していました。それはもう……背筋が凍るような。

 あらやだ可愛い……じゃなくて、なんだか既視感が。

 

 例えばそう、シャルの苺ケーキの苺だけこっそり食べたのがバレたときと同じ……ハッ!

 

 

「はい、お返し」

 

「むぐ!?」

 

 

 身を翻す間も無く口に入れられたのは小麦色のマドレーヌ。それも3個。

 突然口が塞がってびっくりして目を白黒させていると、そっと引き寄せられて倒されました。

 

 うん?ちょっと待ってください。この体勢はもしかして膝枕ですか?

 てっきり折檻されるのかと……。

 

 仰向けに寝かされた私を笑顔で見つめるシャルは、私の頭にそっと手を乗せました。

 

 くすぐったくて思わず身をよじると、肘から手の平までを私の上に載せて固定してきました。

 動こうにも重心を取られて動くことができません。

 

 何故か冷や汗が止まらない私を、深い、深い紫色が目の奥を射抜いていました。

 

 ぞくりと小さく震えて……そこでシャルの思惑に気付きました。

 

 抑えられた胸が痛いくらい脈打っています。

 

 ……えっと、あの、シャル?

 私がそれ弱いの知ってるでしょう?

 

 それにそれは年下にするものですから、ね?いいこだから手を下ろして―――

 

 

「────よーしよしよしよしよしっ」

 

「んぐっ!?んん、むー!」

 

 

 あ、まって!それ恥ずかしいですから!やめて!やめてください!

 あっ、やめ、ヤメロォー!

 

 ちょ、ガッチリロックされてて抜けられない!?

 

 子供じゃないんですから!お願いとめて!?

 

 待ってなんでこんなに上手いのなに───

 

 ひゃ、そこはダメですっ、はふっ、やっ―――

 

 力が、抜けて……ああっ───

 

 

 

 

 

「はい、おしまーい」

 

 

 シャルがパッと手を離した時には、既に虫の息でした。

 

 ……口を塞いでパニックになったところをなでなで地獄。

 弱いところを重点的に狙われて、頭が全く動きません。

 

 目が潤んで動悸も激しいし、ちょっと眠気が……。

 

 

「きゅぅ………」

 

「あれ?お姉ちゃーん、大丈夫?」

 

 

 ───妹を揶揄うのは程々にしよう。微睡みに沈む意識の中、私は朧げにそう思いました。

 

 

 

 

 

 

 




貝の形で有名なマドレーヌ、「さめざめと泣く」って意味があるそうですよ。



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3.IS事件とうさぎの話

ミシェルおばさんの 子猫が消えて(C'est la mere Michel qui a perdu son chat)♪」

 

窓越しに叫ぶ 『誰か探して!』(Qui crie par la fenetre a qui le lui rendra)♪」

 

 

 ご機嫌よう、皆さま。

 どちらかと言えば猫が好きなヴィオレットです。

 

 花も咲く8月の陽気は暖かく、こうして風に吹かれているだけなのに自然を感じているような気になります。

 

 今日は二人でピクニックに来ました。

 村の外れにある丘までは大体2キロくらい。人の少ない村で更に正規の公道ではいけない秘境ですので、私達以外の人影はいません。

 

 そんな訳で私達は適当な歌を口ずさみながら色々と入ったカゴを片手に、丘の中腹までやって来ました。

 ここは花も多くじっとしていれば鳥もやってくる自然の宝庫です。

 

 

「ここにしましょうか」

 

「はーい」

 

 

 木の木陰もある適当なところで止まり、マットを敷いてカゴや器具、水分等を降ろしました。

 

 カゴから定番のサンドイッチやブドウ、切り分けたリンゴ等の果物やジュースの入った瓶などをぽいぽいと出しては置いていきます。

 更にリンゴのタルトに一口サイズのピッツァにマカロンに……。

 

 

「……そんなに持ってきてたの?」

 

 

 呆れたようなシャルの言葉にハッとなって出すのをやめます。

 危ない危ない、実は半分以上はスキマから取り出しましたなんて口が裂けても言えません。

 人ならざる力ですから、そこのところはちゃんと意識しておかなければ。

 

 取り敢えず伝家の宝刀で誤魔化しておきましょう。

 

 

「て、てへぺろ」

 

「……」

 

 

 胡散臭いものを見る目線が突き刺さりますが、努めて澄ました顔でマットに腰を降ろしました。木漏れ日が風に揺れるのがなんだか心地良いです。

 

 コップを二つ取り出してオレンジジュースを注ぎます。

 今日は地元の方から貰ったものを消費する目的もあり、このオレンジジュースもその一つ。ミキサーにかけた生のジュースを冷やして持ってきたのです。

 

 ほかの果物やサンドイッチの具もそう。こうしてほのぼのしてると忘れそうになりますが、世間一般では私達は唯一の親である母を亡くした寄る辺のない子供なので、それを憐れんだ近所の皆さんから度々お世話になることがあります。

 

 自分で言うのもなんですが、私達は容姿も良いですからその効果もあるでしょう。人間皆現金ですから。

 二人とも母に似てますしね。逆に言えば母の見てくれが非常に良かったといえます。

 

 しかし『原作』にもある通り、実は父の方は普通に生きているのですが……まあ、見たこともありませんし実質いないでいいでしょう。まだお呼ばれしてませんし。

 

 母が死んだ時、葬式にも遺産相続にも首を突っ込まない徹底ぶりには流石に変な笑いが出ましたよ。

 父が予め遺産相続を放棄していたようなので、勿論全て貰い受けましたとも。

 

 因みに相続分の財産はそれまで埋もれてた取り立て債務があって大体消えました。まあ現金だけで家具とかは普通に持てましたから十分です。

 ついでに相続前にその債務を見逃した財務管理の方にはあとでロシアンシュークリームを送っておきました。

 自分の確認の甘さを呪うといいですよ、HAHAHA。

 

 

「〜〜♪」

 

 

 ブドウをひとつまみちぎって皮を剥き、口の中に放り込みます。購入したブドウに良く付いている白い粉、これはブルームと言いまして、ブドウの実を乾燥から守る特徴があります。

 これがあると鮮度が長持ちしますので、洗い落とすのは食べる前にしましょう。

 

 

「あ、これ美味しいー」

 

 

 シャルはリンゴに目を付けたようです。青い皮を兎の耳の形にして可愛らしく仕上げたそれは見るものに不思議な食欲を与えます。

 

 しかし青い皮なんて珍しくもなんともないですが、違和感が半端じゃないというか、もう少し赤くても良いんじゃないとか思わないでもないです。

 

 

「赤いリンゴもあるにはあるけどねえ」

 

「リンゴってふつう緑色だしね」

 

「ん?リンゴって赤いでしょ?」

 

「え、緑色でしょ」

 

「えっ」

 

「えっ」

 

 

 なんということでしょう。私とシャルとの間にこんなにも食い違う価値観があったなんて。リンゴって緑色なんですか?青い……は日本特有の認識ですが、リンゴは普通赤では?

 

 

「ちょっとまって、リンゴが緑なら赤い果物って何?」

 

「ん、ラズベリーとか」

 

 

 確かにラズベリーは赤いです。しかしラズベリーがポンと出て来るなんて凄いですね。個人的に赤い果物って言われても真っ先に出てくるのはリンゴですから、なんだか新鮮です。

 

 

「まあまあ、美味しければなんでもいいじゃない」

 

「それはそうね」

 

 

 シャルのもっともな意見に賛成し、ピッツァを摘みました。

 

 カエルしかり、昆布しかり、タコしかり。

 美味しければなんでも許されるものです。

 逆に形も味もアレな食事はしばしばネタとして面白さを提供してくれますね。

 スターゲイザーパイというイギリス産の料理がありますが、パイから魚の頭が突き出るというユニークな仕上がりになっています。味は人を選ぶのだとか。

 

 

「美味しいわねー」

 

「ねー」

 

 

 広げられた食べ物を思い思いに頬張りながら、シャルと顔を見合わせて笑いました。

 美味しいものを食べれば皆笑顔になれる、そこは全世界共通の概念だと信じています。

 

 たまに食べさせあいっこしながら和気藹々と過ごしていると、甲高い風切り音を響かせる不届きものが雰囲気を壊してしまいました。

 

 

 ───ドオォォォォン!

 

「きゃっ」

 

「うひゃあっ」

 

 

 丁度シャルにあげるところだったので、少し苛立ちながら空を見上げると、歪なヒト型を保つ影が上空を高速で通過しているところでした。

 

 

「あれはIS?こんなとこに来るなんて」

 

「まったく、近所迷惑ねえ」

 

 

 訓練でしょうか?こんなところで音速を超えられると非常に迷惑極まりないのですが。

 田舎なら爆音響かせてもいいとか思ってるんですか?

 

 

「あのハエ叩き落としてやろうかしら」

 

「いや無理だよ」

 

 

 鼻息荒く睨め付けた私を苦笑しながら諌めるシャル、ふぅ、とため息を吐いて力を抜きました。

 いや実際には出来ないんでしょうが、ちょっと驚かせて墜落まで持っていけませんかね。

 

 遠ざかっていく影を見ながらため息を吐いて、うさぎ型のリンゴを頬張りました。あ、甘くて美味しい。

 

 あのちんまい機械が世界のパワーバランスを簒奪したなんてにわかには信じ難いことです。

 しかしもっと信じられないのはあれが元々宇宙用作業服を想定して制作されたスーツだと言う発明者の主張ですね。

 

 

「篠ノ之束は一体何を思ってアレを作ったのかしらね」

 

「篠ノ之博士ってあのすごいヒト?」

 

「そうそう、IS作った人」

 

 

 最初のISが表舞台に姿を見せた『白騎士事件』と呼ばれる事件で出てきたISには既に火器管制機能やレーダーが標準装備されていたといいます。

 篠ノ之束も最初はとても自慢げに話していたと聞きますから、これが意図しないものであった訳ではなさそうです。

 

 

「そういえば白騎士事件って結局どういう事件だったの?」

 

「ああ、シャルはあの時のこと覚えてない?」

 

「ニュースがひっきりなしに伝えてたのは覚えてるけど、細かいところはよく知らないんだ」

 

 

 白騎士が日本を救ったって学校では教わったけどね。と言ってカプッとリンゴを頬張るシャル、そうですか、まあ5歳の頃ですし仕方ないでしょう。

 

 『白騎士事件』ですか。ええ、知っています。

 話せば長い、そう、古い話です。

 

 事の始まりは防衛省及び各大使館からの急電によるものだったといいます。

 

 ───我が国に向けて弾道ミサイルが発射された、正確な数は不明、数千に及ぶ可能性ありという絶望的な報告です。

 

 ところで皆様、弾道ミサイルの火器管制システムがどのような仕組みになっているかご存知でしょうか?

 そもそも弾道ミサイルのほぼ大半は、あの世界最大の危機、冷戦の時期に大量に生産されたものが占めています。

 

 つまり核弾頭が搭載されている訳です。

 そんなものを敵国へ向けて発射したときには当然第三次世界大戦待った無しでしょう。

 主導的立場であるアメリカとソ連は当然それを避けようとしました。ましてやハッキングされて世界が終わるなんて絶対に避けねばなりません。

 

 故に、弾道ミサイルの発射までのプロセスは全て人力で行うのが基本です。

 しかも滅茶苦茶厳重な段階を踏むので、誤作動もまずありえません。

 

 しかし『白騎士事件』では、示し合わせたように全世界の弾道ミサイルや搭載ミサイルが一斉に"ハッキング"されたと各国は主張しています。

 これに関しては諸説あるようですので今は置いておきましょう。

 

 ともかくそのミサイル群約2000は全て日本に向かっていました。

 当時の日本政府は仰天したでしょうね。いつも通り平和な世界で仕事していたら、何の前触れもなく急にミサイルがすっ飛んできたんですから。

 

 警備中のイージス艦、PAC3等迎撃群はすぐ様対応に当たったそうですが、なんといっても弾道ミサイル。巡航型はなんとかなるにしてもこちらはそう簡単に落とせやしません。

 

 誰もが諦めたその時、IS『白騎士』が出てきたんです。

 その訳の分からない機動と最先端過ぎる火器でミサイル群を撃墜。颯爽と現れたヒーローの登場に世界は沸き立ちました。

 

 その映像は未だに数多くの転載を経て再生されているようで、『英雄』とか『神様』とか言われているほど人気な白騎士です。フィギュアもありますよ。

 

 で、諸説ありますがここまでは良いんです。

 ありがとう白騎士で終わるところなので。

 

 ミサイルを粗方落としたISは、次に接近しつつあったアメリカの太平洋機動艦隊を撃滅したそうです。

 ついでに日本のも。

 

 そのせいかヒーローとして崇められながら兵器としての価値を見出されたISなのでありました。

 そしてなんやかんやあって晴れて篠ノ之束は国際指名手配になりましたとさ。

 ちゃんちゃん。

 

 ───という話を適当に掻い摘んで説明しました。

 

 

「……取り敢えず、日本(ジャパン)ご愁傷様?」

 

「……そうね」

 

 

 とばっちりを受けた当時の日本政府及び国民には同情を禁じ得ません。

 しかもISの研究のために設立された学校であるIS学園の資金を集めたのは日本、管理も日本。しかし所属は国連。

 

 ただでさえミサイルの破片の回収や壊滅した艦隊の再建で禿げ上がっているのに、追い打ちをかけるような仕打ちに涙が止まりませんよ。

 

 『原作』では篠ノ之束がこれ見よがしに自分がハッキングしましたアピールをしていたので、あれは恐らく彼女の仕業なのでしょう。

 

 そんなことしないで普通に打ち上げればいいじゃないとか思うのは私だけではないはず。

 

 まあそんな話はほどほどに。

 

 豆粒大になったISを見送りながらタルトに舌鼓を打ちます。

 ピクニックに来たことを忘れてはいませんよ。

 

 

「お姉ちゃん色々持ってき過ぎだよ」

 

「美味しいでしょう?」

 

「……美味しいけどさ」

 

 

 シャルは下の方を見て、自分の脇腹を摘みました。

 

 私達は基本太らない体質ですが、一応身体が弛まないように運動などは心がけています。

 運動はいいものです。身体が入れ替わるような清々しさを感じます。

 

 

「気になるなら、後でジョギングしに行く?」

 

「そうしようかな」

 

 

 うんと頷いた時、近くの芝からガサガサと音がたちました。何事かと振り向くと、半寸ほどの小さな影が飛び出してきました。

 

 ちんまりとした体躯、つぶらな瞳、後ろに垂れた長い耳、ひくひくと忙しなく動く鼻先。

 

 

「……ウサギ?」

 

「……ウサギね」

 

 

 野ウサギがいました。見るのは久しぶりですね。

 しかし本来臆病なウサギがどうしてこんなところに?

 

 ふとウサギの目線を追うと、さっきの衝撃で飛んで行ったのか、ブドウがマットの外に落ちていました。

 

 ウサギはブドウ目掛けて少しずつ、少しずつ近付いてきます。その迫真ぶりに思わず声を潜めてしまいます。

 シャルも生唾を飲み込んで見守っていました。

 

 ―――ダッ!

 

 そしてブドウに手の届く範囲に来たところで、パッと咥えて走り去って行きました。

 

 

「…………」

 

「……ウサギガニゲテル!」

 

「?」

 

「いえ、言わなきゃいけないと思って」

 

 

 ウサギと言えばこのフレーズでしょう。かの迷言を齎した偉大なアニメに感謝。

 

 

「……ウサギ肉食べたくなってきたわ」

 

「急に!?」

 

 

 ウサギ肉、意外と美味しいんですよ。伝統的な料理としても使われますし、彼の国日本でもウサギが食べたいという理由だけで鶏肉と偽ったり数え方まで変えたり……。

 

 

「……じゅるり」

 

「やめて」

 

 

 追い掛けて捕まえようかと思いましたが、どうせ今日は解体ナイフなんて持ってきてないので意味がありません。

 それに解体の仕方なんて知りませんし。

 じゃあ何で捕まえようと思ったのかという話になりますが。まあ、ノリです。

 

 そんなことを話していると、少しずつ野生の動物たちが姿を見せ始めました。というよりは、私達を避けなくなったのでしょうか。

 草むらの奥で鹿の角が見えたり、小鳥がこぼれたパン屑を拾ったり、カナブンが木にくっついていたり……。

 

 

「……のどかだねぇ」

 

 

 自然界の音だけが聞こえる木陰で、気の抜けた声を発するシャルに頷いて微笑みました。

 

 

 

 『原作』の流れから、こうして静かな時間を過ごせる日々はそう長くはないのでしょう。

 

 でも、もう少しだけ。

 

 隠し事の一切を忘れて、平穏に過ごす時間を下さい。



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4.先生と髪の話

「じゃあこれは?」

 

「『空素』じゃないわね、『窒素』よ」

 

 

 ご機嫌よう、皆さま。

 中学のテストでイキれる転生者のヴィオレットです。

 

 高校どころか大学まで進学した経験を持つ身としては中学レベルの基礎知識など家事よりもよほど簡単です。

 昨今の教育方針で日本語の取り入れが進んでいる今日この頃、対策模試で母国語(フランス語)より高い点数だった時に何となく転生者の業を感じました。心が日本に寄ってるこの疎外感が胸に響きます。

 

 何故日本語?と思いますが、これも全部ISってやつの所為です。説明になってないと言われても知りません、私も分かりませんから。

 世界的な傾向でそうなっているようですので、国連教育機関(UNESCO)か、若しくは篠ノ之束が何かしら働きかけたのだと思います。

 

 

「なんで中国語も混じってるのさ……ひらがな?だけでいいじゃんかー」

 

 

 そういう訳にもいかないのですよ。日本語は元々漢字のみで読み書きしていたものを、音を当てはめた仮名を織り交ぜることで使いやすく改良した結果なのですから。

 

 新学期も近付いて来たる課題を済ませるべく、シャルと宿題を済ませています。

 

 フランスの新学期は9月です。ですのであと一ヶ月ほどの時間がありますが、宿題を溜め込む癖をつけるとロクなことになりませんので、こうしてシャルを励ましつつ手伝っています。

 

 サボり癖の所為でシャルが『原作』の三馬鹿に名を連ねるなんてことになったら悔やんでも悔やみきれませんから、こうして勉強をさせている訳です。

 シャルも答えを丸写しする愚行をせずしっかり問題をこなしていく真面目な子ですから、その努力は必ず報われることでしょう。

 

 

「日本語の課題だけ難しすぎじゃないかな?これじゃ解ける人なんてクラスで何人いるか……」

 

「確かにちょっと難易度を間違えてる気はするわね」

 

 

 シャルの愚痴は最もです。これからの人生、フランス人の何人がこの日本語を使うというのか。

 日本ですら今頃に習うような漢字や読み方を急に導入した日本語の授業に取り入れるのはいささか詰め過ぎに思えます。

 

 ただでさえ二か国語分覚えなければならないと言われる日本語で、それも文脈の構成も男性名詞等の特徴も似てない二つの言語を同時に習得できる子供などそうはいません。

 

 

「そんなこと言って、お姉ちゃんいつも全教科ほぼ満点じゃん!……それになんで国語(フランス語)が一番苦手なの!?」

 

「アハハ……なんででしょうね?」

 

 

 元日本人だからです、なんて言えませんから適当に笑って誤魔化しておきました。試験の点数に関しては何も言うことはありません。一度通った場所も多いですから。

 

 担任からはレベルの高い高校を目指すようにとは言われましたね。そのまま著名な大学まで進学していけば学校としても鼻が高いからでしょう。

 

 

バカロレア(国際大学入学試験)の内容にも日本語が追加されたらしいし、出来ないと色々苦労するわよ?」

 

「うぅ……頑張る」

 

 

 げんなりとしながらもシャルは再びペンを握りました。その意気ですよ、私も手伝いますから頑張りましょう。

 

 

「アラスカ条約……ここ間違えてたんだ」

 

「アラスカ条約の発効はもう一年後の年ね」

 

 

 アラスカ条約はごく最近出てきた国際条約ですね。その対象、というより議題の中心はいつもの問題児であるIS、これの使用や技術についての制限を定めた条約です。

 

 ISの発揚は日本で、当時その技術を欲しいままに受け取り、独占していたのも日本でした。ISは世界の軍事的バランスを崩しうると予想される兵器および技術、その独占をしていたために各国の反感を買い、強烈な干渉に押される形でなされた条約でもあります。

 

 軍事的アドバンテージを得たい、というよりISが無いと二次大戦前の植民地よろしく強国に脅され続ける可能性が高まる訳ですから、世界中がこれに飛びついた訳です。

全世界の利害が一致した故の措置。哀れ日本、パブリックエネミーのように後ろ指を指され、イナゴの大群に押しつぶされたのでした。

 

 

「国際政治は難しいのよねえ」

 

「国際政治なんて言われても想像できないや」

 

 

 うーんと首を捻って唸るシャル。中等部ですしそんなものです。

 国際政治のアクターの範囲とかウェストファリア条約とかSDGsの実践とかを専門的に考える中学生なんて有名校でもいませんよ。

 

 

高等部(リセ)でも聞かれるのは用語くらいでしょうから深くは考えなくてもいいと思うわ」

 

「うん」

 

 

 私の言葉に素直に頷いて次の問題に取り掛かります。

 シャルは決して頭が悪いわけではありません。寧ろその逆、学校ではほぼ常に一位をキープする秀才です。頭の中の整理が非常に上手く、色々な物事を要領よくものにしています。

 

 さらに運動もできてコミュニケーション能力も高く、行事ではリーダーシップを発揮して注目を集めるなど、『原作』さながらの才覚を見せ始めていました。

 

 手先も器用で字も綺麗、音楽等のどうしても才能に左右される授業でも先生を感嘆させるなど、神は二物も三物も与えたと言わんばかりの才子がシャルなのです。

 

 そしてその美貌。ブロンドの髪にアメジストの瞳、やや中性的な童顔はとても愛らしく整っており、嫉妬の感情すら起こらないほど完成されています。可愛い。

 

 『原作』では持ち前の明るく穏やかな性格でクラスに溶け込み、二世代機で三世代機と渡り合い、ヒロインズでも一歩抜きん出たヒロイン力を発揮していたところからも、シャルの潜在的な能力を窺い知ることができます。

 

 本当にシャルの将来が楽しみでなりません。同時にシャルの姉として恥ずかしくないように日々修練を積まなければいけませんね。

 

 

「お姉ちゃんは宿題終わったの?」

 

「共通のは。でも先生から特別な課題が出されてるから、それもやらなきゃいけないわ」

 

「あぁ、お姉ちゃんの担任意地悪だよね……」

 

 

 意地悪とは少し違うのですが、何しても点数を落とさない私にムキになった先生の悪ふざけではあります。

 生まれ変わった頭脳のスペックを振り回すのが楽しすぎて色々やり過ぎた結果なので甘んじて受け止めました。

 

 というのも先生方は最高点を出すのは余り好きじゃないみたいで、何とか増長?する私を躓かせようと私に対する問題の難易度を上げていき、遂には大学入試に匹敵する問題まで出してきたのです。まったく私を何だと思ってるんですか、と抗議の一つもしたくなります。

 苦笑する副担任曰く、努力することの大切さを教えたいのだとか。

 

 不平等な仕打ちにげんなりしていた私もそんなこと言われれば手を抜く訳には行かなくなり、現在今世の頭脳の限界に挑戦中です。

 

 当時は前世のトラウマから限界が来て失望されるのを恐れて取り組んでいたのですが、担任とのガチンコ対決を繰り返すうちにいつの間にか楽しくなってきて今ではこの有様です。

 遂に他の学年の教師まで引っ張ってきて課題を作ってるそうなので、巻き込まれた方々には深く陳謝しています。

 

 

「先生の本気度が伝わってきて面白いわよ?」

 

「そ、そうなんだ」

 

 

 ズラリと並べられた各教科の問題、どれもこれも中学生相当の子供がやるべき内容ではありません。

 特に化学分野や数学の問題を見てシャルがドン引きしています。確かに言い回しとか分かりにくいですよね。

 

 

「いやいや、何これ?」

 

「何って……塩基配列と各ヌクレオチドの構造の図ね。シャルも高等部(リセ)に入ったら習うと思うわ」

 

「……お姉ちゃんって何歳だっけ?」

 

「14よ」

 

「おかしくない?」

 

「何もおかしくないわ」

 

 

 前世も含めた総年齢は大学生を優に超えてますから何もおかしくはありませんね。もっともそれを知らないシャルからすればおかしいと思うのも仕方ありませんが。

 

 そもそも私は人生を一度前世で満了しているからこんなことが出来るのです。まだまだこれからのシャルが気負う必要も張り合う必要も無いのですよ。

 

 

「むーっ、何でか分からないけど置いてかれてる気がする」

 

「そんなこと無いわよ?シャルのこと、先生も褒めてたわ」

 

「お姉ちゃんに置いてかれてるの!」

 

 

 ぐぬぬ顔で悔しがるシャルを宥めます。貴女の頑張りは私が一番よく知っているのですよ。でも、それをし過ぎて潰れてしまわないか心配なのです。

 何を隠そう、前世の私がそれだったのですから。

 

 人には人のペースがあって、それを無理に乱そうとしても誰一人幸福になどならないのです。

 努力しない子を叱咤するのは良いですが、限界まで努力している子を詰るなど、どんなにその子の成長を期待していてもロクな結果にはなりません。

 

 

「……シャル、貴女ならどんな課題もいつかはやり遂げられるでしょう」

 

 

 シャルは正に天才です。彼女なら私を超えることも出来ますし、かの天災にすら追い縋る可能性を秘めています。

 

 

「でもやるからにはしっかりと順序を踏んで焦らず一歩ずつよ。時間は短いようでとても長いんだから」

 

 

 それを私が塞いでしまっては元も子もありません。妹に超えられない姉は無く、姉はそれを快く歓迎し、応援しなければならないのですから。

 過ぎ去った過去は一瞬のごとく短く感じますが、これから来る未来は永遠に感じるほど長いのです。シャルなら有限の時間を有効に使えると信じてますよ。

 と、前世を無駄に消費していた経験を多分に持つ私が言いました。

 

 

「それに……遊びもないと人生損しちゃうわ」

 

 

 この世界は少し視点を変えるだけでスポーツ、文芸、ダンス、TVゲームその他様々な面白さがそこら中に散らばっています。

 後は自身の中の臆病な自尊心と尊大な羞恥心を振り払えれば、誰しもが熱狂的なタップダンスを踊れるというもの。

 シャルはまだ自分を見つめる段階ですから、様々なことに挑戦して欲しいですね。

 

 

「お姉ちゃんが言う?全然遊んでないと思うけど」

 

「あら、私が普段どれだけ遊んでるか知らないのね?私は今この勉強中ですら遊んでるのに」

 

「へ?遊んでる?」

 

「ダ・ヴィンチのハゲにテカリを入れていつまでバレないかとか……」

 

「子供かな!?」

 

「子供ですが何か」

 

 

 偉人の額に『肉』とか入れることありますか?威厳ある姿が急にシュールでコミカルな絵に変わる面白さはいつになってもクスリとくる笑いを齎してくれます。

 

 突っ込みの鋭さがツボに入って思わず吹き出すと、シャルは毒気を抜かれた顔でため息を吐き肩をすくめて笑いました。

 

 

「人生は料理よ。甘過ぎても苦過ぎても美味しく無くなっちゃうわ」

 

「で、その名言は誰の受け売り?」

 

「残念、今考えたなんちゃって名言よ」

 

 

 私もシャルも、あと五年すれば立派な大人になります。

 その時には自分の進路に自信を持てるように、持てなくても、自分を信じていけるようになりたいですね。

 

 シャルは苦笑して、転がっていたシャーペンを手に取りました。

 

 



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5.足音

 ご機嫌よう、皆さま。

 空の色を見ていたいヴィオレットです。

 

 皆様にとって、空の色が何色かという問いは大事なことですか?

 

 空の色は地上を生きる私達には関係のないことのように思えますが、人が周囲の色によって感じる印象は無視できるものではありません。

 少なくともこの空の色が落ち着いた青色を描いているのは私とって幸運でした。

 

 例え雲がかかっていても、空を駆け抜けた彼方にはダークブルーが広がっています。

 人は決して届かなかった筈の空へ飛び、その先の宇宙へ足を踏み入れ始めているのです。そう思うと遠い宇宙が急に身近なものに感じてしまいますね。

 

 故郷の青黒く綺麗な空を見上げ、左手に持った封筒を摩りました。

 

 この封筒はパリのとある住所から送られたもので、中には一通の手紙が入れてありました。

 その場所はフランス最大の商業地区、パリ西部に位置する超高層ビル街ラデファンス。

 達筆な字で『デュノアS.A』及び『アルベール・デュノア』と記されたそれは、間違いなく私達の人生に大きな転換期を与えることになりました。

 

 母がこの世を去って早3ヶ月。唯一の肉親が遂にその目を私達に向けたのです。

 

 

 

 

 

 所謂転生者の私ですが、父について知っていることは殆どありません。

 将来シャルをIS学園に送ることだけは印象深い出来事ですが、それ以外のことについては何も知りません。

 

 いつもの応接間でシャルに手紙を見せて、まず父って誰?となったのであーでもないこーでもないと雑談し、時に関係ない話にずれたりしていました。

 

 

「お父さんかぁ……どんな人なんだろ?」

 

 

 頬杖を突いたシャルがこともなげに虚空に視線を移ろわせてそう零しました。

 

 母に一度父のことを聞いてみたものの、困ったような笑みを浮かべるのみで多くは答えてくれませんでした。

 ただ「悪い人ではないの」「愛のある人よ」とだけ答えてそっと撫でられたのは覚えています。

 

 妾の母が言うのですから間違いではないのでしょうが、どっちもつかずな態度を取る父の評価をどのように解釈しても、良い人とは思えないのが現状でした。

 父と母にどのようなわだかまりや約束があったとして、今日この日まで一通の連絡も入れてくれなかった父をどう好意的に評価すればいいのか。

 

 今世の出来事だけでは……といった具合でもやもやしています。

 

 

「案外厳つい人かもね、はい」

 

「ありがと」

 

 

 私は入れたカフェオレを渡して、いつものゆるゆるタイムに突入しました。

 ロッキングチェアの触り心地は素晴らしく、子供っぽく少し前後に揺らしても違和感を感じない形を考えた人はノーベル賞の一つくらいあげてもいいんじゃないかなと思っています。

 

 

「お姉ちゃん、いつもその格好じゃない?」

 

「ん?……まあそうね」

 

 

 シルクのふわふわした寝間着。特注で作ってもらったナイトキャップ兼外出もお任せゆかりん帽子。これが私のいつものスタイルなのですが、急にどうしたのでしょうか?

 

 

「ちゃんと洗ってるし複数着用意してるわよ?」

 

「飽きないのかな〜って」

 

「そうねぇ、もう慣れちゃったから今更変えるのもね」

 

 

 特に帽子の方は私のお気に入りでもありますから。元ネタのイメージに沿ったこの帽子を被ると、何故だか頭が冴え渡るのです。心の芯がガッチリと固まって、理由の無い自信がつくんですよ。

 こういうの、投影っていうんでしたっけ。

 

 

「ちょっと待っててね」

 

 

 シャルは悪戯っぽい笑みでそう言うと、自室の方に戻って行きました。茶目っ気のある表情は可愛らしく、何が飛び出すのか気になってしまいますね。

 

 カフェオレを飲んで一息つきます。テレビはバラエティ番組を映しており、経験の豊富さを感じさせる痛快なジョークで場を盛り上げていました。

 

 こう見てると日本の笑いとはまた違うベクトルで攻めているのが分かります。どちらも甲乙つけ難いですが、プライベートの醜態から政治のブラックジョークまで幅広い分野をネタに出来るのは新鮮でいいですね。

 

 テレビを見ながら少し時間を流していると、シャルが何かを持って帰ってきました。

 それは人の丈程の大きさで、全体的に黒で統一された色をしていました。

 

 それはツナギのように上下を繋いだ服で、頭をすっぽりと覆えるフードには尖った耳のような装飾がありました。

 手の部分には可愛らしい肉球が備え付けられていて、その服がどのようなコンセプトで製作されたのかを如実に語っています。

 

 

「じゃーん!猫の着ぐるみパジャマ!」

 

「あらあらあら」

 

 

 黒猫を象った着ぐるみパジャマは、その製作者の熱意が読み取れる絶妙なバランスで可愛さを保っていました。

 これは……。ふむ……。

 

 シャルがこのパジャマを着たところを想像してみましょう。

 

 笑顔で、しかし少し恥じらいを保ちながら猫のポーズを見せるシャル……猫耳が頭の動きに合わせてピコピコと動き、最後は「にゃぁ」と鳴きまねをする黒猫シャルの可愛い姿……閃いた!

 

 なるほど、これはとても良いものです。是非シャルの新しいパジャマとしてリストに加えましょう。

 シャルの許可も貰ったら写真会もしましょう。記録は残していて損はありませんから。

 

 そんな皮算用を脳内で繰り広げていると、その着ぐるみパジャマが徐に私の前に差し出されました。

 

 

「はい、お姉ちゃん着てみて!」

 

「え?」

 

 

 私ですか?ああ服の下りってそういう……ちょっと待って下さい。私がやっても何の需要もありませんよ。

 

 

「……シャルが被った方が可愛いわ」

 

「大丈夫。ペアルックだから」

 

 

 そう言うと一枚だったはずの着ぐるみパジャマの後ろから二枚目が現れました。色は正反対の白。

 本当にペアルックで買ったんですか……お姉ちゃん予想外。

 

 

「……私はこの服で満足してるの」

 

「お姉ちゃんが着てくれたら私も着たくなっちゃうなー?」

 

「うっ」

 

 

 う、上目遣いは卑怯ですよ。

 別に拒否する理由はないんですが。

 

 シャルの猫耳パーカーを見てみたい……けど私が着るのはなんだか恥ずかしい。でも見てみたい、愛でてみたい……ぐうっ……!

 

 

「お姉ちゃんっ」

 

「……着ましょう」

 

 

 欲望に負けて頷いた私を見て陰でガッツポーズを決めるシャル。

 くそう可愛い、許せる!

 それに少し恥ずかしいことを除けばデメリットなんて殆どありません。シャルの猫耳パーカーが見れるのならお釣りがくるほどの価値があります。

 

 

 

 それじゃあ早速とばかりに立たされて早着替え(させられ)、次の瞬間には猫耳ヴィオラが誕生しました。

 そして猫耳シャル。ああ、やっぱり可愛い。

 

 

「お姉ちゃん可愛い〜!」

 

「シャルも可愛いわ」

 

 

 シャルがキラキラした目で私に手を当ててますが、着ぐるみの肉球の所為で猫が頬をテシテシと叩いているようにしか見えません。

 ……天国でしょうか?

 

 これは永久保存しなければいけないと私の中のフォースが囁いています。

 

 

「シャル、猫の鳴き真似やってみて?」

 

「にゃあ♪」

 

 

 ごふっ。そんな声が心臓の奥から聞こえてきた気がしました。

 これはヤバイです。想像以上に破壊力があります。

 

 

「お姉ちゃんも」

 

「え?……にゃーぉ、うにゃーん」

 

「……可愛い」

 

 

 私にも振られたので少し本物っぽく鳴き真似をしてみました。

 それにしても可愛い。……ちょっとだけ踏み込んでみましょうかね。

 

 にゃー、と鳴きながらシャルの頭を挟み込みました。素っ頓狂な声を上げるシャルが可愛くて内心身悶えしつつ、写りの良いように角度を付けて「……にゃぁ」と囁くように鳴きました。

 

 

「可愛い〜〜!!」

 

「シャル、きゃ」

 

 

 白いもふもふの塊が抱きついて、そのまま後ろのソファに倒れ込みました。私の上を白猫と化したシャルが乗って頬ずりしていました。

 可愛い……というか、今日は随分積極的ですね。

 

 

「お姉ちゃん可愛いっ!恥ずかしがって奥手なところもグッド!」

 

「……ああもう」

 

 

 もうどーにでもなれと開き直って体勢を変え、シャルを胸に抱きとめました。

 もともと可愛いもの好きなシャルですが、最近はそういったものに触れる機会が少なかった所為ですかね?

 前日のうさぎでスイッチが入ったのかもしれません。

 

 

「お姉ちゃんはいつもすましててお姫様みたいだったけど、可愛い路線もいけそうだね」

 

「需要ある?」

 

「あるっ!」

 

 

 頭を持ち上げるシャルの猫耳がピコピコヒラヒラと動いて本物の猫のようです。ケモミミシャルという新しい道を開拓出来るのではないでしょうか。

 

 可愛さで言えばシャルに敵うはずはありませんが、私はどう写っているのでしょうね?

 

 

「写真撮る?」

 

「うん」

 

 

 こういう時に便利なのがスマートフォンです。が、私達はそんなもの持っていないので普通のカメラで代用しましょう。

 母が使っていた一眼レフの高級品です。これならばシャルの良さを十分に引き立ててくれるはずです。

 

 自室から持ってきたカメラを三脚で立てて自動撮影モードにしました。応接間なので少し狭いですが、二人が立つ場所は幾らでもあります。

 

 

「いくわよ」

 

「はーい」

 

「はい、3、2、1」

 

 

 ───パシャ。

 

 二人して猫のポーズを決めて、カメラがその瞬間を切り取らんと瞬きました。さて、どのような写真が撮れたのでしょうか。

 私はワクワクしながら三脚から外して確認しました。

 

 

「これは……」

 

「いいんじゃない?」

 

 

 元気いっぱいな白猫と若干恥ずかしさの抜けない黒猫が猫の手を出して、丸めてポーズを決めていました。

 シャルの可愛さを形にできたのは素晴らしい成果です。これは宝物として飾りましょう。写真立ても買わなければ。

 

 

「で、たまに使ってくれない?」

 

「……シャルも使うなら考えるわ」

 

「やった!」

 

 

 猫の着ぐるみパジャマは今日から私達の生活に組み込まれるようです。

 心なしか足取りの軽いシャルが自室に向かうのを、苦笑しながら見送っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう……そろそろ休憩しましょうか」

 

 

 それから時間を五時間回しまして、昼食も食べ終わり午後のおやつタイムに入ろうというところ。

 シャルはビスケットの袋片手に自室で勉強に勤しんでおり、私も負けず嫌いな先生とのタイマンの為に出された課題のレポートを書いていました。

 

 一冊の本だけでは書ききれない部分が出てきたのでその部分は後で村の本屋にでも寄りましょう。

 そんなことを考えて空になったカフェオレボウルを継ぎ足しにいこうと立ち上がりました。

 

 ───ォォン

 

 

「?」

 

 

 ふと、何か地鳴りのような音が聞こえた気がしました。耳をすませてみれば、それは断続的で不規則で、遠くで雷でも鳴っているのかと首を傾げました。

 

 ───ォォン、ドォォン、バババンッ

 

 言葉にすればそんな音が外から聞こえてくるのです。生まれて一度も聞いたことのない響きが、少しずつ近付いてくるのが分かりました。

 同時に、風を叩きつけるような音も。

 

 

「……いったい」

 

 

 一体全体なんだというのですか。そんな言葉を途切れさせて、ふとこの音を最近聞いたような気がしました。

 

 そう、例えばシャルと一緒に見たテレビで。例えばピクニックの一幕で。

 

 

「───!まさか!!」

 

 

 慌てて外を確かめようとした時、眼前の世界が耳をつんざく轟音と共に崩壊し出しました。

 頭が真っ白になった私に、私達の居場所を形作っていた欠片は容赦なく降り注ぎます。

 

 

「───っっ!!?」

 

 

 咄嗟に手を出して頭を守りました。瓦礫はそんなもの知らぬとばかりに私を激痛の檻に閉じ込めました。

 痛い、痛い!やめて!そんな言葉を出すことも出来ず、襲いくる痛みに声のない悲鳴をあげることしか出来ません。

 

 濁流の瓦礫の中、私は霞む目でそれを見ました。

 

 人型で空を舞う、現実離れしたこの世界の象徴。

 

 それが無数の傷を負って倒れ込んでくるのを。

 

 

 

 




(非日常の)足音。


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6.竦然の空

 本日二度目の投稿。


「っぅ…………ぁ……」

 

 

 背中に刺さる瓦礫の痛みで目を覚ましました。

 何が何だかわからないままショックで回らない頭を抑えて立ち上がり、何が起こったのかと辺りを見回します。

 

 最初に目に飛び込んできたのは、目も覆う惨状でした。

 

「……そん、な」

 

 

 私達の家はほぼ半壊していて、空が場違いな青を曝け出していました。

 母と共にし、シャルと一緒に遊んでいた応接間はもはや見る影もありません。

 

 これは一体何があったのですか。こんなの酷すぎる、私達の家が。

 

 

「───っ!シャル!?」

 

 

 頭が無為な言葉を羅列して、ハッとなって一番大切な人の存在を思い出しました。

 

 そうです。シャルの部屋は二階。この崩壊に巻き込まれたら一溜まりもありません。

 一度考えたらもう不安が心を埋め尽くして、嫌だ嫌だと外聞も聞こえない体で必死にシャルの部屋へ向かいました。

 

 

 シャルの部屋はギリギリその形を保っていました。私の方は完全に崩れていて、タイミングによっては助からなかった可能性を感じます。

 

 

「シャル!!」

 

「お姉ちゃんっ───!」

 

 

 果たして扉を開けた先には、傷一つないシャルの姿がありました。

 ああ、よかった。心を落ち着けるように抱きしめて存在を確かめました。

 

 

「無事でよかった……」

 

「一体何があったの?」

 

「分からない。でもいい知らせではなさそうよ」

 

 

 漸く回り始めた頭を動かして、意識を失う直前のことを思い出します。

 あれはたしかにISの姿でした。僅か数秒の失神でしたが、その間に何処かに行ったようです。

 しかしまだ近いのでしょう。戦闘音が近くで聞こえていました。

 

 

「お姉ちゃん怪我が、血が」

 

「大丈夫よ、骨はやってないもの」

 

「でも頭から垂れてる……擦り傷だらけ」

 

 

 私のことはいいのです。人間意外と死なないのですよ。

 泣きそうなシャルを宥めて辺りを見回しました。

 兎に角、ここは危険です。しかし外は更に危険です。

 

 ISのものらしき戦闘音は少し鳴りを潜め、誰かの話し声が聞こえていました。

 

 

「ちょっと行ってくるわ」

 

「お姉ちゃん?……私も行く」

 

「危険よ。待ってなさい」

 

「お姉ちゃんも危険じゃない!」

 

 

 ぐっ、聞き分けの悪い子ですね。

 ここで駄々を捏ねられるとシャルも助からなくなるかもしれません。それにいざという時の為に近くにいた方がいいかも、ですね。

 

 その時は私の……"異形の能力(スキマ)"でシャルだけでも逃しましょう。

 

 私はシャルの手を繋いで、階段を駆け下りました。声は中庭の方でするようです。そのままそちらの方に向かっていきました。

 

 そっと瓦礫の隙間から声の方を覗きました。

 

 それは実に対照的なISと二人の女でした。

 一人はボロボロの様相で壁に背を付けて座り込んでいて、もう一人は下卑た笑いを響かせて銃を突きつけていました。

 

 

「残念だが、あの姉妹は殺させてもらう」

 

「何故そんな……」

 

「何ってそりゃ仕事さ。依頼人のご意向だよ」

 

 

 久し振りに英語を聞いた気がします。少し集中して聞いていると、そんな言葉が耳に入りました。

 

 今の少ない会話から、茶髪の女はとある姉妹を殺そうとしているのが分かります。この辺りで姉妹なんて私達だけですから、恐らく私達でしょう。

 シャルがハッと息を呑むのを尻目に、観察を続けました。

 

 

「まさか暗殺を察知する奴がいたとはね、依頼主側の情報漏れか……デュノア社の社長も伊達じゃないってか?」

 

「…………」

 

「だんまりかよ、まあいい。……そこの奴に聞くまでさ!」

 

 

 銃口が私達の方に……!?

 

 咄嗟にシャルに覆いかぶさって伏せました。

 

 その直ぐ上を嫌なものが通り抜けていくのが分かります。

 あれに当たったらきっと死んでしまう。初めて明確な死の足音が聞こえてきて、「ひっ」と恐怖が喉を震わせました。

 

 

「おやぁ?おやおや、これはターゲットの姉妹じゃないか!?ハハハッ運がいい!!」

 

 

 より一層近づいた声が私達を指差しました。不味いです。今直ぐにでもスキマを使わなければ……!?

 

 

「ぁ……が……!?」

 

 

 首が絞まって、痛い、苦しい、体がシャルから引き剥がされて宙吊りにさせられたのが分かりました。

 

 

「お姉ちゃん!?」

 

「探す手間が省けたぜ!こいつらを殺せば依頼完了ってか!」

 

 

 ISのパワーは戦車すら押し返すといいます。ならばその握力は、軽く握るだけでも私を死の淵に追いやることができるのでしょう。

 そんなことを残った思考で考えました。

 

 

「ぐぅ、こ……の……」

 

「……んー、そそるねぇ。ここはクソ田舎だし警察が来るのも遅そうだし、ちょっとテメエで遊ぶか」

 

 

 霞む目を凝らして女の行為を見続けます。女は私の左手を機械の手で包み、引っ張り始めました。

 ───!?いだ、痛い痛い痛い!!

 

 

「ああああ!!?いっ、やめ」

 

「そらそら、振りほどかないと腕が千切れるぞ?」

 

 

 女は嗜虐的な笑みを浮かべて、少しずつ力を強めていきます。どうやら私を時間一杯まで甚振って殺すつもりなのでしょう。

 

 恐怖で声が震えて、痛みで目がぶれようとしても、何とか集中します。

 

 私は専らスキマばかり使っていましたが、その本質は境界。つまり創造と破壊、らしいです。

 物体に働きかけるのは得意ではありませんが、これだけ時間があれば。

 

 首を締めていた機械腕に右手を添えて───能力を解放。

 

 バキンッという金属音と耳を竦ませる嫌な音共に、女の乗っていたISの左腕が粉々に粉砕されました。

 

 

「なっ───何ィ!?」

 

 

 力が緩んだ隙に左手を引っこ抜いて、シャルの方に走ります。

 

 シャルは倒れていた白髪の女の方で屈んでいて、何やら切羽詰まった話をしていました。

 シャル、と声をかけると、私に気付いたシャルはこちらを振り向きました。

 

 

「お姉ちゃん!抜けられたの!?」

 

「何とかね。───聞いて、貴女達を逃がします」

 

 

 最早一刻の猶予もありません。逃げる場所も手段も伝えられないのは歯痒いですが、そんな暇はないのです。

 スキマに集中します。そういえば、シャルに見せるのはこれが初めてですね。

 

 

「お姉ちゃんは」

 

「……残るわ」

 

 

 本当は全員で逃げたいところなのですが、ISはセンサーも搭載されているので、そう時間もかからずに見つかる可能性が高いです。

 それに、この村で暴れさせるのはダメです。私達を助けてくれた方が大勢いるんですから。

 

 

「───っ、まって、イヤ……」

 

 

 それに、シャルにはなるべくこの力を見られたくない、人間じゃないと思われたくないんです。

 

 だから───。

 

 

「信じて」

 

「お姉ちゃ───!!」

 

 

 二人をスキマに落とします。私のできる限りもっとも遠い座標に、あの誰も知らない花の丘に。

 どうか遠くまで逃げてください。満身創痍の女の方も、どうかシャルの助けになってくれることを願っています。

 

 

 

 

 

「……──っーたく、どんな魔法使ったか知らねえが、舐めやがって……お陰で依頼済ませても赤字だぜ」

 

 

 後ろから余裕そうな声が聞こえてきました。振り向くと腕を一本無くしたISがこちらに向かってきています。

 恐らく右手だけでも問題ないと思っているのでしょう。事実私が普通の人間ならそれで間違いはありません。

 

 

「そうですか。多分その依頼出来なさそうですね」

 

「ほざけクソガキ……ん?他の奴はどこに行った」

 

「二人ならちょっと宇宙に行ってくるって言ってましたよ」

 

「はぐらかすなよ、寿命を縮めたいのか?」

 

「さて、どうでしょう?」

 

 

 ここからは一切の出し惜しみはしません。神より承った異能をフルに使い、この木偶人形を解体してやりましょう。

 ……勿論怖いです。声が震えていないか心配になるくらいには。

 

 でも、私が最後の壁というのなら、やってやろうじゃありませんか。

 

 

「まぁいい、テメエから殺すか」

 

「──その首貰い受けます」

 

 

 先手必勝。スキマで上空を取り、自由落下しながら左手に集中します。

 行いますは繊細もクソもない大雑把な袈裟斬り。指定は何もなく、故に全てを両断する手刀の一閃。

 繊細さなんて求めてる暇はありません。

 

 ───その綺麗な首を下さい。

 

 

「んな、どこ行った!?」

 

 

 女からすれば急に姿が消えたのですから困惑するでしょう。故に奇襲。正に初見殺しの一手です。

 これを外すと後がキツイ。ここで決める!

 

 

「死ね」

 

「───っ!?」

 

 

 全力の殺気を左手に乗せて、全てを切り分けんと手を振り下ろしました。

 

 空気が裂け、地面が割れ、木々は道を開けました。国境線の如く、世界が真っ二つになるように一本の直線が引かれます。

 私の全霊をかけた一太刀は───咄嗟に回避をしたISのスラスターの一部を切断していきました。

 首は───勿論残っている。

 

 

「コイツ、スラスターを!!」

 

 

 失敗したなら長居は無用です。スキマを繋げて木の後ろに隠れました。

 

 頭に血が上った女はやたらめったらに銃を乱射していました。銃弾が木を掠めるたびに私の中で死の足音が近付くのが分かります。

あの銃弾が少しでも私の体を抉ればそれだけで勝敗が決してしまいます。

 

 

「はっ───はっぁ、ぅ」

 

 

 瓦礫の下敷きになった時のダメージが大きいですね。血が出過ぎているのか、体がかなり怠いです。

 思えば内臓か何処かでもやられていたのでしょうか。

 

 とにかくあのISを何とかしなければ、しかし慣性制御を用いるISの機動力はどうやっても消し切れるものではありません。

 絶対防御はそれを貫いて余りある力で持って抗すれば、本体にダメージを与えることができます。そこを突くしかありません。

 隙を晒せば死ぬ。それは念頭に置いて、慎重かつ大胆に行きましょう。

 

 再度スキマを上空に繋げます。今度はより近く、相手の後ろを的確に突きます。そして女の背から首に抱きつきました。

 

 

「アァ!?てめ、どんな手品を!?」

 

 

 ISは人型。故に背中まで手は届きません。女は滅茶苦茶な機動で私を振り落としにかかりますが、私も全力でしがみつきます。

 相手を絞め殺すつもりでしがみついていますが、相手はIS、ここから私を殺す手段などいくらでもあります。

 

 だからこそ、思考する時間は与えません。

 

 今度は外さない。境界を分ける力の全てを使って、私の腕を巻き込んででも首を落として見せます。

 右手に力が集まるのが分かります。私の一切の自重を無くした一撃を食らわせましょう。

 

 女は左手を伸ばして私の頭を掴もうとしますが、残された一本では上手くいかない様です。

 

 体が右に左に、爆発的な加速と停止を繰り返されて目が回りそうです。

 しかしここで離してしまうと逃げの一手しかなくなり、つまり今度こそ詰みになります。

 

 

「───!!舐めんじゃねえええ!!!」

 

 

 絶対防御を確実に貫ける力まであと少しといったところで、女の暴れ方が尋常じゃなくなってきました。

 そして、私を押し潰さんと、大きな木に背中ごと突っ込んでいきます。

 まずい、これはタダでは済まない、でも離せば今度こそ死ぬ。

 

 考える時間は、全く与えてくれませんでした。

 大型トラックかと思うほどの衝撃が駆け抜けて、体から嫌な音がいくつも聞こえてきます。

 

 

「────────っぁ」

 

 

 私は、その衝撃に耐えられませんでした。

 

 力が抜け、女の背を掴めずに倒れ込みます。

 

 

「……ふぅ、何だか分からん力を持ってるみてえだな。瞬間移動か?……まぁ、それもこれで終わりだ」

 

 

 痛い、痛い。呼吸が浅くて思考がまとまらない。

 殆ど見えない目で、女が遂に態勢を整えて銃口を突きつけたのが分かりました。

 万事休す、です。もう策はありません。

 鉛玉は今度こそ私を撃ち抜くでしょう。

 

 

「───ま、だ」

 

 

 駄目です。まだシャルが逃げ切れる時間を稼げていない。まだ死ぬわけにはいかないんです。

 それに私自身が死んでしまってはあの子に合わせる顔がありません。

 

 纏まらない頭を叱咤して体を起こそうとしますが、一度肺から抜け切った空気は簡単に私を立ち上がらせてはくれませんでした。

 

 まだ…まだ死ねない。

 

 フラフラになりながらも足を伸ばして、霞む意識を振り絞って能力を使うための準備をします。抗戦の意思を示すために身体を隠すように片腕を上げました。

 

 痛みと苦しさに震える身体を歯を食いしばって動かします。あの子が待ってるんです、まだ生きなきゃいけないんです。

 

 

 

 だから、まだ。

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫だよ、お姉ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 ────どうしてシャルの声が聞こえるのでしょう。

 

 

 

 痛む身体を逸らして後ろを向こうとしましたが、それよりも早く強い力で引っ張られました。一瞬後に私がいたところを銃弾が掠めました。

 

 私をしかと抱き留めたその腕は、まるで戦うために生まれたような尖ってゴツゴツとした機械の腕。

 その腕は私を金色の少女の懐にそっと連れていきました。

 

 

「なぜ……逃げなかった、の──帰って、きたの」

 

 

 私はシャルを逃がすために戦ったのです。だから、シャルが帰ってくるなんて悪夢以外の何者でもありません。

 

 何故ISを纏っているのかなんて聞きません。

 でも、貴女がやろうとしていることはとても危険なことだと、部の悪い賭けだと聡い貴女なら分かるはずです。

 

 どうして帰って来たんですか──。そんな悲嘆の思いを込めて暗く霞む目を何よりも近い顔に向けました。

 

 もう体は言うことを聞きません。最後の力は失われて、シャルの腕の中で視界が真っ黒に染まっていきます。

 こんな絶望的な状況で、私は意識を手放そうとしていました。

 

 

「───助けに来たんだよ」

 

 

 なのに、どうして私はこれ程までに安堵感に包まれているんでしょうか。

 なんで、貴女は笑っていられるんですか。

 

 ───近くで見た妹はとても勇ましく、頼もしい姿をしていました。

 

 

 

 




 6話になって漸く初戦闘(ベリーハード)でした。

 チート能力持ちとはいえ、のんびりと暮らしてきたヴィオラちゃんが勝てる訳ないんだよなぁという話。


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7.説教される話

誤字修正しました。


「…………」

 

 ご機嫌よう、皆さま。

 目覚めたら全身激痛で動けないヴィオレットです。

 

 白い部屋で白いベッド。体はいたることころに包帯を巻かれ、何本もの管が体に張り巡らせています。

 ここはどこかの病院でしょうか。私達が住んでいた村には診療所的な建物しかなかったので、少なくとも元いた村では無いと思います。

 

 

「うぐっ……」

 

 

 たった2度のダイブ、2分程度の戦闘でここまでボロボロにされるとは。武器持ちに無手で挑む無謀さがよく分かります。

 何故死んでないのかは、正直言って運が良かったとしか思えません。

 

 

「……シャルは」

 

 

 首を動かして辺りを見回すと、隣の椅子に座りベッドに頭を乗せて眠っているシャルの姿がありました。

 幸い傷はないようで、あどけない顔が晒されています。

 

 

「よかった……」

 

 

 安堵でほっと息を吐きました。

 

 あの場面、シャルが来なければ間違いなく死んでいたでしょう。シャルはその機転で私の命まで救ってくれたようです。

 しかしどうしてISに乗っていたのか、色々不可解なところがありますね。

 特に何故あれほど早くシャルが駆け付けられたのかがわかりません。あの後爆速で飛ばしてきたのでしょうか。

 

 まあ、それは置いておきましょう。

 ここで懸念すべきはあの二人のISパイロット。特に私が相手をした茶髪の方が近くにいるかどうか。

 それと明日からの宿。私達の家は見事に壊されたので当分の間をどうするかという話です。

 

 ベターな答えとしては宿を借りる、もしくは親戚のところにいく、ですかね。

 因みにお金は持ってません。こんなことになるなんて一体誰が予想しますか。

 

 

「うぅん……お姉ちゃん?」

 

 

 隣の金の髪が浮き上がり、アメジストの瞳が顔を出しました。しぱしぱと瞬きを数回繰り返して「あっ」と間の抜けた声をだしました。

 

 

「お姉ちゃん!よかった……よかったよぉ……」

 

「心配を、かけましたね……っと、痛っ!」

 

「起き上がっちゃ駄目だよ!かなり酷い状態だったんだから」

 

 

 体を起こそうとしましたが、全身、特に腹の部分が形容し難い激痛を訴えてきたことで断念しました。

 痛すぎて力が入らないなんて初めての経験です。

 へなへなと倒れ込んだ私をシャルが支えて、ゆっくりと寝かせてくれました。

 

 

「……ちょっと思った以上にキツイ」

 

「じっとしてて」

 

 

 シャルに軽く聞いたところによると、外傷や骨折もさることながら内臓のダメージがかなり酷く、破裂や内出血が至る所で発生していて命の危険もあったのだとか。

 

 大体はISと木に挟まった時の損傷だと思いますが、タックル一つでここまで重傷になるんですね。人型サイズなのに侮れないパワーです。

 ISはほぼ不動から一瞬でスピードに乗れますから、納得ではあるのですが。

 

 血反吐履いてぶっ倒れた私を敵と相対した時のISを纏ったまま病院まで飛んでいったらしいです。

 私はそのまま丸一日眠りこけていた、と。

 

 

「ほんっとうに心配したんだからね!」

 

「ごめんなさい……」

 

「何で一緒に逃げなかったの!」

 

「あれを私達の村に居座らせるのが嫌で……」

 

「お姉ちゃんが倒すって?無謀すぎるよ!」

 

 

 正にぐうの音も出ない正論。確かにいくら村の人達が心配だからと言って、この世界の最強兵器とタイマン張るなんて馬鹿げてますね。

 勇気と蛮勇は違うと言われますが、今回は此彼の差を見誤ったミスでした。

 

 というかあの女は私達が目当てでしたし、私達が居なくなれば村への被害を考える必要は無かったかもしれません。

 となると完全に私の早とちりですか。心が沈みますね。

 

 一つだけ弁明させて貰えるなら、余りに急過ぎる展開の所為で頭の熱にやられたと言い訳したいんです。

 私の心の中で「チート能力あるからワンチャンいける」と無意識に傲慢になっていた感は否めません。

 

 

「反省してるの!?」

 

「反省してます。本当にごめんなさい」

 

 

 シャルの有難いお説教が心身共に沁みて入ります。とても反省してます、本当に。

 怒ったシャルには頭が上がりません。逆らえないオーラが体を竦ませて縮こまってしまいます。

 正論しか言わないので反論出来ないのも辛いです。

 

 この構図、側から見れば私の方が年下に見えますね。

 年数的には私の方が遥かに経験がある筈なんですが……今世は頭脳もそれなりの筈なのにこれは一体どういうことなのでしょう?

 

 しばらくシャルのお説教を甘んじて受け止めていました。そしてひと段落して、お互いを見合います。

 

 

「……何というか、濃い一日だった、わね」

 

「たしかに……でも聞きたいことがいっぱいできたよ」

 

 

 例えばシャルを不可解な手段で逃したことですかね?

 私はスキマの力をよく分かっていますが、シャルはそうではありません。急に現れる暗闇の穴なんて怖すぎるでしょう常考。

 

 それにシャルはよく頑張りました。急に晒された非日常の中で、的確に判断して動くことができていたと思います。

 私はわざわざ捕まったり仕留め損なったり死にかけたりとやらかし過ぎです。これではどっちが姉なのか分かりませんね。

 

 

「一応聞きたいのだけど、あの女はどうしたの?」

 

 

 聞きたいことは山ほどありますが先ずはこれです。あの茶髪の隙だらけ女、奴の動向が非常に気になります。

 こんないたいけな少女にISで奇襲かける不埒者がいては気も休まりません。

 

 

「私が来たら逃げてったよ。分が悪いとか何とか」

 

 

 それは有り難い。きっとシャルの潜在的な力に恐れをなしたのですね。颯爽とやってくるだけで敵を撃退するシャル可愛い。

 

 ……『原作』を鑑みれば、恐らく彼女はデュノア社内部の者か、若しくはこの世界における悪役の『亡国企業』の手の者だと思われます。

 どちらも無くはない可能性ですが、いかんせん情報が足りません。

 『亡国企業』は数々のISを盗み出しているとの話ですから、ISでやって来ても可笑しくはない、と言えましょう。

 

 しかし理由が全く分かりません。私達は人に恨みを買うようなことはまずしていない筈なのですが。

 

 『原作』にこんな展開は無かったはずです。だからこそ私は父の迎えが来るまでのんびり過ごしていた訳ですが、本当にどうしてこうなった。

 ラブコメバトル物の筈なのにいつから刃牙系ガチバトル物にすり替わったのでしょう?しかもメタルギアばりの非対称戦ときた。

 

 人生思い通りにはならないとは言いますが、これは少し酷すぎませんかね。

 大きな溜め息を吐いて黄昏ていると、シャルから「一ついいかな?」と言われました。

 質問でしょうか。勿論ウェルカムですよ。

 

 

「……あの黒い裂け目は何?お姉ちゃんがやったの?」

 

 

 無邪気に首をかしげるシャルに苦笑しました。まあ気になりますよね。

 ここで嘘を言うのは難しくありませんが、それをするのは余りにも不義理ですし後々にしこりを残すことでしょう。

 

 ……正直言って、打ち明けるのは怖いです。だってこの"能力"というのは、決定的にシャルと、普通の人と違い過ぎる。手が三本あるとか、足が一本しかないとか、そういう次元を超えた差です。

 そしてそれを長い時間隠してきました。三人だけの家族だった時から、今までずっとずっと。

 だから、怖いんです。

 

 でも、もう隠すことは出来ません。

 シャルはもう知ってしまいましたから。今更はぐらかしても余計に不信を買うだけです。

 

 ……覚悟を決めましょう。虚栄心でもなんでもいいです。

 

 

「……そうよ」

 

「あれは何?」

 

「私が生まれ持っていた力……そうね、超能力とでもいいましょうか」

 

 

 私は重い腕を動かして(シャルが止めようとしましたが「大丈夫」と言って続けました)指を軽く払います。すると、虚空が布のように上下に割かれ、一般で呼ばれる『スキマ』が生成されました。

 

 シャルが軽く息を呑む気配が伝わってきます。

 

 

「……これは」

 

「私が持つ力。"境界を操る能力"よ」

 

 

 それから、成る可く分かりやすく"境界を操る力"について説明していきました。バレないように小さい範囲のスキマを陰で使っていたこと、使い方によってはとても危険なこと等、私が分かる範囲で答えていきました。

 

 境界を操るなんて曖昧な能力ですが、限界まで解釈すれば相当壊れた能力です。極めれば破壊と創造、ワープまでなんでもござれな能力は、元ネタのスキマ妖怪が大妖怪に類する格を持っていた事実を納得させる力でした。

 

 しかしこの能力を公衆で使うには余りにも異端です。

 この能力の何が不味いってまずその見た目の不気味さ。空中からおどろおどろしい暗闇が覗いてる様は見るものの背筋を凍らせる禍々しさを備えています。

 その余りにバケモノじみた形は"悪魔"を連想させて然るほどの印象を与えるでしょう。

 実際初めて使った時も部屋の色と比べた場違いさに変な声が出ましたから。

 

 

「と、まあこれが私。……どう?恐ろしいでしょう?」

 

「…………」

 

 

 ふふふ、怖くて声も出ませんか?

 ……そりゃそうです。姉がまさかISも真っ青な能力を持っているだなんて、頭が湧いたかバケモノかどっちかとしか思わないでしょう。

 

 最近は昔ほど見られなくなったそうですが、シャルも歴としたキリスト教の信徒。幾ら宗教を意識しない無神論じみた若者といえど、幼い頃に築いた邪悪のイメージは拭えないでしょう。

 

 そう思いながらシャルの言葉を待ちます。

 シャルは俯いていた顔を上げて……怒ってます?

 

 

「何で隠してたのかとか、そんなのは置いとくけど……お姉ちゃん、それがあるからISに挑んだの?」

 

「えっ………………はい」

 

「……ヴィオラお姉ちゃん?」

 

「は、はい……」

 

 

 そして再開されるシャルの説教。勘弁して……ホント反省してますから。

 

 でも、シャルがこんなに怒ってくれることに少しだけ嬉しさも感じます。シャルの説教は専ら私の危機感の無さや無謀な行為によるもので、裏返せば私の心配をしてくれてるのですから。

 

 だからといって反省してないわけじゃないんです。ああごめんなさい反省してますからその溢れ出る般若オーラを仕舞ってください死んでしまいます。

 

 

「反省、した?もうしない?」

 

「もう、もうしません…………」

 

 

 ガクブルしながら出来る限り大きく頷くと、シャルは漸く説教を終えました。

 しかしシャルはこの能力に対することに何も反応していませんね。どう見てもやばい能力だと思うんですが。

 

 

「怖いとか思わないの?」

 

 

 少なくとも私は怖いです。そんな言葉を内心で呑み込んで、簡潔に不安を吐露しました。

 

 シャルはきょとんとした顔を見せて、次いで声を漏らして笑いました。それは苦笑にも得意げにも見えて、細まった目が穏やかな視線を向けています。

 

 ───その姿に母の面影が重なって、思わず見惚れてしまいました。

 

 

「全く?どんな力を持っててもお姉ちゃんだもの」

 

「────っ」

 

 

 そうこともなげに言うシャルの笑顔には一片の曇りもなく、本心からそう言ってくれているのがよく分かりました。

 ……本当、私には勿体ない妹だとつくづく思います。

 

 私の右手にシャルの手が重なって、安心させるように包み込んできて、胸を締め付ける不安が溶かされているのが分かります。

 

 泣きそうになるのをグッと堪えて「ありがとう」と言いました。私だってこの子の姉です。小指程度の見栄くらい張らせて下さい。

 

 ……自尊心がいたたまれなくなったので話題を変えます。

 

 

「……そういえばシャルはどうやってあんなに早く駆け付けられたの?」

 

 

 一番驚いたのがこれです。私とあの女は短い死闘を繰り広げましたが、その時間はどう見積もっても2分、良くて3分。

 そして例の丘までは4〜5キロ近い距離があります。

 これでは如何にISでも駆け付けられないと思うのですが。

 

 

「ああ、お姉ちゃんが出したスキマ?の通路が残ってたからそれで来たよ」

 

「……はい?」

 

 

 私何スキマを出しっ放しにしてるんですか?

 

 確かに閉じた記憶は無いのですが、だからといって意識から外したスキマがまだ健在だったなんて思いもよりませんでした。

 何ですかこの自動車の鍵を挿しっぱなしにしてた時のような後から来る焦燥感は。

 

 というか、スキマなんて不気味な空間に自分から入ったんですか。とんでもない勇気が要ると思うんですよそれ。

 

 考えてみてください。午後3時の綺麗な青空を裂くような黒い裂け目。光が入っているような印象を受けない不気味な空間に果敢に侵入するなんて相当ですよ。

 

 

「……よく入ろうと思ったわね?」

 

「半分閉じかけてたけど手でこじ開けたら何とかなった」

 

「よく開けようと思ったわね!?」

 

 

 空中に浮かぶ不気味な裂け目に手を突っ込んで無理やりこじ開けるなんて何それ怖いもの知らず。それで指が切れてたりしたらどうするんですか。

 しかも境界って私以外でも物理的に広げられるんですね。初めて知りました。

 

 

「そんな危ないことしちゃ駄目よ」

 

「それお姉ちゃんが言う?」

 

 

 そうでした。そもそも無茶をしたのは私でしたね。

 これでは怒るに怒れません。

 

 

「それにお姉ちゃんも言ってたじゃない。『信じて』って」

 

 

 そう言う意味じゃなかったのですが……まあいいです。色々な誤解と偶然が重なって今があるんですね。

 シャルの土壇場の強さにはびっくりです。

 

 ……いけませんね。今日はシャルを負かせる気がしません。

 

 

「あのISはどうしたの?」

 

 

 シャルが使ったISはその形から恐らくラファール・リヴァイヴというフランスでは知らぬ者のない程有名なISだったはずです。

 それを齎したのは恐らく倒れていた方の女。あれがどういった人なのか分からないのでそこも聞いてみたいですね。

 

 

「白髪の女の人から借りたんだ。『お嬢様なら』って」

 

「お嬢様?」

 

 

 ラファール・リヴァイヴの開発会社はデュノア社、つまり父のところです。

 白髪の女は父の部下か何か?私達の危機を察知して彼女を派遣した?

 

 父が私達を守らせるのは違和感無いのですが、自分達の見えないところで事が動いているようでいい気はしませんね。

 

 

「その人は?」

 

「隣の病室にいるよ」

 

 

 隣の病室にいるとのことですので、動けるようになったら挨拶に向かいましょう。色々話を聞きたいですから。

 

 

「……動いちゃダメだよ?」

 

「……分かってるわ」

 

 

 と、思ったら釘を刺されたので大人しくしておきます。

 トホホ、と己の惨めな状態を振り返って嘆くことしかできませんでした。

 

 内心で涙を流す私の手を握ったシャルは、悔しそうな、悲しそうな顔で俯いて声を発しました。

 

 

「……お姉ちゃんがいなくなったら、やだよ」

 

「…………」

 

 

 本当はいなかったんです。とは言えず、絞りだしたようなシャルの言葉を聞いて曖昧に笑いました。

 何故よりによってシャルの姉に生まれ変わったんでしょうね?私にとっては幸運でしたが、作為的なものを感じざるを得ませんよ神様。

 

 ……とにかく、私はシャルの姉なのですからこんな失態は二度と繰り返さないようにしなければ。

 看護師さんがシャルの後ろから顔を覗かせるのを見ながらそう思いました。

 

 

 

 

 




 IS世界の姉は大体ハイスペックポンコツ(偏見)

 なおヴィオラは普通にポンコツな模様


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閑話7.5「貴女が例え白鳥の卵から生まれ出たのだとしても」

 鳥のさえずりと差し込む光で目が覚める。

 ぼんやりとした頭を起こして目をこすりながら階段を降りていくと、今日も彼女より早く目覚めた彼女の姉が窓際の揺り椅子に腰掛けていた。

 

 黄金色の豊かな髪を背中に流し、深い紫の瞳、最早見慣れたリボン付きのナイトキャップを被り、真っ白な細い手で本のページをめくる少女。

 

 日によっては眠り足りないように微睡み、又は眩しそうに外を見ていて、しかしいつも降りてきた彼女に気付いて嬉しそうな笑みを向けていた。「おはよう」と何気なく発した一言にも上向きな感情を溢れるように滲ませている。

 対して彼女は習慣付いた言葉をいつものように発した。

 

 彼女、シャルロット・デュノアにとって、ヴィオレットの存在は姉以外の一言では言い表せない存在だった。

 朝目覚めるように、深呼吸すれば肺が膨らむように、当然の如くそこにいて甲斐甲斐しく世話を焼いてくる。物心ついた時には側にいた彼女の姿を見なかった日は一度として無かった。

 『原作』において一人っ子であり母という絶対者が味方であったシャルロットは、もう一人の姉によって絶対ではなくなり、同時に新しい家族を得た。

 

 そんなヴィオレットの行動は昔から一貫していて、悪く言えば単純な行動原理を貫いていた。すなわち、妹たるシャルロットのこと。

 利するか害するか、シャルロットの内面がどう捉えているかに関わらず、いつだって彼女の行動の基には妹がいた。

 

 それはシャルロット自身も薄々感じていて、それを擽ったくも疎ましくも感じていた。鬱陶しく思って突き放そうとしても、のらりくらりと躱されていつの間にか側にいる。初めは嬉しかったそれも日を追うごとに特別ではなくなっていた。

 

 人の心には精神の成長に欠かせない恣意的な機能、子供の頃の成長に特に必要な『飽きる』という感覚はシャルロットにも当然備わっていた。

 与えられたおもちゃに飽きたこともあるし、癇癪を起こしたこともあるし、変わり映えしない家から離れて学校の友人達とスリルを求めたことも無いとは言えない。

 今では心身ともに成長したシャルロットの小さな黒歴史とも言えるが、そんな経験が今の彼女を育て上げたとも言える。誰にでもある未熟な時期だ。

 

 優しい母と優しい姉に恵まれた彼女は、ある時期にその優しさから離れようとしたことがあった。まだ小学生相当の時期の出来事だったが、シャルロットはその日のことを今でも思い出せる。

 

 シャルロットは母と姉に連れられて買い物に出かけたことが何度かある。その日は値段の張る大型の電化製品を買うために栄えた街まで足を運んで、デパートの商品を見て回っていた。

 その時のシャルロットは、初めて見る景色の余りの色の多さに驚愕し、次いで歓喜していた。首を上向けてようやく天辺が見えるほど大きい建築物。先鋭的なファッションから硬派なスーツまで幅広い人混み。耳を休ませない喧騒。絶えず行き交う大量の車。

 シャルロットにとっては、田舎よりも発展した都会の景色は大層価値のある体験を齎してくれていた。

 同時に思う。私もこんな賑やかな場所で生まれていればと。

 

 そんな時、いつも自分の手を握って離さない姉が今日に限って見当たらなくなっていた。母の姿も無い。怪訝に思い周りを見渡しても見知った金髪は何処にも見当たらなかった。シャルロットは自身が迷子になっていることを違和感の差異から感じ取った。

 そうしていると、いつも手元にあるものが無いシャルロットは途端に不安に駆られた。汗ばむほど手を握って離さない姉と側にいるだけで安心する母の姿が無い。シャルロットは泣きそうになった。

 

 しかし、シャルロットは思い至る。今ならこの刺激を与えてくれる都会の中を、自分の行きたいところを好きに探検出来るのではないかと。

 溜まっていた言いようのない不満は、いつもより彼女を意地悪にしていた。暗く心地よい衝動に押され、シャルロットは家族を探すのをやめることにした。

 それにデパートを歩き回っていればいずれ二人にも会うことが出来るんだから、そう納得して一人で歩き始めた。

 

 そうして歩きだした彼女にとって、それはとても心躍る時間だった。お洒落なネックレス、綺麗な服、モダンな高層建築物の中を思った通りに歩き回り、いつまでも眩しい明かりがそれらをキラキラと輝かせている様はまるで母から聞いた御伽噺の品々のよう。

 これを着られたら、これを手に入れられたら、どんなに満足感を得られるだろう。そんなことを思いながら、貴金属の輝きに負けないくらいキラキラとした目でそれらを追っては眺めていた。

 

 そうしていると、デパート内に響き渡る音量で放送が流れていた。そこにシャルロットの名前が呼ばれていたことから、この年にして聡いシャルロットは家族が自分を探していることを漫然と察知した。

 しかし、合流してしまえばもうこの至福の時間は終わってしまう。シャルロットは人目を避けて移動し始めた。

 その時の気持ちはさながらかくれんぼに興じるときのドキドキした興奮で彩られていて、後で怒られるのも考えずにただ今を満喫していたかった。

 

 だが少し経つと似たような光景をまた目にするようになっていて、この場所を見切ってしまったようだった。そうなるともう目新しいものは無くなってくる。そうなってしまえば態々家族から離れている必要も無くなってしまう。

 

 しかしシャルロットに魔が差した。もう少し見回ってみよう。もっと広く歩けばもっとキラキラしたものが見えるはず。そう思って歩いた。

 そんな時間もそう長くは続かない。何せ当時のシャルロットは小学生に成り立ての頃である。更に迷子の放送も流れていて長く誤魔化せる訳もなかった。シャルロットは職員に見つかってしまった。

 

 

「見つけました───。……ほら、大丈夫だ。お母さんが待ってる」

 

「うぇ、あ、やだ……」

 

 

 そしてそれは両方にとって不運だった。その職員は顔が非常に悪いギャングの男のそれで、シャルロットは詰め寄ってくる職員がどうしても無害に見えなかったのだ。シャルロットに職員の制服が分かるわけもない、恐怖で目を見開いた彼女はそのまま踵を返して走りだした。

 無論職員が悪い訳ではない。男は真っ当な人間で、なるべく優しい声をかけようと努めていた。しかし齢二桁にもならない少女には関係が無い。

 

 息を切らすほどに走る。唐突に家族が恋しくなった。シャルロットの目を彩っていた好奇心は恐怖で上塗りされ、抑えられていた不安が膨れ上がっていた。

 母と姉の名前を呼びながら走る。いつしかデパートを出ていたシャルロットは、それに気付かぬまま周りが見えない状態で我武者羅に走っていた。

 

 そして─────。

 

 

「あっ────」

 

 

 交差点に飛び出たシャルロットの前に現れた一台の車。その余りにも遅れたブレーキは、最早間に合わない距離まで近付いている車のブレーキランプを照らした。

 頭が真っ白に染まり、迫り来る鉄塊を見るしか出来なかったシャルロットは、自分がどこにいるのかを漸く理解した。

 いつの間にか溢れていた涙も意識しないまま、呆然と迫る死を感じた。

 

 ────果たしてそれは幻聴だったのか。シャルは寸前のところで聞き慣れた声を聞いた気がした。

 

 己の視界が横からすり抜けるように現れた影で塞がれるのを止まった時の中でしかと感じ取った。自分より一回り大きな肢体にふわりと体全体を抱き留められる。

……それは朝出かけるときに見た、鬱陶しかった筈の姉の色だった。

 

 衝撃が来る。初めて感じる、しかし一切の高揚感も感じないそれは自身の体を抱え込んだ影と共に体を大きく揺らした。倒れ込んだシャルロットは痛くも痒くも無く、抱き込んだ腕が代わりに傷ついていた。

 目を瞑り体を硬くして止まった時間は「大丈夫!?しっかり!」と言う頭上から聞こえる姉の声によって動きだした。

 恐る恐る覗いた姉の顔は焦りと不安で瞳を揺らしていて、その綺麗な紫の瞳を塞ぐように垂れてきた赤い色が自分のやったことの結果だと、意味のない声を漏らしながら、自身に落ちて弾ける姉の血を見て思い知った。

 

 シャルロットは泣きじゃくってただただ謝り続けた。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、泣きたいのは姉の筈なのに、自分なんかよりよっぽど痛かった筈なのに、姉はひしと抱きしめて自分の安否を気遣うのみだった。

 

 シャルロットは後で知ったのだが姉の傷は別に深くも何とも無かったようで、流れ出た血はシャルロットと共に倒れ込んだ時に頭を打ったためだった。

 

 一応ということで病院に行ったが結果は無事、後で仲良く母にこってりと怒られて、一波乱あった買い物の旅は終わりを告げた。

 

 その日は鮮烈にシャルロットの脳裏に焼き付いて、以降シャルロットは自分の行動をよく改めるようになった。

 頭に包帯を巻いた姉は変わらず世話を焼いてくる。母は和やかに微笑んで鍋を煮込んでいて、村は今日も穏やかで変わらない。

 しかし今まで知っていても感じていなかった確かな愛の形が今はひしひしと伝わってくる。そうして辺りを見渡せば、今まで見えていなかった確かな価値が彩り始めていた。

 シャルロットはそれを機にまた一つ成長したのだった。

 

 

 

 

 

 そんな過去を振り返りながら、病院の真っ白なベッドに眠っている姉の姿を眺める。姉はピクリとも動かず、血の気の失せた顔で瞼を閉じていた。この姉はまた命を投げ出そうとしたのだ。

 今回ではっきりと分かった。この姉は余りにも自分の命を軽視している。普段は大人しいのにこういう時だけそそっかしく、周りの気も知らぬとばかりに傷付いていく。シャルロットは人知れず奥歯を噛み締めた。

 

 自分の命はどうでもよくて、他人のことは何より大事だなんてそんなのただのエゴだ。全然褒められはしないし、置いていかれる方はどうすればいいのか分からなくなってしまう。

 抑圧し尽くされた精神。一方的な利他主義。

 何が彼女をそうさせるのか、シャルロットにはまだ分からない。

 

 元々何かを隠している気はしていた。姉は常に周りから一歩引いていて、その手を後ろに回して見せないようにしている何かがあると薄々思っていた。

 そして今日、姉は初めて自分に隠してきたものの一端を晒してくれた。

 摩訶不思議な隠し事に戸惑ったが、打ち明けてくれて嬉しかった。だが今日話していて改めて思った。

 姉はまだ人に言えないことがあるんじゃないかと。

 

 それは多分、姉にとっては大事で、自分にはとても言えないことで。

 こんなにボロボロになってまで通す何かが姉を縛っているのだとしたら。

 

 底から煮えたぎるナニカが瞳の中で揺れる。

 それは憤りでもあり、不満でもあり、怒りでもあり、愛でもあった。

 

 血の気を失った姉の寝顔は安らかとは言えず、苦しそうに眉をひそめて眠っている。

 姉はいつだって苦しいときや悲しいときはそれを全部自分の中に押し留めて自分だけで解決しようとするから、「大丈夫」なんてどこも当てにならない。

 

 もうこれ以上姉を傷付く姿を見たくないのに、自分の傷を肩代わりしていく姉。それは大事にされて嬉しい気持ちもあるが、それ以上に自分から傷付いていく姉が許せなかった。なにより姉が傷付いていくのを止められない自分が憎かった。

 もう家族がいなくなるのは嫌だ。姉までいなくなれば今度こそ涙が止まらなくなってどうにかなってしまう。

 

 

 ───強くなろう。姉が守ろうと思う気持ちも起こらないくらいに。そしていつか必ずお姉ちゃんの秘密を知ってやる。

 それで、全部赦して抱きしめて、うんと甘やかしてやろう。

 人の気も知らないで危ないことばっかりするんだから、それくらいの罰ゲームは許されるよね?

 

 

 暮れ始めた日の光が姉の寝顔を染め上げていくのを紫色の瞳で見つめ、自分の手と同じくらいか細い姉の手を握って額に寄せた。

 

 

「お姉ちゃんの、バカ」



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8.看護師と体温の話

 どうも遅れました。
 内定貰ったり、玉ネギと戯れたりとしていた所為です。
 エタってしまい誠に申し訳ございませんでした。

 余りにエタってたので放置しようかと心中の悪魔が囁きましたが、溢れる尊み愛が筆を走らせた次第でございます。

 溢れるシャル愛 ԅ(¯﹃¯ԅ)

 クソ遅駄文投稿者でありますが、どうかこれからもよろしくお願い致します。



 ご機嫌よう、皆さま。

 カフェオレが飲めなくて心ブルーなヴィオレットです。

 

 内臓の損傷というのは大変面倒なことになるのだと身をもって思い知りました。ご飯が食べられないのは辛い。

 

 あの後、高度な手術が要るということで都心部に搬送されて、麻酔かけられてグースカ寝ていたんですが、起きたら激痛に近い鈍痛が常に体を奔り続けていて思わず半泣きで呻いてしまいました。

 

 シャルがいた時はここまで酷くなかったはずなのですが。

 

 今は物々しい装置と大量の管に囲まれております。痛みもそこまで酷くはありません。

 

 

「特に痛いところはありませんか?」

 

「はい」

 

 

 器具を付け替えたり足をほぐしてくれたりする看護師さんに軽く返事をしました。

 

 こちらの病院ではより大仰な装置が取り付けられて、軽度の麻酔と同時に症状の治りを早めることができる治療ができるのだとか。

 

 この世界の技術は医療面に置いても前世の先を行っていて、半年もせずに完治する可能性があるそうです。

 何気に凄いラブコメ世界の再生医療。

 

 さすが戦闘用クローン人間やターミネーターばりの機械人間がいる世界は違いますね。

 もう少し頑張れば某F軍のメディカルマシーンくらい作れそうな気がします。

 

 

「とても綺麗な肌ね〜、羨ましい……」

 

「どこのおっさん……貴女も大概若いじゃないですか」

 

「あらまぁ嬉しい、私もうすぐ30なんです」

 

「30!? ──っつつ」

 

「あーもうあんまり力んじゃダメよ」

 

 

 この装置、見てくれもカッコよくて素晴らしいのですが、当の本人は全く動けなくなってしまいます。

 そして人というのは全く動かないと体の血の一部が固まってしまい、巡り巡って最悪壊死、なんてことになることがあるそうです。

 なので定期的に寝返りを打たせたりマッサージをしてくれたりします。

 

 看護師さんは綺麗な美人さんで、見ているだけで目の保養になるくらいには整った顔立ちです。

 そんな人が甲斐甲斐しく世話をしてくれるので、役得というかなんというか。

 

 しかし女性の仕事という認識があるとはいえ、男性の看護師を見かけないのはどういうことでしょうか。

 イケメンが介助してくれるとか期待していた訳じゃないんですけど、純粋な疑問ですよ。

 

 

「そうねえ、最近減ってきたわ」

 

「理由とかあるんです?」

 

「ほら、こんなご時世でしょ? 男に介護されるのを嫌がる人って結構多いの」

 

 

 ああ、やはりそういう事情ですか。

 前世では看護師や介護士職は男性が多いわけではないのですが、女尊男卑だとどうしてもそういった不遇な人は出てきてしまうのですね。

 

 

「貴女はどう? 男は嫌い?」

 

「別に問題は。イケメンで性格も良ければ尚良いです」

 

「現金ね」

 

「やっぱりそういうの求めていきたいじゃないですか」

 

「分かるわ〜」

 

 

 とは言え、女の男を求める欲求は消える訳ではありませんから、皆さん上手く社会をいなしながら合う相手を探しているのでしょうか。

 

 

「看護師さんは()()いるんですか?」

 

「残念ながらいないんですね〜、あんまり男性受けしないのよねえ」

 

「こんな美人さんがフリーだなんて世も末ですね」

 

「あらお上手♪」

 

 

 癖のないブラウンの髪に艶めかしい目、スタイルも抜群にいいのになんて勿体ない。

 ミスユニバースに出てきてもおかしくないクラスだと思うのですが、この世界の男性は見る目がないのでしょうか?

 

 

「それに貴女ほどではないわ」

 

「私?」

 

「ええ、職員の間じゃ貴女の話題で持ちきりよ? なんでもえらい別嬪さんが搬送されて来たって」

 

「過剰評価ですね」

 

 

 確かに母からの賜り物ですから?そこそこ整ってはいるのですが、シャルの圧倒的可愛さと尊さには負けてしまいます。

 肩甲骨に着くくらいの金糸の髪にアメジストの星を凝縮した紫の瞳、無垢な童顔にきめ細かい肌。そしてそれらをまとめ、補完して余りある黄金の意思。

 

 視点が違えば主人公格になっていただろうシャルに並び立つ者は『原作』ヒロインズや一部の人くらいだと思います。

 

 シャル一強にならないのは、あの学園が容姿も高水準だからでしょう。さすが世界のハイスペックが集まる学園なだけあります。

 

 

「妹さんが好きなのね」

 

「勿論ですとも」

 

 

 私からシャルを取ったら一体何が残るというのか。

 いや、何も残らない(反語)。

 

 あ、そういえばシャルのことなどについて語らねばなりませんね。

 

 ……こほん。

 あの日シャルに叱られて数日経ちました。

 

 あの後警察から事情聴取をお願いされ、更にお偉いさんっぽい人やマスコミの方など何人かとお話しをしました。

 

 あの事件、私とISとの戦闘の最後辺り、丁度シャルがやってきた辺りを見た人がいたらしく、国内でも一面を飾るニュースになっていたようで、結構噂になっているのだとか。

 

 その時の映像は残っていませんが、後日こっ酷くやられましたと言わんばかりの姿でベッドに寝る私の姿がテレビに映ったことで大分話題を呼んでいるみたいです。

 

 名前と顔伏せてくださいってお願いしたはずなんですが、何でデカデカと載ってるんですかね……。

 情けない姿を公衆の面前に晒されてしまい、一人意味もなく顔を覆うことしか出来ませんでした。

 

 それとデュノア社の方が何人も来ていました。

 実はここ、デュノア社の本社ビルと十キロも離れていないらしく、ちょっと車で足を運べる場所らしいんです。

 

 色々差し入れも頂いて、励ましの言葉を貰いました。自社の社長の娘が大事件に巻き込まれたという話を聞いて飛んできたのだとか。

 そんなことで見ず知らずの小娘の見舞いに来てくれるなんて凄く思い遣りのある方々ですね。私もあのようになりたいものです。

 

 因みに父は来ませんでした。代わりに社員の方が父から手紙を預かっていたようで、丁寧に渡してもらいました。内容は同様励ましの言葉でしたね。もっとこう、他に無いのかと。

 あとデュノア社傘下の高級ホテルの良いところを暫定的な家として手配してくれたようです。食事代も無料なのだとか。

 

 という訳でシャルは今頃ホテルの昼食を楽しんでいる頃でしょう。

 大仰な皿に盛られた美しく美味な料理はシャルの味覚を大いに満足させる事間違いなしです。

 

 

「さて、何かあったら非常ボタンで呼んでください」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 

 そう言って足早に去っていく看護師さんでした。

 忙しそうですから、あまり拘束してしまうのも迷惑でしょう。お仕事頑張ってください。

 

 

 

 

 

 近未来感溢れる病室に一人、防音でもついているのか物音も殆ど聞こえない中で、心臓の振動がやけに大きく聞こえるようになりました。

 薄暗い部屋に電子音が規則的に響いて、静かな空間を僅かに彩っていました。

 

 

「……」

 

 

 そういえば父は私達を本格的に引き取るようで、時期を早めて私が退院次第迎えに行くとのこと。

 シャルにはもっと早く来てもいいらしいのですが、本人いたっての希望で一緒に、という形になりました。

 

 地元から転校して都心部の学校に行くことになりましたので、シャルは私のことはいいから学校だけは行くようにと念を押しておきました。

 シャルが不良の烙印を押されるなどあってはなりませんから。

 

 

「…………」

 

 

 しかし、クラスの皆とお別れの挨拶が出来ないのは心苦しい。

 メッセージビデオでも送ろうかと思いましたが、このザマでは心配させてしまうかもしれません。

 

 私が大怪我を負ったのは知られているでしょう。

 ならばせめて元気にやっていることくらいは示しておきたいものです。

 いや、元気ではないですね。

 

 ああ、そういえば。

 バイト先の孤児院に挨拶もしないといけません。

 とてもお世話になったというのに無断で休んでしまって。

 

 それに誕生日の子にプレゼントも約束したのに渡せなくなってしまいました。

 

 なんて言い訳しましょう?

 ここはひとつチョコで許してくれませんかね。

 

 

「…………はぁ」

 

 

 ……私は今、何も出来ません。

 

 出来ることといえば腕を動かすことと喉を震わせることだけ。

 

 シャルに構うことも、クラスの皆と会うことも、家事も水やりも、ここ数日ずっと出来ていない。

 

 いえ、その大半はもう二度と出来ないかもしれません。

 

 コスモスの花壇も、もう見ることは出来なくて。

 放置された庭は簡単に滅茶苦茶になるでしょう。

 

 退院しても父に引き取られてしまうのであの家に帰ることもありません。

 元気になっても母の家は壊れたままですし、直すお金なんてありはしない。

 

 私の帰るべき場所は無くなってしまいました。

 

 色んなことを受け止められないで、勝手に暴走して大怪我をして、心配させてしまって。

 

 

 

 あぁもう。

 失態を引きずるのは私の悪い癖です。

 

 暗澹とした気持ちに沈んでいると、不意に部屋の扉が開きました。

 扉から覗いたのは光のような金色の髪と星のような瞳。

 

 

「……お姉ちゃん」

 

「あら……」

 

 

 普段は花咲くような笑顔で出迎えてくれるシャルは、安堵と不安を綯い交ぜたような目で私の側までやってきました。

 

 

「ご飯食べた?」

 

「うん。身体の方はどう?」

 

「大丈夫そうよ。でも一週間も流動食は流石に堪えるわね」

 

 

 病院食は不味いとよく言われますが、これはそもそも食事なのかどうかも分かりません。聞くところによれば皆が食べる病院食をミキサーにかけているそうですが、そのせいで見た目ができの悪いお粥のようになっています。

 

 シャルは少しの間視線を漂わせて、シーツから覗く私の手を握り、暖かい体温が流れ込んできました。

 

 

「早く治して一緒にご飯食べよう? 一人だと寂しいよ」

 

 

 そんな可愛いことを少し恥ずかしそうに言うシャルはとても愛らしくて、咄嗟に抱き締めてしまいそうなくらいの魅力がありました。身体が動ける状態なら間違いなくハグしていたでしょう。

 無自覚でコレなのですから、我が妹の小悪魔っぷりには末恐ろしい物がありますね。

 

 

「あら、それは一刻も早く治してしまわないとね」

 

 

 何にせよ、これ以上シャルに負担をかけるのは許されざることですので、早く治るよう願いましょう。

 ……能力、使えませんか。ダメですかね?

 

 でもグラス一つ曲げられない精度だと余計に傷口を広げてしまいかねませんから、やはり大人しくしておきましょう。

 

 あー、練習しておくんでした。

 こういう時に限って使えないですね(自業自得)

 

 

「そうだ。お姉ちゃんに会いたい人がいるんだ」

 

 

 お喋りもそこそこに、シャルがそんなことを言います。

 

 

「というと、マスコミかしら。それともデュノア社の人?」

 

「多分後者かな。どうぞー」

 

 

 そう言うと、扉が再び開いて件の人物が入室して来ました。失礼しますと、キビキビとした声で姿を現し、こちらを注視する様は彼女の人となりをそのまま表すようでした。

 

 

「貴女は……」

 

 

 ISの搭乗者のもう片方がそこにいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【人物紹介】

 

【名】ヴィオレット・デュノア

【年齢】14歳

【性別】女

【好きなもの】シャルロット、カフェオレ、お菓子

【嫌いなもの】悪意、苦いもの

【趣味】読書、ティータイム

 

【備考】

 『境界を操る程度の能力』を貰った転生者。

 しかし日和見主義と前世で培った事なかれ精神から『能力』を極一部しか使わずにいた。その為元ネタと比べ見る影がないほど使いこなせていない。

 穏やかな日々を愛する一般人の心を持ち、妹のシャルロットが大好きな姉。

 時々感情に呑まれて正しい判断が出来なくなることもあり、とりわけ悪意に対する反応が強い。

 

 

 

 

 

 



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9.感謝と思い出の話

 ほのぼのギャグ調の方が性に合ってるんじゃないかと思う今日この頃。

誤字報告、感想助かりますm(_ _)m


「貴女は……」

 

 

 白銀の髪を切り揃えた女性は、軍人のようなキリリとした整顔に伸ばした指先を掲げ、敬礼の形をとりました。

 流れるような所作に気負った気配が一切無く、彼女が軍属、若しくは元軍人と容易に想像が付きます。

 

 軍人で女性とくれば、やはりISの部隊員だったのでしょうか。さり気なく付けられたヘアピンがキラリと光りました。

 

 

「お初にお目にかかります。デュノア社専属テストパイロット、ディアナ・ダヴィドフと申します」

 

 

 その人、ディアナさんは大変力強い笑みでそう挨拶してきました。ロシア系の方でしょうか。これまた整った麗人でして、長髪なのに男装が似合いそうな不思議な雰囲気を纏っていました。

 雑誌で見るような新しいタイプの女性にドギマギしながらも、取り敢えずと挨拶を返しました。

 

 

「ヴィオレットです。このままの体勢で話してもいいですか?」

 

「はい。どうぞ楽になさってください、お嬢様」

 

 

 手を下げて畏まったようにそう言うと、シャルに促されて面会人用の折りたたみ椅子に座りました。さすシャル。

 

 しかしお嬢様と言うことは、父の遣いと見て間違いないでしょう。シャルにも同じような三人称を言っていたらしいですし。

 それに、そんなはっきり『特別扱い』のような呼び方で呼ばれても反応に困ってしまいます。どちらかといえば田舎の母の子の認識が強いのです。

 

 そんな照れたような、モヤモヤするような心の感触を胸中に抱いていると、彼女から唐突にパッと頭を下げられて瞠目しました。

 

 

「先ずはヴィオレットお嬢様。この度は御二方を危険に晒してしまい、本当に申し訳ございませんでした!」

 

 

 そう言って腰をへし折らんばかりに平謝りするディアナさんに、ポカンと口を開けて呆けてしまいました。自己紹介後のすぐ後に謝られるなんて初めての経験でして、どう対応すれば良いか分かりません。

 しん、と静まり返った部屋で、ディアナさんが頭を下げているのを目を点にして見る二人。

 かなり異様な光景でした。

 

 

「と、とりあえず頭をあげてください」

 

 

 咄嗟に出てきた言葉がそれでした。というより、それしか言えませんでした。

 平べったいくの字を繋げたようなベッドから、悲痛な顔で頭を上げるディアナさんを見るしか出来ません。

 

 

「しかし、なんとお詫びすれば良いか……」

 

「ええと、そうですね。事の次第を分かる範囲で教えていただければ嬉しいかなと」

 

 

 とにかく情報が欲しいです。どうしてISの戦闘が近くで起こったのか、あの女の所属とか、知りたいことは多い。

 そうお願いすると、二つ返事で了承してくれました。

 

 

「分かりました。私が言える範囲でお答えします」

 

 

 そうして、ディアナさんは話し始めました。

 

 

「私はデュノア社のテストパイロットではありますが、同時にアルベール様の腹心として働いていたんです」

 

「父の?」

 

「はい。元フランス空軍のIS部隊に所属していた経験から、様々な仕事を任されました」

 

 

 大半はテストパイロットとしてですが、と言いました。

 

 デュノア社の製造するIS《ラファール・リヴァイヴ》の設計思想に、信頼性の高いパーツと内部構造、汎用性に富む武装と運用姿勢が求められたらしく、軍人だったディアナさんはそのアドバイザーとして貢献したのだとか。

 テストパイロットもほぼ単独でこなしていたそうです。

 

 その結果出来上がったのがあの傑作機ですか。何気に凄いことしてますねこの人。

 

 

「名前もラファール・"リヴァイヴ"ですから、空軍の象徴であるラファール機の"再来"とあっては気合も入りました」

 

 

 そう誇らしそうに言うディアナさんに、確かにと一人納得しました。

 

 フランスにとってラファールは、いわばアメリカのF-22ラプター、日本にとってのF-3のような、軍の威信をかけた産物です。

 ISによってそれを世間から否定された彼らにとっては今でも、ラファール(疾風)の名は決して軽くはないのでしょうね。

 

 特にラファールは前共同開発計画で要望を無視されたフランスの意趣返しも込めて、ユーロファイターに負けないようかなり頑張ったそうですから。

 その名を冠するラファール・リヴァイヴも、それはもう大々的に報道してましたし。

 

 

「まあそのような話は後ほど。……私が今回アルベール様から任されたのは、御二方を隠れて警護することでした。

 先月から御二方のことを見ていたんです」

 

「そんなに前から……」

 

 

 ということは、シャルとピクニックに出た時にはもう見られていたのでしょうか。監視されている気配なんて微塵も感じませんでした。

 ISは五感を高める機能が備わっているので、おそらく遠くから見ていたのかもしれません。

 

 あ、あの時のISがディアナさんだったんでしょうか。

 流石名探偵ヴィオラちゃん。

 

 

「いいえ、あのISはただの訓練生のモノです。訓練にしては高度が低すぎたので後で怒鳴っておきました」

 

「あっはい」

 

 

 違いました。哀しい。

 

 脳内で掛けた伊達眼鏡がすっ飛んでいくのを哀愁漂う感じで眺めていました。

 

 そんな一人漫才を脳内で披露していると、ディアナさんの声がみるみる萎んでいきました。

 

 

「そうしてあの日まで警護を務めさせて頂いたのですが……あの賊達(・・)を相手に遅れを取ってしまいました。本当に────」

 

「ストップです」

 

 

 この人あれです。一つの失敗を長く引きずる私と同じようなタイプです。

 分かりますとも。償いきれない責任は恐ろしいですよね。

 

 ──うん? いま()って言いました?

 

 

「待ってください、あの、女は一人ではなかったのですか?」

 

「はい、三人いました。二人は撃ち落としたのですが……最後に不覚を取ってしまいました」

 

 

 しょんぼりと言うディアナさんを焦点の合わない目で眺めながら、私はサッと背筋が凍る思いをしました。

 ……ディアナさんが残り二人を落としていなければ、シャルを逃しても意味がなかったかも知れない。

 いえ、彼女がいなければ私達二人共────。

 

 

「いえ……でしたら、こちらからも御礼を言わねば」

 

「いいえ! 本当は御二方に危険が及ばぬよう倒し切らねばならないのに──『私達を救ってくれてありがとうございます』っ!」

 

「私の感謝を受け取ってはくれませんか?」

 

「……はい、有難く」

 

 

 どこまでも愚図ってしまいそうだったので、遮ってでも感謝の言葉を伝えました。

 三対一で二人撃破した後にあの女と戦ったディアナさんは相当な手練れなのでしょう。

 シャルが駆け付けた時に素直に引いてくれたのは、ディアナさんがシールドエネルギーを削ってくれていたからかもしれませんね。

 

 考えてみれば人類最強の兵器に狙われて生きていただけで儲けものですし、何よりディアナさんは命の恩人ですから。

 

 私達の感知しないところで色々あったようですが、一先ずは父がシャルの味方なのがはっきりしただけでも嬉しいものです。

 

 

「ディアナさんがISを託してくれたからお姉ちゃんを助けられたんです」

 

「シャルが駆け付けてくれたのも貴女がいたからです。むしろ誇ってください」

 

「っ、──ありがとう、ございます!」

 

 

 感極まったように再び頭を下げられて、お固いなあと二人して呟いて、シャルと顔を見合わせて笑い合いました。

 

 こんな人達がいるデュノア社なら、私達もやっていけるかもしれません。

 

 

「それにお礼を言うのはまだ早いかもしれませんよ?」

 

「へ?」

 

「デュノア社のこと、父のこと、ISのこと。聞きたいことは山ほどあるんですから、しばし付き合ってくださいな」

 

 

 身体を起こさないまま、しかし期待を込めてニヤリと笑った私に、ディアナさんが目を丸くして固まるのを思考の端に捉えました。

 シャルの身を守るためにも、あらかじめデュノア社の内情を知る必要があるのは疑いようもありません。

 

 それに、フフフ……今世で蓄えた知識を補完するまたとないチャンス。そうそう逃せはしませんよ。

 

 

 

 

 

「ダメだよお姉ちゃん。安静にしなきゃいけないんだから」

 

 

 が、ダメ…………!

 家内カースト最上位の妹による、圧倒的不許可……!

 

 磬子(けいす)が鳴って灰色に染まる私を尻目に、シャルがディアナさんに向き直りました。

 

 

「ディアナさん。そろそろお姉ちゃんを休ませてあげたいので、このくらいでお願いします」

 

「あ、はい。分かりました」

 

「いや、あの……」

 

「退院したてなのにわざわざ来て頂きありがとうございました」

 

「いえいえ、こちらこそ宜しくお願い致します」

 

 

 有能シャルによる迅速な対応に涙が出ますよ。

 違います待ってほしいんです。ISの構造とか敵の組織とか聞きたいことがいっぱいあるんですよ!?

 

 

「では、失礼します」

 

「はい。お疲れ様です」

 

 

 しかし現実は非情で、ぴしゃりと閉まった扉を黙って見送るしかありませんでした。

 思わず涙目でシャルを責めるように見ても仕方ないと思います。

 

 

「シャルっ!なに──」ピトッ「っ」

 

「お姉ちゃんも聞きたいことはいっぱいあるんだろうけど、怪我人なんだから無茶はしちゃダメだよ」

 

 

 ジト目に近い視線で私を窘めるシャルの、細い人差し指が私の唇を止めました。強制的に言葉に詰まりながら、頬に紅が射すのを感じます。

 

 おかしい。私が怒ってるはずなのに逆に叱られてる気がします。

 

 

「そんな、私はまだまだ元気よ」

 

「本当に?」

 

「え、ええ」

 

「疲れてきてるし、瞼も重くなってるでしょ? 隠しても分かるんだよ?」

 

「うっ」

 

 

 バレテーラ。

 そんな無駄なところでハイスペックを発揮しなくてもいいんですよ。

 

 

「ひ、人って意外ともつものなのよ?」

 

「お姉ちゃん?」

 

 

 ダメみたいですね。

 これ以上食い下がっても認めてくれそうにありません。

 もうちょっと情報が欲しかったのですがね。

 

 ……最近シャルの押しが強くなってきた気がします。

 

 

「お姉ちゃんはもっと自分を大事にして」

 

 

 言われるほど危なっかしいですか?

 確かに今回はやってしまいましたが、普段は寧ろ欲望に忠実な姉だと思うのですが。

 

 溜まった淀みを吐き出すように溜め息をつくと、堪えていた眠気が一気に襲ってきました。

 

 

「んむぅ……」

 

「眠い?」

 

「少しね」

 

 

 そう言うと、シャルは寝たままの私の手に手を重ねて「寝るまで一緒にいてあげる」と言いました。

 暖かい体温と微かな心音を感じて、心地良い静寂が流れます。

 

 

「お姉ちゃんがベッドで寝るのを見るのは久しぶりかも?」

 

 

 そういえば、シャルと一緒に寝るのはいつからやめたんでしたっけ。

 詳しい日は定かではありませんが、シャルが恥ずかしがって一人で寝ることを覚えたからでしたね。

 

 母と二人で微笑ましく見ていた記憶があります。

 

 

「むーっ、二人してバカにして……」

 

 

 そんなことはありませんよ。

 それくらいシャルが好きで可愛かったんです。

 

 そういえば母と私は何かと話が合うので、母直伝のカフェオレの作り方やタルトの焼き方などを伝授してもらったものです。

 

 シャルは絵本が好きでしたから、よく母の膝の上に乗って一緒に読んでいて、騎士様とお姫様の物語に目を輝かせていましたね。

 

 

「懐かしいなあ……あの頃に戻りたいよ」

 

 

 そうですね……。

 母は天寿を全うしましたが、いつかまた、あの時みたいに一緒に。

 

 今度は父や義母とも……一緒に……。

 

 

「すぅ……」

 

「…………」

 

 

 その後のことはよく覚えていません。

 しかし、悪い夢は見なかったと思います。

 

 

 

 

 

 



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10.Go to the デュノア本社

「うん、しばらく車椅子にはなるけど、退院してもよさそうだね」

 

「本当ですか!ありがとうございます」

 

 

 ご機嫌よう、皆さま。

 一ヶ月寝たきり生活二時間スペシャルの主演、ヴィオレットです。

 

 この世界の超医学は重傷を負った私を僅か一月で退院出来るまでに回復させてくれました。

 いえ、本当はもう少し入院していた方がいいのですが、私が学生の大事な時期に入ろうとしていることから、少しばかり融通を利かせてもらったのです。

 早く戻ってシャルと一緒にいたいのが本音ですが。

 何にせよ、多少遅くなっても車椅子生活は避けられないらしいので、それならばと担当医の先生に打診した結果、めでたく退院が許可されたのでした。

 

 

「やっと帰れるわぁ」

 

「まだ歩いたりしちゃダメだよ?」

 

 

 やっとの退院にウキウキする私に、車椅子の手押しハンドルを握って押すシャルが、念を入れるように忠告しました。コロコロと小気味良い車輪の音とシャルの規則的な足音が周囲を小さく彩っています。

 別に足に重大な怪我があった訳ではありませんが、歩くことで内臓が揺れてしまうのが良くないらしいのです。勿論お酒も禁止(未成年なのでそもそも買えませんが)ですし、なるべく消化に良いものを食べるように言われました。

 

 それでも病院の食事から解放されたのは大きいです。ああ、カフェオレが恋しい。

 

 

「正面玄関でデュノア社の人が待ってるから、早く行かないと」

 

「そうなの?」

 

「今日も車で送ってくれたんだ」

 

 

 久々のカフェオレのお供をクッキーとマドレーヌのどちらにしようか悩んでいたところ、後ろのシャルからそんな言葉が出てきました。

 聞けば、デュノア社の人が私達を迎えに来ているとのことです。

 余り待たせてはいけませんが、病院で急いでは危ないので、いつもの調子でのんびりと行きましょう。

 

 それにしても、デュノア社の遣いということは早速父に引き取られるみたいですね。

 クッキーを焼けるオーブンはあるでしょうか。沢山本があればいいのですが。

 

 

「……お姉ちゃんって時々呑気になるよね」

 

 

 なんだかバカにされたような気がしたのですが気のせいでしょう。

 

 いえ、シャルの懸念していることはある程度予想はつきますが、正直に言ってなるようになるしかないと思うんですよ。私は某カリスマ☆吸血鬼でも背中に鬼の貌を持つ訳でも無いんですから。

 私には某スキマパワーがありますが……そうですね。もっと扱えるようにならなければ。

 

 今まではワープ装置としてしか使っていませんでしたが、ちゃんと用いればそれらにも劣らぬ実力を発揮できるはずなのです。

 なのにそれが使えないのは、偏に私自身の問題なのでしょう。先の事件もこれをもっと上手く扱えていれば……。

 ……いえ、やめましょう。能力を過信して無茶をするとまたシャルが怒りそうです。

 あの般若のスタンドを見るのは懲り懲りですよ本当。

 

 

「寝起きのシャルはもっと呑気で可愛いわよ?」

 

「……朝に弱いからってアレするのは本当にやめて」

 

「アレって何かしら?」

 

「あの……耳元でさ、ボソボソッてするやつ」

 

「んー? 抽象的過ぎて分からないわぁ」

 

「ぐっ、この姉……」

 

 

 休みの日だからって12時過ぎても起きてこないシャルが悪いのです。休みの日に余り寝過ぎるといつも次の日寝坊するんですから、仕方なく起こしてあげてるんですよ。

 ただちょっとバイノーラル動画の真似をして耳元で囁く遊びをしていただけです。

 悪びれずにニヤリと笑うとシャルは軽く引き攣りながらも影のある表情はだいぶ取れていました。

 

 コロコロと進む車椅子に凭れていると、よくお世話になった美人な看護師さんとすれ違い、笑顔で挨拶を交わしました。

 あの方とも多く話をして、すっかり仲良しになってしまいました。完治した暁には真っ先に果報を報告したい人です。

 

 

「お姉ちゃんの車椅子も載せてもらうようにお願いしなきゃ」

 

「車椅子も載せるとなるとすこし窮屈になりそうね」

 

 

 車椅子の介護経験のある人なら分かると思いますが、折り畳んだ車椅子は見た目以上に軽く持ち運ぶこと自体はそう難しくはありません。しかし小さくしても二人分近いスペースを占領する車椅子は、そこらの軽自動車では収納するだけで手一杯になってしまうこともしばしば。

 私がいらぬ心配をしていると、シャルはきょとんと首を傾げて、徐にエレベーターのボタンを押しました。

 

 

「大丈夫だと思うよ? デュノア社の迎えの人何人もいるし、載せられる車もあると思う」

 

「あらそうなの……まるでどこぞの富豪のお嬢様ね」

 

「実際そうみたいだけど……それにさ、お姉ちゃんリムジンだよリムジン。凄くない?」

 

「リムジン……? リムジンバスじゃなくて?」

 

「モノホンのリムジン」

 

 

 そう言いながらエレベーターで一回まで降りて、病院を後にします。

 そして正面の自動ドアを抜けると確かにありました。

 黒々とした近寄り難い高級感を醸し出す一台の車。設計間違えてないかと突っ込みたくなるような不自然な長さで重厚に輝くリムジンモデル。

 周りの邪魔になりそうで、しかし文句を言い出せない権力を匂わせる重圧がそこにはありました。

 

 

「……うわあ」

 

 

 テッテレー♪

 

 そんなコミカルな効果音が鳴っていればもう少し愉快だったのかもしれません。

 

 アレが私達の出迎えなのだと理解して、思わず目を背けてしまいました。だってリムジンですよ? 世界が違いすぎます。

 『原作知識』からシャルがどのような立場なのか知ってはいましたが、実際に体験するとその凄さが分かりますね。今最もホットな産業の最大手企業の社長とはこれほどのものか。

 

 あのチョロイン代表格の名門セシリア・オルコットにも劣らぬ、公的な身分の高さでは一番、二番を争うヒロインなのですから不思議と言うほどでもないのでしょうか。

 下手をすると転生した時より異世界感を感じるくらいです。

 

 私が唖然としていると、リムジンの方から一人の女の方が歩いてきていました。白銀の髪の人、ディアナさんです。

 元々素材が良いと思っていましたが、こうしてスーツを着て微笑まれるとモデルさんみたいです。

 

 

「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

 

「あ、はい。お待たせしました……」

 

 

 軽く手の平で指し示しながら礼をするディアナさんにしどろもどろに返事をしながら、シャルに押されるまま車椅子が進んでいきます。先にシャルがリムジンの中に入って、続く私はディアナさんの手を取り、慎重に立ち上がりました。

 

 

「お久しぶりです。ヴィオレット様」

 

「久しぶりですが、そんなに日が経った気がしませんね」

 

 

 そう言って笑いながら、車椅子を収納してリムジンのトランクに乗せていく黒服の人達を見やりました。やっぱりこのリムジン大きすぎです。

 別に骨折しているわけでもないので一人でリムジンに入ろうとしたら、ディアナさんともう一人の方が私を割れ物のようにそっと抱えてリムジンの席に座らせてくれました。

 「あ、ありがとうございます」と伝えると、ディアナさんは端正な顔を綻ばせて「ごゆっくりお過ごしください」と言いい厚みのあるドアを閉めました。

外界と遮断されたリムジンの中で、シャルと中の景色を交互に見比べました。

 

 

「広い……」

 

 

 思わず口に出てしまうくらいリムジンの中は広々としていて、くの字に繋がった本革のソファーの側面に座り、呆然と眺めていました。

 いっそ清々しいほどリッチな高級感に溢れた内装。基本的なファッションは変わらず、しかし前より明らかに素材の質が良くなった服を着こなすシャルがとても良く映えますね。

 元々来賓用のリムジンなのでしょう、反対側にはボトルとワイングラスがいくつも置いてあります。

 

 

「なんだか落ち着かないわ」

 

「だよねー、慣れるしかないよ」

 

 

 アハハと困ったように苦笑するシャルは、言葉とは裏腹に随分と落ち着いていました。私の隣に寄り添うように座ったシャルは、私の伸びた髪に手を入れて弄んでいます。

 

 

「♪」

 

「……?」

 

 

 何だかいつもより上機嫌ですね。リムジンの中がそんなに居心地良かったのでしょうか?

 内心戸惑いながら過ごしていると、助手席のドアが開いてディアナさんが入りました。

 

 

「随分と厚い待遇ですね」

 

「社長の御息女様方ですから。失礼な真似は出来ません」

 

「そういうものですか」

 

 

 何事によらず過度は良くないと言いますが、このむず痒い感覚も慣れていかないといけないのでしょうね。

 走り始めたリムジンの中、透ける車内カーテン越しに都会の景色を眺めます。こんなに車が行き交う都市を見たのはいつぶりでしょうか。

 随分と長い間、田舎の空気に癒されていたのだと知りました。

 

 

 

 

 

 フランスの首都パリ。西部近郊再開発地区ラ・デファンス。

 

 パリの歴史軸と呼ばれるシンボルから続く一本の凱旋道、その延長線上にある新凱旋門(グランダルシュ)から見える超高層ビル街です。

 

 所謂金融街で、9ヶ年計画によって真新しいビルが立ち並ぶ商業都市は今世にあっても壮観な眺めです。遠くに見える□の形をした新凱旋門は初めて見る人に凄まじいインパクトを与えてくれます。

 しかしやはり景観にうるさいフランスの都市だけあって、ビル群の絶妙なバランスによって成り立つ近未来的な景色は日本の効率主義的な都市計画とは一線を画していますね。

 

 ご説明をしますと、パリでは景観を第一に考えるため、電線などのライフラインが全て地下に埋設されています。日本の電柱を見て不満を言う外国人のアレです。

 そんなパリ市民がこのような無骨な超高層ビルが首都を占拠するのを許すはずがなく、ラデファンスが開発されたのは経済上必要な建物を詰め込むためでもあるのです。

 しかしそれでも世界中学校で美術5をとるフランスくんは、経済のためだけの都市すらも綺麗に設計してしまうのです。そのあたりは日本の職人芸に通じるものがあると思います。

 

 そして、そんなラデファンスの中でも一等大きな高層ビル。さぞ名のある建築家が設計したのだろうシンプルかつ優美な姿の前にリムジンは止まりました。

 

 

「ここが……」

 

「デュノア本社……」

 

 

 デカイ。それに尽きます。

 こんな巨大なビルを一つの企業が独占しているなんてとんでもないことです。やはりスケールが違いますね。

 

 肩を借りながら少ない階段を登り、車椅子を押してもらいながら中に入ります。

 受付の方にニッコリと微笑まれました。

 

 

「おはようございます」

 

「お、おはようございます」

 

「来賓のヴィオレット・デュノア様、シャルロット・デュノア様です」

 

「はい、確認致しました。社長が最上階にてお待ちです」

 

 

 そんなやりとりの後にエレベーターへ。ディアナさんはカードをかざして最上階のボタンを押しました。

 みるみる回数が上がっていき、最上階の高さまで上がりエレベーターが開きました。

 

 ディアナさんは正面の扉を複数回叩いて「失礼します」と言いました。その直後に低い男の声で「入れ」と返事が返ってきました。

 

 

 ディアナさんはドアを開けて、そっと掌で指し示しました。ここからは私達で行けということでしょうか。

 私達は思わず顔を見合わせました。

 

 

「……お姉ちゃん」

 

「──いきましょう」

 

 

 車椅子を押すシャルが慎重に一歩を踏み出しました。

 

 中は焦茶色の落ち着いた色合いと、ガラス張りの一面が綺麗な部屋でした。棚には手入れされたトロフィーや表彰盾が置かれ、そこがこのビルでも特に位の高い場所なのだと分かります。

 

 ……そして。

 

 

「来たか……」

 

 

 その部屋の視界の真ん中に、大きなデスクを挟んで一人の男が対座していました。

 ほぼ黒に近い茶髪の髪を短く切り、彫りの深い顔立ち。

 

 

「貴方が……」

 

「……お父様」

 

 

 私達に血を分けた父が、そこにいました。

 

 

 

 




昨今の車椅子ってほぼ折り畳み式だと思うんです。

リムジン……イメージはドイツのメルセデスのやつ。高級感と近未来感が合わさり最強に見える。

ラデファンス……普仏戦争の一幕から名前が付いたそうな。

新凱旋門(グランダルシュ)……画像を検索してみよう。とっても奇妙なオブジェがあるじゃろ?それ実はちゃんとした高層ビルなんやで……。

アルベール・デュノア……容姿は捏造。一般的なフランス人の中年イケメンを意識。
原作読んでもアルベール様の容姿がまったく分からんのだけど誰か知ってたら教えてくださいお願いします(´;ω;`)ブワッ


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11.葛藤と愛憎の話

遅くなりましたm(_ _)m

納得いく落とし所を考えようかなと雑なプロットを書いたはいいものの、明らかに完結させるには長くて頭抱えてます。
いやでもこれなら書いてて楽しそうなんだよなぁ……。



あ、プロットとテロップって似てません?



 ご機嫌よう、皆さま。

 父の姿を初めて見たヴィオレットです。

 

 私が父について知ることは多くないとは明言したかと思います。シャルをIS学園に送り込んだ張本人。表向きは利用のために、裏ではどこぞとも知れぬ輩のシャルの暗殺を阻止するために。

 

 私達と対峙した父に対する気持ちは、悪いとは言いませんが良くもありません。

 母が語る愛の割にシャルロットに対する姿勢は淡白かつ消極的で、どっち付かずのような対応をする人物。

 私はこの男をどう評価するべきか、答えを見つけられてはいませんでした。

 

 しかし仮にも血の繋がった家族に対して、実際にあのような淡白な対応を取られると、どうにも好意というものなどとは正反対な感情ばかりが浮かんでしまいます。

 

 

「あのワーカーホリックめ……」

 

「お姉ちゃん、いい加減機嫌直して?」

 

「だって……」

 

 

 目尻を下げて困ったように苦笑するシャルの言葉に得も言えぬ不満を抱えながら声にならない唸り声を噛み締めました。

 父アルベールは自身の名を名乗るだけ名乗った後、

 

 

『お前達にもデュノア社の仕事に携わってもらう。詳しい話は部下に任せるが、そのつもりでいろ』

 

『はい?』

 

『ダヴィドフ、下がらせてくれ』

 

 

 とだけ言って有無を言わせず社長室から追い出してくれやがりました。私達は新人社員か何かなんですか?

 感動の再会?そんなものありませんよ。

 家族?何それ美味しいの?と言わんばかりの事務的対応でした。

 

 あの自称父親め……今度会ったら机上にあったコーヒーの中身を能力で全部マーマイト味に変えてやろうか。

 

 無駄に長い玄関までの通りを車椅子で押されながら、時折宥めるように頭上から降りてくるシャルの手の感触で気を紛らわせました。

 

 

「予想はしてたけどやっぱり大きいねー……」

 

 

 シャルの声に沈んでいた顔を上げて眼前の光景を見やります。豪邸と言って差し支えない規模の住まいが良く手入れされた芝生と共に広がっていました。

 私達は父との"対談(面接)"を終えて、ディアナさんとはまた別の部下らしい人に送られてデュノア本宅へ来ていました。

 

 ラデファンスから17区を経由した、ブローニュの森と呼ばれる大きな森林公園を挟んだ先にあるパリ16区。先ほどのビルシティとは打って変わって清涼な空気が流れてるここは、フランスでも大変有名な高級住宅街です。

 

 一度は住んでみたいと思っていたこの地区が私達の住まいになるのですから、人生分からないものですね。

 

 

「玄関にスロープは……流石にないか。お姉ちゃん大丈夫?」

 

「肩だけ借りていいかしら?」

 

「もちろん」

 

 

 シャルに身を預けさせてもらいながら立ち上がってゆっくり歩きます。

 扉を抜けて玄関ホールを進み、広々としたリビングに出ました。

 

 

「凄い……! こんなとこに住むんだ……」

 

 

 感嘆の声を上げるシャルに同調するように、ほうとため息を吐きました。

 現代のモノにしては古典的な、『豪邸』のイメージ通りの作り。作りの良いアンティーク調の家具と近代的な家具や電化製品が見事に調和しています。

 

 余裕のある設計と土地の広さを考えれば、一つの家族の空間を収めて余りあるほどに広い家なのでしょう。

 椅子一つとっても高価な品に見えて、つい使うのを躊躇ってしまいそうですね。

 

 ダイニングには雇われと思しき女の人が何やら料理をしていました。コトコトと煮込まれた鍋からはとても良い匂いが漂ってきます。

 

 

「ん? あっ! おおお嬢様ご機嫌麗しゅうっ!」

 

 

 私達を見た女の人は相当驚いたのか物凄く焦りながら対応してきました。

 

 

「……えっと、初めまして」

 

「そそうですよね初めましてですよね初めてですもんね! わ、私グニーっていいます調理師です宜しくお願いしますっっ!!」

 

「お、落ち着いて?」

 

 

 異様に焦ってる人と相対するとこっちも何となく焦りが出てしまうことってありますよね。

 かといって隣が焦ると却って冷静になることもある、心というものは本当に不思議です。

 

 

「グニーさん、深呼吸してー」

 

「は、はひ!──すぅー、はぁー」

 

「……ひっひっh「言わせないよ」

 

 

 さりげなくラマーズ呼吸に変えさせようとしたら止められました。悲しい。

 それにしても、家の中にも雇い人がいるんですね。

 

 

「私はシャルロット・デュノアです。こっちは姉のヴィオレットです」

 

「お邪魔をしてしまい申し訳ありません」

 

 

 自己紹介とお詫びをして、そそくさと退散します。この家にはこの家のルールのようなものがあるかもしれませんね。後で確認してみましょう。

 他の部屋にも僅かに人の気配がしますし、雇われている人は一人ではなさそうです。

 

 

「メイドかぁ」

 

 

 それにしても、今時召使いなんて時代遅れも甚だしいと思っていたのですが、実は日本だけの話だったのでしょうか?

 

 たしかにセレブの住まうドバイなどでは月に日本円12万程度で給仕が雇われていると聞きます。

 あそこは実質異世界なのでカウントしませんが、ヨーロッパの主要な都市でも未だに隷属的な職業が残っているとは驚きです。

 

 と思いましたがそういえばここ異世界でした。

 現代によく似ているだけなので別に驚くことでもないのかも。

 

 2階はいくつもの部屋に分かれていました。書斎や寝室、談話室。どれも前の家とは比べものになりません。

 寝室は壁掛けに『Charlotte Dunois』と『Violette Dunois』がそれぞれ書かれた部屋がありました。

 

 シャルは私を私の方の寝室のベッドに連れていき、そっと寝かせました。私もそれに逆らわず枕に頭を乗せます。

 

 そんなに気を遣わなくてもいいんですが。シャルの気持ちも分かるのでここは甘んじて休みましょう。

 

 

「じゃあお姉ちゃん。後は休んでいてね」

 

「はーい」

 

 

 扉を開けたシャルにひらひらと手を振りました。やがて閉まり、一人になるとその手を降ろして、なんとなく自分の目の前に掲げてまじまじと見つめました。

 

 

「……」スッ

 

 

 指をずらすと空間が破れてスキマが現れました。

 相変わらず不気味な闇と何かの目が覗いています。

 

 念じると広がり、またチャックを締めるように消えました。

 

 

「……はぁー」

 

 

 便利な力です。ただこうやって空間を開き、どこかの……例えば日本の裏路地にでも繋ぐだけで簡単に移動してしまえます。

 

 しかし私は小物の移動のみに留めて、全く研鑽を積まなかった。その結果がアレです。

 故にこれからはこの能力の力を引き出すことを目標にしていきましょう。

 ゆくゆくはISなど生身で十分あしらえるほどに。

 

 同時に、『境界』の概念について今一度考えていかなければなりませんね。

 

 というか、この能力があればやりたいことが沢山できるのでは?

 例えば日本に無料で旅行に行けたり、美味しいレストランに五歩で行けたり。

 周りの目さえ何とかして仕舞えば、結構やりたい放題できます。

 

 

「……それ、いいかも」

 

 

 人に(あらざ)る力なら、それに相応しい使い方があるというもの。そう割り切ってしまうのもいいかもしれませんね。

 

 今はまだ遠距離へワープするのも一苦労ですが、仮にも大妖怪の力です。強くなければ能力にも失礼でしょう。

 少しワクワクしてきました。自由に動けるようになったら、色々と練習してみましょう。

 

 頬が緩むのを自覚しながら、力を抜いて目を閉じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人の室内に男のため息が小さく漏れた。

 

 産まれた時以来一度も(まみ)えなかった娘の再会に男は組んだ手を額に当てて歯切りする。

 

 彼女を思い起こさせる金色の髪とアメジストの瞳を受け継いだ二人の娘との再会。

 今まで出会おうともしなかった娘達の、浮かべる表情の一つ一つに彼女の影がチラついた。

 

 

「……どうしたものか」

 

 

 男は誰にともなく呟いた。手を揉み込んで虚空を鋭く見つめ、まるで仇でもあるかのように硬い表情を浮かべた。

 

 何にせよ、遠ざける手段はもう使えない。

 あれだけ繋がりを絶ってなお二人は襲われたのだ。下手に目を離すほうが危険だ。

 

 車椅子に座る娘の様子が男の肩に重くのしかかる。

 

 失敗は元より許されない。己の会社を利用してでも守るべきものの為に、男は一度ネクタイの結び目を締めた。

 

 

────コンコンコン。

 

「入れ」

 

 

 三度のノックの後、ディアナが入室した。彼女は子供二人に見せていた人の良さそうな笑顔はまるで無く、鉄面のような硬い表情を浮かべていた。

 

 

「社長宅の方に連れさせました」

 

「ご苦労」

 

「……あれは不味いでしょう、社長」

 

 

 ディアナはため息を吐いた。アルベールは特に相槌を打たず、少しばかり目を伏せた。

 

 

「言うべき言葉が見つからないんだ」

 

「だから突き放すと?」

 

「そのつもりは無かったのだが」

 

「思いっきり冷たくしてたじゃないですか」

 

「…………」

 

 

 この男は、と内心で愚痴るディアナは、しかしと付けて話を続けた。

 

 

「結局、どうなさるおつもりで?」

 

「……ISを持たせる。身を守る術をなるべく早く身につけさせろ」

 

「テストパイロットにでもさせるつもりですか?」

 

「そうだ」

 

 

 ディアナは、この男は自分の子供に武器を持たせるのか、と思ったが、その言葉は内心に留める。

 伊達にこの社長と長く付き合っていない。この男がある程度の倫理を弁えているのは分かっていた。

 

 つまり、持たせたいのではなく、持たせなければならないのだろう。

 それほど深刻になってきているのだと、ディアナはまたため息を吐いた。

 

 

「……ちょっとはあの子達のことも考えてくださいよ」

 

「……善処しよう」

 

「はあ……トレーニングルームに行ってきます」

 

 

 己の雇い主の様子を見るに、親子の溝はまだまだ埋まらなさそうだ。

 ディアナは退出しながら、デュノアの娘達を不憫に思った。

 

 

 

 

 

 

 

「………………っ」

 

 

 じとっと張り付く不快感で目が覚めました。

 

 眠っている間に汗をかいてしまい、二度寝も出来なさそうなので起き上がります。

 今は9月始め。夏の終わり間際といったところですが、日本ほどではないとはいえ此方も気温が高い日は涼しさが欲しくなりますね。

 

 しかし、夢、を見たのでしょうか?

 何か朧げなイメージだけが残り、とてももどかしい。

 

 夢を見ていたのはわかるのにそれが何だったか分からない。よくあることとはいえ、余り良い気分はしませんね。

 

 ベットから抜け出して立ち上がります。

 別に足を怪我したから車椅子を使っている訳でもないので、少しくらい良いでしょう。

 

 クローゼットを開けると、何着もの服がズラリと並んでいました。

 一式に纏められたのもあり、それぞれはっきりとテーマが目に見えて分かります。うむ、良いセンスです。

 その中から僅かに透ける薄い外套を取り出して羽織りました。

 

 カーテンを開けると日が真上にありました。

 お昼のご飯を食べなければ。病院食から解放されたことですし、シャルと美味しいものを食べに行きましょう。

 

 一応体の調子に気をつけながらゆっくりと外へ向かいました。

 

 

 

 

 

 バシッ────

 

 

 

 

 

「……今のは?」

 

 

 何かを叩くような甲高い音が響いて、ついでどっと重いものが落ちる音が耳に届きました。

 

 今の音は一体?

 その後に聞こえてくる悲鳴の羅列が、その正体を仄めかしました。

 

 

「──の……泥棒猫の娘が!!」

 

「っ」

 

 

 背中を刺すような冷たい声。くぐもった悲鳴は分かりにくいですが、あれはシャルの声です。

 私は居ても立っても居られずに歩く足を早めました。

 何事かは分かりませんが、兎に角シャルが危ないのは分かります。

 

 

「シャル!?」

 

 

 一階に降りると、カーペットに座り込んで顔を覆うシャルと見知らぬ女性が鬼のような形相でシャルを睨んでいました。

 私はシャルを庇いながら、乱入してきた私を訝しげに見据える女を見返しました。

 

 

「貴女、誰ですか?」

 

「家主の夫人にむかって誰とは随分な挨拶ね」

 

 

 女の人はそう宣うと一層憎々しげに私達を見下げて、吐き捨てるように言いました。

 流行り物じゃないほうの正当な?悪役のような、鋭い眼光が特徴的な女の人です。

 

 

「なら、貴女が私達のお義母様ですか?」

 

「義母? 虫酸が走るわ。あの女の面影がある娘なんて嫌よ」

 

 

 ……随分な言いようですね。仮にもこっちは子供なんですよ?

 人並み程度の前世と今世を合わせ持つ私は兎も角、シャルはまだ13の子供だというのにこの仕打ちですか。

 

 

「……そう言われても、困ります」

 

「ええそうよね? あの女の娘なんて引き取りたくもないけど……あの人の願いだから仕方なく置いていてあげる。──目障りだから姿を見せないで頂戴」

 

「えっ」

 

 

 それだけ言うと背を向けて、玄関のドアを開いて歩き去っていきます。

 私はといえば怒涛の展開とあんまりな言い様に目を見張って固まることしか出来ませんでした。

 

 

「…………」

 

「あの、お姉ちゃん……」

 

 

 

 

 

「……こ──…………」

 

 

「……こ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この毒親共はああああ!!!」

 

 

 

 

 

 大の大人が言うことがそれ!?

 どいつもこいつも巫山戯んじゃないわよ!!

 

 何ですか?なんなんですか?ここの成人はネグレクトでも流行ってるんですか?

 

 流石に頭に来ましたよ。あの外見だけでかくなったバカ共を今一度躾けてやりますとも。

 まだまだ未熟ですが人並み程度の動きしかできない女など能力でどうにでも料理してやれます。

 

 さあその首晒してあげますからちょっとこっち来なさい。

 

 

「お、お姉ちゃん落ち着いて……」

 

「どきなさいシャル! あのよく回るだけの舌、私自ら裁ち切ってやるわ!!」

 

「ちょ、能力はダメだから!! ストップ! ストップお姉ちゃん!」

 

 

 顕現させたスキマを振り回しながら怒気を発する私とそれを必死に止めるシャル。

 後で知ったのですが、一部始終を隠れて見ていたらしいメイドさん達を大層恐がらせてしまったようで、後の私達二人の第一印象を決定付けたそうです。

 

 その後暫くの間、私を見てやたらビクビクするメイドさんに苦笑いを浮かべる日々が続くのでした。

 

 

 




アルベール・デュノア……原作で親心あってあれなら割と困ったちゃんだと思う。

デュノア夫人……IS世界の大人(特に女性陣)は大体ヤベーのが多い気がせんでもない。仙狐さんを見習ってください。

パリ16区……高級住宅街もだけど、各国の大使館やワインの博物館あるオシャレな観光地でもあるので是非一度行ってみてくださいな。


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12.外食と適性の話

期待されたら書きたくなる性分なのよね(´つヮ⊂)




「お姉ちゃんってさ、割と抜けてるよね」

 

「うっ」

 

 

 ご機嫌よう、皆さま

 無理が祟って数日寝込んだヴィオレットです。

 

 先日の親との初対面の後、体調も気にせず怒り狂った所為で熱が篭ってしまいまして、数日寝たきりになってしまいました。

 シャルには本当に心配をかけています。

 

 思えばあの女性の性格は『原作』でも変わらずでしたね。あの人が義母になるのですから、こちらとしては面倒なこと請け合いです。

 

 こんな家庭に晒されていたのなら、『原作』シャルが家族をまるで信用しなくなるのも仕方ありません。

 私達の母は妾と言われてはいますが、一般世間的にぶっちゃけると浮気相手です。正妻の義母が母を憎むのも頷けはします。

 

 しかし、親の罪を子に着せるのは何処の世界でもやってはいけないことの一つだと、そう思うのです。

 人は生まれる場所を選べません。長い経験を積んだ大人こそそれを自覚するものだと思うのですが、新しい家族はその辺りの理解には疎いようです。

 

 まあ人を変えるのは一朝一夕で出来るものじゃないですし、それまではハリネズミの如く距離感を抑えていくしかありませんね。

 

 

「ブルゴーニュ産シャロレー牛ステックシャトーブリアン、ブルーベリーソース和えです」

 

「わあ……」

 

「美味しそう……」

 

 

 絢爛なシャンデリアの下、テーブルクロスに載せられたメイン料理が置かれます。室内の光に照らされて輝く肉に二人で感嘆の声を漏らしました。

 

 色々な手続きも終わりまして、私達は漸く念願の外食ランチを堪能しています。

 ランチなので量は控えめなようですが、それでも一流のシェフが手掛けた料理は大変美味しくて頬が緩んでしまいそうです。

 

 

 こちらはフランス原産の牛、シャロレー牛のステーキです。日本でいう黒毛和牛の立ち位置にいる牛なのですが、シャロレー牛は和牛と違い白い牛なのです。

 厳選されたシャロレー牛でも一等高級なシャトーブリアンともなれば、それはもう頬っぺたが落ちるほど美味しいはずです。

 

 はしたなく喉が鳴るのを抑えながら、一口に切り分けた肉を慎重に口に運びました。

 では頂きます……。

 

 

「…………ふぁあ」

 

 

 一口咀嚼した瞬間に、濃厚な味わいが香りと共にやって来ました。甘いとすら表現できる脂と赤みが絡まったフィレが実に良く、味付けも素晴らしくマッチしています。

 

 最早言葉もありません。本物の高級料理とはここまで美味しいものなのですか。

 

 

「……すごいね」

 

「ええ、本当」

 

 

 二人で頷きあって、その後はもう一言も発さずに料理を堪能していました。

 抑えきれなくなった頬を緩ませながら。

 

 料理は人を幸せにするのだと改めて思いました。

 

 

 

 

 

 

 その後、いくつか買いたいものを購入して帰路に戻りました。

 買いたいものとは、マドレーヌ型フレームや専用メジャースプーンに専用シリコンマット……はい、製菓器具です。

 

 やはりお菓子とカフェオレは生活必需品だと私は思うのですよ。お菓子作りはそれだけでストレス解消にもなりますし。

 カフェオレ用のものは家にもあるみたいなので、製菓材料と器具だけ買って帰ろうというのです。

 

 メイドさん達にキッチンの使用許可は頂いているので、思う存分腕を振る舞うことが出来ます。

 

 彼女らの怯えた目線が兎に角居心地が悪いので……。

 

 ぷるぷる、ボク悪い娘じゃないよ!と伝えるためにも甘味で餌付けは必須なのですよ。

 何作りましょうかねえ、あんまり大きいものだと業務に差し障りがあるかもしれませんし……マカロン・パリジャン辺りが無難でしょうか。

 色も付けられて女性受けしますし。

 

 皆さんはどんなお菓子を食べます?

 やはり量産もののポテトチップスや煎餅、ビスケットの類でしょうか。

 

 大量生産大量消費の現代では多少の妥協は仕方ないのかも知れませんが、お菓子好きとしてはやはり職人手作りのお菓子を口にしたいのです。

 

 お菓子は太るとはいいますが、そもそもお菓子は決まった間隔を取って少々嗜むもの。腹が膨れるまで食べる人は間食か何かと勘違いしているような気がします。

 それも現代スタイルと言うかも知れませんが。痩せたいなら妥協無く運動をすれば良いですしね。

 

 大体5キロメートルをキロ5分くらいで走ってればいいと思います。男性はもう少し早い方がいいのでしょうか?

 

 

「あ、あの。お菓子作れるんですね」

 

「ええ、私の特技なんです」

 

 

 舗装された道をカラカラと車椅子で進みます。

 個人的にはもう車椅子要らないんじゃないかと思うのですが、冒頭でもあるようにまだまだ本調子には程遠いので、外を出歩くときはメイドさんに付き合って貰い車椅子に乗っています。そうしないとシャルが怒るんですよ。

 

 ただ病院の車椅子は返却して、デュノア社の電動車椅子を使っています。

それなら付き添い要らないじゃんと思いましたが、電動で動くとはいえ所詮車輪の付いた椅子、ちょっとした窪みにハマるだけで動けなくなるので……。

 

 

「お姉ちゃんの作るお菓子はとっても美味しいんだ」

 

「せっかくだし、メイドの皆さんにも振る舞いましょうか」

 

「そんな、恐れ多いですよ」

 

 

 上擦った声が上から聞こえて来ます。

 遠慮など要らないというのに。なんなら食べてもらった方が有難いんですよね。

 

 

「じゃあ、私の練習用に作るお菓子の処理という名目で」

 

 

 お菓子作りは勿論最初から上手くできるわけではありません。普通の料理よりも精密な腕が必要ですし、素材もデリケートなものばかり。そうなると当然失敗することもあるわけです。

 

 私は流石にもう慣れた菓子では間違えませんが、最初の頃は出来上がった大量の失敗作をどうするか悩んだものです。

 その時は結局半分は捨てて、どうにか食べられそうなところを昼のおやつにしていました。

 シャルは時折横から食べていましたが、本人の心境は兎も角、私にとっては有り難かったですね。

 

 

 

 

 デュノア家の方は相変わらず大きく、植えられた木々で目立ちにくくなっているとはいえ遠い距離でも分かります。

 あれだけ大きいと維持費だけでもバカになりませんね。

 世の中にはたったワンルームをゴミ屋敷に変える人もいますが、たとえ掃除好きな人でもあれを綺麗に保ち続けるのは骨が折れることでしょう。

 

 門前までくると柵状の前に何やら黒々としたシルエットが止まっていました。

 数日前にも見た縦長リムジンです。

 

 ────あら、あの影は。

 

 

「お疲れ様です。お嬢様」

 

「ディアナさん!」

 

 

 相変わらず綺麗な銀髪をストレートに垂らして、ディアナさんは流麗に労ってくれました。

 数日振りとはいえまた会えて嬉しい反面、デュノア社の社員である彼女が来る用事が少し怖くもあります。

 

 

「どのような用事で?」

 

「申し訳ありません、お二方に……」

 

「まあそんな気はしてた……」

 

 

 げんなりしたシャルと言葉通り申し訳なさそうに頭を下げるディアナさんに苦笑いを返すしかありません。

 デュノア社とは言いますが、別にデュノア家の私兵というわけではありませんし、そう小間使いのように私事に回せるとは思えませんから、恐らく仕事として来たのでしょう。

 

 お互いの身の上を笑い合い、咳払いと共に話が戻されました。

 

 

「シャルロット・デュノア様、及びヴィオレット・デュノア様。アルベール様がお呼びです。御足労願います」

 

 

 

 

 

 

「……私達をテストパイロットに?」

 

 

 ところ変わり、現在デュノア社の地下の通路を進んでいます。壁そのものが蛍光パネルのように光り、一切の影を写さない不思議な空間です。

 デュノア社の地下にこのような場所があったとは。ただでさえインフラの尽くを地下に埋めているのに……。

 

 

「はい。社長はお二人の潜在的な才能を感じたのだとか」

 

「どこからそう感じたんだろう?」

 

「所謂シックスセンスというヤツでしょう」

 

(流石に理由付けが強引すぎませんか……?)

 

 

 そんな話をしながら進んでいくと袋小路のような場所に出ました。白い壁が上下複雑にスライドして、ひどく開放的な空間が顔を出しました。

 中心を貫く一本の柱。それを囲うように円状の全窓が張られ、何十にも渡る階層に白い服を着た研究員がそれぞれの業務に従事しています。

 

 例えるならばSFに出てくる最先端の研究室。

 ハリウッド映画もかくやの巨大地下施設に惚けた声が漏れました。

 

 

「うわぁ〜」

 

「これは……」

 

「ようこそ。デュノア社の秘密の地下研究施設『ラグランジュ』へ」

 

 

 地上施設の地盤を支えているのだろう天を貫く巨大な柱に大きな文字で『La:grange』と銘打たれています。

 ラグランジュはフランスの著名な天文学者の名前からとったそうです。ラグランジュポイントは知ってましたが、アレはその方の功績だそうな。

 そんな偉人の名を取った施設は、見ただけで膨大な資金を費やしたのだと理解できました。

 

 

「──これ全部ISのためだけにあるの?」

 

「はい」

 

 

 ディアナさんは然りと頷きました。

 ISのためだけに、ですか。聞けば、地上のビルはISに関する営業や経理。こちらは最先端の技術を実験、研究する場所だそうです。

 ここに連れてきたということは則ち、そういうことなんでしょうか?

 

 

「……私達が実験対象とか言いませんよね?」

 

 

 一応、恐る恐る聞いた私に対して、ディアナさんは可笑しそうに笑いました。

 

 この世にISが生まれた直後の黎明期ではそういうことも往々にしてあったらしいですが、現在では厳しく規制されているのだとか。

 国連の擁するIS委員会が『ISは女性しか乗れない』と早々に結論付けたのはそんな背景もあるのだそう。

 

 

「それに、デュノア社の社訓にも反しますから」

 

 

 だから心配しなくても良いと言って励ますように笑いかけました。

 

 だったら、良いのですが。

 やがて一つの部屋に入りました。そこにはいくつかのケーブルで繋がれたISの外殻が鎮座していて、ISには丁度一人分のスペースが空いていました。

 

 

「"初期化(フォーマット)"を施したISです。貴女方にはこのISに搭乗して頂きます」

 

 

 ケーブルは乱雑に撒かれていて、急ごしらえ感が滲み出ていますね。私達の為にジェバンニが一晩でやってくれたんでしょうか。

 

 

「お姉ちゃん、あれ多分ラファールだよ。装甲とか色々外れてるけど」

 

「ほんと? 全くそうは見えないわ。というか待機状態ってもっと小さいんじゃないの?」

 

「あれは個人に合わせて形を変えてるんだ。初期化段階だと外殻が拡張領域に仕舞われてない状態で倉庫に置かれてることも多いんだって」

 

 

 シャルがこっそりと、ISのうんちくを教えてくれました。

 ISといえばペンとかロケットとかイヤリングとか、そう言った小物にも入るホイポイカプセルみたいなところがありますよね。

 具現化しなくても調整改造できるSF感全振りの代物だと思ってましたが、意外と現実味のあるものなんですか。

 

 そんなお話をしていた私達を尻目にトントン拍子に進んでいく準備、研究者さん達もいつの間にか増えてきて、ちょっとした人だかりになってました。

 

 

「どっちから乗る?」

 

「お先どうぞ」

 

 

 一つの席に座れるのは一人、となるとどちらかが先に、そしてどちらかが後にならないといけません。二人の膨れ上がった期待に対して、ガラ空きの"王座(イス)"が一つ。

 

 まあ王座は当然シャルのものなんですけどね。

 私は所詮、いないはずの不純物です。しからばシャルを優先する方が良いに決まっています。

 

 どうせ私もやることになりますし。

 

 

「それで、どうすれば?」

 

「触れていただくだけで結構です。ああ、一応離れておいた方がいいですよ」

 

 

 触れるだけでいい、相変わらず謎の機械です。どうやって接触だけで人間か、しかも女性体かを見分けているのかさっぱり見当も付きません。やはりISは近未来を舞台にしてなおオーパーツなのですね。

 

 シャルは少し緊張した面持ちで、静かに一歩進み出ました。そろり、そろりと手を伸ばして、待機状態のISにひたと手を触れました。

 

 キュイン、という軽い音と、閃光か雷光かがシャルを一瞬で飲み込みました。それは直ぐに晴れて、人より一回り大きな影が現れました。

 手足を補強するように覆われた装甲、機械的な手の平。小さな風圧を生み出す翼のような浮遊するスラスター。そして、それらを操る輝くような金色の少女。

 

 

「これがIS……」

 

 

 シャルは感嘆するように呟きました。これで乗るのは二回目になると思うのですが、あの時はそんな余韻に浸る暇は微塵もありませんでしたしね。

 

 

「気分はどう?」

 

「凄いよ……まるで自分自身の手足みたいに動かせるし、目も耳も良くなるんだ」

 

 

 パワーアシストスーツみたいな感じでしょうか。そういえば何百メートルも先の人の姿がくっきり写るくらいには視力も発達するそうですね。

 しかし、自分の手足のように動かせるってそれ結構凄いのでは?ディアナさん以下研究員達の方を向くと、何らかのデバイスを前に一同で固まってました。

 

 

「IS適性……A!?」

 

「こりゃとんでもない逸材だな」

 

 

 これだけ聞くとなんじゃとなるのですが、ISには個人単位で異なる『適性』が存在します。EからSまで大きく分かれているその中でAというのは、モンドグロッソの出場選手に選ばれる候補生に匹敵するレベル。

 

 簡単に言うと最初から大多数のIS搭乗者と適性値でアドバンテージをとれるくらいの数値なんですね。

 うむうむ、軽くチートじみてますね、うちの妹は。

 

 しかも条件は良く分からないものの、ここから更に適性値が上昇する可能性もあります。シャルならこの世界の主人公補正とも言える適性Sに至るかも……。

 

 

「この姿で私を助けてくれたのねぇ」

 

 

 改めてISを纏うシャルの姿は美麗な騎士にも嫋やかなお姫様にも見えて、思わず見惚れてしまいます。

 謙虚に、しかし誇らしげに胸に手を当てる仕草をしてはにかむシャルがかわいいです。

 

 そのまま少しばかり動かして、取りたいデータを取り終わったのか、次は私が乗るように伝えられます。

 

 

「緊張しますね」

 

「肩の力抜いてー、大丈夫だよー」

 

 

 シャルが応援か茶化しか分からない様な掛け声に励まされ、笑い、大きく深呼吸をしました。

 近未来の甲冑ともとれるISは私が袖を通すのを今か今かと待っているようです。

 

 

「…………行きます」

 

 

 伝えられた通りの手順(触るだけ)でISを起動。エンジンとは違う鈴の音のような起動音と共に、鎖を絶った視界が一気に広がっていきました。

 

 

「わっ」

 

 

 何かに繋がる感覚と共に世界が大きく開けるように知覚できるようになっていきます。

 まるでモノクロからカラーになるように、周囲が一層彩る様は呼吸を忘れてしまうよう。

 気付けば私は無機質な装甲を纏い、誰よりも高い視点で皆さんを見下ろしていました。

 

 

「お加減はいかがですかー?」

 

「シャル……とっても凄いわ、これ」

 

 

 恐る恐るというふうに少しだけ浮いて、己が重力の枷から解き放たれたのを実感します。

 例えるなら初めてハンググライダーを体験した時のような、一抹の不安と恐ろしさと、それを遥かに凌ぐ感動に似た感覚です。

 

 

「あんまり動いちゃダメだからね」

 

「駄目?」

 

「ダメ」

 

 

 シャルの過保護発言を頂いたところで、研究員の方々から驚きの声が。

 

 

「こ、こっちも適性A!?」

 

「なんだこの姉妹……」

 

 

 なんと私まで候補生クラスらしいです。あれ、意外と適性Aって普遍的な数値なのでは?

 研究者達の化物を見るような目が痛いです。

 私は私で無重力の身体の楽さについつい浸っていると、シャルが近くまで寄ってきていました。

 ああ、危ないですよシャル。

 

 ふとディアナさんの方を見てみると、両手を地面につけて項垂れていました。

 

 

「ぬ、抜かれた、初めて乗った娘に適性値を……私だって適性Bなのに……」

 

 

そ、そっとしておきましょう。

 

 

 

 




先週インフルエンザにかかって死にかけました(42度)

皆さま体調にはお気を付けてお過ごし下さいませ。



シャロレー牛……実は輸入産牛は一定の年齢以上の牛の輸入が出来ず、日本で出されるフランス産のシャロレー牛は若年のものな為、味が本場ほど深くないと言われています。

ラグランジュ……宇宙で調べた人は大体知ってるラグランジュポイント。ここを基点に人工衛星がスイングバイしたりしなかったりするよ。因みに某ロボットアニメのコロニーは殆どここにある。


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13.経過と世間話

 この小説を書くとき、決まってアトリエシリーズのほのぼのBGMかお髭様の『月の繭』を聴きながら書いてます。

 それで、インスピレーションが閃くと筆が進みますw


 ご機嫌よう、皆さま。

 

 ゆったりカフェオレを飲むのが好きなヴィオレットです。

 

 名誉挽回の為に使用人の方々に振舞ったマカロン・パリジャンはとても好評だったようで、皆さん華が咲くような笑顔を浮かべていました。

 

 誰かが嬉しそうな笑顔を浮かべる時、その周囲はとても癒されるものです。私にとっては幾万の財宝よりも尊いものを得られて嬉しい限りでした。

 私が作ったものだと知ってからは少し戸惑ったみたいですが、皆さん食べ始めると目の色を変えていきました。私がそれを見兼ねて、

 

 

「また作りましょうか?」

 

 

と訊ねると、

 

 

「是非お願いします!!」

 

 

 と、言ってくれたのでこれからも遠慮なく作っていきましょう。誰もが損しない素晴らしい考えです。

 

 そうそう、先日のIS適性検査で結構凄い数値を叩き出したせいか、私達は揃って代表候補生の審査を受けることになったのです。

 デュノア社の中ではその話でもちきりみたいで、社員達からその話をネタに話しかけられました。予想外ではありますが仲良くなれるきっかけを持てて嬉しかったですね。

 

 

「まあ、そんなとこです」

 

「……そうか」

 

 

 目の前にはガラス張りの窓から外を見下ろす父の姿。外は雨が降っていて、そんなこと知らぬとばかりの車達が水たまりを跳ね上げています。

 車が正面を過ぎるたび、ブォン、と雨風を切り走る音を微かに感じます。

 

 

「それで、私達をテストパイロットにするんですか?」

 

「そうだ。デュノア社専属のテストパイロットにする。これからはISに関する学術を学び、IS学園に入学するんだ」

 

「……分かりました」

 

 

 癪ですが別に拒否する理由もありませんし、素直に頷きます。

 父は外を見たまま仏頂面で続けて話しました。

 

 

「代表候補生の審査は二人とも突破していたが、政府の方からどちらかに絞って欲しいと打診があってな」

 

「それなら、あの子の方がいいと思いますよ」

 

「何故だ?」

 

「あの子の方が、よりISを乗りこなせます。それよりも私は整備開発面で動きたいですね」

 

 

 当然ですが代表候補生になるべきなのはシャルです。代表候補生はあらゆる面で優遇されますし、ある程度国の顔を背負うので、『原作』のような状況でも国や企業に見捨てられにくくなります。

 

 それに単純にシャルのほうがISを使うのが上手いと思いますし。

 

 

「ならばそのように手配してやる」

 

「ありがとうございます」

 

 

 容姿や性格、愛想や愛嬌に運動や器用さなどのあらゆる面でシャルに劣る私ですが、ただ一つ決定的に優っているものがあります。

 それは……今世のやたら優秀な頭脳。

 

 頭が回るとかそう言うのではなく、前世と今世で培った知識と地元の教諭達が叩きつけた挑戦状によって磨かれた教養。

 中学生の年齢にして国際大学試験を無勉強でスルーできそうなこの頭でっかちな頭脳こそ、唯一お姉ちゃんできる要素なのです。

 

 要はテストの成績だけは負けませんよというガリ勉自慢なのですが、そんなちょっと虚しい特技も活かしていなければこの先生きてはいけません。

 

 

「……お父様」

 

「なんだ」

 

「少しは家族に対する顔を見せてくれてもいいと思いますよ?」

 

「…………」

 

 

 そう言っても目を閉じるばかりで何も言ってくれません。

 

 私はこの関係が家族にあるべきとは微塵も思ってはいません。

 だって家族が心を寄せる居場所になれないなんて、そんなの悲しいし悔しいじゃないですか。

 

 

「これは我儘ですか……?」

 

「……いいや違う」

 

「だったら」

 

「すまない……もう少し時間をくれ」

 

 

 父は固く目を瞑るばかりで、今日も答えてはくれませんでした。それから私が退室するまで父は動く事はなく、私も事務的な儀礼以外を話すことができませんでした。

 

 父は何を迷っているのでしょう。私達は父の家族にはなれないのでしょうか……?

 未だ塞がらない家族の境界を見て、私は胸を締め付けられるようでした。

 

 

 

 

 

 

 

「車椅子卒業おめでとうー!」

 

「ありがとう、やっと自由に歩けるわ」

 

 

 漸く医者からのお墨付きを得て車椅子生活が終わりました。立ち上がった時の足の頼りなさといったらありませんが、人はたった二本の脚で歩いていくものですから文句など言えません。

 

 そんな私達はデュノア社に赴き、テストパイロットとしての訓練を受けている真っ最中。

 

 ISのテストパイロットとしての研修はディアナさんが監修してくれました。

 この前のIS適性の件はショックだったみたいですが、直ぐに持ち直して私達と嫌厭なく接してくれるところに生来の人の良さを感じますね。

 ただし訓練試合では適性差など無駄と言わんばかりの猛攻に手も足も出ず完敗。ちょっと大人気ないと思います。

 

 

「私の方が先輩なんだから、お姉ちゃんには負けないからねっ」

 

「油断してるとたった一回の差くらい簡単に覆してしまいますよ?」

 

 

 そんなやりとりをしながら始めたのが最初の研修でした。

 銃の扱い、ISの基本的な動かし方、武装呼び出しのやり方。瞬時加速(イグニッション・ブースト)を初めとした高等技術。それらをディアナさんから教わり、目で見て盗んでいきます。

 明確な目標がいて、同じくらいのライバルがいる。そんな恵まれた環境で、私達は着実に力を身につけていきました。

 

 

 

 それから1ヶ月もの間、ISの修練は恙無く進みました。特にシャルの上達は目覚しく、ディアナさんとの二対一で私がちょっと後押しするだけでそれなりに戦えるようになったのは流石です。

 そして私とシャルが試合をすれば、シャルの遠ざかったり近づいたりする目まぐるしい戦い方に翻弄されて目を回しながら撃墜されてしまいます。きゅう……。

 

 

「うぅ……」

 

「だ、大丈夫?」

 

「ええ、平気……シャルって凄いのねぇ」

 

 

 私って本当に適性Aなのでしょうか?少々どころではないヤラレっぷりに自身のポテンシャルを疑ってしまいます。

 どこに飛んでくるかは分かるんですが、こっちを対処したらあっちをやられ、あっちを対処したらこっちを斬られといった感じ。

 気がつくとISを纏ったシャルにお姫様抱っこをされていました。あらやだときめいちゃう。

 

 

「いやいや、お姉ちゃんも大概だよ?」

 

「そう?」

 

「なんで回避しながら対物ライフル当ててくるかな?」

 

 

 だってマシンガン出そうにもすぐ射程外に逃げるんですもの。

 なら全距離をカバーできる対物ライフルを持ってくるのも仕方ないと思います。思いませんか?

 で、そうすると今度は撹乱機動で近付いてくるんですよこの子。対応が早いのと上達の早いので気を抜くとすぐ置いてかれそうです。

 

 

「なんで撹乱機動をとってる相手に当てられるの」

 

 

 当てないとボコボコにされるからだと思います。

 

 それにしてもシャルのこの戦い方は画期的ですね、全武装をフル回転で使い回すので火力も申し分ないですし。かなり器用さを要求されますが。これが洗練されれば『原作』の砂漠の逃げ水(ミラージュ・デ・デザート)になるのでしょうか。

 どんな距離にいても対応されるのは厄介極まります。

 

 

円状制御飛翔(サークルロンド)で戦うとダメージレースで負けるからね……自由機動戦で負けるわけにはいかないよ」

 

「シャルも大口径を持てばいいのに。これとか精度良くて良いわよ?」

 

「いやいや、それ取り回しが悪すぎて使えないから。機動戦でそんな暴れ馬使えるのお姉ちゃんだけだから」

 

 

 因みに私が使っているのはマクミランTac-A1-R2と呼ばれる対物ライフルを元に口径等をIS用に改修したもので、油圧式の反動軽減装置のおかげで反動も少なく機動戦でもそこそこ対応してくれる長射程高精度高弾速の良い銃です。

 因みにこの銃のバリエーションが、たしか狙撃世界記録を持っていたはずです、実績のある銃なんですね。

 

 

「シャルロット様の戦い方を十全に活かすには切り替え速度の高速化が必要そうですね……いっそ専用機を持ってみますか?」

 

「ええ!? 良いんですか?」

 

「社長に掛け合ってみますよ。多分OK出されると思います」

 

 

 とっても気前の良いディアナさんを尻目に、私は知らず知らずに詰まっていた息を吐き出しました。

 ISは既存の兵器を駆逐するほど防弾防刃に優れる、それは分かっているのですが、シャルに銃口を向けるのはどうにも心が荒立ちます。

 何かの間違いでISのシールドが張られていなかったら……そんな妄想が頭を過るのです。

 衝動的にシャルの首に腕を回して、その心音をしかと感じ取りました。……暖かくて、少しだけ癒されます。

 

 

「……お姉ちゃん?」

 

 

 しかしシャルが折り合いをつけているというのに、姉たる私がなよっていては示しが付きません。

 絶対安全とは言えませんが、せめて慣れるようにしなければ。

 

 

「……そうです、御二方とも昼食に行きませんか?今日はビーフシチューだそうですよ」

 

「それは良いですね」

 

「じゃあ、行こっか」

 

 

 ディアナさんの御好意に甘える形で訓練を終えて、シャルの腕の中から降ります。少し心惜しいですが。

 いつかの日の朝を思わせる穏やかな心地で、昼食へと向かいました。

 

 

 

 

 

 ランチルームでは皆さんが思い思いの場所で和やかな団欒を過ごしています。しかし聞こえてくる会話はISの機能に関することや、顧客の要求に対する愚痴など、仕事人らしいもの。

 

 備え付けのテレビには今日もニュースキャスターが世界の出来事を紹介していました。

 そんな光景を見ながら私達は一緒にビーフシチューを運んで机を囲みました。

 年若い私達の存在は大変珍しいようで、チラチラと視線を感じることも。

 

 

「んー、コクがあっていいわねー」

 

「美味しいね」

 

「しっかり手作りなんですね、これ」

 

 

 料理にはシェフのこだわりを感じる作り手の調理の腕が出ていました。昨今のインスタント風味に頼らず、一から作らなければこうはなりません。

 

 フランスの料理は案外質素、と言われています。確かに間違いではありません。平日なんかキッシュとスープがあれば十分って感じですし。

 

 しかし、庶民的な歴史こそ尊ぶフランスではそういった質素なものの中に確かなこだわりを感じることも少なくないのです。主張せず、自然に。しかし胸を張って。

 お国柄と言うんでしょうか。そういうところ、大好きなんですよね。

 

 

「また交通事故だって」

 

「最近多いですね」

 

 

 ニュースはとある市街の男性が人を轢いてしまったというニュースが流れていました。

 本人は警察に連絡して自供したみたいです。

 

 

「男って後先考えませんから……」

 

「まあ……たしかに?」

 

「美徳でもありますが、こういったとこに出るのは嫌ですね」

 

 

 最近のニュースはISに纏わるポジティブな話と、交通事故や事件のようなネガティブな話のどちらかが殆どです。

 これでも昔はネガティブ大好きと言わんばかりに事故事件や汚職関連の話ばかりだったので、まだマシなのでしょうか。それとも隠されているだけなのか。

 

 交通事故といえば、最近取り上げられることも多いですが、これを防止するために世界の自動車メーカーは自動運転の技術をモノにしようとしているようですね。

 人間どうしてもヒューマンエラーは起こり得ますから、事故を完全に無くすためにもそういった努力をすることには大賛成です。

 

 ただ交通事故、とりわけお年寄りの事故が取り上げられることが多い気がしますが、統計的にはむしろお年寄りの事故は減っていってるんですよね。

 老人に運転させるなと今更ながら声を上げる人達を見て、なんだかなあと思ったりすることもあります。

 

 因みに故郷には一昔前のフィアットを高度な技術で運転する、通称『快速お婆ちゃん』がいたのですが、普段はおしとやかで大人しいのに車に乗ってるときは某豆腐屋の魂が乗り移ったような顔付きになるのが面白かったです。

 

 

「快速お婆ちゃん、懐かしいなー」

 

「今日も峠を攻めてるんでしょうか」

 

「そ、そんな人がいるんですか」

 

 

 あれに相乗ると余りに細かい制御に車は人の操作ありきなんじゃないかと思ってしまうんですよね。

 老人車乗会の織斑千冬、なんて呼ばれていたり。

 

 前世にも知り合いの50代くらいのバイク乗りが新人にも優しいイケメンおじさんだったのを思い出します。

 案外ドライバーにとっては若さを超えたその頃くらいが脂が乗った全盛期なのかもしれません。

 

 

「もし? 今大丈夫かい?」

 

「あ、はい」

 

 

 そんなやりとりをしながらシチューを堪能して、お腹も膨れて惚けている時にそんな声をかけられました。

 何でしょうか?と思い振り撒くと、ツナギを着たいかにも技術者っぽい女性がいました。

 

 

「君だろ? 社長(しゃっちょ)さんのとこのヴィオレットちゃんてのは」

 

「はい、そうですが」

 

社長(しゃっちょ)さんから連絡があってね。君にIS関連の技術を教えてやってくれって言われたんだ」

 

 

 あら、早速でしたか。父も手が早いですね。

 どうやら技術を教えるにあたって挨拶回りや初歩的な部分を予め教えたいようで、ついてきて欲しいと伝えられました。

 せっかくの団欒を、とも思いますが、貴重な時間を割いてくれているのは向こうも同じ。これからご教授頂くのに失礼があってはいけません。

 それにしても中々訛りの強い人です。どこの地方の方なんでしょうか?

 

 

「シャル、ディアナさん。ちょっと席を外しますね」

 

「はい、いってらっしゃいませ」

 

「いってらっしゃーい」

 

 

 二人に見送られて、技術者のお姉さんと歩き始めました。

 

 

「社内の生活には慣れたかい?」

 

「はい、少しは」

 

「いーやまだまだだね。こんなにカタいんだから」

 

 

 お姉さんはニヤリと笑って肩を叩きました。

 婉娩聴従とは無縁と言わんばかりの豪快さに、思わず身体が揺れてしまいます。

 

 

「なんだいお姫様、ちゃんと食ってんのかい?」

 

「い、一応食飯は欠かさぬようにしてます」

 

「それでこんな嫋々(なよなよ)しくなるのかい? もっと食いなよ肉とかハンバーグとかスパムとか」

 

 

 それ全部肉では?というツッコミをしたいですが、ここはグッと我慢をして愛想笑いを返します。

 肉は嫌いでは無いのですが、余り脂があり過ぎるのは苦手なんですよ。野菜とかなら胃にも優しいですし、果物は甘くて非常にエクセレントです。

 

 

「多分この前まで車椅子だったからでしょうか?」

 

「あ、病み上がりか。こいつは悪いことしちまったな」

 

「いえいえ、大丈夫ですよ」

 

 

 バツが悪そうに呟くお姉さんに首を横に振ります。多分車椅子関係なく揺れると思いますし。

 シャルもそうですが、私達は太らない体質だと思うんです。シャルは更に胸の方に栄養が行くので尚更スラリとしています。

 私?……まあ、そこそこかな。

 

 

「午後もこなせるかい? キツそうなら後日にするけど」

 

「今で良いですよ」

 

「そうかい……なら問題ないね」

 

 

 再びニヤリとし始めたお姉さんに思わずこっちも笑ってしまいます。こういう、遠慮なく向かってきてくれる人って良いですよね。パーソナルスペースが広い気難しい人にはアレですが、中々味方の多そうな人だと感じました。

 

 

「……本当に絵本の中のお姫様って感じだね。笑い方一つとってもウチとは全然違うじゃないか。課の奴等に見習わせたいくらいだ」

 

「いえそんな、私なんてまだ14ですよ?」

 

「年季なんざ関係ないのさ。どっかの偏屈爺も言ってたよ。 工業大学を出た新入りより小学生の孫の方がよっぽど使えるって」

 

 

 それは孫が可愛いだけではないでしょうか?

 私もシャルとそこらの新人なら絶対にシャルを選びますし。やはり可愛いは正義なのだと思います。

 

 そんな話をしていく間に、目的の場所に着いたようです。『整備課』と書かれた看板は、オイルに塗れて工具が散らばるようなイメージとは裏腹にとても小綺麗でした。

 ISは女性が扱う以上、整備も女性がすることが多いらしいですが、そんな女性趣味が影響しているのでしょうか?

 

 

「いやぁ、ISって油とか殆ど使わないんだよ。どっちかというと電子機器やプログラミングに近い感じなんだ」

 

「なるほど……あれ、なら何故ツナギなんです?」

 

「ウチは汚れ仕事だからね」

 

 

 曰く、プログラミングやOSのメンテナンスも整備課の仕事ではあるのですが、彼女は更に武装や装甲の修繕や内装フレームの整備も担当する、整備課のリーダーでもあるようなのです。

 どうしても体力がいる上、汗をかくことが普通なこの仕事は、整備課の中でも"汚れ仕事"と呼ばれているんだとか。

 

 

「変な話ですね……こんなにカッコいいのに」

 

「そう行ってもらえると嬉しいね。さ、入るよ」

 

 

 例えばテレビやゲームも、いくらプログラムを作れても部品を作り組み立てる人がいなければ全くの無力なのです。一握りの才能の持ち主しか拝めないISでも、それは同じ。

 

 こそばゆいように頬を掻く整備課リーダーさんは、とても人間味に溢れていて格好良い人でした。

 

 

 




マクミランTac-A1-R2……カナダとかアメリカとかがよく使う新型モデルのアンチマテリアルライフルの発展形。小銃の反動軽減に油圧サスみたいなのを使うとかいう変態技術を取り付けてるらしい。それよりも狙撃世界最長記録の内容が頭おかしいと思いましたまる。

フランスの食事の伝統……チーズとかワインとか種類が多すぎて全部網羅とか無理だと思えるくらいいっぱいある。日本でいえば焼酎みたいなもの、歴史の重要さがよく分かりますね(なおイギリス)

快速お婆ちゃん……ヴィオラ達を乗せて峠を走る車好きのお婆ちゃん。
元ネタは筆者の体験ネタ。ホンダトゥデイをこよなく愛する近所のお婆ちゃんでした。やたら駐車が上手かった。


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14.研修とお菓子作りの話

日間ランキング41位 Σ(´◉⊖◉`;)

皆さま本当にありがとうございます!
これからも頑張ります⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝




 ご機嫌よう、皆さま。

 

 一番得意なお菓子はマドレーヌなヴィオレットです。

 

 整備課の方々と紹介と挨拶を交わした後、整備課リーダーさんにIS工学の基礎を学びました。

 基礎の段階で天体物理学や量子力学の豆知識が度々出てきたのは流石ISだと思いましたが、そこまでディープなものでもありませんのでスムーズに答えていきました。

 

 特に時空のゆらぎに関しては一身上の理由で少し調べていたこともあったので。

 主に私の内にある能力、"境界を操る"ことに関係があるかどうかという話なのですが。……最近使ってないからといって忘れてたわけではありませんよ?

 

 

「お姫様よ、アンタ本当に中学生かい?」

 

「ええ勿論」

 

 

 小手調べとばかりに出された設問を解いた私にそんな懐疑が飛んできました。

 前世も含めれば立派な大人ですから、と言いたいところですが、第二の人生を歩むほど過去になると前世の勉強も薄れていくもので。知識のほとんどは現在の私と教諭達の仁義なき応酬の賜物ですね。

 

 私自身も本が好きで、知識をため込むことに抵抗を感じない体質なのもプラスとなっています。

 知識は多ければ多いほど良いのです。問題はそれをどう使うか、ですが。自慢するだけでは折角の宝をいたずらに腐らせているのと同じですから。ん?何だか私の噂をする人がいるような気が。

 

 

「これなら心配は要らなさそうだね。早速実地研修といこうかい!」

 

「はい、よろしくお願いしますね」

 

 

 なんだか上機嫌な整備課リーダーさんについていき、ISのOSや簡単な仕組みについて実践を交えながら教わっていきます。

 これでも昔はISのことについて本を漁って暇を潰すというちょっとストイックじみた趣味を持っていたのですが、やはり実際にやると本の知識とは色々と違いますね。

 

 技術は日進月歩進化していくもので、2、3年前の科学本が現在でも有用とは言えないことが多々あります。

 現役のIS技術者の話は大変興味深いものだらけで、メモを持って来ていなかったのが口惜しいです。なるべく多くの知識を頭に叩き込んで持って帰りましょう。

 ん、あれ?

 

 聞いている内に違和感を感じたのは、整備課リーダーさんが弄りながら教えている剥き出しのISの精密なマシン部分。

 その説明だとこことかそれとか変ですし、このままにしてると困ると思うんですが。

 

 

「あの、ここどうして繋がってないんでしょうか。この配列なら繋がらないと駄目では?」

 

「……まじかー」

 

 

 してやられたとでも言うような整備課リーダーさん。どうやら私にも実践させる時の引っかけ用にISの整備状況を瑕疵ある状態にしていたようです。この先生新人に容赦なさ過ぎる。

 なんか私の先生って尽くスパルタなのですが私何かしましたかね。

 

 

「えーい、教えがいが無いねえ。もう応用までやってしまおうか」

 

「えっ」

 

「ほら覚えるんだよ! アンタが悲鳴上げるまでやってやるわ!」

 

 

 折角用意していたサプライズを潰された整備課リーダーさんは何かのスイッチが入ったのか私が降参するまで教え込むことにしたみたいです。だから容赦なさ過ぎませんか!?

 

 内心の絶叫すらあげる暇もなく飛び出てくる夥しい数の知識と技術。ISは世界最高の精密機械、そんなISを作り整備する人の長にただの小娘が叶うはずもなく。

 途中までは何とかスムーズにいったものの、何時間も続く呪文のような専門的な用語と技法の嵐に次第に経験と知識が追いつかなくなり、最終的に目を回して白旗を上げてしまいました。

 ばたん、きゅー。

 

 

「はあ、はあ……漸く落ちたか」

 

 

 し、新人いじめです…………。

 なんで今日来たばかりの新人に専門技術の最先端を求めるんですかね。

 うう、頭が痛い。甘いものが食べたいです。最近こんなのばっかりですよ。

 

 

「とんでもない小娘がきたもんだよ。流石社長さんのお姫様だ」

 

「いえ、私は勉強が得意なだけの一介の村娘で……」

 

「普通の村娘は航空力学も量子力学も学んじゃいないよ」

 

 

 ですよね。それもこれも全部あの元担任の先生のせいです。

 普通必要で無い内容すら私に教え込んだあの先生、大恩ある恩師でもあるのですが、やはり普通ではなかった。当然ですが。

 あの外見マッドのフランス版二宮金次郎め……。

 

 とはいえ一部は趣味で調べたものもありますから、私もまた同じ穴の狢であるのは否定できません。

 知識欲に溺れてしまうともう何もかもを知りたくなってしまうのです。

 

 私はまだちょっと勉強が強いくらいですが、先生は女尊男卑で男性教育者が弾かれていく中、下手な市街図書館より知識が溜まった頭脳の価値だけで周囲を納得させた本物の賢者でしたから。

 多分あの人ならソクラテスの質問責めにも勝てると思いますね。

 

 

「はぁ、まあ問題は無さそうってのは間違いないか」

 

「と、とりあえず終わりますか?」

 

「ああ、今日は付き合わせてしまってすまないね。これからよしなに頼むよ」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 

 とりあえず今日はこれでお開き、ということになりました。

 なんというか、ただの研修になってしまいましたね。

 

 シャルも待ちくたびれていると思いますし、帰ったら慰労がてらお菓子を作って振る舞いましょう。

 使用人の方々も呼んで、みんなで楽しく賑やかにできるといいですね。

 

 

 

 

 

 

 皆さんお菓子を作ると聞いて、まず最初に思い浮かべる材料は何ですか?

 

 おそらく卵でしょうか?和菓子でもカステラは卵を使いますし、洋菓子、とりわけ焼き菓子は卵によくお世話になります。あのふわふわ生地には必ずと言っていいほど卵が使われるのです。

 

 砂糖もそうですね。甘さを生み出す上で一番多く使われるのが砂糖です。世の中には砂糖とアーモンドだけで作る菓子もあるのです。世界は色々なもので溢れていますね。

 

 

「よーし、お姉ちゃん頑張っちゃうぞ☆」

 

「な、何が始まるんです?」

 

「お菓子作りだよ。お姉ちゃんの特技なんだ〜」

 

 

 では作っていきましょう。まずはレモンの皮を擦り下ろし、ベーキングパウダーと薄力粉を合わせてふるいます。バターは熱に弱いので慎重に温度を調節しながら溶かしておいて、それとは別に型にバターを塗っておきましょう。

 

 同時にもう一つくらいお菓子のメニューを追加したいので、皮を剥いたリンゴを4当分ほどにしたものを必要分作っておきます。残りのレモンの皮も使うので、合わせて確保しておきましょう。

 

 生地にはグラニュー糖ときび砂糖を混ぜて、擦り下ろしたレモンの皮をゴムベラで擦り合わせて風味をつけます。コツは砂糖に押し当てるようにすると上手くいきますよ。

 そして先ほどの粉類を加え、ホイッパーで混ぜていきましょう。

 別のボウルには卵を入れて塩を少々。こちらもホイッパーで溶きます。サラサラになるくらいになれば良いですね。

 

 さあもたもたする暇はありません。四等分したリンゴをさらに小さく切ります。芯の周りは除いて、鍋にスキマでゲートイン。そのままグラニュー糖とレモンの皮を擦り下ろして汁を入れ、弱火で煮込みます。

 

 更に別にフライパンを用意。そこにバターを溶かし、プンパニッケル(ドイツの純ライ麦パン)をそぼろのように崩してローストし微量のグラニュー糖を適当にゲートイン。馴染んだら火から下ろしましょう。

 こちらは完成が早いので専用グラスも用意しておきます。

 

 

「お嬢様、凄い手際ですね……あ、あのいくつも浮かぶブラックホールのようなものは、噂に聞く『お嬢様の殺意の波動』……!」

 

「何その強そうな技名……。……どうやってあの量のお菓子をあんなに手際良く作ってるのか、よく知らなかったけど……なるほど"スキマ"を使ってたんだね、お姉ちゃん」

 

「ちょっとズルだけどね」

 

 

 一歩も動かず、50センチほどの小さなスキマで物を行き来させて作業工程を短縮する私と、調理を見ているシャルと調理場係のグニーさん。たしかに異様な光景ですが殺意の波動って、そんな物騒なものだと思われていたんですね。

 本質はそれ以上ヤバい代物なのですが、まあどんなに切れ味の良い刀も調理場ではただの捌き包丁です。

 

 そういえば私は能力をシャルに見せまいと試行錯誤していたので、シャルはこの光景を見たことがないはずです。

 色々と受け止められて吹っ切れた今なら思う存分見せてあげられますね。

 

 

 さて、粉類を入れたボウルに溶いた卵を入れて、ホイッパーで混ぜながらバニラオイルと蜂蜜を加えては混ぜ、加えては混ぜをしていきます。静かに泡立たないように。

 そうしたものに溶かしたバターを少しずつ加え、こちらはゆっくり混ぜましょう。それをゴムベラで整えて……。

 

 スキマにぽいー、完全に外界と遮断します。

 これはこの能力の悪よげふんげふん、"境界を操る能力"を最大限に利用した有効活用法です。

 

 簡単に言うと早く進む時間だけがある空間に小さい冷蔵袋と生地を突っ込んで、一日寝かせるところをほんの数分で終わらせてしまおうという、料理界の人なら喉から手が出るほど欲しがる奥義なのです。

 なおこの技は集中力を損なうと作っていたものがボウルごと時空の狭間から現世の何処かに幻想入り(行方知れず)してしまうので扱いは慎重に。

 

 今のうちにリンゴのお菓子の方をやってしまいましょう。

 本日何回目かのボウルを用意、生クリームと数滴のバニラエッセンスを泡立てます。

 小さなガラスの壺のような専用のグラスに煮込んだアップルソースとローストにしたそぼろのパンプニッケルを複数交互に加え、最後にラズベリーソースと作ったホイップクリームを加えて、こちらは完成です。

 

 そろそろ仕上がったはずなのでスキマから生地を取り出します。いい感じです。

 これを絞り袋に入れて型に注入。いくつかにはラズベリーやレーズンなども入れてしまいましょう。それをプレートごと大型オーブンにぶち込みます。

17、18分ほど焼いたものを皿に並べれば完成です。

 

 そして……昨日作っておいたミルフィーユをテーブルにどかりと置けば、あら不思議美味しいお茶会の会場です。

 

 

「という訳で完成です!」

 

「おー! すごーい!」

 

「見てはいけないものを見た気がします……」

 

 

 と、いう訳でお菓子を紹介しましょう。

 まずは私の得意分野でもあるマドレーヌ。世界でも指折りの有名なお菓子ですね。このお菓子の作り方を真似たケーキ風のお菓子は世界中にあります。

 貝殻のような模様が食欲をそそる、お茶会の定番お菓子ですね。レモンの風味をカフェオレと共に召し上がれ。

 

 次はリンゴの方ですね。こちらは日本人には馴染みのないものだと思います。

 紹介します。ヨーロッパではデンマークなどでもお馴染みのドイツのデザート、乾いた風と農家の優雅なひと時。

 濃厚で甘美な味が特徴の"ベールで隠れた農家の少女(verschleiertes bauernmädchen)"です。

 

 とっても可愛らしい名前ですよね。日本では殆ど馴染みがないせいで和名がないのですが、このお菓子はとても美味なデザートとして北ヨーロッパでは有名なのです。

 女性にも人気の一品なので、グラスは可愛らしい意匠を込めたものを選ぶととても雰囲気が出ますよ。

 

 作り置きしていた三品目はケーキ界の大御所ミルフィーユ、矢羽模様の美味しいケーキです。今回はストロベリー風味に仕上げました。

 切り分けが容易になるよう横長に作ったそれを切り分けてテーブルに並べていきます。実はケーキを切る形は円を切った三角形より角角とした四角形の方が多いのです。日本ではお馴染みの切り分け方は、タルトの方によく使われますね。

 

 

「さぁさ、使用人の皆さんも一緒にお茶会しましょうか」

 

「い、良いのですか?」

 

「花は多い方が華やかでしょう? カフェオレと紅茶の準備をお願いします」

 

「は、はいただいま!」

 

 

 グニーさんと使用人達は喜色を膨らませて準備を始めてくれました。それを見つめながら、シャルが隣で笑いました。

 

 

「お姉ちゃんのお菓子は皆好きになるよね」

 

「だと嬉しいわね」

 

「少なくとも私はどんなパティシエや有名なパティスリーのお菓子より、お姉ちゃんの作るお菓子の方が好きだよ」

 

 

 輝くような笑顔を向けられて思わずドキリとしてしまいます。ああ、やはり目に入れても痛くない可愛さと尊さです。フランスのキュート世界遺産として登録すべき……いやこの可愛さが世に広まれば不逞の輩が出現しかねません。ここは私のマイフォルダに仕舞っておきましょう。

 

 

「私は何よりもシャルが大好きよ」

 

「なんで真面目そうに恥ずかしいこと言うかな……」

 

 

 照れてるシャルも可愛い。今すぐ押し倒して膝枕してなでなでしながらドロドロに甘やかしたいところですが、シャルも恥じらいや矜恃を知る14歳。見られる視線も増えた今では少し躊躇われます。

 

 

 

 そんな睦み合いも程々に、大きなテーブルに使用人の方々を座らせて、みんなで優雅なお茶会を開きました。

 いつも頑張ってくれている皆さんへのご褒美という形をとりましたが、私が皆さんとお茶を楽しみたいだけです。

 

 女性だけあって皆さんお菓子には興味津々で、目をキラキラさせて期待してくれるのでこちらとしてもワクワクするもの。

 シャルは度々私とティータイムをしているため慣れたものですが、使用人の方々の中にはおっかなびっくりと少しずつ食べたり飲んだりしてる人もいます。

 そんな中私は手本を示すよう丁寧に寛ぎながら、使用人達と楽しいお話に花を咲かせました。

 

 興味深かったのは調理場のグニーさんが一級のパティシエでありミシュラン公認の3つ星シェフであること。

 えっそれとんでもない実力者じゃないですか。

 目を瞠ってびっくり仰天な私にグニーさんは照れ臭そうに笑いました。

 曰く、料理にこだわる両親の間に生まれて、余りにも舌が肥えすぎて世間の料理が合わないから自分で作り始めたのが始まりらしいです。

 どうりで家内飯にしてはやたら豪華だなとか思ってたんですよ。セレブの家なのでそういうものかと思ったのですが、この人が原因だったんですね。

 

 しかし、使用人の方々も綺麗な人達ばかりです。そんな彼女達が思い思いに団欒を楽しんでくれる様はとても絵になります。

 

 

「しかしお嬢様、どうして使用人である私共にこうまでしてくれるのですか?」

 

「……私は周りが笑ってた方が安心するだけですよ」

 

 

 家や学校や職場、そんなコミュニティは互いに笑顔であればあるほど円滑に上手くいくものです。

 まあそんな崇高なものでもなく、単純にギスギスした関係が気に食わないだけですがね。それと万が一を考えて使用人の人達の信頼を得ていた方が後々にも有効だと思っただけです。

 人の行動はいつだって打算的なのですよ。

 

 あ、あと私のストレス解消兼趣味です。

 

 

「……んっ! これ美味しい」

 

「"農家の少女(メートヒェン)"っていうの。美味しいでしょう?」

 

 

 このお菓子、なんで日本には少ないんでしょうね?甘過ぎるせいでしょうか?いや最近の菓子はどストレートに甘い物も多いはずですし、作り方もそう難しくはありません。

 やはり名前ですか。名前が長いのがいけないのですか。

 

 我が渾身のマドレーヌを摘みながら、カフェオレを味わいます。

 ああ、こういうのどかな時間を過ごすのはいつぶりでしょうか。最近はとんと良いことが無かったですからね。

 

 ちょっと慣れたのか羽目を外し始めた皆さんの笑顔が綻び咲く様子を肴に、カフェオレボウルを傾けました。

 

 

 

 

 

「……失礼します」

 

 

 そう言って入った先は、この屋敷の中で唯一私やシャルは入ったことがない場所。

 いいえ、正確には入れない場所です。

 

 

「顔を見せるなと言ったでしょ、あの女の娘」

 

「了承した覚えはありませんよ」

 

 

 そこにいた妙齢の女性──義母は、私を射殺すような目で睨み付けました。

 その背後には大きなカーテン付きの窓があり、そこから外を見ていたようでした。

 外は雨が降っていて、夜も更けて見える物も無いのに何を見ていたのでしょうか。

 

 

「今日は使用人の皆さんとお茶をしまして、作った焼き菓子が余ったので置いておきますね」

 

「いらないわそんなもの。とっとと出ていきなさい」

 

「……義母様がよければ、シャルにも顔を見せてあげてくださいね」

 

「──出ていけと言ったでしょう!!」

 

 

 ……やれやれ、ですね。

 これ以上は拗れてしまいますから、私は菓子の入ったバスケットを適当なところに置いて、部屋を出ました。

 義母は意固地なほどに私達を避けて、いつ外に出ているかも分からないほど見ることがありません。

 

 使用人の方々に聞いたところによれば、私達が来る前は普通に家を出歩いていたとのこと。

 そうまでして私達に会いたくないのでしょう。

 

 余り突かない方が良いと子供の本能が呼び掛けますが、このままでは余程きっかけが無ければ取り返しのつかないところまで離れてしまいます。

 一番避けなければならないのは、疎遠による家族の形骸化です。

 

 どうにか関係を改善できないものか……。

 

 ……みんなハッピーエンドになれれば、それが一番なんですがね。

 

 




ベールで隠れた農家の少女(verschleiertes bauernmädchen)……日本語訳でフェアシュライアーテス・バウエルンメートヒェン。日本語では検索かけても出ないほどマジで見ないドイツのお菓子なのだが、北ヨーロッパでは結構盛ん。とろりとしたパンプニッケルの食感、甘味とストロベリーソースの酸味が程よく合っていてとても美味。


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閑話14.5 雨の鬱とマドレーヌ

 ディアナ・ダヴィドフは非常に広い地下施設で、二つの影が互いに交差する瞬間を眺めていた。

 

 己の雇い主……厳密にはもう一社員であるため社長と形容すべきであるが、どうも軍属時代の名残か雇い主と思ってしまうことがある。

 派遣隊から引き抜かれたディアナは、そんな過去を思い出しながら審判役をしていた。

 

 目の前で交差する影はどちらも黄金。

 方やラファール・リヴァイヴを専用の仕様に改造したカスタム機を乗るシャルロット・デュノア。

 対するは同じラファールを重装型に改装した機体を操るヴィオレット・デュノア。

 社長の令嬢である二人はお互い一歩も譲らない形で戦い続けていた。

 

 カスタム機を渡されてからというもの、更にシャルロットの成長が著しい。姉の方も食らいつこうとしてはいるものの、どうにも手数と機動力に翻弄されているようだ。

 

 ヴィオラはセントリーガンを空中に設置しつつ、本体はその後ろで大口径の狙撃銃を撃ち放っていた。

 だが今し方セントリーガンの防衛ラインを突破され、シャルロットの有利な距離に近づかれたようだ。

 

 あの装備でああなっては対処のしようもないだろう。苦し紛れの近接ブレードを見事に空振りして、鴨撃ちのように撃墜されたヴィオラをシャルロットが抱えて運んでくる。

 

 

「お疲れ様でした。それでは休憩に入って下さい」

 

「はい」

 

「うぅ……また……またこの状況……」

 

 

 ISを纏ったまま己の姉をお姫様抱っこするのが好きらしいシャルロットと、敗北感と羞恥で顔を覆うヴィオレット。今日も同じように運ばれていくようだ。

 というより、ヴィオラの装備選択がおかしいと思うのだが。何故一対一の状況だと分かってて取り回しの悪い装備を選ぶのだろうか。

 セントリーガンで制圧し、回避先に火力を叩き込む。考え方は良いのだが、頼るもののないタイマンでそんな悠長なことはできないだろう。

 

 しかし、それは一対一の場合。姉妹が揃ってディアナに向かってきた時のヴィオラの脅威度は何倍にも跳ね上がる。

 元々中距離でも当ててくるだけの素質はあり、更にセントリーガンを置かれれば常に回避運動をせざるを得ず、ヴィオラを狩ろうと動けば横から妹の猛攻が迫ってくる。

 そして何故かこの姉妹は互いの射線が被らない。教官は複数新人との試合で『同士討ち』をよく用いるが、この姉妹にはそれが役に立たない。

 

 

「比翼連理……でしたか」

 

 

 天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん。確か中国のことわざだったか。

 思えば普段から良く似ている姉妹だ。身長もほぼ同じ、金色の髪と瞳の色も同じ。

 しかし姉は少しカールがかかった髪、妹は艶やかで真っ直ぐな髪。姉は物静かでゆったりとしていて、妹はもう少し快活。そんな似てるようでちょっと違う姉妹。そして絶望的なほど父と似ていない……おそらく母方の血が濃く出ているのだろう。

 

 それはそうと、シャルロットが国の代表候補生に正式に選定されたらしい。

 代表候補生はそれだけで大きなキャリアとなる、たとえ代表になれずとも将来は安泰だろう。

 姉は選定通知を蹴られたそうだが、元々デュノア社のテストパイロットである。順調にいけば重役にも着けそうだ。

 

 しかし、最近デュノア社に不穏な影があるのだ。

 アルベール社長も危惧していたもの。最近の裏世界の中でも一等大きなモノが蠢いているのでは、と考えているのだ。

 最たるモノはこの間のデュノア姉妹への襲撃事件で、アルベール社長が事前にリークしていなければ命は無かったことだろう。

 

 

「しかしどうやって情報を手に入れたのか……」

 

 

 意外と謎の多いワンマン経営者の父方、そんな裏のパイプでもあるのだろう。ディアナはそう一人納得して、踵を返してアリーナの出口に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 今日は雨か。窓に当たる雨粒を見上げながら、彼女は……ロゼンダ・デュノアは胸に染み込む冷たさに顔を顰めた。

 

 最近は時間の感覚も定かではない。既にもう夜だというのに、まるで眠気が襲ってこない。

 

 

『今月分の()()も確認できました。これからもよしなにお願いしますよ』

 

「そう」

 

『つれないですねぇ。約束は守ってるじゃないですか』

 

 

 何かのジョークかのように陽気に笑う電話先の相手に苛立ちを深める。

 握り締めた受話器がミシリと鳴った。

 

 

『貴方が資金を送ってくれさえいれば、貴方の周囲の身の安全は約束されたも同然なんですよ? もっと感謝してくださいよ』

 

「…………」

 

『あ、娘達のことですか? アレは我々にとっても不慮の事故だったのです。 別に貴方がちょっと怪しい動きをしていたからみせしめに……なぁんて、考えてはいませんよ? その証拠にほら、危ないですよーって教えたじゃないですか』

 

 

 ペラペラとまくし立てる声。陽気に邪悪を滲ませる詐欺師の声だ。

 テロリストめ。とロゼンダは相手を内心で抓った。

 

 しかしそんな言葉を言えるほどロゼンダは強くなく、抗えるだけの力も持ってはいない。

 

 

『まあ貴女の娘ではありませんし、そんなに酷い問題でもありませんか』

 

「……約束を、守りなさい」

 

『それは貴方の行動一つで決まると思って頂けたら。という訳で、これからもよしなにお願いしますよ。……くれぐれも内密に、ね』

 

「…………」

 

『聞き分けが良くて結構。流石は社交界のマドンナだ』

 

 

 電話が途切れる。ツー、ツー、と耳障りな停止音が雨音と混じった。

 ワナワナと震える手で受話器を置いて、どんな醜悪な表情をしているのかも分からない己の顔を覆った。

 

 今回の事件で夫は周辺の誰が反社会勢力とつながりを持っているのか調べ始めただろう。

 あの女の娘達の殺害を予告した通話記録の、その部分だけを切り取った録音テープをデュノア社に届けたのはロゼンダだった。

 

 アルベールに懸想し心を奪ったあの女が心底憎い。あの女から生まれた娘共など虫酸が走る。

 なら何故止めたのかと言えば、ロゼンダ自身も分からなかった。ただ、手前勝手な感情で子供を死なせるのだけは、それだけは、絶対に嫌だった。

 

 暗い空から雨が降っている。外を見れば、ずぶ濡れで帰る場所を探す猫が木陰の下で丸まっていた。

 

 

「失礼します」

 

 

 幼さの残る、聴き慣れない声が聞こえた。この屋敷にやってきた姉妹の姉が、立ち入りを禁じていたロゼンダの部屋に入ってきていた。

 使用人達はどうした。扉前には見張りを立てていたはずなのに、どうやって入ってきた?

 

 ふわふわと揺れる金色の髪がロゼンダの視界に入って、顔を顰めた。

 

 

「……顔を見せるなと言ったでしょう、あの女の娘」

 

「了承した覚えはありませんよ」

 

 

 生意気な娘だ。

 あの女の影が一々ちらついて鬱陶しい。同時に、目の前の子の妹の頬を引っ叩いたときの姉妹の表情が思い浮かぶ。

 

 姉の方は来る前からニュースで見て知っていた。

 全身を包帯で巻き、呼吸器をつけた娘は今にも死んでしまいそうだった。ざまあみろ、なんてとても思えなかった。

 

 

「今日は使用人の皆さんとお茶をしまして、作った焼き菓子が余ったので置いておきますね」

 

 

 そう言って踏み込んでくる娘を身を竦ませて追い払う。下手に関わって奴らのことを知られてしまえば、口封じをしにテロリスト共がやってくる。

 あの女が死んでもなお己を不幸にしようとしてくるようで恐ろしい。あの売女が亡霊となって自身の娘の首に手をかけていた。

 

 

「いらないわそんなもの……さっさと出て行きなさい」

 

 

 来るな、それ以上踏み込めばお前もあの女のように死んでしまうかも知れないぞ。

 来るな、憎たらしい女の影をこっちに持ってくるな。

 

 

「お義母様が良ければ、シャルにも顔を見せてあげて下さいね」

 

 

 ロゼンダはもう限界だった。

 

 

「──出ていけと言ったでしょう!!」

 

 

 煩わしい金切り声が自分の出したものだと気がつくのに少しかかった。目の前の娘の表情が曇り、一礼して立ち去っていく。

 静寂がいやに響いた。

 

 そこにいた名残のように、菓子の香りを漂わせたバスケットだけがあった。

 

 甘い香りだった。己にはもったいないほどに。

 ……ロゼンダは扉前に行き、置かれたバスケットを持ち上げた。

 

 窓の横に置いて、中を開ける。

 そこには山吹色に焼けたマドレーヌがあった。まだ少し温度があった。

 

 細い指で持ち上げて、一口食べる。

 

 

「…………」

 

 

 ……程よく甘く、良くできている。

 ロゼンダは置かれたバスケットから背を向けて、マドレーヌをまた一口齧った。

 

 

 



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