相棒~杉下右京の幻想怪奇録~ (初代シロネコアイルー)
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Season 1 幻想の楽園
プロローグ~謎の手紙~


感想などありましたらお気軽に


 警視庁特命係(とくめいがかり)

 人材の墓場と呼ばれるその部署にはとある変わり者の刑事が在籍する。

 杉下右京(すぎしたうきょう)――黒髪オールバックに眼鏡をかけ、洒落たスーツを華麗に着こなす還暦の紳士。

 彼は組織に属しながらも組織人らしくない言動や振る舞いから同僚、幹部問わず煙たがられている人物として有名だ。

 しかしながら、他者を凌駕する圧倒的な推理力で数々の難事件を解決へと導き、一目置かれるところもある。

 そんな彼を一部の関係者たちは『和製シャーロック・ホームズ』と例える。

 今日も右京は特命係の仕事部屋で優雅に紅茶でも飲みながら新聞を読んでいるのだろう、と現在の部下である冠城亘(かぶらぎわたる)は思考を巡らせていた。

 

「おはようございます。ってアレ?」

 

 時刻は朝八時半。いつも通りのギリギリ出勤。上司は結構、時間にうるさく、遅れると小言を言ってくるので、早歩きで仕事場へと駆け込んだ。

 だが、肝心の上司の姿が見えない。出勤ボートを確認しても出勤している様子はない。

 

「遅刻かな~?」

 

 珍しそうに首を傾げた亘は、自分の席に着く。

 そこへ別の部署からやって来た男が彼に声をかけた。

 

「杉下なら出かけたよ」

 

「マジですか!?」

 

 男は角田六郎(かくたろくろう)。隣接する部署、組対五課(そたいごか)の課長で通称、暇課長。今日もトレードマークの丸刈り頭がばっちり決まっている。

 角田は特命係の部屋に置かれるコーヒーメーカーを起動。コーヒーを愛用のマグカップに注ぎ、亘へと近づく。

 

「右京さんはどこに行ったんですか?」

 

 体ごと振り向いた亘が上司の居場所を尋ねた途端、相手は改まったような態度を取った。

 

「聞いて驚け――長野県だぞ」

 

「長野県!? 何でまたそんなところに!?」

 

 その問いの返しにと、暇課長は目を細め、両手を奇妙な形に折り畳む。

 

「なんでも、幽霊が出る場所があるんだとよ」

 

「えっ、また幽霊絡みですか」

 

 幽霊のポーズに息を呑む亘。面白がった角田は幽霊役を解除し、両人差し指をピンと立てたまま、左右の即頭部へ添えた。

 

「それだけじゃない、妖怪まで出るそうだ」

 

「なんですか、そのオカルト全開の場所は!? 大体、幽霊なんているわけないじゃないですか」

 

「俺もそう思う。だが、杉下は何かを感じ取ったみたいに『これは行かねばなりませんねえ』って言って出て行ったんだよ」

 

「怖! てか、職務ほったらかしで行くとかありないでしょ普通!」

 

「俺だってね、同じことを言ったよ。そしたら手紙を見せられて『これも立派な職務です。ここに書いてあることが事実ならば非常に興味深い。足を運ぶ価値があります』って突っぱねられたんだよ」

 

「手紙……。その手紙の内容は?」

 

「なんか、女の字で書かれた手紙だったな……。パッと見じゃ読めなかったが」

 

「幽霊に女の字――うぅ、寒気が……」

 

 以前、幽霊を目撃してすっかりオカルト嫌いになってしまった現相棒に幽霊、妖怪、女の字の古典的怪談要素の三連撃を受け止める気力はない。

 

「どうだ? 詳しい行先は本人から聞いてるけど――」

 

「いや、結構です! 右京さんが帰ってくるまで待ちます!」

 

 もう無理だ。一刻も早くこんな不気味な話は忘れたい。お土産話で十分だ。心の中でそう言い切った彼は上司の後を追うのを躊躇ってここに残ることを選ぶ。

 その後、角田や遊びにきた元特命係の青木と一緒に雑談を楽しむ亘なのであった。

 

 

「のどかな村ですねえ~」

 

 昼下がりの午後。杉下右京は長野県のとある村を訪れていた。

 都会的要素がほとんどなく、美しい緑と青い空に囲まれたノスタルジックな村だった。右京は目に入るものを隅々までチェックする。

 時折、近隣住民に声をかけられ、軽く挨拶しながら目的の場所まで歩く。

 しばらくすると鳥居が視界に入った。

 

「あそこが手紙が落ちていた神社でしょうか」

 

 右京の眼前には古びた神社がひっそりと佇んでいた。周囲を囲むスギの木がより神秘性を醸し出す。

 鳥居をくぐった右京は境内をグルグルと散策し始める。特に変わったものはなく、よくある田舎の神社だった。

 足を止めた右京は懐にしまっていた差出人不明の手紙を取り出す。

 

「一体、誰が書いた手紙なんでしょうかねえ」

 

 手紙を読み返すとそこには、このように書かれてあった。

 

『私は今、無数の幽霊に取り囲まれている。そして、その後方からは見たこともない化け物たちが押し寄せてくる。この化け物は間違いなく妖怪だろう。伝説の秘境、〈幻想郷(げんそうきょう)〉は実在した! 後はこの手紙が〈表の世界〉にいる誰かに届けば――』

 

 文章はそこで途切れていた。右京は手紙をそっと元の場所に戻す。

 はるばる都会から旅行目的でこの村を訪れ、この神社を通りかかった女性が偶然発見した差出人不明の手紙。そこに書かれていた謎の文章。

 村の駐在に届けようにも不在かつ、帰りのバスが迫っていたため、仕方なく持ち帰ってしまい、改めて中身を読むとオカルトめいた内容が書かれてあったのだ。

 不気味に思った女性が警視庁に相談するも悪戯だと笑われて取り合って貰えなかった。それを偶然にも右京が聞きつけて手紙を預かり()()()調査へと乗り出した。

 澄み渡る青空を仰ぎながら彼は宣言する。

 

「見つけてみせようじゃありませんか――この手紙を書いた人物と幽霊や妖怪が存在する伝説の秘境たる幻想郷を」

 

 これは和製シャーロック・ホームズと称される杉下右京が幻想入りし、様々な人物と出会い、事件を解決し、お屋敷に呼ばれ、幽霊を見るために努力し、怪しまれながらも真実を追求していく物語である。



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第1話 杉下右京の幻想訪問

 神社を一通り見て回った右京は近隣住民への聞き込みを開始する。

 とは言え、田舎故か人通りは少なく、出会うのは老人ばかりだ。

 

 老人たちはスーツ姿の右京を見て「都会の方がやって来た」と珍しそうにしていた。おかげで人が集まり、情報を得られる可能性がグッと高まった。

 右京は老人たちに訊ねる。

 

「あそこの神社で幽霊や妖怪の目撃情報はありませんでしたか?」

 

 彼らは冗談だと思ったのか「そんなのある訳ない」と笑い飛ばした。

 次に駐在所を訪ね、駐在と面会する。

 事情を話して何か情報を聞き出そうとするも「そんな事言われても……」と困惑され、まるで相手にされなかった。

 

 駐在所を出た右京は一人呟く。

 

「困りましたねえ。一切の手掛かりもないとは」

 

 仕方ないので再び、神社に向かい、何か見落としがないかを調べる。

 小さい神社なので調べるのも容易だ。

 鳥居、境内、賽銭箱を隅々まで探すも変わった物は見当たらない。

 

「何もありませんね」

 

 やはり悪戯の類なのか。そう考えていた右京がふと神社の裏側に目をやった。

 そこは林になっており、木々の隙間から覘くと、どこまで続いているように見えた。

 

「行ってみますか」

 

 手に持ったカバンを木で擦りつけないよう慎重に林の中を進んで行く。

 彼の動きは年齢の割に機敏。むしろ、どこかパワフルだった。伸びた枝も何のその。ひたすら掻き分けていく。

 その速度で十分以上歩いた右京は次第に違和感を覚え、来た道を引き返す。

 しかし、いつまで経っても神社へ戻れない。

 

「おかしいですねえ。そろそろ着いても良いと思うのですか……」

 

 右京は決して、方向音痴ではない。それに真っ直ぐ歩いて来た道をそのまま戻っているのだから道に迷うなんてあり得ない。

 彼は首を傾げつつも歩き続けた。

 すると開けた場所に出る――が、そこは神社ではなかった。

 

「ここはどこですかねえ」

 

 眼前に広がるのは見覚えのない空間だった。

 無造作に置かれた石と散乱する骨のような物体にどこか肌寒い空気。

 右京はその異様な光景に身構える。

 

「これはひょっとすると」

 

 長年に渡り事件を解決してきた刑事は手紙の女性が幽霊、さらには妖怪に遭遇した場所ではないかと直感した。

 周囲を警戒しながら骨が埋まっている場所まで静かに歩き、骨を手に取ってその形から骨の主を想像する。

 

「……動物の骨でしょうか?」

 

 骨を片手に推察を始める。

 無数に落ちている白骨を拾っては置いて、拾っては置いてを繰り返す。

 動物の骨もあれば人骨に近い骨も確認出来た。

 現役の刑事である彼はすぐさまスマートフォンを取り出して警察に連絡を入れようとするのだが、圏外だったので電話が繋がらない。

 仕方ないので現場の写真を撮り、急いでその場を立ち去ろうと踵を返す。

 ――その時だった。

 冷たい何かが頬に触れた。

 慌てて振り返るも、何もない。さらに後方から弾力のある物体が接触する。

 そちらに視線を移すも、その先に物体はない。

 また、地面を見ると群れなすネズミ、周辺の木々にはゴキブリやムカデを中心とした無数の虫たちが張り付いており、右京の行く手を完全に塞ぐ。

 

「囲まれましたか」

 

 和製ホームズはようやく自分が包囲されている事を理解する。

 見えない物体、ネズミ、虫。まるでホラー映画のワンシーンである。

 さらにどこからともなく聴き覚えない歌まで響いてくる始末。

 怖い物知らずのこの男も身の危険を感じた。

 

「おやおや、これは……非常にマズイ状況ですね」

 

 ジリジリと詰め寄る謎の怪奇。通常の人間ならここでパニックに陥るだろう。

 ところがどっこい天下の杉下右京は踏んできた場数が違う。彼は突如、ひらめいたかのようにスマートフォンを取り出して、アラームの音量を全開に設定。周囲に響かせた。

 

 突然の警報音に戸惑ったのか、冷たい空気が散って行き、ネズミたちが一斉に驚き、虫たちが行動を停止――歌まで止まった。

 右京はこの隙に林と反対の方向へ全力疾走――その場からの脱出を図る。

 ネズミや虫に怯えることなく、綺麗なフォームでその小さな頭上を飛び越える。地を這う者どもはその姿に恐怖したのか、道を開けるように散らばって行った。

 そのまま、右京は現役短距離走の選手にも匹敵しうる速度でその場を離脱する。遠ざかる人影を追う者は誰も現れなかった。

 

 

 怪異を撒いた紳士は息を切らしつつ街道らしき場所を歩いていた。

 

「ふう、心臓に悪い」

 

 謎の現象に見舞われて心身共に疲れているようだった。

 ハンカチで顔を拭きながら休める場所を探す。

 そこから数分後、一風変わった家を見つける。

 

「あそこは何の家でしょうかねえ?」

 

 昔の日本を思い起こさせるような作りだが、どこか中華風の印象も受ける。

 変な家だが、匠のこだわりを感じさせる。

 そんな建物が人気のない場所にひっそりと佇んでいた。

 

「綺麗な建物ですね。掃除も行き届いているようですし……。博物館でしょうかね?」

 

 右京はその建物を田舎の博物館だと認識し、折角なので入ってみる事にした。

 

 ――カランカラン!

 

「どなたかいらっしゃいますか?」

 

 来客の声を聞きつけた店主らしき人物が奥からやって来る。

 その人物はある意味、田舎らしくない服装した人物だった。

 

「いらっしゃいませ。ようこそ香霖堂(こうりんどう)へ――ん?」

 

「おやおや――」

 

 和製ホームズと店主は互いの見慣れない服装に戸惑い、言葉を詰まらせた。



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第2話 幻想の古道具屋

 暫しの間、二人は互いの姿を観察しあう。

 

 オールバッグに品のある眼鏡、サスペンダーが掛かったワイシャツにズボンとお揃いの上着と皮製のカバンを手に持つ紳士。

 かたや、白髪に眼鏡、さらに青を基調とした独特の着物風な衣装と、日常生活では中々、お目に掛かれない奇抜なファッションをした青年。

 

「(コスプレイヤーの方でしょうかねえ?)」

 

「(表の世界の人間……だよな? でも、霊夢もそれっぽい服装で里を歩いていたことがあったしなぁ。うーむ……一応、鎌でもかけてみるか)」

 

 右京は店主をコスプレイヤー、店主は相手を表の世界の人間と判断する。

 その間にもこの刑事は注意深く店内を観察していた。

 周囲を見ると最近では見かけることが少なくなった骨董品やレトログッズばかりが立ち並んでいる。

 古い掛け軸や壺、古風な置物、古書、錆びた球体、日本刀、旧式の写真機、頑丈さが売りな携帯ゲーム機、旧式のデスクトップ、謎の白い物体Xなど様々だ。

 

 立ち止まりながらもキョロキョロと目だけは動かす右京。

 店主はその様子に冷めた視線を送り続け、やっと気が付いた彼が軽く頭を下げた。

 

「これは、これは申し訳ない。素敵な物ばかりが目に映るものですからねえ。つい魅入ってしまいました」

 

「おぉ、そうでしたか!」

 

 素敵な物というフレーズに反応して、店主のテンションが一気に上がった。明らかに嬉しそうである。

 

「ここは……骨董屋さんでしょうか?」

 

「そんなところです。名前は“香霖堂(こうりんどう)”と言います」

 

「香霖堂ですか。お洒落な店名ですね」

 

「そう言って貰えると光栄です」

 

 気を良くした店主が自身の店について饒舌に語り出す。

 

「当店では他の店が扱わないような商品ばかりを扱っております。ご希望の品などがありましたら店主、森近霖之助(もりちかりんのすけ)に何なりとお申し付け下さい」

 

「ほう、森近霖之助さん……ですか」

 

 現代の青年の名前にしては珍しいなと右京は思う。

 店内の雰囲気も現代のそれとは明らかに異なり、まるで切り離された時間を歩んでいるかのような印象を受けた。

 店主、森近霖之助は続ける。

 

「はい、そうです。“どんな世界の人間”でも気に入る商品の一つや二つはあると思いますよ!」

 

「“どんな世界の人間”も、ですか」

 

「えぇ!」

 

 自信満々に答える霖之助。そこには一種の意図があるように見受けられた。

 右京は自身のカバンにしまう手紙の内容を思い返す。

 

 ――伝説の秘境“幻想郷”は実在した! 後はこの手紙が“表の世界”に居る誰かに届けば。

 

 幻想郷と表の世界という二つの言葉に注目する。

 

(幻想郷とは幻想の郷――存在しない幽霊や妖怪が居るとされる伝説の秘境……。そこから見た現代社会が表の世界だとすると――)

 

 右京はふふっと笑みを零しながら霖之助に問う。

 

「それでは店主。ここに“表の世界”の人間が読める本は置いてありますか? できれば“幻想郷”について詳しく書かれている本が良いのですが」

 

「んん!?」

 

 霖之助は動揺を隠せずに引きつった顔を見せた。商売人として相手の力量を探るためのちょっとした鎌かけのつもりだった。

 自分の知る限りこの地域で香霖堂を知らない者は少数派である。古道具屋を名乗る香霖堂を骨董屋と言うのも少し怪しい。

 ならば、外界の人間の可能性が高いと踏んだ霖之助はあの手この手でさり気無く右京の正体を見極めようとした。そこに予想以上の返事が返ってきたのだ。

 

 呼吸を整えた霖之助が口を開こうとするのだが、右京がそれを遮るようにポケットから財布を取り出し、お金を出して見せた。百円玉と千円札である。

 

「ところで、このお店で表の日本のお金は使用可能でしょうか?」

 

「そ、それは、もしや……」

 

「僕が日頃使っているお金です」

 

「うぉ……」

 

 霖之助は右京が見せた比較的状態の良い硬貨と皺の少ない紙幣に息を飲んだ。その様子はまるで子供の反応であった。

 右京は確信する。

 

「どうやら、ここは本当に幻想郷のようですねえ」

 

「えぇ、そうですが……」

 

 楽しそうにする右京と貨幣に釘づけの霖之助。

 この瞬間、このやり取りの主導権は右京が握った。

 商売人としては許されざる失態と言ってもよい。

 

 嬉しさと悔しさが同居した何とも言えない顔になった霖之助。

 反対に右京はにんまりとした顔で霖之助の表情を観察している。

 

「そう、ですね……幻想郷でそちらのお金は使えません。ですが――折角お越し頂いた訳ですし、当店の品物と交換というのはどうでしょう?」

 

「ほう、交換ですか」

 

「はい! もちろん無理にとは言いませんが」

 

 どうやら霖之助は表の日本の貨幣が欲しいようだ。でなければ幻想郷で価値のない日本円など要るはずがない。

 

 もちろん、上手く交渉する腹積もりだ。少しでも安い品物で貨幣を手に入れようと目論んでいる。

 右京が頷いた。

 

「なるほど、物々交換のようなものですね。わかりました。では、幻想郷について書かれた本を何冊か持って来て頂けますか? 中身を見た上で決めようと思いますので」

 

「かしこまりました」

 

 霖之助は店の奥に入って行き、幻想郷について記述のある本を持ってきた。

 右京はそれらの本に目を通す。

 時折、首を捻りながら、本と睨めっこする右京を見て「さすがに表の世界の人間には読み辛そうだな」と霖之助は考えていた。

 

 ――数分後、本を読み終えた彼は霖之助に言った。

 

「僕の世界では中々、お目に掛かれない本ですねえ。理解するのにそれなりの時間を要しますが、興味深くて、もっと読みたいと思ってしまう」

 

「そりゃあ、もう! 当店自慢の商品ですから」

 

「もしかしてこの本……お高いのではありませんか?」

 

「いえいえ、良心的な価格でご提供させて頂いております」

 

「それは、それは!」

 

 二人の間に独特の空気が流れる。

 客と店主のプライドを賭けた戦いだ。

 交渉を有利に進めるべく霖之助は右京に訊ねる。

 

「お客さん、先ほどのお金を見せて貰えませんか?」

 

「構いませんよ」

 

 そう言って百円玉、五百円玉、千円、そして、一万円を出して見せた。

 霖之助は恐る恐る、貨幣に触れる。それは霖之助の“とある特技”の発動を意味した。

 

(ふむ、これは歴とした貨幣だな。名前もそして――用途も判った)

 

 通称“道具の名前と用途が判る程度の能力”。

 

 信じられない話だが、この世界の住民は皆、特殊能力に近い物を持っている。霖之助はその能力を使い、貨幣を密に鑑定した。これで右京との交渉を有利にできる。

 後は値段をどう設定するか――いや、どの貨幣と交換するかである。

 霖之助的には千円札や一万円札が欲しい。おまけにこれらの本は幻想郷において大して価値のない本である。

 安値で売り払っても痛くも痒くもない。可能な限り、それらの古書を積んで紙幣を手に入れてやろうと目論んだ。

 霖之助は心の奥底で不気味に嗤う。

 そんなヤラシイ店主を見透かすかのように右京も要求する。

 

「店主――申し訳ないのですが、僕にも幻想郷で使用されているお金を見せて貰えませんか? 珍しい物を使われているのではと気になってしまいましてね」

 

「えぇ、どうぞ」

 

 霖之助は幻想郷の貨幣を右京の前に並べた。

 それは明治時代の物であった。

 

「これも珍しいですねえ~」

 

「そうですか」

 

「私も使ったことがありません。いやー、幻想郷は素晴らしい場所ですね!」

 

「いえいえ、外界から隔絶されているだけですよ」

 

 霖之助は照れているフリをしつつ、交渉の段取りを描いていた。

 ニヤリとする霖之助。右京がさり気無く訊ねる。

 

「これらの古書は幻想郷の価格だとおいくらなのでしょうか?」

 

 霖之助はしれっと答える。

 

「物にもよりますが、これらの商品だと――」

 

 一瞬迷ったが、紙幣と交換出来ればと考え、薄緑色の紙幣を指差した。

 

「この紙幣と同じくらいですかね」

 

「ほうほう」

 

 示したのは一円札であった。実際はそれより遥かに安い。

 というよりも右京の示した本は拾った物なので実質“ゼロ円”である。それを貨幣と交換しようと言うのだ。

 同じ紙幣ということで都合よく拾い物の書籍を千円札や一万円札に交換できればなと思ったのだろう。

 その直後、右京が笑みを零す。

 

「一冊で大体“三千八百円”ですか。結構なお値段ですね」

 

「なッ――!?」

 

 またもや予想外。

 霖之助は能力によって右京の持つ貨幣の価値を何となくだが、知ってしまっていた。

 もちろん、正確な日本の物価まではわからない。使われている背景を見ただけであるがそれが、かえって仇となった。

 声を荒げる霖之助に右京は口元を緩ませる。

 

「その表情だと表の日本の物価をご存じのようですね」

 

「いや、そんな事は――」

 

「明治時代の貨幣で物の取引が行われており、かつ書籍の文字も変体仮名が多く見受けられます。つまり、幻想郷は明治時代の文化を色濃く残している地域ということになりますねえ。

 現代日本の物価と明治時代の物価を比較すると現代日本の物価は三千八百倍と言われているので、一円は三千八百円くらいです。

 おまけに明治時代の一円は貴重であり、現在の日本で言う二万円程度の価値があったとか、なかったとか――」

 

 霖之助は心底思った。

 

 “勝負を挑む相手を間違えた”と。

 

 その後も右京のペースで交渉が進み、本は売れたものの当初設定した価格よりも遥かに安い値段で買われた上に雑談込みで幻想郷の話を根掘り葉掘り聞かれてしぶしぶ質問に答えさせられ、おまけに夜中まで掛かったという理由で自宅に泊めるハメになったツイてない森近霖之助なのであった。



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第3話 謎のアルバイター杉下右京現る!

 伝説の国、幻想郷。知る人ぞ知る妖怪の楽園。胡散臭い連中しかおらず、どいつもこいつも捻くれているので、何かあるとすぐ手製のカードを片手に殺し合いに興じる。そんな場所だ。

 

 私は今、薄暗い森の中に居る。そこいらに生えている茸と暇そうな妖精を横目に森を出て行く。

 

 と言っても、特にやる事もないので香霖堂に行くだけなのだが……。

 アイツの顔を見ても大して面白くはないとは思うが、暇つぶしくらいにはなるだろう。まぁ、修繕に出した衣装が直っていれば引き取ろうかな。

 

 そう思っていた。

 しかし、この時の私はまだ知らなかった。

 香霖堂が“あの男”に乗っ取られてしまった事を――

 

 

 昼下がりの青空の下、一人の少女がのんびり歩いている。金髪に白黒の衣装と帽子さらには箒を携えて香霖堂の正面に立ち、慣れた手付きでドアを開く。

 

 ――カランカラン!

 

「いらっしゃいませ。ようこそ香霖堂へ」

「よお、香霖(こうりん)。今日も来てやった――あん!?」

 

 白黒の少女は目の前の光景に口を大きく開けながら固まった。

 何故なら、そこに居たのは店主森近霖之助ではなく――

 

 エプロン姿をした“黒髪オールバックの紳士”だったからだ。

 紳士はメルヘンな少女の姿に驚くこともなく、キレのよい対応を見せる。

 

「おや、黒と白の衣装に大き目の帽子と手に持った箒……もしかして――霧雨魔理沙(きりさめまりさ)さんでしょうか?」

 

「あ!?」

 

 紳士は白黒の少女を霧雨魔理沙と呼んだ。

 少女は困惑するが、すかさず否定する。

 

「そんな奴は知らん! 人違いだ」

 

「おやおや」

 

「てか、アンタ一体誰なんだ? ここは白髪で眼鏡を掛けた陰険な店主の店のはずだが?」

 

「香霖堂店主、森近霖之助氏は今、体調を崩して休んでいます」

 

「なんだと!?」

 

 少女は紳士の言葉に思わず目を丸くしたが、冷静さを取り戻して彼の言葉を嘘だと断じた。

 

「そんな訳あるか! ここの店主は妖怪とのハーフなんだぜ? 体調を崩すなんてありえん!」

 

「確かに妖怪の血を引く方は病気に掛かりにくいと店主から聞きました」

 

「本当に聞いたのか怪しいもんだが、そういうことにしておいてやろう。それでだ、ここの店主は人間よりも頑丈だ」

 

「ええ」

 

「だから、体調不良で休むことはない。あったとしてもズルで休むくらいだ!」

 

「ほうほう」

 

「それに、ここの店主がアンタみたいな胡散臭いおっさんに店の管理を任せるとは思えん。あの店主は神経質だからな。物に少し触っただけで怒り出す。他人に管理を任せる訳がない」

 

「胡散臭いかどうかはわかりませんが、体調が優れない霖之助氏の代わりに僕が店番を引き受けたのは事実です。何なら、寝室の霖之助氏に直接、伺ってみたら如何でしょうか?」

 

 紳士は少女に霖之助を見に行くように促すが、少女は首を縦に振らない。

 

「はん! そうやって油断させる気だな! 判り切っているんだぜ?」

 

「何がでしょう?」

 

「とぼけたって無駄だ。私を寝室に行かせて背後から不意打ちでも浴びせるつもりだろ? 泥棒の手口なんてそんなもんだ」

 

「泥棒とは人聞きが悪い」

 

「事実を言ったまでだ」

 

 疑いの目を向けるどころか泥棒扱いする少女に紳士は口元を緩ませた。

 直後、紳士はクスクスと笑う。

 

「尻尾を出したな?」

 

「そうじゃありません。あまりにも人を信用しない人だなと思っただけです」

 

「お人よしじゃ幻想郷は生きて行けないんでな」

 

「なるほど。よいでしょう」

 

「なんだ観念したのか? 意外と早いな」

 

「観念も何も僕は泥棒じゃないので」

 

「じゃあ、何者だ?」

 

「そうですねえ……。昨日、幻想入りした表の世界の日本人と言えばよいでしょうかねえ」

 

「なんだって!?」

 

 少女はほんの少し声を裏返しながらも、目をあちこち動かして紳士を隅々までチェックする。

 

「(まぁ、幻想郷の人間って雰囲気でもないが……新手の妖怪であることも否定できん……)」

 

 首を傾げ判断に困る少女。

 不審者の身なりはワイシャツにエプロン、質のよさそうなズボンだ。

 

「(品物的にも結構、いい物使ってるんだよなぁ。アレは香霖でも作れん……)」

 

 少女はその辺りの事情に精通しているのか、紳士の身に付けている物で彼が幻想郷の外から来ていると認めざるを得なかった。

 

「ま、幻想郷の外から来た日本人ってのは認めてやる」

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

「が、泥棒って線は消えた訳じゃないぜ」

 

「そこは認めて貰えないのですね?」

 

「当たり前だ! アンタは外から来た癖に堂々とし過ぎだ。私はそんな奴を見たことがない――たぶん!」

 

「おやおや。随分、曖昧な言い方ですねえ。もしかして前例があるのでは?」

 

「そんな物はない」

 

 魔女は頭に緑髪ロングの少女の姿を思い浮かべるが片隅に追いやった。

 困った表情をする紳士だが、どこか余裕がある。

 

「やれやれ、困りましたねえ。僕は霧雨魔理沙さんへ衣装を手渡すために店番をしていると言うのに――これでは魔理沙さんがいらっしゃっても遠慮して入って来られません」

 

「……嘘だな」

 

「どうしてそう言えるのでしょう?」

 

「どうせ、適当にでっち上げてそれっぽい話を作っているだけだ」

 

「ふむ。では何故、僕は霧雨魔理沙さんの名前を知っているのでしょうかねえ」

 

「店主の話を盗み聞きしたんだろうよ」

 

「それは難しいかと。霖之助氏から霧雨魔理沙さんとは親しい間柄だと聞かされています。フルネームで名前を言う機会なんてまずないでしょう。だとしたら僕が知れるのは名前だけになりますねえ」

 

「店の中に苗字が記された物でもあったんだろうよ」

 

「例えば?」

 

「た、例えばだな……。その魔理沙とか言う奴の衣装の内側とかな!」

 

「なるほど!」

 

 紳士は少女の言葉に納得したように頷いた。

 少女は「ようやく、胡散臭いおっさんを一歩追い詰めた」と確信した。

 しかし、紳士は予想外の行動に出る。

 

「でしたら、衣装の内側を調べてみましょうか」

 

「なんだと!?」

 

 少女は急に焦り出した。まるで止めて欲しいと言わんばかりに。

 

 紳士は少女を無視して霖之助から預かっていた衣装をテーブルに置いて内側を調べようとする。

 白黒の魔女は慌てふためいた。

 

「ま、待て!」

 

「どうかしましたか?」

 

 少女が冷や汗をかきながらテーブルの服を奪おうとするが、一瞬早く、紳士に服を遠ざけられ、その童顔を真っ赤にした。

 

「か、返せ!」

 

「おやおや、何故ですか?」

 

「何故だと!? そんなの――」

 

 少女は紳士に自分の名前を名乗っていないと思い出して発言内容を変えた。

 

「女が自分の衣装を見ず知らずの男に触られるのは……その、誰だって嫌だと思う」

 

「そうでしょうね」

 

「だから私が確かめる」

 

「それはできませんねえ」

 

「はぁ!?」

 

「当然です。これは霧雨魔理沙さんの衣装なのですから。持ち主以外の人物に調べさせる訳には行きません」

 

「いや、その理屈は通らん! 男が女の衣装に触るなんてあってはならん!」

 

「ここの店主森近霖之助氏は“男性”ですよ?」

 

「“アイツ”は別だ!!」

 

 店主の話題になった途端、声を裏返して反論する少女。

 紳士はそこを見逃さない。

 

「“アイツ”ですか……」

 

「それがどうした!?」

 

「親しい仲なのだなと思いましてね」

 

「アイツって言ったくらいで親しい仲になるのかよ、表の世界では?」

 

「その割には必要以上に言葉に感情が入っていた気がしますがね」

 

「気が立っていただけだ。文句あるか?」

 

「特には」

 

「ふん!」

 

 少女は歯ぎしりしながら紳士を睨みつける。

 紳士は「やれやれ」と呟いて首を横に振る。

 

「どうしたら信用して頂けるんでしょうか?」

 

「私はアンタを信用しない」

 

「……さすがは“霧雨魔理沙”さん。霖之助君から聞いた通りの女の子ですね」

 

 彼女は紳士の言葉に眉をひそめる。

 

「あん? なんで私が霧雨魔理沙なんだ? 私は自分の名前なんて一言も言ってないぜ?」

 

「聞かなくてもわかりますよ」

 

「どうしてだ?」

 

「あなたは最初に店内へ入る際“香霖”と言って入って来ました。僕は彼から『魔理沙は僕の事を香霖と呼ぶ』と聞かされていましたのでね。それにこの服も魔女風の物です。霧雨魔理沙さんは“普通の魔法使い”だそうですからきっと、普段から魔女の恰好をしていると思われます。そう、今のあなたのように」

 

「……幻想郷には魔女なんていくらでもいる」

 

「まぁ、皆さん空を飛べるそうですしねえ。あなたも飛べるのですか?」

 

「飛べるかも知れんし、飛べないかも知れん」

 

「そんな言い方をされたら余計、気になりますねえ。詳しくお話をお聞きしたくなります」

 

「はぁ……」

 

 少女は疲れたのか、近くの椅子に腰を掛けた。

 一方、紳士はまだ余裕がありそうだ。ニコニコと笑っている。

 不毛な言い争いには自信があった少女もこれにはウンザリだ。

 

「ったく、やってられん」

 

「そうですか。僕は結構、楽しいですよ?」

 

「どうかしてるぜ……」

 

 少女は舌を出しながら紳士を挑発するも、その涼しい顔を変えることはできなかった。

 それから数分後、グロッキー気味の霖之助が店内にやって来て、ようやく紳士の疑いが晴れた。

 同時に店内で知り合いの少女がぐったりしているのを見た霖之助は「“魔理沙”の奴も“杉下右京”にやられたな……」と内心憐れむのであった。



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第4話 古道具屋店主の憂鬱

 霖之助が事情を話したことで黒白の少女こと霧雨魔理沙は胡散臭いおっさん改め杉下右京を泥棒ではないと渋々認めた。

 

 右京は「霖之助君どうもありがとう」とお礼を述べると霖之助が「いえいえ……」と目線を逸らしながら、近くにあった椅子に腰を下ろす。

 

 店主から聞いた事実を独自解釈した上で魔理沙が簡潔にまとめる。

 

「つまり、表の世界から幻想郷に迷い込んだおっさんが香霖堂にやって来て接客していたら何時の間にか居座ってたってことか」

 

「僕は居座った覚えはありませんがねえ。ただ、右も左もわからないので泊めて欲しいと頼んだだけです」

 

「そして、店主の代わりに店を管理して、よい品物がないか物色する機会を伺っていた」

 

「あなたはたった今、僕が泥棒じゃないとお認めになったではありませんか」

 

「次は詐欺師の線を疑っているんだぜ」

 

「本当に疑り深い方ですね。親御さんの顔が見てみたいものです」

 

「ふん、大した顔じゃないがな!」

 

 親の話が出た途端、彼女がへそを曲げた。

 右京は相変わらず、スマイルのままだ。

 話を逸らすため魔理沙が霖之助へと視線を移す。

 

「ところで香霖。お前が身体を悪くするなんて随分、珍しいな。何があった?」

 

「いや、そうじゃないが……」

 

「む。らしくない態度だな」

 

 ばつの悪そうな霖之助を見て訝しむ魔理沙。次第にとある人物の関与を疑い始める。

 

「おっさん、香霖と何があった?」

 

「あなた――もう少し綺麗な言い方があるでしょう?」

 

「あん?」

 

「目上の人物に“おっさん”はないでしょう?」

 

「だが、私からすればおっさ――」

 

 直後、右京は笑顔で魔理沙の視界を塞ぐように顔を近づける。

 魔理沙は驚いて仰け反った。

 

「あなたからすれば“おじさん”と呼ぶのが適切です」

 

 笑顔という名の圧力であった。

 魔理沙は顔を引きつらせ、その圧力に屈した。

 

「あー……わかった、わかった、わかったぜ……おじさん」

 

 目当ての単語を少女から引き出した彼は満足したのか、元の位置に戻って話を再開させる。

 

「ふふ、何でしょうか魔理沙さん?」

 

「……香霖と何かあったのか?」

 

「特に変わったことがあった訳ではありませんが、昨日お会いしてからずっと幻想郷の話や妖怪、幽霊、道具などの話で盛り上がってしまいましてね。夜遅くまで付き合わせてしまったのですよ。いやー、申し訳ない」

 

 確かに霖之助は疲れたような表情をしている。目に隈を作り、昼を過ぎたとの言うのにボサボサ頭だ。本当に休んでいたのだろう。

 だが、魔理沙はそれだけではないと直感する。

 

「なるほどねぇ。どうりで寝不足って感じな訳だ。しかしだな、たかが寝不足で香霖が仕事を休むとは思えん」

 

「久しぶりの徹夜だったから疲れたんだよ。僕だって疲れることくらいはあるさ」

 

「そこのおじさんは元気なのにか?」

 

「僕は徹夜には慣れていますから」

 

 同じ時間を過ごした両者のテンションは明らかに違っていた。

 右京は笑顔、かたや霖之助は暗い顔。

 まるで勝者と敗者である。

 何かあると悟った魔理沙は真相を探りに掛かった。

 

「おじさん、幻想郷に来てからのことを一から教えてくれ」

 

「一からと言うと……どの辺りからにしましょうか?」

 

「そうだな――幻想郷に足を踏み入れた時からでいい」

 

「わかりました」

 

「!?」

 

 彼女の問いに右京は快く頷く。

 霖之助が「おいおい、魔理沙――」と口を挟もうとするが、顔をニヤつかせた魔理沙に制止された。

 

 右京はとある神社を散策中に偶然、石と骨が無造作に置かれた広場に迷い込み、見えない物や害虫と鼠、さらには怪しげな歌が聞こえてきたので咄嗟にスマートフォンのアラーム音を鳴らし、隙を作って逃げてきた事を話した。

 

 魔理沙は「表からやって来た人間が良く無縁塚から生還できたもんだな……」と呆れ顔で外来人を見た。

 

 無縁塚とは幻想郷で一番、危険な場所である。霖之助曰く、無縁塚とは身寄りのない者たちの集団墓地みたいな場所であり、外からの漂着物がよく流れ着くので、それを狙う妖怪や命知らずの人間が定期的に訪れているらしい。

 

 霖之助も商品を集めるため、暇を見て無縁塚に足を運ぶそうだ。

 彼は妖怪とのハーフなので人外たちも手を出さない。

 

 しかし、人間のような弱い生き物は妖怪の餌でしかない。そこに辿り着いた表の世界の人間は食べられてその生涯を終えるケースが多く、霖之助から話を聞かされた右京は「僕は運がよかった訳ですか」と真顔で答えている。

 

 そして、話は右京が香霖堂を訪れて店主と交渉している所に差し掛かる。

 やけに霖之助が慌てているので、魔理沙は「詳しく教えてくれ」と念押しし、右京が要望通りに詳細を語った。

 

 数分後、先ほどの不機嫌が嘘のように少女が腹を抱えて笑い出した。

 

「だっははははははッ!! そういう事かー! 香霖が寝込んだ理由がわかったぜー!」

 

「それはよかった」

 

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ……」

 

 爆笑する魔理沙は悔しがる霖之助を余所に彼が体調不良に陥った真相を饒舌に語り出す。

 

「まさか、天下の香霖堂店主である森近霖之助様が外からやって来たばかりの何も知らないおじさんにタダで拾った本を“一冊一円”で吹っ掛けようとしたら思わぬ反撃に遭い適正価格で買われてしまったなんてな!」

 

「それくらいの……価値がある本だと思ったのさ……」

 

「おまけに雑談ついでに幻想郷のことを教えて知識を与えた挙句、寝床も用意するハメになった――くくく、それは私でも寝込んでしまうぜ!」

 

「うぐぅ……」

 

 魔理沙の解説にぐうの音も出ない霖之助。

 さすがにそれは可愛そうと思った右京が助け舟を出す。

 

「いえいえ、そうとは限りませんよ。僕にとって幻想郷の本は貴重です。それを加味して霖之助君は値段を設定したのです。そこを僕があの手この手で値切っただけです。それに霖之助君は僕が選んだ本を拾ったとは口にしませんでした。

 なので、僕は普段通りの値段で買わされたと言う事になります。つまり、商売人として霖之助君は利益を得た。利益を出した以上、この勝負は霖之助君の勝ちだと言えますねえ」

 

「確かにおじさんの言う通りだな香霖! ぷぷっ!」

 

「……」

 

 香霖堂の商品は拾い物がほとんどなので実質ゼロ円である。

 

 おまけに買いに来る者もあまり多いとは言えないので、儲けられる時は少しでも儲けたかった。そこに幻想郷のレートを知らない右京が現れたので本来ならチャンスのはずだった。

 それを右京の手腕で潰された挙句、商売人の命たる情報を聞き出されて寝床まで用意するハメになったのだ。

 これは香霖堂始まって以来の大敗北である。年齢も妖怪とのハーフである霖之助のほうが年上であり、年下の――それも外の人間にこんな真似されては、さすがにショックを隠せないだろう。

 おまけに自分を追い詰めた相手にフォローされるという何とも情けない結末に霖之助は反論するのを止めた。

 右京が霖之助を気遣う。

 

「霖之助君、随分とお疲れのようですねえ」

 

「ええ……」

 

「それはよろしくありませんねえ。是非元気になって貰いたい所です」

 

「そんな簡単に元気になれるような物ではありませんよ……」

 

「心の傷だもんな~」

 

 魔理沙はそう呟きながら霖之助の肩をポンっと叩いた。

 励ましか追い打ちなのか、よくわからない行為に当の本人はムスっとした表情を見せた。

 その光景を見てか、右京はある提案をする。

 

「でしたら、僕が一役買わせて頂きましょう」

 

 彼の言っている意味がわからず、二人は顔を合わせる。

 キョトンとする二人を尻目に右京が霖之助に訊ねる。

 

「霖之助君、君の家にはティーポットがありますね?」

 

「ええ、ありますが……」

 

 見せた訳でもないのに何故、知っているんだ? という顔を浮かべる霖之助。

 右京は両手をパンと叩いた。

 

「それはよかった! これで僕、自慢の“紅茶”を淹れることができます」

 

「「紅茶?」」

 

「ええ、僕は紅茶が大好きでしてね。いつでも飲めるよう、常にカバンの中に入れて持ち歩いて居るんですよ」

 

「紅茶ですか」

 

「はい、僕オススメの疲れに効く紅茶です。当然、味も保障しますよ」

 

 霖之助は面倒なことを言い出したなと思い、怠そうな態度を取った。

 そんな店主の姿を面白く思ったのか、友人である魔理沙は右京を援護する。

 

「いいじゃないか香霖! せっかく外の紅茶が飲めるんだし、ご馳走になろうぜ! だから、早いとこティーポットを用意してやれよ! もちろん、ティーカップもだぞ」

 

「魔理沙……」

 

 彼女にまで言われてしまったら、どうしようもない。

 霖之助は渋々、ティーポットとティーカップを用意しに台所へ入って行った。

 

 その際、魔理沙は「私の分もよろしく」と右京に告げ、彼もまた「もちろんです。あなただけ除け者なんてマネはしませんよ」と返す。彼女は「良い心掛けだぜ」と親指を立てた。

 

 これより、香霖堂店内にて杉下右京主催の小さな茶会がその始まりを告げる。



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第5話 杉下右京の小さなお茶会 その1

 台所に入った霖之助はこれといった特徴のないティーポットとティーカップ三つを店内に運び入れてからお湯を沸かす。

 

 それに合わせて右京がカバンの中から紅茶の入った容器を取り出し、紅茶を淹れる準備を始める。

 魔理沙はその様子をテーブルから身を乗り出しつつ、眺めていた。

 

 店内が賑やかになり始めた矢先、香霖堂のドアが開く。

 

 ――カランカラン!

 

「霖之助さん、居るかしら?」

 

 黒い長髪と大きな赤いリボンに肩が露出した巫女服のような服装の少女は店主の名前を呼びながら店内へ入ってきた。

 謎のアルバイターは先ほどと同様の対応をみせる。

 

「いらっしゃいませ」

 

「え!?」

 

 少女は見知らぬ紳士が香霖堂に存在する事実に驚いて固まった。

 しかも、店員のように接客し、なおかつ紅茶を淹れようとしているのだ。

 あまりに香霖堂らしくない光景に入る場所を間違えたのかとすら考えた。

 混乱する少女に魔理沙が言う。

 

「よう霊夢(れいむ)。今から茶会なんだが、お前も飲んでいくか?」

 

「茶会? どういうことなのよ、魔理沙」

 

 少女はこの状況で普段と同じテンションのまま手招きしてくる魔理沙に呆れる。

 彼女は魔理沙の友人、博麗神社の巫女、博麗霊夢(はくれいれいむ)であった。

 

「聞いて驚け、外から来た日本人が淹れるオススメの紅茶だぞ」

 

「はぁ?」

 

 霊夢は訳がわからず、顔を顰める。

 

「えぇ、僕自慢の紅茶です。きっと、気に入って頂けると思いますよ」

 

「はい?」

 

 状況が掴めない霊夢はさらに顔を顰める。

 

 霊夢は右京に訳を訊ねようとしたが、店の奥からひょっこり顔を出した霖之助に気を取られた。

 色々な出来事があり過ぎて酷い顔になった霖之助を彼女が心配するも。

 

「ちょっと、霖之助さん。顔色悪いじゃない!? どうしたのよ!?」

 

「あぁ、霊夢か……。今、お湯を沸かしているから少し待っててくれ」

 

 霖之助は心ここに非ずといった感じで台所へ戻って行った。

 霊夢の頭は疑問符でいっぱいだ。

 そこに魔理沙が意味深なセリフで追い打ちを掛ける。

 

「色々あったんだよ……」

 

 続いて右京も「ええ、色々あったようですねえ……」と呟く。

 

「なんなのよ、これ」

 

 二人の言葉を受けて〝なんじゃこりゃ〟な状態になった霊夢はため息を吐きながら、考えることを止めて魔理沙の左隣に座った。

 

 ――数分後、お湯が沸き上がり、霖之助が魔理沙の右隣に座る。テーブルに着く三名が右京の行動を物珍しそうに見つめる。

 和製ホームズは涼しい顔をしながらお得意の技を披露する。

 

 ――ジョロジョロ!

 

 いつもの三分の一くらいの高さから紅茶を注いだ。理由は紅茶が飛び跳ね、少女たちの顔に掛かってしまうからである。

 

「「「うお!?」」」

 

 三人は紳士の一風変わった淹れ方に驚きつつも「これが表の紅茶の淹れ方か……」と呟く。

 

 直後、右京は「これは僕オリジナルの淹れ方です。いつもはもっと高い位置から淹れています」と語り、三人を拍子抜けさせた。

 全員の紅茶を用意した右京が皆に告げる。

 

「どうぞ、お召し上がりください」

 

 店内に漂う紅茶の匂いは様々な茶葉がブレンドされているためか、少々複雑だったが、彼らの気分を安らげるには十分だった。

 三人は期待を膨らませながら一斉に紅茶を手に取る。

 

「いい香りだな」

 

 霖之助はその芳醇な香りを楽しむ。

 目の前の紳士はその行動にこそ理解しがたいところがあるが、この紅茶を見るにそのセンスは本物だろうと確かな期待感を得た。

 ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりとティーカップを口元に近づける。その複雑だが洗練された香りをまとった高貴なる液体が次第に……次第に……次第に……霖之助の舌を流れ――。

 

「この紅茶うめぇ!!」

 

「美味しい!!」

 

 魔理沙と霊夢は右京の入れた紅茶を絶賛した。

 霖之助は二人の声に驚いてその手を止めた。

 

「君たち、香りを楽しむってことを――」

 

「あの館で飲む紅茶はあんまり美味しくないから、大丈夫かと思っていたが、表の紅茶は別物だぜ!」

 

「私もそう思っていたけど、この紅茶は違うわねー。よくわからないけど美味しいわ」

 

「それはよかった。この紅茶は僕が専門店に出向いて色々な茶葉を混ぜて作った傑作なんですよ」

 

「茶葉を混ぜたのか? 通りで味が複雑な訳だぜ」

 

「へー。茶葉って混ぜるといいのね。私も混ぜてみようかしら。緑茶だけど」

 

「……」

 

 魔理沙たちと右京は紅茶の話題を中心に会話を弾ませる。

 

 元々、誰のためにこの茶会は開かれたのだろうかと思いつつも気を取り直して霖之助は一人静かに紅茶を飲み、小さく唸る。

 

「(これは美味いな。魔理沙の言う通り香り同様、複雑な味なのだが、全体のバランスがよく、互いの味を潰すことがない。それどころか飲めば飲むほど、また飲みたくなる。癖のある紅茶なのに嫌味のない味とは――)」

 

「おい香霖! 何か菓子を持ってきてくれ」

 

 インテリな店主に味を楽しむ暇はない。

 魔理沙が菓子をねだり始めたのだ。霊夢も便乗して「紅茶には甘い物よね」と言う。

 二人に催促されるのは癪だったが、自分も菓子が欲しくなったので「わかった」と頷き、霖之助は渋々、台所へ向かった。

 その様子に右京はプライドが高く皮肉屋だが人に振り回される体質だった、かつての“相棒”の姿を重ねてこう例えた。「まさに“尊”な役割だな」と。

 霖之助が菓子を持ってくると茶会は一層、盛り上がった。



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第6話 杉下右京の小さなお茶会 その2

 菓子が加わり、茶会はさらに華やかになった。

 

 人を疑うのが特技の魔理沙も、皮肉屋の霖之助も、さっきやって来たばかりの霊夢も幻想郷らしからぬパーティーにご満悦の様子だった。

 

 紅茶を満喫した霊夢がふと目の前の紳士に目をやってから魔理沙の方を向いた。

 

「ところで魔理沙。この人は一体誰なの?」

 

「外からやって来た日本人だ」

 

「いや、そうじゃなくて」

 

「それ以外はよく知らん」

 

 魔理沙は霖之助からそれなりの説明を受けたが、半分以上聞き流しており、詳しい事まで覚えていなかったので霊夢の質問を突っぱねた。

 呆れた霊夢は右京の顔をチラっと見ると、彼は笑顔で答えた。

 

「僕は杉下右京と言います。日本の首都東京からここ幻想郷にやって来ました」

 

 霊夢は幻想郷ではほとんどお目に掛かれない紳士的な振る舞いに思わず背筋をピンとさせる。

 

「わ、私は博麗霊夢です。幻想郷の東側にある博麗神社で巫女をやっています」

 

「おぉ、あなたがあの博麗霊夢さんでしたか」

 

「え、私を知っているんですか!?」

 

 顔も知らない人間、それも外から来た紳士が自分の名前を知っていることに霊夢は驚きを隠せない。

 動揺する少女に右京が付け加える。

 

「昨日、霖之助君からお話をお伺いしました。何でも幻想郷の平和を守っているそうですねえ。しかも妖怪相手から」

 

「えーーーと、まあーそんなところですかね!」

 

 幻想郷の平和を守っていると言われた事が余程嬉しかったのか、霊夢はやたら上機嫌だ。

 隣の魔理沙は「コイツ、褒められるのに弱いよな」と内心、呟く。

 

「それは素晴らしい! 僕も職業柄、そんなあなたに尊敬の念を抱かずには要られません」

 

「職業柄?」

 

 魔理沙は「詐欺師が妖怪ハンターに尊敬の念を抱くのか?」と疑問に思う。

 彼女同様、言葉に引っ掛かりを感じた霊夢が質問する。

 

「杉下さんのお仕事ってなんですか?」

 

「僕はですね――」

 

 そう言いながら右京は金メッキで塗装されたエンブレム入りの手帳を霊夢たちへとかざす。

 その手帳には青い制服を来た若かりし頃の彼の姿があった。

 二人は写真を見て「随分若い頃の写真を使っているな」と思った。

 少しして右京がその正体を明かす。

 

「日本の“警察官”――つまり、お巡りさんです」

 

 その発言に二人は思わず叫ぶ。

 

「お巡りさん!!」

 

「なんだってーー!?」

 

 口元を抑える霊夢と机から転がり落ちそうになった魔理沙を尻目に予め彼から教えられていた霖之助はケロっとしながら紅茶を啜っている。

 予想以上のリアクションに右京は思わず笑ってしまう。

 

「ふふっ、そんなにおかしいでしょうかねえ~?」

 

「いや、その表のお巡りさんって見たことないので……」

 

「私は詐欺師だと思ったんだがなぁ……」

 

「残念でしたね。僕は詐欺師を捕まえる立場の人間なのです。当然“泥棒”もです」

 

「……」

 

 右京は魔理沙を見ながら“泥棒”という言葉を強調した。

 何かに勘付いた魔理沙は隣に居る霖之助を横目で睨む。

 睨まれた本人は涼しい顔で紅茶を飲み、彼女と視線を合わせない。

 魔女は声をうわずらせながらも他人事のように語る。

 

「た、確かにお巡りさんなら泥棒を捕まえるのが仕事だよなぁ。私には関係ない……話だが」

 

「どこがよ」すかさずつっこむ霊夢。

 

「何故、私を見る? 私は人から物は借りるだけだ。なぁ香霖?」

 

「はぁ……」

 

 この霧雨魔理沙は一方的に借りた物を借りっぱなしにする性格なのである。おまけに妖怪相手に自分が死んだら取りに来いと言い放つ始末。

 そのような泥棒の肩を持つ者は誰も居なかった。

 彼女に対して右京が忠告を行う。

 

「人から物を借りるという行為は相手が同意して初めて成立します。相手の同意無く勝手に物を借りてゆく行為は泥棒と同じです。

 例え、相手が“誰であろう”ともです。聡明な魔理沙さんのことですから、それくらいは当然、ご存じでいらっしゃいますよね?」

 

「あぁ、そうだな。私には関係ないが!!」

 

「「……」」

 

 呆れる二人を余所に腕を組みながら魔理沙は余裕ぶった表情を見せ、刑事もまた相応の笑顔で対応する。

 

「……今のところは“そういうこと”にしておきましょう」

 

 彼は実際に“借りる”現場を目撃していないので、これ以上の追求を避けた。

 無関心を装いながらも内心で彼女は「厄介な奴がやって来たな……」と刑事への警戒心を強めた。

 

 友人の心境を察したのか、霖之助は愉快そうにクスクスと笑う。

 笑い声を耳に入れた魔理沙は憤慨しながら両目を閉じた。

 そのやり取りの後、霊夢が気になっていたことを質問する。

 

「杉下さんがお巡りさんだと言うことはわかったけど、どうして幻想郷に迷い込んでしまったんですか?」

 

「とある神社を調べていた際、林の奥が気になりましてねえ。奥へ進んだのですが、途中から気味が悪くなって引き返したら神社ではなく、無縁塚と呼ばれる場所に辿り着いてしまったのですよ」

 

「無縁塚に!? よく無事で居られましたね」

 

「えぇ、なんとか」

 

 ケロっと話す右京に呆れる霊夢。他の二人も話を聞いた時は呆れたほどである。それほど、無縁塚とは危険な場所なのだ。

 霊夢は顎を手に当てながら「このおじさん、普通じゃないわね」と目を細めた。

 次に魔理沙が問う。

 

「でも、なんで神社なんか調べていたんだ? 探し物か?」

 

「いえ、人探しです」

 

「「人探し?」」

 

 神社で人探しという状況に首を傾げる少女達。

 

「そうです。この手紙を書いた人を探している最中、僕は幻想郷に迷い込んでしまったのですよ」

 

 そう言うと右京は手元に置いていたカバンから一枚の手紙を出してそっとテーブルに置いた。

 三つ折りにされた質のよい紙に綺麗な文字が書かれている。

 少女たちは手紙をじっくり眺める。

 

「綺麗な字だな。女の字か?」

 

「そうねえ。でも、私たちの使う字と違うから、少し戸惑うわね」

 

「この字は表の日本で使われる文字です。幻想郷ではあまり馴染がありませんよね」

 

「まぁ、表から来た奴らがたまに使うところを見たことはある」

 

「それは里に居る表から来た日本人ですか?」

 

「ああ、そんなところだ」

 

 右京は霖之助から幻想郷の成り立ちと里の現状とそれを取り巻く妖怪たちの話を聞かされていた。

 

 幻想郷は本来、どこかの東の国にある人里離れた辺境の地であり、元々妖怪たちが住んでいた。そこに妖怪退治目的で人間が集まるようになり、文化を発展させながらその数を増やした。

 人間の増加に伴い幻想郷のバランスが崩れると危惧した“とある妖怪賢者”が五百年前、国内外問わず妖怪を呼び込む結界を張ってから妖怪の数が増加し、幻想郷内のバランスを取ることに成功する。

 

 明治時代に入ると近代化の影響で妖怪や幽霊と言った存在が迷信扱いされ始めたのを機により強力な結界が張られ、稀に右京のような迷い人が流れ込む事があるが、幻想郷は外界との交流を遮断して独自の文化を築き上げて行った。

 

 初めてその話を聞いた時はさすがの右京も困惑したが、霖之助が嘘を吐いているとは思えず、彼の話を一旦、事実として受け入れた。

 そのおかげで右京は昨日ここに来たばかりにも関わらず、こうして平然と幻想郷に馴染んでいるのだ。

 全ては博識な霖之助の力による物だ。右京が幻想郷に来てすぐにこの店を訪れられたのは幸運だったのかも知れない。

 魔理沙の話を聞いた右京は少女たちへ頼みごとをする。

 

「里に居る、表の日本人に会ってみたいですねえ。お二人共、僕を里まで連れて行ってはくれませんか?」

 

 二人は一瞬戸惑うが「紅茶を貰ったしねえ……」と呟き、承諾する。

 

「私は構いませんよ。ついでに買い物したいと思っていたので」

 

「まぁ、美味い紅茶と菓子をご馳走になったしな。特別に案内してやるぜ」

 

「ありがとうございます」

 

 三人がやり取りをしている最中、霖之助は「菓子は僕が出したんだが?」と突っ込むが、二人は相手にしなかった。

 それを耳に入れた右京が「お礼に後で表の世界のお話をお聞かせします」とこっそり耳打ち。霖之助は満更でもない表情で頷く。

 しかし、そこは杉下右京。すかさず「今日も遅くなるのと思うので泊めて下さいね」と告げて、返答を待たず、少女たちと共に香霖堂を後にする。

 霖之助は深くため息を吐きながら、茶会の後片付けを始めた。



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第7話 人間の里にて その1

 香霖堂を後にした三人は徒歩で人間の里を目指す。

 道中、右京は二人に質問する。

 

「お二人は普段、何をなさっているのですか?」

 

 少女たちが一斉に同じ言葉を口にした。

 

「「妖怪退治です(だぜ)」」

 

 タイミングが被ったため、二人は互いに顔を合わせて苦笑う。

 

「おやおや、元気ですねえ。確か、戦闘にはスペルカードを使うのですよね?」

 

「そういう決まりだからな!」

 

「ちなみに見せて貰ってもよろしいですか?」

 

「特別だぜ?」

 

 先んじた魔理沙が何やら魔術的な模様が書かれた黒い札をポケットから出してみせた。

 右京は興味深そうにあちらこちらからスペルカードなる物をじっと見つめる。

 その真剣さに魔理沙が「あげないぜ?」と冗談を語った。

 

「ふふ、さすがの僕もそこまで頼んだりしませんよ」

 

 ライバルに触発されたのか、今度は霊夢がスペルカードを取り出した。

 

「ちなみに私のはこんな札です」

 

「ほう、陰陽玉ですか。興味深いですねえ~」

 

 霊夢のスペルカードには陰陽玉が書かれていた。まさに神道に属する巫女が使うスペルといったところだろう。

 

 対抗心をくすぐられた魔理沙が「私のほうが強そうだな」と言い出し、霊夢も「私のほうが強いと思うけど? いつも勝ってるし」と反論――何故か物凄い言い争いになった。

 右京は周りを見渡し、この場所が人里から離れていることを確認してから「誰も居ませんし、ここで戦って決めれば良いのでは?」と提案する。

 

 提案に乗った二人は「「上等!」」と啖呵を切り、スペルカードで決闘を始める。

 カードを引き抜き、一気に空中へ上昇。高速で宙を駆けながら光る弾や星を飛ばして激しく撃ち合う。

 その戦いに紳士は目を見開きながら感嘆する。

 

「これは凄いですねえ~。まるでハリーポッターの世界ですよ! 全く――霖之助君に話を聞いていなかったら腰を抜かしていたところです」

 

 事前知識がなければ流石の右京も今以上に驚いていたに違いない。

 人が単独で空を飛び、掌から攻撃を発射し、それを掻い潜りながら反撃するなど現実の世界で信じる者など誰も居ない。まさに幻想の世界の出来事だ。

 

 小型弾幕の応酬の末、火力が足りないと踏んだ魔理沙は自身の持つ高火力型のスペル《マスタースパーク》を放った。大型のレーザーが霊夢、目掛けて飛んでいく。

 

 霊夢はそれを下に潜り込むように回避。射程から逃れると、自慢のスペルである《夢想封印》を発動――魔理沙への反撃を行う。

 対する魔理沙は不規則な軌道で迫りくる多数の大型虹色玉を、ミニ八卦炉というマジックアイテムをセットした箒が生み出す爆発的な推進力で、無理やり振り切る。

 

 力の魔理沙に技の霊夢。

 個性の異なる二人の異次元的な戦い方に右京の感激は止まるところを知らない。

 しばらくして、魔理沙が霊夢の攻撃で被弾して墜落したところで決闘終了。

 軍配は霊夢に上がった。彼女は余裕の笑みで右京の近くに着地する。

 

 負けた魔理沙は砂埃をほろってから渋々、歩って来た。

 右京は彼女に「大丈夫ですか?」と訊ねるが、本人は「平気だぜ」と強がった。

 

 幻想郷ではこうしたバトルが日常的に行われている。一歩間違えば大けがだが、そこは加減しているので何とかなっているらしい。

 

 右京も「ここの人間は頑丈なのだろう」と思い、ニコニコしながら二人の様子を見守っていた。もし、万が一にも現実世界で子供がこんな遊びをやっていたら、警察官である彼は間違いなく止めに入るだろう。

 

 二人の決闘が済んだところで右京達は里へと向かう。

 

 

「ここが人間の里ですか」

 

 徒歩二十分程度で右京らは里の入り口に辿り着く。

 里の姿は、昔の日本の田舎を思い出させるくらい素朴だった。

 

 アスファルトが使われていない大通りに木製の家屋、着物を着て歩く女性に柄の入った袴を穿く男性、通路の脇に止めてある手押し車に、布の紐で赤ん坊を縛って背中に背負う母親。

 右京はタイムスリップを経験したかのような錯覚に陥るが、すぐに感想を述べる。

 

「素晴らしい場所ですねえ」

 

「何もない場所だと思うがな」

 

「私は悪くないと思うけどね」

 

 捉え方は三者三様だが里の入り口で微笑んでいるのは皆、同じであった。

 それから三人は表の日本人が働いている場所へと向うべく中へと入る。

 少女たちは大通りから三分程歩いた場所にある一軒の豆腐屋へ彼を案内した。

 

「ここで表の日本人が働いているのを見たぜ」

 

「店員さんだったわよね?」

 

 二人は扉を開ける。

 

 そこには恰幅の良い五十代前後の店主らしき人物が従業員と思われる三十代前半の大人しそうな短髪の男性店員と雑談する姿があった。

 

 彼らは来客を確認すると軽く挨拶をする。

 その際、右京と店員の目が合った。青年はどこか驚いたようにスーツ姿の紳士を見つめていた。

 先に右京が挨拶する。

 

「こんにちは、僕は杉下右京と言います。東京から参りました」

 

 店員は言葉に詰まるも、頭を下げつつ応対する。

 

「あ、どうも……俺は佐藤淳也(さとうじゅんや)です。六か月くらい前に幻想郷へ辿り着いて……今はここでお世話になってます」

 

「そうですか。その白い作業着――とてもよくお似合いですよ」

 

「はは、どうも……」

 

 店主の許可を取り、この店員と店内で立ち話をする。

 

 彼の名前は佐藤淳也。三十歳の元会社員で営業をしていた、どこにでもいる普通の男性だった。

 

 右京は自分の素性を有りのまま語った。

 淳也は相手が刑事であるという事実に驚きながらも、自分がこうなった経緯を説明した。

 

 要約すると淳也は一年前、仕事の辛さから会社を辞職し、職を探すも一向に見つからず、自殺を考えて富士の樹海に足を踏み入れたところ、幻想郷の竹林に辿り着いたらしい。

 

 そこで遭遇した妖怪、妖精、幽霊などの超常的な存在に命を狙われ、絶体絶命のピンチに陥るも自称健康マニアの白髪少女に救われて人里に連れて来られた。

 そして、彼女から里で顔の効く寺子屋の先生に口利きして貰い、里で住む場所と働き先を得たそうだ。

 話を聞いた右京は同情を示す。

 

「それは大変でしたねえ」

 

「はい……。自殺しようとしたらまさか妖怪の国に迷い込んで殺され掛けるなんて思ってなかったものですから」

 

「しかし、そのおかげであなたは自殺を踏み止まった。死の恐怖を知ったからですね?」

 

「はい、お恥ずかしい話ですが……」

 

 淳也はどこか内気な部分が見受けられる男性だった。自分の足で稼がないと行けない営業の仕事もこれでは大変だなと初対面の人間に思われるほどに。

 警察官としてこの迷い人をどうするべきなのか。迷った末、右京はこのような質問を行った。

 

「あなたは今、幸せですか?」

 

 淳也は恥ずかしげに答えた。

 

「はい。とても」

 

 彼は現状に満足していた。現代社会で行き場を無くした青年は奇しくもこの幻想の世界で居場所を得たのだ。生活はきっと豊だとは言えないだろうが、それでも現実世界で得られなかった幸福を得られたのだ。

 その返事に右京が静かに頷く。

 

「それはよかった」

 

 二人の会話を聞いていた少女たちと店主も心なしか嬉しそうだった。

 それに気が付いた淳也は顔を赤くしながらも、右京へ不安げに訊ねる。

 

「あの……もしかして、俺は表の日本に連れ戻されるんでしょうか?」

 

「どうして、そう思われるのですか?」

 

「いや、なんか、刑事さんが来たって聞いたら元の世界に強制送還されるのかな? って思っちゃいまして……」

 

 右京はついつい笑ってしまう。

 

「刑事は犯罪者を捕まえるのが仕事です。何の罪も犯していないあなたをどうこうするのが仕事ではありません。

 もし仮にあなたが表の世界へ帰りたいと願うなら、協力するつもりでしたが、あたなにその意思はなく、ここでの生活を願っている。そのような人物を強制的に連れて行くなんてことは、僕には到底できませんねえ」

 

 予想外の言葉に青年は面を食らう。

 

「ほ、ホントですかっ――あ、ありがとうございます!」

 

「いえいえ。ここは日本であって日本ではない国です。表の日本の法律などハナから通用しません。警察の威光もここまでは届きませんからね。どうか、楽しい生活をお送り下さい」

 

「は、はい!」

 

 淳也は深く頭を下げた。もしかしたら右京が自分を連れて行くのではないかと不安に思ったのだろう。その証拠に彼の表情には安堵感があった。

 一通り、話を終えた刑事は本題に入るべく、差出人不明の手紙をカバンから取り出す。

 

「ところで淳也さん。この手紙に見覚えはありませんか?」

 

 手紙を見た淳也は文字を注視する。

 

「う~ん、見たことないですね。この字は裕美ちゃんの字とも違うし……誰の物なんだろう?」

 

「裕美ちゃんと言うと?」

 

「寺子屋で上白沢先生のお手伝いをしている二十二歳の女性です」

 

「その方は今日も寺子屋に居ますか?」

 

「はい、恐らくですが。この時間だと子供たちと遊んでいるんじゃないかな」

 

「わかりました。そちらに伺ってみます。あ、それともう一つ……人間の里にはあなたを含めて、何人の現代人が居られますか?」

 

 右京の質問に淳也が快く答える。

 

「知っているのは俺を含めて三人です。豆腐屋で働く俺と寺子屋でお手伝いをしている裕美ちゃん。後は飲み屋で働く敦君ですね」

 

「寺子屋に飲み屋ですか――淳也さん、どうもありがとう」

 

 親切な青年に礼を述べると右京は席を立ってから付き添いの二人の方を向く。

 

「お二人とも、申し訳ありませんが案内の方よろしくお願いします」

 

「おう」

 

「はい」

 

 こうして。右京たちは豆腐屋を後にして、寺子屋へと向かった。



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第8話 人間の里にて その2

 寺子屋に到着した三人はその正面スペースで村の子供と遊ぶ若い女性の姿を目撃する。

 

 女性は薄く茶色掛かったくせ毛気味のミドルヘアーに柄物のシャツとジーンズを穿いていた。容姿は少し幼く見えるが綺麗な顔をしている。右京は彼女が裕美だと確信した。

 

 突然、現れた来客を不思議がって、寺子屋から違う女性が出てきた。水色のメッシュが入った白髪に、アレンジが施された青いワンピースを着た聡明そうな人物だ。彼女は紳士の隣にいる少女たちへ詰め寄る。

 

「二人とも、この方は?」

 

「表からやって来たお巡りさんだ」と魔理沙。

 

「お巡りさん!?」

 

「そうだ。手紙の謎を追っているらしい」

 

「手紙!?」

 

「後、美味しい紅茶を入れてくるのよ」と霊夢。

 

「紅茶!?」

 

 訳が分からず、女性の顔は魔理沙と霊夢の顔を行ったり来たりしている。

 このままだと可哀想なので右京が簡単な自己紹介を始めた。

 

「僕は杉下右京と言います。表の日本からやって来ました。裕美さんとお話しさせて頂けませんでしょうか?」

 

 お巡りさんと聞かされた上、裕美と話をさせて欲しいと頼まれた女性は彼女が表で何かしたのかと勘違いしだす。

 

「ゆ、ゆ、裕美さんが、何かしたんですか!?」

 

 気が動転している女性を前に右京はいつものトーンで語り掛ける。

 

「いえ、そういうことではありません」

 

「では、どういったご用件で!?」

 

 慌てふためく女性に魔理沙と霊夢は苦笑する。

 

「落ち着けよ先生……」

 

「皆、こっち見てる……」

 

 女性は振り返ると子供たちと裕美さんがこちらを凝視している姿を捉え、恥ずかしさのあまり赤面する。

 

「申し訳ない……」

 

「いえいえ、僕たちの配慮が足りませんでした。こちらこそ、申し訳ない」

 

「そうだぞ、おじさん」

 

「いや、主にアンタと私のせいだと思うけどね……」

 

 巫女の皮肉を魔女は華麗にスルーする。

 

 刑事は女性に「ただ、同じく表から来た人間としてお話を伺いたいだけですのでご心配なく」と告げて、裕美の元へ向かい、ホッと胸をなでおろした女性は二人と立ち話を始めた。

 子供たちに囲まれる裕美に右京が挨拶する。

 

「初めまして、裕美さん。僕は杉下右京と言います。すでにご存じかも知れませんが、表の世界からやって来た警察官です。ですが、あなたを逮捕しようとなど考えている訳ではありませんので、ご心配なく」

 

「あ、はい……」

 

 緊張から身構えるも逮捕されないと知った途端、裕美は安堵から、深くため息を吐く。やはり、一般人にとって警察という肩書きは相当なプレッシャーを与えるのだろう。

 

 彼らは場所を寺子屋の室内に移してから会話を再開させる。

 裕美は戸惑いながらも経緯を話した。

 

 本名、神崎裕美(かんざきゆみ)。二十二歳で今年大学を卒業したばかりで、塾の講師として働いていたが、その綺麗な容姿からか教え子に人気があり、態度悪い生徒からしつこく連絡先を聞かれたりしていたそうだ。

 

 上司に相談しても全く相手にされず、さらには彼女の容姿に嫉妬した先輩女講師から悪質な嫌がらせを受けるなど散々な目に遭い、四か月で仕事を辞めてしまう。

 

 事情を親に話すと厳しい父親は激怒し、しばらく帰って来るなと彼女を拒絶。

 彼女はアルバイトなどで生計を立てていたが、激しい虚無感に襲われていた。

 

 そのような日々が続く中、気晴らしにとハイキングへ出かけ、その途中で幻想郷の無縁塚に入ってしまった。

 彼女もまた幽霊やネズミたちに取り囲まれて死の恐怖を味わうが、通りすがりの女仙人に助けられ、寺子屋の先生の計らいによって、ここで働かせて貰っているとのことだ。

 

「もう、ここに来て二か月になりますが、とても楽しいです。私が勤めていた塾の子供たちは生意気な子が多かったんですけど、ここの子たちは皆、素直でいい子ばかりで」

 

「確かに素直そうな子が多いですねえ」

 

 右京が寺子屋の室内から外を覗くと、魔理沙と追い駆けっこする子供たちの姿があった。

 彼らは楽しそうに遊んでおり、その姿は現代人二人の心を癒す。

 

「表の子供たちは文明の利器に浸り過ぎたせいか、斜に構えてしまっているところがあります。しかし、彼らにはそれがない」

 

「本当に素直なんですよ! だから、私、嬉しくって……」

 

 淳也同様、裕美もまた、幻想郷にやって来て幸せを手に入れた一人だった。

 右京が先ほどと同じ問いを投げ掛ける。

 

「お聞きする必要もないかも知れませんが――裕美さんは今、幸せですか?」

 

 裕美は即答した。

 

「はい!」

 

 その元気な返事に刑事は納得したように頷く。

 

「それはよかった」

 

 しばらく雑談をした後、右京は裕美に手紙を見せた。

 

「この手紙をご存じありませんか?」

 

 手紙に書かれた文章を眺めた後、彼女は首を傾げた。

 

「知りません……。私、こんな綺麗な字じゃないですし」

 

「そうですか。この字を書いた人物に心当たりは?」

 

「特にないですね」

 

「なるほど。お時間を取らせて申し訳ない」

 

「私も刑事さんとお話できてよかったです!」

 

「ありがとうございます」

 

 互いに礼を言い合ってから二人は寺子屋の外へと出る。

 裕美を見つけた子供たちが駆け寄り、遊び相手になってと急かす。

 それに苦笑いしながらも彼女は快く応じた。右京は遠ざかって行くその後ろ姿を微笑ましく見守る。

 そこに先ほどの女性が現れた。

 

「先ほどは、すみませんでした。私は上白沢慧音(かみしらさわけいね)。この里の寺子屋で教師をしている者です」

 

 上白沢慧音は白沢と人間のハーフでありながらもこの里で活動する珍しい存在である。

 妖怪の血を持つ者は警戒される傾向にあるが、彼女は昔から人里を守って来た実績により、里の人間から信頼されているそうだ。

 右京も裕美から彼女の話を聞かされ、興味を抱いていた。

 

「はい、裕美さんからとてもお優しい先生だとお伺いしました」

 

「や、優しい……ですか!? いや、裕美さんのほうが優しいと思いますが」

 

「そんなことはありませんよ。あなたは困っている表の日本人に居場所を提供しているのですから」

 

「そのくらい当然です。特別という訳では……」

 

「そう言えてしまう辺り、あなたの徳の高さが伺えますねえ。御見それいたします」

 

「ど、どうも……」

 

 慧音は顔を赤くしながらペコっと頭を下げ、すぐに表情を切り替えて右京に質問する。

 

「ところで……彼女たちから聞いたのですが、謎の手紙の主を探しているそうですね?」

 

「ええ、このような文章が書かれていたのですが」

 

「拝見させて頂きます」

 

 渡された手紙をパサッと開き、中身を確認する。

 現代の日本語に理解があるのか、慧音は内容を読み取ってから状況を整理する。

 

「なるほど、この手紙が表のとある神社で発見されたと」

 

「僕はこの手紙が幻想郷で書かれた物だと思っております」

 

「それも“表の日本人”が幻想郷内で書いた……と」

 

「そうです」

 

 慧音は頭の回転がよい。すぐに刑事がここへ足を踏み入れた理由を察した。

 

「それで、杉下さんはこの手紙を書いた人物を探している最中にこちらへ迷い込んだのですね?」

 

「無縁塚に出てしまいました」

 

「しかし、無事生還したと」

 

「まぁ、そういうところですね」

 

 魔理沙たちから話を聞いた時、慧音はそんな訳があるかと、疑っていたが、目の前の紳士の冷静さを見るに、あり得ない話ではないな、と受け入れる。

 

「……手紙の主は見つかりそうですか?」

 

「まだ手掛かり一つ掴めていません」

 

 慧音は顎に手を当てながら考える。

 

「私の知人にも表の人間を保護する活動を行っている方が居るのでそちらにも聞いてみますね」

 

「ありがとうございます」

 

 右京はそう答えると、茜色に染まりつつある空を見上げた。

 

「後、話を聞いていないのは酒場の敦君だけですねえ」

 

「敦君? ああ、酒場の店員をやっている子ですか」

 

「ご存じで?」

 

「妖怪の山で保護された彼を私が引き取りましたので」

 

 妖怪の山とは幻想郷に存在する妖怪が住んでいる山を指す。表の技術を取り入れ、独自発展を遂げた空間は幻想郷のパワーバランスの一角を担うほどの影響力を持つと言われる。

 そこに迷い込んだ敦が何者かに保護されて慧音のところに送られてきたらしい。

 

「そうでしたか! 彼は今日も酒場に居ますかねえ?」

 

「居ると思います」

 

「そうですか。では、これからそちらに伺わせて頂きましょうか」

 

「でしたら、早めに行かれた方がよろしいかと。夜は酒場も込むので」

 

「ご忠告ありがとうございます」

 

 右京は慧音との会話を切り上げ、付き添いの二人を伴い、最後の日本の外来人が居る酒場へと急いだ。



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第9話 人間の里にて その3

 寺子屋を出てから数分後、右京たちは酒場の入り口に立つ。

 正面に広がる、そこそこ大きな二階建ての建造物を見上げながら、右京が「大きい酒場ですねえ」と呟くも、それ以上にでき上がっている客が何人か居たことに驚く。

 魔理沙が自慢するかのように胸を張る。

 

「ここが里で一番の酒場だぜ!」

 

「二階建てで上が宴会スペースになっているんですよ」

 

「それはまたなんと」

 

 そうこうしていると、こちらに気がついた酒場の店員が声を掛けて来た。

 

「あら、お客さん。初めて見るわね。どこから来たの?」

 

 店員は若い女性で柄の入った頭巾を被り、上着が青色でスカートが赤色の変わった服装をしていた。どうやら、これがこの店の制服らしい。

 

「表の日本から来ました。こちらに敦君はいらっしゃいますか?」

 

「ん? 敦君に用なの?」

 

「ええ、呼んできて頂けると助かるのですが?」

 

「わかったわ。その代わり、一杯だけでもいいからお酒を飲んで行ってちょうだいね?」

 

「わかりました」

 

 右京の返事を聞くと、女店員は店の奥へ入って行った。

 この外来人、金を持っているか? と魔理沙が不安を覚えた。

 

「おじさん、金持ってんのか……?」

 

「霖之助君から両替して貰いました」

 

 右京は一円札数枚と多数の硬貨を魔理沙に見せた。

 途端、彼女が碧眼を光らせる。

 

「へー。なぁ、おじさん――私らにも奢ってくれないか? 実は喉が乾いてしまってさ」

 

「ジュースならいいですよ?」

 

「飲むとしたらビールか日本酒だぜ! 霊夢もそうだろ?」

 

「まぁ、そうねぇ~」

 

 二人の発言に右京は目を細める。

 

「……霖之助君から教えられましたが、幻想郷では明確な飲酒の年齢制限がないと言うのは本当のようですねえ……」

 

「大体、十三歳くらいから飲むぞ」

 

「私もそれくらいから飲み始めました」

 

「おやおや……」

 

 ここは日本であって日本ではない。

 明治時代の価値観を持っているのに飲酒の基準は江戸以前とはどういうことなのだろうかと右京は嘆かずにはいられない。

 

 昔から“郷に入れば郷に従え”とは言うものの、未成年に酒を奢るというのはどうにも気が進まない。

 刑事は悩んだ末――。

 

「飲み物一杯分のお金をお渡しします。それでお好きなメニューを注文して下さい。僕はその品を見なかったことにしますので」

 

 苦肉の策である。

 実際、明確な飲酒の制限がないので右京が文句を言おうが、彼女たちは勝手に飲むはずだ。無駄だと思ったが、警察官にも意地がある。

 警察官との交渉に勝った二人は顔を示し合せてハイタッチする。

 

 右京が二人にお金を渡すとカウンターへ直行。ビールを注文した。

 もちろん、右京は見て見ぬフリをする。

 

「(江戸時代以前の日本にタイムスリップしたと考えることにしましょうかね……)」

 

 首を横に振り、自分が江戸時代以前にタイムスリップしたのだと言い聞かせた。

 ここは妖怪の住む地域なのである意味、間違いではない。

 それから、まもなく右京の前に女店員が十代後半の青年を伴って現れた。

 

「この人が敦君よ」

 

「あ、どうも、敦です。よろしくです」

 

 敦と呼ばれた青年は明るい性格で特徴的な口調の人物だった。身長が高めで今時の髪型をしている。

 彼は淳也や裕美と違い初対面の右京に笑顔で接する。

 右京も本日、数回目の自己紹介した。

 

「僕は杉下右京と言います。表の日本からやって来ました」

 

「らしいっすね! 舞花(まいか)さんから聞きましたよ。で、俺に何か用っすか?」

 

「お話を伺わせて頂きたいと思いましてね。こうして訊ねさせて貰っています」

 

「話っすか……。うーん、なんか……警察のやり取り似てるような――」

 

 右京の少々、変わった喋り方に引っ掛かり覚えた敦は頭を掻きながら、目を逸らした。

 

「おやおや、よくわかりましたねえ」

 

「はい?」

 

 声をうずらせる敦。戸惑いにより身体が硬直する。

 すかさず、右京が自らの正体を明かした。

 

「こう見えて、僕は表の日本で警察官をやっております」

 

「警察ですとおおおおおおお!?」

 

 敦は両手を挙げて奇声を上げた。

 その態度を見た女店員こと舞花が敦に詰め寄る。

 

「ちょっと、敦君! 表で何かやらかして来たの!?」

 

「いや、それは……」

 

「白状なさい!」

 

 しどろもどろになる敦に強引に詰め寄る舞花。その迫力は警察顔負けである。

 敦は観念したように話す。

 

「前に舞花さんに話したことありましたよね? 不良と喧嘩したって」

 

「当時付き合っていた女の子を馬鹿にされて殴り合いになったのよね?」

 

「実はその時、警察にお世話になったんっすよね。俺、舞花さんに言いませんでしたっけ……?」

 

 敦の問いに舞花は目を細くしながら答えた。

 

「殴り合いになって学校を退学させられたとは聞いたけど、警察のお世話になったなんて聞いてない」

 

 笑顔というプレッシャーを放つ舞花。

 敦は顔から汗を滝のように流しながら謝罪した。

 

「すみませんでした! 舞花さんに嫌われたくなくて話してませんでした! 許して下さい!」

 

「はぁ……」

 

 店内は敦と舞花のやり取りに釘づけになる。

 魔理沙と霊夢「修羅場だな(ね)」と酒を片手に見物。

 でき上がった酔っぱらい達も興味津々で彼らを見つめる。

 深くため息を吐いた舞花は――。

 

「男の癖に小賢しいマネしないの! 私はそんなんであなたを嫌いになったりしないわよ」

 

「舞花さん……」

 

 敦は天使を見るような目で舞花を見つめる。

 舞花は咳払いをしてから目を逸らしつつ続きを語る。

 

「……大体、敦君は自分の彼女のために戦ったんでしょ? だったら男としては立派なんじゃない? あくまでも私の意見だけど」

 

 若干、顔を赤くする舞花に敦は歓喜あまって叫び散らす。

 

「舞花さあああああん! 一生付いて行きます!」

 

「キモい」

 

 舞花は感動している敦を真顔でキモいと吐き捨て、本人が「そういうところも素敵っす!」と目をキラキラさせる。

 魔理沙たちを含める常連客は「よい夫婦漫才だねえ!」とゲラゲラ笑っていた。

 二人は気まずそうにしていたが、敦も舞花も満更ではなさそうだ。

 

 右京は漫才のお礼に「お二人とも、お似合いですねえ」彼らを褒めた。

 本人たちは無言だったが、薄っすらと顔を赤らめていた。

 

 その後、舞花はカウンターに戻り、右京と敦は店内の端にあるテーブルに着いてから話を始めた。

 

 彼の本名は藤崎敦(ふじさきあつし)。十八歳の青年である。

 

 敦は都内の高校に通う学生だったが、暴力沙汰を起こして退学。その件で親と不仲になり、度重なる口論の末に家出。

 行く当てもなく夜道を彷徨っていたところ、運悪く妖怪の山に迷い込んでしまい、河童たちに囲まれるも偶々通り掛かった女仙人に里まで送ってきて貰ったそうだ。

 

 女仙人はピンク色の髪に中華風の衣装を身に纏っていたそうで、右京が裕美の言っていた仙人と同じかと訊ねると彼はそうだ、と頷く。

 

 青年は里に来てから慧音に仕事を紹介して貰い、この酒場に案内された。

 

 三人を案内した女店員は店長である舞花こと、谷風舞花(たにかぜまいか)。十九歳でありながら、父親から受け継いだ酒場を切り盛りしている。

 彼女は最近、客足が増えたことで仕事が忙しくなり、手伝いをしてくれる者を探そうかと悩んでいた。

 そこに慧音からの紹介があり、子供の頃、彼女の寺子屋でお世話になった恩を返そうと舞花は敦を雇い入れた。

 

 敦はさばさばしつつも優しく接してくれる舞花に惚れてしまい、恩を返すために一生懸命働いた。その甲斐あってか、今ではそれなりの関係になっている。

 

 二週間前、彼は思い切って彼女に告白するが、未だ返事は貰えていない。しかしながら、舞花は「そろそろいいかな」と考えているらしく、恋人関係に発展するまではそう時間が掛からないだろう。

 

 話を聞いた右京が感想を述べる。

 

「君も大変だったのですね」

 

「まぁ、そうっすね」

 

 敦は静かに頷く。

 一段落したところで、右京が思い出したかのようにとある質問をした。

 

「ところで、ご両親のことは心配ではありませんか?」

 

「親のことっすか?」

 

「きっと今頃、君が消えたと、心配していると思いますよ」

 

「……」

 

 親の話題になった途端、彼はその口を閉じた。幻想郷に住むようになって三か月。その間、両親はきっと、敦のことを心配して警察へ相談しに行っただろう。

 

 右京は警察官として敦に問わずにはいられなかった。例え、法律が通用しない場所であったとしても。

 

 青年は目を逸らしながら、小声で言った。

 

「俺も時々、心配になることはあるんですよね……」

 

「ほう」

 

「でも、俺……。ここに居たいんです」

 

「その理由は――」

 

 右京はそっとカウンターの舞花を見やった。

 

「最初は帰りたくないからここに居たいって思ってたんですけど、舞花さんの店で働くようになってからお酒を飲みに来る人たちと仲良くなって、なんか、楽しいなって思っちゃって……そりゃあ、ネットとかないですけど、ここにはそれ以上によいところがある。そんな気がするんですよ。上手く言えないけど……」

 

 自分の中に芽生えた感情を上手く表現できない敦に代わって和製ホームズが彼の心を読み解く。

 

「人間の里には人情味に溢れる方が多いように見受けられます。慧音さんもそこに居る魔理沙さんも霊夢さんも、そして、君が慕う舞花さんも我々のギスギスした日本では中々、お目に掛かれない性格の持ち主です。そんな方々が集まった里なのですから、僕は君がここに住む人たちが持つ“人間本来のよさ”に魅かれたのではないかと思っています」

 

 右京の言っている事を理解しきれてない敦はキョトンとした表情で呟く。

 

「人間本来のよさ?」

 

「純粋な優しさや気前の良さなどです。僕たちの住む社会……特に都会では滅多に味わえなくなったものです。古きよき時代の日本人が居る場所――それこそがこの人間の里なのかも知れませんね」

 

 純粋な優しさや気前のよいという言葉に敦は慧音や店の常連、さらに舞花のことを思い浮かべる。

 彼は右京の言葉に納得し、感動した。

 

「な、なるほど。さすが刑事さんっす!」

 

「それほどでも」

 

 右京が再度、カウンターに目を向けると、そこには照れている舞花と魔理沙たちの姿があった。おまけに他の常連客も照れ笑いをしている。

 

 どうやら皆、刑事の言葉を聞いていたらしく、自分たちを褒める内容に気恥ずかしさを覚えたようだ。

 右京が微笑む。

 

「皆さん、非常によい方々ですね」

 

「俺もそう思います!」

 

 表からやって来た連中の青臭い言葉にため息を吐いた魔理沙がジョッキを高く掲げた。

 

「ねーちゃん、ビールおかわり」

 

 霊夢も便乗しておかわりを要求する。

 

「私も同じく」

 

 それを見た常連も続々とおかわりをし始める。

 舞花は苦笑しながらもビールをジョッキに注いで行く。

 

 それを見た敦がカウンターに戻ろうとするも、舞花が「もう少し話してたら?」と彼を止めた。

 刑事は敦に問う。

 

「敦君――君は今、幸せですか?」

 

 唐突な質問に戸惑うも、敦は答えた。

 

「もちろんっす!」

 

 右京はふふっと笑いながら言った。

 

「この様子では君を連れ戻すのは無理そうですね」

 

「は!? 俺を連れて行くつもりだったんですか!?」

 

「はい、場合によっては」

 

 敦が顔を青ざめさせた。

 

「ご両親のことを考えれば本来ならば無理やりにでも連れ戻したほうがよいのでしょう。ですが、君は自分の意思でここに残ることを選択している。ここは日本であり日本ではない。日本の法律外である以上、僕に君を強制的に連れて帰る権利はありません。それに――」

 

「それに?」

 

 彼は息を飲む。

 右京が一呼吸置いてから。

 

「君には舞花さんが居る。如何に未成年とはいえ、僕が二人の仲を引き裂いていい訳がない――これからもここで頑張って下さい」

 

「え、あ、はい……」

 

 敦は頭を掻きながら、恥ずかしそうに答えた。

 カウンターの舞花も顔を真っ赤にしていた。

 魔理沙が叫ぶ。

 

「ひゅー、ひゅー! いいぞ、いいぞ!」

 

 続いて霊夢も

 

「今日はめでたいわねー!」

 

 と便乗し、酒の追加注文を入れる。

 おまけに常連まで「おめでとう!」と騒ぎ立てる始末。

 敦と舞花はひたすら苦笑うしかなかった。

 

 右京は忙しくなりそうな気配を察知し、すかさず、敦に謎の手紙を見せて心当たりがあるかを訊ねた。

 敦は知らないと答えたので、右京は手紙を仕舞い込んでから約束通り酒を注文する。

 

 注文は敦が受け、酒を注いで右京の元へ持って来た。

 運ばれてきた酒を片手に常連達と一緒に雑談を楽しんだ。

 

 それから右京たちは常連たちと夜遅くまで酒を飲むことになり、魔理沙と霊夢の両名はそれなりに酔っ払ってしまう。

 

 時間も時間なので、右京は霖之助への土産を購入してから会計を済ませ、二人を連れて店の外に出るも、少女たちはよく騒ぐ。

 

「いやー飲んだぜー!」

 

「めでたい時のお酒っていいわよねー!」

 

「君たち……。もう少し、加減してもよいと思うのですがねえ……」

 

 右京の小言もどこ吹く風。二人には届かない。

 三人の後ろから敦と舞花が見送りに出てきた。

 

「杉下さん、今日はありがとうございました! 俺、楽しかったっす!」

 

「私も楽しかったわ。また、来てね。杉下さん!」

 

「ええ、必ず」

 

「私もぉ来るぜー!」

 

「同じくぅ!」

 

 酒のせいか、いつにも増してノリの良い魔理沙と霊夢。

 右京と敦たちは二人のでき上がりっぷりに笑いを禁じ得なかった。

 そして、三人は香霖堂へ戻るべく、人里を後にした。



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第10話 その時は突然に

〝相棒〟
始まります。


「で、この時間に帰ってきたという訳ですか……」

 

 霖之助は三人が夜遅く酒を飲んで自分のところへ戻って来たのをあまり快く思ってない。

 酔ってテンションが高い魔理沙が「シケたツラしてんじゃねーぜ」と騒ぎ、霊夢も「そうよ、そうよ」と便乗する。

 悪いと思った右京が霖之助へ謝罪した。

 

「申し訳ない。君には迷惑を掛けますね。これ、お土産です」

 

「ああ、どうも」

 

 こんなこともあろうかと買っておいたお土産が功を奏した。

 霖之助は肴のつまみが入った箱を受け取ると仕方ないか、と半分諦めながら彼を店内へと招き入れる。

 

 少女二人は手を振って帰って行った。

 香霖堂で残った右京と霖之助が雑談を始める。

 

「人間の里に行ってきましたが、非常によいところでしたよ」

 

「そうですか」

 

「日本のよさを再認識しました。現代社会が失った物があそこにはある。そう思わずにはいられません」

 

「表から姿を消した物が幻想となって結界内に入って来ますから……。ある意味、それは正しいのかも知れません」

 

 霖之助は静かにそう語った。

 その含みのある言葉に外来人が反応する。

 

「僕たちの世界で失われた物が幻想となってこの世界に入ってくる。まさに――“幻想入り”ということですか……」

 

 里の光景を思い出しながら、ほんの少しだけ寂しさを感じる。

 

「僕は、人情まで幻想入りしてしまったとは思いたくないですね」

 

「それは里特有の物かと」

 

 霖之助は右京をフォローするかのように洒落た一言を添える。

 

「そうだとよいのですが」と、呟いて彼は窓から外を眺めた。

 

 綺麗な月の光が幻想郷を照らす。美しく、どこか儚く、時に賑やかで非常識がまかり通る世界。

 右京の瞳にはそれがとても羨ましく映る。

 そんな男の後ろ姿を眺めていた霖之助が微かに笑う。

 

「今日はもう遅いですから寝ましょう。僕も明日はやることがあるので」

 

 霖之助は用事があるので早く寝たいようだ。

 どのような用事があるのか気になった右京は訊ねた。

 

「おや、何かの用事ですか?」

 

「実は掃除をしていたら日用品が何点か足りなくなっているのを発見しましてね。そちらの補充です」

 

「ほう、行先はどちらでしょう?」

 

「行先は……その、“人間の里”です……」

 

 霖之助はばつが悪そうに言った。

 もっと早く発見できていれば自分たちと一緒に里に行けただろうと。右京はその部分を指摘せず、フォローするかのように提案する。

 

「よろしければご同行させて貰えないでしょうか? もちろん、僕が持てる範囲でなら買った品を“お持ち”しますよ?」

 

 荷物を持つという箇所を強調した右京に霖之助が「そう言ってくれると思った」と内心、ほくそ笑んだ。

 当の右京も里の店をもっと覘いて見たかったので、利害は一致している。

 二人は互いに目で会話しながら、店の奥へと向かい、寝る支度を整え、眠りに就く。

 

 

 朝の七時。里の人間が本格的に活動を始める頃、右京と霖之助は里へと続く道を歩いていた。

 通るルートは昨日と全く同じである。

 

「自然が豊かですね、霖之助君」

 

「それだけが取り柄の場所ですから」

 

 空は雲一つなく晴れ渡っている。降り注ぐ太陽の光もまるで笑っているようだ。

 絶好の外出日和に右京は心を躍らせていた。反対に霖之助にとっては珍しくはないので軽く返した。

 右京は歩きながら周囲に目を配る。

 

 舗装された道と両サイドの生い茂った木々が里まで続くだけの道。

 これだけなら表の日本にも存在するので幻想郷ならではの風景とは言えない。

 しかし、彼は自分が幻想郷でこの道を歩いていることに意味があると考える。

 

「とても素敵な場所ですよ。幽霊や妖怪と人間が共存しているのですからねえ。表の日本でこんなことを言っても、オカルト扱いなのが非常に悔やまれます」

 

「でしょうね。ですが、僕は表の世界に憧れています。あっちの世界へ行ったら是非とも高性能の“式神”が欲しいところです」

 

 霖之助の言う式神とは、古来日本に伝わる紙の式神ではなく、数々のメカメカしい部品で作られた現代の式神――つまり“コンピューター”である。

 

 右京は霖之助との会話で彼がそれを式神と呼んでいると知り、思わず「そういう見方もできますねえ~」と感心していた。

 

「式神も色々な種類がありますよ。君が持っている大型の式神よりも小型で高性能の式神が」

 

「折り畳み式の式神ですか?」

 

「ポケットサイズの式神もありますよ。ここに」

 

 右京はポケットからA社製のスマートフォンを見せる。

 独特のカバーに覆われた黒い物体は幻想郷人の視線を釘づけにさせる。

 

「スマートフォンですか……」

 

「非常に高性能な式神です」

 

 霖之助は喉から手が出るほどスマホを欲しがる。

 

「むむむ、是非とも欲しい……」

 

「僕が表の世界と行き来できるなら、君にスマホやノートPCの一つや二つ、買ってきてあげたいのですがねえ」

 

「簡単には通れませんからね。この結界は……」

 

「残念ですねえ」

 

 幻想郷の結界はとても強固で現代の技術を以てしてもこじ開けられるものではない。

 その強固さ故、幻想郷内からであっても、一部の存在を除いて行き来さえ、ままならない。

 妖怪とのハーフとはいえ、非力な霖之助ではどうしようもない。だからこそ、右京のような存在との交流は貴重なのだ。

 しかしながら、霖之助を含む幻想郷の妖怪は癖が強く、商売人としてのプライドが強い彼は右京に挑んだ末、コテンパンにされる。

 

 それ以降、霖之助は杉下右京を侮れない相手として認識――対等な関係を築く方向にシフトしたのだ。

 右京は思う。これがもし、元相棒の亀山薫だったら、いいように利用されていたのだろうと。

 元相棒の顔を思い出すと、ついつい右京の口元が綻ぶ。

 

「(亀山君は元気にしていますかねえ~)」

 

 異国の地に居る元相棒と、日本であり日本ではない場所に居る自分を重ねたのか、和製ホームズはあの時を懐かしんだ。

 何故、こんなことを思うのか、今の彼にはわからなかったが、次第に不思議な気持ちに駆られた。まるで“何かが起きる前触れ”のように。

 

 十分後、里が見えてくる。

 

「もう少しで里ですねえ」

 

「そうですね」

 

 里まで後、百から五十メートルの距離に二人はいる。

 そのタイミングで、右京は左前方から複数の鴉が茂みの中で騒いでいるのに気付く。

 霖之助も同様で、鳴き声に反応した。

 

「やけにうるさいですね。しかも、こんなに居るとは……」

 

 数えただけで十羽以上の鴉が茂み上空を旋回している。

 

「この通りは鴉が多いのですか?」

 

「ここまで多いのはちょっと見ないですね」

 

 霖之助の話を聞いた右京が通路の端に身体を寄せて、臭いを嗅ぐ。澄んでいるはずの空気の中に刺激臭のような異臭が漂っていた。

 右京が口を開く。

 

「死臭がします――霖之助君、ここで待っていて下さい」

 

「はい?」

 

 状況が読み込めない霖之助を置いて右京は茂みの中へとグイグイ進んでいく。

 途中、霖之助が「危ないですよ!」と叫んでいるのが聞こえたが、その臭いの正体

を確かめずにはいられなかった。刑事の本能だ。

 

 茂みの中を進むこと三十秒。右京は開けたスペースにて鴉が何かに群がっているのを突き止める。

 彼はジッと目を凝らし、そして――

 

「これは!?」

 

 叫んで周囲を囲む鴉たちを脱いだ上着で追い払う。

 心配になって後方から追い掛けてきた霖之助は右京の行動が理解できず、立ち尽くしている。

 鴉がその場から逃げていくにつれ、横たわる物体が姿を現す。

 それは、右京が日頃から見慣れているものだった。

 

「霖之助君! “人の遺体”です!」

 

「なんですって!?」

 

 後方で待つ霖之助には右京が邪魔でその物体が見えてなかったが、右京にははっきりと見えていた。

 

 遺体は若い男性で、鴉などの動物によって食い荒らされており、ぱっと見では判断が付かないほど、その表面がグチャグチャになっていた。

 

 内臓こそ出ていないが、顔周辺は啄まれた影響か、損傷が激しく、皮を剥がされ肉を千切られて、髪型くらいしかまともに確認できない。

 

 それはチラっとしか見ていない霖之助が悲鳴を上げながら尻もちを突くほどに酷かった。

 刑事が遺体に近づき、その特徴を探す。

 

「遺体は男性ですね。歳は若い……これは――」

 

 遺体を観察し、思いつく限りの特徴を挙げる。

 

「(比較的高い身長、現代風の髪型であった痕跡、肌の色、骨格、そして動き易そうなスニーカー……)」

 

 そこから、とある人物が浮かび上がる。

 

 その人物は昨日、酒場で出会い、表の社会で居場所を失いつつも人間の里で新たなスタートを切り、好意を寄せる女性と共に働く軽い感じのノリだが、一途な人物――

 

「(なんてことですか――)」

 

 和製ホームズは右拳をギュッと握りしめ、絞り出すような声で零した。

 

「敦君……」

 

 目が充血し、顔面をプルプルと震わせながら右京は遺体を凝視していた。

 そこには言葉では言い表せない悔しさがにじみ出ていた。

 後方から霖之助がそっと近寄る。

 

「お知り合いですか!?」

 

「……僕同様、表からやって来た日本人の青年です。昨日、酒場で働いていると聞いてお話を伺いました。とても、よい青年で酒場の店主の舞花さんを非常に慕っていました。きっと……生きていたら結婚だって夢ではなかったでしょう」

 

「そうでしたか……」

 

 惨状を目の前にしてハーフの青年は半ば放心状態だった。

 かたや右京は手を合わせ、遺体の隅々までチェックする。

 

 霖之助は敦が何らかの理由で夜間、外に出てしまい、野犬に襲われて命を落としたのだろうと考えて同情する。

 幻想郷の掟で人間の里の周囲には人を食う妖怪は近付かない。

 

 人里のすぐ近くで亡くなったので、妖怪ではなく、凶暴な野犬の犯行を疑うのが一般的で、その後、明るくなって遺体を発見した鴉に啄まれた。遺体の損傷度からすれば通常ならば、そこで終わる――が、この場にいる男は他とは違う。

 

 右京は首や腕に野犬ではマネできない傷や身体の何か所かに不可解な痕跡があるのを突き止め、叫んだ。

 

「霖之助君、これは――――殺人事件です!」




人の人生はゲームではなく、自らの意思で選び取って行くものです。
その権利は誰にも奪えない。
例えそれが〝あなた〟であっても――



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第11話 杉下右京の実況見分

作者は刑事物の小説は初めてなので、拙い部分が多くなるかも知れません。
ご了承下さい。



 殺人事件と聞いて霖之助は激しく動揺した。

 

「これは野犬による仕業ではないのですか……?」

 

「ええ。遺体には刃物を防いだとされる防御創がいくつか見られます」

 

「刃物……? 爪痕では?」

 

 霖之助は吐き気を催しながらも遺体に目を通す。

 遺体の左掌と両腕には鋭利な物で切り裂かれた痕が残っているが、それだけで断定出来る物ではないと霖之助は考える。

 右京は左掌の切り傷を指差す。

 

「よく見て下さい。刃の破片が残っています。恐らく、犯人と揉み合う最中、固い何かにぶつかった衝撃で刃こぼれを起こしたのでしょう」

 

 右京は左掌をスマホで撮影してからカバンの中に入っている手袋とピンセットを取り出し、遺体に余計な痕跡を付けないよう、破片を回収。小型のビニール袋に保管する。

 その手際のよさに霖之助は「さすが表の刑事だ……」と息を飲んだ。

 次に彼は鴉に啄まれた頭部を見やる。

 うつ伏せで倒れている敦の後頭部には出血した痕跡が見られた。

 遺体周辺を荒らさないよう、そっと頭部へと回り込む。

 後頭部の下には野球ボール程度のゴツゴツした石が半分埋まっており、血がベッタリ付着していた。

 

「直接的な死因は後頭部を殴打したことによる脳挫傷でしょうか」

 

「首や喉付近にも切り傷が付いてますが……?」と霖之助。

 

「確かに付いていますが、どれも浅く致命傷にはなりえないでしょう」

 

 霖之助の指摘通り、首筋や喉周辺にも切り傷らしい物が存在した。

 刑事の見立てでは傷は浅く、致命傷には至らないだろうとのことだ。

 霖之助は「なるほど……」と呟く。

 口元を抑える霖之助に右京がある頼みごとをする。

 

「霖之助君、至急、上白沢先生のところへ行き、ここに人の遺体があると伝えて人手を寄越すように言って下さい。できれば医療に携わる人も連れてきて貰えると助かります」

 

「僕がですか!?」

 

「他に誰かいますか?」

 

 厄介事に巻き込まれるのが嫌いな霖之助は自分から率先して動こうとはしない。

 右京はそれを見越して先手を打つ。

 

「彼は表の世界から来たとはいえ、人里で受け入れられ、酒場で働く明るい青年でした。交友関係も広く、顔見知りも多いと思われます。そんな彼が帰らぬ姿で見つかったのにも関わらず、遺体の第二発見者となった君が知らん顔だったなどと知れたら人間性が疑われますよ?」

 

「うっ!?」

 

「そういうことです。お願いします」

 

「……はい」

 

 右京は有無を言わさず、霖之助を慧音のところへ行くように仕向けた。

 ハーフの青年は軽くため息を吐くも正論過ぎて反論できない。

 クルリと背を翻して里に向かおうとする霖之助に刑事が更なる注文を付ける。

 

「それと、ついでに六十尺程度であまり太くない縄を持ってきて下さい」

 

「……わかりました」

 

 霖之助は損な役回りだと思いつつも、里へと急いだ。

 右京はその間、スマホで遺体の写真を撮っていた。

 かなりグロテスクな遺体だったが、顔色一つ変えずに作業を続ける。

 その目には敦への憐みと犯人への怒りが込められていた。

 

 ――十分後、話を聞いた慧音と複数の若者達が駆けつける。

 この惨状に慧音は言葉を失う。

 

「敦君……どうしてこんなことに――」

 

 慧音は悔しさを滲ませる。

 自分が助けた子がまさかこんな形で亡くなるとは思っていなかった。

 酒屋でいつも舞花と夫婦漫才をしていた彼はもう居ない――居ないのだ。

 彼女は右拳を近くにあった木に激しく叩きつける。

 荒れる慧音を尻目に右京は霖之助が持ってきたロープで遺体の周辺を囲むように木々に固定していく。

 

 慧音が絞り出すように訊ねる。

 

「杉下さん……敦君は……本当に……誰かに殺されたのですか……?」

 

「はい、誰かと争った形跡があり、かつ左掌から刃物の破片が出てきました。間違いないかと」

 

「そう、ですか……」

 

 慧音はショックを隠し切れない。

 気遣い程度に右京が「お気を確かに」と話しかけたが反応はない。

 その後、刑事は鑑識レベルとまでは行かないが、的確な手順で現場の調査と保存を行った上で若者たちに周囲を荒らさないように遺体を移動させ、麻袋で覆わせてから担架に乗せて、村の診療所まで運ばせる。

 残った霖之助と慧音に和製ホームズは遺体現場から発見した情報を伝える。

 

「お二人とも、よく聞いて下さい。敦君の死亡推定時刻は大体、深夜一時から二時の間だと推測できます」

 

「死亡した時間!? そんなのまでわかったんですか。この短時間で?」

 

 驚く霖之助に答える。

 

「大まかではありますが、死後硬直や死斑などで割り出しました」

 

 そう言って右京が続ける。

 

「僕たちと魔理沙さん、霊夢さんが酒場を出たのは二十三時頃です。その際、敦君は舞花さんと一緒に僕たちを見送りしてくれました。その後、三時間以内に敦君は殺されたとみていいでしょう。僕は舞花さんにお話を伺いに行きます。申し訳ないのですが上白沢さん――どこか空いている小部屋等を貸して頂けないでしょうか?」

 

「小部屋……ですか?」

 

「事件の考察をするにも外ではやり辛いので……。お願いできますか?」

 

「わかりました……。用意します」

 

「それと霖之助君」

 

「はい?」

 

「重ねて申し訳ないのですが、魔理沙さんと霊夢さんを呼んできて貰えませんか?」

 

「え?」

 

 霖之助は戸惑う。また自分なのか? と。

 

「今回の事件は里のすぐ近くで起きました。ですが、犯人が人間か妖怪かまでは判別しかねます。そこで対妖怪専門家である彼女たちの意見がどうしても聞きたい――ですので、呼んで来て下さい」

 

「え……あ……」

 

 霖之助は断ろうとも思ったが、落ち込んでいる慧音の姿が目に入り、断り辛くなって渋々了承する。

 

「わかりました……」

 

「どうもありがとう」

 

 礼を述べ、右京は舞花のところへ向かう。



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第12話 悲しみに舞う花

 里に戻った右京は舞花の元を訪ねる。

 

「舞花さん。いますか?」

 

 閉まっている酒場の扉を何度かノックするも返事がない。

 すると隣人が出てきて「舞花ちゃんなら診療所へ向かったよ」と教えてくれた。

 右京は礼を言ってから診療所へ向かう。

 診療所の正面に着いた右京は女性の泣き叫ぶ声を耳にして舞花が居ると確信。

 呼吸を整えてから建物へと入って行った。

 診療所先生に挨拶した右京は事情を話して遺体が置かれる部屋へと案内して貰う。

 そこには敦の死体に涙を浮かべる舞花の姿があった。

 

「敦君! どうしてこんなことに……」

 

 顔を手で覆い隠しながら呟く彼女に診療所の先生は残念そうに肩を落とす。

 右京はそんな彼女を見てまだ話を聞ける段階ではないと判断し、先生と一緒に一旦部屋を出る。

 その場所を離れた右京は先生に自身の素性を打ち明けて、遺体に何か変わったことがないか尋ねた。

 先生も動揺しているのか、今までこんなことはなかったのでよくわからないと回答する。

 有益な情報を得られないと判断し、会話を切り上げた右京が礼を言って外に出た。

 診療所の外で彼は一人、思考を巡らせる。

 

「ここは平和な里だったのでしょうね」

 

 妖怪に囲まれた閉鎖空間でありながらもこの里の中では殺人事件が発生したことがない。

 それはきっと、慧音や霊夢のような里を守ろうとする者たちの働きによるものだと右京は思った。

 数十分後、右京は再び診療所内へ入り、舞花と面会する。

 

「舞花さん、大丈夫ですか?」

 

「はい……何とか……」

 

 右京の正面に座っている舞花は突然の出来事に茫然としている。酒場で笑っていた舞花とはまるで別人であり、小さな声で敦の名前を繰り返し言っていた。

 右京は舞花に訊ねる。

 

「舞花さん。非常に申し訳ないのですが、昨日、僕達と別れた後の敦君についてわかる範囲で教えて頂けませんか?」

 

「え……? 敦君の……こと……?」

 

 何故そんなことを聞くのか理解できない舞花はその赤くなった眼で正面の男をジッと見つめる。

 右京は静かに告げた。

 

「落ち着いて聞いて下さい。敦君は何者かに殺害された可能性があります」

 

「え……」

 

 舞花は開いた口が塞がらなかった。

 

「もちろん、野犬などの動物がやった訳ではありません。明らかに人並みの知性を持つ者の犯行です」

 

「そ、そんな……」

 

 敦が死んだショックとその彼が意図的に殺されたという事実に舞花は両肩を抱き抱えながら震える。

 説得するように右京が語り掛ける。

 

「僕は敦君を殺した犯人を必ず追い詰め、捕まえてみせます。そのためにはあなたの協力が必要です。お辛いかも知れませんが、どうか僕に力をお貸し下さい」

 

 舞花はしばらく無言だったが、次第に状況を理解したのか、目線を下に落としながらもコクンと頷いた。

 

「僕たちが帰った後の敦君について教えて下さい」

 

「……はい」

 

 舞花は敦との閉店後のやり取りを話す。

 二人は後片付けをしていた。

 

 ――今日やって来た杉下さんって人、随分変わった人だったわね。

 

 ――そうっすね。俺もあんな人初めてっすよ。警察ってもっと怖い人達ばっかりだと思ってましたけど、あの人は違うって感じでした。

 

 ――どちらかって言ったら探偵よね?

 

 ――あー言われてみればそうかもっすね。なんか小説とかに出てくる探偵のイメージっす。

 

 ――ああ、それは私も思ったわ。

 

 ――舞花さんもですか!? 一味違う大人ってイメージっすよね~。俺もあんなカッコいい人になりたいっすわ。

 

 ――敦君、キャラ違うでしょ?

 

 ――えー、いいじゃないっすか~。憧れたって。

 

 ――敦君は今のままでも十分、魅力的だと思うけど?

 

 ――あ……そうっすか……。

 

 ――ちょっと、顔赤くしないでよ!? 私まで恥ずかしいじゃない!!

 

 二人は初々しいカップルのような会話を楽しみながら掃除を終え、明日の作業内容を確認後、少量のお酒を飲む。それから間を置かず、敦は深夜一時に店を出て家へと戻った。

 自分の知っている敦の行動を全て話した舞花は暗い表情で懇願する。

 

「杉下さん。どうか……敦君を殺した犯人を捕まえて下さい……お願いします」

 

 右京は彼女の想いを受け止め「わかりました」と返して診療所を出て行く。

 正面入り口の門を潜るとそこに魔理沙と霊夢が上空から滑り降りるように着地して、彼に詰め寄った。

 

「おじさん、香霖から聞いたぜ!? 酒場の店員が何者かに殺されたって本当か!?」

 

「僕はそうみています」

 

「犯人は誰なんですか!?」

 

「まだ、調査中で何とも言えませんが、知的能力がある者の犯行だと思います」

 

「「――ッ!」」

 

 右京の話を聞いて動揺を隠せない魔理沙と憤る霊夢。

 二人の反応を見た右京は協力を依頼する。

 

「僕は敦君を殺した犯人を捕まえたいと考えています。お二人とも、協力して貰えませんか?」

 

 右京の要請に魔理沙は「わかった」と、霊夢は「はい」と承諾する。

 同時に慧音が右京たちの目の前にやって来る。

 

「杉下さん、先ほど、仰っていた部屋ですが、寺子屋の近くに空き家があるらしく、所有者から使ってよいと許可を得られました」

 

「それはよかった。皆さん、詳しい話はそちらで致しましょう。上白沢さん、案内をよろしくお願いします」

 

「わかりました」

 

 右京とその協力者たちは慧音に案内される形で空き家まで向かう。



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第13話 設立! 警視庁特命係幻想郷支部

 寺子屋の近くに用意された空き家は十六畳程度のスペースで人一人なら楽に住める場所だった。

 右京は端に寄せられていた机を中央まで持ってきて、全員を座らせた。

 

「これから、僕が何故、敦君が何者かに殺害されたと断定するに至ったのか――その根拠をお話しします。遺体の画像もあるのでそちらも交えて説明させて頂こうと思うのですが、遺体の損傷が激しいので、前以って確認を取らせて貰います。お二人は平気ですか?」

 

「私なら平気だ。何度か見たことある」

 

「私も職業柄、何度も見ているので」

 

「わかりました」

 

 同意が取れたので、刑事はスマートフォンの画像を魔理沙と霊夢に見せながら説明を始める。

 画面を覗いた二人は顔を酷く歪ませ、口元を手で隠しながら話に耳を傾ける。

 

「遺体は発見時、鴉に啄まれボロボロにされていました。損傷が激しいので一緒に居た霖之助君が悲鳴を上げていましたが、僕はその際、左掌の傷口にある物が付着しているのに気が付きました」

 

「ある物? なんだそれ?」

 

「ここをよく見て下さい」

 

 右京が魔理沙にスマホで撮った遺体の左掌を拡大した映像を見せる。

 そこには小さな黒い破片が映っていた。

 ポケットからその破片が入ったビニール袋を取り出し、右京は少女二人の間の前に置いた。

 

「これは敦君の掌から見つかった金属片です。ナイフのような小型の刃物の破片だと思われます」

 

「確かに刃物だな」

 

 魔理沙は破片の形状から刃物であると推測する。

 

「いかに幻想郷の凶暴な野犬と言えとも刃物を使うとは到底思えません。ということは知的能力のある存在――つまり、人間か妖怪の犯行になると言うわけです」

 

 三人は無言のままだったが、真剣な面持ちだった。

 

「ここで皆さんに質問です。この犯行は人間と妖怪どちらの犯行だと思われますか?」

 

 その問いを前に更なる沈黙が訪れる。

 皆、それぞれ、何かを考えながら自身の意見をまとめていた。

 最初に口を開いたのは魔理沙だった。

 

「私は人間の犯行だと思う」

 

「その理由は?」

 

「ナイフで相手を殺すなんて妖怪らしくない。アイツらならもっと派手にやるか、もしくは証拠を残さないはずだぜ」

 

「なるほど。……霊夢さんは如何でしょう?」

 

 両腕を組んで目を閉じていた巫女がその目を見開いて発言する。

 

「私は妖怪の仕業を疑います」

 

「どうしてですか?」

 

「ナイフで人を襲う妖怪がいてもおかしくない。人の仕業に見せかけて里の人間を恐怖させるのが目的の可能性もあります。連中は人を襲わないと生きて行けないので」

 

「それが幻想郷における妖怪の本質――ですね」

 

「ええ」

 

 霊夢は妖怪の仕業を疑っている。

 そこに魔理沙が待ったを掛けた。

 

「人里では人間を食ってはいけないルールになっているぜ? 少し前まで私はここで生活してたが、里中で人間が妖怪に食われたところを見たことはない」

 

「店員さんが殺されたのは正確には人里の外よ。だったら、夜中に妖怪がやって来て殺害しても不思議じゃないわ」

 

「私はそんな話、聞いたことない」

 

「私もこの里で人が人を殺したなんて聞いたことないわ」

 

 二人の意見は平行線だった。

 右京は二人の様子から少なくともこの場では意見が合致しないだろうと判断し、慧音へ話を振った。

 

「上白沢さんはどう思われますか?」

 

「私……ですか……」

 

 彼女は暗い表情を浮かべながらも、自分の意見を語った。

 

「私も……妖怪の仕業を疑っています」

 

「何故でしょう?」

 

 右京の問いに慧音は目を逸らしながら答える。

 

「それは……里で人が人を殺したとは思いたくないんです……」

 

 里を守ってきた慧音は今回の事態に強いショックを受けていた。

 ここに人を殺すような人物はいない。そう思いたいのだろう。現実から逃げているとも取られ兼ねないが、今の慧音にそれを指摘するのは酷である。

 

 右京は心情を察して「わかりました」と言った。

 視線の横では魔理沙と霊夢が言い争っていたが当然、意見はまとまらない。

 キリがないと思った魔理沙が右京に訊ねた。

 

「おじさん、アンタはどう思うんだ?」

 

「僕ですか……」

 

 右京が話を始めようとすると他二人が一斉に彼の方を向いた。

 やはり、表の刑事の意見は気になるようだ。

 一呼吸置いてから、右京は答える。

 

「僕は“人間”による殺人ではないかと疑っています」

 

 人の殺人だと淡々に語る右京の口ぶりに魔理沙や慧音は息を飲む。

 反対に霊夢は右京の目を正面から見据えながらその理由を訊ねる。

 

「どうしてですか?」

 

 右京は巫女の質問に応じる、様々な角度から撮った遺体の写真を見せながら説明する。

 画像は敦の首裏の裾が伸びている物だ。

 

「まず、敦君の上着ですが、ここに襟が後ろから引っ張られた跡があります。これは敦君が犯人から逃げる際、犯人が彼を逃がさんと背後から襟を掴んだ跡でしょう」

 

 次に右上腕が映った部分を表示して拡大。右上腕に切り傷があることを皆に確認させる。

 

「この傷は右斜め上から左斜め下へと振り降ろされるように付けられています。犯人が後方から切りつけようとした瞬間、咄嗟に右腕を出して防ごうとしたのでしょう」

 

「その時に右腕でナイフを受けてしまったって訳か」

 

 魔理沙が納得するように写真を凝視するが、霊夢は「それだけで人間の犯行だと決め付けられるの?」と呟いた。

 右京は続けるように敦の両腕と首を拡大した画像を表示する。

 

「右掌や左腕などにも切り傷がありました。これは犯人が敦君と正面を向き合って争い、負った傷だと思われます」

 

「右腕を切られただけじゃ人は死なないしな」

 

「その通りです。急所を外した犯人は襟を離してしまい、敦君と正面を向き合ったのでしょう。そこから敦君は相手の攻撃を両腕で防ぎながら応戦した。ここを見て下さい」

 

 そう言うと右京は左掌の画像を拡大した。

 そこには鋭利な刃物を掴んだように深い切り傷が付いていた。

 

「彼は迫りくるナイフを左手で咄嗟に掴んだ。そこから激しい揉み合いになる。辺りの草むらには飛沫血痕が飛び散っていましたから、かなりの格闘だったのだと推察できます」

 

 彼の発言通り、画像には草むらに血が飛び散っている物がいくつか見受けられた。

 その状況を見るに敦の健闘が伺える。三人は改めてこの血痕の主に憐れんだ。

 次に表示されたのは敦の後頭部だ。

 

「そして、何かの拍子にナイフが手から離れ、敦君は転倒。頭を地面にめり込んでいる石に強打して脳挫傷で、この世を去った。これが僕の見解です」

 

「なるほど……。けど、これだけだと――」

 

「ええ、霊夢さん。あなたの言う通り、妖怪の線も捨てきれません。ですが、僕はどうにも引っ掛かりを覚える」

 

「どういうことですか?」

 

 首を傾げる霊夢に右京が問う。

 

「霊夢さん、妖怪は人間を襲うことで生きていくのですよね?」

「はい」

 

「それは食べることも含まれていますね?」

 

「そうです」

 

「犯人は敦君を食べていません。これはどうお考えですか?」

 

「人間を襲う行為を目的として活動する妖怪もいます。その過程で殺したのかも知れません」

 

「どういった理由で襲うのでしょうか?」

 

「人間の感情を糧にする妖怪は人を襲い、驚かせて養分を得ます。それが目的かと」

 

「ですが、これは驚かすにしては、やりすぎな気がします。明らかに殺意がある」

 

「妖怪ですから。加減を知らない奴なんて沢山います」

 

「なるほど。とすると――人間を驚かしたい妖怪が敦君を襲ったとしましょう。その妖怪がナイフを持って敦君を襲った。その際、敦君が逃げようとしたので襟を掴んでナイフを放った。その後、揉み合いとなり、敦君は後頭部を石に打ち付け帰らぬ人となった。ということでしょうか」

 

「私はそう思います」

 

「ちょっと待った」

 

 刑事の推測に引っ掛かりを覚えた魔理沙が口を挟んだ。

 

「私も人を驚かす妖怪を見たことがある。具体的には唐笠やろくろ首、三馬鹿妖精共など色々だ。連中は自分の特技で人を驚かしていた。ナイフを振り回し、人を傷つけて驚かそうとする奴など知らん」

 

「その唐笠やろくろ首はともかく、三馬鹿妖精共は特技でも何でもない爆発物を使ってきたことがあったと思うけど?」

 

「それはだな……」

 

 霊夢の意見にタジタジし始めた魔理沙は右京にアイコンタクトで助けを求める。

 当の本人は軽く頷いてから。

 

「魔理沙さんの話からすると人を驚かす妖怪は自分の特技を使って犯行に及び、その恐れを糧とするわけですか」

 

「基本的にはそうです」

 

「しかし、必ずしも特技を使うとは限らない」

 

「驚かせれば何でもよいと考える奴がいてもおかしくないかと」

 

「それが行き過ぎてしまい、悲劇が起こった――ふむ、これは妖怪の線も出てきましたねえ」

 

「おい! 人間の犯行じゃなかったのかよ!?」

 

 妖怪の線を疑い始めた刑事に魔理沙が思わず突っ込む。

 霊夢はどこか勝ち誇った顔をしていた。

 右京は人間の仕業を疑った理由を語る。

 

「僕がこの犯人を人間だと思った理由の一つは敦君にトドメを刺していないからです。頭を打ち付けただけなら死んだかどうかまで判断できない。僕なら頭を打ち付けた敦君に馬乗りになり、心臓目掛けてナイフを突き立てます」

 

「それが確実だしな」

 

「なのに、犯人は敦君に明確なトドメを刺さずにその場を後にしています。慣れている者なら死体くらい隠しますし、証拠を隠滅するでしょう」

 

「だが、犯人はそうしなかった」

 

「以上の理由で僕は人間の犯行。それも素人によるものだと考えましたが、霊夢さんの話から驚かす妖怪も存在し、それらの行き過ぎた行為によるものだった可能性も否定できなくなりました」

 

「ぐぬぬ……」

 

「ふふ」

 

 悔しがる魔理沙と笑う霊夢。

 どこか緊張感のない少女二人に右京がほんの少しだけ目を細める。

 

「しかしながら、妖怪の仕業である証拠もありません」

 

「ぐ……」

 

 確かに霊夢の意見は正しいかも知れない。しかしながら、その証拠もないというのもまた事実。そこを指摘されたら霊夢も黙るしかない。魔理沙は「ふん!」と言いながら腕を組んだ。

 いかにも子供らしい態度に刑事が軽くため息を吐く。

 

「お二人とも――これは個人的な勝ち負けを競うゲームではありません。人が殺された事件なのです。真実を明らかにしてかつ犯人を捕まえるのがゴールであり、それ以上に大事なものはありません。そこをお忘れになっているのではありませんか?」

 

「「……」」

 

 もっともな意見に魔理沙と霊夢は互いに顔を合わせて沈黙する。

 そして、右京は言う。

 

「それに、この事件はお二人が思うよりもずっと深刻ではないかと僕は睨んでいます」

 

「「え?」」

 

「これを見て下さい」

 

 右京が草むらに付けられた足跡や血痕の画像を三人に見せた。

 

「この足跡や血痕は途中で途切れていますが、辿ってみると里の方へと続いているのです。これが意味すること――わかりますか?」

 

 三人は絶句した。

 そう、犯人は里の方向に進んだのだ。これは不自然な行動だった。

 

「僕が人の犯行を疑った理由には“これ”も含まれています。里の外の妖怪なら里とは反対方向に逃げるでしょう。ですが――この足跡と血痕は里の方に続いているように見えます。これは犯行後、犯人が里へ逃げ込んだという証拠なのでは、と考えられますが――如何でしょうか?」

 

 現時点では犯人が人間か妖怪かはわからないが、犯人が里の中に潜伏している可能性が浮上した。

 この場の誰もが否定する材料を持ち合わせておらず、ただただ息を飲むしかない。

 理解を得られたと判断した刑事がこのように締めくくる。

 

「皆さん、犯人はすぐ近くにいると仮定して今後の方針を立てますが――よろしいですね?」

 

 彼の打診に三人は頷くしかなかった。



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第14話 作戦会議

「それではまず、皆さんの特技や能力を詳しく教えて下さい」

 

「私らが使う力のことか?」

 

「はい」

 

 幻想郷の住人は特殊な特技や能力を持っているケースが多い。右京はそれをどう使いこなすかが早期解決の鍵だと考えた。

 三人は一瞬、戸惑ったが、話す決意を固めた。

 

「わかった。まずは私からだ」

 

 先陣を切ったのは魔理沙だった。

 本人の自己申告によると彼女はオリジナル魔法が使用可能かつ空を飛べる。

 追尾や探索といった能力はないが、破壊力だけなら誰にも負けないらしい。

 右京もその攻撃力を目の当たりにしているので特に疑わなかった。

 

 その次は霊夢が口を開いた。

 彼女は博麗の巫女をやっており、霊感に優れている。また霊力や神道系のお札を駆使して速やかに妖怪を退治可能と豪語する。

 魔理沙と同じく空を飛べるが、自分のほうが小回りが利くと語り、直線なら自分が有利だと魔理沙が口を挟んだが、無視される。

 右京は「なるほど」と呟くにとどめる。

 

 最後は慧音である。

 彼女はワーハクタクで戦闘がとりわけて得意ではないらしいが、その特殊能力は白沢の逸話に限りなく近く、表の刑事を驚かせた。

 なんと()()()()()()()()()()()()()()()を持っているのだ。さらにワーハクタク時は“歴史を創る能力”を持つと説明。右京もその全容を把握するのに少し時間を要した。

 

「上白沢さんの能力は限定的な改ざん能力ということですか……。何とも、凄い能力をお持ちのようですね」

 

「それしか取り柄がありませんから……」

 

 謙遜しているが、実際凄い能力である。

 歴史をなかったことにする能力とは、実際に起きた出来事をあたかも初めからなかったかのようにする能力で、影響下にある者は初めからその歴史をなかったものだと認識する。

 歴史を創る能力はワーハクタク時限定であるが、一時的に過去の歴史を知り、なかったことになっている歴史をサルベージし、改ざんする能力だ。

 これらは歴史が誰かによって書かれてこそ歴史になるという概念から生まれた能力である。

 表の人間が聞いたら喉から手が出る程欲しがるだろう。主に官僚や政治家が。

 もちろん、彼女はそれを悪用したりせず、里の人間に妖怪を必要以上に敵視させない、つまりは人のために活用していると語った。

 

 右京は「ワーハクタクの能力で犯人を見つけられませんか?」と訊ねたが、慧音は申し訳なさそうに「ワーハクタクになれるのは満月の夜だけです。それに……最近は仕事量が多かったせいか変身能力が上手く制御できなくなっているのです。知り合いには一時的な現象だと言われましたが……」と答えた。

 

 右京は「申し訳ない」と謝った。

 個々の能力を把握した右京は今後の方針を考えようとする。

 その際、魔理沙が「アンタの能力も教えろよ」とニヤケ顔で机をトントンと叩く。

 一考した右京は「幻想郷風に言うなら“真実を明らかにする程度の能力”でしょうかね」と冗談交じりで返した。

 すると魔理沙は「なら、この件における参謀役に相応しいな。任せるぜ」と言った。そのやり取りで少しだけ場が和らぐ。

 刑事は彼女たちを活動させるにあたり、自身のテクニックを伝える方針を固める。

 

「魔理沙さん、霊夢さん。これからあなた方には里の外で妖怪への聞き込みをやって貰おうと思います」

 

「「里の外?」」

 

「はい。里の内部に犯人がいる可能性が高いと思われますが、外に逃げた可能性もあります。そこで怪しい者が居ないかを調べてほしい」

 

「二人である必要があるのか?」

 

「刑事の聞き込みは複数で行います。聞き込み役と見張り役で分かれるで情報収集の効率性向上や対象者または関係者の不審な動きに対応しやすくなります」

 

 魔理沙は頷いたが、霊夢は納得できない様子だった。

 

「私は妖怪から人間を守る巫女です。ここに人を殺した妖怪が居る可能性がある以上、この里から離れる訳には行きません」

 

「ですが、魔理沙さん一人だけだと聞き洩らしが出てくる可能性があります」

 

「だとしても私は巫女です!」

 

 霊夢はそこだけは譲らなかった。右京は彼女の瞳に強い意思を感じた。

 

「わかりました。魔理沙さん、申し訳ないのですが――」

 

「私一人で行けってんだろ? 心配すんな。ヘマはしない」

 

 魔理沙はニヤリと笑いながら了承した。

 

「ありがとうございます。ということで魔理沙さん――僕が表で使っている聞き込み方を簡単にですがお教えします。上白沢さん、少々お付合い下さい」

 

「は、はぁ……」

 

 右京は聞き込みの仕方を魔理沙に教えるべく、慧音相手に実践した。

 メモを取りながら慧音に事件発生当時、何をしていたか、どこに居たか、それを証明できる者は居るかなどの情報をそれとなく聞き出すテクニックを簡潔に伝授する。

 

 その手法を魔理沙は興味深く観察しており、隣で見ていた霊夢も感心したかのような態度を示した。

 一通り、教え終わった右京は魔理沙にペンとメモ帳を持たせて事件に関係ありそうな妖怪達へ聞き込みに行かせた。

 残った三人は里で調査を開始する。里は天気が良いとあってか日差しが強くなってきた。霊夢は「このところ、涼しかったのにちょっとだけ暑いわね」と片目をつぶる。

 まず、右京たちが向かったのは敦の自宅だった。酒場を出てから自宅に戻ったのかを確かめるためだ。彼の自宅は大通りにある酒場から十分程歩いて右折したところにある小さな借家だった。

 

 慧音に許可を経て、家の扉を開けた右京は隅々まで調査する。男所帯とあってか脱ぎっぱなしの衣服や食べかすなどが散乱しており、慧音は「汚いな……」と苦言を呈していた。

 寝床や小物入れ、厠、台所、押入れなどを調べるも敦が殺される原因になるようなものは見つからなかった。気になったのは電池切れのスマホくらいだ。

 手掛かりがないと判断した刑事は思考を切り替え、二人を連れて敦の自宅周辺での聞き込みを開始する。



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第15話 杉下右京の聞き込み捜査

 里で人が殺されたという噂はあっという間に広がっていた。そのせいか住民達は警戒して自宅を出ない者が多かった。

 おかげで、十時近くになっても自宅に人がおり、聞き取りがスムーズに進んだ。

 

 敦宅から見て左隣に住んでいた老夫婦宅を訪ねたところ、白髪の妻が対応した。彼女の名前は小鳥遊恵理子。夫の小鳥遊幸之助は狩人である。

 今日はたまたま休みだったらしく夫は自宅に居た。妻同様、スーツを着たよそ者を怪しむように見やり、腕を組んでいた。

 緊張を解すべく、右京が得意の笑顔を添える。

 

「僕は杉下右京と言います。少しお話のほうよろしいでしょうか?」

 

 軽い自己紹介と共に訊ねるも、恵理子の警戒は解けず夫のほうをチラチラ見ているだけだった。埒が明かないと判断した慧音が間に入り、何とか会話ができる段階まで漕ぎつける。

 気を取り直し、刑事が質問する。

 

 「昨夜、何か不審な音はしませんでしたか?」

 

 その問いに恵理子は「夜に何度か外で物音がした気がするわね。人の足音や扉が開く音みたいな」と答えるもすぐに寝てしまったので正確には覚えていないと話した。

 

「何度かと言いますと?」

 

 数刻ほど考えてから恵理子が言った。

 

「二回……かしらね」

 

「何故、二回だと?」

 

「物音で二回、目が覚めたからよ」

 

  続けて右京は「聞こえた方向は?」と質問。恵理子は「そうねぇ……正面通りだったような気がするわ。よく覚えてないけど」自宅正面通りで音が鳴ったと説明した。

 隣にいた半袖短パン姿の幸之助にも訊ねてみたが「熟睡していたからわからん」とぶっきら棒な返事を返される。恵理子も幸之助が隣で寝ていたと語った。

 その際、何気なく恵理子が「この人、どんなところでも寝れるのよ」と笑いながら旦那の肩をポンポンと叩いた。

 そんな彼女を横目で見る幸之助は「だからお前と付き合えるんだよ」と小言を漏らした。

 先程から彼の組まれる腕の中、チラチラと見え隠れする無数の傷。

 右京の興味はそこへ移った。

 

「やはり、狩人をしてらっしゃると指先などの怪我が増えますか?」

 

「ああ、しょっちゅうだよ。昨日の早朝、狩りの最中に木の枝に引っ掛けてちまったんだよ」

 

 そう言いながら右腕と指の傷を見せてくれた。左腕にも切り傷、左人差し指にも怪我、左中指にも大きなタコができていた。

 刑事は「なるほど……」と頷いてからお礼を言って小鳥遊宅を離れる。

 

 二件目は右隣りの家である。そこに住んでいた小田原信介は仕事を辞めて小説家を目指す熱心な青年だった。

 毎日執筆活動をしているせいか衣服や本が散乱している。特に恋愛系の本が多く、恋愛小説を執筆しているのが何となく理解できる。

 寝巻姿で出てきた信介は寝不足なのか目に大きな隈を作っていた。右京は先程同様、軽い自己紹介の後「昨夜、何か不審な物音をお聞きになりませんでしたか?」と訊ねた。

 

 信介は寝巻の左裾で両眼を擦りながら右京の質問に「え!? 寝てたんで知りませんよ!」と語気を荒くして答えた。右京が「何かお気に障る事でも?」と訊き返すも本人は「あ……すみません、最近スランプで……」と気まずそうに謝罪する。

 

 次に右京は「おや、指先に血が付いてますねえ」と指摘する。確かにそこには日焼けしていない白っぽくて荒れた手の甲とそのせいなのか血が付着している指先があった。

 信介は「ほ、放っておいて下さいよ! 俺、元々こういう肌荒れ体質なんですから!」と不機嫌そうな態度を見せる。

 右京が謝罪すると、信介は「これでいいですか? 俺、眠いんで!」と言って話を早々と切り上げた。

 青年の非協力的な態度に霊夢が眉間にシワを寄せていた。

 彼は寺子屋出身者だったらしく慧音が言うには、元々神経質な子で寺子屋時代もよく馬鹿にされていたらしい。一旦、納得した右京は次の家へと向かう。

 

 三軒目は敦宅の裏側にある家で、身綺麗で容姿の良い二十代半ばの女性が住んでいた。名前は七瀬春儚。春儚は右京達から事情を聞いて協力的な姿勢を見せる。

 彼女は現在無職で次の仕事を探しているらしい。少し前まで里にある小さな劇団で女優を務めていたのだが、自分には向いてないと思って辞めたそうだ。

 扉越しから見えた室内は綺麗に片付けられており、チリ一つ残っていない。テーブルの上にも本が一冊ほど置かれているだけだ。

 三軒目も同様に挨拶を済ませた右京が「昨夜、あなたはどこにいましたか?」と問うも「自宅に居ました。でも、寝ていたので覚えていません」と答える。

 

 次に右京はテーブルを指差した。

 

「読書がお好きなんですか?」

 

「人並みには」

 

「ちなみにその本は?」

 

「落語の本です」

 

「おやおや――タイトルは?」

 

「〝鹿野武左衛門口伝咄〟ですよ」

 

「それは、それは! 鹿野武左衛門の代表作ではありませんか!」

 

 鹿野武左衛門とは江戸落語の基礎を作った人物と言われる存在で、今の身振り手振りによる仕方噺は彼によって編み出された。

 落語好きなら知っている者も多いだろう。右京も大の落語好きなので、その方面には明るい。

 ちなみに春儚が読んでいる鹿野武左衛門口伝咄は本の表紙から明治時代の技術で作られた物だと想像できる。

 幻想郷の誰かによって再編されたかあるいは明治に出版された物なのかは不明だが、非常に状態がよい。右京は「さすがは幻想郷ですね」と内心思った。

 

 目を輝かせる右京の表情を見ながら春儚は微笑む。

 

「表の紳士さんも落語がお好きで?」

 

「ええ、もちろん。僕も結構な落語好きですからねえ」

 

「あら、そうでしたか」

 

 それから少しの間、右京と春儚は落語の話題をする。

 彼女も落語が好きなようで刑事が振る話題について行けるだけの知識量を誇っており、いつの間にか上級者同士の会話になっていた。

 付添の二人は「表から来た人間なのによく落語をこんなに語れるな」と苦笑いしていた。

 それに気が付いた右京は振り返って「申し訳ない」と謝る。その際、彼女との話が途切れたので他の質問に移る。

 

「もし、よろしければ、両腕の裾を捲って見せて貰えないでしょうか? 少し気になった物で」

 

 彼女は一瞬、間をおいてから、このように回答する。

 

「会ったばかりの男性に肌を見せるのはちょっと……。私、肌荒れが気になるから」

 

 霊夢と慧音は右京が何故、そんなことを言うのかイマイチとピンとこなかったが、きっと事件解明に必要なのだと思い、代わりに自分たちが春儚の肌を見ると提案した。

 女性は霊夢が肌を触ろうとすると「あなたみたいな若くて可愛い娘にジロジロ見られるなんてなんだか嫉妬を覚えちゃうわね~」と冗談交じりに目を細くしながら手を引いてみせた。

 少女は思わず「可愛いだなんてそんなー」と照れていた。呆れた慧音が咳払いをしてから霊夢を脇に避けて、春儚の手を調べる。

 数十秒後、慧音は右京に「指が少し荒れて赤くなっているだけで特に何もありませんでした」と伝える。刑事はほうほう、と唸って協力への感謝を述べる。

 これ以上、訊ねる話もないのでその場を後にしようとするが、右京は何かを思い出したように人差し指を立てた。

 

「後、一つだけ、よろしいでしょうか?」

 

 春儚は笑顔で応じる。

 

「ええ、いいですよ」

 

「その本はどこで購入されたのですか?」

 

「この本は鈴奈庵という貸本屋さんでお借りしました」

 

「なるほど! その店はどちらに?」

 

「大通りにあります。目立つ店構えなのですぐにわかるかと」

 

「そうですか。後で伺わせて頂きます」

 

 そう言って右京たちは春儚の家を出た。

 三人は一旦、敦の自宅正面に戻り、それからすぐ右京が三人別々での聞き込みを提案。

 霊夢や慧音も承諾した。

 右京は一人で聞き込みをする傍ら、綺麗だと思った物、面白いと思った物、〝奇妙なモノ〟など、気になった物をスマホで撮影していた。周りからは気味悪がられたが、本人は楽しんでいた。

 別れてから三時間程度、聞き込みを続けたが、物音がしたという証言くらいで犯人に繋がる証言は得られなかった。また、敦の交友関係も探ったが、特にこれといったものはなかった。

 三人は作戦室に戻って話し合う。

 

「狩人のおじさんと小説家のおにいさん――怪しくない?」

 

「うむ……」

 

 霊夢と慧音が聞いた話を元に色々なケースを考える。霊夢は敦宅の両隣に住む幸之助と信介が怪しいと睨んでいる。

 彼女は慧音にも意見を求める。

 

「あなたは誰が怪しいと思う?」

 

「正直、わからんな……」と本人は首を振った。

 

 幻想郷の人々は夜更かし自体少ない。何故なら現代日本と違い、娯楽もないネットもない、真っ暗の三点セットなので、起きているメリットがない。

 当然だが、活動開始時間が現代人よりも早いので朝型の人間が大半である。その中で起きた真夜中の殺人事件だ。証言が集めるのは難しい。

 おまけに証言者のアリバイを証明できる人物も少ないのだ。

 右京は思う。

 

「(明治時代レベルの生活環境で科学捜査も行えず、おまけに文明の利器も殆ど活用不可能。これは厄介ですね。しかし――)」

 

 同時に右京はほんの少しだけ――

 

「(事件解決はそう遠くないかも知れませんが)」

 

 口元を緩めた。



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第16話 情報共有

 協力者たちに向かって右京が訊ねる。

 

「皆さん、情報を整理しましょう。何か気になる証言はありましたか?」

 

 テーブルに座る慧音が自身の書いたメモを開きながら話す。

 

「これと言って、特に何かあった訳ではありません。事件現場側の入り口周辺に住む住民が『夜中に物音がした気がする』と言っていたくらいです」

 

「その方は他に何か仰っていましたか?」

 

「いえ、すぐに寝たとのことです。あ、そういえば……」

 

「なんでしょう?」

 

「月が綺麗だったと言っていました」

 

「昨夜は月がはっきり見えましたからねえ」

 

 昨夜は雲一つない綺麗な月夜だった。つまり、足元を照らす物が必要なかった。犯人が里の人間なら火を使わない分、目立たずに済む。これも証言が少ない理由の一つだろう。

 次に右京は霊夢に視線を送る。

 

「霊夢さん、何か変わった証言はありましたか?」

 

「私の方も特にはないですね。ただ、ほんの少しだけ気になる証言が」

 

「それは?」

 

 巫女は数瞬黙ってから。

 

「その……豆腐屋さんで働く淳也さんは舞花さんが好きだったみたいって里の女の子たちが言ってました」

 

「ほう……ですが、何故、女の子たちは淳也さんの想いを知っているのでしょうね?」

 

 その疑問に霊夢は少し気の毒そうに回答する。

 

「何でも、前に告白して振られたところを目撃したそうです。それ以降、淳也さんは酒場には行ってないみたいで」

 

「おやおや……」

 

 三十歳の淳也が十九歳の女性に告白して轟沈。三人は彼の心境を察してこれ以上の追求を避けた。

 

「妖怪の気配などは感じませんでしたか?」

 

「……感じませんでした」

 

「となると妖怪の線は薄くなりそうですね」

 

「うーん……。外に逃げた可能性も……」

 

 霊夢は腕を組みながら唸った。彼女もまた、里の人間が人を殺したのだと考えたくないのだろう。眉間に皺を寄せながら両目を瞑っていた。

 機会を見計らったかのように、外へ送り出した魔理沙が戻ってきた。

 魔女は扉を開けて「何か見つかったか?」と三人に近づく。

 霊夢は首を横に振って答えた。魔理沙はため息を吐きながら、テーブルに着いた。

 

「こっちも収穫なしだ。怪しそうな連中を片っ端から漁ったが、どいつもこいつも昨夜は里に行ってないって言う奴ばかりだ」

 

 魔理沙の話に霊夢が疑問を抱く。

 

「嘘を吐いているんじゃないの? アイツら基本的に嘘つきだし」

 

「いや、それはないと思うな。『嘘を吐いたら博麗の巫女がお前らをシバキに来るぜ?』って脅しながら答えさせたからな。皆、ビビッてたぜ?」

 

「そう……」

 

 右京は「それではまるで尋問ですね」と思ったが、妖怪の価値観は人間とは違うのでそれもアリなのだろうと考えて口を噤んだ。

 霊夢も魔理沙が自分の名前を出して妖怪を問いただしたと言うと納得した。妖怪に対して最も脅威になっているのが自分だと認識しているからだろう。

 刑事が魔理沙を労う。

 

「魔理沙さん、ご苦労様でした」

 

「おう」

 

 魔理沙は軽く返事をし、右京が続ける。

 

「さて、これで皆さんが集めた情報が出そろいました。ですので、次は僕が集めた情報ですが……」

 

 三人は息を飲んだ。

 

「里の中では有益な情報は得られませんでした」

 

「おい!?」

 

「「……」」

 

 魔理沙はコメディーのように机をバンと叩き、霊夢はジト目で右京の顔を覗き、慧音は咳払いをした。

 当の本人は何事もなかったように飄々としている。

 

「なので、里の外に出てもう一度、殺害現場を調べてきました」

 

 そう言って右京はスマホを取り出す。「なんでまた殺害現場を調べに行ったんだ?」と疑問を呈する魔女。スマホを弄りながら刑事が語る。

 

「僕は何故、敦君が殺されなければならなかったのか。その理由が知りたいと思ったからです。おかげで〝あること〟がわかりました」

「〝あること〟? なんだそれ」

 

 三人の前にとある画像が提示される。

 

「これは敦君の血痕を辿った先で見つけた、人が二人立てる程度の広さがあるスペースです」

 

 映し出されたのは草木が生い茂る茂みの中にポツンと空いている天然のスペースだった。

 霊夢が質問する。

 

「それが店員さんの事件と関係あるんですか?」

 

 「あると思います」

 

 断言する右京。

 

「ここから数メートル戻ると周囲の雑草に微量ですが、血痕が付着していました。しかも、空きスペース付近にもわずかですが揉み合った痕跡と敦君の物と思われるスニーカーの跡が残っていました」

 

「ってことはそのスペースに誰かいたってことか?」と魔理沙。

 

「そうだと思います。そして、僕は空きスペースにいた人物が犯人なのではと考えています」

 

「どうしてですか?」

 

 空きスペースに誰かいたのかまでは理解できるが、それが何故犯人だと言えるのか腑に落ちない様子の巫女。右京が考察を述べる。

 

「僕たちが聞き込みによって得た情報の中には敦君を殺す強い動機を持った人物が見当たりませんでした。ですが、敦君は殺された。しかも、里から離れた茂みの中です。これは敦君が何者かに里の外へ連れて行かれたのか、または誰かの後をつけて行ったのかのどちらかです。初めは敦君が誰かに誘われて里の外に出た可能性も考えましたが、彼が夜中に里の外――それも茂みに入って行くでしょうか? 僕はいかにノリが軽くて少量の酒が入っていたとしても断ると思います」

 

 右京の意見に魔理沙が反論した。

 

「無理やり連れて行かれた可能性もあるぜ?」

 

「だとしたら敦君は声を上げると思います」

 

「口を塞がれたとか?」

 

「その際、暴れるのではないでしょうか? もう少し証言があってもおかしくはありません」

 

「里に潜伏する妖怪の可能性はないのか?」

 

「ない訳ではありませんが、妖怪に化けていそうな里人が今のところ該当しません。霊夢さんも里で妖怪の気配を感じないと言っていますからねえ」

 

 右京はそう言って霊夢をチラッと見る。

 真っ赤なリボンを動物の耳のように反応させた霊夢がボソッと。

 

「まぁ〝悪そうな妖怪の気配〟は、ですが……」

 

「なるほど」

 

 右京は側にいる慧音もまた、妖怪の血を引いていることを思い出して頷き、話を戻す。

 

「妖怪でもない限り、敦君を音もなく里から連れ去るのは不可能でしょう。となると、犯行は里の人間によるもの可能性が高まりました。この場合、敦君は里の人間に誘われて外へ出たことになりますが――さすがにそれはないと考えます。舞花さんからもキツく言われていたでしょうねえ」

 

 舞花の性格上、敦に「夜中に里の外へ出るな」と何度も忠告したのは安易に想像がつく。

 

「確かに、この里に住んでいれば嫌でも妖怪の恐怖を理解するしな」

 

「私も何度も彼に『夜中に里から絶対出るな』と教えましたから……。自分からは出ないと思います」

 

「そうよね……」

 

 敦が夜中に里の外へと出るのは考えにくい。三人の考えが一致した。

 

「そこから僕は敦君が何者かの後をつけて行った末、犯人に殺されたのだと推測しています」

 

「だとしても何でついて行ったんだ? 危険だとわかってんのにさ」

 

 魔理沙の意見はもっともである。夜中に他人の後を追って外に出るなど危険極まりない行為である。危険を犯す必要性を感じない。

 右京が人差し指を立てた。

 

「そこなんですよ! 敦君は何故、後をつけたのか。僕も最初はわかりませんでした。しかし、彼が大事にしているものを思い出し、納得できました」

 

「「「大事にしているもの?」」」

 

「そうです。皆さん、彼が大事にしているものを挙げて下さい。まずは魔理沙さんから」

 

「私かよ!?」

 

 魔理沙は急な質問に戸惑うが、陽気な青年を思い浮かべて該当するものを挙げた。

 

「まずは酒場の店主だよな」

 

「ええ、間違いないでしょう。次は霊夢さん」

 

「お姉さん以外ですよねぇ……。お店?」

 

「それも正解です。慧音さんもお願いします」

 

「そうですね……。うーん、里でしょうか?」

 

「僕もそう思います。ですが、他にもあります」

 

「まだあるのか?」

 

 店主、店、里など敦の大事なものが大体、出尽くしたはずだと難しい顔をする魔理沙。そこに閃いたように霊夢が手を挙げた。

 

「あ、わかった。お客さんですね」

 

「そうです。さらに言えば里の人間そのものです」

 

「「「里の人間?」」」

 

 狐につままれたような顔の三人を余所に右京が得意の推理を披露する。

 

「彼は里の人々を非常に好いていました。それは彼の里への感謝の表れでしょう。そんな彼が何故、外に出て行ったのか――答えは里の人間が外に出て行くのを目撃して止めようとしたからではありませんかね」

 

「うむ……あの店員はお人よしそうだが、そこまでするか?」

 

「それがもし、店の常連客、知人、ご近所さんだとしたら? 僕が彼なら止めに行くと思います。なんせ彼は優しい青年だったのですから」

 

 三人はそれぞれに敦の性格を思い浮かべる。その脳裏には舞花一筋で軽いノリだが典型的なお人よしの敦の姿が浮かんだ。

 あり得なくもないと思ったのか、三人は右京の推理を否定しなかった。

 

「以上のことから僕は彼に近しい人物が里の外へ出て行き、それを止めようとして事件に巻き込まれてしまったと想像しています」

 

 その言葉に反論はなかった。

 そうなると新たな疑問が浮かんでくる。霊夢が右京に問う。

 

「仮にそうだとしても、犯人はどうして外にいたんですか?」

 

 敦が外に出た理由はわかった。次の疑問は犯人が何故、外に出たかである。

 

「犯人が何かやましいことをした、またはしようとしていたのではと考えています」

 

「…………やましいこと?」

 

 霊夢は彼の言っている意味がよくわからないのか、眉を顰めた。

 魔理沙は瞬間的に思いついたことを喋った。

 

「人の物を盗んだとかか?」

 

 右京が反応する。

 

「最初はそう考えましたが、空きスペースとその周辺に穴が掘られた形跡が見当たりませんでした」

 

「隠す前に見つかったからか? それで犯行に及んだってのもアリだよな」

 

「その可能性もありますね。では、魔理沙さんに質問です。泥棒が夜中に里を抜け出して、さほど離れていない場所――それも目立つ空きスペースに盗んだ物を隠す理由はなんでしょうか?」

 

「う~む……。私なら隠さないな。――泥棒なんてしたことはないが」

 

「「……」」

 

 魔理沙は腕を組みながら堂々した態度でウンウン頷く。その様子に霊夢と慧音は呆れて物も言えない。

 

「僕も泥棒ではないと思っていますよ。泥棒だとしたら間抜けすぎるからです」

 

「幻想郷に間抜けがいないとも言い切れんがな」

 

「確かに。ですが、僕はそうは思っていません」

 

「どうしてだ?」

 

 その時、右京がふっと笑った。

 

「犯人が里に入る際に痕跡を消しているからですよ」

 

「なんだと? なんでそんなことがわかるんだ?」

 

 今までの情報から犯人が痕跡を消したという情報は見当たらない。魔理沙はそう思った。だが、右京は違う。

 

「簡単ですよ。里に血痕が落ちてないんです。あなたが言う間抜けな犯人なら里の中に血痕の一つや二つ落としても不思議ではありません。それが見当たりません。痕跡も茂みの中で途切れています。これは犯人が茂みの中で血痕を拭き取り、里へと戻った証拠だと考えられます」

 

「うむ……」

 

「となれば、犯人は機転の効く人物です」

 

 その発言に今度は霊夢が首を傾げた。

 

「それなら、どうして殺人なんかを……」

 

 今回の殺人が頭の回る人物の行う行為かと疑問を吐露する。

 右京はキラリと目を光らせた。

 

「そうです。犯人は頭が回るにも関わらず、敦君を殺害したのです。その場に遺体を残してこそいますが、血痕を里の中に一滴も残していません。これは咄嗟の犯行で気が動転していたけれど、途中で正気に戻って最低限の証拠隠滅を図り、姿を眩ましたことを意味しているのではないでしょうか。つまり――」

 

「コソコソ隠れて何かやましいことをしようとした所を店員のにーちゃんに見られたから殺害したって事か?」

 

「僕はそう考えています」

 

 魔女が刑事の出した答えを言い当てた。

 魔理沙は霊夢の顔を見ながら「当たったぜ」と呟く。相方は「みたいね」と軽く返した。

 

 推理を聞いた慧音は額から一筋の汗を垂らしながら右京に訊ねた。

 

「杉下さん……その……〝何かやましいこと〟というのは、どのような内容なのでしょうか?」

 

「それはまだ、わかりません。これから調べます」

 

「そう、ですか……」

 

 慧音は深くため息を吐いた。

 

「泥棒以外だよなぁ。なんだろうな」と魔理沙が言うと霊夢が「さあねぇ……」と真顔で相槌を打つ。

 

 右京は慧音にも振る。

 

「慧音さん、何か思い当たる節はありますか? 例えば、里で発覚したら()()()()()()()()()()()()()()などですが……あれば教えて下さい」

 

 慧音は顎に手を当てながら長考するが「私にもわかりません……」と話した。

 彼にはそんな慧音がどこか辛そうに見え、色々と負担が大きいのだろうと解釈して同情した。

 少女たちも話をしているようだが、特にヒントになりそうなものはなかった。

 時刻はいつの間にか夕暮れに差し掛かっており、夜間の聞き込みは里では難しい。

 このまま話していても進展しない。右京が判断を下す。

 

「皆さん、もう夕暮れです。今日の捜査はここまでにしましょう」

 

「いいのか? まだ、犯人捜しは終わってないんだぜ?」

 

「ええ、皆さんにも都合があるでしょう。残りは僕がやっておきますので」

 

「いいのですか?」と慧音。

 

「はい、僕は警察官ですから。いつものことです」

 

 刑事の発言を皮切りに三人が帰る準備を始める。

 

 その際、右京は明日の朝七時にここに集合して下さいと告げた。三人は一様に頷いてこの場を後にする。

 別れ際、慧音が彼に、この部屋の鍵を渡して「何かあったら私のところまで連絡を」と自宅の場所を示したメモを残していった。

 皆が居なくなったことを確認した右京は一人〝とある場所〟へと向かった。



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第17話 鈴奈庵にて

 人間の里には《鈴奈庵》と呼ばれる貸本屋がある。そこの店番を任されているのは小さいながらもしっかり者で好奇心旺盛の少女だった。

 

 右京は道行く人にその場所と小さな店番の話を聞いて、心を躍らせながら鈴奈庵に到着。扉を開けた。店内には本棚が並んでおり、まるで昔の面影を残した図書館であった。「ほうほう。これは、これは」と唸りながら進んで行く。そこに一人の少女が現れた。

 

「何かお探しですか?」

 

 鈴の髪留めをつけ、赤と薄紅色の市松模様の服にクリーム色のエプロンを纏った少女。そう彼女は、

 

「もしかして、あなたが本居小鈴(もとおりこすず)さんですか?」

 

「はい。私が本居小鈴です」

 

 本居小鈴本人である。少女は目の前の紳士を興味深そうに観察する。

 右京は嬉しそうに。

 

「やはりそうでしたか」

 

 小鈴もまた物腰が柔らかくて里人らしくない服装の人物に心当たりがあった。

 

「あ、もしや、あなたは霊夢さんたちと行動しているって言う……」

 

「ええ、僕は杉下右京。表からやって来ました」

 

「やっぱり、そうでしたか! いや~、皆が噂しているので、お会いしたいなぁ~と思ってたんですよ!」

 

「おやおや、それはまた」

 

 小鈴はこの外来人に強い興味を持っていた。まるで自分が大好きな本に出てくる登場人物のような振る舞いに、出会うのを楽しみにしていた。

 実際、目をキラキラさせながら右京を見上げている。

 右京は照れる素振りを見せた。

 

「そこまで見つめられると恥ずかしいですねえ〜」

 

「あ、ごめんなさい……」

 

「どうか、お気になさらず。僕もあなたにお会いしたかったので」

 

「本当ですかー!? よかったー」

 

 溢れんばかりの笑顔で喜びを表現する小鈴にさすがの右京も苦笑いを禁じ得ない。

 そんな姿を見て小鈴は何かを思い出して萎れた。

 

「すみません。今、敦さんの事件の捜査中でしたよね……」

 

「こちらこそ。あなたを舞い上がらせてしまって、申し訳ない」

 

 小鈴は右京が敦の事件を捜査しているという情報をどこからか掴んでいた。そのため、自分が不謹慎な態度を取ったと感じたのだ。

 この少女は悪気こそないのだが、自分の好きなことになると周りが見えなくなる性質を持っており、霊夢からはトラブルメイカーと厄介がられ、要注意人物として扱われている。

 右京は小鈴を小動物みたいな女の子だと思った。 シュンとしている彼女に静かに告げる。

 

「小鈴さん、僕は敦君の事件解決のために動いています。どうか、お力を貸しては貰えませんか?」

 

 俯いていた小鈴は顔を上げた。

 

「私なんかで役に立ちますか?」

 

「とても心強いですよ」

 

 右京の言葉に反応した小鈴は再び、背筋をピンと伸ばし、

 

「是非、協力させて下さい!」

 

 懇願してきた。右京は「お願いします」と微笑む。

 看板娘の協力を取り付けた刑事は《幻想郷縁起》を始めとする歴史書や妖怪の逸話など、様々な本を漁った。読みにくい箇所は小鈴が代わりに解読して右京に伝える。

 

 和製ホームズの驚異的ともいえる読書スピードに小鈴は感動しながら指定された本を次々と運んでいく。ついさっき、知り合ったとは思えないほどの連携である。

 数時間後、右京は里における主要な歴史をある程度把握する。

 

 「ふう……」

 

 ため息を吐くと隣の小鈴がグロッキー状態であることに気づく。

 

「小鈴さん、大丈夫ですか?」

 

「はい、なんとかー」

 

 机に力なく身体を預ける小鈴だが、それでも片手に持った本を離そうとしない。右京はついつい笑ってしまう。

 

「小鈴さんは本当に本がお好きなのですねえ」

 

「はい、大好きですよ! 杉下さんも好きですか?」

 

「ええ、とても」

 

「やっぱり、本はいいですよねー! 人の人生が詰まっているというかなんと言うか!」

 

「彼らは人生を費やして本を書き上げます。僕たちはその貴重な内容を読ませて貰い、さらには知識まで授かっているのです。本当にありがたい話です」

 

「ですよね! 私もそうやって日々、知識を頂ける事に感謝しないと!」

 

「そうですねえ~」

 

 この中々にユニークな少女はどうやら、彼と近い価値観を持っている。

 右京は椅子に座りながら足をパタパタ動かす小鈴にとあることを訊ねる。

 

「そういえば、僕は七瀬春儚さんからこの店の存在を聞いたのですが、彼女は落語好きでとても面白い女性でした」

 

「ああ、春儚さんですね! 少し前から良く店に来てくれるんですよー。その度、色々な本を借りてくれるので私的には本当に助かってます!」

 

「彼女も相当な読書家のようですからねえ」

 

「そうなんですよー! 占いから恋愛、植物……それに探偵物や怪談とか色々です」

 

「僕と同じで色々な本を読みたくなる性分なのでしょうね」

 

「最近も沢山、本を借りて行ってくれましたし、いやー本当に助かりますよ」

 

「貸本屋さんは人が借りに来ないと成り立ちませんからね」

 

「その通りです! でも、返すのが遅い人にはあまり貸したくはありません。特に魔理沙さんとか!」

 

「おやおや」

 

 魔理沙も鈴奈庵から本を借りているようだ。しかし、小鈴の態度から本を盗むなどの窃盗行為をしているわけではないらしい。

 この小さな少女と何か親密な関係にでもあるのだろうかと右京は勘繰り、試しにこう言った。

 

「もし、彼女が借りっぱなしだったら僕に言って下さい。力になりますから」と。

 

 小鈴は「ありがとうございます! けど、何だかんだで期日近くには返してくれますから。延滞金は渋りますけど」と語り、右京は安心する。

 

 和やかなムードに包まれる鈴奈庵。ここで右京は今までとは毛色の違う質問をする。

 

「小鈴さん、個人的にお訊ねしたいことがあるのですが――よろしいでしょうか?」

 

「いいですよー。答えられる範囲でなら何でもお答えします」

 

「それでは――」

 

 右京は一呼吸置いてから質問を始めた。

 

「この人里において〝最もやってはならないこと〟は何でしょうか?」

 

「〝最もやってはならないこと〟……?」

 

 小鈴は質問の意味がわからず、首を傾げた。

 右京はより具体的な言葉を選ぶ。

 

「里で禁じられている掟みたいなものです。言うならば〝禁忌〟などの類でしょうか」

 

「うわー、それはまた重い内容ですね……」

 

 小鈴は口元に袖の裾を当てながら驚いた表情で相手の目を見る。

 あどけない容姿のせいかどこか可愛らしい。

 

「うーん、わからないですね。この里って意外と平和ですし」

 

「ええ、歴史を調べてもこれといった凶悪事件も見当たりませんしねえ」

 

「凶悪事件と言うと?」

 

「人による殺人事件などです」

 

「あー、確かにそうかも」

 

「今回が人の里、特に博麗大結界後、初の里人による殺人事件になるのでしょうね」

 

「歴史書を見る限りそうなのかも知れませんね」

 

 人里の歴史には人間の発展や妖怪との付き合いなどは書かれているが、殺人事件などの事項は一切乗っていない。この里は平和そのものだった。

 

 右京は思考を巡らせようとする。

 その時、店の扉が開いた。

 そこにはセミロングの紫髪に黄色い振袖の着物を着た少女が立っていた。

 

「小鈴、居る?」

 

阿求(あきゅう)! どうしたのこんな時間に!?」

 

 辺りは真っ暗だった。にも拘わらず、阿求と呼ばれた少女は明かりを片手に鈴奈庵を訪れた。

 彼女を視界に捉えた右京は軽く頭を下げた。

 少女もまた、右京に挨拶をする。

 

「初めまして杉下右京さん。私は稗田阿求(ひえだあきゅう)と申します」

 

「どうも初めまして」

 

 阿求と名乗る人物は小鈴と同年齢の少女であるが、どこか小鈴とは違う、まるで年上のような印象を受け、その雰囲気はどこか神秘性を帯びていた。阿求が刑事に訊ねる。

 

「少し――お時間を頂いてもよろしいですか?」

 

「はい」

 

 右京がそう言うと阿求は彼と向かい合うように座り、二人の駆け引きが始まった。

 二人は互いに向かい合い、その瞳を観察していた。

 

 右京は阿求の瞳を「とても少女とは思えないほどの静けさを持つ瞳」と。阿求は右京の瞳を「数々の修羅場を潜って来た落ち着きのある瞳」と心の中で評した。

 鈴の少女は「こんな阿求見たことない……」と気圧される。

 実際、普段の彼女は口うるさいところもあるが、もっと少女らしい人物だ。

 最初に阿求が口を開く。

 

「杉下さんは私をご存じでしょうか?」

 

「霖之助君から伺っております。何でも、千年続く名家《稗田家》のご当主であると」

 

 稗田家は人間の里でもっとも幻想郷の資料を持っていると言われる名家である。そこに生まれる子は超人的な記憶能力を持っている。

 その子は〝御阿礼の子〟と呼ばれる。阿求はその九代目である。

 

「ええ、仰る通り私は稗田家の当主――というよりは転生を繰り返した九代目稗田阿礼(ひえだあれい)と言ったほうが早いかもしれません」

 

 稗田阿礼とは日本最古の歴史書、古事記の編纂に関わった人物である。歴史上、その資料の少なさから阿礼個人のことはよくわかっていない。

 そんな偉大なる人物が右京の目の前にいるのだ。いつもの彼なら大はしゃぎだろう。しかし、右京は淡々と返した。

 

「まさか、歴史上の人物にお会いできるとは……光栄です」

 

「少しばかり古事記の編纂を任されただけです。大したことはありません」

 

 謙遜する阿求に右京は首を振った。

 

「そんなことはありません。あなたのようなお方のご活躍で僕たちは遥か昔の歴史を知ることができるのですから」

 

「そう言って貰えると頑張った甲斐がありますね。ですが、もう少し気楽に接して下さい。今の私は一応《阿求》ですから」

 

「なるほど――ではお言葉に甘えて」

 

 小鈴は二人のやり取りに息を飲む。普段は明るい彼女も親友たる阿求の変わりようと右京の先ほどとは打って変わった振る舞いに只ならぬものを感じ取った。

 

「僕にどのような御用でしょうか?」

 

「稗田の家の者としてお礼を言いに参りました」

 

「敦君の件ですか?」

 

「はい」

 

 阿求はお礼を言いに来たと語り、話を続けた。

 

「杉下さんが敦さん殺害の犯人捜しに尽力していると慧音さんからお聞きしました。こちらとしても表の刑事さんに協力して頂けるというのは非常に心強く思います」

 

「いえいえ、僕は警察官ですから。それが仕事です」

 

「このような事態は初めてですから――杉下さんがいなければ、もしかすると野犬に殺されたものとして処理されていたかも知れません」

 

「そんなことはないと思いますよ。里には優秀な方が沢山おられる。僕じゃなくてもきっと、見つけていたかと」

 

「だとよいのですが」

 

 阿求は軽く微笑んだ。

 右京も同じ表情を作る。

 

「杉下さんはとても熱心に捜査をなさると慧音さんが言っておりました。私自身、遠くからその仕事ぶりを拝見させて頂きましたが、実に興味深く、色々と参考になりました」と阿求。

 

「とんでもない。今思えば、僕の聞き込み方には至らない点が多かったような気がします。明日からは配慮した捜査を行いたいと思います」と笑顔で答える右京。

 

「里の人々は表の方に慣れていないので、考慮して頂けると助かります」

 

「あまり出過ぎたことをしないように努力します」

 

「それはよかった――今後ともよろしくお願いします」

 

「はい」

 

 パッとした笑顔を作り、阿求が立ち上がる。

 二人の会話は何の変哲もないごく普通の会話だった。一時はどうなるかと思ったが、何事もなく終わってよかったと小鈴が安堵した。

 その際、阿求は小鈴を見た。

 

「小鈴、あんまり表の方に迷惑をかけないようにね」

 

 小鈴は阿求の顔が普段通りに戻っていたので「わかってる」と返事をした。

 右京は思う。

 

「(タイミング的に考えて……これは〝警告〟――でしょうね)」

 

 阿求もまた、

 

「(これでわかってくれるとよいのだけど……)」

 

 と願う。

 互いに互いの実力を理解した者同士の短い会話であったが、その真意を汲み取るのは右京に取っては容易だった。

 用事を終えた阿求は鈴奈庵を出て行った。

 小鈴はため息を吐く。

 

「いつもはあんなんじゃないんだけどな~」

 

 右京も少女から見えないように軽くため息を吐いた。

 

「(踏む込むなと言われても踏み込んでしまうのが僕の悪い癖。今更、治りそうにもありません――)」

 

 小鈴が阿求を思うなか、右京は自らの背負いし業とも取れる性分に心底呆れながらも、明日の方針を練る。



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第18話 ついてる男とついてない男 その1

 自身が読んだ本を片付けて鈴奈庵を後にした右京は部屋へと戻る。

 今日の聞き込みと鈴奈庵で得た情報を頭の中で整理してある仮説を立ててから眠りに就いた。

 

 

 朝七時。一番早く訪ねて来たのは慧音だった。

 

「おはようございます。昨日はよく眠られましたか?」

 

「はい。ぐっすりと。やはり、表と違って静かですねえ」

 

 人里の夜は非常に静かで、乗り物による騒音もない。時々、正体不明の尼さんバイカーが走っているという噂もあるらしいが。

 二人が話しているとそこに魔理沙と霊夢がやって来て挨拶する。

 

「よ!」

 

「おはようございます」

 

 右京も「おはようございます」と軽く挨拶をしてから今日の方針を伝える。

 

「今日も細かな聞き込みと犯人の痕跡探しを行いましょう」

 

「痕跡探し?」

 

「ええ。犯人のものと思われる足跡や私物など事件に繋がるものがないか捜査します」

 

「なるほどな」

 

 魔理沙は納得して頷いて皆、別れて調査を始める。

 朝七時になると人々が動き出し、里は賑やかになる。ある者は商売の陳列、ある者は定食屋で仕込み作業、ある者は豆腐の切り分け、ある者は朝から賭博。

 里はいつも通りの日常に戻りつつあった。それでも道行く人の暗い表情までは変わらない。

 右京は捜査を続けながらその表情を眺め、早期解決を誓う。

 捜査は昼ごろまで続いた。途中、鈴奈庵で合流した彼らは共に近くのうどん屋で食事を取りながら軽く会話を楽しんだ。四人で雑談をする中、右京だけは悟られぬように店内の会話に耳を傾ける。

 仕事の愚痴、恋愛相談、妖怪談義、根拠のない噂話――様々な話題が跋扈する。そんな小うるさい状況であっても右京は事件解決のために思考を巡らせ続けた。

 

 昼食を終えた一行は部屋へと戻る。

 拠点の正面に着いた右京はそこによく知る人物が立っていることに気付く。

 

「淳也さんですか?」

 

「杉下さん……」

 

 そこにいたのは佐藤淳也。舞花に振られた三十歳の表の人間である。

 彼は深刻そうな顔をしながら、右京を待っていた。

 何かあったのだろうと直感した刑事が外来人に問う。

 

「何かありましたか?」

 

「その……ちょっとお話がありまして……。今、大丈夫ですか?」

 

 右京は「問題ありません」と言って彼を部屋へと招き入れた。

 その後、続いて魔理沙たちが部屋に上がる。

 テーブルに淳也を座らせた刑事は何があったのかを訊ねる。

 他の三名も淳也の表情から何かがあると察し、ジッとその様子を観察していた。

 

「僕にどのようなご用件でしょうか?」

 

 淳也は正座で俯きながらも呼吸を整えながら話す。

 

「寝室に〝血で汚れた刃物〟が落ちていました……」

 

「おやおや!」

 

「「「なんだって!?」」」

 

 四人は一斉に声を荒げた。

 同時に右京を除く三人は淳也を疑うような目で見た。

 それを察した彼は懇願する。

 

「俺は何もしてません! 杉下さん、助けて下さい!」

 

 淳也は土下座しながら右京に頼み込んだ。

 彼の身体を優しく起してから刑事は「詳しくお話をお聞かせ下さい」と静かに言った。

 

 淳也は自分の知っている事を必死で語る。

 彼は朝起きると寝室の窓の側に血の付いたナイフが落ちていたと述べた。窓は鍵を掛けていなかったらしく、熟睡していたので目を覚ますまで気が付かなかったようだ。

 

 右京が「ナイフを発見した時、あなたはどのような対応を取りましたか?」と問う。その際、敦は「寝ぼけていたので赤い何かがあるとしか認識してませんでした。それが刃物だとわかったのは昼休みに部屋に戻った時です」と答えた。

 

「なるほど」と右京が呟く。

 

 魔理沙と霊夢は淳也の発言を怪しみ、慧音はどうしたらよいのかわからないといった表情で淳也と右京の顔を交互にみやる。

 淳也は三人に向かって「お願いします。信じて下さい!」と目を赤くしながら何度も土下座した。歳が離れている魔理沙や霊夢にも必死に頭を下げ、その都度、床に頭を打ち付ける。

 さすがに居たたまれなくなった慧音が「わかったからもう、頭を上げてくれ」と土下座しようとする彼の身体をそっと抑えた。

 魔理沙たちもそれを不憫に思ったのか同情の目を向けた。

 右京が優しく語りかける。

 

「淳也さん――よく正直にお話ししてくれましたね。後は僕に任せて下さい」

 

「本当ですか!? あ、ありがとうございますぅ!」

 

 淳也は右京の両手を掴んで礼を言った。その目からは大量の涙が零れ落ちていた。

 右京が訊ねる。

 

「今、血の付いた刃物はどこにありますか?」

 

「寝室に置きっぱなしです……」

 

「わかりました。それは僕が回収します。案内して下さい」

 

「はい」

 

 四人は淳也に自宅まで案内され、そこで床に置かれた服の上にある血の付いた刃物を発見する。刃渡り十五センチ程のどこにでもあるナイフだ。里の中ならいつでも購入可能である。

 右京はハンカチで指紋が付かないようにそっとナイフを持ち上げて丁寧に観察する。

 

「刃こぼれしてますね。敦君を殺した凶器で間違いないでしょう」

 

 固い物に刀身を打ち付けたせいか元々脆かったのか不明だが、確かに欠けていた。

 右京はそれを綺麗な布で包んでビニール袋に入れてカバンの中にしまうと、淳也の部屋を出た。

 後ろから付いて来た魔理沙が問う。

 

「あのにーさん、犯人じゃないのか?」

 

「僕はそう思っています」

 

「理由は?」

 

 右京を疑う訳ではないが、根拠なしで淳也を犯人から外すのはどうかと考えた魔理沙は刑事にその理由を訊ねたのだ。

 霊夢と慧音も右京のほうを向いて、彼が何を話すのか注目していた。

 口元を緩めながら彼が三人を視界に収める。

 

「今からそれを確かめに行きます。皆さん、僕に付いて来て下さい」

 

「あん?」

 

 魔理沙が訳が分からず目を細め、霊夢と慧音も顔を合わせながら戸惑う。

 右京はニヤリと笑って足を早める。三人は男の不気味さに顔を歪めるも黙って後を追った。



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第19話 ついてる男とついてない男 その2

 右京たちは敦宅の右隣りにある家を訪ね、その門を叩いた。すると、ボサボサ頭の青年が出てきた。

 小田原信介である。信介は「なんですか?」と言いながら目を逸らした。

 右京が笑顔で挨拶する。

 

「どうも、こんにちは。昨日は〝一日に二度もお会い〟しましたねえ」

 

「いや、一度しか会ってないですから」

 

 素っ気ない態度の信介を余所に右京はいきなり本題に入った。

 

「おや、そうでしたか……まあ、それはよいとして……今回は〝佐藤淳也さんのお部屋の窓から血の付いたナイフを投げ入れた件〟で、お話を伺いに参りました」

 

「「「「はぁ!?」」」」

 

 信介と右京の後ろに居た三人は大きく口を開けながら固まった。

 

「恐らくあなたは僕たちが寺子屋近くの部屋を借りて会議をしているところをこっそり聞いていた。そこで霊夢さんが話した〝淳也さんが舞花さんに振られた〟という話を耳にする。それを知ったあなたは皆が寝静まった後、静かに家を出て淳也さんの家へ行き、窓が開いていることを確認してから、ナイフをそっと投げ入れて自宅へ戻った――違いますか?」

 

 右京の推理を聞いた信介は取り乱した。

 

「ちょ、ちょ、何を言っているんですかぁ!? そんな訳ないじゃないですか!? 言い掛かりにも程がある!」

 

「僕は当たっていると思うのですがねえ」

 

「違う! そんな訳ない!」

 

「では昨日、あなたは僕たちが去った後、どこで何をしていましたか?」

 

 信介は疑惑を向けられた事による憤りからか全力で叫ぶ。

 

「俺はぁ! 執筆活動で頭が一杯なんだぁ! ずっと、ここで作業していたぁ! 主人公と幼馴染の甘くて切なくてとろけるような場面を書き上げるために色々と想像を膨らませていたんだよぉぉぉ! 作業に夜中まで掛かったから疲れてさっきまで寝ていたんだぁ!」

 

 どうやら、彼の恋愛小説には〝そういった〟場面があるようだ。

 それを聞いた女性陣の目が一気に冷めた。

 

「なるほど……昨日はどこにも出かけていない。そういうことですね?」

 

「そうですよ!!」

 

「ふむふむ、困りましたねえ……」

 

 右京はしばしの間、黙る。

 それを証拠がないからと考えた信介が反撃に出る。

 

「だ、大体、証拠もなく人を疑うなんてどうかしてます! いくら慧音先生のお知り合いだからってやっていいことと悪いことくらいありますよ!」

 

「確かにその通り」

 

「ふ、ふん!」

 

 信介は勝ち誇りながら腕を組んだ。後ろの三人も不安そうな顔で右京を見る。

 しかし、刑事は顔に笑みを浮かべながらスマホを取り出し、昨日撮影した〝奇妙なモノ〟を表示させた。

 

「これ、あなたですよね?」

 

「はえ?」

 

 そこには物陰に隠れる信介の姿があった。

 

「この機械はスマートフォンという表の世界の式神です。この式神はとても賢く、なんとカメラのように写真を撮る事ができるのですよ」

 

 右京はスマホの画面をスライドさせて何枚もの写真を見せる。それらの写真にはコソコソ隠れる信介の姿が映し出されていた。

 実は昨日の昼頃一人で行動していた刑事は何者かが自身の後を付けてくるのを察知。記念写真を撮るフリをして尾行者である信介の姿をカメラに収めていたのだ。

 ごく自然にお喋りと写真撮影をする右京に信介はまんまと騙された訳だ。

 

 現役刑事をまともに尾行できるのは公安やスパイくらいだろう。信介程度の素人ではすぐに気付かれて当然である。

 無論、右京は魔理沙たちにもこれら数々の証拠画像を見せた。

 信介は引きつった笑みを浮かべるが、これだけでは終わらない。

 

「それにこの式神の能力は写真だけではありません。動画という静止画を連続で描写してあたかもそれが動いているかのように見せる機能もあるのですよ。このように」

 

 右京は動画を再生させた。音声付きの動画が流れる。

 その動画は一分程だったが、信介がしっかりと右京の跡を付けていた様子が映し出されていた。

 信介の声こそ聞き取れなかったが、彼が意図的に右京を付けていたのは明白である。右京の後ろにいる三人が鋭い目で信介を睨む。

 

 信介はその凄味に圧倒されつつあったが、最後の抵抗に出る。

 

「こ、これはきっとあれだ……僕の〝生き別れた弟〟です、きっとそうです!」

 

「はぁ?」

 

 信介の見苦しい言い訳に激昂しそうになった魔理沙が右京の前に出ようとしたが、刑事がそれを制止して「もう少しだけ僕に任せて下さい」と言った。

 

「生き別れた弟さんですか……随分、都合良く帰ってきましたねえ」

 

「きっと、俺を探していたんですよ!」

 

「それが何故、僕の尾行に繋がるのでしょう?」

 

「たぶん、あなたを俺と勘違いしたんですよ!」

 

「……何言っているのよ、この人」

 

 霊夢はどうしようもなく呆れた顔で目の前のやり取りを眺めていた。

 隣の慧音は怒りのせいか真顔になっている。そろそろ爆発するかも知れない。

 右京は最後の詰めに入った。

 

「あなたの言い分だと、生き別れた弟さんが僕を信介さんと間違えて後ろからコソコソと付け回していたということになりますが……それでよろしいのですね?」

 

「そ、そうです。それしか考えられません!」

 

「わかりました――」

 

 右京は確認を取ると、スマホを指で操作してボイスレコーダーを起動する。

 そこには信介そっくりの声が入っており。

 

 ――クソ! 見失った! どこだよ杉下!

 

 という音声が流れる。声の主は凍りついた。

 

「あなたの弟さんは一度、僕の姿を見失って焦っていました。その時、僕はあえて姿を眩ましたのですよ。これはその際、録音したものです。そうとも知らず、弟さんは僕を〝杉下〟と呼んだ。生き別れた弟が兄を呼ぶ際、果たして名前ではなく苗字で呼びますかねえ。僕には少し理解しがたいのですが――どうでしょう?」

 

「そ、そ、それは……」

 

 信介はこれ以上の反論が思い付かなかった。

 右京の後ろでは八卦炉を取り出す魔理沙、お祓い棒を手に取る霊夢、真顔で拳を打ち鳴らす慧音と地獄絵図が広がっていた。

 慌てふためく信介に右京が顔を近付けてドドメを刺す。

 

「これ以上、誤魔化しても無駄です。今、君は僕たちに嘘を吐いた。しかも恩師がいるにも関わらず。何かやましいことがなければ普通そんなことしませんよねえ~?」

 

「い、いやその――」

 

「いい加減白状なさい! 周辺を調べれば何か証拠が出てくるかもしれません。罪が重くなりますよ――小田原さん!!」

 

 相手の顔にギリギリまで詰め寄り威圧して竦ませる。杉下右京の必殺技である。

 観念した信介はその場で華麗な土下座を披露する。

 

「すみませんでしたああああああああああああああああ! 許して下さいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 

 圧力に屈して自白する信介を右京以外の三人が取り囲むように近寄った。

 

「許してくれはないだろ?」

 

「あなたが殺したってことでよいのかしら?」

 

「この――馬鹿者が!!」

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 心が折れた信介は幻想郷の猛者二人と恩師に軽蔑されながら、右京に真相を語った。

 

 事件前日徹夜で執筆活動をしていた信介は疲労で寝落ちしてしまい、気が付いたら昨日の十時頃に目を覚ました。

 いつも通り鍵をかけてない窓を開けようとしたらその下に血で汚れたナイフが落ちているのを発見する。

 最初は意味が解らなかったが、家の外で里人たちが「里の人間が殺された」と騒いでいると知って、直感的にこのナイフが凶器であると悟った彼はナイフを隠した。その際、指に血が付着してしまったので洗い流したのだが、不運なことにそのタイミングで右京が扉を叩いたのだ。

 

 里人である信介は魔理沙や霊夢が有名人である事を予め知っており、彼女たちを引きつれてやって来た右京にバレたらマズイと思って誤魔化したそうだ。

 その後、酷く腹が減った信介は遅い目の昼飯を食べに外出するもそこで一人きりの右京に遭遇。刑事が自分を疑っていないか調べるために尾行。寺子屋付近の空き部屋を突き止めて、話を盗み聴きしたそうだ。

 と言っても会議の序盤、それもごく一部だけしか聞いておらず、会話の内容はほとんど知らないと語った。唯一、聞けたのは淳也の件だけだそうだ。周囲に人気もあり、バレたらマズイと思って早々に逃げたらしい。

 

 そして、淳也が舞花に振られたと知った信介は彼の部屋にナイフを投げ入れれば彼が敦を殺したと疑われて自分は救われるだろうと考え、その日の深夜に実行したとのことだ。

 右京たちは青年のあまりの身勝手振りに呆れ返った。

 

「アンタ、最低だな」

 

「どうしようもない人ね」

 

「呆れて物も言えん」

 

 魔理沙も霊夢も慧音も信介の行動に嫌悪感を抱いていた。

 右京は再度確認を取った。

 

「今、話した内容は本当ですか? 嘘は吐いてませんか?」

 

「本当です! 俺は殺してません!」

 

「どうだかなぁ」

 

「怪しいもんよね」

 

「はぁ……」

 

 魔理沙と霊夢は信介を信用しておらず、慧音に至っては右手で頭を抱えている。自分のかつての教え子がこんな馬鹿なことをやらかしたのだ。

 そのショックは大きい。もし、右京がいなければ何発か強烈な拳骨を叩き込んでいるはずだ。それくらい頭にきている。

 そんな中、右京だけは。

 

「僕は、君が巻き込まれたのだと思っていますよ」

 

「本当ですか!?」

 

 信介は救いの手が差し伸べられたと歓喜した。

 

「まず、君は僕が考えている犯人像とは異なります。君は非常に臆病で自己愛が強く、短絡的で倫理観に欠けている。なので、君は敦君殺しの犯人ではないでしょう。ですが――」

 

 瞬間、右京はその目を鋭く尖らせた。

 

「君が我が身可愛さに淳也さんを事件に巻き込んだ。それは決して許されるべきことではありません。それ相応の報いを受けるべきです」

 

「そ、そんな……俺だって被害者なのに……」

 

「無実の人間を殺人犯に仕立て上げようとしたのは君です」

 

「だって、俺みたいな孤立している奴が巻き込まれたなんて言ったって誰も信じてくれるはずない――」

 

 右京は信介の発言を遮った。

 

「君の性格が問題で誰からも信じて貰えないことと無実の淳也さんに罪をなすりつけることは全く別の問題です。それはどこまで行っても変わりません。無実の人間を犯罪者にしようとした君の罪も重いですよ? それも……表の世界で居場所を失い幻想郷にやって来てようやく人生を楽しめるという時に君は彼を巻き込んだのです。僕はそんな卑劣な行為は許しません。例え、幻想郷に明確な法律がなくても何かしらの罰を受けるべきです。君に甘えたことは言う資格はありません。どうか僕が真相に辿り着くまでの間、容疑者として牢屋でもどこでも構いませんから薄暗い世界に閉じ込められていて下さい。以上です」

 

 右京は冷静かつ的確に信介が裁かれるべき理由を述べて、反論も許さないくらい徹底的に叩き潰した。信介は涙を流しながら地面にひれ伏し「すみませんでした……」と何度も繰り返しながら泣きじゃくっていた。

 その姿に三人は驚く他なかった。論理的で少々、変わった人物ではあるが、彼の言い方にはどこか優しさと厳しさが混じっていた。

 魔理沙は「どこぞの新人閻魔よりも閻魔らしいな」と。霊夢は「口うるさいだけの仙人に聞かせてやりたいわね」と。

 慧音は「自分に同じことが言えただろうか」と刑事を見ながらそれぞれが何かしら考えさせられた。

 しかし、これからこの三人は杉下右京という人物の本当の凄さを思い知ることになる。



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第20話 名女優 その1

 信介が淳也の部屋に敦殺害の凶器と思われるナイフを投げ入れたと自白して淳也の潔白が証明された。

 泣きじゃくる信介を慧音が無理やり起こして連行しようとする。

 右京は項垂れている彼に聞き忘れていた質問をする。

 

「信介君、君は敦君と揉めたことはありますか?」

 

「ありません……。ただ、スランプで気が立っている時に笑顔で声をかけられたので『放っておいてくれ!』と怒鳴ってしまったことはあります」

 

「それはどちらで?」

 

「自宅正面です」

 

「わかりました。どうもありがとう」

 

 右京がそう言うと慧音が信介を引っ張って行こうとする。

 その際、右京は何を思いだしたように彼を引き止めた。

 

「あ、最後に一つだけ。君――〝左利き〟ですよね?」

 

 信介は「はい」と頷いてから連行され、右京が微かな笑みを浮かべた。

 後ろから眺めていた魔理沙が刑事に問う。

 

「おじさん、なんでアイツにあんなことを聞いたんだ?」

 

「あんなこと、とは?」

 

「利き腕の話だよ」

 

 怪しむ魔理沙に右京は答える。

 

「犯人は右利きだからですよ」

 

「右利きだと!?」

 

「ほぼ間違いなく」

 

「どうしてそう言えるんですか?」

 

 首を傾げる霊夢に右京は身体を動かしながら犯人の犯行時の動きを再現する。

 そのシーンは犯人が逃げる敦君の背中を掴み、ナイフを振り降ろしたところだ。

 

「敦君の首裏の襟が伸びきっていて、かつ右肩に振り降ろされるように一撃を受けている。これは犯人が右利きという証拠です」

 

「それって左利きでもできるんじゃないのか?」

 

「可能ですが、それでは不自然です。相手を殺そうとするのに不慣れな手でナイフを握ったら隙が生まれて奪われてしまいますよ。さらに今回の殺人は咄嗟の犯行でした。そんな状況で利き腕を変えて敦君に襲いかかるでしょうか?」

 

「あー、確かに……」

 

 霊夢は右京に意見に納得した。

 魔女も同様に納得した後、刑事の推理を聞いて訝しむ。

 

「おじさん、アンタ……犯人の目星が付いているんじゃないのか……?」

 

 魔理沙は思う。あの場にいた人間なら信介が犯人だと断定する。だが、この男は信介が巻き込まれたと判断した。常に自分たちの先を行くこの紳士が犯人を予想できてないはずがないと。

 巫女も同じ疑問を覚えていた。淳也の時も信介の時もまるで全てをわかっているかのように振る舞っていたのだから。この紳士はすでに何かを知っていると。

 二人は真顔で右京を凝視する。

 右京はしばし考える。科学捜査ができない里で時間を延ばして証拠を隠滅されたらこちらが不利。ならば、この機にしかけようと――

 

「……今から会いに行きます。お二人とも、付いて来て下さい」

 

「なんだと!?」

 

「え!?」

 

 二人は右京の決断に戸惑いを隠せない。

 そんな二人に彼は自らに付いてくるように促し、敦が住んでいた家の奥へと入って行き、女性の家の戸を叩いた。

 二人は動揺を隠せず、その顔を向き合わせる。

 少しすると、家の主が扉を半分開けながら顔を出した。

 

「あら、昨日の方?」

 

「昨日はどうも」

 

 右京が挨拶したのは七瀬春儚。敦宅の真後ろに住む元女優。

 春儚は突然の訪問に少しだけ戸惑いを見せたがすぐに笑顔になった。

 

「ちょっと、お話がありまして――お邪魔してもよろしいでしょうか?」

 

「はい、どうぞ」

 

 春儚は三人を家の中に招き入れ、お茶を用意しようとしたが、右京がそれを断った。

 全員がテーブルに座ったところで本題へと移る。

 

「たった今、小田原信介君が上白沢さんに連れて行かれました」

 

「そうだったんですか!? 何か叫び声がするとは思っていましたけど――彼、何かしちゃったの?」

 

「敦君を殺害したと思われる凶器をよそさまの家に投げ込んだのですよ」

 

「ええ!? ということはあの子が犯人なの!? なんかだか、寒気がしてきたわ……」

 

 春儚は両肩を抱きながら身震いした。その姿に少女二人が同情する。

 しかし右京だけは違って。

 

「はい――これで全てがあなたの思惑通りになった訳です」

 

「はい?」

 

 春儚は若干、声のトーンを低くしながら目を細くする。

 直後、魔理沙が会話に割り込んできた。

 

「待てよ、おじさん。このねーさんが犯人だって言いたいのか!?」

 

「そうです」

 

 右京はそう言い切った。

 さすがにそれはどうかと思った霊夢も片目を瞑りながら意見した。

 

「この人が店員さんの殺したって言うのは無理があるんじゃないですか?」

 

「どうしてでしょう?」

 

「だって、女性ですよ? いくら酔っている男性相手だからといって、揉み合いになったら負けると思います」

 

「そうだぜ。こんな細身のねーさんに若い男は殺せないだろうよ!?」

 

 魔理沙と霊夢は春儚を庇うような立場を取った。

 疑われる春儚は目に涙を浮かべた。

 

「私が犯人だなんて、酷いわ! 敦君とはよく話をする仲だったのに!」

 

 声を荒げ、右京を非難する春儚。魔理沙と霊夢も右京をジッとに睨みつける。

 右京は息を吐いてから静かに言った。

 

「……霊夢さん。春儚さんの肌を触れて見て下さい。それではっきりします」

 

「は?」

 

 霊夢が素っ頓狂な声を出す傍ら、春儚は明らかに動揺した。

 右京は続ける。

 

「僕の予想が正しければ恐らく、高い霊能力を持つ霊夢さんが彼女に触れれば何かが起こると思います。ですから……触って頂けませんか?」

 

「何かってなんです――」

 

 霊夢が言葉の発しながら春儚のほうを向くと彼女は後ずさりしていた。

 不敵な笑みと共に右京が追撃する。

 

「おや、春儚さん。何か霊夢さんに触れられるとマズイことでもありますか?」

 

「いや……そんなことは……」

 

 引きつった顔で家の隅まで下がろうとする春儚。さすがに魔理沙と霊夢もその行動を怪しんだ。

 刑事の追撃は止まらない。

 

「ほんの少しでいいですから、霊夢さんにお手を預けて貰えませんかねえ。このままだと僕にずっと疑われたままですよ? ここはご自身の無実を証明するためと思って是非」

 

「……」

 

 春儚は額から大量の冷や汗を流す。もはや、先程までの余裕ぶった顔などどこにもない。

 すると、霊夢が右京の横から手を伸ばした。

 

「失礼します」

 

 らちが明かないと思った霊夢が半ば強引に女性の右手を握った。

 同時に電気が弾けるような破裂音が部屋の中に響く。

 春儚は痛がる素振りを見せ、その背後から微量ではあるが黒い霧が漏れ出す。

 巫女が叫ぶ。

 

「これは妖気!?」

 

 焦った春儚は霊夢から右手を引き離し、庇う素振りを見せる。

 右京がほほ笑んだ。

 

「これではっきりしましたね。あなたが〝敦君を殺した犯人〟です」

 

 その言葉に戦慄が走った。

 魔理沙が右京に詰め寄る。

 

「これはどういうことだよ!?」

 

 事態が呑み込めない魔理沙に右京が告げた。

 

「彼女は〝妖怪に関する何らかの研究〟を行っていたんですよ」

 

「なんだって!?」

 

 その言葉に春儚は目を背ける。霊夢はあどけない顔を修羅の如く変化させ、お祓い棒を春儚に向けて脅す。巫女の目に情けはない。

 

「あなたは人間? それとも妖怪? 返答次第で扱いが変わってくるけど?」

 

 まるで人殺しの目である。これではどちらが悪かわからない。春儚は恐怖に竦む。

 その時、右京は暴走寸前の巫女を制止した。

 

「霊夢さん――もう少し待って下さい。まだ敦君殺しの自供が取れていません」

 

「それよりも相手が妖怪であるかどうかのほうが問題です!」

 

「僕にとっては彼女が敦君を殺した犯人であるかどうかのほうが重要です。それに今回、犯人を見つけたのは僕です。なので、ここは僕の言い分を通させて貰いますよ」

 

「ぐぎぎぎぎぎ……」

 

 右京は鬼巫女霊夢に一切、恐怖を見せず、ごく自然に押しのけて春儚の前に立った。

 霊夢は苦虫を噛み潰したような顔をしながら右京を睨むが、魔理沙になだめられる。

 目を合わせようとしない春儚に右京は語りかけた。

 

「あなたが敦君を殺した犯人ですね?」

 

「……証拠はあるんですか?」

 

「この家を探せば色々出てくるのではないでしょうかね。例えば、血の付いた衣服とか」

 

「そんな物はありませんよ」

 

「なるほど、すでに隠滅しましたか」

 

「隠滅だと!?」

 

 疑問を呈する魔理沙。右京が答える。

 

「あなたは敦君を殺害後、草むらを走る中、月明かりで自身の身体に血が付着していると気が付き、衣服や刃物に付いた血痕を拭き取って血を垂らさないように自宅まで戻った。その際、信介君が徹夜で熟睡していることを確認し、刃物を開いている窓からそっと投げ込んだのでしょう。そうすれば、敦君を怒鳴ったことがある信介君の犯行に見せかけられると踏んで。

 そして、朝になると血の付いた衣服の隠滅にかかった。血痕の量から見て、揉み合いになったとはいえ、直接トドメを刺していないので、そこまで返り血を浴びてないと思われます。証拠の隠滅は難しくありません。例えば、血の付いた部分だけを切り取って燃やすとか。残った部分は雑巾にでもしたと言えばよいでしょうしねえ」

 

「だが、そんなグチャグチャな衣服が発見されたら怪しまれると思うぞ?」

 

 魔理沙の言う通り、家屋を調べられた際、刃物で意図的に切り取られた衣服が見つかれば怪しまれるのは間違いない。が、右京は言い切る。

 

「だとしても信介君よりは怪しまれないでしょうね。彼らは()()()()ですから。仮に自分が疑われても世間はナイフを所持する信介君を犯人扱いする。それがあなたの計算だった」

 

 春儚は右京の推理を黙って聞いていた。瞬き一つせず。

 魔理沙はその様子から彼女が右京の推理通りに実行したのだと悟り、たじろいだ。

 

「マジかよ……。それにしても、どうしてこのねーさんは実験なんかをしたんだ? 里でそんなのやってバレたら追放だぜ? もし、妖怪化していたら……」

 

 魔理沙は険しい顔をする霊夢を見る。それが何を言わんとしているのかはこの場にいる人間なら誰も理解できるだろう。

 

「何故、彼女がそのような危険な行為に走ったのか――今から、説明しましょう」

 

「あん? おじさん、そこまでわかってんのか!?」

 

「ええ、今日の午前中に彼女の周辺を調べ上げましたから」

 

「あん!?」

 

 驚く魔理沙を余所に右京は午前中、自身が何をしていたのか語り出す。

 

「今日、僕たちは個別で聞き込みを行いました。昨日と違って尾行者のいないと確認できたので、僕は春儚さんが所属していた劇団と長屋に住む有名な〝易者〟の元を訪ねたのです」

 

 易者。右京が口にした途端、周囲が静まり返った。

 思わず顔を背ける春儚。何かを思い出したように口を開ける魔理沙。さらに勢いを増して目付きを鋭くする霊夢。

 右京は一息吐いてから順々に説明する。

 

「あなたの所属した劇団はかつて表からやって来た方が創り上げた小さな劇団でした。僕はそこで働いている俳優さんや女優さんたちに色々お話を伺ったのですよ」

 

 人間の里には定期的に表から人間が流れ着く。帰りたがる人間もいるが、里で暮らす人間もいる。そういった者たちが表の技術を里へと持ち込む。

 劇団もその一つだった。歌舞伎などとは異なる西洋的な劇も扱う公演は里でもそこそこ好評だった。

 中でも七瀬春儚は若いながらもその演技力の高さから知る人ぞ知る人になっていた。

 右京は彼女が所属していた劇団を訪れる。劇団員たちは朝から訓練に励み、次の劇の練習をしていた。

 

 ――活気のある劇団ですねえ。

 

 そう感心しているとその珍しい服装に団員たちが興味を示した。彼らは表の世界に興味があるのか、右京に様々な質問した。

 聞けば、ここの団員たちは皆、表に憧れを抱いているらしい。刑事は彼らの質問に答えられる範囲で答えた。それによって場が盛り上がる。

 話が途切れてきたのを機に右京は春儚の話題を切り出した。

 

 ――そういえば、最近まで七瀬春儚さんがこの劇団にいらっしゃいましたよね?

 

 ――そうです。ですが、急に辞めてしまって。私たちも何でも引き止めたのですが。春儚さんの意思が固くて……。

 

 ――どうして急に辞められたのですか?

 

 ――それが理由を聞いても教えて貰えなかったんですよ!

 

 ――あんなに演劇が好きな人もいないのに……。

 

 ――ヒロインも悪女も分け隔てなくこなすんですよ! それに男役も。

 

 ――男役もですか。それは、それは。

 

 ――メイクもばっちりで声色も男っぽく作って……もう、私たちがすごいと思うくらいで!

 

 ――そうそう、里でばったり会っても男装していたらわからないくらいに!

 

 ――なるほど、そうでしたか。

 

 団員たちは右京の質問にも快く答えてくれた。

 春儚は団員の間でも演技力が高いと評判だった。ヒロインもそうだが、特に男性役が上手で、女のファンも少なくなかったらしい。団員たちは辞めた春儚の帰りを今でも待っている様子で「いつか戻ってきて欲しい」が語っていた。

 右京は話の終わり際、春儚について〝とあること〟を訊く。

 

 ――どなたか春儚さんのご趣味をご存じではありませんか?

 

 ――趣味ですか?

 

 ――ええ、彼女にお会いしたら何かプレゼントしたいと思ったものですから、興味のある品をお渡ししたいのです。

 

 ――うーん、読書ですかねえ。後〝占い〟にもハマっていた気がします。

 

 ――占い? どういったものでしょう?

 

 ――占術ですね。結構、楽しそうに話してくれましたし。かなり詳しかったと思いますよ。

 

 ――なるほど……占術ですか。この里でそれを学べる場所はどこでしょう?

 

 ――それでしたら、ここから少し離れた長屋に住む易者の大先生を訪ねるとよいですよ。当たると有名です。まぁ、ちょっと、問題が発生した場所ですが……。

 

 ――おやおや、それはどう言った意味でしょうか?

 

 ――なんでも、破門されて自殺した易者がいたそうなんですよ。でも、大先生自体は気さくな方なので問題ないとは思われますが……。

 

 ――破門されて自殺した易者ですか。穏やかではないですねえ――わかりました。その場所に行ってみます。お話ありがとうございました。

 

 右京が劇団で聞いた話を終えると春儚は「あの子たちったら……」と嘆いた。

 魔女はどこか憐れむような目を向け、巫女は少しだけ鋭くなった眼光を緩めた。

 刑事が続ける。

 

「次に僕は劇団の方から聞いた長屋を訪れて易者の大先生をお会いしました」

 

 長屋の大先生は右京を客だと思ったが、話を聞きに来ただけと知って不機嫌になった。そこに自身が破門した易者の話題が出したので、へそを曲げて会話が成り立たなかった。

 そこで右京は長屋を出て鈴奈庵で占術を調べようとした。その際、一人の易者が刑事を追いかけてきた。訊けば、この易者は自殺した易者の同期だったらしい。

 易者は右京が捜査を行っていると知っており、今回の件に同期の死が関わっているのかと心配になって長屋を出て来たそうだ。

 二人は人気のない道に入ってから会話を再開させる。

 

 ――わざわざ、ありがとうございます。

 

 ――いえ、そんなことは。

 

 易者は自殺した同僚について語った。

 

 その者は新井勝次(あらいかつじ)。年齢は二十八歳。細身の身体に独特の雰囲気を醸し出す男だったが、腕は確かだったらしい。易者と勝次は同期で良く語り合っていたらしいが、勝次は途中から同期の易者達を追い抜く程の占術を見つけて行った。

 

 それには大先生も大層喜び、ゆくゆくは名を注がせようと考えていた。だが、その卓越した占術のせいで勝次は次第に幻想郷の外、つまり、現代の世界の光景を断片的に覗けるようになった。

 同期の易者もそれを本人から聞かされた時は賞賛を送ったそうだ。しかし、勝次は満足しなかったそうだ。彼は誰よりも才能が豊だったのだ。いつしか、自身の才能を活かすために手段を選ばなくなった。

 そして、勝次は魔術的な技術を自身の占術に組み込んだ。里において魔術に手を出すのは禁じられている。右京が「何故?」と訊ねると同期の易者は「妖怪に近付く行為だからだと思う」と答えた。

 

 この易者が言うには妖怪に近付く行為は里の人間にとって〝やってはならない行為〟だと囁かれており、そのルールを破る者はいない。

 にも関わらず勝次は暗黙のルールを破った。そのため、破門されたそうだ。期待していた弟子に裏切られた大先生はその話題になると途端に不機嫌になるのはそのせいなのだと易者は語った。

 その後、勝次は自殺した。

 

 この易者はそんな彼が化けて出たのかと思ったらしく、右京と話をしに来た訳だ。

 右京は〝やってはならない行為〟と聞かされ、今回の犯人の動機がここにあるような気がしてならなかった。そこで今度は春儚について訊ねた。

 

 ――貴重なお話し、ありがとうございます。

 

 ――いえいえ。

 

 ――そう言えば、この長屋に七瀬春儚が来ませんでしたか?

 

 ――七瀬……たしか、劇団の女優でしたね。いや、ここでは見たことありませんね。

 

 ――勝次さんと一緒にいるところなどを見た事は?

 

 ――ありませんね。アイツ、あんな顔だから女にモテませんでしたよ。ただ……。

 

 ――ただ?

 

 ――知らない男と歩いていたところは何度か見たことあります。

 

 ――知らない男ですか……?

 

 ――ええ。顔は帽子を深くかぶっていたのでわからなかったんですが、華奢な男でしたね。声もどこか中性的だったような……。

 

 ――そうですか、わかりました。では僕はこれで。

 

 右京はそう言って、易者と別れ、鈴奈庵に向かい皆と合流。ご飯を食べてから拠点に戻り、淳也と会い、彼の潔白を証明し、春儚を追い詰めている。

 彼の話を聞いた春儚は目の前の和製シャーロック・ホームズの実力に呆れながらも賞賛を送った。

 

「杉下さん……。一目、見た時から只者ではないと思っていたけど、まさかここまでとはね……」

 

「ということは勝次さんとお会いしていた華奢な男性は――」

 

「私のことよ」

 

 右京の話を遮って春儚自ら、男の正体を明かした。

 魔理沙たちは面食らったような表情をする。なんとなくその関係を察したからだ。

 女優は刑事に向かって静かに言った。

 

「……ここから先は私が話していいかしら?」

 

「お話し願えるなら」

 

「わかりました」

 

 観念したのか、春儚は自殺した易者、新井勝次との関係について自供し始める。



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第21話 名女優 その2

「彼との最初の出会いは三年前。あの酒場で飲んでいる時だったわ。あの時は舞花ちゃんのお父様が店を切り盛りしていて、彼女は店の手伝いをしていたの。私は劇の公演を終えて、一人お酒を飲んでいた。そこに勝次さんが現れたのよ」

 

 当時、私はそこそこ人気が出てきたばかりの女優だった。

 町を歩けば声をかけてくれる人もちらほら。皆、良い演技だったと褒めてくれるけど、私は物足りなさを感じていた。

 劇団を立ち上げた外来人の座長には本当に感謝している。私に表のことを色々と教えてくれたのだから。オペラ、ミュージカル、ブロードウェイや四季を巡る劇団とか色々ね。

 でも、同時に嫉妬したわ。私がその世界に足を踏み入れることなどないのだから。この人間の里は妖怪たちに囲まれた世界にポツンと存在する場所。

 

 皆、里から出ることはない。里の中で生まれ、里の中で一生を終える。それが運命。

 そりゃあ、目の前の黒い魔女や赤い巫女なんかは強力な力を持っているから妖怪相手に戦える。私のような一般人には無理。私たちは一生、里で暮らすしかない哀れな生き物。

 自分の非力さを嘆いたわ。

 そこに現れたのが新井勝次。易書を持った冴えない男。最初はそう思った。けど、彼は私の隣の席に着くと。

 

 ――その、今日の演技、最高でした……。これからもがんばって下さい。

 

 ――ありがとうございます。

 

 どうやら、私のファンだったようで、私を見るなり顔を赤くした。その姿に少しだけ可愛さを覚えた。まるで子供のようで。

 私は折角だから彼と一緒にお酒を飲んだ。彼は緊張しているのか自分からあまり話さない。

 もっとグイっと来なさいよと言ってやりたかったけど、可愛そうだと思って止めたわ。そんな時、彼は言った。

 

 ――俺、占いやってます。見習いですけど……。

 

 ――まあ、その本を見ればわかるわね。

 

 ――よかったら、俺にあなたを占わせて下さい。

 

 ――いくらで?

 

 ――タダですよ! 決まっているじゃないですか!?

 

 ――なら占って貰おうかしら。

 

 私が頼むと彼は私を占った。「これからもっと人気が出ます。特に女性に」と言った。私は「ありきたりね」と茶化したが、彼の行為に感謝してお礼を述べた。

 

「それから、程なくて王子様役を演じたらヒットしたのよ。自分でも驚くくらいにね」

 

「なるほど、それから男装してお会いするようになった訳ですか」

 

「そうです」

 

 杉下さんの言う通り、私は男装して彼と会うようになった。理由は交際禁止だから。周りの女の子達はファンと仲良くなったりするそうだけど、バレるから途中で止めるらしい。

 だけど、私は男装には自信があるので乱暴されない限りはバレれない。

 意外とスリルがあって楽しいわ。こんな緊張感もたまには悪くない。

 彼と会う理由は占って欲しいからもあったけど、自分でも占術を学びたいと思ったからね。こう見えて、色々な方面に手を出しているから、彼の学ぶ占術にも関心があった。

 

 彼は私が男装で訪ねると最初は正体がわからず、困惑するんだけど、私が人目に付かないところで声色を戻すとびっくりした顔で私を見たの。

 その時顔ったら間抜けだったわ。私は彼に正体を明かし、それからたまに会う関係になった。

 最初は占いの話だけだったけど、彼の技量が上がるにつれ、外の世界が見えるようになったの。それで私も外の世界に興味があったから、色々と見えたものを教えて貰ったわ。その度、感動して喜んだものよ。

 

 時には占い、時には表の話、時にはデート、時には―――。などまぁ、男女の関係を満喫していたわ。楽しい日々だった。

 私も彼から話を聞いたおかげで簡単な占術を使えるようになり、劇団の女の子たちに教えて回ってたっけ。それがきっかけでこの紳士さんに関係がバレるとは思わなかったけどね……。

 

「そんなこんなで人生を謳歌していた訳です」

 

「男装しながらの関係を続けるとは大した演技力ですね」

 

「あなたにバレてしまいましたけどね」

 

 どんな関係にも終わりは訪れる。彼は次第に魔術へのめり込んで行った。私も途中までは付き合ったんだけど、怖くなって会いに行くのを止めたの。

 自分の力を高めるために暴走しつつあった彼を止めればよかったのだけど、そんな勇気もなかったわ。それくらい彼は狂気じみていた。

 そして彼は破門されて自殺した。その頃には関係は消滅していたけど、私にはどこか罪悪感があった。

 何故なら彼にもっと表の世界を見て欲しいと頼んだのは私だからね。つまり、私がきっかけであの人は破滅した。悪い女よねぇ。自分でもうんざりしちゃう。

 それを教えると黒い魔女が私をまるで化け物を見るかのような目で見てきた。私からすればあなたのほうが化け物なのにね。中身は子供って奴ね。

 

 しんみりしている私に杉下さんが質問した。

 

「あなたは暴走した勝次さんと別れた。ですが、今現在、妖怪の力を持っている。何があったのですか?」

 

 私は聞かれたので素直に答えることにした。

 

「彼が死ぬ直前に私のところを訪れて一冊の本を置いて行ったんです。『数か月したら貸本屋にでも忍ばせておいてくれ』と。今、思えば遺言だったのでしょうね。それで半年くらい経ってから鈴奈庵に本を借りるフリをしてこっそりと本を混ぜました」

 

 それから程なくして鈴奈庵の娘さんが占いをやり始めたわ。しかも、それは彼の使う技術そのもの。私は何か違和感を覚えて娘さんを観察した。

 数日後、事件が起こった。

 何気なく遠くから観察していると急に客が飛び出し「出た!」と騒いでいた。

 私は彼の祟りでも出たのかと思ってたけど、直後、正面上空をこの巫女が飛んでいくのを見かけた。

 

 いつもはのんびりしているけど、その時の雰囲気は少し違った。さっき私に迫った勢いそのものだった。私は陰に隠れながら様子を見ていた。しばらくすると巫女が帰ってきて、娘さんたちに「復活した人間は退治した」と語った。

 

 そこで私は彼が何らかの方法で蘇り、この巫女に倒されたと知った。それから彼女たちは勝次さんの本を燃やし始めた。娘さんは「落書きが多いから――」とか言っていたけど、私にとっては思い出深い物だった。積もった雪の里でその光景を見ながら、私は泣いたわ。

 

 忘れていた感情が蘇ったのかもね。都合が良いように聞こえるかも知れないけれど。

 

 その後、私はまるで彼の意思を引き継ぐかのように研究を始めた。彼から教わった占術や表の知識、魔術を駆使して劇場に立つ傍ら、実験をしていた。

 最初は上手くいかなかったけど、結果が出せるようになると嬉しくなってさらにのめり込んだ。

 そうしていく内に止まらなくなった。だから、劇団に迷惑をかけないために訳も言わず辞めた。巻き添えにしたくなかったの。そこから狂ったように実験を行ったわ。幾度の失敗を経て、ついに独自の降霊術を完成させた私は本格的な実験に手を出した。

 

 それがあの日の夜だった――。

 

 月が綺麗なあの日、私は里人が寝静まったのを見計らって、里の外へ出て実験を開始した。

 呪文を唱え、自分が従えられる程度の悪霊(恐らく人外の霊魂)を身体に降ろすことに成功した。

 けれど、そいつが中々、言う事を聞かない奴で私の身体を乗っ取ろうとした。私は予め男装して買っておいた〝博麗神社の魔よけのお札〟を使って払おうと思ったのだけど、そいつは抵抗した。

 

 その話をし出すと赤い巫女は「は!?」と叫びながら、信じられないといった顔で私を見た。そうよねえ、自分のお札が逆に私の研究を手助けしていたんですからねえ。

 この娘の呆気に取られた顔を見て非常に満足した私は「あなたのおかげで研究が捗ったわ」とお礼を告げて彼女の顔を引きつらせた。

 抵抗する悪霊に苦戦する私は乗っ取られかけた。

 その時、あの子が現れた。

 

 ――あの、七瀬さん、大丈夫ですか!?

 

 そう、お人よしの敦君。彼は私を見かけて付いて来たのよ。もう家で休んでいると思ったけど、違ったみたい。

 私は叫んだわ。

 

 ――来ないで!

 

 でも敦君は私を心配して近寄って来た。それに反応した悪霊が懐に忍ばせたナイフを勝手に取り出して敦君を攻撃。逃げようとする彼を執拗に追い回し、揉み合いの末、彼は転倒して頭を石にぶつけてもがいた。

 

 彼が倒れた際、私も身体を木に打ち付け、一瞬だけ悪霊の力が弱まった。その間にお札を使って悪霊を浄化した。

 正気を取り戻した私の目に飛び込んできたのは敦君が頭を打ち付け、身体をビクンビクンと痙攣させている姿。

 なんてことをしてしまったんだと後悔したけど、気が動転した私は降霊に使ったアイテムを抱えてその場を離脱した。後は杉下さんの言う通り。

 

 これが事件の真相――。

 

「――ということです」

 

 私が話を終えると辺りが静まり返っていた。

 どうやら結構、堪えたみたいね。私自身は妙に落ち着いているのに。

 私も外道に落ちたってことか……。あの人と同じく……。けれど、案外よいものだったわ。禁忌に触れながら好きだった人のことを思い出してる時が一番幸せだった。

 私はふと赤い巫女に視線を移すと、どこか怯えていた。

 彼女は自分が退治した相手を愛する者がいて、その者が起こした一連の騒動にショックを覚えているみたいね。

 なら、もう少し、いじわるしましょうか。あの人を殺したんだしねぇ。

 私は右手で瞼を抑えながら、涙を堪えるフリをした。

 すすり泣く姿に意識が集中したところで私は切り出す。

 

「馬鹿よね私って。別れた男のことを思い出して禁忌に手を染めるんですもの……。自分でも呆れるわ。でも、幸せだった……。自分の専門分野以外まるで喋れない人だったけど、それが余計に愛おしさを掻きたてたわ。暴走を止められず、彼の復活に協力しちゃったけどね……」

 

 皆が私の演技に引き寄せらている。杉下さんさえも聞き入っている。

 黒い魔女は目を背けているけど、赤い巫女は少しだけ手を震えさせている。

 このタイミングで一撃お見舞いしてやりましょうかね――

 

「ねえ、お巫女さん……?」

 

「――ッ!」

 

 顔は幽霊のように顔面蒼白っぽくして、首を斜めに構えて、力なさを表現。

 脱力している状況から自身の目を見開き彼女の顔を覗き込むようにしてから――

 

「私の〝カレ〟どんな死に方したの?」

 

 巫女は後ずさりを始めた。

 

「どうせ、呆気のない最後だったと思うけど、教えて貰えないかしら……私の愛した人の最後を……ねぇ? ねぇ? ねぇ? ねぇ? お願いだから教えて……ねえ!?」

 

 まるで怪談話に出てくる女の怨霊みたいな演技で私は巫女を威圧した。

 すると――

 

 ――ドン!

 

「おい、霊夢!?」

 

 後ずさりした巫女は足を絡ませてその場に尻もちを突いた。

 その瞬間、私はこう言い放った。

 

「ふふ、冗談よぉ、冗談! 本気にしたのぉ? クスクス♪」

 

 飛びっきりの笑顔を作りながら彼女に語りかけた。

 彼女は身体を抑えながら、恐怖を覚えていた。

 黒い魔女が心配して身体を揺さぶるが、反応はイマイチ。

 その光景を見た杉下さんがため息交じりに言った。

 

「さすがは〝名女優〟ですね……」

 

「それほどでも。うふふふ!」

 

 私と杉下さんの会話に二人は得体の知れない恐怖を抱いていた。

 

 まぁ、ざまあ見ろって奴ね。クスクス♪

 

 

 春儚の話が終わると同時に右京は言った。

 

「敦君殺害をお認めになりますね?」

 

「はい」

 

 春儚は全てを認めた。しかし右京からすればあまりに呆気なかった。抵抗されると身構えていたが、そうでもなかったからだ。刑事が問う。

 

「しかし、随分と簡単にお認めになりましたね? 僕はもう少し時間が掛かると思っていましたが?」

 

 その疑問に春儚が答える。

 

「身体の妖気を故意に隠していたのがバレた時点でこの里にはいられませんから。隠す必要がなくなっただけです」

 

 この里では妖怪に関する研究はご法度。無意識ならまだしも、わかってやっていたのならバレた瞬間、追放されるだろう。すなわち、妖怪の餌食だ。友人に権力者でもいれば多少は変わってくるが、彼女は後ろ盾を持たない。

 おまけに右京の卓越した推理力の前には隠し通せる気がせず、色々しつこく調べられ、劇団にも迷惑がかかるかも知れないとの危惧もあった。

 また、彼の追求を逃れたとしても博麗の巫女が自分を許さない。先程の殺意を抱いた目が春儚に与えた影響も大きかった。

 事実、霊夢は容赦しない。易者が関わっていると知れば直のこと。

 そういった要因が自白へと繋がったのだろう。

 

 右京は「なるほど」と頷いた。その隣では力が抜けて座り込む巫女とそれをなだめる魔女がいた。霊夢は女優の話術と演技にほぼノックアウトされていた。

 しばらくは役に立たないだろう。魔理沙も霊夢を宥めてはいるが、どこか身体が震えている。真夜中に怪談を聞かされて恐怖する子供のようだ。

 その情けない姿を見た右京は彼女たちに「大丈夫ですか?」と気遣う。

 霊夢は返事をしなかったが、魔理沙は強がった。

 

「だ、大丈夫に決まってんだろ!? て、てかさ、いつから気が付いていたんだ? この人が犯人だって」

 

「最初から疑ってました」

 

 魔理沙は目を点にする。「なんだそれ?」と呟く。

 春儚も右京の発言が気になったらしく、訊ねてきた。

 

「あら? そうだったんですか? 私――演技は完璧のつもりだったのですけど?」

 

「だからこそ違和感を覚えました。あなたの演技は完璧すぎた。僕が来る前に部屋の掃除を徹底して余計な情報を与えないように繕った。しかし霊夢さんに腕を触られそうになった際、あなたはついつい目を鋭くしてしまった。そこがマイナスでしたね――それとあなたは僕を〝表の紳士〟と言いました。あの時点で僕は表から来たとは一言も喋っていません。気を回し過ぎですよ。

 他の方は皆、警戒していたのにも関わらず、あなただけ対応が完璧とあっては疑うなというのが無理な話です」

 

「とんでもないお人ですね。杉下さんは……」

 

「全くだ。人外なんじゃないかって思うぜ……」

 

「ごく普通のことですよ。表の刑事なら誰でもできます」

 

 春儚と魔理沙は右京の観察力に呆れていた。

 だが、魔女がある疑問を口にする。

 

「てか、狩人のおじさんも怪しかったと思うんだが? それにおばさんの証言も気になったぜ」

 

「幸之助氏は左指には大きなタコがあり、右指にはそれがありません。その時点で左利きだと判断し、候補から外れつつありました」

 

「あのおじさん、左利きだったのかよ!」

 

「そうだと思いました」

 

「じゃあ――おばさんの正面道路から二回物音がしたって話はどうなるんだ!?」

 

「恐らく寝相が極端に悪かったのでしょうねえ。奥様に睡眠の話を振られた幸之助氏が『だからお前と付き合えるんだ』と呆れたように言っておられましたし、そういう意味も含まれているのではないかと僕は捉えました。月明かりがあっても室内は暗く――おまけに寝ぼけているので、寝相の悪さと相まって自分がどこにいるかわからなくなったのでしょう……。

 行き詰まったらもう一度訪ねようかと考えていましたが、その前に証言が集まったので、その必要もなくなったという訳です」

 

「なんじゃそりゃ……」

 

 右京は一目見ただけで幸之助が左利きと見抜き、恵理子の寝相の悪さを感じ取ったのだ。

 ちなみに信介と会った時も目を擦った際、咄嗟に左手を使ったので、左利きの可能性を疑っていた。

 つまり、幸之助と信介が左利きだと初見で見抜いた訳だ。

 魔理沙が右京を人外認定するのも頷ける。

 春儚も苦笑いを浮かべながら、視線を台所に移した。

 

「実は血の付いた衣服がまだ残っているのですが、持ってきてもよろしいでしょうか? そのほうが信憑性が増すでしょうし」

 

「ええ、是非」

 

 春儚は笑顔で頷いてから台所へと向かう。

 

 右京はその後ろに付いていく。春儚は床下から血の付いた衣服と降霊術に使用したアイテムを差し出した。

 彼がその品を確認するために目を離した隙に春儚は戸棚から深い青色の花びらを数枚ほど、隠れて取り出してポケットに忍ばせた。

 

 女優は言った。

 

「少しやりすぎたわね――捕まる前にあの子達に謝って来ます」

 

 先ほどとは打って変わった態度に右京は違和感を覚える。

 右京が視線を床に移すと花びらが散らかっていた。

 その瞬間、刑事が叫んだ。

 

「僕としたことが――」

 

 ――ドタン!

 

 叫んだ瞬間、居間で何かが倒れた音がした。

 右京が駆けつけると春儚はもがきながら苦しんでいた。

 その姿に何が起きたのかわからず、少女たちは戸惑っている。

 刑事が声を張り上げた。

 

「彼女はトリカブトの花びらを摂取しました!! 吐き出させて下さい!! 今すぐ!!」

 

 トリカブトは猛毒である。摂取すれば呼吸困難に陥り、数十秒で死亡に至る。彼女が呑み込んだのはその花びら。しかも状況から見て、複数の花びらを口に含んだと推測できる。もはや手遅れだ。

 痙攣する春儚は震える身体で最後の力を振り絞る。

 

「敦……君……舞……花ちゃん……勝次……さん。ごめん……なさ……い」

 

「それは死んで償えるものではなりません! 死んではいけません! あなたはッ!!」

 

 右京の必死の健闘むなしく、春儚は数十秒後に息を引き取った。

 遺言は自身が不幸にした人々への謝罪であった。

 杉下右京は七瀬春儚の遺体を前に項垂れる。

 

 その姿を霧雨魔理沙も博麗霊夢も呆然としながら眺めているしかなかった。

 三人の猛者を手玉に取った七瀬春儚とは一体、なんだったのだろうか。今わかるのはただ一つ。

 この瞬間、杉下右京と霧雨魔理沙と博麗霊夢は《名女優》の前に敗北したという事実だけだった。



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第22話 幻想のボーダーライン

 信介を連行し、慧音が信介宅に戻ってきた頃には全てが終わっていた。

 右京の大声が聞こえたので急いで春儚の家に飛び込んだ慧音はその光景に絶句した。

 固まる魔理沙に目を見開く霊夢、項垂れる右京。慧音が叫ぶように問う。

 

「何があったんですか!?」

 

 右京は静かに事の顛末を話した。

 彼女もまた、視線を春儚の下へと落とす。そこには確かな憐みが込められていた。

 その後、慧音が里人を呼び、春儚の遺体は診療所に運ばれ、正式に死亡が通達された。

 

 里人たちがどよめく中、その様子を後方から右京たち三人が眺めていた。

 沈痛な面持ちの右京、ため息を吐く魔理沙、視線を落とす霊夢。まるでお通夜のようであった。

 右京は後の処理を慧音に任せ、気落ちしている二人を拠点まで連れて行った。部屋に着いた右京は二人を座らせた。

 

「お二人とも、お疲れ様でした」

 

「ああ……」

 

「はい……」

 

 二人の顔には疲れの色が見えていた。

 右京は独り言のように呟く。

 

「彼女は自殺用のトリカブトを取り出す隙を作るために僕を台所へと誘導し、証拠を確認する最中、お二人の前で自殺を図った。最後の最後まで七瀬春儚は演技を続けていた。そういうことでしょうねえ……」

 

 やられた相手を分析する刑事。その話を二人は無言で聞いていた。

 

「しかしこれで彼女が妖怪の研究に走った動機がわかりました」

 

「どういうことだ?」

 

 魔理沙の質問に右京が答える。

 

「春儚さんの話を聞いた時は外への憧れもしくは亡くなった勝次さんへの憐みが動機だと思いました。ですが……本当の動機は別にあった」

 

「本当の動機?」

 

「トリカブトの花言葉をご存じですか?」

 

「花言葉?」

 

 魔理沙は首を傾げ、霊夢もわからない様子だった。

 右京が告げる。

 

「〝復讐〟です。そして彼女は自身の死をお二人に見せつけるかのように自殺した。もう――わかりますね?」

 

「「あ……」」

 

 二人は口を開けながら、右京の言わんとすることを理解した。再び、彼女たちの顔から血の気が引いていく。

 

「恐らく、あなた方の復活した勝次さんへの対応が彼女の心を深く傷つけた。何食わぬ顔で復活した勝次氏を退治して証拠品を燃やす霊夢さんにそれを当然かの如く受け入れた魔理沙さんたち。きっと、彼女は許せなかったのでしょうね。愛した人を化け物扱いしたお二人を……。だからこそ、妖怪の力を手に入れて復讐しようと企て、それが叶わなくなったので目の前で〝抗議の自殺〟を行った。

 このように考えれば一連の彼女の行動が繋がります。あなた方の復活した勝次氏への対応は正しかったのかも知れませんが、その際の配慮を欠いた態度が七瀬さんを狂気に走らせ、結果、敦君が犠牲になったと考えることもできます」

 

「「……」」

 

 七瀬春儚の心情を代弁するかのような発言をする右京。

 魔理沙は帽子を深く被って顔を隠し、霊夢は目を逸らしながらばつの悪そうな表情をした。

 

 この杉下右京は敵にも、そして味方にも容赦しない。例え、それが今回共に戦った仲間で年端もいかぬ少女であったとしてもこの男には関係ない。

 

「魔理沙さん、あなたには勝次さんたちの気持ちがわかるのではありませんか? 魔術に走り力を手に入れ、故に居場所を失ったであろうあなたになら」

 

「――ッ!」

 

 魔理沙は動揺を見せながらも右京をグッと睨み付けた。

 

「……その様子だと、案外ハズレではなさそうですね」

 

「ぐぐ!?」

 

 右京はごく自然に鎌をかけ、魔理沙はそれに引っかかった。悔しがる魔理沙を余所に今度は霊夢に話しかける。

 

「霊夢さん、僕はあなたが取った春儚さんへの行動に正直――どうかしているのではないかと思いましたよ」

 

「え?」

 

 戸惑いを隠せず、呆気に取られる霊夢。

 刑事はそんな巫女にも容赦しない。

 

「あなたが妖怪を退治して幻想郷の平和を守ってきたことは事実でしょう。僕もあなたの目に正義の炎を感じました。ですが、あの行為を見てから、それは人を守るというよりは幻想郷の〝体制〟を守り抜く意思から来ているのだろうと感じました」

 

「なんで……」

 

 幻想郷へ来たばかりなのにどうしてそんなことがわかるのかと言わんばかりの顔で霊夢は右京を見た。

 

「あの目を見ればわかりますよ。あれは僕が職業柄、常に向き合ってきた〝目〟です。情を捨て、狂気に走る〝犯罪者〟のものです」

 

「犯……罪者……」

 

 右京に指摘され、心に今まで感じた事がないモノが流れ込み、混乱する霊夢。

 魔理沙が「おい!?」と霊夢を庇おうとするが、右京がそれを遮る。

 

「犯罪者にも色々なタイプがあります。自分身勝手な理由で罪を犯す者、大切な人を守るために仕方なく犯罪に走る者、そして〝体制〟のために自身や他者を犠牲にする者。僕はどんなタイプの犯罪者も逮捕してきました。そこに区別はありません。もちろん、敵味方問わず真実を解き明かして裁きを受けさせました。

 人殺しも詐欺師も、総理大臣も、苦しむ貧しい人々に救いの手を差し伸べた元法務大臣も、官僚も、妊婦も、お世話になった方々も、そして――僕を慕ってくれた〝相棒〟でさえも……。だから、僕はあなたの事情が何となくわかってしまったのですよ」

 

 その常軌を逸した行動の数々を顔色一つ変えず語る右京に対し、魔理沙と霊夢は底知れぬ恐怖を覚えた。

 自分たちの目の前にいる男が今まで出会ったことのないタイプの〝怪物〟に見えたのだ。

 

「僕もよいことばかりしてきた訳ではありません。犯人逮捕に手段を選ばず、時には証拠をねつ造、時には相手の大事にしている物を人質に取って半ば強引に真実を吐かせ、時には関係者に辞職覚悟の行動を促すなど――今思えば〝もう少しやりようがあったのでは〟と後悔することもあります。ある意味、僕とあなたは職務になると〝非情〟に徹するという点で似ている。しかし、僕は犯罪者を、殺意を宿した目で睨んだことはありません。そこがあなたとは違うところです」

 

 二人は顔を引きつらせながら、息を飲んだ。

 

「僕はまだ純粋な妖怪を見てません。本物の人外と対峙するにはあれくらいの覚悟がいるのでしょう。ですが、今回の相手は素人から見ても明らかに大した力を持たない存在でした。如何に妖怪の疑いがあったにしても、あの時点で里の人間の可能性があった者を、常軌を逸した殺意を込めて脅すなど、人としてどうかしています。

 もし彼女がその姿に怯えて喋れなかったとしたらあなたは拷問でも行ったのではありませんか? 僕はそんなことは許せません。例え、ここが日本ではない場所だとしても阻止します」

 

「だから、あの時、割って入ったんだな……」

 

「ええ、霊夢さんに人を痛めつけて欲しくなかったので」

 

 実際、魔理沙もあの時の霊夢の行動に「何もそこまでする必要は……」と感じていたのだが、竦んで動けなかったのだ。それを右京は平然と阻止した。きっと、並みの精神力では気圧されて何もできないのだろう。右京の精神力は人外の域にあるのかも知れない。巫女は無言で刑事を見たままだ。その目にはどこか怯えていた。

 

「僕は霊夢さんと初めて会った時、あなたを普通の――どこにでもいる少女だと思っていました。紅茶を飲みながら魔理沙さんと語り合う姿はとても穏やかでしたよ。

 ですが、敦君の事件後のあなたはどうでしたか? 妖怪の仕業を疑い、その姿勢を崩さなかった。僕でさえ、往生際が悪い思うほどに。その偏った思考があの行為に繋がったのではないですか? 最後まで犯人を妖怪だと決め付けるあなたの思考は冤罪を作り出す表の警察官たちの思考と大差ありません。このまま行けば、きっと、その正義を暴走させ、取り返しの付かないことを仕出かす。そんな気がしてなりませんでした。何故ならば、僕の経験上、あんな目をした人間がまともな最後を迎えた試しがないからです。僕はあなたにはそうなって欲しくありません。

 ですから、これを機にほんの少しでよいので他者への情けを以て職務に励んで下さい。それが、あなたが道を踏み外さない唯一の方法です。僕のように歳を取ってから後悔することなく、あなたがご友人たちと素敵な日々を歩んで行けることを僕は心の底から願っています」

 

 隣で話を聞いていた魔理沙は何とも言えない表情をしていた。

 右京の言葉には厳しさと優しさの両方が含まれていたからだ。これは幻想郷の人間では決して真似できない。

 魔女は「まるで裁判官だな」と小声で呟きながらも、どこか心に来るものがあったようだ。彼女は再び、帽子で顔を隠す。

 右京の話を聞き終わった霊夢は右京の真面目さへの呆れからか、軽くため息を吐いた。直後、少しだけ笑った。

 

「私……杉下さんのこと――苦手かも知れません」

 

「それは残念ですねえ〜」

 

「ふふ……」

 

 霊夢は付き物が取れたのか、年相応の表情をする。

 友人の魔理沙はそんな巫女を嬉しそうに眺めていた。

 右京が言う。

 

「お二人とも、喉が渇いたでしょう? 何か飲みに行きませんか? 奢りますよ」

 

「おお、いいなそれ! 私は飲むぜ。霊夢は?」

 

「私もご馳走になります」

 

「では参りましょうか」

 

 三人は拠点を後にして喫茶店へと向かう。未だにどよめく人々を横目に心をしんみりさせながら、大通りを歩いて行く。

 先行する二人の姿を眺めながら、刑事は思う。

 

「(とても、よい子たちですね。人を超えた力を持っていてもやはり、人間です。彼女たちには幸せな日々を過ごして貰いたい。ですが――)

 

 思いつめた表情をする右京が嘆く。

 

「(この里の現状を見る限り、そうとも言っていられないかも知れません)」

 

 杉下右京は里の人々を眺めながら、とあることを考えていた。

 

「(この里は妖怪の事件こそ多い物の反面、人による事件があまりに少ない。間違いなく上白沢さんの能力で不都合な事実が隠ぺいされている。僕が鈴奈庵で調べ物をしている際に阿求さんが警告に来たのもそのためでしょう。余計なことをしないで欲しいと)」

 

 右京は今まで沢山の事件を解決してきた。

 その彼が慧音の能力を知って警戒しないはずがなかった。

 診療所で人による殺人事件に動揺を隠せない先生を見て、最初は平和なのだろうなと思ったが、慧音の能力を確認してから右京の中で隠ぺいの疑惑が深まった。

 それから歴史を調べることにした。鈴奈庵で把握できた事実は妖怪関係の事件ばかりで人が里の中で起こす黒い内容がほとんど出てこなかった。

 小鈴に禁忌を口にした際、阿求がやって来たのも偶然ではない。彼女は悪戯に真実を探らないで欲しいと遠回しに伝えに来ただけだったのが、和製ホームズの悪い癖を刺激する結果に終わった。

 阿求と慧音が繋がっていると知った右京は彼女たちを欺きながら里の真実を探った。

 初めは犯人の動機として考えてきた〝やってはいけないこと〟の意味だったが、勝次の同期の易者からの情報で〝妖怪に近付く行為〟がそれに該当するのではないかと勘付いた。

 

 しかし、ならば何故、霧雨魔理沙が処分されないのか気になった。魔術も妖怪に近付く行為ならばそれを学ぶ元里人の魔理沙も例外ではないはずだが、彼女は今も堂々と里へ出入りしている。里人たちも自然に受け入れている。

 つまり、その先が問題なのだと右京は察し、この里における禁忌とは〝人間が妖怪になる〟ことなのだろうと仮定した。

 

「(人間が妖怪になってはいけない理由とは何か……)」

 

 幻想郷は妖怪の支配する地域、言うなれば、妖怪の国である。妖怪が実在するのだから、本来、人間が妖怪になるのは自然な流れである。

 妖怪とは人間の恐怖が生み出した産物であり、おとぎ話でも人間が妖怪になるパターンは存在する。

 では何故、里では禁忌に指定されているのか。駄目なら駄目だと里のルールに記載すればよいだけ。隠す意味はあるのだろうか。

 右京は里で情報が隠ぺいされている事実と禁忌の内容を重ね合わせた。

 

「(妖怪の恐怖を煽るような情報と妖怪になることを禁じられた里……一見、普通に見えますが、この里の立地を考えると、答えは出ます)」

 

 妖怪とは人の恐れを食べて生きる存在。つまり、彼らの生命維持には人間が必要不可欠。おまけに里は妖怪の勢力に包囲されるように作られている。それが何を意味するのかもはや言わずともわかる。

 

「(この里は妖怪が存続するためのエネルギー源となっている。それならば辻褄が合う)」

 

 右京はこの里が、妖怪が存続するためだけに作られていることを悟った。

 だから周囲を妖怪たちが覆っているのだ。人間たちが逃げられないように。

 情報の隠ぺいも里内の妖怪化禁止も里外に住む妖怪たちへ恐怖の感情を向かわせるためだと考えることである程度、納得できる。里人は妖怪たちへの供物なのだ。

 この仮説を導き出した右京がそんなことを許すはずがない。

 

「(僕は人間ですからねえ。歴史的に見て妖怪のほうが先に住んでおり、後から人間がやって来たとしても、この状況を放置することはできない)」

 

 それは明治時代の近代化の波を避けるため、博麗大結界が張られて、同意の上で里人がここに残ったのだとしても同じである。彼らの子孫は同意して里に住んでいる訳ではないのだから。

 里を出て行ったとしても妖怪に食われてお終いの現状では、ごく一部を除く非力な人間は里を拠点に生活するしかない。里人に自由などないに等しい。

 勝次も春儚も道を外したが、元はと言えば、里の体質が原因なのだ。言うなれば、幻想郷の被害者である。右京はこの事実を見過ごせない。

 

「(妖怪存続のための人間。それを隠し協力する里の権力者たち、そして結界を管理する霊夢さんと結界の製作者の一人、八雲紫――彼女たちはそれぞれ、幻想郷の維持に力を注いでいると見てよいでしょう)」

 

 右京が霊夢の本質を見抜けたのは里の真実に気が付いたからである。

 その上で幻想郷の平和を守る霊夢の思考や行動を目の当りして彼女が体制派であると勘付いた。だからこそ、釘を刺したのだ。

 幻想郷縁起には紫のことも少なからず記述されていた。その能力は〝境界を操る程度の能力〟で博麗大結界を作った一人であると知った時はさすがの右京も「これはあまりに馬鹿げている」と頭を抱えた。

 だが、和製ホームズはいかに馬鹿げた力を持った者が相手でも屈しない。

 

「(妖怪を存続させるために結界を張った彼女は百年以上もの間、我が国の領土と思われる土地を私的に占有し、人間たちを結界という名の檻に閉じ込め、エネルギー源にしている。これはあまりに非人道的です。従って八雲紫が犯罪者であることは明白。僕の敵です)」

 

 右京はこの世界を作り上げた神隠しの主犯へ静かなる怒りを燃やす。

 そして、右京は苦しむ里人を救い、かの者の罪を明らかにするためならば――。

 

「(〝幻想のボーダーライン〟――必要とあらば――〝破壊〟して見せようではありませんか)」

 

 楽しそうな少女たちの姿を見ながら、右京はそのポーカーフェイスの内側で博麗大結界の破壊をも視野に入れつつ、今後の方針をまとめて行くのであった。



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第23話 罪と罰――その先へ

 魔理沙と霊夢に飲み物とお菓子をご馳走した右京は夕方、二人と別れた。拠点へ戻ると入口正面で阿求と慧音が待っていた。挨拶を半分に、刑事と顔役は互いに向き合う。

 

「杉下さん、事件解決にご協力して頂き、感謝申し上げます」

 

「僕の力だけではありません。慧音さんや魔理沙さんたちの協力のおかげです。それに……彼女の自殺を許してしまいました。申し訳ない」

 

 右京は彼女に自身の至らなさを謝罪し、阿求が手を振って制止した。

 

「お顔をお上げ下さい。元々、表から来た方を死なせてしまったのは里の住民です。どうかお許しを」

 

 阿求もまた、今回の件に責任を感じて、謝罪した。

 同じく慧音も頭を下げる。

 その後、右京は空き部屋の鍵を返そうとしたが「よろしければそのままお使い下さい」と阿求に言われ、今後のことを考えた末「わかりました」と頷いて鍵をポケットに戻す。

 阿求たちと別れた刑事は一人、その部屋で横になる。

 

「今日は疲れました。もう寝ましょう」

 

 睡魔に襲われ、深い眠りに就いた。

 目が覚めたのは次の日の早朝であった。かなりの時間、寝ていた右京は身体を動かしに外へ出た。ちょっと歩くと掲示板があって、そこには敦の事件について書かれてあった。

 

《藤崎敦殺害の犯人は七瀬春儚。表の警察官の活躍で直前まで追いつめられるも自殺を図り死亡。動機は一切不明》

 

「なるほど、こうなりましたか……」

 

 無難なところに落ち着いたなと右京は思った。彼女の妖怪に関する研究は伏せられていた。全ては体制のためだと理解できる。もし仮に彼女が妖怪化していて、その事実が里に知れ渡っていたら隠ぺいされていた可能性もある。妖怪の力を得ていた場合も同様だ。

 彼女は何も語らずに自殺することで敦と舞花の絆を守ったのかもしれない。憶測でしかないが。

 

 杉下右京は七瀬春儚に死亡され、初戦から敗北を味わった。

 人間の里の真実に気が付いても、簡単には口にできず、情報を集めながら慎重に今後の方針を決めなくてはならない。

 本来なら関係者に切り込みたいところだが、人知を超えた能力者たちの世界で迂闊な行動を取れば普通の人間など証拠も残さずに排除される。右京にとってはあまりに不利な状況。

 それに自身の仮説もまだまだ浅い部分が多く、事実と異なる解釈をしている可能性もある。そういった偏りを極力なくし、問題の解決方法を模索して行く。

 いずれにせよ、非常に困難な道のりである。天才的な頭脳を持っていようがこれは難題だ。

 彼は昔、“友達”に言われたことを思い出す。

 

 ――ワトソンなしじゃホームズは立ち行かない。

 

 その言葉を思い出した右京は表で共に戦った相棒たちの姿を脳裏に浮かべる。

 

「亀山君……神戸君……カイト君……冠城君……。僕がやって来られたのは彼らのおかげだったんですねえ……」

 

 彼らが側にいてくれればまた結果が変わった、もしくは変わるのかも知れないと朝明けを視界に収めながら嘆く。と、その時――彼の耳に男女の声が入ってくる。

 

「おい、とっとと歩けー。こっちだって眠いだよ」

 

「いやいや、こっちだって来たばかりで何がなんだか……」

 

「大丈夫。慣れるさ。慧音に保護して貰って博麗神社にでも行けばいいさ」

 

「慧音って誰? 博麗神社って何!?」

 

「行けばわかる。行くぞ」

 

「だから、グイグイ引っ張らないで下さいよ。ぎっくり腰やっちゃったんですから!」

 

「大の大人が何を言っているんだ。気合で何とかしろー」

 

 白い長髪に赤いズボンと大量のお札。口調が男ぽくって荒っぽい女の子が青色のワイシャツに黒スーツを着た優男を強引に引っ張るように里の外から歩いて来る。

 男のどこか理屈っぽいその口調とエリート特有の雰囲気。

 右京は思わず笑ってしまう。

 

「(運命とはこういうものなのかも知れませんね)」

 

 右京はスーツの男にそっと近付いて、驚かした。

 

「やあ、久しぶりですねえ~。“神戸(かんべ)君”!」

 

「うわあああ!! ――って杉下さん!? 助かった!」

 

「おやおや……」

 

 それは、かつての相棒神戸尊(かんべたける)である。理由はわからないが尊は幻想入りしていたのだ。何か怖い物でも見たのか、右京に抱き着いて今でも泣き出しそうだ。

 少女はその様子を見ながら「そういう趣味だったのか?」と呆れ気味に呟いたので、右京が「さすがにそうではないと信じたいですねえ」と返した。

 

 尊は恥ずかしそうに絡んだ手を離す。

 

 少女が「知り合いと会えたんならここでいいな。じゃあな」と言ってポケットに両手を突っこんで元来た道を引き返して行った。右京は元部下を嬉しそうにを見つめる。

 

「よく来てくれましたね。ちょうど、君の力が必要だと思っていました」

 

「え? まぁ、確かに杉下さんを探すように冠城さんから頼まれましたけど……」

 

「わざわざ君が僕を探してくれるとは――何があったのですか?」

 

「いや、祖父が軽井沢に別荘を持っていて、ちょうど遊びに行っていたんですよ。その時に冠城さんから電話を貰ったのでドライブついでに様子を見に来たってところです」

 

 尊の祖父は中国の陶磁器である景徳鎮を所有するほどの資産家であるが、本人は頑なに認めようとしない。右京は感慨深そうに言う。

 

「おや、おじい様の別荘ですか。仲直りなされたんですねえ~」

 

 その言葉に尊は両手を振りながら反論した。

 

「お言葉ですが、ぼくと祖父は元から仲がいいですから。ただ、ぼくが特命行きになったのがバレて『何やからしたんだ!?』って怒鳴られた際、お茶を濁すようなことを言ったら、一時的に口を聞いて貰えなくなっただけです。今は“出世”したんで機嫌も直りましたけどね。おかけでいつでも祖父のところへ遊びに行けますよ。フフ!」

 

 尊は上の思惑で特命行き――つまり()()された。それを知って怒った祖父が彼に問いただしたが当時、置かれていた立場では事実を語れない。

 祖父の追求をのらりくらりとかわしていたが、その態度に祖父が激昂。しばらく口を聞いて貰えなかったらしい。

 右京は彼が特命時代に家族の話をしなかったのはこのような理由があったからだと察した。

 尊が特命係に所属して三年目のある日、警察庁長官官房付きに配属され、人材の墓場から異例の大出世を果たした。それにより祖父と和解したらしい。

 久しぶりの再会にも関わらず、皮肉を織り交ぜて来る元部下に内心でイライラを覚え、お返しに痛いところを突く。

 

「……しかし、そのせいでここに迷い込んでしまった訳ですね?」

 

「え、あ……そ、そうだったかなぁ~――って……呑気にそんなこと言っている場合じゃないですよ! 何なんですかここ!?」

 

 元上司のペースに付き合って忘れていたが、ここが人知を超えた場所であると思い出し、詰め寄る尊。右京が平然と語る。

 

「幻想郷です」

 

「そんなしれっと言わないで下さいよ! こっちは化け物とか人魂らしきものをずっと見せられて死ぬ思いしたんですから!」

 

「人魂ですか……。そういえば、まだ僕は幽霊を見ていませんね。その話――詳しく聞かせて下さい」

 

 実は右京はまだ幽霊を見ていない。幻想郷ならどこでも見かけるはずのものがである。

 元々、彼ここにやって来た理由には幽霊も含まれていた。目を光らせる右京に尊は脱出を優先するように促した。

 

「いやいや、脱出しましょうよ!」

 

「それはもう少し待ってくださいね。せめて、手紙の主を発見するまでは」

 

 右京は事情を知らない尊に余計な内容を伝えず、それらしいことを言って誤魔化す。

 

「手紙って――なんか聞いたことあるような、ないような……」

 

 我が身可愛さにとぼける尊を右京が無視する。

 

「それでは神戸君――行きましょうか」

 

「どこにです?」

 

「“幻想”をですよ」

 

「は? よくわからな――」

 

 口答えする元部下へ右京は知らん顔で「置いて行きますよー」と、言い放って勝手に歩き出した。

 相変わらずな元上司の態度に「無視かよ!」と悪態を吐きつつも、ぎっくり腰で痛めた腰を庇いながら、尊は必死に右京の背中を追うのであった。

 

 

 幻想の都にて起こった殺人事件。

 それを解決した先に右京は隠された罪を見つけた。彼はその罪とどのように向き合うのだろうか。

 諦めるのか、主犯と共犯者たちに罰を与えるのか、別の道を見つけるのか、それは誰にもわからない。今わかっているのは、彼の進むべき道が果てしなく先へと続いているということだけ。

 

 和製シャーロック・ホームズは七年の時を経て舞い戻ったワトソンと共にこの幻想を行く――。

 

 

 相棒~杉下右京の幻想怪奇録~

 Season 1 幻想の楽園

 ~完~



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Season 2 緋色の遊戯
第24話 七年ぶりの雑談


 偶然にも尊と合流した右京は彼を()()()()()()()()()()へと案内する。

 

「え? もう家を借りてるんですか!?」

 

 驚く尊。右京は「ご厚意で貸して貰っているだけですよ」と軽く返し、テーブルを中央に引っ張り、尊に座るように促す。

 

「はぁ……」

 

 大きなため息と共に痛めた部分を労わりながら腰を下ろしてリラックスする。そんな尊を眺めながら元上司は微笑んだ。

 

「君が無事で何よりです」

 

「ああ、どうも」

 

 尊も笑顔を作りながら、元上司の配慮に感謝した。同時に先ほど有耶無耶にされたことを思い出して訊ねる。

 

「そう言えば、さっきの話なんですけど、ここって幻想郷……でしたっけ?」

 

「ええ」

 

「何なんですか……この世界? ちょっと意味がわからないんですけど」

 

「でしょうねえ。僕も完全には把握しきれていません。確かなことはここが()()()()()()()という事実だけです」

 

「妖怪……信じたくないけどなぁ……」

 

 尊は短い間ながらも自分が体験したであろう怪異を思い出しながら頭を抱える。非現実的な現象を体験した者に戸惑うなとは誰も言えない。右京もその点は同意している。

 

「僕も最初はそう思っていましたよ。ですが、これは現実のようです。今から順を追って説明しますから、落ち着いて聞いて下さいね」

 

「……はい」

 

 そう言って静かに頷く尊。右京は長野県のとある村の神社から幻想郷に迷い込んでから今日に至るまでを具体的に説明した。自身が知り得た()()()()()()に関連する話題を除いて。

 以前ならこの手の話を単なるオカルトだと笑い飛ばしていた尊も今回ばかりは額に汗を滲ませながら真剣に耳を傾ける。一時間後、右京の話が終わる。

 尊は口元に手を当てながら唸った。

 

「四方を敵に囲まれながら脱出し、妖怪とのハーフが店主を務める古道具屋で厄介になり、そこで知り合ったとびっきり強い人間の少女二人を紅茶で()()()この里を案内させて、里に住む表の日本人に事情を訊ねて回った。

 次の日、朝早く店主と里へ続く道を歩いていたら、無残な姿になった表の青年を発見。現場の保存を行いながら、会って間もない知り合いたちに協力を仰ぎ、犯人を突き止めて事件を解決。ここに至ると」

 

「紅茶で釣ってという部分以外はそんなところです」

 

 右京は一部を除いて、尊が纏めた内容を認めた。

 改めて尊は和製シャーロック・ホームズの適応力の高さと卓越した推理力に感服する。

 

「来たばかりで事件を解決するとは……流石、杉下さんですね」

 

「彼女に死なれてしまった以上、その責任を果たしたとは言えません」

 

 右京は暗い顔をしながら言った。

 七瀬春儚をあそこまで追いつめておきながら自殺を許したのは大きな失態である。右京はそれを誰よりも理解していた。

 協力者二人は精神的にノックアウトされてまともに動けない状況だったので春儚を止めるのは難しかったのかも知れないが、それでも自殺された事実は変わらない。

 警察官として阻止できなかったのは責められて当然だ。もっとも、幻想郷には警察組織が存在しないので誰も右京を非難したりはしないが。

 それは元相棒の尊も同じだった。

 

「警察組織が存在せず、科学捜査もできないこの場所で真犯人を見つけられただけでも凄いことじゃないですか。杉下さんがいなかったら、犯人は小田原信介になっていたでしょうから。冤罪を防げただけでもよしとするべきだと思いますけどね」

 

「どうも……僕はそう思えない性質(たち)なんです」

 

 気まずそうにする右京に尊がしたり顔で。

 

「知ってます。ぼくも杉下さんの()()やってましたから」

 

 元上司は昔と変わらない態度で接する元部下に少しだけ懐かしさを覚えた。

 

「君も相変わらずですねえ」

 

「人間なんてそんな簡単に変わりませんよ」

 

 二人は軽く笑い合った。

 色々あったが、七年前と全く変わらず、自然に会話ができている。尊は「もう、二度と腹を割った話はできないだろう」と考えていたが、それは杞憂に終わった。

 

 警察庁長官官房付に回された尊は異動の件で裏から手を回した元〝影の管理官〟こと長谷川の部下として権謀術数の世界で仕事をこなしていた。時折、右京に仕事を押し付ける際、特命部屋を訪れて雑談することはあったが、ここまでの会話はなかった。

 

 しようと思えばできたのだろうが〝クローン人間事件〟一件で右京を裏切った罪悪感によりまともに向き合うのが怖くなっていたのだ。あえて嫌われ者を演じていたところもあったと思われる。捻くれ者の元部下なのだが、非現実を体験してパニックになったことがプラスに働いたのか、以前のように右京と接している。

 尊は思う。

 

「(なんか、懐かしいな。俺も昔はこんな風に……)」

 

 特命係にいた頃は右京と反発しながらも事件解決に奔走。その中で彼なりの正義を見出し、右京と共に戦い抜いた。それが災いして引き抜かれた訳だが、今の職場は給料もよく、苦手な血や死体を見ることもない。自身と右京の手で失脚させた男の部下として働いている点を除けば頭の回る尊にとって悪くない場所だ。

 それでも正義を信じて駆け抜けていた日々を思い出し、特命時代を懐かしむ瞬間が少なからずあった。

 機会があればもう一度――とまで考えていた程だ。まさか、それがこんな形で実現するとは夢にも思わなかっただろう。尊はどこか照れくさそうに視線を下に向けた。

 右京もクスっと笑ってから訊ねた。

 

「ところで君、お腹が空きませんか?」

 

 尊が即答する。 

 

「正直、腹ペコです」

 

「でしたら何か買って来ましょうか。と言っても果物くらいですが」

 

「果物?」

 

 イマイチ、ピンとこない。

 

「ここは現代とは違ってコンビニがありません。そして、この時間帯からやっている飲食店も僕の知る限り存在しません」

 

「あ、なるほど」

 

 現代人の感覚からすればコンビニで済ませればよいと考えがちだが、ここは幻想郷の里。便利な店はなく、朝早くからやっている飲食店などほとんどない。

 労働が盛んな地域だったなら話は別だが、里はのんびりとした空間であるため、朝から開店する必要性がない。つまり、朝ご飯は自分で作らなければならない。

 右京は独身時代が長いので、料理もお手の物だ。

 しかし、とある問題のせいで料理が作れずにいる。

 

「今、開店しているのは八百屋や魚屋くらいでしょう。本当は料理を作りたい所ですが、この家には食器も調理器具も殆どありません」

 

「そうなると食べられるのは果物くらいってことになるのか」

 

「そういうことです。では留守を頼みます」

 

 この家はつい数日前まで空き家だった。台所はあっても食器や調理器具はない。あるのはテーブルと布団、枕、毛布くらいだ。日用品を扱う店が開くまではリンゴ辺りを丸かじりするしかないだろう。

 右京は話を終えるとすぐ果物を買いに外へと出て行った。

 その後ろ姿を見送った尊は「相変わらずな人だな」と苦笑しながら、静かに身体をズラして横になった。



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第25話 偽りの報告

 外に出た右京は大通りにある八百屋へと向かう。

 大通りには開店している店がチラホラあるが、飲食店はない。開いている店々を横目で確認しながら、八百屋ののれんを視界に捉えると、そこには先客がいた。

 その人物は右京もよく知る女性だった。

 

「おや、舞花さん」

 

「あ、杉下さん……」

 

 八百屋で買い物をしていたのは谷風舞花。敦を雇っていた酒場の店主であり、彼とよい仲になっていた女性だ。

 その表情は明らかに曇っており、身体に力が入らないのか、購入した野菜が入った手提げを重いそうに抱えていた。

 刑事は軽くお辞儀をしてから、彼女に話しかける。

 

「大丈夫ですか?」

 

「えっと……自分でもよくわからないかな……はは」

 

 舞花の顔は目が充血によるものか、赤くなっていて、目の下に大きな隈ができている。

 敦に死なれた事がよほど堪えたのだろう。彼女は右京を見るのが辛くなったのか、その場で俯いてしまった。

 彼は舞花を不憫に思った。

 

「もし、よろしければ荷物をお持ちしましょうか?」

 

「え? でも、迷惑じゃ……」

 

「構いませんよ」

 

 そう言って戸惑う舞花を余所に荷物を持ち始める。舞花はか細い声で「ありがとうございます」と言いながら、会計をすませた。右京は舞花の荷物を持ちながら共に彼女の自宅を目指す。

 自宅に着いた舞花は右京から荷物を預かって整理した後、手伝って貰ったお礼に右京を居間に上がらせ、緑茶を出した。

 座卓に着いた二人はしばらく無言だったが、舞花から切り出す。

 

「あの……春儚さんが犯人って本当なんですか?」

 

 舞花は敦殺害の犯人を知っていた。

 

「掲示板を見たのですね?」

 

「さっき、ちらっと見ました。正直、信じられなくて……。あの人、昔から店に来てくれてたし――敦君のことも可愛がってくれたの」

 

 春儚は店の常連だった。舞花とは親しい仲で、敦のことも知っていた。

 彼女もまた、二人をお似合いのカップルだと認識しており、いつか結婚するのだろうなと思っていた。その時はご祝儀をいくら包んで上げようかと考えていたが、女優がその日を迎えることは永遠に訪れなかった。自分で機会を奪ってしまったのだから……。

 死ぬ直前、舞花に謝罪したのは一人の女の子の幸せを奪った罪悪感からだったのかも知れない。

 舞花は涙を浮かべる。

 

「教えて……杉下さん。どうして、春儚さんは敦君を殺したの?」

 

 舞花は悲しそうな顔で表の刑事を見つめた。

 右京は彼女の顔を見据えながら

 

「僕が……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……動機まではわかりません。申し訳ない」

 

 と語った。もちろん嘘である。

 右京が舞花に嘘を吐いた理由は彼女の身の安全のためである。

 現在の人里が隠ぺい体質であることは明白。事実、春儚の件も慧音には真実を伝えたが、掲示板の内容はあの通りだ。そんな状況で舞花に真相を教えるのは危険極まりない。排除されるとまではいかないだろうが、最悪、敦という人間が里にいた事実が消されかねない。

 当然、舞花たち住人の記憶も改ざんされるだろう。それだけは何としても避けねばならなかった。

 

 もし仮に今の彼女に「事件の情報は教えられない」と表の刑事らしい言いわけをしたら、よからぬことを疑って関係者に聞いて回るかも知れない。

 そこで嘘を吐くことにした。

 これは杉下右京の信念に反する行為である。だが、舞花を守るためならば仕方がないと割り切った。いや、割り切るしかなかったと言うのが正しい。

 

「そう……」

 

 ガッカリと項垂れる舞花を視界に入れ、右京は自身の非力さを痛感する。

 今まで自身の正義を貫いて来た和製シャーロック・ホームズも幻想郷においてはそうはいかない。

 人知を超えし者たちの世界では人間の常識など通じない。人外たちの能力は多岐に渡り、能力もピンキリだが、上の能力は神にすら匹敵する。

 

 こんな世界で人間が平和に生きて行けるだけ、奇跡といえる。自由を代償にした平和だが、里にいる限り妖怪に殺されることはない。このシステムを作り上げた八雲紫のセンスもまた人外級である。

 責任を感じて顔を暗くする右京の顔を舞花が見る。

 

「ありがとう、杉下さん……。敦君のためにこんなに頑張ってくれて……」

 

 舞花は敦のため必死になって捜査した右京に感謝の念を表した。

 

「当然のことをしたまでです」

 

 微笑む右京だったが、心の中ではどうしようもなく落ち込んでいた。信念を曲げる行為は彼にとってそれほど堪えるのだ。その後、二人は敦を思い出しながら語り合った。

 舞花はところどころで涙を流すも、彼との思い出を口に出す度に笑顔を作っており、右京は改めてその絆の深さを実感させられた。

 

 二時間後、大方の話を終えた右京は舞花宅を後にする。

 帰り際、舞花は右京に「敦君の葬儀が終わったらお店を再開するから」と営業再開の意思を伝えた。「その時は是非立ち寄らせて頂きます」と告げて彼女と別れる。

 

 時刻は十時を回っており、大通りにある大半の店が営業を開始していた。

 右京は「神戸君に怒られてしまいそうですね」と呟きながら、店を物色。立ち寄った店で出来たてのあんまんを五つ購入し、近くにあった雑貨屋でヤカン、急須、湯呑、お茶葉を入手して帰りを急ぐ。

 現在、幻想郷は表でいう三月に入ったばかりでまだ肌寒い。彼が来た頃は比較的暖かかったが、今日は少し冷える。せめてお湯を沸かして飲める用意くらいはしなければならない。

 

「今後のことを考えると食器、調理器具、暖房など最低限生活に必要な物を揃えなければ……。後で上白沢さんに相談してみますか」

 

 布団や毛布は前の住民が使っていた物がそのまま残っているので何とかなるが、他の物資が不足しているので寝泊りしかできないのが現状である。おまけに暖房もないので、これ以上、冷えてきたら風邪を引いてしまう。

 尊と遅い朝食を食べ終わったら、慧音のところに行って相談するしかない。

 

 警視庁特命係幻想郷支部――もはや自宅と言うべき場所に戻ってきた右京は戸を開けた。

 そこには座布団に胡座をかいて、見知らぬ少女と話をする尊の姿があった。

 

「あ、杉下さん。お帰りなさい」

 

「ええ」

 

 少女に気を取られて軽い返事しかできなかった。

 

 少女は右京に背中を向けていたが、背格好から十代中ごろから後半と推測できる。

 もみじ色のジャケットを羽織っており、ズボンも同色のデニムで作られている。すぐ横にはショルダーバッグとキャスケット帽が置かれていた。

 出で立ちから見て一昔前のジャーナリストに近い格好だ。右京が帰ってきたのだと気付いた少女は振り向き、笑顔でお辞儀した。

 その首にはレトロ風なカメラがぶら下がっていた。

 

「お邪魔しております」

 

 人当りのよさそうなスマイルを振り巻く、彼女の顔はあどけない少女そのものだ。しかし表情にはどこか()()()()()が感じられた。おまけに耳が尖っている。右京はすかさず気を引き締める。

 

 応戦体勢の元上司を察しながらも尊は「杉下さんにお話が聞きたいそうです」と伝え、何気ない仕草で自身が座っていた場所を右京に譲った。尊も彼女の雰囲気に何かを感じ取っていたらしく、右京にアイコンタクトで()()()()()()()()と報せた。

 

 右京が尊に買ってきたヤカンなどを見せて「神戸君、お湯を沸かして僕と彼女のお茶を用意して欲しいのですが……できますか?」と問う。元部下は腰を擦りながら「まだ厳しそうです」と返答。

 目の前の少女に断りを入れて、お茶を入れに行こうとするが本人が「お気遣いなく」と手を振った。刑事は「申し訳ない」と軽く謝ってから席に着き、相手をじっくり観察した。

 

 少女は非常に堂々としており、余裕の笑みを浮かべている。右京はこの少女をその雰囲気から〝人外〟と判断した。わずかな間、独特の緊張感が室内を漂うが、先に少女が自己紹介をしてきた。

 

「初めまして、杉下右京さん。私は新聞記者をやっている射命丸文(しゃめいまるあや)という者です」

 

 この瞬間から杉下右京と射命丸文の駆け引きが始まった。



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第26話 特命係VS妖怪記者 その1

 右京は彼女の苗字に覚えがあった。

 

「射命丸……確か、里で出回っている新聞の――」

 

「おお! 文々。(ブンブンまる)新聞をご存じでしたか! それ、私が発行している新聞なんですよ」

 

「そうでしたか。鈴奈庵で何部か拝見しました」

 

 鈴奈庵で資料を漁った際、ついでに小鈴が読んでいた新聞にも目を通していた。その新聞の名前が《文々。新聞》であり、発行者は射命丸文である。

 特徴的な新聞の名前と発行者の苗字に妙なインパクトがあったので忘れようにも忘れられない。また、幻想郷のスペルカード使いが放つ個性的な技――通称《弾幕》が写真つきで載っているのでのそれを知るには持ってこいだった。

 天狗の少女は外来人が新聞の読者だと知ると声を大きくして喜び、新聞の感想を訊ねる。

 

「私の新聞はどうでしたか?」

 

 右京が答える。

 

「とても独創的で素晴らしい内容でした。事実を客観的に捉えた上で余計な脚色をつけ足さないように努力されている記事は記者としての信念を感じさせられます。それと、スペルカードを好む方々が使う弾幕の写真がよく撮れていて、色々な妄想が掻き立てられましたねえ」

 

「そ、そうですかぁ~! いやぁ、よかった、よかった!」

 

 褒められて気をよくしたのか軽くガッツポーズを作る。「なんか胡散臭いな」と思いながら尊がスマホを弄った。

 楽しそうにする彼女を余所に右京はそれとなく話題を変える。

 

「ところで射命丸さん――僕にどのような用件でしょうか?」

 

「あややや、一人で舞い上がってしまいました……。実はですね、今回の事件についてお聞きしに参りました」

 

「事件についてですか?」

 

「はい! 里で起きた殺人事件。それを解決したのが表から来た杉下さんであることは里人なら皆、知っています。かく言う私も()()()()()()()()()()()()。何でも、熱心に聞き込みして回って情報を集め、事件を早期解決なされたのですよね? できれば、その時のお話を詳しく教えて欲しいのですが――どうでしょうか?」

 

 壁に背を預けながら話を聞いていた尊が息を飲む。

 

「(()()()()()()()()()()ってことは……やっぱり、この女は――)」

 

 何故なら、人間はごく一部を除いて里の中で生活しているからだ。彼女の口ぶりはまるで里の外に住んでいる者のそれだ。加えて、時折見え隠れする人間らしからぬプレッシャー。事前に右京から幻想郷や里の話を聞かされた元部下も文の正体を妖怪だと結論づけた。

 幻想入りの直後、アクシデントに見舞われて醜態を晒した尊だったが、冷静さを取り戻すといつものキレのよさを見せる。

 警察庁戻って七年。右京とは違った形で場数を踏んできたのだろう。戸惑いを顔に出さず、黙って二人の会話に耳を傾けた。

 右京は表情一つ変えずに返答する。

 

「今回の事件で僕は知り合いたちと協力して犯人を追い詰めました。結果は掲示板の通りです」

 

「……そこの部分を詳しく教えて貰いたいのですが?」

 

 文は少し困ったような表情で相手の目を見た。

 刑事は淡々と言う。

 

「これ以上の内容は僕の口からは言いかねます」

 

「どうしてでしょうか? 何か不都合なことでも?」

 

 文はダメと言われて引き下がる記者ではない。当然、食い下がる。

 

「初対面の方かつ関係者でもないあなたに事件の捜査情報をお教えする義務がないからです。例え、それが記者であったとしても同じです。どうしても言うなら、この里の顔である稗田阿求さんに許可を貰って来て下さい」

 

 刑事は文の要求を一切、受けつけなかった。

 

 それどころか、阿求に許可を求めるように促すなど、記者の嫌がることをさらりとやって退ける。隠ぺい体質の里で事実上、権力を握っている阿求が文に許可を出すはずがない。

 

「ほんの少しだけでも」

 

 右京が首を横に振った。

 

「ほんのちょぴっとだけでも……」

 

「ここで阿求さんたちの許可なく事件の内容をお話しすれば信用を裏切ってしまいます。ただでさえ、よそ者の僕が事件を捜査させて貰えたのですから、筋は通さねばなりません」

 

「……」

 

 この時、記者はこれ以上事件について訊ねても簡単には口を割らないだろうと理解した。

 もっとも過ぎる見解に文が一瞬、黙るも、すぐに思考を切り替える。

 

「……なるほど、さすがは表の刑事さん。お口が堅いですね……ここは素直に質問を変えましょう。あなたがこの幻想郷に足を運んだ理由をお聞かせ下さい」

 

()()ですか」

 

「ええ()()です」

 

 不気味に微笑み合う二人。

 尊は「随分、あっさり引き下がったな」と思ったが、どこか違和感を覚える。

 普通に考えれば、表の世界の人間が入って来た理由など()()()()()()()しかない。そこをあえて強調しながら訊ねるなど不自然なのだ。

 情報に精通する記者ならそのくらい知っていて当然。この場において彼女がこの質問を選んだ理由は一つしかない。

 右京は内心思う。

 

「(こちらのことはある程度、調べてきた。その意思表示でしょうか)」

 

 右京がここに幻想入りした理由は手紙の主を探すためである。それを知っているのは霖之助、魔理沙、霊夢、慧音、小鈴、阿求、舞花、淳也と豆腐屋の店主、裕美だけ。

 もちろん、その場にいた他の人間たちが立ち聞きしていた可能性もあるが。

 だとするならストレートに手紙の話を訊いてくるはず。このような回りくどい訊き方をする必要はない。つまり()()()()()()調()()()()()()アピールとなる。

 右京は射命丸文という人物がかなりの負けず嫌いだと悟った。

 しかしながら手紙の件を隠す必要はないので素直に話した。

 

「この手紙の主を探していたら偶然、幻想郷に迷い込んでしまいました」

 

 そう言って手紙をテーブルに広げてみせた。

 文は興味深そうに手紙を眺める。

 

「ふむふむ、これを読む限り、幻想郷に迷い込んだ表の人間の文章って感じがしますね」

 

「どこかで、このような字を書く方を見たことはありませんか?」

 

「ありませんね」

 

 文は表の字を難なく読んでから知らないと言った。右京は「そうですか」と一言、発するだけ。

 そんな中、記者が我に秘策あり、とでも言いたげに。

 

「で・す・が、私の新聞に載せれば、手紙の主を知っている方が現れるかも!? 自慢じゃありませんが、それなりに愛読者も多いですしね。人間、妖怪問わず!」

 

「……手紙のことを記事に載せて貰えるのですか?」

 

 彼女の提案は願ってもない話だった。同時に右京は彼女が手紙の話題へ話を持って行ったのはこれが理由であるとも理解した。

 手紙の主の情報の手がかりがまるで掴めず、行き詰っていたところにメディアからのお誘い。おまけに《文々。新聞》は里の外にいる妖怪にも届く。手紙の件を知ってもらうには非常に有効であり、証言が集まる確率がグッと上がる。

 情報媒体は強い。表の人間、それも情報の有用性を知っている者ならば尚更無視できない。

 きっとこの記者はこの外来人が手紙の主を探していると聞き込みで突き止めていたのだろう。そして、相手が情報の重要性を認識していると確認した上で自分が主導権を握るため、有利な方へと誘導したのだ。

 文は笑いながら胸を張りながら芝居がかった演技を披露する。

 

「もちろんです! これも世のため、人のため。この射命丸文、一肌脱ごうではありませんか!」

 

「頼もしいですねえ」

 

 愉快そうにする二人。「絶対、見返りを要求してくるな」と元部下が白ける。

 それは刑事も承知している。この流れの中、右京はごく自然に先手を打つ。

 

「で、()()()()はなんですか?」

 

 その言葉に文はわずかに顔を引きつらせる。

 尊が「妖怪相手にもお構いないなーこの人」と呆れたのだが、彼が先に対価の話を出したことで相手が交渉し難い状況を作った。

 これが杉下右京の対妖怪戦術である。幻想郷の妖怪または一部の強者は自分よりも下だと思う者を対等とは認めず、劣っていると思われた時点で高圧的になる傾向がある。舐められたら終わりなのだ。

 そこで本来、初対面の相手には行わない言い方でけん制する。

 これが正しい幻想郷での信頼の作り方だ。右京は自身の経験と幻想郷縁起などの書物から住人たちの傾向を見抜いていた。

 文は少しばかり崩れた笑顔をすぐ元に戻す。

 

「いやですねぇ~。私が表から来た人に手紙の写真や記事を載せる対価を取ろうなんて言うわけないじゃないですかーあはは!」

 

 同時に心の中で「この男……中々……」と呟く。

 事件の情報は聞けず、見返りも要求し難い状況になったにも関わらず、記者はどこか楽しんでいた。ここ最近、相手にしていた人間や妖怪たちは駆け引きらしい駆け引きをしなかった。

 人間側も妖怪側も隠す必要がない事実は話すがそれ以外は適当にしらばっくれるだけ。その程度のやり取りしかなく、記者としての面白みに欠けていたのだ。

 そこに起こった殺人事件――しかも表の刑事が捜査を行って解決したとあっては文も黙っていられない。

 事件初日から里を訪れたかったが、大天狗から押しつけられた仕事の処理に追われ、出遅れてしまった。何としてでも情報を聞き出して記事にしたいがそれを表に出しては舐められる。

 平静を装いながら取材対象とやり取りをしているのだが、相手もガードが堅い。それが文の眠っていた記者魂を呼び起こした。

 射命丸文は可愛らしい笑顔の内側にその本性をざわつかせて相手から目を離さず「必ず有益な情報を引き出してやる」と心に誓った。



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第27話 特命係VS妖怪記者 その2

 ワザとらしく笑う文。特命係の二人がその様子を静かに見守る。

 すると突然、笑顔が消えて背中から微かなオーラを漂わせ始めた。

 

「――とはいえ、印刷料がかかってしまうのである程度の見返りが欲しいのは事実です」

 

 文は〝本来の自分〟を少しだけ見せた。里の人間なら感じ取り次第すぐに委縮してしまう代物である。

 元部下は少しだけ固まったが、すぐにハハっと笑うが、元上司はいつも通りのポーカーフェイス。

 瞬間、文は尊を〝エリートそうな見た目に反して中々、肝が据わっている〟と評価。まるで動じなかった右京を〝只者ではないな〟と認めた。

 戦いは第二ラウンドに突入する。

 

「こちらとしてもタダで評判のよい新聞に載せて貰うなんて話は心苦しいので、そう言って貰えると助かります」

 

「いえいえ、個人出版なので印刷費を捻出するのも一苦労なこちらの都合です。すみませんね!」

 

 表では互いに配慮しながらもその裏で両者は思考を巡らせ続ける。

 右京は今後の捜査の手がかりを掴むため、文はネタと新聞の売り上げ確保のために。

 

「僕個人としてはとても魅力的なお話です。しかしながら、こちらに来たばかりで大した手持ちがありません。とても印刷料をお支払できるかどうか……」

 

 すかさず記者が反応する。

 

「お金なんてとんでもない! こちらへ来たばかりの方からお金を取ろうなんてやましい発想はしませんよ」

 

「おやおや、それでは印刷費を回収できないのではありませんか?」

 

「そうでもありません。新聞が売れれば元は取れますから!」

 

「随分、大胆なことをおっしゃいますねえ~」

 

「ネタさえあれば可能です。ネタさえあればね」

 

 楽しげにそう語る記者。尊は「新聞に載せてやるから代わりにネタを寄越せってか」と催促する文に若干、憤りながらもさっきから手に握っていたスマホを懐の内ポケットにしまう。

 右京が確かめるように訊く。

 

「ネタというのは……まさか、事件の真相なんて言わないでしょうねえ?」

 

 両手を振りながら文が否定した。

 

「そんなの要求する訳ありませんってば! ただ……刑事さんたちのことをお聞かせ願えればなと思いましてね」

 

「僕たちのことですか?」

 

「そうです!」

 

 特命係の二人は顔を合わせながら、文の出した要求が予想以上に軽いことに驚く。

 先ほどのオーラを出してまで威圧した意味は何だったのか、と。

 文が話を続ける。

 

「お二人は表の世界からやって来た方々。しかも杉下さんは刑事で、そちらの神戸さんは元同僚だと聞き及んでおります。幻想郷に表から刑事が二人もやって来るなんて珍しいですからね。おまけに、出で立ちもカッコ良いと来たら、それだけで手に取って貰えますよ!」

 

 若干、興奮気味の彼女に二人は再び顔を合わせる。

 右京としても手紙が新聞に掲載されるメリットは大きい。それを、料金を払わずにやってくれると言うのであれば尚更だ。胡散臭い記者ではあるが、彼女の新聞が客観的な目線で書かれているのは確認済み。必要以上の脚色もしないと予想できる。今のところはだが……。

 その対価も自己紹介レベルなら特に問題はない。右京と尊なら余計な情報を漏らさずに切り抜けられる。右京は判断に困って相棒に相談する。

 

 右京が「どうしましょうねえ?」と尊に問うと彼は「お任せします。今のぼくは刑事ではありませんけどね」と返した。

 「表での仕事や普段の日常など話しても差支えないもので結構ですから」と文が笑顔を振り巻く。

 

 一泊置いてから右京は「わかりました。ですが……仕事のノウハウなどはお教えできません。それと僕達の紹介が載る新聞で今回の事件に触れるような事は一切、書かないで下さい」と釘を刺す。

 

「何故でしょう?」

 

「英雄気取りだと思われたくないからです」

 

 手紙のために記事を出す訳であって、事件解決を自慢するために出すのではない。

 その考えを文が汲み取る。

 

「了解です。手紙とお二人の自己紹介だけにとどめます」

 

 ついでばかりに尊も「後、面白おかしく書かないで下さいね」と念を押す。

 

「わかっていますよ」

 

 それならば、と右京は了承した。

 

 「ありがとうございます!」

 

 礼を述べた文が手帳とペンを取り出し、二人はインタビューを受けることになる。

 右京は自分が警察組織に属して仕事をしていて、特命係という一風変わった部署で働いていると語った。

 文が「名前からして凄そうな部署ですね! 間者専門の部署ですか?」と問えば右京が「とんでもない。どこにでもある普通の部署ですよ」と答えるも「そんな名前の部署がどこにでもあるんですか!? 表の警察組織ってカッコいいですね。だからこそ気になります。特命係ではどんな活動をしていらっしゃるんですか?」と食いつかれる。

 興味津々の記者に苦笑いする二人だが、特命係の主な活動内容は〝雑用〟である。

 まさか、本当のことを言えるはずもないので、それっぽい言葉を並べる。

 

「特命係は生活安全課に属する部署です。東京都民のために働いております」

 

 続いて尊が付け加えて。

 

「小さなことから大きなことまで様々な仕事をこなす〝警視庁のなんでも屋〟みたいな場所です。ね、杉下さん?」

 

「そうですねえ」

 

 七年ぶりとは思えない連携で文に対抗する二人。しかし文の瞳はキラキラを増して行く。

 

「なるほど! 警察組織のなんでも屋とは驚きました! なんでもできるから配属されているんですね? ち・な・み・に、大きな事件とか解決しちゃったりするんですか?」

 

 子供のような態度で右京に詰め寄るも両手を挙げられて「それはご想像にお任せします」と言われる。

 今度は尊のほうを向くがビジネススマイルで「それはご想像にお任せします」と右京の言葉をそのまま繰り返された。幻想郷が異国と同じとは言え、新聞記者に余計なことは話せない。

 その濁した態度に文は何かに勘付いたようで、したり顔で言った。

 

「あやや、もしかして雑用係だったとかですか?」

 

 ニヤニヤ顔で二人を見やる文。右京たちも苦笑する他なかった。大小問わず、様々な事件を解決してきたが、特命が島流しの部署であることはなんら変わりない。

 

「案外、当たりっぽいですねぇ~。ふふ、ご安心を。特命係が雑用部署だなんて書きませんから! 記事の印象が悪くなるので」

 

 フフンと鼻を鳴らす文に右京はどこか心外そうに「それはどうも」と述べた。

 先ほどのお礼と言わんばかりに棘のある一言を怒られない程度に混ぜてくる姿を見て尊も冷笑する。当の記者は「こんな肝の据わった連中が単なる雑用係な訳ないじゃん」と心の中で吐き捨てた。

 

 その後も右京への質問は続き、警察組織の話や趣味の話などを聞かれるが、当たり障りのない範囲で答えるにとどめた。ちなみに趣味は紅茶、読書、チェス、英国巡りと回答する。

「まるで英国紳士ですねー! 日本人なのに!」と文が返す。元部下は「一言余計だろ! 確かにその通りだけどさ」と吹き出しそうになるも気合で我慢した。

 それを察した右京が横目で冷やかな視線を送ったが尊はしらんぷりを決め込む。

 

 白々しい彼を見て記者は「そんな白々しい演技だとバレちゃいますよ?」とチクリ。

 尊も引かずに「ご心配なく、ネタみたいなものですから」と返す。

 文が尊の言葉に反応する。

 

「なるほど! ネタですか。あ、ネタと言えば……神戸さんは今回の事件の結末を知っていますか?」

 

「知りませんね」

 

「あらあら、掲示板に書いてあって住民なら大抵のことは知っていると言うのに。杉下さんから教えられていないのですか?」

 

「ぼくは今日の朝、この里に連れて来られた直後、杉下さんと再会しました。腰を痛めていたのですぐこの部屋に連れて来られ、幻想郷と里について簡単に説明を受けました。ですが、あなたが欲しがるような情報は教えられていません。なので聞いても無駄です」

 

 実際は事件についてそれなりに聞かされているが、追求されるのが厄介なので尊は息を吐くように嘘を吐いた。

 

「あはは、そんなに警戒しないで下さいよ。無理やり聞こうだなんて考えてませんから。でも、記者を長年やっているとつい癖で訊いてしまうんですよね。職業病ですかね?」

 

「そうじゃないですか?」

 

「今後は気を付けます」

 

 文はこのやり取りの後も右京に他愛もない質問を続けて、記事に使えそうなネタを抜き取って行く。

 右京との会話の間にも尊にそれとなく事件に関係する内容を訊ねるも全てかわされ、終いには「詳しいことは杉下さんへ」と笑顔でブロックされてしまう。文は表情にこそ出さなかったが、途中から若干、演技の白々しさが増したように思えた。

 右京から一通り話を聞き終えた文が尊へのインタビューを開始する。

 尊は自身が十年前に警察庁から警視庁の特命係に異動して三年間働いていた事と現在は警察庁でお偉いさんの宮仕えをしていると語った。もちろん皮肉である。

 

 文が冗談交じりに「えーと、特命係に回されたってことは……左遷?」と小声で呟くも尊は即座に「ハハ、違いますからね!」と否定して右京に同意を求めたが、速攻で明後日の方向を向かれた。

 

「(やり返しやがったな!)」

 

 尊が内心で叫んだ。

 

 文はその光景は思わず、吹き出す。

 

「あはは! お二人とも、仲がよいんですね!」

 

「「いえ普通です(から)」」

 

 まさかの同時発言に二人は顔を見合わせながら真顔になった。()()()()と言わんばかりに。

 

 文は「やっぱり仲いいじゃないですか!? 知的でクールな英国紳士の刑事さんと落ち着いた雰囲気のベテラン宮仕えさん。いいですねぇー、絵になります。後で写真取らせて下さい」とテンションを上げて行く。

 

 右京と尊は文の厄介さを肌で感じていた。

 時には真面目になってみたり、時には威圧してみたり、時にはふざけながら相手の懐に潜り込もうとしてきたりと表情をコロコロと変える。おまけに、あの手この手で目的の情報を手に入れようとするし、毒も吐く。

 十代の少女の顔と明るい笑顔だからなせる技だ。これが大人なら上手くは行かない。気持ち悪がられる。そのような状況であっても、右京と尊は大事な情報を何一つも漏らさずに彼女のインタビューを受けている。

 右京はこの調子でインタビューが終わってくれることを切に願うが、途中で無理だろうと諦め、彼女から飛んでくるであろう質問を想定しながらその返しを考えていた。

 尊も妖怪相手とはいえ、容姿が十代の女に舐められたくないので細心の注意を払いながら会話する。

 文のほうも特に焦る様子はなく、着実にしかけるタイミングを見計らっていた。

 

 特命係VS妖怪記者の戦いは続く。



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第28話 特命係VS妖怪記者 その3

 文は尊に対しても仕事の内容や趣味などを訊ねる。

 仕事の内容を語りたくない彼が〝給料のよい雑用〟と回答した。

 遠回しな言い方にも記者は遠慮せず「まるで警察庁の特命係みたいですね!」とコメントして元上司を大いに笑わせた。

 湧き上がるイライラを抑えながら「まぁ、警視庁の特命係よりは待遇がよいですがね!」と皮肉をお返しする尊。

 もはや敵味方を問わない、皮肉のオンパレードであった。

 趣味のほうはこれといったものはないが、あえて言うならチェスやドライブだと告げた。

 その際、「杉下さんの趣味もチェスですよね? 対戦したりするんですか?」と返されて「ええ、時間がある時によく対戦しました」と彼が話せば、すかさず「戦績は?」といかにも嫌そうなポイントを突いてくる。

 尊が右京をジッと見つめながら「詳しく数えたことはないですけど、互角くらいですよね?」確認する。「……そういうことにしておきましょう」右京がその発言を肯定した。

 実際、尊もチェスの腕前は大したもので、難易度の高いブラインドチェスを右京と行い、互角の勝負を演じる程と言えば、その実力を理解できるだろう。

 含みのある言い方に笑顔を作った記者が。

 

「実力は互角なのですね。なら、いつかお二人が対戦しているところを見学させて下さい。私がしっかりとその勝敗を目に焼きつけますから!」

 

「「お断りします」」

 

 二人は同時に断った。

 

 それから、文の他愛もない質問から事件に関係のありそうな質問まで二人はのらりくらりとかわし続けた。元々、守りに徹していれば墓穴を掘らない限り、右京たちが圧倒的有利な状況だったのもあって、文につけ入る隙を与えなかった。

 

 二人へ質問し終えた文は次に手紙を入手した経緯や手紙の主に呼びかけたいことを訊ねた。

 右京は簡潔に説明し、文がそれを手帳に纏め始め、右京から手紙を拝借してからテーブルの上に広げて写真を取り始める。

 使用されたカメラは文の私物で数十年前に流行ったライカシリーズに酷似していた。

 右京が訊ねる。

 

「そのカメラはひょっとして、ライカシリーズではありませんか?」

 

 その質問に文が首を傾げて「よくわからないですね。外から流れ着いたカメラを修理して使っているだけですから」と説明した。

 右京はカメラを修理したと言う発言に注目する。

 

「射命丸さんはご自身でカメラを修理できるのですか?」

 

「まさか! そこまでの技術は持っていませんよ。知り合いに手先が器用な者がいて、そこから買い取ったってだけです」

 

「その知り合いとは《香霖堂の店主》でしょうか?」

 

「違います」

 

「おやおや、気になりますねえ。もしよろしければ、参考までにその知り合いの方が住む場所を教えて頂けませんか? 僕も色々と掘り出し物を探したいので」

 

 右京の何気ない質問に文はフフっと笑いながら「知っていても行けないと思いますよ」と場所を教えようとはしなかった。彼もクスリと笑うにとどめる。

 写真を撮り終わった記者は右京たちに「これで記事が書けそうです」と語った。

 右京が疑問を口にする。

 

「しかしながら、このような話で本当に印刷代を賄えるのでしょうか?」

 

「記事になるくらいのネタは確保できましたけど……。ちょっと、インパクトが弱いかなーって思っちゃったりします。後、一押し欲しいところですね」

 

「一押しって言うと例えば?」

 

 尊がそう訊ねると文が顎に手を当てながら、

 

「うーん……読者の気を引くワード……欲を言うと()()

 

 と語りながら再びプレッシャーを放ってきた。右京が「ほう」と零す。

 文はその笑顔を崩さず和製ホームズに近寄る。

 

「何かありませんか?」

 

 プレッシャーを放出したまま、相手の表情を観察する。尊が「脅しかよ」と内心吐き捨てた。

 右京は先ほどよりも強めの威圧感を叩きつけられるも涼しい顔で「特に思い当たりませんねえ」と一言。それを見た文はプレッシャーを引っ込める。

 

「そうですか。わかりました。後はこちらで何とかします。お忙しい中、取材を受けて下さり、ありがとうございました!」

 

 文は残念そうな顔をしながら、手帳をショルダーバッグにしまい込む。

 右京が「無理に記事しなくてもよいですよ。ご迷惑でしょうし」と言った。

 直後、彼女は大げさなポーズと共に胡散臭いことを喋り出す。

 

「ご心配なく! ここまで聞いてしまった限り、この文々。新聞代表、射命丸文――記者としての責任を果たします。必ず、色々な方が手に取って貰えるような記事をお書きしますので、ご期待下さい」

 

 役者に尊がツッコミを入れる。

 

「ネタに走らないで下さいね」

 

「もちろんですとも! 清く・正しく・射命丸。その名は伊達ではありませんから!」

 

 尊の軽いツッコミにも文は愛想良く答えた。尊はそのネタっぷりに呆れるしかなかった。

 

 右京は「ありがとうございます」とお礼を言った。

 荷物を纏めた文は玄関まで歩き、見送りのためにその後ろを二人が付いて行くのだが、途中で文がピタリと止まった。

 二人はその行動を不思議そうに見つめる。

 瞬間、文は背中から黒い羽根の生えた翼を展開。尊が「うぉあ!」と叫びながら仰け反る。

 文は笑顔のままクルっと振り返り、右人差し指を立てる。その仕草は右京そっくりだった。

 

「最後に一つ、お聞きしてもよろしいですか?」

 

 文は右京を真っ直ぐ見つめ、彼が「どうぞ」と答える。

 瞬間、文が詰め寄り、顔面を下から覗き込むように――。

 

「今回の事件って《易者》が関係してたりします?」

 

 冷たく囁いた。本来の姿を見せつけながら脅してくる文。

 尊はその迫力に冷や汗をかきながら息を飲む。

 右京は一瞬頬をピクっと動かしながらも「さあ、どうでしょうね」と一蹴した。

 文は「そうですか」とため息を吐いてから翼を収納して、

 

「これで失礼します。何かありましたらまた、お伺いさせて頂きますね!」

 

 営業スマイルを振り巻きながら特命部屋を後にした。

 彼女が帰ったのを確信した二人は戸締りを確認してから大きなため息と共にテーブルに着く。

 一息吐いたところに尊が切り出した。

 

「何ですかアレ!?」

 

「妖怪の山の鴉天狗です」

 

 射命丸文は妖怪の山に所属する鴉天狗である。

 里を中心とした話題を記事する変わり者で、天狗の隠し切れない傲慢さと相まって評判は散々だ。右京たちは知らないが、客観的な文章を書くが、自作自演やちょっとしたねつ造を行うこともある。自作自演とは強行インタビュー、ねつ造はバレない程度にやる。とんだ食わせものなのだ。

 評判がよいのは新聞だけ。里において人間の読む新聞の大半は《文々。新聞》である。

 妖怪にも購読者はいるが、評判はそこそこ。理由はしつこいインタビューを受ける者の大半が妖怪だからだ。なので、本来メインの購読層である力を持たない人間相手には比較的優しい態度で接する。外部から来た右京たちは〝例外〟だったようだが。

 尊が繰り返す。

 

「鴉天狗? 天狗って白装束で鼻が長いっていうあの?」

 

 一般的な天狗のイメージを脳内で創り上げた彼がそのイメージに合ったジェスチャーを行う。

 右京は頷いた。

 

「そうです。天狗は幻想郷でも上位に入る妖怪で、本気になればそこらの妖怪では太刀打ちできないらしいですよ」

 

 彼の言う通り、天狗は幻想郷内においてトップクラスの戦闘力を持つ妖怪である。強い者には下手に出て、弱い者には上から目線。強い癖に手を抜く狡猾な生き物だと言われている。

 

「へえ~……ぼくたち、そんなヤバい奴とやり合ったんですね~ハハハ……」

 

「君も中々、誤魔化すのが上手でしたね。腕を上げましたか」

 

「いえいえ、杉下さん程じゃないですよ。あんな人外に正面から脅されても一切、動揺しないんですから」

 

「いえ、少しだけ表情に出してしまいました。恐らく、勘づかれたでしょうね」

 

 相手は妖怪記者。些細な表情も見逃さない。右京は文に悟られた可能性が高いと見ていた。

 疑問を持った尊が右手を軽く挙げる。

 

「それって〝易者〟って奴のことですか? ぼくにはよくわかりませんでしたけど」

 

「それは機会があったらお話しします。〝ここ以外の場所〟で」

 

「……わかりました」

 

 右京の言葉に尊は珍しく素直に了承する。尊も妖怪の国たる幻想郷の恐ろしさを少しだけ理解したのかも知れない。当たり前のように人外が人に紛れて里に出入りしているのだ。迂闊には喋れないだろう。口が堅いに越したことはないのだ。

 会話が途切れたところで右京は尊にそっと近づいて耳打ちした。

 

「ところで君――さっき、何かしてませんでしたか?」

 

「あ、気づいてました?」

 

 笑みを浮かべた尊がポケットからスマホを取り出して、そっと囁く。

 

「スマホのボイスレコーダーで今の会話――全部録音してましたけど、使います?」

 

「おやおや、録音してましたか……。抜け目ないですねえ~」

 

 尊はスマホを弄った際、念のため、ボイスレコーダーを起動して会話を録音していた。何かあった時はツールで音声を切り抜いて流してやろうとでも考えていたのだろう。見かけ通りクレバーな男だ。

 右京は「後で稗田さんに聴いて貰いましょうかね」と呟いて親指を立てた。

 

 

 里を離れた文はしばらく歩いて人気ない場所に身を寄せると、そこへ一羽の鴉が降り立つ。

 天狗はその鴉を右肩に乗せるとガックリと肩を落とした。

 

「内容的にみてこちらの負けだわ」

 

 右京たちのガードが予想以上に堅く、トークによる誘導が困難だと判断して、強硬策に打って出た。結果、相手の反応から情報を引き出すことに成功したのだが……。

 

「仮に今回の事件に易者関わっていたとしても禁忌に触れる記事なんて書ける訳がない。没ネタ確定。手紙とあの二人から聞き出したネタを表紙にして記事を作るしかないわね。はぁ~、頑張りますか!」

 

 里で起きた人による殺人事件。その割にはあまりに掲示される情報が少ない。文は違和感を覚えて事件に関わった者を調査する。手始めに配下の鴉に里での情報収集を任せて自身は魔理沙や霊夢のところに話を聞きに行くも相手にされず追い返された。その際、二人の表情はどこか暗かった。

 引っかかりを覚えた文はすぐさま、里に戻って鴉を招集。鴉は里周辺に住む鴉たちから右京が色々な人間に聞き込みをしていたと聞かされた。

 それを知った文は人里に入り、自分の足で右京の足取りを調査。右京が犯人の所属していた劇団やそこから易者の大先生のところに向かったことを突き止め、情報が少ない理由を何となくだが察した。

 文自体も易者事件の顛末をいつかの宴会の席で魔理沙辺りから聞かされていた。

 それがあの質問に繋がったのだ。あのタイミングでこのワードを選んだのは紛れもなく記者の勘であったが、刑事の仮面にヒビを入れるのに成功した。

 しかし、証言は一つも得られず、自身の本来の姿を見せても表情をほんの少し変化させただけ。メンツは丸潰れといってもよい。

 おまけに文は体制派の妖怪。ネタを握っていても、自分から幻想郷の闇に触れるような記事は書けないし、書くつもりもない。

 それでも、あえてその去り際、右京に鎌をかけたのは記者の意地か嫌がらせ、それとも体制派の本能か――いずれにせよ、射命丸文が杉下右京とその相棒に興味を持ったのは紛れもない事実であった。

 

「ま、易者との関連性は個人的に調べればいいかな」

 

 不気味な笑みと共に大空へと跳躍した妖怪記者は里の方角を振り返り――。

 

「杉下右京に神戸尊……。その名前――忘れませんからね?」

 

 か弱い人間でありながら、強者である自身に強硬策を使わせた両名の顔を思い出し、その目を細めて空の彼方へと消えて行った。




幻想郷はスマートフォンとともに。


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第29話 甘味処にて

 鴉天狗、射命丸文の圧迫インタビューを切り抜けた右京と尊は酷い空腹感を覚える。

 時刻は十二時を回っており、お昼時である。とても饅頭五個では足りない。右京が饅頭を日陰に置いてから定食屋に行くことを提案し、尊はその提案を受け入れる。

 家を出た二人は途中、薬屋に寄って腰痛に効く薬を購入して定食屋へ向かう。店内は比較的混雑していたが、すぐに二人分の席が空いた。席に座った右京はうどん、尊は生姜焼き定食を注文。五分ほどで料理が運ばれてきた。二人は腹ペコだったこともあって特に雑談することもなく、料理を平らげた。尊が礼を言う。

 

「ご馳走さまでした。美味しかったです」

 

「それはよかった。もう、お腹は一杯ですか?」

 

「少し足りないですね」

 

「でしたら、甘味処に行きましょうか?」

 

 尊は「いいですね、行きましょう!」と腰を擦りながらも喜んだ。

 代金を支払って店を出た二人はその足で甘味処を目指す。甘味処にはそれなりの数の客が入っていたが、それでも並ぶ程ではなく、空いていた四人がけのテーブルに着くと店員がお品書きを持ってくる。

 二人は緑茶とみたらし団子を選択した。先に緑茶が運ばれる。お茶を啜りながら、落ち着く右京たち。その緑茶は独特な味をしていた。

 

「独特な緑茶ですねえ」

 

「ですね」

 

 右京たちが普段から飲んでいるような製品の茶葉ではないが、幻想郷の土地から取れる茶葉は外の味とは異なった深みを出している。

 尊が湯呑に残る緑茶を眺めながら、品書きを見た際、気になったものを話す。

 

「そう言えば、このお店って〝紅茶〟も扱ってましたよね?」

 

「ええ、お品書きに載っていました。今日は切らしているようですが」

 

「里で茶葉を栽培しているんですか?」

 

 外界から切り離された東方の土地で紅茶が根付くのかと疑問を覚えて尊が首を傾げる。

 

「恐らく、茶葉は《紅魔館》産でしょうね」

 

「《紅魔館》?」

 

 妖怪の山はさっき聞いたから理解できるが、紅魔館なる単語は初耳。右京が紅魔館について簡潔に述べる。

 

「紅魔館はレミリア・スカーレット氏のお屋敷です」

 

 紅魔館は妖怪の山の麓にある霧ががかった湖の畔に佇む洋館である。外装は深紅一色。一部の人間からは()()()()とまで言われる不気味な屋敷だ。もちろん、住んでいるのは人外である。何も知らない尊は突然出てきた外国風の名前に反応する。

 

「随分、洋風な名前が出てきましたね」

 

「ちなみにスカーレット氏は本物の吸血鬼です」

 

「はぁ? 吸血鬼!? ここにいるんですか!?」

 

「いるようですよ」

 

 そう、紅魔館の主レミリアは正真正銘の吸血鬼である。尊は表の不気味な吸血鬼のイメージを思い浮かべ、顔を引きつらせた。血が苦手な彼にとって吸血鬼は天敵だ。右京が続けた。

 

「さらに彼女は吸血鬼のモデルになったヴラド三世の末裔だそうですよ」

 

「ん? どういうことです?」

 

 尊は右京が冗談を言っていると思った。歴史上の人物ヴラド三世なら知っている。その末裔が実在するなら人間ではないのか? ならば吸血鬼って人間なのだろうか、と疑問がグルグルと頭を駆け巡る。

 

「僕の予想ですが、ヴラド三世の逸話がきっかけとなり、生まれたのがスカーレット氏で、その関係上、末裔を名乗っているのではないかと考えています」

 

「生まれた……?」

 

 尊は妖怪の事情に詳しくない。理解が追いつかないのだ。

 

「色々なパターンがありますが、その一つに妖怪は人々の感情、特に〝恐れ〟によって生まれるとする説があります。それが海外も同様だと仮定すれば――」

 

「ヴラド三世を恐れた人々の感情がきっかけでこの世に誕生した」

 

「かも知れません」

 

「なるほど……つまり自身の逸話が有名であれば、その逸話が一人歩きして妖怪になるということですかね?」

 

「そこまではわかりませんが、その可能性があってもおかしくないですね」

 

「ふむふむ、そんな存在が普通に暮らしているのがここって訳か……昨日までのぼくだったら絶対信じなかったな」

 

「僕も同じですよ」

 

 右京も尊も非日常を体験したからこそ、このあり得ない世界の存在に納得できた。何も知らない表の人間に幽霊や妖怪が実在すると伝えても馬鹿にされて終わり。幽霊に関心のある右京であってもここまでオカルトは受け入れられなかっただろう。尊なら笑い飛ばしてお終いだ。何事も経験なのだ。そうこうしている内にみたらし団子が届く。

 二人の前に置かれたみたらし団子は非常に美味しそうであった。

 右京は団子を食し「とてもよい味ですね。特にこの餡かけが絶妙です」と語り、尊も同意した。

 彼らは雑談しながら周囲を見渡す。やってくるお客は皆、着物姿で自分たちだけがスーツを着ている。物珍しそうな目で見られるが、すぐに視線を逸らして料理を注文する。

 中々に奇妙な光景だった。そんな場所でものんきにくつろげるこの二人も大概だが……。

 右京は近くに置かれてあった《文々。新聞》を片手に優雅なひと時を過ごす。

 それからまもなく、店に一人の女性が入店する。女性は日本で言うところの女子大生くらいの年齢だ。茶色の長髪に丸みを帯びた眼鏡をつけ、黄緑色の紋付羽織を纏っており、他の里人と似ているようでどこか違う印象を受ける。

 その姿を見かけた尊が「お、美人なねーちゃんだ」と心の中で評価する。

 彼女は店員に挨拶し、好きな席に着くように促され、迷わず右京たちのいる席へと歩き、彼らの目のつく場所で立ち止まった。

 その存在に気がついた右京が女性を見やる。彼女は右京を視界に収めながら言葉を発した。

 

「おぬしが杉下どのじゃな?」

 

 二人は一瞬、互いに視線を合わせた。年齢的に見て十代後半か二十代前半の女性が()()()()()()という口調をするのはあまり不自然である。雰囲気も余裕がありニコニコしている。

 元上司は尊に視線で「妖怪かも知れません」と伝え、尊も同様に「わかりました」と返事した。右京が視線を女性の方に戻す。

 

「ええ、そうですが」

 

 すると女性は簡単な自己紹介をしてきた。

 

「儂はマミと名乗っている者じゃ。ちょっと、話がしたいのじゃが。よいかのう?」

 

 右京は言葉の言い回しから見て相手が妖怪であると確信するが、笑顔を崩さず対応する。

 

「構いませんよ」

 

「すまぬのう」

 

 妖怪と思わしき女性マミは尊の隣に座って右京と向き合うのであった。



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第30話 とっても親切なディスガイザー

 尊はマミの歳不相応な雰囲気に戸惑いを隠せずにいる。

 先ほど会話した射命丸文もあどけない外見の裏側にとんでもない力を隠していた。この女も同類なのか、と。

 そんな彼をマミは横目で見やり「もっと楽にしておくれ。取って食ったりせんのだから」と冗談を聞かせた。尊が額から一筋の汗を垂らし取り繕いながら「アハハ」と笑う。

 気圧される相方を尻目に右京が本題に入る。

 

「僕にどのような御用でしょうか?」

 

「特に用という訳ではない。ただ、お礼を言いに来たんじゃよ」

 

「お礼ですか?」

 

「舞花が切り盛りしている酒場は儂もよく通ってのぉ。当然、敦とも顔見知りじゃ。あやつが殺されたと聞いた時はショックじゃったわい。同時に事件を解決したのが杉下どのだと知り合いから教えて貰っての」

 

「それで僕を探しにここまで足を運んで下さった訳ですか」

 

「そういうことじゃ」

 

 マミはメニューを確認せず手を挙げて店員を呼ぶと、慣れた手つきで緑茶を注文した。まもなく店員から緑茶が入った湯呑が届けられる。

 マミは茶を啜ってからふう、と息を吐いた。

 

「感謝するぞ、杉下どの。敦の無念を晴らしてくれたことに」

 

「当然のことをしたまでです」

 

「表の警察官は真面目じゃのう。褒められても一切、浮足立つことがない。感心させられるわい」

 

「とんでもない。寧ろ、責められると思っていました」

 

「……心配するでない。ここの住民は表の連中よりもずっと優しい。来たばかりにも関わらず、事件解決に尽力したおぬしを責める者などおらん」

 

「そうですか」

 

「それにおぬしに()()を払っている訳でもないから不満も出ない」

 

「ハハ、なるほど」

 

 税金という言葉に反応して警察庁務めの公務員が微かに笑った。右京はマミが表の世界に詳しいことに疑問を抱く。

 

「マミさんは僕たちの世界に詳しいようですが、情報はどこから仕入れているのでしょうか?」

 

「ん? なーに、鈴奈庵辺りに置いてある外来本を読んでおるだけじゃ。大した知識は持ち合わせておらん」と語った直後、彼女は小声で「勘繰ったところで無駄じゃぞ?」と念押しする。

 

 「わかりました」と返事をする右京。

 

 二人は互いに手元の緑茶を啜った。

 刑事は相手が表の世界に精通していると勘付いたが、相手は喋る気がないと悟り、余計な詮索は行わないことにした。

 このやり取りの後、三人は雑談し出す。内容は主に里とその外を囲む妖怪の話だ。マミは里の人間が知れる範囲で特命係に色々な情報を教えた。

 

 人里についてはオススメの飲食店、大手道具屋、服屋などの生活に関係する話題からデートスポットや、秘密結社の噂。外については紅魔館、幽霊屋敷、魔法の森、竹林の薬屋、妖怪の山の話題を提供してくれた。右京や尊が感心した素振りを見せながら相槌を打った。

 

 右京たちもお礼代わりに、ここに来た目的や表の話を聞かせた。

 手紙の話から始まってデジタルツールの説明、都会の町並みやルール、流行りのファッション、スイーツから簡単な政治の話題まで解り易く説明し、マミを感心させる。

 

 出会ってから実に一時間半もの間、三人はトークに集中していた。

 会話が途切れたタイミングでマミが「手紙の件は儂も調べてみる。楽しかったぞ杉下どの、神戸どの」と言って財布から緑茶代の硬貨と一円札を取り出し、テーブルに置いた。

 

 二人が食べた料金の合計を遥かに上回る金額に右京は「そんな、貰う訳には……」と断ろうとしたが「表の話を聞かせてくれた礼じゃ」と強引に押し止めて彼女は「またの!」と手を振りながら、店の外へ出た。右京が引き止めようとしたが、その時すでに彼女の姿はなかった。

 

 その時、ふと右京が右手の一円札を確かめるとお札ではなく代わりに緑色の〝葉っぱ〟が握られていた。直後、どこからともなく「人間と書いて()()と読む。妖怪にはご用心」と声が聞こえたような気がした。

 刑事は彼女の演出に思わずクスっと笑みを零しながら葉っぱをポケットにしまった。

 店内に戻り、待っていた尊に右京が「あの方、只者ではありませんねえ」と伝え「ぼくもそう思います」と元部下が答えて席を立つ。

 

 雑談を終えた二人は会計を済ませるべく店員を呼ぶ。

 その際、右京が懐から取り出した財布に複数の一円札が入っているのを目撃した尊が思わず目を見張った。

 店の外に出てから尊が「随分、こっちの紙幣をお持ちのようですがお金、足りますか?」と気にかけると右京が「ここの物価を計算すると二人ならば一か月から二か月は滞在できます」と回答。

 

 驚いた彼が「いくら両替したんですか?」と訊ねると「二万円分です。約一円札五枚です。ちなみに里では両替出来ませんので、するなら香霖堂で」と返され、尊は「わかりました」と頷いた。

 それから右京は尊を連れて共に稗田邸を目指すことにした。

 道中、元部下は顎に手を当てながら「マミさんって何者なんでしょうかね……?」と一人呟く。

 和製ホームズは両目を閉じながら「狸かも知れませんねえ」と相棒に聞こえぬように言うのであった。



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第31話 稗田邸にて

 稗田邸に着いた特命係は阿求に面会。そのまま屋敷の客間に案内された二人はお茶を振る舞われる。

 その際、右京は尊を「僕の元同僚です」と紹介。彼も「初めまして神戸尊と言います。杉下さんを探していたらこちらに迷い込んでしまいました」と軽く挨拶する。阿求は「それは災難でしたね……」と不憫そうに言ってから、用件を訊ねる。

 

「どのようなご用件で?」

 

「先ほど、《文々。新聞》代表、射命丸文さんからインタビューを受けましたので、そのご報告に参りました」

 

「……どのような内容でした?」

 

「〝事件〟について聞かれました」

 

 そのワードに反応するかのように少女の顔が少しだけ険しくなる。

 

「何とお答えになりましたか?」

 

 和製ホームズは元部下に目配せしてからスマホを取り出すように促す。

 コクンと頷いた尊は編集ツールで文が去った後の会話をカットした音声を再生できるように準備して座卓の上に置く。

 

「全てはこの中に録音されています。お聴きになりますか?」

 

 差し出されたスマホを目で追いつつも阿求が無言で返事をする。

 直後、録音された音声が再生された。音声は中盤をこそ早回しで進めたが、冒頭と終盤のやり取りはそのまま流した。

 少女は黙って音声に耳を傾ける。序盤は些か不快そうな顔、中盤の皮肉合戦ではちょっとだけ笑いを堪えている表情、終盤に入ると目付きを鋭くさせながら聴き入り「これではまるで……」と意味深なセリフを吐く。

 文のインタビュー内容を知った阿求は明らかに腹を立てていたが、すぐに冷静さを取り戻し「わざわざご報告ありがとうございます。後はこちらで対処を考えます」と丁寧に頭を下げ、尊のスマホを見ながら「スマホって便利ですね……」と羨ましそうにボソっと呟いた。

 ついでに右京は「手紙の主が見つかるまでこちらに滞在しようと思うのですが、よろしいでしょうか?」と訊ねる。

 

 若干、困り顔になったが彼女は「構いません。ゆっくりなさって行って下さい。必要な物があったら何なりとお申し付けを。使いの者に用意させます。それとお帰りの際は私に一声かけて頂ければ博麗神社の巫女や結界に精通した者にお二人が外へ出られるよう、話をつけます」と協力的な姿勢を見せる。

 

 右京は「ご配慮感謝します。ですが、この里に滞在するのは僕達の意思ですから、生活に必要な物資はこちらで集めます」と言ったのだが「いえいえ、事件を解決して頂けるだけでなく、その後も丁寧に対応なさって下さったお二人に何の支援もしないというのは稗田の名に恥じる行為です。ここは私の顔を立てると思って物資をお受け取り頂けると幸いです」と説得される。

 

 そこまで言われたらさすがの右京も断れない。二人は阿求の申し出に深く感謝した。

 阿求はすぐに必要な物資を運ばせる事と手紙についての調査を約束した。

 話を終えた二人は稗田邸を後にする。部屋に帰る途中、尊が右京を見た。

 

「稗田さんって凄く、いい人ですね」

 

「ええ、とても聡明で懐の深い方です」

 

 滞在すると申し出たら生活に必要な物や帰る手段まで用意してくれると言うのだから、さすが名家の当主だと尊は感心した。

 

「ところで、稗田さんは具体的にどのような対処をするんですかね?」

 

「さあ、僕には見当もつきませんねえ」

 

「天狗の上司に言いつけるとか?」

 

「天狗そのものが排他的らしいですから、簡単には人の話を受けつけないと思います」

 

「つまり、どうにもならないってことですか――まぁ、あんな化け物相手じゃ手の施しようがないってのも頷けますけどね」

 

「それが里の現状でしょう」

 

 人間はあまりに非力。妖怪は里の人を襲わない代わりにそれ以外は自由。楽しむだけなら無問題である。人間と妖怪の対等なつき合いとは想像以上に難しい。

 

 ()()を知っている右京は里の人々を不憫な目で見てしまう訳だが、尊に何も伝えていないので平静を装う。

 部屋に戻った二人は阿求の使いの者たちがやってくるのを待っていた。時刻は十六時を回ったところだった。

 右京がスマホのバッテリーを確認する。

 

「僕のスマホのバッテリーが30%を切ってしまいましたねえ」

 

 右京はカバンの中から黒色のモバイルバッテリーを取り出した。長方形で大きさは掌から少しはみ出す程度の物だ。

 

「君のスマホは大丈夫ですか?」

 

「ぼくのスマホは70%ですね」

 

「少なくなったら言って下さい。バッテリーをお貸ししますから」

 

「でも、そのモバイルバッテリーの容量ってどれくらいですか?」

 

 尊は右京のモバイルバッテリーが比較的小型であることを気にかけていた。大きさ的に5000mAhくらいだと想像するが、右京は笑顔で「元特命係の青木年男(あおきとしお)君オススメのモデルです。僕のスマホであれば三回半は充電できます。しかも、最近購入したばかりで充電もばっちり済ませていますから、最低でも三回分はあるとみて大丈夫でしょう」と語った。

 

 青木が押したこのモバイルバッテリーは約10000mAhで最軽量が売り文句の製品。価格は少し高めだが、旅行や遭難時を想定して良い製品を購入しておいたのが吉と出た。

 

「ナイス、青木年男! 誰か知らないけど」と心の中で尊がガッツポーズする。

 

 幻想郷内では電波が届かず、通信手段として役に立たないが、結界外に出れば助けを呼ぶのに必要となる。おまけに事件や幻想郷実在の証拠を残せるので、充電はあった方がよいのだ。

 右京がUSBケーブルを接続し、スマホを充電する。

 

 それから少しして阿求の使者が自宅正面に荷物を持ってやってきた。

 右京は挨拶してから物資を受け取り、中へと運び入れた。その中身は二人分の生活用品だった。

 物資を整理し終えるまで四十分程かかったが、これで生活環境が整う。

 二人は使者の方々にお礼を言って彼らを見送るのであった。



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第32話 特命係の人里ライフ

 右京は釜でご飯を炊く準備してから肉や野菜を購入しに外に出る。その間、尊がグツグツと音を立てる釜の様子を眺めていた。

 

 三十分後、右京は野菜、肉、魚、複数の調味料を籠に入れて帰宅し、すぐに調理を開始する。

 手際よく下ごしらえする右京に尊が感心したように声を漏らした。

 そこから一時間半後にはご飯、味噌汁、肉じゃが、川魚の塩焼きを完成させて、二人で頂いた。素材が新鮮かつ薬品が加えられていないおかげか、自然の味が楽しめた。

 右京は「これはよいですね~。作った甲斐がありました」と感想を述べ、尊が「久々に和食、食べましたけど美味い……てか、杉下さん料理上手すぎでしょ」と感動した。

 

 「それほどでも」

 

 右京はいつものトーンで返すが、明らかに上機嫌だった。

 夕食を終えた二人は食器を片づけてから雑談に勤しみ、二十二時に床に就く。

 翌朝、目を覚ました右京は昨日、作り置きしておいた料理を皿に取り分けて、自分の分と尊の分をテーブルに出した。

 肉じゃがや味噌汁は具に味がしみ込んでさらに美味くなっていた。

 右京が食器を運ぶと尊は「僕も手伝います。腰も大分よくなってきたので」と言いだしたので食器洗いを任せた。

 

 尊が食器を洗う間、右京は香霖堂から買った本に目を通していた。種類は幻想郷の歴史が書かれた物や妖怪についての手記など幻想郷に関連する書物ばかりだ。

 作業を終えた尊は右京の読んでいる本が気になり覗いてみるも、変体仮名で書かれていたのであまり理解できなかった。

 ページをさらさら捲ってある程度ポイントを抑えると右京は尊に「十時頃になったら鈴奈庵に行きますが、君はどうしますか?」と訊ねた。元部下は「貸本屋ですよね? 僕にも読める本ありますか?」と問う。右京は笑顔で頷き、それを確認した彼が「でしたら行きます」と言った。

 

 右京たちは鈴奈庵の開店と同時に家を出た。鈴奈庵まで十分程度なのですぐに到着。入口を潜ると小鈴が出迎えてくれた。

 鈴の少女は刑事の隣にいる見慣れない男を不思議そうに観察していた。

 

「えっと、表の方……ですよね?」

 

「そんなところかな」

 

「ほえー、杉下さんのお友達ですか?」

 

「ええ、そうだと思って頂ければ」

 

「わかりました。私は本居小鈴って言います! 見たい本があれば是非お申し付け下さいね!」

 

「ハハ、ぼくは神戸尊って言います。今後ともお見知りおきを」

 

 もともと、小鈴は明るい性格なので右京の友人とわかると尊にも笑顔を振りまいた。

 二人は本棚を漁り、テーブルで何冊か本を取って読みふける。もちろん、今回は無料ではない。右京が小鈴に本代を支払い、読書させて貰う形を取っている。

 

 彼らのテーブルには妖怪の残した本から昭和初期に出版された古本や外来本など様々なジャンルのものが置かれていた。

 右京は主にまだ読んでない幻想郷の歴史、妖怪、落語、妖怪の手記などの本を。尊は表の人間用に書かれた幻想郷縁起や幻想入りした外来本に目を通していた。

 二人は昼を過ぎても本を手放さない。尊は幻想郷や妖怪の知識を深めるため、右京は自身の目的のために学習を怠らない。

 暇になった小鈴が二人に紅茶を出して外から流れついたと思われる蓄音機にレコードをセットし、曲をかける。流れた曲は昔懐かしいクラシックだった。

 外来人たちは懐かしそうに互いの顔を見やった。音楽があるかないかで店内の雰囲気がガラッと変わるものだ。右京や尊のような現代人には音楽があったほうが落ち着くのだろう。二人はさらに読書を続けた。

 

 時刻が十三半時を回る。さすがに腹が減ったのか、二人は読んでいた本を一旦、小鈴に預けて自宅に戻り、昼飯を食べる。ご飯、味噌汁、肉じゃが、焼き魚と純和風なメニューに尊は「なんか健康になれそうですね」と呟き、右京も「ですね」と返す。

 昼食を食べ終わった二人は再び、鈴奈庵を訪れる。そこには小鈴と話す魔理沙の姿があった。

 

「よぉ、おじさん」

 

「こんにちは、魔理沙さん」

 

「杉下さん、魔理沙って……あの?」

 

「そう、彼女が霧雨魔理沙さんです」

 

 右京が尊に魔理沙を紹介した。

 魔理沙が紳士に聞き返す。

 

「そっちのにーさんが表から来たおじさんの友達か?」

 

 どうやら、尊のことは小鈴から聞いていたらしい。

 

「そうです」

 

 右京が答えると魔理沙が挨拶した。

 

「私が霧雨魔理沙だ。よろしく」

 

 尊は右京から魔理沙のことを聞いていたので彼女の口調が男っぽいのは知っていた。

 しかし、遥か年下の小娘がここまでラフに接して来られるのは些か不愉快だった。それでも、人間離れした戦闘力を持っているのでここはグッと我慢して、素の態度で白黒の少女に接する。

 

「どうも、俺は神戸尊。この人の()相棒です」

 

()ってことは、今は違うのか?」

 

「今は違う部署で働いてるからね」

 

「ふーん、そうか。じゃあ何でここに迷い込んだんだ?」

 

「この人の現相棒に頼まれて探していたら幻想入りしてしまったってところかな」

 

「そいつは大変だったな……」

 

「ハハハ……」

 

 尊は苦笑いしながら自分の運の無さを呪った。一歩間違えば、妖怪に殺されていたのだから当然だ。魔理沙が疑問を口に出す。

 

「で、どうやってこっちに入って来たんだ? おじさんと同じく長野ってところの神社から迷い込んだのか?」

 

「そうだよ。村の人に話を訊いて、神社を散策していたらいつの間にか竹林に迷い込んだんだ」

 

「竹林か……。あそこも妖怪や幽霊がうじゃうじゃいるしな。普通の人間が迷い込んだらマズイ場所だ」

 

「正直、死ぬかと思ったよ。途中、白髪の女の子に助けて貰わなかったら、ヤバかったかも……」

 

「白髪の女――()()()()()()()だな」

 

「知ってるのか?」

 

藤原妹紅(ふじわらのもこう)。竹林に住む不老不死の女だ」

 

「不老不死!?」

 

 物凄いワードに面食らう尊。

 即座に右京が聞き返す。

 

「おやおや、不老不死とは!?」

 

「実際、私もよくわからんが、攻撃を食らっても即時再生するところをみると満更でもないのだろう。気になるんだったら竹林へ行って本人に訊いてみればいいさ」

 

 尊を助けた人物は藤原妹紅という人物だった。彼女は竹林に住む人間だが、不老不死であり、強力な妖術を使う。右京も名前は知っていたが、相手が不老不死だったことまでは知らなかった。阿求が執筆している幻想郷縁起にも書いてあることとないことがある。

 竹林の話題はマミとの雑談でも出たが彼女は「あそこにはやたら健康な少女がいるらしいのう」としか喋らなかった。

 右京は日本における不老不死の話でメジャーな物を頭の中に連想して。

 

「(不老不死の伝説となると、竹取物語に登場する不死の薬か人魚の肉を食べたとされる八尾比丘尼でしょうかねえ。いずれにしても無視はできませんね)」

 

 好奇心を巡らせた。

 その後は魔理沙を混ぜた四人で雑談に花を咲かせる。右京と尊は表の話題。魔理沙と小鈴は幻想郷の話題を互いに出し合い、交流を深めながら情報を得ていくのであった。



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第33話 華麗なる来訪者

 気がつけば四人は数時間もの間、雑談を続けていた。真面目な話からくだらない話まで様々だったが、右京たちは楽しいひと時を過ごす。

 

「そろそろ、日が暮れてきたな。私は帰るとするぜ」

 

「僕たちも帰りましょうか」

 

「はい」

 

 帰りの挨拶を交わしてから右京たちと魔理沙は鈴奈庵を後にした。帰宅途中、手頃な飲み屋を見つけたので、二人はそこで食事を済ませる。

 帰宅した彼らは鈴奈庵から借りてきた本を手に取る。

 

 右京は謎の人気作家、アガサクリスQの〝全て妖怪の仕業なのか〟を、尊は外来本の〝緋色の研究〟をじっくりと読む。

 途中、何度か和製ホームズがクスっと笑う。クレバーなワトソンが「そんなに面白いんですか?」と訊ねる。

 

「ええ」と彼が答えた。

 

「後で中身を教えてくださいね。何となく想像がつきますけど」

 

「ふふっ、君が思うよりもずっと奇抜だと思いますよ」

 

「楽しみにしてます」

 

 そう言うと、尊は視線を自身の本へと移した。緋色の研究は紛れもなく名作である。ホームズとワトスンの記念すべき最初の事件が書かれているのだから。

 尊も子供の頃、読む機会があったが、今になって読み返すと当時とは違う見方ができる。

 特に名探偵の助手であるワトスンの置いてけぼり具合には思わず、かつての自分を重ねてしまい、乾いた笑いが止まらなくなった。

 目の前のホームズは麻薬にこそ手を出さないが、その正義を貫く姿勢はある意味で本家を凌ぐものがある。

 おまけに事件解決数も軽く二○○件は超えており、作中で確認できるホームズの事件解決数を上回る。まさに和製シャーロック・ホームズの名を冠するに相応しい男だ。

 

 尊が「あまり厄介事に首を突っ込まないといいけど……」と心の中で呟くも、期待するだけ無駄だと悟り、そっとため息を吐く。

 時刻が二十二時を回る頃になると無音による影響か、デジタルツールに触れる時間が短くなった影響か、二人は眠気を覚え始めたので、寝支度を整えてから眠りに就いた。

 

 早朝、朝日と共に目を覚ました二人は朝食を作り、昨日と同じように片づけを行った。

 その最中、戸をノックする音が聞こえる。手が離せない右京に変わって尊が戸を開けると、そこには新聞を抱えた射命丸文の姿があった。

 

「どうも、文々。新聞です! 記事のほうができましたので、お届けに参りました。後で目を通しておいて下さいね。それでは」

 

「あ、ちょ――」

 

 尊に新聞を渡した文は返事を待たずに大空へと消えて行った。

 右手に持った新聞に彼が視線を移す。

 

「なになに……タイトルは『手紙の主、探してます』か」

 

 大き目の見出しと共に手紙の画像が載っていた。どうやら、文は新聞の一面を使って記事を作ってくれたらしい。

 文章は特に脚色されている形跡はなく、自分たちが文に話した簡単な自己紹介が書かれているが、文章の半分以上は手紙の内容に割かれている。

 

 元部下は記者を()()()()()()()()()()()()()と評した。もっと面白おかしく書かれると身構えていただけに些か、拍子抜け感が否めない。

 尊が右京のところに新聞を持って行く。新聞を見た右京は「後でお礼を言わねばなりませんねえ」と語った。

 情報発信をしたら後は待つだけである。情報が集まることを期待して右京たちは数日の間は里から動かずにいることを決める。

 

 それから次の日の午前十時。里の集会所で敦の葬儀が行われた。

 飲み屋の常連客が中心となり、右京と尊、魔理沙と霊夢、阿求に慧音、そしてマミが喪服に身を包んで参加した。

 遺体は里外れの共同墓地に埋葬されることになり、遺体を入れた霊柩を力自慢の村人が担いで墓地へと運んで行った。

 舞花は終始、泣いていたが、別れ際には笑顔を浮かべながら事件解決に尽力した右京らに感謝を述べた。

 葬儀を終え、身を清めた右京と尊は特命部屋で情報を待つもこの日は誰も来なかった。

 

 日が変わり、昼近くになっても人が来る気配はない。右京は尊を伴って、鈴奈庵を訪ねる。

 先客の魔理沙と霊夢の姿を確認した右京が軽く挨拶すると、魔女が質問する。

 

「よう、何か情報はあったか?」

 

「特にありません」

 

「そうか」

 

 この二日間、右京たちは情報提供を待ちながらも空いた時間、交代で住民たちに聞いて回ったが、有益な情報は一切なかった。

 

「私の方も情報らしい情報は入って来てませんね」

 

 そこに本を棚に並べ終った小鈴がやってきて会話に混ざった。彼女も来店客に話ついでに訊ねてみたが、これといった成果はなかった。

 霊夢は「妖怪にも手紙の件は伝わっているのに、ここまで情報がないとなると手紙の主はもう……」と最悪のケースを想定するも右京が「まだ、諦めるのには早いです。僕は時間の許す限り、捜索を行います」と言い切った。

 

 その言葉に尊を含めた四人が苦笑う。同時に鈴奈庵の扉が開き、常連であるマミと阿求が入店する。刑事が頭を下げるとマミは手を振り、阿求もお辞儀をした。

 

「進展はあったかの?」

 

「いえ、ありません」

 

「そうか、そうか。儂のほうも探しておるが手がかりなしじゃよ」

 

「こちらにも情報は入ってきません」

 

 右京から話を聞いたマミや事情を知る阿求も捜索に協力していた。マミは独自ルートでの調査に阿求は里の顔としての人的ネットワークを駆使した情報収集を行う。

 どちらも幻想郷の情報に長けている存在だが、依然として見つからない。右京は二人に「ご協力感謝致します」と述べ、今後の方針を練る。

 

「(新聞のおかげで情報は外部にまで拡散されました。しかし、手がかりはない。これは困りましたね)」

 

 まだ、二日目とは言え、影響力のあるメディアを使ったのにも関わらず、情報はなし。霊夢の言う通り、手遅れになったのかも知れないが、この程度で諦める右京ではない。

 

「こうなれば里の外を捜索するしかありませんね」

 

 右京のセリフに魔理沙と霊夢がいの一番に反応する。

 

「それは危険だ、止めておけ」

 

「外は妖怪が跋扈する世界です。命の保証はありませんよ?」

 

 続いて他のマミ、阿求、小鈴の三人も

 

「二人の言う通りじゃ。外に出ても単なる人間では成す術なく殺されてしまう」

 

「私もこの方と同意見です」

 

「止めたほうがいいと思います。私も結構、痛い目に遭いましたから……」

 

 幻想郷の住民は誰一人として、右京の発言を肯定する者はいなかった。

 右京は尊を見るも彼は両手を振りながら「ぼくたち二人では到底無理です。殺されてお終いですから」とストップをかけた。

 同意を得られず、考え込む右京。

 里で手に入る情報は限られている。先へ進むためには手紙が書かれたとされる外へ向かわねばならない。右京たちが外で活動するには彼女たちに護衛して貰う以外の選択肢はない。

 

「魔理沙さん、霊夢さん――僕たちを外まで連れて行って貰えませんか?」

 

「……場所にもよるが、妖怪の住処へは連れて行けん」

 

「どうしてでしょうか?」

 

「おじさんとそっちのにーさんを守りながら進んでいくのは骨が折れる。てか、守りきれる気がしない」

 

「霊夢さんと二人なら?」

 

 その問いに魔理沙は霊夢を横目で見ながら「可能かも知れんが、それでも完全に守りきれるとは言えんな」と言う。

 霊夢も「お二人を守りながら戦うのは正直辛いです」とキッパリ言い切った。

 

 いくら幻想郷の猛者とは言え、お荷物二人を抱えたままでは身が危ぶまれる。里の外、特に妖怪の住処には人を襲い捕食する妖怪も多数存在する。

 

 魔理沙や霊夢がいようがお構いなしでかかってくる者もいるだろう。

 

 幻想郷を知り尽くす二人なら軽々しく請け負うはずがない。意見を聞いた右京は「そうですか……」と答えて再び、思考を巡らせる。

 

 その様子に一同、視線が集中する。六人の考えは一致している。()()()()()()()()()()()()()()()()()という希望的観測である。

 

 杉下右京はいざとなると無茶な事しか言わないし、やらない。それが事件解決に繋がるのであるが、幻想郷で無茶をすれば死に直結するのだ。慎重に行動したほうが得策だ。本人だって理解している。

 彼は手紙もそうだが、それ以上にやらなければならないことがあり、自らの目的を果たすために多少の無茶はやむを得ないと覚悟を決めている。

 

 真剣な表情を浮かべる右京の隣で尊は新聞を眺め、手紙の画像をじっくり観察し、元上司の顔を少しだけ怪訝そうな顔で見やるが、何かを言う訳でもなくすぐに目を離した。その右手には幻想郷縁起がしっかりと握られていた。

 

 尊は「……とりあえず、お客さんの迷惑になりますし、座りませんか?」と促す。

 

 右京は頷いてからこの場を離れようとした。

 その時、扉が開く音と同時に女性と思わしき声がする。

 

 ――よろしければ私が里の外をご案内致しましょうか?

 

 右京が振り向くと扉は閉まっており、人が入って来た形跡など見当たらない。その現象に他のメンバーも何が起きたかわからず、辺りをキョロキョロと見回していた。

 すると、店内にコツコツと足音が鳴り響き、右京の下へ近づいてくる。全員が音のするほうへ視線を移すとそこには銀色の髪に青いメイド服で身を包んだ十代中頃と思わしき少女の姿があった。

 少女の歩き格好や佇まいは完璧で、富裕層の尊が「うお、本物のメイドだ」と心の中で唸るほどだった。少女が右京の正面に立ち、スカートの両端を摘まみながらお辞儀をする。

 

「私は《紅魔館》でメイド長を務めさせて頂いております十六夜咲夜(いざよいさくや)と申します」

 

 そう言ってメイドの咲夜は微笑むのであった。



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第34話 緋色の誘い

 十六夜咲夜はレミリアの側近として里の内外を問わず有名である。メイドの心構えもだが、戦闘技術も卓越しており、ナイフの腕前も達人級である。その戦闘力は幻想郷で暮らす人間の中でもトップクラス。霊夢や魔理沙にも引けを取らない。

 また、幻想郷縁起には彼女は〝時間を操る程度の能力〟を持っていると記述されている。この能力は文字通り、時間を操る能力だが、かなり応用が利くそうだ。常人では到底太刀打ちできず、戦いになれば一方的に倒されてしまう。そこらの妖怪よりも注意が必要らしい。

 

「あなたが杉下右京さん、そちらが神戸尊さんでいらっしゃいますね?」

 

「ええ、そうですが。今、里の外を案内してくれると言ったのは……」

 

「私です」

 

 咲夜はニッコリと笑う。そこに間髪入れず霊夢が割り込んできた。

 

「どういうつもり?」

 

「どういうってどういうことかしら?」

 

「とぼけんじゃないわよ。アンタが外からやってきた人間に幻想郷を見せて回るなんて話、信じられる訳ないでしょ!?」

 

「失礼な言いぐさね」

 

 霊夢に問い詰められても咲夜は表情一つ変えない。巫女一人じゃはぐらかされるだろうと踏んだ魔理沙が加勢に入る。

 

「どうせ、外を案内して油断したところを気絶させてから身ぐるみを剥いで吸血鬼の供物にするってところだろ? 見え見えだぜ」

 

「お嬢様は小食なので大量に血液を必要としません」

 

「保存食にする可能性もある」

 

「ほ、保存食!?」狼狽える尊。

 

「神戸さんご心配なく。我々は客人に対してそのようなことは致しませんので」

 

「お二人とも、信じちゃダメよ!」

 

「そうだぜ! こいつらは何を考えているのかまるでわからん連中だ。おまけにこのメイドは盗人だ! いつだったか、私の家に忍び込んでコレクションをかっぱらって行った!」

 

「あら? ちゃんと返したじゃない?」

 

「いいや、本が何冊か無くなっていた!」

 

「それはうちの図書館の本でしょ? ついでに返却して貰っただけよ」

 

「ぐぬぬ……おい、霊夢なんか言ってやれ!」

 

「自業自得」

 

「あぁん!?」

 

 会話の内容が真面目なのか、おふざけなのか、わからなくなってきたところで右京が口を開く。

 

「十六夜さん。そろそろ……僕に会いにきた本当の目的をお話し下さい」

 

「本当の目的……ですか?」

 

「たまたま通りかかったという訳ではありませんよね?」

 

「どうしてそう思われるのですか?」

 

 右京が答える。

 

「あなたがメイド服を着てここにきていることから現在、仕事中であると推察できます。仕事中に個人の都合で僕を外に案内しようとするメイドはいないでしょう。仮にいたとするならば新米メイドくらいです。メイド長であるあなたが真似をするはずがない」

 

「まぁ、仕事とプライベートは弁えていますが……」

 

「であれば、あなたが僕に接触してきたのは主であるレミリア・スカーレット氏の命令である可能性が高い。つまり、スカーレット氏は僕に何らかの用事がある。そう思ったのですが、如何ですか?」

 

 右京は咲夜をじっと見つめた。

 メイドはパチパチと手を叩く。

 

「お見通しという訳ですか」

 

「なんで隠したんだ?」と魔理沙。

 

「別に隠してた訳じゃないけどね」

 

 咲夜は魔理沙の言葉を否定しながら、右京に会いにきた目的を話し始める。

 

「実はレミリアお嬢様がお二人の記事を見て、興味を持ったようで、是非お会いしたいと申しているのです」

 

「ほう、もしかして――“手紙”についてでしょうか?」

 

「いえ……お二人そのものにご興味があるそうで」

 

「なるほど、手紙ではなく、僕たちにですか……」

 

「はい。杉下さんが事件を解決したことや経歴と趣味を知って『日本のシャーロック・ホームズがやってきたわ!』とはしゃいでいましたから」

 

「おやおや、それは買いかぶり過ぎですよ」

 

 謙遜する右京の姿を視界に収めながら尊は「やっぱり、この人のイメージってシャーロック・ホームズだよな」と若干、呆れる。

 

 咲夜が続けた。

 

「よろしければ紅魔館に来て頂けないでしょうか?」

 

「今からですか?」

 

「そうですね。ご迷惑でなければ」

 

 右京は尊のほうを向いた。

 

 尊は迷ったが、一人ポツンと里に残されるのも寂しいので「もし杉下さんが行くのであれば、ぼくも付いて行きます。ちょっとおっかないですけど……」と答え、咲夜が安心させるために「お嬢様は客人を襲うことはありませんのでご安心を」と笑顔で告げる。

 

「そ、そうですか……ハハ」と尊が呟いた。

 

 刑事はそんな元部下を余所に魔理沙と霊夢に意見を求めた。

 

「僕個人としては是非、スカーレット氏とお話ししてみたいと思うのですが……皆さんはどう思われますか?」

 

「一般人には危険すぎる。騙されて言いようにされるぜ?」

 

「捕って食われるだけかと」

 

 次にマミたちのほうを向いた。

 

「うむ。こやつらの考えはよくわからんが、霊夢たちが見ている前で人間を連れていって食糧にするとは考えにくい。後で報復されるのがオチじゃしのう――本当に話したいだけなのかも知れんな」

 

「確かに人攫いにしては堂々とし過ぎですね……」

 

「レミリアさんってそういうのしなさそうだけどなぁ」

 

 マミたちは霊夢らとは違う意見を出した。マミはレミリアが右京と話したいのでは? と考え、阿求は人攫いにしては不自然と思い、以前レミリアと文通した経験も持つ小鈴は彼女の肩を持った。

 

 右京は「貴重なご意見ありがとうございます」と礼を述べた。

 その様子に咲夜は小さく笑う。

 

「お嬢様は純粋に杉下さんとお話がしたいだけだと思います」

 

「そんなの信じられる訳ないでしょ?」

 

「よからぬ企みがあるに違いない」

 

 またしても二人が口を挟んだ。霊夢は妖怪の言い分を信じようとはしない。場合によっては退治するのだが、自身の神社には退治した妖怪たちがたむろしているという皮肉付きである。

 一部では〝妖怪巫女〟とまで囁かれているが、本人は人間巫女を自称している。

 彼女からすれば非力な人間を紅魔館に行かせる訳にはいかないのだ。

 もし、行かせて何かあれば本業に影響するかも知れないと危惧しているからだ。

 おまけに魔理沙まで疑いの目を向ける始末。咲夜は面倒臭くなったのか、予想外なことを言い出した。

 

「そんなに心配だったら、あなたたちも一緒に来る?」

 

 二人は「「は?」」と間の抜けた声をあげる。

 

「だって心配なんでしょ? ならついてくるほうがいいと思うけど?」

 

「あ、いや、確かにそうだが……」

 

 魔理沙は咲夜がこうもあっさり自分たちを紅魔館に招くなど想像が付かないのか、目が点になっている。霊夢さえも首を傾げている。右京は咲夜が作ったチャンスを逃さない。

 

()()()()()()()()を持つお二人が一緒であればどこに行っても安心できますねえ。君もそう思いませんか?」

 

 話題を振られた尊は二人の戦う姿を見てないので返事のしようもないのだが、ここは右京に合わせて「あ、安心できますね!」と頷く。

 

 幻想郷屈指の強さというワードに霊夢の顔が綻ぶ。魔理沙が「お世辞だからな?」とつっこむも上機嫌だ。メイドも巫女のガードが崩れたのを感じ取り、上手く誘導する。

 

「で、どうするのよ()()()()()の妖怪退治屋さん? まさか、怖いって訳じゃないわよね?」

 

「そんな訳ないわ!」

 

「じゃあ来る?」

 

「い、いってやろうじゃない!」

 

「おい霊夢!?」

 

 魔理沙は啖呵を切ってしまった霊夢を不安そうに見つめるが、当の本人は腕を組んでふんと鼻を鳴らした。

 霊夢は意外と単純なのだ。それをよく理解している魔理沙はこれ以上、彼女を止めず「コイツが行くなら私も行く。いいよな?」と咲夜に訊ねた。

 咲夜は「いいわよ」と快く承諾した。その態度に魔理沙はどこか不気味さを覚えるもメイドの真意を読み取れず、黙るしかなかった。

 

「ふふ、それではお二人とも、よろしくお願いします」

 

「お願いしますね」

 

「わかりました」

 

「おう」

 

 その光景を見守っていた小鈴が「いいなぁ」と羨ましげに零す。小鈴は紅魔館に行ったことがなく、里には存在しない洋館に憧れを抱いている。小鈴の言葉が耳に入った阿求は振り向いてから止めておけと言わんばかりに首を横に振った。その時、メイドが彼女に声をかける。

 

「本居さんも一緒にどうです?」

 

「ええ!? いいんですか!?」

 

「以前、お嬢様もペットを助けて貰ったお礼をしたいと申しておりましたので、この機会に是非」

 

「でも……」

 

 小鈴は不安げに友人の阿求の顔を見た。その目はまるで捨てられた子犬のようであった。大きなため息を吐いた阿求は「行ってくれば?」と背中を押した。後押しされた小鈴は「行きます!」と返事をする。

 目を輝かせる小鈴を眺める阿求の目はほんの少しだけ羨ましそうにみえた。

 稗田阿求は里の名家に生まれた稗田阿礼の転生体だが、知的好奇心に溢れている。幻想郷縁起を執筆する際も妖怪の住処に突撃取材を敢行するなど、かなり無茶をする一面も持ち合わせている。

 彼女は紅魔館を何度か訪れているが、大きな催しに出席するだけで紅魔館の日常を体験する機会はなかった。妖怪研究家としては普段の生活も気になるところである。どうせなら自分もと言い出したい気持ちもあるが、呼ばれてもいないのに口に出すのは失礼であった。

 それを察したマミが芝居を打つ。

 

「コホン。しかし、儂らだけ除け者とは何とも寂しいのう。なぁ、阿求どの?」

 

「そ、それは……」

 

 阿求は心を見透かされた気がして言葉を濁した。続けてマミが視線を自身に移した咲夜に向かってウインクする。咲夜も何かに気がづいたようで僅かに顔を縦に動かしてから、阿求に話しかけた。

 

「稗田さんもどうですか?」

 

「え!?」

 

 自分も誘われるとは思ってもみなかった阿求は両手で口を塞ぐ。

 

「でも、私は特にレミリアさんと仲がよい訳でもないので……」

 

「いえいえ、賑やかな方がお嬢さまも喜びますから!」

 

 万遍の笑みを浮かべる咲夜に阿求は右指で髪の毛を弄りつつも「では、お言葉に甘えて……」と恥ずかしげに呟いた。

 

 阿求の返事と同時に隣のマミが咲夜に意味ありげな笑顔で圧力をかける。メイドはその意図を察知して一瞬、目を逸らすが、申し訳ないと思ったのか「あなたも……どうですか?」と渋々誘う。

「もちろんじゃ!」マミが即答する。

 

 こうして、右京たち七人の小さな兵隊は紅魔館を訪れることになった。

 楽しそうにする右京と小鈴と阿求、一周回って謎のやる気を出す霊夢、不安そうな尊と魔理沙、そして飄々としているマミ。

 様々な思惑が渦巻く中、レミリアの側近、十六夜咲夜は関係ない招待客が増えたのにも関わらず「これでお嬢さまがたもお喜びになられるわ」と心の奥底でほくそ笑むのであった。




……はあなたがこの―――における――――――にならないことを祈って―――。


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第35話 緋色の主

 紅魔館に行きが決まった右京一行はそれぞれ準備を済ませて三十分後に里の外へと出た。咲夜の先導の下、霊夢と魔理沙が脇を固めるように他のメンバーを誘導する。

 一行の後方にはマミが陣取っており、余ほどの大群か大妖怪でもない限りは安心だろう。

 

 道中、ちょっかいを出しに来た妖精や妖怪が何体かいたが、その全てが返り討ちに遭う。

 といっても向こうも本気ではなく、軽い気持ちで挑んできたので、霊夢たちも軽く蹴散らす程度に済ませていた。

 その戦いっぷりはさながら空中戦を行うアニメの主人公そのものであり、圧倒的無双であった。右京はすでに霊夢と魔理沙の戦いを目撃しているので景色を含めスマホを片手に撮影していたが、反対に尊は大きく口を開けながら「これが同じ人間なのかよ」と零し、共感した小鈴と阿求がウンウンと頷いた。

 

 しばらく歩くと霧かがった湖が姿を現す。白い霧が周囲を覆いながら風に揺れる姿は北海道の摩周湖を彷彿とさせる。

 右京が感心したように口を開く。

 

「ここが霧の湖ですか。幻想的な場所ですねえ」

 

「我が紅魔館が誇る名スポットです」

 

「勝手に自分のところのスポットにするんじゃないわよ」

 

「慣れると視界が悪いだけの湖だがな」

 

 霧の湖を自慢する咲夜に霊夢と魔理沙が口を挟んだが、メイドは二人を無視しながら一行を紅魔館まで案内する。

 湖畔に沿って進んでいくこと十分、次第に紅い洋館がその姿を見せる。景観にそぐわない緋色の外壁は景観破壊と言われても仕方のないレベルであった。

 近づくに連れ、館の詳細が判明する。

 大き目の洋館で、窓が少ないが、門の鉄格子の隙間から伺える庭園は綺麗に手入れがなされている。館正面の塔には大きな時計が設置されており、時刻はちょうど十四時を指していた。

 門までたどり着くと緑色の中華風衣装を身にまとった門番が出迎えた。

 

「お疲れさまです。咲夜さん」

 

「美鈴、ご苦労さま。お客さまをお連れしたから門を開けて頂戴」

 

 咲夜が声をかけると美鈴と呼ばれる門番が頷き、門を開く。それが完全に開くと咲夜が一行を敷地内に招き入れる。右京は興味津々といった様子で辺りを見回した。

 

「美しい庭ですね」

 

「それほどでも」

 

 謙遜しながらも咲夜は嬉しそうに答えた。紅魔館を初めて訪れた小鈴も目を輝かせているが、相方の阿求に「勝手にどっか行かないでね」と釘を打たれ、ふくれっ面になる。

 マミもまた「ふむふむ、ここが紅魔館か……」と呟きながら様々な考えを巡らせていた。

 庭を歩き、正面玄関から紅魔館に入ると外観から見て倍以上の広さを持つ紅い絨毯が敷かれたエントランスに数十人の背中に羽根が生えた妖精メイドたちが一行の正面に現れる。

 尊はその外観からは想像がつかない広さに目を疑った。

 

「あれ? こんなに広かったかな!?」

 

「確かに想像以上に広いですねえ」と右京。

 

 咲夜はどこか誇らしげな表情を浮かべるが、魔理沙が「インチキみたいなもんだぜ」と軽口を叩く。霊夢も「空間拡張の仕方を教えて欲しいもんだわ」とメイドに言うも「教えてもできないと思うから時間の無駄ね」と突き放す。

 そこに右京が「しかし、気になりますねえ。参考までに教えて貰えないでしょうか?」と訊ねる。咲夜はばつが悪そうに「ええっと、実は私自身もよくわかっていませんので……」と返答した。

 

「そうですか。他のどのような事ができるのですか?」

 

「時間を止めたり、物体の時間を進ませたり、残像を作る程度ですよ」

 

 そう咲夜が答えた。

 尊はあっけらかんとしながら語る彼女を「とんでもないメイドだな」と思った。

 

 二階へと繋がる階段を上り、客間へと移動すると少々、薄暗い空間の中央に長方形のテーブルがポツンと佇んでいた。そして、その奥にはピンク色の変わった帽子を被った十歳程度の少女の姿があった。

 メイドは少女の下まで右京たちを連れて行き、彼女に告げた。

 

「お嬢さま、杉下さまと神戸さまをお連れ致しました」

 

「ご苦労」

 

 少女は椅子から下りて立ち上がる。

 薄暗い室内に僅かに差し込んだ光が彼女の姿を右京と尊の前に晒した。

 帽子から見える少しウェーブがかった水色のセミロングの髪型に薄いピンクのドレスを身にまとい、目の色は緋色かつ眼球は蛇のように鋭く、肌は日に当たらない影響か西洋人形のように透き通った白さを持つ。その背中には小さいが蝙蝠の翼が生えており、身体を動かすと同時にパタパタと揺らめく。

 右京は目の前の非現実的な存在に魅入り、尊は額から汗を流して小刻みに震えている。

 そんな対照的な二人を視界に入れつつ、少女は余裕と気品に満ちた表情をみせた。

 

「初めまして、私はこの館の主、レミリア・スカーレットよ。あなたが杉下右京さんね?」

 

「はい、杉下右京です」

 

「会えて嬉しいわ」

 

「こちらこそ」

 

 メガネの紳士は姿勢を低くして、右手を差し出す。少女ことレミリアは笑顔を作りながら右京と握手を交わす。右京への挨拶を済ませたレミリアは隣の相棒をみやった。

 

「そっちのあなたは神戸……()()さんね?」

 

「あ……」

 

 尊はよく呼び方を間違えられる。特命時代も何かと縁のあるトリオ・ザ・一課の一人、伊丹憲一や特命係に時々やってきては先輩ズラする陣川公平らにソンと呼ばれることがあった。それがまさか、異国の地でも繰り返されるとは尊自身、思ってもみなかった。

 

 しかも、相手は少女とは言え、表でも知らぬ者がいないほど、メジャーな存在たる吸血鬼。尊は迷ったが「すみません……ぼくの名前は()()じゃなくて()()()です……ハハ」と説明。レミリアは「あら、ごめんなさい。日本語って難しいからたまに間違ってしまうのよねぇ」と謝罪。

 

 すかさず、尊が「いえいえ、紛らわしくて申し訳ないです!」とフォロー。レミリアはその仕草にクスクスと笑いながら「そんなに怖がらなくてもいいのに」と思った。

 タジタジになりながらもチラッと元上司を見る元部下。それを察した右京が微笑みながらレミリアに声をかけた。

 

「レミリアさん、本日はお呼び頂きありがとうございます」

 

「急にお呼びして迷惑じゃなかった?」

 

「滅相もない――僕個人としてもいつか紅魔館に伺えればと思っていましたので」

 

「ならよかったわ!」

 

 そう言って、レミリアは両手をパンと叩いて喜んだ。その後、右京たちの後ろで様子を見守っている来客たちに目を向ける。

 

「随分と客を連れてきたわね……」

 

 少しばかり呆れながらも大して気にする素振りを見せず、彼女が見知った顔に話しかける。

 

「小鈴さん、お久しぶり。元気そうね」

 

「はい、お陰様で!」

 

「稗田さんもいらしてくれたのね」

 

「小鈴のつき添いでやって参りました」

 

「ふふ、歓迎するわ。で、そっちは……」

 

「一応、人間の()()じゃ。よろしく頼むのう」

 

「人間の()()ねぇ……まぁ、そういうことにしておきましょうか……」

 

 紅魔館の主はマミに何か言いたそうだったが、外来人がいるので言い留まり、残りの二人の方を向く。

 

「客人の護衛、ご苦労。もう帰っていいわよ?」

 

「アンタねぇ、こんな不気味な館に人間残して帰る訳ないでしょ!」

 

「そうだそうだ、お前らは何を仕出かすかわからんからな。監視が必要だぜ!」

 

「あーはいはい、わかったわかった」

 

 レミリアは話すのが面倒になったらしく、適当にあしらった。彼女ら三人のやり取りは大体こんな物である。仲がよい訳でもなく、信用や信頼などの感情は皆無に等しいが、特別な間柄であるのは違いない。

 右京は三人のやり取りを「こういう形の友情もあるんでしょうかね?」とじっくり観察していた。レミリアは「立ち話も何だから座って頂戴」と語って右京たち全員をテーブルにつかせるのだった。



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第36話 緋色の対談 その1

 客人たちがテーブルについたことを確認した緋色の主が自らの椅子に座る。それからすぐに人数分の紅茶が運ばれてきた。一行は出された紅茶を啜る。

 その味はお世辞にも美味しいとはいえなかったが、右京と尊は顔に出さない。

 

「紅魔館で作られた紅茶の味はどう?」

 

「とても独特な味ですね。幻想郷らしさを感じます」

 

「よい紅茶だと思います」

 

 レミリアの質問に特命の二人が答えると次に彼女は小鈴と阿求のほうを見て感想を催促する。

 二人は「おいしいです……」とお世辞を送る。残りの三人は感想を述べなかった。

 右京は紅茶の味からよい茶葉を使っていないもしくは栽培環境が茶葉に適していないと気がつくも、明言を避ける。レミリアが右京に視線を戻す。

 

「杉下さん、新聞記事を拝見させて貰ったわ。よい趣味をお持ちのようね。幻想郷には西洋的な趣味を持った者が少ないから、つい嬉しくなったわ。それと、そこの紅白巫女と白黒魔女を使って殺人事件をスピード解決したのよね? まるでベイカー・ストリートイレギュラーズを使うシャーロック・ホームズのようだわ」

 

 その言葉に反応して「誰がベイカー街不正規連隊だ!!」と魔理沙が怒鳴るのだが、レミリアは悪びれる素振りを見せず「気を付け」と冗談交じりに語ってみせた。ツボに入ったのか阿求が押し寄せる笑いを必死に堪えていた。

 魔理沙は腕を組みながらヘソを曲げる。霊夢は原作を知らないのでチンプンカンプンであった。今の会話から右京はレミリア、魔理沙、阿求が《シャーロック・ホームズ》シリーズを読んでいると理解した。

 

「だから、僕をシャーロック・ホームズと例えたのですね」

 

「それだけじゃないわ。お隣のパートナーのお名前が()()だと思ってたから、ワトスンを連想したのよ。日本だとワトスンをワト()()と言うみたいだし」

 

「なるほど、そうでしたか」

 

 ホームズの相棒ワトソンは正式にはワトスンである。英国紳士風の日本の刑事とソンの名を持つ相棒。レミリアがホームズ&ワトスンを連想するのも頷ける。

 

「ですが、僕はシャーロック・ホームズには遠く及びません。彼のような完成された推理を披露するだけの力はありませんし、失敗もします」

 

 顔を暗くする和製ホームズに緋色の主がフォローを入れる。

 

「ホームズだって完璧ではない。アイリーン・アドラーには撒かれるし、犯人行方不明のまま事件が終わることだってある。それでも彼は世界中から愛されているのよ? あなたも自信を持つべきね」

 

「恐縮です」

 

 レミリアは右京が今回の事件で犯人の自殺を許してしまったことを知っているので、彼を慰めるような発言をした。レミリア・スカーレットは非常にわがままな妖怪として有名だが、時折、吸血鬼のカリスマを垣間見せるのだ。

 決して、優しく励ましたりしないが、相手への配慮を含んだ言い回しが他者を惹きつけるのかも知れない。

 右京は吸血鬼のカリスマを肌で感じながら紅茶を啜った。

 

「そう言えば、あなたは里で人気の小説をご存じ? アガサクリスQ原作の〝全て妖怪の仕業なのか〟って推理小説なんだけど?」

 

「それでしたら昨日読ませて頂きました」

 

「!?」

 

 アガサクリスQ、通称Qの話が出た途端、何故か全く関係ないはずの阿求が咳き込んだ。

 レミリアはその姿を視界に収めつつも話を続けた。

 

「個人的にとても気になる内容なんだけど、私、あまり日本語が得意じゃないから読めないのよねぇ……。よかったら内容を聞かせて貰えないかしら?」

 

「そういうことでしたら」

 

 右京はそう言うと、何かを察してか、阿求の方をチラッと伺いながらも、視線を戻して吸血鬼の要求に答える。

 

「とある東洋にある外界と隔離された人里に住む好奇心旺盛の十五歳の少年と同い年の男の子が妖怪絡みの事件に挑むというストーリーです。主人公の少年は名家の次男として生まれますが、非常に頭がよく、人里始まって以来の天才で中性的な容姿をしており、美男子として有名で女性に好かれ、さらに格闘技を習得しているため喧嘩も強い――といった人物です」

 

「……随分、設定を詰め込んでるのね。相方のほうは?」

 

「薬屋の長男に生まれた男子で物覚えがよく、天才とまではいかないものの優秀であると書かれていますね。意外と熱くなりやすく、視野が狭くなりがちですが常識人であり、訳の分からないことを言い出しては事件に首を突っ込む主人公のよき理解者として活躍します」

 

「名家生まれの天才に薬屋の倅……なんだが、ホームズとワトスンを連想しちゃう。いや、作者の名前からすると、ポアロとヘイスティングズかしら?」

 

「全体的に作風が冒険劇寄りなのでシャーロック・ホームズがベースでしょうか。しかし、そこに妖怪が絡んでくるのがポイントで、超常的な事件が次から次へと巻き起こるのです。基本的には妖怪の仕業として処理されますが、中には妖怪の仕業にみせかけて里人が殺人を犯すケースがあり、超常による犯行か人間による犯罪かを、ホームズばりの推理を駆使して明らかにしていくさまは非常に面白く、まさに幻想郷発の本格推理小説といっていいでしょう」

 

「幻想郷版シャーロック・ホームズって奴なのね。どんな事件があるの?」

 

「物語は二人がコンビを結成するきっかけになった怪奇事件である〝真実の研Q〟から始まり、奇妙な事件が多発していきます。夜な夜な音もなく現れては大きな鎌で人間の身体の一部を切断していく猟奇的な犯人の正体を突き止める〝さっチャンのうわさ〟。突如、大量発生した座敷童が不満を爆発させて人間社会に戦いを挑む〝おかっぱ組合〟。

 たたり神を鎮めるために二人が奮闘するも事件が思わぬ方向に転んでいく〝願いを叶えてくれとアイツは言った〟。密室で次々に死体と思われる物と五寸釘が刺さった藁人形が見つかり、捜査する二人が『6人目と7人目はお前らだ』と予告状を出される〝五寸釘の女〟。顔なし遺体の真相を確かめるべく山に住む天狗と知恵比べする〝恐怖の山〟などなど、発想力に富んだストーリー展開が魅力です」

 

「ふむふむ、()()()()()で興味をそそられるわね――機会があったら読んでみるとするわ」

 

 レミリアは愛想笑いをしながらQの小説を読むと宣言した。

 同時に小鈴がちゃっかり「お求めの際は鈴奈庵で!」とアピールし、隣の阿求もどこか誇らしげな態度を取った。

 次にレミリアは尊のほうを向く。

 

「新聞には神戸さんは杉下さんの元同僚だと書いてあったけど、特命係って何をする部署なの?」

 

「特命係は警視庁の何でも屋みたいな部署ですね……ハハ」

 

「ふーん……ってことは〝雑用係〟って感じ?」

 

「まぁ……実際……そんなところですよね? 杉下さん」

 

「ええ」

 

 右京が頷くと他のメンバーたちが驚いたように二人の顔を凝視した。明らかに優秀そうな二人が雑用係などとは到底信じられないのだ。

 特に霊夢や魔理沙は杉下右京の優秀さを肌で感じている。おまけに事件解決直後、右京から過去話を聞かされており、その発言から考えれば雑用係など、到底納得できるものではなかった。

 奇異の目で見られることに慣れている右京は軽く笑みを零す程度だが、エリートコースに戻った尊は七年ぶりの視線にえらく戸惑った。

 レミリアが紅茶を啜ってからポツリと。

 

()()()()()()()って訳ね?」

 

「それはご想像にお任せします」

 

 右京もまた紅茶を口へと運ぶ。その様子に阿求は口元を抑えながら小声で「出る杭は打たれるって奴かしらね……」と呟き、それを聞いたメンバーは各々、空気を読んで追求を避けた。

 もちろん、彼女たちは右京が上司小野田の誘いで半ば強引に特命係へ配属され、戦闘訓練を積んだ隊員を伴いテログループと人質交渉を粘り強く行ったこと。彼のやり方に痺れを切らした小野田が口論の末、その任を解いて強行突撃を指示したところ、多数の死者を出す結果に終わって、その尻拭いで特命係が島流しの部署になった事実を知る由もない。

 霊夢たちは右京の性格からしてただ単に上司にでも逆らったのだろうと解釈した。

 

 それからレミリアとの雑談は続き、彼女は右京や尊と他愛もない会話を楽しんだ後、小鈴や阿求にも話を振った。

 小鈴には以前、ペットが世話になったお礼と阿求には体調を気にかける発言をした。珍しく当主らしい振る舞いをみせる吸血鬼に暴君の姿しか知らない霊夢と魔理沙は「やればできるんだな」とほんの少しだけ感心した。

 その際、レミリアが二人を睨んだのは言うまでもない。



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第37話 緋色の対談 その2

 右京たち一行とレミリアの会話はしばらく続いた。といっても基本的には右京とレミリアの雑談だ。

 彼女が幻想郷で自身が起こした異変とそこから今までに至るまでの日々について語ると和製ホームズはお礼に表の世界の話をする。

 吸血鬼は表の日本の話に関心を示すものの、どこかつまらなそうだった。空気を読んだ彼がヴラド三世やルーマニアの話題を振るとレミリアは目を輝かせながら聞き入った。

 話の中で右京はヴラド三世が今では故国のために戦った英雄として再評価されている事実を告げた。レミリアはそれをまるで自分のことのように喜んだ。

 直後、右京の口元が緩む。

 

「やはり、レミリアさんはヴラド三世と何らかの関係がおありになるのですか?」

 

「そうね……。あると言えばあるし、ないと言えばない……。そんなところかしら」

 

「ちなみにブラム・ストーカー原作のドラキュラにもご関係が?」

 

「それもあると言えばあるし、ないと言えばない」

 

「なるほど。わかりました」

 

「あら、意外ね。もっと根掘り葉掘り聞かれると思ったのだけれど?」

 

「それは今後のお楽しみとさせて頂きます」

 

「次があるのかしらね。あなただって長く滞在する訳じゃないでしょ?」

 

「おや、言われてみれば」

 

「あんまり遠慮しなくてもいいのよ? といってもそんなに話せることはないけどね。私はここに存在するから存在しているだけなのだから……」

 

 意味深な台詞に霊夢と魔理沙は「また訳のわからないことを言ってる」と愚痴を零し、小鈴は「私には難しいな」と呟き、尊も首を傾げる。

 その中で右京と阿求、そしてマミだけは彼女の言葉の意味を何となくだが、理解していた。

 

「人間の恐怖や羨望が作り出した〝概念〟……それがレミリアさんたちを含む妖怪の方々の存在に深い関わりを持つのであれば、存在するから存在していることも頷けます」

 

 右京もまた謎めいた発言をする。

 

「ふーん、随分()()()()に詳しいのね」

 

「幻想郷縁起の賜物です」

 

「あれはよくできてるそうね。さすがは稗田家当主さま」

 

 吸血鬼が稗田家当主を褒める。本人は照れながら「どうも」と礼を言った。

 

 それから右京は現代のイギリスについて話す。やはり、ブラム・ストーカー原作、ドラキュラに関連する土地であるイギリスの話も彼女の興味を引いたようだ。どうやら、レミリアはロンドンがお気に入りらしい。彼女は昔から存在する建物や観光名所の現状をいくつか訊ねてきた。

 右京は彼女の問いに答えるべく、スマホを取り出して、英国巡りで撮った写真を表示させてテーブルに置いた。すると、レミリアのみならず、その場にいる者たち全員が右京の側に集まってきた。

 表の世界、それも西洋となれば興味が沸いてくるのだろう。

 

 右京は皆が画像を見られるようにスマホの位置を調整してから歴史的背景を交えつつ説明を始める。まず、ロンドン市内やその周辺で撮った写真を表示する。

 自身が警察庁の新人研修で三年間在籍していたスコットランドヤードから始まり、バッキンガム宮殿、ウェストミンスター宮殿と寺院、ロンドン塔、タワーブリッジ、セントポール大聖堂、大英博物館、自然史博物館、キングス・クロス駅、ロンドン・アイ、グリニッジ天文台など新旧含む幾多の名所、そして忘れてはならないベイカー・ストリートとシャーロック・ホームズ博物館の画像が次々に表示されては別の画像へとスライドして行く。

 一同は感嘆しながら右京の説明に聞き入っていた。

 

 レミリアはどこか懐かしそうな表情で写真を眺めており、咲夜を近くに呼び寄せて「懐かしいわね」と零した。メイドは「ええ」と微笑みながら頷いた。

 魔理沙は「ぐぬぬ、これが本場の西洋か!」と羨ましそうに写真を凝視して、博物館の内部を知るや否や展示品に興味を示して「欲しい……」とぶつぶつ呟く。

 霊夢は幻想郷とも表の日本とも違う世界に「まるで異世界ね……」と若干、困惑していた。写真がロンドン塔に差しかかると彼女は怪訝な顔つきで「なんかここヤバいんだけど」と自身の霊感を働かせる。

 

「おやおや、勘が鋭いのですねえ。実ですね――」

 

 右京が史実を教えると霊夢は「やっぱりね」と呆れたような返事をした。

 小鈴と阿求も画面に映し出される画像に心を奪われていた。

 

「これが西洋かー! 凄いなー。こっちと全然違う!」

 

「そうね。素敵だわ」

 

 感激してはしゃぐ小鈴と無言でじっくり観察する阿求。反応は違えど、二人も楽しんでいた。

 マミは「よくこんなに写真を撮ってきたもんじゃわい」と呆れながらも賞賛した。

 

 ロンドンの紹介を終えると、今度はそれ以外の名所の画像を表示される。

 ネス湖、ボートン・オン・ザ・ウォーター、妖精のプール、エディンバラ城、シェークスピアの生家など様々な観光スポットを紹介した。ロンドンと合わせて約一時間は話しており、表示した画像は優に二百枚は超えていた。

 右京の説明は堅苦しくなく、ユーモアを交えた語り口で参加者が飽きないように面白おかしく解説していくので、素人でも十分に楽しめる内容だった。しかしながら、一時間近くも聞かされると彼女たち、主に霊夢やマミに疲れの色がみえてくる。

 

「杉下さん」

 

 尊がそっと声をかけた。右京は尊が言わんとしていることを理解して謝罪する。

 

「申し訳ない、つい話すのに夢中になってしまいました。僕の悪い癖」

 

「そんなことないわ。とても面白かったわよ」

 

 レミリアは満足していた。そこにお世辞はなく、心からの謝辞であった。

 やはり、しばらくぶりの西洋の風景に感動したのだろう。

 小鈴も「楽しかったです! ちょっと足が疲れちゃいましたけど」と述べ、阿求も「非常に興味深いものでした。今度、お時間がありましたら、このお話の続きを聞かせて下さい」と感謝した。

 霊夢や魔理沙、マミも疲労感はあるものの、概ね満足そうにしていた。

 レミリアが笑う。

 

「素敵なひと時をありがとう。そのお礼に我が紅魔館が誇る〝名所〟を紹介したいと思うのだけれど――どうかしら?」

 

「おお、それは是非!」

 

「なら、行きましょうか」

 

 そう言って緋色の主は彼らを客間から連れ出して、紅魔館の〝とある場所〟へと向かうのであった。



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第38話 緋色の大図書館 その1

 レミリアの案内の下、紅魔館の中を手荷物を抱えて移動する右京は壁にかけられた絵画やアンティークを眺めながら幻想郷らしからぬ洋館の雰囲気を堪能する。

 吸血鬼の顔を見たメイドたちは緊張した面持ちで通路の端にピシっと並び、同じく召使の赤い怪物、ホフゴブリンも慌てて頭を下げる。

 紅魔館には羽根つき妖精以外にもこういった西洋妖怪もいる。身長はやや小さめで人間の子供ほどしかないが、腕力は人間の大人並みである。力仕事の際は彼らが駆り出されるらしい。

 

「おや、この方はホフゴブリンさんでいらっしゃいますねえ! こんにちは」

 

 右京は興味深そうに右手を軽くあげて挨拶する。

 

「あ、どうもです」

 

 ホフゴブリンは緊張した面持ちで返事をした。

 尊は驚いて挨拶どころではなかった。やはり、事前知識を身につけても右京ほどの適応力はないようだ。他のメンバーは紅魔館にホフゴブリンがいると知っているのでなんてことはない。

 

 数分後、紅魔館の地下へと下りる一行はレリーフが刻まれたお洒落な扉の前に辿り着く。咲夜がその扉を開けると大量の本が収納されている本棚が天井付近までところせましと並んだ大図書館がその姿を現す。

 規模は鈴奈庵と比較して広さも本の貯蔵量も軽く数十倍は超えている。日本にある国立図書館並みと言ってもよい。その光景に右京と尊は度肝を抜かれるが、二人よりも鈴の少女のリアクションのほうが大きかった。

 

「うわー!! こんなに本がある!!」

 

 鈴奈庵も人間の里において稗田家に次いで本が存在する場所なのだが、これは余りに規格外。阿求も「これほどの本を所持しているとは……」と驚愕した。

 本は貴重品であるが故、その所持数は財力そのものである。知識ある者がみれば紅魔館が高い財力を誇っていると考えるだろう。

 レミリアに手招きされるまま、図書館内に足を踏み入れた右京は周囲をキョロキョロと見渡してから緋色の主に言う。

 

「素晴らしい図書館ですね!」

 

「ええ、紅魔館が誇る自慢の図書館だからね。パチェ、いるかしら?」

 

「……いるわよ、レミィ」

 

 自らを呼ぶ声に反応して本棚の陰から紫色の服を着た少女が姿を見せた。地面スレスレまで伸びた紫の長髪と同じ色の目をした比較的小柄な人物で、表情に乏しいのか、客人の前だと言うのに愛想笑い一つしない。

 彼女はレミリアの隣まで近づくと、そこで立ち止まって右京の顔をジッと見つめた。

 和製ホームズもまた少女を興味深そうに観察する。

 緋色の主は微かに苦笑いを浮かべつつも少女を紹介した。

 

「この娘はこの大図書館の管理人、パチュリー・ノーレッジ。私の親友よ」

 

「初めまして、パチュリーさん。表の日本からきた杉下です」

 

「どうも」

 

 大図書館の主パチュリーは軽くお辞儀する。声のトーンは低い訳ではなく、怒っている訳でも嫌そうにしている訳でもない。社交的ではないが、普通に話ができる相手だと右京は感じ取った。

 尊も相手を気難しい人物だと思うも、右京の横顔をチラ見して「流石に、ここまでの変人ではないよな」と一人納得する。

 レミリアがふふっと笑みを零す。

 

「パチェ、こちらの杉下さんからロンドンやイギリス各地の写真を見せて貰ったから、お礼にこの図書館を見せてあげたいのだけど……いいかしら?」

 

「……わかったわ。こちらへどうぞ」

 

 パチュリーは右京たちを図書館の奥へと連れて行く。途中、本棚の整理をしているメイドたちに指示を出す黒い翼を持った赤髪のメイドに遭遇する。他の者とは異なるメイド服を着用しているので特別なメイドであるのは明らかだ。

 黒翼のメイドは客人たちの姿を見ると丁寧にお辞儀しながらパチュリーに駆け寄るが、本人から「こっちは大丈夫」と言われ、作業へ戻る。

 本棚が並んでいるため、少々狭さを感じるが、少し歩くと開けたスペースに出る。そこはパチュリーの書斎だった。

 彼女の書斎には大量の魔法陣や魔法理論などが書かれた紙や分厚い書籍が積まれており、机の左脇の床にもぎっしりと本が積まれている。

 

「少し散らかってますけど、気になさらず」と語るパチュリー。そこに右京が「魔法の研究をなさっているのですか?」と訊ねる。

 パチュリーが「私は魔法使いですから」と答え、オカルト好きな右京を大いに盛り上がらせた。彼女は喜ぶ右京を視界に入れつつ、図書館の説明を始める。

 

「この図書館は私が集めたコレクションを貯蔵してある書庫です」

 

「ここにある本の全てがあなたの所有物なのですか!?」

 

「九割以上、私の物です」

 

 日本にある国立図書館並みの大量の書籍がパチュリーの私物であると告げられた特命の二人は大いに驚くのだが、それ以上に後ろの小鈴のリアクションが凄かった。

 

「九割!? ここにある本の大半が? う、羨ましいっ!」

 

「わかる。私だってこんなたくさんの本に囲まれて過ごしてみたいぜ……」便乗する魔理沙。

 

「お前にだけはやらん」

 

 パチュリーは魔理沙を警戒しているのか、本人へ冷たい言葉を浴びせる。その対応に困惑する小鈴。すると、パチュリーは「里の人でも読める本なら何冊かあるけど、後で読んでみる?」と声をかけた。

 小鈴は「いいんですか!?」と興奮し始めた。パチュリーがコクンと頷く。

 鈴の少女は大喜びで「やったー!」と叫ぶ。阿求はまるで子供のような小鈴の態度に頭を抱えるも「よかったわね」と相槌を打った。

 

 魔理沙が不機嫌そうに鼻を鳴らしたのは言うまでもない。

 レミリアがそっと息を吐いた。

 

「この娘、昔から本が好きでね。いつも珍しい本を集めては貯め込んでいくのよ」

 

「それが私の趣味であり、仕事みたいなものだから。仕方ない」

 

「はいはい、そうよね」

 

「お二人は本当に仲がよいのですね」と右京。

 

「ま、長いつき合いだからね」

 

「ふふ」

 

 そう言いながら二人は顔を合せた。そこには確かな友情が存在していた。

 パチュリーが話を戻す。

 

「ここの本は魔法関連の書物が半分以上を占めていますが、歴史書や数学関連の物から古典文学や日本のコミックまで貯蔵しております。とはいえ、日本語の本は極端に少なく、ここを訪れる人間はほとんどいないので普段は一般公開しておりません」

 

「なるほど……神戸君、僕たちはツイてるようですねえ~。何せこのような素晴らしい大図書館を見学できるのですから」

 

「まったくですね」

 

 右京と尊は辺りを感心しながら観察する。一般的な日本の図書館とは異なるこの大図書館は彼らにとって絶景だろう。右京はこの大図書館には足場になりそうな移動式の台が見当たらないことに気づく。

 メイドたちは全員、飛行能力を有しているので高い所まで移動が可能だからだろう。時折、鼻にくるカビ臭さも通気性の悪い紅魔館ならではだ。

 右京はその辺りの考察も行いながら、自慢の観察眼を光らせている。

 

「気に入って貰えたようで何より」レミリアが自慢げに笑う。

 

 それからパチュリーは右京と尊、小鈴と阿求に大図書館や自身についての説明を続けた。霊夢、魔理沙、マミにはこれと言って声をかけない。いつもの二人組と〝正体を偽る部外者〟は客人ではないと彼女は考えているからだ。

 

 話の中でパチュリーは自身を属性魔法の使い手であり、長年研究を続けている魔女だと語った。彼女曰く、魔法は歴とした科学であると述べ、興味を示す右京にその根拠を聞かせた。

 パチュリーの魔法への深い造詣に感銘を受けた右京が現代科学について簡単に話してから「僕の住む日本ではあなたの使うような魔法を使える人はいません。何故でしょう?」と質問する。パチュリーは「私たちは先を行き過ぎただけですから」と少々、誇らしげに語る。

 

 ほうほう、と感心する右京に魔理沙が「魔法なら私にも使えるんだが?」と自身を指差すが、すかさず「アンタのはただ爆発させるだけでしょ? それだけじゃ花火職人となんら変わらん」とパチュリーに突っ込まれて、霊夢やマミから笑いを誘った。

 

 カチンときた魔理沙がパチュリーに食ってかかろうとするが、唐突に右京が「僕にも魔法は使えるのでしょうかねえ」と零したことで視線が一気に右京へと集中する。

 一泊置いてからパチュリーが答える。

 

「可能です。魔法の基礎を学び、ちゃんとした魔法陣を書いて必要な魔力を注げば」

 

「それは、それは! ちなみに……僕には魔力と呼ばれるものはあるのでしょうか?」

 

「今のあなたからは感じません」

 

「残念ですねえ……僕が表で生まれたからですか?」

 

「いえ、基本的に人里の人間として生まれても魔法を自在に操るだけの魔力は手に入らないかと」

 

「なるほど……」

 

「魔法を使うには魔力が必要です。魔力とは自然エネルギーであり、私たち、魔法使いは《マナ》とも呼びます。体内にマナを持つ人間はその数が少ない上に魔力量も多いとは言えない。なので、人間が本格的な魔法を行使する場合、外部からエネルギーを集める必要があります。自然エネルギーが集まる場所、通称《エネルギースポット》で魔力の補充、もしくは精霊やその他のエネルギー体の協力が必要不可欠です」

 

「では、それらの条件を満たせば――」

 

「魔力を確保できます。後は魔法の知識を身につければ、魔法が使えます。また、精霊やエネルギー体には自身で魔法を行使する者もいますから、そういった存在を使役する魔法使いは《精霊使い》や《召喚士》とも呼ばれます」

 

「そうですか! いや、勉強になりますねえ~」

 

「どう致しまして」

 

 属性魔法使いパチュリー・ノーレッジの見解を聞いた右京は更なる感動を覚えたのだが、後方でじっと腕を組んでいた巫女が少々、目つきを鋭くしながら近寄ってくる。

 

「杉下さん、まさかとは思うけど――()()使()()になりたい訳じゃないですよね?」

 

 幻想郷では()()使()()()()()である。厳密に言うと魔法が身体を動かす動力源になっている妖怪を指すらしいが、彼女たちは人間にもっとも近い妖怪だと幻想郷縁起には書かれている。

 魔法使いは生まれながら魔法が使える者と人間から魔法使いになる者の二種類が存在。完全な魔法使いになると老化が止まるらしい。

 そういった性質のため、霊夢からみれば魔法を使う者は妖怪、仮に人間であっても()()()()()なのだろう。

 一瞬だけ瞳を閉じた右京は自分の考えを包み隠さずに話す。

 

「正直に申し上げると興味がない訳ではありません。ここにくる前から幽霊や魔法という超常的なものの存在を信じてきましたから。努力次第で僕にも魔法が使えると知って嬉しくないはずがない」

 

 その言葉に霊夢が不快感を顕わにする。険しい表情をする巫女に付き添いの尊は只ならぬ何かを感じ取るが、右京はまるで動じることがなく。

 

「しかしながら、幻想郷において()()使()()()()()として認知されています。もし、その代償に()()()()()()()()()()()()()というのであれば、僕は大人しく諦めます」

 

「どうしてですか? 憧れているのに?」

 

 霊夢は右京への追求を止めない。博麗の巫女として里に危険な要素を持ちこむ者は例え、外から来た人間でも見逃さない。無論、妖怪にならない限り退治しないが、強制追放はありうる。

 彼女の勢いに場が凍りついたように見えたが、阿求やマミ、レミリアやパチュリーは表情を変えることなく、右京の仕草や発言に注目している。

 和製ホームズは巫女と向き合いながら自身の真意を述べた。

 

「それは僕が人間として生まれた事を()()に思っているからですよ。その誇りを捨ててまで何かに縋ろうとは思いません。それだけのことです――ご不満ですか?」

 

 右京はニッコリ笑った。

 

「ぐぐ……」

 

 霊夢は予想外の言葉に返す言葉を思いつかない。それもそのはず、霊夢は人間であることに誇りを感じていると、ここまではっきりと断言した者を知らないからだ。

 彼女はそのまま相手を睨むが、その表情は笑顔のままだ。

 右京の返答に阿求たち四人も思わず、表情を崩す。

 他のメンバーも緊張から解放され、深いため息を吐いた。

 傍観していた魔理沙が肩を竦め「そういうことにしておけ」と彼女を引き下がらせる。

 悔しさからか霊夢は右京に忠告する。

 

「く、くれぐれも里の中で魔法の研究はしないで下さいね。するならお帰りになってからで!」

 

「わかっていますよ」

 

 彼は静かに頷いて、スマイルを浮かべた。



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第39話 緋色の大図書館 その2

 レミリアとパチュリーは()()()()が軽くあしらわれたことに笑いを禁じ得なかった。

 

「まったく、仕事熱心だねぇ。いつもそれくらい真面目だったらよいものを」

 

「だったら、とっくにアンタらを退治してるわよ!」と霊夢が吠えた。

 

 あらかた説明し終えたと判断したパチュリーは右京と尊、小鈴と阿求の四人に大図書館内を見て回らないかと告げる。四人はパチュリーの計らいに感謝を述べてから二手に別れ、大図書館内を見学して回る。

 右京たちにはパチュリーが、阿求たちには作業を終えた黒い翼のメイドが付く。

 レミリアと咲夜は霊夢ら(主に魔理沙)が勝手な真似をしないか見張りながら雑談を始める。

 

 右京がパチュリーと魔法の話をしながら、人間も読める本が置かれたコーナーへと向かう。そこの本棚には英語、フランス語、ドイツ語、日本語などの言語からヘブライ語、ルーン文字、ヒエログリフまで、人間または人間の文化に精通する妖怪が書いたとされる本が並んでいた。

 古い年代に書かれた本ではあるのだが、パチュリーが独自の魔法を施し、綺麗なまま保存されている。傷がつかないようにコーティングされており、大妖怪の攻撃でも受けない限り、破損しないらしい。

 興味津々な刑事が自身の読める本を探す。目に入ったタイトルは《人間でも解る魔法の使い方》《属性魔法とは何か?》など初歩的なものから《人間が四大精霊から好かれるコツ》《魔女狩りに遭わない方法》《人間社会における魔女のあり方》《西洋魔術と東洋魔術の違いとその対処法》《付与魔法を使った接近戦》《魔法結界の破り方》といった人間向けの実用書まで様々だ。

 さらには《賢者の石の作り方》《魔術で作る神の炎》《世界を滅ぼす巨大ゴーレムの製造法》《天空要塞に住んでみる~邪魔者は神の雷で滅ぼそう~》と書かれた危険極まりない書籍まで存在している。

 和製ホームズは《魔法結界の破り方》に目を通した後《賢者の石の作り方》の中身を覗いて「これは……興味深いですねえ」と唸っていた。

 隣の尊が「いやいや、笑えないから」とツッコミを入れるも、パチュリーから「これらは半分ネタみたいなものね。リアル風に書いてあるけど、ところどころ理論が破たんしているから、魔法使いが小遣い稼ぎに書いたのでしょう。私ならもっと詳しく書ける」と語られ、その白面を真っ青にした。

 右京が「ちなみに正しい賢者の石の作り方は?」と問うも彼女は「秘密」としたり顔で返す。嘘か真か不明だが、その表情には確かな不気味さがあった。

 二人のやり取りに恐怖を覚えた尊は鼻歌を交えてしらんぷりを決め込みながら、視線を他の本へと移し、指でカバーをなぞる。

 その先には表の小説やコミックがあった。さっと見ただけだが《シャーロック・ホームズ》シリーズに名作ミステリー《そして誰もいなくなった》《アクロイド殺し》ブラム・ストーカーの《ドラキュラ》シェリダン・レ・ファニュの《吸血鬼カーミラ》や童話関係の本が確認できる。

 次に尊がコミックコーナーに目をやると、意外な作品が飛び込んできた。

 

「ん!? なんでこの作品!?」

 

 それは人間賛歌をテーマにした国内外問わず人気のある少年漫画の単行本であった。現在、第八部が絶賛連載中である。

 今まで西洋系の魔法書や古典文学が続いた流れからいきなりの少年漫画。尊が驚くのも無理はない。

 第一部から第六部まで揃っているようにみえたが、第五部だけごっそり抜けていた。彼が首を傾げていると、パチュリーに「その部は今、レミィが読んでいるからここにはないわ」と話されて納得する。ちなみに第七部まで揃えているが、こちらは貸出中で図書館の主は壊されないかと心配していた。

 その間も右京は色々な本に手を伸ばしてページを捲っては笑顔を作っていた。きっと、オカルト愛好者には堪らない内容が書かれているのだろう、と察した尊は声をかけるのを躊躇った。

 

 しばらく、読書と雑談を続けた右京たちは通路の先へと進む。

 本棚と床に置かれた本を書き潜るように歩くと、大図書館の端に到達する。そこにはひときわ存在感を放つグランドピアノがあった。

 パチュリー曰く、たまにメイドに弾いて貰っているらしい。和製ホームズは彼女に自身が弾いてもよいかと訊ねる。パチュリーが許可を出すと右京は椅子に腰かけた。

 ピアノは綺麗に清掃されており、すぐにでも演奏可能だ。

 

「それでは、一曲」

 

 意気揚々と楽譜なしに演奏を開始する。

 まるでを栄光を称えるかのようなクラシックの名曲、それは――。

 

「《英雄ポロネーズ》……」

 

 尊が呟いた。

 なんと、右京はショパンの名曲、ポロネーズ第6番変イ長調 作品53、通称《英雄ポロネーズ》を披露したのである。その弾き方は素人とは思えないほど、華麗だった。

 この曲は右京が亀山とコンビを組んでいた際、弾いたことのある思い出の曲だ。

 鍵盤をタッチする指先に一切の迷いはなく、名曲のよさを余すことなく生かしながら演奏していく。途中から波に乗ったのか身体を揺さぶりながら、転調を繰り返す度、その旋律に魂を込めていく。

 右京の演奏技術に目を見張った二人のギャラリーは互いの顔を見合わせる。パチュリーは元からだが、尊も杉下右京がピアノを弾けるとは知らなかった。

 折角なので二人は黙ってその演奏を聴くことにした。その後方からピアノの音を聴きつけたレミリアたちがやって来る。

 彼女たちは呆気に取られながらも先客と同様に演奏の邪魔をせぬように見守っていた。さらにメイドたちまで演奏を聴きつけて押し寄せる。

 大図書館は杉下右京のコンサート会場と化した。

 右京は約六分にも及ぶ演奏を見事やり切った。

 

「ふう……久しぶりの演奏でしたねえ。つい気持ちがこもってしまいました」

 

 演奏者が一息つくと、周りから一斉に拍手が飛んできた。

 ギャラリーを代表してレミリアが言う。

 

「杉下さん、ピアノもできるのね! 素晴らしい演奏だったわ」

 

 右京は演奏に集中していたため、大量のギャラリーに囲まれていることにたった今、気がついた。

 

「……それほどでも」

 

 右京は照れながらギャラリーに答えた。

 他にも弾ける曲はないのかと訊ねられ、断るのも悪いと思った和製ホームズは数曲のクラシックを披露。観客たちを喜ばせた。

 終わり際、レミリアに「自分で曲を作ったりするの?」と言われて首を横に振ると彼女は――

 

「だったら、私のために一曲作って頂けないかしら? 紅魔館の主に相応しい激しくカッコいい曲を!」

 

 先ほどのカリスマめいた姿から一転、子供らしい笑顔を振り巻き、自身をモチーフにした曲を作ってくれと頼んだ。さすがの右京もこれには困惑の色を隠せない

 

「しかし、僕は自分で曲を作ったことがないので……」

 

 右京は断ろうとするがレミリアが「だったら初めての挑戦ってことで! 短めの曲でいいから」と食い下がる。パチュリーが「レミィ、作曲って大変なのよ……?」と慌てて止めに入る。

 友人の一言で冷静になった緋色の主は「うーん、そうよねえ……。無理言ってごめんなさいね」と残念そうに謝罪した。

 その姿を見た右京は「ですが……これも何かの縁。できるかどうかわかりませんが、折角なので挑戦させて頂きます」と男気をみせる。レミリアはとても喜んだ。

 尊や魔理沙たちがそっと駆け寄る。

 

「引き受けてよかったんですか?」

 

「ええ、折角ですから」

 

「……ならいいですけど、無理はしないで下さいね」

 

 いつもながら杉下右京のチャレンジ精神に驚かされる尊。次は魔理沙たちが話しかける。

 

「おじさんって多才だよな……。一つくらい分けてくれよ」

 

「昔、親に習わされただけですから」

 

「いや、でも、凄かったですよ! 生演奏のピアノって蓄音機で聴くよりも迫力があるんですね!」と小鈴。

 

「表現豊かで、途中からどんどんキレが増していく演奏に感動しました」と阿求。

 

「初めて紅魔館をお洒落な場所だと思ったかも」と霊夢。

 

「魔理沙ではないが、杉下どのは多彩な才能を持っているようじゃのう。あっぱれじゃ」とマミ。

 

 魔理沙に続いて小鈴、阿求、霊夢、マミも右京の演奏を褒めた。

 

「どうもありがとう」

 

 右京は礼を言った。

 時刻は十七時に差しかかったらしく、メイドの一人がレミリアに報せを入れにきた。

 緋色の主が特命の二人に告げる。

 

「もし、よかったら今日は紅魔館に泊まって行かない? 着替えはこちらで用意するから」

 

「それは非常にありがたいのですが、霊夢さんたちの都合もありますので……」

 

 右京たちは二人に護衛されてやってきている立場だ。彼女らの都合が優先である。

 すると魔理沙が「まぁ、私らなら大丈夫だぜ。どうせ暇だし」と返事をする。霊夢も特に異論はなく、黙って頷く。魔理沙はともかく、いつもなら帰ると騒ぐであろう霊夢まで許可を出すとはあまりに不自然。

 右京と尊、小鈴と阿求はその様子に疑問を覚える。そこにマミが小声で「晩飯をご馳走することを条件に了承したんじゃよ、アヤツらは」と囁いた。四人は()()()()()()()に苦笑いを浮かべるのであった。



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第40話 緋色の大図書館 その3

 晩御飯の準備に取りかかるべく、咲夜はその場を離れて厨房へと向かった。

 出て行く彼女の姿を見届けるレミリアとパチュリー。その代わりを任された黒い翼のメイドがパチュリーの側へやってくる。腕には見慣れた木製のボードと木箱が携えられていた。

 

「それは?」

 

「阿求様と小鈴様を案内していた最中に発見したチェスボードと駒です」

 

「懐かしいわね」

 

 パチュリーはメイドが持ってきたチェスボードを懐かしそうに眺める。

 

「チェスねえ……。そういえば、私はパチェに一度も勝ったことがなかったわね」とレミリアが嘆いた。

 

 チェスと聞いて右京は「パチュリーさんはチェスがお得意なのですか?」と振り、パチュリーが「それなりには。最近はやってませんが」と一言。右京も「実は僕もチェスをやっているんです」と笑った。

 

 緋色の主は和製ホームズの趣味がチェスであるのを思い出しながら、何か面白いことを思い付いて二人に〝ある提案〟を持ちかけた。

 

「だったら、杉下さんとパチェで戦ってみたら?」

 

 二人が互いに顔を見合わせる。

 

「……私は構わないけど」

 

「僕も構いません」

 

「なら決まりね」

 

 レミリアはメイドからチェスボードと駒を預かって二人分の椅子とテーブルを用意させた。

 プレイヤーたちがテーブルに向かい合うように座る。トスの結果、右京が先行でパチュリーが後攻となり、ボードに駒を並べ始めた。

 手際よく自陣に駒を並べていく右京の手つきを見たパチュリーは彼が普段からチェスをやっているのだと悟り、ほんの少しだけ口元をゆるめた。右京も幻想郷でチェスができる、それも吸血鬼の館に住む魔法使いとくれば喜ばずにはいられない。

 非公式戦なので持ち時間は無制限である。

 二人は互いに挨拶を交わしてから試合を始めた。

 先行の右京から駒を指していく。パチュリーも慣れた手つきで駒を移動。チェスに心得がある尊はパチュリーの腕前を序盤で理解できた。

 

「(間違いなく上手い……だけど――)」

 

 チェスは世界中に人口を抱えるボードゲーム。その分、研究も盛んであり、その戦略と戦術は幅広い。右京もチェスの研究を怠らず、その腕前はワールドクラス。

 いかに彼女が強かろうが、幻想郷という狭い世界では本格的なチェスの研究はできない。彼女が仲間たちと日夜研鑽を重ねているのなら話は変わってくるが、この勝負、様々な戦略を知り尽くす右京に分があるだろう。

 

 特に中盤以降、その差が出てくるはずだ。尊はそう考えながら、二人の対局を見守る。

 

 チェスでは『序盤は本のように、中盤は奇術師のように、終盤は機械のように指しなさい』という名言がある。強いプレイヤーであればあるほど、基本ができている。右京は当然だが、パチュリーもまた基本を心得ていた。序盤の攻防はほぼ互角。そのまま試合は中盤へ突入する。

 

 右京が動く。チェスには〝スタイル〟と呼ばれる、将棋で例えるところの〝棋風〟に近い概念が存在する。右京は実に冷静で、ミスというミスをほとんどせず、精密機械の如く、博打に頼らない堅実な立ち回りを心がけている。

 後攻のパチュリーは駒を取られないように立ち回って行くのだが、右京の鋭い手に一手一手までの時間が長くなっていく。

 理由は簡単。自分が経験したことのない戦術を目の当たりにしているからだ。

 

「(これが表のチェス……。面白いじゃない)」

 

 ワールドクラスの対戦相手に苦戦を強いられるパチュリー。魔法使いとして負けるのはプライドが許さないのか、必死に知恵を絞り、最善手を導き出す。

 右京と尊は静かに唸る。

 

「(この方、強いですねえ……。一歩間違えばこちらの敗北でしょうか。これは――楽しくなってきました)」

 

 右京は彼女を〝強い〟と評価しており、本来、有利でありながらも真剣に盤面と向き合う。

 対するパチュリーも「強いわね……。今まで戦ったプレイヤーの中で間違いなく一番」と認識。

 和製ホームズと戦うには圧倒的準備不足であるが、その頭脳をフル回転させて補う。

 他のメンバーやレミリアたちも対局を静かに見守っていた。

 ゲーム中盤の激しい攻防が続く。

 心の中で尊が「俺が今の杉下さんと戦っても勝てるイメージが湧かないな。おまけに、この魔法使いにも数回戦ったら確実に勝てなくなる」と嘆く。

 

 それもそのはず、最近まで青木年男というやり手の好敵手が右京にしつこく戦いを挑んでおり、その技量向上に貢献していたからだ。青木の腕前も高く、彼を何度か苦しめたが、基本的には右京の勝利で終わる。そのおかけで今の右京は尊が特命係にいた頃よりも一段と強さを増している。間違いなく、今が一番強い。

 パチュリーも戦略と戦法こそ古風だが、右京の意図を読んでは彼が有利に展開できないよう、あの手この手で妨害する。彼女が本気になって現代チェスを研究したら尊ではすぐに相手にならなくなるだろう。彼女はそれほどの頭のよさとセンスを持っている。

 

 そんな白熱した試合に知識人の阿求は「これは達人同士の戦いだわ!」と興奮。霊夢と魔理沙、小鈴にマミはチェスに馴染がなく、試合内容をまるで理解できない。レミリアもチェスはかじる程度なので二人が強いくらいしかわからないが、互いの真剣な顔つきを見て楽しそうにしていた。

 

 対局が終盤に突入すると、右京が詰めに入る。パチュリーは中盤での駆け引きでリードを奪われてしまったのが災いし、防戦一方となる。それでも最後まで粘るが、結果的にチェックメイトされてしまった。一戦目は試合時間五十分で右京が勝利した。

 

 右京はかつて在籍していた《帝都大学チェス愛好会》で一度しか負けなかった男の技量を見せつけた。なお、その一度も相手の反則行為によるものであり、実質、当時の帝都大最強のプレイヤーは杉下右京であった。その彼と渡り合えるパチュリー・ノーレッジも相当な腕前である。彼女が表のチェスを研究していたのなら、勝負の行方はわからなかっただろう。

 

 その結果にレミリアが「紅魔館の頭脳を破るなんて凄いわ!」と右京を賞賛し、本人が「運がよかっただけですよ」と謙遜する。実際、一歩間違えば敗北もあり得たのだから、世辞ではない。

 

 パチュリーはレミリアの親友であり、その右腕である。彼女は紅魔館の参謀を任されており、有事の際の司令塔からレミリアの趣味の請負まで幅広くこなす。基本的に引き込もりだが、外に出て情報収集を行うなど、活動的な一面も持っている。

 魔法全般に長けたパチュリーがその頭脳を活かし、過去に一から幻想郷の素材だけで月まで行けるロケットを完成させたと言えば、その知識力を理解できるだろう。

 

 パチュリーは「お強いですね」と一言。右京は「ギリギリの勝負でした」と語り、接戦であったことを告げる。

 すると、彼女がもう一戦どうかと勝負を持ちかけた。断る理由がなく、彼がその申し出を受け、休憩を挟んでから勝負は二戦目に突入する。

 今度はパチュリーが先行だ。

 激闘の末――二戦目はパチュリーが勝利した。終盤の駆け引きで右京のミスを突いたのが勝因であった。対戦時間は一戦目と同じ五十分である。

 

 右京は心の中で魔法使いを「まるで魔法使いのように計算された戦い方だが、その実大胆。勝負所だと感じれば、リスクを恐れず勝ちを取りに行く。その姿はまさに〝盤上の魔法使い〟という言葉が相応しい」と絶賛した。

 

 パチュリーもまた和製ホームズを「一流の魔法使いが精密に作り上げた魔法陣の如く、一切の無駄がなかったわね。こちらの思考でも読んでいるじゃないかと思える一手は名探偵の推理そのもの。まさに〝シャーロック・ホームズ〟って感じだわ」と評した。

 二戦目に勝利したパチュリーが大きなため息を吐く。

 

「これで五分ですね――」

 

「ええ――」

 

 互いに不敵な笑みを以て向かい合う二人。

 勝負の行方は三戦目に委ねられる――と思われたが、咲夜が準備が整ったと報せにきたので次回へ持ち越しとなるのであった。




作者はチェス未経験なので、あまり詳しく書けませんでした……。


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第41話 緋色の晩餐会 その1

 咲夜に呼ばれた右京たちはパチュリーと共に客間へと戻る。

 そこには先ほどよりも大きなテーブルが用意されており、真紅のマットがかけられている。

 銀のメイドが主を定位置に座らせて、客人たちを席へ案内する。右京と尊はレミリアが話しやすいよう、彼女の右手前側に座らされる。

 特命の二人の向かいには阿求と小鈴が座り、小鈴の左隣にはパチュリー、その隣に霊夢が案内され、尊の右隣りにはマミ、その隣には魔理沙がついた。

 

 見計らったように料理と赤ワインが運ばれてくる。

 前菜は人里で採れた野菜とソーセージの盛り合せである。

 外来人二人はフォークとナイフを器用に扱いながら模範的な動きで食事を口へと運ぶ。彼らは洋館の雰囲気とレミリアがロンドン好きであることからイギリス式のテーブルマナーを使っている。

 右京は本場イギリスのテーブルマナーで尊はところどころ、フランス料理のテーブルマナーが混じっている。

 阿求もまた、右京たちと同じくイギリス式のマナーで料理を堪能する。稗田阿礼の転生体に隙はない。パチュリーも慣れた手つきで食事を頂いている。

 霊夢、魔理沙、小鈴、マミは右京、尊、阿求の綺麗なテーブルマナーを目の当りにして目を点にする。固まる四人を見かねたレミリアが。

 

「別に好きに食べていいのよ。ここは東の国の秘境なんだし……」

 

 彼女自身もテーブルマナーにそこまで厳密ではない。楽しめればいいと思っているので、他者にテーブルマナーの強要は行わない。

 四人は安堵の表情を見せつつもやはり気になるらしく、三人のやり方を真似ながら前菜に手をつける。右京がこれまた独特な風味の赤ワインの出所をレミリアに訊ねた。

 

「このワインも紅魔郷で作られた物ですか?」

 

「そうよ。咲夜が作ったワインなの。味はどう?」

 

「とても刺激的で癖になる味ですねえ」

 

「でしょ! 咲夜はそういうの得意でね。発酵ならお手の物よ」

 

「凄いですね、十六夜さんは」

 

 尊が褒めるとレミリアの側で待機している咲夜がふふっと笑う。実際のところ味は……個性的なので好みが分かれるだろう。

 しかし、右京の味覚も独特だったりするので案外気に入っているのかも知れない。元相棒亀山の妻、美和子の創作料理である《美和子スペシャル》という、いちごミルクで和風の煮物を作ったと言っても不思議ではない怪作を「癖になる」と語り、食べてしまうのだから。

 ちなみに角田課長は右京以上に《美和子スペシャル》の大ファンである。

 もちろん、ワインは全員に注がれており、当然ながら未成年組も飲酒する。その光景を前に尊は「なんか親戚だけで行う忘年会みたいな感じになってる」と気まずくなった。

 

 かたや右京は慣れたのか諦めたのか不明だが、表情を変えることはなかった。

 赤ワインを飲んだ魔理沙と霊夢は何とも言えない顔で呟く。

 

「相変わらずな味だよなぁ……」

 

「毎度、思うんだけど、この赤ワイン……〝人間の血〟とか入ってないわよね?」

 

「「え、血!?」」

 

 霊夢の〝人間の血〟発言に凍りつく尊と小鈴。レミリアはため息を吐く。

 

「あのねぇ……ワインに血を入れる訳ないでしょうが。吸血鬼にとって血ってのは単なる飲み物じゃないんだよ。〝鮮度と味〟が命なのさ。間違っても発酵させるものじゃないし、何かに入れて堪能するものでもない」

 

「どうだかなぁ。前にお前の妹がケーキや紅茶に人間を混ぜているとか言ってた気がするんだが?」

 

「「人間!? 妹!?」」

 

 今度は魔理沙の爆弾発言に動揺する二人。人間を混ぜる、それは殺した人間の肉を食べ物に混ぜているのでは、と戦慄したからだ。

 事態を治めるべく、パチュリーが説明する。

 

「フランは血を飲むのがレミィ以上に苦手だから、仕方なく何かに混ぜて飲ませているのです。後、人間を混ぜているとは〝血を混ぜている〟という意味です。変に誤解しないで下さいね」

 

「本当かよ? 怪しいもんだぜ」

 

 怪しむ魔理沙だが、パチュリーは魔理沙にアレコレ説明したりしない。

 魔理沙はこれ以上追求するのも疲れるので食事に戻り、説明を聞いた二人はホッと胸を撫で下ろした。妹の話題が出たので、ついでに右京がレミリアへ質問する。

 

「フランさんと言うのは、レミリアさんの妹であるフランドール・スカーレットさんのことでしょうか?」

 

「そうよ。気になる?」

 

「そうですね、幻想郷縁起や文々。新聞でフランドールさんの記述を拝見しましたので」

 

 吸血鬼の妹、フランドール・スカーレット。紅魔館を知っている人間ならある程度はその存在を理解している。彼女は〝気が触れている〟ので屋敷の外に出して貰えない。出ると何を仕出かすかわからないからだ。実力もレミリアと同等、もしくはそれ以上とも囁かれており、幻想郷の中でも非常に危険な妖怪である。

 幻想郷縁起にも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と記載されるほどだ。

 

「残念だけど、あの娘を人前に出すのは少し不安なのよねぇ……。最近はペットと一緒にいるおかげか、落ち着いてはきたけど、情緒不安定は相変わらずだし」

 

「それはまた」

 

「もし、あの娘に遭遇したらできるだけ静かに逃げて頂戴ね。大声を出したりすると刺激してしまうかも知れないから」

 

「わかりました」

 

 右京が軽く頷き、隣の尊は改めて〝とんでもないところに来てしまったな〟と背中をぞわぞわさせるのであった。



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第42話 緋色の晩餐会 その2

 前菜を食べ終わった右京たちの皿が下げられる。少しすると羽根つきメイドがスープとパンを持ってくる。カボチャの匂いが漂うスープとバゲットだった。

 カボチャのスープは優しい味つけ、バゲットはごく普通の代物だ。

 右京がスープをすくう。

 

「優しい味ですね。心が温まります」

 

 バゲットも見た目こそありふれているが、右京や尊はここ数日、パンを食べてなかったのでとても惹きつけられた。一緒に出されたバターを塗って頂く。そのバターの味もまた素朴であった。きっと紅魔館――いや、十六夜咲夜の手作りなのであろう。

 

 尊は数日振りのパンに顔をほころばせた。腹減っているのか食い意地が張っているのかわからないが、霊夢と魔理沙は特命の二人よりも数枚多く頬張っていた。その様子に咲夜が「文句ばかり言う癖に手だけは正直なのよね、この娘たち……」と呆れる。

 それを他所にレミリアが右京へ感想を求める。

 

「味はどう?」

 

「カボチャのスープもですが、こちらのバゲット、そして、バターも美味しいです。レミリアさんは幻想郷にいながらもこのような素晴らしいお食事を堪能なされているのですね」

 

「あらあら、ほめ過ぎよ。まぁ、幻想郷でまともな西洋の食事を出せるのは〝ここだけ〟だろうけど!」

 

 レミリアは高笑いながらそれぞれの反応を見るべくテーブルを見回した。

 右京と尊は相変わらずで小鈴は目を輝かせているが、阿求は少しだけ羨ましそうに、霊夢と魔理沙にマミは完全に白けていた。

 満足したレミリアは残ったスープを飲み干す。

 全員がスープを飲み終わったことを確認したメイドが食器を下げ始める。

 続いてメイドはメインディッシュを運んできた。白い皿に盛りつけられたとろみのある赤茶色のスープ、今にもとろけそうな肉、食欲をそそるほんのりと〝辛み〟の効いた匂い――

 阿求がレミリアに問う。

 

「このお料理は《ビーフシチュー》ですか?」

 

「まぁ、近いんだけど、ちょっと違うね」

 

「では、なんと?」

 

「折角だし、当ててみて」

 

 レミリアに促された阿求は首を捻りながら頭の中に蓄積されている情報を掻き漁る。彼女は天才だが、日本の外に出たことはなく、イギリスの知識も外来本から手に入れた。故に持っている知識も外来本に依存しており、ヨーロッパ諸国に特別詳しいという訳ではないのだ。

 里の相棒が考える中、小鈴は見たことがない食べ物を興味深そうに眺めながら、目の前の料理を味の濃さそうなスープだと認識する。魔理沙はイギリスカレー、霊夢は西洋版お雑煮、マミはハッシュドビーフと発言するもどれも正解ではなかった。

 そして、レミリアが主役に焦点を合わせる。

 

「杉下さん、わかるかしら?」

 

「もちろん」と一言。

 

「ちなみにぼくにもわかりました」

 

 尊も西洋には詳しいので、料理の正体がわかった。だが、今回は右京が主役なので、彼に回答を委ねた。一泊置いて右京が答える。

 

「この料理はハンガリー料理の定番〝グヤーシュ〟です」

 

「正解!」

 

「「「「「グヤーシュ?」」」」」

 

 聞きなれない名前に困惑する五名。右京は皆にうんちくを披露する。

 

「グヤーシュは十八世紀頃にハンガリーで生まれたスープ料理です。地域によってはシチュー料理と言われることもあります。かつて東ヨーロッパを統治していたハンガリー王国の影響で統治国に浸透し、王国が解体された今でも各地域によって様々なアレンジが施されている伝統ある料理です。牛肉や玉ねぎ、ジャガイモなどが使われるのは他のスープやシチューと似ていますが、特徴的なのは――さあ、神戸君、なんでしょうか?」

 

「ん? ぼくですか?」

 

 右京は回答を譲ってくれた尊にお礼? として解説の続きを言うように促した。

 某教養番組で解説を務める元ジャーナリストさながらの振り方に笑いながらも、元部下が説明を代わった。

 

「〝パプリカ〟を使っているところです」

 

「「パプリカ?」」霊夢と小鈴は首を傾げる。

 

「パプリカは唐辛子の仲間でピーマンのような形をしています。ハンガリーでその品種が育てられ、現在、色々な国で栽培されており、食卓を彩ります。もちろん、表の日本でも流通していますが、日本だと主に甘味のあるパプリカが主流です。唐辛子の仲間なので当然、辛みを含んだパプリカも存在し、東ヨーロッパでは辛いパプリカも栽培され、親しまれています。パプリカは具材としてもですが、香辛料にも加工されます。それは――」

 

 今度は尊がジェスチャーで右京を指名して続きを答えさせようとする。

 右京は「おやおや」と言いながら。

 

「〝パプリカパウダー〟と呼ばれる物です。このパプリカパウダーは材料のパプリカによって辛みがあったり、なかったりします。スープに混ぜると独特の味わいになるので、グヤーシュには欠かせません。以前、僕はその匂いを嗅いだことがあったのでこのメインディッシュの正体がわかったのです。辛さを含む匂いからして、このグヤーシュには辛みのあるパプリカパウダーが使用なされているのではありませんかねえ」

 

 そう語りながら右京が咲夜に顔を向けると、彼女はクスっと笑いながら頷いた。

 突然、振られたとは思えないほどの説明に皆、感心しながらエリート二人組のうんちくを賞賛した。パチュリーも二人の解説を気に入ったのか、無表情だがパチパチと手を鳴らした。

 レミリアも両手を合わせながら喜ぶ素振りを見せる。

 

「ふふ、二人とも元相棒ってだけあって息ぴったりね。説明ありがとう。でも、冷めるといけないから頂きましょうか」

 

「おっと、そうですねえ。頂きましょう――」

 

 一同がスプーンでグラーシュを口運ぶ。

 酸味と辛みの効いたスープに柔らかい牛肉。まさに西洋の味である。味つけも主の好みなのか、濃いめではあるが、それが濃厚さを生み出している。

 若干、スパイシーなので小鈴は少し辛そうであったが、美味しそうに頬張っている。阿求も未知の味を堪能し「今度、自分で作ってみたいわね」と創作意欲を沸かせる。

 魔理沙と霊夢は幻想郷らしからぬ料理に初めは困惑したが、食べている内に気に入ったらしく、文句を言わず黙々と食べていた。ちなみにマミも和食とは異なる味わいに戸惑いを見せたが、食べている内に慣れたようで笑顔を作っていた。

 右京がレミリアにグヤーシュを出した理由を訊く。

 

「レミリアさんはグヤーシュがお好きなのですか?」

 

「結構好きよ。特に辛さがあるのがいいわ。よい刺激になるからね。と言っても最近食べるようになったのだけれど」

 

 吸血鬼は意外と辛党らしい。

 

「そういえば、ブラン城のあるトランシルヴァニア地方でもグヤーシュが好まれているそうです。もしかしたら、ヴラド三世もグヤーシュの原型となったスープを飲んでいたのかも知れませんねえ」

 

 ハンガリーはウラル山脈から移動してきたマジャール人が祖となっている。

 彼らは辛い物を好む。その中にグラーシュの原型となったスープが存在しており、九世紀頃にはハンガリーで食されていたそうだ。右京はそのことを言っている。

 緋色の主は和製ホームズの博識ぶりに少しだけ引いた。

 

「杉下さんってほんと物知りよね……。うちのパチェとよい勝負だわ」

 

「感謝してね」とパチュリーが添える。

 

「はいはい」

 

 こうして、右京たちは雑談を交えながら、メインディッシュを食べ終えた。

 最後にデザートとして野イチゴのショートケーキが出てくる。

 外見が少し歪んでいるので、手作りのケーキであると思われる。幻想郷で食べるケーキは貴重なので皆、大いに喜んだ。

 特に女性陣はデザート片手に会話を弾ませる。

 その中にあって、特命の二人は蚊帳の外であったが、魔理沙がこんなことを言い出した。

 

「おじさん、あの紅茶はないのか?」

 

「あの紅茶というと霖之助君にお出しした物でしょうか?」

 

「そうそう! あの紅茶が飲みたくなったんだが」

 

「ええ、僕のカバンの中に入ってますが……」

 

 どうやら、魔理沙は紅魔館の紅茶が口に合わないらしく、右京に紅茶の催促をし始めたのだ。右京がレミリアの顔をチラッと伺うと、眉を顰めていたが、魔理沙は元々、失礼な人間なので、諦めている節もあった。

 レミリアが言葉を発する。

 

「杉下さんは紅茶を持ってきているの?」

 

「はい、紅茶好きですから。これが無いと夜も眠れないほどです」

 

「あらあら、それはまた……。でも、紅茶がないと落ち着かないのは私も同じね。よかったら、あなたの紅茶を頂けないかしら?」

 

「わかりました。ただ、お出しするのは香霖堂で出した品ではなく――」

 

 右京は椅子の横に立てかけてあったカバンから紅茶が入っていると思われる缶を取り出す。その容器は霖之助に飲ませた茶葉とは異なっていた。

 右京ほどの紅茶好きともなれば持ち歩く茶葉も一つとは限らない。その時の体調や空間の雰囲気に合わせて紅茶をセレクトするのだ。

 

「こちらの紅富貴(べにふうき)を味わって頂こうと思います」

 

 変わった名前の茶葉に目が点になる一同。その中で唯一、尊だけが唸った。

 

「杉下さん、まさか、その紅富貴って――」

 

「君の想像している通りだと思いますよ」

 

「ほんと、相変わらずですね、杉下さんは」

 

「どういうこと?」

 

 置いてけぼりを食らうレミリアたちに右京が紅富貴について説明する。

 

「紅富貴は日本で作られた茶葉で、アッサム品種に近いと言われます。ダージリンフレーバーのような香りと透き通った色が特徴です。そして今、僕が手に持っているこの紅富貴は本場イギリスの名誉ある品評会で認められ、星三つを頂いた代物なのです」

 

「星三つ……そこはよくわからないけど、イギリスで認められた茶葉ってことよね?」とレミリア。

 その時、咲夜が「〝ミシュラン〟みたいなものかしら?」と小声で呟いた。

 右京は笑みを浮かべながら続ける。

 

「そんなところです。日本産の紅茶のレベルは年々、上昇していますが、栄誉ある賞に輝く実力を兼ね揃えたというのは感慨深いものがあります。そこで是非、皆さんにもその感動を味わって頂きたいと思います」

 

 右京は咲夜にティーポットと人数分のティーカップを用意するように頼んだ。

 彼女はすぐに必要な物を運ばせる。右京はいつも通りの入れ方――では、なく〝正式な紅茶の入れ方〟でカップに紅茶を注いでいく。その見慣れぬ光景に尊は思わず、拍子抜けした。

 

「(今日は〝曲芸〟みたいな入れ方じゃないんだな)」

 

 尊の言う曲芸とは、カップよりも遥かに高い位置から紅茶を入れる右京の妙技を指す。

 前々から中国で給士係が細長い水差しを使って行うパフォーマンスみたいだなと感じていた尊はその入れ方を曲芸と評していたのであった。

 さすがにお呼ばれしている立場でそんな真似はしない。一部を除いて。

 尊の表情を見た右京は彼の考えを悟ったのか一瞬、眉をピクっと動かすのだが、紅茶を入れるに集中しているのでそれどころではなかった。

 入れられた紅茶は咲夜によって運ばれて行く。そこから漂う香りは紅魔館のそれとは比べものにならないほど優雅であり、まさにクラフト紅茶と呼ばれるに相応しい傑作であった。

 

 その匂いにレミリアが思わず唸った。表情の乏しいパチュリーすらも深い香りと色合いに釘づけになっている。

 小鈴はもちろんだが、普段、そこまで喜ばない阿求も紅茶に感動したのか、珍しく「これは!」と感情を声に出した。

 

「何であの時、これを出さなかったんだろうな」魔理沙と霊夢は右京にジト目を向ける。

 

 あの時の紅茶は右京が霖之助の様子を見て、疲れにより効くブレンドのほうを出しただけに過ぎない。霖之助の体調を考慮した選択だったのが、少女二人が知るはずもない。右京にも〝勿体ない〟と思う気持ちもあったのかも知れないが、それは本人のみぞ知る。

 自身と咲夜の分を含め、人数分の紅茶を入れ終わった右京は席に着いてから、この紅茶をストレートで楽しむように促す。

 香りを楽しんだ後、一口目をつける。

 直後、周りから歓喜の声が上がった。

 

「気品のある匂いと色合い、そして、この複雑ながらも透き通るような味わい……。こりゃあ、うちの紅茶じゃ敵わないわね」レミリアはあっさりと負けを認めた。

 

「日本の紅茶ってこんなにレベルが高いのね」とパチュリー。

 

「どうやったらこんな紅茶を作れるのかしら?」

 

 紅魔館の紅茶を作っているのであろう咲夜は紅富貴と睨めっこしていた。

 小鈴は相変わらずの反応であったが、隣の阿求が面白い状態になっている。

 

「気品もそうだけど、味の深みが全く違うわ……。特にこの清流のように清らかで蜂蜜を感じさせる濃厚な香り――バランスが絶妙で、紅茶のよさを引き出しているわね。不思議とくどくないし、時折、舌を刺激する渋みがあって飽きることがない。飲めば飲むほど、新しい発見がある。幻想郷では再現不可能……。けれど、この味を一度、体験したらまた飲みたくなるわね――なんとかして作れないかしら。もし、私がこれと同等の紅茶を作る場合、必要なのはええっと――」

 

「阿求、ちょっとうるさい」

 

 早口で呪文のように感想をブツブツ呟き続ける阿求に対し、いつもはツッコまれる側の小鈴がツッコミを入れた。我に返った阿求が恥ずかしげに口を閉じた。

 稗田阿求という人物もまた、好奇心の塊なのだ。それは杉下右京にも匹敵する。

 政治的な立ち振る舞いに慣れているとあってか普段は表に出さないが、ふとしたきっかけで本来の自分がひょっこりと現れてしまう。この紅茶はそれほどの衝撃を彼女に与えてしまったらしい。

 

 マミも「こりゃあ、たまげたわい」と言い残し、静かに味を堪能していた。

 一方、霊夢と魔理沙は二人で会話していた。

 

「美味しいわね……」

 

「ああ、もう紅魔館の紅茶は飲めんな……」

 

「そうね……」

 

 リラックスしながら物凄く失礼な発言する二人。

 その言葉を耳に入れたレミリアが「無理して飲まなくてもいいからな?」とキレていたのは言うまでもない。

 そんな賑やかな時間を過ごす右京であったが、心の奥底ではその頭脳をフル回転させながら幻想郷の住人への考察を怠らない。

 紅魔の夜はまだまだ続く。



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第43話 緋色の提案 その1

読者の皆様、お待たせ致しました!


 紅魔館が誇る西洋料理と右京の紅富貴(べにふうき)の力もあって、出席者は皆、満足そうに晩餐会を楽しんでいる。

 立ち上る優雅な香りと共に、右京はカップに残った最後の一杯を飲み干す。

 

「本当に良い味ですねえ~」

 

 気品に溢れつつもどこかオリエンタルな味を出す紅富貴は右京の心を満たし、彼を幸福へと導く。隣の尊も「ご馳走様でした。凄く美味しかったです」と感謝を表す。「どう致しまして」右京が言った。

 出席者たちは余韻に浸りながら親しい者と雑談を行っていた。霊夢は魔理沙と楽しげに、小鈴は阿求とマミの三人で会話に勤しんでいた。

 そんな中――レミリアがこっそりと不敵な笑みを浮かべ始め、従者である咲夜のほうを向き、片目を閉じて合図を行う。それに気がついた咲夜はコクンと頷いてから主の隣へと一瞬で移動する。同時にレミリアはパチュリーにも視線を送り、何かを報せた。大図書館の主も了承したかのような態度を見せた。

 間髪入れず、レミリアが出席者たちに向けて「ちょっといいかしら?」と声をかけ、注目を引いてから〝とある提案〟を持ち出した。

 

「せっかくだから、これからゲームでもしない?」

 

 その言葉に対して魔理沙が真っ先に反応する。

 

「まさか――これから決闘(スペルカード)でもしようって言うのか!?」

 

 魔理沙の発言を堺に霊夢やマミが嫌そうな顔をした。

 幻想郷におけるゲームでもっともメジャーなのはスペルカードを使った決闘なのだが、これが表の人間の連想するゲームとは違い、一歩間違えば、大けが間違いなしの危険な遊びなのだ。

 知っている者ならこんなリラックスしている最中、そんな遊びをしたいとは思わないだろう。余程の戦闘狂を除いて。

 些か早とちり過ぎる三人に呆れたレミリアが首を横に振る。

 

「そんな訳ないでしょ……。皆が参加できる遊び――パーティーゲームよ」

 

「ぱーてぃーげーむ?」

 

 聞きなれない用語に戸惑う霊夢。すかさず、魔理沙が「多人数で遊べるゲームだ。花札とかさ」とフォロー。霊夢は手をポンと叩いて納得した。

 吸血鬼の提案に興味を持った右京が訊ねる。

 

「それは楽しそうですね。ちなみにどのようなゲームを?」

 

「うふふ、それはね――」

 

 子供らしい無邪気な笑みを周囲にばら撒くレミリア。今まで見せたことがない表情に右京の顔が若干だが、引き締まった。直後、彼女が意外なゲームの名前を挙げた。

 

「一風変わった〝人狼ゲーム〟よ」

 

「「「「「人狼ゲーム?」」」」」

 

 表から来た二人とパチュリーを除いた面々が疑問の声を上げる。 

 レミリアは彼女らの態度を当然のように受け入れた上で説明に入った。

 

「簡単に言うと()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かしらね」

 

「うえ……。随分、趣味の悪いゲームだな」

 

「いかにも吸血鬼って感じね……」

 

 妖怪退治の専門家の二人は人狼ゲームの内容によい反応を示さない。

 魔理沙が「その内容――どっかで聞いたことがあるんだよなぁ」と一人呟く。そこに右京が「もしかして《汝は人狼なりや?》ではありませんか?」と訊ねると、白黒の少女は「あぁ、それだそれ! 香霖が言ってた奴だ」と言った。

 二人の会話を聞いた阿求も「なるほど、あのゲームですか」と納得する。周りが納得していく中、霊夢、小鈴、マミは意味が理解できず、ポカンとしていた。

 そこで右京が三人に向けて補足を行う。

 

「《汝は人狼なりや?》とは、昔からあるヨーロッパの伝統的な遊びをゲームとしてまとめた〝マフィア〟や〝人狼〟をアメリカの企業が商品にして販売した物です。日本では〝人狼ゲーム〟と呼ばれ親しまれており、最近はスマホの普及もあってか、若い人たちの間で流行っていましたね」

 

「ハハ、そうですね」と尊。

 

「君は人狼ゲームを遊んだことがありますか?」

 

 右京に問われた尊は「え、まぁ、祖父の別荘で親戚の子たちと遊びました」と答える。

 

「親戚の子供たちと楽しく人狼ゲームですか、よいですねえ」

 

「結構、疲れましたけどね」と尊は苦笑った。

 

 そこに小鈴が「どんなルールのゲームなんですか?」と右京に質問した。

 右京は話を戻す。

 

「参加者は村人陣営と人狼陣営に別れてゲームを始めます。ゲーム開始前にゲームマスターと呼ばれる進行役の方が参加者に陣営と役職が書かれたカードをランダムに配ります。基本的に陣営は村人と人狼の二つですが、村人の役職には占い師やハンターなど特殊能力を持った者が存在しており、それらの能力を駆使して人狼を追い詰めていきます。

 対する人狼側は村人に自身が人狼であると悟られないように立ち回り、村人に嘘を吐き、疑心暗鬼にさせるようなセリフで村人側が自滅するように導いて、夜にはターゲットの村人を選んで殺害して行きます。これを人狼側が全滅するか、村人と人狼の数が同じになるまで続け、前者なら村人の、後者なら人狼の勝ちとなる――という心理戦を用いたゲームです」

 

「へえー(ほう)」

 

 三人は右京の説明に合点がいき、人狼ゲームの内容を大まかながら理解した。

 その様子を見たレミリアが「説明、ありがとう」と自身の代わりに説明を行った右京へ感謝を述べた。

 これで全員が人狼ゲームの概要を理解したことになる。

 レミリアが何故、この場で人狼ゲームを提案したのか――不思議と右京はそこが気になったが、その疑問はすぐに払拭される。

 

「まぁ、幻想郷的に言うと――これから行うゲームは()()ゲームって感じになるかしらねぇ……?」

 

「……あ?」

 

 レミリアが放った()()というワードに霊夢の表情が突如として険しくなり、周りの空気が重くなった。同じく右京と尊以外の客人たちもまた、目を逸らしたり、呆れた顔になったりと、いかにも気まずそうな態度を取った。

 それを察しながらもレミリアはクスリと笑う。

 

「あら、どうかしたの? 私はここが〝妖怪の国〟だから、()じゃなく、()()と例えたのだけど?」

 

「ぐぐ……」

 

 レミリアにそう言われ、霊夢は腕を組んでから悔しそうにした。

 事態が把握できない尊は「え? え?」と驚きながら霊夢とレミリアの顔を交互に見やった。

 一連の会話を前に右京は霊夢の強張った表情を注視しながら、レミリアが何かしらの目的を持っていると察する。

 

「(これは面白いことになりそうですねえ)」

 

 これから始まる人妖ゲームに右京はそのポーカーフェイスの裏側で期待感を膨らませた。



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第44話 緋色の提案 その2

 レミリアの顔を睨みながら霊夢は諦めたように大きなため息を吐き出し「わかったわ……」と呟く。

 次第に場の雰囲気が落ち着く方向へと向かった。

 この状況に不気味さを覚えた尊が右京に小声で質問する。

 

「杉下さん、これどういうことなんですか?」

 

「……さあ、僕にもさっぱり」

 

 右京は彼の質問には答えず、静かにこの事態を見守っていた。

 間が空いたのが気まずかったのか、マミが仕方なく、レミリアに訊ねる。

 

「と、ところで……その〝人妖ゲーム〟と言ったか? 具体的に〝人狼ゲーム〟とどう違うのじゃ?」

 

「人狼ゲームは人間対人狼――つまり、ワーウルフとの戦いでしょ? 幻想郷のワーウルフは大して強くないから恐怖感が出ず、面白みに欠ける。だからワーウルフを妖怪に置き換え、人と妖怪の戦い――人妖ゲームにした。今はそう思って頂戴」

 

 幻想郷のワーウルフは日本狼である。その数は不明だが、並み居る妖怪たちの中では決して強い妖怪とは言えず、ここにいるメンバーの実力からすれば、恐怖を感じる者はごく少数だろう。

 レミリアの話に納得がいかない魔理沙が重ねて訊ねる。

 

「何故、ワーウルフから妖怪に設定を変える必要があるんだ? わざわざ、そんなことしなくても楽しめるんじゃないか?」

 

「より幻想郷に身近な設定のほうが皆、楽しめるじゃないかと思ったのだけど……いけなかったかしら?」

 

「いや、別にそうとは言ってないが……」

 

 こう言われてしまうと、図々しい魔理沙も追及し難くなる。幻想郷の住民にわかりやすいよう、人狼を人妖に変えたと言うのだから。

 霊夢もしっくりとこないが、レミリアに悪意はなさそうなので、特に反論しない。

 それとは反対に阿求やマミは薄々とだが、何かに勘づいたらしく、レミリアの顔を意味ありげにジッと見つめていた。パチュリーは退屈なのか、終始無言であった。

 右京は各々の表情を悟られぬように観察。考察を続けていた。

 人妖ゲームへの質問が無くなったと判断したレミリアはゲームの説明へと移る。

 

「じゃあ、ストーリーを説明するわね――とある山に囲まれた平和な人里で突然、人が消えていなくなる事件が起きました。

 当初、里人は山で遭難したのだろうと考えていましたが、毎晩、一人ずつ消えて行くので、不審に思った若い男の里人が里外れに住む知り合いの薬師に相談へ行くと、彼女は家の中ですでに息絶えていました。

 しかし、死体の近くを見ると、床にとある文字が刻まれてしました。そこには『人に化ける妖怪が二匹』と書かれており、男は里に妖怪が侵入した事を知ります。

 急いで里に帰った男は生き残った里人にその事実を伝えました。ですが、里は他の集落からかなり離れており、どんなに急いでも三日以上はかかり、妖怪退治の専門家を引き連れてきたとしても最低、一週間は必要です。

 里人たちは悩みましたが、このままでは里人は全滅してしまうと察した若い男は残った里人を集めて、このように訴えました。『脚力に自信のある何人かに集落まで行って、妖怪退治の専門家を連れてきて貰うしかない。それまでの間、自分たちだけで耐えよう』と。こうして、里人と紛れ込んだ妖怪の戦いが始まりました――こんなところね」

 

「「「「「生々し過ぎる(ます)!!」」」」」

 

「あらあら……」

 

 人妖ゲームのストーリーが想像以上にシリアスだったため、周りから不満が噴出。レミリアは口元を押さえながらワザとらしく、驚いたフリをした。

 尊も引き気味でレミリアを見ていたが、右京は微かに笑みを漏らしながら、彼女に言った。

 

「中々――興味深いシナリオですねえ」

 

「杉下さんには好評みたいね」

 

「ええ、非常に良く、()()()()()()()()()()()されていると思いましてね」

 

「ふふ、考えた甲斐があったわ」レミリアは満足げだった。

 

 周囲の反応はイマイチであるが、緋色の吸血鬼は気にせず、話を続ける。

 

「次はルールを説明するわ。進行役の咲夜が参加者全員にランダムにカードを配り、参加者はカードに書かれている陣営と役職を暗記したらカードを裏に伏せる。そこからゲーム開始よ。

 ゲームは夜から始まり、最初に参加者以外の架空の里人が死亡し、妖怪が人里にいることが確定するわ。そこから里人全員が集まって、十~ニ十分程の議論を行い、怪しい人物を投票で決めて処刑するの。投票は咲夜が渡す紙に名前を書いて提出、集計の後、選ばれた里人が処刑されるわ。

 その後、夜へと移り、今度は妖怪陣営のターンとなり、ひっそりと妖怪たちが集まって殺害対象を一人決定し、襲って殺す。これを妖怪を全滅させるか、里人の数と妖怪の数が同じになるまで続けて、前者なら里人陣営の、後者なら妖怪陣営の勝利よ」

 

「ふむふむ、なんとなくわかった。じゃが、役職? と言ったのう……それらの持つ特殊能力とはなんじゃ?」

 

 マミは今の話で気になった点があった。それは役職の特殊能力である。人狼ゲームの醍醐味とは何かと言えば、この特殊能力を挙げる者が多いだろう。

 人間と人狼の騙し合いを左右する重要な要素である。これを知らずにこのゲームは遊べない。

 レミリアが彼女の質問に答える。

 

「役職は里人陣営に《里人》《易者》《狩人》《妖怪信者》。

 妖怪陣営は《人食い妖怪》が割り当てられているわ。

 《里人》は特殊能力を持たない一般人。

 《易者》は深夜に一度、占いを行い、対象の里人の陣営を知ることができる。

 《狩人》は一日に一度、選んだ里人を護衛し、妖怪から守ることが可能で、守られた里人は死亡せず、自分も死亡しないけど、連続で同じ里人を守る事ができず、妖怪に狙われたら一方的に死んでしまうから注意が必要よ。

 《妖怪信者》は里人の中にあって妖怪側の勢力――つまりは裏切り者ね。でも、片思いみたいな物だから妖怪からは味方だと思われておらず、易者に占われても当然、里人としか出ない。勝利条件は妖怪側が勝利する際、生き残っていること。反対に妖怪が敗北すれば自動的に妖怪信者も敗北する。ちょっと、変わった立ち位置の役職になるわ。

 対する妖怪陣営は《人食い妖怪》の一種類のみ。深夜に里人一人を選んで殺害する能力を持っていて、里人の数を減らして陣営を勝利に導くため、連携して里人を化かして行く。これでいいかしら?」

 

「まぁ、大体は把握したが――他の者はどうじゃ?」

 

 マミが周囲を見渡すと、そこにはルールを理解している右京とその相棒。何となく理解できている魔理沙、阿求、小鈴と意味があまりわかってない霊夢がいた。

 霊夢は基本、スペルカードや花札以外のゲームは嗜まないので、こういったゲームへの理解力は高くない。腕を組みながら頭を回転させているのか、停止させているのかその瞳から光を消している。全員が彼女に視線を集中させ、困り顔でその姿を眺めていた。霊夢は恥ずかしかったのか、気まずそうに顔をそらす。

 そこで右京が「一度、皆で練習してみませんか?」とメンバーに打診。レミリアも「そうね」と頷き、ルール把握を兼ねて、練習を行うことになった。



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第45話 緋色の提案 その3

 レミリアは咲夜を含むメイドへ命令し、長いテーブルを下げさせて、参加者全員が囲んで座れる大きさの円形テーブルを用意させた。

 右京たちは晩餐会の同じ順番で椅子へと座る。

 全員が席に着くと、咲夜はエプロンのポケットから十枚のカードを取り出し、皆の前でシャッフルして見せた。

 

「今からカードを配るわ。本当は配られたカードを他の誰にも見せないように確認するんだけど、これは練習だから、カードを見たら表にして自分の手前に置いてね」とレミリアが言った。

 

 本来、カードを確認したら、そのカードを裏向きに伏せ、それを進行役が回収するのだが、今回は練習なので、役職の能力や議論の仕方をレクチャーするためにあえて公開させるのだろう。

 咲夜はレミリアから順番にシャッフルしたカードを一枚ずつ、参加者の目の前へと置いていく。

 全員にカードを配り終わったところで咲夜は「カードをご覧になって下さい」と告げる。

 参加者九名は一斉にカードの内容を確認。覚え終わった順にカードを表にして、他のメンバーが見やすい位置へと置いた。

 置かれたカードの内容を咲夜が音読する。

 

「レミリアお嬢様が《人食い妖怪》。杉下さんが《狩人》。尊さんが《里人》。マミさんが《人食い妖怪》。魔理沙が《妖怪信者》。霊夢が《易者》。パチュリー様が《里人》。小鈴さんが《里人》。阿求さんが《里人》――ですね」

 

「なるほど、僕が狩人ですか」と右京が笑い、尊も「ぼくは里人ですね」と同様の態度を取った。

 

「人食い妖怪がレミリアと〝アンタ〟とはなぁ~」

 

 魔理沙が嫌らしい笑みを浮かべながらマミに向けて言った。

 マミは軽く視線を逸らしながら苦しく言い訳する。

 

「何故、儂を見てそんなことを言うのか知らんが、人食い妖怪とは――たとえ、遊びとて選ばれたくないのぅ~」

 

 霊夢は「易者……」と軽くため息を吐くが、魔理沙が小声で「そんな時もあるさ」とさり気無くフォローし、巫女は「そうね」。少しだけ笑った。

 パチュリーは特に何かを言う訳でもなく、ジッとしていた。

 小鈴は若干、寂しそうに「阿求、私たち里人だね」と相方へ話しかけ、阿求が「何の能力も持ってないからこそ、できることもあるのよ」と訳知り顔で返す。

 どうやら、阿求はどこからか人狼ゲームの知識を手に入れていたようだ。

 全員の反応を確認したレミリアは咲夜にゲームを進めるように目配せする。

 

「咲夜、お願い」

 

「はい。それでは、皆さん。これより――人妖ゲームの練習を始めます。

 人狼と戦う決意をした里人でしたが、本当に妖怪の仕業かどうか、わからないので意見が対立し、その日は妖怪のあぶり出しができませんでした。翌日、里人たちが目を覚ますと一人の村人が身体の一部を残していなくなっていました。

 これで里人は妖怪の仕業だと断定。今までの手口から妖怪が夜にしか活動しないと判断した者達が、昼間に妖怪らしき人物を特定し、日が暮れるまでに処刑しようと言い出しました。

 初め、多くの里人たちが難色を示していましたが、このままでは自分たちが妖怪に殺されると思い、泣く泣く、処刑する人間を決めることにしました。

 そして、里の広場にて住民たちによる議論が始まります――ここから皆さんで実際に議論を行い、投票にて処刑する里人を決めるのですが――その前に霊夢、あなたのカードを見て頂戴」

 

 相変わらず凝った設定を展開しながら、銀髪のメイドは笑顔でゲームを進めていく。

 次に咲夜は霊夢に自分のカードに目を向けるように指示を出した。

 霊夢は自分のカードに目を向けるとそこには〝魔理沙は里人〟と書かれた付箋のような物が貼ってあった。もちろん、最初配られた時にはこのような付箋はなかった。霊夢は驚きながらも「アンタの()()ね……」と咲夜の能力を思い出し、納得した。

 この現象は紛れもなく咲夜の〝時を止める程度の能力〟によるものである。

 彼女は時間を停止させ、その中を自由に行動できる。その間、誰も彼女の気配を察知できず、何をされたのかもわからない。

 幻想郷の人間が使える能力の中でもトップクラスの性能。

 それを〝ゲームの進行〟に使っているのだ。何とも贅沢な使い方である。

 霊夢が確認した所で咲夜は役職の《易者》について説明した。

 

「易者は毎晩、占いを行い、占った対象の陣営を把握できます。最初の夜は私がランダムに里人陣営の里人を選んでから、今のように易者役の方にお伝えします。

 次の日からは易者の方は私に占いたい方、一人の名前を挙げて頂き、私が回答をお教えするという形になります。方法は後でお教え致します。狩人の方も毎晩、一人を選んで護衛しますので、こちらも後ほど、ご説明致します」

 

「わかりました」と狩人役の右京が答え、咲夜が話を続ける。

 

「この状態から議論が始まります。議論は昼間のみ行われ、夕方に一人を処刑します」

 

「うむ、単語だけ聞くとかなり物騒だな……」

 

「もうちょっと、よい言い方はないのかしらね」

 

 魔理沙や霊夢は世界観が生々しいので、難色を示していた。

 確かに幻想郷のような隔離された人里においてこのようなストーリーを関わりがないとは言い難い。

 そこで右京が「でしたら、牢屋に入れて置くなどの柔らかい表現にすればよいのではないでしょうか? 一週間もすれば妖怪退治の専門家が来るですから」と助言する。

 それを聞いたレミリアが「牢屋……それもいいかもねぇ」と言うも魔理沙が「だが、もし、牢屋の鍵番が妖怪だったら怖いよな……絶対食われるだろ」と漏らし、霊夢もまた「そもそも、専門家がいない状況で牢屋に閉じ込めても脱出されるのが関の山ね。強力なお札もないだろうし」と専門家らしい意見の述べ、周囲からも同意する声がちらほらと聞こえた。

 埒が明かないと感じたパチュリーが「ゲームだから、あまり気にしなくてもいいんじゃない?」と発言する。

 霊夢と魔理沙が唸っていると横から尊が「だったら()()っていう言い方はどうでしょう? 表の子供たちも村人の処刑をそう表現していますし」と打診。とりあえず、それで通すことになった。

 咲夜が説明に戻る。

 

「議論についての説明です。ここでは皆さん、怪しいと思う人物を挙げてその理由を含めて議論していきます。ここで易者の方が手を挙げて名乗り出て行くと議論がスムーズに進みます」

 

「ん? そうなの?」と霊夢。

 

「だって、魔理沙が里人だってわかっているのよ。その事実を公表すれば、魔理沙は里人であると保障されるわ。里人陣営にとって仲間が判明するのは重要なことよ。その人物以外に妖怪が隠れているんだから」

 

「けど、魔理沙って《妖怪信者》よね……」

 

 魔理沙のカードをチラリと眺める霊夢。

 

「易者の能力でわかるのは〝陣営〟だけだからね。この時点では魔理沙は《里人》なのよ?」

 

「むぅ……」

 

「そうだぞ。だから、早く私が里人であると証明するんだ」

 

 魔理沙はニヤニヤしながら急かした。彼女もまた、このゲームを知っているらしく、この後の展開が読めている。

 すでにレミリアが何かを企んでいるかのようにクスクスと笑みを零していた。

 咲夜と魔理沙に促される形で霊夢が「私が易者よ」と手を挙げて発言するが――突如、レミリアが「私が易者よ」と重ねるように名乗り出てきた。

 

「はぁ!? ちょっと、どういうことよ!」

 

 声を荒げる霊夢。その様子に魔理沙、阿求が笑いを堪え、パチュリーがニヒルな表情を浮かべる。尊もあまりにもストレートな驚き方に苦笑を禁じ得ない。小鈴とマミは状況を把握し切れておらず、ポカンとしている。そこで右京が補足した。

 

「霊夢さん。これは人狼陣営が必ずと言って良いほど、使ってくる手です」

 

「使ってくる手!?」霊夢の目が点になる。

 

「そうです。人狼陣営――おっと、今回は妖怪陣営でしたね。霊夢さんの役職である易者は、初日は妖怪以外の里人をランダムに見分け、次の日から選んだ人物の陣営を知る事ができるので、里人陣営で最も頼りになる役職なのです。

 いや、寧ろ、ゲームそのものの流れを決定してしまうレベルと言えるでしょう。それくらい、絶大な影響力を持ちます。もし、その役職に妖怪が成りすませたとしたら――ゲームは妖怪の都合のよい展開になると思えませんか?」

 

「た、確かに……」

 

「だからこそ、妖怪役のレミリアさんが自らを易者だと公表したのです。ここで里人に自分が易者だと信じ込ませ、本物の易者を亡き者にすれば、妖怪が易者のように振る舞い、妖怪側にとって有利な発言が可能です。それがレミリアさんの狙いなのです」

 

「うふふ」

 

 レミリアは無邪気に微笑んだ。

 霊夢は「ぐぬぬ……」と唸ったが、魔理沙が「ま、これがこのゲームの醍醐味だ」と巫女の肩をポンポン叩く。

 続いて咲夜が「それでは、十五分ほど、時間を取りますので皆さんで議論を行って下さい」と告げてから一歩下がった。

 現時点で判明している情報は霊夢とレミリアが《易者》を名乗っている事実だけである。

 そこから、どうやって議論を進めて行くか、そこが腕の見せどころだ。

 しかし、幻想郷の住民は人狼ゲームで遊ぶ機会は滅多になく、皆、初心者のような状態。

 そのため、中々、議論が進まない。阿求やパチュリーと言った知識人は参加者の動向を伺いながら様子見を決め込んでおり、マミや小鈴も初めての経験に戸惑っている。

 レミリアは笑顔のままで霊夢を、霊夢はジト目でレミリアを見つめており、魔理沙は肩を竦めていた。

 このままだとまともな議論にならないと踏んだ右京と尊は互いに顔を見合わせながらアイコンタクトで意思の疎通を行った。直後、右京が行動を起こす。

 

「おやおや、このままだと日が暮れてしまいますねえ~」

 

 すかさず、尊も「確かに。怖い妖怪に食べられてしまうかも知れませんね。早く、決めないと」と、どこか間の抜けた演技を披露する。

 

「ならば、早急に議論を行いましょう! 霊夢さん、レミリアさん。よろしければ、占いの結果を教えて下さい」

 

「あ、えっと……〝魔理沙〟が〝里人陣営〟と出たわ」

 

「私の占いによると〝マミさん〟が《里人》と出たわ」

 

「ふむ、そう来たか。こりゃあ、愉快じゃのう!」とマミは一人、豪快に笑った。

 

 練習試合なので、全ての参加者の役職が公開されている。

 レミリアが妖怪側で人里陣営の易者を名乗っており、かつ妖怪側のマミを里人と宣言していることから、レミリアが仲間のマミを里人陣営だと思い込ませ、ゲームを妖怪有利にしたいと考えているのは明白だ。

 こんなところを見せられたら、マミはその()()()、笑わざるを得ないだろう。

 ゲームの手綱を握った右京が議論を進める。

 

「霊夢さんが魔理沙さんを里人。レミリアさんがマミを里人と言っていますね。しかし、この人里に易者は()()しかいませんから、どちらかが嘘を吐いていることになります」

 

「本物は私よ」と霊夢が言えば、レミリアが「いえ、私だわ」と声を重ねる。

 

「皆さんはどう思われますか? 二人の役職を知らないという前提で意見の述べて下さい」

 

 右京がそう呼びかけても、誰もすぐには発言したがらない。頭で意見のまとめているのか、霊夢やレミリア相手に言い難いのか、理由はそれぞれあると思われる。

 なので、まとめ役になった右京が隣の人間から順に訊きにいく。

 

「神戸君。君はどちらが本物だと思いますか?」

 

「ぼくはレミリアさんが本物だと思います。理由はこのゲームに慣れていそうな雰囲気を出しているから――ですかね……」

 

「慣れているからって――それは逆に妖怪の可能性を疑わないか?」

 

 魔理沙がツッコミを入れる。

 

「言われてみればそうかもな~。うーん、困ったな~」

 

「白々しい演技じゃのぉ~」とマミ。

 

「では、マミさんはどちらが易者であると?」と右京が振る。

 

「現段階ではわからん。じゃから、霊夢とレミリアどの、自分が本物の易者である証拠を語ってくれ」

 

「証拠って何よ……。これ……じゃダメよね……」

 

 そう言って、霊夢は付箋の貼られた自身のカードを提示するも咲夜から「本番で故意に自らのカードを表にしたら〝失格〟だからね」と告げられ「やっぱりか」と呟き、手に取ったカードをテーブルにそっと戻す。

 対するレミリアは饒舌気味に「手を挙げたタイミングがほぼ同時だったから、判断に迷うでしょうけど、私は嘘を吐いてないわ。証拠と言われても、出しようはないけど、それは霊夢も同じはずよ。神戸さんも言っていたけど、私はこのゲームに少しだけ慣れているわ。だから、易者の重要性も理解している。私を残したほうが人里にとって得だと思うけど?」と語り聞かせた。

 マミは「霊夢は口数が少なく、レミリア殿はよく喋ってくれるが、どうも手慣れている感が否めんのぉ~」と端的な感想を述べた。

 そこに魔理沙が「いいのか? 一応、レミリアはアンタの仲間だぜ?」とマミのカードを凝視しながら、ふざけ顔で言うが「ここでレミリアどのの肩を持ち過ぎれば、返って怪しまれる。自然に振る舞うのが一番じゃよ」と返した。

 次に右京は魔理沙へ質問を振る。

 

「魔理沙さんはどうお考えですか?」

 

「私か? そうだな。霊夢は喋らな過ぎだし、レミリアは喋り過ぎて逆に不気味だ。霊夢は演技できる奴じゃないし、レミリアは胡散臭い演技しかしない奴だし――」

 

「「はぁ!?」」

 

 霊夢とレミリアは魔理沙のオブラートに包まない発言に腹を立てるが、白黒の魔女は得意げに。

 

「――ここは易者以外の里人を選んだほうがいいような気がするんだが?」

 

 彼女の役職は妖怪信者。人狼ゲームで言うところの狂人である。狂人の仕事は村人の議論をかき乱すことである。里人に仲間を一人でも多く、吊らせることができれば役割を果たしたと言える。

 この魔女は人狼が騙る易者を吊られるリスクを回避したいと考え、処刑のターゲットを変更させようと試みた。

 その意図を読み取ったパチュリーが「まだ、議論が深まっていない、このタイミングで易者を議論から外させようとするなんて、いかにも妖怪信者がやりそうなことよね」とチクリ。

 図星の魔理沙は顔を赤くしながら「うるせーよ!」と吠え、周りから笑いが巻き起こった。

 しかし、続く阿求も二人のどちらかが易者であるか見分けがつかないと言い、それ以外から選んだほうが無難かも知れないと発言。小鈴もそれに同意する素振りを見せる。

 その後、霊夢とレミリア以外の里人から対象者を選ぶ方向へとシフト。皆、意見を交わし合った。

 右京は狩人だが、狩人は占い師に次いで狙われやすい役職であるため、簡単に名乗り出たりはしない。何故なら占い師を人狼から守る能力があるからだ。

 もし、右京が霊夢を守り、彼女が本物の易者であるならば、易者は進行役から自身が選択した相手の陣営を知り、ゲームを有利に進められる。右京の役職もかなり重要なのだ。

 それから、議論を重ね、指定された時間が経過し、いよいよ投票の時がやってきた。

 投票は練習段階なので、挙手により行われ、尊が最初の犠牲者となった。

 そして、ゲームは夜へと移行していく。



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第46話 緋色の提案 その4

「夜が来ました。里の住民は皆、寝静まりました。私はこう言いましたら、皆さんはテーブルに伏せて下さい」

 

 咲夜の指示に従い、参加者はテーブルにうつ伏せになる。

 

「続いて――狩人の方は周りに悟られないように身体を起して下さい」

 

 指示通り、右京がそっと身体を起こす。

 

「それでは、狩人の方は警護対象を一人選んで、指差して下さい」

 

 右京は周りに気が付かれないようにレミリアを指差す。理由は易者名乗りをしているからだ。易者は重要な役職であるため、狩人が最も警護しなければならない対象である。

 右京としても客観的に見る限り〝レミリアが易者を騙っているのでは〟と怪しんだが、周りにゲームの面白さを伝えるなら、レミリアのほうがよいと踏んで、彼女を選んだ。

 彼の選択を確認した咲夜は「対象が決定されました。狩人の方は再び、伏せて下さい」と指示。右京はそれに従った。

 

「次に、妖怪の方は周りに悟られないように身体を起して下さい」

 

 指示通り、レミリアとマミがそっと上体を起こす。

 

「それでは、妖怪の方は襲う方を一人選択して下さい」

 

 レミリアとマミは互いの顔を確認し合い、ジェスチャーで襲う相手を決める。レミリアとマミの選んだ相手は同一人物であった。対象を確認した咲夜は妖怪二人に伏せるよう促す。

 最後に咲夜は易者を起こす。

 

「続いて、本物の易者の方は周りに悟られないように身体を起して下さい」

 

 指示通り、霊夢はそっと伏せていた身体を置き上げる。

 

「易者の方は占いたい里人を指差して下さい」

 

 霊夢は無言でパチュリーを指差す。その瞬間、咲夜は小声で「あの方は里人です」と告げてから再び、霊夢に伏せるように促した。

 

 これで夜のフェイズは終了である。

 咲夜がゲームを進める。

 

「それでは、夜が明けました。昨晩の犠牲者は〝霊夢さん〟です」と宣言。

 

 霊夢はゲームから脱落となった。

 

「な!?」

 

 唖然とする霊夢。その事実を下に魔理沙が考察を始める。

 

「霊夢がやられたとなると、狩人役はレミリアを守ったと考えられるな。つまり、狩人はレミリアを本物だと思った。ま、素人の考えだがな」

 

「易者の重要性を知っている狩人役の方ならば、易者を守るでしょうし、そう考えるのが妥当かもね。ということは……」と呟きながらレミリアに視線を向ける阿求。

 

「ゲーム内の易者がレミィ一人になった」

 

 パチュリーが静かに語った。

 

 話を聞いて右京も「果たして、レミリアさんは本物の易者かそれとも……」と意味深な言い方をする。

 練習のため、カードがオープンになっているが、皆、互いの役職を知らない前提でゲームを進めている。

 

 人狼ゲームの人狼は基本的に自らを襲うなどという行為には及ばない。通常は村人、特に厄介な占い師を優先して狙う。今回のケースは右京が偽占い師のレミリアを守ったので、霊夢は守られず、村人にとっての切り札を失わせる結果となった。

 だからこそ、占い師は自分が本物であると信じて貰えるように立ち振る舞っていかなければならない。今回はゲーム初挑戦なので、不慣れであるのは仕方ないが、慣れてきたらあの手この手で証明していくのがよいだろう。

 

 妖怪側も狩人を欺けたおかげで成りすましに成功。ゲームの主導権に握れる立場になったが、信用が足りておらず、レミリアが妖怪または妖怪信者の可能性が残っている事実である。

 なので、役職が多くない人妖ゲームにおける妖怪信者役は易者を騙るのがいいかもしれない。

 そうする事で妖怪側のリスクを少なくできる。ちなみに魔理沙も内心こうなるなら自分も動けばよかったと少なからず思った。

 

 妖怪にやられた霊夢はここでリタイアとなるが、彼女は元々、負けず嫌いなのか、ゲーム上の敗北であっても凄く嫌そうな表情を浮かべていた。

 これで脱落者が二名となる。

 その後は、レミリアが易者となり、嘘の占い結果を参加者に伝えた。参加者達は議論と吊り、襲撃を繰り返しながら、ターンを重ねて行き、結果的に右京、阿求、マミが残るが、最後はマミが吊られて、里人側の勝利となった。

 

 練習試合を制した右京は阿求に「とても、すばらしい考察でした」と称賛し、阿求もまた「杉下さんこそ、お上手でしたよ」と笑顔で返した。マミはため息を吐きながら「練習とわかっていても負けるのはあまり、良い気分ではないのぉ」と愚痴を零す。

 そこに右京がすかさず「いえいえ、マミさんの発言も説得力があり、聞いていて納得する部分が多く、只者ではないなと思わされましたよ」とフォロー。マミは「口が達者じゃのう、杉下どのは!」と上機嫌になった。

 

 早い段階で脱落した尊も口を開き「皆さん、話し上手で、外野で感心しながら聞き入ってましたよ。とても、初心者とは思えませんでした」とコメント。

 魔理沙も右京、阿求、マミを指して「まぁ、この三人は上手いよなぁ……」と呆れ気味に呟く。

 右京は警察官として、阿求は物書きと政治、マミは謎に包まれているが、それぞれ話術を必要とする職業や地位におり、その一端を人狼ゲームという推理ゲームで披露しただけに過ぎない。

 実際、右京は人狼ゲームの知識こそあるが、プレイ回数は数える程度。阿求も同じく知識があるだけでプレイそのものは初めて。マミに至っては勘を頼りに化かし合いをしているだけである。

 

 ルールをある程度、把握した参加者たちは少し、休んでから本番を迎えようとするのだが、そこに魔理沙がとある指摘を行う。

 

「一ついいか?」

 

「何かしら?」咲夜が反応する。

 

「さっきのやり取りで机に伏せてから狩人、妖怪、易者がそれぞれ、起き上がっただろ? その時、振動で誰が立ったのか、何となくだが、わかってしまったんだよ……。進行役の足音も響くし――おまけに物音に敏感そうな連中もいるんだ――このままだとそいつらが有利な気がするんだよなぁ」

 

 魔理沙はレミリアやマミの顔をチラチラと見ながら言った。

 

「なるほど、一理あるわね」霊夢が同意する。

 

 それをきっかけに魔理沙の意見に同意する声がちらほらと挙がった。

 実際、近くの人間が動けば多少なりとも気がついてしまうのは仕方ないことである。

 大型の長方形テーブルを用意すれば、解決するのでは? とレミリアが提案するが、今度はテーブルを囲んで楽しむという人狼らしさが損なわれる可能性をパチュリーが語った。

 その際、咲夜が「椅子だけ用意して、円形になって囲むというのは?」と発言。物音も咲夜なら、時間を止めて音を立てずに移動できるので問題はない。その意見が採用された。

 参加者が同意したので、試しのその案でゲームを進めてみたが、やはり、ジェスチャーの際、どうしても物音が出る。物音はレミリアやマミだけではなく、隣の人間にも勘づかれてしまい、ゲームがつまらなくなってしまった。

 妖怪と人間が共存する幻想郷において、ルールの決定は難しいのかもしれない。

 

 悩んだ末、右京が「投票する際に紙とペンを用意してそこに自分の名前、里人の投票先、特殊役職の指定先を記入し、進行役に渡すというのはどうでしょう?」と言い出した。

 すると、阿求が「名前と投票先はいいですが、指定先を書くと自分が特殊な役職であるとバレてしまうのでは?」と心配する。

 右京は「投票先と役職による指定先はアルファベットで記入、もしくは囲むするようにすれば、解決出来ると思います。追加ルールとして参加者は特殊な役職ではなくとも、役職欄に記入するという行為を付け加えれば、そこから見破られるリスクは限りなく低くなるかと」と発言。

 レミリアは顎に手をやりながら「それなら、公平性が保てるわね。だけど、妖怪側の打ち合わせするタイミングがなくなってしまうのは痛いのではないかしら?」と自分の考えを述べる。

 右京も「その通りですねえ」と頷きながら、再び、良い案がないかと模索し始めるが、咲夜が手を挙げ「特殊役職の欄を二か所用意して上を第一候補、下を第二候補として、記入して頂ければ、私が照らし合わせてからお選びできますが……」と一言。

 その方法ならば、妖怪の襲う対象が割れるケースが減るが、肝心の話し合いができない。

 アナログの人狼ゲームでもアイコンタクトやジェスチャーでコミュニケーションを取り合う。スマホなどのネットタイプならば別枠のチャットや音声システムが設けられており、人狼同士の意思の疎通が可能であるが、幻想郷にインターネットは存在しない。

 アナログで人狼ゲーム――しかも、参加者に人外を含むなど、日本では決してあり得ない夢の試合。その分、ルールも必要に応じて変わってくるのだ。

 

 検討の結果、妖怪側は夜の時間、起き上がらず、昼の投票時に襲撃する相手を選択する方針になった。

 物音や揺れに敏感な者を考慮しての決定である。

 なお、尊が「もう少し、特殊役職を増やしたほうが盛り上がるのでは?」とレミリアに告げて、彼は幻想郷へ来る前に祖父の別荘で親戚の子供達と遊んだ人狼ゲームについて話した。

 尊は子供たちとインターネット上でプレイ出来る人狼ゲームでトップクラスの人気を誇るゲームをプレイしており、そのゲームの内容を大まかに説明した上で《霊能力者》や《恋人》などの様々な陣営の役職名を挙げた。

 その中でレミリアは〝とある人狼側の役職〟に注目。夜の打ち合わせが出来ない分、妖怪陣営側が不利になるので()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という特殊役職《妖怪賢者》を追加したいと提案した。

 実際、人狼版占い師と呼ばれる能力を所持しているので、妖怪側の戦力が大幅にアップするのだが、周囲から強すぎないか? と懸念の声が上がる。

 だが、右京が「結果を知れるのが《妖怪賢者》だけにするという設定をつけ加えれば、仲間に伝えるのも一苦労でしょう」と助言。

 阿求が顎に手をやりながら「そうなると、昼に里人を含めた議論の中で仲間に知らせないと行けなくなりますね。相当な難易度になりますが――大丈夫でしょうか?」と言った。

 すかさず魔理沙が「できるのは、お前とおじさんくらいじゃないのか?」と真面目に言った。

 卓越した話術や見た物を全て記憶する《瞬間記憶能力》を持つ阿求と帝都大出身の《和製シャーロック・ホームズ》《窓際の天才》と複数の異名を持つ右京ならば可能だろう。

 もしかすると、魔法使いパチュリーやエリートの尊や切れ者のマミも里人陣営の裏を斯いて仲間とコンタクトを取れるかもしれないが、常人には難易度が高すぎる。

 考える一同。

 そこにマミが「ならば、回数限定で仲間に進行役を通じて報せられるという風にすれば良いのじゃなかろうか? 進行役は朝、易者に情報を与えるのじゃし、そのタイミングで先程のようにメモに書いて張り付ければよかろう」と発言。

 その意見に尊が「《妖怪賢者》も情報を知れるのは朝で、情報を伝えられるのも朝。おまけに回数限定となれば、早い段階から情報を伝えるのも善し悪しがある」と考察。

 続けて右京も「仮に妖怪賢者が吊られた場合、貴重な情報はそのまま、闇の中――となれば、駆け引きも生まれますね」とつけ加える。

 そこに小鈴が「回数限定の能力はどうやって使うんですか?」と質問。

 右京は「例えば、投票用紙の名前の横などに悟られぬよう、小さくを○を書く。そうすれば、何気なく、限定的な能力を使用できると思われます」と返答。

 

 それから間もなく《妖怪賢者》の追加が決まった。なお、妖怪側もメモで会話できるようにすればよいのでは? との意見もあったが、襲撃時に打ち合わせできる訳ではないので、その効果は薄い。

 また、尊が参加者九名の人狼ゲームは人狼がやや有利という俗説があると親戚の子供達から聞いたと話し、里人側に人狼ゲームで言うところのメジャーな役職である《霊能者》を入れていないので、もしかしたらバランスが取れているかもしれないと語った。

 それ以降、議論は収束へと向かい、ついに人妖ゲームのルールが完成するのであった。



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第47話 緋色の規定

 話し合いの末、役職は《里人》《易者》《狩人》《妖怪信者》《人食い妖怪》《妖怪賢者》で、夜の行動は昼間に投票で予め、決めておく事となった。

 全員が意見を出し合い、まとめた人妖ゲームの流れは以下の通りである。

 

 

 ゲーム開始前、参加者は囲むように用意された一人用のテーブルに着く。

 それぞれのテーブルにはアルファベットで記号が記されており、その記号は投票や能力選択に使用される。

 その後、進行役がランダムにカードを配り、全ての参加者が役職を確認したのち、それを手元へ置く。

 進行役が確認を取った後、時間を止め、全員のカードを手に取り、全てのカードに付箋を付けてテーブルに戻す。

 その際、易者にはランダムな里人陣営の里人の名前、妖怪陣営の妖怪には仲間の名前を書いた付箋を貼っておく。

 そして、参加者は再び、カードを確認。内容を記憶する。

 もう一度、カードを伏せさせ、進行役が時間を停止して回収。不要な付箋は剥がしておく。

 

 ここからゲームが開始される。

 

 最初の夜。参加者以外の里人が死亡し、妖怪がいると知った里人たちは議論を始める。

 このタイミングで里人は役職を公表したり、騙ったりできる。

 議論の時間は一度につき最大二十分まで。参加者全員の同意があれば短縮可能。

 カウントは進行役が行い、時間が経過すると進行役がそれを報せ、強制的に投票へ移らせる。

 

 投票は紙に書いて進行役に提出する形を取り、進行役はすみやかに紙とペンを参加者へ渡す。

 

 投票用紙はメモ帳程度の大きさで、真ん中に漢字五文字が入る程度のスペースの横線が二か所用意されており、参加者は自身の名前をメモの上に書いた後、投票先、特殊役職用の記入欄に選んだ記号を書き込む。

 

 回数限定の能力を使用する場合、名前の右端に進行役がわかる程度の大きさで《○》を書く。

 

 特殊役職用の記入欄は公平を期すため、全員が記入することになっており、二回記入忘れで失格というペナルティーが科せられる。

 

 記入が終わった者は紙を裏向きにしてテーブルへ置き、そのまま待機。

 全員の記入が終わったところで進行役が紙を回収。集計し、吊る者を発表。

 該当する参加者は離脱となる。

 吊られた参加者は別室へ移動し、待機する。

 

 そして、夜へと移行する。

 

 夜になると進行役の指示に従い、里人は全員がテーブルに伏せる。

 その間、進行役が投票用紙を参加者に見えないように確認。

 妖怪の襲撃対象を決定する。

 なお、対象の選択先が割れた場合、進行役がその中からランダムに選ぶ。

 集計後、夜のフェイズは終了する。

 

 次の日の朝を迎え、妖怪の襲撃結果を参加者全員に伝え、該当者がいれば、その該当者を別室へ移動させる。

 その後、時を止めた進行役が全員のカードを手に取り、易者が生存しているならば、投票に記載されていた特殊役職用の記号を参考に進行役が里人か妖怪かと書かれた付箋を付ける。

 妖怪賢者が生存しているならば、襲撃に成功した際は対象となった者の役職を付箋に書いて付ける。

 

 以上の作業後、カードを対象のテーブルへ置く。

 

 参加者全てが自身のカードを確認し、もう一度、伏せさせて初日と同じ要領で進行役がカードを回収する。

 これを妖怪がいなくなるまで、もしくは里人の数が妖怪の数と等しくなるまで繰り返し、前者なら里人の、後者なら妖怪の勝利となる。

 なお、妖怪信者は妖怪の勝利時に勝利となり、里人が勝利した場合、敗北となる。

 

 役職説明

 

《里人陣営》

 

【里人】

 

 能力を持たない役職

 

【易者】

 

 毎晩、里人一人を選んで占い、対象となった人物の陣営を知れる役職

 初日は進行役が里人陣営の里人をランダムに選ぶ

 

【狩人】

 

 毎晩、自分以外里人一人を選んで護衛できる役職

 護衛対象となった人物は妖怪に襲撃されても死亡しないが

 連続で同じ里人を護衛できない

 

【妖怪信者】

 

 妖怪陣営の勝利が自らの勝利条件となる役職

 易者に占われても里人と判定される

 

《妖怪陣営》

 

【妖怪】

 

 毎晩、里人一人を選んで襲撃し、殺害出来る役職

 襲撃は一夜につき、一度までしか行えず襲撃対象は投票時に記号で用紙に書き込む

 妖怪が二匹以上いる状態で襲撃対象が割れた場合進行役が襲撃対象をランダムに選ぶ

 

【妖怪賢者】

 

 役職:《妖怪》の能力に加え、襲撃した里人の役職を知れる能力を持つ役職

 ゲーム中に一度だけ、投票用紙の名前の横に〝○〟を書くことで仲間に自身が知りうる里人の役職の情報を全て伝えることができる(直前に襲撃した里人の情報も含まれる)

        

 以上――

 

 

 ルールを決めた参加者たちはもう一度、練習を行い、一通りのやり方を覚えるに至った。

 この時、全ての参加者たちが()()()()()()()()()()()()()()()と、苦笑したのは内緒である。

 ちなみにゲームの使用上、夜に行動できる役職がないので、削ってもよいのでは? との提案があったが、レミリアが()()()()()()()()と、言うので形だけ残った。

 その際、レミリアが「折角、ここまでルールを考えたんだから、名前を付けたいわねぇ……。《レミリア・ジャッジメント》なんてどうかしら?」と、大胆な提案。

 霊夢、魔理沙から「好きにすれば……(しろ……)」と投げやりに言われ、周りからも特に異論がなかったこともあって、人妖ゲームを《レミリア・ジャッジメント》に変更した。

 

 レミリアは非常にご満悦であった。そんな彼女はお礼とあってか皆に「せっかくだし、勝利陣営に何か報酬を用意したいのだけれど、欲しい物とかある?」と伝えた。

 すると霊夢と魔理沙が頭を捻りながら小声で「「お金……?」」と回答。

 場の空気を呆れムード一色にした。

 レミリアは頭を抱えながら「直球過ぎるわね……」とため息を漏らす。

 阿求も「賭け事なら里の賭博場でやって下さい。そのために用意しているんですから」とチクリ。

 霊夢と魔理沙はすぐさま「冗談よ……(だぜ……)」と否定した。

 マミは言う。

 

「おぬしらよ。杉下どのと神戸どののことも考えんか。表は()()()()()されてとるんじゃからのう」

 

「そうなの(なのか)!?」

 

 右京は二人に「ええ、マミさんの言う通りです。もし、お金を賭けるという話になっていたら僕はゲームから抜けていたと思います。これでも……表の警察官ですから」と語る。

 飲酒の件は幻想郷の住民たちのルールなので、右京たちがここにいる未成年に酒を飲むなと言う権利もないが、今回の賭博は右京たちが貰う側である。

 ついこの間、違法カジノ店を摘発した右京からすれば、自身が賭博でお金を貰うことに強い抵抗があっても無理はない。もちろん、ここは幻想郷――日本語が通じる異国であり、右京が賭博を行っても罪にはならない。これは右京個人の意思と言える。

 尊もまた、右京と同じ行動を取るだろう。

 それを聞いた二人はなんだか、申し訳なさそうな態度を示しながら謝罪した。

 謝る二人に右京が「いえいえ、こちらの勝手な都合です。寧ろ、謝るのはこちらですよ」と返す。

 

 幻想郷は法律なき世界。住民に気を遣わせてしまった右京が謝るのが普通である。

 このやり取りの後、沈黙が周囲を包みそうになるが、機転を利かせたパチュリーがレミリアに「だったら、勝利陣営に明日の朝食、もしくは昼食が豪華になる特典でも付ければいいんじゃない?」と打診。

 右京もそれなら問題ないと同意した。

 レミリアは霊夢と魔理沙にそれでいいかと訊ねると二人は「「肉料理でお願いね(頼むぜ)」」とすでにやる気を出していたので、料理プランでいくことになった。

 

 気を取り直した咲夜はここに宣言する――

 

「これより、幻想郷版、人狼ゲームたる――人妖ゲー……いや、《レミリア・ジャッジメント》を始めます」

 

 幻想郷初、本格推理ゲーム《レミリア・ジャッジメント》が今、その幕を開ける。



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第48話 緋色の遊戯 その1

長らくお待たせしました。申し訳ありません。


 やや、疲れ気味のメンバーだったが、朝食が豪華になると聞いて霊夢、魔理沙、小鈴がやる気を取り戻した。

 マミと阿求は相変わらずのお気楽三人組を尻目にこっそりとため息を吐く。

 パチュリーは無表情で、尊も疲れ気味。

 その中であっても右京は笑顔でゲームの開始を待っていた。

 

 どうやら、自分たちでルールを作ったゲームで遊びたいようだ。

 尊はその無尽蔵の好奇心に呆れながらも、どこか感心するような素振りを見せる。

 そして、言いだしっぺのレミリアもクスクスと口元を緩ませ、ゲーム開始を今か、今かと待ち望んでいた。

 右京とレミリアの笑顔は周囲の者たちへ更なる疲労感を与えるも()()()()()()()()()()()()()()と半ば投げやり気味に力を入れさせた。

 

 席は練習時と変わらず皆、同じ席を選択する。

 席の記号は反時計回りでレミリアがA。右京がB。尊がC。マミがD。魔理沙がE。霊夢がF。パチュリーがG。小鈴がH。阿求がIだ。

 進行役は十六夜咲夜が続投する。

 彼女にも疲れが見えるが、主人レミリアのため、その無邪気な我儘に全力で応える。

 メンバーの座るスペースにはルールで決まった通り、一人用の机と椅子が用意され、円陣を組むように配置された。

 

 皆、指定した席に腰を下ろす。

 咲夜はゲームスタートの決まり文句を言う。

 

「ここはとある地方の秘境に存在する山に囲まれた人里。人々は決して裕福ではありませんが、平和な生活を送っていました。

 そんなある日、人が消えていなくなる事件が起きました。当初、里人は山で遭難したのだろうと考えていましたが、毎晩、一人ずつ消えて行くので、不審に思った若い男の里人が里外れに住む知り合いの薬師に相談へ行くと、彼女は家の中ですでに息絶えていました。

 若い男が死体の近くを見ると、床にとある文字が刻まれてしました。そこには『人に化ける妖怪が二匹……』と書かれており、男は里に妖怪が侵入したことを知ります。

 急いで里に帰った男は生き残った里人にその事実を伝えました。ですが、里は他の集落からかなり離れており、どんなに急いでも三日以上はかかり、妖怪退治の専門家を引き連れてきたとしても最低、一週間は必要です。

 里人たちは悩みましたが、このままでは里人は全滅してしまうと察した若い男は残った里人を集めて、こう言い放ちました。『脚力に自信のある何人かで集落まで行って、妖怪退治の専門家を連れてくるしかない。それまでの間、自分たちだけで耐えよう』と。

 こうして、里人と紛れ込んだ妖怪の戦いが始まるのでした――」

 

 咲夜は九枚のカードを参加者全員から見えるように自身の正面でシャッフルした。

 三十回以上のシャッフルを繰り返し後、彼女は時を止めて、各自のテーブルにカードを裏向きで配置した。

 一瞬でカードがテーブル上に出現したにも関わらず、参加者は静しい顔をしていた。

 流石に時間停止を何度も経験していれば誰でも慣れてしまう。

 右京たちは出現したカードの内容を他の参加者に見られないように確認。

 十秒足らずでテーブルに裏側で伏せ、咲夜が瞬時に回収――該当する役職に付箋を付けて再び、テーブルへと置いた。メンバーは一斉にカードを見る。

 皆、表情を変えずに何食わぬ顔でカードを伏せ、咲夜が素早く集めた。

 

 これで全ての参加者が自身の役職を把握し、易者はランダムな里人陣営から一人、妖怪は仲間の名前を知ったことになる。

 右京、レミリア、マミ、霊夢、魔理沙は不敵な笑みを浮かべ、尊は若干の困り顔、阿求とパチュリーは無表情。小鈴を使って〝頑張るゾイ〟のポーズ。

 各々の性格がよく表れていた。

 

 ゲームはいよいよ本編へと移る。

 咲夜は口上を続ける。

 

「――人狼と戦う決意をした里人でしたが、本当に妖怪の仕業かどうか、わからないので意見が対立し、その日は妖怪のあぶり出しができませんでした。

 翌日、里人たちが目を覚ますと一人の里人が身体の一部を残していなくなっていました。これで里人は妖怪の仕業だと断定。

 今までの手口から妖怪が夜にしか活動しないと判断した者たちが、昼間に妖怪らしき人物を特定し、夜が暮れるまでに処刑しようと言い出しました。

 初め、多くの里人が難色を示していましたが、このままでは自分たちが妖怪に殺されると思い、泣く泣く、処刑する人間を決めることにしました。

 そして、里の広場にて里人たちによる議論が始まるのでした――制限時間は二十分です。存分に話し合ってください」

 

 こうして議論がスタートした。

 参加者は雰囲気作りのため()()()()()()()を好き勝手に言い出した。

 

「この里に妖怪が潜んでいるとはッ」

 

 右京はブルブルと顔を震わせ、演技派の一面を見せる。

 

「ぼくも怖くて……どうにかなっちゃいそうです」

 

 ちゃっかり乗っかる尊。

 

「はん! 妖怪なんて本当にいるのかねー。野犬の仕業って線も捨てきれないがな!」

 

 腕を組む魔理沙。

 

「でも昨夜、何者かに里人が殺されたわ」と霊夢。

 

「この中に犯人がいるのかしら?」とレミリアが無邪気に微笑む。

 

「薬師のおばさまが残したメッセージが本当なら紛れているのでしょう」と阿求。

 

「苦楽を共にした仲間同士で疑い合わねばならぬとは――困った物じゃのう」苦言を呈すマミ。

 

「仕方ないわ。妖怪が侵入した以上、排除するしかない」と冷静な意見を出すパチュリー。

 

「ど、どうすればいいんだろ……」

 

 一人、雰囲気に着いて行けずリアルな心境を漏らす小鈴。それを阿求が「誰が怪しいか、話し合いで見定めるしかないわ。小鈴」とフォローする。

 皆、阿求の意見を肯定した。

 普通なら今のタイミングで易者が名乗り出るのだが、すぐにそれをやってしまうと形式的になってしまい、どこか面白みに欠ける。

 そこでメンバーは議論スタートから三分~五分程度の間、何かしらの話題を振り合って自分たちで物語を創作しながら進行するというT()R()P()G()()()()()()()を作り上げてしまったのだ。もちろん、全てアドリブである。

 そういう意味で《レミリア・ジャッジメント》は現代の人狼ゲームから少々、離れていると言ってよい。

 まさに幻想郷の本格推理ゲームなのだ。

 

「……どなたか、昨夜亡くなられた里人のお名前を知っている方はおりませんか?」

 

 右京が唐突に話題を出した。それにレミリアが乗っかる。

 

「名前……? そこの〝白黒〟なら知っているんじゃないかしら。胡散臭いけど自称、情報ツウらしいし!」

 

「おやおや!」

 

「ああん!?」

 

 まさかのパスに魔理沙は驚いた。レミリアはクスクスと笑いながらチラッと舌を出した。

 魔理沙は最初の練習でレミリアが易者名乗りをした際「胡散臭い」と言ったことを思い出し「さっきのお返しかよ……」と呟いた。

 視線が一気に魔理沙へと集まった。

 彼女は自分が答えるしかないと観念し「うーーん、なんだっけなー。確か……」と必死に頭を回転させてとある人物の名前を言った。

 

「ア、アガサ・クリスQとか言う奴だったかなー。なぁ、阿求?」すっとぼけ顔の魔理沙。

 

「――ッ!?」

 

 何故か阿求の肩がビクつく。

 人里に精通するメンバーは苦笑いを浮かべながら阿求を見た。

 本人は魔理沙に視線を向けながら「なんで私に振ってくるのよ」と内心ムスっとしたが、機転の利く彼女はすぐに冷静さを取り戻して、こう切り返した。

 

「……アガサ・クリスQは偽名よ。本当はオーエンって言うらしいわ。前にそう聞かされた」

 

「オーエンだと!?」

 

 予想外の返しに魔理沙は声をうわずらせながら「東の国なのに西洋人でいいのだろうか……」と心の中でマジレスする。

 理由は不明だが、阿求としてはクリスQを死人にしたくなかったのだろう。

 興味を持った右京が横から口をはさむ。

 

「オーエン――それがお名前ですか?」

 

「苗字だったかと思います。お名前までは教えて頂けませんでした」

 

「何故、お名前を教えなかったのでしょうねえ?」

 

「私も詳しくは知りませんが()()()()()()()()()()と同じ名前だからだと以前、伺ったような気がします」

 

 それを聞いた右京はふふっと笑いながら該当する人物の名前を言う。

 

「となるとそれはユーリック・ノーマン・オーエン――」

 

「またはユーナ・ナンシー・オーエン――」と勝手に続ける尊だったが、そこに魔理沙が「もしくは〝フランドール・スカーレット〟だったりな」と意図的にレミリアの妹の名前を繋げた。

 

 反射的に吸血鬼の顔が呆れ色に染まった。

 

「あ? なんだって?」

 

「そのままの意味だ」

 

 お返しのお返し、と言わんばかりにドヤ顔を決め込む魔理沙。

 レミリアはジト目で魔理沙を睨むも「あながち間違いじゃないのよねぇ」とため息を吐いた。

 すぐさまパチュリーが「最近は落ち着いてきているわ」とニヒルな表情を僅かに緩めてクスリと笑った。

 レミリアは「そうよね。あの娘もあの娘で変わってきたわ」とどことなく嬉しそうに言った。

 司会役の咲夜も一歩離れたところから微笑んだ。

 フランドールと関わりがある魔理沙と霊夢は「「だといいんだがなぁ……(けどねぇ……)」」と肩を竦めた。

 そこにマミが「ところで……その、オーエンというのは何じゃ? どこかで聞いたことがあるのじゃが、イマイチ思い出せん」と申し訳なさげに語った。

 その疑問に右京が答える。

 

「オーエンというのはアガサクリスティー原作《そして誰もいなくなった》の登場人物です。夫のユーリック・ノーマン・オーエンと妻のユーナ・ナンシー・オーエン――通称、オーエン夫妻は原作のロングヒットも相まって長年、ミステリーファンから親しまれています」

 

「ほうほう、ミステリー物だったか。しっかし、どこもかしこもミステリーブームじゃのう! 儂にゃあ、ついていけんわい。お手上げじゃ、お手上げ」とジェスチャーを交えながらマミは右京の瞳をジッと見た。

 

「僕はよい傾向だと思いますがねえ。物事を疑いながら考えるきっかけにもなります」

 

「イタズラに人を疑うメンドクサイ連中が増えるだけだと思うがなぁ」と魔理沙がツッコミを入れる。

 

「アンタみたいな?」

 

 ニヤニヤと霊夢が乗っかる。

 

「何を言っているのか、さっぱりわからんな」

 

 魔理沙は一蹴するもどこかバツが悪そうだった。

 小鈴はメンバーたちの会話を聞きながら「《そして誰もいなくなった》は鈴奈庵にもあるけど、英語版だからなぁ~。翻訳した本を出せば儲かりそうなんだけどなー」と嘆いた。

 直後、阿求がキメ顔で「私なら訳せるけど?」と右指でお金を模した輪っかのマークを作りながら問いかけたが、小鈴は「どうせお高いんでしょ?」と切り捨てた。

 阿求の性格を知っている親友の小鈴ならではだ。

 

 オーエンの話題で盛り上がったり、リアルな話題を出したりとシリアスなゲームの設定にしては些か緊張感がなさすぎるが、これが幻想郷の住民なのだ。

 右京はこのどこか間の抜けたやり取りを気に入っている。

 反対に尊はついて行けずに戸惑っている。

 そんな中、手持ちの懐中時計を眺めていた咲夜が時間を告げた。

 

「残り時間は後、十五分です」

 

「もう五分経ったの!?」

 

 尊が驚いた。

 まともな議論を行わず、メンバーは他愛もない雑談だけで五分を使い切ったのだ。

 内容は死んだ里人がオーエンという人物であることくらいである。

 戸惑うメンバーも少なくない中、パチュリーがしれっと言った。

 

「時間だし、進めましょうか」

 

「おいおい、お前が《進行役》か?」

 

 魔理沙が口を出した。

 白黒の魔女の言う進行役とは参加者内で意見をまとめる者のことだ。

 ゲームの進行役は咲夜だが、議論には口を出さない。議論をまとめるためには別の進行役が必要なのだ。

 パチュリーは自らその役目を買って出たという訳だ。

 魔理沙はそれを妖怪の企みかと訝しみ、ちょっかいを出したのだろう。

 七曜の魔女は少し間を空けたが、珍しく魔理沙との会話に応じた。

 

「……なら、アンタがやる?」

 

「うーむ、まとめ役ってのは前に阿求んところでやったけど、なんか苦手でな……」

 

 当時の幻想郷では新参者だった宗教家三人衆との対談を思い出して渋り始めた。

 

「だったら誰がやるんだい?」とレミリア。

 

 魔理沙は少し考えてから「多数決で決めようぜ」と言った。

 参加者は賛同。指差しで一斉に進行役を選ぶことになった。

 

「「「「せーの――」」」

 

 結果、パチュリーに二票、阿求が三票、そして残り四票が右京に入り、進行役は右京に決定した。

 これより、本格的な妖怪探しに入っていくのであった。



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第49話 緋色の遊戯 その2

阿求と小鈴の席順を間違えていたので修正しました。
ご迷惑をおかけしました。


「おやおや、僕ですか! 大役を預かってしまいましたねえ」

 

「似合っていると思いますよ」と尊。

 

「無難じゃねぇか?」

 

 魔理沙が踏ん反り返った。

 他のメンバーも不満はなさそうだ。

 周囲をぐるっと見渡した右京が宣言する。

 

「それでは議論を行いましょう。とその前に――」

 

 右京は勿体付けたように言った。

 

「――この中に実は〝占い〟ができるという方はおりませんか?」

 

「占いだと!?」

 

 ワザとらしく驚く魔理沙。

 

「ええ、もし超常的な能力を持つ方がいるのでしたら、その方の意見を是非、参考にしたいと思いましたので!」

 

「あー、言われてみりゃあ、この里には〝一人だけ〟占いができる奴がいたっけなぁ~」

 

 魔理沙は白々しく言い放った。

 参加者の中から〝二人〟が手を挙げた。

 

「儂じゃ」

 

「私よ」

 

 マミとパチュリーだ。二人はほぼ同時に手を挙げた。

 その動作はごくごく自然な物で不審な点は見当たらなかった。

 どちらも互いを見やり、

 

「儂が易者じゃ」

 

「私が易者よ」

 

 と語った。

 クレバーな表情のマミに無表情のパチュリー。いつも通りの二人だ。

 

 参加者は二人の様子を観察するも、どちらも雰囲気に変化がないので、表情や態度だけでは判断できないようだった。

 右京がクスクス笑う。

 

「おや、二人いますねえ~」

 

「これはおかしいぞ」

 

 顎に手をやる魔理沙。

 

「まさか、どちらかが……妖怪ッ!?」

 

 たじろぐ尊。白黒の魔女が怪しんで、元部下が妖怪の疑惑をかける。まさかの連係プレイであった。

 参加者は思わずクスクスと笑ってしまう。二人を視界に据えた右京が確認を取る。

 

「これは――確かめるしかないようですねえ。お二人ともよろしいですか?」

 

 二人はその意味を理解して「かまわん(ないわ)」と応えた。

 右京は二人の候補の中で自身の視線に近いパチュリーを指名した。

 

「パチュリーさんから簡単な紹介と占い結果をお教えください」

 

 指名されたパチュリーが自己紹介を始める。

 

「私はごく普通の里人よ。変わっているとしたら趣味で占いをやっているくらいかしら。オーエンさんのような悲劇を生まないため、微力ながら協力させてもらうわ」

 

 パチュリーはその場で立ち上がり、右掌を正面にかざし出す。

 その瞬間、掌を中心に七色の小型魔法陣が展開。球体を模した光の渦が形成され、いくえにも重なり合うように擦れ動く。

 周囲が驚く中、彼女は「光の天球、ホロスコープよ――我を導け」と呟く。

 すると、光が結晶のように砕け、粒子が地面に落ちる前に霧散した。

 それを見届けたパチュリーが饒舌に語り出す。

 

「星の導きによれば〝本居小鈴さんは人間〟と出たわ。信じるか信じないかはあなたたち次第。だけど、そこの占い師さんに私以上のことができるかしら?」

 

 彼女はマミを軽く挑発してから席に着く。

 パチュリーの占術を模した魔術パフォーマンスに右京は感動を顕わにしながら拍手した。

 

「すばらしい西洋占星術ですねえ! 感動いたしました!」

 

 それにつられるように皆がコメントした。

 

「さすがはパチェね!」友人の行動に喜ぶレミリア。

 

「すごーい……」口を塞ぐ小鈴。

 

「お見事」と阿求。

 

「すげえ……」腰を抜かした尊。

 

「それくらい私でもできる」お株を取られて、ご立腹な魔理沙と霊夢。

 

 周りが拍手する中、挑発されたマミだけは目を細め「コヤツ、やってくれるわい」とポーカーフェイスの裏側で対抗心を燃やしていた。

 ある程度拍手が鳴り止んだタイミングで右京はマミを指名する。

 

「お次はマミさん、よろしくお願いします」

 

「うむ。儂はこの里に住む焼き鳥好きの健康マニアじゃ。占いは趣味で嗜んでおるが、ここに来る前はそこそこ当たると評判じゃった。今からその技を見せてやろう――ふんっ」

 

 マミは紋付羽織の裾から周りに見えぬよう緑色の葉っぱを一枚取り出して、それを机にドン! と押し当てると、連動するように葉っぱが煙へと変化。テーブルの上に八本の柱が出現した。

 

 一定間隔に立ち並んでから煙同士か線を結び、八卦の陣を形成する。

 すかさず、マミが右手を天にかざして指を鳴らすと煙が弾けるように消え去り、テーブルには細長い紙だけが残った。

 その紙には日本語で〝博麗霊夢は人間〟と書かれていた。

 

「天の導きによると〝博麗霊夢は人間〟だそうじゃ。当たるも八卦、当らぬも八卦――信じるのはおぬしら次第。じゃが、そこの占い師よりは当たる。そう断言しようぞ」

 

 そう決め台詞を吐いてからマミは席に座った。

 その姿にパチュリーは微かに笑顔を作ってから、拍手を送る。

 進行の右京が「こちらは東洋占星術ですねえ! 御見それしました!」と拍手した。

 周りもパチパチと拍手。その中で尊は「やっぱり妖怪だったか」と内心思うも元々、隠す気がなかったのだろうと考え、ごく自然に流した。

 マミは「なぁに、大したことないわい!」と満更でもない表情だった。

 もはや、ゲーム関係なく、純粋なパフォーマンスに参加者は喜んでいた。

 お酒が入っているせいか、いつも以上に皆のノリがよかった。

 

 しかし、魔理沙が呆れながらに「これじゃあ、新春かくし芸大会だぜ……」。霊夢が「どっちも人間業じゃないわね……」とこぼした。

 

 そこに右京が「ここは妖怪がいる不思議な世界ですから」とフォロー。

 追求は野暮だと思ったのか、参加者たちも空気を読んで占い方法については無視して議論の準備を始める。

 右京は時間を気にしてか、やや早口ぎみに場を仕切る。

 

「占いにてパチュリーさんは小鈴さんを人間。マミさんは霊夢さんを人間と断言しました。ですが、里の占い師は一人だけです。どちらかが妖怪かその関係者であることは明白です。

 この点におきまして皆さまはどう思われるのか、また誰が妖怪だと思うのか――レミリアさんから順に時計回りでお聞きして回ろうと思います。

 時間も残り十二分ほどでしょうし、一人三十秒から一分程度の時間でご意見を述べてください。易者の方は全員の意見を聞いた後、マミさんからご意見や反論などを伺わせて頂きます。残りの時間はフリートークとします。それではレミリアさん、お願いします」

 

 レミリアは進行役の手際を指して「お上手ねぇ」と無邪気に微笑む。

 

「パチェもマミさんもすばらしい技術を持っているわね。どちらかが妖怪だなんて信じたくないけど、あえて言うならマミさんが妖怪かもしれない。

 根拠は特にないわ。二人とも上手だしね。ただ、パチェの〝星の導き〟というフレーズが気に入った。そう思って頂戴。それと他の妖怪は魔理沙辺りじゃないかと睨んでいるわ。理由は〝仕切りたがる〟からかしら? ふふっ」

 

「仕切りたがって悪かったな」と即座に魔理沙が返す。

 

「なるほど、参考になりますねえ。お次は阿求さん。お願いします」

 

「はい」

 

 そう返事をして阿求は意見を述べた。

 

「お二人の占術はとても魅力的でした。西洋と東洋の共演。この地ではまず見れる物ではありません。甲乙つけがたいですが、今回はマミさんを支持させて頂きます。理由はパチュリーさんが妖怪ではないかと疑ったからです」

 

「それはどうしてでしょうか?」

 

「まず、パチュリーさんが議論を進行しようとしたところに引っ掛かりを覚えました。彼女はあまり話し合いに参加しなかったのにも関わらず、肝心な場面に入るところで議論をまとめようとした。そこに些細ですが、不自然さを感じました。それだけです」

 

 このように阿求が説明した。

 話を聞いたパチュリーは「そんなつもりはなかったのだけれど」と、いつものトーンで述べる。

 

 人狼ゲームとは相手を疑うゲームである。

 相手の言動や動きを見て疑問に思えばそれを率直に伝え、議論を活性化させていくのだ。

 反対に議論へ参加しないメンバーがいればそこから選んで吊っていくという戦法も存在する。

 ただ、攻めた発言をしすぎると反対に自分が吊られるまたは人狼に襲撃される恐れもある。

 この駆け引きが中毒者を続発させる要因となっているのだろう。

 阿求はこのゲームの本質をよく理解しており、必要以上に発言し過ぎないように配慮していた。右京に匹敵するその頭脳は洞察力でも秀でている。

 

 右京が「他にありますか?」と問う。

 彼女は「今のところ、それくらいですかね」と一言。

 進行役の右京は、わかりましたと告げてから、次の発言者の名前を呼ぶ。

 

「お次は小鈴さん――お願いします」

 

「ふえ!? あっ……えっと、パチュリーさんの占いは西洋感特有の煌びやかさが出ていて、凄くよかったと思います! マミさんの東洋占星術もカッコよかったです! 煙がバーって出るの!」

 

 小鈴は目を煌めかせながら感動を身体で表した。

 

「ありがとう」とパチュリーは返し、マミも「ふっ、それほどでも」と、気分をよくした。

 

 小鈴は続ける。

 

「――どちらも凄いけど、私にはどっちが本物かの区別がつけられません。だけど、東洋占星術にはその……〝苦い経験〟があるので、今回はパチュリーさんの占いを支持しようと思います。マミさん、ごめんなさい」

 

「よいよい」と本人がフォローした。

 

 右京が訊ねた。

 

「他に何か気になったことなどはありましたか?」

 

「気になったことですか?」

 

「例えば、怪しい動きをする人物、妖怪なのでは? と思う人物など、些細なことで構いません」

「うーん、そうですね――」

 

 小鈴は周囲を見渡してから「全員が自然体すぎて、誰が妖怪だとかわからないんですよね……」と困り顔をした。

 

「わかります。僕も正直、区別がつきません。これからじっくり考えていきましょうか――お次は霊夢さん。よろしくお願いします」

 

 霊夢はコクン頷いてから自分の意見を述べた。

 

「まぁ、占いの演出は皆が賞賛しているので置いておきますが――占いの結果を考慮すると、私を白に指定したマミさんが正しいような気がしますが、何だか胡散臭いので微妙な感じもします……」

 

「何じゃそれは」と白けるマミ。魔理沙は「どっちも信じてないってか?」と尋ねた。

 

 彼女は「必ずしも易者が名乗り出るとは限らないでしょ? ここの連中の性格を考えるとね」と返した。

 このゲームしかり、本家人狼ゲームしかり占い師役の人物が必ずしも手を挙げなければならないとするルールは存在しない。それすら任意なのだ。

 しかし、それをやると本家では大バッシングを受けるので極力控えよう。

 霊夢の意見に尊は「これでどっちも偽物だったらハードモードだよ」とこぼした。

 里人陣営で一番、力を持つ易者が序盤から名乗り出ないのだ。当然だろう。

 その意見に幻想郷の住民は「ありえない話じゃない」とこぼし、尊は苦笑った。

 彼女は続ける。

 

「二人占い結果だけが全てではない。そう言いたかっただけです」

 

「なるほど、参考になります。他に何かありますか?」

 

「……妖怪かなって思う人はいます」

 

「それはどなたでしょうか?」と右京が問う。

 

 霊夢は視線を移さずに、こう言った。

 

「杉下さん」と。

 

 メンバーはまさかの進行役への指名に皆が驚いた。

 名指しされた本人は「おやおや! それはまた」と驚いて見せてから「どうしてそう思われるのですか?」と訊き返した。

 彼女は「何となくです。というより〝敵だったら厄介かも〟って思っているからかもしれません」と、どこか不敵な笑みを浮かべた。周囲は図書館でのことをまだ根に持っているのか、と苦笑した。

 

 確かに右京は味方なら心強いが、敵なら最悪の相手だ。

 霊夢や魔理沙などは嫌と言うほど彼の能力を理解している。霊夢はゲームの役職うんぬんよりも相手のスペックで吊るか吊らないかを判断したのだ。

 本家ではあまり聞かない話だがもし《シャーロック・ホームズ》が自分たち主催の人狼ゲームに参加しているなら、そういう選択もアリだと考える者もいるだろう。

 

 それだけ脅威なのだ。ホームズも右京も。

 右京は自分が妖怪だと疑われているがそのスマイルを崩さず「ご心配なく、僕は里人ですから」と語った。

 続けて彼が他に疑わしい方はいるかと問うとも彼女は首を横に振った。

 次の発言者が魔理沙へと移る。

 

「お次は魔理沙さん、どうぞ」

 

「ようやく私の出番か。ここは〝汝は人狼なりや?〟経験者としてガツンとかましてやるぜ!」

 

 魔理沙は高らかに宣言した。

 それを見たメンバーは一抹の不安を覚えた。

 自身満々に魔理沙は発言した。

 

「占いの結果からして小鈴か霊夢のどちらかが白だろう――だが、どちらかを妖怪側が庇った可能性もある。両方()()()()

 

「「ちょ!?」」まさかの吊っとけ発言に口を開ける対象者二人。

 

「でもってだ。セオリー通りだとパチュリーとマミのどちらかが妖怪側だ。本物だったらいいが、偽物を選んでいたら大惨事だ。どっちも普段から〝曲者〟だから遅くとも中盤辺りで両方吊っとけ」

 

「ぶっ」と吹き出すマミ。

 

「……」目を細めるパチュリー。

 

 魔理沙は無視して続ける。

 

「今言った四人は消えると仮定して、残りは誰を消すだな」と辺りを見回す。

 

 周囲は面を食らったような顔をしている。

 そこに彼女は更なる爆弾を投下した。

 

「霊夢も言ったが、敵に回したら厄介な奴も危ないから吊ったほうがいいと思うんだよなぁ。

 うーん、阿求は頭がよくて機転が利くし、おじさんはこの手のゲームはべらぼうに強そうだから、安全策を取るなら早めに吊ったほうがいいかもな――次は表のにーちゃんとレミリアかな。そうなれば、里人の勝利だぜ!」と彼女は里陣営が勝利するプランを公に語って聞かせた。

 

 大胆すぎる発言に参加者と咲夜を含めた全員がズッコケそうになった。

 それもそのはず。

 彼女が語ったのは人狼のセオリーという名の〝自分が生き残るぜ大作戦〟だからだ。

 あまりにもド直球。

 右京が笑いながらコメントを贈る。

 

「いやー面白いですねえ~。人狼系のゲーム序盤でここまで思い切った発言をする方など見たことありませんよ!」

 

「だろ? ゲームは楽しく、激しくだ」

 

 鼻高々な魔理沙。

 

「味方まで混乱させて、どーすんだい!」

 

 ツッコミを入れるレミリア。

 

「「全くです(だわ)」」と愚痴る阿求と霊夢。

 

「クレイジーすぎんだろ……」と呟く尊。

 

「なんか、気分悪いんですけどっ」とジト目を向ける小鈴。

 

「おぬしよ、もう少し考えんかい……」とマミ。

 

「アンタらしいわ……」と呆れるパチュリー。

 

 魔理沙は「気に入って貰えたようで何より!」と言い放ったが間髪入れず、

 

「「「んなわけあるかーーー!!」」」と咲夜を除く、幻想郷勢から総ツッコミを受けた。

 

 尊はあんぐり、右京は腹を抱えて大笑い。

 当の本人は両手を挙げながら「あーはいはい」と、いつも通りの態度だった。

 人狼ゲームをやる際は過激な発言は慎んだほうがよい。

 最悪、友情まで破壊してしまう可能性がある。

 魔理沙の場合は元々そういうキャラクターだというのを皆が理解しているからギリギリで成立しているのだ。くれぐれもご注意を。

 こうして幻想の夜は続いていく――。



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第50話 緋色の遊戯 その3

 魔理沙ショックがある程度、落ち着いてから発言者が尊に回った。

 彼は手慣れた感じで考察を述べる。

 

「占いの件ですが、僕はパチュリーさんの占いを支持――つまり、本物の易者だと思っています。

 理由は大したことではありませんが、占われた二人の意見を参考にした場合、小鈴さんはいつも通りでしたが、霊夢さんはどこか演技っぽく見えました。

 なので、ぼくはそこに妖怪っぽさを感じて、占ったマミさんを妖怪陣営側ではないかと疑うに至りました。

 他には魔理沙の言う通り、杉下さんはこの手のゲームに()()()()ので、警戒しておくに越したことはないということくらいですかね」

 

 口元を緩ませながら尊は、左手で発言権を右京へ返すような素振りをした。

 右京は元相棒からのさり気無い追い打ちに「おやおや……困りましたねえ」と困り顔をしてみせた。

 釣られるように周りから笑い声が上がった。

 笑いが引いたのを確認した右京が口を開く。

 

「僕の番ですね――西洋占星術のパチュリーさんと東洋占星術のマミさん、どちらも完成度が高く、そのパフォーマンスはほぼ互角だと思います。非常に悩みましたが、僕はマミさんを本物の易者だと考えました。

 始まったばかりで根拠に乏しいのですが、やはり、先ほど阿求さんが述べた意見に説得力を感じたのが理由でしょうか」

 

 右京の見解に魔理沙がコメントする。

 

「ん? 阿求の考察に乗っかろうって感じだな。何だか怪しいなー」

 

「おや、そうでしょうか?」

 

「おじさんならもっと切れのあるコメントをするはずだ――もしかして、進行役に託けて議論を操ろうって魂胆かい?」と意地の悪いことを言う魔理沙。

 

 それを右京は「ふふ、僕はごく普通に議論を進めているだけですよ。そういうあなたこそ、僕を隠れ蓑にしようという考えなのではありませんか?」と綺麗に返した。

 

「はっ、考え過ぎだぜ!」

 

「どうだかねー。案外、妖怪信者なんじゃないのアンタ?」と口をはさむ霊夢。

 

「議論に大きな衝撃を与えた訳だしのぅ」とマミ。

 

「あり得そうね」と阿求。

 

「そうかも」と小鈴。

 

 魔理沙は「おいおい、そんな目で見るな。私は里人だ。じゃなかったら里人が有利な話をする訳ないだろ」と言った。

 

 レミリアが「あれが里人に有利な発言なの?」と疑問を呈する。

 

「里人のための発言だぜ。里人が勝てば私の朝飯が豪華になるんだからな」

 

 魔理沙はきっぱりと言い切った。

 周囲は「コイツらしいな」と再び呆れ返る。

 しかしながら、魔理沙の言い分は里人陣営が戦略を練る際、重要なポイントをいくつか押さえていた。

 易者は易者を驕る妖怪や妖怪信者が潜みやすい。この役職に手を挙げた里人を吊れば敵を潰せる。彼らが最初に庇った里人も、妖怪がターゲットを逸らすために選んだ可能性もあるが故、吊ればリターンを得られる可能性がある。

 最後の阿求や右京を吊れという発言も敵だったらと仮定すれば十分、選択肢に入る。

 インパクトこそ大きかったが彼女が有益な発言をしたことになんら変わりない。

 果たして霧雨魔理沙は里人側か妖怪側か――参加者は頭を抱えることとなる。同時に咲夜が「残り時間五分です」とアナウンス。

 

 右京は易者役のマミに「一分程度でご自身のお考えを述べて頂けますか?」と端的に回した。

 マミは唸りながらに言う。

 

「儂は本物の易者じゃ。手を上げるタイミングも同時じゃったからわかり難くいかもしれんが、嘘は吐いておらんぞ?」

 

「どーだかなー? 霊夢が妖怪という線もあるぜ? 発言的に議論を乱そうとした気もしなくもない」と魔理沙。

 

「少なくとも、おぬしよりは里人側っぽいがの」とマミが反論。

 

 続けては彼女は「しかし、パチュリーどの以外の妖怪陣営がわからんかったわい。皆、上手じゃ」と参加者を評価した。

 

「互いに意見を出すだけであまり考察が進んでいないからねぇ」とレミリア。

 

「まぁ、初日ですから」とフォローする尊。

 

 マミはふふっと笑みを零した後「後は皆に任せる」と右京を見やり、左手で進行するように促した。

 右京はパチュリーに意見を求めた。

 時間も時間なので彼女はすぐに語り出した。

 

「私が本物です。大分、疑われているから信じられないかもしれませんが」

 

「話に入ってこなかった奴が議論を進めようとしたからな」

 

 魔理沙の言う通り、全員がいつも通りだったせいで普段、積極的ではないパチュリーが目立ってしまった感が否めず、彼女が妖怪側で議論を握りたがっているのでは? という疑惑を生んでしまった。

 事実、右京や阿求からそこを指摘されている。

 そうにも関わらず、パチュリーはニヒルな笑みを見せた。

 

「確かに――私が進行役になって議論を誘導しようとしたのは事実だからね」

 

 とパチュリーは魔理沙へ言い返した。

 彼女自身が議論を握ろうとしたと告白したのだ。

 魔理沙は「自ら尻尾を出したか、妖怪!」と勢いよく指差した。

 自身へ視線が集中する中、彼女は平然と言った。

 

「けれど、全ては里人陣営のためです」

 

「ほう~、それは一体どういうことかの?」と眼鏡をクイッと上下させるマミ。

 

 パチュリーはマミを見ながら「あなたと阿求さんが〝共犯〟だとわかったからです」と告げた。直後、更なるどよめきが巻き起こった。

 妖怪陣営扱いされた阿求は「どういうことでしょうか。ご説明願います」と間を置かず返した。

 パチュリーが続ける。

 

「このゲームにはとある欠点があります――妖怪が打ち合わせするタイミングないという欠点が――。それ故、最初の易者騙りの際、妖怪陣営が全員易者を騙ってしまうというケースが想定されます。もしくは誰も手を挙げないだったりなど――」

 

 何点の欠陥を抱えるこのゲーム。その一つが妖怪の打ち合わせ時間がないことだ。

 そのため、易者騙りなど連携を必要とするタイミングでブッキングしてしまう可能性がある。

 練習試合では空気を読んだのか、意図的だったのか〝全て上手く行っていた〟ので誰一人として気にしなかったのだ。

 

「練習試合では上手く行っていたので誰も気にしなかった――私自身、気が付いたのはついさっきでした」

 

「だったら今回も上手い具合にいったんじゃないのか? もしくは空気を読んだとかさ」と魔理沙。

 

「それは違う。ゲームが始まってからコンタクトを取っていたのよ」

 

 パチュリーは断言した。

 

「なんだと!?」

 

 声を荒げる魔理沙を余所に彼女は仮説を展開した。

 

「マミさんと阿求さんはこのゲームの欠点をある程度、察していた。そこにたまたま妖怪役が回ってきた。お二人は切れ者ですから、何かしらの方法でどちらが易者を騙るかを考えていた。判別できない妖怪信者はあてにはできないので自分たちで動こうと。だからこそ、議論開始時から五分で意思の疎通を図った。違いますか?」

 

 彼女の考察にマミと阿求が反論する。

 

「ずいぶん――興味深い話じゃが、些か突飛過ぎるような気がするのう」

 

「全くですね。このメンバーの中で意思の疎通を行うなんて容易ではありません。テレパシーでも使えれば話は別ですけど、私たちはただの里人ですから、そのような力は持ち合わせていません」

 

 すぐさま、パチュリーが切り返す。

 

「テレパシーなんていりません――」

 

「あん? じゃあ、どうやって……」

 

「ジェスチャー」

 

「「「ジェスチャー!?」」」

 

 マミと阿求、パチュリーと進行役以外の全員が驚愕の声をあげた。

 面食らったように右京は「それは、それは!? パチュリーさん、一体いつ、お二人はジェスチャーで意思の疎通を図ったのですか?」と説明を求めた。

 

「タイミングはマミさんが杉下さんに〝オーエンの話題〟を振った時です。あなたが彼女にオーエンの説明をした際、彼女は『お手上げじゃ、お手上げ』と言って手を挙げた。それが合図だった。

 ほどなく、阿求さんが小鈴さんの話に乗って『私が訳してあげよっか』と言いました。小鈴さん――あの時、阿求さんは何かしらのマークを作っていませんでしたか?」

 

 話を振られた小鈴が首を捻りながらも「えっと、右指でお金のマークを作っていたような……」と再現する。

 すると、参加者はそのマークがとあるマークであることに気が付き始めた。

 メンバーを代表して右京が「まるで○に見えますねえ……」と唸った。

 パチュリーはニヤっと笑う。

 

「その通り――私もその瞬間を目撃していました。これは〝マミさんが手を挙げ――阿求さんがそれに答えた〟=〝自分が易者を騙る――わかりました〟というサインではないでしょうか?

 そう考えた私は議論の主導権を握り、意見を伺いながらさり気無くお二人を追い詰め、ボロを出させるつもりでいたのです。全ては里のためを思った行動です。私の話は以上です。

 そろそろ終わりまで残り一分を切っている頃でしょうし――後は皆さんにお任せします。私を信じるか、マミさんたちを信じるかを」

 

 彼女は制限時間を測った上で席に座った。

 その顔は無表情そのものだったが、全ての参加者が彼女の顔から目を離せずにいた。

 右京が「すばらしい考察ですね……」と彼女の考察に感動した。

 

 マミは「……ユニークな考察ではあるがのぅ。我々に反論をする時間を与えんよう、計算したやり口――偶然を利用して儂らを陥れようとしているにしか見えんわい。どっからどう見てもおぬしが妖怪じゃ」と苦言を漏らす。

 

 阿求は「たまたま、タイミングが重なっただけです――ですが、周りを見る限り、私が妖怪だと怪しまれているのは紛れない事実。どうしても疑うというのなら、私を吊る――もしくは占ってみれば真偽がはっきりするはずです。パチュリーさんの理屈ならば私が妖怪なのですから」とやや苦しげだが、挑発的な態度を取った。

 

 二人の言い分を聞いたレミリアが

 

「そう聞いちゃうと迷うわよねぇ~。いっそ――易者以外に投票というのも選択肢に入るかしら……」

 

 とこぼした。

 

 まもなく、制限時間がゼロとなり、投票フェイズへと移行する。咲夜はメンバー全員に投票用紙とペン、木製の下敷きを渡した。

 参加者たちは投票用紙と睨めっこを始める。

 

(誰に投票すべきなのかしらねぇ~)

 

 笑うレミリア。

 

(パチュリーの考察は説得力があるけど、信じていいものか……)

 

 疑う霊夢。

 

(私の献身的な助言が霞んじまったぜ……)

 

 ため息を吐く魔理沙。

 

(うーん、パチュリーさん凄いなー。でもなー迷うなー)

 

 迷う小鈴

 

(どうなることやら……)

 

 案ずる阿求。

 

(やれやれ、儂のメンツが丸つぶれじゃのう)

 

 嘆くマミ。

 

(さて、どう動いていくかしら?)

 

 警戒を怠らないパチュリー。

 

(レベルたけー……これは本気でやったほうがいいな)

 

 気合を入れ直す尊。

 そして――

 

(ふふっ、これは――楽しくなってきましたねえ!)

 

 人外たちを交えた心理戦に武者震いの右京。

 参加者は厳しい表情を浮かべながら対象者を選ぶ。

 この用紙に易者なら占う対象、狩人なら警護対象、妖怪は襲う対象、妖怪賢者は襲撃対象と能力起動の選択を記号で書かねばならない。

 

 妖怪賢者の能力はさておき、易者と狩人は能力対象をアルファベットで記入しなければならない。

 この時、全ての参加者は吊るメンバーと襲撃メンバーを選ぶ訳だが、ここでもちょっとした心理戦が始まる。

 例えば、早く書けば白々しいと帰って怪しまれ、遅く書いても襲撃対象を悩んだのではと怪しまれる。

 空気の読み合い――特に策がなければ目立たないのが吉。

 参加者はそれを理解している者もいればしていない者もいた。

 霊夢はぱぱっと記入し終え、一番早くテーブルに裏返しで紙を置いた。

 その数秒後にレミリア、魔理沙、阿求、マミ、右京、パチュリー、尊の順に紙を四つ折りにして見えないようにした上でテーブルに置いた。

 

 小鈴は最後まで迷っており、尊が書き終えてから三十秒後に用紙を裏に伏せた。

 咲夜が参加者のテーブルを確認してから「書き終わったようなので投票用紙を回収致します」と声を掛け、瞬時に用紙を回収。集計ののち、彼女が告げた。

 

「これより、吊られる人物の名前を発表します」

 

 緊張の一瞬。

 果たして誰が最初の処刑対象となるのか。

 皆、咲夜が発表するのを今か今かと待っている。

 そして――

 

「投票により〝マミさん〟に決定しました」

 

 参加者の大半は「やっぱりか」とマミをみやった。

 マミは肩を竦めながら「儂じゃないんじゃがのう~」と一言呟く。

 刹那、マミの姿がこの場から消えてなくなった。

 

「え!?」

 

 あまりの出来事に尊が狼狽えた。

 すかさず、レミリアが「咲夜の演出よ」と語り、本人も「マミさんは近くの部屋にお連れしました」と笑顔で語った。

 尊は咲夜が時間を止められるメイドかつその中で自由に動ける彼女の能力に心底、恐怖した。

 「こんなのが表にいたら完全犯罪し放題じゃないか」と。

 右京はいつもの雰囲気を保ちながら「凄い能力ですねえ~」と賛辞を送るだけだった。

 

「これより、夜のフェイズへ移行します――皆さん、目を瞑り伏せてください」

 

 参加者は指示通りに行動した。

 彼女は続ける。

 

「仲間の一人を処刑した里人は互いに疑心暗鬼になりながらも夕暮れになったことを理由にそれぞれの家に帰って行きます。その深夜、音もない暗闇の中、里に不審な影が忍び寄るのでした――」

 

 決まり文句を言い終わるとすかさず、彼女は能力を発動。参加者が気付かないように〝とある人物〟をこっそりと運ぶのであった。



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第51話 緋色の遊戯 その4

「朝がやってきました。目を開けてください」

 

 一同、目を開ける。

 参加者が互いを確認しあうのだが――

 

「あん? アイツがいない!?」

 

 声を上げる魔理沙。

 全ての視線が魔理沙に集まり、彼女が顔を向けている先へと対象が移る。そこにはさっきまでいた少女の姿がなかった。

 周りが戸惑う中、咲夜が告げる。

 

「昨夜の襲撃で〝霊夢〟さんが犠牲になりました」

 

「霊夢の奴がやられたのか!?」

 

 魔理沙は呆気に取られながら周囲をぐるっと見た。

 右京は「そのようですね」と冷静にコメントする。意外な人物の早すぎる退場に一同、言葉を失った。

 三十秒程の間を空けて、咲夜がゲームを進め始める。

 

「今から皆さんにカードを配りたいと思いますが、よろしいでしょうか?」

 

 参加者が首肯にて同意した。

 咲夜は能力を展開後、カードを置いた。

「どうぞ」というかけ声と共に全てのプレイヤーはカードを捲り見た。

 そのほとんどは、いつも通りの顔で中身を確認する。

 早すぎても遅すぎてもダメだ。

 皆、疑われないような仕草でカードを伏せている。が、その中で一人だけ明らかな動揺を見せたプレイヤーがいた。

 そのプレイヤーはカードを見た途端、目が点になり、ポーカーフェイスが僅かに崩れた。

 その表情を何人かは見逃さず、しっかりと目で捉えていた。全員がカードを伏せて、咲夜が回収し、ゲームは議論の時間に移る。

 

「二日目です。マミさんと霊夢さんが帰らぬ人となり、残り参加者は七人に絞られました。制限時間は二十分――参加者全員の同意で短縮可能です。頑張ってください」

 

 一日目の進行役である右京が「議論の進行はどうしましょう? 僕が続けますか? それとも新たに決めますか?」と問う。

 

「んじゃ、また多数決するか?」

 

 そう、魔理沙が言ったことで一同同意。多数決が始まった。

 その結果、再度、右京が議論進行役に抜擢された。

 周囲からの異論はなかった。

 

「一日目に続き二日目も僕が進行を担当させて頂きます。では、パチュリーさん、早速ですが、今日の占い結果をお教えください」

「……はい」

 

 歯切れ悪い返事をするパチュリー。魔理沙や尊が訝しむ。

 直後、七曜の魔女は占い結果を包み隠さず語った。

 

「……阿求さんを占った結果――彼女は《里人》という占いが出ました」

 

「な、なんだってーーーーー」

 

 魔理沙がバン! とテーブルを叩いた。

 易者の発言に面食らった尊が「パチュリーさん、さっきの議論でマミさんと阿求は共犯と言ってましたよね? それって二人は繋がっていたって意味ですよね。そうだとすると阿求さんは妖怪側――それも役職が《妖怪》じゃないと辻褄が合わなくないですか?」と、ズバッと斬り込んだ。

 

 初期の段階で互いの正体を知っているのは妖怪の二人だけ。

 あの短い間に妖怪勢と妖怪信者がコンタクトを取るのは考えにくい。

 ならば、あの二人は妖怪のはずだ。尊はそのように考えた。

 

「確かに私もそう思っていました……ですが、彼女は里人でした」

 

 動揺を隠せないパチュリー。

 ここぞと言わんばかりに阿求が「どうやら、パチュリーさんが私の潔白を証明してくれたようですね」と、真顔で言いきってから続けた。

 

「先ほどのあれは全くの偶然でしたが、ゲームの特性上、疑われても仕方ないと思いますのでお気にせず――ですが、これで誰が妖怪かわからなくなりました。もちろん、易者に手を挙げたマミさんも本物の妖怪か、現状では判断できません。今わかることは霊夢が妖怪ではなかったという事実だけです」

 

「妖怪が妖怪を襲うメリットはないからね」とレミリア。

 

「じゃあ、誰なんだろう……」と考え込む小鈴。

 

「それを皆さんで考えて行きましょう――」

 

 右京が進行役として舵を取った。

 

「今回は参加者が七人なので、残り時間十分までの議論を挙手制とし、十分になったら僕から順に反時計回りでご意見を聞かせて頂こうと思います。その際の持ち時間は先ほどの同じで、余った時間もフリータイムに当てる――ということでよろしいでしょうか?」

 

「今度は杉下さんからなのね?」とレミリアが訊ねた。

 

 右京は「一日目はレミリアさんから時計回りだったので」と回答する。

 周囲も反対せず、彼の案が採用された。

 メンバーは残り十分まで挙手により任意の相手に質問可能となった。

 数秒後、魔理沙が手を挙げ、パチュリーに質問する。

 

「なあ、さっきの推理が滑った感想を聞かせてくれ」

 

「特になし」

 

「ふーん、何だか怪しいなー。もしかして……お前が妖怪か?」

 

「違う――そもそも私は間違っていない」

 

「どういうことだ?」

 

「整理してから話す」

 

 パチュリーは強気な態度を崩さずに魔理沙の揺さぶりを躱した。

 次は阿求が彼女へ質問する。

 

「パチュリーさん、推理を外していないと仰いましたが、それは未だ、私とマミさんが共犯かつ妖怪陣営であると疑っていらっしゃると解釈してよろしいでしょうか?」

 

「その解釈で構いません」

 

「しかし、私は里人陣営なのですよね?」

 

「そうです」

 

「ということは、パチュリーさんは私を《妖怪信者》だと思われているのでしょうか?」

 

「はい」

 

「ならば、いつ私はマミさんを妖怪だと知ったのでしょうか? 妖怪信者は妖怪陣営の情報を持っていません。あの短時間での意思疎通は不可能ではありませんか? 互いに情報がないのですから」

 

「ほとんど不可能でしょうね」

 

「それでも、私をお疑いになられるのですか?」

 

「あの段階でサインと取れるジェスチャーをしたのはお二人だけなので」

 

「……なるほど、わかりました」

 

 阿求相手にも態度を変えず、パチュリーは質問を乗り切った。

 周囲――特に魔理沙や尊は七曜の魔女へ疑いの目を向け始めていた。

 次にレミリアが魔理沙へ質問する。

 

「どうして霊夢が妖怪にやられたと思う?」

 

「何故、私に聞くんだ?」

 

「一番、近くにいたから」

 

「それだけかい――まぁ、アイツがやられたのは意外だったな。私と違って特に目立った発言をした訳でもないのに」

 

「そうよね。理由が見当たらないのよ。もちろん、何かしらの意図があった可能性もあるし、適当に選んだだけかもしれないけど」

 

 このゲームは投票時に襲撃対象を決定し、夜は形式的な意味合いしか持たない。

 不慣れな参加者が多いのなら襲撃対象を絞れず、ランダムに選択することもあるだろう。

 魔理沙はため息交じりに「否定はできん」と言った。

 レミリアは参加者にこう持ち掛けた。

 

「皆さんは霊夢襲撃についてどう思う?」

 

 少し悩んだ後、尊が手を挙げた。

 

「ぼくも正直、霊夢さんがやられたのは驚きました。選択対象が割れた場合は咲夜さんがターゲットの中からランダムに対象を選ぶ――そうですよね?」

 

「はい」

 

 咲夜が頷いた。

 

「だとすると霊夢さんは妖怪の意思によって襲撃されたという点は変わらない。ここから察するに妖怪には彼女を消す何らかのメリットがあったと考えられます」

 

「メリット……。何かしらね」

 

 次にレミリアは偶然、目が合った小鈴に訊ねた。

 

「小鈴さんはどう思う?」

 

「私にはわかりません。偶然か必然かなんて区別付かないですし。ただ、理由があるのなら、何かしらの理由があるんじゃないのかな? とは思いますけど――例えば、霊夢さんの行動とか言動とか……?」

 

「行動と言動……」と阿求が思考を巡らせる。

 

「ん? 何か思い付いたか?」魔理沙が阿求にちょっかいを出す。

 

 彼女は間を空けずに言う。

 

「霊夢の仕草は普通でした。考察もどっちつかずで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()くらいの内容。だた――」

 

 阿求は議論進行役を視界に捉えた上で、

 

「杉下さんを妖怪ではないかと怪しんでいました」

 

 と語った。

 周囲の顔が右京のほうを向く。

 しかし、 右京は表情を崩さない。

 

「確かに彼女は僕を怪しんでいましたね」

 

「つーことは霊夢に指摘されたおじさんがアイツを襲撃対象にしたってことか?」

 

 唐突に右京妖怪陣営説を立ち上げた魔理沙。

 右京以外の参加者から疑問の声が巻き起こる。

 

「いくらなんでも唐突すぎるんじゃないか」と尊。

 

「杉下さんが妖怪――なんか違う気がする」と小鈴。

 

「このゲームで自分を怪しんでいる人間をピンポイントで襲撃する妖怪がいるとは思えないけど」と苦言を呈する阿求。

 

「僕ならしないですね」と右京は笑った。

 

 周囲の反応に焦った魔理沙が「あくまで仮説だ。私だってそんなことはしない」と弁明した。

 その中にあってパチュリーだけは違った見方をしていた。

 

「もし、それが作戦だとしたら――」と聞こえぬように呟いた後、再び考えにふけった。

 

 阿求はその様子を悟られぬようにこっそりと伺い、静かに唸った。

 小鈴は両者の空気にどこか圧倒されつつあった。

 それから参加者は右京が決めた残り十分まで挙手しながら質問を続けた。

 咲夜が残り時間十分を報せるのと同時に右京が議論をまとめに入る。

 

「時間ですので、僕から順番に反時計回りで考察を述べていきます。霊夢さん襲撃の件は無差別襲撃、僕が襲撃したといった憶測が飛び交いました。前者は考察妨害を狙った無差別襲撃の可能性はありますし、後者において僕は里人ですので論外だと言い切りたいですが、このゲームには無実を証明する手段がありません。信じて貰う以外の方法はない」

 

「確かにね。このゲームは議論で相手に信じ貰うしかない。なら、私から質問。もし、杉下さんが妖怪の立場だったら誰を襲撃する?」とレミリアが訊ねた。

 

 疑われているところに鋭いメスを入れてくる。

 実に彼女らしいやり口だ。

 右京は困ったような素振りを見せながら「神戸君あたりですかね?」と、おどけて答えて見せた。隣の本人からははっと乾いた笑い声が漏れ出した。

 彼女は一日目の二人のやり取りを思い出し「困ったときはパートナーを頼る――私とパチェの関係みたいね」と言って見せた。直後、パチュリーは少しだけ視線を逸らした。

 発言者が尊に移る。

 順番が回ってきた彼がやや早口で喋った。

 

「上司が困った際、良く無茶振りをされる神戸です。霊夢さん襲撃で杉下さんが疑われた件ですが、普通に考えて杉下さんが自身を名指しで疑う霊夢さんを襲撃対象にするとは考えられません。仲間がいて票が割れたというのもいかがでしょう? もっと、狙うべき対象がいます。

 例えば、攻めた発言する魔理沙や大人しい小鈴さんなど、無難なところを選ぶはず。ゲームに不慣れという線もありますが、事前に数回ほど練習しているのである程度のセオリーは心得ていると思われます。

 その面から見て霊夢さん襲撃は何かしらの意図があるのではないでしょうか? それと忘れがちですが、パチュリーさんの推理と占いには疑うべき点がいくつか存在します。彼女が本当に易者なのかよく考慮していくべきでしょう。以上です」

 

「ちょうど、一分ですね。お見事」と右京。

 

「どうも」

 

 コホンコホンと咳をしながら神戸は発言を終えた。

 レミリアが「お疲れさま」と声をかける。

 次の発言者は魔理沙だ。

 

「相方が速攻で退場してイマイチ張り合いのない魔理沙だ。私は表のにーさんの意見を支持するぜ。仮におじさんが妖怪だったとしても霊夢を襲撃するのはデメリットしかない。ランダムというのもなくはないが――作為的と見ていいような気がする。なんで選んだかまではわからん――まぁ、おじさんに恨みのある奴の犯行かもしれんが?」

 

 ニヤリとしながら尊を見やる魔理沙。

 尊は「いや、それはないから」とキッパリ否定した。

 魔理沙が続ける。

 

「ってのは冗談だ。ここからはパチュリーの件だが、私も怪しいと思う。それらしいことを言って里を都合の良いように操作している感が出ている。もしかするとマミの奴が本物の易者だったの可能性もある。吊るなら今かもな」

 

 発言を終えた魔理沙は発言権をパチュリーへパスした。

 彼女はため息を吐きつつもすぐに顔を元に戻した。

 

「時間がないので結論から言います――妖怪は〝マミさん〟と〝杉下さん〟だと思われます――」

 

 またもや、参加者がどよめく。

 彼女の度肝を抜く発言に魔理沙が「おま――自暴自棄にでもなったのか!?」と本気で心配し始めるが本人は「私は至って冷静。だから聞きなさい」と制して話を続ける。

 

「最初、私はマミさんと阿求さんが妖怪だと思っていました。しかし、いざ占ってみると阿求さんは里人でした。正直、動揺しましたが、同時にもう一つの可能性が浮かび上がり、真実に辿り着くことができました――」

 

「それは一体?」

 

 右京が訊ねた。

 彼女は阿求に顔を向けながら自らの推理をぶつける。

 

「妖怪信者である阿求さんがマミさんのジェスチャーを見てマミさんと杉下さんが妖怪だと察し、それを観察していた私を欺くためにワザと彼女のジェスチャーに合わせた。おまけに杉下さんが妖怪側なら自分が信者だと報せることもできる――こう考えれば全ての辻褄が合うのです。あなたほどの頭脳の持ち主ならこの程度、造作もないはず。いかがですか?」

 

「……私は多少、記憶力がよいだけの女です。アドリブには、あまり強くありません。あなたのおっしゃるような連携など、取れる訳がない。第一、何故マミさんのジェスチャーの相手が杉下さんと断定できるのですか? 他の方へ向けたモノかもしれないのに」

 

「……その部分は〝カン〟です。そしてあなたもそう直感したからこそ動いた」

 

「カンですか……」呆れる阿求。

 

「カンです」言い切るパチュリー。

 

 二人の間には見えない火花のようなモノが散っていた。

 その様子には魔理沙は「探偵がカンに頼るなんてなぁ~」と肩を竦めた。

 彼女の言葉に自身の経験を照らし合わせた尊は「意外とカンって奴も必要だけどね」と一人呟き、右京もクスっと笑みを零すも、持ち時間の一分を過ぎていたこともあって、次の発言者に意見を求めた。

 

「パチュリーさん、ありがとうございました。続いて小鈴さん、よろしくお願いします」

 

「はい。ええっと、パチュリーさんの推理する姿はカッコいいと思いました。だけど、阿求は頭こそいいけど意外と抜けていて、アドリブとか、お世辞にも上手いと言えないので、パチュリーさんは少し買い被りすぎな気がしました」

 

「ぶーーーーーー」あまりにド直球な意見に魔理沙が吹き出し、阿求はがっくりと肩を落としながら「アンタ、そこまで言う!?」と食って掛かった。

 

「え、あ、ごめん。でも本当のことだし……」

 

「どこがよ!?」

 

「そりゃあ……まぁ色々?」とぼける小鈴。

 

 周囲も〝クリスQ〟の件を思い出してどこか納得してしまった。

 

「けど、だからこそ、阿求は違うと思うんだ」と述べたことで阿求本人も渋々引き下がった。

 

 小鈴は続ける。

 

「パチュリーさんには申し訳ないけど、マミさんが易者だったんじゃないかなって今になって思います。これくらいでいいですか?」

 

「貴重なご意見、ありがとうございます」

 

 右京は次に阿求を見た。

 

「阿求さん、お願いします」

 

 彼女は返事をしてから周囲を見やり、パチュリーに対して反撃する。

 

「つい先まで妖怪陣営として疑われてきた私ですが、私は妖怪陣営ではありませんし、パチュリーさんの言うジェスチャーというのも全くの偶然です。では、誰が妖怪陣営なのでしょうか? 私ですか、杉下さんですか、魔理沙ですか? いえ、違います。あなたですよね? パチュリーさん」

 

 今度は阿求が攻勢に出た。推理でやられたら推理でやり返す――それが流儀と言わんばかりの態度を示した。ここからは阿求のターンである。

 

「あなたは私やマミさんの行動を利用して里を混乱させようと画策した。そのおかげでマミさんは退場してしまうことになりました。そして、私や杉下さんまで退場させようとした――」

 

「ん? お前ならわかるがおじさんもか?」と疑問を覚える魔理沙。

 

「そうよ。じゃなかったら霊夢を狙わないはずよ」

 

「どうして?」と小鈴。

 

「次の投票先を決定させるためよ」

 

「投票先?」首を傾げる魔理沙。

 

「霊夢を吊っておけばその行為を杉下さんがやったように誘導しやすくなるからよ」

 

「皆、否定してたと思いますけど……」

 

 尊が一言、添えるも、阿求は持論を曲げない。

 

「そう――だからこそ彼女はあえて霊夢を狙った。『杉下さんの頭脳ならば〝自分を疑う相手を襲撃するようなミスを犯さない〟――と思わせて意識を他者に向けようとする――この程度、造作もないはずだ〟』とでも語り、押し切るつもりだったのでしょう。私の時と同じ手口を使って議論を妖怪有利な展開へ持ち込もうとした。パチュリーさんが易者としての信用を集めれば、大胆に動けますからね。狩人が存命の内は長く残れるでしょう。全てそれを予測したあなたの行動だった。このように考えれば辻褄が合います。いかがでしょうかパチュリーさん?」

 

 意見を求められたパチュリーが応じる。

 

「私のやり方に被せてくるなんて、お上手ね。あなたは噂通り聡明な方――しかし、それが私の推理の正しさを後押ししているわ。アドリブで合わせられるとね」

 

「小鈴の言う通り、買い被りすぎです。ですが、その精神力と考察力には敵ながら驚かされました。

 マミさんを失ったのは里にとって大きな損失でしたが、二日目にして妖怪と思わしき、あなたを吊れるのであれば良しとしなければなりません」

 

「私は里人陣営です。誰がなんと言おうと」

 

 パチュリーは笑った。

 

 彼女の話が終わるのと同時に「時間なので、後はレミリアさんに」と、阿求が右京へパスし、発言者がレミリアへと移った。彼女は切れ者たちの健闘っぷりに拍手を送った。

 

「二人とも素晴らしいわ。パチェの考察も阿求さんの考察もレベルが高くてどっちも正しいのではと思ってしまった。名探偵が三人もいる人狼ゲームなんて滅多に味わえない。刺激的だわ」と個人的な喜びを顕わにした。

 傍から見ていた咲夜は「里人がこんな態度、取るのかしら」との考えが脳裏を過ぎるも「設定はあくまでも設定だしね……」内心で納得した。今更である。

 

 そこに魔理沙が「三人目の名探偵は進行役だけどな」と茶化し、笑いを誘った。

 続けてレミリアは「ジェスチャーの件も霊夢の件も納得できるけど、そのせいで判断に困る。正直言って困っているわ」と告げて皆、同意して考え込んだ。

 

 自身の腕時計を見た右京が咲夜を小声で呼んでから「残り時間は後二分ほどでしょうか?」と訊ねた。「はい、ちょうど二分です」と彼女は答えた。

 右京は沈黙を破り「残り二分を切りました。ここからはフリータイムとします。お好きな方をお話しください」と言った。

 

 それぞれが気になったメンバーと話し合う。

 魔理沙が尊に「どう思うか?」と問うと「まあ、阿求さんの意見が正しいかなって思っている」と回答。

 未だぎこちなさが残る小鈴にレミリアが「大丈夫? 緊張していない?」と声を掛け彼女が「大丈夫です。とても楽しいですから」と答えたり、阿求とパチュリーの会話では――。

 

「どちらが正しいかこの投票で決まるのでしょう」

 

「そうね。どちらが信じてもらえるか――皆さんに任せましょう」

 

 次の投票結果次第でどちらの考察が正しいか軍配が上がるだろうと予測している二人は静かに互いの健闘を称え合った。

 魔理沙からは「はえーよ」と突っ込まれるも華麗にスルーした。

 

 制限時間がゼロになったところで咲夜が皆を静かにさせ、一日目と同じように投票用紙を配った。

 全ての参加者は記入欄にペンで書き込む。

 一分後、全ての参加者が用紙を裏向きに伏せた。

 魔理沙が一番早く書き終わり、その次にレミリア、小鈴、右京、阿求、尊、パチュリーと続いた。

 ここで咲夜が用紙を回収――少し間を空けてから投票結果を発表する。

 

「それでは、投票結果を発表します――」

 

 緊張の一瞬――誰が吊られるのか。

 

 一日目に疑われつつも反撃した阿求か、大胆な発言を仕出かした魔理沙か、エリートらしい考察を行う尊か、ゲームを楽しむレミリアか、慣れないながらも頑張る小鈴か、易者のパチュリーか、それとも特命係改め進行係になった右京なのか――。

 

 咲夜の口が開かれる――。

 

「投票の結果、退場するのは――〝パチュリー様〟です」

 

 阿求を占った際、彼女を里人陣営と言ってしまったのが信頼の失墜を招いた。

 むろん、彼女は二人を共犯関係と指摘しただけで妖怪だと断言していないが、そこを挽回できず、信用が阿求へと傾いた結果、こうなってしまったのだろう。

 パチュリーは「残念だわ」と言い残し、この場から消えた。

 二回目の投票ともなれば驚くことはなく、メンバーは咲夜に言われるがまま、伏せた。

 夜のフェイズがやってくる。

 彼女がお決まりのセリフを吐いた。

 

「二人目の仲間を処刑した里人は更なる疑心暗鬼に陥るも夕暮れになったことを理由にそれぞれの家に帰って行きます。深夜、音もない暗闇の中、里に不審な影が忍び寄る――」

 

 彼女はまたもや、その能力で《妖怪》が選択した参加者を音もなく連れ去るのであった。



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第52話 緋色の遊戯 その5

レミリア・ジャッジメント最終回です。


 参加者は起き上がり目を開ける。

 右京は左右を見やりレミリアと尊を確認。尊も阿求と小鈴を確認する。

 席順的に残り参加者を見渡せる位置にいたレミリアが何とも言えない顔をした。

 

「やかましい白黒魔法使いがいないわね……」

 

 咲夜が発表する。

 

「昨夜、襲撃されたのは魔理沙さんです」

 

 彼女の退場にメンバーは考察を巡らせる。

 

「魔理沙の奴は尖った発言が多かったしな。そこを疎ましく思った妖怪の犯行か――」と尊が口にしたのを皮きりに各々が一言ずつ発言した。

 

「どうかしらね? アイツが妖怪信者の可能性もあったわよ?」とレミリア。

 

「それにしては疑ってくれと言わんばかりだった気が……」と阿求。

 

「魔理沙さんの性格っていっつもあんな感じだしっ」零す小鈴。

 

 遅れて右京が「彼女はあれが自然体でしょうしねぇ」と呟き、皆が一様に頷いた。

 

 そのタイミングで咲夜が参加者へカードを手渡す。

 いつも通りカードを見た彼らは十秒程度でカードをテーブルに伏せた。

 咲夜がそれを回収し、付箋を貼りつけて再度配った。

 参加者がカードを確認し終えたのを確かめたのち、咲夜はカードを回収。昼のフェイズへと移行させた。

 開始早々、右京が議論の進行役をどうするか問うも、参加者から続投して欲しいと頼まれて了承――三日目の議論がスタートした。

 

「残り五人となりましたが、先ほどの変わらずに十分まで挙手による質問。残りは各自一分程度の考察とフリートークとします」

 

「後半の考察は誰周りかしら?」とレミリアが質問。

 

「おっと、忘れていましたね――どなたか一番、最初に発言したい方はおりますか?」

 

 そうは言っても誰も手を挙げなかったので、一日目のレミリア、二日目の自分ときたので三日目はレミリアに近い阿求を指名。

 そこから時計回りで考察を出し合うことに決まった。

 スケジュールがまとまったところでトークに移っていく。

 少しして尊が手を挙げ、右京に質問した。

 

「パチュリーさんがいなくなって魔理沙もいなくなった。これについてどう考えますか?」

 

「そうですねぇ。パチュリーさんがいなくなったことで易者が全滅したことになります。少なくとも騙っていた妖怪勢力が最低一人は消えた――と考えられます」

 

「残る妖怪は一人から二人。おまけに妖怪信者も潜んでいる可能性がある。けど、妖怪陣営は残り二人と言っていいかも」と呟く阿求。

 

「里人は五人だから、最悪のケースを考えると次の投票で片が付くかもしれないわね」と腕を組むレミリア。

 

 セオリー通りならば、マミやパチュリーの内、どちらかが妖怪陣営であることはほぼ確定している。残る妖怪陣営は二人。マミとパチュリーの本当の役職がなんだったのか。それは誰にもわからないのだ。

 尊が続ける。

 

「魔理沙については?」

 

「そこなんですよ――何故、魔理沙さんを襲撃したのか。その意図がわからない」

 

「普通なら、有益な発言をしている方を狙いますよね? 阿求さんやボクとか、それに杉下さんとか」

 

「僕は取るに足らないと思われたのでしょうかね?」

 

「そうは思いません。杉下さんも模範的な考察をしていました。ただ、パチュリーさんと阿求さん推理バトルのインパクトが強すぎて霞んでしまった。普通なら襲撃候補に入るはずです。それでいて狙われたのは魔理沙だった。ちょっとそこが引っ掛かりません? 彼女は里にとっても有利な発言をするわけでもなく、かといって妖怪に有利な発言をした訳ではなかった」

 

「むしろ、両陣営をかき乱してたわね」とレミリア。

 

「その感は否めませんね」と右京。

 

「同感です」と阿求。

 

「確かに」小鈴も同意した。

 

「彼女を襲撃するメリットってどこにあるんですかね? ぼくにもそこがわからない」

 

「安全策を取ったとか? 例えば、有益な阿求さんを襲撃しようにも狩人がいたらガードされてしまうからとか?」とレミリア。

 

「その場合、次に厄介な相手を襲うはずです」

 

「その厄介な相手って?」

 

「ぼく、レミリアさん、そして杉下さんから一人を選ぶはずです。特にぼくや杉下さんは格好の的だったと思います。ぼくはそれなりの考察もするし、魔理沙の言う通り、杉下さんは切れ者ですから。その話を聞いていれば放置はしないはず――」

 

「しかし、妖怪はそれをしなかった」

 

 阿求の補足に尊も同意する。

 

「そこが怪しいんです。ぼくならそんな真似はしません。確実なリターンを得るなら必ずどちらかを襲撃します。つまり、杉下さん――あなたが妖怪陣営、それも《妖怪》である可能性が高い」

 

 尊は元上司に妖怪の疑いをかけた。

 心理戦でほとんど勝ったことがない上司をゲームとはいえ、追い詰めている。

 少なからずそんな手応えがあった。

 右京は眼鏡をそっと動かし、愉快そうに笑いながら、このように切り返した。

 

「一つ忘れているのではありませんか神戸君? 妖怪陣営からすれば、君も立派な襲撃対象ですよ? もしかして――君が妖怪陣営なのではありませんか?」

 

 見事にカウンターする右京。

 されど尊も負けじと反論する。

 

「本当にぼくが妖怪勢力なら真っ先にあなたを襲撃します」

 

「でしょうね。顔にそう書いてあります」

 

 したり顔の尊とスマイルを崩さない右京。

 その様相はまさに〝ホームズVSワトスン〟といったところか。

 先ほどのパチュリーVS阿求と似たような構図だ。

 そのコンビ間対決を観察していたレミリアが二人に問いかける。

 

「だったら、お二人の内どちらかが妖怪陣営ってことよね?」

 

「神戸君の言う通りであればそうなんでしょうね」と、右京が回答する。

 

「なら、お二人の内、どちらかを吊ってみるというのはどうかしら? 里人陣営は三人、妖怪陣営は二人。数ならこちらが上――疑わしい人を吊るのは正攻法よね?」

 

 レミリアの発言に阿求が待ったをかける。

 

「それはどうかと思います。パチュリーさんが妖怪信者であった可能性も捨てきれません。お二人のどちらかを吊っても妖怪が残ってしまえば、最悪その時点で我々の敗北が決定してしまいます。もっと慎重に考えるべきです」

 

「それでもやってみる価値はあるわよね?」

 

 何を思ったか、今まで聞き手に回っていたレミリアが突如として牙を剥く。

 その方針転換を阿求が追求する。

 

「……今までどこか受け手に回っていたあなたがどうしてここにきて尊さんに加勢するのですか?」

 

「私がパチェの推理を支持しているからと言ったら?」と、レミリアは語った。

 

 阿求は息を飲む。

 

「ということは私が妖怪信者で杉下さんを妖怪だと認識しているということでよろしいでしょうか?」

 

「そう思って頂戴。神戸さんはどう?」

 

「……ぼくはパチュリーさんの推理は疑わしいと思う点が多いと言いましたが――この状況から見るにもしかすると間違ってなかったのでは? と考えさせられました」

 

「仮に僕が妖怪だとして何故、魔理沙さんを選んだのですか? ゲーム全体を見るなら違う人物を襲撃するべきだったのではないでしょうか? それこそ守護される可能性があった阿求さんは別として、君やレミリアさんを対象にしたほうがゲームの展開が有利になるではありませんかね?」

 

 上手に返す右京。

 尊は唸りながら、こぼした。

 

「そこなんですよね。難しいところは――」

 

 何故、魔理沙なのか? その疑問に上手く答えないと議論が進まない。口元に手を当てる尊。

 流れが右京に傾き始めたーーかに思えた、その瞬間、クレバーな元部下は不敵に笑う。

 

「――っと以前なら、言い返せなくなっていたんでしょうけど。あいにく、今回は回答は見つけてます」

 

「ほう」

 

「魔理沙は独特な性格のためその考えが読めない――投票になった場合、数がモノを言います。パチュリーさんの推理を信じるなら、妖怪勢力は二人で里の勢力は三人。そうなった場合、過去の発言を見るにレミリアさんはパチュリーさんの意見を支持するのはわかっていたが、襲ってしまうとパチュリーさんの推理を後押ししてしまう可能性があり、僕や魔理沙辺りに訝しまれる。

 阿求さんは妖怪信者でしょうし――言うまでもなく杉下さんの味方です。素性も察しているでしょうし。そうなると無難な襲撃候補はぼく、魔理沙、小鈴さんになります。小鈴さんは阿求さん寄りの傾向がありました。説得は十分可能でしょう。となれば――」

 

「候補は君と魔理沙さんに絞られる」

 

「そこでぼくと彼女を天秤に掛けた杉下さんは思考が読めない魔理沙を選んだ。かつての〝相棒〟ならその思考を読んで上手く説得できると踏んで――どうです?」

 

 尊の考察は右京の心理状態を丸裸にするような緻密さを誇っていた。恐るべき、元相棒――神戸尊。流れが尊に傾きかけている。常人ならチェックメイトだろう。

 だが、そこは杉下右京。当然ながら彼の意見に対する回答があった。

 

「ふふっ、君も言うようになりましたねえ。〝元〟上司としては感慨深い物があります――」

 

 その哀愁を帯びた発言に全ての視線が右京へと集中する。

 まるで劇を鑑賞するかのように辺りは静かになった――。

 

「ですが――君は思い違いをしています」

 

「……それは?」

 

「僕が魔理沙さんの思考を読めないという点です。君にもお話ししましたよね? こっちにきてから彼女にお世話になってきました。出会いこそ口論で始まりましたが、共に行動し、共に捜査を行った――その過程で短い時間ながらも沢山の言葉を交わしました。苦楽を共にした仲間なんですよ。霊夢さんだってそうです。従って魔理沙さんの説得はそう難しくはありません――彼女はただ()()()()()なだけなのですから――」

 

 それを聞いた幻想郷勢が心のどこかで右京の言葉に納得した。

 右京は続ける。

 

「むしろ、僕が本当に妖怪なら誰よりも真っ先に君を襲撃します――どうしてだか、わかりますか?」

「いえ、それは……」と困惑し始めた尊。

 

 そこに右京が彼を見据えながら――。

 

「――君は歴代相棒の中で唯一、この〝僕〟と互角以上に渡り合った〝相棒〟なのです――そんな手の内を知り尽くされた相手をこの心理戦において放っておくと思いますか? この僕の性格を知る君ならばわかるはずです」と問いかけた。

 

 尊は「あ、あぁ……」と〝かつての事件〟を思い出して言葉を詰まらせた。

 

「残り時間十分――です。申し訳ありません……。五分前の報せを入れ忘れてしまいました」

 

 申し訳なさそうに咲夜が謝罪する。

 右京が「お気になさらず」と笑顔で返した。

 反対に尊は口元に手を当てながら、気まずそうにしていた。

 その様子にレミリアがそっと目を閉じながら「いつの間にかいい話になったわね」とコメント。

 阿求も「同感です」と頷き、小鈴が「なんか〝小説〟みたい……」と目を輝かせ始めた。

 言いたいことを言い切った右京は議論の進行役へ戻る。

 

「皆さんの考察をお聞かせ頂きます――阿求さんお願いします」

 

 阿求は考察を述べた。

 

「はい。前半戦の大半は杉下さんと神戸さんの〝元相棒同士〟の対決となりました。どちらも一進一退の舌戦というべき内容でどこか惹きつけられるものがありました。客観的に見て、元上司の言い分に軍配が上がったと判断し、私は杉下さんの意見を支持します。妖怪陣営は神戸さん、そして彼を支持したレミリアさんが怪しいと思います。以上です」

 

 次に小鈴が意見を述べた。

 

「えっと……正直まだ迷っています。神戸さんも杉下さんもどちらも説得力がありますし、考えれば考えるほど、パチュリーさんとマミさんのどちらが本物なのか、わからなくなるんです……もう、ちょっと考えさせてください」

 

 次は尊が胸中を語る。

 

「言い負かされたようにな感じになった神戸です。ぼくの考察は当たっていると思っていましたが――ぶっちゃけ自信を失ってます。ですが――これ自体、杉下さんの作戦かもしれませんのでお気を付けてください。あ、僕はパチュリーさんの推理を信じます。では」と、疲れたように言った。

 

 周囲は「負けず嫌いなんだな」と苦笑った。

 次は右京の番である。

 

「元部下にまったく信用されていない杉下です。神戸君と話して理解できたのが、彼が僕を疑っており、そこにレミリアさんが乗っかってきたということくらいです。僕を何かとライバル視する神戸君が執着するのはわかりますが、レミリアさんが掌を返したように打って出てきたのには疑問が残ります。もしかすると、パチュリーさんとレミリアさんが襲撃の決定権を持つ《妖怪》で、魔理沙さんへの襲撃はかく乱を狙った作戦だったのかもしれませんね。以上です」

 

 最後にレミリアが口を開く。

 

「色々な意見があったけど、私は《妖怪》ではないわ。といっても、名探偵二人から疑われているから風向きが悪いけどね。考察とかそこまで苦手じゃないけど――小鈴さんと同じでどの意見も素晴らしくてどれが正しいのかわからない状況に陥っているわ。だから、最後までパチェが残した推理を参考にさせてもらったの。

 杉下さんを妖怪だと思って議論を誘導したのもそれが理由。全ては里人のためよ。後は皆が決めて頂戴。それと――パチェと阿求さんの推理バトルに続き、日本のホームズ対ワトスンの友情物語が見れて満足だったわ。以上よ」

 

 レミリアは楽しそうに会話を締めくくった。

 残り時間は五分。

 それから、メンバーは無言で座っていた。

 小鈴だけが「うーん」と頭を捻っており、彼女を急かさないような配慮だった。

 そして、制限時間が無くなり、咲夜がそれを報せ、三日目の議論が終了した。

 配られた投票用紙に全てのメンバーが記入する。誰もが迷うことなく、スラスラと記入し終えた。

 咲夜は用紙を集めてから退場者を発表する。

 

「投票の結果、退場するのは――レミリアお嬢さまです」

 

 その瞬間、レミリアは「楽しかったわ」と言って姿を消した。

 続けて、残りの参加者はテーブルに伏せて夜明けを待つ。

 咲夜が決まり文句を述べると参加者の一人を別室へ移動させ、再び戻ってきた彼女が朝を告げる。

 

「四日目の朝を迎えました。起きて下さい」

 

 参加者が目を開けると、そこにあるはずの()()()()()()()()()()()()()が消え去っていた。

 その光景に勝敗が決したのだと悟った尊がため息交じりに言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()」と。




これにてレミリア・ジャッジメントは終了です。
以下、ネタバレになります。


・参加者が担当した役職


杉下右京:妖怪賢者
神戸尊:里人
博麗霊夢:狩人
霧雨魔理沙:里人
稗田阿求:妖怪信者
本居小鈴:里人
レミリア・スカーレット:里人
パチュリー・ノーレッジ:易者
マミ:妖怪


推理する楽しさと嘘を吐く楽しさを同時に味わえるレミリア・ジャッジメント
楽しんで頂けたでしょうか?
中々、複雑になってしまった上に期間を開けてしまい、申し訳なく思います^^;
紅魔館編はまだ続きますが、これからもよろしくお願いします。


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第53話 緋色の妹 その1

 負けを悟った尊は「もう、ぼくの勝ち目はないですね」と降参のポーズをやってみせた。

 そう、襲撃されたのは〝小鈴〟だった。

 右京と阿求は互いを見やりながら、

 

「さすがは、九代目稗田阿礼さま――素晴らしい立ち回りでした!」

 

「表のホームズさまにお褒め頂き光栄です」

 

 勝利宣言とも取れる発言をした。

 それもそのはず。この時点で里人陣営は尊一人。

 残りは妖怪の右京と妖怪信者の阿求。投票では数の力で決して勝てない。

 これは本家人狼ゲームではパワープレイと呼ばれる。

 本来なら両陣営が狂人を信じさせるべく取り合うのだが、パチュリーの言う通り、序盤で互いの素性を確認した両者には問題なかった。

 和製シャーロック・ホームズと幻想のアガサクリスティ相手では敗北は必然だったのかもしれない。

 軽く息を吐いてから尊が訊ねる。

 

「で、どこからどこまでが正しかったんですか?」

 

「「全てパチュリーさんの推理通りです」」

 

「あ、そうですか」

 

 尊は呆れてものも言えなくなった。〝よくもあそこまで完全にバラされた上で普段と表情を変えずに嘘を吐き通したな〟と。勝者二人組は後日談のように語る。

 

「しかし、パチュリーさんの推理力は相当なものですねえ。阿求さんの〝ファインプレイ〟がなかったら彼女に終始主導権を握られて成す術なく敗北していました」

 

「紅魔館の頭脳――その名前は伊達じゃありませんね。たまたま席が近くて彼女の表情を横目で確認しやすく――偶然、小鈴が鈴奈庵のことを言い出したので乗っかるしかないと覚悟を決めました。お役に立ててよかった」

 

 まさか、パチュリーがゲームの性質を読んで序盤から観察に徹していたなんてこの二人以外は予想しえなかっただろう。

 右京は普段から公私問わず〝こういう知恵比べ〟をしているのでなんてことはなく、阿求もまた職業柄、こういうシチュエーションは常に想像している。

 マミはアドリブが非常に上手だったが、名探偵三人の前に後れを取る形となってしまったのが悔やまれる。

 二人のコンビネーションはまさしく〝相棒〟だった。

 楽しそうにする二人に尊はどこか寂しさを覚えた。ぶり返すサンチマンタリスムに等しい何かに心を揺れ動かされる。

 そんな尊が視界に入ったのか、右京が彼の健闘を称えた。

 

「君も二日目に入ってから切れの良い考察を展開しましたね。里人陣営に有益な情報を提供――三日目には僕を一歩まで追いつめた。腕を上げましたね、神戸君」

 

 予想外の言葉にワンテンポ遅れながら尊が返す。

 

「え、あぁ、どうも――というより、三日目のぼくの考察当たっていたんですね?」

 

「大方当たっていましたね」

 

「なるほど」

 

 満更ではなさそうに尊が頷き、右京が続けた。

 

「二日目の襲撃対象――僕は結構、悩んだんですよ。君とレミリアさんと魔理沙さんの誰を狙うかで。ある程度、行動が予測できたので、予想外の行動を取った魔理沙さんを落とせば、後は阿求さんとトークによって小鈴さんを誘導し、票を確保できると思ったのでその策に出ました」

 

「私はてっきり、尊さんかレミリアさんを落とすばかり思っていたので驚きました」と阿求が語った。

 

「どちらも強敵でしたからねえ。小鈴さんの票を活かしつつ確実にこちらへ持って行くためにはそれが一番だと踏んで選択しました。おかげで神戸君が食付いてくれましたので、レミリアさんも便乗してくれた。叩く部分は魔理沙さんを選んだ理由か、霊夢さんを選んだ理由くらいでしょうしね。後は何故マミさんの肩を持ったのかとかその辺りですかね。いずれにしても反論は容易でした」

 

「なんだか、腑に落ちないな~」とこぼす尊。

 

「ふふっ」

 

 笑みを零しながら、納得のいかない部下を右京は愉快げに眺めている。

 

「……霊夢さんを襲撃した理由は?」

 

「パチュリーさんが僕を陥れるように仕組んだと見せかけるためです。阿求さんがその意図を汲んで考察を組み立ててくださったので助かりました」

 

「結構な無茶振りでしたよアレ」

 

 おかけでこじつけみたいな推理をさせられた阿求からすれば、迷惑もいいところだ。

 右京がさらに続ける。

 

「それと、彼女――名前の通り結構、勘が鋭いんですよ。ですので、早めに対処したほうがいいという思惑もありました。後半になって確信を突かれるのも大変ですし」

 

「まぁ、ピンポイントで杉下さんを名指ししてましたからね。さすがはお巫女さんです」と幻想郷の霊能力を見直した尊。その直後、阿求が「基本はグータラです。修行もよくサボるそうですし」と言って警察官二人を笑わせた。

 襲撃を受けた対象を発表する前に参加者内で勝敗が決してしまったので妙に輪に入りにくかった咲夜だが、コホンと咳払いをして三人を振り向かせてから「襲撃されたのは小鈴さんでした――さて、ゲームのほうですが……妖怪陣営の勝ちということでよろしいでしょうか?」と今更感を漂わせた状態で訊ねてきた。

 一同が「それでお願いします」と言ったことでこのゲームは正式に終了となる。

 それに伴い咲夜は皆を呼びに行くため、この場を離れた。彼女が戻るまで三人は雑談を続けた。

 十分ほど経過したが、咲夜は戻ってこない。

 

 メンバーは妖怪の話で盛り上がっているので、特に気にしなかったが、尊がトイレに行くと言い残し、広間から廊下へと出た。

 トイレは広間からすぐの場所にあり、男性用も完備されている。場所は咲夜に予め教えられているので道に迷うことはない。

 真紅の絨毯が敷かれた廊下を尊はテクテクと歩く。

 

「空間拡張だったかな? スゲー能力だよな……」

 

 外観からは想像できないほど広大や屋敷とその廊下の長さに尊は唸った。一分も経たないうちに尊はトイレに入ってから用を足す。

 尊はその間〝人影はおろか妖精メイドまで見当たらない〟ことに疑問を感じるも、休憩中なのだろうと気に留めなかった。

 

 トイレを出た尊が来た道を戻ろうとする。

 その時だ。彼の背筋に例えようのない悪寒が走った。あまりに唐突だったので、ビクっと身体を震わせながら、彼は反射的に後ろを振り向く。

 そこ人影はなく、一面紅色の空間かつ自分の足音以外何も聞こえない廊下があるだけ。

 気のせいか――そう安堵した、その瞬間――。

 

 ――サ、サ、サッ、ゴトン

 

 どこかで不自然な物音がした。

 振り返るもそこには何もない。

 間髪入れず左右から似たような怪奇音が聞こえ始めた。

 ドタドタと何かが走る音、カチャカチャと何かすれる音。

 微かにだが、何者かが歌を歌う声が尊の耳に入る。

 尊は慌てふためきながら視線をグルグルと駆け巡らせる。

 前方後方、床に天井、廊下の埃まであらゆることを確認するも音を鳴らす物体が確認できない。

 そうこうしているうちに声が段々近づいてくる。それは正面だ。

 カチャカチャカチャカチャ――何かがすれ合う音と共にそれが鮮明になる。

 それは少女の声だった――。

 まるで、天使のような歌声で彩られるあまりに悪魔的なメロディー。

 ふんわりとしながらその実、鉛のように固く重く突き刺さる十字架――。

 尊はその場で硬直して動けずにいた。

 不安定なリズムと共に〝破滅の(うた)〟の全容が明らかとなる――。

 

 

  紅い()~ 細めて 

  月を片手に遊ぶのよ~♪

  死の灰~ 降り注げ 

  儚き紅楼夢(こうろうむ)~♪ 

  あなたと~ 待ち合わせ 

  真っ赤なお墓で待ちぼうけ~♪

  いつでもこれからも~ 血染めの人生よ~♪

 

  地上は私の物

  だけど 今は誰の物でもない

  何故だろう

  私は支配者(ロード)になれない

  なれるとしたらアイツだけ

  私は蚊帳の外

  仕方ないから

  紅い大地と夢幻(むげん)(とき)をギャラリーに

  今宵も踊るわ

  月はいつでも私の味方

  太陽はいつでも私の敵

  あなたはいつでも私の玩具(おもちゃ)

  そんな関係も右手一つで終わってしまう

  だから人は私をU.N.オーエンと呼ぶ――

 

  振り返れば誰もいない ここに一人

  人の形した抜け殻を人とは呼ばない

  言うならば首紐(くびなわ)ブリキ

  人はそれを死者と呼び 私は餌と呼ぶ

  彼女の行く先は天国かそれとも地獄か

  決めるのは私とあなた

  そうだ 全ての生者たちのために

  虹色のつり橋を創りましょう

  いずれは真紅に染まる私たちの

  甘いトラップを

  そこを歩く者たちを橋ごと破壊して

  波紋の絶海を作るの

  きっと楽しいわ

  串刺しごっこなんかよりもずっと刺激的

  証拠なんて残らない

  私がきゅっとしてドカーンしてあげる

  だから……遊びましょう 永遠に――

 

  消えない夢抱いて~

  明日と心中しに行こう~♪

  忘れはしないわ~

  その顔 その命~♪

  あなたが崩れてく~ 

  私が無慈悲に崩してく~♪

  いつでもこれからも~ 

  私は殺人鬼~♪

 

 

 そして、無限の混沌の中を歩んで来たであろう《紅の少女》がその姿を人前に晒す――。

 

「初めまして、日本のワトスンさん――私は吸血鬼の妹、フランドール・スカーレットよ」

 

 その翼は翼と言うにはあまりにも煌びやかすぎた。

 細く軽く音を立てそして不安定すぎた。

 それは正に〝悪夢〟だった――。



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第54話 緋色の妹 その2

 ついに現れた――ついに降臨なされた――紅魔の双璧、その妹君――狂気を宿した吸血鬼フランドール・スカーレット。

 濃い黄色のウェーブかかったセミロングをあどけなくサイドテールに仕立て上げ、定番のナイトキャップを被った彼女は全身を真紅のお洋服でお洒落に彩り、両手を腰にまわし、可愛いその足で絨毯をふみふみしている。

 振動が身体を伝わって背中を揺らすたびにそこから生えた七色の翼がカチャカチャと音を鳴らす。

 その翼は黒いホースのように細く長いしなやかなのだが、そこには天干しした干物がぶら下がるかのように色取り取りの菱形をした宝石が立ち並んでいる。

 人によってはパリコレの衣装にも見えるかもしれないが、今の尊に考えるだけの余裕はない。

 奇妙な姿をした少女は全てを呑み込んで跡形もなく消し去るブラックホールのような混沌(ケイオス)を宿した紅眼(レッドアイズ)を携え、目の前のターゲットがどんな態度を取るのか、ジッと見つめている。

 後ろ手に回された破滅を宿す掌は()()()()()()()()という意思表示にも取れる。

 慈悲である――紛れない慈悲である。彼はそれをただ自然と理解できた。

 初めて出会った超ド級の規格外――それもプレッシャーという名前の純然たるカルマをところ構わず、まき散らしている。それは格下を平伏されるには十分すぎた。

 

 尊は何が何だかわからず、ただ恐怖に怯えていた。

 

 圧倒的な力。絶対的な恐怖。破滅的なオーラ。

 彼女はその可憐な容姿に強者の要素の大半を詰め込んだ空前絶後のスーパーカーミラ。

 シェリダン・レ・ファニュだって裸足で逃げ出すほどの傑物。

 時代が時代なら天下を取れたかもしれないお方である。

 頭が高い――とでも言われたかのように彼は尻もちを突いた。

 妹君は獲物の近くまで寄ってきた。

 その一歩一歩が今の彼には処刑人の足音、もしくは死神が鎌を振り上げる音に聞こえたに違いない。

 尊は本気で泣きたくなった。

 彼女は少しだけ屈んでから口を開いた。

 

「どうかした? どっか痛いの?」

 

「え……あ……そ、その……」

 

 言葉など出ない、彼女の気に当てられた人間はただのアリも同然。委縮して何も考えられなくなる。

 幻想郷の妖怪でも彼女とまともに話せるのはごく一部だ。

 大半は泣きながら逃げ出してしまう。目の前の獲物はそれすらさせて貰えない。

 

 少女は不満げな表情を浮かべた。

 

「うーん。つまんないねぇ〜。ーーホームズはまだ広間にいるの?」

 

 尊は口を大きく開けながら、コクンコクンと頷いた。

 自分のことをワトスンと言ったならばホームズに該当するのは右京しかいないのだから。

 妹君はパッと笑顔を作ってから「じゃあ行くかー。()()()――こっちおいでー!」と〝とある者〟の名前を読んだ。

 すると「キャウキャウ♪」と嬉しそうな声を出しながら何かがこちらへ向かって疾走してきた。全身灰色の小型犬よりも大きいくらいの物体が尊の真横を横切る。

 彼はツパイを見て意識が飛びそうになる。

 何故ならば――。

 

「ん? あぁ――この子ね、ツパイって言うの。ちょっと前は脱走したこともあったけど、今では立派なお利口さんなのよ。はい挨拶」

 

「キャウ!」と元気よく返事をした。瞬間、尊は心底怯えながら

 

(は――は――コ、コイツは……《チュパカブラ》ああああああああああ!!)

 

 と声にもならない悲鳴を上げた。

 

 彼女のペットとはあの有名な〝UMA〟のチュパカブラだった。

 チュパカブラは火星型宇宙人グレイを小型犬にしたような怪物である。

 生き物の生血を啜る吸血生物であり、メキシコ辺りでの目撃情報が出ていたが、その真相は謎に包まれている。まさに未知のモンスター。

 さすがは幻想郷――なんでもありだ。

 ペットの合流したお姫様は親切な人間に向かって手を振りながら「ありがとね~」とお礼を言って広間へと早歩きで向かった。

 その瞬間、緊張から解放された尊はその場で糸の切れた人形のように倒れ込んで気を失った。

 

 

 咲夜たちが戻るのを広間で待っている右京と阿求はまだ話し込んでいた。

 内容は妖怪の話から小説の話へ替わっていた。

 

「〝そして誰もいなくなった〟はミステリーの傑作ですよね!」と阿求。

 

「もちろんですとも! 今なお売れ続け、全世界で一億冊を達成した偉大なる小説です」

 

「私もあれくらいの本を書いてみたいですが、中々、筆が進まないことが多くて……」

 

「おや、それはどうして?」

 

「ネタは思い付くのですが、幻想郷版にローカライズする際、住民にわかりやすくしなければならないので、そこの調整で手間取るのです」と阿求は作家としての悩みを語った。

 

「わかりやすくしなければ読者が困ってしまいますからねえ」

 

「そうなんです。文章を書くのは得意なのですが、表現が難しいとか言われるとちょっとへこみます」

 

「僕も若い部下を持っていた時期があるのでよくわかります」

 

「部下と言うと〝相棒〟の方ですか?」

 

「ええ、とても正義感の強い好青年です。感情が高ぶると粗暴さが目立つ性格でしたが、非常に頼りになる相棒でした……」

 

 かつての部下を思い浮かべた右京。その瞳には悲しさが同居していた。

 

「話を聞くにきっと、どんな事件にも怯まず立ち向かう人物だったのでしょうね――私の小説にもそういったキャラクターはいますが、どうもワトスンっぽくなってしまって――。キャラクター作りって思ったよりも大変なのだな、といつも痛感させられます」

 

「僕も趣味で小説を書いてますから他人事は思えません」

 

「あら? 杉下さんも小説を?」

 

「はい。趣味で」

 

「ちなみにタイトルは?」

 

「〝孤独の研究〟という物です」

 

「〝習作〟ではないのですね?」クスりと笑う阿求。

 

「〝研究〟のほうがしっくりきましたので」と笑顔で返す右京。

 

「内容のほうは――やはりミステリーですか?」

 

「いえ、毒舌で有名なミステリー小説評論家が何故、自分自身が孤独なのかを知るべく研究していくという一風変わった内容の物語です」

 

「それはまた……どうしてそのテーマで小説を書こうと?」

 

「仲の良い友達に小説を書いてみたほうがいいと勧められたのがきっかけです。ちなみに主人公のモデルはその友達です」と右京はおどけて語って見せた。

 

 それを聞いた阿求が歳相応の笑顔を作りながら「地味な嫌がらせですね」とコメントする。

 

 広間は和やかな空気に包まれていた。後は咲夜が皆を連れてくるだけで今日はお開きになるだろう――せっかくだから、余った時間でレミリアに頼まれた曲を作ろうかと右京は考えていた。

 しかし、そうは問屋が卸さない。

 ドタバタと軽い足音が広間にも伝わってくる。

 右京は音の大きさ的にレミリアが先に戻ってきたのか? と勘繰ったが、実際に扉を開けたのは彼女ではなく――。

 

「よいしょっとっ」

 

「キャウキャウ!」

 

 深紅に身を包む少女と灰色の生命体だった。

 阿求はその姿に絶句し、右手で口を覆い隠したまま硬直した。

 右京も少女が持つ深紅色の瞳が放つオーラを真正面から浴び、背中にゾクゾクと電流じみた危険信号が走るも、その可憐かつ狂気を帯びた彼女とお供の灰色騎士の存在に〝いつもの悪癖〟が刺激されて、その心を奪われた。

 

 彼女は何気ない顔で右京の元に駆け寄る。

 

「こんばんは――ホームズさん」

 

 見る者を威圧するその雰囲気は和やかな空間を突如として殺伐な世界へと変貌させる。

 

 阿求は「なんでここに彼女が!? いつもなら幽閉されているか地下周辺をウロウロしているだけのに――」と竦んで動けなかった。

 

 そんな中、右京は――。

 

「……おお! あなたはもしや、レミリアさんの――」

 

「そうよ、私が妹のフランドール・スカーレット」

 

「やはりそうでしたか! 僕は表の世界から来た杉下右京と言います。お会いできて光栄です、フランドールさん」

 

 あろうことか中腰になり、目線を合わせた上で右手を差し出した。

 それに気を良くしたのか、それとも〝身の程知らず〟とでも思ったのか、吸血鬼の妹は、ふふんっと小さく鼻を鳴らしてから。

 

「よろしくね」

 

 笑顔で握手に応じた。

 これより、緋色の遊戯は第二幕へ突入する。



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第55話 緋色の妹 その3

今年最後の更新となります。


 右京は妖怪でさえも恐れ戦くフランを相手に対等に接した。

 

 ありえない状況に阿求が息を飲むが、今までの彼の行動から心のどこかに〝この人ならやりかねない〟という予感めいたモノがあり、次第に現実を受け入れていった。

 

 握手を終えたフランは先ほどまでレミリアが座っていた場所まで歩くと、椅子に腰をかけた。

 

「さっきのゲーム、面白かった?」

 

「ええ。とても」

 

 そう答えながら右京も自分が座っていた席に着いた。

 どうやらフランはメンバーがレミリア・ジャッジメントで遊んでいたのを知っているようだった。

 少し遅れて阿求も席に戻る。

 その顔は明らかに強張っていたが、動揺を見せぬように努力していた。

 何故、レミリアたちは戻ってこないのか、ゲームがまだ続いていると思い込み、どこかで待機しているのか、あるいは別の事情か――。

 

 阿求は考えられる〝最悪の状況〟を想定し、俯きながらその童顔を真っ青にした。

 彼も阿求の思考を理解してか、少しだけ表情を崩した。

 二人の心情を知ってか知らずか、フランはニヒルな笑みを浮かべておちょくる。

 

「アイツの作ったゲームで満足しているようには見えなかったけどね~」

 

 まるでどこからか観察していたような口ぶりをするフラン。

 不気味な羽根をピクピクと動かし、カチャカチャと音を鳴らしながらテーブルに両肘を突いて顔を支える。

 同時にツパイが彼女の側にやってきて、椅子の横でお座りする。まるで犬そのものである。

 

 右京はツパイのことを〝お嬢様に付き従う騎士〟だと思った。阿求はツパイと面識こそあれど、その刺々しい容姿に慣れず、出来るだけ視界に入れないように心がけている。

 ここで誤った態度を取れば吸血鬼の妹の機嫌を損ねて殺される可能性があると理解しているからだ。

 レミリアはまだか、生きているなら早く戻ってこい。阿求は気が気でなかった。

 

 無論、右京もその並々ならぬプレッシャーから選択を誤ればタダでは済まないだろうと悟っており、笑顔こそ作っているが、その緊張感は武器を持った凶悪犯と一対一で戦っている時と同等かそれ以上。

 こんな時にクレバーな元相棒は何をやっているのか。

 右京は内心ため息を吐いたが、同時にある不安が脳裏をよぎった。

 

「――ところでフランさん。僕と同じようなスーツを着た男性を見かけませんでしたか? ついさっき、トイレに行ったきり、戻ってこないのです」

 

「ああ、ワトソンね。トイレでばったり会ったから少しお話ししたよ。私とツパイに驚いて全く会話にならなかったけど――つまんなかったわ。その内、戻ってくるんじゃない?」とフランは笑った。

 

 右京の頭に吸血鬼と未確認吸血生物という血を連想させる凶悪コンビの前に気絶した尊の姿が浮かんだ。

 会話の内容や表情から尊が殺されてはいないだろうと直感した右京はユーモラスに返した。

 

「彼は些か臆病ですからねえ~。館の雰囲気に飲まれてしまったのかもしれません。どうかお気を悪くせず」

 

「別に気にしないわよ。私と会えばほとんどの人間や妖怪は逃げて行くし。今に始まったことじゃないわ。ね、ツパイ?」

 

「キャウ!」

 

 フランが自身の横でお座りするペットに視線を送ると彼は元気よく返事をした。

 チュパカブラはその表情こそ乏しいが、このトーンからフランを主人として認め、懐いていた。

 その様子に彼女はどこか嬉しそうにしている。

 阿求はレミリアが「最近はペットのおかげで落ち着いた」と言っていたのを思い出し満更、嘘でもなさそうだとフランへの評価をほんの少しだけ改めた。

 ツパイから再び視線を右京に移したフランは彼に質問する。

 

「新聞見たけどホームズは日本の警察官なんだよね?」

 

「そうですよ」

 

「事件とか解決したりするの?」

 

「それなりには」

 

「へー、すごいねー。どんな事件を解決してきたの?」

 

 フランは興味津々だ。

 

「困りますねえ。僕にも守秘義務があるのですが……」

 

「えー、いいじゃん!」

 

 右京が唸るとフランもジト目で応戦する。

 若干のふくれっ面だったが、阿求は身の危険を覚えて「彼女の機嫌が悪くなるようなことを言わないで!」と、焦り気味に右京へアイコンタクトを送った。

 彼女の取り乱した顔にさすがの彼もお手上げだったようで「お話しできる範囲でなら」と、渋々了承した。

 

 右京は国家の闇に触れるようなものを除いたどこでもありそうな事件をフランに聞かせた。

 初めは強盗、スリ、詐欺、誘拐などの軽い内容ばかり話していたのだが、退屈したフランが「もっとすごいのないの? 殺人事件とか」と急かす。

 

「ない訳ではないのですが、あまり良い話ではありません――ご興味がおありですか?」

 

「そりゃあ、事件と言えば殺人事件でしょ! 血の匂いがするお話に吸血鬼が無関心でいられる訳がないのよ。なんかないの!? 表であった事件でもいいからさ!」

 

 テーブルに両手をバンっと叩き付けながら無邪気に訊ねるフラン。

 

 レミリアもそうだが、妹の彼女も暴君の素質を持っている。

 我儘で気の向くままに生きる吸血鬼だが、彼らは生まれながらにして一種のカリスマを身に付けており、弱き者は彼らを崇め、従うようになる。

 もしくは振り回される内に魅力を感じてしまうというべきか。

 

 右京はフランドールが発する純粋な狂気にどこか心魅かれるモノを感じていた。

 美しい瞳の中に底なしの混沌を宿し、その混沌がいつ牙を剥いてくるのかわからない。

 普通に話しているだけで人間に死を感じさせるほどの圧――対応を間違えばハエを叩くように容易く潰される。

 

 しかし、それが彼の悪癖を刺激していき、闘志を漲らせた。

 

「(これがカリスマと呼ばれる気質なのかもしれませんねえ。ここは彼女に合わせるのが最善でしょうか……。隙を見て阿求さんだけでも逃がしましょう)」

 

 化け物と相対しながらも相手を分析しつつ、恐怖に怯える阿求を逃がす策を練る。

 麻薬でも使われない限り、杉下右京はその思考を止めない。

 

「わかりました――」

 

「できる限りすごいヤツね。吸血鬼の私が涼しくなれるような」

 

 ここでフランの機嫌を損ねてこちらに危害が及ぶのは避けたい。

 右京は心の内で肩を竦めながら実際に自身が解決した殺人事件の話をフランに聞かせた。それも彼女望むであろう身の毛もよだつ殺人事件の数々を。

 

 平成の切り裂きジャックが起こした一連の事件、父を殺したベラドンナの話、殺人に手を染めた天才少年の悲劇、とある悪魔信者たちの凶行といった血にまみれた話を一般人が知っている範囲で教えた。

 当然、極秘情報や加害者と被害者の名前は伏せた。

 

 話を聞いたフランは切り裂きジャックと悪魔信者たちの話に強い関心を寄せ「表の人間も結構、残虐なことをするもんだねー。よかったよ!」と満足げに感想を述べた。

 阿求は彼らの犯行に強い嫌悪感を抱きながら「事実は小説よりも奇なり……」と呟いて手を合わせた。

 右京は、はしゃぐフランの顔をチラっと見やる。

 

「(やはり吸血鬼とあって血を好む性質を持っているのでしょうね。通常なら身の毛もよだつ話も喜々として受け入れ、まるで娯楽のように楽しんでいる。中々、理解できるモノではありませんねえ)」

 

 種族の違いが如実に表れたと言ってもよい。

 レミリアならもう少し気の利いたコメントするだろうが、彼女にそんな気遣いはない。やはり当主とその妹の差は大きい。

 

 ここまで経過した時間は二十分。

 咲夜はおろか、レミリアや他のメンバーが戻る気配はない。

 気を見計らった右京はフランに質問した。

 

「フランさんは普段、どのような場所でお過ごしになっているのですか?」

 

「ん? 私? 地下室よ――図書館の下にあるジメジメした部屋。居心地はよく無いけど、何一つ不自由しないわ。必要なものは全て咲夜が用意してくれるからね。ただ、遊び相手がツパイしか居ないのが不満だけど――」

 

「それはそれは」

 

「お姉さまもパチュリーも咲夜も色々都合を付けてどっか行っちゃうから相手が居ないの」

 

「だから、僕に会いに来た――という訳ですか?」

 

「そーいうこと。表から刑事――それも〝名探偵〟がやってくるなんて聞いたら話してみたくなるじゃん♪」

 

 フランは暇を持て余す生活を送っている。正しくは軟禁生活だが、最近は緩くなっている。客人には迷惑をかけないようにレミリアから言われていると彼女は語った。

 すでにレミリアの言いつけを破っていることに本人は気付いているのだろうか、と阿求が呆れる。

 今の言葉で右京は目の前の吸血鬼が自分たちを簡単には殺さないと確信。

 とあるプランを実行すべく、こんな提案をした。

 

「なるほど。僕もあなたとお話ししてみたかったので嬉しく思います。もしよろしければ、フランさんが普段どのような暮らしをしているのか教えて頂けませんか?」

 

「暮らし? そんなんに興味あるの?」

 

「はい、伝説の吸血鬼さまにお目にかかれる機会など滅多にありませんから」

 

「好奇心旺盛だね。表の人間は変わってるわ」

 

「そう思って頂いて結構です」

 

「まぁ……。面白い話を聞かせて貰ったし――いいよ」

 

「感謝します」

 

 フランは右京に話をして貰ったお礼に彼の申し出に応じた。

 ただの一般人が恐怖の象徴たる幻想の吸血鬼、それもとびきりの狂人に頼みごとをして聞き入れられるという前代未聞の事態に傍から聞いて阿求は腰を抜かした。

 

「教えるって言っても何を教えればいいの?」

 

「そうですねえ~。まず、どんなルートで館を巡っているのか――でしょうか」

 

「ん? テキトーに歩ってるだけなんだけど……」

 

「できればそれをお見せして頂けるとありがたいのですが」

 

「見せる? 館内を歩くところを?」

 

「はい」

 

 真面目な表情で右京がそう頷くとフランは「さすがはホームズだねぇ~」と若干、困惑しながらも「じゃ、案内したげる」と了承して離席。

 ツパイを従えて扉へ向かう。

 固まる阿求に右京は「それでは行ってきます。皆さんによろしくお伝えください」と伝えた。

 彼女は刑事が自分からフランを離すべくあえて彼女に館を案内させるつもりなのだと悟り、口を大きく開けてしまう。

 彼はふふっと笑って踵を翻してフランの元へと向かい、扉を開けて共に廊下へと出て行った。

 あえて危険な役を買って出た右京に阿求は勇敢な表の警察官の心意気を感じ取り、

 

「(わかりました。必ず救援を呼んできます。どうかご無事で――)」

 

 決意した。

 足音が広間から離れたのを確認後、フランに対抗できる人物を探すため、広間から逃げるように駆け出した。



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第56話 緋色の妹 その4

 フランを阿求から引き離すことに成功した右京は彼女と共に迷路のような廊下を歩く。

 

 紅魔館は咲夜の能力により、見た目以上の面積を誇っている。

 感覚的に言えば外観の三倍程度。錯覚にでも陥ったのかと思わせられるが、それが十六夜咲夜の能力の一端なのだ。

 

 一階に降り、特に当てもなく館内をぶらつく彼女は唐突に散歩コースの説明を始める。

 

「いつもは図書館の地下室にいるの。目が覚めるのは日が暮れてからでその後はツパイを引き連れて今みたいに適当な感じでぶらつくのよ。メイドやゴブリン、館にやってきた妖怪や人間はすぐに逃げて行くわ。私を何だと思っているのかしらねぇ」

 

「全くですねえ。こんなにも親切だと言うのに」

 

 相槌を打つ右京。

 

「そんなこと言ってくれるのはホームズくらいよ」

 

 目を細めて愚痴を零すフランに、いつもの態度で接する右京。

 傍から見れば親戚の子供とおじさんである。

 尊が恐れ戦き、発狂寸前まで陥ったのを考えれば、右京が普段通りでいられるのは異常以外の何物でもない。潜り抜けた修羅場の数が違うのだ。

 彼女に比べるとかなり劣るとはいえ、フランのようなタイプの狂人とも何度か対決している。その経験がプラスに働いているのだろう。

 もちろん、彼自身が幻想郷について研究したのも大きく影響しているが、いくら頭の中で対策法を考えても恐怖に飲まれてしまえばどうにもならない。

 杉下右京というある種の狂人だからこその芸当だ。

 フランに付き従うツパイも初めこそ右京を警戒していたが、今は慣れたのか時折、右京の近くに寄っては興味ありげにクルクルと足元を回ってみせ、目が合えば、お座りしながらジッと彼の様子を伺い、飽きるとフランのところへ戻っていく。

 その仕草には、微笑ましささえ覚える。

 右京もフランのプレッシャーにひり付く頬を軽く撫でながら、興味深そうに観察している。

 

 大方の説明を終えたフランは一階のエントランスまで右京を誘導し、中央でピタリと足を止め、彼のほうをくるりと振り向いた。

 

「こんなとこでいい?」

 

「はい。大変、参考になりました」

 

 右京は感謝を表した。

 

「そう。よかったわ――」

 

 少女らしく無邪気に微笑んだフランはこう続けた。

 

「――だったら、次は私のお願いを聞いて頂戴」

 

「ええ、僕にできることでしたら」

 

 右京は自分に可能な範囲でならと承諾した。

 

 次の瞬間、フランはその笑顔をニヒルなものへと変化させながら「じゃあ――」と続け、右京はそれを承諾した。

 

 

 ――か……さん――かん……さん。

 

 突如、頭の中に鳴り響く女の声。

 

「う……っ」

 

 尊は徐々に意識を取り戻し、眩しさで霞む瞼を擦りながら目覚める。

 目の前には自身の身体を揺らす阿求の姿があった。

 

「あ、稗田さん……」

 

「お気付きになりましたか! よかった」

 

「ハハ、ご心配をおかけしました」

 

 尊は謝罪し、右手で頭を押さえながら意識を失う直前の記憶を思い出す。

 

「確か、レミリアさんの妹さんと会話して気を失ったんだっけ……?」

 

 少女相手に何をやっているんだ? 視線を床に落して、恥ずかしがる尊を阿求がフォローする。

 

「仕方ありませんよ。相手は幻想郷の住民は元より、妖怪でさえ恐れる相手なのですから」

 

「そうなんですか?」

 

「普通にしていても湧き出るあの狂気ですよ? 無理に決まっています。だから幽閉されているのです」

 

「なるほど……」

 

 思い返すだけでもゾッとするあのドス黒いオーラ。彼女のその気はなくても周りの精神に負荷をかけるその性質である。尊は阿求の言葉をそのまま受け入れた。

 未だに震える身体を起こし、彼は上着についたほこりを軽く手で払った。

 

「ところで杉下さんはどこですか?」

 

 小言の多い元上司はどうしているのか。

 何気なく訊ねる尊だったが、阿求は暗い表情で「杉下さんはフランさんに頼んで一緒に館を見て回っています」と説明した。

 

「へ?」

 

 耳を疑う尊。あんな化け物とも仲良くできるのかよ、と二の句が継げずにいた。

 そんな尊に阿求が持論を伝える。

 

「恐らく杉下さんは私を彼女から遠ざけるためにあえてそのような真似をしたのだと思います。おかげで自由に動けていますから」

 

「まぁ、あの人ならありえない話ではないですが……」

 

 杉下右京は自分の身を挺してまで他者を護る人間である。

 模範的な組織人とは言い難いが、警察官としての確固たる矜持を持っている。その行動は何ら珍しくない。

 しかし、相棒を務めた尊からすれば少なからず()()()もあるだろうな、と勘繰って苦笑ってしまう。

 そこに状況を正しく理解している阿求が間髪入れず「そういう訳で、杉下さんが時間を稼いでいる間に彼女に対抗できる人物を呼ぶ必要があります。霊夢や魔理沙――レミリアさんやパチュリーさんに十六夜さん、そしてマミさん――この内の誰か一人でもいればこの状況を打破できるかもしれません。私は彼女たちを探しに行きます。同行して頂けるとありがたいのですが」と相談する。

 

 真剣な表情を向ける阿求に事態が切迫していると悟り、元部下は二つ返事で了承し、彼女と共に紅い廊下を進もうする。

 その時だった。

 前方からカツカツと足音が聞こえてきたのだ。音からして、少女の足音のようだ。

 二人は一瞬、フランがやって来たのかと身構えたが、そこにいたのは青いメイド服の少女――十六夜咲夜だった。

 

「稗田さん、神戸さん――どうかなされましたか!?」

 

「「十六夜さん!!」」

 

 咲夜の顔を見た阿求と尊は急いで彼女の元に駆け寄る。

 

「十六夜さん。今までどこに!?」と阿求が言った。

 

「ちょっと、お外のほうに……」

 

「え?」

 

「実は、お嬢さまたちをお呼びに行く途中、館で飼っているペットがウロウロしているのを見かけて連れ戻そうとしたら見失ってしまって。その際、妹様から『ツパイが外に逃げたから連れてきて』と言われ、急きょ探しに出払っていたのです。館を空けてしまい、ご迷惑をおかけしました――あの、私が不在の間、何かありましたか?」

 

 申し訳なさそうにお辞儀をしてから咲夜は、二人に何かあったのかと尋ねる。

 阿求が代表して彼女が離れてからのことを伝えると、咲夜は血相を変えながら館の主を呼びに、客人らを連れて待合室にへと急いだ。

 

 

 大広間から少し離れた待合室。レミリアたちは椅子に座りながらゲーム終了を待っていた。

 レミリアの後ろには広間周辺にはいなかった妖精メイドたちが咲夜の変わりと言わんばかりに待機しており、パチュリーの後方にも黒翼のメイドが備えている。

 魔理沙と霊夢はどこから持ってきたのか、杯に注がれた日本酒を片手に騒いでいた。

 

「ったくよー、おっさんと阿求に言いようにしてやられたぜー!」

 

「全くだわ! 初日に退場させられるとか、最悪よー!」

 

 酒が入っているせいか、些か気が大きくなっており、キーキー愚痴を言い合う二人。

 その隣で最初に退場させられたマミも便乗する。

 

「妖怪側の勝ちが確定しているのはよいが、化かし合いのゲームで化かし屋が居の一番に脱落するとはのう……。あーショックじゃわい!」

 

 そう言って、左手に握っている酒瓶から杯に酒を流し込み、それを寄越せと霊夢たちが、おかわりを催促。浴びるように飲み干す。

 パチュリーは本を眺めながら「私の見立て通りだった」と名推理を披露したにも関わらず、どこか不満げな態度を取り、レミリアが「そうねぇ~。だけど、向こう側の話術も中々のものよ? 他者を惹きつける魅力があった。楽しかったわ」と満足げに感想を語る。

 その雰囲気に着いていけない小鈴は会話には入らず、気まずそうに「阿求早く来てよ~」と心の中で相方が待合室に来るのを心待ちにしていた。

 そこに咲夜が慌ただしくドアを開けて駆け込んだ。

 一体、何ごとか――視線が集中する中、咲夜はレミリアに向かって叫ぶように告げる。

 

「大変です――妹さまが杉下さんをお連れして館内を歩き回っているとのことです!」

 

「あ!? なんだって!?」

 

 予想外の時代にレミリアの声が裏返った。

 魔理沙と霊夢は口含んだ酒を勢いよく吐き出しながら、

 

「あん? それはマズいだろ!?」

 

「杉下さんが危ないわ!!」

 

 彼の危機を察知し、酔いが醒めたように正気を取り戻すと、咲夜に「杉下さんたちのいる場所は!?」と責めるように詰め寄る。

 メイドは同じくらいの声量で「わからないわ!」と答えた。

 彼女の後ろにいた阿求と尊にも訊ねるが、両名とも右京の大広間を出てからの足取りまではわからない。

 らちが明かないと踏んだ霊夢は、袖に仕込んだ対妖怪用お札の枚数を確認。

 怒気を強めながらレミリアのほうを振り向いて「何かあったらアンタらのせいだからね! 覚悟しておきなさいよ!」と言い放ってから飛び出すように部屋を出て行き、それを魔理沙が追いかける。

 いつものパターンだ。

 

「やれやれ、騒がしいったらありゃしない」

 

 妹が勝手な行動を取っているというのにレミリアは呑気だった。

 マミも酒瓶を懐に仕舞い込んで立ち上がる。

 

「儂も杉下どのを探しに屋敷を回ろうと思う。よいか?」

 

 眼鏡に奥が怪しく光る。

 その仕草に紅魔館の主は目を細めた。

 

「……それは構わないけど()()()()()()()()()なんぞを館内にばら撒こうものなら容赦しないわよ?」

 

 睨みを効かせながらマミを牽制する。癇に障ったのか、彼女はふんと鼻を鳴らした。

 

「そんなことせんわい! ただ借りのある相手を死なせるのが嫌なだけじゃよ」

 

「そう――悪かったわね」

 

 贔屓にしていた酒場の店員の無念を晴らした右京に感謝あるマミにとって、事件解決の立役者に危害が及ぶ――それも自分が付き添いにも関わらずとあっては面子が立たない。

 彼女の真意を理解したレミリアは謝罪してマミを行かせた。

 真顔で走り去っていくマミを見送ることしかできない元相棒、神戸尊。

 自分はどうするべきなのかだろうか。困惑する彼にレミリアが席を離れて近寄った。

 

「うちの妹が杉下さんに迷惑をかけているようね。でも私の許可もなく、来客に危害を加えるような娘じゃない。信じて頂戴」

 

 いつも通りの幼い顔だが、今回の顔つきはカリスマという品格に満ちている。

 その真っ直ぐな真紅の眼で見つめられてしまえば、人間如きは首を横には触れなくなる。

 人間はフランの狂気とは異なるオーラを全身に浴び、例えようのない説得力を感じ、ほとんど反射的に「はい……」と返事をしてしまう。

 

 その現象に稗田の御子は「これがレミリア・スカーレットのカリスマ? ……いや、もしかして――」と息を飲む。静まり返る待合室。

 そこには確かにレミリアを中心とした世界が築かれつつあった――が。

 

 ――おい、どこにいやがるフランドール!!

 

 ――出てこいレプリカーーーーーーーー!! (それは姉のほうだったかしら?

 

 ――落ち着け、おぬしら!!

 

 屋敷の奥から酔っ払い二組の罵声とそれを諌める年長者の大声が鳴り響く。

 このままでは館が危ない。

 レミリアは自慢の参謀に他のメンバーを任せ、咲夜と共に霊夢たちを追って、自慢の翼を駆使して紅い廊下を駆け抜ける。



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第57話 緋色の舞踏会

 霊夢と魔理沙はものすごい剣幕と共に紅魔館の中をつき進んでいく。先ほどまで影すら見当たらなかった妖精メイドたちが二人の態度に圧倒され、慌てふためいている。

 そんな妖精たちにマミが「酔っ払いがすまんの」と謝罪しながら二人の後を追いかける。

 エントランスや大広間、付近の廊下などを探して回るが、右京の姿はどこにも見当たらない。

 ドタドタと階段を駆け降りながら、他に目ぼしい場所はないかと、酔いが回って冴えない頭を必死に働かせ、二人は調べていない場所の名前を同時に口に出す。

 

「「次は図書館よ!(だ!)」」

 

 図書館の下にはフランドールの部屋もある。彼女が右京を連れて行っても不思議ではない。

 二人は目的の場所へと突っ走った。地下へ続く階段を駆け降りると、昼間見た図書館の扉が目に入り、その向こう側からフランと思わしき人物の声が聞こえる。

 

 ――これでお終いよっ!

 

 ――なんとっ!

 

 まるでフランが右京にトドメを刺すようなシチュエーション。二人は本気で焦った。

 

「おおい、霊夢マズイぞ!!」

 

「だから言わんこっちゃないのよっ!!」

 

 このままではマズイ。

 ふたりはその勢いのまま、大仰な扉を蹴り破るべく右脚を正面に出す。

 少女の蹴りとは思えないほどの破壊力を秘めた飛び蹴りは図書館の扉を容易くこじ開け、ドダン! と大きな音を室内に轟かせた。

 内部に突入した二人は室内を見回し、人気を探して図書館の奥――パチュリーの書斎付近まで急ぐ。人がいるとしたら図書館内において書斎が最も可能性があると踏んだからだ。

 鬱陶しい本棚の密林を押し退けるように進み、書斎までたどり着いた二人はフランと右京の姿を捉えて、咄嗟に声を張るのだが――。

 

「杉下さん――(おっさん――)」

 

「ハートのAとスペードのAよ!」

 

「おぉ~、僕の負けですねえ~」

 

「「へ?」」

 

 拍子抜けのあまり、ズコーっとすべるように床を転がる二人。

 それもそのはず。右京とフランはパチュリーの書斎机正面にチェスの時で使った机と椅子を持ち出して〝神経衰弱〟をしていただけ。

 

 〝デスゲーム〟をしている訳でもフランが彼を〝拷問〟していた訳でもなかったのだ。

 ズッコケる二人組に右京はいつもと変わらぬ態度で「どうかなさいましたか?」と声をかける。

 

「どうかなさいましたか?――じゃねぇよ!」

 

 心配して損したじゃないか、と食ってかかる魔理沙。

 霊夢は、彼の安否を確認してホッと胸を撫で下ろした。

 

「何はともあれ無事でよかったわ」

 

 続いてマミ、その後すぐにレミリアと咲夜が騒ぎの中心地へやってくる。

 椅子に座るフランと右京。テーブルに置かれたトランプ。スカートのほこりを払う霊夢に、吼える魔理沙。呆れながら「何もなかったんかい!!」と、ひとりツッコミを入れるマミ。

 

 後方よりその様子を確認したレミリアが、クスクスと笑いながら書斎へと歩み寄り「妹が迷惑をかけているようね」と右京に言った。

 右京が「とんでもない。とても楽しませてもらっています」と返せば、フランも「お客様を持て成していたところよ?」と誇らしげに語ってみせた。

 

 レミリアはそんな妹を「はいはい、ありがとね」と労う。

 気が触れていると評される妹が初対面の人間と仲良くできている。紅魔館の主は、これを一種の成長と見なしたのだろう。今のフランなら問題ない。レミリアは妹の行動を咎めようとはしなかった。

 そこへパチュリーが阿求と尊を連れてやってきた。フランに何かされているんじゃないのかと心配していた阿求たちだったが、彼女とトランプをする右京を視界に捉えて、霊夢たち同様、拍子抜けしてしまった。

 紫の魔女は、顔を顰めながら図書館の扉を強引に開け、靴底の跡を付けたであろう本人たちを睨みつけながら「何故、あんな開け方をした……?」と低めの声で詰め寄り、彼女らを大きく仰け反らせる。

 強い口調で相手を威圧するパチュリーを目撃した一行は、そのギャップに戸惑うも、レミリアが「あっちはあっちに任せましょう」と、気にしないように促す。

 

 右京が気の抜けたようになっているメンバーたちをトランプに誘うも皆、疲れているのでそれどころではなかった。

 仕方ないので、レミリアが混ざり、吸血鬼姉妹と表の人間が一緒にトランプをし始めた。阿求は自らの常識が崩れて行くのを肌で感じ、軽くため息を吐く。

 彼女らの後方から気が利かせたメイドたちが椅子を持ってきたので、そこに阿求、尊、小鈴、マミの四名が腰をかけた。

 正面では愉快にトランプ。背面では言い争い。どちらも人間と妖怪――種族の異なる者同士のやり取り。

 楽しそうな元上司を眺めながら、踏んだり蹴ったりな尊は「楽しそうで何よりですよっ」と投げやり気味に放って、明後日の方向に視線を向けた。

 

 

 ポーカー、ダウト、ページワンなど人気のあるゲームで遊ぶ右京たち。

 

 その頃になると扉の件も収拾がついたようで、霊夢たちとパチュリーは椅子に座りながら寛いでいる。

 ちょうど時刻が深夜零時を回った。

 小鈴がふわあっと欠伸をする。尊も若干の眠気を覚えつつあったが、ゲームに夢中な右京と吸血鬼たちのテンションは先ほどよりも高まっていく。

 

「あーなんで負けたかなー! これで二回連続よ!」

 

「うふふ、そうなる運命だったのよ――フラン!」

 

 悔しがるフランにレミリアが姉の威厳を見せつける。

 

「お二人ともゲームがお上手ですねえ~」

 

 そこに、さりげなく太鼓持ちを演じる右京という構図。彼らの宴はまだまだ終わりそうにない。

 トランプで姉に負けたのを認められないのか、ふくれっ面のフランがレミリアの隣に控える咲夜に対して「咲夜、インチキしてないよね?」と訊ねるも「そんなことしていませんよ」と返されるだけ。

 

 フランが低い声で唸ると鳴りを潜めていた狂気が冷気のように飛散し、周囲にいた人間や妖怪の背中をビクつかせる。

 ウトウトしていた小鈴さえも目が覚めたように背筋をピンと張りながら「え? 何? 何があったの!?」と寒気に震える始末。

 皆の視線が吸血鬼の妹に集中する。

 

「その狂気は相変わらずね……」

 

「少しはマシになったが、まだまだ危険だぜ……」

 

「この儂でさえ、背中に悪寒が走ったわい……」

 

 幻想郷の猛者たちも一目置くその力。フランの幽閉生活は当面、終わりそうにない。その場に居た誰もがそう感じた。妹の行動をレミリアが諌める。

 

「駄目よ、フラン。負けたからって周囲に八つ当たるのは」

 

「別に八つ当たりなんてしてないわ。ちょっと悔しいだけよ!」

 

「はいはい、あなたからすればそうなのよね……」

 

 本人に悪気がある訳ではなく、纏ったプレッシャーが強大すぎるために起こる現象。

 動物の本能に訴えかけるような強者の圧。そこに情緒不安定が重なり、誰もが委縮してしまう。

 特に機嫌が悪い時の威圧感は物凄く、館の妖精やホフゴブリンが泣き出しながら逃げ出すらしい。

 人間を粉々に消し飛ばしていたなんて噂もある。無理もない。

 妹に睨まれ、対応に困るレミリア。叱るのは簡単だが、来客の前でとなると面子的にやり辛い。

 咲夜が「まあまあ、落ち着いてください」となだめるが、機嫌が直らない。

 客人の前でカッコいいところを見せたかったのかもしれない。状況を察した右京がフォローする。

 

「フランさん。あまり、姉ぎみを困らせるものではありませんよ?」

 

「ぐぐぐっ!」

 

 悔しさを先に立て、引き下がらないフラン。右京はカバンから紅富貴のパックを取り出した。

 

「こちらの紅茶をご馳走しますから、どうか機嫌をお直しください」

 

「紅茶……? 私、血が入ったものしか飲まないけど?」

 

「血が入らなくてもおいしい紅茶です。一口、如何ですか?」

 

「うーん、ホームズが言うなら……」

 

 右京の頼みとあって渋々、フランは了承した。咲夜が妖精たちに紅茶の準備をさせる。

 急ぎ、カップとティーポットが運ばれてきた。

 メイドからポットを受け取った右京は紅茶を淹れ、カップをテーブルに置く。紅富貴の芳醇な匂いを嗅いだフランは「うちの紅茶はと違う感じ?」と興味を差し向け、カップを手に取り、紅茶に口をつけた。

 すると、フランはたいそう、驚いたように紅茶を見つめながら「これ、おいしいじゃん」と言って右京を見た。

 

「表の日本で作られた最高品質の紅茶です。お気に召して何よりです」

 

「うん、いいよこれ。うちの紅茶よりもずっと――てか、比較にならない」

 

 楽しそうに紅茶を飲むフラン。紅茶を作った本人であろう咲夜と当主のレミリアが呆れ顔で顔を合わせ、何とも言えない気持ちを共有した。

 紅茶には人を落ち着かせる効果があると言われるが、それは吸血鬼にも当てはまるのか、フランの機嫌が目に見えてよくなった。

 発せられた狂気が嘘のように消え去り、辺りを包む緊張が消滅する。魔理沙は思う。

 

「馴染んでんな――あのおじさん……」

 

「まったくね。妖怪なんじゃないかって思うわ」

 

 霊夢の発言に誰にもが否定できず、ただ傍観していた。

 紅茶を飲み干したフランはふうっと一息吐くも勝負のことが頭から離れないのか、こんなことを言い出した。

 

「お姉さまはトランプが得意だったはずよね?」

 

「ん? まぁ苦手ではないけれど」

 

「だったら、今度は私の()()()()()()で勝負してもらうわ!」

 

「得意なゲーム? おままごとかしら?」

 

「違うわ――これよ、これ!」

 

 そう言って、フランは懐から黒い絵柄のカードを取り出し、辺りをざわつかせた。幻想郷を象徴するカード、それは――。

 

「〝スペルカード〟よ」

 

 顔をニヤつかせながら、フランはレミリアにスペルカードバトルを迫った。さすがのレミリアもこれには動揺を隠せない。何故なら。

 

「いつもお姉さまは私とは戦いたがらないものねぇ~? たまにはお手並みを拝見したいわぁ」

 

「あなたねぇ……」

 

 フランは加減をしらない。そのため、対戦相手のことなどお構いなしに殺傷力の高い攻撃を繰り出す。容赦のない攻撃はかつて霊夢や魔理沙を大苦戦させた。

 今でも戦いたくない相手の上位に入るだろう。そんな狂人が、スペルカードをチラつかせ始めたのだ。

 メイドの咲夜が慌てて止めに入るも、フランはやる気満々なので言うとこを聞かない。

 客人に危害を加えないのはよかったが、その子供のような性格までは変わっていない。

 フランの行動にかつて紅魔館に手を焼かされたであろう魔理沙は、面白がって「そういえば、どっちが強いんだろうな~。気になるぜ」と煽り、周りから冷たい視線を浴びせられる。

 

 当主レミリアは判断に迷っている。戦うのは構わないが、万が一、客人の前で負けてしまっては威厳が損なわれるし、勝ったとしても大人げないと思われる可能性がある。それに戦いの余波で紅魔館が損壊するケースもありうる。

 さて、どうしたものか。レミリアは助けを求めるようにパチュリーを見やる。頭の切れる親友ならこの状況を打開する策を思い付くはずだ。

 レミリアの視線がパチュリーの視界に入った瞬間――親友はコクンと頷いてからフランに近づいて、このように提案した。

 

「客人の前で当主とその妹が戦うのは見栄え的によくない。だから――」

 

 パチュリーは戦いを煽った魔理沙を見やった。

 嫌な予感が脳裏をよぎるもすでに遅かった。

 

「そこの〝白黒〟辺りと戦うのがいいと思う。さっきから戦いたくてウズウズしているはず」

 

「おい、ちょっと待っ――」

 

「そ、それはよいですわ! ねぇ、お嬢さま」

 

「確かにそれはいいわねぇー」

 

 もうこれしかないといわんばかりにパチュリーの助け舟に乗っかる当主と従者。

 予想外の返され方に魔理沙は動揺を隠せない。それはおかしいと否定に入ろうにも自分が蒔いた種なので、うまい切り返し方を見つけられず、タジタジになる。

 フランドールを倒したことのある魔理沙だが、できれば戦いたくない。

 魔理沙は隣の霊夢に目線で助けを乞う。当の本人は知らん顔しながら、そそくさと白黒の魔女から距離を取ろうとする。

 友人の行動にカチンときた魔理沙。どうせ落ちるなら道づれにと、威勢よく啖呵を切った。

 

「ああ、いいぜ! 私と〝霊夢〟が相手になるぜ!」

 

「はあ!?」

 

 霊夢が叫ぶが、もう霧雨魔理沙はとまらない。

 

「タックバトルだ! フランドール。数合わせに姉も入れて派手にやろうぜ!」

 

「ちょっとアンタ――」

 

「ふーん、いいねぇ~。じゃあ、お姉さま、一緒にアイツらをコテンパンにしましょう!」

 

「はぁ……?」

 

 魔理沙はノリに任せて霊夢とレミリアを無理やり巻き込んだ。

 拒否しようする霊夢だったが、魔理沙に「妖怪ハンターの力を表の人間に見せつけるチャンスだぜ?」と担がれてから続けざまに「ここで引いたら巫女の名折れだぞ」と、脅され、レミリアもレミリアで、フランに「あら、お姉さま――お客様に吸血鬼の力を見せつけるチャンスよ! ……まさか、負けるかもなんて思ってないわよね?」と、挑発される。

 

 そこまで言われたら当主としては引けないだろう。レミリアは余計な真似をした魔理沙をキッと睨みつけてから、咳払いと共に重い腰を上げ――。

 

「やってやろうじゃない――」

 

 フランの隣に並び立った。納得がいかない霊夢だったが、妖怪に交戦の意思を表されて戦わないほど、博麗の巫女はおとなしくない。

 袖からスペルカードを掴むと、フランたちと相対するように前に出る。

 

「やるからには本気よ? またコテンパンにしてやるわ!」

 

 その威勢のよいセリフにレミリアが反応する。

 

「ふん――それはこっちのセリフよ? 最近はご無沙汰だったけど、ちょっとやそっとで腕は衰えない。アンタを跪かせるなんて訳ないわ。精々、実力を出し切ることね――」

 

 挑発に継ぐ挑発。両者とも戦うと決めた瞬間から、いつもの勢いで相手を牽制。自らと場のテンションを上げていく。

 

「今度こそこの世から追放してやるわ!」

 

「やれるもんならやってみな!!」

 

 啖呵を合図にするかのようにカードを正面にかざした後、レミリアが来客の安全を配慮――図書館の奥を指差し、翼を羽ばたかせて飛んでいく。

 霊夢は鼻を鳴らしながら、レミリアを追い、魔理沙とフランも彼女たちに追従。派手に暴れ始めた。

 

 ――マスタースパーク!

 

 ――レーヴァテイン!

 

 ――夢想封印!

 

 ――スピア・ザ・グングルニル!

 

 図書館内にスペルの発動音が鳴り響き、星の極光が放たれ、紅蓮の炎が辺り一面を激しく焼き払い、虹色の光弾が重力を無視して動き回ったと思えば、突如現れた真紅の槍が全てを引き裂く。

 次々と巻き起こる衝撃と爆発。もはや戦争である。

 来客に危害が及ばないようにパチュリーが、右京たちの周辺に結界を張って「ここからでないように」と忠告する。

 右京は結界ギリギリまで近寄り、彼女たちの戦いを興味深そうに観察。つられるように稗田の御子がその隣で目を輝かせる。

 空中を飛び回り、弾幕を撃ち合い、四人がスペルカードを展開しあう。思わず右京が唸った。

 

「やはり、すごいですねえー! 幻想郷ならではの光景です――荒々しさの中に華がある」

 

「それが幻想郷のウリですから」と阿求。

 

「元気じゃのうー。儂にはあんなの無理じゃわい」とマミ。

 

「え、マミさんもあれくらいできるんじゃないですか?」

 

 さりげなく尊が訊ねると「まぁ、できなくはないが――」とマミは何気なく呟き、小鈴が感心したように声をあげる。

 戦いは激しさを増していくが若干、レミリア側が有利のようだ。彼女が誇る高速の槍さばきとフランの巨大な炎剣のリーチに苦戦――霊夢、魔理沙共々、攻めあぐねているのが主な理由だ。

 猫を被っていた時とは別人のようにその瞳から紅い閃光をギラギラと迸らせ、攻防を繰り広げるレミリアの姿にインスピレーションを掻きたてられた右京が、カバンから真っ白い紙とペンを取り出し、カバンを下敷きにして〝何か〟を書き始める。何気なく、尊が後ろからそっと覗く。

 

「(へー、なるほど。そーいうことですか――)」

 

 書かれている内容を見て尊は()()()()()なと考え、声をかけなかった。

 ギャラリーがいるからか、普段あまり本気を出さない霊夢も空間移動なるものを駆使しながらレミリアたちのでたらめな攻撃を躱しつつ、かく乱するように反撃に転じる。

 放っても放っても攻撃をすり抜ける霊夢に苛立ち、フランの攻撃が投げやりになったところを魔理沙が高火力で狙い撃ち、スペルカードの破壊を狙う。

 まさに技と力の連携。最近、起こった憑依異変の経験が役に立ったのだろう。少し前まで、単独で戦ってきた霊夢たちは方向性の違いから反目し合いながらも中々の連携を披露している。

 フランは連携というものをまるで知らないので、ふたりの戦い方に苦戦を強いられるが、そこにレミリアが割って入るように飛び込び、フランを守護するように立ち回る。

 まさか行動にフランは呆気に取られたような表情を見せる。レミリアは彼女に背中を向けたまま――。

 

「フラン――あなたに合わせるわ」

 

 そう言った。

 

「うん……。わかったわ!」

 

 フランは炎剣を掲げるように振り上げてから霊夢たちへと叩きつけた。

 それを先ほどと同じように空間転移で躱す霊夢だったが、空間の割れ目から出る瞬間をレミリアが狙って槍を投げつけて後方へと大きく吹き飛ばす。

 そこを魔理沙がチャンスと捉え、丸腰のレミリアへ狙いを定めるが、フランの剣撃により阻止される。なんと、フランもレミリアに促されるように連携を取り始めたのである。

 これなら負けない。吸血鬼たちが勢いを取り戻し、それぞれの得意技をガンガン放つ。人間側も負けじと、連携を強化して迎撃する。

 それから、戦闘はさらに加速――終局へと向かっていくのだが、その頃になると予め図書館に施された結界に幾重もの亀裂が走り――図書館そのものが、いつ崩れてもおかしくない状況に陥ったことで、パチュリーが戦いを止めに入って、勝負はお預け。

 戦いは引き分けとなり、夜も遅いってあって、宴はお開きとなった。



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第58話 緋色の習作

 二人用の部屋に案内された右京たちはカバンを置き、身体を綺麗にして少々、雑談をしたのち、身体を休めた。

 数時間すれば夜が明け、神々しい朝日が幻想の大地を照らす。

 

「うーん――おはようございます……ってあれ……?」

 

 夜更かししたにも関わらず、日光で目が覚めてしまった尊が、ベッドから起き上がると一緒にいたはずの右京の姿がなかった。

 

「綺麗な朝日ですねえ~。実に幻想的です」

 

 思いのほか感性を刺激された右京は元部下が寝た後も一人、白い紙と睨めっこ。一睡もしなかったのだ。

 何枚かの紙を使い捨てたが、満足したのか、道具の一切をカバンにしまい込み、欠伸しながら朝日を拝むために中庭までやってきた。

 中庭は綺麗に整えられており、花々が生き生きと根を張っている。きっと管理がよいのだろう。

 右京は、両手を腰で組みながら、陽光を浴びて艶めく花びら一枚一枚を観察するようにゆっくり歩く。

 通りすがる妖精メイドたちに挨拶しながら中庭見学に勤しむ右京。

 そこに一人の少女が顔を出す。

 

「おはようございます」

 

 赤茶色のロングヘアーに龍の文字が書かれた帽子を被り、緑色の上着に白色のズボンを穿いたまるで中華風の衣装を身にまとった十代中頃の容姿。

 右京は彼女に見覚えがあった。

 

「おや、あなたは確か……」

 

「門番の紅美鈴(ホン・メイリン)です」

 

 彼女は紅魔館の門番、紅美鈴である。

 

「そうでしたか――僕は杉下右京。表の日本からきました」

 

「はい、メイド長から伺っております。如何です? 紅魔館自慢の庭園は?」

 

「綺麗ですねえ~。花が喜んでいるように思えます。こちらの管理はあなたが?」

 

「そうです。この私が管理しております!」

 

「なるほど。いやぁ、素晴らしい限りです」

 

「はははっ。それほどでも!」

 

 褒められた美鈴は誇らしげに胸を張った。

 せっかくなので、右京は彼女に普段、どのようなことをしているのか訊ねた。

 気さくな門番美鈴は快く質問に応じ、早朝は庭園の管理。その後は日が暮れるまで門番をしていると話した。

 昨日は来客とあって、外敵が侵入しないように一晩中紅魔館周辺を見回りしていたとのこと。

 右京が重ねて質問する。

 

「昨日、図書館でレミリアさんたちがスペルカードで対戦していたのですが、音などは響きませんでしたか?」

 

「全く聞こえませんでしたよ」

 

「それはそれは。結構、大きな音だったのですよ? それも派手な爆発音」

 

「パチュリーさまの管理なさる図書館は防音もばっちりですから――いくら派手に戦おうとも図書館が破損しない限り、外まで響かないんですよ」

 

 パチュリーの図書館は彼女の研究室としての役割も果たしている。

 万が一の際も対策は万全ということか。

 

「いやはや……さすがはパチュリーさんですねえ。こちらに訪問してから、表にはない技術に驚かされっぱなしです」

 

「私も以前はそんな感じでしたね。驚いてばかりでよく『仕事しろ』と怒られましたよ。……今もたまに怒られたりしますけど」

 

「おやおや、真面目な紅さんがですか?」

 

「えーと……。たまに天気がいいと昼寝してしまって――あぁ、昨日は寝てませんよ!? 今までずっと起きてましたよ。何もありませんでしたよ!? 本当ですよ!?」

 

 言われてみれば、ほんのり目が赤いような気がする。

 彼女の前半部分の発言は本当だったのだろう。

 しかし、仮にサボっていたにせよ、右京が指摘する必要はどこにもない。

 彼は、にっこりと笑いながらフォローに回った。

 

「ご心配なく。疑うつもりは毛頭ありませんので」

 

「感謝です!」

 

 美鈴はおどけたように敬礼する。

 とても気さくな性格の少女だと右京は感じた。妖怪というよりは人間に近い雰囲気を感じるが、彼女が妖怪であることはすでに幻想郷縁起で確認済みだった。

 要約すると美鈴は、中国武術の使い手でスペルカードを持たない人間との戦いもハンデつきで受ける妖怪とのこと。

 ほとんどのケースで人間との模擬試合に勝利するので、対人格闘のセンスは折り紙つき――紅魔館の門番として相応しい人材といえる。

 自分が彼女と戦っても勝負にならないだろう。右京はそんなことを考えつつも、庭をキョロキョロと見やってから、このような疑問を口にした。

 

「ところで“パプリカ”はどこで栽培なさっているのでしょう?」

 

「パプリカ……。なんです、それ……?」

 

「ヨーロッパで採れる赤い野菜です。ピーマンに近い形をしています。昨夜、パプリカを使った美味しいグヤーシュを頂かせてもらったので、つい気になってしまいましてね」

 

 首を傾げながら該当する野菜を頭の中で探すも見つからない。

 困った美鈴は咲夜に聞いてくると踵を返そうとするが、右京がそれを制止。

 軽く謝罪してから再び雑談に戻るのだが、ほどなくして咲夜が訪れ、美鈴に「もう疲れただろうから」と休むように指示を出し、門番はお辞儀をしてからこの場を離れた。

 静かになった中庭で咲夜が右京に話しかける。

 

「美鈴とは、どのようなお話しを?」

 

「ちょっとした世間話です。普段は何をやっているのか、図書館の技術についてなどです。

 後は――パプリカをどこで栽培しているのか、くらいです」

 

 パプリカの話題が出た際、咲夜は少しだけ表情を崩したが、すぐに普段通りに対応した。

 

「ふふっ。気になりますか?」

 

「ええ」

 

 パプリカは右京が気になると言うと咲夜は一呼吸おいてから「パプリカは栽培しておりません」と笑顔で告げた。

 

「では、どこから?」。右京が聞くと彼女は「独自のルートからです。それ以上はお教えできません。公にすると面倒ですから」と回答する。

 元々、右京は根掘り葉掘り訊ねるつもりなかったようでそれ以上、追求することはなく「わかりました」と返事をし、咲夜と共に中庭を見て回り、朝食までの時間を優雅にすごした。

 

 

 朝八時。

 メンバーは一階の広間に集められ、テーブルに着くように促された。

 慌ただしく朝食の準備に勤しむ妖精メイドを横目に、右京たちは朝食を心待ちにしている。

 座り順は昨日と同じだが、当主レミリアは吸血鬼であるが故、朝に弱く、姿を現さなかった。

 代わりにパチュリーがレミリアの分まで右京たちの相手をする。

 そして、料理が運ばれる。

 メニューはパンとオムレツ、ウィンナーやサラダといった洋食。洋館らしい献立だ。

 右京や尊にとってはうれしい内容だった。

 おまけに右京、阿求、マミの食事だけオムレツの量が多く、ピース状に分けられており、ゴロゴロとした具材が沢山入っている。

 魔理沙が「おじさんたちの分だけオムレツの種類が違うな」と指摘したことで一同、その料理に目がいく。

 咲夜が自慢気に語る。

 

「レミリア・ジャッジメントの勝者である杉下さん、稗田さん、マミさんの三名には〝スパニッシュ・オムレツ〟を出させて頂きました。他にもデザートを用意しておりますので、お楽しみに」

 

「スパニッシュ・オムレツだぁ?」

 

 魔理沙の疑問に右京が解消する。

 

「スパニッシュ・オムレツはジャガイモや玉ねぎなどをオリーブオイルで炒め、卵を混ぜて作るオムレツです。野菜が入ったことでボリュームが増した、食べごたえのあるオムレツで、僕も時々、作るんですよ」

 

「えー、いいなー」と小鈴がうらやましがった。

 

「ほほ~う。ならば、熱い内に頂かんとなぁ~」

 

 勝者側のマミが誇らしげにオムレツを口へと運ぶ。

 右京の言う通り、ジャガイモのホクホク感と玉ねぎのみずみずしさが相まって通常のオムレツとは異なった食感を味わう。

 普段、和食しか食べないマミも異国の味に舌鼓を打つ。

 

「うむ。こりゃあ、いけるのう」

 

「私も一口」

 

 続いて阿求もオムレツを口へ運び、その味に感動する。

 最後に右京が一切れ頂き、その優しい味つけに喜ぶ。

 さらに食後のデザートにはアイスクリームが登場し、食べられなかった女性陣(主に魔理沙)からブーイングが飛んだのは言うまでもなく、その甲斐あって他のメンバーもアイスクリームを美味しく頂けたそうだ。

 

 

 時刻は正午を回り、そろそろ館を去る時間となった。

 右京たちは自室に戻り、帰宅の準備を始める。

 尊が荷物を整理する中、右京は昨日の紙を取り出し、書き間違いがないか、チェックする。

 

「初めてにしては、よいでき……。ですかーーどうにも、習作を域を出ない気が……」

 

 そう呟く右京。

 荷物の整理を終えた尊が話しかける。

 

「それ――お渡しするんですよね? いいんですか? ご自分で()()()()ても?」

 

「君……。ずいぶんなことを言いますね」

 

「だって、そうでしょ?」

 

 しれっと言い放つ元部下に些か腹を立てつつも、確かにその通りなので右京は考える素振りを見せつつも「神戸君。図書館に行きますよ」と語り、足早に自室を後した。

 右京たちが図書館の門を叩くと黒翼のメイドが出迎えた。メイドに用件を伝えると彼女はパチュリーに相談すると言って、二人を待たせる。

 数分もしない内にメイドが戻り「パチュリーさまの許可が下りましたので」と右京たちを目的の場所まで案内する。

 図書館の端まで向かい、腰をかけると同時にパチュリーが顔を出して「見学させてもらっても?」と訊ねてきた。右京はどこか恥ずかしげだったが、断る訳にもいかず、許可を出す。

 そののち、何度かリハーサルを行った。

 尊やパチュリーは耳を傾けながらそれぞれの感想を述べる。

 

「おっ。いい感じじゃないですか」

 

「これを一晩で作るとは……」

 

「いやいや、お恥ずかしい限りです。レミリアさんに喜んでいただけるかどうか……」

 

「レミィは高いレベルのものを要求していないと思いますので。ご心配なさる必要はないかと。というより――気を使わせてしまって申し訳ない」とパチュリーが謝った。

 

 練習を終えたのを見届けたパチュリーは、黒翼のメイドにレミリアを呼んでくるように指示を出した。

 すぐに咲夜がレミリアを連れてくるのだが、そこには来客全員の姿があった。

 事情を知らない来客たちは首を傾げながら何故、今更図書館にと疑問を呈する。

 しかし、その理由はすぐに明らかとなった。

 図書館の奥――そこにある整備された黒い物体。椅子に座る杉下右京。

 全てを察した参加者は静かにその様子を見守ることにした。

 パチュリーが合図する。

 

「では、どうぞ」

 

「はい」

 

 ギャラリーの多さに些か緊張を覚えるも今更どうにかなることでもない。

 右京は腹を括って、目の前の()()に手を置く。彼がやろうとしているのは――。

 

「それでは――」

 

 そう、ピアノである。

 鍵盤に吸い寄せられるように指でタッチしていく右京。同時に美しい旋律が図書館を包んだ。

 それは、まるで気品がありつつ、どこか遊び心のある王女の戦いっぷりを表すような曲であった。

 曲が終盤に向かうに連れ、激しさを増していき、溜めに溜めた勢いをぶつけるようにクライマックスへと突入。

 解放感と悲哀を感じさせながら鍵盤を疾走していき、最後は静かに演奏を終わらせた。

 その間、三分と少々。

 右京は自身が書いた楽譜をミスすることなく見事に弾き切った。

 参加者から拍手が送られ、代表するようにレミリアが一歩、前へ出た。

 

「初めて聴いた曲だわ!」

 

「お気に召しましたか?」

 

「とてもよい曲だと思うわ。……ん? これってもしかして――」

 

「ええ。初めて僕が作曲した曲です。昨日のスペルカードバトルを観覧させてもらっている時にひらめきました。ピアノの曲ですが、トランペットなどの楽器で演奏するともっと迫力が出ると思います」

 

 右京は作った楽譜を手に取り、レミリアに手渡した。

 レミリアは笑顔を浮かべながら、

 

「まぁ、嬉しいわ!」

 

 感謝を表した。

 しかし、楽譜を見た紅魔館の主は、ある一部分を指差した。

 

「ところでこの曲の名前は? タイトルが書かれていないようだけど……」

 

 用紙の一番上が空白になっており、タイトルが記載されていなかった。

 その質問に右京は微笑んでから。

 

「これは、レミリアさんの曲なので。ご自身でお決めになってください」

 

 と告げた。その粋な計らいにレミリアのテンションはさらに上がった。

 

「ありがとう! この曲に相応しいタイトルを考えるわ!」

 

 宣言してから、咲夜を見やり、隠し切れない喜びを目線で伝えた。

 咲夜は「よかったですね」と頷きながら右京にペコリと頭を下げた。

 演奏を聴いた魔理沙たちがそれぞれ感想を述べる。

 

「まさか、私らが戦っている間にそんなもんを書いてたとはなー。なぁ……霊夢?」

 

「何者なのよ、あの人……」

 

 話を振られた本人は、口元に手を当てながら右京を見ている。

 

「素敵でしたよ」

 

 その多芸っぷりに拍手する阿求。

 

「杉下さんってホント、多才ですよね? すごいなー」

 

 小鈴は、歳相応にはしゃぎながら、感動を表す。

 

「才能の塊じゃな。あっぱれじゃ」

 

 妖怪信者との連携にて、強敵パチュリー・ノーレッジを破った実績を含めつつ、マミは称賛を贈る。

 評判は上々だった。

 右京は恥ずかしさのあまり、言葉を詰まらせるも「ありがとうございます」と返した。

 

 後日、レミリアは曲のタイトルを命名する。

 一部の者しか知らないそうだが、その曲は〝亡き王女の為のセプテット〟と名づけられ、当主が主催する宴会の際には必ず弾き聴かせる一曲となったそうだ。



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第59話 緋色の研究

シーズン2最終回です。


 演奏を終えた右京は、レミリアに楽譜を手渡して無事、約束を果たした。

 発表会の余韻が醒めた始めたところで咲夜が一行をエントランスへ連れていく。妖精メイドやホフゴブリンが一列に並び、一斉に頭を下げた。

 どこまでも西洋の雰囲気を感じられる場所だ。右京は紅魔館でのできごとを思い返してそっと笑う。

 入口から出て、中庭が見えるところまで歩くと咲夜がレミリアにピンク色の傘を持たせた。彼女は傘を開いてから外へ出る。日光に弱い吸血鬼ならではだ。

 すると、起きてきたのか若干、寝ぼけぎみのフランドールが姿を現し「じゃあね、ホームズ……」と眠い眼を擦りながら見送りの言葉をおくった。

 右京は「眠い中、お見送りして頂き、光栄です」と返して握手を求めるとフランも「うい」と声を発してから手を伸ばし、互いに握手を交わす。

 

 表の人間と幻想郷の妖怪が仲良く握手する光景を見て人里代表の阿求が「人と妖怪――色々と可能性を感じさせられますね」とコメント。他の幻想郷勢も満更でもない態度を示した。

 尊は「この人が特別なだけなんじゃ……」と思ってしまうも口には出さず、その光景を眺めるだけにとどめた。

 右京がフランの手を離すと、今度は当主レミリアが彼に握手を求め、それに応じるように右京は中腰となって彼女と握手する。

 

「とても、楽しい一日だったわ。機会があったらまた遊びにきてね」

 

「光栄です」

 

 互いに本心から出た言葉だった。続いて阿求や小鈴もレミリアにお辞儀。マミも「昨日は色々と楽しかったぞ」と述べ、レミリアが「私もよ」と返す。

 後は紅魔館を去るだけ。メンバーが門に向かって歩く中、レミリアはさり気無く右京を呼びとめた。

 

「杉下さん――」

 

「はい?」

 

 何気なく振り向く右京に対し、レミリアは以下のような一言を投げた。

 

 ――私はあなたがこの幻想郷におけるU.Nオーエンにならないことを祈っているわ。

 

 唐突に発せられた意味深なワード。吸血鬼の顔は真顔だった。双眸から放たれるカミソリのような鋭い眼光。まるで()()のようだ。

 尊ならばあっという間に腰を抜かすことだろう。しかし、右京は顔色一つ変えることなく、

 

「ご心配なく。僕は()()()ですから」

 

 と答える。

 レミリアは、尖った表情を来客用に戻した上で

 

「なら、よかった!」

 

 と、おどけてみせた。そして、一行は紅魔館を後にする。

 咲夜が護衛として人里まで付き添うので、代わりのメイドが主人たちの周囲に並んだ。遠ざかって行く右京たちの姿を眺めるレミリアは、自慢の参謀に質問する。

 

「どうだった? 杉下右京は」

 

 パチュリーが端的に答える。

 

「頭のいい人間」

 

「他には?」

 

「非力だけど、今まで外からやってきた表の人間の中で一番厄介」

 

 幻想郷は様々な勢力を受け入れてきた。自分たちも初めは部外者だった。

 人間だって表からやってきて住み着く者もいるし、中には人外級の戦闘力を誇る猛者だって存在する。

 彼らと比較してなお、パチュリーは杉下右京を一番厄介だと言い切った。口元に手を当てながら、レミリアが喉の奥を鳴らす。

 

「そんな人間に幻想郷の暗部を見られてしまった訳か……」

 

「そうなる」

 

 客人がいなくなった途端、本音で語り出す両者。そこに先ほどまで笑顔はなく、真面目に杉下右京という()()()について意見を述べ合う。

 

「私なら早急に排除する」

 

 パチュリーがそう切り出し、レミリアが疑問を呈する。

 

「どうして? 非力なのにかい?」

 

「杉下右京は頭の良さだけじゃなく、その精神も異質――妖怪をまるで怖がらず、理解しようとする。どちらかと言えば、こちら側に近い人間。何かの拍子で()()()するかもしれない。そうなってしまっては対処が面倒」

 

 右京が妖怪たちを観察するようにパチュリーもまた右京という人間を観察していた。その危険性を見抜いた上で主に報告する。理想的な参謀だ。

 

「対処が面倒になる……? 妖怪化すればこちら側にとっても悪い話じゃないんじゃない?」

 

 パチュリーは首を横に振って否定した。

 

「あの人間はきっと()()()()に勘づいているはず。事実、こちらを探っているようだった。図書館でも何気なく本を手に取っていたけど、数ある本の中から真っ先に手に取ったのは〝魔法結界の壊し方〟で読んでいる時間も一番長かった。……偶然とは思えない」

 

「魔法()()の壊し方ねぇ……。そりゃあ、またなんとも」

 

 確かに右京はその魔法書を手に取り、興味深そうに読んでいた。その際の僅かな表情や仕草までしっかり観察していた。

 これだけでは根拠に乏しいが、レミリアは()()()()()()()()()とどこか納得した様子だ。

 

「私は彼が幻想郷の結界を破壊しようと目論んでいるとみている。人間としての誇りを持ち、甘い誘惑に靡かない精神に正義の番人たる警察官としての矜持を持つ男。そんな者がこの現状を放っておく訳がない。何かしらのアクションを起こすはず。そこに妖怪化が重なれば――」

 

「幻想郷崩壊に繋がる可能性がでてくる――ってところかしら?」

 

「可能性は低いけど、ありえない話ではない。少々、大げさかもしれないけど」

 

 幻想郷の結界関係は製作者や管理者の目もあって厳重に管理されている。たかが人間が妖怪化して人外の力を身につけようとも攻略できる代物ではない。

 そのはずなのだが、パチュリーは懸念が拭えなかった。自分たちに物怖じせず、狂人フランとも顔色一つ変えずに仲良くできる人外の素質。

 チェスでも互角に渡り合い、駆け引きでも引けを取らないその頭脳。用心深いパチュリーが警戒するの当然だった。レミリアが参謀の意見を肯定する。

 

「あの人間なら何をやらかしても不思議じゃないわね」

 

「だからこそ、すぐにお帰り頂くのが最善。それに」

 

「それに?」

 

 首を傾げるレミリアにパチュリーは一呼吸おいてから答える。

 

「もし、あの女の機嫌を損ねたら命の保証はない。あれほどの人材――死なすのは惜しい」

 

 研究以外にあまり感心を見せない親友が、部外者を気遣う発言をした。レミリアは大層、驚いた。

 

「あら。意外ね……。パチェがそんなこと言うなんて」

 

「……そう?」

 

「そうよ」詰め寄るレミリア。

 

「ふむ……」

 

 顎を撫でながら、空を見上げて恥ずかしさを誤魔化す。吸血鬼は嬉しそうに言う。

 

「あなた――丸くなったわね」

 

 それに反応し、パチュリーもまた、

 

「ふっ。レミィこそ」

 

 と返す。

 

「ん? 私も?」

 

「じゃなきゃ()()()()()()()()()()()はありえない」

 

 いつものニヒル顔ではなく、柔らかい笑顔を向けるパチュリー。

 キャラが違うでしょ、とレミリアは腹を抱えてから、彼女の肩を自身へと引き寄せた。

 

「っはは! そうかもねぇ~」

 

「きっとそう」

 

 ふたりは、互いに顔を合わせて笑い合った。

 少ししてレミリアが「厄介事の処理は〝アイツら〟の仕事――私たちが考えることじゃない。静観と洒落込みましょう」と、右京の企みを黙認するような態度を取り、パチュリーも「そうね――〝監視〟もついているようだし」と頷いてから二人仲良く、紅魔館の中へと戻っていった。

 

 

 人里へと帰る道中。雲一つない青空の下。一行はやや肌寒い野原を歩く。

 右京は、その脳内で誰にも悟られぬように紅魔館で得た情報をまとめていた。

 

「(紅魔館――さすがは幻想郷のパワーバランスの一角を担う勢力。持っている財力、人材が人里とは比べものになりません。おかけでいくつかの情報が手に入りました)」

 

 パチュリーの予想通り、右京は情報を得るためにレミリアの誘いに応じたのだ。

 もちろん、好奇心もあったが、それ以上に優先するのは情報収集である。

 

「(まず紅魔館のメンバー。絶対的な戦闘力を誇る吸血鬼姉妹に頭の切れる参謀役の魔法使いと空間への干渉能力を持つメイド。個々の戦闘力が高く、その気になれば、この四名だけで里を跡形もなく消し去れるでしょう。彼女たちが異変を起こしたのも頷けますね。それを霊夢さんや魔理沙さんが解決して今の良好な関係を築いた)」

 

 スペルカードルールが採用されてすぐに起こった異変。その首謀者がレミリアだった。

 この事件がきっかけとなり、各地で異変が頻発――解決方法にスペルカードが使われ出した。

 スペルカードバトルのルールは『相手を殺さない程度に相手と戦う』という個人の裁量に委ねた何ともアバウトなゲームだが、皆がルールを守りながら生活している。

 その裏には何かあるに違いないと右京は勘繰っているが、今はさして重要ではない。

 

「(館内は十六夜さんの能力で想像以上に広く、道に迷うほどの規模だった。内装や食事の内容からいって、近代以上のインフラを備えているはずです。東の国の秘境としては、些か不釣り合い――人里とはあまりに異なる)」

 

 紅魔館は純粋なまでの洋館。幻想郷の建築技術では建てられない。つまり、表の世界から持ってきたと仮定できる。パチュリーの魔法によるものだろうか。

 彼女の魔法はちょっとやそっとで理解できる代物ではないが、その知識量と技術力からして現代技術を以てしても実現不可能な現象を引き起こすのも容易だと推測できる。

 もしかすると紅魔館のインフラも彼女が一手に引き受けて、快適な状態に仕上げたのかもしれない。

 

「(……紅魔館は表の世界と繋がっているのかもしれませんね)」

 

 インフラが整備されているだけならわかるが、アンティークから洒落た食器など全てが里で手に入らない代物なのだ。これはどう考えてもおかしい。誰もが思うことだ。

 しかし、それだけでは表と繋がっていると断定はできない。だが、右京の中ではすでに確信の域にあった。

 

「(パプリカの件で十六夜さんは、公にはできないルートから仕入れていると僕に言いましたが大方()()()()のことを指しているのでしょう。強固な結界を通り抜けて物資を輸入しているなどと言ってしまえば、幻想郷の常識が崩壊してしまいますから……。口外できないのも無理はない)」

 

 咲夜の話からパプリカを外から輸入していると突き止めた右京は、彼女の能力が空間に関連したものであることを思い出す。

 そこから咲夜が何らかの方法で管理者の許可を得ずに結界をすり抜け、物資の調達をしていると予想したのだ。

 結果、博麗大結界は〝完璧な結界〟ではないと判断するに至り、最終手段として()()()()()()()()()()()()と感じた。

 

 ただ、この幻想郷には秘境に不釣り合いなテクノロジーを誇る勢力が少なからず存在している。

 天狗の属する〝妖怪の山〟などが該当するだろう。また、結界の製作者たる八雲紫もこの結界を自由に行き来でき、幻想郷が寒い時期は表の世界に入り浸っているとの噂もある。

 彼女との関係が良好であれば、そこから物資を運び入れられるが、紅魔館は他の勢力との関係が希薄なので、基本的には自力で行っているのでは、と右京はみている。続いては咲夜自身についての考察だ。

 

「(十六夜さんは僕が紅茶を出した際、三ツ星を〝ミシュラン〟と口にしました。ミシュランが三ツ星方式で格づけするようになったのは一九三一年以降で、フランス国外向けのガイドが出版されて広まっていったのは第二次世界大戦後の一九五六年から。レミリアさんがミシュランを理解していなかったところをみるに大昔、幻想郷へとやってきた彼女は一度も結界の外に出ていないのかもしれません。

 ところが、レミリアさんと十六夜さんはイギリスでの面識があるような言い方をしていた。だとすると年齢的に少女であるはずがない。……妖怪ではなく、人間と位置づけられていますが……何か訳ありなのかもしれませんねえ。憶測の域を出ませんが)」

 

 幻想郷入り前のレミリアと面識があるならその年齢は高齢でなくては不自然だが、咲夜の見た目はどう見ても十代中頃。明らかに計算が合わない。

 彼女もまた、人外の域に達している人間なのかもしれないが、真相は不明だ。

 ふと、一行を先導する咲夜に目を向けた右京の脳裏に()()()()()()()()()()()()()()()()()()があるのではないか、と良からぬ発想が浮かぶが、七瀬春儚の一件を思い出し、その邪な考えを捨てた。続いての考察はレミリアの思惑についてだ。

 

「(さて……レミリアさんは何故、僕を紅魔館に呼んだのか――)」

 

 表からやってきて里人による殺人事件をスピード解決した巷で噂の有名人。

 物好きなレミリアが興味を示すのは何ら不思議ではないが、額面通りに受け取らないのが杉下右京である。

 

「(普通に考えて射命丸さん辺りがたきつけたのでしょう。レミリアさんやパチュリーさんの雰囲気がどうにもこちらを観察、もしくは試しているようでしたし。新聞を売るため()()()()でも流したのかもしれません。いやはや、どこの世界も記者というのはひと癖もふた癖もあるものなのですねえ)」

 

 右京はドヤ顔を決め込む文を思い浮かべて苦笑った。元々、レミリアが右京を招いたのも新聞記事がきっかけだ。

 それでいて自身を観察するかのように接してきたことを考えれば、文が余計なことを言ったのだろうと勘繰るのは当然だ。どのような売り文句を吐いたのかも想像に難い。

 

「(恐らく、易者事件と今回の事件を交えながらレミリアさんの興味を僕に向かわせた。里や紅魔館で易者の話題が出る度に霊夢さんが過剰に反応していたところをみると、かなりの大事だったのでしょう。射命丸さんの最後の質問で思わず動揺を表に出してしまったのが仇となりましたか)」

 

 全てはあの時の失態が招いた結果であると右京は認識した。

 もっとも、例え態度に出さなくとも、文なら何かと託けて新聞を売る材料にしただろうが。だとしても失態は失態である。

 その意味では、ジャーナリストとしての文の腕前は高いと言わざるを得ないだろう。さすがは圧迫インタビュアーである。今後、射命丸に何かを依頼するのは極力避けるべきだろう。

 そして、彼の考察が今回の目玉である《レミリア・ジャッジメント》に及ぶ。

 

「(あの人狼ゲームは非常に有意義でした。ストーリーや役職名が幻想郷的なだけでなく、ゲーム開始から終わりまでその全てが幻想郷の縮図だった。僕にゲームをさせることで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という未来を暗示させるように仕向けたと考えて間違いない――)」

 

 レミリア・ジャッジメントはただの人狼ゲームではなかった。幻想郷の現状をリアルに表現したシミュレーションだったのだ。

 まず妖怪陣営に右京とマミ、さらに信者枠として阿求がおり、騙し合いを得意とする者だけが固まっていた。

 ルール上、連携が取りにくく、妖怪側の難易度が異様に高い環境でありながらも個々のスタンドプレイで不利な状況を覆しながら最終的に妖怪陣営を勝利へと導いた。

 幻想郷の妖怪はスタンドプレイを好み、それぞれが幻想郷のために独自で動いていく傾向にあって、上手くリンクしている。

 妖怪に襲撃された霊夢、魔理沙も幻想郷内における人間側に立つ貴重な戦力であり、それを二日連続で消したのは《妖怪賢者》役の右京だった。

 これもただの偶然ではなく、レミリアの暗示であると推測する。

 

「(霊夢さんと魔理沙さんが連続で脱落。あのゲームに何らかの意図があるのならば、それもまた意味があるでしょうねえ。例えば、あの二人は役に立たない――もしくは、お前の力には成り得ない、というメッセージが――)」

 

 つまり、懐柔しても無駄だ。右京はそんなことを言われたような気がした。

 レミリアは全てを読んだ上でゲームを動かしたのか?

 ゲーム進行を担当した咲夜の能力ならイカサマし放題だろうが、右京の選ぶ対象まではどうにもできない。

 考え過ぎだろうかと顎に手をやった瞬間、和製ホームズはレミリアの能力を思い出す。

 

「(()()()()()()()()()()――これを使って僕たちをある程度、自分の思うように操作した。

 こう捉えれば、全て納得できますねえ)」

 

 その名の通り、レミリアの能力は運命にまつわるものだ。

 運勢がよくなるだとか未来予知だとか、様々な憶測が飛び交っているが、実際のところ、本人すら知らないと言われている。

 右京はその能力の本質を〝無意識の内に自分にとって都合よく運命が廻る〟と仮定し、ゲームが彼女の意図する方向に進んだことを必然だったと結論づけた。彼の口元からふふっ、と笑いが零れる。

 

「(さすが紅魔館の主。只者ではありませんねえ。来客を持て成した上で遠回しにでも伝えることはしっかり伝える。尊敬に値します)」

 

 ――私はあなたがこの幻想郷におけるU.Nオーエンにならないことを祈っているわ。

 

 全てを見通し、半ば狂人である右京へ放った、帰り際の一言。

 どこか、意味があるようで意味がないような、的を射ているようで的外れなような意味深な表現。

 理解できる者は限られている。右京はこれを〝作曲の報酬〟であると解釈。彼女の配慮に深く感謝する。しかし、この男は――。

 

「(ですが……。簡単に止まる訳にはいきません。僕は〝警察官〟ですから)」

 

 緋色の主に相応しい洒落た警告。それを知りつつも無視して進まねばらならない自分にどこか悲しさを覚える。

 願わくばそっとしておきたい、と思うも、この世界の闇に気づいた以上、無視できない。これが杉下右京の選んだ生き方である。その様子を悟らぬように気にかける何名かの〝住民たち〟。

 どうやら、彼の孤独な研究(戦い)はこの地を後にするまで終わりそうにない。

 

 

 緋色の誘いに応じて紅魔館を訪れた杉下右京は、真意を悟られぬように情報収集と考察に励んだが、それは向こうも同じだった。何気ないやり取りの裏で展開された心理戦。

 右京が自身の有能さを見せつける展開となったが、内に秘めた異常性まで曝け出してしまい、より警戒される立場となってしまった。

 今後、切れ者の住民たちは杉下右京を客人ではなく〝要注意人物〟と認識を改めて接してくるだろう。それでも彼の取る行動は変わらない。

 杉下右京は問題解決の糸口を求めて、この青空の下を行く――。

 

 相棒~杉下右京の幻想怪奇録~

 Season 2 緋色の遊戯

 ~完~




おかげさまでシーズン2を完結できました。
皆さまの応援のおかげです!

相棒~杉下右京の幻想怪奇録~はシーズン3に突入しますが、執筆環境の変化により更新時期が未定となります。ですが時期を見てまた再開しようと思っております。

今後とも応援して頂けると幸いです。


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Season 3 亡霊の矜持
第60話 酒場谷風と臨時の看板娘


お待たせしました。新章スタートです。


 里へ戻る道中。案の定、妖精たちが一行に戦いを挑んできた。

 羽根のついた小さな妖精から毛虫のような物体や〝霊魂〟が遠距離攻撃を繰り出してくる。

 マミと咲夜が里人ふたりと特命係を守り、霊夢と魔理沙が敵を迎撃。一切の敵を寄せつけず、返り討ちにしていく。

 それでも、懲りずに攻撃をしかけてくる敵集団に人間たちはウンザリしていたが、ただひとり、緊張感漂う状況でありながら、列を乱さず、スマホ片手に撮影を続ける変人がいる。誰もが彼に白けた視線を送った。

 里に近づくにつれ、襲撃の回数は目に見えて減り、入り口が視界に入るころには妖怪の襲撃はなくなる。

 緊張から解放された神戸が大きく息を吐いた。

 

「やっと妖精たちが出てこなくなりましたね」

 

「ここは里周辺ですから。不用意に妖精も近づきません」と阿求が言った。

 

「なるほど。ですが、妖精だけではなく、綿毛みたいなヤツや〝幽霊〟まで出てくるなんて……。何でもありですね」

 

「それが幻想郷ってもんだぜ」

 

 気怠そうなトーンで魔理沙は語ってみせた。一行が道中の話題で会話する中、右京はひとり、首を傾げながらスマートフォンと睨めっこしていた。

 里に着いた一行は鈴奈庵に集まり、小鈴の計らいで一服することとなる。

 彼女は湯を沸かしてから紅茶を淹れた。その味は紅魔館の紅茶より美味しく、右京はどこで手に入れているのか気になっていた。

 

「この紅茶。おいしいですねえ。ちなみにどちらで購入なされたのですか?」

 

「十六夜さんから頂いた品です」と正直に小鈴が答えた。

 

 霊夢と魔理沙はメイドに『何で紅魔館では、この紅茶を出さないのか』と目で訴える。咲夜は苦笑いを浮かべながら「まぁ、色々と……」とお茶を濁すだけだった。

 その言い方で右京は、この紅茶は表から輸入した茶葉だと勘づくも、あえて言及せずに流す。

 やり取りののち、咲夜は仕事があるから、といち早く紅魔館へ戻っていった。そこから一時間ほど、メンバーたちはゆったりした時間をすごす。

 昨日の疲れが抜けないのか、怠そうにする霊夢に魔理沙。それに、つられるようにマミと阿求も欠伸をする。

 会話が途切れたところで魔理沙が「じゃ、そろそろ帰るぜ」と発言すると、続くように彼女たちも帰宅の意を表す。こうして、一行は解散した。

 特命部屋へと戻った右京と尊は荷物を置いて、座布団に座る。

 

「紅魔館は面白かったですねえ~。神戸君」

 

「ぼくは、しばらく遠慮したいですね、ハハ」

 

 血と狂気が身近にある紅魔館は血が苦手な尊には地獄である。

 右京にとってはスリルのある場所かつ愉快な場所だったようで、二人の間には確かな温度差があった。

 気持ちよい笑顔の右京だったが、何を思い出したのか、スマホを取り出し、画面を食い入るように凝視する。

 そういえば、さっきもスマホを見ていたな。尊が訊ねた。

 

「そんなに気に入ったんですか? 彼女たちのバトルシーン」

 

 半分、茶化した言い方で右京へ近づき、画面を覗くが、そこに映っていたのは毛玉と幽霊が攻撃を放っているシーンだった。

 

「おっ、フサフサのヤツと幽霊ですか。どっちも不気味だな」

 

 その瞬間、右京の目がギラリと光った。真顔で自分に向けられた眼光に尊は息を飲む。何か気に障ることでも? 思い当たる節はない。

 しかし、元上司は元部下をガン見しながら顔面を寄せてくる。

 

「え? え? え? なんですか、急に――」

 

「君。今なんて言いました?」

 

「はい? え?」

 

「今、なんて言いましたか?」

 

「え……。えっと、どの辺りから……?」

 

「フサフサのヤツ……と」

 

「あー。幽霊ですか――」

 

「ここに、幽霊が写っているのですか!?」

 

 トーンを一層強めて、問いかける右京に、タジタジになりながら尊が首肯してみせる。

 

「は、はい……」

 

 返事を聞いた右京は「うーーーん」と唸るように喉を鳴らす。数十秒後、彼は重々しく口を開いた。

 

「見えません――」

 

「へ……?」

 

()()が――」

 

「ゆ、()()が……?」

 

「――()()()()のですよ。何故でしょうか……」

 

 顔をプルプルと震わせながら、スマホと睨めっこする右京。

 

「はぁ?」

 

 尊は割と大きめな声を出した。空気の読めない元部下に右京は、鋭い目を投げつけつつ、不機嫌そうにスマホへ視線を戻す。

 この時、尊は現在の部下である冠城から右京が〝幽霊を探しに長野へ向かった〟と聞かされたことを思い出す。

 

「(そういえば、オカルトマニアだったっけ、この人……)」

 

 尊が特命を離れてからの右京は、幽霊関係の事件に手当り次第、首を突っ込んでは幽霊を探し回っていた。

 もはや幽霊は大好物。亀山時代は亀山が幽霊屋敷を購入。とんだ災難に遭い、右京が彼を救い出し、見事に隠された謎を解明する。

 三番目の相棒《カイト》と組んだ時には幽霊が出没する屋敷で白骨体を発見し、噂の真相を暴いた。

 現相棒《冠城亘》とコンビを組んでからも、怪奇現象が起こる家の庭先で白骨遺体を見つけ出し、数十年前の事件の真相を解き明かしたこともある。

 杉下右京と幽霊は切っても切れない関係。しかし本人いわく、まだ幽霊を一度も見たことがないそうだ。幽霊だと認識していないだけかもしれないが、本人は未だに出会っていないと主張するだろう。

 まさか妖怪のいる世界で〝自分だけ幽霊が見えない〟なんて予想外。道中、楽しそうに幽霊の目撃談をするメンバーたちを心底、羨んでいた。今、まさにジェラシーが絶賛爆発中なのである。

 

「あの、ほどほどにしてくださいね。スマホのバッテリーなくなっちゃいますから」

 

「君に言われずともわかっていますよ」

 

 そっけない態度の右京。尊は「これは、しばらく直らないかな……」と半笑いするしかなかった。

 

 

 夕方、十七時。右京たちは、ずっと特命部屋でダラダラとすごしていた。

 尊は仮眠。右京はスマホのバッテリー温存のために、途中で幽霊探しを諦めて鈴奈庵から借りた書物に目を通している。

 里人の足音が増えるにつれ、あちらこちらで鴉の鳴き声が茜色の世界に響き渡る。音が耳に入り、目を覚ました尊は眠い眼を擦りながら右京に言った。

 

「そろそろ、お腹空きません?」

 

「空きましたねえ」

 

「今日は何にするんです?」

 

「外で済ませましょうか」

 

「わかりました。どこにいきます?」

 

「そうですねえ。せっかくです。舞花さんのところに顔を出してみましょうか」

 

「それ、いいですね。楽しみです」

 

「では、行きましょう。おっと、その前に一つだけ――」

 

「ん?」

 

 お決まりのポーズを取った右京。

 

「〝ナポリタン〟は出ませんからね」

 

 ナポリタンは尊の好物である。どれほど好きなのかまではわからないが相棒時代、右京がナポリタンを食べに行くか?  と、しょっちゅう訊ねていたので、かなり好きなのだろう。

 

「ご心配なく。知ってますから」

 

 東方の秘境でナポリタンが出る訳ない。そんなことは誰でも知っている。

 彼が、やや腹を立てながら答えるのを見て、満足した右京は戸締りを確認してから、大通りを歩いて《酒場谷風》へと向かった。

 暗くなる手前だが、酒場は再開したばかりとあって普段よりも客が多い。

 暖簾をくぐる右京たち。そこにはカウンターの奥で忙しそうに注文の品を作る舞花と可愛い笑顔で接客する十代中頃の()()()()()を被った少女の姿があった。

 

「おや、どなたでしょうねえ~」

 

 少女はピンク色のセミロングに翡翠色の瞳をしている。制服は谷風のものを使っているが、頭の帽子はカートゥーンチックな鯨の被りもの。

 人里に似合わない雰囲気に、二人は顔を合わせながら、妖怪なのか? とアイコンタクトし合う。そこへ右京たちを見つけた本人が、トタトタとやってくる。

 少女は右京たちの姿に若干、首を傾げながらも、店内が混雑していることもあってか、疑問を口に出さずに応対する。

 

「……いらっしゃいませ。酒場谷風へようこそ。二名さまでよろしいでしょうか?」

 

「ええ(はい)」

 

 右京と尊が頷くと、少女は慣れた手付きで右京たちをカウンター席へと案内。二人を座らせて、すぐにお冷を運んできた。

 

「ご注文はお決まりでしょうか」

 

「そうですねえ~」

 

 まだ幼さを残す声色だが、ハキハキとした接客を行う手際の良さが窺える。近くの男性客たちが彼女を見ながら、どこかうっとりしていた。

 右京は壁に張られている《本日のおすすめ》に目をやる。

 《スズメの焼き鳥》《ウサギの醤油焼き》など表では珍しいメニューが多数存在するが、その中にあって右京の感心を強く惹きつける品があった。

 目を凝らしながら、何度か瞼をパチパチさせる。気になった尊が「どうしました?」と声をかけるが、反応はイマイチ。

 右京が釘付けになっている方向へ自身も視線を飛ばすと、彼もまた目を点にした。

 

「「〝朱鷺(とき)〟の赤みそ鍋」」

 

 朱鷺とは一時期、日本国内で絶滅したと騒がれたあの朱鷺である。

 現在、中国産の朱鷺の人工繁殖によって新潟で繁殖しているので、絶滅種から絶滅危惧種にランクが下がっている。

 しかしながら、日本産の朱鷺が絶滅したことに変わりはなく、もし仮に日本産の朱鷺が幻想郷に生息しているなら、一大ニュースになるだろう。

 驚きを隠せない客たちに、説明を求められていると思った少女が笑顔で頷く。

 

「そうですよ! 今日は朱鷺が入っているんです! 滋養強壮に効くので人気があって、残り数人分しかありませんが」

 

「残り数人分ですかー。神戸君、どうしましょうねえ」

 

「いや、朱鷺なんて食べたことないですけど、食べられるなら相当、貴重な体験になるのでは……? 日本産だったらなおのこと」

 

「ですよねえ。では《朱鷺の赤みそ鍋》を頂きましょうか」

 

「ありがとうございます。おふたり分でよろしいでしょうか」

 

「はい。後は熱燗をひとつ。君は?」

 

「ぼくも同じものを」

 

「かしこまりました――」

 

 注文を受けた少女がカウンター奥で作業する舞花へ注文を告げる。作業中の舞花は顔を出さずに「ありがと!」と感謝を述べた。右京と尊は互いに顔を向い合せる。

 

「幻想郷って、朱鷺いるんですね……」

 

 尊はいまだに驚きを引きずっているようだった。それは右京も同様で。

 

「いるようですねえ~。僕も見落としていましたよ。ーーもっと、幻想郷について知らなくてなりませんね」

 

「実は〝中国産〟というオチだったりして」

 

「だとしても幻想郷で捕れたのなら()()()()と呼ぶのが妥当でしょう」

 

「ハハッ。確かに」

 

 幻想郷は外から色々なものが流れ着く。朱鷺も最近、表から入ってきても不思議ではないが、結界が敷かれた日を考えると、絶滅した日本産の朱鷺の可能性が大きいだろう。後で幻想郷史を読めばわかることだ。今は朱鷺の味を楽しもうではないか。

 右京が未知の味への好奇心を膨らませながら、そっと店内を観察する。客は中年の男性ばかりで、むさくるしさを覚えるが、可憐な少女がお酒を運び、あちこち動き回っているおかげで緩和されている。女性に人一倍、感心がある優男がふふっ、と笑みをこぼす。

 

「彼女。愛嬌があっていいですね」

 

「それに接客も手慣れていますね。大したものです」

 

「ああいう娘は、人気あるでしょうね。ここの看板娘かな」

 

 周りの男たちの伸びた鼻の下がそれを物語っている。すると、尊の左隣にいた黒い着物の男が御猪口片手に、いきなり語り出した。

 

「彼女の名前は奥野田美宵(おくのだみよい)。ここより少し離れた夢幻酒場(むげんさかば)鯢呑亭(げいどんてい)》の看板娘だ。今日は非番とあって舞花ちゃんの手伝いをしているらしい。新しい店員が入るまでちょくちょく顔を出すそうだ。鯢呑亭の店主と舞花ちゃんの親父さんは仲が良かったからな。そのよしみだろう……」

 

「あ、そうなんですか……」

 

 いきなり見知らぬ男から説明を受けたことに動揺する尊。それを無視して説明が続けられる。

 

「美宵ちゃんはその可憐な容姿と丁寧な接客で一部から絶大な人気を誇る。〝酒より美宵〟という合言葉さえ存在するほどにな。

 だが、舞花ちゃんも同じくらい人気があってな。酔っぱらった客同士、どっちが可愛いかで論争し合うこともあったが、どちらも持っているタイプが違うということで停戦した。ふふっ、あの時の議論は実に数時間にも及んだ」

 

「はい……?」

 

 尊は酔っ払いの話に二の句が継げなかった。

 

「結論を言うと、可愛さ重視なら美宵ちゃん。綺麗さ重視なら舞花ちゃんだ。覚えておけよ、新入り。そして不埒な真似をするんじゃないぞ。ひっくっ!」

 

「あ、はい。どうも」

 

 もう、めんどくさい、と言わんばかりに笑顔で会話を切った。右京はクスクスと笑いながら、元部下にご苦労さま、と視線を送る。そのタイミングで、話を小耳に挟んだ舞花がやってきた。

 

「ちょっと、おじさん。まーた、変なこと言ってるの?」

 

「いや、これはだな、舞花ちゃん――」

 

 ずいっと顔を近づけるジト目の舞花に、黒服の男は両手をあげながら降伏。男たちに店主としての貫録を見せつける。

 

「まったく! 女を顔で比べるなんて! そんなんだから()()()()()()()()なんて言われるのよ?  ――ねぇ、美宵ちゃん?」

 

「あはは……」

 

 抗うつ薬おじさんと呼ばれた男性は途端に「ぐ、ぐわー、また目まいがぁー」と、言って勢いよくテーブルへと突っ伏し、店内の酔っ払いたちが笑い声をあげる。右京たちもそのパワーワードじみたあだ名に思わず笑ってしまった。

 舞花が「まだそんなに飲んでないでしょ? 本当に気分が悪くなったら言ってね、薬屋さんの酔い止めをあげるから」とおじさんを気遣う。再開したばかりとあって、いつもの以上に張り切り、店を切り盛りする舞花。美宵はほんの少し、その可愛い口元を釣り上げながら苦笑った。

 舞花が視線を左に移すと、知り合いの顔が映った。目が合った右京と尊が「こんばんは」と挨拶すると、舞花があっ、と声を上げた。

 

「あら、杉下さんに神戸さん――いらっしゃい!」

 

 右京たちに挨拶する舞花の表情はとても晴れやかで、敦が亡くなった当初の暗い影は見られない。吹っ切ったのだろう、と右京は思った。

 美宵が「お知り合いですか?」と舞花へ訊ねると、彼女は「杉下さんは、うちの恩人よ。さあ、おふたりとも――今日はサービスするからじゃんじゃん飲んでいってね!」と気前よく言ってのける。

 

「「ありがとうございます」」

 

 返事を聞いた舞花は朱鷺鍋を作る準備に取りかかる。その間、美宵が店内を行ったり来たりしながら酒飲みたちを上手にさばいていく。賑やかな店内を満足げに眺めながら、右京たちは先に届いたお通しと熱燗で乾杯した。



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第61話 特命係と幻想珍味

 混雑具合もあって料理にも時間がかかる。

 入店から四十分。美宵ができ立てアツアツの鍋を右京たちの目の前に運ぶ。

 香ばしい味噌の匂いが鼻孔をくすぐり、ふたりの食欲をそそらせる。人里の料理――その味は如何に?

 右京が自分と尊の分を取り分けてから、ふたり同時に手を合わせる。

 

「「いただきます」」

 

 朱鷺と思われる肉を箸で摘まむ。ほどよい弾力が指先に伝わり、プルンと震えて肉汁が滴る。

 

「ほう。かなり脂が乗っているようですよ」

 

 固過ぎず、柔らか過ぎず、しっかりと形を維持している。

 

「ではでは。お味のほうを」

 

 右京は朱鷺を口の中に入れる。独特の食感と濃厚な旨味が舌の上で転がった。

 

「おぉー……。これはっ――いいですねえぇ~!」

 

「んんっ。美味しい!」

 

 美味だった。味噌の旨味と鳥肉のしっとりとした脂が、互いの旨味を引き立てて、料理の完成度をワンランク上げている。

 そして、手元の熱燗で口内に残った旨味エキスを流し込み、また箸を伸ばす。これを数回続けてから、両者とも一息つく。

 

「肉にしみ込んだ味噌の味に柔らかく、そして確かな食感――」

 

「おまけに品のあるダシのような脂――」

 

「神戸君。朱鷺はーー美味しいですね」

 

「はい。ぼくも気に入っちゃいました。箸が進みます」

 

 熱燗をグビッと飲んでからすぐに朱鷺鍋へ手を伸ばす。具材は豆腐や白菜など、シンプルなのだが、その味わいは実に繊細かつ豊。右京が、お得意のウンチクを披露する。

 

「江戸時代に書かれた本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)には()()()()()()()()とあるそうですが、この肉はそのようなものはありませんねえ~」

 

「へー、相変わらず物知りですね」

 

 そこへ復活した抗うつ薬おじさんが口をはさむ。

 

「ここの朱鷺鍋は別格なのさ。酒場谷風の歴代店主が代々、受け継いできた秘伝の技術によってなまぐささを取り除いている。他の酒場でも朱鷺鍋は出るが、臭いが消えず、鼻に違和感が残りがちで、好き嫌いがわかれる。

 俺の家族もそうだった……。しかし、谷風の朱鷺鍋は訳が違う。濃厚な旨味を残しながら臭みだけを取り除き、赤みそのコクを生かした究極の鍋。いかに幻想郷ひろしといえど、この鍋を超える鍋は存在しないだろう……。あぁ、手持ちが少々、心もとないのだが、話をしたらつい食べたくなった。ということで美宵ちゃん。俺にも朱鷺の赤みそ鍋を――」

 

「あ、すみません。もうなくなってしまいました」

 

「……………………ふっ、そういう()()もあるさ――()()だけに」

 

 彼は再び机に突っ伏した。

 息を吐くように繰り出された親父ギャグを尊は受け流すことができなかった。白ける彼の背後から右京がひょっこり顔を出した。

 

「解説、どうもありがとう。お礼と言ってはなんですが、少しどうです?」

 

 元上司は黒衣の中年に自分たちの朱鷺鍋を分けようかと提案する。

 おじさんは静かに起き上がり「感謝するぞ、表の方」と右親指をグッとさせながら、相手の好意に甘える。

 よそわれた朱鷺鍋を頬張り、日本酒で胃袋へと流し込んだおじさんは一言「うまい……紳士どのの、おかげでよい()()が過ごせた。()()……だけにっ」と呟き、食べて終わってすぐに三度目の突っ伏しを披露した。モーションからして本当に酔いが回ったのだろう。

 美宵が笑いながら「よかったですね」とコメントする。

 すかさず、舞花もノリノリで「抗うつ劇場、これにて閉幕!」と毛布をパサリとかけた。

 周囲がパチパチと拍手を送る。寒い親父ギャグも笑いに変える。谷風店主の手腕は確かなようだった。

 

 朱鷺鍋を平らげた右京たちは追加で《スズメの焼き鳥》《ウサギの醤油煮込み》《鯉の塩焼き》など一風変わった品を注文。新たに頼んだ日本酒と共に頂く。

 先に届いたのはスズメの焼き鳥。

 伏見稲荷門前名物、スズメの丸焼きのような原型をとどめた品ではなく、身だけが串に刺さっている。照りのある醤油たれに明かりが反射し、見る者の食欲を刺激する。

 かつて京都に赴きながらも食べられなかったスズメ料理を思い出しながら、ふたりは同時にスズメを口へと運ぶ。

 当然のように二人の口元が綻んだ。

 

「柔らかいですねえ~」

 

「伏見稲荷の丸焼きのような見た目を想像してたけど――立派な焼き鳥だ……。美味しいです」

 

「タレも甘辛くてよいですね。さあ、冷酒も頂きましょうか」

 

「ですね」

 

 熱燗の次は冷酒だ。やや辛口ぎみで癖が強い酒だが、決して飲みにくい訳ではない。むしろ、酒の肴とあうようなテイストになっており、決して料理を潰さない。

 口の残る余韻を楽しみつつ、右京が尊に味の感想を訊ねた。

 

「どうですか?」

 

「いいと思います。ぼくたちの知る日本酒とは少々異なる味ですが、ここの料理と非常に合っていて、箸が進みます。杉下さんの感想は?」

 

「ふふっ。美味しいに決まっているじゃありませんか」と微笑む右京。

 

「ハハッ。でしょうね」

 

 次は《ウサギの醤油煮》と《鯉の塩焼き》が運ばれてきた。

 右京は鯉を、尊がウサギを選び、互いに相手の分を予め取り皿に分けた。

 鯉の塩焼きは、鯉の淡泊な身と塩気がマッチして、川魚とは思えない旨味を出す。おまけに泥臭さはなく、非常に食べやすい。朱鷺といい、酒場谷風の店主は臭みを取る技術がとび抜けている。

 ウサギを食べた尊は「鶏肉に近いけど脂が少なくて、よりヘルシーな感じですね。鶏より好きな人もいるかも」と、ひとりごとを呟く。

 

「ウサギはフランスでは日常的に食べられている食材です。かという僕もイギリス旅行のついで――フランスに立ち寄った際は頂くようにしています」

 

「お。フランスにも寄るんですね?」

 

「せっかく、ヨーロッパに行くのですからねえ~。見て回りますよ」

 

「そりゃ、そうか」

 

「「ふふっ(ハハッ)」」

 

 美味い料理と酒が出れば、会話も弾むものだ。おまけに店内の雰囲気もよい。やや狭いが、それもそれで、おつである。酒場谷風は特命係の行きつけの店になるだろう。

 来店してから、かれこれ二時間。

 右京たちは腹も膨らみ、箸をおいて雑談していた。その時、ふと右京の耳に自身の右隣に座る若い男性客と美宵の会話が入った。

 

「美宵ちゃん。次はいつ手伝いにくるの?」

 

「えーと、明後日ですね。()()()()()()()()()()()()()を聴いてからなので、少し遅れるかもしれませんが」

 

「へえー、ライブ行くんだ! もしよかったら俺と――」

 

「ちょっとお前、何言ってんだよ!」

 

「調子に乗るな!」

 

「ああん? いいじゃないか!?」

 

 酔っ払い同士がふざけて言い合っている姿を横目に右京が天井の一点へ視線を移す。

 

「騒霊ですか……。どういう意味なのでしょうね?」

 

 客の疑問符を浮かべる姿を見かけた舞花が説明する。

 

「プリズムリバーってのは音楽活動を行う幽霊三姉妹よ。 ある程度の霊感がないと音楽が聴けないから、霊感試しに行く子もいるんだけど、評判はいいみたい。若い子たちは皆、一度は観に行くって言うし。私も仕込みがなければ行くんだけどねぇ……」

 

()()ーーですか」

 

 瞬間的に右京の目の色が変わった。「あ、スイッチ入っちゃった」と、尊が口を開けるが、もう遅い――。

 

「そのライブのチケットはどこに行けば買えるのでしょうか?」

 

「そういうのはないかな。掲示板の貼り紙にも書いてあると思うけど、開催場所に行って並ぶだけなんじゃないかな。そうよね、美宵ちゃん?」

 

「はい。でも結構、人が集まるので早めに並んだほうがいいと思います」

 

「なるほど。神戸君……。僕たちもそのライブ――是非、拝聴したいですねえ~」

 

 和製ホームズの眼鏡の奥が怪しげに光る――。

 尊は『手紙の件があるだろう』と、切り出して断わるつもりでいたが、無理そうなので諦めた。

 

「そう、ですね……。ぼくも、興味あります。アハハ……」

 

「なら行きましょうか。舞花さん、開催場所というのは――」

 

()()よ――七瀬さんがいた」

 

「……そうですか」

 

 悪いことを思い出させてしまった。一気に熱が冷め、右京はいつもの冷静さを取り戻す。

 

「気にしないで。もう大丈夫なので――」

 

 舞花は背中を向けながらも独り言のように呟いた。実際、まだ心にダメージを負っているが、気丈に振る舞っているのだろう。

 右京は彼女の心中を察し、余計なことは言わずに会話を切ることを選ぶ。

 

「舞花さん。どうもありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 仕事を終えた里人で店内が混雑してきたのもあって右京たちはこの会話ののち、会計を済ませて特命部屋へ戻った。

 昨晩、一睡もしていないとあって、帰宅後すぐ右京は猛烈な睡魔に襲われる。

 最低限の寝支度で布団に入った彼は、そのまま深い眠りへと就いた。



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第62話 特命係の何気ない一日

 熟睡する右京は途中から奇妙な夢を見る。 一面真っ黒な世界を彷徨う夢だ。まるで暗闇地獄である。

 手さぐりで前方の安全を確認していると、唐突に正面から声が響いた。声の主は、右京と同年齢の男性のものと推測できる。

 

 ――右京……聞こえているか?

 

 自分の名前を呼ぶ人物の声に聞き覚えがあった。右京が咄嗟に目の色を変える。

 

 ――あなたは……まさか。

 

 ――要望通り、会いに来てやったぞ。

 

 握りこぶしを作って、声の方向をギロリと睨む。声の主も反応するかのように不敵な笑みを浮かべる。

 

 ――右京……。そろそろ、ケリをつけようじゃないか。

 

 ――望むところですよ。

 

 闇の中。和製ホームズは対峙する相手にいつになく強い口調で会話する。

 

 ――お前が、もう少し融通の利くヤツだったらな。惜しい限りだ。

 

 ――僕は……あなたを絶対に許さない。何が何でも捕まえてみせる。

 

 ――できるかな? 今回の〝刺客〟は……。

 

 ――御託は結構! あなたを逮捕します!

 

 右京は黒い世界を掻き分けるように突撃、逮捕すべく手を伸ばし、相手の腕に指先がかかるも。それと同時に目が覚めた。一瞬、固まった右京だったが「夢でしたか……」と枕元に置かれた自らの時計を見やる。

 時刻は昼の十一時だった。隣で寝ていた尊もつられる形で起き上がった。

 紅魔館で睡眠を作曲に費やした右京と緊張であまり眠れなかった尊の体力を回復させるには必要な休息だったのだろう。

 

「ずいぶん、寝てしまいましたねえ」平静を装う右京。

 

「ここまで熟睡したのは数年ぶりです」

 

 表での彼らは忙しく、尊に至っては休む暇もない。熟睡とは無縁の生活だった。束の間の休息を得た尊だが「表の日本に戻ったら絶対、上司に叱られる」と頭を抱える。もっとも、窓際の右京にはあまり関係の話のようで、

 

「今日のご飯はどうしましょうか?」

 

 どこか、気楽に考えている。部屋の食材は紅魔館に行く前に使い切っていた。買い出しに行くのか、それとも外食か。財布との相談になるが、滞在期間が未定である以上、長期戦も覚悟せねばならない。浪費は可能な限り避けるべきだ。右京が尊に指示を出す。

 

「これから、身支度を整えて食材を買ってきますので、君はお留守番を頼みます。いつ情報提供があるかわかりませんので」

 

「手紙の件ですか。――本当は帰りたいところですが、もう少しだけおつき合いします」

 

「助かりますねえ。では、そういうことで」

 

「はい」

 

 三十分後、身支度を整えた右京が買い出しへ向かう。大通りを歩きながら、よい品がないかと物色する。店頭には猪や熊、ニジマスから沢蟹など生きがよい品がズラリと並ぶ。

 

「今日は肌寒いので温まりたいですね……。猪を使って何か作りますかねえ~。ニジマスも美味しそうですし、焼き魚もいい。バターがあればムニエルも。……お、鳥肉も置いてありますね。トマトがあれば〝アレ〟もできますし、親子丼というのもいいですね。蒸し器があれば茶碗蒸しも作れます。さてさて、何を買いましょうか?」

 

 和食と洋食のレパートリーの広い右京にとってここは夢の場所だ。東京ではお目にかかれない食材ばかりがずらりと並んでいるのだから。創作意欲が湧くというものだ。

 興味津々であちらこちらの店を覗いて回る。傍から見れば不審者っぽく映ってしまうので、不気味に思う里人もちらほらいた。

 そこに遠目から様子を伺っていた少女がそろりと近寄り、右京に話しかける。

 

「あの~、昨日の方ですよね……?」

 

「おや、そういうあなたは……」

 

 右京に声をかけたのは買い物籠をぶら下げた美宵だった。しかし、彼は首を傾げながら「どこかで見たような……」と呟くだけだった。

 

「お忘れになられたんですか? 昨日、酒場谷風で接客を担当した夢幻酒場《鯢呑亭》の看板娘――」

 

「あぁ。……奥野田美宵さん、ですか!? いやー、思い出すのに時間がかかってしまいました。申し訳ない」

 

 謝罪する右京に美宵が笑顔で問いかける。

 

「お困りですか?」

 

「いえ、そうではなく、食材がどれも美味しそうなので目移りしてしまって」

 

「そうでしたか。てっきり、困っているものだと」

 

 あちこち俊敏に動き回っていれば誰でも心配する。右京は誤解を解いてから、並ぶ食材を指差しておすすめの食材を訊ねた。

 

「おすすめの食材、ありますか?」

 

「そうですねー。今日は猪の生きがよいので、鍋とかがいいかも」

 

「ぼたん鍋ですか~。豚汁のように味噌を使うのか、それとも醤油を加えるのか……」

 

「こっちだと半々ですが、鯢呑亭だと醤油ですね。谷風だと味噌も出してます。私は甘めが好きなので、すき焼き風にして食べてます。これが辛口の日本酒と合うんですよ~」

 

「参考になりますね。もしかしてお料理、お得意なのではありませんか?」

 

「私はそこまで得意じゃありませんよ。舞花さんの腕前に比べれば天と地ほどです」

 

「彼女の腕前は、あの朱鷺鍋を食べればわかりますねえ」

 

「そうなんですよ。酒場谷風の臭み取りの技術は見事なもので、うちのマスターも『あの朱鷺鍋だけは真似できない』って零してるくらいなんですから」

 

「臭みを取る方法は僕もそこそこ知っていますが、なまぐさいと図鑑に記載されるほどの食材の臭いをあそこまで取れる気はしません。できれば、ご教授願いたいくらいですよ」

 

「へぇー、杉下さんもお料理なさるんですか?」

 

「まぁ、嗜む程度です」

 

「男性で料理に感心があるなんて珍しいですね。表だと普通なのですか?」

 

「自炊する方も増えてきましたが、安価で量の多い飲食店で済ませる方もいます。ライフスタイルによって変わるという印象でしょうか」

 

「らいふすたいる――なんだかカッコいいですね!」

 

 料理の話題をきっかけに右京と美宵は会話を弾ませる。意気投合したふたりは、店先でかれこれ一時間以上も立ち話を続けた。

 右京は表の料理についてのウンチクを、美宵は調理方法から幻想郷の珍味までの豊富な知識を提供し合い、互いに交流を深める。

 両腕を頭の後ろに組み、鼻歌を交えながら通りかかった魔理沙が、ふたりを見つけて近寄ってきた。

 

「よお。楽しそうだな」

 

「これはこれは、魔理沙さん」

 

 魔理沙は右京が手にぶら下げた籠を見て、意外そうな顔をした。

 

「おじさん、料理するのか?」

 

「人並みには」

 

「へー」

 

「あら、魔理沙さん。この方、知識が豊富なんですよ。私も驚かされてばかりで」

 

「ん? あっ、あぁ、そうかそうか――まぁ、おじさんだしな!」

 

 返答に困りながらも自身に親しく接する美宵に愛想良く振る舞う魔理沙だが、本心は別であり、どっかであったか? 疑問に覚えていたものの、口に出すタイミングが見つからず断念。彼女に合わせることにした。

 右京は美宵の助言もあって猪肉と雉肉、ニジマスや様々な野菜に必要な調味料を購入する。すぐに特命部屋に戻ろうとするが、せっかくなので手伝うと美宵が申し出た。元々、料理関係の仕事に就く彼女にとって表の料理は気になるのだろう。

 右京が快く承諾すると魔理沙も「んじゃ。味見する人間も必要だな」と勝手に同行を決める。相変わらずのひょうきん者だった。

 そこで右京は「タダという訳にはいきませんね~。今度、香霖堂にでも連れて行ってくださいね」と頼んだが魔理沙は「味次第だぜ!」と回答を避けた。

 

 来た道を戻る右京と少女たち。商店を離れると人通りが少なくなり、子供によく出くわすようになる。近くに寺子屋があるからだ。

 裕美は元気にしているか、次に見かけたら料理でもおすそ分けしようか、などと右京が思っていると、彼の正面で見知らぬ緑髪の少女が道に迷っているのか、辺りをキョロキョロ見回していた。

 彼女にいち早く気がついた右京が声をかけた。

 

「どうか、しましたか?」

 

「あー、いえ。特命係という場所を探しているのですが――」

 

 少女は部屋探しに夢中で視線を合わせずに右京と会話する。その様子がおかしかったのか、魔理沙が茶化すように「特命係ならお前の後ろにいるぜ?」と言った。

 驚いた少女が慌てて振り向く。見ると白を基調としたノースリーブの上着に巫女服ような袖、青いロングスカート、さらに表の女性が穿くお洒落なロングブーツ。濃い緑色の瞳にカエルの髪飾りをあしらってその長い髪の毛を揺らす。どこか都会的な少女だ。

 右京は興味津々といった感じで先に自己紹介を行う。

 

「僕は杉下右京――特命係幻想郷支部の代表をやっております」

 

 品よいお辞儀を目の当りにした少女も、あたふたしながら名乗った。

 

「私は東風谷早苗(こちやさなえ)と言います――妖怪の山で《巫女》をやっています」

 

「ほう。巫女ですか。――もしかして、少し前に表から引っ越してきた山の神さまの」

 

 幻想郷縁起で見たの情報を元に訊ねると、早苗がコクンと頷いた。

 

「そうです。守矢神社の」

 

「ということは……僕と()()()から幻想入りした――」

 

「はい()()()()です」

 

「そうでしたか。いつかお会いしたいと思っていました」

 

「そんなご丁寧に」

 

 丁寧な対応には丁寧な対応を。早苗と呼ばれた少女は礼節を弁えているようだ。〝いい子ちゃん〟ぶってんな。魔理沙は視線を逸らした後、早苗に言った。

 

「おじさんになんの用だ。手紙の情報か?」

 

「いえ、違いますけど……」

 

「では、どのような?」と右京が問う。

 

「えぇっと、用というほどの用ではないのですが――その、()()()()()()()()()()のかな~っと気になって……」

 

 タジタジになりながら歯切れ悪く答えた早苗。魔理沙は何かに勘づいたが、あえて「年がら年中天狗に囲まれてれば故郷が恋しくなることもあるよな~」と助け舟を出し、右京を信用させた。

 次に美宵が彼女に挨拶し、早苗も頭を下げた。せっかくなので右京が「ここではなんですから、僕たちの部屋にお入りください」と特命部屋に早苗を案内する。

 扉を開けると尊が出迎えるのだが、その人数に呆れてしまい。

 

「知らない少女を、ふたりも連れてきたよ」

 

 小声で愚痴をこぼす。右京は少しだけ表情を崩し、気づかれないようにチラっと美宵を視界に入れながら「神戸君――彼女は昨日、酒場でお会いした奥野田さんですよ?」と告げる。

 尊は一時、考えてから思い出したように答えた。

 

「あ、あー、そうでしたね――忘れてました!」

 

「お酒を飲み過ぎたのでしょう。これ、買ってきた食材です。日陰においてください。後、彼女たちのお茶の用意を」

 

「え? ぼく?」

 

「君に以外に誰がいますか。よろしくお願いしますね」

 

 手際よく雑用を元部下に押しつけ、尊に荷物を運ばせた右京はテーブルを出して少女たちに座るように促した。早苗が右京の正面に位置する形で少女たちが席に着く。

 数分後、尊が人数分のお茶を出して右京の隣に座った。準備が整ったので、代表して右京が話の口火を切る。

 

「表の日本について知りたいとのことですが、何からお話ししましょうか?」

 

「うーんと。情勢とか流行ですかね……。こっちだと最新の情報は手に入りませんから」

 

「わかりました」

 

 右京は要望通り、早苗の知りたがっている情報を伝える。内容は国内外の政治、芸能、ガジェット、ネット、時代の空気感など多義に渡り、その知識量に早苗が驚いた。

 彼女は政治や芸能には疎く《アメリカ大統領にドランプが就任》《エドワルド・スノーマンがロシアに亡命》《某国との関係悪化》といった内容にはあまり興味を示さなかった。

 ガジェットやネットにはそこそこの感心を持っていたが、使いこなせるほどのスキルがあるとは言い難かった。

 しかし、理系等の話になった途端、食つきがよくなった。そこで《ヒッグス粒子》などの有名なニュースを教えると、彼女は目を輝かせて右京に詳しい説明を求めた。

 

 右京は早苗の質問に可能な限り答え、時には手振り、時には持参した白紙を取り出して図解で解説。まるで専門家のように振る舞った。尊がその姿を「相変わらずの某ジャーナリストっぷりですね」と皮肉る。

 彼女も、そんな右京に「まるで大学の教授さんみたいですね!」と拍手した。魔理沙も同意して、美宵は「杉下さん、博識なんですねー。すごーい!」と太鼓を持つ。

 美少女三人に褒められた右京が機嫌よく「ふふっ。どうもありがとう」と感謝を述べ、雰囲気が茶会のそれになる。

 

 かつて右京のサポートを務めた米沢守がこれを知ったら()()()を流すに違いない。隣の尊も「この人――犯罪学の専門家としてロンドンの大学に呼ばれていたらしいし、あながち間違いじゃないのかも」と、心の内で納得した。

 実際、十年以上前、特命をクビになった際、右京はロンドン大学に在籍する恩師から『大学で犯罪学を教えないか』と誘われていた。若い頃から周囲に特別視された杉下右京。その大学も日本最高峰の大学たる《帝都大学》。この男に死角はないのだ。()()()()()()という汚点を除いて――。

 

 小一時間ほど、雑談に華を咲かせた右京だったが、買ってきた食材のことが気になり、少し席を外すと早苗に告げる。それならばと早苗と美宵が手伝いを買って出た。

 そんな中、魔理沙だけが他人事のように「がんばれよー」と、知らんぷりを決め込むのだが、少女ふたりはそれを許さず「はい。いきますよー」と、くつろぐ魔理沙を半ば強引に立ち上がらせ、無理やり調理へ参加させる。

 こうして《杉下右京のお料理コーナー》が始まった。



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第63話 杉下右京の腕前

 空き家の台所はそこまで広くない。魔理沙と尊が裏方に回り、右京、早苗、美宵の三人を中心に料理を作ることになった。

 特命部屋用のエプロンは、右京本人と早苗が着用し、美宵は持参したエプロンを羽織った。右京が買ってきたニジマスを手に取る。

 

「ここでは、ニジマスはどのように食べられていますか?」

 

「基本は塩焼きですね。川魚なので」

 

 本来、ニジマスは外来種だが、明治十年ごろには日本各地で放流が始まっており、幻想郷でも食料として定着していた。塩焼きは当然としてホイル焼きや甘露煮にしても美味しく食べられる。ホイル焼きも捨てがたいが、里にはホイルがない。笹の葉で代用も可能だろうが、手間を考えれば塩焼きが無難だろう。

 

「わかりました。さっそく捌きましょうか」

 

「猪や雉はどうすんだ?」

 

 魔理沙が問えば、美宵が「猪は癖が強いですからね。鍋がオススメです」と語る。

 

「私は味噌が好きだな」

 

「私は醤油かなー」

 

 魔理沙は味噌派で、早苗は醤油派のようだ。ちなみに美宵は、醤油と砂糖を入れるが、早苗は入れないらしい。

 鍋は好みがあり、意見が合わないのもしばしば。鍋や竈が多ければ色々な味を作れるが、特命部屋の調理環境はお世辞にも良いとは言えない。

 片や、味噌のほうが、味が染みる――醤油のほうが、美味しいなど魔理沙と早苗が議論し合っている。

 どっちにつくか迷う美宵に、子供同士の言い合いにクスリと笑っている尊。思考を巡らせる右京が「味が染みて、美味しくて、甘さがある――ちょうどいいのがありましたねえ」と、脳内から最適なレシピを引きずり出し、猪は自分が調理すると皆に言って聞かせ、その場を治める。

 

 雉はどうするか、悩んだが、魔理沙が「せっかくだし、表の料理が食べたいな~。幻想郷ではお目にかかれないヤツを」と無茶振りする。

 右京以外のメンバーが半笑うも、当の本人は顎に手をやりながら「なら〝西洋料理〟を作りますか」と、買ってきた食材を眺めながらに呟いてみせ、周囲を驚かせた。間髪入れず、彼は魔理沙へ籠に入った大半の野菜を渡し「これ、切っておいてください」と依頼する。

 呆気に取られて困惑する魔理沙に「神戸君。魔理沙さんについてあげてください。後、ご飯を炊いて欲しい」と、尊を監視役に据えて、逃げられないようにした。

 うげーっと舌を出す魔女に尊が「杉下さんに無茶振りするからこうなる」と、諭しながら上手に手伝わせ、自身は指示通り、お米を炊く準備を始めた。

 

 右京は包丁片手にニジマスの下処理に取りかかる。そのさばき方は見事なもので女性陣を唸らせたほどだった。一人身が長い、特命係の雑務で料理を作る機会があったというのもあるが、一番は小料理屋を営んでいた()()の影響だろう。

 きっと夫婦時代、本職の彼女から和食を習っていたに違いない。実際、彼の手際のよさには女性らしさを感じ取れる。横から観察していた美宵が「その包丁さばき――どこで教わったのですか?」と軽い気持ちで尋ねた。

 右京は言葉を濁しつつ「独学ですよ」と述べる。なにかを察した彼女はそれ以上、追求しようとはしなかった。

 塩焼きは七輪で行い、早苗が担当する。右京は猪のバラにあたる部分を取り出して《醤油》《砂糖》《みりん》《日本酒》《長ネギの青い部分》《カットした生姜》を加えた液体に浸して、落し蓋をしたのち、そちらの火加減を美宵に任せた。ついでにゆで卵を作るようにも依頼した。

 次に商店で購入した〝赤い野菜〟を手に取った右京が「よく売っていましたねえ~」と嬉しそうに呟き、皮を炙って取り除いてから鍋で煮込む。

 

 その間、雉肉を一口大にカット。塩で下味をつけて、半分は赤い野菜の鍋に。もう半分は違う料理に使う。赤い野菜は、煮込まれたことで液体状になり酸味が飛びつつあった。

 そこに塩などの調味料を加えて一旦取り出し、魔理沙にカットさせた玉ねぎに少量の塩を振ってから水分が抜けるまで炒め、焼いた雉肉を投入――いい具合になったら煮込んだ野菜を入れる。

 水などを加えて濃さを調節しながら塩や微量の醤油で味付けをして、果物を摩り下ろし、甘さで全体にコクを出したら、後は弱火でコトコト煮込むだけだ。

 残った雉肉は雉鍋にするようで、台所が空いたら、みそ鍋を作る予定だ。その頃になればお米も炊き上がり、魚も焼き上がり、猪もいい感じで柔らかくなった。

 猪を任せていた美宵と交代し、ゆで卵を加えてさらにじっくり煮込む。

 

 それから三十分。全てのメニューが完成し、テーブルの上に並べられる。足りないお皿は魔理沙が寺子屋から借りてきたので心配はない。ついでにテーブルも借りた。

 豪華な食事にメンバーのお腹がぐーっと鳴った。特に尊は、空腹で今にも食べたい衝動に駆られるが、右京がいいと言うまでお預けだ。当の本人は写真を撮るべく、スマホを取り出して色々な角度から何度も撮影。料理だけではなく、ついでに人物もレンズ内に捉えてシャッターを切る。

 

「SNSにでもアップするつもりかよ」尊が呆れた。

 

 右京は「久しぶりにこんなに作りましたねえ~。冷めないうちに頂きましょうか」と言ってから食べるように促し、スマホをちょいと操作してから懐にしまう。

 テーブルに並ぶのは《ニジマスの塩焼き》《山菜の胡麻和え》(雉の水炊き》《猪の角煮》そして――。

 

「この赤いのはなんだ?」首を傾げる魔理沙に、右京はニッコリしながら「《雉のトマト煮》です」と答えた。表のトマト煮はチキンで作ることが多いが、魔理沙のご要望とあって急きょ右京が考えたアイディア料理である。脂の少ない雉がトマトと煮込むことでどう変化するのか気になるところだ。

 

 トマトと聞いた魔理沙が「……美味しいのか?」と気が進まない様子だった。反対に早苗は「美味しそうですね!」と目を輝かせた。表で食べていたのだろう。右京が逃げ腰な魔女に「魔理沙さんのために作ったのですから、まずは魔理沙さんに頂いてもらいましょう」と笑顔で圧力をかける。

 顔を引きつらせた魔理沙が「美味くなかったら承知しないぜ?」と、苦し紛れに言い放ちつつも、観念したようにトマト煮を口へと運んだ。直後、彼女の表情がパアっと明るくなった。

 

「ん? これ――いけるぞ……。あれ、あっさりしてて美味いな。肉にもよくわからん味が染み込んでて、いい感じだぜ!」

 

 食べられると判断した少女は、勢いよくがっつく。

 

「おお、それはよかった!」

 

 右京は満足そうに両手を叩いた。

 

「じゃあ、私も――」早苗が自分の取り皿によそって一口。すると幸せそうな表情とともに「んーーおいひーーーー」と叫ぶ。

 

 美宵や尊も皆につられて、味見する。彼女も「酸味がちょうどいいくらいまで抑えられていて、なまくさくもなくて、雉の独特な風味もそこなうことなく、残っている――さすがですね、杉下さん! 私、こんなに美味しいトマト料理は初めてです」と絶賛した。

 

「チキンと比べると大分、癖が強いですが、美味しいですね――この独特な感じも慣れると中々」味にうるさい尊も納得したようだった。

 

 雉という慣れない食材を使って、東の国の秘境で西洋料理を作る。実に杉下右京らしいが、本人はもっと手の込んだ料理を作りたかったそうで少し不満げだった。食材や調味料、鮮度などの制約があるので一品用意できただけでも上出来だろう。お次は猪の角煮に注目が集まる。

 

「これは猪を醤油、砂糖、みりんなどで煮込んだ《角煮》です」

 

「ふーん。砂糖が入っているのか。どれどれ――」魔理沙が一口。「――なんだこれ、肉が簡単に噛み切れるんだが!? 猪肉だよな?」

 

「そうですよ」

 

「やわらかいなー。ご飯が欲しくなるぜ!」

 

「どうやら、上手くできたようです。……これも夢幻酒場《鯢呑亭》の看板娘、奥野田美宵さんのおかげですねえ~」

 

「いえいえ。私は何もしてませんから」と謙遜する美宵。

 

 その隣で角煮を食べた早苗が「んーーおいひーーーー」と絶賛していた。どうやら、語彙力が吹っ飛んでしまったようだ。我慢できず、美宵も箸をつけてから「やわらかい! これが猪肉なんだ――」と、甘めの味付けに舌鼓を打つ。

 続くように一口頂いた尊も「肉自体は独特なんだけど、味が決まっていて美味しいな。さすが、杉下さん――御見それいたしました」とコメントする。

 

「それほどでも」右京は返した後、自分の作った料理を食した。

 

 どの料理もよいできだったが「もう少し色々、加えてもよさそうですね~」と改善点を探し出して「次はもっと美味しく作れそうです」とほくそ笑む。やっぱり、凝り性なんだな、と誰もがそう思った。

 皆が料理の感想を言い終わると、今度は雑談の時間が訪れる。魔理沙と美宵が表の酒について尊に質問した。彼が色々とウンチクを披露する傍ら、右京は早苗と話していた。

 

「早苗さんはいつ頃、ここに引っ越してこられたのですか?」

 

「ちょっと前です。最初は戸惑いましたが、今では普通に暮らせてます」

 

「神さまたちとご一緒に?」

 

「はい。おかげで毎日巫女として働かせて頂いております」

 

「なんだかんだで暇そうに見えるが……」と博麗神社に遊びに来る早苗の姿を思い出した魔理沙が横からチクリ。「こらこら、魔理沙」尊が止める。早苗はコホンと咳払いをして「今日はお休みなだけです――いつもは忙しいのですよ?」と弁明したのち「それにロープウェイ計画も無事、成功――参拝客だって増えつつあり、ます……」と、なんだが歯切れ悪く答えた。

 特命の二人が首を傾げていると情報ツウな魔理沙が彼女に代わって説明を行う。

 

「こいつのところは、里の参拝客を増やすためにロープウェイを設置したんだよ。天狗の親分を説得してな。最初の内は盛況だったが、ロープウェイなんて元々、幻想郷に存在しないだろ? だから『落ちる』『怖い』『危ない』つって、里人の参拝客がイマイチ増えないんだよ。

 おまけに妖怪の山は閉鎖的で強い妖怪も多い。()()()()()()()()と身構えちまう。そこにもってきて参拝客として山の外から《妖怪》がロープウェイを利用してやってくる始末。かえって妖怪神社の印象を強くしてしまった。これじゃまともな里人は近寄らん」

 

 皆が納得したように話を聞いている中、早苗だけは頭を抱えながら唸った。

 

「そうなんですよね~。中々、里の方の客足が伸びなくて……」

 

 残念がる早苗に、尊が手をあげて質問する。

 

「素朴な疑問なんだけど、人間の参拝客って必要なの? 妖怪が信仰しているならそれはそれでいいような気もするけど?」

 

「それは、まぁ……種族、諸々関係なく、信仰して頂きたいので……」

 

 本人は、どこか困った様子で回答した。イマイチに腑に落ちない尊だったが、事情があるのだろうと勘繰っていた右京が笑顔で「お心の広い神様なのですよ」と、元部下に言って聞かせたことで、早苗が「はい! 神奈子はそういう御方です!」と持ち前の明るさを取り戻し、この話題はどこかへと流れた。

 その後も右京と早苗の雑談は続くが、彼女は表でのことはあまり語りたがらず、こちらでの生活――主に自分の仕事を中心に簡単な説明を行う程度だった。事件でもない限り、他人のプライベートには深く突っ込まない右京は、彼女の話にうんうんと相槌を打ちながら、気分よく会話を進めていった。

 ふと、右京が外を見やると、日が沈みかけていた。慌てた早苗が「お夕飯の支度をしないと!」と叫ぶ。そんなこともあろうかと、彼は予め、台所に残して置いた料理を容器に詰め「これ、おすそ分けです」と手渡す。迷惑なのでは、と遠慮がちな早苗だったが、料理の手間を省けるという魅力には勝てず、礼を言ってから受け取った。

 それを見た魔理沙が、チラチラと右京に視線を送る。右京は無言のままコクンと頷いて「これは君の分です。半分は霊夢さんに渡してください。お世話になっていますから」と、ニジマスの塩焼きや水炊き、ご飯などを渡す。

 

「おう。わかった」

 

 上機嫌の魔理沙。さらに右京は、美宵にも角煮やトマト煮を渡して「奥野田さんは今晩、お仕事でしょうから、明日の朝にでもお召し上がりください。きっと、味が染みて美味しいですよ」と告げる。

 

「ありがとうございます! 今度、酒場にいらしたらサービスしますね!」

 

 美宵はニッコリ笑い、右京のお料理コーナーは幕を閉じた。早苗たちを見送った二人はほっと一息ついてから、後片付けをすべく、食器を下げる。

 手間が増えた尊は、場当たり的な上司に対して、さりげなく愚痴を零す。

 

「まさか魔理沙だけじゃなく、見知らぬ少女まで連れてくるとは思いませんでした。おかげで腹ペコだったんですよ」

 

「申し訳ない。色々な食材があったので、目移りしてしまったのです。()()には感謝せねばなりませんねえ~」

 

「彼女って()()()()ですか?」

 

「いえ……」何かを思い出そうとするが、右京は思い出せずにいる。

 

「じゃあ、魔理沙?」

 

「違いますねえ~。うーん、どなたでしたかね? 忘れてしまいました」

 

「ハハ。杉下さんにもそういうところあるんですね。ちょっと安心しました」

 

「ま、たまにはそういう時もあります――おや?」

 

 テーブルを見やった右京がまたまた首を傾げる。

 

「神戸君。料理に参加した人数を覚えていますか?」

 

「え? そんなの――杉下さん、ぼく、魔理沙、早苗さんの四人に決まってるじゃないですか――ん? って、あれ……」

 

 尊も何か違和感を覚えたらしく、頭の中でさっきまでのできごとを思い返す。

 

「誰かが、いたような気が……」

 

 呟く彼に右京がテーブルを指差した。

 

「お皿――五人分ありますね」

 

「あ、本当だ!?」

 

「つまり、僕たちは五人で食事をしていたということですねえ~」

 

「え? ってことは……」

 

「神戸君――」

 

「はい……?」

 

「幽霊かもしれませんねえ~~~~~~。いやぁ、嬉しいですねえ!!」

 

「ぜんぜん、嬉しくないから!!」

 

 歓喜する右京に身体を震わせながら尊が文句を言うも、右京はニッコリと微笑みながら「《座敷童》という線もありますかね?」と問いかけ、彼の頭を深く悩ませるのだった。

 

 

 里の外まで一緒に歩く魔理沙と早苗。特命部屋からある程度、離れたのを確認し、人気がなくなったところで魔理沙が口を開いた。

 

「お前のところもおっさんを警戒してんのか?」

 

「そこまでじゃないけど、気にしてはいるみたい」

 

「まぁ、天狗のおひざ元だしな。当然といえば当然か」

 

「それよりも、本当なんですか? あの人が『幻想郷を破壊しにきた』人間かもしれないって噂……」

 

「さぁな――だが、幻想郷の裏事情を知られてしまったのは確かだ。私もその場にいたしな」

 

「霊夢さんも一緒だったんですよね? 神奈子さまが『アイツらがついていながら、なんてザマだ』って怒ってましたよ」

 

「こっちだってまさかあんなことになるとは思ってなかった」

 

「易者事件の関係者だったんですよね?」

 

「ああ、元恋人が起こした事件だ。胸糞悪かったよ」

 

「話だけ聞くと可哀想ですが……」

 

「それが幻想郷さ。私はあっちで暮らしたいとは思わん」

 

 帽子で顔を隠す魔理沙。彼女にも思うところがあるのだろう。

 

「……」

 

「心配すんな。一応()()は続ける」

 

「……懐柔されないようにしてくださいね?」

 

「はん、誰に言ってんだよ。私は()()()みたいに料理で尻尾振ったりしない」

 

「尻尾なんて振ってません。いい加減なことを言わないでください――って、あれ……?  お前らって……私と魔理沙さん以外あの場にいなかった気が――」

 

「あ? ……そういや、言われてみればそうだな。なんで、お前らなんて言ったんだろうな……。ま、いいさ。それよりも霊夢とこ行かないと」

 

「じゃ、私も寄って行きます」

 

 ご馳走を抱えた魔理沙が箒に飛び乗って浮上し、同じように早苗も空へと舞い上がり、上空へと消えていった。それを物陰から眼鏡の人物が眺めつつ「アヤツらも幻想郷のことを考えているという訳か……」と声に出してから、静寂の中へ同化していき、ご馳走を持った鯨の少女が不気味に笑うのであった。



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第64話 プリズムリバー楽団

 五人分とあって洗いものに時間がかかり、作業は二十時まで及んだ。食材をほとんど使い切ったので、明日の朝食は塩むすびのみ。人に振る舞いすぎるのも考えものだ。

 就寝までの時間、右京たちは自由に過ごしていた。尊は読書。右京は珍しくイヤホンをかけて何かを聴きながら時々、紙にペンを走らせる。

 クラシックでも流しているんだろう。配慮した尊は声をかけなかった。時刻が二十二時に差しかかると眠くなってきたので、二人は布団を敷いて就寝した。

 

 

 翌朝、朝六時に目を覚ましたふたりは、顔を洗ってから塩むすびを頬張る。

 

「今日のご予定は?」

 

「午前中はここで情報を待ちます。お昼はどこかで済ませ、その後、プリズムリバー三姉妹のライブを観に行きます」

 

「了解です。ライブの開始時間は?」

 

「掲示板には十五時と記載されていました。一時間半前には並べるようにしましょう」

 

「はい」

 

「ライブが終わったら、舞花さんのところで一杯やりましょうか」

 

「あの……お金、大丈夫ですか……?」

 

「まだ、何とかなるかと――最悪、君の財布からも出してもらうようになるかもしれません。心づもりはしておいてください」

 

「三万で足りますかね?」

 

「そんなにあればしばらくは暮らせます」

 

「物価が安くて助かりますね」

 

 他愛もない雑談をしながら、特命部屋で情報提供を待ったが例の如く、誰もやってこない。暇な二人はブラインドチェスで勝負しながら、時間を潰した。

 勝負は三戦三勝で右京の完勝。あまりのボロ負けに尊は、プライドが傷つき「表に帰ったら勉強し直そう……」と、強く誓った。気落ちする尊に何を思ったのか、右京がこんなことを訊いた。

 

「ところで君は()()()()()さんという人物をご存じですか?」

 

「ん? 奥野田……どなたですか?」

 

 彼が真面目に答えていると、確認した右京が静かに言った。

 

「そうですか……。わかりました」

 

「へ? ちょっと、それってどういうことです?」

 

「僕にもよくわかりません。それを確かめるためにコンサートへ参りましょう」

 

「はい?」

 

 尊が聞き返すのと同時に時刻が十二時を回った。腕時計を見やりながら右京が玄関へと向かい、尊はムスっとした顔つきで元上司の後についていった。

 

 

 定食屋で昼飯を済ませ、ふたりは大通りから少し離れたところにある劇場を目指した。明治時代の背景を残す通路はいつ見ても古き良き時代を右京に思い起こさせる。尊も里の雰囲気に京都を重ねながら、かつての恋人を思い出し、感傷にふける。

 それぞれ、思うことは違うも幻想郷という世界を少なからず気に入っているようだ。

 劇場に到着すると、人の列ができていた。先頭までの数は三十人ほどだ。場内は客が五十人~百人ほど入るスペースがある。これなら余裕だろう。右京たちは列に加わり、入場まで待つことにした。その時、後方から鯨の少女が顔を出す。

 

「こんにちは~」

 

「ん? あれ、どこかで……」

 

 反射的に振り向いた尊は彼女の姿を見てもピンとこない。しかし、この男は違った。

 

「こんにちは()()()()()さん」

 

「え?」戸惑う美宵。

 

「昨日は楽しかったですね」

 

「そ、そうですね!」

 

「昨日……? 昨日は魔理沙と早苗さんと四人で一緒に夕飯を食べたような」

 

「おやおや、君は忘れん坊ですねえ~。彼女は夢幻酒場《鯢呑亭》の看板娘ですよ。昨日一緒に料理をして、僕たちと雉のトマト煮や猪の角煮を食べました。……覚えていませんか?」

 

「えーと――」

 

 右京に問われて、美宵をジッと見つめた尊の脳裏に少しずつ昨日の記憶が蘇る。

 ピンク色の毛髪、翡翠色の目に鯨の被りもの――。全ての情報が繋がり、ようやく彼女を思い出す。

 

「――あ、そういえばそうだった……。すみません、忘れてました」

 

「いえいえ」

 

 美宵はパタパタと両手を振るだけだったが、その顔つきはどこか影のあるものだった。右京はその表情を見逃さず、クスっと笑った。

 

「美宵さんもコンサートを?」

 

「はい。せっかく里の中で開催するので、この機会を逃すのは嫌だな~って」

 

「なるほど、そうでしたか……。よろしければ、ご一緒にどうです」

 

「ええ。喜んで」

 

 右京の申し出を美宵が受け、三人でコンサートを観ることになった。所定の時刻を過ぎると劇団の敷地から関係者が出てきて、入場手続きが始まる。どうやら関係者に直接お金を渡す仕組みのようだ。

 値段は定食一回分と一見、リーズナブルに思えるが、霊感がないと見えないし、聴こえない可能性もある。結構な博打だ。そのことで尊が右京を心配する。美宵は「ほとんどの人が聴こえるようなので大丈夫な気がしますが……」と、不安げに伝えた。本人も聴けると信じている。

 劇場に入った右京たちは、ど真ん中に位置する席に座る。右から順番に右京、尊、美宵がいる。演奏開始まで、まだ時間があるようだ。暇なので、周囲をぐるっと眺める。比較的若者が多く、男女比率は半々。聞けばプリズムリバー楽団はファンも多く、ライブの際は人だかりができる。今回も入場早々、会場は満席だ。

 

「早めについてよかったですねえ」

 

 すでに満足げな右京だったが、何気なく左の席に視線を移してみると、黒いリボンをつけた銀髪ボブカットの少女が「プリズムリバーの音楽。楽しみだなぁー」とワクワクを隠し切れずにいた。米俵でも、入りそうな麻の布をクッション代わりに抱き抱え、開演を今か今かと待ち望む。

 右京は「あどけなくて可愛いですね」と微笑んでから正面に向き直る。時を同じく、会場の幕が上がり、舞台がライトアップされる。

 

 バイオリンを持った黒い衣服の金髪少女。

 トランペットを持った水色の衣服に身を包む薄青髪の少女。

 キーボードに指をおく全身赤色で統一した茶髪少女の三名が登場した。

 瞬間、会場から割れんばかりの拍手が巻き起こる。

 

 ――ルナサ姉さ~~~ん!!

 

 ――メルランちゃ~~ん!!

 

 ――リリカちゃ~~~ん!!

 

 ――キャアーーーー!! 可愛い!!

 

 ――応援してますーー!!

 

 ――俺と結婚してくださ~~~い!!

 

「ぶっ。地下アイドルのコンサートかよ」

 

 観客の熱気にアンダーグラウンドの雰囲気を感じ取った尊が、思わず本音を吐いてしまう。

 

「それだけ人気があるということですねえ」

 

「いつもこんな感じらしいですよ」

 

 反対に感心する右京と他の客同様、拍手する美宵。彼女たちの持っている楽器は、クラシック系が中心。本来、こういう類の静かに楽しむものだが、ラフなライブなのだろう。ジャスなどのライブを好む尊からしたら少しばかり異質だ。右京は、これはこれで愉快だ、と感じているようで、特に嫌がる様子はない。

 バイオリニストが楽団を代表して挨拶する。彼女は元々、仏頂面なのか、人前でも笑顔を見せることはない。雰囲気はパチュリーに似ている。そして予想通り、会場のテンションとは真逆――低いトーンで堅苦しい挨拶を行った。

 

「本日は大変お忙しい中、プリズムリバー楽団のコンサートにお集まり頂きありがとうございます。プリズムリバー楽団代表、バイオリニストの《ルナサ・プリズムリバー》です。今日も、皆さまにお会いできたこと、非常に嬉しく思います。つい先日、悲しい事件が起こったばかりとあって私どもも、心を痛めており、何かできることはないかと――」

 

「姉さん。会場が沈んでいるわよ」

 

「あ……」

 

 バイオリニストことルナサが固い挨拶を行った結果、会場の空気がどんよりし始めた。彼女は、やってしまったと固まった。そこを陽気なトランぺッターが「姉さんの気質じゃ仕方ないね、私がやるか」と言い出して、無理やり交代する。

 

「ということで交代しました、超絶美少女音楽集団のサブリーダーを務めるトランぺッターの《メルラン・プリズムリバー》です♪ 姉がテンションをさげちゃってゴメンねー♪ 初めての人もいるから手短に説明するけど、プリズムリバー楽団はバイオリニスト、〝私〟、キーボーディストの三人で構成されてるよー♪

 最近はコラボでもう一人、ドラマーさんがいるんだけど、今日はお休みでーすぅ♪ だけど、ご心配には及びません♪ 私が、その分まで張り切って姉さんや妹の音を消して飛ばしちゃうくらい、トランペットを鳴り響かせてご覧にいれまーす♪」

 

「私たちの音を消してどうする?」

 

「ふふーん、三姉妹だからってなれ合ってちゃダメでしょ♪ この世は弱肉強食、焼肉定食! 言いたいことも言えない、こんな世の中じゃ――」

 

「止めなさい」ルナサが止めに入る。

 

「えー、いいじゃない!? 皆が楽しんでくれれば、世界が平和になるわ♪」

 

「そういう問題じゃない。奏者にも格は必要」

 

 観客、そっちのけで言い争う姉二人を見かねて、リリカが挨拶役を代わった。

 

「姉二人がはしゃいでしまって申し訳ありません――私は《リリカ・プリズムリバー》。キーボードを担当しています。長女ルナサは、名器ストラディヴァリウスも裸足で逃げ出すバイオリンを、次女メルランは、多くのジャズペッターの生血を吸った曰くつきのトランペットを、三女の私は、不運の死を遂げたミュージシャンのシンセサイザーを所持しており、日夜、音楽の布教のため、活動させて頂かせております。

 先日の一件で亡くなられた方のご冥福をお祈りしつつ、私たち一同、精一杯、演奏させて頂きます。本日もよろしくお願いいたします」

 

 リリカが頭を下げると会場から再度拍手が送られた。

 

 ――くぅぅ、リリカちゃんサイコー!!

 

 ――姉妹の中で一番の常識人と呼ばれるだけはあるぜ!

 

 ――でも、ルナサお姉さまもよかったわよ! あの真面目そうな表情、素敵だわぁ~。

 

 ――俺は、陽気なメルランちゃんが一番だよー!

 

「おやおや、周りの方がはしゃいでいますねえ~」

 

「このテンションじゃ、ライブが聴こえるか不安ですね。室内にスピーカーはないようですし」

 

「大丈夫ですよ。楽団の音楽は、ちょっと変わってますから」

 

「へー。そうなんだ。楽しみだな」

 

 リリカの挨拶が終わるのと同時に自身の持ち場へと戻る。活躍の場を妹に取られた姉二人は不満げな表情ながらも定位置に移動――楽器を構えると途端に表情が引き締まる。どれどれお手並み拝見と、尊は腕組みした。

 

 拍手が止むと共にルナサが「それでは、お聴きください――《幽霊楽団~Phantom Ensemble~》」と曲名を語ってから、リリカがキーボードを走らせる。

 静かな立ち上がりで奏でられるキーボードにインテリの尊が「聴いたことがない音だけど、上手いな――」と彼女の腕前を一瞬で理解。檀上に視線を集中させる。

 次にインパクトの強いトランペットが喧しさを伴って加わり、そこへ暗く重いながらも身体の芯に衝撃を与えるような力強いバイオリンが乱入。三方向の個性が合わさり、突然変異を起こした演奏が生まれる。

 彼女たちの演奏技術は確かなもので表のプロと何ら遜色のない技術を有してる。尊は口元に手を当てながら唸った。

 

「どこかゲームチックな曲で個性がバラバラだけど、確かな演奏技術だ。今まで聴いたことのない音を出すキーボード、遥か後方まで響く大砲のようなトランペット、身体の芯を捉えて離さないバイオリン。クラシックとは言い難いが、最近の音楽として見れば非常に高い完成度を誇る。きっと、表でも評価されるだろうな。

 一言で言い表すなら現代音楽か。ーーいや()()()()かな」

 

 ひと通り感想を口に出した彼は、再びライブに聴き入る。美宵も「これなんですよ、これー!」と盛り上がり、右京の隣にいる少女も「相変わらずの演奏だぁー!」と目を輝かせる。右京は「楽器が()()()ますねー」と微笑んだ。

 サビに入るにつれヒートアップする演奏だが一旦、転調――各自のソロパートが始まる。

 激しく身体を揺さぶりながらに情熱的にバイオリンを弾き鳴らすルナサ。身体の芯に重くのしかかる音程は観客に息苦しさを与える。

 そこに割り込むようにメルランが乱入。爆音かつリズミカル。アップテンポに攻め立てて、客の心を沸かせ、最後にリリカが技巧を凝らした速弾きを披露する。

 会場を盛り上げ、ボルテージが高まったところで三人の同時演奏。観客が歓声を上げながら手拍子を始めて興奮度は1000%に到達。

 騒音が劇団の外まで響き渡り、待機組も同じように盛り上がった。少々、離れていても彼女たちの音楽は聴こえるのだ。そして興奮の中で一曲目が終わる。

 拍手喝采。興奮を共有する全ての観客たち。尊は感心したように、

 

「すごい演奏だったな。一人一人の演奏は技術力こそ、ずば抜けて高いが、癖が強く単体で聴いたら疲れてしまう。けど、三人合わさることで音楽にまとまりが生まれ、聴きやすくなる。おまけにあの容姿とノリのよさ――こりゃあ、人気でるなぁ」

 

 強く拍手して、プリズムリバー楽団を高評価した。その後も、彼女たちは立て続けに演奏を披露。

 

 《地の色は黄色》《魔女たちの舞踏会》《フラワリングナイト》《風神少女》《ハルトマンの妖怪少女》《恋色マジック》《二色蓮花蝶》《アリスマエステラ》《Bad Apple!!》《神話幻想》《Reincarnation》《夢消失》《メイプルワイズ》《the Grimoire of Alice》《魔鏡》《いざ、倒れ逝くその時まで》など、楽団の人気曲を聴かせた。

 

 そして、ルナサがどこからか持ってきたエレキギターに持ち替え《亡失のエモーション》《ラストオカルティズム》《今宵は飄逸なエゴイスト》そして、満を持して最新曲の《偶像に世界を委ねて~ Idoratrize World》を超絶技巧で披露。

 インパクト重視かつ各ソロパートを追加した本曲は、まさにラスボス専用曲といった印象。最後まで弾き切って今回のライブは終了。しばらくの間、観客の拍手が鳴りやむことはなかった。

 演奏の余韻冷めやらぬ中、尊が「よかったなー。また次の演奏も見たいな」と拍手して、美宵も「私もです!」と、ガッツポーズを作る。

 その傍ら、右京だけがポツンと沈んでいた。驚いた尊が彼に声をかける。

 

「え、あの。もしかして……。気に合わなかったんですか!?」

 

「いえ……。そうではなく」

 

 右京は何とも言えない顔で尊を見やり、

 

「ほとんど何も聴こえませんでした……。楽器が浮いているのは確認できましたがね」

 

「「あ……」」

 

 そうこぼして、ひとり寂しく重いため息を吐くのであった。



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第65話 杉下右京とロータスイーター

 気まずい空気が充満してふたりは、かける言葉が見つからない。しかし右京は不気味な笑みを浮かべつつ、

 

「ですが、これで僕は霊感と呼ばれるものを持ち合わせておらず、その結果、幽霊が見えないということがわかりました」

 

 美宵のほうを向いて語った。

 

 彼女は「そうですか、よかったですね……」と歯切れ悪く返事した。片や右京の左隣りにいる銀髪少女は「やっぱり騒霊ライブだな~。よかったぁ!」と、興奮が色褪せず、そのテンションのまま、麻のクッション片手に会場を後にした。

 三人も彼女に続くように出口へ歩く。男女が盛り上がっている中、右京はどこか羨ましそうに、美宵は何か考えごとをしているように、人混みを見つめる。劇場から離れるにつれ、人気が少なくなる。スマホをチラッと覘いてから右京が美宵にこう訊ねた。

 

「ところで美宵さん。……少しお時間を頂きたいのですが。大丈夫でしょうか」

 

「え……。あぁ、構いませんよ」

 

「そうですか。神戸君――先に戻っていてください」

 

「え、えぇ!? なんでです?」

 

「情報提供者が待っているかもしれないので。お願いします」

 

「は、はぁ……。わかりました。そういうことなら」

 

 元上司の意図が読めない。尊は訝しみながらも仕方なく右京から離れ、近くの路地に入る。

 

「ったく、俺を除け者するなんて……。一体、美宵さんと何の話をするつもりなのか――」と、ぼやいた直後「――あれ……()()()()って誰だっけ? あれぇ」記憶が吹き飛んだ。

 右手で頭を押さえてもわからない。気になるが戻るのもあれだ。しぶしぶ、尊は特命部屋へと帰っていった。

 

 

「――で、お話ってなんですか?」

 

 美宵さんがいつになく低いトーンで質問した。右京は一呼吸おいてから「あなたにお聞きしたいことがありましてね――」と、人差し指を立て、美宵に近寄る。

 

「あなた()()ではありませんね。それに()()でも」

 

 そのワードに反応して美宵の表情から完全に笑顔が消えた。

 

「……どうして、です?」

 

「あなたは僕と酒場谷風で会ったと言いましたが、僕はその時のことをよく覚えていません。昨日、料理の時もあなたがあの場にいたという記憶も今日になってみたら曖昧になっていました。ちなみに神戸君も同様です。しかし、あなたに会うと、その時の記憶が少しだけ蘇りました。驚きましたよ――直前まですっかり忘れているのですから。こんな現象、引き起こせるのは()()()()()()()()()()()()()()だけです」

 

「驚いたのは私も同じですよ。あまりに思い出されるのが早かったので……。まるで予め知っていたようでしたね」

 

「ええ。おっしゃる通り」

 

「よければ、その理由を聞かせて頂けません?」

 

「わかりました」

 

 彼女の要望に応えるべく右京は自身の推理を披露する。

 

「商店通りで、出会った際、あなたは僕を知っているように話しかけて名乗った。途中、魔理沙さんがやってきた時もあなたについて覚えていない様子だった。特命部屋でも神戸君が記憶を思い出すのに時間がかかった。

 ここまでくればあなたが何かしらの能力を働かせていると推理するのは容易でした。隙を見てあなたの情報を忘れないうちに記録しておいたのです。おかげで僕はあなたのことを知れた。ということです」

 

「なるほど、なるほど。抜け目ないな~。杉下さんは……」

 

 パチパチと拍手する美宵。たった二回の接触で相手が只者ではないと考察し、対策を立てて実行。スマホを駆使してさりげなく録音と撮影を行い、美宵の化けの皮を剥ぐことに成功した。さすがである、と言いたいが本番はここからだ。

 彼女が里人ではないと突き止めたが彼女の〝能力〟〝正体〟〝目的〟は依然にして不明である。また、右京を攻撃してこないとも限らない。ピリピリとした空気がふたりの周囲を取り囲む。

 

「どうして、あのような真似をなさるのですか?」

 

「さあ、どうしてでしょうね。せっかくです。当ててみてください」

 

「ふむ。そうきましたか」

 

 困っている素振りを見せつつ、右京は数刻の間、無言になる。美宵はクスクスと笑っていた。彼もまたニッコリしながら口を開く。

 

「現段階では情報が少なすぎますので全て憶測になりますが。あなたは〝他人の記憶に何らかの形で干渉する能力〟を有している。それを駆使して活動――特定の()()()()を得ている。どうです?」

 

「メリット、ですか。例えば?」

 

「金銭などの利益や快楽――もしくは〝怖れ〟ですかね。あなたが《妖怪》なら人間に干渉するのも生命維持活動の一環。その能力を使う理由も納得がいきます」

 

「ふふ。面白い方ですね。だけど()()は明かしませんよ」

 

「ご心配なく。その言い方であなたが()ではないと理解できました。これ以上は追求しません。火傷では済まなくなりそうですし――」

 

「もう、遅いかもしれませんよ」

 

「おやおや……。困りましたねえ」

 

 美宵は不気味な笑みを浮かべながら妖気のようなものを発し始める。只事ではなかった。霊感皆無の右京も身の毛がよだつ何かを感じた。

 しかし、右京は余裕そうに笑っている。美宵は彼の態度に納得がいかなかった。

 

「……どうして笑っていられるんですか?」

 

「いやいや。可愛らしいなと思いまして」

 

「一応、看板娘ですから……。もしかして馬鹿にしてます?」

 

「そんなことはありませんよ。妖気?  のようなものを感じましたから」

 

「幽霊が見えないのにですか」

 

「ええ。不思議と殺意や気配には職業柄、敏感なのです。ですが、幽霊だけはどーしても見えない。彼らを見るために幽霊絡みの事件に何度首を突っ込んだことか……」と、右京はため息を吐いてみせる。

 

「おかしな人……。この状況でそんな態度、普通取れませんよ」

 

 美宵が不敵に笑う。この状況をハッタリで切り抜けられると思うな。そう言わんばかりだった。しかし右京のスマイルフェイスは崩れない。

 

「それはですね。あなたが僕に()()()()()()()()()とわかっているからですよ」

 

「え……」

 

 彼女の童顔に動揺が走る。すかさず右京が推理を展開した。

 

「僕は博麗霊夢さん、霧雨魔理沙さん、稗田阿求さん、上白沢慧音さんと少なからず関わりがあり、短い間ながら交流する機会が多く、最低でも顔見知り以上の関係にはあります。そんな僕が里で何かしらの被害を受けたとあれば彼女たちが黙ってないでしょう。自分たちの管理下ですからね。自らの威信を賭けて解決に動くでしょう」

 

「だから余裕がある……と」

 

「それだけではありません。あなたのことはすでに霊夢さんに伝えてあります」

 

「な!?」

 

「昨日、魔理沙さんに持たせた、おすそ分けの中にメモを忍ばせておきましたから。すでに目を通していると思います。今もどこかに隠れてあなたが僕に手を出すのを待っているかもしれませんよ」

 

 直後、美宵があははっと声を発する。

 

「ハッタリですね! あの攻撃的な巫女がおとしなく隠れている訳がない。すぐに出てきて戦闘になりますよ」

 

「どうでしょうか。彼女は意外と呑気ですからね。ギリギリまで待っている可能性もありますよ」

 

「そもそも、メモの存在に気がつかなかったのでは?」

 

 したり顔の美宵。巫女の行動パターンは織り込み済みのようだ。得意のハッタリもここまでか、と思われたが右京の本命はそれではない。

 

「……しかし()()()は、気がついているようですねえ~」

 

 右京が、眼鏡をクイっと動かす。

 

「あの方……? またハッタリを――」

 

 戸惑いながらも反論する美宵だが、今度は右京が視線を動かす。

 

「ほらほら、先ほどからこちらを見ている存在に気がつきませんか。ほら、あそこです。あの通路の隅っこにいる〝狸〟さん」

 

「た、狸っ!?」

 

 狸と聞いて慌てながら右京の指すであろう方向に視線を移す。そこには確かに、こちらを見ている可愛らしい狸の姿があった。彼女が目を離した瞬間、右京は懐から〝愛用のボールペン〟を取り出して、

 

「隙あり」

 

「きゃあっ」

 

 美宵の額に軽く押し当てた。まるで剣道の師範が小さい子供を諭すように。すると彼女がビックリして仰け反った。右京はここぞとばかりに畳みかける。

 

「いいですか。幻想郷にきたばかりの僕に正体を看破されるようでは、ここの住民は騙しきれませんよ。いずれ退治されるでしょう。こんなことはやめて、元いた場所へ帰りなさい。どうしても戦うというのなら受けて立ちますが、僕だってタダではやられません。

 霊夢さんから〝対妖怪用のお札〟を何枚か貰っていますからねえ。この距離なら相打ちくらいには持っていけるでしょう。どうします?――はやく答えなさい」

 

 真顔で強い圧力をかける右京。左手をポケットに突っ込み、何かを掴む素振りを見せつつ、洒落たボールペンを相手の正面に突き出してジリジリと追い詰める。

 タジタジになった彼女が両手を挙げながら「わかりました。わかりましたから」と、堪らない様子で降参。そのまま退散していった。右京は取り出したペンを懐にしまい込んでから、

 

「ふふっ。一本、取れましたね。狸さん、どうもありがとう」

 

 野良狸に礼を言った。狸は事態を把握できず、首を傾げるだけだった。

 ちなみに魔理沙のメモを渡したという件は咄嗟に思いついた()である。それを相手に看破された途端、狸が見ていると告げて動揺を誘い、その隙に形勢逆転したのだ。また、霊夢からお札を貰ったというのも()である。

 持ち前の演技力――いや、ハッタリで相手を撤退させた。これでしばらくは安心だろう。けれども、右京は――。

 

「僕としたことが。彼女に〝今朝の夢〟について訊ねるのを忘れていました」

 

 暗闇の中で誰かと対峙する自分。その正体が誰だったのか思い出せない。きっと美宵の仕業だと仮定し、彼女に答えさせるつもりだったが、その前に逃げられてしまった。なにか釈然としない。

 

「また会う機会があれば訊ねてみましょうか。おや……。誰に訊ねるんでしたっけ?」

 

 美宵が消えてすぐに彼女との記憶が消え、誰と会っていたのかさえ、思い出せなくなった右京は口元を押さえつつも、無意識にスマホを見る。スマホはバッテリー切れを起こしていた。

 幽霊考察のために、プリズムリバー楽団のライブを録音していたせいで電力を大幅に消耗したのが原因だった。予備バッテリーの温存を尊に促され、充電を控えさせられたのが効いた。

 考えても仕方ない。右京は「充電したらライブを聴き直しましょう」と、やや急ぎ足で特命部屋へと戻る。

 

 

 夕暮れに紛れながら屋根の影に身をひそめる鯨の少女は、大きなため息を吐きながら、うながれていた。

 

「まさか人間相手に撤退するとはなぁ~。情けない……」

 

 今の幻想郷でもっともホットな人間《杉下右京》。どんなものかとちょっかいを出しにいった美宵だったが、すぐに恥をかかされる結果となった。

 

「このままじゃ、あの人だけじゃなく他の連中にもバレる……。もう少し策を練らないといけないかなぁ」

 

 そう呟き、彼女は茜色の中に溶けていった。それから時が過ぎ、再び《奥野田美宵》という名前が里で聞かれるようになるのだが、それはまた〝別の話〟である。



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第66話 黒いリボンと冥界の庭師 その1

 特命部屋へと急ぐ右京。辺りはすでに暗くなりつつあった。

 

「早くしないと神戸君に怒られてしまいますねえ~」

 

 誰かと話すために尊を一足先に帰らせた。彼は機嫌が悪いだろうと察し、言い訳を考えていたところ、右京は地面に何かが落ちているのを発見する。

 見れば、女性もののリボン――それも女の子がつけるような代物である。

 

「これは……。もしかして」

 

 リボンを拾い上げて確認する。劇場で自分の隣に座った銀髪の少女が同じものをつけていた気がした。

 

「いずれにしても無視できませんね」

 

 右京はリボンを綺麗に折りたたんで、懐にしまい込んでから特命部屋に戻り、拾ったそれをテーブルに置いてから、尊と酒場谷風へ直行する。

 ふたりは幻想珍味と日本酒で楽しい時間を過ごし、帰宅後、すぐ寝支度を整えて就寝した。

 

 

 早朝から起床した右京はスマホを起動する。バッテリーの残量は六割程度だった。

 満タンにしたくとも尊から「ぼくだって使いますから」と、途中で切り上げられた挙句「どうせ幽霊、見れないんですから、ライブの音声を再生して考察とか止めて下さいね」このように釘を刺されてしまい「はいはい。あっ、そーですか!」と、右京は渋々、引き下がるしかなかった。

 

「電力を使う考察は止められてしまいましたからねえ。……次の手を打ちますか」

 

 布団を畳んだ右京はその頭脳を回転させ、新たな策を練る。カバンから紙を取り出し、ペンで文章を書き始めた。数分経ったのち、ペンの擦れる音で尊が目を覚まし、重い眼を擦りながらボー、としていた。

 元部下の起こした物音に気がついた右京は彼のほう見やって「君、絵が上手でしたよね? これ、描いてください」と、テーブルに広げた〝黒い物体〟を指差す。

 困惑する尊だったが「まぁそれくらいなら」と、頼みを引き受ける。元々、手先が器用な彼は指定された絵を数分で描き終え、出来上がったものを提出。その絵を確認した右京が「君はよい腕をしていますね」と褒めてから「ちょっと出かけてきます」と語ってから、着替えを済ませて特命部屋を出て行った。

 

「また、何か企んでんな、あの人……」

 

 元上司がまた変なこと考えていると勘繰るも睡魔には勝てない。尊は思考を中断して床に戻った。

 

 

 外へ出た右京は里の掲示板がある大通りへと向かう。朝焼けが里を照らすも気温が低く肌寒い。早く特命部屋に戻るべく、早歩きで地面を蹴る。

 大通りへと出て、目的の場所に到着するとすでに先客がいた。麻の外套を纏い、唐笠を被ったふたりの男と思わしき人物が掲示板を眺めていた。

 ひとりは男性で、もうひとりは十代中頃の少年だった。男性のほうは背中に布で包んだ物体を携帯している。

 職業柄、それが気になり、中腰で警戒する右京。男性が人の気配を感じ取って「よお。あんたか」と、唐笠を外して声をかけてきた。男性は右京と面識のある人物だった。

 

「おや、《小鳥遊》さんですか!?」

 

「おうよ。これから仕事だ」

 

 男性の正体は小鳥遊幸之助(たかなしこうのすけ)。七瀬事件の際、事情を訊ねた人物のひとりだ。

 

「こんなのところで何しているんだ? まだ、買い物には早いぞ?」

 

「いえ。掲示板に貼り紙を、と思いましてね」

 

 そう言って、先ほど書いた紙を見せた。幸之助は紙に目をやるも「表の文字か……。ちと読み辛いな。おい宗次朗(そうじろう)――読んでくれ」と、後ろにいた少年に依頼した。

 

 宗次朗と呼ばれた少年が「はい」と返事をしてから傘を脱いだ。身長一六五センチ程度で髪の毛は黒い短髪。まだ幼さが残るが、顔立ちはイケメンの明治男児という印象。外套ごしだが、身体がスラッと引き締まっているように思える。

 彼は手袋をした右手で貼り紙を受け取ってから音読する。

 

『人里の大通り付近で、下記の黒いリボンを拾いました。落とされた方は、寺子屋近くの《特命係幻想郷支部》までお越しください。代表、杉下より』

 

 読み終わると同時に宗次朗は「お返しします」と貼り紙を丁寧に返却する。内容を理解した幸之助が言った。

 

「落し物の預かりまでやってんのか?」

 

「拾ってしまいましたので」

 

「物好きだなぁ。俺にはマネできん」

 

「これでもお巡りさんですから」

 

「ははっ」

 

 いつも通りの右京スマイルに、呆れ気味の幸之助と笑ってしまう宗次朗。右京は宗次朗のことが気になっていた。

 

「息子さんですか?」

 

「いや、助手だ」

 

「初めまして狩野宗次朗(かのうそうじろう)と言います。杉下さんのお噂は幸之助さんから聞き及んでいます。事件を解決した表の警察官さんなんですよね? カッコいいなぁ」

 

「そんな大したものじゃありませんよ」と謙遜する右京。そこへ幸之助が冗談交じりに「コイツは太鼓を持つのが上手だからな。ついつい俺も乗せられちまうんだ。アンタも気をつけな」と言い、宗次朗が「意地悪だな~、幸之助さんは。あんまりひどいと恵理子さんに言いつけますよ?」と、上手に返す。

 妻の名前が出た途端狩人は「そりゃあ、勘弁だわ。アイツの小言はめんどっちい」とお手上げ状態。コントのようなかけ合いは右京を笑顔にさせた。

 

「おふたりとも。ずいぶん仲がよいのですねえ~」

 

「コイツの爺さんとは古い付き合いでな。子供から知ってんのさ」

 

「なるほど。それで幸之助さんのつき人を」

 

「はい。といっても、まだまだ新米ですが」

 

「とか言っているが、意外と筋がいいんだよ。俺の言ったこともすぐに吸収するしな。近いうち、一人で狩りをさせてみるつもりだ。たぶん、そつなくこなすだろうよ」

 

「そんな。俺なんて大したことないですよ」照れる宗次朗。

 

「よいコンビですね。羨ましいくらいです」

 

 特命部屋で二度寝する元部下の姿を頭に思い浮かべながらコメントする右京。尊が聞いたら「ぼくも宗次朗君みたいな〝相棒〟が欲しいですけどね!」と、皮肉で返すに違いない。

 話が途切れたところで、朝日の方向を見た幸之助が「そろそろ時間だから失礼する。鴨が逃げちまうからな」と語り、助手をつれてこの場を去ろうとする。

 去り際、宗次朗が「今度、時間があったら、お話し聞かせてくださいね」と、右京に言った。愛嬌のあるよい少年だと評価し、和製ホームズは手を振って見送る。

 その直後、ぴゅうっと強い風が右京の顔を直撃する。寒さに震えた彼は、素早く掲示板に貼り紙をして足早に、この場を去った。

 

 

「誰もきませんね」

 

「そうですねえ」

 

 時刻は昼の十一時。阿求から支給された物資の中にあった炬燵を引きずり出し、下半身を突っ込んでくつろぐ特命係。右京は紅茶を、尊は緑茶を飲みながら読書で時間を潰す。

 部屋の外から、寺子屋の子供たちがご飯を食べに自宅へと戻る足音、慧音と裕美が気をつけるようにと優しく注意を促す声が聞こえる。

 

「微笑ましいですねえ~」

 

「裕美さんって女性は上手くやっていけているようですね。警察官関係者としては少々、複雑ですが」

 

「ここは日本であって日本ではない。僕たちが強制的に連れ帰ることはできません」

 

「それは、ごもっとも――ですが万が一、犯罪者がここに逃げ込んでいた場合、どうします?」

 

「その時は阿求さんと相談して引き渡しの交渉を行えばいいでしょう。話せばわかってくれる方です」

 

「犯人がしらばっくれたら?」

 

「必ず落としてみせます」

 

 はっきりと語ってみせる右京に尊は「馬刈村の時みたいに()()()()()ことしそうだな」と若干、引いた。

 かつて、その村で起こった惨劇を捜査する際、犯人たちに証拠を隠滅されたので、主犯の息子を引き合いに出して半ば()()形で交渉を有利に進めるという荒業を披露。

 結果、関係者の大半が()()になった神戸尊の特命係最初の事件であり、杉下右京の狂人っぷりを知らしめたできごと――ここでも同じようなことが起きなければいいな。尊は苦笑いせずにはいられなかった。

 

 

 正午、尊に留守番を任せて、昼飯の材料を買い出かけた右京だが、あまりに食材が魅力的なので、あれもこれも手に取っては購入――両手で抱えるほどの食材を拠点に持ち帰った。

 

「いやいや、食材買いすぎでしょ!?」尊が注意するのだが右京は「安くて美味しそうでしたからつい」とおどけて誤魔化す。

 

 物価が安く、ここ最近は珍しい食材が並ぶとあって興奮を抑えられなかった。食べきれなかったらおすそ分けすればいいくらいの感覚なのだろう。田舎のおばちゃん的ノリであった。

 

「食材が傷んでしまったら勿体ないので、料理を作ってしまいます。来客の対応は――」

 

「ぼくが、やればいいんですよね? わかってますよ。その代わり、美味しいご飯を作ってくださいね」

 

「もちろんです」

 

 早速、右京が調理に取りかかった。時計が十五時半を回るころにはすべての品ができあがる。

 今日のご飯は《猪の生姜焼き》《里芋の煮っ転がし》《鴨のみそ汁》《山菜の和え物》そして季節外れの《鰻のかば焼き》である。

 でてきたメニューの品数もそうだが、まさか()が出てくるとは思わず、尊は目をみはる。

 

「香ばしい匂いがしてるなと思ったら、こういうことですか。というか鰻、調理できたんですね」

 

「前に〝たまきさん〟から教えてもらいました」

 

「あ。なるほど」

 

 冬眠中だったせいか少々、小ぶりな鰻だったが、タレをつけて焼いてみれば鰻のそれである。釘で目打ちしてから手際よく捌き、七輪で器用に焼いたのだ。以前、たまきに調理法を教わったらしい。

 ちゃんとした道具があればもっと上手にできたのに。本人は残念がったが、尊にとっては十分なできに思えた。

 

「待った甲斐があります。頂いてもいいですか?」

 

「どうぞ、召し上がってください」

 

「それでは――」

 

「「頂きま――」」

 

「あの、ごめんくださーい!」

 

 食事にありつくとしたまさにその時、玄関から少女の声が聞こえてきた。ご馳走を前に固まる尊。右京が「君は食べていてください」と訪問者の対応を受け持つ。

 

「はーい。今、行きまーす」

 

 軽快な返事をして戸を開けると、向こう側には麻のクッションを抱きかかえる銀髪の少女が立っていた。

 全身、緑で統一された可愛らしい服装。前髪が切りそろえられたボブカットに、あどけなさを残す十代前半の容姿と相応の背丈。背中と腰には長刀と短刀を据えられており、その姿に合わない装備にはギャップを感じさせられる。

 少女は、丁寧にお辞儀をしてから「あの、リボンを取りにきました」と用件を告げる。予想通り――そう、ほくそ笑みながらも右京は知らぬフリをしつつ、

 

「おや、あなたは昨日、プリズムリバーのライブにいらした」

 

 と、喋って彼女の動揺を誘った。同様に右腕に抱えられた麻袋もカサカサっと揺れ動く。

 

「えっ、どうしてそれを?」

 

「僕は劇場であなたの隣に座っていました。その麻のクッション、とても可愛いですねえ」

 

「あー。そうでしたか……どうも」

 

 どこか気まずそうな少女。何の理由があるかは知らないが、用件をすませて帰りたいようだ。顔を逸らす彼女だったが、そこに室内から香ばしい匂いがほのかに漂うのを感じ、

 

「ん? この匂いは……」

 

 ピコン、と反応してみせた。

 

「鰻のかば焼きです」

 

「ええ!? 鰻ですか!? 今、冬眠中なんじゃ」

 

「たまたま、捕れたそうなので僕が買い取って調理しました。小ぶりですが中々に美味しそうです。よかったら、食べていきませんか」

 

「うぅ……。ご厚意はありがたいのですが……」

 

 紳士の厚意に心を揺れ動かされる少女。そこに右京が、ダメ押しと言わんばかりに告げる。

 

「他にも《猪の生姜焼き》《里芋の煮っ転がし》《鴨のみそ汁》《山菜の和え物》など、作ったのですが、量が多すぎましてね。どなたかにおすそ分けしたいと考えておりました。遠慮なさらずにどうです?」

 

 瞬間、彼女は目をキラキラさせた。作戦通りだ。

 

「で、では……。少しだけ……」

 

 恥じらいながらも少女は特命部屋へお邪魔するのであった。



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第67話 黒いリボンと冥界の庭師 その2

「お邪魔します」

 

 行儀よく靴を脱いで、室内にあがる少女。聞き耳を立てていた尊が来客用の座布団を引っ張り出して、彼女のスペースを用意する。テーブルには、右京が作った料理がところせましと置かれ、見る者を魅了する。少女はうわぁ、と嬉しそうに口元を押さえながら眼鏡の紳士に訊ねる。

 

「うわぁ~おいしそうですね! これ、全部あなたがお作りになったのですか!?」

 

「ええ。全て僕の手作りです。さぁ、お好きなだけ取って下さい」

 

「頂きます!!」

 

 少女は気に入った品を取り皿に盛ると品よく口の中へと運び入れ、

 

「んんっ、美味しいです! 猪の生姜焼きも、里イモも、鴨のお味噌汁も。あっ、かば焼きいいですね!! 私、こういう甘いタレが好きで、よく作るんですが、このタレの甘さ加減がとてもよくてーー」

 

 食レポをしながら美味しそうに頬張っていた。彼女はよく料理を作るらしく、右京に技術的な話や、表の料理の質問を繰り返していた。

 三十分が経過。ひと通り、箸を通した少女は「ぷはぁ~、ご馳走様でした!」と満足げに手を合わせた。

 

「はぁ、美味しかったです。あ、もうこんな時間だ。本日の夕飯の支度をしないとなりませんのでこれで失礼します」

 

 頭を下げ、特命部屋を後にしようとする少女に右京が「リボン、お忘れですよ?」と、伝えた途端、彼女は顔を真っ赤にして「すみません……」謝りながらリボンを受け取った。改めて確認するまでもないが念のために訊ねる。

 

「こちらで間違いありませんか?」

 

「間違いないです。ご親切に拾って頂いて感謝します」

 

 そういって頭にリボンをヒュルヒュルと巻いて安堵する少女。大事なものだったのだろう。麻袋も連動してプルプルと揺れ動く。

 右京は不自然に動く麻袋をマジマジと見つめ、興味深そうに観察している。視線を察知した少女が「あの、いや、これは」と、慌てて両手を振った。

 その事情がありそうな態度に右京がニコニコし始める。

 

「もしかして、その麻袋――何か生き物が入っているのではありませんか?」

 

「え、生き物!?」

 

「えっと、これは……」

 

 挙動不審な少女に、右京がゴリ押しの構えで挑む。

 

「実は僕――昨日お見かけした時から、その麻袋の中身がどーしても気になっていましてねえ。可愛い動物が入っているのかもしれない、と思うと気になって夜も眠れないのです。少しだけでよいので、御姿を拝見させてもらえないでしょうか……?」

 

 両手を合わせながら少女にすり寄る元上司に、尊が必死すぎないか、と呆れるが、気になると無茶しだす性格なので止めても無駄だ。

 少女は「うーん……」と眉間にシワを寄せて悩みつつも、美味しい料理をご馳走してくれた右京の頼みを無碍にできず。

 

「わかりました。その……驚かないで、下さいね? 結構、大きいですから」

 

 断りを入れ、彼女は麻袋の口を縛る紐を解き、ゆっくりと外していく。すると、薄茶色の麻の中から白くフヨフヨ揺れめく物体が姿を現した。

 

「ゆ、幽霊!?」

 

 尊が腰を抜かした。

 

「やっぱり、驚きますよね……。この霊魂は私の〝一部〟なので」

 

 サイズの大きな勾玉のようなフォルム。いかにも漫画に登場しそうな幽霊である。白玉のような体色と僅かに発する冷気。初めて見る人間が驚くのは無理もない。

 幽霊なんて見慣れた。なんて高を括っていた元部下は「やっぱり、幽霊はダメだな」と降参した。

 しかし右京だけは残念そうにしている。

 

「見えませんねえ……。神戸君が羨ましい限りです」

 

 予想外の言葉に少女の目が点になる。

 

「えっ、見えないんですか!?」

 

「まるで見えません。触ってもいいですか」

 

 少女が頷いてから霊魂の場所をジェスチャーで教える。誘導された右京が恐る恐る、霊魂のある場所に手を当てる。

 

 ――プヨ♪ プヨ♪

 

 ヒンヤリ冷えた表面に押せば戻ろうとする微かな弾力が掌に伝わる。

 右京は目を大きく見開き、何度かタッチを繰り返す。その度に「おぉ!!」と声を漏らす。明らかに喜んでいる。

 

「神戸君――形がないのに、ヒンヤリしていて弾力があります。これが……幽霊の、さわり心地……」

 

 ――スリスリスリスリスリスリスリ。

 

 年甲斐もなく、幽霊と思わしき物体に触りまくる右京。少女が「あの、くすぐったいので! そこまでにしてください」と制止。ようやく止まった彼が満足そうに、

 

「貴重な体験ができました。霊感がなくても幽霊には触れる。これがわかっただけでもここにきた甲斐がありましたよ。後は幽霊を見る方法ですねえぇ~!――あ、ところで、あなたはどうして幽霊をペットになさっているのですか!? お友だちになる方法がおありで? それともくすぐったいということは感覚を共有しているのですか? 興味深いですねえ~」

 

「ちょっと待ってくださいよ、いきなりそんなに質問されても、困りますぅ~」

 

 幽霊が見えない人間というだけで特異なのに、ここまで〝半人〟の自分に詰め寄ってくるとは。少女は、杉下右京の対処法がわからず、ほとほと困り果てた。見かねた尊が助け舟を出す。

 

「杉下さん。彼女、お困りのようですから。その辺にしましょう。夕飯の準備もあるって言ってますし」

 

「おぉ、そうでしたね。年甲斐もなくはしゃいでしまいました」

 

「いえ、私は別に……。あ、準備ありますから、これで」

 

「ちょっとだけお待ちください。お詫びの印といってはなんですが」

 

 空の容器に自作の料理を詰め、少女へ渡す。彼女が「こんなにもらっていいんですか!?」と口元を綻ばせる。右京は「ご家族と一緒に頂いて下さい」と述べた。

 彼女は嬉しそうに「はい! 今晩〝幽々子〟さまと食べます! 色々、ありがとうございました!」と、感謝してから部屋を後にした。

 

「お気をつけてー」

 

 ふたりは手を振りながら少女を見送った。少女が完全に視界から消えたことを確認した尊が口を開く。

 

「まさか幽霊を引き連れているとは……。幻想郷って何でもアリですね」

 

「神戸君」

 

「はい?」

 

「お名前――訊ねるの、忘れてしまいました」

 

「あ……」

 

 幽霊になると前のめりになりがちで初歩的なミスを犯してしまう杉下右京。

 表の日本では職務上、本気で捜査するが、趣味絡みの一件となると、どこか気が抜けてしまう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、尊が苦笑するも、当の本人は、少女の正体に目星をつけているようであった。

 

「さ、僕たちもお料理を頂きましょうか」

 

「半分以下になっちゃいましたけどね!」

 

「明日の分……なさそうですねえ~」

 

「お人よしすぎるのも問題ですね!」

 

「……今後は、ほどほどにします」

 

 食事を堪能したふたりはいつも通り、暇を潰して、いつも通りの時間に床に就いた。

 

 

 翌日、昼を済ませた彼らは何かするでもなく、ダラダラと時間を潰していた。

 

「手紙の情報、まったくありませんね」

 

「そうですねえ。少しはあってもよいと思うのですが……」

 

()()()だったという可能性も――」

 

「結論づけるには早すぎます」とキッパリ言い切る右京に「あ、はい」と、手紙の載る記事を眺めながら息を吐く尊。そのやり取りの最中、戸口に人の気配が立つ。

 

「ごめんくださ~い!」

 

「おや? この声は……」

 

 右京が玄関に出向いて戸を開ける。

 

「二日連続で失礼します。昨日は名前を告げず申し訳ありません――私、魂魄妖夢(こんぱくようむ)と申します」

 

 銀髪少女こと魂魄妖夢がペコっと頭を下げた。

 

「やはり魂魄さんでしたか。幻想縁起で、あなたの御姿を拝見しました」

 

「あれを見たんですか!? 私の似顔絵、ちょっと怖すぎて似てないんですよぉ。だから、よく別人かと勘違いされるんです」

 

「鋭い眼光を放ち、霊魂を背景にカッコよく構える女剣士のイメージでしたからねえ~」

 

「いやぁ、恥ずかしいです~」

 

 幻想縁起にも妖夢の記述が乗っていたが、イラストがカッコ良すぎて別人だと思われるケースがあるらしく、本人からすると考えものらしい。顔を赤くする妖夢に右京が訊ねた。

 

「ところで、本日はどのようなご用件で?」

 

「あーはい。えーと、ですね。私の主君、西行寺幽々子(さいぎょうじゆゆこ)さまが杉下さんのお料理を絶賛しておりまして」

 

「そうでしたか! 気に入ってもらえてよかった!」喜ぶ右京。

 

「それで是非()()をしたいとのことで……」

 

「いえいえ、お礼など、そのようなものは」

 

 断ろうとした右京だったが。

 

「ですよね……。『もしかしたら()()()()()()()()()()()かもしれませんよ?』と、幽々子さまは申しておりましたが、お会いしてすぐというのは些か――」

 

「――その話、詳しくお聞かせ願えませんかね?」

 

「へ?」

 

 遠慮していたはずが〝幽霊〟と聞いた瞬間、速攻で食ついた。室内の尊も「はやっ!」と切り替え速度に驚きを隠せない。表情を作りかねている少女だったが「まぁ、向こうがその気なら……」と、気を取り直す。

 

「でしたら白玉楼(はくぎょくろう)までおいでください。ご案内致しますので」

 

「白玉楼……。確か、幻想縁起で見た記憶が」

 

「白玉楼は〝冥界〟にあるお屋敷です」

 

「おぉ、それはそれは!」

 

 瞬間、脳裏に幻想縁起の情報が過ぎり「ん? 冥界……まさか、死後の世界!?」尊が狼狽えた。

 

「幽霊ばかりの世界ですが、穏やかなところです。如何でしょうか」

 

「願ってもないことです。神戸君ーーそういうことなので、ご厚意に甘えて、冥界へお邪魔しますよ」

 

「は、はぃぃぃ!?」

 

 こうして、ふたりは冥界に足を運ぶことになる。その先で杉下右京は〝亡霊の女王〟と出会う。



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第68話 亡霊の女王 その1

 すぐに、ふたりは支度を整え始める。紅魔館の時もそうだが、元より荷物が少なく、最低限の着替えがあればどこへでも赴ける。

 右京は職務中以上にフットワークが軽い。振り回されてばかりの尊が嘆いてもどこ吹く風。かと言って妖怪ばかりの環境でひとり待機するのも不安である。

 大人しくついていくしかない。尊は不満を込めに込めた半眼で元上司に抗議しながらも、黙々と準備を続ける。十五分で、身支度が整った。後は戸締りをするだけだ。

 ふたりが外に出て、鍵をかけたと同時に、眼鏡の女性が手を振って右京の元を訪れる。

 

「杉下どの。どこへ行くんじゃ?」

 

 マミである。右京は「これはこれは、マミさん」と軽く挨拶してから「冥界の白玉楼へ行ってきます」と教えた。

 

「なぬ? 白玉楼じゃと。死者の国ではないか!?」

 

 あそこがどんな場所か知らんのか。マミは驚きを通り越して、呆れた表情してみせる。

 

「ええ。幽霊たちの楽園です。楽しみで仕方ありません」

 

「吸血鬼の館の次は幽霊屋敷かい。物好きにもほどがあるぞ」

 

「ですが、僕はどうしても幽霊が見たいのです。そのためなら、多少の無茶は止むを終えません」

 

「それは無茶というより無謀って言うんじゃい!」

 

 まるで年長者のように彼に言って聞かせようとする。それで止まればよいのだが、相手は理論武装で固める杉下右京だ。一筋縄ではいかない。

 

「しかし白玉楼の主人から直接、お呼ばれしているので、断るのは失礼というものです。なので少々、里を留守にします。何か手紙の情報があったら冥界の白玉楼までご一報を。さあさあ、妖夢さん。出発しましょうか」

 

 いつもの調子でその場を収め、妖夢に出発を促す。その反論しづらい言い訳に舌を出すマミを視界に入れつつ、

 

「あ、はい」

 

 知らんぷりを決めた妖夢が、客人をつれて歩き出した。冥界を目指す人間たちの後ろ姿を眺めながらマミは静かに呟く。

 

「ふむ。亡霊の親玉も動くか……。一応、アヤツらにも報せておくかの」

 

 洒落た眼鏡の奥に潜ませた双眸が怪しく光り、踵を返した彼女は、そのまま里の路地へと消えていく。

 そして、その光景を物陰からこっそりと伺っていたある人物が「クソッ、杉下ァァ……楽しそうにしやがって」と、憎々しげに睨みつけていた。

 

 

 時を同じく香霖堂店主、森近霖之助が里へと続く道を歩いていた。必要な物資を購入するためだろうか。それ自体、特に珍しくはない。ただひとつ、隣にお洒落な紳士用コートを羽織った男がいることを除いて。

 

「すみませんね。ご迷惑をおかけして」男が礼を言った。

 

「いえいえ。大変、有意義なお話を聞かせてもらえましたから」

 

「あんな話でよければいつでも致しますよ」

 

「それは、ありがたい限りだ」

 

「慧音先生という方への面会が終わったら一緒にお食事でもしませんか? 昨夜、宿泊させて頂いたお礼です。奢りますよ。ちょうど()()()なら数枚ほどありますし」

 

「あはは、いいですね。しかし、よく一円札なんて持ってましたね。表では、使われていないでしょうに」

 

「偶然ですよ、偶然」

 

 そんな会話を交わしながら、ふたりは人里の中に入っていた。

 

 

 特命のふたりを里の外へと連れ出した妖夢は、すぐ側の雑木林の中に彼らを案内する。

 

「少々、歩きますが後ろを振り返らず、私についてきてください」

 

 草木を掻き分けて進むこと数十分。徐々に辺りの空気が心地よいものへと変化し、気がつくとまるで塩梅のよい温泉に浸かっているかのように身体がリラックスしだす。

 いつの間にか、林を抜けて薄い靄のかかった神秘的な空間へと出た。一面が靄だけで構成されているように真っ白な世界。まるで死後の世界である。右京が目を光らせる。

 

「空気が澄んでいますねえ~」

 

「幻想郷って元々、空気が綺麗だけど、この辺りは特別って感じがします。妖夢さん――今、ぼくたちはどこを歩いているんですか?」

 

 すると妖夢は「ここはもう、冥界ですよ」と答え、尊を驚愕させた。

 

「は? ここが冥界? あの世なの!?」

 

「みたいですね。気分がよいのも頷けます。まさか、こんな近くに浄土と繋がる道があるとは」

 

 右京は他人事のように観察を継続している。

 

「いやいや、呑気にもほどがあるでしょ――」

 

「幽霊はどこですかねえ~?」

 

「聞いてねぇし……」

 

 小さく毒づくも、右京に効き目はない。ふと、妖夢が右京たちのほうをちらり振り向いて「このことは内緒にしてくださいね。私も今日、知ったばかりなので」と頼んできた。「もちろんです」と、彼らは約束した。

 この辺りに差しかかると、より霧が濃くなって、ひんやりとした冷気が頬を打つ。いよいよ冥界訪問の実感が湧いてきた。それに伴い、右京のテンションが上がっていく。

 幽霊が見えない右京のために、妖夢が無数の幽霊が集まっているポイントを指差して「あの辺りにたむろしていますよ」と、伝える。直後、彼は音を殺して、さり気なく近づき、手さぐりで幽霊にタッチを試みる。

 

「こ、怖がってますから、ダメですって――」

 

 妖夢が制止するが、その表情はどこか恐る恐るしていて、自身の背後から幽霊が近づこうものなら「ひゃうぅ!」と叫んでは、涙目になって抜刀しようとする。

 

「大丈夫かよ、この幽霊少女」

 

 尊が不安を覚えるが、それ以上に――。

 

「おっと、今、何かに触れました。ひんやりしていましたねえ~。大きさは、そこそこあったような気がします――はっ、弾力も個々によって差があるようです。これは……大発見ですよ! イギリスの心霊学会で論文を発表できるレベルじゃありませんか! うふふっ、次はどこですか〜」

 

 ストーカーのような目つきをした右京が、幽霊を追い回し、周囲に霊魂たちが一斉に逃亡する。必死に隠れようとする見えざる者たちは、ちょうど近くにいた妖夢の後ろに隠れようとして、小さな背中目がけて押し寄せる。

 冷気で身体の毛が逆立ち、すくみ上がってしまった妖夢は「うわああああああああん!! こっちくるなぁぁぁ!!」と、泣き叫ぶように刀を引き抜いてから見境なく振り回す。明らかに幽霊を怖がっていた。

 

「ちょ、ちょっ……。えぇーー!?」

 

 幽霊なのに幽霊が怖いって何!? 尊は本気でそう思ったが、妖夢が幽霊を苦手しているのは、本当のようで、すでに我を失っていた。片手で持っていた刀を両手に持ち替えて見境なくブンブン丸する。その際、鞘がカランカランと地面に転がった。

 尊は右京に助けを求めようとしたが、少し離れたところでストーキングの真っ最中。正面では、妖夢の刀に幽霊たちがビックリして逃げ惑っている。

 その様子を気の毒に思った尊は、深くため息をついてから彼女の落とした鞘を拾い上げた。

 

「お借りしますよ」

 

 拝借した鞘を握って錯乱する妖夢の正面に立ちはだかると正眼の構えを取る。深呼吸して彼は、妖夢の動きを見定めた上で「失礼」と謝罪。柄の部分を狙い、鍔に引っかけるようにして、素早く刀を叩き落とす。

 一瞬、何が起こったのか理解できなかった妖夢だったが「落ち着いて。もう大丈夫だから!」と両肩を揺すられて正気に戻り、尊に武器を落とされたのだと気がついた。

 それでも、なお幽霊を探している元上司。ついに元相棒の堪忍袋の緒が切れた。

 

「杉下さん、いい加減にしてください! いい大人がはしゃぎ過ぎです。みっともない!!」

 

 怒鳴られてようやく正気を取り戻した右京は「申し訳ない」と謝り、トボトボとふたりの近くに戻った。一段落した妖夢が尊を見やって。

 

「あの……。今、私の刀を落としたのって……」

 

「ん? あぁ、ぼくですよ。剣道は()()()()得意なので」

 

 彼は笑顔でそう言ってのけた。実際ところ、妖夢が激しく動き回っていたので、難易度は高かった。しかしながら、そういうことをおくびにも出さないのが()()()()()()()の特徴である。

 説明された彼女は納得せず「そんなわけない。かなりの腕前だ」と、評価した。事実、尊は剣道を特技としており、その腕前はかつての先輩、大河内(おおこうち)監察官さえも軽くあしらうほどだ。

 本気を出せば警察庁内でも〝トップ10〟には入れるだろう。杉下右京と互角に渡り合える数少ない競技。いや、もしかすると一番、勝利できる確率が高いかもしれない。

 相当な実力者だ。当時、このコンビが犯人側との戦闘においてほとんど、負けなしだったのは言うまでもない。総合力歴代最強の相棒。それが彼なのだ。

 

 そこから右京は妖夢に従って慎ましく、後をついていくようになった。よそ見しようものなら相棒から「駄目ですからね」と即注意され、半分ふて腐れている。

 そうこうしているうちに、大きなお屋敷が見えてきた。建物に近づくにつれ、より空気が透き通っていき、居心地がよくなる。どこか中華的な要素を取り入れた巨大な日本屋敷。どうやら、あれが白玉楼のようだ。

 

「とても綺麗なお屋敷ですねえ」

 

「京都の名家が所有してそうな屋敷だな。かなり大きい。ーーてか、幽霊がそこらじゅうにいるよ……」

 

 三人の前には〝人魂〟の集団が群れ成し、行列を作っていた。まるで閻魔さまに捌かれるために並んでいるかのようだ。ここは地獄の裁判所か? 尊が近寄るのを躊躇っていると妖夢が補足を入れる。

 

「白玉楼は冥界一の広いお屋敷で、その一部が一般公開されているんですよ。おかげで幽霊たちが見学しにくるのです。だから、表はいつも幽霊で溢れます。おふたりは幽々子さまのお客さまなので、並ばなくても大丈夫ですから」

 

「でしょうね」と尊は返した。

 

 呼ばれた上に並ばされたら、ただの嫌がらせである。妖夢が幽霊行列の脇を通ってふたりを誘導する。ヒンヤリとした冷気が身体を震わせるので「夏だったらよかったなぁ」と尊が愚痴った。

 広い庭園を抜けた一行は玄関へと到着する。絵に描いたような豪邸に来客たちの視線が釘づけとなった。その視界の外で、青を基調とした着物に身を包む少女が音もなく現れる。

 品のあるいくつかの霊魂を従え、セミロングのウェーブがかった絹のような桃髪が風に揺れ、後方で、お屋敷見学している幽霊たちがざわめきだす。

 一体、何ごとかと尊が顔を向けると、彼女は微笑みながらしーっ、と自身の唇に人差し指を添えた。

 彼は大層、驚いた。それは恐怖の感情ではなく、

 

「(なんだ、この美少女は。今まで見たことないレベルだぞ!?)」

 

 可憐な容姿に度肝を抜かれたのだ。さらに彼女は、妖夢にも気づかないフリをさせたのち、右京の周りをクルクルと歩き始めた。

 

「おや? 冷気が回っているような……」

 

 右京は状況がわからず、首を傾げている。少女はクスクスと笑いながら彼の視界を遮るように手をパタパタと振ってみたり、肩を軽くトントンと叩いて、からかったりと他愛もないイタズラを繰り返す。

 他ふたりが、呆れながらその行為を眺めるも、ちょっかいを出されている本人は「先ほどから触られている感覚がしますがーー幽霊でしょうか……?」と、顎に手を当てて考え込むだけ。

 口元に手を当ててぷぷっと吹き出した少女は「あははっ、本当に鈍感なのね!」と嬉しそうにした。中々に、お茶目な娘なのかもしれない。

 

「うーん。ここまでくるとちょっとやそっとじゃ効き目がないわね。最後の手段を使うしかない。妖夢、そしてお客人ーーこの方の後ろに回って頂戴」

 

 彼女の指示に尊だけでなく、妖夢までもが首を傾げているが、特に断る理由もないのでふたりは右京の後ろにつく。その行動に右京が疑問を抱いた。

 

「おやおや、どうかしましたか――」

 

「準備はよさそうね。いくわよ。ふたりとも、ちゃんと身体を()()()()するのよ」

 

 少女は忠告した途端、右京の顔に右掌を近づける。すると、右京から身体の力が抜けていき、徐々に、彼の視界に半透明な()()の姿が映りだす。

 

「おお、幽霊が、こんなに沢山ッ!?」

 

 右京は周囲に見える幽霊に触りにいこうとするが、どうにも身体が動かない。何かに抑えられているような感覚だった。そこへ少女の声が響く。

 

「はいはい。落ち着いてくださいね。幽霊は逃げませんから」

 

「おや、あなたは……」

 

 さっきまで誰もいなかった自身の正面に、見たことがないほど可憐な美少女が無数の霊魂を携えて立っているのが、うっすらと確認できた。

 右京は咄嗟に「天女さまでしょうか?」と問いかける。少女が、ぶぶっと腹を抱えて「天女って何よ。羽衣を着ているわけでもないのに。おかしいったらありゃしない!」と愉快げに笑う。

 

「では、どちらさまでしょうか?」

 

 彼が問いかけに彼女は名乗った。

 

「私は、ここ白玉楼の主――西行寺幽々子(さいぎょうじゆゆこ)と申します」

 

「おやおや。そうでしたか」

 

 そう、彼女こそが冥界の大屋敷の主であり〝亡霊の女王〟を務める《西行寺幽々子》、その人である。視界がはっきりしないのか、いまだに幽々子の顔がうっすらと透けて見えているが、輪郭だけでもその美しさは理解できる。

 右京は失礼と思ったのか、自身とつれてきた部下の紹介を行おうと後ろを振り返るのだが、そこでは意外な光景が繰り広げられていた。

 

「杉下さん、しっかりしてください!!」

 

「だ、大丈夫ですか!? ゆ、幽々子さま――これは一体!?」

 

 なんと、右京が白目を剥いて倒れており、それを尊と妖夢が介抱していたのだ。さすがの右京も異変に気がつき、状況を確認しようとするが、その場から動くことができず、あろうとことか、視界がグルングルンと動き出す。同時に幽々子がニッコリと微笑んで――。

 

()――抜いちゃいました♪」

 

「「えええええええええええええええええええええええええええ!!!!????」」

 

 幽々子は〝右京の霊魂〟を指先でクルクルと回しながら、万遍の笑みを浮かべていた。



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第69話 亡霊の女王 その2

 西行寺幽々子――冥界きっての名家の当主にして生粋のお嬢さま。幻想郷の閻魔大王から直々に仕事を請け負う役職柄、冥界への永住権と共に絶大な権力を持つ。

 容姿端麗で儚げな雰囲気を持つが故に〝幻想郷三大美女〟の一角とも称されており、そのスペルカードも豪華絢爛。幻想郷一美しいとまで評される。まさに高嶺の花。

 しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()で、突拍子もない発言や行動が目立ち、理解できないところが玉に傷である。この男のようにーー。

 

「景色が回ってますねえ~。ですが、酔うという感覚はあまりしない。これは一体、どういうことでしょう?」

 

「生身の身体じゃないからよ。だから、酔わないの。けど、身体から分離したばかりだと、肉体の癖に引っ張られる傾向にあるわ」

 

「ほうほう、それは興味深い! せっかくなので、もっと強く回してもらえませんか。是非、確かめたい!」と、何故か実験したがる杉下右京。

 

「あらそう。じゃ、激しく行くわよ~」

 

 客人の要望に応えるべく、彼女は指をグルグル振った。

 

「し――視ぃ界がぁぁ――凄いぃぃぃ勢い、でぇぇぇ、回☆転――してい、ます、がぁぁ~。目はぁ~回り――まぁぁ~せん、ねえ―――ぇぇ~」

 

 回転する扇風機に顔を近づけた際に発生するどこか抜けたような声が辺りへと響き渡る。その姿に笑いのツボを刺激された幽々子が、片手で膝を叩きながらこみ上げる笑いを堪えている。

 

「楽しんでいるよ、あの人……」

 

「え……」

 

 こっちがお前の身体を介抱しているのに何を楽しんでいるんだよ。尊がそう言いたげな目で彼の魂を睨み、妖夢はわけがわからない、と困惑している。

 

「もういいです? 回転は終わ――あっ」

 

 手首の力を弱めて回転を止めようと思った矢先、幽々子がコントロールを誤ってしまい、指先の軌道から右京の霊魂が外れ、ぴゅーっと遥か彼方へと飛んでいってしまった。

 亡霊の女王は、大きく口を開けながら「場所が場所なら成仏しちゃうかも……」と零し、慌てて霊魂を追いかけるべく飛翔する。

 

「そういうわけだから妖夢。後は任せたわよ」

 

 幽々子は一方的に押し付けてこの場を去った。

 

「ちょっと、幽々子さま!? どこへぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

「マジかよ……。あのお嬢さん。スゲーぶっ飛んだ人だな」

 

 尊はどうしようもなく呆れたが、無茶振りには慣れているので「とりあえず縁側あたりに運ぼうか。心臓が動いているのは確認したから、西行寺さんが戻ってきたら何とかしてくれるでしょ(たぶん)」と、妖夢に指示を出して右京の身体を安全な場所まで運ぶ。

 

 

 同時刻、人里。男は霖之助に慧音を紹介され、彼女に寺子屋の一室へと案内される。

 外では裕美が子供たちと鬼ごっこで遊んでいるようで、バタバタと走っているのだが「皆、逃げるのが上手だなぁ。すぐにいなくなるし。どこかに、いい隠れ場所でもあるのかな?」と、独り言を呟き、それを聞いた男が笑みを浮かべた。その後、席に着いてから話が始まる。

 男は昨日の夕方ごろ、表の日本から偶然、幻想郷へやってきた。遭遇した妖怪に襲われそうになったが、運よく香霖堂に辿り着き、香霖堂の店主に保護されて里まで連れてきてもらったと話した。

 慧音は「無事でよかった」と男を気遣い、博麗神社に行けば元の世界へ戻れると伝える。可能ならすぐにでも手配する、と配慮を見せる彼女に男は「短い期間でいいですから、この里を見て回りたい」と語った。

 少し迷う慧音だったが「二、三日くらいでいいので」と男が付け足したことで「それならば」と、寺子屋の裏手にある空き家を紹介。彼らを連れて行き、鍵を渡した上、後で自分のところに寝具を取りにくるように、と告げたのち彼女は仕事に戻った。

 同行する霖之助にも用事があるらしく一旦、別行動となり、彼が集合場所に鈴奈庵を指定する。その間、男は里をブラブラ見て回るのだが、その双眸は刃物のように尖っていた。

 

 

 一時間後、右京の魂をつれて幽々子が戻ってきた。何でも飛ばされた先で出くわした老婆の霊魂と会話し、世間話に付き合っていたら話が長くなり、幽々子も冥界の有名人とあって押し寄せる幽霊たちの挨拶に応じていたら、時間がかかってしまったとのこと。

 そのマイペースっぷりに尊と妖夢は開いた口が塞がらなかった。事情の説明を終えた幽々子が縁側の隅っこで柱にもたれかかる右京の身体に魂を入れると彼が目を覚ます。

 目をパッチリと開け、身体を動かしながら「ただいま戻りました」と自分を運んだふたりに向かって挨拶。彼らが「おかえりなさい」と、ため息交じりに返す。

 幽々子は扇子を取り出して、口元を隠すように覆った。

 

「無事で何よりよ♪」

 

「元はといえば、幽々子さまが……」

 

 苦言を呈する妖夢を無視して話が進んでいく。

 

「杉下さん、私のこと――見えます?」

 

「いえ。声はどこからか聴こえるのですが、お姿までは」

 

「なるほど。幽霊を見れるようになるまで、もう少し時間がかかりそうね。立ち話もなんですし、居間へどうぞ。妖夢、お茶をお願い」

 

「はい、ただ今」

 

 妖夢がお茶を入れに台所へ向かい、幽々子が客人を案内する。座布団に座り、飲みものが運ばれたところで幽々子が会話の口火を切った。

 

「よくいらしてくれたわね。歓迎します――って今更かしら」

 

「今更ですよ」と妖夢が呟き、尊が苦笑う。

 

「いやぁ、とても刺激的な歓迎でした。まさか初対面で魂を抜かれるとは……。些か、お戯れが過ぎるとも思いましたがねえ」

 

 幽体離脱を体験させられて、笑いながらも、さり気無く不満を漏らす右京。現実世界でこんなことをされたら、強く注意しているところだが、ここは妖怪の国。里の外に出れば、何をされるかわからない魔境。ある程度の理不尽は覚悟の上だ。霊夢たちから散々注意されているのだから。幽々子がクスクスと笑う。

 

「私の姿が見えないんじゃ、せっかくきてくださったのに可哀想だと思いましてね――抜かせて頂きました。少しは、こちらの世界を知れるようになれたでしょ?」

 

「おかげで、声が聞こえるようになりました。姿は……。まだですが」

 

「普通なら幽霊が見えてるはずなんですけどね。自身が幽霊になってこちら側の世界を体感したのですから」

 

「おや。そうですか。しかしながら、どうして僕は幽霊が見れないでしょう?」

 

「簡単な話。()()()()()()()()のです」

 

「霊感……。ですか」

 

「普通の表の人間の半分以下――いや、もっと低いかも。それじゃ、幻想郷でも幽霊を見るのは難しいわ。今だって声を聞くのが精一杯でしょう?」

 

「おっしゃる通り。正面から声が聞こえるだけです。目を凝らせば、なんとなくですが、モヤがかかっているような、感じが……」

 

 いくら声のする方向を探しても、右京の目には幽霊は映らない。幽霊のモヤらしき何かが辛うじて見えるだけ。さすがの幽々子もコメントに困るようだった。

 

「ここまで霊感のない人間なんて初めてです。どんな生活を送ったらこうなるのかしら」

 

「どんな、と言われましても……。僕は普通に生活していただけなのですがねえ」

 

「普通に生活していたら、とっくに見えてますってば」

 

「ふむ。しかし思い当たることが」

 

 珍しく額を押さえて考え込む右京。幽々子は扇子でバサっと広げてから再び、口元を隠す。

 

「当ててあげましょう」

 

 ニコニコしながら目を細めて相手をジッと見つめる幽々子。右京は若干の困り顔を作ってから尊のほうを見た。尊はあははっ、と乾いた声を送ったのち「ある意味、羨ましいですけどねっ」と内心、愚痴った。一分後、幽々子が考察を述べる。

 

「あなた――子供の頃から物事を論理的に考えていましたね? そして、普通の人間よりも座学に力を入れて生きてきた」

 

「まぁ、そこそこですが」

 

「幽霊という存在を科学的に分析しようと考察を組み立てて考えている」

 

「それなりには」

 

「だから〝霊感〟が他者よりも低いのです。幻想郷でも視認できないくらいに。幽霊というのは、感じるものであって考えるものではありません。子供の頃、幽霊の気配を感じながらも大人になるとわからなくなるのもそれです。

 考えるようになるから、勘を頼らなくなり、霊に対する感度を落としてしまう。ーーといっても、表の世界は幽霊が少ないから仕方ないといえば、仕方ないのだけれど」

 

「目から鱗ですねえ~。ですが、どうして幽霊は少なくなってしまったのでしょうか」

 

「表の世界に否定されたからでしょう。それ故、幽霊という概念も居場所を失った」

 

「……それは妖怪も含まれますか?」

 

「含まれます」

 

「そのための幻想郷――」

 

「……ずいぶん、お調べになっているのね。勉強熱心なのはいいですけど、熱くなりすぎて()()しないでくださいね」

 

「そういう、あなたも僕や表の世界について、かなりお詳しいようですが」

 

「狭い世界ですから、噂なんてどこにいたって耳に入ります。それに、情報には困りませんから」

 

「ほうほう」

 

 意味深に呟いてみせる右京に幽々子の白い視線が突き刺さる。

 

「まーた、そうやって勘繰ろうとする。どこぞの新聞天狗じゃないのですから」

 

「おぉ、そうですかね」

 

「そーいうところよ――霊感が低くなった原因は」ビシっと指摘する幽々子に思い当たるところがあるのか右京は「気をつけます……」と、素直に受け入れた。

 元相棒の尊は珍しく右京がペースを掴めないことに気づく。他人を振り回すことにかけても天才的な男が、ついさっきあったばかりの女に主導権を握られているようにも見える。

 その後も右京と幽々子の会話が続くのだが、時には褒め、時には注意するような言い回しで彼女がペースを握り続け、和製ホームズが完全にお手上げ状態に陥る。

 右京が知りたい情報を持っており、かつ天衣無縫の亡霊の異名を持つほどの奔放さ。彼が手を焼くのも無理もない。しかし尊は右京が()()()()()()()()()()()()()()()()()のでは? との疑問を抱いて、その理由を探っていた。

 

「(彼女――誰かに似ているような気がする。誰だろう?)」

 

 上品かつ美人で和服、それでいて掴みどころがなく、右京を言い包められる人物。尊はその人物に心当たりがあった。

 

「(あっ。たまきさんだ。このお嬢さん、たまきさんに似てるんだ)」

 

 かつて通った花の里。そこの初代女将《宮部たまき》は杉下右京の〝元妻〟である。若い頃は結構なお転婆で周囲を驚かせることも多かった人物だ。

 もしかすると右京は、幽々子の姿に〝若かりし頃の彼女〟の姿を重ねているのかもしれない。そのような仮説を立てた彼は「一途だよなぁ~。この人って」と顔をニヤつかせ、それを察知した右京に横目で牽制された。

 そのやり取りを幽々子が「仲がよろしいのですね? まるで兄弟みたいだわ♪」とからかう。気恥ずかしくなり、コホンと咳をしてから右京が話題を変えた。

 

「……そういえば、僕の料理はどうでしたか?」

 

「とっても美味しかったです」

 

 幽々子は笑顔で作った本人に告げた。

 

「それはよかった。作った甲斐があります」

 

 苦し紛れに話題を変えてみたが、意外と好評だったようだ。このまま料理の話題に舵を切ろう。そう、思った矢先ーー幽々子がまたしても、

 

「それでなんですけど」

 

 口元で両手を合わせながら、

 

「妖夢にお料理を教えて頂けません?」

 

 と、依頼してきた。

 

「おやおや」

 

「はい?」

 

「え?」

 

 彼女の予想外の発言に右京たちだけではなく妖夢まで呆気に取られ、言葉を詰まらせる。幽々子はそんなことはお構いなしに続けた。

 

「代わりに幽霊が見えるようにして差し上げます。この私、西行寺幽々子が直々に。如何です?」

 

 世間知らずのお嬢様のように振る舞う幽々子だが、その表情はどこか作られているような不自然さを漂わせていた。何かあるな。右京は、少々考えてから返事をした。

 

「わかりました」

 

「でしたら、二、三日ここでお泊りになってください。行ったり来たりも大変でしょうし」

 

「お気遣い、感謝します」

 

 幽々子のセリフで妖夢がパニック気味となるが、主に「妖夢、男性用の着替えの準備、お願いね?」と指示され、諦め気味に呟いてから、妖夢はトボトボと準備に取りかかる。

 尊もまた、右京の判断に不満を抱きつつも「冥界観光なんて滅多にできるものじゃないし」と半ば強引に自身を説得。右京同様、お世話になることを選ぶ。こうして、杉下右京の〝幽霊を見る修行〟が始まった。



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第70話 亡霊の女王 その3

 十五時過ぎ。数時間もすれば日が暮れる。鈴奈庵では、本居小鈴が返却された本を綺麗に乾拭きしている。今日は客足が少ない日だ。小鈴は、ひとり熱心に専門書を漁る客を見やってから、窓の外へ目を移す。そこにコートの男がやってきた。

 

 ――ガラガラガラ。

 

「いらっしゃいませ。あれ……。〝表の方〟ですか?」

 

「そんなところです。上白沢さんに、ここなら本が読めるから退屈しないだろうと教えられました」

 

「はい。当店は貸本屋ですが、立ち読み可能です。本の内容によっては料金が発生しますが、初めての方ですので。今回は無料とさせて頂きます」

 

「それはありがたい。しかし、こちらもタダで読ませもらうのは心苦しい。そうだ。代わりに表のお話でもさせてください」

 

「いいんですか?」

 

「こんな可愛らしいお嬢さんに親切にしてもらうのです。それくらいしなければ割に合わないというものですよ」

 

「そ、そうですか……。だったら、お言葉に甘えちゃおうかなー」

 

「どんな話がいいですか?」

 

「うーん、そうですね。表で流行っている本かな。小説でも漫画でも、なんでもいいです。なるべく面白いもので!」

 

「小説だと村上春香とかですかね~。漫画だと……アレですか。少しだけグロテスクな内容が含まれますが、主人公が巨大な敵と戦う物語でーー」

 

「あっ。それ聞きたいです!」

 

「わかりました」

 

 ふたりはその漫画の話題や雑談などを含め、一時間ほど立ち話した。そこへ用事を済ませた霖之助が現れた。男は軽く会釈してから、霖之助と共に酒場へ向かう。

 

 

 その頃、白玉楼の台所に割烹着姿の右京が立っていた。

 

「まず、何を教えしましょう。リクエストはありますか?」

 

「そうねぇ……こっちでは中々、食べられない料理がいいかしらね。和食でも洋食でも創作料理でも何でも――あ、妖夢にも作れる品ね」

 

「私、和食以外は苦手です……」

 

 主人の無茶振りに料理する前から疲労する妖夢。反対に右京は綺麗に整理された日本料亭のような立派な台所に目を輝かせている。

 

「わかりました。材料は?」

 

「結構、揃っているわよ。西洋のものは少ないけど、バターとかならあるわ。堅いチーズとか。他にも色々あると思います。好きに使って頂戴。じゃ、私は見学する幽霊たちに挨拶してくるので、これで失礼するわ」

 

 幽々子は、軽く手を振ってからこの場を後にした。

 

「自由な当主さまですね」と尊が妖夢に耳打ちすると、彼女は「いつものことです……」と肩を落とした。

 

「冷蔵庫、拝見しても?」

 

「どうぞ」

 

 妖夢の許可を得た右京は大きな箪笥のような形の冷蔵庫に手をかけて、中身を確認する。

 

「立派な冷蔵庫ですねえ~。氷式でしょうか」

 

「そうです。たまに幽霊を入れたりしますが……」

 

「おや?(え?)」

 

 白玉楼には特注の氷式冷凍箱が置いてあり、そこに食材が保管されている。氷を入れて食材を保冷するのだが、代わりの氷がなくなった際は幽霊を入れて代用しているらしい。霊魂はヒンヤリとして冷たいので、その特徴を生かしているのとこと。実に彼女らしい。

 右京はその話を感心しながら聞いていた。冷蔵庫の食材を漁っていると尊が、白い紙に包まれた食材を指差す。

 

「これ、何でしょうかね?」

 

「えーと、確か豚肉の塩漬け……。()()()()()()()だったっけ……?」

 

()()()()()()では、ありませんか?」

 

「あー、そうそう。それです!」

 

 パンチェッタは幻想郷では中々お目にかかれない代物。妖夢が名前を覚えられないのも無理はなかった。

 

「このパンチェッタ。どこで手に入れたのですか?」

 

「幽々子さまのご友人が持ってきたものです」

 

「ほうほう、どのような人物が持ってきたのでしょうねえ~。気になります」

 

「《八雲紫》さまです」

 

 そのワードに右京の目元がピクッと動いた。

 

()()()さんですか……」

 

「はい。幽々子さまと紫さまは古くからの〝親友〟ですから」

 

 妖夢は笑顔で応えた。右京は視線を天井へと泳がせながら「ほうほう」と唸った。その光景を腕組みした誰かが観察しているとも知らずに。

 食材を確認し、ニンニクや卵を発見した右京が香辛料などはないかと訊ねる。数分後、妖夢が「こんなのがあります」と木箱やなどの入れものを持ってくる。

 

 中身を確認すると小麦粉やブラックペッパー、オリーブオイルなどが入っていた。固いチーズは見たところ、パルミジャーノ・レッジャーノだと思われる。

 これは、いい材料が揃っている。右京はニッコリと笑顔を作りながら「アレを作りますか」と微笑む。妖夢が首を傾げるも、尊のほうは「あぁ、アレを作るんだ。白ワインが合いそうだな」とほくそ笑んだ。

 早速、右京は調理に取りかかる。卵と小麦粉を混ぜて伸ばし、できあがったものを一旦寝かせ、削ったチーズと卵とブラックペッパーを混ぜ合わせ原液を作り、幻想郷で作れたと思われるフライパンに少量のオリーブオイルを引いて、パンチェッタを投入。脂で揚げるように火を通す。

 違う鍋では、先ほどの小麦と卵を混ぜたものを茹でるのだが、右京は一リットルに対して1%前後の塩を投入して、妖夢を大層、驚かせた。

 

「本場では、もっと入れるところもありますよ」

 

 と語り、茹で加減を確認しつつ、茹でたものをフライパンに移す。

 軽く混ぜて味を確認。パンチェッタが濃い目だったので塩を振らず、そののち、火を止めてから原液をかけてソースを絡ませ、塩気の強い茹で汁で伸ばしつつ、炎をごく弱火にしながらチーズを溶かして、皿へと盛りつける。最後に追いチーズと多めのブラックペッパーをかけたら完成である。

 

「美味しそうですね!」完成した品を見た妖夢が浮足立った。

 

「さあ、幽々子さんに味見してもらいましょう」

 

 右京がそれを幽々子のいる居間へと持っていった。

 

「お待たせしました。今晩のメニューはーー」

 

 幽々子の目の前に置かれたのは、輝く黄金のソースを纏う麺料理だった。幅広の麺に絡み、チーズの匂いを漂わせる、その逸品の名前は――。

 

「〝カルボナーラ〟です」

 

 ローマ三大パスタに数えられるカルボナーラであった。パスタをうどんを作るように自作。タリアテッレに近いものを用意し、茹で上げてソースを絡めたのだ。

 生卵のソースに熱を通すのも大事だ。この時、強火だとボサボサになる。日本だと生クリームを使う傾向にあるが、イタリアだとほぼ使われない。

 入れるのも入れないのも個人の好みだが、右京は本場風のカルボナーラを作った。

 なお、本場ならパンチェッタをグアンチャーレ、パルミジャーノ・レッジャーノをペコリーノ・ロマーノで食べるのが一般的だが、これでも味は十分だろう。むしろ、幻想郷で食べられる西洋料理としてはレベルが高い。

 右京もそこは理解しており「表で作られるものに比べると味は落ちるかもしれませんが」と断りを入れた上で食べるように促した。

 

「十分、美味しそうよ。匂いだけでわかるわ」

 

「幽々子さま――以前、紅魔館で頂いたフォークです」と妖夢が銀のフォークを手渡す。次は「こちらは日本酒です」と、尊が白ワインの代わりに甘口の日本酒を注いだ。

 

「うふふっ。ありがとう。頂きます」

 

 客人二名に持てなされ、上機嫌の幽々子。これではどちらが客人かわからない。

 しかし、代わりに幽霊を見えるようにするという約束があるので、これはギブアンドテイクだろう。幽々子はフォークでパスタを上品に巻き取ってから口に運ぶ。そして「んーーーーー」と唸ってから。

 

「美味しいわ!! チーズの濃厚さと塩加減が相性抜群ね!」

 

「それはよかった! さあ、妖夢さんもどうぞ、取り分けてありますから」右京が妖夢の分を渡す。「それでは私も」と、彼女もパスタを頬張った。

 

「これ。美味しいですねー! あんなにお塩が入っているのに」

 

「塩はパスタに下味をつけるためのものです。最初こそビックリしますが、慣れるとあれくらい入れないとダメになってしまう」

 

「おソースを濃い目にするとか後から塩をかけるでもよい気がしますが。どうなんでしょう」

 

「それもよいと思います。妖夢さんの気に入るように作ってください。レシピは紙に書いてお渡しします」

 

「ありがとうございます!」

 

「おふたりもどうぞ。ご飯は皆で食べたほうが美味しいわ」

 

 どこまでのマイペースな亡霊の女王。天衣無縫のふたつ名は伊達じゃない。

 

「それでは、お言葉に甘えて」

 

 右京たちも正座で座卓につき、皆でパスタを頬張る。やはり、本場のパスタとは少々異なるが、きし麺のようにもっちりしていて、これはこれで美味しい。塩加減も抜群で、卵にもしっかりと火が通っており、食あたりの心配もない。

 パンチェッタから出る、独特で甘い油と強い塩見にチーズのコクがマッチして、絶妙な味わいが生み出され、舌が幸せ一色となる。本場よりもチーズをやや控えめにしたことで和食中心の女性にも食べやすく作られており、初見でも抵抗なく食べられる。

 生クリーム入りであれば食べやすさが増すが、ここは好みだ。パルミジャーノ・レッジャーノを使ったことでペコリーノ・ロマーノよりも癖が少ないのが理由だろう。日本酒が甘口でフルーティーなものまた乙である。これは尊のセレクトだ。本来はクリーム系に合う本場の白ワインが欲しいところだが、あいにく白玉楼には置いてない。

 お洒落なふたりが作ったこのひと品。幽々子はこれを大層、気に入ったようで、

 

「せっかくだし、聞きたいことがあったら聞いて頂戴ね」

 

 とても上機嫌だった。

 目の前で食器が浮いては料理が異空間にでも吸い込まれるように見えるさまを愉快げに観察しながら右京が「わかりました」と頷いて、質問に移った。

 

「西行寺さんは、どうして亡霊になられたのですか?」

 

「うーん、どうしてかしら……。よく覚えてないのよ。昔のことだから。ただ、この力を閻魔さまに買われてこの地位に就いたというのは覚えているけどねぇ~」

 

「死を操る程度の能力ですか?」

 

「そうそう。死という概念を操るらしいわ。魂は抜き放題、幽霊は操り放題、好き勝手使ったら閻魔さまから怒られてしまう。それくらいの代物――」

 

 天上に右手をかざしながらクルリクルリと裏返しては元に戻す。まるで桜でも待っているかのような儚げな雰囲気だ。「絵になるな~」と尊が魅入るが、右京には見えておらず、声のトーンだけで相手の表情を読み取りとって、話を続ける。

 

「それで冥界に居を構えて、幽霊たちの管理をなさっている」

 

「そうです。おかげで外に行く機会が少ないの。だから、この屋敷にはこの娘とふたりっきり。真面目なのはいいけど、おっちょこちょいで幽霊が苦手なのが玉に傷ってね」

 

「そ、そんな~」

 

「嘘、嘘。冗談よ♪」

 

「うぅ……。酷いですぅ~」

 

 酔いが回り始めた妖夢のリアクションは見た目通り、子供そのもの。これが一たび戦いになれば刀を握って縦横無尽に戦場を駆けまわるのだから驚きだ。

 

「他にはない?」

 

 彼女に言われ、右京が気になっていたことを訊ねる。

 

「生前はどちらで過ごしていたのですか?」

 

 亡霊というのは幻想郷において未練を残した人間の幽霊である。幽々子は特別にこの地位を与えられ、成仏することのない魂となっている。つまり人間として生きた時期が存在するのだ。その話題になった途端、幽々子はほんの少し表情を曇らせた。

 

「おぼえてないの」

 

 ポツリと零し、酒を一口含む。

 

「まっ。寂しくとか悲しいとかそういうのはないんですけどねっ」

 

 ふふんっと、鼻を鳴らす彼女に右京は、

 

「そうでしたか」

 

 視線を落とした。おかしくなったのか幽々子がからかう。

 

「男の人って女のそういう話に弱いわよね。こっちは別に気にしてないのに」

 

「かもしれませんねえ」と、何とも言えない顔で彼も酒を一口。どこか思うところがあったのか、彼女は唐突に自分の父親の話を出した。

 

「以前、友人から聞いたのですけど、私の父――生前は歌聖と呼ばれていたそうです」

 

「歌聖、ですか」

 

「それ以外は教えて貰えませんでしたけど、あまり興味がなかったので深くは訊きませんでした」

 

「歌聖……」

 

 頭の中でその頭脳を回転させ、思い当たるワードを探し始める。その癖が、自身の霊感を下げたのだと指摘されても、生まれ持った性はそうそう変わるものでもない。

 

「根っからの探偵さんなのね」

 

「申し訳ない、これが僕の悪い癖」

 

「悪いかどうかは知りませんけど、霊感を下げる要因になっているのは確かです。修行中は控えてくださいね。でもーー」

 

 視線を手元の御猪口に移しながら彼女は静かに。

 

「何か、心当たりがあったら教えてください」

 

 告げた。右京も静かに「ええ」と返し、酔っぱらった妖夢に絡まれている尊を眺めながら手元の酒をぐっと飲み干した。

 そして、特命係は夜遅くまで雑談して楽しんだのち、来客用の部屋で床に就いた。



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第71話 右京、冥界で修行する その1

 右京たちが床に就く数時間ほど前。霖之助と男が酒場谷風で酒を飲み交わしていた。

 

「ここの朱鷺鍋は美味しいですね。お酒とよく合う」

 

「うん。前に霊夢たちが作ったやつよりもずっと美味しい。噂には聞いてたが、これほどとは」

 

 鍋をつつきながら朱鷺を堪能するふたりにカウンターの舞花が微笑む。

 

「うちの朱鷺鍋は里一番よ。それだけは保障するわ」

 

「この味なら満更でもなさそうですね」

 

 熱燗をグビッと飲みほして男は愉快そうに言った。その丁寧な言葉使いに舞花は、とある人物の姿を重ねる。

 

「お客さん、外からきたんでしょ?」

 

「そうですよ。昨日、やってきたばかりです」

 

「なんだか()()()に似てるわねー」

 

「あの人?」

 

 男が首を傾げると、舞花がその人物を名前を告げるようとする。

 

「そうそう、すぎし――」

 

 その瞬間、舞花の声を遮るように客の声が店内に鳴り響いた。

 

「おーい。舞花ちゃん。俺にも酒をくれー」

 

「ーーはいはい。今、持って行くからね。ごめんなさいね、お客さん」

 

「いえいえ。お気遣いなく」

 

 舞花は客に催促されて酒を持っていく。店員は彼女ひとりだけ。その理由を知る霖之助が「大変そうだな……」と心の声を漏らす。同時に男が「すぎし……」と、まるで思い当たる知り合いがいるかのように、ボソっと呟いてから視線を床へと落とす。

 

「何かありましたか?」

 

「あ、いや、何でも。……ところで、この鍋は味噌の味が濃くて美味しいですね。何が入っているのでしょうか?」

 

 男性は霖之助の質問には答えず再度、同じ話題を持ち出した。

 

「あはは。朱鷺ですよ、朱鷺」

 

「そうでしたか~。上品な味ですね、ははっ」

 

「飲み過ぎたんじゃありませんか」

 

「なーに。まだまだ、飲めますよ」

 

 彼らは酒場谷風で美味しい料理を満喫し、男は用意された空き家で床についた。

 

 

 朝七時半。白玉楼の居間にて、西行寺幽々子はふわっとした黄色い料理にフォークを伸ばす。銀のフォークが料理に入った途端、半熟の液体がトロッと零れる。彼女は、それをすくってから行儀よく頂いた。

 

「んーー、美味しいわ♪」

 

 とっびきりの笑顔を添えて、これを作った右京のほうを向いた。

 

「これ、オムレツよね。前に紅魔館で見たわ(冷めていてイマイチだったけど)」

 

「ええ。ごく普通のオムレツです」

 

「トロトロでいい感じよ。普段、私たちが食べる卵焼きとは全く違うわね」

 

「日本の卵焼きとは作り方が異なり、熱したフライパンに溶いた卵を入れて手早く掻き混ぜ、表面を素早く熱して包んでしまうのがポイントです。慣れるまでコツが入りますが、手先の器用な妖夢さんならすぐに覚えられますよ」

 

「そうなのね。妖夢。今度、頑張って作ってね」

 

「は、はい」

 

「一応、図解も添えておきます」と右京がフォローを入れる。

 

「あはは、どうも……」

 

 お気楽な幽々子と軽快なフットワークを見せる右京。まるでお嬢さまと執事のようなノリだ。妖夢は環境適応力の高いこの外来人に「皆が警戒するのもわかるな……」と、心の中で納得せざるを得なかった。気を許せば、その有能さでいつの間にか他人の懐に潜り込んでくる。魔理沙が詐欺師、霊夢が人外と評するのも無理はない。

 続いて右京は朝に弱い相棒を起こしてから、妖夢に自身が教えた料理を作らせ、その品を尊に試食させた。

 

「俺は実験台かよ」。そっと愚痴る尊だったが、妖夢の料理の腕前は中々のもので、彼に「お、これって結構、美味しい立場かも」と思わせるほどだった。

 

「妖夢さんは、お料理がお上手ですねえ~」

 

「そ、それほどでも……」

 

 妖夢が照れると霊魂まで顔を赤らめる。半霊の特徴だ。彼女らは一心同体で、生まれた時から一緒らしい。傍から見れば双子である。本人からその話を聞かされた時、尊は「そう聞かされると何だか、可愛く見えるな」と認識を改め、右京が「不思議な関係なのですね」とコメントした。

 食事と後片づけを済ませた右京が、居間の前を通ると、どこからともなく幽々子がふらっと現れ、彼に縁側へくるように伝えた。どうやら、お待ちかねの修行のようだ。

「わかりました」と、返事をして身支度を整えた右京が縁側に向かうと、幽々子がいつもように扇子を扇ぎ、外を眺めていた。

 佇んでいるだけで絵になる美少女だ。幽々子は彼をつれて庭先へ出る。右京から三メートルほどの距離を取った彼女は。

 

「さて、幽霊を見る練習といきましょうか。そこから動かないで頂戴ね」

 

 そう右京へ告げ、右手をかざす。そこへ吸い寄せられるように無数の幽霊たちが集まり始め、庭先は数十体の霊魂で埋め尽くされた。後からやってきた尊があまりの幽霊の多さにビックリして大きな声を上げるが、右京には見えていない。幽々子が霊魂たちに命じた。

 

「あなたたち。あの眼鏡のお方の周囲を囲みなさい」

 

 彼女が命令すると幽霊たちが一斉に右京へと向かって行き、指示通りの行動を取る。

 大量の幽霊が押し寄せる光景は、まるでホラー映画のワンシーンのようであり、恐怖した尊が「冗談じゃねえよ!」逃げ腰になって、物陰に隠れた。右京の周りにはざっと二、三十体の霊魂が漂っている。

 

「おぉ……。かなり冷えてきましたねえ」

 

「そりゃあ、三十体くらいの幽霊があなたを囲んでるからね。寒いのは当然です」

 

「そんなにですか?」

 

「そんなによ」

 

 ニヤっとする幽々子と幽霊を目で追おうとする右京に物陰から隠れて様子を窺う尊。冥界の朝は里の朝と違って我々の常識を超えていた。

 

「さあさあ。ここからが修行よ。目を瞑ってください」

 

「はい」

 

 言われるがまま、目を瞑る。しかしながら、辺りは暗闇に包まれただけ。幽霊を見るには至らない。

 

「霊気は感じる?」

 

「感じます」

 

「あなたたち。彼の周りを静かに動きなさい」

 

 彼女の指示通り、数体の霊魂たちがゆっくりと右京の周囲を回る。その様子はまるで音頭を取っているかのようだった。

 

「どう。霊魂は認識できる?」

 

「個数まではわかりませんが、冷たい何かが行ったりきたりしているのはわかります」

 

「その調子です。目は開けないで幽霊の気配だけに意識を集中してください。無心というやつです」

 

「ええ」

 

 幽霊は肉眼で見るのではない、心の目で見るのだ。それが、彼女が右京に教えた霊感アップの秘策である。霊気を肌で感じながら、霊界という屈指の心霊スポットで意図的に幽霊たちを嗾け、認識させることで霊感を引き上げ、最終的に見えるようにする。

 やり方としては単純だが、幽霊を操作できる幽々子でなくては効率的な修行は難しいだろう。特に感が小さいこの男に対しては。

 五分、十分、三十分。その場で立ったまま幽霊を心で捉えようと奮闘する右京だが、未だに見ることは叶わない。

 疲れるだろうと気遣った幽々子が縁側に座るように促し、座禅を組ませて修行を再開。そこから追加で三十分、周囲の幽霊の気配を追う訓練を続ける。

 

「(中々、見えませんねえ~。気配だけなら少しだけ読めるようになりましたが……)」

 

 霊気が頬を撫でる感覚から今、幽霊がどこを通っているかまでは掴めたが、大きさまではわからない。

 

「まだまだ、肉体の感覚に頼っているわね。心の目を使うに至ってない。もう三十分くらい続けてください。そしたら、一旦休憩にしましょう」

 

 方針を伝えてから幽々子が右京の側を離れ、尊の元へ向かい「神戸さん。気が散るといけないから」と離れるように促し、元部下も縁側を去った。

 ひとりになった右京は呼吸を整えながら、幽々子の言いつけ通りに実行。ひたすら修行に打ち込むのだった。

 

 

 ひとりになったのは尊も同様だった。暇だったので白玉楼の外に出たが、ため息がとまらない。

 

「(どっちも向いても幽霊だらけ……。疲れる)」

 

 幽霊マニアでも何でもない尊からすれば冥界なんてただの心霊スポットだった。周囲の空気も澄んでいて、アルカリイオンの中にいるように思えてくるが、どっちを向いても幽霊だらけなのが問題だ。

 冥界の幽霊とは会話ができるが、どうしてもその気になれず、頭を下げられたら「どうも」と、作り笑顔で返事するだけで、会話には発展しない。

 人間には人間の話し相手が必要なのだ。幽々子や妖夢といった人物もいるが、幽々子は何を考えているかわからない上に右京につきっきり。趣味と年齢の違いから妖夢ともあまり話が合わない。剣術についてなら会話になるが、イマイチ乗る気になれなかった。

 反対に右京は、幽々子と幽霊話や妖怪談義、妖夢とは料理の話や園芸、剣術の話題で盛り上がり、交流を深めている。改めて右京の適応力の高さを思い知った。

 気晴らしにと白玉楼の塀に沿って辺りを散歩する。白いモヤに視界を遮られつつ、前へ前へと進んでいけば、前方から声が響いてくる。複数の少女たちが会話しているような声だ。気になった尊が身を隠しながら、その様子を覗き見た。

 

「とっとと白状なさい。アンタんとこのお嬢さまは、何を考えてんの!」

 

「だから、私にもわからないって!」

 

 見覚えのあるふたりの少女が妖夢を問いただしていた。霊夢と魔理沙である。

 

「しらばっくれても無駄だぜ? おっさんたちを拉致したのは紛れもない事実。何を企んでいる?」

 

「表の料理を教わっているだけよ……」

 

 ジリジリと威圧され、妖夢は壁の背中をつけた。

 

「はん。それだけのために、あのおっさんを呼ぶのかよ」

 

「もしかして、自分たちで()()()()()()()()()()()()()なんて考えているじゃないでしょうね?」

 

「化けの皮って……」

 

 聞き耳を立てている尊が「化けの皮……?」と内心呟き、そのまま中腰となって、話を盗み聞く。周囲をキョロキョロと気にしながら魔理沙が小さな声で喋った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ーーつう、話だよ。出所はいつもの新聞天狗だけどな」

 

「それは、私も小耳に挟んだけど……。あの人たち、普通の人間よ?」

 

「以前なら、私もそう思ってたんだけどな……。あのおっさん、只者じゃないんだよ」

 

「そうかな? 少し変わっているとは思うけど、悪い人には見えない」と妖夢が答えるが、巫女は否定して「ちょっと、異質だからねぇ。仮に妖怪化でもされたら、何を仕出かすか」と、頭を悩ませている。魔理沙がさらに補足をいれる。

 

「そうなる前に何とかしようって話だ。マミのヤツが言うにはすでに〝杉下右京排除論〟がチラホラと出始めてるらしい。このまま、いけば妖怪どもが動くやもしれん」

 

「妖怪にも〝過激派〟がいるからね。()()()()()()()()()()()()()()()()()って主張する連中が。万が一、そいつらが原因で里に被害が及ぶようなことが起きたら、私の評判が落ちるわ。その前に何とかしたいのよ」

 

「まぁ、すでに地に落ちている感はあるが……」

 

「なんですって!?」

 

 聞き捨てならん。霊夢が抗議の目を向けながら魔理沙へ詰め寄る。タジタジになりながらも魔女が言い返す。

 

「そりゃあ、そうだろ――妖怪を監視するって言いながら妖怪とつるんでんだから。《秘密結社》の連中なんか裏でお前のこと、ボロクソに言ってるらしいぞ。『妖怪の手下で里を監視してる』ってな」

 

「うぐぐ……」心当たりがあるのか、霊夢は言い淀んでしまう。

 

「それだけじゃない。賭博諸々を仕切る《風龍会》、土木を仕切る《土龍会》の連中も一緒になって文句言ってるぜ? 秘密結社だけなら戯言で終わるが、あいつらはちと影響力が強い。火薬や武器を仕切る《火龍会》の子分たちと水道や運河を仕切る《水龍会》も里の現状に不満タラタラだって話だ。表には出さないようにしてるそうだがな」

 

「くぅぅぅ。ヤクザどもがぁ……。どさくさに紛れて潰してやろうか!?」

 

 悪い顔をする霊夢だったが、里の情報を持っている魔理沙が待ったをかける。

 

「止めとけ。あいつらは《里公認の組織》だ。潰せば里の生活に影響が出る。……どうしてもやるってなら火龍会以外にしておけ。あそこのトップは若いが人情派で、親父の代から里人の人望も厚い。失脚させれば、取り返しがつかなくなる。不満があっても組員がおとなしいのはそいつの手腕によるものだ。人里はいろんなヤツの努力でまとまっている。よく考えろよ」

 

「ぐぎぎぎぎぎぎぎぎぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 声にならない声で、怒りを顕わにする霊夢に少女ふたりは苦笑うしかなかった。

 話を聞いた尊は、無言かつ足音を立てないようにこの場を後にし、塀を隔てた向こう側では、幽々子が扇子を片手に冥界の空を仰いだ。



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第72話 右京、冥界で修行する その2

 人里のとある空き家にて。数人の若い男衆が、人気を警戒しながら、コソコソと話していた。

 

 ――知ってるか、また表の人間がやってきたそうだぜ?

 

 ――知ってる。鈴奈庵で娘と楽しそうにしてたってさ。

 

 ――ここは観光地じゃねえっての。妖怪だけでも鬱陶しいのによ。

 

 ――よせ。聞こえたらどうすんだよ!? 消されるぞ。

 

 ――わ、わかってるのッ! だからこうして隠れて集まってんだろ。監視の目を潜るために。

 

 ――本当に欺けているのか、わからんけどな。

 

 ――チィ。どうして俺たちがこんな肩身の狭い想いをしなきゃならん。ただ、自分たちのルーツ知り、里の外を自由に歩きたいだけなのによ。

 

 ――自由か……欲しいよなぁ。

 

 一人がそう呟くと、集まったメンバーが一斉にウンウンと頷き、一拍置いてからメンバーの中心と思われる人物が口を開く。

 

 ――そのための《秘密結社》だろう? 俺はやる男だ。あいつとは違う。

 

 ――あの人、妖怪に殺されちまったもんなぁ……。喧嘩、相当強かったのに。

 

 ――でも、その場に居あわせたヤツはいないんだろ?

 

 ――人里の外で殺されたんだ。妖怪の仕業に決まっている。運のないひとだよ。

 

 ――……。ま、その話はいい。それよりも今後の方針だ。

 

 ――妖怪を倒すのか、それとも譲歩を引き出すのか。

 

 ――そんなの決まってんだろう。言わせるな。

 

 ――ヘイヘイ。で、資金は集まりそうなのか?

 

 ――目途はついた。後は必要なものを集める――まず、奴らから……。

 

 ――シッ、誰か来る。

 

 見張り役が報せるのと同時に皆が一斉に沈黙。ひとが過ぎるのを待ってから話を再開させる。

 

 ――心臓に悪い……。

 

 ――何年かかるんだろうな……。

 

 ――それでも、やるんだ。俺たち人間が里を取り戻す日までな。

 

 ――そうだな。

 

 ――その通りだ。

 

 ――目的を達するまで俺たちはとまらない。今から指示を出す。各員、仕事の合間を縫って実行してくれ。

 

 ――了解。

 

 十分後。解散した彼らは日常へ溶け込んでいった。

 

 

 ところ変わって冥界。右京は胡坐を崩して、休んでいる。辺りに幽霊の姿はなかった。彼の後方から幽々子がゆらりと姿を現す。

 

「おや? 何やら塊が近づいてきましたね」

 

「気がつくのが早くなったわね。しっかりこなしたようで」

 

「まだ、姿は見えませんが」

 

「輪郭はどう?」

 

 声のする方向を右京が目を凝らすように見つめる。視線のさきにあるのは誰も居ない廊下ーーのはずだが。

 

「モヤモヤした何か揺れていますね。人の形に見えなくもない」

 

 人の輪郭に合わせてモヤがかかり、それがユラユラと揺れ動いている。そんな現象が彼の目の前で展開されていた。それを聞いた幽々子は、両手を軽く合わせた。

 

「霊感が上がったわね。この調子なら一週間以内には見れるようになるかも」

 

「本当ですか!?」

 

「あくまで予想ですけどね。それまでは妖夢にお料理を教えてもらいますよ?」

 

「それくらい、お安い御用です。和食や洋食から簡単な中華料理まで。レシピつきでお教えしましょう」

 

「それは嬉しいわ♪ 妖夢には頑張ってもらわないと」

 

 食べられる料理の品数が増えると喜ぶ幽々子。そこに妖夢がいつものふたりをつれてやってきた。

 

「幽々子さま、いつもの連中です」

 

「いつもの連中ね」

 

「誰がいつも連中よ!(だ!)」

 

 霊夢と魔理沙である。右京が彼女たちに笑顔で挨拶する。

 

「おや。霊夢さんに魔理沙さん。こんにちは。あなたがたも冥界にいらっしゃるんですねえ~」

 

「幻想郷は庭みたいなもんだしな。――てか、おじさん、馴染過ぎだろう……」

 

 あちこち幽霊で飛び交う心霊スポットでよくもまあ、表の人間がくつろげるな。魔理沙が肩を竦め、霊夢が呆れながら質問する。

 

「どうして、そこまでリラックスできるんですか……?」

 

「浄土だからでしょうかね?」

 

 あっけらかんと答える右京。やっぱり人外なんじゃ。霊夢もため息と共に肩を落とした。

 

「おふたりとも、おつかれのようですね。紅茶でも淹れましょうか?」

 

「いや。私らは緑茶でいい。妖夢、私らの分を頼む」

 

「は? 何を勝手なことを……」

 

「よろしくね」

 

 このように告げ、右京から少し離れたところに座るふたり。相変わらずの図々しさである。銀髪に庭師は、自らの主人に『何とか言ってくださいよ』と、視線を送ってみるものの「ついでに私も分もよろしくね」と頼まれ、トボトボと台所に向かった。

 幽々子は少女ふたりとは、反対側へ座り、四人とも縁側から見える景色を堪能する。

 

「どこまでも、白い世界ですねえ。たまにユラユラと蜃気楼のように幽霊が動いていますが」

 

「蜃気楼だぁ? 人魂は人魂だろうよ」

 

 何を当たり前のことを。魔理沙は右京の言葉の意味がわからなかった。和製ホームズは冥界の空を見上げた。

 

「僕には見えないのです」

 

「霊感がないって本当だったんですか……?」

 

「本当ですよ。昨日、幽体離脱させられるまでは声も聞こえませんでした」

 

「「幽体離脱!?」」

 

「ええ、幽々子さんに魂を抜かれました。おかげで肉体を持たない世界を少しだけ理解できましたよ。魂とは不思議ですね。おもいっきり回転させられても酔わない。上空に吹き飛ばされても無傷で着地できる。肉体があるように振る舞っているはずなのに目の前では何も起きない。物体に触れてもすり抜ける。霊魂同士は会話できる。驚きの連続ですよ」

 

「「は……?」」

 

 普通の人間なら泣いてるところだぞそれ。ツッコミを入れたいところだが、杉下右京には何の意味もなさない。もう知っている。ふたりは顔を見合わせて黙った。

 妖夢がお盆に三人分のお茶を載せて戻ってきた。

 そのタイミングで散歩から帰ってきた尊が顔を出し、妖夢がまた台所へ戻っていく。気まずさを感じつつも彼は、空いたスペースに座った。魔理沙が咳払いをしつつ幽々子に問う。

 

「なぁ、お前さ。幽体離脱ってあれか。能力使ったのか?」

 

「そうよ。いつものやつ」

 

「〝死を操る程度の能力〟。おそるべし」霊夢がお茶を啜った。

 

「応用ですけどね、本来の能力はもっとすごいのよ?」

 

 幽々子が皆に自慢するように聞かせてみせる。そのような話を聞かせられれば、右京が黙っていられるはずがない。危惧した元部下だったが、意外にも本人は冷静だった。

 

「見てみたい気もしますが、人が亡くなるところは見たくありませんね」

 

「確かに。シャレにはならないわ」

 

「凄いですね。幽々子さんって……」

 

 死という単語から血を連想。身震いする尊。

 

「まともにやり合ったら勝ち目はないが、スペルカードなら勝てる」

 

 腕組みしながら豪語する魔理沙に幽々子は、扇子を広げつつ。

 

「それでもよくて()()()()じゃなくて?」

 

 クスクスと笑われ、挑発されたと感じた魔理沙がカチンと切れた。

 

「ああん? やんのかい!?」

 

「別にいいけど……お昼ご飯がさきね」

 

「ん?」

 

「だって、もうお昼でしょ? 今日は朝が早かったら、お腹が空いてるのよ」

 

「では。昼食の準備に取りかかるとしましょう」

 

「お願いね」

 

「「は……?」」

 

 立ち上がってどこかへ行く右京を眺めつつ、理解が追いつかないふたりは、残った元部下に事情を訊いて、再び呆れてしまう。「私に相談してくれればいいのに」。巫女は、役割を取られたと思って悔しそうな素振りを見せた。

 

 割烹着に着替えて台所に立つ右京。今日の食材を眺めつつ、作る料理を考える。助手は妖夢が担当する。使えそうな食材は、猪肉や鴨肉などの肉類。キャベツ、玉ねぎなどの野菜。リンゴ、ミカンなどの果物。

 どれも新鮮そうで、時期的に里では手に入りにくい品もある。知人からのおすそ分けだそうだが、いやはや、と右京は唸るしかなかった。隣の妖夢が「猪肉は買ってからちょっとだけ時間が経ってます」と言って、よかったら使ってほしいと頼む。右京は頷いてから、頭の中のレシピを探す。

 さて、どうしたものか。さすがに、何度も洋食というのは芸がない。手に取った玉ねぎをジッと眺めながらアレコレ考えている。

 

「肉、玉ねぎ、リンゴ……。()()がいいかもしれませんねえ~」

 

「アレ?」

 

 いつも通り、回りくどい言い回しに戸惑う妖夢に右京が「よい料理があります。試してみましょうか」と、笑みを零した。

 それから、醤油、砂糖、摩り下ろしたリンゴなどを混ぜあわせてソースを作り、大量の玉ねぎと猪肉を炒め、絡めた一品とこれまた沢山の具材を醤油ベースで煮詰めた郷土料理を作った。後は漬物などを用意して完成である。

 右京がお盆に乗せて幽々子がいるであろう居間へと運ぶ。障子を開けると定位置で幽々子が待ってました、と声を上げ、同席していた霊夢たちが漂う甘い匂いに鼻孔をくすぐられて目を輝かせる。

 お盆から座卓へおかれた料理は、幻想郷ではお目にかかれない珍しいものだった。魔理沙がおかずを「生姜焼きか?」と言えば、霊夢が汁物を「猪鍋?」と言う。

 首を傾げる少女たちに右京が答えを語った。

 

「こちらのお肉料理は《十和田バラ焼き》。お吸い物は《せんべい汁》。どちらも表の日本――青森県の郷土料理です。バラ焼きは、大量の玉ねぎと甘辛いソースでお肉を炒めた品で、せんべい汁は醤油ベースで具が沢山入っているのが特徴的な汁物です。

 本来なら専用のせんべいを使うのですが、手元になかったのでご勘弁を。どちらも僕のアレンジに近いですが、味は悪くないと思います」

 

 十和田バラ焼きとせんべい汁は青森県の郷土料理である。

 バラ焼きはB級グルメとして有名だろう。生姜焼きとは異なり、甘辛いタレと大量の玉ねぎを使うのがポイントだ。本場では鉄板の上で焼いて食べるが、フライパンでも十分な美味しさを誇る。ご飯が進む品だ。

 せんべい汁は醤油を使った汁物で、大量の具材が入っており、栄養満点である。表の料理かつ幻想郷では食べられない品を所望する幽々子にはぴったりだろう。

 冥界のお嬢さまが庶民の味で満足できるのか、とも思われるが、意外にも幽々子は庶民的な傾向にある。癖の強い人間や妖怪たちと交流があるのが原因かはわからないが、レミリアとは異なる刺激を楽しんでいるのかもしれない。

 

「「へー」」感心する少女ふたり。

 

 右京が手をパンを叩いた。

 

「さあ。西行寺さん、お召し上がりください」

 

「はーい。頂きま~す♪」

 

 料理に興味津々のふたりを余所に幽々子がバラ焼きを口へと運ぶ。とろみがついた猪肉が口内で肉汁と共に溢れ、タレを吸った玉ねぎの甘味が口いっぱいに広がり、食欲を増進させる。幽々子が「うんうん」頷きながら――。

 

「美味しいわ。しょっぱさだけじゃなく、しっかりした甘さがあるのがいい。お砂糖入れたのかしら?」

 

「砂糖だけではなく、摩り下ろしたリンゴも入れてあります」

 

「果物も入っているのねー。どうりで、コクのある甘味になっている訳ね」

 

 ひとり納得して、彼女はバラ焼きを白米と一緒にパクパク頬張る。美味しそうに食べる幽々子の姿に霊夢と魔理沙が、たまらず右京のほうを見た。

 

「わ、私たちの分はないのかしら?(のか?)」

 

 食べたくて堪らない。そんな表情だ。しかし、右京は、

 

「白玉楼の食材を使って料理を作っているのですから、僕の一存では決められません。西行寺さんに訊いてください」

 

 と告げた。すかさず、ふたりは幽々子を凝視する。

 

「どうしようかしらねぇ~?」

 

 笑うだけで答えようとしない幽々子。ぐぐぐっ、と身を乗り出すふたり。もはやギャグである。

 やがて飽きたのか、それとも何か思ついたのか、幽々子が右京に「この娘たちの分もある?」と訊いてきた。

 右京がある、と答えると用意して欲しいと頼んだ。

 よっしゃーっとガッツポーズのふたりだったが「その代わり、後で買い物に行ってきてね。お金は出すから」と、交換条件を取り付けられて意気消沈――他の四人をおおいに笑わせた。



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第73話 右京、冥界で修行する その3

 右京らが冥界でお昼を食べている時刻。

 人里の裏路地。誰もいない空きスペースで壁に持たれながらボーっとする人物がいた。空を見上げ、自由に飛び交う鳥たちを羨ましそうに眺めては俯き、表通りから聞こえる里人たちの笑い声が耳に入れば、顔を顰める。

 そこに別の人影がふらっと現れた。表からやってきた男だった。

 急に現れた外来人に身体をビクつかせるのだが、男が両手をあげて「何かしようという訳ではありません。少し気になりましてね。お隣いいですか?」と、優しく語りかけたことで、その人物は警戒を解き「どうぞ」と許可を出した。

 ふたりは壁にもたれかかって、静かに果てしなく青い大空を仰ぐ。

 

「よい青空ですね」

 

「いつも、こんな感じですよ」

 

「そうですか」

 

 特に悪気があるという訳ではないが、その人物の態度はどこか素っ気なかった。

 

「何か嫌なことでも?」

 

「いえ、別に……」

 

 ばつが悪いのか、パッと視線を逸らし、話題を変える。

 

「ところで。昨日、鈴奈庵で楽しそうに娘さんと、お話ししていましたよね?」

 

「どうして、それを?」

 

「鈴奈庵で読書していましたから」

 

「そうでしたか」

 

「……面白そうな話でしたね」

 

「ん? あぁ……あの()()のことですか」

 

「全世界で人気らしいじゃないですか。触りの部分しか聞いてないけど、衝撃的な内容でした」

 

「気になりますか?」

 

「ま、まぁ……」

 

「せっかくですし、お話ししましょうか?」

 

「あ、はい」

 

 そこから、男は一時間ほど〝とある漫画〟の話を聞かせ続けた。

 第一巻から知っている話数まで、独自の解釈を織り交ぜながら説明。身振り手振りで解説するたび、その人物を楽しませた。

 男の話を聞き終わると、その人物は漫画を賞賛した。その後も、漫画の話題を中心に軽い雑談やちょっとした身の上話をして、出会って二時間後に別れる。

 別れ際、男性から「明日もここで会いませんか?」と誘われ、待ち合わせ時間を決め、早朝に合う約束をした。

 その人物は男性のことを〝他人の気持ちをよくわかってくれる人〟だと思ったそうだ。

 男はその足で寺子屋の門を叩き「用事を思い出したので、明日の朝、ここを発ちたいのですが、可能でしょうか?」と、慧音に告げた。

 彼女が「博麗の巫女の都合次第です。ちょうどさっき、姿を見かけたところなのでかけ合ってみます」と誠意ある態度で応える。

 感謝した男は、すぐ空き部屋に戻った。

 

 

 彼らの話が終わった頃、妖夢、霊夢、魔理沙の三人が里で買い物をしていた。妖夢が麻で霊魂を隠しながら、箇条書きされたメモを見ながら、あれこれと指示を出す。

 小間使いにように動き回るふたり。両者とも嫌々、動いており、特に魔理沙が不満たらたらだった。

 

「何を作るつもりなんだよ、あのおっさんは……」

 

「あんまり、馴染のないものばっかりね。西洋料理かしら?」

 

「不味かったら〝マスタースパーク〟ブチかます」

 

「その点は、心配ないんじゃない? 料理の腕は確かだし」

 

「だよなぁ~」と魔理沙が残念そうに言った。

 

 それを見た妖夢が「ほらほら、手を動かしてよ、私一人じゃ買い切れないんだから」と発破をかけて作業をさせる。その後ろから阿求がやってきた。

 軽く挨拶してからすぐに妖夢を呼んで、商店から少し離れた人気のない場所に連れていき、周囲をキョロキョロと確認。幽々子の思惑について問いただしし始めた。

 

「どういうおつもりですか? 特命係のふたりを冥界に呼び出すなんて」

 

「私にもわかりません……。幽々子さまのご判断ですから」

 

「あの方々をよく思わない妖怪が出始めてきたのは知っているでしょ。杉下さんは、事件解決の功労者なのですから。もし仮に妖怪に襲われて亡くなられでもしたら、稗田の面子に関わります!」

 

「す、すみません……」

 

 タジタジになりながら、謝罪する妖夢。レミリアの時は、阿求が同伴していたので、問題なかったが、今回は彼女への断りなしに行われた。

 それが、気に入らなかったようだ。

 

「お願いですから、こちらの苦労も考えてください!」

 

「ご、ご、ごめんさないっ」

 

 普段とは異なり、威圧的な阿求に言われるがまま、妖夢はペコペコと頭を下げる。

 それを見かねたのか、路地裏の物陰から話を聞いていたマミが顔を出した。

 

「それくらいにしておけ。そやつが招待した訳ではないじゃからな」

 

「これ以上、里人に不安を与えたくないのです。タダでさえ厄介ごとが増えたのですから」

 

 阿求は不機嫌そうに語った。ふふっ、と笑ってからマミが眼鏡をクイっと動かす。

 

「そっちのほうも子分たちに観察させておったが今日も朝から集まって密談しておったよ。内容までは聞き取れんかったようじゃがの」

 

「こちらでもメンバーをリストアップしています。ご心配には及びません」

 

「ほうほう、頼もしいのぅ~。しかし世の中、何があるかわからん。もしもの時は()を頼ってくれてもよいのじゃぞ?」

 

 彼女が何かを企んでいるような目つきを見せる。対する阿求は冷たく返す。

 

「大丈夫です。こちらで解決しますので」

 

「ふむ……()()には頼らんか」

 

()()()()()だけを贔屓にしないということです」

 

「つれないのぅ~里のまとめ役としては正しい判断じゃが」

 

 柔らかい口調で言いながらもマミは目の奥をギラリっと光らせ、阿求も険しい表情をしてみせる。紅魔館では、和気藹々としていても状況が変われば、態度もそれに合わせて変化する。それが幻想郷の住民なのだ。

 

「あ、あの……」

 

 話の流れがわからない妖夢がふたりの顔を行ったりきたりしながら、震えたように声を出した。さらに今度は妖夢の後方から――。

 

「なんだ面白そうな話してんな」

 

「里に妖怪でも出たのかしら」

 

 異変でも起きたか。仕事モードのキリッとした表情と共に魔理沙、霊夢が両手に大量の食材を抱え込んで歩いてやってきた。何ともアンバランスな雰囲気に阿求とマミがガクッと肩を落とした。

 

「どうして、そんなに買い込んでいるのよ」

 

「そりゃあ、美味しいご飯を食べるためだ」と言い切る魔理沙。

 

「量が多すぎる気がするがのぉ」

 

「たくさん作るのよ」と言い切る霊夢。

 

「「はぁ……」」

 

 信じて送り出したらこのザマか。マミは舌を出して呆れながら、原因を言い当てる。

 

「どうせ亡霊に上手く乗せられたんじゃろ?」

 

「亡霊だけじゃない、おっさんにもだ」

 

「そうよ」

 

「「はい?」」

 

 相変わらず、よくわからない返答をする人間ふたり組。彼女らに訊くのは無駄だと悟り、マミが妖夢から直接、事情を訊きだす。数分後、白玉楼での一件を知って、さらに呆れ返ったようで、

 

「この幻想郷で幽霊が見えんとはのぅ……」

 

「料理の腕が立つからつき人に教えて欲しい、ですか……」

 

 言葉を詰まらせた。他のメンバーが補足を入れる。

 

「それと引き換えに霊感を高める稽古をつけてるのよ。私に相談してくれればうちの晩御飯が豪華になったのにー」

 

 悔しがる霊夢。

 

「おまけにあの優男のにーさんは剣道が強いらしいぜ」

 

 おまけ情報を流す魔理沙。

 

「お夕飯。何を作るんだろ」

 

 ひとり食材を見ながら今晩の料理を気にかける妖夢。もはや、ただの雑談だ。

 さらに慧音が現れ、阿求へ挨拶したのち、霊夢の正面に立った。

 

「霊夢。明日の朝、時間を取れるか?」

 

「どうして? 何かあったのかしら?」

 

「昨日、里にやってきた表の方がな、用事があるから表に帰りたいそうなんだ」

 

「また表からやってきたのね……。もしかして、杉下さんの知り合いとか?」

 

「それとなく訊いてみたが、イマイチ話がかみ合わなくてな。聞けずじまいさ」

 

「ふーん。どんなヤツなんだ?」と魔理沙が口をはさむ。

 

「品のよい服装に身を包んだ紳士だな。名前は〝ジェームズ・アッパー〟と言っていたが、日本生まれらしい。物腰の柔らかいお方だったよ」

 

「ますます、おっさんっぽいな……」

 

「幻想郷に興味を持っていたのは同じだが、人里を見て回っているだけで特に怪しい動きをしている訳じゃない。鈴奈庵で表の漫画の話をしていたくらいだろうな。今日もその辺りをプラプラしていたと語っていた」

 

「表の漫画ねえ~。鉄の塊みたいなやつが無双するのか」

 

「そこまではわからん。少なくとも杉下さんのようなお方ではなさそうだ」

 

「だろうな……」

 

 あんなのが次々に入ってきたら、堪ったもんじゃない。誰もがそう思った。予め、話を聞かせされていた阿求は、少し考えてから「早々に帰ると言っているのだから、返してあげたほうがいいわ。霊夢、お願いね」と巫女に依頼する。

 

「わかったわ。明日の朝ね」

 

「一応、杉下さんにも伝えておいて」

 

「いいの? 疑惑の人物なのに」

 

「それくらい問題ないでしょ」

 

「はいはい」

 

 霊夢が頷いたのち、阿求が妖夢のほうを向いて「話が逸れてしまいましたが、杉下さんたちのことはお任せします。用が済んだら無事、里まで連れてきてください――お夕飯の準備に戻って頂いて結構です」と告げ、彼女たち三人は真っ直ぐ、冥界へと戻った。

 

「何もなきゃいいけど……」

 

 不満げに吐露する阿求を横目にマミが「儂らは〝秘密結社〟を警戒するとしようぞ」と語り、彼女もまた「そうですね」と同意。それぞれの居場所に帰っていった。

 

 

 冥界では右京が稽古に励んでおり、周囲を漂う幽霊たちを見るべく、座禅を組んでいる。フワフワと動く、人魂を再びこの目で見たい。その想いだけで二時間近くも座禅するのだから、大したものである。

 その様子を物陰から尊が観察しながら、午前中に聞いた霊夢たちの会話を思い返す。

 

「(あの話が本当だとすると幻想郷には長居できないよな……)」

 

 杉下右京が妖怪から敵視されるだけではなく、〝排除論〟まで出ているという話を聞いて彼は「閉鎖的な空間だと思ってはいたが、日本の田舎以上によそ者を毛嫌いするんだな」と不安になり、どうしたらよいのだろうか、と悩んでいた。

 当の右京には、食事が終わったらすぐに修行に入ってしまい、伝える機会がなかった。

 できたとしても幽々子の目があるので話せずじまい。チャンスがあるとしたら就寝時間だけ。仮に伝えられたとしても「手紙の持ち主を発見するまでは帰らない」と、ごねられるのは目に見えている。なんて説得すべきなのか。尊は答えを出せずにいた。

 

「はぁ……」

 

 深いため息だった。そこに背後からそっと、

 

「何を悩んでいるのかしら?」

 

「!?」

 

 幽々子が声をかけてきた。ニコニコと笑う姿は美しいの一言だが、今の尊にはお世辞を言う余裕はなかった。

 

「あぁ、いや、その……よくあそこまで修行に熱中できるなぁ~と、感心していたところです」

 

「長いため息を吐きながら感心するとは器用なのね」

 

「は、はは……」

 

 両手を挙げて降参のポーズを取って見せたが、幽々子には通じない。

 

「〝杉下右京排除論〟でしょ? 悩みの種は」

 

「――ッ」

 

「図星だったようね。少女たちの話を盗み聴きするなんて。悪い殿方ねぇ~」

 

「ア、ハハハッ。何のことだかさっぱり」

 

 はぐらかそうとするがもう遅い。顔に出してしまった以上、この亡霊から言い逃れはできない。

 しかし、亡霊の女王は相手の不安を取り除くように。

 

「心配せずとも、ここにいる限りは安全です。変なのがきても追い返してあげます。だから、今はそっとしておいてね。せっかくの修行が無意味になってしまうから」

 

 片目を軽く閉じて可愛く微笑む幽々子に尊は反射的に「わかりました……」と返事してしまう。それを見届けた彼女は屋敷の外へと出ていく。

 幽々子の後ろ姿を眺めながら尊は「学生時代。あんな美人がいたら玉砕覚悟でアタックしただろうな」と、独り言のように呟いて、右京の修行が終わるのを静かに待つことにした。



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第74話 右京、冥界で修行する その4

 夕方の人里。ひとり暮らし用の部屋で男性は何も書かれていないビジネスマン御用達高級ノートブックに色々なことを書き込んでいた。まるで取りつかれた芸術家のように真剣な表情で。

 

「よいものができそうだ。彼女には感謝しなくてはね」

 

 時折、複数のスマホを覗きながらカテゴリごとに整理されたフォルダの中身を漁って、別に取り出した数枚の白紙に文章を書き写したり、スケッチを残したり、身振り手振りで何かを考えながら、丁寧かつ迅速にアウトプットし続けるのだった。

 

 

 ところ変わって冥界白玉楼。台所に立つ右京と尊、それに妖夢たち三人。大量の食材に右京は目を輝かせながら「今日も色々、作りましょうね~」と張り切る。

 他のメンバーは作る前から疲労気味だ。今回の幽々子の注文は()()()()()()()()()である。家庭的な品がいいというのがポイントだ。並べられた猪肉の薄切り、玉ねぎ、トマト、醤油などの食材、そしてお麩を確認。

 

「さ、作業に取りかかりましょう」

 

 右京と尊が猪肉の薄切りを何段かに重ね、細切りにしてからひき肉を作り、霊夢たちが玉ねぎをみじん切り。ニンジンなどの具材を一口用に切って、お麩を細かく砕き、解いた卵と肉、玉ねぎを粘り気が出るまで混ぜ合わせる。つなぎには牛乳、アクセントに香辛料が欲しいところだが、なかったので抜いて作った。

 魔理沙が「こんなに混ぜるのか!?」と驚くが、右京は「しっかりやらないとダメです」と言って作業を続けさせる。練り上げたものを掌で楕円状に形を形成――中央にくぼみを作り、フライパンで両面に焦げ目をつけてから落し蓋をしてじっくり蒸し焼きにする。

 トマトをこしてトマトソースを作り、塩や醤油で味つけ。上からお好みでチーズをかければ完成である。その時間でキャベツ、玉ねぎ、にんじんを紫が持ち込んだとされるコンソメで煮込んだポトフも完成。余った野菜などでサラダを拵え、幽々子の元へと運んだ。

 お箸片手に居間で待っている幽々子が「待ってました!」と歓迎する。 右京がお皿に盛られた品を彼女の目の前にコトっとおいた。楕円形で赤いソースがかけられた表の家庭料理――。

 

「〝ハンバーグ〟です。表の家庭で作られる定番料理です」

 

「美味しそうね! この立ち上る匂い。たまらないわ!」

 

 幽々子は妖夢が渡したフォークに持ち替えてハンバーグを頂く。

 

「これも美味しいわ♪ 油がじわって出てくるけど、クドイ感じがしない。肉の味が凝縮されているところが何と言えない味わいを生み出すのねー。洋食っていいわね~。紅魔館のは冷めていて美味しくないのよ」

 

「ビュッフェだからではありませんかね」

 

「びゅっふぇ?」

 

 意味が分からず、キョトンする幽々子。右京は補足を入れる。

 

「テーブルに並べられた料理を各自で取り分ける〝立食形式〟のことです」

 

「あ~、そーかもねぇ。ささ、杉下さんたちもどうぞ」

 

 いつも通りマイペースな幽々子に思わず笑いがこみ上げるが、流して気を取り直す。

 

「では、頂きましょうか」

 

「よ、待ってたぜ!」魔理沙が勢いよく席に着く。

 

「お酒よ、お酒♪」と酒を催促する霊夢。

 

「えーと、日本酒、日本酒っと――」いつものようにお酒を探す妖夢。

 

「相変わらず、カオスだな」

 

 尊は呆れたように呟き、右京が肩を竦めながら諦めるように首を横に振った。未成年が飲酒をするなど以ての外。しかし、法律がない以上、どうしようもない。未開の地の部族に現代文明のルールを押し付けるようなもの。ある意味でエゴだ。

 

「郷に入れば郷に従えってヤツね。おふたりもどうぞ」

 

 幽々子に促される形で腰を下ろし、未成年ふたりの飲酒を見ないフリをしながら食事を楽しんだ。夜が更け、時刻が二十二時を回ると霊夢が「明日は朝から仕事があるんだったー」とほろ酔いぎみで叫び、魔理沙も用事があるらしく、少女たちは後片づけをせずに帰って行った。

 右京が「相変わらずなふたりですねえ……」と、呟いて出来上がっている妖夢に絡まれている尊を楽しげに観察していた。冥界から幻想郷に戻る道中、月明かりに照らされた世界を飛翔する霊夢と魔理沙。

 ふと魔理沙が思い出したように「お前、おっさんになんか言うことあったんじゃないか?」と、霊夢に訊ねた。霊夢は首を傾げながら「そんなことあったっけ? あぁ、表の人がなんたらかんたらだったわね~。言い忘れた~」と語り、そのまま自宅へと戻った。

 

 

 朝七時。人里は今日も冷え込んでおり、凍えた風が身に染みるが、人々はいつも通り活動していた。寒さに身を震わせながら、その人物は大通りから入った裏路地で合う約束をした男を待っていた。

 

「遅いなぁ」

 

 想像以上に冷え込む。早くして来てほしい。そう思っていた矢先、後方からザッザっ足音が響く。

 

「遅れてしまいましたね」

 

 男性が赤くなった眼を擦りながら、その人物の前に現れた。

 

「眠れなかったんですか?」

 

「ええ、人里の景色を思い浮かべて眠れませんでした」

 

「あはは……」

 

 その人物が渇いた笑いを見せたが、男性はすぐに「実は今日の朝、表へ帰ることになりました」と申し訳なさげに告げた。

 

「え……」

 

「後、数日はいるつもりでしたが、大事な用事を思い出しましてね――これがお別れの挨拶となってしまいます」

 

 申し訳なさそうに語る男性にその人物もショックを隠し切れず――もっと話したかった。その想いが顔に滲み出ていた。

 

「そ、そうですか――ざ、残念です……」

 

 その人物は咄嗟に俯いてしまう。男性もまた寂しそうにしながら、

 

「私も――もっとお話ししたかったですよ」

 

 肩をギュッと抱いた。ハグというのは、その人物にとって初めて経験だった。幻想郷では珍しい行為ではあるが、子供の頃、一度は母親にしてもらう機会があるだろう。しかし、その人物にはその経験がなかった。それ故、心に響くものがあった。

 

「あなたに会えてよかった……」

 

「私も同じ気持ちです」

 

 たった一日だけの関係かもしれないが、その人物にとってこの男性は親兄弟と同じかそれ以上の存在になっていた。一分間のハグをした後、さりげなくお土産を渡し、男性は惜しむようにその人物と別れる。

 それから二時間後、男性は慧音に博麗神社へと連れられ、寝ぼけ気味の霊夢によって無事、表の世界に帰って行ったそうだ。

 

 

 同時刻、右京は幽々子の朝食を作っていた。本日の料理はヤマメの塩焼き、お味噌汁、漬物、ご飯と純和風だった。妖夢が、幽々子が洋食ばかり食べているのが気になったというのが理由だ。亡霊は太らないのだが、一応、白玉楼の主なので、面子を心配したのだろう。

 本人も「確かにそうよねぇ」と考え直し、健康的な和食にしたのだ。箸を器用に使いこなし、塩焼きを食べる彼女の姿は名家のお嬢さまそのものだった。これで突拍子のないことを言い出さなければどれほどよいものか。妖夢は残念がった。

 

 食事を終えるとさっそく修行である。右京は縁側で座禅し、幽々子が幽霊を嗾ける。妖夢は食器の後片づけを終えたら庭の手入れに取りかかり、暇な尊が彼女をアシストする。十年前、ミス・グリーンのお屋敷でガーデニングの手伝いをしていた時期を思い出し「ミス・グリーン。元気にしているかな」と当時を懐かしんだ。

 午前中は、特に何もなく昼食はニジマスとジャガイモを使ったイギリスの国民食、フィッシュ&チップスで済ませ、十三時に修行を再開。数時間の座禅に明け暮れる。

 目を瞑り、精神を集中する右京。当初、全く見えなかった幽霊が今では輪郭だけなら薄っすらと視認できるようになった。後少しである。

 

 ――すぅ……すぅ……。

 

 右京はひたすらに呼吸を整えるだけに力を入れていた。少し前まで幽霊を見るという意識に捕われていた自分を捨てるためだ。常人の何倍も脳を動かす右京が脳をあまり動かさず、静けさを保とうと努力している。目指すは無我の境地――。雑念なき世界。

 そう、ここ冥界の静寂を自らの心の中に作り出そうとしている。

 そんな様子を見ながら幽々子は「なんか、悟りを得ようとしているわ、この人……」と若干、引いた。幽霊を見る修行がいつの間により高尚な修行へと変化していた。ある意味、右京らしい。幽々子は止めようとはせず様子見するようだ。

 禅を組む右京とそれを正座で見守る幽々子。その周囲を幽霊が行ったりきたりしている。全て彼女の差し金だ。

 渦巻く霊気の中、静寂を過ごすふたり。時刻は夕暮れにさしかかった。その時だ。右京がそっと目を空けて、幽々子のほうを見る。

 

「想像よりもずっとお綺麗ですね」

 

 という感想を述べると、幽々子がクスっと、

 

「ついに見えるようになりましたか。余計な考えを捨てられたようね」

 

 笑った。右京の目には幽々子や自身の側を浮遊する物体の姿がはっきりと映っていたのだ。修行二日目にして霊感を並レベルまで高めたのである。彼は、大きく息を吐き出した。

 

「少々、戸惑いましたが、何とか幽霊をこの目に焼きつけることができました」

 

「おめでとうございます。今夜はお赤飯かしら?」

 

「いえいえ、西行寺さんの食べたいもので結構ですよ。稽古をつけてくれたお礼です」

 

「あらそう。……じゃあ、遠慮なく」

 

 そして、幽々子が無茶な料理を注文するのだ。〝表のお寿司が食べたいわ〟と。



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第75話 右京、冥界で修行する その5

「で、今からお寿司を作る訳ですか……」

 

「そういうことになりますねぇ~」

 

 修行が終わった右京に台所へ呼び出され、今日は何を作るのか? また洋食かと思っていた尊はまさかの〝お寿司〟という斜め上のオーダーに困惑する。酢飯を用意して刺身を乗っければいい。そう思われるかもしれないが、

 

「お寿司って――ここ()……ありませんよ?」

 

 と、妖夢が語った。彼女の言う通り、幻想郷に海はない。つまり海の幸が取れない。川魚で代用することになるが、寄生虫がついているので生では危険すぎる。いくら亡霊相手とはいえ、そんなものを出すのは気が引けるだろう。

 妖夢が頭を捻りながら「うーん、前に紫さまの頼みで恵方巻きを作ったことならありますが」と呟くと、右京が「ということは捲き簾(まきす)はありますね?」と問う。

 彼女が頷くと続けて右京は「海苔はありますか?」と質問を重ねた。「紫さまが置いて行ったものがあります」。妖夢が戸棚を漁り、板海苔が入った缶を空けてみせた。

 本物の海苔――しかも、表で売られている品物だったのだ。さすがはスキマ妖怪。何でもありだった。右京は苦笑うしかなかったが「これで幽々子の要望に応えられる」と語る。

 

「けど、海のお魚がありません……」

 

「まさか、川魚を生で握ろうなんて思っていませんよね?」と尊が言った。

 

「そんな訳ありませんよ。僕たちはこれから()()()寿()()を作るのですから」

 

「「表のお寿司?」」

 

 妖夢だけじゃなく、尊もイマイチピンときていないようだった。

 

「さ、酢飯を用意しましょう」

 

 パンっと手を叩いて右京は相棒たちを動かしていく。尊が猪肉やニジマスなどを焼いて塩や甘辛いソースで味付け、妖夢がダシ巻き卵を、右京が酢飯を炊く。

 その後、板海苔を用意――右京がソースを絡めた猪肉を適当な大きさに切って、炊き上がった上に敷き詰めてダシを混ぜた醤油を加え、捲き簾で器用に巻いて輪切りにする。

 ひとつは海苔を外側に巻いて、もうひとつはご飯を敷いた海苔を裏返し、魚とスティック状にしたきゅうりを一本加え、先ほどと同様に巻き、ゴマをかけて輪切りにする。

 妖夢が「なんですか、その料理?」と首を傾げるが、尊は「もしかしてアレかな?」と口元を押さえながら右京の器用さというかアレンジ力を評価した。

 次にヤマメやニジマスを茹でて、身を解し、冷やした薄焼き卵を細切り、錦糸卵にしてからシイタケと一緒に具材を寿司桶に盛った酢飯に投入。軽く混ぜ込む。他にも冷蔵庫にある使えそうな素材をシャリに乗せれば完成だ。出来上がった品に右京が「中々、上手く行きました」。尊が「そこらの回転寿司にありそうなメニューだな……」。妖夢が「こんなお寿司、見たことない……」とコメント。

 幽々子の待つ居間にお寿司を運ぶ。

 

「待ってましたー」

 

 両手を口元で合わせて喜ぶ彼女。右京が座卓中央に寿司桶をおく。

 

「まず一品目――ヤマメとニジマスのちらし寿司です」

 

 熱が通った川魚と錦糸卵、シイタケが入ったシンプルなちらし寿司である。表ではサーモン、マグロ、エビなどがふんだんに使われるが、幻想郷では手に入らない。紫に依頼すれば何とかなるが、そのためだけに呼び出そうなどとは思わない。

 幻想郷で手に入る食材と以前、紫が持ち込んだものだけでお寿司を作る。それが右京の任務である。幽々子は感心したように言った。

 

「へー、ちらし寿司を作ったのね! いいじゃな~い」

 

「それだけではありませんよ~。表で食べられているお寿司を用意しました――神戸君、説明を頼みます」

 

 合図と共に尊が小さい皿を彼女の前におく。

 

「はい、こちら猪肉の塩カルビ風でございます」

 

「あら? シャリにお肉が乗っているわ……」

 

 右京が作った表のお寿司とは、チェーン店で出されているカジュアル層向けのネタだった。海の幸が使えないが、幽々子の注文は表のお寿司――つまり、こういった寿司も含まれるとも解釈できる。左右から覗き込むように寿司を観察する幽々子。

 

「変わっているけど、美味しそうねー」

 

「若い世代に人気があります。塩ダレがかかった肉と酢飯の相性は抜群。一度食べたら病みつきになること間違いなしです」

 

「ありがとう――でも販売員みたいね、アナタ」

 

 幽々子にツッコまれ「アハハ、自分でも何やってるのか、わかりません」と発言。上司の援護に必死な彼の姿を見て「神戸さん、頑張ってください」と境遇が似ている妖夢が心の中で応援した。

 右京は笑顔で卵寿司とハンバーグ寿司を食卓に出した。

 

「ちょっとこれ――小さいハンバーグが乗ってるわよ?」

 

「これも人気のメニューです」と尊が一言。

 

「本当!? にわかには信じがたいわねー」

 

「家族向けの回転寿司のメニューですから。幻想郷には海がないので、ご勘弁を」

 

 右京が断りを入れ、それに対して幽々子がこう返した。

 

「あらあら、謝らなくていいのよ。元々は私の思いつきなんだから」

 

 当然だ。幽々子以外の人間は皆、そう思った。妖夢が、海苔の巻かれた肉入りの巻物を座卓におき、いよいよ最後の品が登場するのだが、それもまた変わった料理だった。

 

「最後はニジマスときゅうりの〝ブリティッシュコロンビアロール〟です」

 

「「ブリティッシュコロンビアロール?」」

 

 幽々子と妖夢がキョトンとしながら首を傾げた。

 

「何かの技名? スペルカードとか?」

 

「紅魔館の連中が使ってきそうな感じですね……」

 

 興味ありげに巻物を観察する幽々子に右京が説明する。

 

「ブリティッシュコロンビアロールは外国カナダのバンクーバーでお店を開いた日本人寿司職人の方が穴子を代わりにサケを用いたことが起源と言われています。他にもアメリカでカルフォルニアロールやフィラデルフィアロールなどの巻き寿司が考案され、日本でも人気のあるメニューになっているのですよ」

 

「ふーん、まさに、表のお寿司って訳ね」

 

「ええ。ご依頼通りです」とニンマリする右京。

 

「さすがですわ――じゃあ、皆一緒に頂きましょうか」

 

 右京ら三人も席に着き、

 

「頂きます」

 

 と言ってからお寿司に手をつける。ニジマスのちらし寿司、卵、塩カルビ、ハンバーグ、巻物など海の幸が見当たらないが、幻想郷でお寿司が食べられること自体、貴重である。それも表のお寿司とあればなおのこと。

 ちらし寿司を頬張りつつ、ブリティッシュコロンビアロールを食した幽々子は「おにぎりみたいで美味しい」と語り、尊が「確かに具材だけ見ればおにぎりかも」と零し、右京が「もっと味付けを考えるべきでしたかねえ~」と悔しげに呟き、笑いを誘った。

 マヨネーズやアボカド辺りがあれば、本場の味に近づいたかもしれない。その後もいつも通り、日本酒片手に食事を堪能。妖夢がいい感じに酔っ払い、お開きとなった。ちなみに尊は愚痴を聞かされまくったらしく、彼女のことを〝プリティ陣川〟と呼んでいた。妖夢の相手を部下に任せ、右京は食器を洗っていた。

 途中から尊も加わり、四十分ほどで食器の整理を終わらせ、疲れ気味の尊が先に部屋に戻る。

 台所には右京ひとり。と思われたが――。

 

「西行寺さん――いるのでしょう?」

 

「あら、バレちゃったわね」

 

 物陰から幽々子がそっと現れた。尊には気配を感じられなかったが、彼女の近くにいる時間が長かったこともあり、右京にとってはその気配を察知するのは容易かった。

 

「大分、霊感が上がったんじゃなくて」

 

「かもしれませんね」

 

 両手を拭いた右京が彼女の顔をふと見やる、ニコニコと笑っているのだが、どこか真面目さが見受けられた。

 

「どうかなされましたか」

 

「少し……。お話ししません?」

 

 彼女の申し出を断る理由はない。右京がコクンと頷くと幽々子は自慢の庭園まで彼をつれ出した。いつもは幽霊たちで溢れている庭園だが、その時に限って見物客の姿はなかった。幽々子は右京を庭園の一角へ案内。とある桜の木を紹介する。

 

「これは〝西行桜〟よ。ご存じかもしれないけど」

 

「幻想郷縁起で記事を拝見しました。かつて妖怪化した桜でしたね。誰かの手によって封印されたとか」

 

「そうよ。そして、その封印を解こうとしたのが」

 

「他ならぬ〝あなた〟」

 

「正解」

 

 かつて歌聖がこの桜の下で亡くなったのがきっかけで同じように自殺する人間が後を絶たず、妖怪化してしまい〝西行妖〟とまで揶揄された。それに心を痛めた者が封印を施し、西行桜は二度と咲かない桜となって、冥界へ移された。

 施された封印を解くべく、異変を起こしたのが幽々子である。霊夢たちの活躍により復活は阻止され、レミリア同様、良好な関係を築いている。西行桜は冥界に足を運んだ見物客が必ず見て行く観光スポットとなり、多くの幽霊たちがこの木の前で行列を作っている。幽々子は桜の木にそっと手をおいてから呟く。

 

「ほとけには 桜の花を たてまつれ 我が後の世を 人とぶらはば」

 

 綺麗な声で歌が奏でられた。そこに右京が続けるように、

 

「願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの 望月のころ」

 

 歌を詠んだ。幽々子が振り向いた。

 

「あなたが考えたの?」

 

「歌ったのは《西行》という歌人です」

 

「西行?」

 

 彼女は首を傾げた。彼が補足する。

 

「西行――本名、佐藤義清(さとうのりきよ)は武士であり僧侶であり、そして、()()でもあった人物です。真面目でありながら、どこか儚く、それでいて人々の心を打つような歌風だったとか。僕も、そこまで詳しくありませんがね」

 

 西行は実在した歌人である。裕福な家の出でありながら出家――優れた歌の数々を世に送り出した。松尾芭蕉などの偉人にも影響を与えたとされ、その功績が揺らぐことはない。

 彼は花や月に関する歌を詠むことが多く、余計な技巧に走らないその歌風はそこまでも素朴かつ儚いものだった。ふたりが歌ったように。

 幽々子は無関心を装いながら西行についての情報を催促する。

 

「ふーん……。他には?」

 

「そうですねえ……」

 

 桜を眺めながら、考えている素振りを見せつつ、右京がそっと、

 

「とある逸話なら」

 

 と零した。まるで狙ったように。

 

「逸話?」

 

「ええ」

 

「……聞いてもいい?」

 

 彼女の要望に右京が応える。

 

「西行が出家の際、四歳になる愛娘を縁側から泣く泣く蹴落とした――というものです。この出来事を歌ったのもが『惜しむとて 惜しまれぬべき 此の世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ』になります」

 

「……」

 

 珍しく幽々子が無言になった。彼女の表情は何とも言えないもので、いつもの余裕あるお嬢さまの顔は消えていた。右京は続ける。

 

「後、この四歳の娘は西()()()()と呼ばれ、父親と同じく主家します。母親と共に和歌山県で修行したとも語られていますが、真相は不明です。ですが……」

 

 意味深な顔つきで幽々子を見やってから「言うべきではありませんでしたかね……」と言葉を濁す右京。幽々子に父親のことがわかったら話すように言われていたので桜、西行寺、先ほどの歌から答えと思わしき人物を導き出しただけに過ぎなかったが、思った以上に効いたようだ。

 紳士の同情を悟った彼女は、扇子で口元を覆いながら、ふふっと笑って続きを語り聞かせた。

 

「目の前の女がその〝西行の娘〟かもしれない――でしょ?」

 

「……さあ、僕にはわかりません」

 

 右京は他にも西行を題材にした能楽《西行桜》が存在することを思い出し、彼女との共通点が多いなと考察しながらも、幽々子の表情を見て、すっとぼけることを選んだ。すると、幽々子は内心、イラっとしたらしく、

 

「何よ……。気を使っちゃって。……今更ね?」

 

 と不機嫌そうに言った。右京が弁明する。

 

「そっとしておいたほうがよいこともありますので」

 

「遅いわよ」

 

「申し訳ない、それが僕の――」

 

「「悪い癖」」

 

「おや……」

 

「言うと思ったので被せました」

 

 彼女はべー、と舌を出しながら、右京へ反撃。彼は両手を挙げながら困ったような演技をしてみせた。白々しい、と言いながらも幽々子は楽しそうにしていた。少し、間をおいてから彼女がクルリと背を向けながら言った。

 

「私には記憶がないから、あなたの予想が当たっているのかわからないけど、それはそれで()()なんじゃないかなって思うわ」

 

「そうですか」

 

 幽々子が続けざまに言い放つ。

 

「――これで〝西行の娘〟を見つけたという手土産もできたことだし、心残りなく、表にお帰りになれるわね。()()()()()だけを残して」

 

 その言葉で、右京は彼女の言わんとしていることを理解して、無言になった。



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第76話 亡霊の矜持

「あなたも、部下から聞いたんじゃない? 過激派の妖怪たちから()()()()()()()が出てるって」

 

「ええ」

 

 昨夜、右京は寝床で尊から自分が妖怪から敵視されていることを聞かされていた。

 

 ――杉下さん、そろそろ帰りましょう。あなたをよく思ってない妖怪たちがいる。これ以上、ここにとどまったら命の危険が……。

 

 ――でしたら、君ひとりで帰ってください。霊夢さんに頼めば無事に送り届けてくれるはずです。僕には手紙の主を探す仕事が残っていますから。

 

 ――手紙って……。杉下さんは、あの文章を見て何の違和感もないんですか!?

 

 ――違和感とは?

 

 右京の質問に彼は顔を近づけ、小声で語った。

 

 ――妖怪に囲まれて命の危機に晒されている状況で、あんな綺麗な字を書ける訳ないでしょ! 少なからずイタズラを疑うべきです。杉下さんも一度は考えたはずですよね?

 

 ――……。

 

 確かに、今まさに人外に囲まれている表の人間が綺麗な字で文章をしたためられるのか? と訊かれたら些か、疑問が残る。尊は鈴奈庵で咲夜と会う少し前の段階でこの事実に勘づいていたが、色々なことがありすぎて聞けずじまいだった。

 なので、この機会に本人へ直接ぶつけた。右京は何も言わない。この間の空き方で、尊は彼が何かを企んでいると確信する。

 

 ――本当は何を考えてんですか!? ぼくにも何か隠していることが。

 

 ――神戸君、明日も早い。もう寝ましょう。

 

 ――ッ!!

 

 話を早々に切り上げて右京が布団に入った。尊は、やり切れないといった感じでヘソを曲げて、床に就いた。頷く右京に幽々子が一言。

 

「あなた、このまま行ったら取り返しがつかないことになるかもしれないわよ? わかっているのでしょうけど」

 

「……ですが、僕には手紙の主を見つけるという仕事がありますから」

 

「それは、命よりも大事なのかしら?」

 

「警察官ですから、苦しんでいる方がいるなら助けるだけです」

 

 場所がどこであれ関係ない。日本人が困っているのなら力になる。警察官としての矜持が持つ右京にとって当然の選択。しかし、幽々子は。

 

「……本当は()()()()()()を壊したいんじゃなくて?」

 

 駆け引きの際、マイナスになりうる表情を一切、表に出さない右京が目元をピクっと動かした。トーンを低くしながら聞き返す。

 

「どうしてそう思われるのでしょうか? 僕はそのような考えは毛頭ないのですが」

 

 彼の話に幽々子が割り込む。

 

「苦しんでいる方がいるからでしょ? 〝表から迷い込んだ人間〟や〝里の中にいる人間たち〟が」

 

「……」

 

 咄嗟に右京の目付きが鋭くなった。彼女もため息交じりに語る。

 

「あなたの魂を触らせてもらった時、少しだけあなたの心の中を覗かせて頂きました。心を痛めていたようね、幻想郷のあり方に」

 

 死を操る程度の能力を応用し、彼女は右京の魂を抜いた際、彼の思考や感情、記憶といった類を少しだけ垣間見た。そこには里の真相に迫り、そのあり方に強い憤りを感じている右京の想いがあった。

 故に幽々子は右京という人間をある程度、理解していたのだ。右京は自分の心を見られたことを知って、少しだけ気落ちした。人外が想像もつかない能力を持っていることなど折込済みだった。

 しかしながら、どこか気の合う彼女にやられるのはショックが大きかったようである。味方なんていない。わかっていた。それでも、この男が止まることはない。

 彼女の目的は何なのか、聞き出さなくては。右京は精神を立て直す。

 

「それが、僕をここに呼んだ目的ですか?」

 

「半分当たり」

 

「もう半分は?」

 

「表のご飯が食べたかった」

 

「……」

 

 疑いの目を向ける右京。それを彼女が笑いながら否定する。

 

「嘘じゃないわよ。それに()の差し金でもない。……気にしてはいたけどね。それを口実にして、里の周辺に冥界への入り口を作ってもらったのよ。杉下右京の企みを暴きつつ、表の料理を食べるためにね」

 

 笑顔で真相を暴露する幽々子に右京は何とも言えない気持ちになった。

 

「……仲がよろしいのですねえ」

 

「付き合いだけなら長いわね。気も合うし、よい友人よ――会いたい?」

 

「……可能なら」

 

 コンタクトを取るための仲介を取りつけようとするが。

 

「だけど、今は表にいるみたいだからね。お土産持って帰ってくると言ってたけど、何時になるかわからないわ。神出鬼没でこちらからコンタクトは取れないし」

 

「部下の方は?」

 

「今回は一緒に出払っている。何かやってるのかしらね? 私にも教えないのよ」

 

「……」

 

「嘘じゃありませんことよ?」

 

 扇子で口元を隠しからの作り笑顔。幽々子、お決まりの技だ。本当なのか嘘なのか、見分けがつかず、右京は肩を竦めるしかなかった。

 

「……やれやれ」

 

 もはや追求しても無駄だろう。右京は別の質問をした。

 

「あなたは幻想郷がどういう仕組みで、成り立っているかを知っているのですよね?」

 

 その質問に少し間を置いてから彼女が答える。

 

「……冥界以外のことはあまり詳しくはないですが、それなりには知ってます」

 

「ということは――」

 

 少しやりとりをした後、

 

「――たぶん、そういうことでいいんじゃない? 私の知る限りならね」

 

 幽々子が頷いた。

 

「……あなたはどうお考えですか?」

 

 こちらの質問にも彼女は同様に間を空けつつ、

 

()()()()()()()なんじゃないって思ってるわ。妖怪はそうしないと生きて行けないし、里人も里人で苦しむ。警察官の杉下さんが怒るのも無理はないでしょうけど、幻想郷にも幻想郷の都合ってものがある。ある意味で()()()()()――それがいち、冥界の住民の見解です」

 

 はっきりと答えた。嘘偽りのない言葉だった。

 

「そうですか……」

 

 しかたないこと。幽々子の言葉に右京は少なからず、落胆の表情を見せた。()()()()()()()()()()()()のだと。その変化を感じ取った彼女は静かに言った。

 

「それでも足掻くの?」

 

「僕は警察官ですから――最善を尽くすだけです」

 

「最善ね……。何を以て最善というのやら」

 

「決まっています。それは――」

 

 この時、冥界にぴゅーっと風が吹いた。後に続く言葉を聞き、意見を交わした幽々子が目を閉じ、

 

「あなたらしい考えね。ここまで来ると呆れるわ」

 

「それが警察官です」

 

「矜持ってやつね――じゃあ、私からも一つ」

 

 一呼吸おいてから、

 

「協力はしませんけど、骨ならぬ魂なら拾ってあげます。冥界の管理人として」

 

 微笑んだ。

 

「それが西行寺さんの矜持ですか?」

 

「〝亡霊の矜持〟です」

 

「……それなら、無茶ができそうですね」

 

「しないことに越したことはないと思いますけどね――。ちなみに、今の発言も含めてあなたのことは全て、紫に報告しますからね? 彼女がどういう反応をするか、知りませんけど、命の保証はどこにもありません。死にたくなかったら、明日にでも博麗神社から表へ帰りなさい。その全てを胸の内にしまいこんで――これが最後の警告です」

 

 冥界の管理人、八雲紫の親友、そして、短い間ながら楽しい時を過ごした友人として幽々子が親切心を見せた瞬間だった。しかし、この男は微笑みながら――。

 

「残念ながら、僕はそういうことができない性質なんですよ」

 

 と言い切った。幽々子は心底呆れた。

 

「はいはい、そうですか。まったく、こっちがここまで親切にしてあげているっていうのにねぇ~」

 

「お料理を振る舞った甲斐がありますねえ~」

 

 飄々と語る右京。幽々子が半眼を向けて毒を吐く。

 

「人生を棒に振るタイプってこういう人よね」

 

「かもしれませんね。後悔はありませんが」

 

「はぁ……。精々、がんばってくださいね」

 

 幽々子は目の前の人間を()()()()()()()()()()と認識――どこか楽しげ、かつ寂しげに、冥界の夜空を見上げた。

 

 

 同時刻、人里。ある人物が本を読んでいた。質のよい紙で作られたページを撫でるようにめくり、何度も往復する。

 その度に涙が零れ、周囲に漏らないように嗚咽する。自分はなんて幸福なのだろう。こんなにも誰かに想ってもらえるなんて。暖かい気持ちで一杯だった。

 

「俺、がんばります――」

 

 そう呟いてから、黙々と準備に取りかかるのであった。

 

 

 幽々子との話を終えた右京が部屋に戻ると尊が座って待っていた。蝋燭の明かりに照らされるその顔は真剣そのものだった。

 右京は察したように「僕と幽々子さんの話を盗み聞きしましたね?」と言って、彼も「戻るのが遅いので探してたら偶然」と語った。ため息を吐きながら、右京が尊と向き合うように座った。

 

「さっきの話、本当なんですか?」

 

「ええ」

 

 右京の返答にムッとしながら尊は自分の意見を伝えた。その結果、議論に発展するのだが、それは平行線まま終了を迎え、互いに険悪なムードもまま眠りに就いた。

 

 

 朝七時、人里。稗田阿求は自室にて部下がまとめた文章と睨めっこしていた。

 

「秘密結社――最近まで比較的大人しい勢力だったが、数か月前、前リーダーが里外で妖怪に襲われ死亡。現リーダーなって以降、活動が活発化。妖怪への嫌悪感を持った攻撃的な若者を取り込んでいる。その中には里への不満を持った者も多く、暴力沙汰を起こした者も確認。

 また、どこかの()と手を組んで何かをよからぬことを企らんでいる可能性が極めて高い――か……」

 

 どうしたものか。彼女は頭を悩ませていた。

 

「妖怪に攻撃したところで敵う訳ないというのに。なんで無駄なことをしようとするのかしら。里で暴れないだけマシと考えるべきか……。だけど、暴力沙汰を起こした連中が所属しているってのも気がかりね。はぁ……まったく。そういう連中を上手に管理するのが、会の役割でしょうに。

 これじゃ、何のための公認組織なのかわからないわ。しかも、そのうちのどれかが秘密結社に協力ですって? ホント、何考えてるのよ……」

 

 火龍会、水龍会、風龍会、土龍会は稗田家と同じく、里の名家が仕切る組織であり、里の経済活動を担う。火口、水瀬、風下、土田の四家が代表を務め、稗田家の命令に従って行動している。いわば、阿求の部下である。

 その部下の誰かが秘密結社に手を貸しているというのだから彼女からしてみれば業腹である。

 

「どう対処しようかしらね? 各会の代表を呼び出して白状させるってのもアリかしら。でも、仲間に対する情が厚いし。四家同士、仲がよいとも言いづらいしなぁ。相席すれば言い争うになる可能性も……。かと言って、妖怪の力も極力、借りたくない。必ず()()()を要求してくるしね――あぁ……困ったわ」

 

 里の顔役として問題が起こる度、その対処に追われるのが稗田家の宿命である。七瀬春儚の件も彼女が解決に身を乗り出せばよかったのだが、執筆活動に夜中まで時間を費やしていたことで熟睡。

 目が覚めるのが遅れ、慧音に事情を訊いた時にはすでに右京が調査を開始しており、自分も別ルートから調査していたら何時の間にか事件を解決され、幻想郷の暗部を見られてしまった。そのこともあって、今回は早めの対処を心がけ、すでに動く決心を固めていた。

 

「やっぱり四家を集め、会議を開き、秘密結社について注意を促して、反応を見るのが妥当かしらね。後は、間者に探らせて尻尾を掴んで白状させる。そういうことにしましょう――」

 

 阿求は小さく呟いてから部屋を後にした。



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第77話 開戦~聖なる戦いの幕開け~

Season 3最終回です


 朝七時、冥界では右京の指導の下、妖夢がオムレツを作っていた。

 

「フランパンって扱いが難しいですね」

 

 右手で卵をかき回し、左手でフランパンを動かす。それを同時に行うには鍛錬が必要である。

 

「道具は慣れるまでが勝負です」

 

「なんか、そう聞くと刀と一緒ですね」

 

 刀も一本一本、感触が異なり、癖がある。使い手は戦場で命取りにならぬように武器を使いこなすことが求められる。武器に振り回されずに済む方法はひたすら慣れること。技術とは果てない繰り返しの先に生まれるのだ。

 

「剣の道を行く者ならではの発言ですねえ~」

 

「そんなぁ~、大したこと――」

 

 浮かれて目を離した瞬間、妖夢がタイミングを逃す。

 

「妖夢さん、卵に火が入り過ぎです。固まってしまいますよ」

 

「あー、やっちゃったぁ~……」

 

 トロトロのオムレツは慣れるまで時間がかかる。火加減やフライパンの回しかげんが難しいのだ。ぐぅっと悔しがる妖夢。そこに尊がやってきた。

 

「おはようございます……」

 

「おはようございます」

 

 尊は歯切れの悪い挨拶、右京はどこか素っ気ない挨拶をした。妖夢はいつもと異なる雰囲気を覚えるが、オムレツで頭が一杯なのでスルーした。

 十分後、妖夢の作ったオムレツや余った料理を四人で頂く。オムレツは少し硬めだったが、味はよく、幽々子が褒めたことで、彼女は喜んだ。

 少しの雑談した後、右京が「修行も終わったことですし、僕たちはそろそろ里に戻ろうと思います」と告げた。幽々子が「わかりました」と、頷いてから妖夢に、ふたりを里まで警護するように申し付けた。

 幽々子の提案で出発は寒さが和らぐ、十時頃に決まり、それまで各々自由な時間を過ごす。右京は広い庭園をぐるっと見て回り、尊は西行桜を見物。妖夢は庭手入れ、幽々子は幽霊に挨拶して回る。

 その間、右京と尊は一度も顔を合わせることはなく、幽々子は「喧嘩しちゃったのね」と彼らの間にトラブルがあったことを察し、声をかけて回る。まずは西行桜の前にいる尊のところを訪れた。

 

「神戸さん」

 

「ん? どうかしましたか?」

 

「この桜、気になる?」

 

「そうですね、大きい幹をしているので」

 

 作り笑顔だったが、尊は愛想よく振る舞った。幽々子が彼の隣に立った。

 

「……杉下さんと喧嘩したんでしょ」

 

 ズバッと指摘され、尊は思わず本音を漏らした。

 

「えっ。まさか、聞いていたとか?」

 

「聞かなくとも、雰囲気でわかるわ。あなたこそ、私たちの会話、盗み聴きしてたんでしょ。悪い殿方ですわねぇ~。これで二回目よ?」

 

「すみません……。聞くつもりはなかったんですけどね」

 

「でしょうね。タイミングがよいのか悪いのか」

 

「アハハ……」

 

 勘のよい彼女には生半可な偵察は通用しない。魂の揺らぎひとつとっても観察できるのだから、人体に内包される魂さえも感知可能である。人間相手ではお手上げだろう。

 タジタジになっている尊を尻目に、桜を見つめながら幽々子が真面目な顔をした。

 

「あの人。たぶん無茶をすると思うけど、最後までついていてあげるのよ」

 

 年長者としての配慮なのだろうか。彼女はあの無茶苦茶な天才を心配しているようだった。

 

 尊は「この人も心配してくれてるんだな」とその優しさにしんみりする。

 

「変わり者だからね。どこかの()()()()()()()()()()()()()と同じで――」

 

「あ……」

 

 女に詳しい尊は今の言葉で幽々子の心境を察した。

 

「(この人、自分の父親と――)」

 

 そう考えた瞬間、彼の思考を遮るように、

 

「目を離しちゃだめよ。もし、幻想郷で死なれでもしたら()()()()()()()()()()()()()()()()()()って私に直談判してくるだろうから。仕事が増えるのは勘弁です」

 

 笑顔で冗談を語ってみせると、クールなはずの尊が腹を抱えながら笑ってしまい、

 

「(この人にはぼくも杉下さんも敵わないな)」

 

 と、本気で思った。

 

「ですね。西行寺さんの迷惑にならないよう、責任を持って表に連れ帰ります」

 

 彼は敬礼した。

 

「頼みましたよ」

 

「はい」

 

 そう語ってから尊は庭園を後にした。

 数刻後、彼女が縁側に柱に向かって――。

 

「悪い殿方その2――いらっしゃるのでしょう?」

 

「バレていましたか」

 

 柱の影から右京が出てきた。

 

「私から気配を隠そうだなんて百年早い」

 

「なるほど」

 

 さすがは亡霊の女王。右京が感心していると彼女が縁側に近づいてきた。

 

「彼。よい部下じゃない。あんまり邪険に扱うものじゃないわ」

 

「そんなつもりはないのですがねえ~。些か、熱くなってしまって」

 

「内容は何となく察しがつくけど、こればかりは私が、口出しする問題じゃない。よく相談するといいわ。()()()()()なのだから」

 

「……」

 

「無事にお帰りになられることを祈っているわ」

 

「お心づかい、深く感謝します」

 

 感謝を述べるのとほぼ同時に。

 

「おーい。わざわざ、きてやったぞ」

 

 魔理沙と霊夢が白玉楼の門を叩いた。妖怪が狙っている可能性があるため、幽々子が部下の幽霊に手配して連れてきたのだ。これで多少の襲撃ではビクともしないだろう。

 右京は再度、お礼を述べて午前十時ちょうどに尊と一緒に白玉楼を後にする。その後ろ姿を、眺めながら幽々子が、ゆっくり目を閉じる。

 

「変な人間だったわねー。しかも、とびっきりの。……あんなのの相手はしばらく遠慮したいわ」

 

 と、言いつつも瞼の裏側には修行中の姿や美味しい料理を皆で食べた、さらに西行の話と彼の目的についての光景が万華鏡のように形作られては消えて行った。彼女はほんの少しだけため息を吐いて――。

 

「(私の父親もあんな感じの人だったのかしら)」

 

 忘却の彼方にあるであろう、思い出を慈しんだ。

 

 

 紫が開けたと思われる道を通って、一行は二十分前後で人里に到着。こんな道があるなんて知らなかった。魔理沙と霊夢が妖夢に文句を言うが極力、秘密にしろという幽々子の命令だったと弁明した。

 特命部屋に到着したふたりを見届けた後、妖夢は手を振って帰って行った。魔理沙たちも里で買い物をするらしく、この場を後にする。

 三日ぶりの部屋に荷物を置いた右京が「情報収集のため、鈴奈庵に行ってきます」と言い出した。

 また調べ物か。そう思いつつも尊は「ぼくはここで情報を待ちます。手紙の情報提供者が現れるかもしれませんから」と、捜査に協力する姿勢を見せ、右京を心なしか喜ばせる。

 

「どうもありがとう。ですが、付き合い切れないと思ったら、いつでも表に戻ってくれて構いませんよ? 大河内さんが心配するでしょうから」

 

 冗談を語る右京に尊がワザとらしく「ええ、そのつもりです」と笑顔で返し、彼もにやつきながら「それでは行ってきます」と出て行った。

 

 玄関から出て行く彼の姿を尊は炬燵に肘をつきながら、何気なく見つめていた。

 

「いつもの調子だな。無茶するなって言っても後先顧みず突っ走る。ホント、コカインを摂取しないシャーロック・ホームズだよな」

 

 小説の中だけの存在だったホームズそっくりな男が自分の上司だったなんて、笑い話にもほどがある。おまけにいつも振り回されてばかりでこっちが間違ってなくても卑屈屁理屈で有耶無耶にしたあげく自分の正義で行動――大小様々な事件を掘り出しては勝手に解決する。

 もはや、モンスターと言ってもよい存在。しかし、どこか惹きつけられるものがある。自分もそうだった。

 

「(クローン人間の一件がなければ、もっとあの人と捜査ができたんだろうか)」

 

 いがみ合うことがあろうとも「もう一度、一緒に事件を捜査したい」という気持ちが消えることはなかった。たまに特命に顔を出すのもそれが理由だ。要らぬ用件を押し付けるのも、実は彼に会う口実が欲しいからであった。

 

「(いろんな意味でスゲー人だよ。悔しいけど)」

 

 杉下右京は〝窓際の天才〟。嫉妬して挑んだこともあったが結局、返り討ちに遭い、自分の実力のなさに嫌気が差すなんていうのも日常茶飯事。

 理想の正義という眩しいまでの光を放つ狂人。その背中を追いかけていたはずなのに、最後は決別して特命生活を終えるも、ひょんなことから幻想郷で再びタッグを組むことになった。神様の悪戯にしては上出来だ。尊はついついおかしくなってしまう。

 

「何考えているんだろうな俺は……。また、あんな変人と捜査できるなんて思ってるのか。事件なんて起きやしないのに――」

 

 楽観的に今後のことを考えた時だった。

 

 ――あの人、たぶん無茶をすると思うけど、最後までついていてあげるのよ。

 

 唐突に幽々子の言葉を思い出した。その時、尊の背中にブルブルっと悪寒が走る。まるで予兆のような――。

 

「杉下さん……?」

 

 呆気に取られたように右京が向かった方向を見やった。身体の奥がザワザワとしていた。

 

「まさか、な……」

 

 そんなわけない。ここは人里だ。妖怪は手を出さない。尊は首をブンブンと横に振った。しかし、その不安が消えることはなく、自身の懸念を払拭すべく、彼も鈴奈庵へ急いだ。

 

 

 鈴奈庵から三十メートル離れた家屋の屋根の影。そこは鈴奈庵から見て斜め左側に位置しており、身を隠しながら鈴奈庵の玄関に立つ者を遮蔽物なしで確認できる場所だった。フードを被った者が鈴奈庵の正面入り口をチェックする。そこには小鈴と立ち話をする阿求の姿があった。

 

「目標、補足」

 

 呟くと同時に素早く屋根上へと駆けのぼり、布で覆っていた〝獲物〟を取り出すと、鉄のボルトをガチンと押し込んで装填――スコープを覗き、狙いを定める。いざ、狙いが定まると震えが止まらなくなった。指先ひとつで人生が変わる。そのプレッシャーは計り知れない。緊張の中、脳内で、あの時の光景が蘇る。

 

 ――すごい物語ですね。関係ないように見える要素の全てが繋がっている。まるで暗号か何かだ。

 

 ――漫画に限らず、優れた作品というのは底の部分に様々な要素が隠されているものです。彼の行動にもきっと……。

 

 ――あの主人公の行動……。理解できないところは多々あるけど、前向きな姿勢が英雄っぽくてカッコいいなぁって思ってしまいます。

 

 ――私はね、よく似ていると思いますよ。

 

 ――ほ、本当ですか!?

 

 ――ええ、似てますとも。彼にとても。

 

 漫画の主人公と自分が似ている。その言葉が背中を押し、震える手を落ち着かせ、揺れをなくす。照準が定まったところで()()()()()を呟く。まるで〝呪い〟のように――。

 

「駆逐、してやる……。一匹、残らず……。だから!!」

 

 口にし終えた途端、鋭い眼光を放ち始め、過去と決別を果たす。そこに向かい側から右京が鈴奈庵へ近づいてきた。小鈴が右京の存在に気づき「杉下さん」と手を振る。阿求も「こんにちは」とペコリと挨拶した。

 

「こんにちは、おふたりとも――」

 

 ふと、右京は太陽の眩しさを感じて視線を逸らし、その先に()()()()()()を構えた存在の姿を捉えた。右京は職業柄、それが()()()であると確信――。

 

「おふたりとも――危なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!」

 

 猛烈な勢いでダッシュ。小鈴たちを押し退けるように射線上に立ちふさがった。次の瞬間――。

 

 ――ドンッ!!

 

 賑やかな里の空気をかき消すかのような炸裂音が一帯に響き渡ると同時に弾丸が発射。目標めがけて目では追えない速さで駆けて行き、

 

「うぐあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッツ!!」

 

 右京の右胸を深々と抉った。彼は着弾の衝撃で鈴奈庵の入り口に背中を強打。周辺に自身の血をまき散らしながら、打ちつけられた反動で倒れ込むようにして地面へと這いつくばった。倒れた場所には大きな血だまりができていた。

 

「キャアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 飛び散った赤い血を凝視しながら小鈴が悲鳴を上げた。阿求は顔を真っ青にしながら「杉下さん!!」と大声を上げながら彼に駆け寄るが――。

 

「は、早く――に、逃げ……て」

 

「え!?」

 

 右京は朦朧とする意識の中、射線上からターゲットとなった人物が阿求であると判断。すぐに逃げるように促した。

 

「ですが、杉下さんは――」

 

「早く――逃げ、なさ……い!!」

 

 右胸を庇っていた左手でしゃがんでいた彼女を突き飛ばす。すると、数秒まで阿求がいた場所に二発目の弾丸が跳んできた。弾丸は阿求の左耳にかかった髪の毛を僅かに吹き飛ばし、鈴奈庵の扉のガラスを突き破る。貫通した弾丸は室内の本棚に深くめり込むほどの破壊力。頭に食らったら致命傷は免れない。

 早く逃げなくては――。だが、銃で狙われるという経験は初めてであったため、阿求は身体が竦んでその場で尻もちをついてしまう。次に狙われたら終わりだった。

 

 ――次は決める。

 

 狙いを定め終わり、後は殺るだけ――のはずだったが、奇跡的なタイミングで幻想郷の猛者である霊夢と魔理沙が銃声と悲鳴を聞いて駆けつけた。

 

「何があったの!?」と、大声を出す霊夢。

 

「杉下さんが、いきなり血を出して倒れて――」

 

「じゅ、銃で撃たれたのよ!! あ、あそこに狙撃手がいるわ!」

 

「なんだと!?」動揺し、魔理沙が固まった。信じられないといった様子だった。

 

「――ッ!!」

 

 直後、血相を変えた霊夢は、阿求が指差した方へと向かって高速で飛翔した。それを見た狙撃手は「失敗だ――」と悔しげに吐き捨てて、屋根を降りて逃走。路地へと急いで逃げ込む。

 

「待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 

 知り合いを撃たれ、怒る霊夢は怒号を響かせながら突撃。周囲の人間たちを恐怖させるほどの凄味を放っていた。足音を頼りに鬼のような形相の霊夢が追いかけるも前方から発火した煙玉を投げつけられ、一時的に視界を遮られたことが原因で犯人を取り逃がしてしまう。

 辺りを包む煙に阻まれながら。

 

「クソォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 激昂した霊夢が、お祓い棒を地面に叩きつけた。

 

「おっさん!! しっかりしろ!!」

 

「杉下さん! 杉下さん!!」

 

「う…………おぉ………………」

 

 魔理沙と小鈴が右京に声をかけるも意識が朦朧としているせいか反応が薄い。銃声を聞きつけ、尊も鈴奈庵に到着。右京が血を流している惨状を目撃。蔓延する血の匂いに吐き気が止まらなかったが、それどころではない。一時的にだが、血の恐怖を克服し、右京の側に駆け寄った。

 

「杉下さん!! 何があったんですか!?」

 

「うぅ………………た……」

 

 痛みのせいか上手く喋れないようだった。咄嗟にハンカチで止血を行い、すぐに尊が「誰か医者を呼んで来て!! 早く!!」と必死に叫び、魔理沙が「わ、わかった――竹林の医者を連れてくる!! あ、あ、阿求は里の先生を呼んでこい!」と焦りながら伝え、彼女が「わかった!! そっちは、八意先生をお願い!!」と声を張り上げる。

 魔理沙は箒で大空を全速力で駆け抜けて竹林を目指し、阿求は病弱な身体を押して里の診療所まで息を切らしながら走っていった。

 小鈴は恐怖でおぼつかない足取りながらも身体に喝を入れて応急用具を探すべく、急いで鈴奈庵に駆け込んで行った。

 その間も霊夢は八つ当たりでもするように煙を払って犯人がどこかへ隠れてないか探す。ふと地面に視線を落とすと、そこにはメモが残されており、彼女が拾い上げる。メモの中身は()()でこう書かれていた。

 

  我は偉大なる御方に仕えし、狩人《バルバトス》

  我、主のため、この世界を献上すべく、貴殿らに戦いを挑む

 

 霊夢は英語が読めないながらも雰囲気からそのメモを〝挑戦状〟だと直感。

 

「ふざけんじゃないわよ!」

 

 歯ぎしりしながら天を溢れるばかりの怒りを込めて睨む。同時に表の日本。その林の中、雑草を踏みながら人気のある場所を目指す、コートを着た男性が燦々と輝く太陽に右拳を掲げ、

 

「さぁ、右京、勝負だッ!!」

 

 子供のように目を輝かせながら高らかに叫んだ。

 

 

 突如として放たれた凶弾によって右京は瀕死の重傷を負ってしまう。その犯人は《バルバトス》と名乗る狩人だった。かの者は幻想郷を欲さんとすべく挑戦状を叩きつけてきた。

 この出来事をきっかけに事態は、幻想郷を巻き込んだ大事件へと発展。特命係と幻想郷の住民たちは、今までかつて経験したことのない戦いへと巻き込まれていくのである。

 

 相棒~杉下右京の幻想怪奇録~

 Season 3 亡霊の矜持

 ~完~

 

 Season 4 進撃の狩人 に続く……。



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Season 4 進撃の狩人
第78話 ワトソンの献身


 尊によって応急処置が行われた右京は彼に担がれて、阿求が連れてきた診療所の院長同伴の下、里の診療所へと運ばれた。院長は銃弾で撃たれた人間の治療という未知の経験に混乱し、慌てふためくばかり。

 医療に多少の知識がある阿求と尊は永遠亭の医者が到着した際に使うと思われる医療器具を院長に用意させ、待つように頼んだ。

 尊は医者の到着が遅れ、右京の容態が悪化するなら最悪、自分が弾丸を摘出しようとまで考えていた。

 十五分後に三つ編みの白髪に赤と青のパッチワークのような服装に身を包んだ綺麗な女性が診療所の門を叩き、なだれ込むように院内へと入ってきた。

 その後ろには白い修行服に身を包み、笠で顔を隠した人物が荷物を抱えていた。恐らく助手だ。女性は真剣な表情をしており、顔を出した阿求に訊ねた。

 

「患者はどこ?」

 

「診療室に寝かせています。使いそうな器具は可能な限り用意しました」

 

「ありがとう。でも必要なものはこちらで持ってきたわ」

 

「わかりました。足りないものがおありなら申して下さい。こちらで用意できるものは用意します」

 

 女性はコクンと頷くと言葉を交わすこともなく助手を連れて足早に奥へと向かう。彼女は診察室にて尊に軽く頭を下げた後「後は私たちがやりますので」と尊に退室を促す。

 幻想郷に現代医学の知識を持つ医者がいるのかと不安に思い、尊が助言すべく自分も残ると申し出るが、隣の阿求から「この方の腕は確かです」と諭され、渋々ながらも女性の指示に従い、部屋の外へ出て行き、阿求と共に待合室の椅子に腰をかけた。

 座るのと同時に尊がため息を吐き、阿求が右手で額を押さえて「私のせいであんなことに……」と呟いた。

 

「稗田さんのせいじゃないですよ」

 

「いえ。あれは私を狙ったものでしょう」

 

「心当たりあるんですか?」

 

「さぁ……。あるような、ないような」

 

 気が滅入っているのか、それとも何か理由があるのか、ふいに彼女は視線を床へと逸らした。様子を観察していた尊はそれとなく事情を伺うことにした。

 

「もしよかったら、狙撃前後の状況を詳しく教えて貰えませんか?」

 

 彼の問いかけに阿求は素直に応じる。

 

「狙撃される少し前、私は鈴奈庵で資料を借りるべく自宅を出て、入口で小鈴と世間話をしておりました。そこに杉下さん飛び込んできた直後、右胸を撃たれました。その後、続けて二発目が放たれ、顔をかすめていきました。あの方が突き飛ばしてくれなければ、私は死んでいたでしょう」

 

 両目を閉じながら彼女は先ほどの出来事を思い出し、僅かだか身体を震わせた。

 

「辛いところ、お話ありがとうございます」

 

「……」

 

 いつもなら「いえいえ」と返すはずの阿求が、心ここに非ずといった感じで治療室の方向を眺めている。どこからともなく魔理沙がやってきた。

 

「霊夢は犯人を探して里を駆けまわってる。かなり頭に血が上ってるから落ち着くまでしばらくかかると思う」

 

「そうか」尊は一言だけ返した。

 

 元気のないふたりを目にした魔理沙は、気まずそうにしながらも彼らを励ますような言葉をかける。

 

「あいつらなら大丈夫だ。きっとうまくやる」

 

「竹林の名医だっけ? 銃弾の摘出経験なんてあるのか?」

 

「たぶんな。一つや二つはあるだろうぜ」と魔理沙は言った。

 

「そうなのか……」

 

 相手の言い回しから尊は幻想郷にも銃があるのか、と納得するも、こんなド田舎に本物の〝銃〟があるのだろうか、との疑問が頭を過ぎった。

 

「人里では銃が製造されているのか?」

 

 疲労が見える阿求に配慮して尊は魔理沙に質問した。

 

「里の一角でごく少量だが〝火縄銃〟が製造されてる。限られた里人しか所持できないがな」

 

「火縄銃か。形状は?」

 

「細長いヤツだ。こんな感じの」

 

 魔理沙はジェスチャーで大まかな形と大きさを伝えた。それは世間一般的な火縄銃と解釈できる。

 

「堺とか国友辺りのメジャーな品か……」

 

 明治時代、村田銃などの最新式の銃に押され、火縄銃は主力武器としての地位を追われたが、田舎のマタギなどからは必要とされたために、職人たちが各地へと散ったとする記述もある。

 幻想郷の人里も元は妖怪退治を生業とする狩人たちが集落を形成したことに端を発する。里の噂を聞きつけた職人が仕事を求め、定住した可能性も大いにある。仮にそうだとすれば、火縄銃くらいあってもおかしくはないし、知識人や頭のよい妖怪も存在するので助力を得られれば量産も可能だろう。

 しかし尊は右京が撃たれた状況を思い返し、違和感を覚えた。

 

「魔理沙、銃声は何回聞こえたか覚えているか?」

 

「確か二回だったな」

 

「二発目の発射間隔はどれくらいだった?」

 

「すぐだった気がするが」

 

「何秒くらい?」

 

「十秒から二十秒の間くらい……いや、もう少し早かったかもしれん」

 

「だよな……」

 

「それがどうした?」

 

 基本的に火縄銃は連射式ではなく単発式である。三連射火縄銃なども存在するが、性能に難があり、生産数も少数に留まっている。

 なおかつ、魔理沙の話からして普及しているのが一般的な火縄銃なのであれば、装填に一分を要する。熟練者なら最速で二十数秒程度で装填できるとする記述もあるが、よほどの手練れでなければ実現不可能。ましてやそこから後頭部へ狙いを付けるのだから、三十秒以上はかかると見てよい。魔理沙の証言から考えれば、火縄銃にしては早すぎる。

 

「もしかしたら使われたのは火縄銃じゃないのかもな。二発目がどこに着弾したかわかるか?」

 

「アンタよりも後にきた私が知るかよ。てか、おじさんの狙撃に〝里の火縄銃〟が使われたって思ってたのか!?」

 

「まぁな。里の外から入ってきたと考えるよりも現実的だろ」

 

「そりゃあ、そうだが……」

 

 若干困った様子を浮かべる魔理沙だったが、尊はスッと立ち上がった。

 

「……ちょっと狙撃現場を調べてくる。魔理沙は稗田さんの警護を頼む。また犯人が狙ってるかもしれないからな。俺は鈴奈庵周辺にいるから何かあったら報せてくれ」

 

「あ、あん!? どういうことだよ!?」

 

「スカーレット姉妹と互角に戦えるお前なら俺よりもずっと頼りになる。そういうことだ、よろしくな」

 

「お、おい!?」

 

 そう言って尊は半ば強引に意気消沈気味の阿求を魔理沙に託し、診療所の外へ出た。

 彼はぎゅっと握りこぶしを作る。幽々子に警告を受けていたにも関わらず元上司で相棒だった右京をひとりで行動させてしまったことを激しく後悔していたからだ。

 また、転生体とはいえ見た目が少女である阿求を銃で狙撃するという非道な行為に警察官として強い憤りを感じており、その双眸はいつになく鋭く、品のよさそうな作り笑顔は完全に消え去っていた。

 その佇まいはかつてその正義に従い上司に逆らってまで特命係に残留した神戸尊そのもの。彼は心の中で誓う。

 

「(犯人は俺が捕まえる――)」

 

 こうして和製ワトソンの戦いが幕を開けた。



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第79話 ワトソンの行動 

 特命係部屋に寄って検証に最低限必要な道具を持ち出し、鈴奈庵へ足を運んだ尊の目の前に掃除を行おうとする小鈴の姿があった。

 尊は慌てて彼女に駆け寄り、現場保存の観点から掃除を待ってほしいと告げ、店主である小鈴の父親と話し合う。

 父親は難色を示していたが、娘の説得もあって、店入口の血だまりやガラス片以外は極力保存すると約束する。

 充電に余裕があるスマホで血だまりを様々な角度から撮影し、周囲の状況もわかるように写真を残した。

 銃弾が貫通した扉、散乱する硝子と床についた焦げ跡、そして本棚に突き刺さった細長い物体――考察するだけの証拠は十分だった。

 半分空いた入口からガラスを踏まないように跨いでから、銃弾が跳んできたと思われる方向を確認する。

 

「狙撃ポイントは、ここから十時の方向にある民家の屋根上か」

 

 人差し指で脳内に浮かぶ弾道を宙になぞりながら、その指先を床へと落とす。

 

「あそこから放たれて跳弾。本棚の下段、側面にめり込んで止まった。こう考えるのが妥当か」

 

 右ポケットの手を入れ、白地のハンカチをパサッと広げながら指紋を付着させないように銃弾を指で摘む。

 弾は跳弾した、もしくは角度的に刺さり方が甘かったためか、素手でも比較的楽に取ることができた。それは、ややくすみがかったこがね色で所々に錆が見受けられた。

 警備部にいた経験を生かし、尊は勘を頼りに銃弾の種類を特定しにかかる。

 

「大分汚れているな。銃弾の管理がなってないのか。いや、古いタイプか……。だとすると、いつの時代の弾だ?」

 

 手首を捻って首を動かし、様々な角度から観察を行う。そんな男の姿を遠くからそわそわした様子で小鈴が眺めている。興味と不安が入り混じったような表情が彼女らしさを表していた。

 一分程度、睨めっこを続けたが答えは出ず、ビニール袋に包んでから上着のポケットにしまい込み、狙撃地点と目される場所へと早歩く。

 現場は木造屋根を有する民家だった。彼が戸を叩くと、どこにでも居そうな里人の女性が出迎えるのだが、よそ者の雰囲気に警戒してか話をしようとしない。

 どうしたらよいものかと困っている最中、後ろからつけてきた小鈴が「この男の人は信用できる方ですから」と説得を買って出た。次第に女性の態度が協力的なものへと変化し、狙撃時の状況を手振りと共に説明し始めた。

 それによると狙撃当時、女性は台所で食器洗いをしており、発砲音が鳴るまで不審な物音に気がつかず、発砲音を聞いて初めて屋根の上に誰がいるとわかったそうだ。

 様子を見に外へいこうかと思ったが、少女の怒号らしき声が轟き、何者かが路地を猛スピードで駆け抜けていったことでパニックとなって、今の今まで寝室でジッとしていたのだと言う。

 話を聞きながら尊は玄関から家の中を観察し、人が潜んでいる形跡がないと判断、女性を落ち着かせにかかる。

 元々、彼は女性の扱いを得意としているので、信頼を築くのも早く、小鈴が話に入ってきて五分経つ頃には相手が笑顔を見せるようになった。

 その段階で尊は彼女から梯子を借り、屋根に上らせて貰い、屋根の上に付着した不自然な足跡から狙撃現場を特定する。

 場所は鈴奈庵からちょうど物陰になっていて、身を隠しての狙撃が可能であった。

 しかし尊は首を釈然としない様子で人が行き交う大通りに目をやる。

 

「狙撃場所としては悪くないが、正午で人通りが多いこの場所で狙撃を行うか? 距離は三十メートルしかないんだぞ。時間帯的に家から仕事場へ戻る人もいるだろうから路地にも人気はある。目撃者が増えれば足がつくリスクが高くなるって言うのにさ。おまけにこんな銃弾を使う始末――素人の犯行か?」

 

 時間帯、狙撃地点、銃弾の状態などから尊はそのように考察した。

 犯行場所が幻想郷という閉鎖空間での話であるが故、この地域では暗殺のプロである可能性も捨てきれないが、尊から言わせれば犯人の行動は素人そのものであった。

 実際、太陽光がきっかけで右京に勘づかれてしまうというプロなら絶対しないミスを犯しているので、尊の見立ては間違いではないだろう。

 

「だけど、狙撃の腕は確かだったな」

 

 再び、ビニールに入った銃弾を取り出してその形状を眺める。

 どうみて火縄銃の弾とは異なった狙撃用の銃弾。尊はため息を吐きながら「銃を不法所持した日本のミリタリーマニア辺りが幻想入りしてやらかしたとかじゃなきゃいいけど」と零して、現場写真を撮った後、梯子を使って庭に降りていく。

 次に庭先を隈なく捜索し、屋根についていた足跡と同じものを発見した。足跡は屋根に近づくように続き、屋根の一歩手前で消えていた。尊は犯人がここから屋根によじ登ったと解釈する。

 何かを足場にして登ったかまではわからないが、それでも地面から二メートル近くある屋根の上まで上ったのは確かだった。

 さらに探索を続けると庭に生える草の中から狙撃に使われたと思われる薬莢が出てきた。落ちていたふたつの内ひとつは尊が、もうひとつは小鈴が発見した。

 どちらも薄っすらと錆びており、どこか年季を感じさせるもので、尊が「年代物だな、こりゃあ」と呟きながらハンカチでビニールに収納し、ソワソワしている女性に礼を言って小鈴と共に女性宅を出た。

 そのとき、箒に乗った魔理沙が尊たちの手前にポンっと着地する。

 

「おっさんの手術が終わったぞ!」

 

「本当か!? 容態は!?」

 

「安定してるらしいぜ!」

 

「そうかッ!!」

 

「よかったぁ!!」

 

 安堵の表情を浮かべる尊と小鈴の様子を確認した魔理沙もふっと笑みを零した。

 

「言っただろう? アイツの腕は確かだってな。でも、油断はできないらしいぜ……」

 

「ん? まさかそれって――」と心当たりがありそうに漏らす尊。

 

「詳しい話は医者に聞きな。そのために呼びにきたんだからさ」

 

 そう言って、魔理沙に促されて尊は急ぎ医者の元に向かった。



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第80話 ワトソンの選択

 尊が里の診療所に戻ると、頭巾で頭を覆った医者の助手が彼を待っていた。

 

「こちらです」

 

 静かに尊を呼び止め、病室へと案内する。その声質は、十代中頃の少女そのものだったが、そんなことを気にする余裕はなく、彼は一直線に右京のいる部屋に向かう。

 木造の病室の中、窓際のベッドの上に病人用の服を着せられ、ぐっすりと横たわる右京の姿があった。

 右京の呼吸が安定しているのを確かめた途端、安心のあまり尊は「はぁ……よかった」と嬉しそうな表情を見せる。その様子を魔理沙と小鈴が一歩離れたところから見守っていた。

 やがて片づけを終えた医者が病室を訪れる。医者は尊に軽く会釈してから「今回、手術を担当した“八意”と申します」と簡単な自己紹介を行った。

 彼女は幻想郷唯一の現代医療を知る人物、八意永琳(やごころえいりん)であった。柔らかそうな物腰ながら、どこか飄々とした美人だな、という印象を持った上で「この人の付き添いの神戸です」と名乗り返した。

 永琳は尊に近くにあった椅子に座るように促し、彼が座った後、自分も椅子に腰をかけてから手術結果を伝える。

 

「右胸に刺さった銃弾は無事、摘出しました。命に別状はありません」

 

「そう、ですか……」と尊が不安そうに右京を見やった。

 

 その態度で相手が何を考えたのか察した永琳が笑みを零しながら、

 

「ご心配なく。縫合だけでなくきちんと消毒も致しました。後で調合した痛み止めを処方します」

 

 と告げる。その丁寧な返答に明治時代の田舎でまともな処置を施せるのかと疑問を抱いていた彼を驚かせ、失礼な素振りをしたと感じた尊は「あ、ありがとうございます!」とはっきりと礼を述べた。

 彼の懸念を永琳も理解していたようで「当然のことをしたまでです」と少し笑って見せるもすぐに表情を元に戻して本題へと移った。

 

「銃弾は右胸の外側に刺さっていたため、命に別状はありませんでした。数日もすれば意識を取り戻せるでしょう。ですが……」

 

 永琳が目配せすると、助手が持ってきた木製のお盆を持ってくる。その上には摘出された銃弾が載っていた。右京の血がべっとりと付着しており、尊は強烈な吐き気を催すが、気合で我慢する。若干、咳き込みながらも鈴奈庵で採取したものと見比べ、同様の銃弾であると確認し、永琳の顔に視線を合わせる。

 彼女は真顔で続けた。

 

「銃弾がところどころ錆びつき、微量の土などが付着していたので感染症の懸念が残る上、二次的な症状が出る可能性も否定できません」

 

「例えば……?」

 

「軽く例を挙げるなら〝鉛中毒〟〝破傷風〟そして――〝敗血症〟辺りでしょうか」

 

「なるほど……」

 

 喉を鳴らしながら、視線を床に落とす。話を聞いていた魔理沙が尊に問いかける。

 

「その。鉛中毒、破傷風、敗血症ってなんだ?」

 

「鉛中毒は血中の鉛が増えて様々な障害を引き起こす病。破傷風は土の中の破傷風菌が身体に入り込むことで発症する病気で、敗血症は感染症がきっかけで起こる臓器障害のことなんだ。鉛中毒は死亡例が少ないし、破傷風は警察官なら予防してるだろうし大丈夫かもしれないが、敗血症はなぁ……」

 

 尊が答えながら零した。

 

「それって危険なんですか?」

 

 心配そうに小鈴が訊ねると今度は永琳が答える。

 

「重症化すると死亡する危険が高くてね。適切な抗菌薬を投与しなきゃダメなのよ」

 

「お前でも治療できんのか?」と魔理沙が訊く。

 

 永琳は一呼吸置いてから「できなくはないけどねぇ……」と呟き、このように打診した。

 

「神戸さん、大事を取るなら杉下さんを表に連れ帰ったほうがいいと思います。あちらのほうが設備的にも安心でしょうしね。もし、いずれかの症状が見られ、私が治療に失敗すれば手遅れとなる可能性も十分に考えられます。その場合、幻想郷で最期を迎えてしまう――それはこの方にとって不幸なのでは?」

 

「……」

 

 医療体制が万全と言い難い環境に右京を置くリスクは決して低くない。いくら永琳が名医であるとしても尊にとって彼女の実力は未知数――現代医学の知識があるとはいえ、すぐには信用できないだろう。相手の側に立った永琳なりの配慮である。尊は顎に手をやり、思考する。

 

「(ここで帰ったら、二度と幻想郷に入れないよな)」

 

 昨夜、彼は右京の真意を聞かされている。右京の意思は固く、警察官としての矜持を貫くつもりでいた。ここで右京を表へ戻したら一生恨まれそうだな、と尊は思った。

 もちろん、自分が残って調べるというのも選択肢に入るが、里は何かしらの秘密を隠していると予想でき、奇しくも阿求や慧音を始めとした高い隠ぺい能力を持つ者が揃っている。

 今の幻想郷の雰囲気からいって自分たちは間違いなく厄介者――戻ったのよいことに二度と訪れられないように対策を施されてもおかしくないのである。

 

「(〝この人〟抜きでここの妖怪たちと戦えるとは思えない)」

 

 尊は一癖も二癖もある妖怪相手に自分では太刀打ちできないことを理解している。彼女らと互角に渡り合える人間は杉下右京ただひとり。となれば――。

 

「八意先生、杉下さんが元通りの生活を送れるようになるまで面倒をみては頂けませんか?」

 

「私に……ですか?」

 

「ええ。感染症の心配があるので。八意先生は治療法をご存じのようですし。お願いできませんかね? できる限りお礼は致しますので」

 

「は、はぁ……」

 

 予想外の回答に永琳は困惑を隠せずにいる。それは魔理沙たちも同様だった。

 

「おいおい、正気か!? ここで死んでも表にいるおじさんの知り合いは葬式に参加することもできねぇんだぞ! わかってんのか!?」と魔理沙が詰め寄る。

 

「わかってるさ」

 

「なのに、どうしてこちらに留まるんですか? 命が犠牲になるかもしれないのに……」

 

 苦しげに小鈴が零し、尊が目を閉じながら答える。

 

「杉下さんは執念深い人でさ。一度、自分が関わった物事には最善を尽くさないと気が済まないんだ――手紙の件も、今回の狙撃の件も未解決なまま、ぼくが杉下さんを表へ帰したら一生恨まれる。さすがにそれはゴメンでね」

 

「んな理由で残すんじゃねえよ! 今すぐ霊夢に送って貰うべきだ!」

 

「そ、そうですよ!」

 

 今回は魔理沙だけじゃなく小鈴も一緒に声を荒げていた。その瞳には命に代わるものはない、という想いが込められており、本気で心配しているのが誰の目からも察せる。一連のやり取りを後ろから静観していた阿求も会話へと入る。

 

「ふたりの言う通りです。お恥ずかしい話、私ですらこの有様なのです。杉下さんのことを考えるのであれば、今すぐ医療体制の整っているであろう元の世界へお戻りになるべきです。何かあってからでは遅い。手紙の件どころではありません」

 

 身体がふらついているにも関わらず、阿求は声を張って訴えた。尊は「確かに」と肯定してから続けた。

 

「皆さんの言っていることは正しい。ですが、この里には表の民間人がいます。このような状況の中、僕たち警察は彼らを放って帰る訳にはいきません」

 

「だからってさ、おじさんを残すのはリスクが――」

 

 魔理沙の声を遮りながら尊が問う。

 

「質問なんだけど、もし霊夢さんに送って貰えたとしてぼくたちは表のどの辺りに出るんだ?」

 

「あん? それは本人じゃなきゃわからんが……」

 

 返答に困った魔理沙が阿求に目で支援を頼むと彼女が説明を代わった。

 

「大半は山や森の中に出ると聞きますが……」

 

「場所の指定は?」と尊は鋭く突っ込む。

 

「……今の巫女には、無理かと。ですが、結界に精通している者なら他にもおります」

 

 阿求の申し出に尊がこのように返す。

 

「もしかして《八雲紫》さんですか? 今、彼女は表にいるそうですよ」

 

「え?」キョトンする阿求とその周囲。

 

「西行寺さんがそう仰ってました。しばらくこちらを留守にするそうです。部下の方も同行しているらしく連絡がつかないようなので、彼女に依頼するのは難しいかと」

 

「そうですか……」

 

 阿求はどこか歯切れ悪く相槌を打ち、魔理沙がその姿を横目で見てから視線を真下に戻して少しだけで唸った。

 

「怪我人を運んだまま人気のない場所に送って貰えたとしても、今度は遭難などのリスクに晒されてしまう。であれば、尚更こちらでお世話になりたい。八意先生にはご迷惑をおかけしますが……」

 

「……神戸さんがそう仰るなら私に断る理由はありません。治療を引き受けましょう」

 

「ありがとうございます」

 

 尊の頼みに折れた永琳が了承し、右京の治療は引き続き彼女が担当することになった。こうなってしまえば周囲が口をはさむことはできない。彼の粘り勝ちである。

 医者と約束を取りつけた尊は次の行動に移る。ポケットから鈴奈庵で拾った銃弾を出して皆に見せた。

 

「これは鈴奈庵の本棚に突き刺さっていた銃弾です。形状からいって八意先生が摘出した銃弾と一致していると思われます」

 

「確かに似てるな」と魔理沙。

 

「狙撃地点は鈴奈庵から三十メートル離れた民家の屋根上でちょうど死角になるポイントでした。そして、これが拾った薬莢です。二発分、落ちていたので犯人が狙撃した際、回収し忘れていったのでしょう」

 

「年季が入ってんな」

 

 魔理沙たち三人が興味深そうにビニールに入った銃弾と薬莢をジロジロと観察するも見たことがない物体にただ首を捻って唸るだけ。尊は続ける。

 

「阿求さん、里で作られているのは火縄銃ですよね?」

 

「ええ」

 

「使われているのは鉛の球弾ですか?」

 

「はい」

 

「ということは、この弾は里で作られたものではなく、外で作られたものってことか……。何かの拍子で幻想入りしちまったのか?」と魔理沙が一人呟く。

 

「こっちのことは詳しく知らないけど、ぼくたちの世界で作られたものってことは確かかな」

 

「それを使って狙撃が行われたのか。一体、どんな銃なんだ? 私はあんな正確にターゲットを狙える銃なんて見たことないんだが……」

 

「それはまだわからないな。調べようにも資料がない。おまけにヘッドスタンプも掠れて読めない――現状はお手上げだ。汚れからして作られたのは最近ではなく結構、前だと思うけど」

 

「ふーん、つーことは使われた銃を発見するしかないってことか」

 

「そうだな。犯人を捕まえて押収するしかない」

 

「にしても誰なんだ? こんなふざけた真似した野郎は」

 

「魔理沙は心当たりないか?」

 

「ある訳ないだろ。こっちが聞きたいぜ」

 

 そう言って魔理沙は肩を竦めた。もちろん、阿求と小鈴も知るはずがない。

 さて、どうしたものか。尊が顎に手をやったその時、病室の外からドタバタと足音が響き、物凄い勢いでドアが開けられた。

 

「す、杉下さんは大丈夫!?」

 

 周囲の視線の先には髪がボサボサになった霊夢だった。今の今まで犯人を捜して里や周辺を探し回っていたのだろう。相変わらずだな、と相方の魔理沙は嘆いた。

 

「容態は安定しているぜ。感染症の心配はあるが、竹林の医者を信じて元気になるまでこっちで治療するってよ」

 

「そう、よかったわ――って安心してる場合じゃなかった! 魔理沙、アンタさ、これ読める!?」

 

「ああん? なんだこの英語で書かれたメモは?」

 

 白紙にインクで書かれた流暢な英文に魔理沙は思わず目を奪われ、動きを止める。呑気な魔理沙に苛立ったのか、霊夢が声を張り上げた。

 

「阿求でも小鈴ちゃんでも誰でもいいから訳して! 狙撃現場に落ちていたものなんだけど――」

 

「なんだと!?」

 

 はやくそれを言え、そう言わんばかりの態度を上まで露わして、霊夢を睨んだ魔理沙が手紙の内容を素早く音読する。

 

「『我は偉大なる御方に仕えし、狩人《バルバトス》。我、主のため――この世界を献上すべく、貴殿らに戦いを挑む』」

 

 彼女がその挑戦状とも取れる手紙を読み終えると同時に病室の空気が凍りついたのは言うまでもなかった。




作者はミリタリーや医学の知識が乏しいため、ご迷惑をお掛けしてしまうかもしれませんが、大目に見ていただけると幸いです。


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第81話 ワトソンの助言

投稿が遅れてしまい申し訳ありません^^;


「なんだよ、これ……」

 

 手紙を読んだ魔理沙本人も周囲の人間たちも一時、言葉を失った。少し間を置いて、いち早く正気を取り戻した霊夢が騒ぎ出す。

 

「なんなのよ、その《バルバトス》とか言う奴は!?」

 

 視線を忙しなく動かして周囲を確認して見るが、その問いに答える者は誰もいない。苛立ちを覚え、霊夢が奥歯を噛み鳴らしたところで、顎に手をやっていた魔理沙が「もしかして」と小声で呟いてから続けた。

 

「バルバトスって《ソロモン72柱》のアイツか……?」

 

「ソロモン72柱?」

 

「ああ。少し前、紅魔館でちらっと読んだことがあるんだが、ゴエティアだったか――そんな感じの魔道書に載っている悪魔さ。確か……位は公爵で狩人の姿をしてるんだったな」

 

 ソロモン72柱とは、十七世紀頃に発行された作者不明のグリモワール《レメゲトン》第一部ゴエティアに登場する悪魔たちのことである。

 本書にはソロモン王が使役したとされる72柱の悪魔たちの召喚に必要な魔法陣、呪文などが書かれているので、魔道書としての価値は非常に高いが、幻想郷では妖怪が書き残した禁書たる妖魔本の扱いを受けかねない危険な代物だ。

 紅魔館の魔法図書館にもレメゲトンは置いてあるが、パチュリーの私物であるが故、一般公開されておらず、厳重に保管されている。

 魔理沙によってもたらされた情報――特に悪魔というワードが自身の耳に届いた瞬間、霊夢の目付きが一層、険しくなる。

 

「悪魔――つまり妖怪ね?」

 

 静かに訊ねるも、その双眸はかつて右京に指摘された犯罪者の目そのもの。妖怪絡みの事件とあっては博麗の血が黙っていないのだろうか。里の権力者が狙われ、表からやってきた知り合いが撃たれたとあっては無理もない。

 いつもは楽天的でサボり癖のある彼女も本気にならざるを得ないのだ。その急激な変化に魔理沙がたじろぎつつも「そ、そうだな……」と相槌を打つ。すると霊夢は、

 

「……わかったわ」

 

 部屋を出て行こうと、取っ手に手をかける。

 

「おい、待てよ!! どこいく気だ!?」

 

「怪しいところを片っ端から調べるのよ」

 

 霊夢は鉛のように冷たく重い声で魔理沙に答えた。

 

「アテはあんのか?」

 

「これから探すわ」

 

「今まで探して見つかんなかったんだろ!?」

 

「……」

 

「少しは冷静になれってんだ。またこの前みたくおっさんに愚痴られるぞ?」

 

「ぐぐ……」

 

 七瀬春儚の件で右京に指摘されたことを思い出し、自分が暴走しているのだと理解した彼女は取っ手から手を離し、ばつが悪そうに魔理沙のほうへと向き直る。

 

「じゃ、どうしろって言うのよ? 何もしない訳にはいかないのよ」

 

「確かにな。ま、その前に――」

 

 魔理沙が尊を指差す。

 

「名探偵の助手の意見を聞かせて貰おうぜ? 色々、調べてたようだしな」

 

「(コイツ、俺に振ってきたよ……)」

 

 心内、呆れつつもいずれは訊かれると思っていた彼は、軽く咳払いをしてから自身が回収した銃弾を霊夢に提示する。

 

「これが現場に置いていた銃弾。杉下さんの体内からも同じものが出てきた。犯人が使ったと仮定していいだろうね」

 

「ずいぶん、細い金属なんですね」と冷めたトーンで霊夢が述べた。

 

「表ではこれによく似たタイプが使われるんだ」

 

「ということは杉下さんを撃った相手は幻想郷の外からやってきたということですか?」

 

「可能性は高いね」

 

「つまりだ。表の世界から妖怪がやってきて阿求を狙い、挑戦状を置いて逃走したってか。ふざけたやろうだぜ……」

 

 魔理沙が腕を組みながら両目を瞑り、阿求と小鈴も項垂れるように無言で同意し、永琳も浮かない表情で病室の窓を眺める。

 

「困ったことになったわね」

 

「ですね」

 

 白装束の助手も永琳の言葉にコクンと頷いた。表情は見えないが、態度からして困惑しているように見て取れる。誰もが阿求を狙ったのがソロモンからの刺客である。そう決めつけていた。そこに尊が待ったをかけるべく、右手を挙げる。

 

「ところで、バルバトスって悪魔は銃を使うのだろうか」

 

「そりゃあ、狩人だしな。使っても不思議じゃないだろうよ」と魔理沙は何気なく返した。

 

「だけどな魔理沙。今回の銃弾は錆びていたんだ。それも明らかに手入れもされてない。この状態だと不発する可能性だってある。犯人は公爵とも称される悪魔なんだろ? そんな大物が錆びた弾を使用するのはどうにも引っかかるんだよ。それに犯行時刻も狙撃場所も暗殺には適さない。まるで素人の犯行だ」

 

「だったら、犯人はその妖怪じゃないってのか?」

 

「それはまだわからないけど、妖怪だと決め付けるのは早計だと言いたいね。その犯行声明だって本当に妖怪が書いたものか……」

 

 疑問が出た直後、魔理沙が霊夢に訊ねた。

 

「……霊夢、その紙から妖気を感じるか?」

 

「今のところ何も感じない」

 

 いくらグータラ巫女と言っても霊感が鋭い彼女にとって妖気を感じ取ることなど朝飯前。そのプロフェッショナルが感じないと答える以上、妖怪が書いた可能性は低い。しかし、本人は腕を組みながら、

 

「誰かに書かせた可能性だってあるわ」

 

 と語る。

 

「誰かって誰だよ?」

 

「そ、それは……」

 

 そこまで考えてなかったようで、霊夢は魔理沙の質問に答えられず、言い淀む。いつもの悪い癖だ。そういうところだぞ、と魔理沙が指摘されて目を背けながら「一応、わかってる」と視線で返事をした。周りが自分の意見に納得していると踏んだ尊が忠告する。

 

「犯人は妖怪か人か――決定的な証拠がない以上、簡単に決めつけるべきではありません。慎重に犯人を捜しましょう」

 

「ん? アンタも犯人捜しをするのか?」と魔理沙。

 

「まあね。駄目かい?」

 

「駄目じゃないが……もしも相手が妖怪だったら死ぬぜ?」

 

「覚悟の上さ」

 

「相手は銃を所持している。撃たれたら神戸さんだってタダでは済まない。おとなしくされていたほうが……」

 

 さり気無く、阿求が彼を止めに入るが、彼は己を曲げない。

 

「ご心配なく。何かあっても恨んだりはしません。先ほども言った通り、この人里には表の人間がいます。彼らを放っては置けない。それに――」

 

「それに?」

 

「仲間をやられて黙っている訳にはいきませんから。必ず犯人を見つけて償わせます」

 

 日本警察は仲間意識が強く()()()()()()()()()の精神を持っている。クレバーに思われる彼も仲間や友人のために熱くなる傾向があり、何かあった際は率先して動き、事件解決に奔走する。

 それが行き過ぎた結果、意図せず冤罪へ加担。被害者に恨まれて出所してすぐに自殺されたという消えない傷を負ったこともある。

 だからこそ、いつもより先入観に捕われず、客観的な事実に基づいて犯人を捜そうとしているのかもしれない。それでも阿求は煮え切らなかった。

 

「ですが……」

 

 ――そこまで言うなら、いいんじゃないかの?

 

 突如、病室の扉が開き、中に入って来た人物が、食い下がる阿求に向けて言った。

 

「あ、マミさん」

 

「うむ、話は聞いておったぞ。神戸どの」

 

 マミである。いつもの紋付き袴の袖を揺らし、戸惑う周囲を余所に真っ直ぐ右京のところまで歩き、安否を確認した彼女は静かに「まったく、無茶しおってからに」と嘆いてからクルリと皆のほうを向く。

 

「今現在、里中がパニックじゃ。妖怪の仕業を疑い騒ぎ立てる者も居れば、人間の仕業ではないかと言う者もおる。白沢どのが対応に追われ、奔走しておるが、それでも一向に収まる気配はない。早期の解決が望まれるじゃろう。人手は多いほうがよい」

 

「とは言いますが、妖怪が絡んでいれば必然的に戦闘となり、生身の人間では太刀打ちできません。もしものことがあれば……」と阿求。

 

「稗田の面子に関わるか?」

 

「――ッ! 杉下さんに顔向けできないという意味です! この状況で面子なんて持ちだす訳ないでしょ!」

 

 珍しく声を荒げて反論する阿求にマミは安堵したかのような態度を取る。

 

「おぬしも()()と人間らしいところがあるの」

 

「意外とはなんですか。私は()()ではありませんよ?」

 

 目つきを鋭くしながら不服そうに詰め寄る彼女をマミは「わかっておるわい」と宥め、落ち着かせてから話を戻した。

 

「さぁ、どうする? 犯人捜しに混乱する里人のケア。やることは山積みじゃぞ?」

 

「私は治安維持に努めるべく、里の有力者たちへ協力を求めに行きます。慧音さんだけに任せておくのは荷が重いですから」と阿求が即答する。

 

「アンタ、今さっき狙われたばかりじゃない!」と霊夢がつっこむ。

 

「仕方ないでしょ。里が優先なんだから」

 

 それは本人もよくわかっている。今この時も足が震えており、可能なら数日は自宅に引き籠りたい。けれど、里をまとめられるのは稗田家当主の自分を置いて他に居ないと彼女は考えている。無理をしてでも動かなければならないと。そのように聞かされたら、仲のよい小鈴が黙っていられるはずもなく。

 

「駄目よ、阿求! 危ないって!」

 

「わかってるわよ。でもね、小鈴。私は稗田家の人間なの。里が危険に晒されている時にひとりだけ知らん顔してる訳にはいかないの」

 

「だけど……」

 

 里を心配する阿求と親友を心配する小鈴が話し合っているが、意見は平行線のまま。このままだと口論に発展すると感じたマミが「神戸どの、何かよい案はないか?」と名探偵の助手を頼る。しばしの無言を経て、尊が口を開いた。

 

「稗田さん、狙われているのは他ならぬアナタで、ここでむやみに行動すれば犯人に再度、殺害の機会を与えてしまうようなものです。小鈴さんの言う通り、可能なら外出は控えた方がよろしいかと」

 

「そうしたいのは山々ですが……」

 

 阿求は視線を床に落とした。何か複雑な事情がありそうだが、本人は部外者に話したがらないだろう。彼女の表情から心情を察した彼は引き止めるのを諦めた。

 

「……ぼくは里の事情を詳しく知りませんが、稗田さんが里の大事なまとめ役なのは理解してます。どうしてもと言うなら、魔理沙と霊夢さんを護衛につけて行動するのを勧めます。このふたりなら里人に不安を与えにくく、戦闘力も申し分ない。犯人も迂闊に近寄れないはず――ふたりとも、いいかな?」

 

 彼の意見に魔理沙は「構わん」と即答したが、霊夢のほうは歯切れ悪く「わかりました……」と承諾し、一刻も犯人を捜し出したいという雰囲気を漂わせていた。なので、尊はさりげなく「阿求さんがターゲットである以上、犯人は彼女を狙う可能性が高く、機会を伺いに周囲を嗅ぎまわるかもしれない。捕まえるチャンスがくるかもよ」と添えた。

 

 すると彼女は別人のようにやる気を出し始めた。

 

「そ、そうですよね!? さあ、魔理沙。阿求を警護するわよ!」

 

「単純すぎないか、お前」

 

 右京の言葉巧みに周囲を動かす技術を真似る形で霊夢を動かしてみせた尊にマミが「さすがは杉下どのの相棒じゃな」と賛辞を送った。

 その後の話し合いで阿求は里の治安維持活動に努め、魔理沙と霊夢は阿求の、マミは右京を永遠亭へ運ぶ永琳と助手の護衛、小鈴は鈴奈庵でバルバトスや銃器に関する資料の選定、尊が調査続行の方向で固まり、一斉に行動を開始する。



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第82話 月下に佇むは大妖狸

 時刻は十六時。尊たちが行動を開始した同じころ、やっとの思いで長野県の山中から公道に出られた男はタクシーを捕まえ、最寄駅まで移動している最中だった。未だ呼吸が乱れている客に運転手が興味を抱く。

 

「お客さん、ずいぶん息、切らしてるけど、何してたんですか」

 

「……少し、山の中を散歩していただけですよ。途中、道を外れて山中を彷徨ってしまいましたが――」

 

「んん!?」

 

 男が何気なく語った話に腹を立てたのか、運転手が声を荒げた。

 

「それは危ないよ! アンタ――山、舐めてたら死ぬよ? つい最近だってこの辺りで行方不明者が出たばかりなんだから」

 

「行方不明者……ですか」

 

「そうだよ。ここ一週間、捜索隊が必死に探しているけど見つからないんだ。噂だと、東京の警察官で、幽霊見たさに山の中へ入って消えてしまったんだと。おまけにその人の知り合いの警察官も探しにきて一緒に行方不明なったときたもんだ。きっと神隠しに違いない、皆そう言ってるんです」

 

「……」

 

「最初の行方不明者もお客さんみたいに物腰の柔らかい紳士さんだったそうですよ。山を舐めてはダメだ」

 

「わかりました。気をつけます」

 

 観光でこの辺りを訪れた人間が軽い気持ちで山の中へと足を踏み入れて道に迷い、帰らぬ人となるケースは後を絶たない。最近も行方不明者が出たとあって周辺住民も警戒している。この運転手もそのひとりであった。

 男はそんな親切な運転手の説明を余所に後部座席から自身が下ってきた山を振り返りつつ、小さくため息を吐いてからゆっくりとスマホを取り出し、誰かとやり取りをしながら時間を潰した。タクシーは一時間半後、駅に到着。男はその足で新幹線に乗車して東京に向かった。

 

 

 混乱する里人を気にかけながら、尊は手がかりを掴むべく、犯行現場を中心に聞き込んで回ったが、一切の目撃情報がなく犯人の痕跡も見つけられず、日没を迎えてしまう。

 こうなってしまうと不安から住民は誰とも話したがらなくなり皆、家の中に閉じこもる。さらにこのような事件が発生したとあって、部外者の活動をよく思わない者もちらほらと現れ、物陰からヒソヒソと小言を言い始める。

 彼らから嫌悪の目を向けられると悟った尊は泣く泣く本日の捜査を打ち切らざるを得なくなった。

 一旦、鈴奈庵に戻った尊は小鈴に事件解決に使えそうな書籍があるかと訊ねる。彼女は浮かない顔つきのまま、かぶりを振って答え、すぐに「もうちょっと探してみます」と書籍探しへ戻っていった。

 店内の席に座り、頬杖をつきながら本日の捜査を振り返る。

 

「白昼の出来事だというのに、目撃証言が一件もなく、足跡もほとんど残されてなくて追跡不可能。情報がなさすぎる……」

 

 当初、狙撃地点や犯行時刻、薬莢の不回収から犯人が素人であると踏み、他の証拠も集まるだろうと踏んでいたが、昼間得た証拠、証言以外に有力な手かかりが掴めなかった。

 

「まさか、本当に妖怪の仕業なのか?」

 

 結論を出すには早いと霊夢たちに語ったものの、忽然と姿を消した犯人に驚きを隠せずにいた。

 科学捜査が可能ならゲソ痕や硝煙反応、指紋鑑定など犯人を追い詰める手段はいくらでもあるが、こと幻想郷に至っては全てが活用不可。かつ、事件捜査に欠かせない専門家すらも呼べない。スマホもネットが繋がっていないので外部から情報を仕入れられない。

 

「馬刈村の比じゃないな。はぁ……」

 

 同じ山奥の田舎でも段違いの難易度だ。甘い考えを打ち砕かれた尊が大きなため息を吐いたところで背後から「もう根を上げるのか」と女性の声が耳へ届く。尊が反射的に背筋をピンと伸ばしながら慌てて振り向くと、人差し指で自慢の眼鏡を上下させるマミが立っていた。

 優しさと怪しさが同居する笑顔に彼は半笑いを見せつつ、

 

「いつお帰りになられたんですか?」

 

「ついさっきじゃ」

 

「気がつきませんでした」

 

「静かに入ってきたからのぉ。驚かせてすまんかったな」

 

 軽く謝ったマミが向かい合うように座って、会話が続行される。

 

「永遠亭に杉下どのを送り届けた。あそこは里よりも安全じゃ」

 

「わざわざ、ありがとうございました」

 

「気にするな、あの者には借りがある」

 

「敦君の件――ですか……?」

 

「そうじゃよ。杉下どのから何か聞かされておるか?」

 

「一応……。ちょっとだけですけどね」

 

「ふーん、そうかそうか」

 

 直後、彼女が目の奥を光らせる。

 

「……何と言っていたか?」

 

「えーと、彼がどこにでもいる青年で、酒場で働き、店主に惚れるも、不幸なことにお店の客に殺させてしまった。くらいです」

 

 と尊がいつものスマイルで返す。マミが右手で口元を覆う。

 

「ふむ、そうじゃな。あれは痛ましい事件じゃったよ。人が殺されるというのはどうにも慣れん。今回の狙撃も杉下どのがいなければ阿求は死んでおったじゃろう。こんなことは到底、許せん」

 

「同感です。住む場所が違うとはいえ、あれは非人道的な行為に変わりありません。許されるべきではない」

 

「さすがは表の警察官。立派じゃ!」

 

「当然のことです。事件を解決するまで捜査を続けます」

 

「わかった。困りごとがあったら何でも言ってくれ構わん。協力しようぞ」

 

「はい」

 

 話が終わるとマミが席を立ち、入口から出ていった。その姿を見守った後、彼はスマホをポケットから取り出し「油断ならないな……」とボソっと呟いてから、情報の確認と整理の作業に入った。

 

 

 店の外からそれほど離れていない路地に入ったマミは周囲に人の気配があるかをチェックする。

 

「後をつけてきてはおらぬようじゃな。オヌシら、出てこい」

 

 彼女が暗闇に向かい話し掛けると、それに呼応していくつかの小さな影が蠢く。闇の中から茶色の小動物――《狸》が姿を現した。狸たちはマミの正面までたどり着くと、ピタリと止まって彼女を見上げるように座った。

 

「何か情報はあるか?」

 

 彼ら一斉に顔を左右に振って「収穫なし」と報せる。マミは「そうか」と言ってから腕を組む。

 

「手がかりはなし。現状、妖怪の犯行か人間の犯行かわからんか。困ったのぉ」

 

 ため息と共に路地の上空から雲を縫うように覘かせる月明かりに目をやる。同時に彼女の尻付近から人間の大人サイズはくだらないであろう立派な尻尾がブワッと生え、頭からは狸耳がドロンと出現した。

 そう、何を隠そう彼女もまた妖怪なのだ。その名は二ツ岩マミゾウ。狸たちの頭領である。本来の姿を解放したマミの雰囲気は人間とは比べものにならないほどのプレッシャーを誇る。

 今回は気が立っているのかいつも以上に禍々しさを漂わせており、配下の狸ですら心なしか怯えているように思える。

 

「幻想郷の妖怪が調整役の阿求を狙う理由はない。それでいて狙われる。犯人が妖怪なら間違いなく外部犯。もし人間だとしても使用された武器は表で作られた品。こちらも外部犯を疑うべき。じゃが、どうにもタイミングがよすぎる」

 

 彼女は、とある事情から以前より里を配下の者に監視させており、些細な変化も事細かにチェックしていた。

 

「秘密結社、それに四家。この里にも不安要素がくすぶっておる。無関係ならまだ笑って許せるが。そうでないのなら――」

 

 険しい表情と共にバチバチした殺気を放つマミに子分たちは耐え切れず「きゃうっ」と悲鳴を上げた。

 

「すまぬの。ちいっとばかし熱くなってしまったわい」

 

 マミは謝罪したのち、考えてもらちが明かないと悟り、指示を飛ばす。

 

「オヌシらはこれまで以上に里を隈なく捜索するのじゃ。特に秘密結社、四家関係は念入りにな――それと()()()()()()()()()()()も対象じゃ。が、こっちはあまり近づきすぎるなよ? あれも頭の回る男じゃからな。勘づかれて撒かれるかもしれん。何か動きがあったらすぐ儂に報せよ。よいな?」

 

「「「きゃうっ!」」」

 

「話は終わりじゃ――いけ」

 

 主の一声で狸たちは一斉に暗闇の中へと散らばっていく。最後の一匹が消えたのを確認し、彼女は路地の壁に持たれながらそっと目を閉じて、

 

「(とはいえ、子分どもでは限界がある。儂自ら動かねばならんな)」

 

 犯人捜しに参加する意向を固めた。



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第83話 少女たちの密談

 深夜零時。皆が寝静まるころ、ひとりの男が周囲から光が漏れないように窓のない部屋でひっそりと明かりをつけた。

 彼はおもむろに部屋の隅に置かれている荷物の隙間に挟んであった真新しいA4サイズの茶封筒から四つ折りの手紙をスッと取り出し、パサリと広げる。

 その紙に書かれた内容に目を通し、ところどころ顔をひきつかせるも終始無言のまま読み終え、何事もなかったかのように手紙を火で炙り、燃やす。

 炎に照らされた表情は非常に暗いものながらもどこか凛とした雰囲気を漂わせていた。

 

 ――派手にやろうじゃねえか……。

 

 小声で呟いた男は物音を立てず、そっと床に就いた。

 

 

 同時刻、稗田邸にて。

 

「ごめんね、ふたりとも」

 

「いいのよ、こういう時くらい」

 

「そうだぜ」

 

 自室の真ん中で座布団に腰を下ろす阿求が、部屋の壁に背をつけてあぐらをかく霊夢と魔理沙のふたりと雑談していた。

 権力者への協力や混乱する里人への呼びかけを行い、狙われている身でありながら最低限の仕事をこなした彼女だったが、やはり深夜、稗田邸の女中たちだけで過ごすのは心もとなく、ふたりに付きっ切りで護衛を依頼したのだ。

 事態が事態なだけにふたりは二つ返事で了承して今に至る。

 豪華なお屋敷でのお泊りとあって、最初こそ若干、浮つき気味だったが、深夜を回った辺りには仕事人の顔つきで身辺警護に励み、その役割を果たしていた。

 いつもぐーたらなふたりが、今日ほど頼もしく見えた日はない。阿求の顔にほんの少しだけ笑顔が戻る。

 

「ありがとう。ホント、心強いわ」

 

「何よ、改まって」

 

「らしくねえな」

 

 霊夢と魔理沙が口を揃えて反応すると阿求自身も「そうよね」と苦笑いを浮かべて続ける。

 

「想像以上に参っているのかもしれないわね……」

 

「狙撃された訳だしね、仕方ないわよ」と霊夢。

 

「あぁ、そうさ。私らみたいにしょっちゅう妖怪と戦ってるのと違うからな。怖いはずだ」

 

 妖怪退治の専門家からはげまされるも阿求の顔色は優れない。しばらくは治らないな、と察した魔理沙が話題を変えた。

 

「ところでよ、阿求。何か心当たりはないのか?」

 

「心当たり……?」

 

「何でもいい。お前を恨んでるヤツとか、妬んでるヤツでもいい」

 

「……」

 

 しばらく口を噤み、顔を俯かせながら彼女は唸った。それは恐怖によるものではなく、隠し切れないといった観念に近く、その雰囲気を読み取った霊夢がすかさず詰め寄った。

 

「あるのね?」

 

 コクンと阿求が頷いた。息を飲みながら魔理沙が問う。

 

「誰、なんだ……?」

 

「《秘密結社》と《四家》の連中」

 

「「ッツ――!?」」

 

 頭の片隅にもしかしたら、そんな考えがあった魔理沙が顔を歪めて後ずさり、寝耳に水だった霊夢は驚きのあまり固まってしまう。

 咄嗟にふたりに顔を近づけた阿求が真剣な表情で「ここから先はオフレコで頼むわ。部外者の《狸》や《特命係》にも漏らしちゃダメよ」と小声で念押した。巫女と魔女は無言でコクンコクンと人形のように頷いた。

 自室の中心にふたりを集め、阿求が連中についてヒソヒソと語り出す。

 

「ここ最近、秘密結社がよからぬ動きを見せていたの。空地でやっていた会議を早朝や深夜、空き家や蔵でやるようになったり、やけに攻撃的な人間を仲間に引き入れるようになったりとね」

 

「秘密結社ってあの()()()()()よね? 幻想郷のルーツを探るとか、なんとかの」と霊夢は首を捻った。

 

 秘密結社。

 人里に存在する非公認組織である。

 主な活動内容は自分たち里人のルーツを明らかにすることであり、そのため調査の名目の下、里外で活動し、妖怪と戦い、死人を出すこともしばしば。言ってしまえば過激派の集まりである。自分たちは意義のある活動をしていると豪語するが、それでいて何の成果もあげられていない。

 霊夢からすればどこまでもお遊びの範疇であり、頭の片隅に辛うじて残るかどうかの連中だ。魔理沙にとっても同程度だろう。

 

「そうよ。自分たちのルーツを紐解くと言いながら、実際は妖怪から幻想郷を取り返そうと画策する反社会勢力。自由のために行動するのは勝手だけど、この問題はそんな簡単ものじゃない。騒いでどうにかなると思っているのなら本当に愚かよ」

 

 珍しく目つきを鋭くさせながら語尾に力を入れる阿求に霊夢が同意してみせる。

 

「それが幻想郷のためなのにね」

 

 目を閉じて鼻を鳴らす彼女に魔理沙は視線を逸らしつつ、

 

「……そうだな。私も表で暮らしたいとは思わん」

 

「皆、同じ気持ちよ」と霊夢が言った。

 

 阿求が話を続ける。

 

「今までは組織の体を成さないお遊び集団だったのだけど……それが急激に組織化されたのよ」

 

「何があったんだ?」

 

 魔理沙の質問に阿求が答えた。

 

「数か月前、不慮の事故で亡くなった先任者の代わりにリーダーとなった男が組織の変革を打ち出したのよ。『強い組織にならないと妖怪相手にまともな交渉すらできない』と語ってね。最初は誰も相手にしなかったけど、彼の強いリーダーシップのおかげで徐々に人が増え、厄介な集団へと変わってしまったの。私も部下に探らせるまで詳しく把握していなかったんだけど、知った時は頭を抱えたわ」

 

「いつわかったんだ?」

 

「今日の早朝……」

 

「……なるほどな。で、お前は連中が怪しいと睨んでいる訳か」

 

「色々と疑問は残るけどね。妖怪の仕業だって十分考えられるし」

 

「妖怪ならバルバトスとかいうヤツよね? 狩人だかなんだか知らないけど、叩き潰してやるわ」途端に意気込み出す霊夢。

 

「尻尾を掴まんことにはどうにもならんがな。しかしながら、今回の事件は謎が多すぎる――痕跡も残ってないし、妖気らしきものもない」と魔理沙が零す。霊夢が反応した。

 

「狩人だから隠すのに慣れているってことは?」

 

「ない訳じゃないが、お前相手に妖気まで隠すのは難しいだろう。微弱なやつならまだしも、相手は有名な悪魔だ。ばら撒けるほどの妖気を持ってるはずだぜ」

 

「そうよねぇ……」

 

 悪名高い悪魔なら持ち合わせる力もそこらの妖怪の比ではなく、勘の鋭い巫女から完全に妖気を隠せるとは考えにくい。眉間に皺を寄せながら考え込む霊夢を余所に魔理沙はもうひとつの連中について訊ねた。

 

「四家のほうも怪しいのか?」

 

「怪しいわ。報告だと秘密結社を支援している可能性がある」

 

「支援だと!? ()()()()がか? どこだ、そんな馬鹿なことをするのは!?」

 

 珍しく腹を立てる魔理沙に阿求が言う。

 

「今、調査中――個人的には火口家以外のどこかだと思うけど、証拠がない」

 

「水瀬、風下、土田のどれかか。どいつも胡散臭せえヤツらだからな。裏で何やってるかわかったもんじゃない」

 

 深刻そうな面持ちで話し込む阿求と魔理沙に蚊帳の外の霊夢がそろりと手を挙げる。

 

「あの~、その四家ってどういう連中なのかしら……。ヤクザってのは知っているんだけど」

 

 普段から霊夢は幻想郷の結界付近に住んでいるので里の内情には疎く、本人のいい加減さも相まって大した知識を持ち合わせておらず、ふたりの話についていけなかった。

 

「お前、相変わらず、里に興味がないんだな」

 

 ばつが悪そうな霊夢を魔理沙がジト目で見つめた後、説明を行う。

 

「四家ってのは簡単に言えば前々から里の生活基盤に関する仕事を仕切っている連中さ。火口、水瀬、土田、風下――それぞれがその方面のまとめ役をしてんのさ。同時に里で問題を起こしたヤツらの受け皿でもあり、居場所のない荒くれどもをしばいて働かせてるって訳だ。村八分になりやすいこの里で比較的、追放される人間が少ないのも連中が面倒を見ているからなんだ」

 

「里の外に出たら生きていけないものね」と霊夢が零す。

 

「でもって、この四家ってのは仲がよくない」

 

「どうして?」

 

 首を傾げる霊夢に今度は阿求が答える。

 

「荒くれどもが多く集まっているからね。しょちゅう喧嘩してるのよ。『ガン飛ばしたな』だの『勝手にウチの島に入るな』だの『俺の女にちょっかい出しただろ』だの、くだらないことでやり合う――上の人間に教育するよう促しても最初だけですぐ元通り。先代当主から仕事を任されたからって調子に乗り過ぎよ。ホント腹立つ」

 

 苦虫を磨り潰したような顔で阿求は怒りを顕わにする。四家は里公認の組織であり、組織を認めたのは幻想郷でも最上位の家柄を持つ稗田家の先代当主。

 つまり、阿求の父親である。先代と四家は仲がよく、先代の存命時は真面目に仕事をこなしていた。しかし、紅魔異変から少しして先代が亡くなり、阿求が稗田家当主を継いだ辺りから徐々に態度が変化。表向きは従順だが、裏で好き勝手やり出すようになったのだ。

 話を聞いた霊夢が疑問を口にした。

 

「そこまで言うなら連中を潰して、会の仕事を他に任せればいいんじゃない?」

 

「潰したら誰が荒くれ者を管理するの? 一応、貴重な労働力だから、上手に活用したいのよ。それに里の外へ追放するっていっても結構な数がいて、連中を追い出せば里の運営に支障が出るし、里人が不安がって悲観論や終末論が流れるかもしれないから治安的にみてよろしくない。おまけに長い間、四家が里の生活基盤を担ってきているから連中の持つノウハウが失われるのもマズイときた。火口家だけじゃ、カバーしきれないしなぁ……」

 

 嘆く阿求を尻目に霊夢が「火口家って特別なの?」と独り言のように呟く。

 

「彼らは古くから里に住む一族でね。稗田家と仲がよいの。だから、人里における火薬の製造と管理だけじゃなく()()()()の製造と管理も担って貰っているのよ」

 

「ある武器……?」

 

()()()よ」

 

「銃ですって!?」と霊夢が声を荒げた。

 

 ここで魔理沙が補足がてら口をはさむ。

 

「人里で唯一、火縄銃製造技術を持つ。それが火口家が代表を務める《火龍会》だ。あぶれ者の受け皿となっている手前、態度の悪いヤツもいるが、他の家に比べて、義理堅い連中が多くてな。ここに住んでた頃は時々、世話になったもんだ」と魔理沙が当時を懐かしみ、阿求がつなげる。

 

「火口は四家の中でもっとも信頼できる存在よ。以前より、そういった危険物の管理を依頼しているけど、今まで一度も稗田家を欺かなかった」

 

「ふーん、そうだったのね。知らなかったわ」

 

 あぐらを組んで感心する霊夢に魔理沙が「勉強になったか?」としたり顔で訊ね、彼女が「一応ね!」と舌を出してから、催促する。

 

「ついでに他の三家についても詳しく教えてよ」

 

 魔理沙は「しょうがないな~」と満更でもない表情で頷いた。

 

「水瀬家は水道業や水運業を取り仕切る《水龍会》の代表だ。トップはどこか顔つきが香霖に似た三十くらいのいけ好かない眼鏡野郎でな、アイツの性悪三倍増しだ。用心するに越したことはない。土田家は土木を取り仕切る《土龍会》の代表だ。こっちは五十代の太ったおっさんだ。声がデカくてうるせえが、ずる賢いヤツだ。信用ならん。最後は風下家率いる《風龍会》だ。連中は里の賭博を仕切っている。イカサマなんぞしようものなら、複数の組員に拉致られ、こっぴどくしばかれた上で出禁にされる。代表は七十代の白髪ババアだが、雰囲気は芝居に出てくる極道そのもの。腕自慢の会員でも逆らえんくらいの覇気がある。こと口論においては四家最強――不用意に近寄らんことだ。軽く見ていると痛い目に遭う……」と言ったのち、魔理沙は小さくため息を吐いた。

 

「ふーん、そう……」

 

 まるで遭ってきたかのようね、と思ったが、霊夢は口に出さなかった。

 会話が途切れたのを見計らい、眠気を覚えた阿求が「私はそろそろ休むけど、いい?」とふたりに伝えたことで雑談はお開きとなり、三人揃って阿求の自室で仲よく床に就く。

 こうして波乱に満ちた一日が終わった。



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第84話 稗田の四家訪問 その1

 次の日の早朝。尊は日の出と共に目を覚ます。徹夜で疲れた眼を擦って身支度を整えた彼はひとり、テーブルへ向かい、無造作に散らばった数枚のA4用紙に嫌々ながら目を通す。

 右京の私物から拝借した白紙に事件の概要やキーとなるポイントなど書き連ねたが、昨日判明した以上のものは得られなかった。

 尊は両手で頭を押さえながらテーブルに肘を突く。

 

「足で稼ぐしかない……か。なんだか、刑事時代に戻ったみたいだな。ハハ」

 

 脳裏に右京との捜査が思い浮かべ、呆れ笑いをしたのち、部屋にあった残りものを口に詰め込み、昨日と同様にスマホの写真と睨めっこを始めたが、結果は同じだった。

 一時間が経過し、外に人気が出てきたのを見計らい、尊は部屋を出て本日の捜査を開始する。大通りに出ると、道を歩く人間の数が普段と比べて明らかに少ないことに目がいく。

 里人と会ったとしても、その大半は尊の顔を見かけた途端、身体をビクッと震わせて視線を逸らし、足早に去っていく。

 その様子に不安を抱きながらも尊は捜査を優先させ、狙撃現場へと向かう。 鈴奈庵についた彼は右京が撃たれた場所から狙撃現場を眺める。迷った時は最初から洗い直す。捜査の鉄則である。今回のような特殊な環境下ならなおのことだ。

 指で弾道をなぞり、狙撃地点の確認を終え、聞き込みのために狙撃地点の民家を訪れる。扉をコンコンと叩くと昨日の女性ではなく、その父親と思わしき人物が出てきた。

 尊が事情を話して再度、屋根と庭先を調査させてほしいと頼むが父親は困り顔で「昨日、調べて何もなかったんだろ? だったら、もう止してくれ。これ以上、ご近所さんから変な目で見られたくない」と言って取り合おうとはせず「そこをなんとか」と粘る尊を半ば強引に玄関の外に追い出した。

 一旦、諦めた尊が民家の外に出ると、着物姿のおばさんたちがヒソヒソと立ち話をしており、彼と目が合った途端、一斉に散っていった。

 

「田舎特有の()()か……」

 

 よそ者や疑惑の人間に対し、根も葉もない噂を作り、あーでもないこーでもないと嘯く悪習。これが捜査を大きく妨げていると彼は悟る。

 

「協力者が必要だな――」

 

 このままだと何もできない。そう思った尊はその足で様子見も兼ねて、稗田邸を目指した。朝七時半、尊は稗田家の門を叩く。すぐに女中が対応し、数分経つころには広間に通される。

 そこにはいつもの着物に身を包んだ阿求を真ん中に寝癖の直ってない霊夢と魔理沙が警護するように座っていた。軽く会釈した尊が三人と向かい合うように腰を下ろしてから阿求に訊ねる。

 

「昨日はよく寝れましたか?」

 

「おかげさまで」

 

「私らがつきっ切りで警護したんだ。当然だろ」

 

 と鼻を高くする魔理沙に頷く霊夢。阿求はそれを無視して話を続ける。

 

「調査に進展はありましたか?」

 

「その、特には……」

 

「そうですか。こちらも何人かにあたってみましたが、手がかりはおろか、目撃証言すらありませんでした」

 

「なるほど……」

 

 双方、情報はなく、会話が途切れ、しばし無言となる。そこに静寂に耐え切れなくなった魔理沙が、

 

「黙ってても、らちが明かん。捜査するしかないだろ」

 

 と一言。尊が「わかっているさ」と返し、阿求へ質問する。

 

「稗田さん、里で変な噂とか流れていませんか?」

 

「変な噂?」

 

「ここにくる前、狙撃場所の民家を訪ねて再度現場を見せて貰うようにお願いしたのですが家主に『ご近所さんから変な目で見られるから』と断られてしまったんです。だから、何かあったのかな、と思いまして」

 

「……狭い人里ですから、憶測が飛び交ってしまうのです。昨日、マミさんもそのことについて問題視しておられたので、私も対処して回りましたが、どうにも収まる気配がなくて」

 

「どんなことが囁かれているんですか?」

 

「犯人が妖怪かそれとも人間か、実は誰々が犯人なんじゃないか、など色々です。家主もそういった類の噂を立てられて精神的に参ってしまったのでしょう。こらちから使いの者を送り、捜査に協力してくれるように依頼してみます」

 

「ありがとうございます」

 

 阿求の計らいに尊が頭を下げる。そのとき、阿求の側にいた女中が彼女にそっと耳打ちする。

 

「神戸さん、申し訳ありませんが、今から人に会ってきますので、この辺りでよろしいですか?」

 

「はい、わかりました」

 

「霊夢、魔理沙――今日もお願いね」

 

「「ええ(おう)」」

 

 そう言って、阿求たちは立ち上がり、客間を後にしようとした。気になった尊が呼び止める。

 

「どなたにお会いなさるのですか?」

 

「里の知り合いです」

 

「もしよかったら、ぼくも同席させて頂けませんか? 一応、表では警備を担当する部署に在籍しているので、警護にお役にたてるかと思うのですが――」

 

「申し出はありがたいのですが……不安がりますのでご遠慮ください」

 

「そうですか、差し出がましいことを言ってすみません」

 

「いえいえ、何かありました気兼ねなくいらしてください。それでは」

 

 尊の申し出を断った阿求は護衛を連れて一足先に屋敷を後にする。彼もまた女中に見送られて稗田邸の外に出て、そのままきた道を戻る。

 道中、彼は「俺は蚊帳の外か……」と、やり切れない気持ちを吐露した。

 

 

 自宅から少し離れたところに向かう阿求たち一行。無言で歩く阿求に霊夢が訊ねる。

 

「で、どこに行くの?」

 

()()家よ」

 

「四家か……。そりゃあ、あのにーさんを連れて行けない訳だ」と魔理沙が言う。

 

「そういうこと。色々話さなきゃならないことが多いからね。とてもじゃないけど、部外者は同席させられない」

 

 険しい顔つきで語る阿求に霊夢もまた真剣な表情で「それがいいわ」と同意した。魔理沙も同意見のようで、

 

「だな。てか、他の家も回んのか?」

 

 と訊ね、阿求が答える。

 

「もちろんよ。少々危険ではあるけど、判断材料が欲しいからね……。そっちは慧音さんにも同行してもらうわ。状況が状況だから、ね」

 

「ヤクザは信用ならない。ましてや生意気な連中でしょ。いくならその気でいかないと」

 

 ボキボキと拳を鳴らしながら霊夢が笑顔を見せる。

 

 明らかにやる気満々なその態度に他のふたりが呆れながらも「まあ、その時はその時」と内心、覚悟した。それほど里を混乱させた罪は重いのである。そうこうしている内に一行の視界にお屋敷の門が入ってくる。

 

「あそこが火口家よ」

 

 稗田家ほどとはいかないが、風格のある屋敷だった。すぐ隣には火薬を扱う倉庫や火縄銃の製造所が併設させており、その規模を足してようやく稗田家の半分程度の規模だ。

 門を叩くと使用人が出迎え、三人を門内へと案内する。盆栽と小さな池が立ち並ぶ日本庭園を歩いて、玄関へとあがり、そのまま客間に通される。

 大きな松の木が描かれた戸を開けた先にはお座敷が広がっており、その中心には黒い袴を着た二十後半とみられる大柄な男性が立っていた。彼は阿求たちに気がつくや否やすぐに頭を下げる。

 

「ご当主、おはようございます」

 

「おはようございます、火口さん」

 

 引き締まった身体から繰り出されるシュッとしたお辞儀は些かのギャップを感じざるを得ない。顔を上げた反動で短髪の黒髪がふわっと揺れる。強面ながら、どこか凛とし、修羅場でも潜ってきたかのような佇まいだ。面食いで有名な霊夢が「あら結構イケメンじゃない!?」と心を躍らせる。

 そんな霊夢の視線を察知した阿求が軽い咳払いと共に会釈してから後ろのふたりを紹介する。

 

「こちら、博麗神社の巫女さんと霧雨雑貨店の娘さんです。今、護衛をしてもらっています。同席させてもよろしいですか?」

 

「もちろんです。さあ、どうぞこちらへ」

 

 ヤクザとは思えない丁寧な態度で火口は三人を座らせた。お茶とお菓子が用意され、話し合いの準備が整う。そのタイミングで阿求が切り出した。

 

「朝早く、お邪魔して申し訳ありませんね」

 

「いえ、本来はこちらが足を運ぶべきだったところを、こうしていらっしゃってくださるとは」

 

「火口さんだってお忙しいでしょう? 私なら大丈夫ですから」

 

 と阿求は気丈さをアピールする。しかし火口は表情を変えなかった。

 

「怪しいところがないか、という確認ですね?」

 

「さ、流石にそこまでは」

 

 阿求が口を押えるが、火口は続ける。

 

「最近、秘密結社が裏でコソコソしてますから。無理もない。自分らも警戒はしていますが、これといった動きはない」

 

「そうですね、リーダーが変わってからというもの、組織の質が変わってしまったようにみられます」

 

「アイツは頭の回るヤツですからな」

 

「「()()()?」」

 

 渡されたお菓子をポリポリと口へ運びながら、疑問を浮かべる霊夢と魔理沙に阿求が説明する。

 

「現、秘密結社のリーダーは奥村雅彦《おくむらまさひこ》。大通りの八百屋のひとり息子よ。小さい頃から頭がよくて勉学はできたけど、反抗的だったそうよ。慧音さんも手を焼いたと言っていたわ」

 

「ふーん、八百屋の息子ねぇ~。なんでそんなヤツが結社なんかに」そうコメントして魔理沙は腕を後ろ手に回す。

 

「周囲の話では尊敬していた父親が心臓麻痺で急死してから妖怪を恨むようになったらしいわ。冬場、厠で倒れていたから事件性はないと判断されたのだけど。それが原因じゃないかと睨んでいる」と阿求が推察する。

 

「恨みね……」

 

 恨みが原因で道を誤った人間を間近で見たばかりの彼女は反射的に視線を座卓の隅に落とす。心中を察した魔理沙が、

 

「よくある話じゃねぇか、気にするな」

 

 と声をかけた。

 

「……何を考えているのかわからんが、里に迷惑だけはかけないでほしいものです。自分らには()()()()()()()()()()のだから」

 

 火口は顎を押さえながら唸り、目を閉じた阿求が「まったくですね」と返す。その口ぶりに霊夢と魔理沙も思わず頷く。

 そこから、一時間ほど他愛もない会話を続けた末、火口は阿求に全面的な協力を惜しまないと語り、武器の管理を徹底に見回りを強化、報告を欠かさず行うと約束した。約束を取りつけたところで話し合いは終わった。

 玄関まで三人を送った火口は阿求に礼を言ったのち、霊夢や魔理沙にも「ご当主をよろしく頼む」と告げ、お土産として巾着に包んだお菓子を手渡した。

 すっかり気を良くしたふたりを尻目に阿求は一礼して火口家を出た。途端、貰ったお菓子を眺める霊夢が顔をニヤけさせながら、

 

「火口さんいい人だったわね~」

 

「な? 人望があるって言った通りだろ?」

 

 同じく、巾着を開けて中身を確かめる魔理沙。阿求は恥ずかしさのあまり、特大のため息を吐いた。

 

「まったく、卑しいったらありゃしない。ちょっとは行儀よくしなさい!」

 

「ごめん……」

 

「すまん……」

 

 稗田家の面子が丸つぶれである。彼女の表情がそれを物語っていた。とはいえ、状況的にいつまで怒っていられない。すぐに気持ちを切り替え、彼女はテンションの下がったふたりを伴い火口家を後にする。

 三人の後ろ姿を物陰から神経質そうな青年が恨めしそうに眺め、吐き捨てた。

 

「(笑っていられるのも今のうちだ)」



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第85話 稗田の四家訪問 その2

 道中、寺子屋に寄り、慧音を加えた阿求一行は火口家から二十分ほど歩いた里の北端にある水瀬家の門を叩いた。一分ほど遅れて門が開くと、ガラの悪そうな中年の男が阿求たちを招き入れ、そのまま応接間へと案内した。

 彼女たちが部屋に入るとふたりの用心棒を両脇に置いた眼鏡の男が愛想笑いしながら出迎える。

 

「これはこれは、稗田さん! よくぞいらっしゃいました」

 

 男は身長160センチとやや小柄かつ痩せこけた頬が特徴的で、茶髪になった霖之助のような容姿をしていた。確かに霖之助に似ている。霊夢は昨日の魔理沙の説明に納得した。阿求が挨拶を返す。

 

「こんにちは、水瀬さん」

 

 火口の時とは異なり、阿求の顔は笑顔が一つもなく、どこかピリピリとした雰囲気を漂わせていた。

 その佇まいに水瀬は苦笑いを浮かべつつ「どうぞお座りください」と四人を座布団に座らせ、お茶とお菓子を出す。

 水瀬はヘラヘラしているが、周りの部下は一切笑っておらず、どこか視線が鋭い。

 霊夢と魔理沙も何かを嫌なものを感じ取ったのか、出されたものに手をつけようとはしなかった。準備が整ったところで阿求が切り出す。

 

「お聞きになっているとは思いますが昨日、何者かに狙撃されました」

 

「存じております。外来人が庇って急死に一生を得られた、と。いやいや、本当にご無事で何より――あ、犯人は見つかりましたか? 里中大混乱で、会員が仕事をしたがらなくて困っているのです」

 

「鋭意調査中です。何かわかったらお知らせします」と阿求はきっぱり答える。

 

「お命を狙われたばかりで調査とは。些か、危険では?」

 

「それについては妖怪退治の専門家ふたりと慧音さんに護衛してもらっていますので問題ありません」

 

「妖怪退治……。ということはそちらのおふたりは博麗神社のお巫女さんと雑貨屋さんのお嬢さん?」

 

「そうです」

 

「ほう」

 

 数秒ほど、ふたりを興味深そうに眺めた水瀬はふふっと口元をゆるめた。

 

「お噂はかねがね。私なんかよりずっと若いのにもの凄くお強いとか。いやぁ、羨ましい限りです。我々は常に妖怪の脅威と隣り合わせですから。是非とも退治法をご教授して頂きたいものだ」

 

「里にいれば安全なのでは?」

 

 何気なく、霊夢が返すと水瀬は首を横に振った。

 

「水龍会は里外の運河や湖でも活動するのです。井戸の整備から水道の管理、ときには漁業まで。水に関する事業を一手に引き受けております。おかげで妖怪に遭遇することもしばしば。威力の心もとない弓や数少ない火縄銃で威嚇を繰り返して妖怪を追い払うのですが、それでも妖怪は繰り返しやってきます。ですから、妖怪退治法を教え頂ければなと思いましてね」

 

「お、お札とかでいいなら……」

 

 これはお金になるな。そう思いつつ霊夢が提案するが、水瀬は肩を竦める。

 

「それでは追い払うのが関の山です。もっと()()()()()()が知りたいのですよ」

 

 目の奥を光らせる水瀬の真意に気づいた霊夢が目つきを細くして「ということはつまり――()()()()()()()()()()退()()()()()と?」と訊いた。

 

 水瀬はあっけらかんとしながら「あはは、そこまでは望みませんよ」と言って、おどけてみせる。

 

「話が逸れてしまいましたね。今のは忘れてください」

 

「……」

 

「(いけ好かない野郎だぜ)」

 

 一連のやり取りに魔理沙が内心で吐き捨てる。他のメンバーも皆、同じ気持ちのようだ。水瀬は両手を軽く振って冗談を装うも、不気味な作り笑顔は相変わらずだった。

 

「稗田さん、我々水龍会も何か協力できることはありませんか? 事件解決のため、会員たちを働かせますよ?」

 

「お気持ちは嬉しいのですが、相手が妖怪か人間か不明な以上、余計な犠牲者を出す可能性もあります」

 

 阿求がやんわりと提案を断ると、水瀬は微かに笑顔を崩した。

 

「事件捜査はそちらで行うと?」

 

「里のためです」

 

「ま、我々里の人間では力不足。致し方ない。そちらのお嬢さん方のように強い訳でもありませんし――わかりました、里の治安維持に尽力致します。そこで一つお願いがあるのですが」

 

 両手をパンと叩き、頭を下げる水瀬を阿求が訊ねる。

 

「なんでしょうか?」

 

「対妖怪用に火縄銃をいくつかお貸しくださりませんか? 現在の数だと心もとなくて」

 

「今の所持数はいくつです?」

 

「壊れているものを除けば、三丁です」

 

「壊れているものを除けば?」と阿求が突っ込む。

 

「えーと、どれくらいだったかな……。おいお前、覚えているか?」

 

 銃の数を忘れた水瀬が部下に問う。ガタイのいい部下が低音を響かせながら「五丁です」と答える。

 

「五丁だそうです。壊れたものは火龍会に持って行かせますので、補てん分だけでも貸し出して頂けませんか? なにせ、このような事態ですし」

 

 手もみしながら詰め寄る水瀬に阿求は感情を込めずに対応する。

 

「検討してみます」

 

「ありがとうございます! 妖怪がうろついていると思うと夜も不安で眠れませんから、アハハッ」

 

 本気で言っているのかふざけて言っているのかわからず、困惑する霊夢、魔理沙、慧音の三人を余所に阿求があの組織の話題を出す。

 

「ところで水瀬さんは秘密結社をご存じですよね?」

 

「秘密結社……? あぁ、あのガキ共ですか――知ってます。人間の歴史を取り戻すとか言って妖怪に突撃を繰り返している幼稚な連中。本当に愚かですよ! ……で、何故、そんな話を?」

 

「現リーダーが攻撃的な人物で、裏で組織的に活動しているとの情報が上がっているのです」

 

「へえーー。それは初耳です。けど……言われてみればここのところ、空地や道端で演説とかしなくなりましたね。前はそれなりの頻度でやってた気がしますけど……。まさか――今回の狙撃はアイツらが!?」

 

「それはまだ不明です。妖怪の可能性も十分あります。何か情報が入ったらすぐに知らせてください」

 

「承知いたしました」

 

 その後、他愛もない話で三十分ほど繰り返し、キリのよいところで阿求が時間を理由に訪問を切り上げる。水瀬と水龍会の構成員に見送られながら一行は屋敷を後にした。

 しばらく、歩いてから周囲に誰もいないことを確認した阿求が正面を向いたまま、独り言のように訊ねた。

 

「どうだった?」

 

「怪しい人よね。妖怪を自分たちだけで倒そうとしている節がある」

 

「同感だ。ちょっとばかし社会基盤を担っているからって調子に乗ってるんだぜ」

 

「たださえ、火縄銃の使用を許可しているのだ。これ以上、武装させる訳にはいかない」

 

 霊夢、魔理沙、慧音が水瀬に対する嫌悪感を顕わにし、阿求もまた同意する。

 

「そうよね。妙に白々しいところもあったし……。間者に探らせるわ。次は土田家にいくわよ」

 

 そして、一行は土田家へと向かった。そのタイミングで近くの屋根上で羽を休めていた鴉が翼を広げて飛び去った。

 

 

 鴉は里を抜け、里外の茂みの中へと降りていく。着地地点には茶色いブレザーを羽織ったおなじみの社会派記者が木陰にもたれかかっており、羽音が頭上に響いた瞬間、右腕を真横に伸ばして鴉を迎える。

 

「偵察ご苦労。成果はあった?」

 

 記者の問いに鴉はカー、カーと鳴きながらジャスチャーで説明らしき行動を取った。ときおり、頷いたり、目を鋭くさせたりしながら数分間の報告を行わせる。

 もう十分だと判断したのか、記者は鴉に餌を与えた上で上空へと解き放ち、再度偵察へ向かわせた。茂みの残った記者はこれまたおなじみの帽子の柄に手をかけた。

 

「狙撃犯の正体は未だ掴めず。さらに人里の権力者がよからぬことを企んでいるかもしれない、か……。笑えない冗談です。しかし――」

 

 それを外す。晒されるのは黒色セミロングの髪と尖った耳、そして童顔。

 

「ジャーナリスト魂に火が点きますね」

 

 射命丸文は静かに嗤った。



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第86話 稗田の四家訪問 その3

 同時刻。捜査に行き詰った尊は鈴奈庵を訪れ、店番の小鈴と会話していた。

 

「今日も貸本屋を開けてるんですか?」

 

「本を借りにくる人がいるかもしれないので」

 

「歩いている人、少ないけどね。天気も曇ってきそうだし。ほら」

 

 尊が指さす窓ガラスの先には薄暗い雲が後方から里を覆うように徐々に迫っている。

 

「あはは……そうですね」

 

 こんな天気だとほとんど人がこないな。悟った小鈴が右手で頬をポリポリと掻いた。そのときだった。ガラガラと扉が開き、客と思わしき人物が店内に入ってきた。

 

「ごめんください」

 

 その人物は尊の見覚えのある人物で、小鈴に挨拶して店内をキョロキョロと見回し、彼を発見するや否や、一直線に歩み寄って会釈する。

 

「こんにちは。文々。新聞の射命丸です」

 

「……あぁ、どうも」

 

 尊が歯切れの悪い挨拶で返した。何故なら、彼女こそが杉下右京排除論ができるもしくは後押しのきっかけを作った張本人だからである。

 彼の態度で自身がよく思われていないと察するも文は気にかけることもなく「座ってもいいですか?」と訊ねてから尊と向かい合うようにテーブルについた。

 真面目な顔つきをした文が右京について訊く。

 

「杉下さん、撃たれたそうですね」

 

「ええ、この店の正面で」

 

「災難でしたね。ご容態のほうは?」

 

「安定していると思います」

 

「永遠亭に運ばれたのですよね。あそこなら警備も万全。後は回復を待つばかりですね」

 

「ついでにホシもあげたいところです」

 

「手土産ですね。アタリはついてるんですか?」

 

「まだです」

 

「優秀な神戸さんのことですから。実は証拠とか掴んでいるんじゃありませんか?」

 

 文がジッと尊を凝視する。笑い顔やしたり顔など、表面的な圧力はないが、静かながらにプレッシャーを放ち、相手を威圧する。相変わらずな女だな、と彼は呆れた。

 

「ない訳ではありません」

 

「見せて頂けませんか?」

 

 すかさず催促する文に対し、尊も瞬時に首を振って断る。

 

「まず稗田さんに許可を貰ってください。ぼくは部外者です。勝手な真似はできません」

 

「何かわかるかもしれませんよ?」

 

「だとしてもです」

 

「こちらを信用なさってくださらないのですね。こう見えても老舗の新聞屋なんですよ、私」

 

「幻想郷には報道協定がありません。表で刑事をやっていた身としては協定なしでの情報開示は強い抵抗があるんです。申し訳ありませんが――」

 

 報道協定を引き合いに出して揺さぶりを回避する尊だったが、何度も同じ手にやられる文ではない。突如、彼の話しに被せるようにこっそりと告げる。

 

「こちらも色々掴んでいる情報があるのですが……。例えば()()()()()()とか」

 

「――ッ!?」

 

 行き詰まりの状況の中、少しでも手がかりの欲しい警官の心をくすぐるような言葉。ここにきてしたり顔になった文の顔を目の当りにした尊は「コイツ、こっちが手詰まりなのをいいことにっ」とポーカーフェイスを装いながら舌打つ。相手の表情が崩れたのを確認した文が立て続けに、

 

「お互いの情報――交換しません?」

 

 と囁いた。里人には警戒され、阿求は自分をはぶいて独自に捜査を行う、マミは油断ならない。味方のいない状況で持ちかけられた情報交換。揺らがないはずがなかった。だが、警察官はその信念を曲げず、

 

「……致しません。阿求さんに相談してからいらしてください」

 

 はっきりと断った。文は微笑して、

 

「わかりました。それではまた」

 

 鈴奈庵を後にした。彼女が室内から消えた途端、尊は特大のため息を吐いた。

 

「厄介すぎんだろ、ここの住人」

 

 幻想郷の住人――特に人外勢力はスタンドプレーを好み、首を突っ込んでは好き勝手に行動する連中が多い。

 そのため()()()()()()()()調()()()()()と指摘される。もちろん、組織に属している者は組織内では力関係に従う。けれど、一度離れてしまえば、後は自由気まま。レミリアジャッジメントで体験した通りである。

 その様子を脇から見ていた小鈴が気を利かせて「大丈夫ですか?」と緑茶を持ってくる。

 

「ありがとう。ちょっと疲れただけです。心配しないでね」

 

 全ての住人が協調性皆無という訳ではない。親切心を見せる小鈴からお茶を受け取りながら、尊は乾いた喉を潤し、身近で協力的だと思われる人物に片っ端から声をかけるべく鈴奈庵を立ち去った。

 

 

 時刻は十二時半。阿求たちは土田家を訪問しており、すでに客間で話し合いが始まっていた。

 

「で、稗田さん。今日は何の用ですかい?」

 

 座卓を挟んで一行が対面するのは袴を着た小太りの六十代の男性――土田家当主だ。彼は肌色が見え隠れする頭をボリボリと掻きながら、笑って見せる。

 背後では筋骨隆々な若者が四人ほど立ち並んで代表を守っていた。

 その若者たちはどこか面倒くさそうにしており、中には仕事中にも関わらず、欠伸すらしてしまう輩もいる。明らかに教育がなっていなかった。

 四人は不快感を覚えたが、ぐっと我慢する。

 

「昨日の狙撃事件の犯人を捜しております。心当たりありませんか?」

 

「ある訳ないじゃないですか。ん、その目――もしかして儂を疑ってらっしゃるんですか!?」と土田は声を荒げた。

 

「そうではありません。ただ、怪しい者を見かけなかったか、とか手がかりになりそうな情報が欲しいのです。全ては里のために」

 

 阿求が否定するのを聞いた土田は安堵したように、

 

「あーそれならよかったですわー。うちもガラの悪いがヤツ多いんで、こういう時になるといっつも疑われる。堪りませんわー」

 

 事態の深刻さがわかっているのかいないのか。マイペースな土田にイライラしながらも阿求が質問の内容を変える。

 

「何か変わったこと、おかしいと思ったことはありませんか?」

 

「ないですなぁ……。あん? そーいえば……狸がコソコソしてますな」

 

「狸……ですか?」と阿求は目元をぴくんと動かした。

 

「そうですー。前々から狸が増えてますけど、ここ数週間は特に数が増えてるんで、困ってるんですわ。山に食い物ないんかなー。だから〝毒餌〟でも撒こうかなと思っとるんです」

 

「それは……控えて頂けませんか? 無関係の動物も巻き込むかもしれませんので」

 

「ん~なこと言っても、こっちも屋敷の周辺に糞出されて毎回掃除しとるんですよ!? これ以上、我慢できませんわ!」

 

 狸の存在が気に入らない土田が声を荒げて訴えた。阿求は彼のイライラを鎮めるべく腰を低くして対応する。

 

「こちらでも対処しますので、何卒……」

 

「はぁ……わかりましたわ。ご当主の頼みですからなぁ~」

 

 稗田家当主の頼みとあって土田は嫌々ながら聞き入れる。阿求は()()()()()()()()()()()と知人の狸に憤りを覚えながら話を進める。

 

「他に何かありませんか?」

 

「他ねぇ……。うーん、特にないですわな。あ、曇り雲がこっちにくるな――雨が振りそうですな。今度、荒木が移り住む一軒家、昨日の内に大方の工事終わらせてよかったわ」

 

 向かい来る雨雲を見て納期に間に合わせたと喜ぶ土田に「お前は話し合いをする気があるのか?」と阿求が頭を抱えるもなんだか、まどろっこしくなり、こちらが聞きたい内容をストレートで訊ねた。

 

「あの……秘密結社について何か聞きませんか?」

 

「ん? 秘密結社。……特にないですわ。だってここ最近、まともに活動してないでしょ? 里内で演説も妖怪への攻撃もやってない。解散でもしたんじゃないですかい?」

 

 と早口気味に回答した。阿求は口元を押さえながら、

 

「……かもしれませんね」

 

「ははは、子供の集まりですからな!」

 

「ええ」

 

 さらに話し合うも特別、気になる情報が聞きだせた訳でもなく、土田のくだらない世間話が大半を占めた。

 慧音に「息子がアンタのことが好きだと言ってた。どうです?」と結婚話を振り、魔理沙には「しっかし、母親に似てかわいくなったな。本当にあの親父の娘か?」と笑いながら冗談を語って彼女の顰蹙を買い、霊夢には「アンタ、よく空飛んでの見かけるけど、下着とか覗かれたりしないんか?」や「神社の経営、大丈夫か? もしもの時はうちで買い取るぞ?」など失礼な発言を連発。

 

 三人とも腹立たしいまでのストレスを抱え、いつ爆発してもおかしく状況に陥ったのを察し、阿はが予定より早く話し合いを打ち切った。

 見送りに若い衆がつくが、半ば無視するように霊夢と魔理沙が外に出ていき、それを阿求と慧音が追う形となり、足早に土田家を去る。

 ある程度、離れたと見るや否や、

 

「なんだよ、あの無神経クソじじいは!! 人が黙っていれば!!」

 

「全くよ!! 何が下着よ――何が経営、大丈夫か? よ。余計なお世話だわ!!」

 

 魔理沙と霊夢が怒りを爆発させ、地団駄する。遅れて慧音も、

 

「あんなところに嫁などいけん」

 

 と吐き捨てた。

 

 阿求は「ごめんなさいね」と呟いてから、先ほどの土田の受け答えを思い出し、

 

「(終始、能天気な土田さんだったけど、秘密結社の話題に触れた途端、真面目な語り口になった。怪しいわね)」

 

 より強い警戒と周辺を探らせることを密かに決めた。



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第87話 稗田の四家訪問 その4

 時間は阿求たち一行が土田家で話しているところに戻る。尊は酒場谷風の隣、舞花の自宅にいた。

 鈴奈庵を出た彼はすぐに店先で掃除をしていた舞花と出会った。間髪入れず彼女から「杉下さんは大丈夫!?」と詰め寄られ、尊は狙撃時のことを教えられる範囲で伝えた。

 立ち話もなんだということで舞花は尊を自宅に招き、お茶を出すことにした。彼もまた、そのほうが色々と話を聞けるだろうと誘いに乗り、今に至る。

 軽い雑談を振って様子を窺いつつ、安堵からか胸を撫で下ろした舞花に尊が切り出す。

 

「今、狙撃犯を追っているんですけど、杉下さん狙撃の件で怪しいと思う人物はいませんか?」

 

「人物……? 犯人は人間なの!?」

 

「いや、それはまだ……。ただ、妖怪と人間。どちらの可能性も捨てきれないので質問されてもらってます」

 

「わかったわ。私の周りはきっと妖怪の仕業に違いないって囁いている」

 

「その理由は?」

 

「ご近所さんが噂していたけど、犯行現場周辺の民家の庭に何か落ちていたのよね。だけど、それ以外、どこからも痕跡が出ないんでしょ? だったら妖怪の仕業に違いないっていうのが周りの意見ね。

 こんな殺し方、里の人にできる訳ない。そう言ってる。常連さんも似たり寄ったりだけど――あ、そういえば、さっき大通りでばったり会った、抗うつ薬おじさんが稗田さんは()()()()()()()もしくは()()()()()()()()()()()()に巻き込まれたのだと語ってたわね……。元々、陰謀論大好きだからねぇ」

 

 閉鎖空間での情報の拡散は尋常じゃなく早い。尊が限られた人物にしか伝えていないにも関わらず、舞花にまで知られているのだから。しかしながら、それ以上に妖怪の報復や抗争といったワードが尊の刑事の勘を刺激した。

 

「襲撃や抗争……どういうこと?」

 

「稗田さん、というより昔から稗田家は複数の妖怪と繋がってるって囁かされていたの。おじさんはそれを快く思わない新参者に襲撃されたって睨んでいるんじゃないかな。確かに妖怪ってヘンな札片手に問題起こすから、無いとは言い切れないけど。……わざわざ里に入ってくるかな?」と舞花は首を傾げた。

 

「繋がり、ですか……」

 

 阿求の動向を見る限り、妖怪と繋がりがあるのは明白だった。舞花の口ぶりからして里の人間はその辺りの事情をあまり知らないのではないか、と尊は勘繰る。

 

「彼女は妖怪の生態について詳しく記述された幻想郷縁起を執筆してますよね。妖怪との繋がりがないと書けないよな、アレ」

 

「前に稗田さんが幻想郷縁起の中身は慧音先生や知人のツテを使って妖怪と接触、取材して執筆したと言ってたわね。だから直接的な関わりはないらしいわ」

 

「なるほど……。ですが、どうして襲撃されなければならなかったのか」

 

 その疑問に舞花は首を横に振って知らないと答える。すかさず尊がもう一つの説について訊ねた。

 

「もう一つの、妖怪同士の抗争ってのは?」

 

「さぁ、わからないわね。以前、それっぽい話を聞いたような気もするけど……」

 

「それ、思い出せませんか?」手を合わせながら尊が舞花に詰め寄る。

 

「って言われてもね。おじさんと話すのって営業中だけで、あの人、基本的に酔っぱらってるから適当に流しちゃうのよ。だって寒いでしょ? あの親父ギャグ」

 

「アハハ……」

 

 ずばっと言うのが舞花の性格ではあるが、本人の持ちネタが寒いと一刀両断されるのはさすがに同情せざるを得ない。

 

「でも、何か思い出せませんか?」

 

「えー……」

 

「少しでもいいから」

 

 あるわけないと言いたげだったが、尊が必死に頼んでくるので舞花は眉間に皺を寄せ、口元を押えながら記憶をたどる。数分後、彼女が口を開く。

 

「うーん……あぁ、お客さんが減って私とおじさんのふたりっきりのときだったわね。あの人『妖怪が里を牛耳るため、互いに牽制し合っているに違いない』って喋ってたかな……。たぶん、それ?」

 

「妖怪が里を牛耳るため、か――」

 

 そう言って、尊はしばし考え込み、

 

「抗うつ薬おじさん。どこに住んでいるか教えて頂けませんか? 直接お話を伺いたいので」

 

「いいけど……あんまり質問攻めにしないでね。うつ病、悪化したら大変だから」

 

「わかっています」

 

 舞花から住所を聞き、彼女に挨拶して家を出た尊はその足で抗うつ薬おじさんの自宅を目指す。

 

 

 尊がおじさんの自宅へ向かうのと同じ時、阿求たちは風下家の門前まできていた。

 稗田家の屋敷に比べれば小さいが、いかつい雰囲気を醸し出ており、遠目から見てもヤクザの邸宅のような印象を受ける。

 

「いい、皆――ここは他の三家とは違うから、心してかかるのよ。余計なこと言っちゃダメ」

 

 阿求が小声で忠告し、三人は無言で頷いた。一行が扉を叩き「稗田です。開けて下さい」と言うと門番が扉を開けて、屋敷へと招き入れる。

 中に入ると見事な盆栽たちと鯉の住む池がある日本庭園が一行を迎えた。稗田家や白玉楼には及ばないにしろ、一行の目を引くには十分だった。

 

「結構、いいお屋敷ね」

 

「悪くない趣味だぜ」

 

 霊夢と魔理沙は興味津々といった感じで案内されながらも視線を動かしてあちこち確認し、阿求と慧音を呆れさせる。玄関に案内されて靴を脱ぎ、長い廊下を歩き、客間へと到着し、案内役が掃除の行き届いた障子を開く。

 そこには黒を基調する鶴の描かれた立派な着物をきこなし、白髪をのりで固めた老婆が正座で待っていた。

 部下の声に老婆が反応して目を開くと、鷲のように鋭い眼光が解き放たれる。その圧力はすさまじく、妖怪との戦いに慣れている霊夢と魔理沙を狼狽えさせた。彼女らの姿に満足したのか、老婆は口元を緩ませ、

 

「よくいらしてくださいましたな。稗田はん」

 

「ご無沙汰しております、風下さん」

 

 神妙な面持ちで老婆こと風下に接する阿求。周囲にはバチバチとした刺々しい空気が漂っていた。辺りがソワソワしているところを尻目に風下は「こっちに座ってな」と手招きし、用意させた座布団に四人を座らせる。

 普段なら、胡坐をかくはずの魔理沙も今回ばかりは皆を習って正座を披露して、三人を軽く驚かせた。座ったのを見た風下が阿求へ話しかける。

 

「こうして少数で会うのは()()()()()()()()以来やな」

 

「ええ、そうですね」

 

「幻想郷縁起の時?」と魔理沙が言い、霊夢も首を傾げる。

 

「色々あったのよ」

 

 小声で言って聞かせる阿求だったが、風下が口をはさんだ。

 

「ウチは稗田はんと〈九冊目:幻想郷縁起〉の内容で揉めたんや。妖怪に忖度し過ぎた内容やったからな。ウチはどうしてもそこが納得できなかった」

 

 そう語る風下に阿求が反応する。

 

「時代の流れです。仕方ない部分はあると何度も説明致しました」

 

「だからって里人が妖怪に興味を抱くような内容はあきまへん。見栄えのよい人物画なぞ持って他。妖怪と人間はどこまでいっても敵同士や。敵を美化するなぞ言語道断」

 

「美化などしておりません。客観的に描かせました」

 

「女ばっかりやったやん。あれじゃ、若い男や女どもが憧れてしまう。載せるにしても、もっと異形の怪物みたく描かせなアカンわ――ガキ共が引いてしまうくらいに」

 

「とは言いますが、インタビューに協力してくださった方々の大半が女性の人型妖怪でした」

 

「妖怪にとって性別や姿なんて飾りや。可愛くみせておるんやろ。昔から人を誑かすのが上手なんや」

 

「本性を見せないという部分はあるでしょうけど、私が接した限り、その大半が女性であったのは事実です」

 

「だから可愛く描いても問題ないか。困ったもんやな、里と妖怪の橋渡し役が妖怪側についとるなんて」

 

「私は人間側ですが?」

 

「どこがや。アンタが稗田家当主になってから、昼間から妖怪とその手下が堂々と歩くようになったやん。人の姿してるからって妖怪には変わりない。以前は深夜になってからこっそり買いものにやってくる程度やったんやで。それもこれも妖怪の作った()()()が流行ってからやな」

 

「スペルカードルールは画期的だったと思いますが?」

 

「確かに人、妖怪問わず、本気の殺し合いを避け、遊戯でケリをつけさせるってのは英断や。それは認めておる。しかしな、連中――時々、それを里の中でしおるやろ? 『人の姿してるから人間だ』なんていつまでも通せると思うんか?

 勘づいているヤツはそれなりにおる。そういう輩がなんでアイツらが楽しそうに空飛び、里の内外関係なしに遊んで自分らは里の中でひっそりと恐怖に怯えて暮らさなあかんのやと不満を抱えて、道を誤る。易者の若造も、七瀬とかいう娘もそうだったんちゃうか?」

 

「それは……」と阿求は表情を曇らせる。

 

「言えんか。けど、態度で察しがつく。結構、近い線いっておるんやろ? 可哀想な話やで。これ、アンタの忖度の責任ちゃうの?」

 

「……」

 

 目を逸らして無言を通す阿求に風下がため息を吐く。

 

「ま、禁忌を犯したのは事実やし、悲惨な結末迎えてもしゃあないわな。まったく、妖怪に近づこうなんてどこまでも愚かや。敵になるようなもんやからな。絶対に見過ごせん。そういった手合いはウチがアンタの立場でも()()する。それが里のためやしな」

 

「「「――ッ!?」」」

 

 その発言に阿求以外のメンバーが驚愕した。一体、この女はどこまで知っているんだ、と。皆の視線が風下に集中する。

 

「でも悲しいで。里の仲間、手にかけるようなもんやしな。アンタはどうか知らんけど」

 

「私だって人間です。思うところはありますよ」

 

 阿求は半ば投げやりな態度で言ってのけた後、心底不満そうにふんっと強く鼻を鳴らした。その様子に風下はふふっと零しながら呆気に取られている三人を見た。

 

「とまあ、こんな感じでウチと稗田はんは意見が合わんのや。おかげで大層、嫌われておる」

 

 そう説明した風下に阿求が噛みつく。

 

「嫌っているとは人聞きが悪い」

 

「事実やろ。こーんな小っちゃい子供の頃から定期的にここへ遊びにきてたやんか。それが最近はパッタリや。あーあ、あの頃はよかったなぁ。先代がいてアンタがいて。けれど、あのときのアンタも普通の娘とは違って、子供っぽくなかったっけな」

 

「前世から引き継がれる記憶があるものでして、子供のように振るまえないのです」

 

「その割にはウチの宝物庫へ案内すると、やたらはしゃいでいた気がするが」

 

「き、気のせいです」

 

 と言いながら阿求は咳き込むが、

 

「そのときだけは目、キラキラさせてて可愛かったで」

 

「人の前です。あまり関係ないことを言わないで頂きたい!」

 

 恥ずかしさのあまり、阿求は顔を赤らめながら風下に辞めるように詰め寄った。本人はケラケラと笑いながら、

 

「はいはい、わかったって」

 

 と頷いた。話はいよいよ本題へと移っていく。



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第88話 稗田の四家訪問 その5

 阿求たちが風下家で会談する中、尊は抗うつ薬おじさんの自宅を訪ねていた。

 

「よくきてくれたな。表の方!」

 

「あはは、どうも……」

 

 屈託のない笑みを浮かべたおじさんは、壁のいたるところに大小様々な張り紙が貼られ、足の踏み場のないほど散らかった部屋に客人を招き入れた。

 特命時代、お邪魔した陣川警部補宅と同等かそれ以上の汚部屋だったが、手がかりを掴むために尊は必死に笑顔を取り繕い、出された座布団に座って話を伺おうとするのだが。

 

「舞花さんからお聞き――」

 

「ところで紳士どのは大丈夫か!? 撃たれたのだろう!?」

 

「ご心配なく、適切な処置を受けたのち、永遠亭へ搬送されましたから。じきに回復するでしょう」

 

「それはよかった! 朱鷺鍋を頂いたお礼がまだだったからな。何かお返しを、と考えていたのだ」

 

「そうですか、きっと杉下さんも喜ぶと思います。それでなんですが――」

 

「朱鷺のお返しだから鶴のお返し――反物というのは如何かね?」

 

「はあ?」

 

 尊が吹き出す。

 

「いや、だから鶴の恩返しというのがあるだろ? それを捻ったのだが難しかったか?」

 

「あ、そうですか」

 

 もはや、親父ギャグでも何でもない単なるこじつけについていけず、尊は言葉を詰まらせた。彼はひとりはしゃぐ抗うつ薬おじさんを観察しつつ、話を切り出すタイミングを窺い続けた。

 数分後、自問自答の末、お返しが決まらないおじさんが「紳士どのは何か貰ってうれしいものはないか?」と尊に訊ねる。その際、元部下が、

 

「自身の身体に風穴を開けた犯人の情報ですかね」

 

 と答え、おじさんの興味を引くことに成功する。

 

「犯人の情報……? そんなものは持ってないが――」

 

 視線を天井に移し、再び自分の世界へ籠ろうとするおじさんに尊が自身の疑問を強引に聞かせる。

 

「ここに来る前、舞花さんからお話を聞かせて頂いたのですが、あなたは彼女に稗田さんが()()()()()()()もしくは()()()()()()()()()()()()に巻き込まれたと語っていたそうですね。これはどういった意味なんですか?」

 

「ふむふむ! よくぞ聞いてくれた。解説しよう――少し待たれい」

 

 そう言うや否や、おじさんはモグラのように紙の海へダイブ。周囲に散乱する大量の紙の中から複数の資料を取り出す。手書きのメモ、文々。新聞、その他もろもろの文献を片手に彼は熱弁を振るう。

 

「私の言う〝新参妖怪〟というのは幻想郷の結界外からやってきた外来妖怪や隣接する空間から訪れた住民、後は郷内で生まれたばかりの妖怪が相当するが、妖怪以外の人外も含まれる――だから〝新興勢力〟とも表現できるな。

 この手の連中は自分の存在を主張すべく、過激な行動を取る傾向にある。大半はスペルカードと呼ばれるお札を片手にルールに乗っ取った決闘を始めるが、中にはルールを無視して行動する危険な妖怪もいる。そういった無法者が稗田どのを狙った可能性は大いにある」

 

「外来妖怪に隣接する空間の住民、郷内で生まれた妖怪……。具体的にどのような方を指すのですか?」

 

「外来妖怪なら吸血鬼などの西洋勢。隣接する空間の住民なら冥界や天界、地獄の勢力――亡霊の女王や天人、鬼が当てはまるな」

 

「郷内で生まれたばかりの妖怪というのは?」

 

「特定の方法で妖怪になった者を指す」

 

「特定の方法?」

 

「〝人を食う〟〝妖怪化の儀式を行う〟などの条件だ。これらはいくつかのパターンのごく一部であり、全てではない。新参者は加減を知らん連中が多いから、大規模な異変に繋がることも少なくない。その度、里は危険に晒されるが、博霊の巫女が解決する。これが一種の形式美となりつつあるな」

 

「確かに縁起を見る限り、霊夢さんが異変を解決して回ってますね。でも、どうして皆おとなしくしないのか……」

 

「生活のため、暇つぶし、自身の存在証明――様々だな」

 

「というと?」

 

「結界の外からやってくる連中は元いた場所から居を移してくる訳だろ? つまり生活に支障をきたしたからさ。だから自分たちが生活しやすいように移住先で環境を整える。住む場所がある隣接空間の住人は暇つぶし感覚で問題を起こして退屈を紛らわし、郷内で生まれたヤツは力を誇示または存在を認知してもらうべく行動を起こす」

 

「郷内で生まれた妖怪はどうして存在を認知させる必要があるんですか?」

 

「〝怖れ〟を得るためだろうか。これが無ければ妖怪は存続できない」

 

「妖怪の()()ってヤツですか」

 

「かもしれぬな」

 

「……」

 

 バルバトスの挑戦状を確認している尊はおじさんの考察も満更ではないと評価――外来妖怪が幻想入りし、その領地を奪い取りにきたとする侵略説も現実味を帯びてきたが、表には出ていない情報なので、バルバトスの件を伏せながら会話を続ける。

 

「ですが、それだけだと何故、稗田さんが狙われたのかまではわかりませんね」

 

「外来勢の仕業ならば、脅しか挑発のどちらかだろうな」

 

「里に対してのですか?」

 

「幻想郷の妖怪に対してだな――『自分たちはルールを守らないぞ』そういう意思表示に取れる」

 

「既存の勢力が関わっている可能性は?」

 

「ほぼないだろうな。稗田どの由緒正しき生まれ。さらに稗田阿礼の生まれ変わりで地獄の閻魔さまに仕える徳の高いお方と聞く。閻魔様の側近を攻撃することは閻魔さまとの全面対決を意味する。力ある死神、鬼、霊が一斉に敵に回るのだ。これほど恐ろしいことがあるか? いくら妖怪とはいえ避けるはずだ」

 

「そう言われてみれば……納得ですね」

 

「これは、荒れるだろうなぁ。しばらく部屋に籠るしかなさそうだ。……掃除、しておくか」

 

「それをオススメします、ハハ……」

 

 散乱する紙類を手に取り、肩を落とすおじさんに尊は乾いた笑いを添えて答える。時間が惜しい尊はすかさず、もう一つの説を訊ねる。

 

「次は()()()()()()()()()()()について教えてください」

 

「わかった――しかし、あくまで私の憶測だ。現在研究中が故、あまり言いふらさないでくれよ」

 

 自分は舞花に漏らしていたよな、と白けたような目でおじさんを見やるが、尊は流して対応する。

 

「は、はぁ――了解です」

 

 尊が頷くと同時におじさんは彼に詰め寄り、耳元で持論を展開し始めた。

 

「幻想郷にいる妖怪や力ある者はなんだかんだ理由を作っては、里に干渉しようとしているように思われる」

 

「その根拠は?」

 

()だな」

 

「勘……?」 尊がキョトンとする。

 

「確証がないのだ。けれど胸騒ぎがしてならない」

 

「どうしてそうお考えに?」

 

「表向き、里の中に妖怪はいない――とされるが時々、見知らぬ女どもが空を飛んでいるところが目撃されるし、里のど真ん中でスペルカードバトルを繰り広げたりする。

 空中で攻撃し合う連中を指差して私が『アレは妖怪だぞ』と言っても大半の里人は『外からやってきた人間じゃないのか? 可愛らしいし』。妖怪じゃなければいいのかと訊ねても『人間ならいいんじゃないか? 仮に妖怪だとしても我々への敵意がなければ許容できる』と答えるのさ。

 普通、空を飛ぶ人間なんていたら警戒するだろ? 妖怪と思わしき連中を里中で見かけたら恐怖するだろ? スペルカードが流行る前は大騒ぎだったのだぞ」

 

「どうして騒がなくなったんですか?」

 

「天狗新聞の影響だろうな」

 

「天狗新聞って文々。新聞ですか?」

 

「そうだ。定期的に妖怪の詳しい情報が里に撒かれ、皆が新聞に目を通すようになってから意識が変わっていったのさ。恐怖というベールに包まれた妖怪の生態が里人にも届く。中身はおぞましい内容が少なく、人間が見ても嫌悪感のない記事が多い。

 些か、作為的に感じられるが、そのおかげで幻想郷の考察が捗るようになった。しかしながら私は怖くてたまらん。里から既存の価値観が薄れ、消えていくこの現状がな」

 

「参考になります。ただ、それがどう()()()()()()()()()()()につながるんですか?」

 

「新聞を読めば読むほど、妖怪たちを含めた里外勢力は頭がよく、強かな者たちだと思い知らされた。妖怪にとって里は大事な場所だ。ここのところ、外来した新興勢力が増え、それぞれが何かしらの方法で里と関わりを持とうとしている。その流れに合わせるように既存の勢力も里にすり寄ってきている。妖怪はわがままな個人主義者の集まり。この状況を放っておくとは思えない。

 そうなれば妖怪同士争うのは目に見えている。この疑問を稗田どのや白沢どのにぶつけても『考え過ぎですよ』と言われてまともに取り合ってもらえない。そうこうしているうちに狙撃事件が起こった。疑わずにはいられんのだ。対立のもつれが原因なのではないか、とな」

 

 抗うつ薬おじさんは項垂れながら、右手で額を押さえた。白玉楼で右京から考察を聞かされていた尊は彼のことを笑う訳でもなく「なるほど」と、頷くにとどめた。

 しばしの間、両者とも無言のまま、考え込んでいる。おじさんは今後の不安、尊は犯人へと繋がる手がかりを。そして、尊が独り言のように、

 

「もし、稗田さん狙撃の犯人が()()だったとしたら?」

 

「なんと!? そんなこと――」

 

 とおじさんが声を荒げるが、尊は意に返さない。

 

「あなたは誰が怪しいと思いますか? 外来人でも里の人でも誰でも構いません。挙げてみてください。あなたから聞いたとは口外しませんから」

 

「どうしてそのようなことを訊くのだ!? 人間が稗田どのを攻撃するなど――」

 

「仮定の話です。ぼくはこうみえて表で警察やっている身なので事件を多角的に見る癖がついてるんです。先入観は時に捜査を妨げるし、場合によっては冤罪を生むきっかけにもなる。決定的な証拠が見つかっていない以上妖怪、人間を問わず、疑わなければならない」

 

「……」

 

 もっとも過ぎる意見におじさんはぐうの音も出ず俯き、口を閉ざした。やはり里の仲間を疑いたくないのだろう、と尊は解釈し、申し訳なさそうに悩むおじさんに言った。

 

「すみません。今のは忘れてください。……時間も頃合いなのでぼくはこれで失礼します。貴重なお話、ありがとうございました」

 

 これ以上、負担を掛けるのは舞花との約束を破ることになると判断した尊が軽く頭を下げ、立ち上がった。家の外に出るために踵を返したとき、おじさんがドンっと立ちあがった。

 

「待ってくれ――心当たりが、ある」

 

 

 ところ変わって風下家。阿求と風下家代表の会談は続いていた。話の主導権は完全に風下が握っており、あの阿求が珍しく振り回されている。

 ときに厳しい意見、ときに思い出話、ときにまるで関係ない話題。緩急をつけた独特の語り口も相まって誰もペースを合わせられない。そんな印象だった。

 黒色の袴を着たガタイのよい男に自らの煙管を持ってこさせ、一行の許可を得てから火を点け、そっと吹かす。煙を吐き終わった彼女はチラリと一行を見やってから笑った。

 

「しっかし、改めてみるとすごい顔ぶれやな。博麗の巫女と雑貨屋の娘に寺子屋の先生。部下からアンタらの到着を聞いた時()()()()()()()()()()()と身構えてもうたで」

 

「そんな訳ないじゃないですか……」阿求は戸惑った。

 

「わからんやろ? 時代は変わったんやから。ウチみたいな頭の堅いヤツはいつ消されてもおかしくない」

 

「数十年も前から里に尽力している方々にそんなことできませんよ」

 

「その言葉が本当なら嬉しいな。けど、それでいいのかとも思う」

 

「え?」

 

 意味深な言葉を呟く老婆に阿求が目を丸くし「それはどういう意味ですか?」と訊ねるも本人は「それはいいとして」と軽く流す。

 

「そろそろ本題に入ろうか? ここにきた理由、それは狙撃事件の件やろ?」

 

「そうです。心当たりは――」

 

「ある」と風下は断言して「知りたいか?」と続けた。

 

 阿求はコクンと頷く。すると風下は廊下のほうを見て「あっちに六畳一間の個室があってな」と煙管の先を向ける。

 

「こっから先はウチとアンタ――ふたりっきりで話さんか?」

 

「「「な!?」」」

 

 周囲に動揺が走った。それは阿求たちだけではなく、近くで話を聞いていた風下の部下たちも同様だった。寝耳に水と言わんばかり、護衛と思われる黒服の男たちが即座に近寄り、

 

「代表、それは危険です! ソイツらがもし武器でも持たせたりしてたらどうするんです!?」

 

 その物言いにカチンときた魔理沙がすかさず物申す。

 

「なんだと!? それを言い出したら、てめえらのほうが危険じゃねえか!! 阿求のヤツは身体が弱いんだ――いくら相手が年寄りとはいえ、取っ組み合いになったら負けちまう」

 

 その言い分に目つきを鋭くした黒服が言い返す。

 

「あぁ? 何、代表を侮辱してんだよ、親不孝者の癖によ」

 

「あぁん? どういうことだよ?」

 

「魔法に魂を売って、あっち側についた女だって言ってんだよ?」

 

「あっち側だぁ!?」

 

「里、抜けてそこの〝妖怪巫女〟とつるんでる裏切り者だっつってんだよ。とぼけてんじゃねえぞ、妖怪の飼い犬どもが!!」

 

「んだと、てめぇ!!」

 

 普段から気にしていることを言われ、さらに親友まで侮辱され、これ以上ないほど腹を立てた魔理沙が懐に手を伸ばし、八卦炉を取り出そうとした。

 

「ちょっと魔理沙!!」

 

 霊夢が慌てて魔理沙を制止するのだが、それと同時に風下の部下たちも懐に仕込んだ獲物をチラつかせ、一触即発の状況に陥る。そこへ――、

 

「やめえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!!!!」

 

 鬼神の如き怒号が轟き、周囲の者たちの時間が止まったようにピクリとも動かなくなった。声の主は風下である。風下は妖怪とも見間違うほど、鋭い睨みを効かせて部下を一喝する。

 

「誰が、客人相手にドス出せと教えた? とっととしまえ」

 

「しかし――」

 

「しまわんかい!!!! これ以上、恥かかせたら、しばくぞゴラァ!!」

 

「す、すんません!!」

 

 獲物をしまった黒服たちは心底怯えたような目をしながら、そそくさと定位置に戻っていく。その光景に四人は顔を引きつらせた。外野が静まったところで風下は阿求に言った。

 

「すまんな。ウチの部下が無礼を働いた」

 

「こちらにも非があります。何卒、お許しを」

 

 謝罪を済ませた風下が魔理沙を見る。

 

「別に取って食おうという訳やない。ただ、部外者抜きにして話したいんや」

 

「部外者? 私らがか?」

 

「そやで。普段から里の外で生活してる連中と半人半妖の先生。誰が妖怪に漏らすかわからんからな」

 

「私と魔理沙はわからなくないけど、この先生まで……?」と霊夢は腑に落ちない様子だった。

 

 それは慧音も同じだった。

 

「私のことも信用してくださらないのですか?」

 

「話が話やからな。アンタが真面目にせんせーやってはるのは知ってるけど、どちらかと言えば、妖怪側やろ?」

 

「どうしてそう思われるのですか?」

 

「文々。新聞に出てたアンタの取材記事を見てそう思った――特に歴史を妖怪側から語ったところは見逃せんかった。アレは人間に慕われている妖怪が喋っていいことちゃう。反乱分子を増やすだけや」

 

「それは……」

 

「付き合いも多少なりともあるんやろうけど、知ってしまった以上、腹割った話はできん。ええな?」

 

「……」

 

 どこか思うところがあるのか、慧音は無言のまま俯いた。

 

「で、稗田はん――どうする?」

 

「お受けします」と阿求が即答。他の三人を驚かせた。

 

「そか。ならいこうか?」

 

「はい」

 

 一対一の話し合いへ身を投じる彼女を魔理沙が「本当にいいのか? せめて服のチェックくらい」と助言するも阿求は必要ないと断る。未だ自分を信用しない魔理沙に風下はこう言い切った。

 

「もしこの人に何かあったら、ウチは晒し首になってもええし、部下たちも里の外へ追放してもらってもいい。もちろん風下家も解体――財産は里のものや。父ちゃんが表から持ち込んだ宝もあるさかい。かなりの額になるで。これでも信用できへんか?」

 

「うぐ……」

 

 ここまで啖呵を切られたら、さすがの魔理沙も黙るしかなかった。異論が出なくなり、客間が静かになったところを見計い、阿求を連れて客間から少し離れた個室で改めて話し合った。

 一時間後、真剣な顔つきをした風下と阿求が個室を出て、客間に戻る。そこでは霊夢たち、特に魔理沙と黒服の男が不機嫌そうに睨み合っていた。風下はそれを愉快そうに眺めつつ、

 

「話は終わったで」

 

「色々なお話をお聞かせいただき感謝申し上げます。皆、失礼するわよ」

 

 阿求はペコリとお辞儀してから三人を連れて客間を去ろうとする。風下も部下と一緒に阿求たちを玄関まで見送る。その帰り際、風下が阿求に念押しするように言った。

 

「ウチの言ったこと、忘れんようにな」

 

「はい」

 

 その会話ののち、風下家を出た一行は、その足で真っ直ぐ稗田家まで戻った。



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第89話 孤独なワトソン

 抗うつ薬おじさんの自宅を後にした尊は大通りを歩きながら彼が話した内容を振り返る。

 

 ――四家と秘密結社を知っているか?

 

 ――ええっと、どっかで聞いたような……。

 

 ――四家は里の社会基盤を担う有力者たち。秘密結社は反妖怪思想を持った連中で、妖怪から幻想郷を奪取することを最大の目的としている。

 

 ――あぁ、思い出した。ありましたね。でも、秘密結社ってそんな過激な連中だったんだ……。

 

 ――過激も過激。表向きは人間の歴史を取り戻すという理由で活動しているが、裏では妖怪を敵視して特攻も辞さない。短刀や弓を片手に戦いを挑んでも勝てる訳ないのにな。

 

 ――確かに無理でしょうね……。火縄銃とかは?

 

 ――銃は四家の一つ、火口家の火龍会によって厳重に管理されている。貸出を許可されるのも会が信用できると判断した里人と組織だけ。結社の連中が手にできるとは思えんな。

 

 ――魔理沙も厳しく管理されてるって言ったな。

 

 ――ただ、四家の中には管理がずさんな連中もいるから何とも言えんが……。それでも奴らが銃を持つことはありえん。

 

 ――だから無謀な試みなんだ。

 

 ――つい三か月前も死者を出したばかりだ。しかも結社のリーダーだ。

 

 ――え、リーダーが?

 

 ――里の外を探索中、妖怪に襲われて死亡したと発表されたな。

 

 ――そりゃあ、お気の毒ですね。

 

 ――ただ、その後に就任したリーダーがなぁ……今までとは違う感じのヤツでな。これがまた強かななんだ。

 

 ――どんなふうに?

 

 ――まず演説を中止し、妖怪への特攻を止め、妖怪に対抗すべく力を蓄え始めた。

 

 ――力?

 

 ――人材だ。アイツが就任してからというもの、性格にこそ難あるが、頭のよい奴らを組織に加え始めたんだよ。噂では副代表も含め、反妖怪思想を持った頭脳派の連中が揃っていると聞く。

 

 ――抗うつさんはどこでそのお話を?

 

 ――里で情報収集していて偶然、入手したのさ。狭い里だからな。茶屋や貸本屋などで座って聞き耳を立てているだけで質のよい情報にありつけることもある。

 

 ――へぇ、参考になります。で、抗うつさんは誰が犯人だと? 四家ですか? 結社ですか?

 

 ――……流れ的に秘密結社が怪しいと思っている。

 

 ――つまり、その代表が何らかの形で事件に関与していると?

 

 ――うむ……。この話はくれぐれも内密にな。バレたら報復がくるやもしれん。

 

 ――決して話しません。ご安心を。あ、ついでにそのリーダーの住む場所、教えてくれませんか?

 

 ――里の大通りにある八百屋の倅だ。名前は――。

 

「そろそろ八百屋が見えてくるかな」

 

 薄暗い雲のせいで夕方にもかかわらず視界が暗い。尊は目を凝らすように大通りの店舗を確認する。

 

「あれか。普通の八百屋だな――ん?」

 

 遠くから観察していると、店の正面で見知った顔の女が店主と思わし女性と話している光景が目に入った。尊は込み上げる不快感を押さえ、会話が聞こえる範囲まで近づき、身を隠しながら話を盗み聴く。

 

「ご子息の()()()()さんとお会いしたいのですが、今どちらに?」

 

「えっと、あなたは?」

 

「ルポライターの文と申します」

 

「るぽらいたー?」

 

「記者だと思って頂ければ」

 

 顔見知りの正体は射命丸文である。相手が記者と知った母親は口元を押さえ、

 

「うちの息子は悪い子じゃない!! 何も悪いことなんてしてない!!」

 

 激昂した。文は両手を振って彼女を宥めようとするが。

 

「えっとあの、ただお話をお聞きしたいだけで――」

 

「帰って下さい!! 帰れ!!」

 

「あ、あの――」

 

 周囲を見やると騒ぎを耳に入れた里人たちが足を止め、ざわつき始めていた。文は一瞬、面倒臭そうな素振りを見せるも、すぐに分が悪いと判断し「わ、わかりました――帰ります」と退散していった。

 直後、奥村の母親が周囲の人だかりを睨み「皆してあの子のことを疑って!」と叫んで閉店時間でもないにも関わらず、店の戸を思いっきり閉めた。

 それを「可愛そうに」と気の毒に思う者もいれば、肩を竦めて「アイツの息子は結社のリーダーだって噂だろ? 怪しいもんだな」と小馬鹿にする者もおり、騒ぎが終わるとやじうまは数分でどこかへ散った。

 尊は彼らに嫌悪感を覚えながらも母親の言った言葉を復唱する。

 

「『皆してあの子のことを疑って』か。どうやら奥村雅彦が秘密結社のリーダーだという事実はそこらの里人にまで知れ渡っているようだな」

 

 誰かひとりが喋れば里全体に伝わる。閉鎖社会のなせる技だ。母親に思うところはあるが、今は同情している場合ではない。尊は気持ちを切り替えた。

 妖怪記者の配慮なき取材で貴重な情報源を失った。路地に身を寄せながら、次のいく当てを考える。

 結社を探ろうにも彼らに関する情報をほとんど持っていないのでどうすることもできないし、張り込もうにも大通りの商店街で路地にも人気がある。何より。

 

「……さっきから狸とか鴉が多いな」

 

 曇りにも関わらず地べたには狸――塀、屋根、木には鴉がジッとこちらを窺っている。そのとき、尊は動物が妖怪の手下になっているケースがあることを思い出し、

 

「まさか俺、監視されてんのか?」

 

 と勘づき、息を飲んだ。

 

「もしかして、あの天狗が俺より先に奥村の母親にコンタクトを取っていたのって――」

 

 幻想郷の鴉天狗は野良鴉を子分として使役する。鴉天狗の手下に後をつけられ、情報を抜き出されていた。その可能性に尊は口元を押さえて「クソッ――きたねえ」と地団駄を踏んだ。

 

「(これじゃ、迂闊に捜査もできない)」

 

 宙を舞う小柄な鴉の尾行を撒くのは人間を撒くレベルの比ではない。おまけに地面に目をやれば狸がこちらをチラチラと張り込んでいる。あちらこちらに潜んでいるのだ。

 妖怪に情報が知れれば、何を仕出かすかわからない。妖怪たちの動機が不鮮明な以上、迂闊に協力体制も引けない。何故なら。

 

「(この里に潜む妖怪が犯人を秘密裡に処分しないとも限らない)」

 

 法律なき幻想郷では犯人の扱いも個人の裁量に任される。隠ぺい体質と思われる里勢に曲者の妖怪たち。犯人が無事でいられる保証はどこにもない。だからこそ、その前に捕まえたいのだ。()()を聞きだすために。

 

「(敵討ちもそうだけど、もし()()()()()()が手に入ればこっちとしても)」

 

 ――何をしておるのかな?

 

 唐突に背後で声が響く。尊が慌てて後ろを向くとマミが立っていた。

 

「あ……マミさん。どうかしましたか?」

 

「それはこっちの台詞じゃよ。八百屋の様子を窺っているように見えたから、気になったんじゃ」

 

「いや、まぁ、その……八百屋の息子さんが何やら怪しい団体に関与しているとお聞きしまして――」

 

「秘密結社じゃろ? 知っておる」

 

「なるほど。マミさんはどう思います?」

 

「どう、とは?」

 

「秘密結社のリーダーは事件に関係していると思われますか?」

 

「……まだわからんな。色々調べてみているが、決定的な証拠が掴めずにいる。じゃが――」

 

 彼女は八百屋の軒先をジッと見つめた。

 

「明日、空地でリーダーが演説するとメンバーらが語っていたな」

 

「演説? どのような?」

 

「そこまではわからん。引き続き、調査を続行する」

 

「もしよろしければ、ぼくもマミさんとご一緒したいのですが……?」

 

「……それはご遠慮いただこうかの」

 

 マミは眼鏡を曇らせながら、低いトーンで言った。

 

「どうしてですか? 理由を――」

 

「神戸どの。あまり()()()()へ踏み込もうとするでない。火傷じゃ済まなくなるぞ」

 

 そう語って、彼女はクルリと踵を返し、この場を去っていく。マミの後ろ姿を尊はジッと睨みつけながら、握りこぶしを作った。

 

「(俺は諦めねぇからな)」

 

 反骨精神を顕わにする外来人。彼の決意を背中で感じ取ったマミが「すまぬの」と視線を落とした。

 

 

 いく当てを失った尊は再び鈴奈庵へと戻る。鈴奈庵の玄関を開けるといつもはいの一番に挨拶を行う小鈴が姿を見せない。

 尊がそのまま奥へ進むと小鈴が左腕に野菜の入った買いもの籠を持った少年に数冊の本を手渡す光景が目に飛び込む。

 

「この本、お借りしていきますね」

 

「はい、またのご来店をお待ちしております!」

 

 普段のテンションとは少し違った艶のある声色が尊の耳に届く。何気なく、こちらへ歩いて来る少年の姿を覗き見ると、その理由がわかった。

 

「(あ、この子イケメンだ)」

 

 表の優男とは少々、異なるタイプの爽やかな男子だった。着物からもうっすらと引き締まった筋肉が確認できる。いつの時代も乙女は美男子に弱い。

 同じイケメンの尊も彼の容姿に気を引かれ、視線を外すのが遅れてしまい、本人と目が合ってしまう。誤魔化すために尊が挨拶した。

 

「こんにちは」

 

「こんにちは。特命係の人ですか?」

 

「うん、そうだけど。どうしてわかったの?」

 

「服装ですかね。そんな恰好しているのは里では表の方くらいですよ」

 

「言われてみればそうだね」

 

「杉下さん、お怪我のほうはいかがです?」

 

「あぁ、大丈夫だよ。あれ、杉下さんと会ったことあるの?」

 

「ええ、貼り紙をしていた際に少しだけお話しさせて頂きました。とても親切な方でしたので心配で……」

 

「そうだったんだ。杉下さんに会ったら君が心配していたって伝えておくよ。えっと、お名前は?」

 

「狩野です。ではまた」

 

「またね」

 

 少年はお辞儀をして鈴奈庵を出ていった。よい人間もいるものだ。尊はどこかうれしいそうに席に着き、日課になりつつある事件の考察を始めた。



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第90話 集いし乱雲

 同時刻、稗田邸にて。

 阿求は霊夢と魔理沙、慧音を自室に集めて対策会議を練っていた。

 先ほどの会談により、もたらされた情報から必要な部分をだけを掻い摘み、大方の説明を終えた阿求が皆に結論を聞かせる。

 

「――以上のことから疑わしいのは秘密結社だと思っている」

 

「まさか、そんな厄介な連中になっていたとはね……」

 

「だな……。お遊び集団が里の代表を狙う過激派集団に変貌、か。酷い冗談だぜ」

 

「前々から注意していたのだがな……」

 

 霊夢、魔理沙、慧音は深刻そうに唸った。そこに女中が扉をノックし、阿求へ来客を報せる。すると女中の後方から何事もないように、

 

「上がらせてもらうぞい」

 

 マミが入ってきた。阿求は顔を顰めて「勝手に入らないでください」と強めの口調で牽制。来客を快く思っていないようであった。

 しかし本人は、そんなことどうでもよかった。

 

「特命係が秘密結社を疑っているようじゃぞ?」

 

「なんですって?」

 

「里人に聞きまわって情報を手に入れたらしいのぉ。さすがは表の警察官といったところじゃわい。カッカッ」

 

 そう言って、彼女は部屋の壁に持たれかかる。飄々としたマミの態度に阿求はいつになく腹を立てるも、平静を取り繕った。

 

「まぁ、それならそれで構いません。向こうの出方に合わせてある程度の情報をお渡しすればよいのです」

 

「いっそ、皆で捜査すればとも思うじゃが」

 

「できませんよ。わかるでしょ?」

 

「冗談じゃよ。知っておる」

 

「用件はそれだけ? でしたらお引き取りを」

 

「冷たいのー。せっかく情報を持ってきてやったというのに。儂くらいは仲間に混ぜて欲しいものじゃがなぁ~」

 

「その程度の情報、大して役に立ちません。対価にしては高すぎます」

 

「なんじゃ、その冷たい態度は? こっちが親切に教えてやっておるのに」

 

「親切心には感謝しています。ですが、今はふざけている場合ではないのです。あ、それとあなたの子分が糞をまき散らしていると四家から苦情がありました。今すぐ撤退させてください。じゃないと毒餌をばら撒かれますよ?」

 

「ふん、そうか。ご親切にどうも! さて、邪魔者は消えるとするかの!」

 

 阿求は尊だけでなくマミもよそ者と同じように扱い、退席を求めた。

 ヘソを曲げたマミは不機嫌そうな態度を顕わにしながら扉を開け、出ていこうとしたが、何かを思い出したのか、ピタリと立ち止まり、

 

「――そういえば明日、秘密結社の連中が空地で演説すると張り切っておったぞ。何もなければよいな」

 

 とだけ告げ、屋敷を後にした。

 

 

 翌日。鈴奈庵帰宅後も特命部屋で事件の整理を行っていた尊は睡魔に負けて寝落ち。朝八時に目を覚ます。

 

「ヤッバ、もうこんな時間かよ。今日は空地で演説があるっていうのに」

 

 急いで身支度を整え、三十分で特命部屋を飛び出し、稗田邸へと駆け出す。屋敷の正面に到着した彼は門を叩いて、中へと入った。

 女中の案内の下、客間でいつもの護衛二名をつけた阿求と面会する。軽い挨拶を交わしたのち、尊がこう訊ねた。

 

「どうやら秘密結社がよからぬことを企んでいるようです」

 

「こちらも掴んでおります」

 

「リーダーは八百屋の倅の奥村雅彦という若者だそうです。どのような人物かご存じでしょうか?」

 

「素行はよくないけれど頭はよい人物だと聞きました」

 

「なるほど。そこまで知っていられるのであれば本日、彼らが空地で演説を行うといった情報も……」

 

「入手しております。報告が遅れてすみません。何分、いろいろ仕事が立て込んでいましてね。朝までに片づけるのは大変でした。これで正午過ぎの演説に間に合います」

 

 その発言に尊は耳を疑う。

 

「演説に出向かれるつもりですか!?」

 

「距離を取った物陰からこっそりと観察するつもりです」

 

「絶対に止めたほうがいい! 演説自体、あなたをおびき出す罠かもしれないのに」

 

 大きな声を上げ、阿求に詰め寄るも彼女は「私は稗田家の当主ですから、最低限のことはしなければならないのです」と回答して、尊をさらに腹立たせる。

 

「面子とかそういうの関係ないでしょ! 命を大事にすべきだ!」

 

「私らも止めたんだがな、聞かないんだよ」

 

 隣にいる魔理沙が肩を竦め、霊夢がため息を吐く。ふたりの疲れた様子を見るにかなり揉めたのだろう。

 

「どうして、そこまでするんですか?」

 

 尊の質問に阿求は静かに、そして冷たく答える。

 

「演説の内容によっては彼らを拘束。排除しようと思っているからです」

 

「拘束、排除って」物騒な物言いに尊はたじろぐが、阿求は感情を入れることなく続きを語る。

 

「この状況下で里を不安に陥れるような行動は見過ごせません。全ては里のためです」

 

「……ちなみに拘束の基準は?」

 

「私の判断です。それ以上は申し上げられません」と阿求は冷たく言い放った。

 

「そういうことですか」

 

 尊は阿求の面構えから演説内容に関わらず、秘密結社メンバー全員を拘束する気でいるのだと悟り、目つきを尖らせる。

 

「拘束する理由づけのために演説を許容する訳ですか。演説の視察も民衆に対して自身の決断の正当性をアピールするためですね?」

 

 隠れながらもその場にいたと主張すれば、民衆への説得力が増す。尊はそれが狙いだと勘繰るも彼女は否定した。

 

「いえ、そうではありませんよ。自分の目や耳で確かめたいのです。彼らの考えを。その上で拘束の決断を下します。リスクは承知しております。……ですが、皆さんに守って頂ければ何とかなるかと思っています」

 

 どこか強気な態度を感じさせる彼女の言葉。相手が〝人間〟だと踏んでの態度は誰の目にも明らかだった。尊は説得を諦め、拘束後の処置について訊ねる。

 

「拘束され万が一、彼らがあなたの暗殺未遂に関与していた場合、どうなりますか。追放ですか? それとも――」

 

「それもこちらで決めます」

 

 まるで警官に喋らせないように少女は口を挟んだ。尊は全てを理解し、奥歯をギリッと噛み締めて不服であると訴えるが、彼女は意に返さない。

 

「ここは表の世界ではありませんから」

 

 今の阿求は紅魔館で楽しくゲームをしていた時の彼女ではなく政治家、稗田阿求である。感情でどうこうできる相手ではない。尊は視線を床に落とし、

 

「知ってますよ」

 

 と零し落胆する。続けて阿求本人、霊夢と魔理沙もまた同じように後ろめたさから顔を背けた。

 

 

 同時刻、八百屋の一室。

 男は机に向かい、筆で何度も文章を書き直しては真っ赤に充血した目からその内容を自身の頭へと叩き込んでいる。

 

「今日、俺たちの戦いが始まる」

 

 震える声に連動するかのようのくしゃりと紙を握る。それは喜びかそれとも――。

 

「雅彦~。お友達がきてるわよ~」

 

「わかった。ありがとう、母さん」

 

 雅彦は母親に礼を述べ、そのまま玄関まで向かう。そこにはひとりの若者を筆頭に四人の結社メンバーと思わしき者たちが待っていた。

 皆、緊張からか強張った顔つきをしていた。雅彦は先頭の男の肩をポンっと叩いた。

 

「緊張しすぎだぞ。副代表?」

 

「悪かったなリーダー」

 

 副代表はふふっと苦笑いを浮かべてから、深呼吸と共に胸を擦った。

 

「大丈夫だ。俺も緊張している。というよりも恐怖を感じている。ただ話すだけなのにな」

 

「なぁ……雅彦、本当にやるのか? 何もお前がそこまでやらなくとも」

 

「言っただろ? 俺はやる男だ。全てを背負う覚悟がある。気にするな」

 

「でもさ、もしも。もしもだぞ――」

 

「もう決めたことだろ? よろしく頼むぞ、副代表」

 

「……」

 

 半ば強引に副代表を説得した雅彦は、大通りに出てすぐに右拳を天に掲げた。

 

「全てはよりよき明日のために」

 

「「「「「全てはよりよき明日のために!」」」」」

 

 メンバーの宣言を背中越しで見届けた雅彦は運命の場所へと赴く。



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第91話 デモクラシー・ストーム その1

 時刻が十三時を回り、昨日と打って変わって燦々と輝く太陽が人里を照らしている。

 そんな中、周りに塀の一つもない、開けた空地に人だかりができ始めていた。最後尾に紛れ込んだマミが呟く。

 

「ずいぶん、人が多いのう。一体、どうやって集めたんじゃ?」

 

「先ほどまで結社の方々が里を駆け回っていましたからね。その影響でしょう」

 

 マミの背後から文が顔を出して小さく会釈した。ふたりは肩を寄せ合い、小声で会話する。

 

「……おぬしが宣伝に協力したのではないのか?」

 

「あはは、そこまでの関係ではありませんよ」

 

「どうだかのぅ~。里の代表が狙われて間もない時期の演説。内容はどうあれ、外の連中は気になるじゃろうからなぁ~。金になると踏んだか」

 

「お金なんていりませんよ。ネタさえあればね」

 

「ふん、相変わらずじゃな」

 

「あなたこそ、記者に負けず劣らずの野次馬っぷりじゃありませんか。狸にしておくには勿体ない」

 

「鴉に言われとうないわい」

 

 妖怪同士といえ勢力が違えば不仲なのはよくあることだ。人里で情報戦を繰り広げ、互いに妨害し合った彼女らも例外ではない。

 

「ところで稗田さんはきてますかね?」

 

「さあな。どこかで見ているやもしれんが」

 

 チラリと周囲に視線を向けるも、それらしき姿は確認できない。

 

「人混みの中にいるってことはなさそうですね」

 

「木を隠すなら森の中というが」

 

「森ごと燃やされたら終わりですよ」

 

「警戒しておる訳か。それがよい」

 

「お優しいのですね。人情派妖怪は伊達じゃないってヤツですか?」

 

 文が鼻で笑った。

 

「心にもないことを言うでない。アレがいないと里の運営に支障をきたすじゃろ」

 

「確かにその通りです。おかげで支配も難しいですよね」

 

「強かじゃからのう。つけ入る隙がない」

 

 マミは肩を竦めながら目を閉じ、文は雲一つない青空を仰ぐ。

 

「〝人里の支配者問題〟。この事件が終わったら再沸騰しそうですね。あらゆる勢力が本腰をいれてくるかも」

 

「その前に取れるところは取りたいのう」

 

「新参者のあなたじゃ無理ですよ」

 

「やってみなきゃわからんぞ」

 

「あなたに取れるならすでにこちらが取ってますって」

 

 顔を合わせず、互いを牽制しあう両名。そこに青いワンピースの女性が割って入るように現れる。

 

「こんなところにきてまで謀か?」

 

 慧音だ。

 

「まさか。ただの雑談ですよ」

 

「うむ、そんなところじゃ」

 

 笑う記者に人差し指で眼鏡を持ち上げる頭領。白沢は眉をひそめるも、鼻を鳴らすだけにとどめた。

 

「……何でもいいが里の中で話すのは止めてくれ。皆が不安がる」

 

「気をつけます。稗田さんは?」

 

「さあ。しらん。一々、余計な詮索はしないでくれ」と、慧音は強い口調で妖怪たちに釘をさす。

 

「わかりました(わい)」

 

 肩を竦めたふたりは共に首肯して開演を待つ。

 その後方、二十メートル付近にある民家の小窓から魔理沙が顔を微かに出しては、すぐ閉めた。彼女は自らの後ろにあるテーブルに座る阿求とその他、護衛たちに向かって告げた。

 

「ここなら演説内容もギリギリ聴こえると思うぜ」

 

「距離を取ったとはいえ、犯人が襲撃してこないとも限りません。今からでも引き返しませんか?」

 

 変装のために茶色の和服に身を包んだ尊が再度確認する。

 

「ここで声だけでも聴きます」

 

「スマホだってありますし、録音も可能です。わざわざ身を危険に晒す必要なんてないかと」

 

「もし仮に犯人に怯え、稗田の当主が弱腰だったと知れたら顔が立ちません。ご厚意だけ受け取らせて頂きます」

 

「……わかりました」

 

 尊は不服そうに頷いてから一か所しかない扉側を見張るべく立ち上がった。その姿にほんの少しだけ巫女が同情するかのような視線を送った。そこからしばらくの間、無言が続いた。

 

 

 午後十三時。空地には人だかりができ、外まで聴衆が溢れんばかりだった。

 マミと文のふたりは前列から三番目辺り、慧音は最前列に陣取ってリーダーの演説を待つ。

 三月の中頃とあってか未だ寒さが残るも人々の熱気で熱がりな里人が汗をかく。そんな具合だ。やがて、どこからともなく結社のメンバーたちが用意した木箱を正面に重ね始める。

 聴衆がまだかまだか、と騒ぎ出す。そこへ数人の部下に囲まれた雅彦が姿を現し、重なる木箱の上に登った。その周辺を守るように部下たちが壁を作る。

 

「アレが結社のリーダーか」

 

 雅彦は灰色の着物に草鞋を穿いた大男で髪は逆毛の短髪だ。目つきは鋭く、酷く無愛想。身体は八百屋で鍛えられているのか、自ら鍛えたのか不明だが、着物の上からでも胸板が盛り上がっているのが見て取れる。その体躯に里の人間たちは息を飲む。

 檀上に立った雅彦は上着部分にあるスペースをトントンと叩き、小型の物体があることを確認してから軽くお辞儀する。

 

「本日はお集まりいただきありがとうございます。私は《人里の夜明け》――通称、秘密結社の代表を務めさせて頂いております、奥村雅彦と申します」

 

 数ヶ月ぶりとなる演説。それもリーダー交代後初となれば緊張するのも当然のはずだった。しかしながら、雅彦は誰よりもスムーズかつ丁寧な口調で演説を行い、聴衆を驚かせた。

 

「(やはり頭のよいヤツというのは本当じゃったか。しかも妙に落ち着いておる。これは何かあるぞ)」

 

 マミは自慢の眼鏡を上下させながら静かに唸り、反対に文は「化けの皮を剥いでやる」と意気込んだ。

 

「今回、この状況下で演説を開いたのは皆さまに聞いて頂きたいお話があるからです。それは――()()()()()()()()()についてであります!」

 

 会場が一気にどよめく。聴衆の大半が予想していたとはいえ、序盤から切り出してくるとは思わなかったのだろう。

 

「お集まりの方々は我々をお疑いかと思われますが人里の夜明けはこの件に一切、関与しておりません。その上で結論から言わせて頂きます。今回の事件の犯人は()()である可能性が極めて高いということを!」

 

 更なるどよめきが巻き起こった。

 

 ――どういうことだー!

 

 ――説明しろー!

 

「ご静粛に。今から理由を説明します。今回、使用された武器は銃だったことはご存じの方も多いでしょう。その銃は数十秒の内に次弾装填、発射可能な優れた命中精度だったことはあの場にいた人間なら誰でも知っています。そんな銃は里では作れない。となれば外からやってきたと考えて間違いない。

 その場合、疑わしきは外からやってきた人間となりますが、稗田代表を庇ったのは表の人物であり、間髪入れず反対方向から駆けつけた人間もその方の部下。つまり、彼らではない。里に住み着く外来人も高い射撃能力を持っているとは言い難い人材ばかり。ならば、新たに外からやってきた人間の犯行か? それも不自然。では答えは何か――それは妖怪以外にあり得ないのです!」

 

 ――おい、ふざけるなー。証拠がないじゃないか!?

 

 ――本当はお前らなんじゃないのか!?

 

 ――インチキかー!

 

 秘密結社の話は憶測でしかなく、聴衆は罵詈雑言を飛ばし始める。それに臆することなく彼は堂々と話を続けた。

 

「証拠がないのが証拠。そうだとは思いませんか? 事件が発生して三日目、まともな痕跡が一つもないんですよ? 今までそんな事件を人間が起こせましたか? 無論、ついこの間、若い外来人が里人に殺されたという事件はありましたが、それを含めても里人が表の銃を上手に使いこなし、稗田氏を狙撃できますか? 人里の夜明けにそんな力が能力を持った人間がいるとお思いですか? 我々は、銃はおろかまともな武器さえ携帯させてもらえず、有り合わせの武器で妖怪に挑んできた過去がある。武器があれば死者を出したと思いますか? ないからこそ多くの死者を出したのです!! したがって、我々には銃を扱う技術はない! 犯行は不可能なのです!」

 

 雅彦は必死に訴える。その内容にリーダーの言い分を信じる声がチラホラと出始めるが、それでもなお否定的な意見が多かった。

 

 ――全くないとは言い切れない。

 

 ――表の武器を使いこなすのは無理だとは思うけど、それが妖怪の仕業なのかしら

 

 ――秘密結社の言い分なんて信じられるかよ。

 

 ネガティブな意見に雅彦が反論する。

 

「では、あなた方にお聞きしたい。妖怪以外の誰にこのような犯行が可能なのかと!! 我々は潔白を証明するためこうして立ち上がり、里が妖怪に狙われているかもしれない中、必死に演説をしている! 我々を疑うなら我々が関与したという客観的な証拠を提示して頂きたい! この中に秘密結社が犯人だという証拠を持った方がいるなら今すぐ名乗り出て欲しい!!」

 

 リーダーの逆切れとも取れる発言に聴衆は動揺する。言われてみれば皆、結社が怪しいと睨んでいても証拠を持っていないのだ。憶測だけでものを言っているのは結社も聴衆も変わらない。マミは危機感を覚えた。

 

「(この若造、証拠がないのをいいことに都合のよい解釈で周囲を誘導しようとしておるな。民衆というのはその場の勢いに流されやすいからのぅ)」

 

 村社会で長年、育ってきた里人たちは情報を精査する能力が大きく欠けており、雰囲気だけで流されてしまう可能性があった。

 周囲の様子に目を配る文も同様に「この空気はちょっとマズイかもしれない」と焦った。だが、聴衆の中にも意地の悪い返しをする者もいる。

 

 ――実は隠滅を隠滅したんじゃないのか!? だから強気でいられんだろ!

 

 ――そうだ、そうだー。

 

 ――きっとそうよ!

 

「証拠を隠滅? 御冗談を。我々にそんな能力はありません! それに証拠となるものは表の警察官の部下が押収したと記憶しておりますが。怪しむならそちらでは?」

 

 ――どういうことだー!?

 

 ――責任転嫁かー!!

 

「それは違います! 部下の方が調査に乗り出し、証拠となる品を回収した。皆さん、その人物が里をグルグル回っていたのは知っているでしょう? それは事実だ! 彼の動きは早く、真っ先に証拠を集めて行動していた。つまり、隠滅が可能なのは彼だけである!」

 

 雅彦がそのように述べた瞬間、歯ぎしりした慧音が「そのような心無い言い方は失礼だ!!」と声を上げた。

 聴衆が一斉に慧音のほうを向き「先生だ!」と発した。目立つつもりはなかったが、注目されてしまっては仕方ない。

 彼女は最前列から数歩ほど進み、奥村の正面に立つが、奥村の間に結社メンバーが入り込み「これ以上は近づかないでください」と警告される。

 慧音は壇上の奥村を見上げながら皆に説明を行う。

 

「その人物は稗田家当主の許可を得て活動している。集めた証拠も見せて貰っているし、こちらが預かっている品もある」

 

「それはどのような品ですか?」

 

「現在調査中であるため、公表はできん」

 

「公表できない理由でもあるのですか? まさか犯人が妖怪だからですか!?」

 

「まだ断定できないのだ! 話を飛躍させるな!!」

 

 ――妖怪!? 犯人が妖怪だから先生が庇ったってのか!?

 

 ――そんな訳ないだろ!

 

 ――そうよ、先生は半人半妖だけどいい人よ!

 

 人格者の慧音を支持する声は多数を占めるが雅彦は以前、強気だ。

 

「でしたら、証拠の品の一つや二つ、見せて頂けますか?」

 

「稗田家当主に可能かどうか訊ねてみる」

 

「そこは是非とも『私が開示させる』といつもの強気な態度で語って欲しかったところですが――先生がそこまで言うのですから今回は引きます」

 

「なんだ、その態度は」と慧音は今にも爆発寸前だが、ここはグッと耐える。

 

 ――確かにいつもの元気がないよな。

 

 ――やっぱり疲れているのかな?

 

 ――顔色悪そうだし、やっぱり何かを隠しているとか。

 

 聴衆からチラホラと聞こえる言葉に慧音は焦りを覚える。そこで奥村が独り言のように「やはり、妖怪が関わっているのですか?」と呟き、彼女はさらに苛立った。

 

「ッ――。先ほどから何故そうも結論を急ぐのだ!?」

 

 声を高くして対抗する慧音だが、雅彦は冷静かつ強い口調で、

 

「我々が疑われて困っているからです。メンバーがあらぬ疑いをかけられ、実害が出ているのです! メンバーを守るのが代表の務め。例え、寺子屋でお世話になった恩師とはいえ、言うべきことは言わせて頂きます!」

 

 ――いいぞー、奥村ー!

 

 ――中々、骨のある奴じゃん!

 

 雅彦を応援する声が響く。それでも、

 

 ――慧音先生にそんなこと言うなんてひどい!

 

 ――恩師への態度ではない!

 

 との声も上がる。

 

「それもこれも捜査を秘密裡に行い、里人へ情報を出さない稗田家の体制に問題がある! 人里は昔こそ小さな集落だったが、今ではかなりの規模となった。表の世界は法で動いている。権力者もルールに従い、平等だと聞く。では人里はどうだ? 大半を稗田家が決めている――これは紛れもなく()()である!」

 

 ――独裁ってなんだ?

 

 ――難しい言葉なんてわからなーい。

 

「早い話はごく少数の人間が自分勝手に人々を動かし、他者を道具のように扱う自己中心的な行いだ! 稗田家は自身に権力を集め、里を牛耳り、妖怪から見返りを貰っている。私はそう見ている!」

 

「な!? そんな根も葉もない言いがかり――」

 

 ――それが今回の事件とどんな関係があるんだよー。ちっともわからんぞー!

 

 慧音の言葉を遮るように野次が飛び、奥村が飛びつく。

 

「稗田家は妖怪に都合のよい運営を行っているのです。スペルカードなるものが流行り始め、妖怪があちこちで戦いを繰り広げている。それは里の中でも行われる。本来、そのような危険な行為は規制させて当然のはず。それを稗田家は黙認している!」

 

「稗田家は黙認などしていない。きちんと注意している!」

 

「それは本当ですか? 我々は稗田家が妖怪に注意している姿を見たことがありませんが?」

 

「人前で行わないだけだ!」

 

「誰も知らないことに変わりありません。妖怪に忖度でもしたんじゃありませんか? 何かと引き換えに」

 

 ――それは本当なのか!?

 

 ――稗田家って名家じゃない。妖怪から何か貰う必要なんてないでしょ?

 

「稗田家代表は自身の好奇心を満たすため、妖怪と関係を持ちたがっている。表向きは幻想郷縁起執筆という名目ですが、本心は自身も妖怪になりたがっているのではないですかね。その梯子渡しを条件に妖怪たちの行動を黙認している」

 

「さきほどから馬鹿なことばかり、いい加減にしないと――」

 

 と鼻息を荒くした慧音が雅彦に詰め寄ろうとする。

 

 そのとき、雅彦を守るメンバーに肘が当たる。メンバーは「うわぁ!」と声を上げ、後方に倒れ込む。

 倒れたメンバーは当たった箇所を庇い痛がる素振りを見せながら「いってぇ――」と涙目になりながら訴える。

 慧音は「すまない、悪気はなかった」とすぐさま謝罪するが、周りのメンバーが一斉に「今、肘で押した!」「暴力だ!」「これが先生のやることか!?」と騒ぎ立てる。

 

「いや、軽く肘が触れただけだ」と慧音が弁明するも。

 

「軽く触れただけでこんなに痛がるのか!?」

 

「強く押しましたよね? ねえ、強く押しましたよね?」

 

「俺たちは話をしているだけなのにっ」

 

「いや、だから――」

 

 ――先生、無理やり押したよな。酷くないか?

 

 ――あの人、痛がっているよ。

 

 ――あれは暴力では?

 

「くっ……」

 

 聴衆の声が倒れたメンバーの擁護へと回り、慧音は前後から攻撃される形となった。

 自身の味方だったはずの聴衆が敵になる。彼女は恐怖を感じて唖然とするも、そこに雅彦が追い打ちをかけにいく。

 彼は檀上を降り、倒れた部下に「大丈夫か?」と問いかけてからゆっくり引き上げ、身体の埃を自らの手で払う。

 そして、慧音に近づき「こういった暴力行為は止めて頂きたい」と静かに警告。彼女が「す、すまない」と謝罪して軽く頭を下げる。そのタイミング――奥村は彼女の耳元付近で誰にも聞こえぬように、

 

「相変わらず獣くせえ女だな。半人半妖の混ざり者が人間の真似ごとなんてすんな。気持ち悪いんだよこの×××××××――」

 

 と度を越えた侮辱を行った。慧音の頭は一瞬で真っ白となり、

 

「――ッ!! このォォォ!!」

 

 ――パン!!

 

 と右掌で雅彦の頬を打ち、彼を転倒させる。まさかの出来事に聴衆から悲鳴が上がった。

 

 ――慧音先生がリーダーを殴った!!

 

 ――それはないだろ!?

 

 ――最低だぜ!!

 

 ――信じていたのに……。

 

 ふと我に返った慧音は「しまった――」と声をうわずらせるももう遅い。

 聴衆の大半は雅彦の味方となってしまっていた。雅彦はほんの少し笑みを浮かべ「私なら大丈夫です! 皆さま、お騒がせしました」と立ち上がり、檀上へ戻る。雅彦の行動と慧音の表情からマミは全てを察し、

 

「……見ておれんな」

 

 と取り乱す慧音のところに向かう。

 

「白沢どの一旦、頭を冷やせ」

 

「し、しかし――」

 

「相手の思うツボじゃ。今は引け」

 

「うぅ……」

 

 マミに促される形で慧音はしぶしぶ引き下がっていった。雅彦が演説を再開する。

 

「途中、いざこざがありましたが、先生のことを悪く言わないで頂きたい。彼女は稗田家の深いつながりがあり、そのせいで気を立ててしまったのです」

 

 ――気を立てた? どういうこと?

 

「私が言った見返りという言葉にたまらず反応してしまったのでしょうね。私が侮辱しているように感じたと思われます。ですが、同時にやはり自分の意見が正しいのではないかと強く感じました。稗田家と妖怪は癒着している。そして、妖怪が里に入り込んでいる、とね」

 

 その言葉に普段なら流すだけの聴衆たちが「そうかもしれない」「癒着しているのか」「慧音先生の態度はそれが原因か」と騒ぎ出し、雅彦に同調した意見が相次ぐ事態となる。

 そんな聴衆にマミと文は一抹の不安を覚え、互いに顔を合わせる。

 

「(事態を打開しようぞ)」

 

「(了解です。ここは共闘といきましょう)」

 

 アイコンタクトで共闘を張ったふたりが行動を起こす。

 

「質問してもよろしいかな?」

 

 とマミが手を挙げた。雅彦は一呼吸おいてから、

 

「見ない顔ですね。里人ですか?」

 

「儂は長屋に住んでおるマミという者じゃ。いつもその辺を歩いておるぞ?」

 

 ――うんうん、よく大通り歩いているよね。

 

 ――俺、あの人見たことある。

 

 ――人のよさそうな人ね。

 

 聴衆の態度を見た雅彦が彼女に質問の許可を出す。

 

「……わかりました。なんでしょうか?」

 

「先ほどから稗田家を敵視させるような話ばかり持ってきていると思うんじゃが、ちと作為的すぎんかの?」

 

「私は真実を言っていると思っておりますが」

 

「全て憶測でしかないぞ。証拠がないのじゃから」

 

「それはそうでしょうね。稗田家が全てを隠し、表に出ないように計らっているのですから。私は真実を明らかにしたいのです」

 

「なら本人と対談しては如何か?」

 

「話し合いを持ちかけてもまともに取り合いません。『後で調べます』とはぐらかされて終わりです」

 

「やってみなければわからんぞ? 本人との対談を避け、いない場で妄想を垂れ流す。これはどうにも引っかかるんじゃよ」

 

 ――言われてみればそうだな。

 

 ――証拠もないもんね。

 

 ――情報がすぐに流れないのはいつものことよ。

 

「では、マミさんは、稗田家は妖怪から見返りを貰っていないとお考えで?」

 

「それはしらん。じゃが、だとするならもっと妖怪が里の中にいてもおかしくないと思うが」

 

「変装して入ってきているんですよ。人間の女の恰好ならバレにくい」

 

「変装? 確かに変な恰好のヤツはたまに見かけるが、それが妖怪なのかの?」

 

「その大半は妖怪、もしくは妖怪の関係者だとこちらは把握している」雅彦は断言する。

 

「儂はおぬしが言うような、妖怪が気楽に里の中へ入ってくるところなど見たことないがなぁ。いても許可を貰って行動している者ばかりじゃろ。人形師や音楽家といったな」

 

 ――確かに人形使いのお嬢さんとかプリズムリバーも里に入ってくるよな。

 

 ――態度のよい妖怪たちよね。

 

 そう言い出す聴衆。しかし、別のところでは、

 

 ――人形使いは元々、種族的には人間だし、プリズムリバーは幽霊。それを妖怪と言っていいのか?

 

 ――あの人たちって妖怪って感じしないよねー。

 

 との声が出る。

 

「あれらはどちらかといえば()()でしょう。本来の妖怪とはまた別の存在だ。それを妖怪のように語って、ここにいる人間を誘導しようとしていませんか?」

 

「そんな訳あるかい。幻想郷では人外も妖怪のように扱われているではないか!」

 

「それを決めたのは誰ですか?」

 

「誰じゃと……。そんなの前々からじゃろ?」

 

「ならばそう誘導した人間がいてもおかしく訳ですね? 稗田家がやりそうなことだ」

 

「なんじゃと!? 何でもかんでも稗田家になすりつけおって!」

 

 マミは雅彦の言い分に腹を立てた。

 

「事実ではありませんか? 稗田家のつき合いのある先生も忖度を疑った私をいきなり殴りつけましたしね。暴力で言論封殺を行おうとしたのでは?」

 

「それは、お前が侮辱したから――」と慧音が反論するが。

 

「皆さん、私はそのようなことを言いましたか?」

 

 ――言ってない。

 

 ――先生がいきなり殴った。

 

「く、皆……」

 

 慧音は反射的に手を出したことを悔やむ。それを間近で目撃し、同情を寄せた文が「私にお任せを」と彼女の耳元で呟き、マミの隣に並び立つ形で前に出た。

 

「私もよろしいですか?」と、手を挙げる文に雅彦は首を傾げながら「あなたも見ない顔ですね?」と問う。

 

「私はルポライターの文と申します」

 

「あぁ、妖怪の射命丸文さんですか」と一言。

 

 すると、聴衆が「妖怪!?」「うっそだろ!」「やっぱ簡単に入ってこれんじゃん!」「キャー」と騒ぎ出し、一時騒然とする。

 さすがにマズイと思った文は咄嗟に「そ、その方とは別人です。名前が同じだから間違われるんですよ!」と苦しく弁明。訝しむ雅彦は「では帽子を取って下さい」と要求した。文は「わかりました」と頷いて帽子を取った。

 普段、尖った耳は髪の毛で覆い隠しているので、聴衆はあどけない少女として彼女を認識する。

 ある程度の聴衆が彼女の素顔を確認したところで雅彦は「わかりました。どうぞ」と質問の許可を出した。

 

「情報に携わる者として拝聴しておりましたが……あまりにも酷すぎません?」

 

「と、いいますと?」

 

「明らかに特定の人物、組織への悪意ある内容だと申しておるのです。先ほど、あなた、小声でこう言ってませんでしたか。『獣くせえ』『気持ち悪い』とか。それで白沢氏は逆上したように見えたのですが?」と文は言いながら慧音にアイコンタクトを送る。

 意図を察した慧音が「そう……言われた!」と発言し、聴衆は驚いた。

 

 ――そんなことがあったのか!?

 

 ――先生、可哀想!

 

 徐々に広がる擁護の声を雅彦は大声でかき消そうとする。

 

「私はそのようなことは言っておりません! 文さん、嘘を吐かないで頂きたい!」

 

「嘘なんてついていません。確かにそのように聞こえました!」と文は強い口調で言い放った上で続けて「そんなやり方で里人を誘導しようとする。さすがに呆れました。なのであえて言わせて頂きます――卑怯であると!!」と指さして、痛烈な批判を浴びせた。




デモクラシー・ストーム その2 へ続く。


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第92話 デモクラシー・ストーム その2

「卑怯だと、この私が!?」

 

 演説中、雅彦は初めて動揺を見せた。文が慧音を庇い、反撃に転じたことで聴衆のテンションが急上昇する。

 

 ――そうだ、そうだ卑怯だぞ、この過激派どもが!!

 

 ――よくも慧音先生をいじめたな!

 

 ――最初から信用できんと思っていたぞ、オイラは。

 

 彼らの援護を受け、これならいけると判断した社会派天狗はお得意の芝居がかった演技で攻める。

 

「卑怯以外の何がありますか! 妄言ばかりを垂れ流し、相手のミスを誘って聴衆に自身の意見を信じ込ませようとする。悪質にもほどがある! いかに記者とはいえ、今回ばかりはこちらにつかせて頂きます!」

 

 ――よ、るぽらいたー文!

 

 ――あの子、カッコいいわね。

 

 ――キャー、アヤサーン!

 

「(うふふ、たまにはこういうのもいいですねー! ここでアピールしておけば、ルポライター文の書いた記事が売れる。稗田さんに恩を売りつつ、新聞の発行部数が増やせる。まさに一石二鳥!)」

 

 金の亡者ならぬネタの亡者。射命丸文とは別人だと言っても今流行りの〝コラボ〟ということにすれば問題ない。

 文はその頭脳をフル回転させて里人を惹きつける発言内容を考える。

 

「証拠がないのが証拠。名言ぽく語ってましたけど、アレ、苦し紛れ以外の何物でもないですよね? 証拠のない話に何の意味もない!」

 

「証拠を隠滅する側の方の発言は説得力がありますね」

 

「人聞きの悪い。真実を書くのが記者の使命です」

 

「嘘つきにもほどがある」

 

「ほうほう、私を嘘つきとは!」

 

「権力者に忖度してあることないこと書き連ねる、尻尾を振る犬。いや、ゴミ漁りの鴉か」

 

「……言ってくれますね。おかげで記者の立場としてあなたに質問したくなりました」

 

「どうぞ」と雅彦が無機質なトーンで許可を出した。文は込み上げる怒りを抑えつつ、切り込む。

 

「今回、狙撃には銃が使われました。銃弾が里で作られたものではないとする情報はどこから手に入れたのですか?」

 

「結社の人間が聞き込みで手に入れたものです」

 

「犯行時、あなたは『数十秒の内に次弾装填』と公言しましたが、何故そうと言い切れるのでしょうか? 犯人が複数で交互に撃った可能性だってあるのに?」

 

「狙撃現場付近の住民が『走り去る人影は一つだった』と噂していた。そこから犯人にはひとりと判断したまでです」

 

「噂ですか」

 

「火のないところに煙は立たない」

 

「だとしてもこんなところで堂々と発信するには無責任すぎる。これでは井戸端会議と同レベルではありませんか!」文がビシッと指摘するも雅彦は「稗田家が証拠を公開しないからです」と応戦した。

 

「証拠を出せと本人に言ってないですよね?」

 

「言ったところで門前払いが関の山。秘密結社メンバーというだけで警戒されてますからね。知ってるでしょ? 連中が我々を毛嫌いしてると。だから、自力で調べるしかなかった!」

 

「言い訳ですね。聞くに堪えない。あなた方の発言はとにかく無責任で何ら根拠がありません。こんな稗田家を目の仇したいだけの演説なんて、かえって混乱を広げるだけです。これ以上、恥をかきたくないのなら今すぐ中止して一から情報収集をやり直すべきかと思いますが。皆さま、どう思われます?」

 

「儂も同意見じゃな。コヤツらの話はまるでアテにならん」と頷くマミに「私も同じだ」と目つきを鋭くして同調する慧音。その姿に聴衆も文たちにつくような態度を取った。

 

 ――三人の言う通りだ!

 

 ――結社は嘘つきだ!

 

 ――里を混乱させている!

 

 ――屑どもの集まりだー!

 

 もはやこれまで――誰もがそう思った。けれど雅彦は不敵な笑みを浮かべた。

 

「何がおかしいのです?」と文が訊ねる。

 

「いや、そうまで稗田家の肩を持つとは……。思った通りだった」

 

「どういう意味じゃ?」とマミが疑問を呈する。

 

「稗田家が妖怪と深いつながりがあるってことですよ」

 

 ――なんだって!?

 

 ――ハッタリか?

 

 ――卑怯者は何を言い出すかわからんかなぁ。

 

「妖怪とつながりってどういう意味です? ちょっと理解できないのですが」と文。

 

「言葉通り。妖怪が稗田家のためにそこの暴力先生を擁護し、我々を悪者に仕立て上げようとしている」

 

「悪者も何も、根拠のない話をするオヌシらがいけないのじゃろ」

 

 そうマミが言うと、後ろの聴衆もそうだそうだーと援護を始める。文は深いため息を吐きながら「どんなに言葉を並べても証拠がない話には誰も耳を貸しませんよ? 自身の説を裏づけたいのなら証拠を出してくださいね」と、したり顔で述べた。

 

 そのとき、雅彦は「証拠……か。さっきからそればかりだ。隠滅しているから手も足も出せないだろう。そう高を括ってらっしゃるんですね。この鴉天狗さまは」と相手を挑発する。

 

 文は顔を顰めながら「はぁ? 私のどこか天狗なのですか? 言いががりも甚だしいですよ」と言うも雅彦は続けて「そうは思いませんか、狸の総大将さん?」とマミを見て言った。

 マミは目を細めながらも「儂は人間じゃ。勝手に狸にするでない!」と憤慨。慧音もまた「そろそろ口を慎め――あまりに無礼だ。今ならまだ許す」と額に汗をかきながらも強気な態度に出る。

 聴衆も三人の味方に回り、リーダーに罵詈雑言を浴びせにかかった。

 

 ――ふざけるのもいい加減にしろー。

 

 ――ごく潰しがー。

 

 ――帰れ、帰れー!

 

 あちらこちらからリーダーに対する野次が飛ぶのだが、彼はどこか余裕があった。離れたところで観察する阿求たちはこの状況に判断を迫られる。

 

「そろそろ拘束する? 手伝うわよ」と霊夢が言い、魔理沙も同意するも、阿求は「人気が少なくなってから――かしらね」と語るにとどめる。

 霊夢に「悠長すぎない?」と返されるも「人々に不安を与えたくないのよ。抵抗されれば無関係の里人にけが人が出るかもしれない」と強行を避ける理由を伝えた。

 雅彦が話す全ての内容が聴こえている訳ではなく、ところどころ途切れてしまい一語一句、言葉が理解できないのも判断を鈍らせる要因となっているのだろう。

 

「何考えてるか、わからんもんな」

 

 魔理沙もリーダーの意味不明な演説を警戒しているようだった。その中にあって尊だけは胸騒ぎを覚える。

 

「アイツ――もしかして、なんかとんでもないカード持っているんじゃないか……?」

 

 証拠はないが雅彦はマミと文の正体を言い当てている。彼はそこに強い違和感を覚えた。覚悟を決めた人間は何をするかわからない。

 特命時代、自身の人生全てを投げ打ち、最愛の息子をひき殺した男を爆殺して逃げ通そうとした普通の主婦との対峙経験がある尊ならではの警戒心だった。

 そして、その予感がすぐに現実のものとなる。聴衆の注目が雅彦本人へ向いている。そのタイミングだった。

 

「(確かに事件の証拠は持ってないけどさ――)」

 

 内心で嘲笑いながら彼は「皆さまは〝スマートフォン〟という機械をご存じですか?」と聴衆に訊ねた。

 

 ――スマートフォン? なんだそれは?

 

 ――知らないのか、表の道具だよ。

 

 ――かなり高性能らしいぜ。映写機や蓄音機の能力を兼ね備えているとか。

 

 ――外来人が持っているヤツか。凄いよねアレ。

 

「マミさんたちは知っていますか?」

 

「知っておるぞ」とマミ。

 

「知ってますよ」と文。

 

「知っている。よく見せて貰っているからな――それがどうした?」

 

 最後に慧音が答えると、雅彦はふふんっと笑った。

 

「表の方は本当に素晴らしいものをお作りになりますよね。画像も映像も音声も全て保存、共有できる」

 

「だからなんだ? お前たちじゃまともに使いこなせんだろ」と慧音が指摘する。しかし――。

 

「果たしてそうですかね」

 

 雅彦はポケットから〝黒い物体〟を取り出し、それをかざす。

 

「実はこれ――我々の所有する()()()なんです」

 

「「「はぁぁぁ!?」」」

 

 彼が見せたのはオモチャではなく本物のスマホであった。聴衆も「アレはスマホだ」と口を開けて雅彦を見つめている。

 

「この中には様々な情報が入っています。例えば、ここにいる人物の本当の姿とか」

 

「「本当の姿!?」」

 

 雅彦の表情、かざされたスマホ――マミと文の脳裏に悪い予感がよぎる。

 

「「(まさか――!?)」」

 

 が、雅彦は止まらない。すかさず、スマホのロックを外してファイルを開き、ある画像を表示状態にしてから檀上を降りて、マミたちに近づいた。

 

「これ、あなたですよね?」

 

 画像は耳と尻尾をはやしたマミが狸たちと焚火を囲っているシーンだった。マミは「ひ、人違いじゃ……」と態度を一変させる。続いて、別の写真を文の視界に入れてみせた。

 

「これも、あなたですよね?」

 

 今度の画像は白いワイシャツと黒いスカートを穿いた文が妖怪たちの宴を愛用のカメラで撮影しているシーン。文は激しく動揺しながらも「よ、よく似ていますけど……人違いですよ」とはぐらかす。

 次に雅彦は聴衆にこの二枚の画像を見せ「この画面のふたりと、ここにいるふたりの顔を見比べてください」と周囲を回った。

 誰しもが「似ている」「本人じゃん!」「あのおねーさん、妖怪!?」「えーー本当!?」と声を荒げ始める。マミが「違う、それは他人のそら似じゃ!」文が「そうですよ!」と聴衆を落ち着かせようとするも、雅彦はあざ笑うかのように。

 

「じゃ、動画のほうもお見せしましょう」

 

 録画されたムービーを大音量で流した。

 

 ――儂ら、狸も他の勢力と肩を並べたいものじゃのー。

 

 それは紛れもなくマミの声。

 

 ――天狗は鬼ほどお酒が強くないので遠慮しておきます。

 

 それは間違いなく文の声。もはや言い逃れは不可能だった。ここぞとばかりに雅彦が吠える。

 

「この狸は二ッ岩マミゾウ、新参者の妖怪狸。こっちの記者は妖怪の山の鴉天狗、射命丸文――名のある妖怪である!!」

 

 絶句する両名に聴衆は「コイツら、妖怪だーーー!!」と大きな悲鳴を上げた。混乱する里人。慧音が咄嗟に「心配するな、皆は私が守る――だから、落ち着いてくれ!!」と声を張り上げるもそれどころではない。

 

「なんてザマなのよ!!」

 

 遠くから見ていた霊夢は激昂し、護衛を放棄して空地に向かうべく扉を開けようとする。

 友人の行動をいち早く察知した魔理沙が「馬鹿、いくな!!」と制止する。

 

「どうしてよ! ここでいかなきゃ、パニックになるかもしれないじゃない!!」

 

「連中が妖怪の画像や動画を持っているってことは私らのだって持っているかもしれん! ノコノコ出てっても槍玉に挙げられるだけだぜ!」

 

「だ、だけど――」

 

「出ていかないで!」阿求もまた彼女を止める。続けて「アイツらがスマホを持っていたなんて。一体どこで手に入れたのよ――それにあれらの証拠も!!」と、珍しく地団駄を踏んだ。

 尊は「悪い予感が的中した」と額を押さえる。会場は依然、混乱状態――。このままではマズイ。慧音たちが覚悟した瞬間、壇上に上がる雅彦が大声を出した。

 

「皆さん、落ち着いて下さい!! その妖怪たちは里人を攻撃しない!」

 

 ――どうしてそう言えるんだ!?

 

 ――妖怪なんて信じられるか!!

 

「妖怪たちは稗田阿求に雇われた〝工作員〟だからです!! 彼女の目的から見るに里人は攻撃されない!! 攻撃してしまえば、里の運営が困難となる。それは本意ではないはずだ!!」

 

 ――な、なんだってーーーーーーーーーー!?

 

「ですから、私――奥田雅彦の話に耳を傾けて頂きたい!! よろしいか!!」

 

 雅彦の力強い言葉に妖怪、人間を含めた全ての参加者が黙り、空地が静かになる。それは雅彦がこの会場の全てを掌握した証でもあった。

 

「この妖怪たちは我々の演説を妨害するために遣わされたのです。先生と一緒に!」

 

 ――どういうことなんだ!?

 

「我々の言うことが正しいからだ! 証拠を隠滅していても里人の抱える不安が消えるまでには至らない。そのタイミングでの演説。稗田阿求は歯ぎしりにしたに違いない。どんな手を使ってでも潰そうとしたのだ!」

 

「そんなのはデタラメだ!」

 

 ――黙れ、半人半妖!!

 

 ――奥村の話を遮るなー!

 

 ――そうだ、そうだー!

 

 若い声が広場を走り、他の聴衆へ伝播していく。

 

「そ、そんな……」

 

 慧音は自身の信頼が失墜していることに気がつき、唖然とする。聴衆はヒートアップは止まらない。

 

 ――どうして稗田家はそんなことをするんだ!?

 

「妖怪との癒着をバラされたくないからだ! 現状、里人に混じって妖怪が沢山紛れ込んでいる。その妖怪たちの狙いは里の支配である! 里を支配すれば妖怪同士の勢力争いで優位に立てる!」

 

「何を言うか――」とマミが噛みつこうとするも。

 

 ――狸は黙れー!

 

 ――この嘘つき狸が!!

 

 彼女の意見も潰される。

 

「妖怪は自己中心的で縄張り意識が強い。ここ数年、新参者の妖怪が結界外から住み着く傾向にあり、競争は激化している! そこで何としてでも勝ちたい妖怪は稗田家に媚びを売り、稗田家当主もまた見返り欲しさに応じた。そして、それをよく思わない勢力から狙われ、表の銃で狙撃された! これが事件の全容であると考えている! 今の起きている事件の責任は稗田家にあるのだぁぁぁ!!」

 

「まったくの妄想じゃありませんか――」と文が言うも。

 

 ――喋るな鴉!

 

 ――妖怪野次馬めー。帰れ!

 

 ――お前の新聞つまんねーんだよ!

 

「はぁ!?」と歯ぎしりするも勢いに押され、反論できない。文は「里と妖怪の約定させなければ、こんなヤツらっ」と悔やんだ。

 聴衆にも良識ある者がいるのだが。

 

 ――ちょっと飛躍し過ぎな気がするが。

 

 ――何言ってんだよ、妖怪の化けの皮をはいだ男だぞ、信用してもいいだろ!

 

 ――確かに、確かに!

 

 ――なんだかカッコいいじゃん! 俺、結社のこと見直したわ!

 

 ――うんうん、そう思う!

 

 ――俺、昔から妖怪嫌いだったんだよなー。スカッとしたぜぇ~。

 

 ――いいぞ、奥村ー!!

 

 ――今日から秘密結社に入団しまーす!!

 

 このように大盛り上がり。まるでお祭りであった。こんな状況を慧音が容認するはずがない。

 

「皆の者、いい加減にしないか!! こんな馬鹿にみたいな話に浮かれてどうする!? 冷静になれ!!」

 

 それを聞いた聴衆が怒り出す。

 

 ――いい加減にすんのはお前だろー!!

 

 ――俺たちを騙していた癖に!!

 

「騙してなどいない――」

 

 ――稗田家とグルになって俺たちを支配していた。それは罪だ! 償わせる必要がある!

 

 ――そうだぁぁぁ!! そうに決まっている。

 

 ――だったらさ、捕まえようぜ? この数なら相手が妖怪でも勝てるっ!!

 

 ――いいねー、いいねー!! やっちまおうぜー!!

 

 ――おうよ!!

 

「おおい、そんなのありか!?」とたじろくマミ。

 

「あなたたち……」数の暴力に押される文。

 

「やめろ皆、やめてくれ!!」と叫ぶ慧音。

 

 もはや暴動一歩手前までのところまできていた。妖怪たちも万が一に備えて身構えている。痺れを切らした霊夢が聴衆を止めるべく渦中へ飛び込こもうとした。刹那――。

 

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 雅彦が叫んだ。誰よりも大きな声で叫んだ。

 時間が止まったように人々の動きが止まる。

 

「我々は暴力を望まない――例え、妖怪であってもな」

 

「「「なっ――!!」」」

 

 今までの主張とは打って変わって彼は暴力を望まないと発言。この場にいた全員が呆気にとられた。

 

「暴力に頼り、妖怪と戦ったところで人里はよくならない! それは何故か? 妖怪が俺たちを虐げる手口が力――つまり、暴力だからだ。お前たちは自分を虐げている連中と同じことをやるのか? 目を覚ませ! 暴力の先に何がある? 悲しみと憎しみだけだ。それが正しいのか? 違うだろ? 俺たちには言葉があるじゃないか!」

 

 ――あ……。

 

 ――そうだ。言葉があるよ……。

 

 ――力で脅すのは妖怪と同じだもんね。

 

「それを使って、人里を取り巻く不条理を取り除こう。里人が胸を張って外を歩ける、里人が自身の歴史を知れる、妖怪と対等な関係を作れる、誰もが主役で誰もがまつりごとに関わり意見を言える、そんな自由を目指せる、作れる、可能性に満ちた平等な世界――そう〝民主主義〟を、この幻想郷の人里に、導入しようじゃないかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 雅彦は右腕を天に掲げた。呆気に取られていた人々も、まるで希望でも見出したかのように、目を輝かせた。

 

 ――民主主義、なんだかカッコいいぞ!!

 

 ――誰もが主役で自由!!

 

 ――平等な世界っ!!

 

 ――これは革命だ!!

 

 民衆が声を上げる中、それを後押しするように副代表が声を張った。

 

「民主主義万歳!! 皆さんもご一緒に――」

 

 ――民主主義万歳!! ――民主主義万歳!! ――民主主義万歳!! ――民主主義万歳!! ――民主主義万歳!! ――民主主義万歳!! ――民主主義万歳!!

 

 ――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!

 

 会場はこれ以上ないほど盛り上がった。里中を熱気が包み込む。それほどの熱さがあった。

 慧音たちは圧倒され言葉を失い、傍から見ていた霊夢も「どうなってんの……?」と混乱している。

 遠くから観察している魔理沙も「訳が分からん」と零し、阿求も「とりあえず、暴力沙汰にはならない、みたいね」と脱力してしまう。

 尊は首を傾げた。

 

「強引に民主主義に持っていったな。てっきり徹底抗戦を唱えると思ってたんだけど」

 

「あぁ、私もそうだと思ってたぜ」

 

「私もです」

 

 魔理沙も阿求も同意見だった。深呼吸した尊が阿求に問う。

 

「で、拘束するんですか?」

 

「暴力に訴えるのであれば拘束する予定でしたが、言葉による訴えならば――今回限りは見逃しましょう。不満は多々、ありますけどね……」

 

「いいのか? かなり侮辱されていたぞ、お前?」と魔理沙。

 

「ここで捕まえたら私のイメージが悪化するでしょ……。話し合いを求めているのだから、正面から正々堂々と受けて立つ。それが信用回復に最も適しているわ」

 

「ま、妖怪たちが余計なことをしてくれたしな!」

 

「いい迷惑よ……。庇ってくれたのは嬉しいけどねぇ」

 

「仕事が増えたもんな」

 

「そうね……。でもいいわ」

 

 そう言って阿求はほっと一息吐いた。相手が暴力を頼らない。民主的な解決方法を模索している。これは阿求にとって悪い流れではなかった。

 彼女が議論を得意としているのもあるが、里人の成長を心のどこかで嬉しく思っているのかもしれない。安堵している仲間を余所に魔理沙がこんなことを言い出した。

 

「ってことは、犯人は結社メンバーではないのか? 言葉を使うなら物理的な脅しはいらんだろうし」

 

「そこはまだわからないけど、他の勢力――それこそバルバトスって可能性も高まったな」と尊が考察する。

 

「犯人は妖怪――こりゃあ、霊夢のヤツが張り切るな。私も腕が鳴るぜ」

 

「まだ早いと思うけどな」

 

 緊張から解放されたふたりの間にツッコミを入れる余裕が生まれつつあった。その頃、空地では民主主義が叫ばれていた。

 

 ――民主主義ってなんだー!?

 

 ――皆が主役の世界を作るための方法だー!

 

 ――どうすればいいんだー!

 

 ――皆が皆のことを考えればいいんだー!

 

 ――民主主義ってスゲー!

 

 ――民主主義ってカッコいい!!

 

 まるで流行病にでもかかったかのような民衆の姿にマミが白けた目を向ける。

 

「コヤツら、まるでわかっとらんな。アレは魔法でもなんでもないぞ……?」

 

「表の政治体制の一つでしょ? そこまで魅力的かな……?」

 

「一長一短じゃな」

 

「あはは……ですよね」と文は白けた。

 

「ふたりとも静かにしてくれ……皆が気分を害する」と慧音が苦言を呈した。さっきのような状況は勘弁なのだろう。

 

 どうせ一過性のブームに過ぎない。慧音もこのデモクラシー・ブームをそう評した。その上で今だけは騒がせてやろうと静観を決めたのだ。彼女の表情は安堵に満ちている。

 聴衆が沸き上がる姿を檀上から眺める雅彦は歓喜余ってか大粒の涙を流した。

 

「ありがとう……皆……」

 

 男泣き。誰もがそう思い、よくやったと拍手を送る。満足した雅彦は最後のしめに入る。

 

「今、この幻想郷で民主主義が生まれました。これを皆さんで育てていきましょう――最後となりますが、共に民主主義万歳と叫んでお開きに致します!」

 

 ――おぉぉぉぉぉぉ!!

 

 一体感により会場が一つになる。しかも空き地周辺は見物客で埋め尽くされており、彼らも聴衆に混じって声を張り上げた。

 

「では、せーの――」

 

 ――民主主義万歳!!

 

 奥村も聴衆と一緒に両腕をあげて万歳してみせた。誕生の祝福を願って。

 その刹那、阿求たちのいる場所の後方、民家の物陰にてトリガーに指をかける者の姿があった。

 

 ――ごめんさない。

 

 その者は謝罪してから、

 

 ――ドンッ!!

 

 迷うことなく引き金を引いた。

 炸裂音と共に風を切り裂き、凶弾が雅彦の額へ深々と突き刺さる。彼は鮮血と脳漿を撒き散らかして檀上から転げ落ちるように地面へ叩きつけられ、糸が切れたマリオネットのように動かなくなった。

 とめどなく溢れ出る真紅の液体。会場にいた者が事態を理解するのに数秒の時間を要すが、それを過ぎると――。

 

 ――うわあああああああああああああああああああああああああああ!!

 

 ――キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!

 

 歓喜は悲鳴――そして絶望へと変わり、産声を上げたばかりの民主主義はその直後、死んだ。




この回以降、かなりシリアスな展開になっていきます。相棒シリーズで言うところの“シーズン9”相当です。ご注意を。


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第93話 デモクラシー・ストーム その3

 突然の銃声。気がつけば雅彦が血を流して倒れていた。目の前で見ていたマミ、文、慧音はあまりのできごとに絶句――思考停止に追いやられる。

 霊夢も阿鼻叫喚の聴衆を目撃して身体が硬直する。魔理沙、阿求、尊も開いた口が塞がらない。

 絵に描いた通りのパニックだった。

 

「雅彦ォォォォォォォォォォォ!!!!!」

 

 泣き叫ぶ副代表が雅彦を仰向けにして身体を揺らす。瞳孔は開きっぱなしで反応はない。即死だった。

 

「チクショーーーーーーーーーーーーー!!!!」

 

 悔しい。その想いを声に乗せて天まで送り出す。けれど雅彦はもう帰ってこない。その事実に副代表は遺体の胸に自らの額を擦りつけて心からの涙を流す。

 それは戸惑う群衆も同様で、

 

 ――死んだ、奥村が死んだ!!

 

 ――誰がやったんだー!!

 

 ――どうしてこうなるのよぉぉぉぉぉ!!

 

 ――アイツは悪いことしてないじゃないか!!

 

 ――誰だぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 撃ったのは誰だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 

「み、皆、お、落ち着いてくれ」混乱しているのは慧音も一緒だった。それでも年長者として里人をまとめようと努力するが、現実は非情だった。

 

 ――ゴロゴロ。バシュ!

 

 突如、何かが投げ込まれて会場のあちらこちらから白煙が発生したのだ。すごい勢いで煙が会場を包み、聴衆のパニックを煽っていく。

 

 ――なんだこれは!!

 

 ――前が見えないわ!!

 

 ――恐いよぉぉぉぉぉ!!

 

 視界が遮られ、参加者は状況を把握できない。マミや文も動けずにいる。

 

「なんじゃこれは!?」

 

「知りませんよ!!」

 

 妖怪とはいえ、こうした状況は想定外である。文は妖怪の姿に戻ろうとするも人が密集しており翼を出すのを躊躇っていた。マミも変装を解除するか迷っている。

 行動を決めかねていたところ、後方から複数の()()()()を投げ込まれた。よく見れば導火線がついており、すでに火がついている。

 

「ま、まさか――」

 

 手投げ爆弾だ。もう遅い。

 

 ――ドォン!! ――ドォン!! ――ドカァン!!

 

 球体は爆発。周囲に思わず耳を覆うほどの音と肌を火傷させる程度の火炎をまき散らした。

 威力からしてその殺傷力は大したほどではないが、視界が遮られたこともあり、更なる混乱を招く。

 

 ――爆発だああああああああああああああああ!!

 

 ――キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!

 

 ――助けれくれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!

 

 ――いやあああああああああああああああああ!!

 

 間一髪、攻撃を回避したマミと文だったが、慧音だけは里人を庇い、身体を負傷していた。爆風を浴びながら慧音はヨロヨロと立ち上がるもすぐに蹲ってしまう。

 

「白沢どの!!」

 

「上白沢さん!!」

 

 心配したマミや文が彼女に駆け寄るも二人の姿を見た聴衆が「妖怪くるなあああああああああああああああ!!」と泣き叫び、それに釣られるように「アイツらがやったのか!?」「妖怪の仕業なのか!?」「妖怪が奥村を殺したんだ!!」「俺たちも巻き添えかよ!!」「いやああああああああああああ殺されるーーー!!」とあちこちで絶叫が巻き起こる。

 

「何故そうなるんじゃ!!」

 

「私たちは何もしてませんって!!」

 

 混乱の中、一人二人が騒いだところでどうにもならない。伝言ゲームのように後方へ伝われば伝わるほど、その内容は変化する。霊夢がいる地点では「妖怪が里人を殺してる!!」と言い出す者が後を絶たず、

 

「ちょ、ちょっと……嘘でしょ!?」

 

 霊夢は慌てながら飛翔した。上空十五メートル付近で様子を確認するも、

 

 ――上空に人影だ!!

 

 ――妖怪だああああああああああああ!!

 

 と聴衆に叫ばれ、焦って着地するハメになる。何もかもが後手後手に回り、誰も適切な対応ができない。さらにダメ押しとばかりにマミたちのところに追加の爆弾が投げ込まれ、ドカン! ドカン! と周りを巻き込んで複数の爆発を起こす。煙のせいで視界が悪く犯人もわからない。

 正気を失った聴衆が一番広い大通りに通じる道へと殺到する。彼らの勢いは凄まじく神戸たちは民家から正面通りに出られず、身動きが取れなくなった。

 

「おおい、どうすんだよ!! これじゃ、身動き取れねえぞ!!」

 

 魔理沙が声を荒げながら阿求に詰め寄るも彼女も混乱しており、

 

「わ、わからないわよ!!」

 

 と言い返す。今の阿求にいつもの冷静さは微塵もあらず、魔理沙相手に食ってかかることしかできずにいた。呆れた尊がふたりの間に割って入った。

 

「いい加減にしろ!! 言い争いなんてしてる場合じゃない!! まず外へ脱出するんだ! 音からして空地では爆発物が使われている。いつ火の手が回ってくるかわからない! この民家に裏口はあるか!?」

 

「あ、あるけど裏路地も人が殺到してるぜ!!」

 

「だったら、お前の火力で民家の一部を破壊して脱出口を作れ! 民間人を巻き添えにしないように屋根を打ち抜け。いいな!?」

 

「あぁ、わかった――」

 

「その後は稗田さんを連れて彼女を安全なところまで避難させろ! 俺は避難誘導と救助に回る。いいか、できるだけ高い建物を迂回して飛翔するんだ。少しでもスナイパーから距離を稼げ!」

 

「おおう。てか、安全な場所ってどこだよ!?」

 

「里の外に出すべきだろうな。稗田邸も犯人が先回りしているかもしれない」

 

「それでは誰が里をまとめるのですか!?」と阿求が訴える。まともなリーダーシップを発揮できるのは彼女だけ。やむを得ないと、尊が妥協する。

 

「少しでも危険だと感じたらその時は博麗神社とか紅魔館とか永遠亭に避難させろ!! お前ならできるよな。稗田さん、それでいいですか!?」

 

「え、あ、はい」と阿求は勢いに押されて返事する。

 

「それと稗田邸に到着して余裕があるなら人員を寄越してください。火消しも必要だ――けが人の運搬、介抱する場所が必要です。診療所に多数の人を手当てできるスペースはありますか!?」

 

「せいぜい、十数人くらいでしょうね……」

 

「煙を吸い込んで呼吸器をやられた人もいるはず。軽傷も含めれば負傷者の数はそれ以上に達する恐れがある! 他に広い場所は!?」

 

「あるにはありますが――」と阿求が言った。

 

「どこです!?」

 

「……目の前の空地です」

 

「――ッ!? なんてこった……」

 

 混乱している場所が人里最大のスペースとはいざ知らず、そこで演説を行わせてしまったのだ。大量のけが人のことなど想定外とはいえ、警察官として配慮すべきだったと尊は後悔した。

 そこに阿求が提案する。

 

「でしたら、稗田家を解放します!」

 

「いいんですか!?」

 

「やむを得ません!」

 

「わかりました。診療所が埋まり次第、稗田邸にけが人を誘導します! 魔理沙、急いでくれ!!」

 

「お、おう――」

 

 そう言って魔理沙は八卦炉を取り出し、出力を調整――民家の屋根の一部をぶち抜き、人が通れる穴を作った。

 その中から先に尊が顔を出して周囲を確認するも辺りは煙で見えなかった。

 

「これなら狙撃手も狙えない。今なら稗田さんを連れて避難できる! 急げ!」

 

「アンタも気をつけろよ!(お気をつけて!)」

 

 魔理沙は阿求を後ろに乗せて箒で飛び立った。見送った尊もすぐに民家を脱出し、屋根を伝って、人がいないところから降りて里人の避難誘導と救助を始める。

 その頃、空地から少し外れた路地で衣服がボロボロになったマミと文が身を潜めていた。

 

「くっ、してやられました。まさか我々がハメられるとは――不覚!!」

 

 悔しさのあまり文は右拳で地面を叩き、拳一つがめり込む穴を作った。かたや、マミは得意の妖術で別人に変装し、文とふたりで連れてきた慧音を介抱していた。

 

「白沢どの、しっかりしろ!」

 

「わ、私なら、大丈夫です……」と呼吸を乱す慧音。

 

「嘘を吐け! 里人を庇って爆風を身に浴びたじゃろ!? 如何に妖怪といえどもダメージはある! すぐに医者にいくぞ」

 

「だ、駄目だ――さっきの騒ぎで負傷者が出たはず。私の分は他の者に」

 

「おぬしはどうする!?」

 

「……救助に、加わります」

 

「ヨロヨロじゃろうて!? 休め!」

 

「私にとって……里は大切な場所だ。例え、半人半妖と罵られようとも、里人は助ける――」

 

 壁にもたれかかりながらも慧音はその歩みを止めない。彼女の心意気にマミが心を打たれた。

 

「なんという心意気……。わかった、儂も手を貸そう。新聞天狗よ、オヌシも手伝え」

 

「手伝えとは」

 

「こういうことじゃ!」

 

 有無を言わさずマミは文の額に葉っぱを取りつけ、彼女を別人に変身させた。容姿は目立たない地味な女の子そのもので変身前とは、どこからどう見ても似つかない。

 自分の変化に気がついた文は「なんですか、これー!?」と戸惑う。

 

「もともと、儂らの失態が原因じゃ。少しでも穴埋めせねばならんじゃろ!」

 

「そ、それは、そうですけど……」

 

「じゃ、いくぞい!」

 

 半ば強引に文を巻き込み、三人は救助活動に参加すべく空地へ戻って尊と合流する。時間を開けず霊夢も合流し、皆で救助活動に専念した。

 その行動を他所に副代表は無言で雅彦の遺体を空地の隅に寄りかけた。

 

「(お前の犠牲は無駄にしない。必ず成し遂げてやるさ)」

 

 瞳孔を隠すために右手で瞼をソッと閉じ、彼はひとり姿を眩ました。



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第94話 デモクラシー・ストーム その4

 竹林の向こう側には中華的要素を取り入れた日本屋敷がある。そこには《月の民》と呼ばれる者たちがひっそりと暮らしていた。

 屋敷は永遠亭と呼ばれ、今や里人からも名医のいる診療所として親しまれている。

 杉下右京はそこの一室に運び込まれ、手厚い看護を受けていた。患者用のベッドに横たわる右京を白いワイシャツを着た助手が看護する。

 

「この人、まだ寝てるのか」

 

 十代中頃の少女だった。地面スレスレまで伸ばした紫色の長髪に、これまたピンと伸びた白いウサギ耳。彼女は八意永琳の助手、鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバである。

 キリッとした目元がやや高圧的な印象を与えるが、師匠と呼ぶ永琳や格上相手には非常に従順で逆らうことはなく、その来客にはきちんと敬意を払う。

 右京が運ばれてから今日で三日目。一向に目を覚まさない彼を永遠亭の住民たちは心配していた。

 

「ご苦労さま。杉下さんは?」

 

「相変わらずですね」

 

 室内に入った永琳は優曇華に声をかけてから換気を行い、空気を入れ替えた。

 

「そろそろ目を覚ましてくれると思うんだけどね」

 

「ですねー」

 

 ふたりは苦笑いを浮かべる。永遠亭は経営難に陥っている訳でもなく、裕福とは言えずとも生活するだけの稼ぎはある。患者ひとり受け持とうが問題はない。しかし、それとは別に面倒なことがある。

 

「あの娘、この人に興味津々だからねぇ」

 

 永琳がそう言った途端、トタトタと足音が響き、徐々にこちらへ近づいてくる。

 

「噂をすればなんとやら」

 

 再度、扉が開かれる。現れたのは袖の伸びたピンク色の上着に真っ赤なロングスカートを穿いた黒髪の美少女だった。

 床につくかつかないかギリギリのところまで伸びた長髪はシルクのようにつややかで、その童顔は巨匠が極限までこだわりぬいた日本人形のように完成されている。

 幽々子とはまた違ったタイプの美少女であるが、容姿的には互角で、後は好みの問題――その領域まで達している。

 美少女は笑顔でふたりに訊ねる。

 

「起きた?」

 

 何気ない言葉と仕草だったが、一瞬で病室を華やかなものにした。永琳は少女を眺めながら「まだよ()()」と返した。

 美少女の名前は蓬莱山輝夜(ほうらいさんかぐや)。かの有名な()()()()その人である。

 輝夜は「そう……」と残念そうに呟いてから近くにあった椅子に品よく腰をかけた。

 

「久々にここへやってきた外の人だから楽しみにしていたんだけどねー。かなり博識な方らしいし」

 

「……お客さんじゃないのよ?」と永琳が言う。

 

「話くらいはしてもいいでしょ?」

 

「いいけど、目覚めた直後は身体が弱っているの。ほどほどにね」

 

「それくらいわかってるわ。永琳は私を子ども扱いし過ぎよ」

 

「つい心配になるのよ」

 

 輝夜は月のお姫さまとあって天真爛漫な性格をしており、従者を困らせることもしばしば。にも関わらず彼女の周りから人が離れることはなく皆、輝夜を慕い続ける。

 レミリアのような畏怖や幽々子のような優雅さを持つ訳でもなく特別、頭がよい訳でもない。

 ただ()()()()()()()()()なだけ。それが彼女最大の魅力であり、月の賢者を配下に置ける最大の理由なのである。

 本人はその意味をわかっているのか、いないのか、今日も気楽に生きている。

 

「表のお料理も食べてみたいなぁ」

 

「ふふっ(あはは……)」

 

 次の嵐が幻想郷に迫っているとも知らずに。

 

 

 奥村雅彦射殺から一時間。避難誘導と救助を終えた尊、霊夢、マミ、文、慧音は一旦、空地に集まって話し合っていた。

 

「で、アンタらは何もしてないのね!?」

 

 部外者の妖怪ふたりに強い疑いの目を向ける霊夢。マミたちは怒り気味に反論する。

 

「しつこいのぅ。儂らがそんな行動する訳なかろう!」

 

「そうです。勝手に叫ばれて犯人にされたのです!」

 

「そもそも、アンタらが演説を正面で見てたのが悪いんじゃない!!」

 

「それは、心配じゃったから――」

 

「余計なお世話なのよ!! 里人を混乱させただけじゃないの!?」

 

「まさかアイツが写真なんて持っていると思わなくて――」と文が言い訳気味に弁明。

 

 その態度も相まって霊夢の怒りは収まることをしらず、つかみ合いになりかける。そこに尊が待ったをかけた。

 

「今更でしょ。早く収拾に動くべきだ。霊夢さんは阿求さんの護衛に戻ってください。相手が妖怪か人間かわからない。魔理沙だけだと心配だ」

 

「でも、犯人を探さないと」

 

「犯人が何を狙っているかわからない以上、迂闊に動くべきじゃない。要人警護に戻ってください。狙撃地点はこっちで特定します。何かあったらお報せしますから。よろしくお願いしますね」

 

「……わかりました」

 

 的確な指示で人員を動かし、誘導から搬送までスムーズに行った尊へ反論できず、不承ながらも霊夢は稗田邸へ向かった。巫女の後ろ姿を見送った彼はマミと文に視線を向ける。

 

「あんな見え透いた挑発に乗るなんてらしくないですね」

 

 尊は奥村雅彦のペースにハマったふたりに皮肉を送った。

 

「返す言葉もない」

 

「……同じく」

 

 自分たちが混乱を招いたという自覚はあるらしく、肩を落とす両名。けれど、尊は彼女たちを責める気はなかった。

 

「犯人捜し、協力してくださいね?」

 

「わかった」

 

「了解です」

 

 人間相手に主導権を握られる。妖怪からすれば不服もいいところだが、今回ばかりは責任重大でそれどころではない。里が心配な慧音も「私も何か手伝えることは?」と訊ねた。

 

「上白沢さんは怪我を負ってますから、手当てされたほうがいい。その後は稗田さんの指示に従ってください。里も混乱してるでしょうから」

 

「確かに……」

 

 慧音が頷くと尊はチャンスと言わんばかりに手帳とボールペンを出してこのように頼んだ。

 

「それとなんですが。里人に捜査協力をして頂くかもしれません。ここに()()書いて欲しいのですが」

 

「何をですか?」

 

「ぼくはよそ者ですから信用されていません。上白沢さんの一筆があれば皆、安心してくれると思います。決して悪用致しませんので。お願いできませんか?」

 

「……わかりました」

 

 この状況下では致し方がない。気が進まなかったが、慧音は尊に言われるがまま、手帳に直筆で里人に協力を促すような文章を書いた。手帳を返した慧音はすぐにこの場を去った。それを後ろで見ていたマミたちがほうほうと唸ってみせた。

 

「うまく捜査権を手に入れたもんじゃのう……」

 

「やり手ですね……」と評する文。

 

 急いでいる尊は振り返ることもせず「いきますよ」と一言だけ発し、狙撃現場を特定すべく行動を開始する。

 民家は縦一列に立ち並ぶように建てられており、各間隔は一メートル前後。茅葺、瓦など様々な屋根が見受けられ、明治時代の名残を残す独特な景観をしている。

 巻き上げられた砂埃が宙に漂う中、尊は妖怪と共に空地から見て特に右側の建物へ気を配りながら進む。

 

「どうして右側ばかり見ているのですか?」と文が訊ねる。

 

「犯人は右利きの狙撃手である可能性が高いからです」

 

「どうしてじゃ?」マミが問う。

 

 尊は観察を続けながら推察を語った。

 

「発砲音からして使われた銃は稗田さんを狙った銃と同じものでしょう。狙撃も正確でしたから狙撃手も同一人物と思われます。最初の狙撃場所を観察したのですが、足跡は左足が前に出ていた。となると、物陰から中腰で撃ったと推測できます。仮にそうだとすると、左足を軸にして撃ったことになる。その射撃姿勢を取るのは右利きの狙撃手なんです」

 

「ですが、左利きでも狙撃できるのでは?」

 

「稗田さんを狙撃した場所は鈴奈庵から見て左斜め奥の民家です。犯人はその物陰に隠れるように銃を撃った。手際のよさ、命中精度――それらを考慮する場合、左利きでは難しい。おまけに狙撃の位置取りがプロのものとは言い難いので、表の人間基準なら相手はセミプロまたは狙撃の上手い素人です。利き足や利き手を変えての狙撃なんてまず無理かと」

 

「だから右利きの狙撃手であると?」

 

「そうじゃないかと疑っています。今回は人々が密集していましたから、狙撃には高さも必要です。少し高めの建物が怪しいかも」

 

「ふむ、オヌシ――ずいぶんと詳しいのう」とマミが疑問に思う。

 

「警察官ならこれくらい普通です」

 

「お巡りさんクラスじゃ、こんな状況でパッと考察できたりせんぞ。ただの公務員じゃからな。うだつの上がらん連中ばかり。警察庁だったか、どこの部署じゃ?」

 

 一瞬言うか迷ったが、変に隠すと信用されないと思い、自身の所属を明らかにした。

 

「警備局です」

 

「警備局か! エリートじゃのう」とマミが驚く。

 

「その部署ではどんなお仕事を?」

 

 ついでに訊ねてくる文に尊は面倒くさそうにしながらも「要人警護とテロ対策ですかね」と回答した。

 

「どうりで避難誘導や救助をスムーズにやれる訳か……」

 

 マミはひとり納得する。

 

「というと?」と、首を傾げる文に尊が職務内容を教えた。

 

「ぼくの仕事は要人を護り、警護対象へのテロを未然に防いだりする。そのための根回しを行うんですよ」

 

「じゃからそこに配属されるのは主にキャリア組とも呼ばれるエリートなんじゃよ」

 

「マミさんこそ、表の世界に詳しいですね? どこからきたんです?」

 

「佐渡じゃ」

 

 マミは尊の質問に素直に答えた。

 

「いいんですか? そんなことバラしちゃって?」と文が意地の悪い言い方をするも「もう正体がバレておるからな。隠すこともないわい」。そう言って、マミは自分が外来人の前で、佐渡――つまり()()()()()()()()()()であることを公にした。

 このやり取りの後も三人は発射場所を探し続け、空地の右側、七十メートル地点の民家の屋根上で痕跡を発見し、狙撃地点を特定した。

 

 

 尊が狙撃地点を特定した同時刻。人里の一角で秘密結社のメンバーが集結していた。

 

「雅彦は死んだ。よって代わりは俺が務める。異議のある者はいるか?」

 

 ――異議なし! ――異議なし! ――異議なし! ――異議なし!

 

 満場一致で副代表が代表に就任する。彼は拳を天高く掲げる。

 

「今よりこの俺、田端直樹(たばたなおき)が《人里の夜明け》代表であるっ!! アイツの仇を取るぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 ――オォォォォォォォォォ!!!!

 

 メンバーたちが歓喜に沸いた。殉職した男の仇を取る。ここに大義が生まれた。

 

「各員準備はできているか!?」

 

 ――できてるよ!

 

 ――いつでもいいぜ!

 

 ――連中から物資も頂いた。後はやるだけだ!

 

「ならば作戦通り、実行せよ!! 全てはよりよき明日のために!!」

 

「「「「全てはよりよき明日のために!!」」」」

 

 こうしてメンバーたちは各ポイントへ散っていった。



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第95話 マーチ・オブ・テンペスト その1

 稗田邸では女中が総出でけが人の手当てを行っていた。その様子を阿求がジッと見つめる。

 

「こんなことになるなんて……」

 

 民主主義を訴える平和的な会場が惨劇の場となって負傷者多数を出す大惨事を引き起こし、里人に多大なる危機感を与えてしまった。

 未だかつてない事態に阿求は頭の整理が追いつかずにいる。

 

「犯人は何が目的なの。私を狙っていた癖に今度は結社のリーダーを狙撃? 里の混乱が目的なの? 妖怪の仕業に見せかけて何がしたいのよ? 里を分裂させたいの!? じゃあ、犯人は人間じゃなく外来したバルバトス? もう、訳がわからない……」

 

 そこに護衛の魔理沙が声をかける。

 

「落ち着け。なっちまったもんはどうにもならん。これからのことを考えようぜ」

 

「そうね……。ありがとう」

 

 とはいえ、やることがありすぎて何から手をつけたらよいのかわからない、混沌とした状況であった。

 

「まず人々から不安を取り除くために行動しないと。慧音さんや里の有力者たちに協力を要請して事態の収拾を図る。場合によっては私も表に出ないと」

 

「それはダメだ! 狙撃手がウロウロしてんだからさ」

 

「困ったわ。何とか犯人を捕まえられれば……」

 

「それは本職に任せるしかないだろう。私らじゃお手上げだ。現にこの程度の混乱で済んでんのもあのにーさんの采配だしな」

 

「優秀よね、あの人……。やっぱり協力体制を築いておくべきだったかしら」

 

「今更だろ。しっかし、あんな除け者にされても、有事の際はしっかり協力してくれんだから、さすが警察官だよな」

 

「……」

 

 阿求は黙るしかなかった。事情があるとはいえ、もっと頼るべきだったと。無意識に彼女が目を逸らすと後方から霊夢が歩いてきた。

 

「屋敷の中を一通り回ってみたけど、不審な物や妖気は見つからなかったわ」

 

「そう、ご苦労さま」

 

 霊夢は阿求の隣に座り、彼女へ言う。

 

「里の事情。これ以上、知られるのは面倒でしょ。アンタの判断は間違ってなかったと思うわ」

 

「……そうよね」

 

「そうよ。そうに決まってる。決まっているんだけど」

 

 そう言って霊夢は言葉を濁し、他のふたりも気まずそうに俯いた。敵が見えないだけに不安が拭えない。そんな表情だ。

 だがしかし、彼女らに追いうちをかけるように事態はさらに悪化していく。

 

「阿求さま、大変です!!」

 

 女中のひとりが阿求の下へ飛び込んできた。

 

「何があったのですか!?」

 

「大通りで秘密結社と思わしき者たちが抗議の声をあげています!!」

 

「「「なんですってー!!(なんだってー!!)」」」

 

 

 人里の大通り。新代表となった田端直樹が結社メンバー数人を引き連れて、スマホ片手に大声で叫んでいた。

 

「話し合いを望んでいたリーダーは妖怪の手によって殺された!!」

 

 ――妖怪の手によって殺された!

 

「こうやって殺された!!」

 

 ――こうやって殺された!!

 

 スマホに映し出されるのは脳天を撃ち抜かれた奥村雅彦の遺体そのもので、何の修正も施されていない。里人からは悲鳴が相次ぐ。

 

 ――死んだ人間だぁぁぁ!!

 

 ――きゃあああああ!!

 

 ――それは本当なのかー!?

 

「本当だ!! 証拠ならまだあるぞー!」

 

 田端が目配せするとすぐ後ろにいたメンバーふたりが自分のスマホを取り出して事件直後の動画や別の角度から撮った死体の画像を里人に見せつける。

 それらを目にした者から更なる悲鳴が巻き起こり、顔を押える者や嗚咽する者が続出した。

 そんな里人を田端は叱咤した。

 

「目を逸らすな!! その目を逸らすな!! 決して逸らすな!! これが妖怪のやり方だ!! ヤツらは話し合いを否定し、武力と搦め手で里人を支配している!! これでいいのか!? 俺たちは共存を望んでもヤツらは簡単に踏みにじる。それが正しい行いなのか? 違う!! 違う!! 断じて違う!! だから、我々、秘密結社は戦うのだ! 言葉を否定した妖怪たちと!!」

 

 大声を出しながらスマホでは演説中に隠し撮ったマミや文の姿とふたりの本当の姿、さらに他の妖怪たちの画像や動画を流し、民衆をこれでもかと煽る。

 

「オォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 メンバーのひとりが叫んだ。

 

「皆も協力して欲しい!! 人里の明日のために!! 我らに力を!!!!」

 

 ――オォォォォォォォォ!!

 

 ――協力するぜぇ!!

 

 ――妖怪がなんだっていうんだ!!

 

 同調する者がチラホラと現れた。田端は彼らをさらなる渦へ引き込もうとする。

 

「皆で騒げば怖くない!! さぁ、叫ぶのだ!!」

 

 ――なんて叫べばいいんだ!?

 

「決まっている。『妖怪・消えろ!』。そう叫べ!! 里内外問わず、全ての妖怪たちに人の意思を叫べ!! 叫べぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!! 妖怪・消えろ!」

 

「妖怪・消えろ!」「妖怪・消えろ!」「妖怪・消えろ!」「妖怪・消えろ!」「妖怪・消えろ!」

 

 ――妖怪・消えろ! ――妖怪・消えろ! ――妖怪・消えろ! ――妖怪・消えろ!

 

 秘密結社のメンバーが『妖怪・消えろ!』と叫ぶ。それに感化されて、ちらほらと声が上がり始めた。

 

 ――妖怪・消えろ!

 

 ――妖怪・消えろ!

 

 ――妖怪・消えろ!

 

「声が小さい!! それじゃ何も変わらない!! 妖怪と里の権力者にかき消されてしまう!! 大きな声でやってみよう!! せぇぇぇぇぇのぉぉぉぉぉぉ――」

 

 ――妖怪・消えろ! ――妖怪・消えろ! ――妖怪・消えろ! ――妖怪・消えろ!

 

「もぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉとーだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 ――よーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーかい・消えろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!

 

「そうだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! 叫べええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」

 

 ――妖怪・消えろ!!

 

 ――妖怪・消えろ!!

 

 ――妖怪・消えろ!!

 

 ――妖怪・消えろ!!

 

 ――妖怪・消えろ!!

 

 ――妖怪・消えろ!!

 

 ――妖怪・消えろ!!

 

 ――妖怪・消えろ!!

 

 ――妖怪・消えろ!!

 

 結社の行進に触発された里人たちが、まるで火でも点いたかのように彼らの中に加わり始める。

 特に若い世代が積極的にデモへ参加しており、反対にお年寄りは呆れたように狂った集団を眺めていた。若い世代のほうが人里のあり方に強い不満を持っている。そういった印象だった。

 ある程度、若者が乗っかってきた段階で田端が拳を天に突き上げた。

 

「皆、大通りを歩くぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!! 少しでもこの想いを里人へ届けるんだあああああああああああああああああああああああ!!」

 

 ――オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!

 

 けたたましい大声を伴い、結社と里人で形勢されたデモ隊は大通りを行進し始めた。

 

 ――妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ!

 

 ――妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ!

 

 ――妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ!

 

 ――妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ!

 

 これを皮切りに参加者が右腕を上下させる。今まで感じたことがないほどの熱気が里人を包んでいく。

 それに呼応するかのようにあちらこちらで「言論は殺された」「結社は正しい」「妖怪と戦おう」「皆で行進しよう」と若者たちが大合唱。参加者がどんどん増えていく。

 あまりにもうるさいので家の中の赤ん坊が泣き出し、小動物たちが里から逃げ出す。

 狙撃地点を報告すべく稗田家に向かう途中でその状況を目の当りにした尊は絶句した。

 

「なにこれ……」

 

 続けてマミも「わからんわい」。文も「わかりません」と固まる。

 人々が自由を求める行進は止まることを知らず、結社とデモ隊は里中を狂気という渦で席巻していった。



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第96話 マーチ・オブ・テンペスト その2

 大通りを進むデモ隊。その規模は優に五十を超えていて、里の人口からすればかなりの規模に膨れ上がる。

 見かねた慧音が「止めないか!!」と立ちふさがるも、先ほどの手口同様「半人半妖」「妖怪の手下」「権力者の犬」と罵られ、妖怪の画像や動画を流された挙句、間髪入れず大音量の『妖怪・消えろ』コールの前に引かざるを得なくなる。

 腹を立てた霊夢も「いい加減にしろ!!」と、デモ隊に怒鳴り込むも、こちらも妖怪との繋がりを暗示する画像や動画を流されて「妖怪巫女」と大声で叫ばれる。

 彼女はブチ切れ寸前のところを魔理沙になだめられて撤退させられ、慧音と共に稗田邸へと避難していった。

 慧音や霊夢といった強者が逃げる姿を見た一部の里人は「やっぱりアイツらは敵だった」と思い込んでデモ隊への参加を表明した。

 恐ろしい勢いで勢力を伸ばす秘密結社。そのニュースは幻想郷全土へと瞬く間に広がり、各勢力の知るところとなる。

 

 

 夕暮れ時。物陰に潜みながら日没の光を見つめる少女。

 

「大変なことになったわね」

 

 紅魔館の主レミリア・スカーレットは、屋敷のベランダで紅茶を飲む参謀と会話していた。

 

「杉下右京が撃たれたと思ったら今度はデモか」

 

 友人の言葉を受け、パチュリー・ノーレッジは顎を手にやりながら考えを巡らせる。

 

「何か起きている……。私たちの知らない何かが」

 

「そうでしょうね。やらかすなら()()()()かと思ったんだけど」

 

「里にも反抗的な勢力はいる」

 

「これは静観なんて言ってられないかもしれないわね」

 

「動くなら早い方がいい」

 

「わかってるわ」

 

 そう言って、レミリアは影の中に姿を消した。

 

 

 白玉楼では魂魄妖夢が庭園を慌ただしく駆け抜け、その視界に主の姿を捉えた。

 

「幽々子さま、大変です! 里でデモが起こっているそうです!」

 

 冥界の空を仰ぐ西行寺幽々子は、そのままの体勢で妖夢に質問する。

 

「規模は?」

 

「大規模だと伺いました!」

 

「そう……」

 

「どうなさいますか!?」

 

「どうもこうも、妖怪は里の人間には手を出さないって約束があるからね。私たち幽霊も例外ではない。武力で解決しようとすれば人間側の反発を強めるだけ」

 

「ですけど、このままだと危険ですよ」

 

「……少し様子を見ましょう。私も何ができるか考えてみるから、あなたも落ち着いて」

 

「は、はい……」

 

 妖夢は不安を拭えずに視線を落とした。険しい顔つきをする幽々子は「そろそろ起きて貰わないと」と呟いた。

 

 

 永遠亭では、八意永琳が居間に輝夜と優曇華を呼び寄せて里の状況について話し合っていた。

 

「里が荒れているわ。しばらくの間、薬の訪問販売は中止します」

 

「それはよいのですが……。今後、どうなるんでしょうか?」と優曇華が零す。

 

「そうねぇ……。人間側の出方次第だけど。最悪、武力衝突もあり得るわ」

 

「戦いになったら、人間に勝ち目なんてない。デモを起こしている連中はわかっているのかしら?」と、輝夜はそう言って永琳を見た。

 

「どうなのかしらね。本人たちに訊いてみないことにはわからない」

 

「そうよね」

 

 輝夜は近くにあった盆栽に目を移した。

 

「いつも通り()()()()()()()()()――ってなればいいんだけど」

 

「ただの人間はスペルカードを使わない」と永琳が言った。

 

「厄介よね。スペルも暴力もダメな相手って」

 

「幻想郷で一番、守られた空間の守られた存在だからねぇ」

 

「彼らに対抗できるのは誰なのかしら?」

 

「きっと()()()()()――でしょうね」

 

 そう言って、永琳は静かに瞳を閉じた。

 

 

 翌日。デモ隊の抗議活動は夜通し続き、里に静寂が戻ることはなかった。

 彼らは稗田家の正面入り口に陣取り、日の出と共に魔法の言葉が大声で叫ぶ。

 

 ――妖怪・消えろ! ――妖怪・消えろ!

 

 ――妖怪・消えろ! ――妖怪・消えろ!

 

 ――稗田家・出てけ! ――稗田家・出てけ!

 

 ――稗田家・出てけ! ――稗田家・出てけ!

 

 稗田家の中は女中や帰れなかったけが人があちらこちらで疲れ果てている。眠れていないのだろう。阿求、霊夢、魔理沙、慧音も同様に目の周囲に隈を作っていた。

 

「眠れなかったわね……」

 

 襲撃へ備えて客間に布団を用意し、川の字で寝るもうるさくて睡眠が取れなかった。阿求の呟きに皆は無言ながらも目で返事をする。彼女は続けた。

 

「稗田家がこんなに恨まれていたとは――知らなかった」

 

 すると慧音が割り込むように、

 

「そんな訳ありますか!! 集まっているのは若い衆と元から素行不良そうな連中です。昔から幻想郷を知る方や良識ある方はデモに参加していないのです! 弱気にならないでください!!」

 

「……言われてみればそうね。ん、素行不良……? どこから沸いてきた?」

 

 頭が回らない中、思考する。数秒後、阿求の眠気が吹き飛ぶ。

 

「四家の子分どもかあああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

「おおう!?(はい!?)」コクンコクンと身体を揺らし、眠りかけの魔理沙と霊夢が背筋をピンとさせて目を見開く。

 

「あ、ごめんなさい。腹が立ったからつい――でも元気が出てきたわ。アイツら、どうしてやろうかしら――あははははははははははははは、今から楽しみだわ、うふふふふふふふふふふふふっ」

 

 無礼な四家代表――主に水瀬家、土田家の顔を思い出し、後でギタギタにしてやると腹に据えた阿求の形相は凄まじく、少しだけ狂気をまとったフランドールに似ていた。

 

「「ようか……(そう……)」」

 

「まぁ、元気になってよかったの、か?」そう慧音は苦笑うも「平和的に解決できるのか?」と今後の行く末を案じた。

 

 

 午前十時。あちらこちらで抗議が活発化していた。

 

 ――妖怪・消えろ! ――妖怪・消えろ! ――妖怪・消えろ!

 

 お決まりのかけ声。それだけでは収まらず、今度は《幻想デス・トピア》なるオリジナルソングまで登場する。

 大通りのど真ん中で秘密結社の人間が踊りと共に熱唱し始めた。

 かなり韻を踏んだ曲で、エッジの効いた幻想郷批判だった。

 

 ――よし、いいぞ!

 

 ――中々、うまいじゃん♪

 

 ――ひゅー、ひゅー名曲だぁ!!

 

 もはや騒げれば何でもいい連中の行動である。()()()()()()()()でもしたのか、大通りの端っこで事件捜査中の尊が内心でそう皮肉った。

 里の雰囲気は殺伐としており、声を出す人間たちが大通りのど真ん中を占有し、道端を怯える人間たちが静かに通り抜ける。酷い有様だった。

 尊はこの様子を()()()()()()()()()()()()()()()()と思った。

 民衆を眺める彼の隣にソッと変装したマミがやってくる。

 

「どうじゃ調子は?」とマミは小声で尊に問いかける。

 

「駄目ですね。この騒ぎじゃ一筆があっても意味をなさない」と尊が答えた。

 

「皆、引き籠っているか。騒いでいるかのどちらかじゃしな」

 

「……そちらは?」

 

「狸たちに偵察させようとしたのじゃが、里の中と周辺に毒餌がばら撒かれておっての。迂闊に呼べなくなった」

 

「毒餌……ずいぶん、ピンポイントな対策ですね」

 

「阿求のヤツが『四家が毒餌ばら撒く』と忠告しておったな。どこの家がやったのか」

 

「もしくは結社が奪った、とか」

 

「あり得ない話ではないな。阿求と合流したいのじゃが、稗田家は昼夜問わず、周囲を人間に囲まれておる。いけぬことはないが、もしバレると阿求のイメージが悪化する」

 

「今は近寄らないほうがいいですね」

 

「うむ」

 

 マミは首肯し、騒ぎ立てる里人に嫌悪の目を向ける。無言で彼らを観察していると今度は里人に扮した文が静かにやってきた。挨拶を後回しに彼女は報告を優先する。

 

「里の外で聞き込みしてきましたけど、特に変わった妖怪は見かけてないとのことです」

 

「となると敵は里の中にいると見ていいか……」

 

「それと。外の妖怪たちはこの問題を極めて深刻であると捉えており、一部の勢力は武力介入も検討しています」

 

「それはどこの勢力ですか?」

 

 尊が訊ねると文は、ばつが悪そうに語った。

 

「妖怪の山。私の所属している勢力です」

 

「あそこは大所帯じゃからな。力も経済もある。鎮圧は十分、可能じゃ」とマミが補足した。

 

「ですが、反対している勢力もあります。紅魔館なんかは『一勢力が勝手にやってよいことではない』と言っているそうです」

 

「その、詳しいことはわかりませんが――派閥同士で考え方が異なる。そういう解釈でよろしいですかね?」

 

「そんなとこじゃな(です)」

 

 返答を聞いた尊は「妖怪は人里の人間に危害を加えないんですね」と問う。ふたりは「それが暗黙の了解となっている」と答えた。

 用が済んだふたりは情報を収集すべくこの場を去る。ひとりになった彼もデモに浮かれる若者を横目に事件解決のために捜査に戻った。

 

 

 時刻は正午。鈴奈庵は今日も開店している。

 デモ隊の大騒ぎは扉越しでもはっきりと聞こえ、店内にも「妖怪・消えろ!」コールが入り込む。

 

「うるさいなぁ。これじゃお客さんこないよ……」

 

 ただでさえ事件現場となった鈴奈庵は、客足がいつもの五割いくかいかないかの状況だった。そこにデモにより治安が悪化した影響で、本日は開店からひとりも客がこない。

 

「阿求の様子も見にいきたいけど危険みたいだしなぁ」

 

 若干、捻くれているが唯一の親友である阿求の顔を脳裏に思い浮かべながら彼女は不満タラタラといった感じでカウンターに頬杖をついていた。

 

 ――ガラガラ。

 

「いらっしゃいませ! あぁ、狩野さん!」

 

「どうも」

 

 来店客は片手に数冊の本を抱えた宗次朗だった。退屈なところにイケメンの登場。乙女が燃えないわけがなく、

 

「いらしてくれたんですね!! 今日はどのような本にします!? あ、これとかオススメなんですけど――」

 

「あはは……、今日は借りた本を返しにきただけです」と宗次朗は若干引いた。

 

「そ、そうでしたか。すみません、はしゃぎすぎました……」

 

「いえいえ、とても可愛かったですよ」

 

「か、可愛いだなんてそんなー。照れます」

 

 その言葉を遮るように、

 

 ――妖怪・消えろ! ――妖怪・消えろ! ――妖怪・消えろ!

 

 ――もう稗田に任せるな! ――もう稗田に任せるな!

 

 ――妖怪・消えろ! ――妖怪・消えろ! ――妖怪・消えろ!

 

 と叫ばれる。

 一定間隔でリズムよく発せられる抗議の言葉を両手を上下させて謳うデモ隊。宗次朗は冷ややかな目つきで「まるで一昔前の軍歌のようだ」と評した。

 彼に同意するように小鈴は「酷いですよね!! 商売あがったりなんですよ!」と受付カウンターを叩く。

 

「どこも似たり寄ったりですよ。その行動のせいで誰も商売ができない。彼らは自分たちのやっていることにどんな意味があるのか、それすらもわかっていない」

 

「そーですよ!! 稗田家を囲んだって意味なんかないですよ!!」

 

「おっしゃる通りだ。ちょっと期限は残っていますけど、お返しします」と宗次朗は小鈴に本を手渡す。

 

「あ、はい。確かに受け取りました」

 

「失礼します」

 

「はい、またのご利用をお待ちしておりますー」

 

 小鈴の言葉に宗次朗は笑顔で手を振りながら扉を開けて外へと出ていった。



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第97話 マーチ・オブ・テンペスト その3

 嵐を呼ぶパレードは稗田邸の近くまで迫っており、元から稗田家周辺にいたデモ隊と合わせるとその数は百人に達しようとしていた。

 合流して巨大になったデモ隊の先頭を陣取る結社メンバーの中には田端の姿はなく、代わりに彼から預かったのであろうスマホを持った男たちが指揮を取っていた。

 彼らはこのように叫ぶ。

 

「妖怪の手先、稗田を追い出せー!!」

 

 ――稗田を追い出せー!! ――稗田を追い出せ!! ――稗田を追い出せ!!

 

 ――妖怪・消えろ 消え消えろー!! ――妖怪・消えろ 消え消えろー!!

 

 ――稗田を追い出せー!! 妖怪・消え消えろー!! 妖怪・消えろぉ!!

 

 『妖怪・消えろ』コールや『稗田家を追い出せ』コールが周囲を包み、その一体感は何とも言い表せない気味悪さを伴っている。デモ隊はごく短期間のうちにより結束した集団へと変化していたのだ。

 魔理沙と霊夢は女中たちに「門は絶対に開けるな!!」と指示し、阿求の護衛を慧音に任せて自身らは正面入り口付近で待機する。

 地鳴りのような不気味な足音が目の前まで押し寄せる。魔理沙は門の上までのぼり、密かに参加者の数を確かめた。

 その人数をちらっと確認した魔理沙は霊夢を残したまま、血相を変えて客間へと飛び込み、その中央に座る阿求へ告げる。

 

「ちとマズイぜ。集まった人間の数が半端ない! ざっと百人はいる!」

 

「じょ、冗談でしょ!?」と阿求は狼狽えた。

 

「さ、最悪……、脱出を考える必要があります。その場合は――」と慧音は魔理沙を見やり、彼女もまたその意図を汲んだ。

 

「私が運んでいく。心配するな、足には自信がある」そう言って魔理沙は胸を張った。

 

「避難場所は可能な限り安全なところにしてくれ」

 

「そうなると博麗神社や香霖堂はマズイか……。紅魔館も冥界も好ましくない。永遠亭だな」

 

「わかった。頼んだぞ!」

 

「任せておけ、こういう時の私だ」

 

 そう言って魔理沙は霊夢のところへ戻っていく。門前では抗議の声が飛び交う。

 

 ――稗田阿求を出せー! ――ここに出てきて説明しろー! ――卑怯者!!

 

「あの娘を出せるわけないでしょ!」

 

 狙撃銃や手投げ爆弾おまけに人間か妖怪、単独犯か複数犯すら特定もできない。その状況で阿求を人前に出せるわけがないのだが、デモ隊には関係ない。

 

 ――出せ! ――出せ! ――出せ! ――稗田を出せ! ――稗田を出せ!

 

 狂気を帯びたデモは止まることをしらない。

 

 ――裏切り者!! ――人殺し!! ――忖度女!! ――人間は妖怪の奴隷か!!

 

 ――奥村を返せー!! ――ふざけるな!! ――妖怪・消えろ!

 

 抗議は一時間半もの間、続く。

 

「気が滅入る……」

 

 阿求はぐったりしたように座卓に右頬を付け、その目を虚ろにする。

 女中たちや慧音も皆、暗い表情をしていた。闇雲に出ていってもやり玉にあげられ、デモ隊の更なる結束を招く可能性がある。稗田側は動けない。

 それをよいことにデモ隊のテンションは上がり続け、これ見よがしに結社メンバーと思われる男が前に出て歌い始める。

 

  『へいへいへーい! 朝から今まで引き籠りぃー』

 

  ――HEY! 朝から今まで引き籠り!

 

  『へいへいへーい! おかしいぞぉ、おかしいぞー♪』

 

  ――HEY! おかしいぞぉ、おかしいぞ!

 

  『へいへいへーい! 稗田の威光じゃ 俺らは潰せない♪』

 

  ――HEY! 稗田の威光じゃ 俺らは潰せない!

 

  『へいへいへーい! 皆で叫ぶぞ、妖怪・消えろ♪』

 

  ――皆で叫ぶぞ、妖怪・消えろ♪

 

  『HEY!』

 

 それが終わると次の抗議ソングが歌われる。歌詞は《幻想デス・トピア》の二番だ。こちらもかなりエッジの効いた幻想郷批判ソングだった。

 

 ――いいぞー!!

 

 ――名曲だぜぇ!!

 

 ――素敵よー!!

 

 歌い終わると同時に拍手が巻き起こる。その歌に魔理沙は「つまんねーな」と腹を立てた。霊夢はさりげなく「気にしちゃダメよ」と言い聞かせてから門のほうを向いて警戒する。

 

「あー、ホントむかつく……」

 

 頬を座卓に密着させた阿求は堪りゆくストレスを発散できず、目を虚ろにしながら「今に見てなさい……」と低い声で呟いた。

 分断されているといっても特命係は犯人特定のため自発的に行動する。犯人を特定し、それを排除できれば何ともでなる。今の阿求は心のどこかで特命係を頼っていた。

 

「(都合がいいのはわかりきっているんだけどね……)」

 

 ほとほと自分が嫌になる。それでも動かないことを彼女は選択している。今は耐えるのだ、と。しかし、連中は甘くなかった。

 人だかりの中で突如、白煙が上がって昨日と同様、視界が遮られる。それからまもなく、

 

 ――ボン! ――ボン!

 

 ごく小規模の火花と同量の音が発生した。デモ隊はパニックに陥る。

 

 ――なんだ、これは!! ――また爆発かぁーー!! ――キャア!!

 

 そこに結社メンバーが「妖怪があああああ!! やりやがったなぁぁぁぁ!! こうなったらこっちもやるしかねえ!! 皆、戦うぞーー!!」と叫んでから、火のついたかんしゃく玉を上空に投げる。

 かんしゃく玉はそのまま爆発し、里中に大きな音をまき散らす。

 

「何事だ!!」

 

 慧音が声を荒げるが、その頃には門の外を白煙が覆っていた。

 さらに「稗田が俺たちを攻撃した」「抗議すらも聞き入れない」「戦うしかない!」「やってやろう」と聞こえては「あけろーー!!」と門をドンドン押す。

 

「絶対に中へ入れるな!!」

 

 慧音はそう叫んで女中や協力してくれるけが人を指揮した。最悪の場合、弾幕による防衛も辞さないと覚悟を決める。

 それをここより少し離れた火口家の敷地内から見ていた青年が「時間だな」と呟いてからコソコソと物陰に姿を眩ます。

 

 

 暴動が始まってから数分後、火口家にデモ隊から別れた数十人にもなる若い衆が押し寄せ、火口家の門を物凄い勢いで叩き壊そうとする。

 

「開けるんじゃねえぞ!!」

 

 火口は部下に命令して、表門へ人員を向かわせた。

 そんな中、ひとりだけ命令に反し、青年は違うところで活動する。

 彼は火口家に併設された火縄銃製造所にある保管庫に一番近い裏口の鍵を内側からガチャリと開けた。

 外で待っていたのは表で騒いでいる連中とは別、それも()()()や短刀、鉈などで武装する者たちだった。数は十人前後といったところか。

 彼らの先頭にいたのは顔を隠した田端であった。田端は鍵を開けた青年に礼を言う。

 

「よくやってくれたな()()()

 

「ふんっ、これくらい朝飯前だ」

 

 青年の正体は淳也を犯人にしようとした不届き者――小田原信介(おだらわしんすけ)であった。

 彼は右京が事件を解決したために厳重注意の上で無罪となるも、元々の性格が災いし、皆から村八分にされて物書きで生計を立てられなくなった。

 すべてを失った信介だったが、それを見かねた彼の知り合いが口添えしてくれたおかげで約一週間前から火口家で雑用の仕事を与えてもらっていたのだ。

 信介は彼らを内側へと招き入れてから、

 

「この通路を真っ直ぐいった突き当たりを右に曲がったところの倉庫に火薬が保管されている。火縄銃も近くの倉庫に置いてある。数は約二十丁だ。ついでにそっちも開錠しておいた」

 

「ほう、すごいじゃないか。どうやって鍵のありかを掴んだ?」

 

「『皆から白い目で見られて毎日辛くて、俺はただ疑われたくなかっただけなんですよ。正気を失っていたんです』って泣きついたら、代表のヤツが同情してくれてさ。色々なところを見せてくれたんだ。そのとき、偶然にも鍵のありかを知ってな。混乱のどさくさに紛れて取ってきたんだよ」と信介は倉庫の鍵をチラつかせた。

 

「さすがだな。見込んだ甲斐があった」

 

「そういうことだから、後は好きにしてくれ。あ、約束の金は忘れずにな!」

 

「もうお前の家の郵便桶に入れてきたぞ。十円分の一円札をな。後で追加報酬も渡そう」

 

「そいつはありがたい! 銭が少なくてな。それじゃ俺はここから離れる」

 

 信介は嫌らしい笑みを浮かべながら踵を返して足場にこの場を去った。

 それを見届けた田端は作戦開始の合図を出した。



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第98話 赤い台風作戦 その1

 火口家に併設された武器製造所へ突入した田端は手薄になった通路を進み、火薬倉庫までたどりつく。倉庫は予め鍵が外されており、田端たちは難なく倉庫を開けられた。

 目の前にはズラリと並ぶ火縄銃と麻袋に入った火薬が置かれてあった。置いてある火薬は火縄銃どころか花火だって打ち上げられるほどの量だった。

 田端は「これなら使いたい放題だ」と笑いながら直近の部下にメンバーを手招きさせて火縄銃と火薬を持ち出させる。

 しかし、すぐ異変に気づいた火口家の者たちが運搬を阻止すべく通路から襲いかかってきた。

 

「応戦せよ!」

 

 田端も負けじと武装したメンバーに火縄銃を発砲させた。

 

 ――ドン! ――ドン! ――ドン!

 

「ぐあああああああああああああああ!!」

 

 放たれた銃弾が火口家の人間に直撃。ひとりは心臓を撃たれてその場に倒れ、動かなくなった。それにも関わらずメンバーたちは罪悪感どころか、

 

「稗田の犬を始末してやったぜ!」

 

 下衆びた笑みを浮かべた。田端が満足そうに叫んだ。

 

 「そうだ、ヤツらもまた妖怪側の敵だ。容赦するな! ここで武器を奪取できるかで勝敗が決まる!! 戦え!!」

 

 ――オォォォォォォォォォォ!!

 

 その声を聞きつけ、徐々に表門の連中が信介の開錠した裏口から侵入――製造所は敵味方入れ乱れた戦場と化す。

 製造所に人手を回したことで今度は表門が手薄になる。そのタイミングで頭を包むように手ぬぐいで顔を隠した屈強な男たちが梯子を片手に到来した。

 

「そこをどけ」とデモ隊を退かし、梯子をかけて無理やり中へ強行突入し、火口家の男たちをトンカチなどの道具で次々と打ちのめし、あっという間に開門してしまった。

 

「中に押し入って武器を取ってこい」

 

 それきっかけに火口家に数十人ものデモ隊が一気に流れ込み、邸内は大混戦に陥った。

 

 

 同時刻、稗田邸でもデモ隊の攻撃が続き、表門は持ちこたえているものの、火口邸同様、塀に梯子をかけた連中が門内に侵入する。それを見た霊夢、魔理沙、慧音は。

 

「やむを得ないわ」

 

「やるしかないぜ」

 

「仕方ない」

 

 覚悟を決めた。

 

 ――オラアアアアア!

 

 暴徒たちが屋敷内に侵入しようと庭から通路へ乗り込む。その瞬間、目の前に巫女が出現し、お祓い棒でバッタバッタと薙ぎ倒す。

 暴徒たちが「妖怪巫女が本性を現したぞ!」と慌てふためくが、霊夢は表情を変えずに「アンタらは一線を越えた」と一蹴し、宙を舞いながら迫りくる暴徒を陰陽玉や光弾を駆使して押し戻す。もちろん、殺傷しないように力はセーブしていた。

 

 ――コノォォォォォォォォォ!

 

 後ろから飛びかかられるも空間を移動できる彼女は、瞬きよりも早く相手の後方に移動して落下時の重力を利用したドロップキックで返り討ちにする。

 庭の中央では魔理沙が星型の弾幕を散弾のように前方へばら撒き、暴徒を弾き飛ばす。こちらも威力は抑えられており、辛うじて人間を行動不能にできるかどうかの攻撃力だった。

 それでも侵入者には屈強な人間も多く、弾幕を浴びながらもその場で耐えて飛びかかろうとしてくる。

 

「コイツらタフ過ぎんだろ!?」

 

 身体の筋肉もそこらの一般人より明らかに膨らんでおり、肉体労働を生業にしている者の身体的特徴に酷似していた。

 そのなりふり構わない戦い方に危機感を覚えた彼女は、地上で戦うことを止めて箒で飛翔して空中戦に切り替えた。

 

「威力は落としておいてやる――くらえ!!」

 

 魔理沙は自身の周囲に小型の星を展開――流れ星のように地面へ落とす。

 無数の星々が庭に落下し、そこにいた暴徒たちに降りかかる。攻撃を浴びた彼らは成す術もなく地面にひれ伏した。

 しかしながら、稗田邸は広く、侵入を完全に防ぐことはできない。奇声をあげながら屋敷内部へ突入する暴徒たち。彼らは大広間へと繋がる通路へ流れ込む。

 大広間の襖を蹴り破ると、その中央で仁王立ちの慧音が待ち構えていた。

 

「お前たち――」

 

 慧音の真顔のまま、

 

「これ以上、先へ進むのなら――」

 

 と言い放ち、

 

「骨の一本や二本は覚悟しろ」

 

 拳を打ち鳴らした。

 暴徒たちは息を飲むも、後方から「ここで戦わなければいずれ稗田家に追放されるぞ!! やれええええええええええええ!!」との檄が飛び、連中は奇声と共に飛びかかった。

 

「馬鹿者どもが」

 

 慧音は深く息を吐いた後、目つきを鷹のように鋭くしながら、暴徒を迎撃する。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 裂孔と共に武術の構えを取り、先頭の男へ向けて正拳突きをお見舞いし、みぞおちを的確に捉えて数メートル後方へ吹き飛ばす。男は悶絶して床を転がりながら泡を吹いている。

 暴徒たちが倒れた仲間に気を取られている隙を見逃さず、慧音は一気に間合いを詰めて頭突き、掌打、平手打ち、拳骨、縦蹴り、膝蹴り、一本背負い、エルボにラリアットなど様々な技を駆使して三十秒足らずで侵入した暴徒たち七人を戦闘不能にする。

 弾幕を使わずとも彼女は強かった。普段から怒ると怖いと言われていたが、本気で怒った彼女はその非ではない。もはや鬼である。それを知らずに大広間へ侵入してくる暴徒たち。

 慧音は出入り口付近にいる連中に向かって、

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 飛び蹴りを浴びせて三人をまとめて吹き飛ばし、倒れたところでみぞおちを踏みつけ、気絶させ、通路から迫りくる連中を片っ端から殴り倒す。

 ある者は壁に叩きつけられ、ある者は投げ技で宙を舞い、ある者は暗勁(あんけい)という中国武術を軽く腹に放たれ失神した。

 白沢はその性質上、豊富な知識を持つ。武術の知恵もその一つなのだろう。慧音のおかげで大広間周辺の敵は壊滅した。

 勝ち目がないとみるや、邸内から脱走する者が相次ぐが、今度は霊夢に叩きのめされ、辛うじて外に脱出しても魔理沙に弾幕を撃たれて戦闘不能といった具合でとことん追い打ちをかけられる。

 ついでに騒ぎを聞きつけた尊まで加勢し、逮捕術や海外研修時代に習ったマーシャルアーツなどを駆使して残りの暴徒たちを制圧し、敵の戦意を喪失させていく。

 この四人の奮戦によって稗田邸の戦いは稗田側の勝利が濃厚となった。

 

 

 そのころ、火口邸は工具や農具を持った暴徒、製造所では秘密結社メンバーに苛烈な攻撃を仕かけられていた。あちらこちらで激しい取っ組み合いが続き、そこらかしこに血が飛び散っている。火口家当主もまた顔や腕に切り傷を負いながらも日本刀片手に暴徒を退け、邸内の個室で指揮を取っていた。

 

「状況はどうなっている!?」

 

「客間まで敵が押し寄せ、後退を余儀なくされています!」と部下が答える。

 

「クソッ――数は多いわ、相手は武装した屈強な男衆ばかり。まさかとは思うが、他家の子分どもか!?」

 

「可能性は高いかと……」

 

「くっ、誇りを捨てたかッ」

 

 反妖怪思想を持った四家のどれかの家が離反した。そう考えるほかなかった。火口はやり切れないながらも気持ちを切り替える。

 

「火縄銃は――製造所はどうなっている!?」

 

「わかりません!!」

 

「馬鹿野郎!! 敵の狙いはそっちじゃねえか!! 邸宅はくれてやってもいいが、武器と火薬だけは何としても死守しろ!! そっちの防衛に人員を裂け!!」

 

「「「はい!!」」」

 

 火口の指示を聞いた部下たちは数人の護衛を残して一斉に製造所に向かった。

 

「援軍さえきてくれればと思うが」

 

 本当ならこんなとき、里にいる博麗の巫女や魔法使いが援軍に駆けつけてくれるはずなのだが、それもない。稗田家が動けない状況にあるのだ。

 火口は自分たちだけでこの窮地を乗り切らなければならないと察する。しかし、数が足りず、聞こえてくるのは部下の悲鳴。この状況に火口は心を痛め、

 

「俺も出る!」

 

 そう言って、部下を置いて自分も飛び出していく。

 

「邪魔だ、どけぇぇぇ!!」

 

 彼は刀を振り回し、敵を切り倒す。火口の剣術は尊に比べれば遥か劣る児戯であったが、腕力だけの荒くれ共を切るには十分だった。返り血をその身に浴びながらも彼は動じることなく、戦いを継続する。

 

「うぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 占領された客間から出てきた敵も切り倒し、劣勢を跳ね除けようと火口は前進する。部下たちも自分たちの代表へ続けと勢いが加速し、ついに客間に残っていた敵を一掃した。

 

「休む暇はない! 進め!!」

 

 客間の中、指示を出す。部下たちが「はい!!」と返事をして部屋を出ていく。

 血がベッタリと付着した顔を袖で擦りながら「いつ終わるんだ」と漏らす。かなり無理をしたのか息が上がっており、つい膝を押さえながら動きを止める。

 

 そこへ――。

 

 ――見つけた。

 

 割れた窓から手投げ爆弾が投げ込まれ、爆発を起こす。おまけに投げたのは磁器で作られた爆弾で、破裂するのと同時に大量の破片を巻き散らかす。現代で言うところの()()()であった。

 

「ガァァァァァァァァァ!!」

 

 爆発で身体中に尖った破片が刺さり、悶える火口。彼は左目が潰れており、意識が朦朧としている。それでも諦めず、刀を取ろうとするが何者かに足で遠ざけられた。

 火口はそのとき、生きている右目でその者の姿を見た。

 フードを被り、顔が何かで覆われていたため素顔は確認できなかったが、身体つきは人間と同じだと思った。

 

「誰……な、んだ……お前、はっ――」

 

 その者はこう名乗った。

 

 ――()()()()()

 

 そして、火口の日本刀を拾い上げてから、彼の脳天へ何のためらいもなく突き刺し、殺害してから静かに窓から出ていく。

 そこから間を空けず、司令塔を失った火口家は健闘むなしく陥落した。



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第99話 赤い台風作戦 その2

 稗田邸に暴徒が侵入してから約三十分が経過した。

 三十人以上の暴徒が尊の持ち物検査を受けた上で庭に拘束。謀反は鎮圧された。

 大広間に集まった尊、霊夢、魔理沙、慧音がため息を吐きながら外の暴徒たちを眺めている。

 踏み荒らされた庭と床や大広間の変わり果てた姿を嘆くも、阿求は気持ちを切り替え、活躍してくれた面子へ礼を言う。

 

「皆さん、ご苦労さまでした」

 

 だが、尊は稗田家後方で何かがこちらへ駆けてくる音に気がつく。

 

「なんか音がしません? あっちのほうから」

 

 彼が指さす。その方向は、

 

「あっちは火口家があるほう……。まさか、この暴徒たちの狙いは――」

 

 全てを察した阿求が連中の狙いを言いかける中、火縄銃や日本刀で武装した男たちが稗田邸に押し入る。

 その数、優に二十はくだらない。

 

「いくら武装したからって――」

 

 霊夢はお祓い棒を、慧音は拳を構え前に立ちふさがり、魔理沙が阿求をいつでも逃がせるように庇い、尊が魔理沙の隣で壁になるように警護する。

 一触即発の状況。そこに一足遅れて秘密結社の田端が現れた。

 直後、田端は阿求へ向かって勝ち誇ったように言ってみせる。

 

「火口家は投降しました。お分かりになるかと思いますが」

 

「そのようですね」

 

「あぁ、ちなみに風下家もここにはきませんよ? 我々の仲間が屋敷を占拠していますので」

 

「(相手の武装のから火口家が陥落したというのは理解できたけど、まさか風下家まで占領されているなんて)」

 

 額に汗をかきながら気丈に振る舞うも内心、申し訳ない気持ちで一杯だった。

 ここで動揺する訳にはいかない。阿求は覚悟を持って田端と向き合う。

 

「武力で稗田家を打倒する。それがあなた方の目的ですか?」

 

「それは違う、あなたが我々の言葉を暴力で排除しようとしたから戦わざるを得なくなった。これは仕方のない行為だったのです」

 

「私たちは何もしていません!」

 

「まだお認めにならない!? 奥村を撃ち殺し、人々の中に爆弾を投げ込んだと」

 

「ですから、稗田家は何も関与しておりません!」

 

「お知り合いの妖怪にでも依頼したのでしょう? 本当に卑怯な方だ。うんざりしますね」

 

 肩を竦める田端。

 慧音は彼の態度にひどく腹を立てた。

 

「お前たち、もうこんなことはよせ! 稗田家で暴れても無意味だ!」

 

「かもしれません。しかしながら我々はこの里に妖怪と妖怪側の連中がいること自体、耐えられないのですよ!」

 

「なんだと……」と魔理沙。

 

「我々は里からほとんど出られない。そりゃあ催しなど特別な行事の日には一部区間に限り妖怪は襲ってこない。それでも行ける範囲はごくわずか。一般人は里の中で活動するしかない。それなのに妖怪たちは我が物顔で里を跋扈、楽しそうに遊んでいる。人間はそれを眺めているだけ。不公平ではありませんか? この状況に納得できる人間なんてそうそういませんよ。妖怪狩りを生業としていたご先祖様を持つのであればなおのこと。だから奥村は立ち上がった。平等な世界――もっといえば〝里人の自由〟を取り戻すためにね」

 

「「「「「里人の自由!?」」」」」

 

「そうです! 里人の里人による里人のための政治。これが我々の理想だ。妖怪に支配されない――対等な関係を目指す。そう、我々は一勢力として()()を果たしたいのです!」

 

「独立……ってアンタたち、それは幻想郷のあり方に反するわ!」と霊夢が吠える。

 

「幻想郷がどうであれ関係ない。これ以上、妖怪側の思い通りにはならない。もちろん、表の世界に行く気はありませんよ? 空気の淀んだ機械文明なんてゴメンだ」

 

「……それがどんな意味を持つのか、わかっているのですか?」と阿求が問う。

 

「ええ、存じておりますよ。妖怪との対立は回避できないと。だとしても、我々は上の下もない平等な世界を作りたい。()()()()()()に生きて行けるね」と自らの思想に陶酔する田端。その瞬間、霊夢、阿求、慧音が血相を変えた。

 

 慧音は叫ぶ。

 

「そんなもの、許せるか!! 妖怪と人間のあり方を変えるなど!」

 

 霊夢は怒る。

 

「幻想郷のルールに反する。認めるわけにはいかないわ!」

 

 阿求は反論する。

 

「妖怪と人間は互いを必要とする関係にあります。そのバランスを乱そうとするなら、それは幻想郷への反逆行為に他ならない。断じて認めるわけにはいきません!」

 

 互いの言い分は真っ向から対立した。

 

「なら仕方ありませんね――」

 

 田端が部下に目配せする。

 すると後方から聞き覚えのある鈴の音が鳴り、市松模様の服を着た少女が口と両手をタオルで縛られている状態で田端の隣へ連れてこられた。

 阿求と霊夢は目を見張りながら叫んだ。

 

「小鈴!!(小鈴ちゃん!!)」

 

 小鈴は口を押さえるタオルを外そうともがくが、すぐにナイフを喉元に突きつけられ、恐怖で動けなくなる。

 田端は卑しく嗤った。

 

「彼女だけじゃありませんよ? 他にもあちらこちらに我々の息のかかった者たちが潜んでいる。この意味、わかりますよね?」

 

「人質ということですか」と阿求。

 

「まぁ、そう言って貰っても差し支えないかと」

 

「アンタら!!」と霊夢が動こうとするが、寸でのところで魔理沙が押さえる。

 

「いいんですか? 彼女がどうなっても。それに外来人だって無事では済みませんよ? ほら写真です」

 

 田端の部下はスマホで隠し撮りした裕美と淳也の写真を見せた。

 尊が「クソ、もっと注意を払っていればっ」と嘆いた。

 愉快そうに田端は続ける。

 

「そういえば……寺子屋さんの生徒のお宅、それに雑貨屋さんの近くにも仲間たちが向かった気がするなー」

 

「な――雑貨屋だとっ……」

 

 魔理沙の顔から血の気が引いていく。

 

「あ、魔法使いさんのご実家でしたっけ? それはそれは奇遇ですねー」

 

 田端はわざとらしく振る舞いながらも下衆びた笑みを浮かべた。

 瞬間、魔理沙は平静さを失った。

 

「てんめええええええ!! ふざけんじゃねえぞおおおおおお!!」

 

 大声を上げながら今にも飛びかかりそうになる。

 

「アンタ、やめなさい!!」

 

 今度は霊夢が魔理沙をなだめるように制止させる。

 慧音もまた「私の生徒も人質に取っているのか!!」と怒りを顕わにするも田端はなんの悪びれる様子もない。

 

「あなた方、妖怪側が我々をここまで追いつめた!! 奥村との話し合いを拒否し、殺した!! だからこんな手段に打って出るしかなかった!!」

 

「嘘を吐かないで!! どうせ最初からこうするつもりだったんでしょ!!」

 

 悔しさのあまり阿求は叫んだ。

 その言葉に触発された田端が激昂する。

 

「嘘を吐いているのはお前ら妖怪側だ!! お前らは奥村を殺した――殺したんだよ!!」

 

 感情高ぶる田端は部下に火縄銃を構えさせ、小鈴の頭に突きつけさせた。

 

「俺たちの目的は里の独立。そのためには里の中から妖怪勢力を排除せねばならない――はぁ……はぁ……、速やかに里を出て行くのなら手荒い真似は致しません。ついでにこの娘も解放しましょう。悪い話ではないと思うのですが?」と田端は敬語に戻しながら提案する。

 

「そんな交渉――」

 

 阿求は奥歯を噛み締めた。

 

「では交渉決裂でよろしいか? 我々に何かあれば仲間たちが一斉に行動する手筈となっている。いくらあなた方でも全てを護ることは不可能。それなりに死人は出るしょうね」

 

「卑怯、すぎる……」と霊夢は絞り出すように言った。

 

「そうでもしなければ里を妖怪から取り戻せませんから。どうします? 稗田阿求さん? お友だち、見捨てますか?」

 

「うーーー、うーーー!」

 

「小鈴……」

 

 銃を突きつけられて涙目になる小鈴を阿求は苦しそうに眺めている。

 今、動けば霊夢や魔理沙なら小鈴を救出しつつ、正面の敵を制圧できるだろう。しかし、それをやってしまえば他の里人が犠牲となる。結社メンバーの顔を見れば彼らが本気であることは理解できる。必ず実行するだろう。

 数分の間、無言の時間が続いた。

 痺れを切らした田端は「時間稼ぎは通用しませんよ?」と部下に引き金を引かせるべく、合図を出そうとした。その瞬間――。

 

「わかりました。条件通り……我々は里を出て行きます」

 

 阿求が折れた。

 続けて「皆、それでいいわよね?」と他のメンバーに確認を取る。

 皆、諦めたように無言で頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

 田端はお礼を言ってから小鈴から銃を離した。

 銃口が外されたことを確認した阿求は、

 

「ただし、表の方を含む里人には決して危害を加えないでください。それが条件です」

 

「我々は必要のない暴力を好みません、ご安心を。ただし――里の中に妖怪が紛れ込んでいたら排除します。それは構いませんよね? 妖怪に里の独立を邪魔されたくないのでね」

 

「わかりました……。ですがくれぐれも――くれぐれも、人々に手を出さないように願います」

 

「わかっています」

 

 こうして稗田側は実質敗北した。

 阿求たち一行はすぐさま、結社メンバーに見送られる形で解放された小鈴と共に里を追い出される。

 その姿を後方から満足げに眺めている田端へメンバーが質問する。

 

「解放してよかったのか?」

 

「ヤツらを人質に取ったら仲のよい妖怪たちがムキになって里を攻撃してくるかもしれん。今はこちらが話し合う姿勢を持っていると思わせるほうが大事だ」と田端は回答する。

 

「でも交渉材料に使ったほうがよかったんじゃ……」

 

「妖怪を本気にさせたら終わりだ。かなりギリギリのところだろうがな。それに交渉材料なら腐るほどある」

 

「どこにだ?」

 

「ここさ」

 

 里の中を指さしながら田端は語る。

 

「妖怪と人間のバランス。それを保つためにはこの里が必要不可欠――どこに俺たちの仲間が潜んでいるかわからない上、何かあれば多くの里人が殺されるかもしれないんだ。迂闊に手は出せまいよ。そこを利用して上手く話し合いに持ち込んでやるさ」

 

 田端はどこか強がって見せ、その様子を建物の物陰からそっと様子を窺っていた〝聖なる狩人〟が、

 

 ――ここからが本当の勝負。

 

 と言い残して姿を消した。



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第100話 混迷する幻想郷 その1

皆さまのおかげで話数が100話を超えました。
ありがとうございます!


 里の外に追いやられた阿求一行は、方向的に一番近いであろう博麗神社へ向かって歩道を歩いていた。

 解放された小鈴は里を離れた瞬間から泣き出し、ずっと阿求の腕に抱きついていた。

 

「ひっぐっ――阿求、ごめん……わたしの、せいで……うぅぅぅぅ……わた、しがぁぁ……人質に、ならなかったら――こんな、ことに、は――うぅぅぅ……ごめん、なさい――うわーん!!」

 

「小鈴、アナタのせいじゃない。だから泣かないで、悪いのは全部、私なんだから……」

 

 抱きついてくる小鈴を阿求は子供をあやすように慰めるが、阿求本人も悔しさと悲しさのあまり泣きそうになっている。

 そのような状況にも関わらず、誰もふたりに声をかけられない。

 犯人の正体も掴めずに人質を取られたあげく里を追放される。ショックで言葉が出せなかった。

 なおも泣きじゃくる小鈴を見かねた尊が「小鈴さん、これ以上は体力を消耗するからそろそろ――」とその身体を案じ、声をかけるも彼女は阿求の袖にくっついて離れない。阿求は彼女の手を引きながら歩いていたのだが。

 

 ――ドサッ!

 

「「「阿求!?」」」

 

 突然、その場に手を突いてしまう。

 

「だ、大丈、夫――立て、る……から――」

 

 立ち上がろうと踏ん張るも身体に力が入らず、

 

「うぅ……」

 

 地面へ倒れ込んでしまった。

 

「阿求!!」

 

 小鈴が身体を揺すると「だ、大丈、夫――平気、だから……」

 

 返事をするものの、当の本人には意識がなかった。

 慌てた霊夢が阿求の身体を揺するも呻くだけ。

 もしやと思い額を触れば強い熱を帯びていた。

 

「アンタ、熱が出てるじゃない!?」

 

 阿求は病弱で有名であり、普通の人間と同じように行動するのも一苦労なのだ。そこにきて数日間の緊張状態に身体的過労と極度のストレスと複数の原因が重なり、限界を超えてしまったのだ。

 高熱にうなされる阿求を見た魔理沙が急ぎふたりをどけて慧音に訊ねる。

 

「永遠亭に連れて行く!! いいな!!」

 

「た、頼んだぞ!!」

 

 即座に慧音は了承した。しかし、半ばパニック状態の小鈴が「阿求、そんな……。やっぱり、私の、せいで」と激しいショックを受け、その場で尻もちをついて阿求と同じように気絶してしまう。

 霊夢は狼狽えた。

 

「こ、小鈴ちゃんまで……」

 

 倒れた小鈴に真っ先に駆け寄り、彼女を抱っこした霊夢が残りのメンバーに「私も小鈴ちゃんを永遠亭へ運ぶわ」と伝え、尊が「早く連れて行ったほうがいい。俺は大丈夫だから」と答える。

 そして、魔理沙は阿求を箒に、霊夢は小鈴を抱きかかえたまま、人里を大きく迂回するルートで永遠亭を目指して空を駆けて行った。

 残された尊はその様子を眺めながら、

 

「クソッ――どうしてこんなことに!」

 

 足で地面に八つ当たりをする。慧音は俯きながら「これからどうしたら……」と落ち込んでしまう。やはり、初めての里を乗っ取られる。しかも仲間である里人にとあっては頭を抱えるなというのが無理だ。

 慧音も半ば放心状態となり、尊が声をかけても上の空。

 いたたまれなくなった尊は彼女を木陰まで誘導し、座らせて休ませる。

 

「(こんな時、杉下さんだったら――)」

 

 慧音が座る木の隣に座った尊は自分の力の無さを痛感して、うなだれた。

 そこから数分後、子分たちから里の惨状を報告されたマミと文が里へ急ぐ途中、ふたりを発見する。尊が阿求たちのことを話すとマミが「送っていこう」と大きな鳥に変身して、彼を背中に乗せて永遠亭まで移送する。

 その後ろを文と慧音がついてくる形となり、ものの十分もしないうちに永遠亭に到着する。

 彼らが永遠亭の玄関に着地した時、建物内から「はやく、ふたり分の布団を持ってきて!!」「わ、わかりました!!」「輝夜も手伝って!」「わ、わかったわ!」と騒然としていた。

 四人は落ち着くまで玄関で待機した。十五分が経つころ、偶然目が合った輝夜に座敷へと案内され、座って待つように指示をされる。

 さらに十分。一段落ついた永琳と助手の優曇華、つき人兼臨時スタッフになっていた魔理沙と霊夢が四人の前に姿を現した。

 永遠亭を代表して永琳が、

 

「稗田さんと本居さんはもう大丈夫です」

 

 と説明して皆を安心させた。

 魔理沙と霊夢もやっと一息つけるとホッとしたようで尊たちに近くでよっこらしょっと腰を下ろして胡坐をかく。

 同じく永琳と優曇華も皆と向かい合うように座る。

 

「何があったのです?」

 

 この状況を訊ねる永琳に慧音が「実は――」と事の顛末を話す。

 話を聞かされた永琳は「大変なことになったわね……稗田さんが倒れるのも無理はないわ」とため息を吐き、優曇華もまた動揺を隠せず、物陰でこっそり聞いていた輝夜も「嘘でしょ……」と絶句して、永遠亭の住民たちに途方も無い衝撃をもたらした。

 

 

「我々は妖怪側勢力である稗田家を追い出すことに成功した! これより里は我々、人里の夜明け指導の下、民主的な世界へと生まれ変わるのである!!」

 

 午後十六時、混乱する里の人々を余所に、大通りのど真ん中で田端率いる秘密結社が聴衆に向けて説明を行っていた。

 内容はいかに自分たちが正しいかを主張するものであり、虚偽も多く混じっていた。聴衆の中にはその部分を指摘する者も多数存在し、議論は紛糾する。

 らちが明かないと思った田端は最後にこう締めくくって説明を終えた。

 

「異議のある者は明日の昼、里の劇団にてその意見を聞かせて頂く。開かれた言論空間なのでふるって参加して欲しい。それでは」

 

 部下を伴い、田端は半ば強制的に借りた劇団へと向かう。

 道中、部下たちが「リーダー、アイツらあんなこと言ってましたけど、いいんですか?」と訊ねる。ふふんっと笑った田端は、

 

「問題ないさ。お前ら、稗田邸はくれぐれも荒らすなよ。あそこには貴重な資料がある。妖怪たちとの話し合いに役立つだろうからな。当然、鈴奈庵もだ。後、水瀬家と土田家もな。わかったな?」

 

 さらに続けて、

 

「里中の目につくところに()()()()もしくは()()()()と書いておけ。白沢が能力を使えば、記憶が曖昧になるかもしれん。少しでも思い出せるようにしろ。もし、俺たちの記憶に齟齬が生じた場合は攻撃を受けた証だ。そうなった場合、寺子屋のガキを何人か始末してさらし首にしてやれ」

 

 と語り、慧音対策を施させた。

 劇団に到着した田端は「ひとりになりたい。何かあったらすぐに伝えてくれ」と部下に命令――個室でひとりっきりとなる。

 部下たちがいないことを確認した田端は、

 

「大きな犠牲を伴ったが、これで変わる、変わるんだ」

 

 鼻息を荒くしたのち、スマホのメモアプリやボイスメモ、手帳などに今日の出来事を記録。少し横になった。

 

 

 水瀬家本宅。

 秘密結社のメンバーから報告を受け取った水瀬が書斎で側近たちと雑談していた。

 

「上手くいきましたね」

 

「アハハ、まさか稗田家を排除できるとは思わなかったな。奇跡だぞ、これ」

 

 水瀬は愉快そうに笑った。

 裏切りに加担したのは明らかだった。

 

「これも代表の力あってですよ」

 

「ん? 何の話だ? 部下たちが勝手に火縄銃等の武器を持ち出して抗争に加担したんだぞ?」

 

「そういう話でしたね。でもって今は秘密結社の連中に監視されていて動けない、と……」

 

 側近が作り笑顔を浮かべ、ワザとらしく水瀬が肩を竦める。

 

「まったくいい迷惑だよ……。これじゃ、何もできないな~。 ――ちゃんと口ぶりを合わせろよ?」

 

「心得ていますよ」

 

「それでいい。たまには役に立つな、デクのお前も!」

 

「……」

 

 そのやり取りの後、水瀬は部下に日本酒を持ってこさせ、ひとり楽しく飲む。

 

 

 そのころ、風下家では火縄銃や刃物、工具や農具で武装した屈強な男たちが室内を占拠していた。

 部下たちは縛られて各部屋で軟禁状態だ。当主の風下は男たち五人に囲まれながら客間の中央で正座していた。

 

「まったくアンタらが、ここまでアホやったとはなぁ。さすがのウチもわからんかったで」

 

 ぼやくも男たちは無視して聞き流す。

 

「つまらん連中やな」

 

 風下は心底不満そうな態度を取った。

 そこに見覚えのある中年男性がドシドシとやってきた。

 

「よぉ、風下のババア。生きとるか?」

 

 土田家当主である。彼はニコニコしながら風下と向かい合うように胡座をかいた。

 案の定、彼は稗田家を裏切り、秘密結社側についた。

 風下は睨みを利かせながら攻撃的な口調で牽制した。

 

「見ればわかるやろ? ピンピンしとるがな」

 

「それはよかった。アンタには死なれると困るからな!」

 

「人質として使う気かい? ウチは稗田とは仲悪いで?」

 

「古くからの知り合いを見捨てられるほど、あの女は薄情じゃない」

 

 知ったような口を利く土田に風下は腹を立てて噛みつく。

 

「アンタは薄情の極みみたいなヤツやけどな! 先代との約束破って、あの娘を裏切り、里に仇名しおった。ほんまもんの恥知らずやで!」

 

「妖怪どもが跋扈する里がいいんか? 儂は耐えられへんかったで。アイツらが人間に混じって楽しんでいるのがな!」と土田は怒りを顕わにした。

 

「ウチも思うところはある……。せやけど、あんなボンクラ共に乗っかるなんてどうかしとる! ありえんわ!!」

 

「時代は変わったんだよ。表の利器があれば稗田家を追放できるくらいにな。この調子で妖怪共とも――」

 

 その幼稚な考えを風下が叱咤する。

 

「甘いわ。妖怪はそんな弱わないで! アンタらが木を切りに行って遭遇するのは雑魚中の雑魚や。妖怪はバケモンやで。人間なんて逆立ちしても勝てん。だから上手くつき合っていく必要があるんや。自分らの尊厳を守りながらな。ここんとこ、忖度が激しかったから、言い争うのも多かったが、ウチは妖怪とことを構えようとは一度も思ったことないで。()()()()と同じ末路を辿る。アンタにはわからんやろうけどな!」

 

 自らの目論見を一刀両断された上に自分が知らない表の話を引き合いに出されたことで土田の表情が一気に崩れる。

 

「けっ、親父が表の人間やからって調子乗って――里生まれの癖に!」

 

「アンタより調子乗ってるヤツはおらんがな!」

 

「あー、わかった、わかったよっ。とりあえず、おとなしくしてろ。気が向いたらまたきてやる」

 

「二度とくるな、このボケ!」

 

 文句を背中に受けながら土田は退散していく。

 口論においては四家最強の名は伊達ではない。周りの監視役もその怖さからか風下と顔合わせようとはしない。

 話し合いがいなくなった風下は一人、天井を見上げて

 

「あの娘ら、無事ならええなぁ……」

 

 と無事を願った。



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第101話 混迷する幻想郷 その2

 日が沈んで間もない時刻。

 里の外では妖怪たちが里人がクーデターを起こしたと大騒ぎだった。

 どの勢力もその話題を持ちきりで、怒る者、嘆く者、危機意識を持つ者、楽観視する者と反応は様々であった。

 しかし、一旦落ちつけば、どのような対応すればよいのか。そう考えて妖怪たちは人間たちが初めて起こした過激な運動に頭を悩ませることになる。

 近隣勢力同士が集まった臨時集会があちこちで開かれるも、攻撃的な勢力は「妖怪を派遣してクーデター側を潰す」と叫び、穏健な勢力は「それでは罪のない人間まで巻き込んでしまう」と反論した。「手加減すればよいのでは?」と言うも「妖怪は手加減しているつもりでも人間は弱いから死んでしまう。おまけに人質も大勢いる。彼らに何かあったらどうするつもりだ」。「ならばスペルカードで戦えばいい」と言うも「里人はスペルカードでは戦わない」と指摘される。

 誰かが手を挙げて「自分たちが問題を解決する」と発言すれば「お前ら、これを機に里を取るつもりなんじゃないのか!?」と喧嘩になる始末だ。妖怪同士でも意見がまとまることはなかった。

 

 

 二十時。永琳たちへの事情説明を終えた一行は永遠亭の勢力を交えて今後の話し合いを行うも調整役の阿求が倒れてしまったせいで具体的な方針を練れずにいた。

 夕飯に優曇華が作ったうどんをご馳走になり、マミや文は情報収集のため一旦、永遠亭を離れた。

 霊夢や魔理沙は寝ている阿求たちの護衛を担当。慧音は仮眠を取っている。

 その中で尊は一人、右京の病室を訪れ、寝巻姿でぐっすりと眠りに就く彼の姿を椅子に座って眺める。

 

「杉下さん。あなたが撃たれてから里は大変なことになりました」

 

 独り言のように呟いた。

 

「薬莢と銃弾は発見されるも犯人へ繋がる決定的な証拠は見つからず、阿求さんたちやマミさん等の妖怪勢とも連携が取れず、秘密結社の演説中に狙撃事件が発生。リーダーの奥村が射殺。直後、煙玉と手投げ爆弾が投げ込まれ、妖怪の仕業だと大騒ぎになり、結社主導のデモが起こり、暴動に発展しました。稗田家が暴徒を鎮圧している最中、火口家は結社の別働隊によって壊滅。火龍会代表の火口は死亡し、彼らの所持する火縄銃や日本刀で武装した連中が稗田家に押し入る。

 双方、言い合いになるも小鈴さんや大勢の里人を人質に取られてしまい最終的にぼくを含めた稗田一派は里外へ追放。博麗神社に向かう最中、稗田さんと小鈴さんが倒れ、永遠亭で療養することなり、今後の方針を話し合うも大してまとまらず、現在に至る。……酷い話ですよね」

 

 現役警察官である自分がいながら事件を防げなかった。

 尊は自信を喪失していた。

 

「自分がいかに恵まれた組織の一員であったかという事実に改めて気づかされました。組織から離れれば大したことはできない。何とか表のふたりだけでも救出したいところですが、それどころではない。どの勢力が人間との話し合いに応じるのか、どの勢力が救出作戦を実行するのか、それとも秘密結社を殲滅するのか。他の妖怪勢力も決めかねているようです。後手後手過ぎて笑っちゃいますよね。妖怪たちはこういう経験は初めてだそうです。真っ先に里を武力で制圧しようとしないだけマシと考えるべきなのかもしれませんけど。

 あ、ちなみにぼくは人里解放部隊を結成するように打診しましたが、誰を選定するのかで荒れました。『妖怪勢力は相手を刺激するから使うべきではない』『里に近い人間だけで可能なのか』とかいろんな意見が出ましたけど、各妖怪勢力とコンタクトを取るのと有志を募って部隊を用意するのは決定しつつあるかなって感じです。後は稗田さん次第でしょうかね。まぁ、こんなところかな」

 

 尊が言い終わると廊下がドタドタと騒がしくなる。

 どうやら、事態を聞きつけたレミリア・スカーレットや西行寺幽々子が従者を引き連れてここ永遠亭を訪れたようだ。

 それに伴い、会議が再開されようとしている。

 

「会議が再開されるようなのでぼくも行ってきます」

 

 彼は椅子から立ち上がって右京の顔をみやり、

 

「早く起きてください。残念ながらここの住民はぼくの手にはおえない。それにもし交渉や突入の方向で固まれば()()()()()()()が必要です。それでは」

 

 病室を去ったその足で広間へ戻る。

 襖を開けるとレミリアと咲夜、幽々子と妖夢が座布団に座っていた。

 彼女たちへの挨拶を済ませた尊も定位置につく。

 そこから十五分ほど慧音が四人に事情を聞かせる。

 皆、真剣な様子で話に耳を傾けており、彼女の説明が終わるとの同時にレミリアが口を開く。そこには確かな怒りが込められていた。

 

「大体の事情は把握した。稗田さんが気の毒だわ。それに人質にされた小鈴さんも……」

 

「そうよね。可哀想に……」幽々子も同じように同情を示し、妖夢は「ど、どうしたら……」と狼狽える。

 

「その……これからどうするのですか?」と咲夜が質問し、慧音が答える。

 

「各勢力の代表にコンタクトを取ってご意見を伺おうと思っている。それと同じく有志を募って里人救出部隊の結成も考えている」

 

 返答を聞いたレミリアが訊ねた。

 

「各勢力にコンタクトを取る、ね。どいつもこいつも人間を下に見ているヤツばかりだから難しいと思うわよ。それに有志って言ったわね? それは人間だけ、それとも妖怪も含めて?」

 

「まだ決まっていない。里人を刺激するから妖怪を部隊に入れるのか否か。意見が分かれている」と慧音。

 

 そこに魔理沙が続ける。

 

「結社ども、それに離反したかもしれん四家の荒くれどもは妖怪を極端に嫌ってやがる。迂闊に妖怪が里へ入れば何を仕出かすかわからん」

 

 さらに霊夢が意見を述べる。

 

「私は可能な限り人間だけでやるべきだと思うわ。里のことを考えるとね」

 

「人間だけでやるってどうやるつもりなのよ。あまり言いたくないけどアンタらがしくじったせいでもあるのよ?」

 

 レミリアの物言いに霊夢が苛立った。

 

「あのねぇ――こっちだってやれることをやったのよ!! いきなり民主主義とかスマホとかデモとか武器奪取されるとか、初めての経験だったのよ!?」

 

「それはわかるけど、私ら妖怪が今の言い分で納得できると思うのかい?」

 

 睨みを利かせる吸血鬼に霊夢はたじろいだ。

 

「そ、それは……」

 

「私らだって幻想郷の住民。こんなときくらい協力させてくれてもいいじゃない」

 

「だからって……」と霊夢は言いよどむ。そこに幽々子が彼女の気持ちを代弁する。

 

「妖怪は里を取るべく勢力争いをしているからね。信用できないんでしょ?」

 

「言ってしまえばそうよ」霊夢は言った。

 

「この状況で陣取り合戦なんて言ってられるかい!? 陣地がなくなったら取り合いも何もないんだよ」

 

 そのようにレミリアが言い放つも呆れ顔の魔理沙が「やっぱりお前も狙ってんのかよ……」と零す。

 静かに耳を傾けていた尊が様子を窺いつつソロソロと手を挙げた。

 

「質問なんですけど、どうして妖怪の皆さんは里を欲しがるのですか?」

 

 彼の質問にレミリアは「他の妖怪に舐められないためかしらね。といっても大っぴらに何か仕出かそうなんて思ってないわよ?」と回答した。

 幽々子は「私は冥界の住民だから最近の里事情は詳しく知らないの」と語り、永琳は「私は医者で種族的には人間だから」と争いに参加していないと言う。

 慧音は「力を誇示するためかと」と述べた。

 

「なるほど……」

 

 一呼吸おいてから尊は、

 

「そういった妖怪の勢力が裏で暗躍し、妖怪たちが里の中を歩くようになり、知らず知らずの内に里の方々の不平不満が募った。その結果、今の過激な結社が生まれるきっかけとなった」

 

「里の人間は今の状況にストレスを感じているっていうの?」とレミリアが問う。

 

「ぼくはそう感じました。捜査の過程で知り合ったとある里の有識者も同じようなことを言ってましたから。他にも色々とお話を伺いましたが、その方も妖怪が勢力争いをしているのではないかと疑っていましたよ?」

 

「ふーん。誰なんだ、そんなこと言ったヤツは?」と魔理沙が何気なく訊ねるが彼は「守秘義務がある」と名前を明かさなかった。「少しくらいならいいだろ?」と彼女が粘るも「言えないね」と一蹴する。

 

 その様子をレミリアは「表の警察官は口が堅いねぇ~」と笑い、永琳が「情報を扱う職業だから当然と言えば当然よね」と面白そうに言った。

 愉快げなレミリアを見やる幽々子は「けど里の人間が妖怪の行動でストレスを感じているのなら、今回の騒動の原因は妖怪にもあるってことじゃない? もちろん、失態を犯した狸と天狗を除いてもね」と痛いところをつく。

 

「そういう見方も、できなくはない、かしら……」

 

 少しだけ苦しげなレミリア。

 

「そうよそうよ!」

 

 霊夢がここぞとばかりに強気に出るが「あなたたちの失態であることには変わりないのよ?」幽々子に指摘され再び意気消沈する。

 

「私らに責任を押しつける気かよ!?」

 

 怒る魔理沙が食ってかかるも「だから皆で解決しようって言っているのよ」と幽々子に諭され、彼女は溜飲を下げる。

 しばらくの間、議論が続けられ、慧音が阿求の代わりに各勢力との交渉を担当することになり、有志のほうは人間側の安全を考慮して()()()()()()()()()()()()()()()()()に限定する方向で固まる。

 こうなった主な理由は『人間を知らないと手加減ができずに殺してしまう』『結社の連中は外部勢力(バルバトス)に利用もしくは洗脳されている可能性があるために極力、殺生は避けたい』などがある。

 そこまでする必要があるのかとも思われるが、妖怪と人間の力の差は歴然であり、片手を振り回しただけで人間を殺してしまう妖怪はゴロゴロいるのだ。

 妖怪が人間に気を使う。それすら気に入らんする妖怪も多い中、彼らに配慮しようとする永遠亭に集まった人外勢力は親人里派とも言い表せるだろう。

 いつしか時刻は深夜零時を回る。

 人間側の疲労が懸念されたため、一旦議論を打ち切られた。

 解散が宣言されるのと同時に幽々子は尊の耳元で何気なく「杉下さんの調子は?」と訊ねた。

 

「ぐっすり寝てますよ」

 

「そう……。せっかく足を運んだのだから顔だけでも見ていきましょうか」

 

「なら私もそうさせて貰おうかしらね」

 

 小耳に挟んだレミリアがそのように発言したことで彼の様子を気にかけていた他メンバーも病室についていくことになり、八畳程度の部屋に八人以上が押しかけるという珍事に発展する。

 

「狭いのだけど?」

 

 幽々子が困った表情を浮かべる。

 

「アンタら邪魔よ」

 

 レミリアが口角を吊り上げて不快感を表す。

 

「邪魔なのはアンタらの従者でしょ!?」

 

 逆切れする霊夢。

 

「お嬢さまをひとりにはできません。目を離すと何をするか……」

 

 心配する咲夜。

 

「咲夜……私は子供じゃないのよ?」

 

 呆れるレミリア。

 今度は妖夢が幽々子をみやり。

 

「幽々子さまも目を離すとすぐにはぐれてしまいますし」

 

「いつもはぐれるのはアナタでしょ、妖夢」

 

 間髪入れずに言い返す幽々子。

 

「はいはい。そういうのはいいから。とっとと済ませて頂戴よ。何時だと思っているの」

 

 めんどくさそうな主治医の永琳。

 

「一番、幅を取ってんのは誰だよ!?」

 

 半ギレの魔理沙へ「デカイ白黒帽子抱えてるアンタでしょ!」とレミリアがつっこむ。

 つき添いの尊が「あの真面目にやりません?」とさりげなく言うも一切、まとまろうとしない幻想郷の住民たち。その様子を慧音や輝夜、優曇華が白けた顔つきと共に部屋の外から眺めている。

 室内は賑やかかつ美女と美少女ぞろいで華やか。スッチーなんて目じゃない。

 警察学校の米沢守なら泣いて喜ぶシチュエーション。それでも杉下右京は目を覚まさない。

 気になった幽々子が主治医を見た。

 

「経過は良好なのよね?」

 

「ええ。感染症も見られない。後は意識が目覚めさえすれば、すぐにでも退院もできるわよ」

 

「動ける?」

 

「傷口が開くから激しい運動は無理だけど、日常生活くらいなら何とかなるわ。痛み止めもご要望とあればより効き目のあるものを出せる」

 

「さすがね。これならいざというとき、頼りにできるわね」

 

「病み上がりですぐに働かせる気なの!?」

 

 どういう神経しているんだ、と言わんばかりで永琳は幽々子の顔を凝視した。

 

「相手が表の利器や思想を使った搦め手でくるならこちらも搦め手に対抗できないと。やりなれてそうな人材が必要だわ。ね、神戸さん?」

 

「ハハ、おっしゃるとおり――このひと、そういうのは得意中の得意です」

 

 愉快げに尊が答える。同時に魔理沙と霊夢がため息を吐いて、

 

「幻想郷にもそういうヤツはいるんだがな」

 

「あの胡散臭いヤツね! こういう時にどこほっつき歩いてんのよ!」

 

「あの胡散臭いヤツ……?」

 

 尊は疑問符を浮かべた。

 幽々子がふふっと笑いながらその人物の名前を言う。

 

「八雲紫。幻想郷の賢者のひとり。通称、スキマ妖怪または――」

 

「「胡散臭いヤツ」」

 

「なるほど……。あの方か」

 

 口元に手を当てながら尊は幻想郷縁起の内容を脳裏に思い浮かべる。絶対的な能力の持ち主かつ人間への有効度は限りなく低い。まるで性質の悪いヤクザのような女。

 彼女の話題になった途端、永琳は険しい顔つきになった。

 

「まさか、彼女に交渉や突入作戦を任せるつもり!? ダメ! それだけは絶対にダメよ!」

 

「私も同意見よ。紫は意外と大雑把だから神経を使う作戦の指揮なんて任せたら必ず犠牲を出すわね」と親友のである幽々子も頷いた。

 

 ふたりは紫が引き起こした()()()()()の結末を知っている。

 片や味方、片や敵として。だからこそ彼女には頼らないほうがいいとまで思っているのだ。

 

「だったら杉下さんのほうがいいでしょ?」

 

「そりゃあ、かなり優秀だとは思うが……。いくらおじさんでも()()()()の経験とかないんじゃないか?」

 

 魔理沙が何となく発した言葉だったが尊は無言で視線を右京のほうへと向けた。

 彼の仕草が気になった幽々子が元部下に問う。

 

「実際のところはどうなの?」

 

「……」

 

「どうして黙っているんだ?」

 

 魔理沙は首を傾げた。

 

「いや、そのさ……。言って、いいのかなって」

 

 尊は思い詰めたように右京の顔を凝視していた。

 周囲の者たちも次第に()()()()()()()()()()()であると勘づき始める。

 それもそのはず。この話は杉下右京本人が思い出すことさえも忌み嫌う暗い過去だからだ。

 彼自体一度、仲のよい監察官から聞いただけの話であるために本当に正しいかどうかも定かではない。

 話すべきか話さないべきか――迷っていた。しかし、表の世界の人間が苦しんでいるかもしれない、そんな状況で失敗するわけにはいかない。

 確実に成功させるためには右京をこの作戦の中心に置く必要がある。悩んだ末、尊は口を開く決意を固めた。



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第102話 杉下右京の過去、そして――

「これはぼくも上司から聞いた話なんだけどさ。実は特命係の前身となった組織――正しくは〈緊急対策特命係〉は()()()()()()()()()がきっかけで誕生したんだ。杉下さんはその交渉役兼作戦指揮担当――言わば全権を担う()()だったんだよ」

 

 瞬間、周囲にどよめきが走った。

 

「マジかよ! じゃあ今回の件に打ってつけじゃねえか!」

 

 わたりに船とはこのことだ。魔理沙が浮かれるも、特命係が窓際部署だと理解しているレミリアや幽々子はその後の展開を先読んで暗い表情を浮かべる。

 

「確かにな。これ以上ない配役だよ。でもな……」

 

 言葉を濁す尊。察するレミリアが静かに問いかける。

 

「あまり、よい結果じゃなかったのね」

 

「そんなところです」

 

「失敗したの?」と幽々子は訊ねた。

 

「人質と隊員、それにテロリスト側を含め多くの死傷者を出してしまったんです。今の日本においてこれは失敗なんてレベルじゃない。最悪の結果だと言えます。そのことが原因で杉下さんは全責任を負わせられる形で島流しに遭い、現在の特命係が誕生したんです。()()()()()というレッテルを貼られるね」

 

 誰もが言葉を失った。優秀な杉下右京にまさかここまでの汚点があったとは思わなかったのである。おまけにこれから任せようと思っている仕事内容でこのやらかしを知ってしまえば、気が引けてしまうのも無理はない。

 空気が重くなる中、尊ははっきり言った。

 

「ですが、ぼくは杉下さんが悪かったとは思ってません」

 

「どうして?」と永琳が訊く。

 

「途中までは非常によい流れだったんです。杉下さんは巧みな話術と粘り強さで人質を減らすことに成功していた。後少し。一日でも時間があれば人質全員を無傷で解放できたんじゃないかって思うんですよね」

 

「じゃあ、どうしてそんな結果に?」

 

「ちょうど同盟国であるアメリカの大使来日と被ってしまい、政治を優先する上司、後に官房長になる小野田って人なんですけど、そのひとに交渉の途中で強行突入を命令されたんです。もちろん杉下さんは最後まで反対したんです。政治よりも人命だと。ですが、小野田官房長はそれを聞き入れず、杉下さんを強引に解任――隊員を突入させた。つまり、最悪の結果を引き起こしたのは官房長本人なんです。

 杉下さんはその責任を押しつけられて未来を絶たれた。ちなみに嫌がる杉下さんを強引に参謀へ抜擢したのは官房長本人です。ざっくりですが、これが杉下さんと特命係誕生の真実です」

 

 尊が静かに語り終えると別の意味で空気が重くなる。

 やらかしたのは右京ではなく上司の小野田であり、その尻拭いのために犠牲となった。

 酷すぎる。この場にいる全員の意見が一致する。

 

「ひでぇ話だな……。聞いちまって悪かったな」

 

 魔理沙は足元に視線を落とし、

 

「言葉が見つからない」

 

 霊夢が深くため息を吐き、

 

「まともな上司じゃないわね」

 

 レミリアは呆れ果て、

 

「そんな人に仕えたくないわ……」

 

 咲夜が零し、

 

「どうしてそんな酷いことを……」

 

 妖夢は悲しみ、

 

「人命より政治を優先する、か」

 

 永琳は昔を思い出し、

 

「なんだか月の連中みたいね」

 

 輝夜はかつての故郷を思い浮かべ

 

「理不尽だ……」

 

 優曇華は嘆き、

 

「身勝手すぎる!」

 

 慧音は怒り、最後に幽々子が、

 

「ろくな死に方しないわね。その小野田とか言う人間」と締めくくった。

 

 最後のコメントに尊は思わず苦笑する。

 

「西行寺さんの言う通り、小野田官房長はろくな死に方をしなかった」

 

「どんな最期だったの?」レミリアが興味を示す。

 

「最期は自身が責任を負わせて懲戒処分を下した身内の警察官に腹を刺されて亡くなりました。しかもぼくたちの目の前で。死の間際、官房長は自身の傷口を押さえる杉下さんに向かって『殺されるならお前にだと思っていた』と言い残し、笑ってこの世を去った。特命係ができた後もこのふたりは何だかんだで仲よかったんですよ。持ちつ持たれつの関係だった。ぼくは今でもふたりの関係が理解できませんけどね。きっと腐れ縁だったんでしょう。――あ、こんなところでよろしいですか? これ以上、この話題を出すと杉下さんに怒られそうなので」

 

 しんみりする心を隠すべく尊は冗談を語った。

 皆、無言で聴き入っていたので反応が遅れて頷く。説明を終えた尊は「ひとの話なのになんか疲れたな」と漏らした。

 そのときだった――。

 

 

 ――勝手にひとの話をしておいて随分な言いぐさですねえ~。

 

 

 聞き覚えのある声が室内に響き渡り、皆と一斉に同じ方向を見た。

 視界の先には目を開ける紳士の姿あった。

 

「「「「「杉下さん!!!!」」」」」

 

「ふふっ、どうも」

 

 右京が目を覚ましたのである。

 まさかの展開に尊の目が泳ぎに泳ぐ。

 

「ちょ――い、いつから……お、お、起きていたんですかぁ!?」

 

 右京の黒歴史を本人が聞いている前で堂々と語ってしまった。

 慌てふためく尊を当の本人は滑稽そうに、

 

「んふふ、君が僕の過去を語り始めた辺りでしょうか。驚きましたよー、君があの話を知っていたなんて。大河内さんから聞きましたか?」

 

「アハハ、まぁ、そんなところです。ハハ……。その……お、怒ってます?」

 

「そのくらいで怒ったりはしませんよ。ただ背中が……むず痒くなりましたがねえ~。物凄く」

 

 顔は笑っているが目の奥までは笑っていない。元部下は口を開けて仰け反った。

 面白そうに魔理沙が口笛を吹く。

 

「わからなくないなー。人前で他人に秘密を暴露されたんだからなぁ~」

 

「アンタが訊いたから仕方なく答えたんでしょ……」と霊夢は呆れた。

 

 右京は室内一杯に集まる人物を確認して、撃たれた自分がどうなったのかを察した。

 

「どうやら僕は永遠亭に運ばれたようですね。ということは、治療なさってくれたのは八意永琳先生でしょうか?」と手前側にいる永琳に向かって訊ねる。

 

「はい、そうです。体調は如何?」

 

「まだ身体にだるさと傷口に多少の痛みが残りますが、それ以外、特に問題はありません。すぐにでも退院できそうです。ご噂通りの腕前ですねえ。感謝申し上げます」

 

「医者として当然のことをしたまでですよ」と永琳は笑顔で言った。

 

「ご無事で何より」

 

 レミリアが発言すると周りも同じように反応した。

 その中で魔理沙が「それでさ、このにーさんの言ったことは本当なのか?」とついで感覚で質問した。

 右京は一言「大体そんなところです」と回答し、皆が彼に同情の視線を送った。

 間をおいてから幽々子が訊く。

 

「小野田さんだっけ。その人のこと、恨んでないの?」

 

「恨んでいない、と言えば嘘になりますね。当時は憤ったものですから」

 

「自分の将来を潰した男だからなぁ。腹立たしいよな……」

 

 という魔理沙の発言に右京は首を横に振った。

 

「そうではなく、政治を優先させて人質の方はもちろん隊員の方々、そして犯人たちが流さなくてもよい血を流して亡くなった……。僕はそれが許せなかったんです」

 

 真に無念である。右京はそう言いたげな目をしていた。再び、重い空気が病室を包み込んだ。

 

「かと言って、官房長だけが悪い訳ではありません。交渉に時間をかけてしまった僕の落ち度でもあります」

 

「おじさんさぁ。ちと真面目過ぎないか?」

 

「人の命を預かるとはそういうことなのですよ、魔理沙さん。だから、僕の責任であることに変わりはない。生涯、忘れてはならない」

 

「「「「……」」」」

 

 真面目過ぎる狂人、杉下右京。部屋の内外問わず、話を聞かされた者たちは考えさせられたように黙った。

 右京はふいに目覚めてから気になっていた疑問を口にする。

 

「ところで、神戸君が皆さんのいる前で僕の秘密を喋るということは、僕が眠っている間に何か大変なことでも起きましたか?」

 

「はい。実は――」

 

 彼の問いに尊は彼が眠ってから起きるまでの全ての出来事を説明した。

 右京は深いため息を吐きながら「そうでしたか……。僕にも何かできることはありますか?」と力になれないかと申し出だ。

 そこで幽々子がストレートに言った。

 

「アナタに交渉および突入部隊の指揮を取って貰いたいの」

 

「僕に……ですか?」戸惑う右京。

 

「里人がいつまでも安全とは限らないし、妖怪も独断で行動する可能性が高くて、衝突すれば人間だけじゃなく幻想郷も危険に晒されるかもしれない。お願いできないかしら?」

 

 そこに霊夢が口を挟む。

 

「でも、里には里の事情があるわ……」

 

 しかし、幽々子は、

 

「この人結構、幻想郷の()()に勘づいているわよ? 私と幻想郷について色々、お話ができるくらいにはね」

 

「そうですねえ」

 

「「「「はぁ!?」」」」

 

 更なる衝撃が周囲に走る。動揺しすぎた霊夢は開いた口が塞がらないばかりかバランスを崩して転倒しそうになり、魔理沙にキャッチされる。

 

「その上で協力してくれるのよね?」

 

「もちろんです。言いたいことは山ほどありますが、今はそんなことで言い争っている場合ではない。いかに大義あれど、暴力と血を伴った革命など僕は到底認められません。現に大勢の里人が苦しんでいるはずです。彼らに犠牲を強いるなど、絶対にあってはならない。一刻も早い解決が望まれる。むろん、この世界の問題点について騒動が収まった後、改めて言及させて頂きます」

 

「だそうよ? 皆、どうする?」

 

 しばしの沈黙が続く。

 冥界勢力の長、西行寺幽々子と議論できるほどの情報を持っているという事実に驚きを隠せない。

 だが、じれったいと思ったのか魔理沙が手を挙げる。

 

「いいんじゃねぇか? 私らは交渉や大規模な解放作戦とかやったことないから、本職のアドバイスが必要だろう?」

 

 彼女の発言を皮きりにレミリアも手を挙げた。

 

「同意するわ。相手はそれなりに頭を使って作戦を計画、実行してる。こちらも専門家が必要よ。だったらこのひとが適任でしょ?」

 

 続いて永琳が言う。

 

「私もいいと思うわ」

 

 力ある者たちが賛成したことで妖夢、咲夜、優曇華、輝夜が続々と賛成を表明する。

 残りは霊夢と慧音になった。

 ふたりは阿求次第だと言って手を挙げるのを拒むも、本心では折れているように見えた。

 そこに話を聞いていた阿求本人が廊下の奥からズルズルと壁に手を突いて病室へ歩いてくる。

 物音に反応した慧音が阿求の存在を確認し、手を貸そうとするが本人を半ば無視するように身体を引きずりながら病室へと入る。

 

「話はある程度、聞かせて頂きました」

 

 そう言って阿求は皆を押し退けて右京の元までたどり着く。

 

「どの辺りまででしょうか?」

 

「特命係誕生のお話から今までです」

 

「つまり僕の経歴をご理解している」

 

「はい」

 

 一呼吸おいてから彼女は言った。

 

「こちらの事情を察した上で協力して頂けるのですね?」

 

「はい。今は議論するつもりはありません。事件が解決して一段落するまでは」

 

「どうしてそこまで……。表の方がいらっしゃるからですか?」

 

「それもありますが、同じくらい、恐怖と隣り合わせになっている里の方々を放ってはおけない。そう思ったんですよ」

 

「……わかりました」

 

 目を閉じ、決意を固めた阿求がついに――。

 

「杉下さん。里を救うため、我々に協力して頂けませんか?」

 

「よろこんで」

 

 こうして幻想郷にて参謀杉下右京が復活する。



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第103話 参謀、杉下右京の分析 その1

 翌日、朝五時。朝食を済ませ、身支度を整えた右京と尊が永遠亭の広間を借り、黒板を用意して会議の場を整える。

 一時間後の朝六時。第一回目の対策会議が永遠亭で開かれた。

 集まった有志は昨日のメンバーから朝に弱いレミリアと従者の咲夜に来客の対応を行う優曇華を除き、マミと文、小鈴を追加した者たちである。

 情報を収集していたら右京が復活。いつの間にか部隊の指揮官に就任していたことへ戸惑うマミと文。小鈴は目覚めてからの急展開に困惑こそしたが、阿求の体調が回復したことで落ち着きを取り戻し、右京の役職に「はえ~すごーい」と唸っていた。

 右京が簡単な挨拶を行う。

 

「改めまして交渉アドバイザー兼人里解放部隊編成および指揮を担当する杉下右京です」

 

「いきなりじゃな……」

 

 まだ理解の追いつかないマミは煙管をクルクルと動かして気を落ち着かせる。

 

「私がいない間に何があったのですか……?」

 

 訳が分からないながらも文は律儀にメモ帳を取り出し、ペンを右手に持った。

 右京の肩書きが長いと思った魔理沙が一言。

 

「長いから()()でいいんじゃねぇかな……?」

 

「私もそれでいいと思います」と霊夢が賛同した。

 

 右京は「わかりました。今後は参謀という肩書きで通します」と語った。

 続けて尊が挨拶をする。

 

「参謀補佐の神戸尊です。よろしくお願いします」

 

 彼が頭を下げると参加者から拍手が起こった。キリのよいところで右京は話を進める。

 

「早速ですが本題へ移りましょう。状況を整理しますが、現状、里は《人里の夜明け》通称、秘密結社に武力制圧された状態にあります。表向き、彼らの目的は民主主義を導入し、人里を独立させることです。リーダー奥村の射殺により大義が生まれ、彼らの勢いに飲まれてしまった結果、このような事態を生んでしまった。デモに参加したのは主に若い世代で他の世代は懐疑的だったようですが、それは本当ですか?」

 

「本当です。暴徒になっていたのは若い世代が大半を占めていました」と阿求が回答する。

 

「私らが見た限りは若いのしかいなかった。特にごっついヤツが多かったぜ」

 

 魔理沙がそう述べると霊夢と慧音も首を縦に振った。

 稗田邸の戦いに参加した尊も「間違いありません」と認めた。

 

「となると昨日、伺った社会基盤を担当する四家の構成員が暴徒に加わった可能性が高い。火口家は壊滅し、ご当主が死亡。他の構成員は捕縛されている。この情報提供者は文さんでしたね」

 

「はい。配下の鴉から訊きました。確かです」と文が頷いた。

 

「普段から素行の悪い者が多く、問題を起こすことも多々ある。離反の疑いがあるのは水瀬と土田の二家。これも間違いないでしょうか?」

 

「風下家は現在、火口家同様に占拠されているので間違いないかと」

 

「わかりました。提供感謝致します」

 

 火口は壊滅。風下は占拠。里で結社&離反組に反抗できる勢力はいない。

 右京は怒りを込めて断言した。

 

「如何に大義があろうとも対抗勢力の拘束と追放、殺害を行う集団はテロリスト以外の何者でもありません。彼らの行為を断じて認める訳にはいかない。今現在、里がどうなっているか情報を持っていらっしゃる方はおりますか?」

 

 マミが手を挙げる。

 

「狸たちを配置して情報収集を試みたが、あちこちに毒餌を撒かれてのぅ。とてもじゃないが里の中までは探れんかったわい」

 

「毒餌をばら撒く。……明らかに対策を講じられていますね。文さんの鴉はどうですか?」

 

「それが今朝になってから投石や縄で追い払われて、安定した偵察ができないのです。離れたところかなら偵察できるのですが、着地させて行動させようにも毒餌を食べてしまうリスクがあって難しいです」

 

 と、文は額を押さえた。

 

「狸や鴉を使った内部偵察は難しそうですね。わかりました、報告ありがとうございます」

 

 眷属対策はばっちりであった。結社は情報の重要性を熟知している。

 今までいなかった頭脳派の敵に阿求が深い息を吐く。

 

「こんな対策をよく思いついたものだわ」

 

「あぁ厄介だぜ。ーーそうだ、幽霊を使っての偵察ってはどうだ」

 

 魔理沙が幽々子を見ながら言った。しかし、本人は首を横に振る。

 

「幻想郷において幽霊は一般人でも見えるからね。気づかれると住民に危険が及ぶかもしれない」

 

「うーん、じゃあ蝙蝠ってのは? レミリアなら使役できるでしょ?」と霊夢がアイデアを出す。

 

「蝙蝠は暗闇で活動でき、かつ知能も高いと言われます。よい案かもしれません。ただ蝙蝠は目があまりよくないことで有名です。超音波だけでどこまで情報を収集できるのか。気になりますね」

 

「アイツなら無数の蝙蝠に分裂できるからそれでいいんじゃないか?」と魔理沙。

 

「さすがはレミリアさんです。ですが、仮に偵察がばれてしまった場合、その時点で結社が凶行に及ぶ可能性もあります」

 

「む……難しいのぅ。儂が変身術を駆使して潜入するのもよいが強い衝撃を与えられると解除されてしまうからのう……」

 

 マミはどこか弱気に唸った。

 あらゆる可能性を考慮し最善の手を考える。参謀というのは行動の方針を決める立場故、簡単に物事を決定することはできない。

 悩む参加者に混じり、眉間にシワを寄せていた阿求だったが、妙案を思いつき、手を挙げた。

 

「でしたら十六夜さんに偵察をお願いしては如何でしょうか?」

 

 すると右京の瞳が大きく見開かれた。

 

「確かに彼女の能力なら気づかれずに偵察が可能ですねえ。となると問題は()()()()()()()()と能力の()使()()()()()()でしょうか」

 

「時間停止の持続力と再使用可能時間?」

 

 聞き慣れない言葉に霊夢が疑問符を浮かべる。右京が博霊の巫女のほうに視線を向けた。

 

「例えば、敵陣のど真ん中で能力が切れてしまった場合や時間停止能力のクールタイム中、敵に見つかればその時点でアウトな訳です。ですから、能力に効果や制限について正しく知っておく必要があります。十六夜さんがここにやってこられたら伺わせて頂きましょう」

 

「なるほど……」と霊夢は納得したように頷いた。

 

「次は結社の今後の動向についてです。彼らは里の独立を謳い成功させました。次に彼らが取る行動は人里の安定化だと思われます」

 

「安定化? 今の里はアイツらの物だぜ?」

 

 今度は魔理沙が疑問符を浮かべた。

 

「里は未だ不安定のままです。稗田さんを支持する意見も多いでしょうし。結社からすればそう遠くない内に彼らを排除したいと考えているはずです。例え力づくになったとしても」

 

 しかし、右京の予想に阿求が意見を述べる。

 

「私は()()()()()()()()()()()と念を押しました。これ以上、里人に手を出そうものならそれこそ結社は終わりです。妖怪たちに潰される」

 

「しかし代表の田端はこうも言ったそうですね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。この幻想郷には人と見分けのつかない妖怪もいます。早い話、厄介な人間に妖怪の疑いをかけて見えないところで拘束する、もしくは()()なんてやり方も可能かと」

 

「えぇ!? そんなぁ――酷い!! 酷すぎます!!」

 

 里人の小鈴は珍しく目に涙をためて怒る。彼女の家族は未だ里に取り残されている。心配になったのだろう。

 右京は彼女の気持ちを汲んだ。

 

「心中お察しします。ですが彼らの手口を見ると、ありえないとは言い切れません」

 

「う、うぅ……」

 

「小鈴ちゃん、大丈夫よ、大丈夫だから」

 

 涙ぐむ小鈴の背中を霊夢が右手でそっと擦る。

 

「アイツら、里人に自由をもたらすとか言いながら、そんなことやんのか……」

 

 憤る魔理沙を余所に文が言った。

 

「行動が矛盾してませんかね。平等を謳っておきながら他者に苦渋を強いるとは――目的のためなら何をしてもよいと考えているんでしょうか。それが民主主義なのですか?」

 

 どんなに綺麗事を並べても結局、お前たちも暴力に頼っているじゃないか。

 文は彼らの矛盾を的確に捉えていた。それは右京も同じだった。

 

「民衆の意思を尊重するのが民主主義です。彼らのやっていることは民主主義を建前にして敵を作り、自分たちの思想を押し通す。いわば()()ですね。演説といい、やり方といい――どこかナチス・ドイツを率いた《アドルフ・ヒトラー》を彷彿とさせますねえ」

 

「ナチス・ドイツ。嫌な響きじゃ」

 

 マミは嫌悪感を上まで表した。

 

「アドルフ・ヒトラー……。確か、表の政治家でしたよね?」と阿求。

 

「ご存じでしたか」

 

「前に幻想入りした資料か何かで名前を見かけただけですが。その方はどのような人物なのですか?」

 

「ヒトラーはカリスマ的な政治家であり、演説の天才。そして、表の歴史上一、二を争うほどの《独裁者》と称されます」

 

「《カリスマ政治家》で《演説の天才》で《独裁者》ってどういうことだよ!?」

 

 魔理沙の声が裏返った。

 

「今から説明します――」

 

 そう言って右京は十分ほど、ヒトラーについて一般人が知る範囲で説明した。

 反応は様々だったが、話を聞いた者たちはヒトラーによいイメージを持たなかった。

 質問者の魔理沙がコメントすべく口を開いた。

 

「……いろんな意味でぶっ飛んだ奴だけど、今回の暴動と直接、関係あるのか? 演説して間もおかずに暴動を起こした訳じゃないだろ?」

 

 直後、右京は首を横に振ってから人差し指を立てた。

 

「僕が注目したのはその手法――英語で言うと〝プロパガンダ〟」

 

「「「「プロパガンダ!?」」」」

 

「そうです。結社が一連の騒ぎで用いたものは紛れもなくそれに該当します」

 

「英語わからない……」

 

 苦言を呈する霊夢に右京は「解説しますから大丈夫」と告げ、プロパガンダについての説明を行う。

 

「プロパガンダとはざっくり言うと《宣伝》です。人間社会ならどこでも使われる技術なのですが、政治面でも使われ、その場合は心理戦や世論戦とも表現されますね。大まかに分けると事実(公的機関などが正式に提示したもの)に基づく宣伝である、ホワイトプロパガンダ。虚偽の情報や誇張を使う宣伝、ブラックプロパガンダ。真偽不明の情報を流す宣伝、グレープロパガンダ。企業が己の利益のために行う宣伝、コーポレートプロパガンダ。相手のプロパガンダに対抗するための宣伝、カウンタープロパガンダの五種類があります。今回使用されたのは主にこの内の三種類、ブラックプロパガンダ、グレープロパガンダ、そしてカウンタープロパガンダが当てはまると思われます」

 

「ますますわからんな」

 

 魔理沙は困惑する。

 その中で阿求や永琳と言った知識人たちはその意味にピンときたようで興味を持って耳を傾けている。

 右京が続ける。

 

「諸説ありますが、まずブラックプロパガンダは聴き手に嘘または誤った情報を正しい情報のように与えることで世論を操作しようとする手法です。証拠も何もないにも関わらず『あいつは嘘を吐いて皆を騙している』と言って誘導しようとするやり方などが該当しますね」

 

「言われてみれば、結社はやたらと妖怪や稗田家を悪者にしてな」

 

「そうだな」と慧音が頷く。

 

「次にグレープロパガンダ。これは情報が曖昧で真実かわからないにも関わらず発信して誘導しようとする手法です。今回のケースだと具体的な証拠や情報源を詳しく示さず、聞いた話や噂話をあたかもそれが真実であるかのように聴かせた。これが該当しますかね」

 

「結社の言い分の大半がこれですよね!」

 

「そうじゃな! まったく、あやつらめが!」

 

 結社にいいようにされた妖怪ふたりは憎々しげに吐き捨てた。

 

「最後にカウンタープロパガンダ。相手のプロパガンダを潰すべく対抗できるプロパガンダをぶつける行為です。援護に回った稗田さん側のマミさんと射命丸さんの正体を適切なタイミングで暴露した行為が該当するでしょう」

 

 右京が語った途端、妖怪ふたりは「すまん……(すみません……)」と謝った。

 参謀がさり気無くフォローを入れる。

 

「仕方がないことだったと思いますよ。相手は多くの妖怪の情報を所持していたのですから。仮にマミさんたちが援護しなくても他の画像と動画――恐らく霊夢さんや魔理沙さんが妖怪と仲よくしているように見えるものを使って扇動していったでしょうからねえ」

 

「たく、アイツら、どこでそんなモノを手に入れたんだよ!?」魔理沙が舌打った。

 

「ホント、ふざけんじゃないわよ!」

 

 霊夢は妖怪巫女と言われたときを思い出して腹を立てた。

 

「そこも後で考察しますが。皆さん、ここで一旦、奥村の演説を聴いてみましょうか」

 

「聴くって、どうやってですか?」

 

 文は首を傾げるが、すかさず尊が「ここに記録してあります」と、スマホで録音したデータを再生した。

 音声データは遠くからの録音だったために、ところどころ聞こえにくい箇所があった。その部分をマミや文、慧音が補完したことでほぼオリジナルに近い演説内容の再現に成功する。

 一連の流れを直に確認した右京は唸った。

 

「改めて思いますが、この演説はよく練られていますねえ」

 

「はぁ!? どこかだよ! デタラメばっかりじゃねぇか!?」

 

 魔理沙が食ってかかるが右京は涼しい顔をしていた。

 

()()()()()()()()()()で、ですよ。感情を刺激するような演説で人々を勢いに乗せて一体感を出している。感情へ訴えるプロパガンダの典型例と言ってよいでしょう」

 

「感情へ訴えるプロパガンダ……?」と阿求が声を出した。

 

「感情を煽って冷静さを失わせ、自分の思った通りに人々を誘導する。今はそう理解して頂ければ」

 

「なるほど……。しかし、この演説のどういった部分が当てはまるのですか?」

 

「奥村は強い口調かつ攻撃的な物言いで根拠のない事実をあたかも真実のように語り、ブーイングを受けるも一切動じず反論し続けることで強い人物を演出した。これも聴き手の感情を高ぶらせるレトリックの一つです――そこに腹を立てた上白沢さんが口を挟んだ。そこでも奥村は負けずといい返し、ミスを誘った」

 

「ミスというと?」

 

「肘をぶつけて団員を転ばさせてしまったところです」

 

「あ、あれは向こうが勝手に主張しただけで、私は軽く触れただけです!!」

 

 食らいつく慧音に右京が人差し指を立てた。

 

「ええ……。恐らくそれは相手側の()()でしょうね」

 

「演技!?」

 

「そうです。奥村は檀上に立って話していますので、多くの人から見えますが、上白沢さんが何をしているのか確認できるのは正面に近いグループだけでしょう。混雑しているならなおのことです。つまり、結社のメンバーがあなたに押されたと言われても信じてしまう人が一定数いるのです。そこに聴衆が援護したことであなたは謝罪へ追い込まれた。おまけにその少し前、無意識にとはいえ、相手の言い分に黙ってしまいましたね? そこを後方の聴衆に()()と捉えられ、あなたは焦った。このことで聴衆にあなたが()()()()()()()()()()()()()()という印象が植えつけられてしまった。極めつけは奥村の挑発によって冷静さを失い、彼を打ってしまったことです。片や奥村は冷静に対応し、完全に差ができてしまった。ここで上白沢さん=悪者という図式ができあがり、議論の流れを結社側に奪われてしまったのです」

 

「そ、そんな……」

 

 右京の解説を聞かされ、慧音の身体から力が抜けた。

 

「話を戻しましょう。追い詰められた彼女を見かねたマミさんが議論に参戦しました。マミさんは正体を偽りながら、奥村と議論を行いましたが、奥村は聞く耳を持たず、さも当然のように稗田家へ責任を押しつけた。埒が明かないと思った射命丸さんが参戦した。ここまで合っていますね?」

 

「うむ(はい)」

 

 本人たちが頷いた。

 

「射命丸さん、あなたが参戦した際、あなたは自身の正体を偽り、そこを奥村に指摘される。ですが機転によって回避に成功。奥村を批判して狼狽えさせた。そのとき、あなたは何を考えましたか?」

 

「えーと、チャンスだと考えて潰してやろうと思いました」

 

「あなたは怒涛の畳みかけを見せた。聴衆も射命丸さんの言い分を支持し、後一歩で主導権を取り返せた」

 

「そうです! そのタイミングで私たちの正体をバラされたのです!」と、文は悔しさを顕わにする。

 

「奥村は狙っていたのでしょうねえ。カードを切るタイミングを。だからあえて狼狽えたフリをした。ぼくにはそう思えてなりません」

 

「なんと!? そこまで考えておったのか!?」とマミが驚く。

 

「態度こそ反抗的だが、頭は回る。評判通りの人物だったのですよ。そこから一気に流れが奥村へ傾き、正しいのは奥村で悪いのは妖怪側であり、彼女たちが擁護した稗田家が雇った工作員だと決めつけられてしまい、お三方の話に誰も耳を貸さなくなり、挙句捕まえられそうになった」

 

「「「……」」」当事者三人は無言で俯いた。

 

「そこに奥村が待ったをかけた。聴衆の支持が自分に傾き、視線を釘づけにした段階で彼は敵に情けをかけて民主主義を訴え、広場にいた里人の心を完全に掌握したのです」

 

「……そう聞くとドラマみたいな流れよね」

 

「ですね」

 

 黙って話を聞いていた幽々子と妖夢がそのようにコメントした。

 口元に手を当てながら沈黙を貫いていた輝夜が手を挙げた。

 

「だけど、そこまで上手く運ぶのかしら? 少し都合がよすぎると思うのだけど……」

 

 皆、同じような反応だった。その中にあって阿求や幽々子、永琳は何かを察したように「まさか、そういうこと?」とある可能性を疑う。

 瞬間、右京がいつものポーズを取った。

 

「普通に演説したならここまで上手くはいかないでしょうねえ~。元々、印象が最悪なのですから。聴衆の誰かが議論の誘導でもしてくれない限りは」

 

「だろ? ありえないぜ? そんな話」

 

「そう誘導――しかも聴衆側が」

 

「え、だって印象最悪なんですよ? 誰が肩を持つんですか?」と小鈴が訊ねる。

 

「結社のメンバー。または息のかかった者」

 

「えぇ!? 結社メンバーが聴衆のほうにいる訳――」

 

 直後、小鈴の言葉を永琳が遮った。

 

()()――そう考えているのよね、杉下さんは」

 

「おっしゃる通り」

 

「「「「「えぇ!?」」」」」

 

「息のかかった者に第三者を装わせた上で紛れ込ませ、内と外で対象をコントロールする。実はこれ――よくある手なんですよ」

 

「「「「「なんだってーー!?」」」」」

 

「そう考えれば辻褄が合うんですよねえ。議論が奥村の理想通りに進んだことが」

 

「つーことは……アレか。あの演説は全部()()()()()()()ってことか……?」

 

 魔理沙の問いかけに右京は静かに頷いてから「ええ。この後の展開も含めれば、ほぼ間違いかと」 と断言した。会議場に何度目かの衝撃が走り、参加者全員の視線が参謀に突き刺さるのだった。




作者はプロパガンダの専門家ではないため、記述や使用例等でご迷惑をお掛けするかもしれません。



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第104話 参謀、杉下右京の分析 その2

「その後の展開……?」

 

 魔理沙は奥村の行動を思い出すもすぐに。

 

「――って、奥村は撃たれたじゃねえか!?」

 

 そう、彼は何者かによって狙撃されて帰らぬひととなったのだ。

 その時点で奥村の快進撃は終わりを告げたはずだ。魔理沙はそのように言いたいのだ。

 しかし右京は持論を展開する。

 

「撃たれましたねえ。ですが、そこからの行動があまりに早すぎる。姿をわからなくする煙幕に無数の爆弾。次は妖怪の仕業と叫ぶ聴衆。間をおかずに展開された反妖怪運動。そして、稗田火口両家を襲撃からの人里奪取。ーーさすがに仕組まなければ不可能ですよ」

 

「やっぱり、そう考えるのが妥当ですよね」

 

 阿求はひとり唸った。彼女の皮きりに周囲が動揺するも、幽々子や永琳はさほど驚かず、どこか納得した表情で右京を眺めていた。

 発言に疑問を持った霊夢が声を出す。

 

「だけど杉下さん――それって奥村が撃たれたことで生まれた流れですよね? 杉下さんの言い方だと狙撃まで結社の計画に含まれているみたいな感じに受け取れたんですけど」

 

「おっしゃる通り」

 

「だとしたら、演説から奪取まで仕組むのは難しいんじゃないですか?」

 

「確かに。議論で勝つために結社側が一連の工作を施していたんだろうしな。そして、演説の終わり際に狙撃手が奥村を射殺した。これが結社のシナリオと考えるのは少し難しいよな」と魔理沙が

同調する。

 

「アンタもそう思うわよね! 行動があり得ないくらい早いし。普通、代表が狙撃されたら皆、動揺して動けなくなるでしょ? だけど、間髪入れずに白煙と爆弾よ。おかしくない?」

 

「まぁ、言われてみれば……」

 

「そうよね! だから妖怪の可能性もあるわ。妖怪が里を混乱させる目的でリーダーを殺し、忍び込ませていた手下に爆弾を投げさせて、それをきっかけに結社が大暴れした。そう考えればしっくりくると思ったんだけど。だってバルバトスって四人の王を従えるんでしょ? 昨日、レミリアが言ってたし。もしそうなら、外部勢力による幻想郷乗っ取り事件になるわ!」

 

 目を鋭くしながらその瞳を黒く染める霊夢に魔理沙は呆れながら、

 

「つまり、途中までは結社のシナリオで後半は外部勢力(妖怪)の仕業だと言いたいんだな……?」

 

「そうそう!」

 

「む……。ありえない話ではないが……」

 

 右京のほうを見て「いつもアレだ」と目で訴える。

 伝承上、バルバトスは四人の王を従える狩人だ。妖怪の可能性を捨てることも軽率である。

 彼は霊夢の意見を無碍にすることなく、優しく返した。

 

「霊夢さん。邪悪な妖気は感じましたか?」

 

「え、あ……その――感じて、ません」

 

「「「「「……」」」」」

 

 ため息が会議場を包んだ。妖怪を疑う気持ちはわかるが、もう少し冷静になってくれ。巫女の知り合いたちは思った。

 

「疑うのは悪いことではありません。相手が妖気を隠す手段を持っていることも考えられますからね」

 

「そ、そうよ!! 狙撃犯が妖怪の可能性は十分あるわ!」

 

「そりゃあ、あるだろうけどさ」

 

「なら対妖怪用の装備も用意しなくっちゃ――」

 

 霊夢は拳を鳴らして意気込んだ。相手が妖怪なら容赦は入らない抹殺してやる。彼女の瞳にはある種の不気味さが漂っていた。

 皆がその雰囲気に引いている最中、右京がしれっとつけ加える。

 

「相手が妖怪でも可能な限り拘束してください。犯行の動機や背後関係を洗い出したいので」

 

「えぇ……」

 

「いやお前、普通だろ。仮に挑戦状が本当なら相手はバルバトス。七十二柱の一柱なんだぜ? 残りの連中が動いてるかもしれんだろ? 乱暴なことをしてでも訊きださんといかん」

 

「拘束後の妖怪の扱いについてはあなた方にお任せします。ただし人間の場合は僕たち表の警察のやり方で取り調べたいのですが。よろしいでしょうか?」

 

 元々、人間相手ならそこまで手洗い真似をするつもりがないらしく、周囲はわかった、と頷いた。

 ここまでで一時間が経過した。時間を気にする右京は一旦この話題を切り上げて次の話へ移った。

 

「奥村たちの話も大事ですが、次は有志募集についてのお話をしましょう。募集するのは以前より人間と交流のある人間、もしくは人型の妖怪に限るとお聞きしました」

 

 有志の話になったので、今度は慧音が答える。

 

「はい。妖怪は加減ができない者が多く、人との関わりがないと勢い余って殺してしまう恐れがあります。今回の案件は非常にデリケートですので、その条件で絞らせて頂こうかと」

 

「僕もそれでいいと思います。しかし、選ばれなかった妖怪の方々が不満に思うかもしれません。その辺りのケアも考えねばなりませんねえ」

 

「ヤケを起こされて里へ強行突撃されても困りますからね……。善処します」

 

 慧音は右京の意見に誠実に返答をした。

 

「次は各妖怪のトップへの根回しですね」

 

「こちらは私が行います。こう見えて顔は広いですから」と阿求が手を挙げる。

 

「わかりました。護衛は忘れずに」

 

「ええ。足が欲しいので魔理沙をお借りして行きます」

 

「そうですか。魔理沙さん、よろしいですか?」

 

「おう」

 

「じゃ、私は冥界周辺と地獄の連中に話を通すわ」と幽々子が語り、右京が同意した。

 

 こちらも各勢力の有力者二名が名乗りを上げたことで無事解決した。

 その後の話し合いで近隣最大勢力である〝妖怪の山〟への訪問が決まり、文がコンタクトを取れ次第、交渉する方向で固まった。

 時刻が八時を回ると時間を惜しんだメンバーたちが続々と行動を開始する。

 慧音は有志募集、文は上司へのかけ合い、幽々子は冥界周辺戦力への根回し、霊夢は偵察の要である咲夜を連れてくる、マミは偵察に出した子分から情報を収集すべく永遠亭を後にした。

 残ったメンバーの右京は阿求と妖怪との交渉についての相談、尊と小鈴は議事録の作成、永琳はけが人用の薬の生成、優曇華が料理担当、輝夜が来客の受つけを引き受け、皆、事態解決のために奔走する。

 

 

 同時刻。いつも賑わっているはずの里は結社関係者とデモ参加者以外の人影は見当たらず、不気味な緊張感に包まれている。小鳥が囀ろうとするものなら石で追い払われ、地面には毒餌を食べて死亡したと思われる小動物たちの死骸が散見され、足で道端へ押しやられる。

 里にある全ての入り口には〝妖怪立ち入り禁止〟と書かれた大きな横断幕を設置され、その両脇を火縄銃と日本刀で武装した者が固めており、不審な者が現れたなら即座に発砲しそうな雰囲気を漂わせて警戒にあたっている。

 右京が予想した通り、里は極度の緊張状態にあった。

 西口を見張るメンバーのひとりが愚痴を零す。

 

「はぁ、昨日の疲れがとれねー」

 

「我慢しろよ。やっと妖怪から里を取り戻したんだから」

 

「まだまだこれからだろ。後は妖怪との交渉か――こっからどうすんだ?」

 

「どうするって。そりゃあ、話し合うんだろ?」

 

「まともな話し合いになるのか? リーダーたちはその辺りのこと、教えてくれねーし――」

 

 見張りがそう言い掛けると遮るように〝妖怪・消えろ〟と書かれた襷を肩にかける信介がやってきた。

 

「私語は慎めよ。俺たちの戦いは始まったばかりなんだからさ」

 

 彼は火口家制圧の功労者、かつリーダー田端と知り合いであることから結社内で優遇されていた。

 自慢げに語る彼の姿に見張りたちのイライラが募るも彼らは腰を低くして謝罪する。

 

「は、はい! すみませんでした」

 

「わかればいいのさ。お前たちも大変かもしれないが、努力は必ず報われる。じゃ、頑張ってくれ」

 

 火口家当主を裏切って鍵を開けただけの男が何を偉そうに。見張りたちは去って行く信介の後姿を睨みながら、不満を押し込んで見張りに集中する。

 その視線を背中で感じ取り、何故か羨ましがられていると錯覚した信介は「はぁー、気持ちィィィ」とその限りなく小さい自尊心を満たす。

 大通り中央付近にある酒場谷風では店を開店できない舞花がひとり、店のカウンターに頬杖をついてため息を吐く。

 

「これじゃ、商売できないわ」

 

 大通りから聞こえる声に耳を傾けた。

 このころになると騒ぐ輩も出現し、数名の若者たちが右拳を振り上げながら大通りを行進する。

 

 ――妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ!

 

 ――俺たち・勝った 皆で・勝った 稗田に・勝った!

 

「バッカじゃないの――二家を襲撃して、稗田さんたちを追い出して、里の経済を止めてまでやるのが()()()()とか……」

 

 里のあり方に不満を持つ者もいれば現状に満足する者もいる。舞花は後者だった。

 

「妖怪を否定して言い分を通させるよりも妖怪と仲よくする方法を考えてから生活圏を広げていく方向へ持って行ったほうがいいと思うけどね。話せばわかる人もいそうなんだし」

 

 行儀のよい常連客であるマミの姿を思い浮かべながら舞花は呟く。

 本当は英雄ズラしている馬鹿どもへ文句のひとつやふたつは言ってやりたいが、相手は武装した危険集団であり、何かあれば自分もタダでは済まないと察しているので行動に移せない。

 やり切れない思いを抱えながらも彼女は店の裏口から自宅へと戻り、仕入れた食材を無駄にしないように台所で黙々と作業を続ける。



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第105話 集う者たち その1

 午前九時。天狗の頭領にアポを取りに行った文が戻ってくる。彼女は戻るや否や自分のボスが「すぐにでもお話ししたい」と語っていたと伝える。阿求は右京に交渉へ赴くと告げ、魔理沙を伴って交渉場所である妖怪の山へと向かった。

 阿求を送り出すと、今度は霊夢が酷く眠そうなレミリアと咲夜を伴って永遠亭にやってきた。玄関付近にいた右京を発見したレミリアと咲夜が挨拶してから、遅れたことへの謝罪をした。

 右京は「眠い中、ありがとうございます」と頭を下げ、彼女らを永遠亭へと招き入れる。

 紅魔館勢が会議場へ入ると尊が手書きの議事録を手渡す。内容は普通の議事録なのだが、彼女の受け取った議事録は全文が英語で書かれており、漢字が苦手なレミリアでも理解できるように作られていた。

 細かい配慮に感心しながら議事録にひと通り目を通したレミリアは右京と少し会話したのち、

 

「咲夜の力が必要なのね。わかったわ」

 

 特に不満も見せずに自身の側近を貸し与えた。

 右京は咲夜にいくつか質問する。

 

「十六夜さんの能力は空間拡張と静止空間内の移動――という認識で問題ありませんか?」

 

「自分自身でもよくわかってないのですが、空間を拡張する能力は持っていますね。とはいえ空間を広く使えるだけで戦闘や諜報には向きません。静止空間内の移動というのはちょっと違うかも……。時間の流れを緩めて動いたり、光より早く動けるといったほうが正しいですかね」

 

 咲夜自身、自らの能力を把握しておらず首を傾げて、あれやこれはと考えるも結論は出せないようだ。

 参謀の右京は能力の詳細を訊ねることを諦める。

 

「ほうほう。だから一瞬で移動したように見える、と。その仕組み――非常に気になるところですが、それはまた今度改めて聞かせて頂くとして……能力の持続時間はどれくらいでしょうか?」

 

「数えたことはありませんが……。十分くらいなら平気です。二~三十分を過ぎると身体が疲れてくるので、それくらいでしょうか……」

 

「能力を再使用する際のお時間は?」

 

「お嬢様から能力はあまり使うなと言われていますので、今まで連続使用は控えるようにしてきましたが。経験上、止めた時間に比例した休憩を取れば問題なく使用できます。無理すれば数回程度でしたら連続使用可能かと」

 

「なるほど。本当にすごい力をお持ちなのですねえ。羨ましい限りです。その力、是非とも里を救うため、ご活用させて頂きたい」

 

「わかりました。その役目、紅魔館のメイド長たるこの十六夜咲夜が務めさせて頂きますわ」

 

 そう言って咲夜はスカートの両端を摘まんで丁寧なお辞儀をしてみせた。紅魔館勢力として里に貢献したいとする主の意思を汲み取った、彼女の誠意である。これには傍から見ていたレミリアも周囲へ格の高さを示せたとご満悦な様子だった。

 これで偵察の問題はひとまず解消された。後は咲夜に突入と制圧に必要な情報を収集してもらうだけである。

 

「ありがとうございます。我々が必要なのはメンバーの人数、アジト、見張りの配置箇所、人質となっている火口と風下両家の現状、里人の様子などです。十六夜さんにはこれらの情報を収集して貰います」

 

 右京は咲夜に三十分ほどかけて必要な情報の詳細と収拾理由、諜報の際の注意点などを説明した。

 説明を受けた本人は「覚えられるかな……」と不安がるも、すかさず要点をまとめたメモを手渡される。

 A4用紙一枚に綺麗に纏められているので、本格的な諜報に取り組む彼女を「わからなくなったらこのメモを見れば安心ですね」と安心させた。

 後は保険としてマミの変身術で咲夜を里人に変装させれば問題なく潜入させられるだろう。

 マミが帰ってくるまでの間、右京は休憩を挟むことにした。

 台所で入れたと思われる湯呑に入った紅茶を片手に広間から出てすぐの縁側で竹林を眺める右京は数日ぶりの茶色い液体に唸った。

 

「やはり紅茶はいいですねえ~。疲れがたちまち吹き飛んで行きます」

 

 紅茶は杉下右京の栄養源。これがなければ始まらない。

 これもしくは長期の間、花の里が欠けると不治の病である〝推理力減退症候群〟を患ってしまい、彼の能力は大幅に落ちてしまう。尊が特命にいたころ、初めてこの病気感染して体調を崩す。

 花の里が復活してから本調子を取り戻し、本人は同じ病には二度とかからないと思っているが、実際のところはどうかわからない。

 リラックスする彼の隣へ片手に緑茶を持った尊がやってきた。

 

「こういう日本屋敷に来てまで紅茶とは。杉下さんの紅茶好きには驚かされます」

 

「そういう君は和服がお似合いですね」

 

「フフ、どうも」

 

 右京は当然のことながら、尊も和装で身を包んでいる。

 いつものダークスーツ一式は特命部屋に置きっぱなしで、今着用しているものは以前、里で購入した麻色の着物だ。これといった特徴はないが、温泉旅館くらいでしか和装しない尊にとってどこか新鮮さがあった。

 相棒の右京はこげ茶色の着物で優雅に紅茶を嗜んでは眼前に広がる竹林を楽しげに眺めている。目覚めたばかりの病み上がりの身体で大役を押しつけられたにも関わらず呑気だな、と彼は思った。

 

「僕の顔に何かついてますか?」

 

「いやただ、いつも通りだなぁ、と感心していたところです。そういえば、さっきの霊夢さんの話ですけど、犯人が妖怪かどうかは別にして――狙撃を含め、全て結社側の自作自演だった。杉下さんはそう考えているんですよね?」

 

「はい」

 

「つまり連中は自分たちのリーダーを自分たちの手で殺害した」

 

「現状、それが一番しっくりきます」

 

 断言する右京に尊は口元に手をやった。

 

「里人の夜明けの内情は知りませんけど、組織内で反発とかなかったんですかね? 自分たちのトップを殺害するんですし」

 

「それはわかりませんが、手際のよさから見ればほぼ確実でしょう。もちろん、彼女の言う通り、妖怪の仕業である可能性も否定できませんが」

 

「里を取り戻して彼らに事情を吐かせる以外ない、か」

 

「そういうことですねえ」

 

 現時点では推測の域を出ず、真実とは言い難い。

 尊が手をやったまま唸る。

 

「にしても、誰が結社に情報を流したのかーープロパガンダのやり方、スマホに証拠写真と動画……。彼らだけじゃ集められませんよね」

 

「協力者がいるのかもしれません」

 

「それは一体、どこの誰なのか……」

 

「いずれにせよ、里を奪還してからです。先に戻りますね」

 

 右京はずいっと紅茶を飲み干してから湯呑を片づけるべく踵を翻した。

 尊も後に続こうとお茶を口に含むが、熱すぎて断念する。ふーふーと息を吹きかけ冷ましながら、もう少し休息を取ることにした。

 台所に湯呑を置いた右京は月とウサギが描かれた襖が立ち並ぶ廊下を歩く。

 和と中華が調和した外観といい、可愛げのある内装といい、永遠亭は独特な世界観を持っている。本来は色々見て回りたいのだが、そこをグッと堪えて、右京は目的の場所へと急ぐ。

 玄関付近に差しかかったあたりで来客を担当する輝夜の声が耳に入ってくる。

 

「アンタ、今日は何の用? まさか私と戦いたいとか――」

 

「私がそんな戦闘馬鹿に見えるのか!?」

 

「見えるから言ってるんじゃない。今、忙しいんだから」

 

「知ってる。だから来てやったのさ」

 

 輝夜の話し相手は声のトーンからして彼女と同年代くらいの少女と思われ、顔が伺えなくても親しい間柄のように感じられた。

 気になった右京は玄関に顔を出す。

 輝夜と会話していたのは白髪の少女だった。

 地面スレスレまで伸びた長い髪に紅白のリボン。キリッとした目元と不釣り合いな童顔。袖がギザギザになったノースリーブの女性物のシャツに赤いサスペンダーでとめられた同色かつ多数のお札が貼りつけられたズボン。

 右京は確信する。

 

「おやおや、藤原妹紅(ふじわらのもこう)さんではありませんか。この前は神戸君がお世話になりました」

 

 少女の正体は藤原妹紅。竹林に住む不老不死の人間である。

 普段は竹林のパトロールや永遠亭までの護衛などをこなして生計を立てており、ぶっきらぼうなところは多々あるが根は優しく、子供好きで面倒見のよい一面を持つ。

 また困っている人間を見かけると放っておけず救助活動を行っている。尊を里まで連れてきたのも彼女である。

 声をかけられた妹紅は一瞬、戸惑うもすぐに右京の顔を思い出した。

 

「ん? おぉ。里にいた表の人間か!? 数日前に狸の旦那から稗田の御子を庇って撃たれたと聞いたが。……元気そうだな」

 

「えぇ、お陰様で。本調子とはまでは行きませんが、無事歩けるようになりました」

 

「ん、よかったな。っと、雑談のひとつやふたつはしたいところだが、私はこれから有志とやらに加わって里を救わないといかん。悪いことは言わない、騒ぎが収まるまではじっとしてな」

 

「はぁ? 何言ってるのよ」

 

 コイツ何も知らないんだな、と呆れる輝夜。

 妹紅は輝夜のほうを向いて当然のように言った。

 

「これから結社とかいう不届き者どもをしばくんだろ? その算段を整えるために皆、ここに集まっているはずだ。これ以上、首を突っ込むと今度は本当に命を落とすかもしれない。そう言いたいだけだ――」

 

 と、妹紅は腕を組んで頷く。

 そんなカッコをつけている友人に輝夜はクスクスと悪い顔をしながら、

 

「参加してもいいけど、参謀に許可を貰わないとねぇ~」

 

「参謀だと? そういえば慧音がそんなこと言ってた気がするが……。よく聞いてなかったんだよなぁ」

 

 妹紅はキョトンとしたように訊ね、輝夜は裾で口元を覆いながら右京へ目配せする。

 彼女の意図を察した右京は、ニコニコと頷いてふたりのやり取りを静かに見守ることにした。

 

「いるわよ、その筋の()()()()()()()()()が。今回はその人物の指揮の下、交渉及び救出作戦を実行するのよ」

 

「ほー、それは面白そうだ。で、どんなヤツなんだ、そのプロフェッショナル? ってのは? 期待させておいてスキマ妖怪でしたなんて言ったら承知しないぞ?」

 

「安心して。妖怪じゃないわ」

 

「じゃあ人間か。もしかして最近やってきた胡散臭い為政者か? だったら私は降りるぞ?」

 

「人間だけど、胡散臭くは……ないわ。どこまでも真面目な方よ? まぁ……幻想郷には中々いないタイプだとは思うけど」

 

「ほう――そいつは気になるなぁ。面くらい拝んでやるか。とっとと会わせな」

 

「何言っているのよ? もう会ってるじゃない」

 

 妹紅は眉を顰めながら首を傾げた。

 

「あぁ? なんだよ。どこにいるんだよ? まさか、透明人間とかってオチなのか?」

 

「ぷっ――」

 

 辺りをキョロキョロ見回しながら人の気配を探す妹紅に輝夜は瞼を閉じながら笑いを堪えていた。

 それでも妹紅は気づかない。

 

「んだよ、急に笑い出して。あ、あれか、ワライダケでも食べたのか? 私も昨日まで毒キノコの腹痛で死にかけてたからなぁ。その、お大事にな」

 

「ぶっ、アンタと一緒にしないでよ! あははっ」

 

 ついに我慢の限界を越え、膝を叩きながら笑い出す。傍から見ていた右京も釣られるようの笑みを零す。

 未だに状況が呑み込めない妹紅は「なんだってんだよ……」と肩を竦めてお手上げ状態となる。

 そのタイミングで廊下の奥から尊が「杉下さん、そろそろ会議を再開しましょう。まだ決めることが多いんですから。あなたがいないと始まらない」と告げた。

 直後、妹紅は疑問符を浮かべた。

 

「会議? いないと始まらない?」

 

「ええ一応、僕が参謀ですから」

 

「はぁ……?」

 

 ここまで言われても妹紅は理解できず、ポカンとする。輝夜は「どんだけ鈍いのよ!」と腹を抱えて蹲った。

 参謀は笑顔で自己紹介した。

 

「申し遅れました。僕は今回の一件の()()を任されている杉下右京と申します。ここではなんです。詳しいお話は亭内で」

 

「なん、だと」

 

 妹紅は開いた口が塞がらなかったが、彼女は右京に招かれるまま素直に靴を脱いで会議場へと入って行った。



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第106話 集う者たち その2

 彼に促されるまま会場入りした妹紅は、すぐさま尊から挨拶され、同時に小鈴が書いた住民用の議事録を手渡される。右京は皆への説明のために一旦彼女を置いて離れた。

 そのまま、壁際まで歩いた妹紅は胡坐をかいて正面を見る。そこには参加者へ指示を出す右京の姿があり、彼が参謀であるのだと実感するも、どこか不満げな表情を見せた。

 

「来たばかりの人間にこんな大役を任せるとはねぇ」

 

 妹紅は里から離れたところで生活しているので、あまり里の情報が入ってこない。そのために右京の実績や能力を知らず、難色を示しているのだ。

 会議場に戻ったマミが参謀のところに駆け寄る。

 

「偵察を担当している子分どもから話を聞いたが、外から見る限り、特に目立った動きはないとのことじゃ」

 

「こちらは十六夜さんと打ち合わせが終わったところです。予定通り、彼女に内部偵察を行って貰います。戻ってきたばかりのところ申し訳ないのですが、十六夜さんに変装を施して下さい。里人の姿をしていれば万が一、里の中で発見されてもある程度、誤魔化せると思うので」

 

「わかった。すぐに取りかかろうぞ」

 

 二つ返事で了承したマミは咲夜を伴って庭先へと足早に向かった。彼女と交友関係のある妹紅は面を食らう。

 

「狸の旦那が表の人間の指示に従う、だとっ」

 

 マミは人間に友好的な態度こそ取るが本質は化かす妖怪であるが故、他者の頼みごとに対して無償で引き受けるなど滅多にしない。

 大体は条件をつけたり、自分が有利になるように言葉巧みに誘導するのだが、今のマミにはそれがなかった。

 呆気に取られる妹紅の隣にそっと輝夜が近づき、いつになく真面目なトーンで語る。

 

「あの狸の頭領さんはね、責任を感じているのよ。自分たちが結社の策にハマって連中を勢いづかせてしまったことにね」

 

「勢いづかせた?」

 

「そう、結社の言い分を後押する結果になって、それが里の奪取に繋がった。ここで率先して問題解決に協力しないと、きっと幻想郷にいられなくなる。それくらいの失態なのよ」

 

「ッ――。マジかよ」

 

 自分が腹痛で寝ている間に里はとんでもないことになっていたのだと実感した妹紅は、奥歯をギリッと噛み締める。能天気にしている場合じゃなかったのだ。

 事態の深刻さを理解した妹紅に輝夜は背を向けながら、

 

「アンタ、仲いいんでしょ? ちゃんと手助けてしてあげるのよ。もちろん参謀の指示に従ってね」

 

 と、告げて自分の持ち場へ戻った。

 普段なら喧嘩腰で言い返す妹紅だが、今回は両目を閉じながら、

 

「わかったよ」

 

 静かに頷くしかなかった。

 少しして、咲夜たちを送り出した右京が議事録と睨めっこする妹紅の下にやってくる。

 

「お待たせして申し訳ない」

 

「いいよ。忙しいんだろ?」

 

 彼女は手に持った議事録を床に伏せた。

 

「なんとなくだが事件の内容は把握できた。コレ、よくできているな。アンタが書いたのか?」

 

「いえ、内容は神戸君がまとめ、小鈴さんに書き起こしてもらったのですよ。ふたりとも、とても優秀なので助かります」

 

「あのにーちゃん、そんなに優秀だったのか。……意外だな」

 

 竹林で遭遇したときは取り乱してばかりで男らしさの欠片もなかったのに。

 妹紅は視線の先で議事録を作る尊にジト目を向ける。彼女の声が耳に届いた彼は「意外で悪かったな」と見えないように腹を立てた。

 右京は皮肉屋の元相棒の心情を理解してか、かすかに微笑んだ。

 

「ところでさ、私にも手伝えること……あるか? 知っているかもしれんが、私は喧嘩くらいしかできない。政治的な駆け引きなんてそんな細かいことは考えるのも無理だ。それでも幻想郷の一員として何かしたいんだ」

 

「里は危険な状態にあります。双方の話し合いで解決できるのならそれに越したことはありません。しかし、それが叶わない場合は里へ突入して結社を制圧――住民を救出します。その際、藤原さんのお力をお借りしたい」

 

「突入担当か。悪くないんだが、私は加減が苦手でな。妖術を使えば、里人まで巻き込んでしまうかもしれない。それはマズイだろ?」

 

 作戦の成否によって友人の立場が危ぶまれるとあってはさすがの妹紅も気を使わざるを得ないようだ。

 彼女の不安を聞いた右京はこう返した。

 

「大丈夫です。突入と救出だけが仕事ではありませんので」

 

 笑顔で語る右京に妹紅は一抹の不安を覚えるも「まぁ、それならいいが……」と呟くにとどめた。

 そのタイミングで慧音が戻ってくる。彼女は知人である妹紅に有志参加への感謝を述べてから右京のほうを向いた。

 

「ただいま、戻りました」

 

「お疲れさまです。皆さんの反応は如何でしたか?」

 

「理解を示してくれる者もいれば、失態を犯した我々が行動を起こすこと自体、気に入らないと発言する者もいました。正直……返す言葉もありませんが、めげずに色々と声をかけてきました。結果的に〝古道具屋の店主〟や〝魔法の森の魔女〟が協力を申し出てくれました」

 

「おや、霖之助君が」

 

「彼は以前、雑貨屋の亭主でお世話になっていたので、その関係でしょう。『必要な物があれば可能な範囲でお貸しする』と言ってました」

 

「それは心強い」

 

 提供ではなく貸すという単語をチョイスする辺りが実に霖之助らしい。右京は微笑んでから次の質問に移る。

 

「ではお言葉に甘えて色々と頼らせて頂きましょうか。もうひとりの方は魔法の森の魔女とおっしゃいましたね? もしかして……。人形師のあの方ですか?」

 

「そうです。準備をしてから出向くと言っていたので、そろそろこちらに合流すると思うのですが」

 

「もういるわよ」

 

 慧音が答える最中、彼女の後方から少女の声がした。

 声のする方向へ顔を向けると、プラチナブロンドの髪を揺らしながら歩く少女の姿が目に入った。

 つり上がっているとまではいかないが凛とした目元に碧眼の双眸を持ち、青いドレスのような服装に肩から二の腕付近まで覆う白いローブをまとった可憐な女子である。

 左手に質のよい皮で厳重に施錠された魔道書と思われる書物を携えつつ、彼女は右京の下までやってきて挨拶する。

 

「初めまして、アリス・マーガトロイドと申します。お噂は聞き及んでおります」

 

 彼女は魔法の森に住む人形使いアリス・マーガトロイドご本人である。魔法の鍛錬により人間から魔法使い(妖怪)となり、完全なる自立人形の製作を目標として日夜研究を重ねている。

 アリスの振る舞いは名家の令嬢そのものであり、右京を感心させるには十分だった。

 

「どうも杉下右京です。お越しいただき感謝申し上げます」

 

「人里にはお世話になっていますから。今回の件で参謀を担われているのですよね。状況は如何です?」

 

 妹紅と異なり、予め慧音の話を聞いていたアリスは目の前の外来人を参謀として捉えて接する。聡明な人物である、右京はそう評した。

 

「順調です。現在、稗田さんが妖怪の山で天狗の代表と会談を行い、十六夜さんが内部偵察を行うべくここを発ちました。それらの結果を踏まえ、具体的な作戦を練っていきます」

 

「なるほど。わかりました。私は魔法使いですが、基本は人形師――人形操作が専門です。突入援護や人質救出などでしたらお役に立てるかと」

 

「それは助かります」

 

 アリスはどこからともなくメイド服に身を包んだ人形を出現させ、自らの右手の中に着地させる。少女の形をした人形は右京に向かってお辞儀する。その動作はまるで人間のようで、何かで動かしているようには見えない。

 幻想郷縁起に書かれている通りの操作技術だった。

 右京は思わずにんまりする。

 

「噂通りの技術ですねえ。時間ができたら是非、お話を伺わせて頂きたいものです」

 

「かまいませんよ。私も泥棒を大人しくさせるコツをご教授頂きたいので」

 

 アリスは快く応じたものの、泥棒に困らされているのか、警察官のノウハウを聞きたいと言ってきた。

 右京は彼女の交友関係もそこそこ把握しており、アリスが言う泥棒が誰なのかすぐ理解した。

 

「おやおや、ご苦労なされているのですねえ」

 

「単にわずらわしいだけです。まぁここのところ、めっきり大人しいので助かりますけどね――これもお巡りさんのおかげでしょう」

 

「僕はただ彼女を頼っているだけですよ」

 

 実際はくぎを刺し、有能さと異常さを見せつけている影響で泥棒に及ばないのだが、右京にとってはごくごく普通のことなので自慢するに値しない。

 

「警察官の近くでは盗みを働きにくくなるからねぇ~。うちにやってきたときも盗みを働かなかったし。意外と効果あるんじゃないの?」

 

 傍から会話を聞いていたレミリアが混ざり、三人での会話に発展する。

 妖怪に物怖じせず、話を弾ませる右京を目撃した妹紅は知人の慧音を手招きして呼び寄せ、その耳元に手を当てる。

 

「なぁ、あの人間、一体何者だ? 表からきて間もないヤツが、気難しい妖怪どもとこうも打ち解けているなんてあり得ないんだが」

 

「あの方は特別なのですよ……」

 

 慧音はそのように答えるしかなかった。

 雑談を経て、アリスが有志への参加を正式に表明し、里人解放部隊の戦力がまたひとり増えた。



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第107話 潜入

 十一時半。

 マミと里人の変装を施した咲夜が人里から離れた林の中から結社の様子を窺っていた。

 

「東と西の入り口だけではなく、里の周辺にも見張り役を配置しているのぅ」

 

「警戒しているのですね。上手くやれるかしら……」

 

「バレたら里人が危険に晒される。失敗は許されんぞ?」

 

「わかってます」

 

 失敗すれば有志だけでなく紅魔館の評判も地に落ちる。メイド長として責任を背負う咲夜の表情は真剣そのもの。

 敵が自分たちに気がついていないと確認した彼女は、マミのほうに顔を向けた。

 

「行って参ります――」

 

 瞬時に目の前から姿を消す。

 音もなく消え去った咲夜をマミは「やはり凄い能力じゃ。儂ならきっと悪用して回る」と褒め、自身も同様に姿を眩ました。

 昼近くとあって反乱分子の動きが活発化し、人里内は殺伐としていた。

 大通りのど真ん中で『妖怪消えろ』と叫んで踊る大男たちとデモ参加者の若者たちに稗田邸や鈴奈庵、火口家、寺子屋、雑貨屋といった場所を監視する武装した結社メンバーと、風下家を見張る土田家一派。

 そのせいでデモに参加しなかった善良な里人は出歩くことすらままならない。

 里人に扮して潜入した咲夜は能力を駆使しながら誰にも気づかれることなく情報収集を行う。

 

「まずは稗田家と鈴奈庵の様子からね」

 

 里の様子に心を痛めながら大通りを歩き、鈴奈庵の正面に着いた彼女は入口の見張りを観察する。

 

「武装は火縄銃と日本刀くらいかしら?」

 

 時間の止まった世界において、彼女の存在を感知できる人間はいない。

 人形のように動かない人間に咲夜は可能な限り接触を控えつつ、手短に調べ上げる。

 本当なら入念に調べたいが時間停止にも限界がある。体感にして三十分以上の持続は困難だ。

 途中で休憩を挟むにしてもここは敵地のど真ん中。気軽に休む訳にもいかない。

 十分以上、活動する際は、必ず隠れられるポイントを発見してから臨むように参謀から指示されている。

 潜入とは気の抜けない作業なのだ。

 見張りの情報をメモに書き写した彼女は鈴奈庵の内部へ潜入しようと試みるが、戸締りが施された上、窓も中が見えないように貼り紙やカーテンで閉ざされている。

 裏口も見張りが塞いでいるため、退かさないと中に入れない。

 敵がこちら側の能力をどこまで把握しているか不明であるが故に極力、能力を使った形跡を残したくないのだが、やむを得ず見張りを退かして内部へ潜入する。

 貸し本屋と自宅が一体化した室内はいたるところが荒らされており、数人の結社メンバーが書籍を漁っていた。少しでも情報を手に入れようとしているのだろう。

 咲夜は敵の厄介に呆れながらも室内を探索する。小鈴の家族が一階の居間に軟禁されていることを突き止めたが、必要な情報だけを集め続けた。

 見張りを元の位置に戻してから咲夜は足早に鈴奈庵を出る。

 親しい者の家族を背にして、見捨てるような罪悪感を覚えるも、諦めた表情で次のポイントに向かう。

 

 

 大通りの端にある豆腐屋。そのすぐ近くにひとり用の貸家がある。佐藤淳也は緊張感が漂う人里の空気に委縮して家に閉じこもっていた。

 勤め先の店主から貰った売りものにならない木綿豆腐に刻んだネギを乗せ、醤油をかけた冷奴を食しながら淳也はぼやく。

 

「昨日に引き続いて今日も仕事できないなぁ」

 

 いつもなら豆腐を作って常連さんのところに持って行く時間帯である。彼は冷たい水に両手を震わせながらも一所懸命作った豆腐を食べて貰えることへ喜びを感じていた。

 一時は小田原信介によって危うい状況に陥るも、右京がものの数時間で真犯人を発見したことで淳也は閉鎖社会内で自身の信用を落とさずに済んだ。

 今の生活があるのも右京の推理力によるものである。

 

「まさかデモが起きるなんて。里の外に出なければ安全だと思ったんだけど……」

 

 ここには警察官もいなければ、個人を守ってくれる組織も存在しない。日本よりもはるかに危険な世界である。

 誰も止めないデモ隊の奇声をBGMにして引き籠るしかない淳也は残した冷奴を片づけてから布団の上で横になった。

 

 外に出られないのは同じ外来人の裕美も同様だった。

 寺子屋近くにある自宅正面を武装した男たちが行きかうため、周辺は常に張りつめた空気が漂っている。

 裕美は外を歩く結社メンバーが『稗田や白沢を里から追い出した』と誇らしげに語っているのを聞いてしまい、恐怖で家から一歩も動けずにいた。

 

「慧音先生、大丈夫かな――」

 

 そう呟いたのも、つかの間。

 

 ――勝った 勝った 俺たち勝った 稗田に勝った!

 

 ――妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ! 妖怪・消えろ!

 

 呪文のようにデモ参加者の奇声が室内まで響く。裕美は耳を塞ぎながら彼らが立ち去るのを待つが、場所が場所とあって一向に静まる気配がない。

 

「早く終わって元通りになって欲しい……」

 

 まだデモが始まって三日目。

 気が滅入った彼女は両手で耳を塞ぎながら布団の中に籠る。

 

 

 彼らが悩んでいる間にも咲夜は黙々と偵察を続けた。

 能力使用から二十五分経つか経たないかのところで彼女は身体に不快感を覚えたので、誰も使っていないと空き家の中へ身を隠した。

 気怠くなった身体で壁にもたれかかった咲夜は持っていたハンカチで額の汗を拭う。

 

「もう少し休憩を挟むべきだったわ」

 

 己の力を過信していた節もあったが、それ以上に苦しんでいる里人を助けたいとする心意気が休憩を阻んでしまったのだ。

 しかしながら、その甲斐あって現時点で寺子屋、稗田邸、雑貨屋、風下家、外来人の状況や監視が置かれている地点など突入に必要な情報の七割近くを収集するに至った。

 撤退可能ラインであるが、能力の過剰使用を躊躇う彼女はしばらく身を潜める選択を取る。

 

「寺子屋や雑貨屋の見張りは少ないけど稗田、火口、風下邸は見張りの数が多い。各地点に十人以上はいるわね。稗田邸はもっとかも……。後、結社は里の劇場に本陣を構えている。そっちも潜入したいわね……」

 

 敵地で得られた情報を小声で口に出しながら次に行うべき行動を考え、実行に移そうとするが、立ちくらみのような感覚に襲われて額を押さえてしまう。

 

「はぁ……。今は休憩しましょうか――」

 

 そのとき。運悪く、外から人の足音が近づいてきた。

 

 ――この辺に使われてない空き家があったよな。

 

 声の主は窓の隙間から室内を覗いては戸に手をかける行為を繰り返す。

 慌てた咲夜が姿を隠せる場所を探すもひと一人が完全に隠れられる物陰はない。

 あるのは縄や鍬、籠といった用具と大き目の木箱だけ。天井に登ろうにも音を立てれば怪しまれる。かといって能力も使いたくない。

 彼女は焦りに焦った。

 そして、男がついに咲夜の隠れる空き家の取っ手に手をかけ――。

 

「お、空いてるな」

 

 ズカズカと中へ入ってきた。

 男の正体は小田原信介であった。

 

「なんだ、何にもないな。ここはハズレか」

 

 なんと彼はこの混乱に乗じて火事場泥棒を働いていたのだ。右京がこの場を目撃すれば「恥知らずにもほどがある」と一喝するだろうが、ここには信介しかいない。

 

「贅沢言わないから使えそうな道具とかできれば、保存食辺りが欲しいんだけどなー。もし何かあれば妖怪のせいにすればいいしな」

 

 結社には妖怪が潜んでいないか確認していたと言い逃れすれば問題ない。それで逃れられそうにないのなら、いっそ妖怪のせいにすればいい。

 そんなふてぶてしい態度の下、信介は盗みに手を染めていた。

 この緊張状態の中、妖怪の仕業だと騒ぎ立てることの意味を理解しているのか、いないのか――いずれにせよ、小田原信介は右京が指摘したような人物だったのである。

 棚や麻袋の中を物色して回り、鍬や縄を手にとっては「つかえねー」と愚痴を零す信介の視線の先に埃をかぶった木箱が映る。

 

「せっかくだし開けるか」

 

 信介は木箱を開けようとするが何かがつっかえて蓋が開かない。

 

「ちっ、古い木箱の蓋は固ってえなぁー」

 

 舌打ちするも開く気配はない。

 諦めて立ち去ろうとするが、偶然にも蓋の縁に自分のつけた覚えのない指の跡がついているのを発見する。

 

「んんっ、なんか怪しいなー。この跡……最近つけられたヤツか? ってことは何か入っているかもしれん!! ふははは! この程度、クリスQを超える大文豪(自称)である信介さまにかかれば造作もない! 洞察力が違うんだよ、洞察力がぁ!」

 

 ひとり盛り上がる信介は中身を確かめるべく、腰を入れて蓋を外しにかかる。

 ギシギシと軋む木箱。箱は想像以上に重く、細見な彼の身体を疲労させるが、興奮している信介には関係なかった。

 

「この重さ、もしかしたら金属か? もしくは人間? えーい、もうどっちでもいい――中身を確かめてやる!」

 

 ただがむしゃらに蓋を開けようと足掻く信介。次第に箱の蓋が開いていき、彼のテンションが最高潮に達する。

 

「さあ、御開帳といこうじゃあないか!」

 

 独特のイントネーションから繰り出される不気味な笑みは女性からの拒絶される変顔そのもの。貧乏だった暮らしがより貧乏になったせいで気が触れてしまったのだ。

 今の彼を止められるものはあまりない。

 信介の努力により、ついに箱が開く――が。

 

 ――ドタンッ。

 

「え?」

 

 箱は()()()だった。

 おまけに信介は天井を見ていた。

 

「あれ……!?」

 

 木箱を開けていたはずなのに何が起きたのかわからず、

 

「中にいたのは俺だった……?」

 

 と意味不明な言葉を残した。

 すぐに物音を聞いた結社の見張りが空き家に駆けつける。

 

「そこにいるのは誰だ!! 名乗らなければ撃つぞ!!」

 

「待て待て、俺だ! 火口家攻略の功労者、小田原信介だ。だから撃たないでくれっ!!」

 

 木箱からビックリ箱の中身のような速度で飛び出した信介が両手を突き出して懇願する。

 彼の顔を知っていた見張りは呆れ気味に銃を降ろす。

 

「あぁ、なんだアンタか……。何してたんです?」

 

「し、失礼なヤツだな! 俺は敵がいないか探していたんだよ!」

 

 息を吐くように嘘を吐くが、聞き流される。

 

「あーそうですか。で、いたんですか?」

 

「いた……かもしれん。ここに俺以外の指の跡が――」

 

「はいはい。わかりました。後で調べておきます」

 

 やる気のない返事をされたことで信介が憤慨する。

 

「後でとはなんだ、後でとはっ!」

 

 見張りは顔をしかめて言った。

 

「劇場で討論会があるんですよ。聞いてないんですか?」

 

「あ、そういえばそうだったな……」

 

「俺はそっちの警備に参加するんで、他の奴に頼んで下さい。それじゃ」

 

「お、おい俺も行く――」

 

 足早に立ち去ろうとする見張りの背中を追うように信介も空き家を飛び出して行った。

 ふたりが去る姿を空き家の裏から人影が覗いていた。

 

「何とか、バレずに済んだ……」

 

 咲夜である。彼女は木箱の中に隠れて信介をやり過ごそうとしたが叶わず、疲れた身体で能力を発動し、信介を木箱に押し込んで痕跡を残さないように脱出したのだった。

 そのせいか顔色が一層、悪くなった。

 気怠さに加えて頭痛にも苛まれてその場に蹲る。

 

「これは身体を休めないとマズイかも」

 

 普段、窮地に陥ろうとも顔に出さない完璧なメイドも自らの限界を知った。

 けれど、これも作戦成功のために、もっといえば敬愛する主君のためだ。彼女は任務を途中で放棄することはなく、

 

「体調が回復したら劇場の討論会とやらを覗いてきましょうか」

 

 冷や汗を掻きながら不敵に笑うのであった。



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第108話 討論会 その1

 午後十三時。劇場の入り口に十五人ほどの集まりができていた。

 彼らの表情はとても強張っており、結社への不満や恐怖が渦巻いているように見て取れる。

 男たちが息巻いているところに結社のメンバーがやってきて、討論参加者は劇場内部に案内される。

 咲夜はその様子を遠くから観察し、限られた能力を行うタイミングを見計らう。

 討論会場に指定されたのはプリズムリバーがライブした場所だ。

 メンバーたちは参加者に対して持ち物検査を行い、さらに博麗神社のお札を肌へ擦りつけ、身体を入念に調べ上げる。

 十分近くに及ぶ検査を終えた参加者たちは会場に通され、用意された椅子に座る。

 会場の入り口、場内には多くの見張りの姿が確認でき、物々しい雰囲気となっている。

 ほどなくして檀上に田端が姿を現した。

 

「今日はお集まり頂きありがとうございます。私が《里の夜明け》代表、田端です」

 

 田端は周囲をぐるっと見渡し、参加者の顔や表情を軽くチェックした。

 

「皆さま、ずいぶん顔色が悪いようですが、あまり眠れてませんか?」

 

 開始早々、配慮のない発言に聴衆から不満が巻き起こる。

 

「当たり前だ!!」

 

「お前らのせいで満足に飯も食えないんだぞ!!」

 

「外歩けねぇだろ!」

 

「商売あがったりなんだよ!」

 

「うるさくて気が休まらん、もう馬鹿な真似はよせ!」

 

 討論に参加した者の大半は討論の意味を理解しておらず、心の底から湧き出る怒りを間欠泉のようにぶちまける。

 数分後、田端は彼らを嘲笑するように肩を竦めた。

 

「皆さま、何か勘違いしていませんか? ここは議論しあう場所であって子供のように騒ぎ立てる場所ではありません」

 

「なんだとー!」「どういうことだよー!」「馬鹿にしているのか!?」

 

「叫ばないで下さい。苦労をおかけしているのは十分、承知してます。ですが、人里を妖怪の支配から解放するための行動ですので、そこのところはご理解してもらえると――」

 

「何が妖怪の支配だよ、バカバカしい!」「俺たちは今まで通りの生活でいいんだよ!」「攻撃的な妖怪ばかりじゃないだろうに」

 

 参加者の言葉に目元をピクリと動かしながらも田端は、丁寧な口調で言い返す。

 

「お忘れですか? 前リーダーの奥村は妖怪の攻撃で死亡したのですよ?」

 

「俺はその瞬間に立ち会ってないからわからんよ!」「そうだそうだ、若いのばかりが集まって騒いでいただけだろう!」「何でもかんでも妖怪のせいにするな!」

 

「チッ、こっちが黙っていれば――」

 

 見張りのひとりが腰にぶら下げた日本刀に手をかけようとする。

 それを田端が視線で制止して、すかさず正面で騒ぐ参加者へ向かって、

 

「……我々は里のためを想って行動を起こしました。それにより奥村は倒れた。彼が倒れたことでもっとも得をしたのは稗田阿求とその背後にいる妖怪勢力です。少し考えればわかるでしょう? だから我々は稗田家と戦って里から追い出したのです。これ以上、騒ぐならあなたがたも〝妖怪側〟と見なしますよ?」

 

 田端の顔は一切、笑っておらず周囲を見渡せば、薄ら笑うメンバーたちが拳を打ち鳴らす。この瞬間、里人は結社が自分たちを脅していると察して息を飲んだ。

 沈黙する参加者を確認した田端はワザとらしく、

 

「ようやく静かになってくれましたね」

 

 と笑顔を作ってから話を進める。

 

「我々の行動はどこまでも里のためを想うものです。多少の苦しみは我慢して欲しい」

 

「そんなこと言ったって……」

 

 参加者たちにとって受け入れがたい内容ではあるが、いつ何をされるかわからない恐怖からか、発せられる声も小さい。

 

「全ては稗田家の責任です。恨むべきは妖怪とつるんで里を売り払ったあの女です」

 

「稗田さんが妖怪と仲よくするだなんて――」

 

 ひとりの里人が発言した。田端はその人物へ鋭い視線を向ける。

 

「そう考えるのが妥当でしょう? じゃなきゃ、奥村は殺されたりしません。それにあの演説で稗田の肩を持った者は全て妖怪だったんですよ? 繋がってなきゃおかしいじゃないですか」

 

「だ、だからって――」

 

「これだけ証拠が揃っているのですから、疑うなという方がおかしいというもの。ひょっとして……あなたも妖怪側ですか?」

 

「お、俺は、人間だよ!?」

 

 発言した里人が慌てふためきながら両手を正面に出して振った。

 

「でしたら、こちらの意見が正しいと理解していただけますね?」

 

「え、それは……」

 

 言葉を詰まらる彼に向かって田端はこう言い放った。

 

「ほう、まだ妖怪の肩を持ちますか? では、あなたを拘束します」

 

 会場に動揺が走る。

 発言者は声を荒げながら言った。

 

「はぁ!? なんで!?」

 

「だって、妖怪の息がかかっているかもしれない人間なんて里の敵以外の何者でもないでしょ? 里人の里人による里人のための政治に妖怪の回し者は不要です。徹底的に調べ上げ、もし疑いが晴れたら正常な里人へ戻して差し上げます」

 

「正常な里人!?」

 

「そう『妖怪は人間の敵である』という基本的な考えを持った人間にね。それでもダメなようでしたら里から追放します」

 

 田端はメンバーに里人を拘束させるべく合図を送り、部下たちが里人を複数で取り囲み、両脇や背中に腕を通し、どこかへ連れて行こうとする。

 

「や、やめてくれっ!! 俺は妖怪の肩なんて持ってない!!」

 

「駄目です。疑いが生じてしまった以上、それを晴らさなくては里人とは言えません。『妖怪の肩を持つ者もまた妖怪』なのですから」

 

 とんでもない持論をさも当然のように展開する田端に堪忍袋の尾が切れた里人が怒鳴り出す。

 

「な、なんだよそれ!? 言いがかりじゃないか!!」

 

「田端さんに対してその態度はなんだ!! ――もしかしてお前、本当に妖怪なんじゃないのか!?」

 

 メンバーが問い詰め、拳を振り上げる。

 

「違う、俺は妖怪じゃない! 信じてくれよ! 謝るからっ」

 

 里人は腰砕けになりながら懇願する。その情けない姿に何を思ったのか、田端は部下を呼びつけてあるものを用意させ、彼の正面手前に投げ捨てた。

 それは白い刺繍が施された布で、里人であれば誰でも一度は見たことがあった。

 

「稗田家の家紋――」

 

 そのタイミング。

 

「これを踏んでください。思いっきりね」

 

「は、はぁ!?」

 

「『はぁ』じゃありませんよ。妖怪側じゃないと言うのならこのくらい簡単ですよね」

 

「いやいや、待って――」

 

「あぁ? 踏めないのか? だったらお前の顔を踏んでやろうか、この妖怪野郎がぁ!」

 

 メンバーが胸ぐらを掴んで脅す。

 

「ヒィィィ、許してくれぇ!」

 

「なら早く踏めよ! 『妖怪・消えろ!』って叫びながらなぁ!」

 

 格の高い稗田家の家紋を足で踏みつける。それが稗田家への侮辱行為であることは誰の目から見ても明らかだった。

 里人は心底躊躇ったが、連中はそれを踏まねば許さず、妖怪と断定して乱暴な行為を働く気でいる。

 里人は苦悶の表情を浮かべながら太ももを上げて、ゆっくり家紋の真上へ持って行く。後はそのまま力を抜けばいいだけ――。

 歯をガチガチと鳴らす里人だったが、長年、稗田家と共に歩んできた歴史に背けず。

 

「駄目だ、俺にはできない!!」

 

 咄嗟に足を引いたのだ。その行動がメンバーの逆鱗に触れた。

 

「てめえ、やっぱり妖怪側か!!」

 

「ヒェェェェェ、違うんだ、違うんだよ」

 

「田端さん、こいつぁ妖怪の疑いアリです。すぐにゲロさせましょう!」

 

「ふむ、そうだな……。外部に漏れないよう、劇場の地下倉庫でやれ」

 

「はい!」

 

 彼の態度からして怯えているだけの里人なのは田端にも判断できた。

 しかし結社は反乱分子に容赦せず、言うことを聞くようになるまで教育する算段でいる。

 もちろん外に漏らさずに。

 

「いやだー助けてくれぇぇぇ!!」

 

 泣き叫ぶ里人をメンバーたちが強引に引きずり、倉庫へ連れて行こうとしている。誰もが逆らえば自分も同じ目に遭う、と怯えて口を閉ざした。

 このままでは里人が危ない。

 天井に身を潜めていた咲夜はその一部始終を目撃していた。

 

「(どうしよう、このままだとあの里人が……)」

 

 理不尽な暴力を受けるのは明白だった。

 本来なら助けるべき状況だが、作戦優先であるが故、動くことはできない。ここで動けば結社との全面対決に発展する。

 反乱側の戦力は結社のみならず水瀬、土田の屈強な荒くれ者たちも含まれる。全戦力は六十を下らない。

 疲労した咲夜ひとりでは到底相手にしきれない。大勢の人々を無事に救い出すには少ない犠牲に目を瞑る必要がある。良心の呵責に苛まれる彼女だったが、そこにここまで沈黙を貫いていたひとりの漢が――。

 

「ふん、それが秘密結社のやり方か――まるで()()だな!」

 

 異議を唱えた。

 里人、結社、間者――全ての視線が男に集中する。

 全身黒一色の服装にひげを生やしたアラサー男。

 人里名物おじさんランキング堂々第一位。親父ギャグマスターにして陰謀論者、そして言論人としての側面を持つ抗うつ薬おじさんその人であった。彼もこの討論会に参加していたのだ。

 おじさんは横暴な田端を睨みつける。

 

「そんなくだらないことよりも先にやるべきことがあるだろう」

 

「くだらないこと……?」

 

 取り巻きが不機嫌そうに訊き返す。おじさんは怯むことなく言った。

 

「あぁ、くだらないさ。力なき里人を暴力で押さえつけるのだからな。その踏絵じみた行為も実に野蛮だ。……どこか間違っていたか?」

 

「こいつ、調子に――」

 

「よせ」

 

 田端が部下を制止する。

 

「よく見たら、抗うつ薬おじさんじゃありませんか。まさか有名人が参加していたとは。挨拶のひとつくらいしたほうがよろしかったですかね」

 

「いらん。私は討論をしにきたのだからな」

 

「……」

 

 いつになく真剣な瞳で相手を威圧するおじさんに田端は目を細め、警戒を強めた。彼もまた、この男が知識人であると知っているのだ。

 

「さあ、秘密結社諸君――聞かせてもらうか。これからの人里について、な」

 

 今、冴えない中年男が若いテロリストに食らいつく。



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第109話 討論会 その2

 意外すぎる人物が名乗りを上げたことで会場の空気が一変した。

 討論会と銘打ったのは田端自身であり、ここでおじさんの申し出を拒否するのは格好がつかない。

 テロリストのリーダーは応戦する姿勢を取った。

 

「いいでしょう。これからの人里について。我々がどうしていくのか、お答えしましょう」

 

 田端は語る。

 

「我々の目的は里の独立です。妖怪の支配から脱却し、里人の権利を守る。そのために必要なことをやっていくのです」

 

 すかさず、おじさんが切り込む。

 

「具体的には?」

 

「里の方々にこの行動の意味を理解してもらったのち、妖怪たちへ我々が本気であることを証明し、連中が干渉してこないようにします」

 

「どうやって?」

 

「里周辺を大人数で行進します」

 

「行進?」

 

「はい。里人の意思を示すための行進です。数十人単位のではなく何百――可能ならば千人前後まで投入したいところです」

 

「千人!? 里人の大半じゃないか!?」

 

「そうですね。ですが、そこまでの人数が集まれば、妖怪も無視できません。そこから妖怪の勢力と交渉して、独立を認めさせます」

 

 無謀だ。里にいながらも日常的に幻想郷や妖怪について調査するおじさんにとって、彼らの話は()()()でしかなかった。

 反論したい気持ちに駆られるが我慢する。

 

「……どの勢力と?」

 

「まずは古参勢力最大規模の妖怪の山と交渉します」

 

「天狗は気難しいことで有名だ。まともに取り合うと思うのか?」

 

「最近、外から妖怪の山へ引っ越してきた神さまは里人の集客に力を入れており、ロープウェイなる物を作ってまで信者を集めようとしています。ここを引き合いに出せば向こうも動くはずです」

 

「里人を参拝させるから自分たちの言い分を受け入れろ、と?」

 

「悪い話ではないでしょう? 交渉次第では信者を手に入れられるのですから」

 

 妖怪を遠ざけようとしている人間が妖怪の神さまとして鎮座する者へ信者を献上しようとしている。矛盾しているではないか。

 おじさんは頭を悩ませた。

 

「妖怪の山の実権はな、天狗の頭領が握っているんだぞ? そのバックには鬼がいる。片や頑固、片や気分屋。この二勢力を説得しない限り、神さまとて動けんと思うが」

 

「そこをうまくやってもらうんですよ」

 

「神様が応じなかった場合は?」

 

「その時は別の勢力に話を持ちかけます」

 

「別の勢力とは?」

 

「第二候補は紅魔館ですね。紅魔館は古参とは言いにくいですが、影響力も大きく、妖怪にも顔が利く。吸血鬼の主は好奇心旺盛だと言われています。耳を傾けてもらえる可能性は十分にある」

 

「紅魔館は人間に対する有効度が高いとは言えないぞ」

 

「少し前に表の人間が遊びに行ったじゃないですか。意外と友好的なんじゃないかと思いますがね」

 

「あの御仁は特別なのだ。雰囲気からして只者ではなかった。そこに興味を持っただけで我々里人にはそこまで甘くない」

 

「しかし、交渉する価値はある。仮に駄目なら他の勢力を探します」

 

「それでも駄目だったら?」

 

「話を聞いてくれる勢力が現れるまで粘るだけです」

 

「粘る? どうやって? 経済がストップしているんだぞ」

 

「動かせばいいではありませんか」

 

「この状況でか!? 皆、結社と荒くれ者たちに怯えているというのに!?」

 

「誤解はすぐに解けますよ。というか、活動を再開しないと里人も生きてはいけない訳ですから、数日後には元通りとなるはずです」

 

「今の状況を見てよくそんなことが言えるな!」

 

「食糧がなくなれば自然と外へ出てくる。人間ってそういうものでしょう? その前に誤解が解けるといいんですがね」

 

 悪びれもなく語る田端に、おじさんは激しい怒りを感じるもギリギリで持ちこたえる。

 

「話を、まとめようか……。君たちは大勢の里人を使ってデモを行い、妖怪を交渉の場に引きずり出して、里の独立を認めさせる。ということでいいか?」

 

「はい」

 

「ふむ……」

 

「納得して頂けましたか? でしたら、我々にご協力を――」

 

「ここからは私の意見を言わせてもらう。構わんな? これは討論なのだから」

 

「……」

 

 話を切り上げようとした田端を遮り、おじさんは自らの意見を口にする。

 

「私も広場で君たちの演説を拝聴していた。そのときから君らの主張には耳が痛くなったものだ」

 

「聴衆の声がうるさかったからですか?」

 

「違う。あまりに自己中心的だったからだ」

 

「自己中心的? あはは。あれのどこが自己中心的だったのでしょうか? 奥村は真実を言い当てた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というね。なのに、我々を否定するのですか?」

 

「そこだけだろ、君たちが証明できたのは」

 

「……と言うと?」

 

「他の部分は証明できておらず、憶測の域を出ていない。言ってしまえば、自分たちが証明できた部分だけで自分たちの行いを正当化している。力技もいいところだ。これは紛れもなくテロだよ」

 

「テロ……?」

 

「『暴力や恐怖で政治的主張を押し通そうとする行為』だ。今の君らにぴったりだろう?」

 

「へえ、そんな言葉があるなんて……勉強になります。ま、我々とは関係ありませんが」

 

 痛いところを突かれた田端は顔を引きつらかせながら誤魔化すも、おじさんの追撃は止まらない。

 

「演説後の狙撃をきっかけに君たちは暴動を起こした」

 

「あれは暴動ではありません。人々に爆弾を投げ込んだ稗田家と妖怪への抗議ですよ」

 

「彼女らが投げたという証拠はあるのか!?」

 

「あの状況で爆弾を投げる者が他にいるんですか? 客観的に考えて、それ以外あり得ないでしょ」

 

「それにしても被害が少なかったな。妖怪が本気になればもっと規模の大きい警告を行うと思うのだが……。あれでは火に油を注ぐだけ。稗田家とそれに近しい妖怪たちがそんな軽率な真似をするとは思えん」

 

「バレないと高を括って演説の最前列にしゃしゃり出てきた間抜けが二体ほどいましたが?」

 

 そう言って田端はおじさんの意見を笑い飛ばした。

 妖怪側が嘘を吐いて聴衆に紛れ込んでいた。それは隠しようのない事実。

 その点においてはおじさんも認めるほかない。

 

「……あれは奥村君の作戦勝ちだったな。相手を怒らせて隙を作り、弱みを突く。彼女らの仲間意識を上手く利用した作戦だった」

 

「奥村は優れたリーダーだった。それを殺したのは稗田家と妖怪です。私たちは戦うしかなかった」

 

「まだ奥村君を殺害した犯人は見つかっていないだろ。断定するのは早すぎる」

 

「早いも何もそれしかないでしょう?」

 

「ならば撃った犯人はどこの誰だ?」

 

「だから妖怪だと言っています」

 

「そういったことは犯人を捕まえてから言うべきだ。君たちは犯人を探しているのか?」

 

 田端は一瞬、考えるそぶりを見せてから、

 

「……誠意捜索中です。見つけたら処刑します」

 

「処刑? 妖怪をか?」

 

「もちろんです。相手が誰であれ罪は償ってしかるべき――里のど真ん中で火あぶりの刑に処します」

 

「おいおい、何を言っている!? 残虐すぎるではないか!」

 

「人を殺したのですから、妖怪であろうと命を以て償うべきです。独立とはそういうことなのですよ。妖怪から押しつけられた決まりではなく、里人が考えた決まり――つまりは法で裁く。実に民主的な行いだ」

 

 理想の押しつけを民主的な行いと称する田端におじさんは、頭を抱えずにはいられない。

 

「どれほど、妖怪へ喧嘩を売れば気が済むのだ……」

 

「里が妖怪から干渉を受けなくなるまでです」

 

「本気……なのか……?」

 

「本気です。じゃなきゃ、こんなことしませんよ」

 

 彼の目は真剣そのものだった。

 妖怪からの干渉、支配、その一切の束縛を認めない。要求が受け入れられるまでこの男は止まらないだろう。

 例えようのない寒気がおじさんの背筋を這う。

 

「田端君、悪いことは言わない。考え直せ」

 

「考え直す? あり得ませんね。このチャンスを逃したら里は民主化する機会を失う」

 

「誰もが平等で、誰もが自由に生きられる世界だったな。君の言う民主主義と言うのは」

 

「そうですとも。素晴らしい概念だ。権力者の独裁を防ぎ、民に意見する権利を与える。いやはや、表の国々は進んでいますね。こちらもそれに習い、民主化すればきっとよりよき明日が待っている」

 

「私はそうとは思わんぞ」

 

 おじさんは彼の考えをはっきりと否定した。

 田端が目を見開き、鼻の穴を膨らませながら睨む。

 

「はぁ……?」

 

 おじさんは怯まない。

 

「私は外来人――主に表の日本人だな。彼らと何度か話をする機会があったのだが、彼らが語ってくれた世界は君らが思い描くような綺麗な世界ではなかったぞ。小さいころから過酷な勉強を義務づけられる競争社会に貧富の格差、表向きは平等だが裏で存在する特権階級や自由の代償としてつきまとう自己責任論、生まれへの差別に理不尽――確かに個人の権利は人里よりも保障されている。だがな……ここのほうがいいと語る外来人もいるのだ。里に住む外来人は皆、表の社会に爪弾きされた存在。苦悩も多かったと聞く。本当に皆が平等で自由ならば、彼らのような存在は生まれないのではないか?」

 

 おじさんの意見に対して田端はばつが悪そうにコメントする。

 

「……どんな世界にもあぶれ者はいます。彼らの言い分だけで表の社会を決めつけるのはよくありません」

 

「少数の意見は聞き入れないと?」

 

「そうではありません。ただ、彼らの意見は信憑性に欠けると言っているのです」

 

「何故だ?」

 

「表の人間で、こんな妖怪に囲まれた集落に定住したがる連中にまともなヤツはいない。大体の外来人は表に帰りたがるのですからね。きっと頭がおかしいのです。そんな人間は例え、民主主義であっても救いようがないんですよ」

 

「つくづく決めつけがすぎるな、君は」

 

「事実を言ったまでですよ。あなたこそ、我々の足を引っ張って楽しいですか?」

 

「足を引っ張るだと!? 議論しているだけではないか!」

 

「民主主義を妨げる意見はいりません。私も忙しいのでこれ以上、無意味なお話に耳を傾けてはいられないのです」

 

「無意味な意見――本当に自分勝手な男だな。こちらも()()()()君らの話につき合ってやっているというのに」

 

 ため息交じりに漏らした一言が田端の癇に障った。

 

「仕方なく? 聞き捨てなりませんね? 里の自由を目指す我々の話を仕方なくと言いますか、そうですか――」

 

 田端は部下に目配せして、おじさんの周りに取り囲ませた上で自身も檀上を降り、その正面に立った。

 

「謝罪するなら今のうちですよ?」

 

「こんなやり方は民主主義な訳があるか! これは……ただの独裁だ!!」

 

「必要な痛みですよ。里を変革するためのね」

 

「つくづく愚かだな。お前たちは」

 

 ――バキッ!

 

 田端は何のためらいもなく、右拳でおじさんの左頬を殴った。

 口の中が裂け、唇から一筋の血が流れる。

 

「よく聞こえませんでしたので、もう一度言ってください」

 

「とことん……愚かだ――」

 

 ――バキッッ!

 

 今度は右ストレートで顔面に放り込んだ。その衝撃は結構なモノでおじさんは椅子から吹き飛ばされ、床へ叩きつけられる。

 

「うがぁぁ――」

 

 鼻から出血を起こし、痛みで蹲っているところを他のメンバーが「早く起きろよ」と笑いながら足で蹴って急かす。

 ヨロヨロと起き上がるのと同時に田端が彼の胸ぐらを掴んだ。

 

「最後のチャンスです。きちんと謝罪してください」

 

「その、前に……聞きたいことが、ある」

 

「ほうー、なんです?」

 

「仮に――仮にだぞ……。幻想賢者、八雲紫が出てきたら、お前たちはどうするつもりだ?」

 

「あぁ?」

 

 その名前に田端の顔が歪む。

 おじさんはニヤリと笑いながら、

 

「知らない訳ないよな? 寺子屋で嫌でも学ぶからな! 博麗大結界の発案者にして結界の管理者、八雲紫。絶対的な力を持つ妖怪の中の妖怪――縁起と新聞記事の情報だが、その能力はデタラメの一言に尽きる。彼女の逆鱗に触れれば交渉などと言っていられなくなるぞ?」

 

「……」

 

 胸ぐらを掴む力がより一層、強くなる。動揺している証拠だ。

 

「ははっ、さすがのテロリストもあの妖怪のことは怖いようだな。精々、その怒りに触れないよう、気をつけることだな。まぁ、幻想郷のルールを変えようとした時点で、すでに手遅れだろうがな」

 

「言いたいことはそれだけか?」

 

 口調を変えながら拳を振り上げる田端。それでもなお、この言論人は暴力に屈しない。

 おじさんは最後に忠告を出す。

 

「俺はいいが、他の者には手を出さないほうがいい。妖怪はどこで見ているかわからないからな。里人へ危害を加えたのがバレたら、痺れを切らした妖怪たちが里へ乗り込みかねないぞ? 里は妖怪にとっても大事な場所のはずだ。それと稗田どのは頭がいい。いつまでも手をこまねいたりしないだろう。どっちみち、お前たちは負けるよ――必ずな!!!!」

 

「ッ――。ご忠告、どうもッッ!」

 

 ――ドカッッッ!

 

 再々度、田端は右拳をおじさんの顔面にねじ込ませ、彼をメンバーたちへ押しつけた。

 

「やれ。ただし殺すな」

 

 その後、抗うつ薬おじさんは約一分間に渡り、複数人からリンチされ、気絶した。身体を縛られた彼は地下倉庫へ運ばれて行った。



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第110話 脱出

 同時刻。

 永遠亭では会議から戻った阿求らが右京たちに報告を行っていた。

 

「天狗の頭領との話し合った末、こちらの活動を理解していただき『少しの間だけ待つ』と約束してくださいました」

 

「それはよかった」と右京が喜ぶも、本人は疲れたように、

 

「いやぁ、初めは大層、ご立腹でどうなるかと思いましたが、途中から話に入って来た守矢神社の神さまたちのおかげで何とか折れてもらいましたよ……。あそこまで顔を真っ赤にした天狗は初めてです」

 

「ほんと被りものそっくりだったぜ……」

 

 護衛として同行した魔理沙があの真っ赤な風貌を思い出して呆れ笑う。

 

「ちょっと、そういうこと言うのはやめてくださいよ」

 

 上司を馬鹿にされている気がしてか、文は口を慎むように促す。

 本当は()()()()()()()()()()()だが、そんな無礼なことは口が裂けても言えない。

 ふたりのやり取りを眺めつつ、右京と阿求は会話を続ける。

 

「守矢神社の方々が協力してくださったのですか」

 

「はい。私たちの行動に理解を示してくれたようで。後でそちらに巫女を派遣するとも仰ってくださいました」

 

「ということは東風谷さんも有志に加わって頂ける訳ですか。頼もしいですねえ」

 

「やっぱり彼女も強いんですか?」

 

 尊が訊ねると阿求は「並の人間よりは遥かに強いですよ」と回答する。近くにいた霊夢も「まぁ、私よりは一歩劣りますけど」と概ね同意した。

 同席中のアリスが「スペルカードなら同じくらいじゃないの?」と思うも言えば絡まれるので発言を控えた。

 戦力的な意味合いでは大所帯となりつつある有志連合に妖怪の山の勢力が追加され、更なる強化が図られた。しかも皆、人間への理解度が高く、行動を乱そうとしない。

 これならば上手く行く。後は諜報員の帰りを待つだけ。

 右京はそう思った。

 

 

 おじさんが退場すると残された参加者たちは恐怖で震えあがり、一言も発さなくなった。

 それをよいことに田端は彼らの正面に立って、

 

「ここで起こったことを漏らさないと誓うのであれば解放しますが――如何でしょうか?」

 

 皆、一様に頷いて田端の要求を飲んだ。

 

「もし、ここであったことをバラしたら、ご自身だけではなくご家族もタダでは済みませんからね? 特に奥さんや娘のいる人々はよ~く心してください。彼女らが苦しむさまを見たくなければね」

 

 とんでもない発言をする田端に皆、血の気が引いて行く。

 

「ひぇぇぇ。絶対に言わないから、勘弁してくれよぉ……」

 

 所帯持ちの参加者が多かったのか皆、年下のテロリスト相手に一心に頭を下げた。

 その光景を結社の面々は気持ちよさそうに眺め「へへ、戦った甲斐があったぜ」と囁く。

 構成員の半数が出来損ないのレッテルを貼られ、バカにされてきた連中であった。

 彼らは自身を見下げる側の者たちを支配下に置くのが楽しくて仕方なかった。

 さらに田端と約束を交わした人々が会場を去る間際、足元に稗田の家紋が入った布を投げ捨て「踏まないと帰れないぞ」と勝手に脅して踏絵を強要させ、苦しむ人間たちを散々、嘲笑った。

 それでも彼らが漏らさない保障はないので田端が「アイツらが変な動きをしないように他の連中に見張らせろ」と指示を出し、監視と人質を兼ねた徹底的な統制を敷くつもりでいる。

 田端のすぐ後ろで参加者がいたぶられる光景を見ていた信介は「くくく、最高の眺めだぜ」とご満悦な様子だ。しかし、メンバーの中には信介をよく思わない者も多く「たまたま役に立ったくらいで仲間ズラしやがって」との愚痴もチラホラ聞こえてくる。

 信介は文句を言った相手へ食ってかかろうとするが、自分以外の連中は武装していて、生まれて一度も喧嘩で勝ったことがない自称大文豪では返り討ちに遭うだけ。

 自分が場違いであると察したのか、

 

「じ、じゃあ、俺、見回りに行ってくるわ」

 

 逃げようとする。そこに田端が声をかける。

 

「小田原」

 

「ん、うん? どうかしたのか……」

 

 真顔でこちらへ向かってくる田端に信介は身の危険を感じ、

 

「な、何かき、気にぃ、障ることでも!?」

 

「……」

 

 しばし、無言の時間が続く。その間、信介は生きた心地がしなかった。

 

「あ、あの――」

 

「いや、お前に追加報酬を渡そうと思ってな……。ちょうどいいのがあったから、会場で待っていてくれ」

 

「へ?」

 

 誰もが粛清されるかと思ったが、田端が切り出したのは報酬の話だった。

 

「ほ、報酬……」

 

「追加報酬を出す。そういう約束だったろ。嫌だったか?」

 

「い、いや――そんなことはないぞぉ! そういうことなら喜んでもらうぜ!」

 

 報酬を貰えるとなった瞬間、信介の表情がパッと晴れ、そのままのテンションで会場へ戻って行く。

 誰もが「アイツばかり、不公平だ」と不満を抱えたが、田端は意にかえさず、幹部と思われるメンバーを手招きした。

 

「火口家から運んだブツにアレがあったよな?」

 

「アレ?」

 

「ねずみ捕りのアレだ」

 

「まぁ、あったが……」

 

「材料のほうだぞ?」

 

「あぁ未使用のモノがいくつか――」

 

 直後、田端はどす黒い表情を浮かべ、

 

「それを持ってこい」

 

 冷たく言い放った。

 幹部は田端が何を考えているのか理解し、絶句するもプレッシャーを放つ田端の命令に逆らえず「わかった……」と答え、指定された品を用意すべく部下に指示を出した。

 十分後、信介のいるところにテーブルが準備され、そこへ腰を掛けるように促された。

 

「おうおう、そんなに報酬があるのか!」

 

 信介がはしゃいでいると田端が現れて、向かい合うようにテーブルに着き、紅茶を振る舞った。

 人里には珍しい白いティーカップに入った紅茶の液体。信介は「おぉ」と心を奪われる。

 田端が言った。

 

「この紅茶は火口家当主が飲んでいた高級品の紅茶だ」

 

「へー、あの当主は緑茶しか飲まないと語ってたが、紅茶も飲むのか!」

 

「そ、そうだ……。ヤツの側近から聞いたから間違いない。だから是非、小田原に飲んで欲しくな。できれば、ずいっとな」

 

 珍しく声をうわずらせる田端に信介は何の疑問を持つこともなく、

 

「そういうことなら頂くことにするよ。お前には感謝しているからな!」

 

 言われた通り、紅茶を流し込む。その味は中々のモノで貧乏舌の信介を大いに感動させた。

 

「いい香りだな! しかも美味い――火口のヤツ、こんな代物を口にしていたとは。いやぁ、勿体ないなー」

 

「……」

 

 田端はジッと信介を見つめて、こう訊ねた。

 

「そうか。その紅茶はそんなに美味しいのか……」

 

「あぁ、美味いぞ! お前は飲まないのか?」

 

「俺はいい――それよりも少し雑談でもしないか。報酬の準備に手間取っていてな」

 

「おぉ、いいぜ」

 

 田端と信介は会話を始める。

 大半は信介の自慢話や愚痴が中心で、

 

「自分は凄い文才がある」「恋愛小説ならクリスQにも勝てる」「俺を追い詰めた三人と杉下右京に冷遇した稗田阿求は絶対に許せない」「火口家の連中も俺を下に見ていた。だから仕返してやった」「この革命が終わったら俺が田端を主人公にした小説を書く」

 

 などなど。言いたいことをぶちまけた。

 その間、約十五分。田端を含めた結社メンバーはめんどくさそうな態度で信介を睨んでいるのだが、話に夢中な信介は気がついていない。

 

「でさ、タイトルは何がいい? 革命の音とか理想の体現者とか、人類の王とか――」

 

 無邪気に未来の小説を屈託のない笑顔で語り聞かせる信介。彼は間違いなく幸福感を得ていた。しかし、そんな時間は長くは続かないものだ。

 

「う、あぁ……。は、腹が――痛い。少し厠へ行って、う゛げぇ゛ぇ゛ぇ゛――」

 

 席を立とうした信介だったが、あまりの激痛に膝を突き、それでも耐え切れず両腕で腹部を抱えたまま、地べたに横たわり、激しい嘔吐を繰り返す。

 

「な゛――ん゛だ、よ゛ぉ゛ぉ゛。こ゛れ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛は゛ぁ゛――」

 

 異常なほどもがく信介に対し、田端は冷めたトーンで告げる。

 

「亜ヒ酸を入れたんだ。毒餌に換算して五個分くらいだったかな? いや、それ以上か」

 

 亜ヒ酸とは硫砒鉄鉱(りゅうひてっこう)などから作られる猛毒で、古来より暗殺に用いられた。幻想郷でも一部の鉱山にて硫砒鉄鉱が産出される。それをどこからか買い取り、火口家などの信頼の厚い組織が亜ヒ酸に分離させて毒餌の調合に使用していた。

 田端は火口家が毒餌を作っていると知っていて、武器を運ぶ際、部下に指示して持ってこさせたのだ。

 毒が回っているのか、信介の容態が悪化する。

 

「ふ゛は゛ぁ゛――あ゛ひ゛さ゛ん゛――な゛、ん゛て゛え゛え゛」

 

「お前はいつ裏切るかわからんからな。ここで死んでもらうことにした。ついでに部下たちの不満も晴れる。一石二鳥だな」

 

「う゛ぅ゛ぞ、た゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛」

 

「事実だよ。勝手に入団したかと思えば見回りと称して、空き家を狙って盗みを働き、女の身体を触る。部下から聞いたが、さすがの俺も呆れたぞ」

 

「う゛ぅ゛ぅ゛」

 

 唐突に入団した信介を信用しなかった田端は部下に彼を探らせていたのだ。

 報告によるとたった一日で窃盗以外にも難癖をつけて女性宅へ上がり込み、セクハラまがいの行為まで行ったそうだ。

 そこで田端は彼を妖怪の手先ではなく、ただの小者と判断。実験を兼ねて毒を盛ったのである。

 

「誰からも必要とされず、心配する家族も友もいない――こんなクズを生かしておく意味はないんだよ。実験台となって消えていくのがちょうどいいのさ」

 

「い゛――ぅ゛ぐ。や゛た゛ぁ゛ぁ゛し゛に゛だく゛な゛い゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛」

 

「――うるせーよ。とっとと死ね」

 

 と、周りで見ていたメンバーのひとりが苦しむ信介の身体を蹴って転がした。すると、転がったほうにいた別のメンバーが「汚ねぇよ!」と蹴り返す。それを面白がり、その場にいた数人の部下がまるでサッカーでもするように信介を蹴りあったのだ。

 残酷すぎる所業に中には引く者もいたが、田端は動じず。

 

「これじゃ正確な死亡時間は測れないかもな……」

 

 ボヤくだけ。

 さらに十分。打撲によるものか毒のよるものなのか不明だが、信介はピクリとも動かなくなり、絶命した。

 彼が転がった場所は吐しゃ物と赤い血でぐちゃくちゃに汚れ、異臭を放つ。

 田端は「人間を殺すのにこれだけ時間がかかるんじゃ、妖怪相手にはまず使えない」と語ったのち「綺麗に片づけろよ。それと死体は妖怪どもにバレないよう袋詰めして床下にでも埋めておけ」と言い残し、この場を離れる。

 全てを天井裏から覗いた咲夜はあまりの残虐行為に絶句し、これ以上の諜報を断念して帰還を選択する。

 疲労が抜けない身体を奮い立たせた彼女は力を振り絞って能力を発動させ、里を脱出。マミとの合流地点まで急いだ。



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第111話 情報分析

 咲夜は時の止まった世界、その上空を飛翔する。

 

「くっ……」

 

 短時間で能力を酷使した彼女の身体はすでに限界だった。呼吸が乱れ、激しい頭痛に身体の自由が奪われる。

 途中から飛翔すらままならず、物陰に着地してから徒歩で合流地点を目指す。

 ヨロヨロと言うことを聞かない身体を引きずり、生い茂る木々を掻き分けること三分。ついに目印となる大樹を視界に捉える。

 

「よ、ようやく……着いた――」

 

 気が緩んだ瞬間、咲夜は力尽きるように地面へ倒れ込み、同時に能力が解除された。

 時の止まった世界が動きだしたことでマミは咲夜の姿を認知する。

 

「ん? 十六夜どのか! どうしたんじゃ!?」

 

 倒れる自身を解放するマミ。咲夜は彼女の肩を掴んで訴える。

 

「ただの疲労です。それよりも私を永遠亭に」

 

「いや、しかし――」

 

「はやく!! アイツら……想像以上にヤバいの。だからお願い」

 

「わ、わかった」

 

 なんとなく状況を理解したマミは大きな鳥に変身して咲夜を連れ、永遠亭へと向かう。

 十分後、マミは咲夜と共に永遠亭へ帰還した。駆けつけた右京らに自身が見た全てを話し、参謀に指示した情報をまとめたメモを手渡してから彼女は、優曇華に支えられる形で医務室へと運ばれて行った。付き添いのためにレミリアも離席する。

 彼女と入れ違いになるように、冥界での交渉を終えて戻った幽々子と妖夢は何が起こったのかわからず困惑してしまう。

 

 

 広間にて右京は永遠亭にいる作業中のメンバー除く全てのメンバーを招集して咲夜の情報を全員と共有した。

 

「どうやら……田端というリーダーは想像以上に危険な人物のようですね」

 

 右京が漏らした言葉に誰も異を唱えることはなく、あまりの惨状に沈黙していた。

 

「なぁ、ヤバいんじゃないか……」

 

「俺もそう思う……」

 

 魔理沙と尊が発した一言を皮きりに各々が口を開き始める。

 

 

「どう考えてもヤバいわよ……」

 

「あれほど、里人には手を出すなと言ったのに……」

 

「お父さんたち――大丈夫なのかな……」

 

 同意する霊夢に約束を破られたことで怒りを顕わにする阿求と両親を案じて今にも泣き出しそうになる小鈴。

 他のメンバーも同様で、

 

 

「人間がここまで残酷な仕打ちをするなんて」と、文が零す。マミも「一昔前の表の日本を思い出す」と零す。

 

「私がしくじったばかりに……」

 

 責任を感じた慧音が胸に手を当てる。

 

「慧音のせいじゃない」

 

 親友の妹紅がフォローするも本人には届かない。これはしばらく時間がかかるな、と彼女は思った。

 

「秘密結社……。危険すぎるわね」

 

「なんだか寒気が……」

 

 口元を押さえて考え込む幽々子に信介への仕打ちを聞いて寒気を感じる妖夢。

 

「月の衛兵たちでもそこまではしない」

 

「魔界の連中でも人間に対してもう少し優しいわ」

 

 輝夜とアリスはかつて自身が所属していた勢力と比較しても結社のほうが酷いと言った。

 誰もが結社を『過激なテロリスト』だと再認識するに至り、彼らへの対応を協議する方向へと移行する。

 

「おじさん、どうすんだよ。このままじゃ、里人がいつ殺されてもおかしくないぞ!?」魔理沙が声を荒げ、霊夢が「同感です! すぐにでも突撃すべきです!!」と続ける。

 

 他のメンバーも黙ってはいるものの『何かしらの手を打つべき』だと目で訴えている。

 彼女らに応えるべく、参謀役の右京が舵取りを兼ねて自らの考察を披露する。

 

「里の惨状に心を痛める方も多いと思われますが今後のため、ここで少し状況を整理しましょう。十六夜さんが調査してくれた情報により、田端率いる秘密結社は()()()()()()()()()()()()であると理解できます。彼らは劇場をアジトにして、稗田、火口邸などの要所を抑え、その中の人質にいつでも危害を加えられる状況を構築――妖怪の突入に備えている。全ては妖怪から干渉されない空間の形成――里の独立ために」

 

 彼の意見に尊が質問する。

 

「ぼくもそう思いますけど、いくら人間を人質に取ったって妖怪相手だとそこまで効果はないのでは?」

 

 もっともな意見であった。

 本来、絶対的な強者である妖怪が人間相手に配慮するとは思えない。普通ならばそう感じるだろう。が、幻想郷の住民たちは誰ひとり、頷かなかった。

 

 尊は周りの反応に首を傾げ、アイコンタクトで右京に説明を求めた。

 参謀は語る。

 

()()()()()()()()()()()が崩れるからです」

 

「パワーバランス……?」

 

「そうです。幻想郷は妖怪と人間の共生で成り立っている世界です。ですので人間の方々に何かあると困るのです。今はそう思って下さい」

 

「は、はぁ……」

 

 右京は具体的な説明を避け、尊を無理やり納得させるのだが、本人は納得がいっていないようだ。

 周囲の住民たちは補足するでもなく、ただ無言でそのやり取りを眺めているだけ。尊は「なんか事情がありそうだ」と察するも、これ以上の追求を避けて別の質問に移った。

 

「わかりました。じゃあ、次の質問なんですけど。結社はどうしてここまで妖怪を敵視しているのでしょうか? 奥村が殺されたからってのはわかるんですけど、それにしても異常ですよね」

 

「同じ里の連中を殺すんだからなぁ……。理解できん」と魔理沙が呟く。

 

「元々の秘密結社の目的は自分のルーツを明らかにすることです。そこが鍵だと思われます」

 

「ルーツ……。ってどういう意味なんだろう……?」

 

 霊夢の疑問に右京が答える。

 

「根源や起源とも訳されますが、この場合は()()でしょうねえ」

 

「歴史?」

 

「彼らは自分たちの歴史を自分たちの下に取り戻すべく戦っているのですよ」

 

「あん? 意味がわからんのだが……」

 

 魔理沙が肩を竦め、顔を顰める。阿求はため息まじりに説明した。

 

「彼らは私や慧音さんがまとめた歴史を否定しているのよ。それは『権力者が作った都合のよい歴史』だとね。何度説明しても聞く耳を持たず、路上演説と妖怪への特攻を繰り返してはトラブルを引き起こす。それだけでも困っていたというのに……」

 

「今回は大規模な反乱に打って出た」と、右京がつけ加える。

 

「そうとしか言えませんよね……」

 

 阿求は同意して肩を落とした。

 尊がいつものように意見する。

 

「お言葉ですが、歴史を取り戻すためとはいえ、さすがに同じ里人へここまでの仕打ちを行うってのはちょっと信じられないんですが……」

 

「結社メンバーの行動や発言を聞くに『妖怪によって歴史を隠ぺいされていて、連中を倒さなければ歴史は取り戻せない』とでも力説されたのではありませんかねえ。中心メンバーには弁の立つ奥村や強い統率力を持つ田端がいるのですから。言いくるめられたとしても不思議ではない」

 

「確かにあのふたりは他とは違うって感じでしたね。ひとりは悪知恵の働く演説家、もうひとりは民主主義を道具に使う独裁者。なんか、このふたりを足すとまんまヒトラーですよね」

 

「田端の反妖怪思想もどこか彼の思想と共通点がある。君の言う通りかもしれません」

 

「だが、演説家のほうは死亡してるぜ? 残っているのは独裁者だ」と、魔理沙が言った。

 

「そして現状、誰も田端には逆らおうとはしない。余程のリーダーシップなんだろうな」

 

「恐怖や大義という鎖で縛りつけているのかもしれませんね。小田原信介を毒殺した理由も見せしめとしての面もあったのでしょう」

 

「連中、里をまとめたら大人数で里の外を行進するって言ってましたよね。――ぼくの勝手な想像ですけど、妖怪対策の意味もあるんじゃないかって」

 

「ええ、ほぼ間違いなく」

 

「やっぱりか……」

 

 尊は口元に手を当てながらため息を吐く。

 

「どういうことです?」

 

 不安に思った霊夢が訊ねると尊は説明を行った。

 

「今、妖怪が人間に手を出せない状況にあるよね? それを利用して里人を盾にする可能性が高いんだよ」

 

「なんですって!?」

 

「少なくとも田端は里人を有効なカードとして使っていますので、自分たちの主張を通すためならば、やりかねませんねえ」と、右京も同意する。

 

「最悪、里人に爆弾とか巻きつけて行進させるなんてことも……」

 

「あり得ない――とは言えないのがなんとも」

 

「ば、爆弾!? さすがにそんなこと――」

 

「ない――とは言えないわ」

 

 霊夢が否定しようとするのを阿求が遮った。阿求もまた、その可能性を考えていた。

 周囲の有志たちも激しく動揺しており、小鈴や慧音はもちろんのことながら妹紅、アリスといった里に近い人外たちも「まさかここまで深刻な状態に陥っているとは」と、口元を抑える。そんな中、幽々子が口を開いた。

 

「このままだと里人が里外に連れ出されて危険な目に遭うわね。少し離れれば妖怪なんてあちこちにいる。こちらの言うことを聞く妖怪たちばかりじゃないからね。人を見かけたら襲って食うヤツもいる。特定の勢力に属さない野良妖怪なんてストッパーがいないぶん、すぐ襲いかかるわ。アイツら、猛獣と一緒だし」

 

「そうなれば、結社と交戦するよな……」呟く魔理沙。

 

「その際、盾にされるわね、きっと」

 

 ふたりの会話に霊夢の怒りが限界に達する。

 

「じゃあ、外に出す訳に行かないじゃない!! 今すぐに助けるべきよ!!」

 

「おいおい、人質を取られてんだぞ!? 簡単に言うんじゃねぇよ! 場合によっては家族が犠牲になるヤツもいるんだ。少しは冷静になれってんだ!」

 

「う……」

 

 珍しく真面目に怒鳴る魔理沙に皆の注目が集まる。彼女は同情されていると感じ「別に私の親父のことじゃない小鈴んとこの両親だ」と、否定して帽子を深く被った。

 拗れた関係ではあるが、親を案じているのだろう。その姿に普段、強気な霊夢も「ご、ごめん……」と謝ってから大人しくなった。

 周囲の空気が気まずくなり、無言のまま一分ほどの時間が過ぎる。

 ここで議論を止めると行動に支障をきたす。誰もが理解していたが、言葉が出せなかった。しかしながら、参謀の右京だけはプランを練っていたようで、

 

「稗田さん、里の地図をわかる限りでいいので書いて頂けませんか?」

 

「地図ですか……?」

 

「ええ()()()()()()()上で必要ですから」

 

 突入を視野に入れた計画を進めるつもりでいる。

 その言葉に阿求は息を飲みつつ、

 

「一時間ほど……お時間を下さい。詳細な地図を書き上げます」

 

「ありがとうございます」

 

「突入すんのか……?」

 

 不安げな魔理沙。右京は首肯する。

 

「結社がいつ暴走するかわかりませんからねえ。それに水瀬と土田の子分がいつまでも結社の指示に従うとは限りません。荒くれたちの集まりですからね。分裂して暴動を起こす可能性だってあり得ます。このような状況を考慮すると、今のうちから突入計画を立てておかなければ間に合わなくなる。そう判断しました」

 

「……」

 

 失敗すれば自身の家族が犠牲になる。魔理沙は咄嗟に目を背け、拳に力を込める。そんな彼女に右京はそっと微笑む。

 

「大丈夫ですよ。無茶な突入はしません。皆さんを安全に解放するための計画です。お約束します」

 

「そうか……。なんか――すまないな、その、色々と」

 

 またもや珍しく感謝を表す魔理沙に霊夢とアリスは目を見張って「珍しいこともあるものね」と、感嘆する。気まずくなった本人は再度、帽子で顔を隠した。

 それから右京はこの場を相棒に任せ「十六夜さんの様子を見てきます」と広間を離れ、医務室へと向かった。



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第112話 彼の名は――

 医務室を訪ねると永琳が机に向かって薬の調合をしていた。

 右京が咲夜について質問した。彼女の症状は能力の使い過ぎによる過労だそうで、適切な薬を飲ませれば明日には治るだろうとのことだった。永琳にお礼を述べた右京は咲夜のいる病室に足を運ぶ。

 襖を開けると座敷で横になる咲夜と見守るレミリアの姿があった。

 右京はレミリアに頭を下げてから隣に座る。

 

「心配ですか?」

 

「そうね……。こんなこと初めてだから」

 

 レミリアにとって咲夜は、自らの世話から異変解決まで卒なくこなす側近中の側近である。多少抜けているところはあるも、そこを含めて信頼していた。

 今回の任務も無事こなしてくると思っていただけに軽いショックを受けている。

 

「いつも通りに戻ってくると思ったんだけどねぇ。眠る前に本人から聞いたけど、里人が可哀想でつい力が入って休憩を疎かにしたらしいの」

 

「そうですか……。彼女ひとりに辛い役を頼んだ僕の責任です。その辺りも考慮すべきでした」

 

 いくら優れた能力を持つとはいえ、初の本格的な諜報活動だ。精神的負担は計り知れない。彼女の能力に頼り過ぎた感は否めなかった。

 

「仕方ないわ。できる者が少ないのだし。それに時間的制約もある。咲夜が適任だった」

 

「そう言って頂けると助かります」

 

 スヤスヤと眠っている咲夜を眺めながらレミリアが右京に訊ねる。

 

「今後、どうするの?」

 

「十六夜さんが手に入れた情報を基に突入する際のプランを練ります。ただ今、稗田さんに地図を書いてもらっていますので、それまで皆さんは待機ということになりますが」

 

「ふーん。突入ね……。交渉はいいの?」

 

「そちらも考えています。本当は話し合いでの解決が望ましいのですが……」

 

「そうも言っていられない、と?」

 

「不安要素が多すぎて、いつどうなるかわかりません。ならば――先に突入の手順を整えるのがよいと思いました」

 

 その方針にレミリアは納得する。

 

「異論はないわ。けれど、人数的に間に合うの? こっちは精々、二十人よ? 相手は結社とヤクザを合わせて六十人くらい、いるんでしょ? 人質を救出しつつ結社どもを制圧するなんて、いくら私たちでも難しいわ。おまけに妖怪は本気を出せないし、不用意に里の中へ入って行動するのも他勢力から顰蹙を買う」

 

「困ったものですね」

 

「あなたも大変でしょ? 色々と制約があって」

 

「表も似たようなものですから」

 

 それぞれの利権が絡み合い、決断が遅れる。組織にはつきものだ。

 そういった縛りの中で右京は数々の事件を解決してきた。今回は普段よりも協力的な面子が多いのが救いである。

 ふたりが話している最中、咲夜が目を覚ます。

 

「う……。お嬢さま、杉下さん……。ご心配を、おかけしました」

 

「いいのよ、あなたはよくやったのだから」

 

「こちらこそ無理をさせてしまい、申し訳ない」

 

「……本当はもう少し情報を手に入れたかったのですが――」

 

「あれだけの情報があれば十分です。作戦は立てられます」

 

「本当ですか……?」

 

「もちろんです。ただ……追加でお聞きしたいことがあります。よろしいですか?」

 

 右京が訊ねると咲夜は身体を寝かせたまま頷いた。右京の質問が始まる。

 

「水瀬家と土田家の勢力は結社と協力関係にありますが、仲はよいと思われましたか?」

 

「私が物陰で休んでいた時ですけど、結社の面子とガタイのよい男たちが言い争いをしていましたわ。『俺たちに乗っかっておいしいところを持ってった癖に』とか『エラそうにすんなや! お前らだって俺たち水龍会の力がなければ稗田家を追い出せなかっただろうが!』とか。殴り合う寸前で仲間に止められていましたが。……なので、あまり仲はよくないかと」

 

「そうですか。では偵察中、結社と二家が一緒に行動しているところを見かけましたか? また、各代表が表に姿を現して指揮を取っているところなど」

 

「はい。何度か目撃しました――ですが、両勢力とも距離を取って行動していましたわ。代表の水瀬は自宅に引き籠って威張り散らしていましたし。土田家代表も風下家から出ず、他のことは全て部下に任せっきりで、自分は風下さんの宝物を漁っていました。なんだか白い鞘に収まった刀を振るって喜んでいましたね。『こんないい刀があるとは!』って」

 

「火事場泥棒は他にもいたようね……」

 

 レミリアが呆れながらに言った。腐っているのは小田原だけで十分であるが、土田家当主に似たり寄ったりだったようだ。

 

「その刀がどのような代物か非常に気になるところですが、今はさておき――話を聞く限り結社と水瀬、土田勢力は仲がよいとは言いにくいですね」

 

「二家の親玉は子分たちに仕事させて踏ん反り返ってるって感じよね。私とは大違いね!」

 

「はは……」

 

 レミリアが発した言葉に咲夜はどこか苦笑い気味だが、本人はまるで気にかけない。

 くすっと笑ってから右京がおだてる。

 

「レミリアさんは高貴なお方ですからねえ」

 

「その通り!」

 

「何がその通り、よ。お世辞なんかで浮かれちゃって」

 

 後ろからやってきた幽々子がちゃちゃを入れた。

 

「あん、なんだって!?」

 

 余計なことを言うな、と勢いよく幽々子へ食ってかかろうとするが相手にされず、そっと横に避けられた。

 幽々子は右京を視線を向ける。

 

「妖怪の山の巫女が見えているわよ」

 

「ほう、それはそれは。挨拶に行かねばなりませんね。十六夜さん、どうかゆっくりとお休みになられてください」

 

 右京は早苗に会うべく広間に戻った。

 広間の中では阿求が筆を駆使して畳四畳分にも及ぶ大きな地図を作製している最中だった。

 袖をまくり、病み上がりの身体を押して真剣に取り組む彼女の姿に誰も声をかけられず、ただ黙って書き終わりを待っていた。

 早苗もその集団に混じって見学していたのだが、入口から顔を覗かせる右京に気づいて、広間を抜ける。

 そこから少し離れた廊下まで早苗を連れ出した右京は感謝を述べた。

 

「参加して頂き感謝申し上げます」

 

「当然ですよ。里がピンチなんですし」

 

 里に信者を持つ守矢神社からしても結社の反乱は無視できない問題だ。

 巫女たる彼女がこちらに加勢するのは必然だった。

 右京は反乱後の妖怪の山の雰囲気について訊ねる。

 

「妖怪の山はどのような状況でしょうか?」

 

「皆、ピリピリしてますね。一部の天狗は会談後も『仲間がミスした責任をとって我々が解決に動くべきだ』と頭領に進言し続けているみたいですし。河童は河童で『対人武器作って一儲けだ』とあちこちから材料をかき集めていますし、周辺の妖怪は反乱自体、知名度を上げるチャンスと捉えて『俺たちで里の反乱分子を一掃するぞ』とか言ってるんですよ。一応、知り合いの仙人が説得(物理)して回ってくれているので、今のところ大丈夫そうですけど……」

 

 妖怪の山の内部、周辺共に荒れているようで、まとめ役の頭領や守矢神社の神さまはかなりの苦労を強いられるのだろう。早苗のため息がそれを物語っていた。

 話をどこで耳にしたのか。聞きつけた文が雑談に入ってくる。

 

「その……。やっぱり、私ってよく言われてないですよ……ね?」

 

「えっと、その……」

 

 余程のことを言われているのか、口を閉ざす早苗を見て、文はがっくりと項垂れた。

 

「トホホ、このままじゃ戻れませんよ……」

 

 強気な突撃系ジャーナリストが見る影もない。

 かつてやり合った者同士とはいえ、駆け引きを繰り広げた相手の弱った姿に右京が同情を示す。

 

「人里が無事解放されれば、きっと戻れますよ」

 

 幻想郷の住民にはない優しい言葉に文は気力を取り戻し、ぐいっと拳に力を込めた。

 

「そ、そうですよね! 頑張らねば!」

 

 奮起する文。ここから一気に巻き返してやると意気込み、ふたりを笑わせた。

 和やかムードの三人のところに尊がやってきた。どうやら地図が完成したようだった。

 

「わかりました。すぐ行きます」

 

 早苗と文を連れて広間に入ると畳四つ分の大きさの地図ができあがっていた。細い筆で細かい路地なども丁寧に描かれ、突入経路や人質解放の手順を模索するのに十分な代物だった。

 

「この短時間でここまでの地図を書き上げるとは。御見それいたしました」

 

「些か雑な部分もありますが……」

 

 阿求本人はもっと丁寧に描きたかったらしく、納得がいっていない様子だが、周りからすれば立派な地図である。

 

「必要な情報は集まりました。これで……計画を立てられます。神戸君、皆さんをここへ呼んできてください」

 

「了解です」

 

 二十分後、作業を終えた永琳や偵察から戻ってきたマミを加えて作戦会議が始まった。休養中の咲夜を除き、全てのメンバーが集まったことで広間はいつも以上に窮屈だ。

 重苦しい空気であっても右京は相変わらずの口調で、

 

「それでは作戦会議を始めます。里の状況は東入口、西入口が封鎖。稗田邸、火口邸、風下邸、寺子屋、鈴奈庵、劇団が占拠されており、結社は劇団をアジトとして活用しています」

 

 続けて尊が発言する。

 

「敵の総数は確認できるだけで六十四名。配置は以下の通りです」

 

 永遠亭の物置にあった将棋の駒を順番に配置していく。

 『歩兵』が結社の子分で『と』が二家の子分を表す。

 東口と西口に歩兵が二個ずつ置かれ、鈴奈庵が三個。寺子屋、雑貨屋が二個。稗田邸は十個。火口邸は五個。

 風下邸は『と』が十四個に飛車が一個。水瀬邸は八個と角が一個。劇団は歩兵が十個と『金』と『銀』『王』がひとつずつだ。

 飛車が土田で角が水瀬、金銀が結社幹部で王が田端といったところか。

 駒の振り分けを見た魔理沙は苦笑を禁じえない。

 

「田端や幹部が王と金銀ってのはわかるが、二家の代表が『飛車』と『角』ってのもなぁ」

 

 もっとも働かない連中がもっとも働かなければならない駒とは。

 誰もが皮肉だと思ったが、右京は否定する。

 

「彼らが飛車と角なのは決して嫌味ではありませんよ? 彼らを取ってしまえば、戦力の半数を削ぐことになるのですから」

 

「半数? それは言い過ぎじゃない? 二家のトップを取ったって子分たちが降伏するとは思えないのだけれど……」と、幽々子がつっこむ。

 

「さぁ、どうでしょうかねえ~? 彼らはワンマンですから……。いくらでもやりようはありますよ。うふふ」

 

 クスクスと笑う右京。何かえげつないことを考えているな、と誰もが勘繰った。

 次は永琳が手を挙げる。

 

「策があるならよいのだけど、交渉のほうはどうなったの? 私は薬を作っていたから何も聞いてないの」

 

「私らも聞いてない。どうするんだ? このまま突入か?」

 

 魔理沙も同じく質問し、皆の視線が集まる中、右京が見解を述べた。

 

「交渉を行おうにも彼らは僕たち有志の話に耳を貸さないと思われます。ですので、僕たち主体で交渉を行うこと自体、最初から無理があるのです」

 

「あ、言われてみれば」

 

 阿求は自分たちが結社の面々から相当、嫌われていることを思い出した。霊夢や魔理沙、小鈴、慧音、文、マミに特命係を加えたチームが交渉相手と知れれば、即報復される可能性も捨てきれない。

 

「ですが、手はあります。射命丸さん、天狗の頭領さまに手紙を書いて貰うことはできますか?」

 

「て、手紙? ……それって交渉の意志を示したものですか?」

 

「ええ、まぁ」

 

「無理ですって!!」

 

 文が両手を振って否定すると阿求も続いて。

 

「それは無理です。あの方は私と守矢の神々で交渉してようやく『少し待つ』と、折れてくれたのです。それ以上の協力は望めません」

 

 天狗は元々、プライドが高く、人間を見下す傾向にある。その頭領ともなれば頑固さは文の比ではない。もしも人間が自分たちを侮辱するような態度を取ろうものなら確実に報復を考える。

 ふたりの態度から頭領の協力は絶望的と判断できる。

 

「つまり、天狗は里人相手に一歩も譲らない。そう解釈してもよろしいですか?」

 

「間違いありません」

 

 文が断言した。右京は繰り返し彼女に訊く。

 

「仮に結社が里外――それも妖怪の山周辺で大規模な『妖怪・消えろ』行進などを決行した場合、どうなりますか?」

 

「たぶん、力ずくで押さえにかかる、かと」

 

「となれば、大規模行進が決行される前に里を解放しなければなりませんね」

 

「大規模行進までどれくらいの猶予があるのか……」尊が呟く。

 

「数日以内でしょうね。早ければ明日」

 

「明日だと!?」

 

 魔理沙が声を荒げるが、右京は至って冷静だ。

 

「武力を行使すれば可能です。田端は八雲さんが出てくる前に決着をつけたいでしょうからね。強引な手段に打って出てもおかしくありません」

 

 抗うつ薬おじさんが紫の名前を出して田端が口をつぐんだと聞かされた右京は、彼が紫を恐れ、早期決着を狙うべく計画を前倒しする可能性があると指摘した。周囲も同意する。

 

「行進が始まれば里人は外へ出されて盾にされ、野良妖怪は襲いかかり、天狗は武力行使に出る。こりゃあ、マズイねぇ」

 

 レミリアが零すと妹紅も続けて、

 

「けが人を出したくないなら突入しかないな。上手く行けばいいが……」

 

 失敗すれば死傷者多数の大惨事。有志参加者の評価が著しく落ちることを意味する。しばらくの間、尾を引くのは目に見えていた。

 責任重大なこの局面で右京はどのような采配を下すのか。今、その真価が問われている。

 普通の人間であれば、安全に短期決戦へ持ち込む策など思いつかない。だが、ここに集まるのは人知を超越した人外と人間たち。不可能をこじ開けられるだけの力があった。

 右京はお決まりのポーズを取る。

 

「ひとつ、考えがあります」

 

 

 午後十八時半。

 あれから信介を劇場の床に埋めた田端は本邸にいる水瀬、風下家を占拠する土田たちと立て続けに面会する。田端の要求は人員確保のために部下をもっと貸して欲しいという内容だった。

 里の警備を行おうにも結社の正規メンバーだけでは足りず、見回りなどを子分たちに頼んでも「お前らは俺たちの上司じゃない」と、反抗的な態度を取られることもしばしば。仕方なくデモ参加者から人員をかき集めているのが実情である。

 こうした事態を解決するために二家を回っているのだが、現実はそう甘くはない。

 相談を受けた水瀬は「若い衆には言うことを聞くように言いつけておく。それでいいだろ? これ以上、部下を貸したら、言い訳が立たん」と、返答して「俺はお前らに脅されているって設定なんだからさぁー。もうこないでくれよ。そういう約束だろうが!」。田端を強引に追い出す。

 土田に至っても「名目上、儂はお前らに息子を人質に取られて渋々、火口家襲撃と風下家占拠に加担したんだぞ。これ以上は手を貸したらいざというとき、言い訳できんじゃろが! お前らだって『反乱の後はこっちで何とかする』っつって同意したんだ。しばらく頑張ってくれ。妖怪とちゃんとした交渉ができたら、そのときは喜んで力を貸そう」と、水瀬と同じように断った。

 水瀬は子分たちが勝手に暴走、土田は人質を取られ反乱に加担した。それぞれ言い訳できるように振る舞うつもりでいたのだ。田端が何も言わないところを見ると彼らの言い分は正しいようだ。

 夕日が落ちて行く閑散とした大通りを歩く田端は「漁夫の利ばかりを求めるクズどもが……」と愚痴を吐きながら劇場に戻る。

 拠点に着いた田端は「ひとりになりたい」。そう言って、人避けしてから控室に入り、地べたに腰を下ろす。

 

「……」

 

 無言のまま、どこにも焦点を合わせることなく、田端はただボーとしていた。

 疲労によるものか、重圧によるものか、それとも恐怖によるものか、あるいは別の何かか。それは本人のみぞしる。

 十五分が経過したころ、田端は誰かに語りかけるように言った。

 

「いるのか……?」

 

 静寂の空間に声が響く。それに釣られるように物陰から人の気配が漂い始める。

 

 ――……。

 

 それは静かに表れた。

 麻で包まれた細長い何かを肩に背負い、同様のフードを深く被り、さらに顔を包帯で隠した種族性別共に不明な生き物。唯一わかるのは()()であることだけ。

 その者の姿を確認した田端は特に驚いたりはせず、淡々と語りかけた。

 

「……どこの誰だか知らないが、お前がくれた情報と表の利器のおかげで辛うじて戦えている」

 

 ――……。

 

「奥村を撃ったのはお前ーーだよな?」

 

 肩に背負った物体に目をやって訊ねると、その者はコクンと頷いた。

 

「そうか……」

 

 彼の散り際が脳裏に焼きついて離れない。瞳孔が開きながら倒れる亡骸が瞳を閉じれば自身を見つめている。

 

「言葉じゃ、何も変えられん。最後に物を言うのは恐怖と暴力だ。正直、民主主義なんてどうでもいい。この世は結果が全てだ」

 

 コクン。その者は無言で同意する。

 

「ふふっ、嘘でもありがたい」

 

 そのとき、恐怖で敵味方問わず支配する冷血漢が優しく笑った。

 わずかながら、理解者への敬意が見えた瞬間だった。

 気恥ずかしさからか田端はスッと立ちあがる。

 

「部下たちの様子を見てくる」

 

 コクン。

 

「バレないように出て行けるのか?」

 

 コンコン。

 その者は床を足で叩いた。床板を外して入ってきた、と言っているのだろう。

 

「心配無用か」

 

 自分が案ずるまでもない。

 扉に手をかけようとした田端だったが、最後にこのような質問した。

 

「名前、なんて言うんだ?」

 

 一呼吸間をおいてから低い声で答えがやってくる。

 

 ――聖なる狩人。

 

「違う。本当の名前だよ」

 

 ――……。

 

 その者は答えようとはしなかった。諦めた田端が部屋を出ようとする。そのときだった。

 

「悪かったな。じゃ――」

 

 ――エレン……。

 

「ん?」

 

 ――エレン・イェーガー。狩人だ。

 

 直後、床板を外して消えるように控え室を去った。

 

「エレン・イェーガー……。ふふっ、狩人か……。ははっ、そうか、そうか!」

 

 田端は大層、愉快そうな表情と共に部屋を出て仲間のところへ戻った。



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第113話 それぞれの夜

 十九時。

 会議は終わりを見ず、右京たちは広間で作戦を練り続けていた。

 突入ルートの選定、救出と制圧の方法説明、計略の下準備、物資の調達などなど。考えることは山積みである。

 すでに物資調達や資料集め、協力要請などで半数近くのメンバーが永遠亭を出払った。

 残ったメンバーである優曇華に右京が質問する。

 

「優曇華さん、あなたの能力は狂気、すなわち波長を操ることでしたね。波長を操つられた者はどうなるのでしょう?」

 

 白い耳をピンと立て、右京の質問を聞き取った彼女が自身の能力を説明した。

 

「簡単に言うと気分があがったり、さがったりしますね。波長を長くすれば気分はあがりますけど、やりすぎるとやる気を喪失します。波長を短くすれば短気になり情緒不安定します。さらに短くすると会話困難になります」

 

 それ以外にもふり幅を増やすと存在が過剰になり、離れた場所での意思疎通が可能かつ減らせば声が通らなくなる。位相をずらせば干渉が起きず、その反対なら姿を完全になくせる。

 とても自由度の高い能力だ。彼女の能力も諜報活動に非常に有効なのだが、彼女は妖怪であり、波長はコントロールミスをすると人々に多大な悪影響を及ぼすので潜入は見送られた。

 師匠である永琳が「この娘、かなり臆病だから諜報には向かないわ」と進言したのも大きかった。

 

「そうですか。ちなみにその能力の効果範囲は?」

 

「人間ひとりから町全体まで使い分け可能ですけど」

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

 地図と睨めっこしながら右京は作戦を組み立てて行く。

 その内容は非常に大胆なもので妹紅が「これさ、本当に上手くいくのか!?」と、不安を零すほどだった。右京は真顔で言い切る。

 

「幻想郷の事情を考慮しつつ早期決着を望むのであれば、これが一番かと」

 

 断言する参謀。

 皆、不安感が拭えなかったが、どちらにしろタイムリミットが近いので「ここまできたら信じるしかない」と、覚悟を決めた。

 

 

「ふむ――」

 

 香霖堂の店主、森近霖之助は緑茶片手に曇った夜空を窓から眺める。

 里が反乱分子に占拠されてから客足が途絶え、売上が伸びない。

 

「霧雨の親父さん、無事だろうか……」

 

 かつて、お世話になった魔理沙の父の無事を案じているが、戦闘力の低い自分が首を突っ込むと、かえって迷惑になる。霖之助が支援を申し出るにとどめた理由がそれだ。

 店主は味気ない夜空を仰いだ。

 

「魔理沙のヤツも父親が気がかりで仕方ないだろうなぁ。泣いてなきゃいいけど」

 

 反目しているとはいえ親に変わりない。

 胸の内は辛いだろう。霖之助はそう考えていた。すると視界の下から聞き覚えのある声が。

 

「誰が泣いてるって?」

 

「ま、魔理沙!?」

 

 視界を下げれば、窓越しに顔を顰める本人の姿があった。

 驚く霖之助を余所に入口から店内へ入った彼女が文句を言いに詰め寄る。

 

「私が泣いているように見えるか?」

 

「見えない……な。たぶん」

 

「だろ? そういうことだ」

 

 父親の件になると普段の十倍は頑固になる魔理沙だが今回は比較的おとなしいように見える。彼女とつき合いの長い霖之助はその心を見透かすも、黙って頷く。

 気を使わせた。魔理沙は顔を背けつつ「仕事のついでに寄った。何か使えそうなものを貸してくれ」と、言った。

 霖之助が意地悪く、

 

()()()()()とは言わないんだな?」

 

「有志へ協力を申し出たお前から物資を貸してもらう。何か間違っているか?」

 

 不機嫌を上まで表され、霖之助が仰け反る。

 

「い、いや、間違ってはいない。どれでもって訳じゃないが、貸せるものは貸すつもりだ」

 

「へ! 古道具屋に使えそうな物があればだけどな!」

 

 憎まれ口を叩きながらも彼女はここにきて笑顔を見せた。

 それから、ふたりは道具を選別しながら里の現状と有志について話し合う。

 阿求狙撃から咲夜の情報の内容までが魔理沙によって詳細に伝えられる。霖之助は例えようのない不安に駆られた。

 

「本当に里の人々は大丈夫なのだろうか」

 

 経済活動もできず、食糧も買いにいけない。彼らが感じるストレスは多大である。このままいけば必ず悲劇が起こる。

 

「加担者以外の里人は外出を控えているらしいが、各家庭の食糧なんて微々たるもんだ。そう長くは持たん」

 

「なくなった場合は……?」

 

「わからん。けど、おっさんは行進に参加する者だけに食糧を配給するかもしれないって考察してたな」

 

 食べるものがなければ飢えるだけ。そこを突かれると右京は考えていた。

 霖之助も同感のようで、

 

「あり得る。そうすれば参加者が増えるからな」

 

「でもって外に出れば血に飢えた妖怪と頭の固い妖怪が襲いかかる」

 

「そして盾にされる。だったな……。正直、それは信じたくない」

 

「私も信じたくはないが、何が起こっても不思議じゃないんだ。最悪のケースってヤツを嫌でも考えなきゃならんよ」

 

 そう言って、黙々と手を動かす魔理沙に霖之助は驚きを隠せない。

 

「(ちょっとばかり見ないうちにずいぶん思慮深くなったな。これも杉下右京の影響か? やっぱり只者じゃなかったか、あの人間)」

 

 幻想郷にやってきた直後にも関わらず、ハーフの自分を出し抜いた男だと一目置いてはいたが、たった一か月足らずの間に表からやってきた部外者から里の行く末を左右する参謀になるとは予想できなかった。

 そんな男の近くで活動を共にしていたのだから、何かしら吸収するのもまた必然である。

 思わぬ変化に手を止めて彼女を凝視する霖之助。

 魔理沙に「手が動いてないぜ?」と注意され、ぎこちなく作業を再開させるも古道具屋には大して突入に役立つアイテムはなかった。

 やはり彼女の愚痴が飛ぶ。

 

「骨董品と古本ばっかりで作戦に使えそうなもんがないな」

 

「ここは武器屋じゃないからな。物騒なものは扱ってないよ」

 

「あっても天球儀とか箱の式神とかだもんなー。おっさんたちのスマホのが便利だぜ」

 

「うぐ……」

 

 右京のような外来人が入店した際、何度か触らせてもらうのだが、大きさと釣り合わないスマホの性能を羨ましく思っている。

 ネットが通じず、性能を最大限発揮にできないが杉下右京はカメラ、動画、ボイスレコーダーなど限られた機能を駆使して短時間のうちに敦殺人事件を解決した。

 そうした活用例を聞いてしまうと欲求がくすぐられるものだ。

 

「僕にもスマホがあればな……」

 

「お前じゃ、事件は解決できないだろうよ」

 

「――ッ。探偵になる気はないさ」

 

 ほんの少し芽生えた憧れを魔理沙に看破されて動揺を隠せない。それでは心理戦に発展しやすい探偵業は務まらない。今のやり取りで彼は自分に適性がないと悟った。

 

 ――カランカラン。

 

 入口のベルが鳴った。

 ふたりが目をやるとそこにいたのは風呂敷を抱えた霊夢だった。

 彼女は魔理沙を見るなり、

 

「ん? アンタ、ここで遊んでていいの? 仕事は?」

 

「私は足が速いからな。もう済んだよ。後は待つだけだ。で、お前はのほうは?」

 

「こっちも同じよ。アイツら、ちゃんとやってくれるといいんだけどね」

 

「何の話だ……?」

 

 霖之助が訊ねても「今は言えない」と説明を断られる。

 何かしらの作戦か、と訝るも右京の思考を読めずに頭を悩ます。

 数分の立ち話ののち、霊夢も選別に参加。魔理沙と手分けして店内と倉庫を掻き分ける。

 いざとなると渋り出すケチな霖之助から使えそうな雑貨や武器などを借りて永遠亭へと運んでいった。

 彼女らが去って静かになった店内で霖之助はひとり「あぁ……僕の刀が」と落胆した。

 

 

 時刻は二十三時を回る。

 稗田邸では結社メンバーが阿求の書斎や蔵などから資料を漁っている。

 

「なぁ、見つかったか?」

 

「見つからないな。田端さんが言っていた資料は」

 

 書斎の中、眼鏡をかけた如何にもガリ勉そうな男たちが膨大な量の文献に目を通し、自分たちの求める情報を探している。

 日本語で書かれているものもあれば英語のような海外の文献、さらには解読不能な文字で執筆された書物まで、様々な資料を山のように積み上がっていく。読んでも、読んでも次々に運び込まれる故、数が一向に減らない。彼らは根気のいる作業を不眠不休で続けていた。

 

「どうするんだよ。見つからないと田端さんに叱られるぜ」

 

「怖いからな。あの人」

 

「しっ、口に出すな! 聞かれたらマズイだろ」

 

 愚痴を零したメンバーを別のメンバーが諌める。

 しかし、そのタイミングだった。

 

「何が聞かれたらマズイって?」

 

「「田端さん!?」」

 

 運悪く進捗状況を確認すべく書斎を訪れた田端本人に聞かれてしまったのだ。

 ふたりは顔を真っ青にしながら謝罪する。

 

「すみません。まだ資料は見つかっていません!」

 

「どうか、許してくださ――」

 

「そういうのはいい」

 

 直後、田端が手を出して制止する。

 

「資料は膨大だからな。時間がかかるのはわかっていた。妖怪との交渉に使えそうなやつはあったか?」

 

「いえ、どれも公式に発表されているものと大差なくて……」

 

 思わしくない結果を申し訳なさげに報告する両名。彼らは自身の身を案じた。

 田端はそれを察したのか、

 

「そうか、ご苦労。続けてくれ」

 

 と言うだけにとどめた。

 ふたりは大きな声で返事をする。

 

「「は、はい!」」

 

「それと急げとは言ったが、休むなとは言ってない。少しは休憩しろ」

 

 そう言って、田端は書斎を後にした。

 廊下を歩く傍ら、彼はため息を吐く。

 

「そう簡単に見つかるとは思ってなかったが。想像以上に資料が多い。ここに不都合な真実が眠っていれば、活用できるのだが」

 

 妖怪との交渉を有利に進めるには自分たちの正当性をより確実なものにする必要がある。

 そこで必要なのが『阿求と妖怪の繋がり』『資料や妖怪からの支配や干渉を暗示』『統治に不都合な歴史』などが記された資料である。

 田端が稗田邸に大量の人員を割いたのはこれが理由であった。

 けれど、相手はあの天才稗田阿求。右京以上の記憶力を持つ人外級の人物である。

 不都合な資料などはとうに廃棄された可能性も否定できない。

 

「見つかれば儲けもの。そう考えるしかないか」

 

 田端もそれを考えているようだ。

 次に彼は女中やけが人が拘束されている広間へ入る。

 二十人はいる人質たちが田端を見た途端、震えあがった。

 皆、顔色が悪く、大した食事を与えられていないのか衰弱しているのが見て取れる。

 監視役に田端が問う。

 

「食事は与えているのか?」

 

「はい。水と白米を」

 

「量は?」

 

「水筒一杯分と茶碗半分を一日二回ずつです」

 

「ずいぶん、少ないな」

 

「思ったよりも食糧がなくて……」

 

「食糧庫には十分な備蓄があったはずだが?」

 

「そうなんですが、見張りを手伝っていた水瀬や土田の子分どもがどさくさに紛れてくすねて行ったんですよ」

 

「チッ、あのクズどもが――参加者からかき集めるように手配する。それでも足りなければ他から調達させる」

 

「わかりました」

 

 監視との話を終えた田端は広間を出て、邸宅前で待機している部下を引き連れ、劇場へ戻る。

 彼は建物に入るや否や、部下へ食糧確保の指示を出す。

 その他もろもろの命令も与え、最後はこのように締めくくった。

 

「行進の予定を早める。最低でも明後日には里の外を歩く。準備しろ」

 

「「「はい!!」」」

 

 大行進の日は確実に迫っていた。

 

 

 深夜零時。

 大地を覆う雲のさらに上。

 星々が照らす闇夜の中を泳ぐふたつの影があった。

 

 ――全くとんでもないことになったわね。こっちもやることあるのに。

 

 ――この状況、如何するおつもりなのですか?

 

 ――そうねぇ……。アイツの話だけだとちょっと不安だし。少し様子でも見てこようかしら。

 

 ――大丈夫ですか?

 

 ――私が見つかると思って?

 

 ――それは……。

 

 ――私ならいくらでも誤魔化せる。

 

 ――なるほど……。

 

 ――ねぇ? この状況。そこまで悪いことばかりじゃないと思わない?

 

 ――はい? それはどういう……。

 

 ――わからないならそれでいい。

 

 ――す、すみません……。ですが、危険な状況には変わりないですよね……?

 

 ――一歩間違えば、幻想郷は崩壊の危機に瀕するわね。でも、そうはならないわ。

 

 ――何故でしょうか?

 

 ――さぁ、何故かしらね? じゃ、行ってくるわ。後はよろしく。

 

 ――わ、わかりました。

 

 影のひとつは音もなく消え去り、もう片方の影も常闇の中へと姿を消した。



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第114話 幻想狂想曲 その1

 早朝四時。まだ日が差さすまで時間がある。

 寝ている有志たちが多い中、右京と文は足音を立てないように庭先に出た。

 カバンを持った文が確認を取る。

 

「本当にいいんですね?」

 

 これを行えばもう後戻りはできない。文は不安が拭えなかった。

 その心情を理解するも右京は、

 

「よろしくお願いします」

 

 依頼した。

 彼女はゴクリと唾を飲み、頷いてから大空へと飛び立った。

 右京は明けない空を眺めつつ、成功を祈る。

 そこへ尊が現れた。

 

「杉下さんの予想が外れたら大惨事確定ですね」

 

「でしょうね」

 

 参謀補佐の言葉に同意した。

 

「しかし、成功すれば無事、条件をクリアできます」

 

「ドラマみたいな話ですけどね……」

 

「不可能ではありません」

 

「魔理沙のヤツなんか、この作戦が成功したら杉下さんを〝諸葛孔明〟って呼ぶと言ってましたよ」

 

「僕は稀代の天才軍師ではないですがねえ~」

 

 諸葛亮の姿をした右京の姿を想像した尊が思わず吹いてしまう。

 

「アハハ! 確かに! 杉下さんにヒゲは似合いませんよね」

 

「君、失礼ですね」

 

 何が可笑しいのか。内心イラッとした右京が、

 

「僕が孔明なら君は馬謖(ばしょく)でしょうか。師匠を泣かせるような真似はしないでくださいね」

 

 皮肉を送った。

 

「ちょ、ちょ、切られるのは嫌ですよ!」

 

 慌てた尊を見やる右京の顔はとてもニンマリしていた。

 

「さ、僕たちも準備を始めましょう」

 

 軍師は弟子と共に亭内へ戻り、支度を始めるのであった。

 

 

 早朝五時半。

 朝日が昇ってきたと同時に結社のメンバーたちが里の見回りを始める。

 人員を割き、デモ隊から人手をかき集め、辛うじて体制を維持しているが、こういった経験のない者にとっては肉体、精神共に辛いものだ。

 交代時間に合わせてメンバーふたりが東口へ向かうべく大通りを歩く。

 

「はぁ……眠いわ」

 

「俺だってそうだよ。稗田阿求を追い出してからほとんど寝ていない」

 

「いつまで続くんだろうな~」

 

「妖怪に勝つまでだろ? 田端さんを信じるしかないって」

 

「だよな――ん?」

 

 見張りのひとりがふいに地面へ目をやるとその先に〝白い何か〟を発見する。

 

「なんだ、コレ」

 

「危ないから不用意に触るなって」

 

 制止を聞かず、白い何かを拾った。よく近づけて見るとそれは秘密結社宛ての封書であった。傾ける度にカサカサを紙が擦れる音がする。

 

「これ、どうするよ……?」

 

「どうするって言ったって」

 

 結社宛ての手紙を拾う。初めての経験にただその場に立ち尽くす。このまま、田端のところへ持って行っていいものか。

 見張りが悩んでいるところに他の仲間が駆け寄ってきた。

 ちょうどよいと考えて訊ねた。

 

「おう今、手紙を拾ったんだが、どうすればいい?」

 

 帰ってきた返答は、

 

「え!? お前もか!?」

 

 見張りと同じくその右手には手紙が握られていた。

 それからというもの、里の道路やポスト、劇団、稗田邸、火口邸、風下邸などなど様々な場所から手紙が見つかった。

 結社が拾った手紙はすぐにアジトにいる田端のところへ届けられる。

 田端はその量に目を点にした。

 

「なんだ、この枚数は。二十枚近くあるぞ」

 

 大半が結社宛ての手紙。それが二十枚近くにのぼった。

 何が起きているのかわからない田端は恐る恐る一枚の封書を手に取って手紙を開ける。

 果たしてその中身とは。

 

「命蓮寺代表 聖白蓮。……最近できた寺の和尚か」

 

 聖の書いた直筆の手紙。もっといえば、

 

「『我々はあなた方の非道な行為、その一切を認めない。信者は元より今すぐ里人を解放せよ』。……抗議文か」

 

 A4用紙一枚分に相当する文章量で書かれた()()()であった。田端は重なった手紙の内容を何となく察した。

 

「まさか、これ全部、妖怪勢力からの……」

 

 息を飲み、何度か深呼吸で緊張を誤魔化す。

 

「開けるしかない」

 

 田端は劇団にいた信頼のおけるメンバーを三人ほど呼び寄せて手紙を開封するように指示した。

 二十分ほどかけて、全ての手紙の封が切られ、中身が明らかとなった。

 

「これ全部、抗議と警告の手紙です」

 

 思わずメンバーの声が震える。

 差出人は以下の通りだ。

 

 

  命蓮寺代表:聖白蓮

  道教勢代表:豊聡耳神子

  冥界白玉楼代表:西行寺幽々子

  魔法の森一同代表:アリス・マーガトロイド

  騒霊三姉妹代表:ルナサ・プリズムリバー

  永遠亭代表:八意永琳

  竹林兎組合理事:因幡てゐ

  竹林警備隊隊長:藤原妹紅

  太陽の畑管理人:風見幽香

  鬼の四天王代表:伊吹萃香

  天界代表代理:比那名居天子

  妖怪の山頭領:大天狗

  守矢神社代表:八坂神奈子

  山の仙人:茨木華扇

  地霊殿代表:古明地さとり

  輝針城城主:少名針妙丸

  付喪神同盟代表:堀川雷鼓

  魔界創造神:神綺

  妖精大連合代表:サニーミルク

 

 

「どうするんですか、これ……」

 

 妖怪の山を筆頭とした幻想郷に存在する各妖怪勢力が、一斉に書面で結社への不快感を顕わにした。その総合戦力は里を何度も壊滅できる。

 名だたる面子の数々に田端は椅子へ腰をかけ、腕を組み、深い深いため息を吐いた。

 

「まさか手紙を寄越すとはな……。しかもこんなにも多く」

 

 額を押さえながら瞳を閉じ、早まる鼓動を落ち着かせて再び手紙を手に取る。

 

「お前の言う通り、どれもこれも抗議と警告だな。それもかなり、強い言い回しでだ」

 

 どの文章もかなりパンチが効いた内容だった。

 許さない。認めない。ルール違反。遺憾の意を表明する。いつも監視している、などは序の口。

 排除する。攻撃も辞さない。容赦しない。徹底抗戦だ。のような攻撃を示唆する言葉。

 他にも、

 

「『貴様らは破ってはならないルールを破った』『お前らは惨たらしい最期を遂げる』『地獄の底で待っているぞ』『転生できると思うな』『神の裁きを下そう』。よくもこんなに書けるものだな。正直、気が滅入る。だが、一番なのは――」

 

 重なった手紙から差出人が大天狗の手紙を読み返す。

 

「『三日以内に里を解放せよ。さもなくば約定を破棄してでも里へ強行突撃する。どれほどの犠牲が出ようともな』。あの陰謀論者の言う通り、ずいぶん融通の利かないんだな。天狗ってのは」

 

 第一候補の交渉相手に人質無視の強行突撃を行うと文面で脅された。

 田端のショックは計り知れなかった。それを知った他の者たちも同様で、

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃ殺されるっ――」

 

 開封を手伝ったメンバーのひとりが震えあがったように身震いして蹲った。他のふたりも立っているのがやっとな状況だ。

 

「三日後に天狗どもが攻めてくる! どうしよう、俺たち勝てるのか!?」

 

「絶対に殺されるっ。うああああああああ!!」

 

「落ち着けお前ら!!!!」

 

 田端は騒ぎ立てるメンバーを制止しようと試みるも、怯えていて話にならない。

 奥歯を噛み締め、腹を立てた彼は、

 

 パンッ――!

 

 混乱するメンバーたちの顔面を次々に引っぱたいた。

 田端は断言する。

 

「これは――罠だ! 狼狽えれば敵の思うツボだ!!」

 

「「「罠!?」」」」

 

「あぁ!」

 

 自分に言い聞かせるように発したその言葉。震える手を沈めながら、呼吸を整える。

 

「まず、昨日の今日でこれどほど手紙が大量に送られて行くこと自体、不自然だ。連中にとって人間は必要な存在。可能な限り、無傷で里人を解放したいと考えている。だからこんな真似をした」

 

「真似?」

 

「恐怖を煽って内部崩壊を狙っているんだよ。ハハッ……。わかりやすい作戦だな」

 

 今日の早朝になって大量の手紙が里のあちこちに散見される。

 こんな状況、罠以外にあり得ない。田端はそう思った。しかし、一方で妖怪たちの間で投書しようという流れになった可能性も捨てきれず、心は奥底では震えているのだが、部下たちに弱い態度を見せたら体制が崩壊するとの懸念があり、彼は結社にとって都合のよいことだけを告げた。

 相手の策を看破したことで三人のテンションが回復する。

 

「そ、そうっすよね!?」

 

「大量の手紙なんてただの脅しだ。よ、妖怪も大したことない!」

 

「よ、弱腰なヤツらだぜぇ」

 

 彼らも不安を捨てきれないようで、声のトーンが安定しない。

 それでも田端が相手の策を看破したという事実に希望を見出したのだ。

 ひとりがこのように問うた。

 

「で、どうします。やり返しますか!?」

 

「そうですよ。馬鹿にされたんだ。何かしないと! そうだ、昨日、倉庫へブチ込んだアイツを処刑しましょうよ」

 

「どうせ陰謀論が好きなだけで役に立たないんだ。死んだって問題ないっすよね」

 

 部下たちが見せしめにテロリストを処刑しろと言い出した。

 田端は首を横に振る。

 

「やったところで大した意味はない。ヤツでは連中を黙らせる材料に成り得ないからな」

 

「じゃ、じゃあ、稗田阿求の近いヤツの家族はどうですか? 鈴奈庵の店主に雑貨屋の親父、寺子屋のガキどもに外来人。誰かひとりくらい」

 

「…………そう、だな。考えてみる。少し……。ひとりになりたい」

 

「あ……はい」

 

「それと手紙の内容は誰にも口外するな。いいな、誰にもだぞ?」

 

「「「わかりました」」」

 

 部下が了承すると田端は全ての手紙を麻袋に詰めて足早に控室へと向かった。

 室内に誰もいないことを確認した彼は、手紙の入った麻袋を壁に叩きつけた。

 

「クソがぁぁぁ!!」

 

 怒りを抑えきれず、声に出してしまう。妖怪たちからの抗議文は彼の心を抉ったのだ。

 頭を抱えながら、地べたに座り込む。

 

「どの勢力もこちらとの交渉の意思がない。人間は大事なんじゃないのか!? それとも多少残っていればいいってのか。パワーバランスなんて本当は存在しないんじゃ……。いや、だとしたら妖怪世界で人間の存在意義なんて無いに等しい。俺たちが里で暮らせるのも理由があってのこと……。そうだ――これは〝稗田の罠〟だ……。落ち着けよ、俺――必ずよい選択肢が残っているっ!」

 

 人間は大事な存在のはず。その認識を持っていた田端にとってこの事態は想定外だった。どこかの勢力は譲歩する姿勢を見せるはずだとの目論みがあったが、人間に近い勢力までもが強気の態度かつ攻撃を匂わせる文章を綴っているのだ。

 妖怪は力で物事を測る連中だが多少は交渉の余地がある。手紙が嘘であれ本当であれ、そう踏んでいた田端の精神にダメージを与えたのだ。

 ここまでの態度で出られると動揺するなというのが無理な話だった。

 

「とはいえ、どうする。文書を見る限り、天狗は三日後に攻めてくる。嘘だと思いたいが……」

 

 天狗が高圧的で人を見下しているのは里の中でも有名な話だ。連中に武力で対抗しても天狗・河童・神様の勢力に勝てるはずもない。

 処刑でもしようものなら『里人に危害を加えることは許さない』などと送ってよこした連中を刺激しかねない。

 そもそも残虐行為はこちらの主張を妨げる行為に他ならない。阿求を人質として取らず、追放して話し合いの余地があると思わせている手前、表だった見せしめは突入を誘発しかねない。

 

「こちらも同じく文書をしたためる必要が……。だが、どこに、どうやって届けるんだ?」

 

 天狗は交戦の構えを見せている。何とか説得しようにも里が陸の孤島と化している事実を思い出す。

 

「普段なら稗田家もしくはあの魔法使いや巫女に仕事を依頼する」

 

 里人と妖怪を繋ぐ存在である魔理沙、霊夢、阿求、慧音。全てを排してしまった。やったのは自分である。手紙を出すのも一苦労なのだ。

 部下に行かせようにも里を外れれば妖怪が出る。ここにどれほどの人員を割かなければならないのか。確実に届けられるのは信用のおける自分の部下しかおらず、二家の荒くれ者やデモ参加者は途中で仕事を投げ出す可能性があった。

 それ以前に妖怪へ向けて手紙を送ったなんて知られたら『妖怪・消えろ』と、煽って味方にした連中からバッシングを受けて体制が崩壊する。

 人員が少ない中、部下を使いに出すなど、デメリットが大きい。

 

「無視して様子を窺うのが得策か……。しかし山の連中が本気なら……」

 

 ハッタリだと信じたい自分と連中が本気だと思う自分。

 その二つの思考の狭間で田端は酷く苦しみ、ひとり控室で問答を続ける。

 

 

 里から数キロ離れた林を抜けたところにある切り立った岩陰。

 そこの一部を覆うように皮製の布が張られ、運動会でよく見かけるテントのような物が設置されていた。中には長い机と数脚の椅子が用意され、特命係のふたりに護衛の妹紅が座っている。

 一羽の鴉が真っ直ぐに降り立った。鴉はテーブルに着地すると、人間たちに向かってカーカーと鳴いて、細長い紙が巻きついた前足を出す。

 尊が引っかかれないように紙を外して中身を読んだ。

 

「文さんの鴉から連絡です」

 

「内容は?」

 

「『全員の配置、完了しました』とのことです」

 

「さすが皆さん。お早いですねえ」

 

 協調性はないが、個々の能力は表の人間を遥かに凌ぐ。指示に従うならこれほど心強い存在はない。

 右京は細長い紙を取り出して『わかりました。続いて監視をお願いします』と、ペンで書いてから紙を脚に撒きつけて鴉を飛ばす。伝書鳩ならぬ伝書鴉であった。

 さらに周囲には待機する狸や兎の姿もある。連絡を取る手段を複数用意しているのだ。

 その手慣れたやり方に妹紅は呆れながらコメントする。

 

「表の警察官は軍師みたいな真似ができるんだな」

 

「大したことではありませんよ」

 

「だけど、いきなりできるもんじゃないだろうよ。普段からこういうことやっているのか?」

 

「いえ、普段やることは雑用くらいです。ですよね? 神戸君」

 

「まぁ……そんなところでしたね。色々と呼ばれてもない事件に首突っ込んでましたけど……」

 

 気まずそうに語る尊。右京は笑顔で、

 

「たまにはそういうこともありますが、基本は雑用です」

 

 こんな切れ者が雑用な訳あるか。真相を知らない妹紅はジト目で投げかけるも上手にはぐらかされる。

 彼女が肩を竦めていると幽々子がやってきた。

 

「幽霊の配置、終わったわよ」

 

「ありがとうございます。こちらへ座りますか?」

 

 右京が自身の席を譲ろうとするが、幽々子は首を横に振った。

 

「参謀が立ちっぱなしなんて恰好がつかないわよ?」

 

「では、ぼくの椅子をお使いください」

 

 次は尊が椅子を譲る。すると幽々子は扇子で顔を隠しながら微笑んで見せた。

 

「あら、いいの? 優しいわねー。アナタ、モテるでしょ?」

 

「いやいや、それほど」

 

 謙遜する尊。ニヤついた右京が一言。

 

「とは言いながらも結構モテますよねえ。君」

 

「昔はそこそこでしたけど、もう五十近くですよ? さすがに限界です」

 

「アナタ、五十近くなの!? てっきり三十代だと思ってたわよ」

 

「五十だと!? その容姿でか!?」

 

 年齢の話が出た途端、幽々子と妹紅が驚いたように尊をジロジロと観察――五十には見えないと評した。彼も「皆さんも年齢に比べて大概」と思ったのだが、色々考えて口には出さなかった。

 盛り上がっているふたりに絡まれている尊を尻目に右京は空を見上げて、

 

「(さぁ田端君。どう動きますか?)」

 

 自慢の眼鏡を光らせた。



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第115話 幻想狂想曲 その2

 午前八時半。

 依然、田端は控室に引き籠っていた。

 

「くっ――どっちなんだ……。ハッタリか、それとも本気なのか」

 

 独裁者を貫いていた田端の顔が歪みに歪んでいる。

 頭を抱えながら「どうしたらいいんだ」と嘆くように繰り返す。

 

「ハッタリだったら無視もしくは大行進。本気なら親書を送って譲歩させるか他勢力に上手く助けを求める。だが、どこに求める!? 助けてくれそうな連中は皆、文書を送ってきている。どこかにないのか――」

 

 投げつけた手紙を拾い集めて一語一句熟読しながら突破口を探すが、何一つ見当たらない。

 

「ここまで妖怪が強気とはな……。あの仮説は外れていたのか……? いや、まだだ! まだやれる」

 

 混乱する頭を何度も叩きながら田端は考え続けた。

 そして十分後。手紙を送った数ある相手の中に〝とある勢力〟がないことに気づく。

 

「紅魔館がない。古参から新参、近隣から端までの妖怪たちが送ってきているが連中の手紙はない。この前、稗田阿求を館に招待して持て成したアイツらが……?」

 

 燦々たる面子の中に紅魔館がない。阿求や右京を呼び寄せた勢力が抗議すらしないのはおかしい。

 そこに気がついた田端は慌てて部下を呼びつけて「手紙はこれで全てか? よく探せ」と、指示を出した。

 部下は田端の形相に怖れをなし、弓矢のような速さで劇団を飛び出した。

 彼らは周りの仲間を巻き込んで「お前ら、手紙を探せ!」と、声を荒げて里のいたるところを探索する。

 大通りや稗田邸の主要地点はもちろん、裏路地や各家庭の投書箱、里の外周を調べに調べる。

 その様子を静かに見守っていた人影が嗤いながら、

 

 ――ふむ、想定通りじゃな。

 

 見張りの注意が逸れたのを見計らい、人影は里の奥へと侵入する。

 

 

 里の東側から離れた林にて。

 

「アイツ、ちゃんと潜入できたのかしら?」

 

「それなりにうまくやるだろ」

 

 霊夢と魔理沙のふたりは右京の指示で里の動向を探っている。

 目立たないように地味な外套を纏い、木々の中や幹の裏側に身を潜め、発見されないように努めている。

 

「幻想郷の勢力中に色々、書かせたのはいいけど、あんな手紙ばら撒いてよかったの? 結社の連中を刺激したら、人質殺すかもしれないのよ」

 

 寝不足なのか、霊夢たちは目に隈を作っていた。

 それもそのはず、ふたりを含めたメンバーは右京の指示で幻想郷中の勢力にかけ合って抗議文や警告文を書かせて回ったのだから。

 最初は文書を送るメリットを理解せず皆、難色を示すも『抗議や警告を示す内容であれば好きに書いてよい』と、告げた途端、喜々として不満をぶちまけた怒りの文を書いてくれたのだ。組織名や代表名は本人たちが決め、存在しない組織名もあったりする。

 まともな文書を書いたことがない妖精勢には魔理沙が代筆して威厳があるように演出したり、雑多な新興勢力相手には霊夢が無理やり言う事を聞かせ、天界や地獄には幽々子、魔界にはアリス、騒霊と付喪神勢力には妖夢、山の仙人や太陽の畑には早苗、道教と仏教勢力にはマミが説得してわずか半日で書かせたのである。

 筆が遅い者もいたのでなんやかんや収集作業は深夜まで及び、ひとの身体にはキツイ作業だった。

 眠い眼を擦りながら魔理沙が質問に答える。

 

「私も賭けだと思うぜ……。 でもさ、どっちにしろ短期決戦は避けられないんだ。だったら策があったほうがいいだろうよ」

 

 いつになく冷静な魔理沙を霊夢が訝んだ。

 

「……アンタ、いつからあの人の部下になったの?」

 

「なった覚えはない。警察官なんぞ好かんからな」魔理沙はきっぱり否定する。

 

「へー。それにしてはずいぶん素直だと思うけど?」

 

「別に素直じゃねぇよ。ただ……」

 

「ただ?」

 

「最小限の被害で里を救える案を出したのがあのおっさんだった。それだけだ」

 

「……そう」

 

 魔理沙には家族がいるものね。納得した霊夢は口を閉じた。

 

 

 里の西側の林にて。

 早苗とアリスが身を潜めていた。

 

「見張りに動きがありましたね。何かあったのでしょうか?」

 

「あんまり覗いちゃダメよ? 見張りやスナイパーに見つかるわ」

 

 霊夢たちと同程度の距離を取っているので騒ぐ声は聞こえるが、言葉までは聞き取れない。

 見たところ、何か暴動が起きている訳でもないので動く必要性はないとアリスは判断する。

 

「何かあれば鴉や狸を使って報せると参謀が言っていたからこのまま待機で問題ないでしょ」

 

「そうですよね。虫が多いのが気になりますが……」

 

 茂みの中に身を隠すというのは虫の住処に足を踏み入れることと同じである。虫たちは草木や人間、関係なく蠢いては消えて行く。しかし、不思議なことにふたりには近づこうとせず、通り過ぎては違う場所へ向かう。

 

「大丈夫よ、虫よけの魔法を茂み内にかけたから。ここから動かなければ虫はよってこないわ」そう語るアリスのグリモワールは薄っすらと光を帯びていた。

 

「ありがとうございます。虫は得意じゃなくて」

 

「好きな女子なんていないわよ。もし私と逸れる場合は月の民の粉を使うのよ? あれも虫よけ効果があるみたいだし」

 

「月の民の薬って信用できるのかなぁ……」

 

 永琳は茂みに隠れる少女たちのために虫よけの薬まで調合していた。

 気持ちはありがたいのだが、月の賢者は打算的な一面を持つので信用できない部分が多い。粉薬が実験途中の薬品である可能性を疑う早苗は安全を疑問視しているのだ。

 

「何考えているかわからない連中だけど、今回は真面目にやるんじゃない? 薬売りで生計を立てているのだから、里が被害を被ればアイツらも死活問題のはずよ」

 

「私も信者の皆さんが心配です。乱暴な目に遭っていなければ……」

 

「私だっていつも人形劇を見てくれる子供たち心配よ。親御さん共々、早く安心させてあげたいわ」

 

 それぞれ信者とファンを抱える立場である。彼らに危害が及ばないように救出したいと考えている。

 

「杉下さんの作戦……。上手く行くのでしょうか?」

 

「わからない。まぁ、信じるしかないでしょ。参謀の判断を」

 

 

 里の南側、こちらの林には妖夢と体調が回復した咲夜が潜んでいる。

 

「身体は大丈夫です?」

 

「月の民の薬である程度回復したわ。何が入っているか知らないけど、すごい技術よね。月の技術って」

 

 地上に幻想郷があるように月にもまた幻想郷に似た世界がある。月の技術力は幻想郷の遥か上を行き、表の世界でさえ太刀打ちできない。八意永琳は超技術国の大賢者なのだ。

 その気になれば作れないものはなく、薬から兵器まで幅広く作成可能だ。諸事情により輝夜共々表舞台へ姿を晒すことはないが、その技術力は敵味方問わず一目置かれ、尊敬と畏怖を集める。

 以前、彼女らの引き起こした異変で苦戦を強いられたふたりもそれは承知している。だからこそ「胡散臭い」と、感じてしまうのだが。

 

「あまり信用はしないほうがいいですね。虫よけは使いますけど」

 

「同感ね。虫にまとわりつかれるなんて嫌だわ」

 

 ゴーストハーフもレミリアの側近も中身は少女。

 虫にまとわりつかれるのは不快なので虫よけはありがたく使わせてもらっている。

 

「ところで、お嬢さまから昨日の会議内容を聞かせてもらったのだけど、結社を刺激してよかったの? アイツら相当過激なのよ?」

 

「私も聞いた時は驚きましたよ。けど、杉下さんは抗うつ薬さんとの話を聞く限り田端は人質を簡単に殺さないだろうって」

 

「あの会話で判断を!? 私には脅しているようにしか見えなかったけどね……」

 

「幽々子さまも杉下さんの考察に『そうかもしれないわね』と、納得していたので私は大丈夫かなって思います。ほんのちょっとだけ不安ですけど」

 

「なんか余計、不安になってきたわ……。この話は一旦、保留にしましょうか。考えるだけで疲れてしまう」

 

「ですね。皆さんの判断に任せましょう」

 

 考えれば考えるほど、頭が痛くなる。

 従者には上司や参謀の常識外の思考など理解できるはずもない。

 そう弁えた彼女たちは自身の仕事だけに集中する。

 

 

 里の北側の茂みにて隠れる優曇華と文。

 参謀の言いつけ通り、優曇華は息をひそめて里を監視している。

 対照的に相方の文は半ば放心状態だ。

 

「あー、本当によかったのかなぁ……。大天狗さまの文書を偽造したなんて怒られるどころじゃ済まないのに。これで失敗なんかしたら天狗の山にいられなくなる。あー」

 

 三日以内に返答しなければ強制突撃させるなど、さすがの大天狗も即決できるはずがない。そこで右京は文に大天狗の文書を()()させたのである。

 彼女は最後まで渋ったのだが「用が済んだら廃棄しても頂いて結構ですので」と、説得されて折れたのだ。

 隣で、呪文のように呟かれるので優曇華的には迷惑極まりない。

 

「(うるさいなー)」

 

 心の中で腹を立てつつも優曇華は昨日のことを思い出す。

 

 ――結社に大量の抗議・警告文を送りつけます。

 

 結社に抗議・警告文を送りつける。誰もが危険だと思った。

 真っ先に魔理沙が反応する。

 

 ――いやいや、そんなことしたら連中、人質殺しまくるだろ!?

 

 ――危険な人物に変わりはありませんが、田端はそこまで馬鹿ではありませんよ。

 

 ――どうしてそう思われるんですか?

 

 霊夢の問いに右京がお決まりのポーズで答える。

 

 ――田端は何をするかわからない独裁者のように見えますが、本当は慎重かつ臆病な人間だと思います。

 

 ――臆病だと……。まぁ、紫の話にビビっていたようだから間違いではないんだろうが……。

 

 ――それもありますが、注目するべきは彼の行動と言動です。

 

 ――行動と言動?

 

 ――彼は稗田さんと上白沢さんを解放しました。普通、妖怪を脅すのであれば人質に取るべきです。

 

 ――けど、それをしなかった。確かにおかしいですよね。

 

 尊が相槌を入れる。

 

 ――妖怪との繋がりのある人間を人質に取れば妖怪が本気で乗り込んでくる。そう考えたのでしょうね。ここはよい判断でした。おかげで里の詳しい状況が妖怪たちに伝わり、迂闊に手が出せない状況になったのですから。もしかするとそこも狙ったのかもしれませんね。稗田さんが妖怪たちを制止してくれると期待して。

 

 ――考えたくありませんが、それならば私を追放した理由がしっくりきますね。

 

 聡明な阿求の御子は右京の意見に頷いた。

 妖怪たちに話し合いの余地があると思わせるとの同時に阿求を使って妖怪を攻め込ませないようにする。稗田家と妖怪が繋がりがあると踏んでなければ実行できない策だ。

 腑に落ちない魔理沙が催促する。

 

 ――行動はわかった。言動のほうは?

 

 ――抗うつ薬さんとの討論で彼は終始、強い言葉と嘘を使って話を進めていました。ですが、本人が述べた通り、目指すところは交渉なのです。交渉相手を無駄に逆上させると思いますか? 僕ならしませんねえ。そのための大行進なのですから。それと言葉選びも引っかかりました。神さまの話になると『うまく進めてもらう』、紅魔館の話になると『耳を傾けて貰えるかもしれない』。強い口調の中に弱気な本音がポロポロと隠れていた。そこを突きます。

 

 相手が交渉を目的としているならば相手を不用意に刺激できない。それに加えて言葉選びに弱腰な点が見受けられた。その二つを根拠に右京はこの作戦を思いついたのである。

 心の中では納得しているが、不安感から魔理沙が違う質問をする。

 

 ――そこはわかったよ。だけど、アイツらは阿求を妖怪側だと思ってんだろ? 結託して攻めてくるとは思わなかったんだろうか?

 

 ――だからこそ無数の里人を人質に取ったのでしょうね。数が減ってもいいのか、と脅すために。

 

 ――事情を理解してるってことか……。頭の回るヤツは奥村以外にもいたってこったな。

 

 皆、黙って頷いた。

 右京は静かに続ける。

 

 ――田端も中々できる男です。人質を利用して独立を目指しているのがその証拠です。そんな相手が一斉に抗議・警告文を受け取り、かつ攻撃を示唆されたらどうなるでしょうかね? それも……もっとも交渉したい相手から具体的な期限が書かれた脅迫文など届いた場合、さぞ取り乱すことでしょう。そして、続く策が僕の思い通りに運んだのなら、彼はきっと――――――絶望する。

 

 淡々と喋りながらも最後の『絶望』というワードだけは氷の如く冷気を放っていた。その言葉は味方すら凍りつかせたほどだ。

 もちろん、あの場にいた優曇華も例外ではなく、

 

「(あの人間――ほんの一瞬だけ()()()()()()に似ていた。もっとも敵に回しちゃいけないタイプよね。警戒しなくっちゃ)」

 

 指示には従うが右京への警戒も怠らない。

 心に誓いながら彼女は里の監視を続けた。



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第116話 幻想狂想曲 その3

 三十分後、部下たちが田端の下へ戻った。その手には二枚の手紙が握られていた。

 

「手紙か?」

 

「そうです。両方とも物陰に落ちていました」

 

「そうか……。下がってくれ」

 

「わ、わかりました」

 

 控室から部下を追い出して封書の裏側を確認する。

 直後、田端は目を疑った。

 

「八雲紫だと!?」

 

 差出人は紫だった。奥歯をガタガタ揺らし、稗田邸から拝借した幻想郷縁起のページを捲る。震える手で紫の本人が書いたと思われる文字と手紙の名前の書かれた文字を見比べる。

 

「かなり似ている。ほ、本物だ……」

 

 筆跡がほとんど一致していた。田端はこれを本人の物だと判断した。恐る恐る封を切って中身を確認する。内容はA4サイズの紙が一枚。しかし、そこに書かれていたのはたったの四文字。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶ  っ  殺  す

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紙一枚分にデカデカと赤文字で殴り書かれた脅迫文だった。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 田端は恐怖の余り、手紙を投げ捨てて大きく仰け反り。背中を壁に強打してしまう。

 

「ハァ――ハァ――ハァ――ハァ――」

 

 押し寄せる吐き気のせいでまともに喋ることもできず、呼吸困難寸前だ。胸を叩いて必死に抑えるも今度は寒気に襲われる。

 折れそうな心を支えるべく田端が呪文の言葉を唱えた。

 

「落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、これは――ハッタリだ、まやかしだ、稗田の罠だ! 妖怪が本気ならとうに俺を殺しにきているはず……。手紙なんて送らない。絶対的な力の持ち主だからな! そうに決まっている。決まっているんだ! うげぇぇ……」

 

 強がってみせるが、心理的ダメージは計り知れずに嘔吐する。

 

「ゲホォ、ゲホ――クソがぁぁぁぁ。俺はこんなことで、こんなことで――」

 

 床に蹲りながら右腕を何度も叩き付ける。悔しくてたまらなかった。妖怪から里を取り戻す。虚言の多い田端だが、そこだけは本心であるように思えた。

 五分ほど取り乱した彼は汚れた手を拭き、痙攣の如き揺れる指で次の手紙の封を切る。

 手紙を広げると、そこにはあの人物の名前がカタカナで書かれていた。

 

「レミリア・スカーレット……」

 

 差出人は紅魔館の主レミリア・スカーレットだった。代筆と記された欄にはパチュリー・ノーレッジの名前があった。

 田端は全文日本語の文章に目を通す。

 

『やぁ、秘密結社の諸君。元気にしているか? 私はレミリア・スカーレット。紅魔館の主にして幻想郷のパワーバランスの一角を担う者だ。今回の件、稗田阿求から全て聞かせてもらった。中々、面白いことを仕出かしてくれるじゃないか。弱い立場でありながら強き者に反旗を翻し、見事追い払う。まるで全盛期のブラド三世のようだよ。次は妖怪避けと称して()()()()()()でも配置するのかい? ははっ、冗談さ。それにしても、あの稗田家当主が異端勢力である我々を頼る姿は目に焼き付いているよ。まぁ、知り合いとはいえ、敗軍の将を匿うほどお人よしじゃないから断ったがね。

 

 それはさておき、本題に移ろうか。私は君たちの行動に一定の理解を示している。ここ数年、妖怪勢力は内外問わず、里へちょっかいを出す流れにあった。簡単に言えば勢力争いだ。そんなことをやれば頭のよい人間は勘づくってもんだ。私はその流れがどうも気に入らなかったのだよ。妖怪と人間は敵同士であり、必要以上の干渉は控えるべきなのさ。そのバランスを崩したのは間違いなく妖怪側だ。いずれ何かしらの事件が起こるだろうと予測していた。全ては運命だったのだよ。

 

 ところで君たちはこれからどうする気なのだ? 里人を人質にして立てこもるのも限度があるはず。妖怪は人間の言う事なんて聞かないからそのうち里は襲撃される。実際、私のところにも近々、結社を攻撃するという情報が入っている。それなりに死人が出るだろうな。それもそれでよいのだが正直、里でいざこざが起こることは好ましくない。幻想郷はな、その性質上、常に外部勢力が入ってくる。ソイツらに対して隙を作ることは望ましくないのだ。外来勢力は舐めた真似をしてくるからな。それはわかるだろう? 幻想郷全体を思えばほんの少しの妥協がよい結果を生むことだってある。私が他の妖怪にそれを指摘しても頭の固い連中は聞く耳を持たない。困ったものさ。おっと失礼、愚痴になってしまった。

 

 そこでなのだが、この私と密会しないか? この機会に君たちの意見を聞いておきたい。そうすれば古参共に私の主張を通しやすくなるからな。時間が惜しいから今日までに返答がない場合、明日の日没後、こっそりと里の劇場を訪ねさせてもらう。間違っても騒がないでくれたまえよ? レミリア・スカーレット』

 

「ば、馬鹿に……しやがってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 田端は手紙を右手で思いっきり振り払った。

 

「なんだよ、どいつもこいつも俺たちを下に見やがって!! チクショーがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 何度も拳を叩きつけながら騒ぎ立てる田端。奇声を聞きつけた連中が室内になだれ込んだ。

 

「お、落ち着いてください!」

 

 部下たちに宥められてもその怒りは収まらず、手紙を手にとっては壁に叩きつけるという八つ当たりを何度も繰り返す。

 三人がかり抑え込まれることでようやく大人しくなるも今後は酸欠に陥って倒れ込んでしまった。田端は控室で横になり薄い毛布を被せられる。

 

「ハァ――ハァ、俺は、大丈夫だ……」

 

 強がっては見せるもその消沈具合は相当で、部下たちが「こんな田端さん見たことない」と、零す。

 気遣いから散乱した手紙を片づける部下が意図せずその内容に目を通してしまう。

 

「なんですか、この手紙ーー俺たちに対して攻撃を仕かけるとか容赦しないとか、どれも脅迫文じゃないですか!?」

 

 ひとりが騒げば皆が群がり、何時の間にか近くにいたメンバー全員に手紙の内容が行き渡る。

 メンバーたちは激しく怒った。

 

「ふざけんなよ、妖怪どもが!」

 

「自分たちが強いからって、俺たちをコケにしてぇぇぇ!」

 

「こうなったらこっちもやってやりましょうよ! 人質を殺しましょうぜ!」

 

 手紙への報復として人質を殺すとまで言い放つメンバーたち。

 田端は絞り出すように「やめろ!!」と一喝した。

 

「お前ら……レミリア・スカーレットの文書……読まなかったのか? あそこに、書いてあっただろ? 劇場を訪ねる、とな。ここをアジトにしたのは稗田一派を追い出してからだ……。つまり、あの吸血鬼は俺たちの動きを察知しているんだよ……。他の妖怪連中も同様かもしれない。不用意に動けば攻められる。適当なことやったら俺たちは終わりなんだ……」

 

 田端は頭の悪くない男だ。レミリアの文書にあった劇場という文字を見逃さなかった。阿求を追い出して妖怪勢力を排除したはずにも関わらず、結社が劇団をアジトにしていると理解した書き方だ。それも彼が怒った原因だった。

 

「稗田一派を追い出しても内部の動きは筒抜けだった。恐らく、昨日の討論も見られた。それがヤツらを本気にさせたんだ」

 

 慎重な性格であることが災いして相手の意図を察してしまった。

 考察すればするほど彼の顔から血の気が引いていく。

 

「そ、そんなぁ……」

 

「せっかく稗田を追い出してもバレバレなんすか……」

 

「もしかして、奥村さんを撃ったヤツの仕業か!? 早く見つけ出して処刑しましょうよ!」

 

「そうだ……。それが一番ですよ代表!」

 

「お前ら、まだわからないのか……?」

 

「「「え?」」」

 

「人質を取ってる俺たちへ一日でこの量の投書だぞ? おまけに情報も把握されている――ヤツらは攻撃準備ができてるんだよ。間違いない。多少の犠牲は止む無しってか……」

 

 田端は妖怪が本気であると思った。

 大半の勢力がノーを突きつけた上に最重要勢力の妖怪の山も三日以内の攻撃を予告した。

 抗議の声が届くのは織り込み済みだったが、まさか大半の妖怪勢力が一斉に手紙を寄越すとは思わなかった。行進を行う前にこの結果では大した成果は出ない。

 終わりだ。田端は自身の負けを悟りつつあった。抗議もダメ、持久戦もダメ、成す術なし。ただ一つを除いて。

 

「レミリア・スカーレットとの話し合い。申し出を受けるしかないのか」

 

 紅魔館は唯一、結社に理解を示した組織だ。そこ以外に交渉のアテはない。

 が、部下たちは否定的だった。

 

「こんな調子に乗ったことを書くヤツなんか信用できませんよ!」

 

「俺たちのところに来るって、里の中に妖怪を入れるってことじゃないですか!? 反対ですよ、俺は!」

 

「そうですよ! こうなったら処刑でも行進でも、できることなんでもやってやりましょうぜ!」

 

「そう……だよな……。罠かもしれないからな……」

 

 部下の後押しで踏みとどまる田端。

 こうなったら、無駄でも里人を使った大行進を敢行してやろう。

 

「可能な限りの里人を集めろ。今日中に里の外を歩――」

 

 話の最中、部下が控室の扉を開けて駆け込んできた。

 

「大変です。二家の連中が手紙の件に勘づいたようで!! リーダーを出せと騒いでいます!」

 

「なんだと! 今は追い返せ!」

 

「それが、結構な数で――」

 

 ――おい田端、出てきて説明せいやぁ!!

 

 ――妖怪から手紙がくるなんて聞いてねぇぞ!!

 

 ――代表がカンカンだぞ! どうしてくれんだよ!

 

 控室越しでも聞こえる罵声の数々。子分どもは劇団の入り口付近で騒いでいるのだ。

 声の張り具合からいって相当怒っている。このままでは乱闘になるだろう。

 田端は布を端に避けてから立ち上がる。

 

「俺が行く。お前らもついてこい」

 

 部下を引き連れ、入口へ向かうと十人近くの両家の子分が見張りに食ってかかっている。田端はため息を吐きつつ、見張りの前に立った。

 

「どうしたんだ?」

 

「おう田端ぁ! お前の部下が話してるのを聞いたぜ? 妖怪たち大量の抗議文が届いたってなぁ!! しかも天狗どもは三日以内に攻めてくるんだろ!? どーしてくれんだよ!!!!」

 

「何!?」

 

 漏らすなと言った情報が二家に漏れた。自分が騒いだ際、部下に聞かれて、それが何かの拍子で二家へ伝わったってしまったのか? と焦る。

 田端はポーカーフェイスを装うもその裏側で怒りの炎を燃やすが、予想外なのはそれだけではなかった。

 

「それと、土龍会のところに閻魔さまから手紙が届いたんだよ! 『改心しなければ死後、地獄へと堕ちる。その寿命が尽きるまで震え続けるがよい!』ってなぁ!! 代表が『なんでバレた!?』ってビビッてんだよ!!」

 

「水龍会のところにも厄神さまから警告文が届いたぞ! 『代表のお前が関わっていることはお見通しだ。これ以上、愚かな行為に加担するならお前たちの使う運河に我がため込んだ厄災を流し込んで使用不可能にしてやる。覚悟せよ!』ってさぁ! 代表が反乱に関わったことがバレて、怒鳴り散らしてんだよ! なんとかしろよ!!」

 

「閻魔に疫病神までもか……」

 

 そう、各代表にも手紙が届いていたのだ。土田には閻魔さま、水瀬には疫病神の文書が。二家の()()()()()()()()()()()()()()()()()は通用しなかったのだ。彼らの怒気も頷ける。

 閻魔までこちらを悪く言うのか……。

 幻想郷には本当の意味で、人間の味方はいない。

 田端は絶句するしかなかった。

 

「どーすんだ! 話が違うじゃねぇか! 妖怪とやりあうとは聞いていたが、閻魔さまとまでやりあうなんて聞いてねぇぞ!!」

 

「それは……偽物だ」

 

「なんだと!?」

 

「疫病神はともかく良識ある閻魔が今の妖怪の肩を持つ訳がない。これは妖怪側の策略なんだ」

 

 部下ならその言い訳でなんとかなるが、子分たちはそうはいかない。

 

「これが妖怪の策略? 嘘が上手いお前らの言い分を信じろってか!? はっ、笑わせるぜ!」

 

「お前、言わせておけば!」

 

 部下の一人が突っかかっていく。

 

「なんだやんのか、もやしどもがコラァァ!!」

 

「んだと、筋肉だるまどもが!!」

 

 双方、相手への不満があり、いつ殴り合いになってもおかしくない状況だ。

 

「やめろ、お前ら!」田端が止めに入る。

 

「ですが――」

 

「いいから! ここで乱闘騒ぎを起こせば、妖怪たちの思うつぼだ。俺たちの足並みを乱して、内部崩壊を誘っているんだろうしな」

 

 確証は持てなかったが、田端は周りを鎮めるためにあえてこの仮説を語った。

 それでも子分たちは信じようとはせず、

 

「ふん、また都合のよいことを――」

 

「だったら、このまま戦うか? 天狗が攻めてくるって騒いでいる癖にか? ヤツらの話が本当だとしたら成す術なく蹂躙されるんだぞ? 俺たちも、お前らも」

 

「そ、それは……」

 

「だから……。少し時間をくれ。こちらも対策を考えてみる」

 

「時間だぁ!? んな悠長なことを――」

 

「頼む。この通りだ」

 

 彼は必死に頭を下げた。

 周りの部下は当然だが、見ていた子分たちもなりふり構わない田端の姿に大層驚いて、最後は折れた。

 

「チッ。わかったよ。だがな、今のやり取りは代表にしっかり話すからな!」

 

「かまわん」

 

 不満ながらも子分どもは引き上げて行った。一時しのぎだが、時間を稼げた。

 田端は片膝を突いて頭を抑える。

 

「クソ、アイツらに手紙の内容がバレたなんて」

 

「だ、誰が漏らしたんだよ!! お前か!?」部下のひとりが近くいた者に突っかかった。

 

「違うっての!!」

 

「じゃあ、誰なんだよ!!」

 

「もういい!! 取り乱した俺にも非がある。今は対策を考える」

 

 妖怪たちの攻撃と二家の問題。

 ふたつの難題を抱えた田端は部下に抱えられて、ヨロヨロと控室に戻る。

 そこに物陰から様子を覗き見る人影がひとつ。

 

 ――ふぉっふぉっ、苦しんでおるのぅ。さぁて、次はどう動く? 田端よ、全てはお主の肩にかかっておるぞ。

 

 優雅に眼鏡を上下させた人影はそのまま路地へと溶け込んで消えた。



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第117話 幻想狂想曲 その4

 時刻は正午を回る。

 右京が構える即席司令部に来客の姿があった。

 

「まさか四季さまが一筆、書いてくださるとは思わなんだ」

 

 くせ毛のかかったミドルヘアーの赤髪に白い球模様があしらわれたロングスカートが特徴的な着物を着こなす女性が右京たちへ語りかけている。その表情は驚きに満ちており、未だに信じられない、といった様子であった。

 依頼した幽々子がクスクスと笑う。

 

「ね? 言ってみるものでしょ、死神さん?」

 

「今回ばかりはそうだったねぇ~」

 

 彼女の名は小野塚小町(おのずかこまち)

 幻想郷の閻魔大王こと四季映姫(しきえいき)ヤマザナドゥの部下で本物の死神だ。普段は三途の川で橋渡しの仕事を受け持っているが、サボりついでに幻想郷にやってきては寿命に逆らう者たちの様子を見にくる。そのために一部の者から嫌われている。

 寿命に抗う術を持たない普通の人間相手にはただの饒舌なお姉さんだ。

 それを知っている右京は小町へ気さくに話しかける。

 

「小野塚さん。ご協力、深く感謝します」

 

「ん? あぁ、気にしないでくれ。たぶん、アンタへの礼だからさ」

 

「僕へのお礼ですか?」

 

「そうそう。稗田の御子を命懸けで庇ってくれた礼だよ、きっと。じゃなきゃ書かんよ。あの方は」

 

「なるほど、そうでしたか」

 

「身体を張った甲斐があったってものねぇ。閻魔さまが認めてくださるなんて滅多にないことよ? 死神が人前に姿を現すこともだけど」

 

「私は性懲りもなくちょっかいを出しにきたのかと思ったんだがなぁ」

 

 話についていけない妹紅がぼやく。

 小町は肩を竦めながら、

 

「いつもいつもお前さんらに構うほど私も仲間の死神も暇じゃないんだよ。今日のところは一時休戦だ」

 

「そいつはよかった。私も殺し合いするほど暇じゃないからな」

 

「何が『暇じゃないからな』よ。一番、暇そうにしてる癖に」

 

 永遠亭から司令部を訪れた輝夜がカッコをつける妹紅にちゃちゃを入れる。

 彼女は両手に布で包んだ一メートル程度の長物を抱え、その後ろにゾロゾロと背中に風呂敷を背負ったやけに清潔そうな兎たちをつき従えて登場した。

 意味がわからない小町はキョトンとする。

 

「なんだ、この兎たちは?」

 

 右京が答える。

 

「補給担当の兎さんですよ」

 

「補給だと!? まさか、人間相手にか!?」

 

 獣臭くなるだろ。ダニとかどーするんだい、と小町は困惑した。

 

「いえ、連絡担当の野良鴉さんと野良狸さんところへ食糧を運んでもらうのです」

 

「そういうこと。じゃあ皆、いってらっしゃい」

 

 輝夜が指示を出すと兎たちは一斉に草むらへ飛び込み、目的の場所に向かう。

 

「中身は簡易水筒、数匹分の食糧などです。作戦成功のためには連絡係との連携が必要不可欠。そこで兎さんのリーダー因幡さんに協力して頂いたのです」

 

 右京は文の鴉とマミの狸を監視兼連絡係、因幡てゐの兎を連絡中継ぎ兼連絡班用物資搬送係として使い分けて運用していた。ダニ対策も万全。八意特製シャンプーで全匹洗浄済みであり、万が一、人間が触っても大丈夫なように配慮されている。噛まれたら即お医者さんへGOすれば問題ない。

 また野良妖怪と野生動物に襲われないように顔が利くてゐが、口利きしているので物資が横取りされる心配もない。さらにいえば物資を運ぶ兎たちを手の空いている狸が護衛し、安全の確保に努めている。ちなみに人間たちへの補給は文が行う手筈となっている。

 内容を知った小町が呆れたように語る。

 

「連絡担当の補給たぁ。よくもまぁ、そんな細かいとこまで考えるねぇ……。あたしにゃ、絶対無理だわ」

 

「永琳が感心してたわ。『兵站の重要性を理解しているわね』って」と輝夜が言った。

 

「普通は考えないわよねぇ」死神同様、呆れ笑う幽々子。

 

「全くだ。表の警察官は奇想天外だねぇ」妹紅は両腕を頭の後ろで組んだ。

 

「いや、動物をあれこれ利用しようと考えるのは杉下さんだけかと……」苦笑いする尊。

 

「全て幻想郷の皆さんのおかげですよ」

 

 これだけ言われても飄々としている。右京の人間性がよく表れていた。

 会話が途切れ、無言の時間が生まれた瞬間、輝夜は思い出したように両手に持った長物を布から取り出す。

 

「杉下さん、これをお渡しします」

 

「これは……刀ですか」

 

「魔理沙たちが香霖堂から貸してもらった品だそうです」

 

 彼の視線の先にあったもの。それは霊夢たちが香霖堂から借りてきた黒い鞘に収まる古びた日本刀であった。

 

「この刀。状態はよくないけどかなりの名刀です。この辺りは妖怪も出没しますから一応、武装したほうがいいかと」

 

「なるほど」

 

 本来、右京は武装を好まない。しかしながら、永遠亭の姫さま――もっと言えば伝説のかぐや姫から手渡されるとあっては断るわけにもいかない。

 

「わかりました。拝借致します」

 

 品よく輝夜から刀を受け取った右京は皆から少し離れたところで刀を抜いた。

 刀身に刃こぼれと黒ずみ、些細な窪みが見受けられるが見た目以上に軽く、どこか太古の息吹を感じさせる。

 色々な角度から観察すると右京は、この刀が薄っすらと白いオーラを纏っていると理解できた。

 一分後、彼はウンウンと頷いて、

 

「この刀――間違いなく名刀ですねえ」

 

「わかります?」と、訊ねる輝夜。

 

「えぇ、オーラがあります。ちゃんと手入れをするように霖之助君へ伝えなくては」

 

「確かによい刀だわ」

 

「ぼくも刀に詳しいってわけじゃないですけど、凡作とは違う何かを感じる、かな」

 

 幽々子と尊も概ね同意する。

 傍から刀を眺める妹紅と小町は「どのあたりが名刀なのか全然わからん」と、言った。

 そのやり取りののち、一行の周囲にほんの少しだけにわか雨が降った。

 

 

 同時刻。

 田端は悩んだ末、行進だけでもやってみようと考え、部下たちに指示を出すのだが、またしても二家の子分たちが立ちはだかる。

 

 ――おい、妖怪を刺激してどうするんだよ!

 

 ――お前らだけでやれよ。俺らは被害者なんだからさ!

 

 稗田家を追い出した時の威勢のよさはどこへやら。妖怪が攻撃を表明した途端、この有様である。結社の構成員は三十人も満たず、人手不足に悩んでいた。おまけに主戦力の半分以上が二家の子分であり、彼らの協力が得られないというのは非常にマズイ状況だった。

 水瀬、土田両家当主に部下たちを手伝わせるように依頼するも水瀬は自分が妖怪勢力に関わったのが明るみになり、土田は閻魔大王の警告文に恐れ戦き、互い自宅に引き籠って田端と話をしようとはしなかった。

 

「本当に口先だけで使えない連中だ」

 

 田端は悪態を吐きながら劇団に戻った。

 

「部下たちだけで行進を行うのは無理だ……」

 

 元々、子分どもを信用していない彼は部下たちだけで外を歩かせたら隙が生まれ、反乱が起こると予測していた。

 大行進の際、妖怪から攻撃を受けやすい危険なポジションに子分どもを割当てようとしていたくらいだ。

 

「子分たちが使えないんじゃ、行進も満足にできない」

 

 当然、結社の人員が減ればチャンス到来といわんばかりに妖怪勢力が攻めてくるだろう。

 デモ参加者だけでは数が足りず、里人を抑えられない。里人の数を減らせば行進の効果が薄くなる上、中途半端な行為は妖怪の反感を買って突入まで期間が短くなるだけ。

 今後の方針を立てられない田端は控室にて再び籠った。

 

 

 水瀬邸では相変わらず当主が怒鳴り散らしている。

 

「なんで俺が加担したことがバレてんだよ!! 漏らしたのはお前か!? あぁ!?」

 

「お、俺じゃないっすよ!?」

 

「じゃあ、てめぇかぁ!!」

 

「や、やめてくださいよ、代表!!」

 

「落ち着いてください!!」

 

 くず入れを蹴飛ばし、近くに居た部下の胸ぐらを掴んでは殴りつける水瀬を子分たちが複数人で押さえつけ、必死に落ち着かせる。それでも水瀬の怒りは収まらず、

 

「どけやボケ! 殺すぞゴラァ!! オラァァァ!!」

 

 抵抗し続けるが水道業で鍛えられた屈強な身体に踏ん反り返っているだけの水瀬では太刀打ちできず、数分後には身体が疲れて抵抗力が弱まる。

 子分どもに屈したと思われたくない彼は「もういい! わかった――わかったから! お前ら一旦、出てけぇ!」と、叫んで他の連中を書斎から追い出す。

 静かになった書斎で水瀬は頭を抱えて蹲る。

 

「なんで俺まで妖怪に敵扱いされてんだよ。俺は反乱が起こってから一度も外に出てないんだぞ!? どうしてなんだよ、どうしてなんだよ!!」

 

 水瀬は妖怪勢力と稗田阿求――さらに言えば杉下右京を侮りすぎたのだ。もはや蜥蜴の尻尾切りで済む話ではない。

 

「厄神さまに厄を流されたら、その周辺は使えなくなる。食糧も捕れない」

 

 水道業は終わったも同然。

 こんなはずじゃなかった、と後悔しても遅い。完全に敵扱いなのだから。

 

「何か、いい方法はないのか!? 何か!?」

 

 悪知恵だけの男が真っ当な策を考えても簡単に答えが出るはずもなく、彼は書斎で頭を悩ませることになる。

 水瀬家の外。書斎側近くの物陰で彼の様子を探っていた人影は不気味な笑みを浮かべつつ、

 

 ――そろそろ頃合いかのぉ?

 

 懐に入れた手紙をそっと邸内へ投げ込んだ。

 

 

「あー、儂はどうすればいいんだ」

 

 風下家を部下に任せ、土田家当主は自宅の書斎で怯える。

 閻魔さまの説教がよほど堪えたようだ。不義理な男にも若干の信仰心は残っているらしい。

 

「仮に言い訳して稗田家の追求を逃れても死後は地獄逝き。ガキ共の誘いに乗らなきゃよかった……」

 

 水瀬同様、今更後悔しても遅い。もちろん手紙が偽物の可能性もあるが、達筆かつ威厳を感じさせる文書を偽物だと断言できる勇気もなかった。

 ため息を吐くと彼は自身の近くに置いた刀を手に取って白鞘から引き抜く。

 刀身の反りが少なく、裏表の刃文が揃った見事な打刀である。

 

「しっかし、この刀――本当にすばらしいなぁ。風下のババアなんかには勿体ない。後がなくなればこれで――」

 

 自決でもするか。

 などと一瞬、考えるも怒られるのは死後なので思いとどまる。

 その後、阿求や閻魔さまへの言い訳選びに悪知恵を働かせるも途中で疲れ果ててそのまま寝落ちするのであった。

 あまりの能天気っぷりに土田を見張っていた人影が苦言を呈する。

 

 ――まったく、どうしようもないヤツじゃのぅ。阿求を裏切ったあげく人様の刀を盗んで反省の一つもないとは。閻魔大王じゃなくとも死んだら地獄と言いたくなるわい。

 

 人影はため息を吐いてから邸宅に手紙を投げ込んで姿を消した。



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第118話 幻想狂想曲 その5

 永遠亭では薬を作る永琳を含めて阿求と小鈴、慧音の四名が待機していた。

 

「上手くいっているといいんだけど」

 

 阿求は来客用の部屋で横になっている。その近くには小鈴もおり、同じく布団で熟睡している。鈴の少女は復帰してからすぐに作業へ参加していた。ずっと働いていたのが原因だろう。

 

 ――コンコン。

 

「入っていいかしら?」

 

 阿求が返事をすると襖が開かれ、水瓶とコップが乗ったお盆を持った永琳が入ってきた。

 

「喉乾いてるんじゃないかと思ってね」

 

「ありがとうございます」

 

 上半身を起こして阿求は水を頂いた。永遠亭の水は浄化されているのか、里の水よりも滑らかで美味しい。渇いた喉を潤し、一息吐いた阿求が永琳を見やる。

 

「作戦はどうなっているのですか?」

 

「無事、第二段階まで進んだと新聞天狗が言っていたわ」

 

「第二段階――ということは、手紙はばら撒き終えたのですね」

 

「らしいわ。効果はてきめん――見事に足並みが崩れたそうよ。飛車と角の動きを封じた。後は取るだけね」

 

「両翼を落とせても駒は残っています。油断はできません。それに……」

 

「まだ狩人がいるものね。それがどう動くか」

 

「人間か妖怪か、里人か外来者か。わからないことだらけです」

 

 現状、狙撃以来、目立った動きを見せないイレギュラーたるバルバトスが一番の障害である。その点のみが不安要素といえる。

 

「皆を信じるしかないわ」

 

「そうですね。私も頑張らねば――」

 

 立ちあがろうとする阿求を永琳が制止する。

 

「ちょっと、あなたも病み上がりなのよ? 出番がやってきたら、私が呼ぶからそれまでは寝てなさい」

 

「いえ、しかし……」

 

「医者の指示です。従ってください」

 

 名医に休めと言われれば、阿求も従うほかない。

 

「わかりました。もう少し休息を取ります」

 

「よろしい。私は薬を作っているから、何かあったら私の部屋を訪ねてちょうだい」

 

 そう言い残して永琳は部屋を後にした。

 再び室内は静かになった。阿求はスヤスヤと寝息を立てる小鈴を眺めた。

 

「この娘も両親が心配のはずよね……」

 

 自分には家族はいないが小鈴には家族がいる。

 その精神的負担は計り知れないが、それでも自分の役割をこなしている。

 手紙の準備を終え、魔理沙たちが持ってきた物資を仕訳した後はお米を炊いてはおにぎりを作り続ける作業をひたすらこなし、寝たのは朝の三時。最後は気絶するように床に就いた。

 

「はやくこの娘の負担を軽くしてあげたいわ」

 

 すると小鈴が呻き声を上げた。

 

「うぅ……。こっちこないで――」

 

「何!? 何!? 小鈴、どうかしたの!?」

 

 まさか夢の中で悪夢でも見ているのか。心配になった阿求がバサッと、自らの布団を剥いで近寄るが。

 

「おにぎり――もう……食べられない」

 

「おい」

 

 内容からは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()夢だろうか。

 どんだけ食うねん。阿求はひとりツッコミを入れて布団の中に戻った。

 

 

 午後十二時半。紅魔館では天狗から報せを受け取ったパチュリーがレミリアの寝室を訪れて、中央にドカンと置かれた棺桶へ話しかける。

 

「レミィ、作戦が第二段階に入った」

 

 少し遅れて棺桶がカタカタと動き、聞き覚えのある声がこもったように室内に響く。

 

「ん……。そうかい――ところで……今何時だい?」

 

「十二時半」

 

「昼か……」

 

「もう少し寝る?」

 

「寝る。出番がきたら起こしてくれ」

 

「わかった」

 

 棺桶の中身はレミリア本人である。彼女はいつも棺桶の中で寝ているそうだ。

 長い付き合いのパチュリーは気にすることはないが、初見では結構、引かれるらしい。

 寝室を後にした彼女は書斎たる大図書館へ戻る。図書館中央の自席に着いて英語で書かれた紙を手に取る。そこには人里奪還作戦の全容が記されていた。書いたのは右京本人だと思われる。

 

「レミィが漢字を読めなくても私は読めるんだけどね」

 

 そこまで気遣わなくてもいいのに。彼女は作戦内容に目を通す。

 

「ペンで相手を殺す、か。面白い。杉下右京はホームズだと思っていたが、名将でもあったとは。この作戦が成功したら和製ハンニバルとでも呼ぼうか」

 

 名将ハンニバルの名前を出しながら愉快げに手紙を伏せ、パチュリーは読書にふける。

 

 

 午後十四時の人里。劇団の控室。

 田端は悩んだ末、とある決断を下すべく部下を呼び出す。

 

「レミリア・スカーレットに手紙を出す」

 

 控室に呼んだのは結社メンバーの中で幹部を除き、信頼のおける者たちである。

 彼らは息を飲みつつ、質問をする

 

「妖怪と密会ですか?」

 

「あぁ」

 

「危険では……?」

 

「わかっている」

 

「じゃあ、妖怪を里に入れるってことですか!? 絶対ダメですよ!」

 

「入れるつもりはない」

 

「「「え?」」」

 

 動揺する三人を前に彼は直筆の親書を手渡す。

 

「ここに『里ではなく里外れに位置する共同墓地で話し合おう。吸血鬼には打ってつけだろ?』と書いた。里の中に妖怪を入れるのは危険極まりない。俺たちが招いたとでも思われたら妖怪に恐れをなす二家が離反する。そうなれば終わりだ」

 

「だったら、交渉なんて……」

 

「それ以外に天狗の攻撃を回避する方法があるか? どっちにしろ手紙を出さねばアイツがここへやってくる。それを避けて交渉するには場所を変えるしかない。共同墓地周辺の木々に身を隠せば狙撃できる。何かあればこちらが有利だ。そういう訳で、お前らには霧の湖経由で紅魔館を目指してもらう。妖怪たちが待ち伏せしてる可能性もあるから直接、湖へ続く街道を通らず、野山の中を進んで欲しい。……妖怪の出没するルートになるが――やってくれるか?」

 

 三人はしばらくの間、無言となるも、やがて観念したように「わかりました」と了承した。

 

「ありがとう。健闘を祈る。無事、帰還してくれ」

 

「「「はい!!」」」

 

 三人は十五分程度で支度を済ませて秘密裡に里を後にする。

 田端の使者たちは紅魔館へと続く街道に向かった。

 それを物陰から確認するふたりの東側担当者。

 魔理沙はコソコソと相方に告げる。

 

「おっさんの予想通りになったな……。おい霊夢。『結社三人、銃刀武装済み、紅魔館方面の野山へ進む』って書いて狸に持たせろ」

 

「わかったわ」

 

 言われた通りの内容を紙に書いた霊夢はその紙を布に包んで細長く丸め、待機中の狸に首輪のように巻きつけた。

 

「眼鏡のおじさんのところまで届けて。落しちゃダメよ?」

 

 ――たぬっ!

 

 マミが調教した狸だからか人語が理解できるようだ。巫女に返事をしてから右京のところへ向かうべく茂みの中に姿を消す。

 一連の流れを見た魔理沙が呆れ気味に言った。

 

「狸って便利なんだな」

 

「そうね。私も子分が欲しいわ。たくさん」

 

 タダで掃除してもらえそうだし。

 楽したいお年頃の巫女はとても羨ましそうに狸が消えた場所を眺めていた。

 

 

 そのころ、司令部。

 四季映姫が手紙を出した手前『その結末を見届けて報告せよ』と、本人から指示を受け、観察者として司令部に居座る小町に右京が協力を依頼する。

 彼女は考えた末「どうせ見張るんだからなぁ」と承諾し、立場上、非公式の形となるが協力を約束する。

 

「まだ、動きはないようだねぇ~」

 

 仕事道具である木船を司令部の隣に出現させ、その中で胡坐をかくてくつろぐ。

 

「まったくだ」

 

 椅子が足りないので妹紅が船のスペースを借りて座る。その様を見た輝夜が、

 

「アンタ、ついにあの世へ行く決心をしたの?」

 

「そんな訳あるか。ちょうどいい腰かけがあったから腰を下ろしただけだ」

 

「舐められてるわねー。死神さん」幽々子が面白おかしく言う。

 

「本当だねぇ……。今回限りだぞ?」

 

 いかに船頭役の死神とはいえ、不老不死の不届き者にここまで舐められるのは格好がつかない。

 しかしながら今回は里解放が先決であるが故、小町は目を瞑る。

 幽々子に席を譲り、右京の側に立つ尊は思わず苦笑してしまう。

 

「なんだか賑やかになりましたね」

 

「そうですねえ」

 

 お嬢さまふたりがいるとあってかどこか緊張感がない。

 それでも通常時よりもテンションが低いので、よしとしなければならない。

 右京は特に諌める訳でもなく、結社と二家の動きを予想しながら連絡を待った。

 そして例の狸がやってきた。

 

 ――たぬっ!

 

「おや、布がついてますね」

 

 右京はテーブルを離れ、狸から布を回収し、中から文字の書かれた紙を取り出す。

 

「『結社三人 銃刀武装済み 紅魔館方面の野山へ進む』。……どうやら、読みが当たりましたねえ」

 

「流れからして使者ですよね?」尊が訊ねる。

 

「恐らく」

 

「使者?」小町が首を傾げた。

 

「ええ。きっと交渉についてでしょうねえ。中身は交渉する意志や場所を変えたいなどの申し出」

 

「そこまでわかるのかい? 密会拒否かもしれないよ」

 

「密偵によれば田端は行進準備を進めるも二家の子分たちが命令を聞かず、人員が集まらなかったようです。代表が取り乱して話し合いを拒否していますからねえ。元々、子分たちは結社をよく思っていないようですし、当然でしょうか。ですが、三日後に天狗がやってくる。この局面を打開するにはレミリアさんを味方につけて天狗に話をつけてもらう必要があります。しかし、里の中で密談など怖くてできない。ならば場所だけでも変えよう。候補は里の外からさほど離れておらず、武装したメンバーを伏せて置ける場所――共同墓地あたりですかね。あそこは野山の中腹を切り開いて作っていますから、周囲は木々に囲まれています。その裏側に隠れて狙撃しやすい。選ぶならそこが無難。田端の性格を考慮するならこんなところですかね」

 

「アンタ、そこまで計算してんのかい!?」

 

「やらしい人ねー。だけど、当っているとは限らないわよ?」幽々子がクスクスと笑う。

 

「できれば当たっていて欲しいものですがねえ」

 

「だったら、確かめにいこうか」妹紅が反動をつけて立ち上がるも輝夜に「アンタは護衛でしょ?」と制止される。右京は言った。

 

「えぇ是非、確かめましょう。西行寺さん、霧の湖に先回りしたのち、彼らを捕まえてください。可能な限り音を立たせず穏便に」

 

 どこか含みのある言い方に幽々子が扇子で口元を隠す。

 

「了解よ。縛ってここへ持ってくればいいのかしら?」

 

「何かあれは紅魔館を貸して頂ける手筈になっていますので、そちらへ運んでください」

 

「だったら、紅魔館までおびき寄せればいいんじゃなくて?」

 

「湖周辺は視界が悪い上に妖精も多いですから。ところ構わず発砲されても迷惑です」

 

「発砲音は里にも伝わるものね。里の反抗勢力を下手に刺激すると暴動を起こすかもしれないか――わかりました。撃たれる前に捕縛してきます」

 

「お願いします」

 

 右京の依頼を受けた幽々子はそっと立ち上がり、船でくつろぐ小町へ向けて「暇でしょ? つき合って」と同行させようとする。

 

「はい? なんでだ!?」

 

「この場所と霧の湖の距離をゼロにすれば一瞬で到着できる。アナタならできるでしょ?」

 

「あぁ……まぁ、できるけどさ」

 

「なら送って行ってくれるわよね?」

 

「いやでも、私も監視という仕事が――」

 

「お借りしてもよろしくて?」幽々子が右京に問うと、彼はニッコリしながら。

 

「この件は西行寺さんにお任せします」

 

「ということだから。よろしくね、運び屋さん」

 

「……私は船頭だ」

 

 このお嬢さまときたら。不満げに立ち上がった小町が木船に乗っている妹紅を退かすと、手をかざして木船を一瞬のうちに消し去った。

 小町は幽々子を手招きして近くに引き寄せる。

 

「じゃあ、ちょっくら行ってくるよ」

 

 そのセリフののち、ふたりがこの場から忽然と姿を消した。

 何が起こったのかわからない尊は言葉を失う。

 

「へ……? 一体、何が……」

 

「これが小野塚さんの距離を操る能力ですか――」

 

「距離? 操る?」

 

 戸惑う尊に妹紅が説明を行う。

 

「船頭役の死神特有の能力さ。距離を操って到達まで時間を意図的に変化させんだよ。0でも100でもな。それを使えば瞬間移動も可能って話さ」

 

「瞬間移動!? 十六夜さんだけじゃなかったのか……」

 

「私も擬似的になら使えるわよ?」輝夜が笑いながら言う。

 

「擬似的にだったら博麗の巫女にも使えるぞ?」

 

「あれは距離が短いわ。修行が足りないからね」

 

「ふん、同感だな」

 

「な、なるほど……」

 

 妹紅の言う通り、小町は自身と目的地の距離を操る力――通称、〝距離を操る程度の能力〟の使い手である。死神として与えられたものか、本人の能力かは不明だが、いずれにせよ常人を凌ぐ力であることに変わりない。

 右京が彼女に協力を打診したのもその力を見込んでのことだ。

 上司と自分の知識量の差を実感した尊は「勉強になりました」と妹紅たちに感謝する。

 彼らが話をしている間にも霧の湖へ到着した幽々子と小町は白い霧に身を隠しつつ、捕獲の準備に取りかかった。



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第119話 幻想狂想曲 その6

 時刻は十四時半。

 紅魔館に親書を届けるために野山を歩く結社メンバー三人は辺りを警戒しながらゆっくり進んでいた。

 

「この先に霧の湖があるんだよな?」

 

「地図を見る限りはな」

 

「街道なら余計なことを考えなくていいんだがなぁ……。水瀬の連中ならこの辺りの地形にも詳しかったり――」

 

「あんなクズどもの話なんか出すな。思い出すだけで胸糞悪くなる」

 

「厄神の手紙ごときでビビッてんだもな」

 

「おまけに土田も閻魔からの手紙で引き籠ってる。組む相手、間違えたか?」

 

「他の誰が俺らに手を貸してくれんだよ? 普通の里人は稗田に逆らったりしないぞ」

 

「そうだよな。はぁ、田端さんも大変だよな。なんか思い詰めているみたいだし」

 

「わかる。手紙が届いてから顔色悪くなったよな」

 

「勝つために戦っているのはいいけど、ちょっと弱腰すぎる気がする」

 

「おいお前、それはないだろ?」

 

「だってさ、人質とっても処刑しないし、狙撃犯確保よりも行進を優先するし」

 

「確かになぁ……。ここらでドンっとやったほうが俺らの本気を示せるのに」

 

「やったら終わりだからだろ? 妖怪の攻撃準備が整っているって言うし」

 

「見張りが里の周囲を見て回ったらしいが、それらしい連中は見当たらなかったらしいぞ?」

 

「考え過ぎってやつか……?」

 

「例えそうだとしても、田端さんの前で言うなよ。小田原みてぇになるからな」

 

「アレはねぇ。ちょっとやり過ぎな気がしたな」

 

「田端さんって基本的に俺らには優しいけど気に入らない相手に対して容赦ないからなぁ」

 

「わかる、わかる。実際、奥村さんとも仲がよくないんじゃないかって言われたしなぁ」

 

「裏で口論とか普通にあったし……」

 

「もしかして奥村さんが狙撃されたのって田端さんの――」

 

「馬鹿! そんな訳ないだろ! それ以上、適当なこと言ったら殴り飛ばすぞ」

 

「声がデカい。ここは妖怪のテリトリーだぞ」

 

「「あ……」」

 

 熱くなっているふたりをひとりが諌めたことで意識が仕事へ集中する。

 その後、一時間、彼らは必要以上の会話を慎みながら野山を越えるべく、歩みを進める。

 

「そろそろ、霧の湖が見えてくるか?」

 

「いや、まだ一時間以上はかかるぞ。野山を歩いているんだからさ」

 

「足が痛ぇ……木の枝先が草鞋を貫通したわ」

 

「俺だって虫に食われて痒くてたまらん」

 

「やめろよ、俺だってつらいんだよ」

 

 野山とはいえ、人が通れる道は限られている。そのまま通れば、妖怪の餌食となる可能性がある。ときに獣道を進み、ときに茂みの中を、身を隠して移動するのはとにかく大変である。

 先頭を行くメンバーが草木を掻き分けていく。一体、後何時間かかるんだ。

 弱音を吐きながらも歩き続け、野山を二か所ほど越えた。

 

「後少しで霧の湖周辺だ。心なしか視界が曇ってきたな」

 

「妖精とかいるんだろうか」

 

「いるだろうよ。視界が悪いから遭遇しないようにな」

 

 霧の湖周辺はその名の通り、濃い霧が発生する。時期によってマチマチだが、今日は野山の麓まで届いており、いつも以上に視界が悪い。

 山を降いて平らな大地を踏みしめたメンバーたちが一斉に武器を構える。

 前のふたりが日本刀で後ろが火縄銃だ。

 火縄銃は、威力こそ高いものの、連射性に乏しく、妖精などの小さい的には当てづらい。本来、この銃は猟師が妖怪や大型動物への威嚇目的のために使用されるものだ。対妖怪用武器とは言いづらいのが実情である。

 この銃で自由に獲物を狩れるのは鍛錬を積んだ猟師だけ。といっても鉛は身体に悪影響を及ぼすので、これで仕留めた動物は基本的に食べられないが。

 そうこうしていると一行の最後尾につくメンバーがふわっとした寒気を感じて身体を震わせる。

 

「おい誰だ、今、俺の背中に触ったヤツは?」

 

「は? お前の後ろに誰がいるってんだよ?」

 

「い、言われてみれば……」

 

 後ろを振り返っても誰もいない。おまけに濃い霧のせいで五メートル先が見えず、少し離れてしまえば姿を見失ってしまう。

 

「待ってくれよ、おい」

 

 先へ行くなよ、といわんばかりに白い靄を掻き分けるが、仲間の姿がない。

 掻き分けれど掻き分けれど白い靄。おまけに方向までわからない。

 

「そんな俺……逸れてしまったのか」

 

 現実を理解して動揺し始める彼の後方から、

 

 ――若人よ、そんなに急いでどこへ行く?

 

 女の声がこだまする。

 

「だ、誰――ごもぉッ」

 

 口を開けた途端、白い何かが口内に入り込んで発声を阻害された。直後、ボディに何が突き刺さったような衝撃を受け、悶絶してその場に倒れ込んだ。

 それから少しして並んで歩いていたふたりは仲間がいないことに気がつく。

 

「おい、アイツはどこだ!?」

 

「はぐれてしまったのか! おーい、どこだ!?」

 

「よせ、妖怪や妖精にバレるだろ――」

 

 ――もう遅いわよ。

 

「「え!? うごぉッ――」」

 

 先ほどのメンバー同様、突然、何かが口内に入り込んで喋れなくなる。

 そして――。

 

 ――ドコ、ドカン!

 

 同じくボディに強い衝撃を受けて仲よく意識を失った。

 

「終わった?」

 

「終わったよ」

 

 靄の中から現れたのは幽々子と小町だった。

 彼女ら後方には大量の幽霊にズルズルと引きずられるメンバーたちの姿があった。

 

「捕獲に成功したわねぇ~」

 

「大して苦労しなかったな」

 

 生命エネルギーを感知できる亡霊と死神のふたりに濃い霧など意味なく、幽々子が幽霊を嗾けて口と目を塞いだ後、ガラ空きとなったボディに小町が拳をめり込ませる。その作業を三回繰り返した。だたそれだけである。

 

「普通の人間だからね。巫女や魔法使いとは違うわ」

 

「だろうね。とりあえず、武装解除してから何かで縛ってこいつらを紅魔館へ運ぼうか。こんなジメジメしたところはゴメンだ」

 

「冥界もこんな感じじゃない?」

 

「たまには仕事を忘れたい」

 

「しょっちゅう忘れているような気がするけど」

 

「それは、気のせいさ……」

 

 小町は身に着けている三人の武装を解除後、彼らの上着で両手をきつく縛り上げ、そのまま紅魔館へ瞬間移動した。

 暇過ぎて眠っている中国門番を飛び越えて物音一つ立てず、玄関正面に着地。幽々子が大扉に近づいてノックする。

 

「吸血鬼さん、いるかしら? 吸血鬼さーん」

 

 一分後、パチュリーが部下に扉を開けさせて、用件を聞いた後、小町と捕虜三人を連れて入館する。

 気絶した三人を見てパチュリーは「縛りが甘い」と、言いながらホフゴブリンたちに縄を用意させ、グルグルに縛り上げてどこかへ連行した。

 

「あれらはどこで捕まえた?」

 

「霧の湖。参謀のご命令なの。紅魔館へ親書を渡しに行った使者たちが騒ぎを起こす前に黙らせろというね」

 

「それはご親切にどうも」

 

「火縄銃も侮れないからね。それに里まで音が聞こえると刺激してしまうわ」

 

「ずいぶん、ナーバスになっているのね。結社の連中は」

 

「妖怪たちの手紙攻撃によって、すでに瀕死の状態。王手は近い」

 

「ふっ、順調らしいわね」

 

「そのようね。さて、この中身を拝見させてもらってもいいかしら?」

 

 彼女はポケットから親書を取り出してパチュリーの正面にヒラヒラとかざす。

 

「それはレミィ宛ての親書のはず。どうして見たがる?」

 

「参謀が言っていたのよ。この親書にはきっと『密談の場所を共同墓地に変更したい』とする旨が書かれていると」

 

「予測か……。面白い」

 

 ニヒルな笑みと共に幽々子と小町についてくるように促す。

 地下への階段を降りて図書館の書斎まで直行したパチュリーが主への許可を取らずに封を切った。レミリアが寝ている際はパチュリーが紅魔館代理を務めているので、その行為になんら問題はない。

 そこに書かれた内容はレミリアを真似たような高圧的な文章だった。そして、下から見て三行あたりに『密会場所を〝共同墓地〟に変更しないか』と書かれた記述を発見する。

 

「「「当たった」」」

 

 三人は同時に言葉を発し、おかしくなったのか別々の方向を向きながらクスクスと笑った。

 

 

「ということでアナタの予想通りだったわ」

 

「そうでしたか」

 

 用を済ませて紅魔館を後にした幽々子たちは一瞬で司令部へ帰還した。

 開口一番、右京に手紙の内容を話して周囲を驚かせる。

 

「よく当てられたもんだ。やるな」

 

「さすがだわ」

 

「お見事です」

 

 妹紅、輝夜、相棒の尊が世辞を送った。

 右京は「彼の性格と行動を分析すればそう難しくはありません」と語って皆を笑わせた。

 

「捕虜は紅魔館に置いてきたけど、目覚めたら無理のない範囲で尋問してみると図書館の管理人が言ってたわ」

 

「無理のない範囲。人間レベルでならよいのですが」

 

「当然、人間レベルで、だそうよ」

 

「それはよかった」

 

 薬や魔法で精神を破壊してまで情報を聞き出すなど、幻想郷の妖怪は容易にやってのける。その点を危惧していたが、パチュリーは上手く計らうとのことだ。色々と気を遣っているようだ。

 ふいに尊が手を挙げる。

 

「杉下さん、今更ですけど。あの三人、本当に捕虜にしてよかったんですか? 田端だって帰ってこなければ妖怪の仕業を疑うはずです。ヤケになる可能性も……」

 

「可能性がないとは言えませんね。ですが、彼は最後まで諦めないと思います。独立への執念。それだけは確かな人物ですから」

 

「だけどさ、部下が暴動を起こさないとも限らんぞ?」妹紅が指摘する。

 

「はい。仰る通り」

 

「大丈夫なのか……?」

 

「田端のリーダーシップが本物なら……少なくとも明日までは持ちこたえるかと」

 

「リーダーシップが本物なら……か」

 

 右京の言葉の意味を理解した尊は口元を押さえながら「どんだけ冷酷なんだろう、この人」と、田端を憐れんだ。幽々子も同様ように、

 

「相手が悪かったわね」

 

 ポツリと零した。

 その様子に他の三人は顔を見合わせて肩を竦めるだけだった。



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第120話 幻想狂想曲 その7

 時刻十七時。日が落ちて夜がくる時間帯。

 水瀬は部下が邸内で拾った手紙を食い入るように一語一句逃さず確認していた。

 

「俺はーー助かるかもしれんぞ」

 

 それは稗田阿求の名前が書かれた手紙だった。定期的に阿求と会議を開く水瀬は手紙が本人の直筆で書かれたものだとすぐにわかった。

 

「『結社に軟禁されていると聞きました。大変でしょうが、どうか耐えてください。必ず救出しますから』。ふふふふふふっ。ご当主は完全に俺を被害者だと信じている。ここを耐えれば、今まで通りの生活が送れる。あはははははぁ!! 稗田が勝とうが田端が勝とうが、どっちに転んでも儲けもの!」

 

 自己中心的な物の見方しかできない水瀬らしいリアクションだ。

 

「えーと他には……『近々、妖怪が結社へ大規模攻撃を行うかもしれないと仙人さまから通達されました。今の私ではどうにもできないので、不要不急の外出を控えるように部下の皆さんへ徹底してください』っか。ま、それくらいなら」

 

 阿求の要望を聞いてやろう。そうすれば自分の評価が上がるはずだ。

 打算的な水瀬はすぐに部下たちに『里の外を出歩くな』『自宅か水瀬邸のどちらかにいろ』『結社の言うことは適当に流していい』とする指示を出した。

 

 一方の土田も阿求からの手紙を読んでいた。

 阿求からの手紙であることに間違いないが、水瀬とは少々内容が異なった。

 

「『現在、土田さんがどのような状況かわかりませんが、とにかく妖怪から結社の一員と間違われないように作業員を含め、自宅から一歩も出ないでください。よろしくお願いします』っか。ほうほう、ご当主はこちらの状況を知らないか……。これはなら結社に息子を人質に取られたって泣きつけば許してもらえるかもな。うんうん、そうだそうだ」

 

 能天気なじいさんはそう考え、風下家を部下に任せて引き籠ることを選択した。

 

 

 同時刻。司令部にて。

 

「そろそろ、あのふたりも手紙を見ているころじゃろう。あー、疲れたわい」

 

「お疲れさまです。マミさん」

 

 潜入を担当していたマミが本日の仕事を終え、参謀の右京に報告していた。

 

「メイドどのと違って儂は時間を止めれんからのぅ。変身してやりすごすのはちときつかった。それにしても特定の施設以外、あまりお札が張られておらんかったのが意外じゃったな」

 

「数が不足しているのでしょうねえ」

 

「さすがに里全体をカバーするだけの量はないか」

 

 妖怪対策の札は劇団や稗田家の主要施設に回されており、水瀬や土田の邸宅はほぼノーガードだった。故にマミは警備の浅いポイントならば活動し放題。里の情報がより詳しく把握できた。

 

「そちらも収穫があったそうじゃな?」

 

「結社側の使者を三名ほど捕えました。その情報から田端がレミリアさんとの密会を望んでいると確証を得られました」

 

「捕まえた連中は紅魔館にて尋問か。どのような内容なのか」

 

「後で様子を見にいきます」

 

「仕事熱心なのはよいがあまり無理をするでないぞ? お主とて病み上がり。過労で倒れる可能性もある。立案者がいない状況では作戦は実行できん」

 

「ご配慮感謝します」

 

 右京はいつも通りの表情で礼を言うが、年長者のマミには本心が筒抜けだった。

 

「その表情……。無理する気満々じゃな。冥界のときとよい、少しは自らの身体を労わったほうがよいぞ。資本なのだからのぅ」

 

「わかっているつもりなのですがねえ。ついつい無茶ばかりしてしまう。僕の悪い癖」

 

「世間一般ではそれをわかっていないと言う。ま、説教なぞするつもりはない。ほどほどにの」

 

 そう言い残して、マミは夜間偵察に備えて休息を取るべく一足先に永遠亭に戻った。

 夜間は人間を代わりに視力のよい妖怪勢力が中心となって監視を行う。

 その間、人間たちは休息を取る形となる。

 右京たちも同様で、妹紅と小町、尊が撤収作業に取りかかっていた。輝夜と幽々子も人の足跡などの痕跡を箒で消して回る。

 五分後、作業を終えた一行は小町の能力で永遠亭までワープを使って帰還を果たす。

 永琳たちに挨拶した右京は休憩を取るメンバーと別れて広間でひとり、明日の作戦内容をまとめる。

 借りた座卓の上で白紙と睨めっこしつつ、目的達成の道筋を立てる。

 紙に書いては捨て、また捨てる。そんな作業を一時間以上も繰り返した。

 

「はぁ……」

 

 筆を置いて右腕で額を押さえる。病み上がりの身体には堪えるのだろう。

 すると、座卓に緑茶の入った湯呑が置かれた。

 

「無理しすぎよ。少し休んだら?」

 

 永琳である。

 

「もう少しだけ書いたら横になります」

 

「少しってどれくらい?」

 

「少しは……少しです」

 

「ひと通り、書き終わるまでやるつもりね? 困った患者さまだわ」

 

 医者泣かせの患者とはこのことだ。

 

「一応、参謀ですから」

 

 自分には責任がある。故に最善を尽くす。

 右京は覚悟を以て挑んでいる、と理解した永琳は。

 

「……より疲労回復効果のあるお薬を用意しておきます。後で服用してくださいね」

 

 そう言い残して広間を出ていった。

 

 

 時刻は二十三時を回る。周囲が暗闇に包まれ、静寂が訪れる。

 控室で使者の帰りを待っていた田端だったが、彼らは出発から七時間以上経っても戻ってこない。

 次第に彼は自分が迂闊だったと実感する。

 

「この時間になっても帰ってこないところを見ると道に迷ったか、もしくは妖怪に襲われたか……。あるいはレミリア・スカーレットを怒らせたか――クソッ!」

 

 道中、妖怪に捕まるケースは予測していた。街道は危ないと野山を通らせた上に武装もさせた。成功する確率は決して低くなかったが、妖怪勢力に包囲されているかもしれないとの疑念がある中で不用意に使者を出すのは浅はかだったと言わざるを得ない。

 

「妖怪に食われていれば手紙は届いていない。吸血鬼に手紙が届いていたなら、こちらの使者もしくは自らの使者に返事を寄越させるはず。となると前者か……」

 

 妖怪に襲われて死んだ。田端はがっくりと肩を落とした。

 

「俺の判断ミスか……」

 

 部下三人を失い、罪悪感を覚える。けれど諦めたら夢が終わる。

 

「アイツらの死は無駄にしない。里は必ず独立させる。妖怪の干渉を受けつけず、人間の安全圏を広げるために」

 

 理想は捨てない。何があっても。

 彼は決意を胸にペンを持つ。

 

「吸血鬼は明日の夕暮れ時にこの劇場を訪れる。何か、何かよい策はないか……何か」

 

 もはやレミリア襲来は避けられない。天狗の攻撃も迫っている状況を鑑みるに明日の密談で協力を取りつけねばならない。例え、罠の可能性が拭えなくとも。

 必死に策を講じる田端の苦悩を控室の床下から窺っていたエレンはため息を吐きながら、

 

 ――田端はここまでだな。

 

 姿を消した。



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第121話 幻想狂想曲 その8

 深夜三時。

 月の光が差し込む静寂の永遠亭で右京が目を覚ます。

 

「眠ってしまいましたか……」

 

 あれから見張り役の有志たちが続々と帰宅した。皆と打ち合わせを通して指示を出し続ける作業を二十三時辺りまで続け、一段落したところで睡魔に襲われて机に突っ伏してしまったのだ。

 身体に被さる毛布を隣に避けながら、

 

「捕虜の様子を見に行かなくてならないというのに」

 

「そっちはあのにーさんが代わりに行ったよ。『強い言葉で脅してみたが口を割らなかったので何も聞けなかった』そうだ」

 

 入口側の壁を背にしてくつろぐ妹紅が教えた。

 

「そうでしたか」

 

「霊夢、魔理沙などの人間組は皆、部屋で寝てる。亡霊と死神は一旦、帰宅した。四時までには戻るそうだ。見張りは狸の旦那と新聞記者が中心となって継続中だ。そういう私は休憩中さ」

 

「なるほど」

 

 皆、自分の仕事を理解してこなしていた。右京はホッとしたように、

 

「頼りになりますねえ」

 

「今回ばかりは皆、やる気だな。こんなことは滅多にない。幻想郷始まって以来かもな」

 

 スタンドプレイを好む幻想郷勢が里を救うために一丸となって行動を共にしている。非常に珍しい光景だ。

 

「後は成功を祈るだけだな。アンタももう少し寝ときな。今日が本番なんだからさ」

 

「そうですね」

 

 妹紅にすすめられ、右京はもうひと眠りして、夜が明けると同時に目を覚ました。

 縁側で背伸びをしていると後ろから尊が声をかけてきた。

 

「よく眠れましたか?」

 

「おかげさまで」

 

「杉下さんが寝落ちする姿、ぼく初めて見ましたよ」

 

「誰だって寝落ちくらいしますよ」

 

「やっぱり、まだ身体が回復しきってないんですね」

 

「かもしれません。ですが里を取り戻し、バルバトスの正体を暴くまではうかうか寝てもいられない」

 

「ハハッ、相変わらずですね。安心しました」

 

「君もそういうところは特命時代から変わりませんね」

 

「前にも言いましたよね。人間なんてそう簡単に変わらないって」

 

「そうでしたね」

 

 幻想の朝日が差し込む大空を眺めながらしばしの無言の後、尊が言った。

 

「この作戦――成功させましょうね」

 

「もちろん」

 

 

 同時刻、劇場にて田端は会場に幹部を含めた初期メンバー十人を呼び出した。

 欠伸する者もいるなか、田端は低いトーンで告げる。

 

「本日、レミリア・スカーレットとこの場所で密会する」

 

 どれもが驚いて言葉を失う。何で妖怪を里に呼ぶのだと。

 

「いやいや、それはないでしょ!?」

 

「妖怪を否定したのに妖怪を呼ぶなんて認められませんよ!」

 

「さすがにダメですって!!」

 

 結社は性質上、反妖怪思想を持った者が多い。稗田家を追放したのも妖怪と組んでいるからだ。妖怪とズブズブな稗田を追い出して隠された真の歴史を取り戻す。そのために自治を確立する。だからこそ田端の考えは認められないのだ。

 

「それ以外に方法がないんだ……。昨日、送った使者が帰ってこなかった。タイムリミットはすぎてしまった。今日の夕暮れにヤツが来る。これは覆らない事実だ」

 

「だったら、戦いましょうよ! 銃だって、刀だって、爆薬だって、札だってある。ダメージを与えられますよ!」

 

「無理だ。お前らだって知っているだろ? 上空を自在に飛んで撃ち合う妖怪と里外の人間の強さを」

 

 里の中で飛行する妖怪勢力や人間たちの姿は結社のメンバーも目撃している。不公平だとここに誰もが感じた。自分たちにこの力があれば『こんな奴らに好き勝手騒がせたりしないのに』と。

 

「正直に言ってくれ。連中相手に武器を持った俺らが勝てると思うか? もちろん、手加減なしの本気で攻めてきて、だ」

 

 不満を漏らしていたメンバーが一斉に黙った。

 メンバーは阿求から信用されておらず火器を貸し与えてもらえなかった。いかに使いやすいとはいえ練度不足からして、飛翔する者に銃弾を浴びせられる射撃能力を持つ者はいない。

 接近戦の刀や手投げ爆弾もあるが、敵遠距離攻撃の餌食になるだけ。まともに戦って勝てるビジョンなど存在しない。

 が、ひとりのメンバーが手を挙げた。

 

「稗田家に近い人間を人質に取れば戦えるのでは?」

 

「天狗どもが配慮すると思うのか?」

 

「稗田の罠っていう可能性もありますよ!」

 

「そうだ、稗田が妖怪に泣きついて書かせたに違いない!」

 

「あらゆる勢力にか……? いくらヤツでもこの短期間でこの量の手紙を書かせるほどの人脈があるのか?」

 

「それは……」

 

「偽造した可能性だってありますよ。紅魔館とか仲のよい勢力もあるでしょうし」

 

「レミリアの親書には追い出したと書かれてあったが……」

 

「うそっぱちですよ! 卑怯な連中なんですから!」

 

「……」

 

 唸りながら、部下たちの意見に耳を傾ける田端。

 いつもの高圧的な一面が鳴りを潜めている。その姿に一部のメンバーが物申す。

 

「田端さん、らしくないですよ! 稗田を追放した時の勢いはどこにいったんですか!?」

 

「小田原を殺ったときの勢い、すごかったですよ!」

 

「奥村さんが撃たれたときだって、真っ先に行動を起こしたじゃないですか!? あんときの決断力はどこにいったんですか!」

 

「……」

 

 正直、勢い任せな部分があった。敵であれ味方であれ、舐められないように行動していただけ。などは口が裂けてもいえない。根は臆病でも独裁者は最後まで独裁者であり続けるしかないのだ。

 弱いリーダーなんぞに過激派は抑えられない。

 このままでは結社が崩壊する。

 察しのいい何人かがこの状況に危機感を覚えた。

 後がなくなった独裁者は最後のカードを切る。

 

「俺の母親は()()に殺された――知っているヤツもいるだろうがな」

 

 田端の唐突な自分語りに皆の注目が集まるも。

 

「だったら、なおさら妖怪に屈しちゃダメでしょ!!」

 

「母親の仇にすがるんですか!?」

 

「見せしめに稗田関係者の家族を処刑しましょう。裏切り者の家族も裏切り者ですよ!!」

 

「そうだ、そうだ!」

 

「殺せ! 殺せ! 殺せ!」

 

 過激派の中の過激派メンバーたちが手をかざして殺せコールを連呼する。

 幹部たちが引いている中、田端だけは目を細めて冷静に問う。

 

「――それで妖怪に勝てるのか? もし本気になった妖怪に勝てるならいくらでも里人を殺してやるよ。知り合いでも親戚でも赤子でも。例え、仲間でもな」

 

 勝てるなら仲間でも殺す。小田原の死を目の当りにしたメンバーたちに戦慄が走った。

 

「お、俺らも殺す……」

 

「じょ、じょ、冗談ですよね――」

 

「本気だ」

 

「「「……」」」

 

 血の気が引いていくメンバーたち。それを見た田端は真顔で続ける。

 

「だが、殺しても勝てない。だろ?」

 

「「「で、ですよね……」」」

 

 彼の目は小田原を殺したときのようにドス黒く、視界に映る者を圧倒する力があった。

 弱腰だと批判した自分らが馬鹿であった。部下たちは心の底から怯える。

 凍りついた空気に嫌気がさしたのか、田端は顔を背ける。

 

「俺は勝ちたいんだよ。強者面して威張り腐っているアイツらに――そのために戦っている。だから、吸血鬼と密会したい。ヤツを……言い伏せてみせる」

 

「で、でも……失敗したら――」と子分が零す。

 

「そのときはお前らの言う通りする。代表を降りろと言われれば降りるし、人質を処刑したいなら好きなだけ処刑する。どうだ?」

 

 部下たちは一言も喋らず、ただ互いに顔を見合わせるだけ。一つ一つの発言が極端な田端に戸惑うなというほうが無理があった。

 

「返事をくれ」

 

 催促されても皆、口を閉ざしたままだ。

 

「頼む」

 

 このリーダーの要求は無視できない。部下たちはついに折れた。

 

「「「わかりました……」」」

 

「ありがとう。密会の話はこのメンバーだけの秘密だ。日が暮れてきたらここに集合してくれ。以上だ。持ち場に戻ってくれ」

 

「「「はい!」」」

 

 逃げるように散っていく部下たちの背中を眺めながら「最後まで諦めない」と呟き、田端は控室へと戻った。

 

 

 午前六時。右京たちは司令部設置を終え、いつでも指示が出せる状況を整えていた。

 見張りメンバーも交代を完了し、昨日と同じ布陣を敷いた。

 尊が報告する。

 

「準備完了です。後は彼らの出方次第です」

 

「わかりました」

 

 参謀、参謀補佐の右京と尊に加えて護衛役が妹紅、予備戦力に幽々子と小町が置かれ、司令部は幻想郷でもトップクラスの実力者によって保護されていた。

 ここに手を出せば並みの妖怪では瞬殺されること間違いない。

 大空を仰ぐ妹紅が言う。

 

「果たして夕暮れまで持つか……」

 

「大丈夫でしょう」幽々子が答える。

 

「『妖怪が出た』と大騒ぎになったら大混乱だぞ?」

 

「そうなれば、強行突撃よね……」

 

「騒ぎ具合によってはそうなりますねえ」右京が頷いた

「全ては吸血鬼の手腕次第か……。里の命運を握るのが吸血鬼とは。変な話だねぇ」

 

「レミリアさんならきっとやってくれますよ。その運命を引き寄せて」

 

「過信しすぎよ? あれはただの我儘吸血鬼なんだから」

 

「だとしても。今はあの方を信じます」

 

「ま、参謀がそう言うんだから、いいんじゃないのかい?」

 

 今更騒いでもどうにもならん。小町は呑気に木船の上でくつろぎながら髪の毛をいじっている。呆れた幽々子が目を細めた。

 

「おサボり死神さん? 閻魔さまに言いつけるわよ?」

 

「サボってはいない。行く末を見守っているだけさ」

 

「一応、有志メンバーなんだから、しっかり働くのよ?」

 

「わかってる、わかってる」

 

 尊が内心、そのマイペースっぷりに困惑する。

 

「一応、今日が決戦の日なんですけど……」

 

「まぁ、よいではありませんか。緊張しすぎるの考えものなのですから」

 

 緊張感がないのも問題だ、と思うも右京に見抜かれ首を横に振られる。

 人には人のペースがある。同じように人外にも人外のペースがある。彼女たちは仕事をしっかりこなし、簡単に失敗しない。右京はそこを信用しているのだろう。

 無理やり納得した尊は「わかりました」とこれ以上の発言を控え、結社の動向に注視する。

 

 

「いよいよ、今日か……」

 

 東の茂みに身を隠す魔理沙は緊張により顔が引きつっている。

 今日に入ってから心ここにあらずの状態が続いている。

 相棒の霊夢が彼女の肩を叩く。

 

「アンタ、しっかりなさいよ。お父さんを助けるんでしょ?」

 

「助けるのは小鈴の両親だ」

 

「はぁ……ホント、いじっぱり……」

 

「文句あるか?」

 

「別に」

 

 魔理沙の頑固は死んでも治らない。巫女はさじを投げた。

 

 

 西の茂みのアリスと早苗もそわそわしていた。

 

「人形の準備は万全――後は夕暮れを待つ。心配は吸血鬼のヤツが敵の挑発に乗ってヘマしないかどうか」

 

「一番心配ですよね……」

 

 気取っていても根っこはお子さま。本質を知っているふたりは不安が拭えずにいる。

 

「けど、杉下さんの指示ですし。何とかなりそうですよね……」

 

「そうね」

 

 使者の件もそうだが、手紙の内容も的中させた参謀の実力は本物である。

 そこは認めているようで、その後の私語は慎んだ。

 

 

 時刻は正午を回る。

 本来なら見回りに協力するはずの子分たちは結社の言うことを聞かず、仕事をサボっている。

 仕事しろよ、と結社の連中が注意すればお前らは俺の上司じゃない、と反発されて家や邸宅から出てこないし、代表は代表で取り合おうとはしない。

 報告を聞いた田端は拳を机に叩きつけた。

 

「ふざけやがって!」

 

「どうします? 力ずくでやらせましょうか?」

 

「そうなったら子分どもとやり合うことになるだろ。夕暮れには吸血鬼が来るんだぞ? ごたついている場合じゃない」

 

「じゃあ、どうするんですか?」

 

「密会が終わるまでは放置していい。その後は――結果次第だ」

 

「わかりました」

 

「報告ありがとう。持ち場に戻ってくれ」

 

 部下を下がらせた彼は近くにあった小物を蹴飛ばす。

 

「これだから肉体労働者は!」

 

 上の言うことしか聞かず、自分では物事を判断できない。権力者にとって都合のよい労働力。インテリ気質の田端がもっとも嫌う存在だ。反乱を起こすためとはいえ、二家を頼った結社側のミスといえる。

 

「……今は、密会のほうが大事だ。少しでもあの吸血鬼にこちらの言い分を理解して貰わねば」

 

 怒りを鎮め、再び机に座ってペンを走らせる。

 全ては密談を成功させるために。

 

 

 同時刻。紅魔館。

 大図書館でレミリアとパチュリーが打ち合わせをしていた。

 

「結社がこう言ってきたら、ここに書いてある通りに反論するのよ?」

 

「え、えぇ……わかっているわ」

 

「次はここで、その次はここよ」

 

「ん? あぁ――そう、ね」

 

 パチュリーの書いたマニュアルを確認しながら内容を暗記するレミリア。

 覚えることが多すぎるせいか、いつもの余裕はなく、尋ねられた話に「うんうん」と返すので精一杯だ。

 

「本当に覚えてる?」

 

「当たり前でしょ!?」

 

「結社の連中が紅魔館に独立を認めて欲しいと訴えたら?」

 

「『それはできない』と言うのでしょ?」

 

「その理由を問われたら?」

 

「えーと……。『人間ごときが生意気だ』」

 

「それじゃダメ。少なくとも『現状でも里の自治は約束されており、独立を果たしているのと同義である。妖怪が紛れ込んでしまうのは里が妖怪の生活圏の中にあるからだ。演説時に現れた妖怪は君たちに危害を加えていないとの報告を受けている。つまり、彼らは約束を守っているのだ。どこにも違反していない。そもそも、妖怪の干渉を受けたくないと言うならそれは不可能である。何故なら、歴史的にも幻想郷は妖怪が先に住んでおり、そこに人間がやってきたという事実がある。とすれば決定権は先住民である妖怪側にあることになる。里が妖怪の勢力圏に位置いるのが不満ならば、後から住み着いた狩人である君たちのご先祖さまの判断――もっといえば里人の歴史そのものを否定することになるのでは?』これくらい言えないと」

 

「長い。それとちょっと辛辣過ぎるわよ」

 

「……自分でもそう思った」

 

 吸血鬼を以てしても手加減がないと思わせるパチュリーの弁論。味方としては心強いが、相手はテロリスト。逆上させすぎるのはマズイ。

 

「それにもうちょっと吸血鬼っぽい言い回しがいいわ」

 

「例えば?」

 

「『全ては運命なのだよ』とか」

 

「かえって逆上する。会談中は極力、控えて」

 

「ダメかぁ……」

 

「ダメです」

 

「むう……。パチェがついてきてくれればねぇ~」

 

「ひとりで行くとカッコつけたのはレミィよ」

 

「そうだったわね……」

 

「じゃあ、次ね。相手に馬鹿にされても?」

 

「腹を立てない」

 

「褒められても?」

 

「図に乗らない」

 

「そうそう、次は――」

 

「私は子供か!?」

 

「……念のため。ふっ」

 

 パチュリーは視線を逸らしながら小さく笑った。

 こうしたやり取りが出発直前まで続くのであった。



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第122話 幻想狂想曲 その9

 十七時。日没まで残りわずか。

 

 里を監視する優曇華がソワソワしだす。

 

「そろそろ私の出番か」

 

「頑張ってくださいね!」

 

 真剣な眼差しで優曇華の両手を握る文。

 優曇華は心底めんどくさそうに。

 

「アーハイハイ、ガンバリマス」

 

 失敗したら後がないのは理解しているが、小狡い記者から熱血系にジョブチェンジとかマジ勘弁。

 そう思いつつも居場所を失うリスクを理解している優曇華は何だかんだで突き離さず、文の愚痴につき合ったりと面倒見のよさを垣間見せた。

右京に与えられた任務の一つは彼女の役割は波長を操って敵の見張りから仲間を隠すことだった。そして、もう一つは――。

 

「行ってくる」

 

 優曇華は波長を操り周囲に紛れ、いずこかへ姿を消した。

 

 

 ――カァカァ。

 

 咲夜たちが待機する場所に一羽の鴉が舞い降りる。

 足にまきついた紙を妖夢が解く。

 

「優曇華さんが動いたようです」

 

「なら私も動かないと」

 

 懐中時計を取り出して能力を発動させようとする咲夜を妖夢が心配する。

 

「大丈夫ですか? まだ身体が……」

 

「お嬢さまが頑張るというのにメイドの私がサボる訳にはいかないの。ここはあなたに任せます。いい?」

 

「えぇ、わかっていますよ」

 

 妖夢が喋り終わるのと同時に彼女は空間制止能力を発動させる。

 辺りの空間から次第に動きが失われ、数秒後には完全に世界が止まった。

 

「特に問題ないみたいね」

 

 身体にかかる負担もなく、いつものように動かせる。

 月の賢者の力がなせる技だ。

 ふと、隣を見ると不安げな表情の妖夢の姿が目に映る。

 

「心配してくれてありがとう」

 

 感謝を述べた彼女は静かに歩き出した。

 

 

 夕暮れ時とあって司令部にも有志たちが続々と集結する。

 阿求、小鈴、慧音、永琳、輝夜はもちろん、レミリアとパチュリーの姿もあった。

 監視役と工作員以外の全戦力が集まる中、右京は彼女らに向かって宣言する。

 

「作戦を次の段階に移行します。今日で勝負が決まるでしょう」

 

「いよいよですか……」緊張で胸を押さえる阿求。

 

「これでお父さんたちが」落ち着かない小鈴。

 

「皆、待っていてくれ」里を案じる慧音。

 

「指定された薬は全て持ってきたわ。できる限り使わなくて済むことを祈る」永琳が言った。

 

「私のカリスマを世に知らしめる」余裕のレミリア。

 

「間違ってもペースを乱されないでね」パチュリーは念を押す。

 

「私はお外で頑張るから中は任せたわよ」幽々子が口元を可愛く押さえる。

 

「泣いても笑っても勝負は一回っきりね」と輝夜が零す。

 

「力んでも仕方ない。気楽にいこうか」割り切った言い方をする妹紅。

 

「今日のあたしは船頭ならぬ運び屋さ。こうなったらどこへでも運んでやる」小町は開き直った態度と共に夕日を眺めた。

 

 作戦実行に必要な条件は整った。最後は皆のチームワークそして運にかかっている。

 数分後、夕日が沈み始め、里周辺が一気にうす暗くなる。

 尊が言った。

 

「もうちょっとで日没です」

 

「ええ」

 

 右京は真顔でその時を静かに待つ。

 そして、夕日が沈む。日没は間近。ここまでくれば問題ない。

 レミリアは黒翼を大きく広げた。

 

「本物の妖怪というものを見せてくる」

 

 瞬間、無数の蝙蝠に分裂したレミリアが漆黒の空へと飛び立った。

 

 

 密会場所となる劇場。そのホールの檀上にはテーブルと椅子が用意されており、田端が席に着いてレミリアを待っていた。

 彼は近くにいた部下に訊ねる。

 

「配置は?」

 

「劇場に十二名の武装したメンバーを配置しました。残りは重要施設の見張りを担当しています」

 

「もし、妖怪が攻めてくるようなことがあれば人質を盾にしろ。場合によっては殺してもいい」

 

「よろしいんですか……あんなに慎重だったでしたのに」

 

「構わん。密会が罠だったということだからな」

 

 この状況で妖怪が攻めてくるなら密会を含めて罠だったということになる。

 ならば見せしめとして稗田派閥の人間を殺すほかない。これは不満がたまっている部下への配慮でもあった。

 

「見張りに伝えます」

 

 指示を受け取ったメンバーが外へ出て行く。

 

「吸血鬼はまだか?」

 

 里は日没を迎えた。吸血鬼は何をしている。

 まさか手紙は嘘だったのか。など、色々なケースを想定する。

 

「罠の可能性も捨てきれんか――」

 

 ――何が罠だって?

 

 田端の呟きをかき消して会場に謎の声が響く。

 驚きのあまり椅子を飛ばしながら立ち上がるが。

 

「蝙蝠!?」

 

 メンバーのひとりがどこからともなく会場に侵入してきた無数の蝙蝠に驚く。

 その黒い塊は空中を縄のように泳ぎ、田端の向かい側の椅子を覆い隠すように取り囲む。

 何が起きているのかわからない田端とメンバーたちはただ茫然としている。

 数秒後、黒い渦の中心に紅い眼を持った吸血鬼が姿を現す。

 

「結社の代表か?」

 

 ピンクのドレスにお洒落なナイトキャップ、身体に見合わぬ漆黒の大翼に緋色の蛇眼。レミリア・スカーレット本人のお出ましである。

 

「きゅ、吸血鬼ッ――」

 

 圧倒的威圧。

 彼女は自身の周りに紅い霧や稲妻とも思えるオーラを火花のように弾けさせていた。

 紅魔館で右京と対面したときのような生易しいものではなく、交戦も辞さないとの意思表示に取れる禍々しい風貌である。

ひとりのメンバーが火縄銃に弾を装填しようと腰に手を伸ばすも。

 

「止めておけ。それじゃ私は倒せんよ」

 

 顔を向けずとも相手の行動を把握して言葉で牽制されたことで彼はビクついて弾を落としてしまうが、誰もそれを咎めようとはしなかった。いや、できなかった。その圧力が凄すぎて。

 

 そんな彼女を一言で言い表すならば絶対強者が相応しいだろう。

 田端は本物の最上級妖怪の登場に息を飲む。弁論なら何とかなる、口論で負かしてやろうなど無謀もまた無謀だったのだ。

 人間と妖怪の差を理解した田端は奥歯をギリギリと噛み締めながら心底、悔しがった。

 そんな人間の様子に満足したのか軽く鼻を鳴らしたレミリアが挨拶した。

 

「初めまして、私が紅魔館の主、レミリア・スカーレットである。人は私を緋色の悪魔と呼ぶ。さて、今一度問おう――君が結社の代表かね?」

 

 口調をより紳士的にした外交モードのレミリア・スカーレットのカリスマはいつも以上に際立っていた。

 

「あ……ぁ――人里の、夜明け――代表の……田端直樹だ……」

 

 負けじと返すも、その歯切れ悪さに自分が情けなくなった。

 実力差がありすぎた。わかっていたことだが、喋るだけでここまで気圧されるなど、想定外だった。

 気の利いた言葉を使って対等感を出したいが、言葉が詰まって何もできない。

 相手の状態を見透かしたレミリアが言った。

 

「無理をするな。私と対峙して逃げ出さない時点で見どころがある。落ち着くまで待ってやろう」

 

「くッ――」

 

 傲慢なレミリアの態度に田端の反骨精神が触発された。

 

「その必要はない! 準備はできている!」

 

 自らを奮い立たせるような言い方だったが、それが部下たちにも伝播し「そうだ、そうだ」と、コールがちらほらと出てくる。

 敵が息を吹き返してもレミリアはどこ吹く風で、

 

「ふむ。妖怪に挑もうとするその心意気――気に入った」

 

 優雅に脚を組んでから不敵に笑った。



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第123話 幻想狂想曲 その10

 レミリアと結社の話し合いが始まったのと同じ時刻。

 一匹の蝙蝠が大通りをレースでもするかのように駆け抜ける。

 結社のメンバーたちは身構えるも「なんだ、ただの蝙蝠か」と、特に関心を寄せなかった。

 それを裏路地で確認した工作員のマミが「作戦開始じゃな。皆、上手くやろうぞ」と笑みを浮かべながら姿を消した。

 

 

 日没後、水瀬は自室でひとり阿求の助けを待っていた。

 

「早ければ二日後には攻めてくるんだよな……あー、ご当主ぅ。早く助けに来てくださいよー」

 

 そのタイミングで窓が不自然に震える。

 

 ――コンコン。

 

「ひぃ――」

 

 まさか妖怪が攻めてきたのか? パニックになった水瀬は言葉を失う。

 しかし、それは妖怪ではなく、

 

 ――稗田の使いの者です。水瀬さまにご当主から言伝を賜ってまいりました。

 

「へ……?」

 

 まさかの使者に唖然とするが続けて。

 

 ――緊急の報告です。どうか開けてください。

 

 緊急。その言葉で背中に悪寒が走った彼は恐怖しながらもソロソロと窓を開けた。

 外から入ってきたのは外套に身を包み、顔を唐笠で隠した使者だった。

 使者はすぐさま用件を伝える。

 

「ご無事ですか?」

 

「ん? あぁ、それなりには……。で、緊急の報告って?」

 

「心して聞いてください。今日の夜、妖怪が里を襲撃します」

 

「な――」

 

「お静かに」

 

 声を上げようとする水瀬の口を使者が抑える。

 

「ん、ん――(わかった)」

 

「ですが、稗田さまが知り合いのツテを頼りに妖怪勢力と交渉した末、特定の施設だけは襲わないという合意がなさました。もちろん水龍会も含まれています」

 

「んん、ん(ホント!?)」

 

「ですから、ここに水龍会の構成員を集めてください。できるだけ静かにそして迅速に」

 

「んん(わかった)」

 

 口をふさがれたまま、水瀬はウンウンと頷く。

 

「皆さんを呼び出す際は今後について話し合うための会議とでも称するのがいいでしょう。念のため、集め終わったら合図を出してください」

 

「ん~ん?(合図?)」

 

「はい。ご当主が水瀬さまのことを大層、心配なさっていたので。合図はこの部屋の明かりを五秒ほど消してからつけ直す。で、どうでしょう?」

 

「ん……んんっ(わかった)」

 

「よかった。水瀬の構成員が全員無事ならご当主も喜ぶでしょう。それではよろしくお願います」

 

 水瀬が了承すると使者はすばやく窓から出て行った。

 ようやく口を開けるようになった水瀬は深呼吸した後、

 

「あー、しんどかった……。しかっし妖怪がくるとはなぁ……。ご当主が報せてくれんかったらヤバかったかもな」

 

 特に疑うこともなく彼は会議の名目で水龍会構成員を自宅に集めるために指示を出した。

 

 

 土田邸には自室に引き籠る土田と彼を警護すると数名の見張りがいた。

 

「心細いなぁ。とはいえ、風下の見張りを減らすのも危険だしな。でもこのままだと代表が戻ってきた際に風下のババアが告げ口するだろうし。天狗の襲撃時のどさくさに紛れて……」

 

 消しておくか。奪った日本刀を鑑賞しながら、ろくでもないことを考える土田だったが、自らの手で殺すとなると面倒なので、妖怪辺りの攻撃で死んでくれればいいなと願うにとどめた。

 そこにも同様に。

 

 ――コンコン。

 

「な、なんだ!?」

 

 音に驚いて咄嗟に刀を構えるが、

 

 ――土田さま、いらっしゃいますか? 稗田の使いの者です。

 

「あぁん……つ、使いの者?」

 

 ――ことは緊急を要します。どうか中にいれてください。

 

 なんだ、稗田の使いか。刀を部屋の隅に立てかけ、顔の見えない相手の言葉を信じて扉を開ける。

 先ほど同様、外套と纏った使者だった。

 使者は土田に招かれるように書斎へ入る。

 

「ご当主が心配しておりました。お体のほうは大丈夫ですか?」

 

「おう、大丈夫だ。ところでその緊急とは一体なんだ?」

 

 土田は気丈に振る舞って質問する。

 

「静かに聞いてください。今夜、里を妖怪が襲撃します」

 

「な、何じゃ――」

 

 すかさず、土田の口元が抑えられた。

 

「ご安心を。土田家は狙われません」

 

「もご!?(本当か!?)」

 

「ご当主が妖怪勢力と話し合った結果、そのようになりました。なので、ここに構成員を集めて頂きたいのですが……。見たところ数が少ないですね。どちらにいるのですか?」

 

 質問後、使者が口元から手を引くと、土田が早口で答えた。

 

「そ、それは皆、自宅で待機しているんだ。こんな状況だしな。当然だろ」

 

 残りの子分を風下家の監視にあてているとはいえず、上手く誤魔化した。

 

「ここにいる見張りの方の人数はいかほど?」

 

「む? そんなことを聞いてどうする?」

 

「ご当主に訊いてこいと言われました。案じていらっしゃるのでしょう。土田さまは里に必要な方ですから」

 

 里に必要な方。その一言に気をよくした土田は顔をニッコリさせた。

 

「ほうほう、そういうことか。えーと、確か五人くらいだったな」

 

「外のふたりを含めてですか?」

 

「そうだ。中の連中は広間で待機しているはずだ」

 

「いざというとき、隠れるところも必要ですね。この家にそういったスペースはありますか?」

 

「スペース? あぁ、使っていない押し入れがある。最近、掃除したばかりだから綺麗だぞ。人間なら五人~六人くらい入るぞ」

 

「……構成員の数は二十人程度でしたよね?」

 

「おう、そんなところだが」

 

「その名簿はありますか?」

 

「あるぞ、ここに」

 

 土田はトントンと机の引き出しを叩いた。

 

「住所も記載されていますね?」

 

「そうだが?」

 

「見せて貰っても」

 

「構わんが、そこまで確かめるように言われたのか?」

 

「はい。心配なので」

 

 些か、不満に思うが阿求の頼みとあっては従うのが一番。彼は使者に名簿を見せる。

 紙に書かれた内容に目を通すと、独り言のように。

 

「名簿数は代表を含めて二十二人。うち五人がここにいる。体調を崩してお休みになれている方はいますか?」

 

「一人だけ風邪をこじらせて寝込んでいるな」

 

「自宅ですか?」

 

「恐らくな」

 

「ちなみにお名前と自宅の場所は」

 

「えーと、向井っていう若造だ。自宅は寺子屋の真裏に立ち並ぶ貸家の真ん中だ」

 

「貸家の特徴は?」

 

「並ぶ貸家で一番小さい。見ればわかる」

 

「なるほど」

 

 考え込む使者を見てさすがの土田も怪しさを覚えた。

 

「なぁ、細かく聞きすぎじゃないのか? いくら心配だからって――」

 

「現在、風下家にいる人数が十五人で寝ている子分がひとり。代表を合わせて二十二人――ちょうどですね?」

 

「あぁ、風下には残りの奴らが見張りに行っているからな。その計算で合っている……。ん、お前、どうしてそれ――」

 

 刹那。

 

 ――ドカッ!

 

 目の前から使者の姿が消え、土田の後頭部が何かで殴打された。

 土田は一瞬で意識を失い、その場に音を立てて倒れた。

 本来なら音に気づいた見張りがやってくるはずだが、駆け込んでくるような足音は聞こえない。

 使者は誰もいない扉に視線を投げる。

 

「そっちも終わっていたみたいですね?」

 

「気づいておったか」

 

 マミが書斎の扉を開けて入ってきた。

 

「屋敷の連中は皆、気絶しておるわい」

 

「ふふ、さすがですね」

 

 もう不必要といわんばかりに頭を覆うローブを取ると、美しい銀髪の髪が宙に舞った。

 

「そっちも調子がよさそうで何よりじゃ。メイドどの」

 

 土田を騙した使者は咲夜であった。

 

「土龍会の構成員は寝込んでいるひとりを除いてここと風下家に集まっています。私は気絶した連中を拘束して押し入れに閉じ込めます。手伝ってください」

 

「わかった。それが終わったら手筈通り、風下家へ行くぞ」

 

「はい」

 

 ふたりは手際よく土田と子分を拘束し、押し入れに放り込んでから土田家を後にした。



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第124話 幻想狂想曲 その11

 劇場ではレミリアと田端の話し合いが始まっていた。

 最初こそ出鼻を挫かれたが、徐々に調子を取り戻した田端が得意の持論を展開する。

 

「稗田阿求は妖怪と組んで里を支配してきた。妖怪三匹が肩を持っていたのが何よりの証拠だ」

 

「ひとりは半人半妖だ。どちらかといえばお前たちの立場に近いと思うが」

 

「あれは妖怪の手先だ。歴史に関する能力も里の支配に使っている」

 

「証拠は?」

 

「本人が能力を使っていると語っていた」

 

「悪用していないと聞いたが」

 

「妖怪の言い分は信用できない。こちらが確かめられないのをいいことに好き勝手やりだす。今回の件だって里の体制を変えさせないように他の妖怪が出張ってきた訳だしな。……お前を含めた妖怪全員が自己中心的な快楽主義者の集まりだよ」

 

「ほうー、快楽主義者とは。言ってくれる。だが自己中心的というのはお互いだろう? 目的のために同族を殺した時点で」

 

「稗田に協力する者は妖怪側だ。裏切り者は死んで当然」

 

「なら今、自由を奪われて苦しんでいる大勢の里人についてはどう思う?」

 

「必要な行為だ。里が独立するためのな」

 

「それが民主主義なのか?」

 

「革命が起きるときは必ずこうなるんだ。歴史を見ればわかる。平和的な交代が行われるなんて稀だ。戦いには血が伴う。未来はその先にしかない」

 

「歴史、か。……どこで知った?」

 

「……寺子屋だ」

 

「本当か?」

 

「どこでもいいだろ。気になるのか?」

 

「気になるさ。その情報と表のツールをどうやって入手したのかとな。写真やスマホ、それに表の知識――今回の革命にどれも欠かせない。戦い方も表のやり方そのものだ。参考ついでに教えて欲しいのだ」

 

「教えたら協力してくれるのか? だったらいいぞ」

 

 レミリアは首を横に振った。

 

「それは約束できんな」

 

「何故だ?」

 

「まだ信用するには至らない。もう少し話をしないことにはな」

 

「同感だな。俺もアンタがここきた理由がわからん。俺たちに理解を示すと言ったが、どの辺りに理解を示した?」

 

「弱い立場の者が強者へ挑んでいく姿、だろうか。実に人間らしい生き方だよ」

 

「前代表を殺されたからな。当然だろ。しかし理解を示した場所がそことはな。つくづく快楽主義者だな、お前は」

 

「どの辺りが?」

 

「俺たちが必死で行動している姿を見て楽しんでいるんだろ? 本当に妖怪らしいよ」

 

「伊達に吸血鬼と呼ばれていない」

 

「――ッ!? ふざけるなッ! お前らのせいでどれほど人間が不自由を強いられていると思っている!! 里から外に出れば妖怪に食われるリスクがつきまとう! 生活のために外に出て死んだ人間もいるんだぞ!! いくら他人ごとだからって言ってもなぁ、俺たちからすれば屈辱なんだよ!!」

 

「だから里から妖怪勢力を排除したのか?」

 

「そうだ! 人間が妖怪の食いものになるのは耐えられんからな!」

 

「里の中では妖怪は人間を襲わないが?」

 

「襲われないのは里の中だけだ。里の外におびき出せばいくらでもやりようがあるだろ」

 

「そのために巫女がいる。何でも屋の魔法使いだっている」

 

「妖怪と宴会するようなヤツを味方だと信用しろってか? 無理は話だ。アイツらこそ妖怪の手先だよ。もしくは裏切り者だ」

 

「裏切り者ねぇ……。あれもあれで結構、仕事をしてると思うが」

 

「お前が肩を持つ時点で怪しい。どうせ八百長さ。スペルカードなんて妖怪のお遊戯だろ? 幻想郷が壊れないように制限を設けているだけのな」

 

「お遊戯か。ふふっ、いい表現だ」

 

 図星を突かれて思わず笑ってしまうレミリア。田端は彼女を憎々しげに睨むも、吸血鬼は一切動じない。強者の余裕である。場の空気がより険悪になった。

 

「人を馬鹿にして! 所詮、俺たちは弱い生き物だからな。食糧くらいにしか思っていないんだろ!」

 

「私は血を飲めればいいがね」

 

「血を飲まなきゃ生きていけない化け物が!」

 

「格下の動物の肉を好んで食う君たち人間に言われたくないな。美味しいだろ()()()は?」

 

 したり顔で言い返され、田端の怒りのボルテージが上がっていく。

 

「この人外どもがぁ!!」

 

 田端は身を乗り出して叫び散らした。

 その態度が気に障ったレミリアが、

 

「わめくな、人間」

 

 ほんの一瞬だけ、殺気をばら撒いた。それは会場にいる全ての人間の心臓を串刺すような、するどく尖った槍そのもの――かつて串刺し死体の山を見せられ、恐怖に怯えた敵兵のように田端は震える。

 

「くっ――」

 

 椅子を後方へ蹴飛ばしたことも気づかず、後ずさりする田端。客席にて警備するメンバーたちも同様に恐怖している。

 レミリアは周囲を一瞥してから、田端を視界に捉えて手招きする。

 

「座りたまえよ。話を続ける気があるなら」

 

 挑発的な態度と共に格の差を見せつけるレミリアに再び田端の反骨精神が刺激された。

 

「わかっているッ!!」

 

「よろしい」

 

 負けず嫌いなのか独立へのこだわりなのか、彼は脅されながらも必死に食い下がる。反対にレミリアはどこか愉快げであった。

 

 

 密会開始から十五分。水瀬は使者の指示通り、子分を招集終える。

 集まった子分たちを確認しながら、水瀬は訊ねる。

 

「おい、全員集まったか? 戸締りはしたか?」

 

「はい、集まりました。戸締りもしました」

 

「誰にも気づかれてないか?」

 

「里中の見張りの数が少なかったので、特に気づかれはしませんでした」

 

「ほーう。そうかそうか。それはよかったわ。難癖つけられると面倒だからな」

 

 全ては自分の思い通りに運んでいる。

 やらしい算段と共に水瀬の口元が綻ぶ。

 子分どもは首を傾げるも考えるのは面倒なのでただ指示に従うことにした。

 

「お前ら、俺はちょっと書斎に行ってくる。ここで待っとけよ」

 

 点けっぱなしの書斎の明かりを消しに広間を離れる。

 歩いて一分で扉を開けた水瀬は窓を少しだけ開き、使者から光の点滅がよく見えるように気を回した。

 

「消すぞ。ちゃんと確認しろよ」

 

 水瀬が明かりを消した。

 暗い空間の中、五秒というのは精神的に堪えるが、これも自分の身の安全のため。

 

「1……2……3……4……5っと――」

 

 口に出して秒数を数え、再び蝋燭に火を灯した。

 明かりが点いて部屋の中が光で照らされる。

 それを物陰から見ていた使者が鼻を鳴らしながらこう言った。

 

「はい、ご苦労さま」

 

 目元を押さえながら、紅い魔眼を滾らせて彼女は周囲の波長を操った。

 

「狂気に狂うがいいわ――」

 

 すると、邸内にいる水瀬を含めた全員が一斉にその場に崩れ落ちる。

 彼らは目まいを感じた訳でも恐怖した訳でもない。ただ――。

 

「「「あーやる気でねぇー」」」

 

 やる気を喪失しただけ。

 しかしその場から動けないほどの脱力感で思考すら奪う。

 こんな芸当が可能なのは有志内にただひとり。

 

「月の兎にかかれば楽勝よ」

 

 優曇華だ。波長を操る力で水龍会戦力の無力化に成功したのだ。

 たった一瞬でこの制圧力。実に見事である。

 

「さて、次の仕事っと」

 

 彼女は闇にまぎれて消えた。

 

 

 時開けず、風下家の玄関がドンドンと叩かれた。

 

「儂じゃ、開けてくれー!」

 

 聞き覚えのある声に見張りが慌てて扉を開ける。

 

「親方!? どうしてここに?」

 

 土田家の当主が風下家を訪れたのである。

 

「そんなことはいいから、早くこの屋敷内の見張りを集めろ。緊急で伝えることがある」

 

「は? それって一体――」

 

「いいから早くしろ! 間に合わなくなる! 緊急なんだよ!」

 

 人の話を聞かず、自分の意見だけを喋る。いつもの当主だ。

 嫌々ながらも玄関の見張りが「下の奴らに集めさせます」と、答えて部下を動かした。

 土田は玄関からそのまま邸宅へ上がり込む。

 

「早く集まらんかい!」

 

 周囲を急かしながら部下が集まるまで騒ぎ続ける土田を皆、睨みつけるが仕方なく従った。

 十分後、息子を含め総勢二十名の人員が集まった。

 小太りの親父に比べ、筋肉質で体格のよい息子が首を傾げた。

 

「親父、いきなりなんだってんだよ? 俺まで呼び出してさ。こっちは指示通り動いていたんだぞ」

 

 当主の息子は人質役にも関わらず、土田の命令で影から子分たちを監視する役目を担っていた。

 そんな息子の言い分を跳ね除けながら土田は訊ねた。

 

「ここにいる人間で全員か? 他にいないヤツはいないか?」

 

「あぁ? いねぇよ! 言われた通り、集めたっての!」

 

「ほう。そうか、そうか」

 

「で、緊急の話ってなんだ? まさか、今から妖怪が攻めてくるのか?」

 

「そうだ、よくわかったな!」

 

「はぁ!? もうちょっと先じゃねぇのかよ! こうしちゃいられねぇ!」

 

「待たんかい」

 

 急いで部下に指示を出そうとする息子を土田が制止した。

 

「はぁ? なんでだよ、ここに妖怪が来たら終わりじゃねぇか!? その前に対策を考えないと――」

 

「いや、もう遅い――」

 

 直後、土田の顔がドロドロと溶けだした。

 

「おい、どうしたんだよ、親父ぃぃ!! その顔ぉぉ!!」

 

「ん、これか……これはな」

 

 溶けだした一部を右手で払うと、そこには女の顔とおなじみの眼鏡が姿を現した。

 

「変化の術じゃよ」

 

 マミが正体を現した。

 誰もが動揺して動けない中、マミは合図が出す。

 

「メイドどの、今じゃ――」

 

 その瞬間、この場にいた全ての子分たちが糸の切れた人形のように倒れ込み、ピクリとも動かなくなった。

 こちらも咲夜がみねうちして気絶させたのである。

 作業を終えた時を彼女はマミの隣に出現したのと同時に手に持った縄を渡す。

 

「病み上がりだから手伝って」

 

「うむ……」

 

 この拘束作業は地味に面倒だ。まずはボディチェックを行い、丸腰にして両手と両足、口、場合によっては腕と胴体まで縛る。意外と疲れるのでマミとしてはやりたくないが、咲夜がサボらせてくれそうもないので渋々、つき合った。

 拘束を終えたマミが野鳥に変身して外へ状況を報せに行き、咲夜は子分たちの監視を行う。

 五分後、司令部に着いたマミが右京に報告する。

 

「土龍会の制圧が完了した。水龍会のほうは?」

 

「そちらも優曇華さんが無事無力化してくれました」

 

「ならば、次は……」

 

「えぇ」

 

 右京は鴉や狸たちを呼び寄せて文字の書かれた紙を撒きつけた。

 

『二家無力化成功。すみやかに見張りを倒して侵入を開始。指定した主要施設を制圧せよ』

 

 鴉と狸は指令を受け取るとすぐさま駆け出す。

 参謀は笑う。

 

「さて、僕たちの出番も近いですね」

 

「はい」

 

 返事をした尊は右京から預かった日本刀を左腰に据えた。

 他の有志たちもすでに準備を終えている。後は霊夢たちが里入口と稗田邸周辺の見張りを倒して条件を整えるだけ。

 マミが彼女たちの様子を見に司令部を離れる。

 数分後、戻ったマミが「霊夢たちが周囲の見張りを無力化したぞ」と報せを入れる。

 右京がメンバーをほうを向いて告げた。

 

「皆さん――準備が整い次第、突入します」



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第125話 幻想狂想曲 その12

 会場では話し合いが続いていた。

 パチュリーの予想通り、歴史問題についての話題が出た。

 レミリアは彼女の考えた模範解答をそのまま田端への返答とした。

 

「――以上のことから妖怪側が権利を持っていると判断できる。君たちの言い分を聞く道理はないのだよ」

 

「ッ――。アンタも同じ認識か」

 

 阿求や慧音と同じ理屈で人間を不当に扱うか。

 ただの人間である田端に到底納得できるものではなかった。

 

「その歴史は妖怪が作ったものだろ。人間側が関与できないのだからな!」

 

「稗田阿求は人間だろ?」

 

「アイツは妖怪の仲間……。もしくは閻魔の手先の――人外だ」

 

「人外?」

 

「そうだ、人間の癖に前世の記憶を持っている時点で化け物だ」

 

「となると閻魔が化け物を里に送り込んでいることになるが。あれは人間の味方だと思うが?」

 

「味方……。はッ、違う。幻想郷を存続させるために人間を犠牲にする閻魔など、妖怪と同類だ。俺は認めない」

 

「ついに閻魔にまで喧嘩を売るか……」

 

「あぁ、売ってやるとも! 人間が不当な目に遭わなくなるまでな!」

 

「それはどういった状況だ?」

 

「妖怪から干渉を受けず、安全に外を出歩けるようになるまでだ!」

 

「さっきも言ったが、ここは妖怪の勢力圏だ。干渉を受けないなんて不可能だよ」

 

「だとしても、里の周辺に妖怪が近づかないようにはできるはず」

 

「お前の言う周辺とは?」

 

「最低でも運河までは保障してもらう」

 

「数キロ以上あるな。狭い幻想郷でそれは無理だろうよ。妖怪にも生活があるからな」

 

「俺たちにも生活がある!」

 

「妖怪にもあるってもんさ。我儘言うんじゃない」

 

「我儘だと!? 妖怪に養分を供給してやっているのはどこの誰だと思っている!!」

 

「幻想郷の維持に尽力しているのはどこの誰だと思う? 我々、妖怪だよ」

 

「なんだと!?」

 

「お前だってわかっているはずだ。幻想郷の賢者が結界を貼らねば今ごろ、表の近代化に飲み込まれたってことを。その後、この里はどうなったと思う?」

 

「表の一部になった、とでも言いたいのか!?」

 

 レミリアは首を横に振った。

 

「第二次世界大戦で悲惨な目にあったと言いたいんだよ。お前だって授業で習ったはずだ。表の国々がどのような結末を迎えたのか」

 

「……」

 

 あれほど騒いでいた田端が無言になる。知っているのだ歴史を。

 

「結果的に博麗大結界は正しかった。あれがなければこの隠れ里は政府に発見されて表の一部となった。そして大勢の男どもが国のために戦わされて悲惨な最期を遂げた。それは、それは深い傷跡を残しただろうよ。回避できたのは妖怪のおかげだ。里の人間たちだって同意したと聞く。出て行く者は出て行ったともな。選択権は彼らにはあったのだよ。そうして今の幻想郷が形作られた。妖怪主導の世界――妖怪の国がな。これが成り立ちだ」

 

「本当に同意があったのか。若い俺たちには知る術はない。お前らと稗田の言い分は信用できないからな」

 

「ならば、彼女が嘘を吐いていると証明できるか?」

 

「調査中だ……。証拠は必ず掴む」

 

 妖怪への不満を漏らすも妖怪が外敵から人間を護ってきた事実を突きつけられて、劣勢を強いられる田端。

 吸血鬼との舌戦は続く。その間に有志たちの侵攻が進んでいるとも知らず。

 

 

「私は寺子屋へ向かう」

 

 見張りを茂みに隠し終えた魔理沙は次の任務へ移るべく相方へ指示を出すのだが、怒り露わにした霊夢が詰め寄る。

 

「それは妖夢の役割! 私とアンタは雑貨屋を解放してから稗田邸の奪還へ向かうの!」

 

「あいだだたたたた、やめ、やめろッ――」

 

 父親と会いたくない魔理沙はこの土壇場でも救助を拒んだ。いい加減にしろ、と鼻っ柱を思いっきり摘ままれ、苦しくなった魔女は「わかった、わかったから――」と根を上げる。

 最初からそう言え。霊夢は魔理沙の鼻から指を下ろした。

 

「雑貨屋に行くわよ」

 

「……おう」

 

 ふたりは先を急ぐ。

 

 

 鈴奈庵の警備はふたりから三人に増えていた。増加分はデモ隊の選抜メンバーだろう。

 彼らは玄関入口にひとりと居間の正面、貸し本屋のバックヤードの三か所にいる。

 担当のアリスは早苗と共に物陰に隠れながら自慢の人形を操作して、敵の位置を正確に割り出した。

 

「アレは持っているわよね?」

 

「はい、ここに」

 

 とある物体をアリスに見せる早苗。人形師は笑みを浮かべながら、

 

「行くわよ」

 

 魔法の糸を走らせた。

 

 

 寺子屋を見張りふたり組は警護だけではなく、資料探しも担っているようで慧音の仕事部屋を漁っていた。

 ひとりが正面入り口、もうひとりは室内にいる。

 咲夜とマミが割り出した情報を基に死角に隠れた妖夢が仕かける機会を窺っていた。

 

「幽々子さまの言った方法で大丈夫なのかな」

 

 ――霊魂で驚かせた隙にみねうちすればいいのよ。

 

 主人にアドバイスを受けるも年齢に対して経験が乏しい妖夢は不安一杯だ。咲夜がいない穴を埋められるのは自分しかいない。やるしかない。彼女は覚悟を決めて、見張りをおびき出す。

 

 

「雑貨屋に着いたわね」

 

「あぁ」

 

 雑貨屋は完全に閉じられて室内が見えない。見張りは入口と裏口にひとりずつだ。裏口の見張りはデモ隊あがりなのか欠伸しながら地べたに座り込んでいる。緊張感の欠片もない。

 

「私が表の見張りを倒すからアンタは裏を頼む」

 

 魔理沙は首肯してから物陰から裏口へ回り、霊夢が正面に開いた空間の中に飛び込んだ。

 その瞬間、見張りの背後を取った霊夢が下へと落ちる重力を利用して後頭部をお祓い棒で殴打。地面に叩きつけて戦闘不能へ追い込んだ。

 ほぼ同時に裏口の魔理沙も座り込む見張りの背後に回って箒で思いっきり振り下ろし、見張りを気絶させた。

 その際、決して小さくない物音を出してしまった。ふたりは焦る。不審に思った家主が裏口付近にある窓をこっそりと開けた。

 

「ん? お前――」

 

「げっ――」

 

 彼女の父親である。魔理沙は固まってしまう。

 大層ばつの悪そうな娘の姿に父親は目を細めながらジッと眺めて訊ねる。

 

「――縄はあるのか?」

 

「……ある」

 

 魔理沙はボソボソと答えた。

 

「ちゃんと結べるのか?」

 

「結べる」

 

「……ここと正面入り口を開けとくから、縛り終わったら店の中へ押し込め。見張っといてやる」

 

「おう」

 

 短いやり取りの後、父親は入口を開けに向かった。

 魔理沙は縄で見張りの身体を厳重に縛り上げて裏口に突っ込み、正面の霊夢と合流する。

 入口では霊夢と父親が何やら会話をしていた。

 

「うちの娘が迷惑をかけるかもしれんがよろしく頼む」

 

「いえいえ、そんなことは」

 

「余計なお世話だ」

 

 会話を小耳に挟んだ魔理沙が即座に割り込んできた。不満を上まで表した態度にさすがの霊夢も引いた。

 父親はそんな娘に何を思ったのか。

 

「血は争えんな」と真顔のまま零した。

 

「んだと――」

 

「早く行け。結社のガキ共を倒すんだろ?」

 

「うぐ……」

 

「……気ぃつけてな」

 

 そう言い残し、彼は戸を閉めた。

 魔理沙は「心配される必要なんてない」とへそを曲げたように思えたが、少しだけ笑っていた。

 なんだかんだ言ってもやっぱり親子だ。霊夢は自分にない絆を持っている相棒を羨ましく思った。

 そこに早苗やアリス、妖夢といった有志メンバーが続々と集まってきた。

 

「そっちは終わった?」アリスが問う。

 

「終わったよ。そっちは?」

 

「鈴奈庵の見張りは片づけました。小鈴さんのご家族は無事です」

 

 早苗が答えると今度は妖夢も手を挙げた。

 

「寺子屋のほうも終わりました」

 

「後は火口家と稗田家だけか……」

 

「射命丸さん曰く、そちらもマミさんと優曇華さんが制圧したそうです」

 

 霊夢たちが見張りを片づける間にマミと優曇華のコンビが火口家の見張りを制圧した。

 

「残りは稗田邸と劇場ね」

 

 制圧ポイントは残り二か所。

 霊夢たちは急ぎ稗田邸を目指す。



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第126話 幻想狂想曲 その13

 田端とレミリア。ふたりの舌戦は止まらない。

 

「里の独立、それだけは譲れない。俺たちはそのためにここまでやってきた。奥村の理想は潰えさせない」

 

「奥村君の主張――民主主義だったかな?」

 

「そうだ。誰もが自由で平等な世界だ。独立と共に里は民主化する。妖怪がいない新たな空間が誕生する。そして俺たちの新しい歴史が始まる」

 

「ずいぶんとキラキラしているのだな。君たちの夢は」

 

 独立、民主化、歴史。結社の目的は右京の想像通りだ。予め聞かされていたとしてもついつい笑みがこぼれてしまう。

 馬鹿にされたと考えた田端が彼女を睨む。

 

「アンタはどう思っている?」

 

「どう、というと?」

 

「俺たちの理想をだよ」

 

「私には民主主義などいうものはわからん」

 

「内容は説明したはずだが?」

 

「誰もが自由に平等に。それは妖怪の世界においてもっともあり得ない考え方だ」

 

「何故だ?」

 

「妖怪の世界とは()()()()だからだよ。強者が法であり……国なのだ。故に()()()()()。つまり、私は紅魔館だけでなく霧の湖周辺を束ねる王なのだよ。弱者は妖怪であれ、人間であれ従うほかないのだ。だから私に民主主義など不要である」

 

 力を基準とする妖怪の理屈を説いたレミリアに田端は心底、嫌悪する。

 

「実に妖怪的なもの考え方だな。それによって里人が狭い思いをしているというのに。本当に勝手な連中だ……。こんなヤツらに囲まれて生活せねばならんとは――あまりに不幸だ!」

 

「幸福の間違いではないかな?」

 

「幸福!? ふざけたことを!」

 

「ふざけてはいない。表の世界だって猛獣に囲まれた死と隣り合わせの空間に住んでいる人間たちもいる。獣と話はできないが妖怪は話ができる。里の中に入ってこないのも言葉を理解できるからだ。これを幸福と考えられんかね?」

 

「無理だな。妖怪は猛獣よりもずっとタチが悪い。人を騙す術などいくらでも持っている。お前ら妖怪はもっとも信頼から遠い生き物だ。人間を弱者と呼ぶのだからな。心の中では餌として見ていない。里人に対しても同じだろ?」

 

「私は里に足を運ばないから何とも言えんな」

 

「お前の部下はどうだ? ここ最近、あの銀髪メイドは買いものだけじゃなく、喫茶に紅茶を売りにきているぞ。手紙には妖怪が里にちょっかいを出すのを快く思っていないと書いておきながら、部下は里の経済活動に介入している。都合よく利用してくれているな」

 

「そうか。知らなかったよ。部下のプライベートには口を挟まん主義だが、それはいかんな。控えるように伝えておくよ」

 

「ふん、本当はわかっていた癖に!」

 

 ここでもしらばっくれるのか。怒りを込めても田端の言葉はレミリアには届かない。

 無言で彼女を凝視しても同じことだ。田端との睨めっこに飽きたレミリアが言った。

 

「そんなに妖怪が嫌いか?」

 

「嫌いさ。存在自体が許せないほどにな」

 

「だったら、いっそ幻想郷を出て行ったらどうだ? そうすれば妖怪の顔を見なくて済むぞ?」

 

「表の世界に俺たちの居場所はない」

 

「作ればいいさ。私のように」

 

「表は機械に支配されている。ありとあらゆる場所が監視され、競争を強いられた世界だ。文明レベルのかけ離れた俺たちじゃいずれ淘汰されて路頭に迷う」

 

 ついに田端から本音が零れ落ちた。

 

「よくわかってるじゃないか。どこからその知識を手に入れたんだか」

 

「協力してくれたら教えるぞ?」

 

「またそれか。しつこいな。だけど、協力の内容くらいなら聞いてやってもいい」

 

「相変わらず、上から目線なのが気に入らんが――俺たちが要求するのは里の独立の援助と妖怪への仲介と説得だ」

 

「独立支援と口利き役はわかるが説得とはなんだ?」

 

「それは……協力を約束してくれたら教える」

 

「それじゃあダメだ。教えられん限りは同意できん」

 

「できないものはできない!」

 

「そうか――仕方ないな。しかし、大よその見当はつくぞ。『近いうち起こる妖怪の攻撃を止めて欲しい』だろ?」

 

「!!」

 

 動揺して目が泳ぐ田端をレミリアが笑う。

 

「ははっ、図星だったようだな」

 

「くッ――」

 

 足元見やがって。やり場のない怒りを必死に堪えるも、度重なる屈辱に我慢が限界を迎える。

 

「そんなに俺たちを見下して楽しいのかよ!! 自分たちが強いからって、人間を下に見てさ――強ければ何でも許されると思ってんのか!!」

 

「強き者は尊大に振る舞い、弱き者は頭を低くして生きていく。どこの世界でも同じだよ。物理的な力か経済に影響を及ぼせる金かってだけでね」

 

「金だと……」

 

「表の世界は金がモノをいう世界だからな。あらゆる行動に金が伴う。片や里は経済の格差は一部有力者を除いて皆、ほぼ同じだろう? 生活できない人間なんていないのだから」

 

 里は稗田家の采配によって住んでいる人間が路頭に迷うケースはほぼ存在しない。何かやらかして村八分にされた人間でも四家という就職先があるのだから。四家でも面倒を見きれない場合もしくは妖怪に関する何かに関与した際は最悪、追放となるが、能力的な面で仕事がこなせないときは別の仕事をあてがわれ、食糧も配給される。

 外来人も同様だ。里の外へ行く自由こそ乏しいが、衣食住が保障されている点は評価できる。淳也や裕美はこの措置に深く感謝しており、その辺りも里に住む要因となったそうだ。

 田端もそこは理解しているらしく反論しなかった。

 

「全てが平等で自由な世界なんてここ幻想郷でも実現不可能な幻想だ。その裏には権力者や支配者が必ず存在しているからな。世の中は連中の意に沿って動くものだ。歴史を知る君にならわかるだろ?」

 

「……」

 

「『ほんの少しの妥協がよい結果を生むこともある』。これは私の持論だが、君たちにも当てはまる言葉だと思う」

 

「というと?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()。そう言いたいのだよ」

 

「なんだとッ」

 

 この言葉を皮きりにいよいよ舌戦は終盤戦に突入する。

 

 

 そのころ、稗田邸では。

 

「お、お前らどこから――」

 

 ――ドカッ! バキッ!

 

 人間組の霊夢、魔理沙、早苗、妖夢の四人が妖怪組のアリスとマミが邸内を囲む見張りを気絶させて戦闘不能へと追い込んだ。

 

「外は倒した。中は任せる」

 

「わかった(おう)」

 

 続いて霊夢、魔理沙、早苗人間三人組が塀を飛び越えて庭に侵入した。警備隊を背後から襲って音もなく無力化する。

 外周り、塀内合わせて六人の人員を一分足らずで倒してしまう。稗田家邸内は特にお札が多く、妖怪が侵入すれば妖気に反応して内包された神気が飛び散ってしまい、侵入がバレる可能性があった。迂闊な突入はできない。ならば――。

 お札の影響を受けない人間の魔理沙が塀の外にマミに向かって小声で言った。

 

「庭園を押さえて札も剥がした。おっさんに合図を出せ」

 

「了解じゃ」

 

 マミは鴉に化けて夜空へ舞い上がり、そのまま右京のところまで飛ぶ。

 一分後、司令部手前までたどり着いたマミは即座に変身を解除して着地してから参謀に告げた。

 

「稗田家の外周と庭を制圧した。後は内部だけじゃ」

 

「わかりました。小町さんお願いします」

 

「はいよ、待ってました。突入組は私の近くに集まんな!」

 

 かけ声と共にフードで姿を隠した右京、尊、永琳、輝夜、慧音、マミそして阿求たち六人が小町の周囲を囲む。そして――。

 

「跳ぶよ!」

 

 能力使用後、一瞬で司令部から姿を消し、稗田邸の庭へとワープした。

 音もなく到着した彼らは事前の打ち合わせ通り、一斉に行動を開始する。

 阿求が所持していた合鍵を使って慧音が裏口の鍵を開錠した。突入組は人質救出班と制圧班に分かれて室内へ進行。わずか五分足らずで内部の制圧に成功し、無事、稗田邸を解放した。



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第127話 幻想狂想曲 その14

 残すところは劇場のみ。

 田端とレミリアの舌戦も最終段階に入った。

 

「俺たちの行動に何の意味もないと言うのか!?」

 

「少なくともよい結果に終わることはないな。妖怪は君たちを潰すつもりだ。そう気づいたからこそ、私との密会に応じたのだろう?」

 

「……お見通しって訳か」

 

「じゃなきゃ、私と話なんてしないだろ?」

 

「……確かに俺たちは妖怪の山から攻撃予告を受けている。猶予はあと二日だ。攻撃が実行されれば里人は無傷じゃすまない」

 

「ならば取るべき行動はひとつじゃないか」

 

「何?」

 

「おとなしく諦めろ」

 

「馬鹿を言うな!」

 

 テーブルを叩き、大声で否定した。

 

「ここまでのことをやっておいて次があると思っているのか!? ここで結社の仲間たちは皆処刑もしくは追放だ!! この方法を選択した時点で戦う以外の選択肢はないんだよ!」

 

「妖怪と人間の戦力差は絶望的だ。結果は予想がつく。無駄死だよ。善良な里人も巻き込んで、無様に蹂躙されるのさ」

 

「犠牲は、つきものだ……」

 

「犠牲を払ってもあるのは君たち人間の死だけだ。幻想郷を揺るがすには至らない。精々、妖怪史にこんなことがあったと記述されるだけ。内容はそうだな……一ページ”くらいで軽く収まりそうだ。いや、ヘタすると()()かね。その程度なのだよ、今回の騒動の価値というものは」

 

「ッ――! わかってんだよ――だからアンタと話し合う決意を固めた!! 妖怪のアンタに!!」

 

「嫌いなヤツに頭を下げてまで、か」

 

「そうだよ。じゃなきゃ、こんな真似はしないッ――」

 

「そうかい……」

 

 苦しそうに訴える田端を真っ直ぐに見据えてレミリアは問うた。

 

「素朴な疑問なのだが、どうしてどこまで妖怪を憎むのだ? 若い衆が妖怪へ不満を持っているのは知っていたが、君の場合は少し異常だぞ」

 

「それは……母親を殺されたからさ」

 

「母親か……」

 

 田端は顔を背けながら、当時のことを語った。

 

「……十五年前くらいになる。まだ小さいころだった。父親が体調を崩して寝込んでしまってな。元気づけるため、母親が近くの野山へ山菜を取りに出て行った。俺は母親が恋しくなってこっそり後をつけた。山を登った俺は途中、姿を見失うも茂みの中に続く足跡を見つけた。大きさが母親と同じだったからそこにいると思って覗いてみると――ずぶ濡れになった籠がポカンと置いてあった。俺は怖くなって里に戻り、大人たちに事情を説明した。すぐに皆が武装して山中を捜索してくれたんだが、籠があった茂みから差ほど離れていないところで首を吊って死んでいた。

 当初は山童(やまわろ)の仕業が疑われたが『山童は比較的大人しい妖怪だから、その可能性は低いだろう』と先代稗田家当主が発言したことで妖怪の線が外れて捜査は難航。俺は妖怪の仕業を訴えたが聞き入れて貰えずに打ち切られた。

 それから少しして近所の連中に『あの母親は父親と不仲だったからそれが原因で首を吊ったに違いない』と陰でほざかれ、里中から白い目で見られた父親は四年後に自殺した……。そのとき、誓ったよ。俺は妖怪も稗田も許さない。必ず仇を取ってやるってな。アンタにはわからないかもしれないが、親が不幸な目にあって怒りを覚えない子供なんていないんだよ。ましてやそれが妖怪のせいなら、尚更だ」

 

「だから妖怪と稗田家を恨んでいたってわけか」

 

「あぁ、そうさッ――」

 

 本当に妖怪の仕業かすら怪しい話だが、田端は今まで見せたことのない悲痛な面持ちでレミリアを見た。その姿に彼女は初めて同情するような素振りを見せる。

 ここぞとばかりに田端が懇願する。

 

「お願いだ。妖怪の山の攻撃を止めて欲しい。その後は自力で何とかする!」

 

「どうやって?」

 

「二家の連中を説得して皆で外を行進する」

 

「里人を歩かせるのか?」

 

「それは……」

 

「盾にする気か?」

 

「……アンタが妖怪の山の攻撃を中止にしてくれるというなら里人は外に出さない。俺たち、里の夜明けだけで行う」

 

「本当か?」

 

「あぁ、約束するよ……」

 

「「「田端さん……」」」

 

 あれだけ怒りを振りまいた田端が妖怪相手に頭を下げた。その必死な姿に普段なら必ず反発する反妖怪思想を持ったメンバーたちも心を痛めた。

 それでもレミリアの攻めの手が緩むことはない。

 

「それだけじゃ信用できない。里人が解放されないことになは」

 

「里人の解放。それはできない」

 

「何故だ?」

 

「それを言わせるのか……」

 

「答えられないと?」

 

「わかっている癖に」

 

 妖怪の弱点をみすみす手放すわけにはいかない。捨てた瞬間、結社は終わりなのだから。

 

「じゃ、私は協力できないな――」

 

「……女、子供は解放する」

 

 人質を減らしてもいいから妖怪からの攻撃を止めて欲しい。そういう意味だった。

 

「これが俺たちのできる限界ギリギリのラインだ。解放したヤツの処遇はアンタに任せる。だから――攻撃を止めてくれ!」

 

 頭を下げ続ける田端にレミリアは動揺を隠せない。

 

「……本気なのか?」

 

「じゃなきゃ、こんなこと言ったりしない」

 

「ふむ、どうしたものか……」

 

 口元に手を当てて考え込むレミリアとそれを見守る田端と結社メンバー。

 しばしの間、静寂が会場を包み込んだ。

 一分、二分、三分、五分と時間だけがすぎていく。結社にとって数分の時間さえ惜しく、回答しないレミリアの態度に苛立ちを覚える者も多かった。それでも田端だけはすがりつくように彼女からの返事を待つ。やはり、この男も理解しているのだ。ここで彼女を説得する以外、結社の生き残る道はないと。

 しかしながらその希望は打ち砕かれることとなる。

 静寂を破るようにメンバーのひとりが場内へ飛び込んできた。

 

「大変です!! 里の見張りがやられています!!」

 

「なんだと!? どこの見張りだ!」

 

「東口と西口です!! それに主要施設の見張りも姿が見えませんでした!」

 

「どういうことだ!?」

 

 さらに血相を変えた別のメンバーが立て続けに入ってきた。

 

「田端さん、稗田邸が占拠されています!!」

 

「稗田邸が……妖怪か!?」

 

「いえ、稗田阿求です。ヤツが戻ってきました!! まもなく仲間を連れてこちらへやってきます!!」

 

「なッ、そんな馬鹿な!? 今すぐ人質を盾にして応戦しろ――」

 

「させる訳にはいかんな」

 

 レミリアは左腕から無数の蝙蝠を発生させた。一斉に飛び立った眷属は会場の入り口を占拠して人が通れないように妨害した。結社メンバーは室内に閉じ込められた形となってしまう。

 

「稗田邸を占拠したということは、ここ以外の制圧は終わったのだろう。チェックメイトだ」

 

 直後、田端は全てを察した。

 

「罠だったのか……。全て……」

 

「……」

 

 レミリアは無言のままだ。

 

「時間稼ぎだったのか……? 俺をここに押しとどめておくための……」

 

「……」

 

「最初からこうするつもりだったんだな……」

 

「……」

 

 無言を貫く。

 

「おい、何とか言えよ!!!! 俺たちを罠にハメたんだろ!! 時間を稼いでその隙に里を奪還するために!! おい、吸血鬼――答えろよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 心からの叫びだった。

 弄ばれた者の怒り。それは吸血鬼にもはっきりと伝わった。

 そこで彼女はこのように打診した。

 

「悪いことは言わない――投降しろ。このレミリア・スカーレットが君たちの助命を進言しよう。それが私からの回答だ」

 

「くぅぉぉぉぉ……」

 

 レミリアからすれば最大級の情けだった。

 田端からすれば最大級の屈辱だった。

 

「相手が悪かったのさ」

 

「この妖怪どもがぁ!! 自分たちの実力をひけらかして――」

 

 すかさずレミリアが否定する。

 

「少し違うな。今回の作戦を立てたのは人間――それも外来人さ」

 

「外来人……だと!?」

 

「あぁ、妖怪にもまるで動じないとびっきりの変人。シャーロック・ホームズのように推理を得意とし、相手の行動や手法、思考などを丸裸にする。そして名将ハンニバルのように心理戦に長けていて、全てを予測――大胆な作戦を立案してみせる。協力した私が心配になるくらいの奇策だったが、蓋を開けてみれば結果はこれだ。中々、見れるものではないな。ここまで計算された作戦というのは。そういう意味では人外級の人物かもな、彼も」

 

「もしかして……若い外来人を殺した犯人を見つけた男か!?」

 

「そうだとも。紛れもない天才だ。紳士的だが戦いになると容赦がない。ホームズとハンニバルを足して二で割ったような男。杉下右京とはそういうヤツさ。実のところ君たちにも勝算はあった。里は我々にとって大事な場所だからな。うまくいけば折れる勢力や協力する新興勢力が出ただろうよ。それを予め察知して各勢力へ根回しといくつかの工作によって状況をこちら側の有利な方向へ持っていったのだ。当然、君の持つ独立への強い意欲やリーダーシップを発揮することも織り込み済みだ」

 

 田端は言葉を失い、机に両手をついたまま動かなくなった。

 

「さらに彼はこうも言っていた『全ての策が想定通りに運べば田端は絶望する』とな」

 

 右京の宣言通り、深い絶望が彼を襲い、失意のどん底へと叩き込む。

 レミリアは両目を閉じて。

 

「だから言ったのだよ。『相手が悪かった』と」

 

 優れた作戦とは魔法と見分けがつかないものだ。

 右京の考えた策は決して難しくはない。

 

 相手の狙いがデモによる譲歩を引き出すことだと知り、各勢力に抗議と警告の手紙を書かせて、一斉に放出する。田端の話していた第一候補の妖怪の山には具体的な日時で攻撃を示唆させて脅し、次候補の紅魔館には密会の旨を記した手紙を送って交渉相手を絞らせる。

 二家のほうは閻魔と疫病神の手紙を送りつけて動揺したところを阿求の手紙で信用させて結社との足並みを乱して戦力を削いだ。

 後は交渉役兼制圧担当のレミリアが田端を惹きつけているうちに二家を含めた目標ポイントを制圧して結社を拘束する。それだけだ。

 劇場を包囲する前に気がつかれてしまったのが痛いが、それでも詰みには変わりない。少ない人員で行う奪還作戦としては見事な手際のよさだ。

 場内に残ったメンバーはレミリアが戦闘不能にすればよいのだから。

 田端は悔しそうに嘆いた。

 

「始めから掌の上だったってことかよ」

 

「どうするのだ。まだ抵抗するかね?」

 

 さすがにこれ以上、長引かせるなら容赦はせんよ。そう言いたげな彼女の表情に田端は交渉不可能と判断した。彼はため息を吐いてから。

 

「まだ……俺にはやるべきことが残っているッ!」

 

 両手でテーブルに引かれた布を引き抜いて裏返した。裏面には無数の博麗神社の札が貼られており、田端はそれをレミリアに被せるように放り投げて会場の裏口へと逃走した。

 

「小癪な――」

 

 対妖怪用の札に多少苦戦するも、数秒の内に真紅の爪で引き裂いたレミリアが田端を追おうとした。だが結社メンバーの発砲によって阻害される。

 

「これ以上、好きにやらせるかよ!」

 

「ったく、うっとおしいねぇ!!」

 

 弾丸が放たれるもレミリアは寸で回避しながら銃兵に高速で接近する。火縄銃を引き裂いてから黒翼を軽くしならせて空を叩き、生み出された衝撃波でなぎ倒す。完全なる手加減だった。

 吹き飛ばされた者たちが今度は刀に切り替えて襲いかかってくる。身体に痛みと恐怖が残っているが、妖怪してやられた悔しさをぶつけるように突撃してくる。さながら特攻であった。

 外交モードから普段の口調に戻したレミリアは舌打ちしてから怒鳴った。

 

「何で敵わないとわかっていながら戦うんだい!? 無駄と気づかないのか!!」

 

「ここで降伏しても元の生活には戻れない! だったら最後まで戦ってやる!」

 

「チッ、この馬鹿どもが!!」

 

 レミリアが場内で手こずっている間、右京たちは阿求、永琳、輝夜を稗田邸に残し、劇場正面に到着する。

 

「どうやら気づかれてしまったようですね」

 

「交代にやってきた見張りに勘づかれてしまったんだろうな」と魔理沙が零す。

 

「ならば隠れる必要はありません。各自、銃撃に警戒しつつ正面入り口を除いた四方から突入してください。最優先は人質となっている抗うつ薬おじさんの救出、次に田端の確保です。お願いします」

 

「「「了解!」」」

 

 有志たちは一斉に四方へと散った。

 その中で右京は尊、小町、魔理沙の三名を手元に残した。

 

「私らはどうするんだ?」と魔理沙が訊ねた。

 

「正面から突入します。魔理沙さん、魔法式の手投げ瓶は持ってますね?」

 

「あぁマジックボムのことだな。言われた通り持ってきたぞ、威力を落として殺傷力を無くしたヤツをな」

 

「それを入口正面に投げ込んでください。光に怯んでいる隙に小野塚さんに距離を詰めてもらいます」

 

「その後は制圧するんだな?」

 

「その通りです」

 

「はん、了解――おい死神、コントロールミスは許さんからな!」

 

「それはこっちの台詞だ。暴投すんじゃないよ!」

 

「わかってる」

 

 指示通り、魔理沙はポケットからマジックボム(閃光弾)を取り出して放り投げた。

 ボムは正面入り口手前に落下後、強烈な光を伴った爆発を起こす。

 

「なんだこれは――」

 

 見張りが驚いてパニック状態に陥っている。

 右京はタイミングを見極めた。

 

「小野塚さん、今です」

 

「あいよ!」

 

 能力を起動後、瞬時にワープした右京たち四人は見張りの制圧に乗り出す。

 魔理沙と小町は箒や包帯で包んだ大鎌で敵をなぎ倒し、尊は納刀状態の刀で敵を組み伏せる。

 様子を右京が後方から眺めていると背後から結社のメンバーが襲いかかってきた。

 

「こいつーーー!!」

 

「おっさん、危ない――」

 

 完全な奇襲に右京は成す術なくやられると誰もが思った……が。

 刹那、身を捩って右拳を回避し、再び殴りかかってきたところを左手一本で捌き、隙ができたところで相手の利き腕を掴み、合気道の技を駆使して難なく組み伏せた。この間、わずか十二秒である。

 

「「「つよ……」」」

 

 銃撃を受け、右腕が使えないにも関わらずこの強さなのか。

 三人は呆れるしかなかった。

 

 

 一方そのころ、レミリアから逃れた田端は倉庫に隠れていた。

 地下倉庫とは別の小さい倉庫ではあるが、そこには火口家から運び込まれた“大量の爆薬”があった。量にして打ち上げ花火約一個分である。

 田端はポケットのスマホを確認して地面へ放り投げ、同じく忍ばせていた火打石を手に取る。

 

「自分の最期は自分で決める」

 

 火薬箱の蓋を開けて火打石にて点火しようとする田端に、後ろから仲間たちが声をかける。

 

「逝くつもりか?」

 

 幹部と思わしき二名の結社メンバーだった。

 

「あぁ。もう無理だからな。お前らは投降しろ。レミリア・スカーレットが何とかしてくれるかもしれない」

 

 肩を落とし力なく項垂れる田端。幹部たちは笑顔で彼に近寄った。

 

「妖怪に屈するのはゴメンだ」

 

「どうせ都合よく利用されるだけ。だったらやることは一つだ」

 

「お前ら……」

 

 彼らは持っていたスマホを床に投げた。

 

「これでスマホは全部だ」

 

「ヤツらに証拠は渡さない、だろ?」と、自身を指さして言った。

 

 証拠。それはものだけではない。人の証言や記憶も含まれる。彼らはそう言いたいのだ。

 

「ははっ、馬鹿なヤツらだな!」

 

「お前ほど馬鹿なやつもいないだろ。稗田家と妖怪に喧嘩、売ったんだしな」

 

「失敗したがここまでやれたんだ。夢、見れたよ。十分すぎるほどにな」

 

 元は皆、稗田や妖怪――もっといえば里の体制に不満を持つあぶれ者である。

 何か意見するたび、まともな里人からは白い目で見られながら生活してきた。ある者は妖怪に親を殺され、ある者は稗田を批判した本を書いてバッシングを受け、ある者は妖怪の力を研究して失職した。落伍者たちのレジスタンス。それが現在の結社なのだ。奥村が集め、田端が統制した最高の組織だ。彼らに悔いはなかった。

 田端は「そうか」と頷いてから両手に持った火打石を火薬の側に持っていった。

 

 

 場内に突入した霊夢がメンバーたちを蹂躙しながら会場の扉を蹴り破った。

 

「レミリア、アンタ大丈夫!?」

 

「問題ない。ただ加減がわからなくてね。苦労したよ」

 

 そこらかしこに腕や脚を押さえて蹲るメンバーたちの姿があった。

 痛がり具合からしてヒビ、もしくは骨折しているのだろう。

 

「しつこいからこんな目に遭うんだよ。まったく」

 

 腹を立てつつも手加減してくれたのだな。霊夢は安堵の表情を浮かべる。

 続いて右京たちが場内入りする。

 

「レミリアさん、ご無事でしたか」

 

「無事よ。遅れを取ったりしないわ。だけど、田端を取り逃がした」

 

「なんですって!?」

 

「アンタのところの札が貼りつけられた布を被せられてね。その隙にどこかへ逃亡したわ」

 

「そ、そう……」

 

 こんなところでも自分の札が悪用されたのか。霊夢は軽く落ち込む。

 

「どこに逃げたか、見当は?」

 

「入口は塞いでいたから、逃げたなら奥のほうからだろうね」

 

 彼女はバックヤードに視線を投げた。

 

「僕たちも行ってみましょう――」

 

 そのときだった。

 

 ――ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!

 

 劇場全体を揺るがす振動が有志たちを襲う。

 

「な、なんなの――!?」

 

 一瞬にして巻き起こった衝撃が白煙を伴って壁やガラスを突き破り、柱は歪み、天井の一部が崩れ、床へと落下する。敵味方問わず、この状況に驚いて戦闘を中断する。

 衝撃が襲ってきたほうに顔を向ける。

 纏わりつく白煙の独特のにおいに蒸せる一行。右京はこのにおいに嗅ぎ覚えがあった。

 

「これは火薬のにおいですね。となれば何かが爆発した。方向はバックヤードの奥――」

 

 何か嫌な予感がする。右京は尊に部隊の指揮を任せ、ひとり舞台の裏側へ煙を掻き分けながら進んでいく。

 ハンカチで口元を押さえながら痛みの残る右手で煙を払う。

 奥へ進むにつれ、瓦礫の量が増え、行く手を塞ぐ。

 間違いないこの先だ。確信を得た右京は瓦礫を退かして前へ前へと前進を続ける。

 やがて倉庫付近に到達した。目の前に大量の血痕が飛び散った跡を発見し、足元に転がる物体に目をやった。

 焼けただれ、歪な楕円の形をした何かだった。右京はその物体をじっと見つめた。

 

「人の頭――」

 

 無残な姿となった田端の頭であった。

 右京は何が起こったのか全てを理解して嘆いた。

 

「……遅かったようですね」

 

 それから有志たちと結社メンバーたちの小競り合いが続くが、代表たちを失った彼らは戦意を喪失し、敗北を認めて投降した。



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第128話 盗まれた名刀

 投降したメンバーとその関係者たちが続々と拘束されて劇場のエントランスに集められる。

 縄で縛られ、引いていかれる彼らを目で追いながら右京は稗田邸から足を運んだ阿求に質問する。

 

「二家のほうはどうですか?」

 

「土田は風下家に見張ってもらっています。水瀬たちは火口家の方々に拘束の手伝いをしてもらってそのまま監視を頼みました。きっとボコボコにされていると思いますが――慧音さんがついているので殺しはしないでしょう。……たぶん」

 

 火龍会一派は代表の火口を慕っている者が多く、彼を殺された恨みは計り知れない。

 暴走しかねないが、慧音がついていれば死者がでることはないだろう。右京はこれ以上、気にかけることはなかった。

 今度は阿求が訊ねる。

 

「里の外に逃げたデモ隊はどうなりましたか?」

 

 爆発の衝撃で結社に何かあったと勘繰った一部のメンバーやデモ参加者が一目散に外へと逃げ出したのだ。

 彼らの中にも危険因子もしくはバルバトスが紛れている可能性もある。ひとりたりとも逃がせないが、この参謀がそれを考慮していない訳がなく。

 

「今ごろ、藤原さん、西行寺さん、射命丸さんたち追撃班に捕まえられているはずです。さぞかし怖い目にあって」

 

 したり顔で語る右京。

 阿求は白けながら「ご愁傷さま」と逃亡者たちを憐れんだ。

 三十分、逃亡者たちがゾロゾロと劇場に運ばれてきた。皆、何か怖いものでも見たかのようで「発火した人間に襲われた」「幽霊に気絶させられた」「突風に足元をすくわれた」などと震えながら零していた。

 続いて今度は黒い着物姿の女性が劇場の門を叩く。

 

「稗田はん、元気か?」

 

「風下さん!? ご無事で何よりです!」

 

 風下家代表が様子を見にやってきたのだ。

 近づく阿求に風下の口元が綻んだ。

 

「元気そうでよかったわ。追放されたって聞いたときは肝冷やしたで」

 

「ご心配をおかけしました」

 

「……で、このフードを被った連中は?」

 

「え、えーとそれは、その――」

 

 しどろもどろな態度に風下は「まぁ、察していたが……。何にせよ、助けてもらったことは感謝せならんわな」とそれ以上の追求を避けた。

 霊夢や魔理沙、早苗などの人間組はフードを外しているので妖怪ではないと理解できる。風下は忙しく動き回る有志たちを観察していた。その際、右京の存在が目に入る。

 

「ん? 見かけない顔やな」

 

「杉下さんです。少し前に表からやってきて里に滞在している方です」

 

「ほー。もしかしてアンタを庇った外来人っていう」

 

「そうです。この方がいなければ私も命はもちろん、作戦成功もあり得なかったでしょう」

 

「ほうほう。それは興味があるなぁ」

 

 視線を感じて振り向いた右京は風下の下に駆け寄って挨拶する。

 

「どうも、初めまして。杉下です」

 

「うちは風龍会代表の風下や。表からきたばかりでずいぶん活躍しよるなぁ、アンタ」

 

「大した活躍はしていません。皆さんのご尽力の賜物です」

 

「銃弾から人を庇うってだけで凄いと思うけどな」

 

「いえいえ、警察官ですから」

 

「さらっと言えちまう時点でアンタが只者じゃないってわかる。さすが殺人事件を解決しただけはあるわ」

 

「いえ、犯人に自殺を許してしまいましたから。それに――」

 

 三人の目は担架で運び出される布がかかった物体に向く。

 

「結社の代表どもか……」

 

「ええ」

 

「まさか自殺するなんて……」

 

 メンバーに確かめさせた結果、死体は田端と幹部ふたりのものだと結論が出た。

 またもや主犯を取り逃がしてしまった。参謀の責任である。

 

「けど、人質の薬男(抗うつ薬おじさん)は無事やったんやろ? それに里人もほとんど無傷や。成功といっていいんちゃうか?」

 

「私もそう思いますが……」

 

 右京はそれを否定する。

 

「犯人たちの死亡を許した上、証拠となるスマホまで爆発で粉々に破壊されてしまいました。黒幕に繋がる有力な手がかりを失った――これは僕のミスです」

 

 そう言われてしまえば何ともフォローしずらい。阿求と風下は互いに顔を見合わせた。

 暗くなってしまった雰囲気を変えるべく風下が話題を変える。

 

「そういえば、土田のヤツはいるか? アイツが家から盗んだ刀のありかを聞き出さんと、腹が立って夜も眠れんわい」

 

「刀……。確か、土田家の書斎にあったと聞きましたが。……その刀ってもしかしてアレですか?」

 

「そう、アレや。うちのとーちゃんが表から持ち込んだ名刀。護身用として肌身離さず持っていたから。雑な扱いされてないか心配で、心配で」

 

 頭を悩ます風下に興味を惹かれた右京が訊ねた。

 

「その刀。どのような名前なのでしょうか?」

 

「ん? 名前か。千子村正が作りし名刀〝村正〟。その打刀や」

 

「おやおや、それはそれは!」

 

 村正は千子派が作った刀である。その切れ味は他の刀とは比較にならないと有名で侍たちがこぞって欲しがったとされる。その性能ととある不幸が重なり、天下人徳川家康にこそ嫌われるがその評判は落ちることはなく、幕末にも使用された。

 しかし、第二次世界大戦時の空襲やGHQによって数多くの刀が失われる。村正も例外ではなかった。それ故、戦後日本において村正は貴重品である。現存品も多いとはいえず打刀が残っていること自体珍しい。もし綺麗な状態で残っており、なおかつ初代村正の作品なら一千万円はくだらない。

 この事実に右京が反応しない訳がなく。

 

「今の日本で村正は貴重品です。綺麗な状態で残っていれば高価な値段がつきますね」

 

「たぶん、本物やと思うで。とーちゃんが『刃文がここまで綺麗に揃うのは村正以外ない』と言ってたしな」

 

「確かにそれは村正の特徴ですねえ~。発見なさったら是非、拝見させて頂けないでしょうか?」

 

「えぇで。見せるだけならな」

 

「ありがとうございます」

 

 事件を解決した後のお楽しみを得た右京はほんの少しだけ元気を取り戻した。

 何があったのだ、と手の空いた尊が阿求へ訊ねるとすぐさま納得した。

 

「まさか幻想郷に村正の打刀があるなんて。博物館に飾れますよ」

 

「それを直に拝めるとはなんともありがたいものです。さて取り調べに参加しましょうか。稗田さん、風下さん。僕はこの辺りで一旦、失礼します。おふたりはお疲れでしょうから休息をお取りください」

 

「わかりました」

 

「ウチは村正が帰ってくるまで寝ない」

 

 村正への愛が強い風下は眠れない様子だが、阿求は連日の疲れから少しだけ休息を取ることにした。

 

 

 土田邸ではフードに身を包んだ咲夜が十人ほどの里人を連れて、押し入れへの中に閉じ込めた不届き者五人を引きずり出した。

 風下にいた連中は全て拘束したと伝えられても「嘘だ。そんなの嘘だ」と、固くないに認めようとしない土田だったが「これ以上、騒ぐと閻魔さまに地獄の一番底へ落とされますよ?」と脅されて泣く泣く観念する。

 五人を里人に任せて見送った彼女は風下が気にしていた刀を取りに書斎を訪れた。

 

「部屋の片隅にかけてあったわよね。……あら?」

 

 扉を開けて刀のあった場所を確認するもそこには何もなかった。

 

「どういうこと!?」

 

 まさかマミや魔理沙が持っていったのか? そんなわけはないはず。

 そのとき、咲夜は床にガラス片が落ちているのを発見する。

 

「まさか」

 

 急いでガラス戸のほうを見やると外側からガラスが破られた形跡が残っていた。咲夜は目を点にして。

 

「誰が刀を盗んでいった……」

 

 驚くほかなかった。



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第129話 ホームズ&ワトソンの挑戦 その1

 人里解放から一夜が明け、時刻は早朝の五時半。ほんの少しだけ明るくなってきたかどうかの時間帯にも関わらず、静寂が訪れることはなかった。

 

 ――体調に不調を訴える人はこちらへどうぞ!

 

 ――ご飯はこちらです!

 

 解放された稗田邸内部では永琳が中心となって、けが人や衰弱した人々の手当を、庭では顔を隠した優曇華や早苗が炊き出しを行っており、治療と食事を求める人々でごった返していた。

 極度のストレスと栄養失調で倒れる者が想像以上に多いようだ。霊夢たち人間組と顔を隠した一部の人外、妖怪組は里人がバルバトスに襲われないように常に里周辺と内部を監視している。

 騒がしい里の大通りを、優曇華が暇を縫って穴を塞いだスーツ一式を着た右京と特命部屋に置きっぱなしだったダークスーツ一式に着替えて帯刀する尊たち特命係をかき分けるように進んでいく。

 

「まさか結社の誰も狙撃犯の正体を知らなかったなんて思いもよりませんでしたね」

 

「ええ」

 

 阿求たちと別れたのち、特命係は午前零時を過ぎるまで取り調べに参加した。結社のメンバー二家の子分たちに詳しく事情を聞いて回るも皆、バルバトスや協力者の正体を知らなかったのだ。

 

「さらにスマホや画像の出所も不明。唯一、情報を持ってそうな田端ら幹部は揃って自決。おまけに持っていたスマホも破損して中身は開けられず、か……。それに昨日、十六夜さんが話していた村正が見当たらないってのも気になるな」

 

 結社の反乱こそ治めたものの肝心の黒幕は野放しのまま。そこに繋がる手がかりさえ残っていないが、嘆いても始まらない。

 右京は気持ちを切り替え、最初の犯行現場――すなわち鈴奈庵へ向かう。

 現着した特命係は本日休業と貼り紙がされた鈴奈庵を背に狙撃時の状況を再現する。

 

「この位置で僕は狙撃されて扉に叩きつけられました。すぐに霊夢さんが駆けつけて犯人を追いかけましたが撒かれてしまい、君が診療所へ僕を運んで八意先生の手術が始まるまでつき添った」

 

「その通りです」

 

「先生が到着するまでの時間は狙撃から約二十分。そこから君の捜査が始まった。君はまず現場保存を促して証拠を収集し、スマホで撮影した」

 

「はい」

 

「銃弾が飛んできたのはあの建物の屋根上。ちょうど銃に光が反射したことで僕は狙撃を察知できた。民家に行ってみましょう」

 

 鈴奈庵を離れ、狙撃場所の民家に足を運んだ右京は家に入らず外壁付近から説明を再開する。

 

「位置的に見て僕はこの屋根の物陰から狙撃された。これは間違いないでしょう。そこに薬莢が落ちていた」

 

「これです。ついでにこちらが弾丸です」

 

 尊がビニール袋に入った薬莢と弾丸を確認する。全体が錆びていて薬莢のほうは製造番号すらわからない。しかし右京には心当たりがあった。

 

「この銃弾、形と大きさ、錆び具合からして第一次・第二次世界大戦辺りで使われたものじゃありませんかねえ?」

 

「ぼくもそれは疑いましたけど、特定までには至りませんでした」

 

 すると右京はカバンから持ってきた簡易メジャーで弾丸と薬莢の長さを測った。

 

「推測するに7.7mm弾が該当するでしょうか……。第一次、第二次でこの実弾を使った狙撃銃は有名どころだと、イギリスではP14エンフィールドにリー・エンフィールド、日本だと有坂銃。その中で狙撃銃は三八式改狙撃銃に九七式狙撃銃、九九式狙撃銃が当てはまるでしょうかね」

 

「よく覚えていますね。結構、マニアックな内容ですよ?」

 

「警察官ですから」

 

「いやいや、それはないから――」

 

「それはさておき」

 

「流すのかよ」

 

 いつも通りのやり取りで尊の会話が流される。

 

「ここは幻想郷。幻想入りしたモノが流れ着く。幻想入りとは皆に忘れ去られたものです。ですが、古くなって捨てられたものが辿り着くこともある」

 

「蓄音機とかは表の博物館にもありますしね」

 

「しかし、漂着物は日本に関連もしくは手に入る品が多いようです」

 

「幻想郷ってほぼ日本の中にありますからね。証明できませんけど」

 

「そう。ということは今回の狙撃銃も」

 

「日本製である可能性が高い、か……」

 

「他の銃に比べればずっと。今のところ確証はありませんがね」

 

「もしかすると狙撃銃じゃないって可能性もありますが、如何です?」

 

 相棒の意地悪な質問に右京は笑顔で返す。

 

「僕は光の反射を見た際、うっすらとですがスコープらしき物体も目撃しました。照準器つきの狙撃銃でほぼ間違いないかと」

 

 断言する右京に尊は納得するもこの事実を本人から教えてもらっていないことに気がついた。

 

「なるほどスコープつきか――ってスコープがついているって初耳なんですけど!?」

 

「おや、僕としたことが言い忘れていましたねえ」

 

「そういうことは早く言ってくださいよ!」

 

「今後、気をつけます。次は広場へ向かいましょう」

 

 ムッとする相棒を引き連れて右京は次の狙撃現場に急行する。

 数分後、広場に着いた右京は奥村が演説した場所に自らも立った。

 

「ここ! ここで奥村は民主主義を叫んで狙撃された」

 

 両手を振って演技まで再現する右京を尻目に尊が状況の補足を行う。

 

「結社のメンバーたちは奥村が狙撃されるとは知らなかったようです。煙幕を投げ込んだ関係者は四人。話を聞いたところ皆『銃声がなったら煙玉投げてかく乱しろ。その後、人のいないスペースに向かって爆弾を投げろ、と奥村さんに命令された』と証言しました。それと『ちょうどよいから爆弾は妖怪へ投げてやろうと思った』との発言もありました。」

 

「やはり奥村の指示でしたね」

 

「里人を扇動するための仕かけだったみたいですね。聴衆の中にも『他人のフリをして議論に参加しろ』って命令を受けたメンバーもいたみたいですし。そっちは死亡した幹部ふたりが中心となって誘導したみたいですけど」

 

「となれば奥村は強引な手段を使ってまで民主主義を取り得ようとした革命家だった。と仮定できます。ですが、彼は射殺された」

 

 右京は足早に通路の狙撃現場へと戻り、下から観察する。

 

「薬莢は?」

 

「落ちていませんでしたね。足跡は残っていました。これがその時の画像です。埃が舞っていてよく見えませんけど、ぼくには同じように見えます」

 

「僕にもそう見えます。使われた銃弾は?」

 

 元部下が答える。

 

「奥村の遺体は診療所に運ばれましたが、すぐに結社の反乱が起きたのでそのまま暗所に放置されていたそうです。ですから、腐敗が凄くて先生が手をつけたがらないんだそうです。うぅ、想像しただけで吐き気が……」

 

「念のため後で確認しますが、おそらく使われた銃弾と同じものでしょうね」

 

「銃声もほぼ同じでしたから間違いないと思います」

 

「ここから広場まで約七十メートルですか。スコープありとはいえ、ずいぶんいい腕をしていますねえ」

 

「そう思います。ですが位置取りが素人そのものです。プロとは思えない」

 

「今わかるのは犯人が狙撃に長けた人物であるということだけですね。それと右指でトリガーを引いたこと」

 

「つまり、犯人は右利きの狙撃手ってことですよね? 狙撃の上手い右利きの人物。そんな人間って里人にいますか?」

 

「おまけに表の狙撃銃を扱えるとなると今のところ思いつきませんねえ」

 

「ここでも手がかりなしか……」

 

 犯人は妖怪かはたまた内外含む人間か。結論はでない。

 

「神戸君、まだまだ勝負は始まったばかりですよ? さぁ、次です」

 

「どちらへ?」

 

「奥村の自宅です。犯人に繋がる証拠が残されているかもしれません」

 

「可能性はありますね」

 

 

 時刻は朝の七時半。

 大通りへと引き返した右京たちは奥村の家に向かう途中で大きな籠を持った舞花と出会った。彼女は右京のことを気にかけており、彼の顔を見かけるや用事そっちのけで、すっ飛んできた。

 

「杉下さん、もう動けるの!?」

 

「皆さんのおかげですっかり元気になりました」

 

「よかったー。私、心配で……」

 

「ご心配をおかけしました」

 

「でも、病み上がりなんでしょ? どうしてこんな朝から大通りを歩いているの?」

 

「事件を解決するためです」

 

「未だ、狙撃犯は捕まっていません。舞花さんも危ないから極力、出歩かないほうがいいですよ」

 

 尊が親切に忠告する。

 

「わかってはいるんだけど、作った料理をおすそ分けしたくて。腐らせたら勿体ないから近所に配っていたの。まだ治安が安定してないから外に出たがらない人が多いし、ご年配の人もいるから若い私が何とかしないとって思っちゃって」

 

 目を逸らす舞花を眺めながら尊はあなたも危険には変わりない、と思ったのだが、人のよさが舞花のよいところなので、あははっと笑うだけにとどめた。

 反対に右京は言うべきところは押さえる。

 

「相変わらずですねえ。人として非常に尊敬できますが、神戸君の言う通り、極力外出は控えて欲しく思います。僕のように弾丸が急所を外れてくれる保証などないのですから」

 

「あはは……そうですよね。気をつけます」

 

「僕たちのほうからも稗田さんへ食糧や水を各家庭に配給できないかどうか相談してみます。きっと検討してくれると思います」

 

「それは嬉しいわ! 杉下さんって本当に気が利くわよねぇ~。モテるでしょ?」

 

「んふふ、普通ですよ」

 

「本当のところは?」

 

 舞花は本人ではなく相棒に訊ねる。

 

「ぼくよりモテるかも(人、人外問わず)」

 

「冗談はさておき。神戸君、そろそろ八百屋へ向かいましょうか」

 

「あ、だったら私もご一緒してもいい? 八百屋のおばさん、皆が色々言うからあれからずっと顔を出してないのよ。私は職業柄、しょっちゅう顔を出すから結構、可愛がってもらっているの。駄目?」

 

 最愛の息子が撃たれて死んでしまった。そのショックは計り知れないだろう。食事もとらず、ずっと泣いているのかもしれない。舞花が心配するのも頷ける。

 本来ならば家に帰るべきだと言いたいが、自分たちだけだと失意のどん底にいる母親から事情を聞きにくくなると判断した右京が「僕たちから離れないように」と念を押して同行させることにした。

 

 三人組が八百屋の正面まで到着すると、舞花が前に出てドンドンっと木戸を叩いた。

 

「奥村のおばさん、いる? いたら返事して欲しいんだけど! おばさん! おばさんってば!」

 

 何回叩いても返事がない。気になった右京が舞花を尊に任せて自身は裏口へ回る。

 裏口も同じく木製タイプの扉だが、こちらは西洋式の錠前が採用されており、当然、鍵がかけられていて中へは入れない。

 そこで彼はしゃがんでから地面に転がる石などを隈なく見て回る。人差し指でこれでもないあれでもないと指さしていると、わずかに濃い茶色の土が付着した石を発見する。大きさは漬物石の半分くらいだが、小物を隠すには十分だ。

 右京は石をひっくり返す。裏側にはダンゴ虫などの虫がぎっしりと身を寄せ集めているが、その下では金属が光っていた。

 

「どうやら当たりようですねえ」

 

 それは鍵だった。しかも錠前とぴったりと合う。だめもとで探していたら思わぬ収穫だ、とほくそ笑む右京に後ろからついてきた尊と舞花が声をかける。

 

「それ、鍵ですよね?」

 

「まさか、入るつもりなの!?」

 

「……もしかすると動けない状況にあるかもしれませんから」

 

 そう言って、右京は鍵を使ってロックを解除した。扉を開けて「安全確認のため入らせて頂きます」と大きな声で告げて台所から室内へお邪魔する。

 行動力の塊というか何というか。相棒は呆れ果てるもここで突っ立っているのもどうかと思い「中に入るけど、いい?」と舞花へ訊ね、同意が取れたので一緒に室内にあがる。

 先行する右京は台所の扉を開け、すぐに奇妙な臭いが漂っているのを察知する。

 

「この鼻をつく臭い……」

 

 臭いは居間と思われる方向から漂っていた。右京は一旦、引き返して尊と舞花の前に戻る。

 

「神戸君、この先から異臭がします。舞花さんを連れて外に出ていてください」

 

「え? それって……」

 

「後、可能なら人手を呼んできてください。できれば医療従事者と体力のある若者」

 

「は? 医療従事者、若者……。ま、まさかーー」

 

「そうと決まったわけではありません。念のためです。いいですね?」

 

 とはいいつつも、顔は強張ったままだ。こういう時は大抵当たるんだよなこの人。彼とつき合いの長い尊は、その意図を察して指示に従って素直に応援を呼ぶことにした。

 

「は、はい。……舞花さん、戻りましょう」

 

「う、うん……。おばさん――だ、大丈夫だよね……? ね?」

 

 まさかそんなことあるわけない。不安を抱きつつも舞花は尊と共に外に出た。

 右京は臭いのする場所へと機敏な動きで進んでいき、居間と思われる扉を開けた。

 するとーー。

 

「やはり、そうでしたか」

 

 梁に縄を結んで首を吊った女性の死体が力なくぶら下がっていた。

 臭いの原因は腐臭と失禁によるものだった。

 右京はため息と共に仏を憐れんだ。



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第130話 ホームズ&ワトソンの挑戦 その2

 尊が応援を呼んでくるまでの間、右京は現場の観察と記録を行う。

 部屋の間取りは約十二畳で床は木板が敷かれている。窓はガラス製ではなく、小さな木戸が一つ。その真ん中の梁に垂らされたロープで首を吊っている。

 遺体のすぐ側には小型の台座が転がっていて、遺体正面の部屋には三人用と思われる座卓が置かれ、食事を取った際にできたシミが残っている。渇き具合からして日は浅い。

 遺体は四十代後半の身長150センチ前後の細身の女性だ。赤を基調とした花柄の着物を着用しており、足袋もはいている。状況からして八百屋のおばさん本人と思われる。

 ハンカチで鼻を押さえた右京が遺体の周囲をグルッと回りながら観察すると、首元にロープが食い込んだ部分よりも下にかけて青アザができていた。特に右首側面が強く残っている。また右小指の爪先に細い繊維が付着していた。

 

 五分後、舞花を自宅へ戻してから慧音を含む応援を連れてきた尊が奥村宅へ乗り込むと予想通りの光景が広がっていた。

 

「う゛ぅぅぅ――」

 

 血と死体を大の苦手する彼にとって死体が放置された密閉空間は地獄の中の地獄。

 口元をハンカチで押さえながら死体と目を合わせることもできず、居間の外で苦しむ。今回、応援で駆けつけてきた若者たちも遺体慣れしておらず、その悲惨さに目を背けて嗚咽する。

 仕方ないので右京と慧音が中心となって遺体を布が敷かれた床へ降ろした。間を開けず彼は死斑から死亡時刻を推測する。

 

「死亡してから死後二日から三日は経っていますね。死因は首の骨が折れたことによる頚椎骨折。一見、普通の遺体に見えますが……」

 

 喋るのと同時に手際よくスマホで死体と現場の映像を撮影していく右京。彼との臨場が二回目の慧音でもその動きに着いていけず、ただ眺めているだけだ。黙々と仕事をこなす右京に悪いと思ったのか、尊が死体と目を合わせないように注意を払いながら、居間にカムバックする。

 

「す、すみません……。ぼく、まだ死体慣れしてなくて――うぅ……」

 

「無理は禁物です。君は先に奥村の部屋を調べていてください。こちらは僕がやりますから」

 

「りょ、了解です……」

 

「上白沢さんたちも無理はなさらずに。疲れたら外で休んでいてください。遺体を運び出す際にお呼びしますから」

 

 言葉に甘えるように若い助っ人たちは外へ避難したが、慧音だけはこの場にとどまって右京を手伝った。遺体の写真をあらかた取り終わり、彼女が若い衆に遺体を診療所へ運ぶように指示を出す。

 ふたりは居間周辺を始め、玄関、台所、厠、野菜の販売スペースを捜索したが、これといって犯人に繋がる証拠は発見されなかった。

 途中から奥村の部屋を捜索し終えた尊も合流するがそちらの収穫もゼロ。犯人や自殺に繋がる手がかりはなかった。

 

 三人は台所へ集まった。八百屋というだけあって広めのキッチンスペースが確保され、洗い物置場には使われた食器が重なり、隣の生ごみスペースからツンとした臭いが漂う。換気を行って幾分かマシになるも相変わらずくさいままだ。

 臭いに弱い尊はゲホゲホと咳き込みながらも上司に詳細な報告を行う。

 

「奥村の部屋を探しましたけど、事件に関連のありそうなものはありませんでしたね。一応、写真は取りましたけど、見ます?」

 

「いえ、後で結構。念のため、僕も帰り際に確認します」

 

「それで、どうでした? 遺体のほうは」

 

 右京は即答する。

 

「ほぼ()()と判断しました」

 

「ええ!?」

 

 慧音は驚きを隠せず、言葉が出せない。尊がその根拠を訊ねる。

 

「他殺とする根拠は?」

 

 右京はスマホのロックを解除して撮ったばかりの画像を二本指でスワイプして遺体の首元をアップにした画像を表示。気になる部分にふたりの視線を誘導する。

 

「ここ、不自然なんですよ」

 

「ふ、不自然……?」

 

 吐き気を我慢しながら尊が訊き返す。

 

「首を吊って自殺する場合、首に縄が食い込むことで、その部分に縄の跡がつきます。ですが、ご遺体にはそれ以外の場所にもアザが見られました」

 

 その画像には喉仏下部や首右側面などにアザが見られる。このようなアザは簡単につくものではない。強い力で絞められでもしない限り。

 

「確かにロープで絞められている以外にアザができるなんて不自然ですよね」

 

「察するに背後から何者かに首を絞められて殺害され、その人物に首を吊って自殺したように偽装されたのでしょうねえ」

 

「そう考えるのが妥当ですね……。しかし、彼女を殺ったのは誰なんです? 正直、そこまで殺す必要性のある人物だと思えないのですが」

 

「殺害したのは奥村と自身の繋がりを示す証拠を消し去りたい人物が該当するでしょう。この場合は狙撃犯や協力者が有力です」

 

「証拠か……。自宅に何の手がかりがなかったところを見ると、それしかないか。ということは忍び込んだ犯人が見つかりそうになったから背後を取って絞め殺したって訳か。……不運だな」

 

 尊がポツリと呟く。

 犯人と遭遇しなければ殺されずにすんだかもしれない。慧音は無言で肩を落としながら彼女の不幸を憐れんだ。

 が、右京はだけは違う見解を持っていた。

 

「果たしてそうでしょうか?」

 

 そう言ってスマホから台所の洗い物置場にふたりを案内する。

 広いスペースだが、使用済みの二~三人用と思われる桶と大きめの皿、ふたり分のご飯茶碗、取り皿、箸、湯呑、まな板、包丁、菜箸などが重なっているだけだ。

 

「これ、おかしいと思いませんか?」

 

「ん? どこがです?」尊は首を傾げた。

 

「上白沢さんは如何です?」

 

「と言われましても……」慧音も同じような態度だった。

 

「息子を亡くしてひとりしかいない家庭で果たしてこのような大きいお皿や複数の取り皿を使いますか?」

 

「作り置きしていた料理を乗せていたと考えれば納得できますけど……」

 

「私もそう思います」

 

「ならば、次に生ごみを見てみましょう」

 

 右京はなんの躊躇いもなくゴミが入った箱を開けた。

 中には捨てられた肉野菜炒めや白飯、沢庵、野菜、生魚、生肉などが詰められており、悪臭を放っていた。その臭いは右京以外のふたりを襲い、思わず鼻をつまんで咳き込んでしまうが、開けた本人は台所から拝借した菜箸で残飯を端へよけながら平然と解説する。

 

「異臭のもとは箱の奥底にあるお野菜やお魚が原因です。その証拠に料理はそれほど腐っていません。大まかですが、二~三日前に捨てられたものでしょう」

 

「そ、そこまでわかるもんなんですか……!?」

 

「そこは勘です」

 

「勘なんだ……」

 

「ですが、そう考えれば辻褄が合う」

 

「え? どういう意味です?」

 

「死亡日時と一致するからです。仮にそうだとするのなら、奥さんが手料理を振る舞って油断した隙をついて殺害することも可能です」

 

 その仮説に尊が待ったをかけた。

 

「お言葉ですが、絶望のどん底にいる人間が食事を振る舞おうとはしないと思います。杉下さんは知らないでしょうけど彼女は演説が始まる前からヒステリックな態度を取ってました。息子さんへ取材にきた射命丸さんが記者だとわかった途端、大声で追い返して店を閉めるほどに。そんな人間が息子を失ったと知ったらショックで誰もとも会いたらない。絶対に鍵を開けたりしない」

 

「では、どこから侵入したのでしょう? この家――人が入れるのは表口と裏口しかないのですよ? 正面はつっかえ棒式の引き戸に裏口は西洋式のドアです。双方とも無理やりこじ開けられた形跡もない。犯人が妖怪なら別ですが、人間と想定するなら家主が扉を開けない限り、中へは入れないのです」

 

 屋根裏や床下も調べたが、人が通れるスペースはどこにもなかった。妖怪の仕業ならともかく人間なら侵入はできない。

 

「ですが、鍵は石の下に隠してあったんですよね? それを使って鍵を開けたというのは?」

 

「石の下には無数のダンゴ虫がひしめいていました。そのようなところを鍵の隠し場所にするでしょうか?」

 

「隠していたのを忘れていたとか……」

 

「最近、石が退かされた跡がありましたのでそれはないかと」

 

「なら犯人が鍵を閉めて置いていったってことか」

 

 尊はここで一旦、納得する。

 

「とすると、犯人は奥村さんもしくは息子奥村と仲のよい人物ということになります。それも鬱気味になっている彼女が自宅へ招いて料理を振る舞うような」

 

「一体、その人物とは……」と慧音が訊ねる。

 

 右京は一言で返す。

 

「これから探します」



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第131話 ホームズ&ワトソンの挑戦 その3

 朝の八時半。

 捜索を終え、現場の保存を慧音に依頼して別れたふたりはそのまま大通りを歩く。そのころになると奥村母の死亡事実が人から人を通して里全体へと伝わっていた。

 その反応は様々で、ある者は「里に居られないと思ったから死んじゃったのね」と嘆き、ある者は「馬鹿な息子を持って可哀想」と同情し、ある者は「息子が人さまに迷惑かけたんだからその親も死んで当然」と冷たく切り捨てる。

 閉鎖社会というだけではなく、一時的にでも自分たちから自由を奪った結社への憎しみが多少なりとも込められていた。

 決して母親が悪いわけではない。わかっていても特命係にはどうすることもできない。できるのは真実を明らかにすることだけ。右京たちはそのまま舞花の自宅へ向かった。

 

「舞花さん、いらっしゃいますか?」

 

 自宅の戸をノックすると舞花がでてきた。彼女の目は真っ赤に充血しており、奥村母の死を悲しみ、涙を流していたのが窺えた。

 

「ごめんなさい。近所の人からおばさんが首を吊ったって聞いて泣いちゃって……」

 

「仲がよろしかったのですね」

 

「いつも野菜を仕入れてたから……」

 

「そうですか……。お辛いところ申し訳ありませんが、少々お話をお聞かせ願えませんか」

 

「いいけど、何を話せばいいの?」

 

「それは何に入ってからお話します」と右京が真顔で言った。

 

「……わかったわ」

 

 ただならない事情を察した舞花は自宅の居間に特命係を案内する。

 彼女が持ってきたお茶を啜りながら三人の会話が始まった。

 右京が訊ねる。

 

「奥村さんは誰かに恨まれていましたか?」

 

「どうしてそんなことを訊くの……」

 

 何となくわかってはいたが、訊ねずにはいられない。右京は少し間を置いてから。

 

「ここだけの話――奥村さんは殺された可能性が高い」

 

「そ、そんな……」

 

 敦に続いて奥村のおばさんも殺害された。自分と親しい人たちが立て続けに亡くなった。その事実に舞花は落胆の色を隠せずに俯く。

 

「ですので、仲のよかった舞花さんからお話を伺いたいのです」

 

「……」

 

 里を占拠された負担が抜け切れないところへこの追い打ち。彼女の精神は大きく削られている。

 

「無理しなくてもいいからね。アレだったらまた後で――」

 

 直後、舞花が首をブンブン振って「大丈夫だから」と言って続ける。

 

「犯人――絶対、見つけてくれる?」

 

「尽力します」

 

「同じく」

 

 ふたりが約束すると、舞花は奥村母について語り出した。

 

「……奥村君はともかく、おばさんは人に恨まれるようなことはしてないと思う。いつも笑顔で野菜を売ってくれるし、たまに作った料理をおすそ分けしてくれたりもしたの。いい人だったわ」

 

「奥村君とはお知り合いですか?」

 

「野菜を買うとき、たまに話したりしたわ。子供のころ、寺子屋で一緒に学んでいたからその関係で」

 

「年齢的に後輩と先輩の間柄でしょうか?」

 

「そうだけど、寺子屋時代はあんまり喋らなかったわ」

 

 尊が「どうして?」と訊ねた。

 

「慧音先生や担当の先生に突っかかってばかりで、いつも怒られてた。勉強はできるんだけど、授業内容が気に入らなかったみたいで。特に幻想郷史の授業になると『それって本当なんですか?』って食ってかかって、授業が進まない日もあったわ。体格が大きくて喧嘩も強かったから生徒たちは文句を言えなかったけど」

 

「子供の時から問題児だったのですねえ」

 

「たまにいるよな、そういう子供って」

 

「最初はそこまで酷くなかったんだけど、お父さんが亡くなってから余計、拗れちゃってね。いつも言ってたのよ。『とーちゃんは妖怪に殺されたって』って」

 

「稗田さんは厠で亡くなっていたと仰っていましたが……」

 

「心臓麻痺って聞きましたね」

 

 永遠亭で阿求から聞いたのは奥村の父親は心臓麻痺で死んだという話だけだった。

 

「私も周りからそう聞かされたんだけど、本人は納得しなくてね。お父さんが大の妖怪嫌いだったみたいで、ことあるごとに妖怪を批判していたらしいの。それで信じちゃったのかな」

 

「なるほど。想像以上に複雑な人物ですね。奥村君は……」

 

 右京が唸り、尊が続ける。

 

「拗れる人間には拗れるだけの理由がある、か」

 

「私にはよくわからないけど、家族を殺されたと思ったらやっぱり、恨んじゃうよね……」

 

 結社の前リーダーの過去はその屈折を理解するに十分な内容だった。

 父を殺された奥村に母を殺された田端。反妖怪運動を展開する人間たちの動機の根っこは家族の敵討ちだ。舞花もその点だけは理解していた。尊も気持ちはわからなくはないと内心、思っている。

 その中で右京だけは真っ向から彼らを否定する。

 

「例えそうだとしてもあのような大勢の人を巻き込んだ何でもアリの演説など到底容認できるものではありません。そのせいで里の皆さんが苦しんだのですから」

 

「そう、だよね。うん……」

 

「ですね」

 

 舞花と尊は紳士の言葉に納得して頷いた。

 右京が次の質問へ移る。

 

「次に奥さんと仲のよかった人を思いつく範囲で教えてください」

 

「仲のよかった人?」

 

「ええ、家族ぐるみで付き合いがあった。常連だった――もしくは奥村君と仲がよく、その関係を知っていたであろう人物。誰か心当たりはありませんか?」

 

「うーん、そこまで詳しくはわからないかなぁ。ご近所さんとは関係も良好だったし。常連さんも普通にいたからね。奥村君の友達っていっても私は知らないし」

 

「特に仲がよかったと思う方は?」

 

「そうね……。あ、恵理子さんと仲がよかったかな。よく立ち話しとかしてたし」

 

 どこか聞き覚えのある名前だった。脳内の辞書から右京がパラパラと検索して該当する人物を思い出す。

 

「恵理子さん――もしかして小鳥遊さんでしょうか?」

 

「そうそう! ふたりとも明るいから気が合ったみたいだったわ。旦那さんも狩猟で捕った動物の肉をおすそ分けしていたし」

 

「旦那さんもですか」

 

「うんうん。幸之助さんもぶっきら棒だけど、人のいいおじさんだからね。恵理子さんの代わりに八百屋で買いものしたり、料理を作ってもっていったりすることもあるみたいで、私の店で飲んでるときなんかよく『アイツは俺を便利屋何かだと勘違いしている』って愚痴っていたわね。冗談だろうけど」

 

「アハハ、それは大変だ」と尊は笑う。

 

「仲がよいのは何よりなことですよ」

 

 離婚経験のある右京はかつての愛妻を思い出しながら意味ありげに語った。

 

「ここ最近も小鳥遊夫妻は八百屋を訪れていましたか?」

 

「あんまり見ていないかな。恵理子さん、足を悪くしてたから、狩野君が代わりに買いものを手伝ってたわ」

 

「ほう、狩野君が……」と右京はあの笑顔のよい少年を思い出す。

 

「あ、知っているの? 彼、美男子だからモテるのよね。勉強もできるし運動神経もいいのよ。小鳥遊さんの助手として狩猟に同行してたから、同年代の女子が『殺されないか心配だわ』って嘆いていた」

 

「確かに彼、モテますよね。態度も落ち着いてますし」

 

 同じくモテる男の尊も認めていた。

 

「どの時代でも紳士的な人物は人気があるというものです」

 

「杉下さんもね。それから神戸さんも」

 

「おやおや、僕は全然ですよ」

 

「ぼくも大したことないです」

 

 実際、かなりモテるが、自慢するようなことはせず、軽く否定する。

 いや、絶対モテる。舞花はそう確信しつつもそれ以上の深堀はしなかった。

 

 

 話を終えて舞花の家を後にしたふたりはその足で小鳥遊家に向かった。

 すぐ隣に死亡した敦、信介、斜め後ろには春儚の部屋がある。あまり日を置かず隣人三人が死亡するというのは不吉だ。それに加えて今回の結社騒動。半端のないストレスを抱えているだろう。

 可能な限り、慎重に話を伺おう。右京と尊は道中、そのように話し合った。

 数分で到着すると右京が小鳥遊家の引き戸を叩く。

 

「小鳥遊さん、いらっしゃいますか? 特命係の杉下です」

 

 何度かコンコンとノックをしても物音一つ立たない。

 

「留守ですかね。配給を貰いにいったとか」

 

「かもしれませんねえ」

 

 そのように答えながらもやはり気になるのか、右京は引き戸を少し引いてみた。

 案の定、つっかえ棒で開かないように戸締りされており、戸が開くことはないが少々、棒のがかり具合が甘いので、何度か引き戸をガタガタと動かしてみた。

 

「杉下さん、人さまの家ですよ!?」

 

「もしものことがあるかもしれませんから――おや、棒が外れましたねえ」

 

 かかりが緩かったのか簡単に棒が外れた。

 

「ちょっと、もう!」

 

「僕としたことが……ついついやってしまいました。あまり力を入れていないのですが。……せっかくです。申し訳ついでにお部屋を覗いていきましょう」

 

 どさくさに紛れて確認できることは確認しようと試みる右京に尊は呆れるほかなかった。

 

「怒られても知りませんからね」

 

 小言程度で右京の悪癖は止まらない。そろりそろりと引き戸を開けながら「おじゃまします」と告げた。

 古い家屋故か、戸が歪んでいた。入口が開いてにつれて外の光が居間の内側へ差し込まれる。

 暗い部分が徐々に照らされていき、囲炉裏と中身の入っている鍋が見えた。それが一定のところまで到達すると、床に頬をつけて倒れる人間の姿が飛び込んできた。

 血相を変えた右京は戸を勢いよく開けて室内に飛び込んだ。

 そこに広がっていたのは――。

 

「小鳥遊さん!! ……脈がない」

 

 倒れている小鳥遊恵理子の死体であった。そして居間の奥にも、

 

「腹を……刺している」

 

 包丁で自身の腹を突き刺して死んでいる小鳥遊幸之助が片隅に寄りかかっていた。



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第132話 ホームズ&ワトソンの挑戦 その4

「へ!? また死体!?」

 

 右京に続いて自宅に入った尊がショックで口元を押さえた。

 本日二度目の御遺体発見にも関わらずまたもや狼狽えてしまう。

 背中で部下の震えを感じ取った上司は彼が役に立たないと判断し、応援を要請するように依頼した。

 

「君は人を呼んできてください。いいですね」

 

「は、はい!!」

 

 相棒に指示を出してからすぐに木戸を全開にして状況確認に入る。

 妻の恵理子は戸を開けて正面の庵、その右側に横向きで絶命していて、夫の幸之助も腹を包丁で突いて亡くなっていた。

 右京は手を合わせてから捜索に乗り出す。

 最初は妻、恵理子を調べる。手を胸の辺りに置き、身体を九の字に曲げた状態だ。首元には奥村母同様、絞められたようなアザがあった。

 

「首に絞められたようなアザがある。死因は頸椎骨折ですか。指先が紫色に変色している」

 

 遺体に死斑が残るのはよくあることだ。しかしながら恵理子の指先にはくっきりした紫色に変色していた。

 右京は鍋に残っていたスープを見やった。

 

「まさか、急性ヒ素中毒」

 

 田端は部下に硫砒鉄鉱から亜ヒ酸を精製させており、火口家や劇場から結構な量の亜ヒ酸が発見されている。その一部が使われたとしても何ら不思議ではない。

 証拠となる写真を押さえたのち、幸之助のところへ近寄る。

 血で汚れた床に尻をつき、背中は隅に寄りかかっている。両手には包丁が握られていた。左手で柄を掴み、右手で押し込むように柄の先を覆っていて、刃が腹部の少し右側、若干の斜め右気味に角度がついて刺さっていた。普通に考えれば自殺だ。

 彼は包丁を握っている手、もっといえば指に注目する。

 

「こちらも変色していますね」

 

 妻と揃って指先が変色していた。それも紫色だ。中毒症状の可能性がより高まった。

 やがて尊と応援で駆けつけた魔理沙を含む里の若い衆たちが室内へ飛び込んできた。

 

「な、なんなんだよ、これ……」

 

 魔理沙もふたつの遺体を目の当りにして言葉を失うが、右京は淡々と指示を出した。

 

「皆さん、現場の保存を行いますのでご協力を」

 

 作業員全員で現場保存を行った。夫妻の家は居間、台所、寝室の三部屋から構成される。子供がいない家庭なら特に不自由なく生活できる広さだ。死体を直視できない尊はその間、野次馬として集まった人々を掻き分けて付近の住民に事情を訊いてまわる。

 三十分も経てば居間周辺と死体の写真撮影も終わる。遺体は診療所に運ばれた。

 次に彼は居間の右奥の畳が敷かれた部屋へと進む。大きさは十畳程度だ。

 木戸側には小さな座卓と座布団が置かれ、盤上には狩猟に使うと思わしき仕かけや弓と矢が乗っていて、壁の隅には里で作られている〝火縄銃〟が立てかけられていた。

 反対側には女性ものの小物や畳まれた着物は置かれた座卓がある。

 恐らく夫妻共用の寝室なのだろう。念のために室内の捜索に取りかかる。

 座卓の引き出しやタンスを調べたが何も出てこない。残すは押し入れのみ。

 引き戸の取っ手に手をかけて中を開けると、幸之助の狩猟道具が大半を占めていた。

 投げ網や釣り具、矢じりや弦、くくり罠等のトラップなど多種多様なアイテムが綺麗にまとめられてしまわれていた。

 腕の立つ狩人という触れ込みは本当のようだ。

 捜査を続けていると背後から魔理沙がやってきた。

 

「なんか自殺の原因になるようなものは見つかったか?」

 

「今のところまだ」

 

 答えた直後、右京は麻に入った物体を発見した。その長さは一メートルを越えている。右京はゆっくり麻袋を押し入れから取り出して畳に置いた。

 感触的に鉄と木のようだ。

 もしやこれは。何か嫌な予感がする。彼が麻を外すと、スコープがついた狙撃銃が姿を現した。

 驚いた魔理沙が声を上げた。

 

「な、なんだよこの銃――見たことないぞ!」

 

「これは九九式狙撃銃。旧日本軍製の武器です。対応する銃弾は九九式普通実包」

 

 ボルトアクションで排莢を行うタイプの古い銃だった。対応する銃弾も7.7mm弾で、右京の胸を抉った物と一致している。

 

「犯行に使われたのはこの銃で間違いないでしょう」

 

「ってことはあの狩人のおっちゃんが狙撃犯なのか……?」

 

「断定するにはまだ早い。他の部屋を調べ次第、稗田さんたちを集めて緊急会議を開きます」

 

「お、おう」

 

 最後に台所へ向かい、気になる箇所の写真を取る。野菜くずや肉を調理した形跡があったが、犯人にはつながらない。シンクを調べたら今後は下に注目する。

 木目調の床を丁寧にチェックしていくと居間との境目にまたがるように何らかのシミが拭きとられた跡があった。そのシミはどこか赤みを帯びており、右京は無言でスマホを構えてシャッターを切った。

 ひと通りの作業を終えた右京は銃を麻袋に戻し、それを持って魔理沙と共に小鳥遊家を出た。

 

 

 外で尊と合流した右京は事情を話して魔理沙を伴い稗田邸にいる阿求の元へ急いだ。

 特命係の申し出を受けた彼女は仕事を一時中断して三人を自らの書斎に招き入れ、午前十一時半に緊急会議を開いた。

 右京は奥村母、小鳥遊夫妻が死亡した事実を述べてから押収した証拠品を提示する。

 

「こちらが狙撃に使われたと思われる狙撃銃、九九式狙撃銃です」

 

 固定倍率のスコープをついた狙撃銃を見せられた阿求は息を飲みつつ、右京へ質問する。

 

「その銃が私を狙った代物なのですね。それはどこで見つかったのですか?」

 

「小鳥遊家の押し入れに麻袋で包んであった状態でしまわれていました」

 

「小鳥遊って……小鳥遊幸之助さんですか!?」

 

 彼を知っていた阿求は驚きのあまり、口元を押さえる。

 

「知っておられましたか」

 

「もちろんですよ。里で有名なベテラン狩人ですから」

 

「ということは狙撃の腕も」

 

「火縄銃で夜雀の頭を討ち抜いたことがあると小耳に挟みました。相当な腕なのでしょうね」

 

「銃の貸し出しの際に審査などは致しましたか?」

 

「私が生まれる前から先代が銃を貸し与えていたので特に審査するなんてことはありませんでした。性格もざっくばらんで皆からこーさんやこーちゃんと呼ばれ親しまれていました。あの人を悪く言う人を聞いたことはありません。そんな人がどうして……」

 

 信用していた人物が狙撃犯だったかもしれない。動揺の色を隠せない阿求に右京は待ったをかける。

 

「まだそうと決まったわけではありません。気を落とさずに」

 

 彼女を励まし、彼は自身が調査した内容を皆に報告する。

 

「順を追ってご説明します。僕は最初、奥村さんに息子さんのお話を伺うべく舞花さんを伴って自宅を訪問しました。ですが何度引き戸を叩いても反応がありませんでした。そこで裏口に回り、石の下にあった合鍵を発見。室内へ入りました」

 

「そこだけ聞くとまんま泥棒だな……」

 

 魔理沙が苦言を呈するが当の本人は「安否確認は必要ですから」とさらっと流す。

 

「室内に入って少しすると異臭がしたので居間の戸を開けてみると、首を吊った奥村さんを発見しました。死斑から計算すると死後数日は経過しており、神戸君がご近所さんに話を訊ねたところ『三日前の夜までは物音がしていたが、それ以降は聞いていない』との証言がありました。死亡時刻は三日前の夜で間違いないでしょう」

 

「息子が死んじまったからな。後を追いたくなったか……」魔理沙がため息を吐いた。

 

「それはどうでしょう。彼女の首にはロープが食い込んでできた跡以外にもアザができていました。ご覧になりますか?」

 

「はい。お見せ頂けるのなら」

 

 正直、気は進まないが代表役として阿求は使命感から画像を確認する。

 

「……確かに不自然なアザがありますね」

 

「アザは右側面に強く残っており、喉仏辺りにまで及んでいます。背後を取られ、このように右腕を回されて頸椎を折られたのでしょう」

 

 そう言って尊を自身の正面に呼び寄せて軍人などが使う頸椎折りの方法を再現した。もちろん軽くだが。

 実験対象は「ちょっと絞めるのキツイすぎ!」と不満を垂らしていた。その甲斐あって実用性を証明できた。

 

「本格的な殺害方法ですね……」

 

 効率的な首の折り方に小説家の阿求は唸るようにコメントした。

 

「それなりの知識を持った人物なのは確かです。そこから犯人は奥村さんが首を吊ったように偽装して、裏口から鍵をかけて出て行った」と右京が推測する。

 

「犯人が鍵をかけたのは想像できますが、持って行かなかったのでしょうか……?」

 

「処分に困ったからだと思われます。すぐ近くの場所に隠して置けば、家主が日常的に隠し場所にしているのだと誤魔化せます」

 

「そこを普段から場所にしていたのでは?」

 

「石の下にはダンゴ虫がぎっしり集まっていました。普段から使うであろう鍵を隠す場所としては相応しくありません」

 

「んじゃ、なんで犯人はそんなところに隠したんだろうな? もっと違うところがあったような」魔理沙が疑問符を浮かべる。

 

「犯行が夜で手元が暗く見えなかったと考えれば理解できます。早く現場を去りたかったでしょうからね」

 

「けどダンゴ虫だぜ? 私だったら嫌だな」

 

 身を寄せ合ってカサカサを蠢く無数の物体。想像しただけで女子は気分を害する。

 

「手袋をはめていれば触ったことに気づきにくい。それに犯行直後の犯人には余裕がないですから、ミスをしてもおかしくない」

 

「指先まで手袋してればすぐに気が付けない、か」

 

「まだ予想ですがね。それから僕は舞花さんの自宅にお邪魔して、奥村さんが恨みを買うような人物や仲のよい人物がいないか質問させて貰いました」

 

「恨みを買う人物ならわかるが、仲のよい人物を聞いたのはどうしてだ?」そう魔理沙が問う。

 

「犯人が奥村さんと仲のよい人物だと勘繰ったからです」

 

「なんだと!? どうしてそう言い切れるんだ?」

 

「奥さんが犯人に料理を振る舞った形跡があったからです。失意のどん底にいる人物が料理を振る舞うなど普通はありえない。状況的に振る舞われた人物が殺害したと仮定するのが自然です」

 

「だから親しい者の犯行って訳か」

 

「そして小鳥遊夫妻が奥村さんと仲がよかったことを突き止め、神戸君と向かったところ、おふたりの遺体を発見しました。調べたところ妻、恵理子さんは頚椎骨折。夫の幸之助さんは出血多量が死因だと思われます。なお、両者の遺体には指先などの末端が紫色に変色しているのが確認でき、急性ヒ素中毒の疑いが浮上しました」

 

「ヒ素中毒……亜ヒ酸入りの毒餌や液体を混ぜたってことよね」と阿求が呟く。

 

「鍋の中身に毒餌が混じっていた形跡が見当たらなかったので、亜ヒ酸の原液が使われたのでしょう。無味無臭で気づかれないのが特徴ですから」

 

「狩人なら毒にも詳しいだろうしな。だけど、殺すならトリカブトのほうがいいよな。即効性あるし」

 

 その効力を目の当りにした魔理沙ならではの発言だった。職業柄、毒に詳しいはずの狩人が何故、即死させられない亜ヒ酸を使ったのか、と。右京が疑問に答える。

 

「彼はくくり罠や弓を狩猟道具とする狩人です。毒物はあまり使わないのでしょう」

 

「じゃ、どこから亜ヒ酸はどこから手に入れたんだ?」

 

「入手経路は結社からが妥当です」

 

「なるほどな。で、奥さんと心中したってことか。理由は……狙撃犯バルバトスだったからか?」

 

 小鳥遊幸之助が狙撃犯。

 狙撃技術があり、結社の前リーダー奥村との接点もある。逃げ切れないと判断して妻と一緒に死ぬ道を選んだ。流れ的にはそう仮定できなくもないが。

 

「動機はなんでしょう? 稗田さんを狙撃して奥村を殺すのです。並大抵の覚悟ではありません。長年にわたって親しまれている男性がそのような真似をするとは考えにくい」

 

「妖怪が嫌いだったとか?」魔理沙が言った。

 

「それだと奥村を殺す理由にはなりません。彼らは妖怪を嫌っているのですから。協力するはずですよ」

 

「田端の協力者だったってことはないか? 奥村と口論してたって話もあるし。依頼されて始末したって線もあるぜ?」

 

 魔理沙の意見に耳を傾けながらも右京は自分の意見を述べる。

 

「可能性がないとは言い切れませんね。ですが、僕は彼が殺されたと考えています」

 

「どうしてですか?」阿求が右京に訊ねる。

 

「遺体付近に流れ出た血の量が少ないのです。それで気になって台所も調べたのですが、ちょうど居間との境目で血痕が拭きとられたような痕跡を発見しました。これが画像です」

 

 画像は居間と台所の境目付近で撮られ、床に赤い何かが拭きとられた跡があった。

 さらにそこから遺体が発見された場所までポタポタと血痕がたれた痕跡も見受けられ、こちらも拭き取られていた。

 

「拭き取られた液体が幸之助さんのものだと仮定するなら不自然です。これから自殺する者が血痕をふき取るなどありえないのですから」

 

「じゃあ、あのおっちゃんは自殺じゃないってことか!?」

 

「そうとしか考えられません」

 

「しかし、犯人はどのように小鳥遊夫妻を殺害したのですか? 夫の犯行でないのならここまで上手く殺せないと思うのですが……」

 

 亜ヒ酸を混入させてすぐに死亡するケース少ない。非常時とはいえ助けを呼ばれることだってある。

 けれど尊が行った周辺への聞き込みでは結社が里を占領してから皆、恐怖に怯えて家から一歩も外へ出なかったそうだ。

 加えて小鳥遊家周辺には空き家が多く、隣人から犯行に繋がるような証言も得られない。つまり、犯人はスムーズに夫妻を殺害したのだ。どのようにすれば手際よく人を殺害、それも現役狩人を殺せるのか。阿求の疑問点はここにあった。右京が見解を語る。

 

「亜ヒ酸を摂取すれば急性ヒ素中毒を起こし、身体の自由が奪われます。その隙をつけば容易に殺害可能かと」

 

「殺すためではなく、弱らせるため、ですかーー」

 

 残忍な手口に阿求は寒気を覚えた。どこまで冷酷なのかと。

 

「しかし、小鳥遊家は完全な密室だったんだよな? 裏口もつっかえ棒で開かないようになっていたし、入口も同じく棒で開かないようになっていたんだろ? 木戸だって閉じられていた。この状況でどうやって脱出したんだ?」

 

 魔理沙の問いに右京が答える。

 

「いえ、木戸も内側から閉められていました」

 

「ならどこから?」

 

「入口から出て行ったのです」

 

「「「「は!?」」」」

 

 右京以外の人間たちが驚きの声を上げた。

 

「トリックがあったんですか!?」

 

「ええ。つっかえ棒の端から十センチ辺りのところにわずかですが、切れ込みが入っており、引き戸の隙間に何かが擦れたような跡がありました」

 

 彼は同時に画像を見せるが魔理沙はピンとこない。

 

「あん? どういうことだ? それで密室にしたってことなのか?」

 

「細長くて丈夫な糸を使えば可能です。予め、引き戸を半開きにしておき、切れ目をつけて糸を絡まらないように巻きつけたつっかえ棒を引き戸の内側に置いておき、引き戸の表側から歪んだ戸と戸の隙間を縫って外側へを通しておく。

 次に引き戸を完全に閉めて糸が取れないようにつっかえ棒を持ち上げて引っかける。棒が上手くはまった後は糸を引けば回収できる。このようにすれば密室のできあがり。つっかえ棒に切れ込みがありかつそのかかり具合が甘く、古くなった引き戸に線のような擦れた跡があったのも説明がつきます。必要とあらば再現を試みますが……如何でしょうか?」

 

 杉下右京にかかれば生半可なトリックなど瞬殺である。

 さすがはスタンドプレイヤーの自分たちを指揮しただけのことはあるな、魔理沙たち幻想郷勢は改めて認識した。

 

「以上を以て僕は小鳥遊夫妻は他殺であると結論づけました」

 

「理にかなっていますね」

 

 様々な点から阿求は右京の推理を支持し、他の三人も同じくそれを認めた。

 

「それじゃあ、夫婦を殺したのは……」と眉間にしわを寄せる魔理沙。

 

「狙撃犯か協力者か、そのどちらでしょうね。理由は小鳥遊幸之助さんに全ての罪を擦りつけるため、もしくは口封じ。あるいはその両方」

 

「妥当な推測ですね」阿求が頷いた。

 

「けどさ、これで捜査は振り出しに戻っちまったな。こっからどーすんだ?」

 

「幸之助さんと親しかった人物に事情を訊いてみようと思います。神戸君、行きますよ」

 

「了解です」

 

「お気につけて」

 

 阿求がペコリと頭を下げた。そのタイミングで彼は舞花との約束を思い出す。

 

「あ、忘れていました。狙撃犯が捕まっていないので外に出たくない方々もいるそうです。そういった人たちのために個別の配給を考慮して頂けないかと思うのですが」

 

「そうでしたか……。わかりました、本日中に手配致します」

 

「ありがとうございます。では後ほど」

 

 阿求の約束を取りつけたのち、特命係は幸之助の身辺を洗うべく、魔理沙を連れて稗田邸を出た。



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第133話 ホームズ&ワトソンの挑戦 その5

 午後十二時半。

 稗田邸の門前で三人が足を止める。

 

「で、私は何をすればいいんだ? 護衛か?」

 

「小鳥遊幸之助さんは長年、狩人をやっておられました。狩人仲間も多いはず。魔理沙さんにはそちらをあたってもらいたい」

 

「わかったよ」

 

 彼女は箒に飛び乗って空へ駆け出した。見送ったふたりは大通りを歩きながら会話する。

 

「意外と簡単なトリックでしたね。あんなできじゃよくて時間稼ぎだ」

 

 子供向けミステリーにも登場しないようなトリックに尊は苦笑した。

 

「時間稼ぎ、ですか」

 

「ま、杉下さんにかかれば時間稼ぎにもならなかったですけど」

 

「君でも同じだったと思いますよ。()()()()()()()()()()

 

「そ、それは……」

 

 つい言葉を詰まらせてしまう。死体がダメな警察官などもってのほか。いくらオフィスワークが専門といっても事件現場にいあわせないとも限らず、その際はきちんとした対応が求められるのだから。

 ばつが悪いので尊は話題を変えた。

 

「えっと、僕たち、これからどこへ向かうんです?」

 

「幸之助さんの助手のところです」

 

「あぁ、狩野宗次朗君のところか。場所はわかりますか?」

 

「会議が始まる前に上白沢さんから聞きました」

 

「ちゃっかりしてますね」

 

 必要になりそうな情報は事前に集める。杉下右京は抜け目がなかった。

 大通りから南に入り、五分ほど歩いてから左側の路地に進んで四件目。小さな庭のある家に着いた。庭は綺麗に清掃が行き届いており、奥にある小さい倉も綺麗に磨かれていて、家主が清潔好きなのは一目瞭然だった。

 敷地内に入った右京が引き戸を叩いた。

 

「ごめんください、杉下です」

 

 何度か叩いたが反応がない。尊は「まさかまた……」と身構えた。その後ろから。

 

「あの何か?」

 

 声をかけられる。

 尊は「うぉぁ!」と奇声をあげてしまうもすぐに冷静さを取り戻した。

 

「あぁ、狩野君」

 

「神戸さん。あのとき以来ですね」

 

 目的の人物、狩野宗次朗であった。

 

「どうかしましたか?」

 

「ちょっとお話がありまして」右京が尊に代わって前に出る。

 

「杉下さん! 元気になられたんですね!」

 

「お陰さまで無事退院できました」

 

「それはよかった!」

 

 喜ぶ宗次朗に対して右京が「ですが、よいことばかりではありません」と声のトーンを落とす。

 

「あぁ……」

 

 宗次朗は元気なく俯いた。

 

「……知り合いから話を聞いて診療所に行ってきました。正直、信じられません。幸之助さんたちが亡くなったなんて。今でも嘘だと思いたい」

 

「本当に残念です。少しだけお話をお聞かせ願えませんか?」

 

「いいですよ」

 

 宗次朗は承諾した上で特命係を自宅に招き入れた。室内は小鳥遊家よりも広く、部屋数は居間、台所、寝室を含めて五部屋はある。

 居間に案内されたふたりはお茶を出されるが、手をつけずに聞き込みを始める。

 

「失礼ですが、ご家族は?」

 

「俺以外にいません。皆、亡くなりましたから」

 

「おひとりでこの家に?」

 

「はい。寂しくはないんですけど、時々、親子連れが羨ましくなります。だからなのか幸之助さんたちは俺のことを気にかけてくれました」

 

「幸之助さんは宗次朗君のおじいさまと仲がよろしかったとお聞きしました。心配だったのでしょうね」

 

「祖父とは狩人仲間でした。たまに妖怪を撃退して自慢するようなやんちゃなふたり組でしたけどね」

 

「狙撃の腕も確かだったようですね」

 

「里で一番の狩人ですよ。罠も弓も銃もなんでも使えますね」

 

「このようなものも、ですか?」

 

 右京は自身のスマホを取り出して九九式狙撃銃の画像を拡大表示した状態で彼に本体ごと手渡した。受け取った宗次朗は指で画面をなぞりながらジッとその銃を見た。

 

「なんですか、この銃?」

 

「名前は九九式狙撃銃と言います。旧日本軍で使われていた銃です。これが小鳥遊家の自宅にありました」

 

「……俺は見かけたことないですけど。これがどうかしたんですか?」

 

「犯行に使われた銃だと思われます」

 

「え!? 犯行に使われた!? それって、つまり幸之助さんが……」

 

「まだ決まった訳ではありません。我々はそれを調査しています」

 

「そうだったんですか……。信じられない……」

 

 気落ちしているのか宗次朗は顔を俯かせた。

 

「真実を明らかにするためにも宗次朗君のご協力が必要不可欠です」

 

「俺に協力できること、ですか」

 

「ええ。つき合いのある宗次朗君の証言は真相解明に大きく役立ちます。どうでしょうか?」

 

「……わかりました。事件解決に協力します」

 

「ありがとうございます」

 

 右京はニッコリと笑って次の質問に移る。

 

「幸之助さんは稗田さんや妖怪を恨んでいる節はありましたか?」

 

「稗田さんのことは『若いのによくやってる』と褒めてました。妖怪は好きではなかったと思います。狩猟中に遭遇すると『アイツら、すぐ調子に乗りやがって』って何度か怒っていました」

 

「強い怒り。もっといえば憎しみのようなものは感じましたか?」

 

「そこまでの感じは受けなかったですね。舌打ち程度だったかと」

 

「最近の幸之助さんに変わったところは?」

 

「特にないですね。普段通りでした」

 

「最後に幸之助さんと会ったのはいつですか?」

 

「恵理子さんに買い物を頼まれ、食糧を持って行ったときだから演説の前日ですね」

 

「奥村さんとは仲がよかったとお聞きましたが、実際のところは?」

 

「恵理子さん繋がりでしたけど、仲はよかったと思います。狩猟で捕った動物の肉を切り分けて、おすそ分けしてましたから」

 

「奥村君とはどうでした?」

 

「『アイツは大丈夫か?』とおばさんに訊ねていたので、気にかけていたとは思います」

 

「本人とお話ししたりすることは?」

 

「ありましたけど、他愛もない会話をする程度でしたね。『今日の野菜は新鮮か?』とか。奥村さんも返事するけどなんか、めんどくさそうにしてました」

 

 質問は続く。

 

「ほうほう。ーーところで君は奥村君が秘密結社のリーダーだったと知っていましたか?」

 

「噂でちらっと耳にしたことがある程度です」

 

「最近、奥村君と会ったことは?」

 

「演説が始まる少し前、大体二日前だったかな。八百屋の店頭で」

 

「どんな会話を?」

 

「普通の会話ですよ。『元気ですか?』と聞いたら『あぁ』みたいな」

 

「ご様子は?」

 

「いつもよりも元気がないなとは思いましたけど、いつもあんな感じなので」

 

「演説時のアグレッシブな印象と大分変っていますね。普段はおとなしい人物って感じがします」

 

 そのように尊がコメントする。

 

「俺も意外でした。あんな演説をする人とは思えなかったので」

 

「二面性のある人物だったのかもしれませんねえ」

 

 少しの間、静寂が生まれる。

 次は尊が訊ねた。

 

「君は助手だったよね? 具体的にはどんな仕事をしているの?」

 

「荷物運びや罠を設置、後片づけですね。それ以外だと罠にかかった動物をしめたりするくらいかな。たまにですけど」

 

「火縄銃とか使ったことは?」

 

「弓ならありますが、銃は教えられてないですね。近いうち、稗田さんに許可が取れたら撃ち方を教えてやると言われましたけど。叶うことはありませんでした」

 

「辛いよね……。なんかごめんね、こんな重い話ばっかりで」

 

「仕方ないですよ。里がこんなことになったんですから。普段通りの生活に戻れるなら喜んで協力します」

 

「頼もしい限りですね。杉下さん」

 

「ええ全くです」と右京が頷く。

 

「大したことないですって」

 

「いえいえ。年の割に落ち着いていて、我々の質問にはっきり答えられる。とても十五歳の少年とは思えませんねえ」

 

「こっちでは十五歳で成人ですから。俺も一応、大人なんですよ? お酒だって飲めますし」

 

 宗次朗は里の中では立派な成人である。表の感覚で子供と同じように接するのは無礼な節もある。理解した右京が謝罪した。

 

「それは失礼。では、もう少々質問におつき合いしてもらいます。幸之助さんは火縄銃の熟練者――九九式狙撃銃はボルトアクションが採用された狙撃銃で1940代の日本で製造されました。当然、火縄銃とは勝手が違ってスコープ越しの狙撃は訓練しないとターゲットに当てることは難しい。幸之助さんには狙撃銃を扱えるだけの技術があったと思いますか?」

 

 首を傾げながら宗次朗が唸る。

 

「うーん、わからないですね、俺には。かなりの腕前だから撃てるかもしれないし、撃てないかもしれない」

 

「幸之助さんは左腕で銃を撃っていましたか?」

 

「はい。撃ってました。左利きですからね。けど……左手を怪我した際は右手で火縄銃を撃ったこともあったかな……?」

 

「命中しましたか?」

 

「したと思いますね。確か……夜雀に」

 

「妖怪に当てたのですか?」

 

「ええ。そこらの動物より、的が大きいから当てやすいって言ってました」

 

「さすが里一番の狩人ですね」

 

「もっと狩りのやり方……聞いて置けばよかった」

 

「残念ですね」

 

 その後、三十分ほど雑談したが目ぼしい情報は得られず、時刻が十四時を回った。そのころになると宗次朗も空腹感を覚えたため配給に行くと言い出した。

 そこまで着いて行くのもアレなので聞き取りを終えることになり、特命係は宗次朗と共に狩野家の外へ出た。その際、右京は「後一つだけ」とお決まりのポーズを決めた。

 呆れる尊を余所に彼は宗次朗に問う。

 

「君は僕のような表の方から来た方とよくお話ししたりしますか?」

 

「……まぁ一応」

 

「やはり、表の世界に興味はありますか?」

 

「そりゃあ、多少なりとも。お隣の世界ですから」

 

 笑顔でそう語りながら宗次朗は特命係から離れて行った。

 若くて落ち着きのあるイケメンの後ろ姿を眺めながら尊は感想を語る。

 

「しっかりとしたいい子でしたね。大人びているってああいう子のことを言うんでしょうね」

 

 年齢が比較的近い、霊夢や魔理沙、小鈴とは明らかに違った印象を受けた。記憶を保持する阿求は例外だが、精神年齢は高いと思われる。右京もその点は認めるが――。

 

「ほかの子供たちより遥かに落ち着いていました。言葉も選んでいる。大人と喋っている印象を受けました」

 

「ですけど結局、事件解決に繋がるものはでませんでしたね。また振り出しか。……いつまで続くんだろうか」

 

「それはどうでしょうね」

 

「へ?」

 

 戸惑う尊を他所に右京は、遠のく宗次朗の背中から目を外すことはなく、消えるまでジッと眺め続けた。



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第134話 ホームズ&ワトソンの挑戦 その6

 大通りに出た右京たちは鈴奈庵へ向かうも店が閉まっていたので、警視庁特命係幻想郷支部に引き返す。

 入口には魔理沙が立っていた。

 

「ここにいればくると思ったぜ……」

 

 待ち合わせ場所を決めていなかったために特命係の本拠地で待っていたのだろう。

 やたら退屈そうにしていたので二十分以上は経過している。

 右京が「申し訳ない。中で紅茶をご馳走します」と申し出た。「毎回、毎回紅茶は飽きるけどな。一応もらっておくけどな」。彼女は口笛を吹いて室内にあがる。

 十五分ほどかかり右京が三人分の紅茶を用意し、小休止を挟んで報告会が始まる。

 まずは右京が宗次朗から聞いた話を魔理沙に伝えた。彼女は「なるほどなぁ」と納得しながら紅茶を啜り、飲み干したところで自分が得た情報を話した。

 

「私は言われた通り、おっちゃんの同業者のところへ行ってきた。名前は又吉とかいうジジイ――もとい同年代のおじさんだ。おっちゃんとは狩りに行くタイミングが合ったときはふたりで協力して獲物を追うこともあったんだと。その人が言うには『こーちゃんは凄い腕をしている』って話だ。凄腕だったらしい。性格はぶっきら棒だが、義理堅くて誰も悪く言う人はいない。今回の自殺も信じられないってビックリしてたぜ。

 他殺の可能性があるとは喋ってないが『誰かに恨まれていないか?』とは聞いた。『心当たりない』と返された。『火縄銃以外の銃を持っているところを見たことがあるか?』と訊ねても首を横に振られたし、奥さんとの仲もよかったそうだ。それ以外の連中にも聞いて回ったが、結果は同じだったよ」

 

「他にはありませんでしたか?」

 

「他? 例えば?」

 

「助手の狩野くんについてとか」

 

「狩野か……何回が話に上がったな。『美男子だ』とか『大人びているとか』とか『運動神経いい』とか。『将来はきっとひいおじいさんを超えるだろう』って言うヤツもいたな」

 

「おじいさんではなく、ひいおじいさん……? その方も凄腕の狩人だったのですか?」

 

「あぁ、凄かったらしいぜ。何でも大分前に()()()()()()()()ヤツらしい。狩野から聞かなかったのか?」

 

 その事実に右京が唸る。

 

「いえ、何も……。気になりますねえ。具体的にいつごろ、表から入ってきたのか伺いましたか?」

 

「いや、そこまでは聞いてない。おっちゃんのことだけを中心に聞いていたからな」

 

「なるほど、わかりました」

 

「どうするおつもりです?」尊が問う。

 

「犯人に繋がる確かな証拠を発見できなければ事件解決は困難です。少しでも手がかりをつきとめましょう。僕たちはもう一度、小鳥遊さんの狩猟仲間のところへ出向いて事件を違った角度から追います。魔理沙さん、今日のご予定は?」

 

「特にない」

 

「でしたら、田端の家を調べてきてもらえませんか? 証拠品があるかもしれないので。それと、終わったらでいいので、里中の空き家を捜索してください」

 

「空き家? どうしてだ?」

 

「犯人が潜んでいるもしくは何か証拠を隠している可能性があるので、念のため調べたほうがいいかと思いまして」

 

「結構、空き家も多いですからね、人里って」尊が相槌を打つ。

 

「家賃の安い長屋へ移ったりするからかねぇ。最近の里事情はしらんが。……まぁ、いいぜ。調べてきてやるよ。その代わり、阿求の許可が取れたらな。盗人と間違われて、村正を盗んだ犯人だと誤解されるのはゴメンだ」

 

「村正は盗まれたそうですねえ……。残念です」

 

「言っておくが私じゃないぞ? 私はマジックアイテムにしか興味がない。おまけにものを盗んだりはしない」

 

「おまけかよ」

 

 尊が皮肉った。右京はニコリと微笑んで。

 

「信じます」

 

「ならいいや。何かあったら報告するよ」

 

 背中を向けて右手を振った彼女は、箒で結社メンバーから訊きだした田端の自宅まで飛んだ。

 

 

 午後十五時十五分。特命係は又吉のいる家を訪れ、話を訊きたいと頼んだ。

 頭部が寂しい白髪頭の小太り気味な又吉はそれに応じ、ふたりを居間に招き入れる。

 

「で、何を聞きたいんだい? 霧雨の娘さんと同じくこーちゃんの話か?」

 

「それもありますが、今回は狩野家についてお話をお聞きしたく思いまして」

 

「ん? そっちか……。どうしてなんだ?」

 

「幸之助さんが亡くなった理由を解明するためです。本人のためと思って是非」

 

 それだけでは、はぐらかされているようでイマイチ納得がいかない様子の又吉だったが、阿求の知り合いとあっては無碍にもできないので渋々、頷いた。

 

「あぁ……。わかったよ」

 

「ありがとうございます。では早速ですが――狩野のひいおじいさまという方は表からきた方と伺ったのですが、本当でしょうか?」

 

「本当だよ。俺らのような昔からの知り合いしかしらんがね。表の日本の兵隊さんだったそうだ」

 

「日本の兵隊。それはいつごろの?」

 

「さぁな。だが、こっちに来たのは七十四年前だったよ」

 

「七十四年前。西暦――1945年ですね」と尊が計算した。

 

「終戦の年ですねえ。彼はそのときにやってきた――。彼は狙撃兵でしたか?」

 

「わからん。当時の話は一切しなかったからな。嫌な思い出があったんだと思う。風下の親父さんも表の話は口に出さなかったし。戦争ってのは壮絶だったんだなぁっと察したもんだよ。俺らは体験してないからさ」

 

「風下さんのお父さまも表の方なのですか?」

 

「堺とかっていう場所の生まれとは聞いたな。それ以外はしらん。聞きたいなら風下さんに聞いてくれ」

 

「そうします。ひいおじいさまの腕前は凄かったと聞きましたが、いかほどですか?」

 

「かなりだよ。こーちゃん以上かもな。狙撃も凄かったけど、格闘も強かった。空手で熊と戦ったり、雑魚妖怪相手にナイフで応戦したり、陶磁にガラス片と爆薬入れて手投げ爆弾を作って撃退したりと。まぁ、多彩だった。正義感も強くて俺ら同業者はあの人の背中を見て育ったもんさ。ただ、表からきたってのがあって関わりのないヤツらは距離を取っておったがな。ときには根も葉もない噂を立てられるなんてこともあって苦労していたけど、最期までこの里に残ったな」

 

「それは大変でしたね」

 

「どうして最期まで幻想郷に残ったのですか? 結界の外に出られなかったとか?」

 

 尊が手を挙げて訊ねた。

 

「今みたく巫女が送ってくれるわけじゃねーからな。それに帰るつもりはなかったみたいだな。『俺は本国の土を踏めない、踏んじゃいけない。ひとりだけ死なずにのうのうと生きているヤツなんて』ってさ。俺らにはなんのこっちゃだけど、本人にとっては大きい問題だったんだな」

 

 先の戦いを生き残った者は皆、心に深い傷を負った。幻想入りしてしまった彼もまた同じだったのだろう。

 

「……葛藤の日々をすごされたのですね」

 

「今でこそよそ者に寛容になったが、昔はほんと閉鎖的だったよ。食糧不足で大変な時期もあった」

 

「現在は?」

 

「ここ最近は苦労してないな。不作の年でも稗田さんが食糧を支給してくださるからな」

 

「阿求さんが食糧を」

 

「そうだよ。彼女が代表になってから飢えることはなくなったよ。だからこそ妖怪とつるんでいるなんて噂が立つんだが、俺には関係ない――いや、里の外に出るから関係なくはないか」

 

「妖怪に襲われたことは?」

 

「結構あるね。危うく食われそうになったこともあるが、()()()()()ができてから減ったけどな。妖怪たちの暇つぶしになってんだろうよ」

 

「そうですか。……ところで又吉さんは狩野宗次朗君をご存じですか?」

 

「知ってるさ。そーちゃん(宗次朗)のじいさんとも一緒に狩りに行ってたからな。こーちゃんほど仲はよくなったがね。だからか、こーちゃんはそーちゃんを可愛がっていた。早くに家族を亡くしてしまったからね。当然っちゃ当然だがな」

 

「ご家族の死因は?」

 

「ひいおじいさんは老衰で後は皆、病気さね」

 

「それはそれは……」

 

「だからなのか、そーちゃんはしっかりした人間に育ってなぁ。言葉づかいも態度もいい。狩りも若いころの俺らよりもずっと上手だ。この前なんか七寸先の茂みに隠れた野兎を一矢で仕留めたらしい。こーちゃんが驚いてたな『どこでそんな技術を身につけたんだ』って」

 

「七寸――二十メートルですか。それはすごい」

 

「しかも首を射抜いたんだよ。本人曰く『狙ったら当たった』らしいが。すごいよなぁ。それだけの腕があれば苦労はせんな」

 

「兎って臆病だから警戒心が強いはず。それを離れた距離から弓で仕留める。かなり動体視力も優れている。才能があるな」

 

 尊が納得する。同時に又吉のお腹がぐぅーと鳴った。

 

「そろそろ、飯をもらいに配給に行ってもいいか? めまいがしてきた」

 

「申し訳ない。あぁ、最後に一つだけ。幸之助さんは火縄銃を撃つ際、どちらの腕を使いますか?」

 

「あん? そりゃあ、左だよ。利き手だしな」

 

「右で撃ったところを見たことは?」

 

「ないね。一度も」

 

「わかりました。また何かありましたら、お話をお聞かせください」

 

「あいよ」

 

 

 午前十六時、又吉の家を出た右京らはその足で風下家を訪れた。風下は「掃除中だけどいいかい?」と訊き返してから右京たちを客間に招き入れた。

 席に着くのと同時に風下が喋り出す。

 

「どんな用件だい?」

 

「狙撃犯を追っていたところ三名の遺体を発見してしまいまして。原因究明のためにお話をと」

 

「確か奥村の母親と小鳥遊夫妻だったな。聞いたときはショックやったで……。村正どころじゃなくなったわ……」

 

 村正大好きなんだな。尊が少し呆れた。

 

「お父さまの形見だったのですよね? 早く見つかるとよいですね」

 

「他にも形見はあるんやがなぁ。あの刀は綺麗なんや。刃文かきっちり揃っていてな。魅力があるんやで。たまに振るうと心が滾って若いころを思い出せる。とーちゃんは正宗っつう刀のほうが価値はあるとも言っていたが、私はあれでええんやで」

 

「実際に使ったことはあるんですか?」

 

 尊がさり気無く聞いてみた。風下は右手をパタパタと振って否定する。

 

「ないない。名刀は穢すもんやない。美しいまま残しておくもんや。護身用と言っても実質、観賞用なんや。口が悪かったな、若いにーちゃん」

 

「アハハ、いえいえ」

 

 若者扱いに若干の不満はあるが風下相手には余計なことを言わないでおこうと考えた。

 

「失礼を承知でお聞きしますが、お父さまは表ではどのようなご職業を?」

 

「別に失礼でもないが――言ってしまえば()()()やね。だからうちもこうなった」

 

「なるほど。堺――つまり大阪を拠点としていた」

 

「そうやね。老舗ヤクザの次男坊やった。長男は徴兵されたけど身体が弱いとーちゃんは連れて行かれずにすんだ。そんとき空襲にあって、家の宝物を持って山へ逃げている最中にひとり幻想郷へ飛ばされたそうや。それから里でお世話になった人の娘とデキてウチが生まれた。家族ができたのもあってとーちゃんは表には帰らず、最期まで里に尽くした」

 

「表のご家族への未練などは……」

 

「あったよ。けど戻ってこれる保障はないし戦後、外がどうなっているかここからじゃわからん。せやから迷い込んだ外来人から表の現状を聞かされたときは泣き崩れたで。そんでもって『ウチは非国民や。表には帰れん』って小さいウチに零してたわ。今でも思い出す」

 

「辛い話を聞いてしまいましたね」

 

「けど知りたかったんやろ? そんなでへこたれる風龍会代表やない。死んだ三人の原因究明に何が役に立つのがわからんけど、それで解決するなら協力するで」

 

「非常に頼もしい。風下さんは奥村や田端と面識がありましたか?」

 

「ほとんどないな。アイツら問題児やけど、暴力沙汰とか起こしてないからな。関わることはない。最近は買いものも部下任せやしな」

 

「奥村さんの奥さんのことは?」

 

「奥村の八百屋は利用せんからな。だが、奥村が結社に入ってから子分らが『アイツは今までは違う』と影で言っておった。何が違うんか訊ねると『すごく弁が立つ』っていうんや。口論では負けなしだったようやな。ヤツが土田や水瀬の家に出入りしているって聞いて警戒しておったから稗田の嬢ちゃんとふたりっきりで話したとき『やらかす前にとっととしょっ引け』と助言したんやが、結果はこうなってしもうた。まぁ、アンタが解決してくれたからよしとするがな」

 

「そう言ってもらえると頑張った甲斐がありますね。部下の方から田端の話などは?」

 

「特にないな。影薄かったんちゃうか」

 

「かもしれません。小鳥遊さんとおつき合いは?」

 

「たまに挨拶するくらいやな。あの人、真面目やから賭博場にこうへんし。奥さんとも挨拶するくらいやった」

 

「では狩野家とおつき合いは?」

 

「全くないな。狩野のひいおじいさんが表の軍人やったから、互いに避けてたわ。片や徴兵されなかった男子。片やこっちへ迷い込んだ軍人。ほぼ同時期にやってきた外来仲間やのにな。たぶん、何を話したらよいかわからんかったんやな。その関係でウチもつき合いがない。見えない壁ってヤツやで」

 

「それは複雑ですね」

 

「戦争やからなぁ……。ウチも外来人から聞いたけど悲惨やったわ。とーちゃんが帰れん訳や。人も建物もみな燃えたんやからな。生き残った者の苦悩やね」

 

「皆、深い傷を負いましたが、それをバネに復興を遂げ、今では立派になりました」

 

「先進国やっけ? すごいなぁ~」

 

「この人里もすごいと思いますよ。衣食住が保障されてますし」

 

「稗田家の采配の賜物やな。嬢ちゃんが代表になってから食糧不足がほぼ解決したな。最近なんか、食べ物が余り気味になって問題になるくらいや」

 

 食品が余るせいで食品ロス問題が起きることもある。里は見た目以上に豊なのだ。

 

「そんなに食糧を生産できるんですか!?」尊が驚いた。

 

「できとるんやねぇ~。農家が多い訳ではないんやけど。肥料がええんかな?」

 

「その肥料は誰がお作りに?」

 

「稗田のお嬢ちゃんが配合したと聞いておるな。成分まではしらんが、毒を混ぜたりはせえへんやろ」

 

「とても興味深いのですね。ですが、もう少しだけ質問を。この銃に心当たりは?」

 

 右京はスマホの銃の画像を見せるべく操作する。スマホが目に入った風下が「スマホか。外来人は皆、もっとるよなぁ」と呟き、映された画像をまじまじと眺める。

 

「うちは見たことない。火縄銃とはだいぶ形が違うな。察するにアンタを撃ったヤツか?」

 

「そうではないかと睨んでおります」

 

 スマホの画像を見る彼女は銃の左側にマウントされた黒い筒に首を傾げる。

 

「この黒い筒はなんや?」

 

「スコープと呼ばれる照準器です。望遠鏡の類だと思って頂ければ」

 

「これで狙いをつけるんか?」

 

「はい。ですが、この手のタイプは倍率の変更ができないので、最新型と比較すると些か取り回しが悪く、照準が合わないとスコープを使った狙い撃ちはできません」

 

「そうなると、三十メートルや七十メートルの距離で狙撃できたこと自体、すごいですよね。調整によっては照準が合わなそうだ」と尊が感心したように頷く。

 

「確かに。もしかすると狙撃のときは使わなかったのかもしれませんね。相当、視力がよいのでしょう。里に視力のよい方はおりますか?」

 

 右京の質問に風下が「狩人は皆、視力がええでと聞くが、それ以外は――ん、そういえば、狩野の倅の奴は目もいいと子分が言ってた気がするな」と答えた。

 

「狩野君ですか。彼、評判がよいですよね」

 

「顔がよくて運動神経もよくて勉強もできる。非の打ちどころのない優等生やね。若い世代にはモテる。女には苦労せんやろね。別の意味では苦労しそうやけど」

 

「ホッとかれませんもんね。そういう人物って」

 

 まるでかつてを思い出すように尊は語った。

 

「せやなぁ。ーーおっと、もう十七時か。賭博場の様子を見てきたいんやけど」

 

「わかりました。この辺りで失礼します。ありがとうございました」

 

「どう致しまして。暇になったら遊びにおいでな」

 

 

 十七時十五分。

 風下家を出たふたりは特命部屋へと帰宅。情報の整理を行う。

 手紙のメモを元に尊がまとめる。

 

「小鳥遊さんはベテランと言われるだけあって恥じないほどの腕前のようですね。左右どちらの腕でも火縄銃を扱える。さらに彼以上の狙撃のセンスを持った狩野君の曽祖父は現在のベテラン狩人たちの先生にあたる人物であり、表からやってきた旧日本兵だった。その際、九九式狙撃銃と銃弾を持っていたとしても不思議ではない。銃を何らかの方法で手に入れた小鳥遊さんが稗田さんと奥村を狙撃。その後、邪魔になった奥村の母親を殺害。最期は事件の黒幕に口封じ目的で始末された。このように考えるとしっくりするんですが、杉下さんはどう思います?」

 

 右京は間をおいてから見解を述べる。

 

「ないとはいえませんね。黒幕が知識や文明の利器を与えたのだとしたら里の人間にも犯行は可能。元々、技術を教えられる人間がいて、狙撃できる武器があっても不思議ではないのですから」

 

 高い狙撃技術を持つ狩人がいて、狙撃可能な銃と弾丸が持ち込まれた可能性がある。狙撃犯は里の人間かもしれない。しかし、その有力候補は死んだ。

 右京が続ける。

 

「ですが、どうにも解せない。何故、小鳥遊さんが稗田、奥村両名への狙撃を行ったのか。動機がまったくわからない」

 

「突発的に、というのは?」

 

「そのような行動を起こすようには見えませんでした。ぶっきら棒でしたが、気さくな方で、話しやすい印象を受けた。殺人など考えないかと」

 

「じゃあ、彼以外里人の誰に狙撃を行えるんです? ベテラン組も狙撃銃を見たことないと証言しています。嘘の可能性もありますが、狙撃技術は一日二日で身につくものじゃないですし、手ほどきを受ける必要がある。里で狙撃を教えられるのは狩野さんのひいおじいさんだけです。となれば昔から知り合いであるベテラン猟師の小鳥遊幸之助さん以外に該当者は見当たらない」

 

「本当にそうでしょうか?」

 

「はい?」

 

「もうひとりいるではありませんか?」

 

「え、まさか、それってーー」

 

「狩野宗次朗」

 

 十五歳の男が狙撃犯。尊が即座に反論する。

 

「お言葉ですが、彼は十五歳の見習い狩人ですよ? いくら、弓の腕がいいからって狙撃の技術を習得できるとは思えません。火縄銃だって触らせてもらえないのに」

 

「しかし習得の条件は揃っている。日本兵の曽祖父に抜群の運動神経と動体視力、頭のよさ、冷静な性格。これ以上ないほどの環境と適性です」

 

「いやいや、才能はあるかもしれないけど、さすがにあの歳では無理ですって。第一、その動機は? 彼は妖怪を恨む素振りさえ見せなかった。怪しい所なんてなかったじゃないですか」

 

 右京は首を横に振った。

 

「いいえ、いくつかありました。自宅の入り口で僕が聞いていないのに小鳥遊さんたちの話をした。僕は『よいことだけではなかった』と喋っただけです。それを小鳥遊さんのことを言ったように解釈した。まるでその件で訪ねてくることを知っていたかのように」

 

「ただ察しただけじゃないですか? 自宅に僕たちが来た理由を」

 

「それにしても受け答えがスムーズでした。実の家族ように親しくしてくれた方が突然、亡くなったにも関わらず、あの対応は不自然すぎる。精神的ダメージをあまり感じられなかった」

 

「まぁ、そうかもしれませんけど……」

 

「まだありますよ。僕はスマホの銃の画像を見せました。あのとき、()()()()()()()()()で手渡しました」

 

「は? あえて?」

 

 素っ頓狂な声をあげる尊。右京が説明する。

 

「すると彼はスマホを指でなぞって画像を動かした。使い慣れているようにスラスラと」

 

「そうだったんですか。僕からは見えませんでした――ってワザとやったんですか!?」

 

 あの段階で鎌なんてかけるのかよ!? 容赦なく打って出る元上司に元部下がドン引きした。

 

「最初の段階で怪しいと思ったので思いつき程度の小細工を仕かけただけです。そのおかげ彼がスマホを使ったことがあるとわかりました。阿求さんが調査した結社のメンバー表にはなかったので、メンバーではない。が、操作技術はある。デモ参加者でもないと思われる。では彼はどこでその知識を学んだのか。気になるところですね。淳也さんや裕美さんにも結社へ情報を与えたのか訊いてみるとして――実はもっと怪しかった点があります」

 

「それは?」

 

「何故、彼は僕が()()()()というワードを出た際、ひいおじいさまの話をしなかったのか。協力的な態度を見せている人間なら話題にあげてもいいはずです。頭がよくて、気が回る人間であれば尚更、話さない理由が見当たらない。()()()()()()でもない限り」

 

「確かに。そこは気になりますね」

 

「疑う価値はある。ーー僕は彼を探ります。君も協力してください」

 

「了解です。それで杉下さんの気がすむのなら」

 

 特命係の考察は続く。



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第135話 ホームズ&ワトソンの挑戦 その7

「おい、戻ったぞ!!」

 

 ふたりが議論しているところに魔理沙が戻ってきた。戸を開ける彼女の左腕にはスイカ程度に膨れた麻袋が抱えられており、右京を見つけるや否や、麻袋から汚れた衣服を取り出した。

 

「おじさんの言った通り、空き家の空箱にこれが詰められていたぜ!」

 

 目の前に広げられるのは腹や膝辺りに赤い液体がついた男性用の和服だった。

 色合いと作りから見て里で若い者が着用する衣服だと思われる。

 ビンゴだ。右京はほくそ笑んだ。

 

「付着している液体の範囲からして包丁を突き刺した際に浴びた返り血のようにみえますね」

 

「ですね」

 

「だよな」

 

 ふたりは頷いてからマジマジと和服を観察する。尊が裏側を確かめるべく服を捲った。シミとなっている部分を避けながらチェックしていると、襟足のところに一本の黒い髪が絡まっていた。

 彼はハンカチを取り出して髪の毛を回収。写真を撮った上でビニールに保管した。

 魔理沙が疑問を呈する。

 

「なぁ、髪の毛なんて保管して何に使うんだ? 藁人形か? カンカンって」

 

「んわけないだろ。犯人のものかもしれないからな。解析すれば人物を特定できる」

 

「あん? どうやってだ?」

 

 右京が説明を代わる。

 

「表の世界では髪の毛や指紋から本人を特定できる科学技術があるのです。それを使えば犯人特定に大いに役立つ」

 

「進んでんねぇ。でも表に戻らなきゃ使えないんだろ? ここじゃ意味ないんじゃ……」

 

「いざとなれば、表に戻って同僚に解析してもらいます。一応、知り合いの専門家がいますから」

 

「米沢さんですね。警察学校に左遷されても仲がよろしいようで」

 

 左遷された米沢を思い出し「あのころから無茶振りされていたよな」と尊が懐かしむ。

 

「田端の自宅はどうでした?」

 

「もぬけの殻さ。証拠になりそうなものはなかったよ」

 

 田端の家へ直行して隅々まで漁ったが、手がかりになりそうなものは皆無だった。始めから覚悟を決めていたんだろう。捜索を行った魔理沙はそのように振り返った。

 

「証拠を残さない徹底ぶり。まるでこちらの手を知っているようですねえ」

 

「私らのか?」

 

「いえ、表の警察のですよ。僅かな証拠から犯人に繋がってしまう。そのリスクを極力犯さないように努めているようにみえる」

 

「衣服は残っているのにか?」

 

 魔理沙が言った言葉に右京が見解を述べる。

 

「燃やせばそれなりの煙がでます。緊張状態の里の中でやってしまうと、結社や僕らがそれを怪しんで押し寄せてくる。それを恐れたのでしょうねえ。幻想郷では血液検査もDNA鑑定もできませんから、血のついた衣服だけではどうしようもない」

 

 ついでに指紋鑑定もできないために犯人を追い詰めるには確実な証拠が必要なのだ。

 表の世界なら指紋、血液、毛髪――あらゆる品が証拠となりうるがここではそうもいかない。

 人の証言や犯人しか知り得ない何らかの情報を可能な限り集め、人物を特定するしかないのだ。

 

「これだけじゃ証拠にならんって訳か。服屋で売っている一般的な普段着だしな」

 

「そうとも限りませんよ。里で服を売っているお店は二から三軒。ハンドメイドなので、店主らに衣服を見せればどこの誰が作ったものかわかるかもしれません。作った時期や売った里人のことを覚えている可能性だってある」

 

「自分の家で作ったヤツかもしれんぞ?」

 

 裁縫が得意な者がいる家庭では自分で衣服を作ることも珍しくない。

 魔理沙の意見はもっともだが、右京はそれでも調べるつもりでいる。

 

「調べないよりはずっといい。神戸君、この服を持ってお店の店主に話を訊きに行きましょう。せっかくですから魔理沙さんもご一緒に」

 

「おう」

 

 魔理沙を含めた三人は人里で服を売る店を訪ねて服を見せて回った。

 最初の二軒は自分の商品ではない、と答えるも三軒目の店主は血だらけの服を見た瞬間、自分のところの商品だと語った。

 右京が作った期間を訊ねると「この男性用の服は改良した商品で半年前から販売している」と答えた。続けざまに「このような男物の和服。美男子には似合うでしょうねえ。狩野君のような」と発言する。店主は「ええ、狩野君も買って行ったわよ。三ヶ月くらい前に」と言った。

 用が済んだ右京は店を後にして、その足で稗田邸に向かう。

 道中、魔理沙が先ほどの質問の意味を問うた。

 

「なぁ、なんで狩野のことを話題に出したんだ?」

 

 右京はさりげなく。

 

「彼が怪しいからですよ」

 

「アイツが狙撃犯なのか!?」

 

「それはまだわかりません。しかし、何かを隠しているのは事実でしょうね」

 

「隠している……? 一体、何を?」

 

「今度はそれを調べます。真実に近づくために」

 

 

 稗田邸に到着した右京たちはすぐに女中に阿求への面会を求めた。

 彼女に連れられて書斎を訪れると、阿求と共に先客の霊夢と小鈴、変装したマミがいた。

 簡単な挨拶を交わしたのち、右京は集めた証拠と三人の死について導き出した自身の仮説を四人に披露してみせた。

 里の外を探索していて状況を把握できなかった霊夢や協力した妖怪たちに感謝を述べて回っていたマミ、さっきまで両親につき添っていた小鈴は大きな衝撃を受ける。

 

「まさか母親だけじゃなく、後のふたりも殺されていたなんて……」

 

「衝撃的すぎて言葉が出んわい」

 

「小鳥遊さんたちが殺されただなんて……」

 

 三人とも落ち込む素振りをみせるが、特に小鈴の落ち込み具合が大きいようだった。

 里の仲間が三人も殺されれば当然の反応だ。つい最近まで殺人などなかったのだから。

 失意の彼女に右京が訊ねる。

 

「小鈴さん、小鳥遊さんとはおつき合いが?」

 

「おばさんがたまに本を借りにくるので、結構お話しするんですよ。明るくていい人だったのに……」

 

「狩野君もお店を利用しますよね? 最近、お店を訪ねたことは?」

 

「デモが起きた次の日に本を返しにきました」

 

「頻繁にお店を訪れるのですか?」

 

「はい、よく見られます。借りて行く本は様々で多趣味だと思います。神戸さんがきたときも色々借りていったんですよ」

 

「そういえば君、狩野君と会ったことがあるそうですね。いつごろですか?」

 

「演説が始まる前日です」

 

「そのときの彼の様子は?」

 

 頭を捻ってから尊は説明する。

 

「特に変わったところはありませんでしたね。目つきが鋭かったとか、そういうのはありませんでした。後は……本と野菜籠を持っていたっけな」

 

 野菜籠のワードに、右京は引っかかりを覚える。

 

「その籠には野菜が入っていましたか?」

 

「はい、入っていましたが……」

 

「小鈴さん、鈴奈庵から一番近い八百屋はどちらですか?」

 

「へ? えーと、奥村さんのところです。狩野さんはつき合いもあって奥村さんのお店で野菜を買っているそうです」

 

「やはり、舞花さんの言う通り、日常的なおつき合いがあったことは明白ですね。訪ねてきた相手が彼ならば失意のどん底にいる奥村さんが自宅に招いてもおかしくない」

 

 情報が集まるにつれて一歩一歩、真実へと近づいていく。

 右京は確かな手ごたえを感じ取り、皆の前でこう発言した。

 

「狩野宗次朗は何らかの形で事件に関与している可能性が極めて高い。皆さんのお力をお貸しください」と。

 

 尊以外の全員が息を飲み、様々な角度から疑問を口にするも、尊と魔理沙に語った内容を話すことで一定の理解を示して貰い、皆の協力を得られた。

 

 

 一夜明けて朝の九時。特命係は狩野家を訪問する。

 

「本日もお話が聞きたいのですが、構いませんか?」

 

「はい、いいですよ」

 

 昨日と同様、居間に招かれて座る。

 狩野が口を開こうとした瞬間、右京が遮るように訊ねる。

 

「里の方からお聞きしたのですが、君のひいおじいさま()()()()からこちらへやってきたそうですね。しかも狙撃が上手かったとか」

 

「ええ、そうですね」

 

「どうして昨日はそのお話をして頂けなかったのでしょうか? 何か嫌な思い出でも?」

 

「はい。ひいおじいさんは表に居たころの話を嫌ってましたから。それを思い出したくなかったので。なので、伝えそびれてしまいました」

 

「そうでしたか。もしよろしければ、その辺りのお話も詳しく聞かせて頂けると助かるのですが」

 

「……俺が知っているのはひいおじいさんは日本兵だったくらいです。ですが俺が生まれてからボケが進んでしまって。どのような戦いだったのかと、訊ねると『やめてくれ!』と叫んで耳を塞んで、泣いてしまうし、火を見ただけで怯えて布団に籠ってしまう。このようなことが度々あったんです」

 

「だから思い出したくなかったのですね」

 

 痴呆ぎみの老人が怯えて泣いてしまう姿は子供心には辛すぎる光景だ。宗次朗の言い分はわからない訳でもない。

 

「申し訳ない」右京は謝罪してから続ける。

 

「スマホはお使いになられますか?」

 

「いえ、持っていません。どうしてですか?」

 

 外来人でもない里人がスマホなど持っているわけがない。そう言いたげに彼は右京の目を見た。

 

「昨日は僕のスマホの画面を上手にタッチしていたので、使い慣れているのかなと思いまして」

 

「前に外来人の方とお話した時に触らせてもらいましたので、少しだけ操作を覚えました」

 

「どなたに教えてられたのですか?」

 

「敦さんですね。今はもういませんけど……」

 

「辛いですね……。君は彼に続いて奥村さん、小鳥遊夫妻まで失ってしまった。家族のように親しくしていた間柄だったでしょうに」

 

「残念です。まだ恩返しもできてないのに」

 

「恩を返す。お若いのに立派ですね。僕も君がその無念を晴らせるように協力します。そのためには情報が必要。もう少々質問してもいいですか?」

 

「もちろんです」

 

「演説が起こる前日、奥村さんの八百屋で野菜を買いましたか?」

 

「買ったと思います」

 

「その際の彼女の様子は?」

 

「ちょっと疲れている感じを受けましたけど、普通そうでした」

 

「数か月前に、服をお買いになりましたか?」

 

「えーと、買いましたね。どんな服だったかな」

 

 宗次朗は天井に視線を移しながら考えている。

 

「どんな服でしたか?」

 

「うーん、忘れましたね」と彼は何気なく答えた。

 

「ひょっとして()()では?」

 

 右京はカバンからビニール袋に入った血のシミがついた和服を取り出して宗次朗の目の前で広げた。彼の目は一瞬だけ見開くが、同時にこう言った。

 

「いや、そんな服ではなかった気が……」

 

「この服を売っているお店のご主人は三か月前、君にこの服を売ったと仰っていましたが?」

 

「あぁ……。そうでしたか……忘れていました……」

 

 宗次朗の顔から笑顔を消えた。

 人は都合の悪い事実をつきつけられると咄嗟に嘘を吐こうとする。記憶力のよい宗次朗がこの程度のことを忘れるとは考えにくい。

 隣で見ていた尊が「表情変わった……」と目の前の少年の変化に少なからず引いた。

 攻略の糸口を掴んだ右京が追撃をかける。

 

「事件は同一犯によるものです。か弱い女性を後ろから襲い、首をへし折り、男性に罪を擦りつけるため、刺殺後に偽装を施した」

 

「なんの話です?」宗次朗は首を傾げた。

 

「事件の話ですよ。不可解な事件の」

 

「いやいや、里でそんな事件が起きる訳ないじゃないですか――」

 

 直後、右京が目を見張った。

 

「おや、僕は()()()()()()()などと言いましたかね。神戸君?」

 

「いえ、言っていません。ただ事件は同一犯と語ってから推測を述べただけです」

 

 白々しい振り方だな、と思いつつも尊は相方の要求に答えた。

 実のところ、今回の事件はまだ公には事件化されていない。現状は自殺の段階なのだ。その件について語っているのだと思って答えてしまった宗次朗はハッとしたような表情を覗かせた。

 何気ない話を振ってボロを出させる。警察の常套手段だ。

 右京が微笑んでから今回の事件について自身の推理を聞かせる。

 

「今回、里で起きった三つの遺体には不可解な点が多くありました。奥村さんはロープで首を吊ったにも関わらず、締められた箇所以外にもアザができていた。死の直前に誰かに料理を振る舞った跡もある。ひとりで自宅に籠っていた人間が自殺する際、複数人分の食事と食器を用意するでしょうか? 死んだ息子さんを想ってというのも否定できませんが、不自然なアザがある時点でその可能性は低い。ほぼ間違いなく他殺です。

 同じく小鳥遊家も不審な点が多かった。僕が戸を開けて中に入るとそこには夫妻の遺体がありました。妻、恵理子さんは囲炉裏の手前側に。夫、幸之助さんは部屋の端でしりもちをついて包丁が腹部に刺さっている状態で発見されました。

 恵理子さんの首には大きなアザができており、首の骨が折られて死亡。幸之助さんは刺殺による出血死が濃厚です。しかし、その二つの遺体にはとある共通点がありました。何だと思います?」

 

「さぁ、俺にはさっぱり……」

 

 元気なく答える宗次朗に右京がお決まりのポーズを取る。

 

「四肢の末端が紫色に変色していたのです。これは急性ヒ素中毒の症状です。おそらく鍋に亜ヒ酸が入っていて、それを摂取したことが原因でしょう。部屋の中には狙撃犯が使った銃が隠されており、これだけだと狙撃犯だった幸之助さんが心中を図って毒を盛り、中毒に苦しむ恵理子さんを見かねて首の骨をへし折って――激痛から自らも後を追って自殺したように思われる。

 しかし、これはおかしい。何故なら、居間と台所の間などで血痕が拭きとられた跡があったのです。自殺する人間がわざわざ血痕をふき取る訳がない」

 

「……誰かが、殺したということですか?」

 

「そうとしか考えられません。引き戸や木戸は閉められていて室内は密室のようでしたが、糸を使えば簡単にトリックを施せる」

 

「トリック……?」

 

「つっかえ棒に切れ込みを入れて軽く巻きつけ、歪んだ引き戸の隙間から糸を通して引き戸を表から閉じるという方法です。古典的な仕かけですね。僕が見た瞬間にとけるくらいに」

 

「……そうだったんですか。じゃあ、幸之助さんたちを殺した犯人は狙撃犯?」

 

「僕はそう睨んでいます。奥村さんは口封じ、小鳥遊さんは犯行をなすりつけるために殺されたと考えれば辻褄が合う」

 

「なるほど。ちょっと――あまりに急すぎて頭が追いつきません。幸之助さんの自宅に銃があったなんて知りませんでした。正直、信じられませんよ」

 

 肩をガックリと落として宗次朗が嘆くが、右京はお構いなく質問を続ける。

 

「犯人は誰だと思いますか?」

 

「いや、俺に言われてもわかる訳ないじゃないですか」

 

「少なくとも犯人は何らかの形で銃を手に入れる手段を持っており、狙撃や殺人の知識を持ち、動体視力や運動神経も優れ、奥村さんと仲がよく、引き籠っている最中に食事を振る舞われ、食事中の小鳥遊さんの鍋に毒を混ぜることが可能。かつベテラン狩人を大した揉み合いなく、殺害できる人物が該当するでしょうねえ」

 

「少なくないと思いますが……。そんな人物どこにいるんですか?」

 

「ここにひとりだけ」

 

 右京が人差し指を向けた先にいるのは宗次朗本人だった。

 瞬間、彼は目を細くしたが平静を保つ。

 

「俺が犯人……? あはは、冗談キツイですよ。幸之助さんたちを失ったばかりなのに……」

 

「冗談で言っているのではありません。現時点で可能性が一番高いのは君なんです。ひいおじいさまにもっとも近く、狙撃を教えて貰え、スマホも扱える。頭も運動神経もよい。離れた兎を一矢で仕とめるほどの動体視力も持っている。疑うなというほうが、無理がある」

 

「酷い言いがかりですね」

 

 冷たいトーンで吐き捨てるように宗次朗は語った。

 片や右京はポーカーフェイスで「申し訳ない。それが警察官です」とさも当たり前のように言い切った。

 

「大体、俺が物心ついた時にはひいおじいさんは痴呆ぎみでした。狙撃を教わることなんてできませんよ」

 

「コツなどを教えて貰うことは?」

 

「ありませんよ」

 

「本当ですか?」

 

「本当です」

 

 打って変わって素っ気ない態度を取る宗次朗だったが、尊は「もっと怒ってもいいはずなのに。冷静すぎないか?」と違和感を覚える。

 通常、犯人と疑わる人間は精神を乱し、大声で反論したりするものだ。彼にはそれが見当たらない。若さの割に異常なまでの冷静さが宗次朗にはあった。

 右京もまた宗次朗の揺れ動かない心に気づいていた。里基準では成人しているとはいえ、中身は十五歳の少年。ここまではっきり疑われていてさほど精神の乱れを感じさせないのは肝が据わりすぎている、と。

 

「そんな君の疑いを晴らすために、よろしければ君の毛髪を一本、頂けませんか?」

 

「毛髪? どうしてですか?」

 

「表の日本には毛髪鑑定という技術があります。それを使うと本人かどうかわかります。この血で汚れた衣服に付着していた黒い毛髪と君の毛髪のDNAが一致すれば――後はわかりますね?」

 

「俺が事件に関わっているかわかる。ということですか……。別にいいですけど、その技術って今この場で調べられるものなんですか?」

 

「残念ながら調べるための装置は表にしかありません」

 

「じゃあ、採取しても俺の疑いは晴れないってことですか……」

 

 がっかりしたように息を吐くが、どこかに白々しかった。そこに右京が。

 

「ですので、この証拠を表の知り合いのところへ届けます。ツテはありますので」

 

 逃がさないぞ、という意思表示を込めて右京は少しだけ口元を吊り上げる。

 宗次朗も負けじと訊き返す。

 

「ツテというのは、博麗さんの神社ですか?」

 

「色々ですよ。色々」

 

 含みある言い方をする右京に宗次朗はイラッとする。

 

「へぇ、そうなんですか」

 

「時間はそうかかりません。しかるべき機関に回せば、鑑定結果はすぐに出ます。数時間くらいでしょうかね。無事に届けば、遅くとも明日の朝には結果報告ができるかと」

 

「そうですか。お待ちしています」

 

 宗次朗は笑顔で見せてから右京の要望通り、床に置いていた毛髪を手渡した。

 毛髪をハンカチで包み終わった右京が最後にこのように言い残す。

 

「仮に証拠が表へ届かず、鑑定ができなかったとしても必ず真実を解き明かして犯人を追い詰めてみせます。そのときを楽しみにしていてください」

 

 不気味な表情とトーンで言い放たれた右京の言葉は相棒の尊ですら寒気を感じさせるほどの何かを秘めていた。

 それは確実に宗次朗にも伝わっており、彼は微かに奥歯をギリッと噛む音を鳴らした。

 そんな様子を満足げに眺めた右京は「これで失礼します」と言って、尊と共に立ちあがった。

 玄関までふたりを案内した彼は「お気をつけて」と別れの挨拶を告げて戸を閉める。

 

「行きましょうか」

 

 特命係は狩野家を後にした。



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第136話 ホームズ&ワトソンの挑戦 その8

 狩野家を敷地の外に出た瞬間、尊が右京のほうを見て言った。

 

「よくもまぁ、あんなハッタリを堂々と言えましたね。ホント、感心しますよ」

 

 現状、短期間で表の知人にものを送れる手段はない。

 マミの力を借りれば不可能ではないが、東京のど真ん中までひとりで行って米沢に鑑定させるまでの時間が数日程度ですむはずなく、犯人検挙までの時間がかかってしまう。

 この方法は現実的ではなかった。

 

「脅しをかけるのは僕たちの常套手段です」

 

「早ければ明日って宣言していましたけど、届かなかったら……」

 

「そのときのプランも考えてあります」

 

 したり顔で語る右京に尊はまた悪知恵を働かせているな、と察した。

 数分間歩いたのち、右京は物陰に潜んでいた人物に声をかけた。

 

「終わりました」

 

 正体はマミだ。

 変装して別人になっているが、眼鏡を上下させる癖は相変わらずだった。

 

「そうか。どうじゃったかな。狩野の反応は?」

 

「歳の割に冷静でしたが、まだまだ甘いように見えましたね。調べ上げれば証拠が出るはずです」

 

「しかし、このまま放っておいてよいのか? 無理やり拘束して吐かせるというのも悪くない気がするが」

 

「それも考えましたが、稗田さんが確実な証拠がない段階での拘束や取り調べに難色を示していたので。それに彼が黒幕の正体を知らない可能性もあります。結社のメンバーでさえ何の情報も持っていなかったのですから」

 

 阿求は宗次朗が犯人だとする右京の推理に一定の理解は示すも『彼には動機がない』と首を傾げていたのだ。

 もし里でアイドル的人気のある若者を強引に拘束して無実だった場合、信頼回復にさらなる時間がかかってしまう。

 現時点で稗田家の信頼度は過去最低クラスに落ち込んでいる。臆病になるのも頷ける話だ。

 そこを踏まえた右京はプレッシャーをかけて相手の出方を待つ作戦に出た。

 

「泳がせて黒幕まで案内させようって魂胆か。自殺されねばよいがな」

 

 ここのところ、春儚といい田端たちといい、自殺されてばかりだ。マミが難色を示すのは当然だろう。

 

「リスクはあります。ですが、会話を重ねていて、彼は強い意思を持っていると感じました。未だその闘志は衰えていないように思える。何らかのアクションを起こすはずです。ゲームオーバーになる前に。もし黒幕がいるならば指示を乞うかもしれない。そのタイミングで一網打尽にしましょう」

 

 田端にも仕かけたように、宗次朗にもハッタリという心理戦を仕かけた。

 冷静さを取りつくろい、必死に隠してもその反抗心と闘志までは消せていない。右京は確信していた。

 

「そこまで考えておるか」

 

 呆れ気味にマミが言った。

 

「正直、攻めすぎていると思う。じゃが、お主の分析は正確じゃからな。信じようか、儂らの参謀を」

 

「ありがとうございます。信じてもらっているようですので、ついでにお願いしたいことがあるのですが」

 

 嫌な予感しかしない。そう思いつつもマミは「なんじゃ、それは……」と返事した。

 すると右京は。

 

「古明地さとりさんを里へお呼びしては頂けないでしょうか?」

 

「あぁ!? あのさとり妖怪か!! なんでじゃ!?」予想外の名前に戸惑うマミを余所に尊が「古明地さんって確か地霊殿の主ですよね」と質問する。

 

「人、妖怪、神を問わず心が読める凄いお方です。彼女の力があれば彼からより多くの情報が引き出せるはず。事件に関わっているのはほぼ確定しているのですから」

 

 事件解決のためならば陰険なさとり妖怪も使う。彼女の厄介さを鑑みると到底、右京の考えに乗る気にはなれない。

 自らの企みや弱みまで握られてしまうのだから。が、失態を犯したマミとしては一刻も早くこの事件を解決したい。

 諦めた彼女は「他の妖怪共は各勢力への報告を行っておるからのぅ。手が空いているのは儂くらいか――わかったわい」と了承して続ける。

 

「外の妖怪どもにアヤツを呼んだことがバレると色々、厄介じゃから、変装させて連れてくるが……。よいか?」

 

「構いません。必要とするのは古明地さんの能力ですから」

 

 右京がコクンと頭を下げた。その際、彼女の本音が零れる。

 

「なんというか……お主は徹底的じゃのう。狩野がかわいそうになってくるぞ」

 

「全ては事件解決のためです」

 

 十五歳相手にも容赦はない。狂人の一面を垣間見た彼女が「はぁ……」とため息を吐いた。

 同時に空中から魔理沙と霊夢が彼らの目の前に着地する。

 

「要望通り、外来人ふたりに話を聞いてきたが、里の若者に頼まれて表のことやスマホのことを教えたらしい。特に寺子屋で働いている裕美ってのは教養も豊富だから複数回に渡って表の知識を披露したそうだ。歴史や民主主義についても教えたらしく、その中には結社のメンバーや狩野が含まれていたらしいぞ」

 

 狩野宗次朗は敦以外の外来人からも情報を得ていた。新たなる情報に右京の目つきが鋭くなる。

 

「その中にプロパガンダに関する知識はありましたか?」

 

「あぁ、ヒトラーについてちょっとだけ教えたそうだが、さらっとしか触れてなかったようだ。アンタの分析を伝えると、えらく驚いていたぜ。私が教えた範囲の知識であそこまでの演説ができる訳がないってな」と魔理沙が答えた。

 

「となれば黒幕がいると見て間違いないですね」

 

 里の外来人だけでは知識が足りず、デモは起こせなかった。その事実が悪意を持った黒幕の存在を物語っていた。相方の隣にいる霊夢は右京へ訊ねる。

 

「黒幕というのは人間ですか?」

 

 誰もがその意味の本質を理解している。普段ならばまたそれか、と呆れられるところだが、実行犯と主犯が別々の可能性が高まった以上、相手に人外がいても不思議ではない。

 

「何とも言えません。人間かもしれませんし妖怪かもしれない。いざと言う時は霊夢さん、あなたの博麗の巫女としての力が頼りです」

 

「……捕獲が前提ですよね?」

 

「それが望ましいですが――無理だと判断された場合は()()()()します」

 

 相手の勢力や戦闘力すらわからない以上、彼女が必ず勝てるという保証はどこにもない。

 いざとなれば殺るしかない状況だってあるだろう。参謀として有志の安全を考慮するならば、この指示を出すしかない。

 霊夢は一言。

 

「わかりました」

 

 頷いてから拳を打ち鳴らす。

 顔つきを険しくするもそこには以前のようなドス黒さはなく、どこまで真っ直ぐな目をしていた。

 右京は霊夢が純粋な正義感から戦うことを決意しているように思え、少しだけ嬉しくなった。

 

「あと一息です。皆さん、頑張りましょう」

 

 

 特命係が去った狩野家は静けさを取り戻していた。

 自室の中央で力なく胡坐をかく宗次朗はどこか悩んでいるように見える。

 それは諦めに近く、ため息を吐く回数が次第に増えていく。

 少年の心は静寂と同じかそれ以上に沈みきっていた。時折、天井を見上げて手をかざす。

 届かない世界に思いを馳せた彼の顔からは悲壮感が漂う。

 

「(やっぱり自分には……)」

 

 無力感に苛まれ、全てを諦めかけた。そんなときだ。

 突然、視界が夜に染まった。

 一体、何事か。焦った宗次郎だったが、数瞬後には視界に光がさした。

 その先に、彼がとある人物と会話する光景が映っていた。まるで走馬灯でも見ているような気分だった。やがて映像は消え失せ、彼の意識は室内に戻る。

 数分の沈黙ののち、彼は子供のように笑い続け、いつしか自分を取り戻す。

 彼は呪文を唱えるように呟いた。

 

「戦え――戦え――戦え――戦え――」

 

 決意と共に立ちあがった彼は、部屋の片隅に立てかけてあった物体から布を外し、中から長物を取り出す。

 姿を現したのは白鞘に収まった刀だ。刀身を鞘から引き抜き、頭上へかざすと綺麗に揃った刀文が銀色の煌めきを放っている。まごうことなき名刀、村正だった。

 

「コイツなら俺の想いに応えてくるかもしれない」

 

 この刃の光は希望かまたは絶望か。刀に願いを乗せた狩人は()()()()()を始める。

 背後で夜が蠢いているとも知らずにーー。

 

 

 参謀の指示を受けた有志たちは一斉に行動を開始した。霊夢と魔理沙にたまたま様子を見にきた早苗を加えた人間三人が狩野家周辺を見張り、マミがさとりと交渉しに地霊殿へ発つ。

 他の妖怪と人外勢は里の近隣の探索や他勢力への説明で忙しく里に顔を出せない。

 数こそ少ないが、個々の能力的から見て十分、対応可能だ。

 右京たちも三人とは別の場所で待機しながら宗次朗が動くのを待つ。

 一時間後、張り込みの退屈からか尊が口を開く。

 

「本当に動くんですかね?」

 

 挑発されただけであの宗次朗が動くのか。尊は右京の予測を疑問視していた。

 

「いずれ動くでしょう。こちらが結社相手に取った策も承知しているでしょうからねえ。捕まるのは時間の問題だと察しているはずです。それに――」

 

「動かなかったとしても古明地さんの力で心を読めばいい。ですよね?」

 

「ええ」

 

 本当に詰んでいるな。マミ同様、尊も宗次朗を憐れんだ。

 一時間半、二時間と経過していくが、動きはない。

 さすがに今すぐ動き出すような真似はしないだろう。有志たちは心のどこかでそう思っていたのだが――。

 

 ――ドカンッ!!

 

 突如として狩野家から爆炎が上がった。場所は台所のほうだ。

 

「まさか自殺!?」

 

 狼狽えながら尊が発した『自殺』という言葉に不安を過ぎらせつつも右京は彼を引き連れて狩野家の玄関へ走る。

 

「何があった!?」

 

 魔理沙を含むふたりも右京たちの行動を見て持ち場を離れて駆けつけた。

 

「わかりません。狩野君の安否を確認しましょう。皆さんはここで待っていてください」

 

 右京が庭から台所へ回り込む。木戸から灰色の煙がもくもくと噴出している。

 発火元は台所で間違いない。

 

「宗次朗君、大丈夫ですか!? 宗次朗君!! 返事をしてください!!」

 

 何度大声で叫んでも返事がない。右京の呼び声に反応しないことに焦った尊が魔理沙たちを残し、玄関の木戸を開けて、煙立ち込める室内へと飛び込む。居間に辺りにたどり着くと、より噴煙が勢いを増した。

 

「狩野君、いるかい!? くっ、煙が蔓延してやがる!」

 

 煙の量からしてハンカチで口元を覆って進むには無理があった。

 引き返した尊が魔理沙たちに消火用の水を持ってくるように促す。

 強さを増す煙に火事を疑った里人たちが続々で家から出てくる。右京は彼らから桶を借りて必死に消火活動を行った。皆でリレーを繰り返すこと約十分。煙が薄れて視界がよくなった。

 右京と尊が部屋という部屋全てを隈なく捜索して宗次朗を探すが、いつまで経っても見つからない。

 最後につっかえ棒が引っかかっていた一階の寝室を力づくでこじ開けて突入するが、そこにも彼の姿はなかった。

 

「彼、どこにいったんですか!? 自殺なら家から出ないはずですよね」

 

「そのはずですが……。神戸君、あちらの窓、開いてますね」

 

 台所から発煙を目撃した際、その他すべての窓は締め切られていたはずだ。つまり――。

 

「やられた! 彼がーー外へ逃げた!!」



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第137話 進撃の狩人

かなり刺激の強い回です。予めご了承ください。


「何とかなったな」

 

 エレン・イェーガーを名乗る狩人は口元をタオルで覆い、麻の唐笠と外套、皮手袋に弓と矢筒、無数の皮袋と装備し、左腰に村正を拵えた状態で有志たちにマークされていた自宅を脱出。

 民家の屋根や庭、路地を通ってその場を素早く離脱した。

 移動の最中、彼は里人共用の井戸の目の前で立ち止まった。

 

「時間はないが……やるしかない」

 

 ここからは一度っきりの勝負だ。

 若干、震えが残る手で丸薬のように丸まった毒々しい物体を取り出して両手でちぎり、ぽろぽろと井戸の内部へ落としたのち、立ち去ろうと踵を返す。

 その視線の先にひとりの男性がいた。

 

「お前、何しているんだ?」

 

 三十代くらいの男性だ。彼は怪しい者の顔を覗こうと首と身体を右側に傾けて膝を少し曲げた。

 エレンは何を思ったのか。村正の柄に手をかけ、

 

「試し切りはしておかないとな」

 

「は?」

 

 腕と身体の力と連動させ、刀を一瞬で抜刀する。鞘を地面に捨てて腰を入れながら、柄を両手でギュッと握り直す。そして、男性の目の前で振り上げ、露わになった首の左側面を狙うように斜めに振り落とした。

 

 ――ザシュッ!!

 

 村正の鋭い刃は男性の首を斜めに切断、右肩の肉をも骨ごと削ぎ落した。

 男性は切られたことすら気がつかず、頭が地面にボトンと落ち、遅れて断面図が顕わになった胴体がゴトンっと倒れた。即死である。

 

「凄い切れ味だ」

 

 人を殺害し、鮮血が周囲を真っ赤に穢しているにも関わらず、エレンは刀の切れ味に酔いしれ、血を落として村正を納刀した後、その場を立ち去った。

 

 

 急ぎ狩野家から外へ飛び出た右京が魔理沙たちに告げる。

 

「宗次朗君がいません!」

 

「はぁ!?」

 

 戸惑う彼女たちへ右京は畳みかけるように叫んだ。

 

「彼は外へ逃亡しました! 何を仕出かすかわからない! 一刻も早く――」

 

 ――ドォォン!!

 

 右京の声を遮るように里中で爆発音が鳴った。

 

「無差別テロかよ……」

 

 絶句したように尊が零した。同時に爆発現場からそう遠く離れていない場所で再度、爆発が起こる。

 目を大きく開けながら右京は指示を出した。

 

「彼の覚悟を見誤った――。皆さん、被害に遭われた方を救出しながら犯人を追ってください! 僕たちも彼を追います! 神戸君!!」

 

「了解です!!」

 

「お、おい!?」

 

 特命係は爆発現場へ急行した。爆発が起こったのは民家の居間や大通りだ。

 

 ――うぅ……。

 

 ――いでぇぇぇぇぇ……!!

 

 爆風を浴びた人間たちが辺りで倒れている。

 尊が被害を受けた者へ駆け寄ると、彼らの腕や腹部には無数のガラス片が食い込んでいた。

 

「まさか陶磁器製の手投げ爆弾……」

 

 爆発でガラス片を飛ばす古典的な手榴弾。その威力は現代の手榴弾ほどではないが、直撃すれば生活が困難になる、または死に至るほどの傷を負う。

 破壊力からして火口殺害に使用されたものと同じであろう。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 肩に触れながら負傷者を起こそうとするも痛みでこの場から動けそうにない。

 自分たちはこのまま犯人を追いかけるべきなのか。右京はけが人をどうするか迷っていた。

 けれどエレンは待ってはくれない。

 今度はふたりから二十メートルほど離れた先に導火線に火が点いた煙玉が投げ込まれ、紫色の煙が勢いよく噴出する。ふたりはハンカチをしながら距離を保ちつつ、近づこうとした。

 そのとき、右京の視界右端で空を飛んでいた一羽のスズメが痙攣しながら地面に落下した。

 異様さに気がついた右京が尊を呼び止めた。

 

「神戸君、毒が混じっている!! 近づいてはいけません!!」

 

「は!? 毒ッ!?」

 

「スズメが痙攣しています。間違いない。毒です。それもかなり凶悪な――」

 

 小動物を一瞬で活動不能にしてしまうほどの煙。きっと猛毒を混ぜて作られたに違いない。であれば最低でも体調不良や呼吸困難に陥る。

 そう考えた右京は早急に周辺の里人たちへ警告を出した。

 

「皆さん、危険な有毒煙がばら撒かれました。一刻も早く逃げてください!!」

 

 警告を受けた里人たちは一斉にこの場から逃げ出した。幸い、煙を吸った者はおらず、手の空いた若者にけが人を任せたふたりは煙を迂回してから犯人追跡を再開させる。

 投げ込まれた方向からして犯人がいる場所が路地だと推測した尊は、細長い路地へと足を踏み入れる。

 この先にいるに違いない。確信したその瞬間、風切り音と共に矢が彼へ向かって飛来した。

 

「危ねぇぇぇぇぇ!!」

 

 間一髪、頭を下げて弓を回避するもバランスを崩して地面に手を突いてしまう。その間にも犯人は二メートル前後の塀目がけてジャンプ。ヘリに手をかけて一気によじ登り、民家の屋根上に移動して逃走する。

 

「あの動き、間違いない」

 

 右京狙撃時に現場に残っていた痕跡から高い身体能力が窺えた。今回の犯人の動きがそれと一致している。ほぼ間違いなく同一人物だ。

 

「君、大丈夫ですか!?」

 

「杉下さん、あのテロリスト――狙撃犯です!」

 

 駆けつけた右京に真実を伝えた。和製ホームズはその目を一層、尖らせた。

 

「必ず捕まえる! これ以上の悲劇を防ぐために!」

 

 特命係は追跡を続行するが、エレンは別の路地へと着地した。

 ポケットから表で流通しているライターを取り出し、手投げ爆弾の導火線に点火して人のいる場所に投げ込む。

 爆発と同時に人々の悲鳴が巻き起こるが、エレンは顔色一つ変えることもなく、近くの共用の井戸に立ち寄り、潰した丸薬を千切っては落とす。

 人の気配があれば弓を構えて標的を射抜き、逃げ惑う住民との距離が短ければ村正を抜刀して切りかかる。

 ある者は弓矢で脳天や胴体、肩、太ももを貫かれ、ある者は刀で急所近くを切りつけられ、ある者はガラス片入りの手投げ爆弾を浴び、ある者は毒入りの煙を吸い込んで呼吸困難に陥る。

 これらの行為がエレンの通る先で何度も繰り広げられる。有志たちによって解放された里は数日にしてそれ以上の地獄へと変わっていく。

 稗田邸も同様で、体調不良者やけが人の治療にめどが立ってきた段階にも関わらず、次々に邸内へけが人が押し寄せ、地獄絵図となる。

 運ばれてくるけが人は軽傷の者から重症者まで幅広く十、十五、二十と増えていく。

 対応に追われ、永琳と優曇華はあちこち走り回り、当主の阿求はその光景に絶句しながら「どうしてこのようなことが……」と嘆き、立ち尽くしている。

 ここにきて政治的観点から妖怪勢力を里内にとどめなかったツケが回ってきた。彼らの大半は外にいて、駆けつけるまで時間を要するだろう。

 惨劇を目の当りにした霊夢と魔理沙が上空からテロリストを追う。

 

「敵はどこにいるのよ!!」

 

「あの野郎はどこだ!! ブッ飛ばしてやる!!」

 

 空を駆けるふたりは二手に分かれて捜索する。物陰や路地裏など注意深く見て回るが、毒煙と白煙、人々が逃げ回った際に巻き起こった砂埃などが原因で視界が悪く、人影を捉えることすら容易ではない。

 

「クソッ――見えねぇ」

 

 高度を下げながら毒煙を避けて進む魔理沙だったが、ふいに死角から矢が飛んでくる。

 

「あぶねぇ!!」

 

 矢は魔理沙の右脇腹を掠めて飛んで行き、民家の屋根に突き刺さる。

 破けた服の部分から少しだけ血が滲んでいた。

 

「カスッただけだぜ……!」

 

 右手で出血した箇所を押さえながら、彼女は高度を上げて場を離れる。

 上空三十メートル付近から煙を見下ろし、左手で八卦炉を構えた。

 

「どこだ――出てこい! ぶち抜いてやるッ――」

 

 強い言葉と共に狙いを定めようとするが、追撃がくる気配はない。

 逃げられた。魔理沙はやり場のない怒りを抱えながら、箒を推進させる。

 霊夢もまた立ち上る煙を避けながら、敵の姿を追う。

 

「視界が悪い。妖気も感じない。これじゃ、どこにいるのかわからないわよ!」

 

 敵から妖気は愚か霊気も感じない。対妖怪戦ならば抜群を誇る勘も今回は役に立たない。右手にお祓い棒、左手にお札を構えた彼女はゆっくり速度を落としながら下を見て回る。

 左斜め奥の煙の薄いポイントへ目が行った時、右斜め真下の死角から弓矢が霊夢目がけて放たれた。

 

「(殺気――!?)」

 

 咄嗟に殺意を感じ取った彼女は身体を捩ってギリギリのところで弓矢を回避した。

 

「そこかぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 怒りの咆哮とも札を叩きつけるように投げ、煙ごと吹き飛ばす。一瞬、煙が晴れた場所に笠の一部が見えた。間違いないそこにいるな。霊夢は持っている札を手当たり次第投げつける。妖気や霊気の類を持ち合わせていない相手だからなのか、攻撃に追尾性はない。

 それでも破壊力はそれなりにあるように見受けられたが、相手も素早く対応し、攻撃を躱しながら民家の物影へ避難する。

 

「妖気も霊気もない癖に――」

 

 脅威となる能力を持っていない相手にここまで苦戦させられたのが、腹立たしかったのか、奥歯をガチンと打ち鳴らし、敵が逃げ込んだ路地へと自身も飛び込む。

 裏路地であるが故、両サイドに無数の民家が立ち並んでおり、道幅は二メートルほどしかしかない。派手に技を使用すれば民間人まで巻き込んでしまう恐れがある。彼女はスペルカードの使用を諦め、棒と札で犯人との戦闘に望むことを選択する。

 警戒しながら一分ほど進むと民家の中から左の民家から物音が聞こえた。

 振り向くと白煙を立ち上り、彼女の視線が誘導される。そのタイミングで屋根上を何かが跳んだ。

 

「人影――狩人!!」

 

 弓を構えた狩人が助走をつけて跳躍したのだ。跳躍中にも関わらず、狙いを霊夢に定め弓矢を解き放とうとする。

 

「躱せる――」

 

 一瞬、早く相手に気がついた彼女は身体ごと回避しようとするが、相手の矢に目が行き、唖然とする。

 

「二本ですって――!?」

 

 エレンは矢を二本構えていたのだ。それはつまり――。

 

「(避けられるか?)」

 

 弓矢二本が同時に放たれた。一つは彼女の自身そして、もう一つは彼女の逃げ道を塞ぐような軌道を描く。勘のよい彼女はどちらかの攻撃が当たると直感する。

 咄嗟に札で結界を作り攻撃を迎え撃った。本体を狙った矢は結界に阻まれ、もう一つの弓矢も彼女に当ることなく、民家の玄関付近へ突き刺さる。

 

 しかし、意図しない体勢で結界を張ったために彼女自身も大きくバランスを崩して転倒し、民家の敷地内まで勢いよく転がっていった。

 地面に頭を打ったのか、ヨロヨロと立ち上がった彼女は激昂する。

 

「クソッ、アイツがああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 本気でキレた彼女は相手を殺しそうな形相を浮かべながら敵を追おうとした。しかし、ふと耳を傾けると後方から子供の声が聞こえた。

 

「ゲホ、ゲホ――苦しいよぉ……助けてぇ……」

 

 玄関先には室内へ流れ込んだ煙を吸い込んで苦しくなり、助け求める幼児がいた。立ち込める臭いは異臭そのもの。ただの煙幕ではない。

 

「民家に毒煙を投げ込んだの!? なんてことしてんのよ!!」

 

 あろうことか、エレンは小さい子供がいる家屋に毒煙を投げ込んだのである。

 トリカブトなどの猛毒が混じった煙などを幼児が吸えば、死に至る可能性が高い。霊夢は「おかあさん、おとうさんは!?」と訊ねると幼児は「お水汲みにいった……」と答える。

 このままじゃ危険だと判断した彼女はすぐに幼児の手を引いて大通りへと連れ出した。

 辺りには咳き込む者や地面に蹲る者、血を流す者などの多数の負傷者の姿があった。

 早くなんとかしなくては。焦る霊夢が叫んだ。

 

「魔理沙、いる!? けが人を任せたいんだけど――」

 

「ここだぜ……」

 

 呼びかけに応じて霊夢の後ろから魔理沙が歩いてきた。

 相棒がきたからにはもう安心だ。そう思って振り向くと魔女は苦悶に満ちた表情で脇腹を押さえていた。

 

「アンタ、どうしたの!? 攻撃が当たったの!?」

 

「カスッただけだ――くぅッ」

 

「魔理沙!!」

 

 喋っている最中に膝を突いて息を切らす。その腕は痙攣しているかのように震えていた。霊夢はハッとした表情で言った。

 

「まさか毒!?」

 

「たぶんな。矢じりに毒を塗っていたんだろうぜ。小癪な真似を……」

 

 立ち上がろうとするもグラついてバランスを崩す。間違いない。これは毒の症状だ。少量とはいえ、毒物は危険だ。

 まだ若く身体の小さい魔理沙では命取りになりかねない。彼女に子供を預けて犯人を追いたいと考えていた霊夢は数秒間黙ったのち――。

 

「今すぐ、医者のところへ連れて行くわ! 踏ん張んなさいよ!」

 

 左腕で魔理沙を支え、右腕で幼児の手を引っ張りながら心底、悔しそうにこの場を離脱する。

 その間もエレンの凶行は続いた。

 先ほど同様、逃走経路上で見かけた通行人や庭に居た住民たちに対して次々と切りかかり、矢を射かける。

 その命中度は高く、一刀で急所を捉え、仮に防いでも手や顔を切り裂き、場合によっては切断される。村正の切れ味が遺憾なく発揮されていた。

 弓矢に至ってはほぼ外さず、脳天や胴体を撃ち抜いていく。急所を外れても毒矢なので後遺症レベルでのダメージを与えられる。

 まさにエレンの行為は殺人を目的とした()()()()()以外の何物でもなかった。

 血相を変えながら敵を追う右京たち特命係は里の西入口付近に到達するが、道端で呻く男を放っておけず駆け寄った。

 

「大丈夫ですか!? 毒を吸ったのですか!?」

 

「ち、違……う――水を、飲ん……だら、腹がぁぁ急に――」

 

「水……?」

 

 男が指さした方向に目を向けると何の変哲もない井戸があった。

 嫌な予感がする。尊が近寄って、井戸の底を覗き込むと、砂のような物体が浮かんでいた。

 井戸からは特に臭いを感じないが、男の痛がりは演技ではない。考えた末、一つの結論にたどり着く。

 

「杉下さん、毒です。井戸に毒物が混入されてるかもしれません!!」

 

「なんと――ッ」

 

 亜ヒ酸は無味無臭の毒だ。飲んでも気がつかない。

 きっとエレンの仕業に違いない。右京は狩人の恐ろしい考えを知る。

 

「井戸に毒を混ぜれば怪我の手当や消毒に使う。それが体内に侵入すれば中毒を起こす――犯人は、そこまで考えていた」

 

 エレンは多くの人間を確実に殺すための策を実行していた。

 時間を見つけては井戸に近寄り、磨り潰した丸薬を落としていったのもそのためだ。

 この丸薬は大量の亜ヒ酸が混入された毒丸薬で、それが含まれた水を飲んだ者は数分から数十分後には吐き気や痙攣などを引き起こす。

 けが人に水をかけたり、飲ませたりすると更なる追い打ちを与えるだけではなく、知らずに飲んだ健康な人間にまで害を及ぼせる。悪質の極みであった。

 この事実に右京が怒りを顕わにする。

 

「許せません。犯人はどこへ行ったかわかりますか?」

 

「た、たぶん、この先だ――」

 

 方角は里の外。ひと通り暴れた犯人は里から出て行ったのだろう。

 このままでは妖怪に殺されてしまう恐れがある。

 

「――神戸君。君はこの男性を八意先生のところへ連れて行ってください。僕は犯人を追います」

 

 彼の意見に対し、尊がお決まりの台詞で返す。

 

「お言葉ですが、杉下さんは病み上がりですよね。まだ右腕だって痛むはずです。犯人と戦えるんですか? 相当な強さですよ」

 

「腕なら平気です。この前のお礼も含めて――犯人は、僕が捕まえる」

 

「普通に考えたら魔理沙たちを待つべきだと思いますが……」

 

 辺りを見回しても彼女たちの姿がない。犯人を追いかけているのか救助を優先しているのかすらも不明だ。

 追える者が追うしかない。事態は一刻を争う。そんな状況なのだ。

 尊がため息交じりに問う。

 

「ひとりで挑んで勝算はありますか?」

 

「わかりません。ですが、これは僕の挑発が原因です――自らの手で決着をつけねばならない」

 

 自らの挑発がきっかけとなり、この凶行を招いたのは事実である。ならば自身の手で犯人を逮捕しなければ責任が取れない。右京は確固たる意志を秘めた目でそのように伝えた。

 本気なんだな。覚悟を理解した相棒は上司を止めることを諦め、帯刀していた刀を手に取る。

 

「相手は恐ろしく切れ味のよい刀を所持しています。おそらく村正でしょう。ーーこれを持って行ってください。丸腰では返り討ち遭います」

 

「……わかりました」

 

 武器を使うことを嫌がる右京も相手の腕と武器を考慮し、素直に刀を借りることを選んだ。

 

「ぼくもすぐに追いつきますから。死なないでくださいね」

 

「もちろん」

 

 刀を持った右京は西口を通って里の外に走り去っていった。

 その後ろ姿を不安にそうに眺めながら、男性の肩を担いだ尊は里中央に向かって一歩踏み出した。



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第138話 伝説の剣

 可能な限りの破壊工作を尽くした狩人は茂みの中へ飛び込んで、そのまま野山を目指した。

 

「空間に影響はない。やはり数が足りないか」

 

 木々の隙間から流れ込む青い空を憎々しげに睨みながら彼は草木を掻き分けて進む。

 里を離れれば妖怪のテリトリーだ。妖怪と遭遇すれば命の保証はない。それでも進むのを止めようとしない。まるで自殺願望でもあるかのように。

 数分後、走り疲れたのか、少しだけ足を止めた。

 

「せめてもう少し時間があれば――」

 

 何かを悔しがるエレン。意味こそ不明だが、あれらの行為には確かな目的があった。

 そこに遅れて後方から見慣れた眼鏡の男性がやってきた。

 

「時間がどうかしましたか?」

 

「……」

 

 杉下右京である。

 

「もう止しなさい。いくら暴れても本気になった妖怪には勝てませんよ。狩野君」

 

「………………でしょうね」

 

 正体を隠すことを諦めたエレンは和服の襟を正すように何かしてから正面を向いた。

 笠を脱ぎ捨て、包帯を剥ぐと、宗次朗の顔が出現した。

 笑顔のよい少年の顔ではなく犯罪者のような険しい顔をしていた。

 右京も真顔でそっと近づく。

 

「最初、僕は君が何故あのような犯行に及んだのか。その目的がわかりませんでした。それが……ようやくわかりましたよ」

 

「へぇ。それはなんです?」

 

 一連の犯行の意味を繋げて宗次郎の真意を理解した右京は、人差し指を立てて宗次朗の顔を指さす。

 

「幻想郷の破壊、ですね?」

 

「……よくわかりましたね。さすが七瀬さんを追い詰めた警察官さんだ」

 

 宗次朗は不敵な笑みを浮かべながら敵を賞賛し、挑発的なトーンで質問する。

 

「俺がどうやってこの世界を破壊しようとしたのか説明できますか?」

 

「幻想郷は妖怪と人間の数のバランスで成り立っています。幻想郷を潰すならそのバランスを破壊すればいい。つまり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。君はそう考えたのでしょう?」

 

 妖怪にとって幻想郷の破壊は死活問題である。彼女たちはここ以外に住める場所が限られている。自身の存続には人間の怖れを必要としているのも事実だった。

 怖れを提供する人間を殺せば妖怪たちの力は弱体化する。どれほどの影響を及ぼすかは未知数だが、妖怪側の反応からしてかなりのダメージになるのは予測できる。

 永遠亭で尊が言った疑問に妖怪たちが答えなかったこともそこに理由があるのかもしれない。

 いずれにせよ、右京は幻想郷のウィークポイントを掴んでいたのである。そして宗次朗も。

 

「当たりです。人間の俺が妖怪を倒せる可能性があるとしたらそれしか方法はありませんから。ハハッ――」

 

 子供のように無邪気な笑顔だった。その裏にどれほどおぞましいものが潜んでいるのか。彼の底を右京は測り兼ねている。

 

「しかし、よくわかりましたね。幻想郷の弱点がまさか人里そのものだなんて。どうやって知ったんですか? やっぱり妖怪に聞いたとか?」

 

「敦君殺害事件の捜査の際です。幻想縁起や色々な証言、疑問点など総合的に考えた結果、この仮説が浮かび上がりました。当初はただの仮説だったのですがねえ。ここまでくると現実味を帯びてくる」

 

 これは右京が辿り着いた幻想郷の真実、その仮説の一つだった。

 話は白玉楼で右京と幽々子の会話に遡る。桜の木の下で繰り広げられるふたりの会話。

 そこに一切の笑顔はなかった。

 

 ――幻想郷の妖怪は人々を一か所に集めて管理。自分たちの栄養補給などの目的に活用している。

 

 ――里の人間は食べてないって約束になっているはずよ?

 

 ――怖れを安定的に回収するという意味ですよ。食事は別のところですませるようになっているのでしょうから。

 

 ――やっぱり、わかっていたのね……。

 

 ――では、食事というのは×××××××××××。

 

 ――たぶん、そういうことでいいんじゃない? 私の知る限りならね。

 

 彼の回想を遮るように宗次朗が言葉を発する。

 

「俺もそれで本当に妖怪を倒せるかは知りませんけどね。ただ一番、可能性が高いから実行しているだけです。妖怪から話を聞いたのであれば答え合わせをしたかったんですが……。人がどれほどいなくなれば妖怪が消え、幻想郷がどう崩壊するのか。杉下さんは気になりませんか?」

 

 またもや笑顔でドス黒い発言をしてみせる。

 右京は眉間に皺を寄せながら答えた。

 

「気にならないといえば嘘になります」

 

「ハハッ。杉下さんも俺たちと同じで幻想郷を破壊したかったんですね! だったら協力できたのに」

 

「僕は君と違って幻想郷を破壊したいとは思いませんがね」

 

「何故ですか? この土地は元々、表のものですよね? 八雲紫は明治時代にこの土地を結界で隔離して奪った大罪人じゃありませんか。おまけにここの里人は第二次世界大戦時に徴兵を免れ、知らん顔で暮らした()()()どもの集まりです。俺も含めてね。

 本来なら表に出て行って謝罪しなければならない。自分たちはズルをしましたって。妖怪だって土地を返還して潔く消えるべきなんです。本来なら近代化の波に流されて消滅するはずだったんですから。それこそが幻想郷のあるべき結末です。違いますか?」

 

 宗次朗も幻想郷の問題点に気付いていた人間のひとりだった。

 幻想郷の人間ならこのような認識を持つことはないが、表からやってきた者を家族に持つ彼なら容易に想像できる。

 この土地は本来、日本の物で里人は行われるべき徴兵をパスした者たちであると。これらの罪はどのような手段を用いても罰せられるべきだ。

 奥村や田端の妖怪から里を解放する大義とは本質的に異なる歪な正義。それが狩野宗次朗という里人の犯行動機であった。

 真意を聞いた右京が静かに唸る。

 

「それが君の動機ですか……」

 

「そうです」

 

「なるほど、合点が行きましたよ。君が稗田さんを狙い、結社メンバーに正体と真意を明かさなかった意味が」

 

 妖怪を倒すために仲間の里人を皆殺しにしよう。なんて狂気じみた発言を聞き入れる者はさすがに結社の中にも存在しない。だからこそ彼は正体を明かさずに結社を裏から操ったのだろう。

 バラバラだった点と線を結んだ右京が再度、考察を始める。

 

「君が稗田さんを狙ったのは里人の皆殺しを阻止される恐れがあったからですね?」

 

「あの人、頭いいですから。とっとと殺してしまわないと何をされるかわかりません。結社のほうも尻尾を掴まれて壊滅の危機に瀕してましたから、急いで始末する必要がありました。まぁ、杉下さんに阻まれてしまいましたけど」

 

「稗田さん暗殺に失敗した君は次に奥村君を殺した。暴動を起こさせて田端に稗田さんを含めた妖怪側の勢力を追い出させるためですね? その間に大量殺人を行うための」

 

「ええ。奥村さんは妖怪嫌いで頭は回りますけど、民主主義にハマっていましたからね。なんだかんだで最終的には話し合いでの解決を考えていました。あれじゃ稗田さんを追い出すのに時間がかかるし、討論で彼女に勝てるはずがない。いずれ裏工作で潰される。だったらいっそ派手に死んでもらったほうがいい。聴衆が一致団結する形でね。

 それと田端さんのほうが俺にとって都合がよかったんです。あの人は力で里を変えようとしてましたからね。短時間で里人を皆殺しするにはそこそこの準備が必要ですから。……結局、死んじゃいましたけどね。フフッ」

 

 またもや彼は笑った。そのふざけた態度に更なる怒りが込み上げる。

 

「先ほどから何がおかしいのですか? 君のやったことはただの殺人――それも今まで一緒に暮らしてきた仲間たちを無差別に殺すという最悪の方法を以てこの世界を破壊しようとした。それが何を意味するかわかっているのですか?」

 

「上手くいけば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 幻想郷の崩壊――最悪のパターンが博麗大結界の破壊なのは間違いない。宗次朗の最終目標は結界の破壊を経て幻想郷を表に返還することだ。

 馬鹿げているが人間が唯一妖怪に一太刀を浴びせられる行為である。

 呆れ気味に右京が漏らす。

 

「それが君の願い……」

 

「そうです。あるべきものをあるべきところへ還したい。どこにでもある普通の願いです」

 

 無差別殺人を引き起こし、その先にある結果を普通の願いと口にする。

 我慢の限界が近いのか右京が顔をプルプルと震わせ始めた。

 

「君は……愚かだ」

 

「どうしてですか? 警察官にとって都合がよいはずでしょ? 盗まれた土地が表へ還るんですから」

 

 八雲紫によって隠された日本国の一部と思わしき土地を併合できる。

 確かに表の国民たる右京ならばメリットもある。

 しかし、この男は――。

 

「誰かを犠牲にしてまで……君にこの土地を還して欲しいなどと頼んだ覚えはありません。思い上がるのも―――――――いい加減にしろ!!!!!!!!!」

 

 罪を重ねた宗次朗への強烈な怒りを顕わにした。

 紳士的な人間の攻撃的な口調に宗次朗は身の危険を感じて咄嗟に弓を構えた。

 相手との距離は十五メートル前後。残りの矢は一本だが、俊敏な兎を仕とめた彼なら一矢で急所を射抜ける距離だ。

 

「逃げるなら今のうちですよ?」

 

 勇敢なる紳士への配慮からか宗次朗は逃げるように促す。が、右京は逃げようとはせず、左手に持った刀の柄に手をかけた。

 その瞬間。

 

「(残念です)」

 

 相手に隙を与えず、最後の毒矢を発射した。

 矢は一直線に右京の眉間目がけて飛んでいく。体勢からして避けることは無理だ。

 殺った。宗次朗が確信する。しかしながら相手はあの杉下右京――。

 

 ――ガキンッ!!

 

 宗次朗にも勝るとも劣らない速度で抜刀した右京は、そのまま迫りくる毒矢を一刀で弾き飛ばした。

 

「運動神経がいいとは思ってましたけど、これほどとは……。本当にすごいですね」

 

 再度、矢筒をチラ見して矢がないことを確認した宗次朗は弓を手放し、矢筒や皮袋など戦闘の邪魔になる装備を全て外した。残ったのは白鞘の刀だけ。

 

「土田邸から盗んだ風下さんの村正ですね?」

 

「フフ、土田の当主が自慢していたのでもらってきました。この村正、切れ味凄いんですよ? そっちの刀は――状態が悪いようですけど」

 

 こちらの刀の手入れの悪さを指摘する宗次朗に右京は平然と語り聞かせる。

 

「ご心配には及びません。この刀は伝説のかぐや姫が認めた名刀。見た目からは想像がつかないほど軽く、それでいて硬い。最高の逸品です」

 

 まるで失われた技術で鍛錬されたダマスカス鋼のような性質を持った刀を手に右京が確かな自信を見せる。

 相手の表情から単なるボロ刀ではないと察した宗次朗が唇をギュッと噛み締めた。

 

「へぇ……。この刀とどちらが上なんでしょうね」

 

「気になりますか?」

 

「はい。凄く」

 

 一瞬にして血で赤く染まった村正を引き抜いた。その腕前は素人のものではない。

 

「……剣術の経験は?」

 

「里の道場で剣道を少しだけ。コツを覚えたんで途中から行かなくなりましたけど」

 

「真剣の扱いも?」

 

「そっちはひいおじいさんから聞きました。武士の家系だったそうで剣の鍛練を積んでいたそうです。ボケ気味だからコツを聞き出すのに時間がかかってしまったんですが、一旦覚えたら使えるようになりました」

 

 コツを掴むのが早く大した苦労をせずに物事を習得できる。狩野宗次朗は天才と呼ばれる部類の人間だ、と右京は悟った。

 

「とてつもない才能ですね。その力――こんなことにさえ使わなければ」

 

 里の誰からも慕われる男になれたものを。右京は内心でため息を吐いた。

 

「この世界では俺は凡人ですよ。空も飛べない、光線も出せないんですから」

 

 空を飛び、弾幕を撃ち合う住人たちが存在する幻想郷において彼の才能は里人の域を出ない。それは宗次朗自身が一番、理解していた。

 諦めたように語った彼の姿を見て右京は宗次朗の心中を察するが、これから自身がやるべきことになんら変わりはない。

 

「気の毒に思いますが、それは殺人の言い訳にはならない」

 

「言い訳なんてするつもりはありません。ただ不公平だなって思っただけですから。小さいきっかけにすぎない」

 

 そう言って彼は刀を正面に構えた。

 

「わかりました」

 

 もはや説得は困難と判断した右京も鞘を捨て、両手で刀を構える。瞬間、ふたりの周囲を囲むように雨が降った。僅かに動揺する宗次朗を余所に一呼吸ののち、右京が素振りした。

 空を切る音と鳴ると同時に雨がピタリと止んだ。すると刀身が僅かに青白く発光する。

 まるで右京を使い手と認めたように。

 迸る気は神秘を帯びている。神気の類であろうか。右京は微かに笑った。

 

「これ――本物の名刀のようですよ?」

 

「……」

 

 右京たちは知らないが、実はこの刀――〝草薙の剣〟と呼ばれる森近霖之助秘蔵の神剣である。格の高さからか使い手を選ぶ傾向にあるが、杉下右京を気に入ったようだった。

 悪に挑む姿に共感したのか、または単なる気まぐれか。どちらにしろ、伝説の剣を味方につけたのは事実であった。

 宗次朗からしてみれば明らかに分が悪い。揺らめく蒼白のオーラにたじろでしまう。それを見た右京が左手で刀をクルッと回して背の部分を正面に持ってきた。

 手加減アピールだった。さすがの宗次朗もカッとなる。

 

「俺は相手にならないってことですか!? 冗談じゃない!!」

 

「僕は警察官なので人殺しはしません。それだけです」

 

「ッ――!!」

 

 どこまでもふざけやがって。いつも冷静な彼だが、この行為には自身のプライドを著しく傷づけられた。抑えきれない怒りと共に村正を両手に持ち替える。

 そのとき、刀身から()()()()()()()があふれ出した。目を見張る右京を相手に宗次朗はこう言い切った。

 

「必ず後悔しますよ!!」

 

 呼応するように村正から怨念じみた力が噴き出る。まるで権力者や支配者側の存在に仇名すかのように。右京はこの現象に心当たりがあった。

 

「妖刀村正伝説……」

 

 逸話が現実化する世界、幻想郷では些細な伝承でもきっかけさえあれば具現化してしまう。

 この村正も妖刀の伝説を持っている。

 天下人、徳川家康とその一族に災いもたらした刀として。それがきっかけで村正は帯刀を禁止されたが、幕末において倒幕を掲げる西郷隆盛が縁起がよいから使用したと言われている。結果は誰もが知っている。

 それらの逸話を持つ村正が大いなる敵に挑む宗次朗を主人にしたことで自らに宿る伝説を発現させたのだろう。

 村正は主人の背中を後押しするように刀身からオーラを放出させる。

 宗次朗は不敵な笑みを浮かべた。

 

「思った通りだ。この刀なら応えてくれると思った!」

 

「村正が妖刀に変化するのも計算のうちでしたか」

 

 なんと肝が据わっているのだろうか。敵ながら見どころがある。右京は僅かながらに感心した。

 これで互いに伝説の武器を所持していることになり、条件は五分と五分。

 宗次朗は叫ぶ。

 

「覚悟しろ――この偽善者が!!」

 

「君のほうこそ少々、痛い目に遭って貰います。里の人々の身体と精神を痛めつけ、僕の胸を抉ってくれたお礼を込めて」

 

 気合を入れ直し、右京が再度、刀を正面に構える。

 

「売られた喧嘩は買います。そして必ず勝ちます。どこからでもかかってきなさい!」

 

 こうしてふたりの決闘が始まった。



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第139話 決闘

 構えた両者は野山の中腹の開けた場所で戦闘を開始する。

 互いにすり足で距離を取りながらときにゆっくり、ときに機敏に間合いを測る。

 

「(彼、中々上手ですねえ……)」

 

「(この人、絶対強いな)……」

 

 ふたりは間合いの取り方一つで相手の実力を理解した。

 素人が刀を握ると闇雲に突っ込んでいきがちだが、上級者になると間合いを取って出方を窺うようになる。

 相手の筋肉の動きや癖を判断し、どのように仕かけるか、答えを出さねばならない。

 右京は様子見に徹している。元々、宗次朗を傷つける気がなく、無傷で組み伏せようとしているからだろう。プレッシャーこそかけるもどこか攻めの姿勢が欠けている。

 片や宗次朗は。

 

「(俺を捕まえたいんだろうな)」

 

 刀の背を向けて構えるとはそういうことだ。刃が向けられていないということは致命傷をほとんど負わないと同じ。宗次朗はフフっと笑った。

 

「いきますね――」

 

 そう言って彼は一気に踏み込んで間合いを詰めた。

 その速度は速く、危機を察知した右京が受けに回った。

 右斜め上段からくる一撃を軽く捌いて体勢を立て直し、彼の肩に当てるように刀を薙ぐが宗次朗は巧みな足さばきでこれを躱して後方に下がる。

 両者とも相手の速度に対応している。ファーストタッチは互角だ。

 しかしそれが意味するのは。

 

「(マズイですね。手加減して倒せるかどうか)」

 

 右京は彼の強さに息を飲んだ。真剣を使いこなし、剣術も上手で反射神経、動体視力もピカイチ。一方、自らは還暦かつ刃の背を向けて勝負している。あまりに不利だった。

 

「手加減、やめたほうがいいですよ?」

 

 当たり前だが、刀は刃で相手を切りやすくなるように反り返っており、柄もそれに合わせてカーブしている。それを反対に持つということは手の形と合わなくなって、握る力が上手く伝わらず、刀を振った時の速度が落ちる。

 相手との実力が拮抗している状況では敗北に繋がりかねない。

 右京もそれはわかっていた。

 

「遠慮せず、かかってきなさい」

 

 強がりだな。宗次朗が地面を蹴って間合いを詰める。真剣を力一杯振るうのではなく、一発一発を鋭く、それでいて攻め込まれないように体勢を崩さず丁寧に、丁寧に刀を振る。

 右京は彼の攻撃をいなし切るが、若さの差なのか徐々に押されているように見えた。

 

「(若さによる勢い――簡単に抑えられるものではない)」

 

 頭や胴体だけでなく、頸動脈を狙った突きなどの技も交互に繰り出されて、右京は捌くので手一杯だ。

 真剣勝負ならではの光景だが、宗次朗もまた「(この人、攻撃を捌くのが上手い――里の先生よりもずっと強いなぁ)」と技術を認めながら戦っていた。

 駆け引き上手な右京でなければ何度か致命傷を貰っているだろう。それほどの攻めを行える宗次朗もよい腕をしている。

 刀での切り結びが十合をすぎると、今度は相手の動きを覚えた右京が身体を上手に使いながら押し返すようになる。

 構えを崩されがちになる宗次朗は「動きを読まれてるのかな?」と楽しげに呟いて間合いから僅かに遠ざかり、脚を使って様子見に戻った。

 熱くなり過ぎない性格というのは厄介だ。

 右京は軽く唸った。

 

「中々、やりますねえ。神戸君ともよい勝負ができそうだ」

 

「杉下さんこそ強いですよね。里の先生なんかよりよっぽど」

 

 互いに被弾なし。呼吸も乱れていない。そこから同じようなやり取りが何度か続くが、一向に決着がつかない。宗次朗は狩人だけあってスタミナもある。

 今の右京の身体にはキツイ展開だ。徐々に体力の差が出始める。

 長期戦になれば宗次朗が有利だろう。しかし彼も彼で長期戦を避けたい理由があった。

 

「(妖怪側の連中が加勢にくる前に終わらせたいんだけどなぁ……)」

 

 宗次朗はひとりだが、右京には仲間がいる。

 積極的に打ち込んでこないところを見るに仲間が応援にくるまでの時間稼ぎを兼ねているのは明白だった。

 かと言って右京の防御技術は熟練の域に達しているので安易に攻め込めば返り討ちに遭う。

 数分の駆け引きの中で宗次朗は自分と相手の力量を正確に把握していた。

 

「(時間をかければ勝てるけど、その時間はない。戦いだけ見れば有利だけど全体的には不利――それをわかって戦っているんだろうな。嫌な人だ)」

 

 冷静さでは右京のほうが一枚上手だ。技術もそこまで劣っていないが、簡単に防御を崩せる気がしない。宗次朗は考えた末――。

 

「戦い方――変えるしかないかな」

 

 八相の構えを取り、刀の柄を右頬にくっつくかつかないかのところでまっすぐ構えた。

 身体もやや前傾姿勢ぎみで踏み込むような準備をしている。

 右京が表情を変えた。

 

「その構え――もしや、示現流」

 

「知ってるんですか? 物知りですね」

 

 薩摩剣術、示現流。『相手より早く全力で切りつける』をコンセプトにしている故、一対一の戦いおいて無類の強さを誇る。

 全身全霊で打ち込むスタイルのため全ての攻撃が一撃必殺となる。外せば敗北、当たれば勝利。わかりやすい剣術である。

 防御に長けた右京に対してリスクの高い博打にも思えるが、当の本人は息を飲む。

 

「(こちらが疲れてきたタイミングで一撃必殺の剣術に切り替えてくるとは……)」

 

 受けを壊したいならばそれを超える一撃を叩き込めばいい。

 しかも相手は刃ではなく背で戦っている。外してもリスクが少なく、体力差がある分、押し切れる可能性が高い。

 間違いなく勝負勘がある。

 

「それもひいおじいさまから習いましたか?」

 

「話を聞いただけなのでほぼ我流ですけど」

 

「……」

 

 構えは示現流そのものだ。どこまで油断ならない人物。

 右京は刀を構え直すのと同時に左右へと移動がしやすくなるように重心を分散する。

 モーションに入ったらとにかく避けるしかないと知っているからだ。

 宗次朗がジリジリと間合いを詰め、右京が左右に動いて距離を測る。

 十秒程度、位置取りが続いたのち、攻撃の間合いに足を踏み入れた宗次朗の身体に力が入る。

 そして、一気に踏み込んだ。

 その速度は今まで一番速く、あっという間に間合いを詰めた。

 

「ハァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」

 

 裂孔と共に剛音を唸らせる妖刀が振り下ろされる。

 

「ッ――!」

 

 右京は咄嗟に左へ避けた。そこに僅かに遅れて渾身の一撃が叩き込まれ、地面に一メートル前後の亀裂が走り、砂煙がブワッと巻き起こった。

 妖刀としての破壊力もあるだろうが、宗次朗の技量も関係しているのだろう。

 攻撃を避けた右京は彼の右側面へと回り込み、身体全体の力を利用し、すばやく刀を振り上げた。

 狙うは気絶させやすい首後部のつけ根。並みの剣道家ならこれで終わる。

 そのはずだった。

 

 ――ガキンッ!!

 

「なんとッ――」

 

 宗次朗は地面に攻撃を叩き込んだ瞬間、身体のバネを利用して右京が逃げた方向に身体を立て直し、振り下ろされた一刀を自らの刀で受け止めたのだ。

 しかも、衝突した際、身体ごとぶつかるように伸び上がり、その勢いで攻撃を受けたために打ち負けることもなく、その場で拮抗する。

 さらに上半身、特に肩甲骨を巧みに動かして力を生み出して右京へ押しやった。

 後方に仰け反った右京が武器を構え直すと宗次朗は先ほどと同じ構えを取って、再び気合と共に必殺の一撃を繰り出す。

 右京はこれを回避するが、宗次朗はまた体勢を整えて襲いかかってくる。

 

「(打った瞬間、ガラ空きになった脇腹や頸動脈へ突きを入れれば勝てそうではありますが)」

 

 警察官は殺生しない。勝てる方法を思いつくも矜持を持つ右京には実行不可能。

 宗次朗はそれすらも見越している。本来、手加減できるような相手ではなかった。

 右京は仕方なく相手との間合いを詰め、必殺の一撃が振り下ろさないように寸で妨害する。

 

「(もう対応された!?)」

 

 たったの二発で対抗策を見出されるとは思っていなかった宗次朗が驚いたように右京を見た。

 しのぎを削りながら表の警察官が言った。

 

「よい太刀筋ですが、まだまだですねえ」

 

「でも杉下さん、疲れてますよね?」

 

「歳を取ると若いころのようにはいかなくなるものです」

 

「きっと全盛期だったら勝負にならなかったでしょうね」

 

「ええ。おそらく」

 

 力は宗次朗のほうが上だが、技術は右京が上。力と技の戦いである。

 しかしながら右京は彼の攻撃を捌き続けるだけの体力はない。いずれは押し切られてしまう。

 実際、先ほどよりも動きにキレがなく、呼吸が乱れている。宗次朗のほうはまだ余力があった。

 至近距離での密着状態だが、宗次朗には身体の能力を最大限に生かす技術がある。

 再び、柔らかい肩甲骨を動かして力を生む。これは古流武術にある身体操作術の応用だった。

 

「(これで吹き飛とばす――)」

 

 技術を駆使し、右京を吹き飛ばすべく身体を動かした。これで右京の体勢を大きくずらし、その隙を突いて仕とめる腹積もりだ。

 刀へと力が加わり、その衝撃を前方へ流れる。

 これでいける。宗次朗は確信するが、同時に斜め横から何かに押されるような感覚を味わい、体勢を崩して前方へ転倒する。

 勢いよく転がるも瞬時に受け身を取って立ち上がると、自分が競り合っていたところに右京が立っていた。間合い的には五メートルといったところ。

 宗次朗は唖然とする。

 

「今、何が……」

 

 彼の疑問に右京が答えた。

 

()()()()()を使って力の軌道を逸らしただけですよ」

 

「まさかアナタも……」

 

「古来の武術家は身体操作に長けていました。僕も警察官になるにあたって色々と参考にさせて頂きましたから。彼らほどとはいきませんが、そういった技術もそれなりに扱えます」

 

 天才は宗次朗だけではない。この男もまた天才なのだ。

 

「君の使える技なら僕も使えると思ってください」

 

「そりゃあ、すごいや……」

 

 もはや、同じ技は通用しない。八相の構えを止めた宗次朗は構えを正眼に戻し、呼吸を整えてから踏み込みと共に打ち込んだ。

 

「ハァァァ!!」

 

 右京は後方へと下がって刀を外させ、戻そうとした時に相手の刀を軽く弾き、相手の左手首に一撃を見舞った。

 

「グゥゥ――」

 

 刃ではないとはいえ当たるのは鋼。それもかなり硬い鋼だ。打ちどころが悪ければ骨折するぐらいのダメージがある。

 負けじと刀を振るうが右京は寸前のところで躱し、今度は右肘に降り下ろしから相手の側面に回ってポジションを入れ替える。

 今の攻防で宗次朗は「迂闊に踏み込めば倒される」と悟り、距離を取った。

 右京は追撃に移ることなく自然に構え、睨み合う最中に呼吸を整えながら体力の回復を図っている。

 体力を回復されたくないが、宗次朗も相手が自分と同じ技を持っていると知って攻めあぐねているようだ。

 一分程度の睨み合いが続くのだが、宗次朗はこれしかないと言わんばかりに再び示現流の構えを取った。

 技術で圧倒的に劣っている自分が右京に勝てるとしたら結局、力と体力で押し切るしかない。

 反撃されても致命傷に至らない。だったら全てを一撃に賭ける。

 相手よりも早く強く動き、命を捨ててでも敵を討つ。

 まさに示現流はこの少年の生き様を反映したかのような剣術だ。

 右京は改めて思う。

 

「やり方は褒められたものではありませんが、その執念だけは本物のようですね」

 

「そういってもらえると嬉しいですね。けどあまりモタつくわけにはいかないので――これで終わりにしましょう」

 

 全身全霊の一撃を見舞うため、ジリジリと距離を詰める彼に対して右京も秘策を見せた。

 

「ならば、僕も面白い物をお見せしましょう――」

 

 八相の構え。それも宗次朗と同じ位置で刀を構えた。そのフォームに宗次朗は目を見張る。

 

「その構えは……」

 

「示現流――君と同じ剣術です。これで一撃の破壊力は君にも劣らない。よい勝負になるでしょうね」

 

 向こうが一撃に賭けるならこちらも一撃に賭ける。右京はこの若者を同じ技を以て正面から打ち破るつもりでいる。その心意気に宗次朗は武者震いした。

 

「真っ向勝負ってことですか。ーーいいですねッ」

 

 力の勝負は宗次朗にとって願ってもない展開だ。如何にそこへ持ち込むかが勝負に思われたが、相手が受けて立つなら引く理由はない。そんな彼の気性が現れていた。

 互いに必殺の構えを以て、この戦いに終止符を打とうとしている。

 場の空気が緊張感を帯び、何者をも寄せつけない無音の世界を作り出した。

 宗次朗は徐々に距離を詰めていく。右京も相手を見据えながらジッとそのときを待つ。

 まるで蜻蛉を取るようなポーズだが、それが圧倒的な破壊力を生む。しかもぶつかるは神剣と妖刀。脳天に直撃すれば刃や背、関係なく即死だ。

 迷いを捨てた者しか極められない一撃必殺の剣。そのぶつかり合いとなれば迷いが勝負を分ける。

 

「(どのタイミングでくる……)」

 

 顔色を窺っても右京の顔はポーカーフェイスのまま固定されており、考えが読めない。

 宗次朗が攻撃側で右京が防御側の構図は変わらずだ。

 打って出なければ、やがて宗次朗は妖怪に囲まれてジリ貧になる。

 

「(って考えても仕方ないや――)」

 

 一呼吸して気持ちを引き締めた宗次朗は、無心で右京と対峙する。

 

「(覚悟を決めたようですねえ)」

 

 右京も彼の表情から意識を集中し出したと察して息を呑む。

 感覚を研ぎ澄ます最中、斜面側から足音が響く。尊だった。

 ふたりの姿を視認できていない彼は叫んだ。

 

「杉下さん、どこにいるんですか! もうすぐ霊夢さんたちが――」

 

 刹那――。

 

「勝負!!」

 

 宗次朗が脚に渾身の力を込めて弾けるように飛び出した。

 

「ハァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」

 

 それとほぼ同時に右京も全身の力を絞り出すように大地を蹴った。

 大きな衝撃音と共にふたりの刀が正面から衝突する。

 剣気がはじけ飛ぶが、その威力は互角だった。

 そのままの流れで激しい鍔迫り合いへと発展する。

 ここの押し合いを制した者が勝者だ。

 

「力なら俺のほうが!!」

 

 衝突の威力が弱まった瞬間、身体の力を集約する。さきほどの身体操作術を相手よりも早く使えば勝機はある。宗次朗は上半身を動かそうと僅かに反動をつけた。

 タイミング的にはドンピシャ。外すことなどありえないと思われたが。

 

「(君の技は予備動作がわかりやすくて助かります)」

 

 相手が反動をつけた瞬間、僅かに力が緩んだのだ。そこを狙って右京が全身の力を込めて宗次朗の刀を後方へ弾き飛ばすように強く押し出した。宗次朗と同じ技を使って。

 

「ぐぅぅ――」

 

 村正を持つ両手が大きくは弾け、両腕が頭の上まで跳ね上がる。

 

「(今だ!!)」

 

 右京はその勢いのまま草薙の剣を捨てて、自らの右手で宗次朗の右手首を取った。

 何が起こったのかわからない宗次朗は抵抗しようと身体に力を入れるが、体勢が崩れているため踏ん張りが効かない。そのまま左手で村正の柄を掴まれ、完全に固定された。

 

「まさかッ!」

 

 ようやく右京の狙いに気がついたのだが、その時点で自身の左踵付近まで右足を伸ばされていた。

 

「もう遅いーー」

 

 尻もちを突くように転ばされて、さかさず身体を地面と腹這いになるように強引に入れ替えられた。腕を取られているのでもはや抵抗もできず、そのまま村正を叩き落とされる。

 全てを悟った宗次朗は瞳を閉じて。

 

「……お見事、です」

 

 敗北を認めた。



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第140話 決着

「え、今の何!?」

 

 尊は名刀の激突によって数メートルほど吹き飛ばされるも、すぐに立ち上がり、草木を掻き分けて進んだ。

 そこには組み伏せられる狩野とそれを押さえる右京の姿があった。

 全てを理解した尊が言葉を発する。

 

「勝ったんですね」

 

「ええ。何とか」

 

 地面に転がる草薙の剣と村正を見やり「壮絶な戦いだったんだろうな」と尊が呟く。

 宗次朗は「ここまで強いなんて思いませんでしたよ」と悔しそうに語った。

 

「君も十分、強かったですよ。もう観念なさい」

 

「してますよ。とっくにね」

 

 それからまもなく霊夢と永琳の飲み薬で毒から回復した魔理沙が駆けつけた。

 現場を見るや否やふたりもまた尊と同じように驚いて見せた。けれど、犯人への怒りのほうが何倍も強く、すぐさま霊夢が組み伏せられている宗次朗の正面に立った。

 鬼のような形相だった。

 

「アナタは妖怪?」

 

「人間さ。妖怪になっていたらこの人に負けてないよ」

 

「それはわからないわね……。だけど人間だからってここまでのことをやったヤツに容赦はしない。きちんと白状してもらうわ」

 

「何を?」

 

「動機とか、黒幕の存在とか色々だぜ」

 

 隣にやってきた魔理沙が問うと宗次朗は素直に答えた。

 

「動機は幻想郷の破壊。それとこの土地を表の日本に還すことさ」

 

「なんですって!?」

 

「我が物顔している妖怪たちに一矢報いたかったのさ。そして奪われた土地を表に還したかった。そうすればひいおじいさんも日本へ帰れるからね。死ぬ間際に言っていたんだよ『やっぱり日本に帰りたいって』さ。叶えてあげたかったなー」

 

 その無神経かつ理解不能な発言に霊夢と魔理沙は激怒した。

 

「アンタ、何考えてんのよ!!!!」

 

「お前、本気で言ってんのか、そんなことを!!!!」

 

 まだ組み伏せられているだけで拘束されていない宗次朗に少女らが怒鳴り散らす。

 見かねた右京が「とりあえず、落ち着いて。どなたか拘束用のロープを持ってますか?」と話を逸らしたことで冷静さを取り戻した。

 数分後、早苗が到着し、彼女の持っていた縄で宗次朗を拘束。里まで徒歩で移送する。

 草薙の剣は右京が、村正も霊夢がお札を幾重にも巻いて妖力を無力化してから回収しており、妖刀は完全にその力を失った。

 宗次朗は尊と魔理沙に両腕を掴まれながら歩くも右京との激闘のせいか何度も転んでしまう。

 

「すみませんね。脚に力が入らなくて……。妖刀化した村正を使った反動ですかね……ハハッ」

 

 謝る彼の言葉を無視するように魔理沙が「いいから歩けッ」とグイグイ引っ張る。

 前方には霊夢、後方には疲労から肩で息を吐く右京とそれを心配する早苗がいる。

 もう逃げ場はどこにもない。それにも関わらず、宗次朗は笑っていた。

 

()()に勝ちたかったな。そうすれば記念になったかもしれないのに。ゴホゴホッ」

 

「記念だぁ? 寝言言っているんじゃねぇよ! テメェには色々と聞きたいことがあるんだよ!」

 

「さっき言ったことが全てだよ」

 

「嘘つくな。黒幕の正体、知ってんだろ? それを聞き出すまでは寝かせねぇからな!!」

 

「ハハ、黒幕なんていないよ」

 

「んわけあるか! テメェは黒幕からスマホと表の知識を貰ったんだろうが!?」

 

「ゲホゲホ、そうだなぁ……。ご飯食べたら思い出すかもしれないな」

 

 咳き込みながらふざける宗次朗に魔理沙が食ってかかる。

 

「つまらない冗談ばかり言いやがって!! ぶちのめすぞ、テメェ!!」

 

「やめろ、魔理沙。彼の言葉につき合うな」

 

「チッ――わかってるぜ!!」

 

「神戸さんは真面目だなぁ。ゲホッ」

 

「さっきから咳が多いな……」

 

 訝しむ尊に対して宗次朗は「た、単なる疲労です、よ……」と歯切れ悪く回答するが、彼の腕が徐々に震え始めてきた。

 足が動かないといい、咳といい。さっきからおかしい。不審に思った尊が宗次朗の顔色を確認すると顔面が青ざめ、唇が変色していた。

 驚いた尊が宗次朗の両肩を掴んだ。

 

「君、まさか何か飲んだのか!?」

 

「別に、飲んでなんかいません。ウグァッ――」

 

 喋っている最中に息苦しくなった彼はその場に倒れ込んだ。身体は痙攣を起こし、今にもどうにかなりそうな雰囲気だ。

 異変に気がついた右京や霊夢が慌てて駆け寄る。

 

「何があったのですか!?」

 

「わかりません、急に痙攣し始めて――俺、ちゃんとボディチェックしたはずなのに」

 

「フ、フフ……遅行性の、猛毒――らしいです。ようやく効いてきたようですね。ガハガハァ! ア――ア……」

 

「なんだと!? いつ飲んだ!!」

 

 魔理沙が問い質す。彼はか細い声で「杉下、さん――と戦う、直、前――さ……」と満足げに回答した。

 絶句する魔理沙の隣に割り込んだ右京が宗次朗に一喝する。

 

「君はなんてことをしたのですか!! これほどのことを仕出かしておいて罪を償わずに逝くつもりだったのですか!! 答えなさい!!」

 

「罪、は……地獄で……償うことに――なるで、しょうから。ハァ、ハァ、ハァ――ご心配なく――ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ!」

 

「おいおい、ヤバいんじゃないか!? 早く医者のところへ連れてこうぜ!! 死なれたら黒幕の正体が――」

 

「心配……しなくても()()()は――もう、外へ……出て、行ったさ――」

 

 朦朧とする意識の中で、宗次朗が小さく呟いた声を右京がその地獄耳で拾い上げる。

 

「どういうことですか!?」

 

 右京の問いに宗次朗が勝ち誇ったように――。

 

「幻……想郷は――いつ、の日か――必ず、崩、壊……する――罪は、必ず――裁かれ、る。その、日を、楽し、みに――していて、くだ――さい、ね……」

 

 と言ってから瞳を閉じた。

 

「宗次朗君!! 宗次朗君!! 起きなさい! 君は死んではいけない!! 宗次朗君――」

 

 いくら揺すっても返事はなく、彼がその後、目を覚ますことは二度となかった。

 

 

 俺は幻想郷の人里――外来人のいる家庭に生まれた。

 長男だが、母親が流産したので宗次朗と名づけられた。

 それもあってか俺は家族に可愛がられながら育った。勉強も運動もそつなくこなせたのも大きいだろう。

 特にひいおじいさんは「儂の家系によく似ている」と語ってはよく甘やかしてくれた。ボケ気味で同じことを何度も聞かれるのは面倒だったけど、悪い気はしなかった。

 小さいころから大抵のことは覚えられたし、何でもできた。誰もが俺のことを優等生と呼ぶ。

 年齢が近いとあって近所の人から「稗田家の婿にするならあの子がいいんじゃないか?」とまで囁かれることもあったが、家族は家督がいなくなるから駄目だと反対していた。

 当然だろうな。仮に逆玉の輿だとしても稗田家の公務は多忙を極める。一般人の俺なんかでは精神的に務めらない。俺は普通の生活を望んでいた。

 しかし、あるときを境に考え方が変わる。

 

 ――やめてくれぇぇ。俺は逃げた訳じゃないんだぁぁぁぁ。

 

 ひいおじいさんの痴呆が悪化したのだ。理由は母や父などが相次いで亡くなったことによる精神的負担だったと思われる。おじいさんが亡くなったときもそうだった。

 何で自分だけ生きているんだ。そう嘆いて苦しんでいた。俺は気になって何度か質問してみた。最初の内は怖い、怖いと言っていったが、「僕がひいじいちゃんを守るから」と告げたら、落ち着きを取り戻して話をしてくれた。

 内容は表の生活や戦争体験などが中心だった。辛い戦いで今でもその光景が目に焼きついて離れないのだと。可哀想だと同情した。

 剣術や武器の扱い方を聞いたのもその時期だ。狙撃銃が押し入れにあること、弾はしけらないように管理していることを話してもらった。

 俺が十一歳の時にひいおじちゃんはこの世を去った。最期の言葉は「一度でもいいから日本に帰りたかった」だった。後ろめたさと一度出たら幻想郷に戻れないという理由から何度も断念していたからね。

 里で生活していくにしても当時は理解のない連中が多くて病気などが流行る度に「アイツが持ち込んだに違いない」と白い目で見られることもしばしばで、狩り仲間以外とはあんまりつき合いがなかったのも、これが原因になっていると本人が語っていた。

 里も里って感じだったね。そんな里に少なからず不満があったのか独りになると「国から盗んだ土地に住んでいる癖に」「俺がどんな想いで戦ったのかも知らん癖に」と嘆くこともあった。

 それを聞いていたからだろうか「いつの日か俺がひいおじいちゃんに代わってヤツらに思い知らせてやる」という想いが心の片隅に芽生えた。

 そこから二年。霧雨の雑貨屋さんの娘が魔法に手を出して勘当されたと耳にした。

 最初は「馬鹿だな」と思っていたが、彼女はメキメキと実力をつけて妖怪たちと戦えるほどの戦闘力を有するまでになっていた。

 博麗の巫女と双璧を成す人外級の人間と認知されるころには彼女を馬鹿にする者はいなくなっていた。力ある者には黙ってしまうのが里人の特徴だ。

 しかし、彼女ができるなら自分にもできるんじゃないか? そう考えた俺はハンターとして下積みを積むべく幸之助さんのところに相談へ行った。

 最初は断られていたが「ひいおじいさんの技を残したい」と告げると無理をしないことを条件に同伴させてくれることになった。

 元々、寺子屋時代から剣道で身体を動かすことには慣れていたし、身体もそこそこ鍛えていた。おかげで大した苦労もなく助手をこなせた。

 狩りに出るようになると妖怪の出没地帯や時間帯などが把握できるようになり、妖怪が出にくい時間帯を狙って身体を鍛え、狩りの訓練を行った。

 仕事上必要な技術は幸之助さんや里の道場で磨き、ひいおじいさんから教わった技術は里周辺で試した。

 

 一年経つころにはそこらの里人よりも強くなり、二年経てば道場の師範の動きを見ても「たぶん、勝てる」と思える程度の実力は身についた。

 しかしながら、妖怪には勝てる気がしなかった。ごく稀に里中で人間や妖怪が空を舞って戦うことがあるのだが、その戦いを見た瞬間「正面からではまず勝てない」と痛感させられた。

 空も飛べない、掌から攻撃も出せない。お話にならなかった。どんなに頑張っても埋められない才能の差ってヤツに絶望した瞬間でもあった。

 コイツらに勝つためには自身が超常の力を手に入れるしかない。そう考えていたときだ。

 俺は破門された易者こと新井勝次の話を耳にした。話を聞きに行きたかったが、村八分寸前の男と仲よくしてたら怪しまれるので様子を探るだけにした。

 七瀬さんと仲がよいと知ったもそれからすぐだ。最後に見たのは新井さんから本を手渡されている光景だ。その後、新井さんは自殺した。

 ほどなくして七瀬さんも劇団を辞めたと聞いた。幸之助さんの自宅に近いのでたまに聞き耳を立てていた。話し声から妖怪の研究をしていると悟った俺は次に彼女をマークした。

 そこへ外来人、杉下右京がやってきた。

 敦さんが死亡した事件を杉下さんはスピード解決したのは有名な話だが、七瀬さんが何故、敦さんを殺したのか、その動機を知る者は少ない。

 そして、俺もその数少ない人物のひとりだ。何故ならその日、俺は幸之助さんの自宅を訪ねたからだ。

 幸之助さんたちが留守で暇してるとき、杉下さんが巫女と魔女を伴って七瀬の自宅へ向かっていくのが見えた。気になって少し離れたところから様子を探っていると七瀬さんが真相を話してから自殺した。正直、同情したよ。

 だけど、掲示板に貼られたのは動機は不明という内容だった。

 こうやって権力者に不都合な事実は隠ぺいされていくんだな。そう思うと腹が立ってきた。だが、俺にはどうにもできない。妖怪にも巫女にも魔女にも勝てない俺には里の中にしか居場所はないのだ。だから怒りを抑えて目を瞑った。

 

 奥村さんと田端さんが所属している秘密結社の話題も上がり始めたのもこのころだった。

 就任時はお遊びグループだったが、ふたりの力によってパワーアップしていたのは落ちこぼれの若い連中の間ではよく知られていた。

 どんなものかと探りを入れていると稗田の者と思われる間者を発見した。

 稗田さんって基本的に女性を使いたがるからすぐにわかるんだよね。稗田邸の女中って品がよいからさ。

 稗田に目をつけられたらもうお終い。秘密結社はこれまでだ。

 結局、里どころか幻想郷を変えられる者はいない。

 俺は諦めていつものように鈴奈庵で本を借りていた。

 そこにあの人が現れた。

 

 ――この()()()()()という作品はとても面白いですよ。

 

 頭皮こそ寂しいが、物腰が柔らかくそれでいて話が面白かった。

 特に進撃の巨人という作品には衝撃を覚えた。壁に囲まれた世界が舞台で巨人たちが侵入してきて主人公は家と母親を奪われる。身体を鍛えても圧倒的不利な状況には変わりなく、次々に仲間が死んでいくが、主人公も真の力を発揮して仲間たちと困難を乗り越える。

 ミステリーのように謎を解く要素もあれば、ハッとさせられる伏線も多い。

 あの人はそう言っていたっけな。

 

 用が済んだ俺はカウンター付近で「表の作品はいいなぁ」と呟いて外へ出て行った。構ってほしい訳ではなかったが、そう言わずにはいられなかった。

 少しして、路地で休んでいるところにあの人が訪ねてきた。

 最初は進撃の巨人の話だったが、徐々に身の上話になった。何故だかわからないが、俺はあの人に自分を知ってもらいたいと思い、家族の話した。するとあの人は。

 

 ――私は孤児院で生まれました。親も親戚もおらず食べる物すらなかった。辛い毎日をすごしましたが、現在はイギリスという国で暮らせています。あっちでも肌の色で差別されることが多かったので大変でした。まるで雑菌のように扱われたこともある。あの悲しみは忘れられません。ひいおじいさまも大層、苦労なされたでしょうね。

 

 と、自らのことのように憐れんでくれた。

 初めて心の底からひいおじいさんの境遇を理解してくれる人に会えたと思った。

 とても嬉しかった。こちらへやってきて間もない人間に俺は共感し、尊敬の念を抱いていた。

 涙腺が崩壊しかかっていた手前、そっけない態度になったが、もっと話したいと思った。

 だけど、あの人は帰ってしまった。抱きしめられたとき、何故だか死んだ母親を思い出した。

 父には抱きしめられた記憶はない。心がほっとした気がした。

 あの人は最後にお土産を残してくれた。

 その中にはスマホと携帯型バッテリー、高そうなノートとライターなるもの、それと携帯型の毒薬が入っていた。

 ノートの内容は本当に衝撃的だった。

 見出しはこのように始まった。

 

 ――もし君が幻想郷のあり方に耐えられないようであれば、このノートを参考にしてほしい。という物だ。

 

 中身はスマホの使い方から人の殺し方に幻想郷の一考察など、戦いに必要な様々なことが書かれた幻想郷破壊教本だった。

 さらにスマホの中にはプロパガンダのやり方や暴動の起こし方が記載されており、これを読めば権力者に一矢報いることができるほどの情報量だった。

 ノートの最後にはこうある。

 

 ――このノートをどう使うかは君次第です。捨ててもよいし、誰かにあげてもよい。全て君の自由です。私は君を縛らない。そして君を忘れない。またどこかでお会いましょうね。そのとき、お互いが笑顔であることを祈っています。

 

 普通に考えれば俺を利用したいだけだと思う。だけど、それでもよかった。ひとり身の俺には悲しむ家族はいない。死んでも迷惑をかけない。

 何もなせずに死んでいくよりはずっといい。この世界に風穴を開けてやる。

 

 そうやって俺は人間性を捨て去った。奥村さんや田端さんを脅すように説得し、稗田さんを狙って庇った杉下さんを撃ち、暴動を起こさせるために奥村さんを狙撃した。

 次の日に田端さんが大規模なテロを起こし、火口家の当主を殺害した。初めて作った爆弾の威力が高くて驚き、火口さんの顔が酷い有様だったから少し引いた。可哀想だから脳天を貫いてあの世に送ってあげた。

 その日の夜。俺は証拠が残っていないかチェックするために奥村のおばさんのところを訪れた。おばさんは俺の声を聞くと裏口の鍵を開けて中へ招いてくれた。

 息子が死んだショックを紛らわすように俺に料理を振る舞ってくれた。結社がウロウロしているので静かな食事だったが、美味しかった。

 でも同時に悲しかった。俺が殺したせいでこの人は辛い目に遭っている。責任を取ったほうがいいな。俺は疲れたおばさんの肩を揉むと言って背後を取って首をへし折った。

 ノートに書いてあったやり方を初めて実戦したもんだから若干、手こずったが、そこそこ上手くやれた気がした。バレてしまったけどね。

 後は首を吊ったように偽装してから奥村の部屋を探索――メモなどを押収して裏口から鍵をかけて出て行った。

 皮手袋をしていたからダンゴ虫に気がつかなかったな。てか、杉下さんってよくそんなところまで見ているよね。

 そんな感じでおばさんを殺害したけど特に罪悪感はなかった。奥村さんを殺した辺りからそこら辺の感情が薄れた。後は作業だなって思えたんだよね。不思議だ。

 

 そうなってからは里や田端さんの状況を観察していた。里中の爆薬や毒だけでは里の人間を殺すには足りないし、警備が想像以上に厳重だったからどうやってバレずに盗むかを考えていた。紙と睨めっこしながらいくつかの方法を思いついたころ、里は妖怪たちの手紙で大騒ぎとなっていた。

 レミリアと交渉することを決めた田端さんを見限った俺は幸之助さんのところを訪れた。

 もちろん実行犯になってもらうためだ。

 ふたりは俺を家族のように想ってくれたから胸が痛んたけど結局、毒を盛り、幸之助さんが厠へ立ったところで恵理子さんの首絞めて殺害し、幸之助さんが戻ってきたところを物陰から飛び出して腹を刺して殺害した。

 亜ヒ酸で弱っていたから殺すのは容易だった。

 しかし、思った以上に抵抗され、血が飛び散ってしまった。血痕をふき取り、押し入れに銃と弾を隠してトリックを施して去った

 。時間稼ぎにでもなればいいと思ったが、小説の見すぎだったね。名探偵の前にあっけなく撃沈さ。

 

 すぐに杉下さんは俺へと辿り着き、追い詰められたので大暴れして、最後は彼と一騎打ち。その果てに服毒死か……。虚しいな。目的を達成できず、終わっていくんだからね。

 だけど最期はなんか清々しかったんだよね。訳が分からないけど。総合的に見れば悔いはないかな……。

 ただ、一つだけ心残りなことがある。それは――。

 

 ――最期にもう一度、あの人に会いたかったなぁ。

 

 こうして狩野宗次朗は十五年でその生涯を閉じた。



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第141話 黒幕の正体

 里は混乱状態が続いていた。

 恐怖に怯える里人たちがあちらこちらで茫然と立ち尽くしている。

 大量のけが人が続出したが、治療にあたるのが幻想郷一番の名医であったために辛うじてけが人を捌けている。

 その間も阿求と慧音は混乱する里をまとめるべく奔走する。

 そこへ右京たちが戻り、犯人である宗次朗の死亡を報せた。

 ショックは大きかったが、とりあえずこれ以上の凶行を防げたという点を阿求は評価した。

 特命係は阿求の許可を経て宗次朗の家を捜索するも犯人に繋がる証拠は出てこなかった。

 おそらく本人が処分したのだろう。手がかりを求め、手の空いているメンバーと共に里中、あちこち探し回ったが、誰も情報を持っておらず、黒幕に続く道を失う。

 右京と尊は特命部屋に戻って話し合う。

 

「狩野君が犯人なのは間違いないってのに黒幕へ繋がる証拠が一切ない。ここまできて、まだ手詰まりかよッ!」

 

 尊が悔しさを滲ませながら語った。

 情報が詰まっているスマホは破損していて起動できず、メモなどの情報も残っていない。

 どうやって犯行を示唆したかもわからない。

 一つの真相に辿りつけば先へ繋がる手がかりを失う。今回の事件はこれの繰り返しだった。

 しかし右京は宗次朗からあるヒントを貰っていた。

 

「黒幕は()()です。そして()()にはいない」

 

「へ?」

 

 素っ頓狂な声を上げる尊に右京が説明する。

 

「宗次朗君は死の間際『あの人』『外に出た』と呟きました。捜索中、ずっと考えていましたが、あの人とは妖怪ではなく人間そのものを指す言葉。外に出たとは、幻想郷にはいないと考えられます。……黒幕はとっくに逃走していたのです」

 

「え、そんな。じゃあ、狩野君を泳がせる必要なんてなかったってことですか!?」

 

「そうなりますね。ここ最近、幻想郷から出て行った人間がいないか稗田さんに訊ねましょう」

 

 特命部屋に到着するもすぐに稗田邸へ引き返したふたりは忙しそうにする阿求を捕まえて「ここ最近、幻想郷の外に出た人間はいますか?」と訊ねた。

 彼女は少し間を置いてから「ええ、最近迷い込んだ外来人の方が博麗神社から出て行きましたが……」と語った。

 右京は目を見開きながら「その方の容姿やお名前は?」と質問する。

 

「えーと、私は直接、会ってはいないのですが、厚手のコートを着た紳士風の御仁だったと聞きました。小鈴と巨人と戦う漫画の話で盛り上がっていたとかなんとか。名前はジェームズ・アッパーさんだったかと思います」

 

「ジェームズ・アッパー。……海外の方でしょうか?」

 

「日本生まれだそうです。現在はイギリスで暮らしていて日本を訪問中に幻想郷へ迷い込んだそうです」

 

「彼はいつごろ、この里へ?」

 

「ちょうど杉下さんが冥界で修行しているときです。入れ違いになるようにアッパーさんが里にやってきて二日泊まったのち、博麗神社から外へお戻りになられました。あれ……? 霊夢から聞きませんでしたか? 私、あの娘に白玉楼にいる杉下さんに伝えるように頼んだのですけど……」

 

「僕は何も聞いてません。君はどうです?」

 

「いえ、ぼくも同じですけど……」

 

 聞き覚えのない話に戸惑う特命係に阿求は「まさかあの娘ッ――」霊夢が()()()()()のだと察した。右京が自身の立てた仮説を述べる。

 

「その人物が黒幕である可能性があります」

 

 阿求は大層、驚いた。

 

「は!? だって二日しか滞在しておられないのですよ!? あれほどの大規模な反乱。直接、手引きせずに起こせるわけがないじゃないですか!」

 

「里にはデモ起こせるだけの実力を兼ね備えた奥村や田端がいました。それに呑み込みのよい宗次朗君ならすぐに内容を把握できたかもしれません。外来人ならスマホを持ち込めます。そこに大量のデータを保存し、使い方を教えたメモなどを挟んで手渡せば誰でも反乱を起こせます。証拠となる情報が揃っているのですから。黒幕が幻想郷で直接、指示を出さなくても犯行は実行できます」

 

「まさか、そんな――」

 

 今まで黒幕がどこかに隠れて指示を出していると思っていたところがあった。だから犯人は幻想郷内部にいる。皆、心のどこかでその可能性を強く疑っていた。

 それが黒幕は最初の狙撃より前に外へ脱出していたと聞かされてしまえば動揺するのも当然だった。

 完全に盲点だったのである。

 

「その男は里で何かしていませんでしたか?」

 

「普通に観光していたそうです。特に怪しいことはなかったかと」

 

「先ほどの巨人と戦う漫画とおっしゃいましたが、そのタイトルは?」

 

「私は存じません。小鈴に訊けばわかるかと……」

 

「わかりました。鈴奈庵に向かいます。これで失礼します」

 

 挨拶を手短に済ませ、小鈴のいる鈴奈庵に向かう。

 店が休みのために自宅の玄関をノックして小鈴を呼び出し、事情を聞いた。

 右京がジェームズの話を出すと彼女は「あぁ、あの人ですね」と彼のことを覚えている様子だった。

 

「彼とはどのようなお話を?」

 

「表の漫画の話ですね」

 

「タイトルは?」

 

「えーと、進撃の巨人です」

 

「「進撃の巨人……」」

 

 進撃の巨人は表の日本で一大ブームを巻き起こした超大作ダークファンタジーである。

 少年エレン・イェーガーは仲間たちと巨人や蠢く勢力と自由を得るために戦い続ける。

 ここだけ聞くと普通の作品なのだが、想像を超える困難と謎が待ち受けており、老若男女の心を掴んでいる世界的人気作品だ。

 

「ジェームズさんはその作品についてなんと言ってましたか?」

 

「すごく面白い作品だと語っていました。巨人との戦いに、建物に鉄を打ち込んで縦横無尽に移動して弱点を狙うとか、主人公が巨人の力で戦うとか。終盤になると主人公は自らの巨人の力を覚醒させ、覆われた壁ごと破壊してその勢いのまま全ての敵勢力を駆逐。世界に平穏をもたらすんですよね?」

 

「僕は進撃の巨人を見たことがないので。なるほど、そういう内容だったのですか……」

 

 ふむふむ、と考え込む右京の隣で尊が「ん? そんな内容だったか? 俺の知っている内容と違うような……」と首を傾げた。

 相棒の態度が気になった右京は「君の知っている内容は?」と訊ねた。

 尊は2018年までの内容を手短に教えた。現在2019年前半。春が待ち遠しい季節だ。

 原作の内容とジェームズが話した内容は確かに食い違っていた。

 

「内容が違いますね。その方が未来人ならばともかく……」

 

「そこまでぶっ飛んだ人間ではないと信じたいですけどね。だけど、あの世界に平穏が訪れるのかな? 少なくとも俺にはそうは思えないけど……」

 

 内容は伏せるが期待を裏切らないストーリーとなっており、終盤はダーク感がより濃くなっている。しかしながら現時点ではそこまでの展開には至っていない。

 

「となれば嘘を教えたことになりますね。自分にとって都合のよいように」

 

 右京はジェームズが適当に話を作ってから言って回った可能性を考えた。

 単なる勘違いという線もあるが、今回の黒幕は狡猾である。

 彼は閉鎖社会でダークな作品に興味を示す者を見つけたかったのかもしれない。

 

「里で反乱を起こしたがる人間は大方、強い不満を抱いている。進撃の巨人はそんな者たちにとって非常に共感できる作品です。それをより誇張して聞かせる。工作員を探すために利用したと考えるのが妥当でしょうね」

 

 漫画やアニメなどがプロパガンダに用いられるのはよくある話だ。

 幻想郷でも同様のことが行われた、と右京は分析した。

 

「つまり、ジェームズ・アッパーは反乱を起こさせるべく幻想入りしたってことですよね?」

 

「僕はそう思っています」

 

「へ? どういうことですか!?」

 

 目を点にする小鈴に尊が静かに耳打ちする。

 

「君が話をしたジェームズ・アッパーさんは今回の事件の黒幕である可能性が高い」

 

「ええ!?」

 

「静かに。まだ調査中だからッ。誰にも言わないでね」

 

「あ……はい……」

 

 落ち込む小鈴に口止めしてから鈴奈庵を後にした。

 彼らが再び特命部屋に戻ると、霊夢と魔理沙が入口で待っていた。

 ふたりの雰囲気はどこかソワソワしており、どこか落ち着かない様子だった。

 右京の顔を見るなり、挨拶もなしに霊夢が詰め寄る。

 

「杉下さん、この前やってきた外来人が黒幕って本当なんですか!?」

 

「……僕はその可能性が高いと思っています」

 

 その一言で彼女は()()()()()ことを悟った。彼女が右京たちにジェームズのことを報告していれば結末は変わったかもしれない。

 少なくとも阿求を説得して宗次朗拘束に踏み切らせる材料にはなった。

 それが成功していれば凶行が起きることもなかったのだ。今更だが。

 自分が連絡を怠らなければ、未然に防げたかもしれない。

 あまりのショックで霊夢は気を失いそうになる。病み上がりの魔理沙が彼女の背後に回って支えたことで何とか立っていられるが、実際のところ魔理沙もジェームズの話を聞いていたので責任を感じていた。

 右京は首を振った。

 

「全ては僕の責任です。おふたりは気にしないでください」

 

 宗次朗をその気にさせてしまったのは自分だ。右京もまた責任を感じており、彼女たちを責める気はなかった。連絡を含めたチームワークの欠如。これが原因だった。

 荒れる里中で立ち話していても仕方ない。

 四人はボロボロの里で何かできることはないか探すべく共に大通りへ出た。

 時刻は十九時を過ぎ、すっかり暗くなった。

 普段なら団らんの時間だが、混乱する人里にはそんな余裕はない。

 あるところでは泣く者、あるところでは項垂れる者、あるところではガラス片だらけの自宅を力なく眺める者と絶望感が漂う。

 四人はため息を吐きながらその様子を観察していた。

 ところが、その前方には遠慮なくパシャパシャと写真を取っている少女の姿があった。

 

「なんか映画のワンシーンみたくなっているけど、どうしたのかなー?」

 

 まるで他人事のようにスマホで写真を撮りまくる少女。

 魔理沙は心当たりがあったのか「アイツ、また勝手に!!」と少女の目の前までダッシュで駆け寄った。

 

「おい、お前!! こんなときまで何やってんだよ!!」

 

「あ、魔理沙じゃん! 元気そうだね!」

 

「あぁん?」

 

 見れば変わった紫色の制服と魔術師のようなマントに黒色のシルクハットをかぶった眼鏡の少女だった。

 雰囲気からして現代的少女な印象を受ける。

 気になった右京が魔理沙の後を追ってふたりに近づく。

 その間も少女らは何やら言い争いをしており「スマホで撮影なんかしてんじゃねぇ! 見世物じゃないんだよ!!」「だって久しぶりに里の中に遊びに来たんだから――」「今がどんな状況かわかんねぇのか!!」といつ喧嘩になってもおかしくない様子だ。

 ふたりの間に割って入った右京が少女に名乗った。

 

「どうも初めまして。僕は杉下右京――表の日本で警察官をやっている者です」

 

「ええ!? 警察官!! 人里にそんな人いたの!? まだ補導される時間じゃないよね?」

 

 口ぶりからして表の日本人。それも学生に違いない。

 

「失礼ですがお名前は?」

 

「それって任意、ですよね?」

 

「……」

 

 右京が無言の圧力をかけ、魔理沙が八卦炉を取り出す。

 慌てた少女はすぐさま謝罪した。

 

「す、すみません! ちょっと言ってみたかっただけです。宇佐見菫子(うさみすみれこ)と言います。関東の高校に通う学生です。はい」

 

 宇佐見菫子。最近、幻想郷に遊びにくるようになったオカルト女子高生である。

 元々、超能力を身につけていた彼女は幻想郷の存在を知っていてちょっかいを出し、博麗大結界を破壊寸前まで追いやった。

 最後は表に出た霊夢たちによってコテンパンにされ、何とか許してもらい、友好的な関係を築けたが、その非常識さは相変わらずで、今のようなやり取りを日常的に行う。

 学校での成績は優秀だが、本質は問題児そのものである。

 

「普段は普通の高校生ですけど、ちょっとだけ超能力が使えるんです。だからここの妖怪たちと仲よくなってたまに遊びにくるんです。寝ている時だけしかこれませんけど」

 

「どういう意味です?」

 

「夢幻病の一種らしいです。睡眠中、意識だけが幻想郷へ入るんです。今だってそうです。詳しくは知りませんけど本当です、信じてください」

 

 隣の霊夢や魔理沙に訊ねると本当であることが判明する。

 話だけ聞けば悪人ではないと理解できた。

 右京は彼女が握るスマホを指さした。

 

「君はそのスマホで幻想郷の写真を取って回っているんですか?」

 

「はい。そうですけど……」

 

「ちょっと、写真のフォルダを見せてください」

 

「へぁ? うん、別にいいけですけどっ」

 

 初対面の人間にスマホなんか見せたくない。内心では嫌がるもこの状況ではどうしようもない。

 彼女はスマホのロックを解除してフォルダを公開した。

 

「ほうほう。色々ありますねえ。人里の人間から里外の景色まで」

 

「いけるところは行きましたね。冥界とは仙界はまだですけど」

 

「夜の画像が多いですね」

 

「そりゃあ、寝ている時しか幻想郷に入れないので。普段は学校だから」

 

「そうですか――ん? これは……」

 

 会話しながらスマホの画像を切り替えていると妖怪の姿をしたマミが映った画像や文が宴会しているときの映像が出てきた。それと霊夢や魔理沙が妖怪たち映った画像も。

 右京はふたりにこれらの画像を見せて「この写真、見覚えありますか?」と質問した。

 すると本人たちは大声で「アイツらがスマホで見せてきた写真だ!!」と叫ぶ。

 

「ん? どうこと?」

 

 事態を把握できない菫子は首を傾げている。

 そこに恐ろしい形相をした霊夢が胸蔵を思いっきり掴んだ。

 

「アンタ、この画像をどうした!!」

 

「どうしたって、何さーーー。この前、取った写真だよ!? 一緒にいたじゃん!」

 

「それはわかる!! アンターーまさか、この写真を使って反乱を煽ったの!? 説明しろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

「ちょ、ちょ、ちょ、待って、待って、待ってぇぇぇぇぇぇーーーーー。死ぬ、死ぬ、死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅ―-うぎゃあああああああーーーーーーーーーーーーーーーくぁwせdrftgyふじこlp!!!!」

 

「霊夢さん落ちついて!」

 

「おのれがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! 私がぁ、どれほど優しくしてやったと思ってんのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!! この恩知らず!!!!」

 

「待て待て!! そのままじゃ死んじまうっての!!」

 

 尊も加わって魔理沙とふたりがかりで霊夢を引き離した。興奮する霊夢に怯える菫子に右京が訊ねた。

 

「君はこの画像を使って里で反乱を起こしたのですか?」

 

「反乱!? そんなことするわけないじゃん!! 私はただSNS用の画像が欲しかっただけだよ!」

 

「アンタまだ、ふざけたことを――」

 

「SNS――今、そう言いましたね?」

 

 怒る霊夢を退け、右京が質問した。

 

「うん。いつも幻想郷の画像をSNSにアップしているんです。最初は皆『嘘つきだ』とか言ってきたけど、一か月くらい前に理解あるファンがついたんだよね。素敵な画像だから一杯、欲しいってコメントしてくれてさ。だから持っている画像と動画、全部アップしたんだ。ダメだったのかな……?」

 

「なるほど……」

 

 右京は菫子が利用されたのだと考えた。

 そして、彼女のデータを黒幕が回収して持ち込んだスマホに入れたと勘繰った。

 

「熱心はファンの方とはどのようなやり取りを?」

 

「やり取り? 普通に画像についてコメントがきたから幻想郷の話を教えただけだよ。最初はどうせ冷やかしかなって思ったんだけど、信じてくれて! 里のことや人間、妖怪の知ってること全部、喋ったんだよねー。他にも幻想郷の結界やその入り口についての考察や議論だったりさ! いやぁ、楽しかったなぁ~。ずっとやり取りしてたけど〝H_T〟さんって教養が豊だから、面白くってね!」

 

「杉下さん、それって――」

 

 彼女の証言を聞いて尊も察したようだ。

 右京がこの場の全員に伝えた。

 

「宇佐美さんは利用されただけでしょう。本当の黒幕はそのファンだと思われます」

 

「なんですってーー!?(なんだとーー!?)」

 

「黒幕ぅ……? 確かにあの人は黒幕っぽい名前だけど……」

 

 未だに流れが掴めない菫子はおどけて見せた。絶望的に空気が読めないようだ。

 少女たちの我慢が限界に近いが、尊が何とか押さえている。

 その隙に右京が訊いた。

 

「その熱心はファンのお名前は?」

 

「えーと『モリアーティの十字架@一番弟子のH_T』」

 

「「はぁ!?」」

 

 またふざけるのか。両名とも噴火寸前だが、右京が「ハンドルネームですね?」と続ける。

 菫子は頷いた。実名は知らない。ネットではよくある話だ。地域も非登録でわからないらしい。ただ海外にいると聞いたとのことだ。黒幕の情報と一致している。

 もっと情報を聞き出したかったが里人が奇異の目を向けてきたので一旦、菫子を特命部屋へ案内した。

 室内に座った菫子に一連の事件について教えると、さすがの彼女も事の重大さに気がつき、青ざめたように「その……ごめんさない」と謝罪した。

 利用されただけとあって怒るにも怒れない霊夢と魔理沙は大きなため息を吐くと共に額を押えた。

 尊がお茶を用意して場を和ませるために軽い雑談する傍ら、右京は阿求が言った名前と菫子が語った名前を思い出していた。

 

「(ジェームズ・アッパーにモリアーティの十字架@一番弟子のH_T)」

 

 ジェームズとモリアーティ。これを繋げるとジェームズ・モリアーティになる。ホームズの宿敵の名前だ。まさに黒幕を暗示するに相応しい名前である。しかし、右京は他の文字にも意味があると踏んでいた。

 

「(アッパー。十字架@一番弟子のH_T)」

 

 普通に考えれば意味不明の言葉だ。だが、ここにいるのは超がつくほどのホームズマニアだ。その意味にも当てがあった。

 

「(アッパー。色々な意味がありますが、シャーロック・ホームズシリーズから取ったと考えるとアッパーノーウッドのアッパーかもしれませんねえ)」

 

 シャーロック・ホームズシリーズの『四つの署名』でホームズとワトソンは依頼人のメアリ・モースタンと共に馬車でロンドン南部へ出向いている。行先はアッパー・ノーウッドである。当時のロンドン南部ではアッパーを南部と示す。つまりは南だ。

 

「(十字架@一番弟子H_T。イニシャルでしょうか? 妙ですねえ。作中でモリアーティ教授には弟子はいないはずです。出てきたのは部下の三人のみ。ポーロックにセバスチャン・モラン大佐、フォン・ヘルダー。いずれもイニシャルはHTではない。HTなどという人物は存在しない……)」

 

 モリアーティには弟子もいないし、HTなる人物もいない。

 十字架も意味不明だ。

 

「(十字架@一番弟子。弟子は存在しない。存在しない弟子。存在しない。十字架。存在しない弟子。十字架――存在しない十字架……。存在しない十字架?)」

 

 言葉遊びのように文字を組み替えて脳内に浮かべてみた。

 そうすると存在しない十字架という言葉が出てきた。

 そんなワード。ホームズシリーズにあっただろうか? 悩む右京だが、何を思ったのか、指で十字架を作ってみた。

 

「(サインに見えなくない……)」

 

 四つの署名繋がりか?

 それもしっくりこない。ならば、数字か? それとも文字か?

 

「(存在しない数字。存在しない文字。存在しない十――ん? 存在しない十……まさか――)」

 

 日本には幽霊文字という実在しない呼び方が存在する。十にも幽霊文字があり、その呼び方は()()()となる。ここまでくれば答えは出たも同然だ。

 

「(南、つなし――ならば、H_Tは……記号ハッシュタグの略。だとするならば漢字に直すと――井になる。なんということですか……)」

 

 ハッシュタグを記号に直すと#になり、漢字として見ると井戸の井に見えなくもない。

 それを繋げて並べ替えると。

 

「(南井十(みないつなし)……間違いない――)」

 

 浮かび上がった名前はかつてロンドンからの客人であり、右京を以てしても逮捕できなかった、元ロンドンの腕利き刑事であり、自らの()()()だった。

 南井もまた類い稀なる才能を持っており、その能力は右京にも引けを取らない。

 

「(彼ならば僕と同じ結論にたどり着けるはず――)」

 

 彼はいつからか犯罪者を憎むようになり、犯罪者を使って犯罪者を私的に制裁する私刑執行人と成り果ててしまった。

 南井は犯罪者の心の隙間に入り込むことに長けている。

 会ったばかりの人間を唆すことも容易く、短期間で自らの手駒にできる心理学的テクニックを持っている。彼はその力を利用していくつもの犯行を犯罪者に行わせ、最後は毒で自殺させるという手法を好んで使っている。まさに現代のモリアーティだった。

 そんな彼が幻想郷の情報を掴めば、その破壊を企んでも不思議ではない。

 犯罪に対して強い憎しみが犯罪者を使って罪を償わせた上で死なせるという歪な正義へと繋がっているのだから。

 狩野宗次朗の最期はまさに南井十の思い描くものだった。

 もはや疑う余地はなかった。

 

「(また、あなたを逮捕する理由が増えましたね、南井十。今度あったらーー必ず、捕まえて見せる)」

 

 右京はロンドンの元相棒に激しい憤りを覚え、その逮捕を心に誓った。

 

 

 そのころ、ロンドン。

 数日前に帰宅した南井十が自宅の書斎で紅茶を片手に寛いでた。

 

「今回の日本旅行も楽しかったな。右京に会えなかったのは残念だったが」

 

 堀の深い顔だが、滲むような品のよさがある。一見、紳士的な人物に見えるが、その裏側にはとてつもない顔を持っている。それが南井十という男だ。

 

「さて、彼は上手くやってくれたかな。それとも行動を起こさなかったのか? ま、どちらでもいいのだがね」

 

 彼にとって今回の幻想郷訪問は様子見程度でしかなかったのだろう。

 反乱の成否などどうでもいいと言った感じだ。

 

「あの少年の目はよい目だった。飢えている目だ。かつての私と同じで。だからついつい肩入れしてしまった。本当はもう少し滞在する予定だったが。あまり感情に流されないようにしないとな」

 

 同族を見分けることに長けている彼は宗次朗の内側の狂気にも気がついていた。

 それを憐みという餌で唆しただけ。

 工作員などこの男にかかればいつでも量産できる。

 南井十は右手で頭を押え、唸り声をあげてから空に向かって語りかける。

 

「右京。今度こそーー私たちの勝負にケリをつけよう!」

 

 モリアーティは無邪気に笑い、きたるべき杉下右京との決戦を待ち望むのであった。



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第142話 幻想のボーダーライン2

 特命部屋で菫子と会話した右京は彼女を阿求のところを連れて行き、自らの推理を聞かせた。

 南井十という名前は憶測に過ぎず、口に出さなかったが『ジェームズ・アッパーが黒幕だ』と伝えた。

 外へ逃げた犯人をどうやって追うのか。誰もが頭を悩ませた。

 そこで右京が「僕たちが表に戻って犯人を見つけ出します」と発言し、有志たちを驚かせる。

 しかし現状、それ以外の方法はない。阿求は少し考えてから右京に犯人捜索の依頼を出した。

 右京はその依頼を了承し、事件の捜査は一旦ストップとなった。

 軽い食事を取ったのち、少女たち三人は稗田邸、右京たち特命係は特命部屋で休息を取る。

 道中、右京は尊に「犯人の正体は僕たちで突きとめる」と断固たる決意を表明する。

 尊も「ぼくも可能な限り協力します。ここまでやられて黙ってられませんから」と警備局のツテを使ってでも犯人を捜し出すつもりだった。

 

「頼りにしています」

 

 右京は微笑んだ。これほど部下が頼もしく見えた日はなかったからだ。

 特命部屋の戸を開け、靴を脱いで蝋燭をつける。

 いつも通りの座卓がポツンとあるだけの空間のはずだった。

 そこにあるはずのない()()を確認するまでは。

 

「あなたは――」

 

 光に照らされるのは長いウェーブのかかった金髪と同色の双眸を持つ少女だった。

 白と紫の和服と中華服の中間のような服装をしていて、お洒落なナイトキャップを被っている。

 右京は目を見張った。

 

「お帰りになられていたのですね……」

 

 薄暗い闇の中から出てきた少女は、扇子で口元を隠しながら不気味に話しかけてきた。

 

「初めまして八雲紫(やくもゆかり)と申します」

 

「え!? まさか――」

 

 相方の尊はたじろいだ。それもそうだ。結界の製作者である幻想賢者のお出ましなのだから。

 反対に右京は物怖じせずに名乗り返す。

 

「こちらこそお初にお目にかかります。杉下右京です。こっちは神戸尊。僕の相棒です」

 

「幽々子から聞いております」

 

「あ、あの……どうもです」

 

 毒蛇のような碧眼に押され気味になりながらも踏ん張る尊を紫がクスクスと笑った。

 

「お話よろしくて?」

 

「ちょうど僕もお話ししたいと思っておりました」

 

 三人は座卓に座って本格的な会話をスタートさせる。

 

「どのようなご用件でしょうか?」

 

「今回の結社騒動についてお聞かせ願えませんこと?」

 

「わかりました」

 

 右京は一時間ほど今回の事件の説明を行った。

 撃たれたときから宗次朗との決闘まで詳しく伝えると、彼女はうんうん、と相槌を打ちながら聞き入る素振りを見せていた。

 話が終わると同時に彼女はパチパチと拍手を送った。

 

「こちらへやってきて一か月も経たずにここまで捜査ができるなんてすばらしい手腕ですわね」

 

「いえ、結局、犯人たちに自殺を許してしまいました……」

 

「確かに。それは頂けませんわねぇ。里も大分、被害を被ってしまった。修復には時間が必要ですね。どれくらいの費用がかかるのやら」

 

 里の当事者たちが言いづらいことをペラペラと語ってしまう八雲紫。今まで相手とは根本的に違う。ふたりはそのように感じた。

 

「あら? お気を悪くしないでくださいね。別に責めているわけではないのですから」

 

 彼女は軽く笑ってみせた。右京にはそれがとても胡散臭く見えた。

 

「これからどうなさるおつもり?」

 

「表へ戻り、犯人を見つけて問いただします」

 

「捕まえるのではなくて?」

 

「捕まえようにも当てはまる罪状がありません」

 

「罪状、ですか……」

 

「ええ、幻想郷という空間は表の世界に認知されていませんから。逮捕状が取れません。僕たちは警察官です。私的逮捕はできません」

 

「逮捕できない、と……。それは困りましたわね~。これほどのことを仕でかした犯人が表へ逃げただけで無罪放免とは。ーーいっそこっちへ連れ戻すというのは如何です?」

 

 紫の打診に右京が反応する。

 

「連れ戻してどうするおつもりですか?」

 

「相応しい罰を与えるのです」

 

「その罰をお決めになるのは?」

 

「私ではダメですか?」

 

「内容は?」

 

「秘密ですわ♪」

 

 また少女のように笑った。

 死刑にでも処すつもりだ。殺気を感じ取った尊の身の毛がよだつ。

 

「あなたの中には犯人の処遇を里の方々に決めてもらうお考えはないのですか?」

 

「里の方々? 里の人間ってこと?」

 

「そうです。被害を受けたのは里の方々なのですから、その処遇も彼らが決めるべきかと」

 

「ふむふむ。そうですか――」

 

 右京と紫。ふたりの中ではある種の駆け引きが始まっていた。

 何を言わんとしているのか、尊は考えが及ばなかったが、見えない威圧のようなものがあった。

 

「ここの方々はそういうのは苦手よ? 稗田家の指示を聞いて生きてきたのだから。自分で何か考えて行動しない。結局、最後は稗田家任せ」

 

「長年、そうやってきたのでしょうからねえ。無理もない」

 

「集落らしさがあって私は好きよ。あなたはご不満?」

 

「ここまで人口が密集していますので、集落で区切るのはどうかと」

 

「千人程度なのだからそれでいいと思いますけどね」

 

「それほどの人数が伸び伸びと暮らすには少々、狭いと思います。里の外の環境もあって遊び盛りの若者には閉塞感が芽生えてしまう。抑圧されて生まれた不満が今回の事件に影響を及ぼしているのは間違いありません」

 

「だったら、里を広くしたほうがいいかしら? 少しくらいなら拡張してもいいわね」

 

「それがよいかと」

 

「遊具を増やしたほうがよいのかしら? アスレチックとか滑り台とかシーソーとか」

 

 子供の遊び場かよ。そういう問題じゃないだろ。尊は内心で腹を立てた。

 

「それよりも他に作ったほうがよいものがあります。場合によってはスペースを拡張するよりも大事なものが」

 

「それは?」

 

「法律です」

 

「へぇー、法律ですか」

 

 若干、目を細めた紫が右京の瞳を覗いた。

 

「どのような法律です?」

 

「生活に必要な規則から罪人の扱い。一般人も権力者も平等に扱い、公平な情報開示を行わせる規則など、どこにでもある法律でしょうか。人里には法律がないそうですから、この機会に是非と思いましてね」

 

 公平な情報開示。その言葉に紫がクスクスと笑みを浮かべた。

 

「以前、稗田家当主からそのような話があったと聞いております。ですけど法整備なんて形だけで大した意味を持たないかと」

 

「何故でしょう? きちんとした整備は必要だと思いますがねえ。ルールの明確化は人々の意識に変化をもたらします」

 

「変化は必ずしもよい結果を生むとは限らない。このままでよいのです。今までのような集落の延長で」

 

 目の前の女は聞く耳を持たない。眼鏡の奥を光らせた和製ホームズが発言をオブラートに包むのを止めた。

 

「そこまでして里の方々に余計な知恵を与えたくないのですねえ。あなたは」

 

「どういう意味です?」

 

「反乱防止のため『人間の管理に不都合な材料は与えない』ということですよ。妖怪の存続に必要な怖れを安定的に得るために」

 

「……」

 

 右京はスキマ妖怪の前で堂々と言い切った。紫がたちまち笑顔を作るのを止めた。

 なんてことを言ってんだよ。神にも匹敵する力を持った妖怪への攻めた発言に尊は上司の正気を疑うが、当の本人はお構いなく続ける。

 

「里は妖怪たちに囲まれるように建てられています。昔、妖怪を狩る者たちが獲物を求め、この地にいついた。人里周辺は豊富な水源がありますからこれ以上ない立地です。彼らはこの地に住み付き、妖怪たちを狩りながら生活を続けました。結界が張られていない当初は狩った妖怪を解体して販売と加工。ほかの集落から討伐の依頼を受けて生計を立てていたと思われます」

 

「そんな時期もあったような気がしますね」

 

「しかし明治時代。博麗大結界を張って以降、人里周辺は現在の幻想郷となり、外界から姿を消した。内部に残った人々は外と繋がる手段を失うも日本の近代化や徴兵から逃れ、今まで暮らしてきた」

 

 彼の発言に紫が待ったをかける。

 

「まるでここが昔は()()()()()だった。と、言っているように聞こえるのですけど?」

 

 右京が答える。

 

「ここまで明治時代の日本を残し、公用語が日本語かつ住民の身体的特徴も日本人と一致している。日本以外のどこの地域なのでしょう? つまり、この隠れ里は日本の中あるいはその周辺に存在した。そう表現しても間違いではないと、僕は思っています」

 

 その主張に紫が言い返す。

 

「ならば、ここがかつて日本国の一部であったという証拠はおありになって? 表の日本には幻想郷について書かれた文献でもあるのかしら?」

 

「存じ上げません。ですが、調べれば何かしらの証拠は出てくるかと――」

 

「――でしたら、それはその証拠が出てきたとき、改めて話し合いましょう。それまでは保留でよろしくて?」

 

 証拠がない話にはつき合わない。紫はそういった態度を明らかにした。内容からしてこの件は領土問題である。狡猾な彼女は不用意に口を滑らせるような真似はしない。

 今までの相手は話し合いの余地があったが、スキマ妖怪ともなると外交的駆け引きを理解している。証拠がないなら黙っていろ。これが返答だ。

 

「続きをどうぞ」

 

 促された右京が話を続ける。

 

「残った彼らの子孫は結界が張られた当時とあまり変わらない生活を送っている。近代化しなかったのですから当然です。ですが、妖怪たちは違った。紅魔館や妖怪の山のような勢力は表と繋がる独自のルートを構築。物資輸入や技術の導入を行っている」

 

 右京は紅魔館と妖怪の山が外との独自ルートを持っていると睨んでおり、賢者である紫に直接ぶつけてみた。彼女は空間から扇子で取り出して口元を覆った。

 

「私は聞いたことですけどね」

 

「紅魔館には里では手に入らない食器やアンティーク、食糧が、妖怪の山には表のカメラを修理できる技術力がある。これは八雲さんも知っておられるはずです」

 

「知ってはいますが、外と繋がっているかどうかまではわかりません」

 

「チェックしたりなさらない?」

 

「妖怪たちの自由ですから。何か問題が起きればその時、対処します」

 

 人間と同族への対応の差があまりに異なる。不快感を覚えた右京がその点を指摘する。

 

「妖怪の方々にはずいぶん寛容なのですねえ。人間への冷遇が嘘のように」

 

「あら~? 私は寛容ですわよ? 今回の事件だって力で弾圧せずに静観していたのですから」

 

「ほう……。それはどうして?」

 

「里人の自由を尊重したのです。まぁ、結果はこのザマでしたけどね。今後はこういったことが二度と起こらないように皆で頑張っていかねばなりませんね」

 

「どのように頑張るのですか?」

 

「あなたには関係ありませんわ。部外者なのですから」

 

 冷たく突き放されるが右京は怯まない。

 

「僕は部外者かもしれませんが、里には表の日本人が住んでいます。警察官として彼らの安全が気がかりなのですよ。あなたの気を損ねたら妖怪の養分にされてしまうのではないかと」

 

 最強クラスの妖怪へ喧嘩を売る続けるも、彼女の表情は涼しげだ。。

 

「養分? 里にいる限り妖怪に食べられはしません」

 

「そういう意味ではありません」

 

「ならどういった意味?」

 

「あなたの機嫌を損ねて人食い妖怪の餌にならないか心配。ということです。表の人間は少なからず食糧になっているでしょうからね」

 

「へぇー」

 

 怖いもの知らずの右京がとんでもないことを言い出したせいで、再び場が凍りつく。

 右京と紫はしばらく睨み合いを続けながら互いの出方を窺っており、両者の間で見えない火花がバチバチと飛び散る。そんな光景に尊が心底、震え出した。

 

「どうして表の人間が妖怪の餌食になっていると思われるのですか?」

 

「僕は幻想入りした際、無数のネズミ、虫、鳥に囲まれ、食べられそうになりました。幻想郷にはそれらを使役する妖怪がいます。彼らが僕を捕食すべく部下を嗾けたとしても不思議ではない。他の表の方々にもお聞きしましたが皆、沢山の妖怪に襲われています。妖怪は人間の怖れを食べますが、人間自体を捕食する妖怪もいます。これは幻想縁起でも書かれていましたし、霊夢さんもいると仰っていました。

 人食い妖怪は人間を食べないと生きていけません。幻想郷にいる人間は里に集中しており、用がない以上、外には出ません。里の中の人間には妖怪が手を出せないルールとなっている。では人を食う妖怪はどうやって飢えをしのいでいるのでしょうか。答えは一つしかありません。外から迷い込んだ外来人を捕食しているのです」

 

 カバンから右京がビニール袋に入った骨を取りだしてみせた。

 

「無縁塚にていくつかの人骨と思わしき骨を拾って行きました。人型妖怪の可能性もありますが、これを鑑定して、もしも表で失踪した方々の骨だと判明したら、決定的な証拠になります。先程のように曖昧にはできませんよ?」

 

 問い詰められた彼女はワザとらしい手つき人差し指を下唇に添えた。

 

「まぁ、こちらへ迷い込んで亡くなってしまうケースはあるでしょうけど。それって我々の責任なのでしょうか? 勝手にやってきて勝手に食べられてしまうのですから。弱い者は強い者の糧となる。自然の摂理ですわ」

 

 悪びれる様子は一切ない。彼女の図太さにはさすがの右京も手を焼く。

 

「西行寺さんもそう仰っていましたねぇ。しかし、僕はどうにも納得がいかない。迷い込んだ方々は皆、強い悩みを抱えていました。行方不明になってもおかしくないほどの」

 

「それが何か?」

 

「あなた……そういった方々を選んで表からこちらへ連れ込んでいませんか?」

 

「フフ、そんなことしてませんわ。もしも強い悩みを抱えた人物を選んで連れ込んでいるのならあなたやそこの方はここへやってこないでしょ?」

 

「た、確かに……」と尊が呟いた。

 

「ほーら、相方さんもそう言っているんです。職業柄とはいえ、疑いすぎるのはよくないですよ?」

 

「……」

 

 幻想郷にやってきて以降、右京は幻想郷の猛者たちと互角の舌戦を演じることはあってもここまで押されることはなかった。

 証拠がない。自然の摂理。これらのワードで相手を押し退ける八雲紫には議論の余地がない。

 この女は真実を教えることもボロを出すこともないだろう。

 右京はため息を吐いたのち、カバンの中にあった手紙を取り出した。

 

「わかりました。では続きは証拠を掴んでからにしましょう。ついでで申し訳ないのですが、こちらの手紙に見覚えはありますか?」

 

 紫は差し出された手紙を手に取って目を通す。すると目元がピクりと動く。

 何か心当たりがあるに違いない。右京は彼女が喋るのをジッと待った。

 少しして彼女が一言。

 

「この筆跡――見覚えがありますわね」

 

「どなたの書いた手紙でしょうか?」

 

「……教えてもよいですけど、その前に一つ条件があります」

 

「なんですか?」

 

 一呼吸置いてから紫が言った。

 

「アナターー妖怪になる気はない?」

 

 いきなりの質問に右京は戸惑った。

 

「妖怪、ですか……」

 

「であれば教えて差しあげてもいいわよ?」

 

「何故、僕を妖怪にしようとお考えに?」

 

「さぁ、何故かしら? 気まぐれかしらね。けれど、妖怪になれば我々の仲間になれます。アナタの知りたい()()()()()()も知れるかもしれない。なんでしたら、先ほどの質問に答えてあげてもいいですよ。どうかしら? せっかくですし、そちらの方もなりたいのであれば申してくださいな」

 

 そうやって彼女は手を差出して右京に握手を求めた。

 

「「……」」

 

 幻想郷の真実が知りたいのなら仲間になれ。紫はそのように持ちかけてきた。彼女に実行できないことはない。デタラメな能力を持った何でもアリの妖怪。彼女が認めれば博麗の巫女はもちろん、妖怪やそこらの神とて文句は言えない。

 それこそが幻想賢者の特権なのだ。

 右京は尊の顔を見やってフフッと不敵に笑い、尊は一瞬、視線を逸らすもコクンコクンと頷いた。

 このコンビの間に言葉は不要だ。

 

「僕は人間であることに誇りを持っていますので、お断りします」

 

「同じく。妖怪には興味ありません」

 

 超常の力を得られるチャンスを捨て、彼らは非力な人間を選んだ。

 紫はその手を戻し、呆れたように語った。

 

「人間あることに誇りを持つ、ですか。そんなことを堂々と発言する人間なんて今まで見たことありませんわ」

 

 肩を竦めて両目を瞑り、ため息を吐く。ほんの少しだけ残念そうにしていた。

 気を取り直した紫が今後について再度、質問する。

 

「改めてお聞きします。これからどうなさるおつもり?」

 

「表に逃げた犯人を追います」

 

「お仕事はいいの? いくら特命係が窓際の部署だからってやりすぎると懲戒処分でしょ?」

 

「おや、僕が特命係とご存じでしたか」

 

「ええ、ついでにその経歴もね」

 

 何もにない空間から黒い目玉が集まった世界が現れ、いくつもの分厚いファイルに収まった大量の資料が座卓の上に並べられた。

 尊が首を傾げるが、右京はそのファイルに見た覚えがあった。

 

「警視庁の人間が作った特命係の調査資料です。前にその存在を甲斐さんからこっそり教えて頂きましたが。まさかここまでの資料が揃っているとは」

 

「うわ、俺が在籍していた時の事件も載っているよ……」

 

 神経質かつ特命に恨みを持つ青木年男が恩人のお偉いさんのために書いているが故、いらないことまで事細かに記載されていた。さしずめ、特命係完全解説本と言える。

 本来、警視庁の資料室で厳重に管理される代物である。

 

「この資料、どこから手に入れたのですか?」

 

「警視庁の資料室からよ。普通に入って借りてきたわ」

 

「いやいや、あそこセキュリティー厳重ですよ。監視カメラとかありますよね!?」と尊が突っ込むも。紫は「そんなもの私には意味を成しません」ときっぱり言い切る。

 右京はすかさず「パスポートはお持ちで?」と訊ねるが「お答えする必要はありませんわ♪」と突っぱねられる。

 

「大丈夫。これらの資料は後で返却しておきます」

 

 資料に手を翳し、机を占有していたファイルを目の前から一瞬で消し去った。

 これは手品ではなく現実だ。ふたりは彼女の能力が表の世界でも通用することを知り、より警戒を強めた。

 会話が途切れ、退屈になった紫が感想を述べた。

 

「杉下さんってかなりの事件を解決されてますよね? びっくりしました。一部では和製シャーロック・ホームズなんて呼ばれているとか」

 

「昔の話ですよ」

 

「話してみて改め思いますけど、あなたってホームズそっくりですよね? 興味を持った事件なら好き勝手に首を突っ込むところも、屁理屈が上手いところも、そして意外と()()()()ところも。だからアナタはホームズですよ。私の中ではね」

 

 遠回しだが強めの毒を吐かれた右京は「あなたこそ、証拠を残さずに完全犯罪をやってのけるジェームズ・モリアーティそのものです」と言い返す。

 すると当の本人は「お褒めに預かり光栄ですわ♪」と喜んでみせた。人里で起こった悲劇を無視するかのように。その態度にカチンときた右京が食ってかかる。

 

「あなたは人間や妖怪が一丸となっている最中、静観を決め込んだと仰った。その行動は果たして適切なものだったのでしょうか?」

 

「たまには皆の自主性を信じることも必要ですわ」

 

「幻想郷の根幹を揺るがしかねない事件だったように思われますが」

 

 妖怪たちはかなり動揺していたように思われた。大事だったことは間違いないのだ。

 紫は余裕の笑みを浮かべる。

 

「別に大したことはありません。少しばかり人が減っても、幻想郷はビクともしません」

 

「怖れが妖怪へ流れづらくなっても?」

 

 怖れを糧にする妖怪はそれ自体が栄養源であり、それを得られなくなるのは死活問題のはずだ。そういう妖怪も多い故、人間の感情の行く先は重要である。

 

「何故、流れづらくなるのです?」

 

「妖怪に対する怖れより同族に対する怖れのほうが勝れば、必然的に感情はそちらへ傾く。僕はそう考えています。ですから、そうならないような過剰な情報統制を敷いているのでは?」

 

 あくまで考察段階の話だが、右京は自身が抱く疑問をぶつけずにはいられなかった。

 しかし、本人の涼しげな顔は崩せない。

 

「ほー。それはそれは興味深い。中々、面白い仮説ですね」

 

「お答えしては頂けませんか?」

 

「んー。――ノーコメントかしら」

 

「ノーコメント。察するに近からず、遠からず……でしょうか?」

 

「ノーコメント」

 

 あげく、しらばっくれた。

 さすがの右京もお手上げである。

 

「わかりました」

 

 そう返事してから続けて彼女の側に置かれている手紙を返すように催促する。

 

「その手紙、拾った女性からお借りしたものですので、お返し願えませんか」

 

「ふーん。そう……」

 

 紫は再度、手紙を見やってから手に取り、自身の操る空間の中へ落として返却を拒んだ。

 その光景を見た尊が「いやいや、それ警視庁の預かり品ですけど!?」と声を荒げるも紫は「そんな品、私は存じませんけど?」と嗤ってみせた。スキマ妖怪の本性を垣間見た瞬間だった。

 右京が言った。

 

「不都合な情報は力ずくで握りつぶす。それがアナタのやり方ですか?」

 

「手紙なんて最初からなかった。それだけではなくって?」

 

「いや、それはないでしょ――」

 

 横暴なやり口に尊も食ってかかろうとするが。

 

「私は手紙なんて見ていないし、触ってもいない。その記憶もない」

 

「はぁ!?」と尊が声を荒げる。

 

「そういうことにしてくださいな。その代わり、今回の失態は水に流して差し上げますから。本当は少々、痛い目に遭って貰おうかと思っていたのですよ?」

 

 クスクス。彼女は扇子をパタパタと扇ぎ、目を鋭く尖らせた。

 瞬間、刃物のような殺気が尊の身体を切りつけて尻もちを突かせる。

 右京はただ真っ直ぐに彼女を凝視していた。

 

「確かに今回の失態は僕の責任です。が、何度も言いますが、静観していただけのアナタにも責任がある。僕はそう思います。アナタに少しでも力を貸す姿勢があれば結果は変わったかもしれません」

 

「私に責任を擦りつけるのは止めて頂けないかしら?」

 

「幻想賢者としての責任がないと?」

 

「皆の自主性に任せたと言いましたわよね? 次からは気をつけます。それでいいでしょ」

 

「具体的にどう気をつけるのですか? 参考までにお教えください」

 

「部外者に教えることはございませんわ。妖怪になられるのであれば別ですけど?」

 

「妖怪になってしまえば、幻想郷から出るのが難しくなる。それどころが表での生活すらままならない。そうなれば、必然的に幻想郷に住むほかなくなる。それが狙いですね? 都合よく人材を確保するための」

 

「さぁ、どうかしら? 別の意味があったり、なかったり」

 

「それは?」

 

「ノーコメント」

 

 どこまでも紫は答えようとしなかった。右京は業腹っといった感じで黙ってしまう。反対に紫はそんな彼の様子を楽しそうに眺めていた。

 数分後、紫が扇子をしまい、

 

「もう満足しました。そろそろ終わりにしましょうか」

 

 スッと立ち上がってから右京たちに向かって右手を翳した。

 同時にふたりの座る場所が黒く染まり、まるで底なし沼にハマったように動けなくなった。

 

「これは一体!?」

 

 驚く右京に紫が強めの口調で言い放った。

 

「元の世界へお帰りください。アナタたちはここに居ていい人間ではない」

 

「す、杉下、さん――」

 

 底なし沼に尊が巻き込まれて消えて行った。ジリジリと飲まれて行く右京が最後にこう言い残す。

 

「今回は僕の負けです。いつか必ず――幻想郷の存在とあなたの罪を明らかにしてみせる。またお会いしましょう――」

 

「ええ、そのときを楽しみにしておりますわ」

 

 そして、右京は闇に飲まれて幻想郷から姿を消した。

 誰もいなくなった特命部屋で紫は取り上げた手紙を広げる。

 

「この手紙。きっとーー」

 

 彼女は今よりも遠き世界で()()()()()()()を思い浮かべながらスキマを通って人里の遥か上空へ出た。

 満天の星空の真下で彼女は何を想うのか。それは誰にもわからない。

 しばらく幻想郷を見下ろし、自身の創った世界を楽しんだ彼女は空間を開き、何者かと連絡を取ったのち――。

 

「幻想郷は全てを受け入れる。それはそれはどんな()()()であっても」

 

 手で優しく撫でるように境界を弄るのであった。



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第143話 幻想という名の楽園

 翌日、早朝の幻想郷は朝から騒がしく、人々が片づけに勤しんでいる。

 深夜、遅くまで阿求や永琳の手伝いを行い、スペースを取りたくないという理由で自宅へ帰った博麗霊夢と霧雨魔理沙は、重い瞼を擦りながら朝七時に特命係幻想郷支部正面へ着地する。

 到着するなり魔理沙が戸を叩いた。

 

「おじさんいるか!? 事件について聞きたいんだけどさ。おじさん! なんだ、留守か?」

 

「もう動いているのかしら? 恐ろしい執念よね……」

 

 相変わらずの真面目さだ。自分には無理だと霊夢が呆れたところで里人がやってきた。

 

「何しているんだ? そこは()()()だぞ」

 

「あん? 知らないのかここには外来人が住んでんだよ」

 

「外来人? 豆腐屋と寺子屋以外にいたっけかな……?」

 

「いますよ。スーツを着たふたり組が」と霊夢が教えた。

 

「うーん、そうなのか……。まぁ、いいや。俺は昨日の()()の後片づけで忙しいんだ。じゃあな」

 

「「()()!?」」

 

 こんな中途半端な時期に暴風など起こる訳もない。おまけに昨日は快晴でほぼ無風だった。

 ふたりは首を傾げつつも小鈴の様子を見に鈴奈庵を訪れる。

 入口では小鈴が掃除をしている最中だった。霊夢に気がついた彼女が挨拶する。

 

「霊夢さん、おはようございます」

 

「おはよう小鈴ちゃん。気分どう?」

 

「あ、はい、大丈夫ですよ」

 

「おかあさんやおとうさんは大丈夫?」

 

「大丈夫ですよ。店内で片づけやってます。明日から貸本屋を再開できるように頑張らないと、って張り切ってます」

 

「再開って言っても、この状況だぜ? もう少し――」

 

 苦言を呈する魔理沙を小鈴が遮った。

 

「いやいや()なんかに負けてられませんよ!! 早く再開してお金を稼がないと貯蓄が尽きちゃう」

「風……」

 

 状況を呑み込めない霊夢が小鈴の正気を疑う。そこに見知った人物がやってきた。

 

「あら? ふたりとも朝から早いわね。本屋さんの片づけを手伝うの?」」

 

 作業着姿の舞花だった。掃除の手伝いでもするのかと思った魔理沙が「どっかの手伝いか?」と訊いた。舞花は「そうよ。うちはほとんど被害なかったからね。お得意さんの家を回ってみるつもりなのよ」と言った。

 若干の明るいトーンに戸惑ったがいつも舞花だ。安心した霊夢がホッと胸をなでおろす。

 しかし。

 

()()の被害に遭ってないか心配だわ。私も父親が居なくなってからずっとひとりで店を切り盛りしているからねぇ。心細いって思っちゃうのよね」

 

()()()()()……?」

 

()()()()()()()()()()()()()?」

 

 霊夢と魔理沙は何を言っているのだ、という目で舞花を見やる。舞花もまたその視線に首を傾げる。

 

「さっきからどうかしたの?」

 

「いや、だって……。うーん、確かに昨日はあちこちで爆発とか毒矢とか刃物での殺傷とかあったけど――」

 

 魔理沙がそのように話すと。舞花はプッと笑った。

 

「はぁ? そんなのあるわけないじゃない! ねぇ、小鈴ちゃん?」

 

「そうですよ! 昨日は突然、暴風が到来して色々、吹き飛ばして行ったんですよ。原因不明の火災は起きたけど爆発はしなかったはずです」

 

「おまけに強風のせいで毒餌が井戸の中に入っちゃって使えなくなっちゃったのよね。竹林の先生が解毒薬を撒いてくれたから助かったけど、まだ怖くて飲めないわ」

 

「ですよね! それに風の勢いでガラスが割れて大けがした人も沢山いたそうですよ! 診療所の先生だけじゃどうにもならなかっただろうなー」

 

「死人が出なかったのが不幸中の幸いね」

 

「ですね!」

 

「「……」」

 

 何が起こっているのかわからず、唖然とする少女らふたり。舞花と小鈴に手をかざされながら「大丈夫?」と心配される。

 いやいや、そっちのほうだろう、魔理沙は言いたくなったが、あまりに異常なので、それ以上追及できずにいた。

 何か嫌な予感がする。霊夢がそれとなく舞花に質問した。

 

「舞花さん……。敦さんって方を覚えてますか?」

 

 少し考えてから舞花が驚くべきことを喋った。

 

「ん? ()()()()()()()? 小鈴ちゃん知っている?」

 

「知りません。新しくやってきた人ですか?」と小鈴が答える。

 

 魔理沙が「ちょっと待てよ、それはないだろ――」と問いただそうとするのを霊夢が無理やり遮った。

 

「わかりました。変な質問してすみません。さ、行くわよ魔理沙」

 

 彼女の手を強引に引っ張り、霊夢は鈴奈庵を離れる。

 納得のいかない魔理沙は「おい、何すんだよ!? あの反応はどうみてもおかしいだろ!! 敦ってヤツとあのねーちゃんは仲がよかったはずだろ!」と食い下がった。

 霊夢は正面を向いたまま叫ぶように言い放った。

 

「だから訳を知ってそうなヤツのところへ行こうってのよ!!」

 

 怒りに燃える霊夢は稗田邸の門を潜り、女中を押し退けて邸内の廊下を進む。けが人が大勢いるが、皆の表情に絶望感はなく「風にやられた」「天狗の仕業か?」などと話すが、凶行については一切、口にしなかった。あれほどの惨劇であるのも関わらずにだ。

 書斎につくと暗い表情をした阿求、慧音、永琳の三人が話し合っていた。

 三人は怒る霊夢の顔を視界に入れた途端、気まずそうに顔を逸らした。

 何か知っていると確信した霊夢が阿求に訊ねる。

 

「里のアレはどういうこと?」

 

「アレって?」

 

「とぼけんじゃないわよ、どうして暴風になっているのよ!? 昨日、起こったのは狩野宗次朗の反乱よ! それで被害が出たって言うのに――」

 

「シィー。声が大きいわ!」

 

「だって、アンタねぇ!!」

 

「まさか、白沢の力を使って皆の意識を――」魔理沙が慧音を睨んだ。

 

「私はそんなことしていない! 第一、昨日の今日でこれほどの影響力を及ぼせるわけがないだろう!?」と慧音は弁明する。

 

 そこに永琳が口を挟む。

 

「私たちが目を覚ましたときにはこうなっていたわ。いきなりの事態で戸惑っているのは私たちも同じなのよ。反乱に関わったメンバーも忽然と姿を消しているし、彼らに関連する事実もなかったことになっているの」

 

 彼女たちが起きたときにはこのような状況になっていた。誰もが驚き、様々なところへ出向いたが皆、昨日の出来事を()()()()だと思い込んでいた。

 捕縛した反乱参加者の様子を確認しに行くと、全てのメンバーが消えており、関係者に話を聞いても『そんな人間知らない』と返されるだけ。

 不都合な事実、その全てがなかったことになった。敦の件や春儚の件も同様に抹消と改ざんがなされていた。

 納得のいかない霊夢が食い下がる。

 

「そんなこと言ったって、こんな真似ができるのは――」

 

 歴史に関わる能力を持つ慧音くらいだ。霊夢はそう言わんばかりに阿求と慧音へ詰め寄って白状させようとする。だが、永琳は首を横に振った。

 

「ひとり、いるじゃない。この危機的状況の中で顔を出さなかった誰よりも幻想郷を愛する妖怪が。あなたの知人に」

 

「まさか……アイツがッ!?」

 

「心当たりあるとしたら彼女絡みでしょ? こんなデタラメなやり方で幕引きを図ろうとするのは」

 

 ()()()ならやりかねない。

 誰もが言葉を失い、しばらくの間、口を閉ざした。

 

 

 博麗神社にて八雲紫は眼前に広がる人里を眺めていた。

 

「上手くいったみたいねー。ここまで大がかりなのは久しぶりだったから疲れちゃったわ」

 

 寝不足なのか、フワァっと欠伸をする。

 彼女の後方から木製の車いすに乗った少女がやってきて声をかけた。

 

「私も眠い。そろそろ帰っていいかな」

 

 黄色を中心とした中華風の衣服に身を包み、ベージュ色に近い長髪を持つ神秘的な人物だった。紫は彼女の姿をチラッと見てから、

 

「もう少し待って頂戴、隠岐奈」

 

「ん? いいじゃない。後は稗田が何とかするでしょ? 里をまとめるのが仕事なんだからさ」

 

「何言っているのよ? 元々、アナタが静観しようなんて言い出したんだから。最後まで責任取りなさいな」

 

 車いすの少女の正体は摩多羅隠岐奈(またらおきな)。紫と並ぶ、幻想賢者のひとりにして摩多羅神である。性格は傍若無人そのもので格下をゴミのように扱うが、内心に優しさを持っているとされている。

 今回の事件、幻想郷を誰よりも想う紫が手を貸さなかったのは隠岐奈の助言があったからだ。

 

「紫は過保護すぎるんだよ。保護しすぎても自由過ぎてもダメなのよ。こうやって自分たちの行いが危機を招くきっかけになったとわからせることが大事なの。ここの最近、妖怪どもは新参、古参関係なく好き勝手、里の中で暗躍して回っていたからね。それがこんな事態を生んだとなれば誰もが里に手を出してはいけないと納得する。言うことを聞かないヤツらは今回の例を引き合いに出して私らや博麗の巫女がコテンパンにすればいい。そうなれば幻想郷の体制はより強固になる」

 

「それはわかるんだけどねぇ~」

 

「ただでさえ、外部勢力が引っ切り無しに入ってくるんだ。仲間同士での無駄な勢力争いなんて終わりにしないと」

 

 隠岐奈もまた幻想賢者とあって幻想郷のことを心より大切に思っている。ただ基本コンセプトが紫とは真逆なのだ。幻想郷のためになるなら幻想郷をギリギリまで追い込もうとする。

 今回の件もそうだ。以前から紫が気にしていた人里の反乱分子を根こそぎ炙り出し、妖怪たちの勢力争いにくさびを打ち込み、外来勢力に備えて欠点である協調性を少しでも身につけさせようとする目論見があった。

 人里こそ半壊状態に陥ったが、妖怪勢力は全くの無傷で被害を被ったのは人間側のみ。しかも表からきた警察官から捜査方法や人質救出と突入のレクチャーまで施され、住民たちの経験値として蓄積された。

 消えない傷を負ったかのように見えた人里も神に匹敵する能力を持つ紫と神である隠岐奈の力を以てすれば如何にようにもできる。里はこのふたりの賢者によっていとも簡単に操作されたのだ。

 仮に人間が減ったとしても外で活動できる紫なら補充手段の一つや二つは持っているだろう。隠岐奈も人間を洗脳するなど朝飯前である。

 この一件は里の被害を差し引いてもお釣りがくる内容だった。脳内で計算を済ませた隠岐奈が高笑った。

 しかし紫は彼女の小さなミスを指摘する。

 

「その外部勢力を逃がしちゃったのはどこの誰かしら? 気がついていたんでしょ?」

 

「さすがに幻想郷の外は範囲外よ」

 

「そこも気にして欲しかったけどね……」

 

 黒幕の正体が掴めてないなど失態である。

 ジト目で隠岐奈を凝視するも本人は「あんなの取るに足らん雑魚だよ。紫ならすぐに見つけて始末できるさ……」と苦しそうに言ってから続ける。

 

「あの外来人はどっからどう見ても能力を持たない()()()()()だったよ。妖気も霊気も神気も感じなかったからね。この私が言うのだから間違いない」

 

 自信満々の隠岐奈に紫はため息を吐きながら、結局折れた。

 

「はいはい。それは信じてますよ――じゃあ、私は里で稗田のお嬢さんとお話ししてくるから、アナタは捕まえた反乱分子を見張っていてね」

 

「それくらいならいいけど、アイツらどうするの? もう存在しない人間なんだから自由にできるよ? ここは妖怪の国だからね。例え、閻魔が文句を言いにきたって追い返してやるわ」

 

 幻想郷のルールを作る側だからこその横暴な発言だった。

 

「そうねぇ~。使い道は後々、考えてみるわ。またね、隠岐奈」

 

「またね~紫」

 

 そうしてふたりは別れ、それぞれの作業に戻った。

 人里を混乱に落としれた結社と宗次朗の反乱は妖怪賢者たちのたった数時間の働きで歴史上から葬られ、異変は緩やかに解決へと向かっていくのだった。



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第144話 終わりの始まり

 同じころ。右京は夢を見ていた。客が誰もいないどこにでもある回転寿司の店内で独り寂しく座っている。状況が呑み込めず、現状を整理していると、その隣に懐かしい人物がやってきた。

 

 ――隣、いい?

 

 ――小野田官房長……。

 

 十年近く前に死んだ小野田官房長本人だった。

 突然の出来事に右京が戸惑っていると小野田は「返事がないから座るよ」と勝手に座って醤油皿に醤油を垂らし、甘エビの入った皿を取った。

 

 ――お前も食べなさいよ。奢るから。

 

 ――……。

 

 きっとこれは夢なのだろう。

 そう考え、右京は微かに笑ってからお湯を注いだ。

 小野田も茶が欲しかったのか「僕の分のお茶もいれて」と注文をつけた。右京は「それくらいご自分でやって欲しいのですがねえ」と小言を漏らしながらふたり分のお茶を入れる。

 右京もマグロやカンパチなどの魚をレーンから選んで味わった。

 数分の間、沈黙が続いて小野田が口を開く。

 

 ――杉下。お前、ずいぶんコテンパンにされたらしいねぇ。

 

 ――誰にですか?

 

 ――八雲さんとかいう、金髪の美人妖怪にだよ。全く相手になってなかったそうだね。さすがの杉下右京も本物の妖怪には勝てない。ふっ、面白いこと聞けたよ。

 

 ――悪かったですね。コテンパンにされて。

 

 ――ま、仕方ないね。人間じゃ勝てない。

 

 ――官房長は彼女や幻想郷のことご存じで?

 

 ――知るわけないでしょ? 知っていたら遺言に残すよ『幻想郷を探し出して土地を取り戻せ』ってね。

 

 ――確かに。では何故、八雲さんのことを知っているのですか?

 

 ――桃色髪の綺麗なお嬢さんから話を聞かされたんだよ。

 

 ――西行寺さんですか……。

 

 小野田に情報を与えたのは幽々子だった。

 亡霊の女王なら幽体となり、表へ出て行くことも可能なのだろう。

 

 ――しかし、幻想郷なんてオカルトじみた場所が実在するとはね。官房長の僕にもわからなかったよ。もう少しだけ生きて見たかった気がするね。

 

 ――そうですか……。僕もーーもう少しくらいならつき合ってもよかったかな、と思っていました。

 

 ――へぇ〜。お前、変わったねぇ。

 

 ――人間など……そう簡単に変わりませんよ。

 

 ――他人の口癖が移っているあたり、満更でもないね。以前のお前ならありえなかった。

 

 ――官房長は僕をどんな人間だと思っておいでで?

 

 ――頭はいいけど融通の利かない男。今は少しだけ融通の利く男ってところかしら?

 

 ――はいはい。そーですか。

 

 右京はお茶を一口含み、当時の思い出を懐かしむ。

 その様子を見た小野田が小さい声で訊ねた。

 

 ――お前……僕のこと恨んでない?

 

 ――何を今更。

 

 ――せっかくだから真面目に答えてよ。こんな機会、滅多にないんだから。

 

 ――……。

 

 一瞬だけ右京が視線を逸らすも、ここまできて話さないのもどうかと考えた末に。

 

 ――恨んでいませんよ。

 

 ――ホント?

 

 ――昔は恨んだこともありましたが、今は恨んでいない。これでよろしいですか?

 

 ――ふーん。ま、そういうことにしておきましょうか。

 

 小野田が笑いながら立ち上がると同時に足元から徐々に姿が消えていく。

 

 ――これで()()できそうだよ。

 

 ――それは……よかった。

 

 ――じゃあね、杉下。あんな妖怪に負けるんじゃありませんよ?

 

 ――もちろんです。

 

 そう言い終わった途端、小野田が露と消え、右京は病院のベッドの上で目を覚ますのであった。

 

 

 それから二日後。身体に異常が見当たらなかったのでふたりは無事退院する。

 財布と警察手帳以外の持ち物を紛失してしまった彼らは、幻想郷実在を証明する手がかりを失ってしまった。

 いつまでも気落ちする訳にもいかない。気持ちを切り替えた右京は警視庁へ、同じく目を覚ました尊は警察庁へ登庁した。

 両名ともこっぴどく叱られるが、何とかやりすごして職務復帰を果たす。

 

 復帰した右京はすぐに月本幸子が関わった事件と幻想郷以外の隠里からやってきた未来人の事件捜査に携わる。

 どちらもそれなりに手を焼いたが、幻想郷という人外の世界で戦い抜いた右京にとってこれらの真相解明はさほど難しくなかった。

 どこか心の中に敗北感とスリルを味わえない虚しさを漂わせながら、杉下右京は今日も警視庁特命係のデスクで相棒を待つ。

 

「おはようございま~す。冠城亘(かぶらぎわたる)、出勤しました!」

 

「ただ今の時刻は八時四十五分。十五分の遅刻ですねえ~。君?」

 

「わ、わかってますって!」

 

 現在の相棒相手に小さな小言を漏らしながら右京は本を片手に優雅に紅茶を啜っていた。

 読んでいる本はもちろん、シャーロック・ホームズシリーズの緋色の研究だ。

 本を見た亘が「またホームズですか!? 復帰してからずっとそればかり読んでますね。面白いんですか?」と質問するのだが、右京の答えは予め決まっている。

 

「僕にとってホームズシリーズを超える小説はありません」

 

「そういうもんなんですかねー」

 

「ですが、これと並ぶ小説を書いてみたいと思うことはあります」

 

 ホームズ作品の冒険活劇的躍動感は他の推理小説には見られない。キャラクターも非常に個性的でメリットとデメリットを持ち合わせているにも関わらず、魅力的に映る。

 どちらかが欠けても成立しない。ホームズ&ワトソンはその絶妙な加減が支持され、今でも名コンビとして語り継がれる。

 子供のころ、右京もホームズに憧れ、小説を書いたこともあった。カイトと一緒に活動していた時期は『孤独の研究』を執筆していたが、ダークナイト事件以降、執筆を止めた。

 もう書くことはないだろう、とまで考えていたが、幻想郷という世界が彼の眠っていた好奇心に火をつけた。この火はどうするべきか、右京は非常に悩んでいた。

 そんな右京に何気なく亘が助言する。

 

「だったら()()ばいいんじゃないですか? 右京さんなら書けるでしょ? 文才あるんだから」

 

「ただ書ければよいという訳ではありませんよ。内容を考えるのがもっとも難しいのです」

 

「ホームズを真似るとか?」

 

「そのような作品、山とあります」

 

「別にいいじゃないんですか。販売する訳じゃないんでしょ? 趣味は自由ですって!」

 

「ふむ。一理ありますねえ」

 

 ふたりが喋っていると入口から暇な課長が顔を出した。

 

「おい暇か!?」

 

 独特な容姿を課長の角田だ。普段から面白い顔をしているが、今日の彼はいつもよりニヤニヤしており、若干気持ち悪かった。

 亘は『こんな時は大体、女絡みなんだよな~』と勘繰る。

 案の定、角田の口から飛び出たのは。

 

「警部殿、お客さんだ。あんたに会いたいんだってさ」

 

 ニヤケ顔の角田がサッと横に避けた。その後ろにはウェーブのがかった金髪セミロングヘアーと薄っすらと紫がかった瞳を持ち、薄紫色の女性用コートを着こなす可憐な美少女の姿があった。

 容姿や雰囲気的に年齢は高校よりも少し上と予想でき、大学生一、二年程度だろう。

 潤いを忘れた角田が浮かれるのも無理はない。女性にモテる冠城でさえも「この娘、スゲー美人! どこの国出身だ!? 英語だったら喋れるんだけどなー。だけど、俺にはあの娘がーー」と誘惑に負けそうになる。

 そんな中、右京だけが固まった。

 

「(この女性。どこかで見たことがある……)」

 

 右京は彼女の瞳を見た瞬間、異様なものを感じ取って、背中にゾワッと鳥肌が立った。

 美少女は固まる右京にお辞儀してからゆっくりと歩み寄る。

 見れば見るほど、あの妖怪に似ている。右京は勘づいたように目を見開いた。

 足を止めた彼女が自己紹介する。

 

「こんにちは。和製ホームズさん。私はマイリベリー・ハーンと申します」

 

「マイリベリー・ハーンさん……。ですか」

 

 右京は椅子から立ち上がって、彼女の正面に移動した。

 

「はい。よく長いと言われるので友人からはメリーと呼ばれております。よろしくお願いしますわ♪」

 

 そう語ってからメリーが握手を求めて右手を差し出した。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 可愛げのある笑顔から放たれた言葉には尖った刃物のような鋭い殺気が隠されていた。

 棘のあるセリフがきっかけとなり、右京はメリーの正体を察して握手を躊躇うが、ここまできて握手を交わさないのは失礼に値する。

 

「杉下右京です。よろしく」

 

 表面上は穏やかだが、裏では激しい警戒音が鳴り響く。この出会いは偶然かまたは必然か。

 杉下右京の戦いはまだまだ始まったばかりである。



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Season 4.5 幻想の住人
第145話 白黒魔法使いと古道具屋店主


 里で大事件が起こってから約三ヶ月。大半の妖怪たちは何ごともなかったかのように初夏の風を堪能しながら、すぐにやってくるであろう梅雨への対策を考えている。

 呑気な妖精や小妖怪の声と新緑の木々を背景に僕、森近霖之助は客足のない昼下がりの香霖堂の窓際で読書に勤しむ。

 

「そして誰もいなくなった、か。……ふむ、なるほど」

 

 鈴奈庵で借りた表の世界の作家が書いたとされる至高のミステリー『そして誰もいなくなった』。未読者のためにネタばらしはしないが、タイトル通りの作品だった。

 

「意外な伏線とその結末――正直、クリスQの伝奇小説よりも好みかな」

 

 日本語訳されたこの本に手を伸ばした際、店主から「こちらの本も如何ですか?」とクリスQ関連の本を勧められたが、こちらを選んで正解だった。

 本を閉じ、机に置いたのと同時にベルが鳴った。

 

 ――カランカラン。

 

「香霖。いるか」

 

「ん? 魔理沙か」

 

 白黒の魔女服を着込んだ普通の魔法使い、霧雨魔理沙である。

 

「邪魔するぜ」

 

 店内に入るや否や魔理沙は壁に箒を立てかけ、カウンターの上に腰を下ろす。

 本当に勝手な娘だ。昔から勝気で騒がしい奴だが、ここ最近は比較的大人しく、どこか表情に陰りがあった。あの事件のことが尾を引いているのは明らかだ。

 僕の視線から思考を察した魔理沙が、目を細めていつもの台詞を吐く。

 

「なんだよ。私の顔に何かついているのか?」

 

「いや。別に」

 

 あどけない童顔で睨まれても大した威圧感はないが、余計なことを喋って機嫌を損ねられるとグチグチうるさいので詮索はしない。

 僕は窓の外に広がる木々に視線を移し、緑が風に揺れる様を観察する。魔理沙も軽くため息を吐いて僕と同じ方向を向いた。

 数分の間、言葉を交わさなかったが、この静寂に飽きたのか。

 

「私は納得してない」

 

 ひとり、零した。

 

「何にだい?」

 

「あんな強引なやり方で事件の幕引きを図りやがって……」

 

 やはり僕の読みは当たっていたようだ。

 魔理沙は、秘密結社とそれを利用した狩野宗次朗が引き起こした人里史に残る大事件を里人の記憶の境界を弄ることで隠ぺいしたふたりの幻想賢者の決断に憤っているのだ。

 僕も里人解放の有志たちに協力する形を取っていたため、事件の顛末を複数の参加者から聞くことができた。

 

 簡潔にまとめると、杉下右京の奇策により作戦開始から数時間で里が解放され、結社を後一歩まで追いつめたのだが、結社代表と幹部たちに自殺されてしまう。

 黒幕がいると踏んだ杉下右京は里を探索。次々に自殺に見せかけられた他殺体が発見され、捜査線上に浮かび上がった狩野宗次朗を疑い、追い詰めるも彼は盗んだ村正と多数の武器を駆使して里で大規模テロを起こした。

 竹林の名医の健闘もあって死者数は十人程度に抑えられたが、人間が起こした殺人事件としては最大記録を更新してしまった。

 虐殺を引き起こした狩野は山奥で杉下右京と一騎打ちとなり、敗北。その後、予め飲んでいた猛毒で死亡した。

 それにより、狩野の背後にいるとされた黒幕への手がかりはなくなった。情報を流していたとされる表の女子高生、宇佐見菫子もただ利用されていただけで目ぼしい情報は持っておらず、幻想郷内での捜査が完全に行き詰った。

 その直後、杉下右京とその部下が姿を消し、賢者たちが大規模な記憶の改ざんを含む多数の隠ぺいを行ったものだから一時期、幻想郷は荒れた。

 納得がいかない魔理沙や霊夢が賢者たちへ決闘を挑んだり、各地の人権派の妖怪たちが抗議の声を上げたりと激しく火花を散らした。

 けれど八雲紫は「だったら、どうすればよかったのかしら? 放っておけば幻想郷がどうなったかわかるでしょ? これ以上に幻想郷を危険に晒さず、事態を鎮静化させる方法があった?」と反論し、もう一方の賢者も「元はと言えばお主らの派閥争いがきっかけで不満がたまったからこのようなことが起きたのだぞ? 私らは尻拭いをしただけにすぎぬ。感謝されることはあっても文句を言われる筋合いはない。それでも気に入らぬのであればかかってこい!」と向かってきた相手をコテンパンにして反対勢力を鎮圧した。

 おかげで一ヶ月も経たないうちに幻想郷はいつも通りの平穏を取り戻す。

 魔理沙もその戦いに負けたひとりだ。怒りを覚えないほうが無理だろう。

 

「お前はさ……どう思う?」

 

 ふいに魔理沙がそう訊ねてきた。僕の答えは決まっている。

 

「仕方がなかった。そう考えることにしている」

 

 幻想郷という強固な結界を持ちながらも脆弱な空間にとって今回の事件の悪影響は計り知れない。長引けば長引くほど綻びが広がって最後は崩壊する。

 賢者たちのやったことを正しいとは思わないが、僕がこうして何ごともなく読書ができているのも彼女らの判断のおかげだ。

 妖怪の血を引く者にそれを批判する権利はない。が、あくまでも僕の立場での話だ。生粋の里人である魔理沙は違う。

 

「そうかい……」

 

 両目を瞑り、腕を組んで顎を引く。眉間には皺が寄っていると思われるが、帽子を深く被って顔を隠した。

 

「私らがおっさんに外来人のことを伝えていれば……」

 

「それについては僕にも落ち度がある――」

 

 妖怪の山の巫女に聞いたときは心底驚いたが、僕が世話した外来人が今回の事件の首謀者である可能性が高いのだそうだ。

 あの優しそうな紳士が将来有望な若者を唆し、凶行に走らせたなどと、今考えても信じられない。

 しかしながら現状、一番有力視されているのだ。僕も探りを入れればよかったのだが……杉下右京に一本取られたショックで消極的になっていた。責任を感じている。

 魔理沙と霊夢も外来人の情報を予め聞かされており、白玉楼にいる特命係に伝えるように頼まれていたそうだが、酒を飲んでいたせいで伝えそびれてしまい、捜査が難航する原因を作ってしまった。

 僕を含む、個人主義的思考の強い妖怪とそれに肩を並べる者たちは周りに話を通さず、自分勝手に事件へ絡んでいく傾向にあり、勢力間の垣根を越えて連携しようという考えを持たない。

 今回の事件が最悪の方向へ進んだのは間違いなくそうした問題が絡んでいる。魔理沙たちだけの責任ではない。

 

「――だから気落ちするな。これは皆の責任なんだからさ」

 

 外部勢力を頼ろうとしなかった稗田家。勢力争いのために勝手な行動した天狗と妖狸――里人を侮っていた全ての知恵や力ある者たちに問題があったのだ。

 魔理沙は一呼吸置いてからこう呟いた。

 

「けど、里人の失われた記憶は戻らない。私は……どんな顔して里に顔を出せばいいんだ?」

 

 珍しく思い詰めている魔理沙に一言だけアドバイスを送る。

 

「いつも通り、生意気な顔でいいだろうさ」

 

 そう言って僕は立ち上がった。

 

「茶を入れる」

 

「……緑茶か?」

 

「ここにはそれしかない。待っていろ」

 

 仮にあったとしても里で流通している紅魔館製の紅茶くらいだ。その味は言わずもがな。杉下右京のブレンドした紅茶にはまるで敵わない。そのため香霖堂に紅茶は置かないのだ。比べてしまうからな。

 台所でお茶を入れ、魔理沙のところまで運んでいくと彼女は僕がカウンターの裏に隠していた護身用の剣を手に持ち、鞘から引き抜いた。

 

「何しているんだ?」

 

「見ればわかるだろ?」

 

 魔理沙は露わになった刀身をあらゆる角度からジロジロと観察し始める。ときに光に当てながら、ときに日陰でじっくりとワザとらしい鼻歌を混ぜつつチェックしている。

 心配されたくないからといってそこまで誤魔化そうとしなくてもよいのだが、それが彼女らしさなのだ。

 

「うーん。それなりに磨かれているようだな」

 

「失礼だな。ちゃんと言われた通りに手入れをしている」

 

 その刀が名刀であることはもはや周知の事実。事件が一段落して魔理沙が返却しにきた際「霊夢が言うにはこの刀は神気を放つ名刀らしいぜ? もっと大切に管理しな。じゃなきゃ返してもらう」と言われ、定期的に磨くようになった。

 杉下右京は犯人との一騎打ちでこの草薙の剣を使用して妖刀化した村正とその使い手を倒したそうだしな。純粋に剣としても一級品だったとわかれば、手入れを怠りはしない。

 点検を終えた彼女が鞘に剣を収め、僕の持ってきた緑茶に手を伸ばす。

 

「もう少し暑くなってきたら黒い飲みものが欲しくなるな」

 

「コーラか。確かに夏場に備えて数本は欲しいな。近いうち、無縁塚を探してくるよ」

 

「期待してる」

 

 フー、フーと息を吹きかけ、緑茶を啜る魔理沙につられるように僕も緑茶を口に含む。苦味とほのかな甘味を味わえるのが、緑茶のよいところだ。つくづく自分が東方の住人であると実感できる。

 見た目に反して和の文化を好む魔理沙も同様だ。

 

「緑茶といったら甘味だよな?」

 

「……もう少し早く言ってくれないか?」

 

「そこは気を利かせろよ。修練が足りてないぜ」

 

 修練以前に店の客じゃないヤツに菓子を出す必要があるのか?

 目を細めて睨んだものの表情に明るさが戻った魔理沙を見ていると彼女の親父さんを思い出し、

 

「わかったよ」

 

 結局、折れてしまう。こんなやり取りが数か月前にもあった気がするが、そこには触れないでおこう。

 僕はまた台所に戻り、手頃な饅頭を二つをお盆に移して運ぶ。

 彼女は饅頭を見るや「そうそう。これだよ、これ!」と掴んで頬張る。店主より先に食べるのは如何なものか……。僕が白けた表情をして見せても魔理沙は知らん顔だ。

 それから他愛もない雑談で時間を潰し、いつの間にか夕暮れ時を迎える。

 茜色に染まる空を窓から身を乗り出して眺める魔理沙の横で僕は今日の夕飯をどうするか考えていた。そのとき、彼女がポロッと零す。

 

「あのおっさん……元気にしてるかな」

 

 これも少し前に霊夢から聞いた話だが、杉下右京とその相棒は八雲紫が直々に表へ帰したらしい。

 何故、博麗神社からではなかったのかと思ったが、どんな妖怪相手にも物怖じしない彼のことだ。八雲紫相手ともやり合ったに違いない。そこで何かしらの交渉が決裂した結果だろうと僕は読んでいる。始末したのなら始末したと語るはずだ。あの彼女なら。

 

「きっと元気さ」

 

 面倒な手合いだが、豊富な教養を持ち合わせ、表の知識を惜しげもなく教えてくれる貴重な存在だったことに気がつき、色々聞いておけばよかったと今更、後悔している。皮肉な話だ。

 

「そうだよな。おっさんだしな」

 

 魔理沙も彼が滞在した約一ヶ月間、ずっと振り回されたがよい経験ができたのだろう。有志の一員となってここを訊ねてきたときは冷静さを身につけたなと感心したものだ。

 僕が笑うとすかさず、

 

「なんだ? 負かされたときのことでも思い出したのか?」

 

 と、皮肉を言ってきた。普段なら反論するが面倒になったので頷いた。

 

「かもな」

 

「ずいぶん素直だな……」

 

「僕がいつでも構ってやると思うなよ?」

 

「構ってやっているのは私だぜ」

 

 意地っ張りで皮肉屋のコイツにつき合うのもたまには悪くはない。

 

「ところで魔理沙。夕飯はどうする?」

 

「あぁ、適当にすます」

 

「里か?」

 

「いや、まだ行けん。里人の……笑顔を見るのが辛い。何となくだが」

 

 並みの妖怪以上の戦闘力を持つ彼女も中身は普通の少女か。こんなときは年長者が何とかするのが常だ。

 

「そうか。ならここで食べていけ」

 

「いいのか?」

 

「あぁ、鍋でも作ろうと思っていたからな」

 

「鍋……鳥か?」

 

「そうだが」

 

「…………頂くぜ。白みそで頼む」

 

 魔理沙は顔を綻ばせて親指を立てた。霊夢がいたら赤みそだったな。そう思いつつも、僕は日本酒を用意して鍋を作り、彼女とふたりきりで食事を楽しんだ。



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第146話 天才の憂鬱

 午後三時。人里の寺子屋にて稗田阿求は生徒たち相手に教鞭を振るっていた。

 内容は歴史。堅苦しくなく、わかりやすい説明を心がけている彼女の授業は評判がよく、机に座っている者が不満を持つことがない。ただ一つを除いて。

 

「今日の授業はここまでです。お疲れさまでした」

 

 一時間後、授業を終えた彼女は参考書を閉じ、生徒たちと共に帰り支度を整える。

 風呂敷に荷物を纏め、教卓を立とうしたとき、ある女子生徒が阿求に近寄って訊ねた。

 

「稗田先生、慧音先生はいつ授業に復帰するんですか? もう一週間近くも休んでいるから心配で……」

 

「そうね……。風邪をこじらせたみたいだから、来週には復帰できると思います」

 

「そうですか。よかったー。私、慧音先生の授業、好きだから――あ、稗田先生の授業が嫌いとかそういう訳じゃないですよ!?」

 

「ふふっ、わかっていますよ」

 

 余計なことを言ってしまったと焦る生徒の頭をそっと撫で、阿求は彼女らが寺子屋を出るまで見守った。

 生徒たちが去ったのを確認した阿求は大きなため息を吐く。

 

「あんなことがあった後じゃ、無理もないわよね……」

 

 賢者たちが強制的に里人の記憶を奪い、無理やり事件の幕引きを図ったことで問題は解決したように見えたが、実際は細かいところまで行き届いておらず、里人の記憶に齟齬が生まれ、日常生活に影響を及ぼす事態となった。

 それを阿求や慧音が上手く誘導――必要とあらば歴史書のすり替えや書き替えを行い、火龍会や水龍会、土龍会などの存在がなかったように偽装した。

 つまり、里の有識者ふたりは賢者の手伝いをしてしまったのだ。阿求はこれが里のためだと思い、嫌々ながらも引き受けたが、慧音は真面目過ぎたために途中から精神を病んでしまい一週間前、自宅へ引き籠ってしまった。

 引き籠る直前、慧音は上司の彼女に「私なら皆の記憶を元に戻せる。……ですが、それをやっても地獄が待っているだけですよね」と独り言のように零していた。

 

「記憶に関係する能力を持つが故の苦しみ、か……」

 

 記憶が戻っても平和な里に大量の血が流れた悪夢が蘇るだけ。それだけならまだしも、今度は死んだ人間や消えた事件関係者と組織はどこに行ったのか、何故こんな大事なことを忘れていたのか。考えれば考えるほど深い闇が里を途方もない恐怖へと陥れるだろう。

 常識人である慧音が実行できるはずがない。だからこそ同じ立場としてその気持ちを理解した阿求が代わりに授業を引き受けて今に至る。

 

「私にもっとリーダーとしての素質があれば……」

 

 超記憶能力を持っているとはいえ、阿求は全知全能ではない。ミスすることだってある。

 特に人の上に立って行動する仕事は大の苦手だ。どちらかといえば書記や研究者などあまり人前に出ない仕事を得意とし、本人もそれらを天職だと思っている。

 現在も閻魔の書記として活動していることに違いはないが、顔役として調整に回り、里人から代表のように扱われ、妖怪もまた彼女を顔役と認めている。

 里人の相手をするのは比較的楽で、しかも年代の近い女性たちとは気が合うのか、よく女中や小鈴とプライベートを共にする。

 反対に妖怪相手は一筋縄ではいかない。連中はあれやこれやと無理難題を通そうとして勝手に裏で暗躍し出す。稗田家に許可を取らずに問題行動を起こすなど当たり前で、説得にものすごく頭を使う。

 正直、人間の手におえる相手ではない。が、幻想郷は妖怪の国――それが日常である。

 

「私は――このまま代表の座にいてもよいのかしら」

 

 当初、彼女は結社たちと狩人の凶行を止められなかった責任を取るつもりでいた。

 隠ぺい後、幻想郷の賢者である紫と話した際、その件で相談した。

 すると紫は首を横に振りながら「あなたが責任を取る必要はないわ。だってそんな物騒な出来事は起こらなかったのですから」と笑顔で語り、他の事情を知る人間や妖怪たちも阿求を責めなかった。逆にそれが彼女のプライドを酷く傷つけた。

 引き籠れるなら今すぐにでも引き籠りたいが、自分の代わりに里を回せる者がおらず休むことができない。一時的に代理を任せられそうな火口家当主は死亡し、火口家という組織そのものが抹消されて残るは風下家のみ。

 しかし、風下の親分はどちらかと言えば反妖怪側の人間であり、阿求と交渉している妖怪は決してあの老婆を認めないだろう。結局のところ、降りることは許されず、彼女は死ぬまで役割を全うせねばらないのだ。

 慧音が能力を持つが故に精神を病むのであれば阿求は使命が故に精神を蝕まれる。

 ふいに彼女が空を見上げるとそこに広がる青色が徐々に朱色を含み、夕暮れを迎えようとしていた。

 そろそろ戻ろうか。自宅に帰るべく寺子屋の戸締りを確認して彼女は門外へ出た。そのタイミング、

 

 ――チリンチリン。

 

 周囲に鈴の音が響いた。阿求が振り向くといつもの着物とエプロンを着た少女がこちらを見ていた。

 阿求は反射的に口を開いた。

 

「あら、小鈴」

 

 友人、本居小鈴であった。

 小鈴も阿求と同じような態度で返した。

 

「ん、阿求? 何してるの?」

 

「生徒たちに勉強を教えていたのよ」

 

 意外だったのか、小鈴がそのつぶらな瞳を見開く。

 

「へー、アンタが勉強をねー。前に『時間がない』とか言ってなかったっけ?」

 

「事情が事情だからねぇ。忙しいとか言ってられない」

 

「あぁ、慧音先生のことね。体調崩したって聞いたけど……風邪をこじらせたとか?」

 

「……詳しいことは聞いてないけど。そ、そんなところじゃないかなって思うわ」

 

 記憶を失っている小鈴に真実を告げる訳にもいかず、はぐらかすも、相手は数少ない友人。すぐ訝しまれる。

 

「アンタが話の途中で噛むってことはたぶん違うってことよね」

 

「ギクッ――」

 

 この娘、妙なところで勘を発揮するんだから。阿求の顔が引きつると同時に小鈴が目を細めながら詰め寄った。

 

「まさか――」

 

「な、な、何よッ!?」

 

 隠しごとがバレたか。そのように覚悟したが。

 

「――妖怪特有の病とか?」

 

「はぁ?」

 

 何を言っているのだ、小鈴よ。

 

「だって先生って妖怪の血を引いているし、色々大変なんじゃないかなーって」

 

 やっぱりこの娘はズレている。普段なら毒を吐くところだが、今回ばかりは救われた。

 阿求は微かに笑いながら言う。

 

「大丈夫よ。少し……疲れているだけだから」

 

「えー、それくらいで休む人じゃないでしょ?」

 

「仕事量が多かったのよ。色々、頼んでしまったから……」

 

 視線を逸らす阿求に小鈴がジト目を向ける。

 

「ってことは体調を崩したのは阿求のせいってこと?」

 

「そ、それは……」

 

 あながち間違いではないので彼女は答えに困った。

 さて、どうしたものか。珍しく押される阿求に小鈴は首を傾げつつ、

 

「なんとなくわかった――アンタは自分が楽をするために慧音先生に仕事を押しつけたのね!?」

 

「ん?」

 

 とんちんかんな推理を披露した。何とも返答に困る。

 

「だから寺子屋の仕事を手伝ってんでしょ!? 何か裏があると思ったけど、これで繋がったわ」

 

「んん。あぁ――」

 

 記憶を失った小鈴がふたりの行動を知る由もない。隠ぺいの手伝いを勘繰られるなどあり得ないのだ。

 都合がよいと判断した阿求は呟くように。

 

「近い……かしら……?」

 

「あー、やっぱり!! 酷い上司だねぇ!!」

 

「責任は、感じている、わ……」

 

 地面に目を落とす彼女の表情は酷く曇っていた。友人の変化に気がついた小鈴は途端に責めるのを止める。

 

「阿求、どうしたの……? いつもならもっと『自分は悪くない』って感じで言い返してくるのに……」

 

「私はそこまで酷い女じゃないわよ……。ただ……」

 

「ただ……?」

 

「…………色々、あったのよ」

 

 天才だって人間。心がある以上、その許容量にも限界がある。真実を打ち明けて楽になりたいが、目の前の少女には話せない。

 何故なら、八雲紫が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と判断して記憶を消したのだから。

 里の中にいる唯一の理解者は上白沢慧音だけ。その慧音も精神をやられた。

 例えようのない孤独が阿求を包んでいる。つき合いのある小鈴はそれを本能的に捉えたのか。

 

「なんか複雑そうだね」

 

「……」

 

「もし、アレだったらさ。明日、一緒にお見舞いに行かない?」

 

「お見舞い?」

 

「そう、お見舞い。責任を感じているなら尚更でしょ! 私も謝ってあげるから」

 

 友人の気遣いがこれほど身に染みたことはなかった。阿求は息を吐いてから「……そうね、そうするわ」と同意し、小鈴と見舞いの品を買う約束をして別れた。

 稗田邸に帰る途中、阿求は真っ赤な夕焼けを視界に据えながら、

 

「あの娘ってホントに変わってるわよね」

 

 歳相応の笑みを浮かべていた。

 幻想郷の問題は探れば探るほど闇深い。

 天才と呼ばれる自分でも解決する手立てはなく、果敢にも真っ向から挑んだ自らに匹敵する天才、杉下右京でさえ敗れた。幻想の扉は今日も固く閉ざされている。

 だが、彼が残した行動が人々に与えた影響は大きい。

 

「(もし私以上の才と力のある者がここに現れたら……)」

 

 そのとき、自分はどちらの側につくのか。あの事件を機に阿求も考えるようになった。

 人間派の妖怪や人間は皆、同じように考えているのかもしれないし、いないのかもしれない。

 今わかるのは『和製シャーロック・ホームズの執念は幻想郷の中で確実に生きている』ということだけである。



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第147話 今宵、月の輝く楽園で

 日没直後の幻想郷。西の空に映った綺麗な黄昏が見る者の目を引く。

 それは私、藤原妹紅にとって好都合だった。

 永遠亭の月兎を真似て外套で身体を覆い、素早く人気のないところを通って目的の場所へと向かう。

 以前は路地に入ると狸の旦那の子分や天狗の手下どもが喧嘩し合う姿が散見されたのだが、今日はまるっきり見かけない。陣取り合戦は一時休戦となったのだろう。

 あれだけの騒ぎに発展すれば当然かもしれない。

 潜入開始から三分もすれば目的の場所が見えてくる。

 

「慧音、いるか?」

 

 訪ねたのは友人、上白沢慧音が住む民家だ。

 コンコンと何度か戸を叩くと、奥からゆっくりと足音が聞こえた。

 

「藤原さんですか?」

 

「ああ、そうだ。様子が気になってな」

 

 戸越しで私の声を確認した慧音はつっかえ棒を外し、私の前に姿を現した。

 思った通り、顔はやつれて疲れ切っていた。

 私が驚いていると、彼女は里の誰かに見られることを嫌がり小声で「どうぞ、お上がり下さい」と、室内へ招き入れる。

 ひとり用にしては広い民家だが、その半分以上のスペースが種類別に分類されて重ねられた書物で埋まっている。

 使わない資料もひもで縛り、崩れないようにしている辺り、几帳面な性格がよく出ていた。

 私とは真逆の性格だが、物腰が柔らかく、こんなはぐれ者相手にもまるで年長者のように敬ってくれるので感謝している。

 彼女に居間へ案内され、私は腰を下ろすのだが、慧音がお茶を入れようと台所へ行こうとした。

 気遣いはありがたいが、今はそうじゃない。

 

「そんな気遣いはいい。私は見舞いにきたんだ。茶が飲みたい訳じゃない」

 

「すみません、いつもの癖で……」

 

 彼女は賢者たちの後始末をさせられて精神を病んでしまい、寺子屋にも顔出せないのだ。

 無事、妖怪の山へ戻れた新聞天狗から話を聞かされたときは驚いたが、この真面目さだ。抱え込んでしまうのは仕方ない。

 慧音を席に戻し、畳に座った私は彼女を案じた。

 

「大丈夫か?」

 

「ええ、これでも調子はよくなりつつあります」

 

「私にはだいぶ、やつれて見えるのだが……」

 

「いえ、昨日まで起きるのもやっとでしたから」

 

 妖怪は身体の病気に強い耐性を持っている反面、心の病に弱い傾向がある。

 白沢の血を引く彼女もまた長命だ。人間が命を落とすような身体の病には滅多にかからない。

 そこから察するに今、彼女を蝕んでいる症状はほぼ間違いなく心の病――うつ病だと断言できる。

 

「辛かったら竹林の医者に診てもらうといい。私が呼んでこようか?」

 

「それでしたら稗田さんが手配して下さるそうなので」

 

「ならいいが……あの女も心配しているのか?」

 

「はい。本居さんと一緒にお見えになって、色々と気遣って頂きました。明日にでも八意先生をお呼びすると」

 

 稗田阿求。里の顔役で閻魔の部下。幻想郷の人里をまとめるべく派遣された頭の切れる人間だ。

 以前、話したことがある。言葉づかいこそ丁寧だが、その態度には若干の不遜さを感じた。

 鼻持ちならんヤツだと警戒していたが、意外と良心的らしい。

 

「ならよかった」

 

 それから私は慧音に心を病んだ原因を詳しく訊ねた。

 最初は言い渋っていた彼女も折角、見舞いにやってきた相手に悪いと思ったのか、次第に理由を語り始めた。

 なんでも八雲紫は記憶の境界を曖昧にして擬似的に不都合な記憶を忘れさせただけで事実を改変した訳ではなかったらしく、里人の記憶に齟齬は生まれてしまったそうだ。

 このままでは近い内に再び混乱が訪れる。それを何とかすべく稗田阿求や慧音が隠ぺいを手助けしたのだ。慧音は「こんなことしたくなかった」と零した。

 私は「だったら、どうして手伝ったんだ?」と質問した。

 彼女は「それが最善の策だったからです。それに……結社の連中を勢いづかせてしまったのは私ですから」と俯いた。

 失態の責任を取る形で隠ぺいに加担したのか……。

 落ち込んでいる彼女になんと言葉をかけるべきなのか。

 こういうデリケートなことが苦手な私は目の前の数少ない理解者を励ませず、ただジッと眺めることしかできなかった。

 

 

 一時間半後、見舞いを済ませて里を出た私のところへ狸の旦那がやってきた。

 いつもより地味な変装していたので気がつくまで若干の時間を必要としたが、旦那で間違いない。

 

「白沢どののところか?」

 

「ああ、そうだよ」

 

 私が答えると旦那の表情が暗くなった。

 

「どうじゃった?」

 

「精神を病んでいたよ。明日、医者の診察を受けるそうだ」

 

「そう、か……」

 

 気まずさから視線を落とし、言葉が返ってこなくなった。

 旦那も責任を感じているのか。何とかしてやりたいが、私には喧嘩しかできない。賢者たちのやり方に納得がいかず私自身も決闘(スペルカード)を挑んだが結果は引き分け。

 何も変えられずに引き下がるしかなかった。

 もし仮に勝って記憶を元に戻しても里人たちが地獄を見るだけ。治安が乱れれば他の妖怪たちも黙ってはいない。幻想郷はまた荒れる。

 考えれば考えるほど幻想郷にダメージが少なくすむのは賢者たちの方法だった。

 私ですら心の中のどこかで納得してしまったのだから。

 怒りを表さないところを見るに旦那も私と同じ考えなのだろうか?

 気になって仕方がなかった。

 こうなったら直接、聞くしかない。

 

「もしよかったら今夜、一緒にどうだい?」

 

 酒を飲むポーズを取る。

 

「……里でか?」

 

 彼女は浮かない顔をした。さすがの私もそこまで無神経ではない。

 

「竹林だ。安酒と焼き鳥くらいしか用意できないけどさ」

 

「しかしのぅ……」

 

「いいから。頼むよ」

 

 渋る旦那の目をジッと見つめ続けた。

 旦那が観念したように頷く。

 

「……わかった。用事をすませたらお主の自宅へ向かう。待っていてくれ」

 

「待ってるよ」

 

 

 深夜零時。月夜に照らされ、独特の妖艶さを漂わせる竹林――その片隅で焚き木を囲いながら私と旦那は静かに酒を飲み交わす。

 大きな尻尾を肘かけ替わりにしながら夜空を見上げる旦那だが、相変わらず表情が暗い。

 私も同様で、空っぽの御猪口を片手していながらも酒を注ぐ気になれない。まるで反省会のようだった。

 唐突に旦那が呟く。

 

「儂がもう少し早くさとり妖怪を連れてきておればな……」

 

「もうすぎたことさ。狸の旦那」

 

 最初こそ他愛のない話で笑い合っていたが、酔いが回るにつれ旦那の口数が減っていき、出てくる言葉に後悔が含まれた。

 彼女は私に自分のミスで幻想郷が危険に晒されたこと、里で惨劇が起こったこと、住民の記憶が消され、贔屓にしている居酒屋の娘が好きだった男への想いを忘れてしまったことを悔やんでいると打ち明けた。

 

「私だって呑気に腹を壊して、加勢するのが遅れた。旦那たちだけじゃない。皆、悪かったんだよ」

 

「だとしても、これはないわい。記憶を奪い、不都合な物は全て隠ぺいするなど。はぁ……」

 

 マミは頭を横に振ってから、自身の太ももをパンっと叩いた。

 

「一生の不覚。もう舞花に顔向けできん」

 

「だから里の酒場に行かないんだな」

 

「まあ、のぉ……」

 

「……それでいいのか?」

 

「どういう意味じゃ?」

 

「だから、さ……。記憶はなくなっても、決して元に戻せない訳じゃないと思うんだ……。その気になればさ――」

 

「そんなことしてよいものか!! アヤツらのことも――幻想郷のことも考えればな!!」

 

 あの温厚の旦那が珍しく声を荒げた。

 真意を問おうと思っていたが、その必要はなかった。

 初めからわかっていたことだった。

 

「すまぬ……。せっかく誘ってもらったのにな」

 

 私はここにきて気がついた。余計なことをしたのだと。

 励ます技術を持っていないのに辛い話をさせようなど、そもそもの間違いだった。

 

「いや、私が悪かった。今のことは忘れてくれ」

 

 こんなことしか言えない。今日という日ほど、自分の不器用さに腹が立ったことはなかった。

 無言の時間がしばらく続く。申し訳なく思ったのか旦那は「そろそろ、寝ようと思う。今日はありがとう。気が紛れたわい」と言って立ち上がった。

 

「おい、待ってくれ――」

 

 私が制止するが、旦那は背中越しで手を振ってから妖術を使ってこの場から姿を消した。

 

「私は何をやっているんだ」

 

 そのとき、頭上に輝いていた月が雲の中に姿を隠した。

 月光を遮られ、辺り一帯が暗くなる。同時にこの心にも黒い何かが這い寄るのを感じた。

 

 

 旦那が去った後、私は焚火を消し、後ろにあった木に持たれながら雲隠れした月を目で追っている。

 

「どうすればよかったんだ……」

 

 ときおり、瞳に映る景色の中に私の過去の映像が混じる。

 にっくき月の姫に八つ当たりしたい一心で帝の兵士の後をつけ、こっそりと富士山を登り、優しくしてくれた兵士たちが血の海に沈んで、不老不死の薬を奪うために恩人を――岩笠を突き落として殺害。力を手に入れて人間社会に戻れなくなり、腹いせから妖怪たちを叩きのめして憂さを晴らす。

 一つ一つの光景が浮かんでは消えていった。本当に腐って汚れた人生だった。こんなものばかり脳裏に蘇るからうかうか布団で眠れなくなった。

 自業自得。

 わかっている。しかし最近はこれらを見る機会が減った。慧音や旦那、里の子供たち、表の迷い人、賑やかな住民たちのおかげだろう。

 それが今はどうだ? 私の知り合いは皆、暗い顔をしている。明るいのは人間とのつき合いが浅く、彼らを小馬鹿にしている連中だけ。

 

「(気に入らない)」

 

 怒り。怒りだ。私の中に再び紅くて黒い炎が燃え盛る。

 

「こうなったらこの身体が砕けて髪の毛一本残らなくなるまで――」

 

 連中と戦ってやる――。そう決意したときだった。

 

 ――残らなくなるまで……? どうするつもり?

 

 女の声だ。竹林から聞こえてくる。

 しかも、聞き覚えがある。私と同時期を生きた嫌な女の声。

 そう――。

 

「いつから聞いていた。輝夜?」

 

 蓬莱山輝夜。我が宿敵()()()()だ。

 ヤツは私の声に反応するように近くの竹やぶの中から出てきた。

 

「狸さんが怒鳴った辺りかしら。……勘違いしないで。鈴仙がね、アンタらが宴会をやっているって言うから、火事になってないか、様子を見にきただけだから」

 

「チッ……盗み聞かれているとは――相変わらず、趣味が悪いな」

 

「アンタだって永遠亭の窓に聞き耳を立てて会話を盗み聞いているそうじゃない。てゐの兎たちが言ってたわよ」

 

「ハッ、そんな訳あるかよ!」

 

 見られていたとは。今度は兎にも気をつけないと。

 

「で、そんなことよりも――」

 

 少しだけ焦る私を尻目に輝夜は目の前まで歩み寄ってきた。

 

「何するつもり?」

 

「お前に関係あるのか?」

 

「ないといえば、ない。けど……あるといえば、ある」

 

「は? ……得意の謎かけか? 今はそんな気分じゃない。兎たちのところへ帰んな」

 

 睨みを効かせたが輝夜には効果がなく、そのまま私の正面に立ちはだかった。

 

「……行くつもりなんでしょ? 賢者たちを倒すために」

 

「なんでそんなことを――」

 

 図星を突かれ、咄嗟に目を逸らした。

 すると輝夜は私を小馬鹿にするように言うのだ。

 

「ふーん、賢明じゃない。どうせまた負けるだけだものね」

 

「はぁ!? 今、なんて言った?」

 

()()()()()()()()()()。そう言ったのよ」

 

「んだと!?」

 

 腹を立てて、詰め寄ると彼女は一層、強い言葉をぶつけてきた。

 

「この前だって逃げ帰ってきたじゃない。引き分けって話だけど、何も変わらないんじゃ負けたも同然よ」

 

 カチンときた。

 

「へー、お前から喧嘩を売ってくるとはなぁ。私は今、虫の居所が悪い。いつもみたいに手加減できないぞ?」

 

 むしゃくしゃして力をセーブ出来る気がしない。昔のように暴れ回るつもりだったのだから。

 輝夜は臆することなく、

 

「そういうのは一度でも私に勝ってから言いなさいよ」

 

 スペルカードを出した。

 

「てめぇ――上等だ!!」

 

 私は鬱憤を晴らすかのように彼女へ襲いかかった。

 いつもなら序盤はアイツに合わせて遠距離攻撃を繰り出すのだが、今日ばかりは怒りが勝り、そのままの勢いで殴りかかった。拳や脚に妖術で作った紅蓮の炎を纏わせて殺傷力を向上させた上で殺すつもりで振り抜いた。

 攻撃が直撃して、輝夜の首から上が消し飛ぶのだが、不老不死の能力故、払った霧がすぐ元通りとなるように部位が再生。同時に反撃を受け、私の腹に大きな風穴が開いた。こちらも苦しいのは少しだけで後は元通り。数秒後には攻撃を再開させる。

 接近戦は私が優勢で遠距離戦は輝夜が優勢だ。

 互いに身体が欠損しようがお構いなしに攻撃し続ける。

 普段なら被弾を嫌がってある程度は避けるはずの輝夜だが、今日はかなり被弾が目立つ。それもそうだ。

 彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 私は輝夜が真っ向から潰しにきていると直感した。

 

「(ふざけるなよ、こんなときにさ!!)」

 

 この怒りは取っておくはずだったのに。こんなところで使わせられた。イライラが増してより強い殺意を拳に乗せて輝夜を貫く。

 拳を引いて戻すころには彼女の再生は終わっている。反撃を受けて吹き飛ばされるが、己の身体を再生させてまた襲いかかる。

 こんなやり取りが延々と繰り返され、私と輝夜の殺し合いは夜を徹して続けられた。

 ここまで激しい戦いは久しぶりで、途中から徐々に心の怒りが高揚感へ塗り替わっていく。

 もはや賢者たちなど、どうでもよかった。

 結局、記憶を戻せば皆、苦しむ。仮に勝てたとしても良心から記憶は戻せず、旦那のように受け入れるしかない。

 八つ当たりで賢者を襲撃するくらいなら、ただ目の前にいる宿敵と殺し合っているほうがずっとよい。

 輝夜はそんな私をどう思うのだろうか。聞いても答えてはくれないだろうが、ここまで長い時間、私と戦う彼女は初めてだ。

 数時間もすれば理由をつけて戦いを止める癖に……。トコトン殺し合う気だ。

 

「(そうか……。同じなのか、コイツも――)」

 

 賢者は正しいと理解していても納得できない。今更、異議を唱えても幻想郷を危険に晒すだけ。代案などない。里人救出作戦参加者の中であの結末を喜べる者など誰ひとりいなかった。

 その鬱憤を私との戦いで晴らそうとしているのだ。

 彼女の真意に気がついたとき、私は笑いながら叫んだ。

 

「本当に嫌なヤツだな、お前はさ!!」

 

「ふんっ、クヨクヨしたヤツに言われたくないわ!!」

 

 鼻を鳴らす輝夜も微笑しながら応じた。

 しかしながら、朝日が顔出す直前に差しかかると周囲が明るくなり、竹林の動物や妖怪たちが私たちに怯えている姿が目に入った。

 その瞬間、私は輝夜に向けた拳をピタリと止めていた。

 

「……どうしたの?」

 

 戸惑う輝夜に私は視線を竹林の住民たちへ向けながら「これ以上は……」と告げた。彼女も周囲をクルッと見渡してから我に返り、コクンと頷いて腕を下げた。

 輝夜が皮肉交じりにこう語る。

 

「アンタが戦いを中断するなんて……。初めてね」

 

「好きで中断したんじゃない。迷惑になる」

 

 長年、竹林で暮らしているとやはり情が移るようだ。

 腕を組んだ輝夜は昇ろうとする太陽を視界に収める。

 

「賢者たちを倒しても迷惑になるわ。竹林だけじゃない、幻想郷全体の」

 

 私は何も言えなくなった。

 

「わかっているんでしょ?」

 

「……」

 

「ここがなくなれば沢山の妖怪たちが困る。かという私も」

 

「……隠れる場所がなくなるってか?」

 

「住もうと思えばどこにでも住める。永琳の知恵を頼ればいいし、私の能力だってある」

 

「能力を使えば永遠に雲隠れできるからな。幻想郷がなくなってもお前らは存続可能、か」

 

「だけど」

 

「だけど?」

 

 間を空けてから輝夜のヤツはポツリと。

 

「地上の民として生きていくつもりだったから。……ここがなくなるのは寂しいわ」

 

 意外だった。天上人を気取る女だとばかり思っていたのに。いつの間にか輝夜にとって幻想郷は大切な場所になっていたのか。

 だから不満を抱いても賢者たちとやり合わないのか。この世界を想って。

 いくら鈍感な私でもばつの悪そうな彼女の表情から察した。

 なんて返したらよいのだろうか。慧音のときも、旦那のときも最後は言葉に詰まって、そのまま別れた。

 コイツともそうなるのか。唯一の宿敵……と。

 私は何を思ったのか。思考よりも早く言葉が出た。

 

「今から竹林のパトロールに向かう」

 

「え?」

 

「その、お前も……くるか?」

 

 自分でも意味がわからない。

 何か言わないといけない。その結果、パトロールという言葉が出た。

 すると輝夜は。

 

「っ――何よそれ、アハハハッーー」

 

「――ッ!?」

 

 ひとりで大笑いし出した。恥ずかしさが込み上げ、私は赤面する。

 

「何でもない。今のは忘れてくれ――」

 

「行くわ」

 

「は?」

 

 思わず耳を疑ったが、輝夜は当然のように繰り返す。

 

「だから、行くって言っているのよ。このまま帰っても盆栽の世話くらいしかやることないし」

 

「あの医者は心配しないのか?」

 

「『遅くなるかも』って言ってきたから。大丈夫よ、だぶん……」

 

「はっ、とんだ不良娘だな!」

 

「アンタには言われたくないわ」

 

 ジト目を向ける輝夜。私はどこか嬉しくなり、

 

「じゃ、行くか」

 

「ええ」

 

 幻想郷は強固で脆い。正直――いつまで持つのかと、不安が拭えない。

 今回の一件でより強い危機感を覚えるも、暴れるだけが取り柄の健康焼き鳥マニアが騒いだところで、どうにもならない。

 だったらやれることは一つ。竹林に迷い込んだ人間を救出するだけだ。

 

 

 

 その後、藤原妹紅は唯一の()()と共に竹林を回り、彼女を永遠亭に送り届けたのち、自宅でゆっくりと眠りに就くのであった。



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第148話 ノクターンデビルと七曜の魔女

 竹林で妹紅と輝夜が決闘した次の日の真夜中。

 紅魔館二階のテラスにてレミリア・スカーレットとパチュリー・ノーレッジは紅茶を片手に会話を楽しんでいた。

 

「昨日はやかましかったねぇ」

 

「竹林で月のお姫さまと警備員が喧嘩していたらしい。咲夜が言っていた」

 

 レミリアが口を開けば、本を読むパチュリーも喋る。いつもの日常だ。

 

「にしても夜通しはやりすぎよね。おかげで紅茶が楽しめなかったじゃない」

 

「なら、どうして止めにいかなかったの? レミィなら注意できたでしょうに」

 

「竹林は……私の縄張りじゃない」

 

 そう告げたレミリアだったが、ほんの一瞬だけ表情が硬くなる。

 パチュリーは持参した魔道書のページを捲る手をピタリと止めた。

 

「本当にそれだけ……?」

 

「どういう意味かしら、パチェ?」

 

「そういう意味よ、レミィ」

 

「……」

 

 古くからつき合っている友人は全てお見通しだ。

 地上を照らす月を見上げながら吸血鬼が答える。

 

「暴れたくなる理由もわかるからよ」

 

「まだ引きずっているのね?」

 

「不老不死といっても中身は人間。青くさいわよねぇ」

 

 魔力を帯びた月光を浴び、紅く燃え上がる不死鳥の爪と虹色に煌めく龍の牙が激突する光景を思い出しながら、緋色の主は優雅に紅茶を啜る。

 一方のパチュリーは不満げな態度を見せる。

 

「そうじゃない」

 

「どういうこと?」

 

「引きずっているのはレミィじゃないのって意味」

 

 瞬間、何とも言えない空気がテラスを包んだ。

 さすがの吸血鬼も正面から問いかける親友相手に嘘はつけない。

 

「そりゃあ、ねぇ……。私があのとき田端を逃がさなければ……色々、変わったかもしれないじゃない」

 

 子分たちから妨害にあったとはいえ、逃がしたのは事実だ。彼女が取り押さえていれば少なくとも爆弾による自殺は防げた。

 残りの幹部も捕縛し、スマホから情報を引き出せれば実行犯に繋がる証拠を押さえられたかもしれない。

 

「そうかもね」

 

「ズバッと言うわね……」

 

 嫌がるレミリアだったが、パチュリーは言葉を続ける。

 

「だけど、変わらなかったかもしれない。気にしすぎないほうがいい。他の有志たちみたいになる」

 

「でもねぇ……」

 

 普段の彼女なら軽く割り切って次のパーティーの催しものでも考えるはず。

 余程、堪えているのだと察した魔女は席を立ってレミリアの側に歩み寄る。

 

「全ては運命だった」

 

「運命……?」

 

「そう、運命。自分勝手に生きてきた者たちが急に連携なんて取れるはずがない。表から迷い込んだ日本のホームズとワトソンがいたから辛うじて組織の形になったけど、最後の最後で崩壊した。

 個々の抱える事情、連絡不足、テロリストたちの覚悟、狩人の意地、それと得体の知れない外来人の黒幕。これだけの要素があったのよ? この結末が自然なのよ。これを運命と言わず何を運命と言うのか」

 

「冷静な見方ね」

 

「そういう訳で、責任は皆にある。レミィだけじゃない。当然、ひとりでいかせた私も配慮が足らなかった。せめて参謀へ同席できるようにかけ合うべきだった。だから必要以上に自分を責めなくていい」

 

「パチェ……」

 

 ニヒルで不器用な友人が遠回しに自分を励ましてくれている。

 レミリアは急に嬉しくなり、暗かった顔に笑顔が戻った。

 

「ありがとう。昔から頼りになったけど、今のパチェは別人かってくらい頼もしいわ」

 

「一応、紅魔館の頭脳だから」

 

 ちょっと前まで毎日、図書館で魔法の研究に没頭していた彼女がこの変わりようだ。

 どこか違和感を覚えたレミリアが顎に手を当てながら訊ねる。

 

「それにしても変わったわよね……。もしかして杉下右京の影響?」

 

「ないとは言えない。あの人間には二回負けている」

 

「チェスとレミリア・ジャッジメントね」

 

「そう」

 

 頭脳戦を得意とする自分が特殊な能力を持たない人間相手に二度も敗北した。

 怒るとまではいかないが、プライドを大きく揺さぶられ、思うところがあった。

 それがパチュリー・ノーレッジの危機意識を強くしたのだろう。

 しかしレミリアは腑に落ちない。

 

「けど、チェスは二戦目で勝利しているから引き分けよね? レミリア・ジャッジメントだって稗田阿求の異常なまでの観察力と機転に負けたようなものでしょ? 杉下右京はあまり関係ないと思うのだけれど」

 

「稗田阿求のフォローは見事だったけど、それをアシストするように彼は仕かけた」

 

「どういうこと?」

 

 パチュリーが詳しく説明する。

 

「私と稗田阿求との会話で彼は私が占うのは彼女だと予測していた。外れることがわかっているから、この機会に私を吊らせたかった。そこで自身を疑った霊夢を退場させれば相方が上手くやれるだろうと考えた。

 私が占った本居小鈴を襲撃するのも手だけど、彼女はゲームに不慣れで友人を頼っていた。終盤までいてもらったほうが都合がよい。魔理沙が私を疑うのは目に見えていたし、論理的な彼の部下も私を怪しむはず。レミィは私寄りだから安易に狙うと反撃の起点にされる可能性が出てくる。参加者の傾向を加味した上でゲーム全体を考えるなら霊夢を退場させるのが最適だった」

 

「あの人間、そこまで考えていたの?」

 

「ある程度は考えていたんじゃないかと思う。よってあのゲームは稗田阿求と杉下右京のコンビに敗北したと言って差し支えない」

 

「さすがは私たちを指揮した人間ね。大したものだわ」

 

 力で劣る人間でありながら、妖怪と対等に渡り合える頭脳と胆力で幻想郷を探索するだけでなく、有事の際は指揮官として活躍した異質な存在。

 やらかしたとはいえ、幻想郷側にも落ち度がある。マイナスを差し引いても杉下右京は有能であり、一部の猛者たちは未だに特別視している。

 

「幻想郷における《U.N.オーエン》となるのは彼だと思ったんだけどねぇ……」

 

「本当は里の中に隠れていた。盲点だった」

 

 狂気は外側からやってくるのではなく内側で育っていた。

 力を持たない人間如きに何ができる。こうした慢心が幻想郷を危険に晒した。

 結果こそ大惨事だが、妖怪そのものは無傷。里の反乱分子も一掃できた。問題は無事、解決へ向かっている。

 それでも七曜の魔女は浮かない様子だ。

 

「今回の事件を受けて、里の中で妖怪の活動が制限されるのは時間の問題。今後は里に出入りしづらくなり、どの勢力も政治や経済を含む、様々な活動に支障をきたすはず」

 

 賢者は妖怪たちが人里を刺激して反乱を招いたことを口実に妖怪の活動を制限するつもりでいる。

 そうなれば里は妖怪たちの手から隔離された空間となり、中立地帯として機能する。

 これは妖怪の有識者たちの間で話題となっていることだ。

 その頭脳であらゆるパターンが予測可能なパチュリーにとってそれは深刻な問題へと繋がりかねないとの懸念があった。

 彼女が唸るのと同時にレミリアも別の問題で頭を悩ませる。

 

「困ったわ。せっかく《レミリア・ジャッジメント》を商品化して売ろうと思っていたのに……」

 

 直後、パチュリーは真顔のままレミリアを見やった。

 

「レミィ――()()を売るつもりだったの?」

 

「ん? そうだけど?」

 

「何故?」

 

「だって、幻想郷用にローカライズされたゲームなのよ? 里は空前のミステリーブーム。里人の間でも流行するに決まっているじゃない。上手いことルールブックを作り、役職の書かれたカードを用意して難易度を人間向けに調整、販売すれば紅魔館の知名度を上げるきっかけになる。それに――」

 

「経済活動に本格参入できた。ってところ?」

 

「その通りよ。紅茶だけじゃ足りないでしょ?」

 

 天狗は新聞、狸は人間を装って里へ干渉したように、レミリアたちもまた商品販売で干渉を試みたのだ。表向きの理由は小遣い稼ぎ、レミリアのきまぐれなどだが。

 

「里で行動する理由が増えれば無理なく情報収集ができる、か……」

 

「おまけにゲームを流行らせれば我々のイメージをよくできるかもしれないじゃない?」

 

「怖れを得るという観点から言えばマイナス」

 

「人心を得るにはちょうどよいわ」

 

 彼女の言葉にパチュリーが目を細める。

 

「レミィも……《里の支配者》に立候補するつもりだったの?」

 

「他の妖怪や新参どもの好きにさせたくないってだけよ。すでにメディア方面は天狗に、信仰方面は宗教家の連中に抑えられているから、こちらは常に不利だった」

 

「現状、向こうの情報操作に対抗する術がなかったものね」

 

「アイツらが調子に乗らないように立ち回りたかった」

 

「経済面に影響を及ぼせば、妖怪や里も紅魔館を無視できなくなるか。ふむ……」

 

 本当の狙いは情報収集と印象操作である。

 賢者と博麗の巫女がいる限り、表だって仕かけてもいずれは手を引かねばならなかったが裏から手を回すのであれば黙認されてきた。

 妖怪にも生活がある。一定の怖れや収入を得る行動は致し方なかったのだ。今までは。

 

「結局、頓挫しそうだけどね……。そうした活動が人間にストレスを与えて暴動へと駆り立てたのだからねぇ。仕方ないか」

 

 レミリアが肩を落とす。

 

「仕方ない、か……」

 

 パチュリーは口元に手を当てながら何かを考えており、納得していない様子だ。

 

「どうかしたの?」

 

「いや、何でもない。ただーー」

 

 言葉を濁そうと思ったが、相手は親友だ。必要以上に隠しごとはしたくない。

 

「この騒動で誰が一番、得をしたのかって考えただけ」

 

 頭上に広がった美しい幻想の夜空の先で嗤う賢者を思い浮かべながらパチュリー・ノーレッジは、

 

「(全てはあの女の計算か)」

 

 その真意にたどり着き、強い不快感を覚える。

 

「(あらゆる事態を考慮しておかないと)」

 

 不安そうに自分の顔を覗くレミリアに彼女は「大丈夫よ」と告げてから再び席に着いた。

 そして、幻想郷を覆う見えない結界を睨み、

 

「(幻想郷に依存しすぎるのは危険。万が一に備え、次の移住先を探しておこうか)」

 

 ひそかに決意した。



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第149話 楽園の素敵な巫女

少し短めです。


 無数の雲が大空を覆い尽くす平日の昼前。

 今日の人里は、朝から雨が降らないうちに梅雨入り対策をすませようとする主婦たちが買いものに勤しんでいる。

 競争とまではいかないが、ときおり欲しいものを先に取られて険悪なムードを漂わせる、ごくごく普通の日常が展開されていた。

 そんな人里を遥か遠方から見下ろすように博麗神社は建っている。

 縁側で家主である巫女がひとり座って、茶が入った湯呑を手に取る。

 

「はぁ……」

 

 彼女は博麗霊夢。幻想郷のバランサーを務める妖怪退治屋の少女である。

 紅魔館を始め、数々の人外勢力と戦いを積み重ねた故、対妖怪戦においてその強さは抜きん出ており、並みの人間相手では勝負にすらならない。

 実績から見て、幻想郷最強の人間だろう。

 その能力故、霊夢は自らの力――とりわけ才能に強い自信を持っていた。

 三ヶ月前までは。

 脳裏に浮かぶのは血と悲鳴の惨劇、自殺した狩人、正体のわからない黒幕、それと。

 

「あの人たち、元気にしているのかしら?」

 

 眩しいまでの正義と矜持を持った紳士、杉下右京と同じく志を共にした神戸尊の特命係ふたり組。

 幻想郷で一緒に行動していた際はときに観光を楽しむ客人、ときに真実を暴こうとする厄介者、ときに良識ある大人、ときに味方。状況によってカメレオンの如く変化し続ける彼らにペースを乱されてばかりだったが、思い返せば憎めない連中だった。

 しかし別れは突然、訪れる。知人であり、上司のような存在である八雲紫がふたりを強制的に追放したのだ。当初、話を聞かされた霊夢は住民の記憶操作も相まって彼女の行為に酷く腹を立て、スペルカード片手に決闘を挑み、闘争心むき出しで戦った。

 決闘は数時間にも及ぶが、怒りで我を失いつつある霊夢を心配した他の妖怪や仙人に制止され、戦いは強制的に中断された。

 最後に紫から「ああ、するしかなかったのよ。結界に影響が出る前にね」と諭されて、業腹ながらも矛を収めた。

 しばらく誰とも口を利かず、神社に引き籠っていた。しかしながら()()()()()()と言われれば納得せざるを得ない。それが博麗の巫女という役割だと言い聞かせ、彼女は神社を再開した。

 刹那、曇天が僅かに揺れるのを感じた。彼女は懐に手を伸ばし、札を掴む。

 同時に見知った天狗が霊夢の前に着地した。

 

「どうも()()()()所属の射命丸です」

 

「なんだ、アンタか」

 

 文だった。

 彼女は結社騒動の後、可能な限りの言い訳を並び立てて何とか妖怪の山に戻り、記者としての活動を再開していた。

 憎たらしいスマイルにいつもの霊夢なら見かけ次第、排除を試みるのだが。

 

「なんか用?」

 

 視線を合わせず、ぼやくように返事をするにとどめた。

 空気を読まない系ジャーナリストの文もその態度に軽く引いてから「いや、その……」と言い淀んだ。

 気まずい空気のでき上がりである。

 会話が途切れたのを悪いと思ったのか霊夢が自分から「……新聞?」と問いかけた。

 返事に困りつつも文は「違います」と言って、カバンから文字が印刷された一枚の紙を取り出す。

 

「これを届けて回っているのよ」

 

「何それ」

 

「妖怪向け、里を利用する際の心得。その改訂版」

 

「改訂版?」

 

「ええ、この前の事件を受けて賢者がルールをつけ加えたのよ」

 

「なんですって!?」

 

 スイッチが入ったように驚いた霊夢は「ちょっと見せて――」と文から無理やり改定の内容が書かれた紙を奪い取った。

 ルールを食い入るように見つめ、文字をすばやく読み進めながら追加された条文にたどり着く。

 

「『年内に限り、妖怪の里への出入りを夜以降に制限する』『有事を除き、里内でのスペルカードバトルを全面禁止とする』『里で布教および経済活動をする場合、必ず幻想賢者代表:八雲紫に話を通して許可をもらうこと。これには現在、活動している内容も含まれる』」

 

 霊夢が読み終わったのを見計らって文が補足を行う。

 

「今回の事件を受けて、幻想賢者は里をスペルカード施行以前に戻すつもりのようです」

 

「ふーん……。そう」

 

 気怠そうに文へ紙を返した霊夢は再び、茶を含んだ。

 ふて腐れているのか、それとも諦めて受け入れたのか。

 文は彼女の心中を測りかねている。

 

「それだけ……? 何かコメントとか――」

 

「ダメなの?」

 

 霊夢が遮るように言った。

 

「いや、そういう訳じゃ……」

 

「ならいいでしょ? 私にだって言いたくないことの一つくらいある」

 

「……」

 

 不機嫌を上まで表した博麗の巫女の威圧は普段、癇癪を起こしているときとはわけが違う。

 これ以上、追求すれば問答無用で決闘になると直感した文は両手をパタパタと振った。

 

「わかりました。もう訊きません」

 

「ならいいわ」

 

 そう言うと彼女は何事もなかったかのように顔を上げて曇り空と向き合い、ため息を吐く作業に戻る。

 元通りになるのはしばらく時間がかかるだろう。

 この空のように曇った霊夢の心を見た文は目線を地面に落として、

 

「今日はこれで失礼します」

 

 セールストークもせずに退散していった。

 

「やけに素直ね。いつも、ああだったらいいのに」

 

 微かに鼻を鳴らした。

 

「里に妖怪が入らなくなる。よい傾向だわ。人と妖怪は必要以上に慣れ合っちゃいけない。きっと…………これでいいのよ」

 

 幻想郷は全てを受け入れる。そして巫女もまたそれを受け入れる。

 世界は変わっていくが、本質は変わらない。

 それは悲劇かそれとも幸福か。

 バランサーの博麗霊夢にとって何より重要なのは秩序を守ること。

 彼女はこれからもその本分を全うし続けるだろう。

 平和への想いを心のどこかに秘めながら。



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第150話 亡霊の推理と賢者の信念

 日が落ちて、常闇に包まれる幻想郷。その一角には幽霊たちの世界が存在する。

 亡霊の女王、西行寺幽々子は白玉楼の庭先でとある人物の到着を待っていた。

 

「遅いわねぇ」

 

 相手はあまり時間を守らず、胡散臭くて何を考えているかわからないと言われる曲者だ。

 またどこかで油を売っているのだろう。月を眺めながら彼女は思った。

 数分後、正面上空が裂けるようにぱかっと開き、そこから夜の闇とは異なる黒い世界と無数の目玉が出現した。

 間髪入れず中からひとりの少女が飛び出して幽々子の目の前に着地する。

 

「ごめんね。遅くなったわ」

 

「もう待ってたわよ。紫」

 

 やってきたのは八雲紫である。

 

「色々、必要な買いものしていたら時間がすぎていてね」

 

「もしかして私へのおみやげとか?」

 

「今日は買ってきてないわ」

 

「えー、何も買ってきてないの?」

 

「その代わり、自宅からこれ持ってきたから」

 

 紫はスキマから日本酒を取り出して見せた。

 幻想郷ではお目にかかれないパッケージに幽々子はふむふむ、と口を動かす。

 

「表の日本酒?」

 

「そうよ。辛口で美味しかったから、今日はこれで一杯、やりましょう」

 

「妖夢が作った食事と合いそうね」

 

 そう言って紫を自宅に招き入れ、宴が始まる。

 従者が作った日本食が並ぶ座卓を囲み、酒を片手に会話が弾む。

 

「この料理ってちらし寿司?」

 

「そうよ、川魚を使って作らせたの。ちゃんと火は通っているから安心して。他にもかっぱ寿司とかもあるわよ」

 

「へぇー、いいじゃない。幻想郷でお寿司なんて」

 

「他にもバラ焼きなんかも作ったわよ」

 

「バラ焼きって、十勝バラ焼きのこと? 結構、マイナーよね」

 

「ま、せっかくだし食べてみて頂戴」

 

 幽々子が手を挙げると割烹着姿の妖夢が食事を運んでくる。

 お盆に乗っているのは醤油が香るバラ焼きだった。

 

「あら、美味しそう!」

 

 酒が入っているのか機嫌のよい紫は妖夢に「ありがとう」と言ってから箸を伸ばす。

 口に含んだ途端、醤油のしょっぱさとリンゴの甘さが混ざったタレがよく肉に絡み、よい味を出す。

 紫は「うん、美味しい――このお酒に良く合うわ」と満足した。

 宴が進むにつれ、スキマ妖怪の口から表の話が出てくる。

 特に政治や経済、テクノロジーの話題が多く、とりわけ世界情勢には感心があるのか、自分なりの考察を交えて解説する。

 幽々子は相槌を打ちながら「相変わらず、何を言っているのかわからないわねー」とその内容のほとんどを理解できなかったが、彼女との会話が楽しいので不満はなく、お酒を片手に笑顔を作っていた。

 

「表の話ばかりで申し訳ないわね」

 

「いつものことでしょ? 気にしないで続けて」

 

 癖が強く、内容も幻想郷の住民であれば意味不明な紫の話を幽々子は聞き続けられる。

 おまけに聞き上手で「それってどういう利点があるの?」「そういうことだったのね。意外だわ」「へー、すごいじゃない!」と紫の言った言葉に適切な反応で返す。

 少々、感覚がずれている部分もあるが他者を惹きつけて離さない才能を持っている。

 紫と仲よくできるのもこれが理由だ。

 互いの腹も膨れ、食事の終わりに差しかかる。

 空気を読んだ妖夢が座卓の食器を静かに台所へ運び入れる。

 後ろ姿を何気なく眺める紫が言った。

 

「ここで何度も食事をしてるけど、今まであんな料理出たことなかったわね」

 

「最近、教えてもらった料理なのよ」

 

「誰に?」

 

 ニヤリと笑いながら訊ねる紫に幽々子が答えた。

 

「特命係の杉下右京」

 

「へー」

 

「あの人、料理が上手かったのよ。表の西洋料理から日本料理まで色々作ってくれたわ。おかげで毎日の食事がより楽しくなったの。もう少し、あの娘に料理を教えてもらえばよかったなって思ったくらいにね」

 

 いつも通りのテンションで語る幽々子。

 一方の紫は彼女の目をジッと見つめた。

 

「あの人間が優秀な料理人でもあったなんて知らなかったわ」

 

「私も妖夢が接触するまではわからなかった。幻想郷の闇を暴こうとしているかもって、皆が警戒していたから、どんなものかと身構えていたけど、蓋を開けてみれば一風、変わっただけの紳士。有能だけど人間の域を出ない。当然、妖怪には勝てない」

 

「そうね。私たちとの差は歴然だわ」

 

「だから追放でとどめたのね。今後の方針のために」

 

「ええ」

 

 幽々子が一連の会話で何を考えているのか。紫は深い所まで理解して頷いた。

 その上でさりげなく。

 

「……怒ってる?」

 

「別に」

 

「ホント?」

 

「本当よ。大方、()()()()()()()()って予想していたからね」

 

 ポツリと零す幽々子の言葉に紫が再度、訊き返す。

 

「ちなみに、どんな予想をしてた?」

 

 紫の雰囲気に妖艶さが滲み、妖怪としての本性がチラチラと見え隠れする。

 幽々子は「何よ、怖い顔しちゃって」と気にかけないながらも彼女の意図を察し、珍しく真面目な態度に切り替えた。

 

「追放の件? それとも……事件について?」

 

「両方」

 

「わかりました」

 

 コホンと咳払いして幽々子が自らの意見――いや、推理を披露する。

 

「霊夢たちの証言によると、今回の事件は幻想入りした外来人が黒幕で、里の狩人見習いを唆したことで発生した。その黒幕は表から定期的にやってくる外来人、宇佐見菫子を誘導して情報を引き出した」

 

「そうね。中々、強かなヤツね。一応、菫子からも事情を訊いたけど、本当に何も知らなかったみたい。以前、喋るなと釘を刺しておいたのだけど『テンションが上がってつい……』って言っていたわ」

 

「想像以上に口が軽かったのね」

 

「まったくこれだから最近の女子高生は……っと、余計だったわね。続けて」

 

「でもって黒幕は工作活動をすませた後、外へ逃亡していた。一度、結界の外に出た相手を探索するのは困難。追跡手段も限られる。そこで捜査を得意とする特命係を利用して探し出したいと考え、追放処分にとどめた。でしょ?」

 

「その通りよ」

 

 紫は四人目の名探偵の推理にパチパチと拍手を送った。

 

「で、特命係の調子は?」

 

「それがねぇ。あまり進んでないみたいなのよ」

 

「あら、そうなの?」

 

 優秀な刑事の彼が手こずっている実情に首を傾げる幽々子。

 紫がその理由を語る。

 

「あっちに出向いて観察していたんだけど復帰早々、複数の事件解決に乗り出したみたいで、幻想郷から帰還して一か月で二つの事件を解決したのよ。一つは少年犯罪絡み、一つはここ以外の隠れ里からやってきた人間が起こした事件」

 

「一つ目はわかるけど、隠れ里……? ここ以外にもあったのね」

 

「といっても人間が作った結界もない小さな集落――素朴な楽園だったわ」

 

「へー、世界は広いのね」

 

 現代社会に絶望したとある人物が創り上げた新世界を紫は素朴な楽園と評し「子供の遊びにしては上出来ね」と思い出して微笑んだ。

 

「二つの事件を解決した杉下右京はイギリスへ旅行に出かけたの」

 

「イギリス? もしかして犯人を追いかけて?」

 

 幽々子が疑問を呈すると紫は肩を竦める。

 

「周囲はいつもの観光だと言っていたけど、実際はどうなのかしら」

 

「で、追ったの?」

 

 彼女が訊ねた途端、紫の目が横へそれる。

 

「追ったわよ。でも途中で見失ったわ」

 

「え、紫が?」

 

「ロンドンの街に詳しいみたいで、路地裏で撒かれたの。全く、用心深いったらありゃしないっ」

 

「あらあら、やり手じゃないの彼」

 

「何がおかしいのよ……」

 

 あの紫が尾行を撒かれたという話に対し、幽々子は膝元に置いた扇子で口元を隠して笑った。軽くため息を吐いた紫が続ける。

 

「それでね。ようやく居場所を特定したときにはすでに飛行機の中。先回りして東京に帰ってみたのだけど、到着時刻になっても帰ってこないのよ。聞けば、その足で北海道へ向かって行方不明になったのよ」

 

「行方不明……」

 

「そうそう。今度は北の孤島、天礼島ってところなんだけど、飛行機内で乗客と雑談中に事件のにおいを嗅ぎつけたらしいの。けど、そこの島の連中に一服盛られて、危うく始末されそうになった」

 

「……それで?」

 

 若干、声のトーンを落とす幽々子に紫はニヤリと口元を動かす。

 

「現在の相棒が助けに入って、杉下右京を救出。そのままふたりで犯罪者たちを捕まえて事件を解決した。噂では島の犯罪者連中はロシアに感化されたテロリストで《デーモンコア》を所持していたそうよ。一歩間違えば大惨事だったわね」

 

「よくわからないけど、お手柄だったってこと?」

 

「お手柄もお手柄よ。本来なら表彰されてもおかしくない。ま、窓際部署には関係ないのだけど」

 

「頑張っても認められない。よくもそんな環境に居続けられるわねぇ」

 

 狂人なのか変人なのか。亡霊の女王を以てしても杉下右京を完全には理解し切れないようだ。

 それは幻想賢者も同様である。

 

「シャーロック・ホームズもびっくりな変わり者よ。無事、北の孤島から帰還しても勝手に事件を追いかけて解決してるんだから。仕事の合間を縫ってちょくちょく、ひとりで抜け出しているって部下が愚痴ってたから、黒幕について調べているのだろうけどねぇ。あまり教えてくれないのよ。クレバーな元部下も同様にコソコソ活動しているから情報は得られないし」

 

「警戒されているのね」

 

「ちょっと、意地悪しすぎたかしら?」

 

「大分ね」

 

「私としては()()()()()()つもりだったのだけれど」

 

「妖怪と人間の考え方は違うわ。能力がピンからキリまでの妖怪とそこまで大差がない人間ではね」

 

「うーん、難しいわねぇ」

 

 種族によって力や容姿が大きく異なる妖怪と力も容姿もある程度、決まっている人間とでは考え方に差が出るのも当然だ。

 生まれ持った力の強さがそのまま性格と行動に直結している。紫のような強者ならなおのことだ。

 唸る彼女に微笑みながら幽々子は「話が逸れたけど、事件についての予想、聞く?」と訊ねた。

 紫は「もちろん」と言って推理に耳を傾ける。

 

「事件の内容は稗田阿求から聞かされたわ。後半まで上手くいっていたけど、最後の最後で追い詰められた狩人見習いが暴走し、死傷者多数を出す前代未聞の事件に発展した。その後、狩人は杉下右京との一騎打ちで敗北。自ら、毒で命を絶った」

 

「あのテロリストがあそこまでぶっ飛んでいたとは思わなかった。予想の上をいかれたわ」紫がクスッと笑う。

 

「結果、あなたは特命係を追放。里人の記憶は曖昧にされ、細かいところは里の有識者たちに手伝わせた。対応に納得のいかない人間や人間の肩を持つ人外勢力があなたに文句を言ってきた。するともうひとりの賢者、摩多羅隠岐奈があなたを庇うように出てきた。彼女は『私らが尻拭いした』と言って反対勢力をスペルカードで返り討ちにした。そこから約三ヶ月後、これが発行された」

 

 そう言って幽々子は配下の浮遊霊に文が持ってきたと思われるルール改定の紙を手元に寄越させ、紫に見せた。

 紫は「そうね」と相槌を打つ。

 

「追加された内容は『年内に限り、妖怪の里への出入りを夜以降に制限する』『有事の際を除き、里内でのスペルカードバトルを全面禁止とする』『里で布教および経済活動をする場合は必ず、幻想賢者代表:八雲紫に話を通して許可をもらうこと。これには現在、活動している内容も含まれる』の三つ。

 最初の一つ目は隠ぺいが済むまでの処置よね。変に記憶を意識されると面倒だから。二つ目は人々への迷惑を考えて……ではなく不満を溜めさせたくないから。第二、第三の結社を生みたくないものね。せっかく、反乱分子を一掃したのだし」

 

「察していたのね」

 

「だけど、一番大事なのは三つ目の内容。布教活動と経済活動に待ったをかける。これが目的だったのね」

 

「目的?」

 

「表向きは里の安定化を図る政策に見えるけど、本当は人外勢力の活動把握と制限が狙い。もし無許可での活動や嘘を吐いていたら、テロを引き合いに強制的に止めされることができる。ここのところ新参勢力の干渉が目立ち、焦った中堅、古参勢力が密に里への介入を始めた。一時的な怖れは得られるけど、妖怪と人間の距離が近くなるのは長期的に見ればマイナスよ。基本的に人外連中は自分勝手な行動を取る。口で言っても裏で好き放題やる。その真っ只中で起こった里人主体のテロ行為。人間側の記憶が消えたとはいえ、大惨事を引き起こした事実は消えない。つまり()()が出来上がったのよ。妖怪たちの里への干渉を制限するだけの、ね。

 これで《里の支配者問題》は実質、解決。里は中立地帯から一種の聖域としてその役割を移し、幻想郷の新体制が構築される。これがあなたたち幻想賢者のシナリオでしょ? テロを上手に利用して()()()()()()()()()()()を作るための。……違うかしら?」

 

「……………………アタリ。さすがだわ、幽々子」

 

 再び紫は拍手を送った。先程よりも大きい拍手に幽々子が笑みを浮かべた。

 

「結構、憶測も入ってのだけど、当たったみたいでよかったわ」

 

「ホント、いつの間に探偵になったのよ?」

 

「亡霊の女王ですから。これくらいはね」

 

 閻魔から冥界の管理を仰せつかう者とあって幽々子はキレのよい推理を披露した。紫は右京のときとは違って、真相へ近づいた親友を素直に賞賛する。

 敵と味方に対する態度に温度差があるのは当たり前だが、スキマ妖怪は敵にも味方にも壁を作って接しており、本心を語ることも少なければ、語っても演技のような胡散臭さを出すため、敵味方共に信用されない存在である。

 そんな彼女が腹を割って話せる数少ない友人が西行寺幽々子だ。

 幽々子の推理を賞賛したということは、この推理は大方、正しいのだろう。

 これ見よがしに亡霊の女王が紫にこのように持ちかけた。

 

「当たったついでにいくつか私の質問に答えてくれない?」

 

 愛想のよく訪ねているが、その腹の中は異なっている、と紫は気がつくが「いいわよ、内容次第だけど」と、含みのある言い方で応じる。

 一呼吸、置いて気合を入れた幽々子が質問する。

 

「聞きたいことの一つ。田端が率いた秘密結社のテロ活動は自然に起こった、それともあなたたち幻想賢者が意図的に起こした、どっち?」

 

「ふふっ、そうくるのね」

 

「せっかくだから教えて頂戴よ。楽しませてあげたんだから」

 

「あらあら、ずいぶん高くついたわねぇー」

 

 食事と余興の代金にしては少々高すぎる。不満を顔に出すも友人の笑顔に根負けした紫は肩を竦めながら「わかったわ。答えて上げる。ただし条件がある」と切り出した。

 

「それは?」

 

「杉下右京と特命係、その関係者たちに一切口外しないこと。もちろん()()も含めてね」

 

 人差し指をピンと立てて挑発じみたポーズを取る。

 どうやら幽々子が表を彷徨う幽霊にコンタクトを取り、幻想郷の情報を伝えたことを知っていたようだ。

 幽々子は「元々、そのつもりはないわ。アレは彼への未練のせいで成仏できない上司の幽霊に同情しただけだから」と述べて紫を「あらあら、そうですか」と笑わせた。

 約束に同意したと見なし、紫が回答する。

 

「お答えしましょうか。秘密結社の事件に私たち幻想賢者は関与していない。その関係者も含めてね」

 

「外来人の黒幕が自らの意思で引き起こした事件なのね。手引きしたとかは?」

 

「それもない。さすがの私でも大義名分欲しさにテロの計画なんてしない。割に合わないから」

 

「確かに。紫が幻想郷を危機に晒したがるはずないものね」

 

「その通り」

 

 紫は幻想郷を非常に大事に思っている。彼女が危険思想を持つ外来人など招く訳がないのだ。

 

「ということは定説通りなのね」

 

「そう。だから一刻も早く見つけ出そうと頑張っているの。背後関係を洗い出したいから」

 

「外部の妖怪が関わっていないとも限らないものね」

 

 黒幕の正体が単なる人間だとしても、その背後の妖怪の影があれば事件は外来人のテロから外部勢力の宣戦布告に変化する。幽々子が危惧するように紫もまた同じことを考えていた。

 

「余所の連中が売った喧嘩ならこちらも報復も検討しないと」

 

「物騒な話ね。場合によっては殺し合うハメになりそう」

 

「あり得ない話ではないわ」

 

 過去に紫は月の幻想郷にも戦争を仕かけている。その気になれば戦いも辞さない好戦的な気性を持っているのだ。

 かなりの厄介事に発展するかもしれない。察した幽々子はチクリと言った。

 

「だったら尚更、特命係と仲よくしておくべきだったわね。嫌われているところを見るにかなり厳しくあたったんでしょ?」

 

「しつこく質問されたから『ノーコメント』って言い返しただけよ」

 

「どんな質問内容だったのやら……」

 

「ものすごーく、鬱陶しい質問かしらっ」と紫は嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「あらら、やっちゃったのねぇ」

 

「な、何人か、怪しいヤツはピックアップしてるし」と苦し紛れに小声で呟いた。

 

 真実を暴くためなら多少の無茶も辞さず、どんな相手に対しても物怖じせず追求し、権力と暴力に一切屈しない。理想の警察官と幻想の賢者が合い入れるはずもなく、議論がどのように進んだのか容易に想像できる。

 もう少し互いに融通を利かせていれば落としどころもあったんじゃないのか、と幽々子は思ったが、種族は元より両者の掲げる信念の性質が()()であると理解し「水と油だものね」と納得した。

 

「それもこれも隠岐奈が黒幕を逃がすからこうなっているのよ。何が『心配ない。相手は人間だからすぐ介入しなくても大丈夫』よ。留守を頼んで失敗だったかしらー」

 

「……ま、あの賢者ではそうなるわね」と紫の愚痴に幽々子は静かに相槌を打った。

 

「あれもズレてるのよ。あえて幻想郷を危険に晒そうとするし」

 

「古典的な神さまって感じね」

 

「調子に乗ってるのよねー。そのうち痛い目にでも遭わせてやろうかしら?」

 

「返り討ちにされないようにね」

 

 最近、幻想郷でよく名前を聞くようになったが、相手も古くから住む幻想賢者のひとり。正面から戦えば互いにタダではすまない。幽々子が心配するも紫は「大丈夫、この私よ?」と豪語する。

 意外と大雑把だからね、と懸念材料はあるが幻想郷一、悪知恵が働くので上手にやるのだろう。幽々子は納得して次の質問を振った。

 

「じゃ、次の質問です」

 

「はいはい、どうぞ」

 

「テロ発生後、幻想郷に帰ってきたのはいつ?」

 

「……う~ん、いつだったかしら?」

 

 質問が耳に入った途端、紫は頭を捻って考える素振りを見せた。片や幽々子が吐息を吐き出すように。

 

「事件の()()だったんじゃないの?」

 

「…………どうだったかしら、ね?」

 

「とぼけないで頂戴ね?」

 

 笑顔で圧力を受ける。徐々に紫の口元が歪み始めた。

 

「どうしてそう思うの?」

 

「幻想郷を愛するあなたが隠岐奈の話を聞いただけで納得する訳がない。自分でも調べたはずよ。里がどうなっているのか。犯人が誰なのか、人間か妖怪かってね」

 

 用心深い紫が他人の話だけで納得するはずがない。もっともらしい考えだが、それだけでは追求するにはまだ足りない。彼女が傍観していたという事実は隠岐奈と特命係しか知らないのだから。

 

「帰ってきたときには全て終わっていた。そう言ったらどうする?」

 

 紫の返答に幽々子は「それはないわね」と言って推理を披露する。

 

「さっき紫は『隠岐奈が黒幕を逃がすからこうなっているのよ』と言ったわね? 続けて『心配ない。相手は人間だからすぐ介入しなくても大丈夫』とも」

 

「そうだけど……」

 

「『黒幕を逃がすからこうなっている』というのは過去の話をしているから問題ないわ。だけど『心配ない。相手は人間だからすぐ介入しなくても大丈夫』は違う。もし、全てが終わったときに話を聞いたのなら()()()の部分が()()()()()()になるはずよね? だって留守番していたグーダラ賢者はあなたに()()()()をしているのだから。ーーつまり、あなたが隠岐奈から話を聞いたのは事件発生中だったと考えるのが自然よ」

 

「……」

 

 紫は無言で耳を傾けている。

 

「だとすると全ての辻褄が合うわ」

 

「辻褄?」

 

「心配性のあなたが何故、事件が終わってから顔を出したのかよ。仮に自分のいないところで全てが終わっていたのなら大惨事を引き起こす要因となった特命係を追放程度ですませるはずがない。私の知る八雲紫なら殺さないにしても半殺しにするはずだわ。だけど、あなたは追放にとどめ、それから問題解決と体制強化に着手した。これはどういうことか。

 答えは一つよ。事件が終わる前に隠岐奈から話を聞いていて自分で調査し、彼女の主張が正しいと理解して、都合よく利用する方法を思いついたからに他ならない。そして、これが最後の質問」

 

「最後?」

 

「紫は事件発生中に黒幕の手先が人間、いや狩野宗次朗だと突き止めていた。さぁ、答えて」

 

 ここぞとばかりに怒涛の推理ラッシュを披露する亡霊の女王。幻想のモリアーティとて自身の心の内まで知り尽くした切れ者が相手であれば分が悪い。

 しばしの無言の後、八雲紫は特大のため息を吐き、両手を肩付近まで挙げて降参のポーズを取った。

 

「全て幽々子の言う通りよ」

 

「じゃあ、犯人が狩野宗次朗だと知っていて泳がせたのね?」

 

「そうよ。あの人間が何か騒動を起こして無数の里人が殺害されれば、これ以上ない政治的効果が期待できる。そう思って黙認したのよ」

 

 真実はこうだ。里で稗田一派が追放された日の深夜。八雲紫は幻想郷に帰還し、留守を任せた隠岐奈から里のクーデターの話を聞いた。

 当初は困惑した紫だったが、隠岐奈の能力を信頼している彼女はその言い分を信用しつつも実際に自分の目で確かめるべく里に潜入した。

 博麗神社のお札など境界を操るスキマ妖怪には意味をなさない。スルスルとすり抜けて、あらゆるところを調査し、里とその周辺に妖怪が潜んでいないと確証を得る。

 その途中、自身の能力を使用してバルバトスの正体が少年である狩野宗次朗だと突き止める。相手が人間なら起こせる異変も狭い。いざとなれば自身の力でいくらでも鎮圧可能だ。

 算段をつけた紫は暴走寸前の彼を無視して傍観を決め込んだのである。

 予てよりの計画を実行に移す土台とするために。

 今回の事件の謎ーーその大部分を明らかにした名探偵、西行寺幽々子は一言添えた。

 

「酷い妖怪ね。あなたって」

 

 何とも言えない表情で幽々子は紫を見やった。

 紫は「だから幽々子には言いたくなかったのよ」と零した。

 それは看破されるから、というよりも元人間の彼女を悲しませたくないとする配慮からの発言だった。

 しかし幽々子は。

 

「真実を知れてよかったわ。自分が関わった事件だもの」

 

「怒ってないの?」

 

「何となくそんな気がしていたからね。私は冥界の管理者。本来、幻想郷の民ではない。協力こそするけど方針にいちいち口を出したりしないわ。それに今後のことを考えれば幻想郷の体制強化が必要なのは目に見えていたしね」

 

 呆れとも悲しみとも怒りとも異なり、まるで全てを理解し、受け入れたような表情だった。

 友人の姿に紫は目を見張りながら「あなた……そこまでわかっていたの?」と驚いた。

 ときがきた。名探偵は最後の推理を披露する。

 

「ここ最近、表から色々な勢力がやってくるでしょ。価値観の変化など、時代の流れもあるけど、ちょっと数が異常よ」

 

「そうね。増えたわね」

 

「それって表の世界が原因なんじゃない? 急激な技術の進歩に宗教観の変化、自然破壊、気候変動。これらの要因が表で活動する妖怪たちに危機感を持たせているような気がするの。その結果、幻想郷に集まる妖怪勢力が増えた」

 

「でしょうね」

 

「そして紫も危機を感じた」

 

「妖怪に、それとも表の世界に?」

 

「どちらかと言えば表の世界――もっと言えば()()()()()()()にじゃないかしら。表にいる時間が長いのも情報収集が主な目的でしょ? (単純に暖かい場所が好きってのもあるだろうけど)」

 

 幽々子がそう述べた瞬間、とても紫は嬉しそうな顔をした。

 

「やっぱり――わかってくれるのは幽々子だけだわ……」

 

「これも当たった?」

 

「正解よ。大正解!! すごいわ。こんな話、幻想郷できるのはあなただけよ!!」

 

 今まで見せたことがないほどの笑顔を以て、心の底から親友を絶賛するスキマ妖怪。

 亡霊の女王が信頼される所以はこの頭脳にあった。普段はフワフワした不思議ちゃん扱いされるが頭が回り、相手の心の深い所まで探れる実力を持つ。

 それは稗田阿求、パチュリー・ノーレッジ、八意永琳、八雲紫、この頭脳派四人にも決して引けを取らない。社交的で掴みどころがない分、厄介さは紫と同等かもしれない。

 探偵はバーにいるのではなく楼閣にいるのだ。

 紫は己が両手で幽々子の両手を強く握った。

 キラキラと碧眼を輝かせる友人に幽々子は戸惑った。

 

「そんなに喜ぶこと? あなたと仲よくしていれば、誰でもわかると思うけど」

 

「私の友人であなたほど私を理解してくれる存在はいない。例え私の真意を知っても皆、嫌悪感を示す。だけど、あなただけは素直に受け入れてくれる」

 

「紫が幻想郷のために行動しているって知っているからね」

 

「持つべき者は友だわ!」

 

 刹那、幽々子はニヒルな笑みと共に相手から目を逸らす。

 

「その割には私に内緒で隠岐奈と仲よくしてるような気がするのだけど?」

 

「アレとのつき合いも長いのよ……。それになんだかんだで気も合うし」

 

「へー」

 

 そのまま幽々子はジト目を向ける。

 

「あ……。拗ねた?」

 

「別に」

 

「ごめんごめん、許して~」

 

「最初から怒ってないから安心して」

 

「あら、よかったわ!」

 

「変わるの早すぎ」

 

 演技なのか本心なのか。何年つき合っても八雲紫という妖怪は底が知れない、と幽々子は心の中で漏らす。

 少しばかり視点が外れ、それを元に戻すと、紫の表情が真剣なものへと切り替わっていた。

 

「どうしたの?」

 

 思わず息を飲む幽々子だったが、紫は「少し聞いて欲しい話があるの」と告げた。

 幽々子は彼女が大事な話を打ち明けようとしていると察して無言で頷き、話を聞く体勢を整える。

 彼女から手を離した紫は自分が調べてきた表の情報について聞かせる。

 

「今現在、表の文明はテクノロジーの進歩によって急速に発展を遂げている。特に情報技術と科学の進歩は目覚ましいわ。それに伴い、人間の考えも変化している。信仰は神や仏という見えない概念よりも誰でもわかる科学に取って代わられ、宗教施設は観光スポットへと変化をしつつある。

 そうした背景から人間は旧来の道徳観さえ蔑ろにする。それに伴い科学的に根拠ない概念をオカルトと断じ、日常的に目の仇にして否定し続ける。世はまさに科学信仰を軸に据えた()()()()()へ突入した」

 

「大科学時代か――まるで大航海時代をもじったような印象を受けるけど……。今の表にはピッタリな名前ね」

 

 表の世界は幻想を捨ててリアルを追求する方向へと舵を切った。この流れは誰にも止められないだろう。

 伐採される木々、汚される水と大地と空気、変わる価値観と道徳観。全てが目まぐるしく廻っていく。

 かつての自分が愛した水の惑星はどこへいきつくのか。あまりよくない未来を想像した幽々子が嘆かわしそうに唸った。

 紫が続ける。

 

「おかげで幻想郷には次々に妖怪、人外勢力が自らの居場所を求め、または知的好奇心から訪れる。幻想郷は全ての我儘を受け入れてくれる理想郷だと信じて」

 

「そして、入ってきては好き勝手に異変を起こし、皆に迷惑をかける。それを巫女たちが武力で解決してことなきを得る。その後はルールを守らせ、監視しつつも幻想郷での生活を容認する」

 

「今まではそれでもよかったわ。それは何故か? 幻想入りする勢力の規模が対処可能な範囲だったからよ。これ以上、彼らの数が増え、対処が困難になった場合、治安悪化の長期化は避けられない。さらに怖れを生み出す人間の数を越えてしまえば妖怪たちの栄養が不足する。これは無視できない問題だわ」

 

「それで妖怪向けのルールを改正したかったのね」

 

「その通り。でもね、他にも理由がある」

 

「さっき言った、世界情勢の悪化ね」

 

「ええ。世界は常に一定じゃない。テクノロジーを中心に凄まじい勢いで変化を続ける現代社会にあらゆる仕組みや概念、人間そのものが追いついていないのよ。過剰なまでの競争社会が進歩を急かしているの。変化に対応できない者はこの巨大な波に飲み込まれて沈んでしまう」

 

「技術ばかりが先行して他が蔑ろになり、適応できない者が割を食う。よくある話じゃない」

 

 幽々子のコメントに紫は首を横に振って否定する。

 

「これまでは楽観視できたけど、よくある話程度ではすまない状況になっているわ。特に隣国、日本なんかはいい例よ。昔の栄光に引きずられ、世界のスタンダートを導入できず、経済が衰退の一途を辿っている。極めて不安定な状況にあると言わざるを得ない」

 

「お隣さんがねぇ。この前ちらっと見たけど、栄えているように見えたわよ?」

 

「先進国で一番、経済的魅力のない国よ。市場としての価値は年々下がり続けている」

 

「主な原因は?」

 

「国際競争力の低さかしら。いつの時代も内側ばかり見ているのよ」

 

「あらあら、それじゃまるで幻想郷みたいね」

 

「それは……。否定しないけど」

 

 思わぬ皮肉を受け、紫は白けながら「ちょっと身も蓋もないこと言わないでよ」と言わんばかりに目を細めた。ごめんごめん、と心の中で謝った幽々子が気の利いた言葉をつけ加える。

 

「まぁ、幻想郷は表から移住してきた妖怪たちが集まった世界だから、その大半が伝統と文化を重んじる者で固まっている。内側を重視しないほうがおかしいと言えるわね」

 

「そうそう。幻想郷はそれでいいの。表とは状況が違うのだから」

 

 友人のフォローで気を取り直した紫が続きを語る。

 

「経済が悪くなれば、国民の生活にも影響を及ぼし、ちまたは失業者で溢れかえる。現状でも若者の自殺率は高く、ただでさえ少子高齢化なのに未来を支える者が高齢者よりも先に死んでいく。対策を打とうにも政治家は支持者の老人ばかり見て、若者への政策は後回し。若い人材が減って行き、能力のある若者は外へ出ていく。

 国内に残って仕事するのは無気力な若者、威張る中年、頑固な年寄りくらい。そうこうしているうちに諸外国がより力をつけて差を広げられる。そんな国に魅力を感じて投資する外国はあるかしら?」

 

「うーん、難しいわね……」

 

「これが現状なのよ。もっと酷くなると思うけどね」

 

「今年の中ごろでこれだと来年は一体、どうなっているのかしら?」

 

 2020年の未来はどうなっているのか。予想の難しい質問に紫は右手で口元を隠しながら答える。

 

「さぁね。なって見ないとわからないけど、暗いニュースばかりなんじゃないかしら?」

 

「大変ね。そんな調子だとこっちの人里と同じで終末論が流行りそうね」

 

「終末論ですめばいいけど……。未来はわからないわね。あくまで予測の範囲は出ないわ。けれど、このまま景気の悪化が続けば、いずれ」

 

「いずれ?」

 

「立ち行かなくなって、今以上に外国に好き放題される」

 

「外国に?」

 

「ええ。市場的に価値がなくなっても地政学的な価値はあるからね」

 

 いかに隔絶された幻想郷であっても隣国の影響を受けてしまう。

 紫にすれば他人事ではないのだ。

 

「……何だか複雑な話ね」

 

 幽々子にとって国防は感心のない事柄である。ましてや他国のこととなれば尚更だ。

 友人の性格をよく知る紫は退屈させないように話の軸を修正する。

 

「で、話を戻すけど、こうした競争はあらゆる分野に進化を促すけど、同時に世界中で貧富の格差を生み出す。儲かる者は贅沢な生活ができるけど、貧乏人は飢えをしのぐだけの毎日になる。そして不満がある一定まで達するとデモが発生し、それでも改善されなければ暴動が勃発するわ。大地を焼き、血を流す、不毛な内輪揉めがね。その後は抑えが効かなくなって、最終的に崩壊を迎える」

 

「人里がそれの一歩手前だったわね。こっちは精神的抑圧――いや、もしかすると精神的貧困かしらね。妖怪たちの身勝手さに心が荒んだとすれば」

 

「そうとも言えるわね」

 

「だから強引に解決したの? 里人や私たちを利用するだけ利用して」

 

「内外の妖怪たちへのアピールも兼ねていたわよ。()()()()()()()()だってね」

 

「実例を示しておけば牽制になるものね。なるほど、なるほど、さすがは賢者さまね!」

 

「まーた、嫌味な言い方を」

 

 チクリチクリと幽々子に指摘され、紫自身もそれなりにダメージを負っている。

 杉下右京とのやり取りですらノーダメージでやりすごした彼女も亡霊の女王には押されるようだ。

 スキマ妖怪の目元がピクリと動いたのをいいことに幽々子は可愛らしく舌をべー、と出した。

 紫はぷっと吹き出しつつも「あらあら、ずいぶんお可愛いことですわね!」と皮肉った。

 話を脱線させられてばかりだが、紫は彼女を咎めようとせず、そのまま解説を続行する。

 

「こうして世界規模で格差が進めば、あちこちで崩壊が始まり、それを誤魔化すためそれぞれの指導者たちはある手段を用いる」

 

「ある手段?」

 

「国民の意識を外に向けて内側に不満が溜まらないようにするのよ。例えば『あの国が悪い』とか『敵国の陰謀だ』とかね。だけど一時的な手段でしかない。外に向かった不満が自分たちへ戻ってくる間に具体的な解決策を用意できなかった場合」

 

「できなかった場合?」

 

「敵国と戦争するようになる。それが世界規模で連鎖――それも万が一、大国同士が戦争するなんてことになれば、第三次世界大戦が始まる(もうすでに始まってるのかもしれないけどね)」

 

 瞬間、幽々子の顔から余裕が消え去った。

 

「世界大戦ーーそれってつまり、また()()が使われるの……?」

 

 脳裏の思い出されるのは幻想入りした表の人間の霊から聞き、記憶の断片を見た際に映った光景。その周辺で展開された惨劇は里のそれとは比べものにならない。

 初見時、亡霊女王でさえ心を痛めたほどだ。人類史上類を見ない惨劇である。

 紫は視線をテーブルに落とした。

 

「ないとは言い切れないわね。表の評論家の間では『この時代にそんな危ないものを落とせるはずがない』と論じられているけど。実際はなってみないとわからない」

 

「そ、そう――」

 

「でもね、なってからでは遅い。後から対応したって意味がない。なんせ手のつけようがないからね。おまけに威力も以前とは比較にならないくらい向上してる。一度、放たれたらもう終わり。戦いは止まらないわ」

 

「……」

 

 幽々子が言葉を失って俯いた。あれほどの威力を持った兵器が再び使用されるなんて考えただけでゾッとする。

 その日が訪れたとき、果たして幻想郷と住民は終末を生き残れるのか、などの考えが頭をよぎった。同じタイミングで紫が力強く語った。

 

「大丈夫よ。そのときのために私が表で情報を集めて()()を練っているのだから。もし仮に世界大戦が勃発して表の世界が神の炎で焼き尽くされようとも幻想郷には指一本触れさせない。絶対に守るわ」

 

 嘘偽りのない本心だった。

 このとき幽々子はこれまで紫が取ってきた行動の意味を完全に理解した。

 

「あなたは……起こり得る最悪の事態を想定して行動していたのね?」

 

「もう何が起こっても不思議じゃない。世界がどうしようもなく荒れれば妖怪たちが一斉に幻想入りして大混乱が起きるのは目に見えている。数が増えればそれに比例して人間の数も必要になる。足りない場合はバランスが崩れる。それだけならまだしも、外の世界が汚染されようものなら表の人間を内側に入れることすらできず幻想郷は崩壊する。

 現実は非情なの。()()()()()()でした、じゃすまない。ここは私の作った世界。誰にも汚させない、誰にも壊させない。どんなに嫌われても、どんなに憎まれても、どんなに恨まれても、ありとあらゆる手段を使って幻想郷を存続させる――この幻想賢者、八雲紫の命にかけて」

 

 スキマ妖怪はどこまでも真っ直ぐな瞳を幽々子へ向けた。

 まるで純粋に正義を貫く聖人のようである。

 この想いは本物だ。彼女の底を覗いた亡霊の女王はポツリ、ポツリと――。

 

「紫は酷い妖怪だけどーーそういうところがあるから憎めないのよね」

 

 全ては幻想郷のため。これが彼女の本質であり、信念である。

 近くで見てきた幽々子にしかわからない真実だ。

 胡散臭いと言われながらも力ある人外たちが幻想郷に身を寄せるのも心のどこかで彼女を認めているからなのかもしれない。

 

「ふふ、ありがとう」

 

 紫は嬉しそうに感謝を述べてから立ち上がり、右手でスキマを開く。

 

「帰るの?」

 

「ええ、もう丑三つ時だからね。早く寝て、活動しなくっちゃ」

 

「仕事熱心なのね」

 

「グーダラしてると思った?」

 

「思ってた」

 

「表が安定していれば、もっとゆっくりできたけど今後百年は警戒しないとダメね」

 

「長いようで短い。中途半端な期間ね」

 

「同感よ。じゃあね、幽々子。今度はお土産、買ってくるわ」

 

「楽しみにしているわ」

 

 そう言って紫はスキマの中へと消えていった。

 後ろ姿を見送った亡霊の女王はふわぁ、と大きな欠伸をしながら寝る準備を始めた。

 

 

 スキマを使い、冥界の領域を離脱した紫はそのまま大結界すらも越え、表の世界へ移動した。

 現代的な摩天楼がひしめき合う大都会。とある高層マンションの一室に到着する。

 複数の個室、大きなリビング、下界を見下ろして寛げるスペースが確保されたベランダ。超がつくほどでないが高級なマンションだった。

 紫は欠伸をしながら服を寝間着に着替え、そのままベッドに寝転がる。

 最近、流行りのウレタンマットレスに身体を支えられたスキマ妖怪は気持ちよさそうだ。

 

「あー、やっぱりこのマットレスいいわー。買ってよかったー」

 

 十畳はある寝室で一人スマホ片手にメッセージがないか確認後、電気を消して紫は眠りに就いた。

 

 

 

 杉下右京がどこまでも公平な真実を追求する《理想の正義》の体現者ならば、八雲紫はどこまでも利己的な野望を追求する《究極の正義》の体現者である。

 どんなに困難だろうと真実を明らかにする者と、どんな手段を使っても真実を隠す者。

 このふたりは互いに理解し合うことなく生涯に渡って対極の存在であり続けるだろう。

 そして和製ホームズと幻想のモリアーティ。

 ふたりの戦場は幻想から()()へと移るのであった――。

 

 season 5 に続く。




皆さまにお知らせです。

この度、真に勝手ながら、相棒~杉下右京の幻想怪奇録~シーズン5の執筆を決めました。
物語を補完する閑話を書いていて「やはりこの作品をこのまま終わらせるのは勿体ない」と思ったのが理由です。
更新時期は不明ですが、再開した際はまたよろしくお願いします。それでは!


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Season 5 学校の怪談
第151話 和製ホームズへの依頼


 時は移り変わって十一月中旬。

 首都東京に冬が到来し、人々は厚手のコートを着用して電車やバスに揺られながらの通勤ラッシュを経て職場へと向かう。

 そこに学生も社会人も関係ない。当然、杉下右京もそのひとりである。

 最寄り駅からズラッと続く人混みを、いつもの華麗な身のこなしでスルスルと抜けて、あっという間に警視庁の建物を視界に入れる。

 登庁した右京は隣接する組対五課を通って特命係の室内に到着した。

 時刻は八時十分。余裕のある出勤だ。

 名前が書かれた木札をクルッと返し、定位置にカバンを置き、席に着いてA社製のデスクトップパソコンを起動する。

 次に手の届くところにあるオーディオのスイッチを入れ、ヘッドフォンを装着して高音質のクラシックを響かせる。

 最後にパソコン脇の小説を手に取り、ページを捲れば和製シャーロック・ホームズの一日が始まる。中身はもちろん愛読書のホームズ作品だ。

 

「アイリーン・アドラー。やはり強かな女性ですねえ」

 

 目を通している回は《ボヘミアの醜聞》。

 ホームズを出し抜いた勇敢なる女性、アイリーン・アドラーが登場する話である。ホームズファンからの人気も高く、ファンであれば知らない者はいない。

 右京もアイリーンという強かな女性を気に入っている。彼女の魅力は知恵と勇気、そして抜群の演技力だろう。

 幻想郷のアイリーンは不遇の死を遂げた上に里人の記憶から抹消された。その事実こそ知らないが、右京の記憶には事件の真相がしかと残っており、頭の中の彼女と小説の中の彼女を重ねながら憐れんだ。

 集中すること一時間。右京は音楽を聴きながらひたすら小説に没頭する。

 ハッとして機械式の時計を見てみれば、登庁時間をとっくにすぎていた。

 

「冠城君がいませんねえ~」

 

 また遅刻か。ちょいワル親父もどきの現相棒、冠城亘(かぶらぎわたる)は遅刻の常習犯である。

 たまたま目に入ったスマホを確認すると冠城からメールがあった。

 

 ――右京さん、すみません……。高熱で動けません。今日はお休みします。

 

「おやおや」

 

 体調管理も社会人の仕事ですよ。とでもつけ加えようとしたが、こんなときもあるだろうと『そうですか、お大事に』の一言を添えて送るにとどめた。

 小説を閉じた右京は周囲を念入りに見て回り、不審な点が見当たらないかチェックしてからインターネットブラウザを立ち上げる。

 ブックマークを開くとwebページが表示された。最新のオカルト研究論文、都市伝説情報、風邪に効く茶葉の記事、イギリスで起きた連続殺人事件、孤児院が舞台となった忌まわしき事件など様々な記事が流れては消えていく。

 右京がひと息つくころには時計が十一時を回る。もうじき昼休みだ。警察官にとって暇であることに越したことはない。

 そろそろ紅茶が欲しくなる頃合いだ。彼がカップに手を伸ばそうとしたとき、見知った人物が特命部屋を訪れた。

 

「お久しぶりです」

 

 若い層向けの黒いダークスーツを華麗に着こなして女性受けする容姿をした天性の女ったらし。そう――。

 

「おお、神戸君。久しぶりですねえ。どうかしましたか?」

 

 共に幻想郷を戦い抜いた相棒、神戸尊であった。

 

「警察庁のお使いでこちらへお邪魔していて。用事が早めに終わったので、こうして顔を出しました」

 

「元気そうで何よりです」

 

「杉下さんこそ相変わらず、お暇そうで羨ましいです」

 

 皮肉のジャブを受けた右京が含み笑った。

 

「ふふっ、今日だけですよ」

 

「ってあれ、冠城さんは?」

 

「高熱を出して自宅で療養中です」

 

「大変そうですね……。最近はインフルエンザも流行り始めてますから、検査したほうがいいかもしれませんよ」

 

「かもしれませんね。後でメールしておきます」

 

「とか言いながらもぼくたちも他人事じゃないかも。来週はもっと冷えるそうですし。早めの予防接種を心がけたほうがいいですね」

 

「ニュースを見る限り、来月の上旬には雪が降るそうです。その前にはすませたいところですねえ」

 

「ですね」

 

 七年の壁などどこへやら。ふたりは以前のように――いや、それ以上にフレンドリーな会話ができている。亀山、カイト時代に比べ、現在の右京は頑固さを保ちながらも柔軟性を帯びている。

 若い相棒の凶行に気がつけなかった反省か、または冠城亘の人懐っこさがきっかけか、いずれにせよ事件や興味、感心が絡まずとも人と他愛のない雑談を楽しんでいる。

 かつての尊も棘のある皮肉が目立ったが、今はそこまでではない。

 見えないわだかまりは完全に解消されたといえる。

 

「よ、暇か? ――おぉ、元警部補どの!? 久しぶりだねぇ~」

 

「あ、角田課長。ご無沙汰してます」

 

 角田が特命部屋に入室した。意外な来客に驚きながらも空っぽになったお気に入りのマグカップだけは放さない。課長も相変わらずだな、と尊は思った。

 

「あれ、冠城は?」

 

 繰り返される質問に右京が答える。

 

「高熱を出してお休みです」

 

「熱ぅぅ? そりゃあ大変だ。インフルエンザが流行ってきたからな。病院、行ったほうがいい」

 

「ご心配なく。伝えるつもりですから」

 

「それがいいね。ん、コーヒーないのね……」

 

 定位置に置かれたコーヒーメーカに目を向けるも豆が入ってない。

 その担当はコーヒー通の冠城亘であって右京ではなかった。

 

「それは彼の担当ですから」

 

「だよなぁぁ。冠城ぃぃ、早く帰ってこ~い!」

 

 角田はガックリと肩を落とし、尊が「この人も変わらないな」と内心で懐かしむ。

 右京もかつての雰囲気を思い出してニッコリと微笑んだ。

 

 

 昼休み。右京は尊を連れて近くのオープンカフェで食事を取るべく警視庁を出た。

 それとなく角田も誘ったのだが「行きたいのは山々だが、かみさんの作った弁当、残したら殺される」と言って断られた。実に恐妻家らしい理由であった。

 お昼どきとあって洒落た大通りを人々が行きかう。ある程度、歩いたところで尊が右京の隣に近寄るように距離を詰め、小声で話しかけた。

 

()()……されてませんよね?」

 

「おそらく」

 

 気づかれないようにチラッと後方を確認し、歩きながら尊が続ける。

 

「本当なんですか。あの妖怪――《八雲紫》が人間に変装して近づいてきたって……?」

 

「ほぼ間違いないと思います」

 

 隠れ里事件を解決後、八雲紫の表での姿と思わしきメリーに出会った右京は、すかさず買い直したスマホにチラ見防止フィルムを張りつけ、警視庁の誰もいない個室から尊宛てに以下のメールを送った。

 

 ――スキマ妖怪が偽名を使ってこちらに接触してきました。名は《マイリベリー・ハーン》と言い、ニックネームは《メリー》。プラチナブロンドのウェーブのかかった綺麗な長髪と紫の瞳を持った大学生くらいの女性です。彼女そっくりなので会えばわかります。目的は進捗状況の確認を兼ねた監視でしょう。迂闊に犯人を見つけると先回りされて犯人を殺害される恐れが出てきました。捜査しつつ手がかりを掴んでも勘づかれないよう慎重に行動する必要があります。

 ここからは別々に行動しましょう。僕は長野県へ向かい、遭難した村を中心に聞き込みなどの調査を行います。君は去年の暮前後から二月まで日本に入国したイギリス国籍を持つ日本人を探し出して足取りを追ってください。何か用があれば、こちらから連絡します。それまで連絡は控えてください。ですが、仕事の用事などで警視庁を訪れた際は特命係に立ち寄って僕に話しかけてください。以後、返信不要です。このメールは読み終わったら速やかに削除してください。杉下より。

 

 元上司の指示を受けた尊はいたずらメールを処分するかのようにメールを削除。雑務をこなしつつ、その裏では黒幕に繋がる情報を探っていた。

 右京が問う。

 

「何か掴めましたか?」

 

「いえ、ご期待に沿えるようなものは何も……」

 

「そうですか。せっかくです。君が行ったことを聞かせてください」

 

「はい――まず、杉下さんからのメールを確認したのち、警備局の知り合いに頼んで指定された時期に滞在したイギリス国籍の日本人を探してもらいましたが発見できませんでした。直接、入国管理局の出入国記録を閲覧しようと考えましたが当然、一個人が何の理由もなく覗き見れるはずもない。……ぶっちゃけ、強引な手口を使えば可能ですが、リスクが高すぎるので割に合いません。現在進行形で起こっている事件とかなら、ある程度、理由をつけれるんですけどね。それとスキマ妖怪がどこに潜んでこちらを監視しているのか不明なので、あまり派手なアクションも取れず、今に至ります」

 

 現在、特命係杉下右京の元部下として警備局内で一目置かれる尊はその影響力もあって、お役人や知り合いの政治家を動かせる力を有している。

 しかしながら、彼らも馬鹿ではなく、相応の見返りを要求してくるため、迂闊に頼みごともできない。

 交換条件用のカードは何枚か用意できているが、私的捜査で切れるほどの枚数は持っておらず泣く泣く、追跡を断念したというわけだ。

 

「わかりました」

 

 右京は真顔で頷いた。

 今度は尊が進捗状況について訊ねる。

 

「杉下さんのほうはどうです?」

 

「僕は内村刑事部長や大河内監察官、冠城君の目を盗み、三か月前、長野へ飛んで遭難した集落を中心にあちこち聞き込みを行いました。ちょうど二月下旬ころ、コートを着た彫りの深い紳士が村を訪れ、神社周辺を散歩していたそうです。村人の証言によると、笑顔で挨拶を返してくれたが、会話にはならなかったとのこと。何の変哲もない村を訪れて誰とも会話せず、神社へ向かうなど不自然です。気になって調べましたが、その後の足取りは掴めませんでした」

 

「なるほど。ぼくたちの遭難した村をウロウロしていた謎の紳士。怪しいですね。ひょっとしたらその男も神社から幻想郷に入ったのかも……。村に防犯カメラってありましたか?」

 

「ほとんど事件が起こらないので、設置されてないとのことです」

 

「あー、じゃあ、そこから絞り出すのは無理か……。道中、利用したと思われる交通機関に片っ端から連絡して防犯カメラの映像を見せてもらうとか」

 

「私的捜査では無理でしょうねえ」

 

「ですよね……」

 

 コネを使ってでも捕まえると意気込んだが、出世先で手に入れた自らの立場と責任を考えるとできることは限られてくる。

 理想と現実のギャップに尊は深くため息を吐いた。

 

「焦らずにいきましょう。そろそろ、カフェですよ」

 

 落ち込むワトソンを励まし、右京は彼と共に行きつけのカフェに入店した。

 店内は都会的で落ち着いたコーヒー屋らしい室内と木目調のテーブルと椅子が何組も並んだオープンカフェに分けられ、A社製ノートブックを置いて作業する社会人や大学生、友人たちとランチを楽しむOLなどで賑わっていた。

 今日は天気がよいのでふたりは外のテーブルを選択し、空を仰げる場所に席を取る。

 店の周囲は木々で覆われ、利用者に自然の中にいるような心地よさを与える。アスファルトで作られた東京において自然を堪能できる空間は貴重だ。

 洒落たカフェだな。今度、知り合いの女性でも誘ってみるか、と尊が考えながら店員が置いたメニューをパラパラと捲る。

 目に入るのは豊富な種類のコーヒーにサンドイッチ、サラダ、ケーキなど定番料理。それにオムライスやハンバーグにパスタ類、ピザなども揃えている。

 コーヒーは頼むとして肝心の料理はどうするか。

 彼が右京に助言を求めた。

 

「オススメのメニューってあります?」

 

「僕はサンドイッチと紅茶しか頼みませんので、他のメニューについて詳しく語れませんが、強いて言うなら……」

 

 自分のメニューから目的のページを開き、指でなぞる先に書かれた料理は。

 

()()()()()ですかねえ。前に冠城君が『ここのナポリタンは美味しい』と言っていました」

 

「あ、そうですか――ん? ……もしかしてぼくが、ナポリタンが好きだからこの店を選んだとか?」

 

「ええ。ダメでしたか?」

 

「いや、そうじゃないですけどっ」

 

 いつから俺=ナポリタンになったんだよ。俺はナポリタン狂いじゃないぞ。このように尊は言い返したかったが、好物には変わりないので、元上司の計らいとして好意的に受け取った。

 

「……わかりました。冠城さんオススメのナポリタンを頂きます」

 

 彼がメニューを決めたのを確認した右京が店員を呼び、ふたりで注文を伝えた。

 店が混雑している影響か、いつもより時間がかかったが無事、注文した料理がテーブルに届けられる。

 尊の前に現れたのはトマトとバターの香ばしさが鼻孔をくすぐるオレンジ色のナポリタンだった。

 よくスーパーなどで見かけるケチャップの酸味が飛び切ってない赤色ナポリタンはツウの彼の口に合わない。本来のナポリタンと大きく異なるからだ。

 この店のナポリタンはピーマンとソーセージ、玉ねぎにマッシュルームがパスタの中央に盛られ、しっかりと焼き色がついていた。

 

「頂きます」

 

 期待に胸を膨らませた尊はフォークでナポリタンを口まで運ぶ。

 入れた瞬間、口の中でパスタに絡まる酸味のないトマトの味とバターの香りが広がった。

 噛めば塩気を含んだパスタの弾力と共にソーセージ、マッシュルームの旨味が舌に伝わって纏まりのある味に変化する。

 パスタを胃袋に流し込んだ彼に右京が感想を訊ねた。

 

「お味はどうですか?」

 

「とても美味しいですね。冠城さんの言う通りだ。名古屋で食べたものに近いです」

 

「それはよかった」

 

 そう語って満足げにナポリタンを一口、また一口と運ぶ元部下を眺めながら右京は「やっぱりナポリタンが好きなんですねえ」と、ひとり納得してお気に入りの紅茶で喉を潤した。

 そこから三十分ほど何気ない会話を楽しんだふたりは店を後にする。

 来た道を戻る形で歩道を進んでいく右京たちは、再び互いの距離を縮めた。

 

「これから、どうするおつもりです?」

 

 部下の問いに上司が小声で答える。

 

「僕は機会を見計らって長野に飛んで情報を集めます。君は引き続き、イギリス国籍の日本人の足取りを調査してください」

 

「わかりました。ですが、あまり期待しないでくださいね。入国管理局を丸め込むカードは使えませんから」

 

「わかっています」

 

「はぁ……。ジェームズ・アッパーでもヒットしなかったしな。何か手がかりとかないんですかね? 黒幕の名前とか……」

 

「さあ、どうでしょうねえ。()()()()()()()()()()()

 

「ですよね。一から頑張るしかないなぁ」

 

 独り言のように呟く相方を余所に右京は僅かながら顔つきを鋭くした。

 

 警視庁の前で尊と別れた右京は、特命部屋に戻って検索を再開する。

 ジェームズ・アッパーとハンドルネームの謎を解いたにも関わらず、彼は南井十のことを相棒に伝えていなかった。

 口に出してメリーに盗み聞かれる可能性を疑ったのか、それとも出世コースを歩む神戸尊を巻き込みたくなかったのか、またはその両方か。

 

「(南井十。僕は必ず、あなたを逮捕する)」

 

 杉下右京は敵味方全てを欺いて幻想の宿敵を追い続ける。

 

 

 次の日、登庁した右京は机に座ってパソコンを起動する。

 冠城亘は昨日に引き続いて自宅療養中である。体力に余裕が出てきたら病院へ行くそうだ。メールを貰った右京は「それがいいですね」と優しく返信した。

 お隣さんの暇課長は事件を追っているようで朝から部下を引き連れて現場入りしている。事件が長引けば右京の出番が回ってくるだろう。

 それまで作業に集中しよう。

 彼は紅茶を口に含みつつ、パソコンと睨み合った。

 

 午後十三時。特命係に一本の電話が入る。

 

 ――杉下君、甲斐だ。今、空いているかね?

 

 電話の相手は特命係の管理責任を受け持つ、警察庁長官官房付きの甲斐峰秋(かいみねあき)。かつて右京の相棒を務めた甲斐享(かいとおる)の父親である。

 

「ええ、空いておりますが」

 

 ――少々、君にお願いごとがあってね。私のところまで来てくれないかな。

 

「わかりました。すぐ伺わせて頂きます」

 

 パソコンの電源を落とし、特命部屋を出た右京は警察庁にある甲斐の部屋を訪ねた。

 ノックをすると部屋の主が彼を招き入れて客人用のテーブルに座らせた。

 

「お茶はいるかね?」

 

「いえ、結構です」

 

「フフ、君はいつも通りだね」

 

 白髪交じりの髪を触りながら、甲斐は杉下右京の変わらぬ態度に苦笑を禁じ得なかった。

 

「気が利かないようで申し訳ない」

 

「それは知っているよ。もう八年になるからね。君とのつき合いも。――ま、それは置いておこうか」

 

 右京と向かい合うように自らもソファーに腰をかけ、本題に移る。

 

「実は、私立高校の校長をやっている知り合いから相談を受けてね。学校内で妙な噂が立っているそうなんだ」

 

「……妙な噂?」

 

「あぁ、『夜な夜な人のうめき声がする』ってね。むろん、私は非科学的なことは信じないが……」

 

 君とは違って。そのようなニュアンスに受け取った右京は「存じています」と相槌を打った。

 

「普段ならこの程度、気にすることはないんだが、うめき声を聴いた三年生の生徒が階段を踏み外して足を骨折してね。保護者会で問題になったらしい。『きっと誰かの仕業に違いない。早く犯人を見つけろ』とね。怪我をしたのが受験を控えた三年生だったから、同学年の保護者は気を揉んでいるのだろう」

 

「もうじき受験ですからねえ。ピリピリするのは致し方ないかと」

 

 十一月下旬は受験を控えた学生たちがスパートをかける時期だ。

 優秀な右京とは異なり、死にもの狂いでテスト対策に励んでいる。そのタイミングでの怪奇事件とあっては不安が広がるのも理解できる。

 甲斐も右京と同じ見解だった。

 

「受験は人生を左右する一大イベント。経験者である私たちが心配するなとは到底言えない」

 

「仰る通り」

 

「しかしながら我々も暇ではない。事件性が無ければ公には動けないからね」

 

 右京は上司が自分に何を頼みたいのかを瞬時に悟り、口元を弛めた。

 甲斐もまた()()()()()()と笑みを零してから。

 

「そこでだ、杉下君。調べてみてはくれんかね?」

 

「構いませんが、僕でよろしいのですか?」

 

 途端、甲斐が噴き出したように言った。

 

「君しかいないだろ!? オカルト絡みの事件に本気で取り組めるのは」

 

「なるほど」

 

 確かにその通りだ。納得した右京は捜査する方向で方針を固める。

 

「それで、その高校はどちらに?」

 

「調布市の西高見(にしたかみ)高校だ。知っているかな?」

 

 脳内にある情報を高速で引き出しながら右京が言葉を発する。

 

「多摩川からそう離れていない場所にある私立高校だと記憶しております。偏差値は66。同じ市内の明国大学付属高校にも匹敵する進学校でしたかね。確か、神奈川に姉妹校があったような」

 

「よく知っているものだね。感心するよ」

 

「大したことでは」

 

 和製ホームズにとっては至って普通のことだ。今までの実績からしてこの男なら必ずやオカルトの真相を暴くだろう。

 甲斐は知人の安堵する顔を思い浮かべて微笑んだ。

 

「ハハ、校長には僕から連絡しておく。頼んだよ」

 

「わかりました」

 

 こうして杉下右京は上司の依頼を受けて私立高校へ向かうことになる。

 そこで彼を待ち受ける現代の怪異とは。

 今、新たなる〝学校の怪談〟が幕を開ける。



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第152話 いざ、西高見高校へ その1

 警察庁を後にした右京は警視庁の地下駐車場へ向かい、停めてある愛車フィガロに乗り込んだ。

 丸みを帯びた外見とダークグリーン色の落ち着いたボディがユーモアと気品を放っている。

 まるで主人たる杉下右京のように。

 

「出発しますよ~」

 

 子供を撫でるように優しくキーを回すと、エンジンが唸りを上げて車輪が前進する。

 休養中の相棒に代わってフィガロが和製ホームズを目的まで運んでいく。

 

 

 一時間後、高速道路を通って調布市に入る。

 調布は郊外にある場所だが自然が多く、小さい子供を持つ家族が住みやすい土地として知られている。

 

「自然が多いですねえ~。時間があれば見て回りたい」

 

 中心地は都会的だが、外れるにつれて目に入る緑の比率が高くなる。

 東京二十三区を気に入っている者たちからすれば物足りないが、イギリスのような伝統ある景観を好む右京にとっては十分楽しめる。

 魅力的な通りやお寺が目に映るも、学校で起きるオカルトの謎を解くまでは我慢だ。

 調布入りして十五分。カーナビと看板を頼りに中央道路から右折する。少し入ったところに西高見高校は建っている。校舎に塗られた白いペンキが少々黄ばんでいるが、新築にはない歴史を感じさせられる。

 

 車用の出入り口から来客用の駐車スペースに進入して愛車を止めた右京は、看板を頼りに職員室を目指す。

 途中、上をブラウン色のブレザー、男子なら灰色のスラックス、女子なら同色のスカートを穿き、コート羽織った何人かの生徒とすれ違う。

 彼らは右京に気がつくと皆「こんにちは」と挨拶する。ホームズもまた笑顔で返す。教育に力を入れていそうな学校だ。そう思いつつも歩みを進めると、職員室入口が視界に入った。

 入口正面に立てば、怪訝そうな目つきをした男性の職員が現れる。怪しい人物では、と疑いの目を向ける職員に右京は何食わぬ顔で「使いで参った杉下です。校長先生にお会いしたいのですが」と告げた。

 職員は納得したらしく、右京を内部へ招き入れた。

 教師用と思われる靴箱が存在するも、スリッパなどは不要であり、校舎内は一部を除いて土足で歩けるそうだ。

 そのまま校長室まで案内され、校長が出迎えた。

 

「ようこそ、お越しくださいました」

 

「初めまして、杉下と申します」

 

「校長の中井です。ささ、こちらへ」

 

 校長の名前は中井賢治(なかいけんじ)。六十代前半、髪をワックスで綺麗に整え、右京よりも少し若く見えるハキハキとした男性だった。

 校長に促され、右京が来客用のソファーに座る。中井も職員に茶を用意させる指示を出してから席につく。

 

「如何です。我が校は?」

 

 右京が笑みを零しながら答える。

 

「閑静で緑が溢れていますね。とても美しい学校です。先ほど、生徒さんたちとすれ違いましたが皆、挨拶を返してくれました。笑顔がよいですね」

 

「そうでしたか。いや嬉しいですね」

 

「参考までに、どのような教育?」

 

「至って普通の教育です。挨拶は基本。しっかりと行う。気をつけているのはこれくらいですな」

 

「なるほど」

 

 右京が頷くと同時に女性職員がお茶と菓子を持ってきた。

 用をすませ、職員が退室したタイミングで中井が切り出す。

 

「杉下さん、さっそくで申し訳ないのですが……」

 

「いえいえ、こちらもお力になるべく参じたのですから。気にせず話してください」

 

「そ、そうですか。では――」

 

 咳払いした中井が困り顔で語った。

 

「今、我が校で気味の悪い噂が流れております」

 

「甲斐さんから聞きました。何でも、夜な夜な人のうめき声がするとか」

 

「はい。日が落ちて辺りが真っ暗になると公舎のどこからともなくうめき声が聞こえるのだそうです」

 

「それはいつごろから?」

 

「噂自体は三十年以上前からありました。いわゆる〝学校の怪談〟ですね。私はここにきて二十年になりますが、一度もそんな声を聞いたことがない。生徒が流したくだらない噂だと思っておりました。ですが二週間で生徒から呻き声を聞いたという報告を四、五回受けました。警察に相談するほどでもないだろうと楽観視していたところ……」

 

 右京が相槌を打つ。

 

「呻き声を聞いた生徒さんが足を滑らせて骨折した」

 

「しかもその生徒は裕福な家庭のひとり娘でして……」

 

 口ごもる中井に代わって右京が言葉を継ぐ。

 

「ご家族がお怒りになっている」

 

「左様です」

 

 中井は困ったように背中を縮めた。

 裕福な家庭となれば保護者会での発言力もある。怒りを鎮めない限り、保護者たちが感化されて不満を漏らし続けるだろう。校長の彼が警察関係者の甲斐に愚痴を零すのも頷ける。

 

「何とか、調べてもらえないでしょうか?」

 

「わかりました。可能な限り、尽力させて頂きます」

 

「ありがとうございます!」

 

 喜ぶ中井を視界に捉えつつも右京の関心はもう事件へ移っていた。

 

「校長先生、事故当時の話を詳しくお訊きしたい」

 

「はい。すぐに彼女の担任を紹介します」

 

 そう言って立ち上がった中井は校長室を離れ、細身の男性を手招きした。

 

「私は用事があるので代わりに後は彼が」

 

「教頭の五味(ごみ)です」

 

 五味は頭をヘコヘコと下げながら右京に挨拶し、彼もまた「こんにちは」と返す。

 

「では、私はこれで」

 

 右京が急ぎ足で校長室を去る中井の後ろ姿を見送っていると細身の教頭が「受験の段取りとかで忙しいみたいで」と小声で告げた。

 

「もうじき受験ですからねえ」

 

「この多忙な時期にオカルト騒動なんて嫌になりますよ」

 

「大変ですねえ」

 

「大変なんてものじゃありませんよ~。もう本当に困ってしまって。関係ない私まで保護者に問い詰められて……あ、すみません。案内します」

 

 右京の顔が白けつつあったのを察した五味は黙って校内を案内する。

 白いタイルが引きつめられた公舎を歩くが、あまり生徒を見かけなかった。祝日だから当然なのだが、その中でも授業を行っている二つの教室があった。

 ガラス越しにチラっと覗くと西高見高校の制服の他に紫色を基調とした見慣れない制服の生徒が何人か混じっていた。

 気になった右京が独り言を呟く。

 

「変わった制服ですねえ。ここの生徒ではないようですが」

 

「あぁ、姉妹校の生徒ですよ。今日はITパスポートと基本情報技術者試験の対策講座をやっているので」

 

「両方とも情報技術者用の資格ですね。ITパスポートは入門用で基本情報技術者試験はそのワンランク上の資格でしたね」

 

 情報技術系の分野をかじった者ならば誰しも耳にする資格である。今、需要のあるIT系企業の就職に役立つと評判で、若い人だけでなく、IT系の会社に勤める社員がスキルアップのために受験するケースもある。

 

「資格は就職に有利ですから。高校のうちから取っておこうとしているんです」

 

「よい心がけですねえ」

 

 その言葉に五味は肩を竦めた。

 

「とは言っても合格率は決して高くないので、最初はITパスポートから取るように勧めているんですよね。しかし最前線で働くならIパスなんて何の役に立ちません。評価されるのは基本情報からです。日本は諸外国と比べてIT関係に弱いですからね~。情報弱者が多い、多い」

 

「おやおや……」

 

 教頭の辛辣な返答に飽きた右京が目を逸らすと、少人数用の教室でくせ毛がかった茶髪をした他校生の後ろ姿に目が止まった。どこかで見たような背格好に気を取られつつも教頭から離れないように右京は後をついて行く。

 階段を上り、三階フロアの3-A組の教室を訪れると小柄で若い眼鏡の女教師が手荷物を持ってこちらへ歩いてきた。

 

「あ、小島先生」

 

「へッ、ご、五味教頭ッ――キャアッ」

 

 声をかけられた途端、小島先生と呼ばれた女性はフワッした声を上げて荷物を手元からすべり落とした。

 あー、と口を開ける五味に対し、右京はすぐさま彼女に駆け寄った。

 

「大丈夫ですか?」

 

「へッ、え、ええ……」

 

 戸惑う小島を余所に嫌な顔ひとつせず散らばった荷物を拾い上げて彼女に手渡す。

 優しい紳士の姿を見て彼女は「あ、すみません……どうも」と礼を述べて荷物を受け取り、立ち上がった。

 そこに五味が割って入るかのように滑り込む。

 

「あ、杉下さん、こちら小島先生――骨折した生徒の担任です」

 

「おや、そうでしたか」

 

「小島です……。あの五味先生、この方は?」

 

「〝例の件〟で校長先生が呼んだ杉下さんです」

 

「そうなんですか……探偵さん、ですか?」

 

「警視庁から参りました」

 

 右京が彼女に警察手帳を見せる。

 

「け、警視庁ッ――警察――」

 

「シー! 声が大きいですよ、小島先生ッ」

 

 驚いて再び声を出す小島を五味が制止して落ち着かせ、慌てながら右京を睨む。

 

「今、他校の生徒さんもいるんですから、ふ、不用意に正体をあ、明かさないで頂きたい! 我が校の評判にも関わりますぅ!」

 

「これは申し訳ない」

 

 例え祝日で人が少なくとも受験を控え、他校の生徒もいる中で警察だと名乗るのは感じが悪い。右京は軽く謝罪してからそれとなく小島をみやる。彼女は戸惑いながらも「私はどうすれば……」と呟き、見かねた五味が指示を出す。

 

「杉下さんに生徒さん転落時の話をしてください」

 

「は、はい……」

 

 小島は了承して、右京を四階左端の折り返し階段まで案内する。

 階段は少々、急な角度がついていて足を滑らせれば骨折しても不思議ではない。

 右京は興味深そうに踊り場の脇の学生新聞やチラシが貼られた木製掲示板に目を通し、続いて階段下を覗く。

 

「確かに急な階段ですね。ここで謎の声を聴いて動揺すれば下の踊り場まで滑り落ちてしまう」

 

「生徒は四階の自習室から教室に戻る際、この階段を利用したようで、階段に足を降ろした直後に聞こえた呻き声に驚いて転落したそうです。助けを叫んでも周囲には誰もおらず、校舎の見回りをしていた教師が発見するまで十五分ほどかかりました。現在、彼女は足の踝を骨折して入院中です」

 

「それは気の毒に。……このフロアを回ってみてもよろしいですか?」

 

「どうぞ、どうぞ」

 

 小島につき添う五味が横から許可を出す。

 許可を得た右京は四階を隈なく捜索する。四階は自習室の他に音楽室と自由室(旧視聴覚室)、複数の空き部屋が存在する。

 基本的に使われていない部屋は戸締りされ、自由に出入りできるのは自習室だけとなっている。三階のフロアから上がる階段は両端に各一つと中央に一つの計三か所だけ。

 普通に考えれば超常ではなく、人間の仕業を疑うはずだ。

 

「事故発生当時、近くに人影や物音はありましたか?」

 

「生徒によるとなかったそうです。骨を折って助けを待っている間、階段を駆け下りる音なども一切、なかったと聞きました」

 

「どのような声でしたか?」

 

「『ウ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛』という唸り声で声質は男だったそうです。他の生徒も『ハァ゛ァ゛ァ゛』や『オ゛ォ゛ォ゛ォ゛』などの怪奇音を聞いたと伺いました」

 

「常識的に考えて風の音とか、生徒の誰かの悪戯だと思うんですがね。保護者会で問題になったばかりに」と五味が吐き捨てる。

 

「まぁまぁ。後は僕が調査しますから」

 

「はは、助かりますよ。では私はこれで。何かおありになれば職員室までいらしてください。あ、小島先生、来週の行事について話があるので一緒にきてください」

 

「あ、あ、はい……。行き、ます。後はお願いします」

 

 律儀にお礼する小島に右京が肩付近まで手を挙げて応える。

 五味と小島がこの場を離れた確認した和製ホームズは右手で口元を覆いながら捜査を続行する。

 

「四階フロアは階段の正面が通路になっており、通路左側に教室がずらりと並び、対面には外を一望できるガラス窓が取りつけられている。

 中央通路はその逆。フロアの構造はテトリスブロックのようなZ型。端から端までの距離は約六十五m。

 左と右は約二十五mで中央が十五m。フロア左端の階段からすぐ右隣り――二教室分使われた広さ教室が音楽室。フロア中央階段の右隣りには教室一つ分の自習室があり、フロア右端階段からすぐ左隣りにも同じ広さを持つ自由室がある。残りの空き部屋は普段、使われていない。ふむ――」

 

 転落事故が起こったのは左階段で当時、骨折した生徒以外の人影はない。自習室にも人はいなかった。音楽室、自由室も鍵がかけられていた。

 現時点では紛れもない怪奇事件であって、それがオカルト大好き杉下右京の好奇心に火をつけた。

 

「この怪奇事件、僕が解決してみせましょう」

 

 和製ホームズは不敵に笑いながら校舎を探索する。



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第153話 いざ、西高見高校へ その2

 ひと通り、四階の探索を終えた右京は下の階へ降り、校舎を隈なく探索する。

 校舎全体を観察すると、増築や改装を行った跡がそこらかしこに見られた。長年続く学校ならではだ。校舎を観察し終え、次は中庭だ。

 庭園と言うには少々狭いが、それなりに木々や花が整えられた場所があった。中央に小さい池あり、そのすぐ正面には三人用のベンチがある。

 池の中にはそこそこ腹の膨れた鯉が呑気に泳いでいる。鷹や鳶、鴉といった天敵がいないのだろう。

 せっかくやってきたのだから楽しんだほうがいい。右京はのんびりしている彼らの写真を取りながらご満悦そうだ。

 スマホをスリープモードにしてポケットにしまい、庭を後にしようと顔を上げた。

 その際、スーツを着た長身の女性と目があった。黒い長髪を靡かせ、片手に書類を抱えながら、モデルのように整った切れ目で右京のほうを不思議そうに眺めている。

 この時期にコートを着ない辺り、この学校の教師または関係者の可能性が高い。右京が挨拶しながら歩み寄る。

 目をギョッとさせて警戒する女性に彼はいつも手振りで接触を試みた。

 

「ここはすばらしい学校ですねえ」

 

「はぁ、どうも。……保護者の方ですか?」

 

「実は中井校長からとある依頼を受けまして」

 

 他の者に見えないように警察手帳をパッとかざして内ポケットに戻す。

 相手の正体を知った女性は納得したように頷いた。

 

「警察の方でしたか!? 例の件についてですか?」

 

「そういうことになります。ここの先生ですか?」

 

「はい。英語の教師をしております」

 

 彼女の話し声はやや低く、どこやら無機質な印象を受けた。全体的な雰囲気からして気の強いモデルのイメージそのものだ。

 軽い挨拶を終えた右京が問う。

 

「例の件についてお話を聞かせて頂けませんか?」

 

「この後、会議なのであまり時間がありませんけど……」

 

「構いません」

 

「でしたら」と英語教師は了承した。

 

 時間がないとのことで右京は余計なトークを省いて質問に移る。

 

「先生は四階付近で人のうめき声をお聞きになったことは?」

 

「ありません。ときどき生徒が『人の声を聞いた』と言ってますけどね。私にはさっぱりです」

 

「校長先生いわく、この学校には三十年ほど前から〝学校の怪談〟があるとのことですが、ご存知ですか?」

 

「はい。今、話した《人のうめき声》や《トイレの人影》、《池に映る男》とか。どうでもいいものばかりですけど」

 

「そこのところを詳しく」

 

 事件の解決と刺激。その両方の得るために右京は怪談の内容をより詳しく訊ねる。

 時間がないのか、面倒なのか、英語教師はどこかダルそうだ。

 

「《人のうめき声》は、夜の校舎をひとりで歩いていると呻き声がする。《トイレの人影》は、暗くなるとトイレ周辺で人の形をした靄みたいなのが出る。《池に映る男》は、人気のない時間にこの池を覘くと自分の顔が全く別人の顔になっている。そんな話です。それ以上のことはわかりません」

 

「ほうほう。それは、それは」

 

 目の奥を光らせながら右京は相槌を打った。

 

「……喜んでます?」

 

「いえいえ、解決しがいがあると思っただけです」

 

「はぁ……」

 

 目の前の男が本気でオカルト問題に取り組む刑事だと理解した英語教師は、首を傾げながら彼に奇異の目を向ける。和製ホームズはこのようなことには慣れっこなので構わず質問を続ける。

 

「生徒さんが転落した際、四階や校舎には誰もおらず、すぐに救助できなかったそうですね。警備員さんなどはいらっしゃらない?」

 

「ウチでは警備員は雇っていませんね。そこまで規模の大きい学校ではないので」

 

「そうですか」

 

「あの、そろそろ時間なので失礼してもよろしいでしょうか?」

 

 この場を立ち去ろうとする彼女を右京はお決まりのポーズで繋ぎ止める。

 

「最後に一つだけ。転落した生徒を救護した先生はどちらに?」

 

「国語教師の林先生です」

 

「その方はどちらに?」

 

「多分、職員室にいると思います」

 

 

 英語教師と別れた右京はその足で職員室を訪れ、近くにいた教師に「国語の林先生はどちらに?」と訊ねる。教師は「今さっき、五味教頭がどこかに連れていきましたよ」と答え、右京が礼を言ってから教頭に連れて行かれた林を探す。

 そう遠くへ行っていないはず。付近を探索すると、すぐに校舎の物陰で話すふたりの姿を発見した。

 声をかけようと思ったが、五味が中肉中背の中年男性を険しい顔で問い詰めていたので、右京は咄嗟に物陰に隠れて様子を窺うことにした。

 

「安藤先生に聞いたけど林君さ、授業の進行が他のクラスより遅れているらしいね。ちゃんと仕事やってる?」

 

「え……」

 

 すぐに答えようとしない林に五味が怒りを顕わにする。

 

「だから仕事やってんのかって聞いてんだよ!」

 

「やってますけど……」

 

「ホントなの? またいつもみたいに適当にこなしてんじゃないの? 君、のろまだからねぇー」

 

「俺は俺なりに――」

 

「あぁ?」

 

 瞬間、五味は林の頭をボンっと叩いた。

 

「そういうのいらないんだよ!! 遅れてるから怒ってんだよ!! この、のろま。グズ!! いいか、授業の速度を早くしろ!! 飛ばすところは飛ばせ! いいな!?」

 

「は、はい……」

 

「たく、ホントに使えねーな!」

 

 暴力を振るい、暴言を吐いた後、五味はこの場を立ち去った。

 林は拳をギュッと握りしめ何やらブツブツと呟き始める。

 

「……ウ……ハ…………オ……ォ……」

 

 何度かうめくように声を出す林。

 気になった右京が彼の視界の外側からそっと近づく。

 

「あの……大丈夫ですか?」

 

 ハッとした表情で林は声がするほうを振り返った。

 

「べ、別に大丈夫です! 心配ないです。……あの、ど、どちらさまですか!?」

 

「こういう者です。校長から調査を依頼されました」

 

 警察手帳を見て正体を理解し、林が「あ、あ……そうですか」と歯切れ悪く言った。

 彼の中にナイーブさを感じ取った右京は五味とのやり取りに触れるのを避けて会話を進める。

 

「急で申し訳ないのですが。骨折直後の生徒さんの様子を聞かせて貰えませんか?」

 

「直後の様子? ……骨折して痛がってましたね」

 

 当たり前のことを平然と答える林。五味が彼を嫌うのはこの辺りに理由がありそうだ。

 

「他には?」

 

「私が駆けつけるのが遅いと文句を言われました」

 

「骨折してパニックになっていたのでしょうね」

 

「いや、いつものことですよ。彼女が騒ぐのは」

 

「ほう、気の強い生徒さんなのですねえ」

 

 右京の言葉に林が反論する。

 

「気が強いというか、常識知らずなだけですよ。勉強はできるほうだからお金持ちの親にチヤホヤされているんです! ああいうのが社会で迷惑をかけるんだ!」

 

 それを教育によって正しい方向へ導くのが教師の仕事では、と右京は思ったが、火に油を注ぐだけなので言わずにとどめる。

 

「担任の小島先生から聞いたのですが、生徒さんはうめき声を聞いて足を踏み外したそうです。『ウ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛』という声なのだそうですが実際に、この学校には《学校の怪談》が存在しており、その中には夜な夜な“うめき声のする怪談話があるらしいですねえ」

 

 オカルトの話題が出ると、林は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「あるとは聞きましたが……。それが何か?」

 

「今回の事件と無関係とは言いにくい気がするのですが……どう思います?」

 

「無関係ですよ! そ、そんな非科学的なこと。現実に起こるはずないでしょ。いい加減なことを言わないでください!」

 

「申し訳ない。つい気になってしまいましてね」

 

 声を荒げる林に右京が謝罪する。教師はため息を吐きながら小声で愚痴った。

 

「まさか刑事さんの口から()そんな言葉が出るなんて思わなかった」

 

 すかさず右京が突っ込む。

 

「おや? 他にも僕と同じようなことを言った方がいるのですか?」

 

「あ、えっと……眼鏡をかけた姉妹校の女子生徒が今回の事件について刑事さんと同じことを質問してきたんですよ。答えたら答えたで『これは怪奇の匂いがする』とか訳の分からないことを呟いていて気味悪かったです」

 

「姉妹校と言うと、紫柄の制服の?」

 

「はい。神奈川にある東深見高校(ひがしふしみこうこう)の生徒さんです。情報系の講座を受けにここへやって来たんでしょうけど、まともに受けているんだか」

 

「なるほど、そうですか」

 

 見覚えのある制服に眼鏡をかけたオカルト好きの女子学生。右京は何となく、その女子の正体に目星をつける。

 

「その講座は何時まででしょうか?」

 

「十七時半だったかと」

 

「わかりました」

 

 

 十七時半。林への聞き込みを終えた右京が先ほど通った基本情報技術者試験の講座が行われている教室周辺で目的の人物が出てくるのを待っていた。

 終了時間を一分ほど越えた辺りで教室内から人が立ちがある音が聞こえ始め、講座を終えた数人の生徒たちが通路へ出てくる。

 その列の最後に東深見高校の制服を着て、歩きスマホをする眼鏡の女子高生がいた。

 茶色がかったくせ毛と浮いた態度。間違いなく幻想郷で出くわした()()()だ。

 確信を得た右京が彼女に近寄り、笑顔で声をかけた。

 

「お久しぶりですね。宇佐見(うさみ)さん」

 

 急に自身の苗字を呼ばれ、顔を上げた少女が右京の顔を確認すると、その口を大きく開けて叫んだ。

 

「げ、あのときの!!」

 

 彼女は宇佐見菫子(うさみすみれこ)、本人だった。

 

「ちょっとお話いいですか?」

 

「えっと、それって……」

 

 任意ですよね、と発言しようとするも、右京に先手を打たれる。

 

「君の大好きなオカルト話ですよ」

 

「オカルト……。もしかして()()()()かな?」

 

 菫子が目線を上げて天井付近を見る。右京もコクンと頷く。

 

「そう()()()()――如何ですか、オカルト談義などは?」

 

 怪しげに光る和製ホームズの瞳。そこにオカルト女子は大好物の匂いを感じ取り、表情を緩めながら。

 

「そういうことなら――」

 

 同意するのであった。



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第154話 奢侈文弱な女子高生 その1

 菫子の同意を得た右京は彼女を徒歩三分のところにある喫茶店へ連れて行く。

 道中、少女は「幻想郷のことはお話できませんので……」と断りを入れる。

 紫にきつく口止めされたのだろう。

 入店するや否や菫子は「割り勘ですか?」と右京に訊ねた。右京は笑いながら「僕が持ちますよ」と答え、彼女をホッとさせた。

 店員に案内されるままふたりは窓側の席に座ってメニューを見る。

 右京は紅茶を、菫子はオレンジジュースを注文する。その際、紳士から「他に注文したいものがあればお好きに選んでください」と促され、遠慮しながらも菫子は追加で苺のショートケーキを頼んだ。

 注文した品が届いてから会話がスタートする。

 

「西高見高校の先生から聞きましたが君、転落事故について調べているようですねえ」

 

「まぁ、せっかく講座を受けにきた訳ですし。うむぅ、美味しい!」

 

 ケーキの先端にフォークを入れて一口食べてから口元を綻ばせる。

 表情がコロコロ変わる少女だな、と思いつつも右京が続ける。

 

「どこで転落事故について知ったのですか?」

 

「西高見高校の学校裏サイトです」

 

「学校裏サイト……。君にとっては他校のサイトのはず。そこまでチェックしているのですか?」

 

「いやいや、今回はたまたまです。講座を受けるためだけに他校へ行くなんてなんか癪じゃないですか。だから面白いことが書いてないかと思って調べたら、こんなのが出てきたんです」

 

 菫子はスマホから西高見高校の裏サイトを開いて見せた。

 そこには『転落事故は謎のうめき声のせいだ』とする書き込みがあった。

 反応は様々で『まじで恐い』『何か起こると思ってた』などの不安や『デタラメ乙』『オカルトなんてある訳ない』とする否定意見もある。

 

「噂って何か理由がないと立たないじゃないですか。気になって検索したら西高見高校の《学校の怪談》にたどりついたんですよ。トイレの人影、池に映る男、そして――」

 

「夜のうめき声」右京が継いだ。

 

「そうそう! 今回の事故に関係ありそうですよね! そう思ったら居ても立ってもいられずに」

 

「空いた時間で調査して回ろうと思った」

 

「ですです!」

 

 少女は愉快そうに頷いて、またケーキを頬張る。どうやら彼女もまた生粋のオカルトマニアのようだ。

 右京も「なるほど」と納得してから紅茶を啜る。

 

「何か見つかりましたか?」

 

「いえ、全然。校舎を見回りましたけど、教員の目もあって四階には辿りつけませんでした」

 

「そうでしたか。そういえば、君は林先生という男性に話を聞きませんでしたか?」

 

「あー、あの根暗で神経質そうな先生か。転落事故の件について質問したんですよ。『生徒が謎のうめき声を聞いて階段から足を滑らせたって本当ですか?』って。そしたら『どうして他校の生徒がそれを』と言ったんです。だから、何かしら関係あるのかなって思ってワクワクしちゃって!」

 

 きっと幻想郷の人里で写真を撮っていたときのようにはしゃいだのだろう。

 林の彼女に対する嫌悪感が理解できる。

 

「林先生に変わった様子はありましたか?」

 

「ん? なんか気味悪がられたけど。特に変わった様子はなかったかな。すぐにどっか行っちゃったし」

 

「なるほど」

 

 顎に手を当てて考え込む右京を眺め、菫子が両目を見開く。

 

「でも意外だなー。警察がオカルト絡みで調査に乗り出すなんて」

 

「普段ならば足を運んだりはしません」

 

「え、じゃあ、普通じゃない()()があったってことですか!?」

 

「それを確かめるための調査でしょうかねえ~」

 

 上司に頼まれた非公式調査とはいえ、一般人に情報を漏らす訳にはいかない。ましてや口の軽い菫子相手ならなおのこと。

 

「ええーー、それってズルくないですかー! 私、情報提供しましたよね!?」

 

「特別な理由もなく、警察に情報を漏らせと言うのですか?」

 

「うぅ、それは……」

 

 駄々をこねる彼女を右京は軽くあしらうが、オカルト女子高生はこの程度では譲らない。

 

「ぐぐぐ、私も捜査協力しますから~」

 

 教えて~、と両手を合わせて懇願するも、右京は首を横に振る。

 

「ダメです」

 

「むー、ケチ!」

 

 軽い癇癪を起こす女子高生。周囲が何事かとふたりを見やるが、右京は笑顔を崩さぬまま、そっとメニュー表を差し出した。

 

「ケーキのおかわりは要りませんか?」

 

 ケーキという単語が耳に入った途端、彼女の表情から憤りが消え、右指でメニューをなぞり始めた。

 

「……じゃあ、モンブランケーキで!」

 

「飲みものはどうします?」

 

「まだ残っているんでへーきです!」

 

 右京は近くにいた店員を呼び寄せてモンブランケーキを追加注文する。

 注文を受けた店員はすぐにケーキを運び、上品そうなモンブランケーキが菫子の前に届けられる。スイーツを視界に収めた瞬間「美味しそう、頂きます!」と言って彼女は栗の山を頬張った。

 

「うー、これも美味しい! ありがとうございます!」

 

「どう致しまして」

 

 美味しいケーキを二つもご馳走になればこの少女も感謝を述べる。

 モンブランの山が半分、削られたところで右京が今までとは違う話題を振った。

 

「この前、幻想郷でお会いした際、マントを身に着けていましたね」

 

「それが何か?」

 

 右京が人差し指を立てる。

 

「あのマントの裏地に描かれた文字はルーン文字ですよね。あれはご自身の念動力強化に使用するのですか?」

 

「いやいや、あれはファッションですよ」

 

 さすがにそこまでの機能はなかったようだ。

 

「ほー。中々、奇抜な姿でしたが、どこか神秘性があって素敵でしたよ」

 

「ええ!? ホントー!? 嬉しいなー。って刑事さん、ルーン文字わかるんだ?」

 

「僕もオカルト関係の話には目がないですから」

 

「へー。じゃあこれ、わかります?」

 

 不敵な笑みと共に、彼女はポケットから縦に三本の波線が走ったような絵柄のカードをテーブル中央に置いた。

 心当たりがあるのか、右京がスッと回答する。

 

「ゼナーカードですね。EPSの実験カードの」

 

「正解です。ふふっ……結構、お詳しいようで」

 

 同族の匂いを嗅ぎつけた菫子の瞳が怪しく光り出す。

 そして、勢いよく口を開く。

 

「黄金の夜明け団!」

 

「十九世紀末のイギリスで作られた魔術結社。かのアレイスター・クロウリーも所属していたことで有名ですね」

 

「二○三六年の未来人で二○○○年にアメリカのネット掲示板に現れた男!」

 

「ジョン・タイター。彼の登場は創作界のみならず、現実世界にも大きな影響を及ぼしましたね」

 

「フィラデルフィア実験!」

 

「ニコラ・テスラが関わったとされる秘密実験のことでしょうか」

 

「アメリカが持つとされる気象兵器!」

 

「高周波発生オーロラ調査プログラム、通称《HAARP》で使われる電離層ヒーターがそれに該当するでしょうかね。一説には、その製作にニコラ・テスラの死後、持ち去った研究データを使ったとの話もありますね」

 

「いいですね……。でも、まだまだですよ!」

 

 涼しげな顔つきで答える紳士に菫子はマニア魂を滾らせる。

 

「世界征服を目指しているとされる秘密組織は?」

 

「有名どころだとフリードメイスーン、イミーナティーズですかね」

 

「資産家も含めると?」

 

「ロストチルドレン。ニューワールドオーダー実現を目指していると囁かれていますね」

 

「ならば古代宇宙飛行士説!」

 

「アナンヌキが人類を創ったと考えれば人類の成り立ちを説明できる、でしたかね」

 

「ジェームズ・チャーチワード!」

 

「イギリス人作家でムー大陸の提唱者。同時期にはアトランティス大陸も存在したそうですね。科学的な証明がなされておらず、オカルトに分類されるので、同じくイギリス人の動物学者フィリップ・スクレーターのレムリア大陸と合わせて覚える方も多いでしょう」

 

「ほーう……」

 

 中々にやりおる……。さらにマニアックなところを攻めねば。

 

「源義経は生き延びて岩手県を脱出した。その後は?」

 

「北上してモンゴルへ入り、チンギス・ハンとなった。義経=チンギス・ハン説ですね」

 

「日本三大妖怪、玉藻前の元ネタとされる女性は?」

 

「諸説ありますが、強いて挙げるならインドのカヨウ夫人。中国の妲己も同じ狐だったのではないかと語られていますね」

 

「妖怪総大将と目された妖怪は?」

 

「ぬらりひょん。最近ではそこまで強くないと論じられていますねえ。妖怪の強さ議論だと、玉藻前に加えて酒呑童子と大嶽丸が上位にランキングされる傾向にあります」

 

「く……。に、日本にあるキリストのお墓の場所は?」

 

「青森県。ちなみにモーセのお墓は石川県にありますねえ」

 

「ぐぬぬ、日本にあるとされるピラミッドは?」

 

「広島県の葦嶽山(あしたけやま)が有名ですね」

 

神倭朝(かむやまとちょう)が皇朝の名称として記載されている文書は?」

 

竹内文書(たけうちもんじょ)

 

「日本の預言書――」

 

日月神示(ひつきしんじ)

 

「六甲山に――」

 

「カタカムナ文献――ですかね?」

 

「ぐぐぐぅぅ!?」

 

 途中から早押しクイズ番組のように即答し出す右京に菫子は「思考を読まれているのか!?」と焦った。顔が歪む自分と比較して相手は笑顔のまま。只者ではない。

 本気になった菫子は思いつく限りのクイズを放り込む。

 

「カテゴリー9の惑星!」

 

「ティアウーバ星。ミシェル・デマルケ氏が宇宙人タオによって連れて行かれた惑星」

 

「地球の地下にあるとされる伝説の都市!」

 

「アガルタ。地球空洞説もロマンがありますよねえ」

 

「かつて地球上に実在した巨人族の名称!」

 

「ネフィリム。フェイク画像が多いですが、僕は好きですよ」

 

「這い寄る混沌!」

 

「ラヴクラフトのニャルラトホテプまたはナイアルラトホテップの別称。個人的には無貌の神という二つ名が好みですねえ」

 

「三人の魔女!」

 

「シェークスピアのマクベスに登場する魔女たちでしょうか?」

 

「イングランド、大憲章!」

 

「マグナ・カルタですかね」

 

「ケラウノス!」

 

「ゼウスの雷霆。ギリシャ神話ですね」

 

「楽園で土を耕す兄と羊を飼う弟」

 

「アダムとイブの息子、カインとアベル」

 

「ウィンストン君、2+2は?」

 

「5。ジョージ・オーウェルの一九八四年。近ごろ、またブームがきているようですね」

 

「アルジャーノンに?」

 

「花束を。名作ですねえ。日本語訳の文体も素晴らしくて引き込まれてしまう」

 

「二○四五年問題!」

 

「技術的特異点を迎えるとされる年。果たして人類を超えるAIは現れるのか」

 

「……こ、今回の事故とオカルトの関係性は?」

 

「お話できません」

 

「くっ、ダメだったかぁ……」

 

 最後の最後で捜査情報を聞き出そうとするも通用せず。圧倒的知識マシンの杉下右京相手にはさすがのオカルト女子高校生もお手上げである。

 

「もうこれくらいでいいですか? 皆さんが困ってますので」

 

 大声というほどではないが、白熱した一方的クイズバトルに周囲の目は冷ややかだ。

 それをやっと察した菫子は肩を縮め「ごめんなさい」と恥ずかしげに謝罪してゲームセット。この勝負、右京に軍配が上がった。

 間を空けて菫子が敗北宣言を行う。

 

「か、完敗です……。さすがは刑事さんだ……」

 

「君も若くして幻想郷に入れるだけあって様々な知識をお持ちのようですね。感心しましたよ。十代の学生がここまでオカルトへ関心を寄せているとは思ってもみませんでした」

 

「えー、あはは、何だか嬉しいなぁー。刑事さんはどこでオカルトの知識を?」

 

「学生時代は図書館や人伝。インターネットが普及してからは主にネットで情報収集しています。僕も学生時代から幽霊や擬似科学に興味がありましたねえ。今でもイギリスの心霊学会で発表される論文を読むのが楽しみだったりします」

 

 右京は小学生のころからオカルトに興味を持ち、中学生に上がると都市伝説を題材にオリジナル小説を書き上げるほどのマニアだ。菫子とは年季が違うのである。

 

「海外の論文まで見るとか……。ガチ勢じゃないですか!?」

 

「世間一般的にはそうなのかもしれませんね」笑う右京。

 

「す、すげえ……。私と同じくらいガチな人に初めて出会った……」

 

 口を開けながら固まる菫子に右京が一言コメントする。

 

「君の行動力も目を見張るものがありますよ。大したものです」

 

「え、あ。ど、ども……」

 

 オカルトが好きと言っても煙たがられるだけで賞賛されたことは今までの人生で一度もなかった。

 初めて趣味を肯定された感覚を味わった彼女は顔を赤らめさせて俯いた。

 ここまでなら美談で終わるがそこは杉下右京。

 

「ですが――イタズラに怪談の謎を暴こうと、ナーバスになっている教師の方々へ話を聞いて回るのは如何かと思います。今後は控えてください」

 

 しっかりと釘を刺して行く。

 

「え゛ぇ゛ぇ゛、そ゛ん゛な゛ぁ゛ぁ゛」

 

 予想外の一言にダメージを隠せない彼女に右京は「当然です」と一言発して紅茶を最後の一滴まで飲み干す。

 

「そろそろバスの時間では?」

 

「ん? あっ……、すぎてるぅぅぅぅ!! どうしよう、アレに乗らないと神奈川行きの電車に間に合わない! ホテルに泊まれるお金とかないよぉ!」

 

 話に熱中してバスの到着時刻を確認していかなったようだ。

 菫子は雷に打たれかのように勢いよく立ち上がって頭を抱える。

 好きなことになると周りが見えなくなるのだな、と右京は肩を竦めながらも、このように申し出た。

 

「僕が駅までお送りしますか?」

 

「いいんですか!?」

 

「もちろんです。元々、僕が呼び止めたのですから」

 

 颯爽と立ち上がり、店員へ目配せして会計を促す。

 どこか飄々としながらもさりげなく紳士の格を見せつける刑事に女子高生は「なんか、カッケェ。この人!」と感動を覚えた。

 

「じゃ、おねがいしまーす!」

 

 万遍の笑みと共に彼女は親指を立てた。

 同意を得た右京は会計を済ませて店を後にし、学校に停めてある車で菫子を駅まで送り届けた。

 帰り際、彼女は「明日も講座あるんで、時間があったら色々と語り合いましょうね!」と上機嫌に手を振って駅の中へと消えていった。

 超常の力を持つがその精神はまだまだ幼さが残る。

 車内でその後ろ姿を見守った右京は、歳相応の少女の姿に幻想郷で行動を共にした霊夢や魔理沙を思い出し、微笑んだ。



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第155話 奢侈文弱な女子高生 その2

 次の日の十時。

 愛車で高校入りした右京が調査を再開する。

 真っ先に向かったのは四階の転落現場。鍵を持った教員と一階からコツコツと一歩一歩、階段を上がりながら不審な点がないか目を凝らす。

 壁は人が触る部分に塗装の剥離が見られるが、気になるほどではなく、壁面に取りつけられた手すりにも歪みや壊れている部分はない。踊り場や段差部分も凹んでいる様子はない。

 普通に歩くだけなら全く問題なかった。それは転落地点も同様であった。

 つまり謎の声を聞かなければ生徒は足を滑らせなかったということになる。

 

「謎の声……どこから聞こえてきたのでしょうねえ~」

 

 考察モードの右京に困惑しながらも「あの……音楽室の鍵、開けましたよ?」と、つき添いの教員が伝える。

 

「これは失礼」

 

 さっと手を挙げてから右京は音楽室に入室した。

 室内は壁には名だたる音楽家たちの肖像画が飾られ、窓側左奥の隅にピアノが置かれたシンプルな作りをしている。他にも木琴などの楽器が見受けられるが、人の声を出せるような楽器は存在しない。

 カタカタと音がする窓に目を向けると、風がノックを鳴らしている。

 試しに開いてみると室内にビューっと冷たい空気が流れ込み、右京の顔を叩いた。

 

「この階は下の階よりも風当りが強いんですよ」

 

「そうですか」

 

 窓のロックを閉めた彼は音楽室を出て通路側の窓を調べる。

 風の強さは共通していて、これ以上、強くなればガタガタという音に変わるだろう。

 都合悪くガラスを叩く音を人の声と勘違いして足を滑らせた、または生徒の悪戯。大半の人間がこれらの筋書きを支持するはずだ。

 つき添いの教員の顔にもそう書かれている。

 相手の視線を上手に躱したホームズは「他の部屋も見せて貰えますか?」と依頼して教員に扉の鍵を開錠させる。

 自習室は、三人がけできる木製の丸机が十台と机一台につき三脚の椅子が置かれていた。

 人の腰くらいの大きさがある戸棚には自習用に貸し出されている資料が重ねられている。

 必要最低限のものしか存在しないどこにでもあるフリースペースだ。

 視聴覚室も入室したが、一世代前の機材が並べられているだけで不自然な点はない。

 つき合ってくれた教員に礼を言って別れた右京は同フロアを歩きながら、ひとり情報を整理する。

 

「事故当時、音楽室も視聴覚室も開いておらず、使用可能だったのは自習室だけ。鍵は職員室にあり、マスターキーも使われた形跡はない。転落した生徒さんは周囲に人気はなかったと証言している……。不運な事故――」

 

 右京の頭には何らかの引っかかりがあった。

 自分が現場を見て回った時と今日の現場はどこか異なっているのだ。

 それはほんの微かな違いだ。もしかしたら空気感かもしれない。しかし、右京の高感度レーダーに反応があるのだ。この胸のざわめきは一体、何だ。そう考えながら彼は無意識のうちに事故現場の階段に足をかけようとした。

 そのとき、背中に殺気にも似た黒い稲妻が突き刺さった。まるで誰かを下へ落とそうするような悪意を持っている。

 瞬間、気配を察知した右京は直前の行動をキャンセルして素早く身を反転させた。当然、視界の先には誰もいない。廊下に出て周囲を確認しても結果は同じだった。

 

「どうやら僕が思っている以上に厄介な怪奇なのかもしれませんね」

 

 幻想郷で亡霊の女王から手ほどきを受けた彼の霊感は以前とは比較にならないほど高まっている。

 元から所持している推理レーダーと相まって怪奇に対しても感知力を得た。右京は「この事故の裏には何か得体の知れないモノが潜んでいる」と確信する。

 

 

 中央階段を使って下の階に降りた右京は生徒たちへの聞き込みを開始する。

 人の少ない休日とはいえ、昼近くになればベンチや自動販売機周辺、食堂などに生徒が集まる。

 とはいえ、怪奇について堂々と生徒たちに訊いて回れば不信感を持たれる可能性もある。右京は考えた末――。

 

「どうもどうも、生徒さんがた。ここはいい学校ですねー。実は親戚の〝孫〟がこの学校に入りたいと申していましてね~。たまたま仕事でここを訪れたもので色々、お話をと思いまして」

 

 優しい紳士を演じながら情報収集を行う手法を取った。

 最初こそ、嫌煙されるも警察で培った軽快なトークで若者の懐に入り込み、立場を明かさず質問することに成功する。

 右京が知りたい内容は主に三つ。

 怪談に関連する情報、転落した生徒の情報、当日の詳細な状況である。

 自販機の隣でコーラを飲んでいた二年の男子生徒は『この前、体育館脇にあるトイレの中に入ったら影が動いたような気がしました』『池を覗いたら目つきの細いおじさんの顔になっていて驚いたことがあります』と答えた。

 偶然近くを通った眼鏡の男子学生も『四階の階段は呻き声がするので有名です。僕自身、聞いたことはないけど、気味悪いので日が暮れたら通らないようにしてますね。先生がたは信じようとはしないんですけどね』と怪談話を語った。

 そこから離れていないベンチにて、転落した生徒と同クラスだと語る女子生徒へ彼女について訊ねると『ノリはいいけど結構、傲慢かな。クラスの女子とか後輩を平然とディスってたから、転落して「ざまあみろ」と喜んでいる子もいたの』と教えられる。

 食堂に向かう途中、縮毛の長髪をした女子生徒とも会話して、当日の状況を聞き出せた。女子生徒いわく『あの日は曇りの上に、風が強くて、ビューっという音が窓ガラスを叩いてました。それが人の声に聞こえたんじゃないでしょうか』とのことで、職員の証言とも矛盾はない。

 質問を切り上げた右京が通路端で情報を整理する。

 判明したのは、怪談話が存在し、転落した女子生徒が周囲に恨まれていたくらいだ。

 転落に繋がる直接的な手掛かりはない。怪談に登場するトイレでも確認してみるか。

 右京が体育館のトイレへ赴くと先客がいた。

 

「うーん、影らしきものは見当たらないなー」

 

 パシャパシャとスマホで写真を撮っては画面と睨めっこする菫子だった。

 刑事は咳払いをしてから彼女の注意を引いた。

 

「あ、刑事さん。こんにちは!」

 

「こんにちは」

 

 昨日と異なり、菫子は笑顔で挨拶をした。

 その表情から右京は彼女が昨日、自分が言ったことの本質を理解していないのだな、と察してから、ため息交じりに訊ねる。

 

「何をしていたのですか?」

 

「見ての通り、写真を撮っていました。今、昼休みなので、ちょうどいいかなって思って。当然、先生たちに訊いて回ったりしてませんよ? 昨日、帰ってからネットで怪談情報を収集しましたんで!」

 

 ニヒヒ。菫子は楽しそうな笑顔と共にスマホをかざして見せた。どうやら和製ホームズを以てしてもオカルト高校生を完全に制御することはできないようだ。

 右京はその目を細めるも、自身の言葉が足らなかったこともあって彼女を咎めなかった。

 

「なるほど……。収穫は?」

 

「ありません。影なんて一ミリも動かないですっ」

 

「写真を撮ったところは?」

 

「トイレ周辺です」

 

「ほうほう」

 

 そう言って、トイレ周辺をグルっと見て回る。コンクリートで作られたどこにでもある普通のトイレだ。地面に不審な点もなく、影が動く要因もない。右京はその足で男子トイレに入る。内部は洋式の男子用小便器が三つと個室用便器が二つの至ってシンプルなものだ。こちらも変わったものはない。

 何枚か写真を撮り、トイレを出る。入口の左端で菫子が待っていた。

 

「どーでした?」

 

「普通の男子トイレでしたねえ」

 

 周囲、男子トイレと観察したのであれば残りは女子トイレだ。隣にある入口をロックオンする。

 

「ま、まさか入る気なの!?」

 

 いくら調査のためでも白昼堂々、女子トイレに入るのはマズイだろう。菫子が大きく口を開けるのも無理はない。それもそうか。右京が足を止めた。

 そのタイミングで菫子が目をパチパチさせ始める。刑事が知らん顔すると今度はチラチラと不自然な仕草で気を引く。私がいるぞ、というアピールだった。

 実に子供らしいやり方に和製ホームズは苦笑いを浮かべるも、最後は折れる。

 

「菫子さん。女子トイレの中を見てきてくれませんか?」

 

「ほい、きた! お任せあれ!」

 

 手に持ったスマホを握り直した彼女は一目散に女子トイレへ駆け込む。昨日のカフェでのやり取りで気を許したのか、いつも以上に浮かれているような印象を受ける。

 パシャパシャという音が連続的にトイレ内で反響し続けた。

 五分が経ち、外に出た菫子は詰まらなそうな顔をしながら右京へ「怪しいところは何もありませんでした」と報告した。

 

「影の一つくらい動いてもいいと思うんだけどなー」

 

「同感ですねえ。写真、見せて貰っても?」

 

「どうぞ」

 

 彼女は撮影した画像を順番にスワイプしてみせた。枚数は数十枚程度で本人が言う通りおかしな点はない。

 

「やっぱりただの噂だったのかなぁ~」

 

 顎に手を添えて残念がる菫子を余所に、右京は次の怪談を調べようと動き出す。

 

「池を見てきます。宇佐見さんも一緒にきますか?」

 

「いきますっ」

 

 昨日までの警戒心はなくなり、すっかり右京を仲間と認識した彼女は意外にも人懐っこかった。

 少し前まで全能感に浸り、他人を見下していたのが嘘のようである。

 庭の池についた右京は昨日同様、周囲を探索する。光の反射による現象や意図的な悪戯の可能性も考えて地面や草木や障害物、建物など念入りに調べるも何も出てこない。

 その間、菫子は池を覗きながら首を捻っていた。

 

「どう見たって普段の私だよね……」

 

 自身の容姿に変化が起きるはずもなく、続けて水面に映る顔をカメラに収めるが当然、画面の中の顔にも異常はない。

 これはガセネタの雰囲気がしてきたぞ。菫子は肩を竦めて空を仰ぎ、冬の冷気に頬を叩かれる。オカルトマニアにとって、これは日常だ。

 中学までの彼女なら腹を立てていただろうが、日本最大級のオカルトである幻想郷の存在を突き止め、幻想入りを果たした彼女の精神にはどこか余裕が感じられる。

 それは右京も同様で、かつてのような好奇心の暴走は見られず、安定した状態で行動している。幻想入り理由はどうであれ、東の国の秘境は関わった者たちへ変化を促すのだろう。

 

「周囲に怪しい箇所は見当たりませんねえ」

 

 彼の呟くに呼応するように少女が頷く。

 

「水面にも変化ないです」

 

「ふむ」

 

 現時点では聞き込みの浅さも相まって情報の確度が低い。

 この段階でガセと決めつけるのは早計だ。何より背中で悪寒を感じ取った右京なら簡単には諦めない。

 もっと証言を集めねば。調査の方針を決めた彼は菫子のほうを向いた。

 

「宇佐見さん、授業のほうは大丈夫ですか?」

 

「ん……? あ、もう時間だ」

 

「おやおや、でしたら急いだほうがよい」

 

「だけど、ぶっちゃけ基本情報って簡単だし。サボっても……」

 

「それは感心しませんね。せっかく授業を受けにきているわけですから。きちんと受けるべきです」

 

 真顔で圧力をかける右京。

 

「うげ……。わかってますって」

 

 諭された彼女はタジタジになりながら「戻ります」と言ってこの場を後にした。

 基本情報の試験内容は比較的、難易度の高く、受験した人間の多くが不合格になるので有名だ。それを高校生の立場で簡単だと語ってしまうのだから、優秀だと言わざるを得ない。

 実際、菫子本人の学業成績は常にトップであり、いつも寝ているのに成績トップの学生として半ば怪談化しているが、本人に気にかける様子は見られない。

 孤立しようが自らの目的のために行動を起こす宇佐見菫子は、かつて学生だった右京に少なからず似ていた。

 その後ろ姿に自身の背を重ねてしまい、ホームズは頭を痛めた。

 

 

 夕方、十七時二十分。辺りはすっかり暗くなった。右京は生徒たちに聞き込みや周辺調査を続けていたが、収穫はゼロだった。

 休憩を兼ねて自販機でホットのミルクティーを購入し、ベンチに座った彼は一服する。

 そんなタイミングで右耳にファンシーな女性の声が入ってくる。

 

「あの……」

 

「おや、小島先生」

 

 転落した女子生徒の担任、小島だ。

 彼女は恐る恐る刑事に近寄って「何か……わかりましたか?」と訊ねてきた。

 右京は「直接的なものは何も」と首を横に振ってから続けて。

 

「実は何点か、お聞きしたいことがありまして。お時間よろしいですか?」

 

「は、はい。私なんかでよければ……」

 

 気乗りしないのか、浮かない顔つきで同意する彼女に刑事は問いかける。

 

「同じクラスの生徒さんは、転落した生徒さんを我の強い人物だと語っていました。それは本当ですか?」

 

「あまり人の言うことを聞かない娘ですね。気に入らないことがあるとすぐ言い争う娘で、私が注意してもその場、限りでまた繰り返すんです。まぁ、私が先生として見られていないというのもあるのですけど……」

 

 そう語って、小島は地面へと目を落とした。

 

「見られていないとは?」

 

「えっと……。い、一部の生徒から〝こじちゃん〟とかアダ名で呼ばれているので。私、声高めだからか、皆『声が子供っぽくて可愛い』ってイジってくるんですよね……」

 

 小島は威厳のある人物ではない。人畜無害のお人よしというのがしっくりくる。そのために教師として軽んじられているのだろう。

 彼女の暗い表情で生徒からの評価を察した右京は、配慮しつつ相槌を打つにとどめる。

 

「彼女は誰かに恨まれていたりしますか?」

 

「恨まれているかどうかまではわかりませんが、嫌っている人間はそれなりにいると思います」

 

「クラスメイト以外にも?」

 

「いると思いますね。あの性格ですし」

 

 被害者が周囲に恨まれている人物であれば、故意に仕かけられた可能性も高まる。そのちらの線でも調査する必要があるだろう。

 右京が次の質問に移った。

 

「昨日、林先生とお話する機会があったのですが。彼――五味教頭とあまり仲がよろしくないですよね?」

 

 五味の名前を挙げた途端、小島がバツの悪そうな、何とも言えない態度を取った。

 

「もしかして、見てしまったんですか?」

 

「穏やかではない光景が目にとまりました」

 

「あ……そうですか……」

 

「いつもあのような態度で林先生に接しているのですか?」

 

「はい。あの人、ちょっと融通が利かないので五味先生と相性が悪いんですよね」

 

「それで手が出てしまう、と」

 

「……」小島は無言で頷く。

 

 鈍感な林と重箱の隅をつつきたがる五味とでは仲よくできるはずもない。

 おまけにあの教頭は初対面の刑事の前で愚痴を零すなど、軽率な態度を隠し切れない。影で日常的にパワハラを行う人物であっても不思議ではないだろう。

 小島もまた視線を落としたまま正面を見ようとはしなかった。

 気になった右京が。

 

「あなたはどうですか?」

 

「へぇ、私!?」

 

 驚きのあまり、声が裏返ってしまったが、彼女は続けて。

 

「私はそういう暴力的なのは受けてませんよ……」

 

 と、手を振って否定し、何かをボソッと吐き出そうとした。

 そこに講義を終えた菫子が向かってくる。

 彼女と目が合った瞬間、右京は小島との話を中断して「授業はどうでしたか?」と訊ねた。

 和製ホームズの正面までやってきた菫子はふふん、と鼻を鳴らしながら「簡単でした。たぶん、合格できます」と余裕の表情を見せた。

 

「さすがですね」

 

「いやいや、それほどでも!」

 

 天狗のように鼻っ柱を伸ばす菫子。褒められた時のドヤ顔は幻想郷の新聞少女とそっくりだ。

 いきなりの来客に戸惑う小島へ右京が小声で「彼女は情報系の講座を受けにきた東深見高校の生徒で、僕の知り合いです。余計なことは何ひとつお話ししてませんから」と告げる。

 小島は納得したが、どこか落ち着かない振る舞いで「こ、これから会議がありますので、失礼します!」逃げるように去っていった。

 

「私、何か気に障ることしました?」

 

「さぁ……」

 

 ふたりは首を傾げながら互いに顔を見合わせた。

 考えてもどうせわからない。人づき合いなんてそんなものだよね。このようなマインドの持ち主である彼女はすぐに気持ちを切り替える。

 

「あれから収穫ありましたか?」

 

「休みの日とあって生徒さんが少ないので」

 

「収穫ゼロですか。ガッカリだなぁ~」

 

「そういうものでしょう? オカルトを追いかけるというのは」

 

「ははっ、確かに!」

 

 当たり前ながら休日は聞き込みに不向きである。得られる情報にも限りがあった。

 軽い話ののち、菫子は「今日は電車の到着時刻が早いので」と断りを入れてきた。本当は共に調査や昨日のようなオカルト話を行いたいところだが、電車を逃がしたくない。右京が大丈夫だと返事をするも心残りがあるようで。

 

「その……何か進展があったら教えて欲しいんですけど」と後頭部をポリポリと掻きながら恥ずかしげに漏らした。余程、オカルトが好きなのか、幻想郷の仲間から顰蹙を買って自由に行動できないからか、それとも目の前のオカルトに本気で取り組む右京にシンパシーを感じたからか。彼女は自分から頼んだ。

 気恥ずかしさの中に寂しさ故の孤独を感じ取った刑事は、懐から革製の入れものを取り出し、特命係と書かれた名刺を手渡す。

 

「学校に関係する内容はお教えできませんが、多少のオカルト話、程度なら」

 

「本当ですか!? ありがとうございます! 後で連絡しまーす! それじゃあ、さよなら!」

 

「お気をつけて」

 

 コロコロと態度の変わる菫子を見送った右京は自身も職員室に寄ってから愛車に乗って自宅へ帰宅した。

 

 

 休日を挟んだ月曜日、右京は少し早めの八時に登庁する。

 組対五課部署のドアを開けると、いつもより室内が騒がしかった。

 壁際の通路を通り抜け、デスクに荷物を置いた彼は部屋の入口から様子を窺う。

 少ししてそこに角田がやってきた。

 

「警部殿。今日は早いね」

 

「早く起きたものですから――この騒ぎは?」

 

「あぁ、これ? ガサ入れの準備だよ。最近、神奈川を拠点にしている半グレ集団がこっちにも手を伸ばしてきてね。色々、調子乗ったことやってくれてんのよ。だから、これからシバきにいく」

 

 組織対策五課は反社会勢力や半グレの取り締まりも受け持っている。彼らが動いているとあれば裏を取って一網打尽にするのが仕事だ。

 そのための準備だと聞いて右京は「なるほど」と頷いた。その際、角田から「できれば警部殿も一緒に手伝ってくれればね~」と懇願されるが、同行したくないので適当にはぐらかしつつ、テレビをつけた。

 表示された画面には()()というテロップが出ており、女性キャスターが現場中継していた。

 

 ――調布市の西高見高校で遺体が発見されました。男性は同高校に勤める六十代の男性教頭と見られております。詳しい情報が入り次第、おってお伝えします。現場からは以上です。

 

「調布の高校で遺体だと!? 只事じゃないね――ん、警部殿?」

 

 角田が口を開くのと同時に和製ホームズはハンガーにかけたコートを羽織り直し、カバンの柄を握った。

 

「申し訳ない。用事ができました。いってきます」

 

「ええ、ちょっと――こっちの手伝いは!?」

 

「それはまた別の機会に」

 

 顔を顰める角田を余所に右京はポーカーフェイスの内側を燃やしながら、現場へ急行するべく警視庁を後にした。



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第156話 この空の向こう側へ

ついにおなじみの二人が登場します。


 八時二十五分、コートに身を包んだ男が意気揚々と警視庁の廊下を歩いていた。

 男の名前は冠城亘。杉下右京の現相棒だ。

 

「右京さん、もういるかな。……なんだかんだ文句言われそうだなー。言い訳、考えておかないと」

 

 小言のうるさい上司の顔を思い浮かべながら、組対五課の扉を開け、デスクの脇を通って特命部屋に入室する。

 正面右斜め前方の席に目をやるとオールバック――いや、丸刈りの男が背を向けて座っていた。

 亘が一瞬、戸惑い声を上げると、男がクルッと身体を向ける。

 

「あ、角田課長」

 

 上司の席を占領していたのは角田だった。彼は空になった愛用のマグカップを手に持ちながら、嬉しそうに笑った。

 

「冠城! 風邪、治ったんだな!」

 

「はい、お陰さまで。もうすっかり!」

 

「そうか、そうか。よかったー!!」

 

「ど、どうも……」

 

 不自然なくらいまで上機嫌な角田に亘は押され気味になるも、室内に右京の姿が見えないことに気がついた。

 

「あの、右京さんは?」

 

「杉下なら出かけたよ……」

 

 彼の話が出た途端、課長はトーンを落とす。疑問符を浮かべた亘が訊き返した。

 

「出かけた? どこへ?」

 

「聞いて驚け」

 

 角田が息を溜めた。亘の脳裏に嫌な予感が走る。

 

「ま、まさか……また長野――」

 

「――調布だ」

 

「近っ!?」

 

 車で一時間とかからず行ける場所だ。目と鼻の先だろう。わざわざ、溜めるなよ。拍子抜けした亘は気を取り直してから。

 

「なんで調布に?」

 

「遺体が見つかったんだよ。そしたら一目散に出ていったんだ」

 

「もしかしてまた幽霊絡みとか……」

 

「そりゃわからんが、殺人でも疑ってんじゃないの?」

 

「なるほど。じゃ、俺もいってきま――」

 

「ちょっと待った」

 

 角田が亘の腕を掴む。

 

「これからガサ入れでさ。人手が必要なんだ」

 

「いや、俺にはいくところが――」

 

「お前がいくところは半グレのと、こ、ろ!」

 

 同時に角田の部下ふたりが亘を囲んだ。本気で連れていくつもりなのだと悟った亘が大きく口を開けた。

 

「ちょ、ちょ……マジすかっ!?」

 

「マジもマジ! 体調も万全なんだろ!?」

 

「うーん、まだ病み上がりで――」

 

 眉間にしわを寄せて考えている素振りをしても無駄である。

 

「うん、元気そうだな! よし、いくぞ!」

 

「え、えぇぇぇー! 勘弁してくださいよぉー。右京さぁぁぁぁん!!」

 

 抵抗も虚しく、亘はガサ入れに駆り出されるのであった。

 

 

 高速を通って調布入りした右京は現場近くの駐車場に車を止めて、西高見高校を正面に据える。

 現場には鑑識と捜査一課が先行しており、すでに捜査が始まっていた。

 見張りの警察官に手帳を見せて敷地内へと足を踏み入れる。人流れから発見場所が四階だと察した彼は人を潜り抜けて足早に左端の階段を駆け上がった。

 途中、複数の関係者が担架で遺体と思わしき物体をどこかへ運んでいく姿が目に映った。踊り場で端に避け、ブルーシート越しに物体の特徴を観察する。

 大きさからいって中身は痩せた人物である。

 喉の奥を鳴らしつつ、彼が四階へたどり着くと、左側の教室から捜査員たちの声と足音が引っ切り無しに聞こえてくる。どうやら遺体のあった場所は音楽室のようだ。

 急ぎ、靴をビニールで覆い、教室へ乗り込むと、細身でガラの悪い刑事とこれといった特徴のない醤油顔の刑事ふたりが中年の鑑識と話し込んでいた。

 

「遺体は六十代前半痩せ型の男性。死因は後頭部を固いもので何度も殴打されたことによる脳挫傷みたいです。死亡推定時刻は昨日の十九時から二十一時の間。相当、殴られたようっすね。大量の打撲痕ができてました。警察に通報したのは第一発見者の校長だそうです」

 

「怨恨の線かもしれねぇな。ゲソ痕、辿れば何かわかるかもーー」

 

 何気ない顔つきで右京がその前を通ると、ふたりは嫌悪感を顕わにしながら彼の前に立ちはだかる。

 

「って、警部殿、何をしているんですか!!」

 

 捜査一課の伊丹憲一(いたみけんいち)芹沢慶二(せりざわけいじ)。特命係と何かと縁のあるふたり組である。

 基本的にはいがみ合っているが、場合によっては協力し合い、手柄を横取りされ、利用するだけ利用される、またはこちらが利用する関係だ。

 相棒が冠城亘に変わってから風当りがきつくなったが、持ちつ持たれつの間柄に変わりはない。もっともこのふたり――特に伊丹は頑なに認めようとしないだろうが。

 般若のような面と狐を連想させる細く鋭い目つきで相手を威圧する伊丹の得意技も杉下右京にはまるで通じない。

 

「これはこれは、おふたりとも。おはようございます」

 

「おはようございます。じゃ、ありませんよ!」

 

「まーた、俺らの邪魔しにきたんですか!? 勘弁してくださいよー」

 

 芹沢が悲鳴にも似た声を上げるもホームズは、半ば無視するように遺体のあった場所に歩み寄る。すると今度は恰幅の良い鑑識の中年男性が待ったをかける。

 

「まだ鑑識の仕事は終わってないぞ」

 

 鑑識の益子桑栄(ましこそうえい)。こちらも特命係と関係のある人物で時折、協力的な態度を見せてくれるが、仕事中は部外者の干渉を酷く嫌う。

 目の前の右京に特大のしかめっ面を向けるのがその証拠である。が、特命係には関係ない。

 

「邪魔をするつもりはありません。離れたところから眺めますので」

 

 身体を左右に動かし、遺体が倒れていた場所を覗き見る。男性が倒れていたのは左奥にあるピアノのすぐ側で、害者の形を模したテープを見る限り、うつ伏せの状態で絶命していたことが理解できる。

 また情報を集めているな、と勘繰った益子がそれを中断させようと威嚇する。

 

「ダメだ、手間が増える!」

 

「そうですか……。では一つだけ。亡くなられた男性教頭というのは痩せ型で神経質そうな方ではありませんか?」

 

「……どうしてそう思うんだ?」

 

 益子はほんの少しだけ目元をピクんと動かした。

 瞬間、右京が確信を得たように人差し指を立てた。

 

「もしかしてその方のお名前――五味さんではありませんか?」

 

「どこから聞いた!? まだマスコミにも……」

 

「やはりそうでしたか」

 

「どういうことですか、警部殿!?」

 

 ひとり納得する右京を不審がった伊丹がふたりの間に割り込んだ。

 和製ホームズは芹沢を含めた三人を見据えた。

 

「実は校長先生の依頼でとある調査を行っていましてね。色々な方にお話を聞いて回っていたのです。その際、五味先生ともお話ししました」

 

「とある調査依頼……? それってなんです?」

 

「転落事故の真相究明です」

 

「「転落事故?」」

 

 捜査一課のふたりは首を傾げてから互いの顔を見やった。

 次は益子が口を挟む。

 

「ふーん。その転落事故ってのは、今回の事件と何か関係があるのか?」

 

「それはまだわかりません。ですが無関係とも言いづらい。そんなところです」

 

「もぉーー、勿体つけずに教えてくださいよー。どうせ、なんかわかっているんでしょ?」

 

 芹沢が縋りつくように右京へすり寄るが、彼のポーカーフェイスは崩れない。

 

「まだ予想の域を出ません。しかし――」

 

「「しかし?」」

 

 逮捕権を持たない島流し部署の人間とはいえ、杉下右京は様々な事件を解決してきた日本のリアルホームズ。決して侮れず無視できない。

 耳を傾ける捜査一課のふたりに対して彼は待っていましたと言わんばかりに。

 

「捜査に同行させて貰えれば何か結びつくかもしれません」

 

 いつものスマイルで答えた。

 

 

 特命係と捜査一課の三人は校舎を通って校長室を目指す。

 

「警部殿、学校内だけですからね!」

 

「勝手に口、挟まないでくださいよ?」

 

「わかってますよ」

 

 巧みな話術で刑事ふたりを翻弄――いや説得し、右京は校内にいる間だけ同行の許可を取りつけた。

 もちろん、彼らにも学校の事情を理解している右京を同行させたほうが都合がよいとの判断も少なからずあった。

 校長室の扉を開けると青ざめた中井が三人を出迎えた。初めて直面する事態に感覚が追いついていないのだと思われる。

 そんな腰が引けている彼を右京が「校長、お気を確かに」と励ましたことでようやくまともな返事が返ってくる。

 

「あ、す、杉下さん――そ、そう……ですね。すみません……」

 

「少々、お話をお聞きしたいのですが、大丈夫ですか?」

 

「は、はい。何とか」

 

「んんっ。警部殿。後はこちらが引き受けますので」

 

 咳払いと共に右京と中井の間へ伊丹が割って入り、中井を来客用のソファーまで誘導した。特命係に捜査の邪魔をさせないためである。

 ふたりが腰をかけたところで伊丹の隣に芹沢が座り、本格的な聞き込みがスタートする。

 まずは先輩である伊丹から質問する。

 

「遺体発見時の状況を詳しくお話し下さい」

 

「は、はい……。職員室に入るべく扉に手をかけるとすでに鍵が開いていて、泥棒が入ったのかと気になり、色々調べていると音楽室に五味先生の遺体があるのを発見しました。一応、肩を揺すってみたのですが、反応がなかったので110番して、警察がくるのを待ちました」

 

「中井さんはいつも早い時間に出勤なさるのですか?」

 

「ええ。皆を引っ張って行く立場なので、気持ち的にも早く出勤したほうがいいと思っておりまして……」

 

「なるほど。すばらしい心がけですね。学校内で何か不審な点はありましたか? 例えば荒らされた形跡とか、ものがなくなったとか」

 

「鍵が開いていたことくらいで、荒らされた形跡も、ものがなくなったとかもありませんでした」

 

 物取りの線は薄そうだな。伊丹は内心で頷いた。彼が無言になると、入れ替わるように芹沢が質問する。

 

「被害者の五味さんが殺された理由について心当たりはありますか? 誰かに恨まれていたとかでもいいんで、教えて頂けると」

 

「殺された理由になるかどうかはわかりませんけど、五味教頭は教員や生徒の間ではあまりよく思われてなかったみたいなんです」

 

「よく思われてないとは?」

 

「態度が傲慢で小言がうるさいとのことでした。私と話す際はそんなことなかったので、今までは軽く促す程度にとどめていたのですが……」

 

 相手の立場によって態度をコロコロ変える人間も存在する。五味はそういったタイプの人間だったのだろう。この真面目な校長があの五味をきつく叱らなかったのが証拠だ。

 そこにさり気無くこの男が口を挟む。

 

「ということは、校長は五味教頭が裏でやっていたことを知らなかったのですね?」

 

「杉下さん、口を挟まないで下さいって――」

 

「裏でやっていたこと……?」

 

 芹沢が制止しようとするも意味深なワードに反応した校長が右京の話に耳を傾ける。面倒くさそうな芹沢を何かが引っかかった伊丹が「とりあえず、聞いてやろう」とアイコンタクトでなだめる。

 注目が集まったところでホームズはあのシーンについて語り出す。

 

「先週の金曜日、十六時過ぎでしたかね。転落した生徒を運んだ国語教師の林先生にお話を伺うべく探していたのですがその際、校舎裏で五味先生と喋っている姿が目に入りましてね。どうやら五味先生は林先生の授業進行に不満があったようで、ちゃんとやっているのかと問いただしていました。

 そして、林先生が自分なりにやっていると答えると彼の頭をボンっと叩き、暴言で捲し立てて、去っていきました。とある先生にもさり気無く五味さんについて質問しましたが、無言で頷かれました。恐らく、ああいったやり方が日常的に行われていたのでしょうねえ」

 

「そ、そんな、私は何も聞かされて……」

 

 目を見開きながら中井は固まった。下から報告が挙がってなかったのだろう。怨恨の線を勘繰っていた刑事ふたりにとってこれは朗報だった。

 咳払いをした伊丹が右京から主導権を取り返し、中井のほうへ向きなおる。

 

「それはれっきとしたパワハラですね。その林先生というのは今、どちらに?」

 

「あれ、まだ見てないですね。おかしいな、今日は出勤日のはずなのに……」

 

「芹沢、他の先生がたに聞いてこい」

 

「了解っす」

 

 芹沢が席を立ち、隣接する職員室へ向う。

 数分後、戻ってきた彼は伊丹のところへ駆け寄り「先輩、林って言う教師はまだ出勤してないそうで、連絡も取れないそうです」と小声で告げた。

 同じく伊丹も小声で「住所は?」と訊き返す。「ここから十五分ほどの距離にあるマンションの五階です」。同僚の返答にガラの悪い刑事はほくそ笑んで「わかった」頷き、中井に視線を移す。

 

「中井校長。我々は一旦、失礼します」

 

「それならば僕も」

 

 右京が手を挙げるも即座に阻まれる。

 

「警部殿はいいですから、ここにいてください」

 

「いてください」

 

「そうですか」

 

 伊丹と芹沢は特命封じの連係プレイを見せたのち、一礼して校長室を去った。

 その姿を見送りつつ、右京は窓の外に青く広がる空を眺めた。

 

 

 林の住むマンションに着いた捜査一課のふたりは階段をのぼり、目当ての部屋のチャイムを押す。

 

「林さん。少しお時間いいですか? 林さん、林さ~ん」

 

 数回、鳴らしても返事がなく、ドアノブを回してみても鍵もかかっていて開かない。

 痺れを切らした伊丹が後輩を見やり、小さい声で、

 

「おい芹沢。管理人から鍵、借りてこい」

 

 と命令して彼を走らせた。途端、チャイムの先から男の弱弱しい声が響く。

 

 ――な、なんですか……?

 

 たく、手間かけさせやがって。軽く舌を打った伊丹が「林さん、ちょっとお話があるんですけど、ドア――開けてもらえますか?」と猫を被ったように懇願する。

 林と思わしき人物は亀のような足取りでドアのすぐ側まで近づく。彼の声や振る舞いから事件に何かしら関係があると感じ取った刑事は「逃がさねえぞぉ~」と臨戦態勢に入る。

 ところが彼は鍵を開けるどころか、ガチンと何かを動かして玄関を離れた。

 刑事である伊丹は面食らったように。

 

「お、おい! その音――U字ロックかけやがったな!!」

 

 林は耳を塞ぎながら、廊下を駆け抜けてリビングへ飛び込む。

 それから少しして芹沢が管理人と共に五階に戻ってきた。

 

「芹沢! U字ロックをかけられた!」

 

「マジっすか!? 鍵だけじゃ、どうにもならないっすよ!」

 

 嫌な空気を感じた伊丹が説得するかのように訴える。

 

「は、林さん、我々は警視庁の者です! とある事情についてお伺いにきただけです! 今すぐ開けてください、林さん――」

 

 ドンドンを鳴り響く扉を見つめながら、室内の林が自らの心臓を押さえる。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 心拍数が跳ね上がり、呼吸するのも苦しくなる。

 震える手で無理やり室内用の大判カレンダーを剥がした彼は、その裏に赤インクのボールペンで何かを殴り書いた。ペン先が潰れるくらい強い筆圧で白地を汚し、狂気じみた笑みを浮かべてからそれ適当に投げ捨て、ベランダの鍵を開けた。

 冬の肌寒さが彼の肌を突き刺すが、緊張で神経が逆立っている者の動きを止めるまでには至らない。

 眼前に広がった空を視界に収め、手すりに手をやった。

 どこまでも澄み渡る群青に自身の人生を投影し、ガックリと肩を落とす。そこには悔しさや絶望が垣間見られる。黄ばんだ手すりに全身の力を込め、林は呪文を呟く。

 

「ウィィィィィィィィィィィィィン――パァティィィィィィィィィィィィ――オォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 張り裂けんばかりに叫んで地面へ身を投げた。数秒後、鈍い衝撃が閑静な住宅を襲う。

 大声に続いて衝撃音とくれば、何が起こったのかなど刑事ふたりにとって想像は容易だ。

 血相を変えて階段を駆け下り、落下地点へ向かうと、頭から血を流し、絶命している林の姿があった。

 

「クソッ、早まった真似を――芹沢、救急車を呼べ!」

 

「は、はい!!」

 

 後輩がスマホで電話をかける最中、先輩刑事はひとり、林のすぐ側で屈んで脈を測るも結果は予想通り。特大のため息と共に、伊丹は自身の不手際を嘆いた。



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第157話 殺人鬼の影

 二十分後、警察に封鎖されるマンションを右京が訪れる。付近で怯えている住民たちに声をかけ、簡単に事情を聞いたのち、立ち入り制限テープの前に移動する。

 監視役の警官に手帳を見せ、中へ入れてもらうと、落下現場周辺で肩を落とす伊丹たちふたりを発見した。

 

「災難でしたね」

 

「警部殿……」

 

 壁に背を預けたガラの悪い刑事が、右京の顔に視線を合わせて「笑いにきたんですか?」と噛みついた。

 何かしらの関与が疑われる人物がすぐそこで自殺したのだ。無理もない。

 ホームズは首を横に振って否定する。

 

「マンションの住人に聞いたのですが、林先生は奇声を上げながら、飛び降りたそうですね」

 

「ええ、なんかでっかい声で叫んでましたね。なんて言ったかな……。ウーン、パ……オ――だったかな?」と、芹沢が答える。

 

「ウーンパーオ。どこかの地名か、それとも……」

 

 別の何か。しかしながらどこか引っかかるワードだ。右京はその頭を働かせ、類似する言葉を手当たり次第、引きずり出す。ひとり推理モードのホームズに不快感を覚えた伊丹は鼻を鳴らしながら顔を背ける。

 その間も脳内検索を行い、右京は類似する言葉――それもかなりオカルト的な事件と関連があるものを探し当てる。それは、とある悪魔信仰者の口癖。

 

「まさか――」

 

 十四年前のおぞましい事件がフラッシュバックする。

 刹那、胸がざわざわと不快な音を立て、上階から黒い稲妻が走ったのを肌で感じた。いても立ってもいられない彼は刑事ふたりに「林先生の部屋の鍵は開いてますか?」と訊ね、芹沢が思い出したように「さっき同行してもらった時に借りたままだったな」と呟いて鍵をポケットから出す。

 

「貸して下さい」

 

「え、でも内側にはU字ロックが」

 

「それはこちらで何とかします」

 

 要領の悪い芹沢から半ば、鍵を奪うように手に取り、右京は近くにいた所轄の警察からビニール紐を借りて階段を駆け上がる。

 得体の知れない何かがいる。直感、いや霊感がそう告げている。

 目当ての部屋にたどり着き、鍵を開錠し、紐を器用に使い、U字ロックを外して中に入ると、刺激臭が鼻をついた。

 白い手袋を両手に嵌め、ハンカチで顔を覆ってリビングに進入すると、そこには予想した通りの闇が広がっていた。

 

「これは……」

 

 多数の悪魔崇拝グッズが散乱していたのだ。六芒星のマークが書かれた紙、大型動物の頭骨や先端にドクロがついた杖、獣の皮など常人では考えられないもので溢れていた。

 しかし異臭の発生源になるようなものは見当たらない。

 続けてもう一つの部屋の扉を開け、薄暗い室内へ飛び込むと更なるカオスが待ち受けていた。

 大量に積まれる呪いに関する専門的書物やオカルト本。蛇や虫の死体、トンカチと無数の釘、呪術用の水晶や紅い液体の入った壺などが散乱していた。だが、これらは異臭の元ではない。

 照明のスイッチを発見し、電気をつけて部屋の隅まで照らすと、部屋の右奥に黒いシートが被せられていた。大人ひとりを隠せるサイズだ。

 恐る恐る、右京がシートを外すと腐った物体が姿を現す。

 

「異臭の原因はこれですか」

 

 様々な意味から右京は顔を歪める。遅れて刑事たちが駆けつけた。

 

「な、なんすかこれ!?」

 

 狭い室内に広がる異質な世界に呆気にとられる芹沢を余所に、伊丹は右京のいる部屋に乗り込み、そして目撃してしまう。

 

「警部殿、どういうことですか――って、何だよ、これ!! ()()じゃないですか!?」

 

 腐って淀む緑色になった肉が纏わりついた人のような物体。

 目玉の部分が抜け落ちているのか、真っ黒な穴が開いており、脳天には多数の五寸釘が打ちつけられている。胸付近も同様だ。

 伊丹は場の雰囲気から、いたたまれなくなって、思わず手を合わせた。先輩の後ろに続いた芹沢も遺体を視界に入れた途端、仏を憐れんだ。

 右京だけはその物体に違和感を覚え、あらゆる角度から観察を行う。

 数十秒後、ホームズはこう告げた。

 

「おふたりとも、これは人の遺体ではありません」

 

「「へ!?」」

 

「ほら、ここ。プラスチックの音がするでしょう?」

 

 骨がむき出しになった部分を指でトントンと叩く。響く音はプラスチックを叩いた時のそれだった。おまけによく観察すると肉と骨の間に接着剤の痕まで残っている。この遺体は人工的に再現された人体だった。

 

「肉の繊維的に――使われたのは鳥肉でしょうか? 安価で手に入り、加工がしやすいからなのか。気になりますね」

 

「はぁ!? んだよ、驚かせやがってっ!!」

 

 手を合わせた俺が馬鹿みてぇじゃねぇか、と伊丹は悪態を吐き、追従するように芹沢も肩を竦めた。

 後方で悪態という不協和音が流れても手は休めない。次にホームズは肉の中に隠れる何かを発見する。

 

「写真ですねえ……」

 

 肉が崩れないようにそっと指で分け入ると、誰かの写真が埋め込まれており、そこに写る人物は五味だった。

 

「複数の五寸釘が刺さった肉の纏わりつく人体模型に五味教頭の写真。となれば藁人形の強化版でしょうか?」

 

「藁人形?」

 

 伊丹が戸惑う。

 

「林先生は五味先生を恨んでいてもおかしくありませんからね。呪い殺そうとしても不思議ではないかと」

 

 目の前の奇怪な物体を五味の人体を模した人形と定義すればオカルト的観点から呪術に使う物体と考えられる。身体のあちこちに釘が打たれているところからすると、相当な殺意があったのだろう。

 

「まぁ、この部屋ですからねー」

 

 悪趣味な室内を見渡し、芹沢が納得したような態度を取って、気分転換するべく、リビングへ引き返す。気持ち悪いグッズだけじゃなく、ものが散乱して足場の少なくなった床に歩行を阻まれる。

 邪魔だな、と思いつつ、足場を探していると無造作に投げ捨てられた紙を見つける。

 裏面に何かが書かれた痕があり、怪しんだ芹沢が手に取って、裏返した。

 そこには赤字で力強く。

 

  五味は俺が呪い殺した

  復・讐・完・了

 

 と書かれていた。インクの渇き具合から書かれてそう時間が経っておらず、ある意味で遺書とも取れる。

 気味が悪いと思いつつも芹沢はカレンダーを拾い上げ、先輩である伊丹のところへ持っていった。

 

「先輩、こんなのがありました」

 

「あぁん? なんだこれ。()()()()()だと……。どこまでもふざけてんなぁ……」

 

「ですけど、林先生は悪趣味な人形を作ってまで、被害者を殺害したかったんですよね? その気持ちを抑えきれず、実際に呼び出して殺っちゃったとか?」

 

「ありえない話じゃねぇな。呪いじゃ死なないから自らの手で殺した。それで俺たち警察が来ることを予見していて、もう無理だと思って飛び降り自殺を図った。これなら林の行動が納得できるぞ」

 

「できますね」

 

「ふん、決まりだな」

 

 事情を聞く前に死亡されたとあっては刑事ふたりの叱責は免れないが、元々死ぬ意思があったのであれば別であって、自分たちの責任は軽微なものですむ。

 予期せぬ事態だったと。伊丹はホッと胸を撫で下ろす。そこへ手を動かすホームズが口を挟む。

 

「鈍器で殴り殺したのであれば呪い殺したなどと書くでしょうか? ここまで用意するほどの手の込んだ人間の行動とは思い難いですねえ」

 

「きっと悔しかったんでしょうよ。だから最期にこの言葉を書き残した。自分が呪いで人を殺したかのように偽装するためにね。まったく、性質の悪い野郎だ」伊丹が吐き捨てる。

 

「なるほど――では、凶器はどこでしょうか?」

 

「凶器……?」

 

「先ほどから室内を探索しても見当たらないのですよ。キッチンでしょうか?」

 

 独り言のように呟きながら、わき目も振らずに台所へ突入するホームズを見て、先をこされてなるものかと対抗心を燃やした先輩刑事が後輩の背中を叩く。

 

「俺らも探すぞ」

 

「了解っす」

 

 ふたりも手分けして部屋を捜索する。

 右京が台所、伊丹が玄関、芹沢が洗面所と風呂場でものを漁るが、台所の排水溝はヨゴミで悪臭が漂い、玄関はゴミと埃が占有し、風呂場の排水溝は髪の毛が詰まってまともに機能しそうにない。ゴミ屋敷になりかけの汚部屋である。

 作業する警察官三人も眉間に皺を寄せながら作業を行った。

 鑑識の妨害をする訳にもいかないので、簡単なチェックだけで済ませたが、犯行に使われた鈍器は見当たらない。

 再びリビングに集まった彼らは結果報告を終わらせ、一課は次の行動について打ち合わせする。

 

「鑑識を入れるのは当然として、この後どうするんですか?」

 

 芹沢が伊丹に訊ねた。

 

「凶器がここにないってことは、どこかに隠したか、捨てたかってところだ。所轄の連中を動員して、付近を捜査すれば出てくんだろ」

 

「善は急げっすね」

 

「おう、早く連絡すっぞ。そういうことですので、警部殿はご自由に」

 

 独特の笑みを浮かべた般若はホームズに一礼して後輩と一緒にこの部屋を出ていった。

 もう少し室内を調べたい右京にとって彼らの退場は好都合だった。

 先ほど調べた寝室へ戻り、人差し指で書物をチェックしていく。

 縦積みされた本たちは皆、埃を被り、開かれた痕跡が見当たらない。

 散らかった机を見やると、椅子の正面だけは物が避けられている形跡があった。椅子に座って何かをしていたと思われる。据えつけられた棚から埃が被っていないものを選んで中身を拝見するが、呪術関連ばかりだった。

 気になったついでに机の中も確認する。無造作にものが詰め込まれ、学校で使う書類なども乱雑に押し込まれている。

 しかし引き出し手前側を指でなぞると、林本人の学生手帳が隠れていた。

 自身のレーダーが点滅し始めたので、右京は手帳を開いた。すると――。

 

「帝都予備高講師、村木重雄(むらきしげお)……ですか――」

 

 この男の正体は十四年前、かつての特命係と対峙した悪魔信仰者である。

 ただならぬ悪寒が背中を駆ける。息を呑んだホームズはすぐさまスマートフォンを取り出し、とある人物に協力を要請した。

 

 

 時刻は昼十二時を回る。人気の少ない埠頭の廃工場の死角に複数のワゴン車が止まっている。動き易いように薄手のジャンバーに身を包む男たちの中に混じり、ひとりだけ洒落たロングコートを着込んで張り込む亘が異質に映った。

 

「いたぞ、半グレ集団《スマイル》の構成員だ」

 

 角田がアイコンタクトで報せると、後ろの部下たちが一斉に頷いて、逃走経路を潰すべく、アジトを囲むように散らばる。

 トランシーバーで逐一連絡を取り合い、数分後には準備が完了する。

 課長の角田が目つきを鋭く保ったまま「いくぞ、突入だ」と捜査員十名を連れて正面入り口から勢いよく乗り込んだ。

 突然の事態に面食らう十数人の若者へ向けて、代表の角田が判子の押された紙を堂々と見せつける。

 

「警察だ。動くな! はい、これ令状!」

 

「あぁん? てめぇ、このメガネザルが――」

 

 いきがる半グレどもに自ら容姿を貶された彼は、怒髪天をつくような怒りを込めて叫んだ。

 

「全員、コイツらをとっ捕まえろ!! 後、今メガネザルって言ったヤツ――覚悟しろ!!」

 

 大声を合図に戦闘開始である。

 先陣を切る角田が暴言を吐いた若者へ飛びかかり、組み伏せて強烈な関節技で無力化する。他の部下たちと半グレも一斉に取っ組み合って、激しい乱戦が繰り広げられた。

 形勢は圧倒的に刑事側が有利で小悪党どもは次々に倒されていく。

 自分たちが不利と見るや裏口や人の隙間から逃げ出そうとする者が出るも、裏口は他の刑事に抑えられ、袋のネズミ状態だ。残るは正面しかない。

 ひとり、またひとりと正面を突破するために入口へ駆け寄るが、コートの男が立ちはだかった。亘だ。

 

「はいはい、逃げちゃダメよ?」

 

「んだよ、おっさん。怪我じゃすまなくなるぞ!!」

 

 相手はひとりだと調子に乗ったチンピラたちは、ふたり同時に亘へと襲いかかるが、和製ホームズの部下もまた武術の心得がある。

 反動をつけた一撃を見切ってヒラリと躱し、戻りきらない相手の腕を掴んで地面にねじ伏せ、もうひとりのほうも迫る拳を捌いて、膝蹴りをみぞおちに叩き込み、動きが止まった瞬間に投げ技で一本取る。

 うずくまるふたりにちょいワル親父はキメ顔を作りながら。

 

「怪我じゃすまなくなるのは君たちのほうだったね♪」

 

 人差し指を左右に動かしておちょくった。

 それからまもなくして半グレ集団は全員お縄につき、用を終えた亘は組対五課のワゴンに乗って撤収した。



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第158話 特命係2019

今年、最後の投稿です。よいお年を。


 警視庁に戻った亘は取り調べを行う角田と別れ、特命部屋へ向かう。

 

「あー、病み上がりでガサ入れの手伝いとか……」

 

 運がないな、とぼやいて再び、細い通路を通る。

 ドアの無い入口を潜ると、右京の椅子に座っている男がいた。背が低く、ショートカットヘアーで神経質そうな容姿。亘はうわー、と一歩引いた。

 

「青木か、どうした?」

 

 目の前にいたのはサイバーセキュリティー課に在籍する警察官青木年男(あおきとしお)だった。青木はとある事件で特命係といざこざを起こし、法務省勤務だった亘を警視庁へ天下らせた原因を作った人物だ。

 性格は一昔前のディープなネラーのように陰険で可愛げの一つもなく、親代わりの副総監から〝できの悪い男〟と評されるほどだが、頭のキレは右京にも引けを取らない。悪知恵の働く捻くれ者だ。

 亘と犬猿の仲である青木は不機嫌を上まで表す。

 

「どうした? か、じゃないだろ、冠城亘――僕は忙しいにも関わらず、お前の上司のために一仕事してやったんだ。感謝しろ!」

 

「相変わらず、うるさいヤツだな!」

 

「ちょ、ちょ――や、ヤメロォォー!」

 

 口の悪い陰キャの顔を両手で塞ぎながら、得意の減らず口を封じる。これが二人の日常的なやり取りだ。ムンクが叫んでいるかのような表情で抵抗するも、ひ弱な身体ではチンピラ二人を圧倒する亘に敵うはずもなく、青木は弄ばれ、解放されるまで二十秒ほどの時間を有した。

 肩で息をしながら、陰キャは右京の部下を睨む。

 

「そ、そんな態度でいいのかっ。お、お前にも情報を提供してやろうと思ったのにっ」

 

「だったら、早く言え。またお仕置きしちゃうぞ?」

 

「ぐっ、仕方ないね。杉下さんに免じて特別に教えてやろう。一時間ほど前、連絡があって、これを調べるように言われたんだ」

 

 彼は右京の机の隅に避けられていたA4用紙数枚分の資料を亘の前に差し出す。

 

「村木重雄の経歴……。この名前、どっかで聞いたことあるな」

 

 資料のタイトルにもなっている人物名がどこか引っかかった。

 瞬間、青木がニヤリと口元を弛めて得意げに解説する。

 

「あらら、ご存じない? 十数年前に有名になった連続殺人鬼だよ。ソイツ」

 

「連続殺人鬼!? もしかして――女性ばかり襲ったっていう」

 

 連続殺人鬼という称号を持つ者は決して多くない。脳内を辿れば情報が残っている。

 

「その通りだ。被害者は全員女性。しかも、遺体の片耳からはピアスが消えていたという奇怪な事件だったからな。ボクは今でも記憶に残っているよ」

 

「でも、その犯行って村木が若い頃の犯行だったよな?」

 

「そうだな。今から、約二十七年前、村木重雄は予備校の人気講師だった。その時期に女性たちを殺し回っていたのさ。当時は村木が犯人だとする十分な手がかりがなく、逮捕されなかったが、容疑をかけられたことで予備校をクビになり、その五年後に交通事故で足を悪くして不自由になる。

 カウンセラーにかかりながら生活していたみたいだけど、奥さんから日常的に暴言と暴力を受けていたみたいだね。その怒りが犯行に繋がったんじゃないかと囁かれているが、実際のところは謎だ――でもって十四年前の二○○五年、三件の連続殺人が起こった。

 被害者は女性で片耳からピアスが外されていた。それをかつての杉下さん率いる特命係が村木との関連性に勘づいて捜査を開始。自室で杉下さんらに追い詰められた村木は犯行を認めた直後に飛び降り自殺。事件は終わるかと思われたが、ここから事件は急展開を見せる!」

 

 両手を開いて大げさな演技を取る青木を他所に亘が天井の一点を見つめる。

 

「普通に考えて、足が不自由になった村木に女性を殺すのは難しいもんな」

 

「そうだ。いかに男とはいえ、不自由な身体では無理がある。協力者でもいれば別だが、これまでの村木の行動からいって、それはありえない。つまりこれは――」

 

「模倣犯だったってところか?」

 

「先に言うなっ。はぁ……まぁ、そんなところだ。三件の連続殺人は村木が通っていたカウンセラーの男性助手だったんだよ。彼は村木に魅了されたんだろうね。そして、助手もまた特命係に追い詰められて自殺しようとするが当時、相棒だった亀山さんに直前で阻止されて御用となった。とりあえず、こんなところだ」

 

「なるほどな。で、右京さんは今更なんでそんなヤツの情報を?」

 

「さぁね、そこまでは聞いてない。けど、調布の事件と関係があるんだろうね。予備校時代とそれ以前の詳細な情報がご所望のようだし。さっき、調布市内で飛び降り自殺した男と繋がりでもあるんじゃないの?」

 

「飛び降り自殺……?」

 

「ふんっ、警察官ならニュース見ろ。ほら」

 

 青木がテレビをつけると、またもや速報と書かれたテロップが流れていた。

 テロップの内容は『マンションで男性が飛び降り自殺。高校教師殺害と関連が?』といういかにもなタイトルだった。

 

「自殺した男性、殺された教頭と同じ職場だったそうだ。何かしらの関与があると警察は睨んでいるみたいだぞ」

 

「ふーん。ところでその資料、右京さんに送ったのか?」

 

「もちろん、調べろと言われた範囲は全て調べてとっくにメールで送信済みだ。これは僕が特別に作った資料さ。どうせ、同じ事件を追う、一課にも聞かれるだろうしね。今の内から用意しておいたのさ」

 

「さすが、仕事が早い」

 

「はっ、もっと言ってもいいぞ? なんなら讃えろ!」

 

「はいはい、青木ちゃまは、すごいですねー」

 

「うごっ」

 

 言葉とは裏腹に亘は生意気な青木へアイアンクローを放って再度、黙らせる。

 気が済んだところで右手による拘束を解除し、右京の部下は自らもはせ参じるべく、特命部屋を後にした。

 

 

 鑑識が来る前に退散した右京は数日前、菫子とお茶した喫茶店で青木から送られてきた情報を眺めていた。

 小さな式神の画面をスライドさせ、村木の予備校時代までの経歴を漁る。

 すぐに林との接点がでてきた。

 

「二十七年前の帝都予備校時代、彼は人気の講師だった。現在、四十四歳の林先生の年齢は当時、十七歳。予備校に通っていても不思議ではなく、西高見高校に載っている彼の出身校も帝都予備校からそう離れていない」

 

 青木が調べたデータと照合した結果、二十七年前、林と村木が出会っている可能性を突き止める。異常な空間の中で思い出の品が一つ、それも連続殺人鬼に関係するとなれば無関係なはずがなかった。

 

「林先生の行動も彼に影響を受けた可能性がありますねえ」

 

 死してなおも人を誘惑し続けているのか。サイコパスの恐ろしさに改めて実感し、右京は「これ以上、あなたの犠牲者は出さない」と、負の連鎖を断ち切る決意を固める。

 その際、偶然、窓ガラスの外に映った人影に目が行く。

 

「おや?」

 

 厚手の茶色いジャンパーを着込んで、顔をフードで覆う人物だった。いかにも怪しい。

 急いで会計を済ませた右京は不審者の目的と正体を突き止めるために後ろから尾行する。

 そうとも知らずに対象者は不審な動きを繰り返しながら警察の監視の外で学校内の動向を探る。

 

「クソッ、絶対に見つけてやるからな!」

 

 幼さの残る声で怒りを吐き捨てる不審者に右京は心当たりがあった。ため息を吐いてから対象者の方をポンと叩く。

 

「学校はどうなさったのですか、菫子さん?」

 

「え!? うわ、刑事さん!!」

 

 不審者は菫子本人だった。

 焦りに焦った彼女は言い訳を探すので精一杯で刑事の質問に答えられずにいる。

 

「感心しませんね。学校をサボってまで怪奇を追いかけるなど」

 

「いや、違うんです!」

 

 弁明とばかりに彼女は西深見高校の学校裏サイトが表示されたスマホ画面を右京へかざす。先に黒いページ画面に目が行くが、瞬く間に違う画像へ移る。目元が黒い線で塗りつぶされているが、目の前の少女の姿そのものだった。

 画像は、転落現場に上がる階段の一階部分で熱心に写真を撮っているシーンだ。

 

「これはどういうことですか?」

 

「よくわからないけど、晒されたんですよ、私!!」

 

 怒気を交えながら、スライドされた画面は『この女が今回の怪奇事件&殺人事件の元凶、宇○見○子』とタイトルが打たれており、続くコメントに『この服、東深見高校の生徒だよね? この前、学校で情報系の講座を受けていた』『東深見の女子生徒か。俺も基本情報講座の教室に東深見の女が出入りするのを見たな』『たぶん、ソイツだな。身体つきが似てる』『けど、転落事件が起きたのは講座の前だろ? なんでコイツが元凶なんだよ』『そーだよ。デタラメすぎんだろ』『あ、そういえば、俺この名前、聞いたことあるぞ。中学からの知り合いで東深見高校の同級生から聞いたんだけど、確かコイツ、有名なオカルトマニアで、自分でオカルト的な事件をでっち上げたり、フェイク画像を作ってるらしい』『ってことは怪談話を再現するために行動したとか?』『マジかよ。キモwwwww』『目元は隠れているけど、美人じゃなさそうだよな』『きっと、眼鏡の地味な女だ』『そう聞くと、陰キャそう』『こういうのは決まってブサイクなんだわ』『ちょ、ウケる!!』『絶対、彼氏できないよねー』『ギャハハハハ!!』など、見るに堪えない罵詈雑言で溢れていた。

 

 今まで、煽り煽られるレスバトルを繰り広げてきた熟練者の菫子も個人がほぼ丸わかりの画像を出されて、叩かれたことはなく、初めての経験に童顔を赤鬼のように真っ赤に染めている。

 事情を理解した刑事は。

 

「だから、学校を休んでまでここに来た訳ですか。デタラメな情報を拡散した者を捕まえるために」

 

「そうです! こんな情報を流すなんて、きっと今回の犯人に違いない!! それを――」

 

「捕まえて警察に突き出して憂さを晴らそう。というところですか?」

 

「そ、そんなとこです……」

 

 菫子は目を逸らしながら言うが、ホームズにはお見通しだった。

 

「本当は警察より先に見つけてギタギタにしてやるつもりだったのでは?」

 

 ギクッ。一瞬、肩を震わせた彼女が恐る恐る目を戻すと、眼鏡の仏頂面が待っていた。誤魔化しは不可能である。

 

「ほんの少しくらい痛い目に……。くらいは思ってました」

 

「その痛い目に遭わせる方法とは、もしかして〝超能力〟ですか?」

 

「えっと……」

 

 口をごもごもさせるオカルト少女。右京は二重の意味でため息を吐いた。

 

「菫子さん。君が表の世界でどの程度、能力を使えるのか知りませんが、例え侮辱されたとはいえ、超能力を使って報復などしてはいけません」

 

「だ、だって」

 

 反論する彼女を右京が遮る。

 

「ダメなものはダメです。それでは筋が通りませんよ。不当なやり方に対抗するためならどんなことでもしてもいい、などという自己中心的な考えを僕は認める訳にはいきません」

 

「う、うぅ……。だって、だってぇ……」

 

 余ほど、悔しかったのだろう。彼女は両瞼に若干の涙を溜めながら訴える。

 頭ではわかっているが、自らのプライドが許せなかった。いくら頭がよかろうが精神は子供。ここは大人の出番である。

 

「君は、僕が誰だか、忘れているようですねえ~」

 

「え?」

 

「警察官ですよ? 僕」

 

「そ、そりゃあ、知ってますけど……」

 

「これも立派な名誉棄損ですよ?」

 

 そう言って、彼女のスマホを指差した。右京の言わんとしていることを理解した菫子は目を見張った。

 

「へ……? 警察ってこんな簡単に動くの!?」

 

 一般目線で語れば、警察は恐いイメージがある。さらにフットワークが重く、所轄の警官などはピンキリで場所によっては仕事しないなんて話も聞く。おまけに組織内にも小遣い稼ぎのために違法な行為に手を染める輩まで存在し、探れば探るほど、巨大な闇が広がっている。強い権力を持つが故の弊害だろう。

 そこらの女子高生よりも遥かにネットを使いこなす菫子はそれを理解していて、基本的に警察を信用していない。

 

「普通は被害届を出してからです。しかしながら、僕は時間が余っているので。この件について調査しましょう。ですから、報復なんて真似はおよしなさい」

 

 和製ホームズが微笑んだ。

 

「ま、マジっすか……」

 

 変わり者の刑事だと思ったが、まさかここまでとは。喜びと驚きが同居した何とも言えない表情を浮かべると共に、彼女の思考が停止する。

 そこへあの男の声が届く。

 

 ――右京さぁぁぁぁぁぁぁぁん!!

 

 名を呼ばれた本人が振り向くと冠城亘が嬉しそうに手を振りながら向かってくる姿が目に入った。

 

「おやおや――グッドタイミングですねえ~」

 

 風邪が治ったのだな。右京もまた嬉しくなって手を振り返した。

 二人のところへやってきた亘がまずは一言。

 

「もう探しましたよー。一課の二人に聞いてもどこにいるか、わからないって言うし、メールしても返事すらない!」

 

「あぁ、すみません。色々と考えごとをしていましたので」

 

「なんすかそれ! 俺のメールよりも重要なんですか!?」

 

 不服そうに詰め寄る彼をホームズは涼しげに躱す。

 

「同じくらいですかねえ~」

 

「それはないでしょ!?」

 

「ふふっ、申し訳ない」

 

 いつもの軽快なトークを繰り広げる大人二人。菫子の円らな瞳が両者の顔を行ったり来たりする。

 

「あの、刑事さんその人は……?」

 

 その問いを待ってましたと言わんばかりに右京が告げた。

 

「彼は冠城亘。僕の――()()です」

 

 こうして欠けていた相棒が舞い戻り、特命係の捜査体制が整うのであった。



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第159話 三つ目の足跡

お待たせしました!


 喫茶店に菫子を連れて戻った右京は菫子を四人掛け用のテーブルに着かせ、彼女と向かい合うように座った。続くように上司の隣に亘が着席する。大人二人に見つめられる形になった女子高生は気まずさからか、視線をテーブルの端に追いやる。

 何も知らない亘は右京を横目で見やり、彼の耳元に顔を近づけ「一体、彼女とどういう関係なんですか?」と質問する。

 どこから話したらよいものか。臆病者かつオカルトへの理解のない部下へ幻想郷での出来事を伝えていなかった。彼女を安心させるためにカッコつけて紹介したが、そこから先を考えていない。

 ここで説明を行えば、時間が足りなくなる。そう感じた右京は「僕のオカルト仲間です」と軽く返し、元気のない少女の顔を覗く。

 

「菫子さん、先ほどの西高見高校裏サイトをもう一度、見せて頂けませんか?」

 

 コクンと頷かれてから差し出されたスマホを亘の目に入るようにして、簡単な説明を入れる。

 

「僕は何日か前から甲斐さんの指示で西高見高校で調査を行っていました。きっかけは裕福な家庭の女子生徒が階段から足を滑らせて骨折したことから始まるのですが、そこでは数週間前から謎の呻き声が頻発しており、オカルト騒動に発展しかけていました。保護者会でも問題となり、困った校長が甲斐さんに零して今に至ります」

 

「甲斐さんの頼みなら断れませんね。そうじゃなくても首を突っ込みそうですが」

 

「それは何とも言えませんが。その調査の最中、こちらの宇佐美菫子さんと出会いました。彼女は西高見高校の姉妹校である東深見高校の生徒さんで、とてもオカルトに精通しています」

 

「オカルトに……なるほど」

 

 視線を上げ、菫子の顔をチラっとだけ見る。

 眼鏡をかけるくせ毛っけの強い女子高生。確かにイケているグループではないな、と亘は納得し、スマホに集中する。その視線から察したのか、本人は「それっぽそうで悪かったな」と腹を立てた。

 一方、粗方のコメントを読み終えたホームズはその内容に心を痛める。

 

「かなり攻撃的な内容ですねえ」

 

 数分の内にコメントが何件か増えていた。

 

『私も友人から聞いたんだけどコイツ、中学の頃からイキがっていたそうだよ。自分のことを天才とか言っちゃっててさ「ただの人間に興味ない」とか「自分は特別だ」とか、本当にありえないよね』『マジかよ、キッツ。それで見た目が微妙とかマジワロス!』『ネタを通り越して痛いやっちゃでそれ』『干物女まっしぐらだな! ガハハ!』

 

 コメントは相変わらず、菫子を攻撃するもので配慮などの欠片は微塵もない。

 一緒になって画面を見つめる亘さえも「これは酷いな」と苦言を呈するほどだ。

 不安になった本人も身を乗り出して追加されたコメントを確認し、歯ぎしりする。

 

「私、こんなこと言ってないし!! 誰だよ、その友達ってのは!? 悪意あり過ぎでしょ!!」

 

 中学の頃は今よりも大人しくしており、当たり障りなく他者と接していたはずだ。

 クラスの端にいる成績のよい普通の生徒だったと、菫子は信じている。

 怒りで声のトーンが上がった彼女を宥め、右京が念を押したように問いかける。

 

「本当に言っていないのですね?」

 

「い、言ってませんってば。大体、上のほうにあったコメントもなんなんだよ。私は中学時代にオカルト事件なんてでっち上げてないし、今までフェイク画像も作ったことない。嘘ばっかりだよ」

 

 腕を組んで不快感を上まで表す彼女の態度に嘘は見られない。

 この時、右京のレーダーが何かを感知した。

 

「ということはこの二つのコメント内容は嘘でよろしいですか?」

 

「間違いなく!」

 

「わかりました。冠城君、青木君にこれらのコメントの発信先を突き止めるように手配してください。何かわかるはずです」

 

「了解です」

 

 指示を受けるや否や、すぐさま自身のスマホを取り出して、打ち込む亘に菫子が意外そうな目を向けていた。その様子を右京が気にかける。

 

「どうかしましたか?」

 

「いや、本当に警察って動くんだな、と思いまして……」

 

「嫌なことでもありましたか?」

 

「いえ、そんなんじゃないけど、警察ってその……ネットであまりよく言われてないから、上から目線の組織なのかな~って」

 

「ネットは言いたい放題ですからねえ。この件のように」

 

「そーですね」

 

 ネットの情報が玉石混淆なのは知っていたが、自身が味わって初めてその性質を理解した。ネガティブにしてもポジティブにしても極端な情報が先行しがちな世界である。

 警察内部がクリーンな組織だとは言い難いが、右京のような誠意を持った警官がいるのもまた事実なのだ。

 

「メールの送信、終わりました。アイツのことです。文句言いながらもすぐ調べるはずです」

 

「彼なら問題なくやるでしょうね。ところで菫子さん?」

 

「ん……なんですか?」

 

 急に改まる刑事を不気味に思い、叱られるのかと身構える女子高生。一拍おいてから彼は笑顔で「お腹は空いていませんか?」と問う。菫子は一瞬、考える素振りを見せ「あ、食べ忘れてた」と答えた。

 怒りのまま自宅を出てきたのだろう。予測が的中した。全く、仕方のない子供である。ホームズは呆れることもなく、さも当然のようにメニューを開き見せた。

 

「お好きな物を注文して下さい。勘定は僕たちが持ちますから」

 

「ふえっ、本当ですか!? でも……」

 

 数日前にも奢って貰ったので、さすがに申し訳なさそうにする。

 

「遠慮なさらずに、どうぞ」

 

「だったら……また、お言葉に甘えちゃいます」

 

 年中金欠気味の女子高生に断る理由はなく、すんなり申し出を受けて、メニューから美味しそうなトロトロのオムライスとオレンジジュースを注文する。

 運ばれてきた、それらを美味しそうに頬張る彼女を眺め、警察官二人は顔を合わせて笑った。

 

 

 同じ頃、角田は捕まえた半グレ組織スマイルの構成員の一人を聴取していた。

 

「お前さんの名前は高橋マオト。歳は二十六。スマイルのメンバーだな?」

 

「は、はい……」

 

 男は角田をメガネザルと呼んだ張本人で、真っ先に関節技を決められ一番、最初に捕まった。護送中、悪態を吐いていたが、罪が重くなるぞと脅されてすっかりおとなしくなった。

 

「ここなら誰も邪魔しに来ない。じっくり尋問してやるから、覚悟しろよ?」

 

 悪口を根に持っているのか、不気味に微笑む角田の目は鋭いままだ。

 蛇に睨まれた蛙が受ける威圧に晒され、勘弁してくれと泣きを入れるがもう遅い。

 

「まずはスマイルの商売内容からだ。薬物の仕入れ先や販売場所、顧客。全部、吐いて貰うよ」

 

 こうして角田係長の粘り強い取り調べが始まった。

 

 

 伊丹たちもまた右京と別れた後、マンションと学校周辺を所轄の警察官たちと共に探索するも目ぼしい成果は出ず、学校へ戻ってきた。

 

「凶器どころか林の足取りすら出てこないとはなぁ……」

 

 ベンチに腰をかける伊丹は嘆息し、隣の芹沢も連れられたように愚痴を零す。

 

「この辺りって監視カメラ、少ないんですね。驚きましたよ、都内だっていうのに」

 

「東京の全てが監視カメラの中にある訳じゃねえからな。仕方ないっつえばそうなるよな」

 

 二人は近くの自販機で買ったホット缶コーヒーの蓋を開け、口に含むと冬の風に当てられた自らの身体が温められる。これから警視庁に戻って、林の件で怒られるというのに凶器の一つも見つけられないとなれば更なる説教が待っている。

 内村刑事部長の説教は無駄が多いことで有名だ。その腰巾着、中園も同様である。

 

「もう少し聞き込みしてから退散するか」

 

 コーヒーを飲み干した伊丹がおもむろにスマホに手をやると、画面が光っていることに気がつく。益子からの着信だった。

 

「ん? 益子か……何かあったのか?」

 

 慌てて着信に出ると、益子の低い声が耳に届いた。

 

 ――よぉ、ずいぶん出るのが遅かったな。

 

「すまねえ。サイレントモードになってた。たまにあるんだよな。押し間違えてさ」

 

 ――どこまでも昭和のデカだな、お前さんは。

 

「んなことはいい。なんかわかったのか?」

 

 意味のない連絡を寄越すような男ではない。付き合いの長い伊丹はそれを知っている。電話ごしで呆れ笑った益子は鑑識結果の一部を報告する。

 

 ――犯行現場のゲソ痕なんだが、事件に関係ありそうなゲソ痕は全部で三つだ。一つは五味さんの物で、彼は音楽室のピアノの付近で撲殺された。あまり抵抗した様子が見られないところを見ると、油断したところで殴られたんだろうな。犯人と思わしきゲソ痕は林がいつも学校で使用するスニーカーと一致した」

 

「じゃ、林で決まりだな」

 

 必要以上に怒られずに済むな。腹の中で計算を終わらせた般若は笑みを浮かべる。

 しかし、この話には続きがあった。

 

 ――これだけだったら、よかったんだが、ちょっと不自然なんだよ。

 

「不自然?」

 

 ――三つ目のゲソ痕だよ。こっちは二万円前後の靴だが、死体の近くまで近寄って確認したような跡があるんだ。

 

「ん? 校長の中井さんじゃねえのか?」

 

 ――校長先生のゲソ痕も探ったが、一致しなかった。で、色々、調べたんだよ。そしたらさ、()()()()()()()()()()()()と一致した。

 

「はぁ? どういうことだよ、それ!?」

 

 ――わからんよ。ただ、林の使っていた二足の靴のゲソ痕が犯行現場から出てきた。今わかるのはそれだけだ。

 

「なんじゃそりゃあ……」

 

 考えるのがあまり得意ではない昭和のデカは電話越しにフリーズした。

 

 

 時刻は十七時。

 満腹の菫子を駅まで送り、互いの愛車で警視庁へ帰って来た特命係の両名は無人のはずの特命部屋に戻る。

 入口左隅の来客用ソファーに先ほどの陰キャがポツンと座っていた。

 二人を見るや、無表情だった彼の表情が嫌らしく光る。

 

「お二人とも、お帰りなさい。杉下さん、これ、頼まれた情報です」

 

 青木はメールではなく、紙媒体の資料を右京へ手渡した。

 

「さすが青木君ですねえ。もう調べ終わるとは」

 

「本当はもっと早くできましたけど、こちらも仕事が立て込んでいましてね。監視カメラの解析と平行しながら、この履歴を集めるのは些か、骨が折れましたよ。ハハッ」

 

 自らの手柄を誇りながらドヤ顔で褒めろ、讃えろと催促する青木にカチンときた亘が。

 

「さすがは警視庁一のサイバーポリスメン。褒美に頭を撫でてやる」

 

「ちょ、ちょ、人の頭を撫でるな、冠城亘!!」

 

 セットした髪型が崩れるくらい激しく頭を撫でられ、オモチャにされる。武闘派の亘にモヤシでは歯が立たないのはいつものことだ。

 見慣れた光景なので上司も止める様子はなく、青木の寄越した資料に目を通す。

 菫子を貶めるスレッド内のコメントの書き込み場所を細かくチェックする。

 

「場所は自宅が多いですね、その次の飲食店、そして複数のネットカフェ――」

 

 事件発覚後、すぐ生徒に連絡が行きわたり、学校は休校となっていた。

 自宅や帰りに友人たちとたむろできる飲食店が多いのは理解できる。その流れでいけばネットカフェを利用しているのも説明がつくが、右京は書き込み場所のネットカフェが比較的、近場であったことを疑問に思う。

 

「ネットカフェからコメントされていますが、いずれもそう遠くに離れていない。おまけに」

 

 ネットカフェのコメントはいずれも『知り合いから聞いた』『友人から聞いた』などの偏ったコメントで、菫子が嘘だと断じていた。右京の脳内でとある疑惑が浮かび上がる。

 やっとの想いで亘の拘束から抜け出た青木が息を切らしながらも口頭で反撃する。

 

「そ、そんな態度でいいのか? せっかく、仕入れたばかりの貴重な情報もついでに教えてきやろうと思ったのに!」

 

「仕入れたばかりの情報だと?」

 

 資料を手渡した時に一緒に言えよ。そう思うも、この陰キャには通じない。

 一呼吸おいた彼は亘に追加情報を語る。

 

「被害者が殺された音楽室のゲソ痕。事件に関連のある物が三つあったそうなんですよ」

 

「三つ……? 目撃者か、それとも犯人が複数だったとか?」

 

「さあ、どうなんだろうねえ~~~~」

 

 再び、ドヤ顔で武闘派親父を威嚇する青木に痺れを切らした右京が「青木君、話す気があるなら早く話してください」と強めの口調で催促する。

 杉下右京に一定の敬意を払う青木はたじろいでから、

 

「わ、わかりましたよ」

 

 渋々、情報を伝える。

 

「鑑識が言うには、発見されたゲソ痕は五味さんの物と林の所持する()()()()だったそうですよ。つまり、林は二人いたって訳です!」

 

「おやおや!」

 

「これが何を意味するのか、僕には何とな~〜く想像できますけど、あえて言いません。詰まらなくなりますからねぇ〜。以上です。後は鑑識に聞いてくださいね。ではでは、僕は、これで!!」

 

 足早に去っていく青木の後ろ姿を入口付近まで追いかけた亘は「アイツ、逃げ足だけは早い」と舌打った。

 手に持った資料をテーブルに置いた右京が部屋を出る準備を始める。

 

「益子さんのところへ行きましょう」

 

「簡単に教えてくれますかねぇ?」

 

「そこは君の手腕にかかっています」

 

 言わんとしていることがわかった部下は白けつつも頷き、自らの引き出しを漁って、()()()を取り出し、カバンにしまった。

 相棒の準備が終わったのを確認し、右京は彼を連れて鑑識へと赴く。



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第160話 新たなる協力者

更新が遅れてしまい申し訳ないです^^;


 警視庁の一角に存在する鑑識課。かつて米沢守が在籍していた場所である。

 彼がいた頃は特命係と密な関係にあったため、右京とその相棒は足繁くなく通っていたが、米沢の左遷をきっかけに訪問回数が著しく減る。

 それは益子という頑固親父のせいだったりするのだが、ここ最近、相棒の亘がある突破口を見つけた。

 

「どうです? この娘、可愛いでしょ?」

 

「あぁ、とてもツヤツヤしてるな……。コイツはいいぞぉ!」

 

 年甲斐もなくはしゃぎ始める益子に周囲の目が集まる。

 

「まだまだ、ありますよ。この娘なんかも」

 

「いいじゃないか。可愛らしいなぁ〜」

 

 傍から見るとスケベ親父たちの雑談に思えるが、実際のところは違う。

 

「この猫、名前なんて言うんだ?」

 

「《マリーちゃん》って言うそうです」

 

「ほうほう、マリーちゃんか!? いいねー。きっと〝いい飼い主〟に飼われているんだろうなぁ。こっちまで嬉しくなるよー」

 

「ですね」

 

 益子は大の猫好きで、猫が絡むと話が弾む傾向にある。

 亘の持ってきた絶版の写真集に釘付けで、マタタビを嗅いだかのような砕けっぷりだ。頃合いを見計い、右京が耳元で囁く。

 

「青木くんから聞いたのですが、音楽室から林さんの持つ二足の靴のゲソ痕が出てそうですねえ。詳しく知りたいのですが」

 

「あぁー、そういう魂胆か……」

 

「お願いできませんかね?」

 

 亘が招き猫のように右手をユニークに動かす。

 

「できませんかね?」

 

 続くように上司も腰低くしてお願いする。

 いつもならば門前払いなのだが。

 

「うーん…………特別だぞ?」

 

 骨抜きにされた益子は不服ながらも捜査資料を見せてくれた。中身は音楽室内のゲソ痕の鑑定結果などが詳細に載っている。

 採取された三つのゲソ痕は五味と林の靴で間違いなかった。

 

「仕事用の靴と通勤時に使用する靴ですかねえ」

 

 かたや味気ない灰色のスニーカー、もう一方は洒落たブラウン色のスエードの厚底靴だ。作りからしてブランド品だ。

 靴を使い分けるのは珍しいことはない。が、自室の散らかりを察するに自堕落な生活を送っていた彼がこのような高級な靴を履くだろうか。些か、疑問が残る。

 益子に写真集を手渡し、暇になった亘が右京の隣に立った。

 

「何かわかりました?」

 

「いえ、特には。強いて言うなら、あまり身なりを気にしない林先生がどうしてこのようなブランド靴を履いているのか、くらいですかね」

 

「ナチュラルにディスってますね……。そういうのは、いけませんよ?」

 

「悪気はないのですがねえ〜。気をつけます」

 

 毒を吐いたことを注意され、右京が軽く謝った。

 その後方で周りの目が気にして咳払いした益子が猫の本を引き出しに隠す。彼は鑑識らしく振る舞うべく二人に近づいて、右京が手に持つ資料のゲソ痕画像を指差した。

 

「これらのゲソ痕を調べていてわかったんだが、どうにも不自然な点が多い」

 

「と、いいますと?」

 

「被害者の抵抗した形跡が見当たらないんだよ。階段側の廊下から入ってきて、ピアノの椅子に座り、貧乏ゆすりでもしていたような形跡がある。誰かを待っていたんだろうな。そして、後から入室した犯人と思わしきゲソ痕の主と教室中央で向かい合い、その後、犯人から少し距離と取って、後ろを向き――」

 

「鈍器のような物で犯人に撲殺された」

 

「と、俺は見てる。しかしだ」

 

 資料に手をやり、益子がページを捲る。そこには犯人に対して後ろを向く五味のゲソ痕がくっきりと写っていた。その周囲にも足を動かしたような形跡がある。

 位置は音楽室中央から数メートル奥へ進んだところだ。重心のかかり具合から、そこで仁王立ちでもしていたかのようだ。

 それがどうしたのか。亘が口元に手をあてがった。反対に右京は人差し指でゲソ痕をなぞる。

 

「色のつき具合がやや濃いですね。その場で足を動かした形跡がありますが――まるで股を開くような、大胆な動かし方ですね」

 

「そうなんだよなぁ」

 

「確かにこれは少々、不自然ですねえ」

 

「だろ?」

 

「どういうことです?」

 

 理解できずに置いてけぼりを食らう亘が声を上げた。右京がわかりやすく説明する。

 

「ゲソ痕をよく見て下さい。五味さんは後ろを向いてから殴られるまで足を広げる以外の動きをしていない。おかしいとは思いませんか?」

 

「確かにそうですけど、何かの資料を見ていた可能性もあるような」

 

「犯行時刻は夜です。明かりを照らして時折、足を広げてながら資料を読んでいたのでしょうか? 僕ならもう少し動きますねえ」

 

「しゃがんでいたとか?」

 

 二人の会話に益子が口を挟んだ。

 

「ゲソ痕のつき方からして、立っていたのは間違いない。足を広げてからはつま先に重心が集中しているが、足全体にも体重が掛かっている。圧力の具合からみて、スクワットしてるみたいな状態だと推測できる。しゃがんでいるとは言いにくい」

 

 ゲソ痕はつき方によってその人物がどのような姿勢だったのかを割り出せる。例えば、つま先のほうに重心が集中していればつま先に体重をかけていることになる。

 対象の靴を調べ、普段の歩き方などをデータ化できれば、すぐに違いを発見できる。それが事件解決に繋がることも少なくない。まさに現代捜査の切り札である。それ故に扱う情報が高度化する。今回のようなケースがそれだ。

 

「人と会っていたにも関わらず同じところからさほど動かずに、後ろを向いて立ち続けて足を開いてつま先に体重をかけた――確かに謎だ」

 

 亘はまるで謎かけされているような感覚に陥った。女が絡むのなら得意なのだが、それ以外はご遠慮願いたい。ちょいワル親父はそう思った。

 数秒の無言が続いた後、益子が右京に資料を寄越すように催促し、ホームズはその要求通り、紙束を手渡した。

 鑑識の頑固親父は戻ってきた資料をしまうのかと思いきや再度ページを捲り、違うゲソ痕の画像を二人に見せる。それは犯人と思わしき人物の物だった。

 

「この靴跡、不自然なまでに爪先あたり重心が掛かっていて、ゲソ痕のつき方が安定してない。これは靴のサイズが合ってない証拠だ」

 

「つまり犯人は林先生よりも小柄な人物、ということになりますねえ」

 

「同意見だ」

 

 右京の見解にベテランの鑑識が同意した。亘が言葉を引き継ぐ。

 

「ってことは、犯人は林先生ではない」

 

「断定はできないが、その可能性が高い」

 

 益子が誰かを思い出して目をつぶった。その行為の意味を理解した天井の隅に視線を移して。

 

「伊丹さん、ご愁傷さま」

 

 叱られるだろう刑事に同情する。かたや右京は次なる疑問を口に出す。

 

「犯人が別人となると動機はなんでしょうかね?」

 

「動機?」

 

 益子が困惑する。

 

「五味さんを殺す動機ですよ。林先生には相手を呪い殺したいほどの明確な殺意がありましたが、この犯人の動機は不明です。今わかるのは林先生のスニーカーを履いて五味先生を殺害したという事実だけ。目的は犯行の偽装でしょうか。相応の恨みを持っているのは明らかです」

 

「靴を林先生の私物に履き替えてまで被害者を撲殺したんですから、かなりの恨みがありそうですよね。益子さんはどう思います?」と亘が益子に振った。

 

「うむ……そこまではわからん。推理は専門外だ」

 

 それはお前らの仕事だろ? そう言わんばかりに小さく肩を竦めて考えることを放棄する鑑識官。ホームズとワトスンはクスッと笑いながら頷いた。

 

 

 特命部屋に戻った二人をお疲れ気味の角田が出迎えた。

 

「お帰り。どこ行ってたんだ?」

 

 代表して右京が答える。

 

「鑑識です」

 

「あぁ、ゲソ痕の件か。犯人、林じゃないかもしれないんだろ? もう、そこら中で噂になってるよ」

 

「まだ決まったわけではありませんが、その可能性が高いですね」

 

「あーあ、伊丹のヤツ、こっぴどく叱られるだろうね。不運だね、事情を聞きに行って自殺されるなんて」

 

 知り合いから伊丹の失態を聞いた角田は「それは防ぎようがないよ」と同情するも、失態は失態。それなりのお咎めはあるだろうと警察組織の厳しさを嘆くにとどめる。

 

「林先生はどうして自殺したんですかね? 犯人でもないのに。まさか、呪いなんて本気で信じたんじゃ……」

 

「んなわけないだろうよ。いい大人なんだからさ」

 

 亘と角田が話す最中、右京は一人、ブラインダーの隙間から覗かせる人工の光を観察してからそれを閉める。

 

「ないとは言えませんねえ。精神的にも追い詰められていたようですから」

 

 五味に叩かれた直後の林の態度は何かを必死に堪えているようだった。抑圧に耐えている。まるでかつての村木のように。

 

「『抑圧から開放された』とも考えられますね」

 

 独り言を呟いて自分の世界に浸るホームズに暇課長は乾いた笑いを送った。

 

「ホント、好きだね、推理ゴッコ。羨ましいよ、暇な部署はさ。俺なんて半グレの取り調べだよ?」

 

「そういえば、捕まえた連中、あれからどうなりました?」

 

 自分が関わった摘発だ。興味がない訳がない。そんな亘に角田が取調室での出来事を聞かせる。

 

「ほとんどの連中はゲロしたよ。ただ、高橋ってヤツが粘っててな。仲間の話だと日曜日の夜、調布で顧客にヤクを捌いてたらしいんだが、いざその件になると口を閉ざしちまいやがった」

 

「バレたらマズいことでもあるんですかね」

 

「俺はあると睨んでる。しっかり裏取って白状させてやるよ。お前らもほどほどにな」

 

 カッコつけるような発言と共に角田が特命部屋をあとにする。

 静かになった室内で右京はおもむろにブラウザ画面を立ち上げて村木重雄と検索をかける。

 検索結果は《平成の殺人鬼》《カリスマ講師の裏の顔》《止まらぬ連鎖〜模倣犯の供述〜》などのニュースや個人運営のまとめ記事だ。

 どれも面白半分に恐怖を煽っているだけで青木がまとめた情報に及ばない。目立った収穫は得られないだろうと考えつつも納得するまで調べるのが右京の性質だ。

 休憩がてらにコーヒーを飲んでいた亘が何気なく上司のパソコンを覗き込み、その胡散臭い内容にため息を吐く。

 

「青木が調べた以上の情報は載ってませんね」

 

「ですね。しかし――」

 

 右京は観覧中のページに掲載されている村木の若い頃の画像に目をやり、足元を右人差し指で差した。

 

「この靴、林先生のスエード靴に似ていませんか?」

 

「あ、似てますね。同じメーカーかな?」

 

 村木の全体画像に写っている靴は林のスエード靴によく似ていた。

 

「憧れの人物だったのでしょうねえ。林先生にとっての村木は」

 

 《ウィンパティオ》といい、靴といい。林が村木シンパなのは誰の目から見ても明らかだ。なぜ、冴えない中年教師がそこまで執着するのか。右京の脳裏に一つの可能性が浮かぶ。

 

「もしかすると林先生と村木は単なる生徒と教師以上の関係だったかもしれませんね」

 

 かつての若い模倣犯とは違ってどこか崇拝というより尊敬しているような印象を抱かせる。調べずにはいられない。

 和製ホームズは席を立ち「青木君のところに行きます」と伝え、足早に特命部屋を出ていく。

 

「そうやっていつも部下を置いてけぼりする。右京さんの悪い癖」

 

 不満を口にしながらも和製ワトスンが部屋の電気を消して彼の後を追う。

 

 

 警視庁の一角にはサイバーセキュリティ対策本部というサイバー犯罪へ対抗する部署が存在する。三十二畳程度の広さにデスクと机、高性能PCがぎっしり並べられて日夜、捜査員たちがにらめっこする。まさに青木年男のためにあるような部署だ。

 サイバー対策本部を訪れた特命係の二人は一直線に青木の席へと向かうも、その姿はなかった。すると、その隣にいた眼鏡をかけたひょうきんそうな男性がブラウザを閉じてから二人に声をかけてきた。

 

「これはこれは、特命係のお二人。出戻りの青木は現在、お花を摘みに行っておりますが故、少々お待ちを」

 

「相変わらずだな。土師太(はじふとし)

 

 サイバーセキュリティ対策本部に在籍する土師太は青木の同僚だ。青木とは比較的、仲がよく、この部署であの陰キャの減らず口を止められる貴重な存在だ。

 しかしながら青木とは違った方向のオタクで、掴みどころのないキャラクター故に一般人とはウマが合わないという難点がある。

 早速、亘の言葉が気に触った土師が文句をたれる。

 

「いやいや、フルネームはやめて下さいよ。なんだか気持ち悪いんで」

 

「わかったよ。太君」

 

「下の名前でも呼ばない下さい。お友達じゃないんだからっ」

 

 彼に亘の冗談を受け入れるだけの能力はない。

 それを知っておちょくる部下に「相手をおちょくるのが君の悪い癖」と内心で毒づいてから土師へ話しかける。

 

「なるほど、では青木くんが戻るまでここで待たせて貰いますね」

 

「え、ここで、ですか?」土師が露骨に嫌そうな表情をする。

 

「ええ。お邪魔だったでしょうか?」

 

「いや、邪魔ってほどじゃないですけど、ちょっと気が散っちゃうかな〜って思いまして、仕事中なので」

 

 土師が答え終わると同時に右京が笑う。

 

「おや、今、作業中でしたか? ちらりと動画のようなものが見えましたので、休憩中なのかと」

 

「へ? やだなー、そんなことするわけ――」

 

 声をうわずらせて否定する土師だったが、一瞬の隙を突いてマウスを奪取した亘がブラウザを立ち上げ、履歴を表示させる。

 

「『VTber(ブイティーバー)音無(おとなし)シャロンのゲーム実況チャンネル』――なんだこれ?」

 

「あ、ちょっちょっ、これはちょっとした息抜きですよ!」

 

 マウスを取り返し、すばやく履歴を消してからブラウザを落とす。右京は青木がいないと悟った瞬間、とある事件で協力を依頼したことがあった土師太をロックオンしていたのだ。その際に画面を覗かれていたのがアダとなった。和製ホームズに生半可な嘘など通用しない。

 そこへ青木がトイレから戻ってきた。慌てふためく同僚の姿に青木の陰キャレーダーが反応する。

 

「あらあらぁ〜土師太ぃー、何かいけないことでもしてたのかい?」

 

「べ、別にぃ〜。で、出戻りには関係ないさ!」

 

「誰が出戻りだ! ふん、どうせお前のことだ、VTberでも見てたんだろ?」

 

「な、なぜそれをっ」

 

 図星を突かれた土師が声を荒げ、ドヤ顔の青木があざ笑う。

 

「ボクが知らないとでも思ったか? お前の行動はチェック済みなんだよ。しっかし、あんな承認欲求丸出しの素人や声優のなり損ないがやってる動画なんてよく見られるもんだ。理解できないね!」

 

 VTberとは3Dモデルで作られた架空のキャラクターに生身の人間が声を当てて動画配信、生放送をする配信者の名称である。声が綺麗な一般人や声優経験者、実況経験者がボイスを担当する。

 ここ最近、流行り始めてきたホットなコンテンツだ。それ故に懐疑的な意見も少なからずあり、青木年男は否定的な見方をしている。その態度に腹を立てた土師が反論する。

 

「はぁ!? 何いってんだお前? Vってのはあの素人感がウケてんだ。アットホームな感じがいいんだよ。楽しかった学生時代を思い出すようなさぁー」

 

「何が学生時代を思い出す、だよ? 陰キャ、オタクの学生時代なんてボッチと相場が決まってるだろ」

 

「お前はそうだったかもしれないが、僕は違うんだよねぇ〜。青木くんって可哀想だねー、クスクスっ」

 

「あ、今、笑ったな!?」

 

 馬鹿にされた青木が犬歯をむき出しにして暴言を言い放つ。

 

「このサブカルクソメガネが!」

 

「うるせー、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()してるヤツが調子乗んな。たまに検索してんの知ってるんだぞ!」

 

「なっ!?」

 

 一歩も引かずに放たれたパワーワードが青木のメンタルを深く抉った。

 

「……こ、この青木年男がそんなオタクな訳ないだろ……。ねー、杉下さん」

 

「ふっ……かかったな、アホめがッ」

 

 咄嗟に右京を頼りにしようと画策するも、土師は眼鏡を上下させてからスマホを取り出して、一枚の画像を特命係の二人に提示する。

 それは仕事中の青木が自身のパソコンである〝まとめサイト〟を観覧している様子だった。

 右京がウェブページの内容を目で追う。

 

「『次期プリキュアのタイトル正式発表 その名はヒーリングっとプリキュア』。確かにプリキュア関連のページですねえ」

 

「いやいや、それはたまたま捜査に必要で……」

 

 言い逃れする陰キャに亘が鋭いツッコミを入れる。

 

「何が捜査に必要で、だ。俺たちのようにしょっちゅう事件に首突っ込んでるわけじゃないんだから、趣味だろ?」

 

「黙れ、冠城亘! 誰がそんな幼児モノなんて見るかよ!?」

 

「あー、プリッキュア♪ あー、プリキュッア♪」

 

 音頭のようなテンポで自身を挑発する土師に青木のライフは風前の灯だ。

 

「は、土師太ーー! いいかげんにしろよぉ!」

 

「なんだ、その面は? 半沢直樹(はんざわなおき)みてぇだな!」

 

 泣きを入れるように食ってかかるも土師は舌を出してざまぁ、といった表情を顕にする。

 青木の我慢が限界を迎えそうになり、取っ組み合いの喧嘩が勃発するかと思われた次の瞬間、二人は武闘派の亘に首根っこを掴まれて身動きが取れなくなる。

 

「ここは職場だ、あまり騒がしくするな。お互いの趣味がバレちゃうぞ?」

 

 他の同僚たちからの冷ややかな視線を向けられていると知った両名が声のトーンを数ランクほど下げた。

 

「くっ、元はと言えば、お前がここにきたのが原因じゃないかッ……」

 

「そ、そうですよッ……」

 

 小声で皮肉を言うも形勢は圧倒的に不利。亘が不敵な笑みを浮かべながら「そんなこと言うならここの上司に言いつけちゃおうかなぁ〜」と青木たちの耳元で囁けば、あら不思議、うるさかった二人が言葉を喉の奥へと押し込める。

 静かになったサイバー警官を前に右京がここへ出向いた理由を話す。

 

「青木くん、また君に調べて欲しいことがありましてね。引き受けてくれませんか?」

 

「いやいや、ボクも暇じゃないんですけど――」

 

「プリキュア」

 

 そう亘が口にすると青木の目が見開かれる。

 

「シィー! 言葉に出すな! ひ、卑怯だぞ、冠城亘ッ」

 

「なら俺たちの頼み、聞いてくれる?」

 

「お、脅しかよ。ボクは屈しないからなッ」

 

 粘る青木を見た右京がターゲットをもう一人のほうへと移す。

 

「そうですか、では土師くん。代わりにお願いできませんかねえ?」

 

「いや、なんで僕なんです? 僕は出戻りとは違うんで――」

 

「VTber」

 

 またもや亘の口から飛び出す単語に土師が血相を変える。

 

「いやいや、たまたま検索に入っただけですから、お、脅したって無駄ですからねッ」

 

 中々にしぶとい。亘が口元を歪め、右京をちらっとみやる。上司は大丈夫ですよ、と目配せしてから天井の一点を見つめた。

 

「そうですか、残念ですねえ。君は以前、サイバー警察官としての腕なら自分のほうが青木くんよりも上だと豪語していたので、その実力を間近で見てみたかったのですが」

 

 聞き捨てならない台詞に青木が抗議する。

 

「はぁ? コイツのほうがボクより上? 冗談じゃない! 天地がひっくり返ってもこんなヤツに負けやしませんよ」

 

 ディスられた土師がお返しに煽り文句を吐き捨てた。

 

「はっ、出戻り風情が生意気な。僕のほうがお前よりも数段上だよ!」

 

「口を慎め、土師太!」

 

「うるせー、出戻り野郎!」

 

 いい歳した大人の見苦しいなじり合いに亘とサイバー対策本部の同僚たちが「コイツら、本当にどうしようもないな」と言わんばかりの痛い視線をぶつける。言い合いがヒートアップしていく中、タイミングを見計らった右京が、一つの提案を出す。

 

「では、どちらが優秀か。対決してみては如何でしょう? 内容は西高見高校教頭殺人事件と関係者である教師の自殺、それらの真相解明に繋がるデータを多く出したほうが勝利。どうです? まぁ、難しそうなら他をあたりますが」

 

 その挑発めいた台詞にプライドを激しく刺激された青木が名乗りをあげる。

 

「ふん、ボクにかかればそれくらい楽勝ですよ。コイツと違ってね!」

 

 陰キャに鼻で笑われたオタクが歯ぎしりしながら。

 

「僕だってこんなヤツには負けませんから、いいですよ、何でもご依頼ください!」

 

 啖呵を切った。

 

「ふふっ、そう言って貰えると思っていました。青木くんは村木茂雄の予備校以前の経歴の詳細と林先生の経歴、できれば二人の接点になる情報の収集を。土師くんには五味さんについて調査して貰います。経歴や趣味、交友関係など手がかりになりそうなモノはすべて集めて欲しい」

 

「「了解しました!」」

 

 返事が被り、真似するなと視線で牽制し合ったサイバーの二人が鼻を鳴らして作業に取りかかった。

 すべては和製ホームズの作戦通りに進み、優秀なサイバー警察官たちの協力を取りつけた特命係は特命部屋へと戻った。




感想などがありましたらお気軽に^^
参考にさせて頂きます。


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第161話 劇団特命係

ご感想などがありましたらお気軽に。


 暗くなった室内の電気をつけ、椅子に座った右京を亘が称賛する。

 

「うまいこと言いくるめましたね。さすがは右京さん」

 

「意地を張っていたようなので、さほど難しくはありませんでした」

 

「いやいや、あの変人どもをコントロールできるのは和製シャーロック・ホームズだけですよ」

 

 一般人では屁理屈で論破またはなぁなぁにされてしまう。持論を押し通す彼らを真っ向から倒せるのは、それ以上の権力か話術を持つ人間だけ。話術のスペシャリスト相手では頭脳明晰な若人も遠く及ばない。

 

「まぁ、素直に称賛として受け取っておきます。そろそろ、二十時ですねえ。今日は帰りましょうか」

 

「了解です」

 

 部下の返事を聞くのと同時に右京が椅子から立ち上がってコートを羽織る。

 その際、亘がさりげなく今後の方針について質問する。

 

「明日から俺たち、何をするんです?」

 

 主な情報収集はサイバーの二人が担当する。彼らが情報を上げるまで待機するとも思えない。亘の疑問に和製ホームズは口角を上げて答える。

 

「《学校の怪談》を調査します。君にも協力して貰いますから、そのつもりで」

 

 まじかよ。亘の顔から血の気が引いていった。

 

 

 翌日、朝の八時から特命係はフィガロに乗って現地入りする。

 周囲を警察官に囲まれて重々しい空気が漂う校内を進み、右京が転落現場まで亘を連れてきた。

 

「ここで謎の声を聞いた女子生徒が足を滑らせて骨折しました」

 

「特に変わったところのない、普通の階段ですね。こんなところで滑るかな?」

 

「普通に歩いていれば足を滑らせることはないでしょうね」

 

 右京が相棒を残して初日と同じように階段を一歩一歩、足で確かめながら降りていく。強く踏んでも歪んでいるような軋みや足を取られるような窪みがある訳ではない。手すりも塗装が剥げかけているが、やはり事故に繋がるとは思えない。

 

「なんか不審な点、見つかりましたか?」

 

 四階付近から他人事のように訊ねる亘に右京が「君もボケっとしてないで手を動かして下さい。それでは青木くんたちに笑われますよ」と嫌味を言った。いかにオカルト嫌いとはいえ、働かないのは論外だ。それでも亘は「俺は今、四階の踊り場を調べるんです!」と言い訳して階段を降りるのを拒み、自身の視界の左脇に映るボードに目をやる。

 四階の踊り場には木製の掲示板があり、印刷物が貼られている。質のいい用紙のチラシから安物の用紙で印刷されたお便りなど、様々なものが狭いスペースを取り合っている。

 

「懐かしいな。俺が学生の頃もこういうのあったっけな」

 

 明るくルックスもよい亘はグループの人気者で、友人たちに囲まれた学生生活を送っていた。思い起こせば、いくらでも蘇る懐かしき日々。大嫌いな幽霊なんてどうでもいい。俺はここに居座って杉下右京という嵐が過ぎ去るのを待とう。彼は現実逃避を図った。しかし、サボりであることには変わらず、上司が許すはずもなかった。

 呆れた右京が活を入れてやろうと後ろからゆっくり忍び寄り、亘の背後を取った瞬間、口元に両手で耳打ちするかのようなポーズを作ってから、やや大きめな声を放った。

 

 ――わっ!

 

 直後、驚いた猫のように背筋をピンとさせた亘がそのままの勢いで掲示板に身体をぶつける。我に返った亘が振り返り、右京に文句を放った。

 

「ちょ、驚かさないでくださいよ! びっくりするじゃないですか!?」

 

「……君のおばけ嫌いは想像以上のようですね」

 

 今にも泣きそうな部下への率直な感想。亘はそれを否定しようと反論を試みようとする。その際、コートの左袖が印刷物に引っかかり、端の部分から破けてしまった。

 

「君、何をやっているのですか……」

 

「いや、右京さんのせいでしょ、急に驚かすんだから――あれ……。これ、なんだろう?」

 

 破けた部分から穴が見え隠れしていた。右京が亘を退かさせ、印刷物を破かないようにそっと捲る。見れば卵一個分より一回り大きな穴が開いていた。何か硬い物をぶつけられたのか、穴の周囲から尖った部分が飛び出している。

 状況からして学生がふざけて開けたのだろう。校舎はそこまで綺麗ではないところからして、印刷物で隠せば問題との判断を下したのか。このように右京が思考を巡らせていると、脇から亘が穴の一部を指で示す。

 

「右京さん、ここに粉みたいなのが付着してますよ」

 

 尖った部分が少しだけ黒く汚れており、粉状の何かがついていた。右京は無言のまま、白い手袋をはめ、カバンから綿棒とジッパー付きビニール袋を取り出し、そのまま綿の柔らかい部分で粉を絡め取る。

 

「色は黒ですねえ」

 

「プラスチックが擦れた際に出るヤツみたいですね」

 

「僕もそう思いますが、詳しいことは益子さんに調べて貰ってからで」

 

 粉をビニール袋に回収し、スマホで現場写真を撮った右京らはその足で校舎を調査して回った。事件直後の学校は臨時休校中のため、生徒たちからの証言が得られず、先生がたも警察への対応でこちらに構う余裕はない。

 先生たちへの聞き込みは後回しにするしかないだろう。

 暇になった二人は、警察関係者から転落した生徒が入院する病院を聞き出して、行ってみることにした。

 

 

 調布市内にある病院を訪れた特命係は受付で面会の許可を取り付け、女子生徒がいる個室のドアをノックしてから中へ入る。

 窓際の席から空が一望できる室内はVIP用の雰囲気が漂う空間で、彼女の家庭の裕福さが窺える。

 二人が警察手帳を見せながら彼女の前まで近づくと、本人が「どもっ」と短い挨拶をした。入院中にも関わらず、可能な範囲で身だしなみを整えているように見える。今どきの女子高生らしい行動だ。それと同じく態度も相応だった。

 

「ママから『私を突き落とした犯人がいるかもしれない』って聞いたけど、本当?」

 

「まだ調査中なのでなんとも」

 

 亘が答えると彼女は悪気なく舌を出した。

 

「へー、そうなの。てっきり犯人が発見したから、その報告かと、ちょっぴり期待したんですけどー。つまんな。もしかして警察って無能?」

 

 初対面の大人にこの態度。この女子高生が恨まれるのも頷ける。

 ムスッとする部下に代わって上司の右京が笑顔を作った。

 

「それをはっきりさせるために、ここにお邪魔させて貰いました。ご協力願えませんか?」

 

「あー、なるほどね、納得した」

 

「ですので、転落当時の状況を教えて下さい」

 

「りょっ」

 

 SNSでもするかのような気軽さで返事した彼女が事件当日を振り返る。

 

「あの日は授業が終わってから十八時過ぎまで自習室で勉強してたの。いつもなら家でやるんだけど、ママと喧嘩しちゃってね。珍しく残ってたわけ」

 

「それから部屋を出て、左端の階段から下へ降りようとした」

 

「そうそう。で、階段に足を下ろした瞬間、変な声が聞こえてきて、驚いて足を滑らせたんだよねー。あー、マジでムカつく」

 

「ちなみにどんな声だった?」亘が訊ねると彼女は「『ウ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛』って感じのうめき声。お経みたいだったけど、気持ち悪かった」と答えた。

 

「他に何か特徴はありませんでしたか? 例えば、男性の声だったとか」

 

 刑事の質問に彼女は脳内で声を再生させながらその特徴を思い出す。

 

「うーん、声は男っぽかった。あとは……あっ――変に音が歪んでいた気もしなくないような……びみょうなトコだけど」

 

「なるほど」

 

 眼鏡の奥にある双眸がギラつくように光る。真実に一歩一歩、近づく感覚。それは彼にとって至高の喜びなのだ。

 そんな自らの世界に浸る上司と代わるように部下が気になっていた点を挙げる。

 

「どうして、左端の階段を使ったのかな? すぐ近くに階段があるのに。なんなら中央にだって。あそこ、呻き声が聞こえる場所で有名だったんだよね?」

 

「あー私、幽霊信じない派。だから、ここんところ左端の階段ばっか使うんだよねー。一階の出口が近いからってのもあるんだけどさ。隣の階段、使って一階まで降りると下級生がいる教室の廊下を通らなきゃならないから、めんどくさいんだよね。同じクラスで絶賛喧嘩中の女の取り巻き連中が変な目で見てくるし。マジウザですわ」

 

「それはまた」

 

 思ったことをストレートに言ってしまう彼女は敵が多く、学校内でも嫌われている。そうした背景から人目のつきにくい場所を選んで通っていた。身から出た錆ではあるが、納得のいく理由だった。

 

「もし仮に君を突き落とした人間がいるとして、心当たりある? 喧嘩中の子も含めて」

 

「うーん、ありすぎて絞れないね……」

 

 どうやら、各方面から恨まれていて、どこから嫌がらせが飛んできてもおかしくない状況だったらしい。犯人を絞るのは難しいだろう。彼女の自業自得だが。亘は考えを悟られまいと、視線を明後日のほうに逸した。

 それを合図に右京が質問した。

 

「自習室には君一人だけでしたか?」

 

「そーだけど?」

 

「他に誰かいませんでしたか? 先に帰った人物でもかまいません」

 

「先に帰った……? あっ、いた。三十分くらい前に自習室を出ていった、ワカメみたいにうねうねした長髪の貞子が。根暗オーラ全開でキモかったわー」

 

「貞子……」亘の顔から余裕が消え始める。

 

「彼女と話したことは?」

 

「たぶんない…………と思う。あったとしてもぉ〜忘れているかも。過去にはあんまぁ、こだわらないっつーか、そーいう主義だからね、私」

 

 彼女は頭の後ろで腕を組み、天井を見つめながら答えた。

 

「そうですか、どうもありがとう」

 

 面談を終えて病院を出た二人は正面すぐの駐車スペースに停めてあるフィガロの中に乗り込んで、互いの感想を述べ合う。

 

「噂通り、生意気なガキでしたね、初対面の人間に〝無能〟とか、よく言えるもんだ。親の顔が見てみたい」

 

「きっと大切に育てられているのでしょう」

 

「大切ってレベルじゃないでしょ。甘やかされ過ぎ」

 

「その感は否めませんね」

 

 亘の愚痴を上手くかわしながら右京はエンジンを始動させた。

 

 

 調布駅周辺に車を停めた彼らはそのままメインストリートへと出て、調査を開始する。

 右京が発信元となった数件のネットカフェで聞き込みを、亘が西高見高校裏サイトの掲示板に書き込まれる生徒たちのコメントを頼りに、いつもたむろしていると思われる場所を訪れ、情報を収集していく。

 一時間後、電話で連絡を取り合った二人は駅前の広場で待ち合わせ、互いの情報を共有すべく、報告を行う。

 

「発信元となった数店のネットカフェで聞き込みをしたところ、どの店舗でもコメントがあった数分前、十代の少女が来店していたそうです。髪が腰辺りまで伸びていて、どこかどんよりした雰囲気だったため、印象に残ったと皆、口を揃えていました。君のほうはどうです?」

 

「ゲームセンターや喫茶にいた学生に事情を伺ってきました。怪談話についてはこれと言った証言は得られませんでしたが、貞子と思わしき人物は特定できました」

 

 そう言って、亘が少女の画像が表示されたスマホを右京の正面にかざす。

 写っている少女は隠し撮りされたような全体画像で、かつて裏サイトに出回っていた物だ。

 若干、茶色が混じった黒っぽい髪色と腰まで伸びた癖の強いロングヘア、面長で目が鋭く、少々出っ張った顔つき、やせ細った手足と同世代よりやや高い背が恐怖感を演出している。転落した生徒が少女を貞子と呼ぶのも自然だった。

 

「彼女の名前は伊崎さゆか。見た目通り、髪が長く、どんよりしている男性アイドルオタクだそうです。成績は上位のほうにいますが、誰かと仲良くしている姿を見たことなく、いつも人気の少ないところで勉強しているか、アイドルの動画を視聴しているようです。同学年から《貞子》はもちろん《中華ハーマイオニー》《根暗アイドルオタク》《モップガール》《グレイ(宇宙人)》《八尺様》など。色々なあだ名をつけられているようです。物を隠されたり、意図的に避けられたり、暴言を吐かれたり、とイジメにあっているような話もチラホラと」

 

「なんとも、お気の毒な……」

 

「そのせいか、掲示板上に住所を晒されたこともあったらしく、ここからそう遠くないアパートに社会人の姉と同居しているようです」

 

「なるほど」

 

 学校という一種の閉鎖空間で行われるイジメは時に度を越えてしまい、耐え難い苦痛となる。

 右京は彼女に憐れみのような感情を向けた。

 

「せっかくです、行ってみませんか?」

 

 近場なら足を運ぶのも悪くない。もしかしたらボロを出す可能性だってある。

 

「ええ」

 

 相棒の提案に右京が同意した。

 

 

 中心地から少し離れた住宅地の白いアパートに伊崎さゆかは姉と同居する形で住んでいる。築四十年を越える古い建物で、ところどころ塗装の剥離が見られる。

 学生が教えてくれた207号室のカメラセンサー搭載型の呼び鈴を鳴らして待つ。三十秒程度でシリンダーが回る音が聞こえ、ドアのレバーがガチャリと動く。隙間から顔を出すように現れたのは伊崎さゆか本人だった。

 

「何の用ですか?」

 

「あ、いや……」

 

 ぎょっとさせる容姿とやや低い掠れた声で放たれる言葉に亘が息を呑む。このままでは相手を不快にさせると思った右京が部下を横に押しのけ、警察手帳を出してから会話を引き継ぐ。

 

「警察です。五味先生のことについて生徒さんたちに聞いて回っています。お時間を頂けないでしょうか?」

 

「…………別に、いいですけど」

 

 一泊置いてから伊崎が了承して二人を室内に招き入れる。

 室内の間取りは2DKの左側が自室となっており、壁や天井に男性アイドル写真がびっしりと貼られ、部屋端には本棚と上棚が一体化した学習机が存在感を放ち、アイドルグッズが並んでいる。ベッドの枕脇に置かれたぬいぐるみも押しの子らのデフォルメ人形――生粋のファンだった。入室した瞬間、趣味に振り切られた空間に圧倒される亘。テーブルに着くように促されても精神が追いつかない。

 

「冠城くん」

 

 右京が彼にやんわりと座るように促し、聞き込みの体勢が整う。伊崎は亘をジッと凝視する。

 

「……すみません、変な部屋で。これしか趣味ないんで」

 

「あ、いや、いい部屋だと思います、よ。ね? 右京さん?」

 

 上手く言葉を選べない亘は相棒を頼った。ご要望通り、右京が感想を述べる。

 

「とても個性的で、いい部屋だと思います。僕の自室もイギリス旅行で買ったお土産や紅茶、レコード、落語、小説など趣味で溢れています。毎朝、起きて好きな物に囲まれている生活というのは日々を豊かにしてくれますねえ。そうではありませんか?」

 

「……まぁ、そう……ですね」

 

 か細い声で伊崎は首肯した。

 上司が遅めの自己紹介をする。

 

「申し遅れましたね、僕は杉下。こちらは冠城です」

 

 しかし、警戒心が強いのか、伊崎は右京をギョロッとした目つきでみやる。

 

「……五味先生のこと、でしたっけ?」

 

 直接、視線を向けられたわけでもないにも関わらず、カメレオンと目があったような独特の感覚が部下の背中を伝い、全身の毛が逆立った。反対にホームズの顔は涼しいままだ。それどころか、そこまで警戒しなくていいのに、とどこか余裕まで保っている。本物の妖怪たちと互角に渡り歩いてきた者の貫禄がにじみ出ていた。

 

「ええ、そうです。ここ最近、五味先生に変わった様子などはありましたか? 例えば、誰かと揉めているのを見たとか」

 

「……特には」

 

「誰かに聞いたことも?」

 

「……ないです。私、学校で浮いていて、あまり人と関わらないので」

 

 床に視線を落とす彼女の瞳には寂しさが宿っていた。

 

「五味先生はその、どんな先生だった、かな?」鳥肌でうまく動かせない手を挙げて亘が質問する。表情も身体に連動して硬いままで、感情が丸わかりだったが、伊崎は慣れているようで「……口うるさい先生です」と答えるだけにとどめる。

 

「ということは、あまり生徒から好かれていなかった?」右京が問う。

 

「……たぶん」

 

「先生の評判などをお耳に挟んだことは?」

 

「……あります。うざいとか、キモいとか、気安く肩を触ってくるとか」

 

「肩を触る、それは女子生徒に対してもですか?」

 

「……女子限定かと。可愛い生徒とかは結構……触られた経験があるみたいです。私はないですけど」

 

「ほう」

 

 うるさい現代社会においてそれはセクハラに相当する可能性がある。口がうるさく、女子へのボディータッチが多いとなれば嫌われて当然だろう。右京の脳裏に次なる疑問が浮かぶ。

 

「それは女性の先生に対しても、でしょうか?」

 

「……以前、英語教師の宮下先生が肩に触られて怒っていたと……クラス女子が話していたのを、小耳に挟みました。あの人、顔もスタイルいいから」

 

 顔とスタイルのよい美人。それはひょっとして。初日を思い出した右京が「その英語の先生は黒い長髪で切れ目をしたモデルのような方ですか?」と訊ねる。「……はい」彼女は首肯し、右京が納得したように頷いた。

 生徒だけにとどまらず、同じ教師にまでとは。レディの扱いに人一倍、厳しい亘が内心で「セクハラジジイが」と吐き捨てた。

 

「他にも触られた先生の話は?」

 

「……ないです。でも、それなりにはいそう……」

 

「なるほど」

 

 右京が相槌を打ち、数秒の無言が生まれる。さて、どのような質問を行うべきか、脳内で適切な言葉を探し出そうとした、そのタイミング。彼のスマホが振動音を立てる。相手に断りを入れて、内容を確認してみれば、青木年男からのメールだった。

 

『杉下さん、ご依頼通り、村木と林の情報をかき集めて資料にまとめました。面白いことがわかったので、お戻りの際はご一報を。特命部屋にて発表させて頂きます。ではでは』

 

 続くようにメールが送られてきた。相手は土師太だ。

 

『杉下警部、土師でございます。五味さんの調査の一環で私物などを調べておりましたところ、とんでもないモノを発見してしまいました。事件に関係あるかもしれませんので、お戻りの際はご一報を。内容が内容ですので、こっそりとお話ししたいと思いますが故、特命部屋を借りてご説明させて頂きたいと思います。それでは』

 

 勿体ぶるところをみると、かなり重要な情報かもしれない。和製シャーロック・ホームズの勘が働いた。

 

「どちらからです?」

 

 その仕草が気になって小声で問う亘に右京は「何やら青木くんたちが情報を集めてくれたようです」と続けてから「そろそろお暇しましょうか」と言ってスッと立ち上がった。

 

「へ?」

 

 部下が素っ頓狂な声をあげた。まだ話すことがあるだろうと。視線で訴える亘に和製ホームズは口元を僅かに緩めて「大丈夫です」と無言の合図を発して、クルっと背を向けた。

 そのやり取りにキョトンとしながら「もう終わりなんだ」と言いたげな伊崎だったが、来客を帰すために自らもヌッと立ち上がった。彼女がドアへ向かおうとした瞬間「あっ!」何かを思い出したかのように右京がパンと手を叩いた。

 向き直った彼が右人差し指を立てながら伊崎をロックオン――かと思いきや。指先は壁一面に貼られたポスターを指す。

 

「ここに写っていらっしゃる端正な顔立ちの方々が気になりましてね。なんというグループ名なのでしょうか?」

 

「え……あ……《キングオブキング》。シャニーズ所属のグループです」

 

「あぁ、シャニーズ事務所! 《ひかる平次》に五人組アイドルグループ《スマッシュ》など、数多くの国民的アイドルを排出した歴史ある事務所ですねえ〜。そこの所属だったとは! 知りませんでした」

 

「結成してまだ五年未満ですから。メディアへの露出が少ないんです。でも、一人一人の歌唱力はもちろん、ダンスや演技力も抜群でシャニーズ会長が自信をもって送り出した。誰よりも輝いているユニット。いずれ、テレビに引っ張りだこで、次世代のスマッシュになる。そうに違いない。いや、それ以外、ありえない」

 

 口数の少なかった伊崎が早口で熱弁を振るった。

 

「心の底から応援していらっしゃるのですね。すばらしい!」

 

 そう言って、右京が両手をすり合わせて称賛する。我に返った伊崎は目を大きく開きながら固まった。石化した彼女が気になった右京は大丈夫ですか、と顔を近づけて右手を振った。

 

「……あ、すみません」

 

「いえいえ、問題ありませんよ」

 

 不気味な女相手にも笑顔を忘れない右京に伊崎の警戒心が緩み、頭の中にある人物の姿が蘇る。

 

「その、刑事さんって…………《古畑任三郎》に似てる」

 

 よく引き合いにシャーロック・ホームズを出されるが、まさか古畑とは。さすがの右京も笑ってしまう。

 

「おやおや、古畑任三郎を知っているのですか? 最後の放送はもう十年以上も前だというのに」

 

「……中学の時に、ネットでスマッシュが本人役で出演しているって教えられて、勉強のために視聴しました。キンオブメンバーは大先輩のスマッシュをリスペクトしているので」

 

「確か、スマッシュのメンバーが出演した回は二回ありましたね。一度目は一人、二回は全員が本人役で出演。当時、かなりの話題になりました。かという僕もすべての回を視聴済みです。《頭でっかちの殺人》《しゃべりすぎた男》《再会》など今でも印象に残ってます。その中でも、僕は」と室内のベッドや机を見渡しながら「《フェアな殺人者》が好きですねえ」と語った。

 

「あ、それって《イ○ロー》が本人役(あくまでも別人という設定)で出てきた回ですね。あれ、面白かったなー」と亘が同意する。

 

「伊崎さんは視聴されましたか?」

 

「……はい、その回、なら……。意外な組み合わせだったので気になって。……面白かったです」

 

「それはよかった。僕、あの回、ものすごく好きなんですよ! イ○ロー選手の演技力もそうですが、終盤の古畑任三郎の追い込みシーンがもー、たまらない。観すぎて台詞を覚えてしまうくらいに――ちょっとだけ、再現してみても?」

 

「え……、あ……どう、ぞ」

 

 予想外の展開に思考が追いつかず、伊崎は言われるがまま許可を出した。直後、右京はニヤリと笑って懐からカバンから出した白手袋をはめ、愛用の万年筆を手にとり、目つきを怪しく変化させて自らの眉間を右人差し指でスッとなぞった。それはまるで古畑任三郎その人のようだった。

 

「お兄さんはすべてを自供されました。郡山さん殺害を認めました。ご自分でそうおっしゃったんです。えー、自供なくても遅かれ早かれ逮捕には踏み切るつもりでした。彼には、動機があります、そしてアリバイを偽装した」

 

 古畑右京、もしくは杉下任三郎がテーブルを中心に部屋の中をグルっと回るように歩く。

 

「さらにですねえ、犯行現場にいたという動かぬ証拠があります。実はですね、お兄さんですね、犯行直前に被害者に頼まれてサインをしたんですよ、車の中で、えー、あなたの名前と日付、そしてご丁寧に繁さんへ、と被害者の名前まで書いた。えー、彼が事件当夜、被害者と会っていたという動かぬ証拠です。――えー、お兄さんがあなたの代わりに書いた、他のサインと比べてみました、まったく同じと言っていい」

 

 歩みを止めない古畑右京の視界にはびっくりしたように聞き入っている二人の観客を含め、たくさんの情報が飛び込んでくる。

 キンオブのポスター、壁掛けなどはもちろん、メンバーの人形が支配するベッドに、枕の上に置かれた国産ソイニー製のスマホ、それに接続されているであろう同社製イヤホン、本棚に並べられたキンオブが表紙を飾る雑誌とCD、学習机には学校で使っている教科書、塾で配られた参考書、PC関連や大量の付箋が貼られた情報資格系の専門書が無造作に積み上げられている。また机中央には新型アップルブックエアー、その奥には一対の白い小型スピーカー、上棚にはグッズの他に、芳香剤の入ったオシャレな黒い容器、同色の手のひらサイズのスピーカー、予定の入ったカレンダーが置かれている。

 台詞を発しながら彼は、それらを記憶に焼きつけ、さらにシーンの再現も手を抜かない。

 

「おそらくですね、郡山さんはですね、あなたのサインを貰ってくるように誰かに頼まれていたんでしょう。ところが、あなたに断られて手ぶらで帰るわけにもいかず結局、お兄さんに頼んだ。――作り話? どうして、そう言い切れるんですか?」

 

 すばやく万年筆を左手に移し、右指を立てながら冠城をロックオン。いきなりのことに「いや、俺は台詞、覚えてませんから」と説明するも、古畑右京は無視するように続ける。

 

「はい? あなたの字? んー、ではそのサインはあなたが書いたものだとお認めになる? はい、そして現場にいたこともお認めになる? 認めたことになるんですよ。あなたは犯行を認めたことになるんですよ。まだ、おわかりになりませんかぁー。犯行現場にそのボールがあったことを、どうしてあなたが知っていたのか? ――はい、私は《サインボール》とは一言も言ってないんですよ。お兄さんは被害者に頼まれてサインをしたと言ったんです。そうだよね、西園寺くん?」

 

 今度は伊崎の前に立ってジャスチャーを出す。彼女は「……はい、そのとおりです」と原作の言葉を返した。古畑右京は笑みを零しつつも、言葉を紡ぐ。

 

「――はい、誰もサインボールとは言ってないんですよ。にも関わらず、あなたは真っ先にそのボールを手にとった。サイン色紙もあったのにわざわざそのボールを、です。ちなみに西園寺くん、君が持っているのは?」

 

「……イ○ローさんの、サイン入りバットとサイン入りグローブ、です? (だったかな……)」と伊崎が乗っかる。記憶力のよいお嬢さんだ。

 

「――はい、確かにここにはあなたの書いたサインボールが隠してありました。しかし、そのことを知っているのはイ○ローさん――あー、隠した本人だけなんです。――えー、ホテルの売店の店員が八時二十分、被害者がボールを買ったのを覚えています。ここにも、ちゃんと残ってるんですよ、売上記録」

 

 懐から売上記録が記載された紙――ではなく、ハンカチを取り出して、用紙のように広げてみせた。

 

「えー、郡山さんが殺害される直前です。あなたの部屋を出た直後です。えー、それともボールを買った後、再びあなたの部屋へ戻ったと嘘をおつきになるおつもりですか? えー、おわかりになりましたでしょうか?」

 

 決め顔と共に右京は伊崎を見つめた。ゴクリと息を呑んだ、彼女が言葉を出そうとした瞬間、亘が。

 

「すばらしい!!」

 

 パチパチと拍手を送った。二人は白けたような表情を向けた。実はまだこのシーンには続きがあったのだ。空気を読めという視線に亘が「俺、なんかやっちゃいました?」と言いたげな態度をとった。ムッとした上司は左手の万年筆を右手に持ち替えてから。

 

「今泉くん」

 

 劇中の人物の名前を呼んで、万年筆を彼の胸めがけて投げつけた。慌てた亘がそれをキャッチしようとするが、突然のことに対応できず取りそこねて、床に落としてしまう。

 

「まったく、これだから今泉くんは」

 

「ちょ、その言い方ッ」

 

 部下が食ってかかるも右京は右手で振り払うような素振りで反論を受けつけなかった。それでも納得のいかない亘は右京に接近するも額をぴしっと叩くようなモーションで牽制され、子犬のようにおとなしくなった。見事な原作再現だ。

 すると、今まで表情をほとんど変えなかった伊崎がぶっ、と吹き出したように笑いながら、その場にうずくまった。

 

「す、す、すみま、せん……くっ、くっ、くっ――」

 

 二人の息の合うような、合わないような芝居が難攻不落と思われた伊崎の腹筋を貫いた。

 

「そこまで笑うかなー」とため息をつく亘に伊崎は「ご、ごめ、んなさい――んふふふっ――」と腹筋を押さえていた。

 それを確認し、杉下右京は学習机正面まで後ずさり、くるりと身体を翻しながらハンカチを指揮者のようにバサッと振った。

 二十秒後、笑い終えた伊崎が立ち上がり、手早くハンカチを丸めてポケットにしまった右京が声をかける。

 

「伊崎さん、よくドラマの台詞を覚えていましたねえ。感心しましたよ」

 

「……たまたまです。面白かったからかな。そういうのは……結構、覚えられるんです」

 

「記憶力がよいのですねえ」

 

「……いえ、刑事さんほどでは。ドラマのワンシーンを、台本なしで丸々言える人なんて……初めて見ました」

 

「おや、そうですか。どうも、ありがとう」

 

「……」

 

 伊崎は恥ずかしそうに頷いた。

 

「では、今日のところはこれで」

 

「……はい」

 

 キリのよいところで二人が彼女の自宅を後にする。

 駐車場まで歩く最中、亘が右京へ「よかったんですか? ネットカフェの件とか、書き込みとか色々、訊ねなくて」と不満を漏らすが、本人は笑顔で「ずいぶん、警戒されていたようでしたから、無理に訊ねても逆効果かと思いましてね。急いで追い詰めなくてもネットカフェの履歴や店員の証言、監視カメラ等から彼女の犯行は明らかにできます」と豪語した。

 

「そりゃあ、わかりますけど……」

 

 どこか腑に落ちない。亘がヘソを曲げたように愚痴を零した。

 そんな相棒をチラっと観察した右京は愉快げに中身が入ったビニール袋をカバンへと移すのであった。




田村正和さんのご冥福をお祈りいたします。


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第162話 隠された趣味

 時刻は十七時三十五分。

 警視庁に戻った右京と亘は青木たちに連絡を入れ、その途中、鑑識課に立ち寄って益子に採取した証拠の鑑定を依頼し、特命部屋にてサイバー警察官たちの到着を待つ。

 数分後、PCと資料が入っていると思われる茶封筒を両腕に抱えた陰キャとオタクが競い合うように組対五課の左端ルートを通って右京らの前に現れる。

 

「なんでお前までついてきたんだ、土師太」

 

「お前こそ邪魔だぞ、出戻り」

 

「はぁ? 調子に乗るなよ、投げ銭野郎。VTberに金、払って遊んで貰ってろ!」

 

「うるせー、プリキュア野郎。ママと一緒に映画館でも行ってな!」

 

 案の定、言い合いが止まらない青木と土師に痺れを切らした亘が怒鳴った。

 

「いいからとっとと説明しろ! ほらっ、まずは青木から!」

 

「くっ、命令されるのは不本意だが……いいだろう」

 

 来客用の机を室内中央まで引きずり出し、青木がA社ノートパソコンの画面を広げる。

 映し出されるのは『青木レポート』という名前の調査書だ。画面を見つめ、タッチパッドを器用に動かしながら、サイバー警察官が周囲を囲む人物たちへ向けて調査結果を報告する。

 

「まずは村木茂雄の件ですが、ご要望通り、予備校以前の経歴を調べました。都内生まれ、都内育ちのちょっと内気な少年だったようですよ。彼は教育系の大学を出て、予備校に入るまでの間、様々な高校で非常勤講師のアルバイトをしてようです。その数は五〜七件に上ります。うち、四件は都内、他は他県。いずれも偏差値の高い高校が多いようです。この辺りは曖昧な部分が多かったので、集めるのにチョイと苦労しましたよ。しかし、その甲斐あって、面白い情報が見つかりました。ふふっ、なんだと思います?」

 

 勿体ぶる青木に亘が「とっとと話せ」と言い放ち、両手を彼の両肩に叩きつけるように置いた。陰キャは不服そうな態度で「お前に聞かせてる訳じゃない!」と吠えるもすぐに「《西高見高校》の名前が入っていたんだよ」と語った。

 

「おやおや、それは」右京が意外な共通点が目を見張る。

 

「そうです、村木は西高見高校の非常勤講師をやっていた時期があるんです。予備校講師になる五年前、一ヶ月程度のごく短い間だったようですがね」

 

「あんまり長くないな」と亘が零す。

 

「非常勤講師だからね、そんなもんだろう。でもって予備高時代に移っていくわけだが、そこで今回の事件に〝関係する人物〟と出会う」

 

「……林先生ですか?」

 

 右京の言葉に青木が笑顔を作った。

 

「ええ、杉下さんの読み通りでした。林は村木の授業を受けていた生徒だったんです。それがきっかけで林は悪魔崇拝者への道を進んだ。僕はそう解釈しました、ははっ」

 

「何、喜んでだよ。気持ち悪いな」至極まっとうな亘の感想に青木が目を鋭くして「うるさい、貴様に人間の闇の深さなどわかるまい!」と自らを正当化した。

 

 続いて青木は林について報告する。

 

「本名、林肇(はやしはじめ)。身長168センチの小太りな男。彼も都内生まれですが、こちらは子供の頃からイジメに遭っていたようです。おとなしかったようで、目立った反撃などはせず、ひたすら耐えていたのでしょうね。これでは社会生活も苦労するわけだ。ご愁傷さまです」

 

「お前、性格悪すぎ」亘が睨むも本人はまったく意に介さない。

 

「褒め言葉として受け取っておこう。さて、林と村木の関係性だが――――」

 

「だが?」やけに間を開ける青木に亘が催促する。サイバー警官はバツが悪そうに「……これといって見つからなかった。こればかりは林の知り合いにでも聞いてみるしかないだろうな。以上です、どうですか、ボクの情報は。役に立ちそうですか、杉下さん?」

 

「ええ、とても」右京がお礼を述べた。

 

「そうですか、そうですか! いやいや、光栄です。さて、次は投げ銭野郎、お前のターンだ」

 

「誰が投げ銭野郎だ! 僕はお布施なんてしない。タダであることがいいんだ。ま、それはさておき」

 

 土師が青木を追い払ってから席へ座り、愛用のパソコンを立ち上げた。

 

「さてさて、ご要望どおり、五味さんについてお調べしました。千葉県出身、大学進学に合わせて上京。それからずっと東京住みです。西高見高校で十五年近く働いていました。評判はあまりよろしくないようで、生徒からはよく思われていないそうです。SNS上に生徒が書いたとされる悪口が何件か残っていました。本名は伏せてありましたけど。捜査のため、自宅から借りてきた私物からは多数のパソコン、自作パソコン用のパーツ、カメラ、アニメグッズなど機械やサブカル関係の私物が多数を占め、情報系の専門書もあることから、そっち系の趣味をした人物だと推察できますね」

 

 クリックと共に流れていく画像には土師の言う通り、マザーボード、グラボ、裸のハードディスク、PCケース、ビデオカメラ、三脚、高性能マイク、フルサイズセンサー搭載型一眼レフに複数のレンズ、魔法少女系のフィギュア、タオル、さらには女性用のコスプレ衣装まで存在した。

 

「フィギュアなどのアニメグッズはわかりますが、コスプレグッズは何に使うのでしょうかねえ?」

 

 派手な制服のようなコスプレ衣装で、装飾も凝っている。相応の価格に違いない。右京が指摘すると亘が「普通に考えて彼女に着せるとか、じゃ?」と答える。すると青木がぶっ、と声を漏らした。

 

「こんなアニオタのおっさんに、コスプレしてくれる彼女なんているわけないだろ。甘いぞ、冠城亘」

 

「だったら、どうしてこんな物が部屋の中にあるんだよ?」

 

「さぁね。風俗嬢にでも着せて、ヤッて貰うんじゃないの?」

 

 意味を理解した亘が眉間にしわを寄せた。

 

「それが事実なら闇が深いな……」

 

「ははっ、確かに。余ほど、飢えているんでしょうねー」

 

 他人事だと思ってバカにする青木だったが、この男もかつてはハニートラップに引っかかり、相手と情事寸前までいったところを右京らに目撃されている。人のことなど言えない。

 そこに笑い声を聞きつけた休憩中の角田がやってくる。

 

「なんだい、大の男たちが集まってコソコソと――ん? なんだ、このグッズ……お前らの趣味か?」

 

 サイバーの二人を指して放たれた角田の言葉が彼らの心を容赦なく抉る。

 

「「そんなわけないでしょ!」」

 

 シンクロする台詞。互いに舌打ちしながら、にらみ合うも亘のプレッシャーからすぐに矛を収める。咳払いした土師が「皆さん、ここからが本番ですよ?」と画面に注目するように促す。

 

「ここからは五味さんの隠された趣味ですが、これが……かなりヤバいんですよ。僕自身、ドン引きするくらいに」

 

 華麗に指を鳴らし、PC画面の動画プレイヤーを再生させる。映し出されたのは調布市内の公園と思わしき場所でカップルたちが身体を絡め合うシーンを隠し撮りしたブツだった。それも一つや二つではなく、数十――いや、百以上にも及ぶ大量の動画が記録されていた。土師はそれらをピックアップして自身のPCにコピーしてきたのだ。

 次から次へと出てくる盗撮映像に、特命部屋のメンバーが顔をしかめた。

 引き気味のメンバーに土師が胸を張りながら笑顔を作る。

 

「これ全部、被害者のハードディスクに保管されていたんですよ。明らかな盗撮映像です。これ、大手柄ですよね?」

 

「間違いなく」

 

 右京が頷いた。同時に土師が青木を挑発する。

 

「はは、うれしいですねー! 青木なんかより、僕のほうがよっぽど優秀だ」

 

「黙れ、偶然、当たりが出ただけで調子に乗るな! 大体、盗撮映像だけじゃ、事件解決に繋がらないだろ!」

 

「はんっ、それだけじゃないんだよ――」

 

 別のフォルダを開くと、動画ファイルが再生される。今度はコスプレした女性とのいかがわしいシーンが映し出される。場所は五味の自宅で、撮影者も五味だと思われる。

 相手の女性の年齢は不明だが、比較的若く、声音も声優が演技しているような可愛い声だった。化粧と衣装、ウィッグによって雰囲気が出ていた。

 動画は五味が質問者のように振る舞い、女性が質問に答えながら、ことが進行されていく。

 

「おいおいおいおい、今度はそういう動画か……!? ――冗談キツイぞ、これ」

 

 角田が悲鳴を上げるように声を発した。動画の内容はグレーゾーンを越えていた。

 シーンが進むごとに女性は無理しているのか、ところどころ素の声で、本音のような言葉が混じっていた。無理やり、弱みを握られ、撮影を強要された可能性もある。

 亘は不愉快そうに窓の側まで歩いていき「男の風上にもおけない野郎がッ」とカッとなった。

 右京も口を尖らせながら「強要されたのだとすれば、立派な犯罪――調べる必要がありそうですね」と語って席を立ち、ポーカーフェイスの内側に怒りの炎を見え隠れさせる。

 正義の番人は犯罪者を許さない。それが殺害された被害者であったとしても。

 静まり返る室内で唯一、手柄を上げられた悔しさから押し黙っている青木を土師が舌を出して挑発する。

 青木は負けじとケチをつけた。

 

「じ、事件に直接、繋がりそうな証拠はないだろ! 偉そうにすんな!」

 

「探せば、あるかもしれないだろ!」

 

 指摘された土師は再生中のファイルを閉じてから盗撮映像のフォルダに戻り、適当なサムネをクリックする。

 白昼堂々、男女が腕を回す光景だ。喧嘩する二人に代わって角田が動画に目を通す。

 ベンチ裏の大木の影でことが行われており、男は優男風で、女性は真っ赤な革ジャンを着た、モデルのようなスタイルの女性だった。

 昼間から盛っているな。パンダ刑事が呆れたように動画をチェックする。時折、男がカメラの視点と重なる。どこか軽薄そうでまともな職についているかも怪しい雰囲気。

 何度か男を見ている内に角田はその顔に見覚えがあるような気がしてきた。土師に断りを入れ、自分で動画を巻き戻す。シークバーが動くたびにコマ送りのように動き、ちょうどよいところで手を止める。画面をジッと見つめ、数秒後、角田が驚いたように亘を手招きした。

 

「冠城! ちょっと、こっち来い!」

 

「何かありましたか?」

 

「いいから、これを見ろ!」

 

 言われた通り、動画を視聴した亘は写っていた人物に目を点にしてから、ある男の名前を口にした。

 

「これって、高橋マオトじゃ!?」

 

「だよな!?」

 

 動画の人物は現在取り調べ中の半グレ集団スマイルの構成員だった。

 昨日、その名前を耳にした右京も興味から画面を覗く。すると、彼のレーダーが反応し、瞳が大きく見開かれた。

 

「これは……」

 

「ん? 右京さん、高橋の顔、知っているんですか?」亘が訊ねるも右京は「いえ、そうではありません――」言葉を切ってから、女性のほうを指差して「この女性は西高見高校の英語教師、宮下先生です」と告げた。

 周囲から驚きの声が漏れる。

 半グレと教師が昼間から公園で情事を、しかも五味に盗撮されている。そうなれば、誰もが考えるだろう。五味に脅された宮下が彼を殺害したのでないか、と。

 いきなりのことで思考が追いつかない中、右京だけはいつものように皆へ指示を飛ばす。

 

「冠城くん、至急、この事実を伊丹さんと芹沢さんに伝えてください」

 

「了解!」

 

「角田課長、半グレの男と彼女の関係を洗ったほうがよろしいかと思います。自白させる、突破口になるかもしれない」

 

「おう、わかった!」

 

「土師くん、この情報を事件担当者全員へ回してください。当然、鑑識にも」

 

「わ、わかりました――」

 

「青木くんは公園の特定と付近の監視カメラ映像を取り寄せて解析を行ってほしい。事件解決の手がかりになる。凄腕の君なら時間はかからないはず。頼みましたよ」

 

「ふふっ、了解です。ボクの実力、見せて差し上げますよ!」

 

「頼もしい限りです」

 

 和製ホームズの指令を皮切りに四人が一斉に特命部屋を飛び出していった。

 一人になった右京は、ふとため息を吐いてから天井を見上げて、目を瞑った。

 

 

 同じ頃、日が落ちて、暗くなった警視庁の屋上で黒い夜が蠢いたかと思えば、そこには一人の人間が立っていた。

 金色の長髪を靡かせ、同色に彩られた双眸で外界を一望する人外の美少女。その遥か向こうに殺人事件の舞台となった高校がある。

 

 ――どんな事件に首を突っ込んでいるのかと思って探ってみれば……結構、面白いことになってるじゃない。これからの展開が楽しみだわ。

 

 彼女は嗤いながら夜の中へ吸い込まれるように姿を消した。



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第163話 刑事たちの手腕

 土師が手に入れた情報が警視庁内に拡散されてから、対応する部署が一斉に動き出した。二十一時、伊丹と芹沢が英語教師、宮下凜子を警視庁へ任意同行させる。

 取調室に通された宮下は不機嫌さを上まで表しながらも席に着いた。取り調べ担当は伊丹、補佐に芹沢がつく。

 

「で、話ってなんです? まさか、私が五味先生を殺したとでも?」

 

「その件もありますが、まずは……高橋マオトさんとのご関係について、です」

 

「……誰、それ? そんな名前の人、知らないんですけど」

 

「本当に知らないんですね?」

 

「知りません」

 

「わかりました」

 

 しらばっくれる宮下に伊丹がスマホに移した例の映像を音声つきで流してみせた。途端、彼女は目を逸らして舌を打つ。刑事の顔が般若のそれへと変わった。

 

「ここに写っている女性はあなたで、お間違いない?」

 

「他人の空似では?」

 

「自分には動画の女性の声があなたそっくりに聞こえるんですがねー」

 

「私には、そうは聞こえない」

 

 伊丹の後方で立っていた芹沢が彼女の斜め左側に移動して、予め録音アプリが起動されたスマホを宮下の視界に入るよう、かざす。

 

「たった今、録音した音声を鑑識に回して声紋鑑定すれば、嘘かホントかはっきりしちゃうんですよね〜。しかも、たったの数分以内で。これでも、しらばっくれるんですか?」

 

「……」

 

 腕を組んだ凜子が口を閉ざした。

 こりゃあ、何かあるな。刑事の勘がそう告げていた。

 

「日曜日の午後七時から九時まで間、どこにいましたか?」

 

「……自宅にいました」

 

「それを証明できる方は?」

 

「一人暮らしなので、誰もいません」

 

「高橋マオトさんとお会いになっていたのでは?」

 

「会ってない」

 

「なるほど、そうですか」

 

 宮下のアリバイが証明できないように、伊丹たちも彼女が犯行に関わったとする証拠を持ち合わせていない。この場合、自白に追い込むのがセオリーだ。般若は相手が聞きたくないであろう事実を語る。

 

「この動画、撮影したのは五味さんなんですよ」

 

「へー、初耳です」

 

「その割にはあまり驚いていないようですね」

 

「別にそんなんじゃ――」

 

 伊丹が被疑者に顔面を近づけ、脅すような口調で自身の立てた仮説を叩きつける。

 

「あなたは高橋さんとの情事を五味さんに撮影され、彼に脅された。口止め料として、お金か、身体か、あるいは両方を要求された。それに耐えきれなくなり、あの夜、林さんのスニーカーに履き替え、五味さんを音楽室に呼び出して殺害した。違いますか?」

 

「違います! そんなことしてません」

 

「では、五味さんに脅されたことはないんですか? 以前、肩を触られて怒っていたそうじゃないですか。その時にでも脅されたのでは?」

 

 亘を通して伝えられた情報を脅しに使う。すると、宮下が視線を床へと落とした。

 

「……私はやってない」

 

 白を切り通す彼女に伊丹が次なる手を打つ。

 

「一旦、質問を戻しましょう。改めてお聞きします、高橋マオトさんとのご関係は? 無関係とは……言わせませんよ? 人一人、死んでるんですから」

 

 刑事二人に睨まれた彼女が渋々、口を開く。

 

「…………旅行で神奈川に行った時、立ち寄ったバーで出会った。顔も悪くなかったから、そのままホテルへ行った。身体の相性がよかったから、定期的に遊ぶようなった。言ってしまえば、セ○レ」

 

「そのセ○レと公園で遊んでいるところを被害者に撮影された」

 

「動画を見る限り、そうなんじゃないですか?」

 

「そして、脅された」

 

「……」

 

「黙っていても、いいことないですよ? もちろん嘘を吐いても。我々は真相にたどりつくまで、どこまでも食らいつきますからね?」

 

 伊丹の糸目が、獲物を狙う狐の眼光のように鋭さを増す。

 

 

 同時刻、宮下の取り調べから、少し遅れるように高橋マオトの聴取が始まった。

 担当するのは角田だ。

 

「さて、高橋くん。今日こそ喋って貰うよ?」

 

「喋ることなんてないっすよ、刑事さん」

 

 愛想を振りまくも、高橋の顔は引きつったままだ。

 

「またまた、そんなー。日曜日のこと全然、話してくれないじゃない」

 

「いや、喋りましたから」

 

 彼の言葉を遮るように角田が詰め寄る。

 

「嘘吐くんじゃないよー。だったら、午後七時から午後九時までどこで何してた? お仲間はお前さんがドラックを捌きに調布へ行っていたと証言してる。ところがその件になった途端、だんまりだ。誰に売ったんだ?」

 

「だから、売ってませんって。あれは遊びに行く口実が欲しかっただけで」

 

「……そんな言葉、信じると思うか?」

 

 角田の顔から笑顔が消えていく。鬼面へ戻りそうな彼に高橋が懇願するかのように訴える。

 

「信じてくださいよ!」

 

「じゃあ、調布のどこで遊んでた?」

 

「え、駅正面のメインストリートをぶらぶら、と」

 

 瞬間、角田が机を両手で強く叩いた。

 

「監視カメラを調べたが、その時間にお前の姿はどこにも見当たらなかったぞ! あの辺りは監視カメラが多数、存在してる。映らないで行動するのは不可能だ! つまり、お前は嘘の供述をしているってことになるんだよ!」

 

 高橋の供述に疑問を持った角田は調布駅周辺の監視カメラの映像を顔認証システムまで使って、徹底的に調べ上げた。それでもヒットしなかったのだ。高橋の供述に信憑性はない。

 

「本当はどこにいたんだ?」

 

「……その辺りをぶらぶらしていただけ、です」

 

「ふむ、困ったねぇー、じゃあ、そろそろかな〜」

 

 攻めあぐねていたこれまでとは違い、今回はカードを用意してある。

 角田がスマホから盗撮動画を再生させる。高橋は驚いたように「なんでそれが!?」と声を上げた。

 

「なんでそれが、だって? そりゃあ、撮影した本人の私物から失敬したからだよ。お相手は宮下凜子さん、西高見高校の英語教師だ。知っているよな?」

 

「いや、そんな女、知らない――」

 

「お前、いいかげんにしろよ?」

 

 もう我慢の限界だ。角田は身を乗り出し、高橋の胸ぐらを両手で掴んだ。

 

「盗撮されたことを知ったお前は日曜日の夜、五味さんを呼び出して殺害したんじゃないのか? えぇ?」

 

「さ、殺害!? な、なんで俺がそんなこと――」

 

「美人の彼女ためだよ。ちなみに今、警視庁内で取り調べてる最中ね」

 

「はぁ!? アイツ、ここに、いるの!?」

 

 突然の出来事に高橋の頭がついて行かない。

 

「で、本人に聞いたけど、お前とはセ○レらしいな。かっこいいところ見せたかったんじゃないの? それが相手と口論になって勢い余って殺害しちゃった。違うか?」

 

 その質問に首を横にブンブン振って否定する。

 

「いやいや、待って、待ってくれよ!! してない、俺そんなの、してないからッ!!」

 

「じゃあ、被害者が殺された時間、どこで何してた!? とっとと吐け! このままじゃ、殺人者にされちまうかもしれないぞ?」

 

「ちょ、それはないだろ――」

 

 さらに角田が首を締め上げる。

 

「じゃあ、吐きな!」

 

「わ、わかりました――その時間、俺は……」

 

「俺は?」

 

 耳を澄ます角田。

 

「アイツとホテルでセ……」

 

「セ? その後は?」

 

 眉間にシワを寄せる角田。

 

「セ……」

 

「はやく、言え!!」

 

 脅しつけるように睨みつける。すると、高橋は大音量で暴露した。

 

「セ○○○してましたぁぁぁぁぁ!!」

 

「はいっ、よく言えました」

 

 開放され、椅子に着席した高橋はため息と共にうなだれた。

 その後、伊丹と角田が互いの情報を交換し合い、連携プレイで二人の証言を得ることに成功する。

 

 

 二十二時。特命部屋にて角田と伊丹が聴取の結果を二人へ伝えた。

 

「で、まとめると、高橋はセ○レの社会的事情を考慮して黙っていたってわけですか」

 

「宮下さんのほうも相手が半グレ、それもドラッグ服用者だとわかっていて関係を続けていた。それが明るみになるのは避けたかったから、白を切り通そうとした。五味先生に一度、脅されるも『やれるものならやってみろ、タダじゃすまないからな?』と逆に脅し返して撃退した。そんなところですかね」

 

 亘と右京のコメントに疲れ気味の角田が「蓋を開けてみればそんなもんだったよ。一応、彼女の毛髪もチェックしてみるけど、クスリが身体の中に残ってたら、任意同行に応じてないだろうしなー」と嘆いてから愛用のマグカップでコーヒを啜る。大口の顧客へ繋がるかもしれないと、張り切っていたのに見事、裏切られたからだ。

 それは伊丹も同じだった。

 

「こっちも自白を元に連中の泊まったホテルに電話して確認したら、ばっちり記録に残っていました。調布市の外だし、監視カメラにも出入りの映像が写っていた。犯行は不可能です」

 

 高橋と宮下の証言が彼らのアリバイを立証してしまったのだ。殺人事件の捜査は振り出しに戻る。二人に対して、右京が一言。

 

「焦らず行きましょう」

 

 そう言って、この場を締めた。



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第164話 マイリベリー・ハーン

 次の日、朝八時に登庁した右京が進捗状況を確認すべく、青木らのいる部署を訪ねる。

 作業が徹夜だったこともあって、青木はラベルに『杉下さんへ』と書かれたUSBメモリーを握りしめたまま、机に突っ伏して仮眠を取っていた。

 隣の土師も、今に寝落ちしそうな状況だが、パソコン画面とにらめっこしている。右京が感心しながら後方からそっと近づくと、映像が自分の目にも入った。それはコスプレ衣装のような服を着てゲームを行う、実況動画だった。

 

「今、休憩中ですか?」

 

「へ? あ、杉下警部――」

 

 自身の右側からにゅっと顔を出す右京に土師がヘッドフォンを外して挨拶する。同時にヘッドフォンユニットから音が漏れ出す。

 

 ――はい、皆さんこんこんこんこんこーーーーーん♪ 音無シャロンのゲーム実況チャンネル、始まるよー!

 

 流れたのは一週間前に投稿されたVTberの実況動画だった。青木にバカにされたのにも関わらず、視聴を続けているらしい。

 日常生活では滅多に聞かない声に右京が反応する。

 

「綺麗な声の女性ですね」

 

「そ、そうなんですよ! 明るいし、ゲームの腕も悪くないし、コメントで教えればすぐに上達して攻略する。指示するのも楽しいんですよ」

 

「ほうほう、それはそれは」

 

「この前もホラーゲームやってて、アイテムの調合とか相手の弱点とか書き込んであげたんですよ、そしたら『ありがとうございます、ハッチさん(土師のアカウント名)』ってコメント返ししてくれて、いやホント、テンション上がっちゃって! 青木のヤツにはわからんでしょうけど、僕はVのこういうところがよくて、ですね――」

 

 土師のトークを半分以上、聞き流した和製ホームズは音無シャロンの声に耳を傾けていた。

 

 

 午前十時。

 土師から盗撮動画を借り、特命部屋に入室した右京はパソコンと格闘を続けていた。

 相棒の亘は鑑識で鑑定結果を受け取りに行っており、席を外している。

 盗撮動画は公園での撮影が多く、場所も青木が調布の公園だと特定した。それ以外にも調布市内の路地など、人目につかないところで撮影されたモノが多数発見された。

 付近の監視カメラの映像も解析したそうだが、五味の姿は映っていなかった。カメラの死角を熟知していたのだろう。

 映像を早回しでチェックし、次から次へと動画を切り替えていく。四十本目に突入するか、しないかのところで右京の目がギラリと光った。右京自身、アタリを引いた、と直感する。

 動画データをスマホに移し、電源を落とした右京はコートを羽織るべく、立ち上がろうとした。その時だ。背中に悪寒が走った。黒い電流とはまた違う、身体全体を締めつけるような不気味なオーラだ。しかもこちらへ歩いてくるように接近する。右京が扉に意識を向けた数秒後、金髪紫眼の美女が現れた。

 

「お邪魔だったかしら?」

 

 マイリベリー・ハーンである。

 数ヶ月ぶりであるにも関わらず、まるでこちらの動きを知っているかのような態度。間違いなく、覗かれていた。和製ホームズは気を引き締めながら、立ち上がり、彼女の正面に立つ。

 

「お久しぶりですね、()()さん」

 

「あら、いやですわね。こっちではメリーで通しているのに」

 

「申し訳ない、隠すつもりがないようでしたので」

 

 メリーの周囲に空間を歪ませるようなモヤが出ていた。まるで異質な存在であることを証明するかのように。視線でそれをなぞってみせると、メリーが笑みと共にパチパチと拍手する。

 

「だいぶ、霊感が上がったようね。幽々子に感謝するべきだわ、アナタは」

 

「いつか、お土産を持って白玉楼を訪れようと考えてます。そのうち、神戸くんと一緒に連れて行ってくれませんか?」

 

「それはダメね。アナタはこちら側ではないから。どうしてもというなら、ご自分で幻想入りする方法を考えることです」

 

「残念です」

 

 どうせ入れてもコソコソ嗅ぎ回られるのがオチだ。メリーからしたら迷惑なだけ。許可など出すはずもない。右京もそれは承知している。ダメ元で尋ねただけだ。

 ホームズへの牽制を終えた彼女が本題へ入る。

 

「逃げた犯人の正体――何かわかりました?」

 

「……依然として不明です」

 

「……本当かしら? 実はもうわかっているけど、私に先回りされたくないから、知らないフリをしているんじゃなくて?」

 

「それが本当にわからないのですよ」

 

 犯人は南井十だと予想をつけているが、言ってしまえば彼への制裁が待っている。口が裂けても口外できない。右京は持ち前の胆力で平常心を貫く。

 

「(いつも通りの顔つき。表情だけじゃ、わからないわ。面倒な相手よねー)」

 

 腹の探り合いには自信がある彼女も、杉下右京の腹の底までは読みきれずにいる。数瞬の間で行われた駆け引きであったが、無駄だと悟ったメリーが引き下がった。

 

「ま、頑張ってくださいね。よい報せを待っていますので」

 

 部屋を出ようとするメリーに右京が疑問を覚える。

 

「おや、用事はこれだけですか?」

 

「そうですけど?」

 

「てっきり、お叱りを受けるかと思っていたのですが」

 

 私ってそんな酷い女に見えるの? そう言いたげにメリーが苦笑する。

 

「そこまでしないわよ。今、忙しいのでしょ?」

 

「こちらの事情をご存知でしたか」

 

「雰囲気でわかるって話ですわ」

 

 言い切ってみせるマイリベリー・ハーン。相変わらず、ガードが硬い。

 

「じゃ、そういうことですので」

 

 そのままメリーは特命部屋を後にした。目的はなんだったのか、首を傾げる右京だったが、ふと机をみやると、そこにはメールアドレスとコメントが書かれたメモが置かれていた。

 

 ――何かありましたら、こちらまで。

 

「なるほど」

 

 納得したように頷いて、右京は彼女のアドレスを電話帳に登録してから、それを引き出しに閉まった。

 

 

 十二時。

 亘を引き連れて、高校を訪れた右京は先生たちへの聞き込みを開始する。授業自体は木曜日から開始だが、事務手続きに追われている教師たちの顔には余裕がない。

 右京たちは「同じことを昨日、刑事に話した」と愚痴を言われながらも「部署が違うから」とお得意の方便で情報を引き出していく。しかしながら、事件に関係ある証言は得られず、ベンチで一休みすることに。

 自販機で買ったホット缶コーヒーで冷たくなった両手を温める。

 

「事件に繋がりそうな手がかりは得られないですね」

 

「ですねえ」

 

 アリバイのある人物ばかりではないが、殺人に至るまでの強い動機が見当たらない。

 

「凶器も見つからないし、林のスニーカーも行方不明。おまけに周辺の監視カメラにも映ってないし、犯行後の足取りも掴めない」

 

「まるで幽霊のような人物ですねえ〜」

 

 本物の幽霊を思い出しながら右京はクスっと微笑む。そこに幽霊否定派の亘が文句をたれた。

 

「ゆ、幽霊なんているわけないじゃないですか、バカバカしい!」

 

「そのわりには、ずいぶん怖がっているように見えますがね」

 

「気のせいですって……」

 

 顔を強張らせながら、明後日のほうを向く。幽霊関係の事件では大して役に立たないとわかっているとはいえ、少しは克服して活躍して欲しいところだ。

 嘆く右京だったが、そこへ女性が通りかかった。教師の小島だ。

 軽い挨拶を経て、右京から話しかけた。

 

「小島先生。少々、お疲れ気味ですね」

 

「まぁ、疲れてますね……刑事さんたちに色々、聞かれていたので。それで、その……仕事が溜まっちゃって」

 

 手に持たれた書類の厚さが彼女の仕事量を物語っている。教師の労働環境はブラックで有名だ。小島はテキパキ、作業をこなせる人材ではない。常にギリギリの中で仕事をしてきたのだろう。どこか精神的に余裕が見られない。

 

「どのようなことを聞かれましたか?」

 

「えーと、事件当夜、どこにいましたか? とかですかね」

 

「その日はどちらに?」

 

「自宅にいました。一人暮らしですから、証明できませんけど……」

 

「そうですか――せっかくなので、僕からも一つ」

 

 右京が立ち上がって、彼女と向き合う。

 

「犯人は五味先生を背後から、硬い鈍器で何度も殴りつけて撲殺しました。このような感じで」

 

 ジェスチャーと共に右京が右腕を何度も振り下ろす。

 

「そして、帰らぬ人となった。遺体の頭部には無数の打撲痕があり、中には頭蓋骨が割れて、脳まで達する深い傷があったほどです。鈍器も相当、硬かったのでしょうねえ〜」

 

 彼の熱演に小島は引き気味になりながらも「金属で殴られたらそうなりますよね……」とコメントした。

 

「強い殺意があった証拠です。そのような人物に心当たりは?」

 

「ありませんね」

 

「そうですか」

 

 がっかりする素振りを見せる右京。が、仕事に迫られている小島には二人に付き合っている余裕はない。

 

「あ、すみません、これから仕事なので」

 

「お話、ありがとうございました」

 

 彼女は足早に去っていった。その後ろ、姿を眺めながら会話中、黙っていた亘が「色々、大変そうですね、彼女」と口を開きながら立ち上がる。「そのようですね」取り出したスマホを確認した右京が続けざまに「君に頼みたいことがあります。お願いできますか?」と依頼する。部下は「もちろん」と了承。別行動をとった。

 一旦、警視庁に戻って鑑識やサイバーセキュリティー対策本部へと足を運び、依頼していた鑑定、解析結果を入手する右京。

 調布に残って複数のスーパーやコンビニ、ホームセンターなどの店舗で聞き込みを行い、ついでに付近の監視カメラの映像をチェックしていく亘。

 深夜の警視庁、特命部屋で合流した二人は集めた情報を持ち寄って精査した結果、すべての点と線が繋がる。そして、右京が最終結論を出した。

 

「犯人はあの人物で間違いない」

 

 きっと犯人は知るだろう、和製ホームズの慧眼からは決して逃れられないと。

 それは死刑宣告にも等しい。相棒の亘は犯人の顔を脳裏に思い浮かべて同情した。



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第165話 漆黒の殺意 証明

 次の日の正午過ぎ。作業を中断した小島は持参したお弁当を屋上のベンチで食べていた。食欲がないのか、あまり箸が進んでいないようだ。時折、吐かれるため息が彼女の疲労感を物語っている。そこに例の二人組が現れた。

 

「ランチ中でしたか?」

 

 オシャレなスーツを着こなす知的なオールバックデカと茶色い紙袋を携えた精悍なワイルドデカ――そう、特命係である。

 

「はい、そうですけど……」

 

 昨日に引き続き、同じ刑事が自分を訪ねてくる。そんな経験をしたことがない小島はほんの少しだけ身構えた。

 

「事件の全容が判明しましたので、そのご報告に参りました」

 

「全容――って犯人、見つかったんですか!?」

 

「それはまだですが、じきに警察が逮捕するでしょう」

 

「そ、それで、犯人は誰だったんですか――」

 

 小島の話を遮るように右京が彼女の正面に立った。瞬間、彼女は視線を逸し「なんですか」と不満を漏らすが、今の和製ホームズに昨日までの優しい紳士の姿はない。

 

「日曜日の夜、犯人は音楽室内で五味さんを殺害しました。ゲソ痕のつき具合から判断するに、四階の音楽室にあるピアノの椅子に座って待っていた五味さんが四階側入り口から入ってきた犯人と会って何かをした。そして五味さんは犯人から後ろを向いて立っていたところ、後頭部を思いっきり殴打された。

 遺体の状況から察するにあまり抵抗した跡がみられない。初撃が決定打となった可能性が高いと思われますが、それにしても不用心過ぎます。まるで相手が自分よりも弱い人物だと、高を括っていたかのようです」

 

「弱い人物……余裕……。どういうこと? ちょっと、何を言っているか、わからないのですが」

 

 最初から大量の情報を話す右京に小島は困惑の色を隠せない。明らかな動揺があった。

 右京が推理を続ける。

 

「採取された事件に関係あるゲソ痕は三つ。五味さんの革靴、林先生のスニーカー、そして林先生のスエード靴です」

 

「えっ、林先生の靴が、二足……?」小島の目が点になる。

 

「はい、二足ありました。意外そうですね?」

 

「いや、そんな、別に……」

 

 途切れ、途切れになりながら、なんとか言葉を返した小島だったが、右京の雄弁が止まることはない。

 

「犯人と思わしき人物のゲソ痕は林先生の履いていたスニーカーで間違いない。しかしながら、靴のサイズが合っていないのか、ゲソ痕のつき方が不安定でした」

 

 右京の合図と共に、亘が補足を行う。

 

「職員室についていた靴跡とその歩幅を音楽室のモノと比較してみました。靴跡のつき方も異なり、歩幅も短い。それはなぜか……林先生よりも小柄な人物が彼の靴を履いて犯行に及んだからです。記録によると、林先生の身長は168センチ。つまり、犯人はそれ以下の身長の人物となる」

 

 主導権が右京に戻る。

 

「恐らく、犯人は五味さんが林先生に暴力を振るっているのを知っていて、殺人の罪を林先生に擦りつけようとした。そうして、五味さんを殺害に成功した犯人は逃亡――警察が学校周辺の監視カメラを確認しましたが、どこにも映ってない。まるで幽霊のような存在ですねえ」

 

「あ、案外……本当に、幽霊の仕業だったりして……」

 

 冗談を語る小島だったが、場の空気が変わることはない。

 

「確かに、この学校には以前から怪談話が存在します。池に映る顔、トイレの影、謎の呻き声、これらは生徒の間では有名な話です。校長先生ですら耳に入れている。オカルトめいた存在が何らかの事情で五味さんを殺害した、とも考えられますが――残念ながら、今回は人間が起こした殺人事件なのです」

 

「けど……姿が映ってないんですよね?」

 

「元々、調布は監視カメラの数が多くありません。ですので、カメラの死角が存在します。犯人はそれを上手く利用して行方をくらました。土地勘のある人物だと思われます」

 

「へえ……それで、その犯人というのは……誰なんですか?」

 

 何気なく発せられた小島の問いに右京が右人差し指を立てて、ゆっくりと正面の人物の顔を差した。

 

「犯人はあなたです、小島由羽(こじまゆう)さん」

 

「はぁ!? 何を言って――」

 

 取り乱す小島を他所にホームズは推理を続行する。

 

「あなたは五味先生が林先生に対して行うパワハラをご存知でしたよね? 身長も林先生よりも小柄です。そして、女性なら五味先生を油断させやすい。上手く誘導して撲殺することも比較的、容易なはずです。……どうか、お認めになっては下さいませんか?」

 

「じょ、冗談じゃない! わ、私が、そ、そんなことするわけないじゃないですか!? いくら刑事さんだからって酷すぎます!! どうして、そんなことおっしゃるんですか!!」

 

 犯人だと名指しされて喜ぶ人間などいない。温厚そうな小島でさえ、目に涙を溜めて無罪を訴えている。男なら多少は同情心を見せる場面だが、杉下右京相手には大した効果は見込めない。

 

「ここでお認めになったほうが――あなたのためだと思いましたので」

 

「はぁ、意味がわかりません! もういいです、私はここで失礼します!」

 

 蓋をした弁当を無造作に手提げ袋へ詰め込み、席を立とうとする小島に一瞬、瞳を閉じた右京がその心を鬼にしてから再び、瞳を開ける。

 

「話はまだ終わってませんよ、小島由羽さん――いや、音無シャロンさん」

 

「……どうして、その名前をッ」

 

 驚きのあまり小島の動きがピタリと止まってしまう。

 すかさず、亘がスマホを取り出して彼女に見せた。

 

「これは音無シャロンさんのゲーム実況動画です。これと昨日、録音させて頂いたあなたの声を声紋鑑定にかけたところ、見事一致しました」

 

 そう言って、亘が鑑定結果を出す。そこには99.9%一致という事実が表示されていた。

 

「きっかけは偶然でした。知り合いの警察官が音無シャロンさんのファンでしてね。寝る間も惜しんで、生配信やアーカイブを見ていたのです。それを僕が偶然、見つけてしまい、鑑定させて頂きました。驚きましたよ、動画から聞こえてくる声があなたそっくりだったので」

 

 土師が見ていた動画のシャロンの声と小島の声はよく似ていたのだ。それを知った右京は小島の音を録音するべく学校へと赴いた。色々な教師たちに聞いて回ったのも小島に勘づかれないようにするための芝居であった。おかげで今の今まで無警戒のままだった。

 身バレした上で罠にかけられたのだと悟った彼女はその童顔を真っ青にする。しかし、それだけでは逮捕できない。小島が食い下がる。

 

「た、確かに、私は音無シャロン本人です。だけど……それが五味先生殺害に関係あるんですか?」

 

「あります。あなたはそれをネタに五味先生に強請られていたのでしょうから」

 

「ッ――!?」

 

 強請られていた。その言葉に小島の身体がグラっと揺れる。まるでそれが事実であるかのように。

 

「殺された五味先生の私物を調べていたところ、彼のハードディスクから大量の盗撮映像が出てきました。いずれもここからさほど離れていない公園で撮られたモノです。

 当然、被害者だからといって罪がなくなることはありません。我々は公園や五味さん宅周辺の監視カメラをチェックしました。ですが、五味さんが盗撮する姿はおろか、カメラを持っている姿さえも映ることがありませんでした」

 

 亘が話を代わる。

 

「うちのサイバーポリスが五味さんの履歴を調べた結果、ダークウェブ(検索エンジンに引っかからないサイトで非合法な商品や情報が取引されている、いわば闇サイト)へのアクセス記録が残っていました。内容は《調布の監視カメラの設置場所についての資料》です。彼は予め、カメラの位置を把握した上で、盗撮に及んでいました。そして……」

 

 ここから先の言葉を女性に告げるのは酷だ。亘は目で上司に訴える。右京は了承したように頷いてから。

 

「そして、あなたに強要した〝いかがわしい行為〟もまた、監視カメラの死角を縫って行われた」

 

「みっ、見たんですか、あれを――見たんですか!!」

 

「はい」右京が首肯する。亘も同様だ。

 

「そ、そんなぁぁぁ……」

 

 絶望感を漂わせながら彼女が肩を落とす。

 

「きっかけは些細なことで、あなたがVTberとして配信を行っていたところを五味先生が偶然、視聴してしまった。学校は副業禁止ですから、収益化していれば問題となります。音無シャロンのチャンネルも当然、収益化を行っており、再生数に応じたお金があなたの口座へ振り込まれるようになっていた。

 校長やあなたが担当する生徒にこの動画を流すぞ、とでも脅されれば、あなたは教師でいられなくなるかもしれない。そこで、五味さんの趣味に嫌々、つき合った。彼の趣味は女性にコスプレをしてもらっての、いかがわしい行為、それとお外での行為。あなたは何度もそれを強要された」

 

 土師から貰ったデータを念入りに調べた末、右京はコスプレなしの小島が映っている動画を数本、発見した。撮影者は五味本人で内容は限りなくアウトで、とても口に出せない。

 悔しさのあまり、小島は肩を震わせて、目に涙を浮かべ始めた。

 だが、肝心の自白がまだである。それを聞くまで右京の追求の手が休まることはない。

 

「激務続きの教師の仕事と五味さんの強要に、あなたの精神はついに限界を迎え、日曜日の夜、彼を殺害した」

 

「ひっぐっ、うぅっ……わ、私……がぁ、やったって……証拠、あるん、ですかぁぁぁ……」

 

 小島は頑なに犯行を認めようとせず、涙を流しながらも必死に食い下がる。亘は心が痛むような想いで彼女の姿を眺めていた。五味は最低最悪のクズ野郎だ。同情などないが、小島に対しては別だ。

 自分なら情けから追求をやめてしまうだろう。そう思った。

 反対に右京は真実を暴くことも警察官の職務だと考えている。誰かに恨まれることも致し方ない。それが嫌なら警察を辞めるべきだとも。

 そんな暴走する正義の執行人にストップをかけられたのは、今日まで神戸尊ただ一人。冠城亘はその域に達しておらず、静観するのが精一杯だ。

 その純粋な正義の意思こそ、亘がもっとも尊敬できるところでもあり、同時に一番理解しがたいところでもある。敵味方とも、複雑な状況の中、右京が小島の質問に答える。

 

「凶器となったモノはおろか、林さんのスニーカーすら見つかりませんでした。あなたの住む地域周辺の監視カメラを冠城くんに片っ端から調べて貰ったのですが、ここ数日間、あなたの姿は一切映っていなかった。五味さんと行動を共にするうちにカメラの死角を把握しましたね? 証拠は、どこかに捨てましたか? それとも、まだ手元にお持ちで?」

 

「し、知らない!! 私は……犯人、じゃない!!!!」

 

「では、昨日、お話した際、どうして凶器が〝金属〟だと、おっしゃったのですか? ニュースでも取り上げていない情報なのに」

 

「そ、それ、は……」

 

 小島は右京との会話で「金属で殴られればそうなりますよね」とコメントしている。犯人しか知らないであろう情報をあたかも見てきたかのように語ったのだ。

 

「だぁって……鈍器って、言ったら、普通に考えて……〝金属〟でしょ!! だから、そう言って、しまっただけ、です!!」

 

「なるほど、そうですか」

 

 勘違いしていたと言われれば、追求しようがない。

 自白に追い込みたい右京たちからすれば、早急に折れて貰いたいところだが、小島は予想外の粘りをみせる。こんなところで終わりたくない。そんな気持ちの表れなのだろう。

 しかしながら、そこは天下の杉下右京。とっておきの切り札を用意していた。

 目配せを受けた亘が紙袋から男性用のスニーカーを取り出して、そっと小島の前に置く。

 小島は「え?」と驚いたように口元を押さえた。

 

「これは自殺した林さんが学校で履いているスニーカーとまったく同じモノです。大きさもメーカーも。ゲソ痕というのは指紋と同じで犯罪を立証する有力な証拠になります。たとえ、靴のサイズが合っていないにしても足の裏に体重が乗れば、その部分がゲソ痕に強く反映される。

 もし音楽室で採取された犯人のゲソ痕とあなたが履いて歩いた靴のゲソ痕が一致すれば、凶器が見つからなくともあなたを逮捕できます。ですから、これに履き替えてこの辺りを歩いてみて下さい。持参した足跡採取シートで転写した後、鑑識で鑑定して貰います。これですべてがはっきりするでしょう。さぁ、ご自身の無実を証明すると思って、是非」

 

「……………………」

 

 小島はスニーカーを凝視しながら硬直していた。言葉すら出せないほどに。もはや、勝負はついた。右京が動かない彼女に顔を近づけて「小島さん!!」と脅し文句を放った。ビクッと身体を震わせた彼女は右京のほうを向いた。

 

「ここを切り抜けたとしても、あなたには五味さんへ殺意を持つだけの動機がある。令状を取るのは容易です。家宅捜索から周辺捜査まで徹底的に行われます。逃げ果せるなど不可能ですよ。もう……これ以上、ご無理をなさらずとも、よろしいではありませんか」

 

「う……ぅぅ……」

 

 徐々に小島の身体が地面へと吸い寄せられていくように下がっていった。そして――。

 

「アイツが、アイツがぁぁ……悪いん、ですぅ――」

 

 地べたにペタンと四肢をついてから自白した。



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第166話 漆黒の殺意 真相

 私、小島由羽はあまり目立たない学生生活を送っていた。勉強は普通、運動はまったくダメ。容姿も童顔だけど、よくて中の中。クラスメイトから地味子なんて言われたりもした。だけど、一つだけ、人とは違ったモノを持っていた。

 それが声だ。小さい頃からアニメキャラクターみたいな声だと周囲から言われて、密かに声優への憧れを持った。だけど、両親が許してくれなかった。安定とは程遠い職業だからだ。

 

 二人を説得できなかった私は大学へ進学。教師の免許を取って、西高見高校の教師となった。色々な生徒たちがいたけど、それなりに楽しくやってこれたと思う。

 裏で悪口を言われたりもするけど、慕ってくれる子もいた。激務だけどそんなに悪くない生活だった。だけど、物足りなさを感じていた。自分のいるべきはここじゃない気がしてならなかった。

 休日の空いた時間に録画したアニメの視聴や攻略中のゲームをプレイするのだが、そこには必ずといっていいくらいプロの声優が声を当てている。私はそれが羨ましかった。あの時、親を説得できていれば、私もあちら側の世界にいけたかもしれないという淡い期待を捨てきれずにいた。

 

 そんな時だ。動画サイトが爆発的に流行りだし、あっという間にテレビを追い抜く一大コンテツとなったのは。商品レビュー、企画モノ、ゲーム実況、色々あったが、それだけでは心は動かなかった。しかし、ついこの間、私の心を動かすモノが現れた。

 進歩した3D技術によってリアルタイムで動かせるアバターが開発されたのだ。それを利用してアニメ調のキャラクターが作られた。TVberの誕生である。

 人間の声に合わせて表情を変えるアバターは私が欲していたモノだった。これに声を当てれば、声優のマネごとができて、しかも稼げる。上手く行けば、このブラック環境から脱出も夢ではない。

 

 再び、期待を抱いた私はネットでコンタクトを取った絵師やプログラマーに報酬を払ってキャラクターを作って貰った。それが音無シャロン、私の初めての分身だった。

 プリキュアのコスチュームやアイドルグループの制服をミックスして作られた衣装は実に私好みで、まるでアニメの主役声優の立場を勝ち取ったかのような感覚に陥った。

 機材を揃えるのも決して容易じゃなかったが、節約生活をしていたおかげで無理なく捻出できた。パソコンはBTOを買って自作する手間を省いた。

 ツールの使い方で苦戦したが、根気よくネットで調べていくうちに理解できるようになり、三ヶ月後には配信可能なところまで進んだ。

 最初はブラウザゲームの実況をやって、人を集めていたが、メジャーなタイトルをやったほうがいい、とリスナーさんにアドバイスを受け、PSD4やエンテンドウスイッチの人気ゲームの実況を始めた。

 動画編集も大変で、時間がない時は技術のあるリスナーさんに報酬を支払って編集してもらいながら、何とか配信速度を維持できた。

 おかげで登録者数が10万人を突破し、動画収入だけで生活が成り立つかもしれないというところまできていた。生活可能なラインで稼げるなら本業を辞めようと思っていたので、私は非常に迷っていた。

 そんな中、アイツが気持ち悪い顔を引っさげて私の肩を叩いてきた。五味だ。

 

 ――君、音無シャロンちゃんの中の人だよね? これって立派な副業だよね? 皆にバレたら学校クビになるよね? 俺は言っても言わなくても、どっちでもいいけど……タダで黙っているのもアレだしさ。どうだろう、俺と少し遊んでくれないかな?

 

 気持ちだけが先走って、身バレするというリスクを考えていなかった、私の落ち度だった。この時点で、断るという選択肢はなかった。バラされたら社会的な死が待っているのだから。

 私がどうすればいいのか訊ねると、五味はさり気なく私の胸を揉んで「意外と着痩せするタイプだねぇ。コスプレしながらヤッて貰いたいな」とほざいた。ここから私と五味の秘密の関係が始まった。

 

 一週間後、私は五味の自宅に呼ばれ、用意されたコスチュームに着替えさせられ、そのキャラクターの声真似をするように指示された後、弄ばれた。

 最初の数回は自宅だったが、五味は外で遊ぶようになった。五味は周囲の監視カメラの事情を把握していて、カメラの死角を通っては、ことに及んだ。私は耐え難い屈辱を味合わされた。

 しかし、悪いことだけではなかった。監視カメラの死角ばかりに連れて行かれるものだから私自身、その場所を記憶できた。仮にコイツを殺しても逃げ果せられるかもしれないという考えが芽生えていた。それだけが私の救いだった。

 

 そうして季節は冬になり、三年生の生徒が階段から転落した件で刑事、杉下右京が学校へ調査にやってきた。物腰の柔らかそうな人だったけど、同時にオカルトに興味を示す変人にも見えた。だけど、今まで接してきたどの男性よりも誠実な人にも思えた。

 こんなことになるなら、五味の話題が出た時、思い切っていやらしいことを強要されていると打ち明ければよかった。知らない高校生がやってきたから萎縮してしまったのだ。

 いや、たぶん、理由をつけて逃げていたかな。

 その後、すぐにアイツから電話がきた。

 

 ――明日の夜、学校で遊ぼう。

 

 正気を疑った。今まで学校は避けていたはずなのに。理由を訊ねると。刑事がやってきたことでテンションが上がった。背徳感がすごい。普段着のままでいいからヤッてみたいとのこと。下着は派手な柄でワイシャツの下にはインナーは着るなとのこと。心の底からクズなんだなと嫌悪した。

 ついに限界を迎えた私は予め用意しておいたスパナをバッグの中に隠し持って、あの日の夜、五味が教えた監視カメラの死角を通って学校へ向かった。

 その途中、林先生が自宅へ帰る姿を目撃した。きっと仕事が終わらなかったんだろう可哀想に、と哀れんだ瞬間、私はそれ以上に惨めな人間だと理解した。弱みを握られ、強要されているのだから。彼は五味先生を憎んでいるに違いない。

 以前、四階の音楽室側の踊り場で『五味が憎い』と独り言を呟いていた。私も同じだ。なら、靴を貸して貰おう。そんな自己中心的な発想から自分が履いてきた靴をバッグにしまい、彼のスニーカーを拝借――音楽室へ向かった。

 音楽室に入ると五味が待っていた。

 

 ――おぉ、きたね、小島ちゃん♪

 

 鼻の下伸ばして気持ち悪い。顔に出せば、罰としてカメラで録画される。だから、いつも表情には出さないようにしていた。高まる殺意を抑えながら、私は五味に近づいた。ワイシャツのボタンを全開にして派手な下着が見えるように誘惑した。

 

 ――今日は一段とやる気だね! 何があったの!?

 

 尋ねられた私はこう答えた。

 

 ――私だって……たまには、自分から……したくなる時があります。

 

 ――おぉ、ついにわかってくれたか! いやー、うれいしねぇ!

 

 ――だから、後ろを向いていて下さい。試したいことがあるので……。

 

 ――うんうん、いいよー!!

 

 テンションが上がり、頭の中まで桃色になった五味は私の殺意に気づかず、後ろを向いた。スパナを取り出し、こっそり近づいた私はヤツをマッサージしながら徐々に体勢が低くなるように調整した。気持ちよさそうにする五味の頭部に私の腕が届くようになった瞬間、右手に持っていたスパナを思いっきり振り上げ――。

 

 ――死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!

 

 怒り込めて叩きつけた。

 初撃を受けて倒れた五味を追いかけ、馬乗りになってからさらに追撃をかける。

 

 ――死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ねえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!

 

 怒気と共に何度も殴った。気がついたら五味は死んでいた。

 私は怖くなって、そのままスパナをハンカチで包んで、ビニール袋に入れてバッグに押し込み、逃げ出した。

 翌日、五味の遺体が発見された。監視カメラには映ってないから大丈夫と言い聞かせて何食わぬ顔で学校へ出勤すると、林先生がいないと話題になった。警察が林先生の自宅を訪ねると、彼は飛び降り自殺した。

 私にはその理由がわからなかったが、この話を聞いた杉下さん曰く「忘れ物を取りに戻り、靴がないことに気がついた彼が探し回っていたところ、四階から物音がした。急ぎ、音楽室へ向かうと五味先生の遺体が横たわっていた。それを自分が呪い殺したのだと思い込んだのかもしれませんね」と考察していた。

 私には意味不明だけど、これで林先生が疑われると思って、ホッとした。瞬間、私もクズなんだな、と自分が嫌いになった。でも、捕まりたくない。だから、最後まで粘った。

 しかし、現職の刑事相手に騙しきれるわけもなく、刑事ドラマのような推理ショーを披露され、私は自白するに至った。

 鈍器を金属と言っただけで疑われるなんて、やっぱり警察ってすごいね。これなら、最初から相談すればよかったのかな。もう遅すぎるんだけどね……。

 

 

「これが、五味を……殺害した理由です――」

 

「お辛かったのですね……」と右京が同情する。

 

「だけど、どうして警察に相談しなかったんですか? この人の場合、ふいに高校生がやってきて気まずかったのはわかりますが、性被害の相談なら所轄でも受けつけています。 その気になれば、相談できたのでは?」

 

 亘の疑問に小島が首を横に振った。

 

「警察の人って怖いイメージが、あって。尋問みたいにされるんじゃないかって思って怖くて……。それに男性ばかりですよね? 男性から被害に遭っているのにそれを男性に相談しなきゃならないのかなって考えたら、嫌になりました。

 たとえ、女性が相談役だったとしても冴えないおじさんに副業がバレて、いかがわしい行為を強要されているなんて言ったら、恥ずかしくて死にそうになる。仮に裁判になったとしても、男女含めて大勢の人の前で自分がされた行為を赤裸々に公表しなきゃならないんですよね? もちろん両親にだって……。私の人生、終わりじゃない。だから、殺すしかなかったんです……」

 

 小島も何度か法的な手段を取って対抗しようとした。しかし、調べれば調べるほど、女性側は不利でしかない。性被害を大勢の前で告白する、場合によっては証拠のビデオが流れる。それは彼女にとって精神的死刑に等しかった。すべてを失う恐怖に駆られ、彼女は犯行に至った。動機を理解した杉下右京は片膝をついて、小島の顔に目線を合わせる。

 

「小島さん、あなたの怒りと憎しみは理解できます。だとしても殺人は殺人です。いかなる理由があろうとも、僕たちはそれを肯定することはできません。罪を償って、一からやり直しましょう……人生は一度切りですが、生きている限り何度でも再スタートできます」

 

「でも……」

 

 うつむく小島に右京が身の上話を聞かせる。

 

「僕の元部下も今、刑務所に服役しています。〝ダークナイト〟と称され、世間を騒がせた男です」

 

「えぇ!? あのダークナイト!?」

 

「そう、あのダークナイトです」

 

 前相棒、甲斐享は法の裁きを逃れた犯罪者たちに拳で制裁を加える私刑執行人(ダークナイト)だった。彼の友人の妹が惨めな目にあったのがきっかけだったのだが、それがエスカレートしていき、最後は上司、杉下右京の手によって逮捕された。

 父親である甲斐峯秋は息子は杉下右京への対抗心からその行動を過激化させたのでは、と見ていた。いずれにせよ、相棒の凶行に気がつけなかった右京の失態であることに変わりなく、無期限の停職処分を課せられた。

 

「彼は今、拘置所で罪を償っている最中です。キャリア官僚の父親を持った彼は、受刑者から自分たちを逮捕してきた忌々しい存在として憎しみの目を向けられていることでしょう。それは、それは辛い日々を過ごしているに違いありません。

 ですが、彼には生まれたばかりの子供がいます。奥さんやその子と共に生活するために精一杯、努力しています。無鉄砲だった彼が家族のために、です。だからこそ、僕は思うのです。人はいつでもやり直せる、と。小島さん、あなたにもできます。頑張りましょう」

 

「……は……い」

 

 小島は涙を流しながら頷いた。

 そこに伊丹ら捜査一課の面々がやってきた。

 

「小島由羽さん。五味三郎さん殺害の件でお話があります。署までご同行を」

 

「……はい」

 

 芹沢に肩を支えられながら立ち上がった小島が右京に頭を下げて、連行されていく。

 

「後はこちらにお任せを」

 

 同行する伊丹が背中越しで特命係の二人に挨拶して、この場を去った。

 やるせない気持ちで亘が無情の空を仰ぐ。

 

「性的被害に遭っても相談できないなんて……」

 

 警察も男が中心の組織だ。司法も含めて性犯罪への対応が遅れているという指摘が出ている。解決すべき問題ではあるが、他のことで手一杯で、後回しになっているのが実情である。

 極力、女性が対応する等の努力はみられるが、やはり事務的なところがあり、被害者の心情を救えているかというと疑問が残る。

 

「我々、警察の課題ですね。早く被害者が安心して相談できるような環境を整えなくてはならない。今回の一件で実感させられました。……僕も、気がついてあげれたらよかった――」

 

 土曜日の夕方、彼女の態度がややおかしかったのは右京も気がついていた。しかしながら、初対面からオドオドしていたため、気がつくのが遅れてしまった。菫子が右京を訪ねてこなければ、小島も被害を告白できたかもしれないが、今更である。

 落ち込む上司に部下がフォローするかのようにそっと近寄った。

 

「タイミングが悪かったんですよ」

 

「……そう思うしかないですかね」

 

 いくらホームズでも初見ですべてを見抜けるわけではない。すべて完璧とはいかないのだ。相棒の言葉に右京も納得する他なかった。

 重い空気に耐えかねた亘が無理やり話題を変える。

 

「ですが、これで無事に事件解決しました。警視庁へ戻りましょう」

 

 ところが右京はそれを否定する。

 

「まだ終わってませんよ? 《呻き声》の正体が明らかになっていません」

 

「ええ!? まだ調査を続けるつもりなんですか!?」

 

「いえ、もう終わっています」

 

「は?」

 

 ついていけない亘に対して右京が一言。

 

「行きますよ、オカルトの真相を暴きに」



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第167話 オカルトブレイカー その1

 十五時。

 捜査一課を見送った右京は菫子と電話で事実確認をした後、亘と共にフィガロへ乗り込み、調布市内を移動して数日前に訪れたアパートの207号室を再訪問する。チャイムを鳴らしてまもなくして伊崎さゆかがドアを開ける。

 

「……刑事さんたちですか。今日はどんな用ですか?」

 

 どんよりとしたオーラを漂わせているが、警戒心は緩んでいるように窺えた。

 

「ちょっとだけお話ししたいことがあります。お時間を頂けませんか?」

 

 右京の紳士的なスマイルから歴戦の刑事のような鋭さは感じられない。自分を問い詰めるつもりはないのだろう。そう解釈した伊崎は「どうぞ」と二人を室内に招き入れる。

 この前と同じとように彼女の部屋に通された二人はそのままテーブルにつく。

 席についたと同時に右京が切り出す。

 

「伊崎さん、あなたは西高見高校の《学校の怪談》をご存知ですよね?」

 

「……知ってますけど」

 

「ここ最近、うめき声が四〜五件ほど聞かれるようになり、一週間ほど前、四階から三年生の生徒が転落しました」

 

「……はい」伊崎が答えた。

 

「その生徒さんに話を聞いたところ、男性のような声がしたと証言されました。他にも声が歪んでいた、とも」

 

「……そうなんですか」

 

「はい、そうなんです」

 

 独特の空気が右京と伊崎の二人を包んでいた。亘はその妖怪でも出現しそうな雰囲気にドン引きする。

 

「……それがどうかしたんですか?」

 

 無表情のまま伊崎が問う。

 

「実は踊り場近くに掲示板。印刷物で隠されていましたが、卵よりも一回りほど大きい穴が空いていました」

 

「……穴、ですか」

 

「はい、穴です。きっと誰かが意図的に開けたのでしょう。無理やり開けられたからか、入り口がギザギザしていて、何かが引っかかったような跡がありました。そこに綿棒を当てると、黒い粉が採れました」

 

「……黒い粉」

 

「プラスチックの粉です。察するに何かが嵌められていたような気がするですがねえ〜。……なんだと思います?」

 

「さぁ……。皆目、検討もつきません」

 

 ほんの一瞬だけ伊崎は目元をぴくんと動かした。それを見た亘は「もしかして――」と彼女に疑いの目を向け始める。この段階で右京が右人差し指を立てて、推理形態へと移行する。

 

「これは僕の推測です。ここには音声が出る機械が嵌められていたのではないでしょうか。たとえば、小型のワイヤレススピーカー、とか」

 

「……ワイヤレススピーカー、ですか」

 

「そう、ワイヤレススピーカー。最近のスピーカーは軽量化が進み、手のひらサイズまで小さくなりました。犯人はそれを使って音声を流した、と僕は見ています」

 

 意気揚々と持論を展開する上司に部下の亘が手を挙げて訊ねた。

 

「でも、ブルートゥースの通信距離ってせいぜい、十メートルそこらじゃないですか? 四階で音声を再生させるにしても、犯人が音楽室辺りに隠れていないと実行できませんよね。当日、音楽室の鍵は空いていたんですか?」

 

「いえ、そのような情報はありません」

 

「だったら、どうやって犯人はスピーカーを再生させたんですか?」

 

 伊崎の質問に右京は「クラス1対応のスマホとそれに対応するワイヤレススピーカーを使えば、たとえ電波法の規制が厳しい日本国内であったとしても二十メートル程度なら反応します。犯人はあの日、転落した生徒の後をつけ、廊下の物陰に隠れて、距離を詰めながらタイミングを見計らい、音声機器を再生した。それに驚いた彼女は足を踏み外して転落した。如何でしょうか、伊崎さん?」と答えて本人へ問い返す。

 

「如何でしょうか、と言われても……」

 

 戸惑う伊崎の顔には焦りの色が見え隠れしていた。

 じわじわと相手を追い詰める。これが彼のテクニックだ。

 さらなる追撃が伊崎を襲う。

 

「転落日、彼女は自習室で自習していました。母親と喧嘩して、いつもより長い時間、勉強していたそうです。そこにはあなたの姿もあり、彼女以外に最後まで自習室に残っていたのはあなただけだった。これは事実ですね?」

 

「……はい」

 

「あなたは彼女が部屋を出るよりも早く部屋を出た。彼女が言うには三十分前だそうですが。……事実ですか?」

 

「……彼女が転落した時間はいつ頃ですか?」

 

「十八時くらいだと聞いています」

 

「……その日のことは曖昧ですけど……部屋を出たのは十七時半を過ぎた辺りだったと思います」

 

「そのまま帰宅しました?」

 

「……はい」

 

「それを証明してくれる方はおられますか?」

 

「……いません。ボッチなので」

 

 転落した生徒の証言と食い違う発言はない。そして、彼女の無実を証明してくれる人物もいない。そろそろ頃合いだろう。右京が伊崎に苦い仮説を突きつける。

 

「では……もっとも彼女をつき落とせる可能性のある人物は――あなた、ということになりますね」

 

「…………」

 

 ポーカーフェイスの伊崎の表情がわずかに歪みかけるが、それをギリギリで堪えながら、すぐさま反論を行う。

 

「……私に彼女を突き落とす動機があるんですか?」

 

「あなたは同じ学校の生徒から嫌がらせを受けていますね?」

 

「……それが、何か?」

 

 目つきを鋭くしながら伊崎は声のトーンを一段階、上げた。気にしているのだろう。

 

「彼女は口が悪く、思ったことをすぐに言ってしまう人物です。初対面の警察官に対して〝無能〟? と言ってしまうほどに。しかも、色々な人間とイザコザを起こし、恨みを買っておきながら、過去は覚えていないと発言する始末。あなたへ暴言を吐いていたとしても不思議ではない」

 

「……私も色々な人から悪く言われてますから、誰に言われたかなんて一々、覚えていません」

 

 相手の質問を跳ね除けてみせる伊崎。見た目通り、中々手強いようだ。

 しかし、その強気で放った言葉が仇となる。

 

「……というわりには宇佐見さんへの恨みは忘れていなかったようですね?」

 

「……ッ!? どういうこと、ですか?」

 

 ハッとしたような表情で自身を凝視する伊崎に右京は懐から出した二枚の資料を机に置いて見せた。一枚は西高見高校裏サイトのもので、菫子を誹謗中傷する掲示板のコメントのコピーが印刷されていた。もう一枚はコメントが書き込こまれた場所の詳細だ。

 伊崎が内容を見たことを確認した右京が特定の部分を指差す。

 

「警視庁のサイバー警官が調査した結果、掲示板のタイトル『この女が今回の怪奇事件&殺人事件の元凶、宇○見○子』と『あ、そういえば、俺この名前、聞いたことあるぞ。中学からの知り合いで東深見高校の同級生から聞いたんだけど、確かコイツ、有名なオカルトマニアで、自分でオカルト的な事件をでっち上げたり、フェイク画像を作ってるらしい』と『私も友人から聞いたんだけどコイツ、中学の頃からイキがっていたそうだよ。自分のことを天才とか言っちゃっててさ「ただの人間に興味ない」とか「自分は特別だ」とか、本当にありえないよね』この三つは複数のネットカフェから書き込まれたコメントだと判明しました。

 タイトル、コメント内容といい、宇佐見さんへの憎悪を煽動するかのようですねえ。しかもこれらのネットカフェはいずれも調布駅周辺に存在し、互いの距離はさほど離れていない。おかしいですね、まるで特定の誰かが宇佐見さんを怪奇事件や殺人事件の犯人に仕立て上げようとしているみたいじゃないですか。どう思います?」

 

「……偶然というのもあり得るのでは?」

 

「なるほど……では、これらのコメントがあった時間、あなたはどこにいましたか?」

 

「…………出かけてしました」

 

「どちらに……?」右京の眼光が獲物をロックオンする。伊崎は息を呑みながら「調布駅周辺……」と答える。続く質問で「駅のどこへ行かれましたか?」と訊かれた伊崎は「……さあ、自分でもよく覚えていません」と苦しく返答する。

 右京は覚えていない伊崎本人に変わって立ち寄ったであろう場所を教える。

 

「あの日、あなたが訪れた複数のネットカフェです。店員さんから髪の長い少女がコメントのあった数分前には来店していたと教えて頂きました。後日、監視カメラの映像を取り寄せてみたら、あなたらしき人物の姿が映っていました。帽子を被っているようでしたが、長い髪の毛までは隠せていないように思えました。――宇佐見さんへの誹謗中傷、犯人はあなたで、お間違いない?」

 

「………………」

 

 ただでさえ白い顔面がより白く染まっていく。相手はこちらを潰せるだけの証拠を持ってやってきていると悟ったからだ。

 もはや言い逃れできる気がしなかった。それでも彼女は頭を回転させながら、最小の被害だけで刑事の事情聴取を切り抜けようと画策する。

 

「……彼女への誹謗中傷を書き込んだのは……私です。それは認めます」

 

「動機は、かつて言い争いになった時に宇佐見さんに言われた言葉が許せなかったから、ですね?」

 

「……そこまで、ご存知だったんですね」

 

「ここにくる少し前、本人からメールで直接、伺いました。あなたは中学時代、神奈川県に住んでいて、宇佐見さんと同じ学校に通っていらっしゃった。彼女とはそれなりに喋る間柄だったそうですね。しかし、とある言い争いをきっかけにあなたがたは口を利かなくなった。原因は不真面目な宇佐見さんが真面目な自分よりも試験の成績がよかったことへの不満」

 

「…………」

 

 殺人事件を解決してまもなく、右京は菫子と電話で会話した。

 

 ――伊崎さゆかさんをご存知ですか? 君の知り合い、もしくは同級生だと思うのですが?

 

 書き込みをしたのは犯人は彼女で間違いなかった。それにしても菫子の個人情報を知りすぎている。こういう場合は愉快犯ではなく、被害者と近い関係にある者の仕業を疑うのが捜査の鉄則だ。

 右京の想像通り、菫子は伊崎をよく知っていた。

 

 ――知ってます。中学が一緒で、二年の頃は同じクラスでした。

 

 ――彼女と何かトラブルになったことはありますか?

 

 ――トラブル……? うーん、あった、かなぁ〜?

 

 ――よく思い出して下さい。事件解決に必要なことです。

 

 それから数分間の格闘の末、菫子が伊崎とのイザコザを思い出した。

 

 ――あ、そういえば……。同じクラスとの時、口論になったことがありました。あれは期末テストの結果の時だったかな。私と伊崎さんは席が隣同士だったから成績表、見られちゃって。そしたら放課後、伊崎さんに『どうして、あなたはいつも不真面目なのにテストの点数が私より上なの?』って詰め寄られて。『たまたまだよ』って言ったんだけど、信じて貰えず『カンニングとかしたんじゃないの?』とか難癖つけられて。口論になっちゃって。ついつい言っちゃったんです。『実力で私に勝てないからって見苦しいんだよねー。ほんとその髪の毛同様、気持ち悪いなぁ!』って。

 その後、伊崎さんとは口を利くことはなくなって。以前はそこそこ喋ってたんだけど……。さすがに悪いなって思って、何回か謝ろうと思ったんだけど、機会がなかったから、そのままになっちゃった感じです。あー、今まで忘れてたなぁ……。――ん? もしかして、犯人は伊崎さんで、このやり取りが原因で私が誹謗中傷の対象になったとか!?

 

 ――それはまだ。ですが、近い内に真相をお伝えできるかと思います。

 

 菫子とのエピソードを聞いて右京はこれが原因なのではないかと直感した。目の前の少女は気難しい性格をしている。プライドが許せなかったのだろう、と。かといって開口一番に問い詰めても、認めない可能性がある。適切なタイミングでの放り込みが必要だった。違う話題で揺さぶりをかけて、相手の隙ができたところに一番大きな爆弾を投下する、これが杉下右京の話術。作戦は見事、的中――だんまりだった、伊崎が口を開いた。

 

「……その通りです。私は宇佐見さんにテストで勝てたことがなかった。たまにチラっとみれば隠れて趣味のオカルト雑誌やネットの関連記事を読んでいて、授業はサボリ気味。だけど、成績は優秀で体育や美術、音楽以外は学年トップクラス。皆、言ってました。『アイツ、カンニングでもしているんじゃないのか?』って。

 だけど、そんな証拠はどこにもありませんでした。単純に地頭がいいんだと思います。反対に私は必死に努力しないと成績を維持できない凡人でした。努力しなくても結果を出せる天才に……心の底から嫉妬したんです。それで宇佐見さんに突っかかってしまい、髪の毛を侮辱されました」

 

 伊崎が自身の背中まで伸びた髪を優しく撫でる。

 

「昔から……髪の毛が伸びてないと精神的に不安定になるんです。背中が無防備なったような気がして、落ち着かないんです。私みたいな小心者は何かに縋っていないと日常生活さえ満足に過ごせない。自分でも嫌になります」

 

「だから、髪の毛を侮辱したが許せなかった」

 

「……そうです。髪の毛の悪口を言われると、我慢できなくなるんです。……悪い癖だと自負しています」

 

 長く伸びた髪はまるで自分を包み込み、守ってくるような安心感を彼女へ与えた。一人ぼっちの伊崎に髪は自らの分身だった。そうとは知らず、菫子は彼女の髪を侮辱してしまい、恨まれてしまったのだ。

 亘にとって彼女のそれは理解し難いものだが、心の弱った人間が何かに縋りたいと思う気持ちはわかる。彼は自らの偏見を戒めた。

 右京は彼女の心境を理解していた。

 

「人にとって自分の大事なものを貶されることは最大の屈辱です。あなたもご苦労なされたことでしょう」

 

「…………」

 

 暗い影を落としながらうつむく伊崎に同情を禁じえないが、杉下右京と対峙した時点で彼女の命運は決したのだ。和製ホームズは最後の詰めに入る。

 

「同じようなことを転落した彼女にも言われたのではありませんか? それで許せなくなったあなたは怪談になぞらえて、復讐を計画して見事、彼女を転落させた。それからほどなくして基本情報対策講座を受けに菫子さんを目撃した。机の上の教科書からあなたも情報系、おそらく同期間に開かれたITパスポートの講座を受講していたのでしょう。そこで再び、実力の差を思い知らされて怒りが再燃――彼女の情報を掲示板に晒して、悪者に仕立て上げた」

 

「……言いがかりです。誹謗中傷の件は認めますけど――」

 

 彼女の反論を遮って右京が続ける。

 

「最初は相手への復讐心から始まったのでしょう。あなたは怪談話に託けて彼女を怪談から転落させるために策を練った。もしくは、四階付近で一人呟く林先生を目撃して怪談話になぞらえて転落させようと考えた。どちらですか?」

 

「……知りません。そんなの」

 

 伊崎はきっぱり否定した。まだ足りないようだ。

 

「この際、どちらでもいいでしょう。林先生は時折、独り言を呟く癖がありました。中でも印象的なのは《ウィンパティオー》。ラテン語で〝暴力や抑圧に耐えている〟という意味です。あなたは彼がこの言葉を唱えているところを偶然にも目撃した。それを録音したのではありませんか? それをパソコンなどの音声加工ツールを駆使して加工し、お経のようにも聞こえる不気味な音を作成した。後はスマホに移動した音声を掲示板の穴に隠したワイヤレススピーカーを使って再生させれば、怪奇現象の出来上がりというわけです」

 

 すかさず立ち上がった右京は学習机の上に置かれたスマホ、上棚に置かれた小型スピーカーを指差した。

 

「調べたところ、このスマホはクラス1対応のスマホでした。スピーカーも同様です。怪奇現象は十分、引き起こせる」

 

 そう言って、机まで歩いたホームズは小型スピーカーを手に取る。その背面には硬い何かに当たって擦れたような無数の傷がついていた。

 それを右京が伊崎へと見せる。

 

「ここに傷がついてますね。これ、どこでついた傷ですか?」

 

「……自宅で落とした時にでもついたんだと思います」

 

「まだ、お認めにならない?」

 

「……私はやってません」

 

「いいえ、やったのはあなたです」

 

「……何か、証拠があるんですか?」

 

「これ以上の証拠が必要なのですか?」

 

「……必要です。無ければ令状を持ってきて下さい」

 

「証拠の隠滅をお図りになるおつもりで?」

 

「そういうつもりじゃありません。怪奇事件のやったという証拠がないのに犯人扱いされるのは癪です」

 

「では、あのスピーカーは事件に使われていない?」

 

「もちろんですよ。〝このスピーカーはずっと家にありました〟。掲示板の窪みの中に入っていたなんてデタラメです!」

 

「……今、なんていいました?」

 

「……ええ? だからデタラメだって――」

 

「違います。〝このスピーカーはずっと家にありました〟。あなたはそう言った。お間違いない?」

 

「は、はい。もちろん!」

 

 伊崎の証言を聞いた右京は口元を綻ばせた。やっとこの証拠を出せる、と。

 彼は満を持して、ポケットから二つのジッパーつきビニール袋と鑑定書を提出した。

 瞬間、彼女は己の目を疑い、大層驚いたように右京の顔を見上げた。

 和製ホームズはこれらの証拠物について説明する。

 

「一つは学校の掲示板で採れたプラスチック粉、もう一つはあのスピーカーのプラスチック粉です。鑑定の結果、二つの成分が一致しました。もう……おわかりですね?」

 

「なんで……いつの間に……」

 

 自分はずっと二人を監視していたはずだ。不審な動きなんてなかった。どうして、自室のスピーカーの粉が鑑定に回されているのだ。混乱する少女だったが、一度だけ自分が彼らから目を外した瞬間があったことを思い出す。

 

「まさか――あの時……私が杉下さんの古畑任三郎のマネを見てお腹を抱えた、あのタイミング……?」

 

「おっしゃる通り」

 

「じゃあ、古畑のマネをしたのって――」

 

「あなたの所持品をチェックしつつ、物証を集めるための……お芝居でした」

 

 伊崎の警戒をくぐり抜けて証拠を持ち帰るには彼女の注意をそらす以外、方法がなかった。相棒の亘は怪奇事件になるとお荷物。自分一人で何とかするしかなかった右京は一か八かの賭けに出た。

 ふいにキンオブの話題を振り、突破口を見出そうとした。そこに偶然にも古畑の話題が出た。右京は自分の覚えていた回の台詞を喋り聞かせることで部屋のグルグルと巡って原作を再現。ギリギリのところで伊崎を笑わせた。

 その時、平然を装いつつ、すばやくスピーカーに近づいた彼は予め広げていたハンカチで事件に使われたと思われるそれを包むように触り、付着した粉をハンカチの繊維で絡め取り、そのままポケットに閉まった。

 後はそれを鑑識に回して結果を待つだけ。予想は見事的中。二つのプラスチック粉が一致。彼女を落とす決め手となったのだ。むろん、これだけだと「知り合いに勝手に使われた」と屁理屈をこねられる可能性があり、彼女から矛盾を引き出すためにせっせと会話を進めていた。

 そして、ついに彼女は言ってしまったのだ。〝スピーカーはずっと家にあった〟と。

 予想外の展開にフリーズした機械のように伊崎が固まって動かなくなった。

 押せば倒れる。ホームズはそっと問いかける。

 

「家の中にずっとあったはずのスピーカーの粉が四階の掲示板に開けられた穴の中から出てくるはずがない。あなたが持っていかない限りは。……まだ続けますか?」

 

「…………………………ゲームセット、かな……?」

 

「そのようです」




 杉下右京vs伊崎さゆか。ここに試合終了。


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第168話 オカルトブレイカー その2

 伊崎さゆかは学校でいつも浮いていた。実際に浮いていたというわけではなく、浮世離れした姿を誰もが気味悪がったという意味だ。おまけにアイドルオタクで新進気鋭のユニット、キンオブの大ファン。それもあって皆から避けられていた。

 

 中学の頃、同じクラスになった宇佐見菫子も伊崎のことをちょっと引き気味に見ていたが、話してみれば悪い人間ではない、と知ってからは、そこそこ会話するようになった。それもあって中学二年生の間だけ孤独ではなくなっていた。学校が少しだけ楽しいと思えていた。

 菫子にとっては大したことではなかったのだが、伊崎本人には大きなことだった。彼女は菫子に一方的な感謝の念を抱いていた。

 

 しかしながら、一つだけ納得できないことがあった。それがサボっていても好成績を収めている点だ。伊崎は努力家だ。

 勉強は怠らず、毎日サボらず勉強してようやく学年で一桁台に入れる。優秀な生徒であることに違いない。だが、菫子は努力している素振りを見せずとも成績順で一桁にランクインし、調子のよい時は学年一位をとってしまう。天才と呼ばれる部類の少女だったのだ。

 伊崎は悔しかった。なぜ、努力している自分がまともに授業を聞かずオカルトを追いかけている女に負けるのだ、と。そうしているうちに抱く好意が憎しみへと変わり、冬季期末テストの結果で菫子と衝突し、髪の毛を侮辱され、二度と口を利かなくなった。

 

 その後、彼女は孤独のまま中学を卒業――調布の進学校である西高見高校に姉のアパートに居候する形で通うことになる。姉は比較的、美人で社交性もある。伊崎の趣味に理解はできないが、あまり文句を言わず、見守っているところがあった。世間一般からすればよい姉だろう。そんな姉も彼女の孤独を理解してくれる人物ではなかった。

 

 唯一、自分を理解してくれるのは押しのアイドルと背中まで伸びた髪の毛だけ。それだけが心の支えだった。故にバカにされるのは我慢ならなかったのだ。

 菫子への怒りも忘れられずにいた高校一年の秋。校内で歩いていた伊崎は当時二年生だった後に自分が転落させる彼女とぶつかる。向こうの不注意だったが、彼女は伊崎のせいにして食ってかかった。

 

 ――どこみてんだよ、気をつけろよな!

 

 ――……すみません。

 

 ――チッ、腹が立つわー。この貞子が……今度ぶつかったら、てめぇのその髪の毛ごと、モップにしてロッカーへブチ込むからな!

 

 ――……。

 

 ――なんとか言えよ、バカ、カス。死ね!

 

 そう言って、彼女はどこかへ去っていった。彼女の暴言はこれだけではなく、廊下ですれ違って目があった時など。背中越しで「髪長女、うぜーわ」「ダスキン野郎が」「中華ゲーのハーマイオニーかよ」といった暴言を間接的に繰り返していた。進学校に似つかわしくない生徒である。親の権力に教師陣が萎縮しているところもあるのだろう。

 伊崎はストレスに耐える日々を過ごしていた。そんな人目を気にする伊崎は四階の自習室を出ても、校舎左側の階段をよく使っていた。ある日、忘れ物に気がついて、戻ってみると林が掲示板のところで呟いている姿を目撃した。

 

 ――ウィンパティオ―、ウィンパティオ―、ウィンパティオ―。

 

 林の謎の行動に驚く伊崎だったが自宅へ戻り、その言葉の意味を検索したところ、連続殺人鬼村木茂雄の記事がヒットした。何か関係あるのか。疑問に思った彼女が検索を続けていると、村木の非常勤講師時代の経歴が載ったサイトが目に止まった。

 そこで伊崎は村木がこの学校の非常勤講師だったことを知る。この学校には昔から怪談話があった。それを隠れ蓑にすれば上手くあの女に仕返しできるかもしれない。伊崎はその頭脳を復讐へ使用すると決めた。

 

 手始めに林を尾行してウィンパティオ―の音声をスマホで録音して、自宅に持ち帰って音声ツールで加工――人外のように聞こえる怪奇音声に仕立て上げた。

 それからワイヤレススピーカーを購入、予め持っていたクラス1対応型スマホで通信距離を測定すると二十メートルまで繋がった。

 後はターゲットだけを狙って落とす方法だが、クラスの人気者と揉め、母親と喧嘩したターゲットは四階自習室で勉強する機会が増え、おまけに外へ向かうルートも左階段から降りるルートに変更した。一年の頃、伊崎は先生に頼まれ、四階掲示板の掃除を手伝ったことがあった。その際、先生から昔、掲示板について聞かされた。

 昔、生徒がふざけて開けた穴らしいが、なんでも校長が掲示物で隠しておけば問題という理由で修理を拒んでいるとのことだった。伊崎が掲示板の穴を確認すると穴はまだ残っていた。その穴をさらに広げて、スピーカーをねじ込み、目的の人物が通るのを待った。

 それが、彼女が呻き声を聞いて足を滑らせた日だった。

 作戦は無事成功。伊崎は復讐を果たしたが、相手の怪我が想像以上だったので若干の罪悪感に苛まれるも周りがターゲットの不幸を喜んでいる節があり、自分の復讐は正当だったと己を肯定した。だが、ターゲットの父親は激怒し、早急に事実を調べろと校長へ圧力をかけた。

 そこで呼ばれたのが、和製シャーロック・ホームズ杉下右京だった。

 

 彼が学校へやってきた日、伊崎はITパスポートの対策講座を受けていた。そして、その日の昼。偶然、目撃してしまったのだ。かつて自分の髪を貶した学友、宇佐見菫子の姿を。

 突然の出来事に困惑するも、彼女の中には怒りが渦巻いた。だが、心の片隅には仲直りしたいという気持ち存在していて、複雑な心境に至った。

 いても立ってもいられない伊崎は菫子を尾行した。するとオカルト事件について林を始めとする先生がたに聞いて回っているではないか。相変わらずな女だ。吐き捨てるものの、彼女との思い出が蘇り、心が和らいだ。

 

 土曜日の対策講座に出席した彼女は菫子が何の用事でこの学校に来ていたのだろうか、と考えた。

 姉妹校の生徒だから、部活の親睦会か何か。思い返してみても行事的なものはなかったはずだ。じゃあ、ITパスポート対策講座か。いや、教室内を見渡してもどこにもいない。おかしい、まさか基本情報対策講座か。あれは難しい試験で有名だ。さすがの菫子も二年生では受けないはずだろう。部活か何かに違いない。そこを抜け出してオカルトを追いかけているのだ。そのように解釈した。しかし、事実は異なった。

 

 昼休み、教室を抜けた伊崎がふと隣の基本情報対策講座が開かれている教室をみやった。そこにはあくびをする菫子の姿があった。

 伊崎は大きく目を見開いた。まさか、ここでも差をつけられるとは、と。すると、仲直りしたい気持ちが憎悪へと一転。彼女への文句を言わねば気が済まなくなり昨日同様、菫子を尾行すると、そこは黒い影が目撃されるトイレだった。

 

 トイレの写真を撮っている菫子を監視していると見知らぬ紳士が現れた。菫子はそれを「刑事さん」と親しげに呼んだ。刑事とは警察の刑事か。一瞬、戸惑うも警察が勝手に学校内に入ってくるわけもなく、転落事故も事件化されるような大事ではない。そもそも、あんなオシャレな服装の刑事なんているはずない。ドラマじゃないんだから。たぶん、苗字だろう。伊崎はごく当たり前の判断を下してしまった。

 そうこうしている講座再開の時間がやってきた。自身も戻らねばならない。こっそりと踵を返そうとした。そこで菫子が言ったのだ。

 

『だけど、ぶっちゃけ基本情報って簡単だし……サボっても――』

 

 自分が苦労して勉強しているのはITパスポートで基本情報よりも簡単に取れる資格だ。それを簡単だし、だと。ふざけるな――伊崎の怒りが爆発した。卒業してまで私を愚弄するのか、絶対に許せない。そして、先回りして教室に入る直前の彼女の姿を隠し撮る。

 

 翌日、投稿前から殺人事件の報せを受け取り、動揺するも怒りが上回る伊崎は複数のネットカフェに出向いて裏掲示板に彼女の画像と情報を晒し、生徒たちを煽動したのだった。

 晒した直後は最高にスッキリした気分だった。事件発生後とあってオカルト好きなあの女はきっと裏掲示板にも目を通すだろう。自分がネタにされて苦しむ気持ちを味わえ。伊崎もまたある種の無敵感に浸っていた。

 

 だが、それも長くは続かない。休校で自宅にいた自分のところに男二人がやってきたのだ。一人はちょい悪オヤジ、一人は学校で見た眼鏡の紳士。モニター越しで確認した伊崎は腰が抜けるほど驚いた。まさか本物の刑事だったなんて、と。

 居留守を使うことも可能だが、物音を立ててしまった。このアパートは物音が響く。ここで出なかったら、疑われる。意を決して伊崎が二人を招き入れた。

 

 この時、彼女の頭はパニック寸前だったが、何とか誤魔化そうとした。しかしながら、刑事と名乗っていない相手に『刑事さん』と言ってしまうというミスを犯し、右京に菫子との会話を聞かれたことを悟られ、水面下で動かれてしまった。それ故、伊崎はただ五味の話を聞きにきただけだと思い込み、証拠隠滅を怠った。

 すべては和製ホームズの掌の上――つまり、最初からゲームセットだったのである。

 

 

 犯行に至るまで経緯を洗いざらい告白した彼女は二人に向かって。

 

「刑事さんの言う通りです。私がスピーカーで音を流して彼女を転落させました。そして、宇佐見さんへの誹謗中傷の件も私の仕業です。ご迷惑をおかけしました」

 

 ペコリと頭を下げた。

 右京は一息吐いてから。

 

「あなたのやったことは決して小さなことではありません。ですがまだ、お若い。再スタートを切れるはずです。僕たちも君が不当な目に遭わないように尽力します。頑張りましょう」

 

「…………あ、ありがとう……ございます、ありがとうございます――」

 

 冗談じゃ済まされないことをした自分を慰めてくれるばかりか、復帰できるようにサポートすると約束した眼鏡の紳士の情けに伊崎さゆかは涙を流して、礼を言い続けた。

 それから、まもなく早番で帰宅した姉に事情を説明し、学校や被害者と面談する方針を固め、二人は伊崎のアパートを出た。姉と共に見送りする伊崎へ右京が質問した。

 

「あなたは音声を流したのは何回ですか?」

 

「……あの日だけです」

 

「わかりました。どうもありがとう」

 

 その足で亘を引き連れた右京はそのままフィガロに乗り込み、運転席で考え込む。

 

「どうしたんですか? 事件は無事、解決しましたよね?」

 

 小島の件も、伊崎の件も解決した。これで終わりのはずだ。亘はそう思っていたが、右京にとってはそうではない。

 

「生徒たちはここ二週間で四から五回の呻き声を聞いたそうです。しかし、伊崎さんは一度しか声を出してない。つまり……他の原因があるということになります」

 

「他の原因って……」

 

 背筋をピンと伸ばす亘に右京がさも当然のように。

 

「幽霊や妖怪などの超常の存在の仕業」

 

「そ、そんなのあるわけないでしょ!! ふざけないでください! 大体、幽霊なんて非科学的存在――この世にあるわけありませんよ!」

 

 全力でオカルトを否定する部下を上司が呆れ笑った。

 

「……君は変わらないですね。僕はしっかり感じましたよ。背中に刺さる黒い視線を」

 

「またまた、そんなこと。――っていうか、もしもですよ、仮に幽霊が見えたとして右京さんに逮捕できるんですか?」

 

「それは……やってみなければわかりませんが――無理でしょうねえ〜」

 

 だから専門家に頼みましょうか。……癪ですが。

 結論を出した右京は警視庁に戻った後、とある人物にメールで依頼を出すのであった。



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第169話 学校の怪談

Season 5 最終回です


 満月が照らす深夜零時。静まり返った西高見高校屋上に黒い渦巻が発生する。

 それは黒いモヤのようなモノを集め、徐々に球体を形勢していき、ボーリングの玉程度の大きさへと収束――やがて一つの黒い塊となって具現化した。

 

 ――キィィヒヒヒイッヒイヒッヒ!! ついに具現化できたぜぇぇ!! ここまでくるのに相当、時間かかったよなぁぁぁぁぁぁぁ!

 

 エコーでも、かけられているかのような歪んだ声を発し、自らの具現化を喜んでいた。球体の周囲はグニャグニャと揺れ動き、まるで安定しない。邪悪な存在であることは明白だった。

 

 ――あの杉下右京とかいうヤツ。この俺にうすうす勘づいてやがったなぁ。厄介なヤツだが、所詮は人間。この俺を退治する力はねぇ。ふんっ、こっからは俺の時代よ! 人間どもに悪さしまくってこの日本における最凶の存在となってやるぜぇぇぇぇぇぇ!! ギャアッハハハハハハハハハハハハハハハハッハ!!!!

 

 酷く醜い奇声をあげて高笑ったそれは、今回の事件よりも前に発生した悪霊だった。

 実は悪魔崇拝者である村木茂雄は西高見高校で非常勤講師を務めている傍ら、悪魔召喚の儀式を当時、空き部屋だった四階音楽室で行おうとした。それが教員にバレて、一ヶ月というスピードでクビになっていたのだ。

 その時、召喚したのがこの黒い球体の前身《動物霊》だった。召喚された動物霊は生徒たちに悪さを続け、それが西高見高校《学校の怪談》となって語り継がれるも力が弱く、人間を驚かすのが限界だった。

 そこに宇佐見菫子が起こしたオカルトボール異変などの現象、林の怨念と自殺、五味の死が重なり、怪奇現象に怖れが集まった。その結果、動物霊の力が増し、今宵具現化に成功したのだ。

 具現化といっても通常の人間には視認することもできない。それでいて、この存在は人間へ悪影響を及ぼす力を持っている。まさに現代の怪異だった。

 人間では止めることすらできないこの怪物は思いつく限りの悪事を尽くすのだろう。本来なら彼の無双の物語が始まるに違いない。しかし、そんな日は永遠に訪れないのだ。なぜなら――。

 

 ――様子を見にきてみれば……案の定、具現化していたわね。雑魚が。

 

 突如として屋上に巨大な夜が現れた。その中から、品の良いコートに身を包んだ金髪紫眼の美女が出現する。メリーだ。

 球体は自らの姿を認知できる存在に大層、驚いた。

 

 ――女、俺の姿が見えるのか!?

 

「よーく見えるわ。怖れを吸った低俗な動物霊の姿がね」

 

 ――はぁ? 舐めやがってッ。死ねや!!

 

 激昂した球体は自身の周囲に漂う邪気を吸収して一転に凝縮――メリーに向かって容赦なく放った。負のエネルギー弾は彼女に直撃。小規模の爆発を起こす。

 

 ――ハハッ、ざまーみろぉぉぉぉ!! 俺、特製の《悪意の塊弾》だぜ!! しばらく起き上がれないはずだ。その間に、てめぇの意識を乗っ取って近場で殺人事件でも起こしてやる。俺は今まで人の心を誘導してきたんだ。

 この身体なら洗脳くらい簡単にできそうだぜ、ハッハァァーン♪ ……ん? いや、その前のあの女の裸を見てみるってもの悪くないな。美人そうだしぃぃぃ、グッフフーーン♪ ……彼氏とかいんのかな。いるなら彼氏を殺そうか。好きな男、殺して服役とかサイコーに愉快痛快ってヤツだねえええええええええええ、アハハハハハハハハハ、そうだ、そーーしよーーうぉぉぉぉぉ!! ヒャッホォォォイ!!

 

 品性の欠片もない嗤い声が辺りに響く。勝ちを確信しているようだ。だとしたら残念だ。ヤツは何も知らない。自分が喧嘩売った相手が一体、どこの誰なのかと。

 憑依すべく、身体を動かそうした瞬間、今まで感じたことない悪寒が球体を襲った。

 

 ――雑魚が調子に乗るんじゃないわよ。

 

 直後、舞い上がった煙の中から先ほどの女性とは違う雰囲気をした別の女性が出てきた。

 金色の長髪を束ね、ナイトキャップを被り、導師風の衣装を身に纏った、黄金に輝く満月のような妖艶さを漂わせる邪眼の持ち主。そう――。妖怪賢者、八雲紫である。

 

 ――な、なんだよ……、この威圧はッ!?

 

 正体を現した紫の力はメリーの比ではない。圧倒的理不尽、その権化である。

 幻想郷を代表する大妖怪に球体は気圧されながらも、再び黒い玉の発射態勢に入る。

 

 ――クソがぁ! きっと攻撃が外れたに違いねえ!! もう一発、喰らえや!!

 

 二度目の攻撃が放たれ、紫へ目がけて真っ直ぐ飛んでいく。完璧に捉えた。球体は今度こそ、勝ちを確信する。が――。

 

 ――バチンッ!

 

 デコピンで軽く弾かれた。

 知的生命体の悪意を煮詰めてできたかのようなゲス野郎はようやく理解した。

 力の差がありすぎる。自分では瞬殺される、と。そうなってからの球体は対応が早かった。

 

 ――い、いや、その、無礼を働き、誠に申し訳ありませんでした!! 何でもしますので、命だけはどうか勘弁して下さい!!

 

 ネット民もびっくりな掌返しを披露した。

 さすがの幻想賢者も呆れ顔になるしかない。

 

「……今までの威勢はどこにいったのかしら? 小物すぎる。面白そうなヤツだったらスカウトしようと思っていたんだけどねぇ。残念だわー」

 

 ――そんな待って下さい。私は生まれたばかりでして。

 

「そんなの私の知ったことじゃないわよ」

 

 ――お願いです。何でもしますから。

 

「いらない。どうせ隙を見て、ろくでもないことし始めるんだから。女の敵はノーセンキュー」

 

 ――そこを何とか。

 

「クドイ」

 

 ゴミを見るような目つきで相手の要求を跳ね除けた紫は右掌を天高くかざした。手を中心にまばゆい光が生み出され、美しい弾幕が形成される。

 それが放たれた時がゲス野郎の死刑執行合図だ。もはや交渉は不可能。球体は一目散に屋上から上空へ逃げ出した。

 幻想賢者が愚か者へあの言葉を叩きつける。

 

「美しくも残酷に、この大地から往ね!!」

 

 ――ギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!

 

 キャストされた弾幕は球体の背中を追うように高速で飛翔し、数秒後に爆裂した。地面から二十メートル付近のところで爆発した花火はややくすんで見えた。

 

「これで、くたばったかしら? ――いや、まだね」

 

 爆発に巻き込まれながらも身体の大部分を切り離し、球体は辛うじて存在を維持していた。

 

 ――まだだ、俺は……消えないッ! 逃げ……延びて、最凶に――なるんだ!

 

「しつこいわねー。その執念だけは買ってあげるけど、次で終わり――、ん……霊気?」

 

 刹那、どこからともなく現れた飛翔物が球体の核を貫いて消滅させた。

 空中で弧を描くように旋回したそれは人間の靴サイズの大きさで、下駄を思わせるような形をしており、コントロールされているかのように持ち主のところへ戻っていく。

 紫が怪訝そうに眉を寄せていると。

 

 ――カラン、コロン、カ、ラ、コン。

 

 暗闇の中で下駄の音がこだました。攻撃者の正体を察した紫は口元を綻ばせながら。

 

「まさか、()まで具現化していたとは。アニメ放映中だから? 機会があったらスカウトしたいわー」

 

 現代日本における、もっとも人気ある妖怪作品の主人公を連想しつつ、調布市の真上で光り輝く満天の星空を見上げるのだった。

 

 

 事件解決から二週間後、右京は菫子を調布の喫茶店に呼び出して調査結果を報告した。

 

「これが、あなたが誹謗中傷されるに至った理由です」

 

「うーん、そうだったんだ。伊崎さん、私のことずっと恨んでいたんだなぁ」

 

 オレンジジュースをストローで吸いながら菫子は申し訳無さを滲ませた。

 

「私も何度か謝ろうと思ったんだけど、タイミングが合わなくて……」

 

「伊崎さんも同じく、君に謝ろうと思っていたそうですが、同じくタイミングがなかったそうです」

 

「あー、そうなんだ。なんか、複雑です……」

 

 過ぎたことは考えてたってどうしようもない。どこか、ご都合主義的だった菫子も今回ばかりはさすがに反省しているようだった。ネットで晒されたことは許せないが、自分の行動が彼女の怒りを爆発させたのは事実だ。

 

「口は災いの元。今後は気をつけましょう」

 

「はい」

 

 右京が紅茶を啜った。窓の外に映る灰色の空を眺めた菫子は呟くように言った。

 

「伊崎さん……これからどうなるんだろう?」

 

「学校に相談して被害者らと面談することになりました。相手側は相当、怒っていたようですが、彼女が伊崎さんに吐いた暴言の数々や学校での素行の悪さが教師側を通して、お父様の耳にも届き、物凄く叱られたそうです。その結果、今回は和解という形で決着したと、本人からメールを受け取りました」

 

「本当!? よかったぁ!」

 

 菫子はそれを自分のことのように喜んだ。

 

「その様子だと、君も誹謗中傷の件を公にするつもりはないようですね」

 

「え……? あぁ、はい。私は掲示板から個人情報と中傷コメントが削除されれば、それでよかったんで」

 

 以前の彼女なら事情を知っても「訴えてやる」と息巻いていたはずだ。相手を思いやる気持ちが芽生えたのは人として大きな成長である。幻想郷での出会いや今回の事件を通して彼女は変化したのだ。そこには少なからず、杉下右京の影響もあった。高校生相手にも敬語、事件解決まで丁寧な対応を取り、最後はこうして報告までしてくれる。所轄の警官ではありえない対応だ。

 

「それはよかった。これで伊崎さんとも仲直りできそうですね」

 

「でも連絡先、知らないし……」

 

 右京はメールアドレスが記載されたメモを取り出して、菫子に渡した。

 

「本人から君へ渡すように頼まれました。気持ちが固まったら、連絡を取ってみるといい」

 

「ありがとうございます。何から何まで」

 

「それが警察官の仕事ですから」

 

 笑顔で答える右京に菫子は「この人、やっぱカッケー」と目をキラキラさせた。やはり、噂は本当だった。菫子は自身が右京について検索した内容を話す。

 

「あ、そういえば、刑事さんって〝和製シャーロック・ホームズ〟って言われているんですよね? 検索したら都民ジャーナルっていう記事に載ってました」

 

「おやおや、昔のことですよ」

 

 謙遜する右京に菫子が詰め寄る。

 

「やっぱり、事件とか解決したりするんですか!?」

 

「警察をやっていれば多少は事件捜査に携わりますから」

 

「じゃあ、やっぱり色々、解決しているんだ……だから今回もスピード解決したんだ。スゲー!」

 

「ふふっ、僕だけが動いたわけじゃありませんので、誤解なさらぬように」

 

 子供に羨望の眼差しを向けられるのは悪い気がしない。こういうところも警察をやっていてよかったと右京が思えるポイントである。彼が満更でもないような態度を取っていると、斜め後方の席からクスクスと笑い声が聞こえた。

 音の出どころを目で追ってみると、室内でありながら帽子を深く被っている金髪の女性の姿があった。すかさず、右京がスマホを取り出し「せっかくです、こちらで一緒にお話ししませんか?」とメールを打って送信する。

 十秒後、女性の席に置かれたスマホが振動する。内容を確認した女性は咳き込みながら顔をそらし、右京が「意外と脇が甘いようだ」と静かに笑った。

 それから一時間ほど、菫子とオカルト話を中心に雑談した右京は彼女を車で調布駅まで送っていった。その帰り道、メールを確認すると先ほどの人物から返信があった。

 

 ――今度は私にも何かご馳走して下さいね。和製シャーロック・ホームズさん。

 

 相手はメリーだった。彼女は杉下右京にとって天敵といえる存在だが、敵対関係にも関わらず、彼の依頼を引き受けたりする腹の底の読めない女性でもある。

 こうして菫子を含めた三人の奇妙な関係はこれからも続いていく。

 その先に待っているのは希望か、もしくは絶望か。それは誰にもわからない。

 しかし、これだけは断言できる。日本のホームズは決して諦めない、と。

 

 相棒〜杉下右京の幻想怪奇録〜

 Season 5 学校の怪談 〜完〜




 相棒シリーズはこの回で一旦、最終回を迎えます。
 今までお付き合い頂き、感謝です^^>
 次回作でお会いしましょう。ではでは!


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Season 6 月下の剣聖
第170話 善悪の彼岸 追憶


おまたせしました。
色々、考慮した結果、新章は以前、削除したSeason 6 〜善悪の彼岸〜 のダイジェスト版からのスタートとなりました。
物語を続ける以上、どうしても必要なプロットでしたので、このような形となりました。
困惑なさる方もいらっしゃるかもしれませんが、ご理解のほう、よろしくお願いします。



 二○二○年三月中旬。曇天に覆われる正午過ぎ。

 つい先日、映像技術のエキスパートである大学准教授が引き起こした事件の捜査を終えて、暇に戻った特命係の課長杉下右京が、いつもの小部屋にて、ひとり考えにふけっていた。

 その手には、南井十(みないつなし)と一緒に撮ったツーショット写真が握られている。

 

「南井さん……」

 

 目を閉じれば、この前の出来事が鮮明に蘇る。

 

 ――認知件数だけで年間十一万か。毎年、およそ百人に一人は何かしらの罪を犯すというわけだ。ロンドンがソドムなら東京はゴモラだな。

 

 約一ヶ月前の二月中旬。幻想郷テロの首謀者と目される南井十が突如として来日。単身、特命係の小部屋に現れる。

 いきなりの登場に戸惑う右京と相棒の冠城亘だったが、かつてのやり取りを総合して、南井が自分たちとの決着をつけたがっていると考えた。ふたりは、今まで集めた情報を駆使して可能な限りの揺さぶりをかける。

 

 過去、南井が日本で関与したと思われるふたつの事件があった。ひとつは西田真人(にしだまさと)のダークウェブを利用した連続殺人事件。もうひとつはロンドンを拠点とするプロの殺し屋、立入章(たていりあきら)が来日して起こした連続殺人。両方とも右京率いる特命係が真相を突き止め、解決に導いた事件である。

 

 西田真人は二年前、南井の来日に合わせ、ダークウェブを利用して連続殺人事件を引き起こした殺人鬼だ。殺した少女の遺体の動画を同サイト内にアップするなど常軌を逸しており、自らの父親すらも凡人と評価を下して殺害する、人の心がわからない悲しき殺人鬼であった。

 

 殺人鬼西田は、自分をわかってくれる存在を探していた。そして、逮捕直前、右京に『初めて自分をさらけ出せる人に出会いました。肯定してもらえたんです。ずっと自分は異常だと思っていた。でも、そうじゃない。死はただの現象で、僕はそれをあるがままに捉えられる人間だと気づいた』と語り、護送中に立ち寄ったトイレで服毒自殺を図って、この世を去った。

 

 立入章も、南井に利用されているとわかっていながら、心を許せる間柄だった。彼は、一年前に来日した際、南井の指示に従い、犯罪者とそれに該当すると思われる計三人をナイフで刺殺した。

 最後は、右京と亘に追い詰められ、自白に追い込まれるも、予め飲んでいた遅効性の毒で倒れる。

 

 朦朧とする意識の中、立入は『僕にとってこの世界にいるのは、僕と僕以外の人間の二種類にしか見えなかった。その代わり、ずっと一人で生きてきた。でもね、そんなとき、出会ったんです。彼に……。初めて理解されたと感じた。永らく一人だった世界に、友人ができたんだ。唯一無二のね。今の彼はもう――〝善悪の彼岸〟にいる』と告げ、この世を去った。

 いずれも南井が関与したとする証拠がなく、逮捕できなかった。

 

 そして、忘れてはならない。日本であって日本でない場所にあるとされる妖怪の国、幻想郷の人里で惨劇を繰り広げた狩野宗次郎(かのうそうじろう)

 こちらのケースも、数日前に幻想入りした謎の外来人の情報と宇佐見菫子から情報を聞き出したアカウント名を照らし合わせ、南井十を黒幕と断定するも、証拠という壁に阻まれて取り逃してしまう。

 

 右京は、メリーに黒幕の正体が明るみとなることを恐れ、宗次郎についての言及は匂わせる程度に済ませて、ほか二人は名前と生い立ち、死亡する直前の心理状況まで説明して、南井自身が関与しているとする推理を披露した。

 しかし、決定的証拠を提示できず、南井の反論を許してしまう。

 

 ――お前の推理が正しいとする証拠は?

 

 ――……。

 

 ――まずはそれを持ってこい!!

 

 激昂した南井は、そのままタクシーで都会の中へ紛れていった。

 タクシーのナンバーを控えていたふたりは彼が宿泊するホテルへ向かい、店員に南井について尋ねるも、南井の姿を見ていなかった。別行動を取る右京に代わり、ホテルで南井を待つ亘の前に、ひとりの美女が現れた。彼女が身に着けるスカーフに見覚えがあった亘が、偶然を装って話しかけると、彼女はマリア・モースタンと名乗った。

 マリアと南井に何らかの接点があると、勘繰った亘の機転によって、彼女が南井の関係者として浮上するも、次なる殺人事件が発生する。

 

 ふたり目の死体には、もみ合った痕跡こそあれど、犯人を示す直接的な証拠はでなかった。

 鑑識に渡った証拠映像に違和感を覚えた右京が吉川線(殺人事件の被害者の首に見られる引っかき傷の痕)を発見。凶器をスカーフだと目星をつける。

 

 同じタイミングで、入管管理局から取り寄せた搭乗記録に目を通すと、南井とマリアが同便に乗っていたことが記載されていた。ふたりは、マリアから真相を聞き出しに向かう。

 亘が代表してホテル近くの公園にマリアを呼び出して捲し立てるように問い質した。

 

 ――来日したあなたは、まず原宿で一人をネクタイを使って殺害。その翌日、日暮里で二人目をスカーフで殺害した。

 

 ――南井十に指示されていたんですね。ネクタイは被害者の血がついたから、クリーニングに出した。スカーフを渡さないのも、証拠として押さえられたくないから、形見なんて嘘をついた。

 

 ――あのネクタイ、南井のものですよね? 青酸カプセルは持たされているんですか? 南井に使われていた殺人犯たちは皆、最後はそれで自殺させられてきた。あなたにとって南井は唯一の存在かもしれない。けど、あなたはたくさん代わりがいる一人にしかすぎないんです。あなたは利用されているんです。

 

 亘の波状攻撃にショックを受けたのか、マリアは回答を突っぱねて、その場を離れた。

 そのとき、彼女の靴に付着していた植物から彼女が犯行に関与していないと証明されるのだが、マリアはチャットを使って亘に遺言のようなものを残し、ホテルの一室で作業している南井に紅茶を差し出して服毒自殺を図り、この世を去る。

 死の直前、マリアは最後の力を振り絞って遺言を残す。

 

 ――いつもあなたが心配だった。何かしでかしたんじゃないかって。でも真実はもっと恐ろしいことだった。今のあなたは私の知っているあなたじゃない。こうするしかなかった――せめて一緒に……。

 

 ――わたしは聖母じゃありません。同じマリアでも……罪深いマグダラのマリアです。

 

 これは、南井十の真実に気がついてしまい、彼の罪を共に償うための行為だったのだが、南井本人には届かなった。

 ホテルに駆けつけた右京たちは、マリアが南井のかつての相棒、カワエの一人娘だと知る。

 マリアの父、カワエは事件捜査中に犯人に後頭部を殴打されたことがきっかけで首吊り自殺していた。

 

 その日の夜、南井は巡回中の警察官から拳銃を奪い取って殺害。三人目の犠牲者をだした。

 犯罪学を熟知する南井の手口は実に巧妙で、監視カメラの死角などを選び、一切の証拠を残さず殺人を成功させていく。

 右京は、かつて南井とロンドンで捜査した未解決事件である逆五芒星事件とマリアの父、カワエがその事件の捜査中、犯人に後頭部を殴打され、記憶障害を患い、最終的に首吊り自殺していた事実を思い出す。

 これにより南井が東京で自身の相棒が犠牲となった事件の再現を目論んでいるとの仮説が浮上。右京は激しく憤った。

 

 続く四人目の殺人も防げず、南井を追い続ける右京たちだったが、逆五芒星事件最後の犠牲者が南井の元相棒だったことから亘が、南井が最後に狙う相手は共同捜査の相手である右京ではないかと察して、強く警告する。

 しかし、和製ホームズはそれを知った上で南井と対峙する道を選び、相棒を特命部屋に残して、ひとり東京中を探し回る。

 

 無理やり遠ざけられ、納得のいかない亘。そこへ南井から電話がかかってくる。着信に応じた亘は啖呵を切ってから彼が待っているであろう場所に急行――南井と遭遇した亘が真実を聞き出すべく詰め寄るも、異常な態度をみせる南井に返り討ちにあって倒れてしまう。

 沈みゆく意識の中、亘は相手から見るように手渡されていた手帳をがっちりと胸に抱え込んで離さず、それが救援に駆けつけた右京へ渡った。

 

 緊急治療室に運ばれた亘を見守る傍ら、手帳に目を通したことで和製ホームズはリアルモリアーティが起こした一連の行動の意味をすべて理解――真相へとたどり着く。

 

 南井はロンドンで起きた逆五芒星事件の犯人を追ってここ日本を訪れていた。彼にとってこの事件は相棒カワエを失うきっかけを作った事件であって、本事件の解決は南井の悲願であった。

 ところが、この事件は数年前に犯人自殺で幕を閉じた事件だった。しかも、犯人を自殺に見せかけて毒殺したのは、何を隠そう南井である。それにも関わらず、南井本人は事件が解決していないと考え、日本で捜査しているつもりでいたのだ。

 

 実は、南井は記憶障害をわずらっていたのだ。本人はそれに気づかず、犯人を追った。それだけならまだしも彼は、自らの手で被害者に似た人間を殺害して事件を再現するという常軌を逸した行動を取っていたのだ。

 記憶障害を察していたマリアが南井に同行したのは、父の代わりに自分の世話をしてくれた恩人を見守るためであった。

 何事もなければ。そんな心優しき彼女に突きつけられたのは、記憶を失いながら、無意識に人を殺し続ける、悲しき殺人鬼と成り果てた恩人の姿。

 亘から聞かされた以上の堕ちた姿に絶望した彼女は、南井のかばんから毒薬と思しき薬を取り出し、南井と自身の紅茶に混ぜて共に自殺を図ろうとしたのだ。結果的に紅茶を飲まなかった南井だけが生き残ってしまい、彼女の覚悟は無駄になってしまったが。

 

 なぜ、そのようなことをしたのか。最後に対峙したビルの屋上で右京は理由を探っていた。

 

 記憶がひどく欠落していた南井だったが、右京から『あなたにとって、一番大切な記憶はカワエさんだったのでしょうか』と問われた際『最近、物忘れが酷くてな。色々なことが思い出せなくなるんだよ。だが、忘れようにも忘れられないこともあるんだぞ』『お前だよ、右京! あの時のお前の、観察力、推理力、勇気、正義、すべてが素晴らしかった! まるで子供の頃、憧れたシャーロック・ホームズのようだったぞ、ははっ』『眩しいほどだったよ。その光を浴びれば浴びるほど。自分の中の影を意識したよ』と続けた。

 

 自身と行ったロンドンでの共同捜査を楽しげに語り聞かせる姿を目の当たりにした右京は、今回の惨劇は南井があのときの共同捜査が忘れられず、幻影の中の自分を追いかけた結果なのだと解釈する。このとき、すでに南井の頭から元相棒やその愛娘と過ごした記憶は消え去っていた。

 

 犯罪者という怪物を追う、もしくは暗い過去を払拭するために、自らも怪物と成り果て、最後はひとりで彼岸へ渡ってしまった。なんと悲しき男なのだろうか。きっと、自分はこの人間を忘れないだろう。

 右京は南井を優しく抱きしめてから警察に引き渡す。

 

 それから数日後、南井十がこつぜんと病院から姿を消す。さらに数日後、病院近くにあった切り立った崖から南井の血痕が発見され、真下に広がる滝壺に転落したと結論づけられて捜査は打ち切られた。現場を見た右京もその見解に納得するしかなかった。

 

 そんな右京の前に八雲紫の表の姿であるメリーがやってきて、黒幕の捜査中止を要請する。

 誰よりも幻想郷を愛する彼女の不可解な発言に和製ホームズは、この女が黒幕候補だった南井を始末したのでは? とする疑惑をかける。だが、問い詰めようにも証拠がなく、表の世界でも妖怪の力を行使できるメリーから情報を聞き出すことは不可能だった。

 

 一体、どこで気づかれたのか。いくら彼女が特命係を探っていたとはいえ、右京と尊は水面下で動いており、南井につながる直接的な情報は得られないはずだった。しかしながら、彼女が南井十失踪から間を置かずに捜査中止を申し出たことをみるに、南井が黒幕となにかしらの関係があると、目星をつけたのは事実だろう。

 

 どのような方法を使って警察病院にいる南井に面会したのか、なぜ彼は崖から転落しなければならなかったのか。すべてが謎に包まれたまま、事件は終わりを告げる。

 これが、南井十による東京連続殺人事件の概要である。この出来事は〝正義の敗北〟として杉下右京の心の奥底に深く刻み込まれた。

 

 現相棒の亘が心配するも、大丈夫の一点張りで真実を打ち明けられず、今に至っている。

 ブラインドの隙間から覗かせる灰色の雲はまるで右京の心情を映しているかのようだった。

 そっと息を吐いて、愛用のティーカップに入った紅茶を啜る。乾いた喉は癒えても傷ついた心は癒えない。

 そんなときだ。後ろに人の気配がして振り向くと、細目の優男がニッコリ微笑んでいた。

 

「お久しぶりです」

 

 神戸尊だった。

 

「冠城さんから聞きましたけど、ここのところあまり元気がないそうですね」

 

「……ええ。君に伝えた通り、色々ありましてね」

 

 視線を下げたまま答える右京。

 尊はあえてそこには触れず「せっかくです。食事なんて如何です? ここからそう離れていない場所にオススメの中華飯店があるんですが」と誘った。

 断る理由を見つけられなかった右京は、少し間を開けてからその申し出を受け、元部下に連れられる形で特命部屋を出ていった。



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第171話 東方からの使者 その1

 ふたりは、徒歩十五分程度の場所にある中華料理屋へ入店した。尊が慣れた手つきで女性店員に挨拶し、個室に案内するように頼み、美人店員が笑顔を作ってから要望通り、ふたりを二階の個室に連れていく。

 四人用の個室に入った尊が、先に右京を椅子に座らせてから自身も席につき、店員に手渡されたメニューを手渡す。

 ページを捲った右京は、ランチセットのホタテとエビの海鮮炒めご飯、尊はあんかけチャーハンセットを注文。店員を下がらせた。

 

「ここ、美味しいって評判の中華飯店なんですよ。ぼくも最近知ったばかりですけど、二回ほど使わせてもらってます」

 

「なるほど。だから色々と慣れているのですね」

 

 綺麗な女性店員が、尊に対して柔らかい笑顔を振りまいていたところをみるに、仲良くしているのだろう。ホームズはそのように解釈して微笑んだ。そんな元上司の考えを読めたものの、尊はほんの少し目をそらしただけで、言葉には出さない。

 ぎこちなく咳払いをした尊が右京をジッと見据えた。

 

「一応、確認ですけど。……この前、頂いたメールの件ですが。南井十が幻想郷でテロを起こした黒幕で、彼の転落が確認されて、すぐにスキマ妖怪から黒幕の捜査中止するように言われた。これって本当ですか?」

 

「本当です」

 

 メリーから捜査中止を告げられた右京は、その内容を協力者である尊にも伝えていた。まさか世間を恐怖に陥れた南井が、幻想郷テロの首謀者だったとは。メールを読んだ尊は驚くほかなかった。同時にそれを知っていた杉下右京にも、ある疑問が浮かんだ。

 

「いつから、南井が黒幕だと気づいていたんですか?」

 

「幻想郷の人里で稗田さんと宇佐見さんから、偽名とハンドルネームを聞いたときでしょうか」

 

「だったら、ぼくに教えてくれてもよかったのでは?」

 

「本当は教えたかったのですがね。八雲さんに追放され、復帰してすぐに彼女の仮の姿であるメリーさんが表の日本へやってきた。監視の目がある以上、君にも伝えられなかったのです」

 

 八雲紫の能力は人間の力を遥かに凌駕している。空間をすり抜けて監視カメラを突破でき、もしも自身が、映像に映っても境界を操ってなかったことにできる。デタラメもいいところだ。これほどの存在に南井の情報が渡れば、すぐに黒幕と断定されて制裁を受ける。勝手に私刑にされるわけにもいかない右京は、味方すら欺いて捜査していた。

 

 杉下右京がスタンドプレイヤーである事実は、元相棒も嫌というほど理解している。しかしながら、幻想郷での一件は尊にとっても屈辱的なものだった。幻想郷勢と連携が取れなかったという点もあるが、警備局所属の自分が大した避難誘導ができず、さらに若い狩人の凶行を未然に防げなかった。これが現代社会なら処分されても不思議ではない。

 

 せめて黒幕だけは捕まえる。その意気込みも虚しく、黒幕は行方不明のまま、事件は自分の知らないところで終わってしまった。仮に逮捕できていたとしても記憶障害で聞き出せなかったと予想できるが、それでも無念であった。

 

「それはわかりますけど……。なんか、複雑だな」

 

 犯人が残した手がかりを誰かに話せば、それ以外の誰かに盗み聞かれるリスクが生じる。右京の理屈は納得のいくものだったが、本心では納得できていない。

 彼の目つきでそれを察した元上司は「申し訳ない」と謝り、出されたお冷を口に含んだ。

 中華飯店の個室に気まずい空気が充満しつつある。さすがに誘った側が場を重くするのも如何なものか、と考えた尊は息を吐いてから。

 

「仕方なかった。――そう思うことにします」

 

「ええ」

 

 不満はあるが、どうすることもできないのなら、うまい飯でも食って忘れよう。八年前よりも大人になった尊に成長を感じた右京がそっと笑みをこぼした。

 場の空気が元に戻ると、さっきの女性店員が料理を持ってきた。あんかけチャーハンセットが尊に、海鮮炒めセットが右京の目の前に置かれる。

 

「ありがとう」尊がスマイルをくれると、女性店員は彼のほうを向いて「どういたしまして」と照れ顔を作ってから、下がっていった。

 やっぱり、仲が良いんじゃないですか。右京は無言で口角を釣り上げてから海鮮炒めに視線を移す。

 立ち上る湯気から香辛料やオイスターソースの香りと共に食欲をそそる匂いが鼻孔に流れ込んでくる。エビやイカの海鮮以外にもキクラゲや白菜などが入っており、ボリュームも都心の割に多く、それでいて値段もリーズナブルだった。右京の口から言葉が漏れる。

 

「美味しそうですねえ」

 

「ですね。冷めないうちに頂きましょう」

 

 腹が空いていたのか、尊は食べるように促してからレンゲで餡を纏ったチャーハンを掬って、口に運ぶ。ちょうどよい粘度の餡かけがご飯ひとつひとつに絡まり、舌の上で滑るように喉へ流れ込む。日本人好みの柔らかい塩の効いた味つけに尊は「やっぱり、うまいな」と、一口目に手をつける。

 つられるように右京もレンゲにエビとご飯を掬って食べた。

 こちらも日本人好みの味つけで、甘辛いタレが歯ごたえのよいエビと絡まり、噛むたびに海の幸独特の旨味が、口の中いっぱいにあふれる。

 

「ほう」

 

 そう唸ってから、ホタテとご飯を味わえば、また違った深みのある味が開放される。感心したように右京が頷いていると尊が言った。

 

「どうです。お味の方は?」

 

「本場というより、我々の好む味に寄せたお料理ですね。僕は好きですねえ〜。こういう味つけ」

 

「ハハッ。それはよかった」

 

 食事を皮切りにふたりの会話が弾む。仕事や趣味などの話題を中心に出し合った。その最中、尊が花の里の看板が変わったことを話題にあげると、右京は月本幸子に代わる三代目女将、小出茉莉が店名を《こてまり》に変更したのだと答える。

 小出と聞いた尊が「あれ? 上司が贔屓にしていた芸者にそんな名前のひとがいたような……」と呟けば、右京が「たぶん、そのひとですよ」と言いながら彼女の写真を見せる。

 

 スマホの画面に収まった、和服がよく似合う美人女将の姿を気に入った尊は「今度、ぼくも連れて行って下さいね」と調子良く頼み、右京が面倒そうに「はいはい」と、適当に返事して受け流す。気がつけば、いつもの特命ワールドが形成されていた。

 注文した料理は残りわずか。後はお口直しの甘味と飲みもので口をリフレッシュさせるだけだった。

 そこに足音が響く。襖を開いたのは尊が贔屓する店員だった。お口直しを運んできたのか、とも思ったが、彼女の手には料理を乗せるお盆が握られていない。

 

「どうかしたの?」

 

 尊が問うと店員が気まずそうに「実は、おふたりに会いたいおっしゃる方がいらしてまして……」と言った。首をかしげる尊の横から右京が「その方の特徴は?」と問う。

 

「大学生くらいの女性のお客さまです。上が茶色いコートで、下が緑色のロングスカートをはいていられました」

 

「髪型は?」

 

「茶髪のロングヘアーですね」

 

「茶髪のロングヘアーくらいの大学生……」

 

 右京の知り合いにそんな人物はいない。事件関係者なのかと勘ぐったが、自分を訪ねてくるような理由があるとは思えない。ただ、頭の中になにか引っかかる感覚があった。

 

「君の知り合いにそういったひとは?」

 

「いませんね。親戚にも大学生の女の子なんていないし。誰でしょうか?」

 

 尊にも心当たりはないらしい。一体、その大学生とは何者なのか? 右京の中で興味が膨らんだ。

 

「せっかくです。会ってみませんか? 人違いであれば、それで済みますし」

 

「えっ。……まぁ。杉下さんが言うなら」

 

 正直、気乗りしないが、謎の大学生の正体に尊も興味がないわけではない。それに自分が忘れているだけで、もしも知り合いだったら後々、関係がこじれるかもしれない。

 雇われた暗殺者という可能性もあるが、真っ昼間かつ人の多い中華飯店で、凶行に及ぶとは考えにくい。尊は不安を覚えつつも、右京の提案に乗っかった。

 頼まれた店員が襖を閉めてから一分もしないうちにノックされる。

 

「お連れしました」

 

「どうぞ」

 

 尊が許可すると、襖がゆっくり開かれる。店員の隣にいる人物にふたりの視線が注がれた。今風の大人びた茶色いコートを着込み、深緑色のスカートと同色のマフラーを首に巻く。茶髪のロングヘアーにぱっちりとした目を覆う丸メガネ。そして、極めつけはーー。

 

「久しぶり()()()。杉下どの、神戸どの」

 

 明るい声色にやや古風な言葉遣い。ふたりは東の秘境で出会った彼女を思い出した。

 

「「マミさん!」」

 

「おぉ、覚えていてくれたか! よかった、よかった」

 

 かつて幻想郷で行動を共にした女性マミ。その正体は狸の大妖怪、二ッ岩マミゾウである。元々、彼女は佐渡から幻想入りした妖怪で、幻想郷の結界をすり抜けて移動できる能力を有している。こうして都会のど真ん中にやってこられるのも、その力のおかげだ。

 

 まさか、八雲紫以外にも表の世界で活動できる妖怪がいるとは。本人から表にいたと聞かされていた尊も驚きで言葉がでない様子だった。

 店員に礼を言って下がらせたマミは「邪魔だったかの?」と訊ねる。右京が反射的に「いいえ」と言葉を発し、尊の隣にマミを座るように誘導する。

 椅子に座ったマミはふと尊の顔を見やってから茶化すように「取って食ったりはせぬぞ?」と告げる。強張った顔をいつものスマイルに作り直した彼が「わかってます」と返すと、マミは、ふふっと笑ってから和製ホームズの顔に焦点を合わせた。

 

「人里で『地霊殿の主を連れてくる』。そう言って別れてから、それっきりになってしまったからのぉ。何をしているのかと思って、様子を見にきた。元気じゃったか?」

 

「お陰さまで、元気にやっております」

 

「ぼくも同じく」

 

「ほう。そうか、そうか」

 

 まるで自分のことのように喜ぶマミの態度に、ふたりもどこか懐かしくなった。

 しかし、右京は事件以降の人里を気にしており、挨拶を手短に切り上げてマミに尋ねる。

 

「あれから、人里はどうなりましたか?」

 

「……スキマ妖怪や宇佐見某から聞かされておらんのか?」

 

「ええ」

 

「ふむ……。気になるか?」

 

 すぐに答えないあたり、なにかとんでもないことが起きたのか。右京の顔つきが刑事のそれに変化した。

 

「もちろん。僕たちが関わった事件ですから」和製ホームズがそう発言して、相棒を見やる。和製ワトソンも静かに「同じく」と頷いた。正義を宿した瞳で見つめられたら、答える以外にない。狸の頭領は決心を固める。

 

「そういうところも変わらんな。わかった。話そうーーお主らが去った後、里でなにが起こったのかを、な」



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第172話 東方からの使者 その2

 こうして、マミの口から幻想賢者たちが阿求と慧音以外の里人の記憶を改ざんし、〝事件そのものをなかったことにした〟という驚愕の事実が語られた。

 

 事件に加担した水瀬、土田と壊滅した火口家は存在もろとも抹消。テロに加担した秘密結社のメンバーは紅魔館に捕まっていた三人も含めて消息不明。ついでに七瀬春儚や藤崎敦という人物が里にいた痕跡を人々の記憶ごと消し去った。しかし、歴史書等の資料の改ざんは難しかったようで、書物関係は慧音、その他の修正は阿求のふたりが仕方なく担当した。その結果、慧音は軽いうつ病を患い、数ヶ月の間、寺子屋に顔を出せず、阿求も里が安定するまで寝込むことが多々あったそうだ。

 

 話を聞いた右京は、深くため息を吐いてから「あの方らしいですね」と零し、相方も「えげつねぇ……」と小さく呟いた。改めてふたりは、とんでもない妖怪を相手にやり合ったのだと実感する。しかし、里人が記憶を失う原因は、特命係にもある。右京が宗次郎を追い詰めなければ、ここまでの事態に発展することはなかったのだから。

 負い目を感じたからか、右京がポツリと。

 

「なにか、彼らのためにできることは……」

 

「そっとしておくことじゃな。それが、儂らができる唯一の罪滅ぼしじゃよ」

 

「いや、マミさんは悪くないと思いますよ。というか、ね」

 

 大体の責任は自分たちにある。尊はそう言いたげに右京の顔色を窺い、見られた相手が首肯するも、マミの意見は少し異なっていた。

 

「お主らが急いでいたのは間違いない。じゃが、奥村の術中にハマった儂と新聞天狗は当然として、外部勢力を頼らなかった阿求、田端を取り逃がしたレミリア、お主らへの連絡を怠った霊夢と魔理沙。その他、小さなミスが重なった結果、あれほどの大事件に発展した。我々、全員の責任じゃよ」

 

 霊夢が右京にジェームズ・アッパーのことを報せる、レミリアが田端を捕らえる、阿求が右京の要望通りに狩野宗次郎の屋敷を家宅捜索する。このうち、どれかひとつでも成功していれば、ここまでの惨劇は起こらなかったはずだ。

 けれど、元を辿れば、妖怪たちの気の緩みが招いた悲劇でもある。特命係だけを責める訳にはいかない。マミはそう考えている。しかし、参謀杉下右京は首を横に振って否定する。

 

「だとしても、指揮したのは僕ですから」

 

 すべての責任は自分にあって、他のメンバーにはない。警察官の矜持を見せる和製ホームズに狸の親分は、メガネをカチャっと上下させて言った。

 

「では、どうする? 里人たちに謝って回るか? 連中は記憶を無くしておる。ちょっとやそっとじゃ、元には戻らん。仮に戻ったとしても待っているのは血と悲鳴の地獄。それと『なぜ、こんな重要な記憶を無くしたのか』という底しれぬ恐怖。里は再び、混乱に陥る。やっと安定してきたんじゃ。いたずらに蒸し返すのはやめてくれ」

 

 やり方は強引だったが、短い間に里が安定したのも事実。ここで記憶を戻されても、阿求や慧音に負担がかかるだけ。為政者への不信感からさらなる妖怪アンチが生まれ、過激派集団の再結成に繋がりかねない。幻想郷の住民からすれば、記憶の復活だけは絶対に避けたいところなのだ。

 この言い分には、正義の信念を掲げる杉下右京も納得せざるを得ない。

 

「わかりました。しかし、僕に協力してくれた方々へ謝罪のひとつやふたつ、して回らなければならないでしょう」

 

「誰も責めぬとは思うがのぅ」

 

 幻想郷内では里人の安全より、里に干渉しづらくなったことを嘆く声が大きく、結社と荒れくれを中心としたアンチ妖怪集団を一掃できたこともあって、無差別殺傷事件はそこまで問題視されていない。

 仮に意見したところで対策は妖怪賢者が考えることであり、他の妖怪たちは蚊帳の外。半年も経つころにはいつも通り、働いて宴会を開く生活に戻っていた。

 

「いいえ、このままでは筋が通りません。それにーー黒幕の男についても報告したかったところですので」

 

「なぬっ、黒幕!? 見つかったのか!!」

 

 動揺して声を荒げるマミの眼前に右京が、新聞社のwebページからコピーした南井の画像をかざす。

 

「この男はイギリス国籍を持つ日系人。名を南井十。狩野宗次郎を唆した張本人かつテロの首謀者で、ほぼ間違いないと思われます」

 

「ほぼ? 証拠はないのか?」

 

「ええ。問いただせなかったものですから」

 

「なぜじゃ。逃げられたのか?」

 

「一ヶ月ほど前。彼は、僕の前に現れ、東京で四件の殺人事件を引き起こしました。最終的に僕が逮捕するに至ったのですが、彼は重度のアルツハイマー症を患っており、記憶のほとんどが抜け落ちている状態でした。取り調べる刑事たちが匙を投げるほど重症で、彼の記憶に残っていたのはある友人との思い出だけだったのです。そして、警察病院に入院してからほどなくして失踪。病院付近の滝から本人の足跡と血痕が発見され、事件は行方不明という形で幕を閉じました」

 

 憎き男だが、脳をやられ、廃人と成り果てて、滝壺に転落して消息を絶つ。なんと哀れな最期か。黙って話を聞いていたマミの中で、怒りよりも哀れみのほうが大きくなった。

 

「なんとまぁ……。しかし、友人の記憶だけ残っていたというのは不思議じゃのう。どんな友人だったんじゃろうな」

 

 何気ない疑問だったが、隣の尊が気まずそうな顔をした。かたや、右京はポーカーフェイスを一層、引き締めた。そして、普段より重くなった口を開いた。

 

「その友人の名前は()()()()――かつて南井がロンドンで刑事をやっていたとき、共同捜査を行った()()でした」

 

 感情が一切、混じっていない声音に乗せられた辛い現実。さすがの大妖怪も目を大きく見開いてから現実を受け止め、喉の奥を低く鳴らす。

 

「……そうじゃったのか。余計なことを聞いたな」

 

「問題ありません。関係を問われれば……話すつもりでした」

 

 必死に追っていた犯人が知り合いーーそれも職務上、付き合いのあった人物だったとは。相棒を逮捕した右京の心情は察してあまりある。マミが謝るのも自然な流れだが、元から右京は隠すつもりなどなく、機会があれば話すつもりでいた。事件の協力者には、南井との悲しき因縁もオープンにする。これも彼なりの矜持なのかもしれない。

 

「それを含めて、あやつらに話すつもりじゃったんだな?」

 

「はい」

 

「そうか。じゃが、ひとつ問題があるのぉ」

 

「なんでしょうか?」

 

「どうやって幻想入りするつもりかな? 現代の科学ではそう簡単に入れんぞ」

 

 この前はたまたま運が良かっただけで、次も長野の神社から入れるとは限らない。実際、再度神社を訪れたときも周辺を捜索してみたが、無縁塚に出ることはなく、ひたすら雑木林をぐるぐる回っていただけだった。しかし、突破口ならある。

 

「そうですねえ。非常に困っていたところです。がーー」

 

 右京は人差し指をピンと立てながら、マミの顔を指した。

 

「あなたに連れて行ってもらえれば、すべて解決します」

 

 直後、マミは「そうきたか」とおどけてみせるも、首を縦に振らなかった。

 

「儂は結界を通り抜けられる術を持っておるが、この方法じゃ、ひとりしか移動できん。じゃから、諦めてくれ」

 

 ここで「はい、そうですか」と引き下がる和製ホームズではない。

 

「参考までに。移動法だけでも教えてほしいのですが」

 

「教えてところで真似できんよ。人間には」

 

「そこをなんとか」頭を下げて頼み込むが、マミは腕を組んだまま「それはできんのぉー。お主らに手を貸したところを見られたら、アヤツが黙っておらんじゃろうし」と拒み続けている。そこへ加勢に加わった尊が「お腹、空いてませんか。中華、奢りますよ?」とささやく。料理と聞いて心が揺れたのか、唸り声と共に、天井を見上げた彼女が一言。

 

「……オススメは?」

 

「お肉と魚介、どちらがお好みで?」

 

「肉も好きじゃが、今日は海の幸の気分じゃ。幻想郷では味わえない料理が欲しいのぉ〜。たとえばーー」

 

 メニューを開いてパラパラと捲り、ページ後半にある三日月型の茶色い物体の前でピタリと動きを止める。

 

「フ、フカヒレッ!? しかも一品、八千五百円って……」

 

 中華料理を代表する高級食材フカヒレを煮つけにした姿煮。誰もが一度は食べてみたいと思うだろう。この妖怪も例外ではなかったようだ。口元を動かしてニヤリと笑った彼女に尊の顔が引きつった。今度はそこへ右京がフォローに入る。

 

「構いませんよ。僕と彼で持ちます」

 

「ほっ、本気か!?」冗談のつもりだったマミがのけぞり、続けて右京が「ですが。値段相応の情報はーー喋っていただけるんですよねえ〜?」と要求を釣り上げた。

 

「ほほーう。そうきたか」

 

 狸の大妖怪は、交渉ごとを得意としており、相手が表の知人であっても簡単には応じないものだ。やる気を出した彼女は「もし仮に、お主らに話すとしても、その内容は『今回、儂が結界を越えた方法について』のみ。詳細等は企業秘密じゃぞ?」と右人差し指を振ってみせる。今にもチッ、チッ、チッという擬音が聞こえてきそうな態度を取ったマミに右京が「さすがは狸の頭領。一筋縄ではいきませんねえ」と心の中で不敵な笑みを浮かべた。

 

 それから、マミが料理を指して美味しそうと言えば、右京が追加の条件を提示し、彼女が迷う素振りを見せてから、次の料理名をあげるというお笑いじみたやり取りを数分に渡って繰り返した。

 後半から右京がうんちくを披露し、マミが相槌を打つバラエティー番組に変更するも、彼女はあの手この手の言い分で粘った。だが、結局、演技しながらトークをし続けたことで余計に腹が減ってしまい、最終的にウニのあんかけチャーハン(二千六百円)で手を打つことにした。交換条件は当然、右京が知りたがっていた情報――すまわち、マミが結界を越えた方法、それと解説である。詳細な説明をしてもらう約束までは取りつけられなかったが、フカヒレの姿煮(八千五百円)に比べれば、ずいぶん安くなった。

 思ったよりも安くすんだなと一息吐いた尊だったが、反対に税込二千円ほどのランチメニューを選ばせたかった右京は、少しだけ高くついた、とマミの手腕を讃える。

 

 お昼休みが終わりに差しかかり、人が少なくなったことで厨房に余裕ができたのか、マミの頼んだ料理が十分前後で個室に届けられる。

 正面に置かれた白い皿の上に、ひっくり返したお椀のように盛られたパラパラのチャーハン。そこに大量のウニが入った至高の白いあんかけがこれでもかと、黄色い山の頂上から流しかけられており、狭い個室を磯の良い匂いが満たす。

 立ちのぼる湯気をかいだマミは目を閉じながら「磯の香りなんて久しぶりじゃのう。堪らんわい」と呟いて、しっかり両手を合わせた。

 

「ありがたく、いただかせてもらうぞ」

 

 そう言ってからレンゲでウニあんかけと一緒にチャーハンを掬って口元に近づける。あんを纏った焼き飯が普段の何倍もの高級感を醸し出すとは。心を踊らせつつ、彼女はそれを口に入れる。

 

「んんっ!?」

 

 パラパラのチャーハンを磯風味のあんかけが包み、舌の上を食感の柔らかいウニが転がる。噛めば噛むほど、薬漬けされていないウニの旨味が広がり、大海原を航海するような高揚感が一気に押し寄せ、瞬く間に彼女の目を輝かせた。

 

「米の一粒一粒にしっかり味のついたチャーハンもさることながら、ウニもミョウバン臭さがまったくない。しかも、食材同士が良く合っておる。こりゃあ、うまいのぉー! 絶品じゃ!」

 

 そりゃあ、高級チャーハンですから。尊は心の中で呟いた。

 食レポをこなしつつ食事を平らげたマミは、お冷で口の中に残ったウニの香りを胃袋に流し込んで「ふう」と息を吐く。

 

「美味しかったぞ。ここ最近で一番じゃ。さて」特命係の面々が自分のほうを見ていることを確かめた彼女は「ご要望通り、結界を抜ける方法を教えてしんぜよう」と語り、懐から一枚の奇妙な葉っぱを取り出し、手に持った状態でふたりに見せた。

 

「青い葉っぱ、ですか」

 

 目の前にかざされたそれは綺麗な青色をしていて、まるでモルフォ蝶が持つ翅のように鮮やかだった。形状はどこにでも落ちていそうな普通の葉で、現代科学を活用すれば、形と色だけであれば、容易に再現できそうなものだが、どこか他者を引き寄せる不思議な魅力を持っている。

 

「触らせてもらっても?」

 

 右京が尋ねると、マミは「それは約束に含まれておらぬぞ」と要求を断って、説明に移る。

 

「この葉っぱは、色々と手が加えられた道具でのぅ。見えざる力が漂う場所ーー神社、仏閣、山、川、神域、その他パワースポットなどが該当するの。そこで、この葉を満月の光にかざすと、月光に含まれる力と周囲に漂う霊気を吸収して、一時的に向こう側とつながる空間を作り出し、一瞬で結界を越えることができる。

 儂クラスともなれば、ある程度、着地場所を選べるかもしれぬが、基本的にはランダムじゃ。運が良ければ博麗神社辺りにでも出られるかもしれんが、期待はできん。そうじゃのぅ……竹林辺りに出ると思ったほうがよいな。時刻も夜じゃから、妖怪たちの活動時間と重なる。人間にとっては、かなり危険じゃが、ここのところ妹紅どのや蓬莱山どのがパトロールしているおかげか、雑魚妖怪たちは、むやみやたらに人間を襲わなくなっている。まぁ、寒いから動きが鈍くなっているというのもあるがな。

 しかし、幻想入りするなら今の時期がチャンス。滞在期間にもよるが、長くいるつもりであれば、衣服はもちろん、缶詰などの非常食、可能なら一円札も揃えておくことをオススメする。もしも、入れるのであれば、じゃがのぉ」

 

 ドヤ顔で語ってのけた大妖怪に尊が「奢ってもらった癖にマウント取りやがって」とスマイルフェイスの裏側でメラメラと炎を燃やす。右京もまたポーカーフェイスの内側で思考を巡らせていた。

 

「となれば、登山用の装備を検討したほうがいいかもしれませんねえ。もしも、入れるのであれば」

 

「そうじゃのぉー。厚着したほうがいいかもしれん。あぁ、それと。そこそこ大きい神社から幻想入りすることをオススメするぞ。小さい神社からでも大丈夫じゃが、大きいほうが、力が集まりやすい。……もしも、入れるのであれば」

 

 互いに顔を見合わせて笑い合う刑事と妖怪。なにを張り合っているのか。尊は、元上司に冷ややかな視線を浴びせ、ふと自身の腕時計を見やった。時刻は十四時に回ろうとしており、暇な特命係と違って、これ以上の長居は上司への言い訳が面倒になる。立ち上がった彼は、ふたりに訊ねた。

 

「ぼくはそろそろ、戻らなければならないので。さきに会計を済ませようと思いますが、おふたりはどうします?」

 

「僕は、まだ余裕がありますが。……もう少し、お話ししましょうか?」

 

「いや。こっちもそろそろ、失礼しようと思っていたところじゃ。色々な話しができた。楽しかったぞ」

 

 席を立った彼女が握手を求めて手を伸ばす。珍しい行動に目を大きくさせるも、拒む理由はない。右京は差し出された彼女の手を握った。

 

「こちらこそ」

 

「うむ」

 

 まるでなにかを語り合うかのように、別れの挨拶を交わし、手を離したマミは相手の腕が下がったのを確認してから「またいつか」と言い残し、個室の外に出た。店の外まで一緒に行動するものだと思っていた尊が、慌てて後ろ姿を追うもすでに彼女の存在はなかった。

 

「あれ。消えた……?」

 

 戸惑いの色を隠せない元部下。しかし、杉下右京は、

 

「(さすが、人情派と呼ばれるだけのことはありますねえ)」

 

 スーツの内ポケットに、()()()()()()()()を滑らせて、誰にも悟られないように笑った。



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第173話 特命係、東へ その1

 食事を終えた右京は休暇を申請してから特命部屋に戻った。

 相変わらずの暇な時間が続いていたが、亘が席を外した隙きを見計らって、近くの空き部屋に向かい、鍵を締めてから周囲を確認して、尊に次のようなメールを送った。

 

 ――君、休暇は取れますか? 可能なら、今すぐにでも取って下さい。一緒に登山でもしましょう。期間は一週間から二週間程度です。テントや寝袋などのキャンプ用具、防寒着、着替えの衣類、水と食料、モバイルバッテリー等のサバイバルグッズを忘れずに。

 

 届いたメールを読み、意味のわからない内容に大きく口を開けた尊だったが、登山という単語でなにかを思い出し、慌てて休暇を申請。有給が溜まっていたこともあって、三日後に二週間の休暇を与えられる。

 三日で有給が取れると告げると、右京から「その日は晴れなので、大丈夫ですね。それでは、三日後の夜七時。警視庁近くの神社で待ち合わせましょう。遅刻はダメダメ、ですよ?」とのメールを受け取り、尊は白けつつ「はいはい。わかってますよ」と舌を出した。

 そして、三日後の夜六時五十五分。指定された神社の正面入り口でタクシーを降りた尊は、寒さ対策を兼ねた厚手のジャンパーを着込み、背中にアウトドア用の大きなリュックサックを背負っていた。

 

「おもっ。ちょっと、詰め込みすぎたかなぁ……」

 

 キャンプ用具一式とあっちにいってから着替える予定のダークスーツと革靴が、荷物を圧迫しているせいで、リュックがパンパンに膨れ上がっていた。

 ここ数年、オフィスワークが中心だった尊には辛い量である。

 

「さて、あの人はいずこに?」

 

 境内に足を踏み入れ、あちこちに目を向けるも、ひとっ子ひとり見当たらない。ホッとしながら彼は、こんな格好、同僚に見つかったら嫌だな、と思った。

 背後より誰かが近寄ってくる。まさか同僚か? 嫌な予感というのは案外、当たるものだ。まさかな、と思いつつ、尊が背後を振り向くと。

 

「やあ、神戸くん。こんばんは」

 

「あ、杉下さーー」

 

 同僚ではなく、装備を整えた元同僚の杉下右京が出現した。

 上は迷彩柄の長袖に薄茶色のベスト。服の厚みからインナーを何枚も着込んでいる。下は青いジーンズで、靴はがっちりとした作りの登山靴。背中には登山家が重宝する容量六十五リットルの緑色のバックパック。腹部にはポケットの多いベージュ色のウェストポーチを装着しており、服装と装備だけに絞れば、日帰りで登山しにいく人間だろう。

 が、尊の意識はそこにはなく、両手両肩いっぱいにぶらさげている手荷物にあった。

 

「なんですか、その荷物!? ……爆買いにきた中国人ですか?」

 

「君。そこまで、言うことないでしょう」

 

 とは言うが、限界ギリギリまで持たれた荷物は、テレビに取り上げられる観光客と見分けがつかない。それくらい大量なのである。

 

「ちなみに、それらの荷物には、なにが?」

 

「皆さんへのお土産です」

 

「お、お土産?」

 

 まさかの返答にうまく言葉が返せない。固まっている尊に右京が言う。

 

「ええ。お世話になりましたから。いけませんか?」

 

「いやぁ……。いいと思いますが」

 

 幻想郷の住民たちには、かなり世話になった。土産を持っていくのが筋だろう。だが、仮に幻想入りできたとして、どこに出るのかわからない以上、手荷物は極力、少なくしたほうがいいに決まっている。

 場所が悪ければ、妖怪の生活圏の真ん中を歩くハメになるのだ。そんなナリで襲ってくる妖怪たちからどうやって逃亡するのか。

 尊が頭を抑えながら「勘弁してくれよ」と内心で愚痴る。一方の右京はなぜだか楽観的な様子だった。

 

「大丈夫ですよ。どんなに運がなくとも、着地先は竹林になるでしょうしね」

 

「え、それって、どういうーー」

 

「時間が惜しいので、それはまたのちほど。さ、拝殿の前まで向かいますよ。ついでに、これ、半分持って下さい」

 

 右京は右手に持ったバッグと荷物を尊に押しつけるように預けた。

 

「えっ。ちょっと、もう!」

 

 こちらが文句を言う前にそそくさと歩いていく元上司に、尊は久しぶりの地団駄を踏みながらも、渋々とその後をついていった。

 拝殿中央の賽銭箱手前で止まった右京は、遅れてやってきた尊にポケットから〝あるもの〟を取り出して手渡す。

 

「これって、あの葉っぱですよね?」

 

「はい。それも二枚」

 

 青くきらめく葉っぱが右京の手にも握らえており、この場には葉っぱが二枚存在することになる。ずいぶん、マウントを取るな、と腹を立てていたら、実は葉っぱの使い方を教えるための演技だったとは。なんと回りくどいことを。尊はため息まじりに、

 

「どうせなら、最初から渡してくれればよかったのに」

 

 と零す。右京は微かに笑ってから「そういう方でしょう? あの方は」となだめ、尊が「そうですね」と納得したように拝殿正面を向いた。そのタイミングで月が雲の中から姿を現そうとする。

 

「神戸くん、もうじき月が出ます。葉っぱをかざす準備を」

 

「了解です。狸さんに化かされていないことを祈りましょう」

 

 マミに一杯食わせられていたとしたら、せっかくの有給を無駄に使わせられたことになる。とんだ大損だ。当然、右京もそのリスクを考慮しており、幻想入りが失敗した場合、別の計画を実行するつもりでいた。

 

「そのときは、余計な荷物を置いて旅行にでも行きましょう」

 

「あ、いいですね、それ! どこいきます?」

 

「どこでも構いませんよ。国内でも海外でも」

 

「あー、だったら、海外がいいな。オススメってあります?」

 

「そうですね。イギリス……っと言いたいところですが、イタリア、フランス、ドイツも捨てがたい」

 

「全部、ヨーロッパですね。たまにはアメリカとかどうです? だいぶ前に研修で長期滞在していたので、案内くらいならできますよ?」

 

「おやおや。それはいいですねえ。おっと、月が顔を出しそうですよ」

 

「じゃ。かざしますか」

 

「ええ」

 

 雲から月が出てきた瞬間を狙って、ふたりはマミからもらった葉っぱを天高くかざした。

 なにも起きなかったら、という不安はあったが、月の光と反応したそれは光を吸収するかのような挙動を見せる。

 驚いたのもつかの間、次は周囲からも粒子状のエネルギーを吸い寄せる。次第に彼らの周りをコバルトブルー色の粒子が舞い始め、徐々に覆われていく。集まった粒子は空間を歪めるようにグニャグニャと動き出し、ふたりの視界を奪う。

 しかしながら、決して禍々しいものではなく、北極の夜に揺らめくオーロラのように美しかった。

 目の前で発生する怪奇とはまた違った超常現象。性質から言えば、神秘にも等しい。杉下右京は童心に帰ったかのように感動していた。

 

「青い粒子の渦が空間を歪めていますねえ。まるでぼくたちを現実から切り離して、別のところへ連れていこうとしている。あぁ、なんと神秘的なのでしょうか」

 

「いやいや。感動してる場合じゃないでしょ……」

 

 非現実的な体験の真っ最中とも関わらず、冷静なツッコミを放り込める尊も大概であるが、右京が怪奇慣れしすぎているのも事実だろう。

 興奮気味の和製ホームズは「これで感動せず、いつ感動するのですか。いいですか、このような体験、現実社会上では、滅多にできることではありません。楽しまなければ損です。――ところで、この粒子でできた壁は、触っても大丈夫なのでしょうか?」と饒舌に語ってから、粒子の壁を触ろうと手を伸ばす。

 尊が危ないからという理由で制止すると右京は「いいじゃないですか、少しくらい」と引き下がらない。説得を試みるも中々言うことを聞かないので、あーでもない、こうでもない、との押し問答になった。

 

 話し合いがエスカレートして、問答から口論に発展しようとした、まさにそのとき、両名は一瞬だけ身体が宙に浮いたような感覚を味わう。

 すると、粒子の壁が崩れ落ちるように崩壊して、視界が一気に開けた。

 彼らの前に飛び込んできたのは、細く長い筒のような緑色の植物がところせましと立ち並んだ空間。そうーー。

 

()()ですねえ」

 

「みたいですね」

 

 正気を取り戻した彼らは、自分たちが幻想郷の竹林に移動してきたのだと理解できた。すぐさま、辺りを見回して、自分たちに害を加える妖怪がいないか確認する。

 

「ひとの気配はありませんね」

 

 尊が右京に視線を移すと、彼は足元をじっと眺めていた。気になった尊も目を移すと、整備された形跡があった。人が通る道だと思われる。

 さらに、よく目を凝らせば、正面からポツンと明かりが見えるではないか。もしかすると、よく知っている場所かもしれない。右京の脳裏にピリっと稲妻が走る。

 

「道なりに歩いてみましょう。あの場所にたどりつけるかもしれない」

 

 直前までいがみ合っていたのが嘘のように、ふたりは歩幅を合わせて歩き出す。そうして、一分もしないうちに、竹の隙間から屋敷の形がチラチラと見えてくる。さらに二分も経過すれば、屋敷の入り口にたどりつく。

 右京の予想通り、そこは世話になった医者の診療所兼自宅であった。

 

「本当についたよ……」

 

 竹林のどこに出るかわからない。マミからの言葉が竹林でひどい目にあった尊のトラウマを蘇らせていたが、ここまでくれば安心だ。

 大きな息を吐いて「よかったぁー」と口にする尊を横目でチラッと見やってから、右京は玄関まで近寄り、ガラスが埋め込まれた引き戸をコンコンとノックした。

 

「ごめんくださーい」

 

 微かに少女らの声で「レイセン、お客さまよ。手、空いてる?」「はい、大丈夫です。姫さま」というやり取りが聞こえ、次第に足音が近づいてくる。

 

「はい。こちら永遠亭です。ご用件をお聞かせ下さい」

 

 ガラガラと開かれた引き戸の中から姿を見せたのは大きな笠をかぶったエプロン姿の少女だった。妖怪がいると思われるのはまずいと思ったためだろうか、顔と頭部を隠して接客をしているようで、おそらく彼女は、ふたりの足元しか見えていない。

 きっと、この少女は自分たちを外からやってきた単なる迷いびとと勘違いしているに違いない。かつて、ここでお世話になった患者はにっこりと微笑む。

 

「お久しぶりですねえ。優曇華さん」

 

「えっ、どうして私の名前を……」

 

 顔を上げた瞬間、相手の容姿を視界に入れた彼女は、来客が何者なのかを理解できたようで。

 

「えっ!? ま、まさかーーあの杉下さん、ですかっ!?」

 

「ええ。杉下右京、本人です」

 

「同じく、元部下の神戸尊です」ついでに同行した尊も名乗り出た。

 

「えっ、えっ、えぇーーーーーーーーーー!?」

 

 あまりのできごとに、大きく口を開けた優曇華は、言葉が続かないどころか、玄関でフリーズしてしまった。

 

 

「なるほど。じゃあ、いつの間にか手元にあった、その青い葉っぱを使って、もう一度、幻想入りした。そういう訳ね?」

 

「そうなります」

 

 気絶しかけていた優曇華に代わり、奥から様子を窺いにきた蓬莱山輝夜が、ふたりを居間に招き入れて、部屋の隅に荷物を置かせてから座卓につかせた。

 優曇華に呼ばれた八意永琳は驚くような素振りをしつつも、すぐに現実を受け入れて、右京たちにどうやって幻想郷に戻ってこられたのかを尋ねた。

 

 隠す必要があるのかも不明だが、色々配慮した結果、右京は「東京の神社で、この葉っぱを月にかざしたら、戻ってこられました」と語るにとどめる。

 どこで入手したのか、と問われるが「いつのまにかポケットに入っていた」と答え、マミが関与していると疑わせないようにした。

 なんとも、腑に落ちない回答だったが、永遠亭の三人は納得するしかなかった。

 

 大方の事情説明を終えた右京は両手を軽く合わせながら「そういえば、皆さんにこのお礼の品を持ってきていました」と言って、手荷物の中から数点の品物を取り出した。

 のしで包装された縦六十、幅十五センチ程度の桐箱、ピンク色の包装紙と赤いリボンで包まれた箱、青い包装を施された細く薄い長方形の物体。その三つを自身の座る座布団の右隣に置く。

 

「そんな、お礼だなんて」

 

 困ったような口ぶりの永琳だったが、右京から「医療機関の整ってない幻想郷で、迅速かつ的確な処置を施してもらったのです。お礼くらいさせて下さい」と言われたことで「そういうことでしたら……」と受け取りを了承する。

 彼は、身を乗り出してから、永琳に一番大きな桐箱を手渡した。

 

「これは、なにかしら?」

 

 受け取った箱を傾けても中央から重心が下がらない。クッションのようなもので大事に保護されているようだった。

 開けるように右京から促され、のしを外して、桐箱を開けると、色のついていないワインボトルのような容器が姿を現す。中身は深い琥珀色に輝いており、ラベルには現代日本の漢字で大きく《玄海》と書かれていた。

 

「《玄海》? 聞いたことないわね。表のブランデーかしら?」

 

 この紳士がまずい酒を持ってくるわけがない。きっと、美味しいはずだ。たまには洋酒も悪くない。彼女がそう思っていると、元部下が仰天したように右京を凝視した。

 

「《玄海》って……。あの、熟成日本酒の《玄海》ですか!?」

 

「そうですよ」

 

「んっ、これ日本酒!?」

 

「はい。れっきとした日本酒です」

 

 通常、日本酒は透明か、薄っすらと色がつく程度で、ここまで琥珀色に染まった品は中々、見当たらない。目測を誤った永琳は両手に抱えるボトルに視線を戻し、これは、とんでもない酒かもしれないと、息を呑んだ。

 

「えっ、でも、ボトル大きいですよね? ぼくが今年、見たものだと500mlでしたよ」

 

「三年前までは750mlで販売していました。そのとき、注文したお酒です」

 

「注文……。販売方法は抽選式でしたよね?」

 

「確率はあまり高くありませんでしたが、運良く僕のところにやってきてくれました」

 

「はぁ、なるほど。本物――初めて、見たな……」

 

 唸るように《玄海》を眺める尊の様子に、他のふたりも渡されたものが、そこらの日本酒ではない、と察した。輝夜が問う。

 

「じゃあ。表では、希少なお酒なの?」

 

「まぁ……。治療費の代わりにはなるかと」

 

 その瞬間、女性陣の意識がボトルに注がれる。

 

 この《玄海》という日本酒は、幾多の偶然が重なったことで、この世に生まれ出た。

 関西の大震災で被災した酒造が機材破損により、泣く泣く精製途中の日本酒を熟成庫に入れたことで発酵が進み、二十年の熟成期間を経て、試飲した関係者たちが驚愕するほどの深みを持った日本酒へと変貌。日本酒の限界を超えた、として《玄海》と銘が打たれ、販売に至る。

 上記のエピソードと唯一無二の味わいから〝奇跡の日本酒〟とも称される、日本屈指の名酒だ。

 一本500ml入りで二十万円の高級酒だが、購入希望者は後を絶たず、抽選の時期になるとホームページが落ちるほどの人気ぶりだ。

 価格と量はその年によって変動するが、右京が購入した《玄海》はサイズが小さくなる以前の750mlで、当時も今と変わらない二十万円の価格がつけられた。

 しかし、その希少性からオークションであれば、三十万超えの価格で落札される。弾丸摘出手術と療養の代金としては十分、釣り合うだろう。

 

 本来なら現金で治療代を払うべきであるが、一円札での支払いは難しく、他のもので代用するしかなかったので、右京は自慢の一品を持っていくことにした。

 本来、この酒は元妻と再開した際、開けるつもりだったが、いつまでも手元に残しておくのは未練がましいと思い、恩人たちに渡す意思を固めたのである。

 価格を伝えられずとも、紳士の顔つきで、とても良い酒だと理解した医者は両目を閉じてから「わかりました。これは治療費として受け取らせて頂きます」と返事した。

 次に右京は輝夜のほうを見た。

 

「輝夜さんにも、お渡しするものがあります」

 

「え? 私にも?」

 

「はい。ご迷惑をおかけしましたから」

 

 そう言って、隣に置いたピンク色の箱を輝夜に渡す。

 

「ありがとう。中身は何かしら?」

 

「玉露です。一切の渋みがなく、まろやかな甘みと心地よい後味が特徴で、海外の日本茶品評会でグランプリを受賞しています。輝夜さんのお口にも合うかと。甘味などと一緒にお飲み下さい」

 

「へぇー。嬉しいわ」

 

 中身は、容量百五十グラムの缶に詰められた玉露だった。

 こちらの茶葉も巨匠の手作りによる高級品で、国内外問わず、高い評価を得ており、百グラム二万円で販売されている。裕福な家の者が、大切なひとへの贈りものやお祝い品にも選ぶそうで、ルナティックプリセンスの輝夜にはピッタリな贈りものだ。

 輝夜本人も「この紳士が持ってきたのだから、きっと良い品物だろう」と想像し、純粋に喜んでいた。

 その姿に優曇華が「よかったですね。姫さま」と声をかけてから、残りの贈りものは誰に渡すためのものなのか、と疑問に思っていた。彼女と目があった右京は、小さくスマイルを作ってから、最後の品物を月のウサギに手渡す。

 

「えっ、これ……私の分!?」

 

 贈りものなんて生まれてこのかた一度も、もらったことがなかった優曇華は、腰を抜かすほど驚いていた。

 

「これは、三徳包丁とペティーナイフです。よくお料理をするとお聞きしたので。あっ、ちょっとだけ、変わった包丁ですので。よかったら、開けて見てくれませんか?」

 

「あっ。はい」

 

 言われるがまま、二つの箱の包装を剥がすと中から、蒼色に輝く刀身の三徳包丁と紅く輝くペティーナイフが姿を見せる。「え!? なにこれ、色がついている!?」と、思考が追いつかない優曇華。人差し指を立てた右京が解説を始める。

 

「その二丁は、チタンコーティングを施された包丁でして、三徳包丁が名を《蒼月》、ペティーナイフは《紅月》と言います。両方とも、とても良く切れる包丁ですので、日々の調理にお使い下さい。研ぐ際は付属の研ぎ石で数回研いで頂ければ、切れ味が戻ります」

 

「へぇ。チタンで表面を保護しているとはねぇ。素敵な包丁じゃない。よかったわね、優曇華」師匠が目配せすると、助手は外来人たちに顔を戻してから「は、はい。ありがとうございます!」と礼を述べた。

 

 この包丁はプロシェフにも人気のある商品で、その切れ味はスイカを楽に輪切りにでき、大きめの魚も背骨ごと切断可能。料理するのが格段にラクになる、そんな代物だった。

 永遠亭の包丁は、切れ味が研いでも落ちやすくなっていたので、優曇華的にはこの贈りものはグッドタイミングだった。彼女も輝夜同様、嬉しそうにしていた。

 

 すべての品を渡した右京は、これで治療費を払えたと、胸をなでおろす。

 贈りものの時間が終わり、永琳が来客ふたりに「今からお夕飯を作るけど、食べる?」と訊ねた。代表して右京が「よろしいのですか?」と、訊き返す。

 彼女は笑いながら「これほどのものをもらって、ご飯のひとつも出さない訳ないでしょ。大したものは出せないけど」と続けて「もちろん、寝床も用意させるわ」と、幻想入りしたばかりの特命係に配慮した。

 紳士は「お言葉に甘えさせてもらいます」と、頷いて無事、本日の宿泊先を確保するのであった。



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第174話 特命係、東へ その2

「決まりね。優曇華、準備をお願いね」

 

 永琳の指示を受け、もらった包丁たちを抱えた優曇華が急いで台所に向かっていった。

 会話が途切れて、少しの間、居間が静かになる。輝夜は、なにを話そうか頭の中で考えているようだった。このまま、彼女と話すのもよいだろう。しかし、右京にはまだ話さなければならないことがあった。

 

「皆さんに、お伝えしなければならないことがあります」

 

 唐突な発言に、永琳と輝夜が顔を合わせてから首を傾げるも、右京は言葉を並べ続ける。

 

「幻想郷のテロの首謀者と思わしき男を発見。別件で逮捕しましたが、その後、消息不明になってしまい、捜査を打ち切りにせざるを得なくなりました」

 

 いきなりのことでポカンとする女性ふたりに、右京はマミに聞かせた内容と同じものを伝え聞かせた。

 初めこそ動揺していたものの、聡明な永琳は刑事の話をすんなり理解して「わかりました。報告ありがとう」と述べから、右手でそっと口元を抑えた。その仕草をチラ見した輝夜が「また、考えごとしてる」と勘繰る。

 彼女の考えごとは、やはり突然の失踪からの行方不明だろう。右京はマミには言わなかった憶測を八雲紫と浅からぬ因縁を持つとされる彼女に伝えることにした。

 

「この話には、まだ続きがありましてね。実は、捜査が打ち切られてから数日経ったのち、メリーと名乗る女性が僕のところを訪ねてきました。十代後半くらいの整った容姿、プラチナブロンドの長い髪、瞳の色は紫、年齢に似つかわしくない余裕を感じさせる態度」

 

「ん? その女性って、まさか……」

 

 永琳が眉根を寄せたところで右京が首肯してみせた。

 

「そう。八雲氏が表で活動する際の偽名です。本人に『八雲さん』と訊ねたとき『その名で呼ばないで』と言われたので、ほぼ間違いでしょう」

 

「……やっぱり。で、彼女はなにを?」

 

「黒幕の捜査中止を告げられました。カッカしすぎたとのことらしいです」

 

「えぇっ、あいつが!? 嘘でしょ……」と、輝夜が声をあげた。

 

 八雲紫は、幻想郷を危機に晒す者を決して許さず、どんな方法を用いてでも排除、報復する。永遠亭の住民もそれは承知ししている。この段階で、テロリストの捜索を中止するなど、本来ならありえない行動である。

 今後の対策を含め、きちんとした調査を行うと予想していた永琳は、紫の発言に裏があると踏んで、黒幕の最期と結びつけるも、まずは右京の考えを聞くべく、このような質問をした。

 

「杉下さんは、彼女の発言をどう思う?」

 

 問いを投げかけられた右京は、月の賢者相手に自らの憶測を語る。

 

「正直に申し上げますと、僕は彼女が南井を病院から連れ出し、その能力で欠落した記憶をこじ開けて情報を入手ーーその後、用済みとなった彼を始末したのではないか。そのように疑っております」

 

「普通に考えれば、そうよね」

 

 すんなりと納得する八意永琳。事件の流れと紫の容赦の無さを考えれば、妥当な推測であった。刑事と月の賢者の話に彼の元部下も月の姫も、特に異議を唱えることなく、黙っていたことから、彼らにも納得できる仮説だったのだろう。

 それほど、八雲紫という妖怪は、敵に対して容赦ない性格なのだ。

 

「しかし。それを問うても、彼女は決して答えない」

 

「でしょうね」

 

「ですので、捜査はここまでと判断し、協力者の皆さまにお伝えして回ろうと思って、再びこの地へ戻ってきました。一応、霊夢さんや慧音さんにも南井の画像をお見せして、確認を行うつもりですが、入管記録を辿ったかぎり、彼が黒幕で間違いでしょう」

 

「それが、こっちに戻った理由だったのね……。ほんと、あなたって律儀よね」

 

「筋は通さねばならない。それだけのことですよ」

 

「そうですか。おかげで犯人と事件の結末がわかりました。お勤め、ご苦労さまです。警察官のおふたりさん」

 

「「ありがとうございます」」

 

 警察官たちが揃って頭を下げ、無事、黒幕の件も伝え終わった。難しい話はもうお終いである。

 

「さっ。お料理ができるまで、雑談でもしましょうか」

 

 重い流れを断ち切るように両手をぱんっと叩いた永琳に合わせるように、輝夜が手をあげた。

 

「そうそう。重い話が長かったから、違う話題に移りましょうよ。早速で悪いけど、質問。今の表の日本って、どんな感じになってるの?」

 

「平安時代と比べて、ですか?」と、訊き返す右京に輝夜は「ここ十数年辺りの話でいいかな。たまに流れ着いた資料とか読んでいるから、表について、そこそこ知っているの」と言ってみせる。

 

「そうでしたか。わかりました、その辺りを中心にお話ししましょう」

 

 かつて特命係幻想郷支部を訪れた東風谷早苗に教えたように、身振り手振りを交えて現代日本の話を輝夜に聞かせた。スマホ、パソコン、ネットなどIT関係はもちろん、世代別の生活スタイル、流行のファッション、政治、社会、国際情勢など、詳しい説明をおもしろおかしくやってみせる。

 時折、輝夜から飛んでくる疑問にも涼しい顔で答えてしまう、その博識っぷりに隣で聴いていた永琳は愉快げに「まるで先生みたいね」と評した。

 

 そこに尊が「やっぱり、そう思いますよね」と乗っかり、輝夜もうんうん頷いた。満場一致の先生認定を受けた和製ホームズは「そんなつもりでやっている訳ではないのですがねえ」と苦笑いするも、満更でもない様子で、料理ができるまでの間、かぐや姫の質問に答え続ける。

 

 少しして優曇華が料理を運んできた。目玉焼きがトッピングされた《月見うどん》を中心に、鳥の串焼き、山菜の胡麻和えなど、ほか数品のおかずが座卓に置かれ、夕飯の準備が整う。

 

「「頂きます」」

 

 人里解放作戦時、食事として配られたのは、おにぎり等の手頃な食事ばかりだったので、永遠亭での本格的な食事はこれが初となる。さて、気になる《月見うどん》のお味は如何に。

 右京がうどんを箸でつまむと、もちっとした弾力が箸を通って指に伝わった。麺の太さは均一ではなくところどころバラけている。優曇華が丹精込めて作ったのだろう。前方斜めにちょこんと座る優曇華に感謝しつつ、右京は麺をズルズルと啜った。

 きつね色の汁が絡んだ麺が、口の中に入った途端、優しい風味が広がって、鼻から抜けていく。とてもバランスのよい味だった。頷いてから右京が優曇華を見やった。

 

「とても美味しいですねえ。ダシは何をお使いで?」

 

「えーと。鮎から取ったダシです」

 

「ほう、鮎ですか。いいですねえ。僕もよく鮎で作られた魚醤を料理に使うのですが、深みが増して全体の味がまとまり、丁度いい具合になるのです」

 

 その話を聞いた優曇華は戸惑った顔をした。

 

「魚醤が、ですか? あれって結構、しょっぱいですよ。魚の匂いも強いですし」

 

 古くから魚を原料にする魚醤は存在しているが、その癖の強さから醤油に取って代わられてしまった。同様に幻想郷でも魚醤の使用頻度は少ない。普段から料理をする優曇華にとって、魚醤を隠し味にするという概念はなく、不思議に思ったのだ。

 

「確かに。ですが、僕の愛用品は、ゆっくり時間をかけて作るので、魚特有の臭みが少なく、風味豊かなでまろやかな後味が広がるんですよ。あっ、実は未開封のものを持ってきているんでした。ちょっとだけ、味を確認してみますか?」

 

「えっ。あぁ。そうですね。興味は、あるかな……?」

 

 珍しく人間の話に興味を示す助手に師匠は「もらった包丁の切れ味がよかったから、機嫌をよくしたのね」と予想して、様子を眺めていた。

 大容量バックパックの中身を漁り、未開封の瓶を手に取る。100ml程度の小さい瓶だったが、それが逆に特別感を演出していた。テーブルに置いたそれの封を開け、予備の小皿に数滴垂らしてから優曇華の前に差し出す。

 

「味見をどうぞ」

 

 ほのかに香る魚の匂いには、鼻をつくような刺激臭はなく、むしろ、和風ダシだと言われたほうが納得がいく。優曇華は小皿を口元まで移動させ、魚醤を口に含んだ。

 最初こそ魚醤特有のしょっぱさを感じるが、次第にまろやかな後味が舌を満たす。確かにこれなら隠し味になる。彼女にとって、この味は目からうろこだった。

 

「これって本当に魚醤ですか? ダシ醤油とかじゃなくて?」

 

「ええ。そうですよ」

 

「これは、ちょっと驚きかも……」

 

 優曇華が感心したように零すと、姫が身を乗り出してきた。

 

「へぇ。面白そう。私も飲んでもいいかしら?」

 

「どうぞ。ですが、味が濃いので、試飲はごく少量で」

 

「わかったわ」

 

 輝夜は別の小皿に垂らした魚醤を口に運んだ。目を瞑って、味と香り、そして余韻を確かめているようだった。少し間をあけ、目を開けた彼女が評価を下す。

 

「魚醤の嫌な部分が削られていて、魚の持つ旨味だけが抽出されている。こんな美味しい魚醤は初めてだわ。良いものをお使いになっているのね」

 

 月の幻想郷に住まう高貴な一族の姫であり、地上でも貴賎を問わず、様々な男性から数々の高級品を貢がれた輝夜が言うのだ。杉下右京の舌は、本物であると証明されたに等しい。

 

「輝夜さんにそう言って頂けるとは、光栄ですねえ」

 

「大げさよ。私なんて、見た目はただの小娘だからね?」

 

「僕たち日本人にとっては伝説上のお方です。お目にかかれただけで、一生の思い出になりますよ」

 

「あら、そう? ……なんだか、照れるわね!」

 

 桃色の袖で口元を可愛く覆い隠す姿は、可憐な美少女そのもので、表の男子が見たら瞬く間に胸を貫かれるに違いない。完成された容姿と纏った雰囲気は、日本の美少女が束になってかかっても足元にすら及ばない。さすがは幻想郷三大美人の一角だ。

 平安時代、これほどの容姿の人物が実在したとなれば、命がけで貢物を手に入れにいく理由も頷ける。隣で見ていたモテ男の尊に「中学の同級生にこんな娘がいたら、玉砕覚悟でアプローチしてたな」と考えさせ、その美貌に幽々子にも匹敵する評価を与えさせる。

 気を良くした輝夜の姿を視界に収めた右京は、手元にある魚醤の入った瓶をゆっくりと彼女の手前に移す。

 

「せっかくです。こちらも差し上げましょう。普段のお料理に忍ばせて楽しんで下さい」

 

「いいの? ありがとう。ご厚意に甘えさせて頂くわ」

 

 二度に渡って、男性からの贈りものを素直に受け取るかぐや姫。永琳は「もう、この娘ったら。ごめんなさいね、杉下さん」と困ったように言ってみせるも、柔和な笑みを浮かべていた。それは輝夜が、月の姫でも、伝説のかぐや姫でもなく、幻想郷の地上人《蓬莱山輝夜》になっていた、と改めて認識したからだった。

 

 食事に戻った右京はうどんを半分食べてから、おひたしに箸を伸ばす。素朴な味つけだが、都会に染まった心を解きほぐすような暖かさがこもっていた。尊も心の中で「田舎のばあちゃん家に泊まりきたみたいだ。元気にしてるかな」と、思いを馳せる。

 子供のころはカブトムシを探し回り、大人になって訪れてみれば、緑の風景に癒やされる。田舎というのはなんとも不思議なものである。

 

 食事を満喫した特命係のふたりは、食前と同じように雑談を楽しみ、深夜を回ったところで寝支度を整え、用意された部屋で床に就いた。



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第175話 再会

 暗闇が徐々に薄らいでいく。小鳥たちがさえずれば、呼ばれるように地平線の向こうから朝日が持ち上がる。太陽はすべての生命に起床を促すように、上から光を当てていくのだが、翼を持つ者はその光の塊さえも見下ろすこともできる。

 

「もう朝か。新聞、配らないと」

 

 幻想郷にそびえる妖怪の山の上空で、大量の新聞を抱える黒翼を広げた少女が重い眼を擦った。あくびが出て、連動するように涙が出る。徹夜で作業して新聞を擦り終えたのか、黒い髪の毛はところどころ寝癖がつき、ボサついていた。

 

「それが終わったら新しいネタ、探さないとなぁ。なにか、あればいいんだけど」

 

 そう言って、少女は迫りくる朝日を振り切るように薄闇の中へと飛び込んでいった。

 同じころ、永遠亭の縁側に広がる庭で、右京は昇る朝日を真正面から浴びていた。永遠亭から貸してもらった灰色の着物が光の粒を吸い込んで、絵画のような非現実的な世界を創り出す。

 

「気持ちいいですねえ」

 

 東京の朝とは違い、機械が軋む音も喧騒なく、動物たちの生活音だけが耳に届く。深呼吸と共に空気の味を確かめれば、不純物の入っていない清らかな味がしたような気がした。

 

「空気も澄んでいる。やはり幻想郷はすばらしい」

 

 小鳥たちが奏でるオーケストラとステージを彩る竹林、それを朝日の照明が照らす天然のコンサート。右京は、両腕を広げて感動を表現した。その勢いのまま、空を仰ぎ、天を讃えると、薄黒色を含んだ雲が揺らいだような気がした。彼が目を細めると白いシャツと黒いスカートをはいた少女の姿が瞳に映った。

 

「おやおや」

 

 ひとひとり、浮かせられるほどの大翼を羽ばたかせる人影だ。あのような人物は幻想郷にゴロゴロいるが、独特の赤帽子をかぶる種族は限られている。しかも、どこか知人に似ていた。ものは試しに、と右京が手を振った。

 すると、影は一時停止して、数秒後に急降下を始め、地上三十メートル辺りで減速。若干の砂埃を舞い上げながら右京の正面に両脚を曲げて着地する。

 翼を持った少女は、立ち上がってから驚いたように第一声を発した。

 

「あの、杉下さん、ですよね!?」

 

「お久しぶりですね、射命丸さん」

 

 彼女の正体は右京たちと協力関係にあった新聞天狗、射命丸文だった。狡猾でふてぶてしい態度を取る曲者で、売上のために右京たちを苦しめた妖怪だったが、ひょんなことから共闘する形を取る。人里解放に尽力したことが評価され、記者生命をつなぎとめた彼女は以前と同じように新聞を刷っては、ばら撒いている。

 

「ど、どうやってここへ?」

 

「現時点では、偶然が重なった結果、としか言えませんねえ」

 

 語尾を伸ばして、スマイルをくれる刑事に、彼女はイラっとした態度をみせる。

 

「いやいや、そんな偶然が重なった程度で幻想入りなんてできる訳ないですから。どこか、霊的地場の強い場所から移動してきたんですか?」

 

「はてはて、どうでしたかねえ〜」

 

 空の一点を見つめ、右京は考える素振りする。実際は演技にすぎない。文がそれを理解できないはずもなく、イライラを募らせていく。

 

「なにか、思い出してくれません? きっと、皆さん、知りたがると思いますよ!」

 

 知りたいのは記事にして売上を伸ばしたい文本人だったりするが、表情に出せばバレてしまう。焦りは禁物。わかっていても、焦らしのプロである右京を相手するのは難しく、はぐらかされる時間が長引くほど、顔の血管が浮き出てくる。爆発寸前の新聞天狗を横目でチラリと窺った右京は「そろそろですかね」と、心の中で呟いてから両手を叩いた。

 

「あっ。そういえば」

 

「なにか思い出しましたか!?」飛びつく速さも天狗級な彼女は相手の話すら遮ってしまうが、右京はマイペースな手つきで、懐から写真を取り出して見せた。

 

「この人物に見覚えはありませんか?」

 

「いえ、ありませんが。誰です? この方」

 

「幻想郷テロ事件の黒幕と思しき男です」

 

「は、はい!?」

 

 事件が風化しかけていたので、すっかり忘れかけていたが、幻想郷テロは文にとって他人事ではない。策略に引っかかり、結社進撃のきっかけを与えてしまったのだから。あまりの屈辱に夢の中でうなされることもしばしば。文は血相を変えて詰め寄った。

 

「この男が犯人なのですか!? コイツがッ!」

 

 感情が先行して口調が荒くなる。今にも写真の中の人物に殴りかかりそうだ。

 

「ほぼ間違いないと思いますが、確かめる必要があります。幻想郷に迷い込んだこの人物を外へ送ったのは霊夢さんでしたよね?」

 

「そう聞いてます」

 

「この写真をお預けします。霊夢さんもしくは里で彼のお世話をした慧音さんに確認してきて下さい。確認が取れれば、この男が黒幕です」

 

「りょ、了解しました!」

 

 写真を受け取った文はすぐさま、飛び立って空を駆け抜けていった。見送った右京がそのまま明けた空に浮かぶ雲を眺めていると縁側の雨戸が開く音がした。

 

「朝から誰と話していたの?」

 

 雨戸を開けたのは白い寝間着姿の輝夜だった。振り向いた右京は笑いながら「我々がよく知る新聞屋さんですよ。僕の代わりに霊夢さんに確認を取りに行ってもらいました」と語ってみせる。

 

「あの厄介者を顎で使うなんてね」

 

 かぐや姫はわらじを履いて、紳士の側に並ぶように立った。風を浴びて絹のような長髪が揺れ動き、丸い瞳に空の色が混ざり、身にまとうオーラが一層、輝き出す。どこまでも絵になる少女だ、と右京は微笑んだ。

 

「本当にいい景色です」

 

「私も気に入っているわ」

 

「いつも、この景色を堪能できる輝夜さんが本当に羨ましいですねえ」

 

「そんなにかしら? ……表の日本ってそこまで汚れているの?」

 

「残念ながら、都会になればなるほど、緑は失われています。昔の景観を残すのは開発が進んでいない地域だけです。そこも徐々に人の手が入っていき、鉄やコンクリートの人工物に取って代わられる。逃れられない定めです」

 

 かぐや姫の時代と異なり、現代人は物質的豊かさを求めて自然を破壊する。経済や国民、技術的意義など、様々な理由をつけてはその都度、緑を消し去り、青を穢す。

 近年、環境破壊は深刻化しており、このままでは地球が持たないと本気で危惧する者も多い。意識の高い活動家たちが常に声を上げ、政府や無関心な国民たちと激しい議論を繰り広げている。

 その映像を想起されると右京は口を結んだ。トーンから相手の心情を理解した輝夜もつられるように表情を硬くする。

 

「なんだか、悲しいわね」

 

「だからでしょうか。ここにいると非常に落ち着くんですよ」

 

「ここは、ひともカッパも入ってこないから、ずっと変わらない。変化を求める者はつまらないと言うけれど、そこがいいところだと思っているわ。これからも、きっと……」

 

 空を舞う無数の鳥たちの姿がふたりの情緒を誘い、幻想の朝に花を添える。この空が、この日々が、どこまでも、いつまでも続いてほしい。同じ雲を見上げるかぐや姫の心情を察した右京は「僕もそう思います」と同意した。

 

「ありがとう」

 

 どこか安心した輝夜は縁側まで移動してからそっと腰を下ろした。

 

「ところで、杉下さん。昨日、言いそびれたのだけど……」

 

「なんでしょう?」

 

 振り向いた右京に彼女がある頼みごとをする。

 

「私。以前から表の料理が食べてみたかったの。もし、よかったら、なにか作ってくれない?」

 

 目を閉じ、手を合わせて頼む姿は可憐の一言に尽きる。見た目の年齢が離れているにも関わらず、まるで心臓を鷲掴みされるような感覚を味わった右京は心の内で「さすがは伝説の美少女。世の男たちを虜にしてきただけのことはある」と改めて称賛した。

 ちょうど、自炊用の調理器具や調味料、スパイス等の材料は揃っている。このお姫さまに作ってあげるのも悪くない。もしも、一流の味を知り尽くした彼女から高評価を得られたのであれば、それはそれで肴の酒になる。料理の腕に多少、覚えのある和製ホームズはその申し出を受けることにした。

 

「わかりました。お作りしましょう。どのような、お料理がいいですか?」

 

「食べたことない料理かな。幻想郷じゃ食べられない品がいいわ。可能ならだけど」

 

「幻想郷じゃ、食べられないーー洋食ですかねえ?」

 

「悪くはないけど、紅魔館で出るようなものはちょっと遠慮したいかも。この前、食べたとき、冷めて固くなっているのが多くて、味もなんか独特で苦手だったのよね。だから良いイメージがなくて……」

 

 立食形式はテーブルに出された直後はいいが、時間が立てば冷えてしまう。タイミングが合わなければ、冷たい料理を食べるなんてザラだ。メニューや材料、味つけも右京たちのような客人に出すコース料理とは異なり、節約を念頭に置いていたはずだ。生粋のお嬢さまである彼女とは、なにもかもが合わなかったのだろう。

 

「となると、和食辺りですが。僕が持ってきた材料だと、お味噌汁くらいしかお作りできません。ふむ……」

 

 約二週間分の食料と調味料等を持ってきているが、保存可能な材料が中心であり、簡単な料理しか作れない。洋食は本人の希望とは違う。

 かと言って、中華料理を用意するだけの材料はない。さて、どうするべきか。視線を上に投げてから右京は頭を回転させて、脳内からバッグの中の材料のリストを引きずり出す。考え始めるのと同時に、あるメニューが思い浮かんだ。

 

「大正時代に海外から伝来し、独自のアレンジが加えられた結果、現代日本の国民食にまで成長した料理があるのですが。それならどうでしょう?」

 

「へー。面白そう。洋食なの?」

 

「洋食ですね。しかし、世界的には日本独自の料理、つまり日本食として扱われており、各方面から高い評価を得ています。僕自身、いくつかレシピを持っていましてね。結構、自信があるんですよ」

 

「そうなんだ。うん、それでいいかも。朝ごはんに間に合うの?」

 

「レシピの都合上、完成までには色々、手を加えなければならないので、最低でも二時間、いや三時間程度は欲しいですね」

 

「じゃあ、お昼かお夕飯ね。楽しみにしてるわ♪」

 

 

 輝夜と別れ、寝床に戻った右京を、目を覚ました尊が待っていた。

 

「どちらに?」

 

「朝日を拝みに。途中、射命丸さんが僕のところを訪れてくれたので、南井の写真を渡して、霊夢さんに確認を取ってくるように頼みました」

 

「見返りは要求されましたか?」

 

「いえ、特には」

 

「珍しいですね。よほど、腹を立てていたのかな」

 

「でしょうねえ。人間相手にあそこまでコケにされたのは初めてでしょうから」

 

「プライド高そうですしね。当たり前か」

 

 初対面であるにも関わらず、バチバチのオーラを放出してきた姿を思い出し、尊は小さく笑った。その間に、右京はバックを開け、調味料や香辛料の確認をしだした。

 手際よく、並べられていく中身が入ったチューブ、瓶、そして市販のルー。日本人ならなにを作るのか、想像がつく。興味深そうに様子を見ていた尊が細い目を大きく開いた。

 

「安定のキャンプ飯ですね。朝食にするおつもりで?」

 

「実は輝夜さんに表の料理を作って欲しいと頼まれましてね。お昼かお夕飯にお出ししようと考えています」

 

「お肉、あるんですか?」

 

「台所にいた優曇華さんに訊いたところ、猪肉があると言ってました」

 

「猪肉ってイノシシですよね? 結構、独特な食感だから、この料理に合うのか未知数だな……」

 

「工夫すれば問題ないかと」

 

 ニヤリと笑う右京。我に秘策ありといった具合だろう。彼の腕前が並の一般男性を遥かに凌ぐと知っている尊はふっと笑ってから「楽しみにしていますね」と告げ、外の空気を吸いに部屋を出ていった。

 部屋に残った右京は手に持ったスパイスの小瓶を左右に振ってからかぐや姫を喜ばせる算段を整える。

 

 

 朝八時。居間でふたりが食事を食べ終えるのと同時に縁側に三つの影が差し込み、上空から三人の少女が降ってくるように降下。途中で器用に減速してから綺麗に着地する。

 ひとりは右京の頼みを引き受けた新聞天狗。残りふたりは、黒い魔女帽子をかぶったやや小さい金髪の少女と赤いリボンで髪をとめる巫女服の少女だった。

 着地音を聞き、視線を向けた右京と尊は彼女たちの姿を捉えると、すぐに立ち上がって、縁側まで駆け寄った。

 少女ふたりも特命係の姿を見た途端、驚きのあまり、言葉が出せずにいた。無言のまま、再会を終わらせる訳にはいかないので、右京が口火を切る。

 

「お久しぶりですねえ。おふたりとも」

 

「やっぱり、おじさんたちだ……」

 

「そう、みたいね……」

 

 少女たちは、挨拶もおぼつかない様子で右京たちを凝視している。ふたりの正体は霧雨魔理沙と博麗霊夢だった。ともに幻想郷の中で事件を捜査し、ときに味方、ときに敵。状況に応じて立場を変えてきた、特命係幻想郷支部を語るには欠かせない存在。実に一年ぶりの再会である。

 

「どうも。元気だった?」右京の隣に立つ尊が問いかけると、ふたりが「まぁな(はい)」と頷いてみせる。

 

「そっちも元気そうだな」

 

 鼻を鳴らす魔理沙だが、どこか嬉しそうだった。霊夢も言葉に出さなかったが、ホッとした顔をしていた。如何に厄介者だったとはいえ、心配していたところもあったのだろう。しかし、用を思い出した霊夢が目つきを鋭く尖らせて、右京に詰め寄った。

 

「それより、写真の男が黒幕だって本当ですか!?」

 

「あなたが送った人物が彼であるのなら黒幕です。見覚えはありましたか?」

 

「はい。間違いありません。あの男です!」

 

「そうですか」

 

 これで南井十が黒幕であると断定できた。物証は残っていないが、状況から判断すれば疑いようもない。それは宿敵と思っていた相棒が犯した罪がまたひとつ、増えたことの証でもある。右京は心の傷が疼くのを感じ、静かに鼻から息を吐いた。

 そして、右京は自ら痛みを広げるかのように協力者へ表に帰ってから自分たちがしてきた捜査とその結末をメリーの話だけを除いた要点だけを伝えた。

 話を聞かされた三人の中には色々な感情や考えが渦巻いていた。

 

「まさか、戻ったあとにも殺人事件を起こしていたとはなぁ……」

 

「いざ、逮捕してみれば記憶喪失でなにも聞きだせず、脱走からの行方不明……」

 

「崖の上でもみ合った形跡と血痕が発見されたけど、辺りからは黒幕以外の靴跡は見当たらなかった……」

 

 魔理沙、文、霊夢はそれぞれコメントしてからさらに考察してみたが、答えを出せず、眉間にシワを寄せて唸るばかりだった。

 

「犯人が姿を消した以上、捜査はここまでです。仮に見つかったとしても、記憶が戻る可能性は低く、真相は闇の中でしょう」

 

「なんだかなぁ……。勝ち逃げされたみたいで嫌だな」

 

「まったくだわ」

 

 犯人をとっちめてやりたかった人間ふたりからため息が漏れた。結局、裁かれなかった南井十はある意味、逃げ切ったともいえる。本来なら逃した刑事たちにも小言を言いたいところだが、彼女らも派手にやらかしているので何も言えない。

 やり場のない怒りをどこにぶつければいいのか。少女たち三人は地面を不満げに睨みつけていた。ふいにその後方から、ふたりの人物が現れる。

 

「おぉ、杉下どの。こっちにやってきたのか」

 

「アンタら、また幻想入りしたのか!?」

 

 耳と大きな尻尾を出したマミと地面スレスレまで伸びた銀色の長髪が特徴的な藤原妹紅だった。

 声に反応して振り向いた霊夢が「なんでアンタたちがここにいるの?」と訊ねる。

 マミは「新聞天狗が騒がしいと狸の部下が言っていたもんでの。昨日は竹林で妹紅どのと飲んでいて、竹林の自宅に泊まらせてもらっていたから、一緒に様子を見にきたんじゃよ」と答えた。

 付き添いの妹紅も頷いてから特命係に視線を向けて「今度はどうやってここに入ってきたんだ?」と問いかける。

 

「どうしましょうか?」

 

 五人から視線が集中する中、尊は正直に話すべきか迷い、右京に判断を仰いだ。元上司は「そうですねえ」と一拍置いて、懐にしまい込んだ葉っぱを取り出した。

 

「この葉っぱを神社の境内で月にかざしたところ、光に包まれて幻想入りできました」

 

 日光を反射してキラキラの輝く葉っぱを見て、なにかを感じ取ったのか、彼女たちは驚いた。その中で霊夢がいち早く動いて、葉っぱを右京から預かる。

 

「この葉っぱ。間違いない。霊力が宿っているわ」

 

 巫女は相手の手元にある段階から、葉っぱ自体に霊力が漂っていることを察知していた。裏側もくまなく観察してみるも、霊力を発しているという点以外、わからない。魔理沙や文も手に取って、色々と観察するも正体までは突き止められない。

 様子を見守っていた妹紅が「旦那はアレがなんだか、わかるか?」と問いかける。マミは右京にちらっと目配せしてから「()()()()()()()()()」と、ごまかした。

 戸惑う尊だったが、右京本人は「そうですか。なるほど」と相槌を打つにとどめる。やはり、マミは無関係を装うつもりのようだ。バレてしまうと面倒なのだろう。

 

 すぐに魔理沙が葉っぱをどこで手に入れたのかを訊ねてくるも、右京は永遠亭の住民に行った説明を繰り返す。ジャーナリストから「なにか、思い出せることは?」と問われた際も「これが、特にないのですよ」とお得意の演技で難なく乗り切る。

 最終的に根負けした魔理沙と霊夢が追求を諦めて縁側に座った。ふたりは喉が乾いたことを理由にして優曇華にお茶を求める。嫌がる優曇華だったが、永琳からお茶を淹れるように指示を受け、面倒くさそうに台所に向かう。

 同じく右京も「ついでに僕たちも失礼します。やることがあるので」と断りを入れ、嫌がる尊を引き連れて縁側を離れた。詳しい説明をせず、立ち去った彼らの背中に五人は戸惑いの目を向けていた。そこに事情を知る輝夜が、

 

「ふたりはね、表のお料理を作ってくれるのよ」

 

 と、笑いながら言った。



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第176話 料理人、杉下右京

 浜辺でひとりの少女が眼前に広がる海を眺めていた。動物たちの鳴き声は聞こえず、波紋ひとつ立たない水面がどこまでも続いている。

 頭上に浮く雲さえも無機質な作りものに思え、地平線の遥か先には巨大で青く丸い物体がまるで浮いているかのように鎮座する。異質な光景だが、彼女にとっては代わり映えのない光景だった。

 

「ここにいたのね」

 

 聞き覚えのある声に少女は、ややつり上がった目尻を緩めてから後ろを振り向く。

 

「姉さま。どうかなさいましたか?」

 

 姉と呼ばれた人物も年の近い少女で、彼女とは対照的に明るい笑顔を振りまいている。

 

「仕事が予定よりも早く終わったの。だから、明日の朝まで自由の身! これを喜ばずにはいられないわ! あなたも、今日の訓練は午前中までよね?」

 

「ええ。そうですが」

 

「じゃあ、今日は飲むわよ。古酒を開けましょう!」

 

 そう続けた姉。妹は白い目で見つつ、乾いた笑い声をあげる。

 

「まさか、昼間からお飲みになるつもりですか?」

 

「それは、あなた次第だけど?」

 

 右目のウィンクが飛んでくる。表情を無に切り替えた妹がそれをサッと避けた。

 

「上に怒られます。飲むのは夜にしましょう」

 

「そっかぁ〜。それも、そうよね。でも、夜までどうやって時間を潰そうかしら? 散歩は飽きたし、都めぐりも面白みに欠けるしねぇ。なにか、いいアイデアはない?」

 

「と、言われましても……」

 

 暇なときは部屋の掃除を行い、所有している名刀たちを手入れする。それが終われば、書物を読み漁り、ひとり囲碁を打ち、かわいい盆栽を愛でる。姉に誘われない限り、休日のルーティンが変わることはない。

 反対に姉は時間を見つけては、ふらっと外に出ていく。同じ場所にとどまれない性格なのだろう。

 そんな姉に意見を求められても、答えを出せるわけがなかった。困った妹が視線をそらす。視界の端に映るのはまん丸い球体だ。

 

「(あの方は元気にしていらっしゃるのだろうか)」

 

 幼いころ、座学や剣術の稽古をつけてもらった記憶が蘇る。あまり感情を表に出さず、厳しいところがあったが、とても聡明で心根の優しい人物だった。

 突然の別れだったが、数年前に会う機会に恵まれ、対面した妹は物腰の柔らかくなった恩師に大層、驚いたものだった。

 その理由は未だに不明であり、彼女の中で疑問が解消されることはなかった。時折、球体を眺めている理由もそこにある。お前があの方を変えたのか、そう問いかけ続けているのだ。

 もちろん、答えが返ってくることなど、まったく期待していない。自問自答の類だ。それでも問わずにはいられない。この少女の性だった。

 自身との会話の最中にも関わらず、球体に目を奪われた妹を見た姉は顎に手をやってから「なるほど、なるほど」と唸った。

 

「あの方のところへ行こうって言うのね」

 

「いえ、決して、そういうことでは……」慌てて訂正する妹の言葉を姉が遮る。

 

「いいじゃないの。私は賛成」

 

「ですが、今は薬屋を営んでいるとおっしゃっていました。人間たちの治療で忙しいかもしれません。それに、あの連中も我々を快く思わないでしょう。もしも、あの方に迷惑がかかってしまったら……」

 

 恩師の手を煩わせることなどできない。義理堅い妹は迷惑がかかるような行為は慎もうと考えて、ここ最近、高まる気持ちを抑えていた。そんな淡い想いは苦楽を共にする姉には筒抜けだった。

 

「確かにね。だけど、そんなこと行ってみなきゃわからないわ」

 

「しかし……」

 

「様子を見てくるだけでもいいじゃない。準備しましょ?」

 

「……」

 

 にこっと笑みを浮かべる天真爛漫な姉。この姿にどれほど困らせられてきたかわからないが、おかげで寂しさを感じずに済んでいる。

 本来、孤独なはずの自分を気にかけてくれる数少ない肉親だ。恩ある姉の提案を無視できるほど、この妹は薄情ではない。

 

「…………様子を見てくるだけなら」

 

「ふふっ。ありがとう」

 

 折れた妹に礼を言った姉は身支度を整えるために、一足先にこの場を離れた。

 ひとり残った妹は海に背を向けて、こっそりと微笑んでから、姉の後を追うように静かに立ち去った。

 

 

「さあ、十二時半までに間に合わせますよ」

 

 エプロンに着替えた右京が尊に言った。

 

「今、九時半ですよね。そんなにかかります?」

 

 エプロンに袖を通しながら尊が質問する。

 

「少々、手を加えますので、煮込む時間を考えれば、最低三時間は欲しいですね」

 

「結構、本格的ですね。市販のルーを使うんですよね?」

 

「もちろん。スパイスから作るのは時間がかかりますし、大量には作れませんから」

 

「なるほど。で、ぼくはなにをすれば?」

 

「玉ねぎはみじん切りに。人参はすりおろしてください。それが終わったらお米を炊いて欲しい」

 

 調理台の端っこには右京が持参した調味料と香辛料以外に、優曇華が用意した玉ねぎ三個と人参ふたつ、にんにく、生姜、長ネギが置かれている。

 相変わらず、隙がない。いつものように呆れてしまうも、文句を言わずに尊は下処理に取りかかる。サボって仲間はずれにされるのはごめんだった。それに右京の料理は美味しいので、密かな楽しみだったりする。

 元部下が野菜を切っている間、右京は比較的小さな鍋を用意して猪肉を入れる。その中に、潰したにんにくと生姜をスライスしたものを入れてから水を入れる。水に肉が隠れたところで手を止め、潰した長ネギを加え、アクを取りながら弱火で煮込む。食感をやわらかくし、臭みを取るための行為だ。これなら癖のある猪肉も問題なく食べられるはずだ。

 尊が指示通り、下処理と米炊きの作業を終えると、右京は持参した24センチのフライパンにエキストラバージンオリーブオイル(酸度0.2%以下)を引き、パウダー状のクミンを振りかけた。

 

「冷たい状態からゆっくり火を通していきます」

 

 側で見ている者にその意味を教えるように語ってから、薪に火をつける。クミンは弱火で火を通すことでより香りが引き立つ。数分もすれば台所にスパイスの匂いが充満する。

 

「インドカレー店みたいな感じになってきましたね」

 

 昔、通ったインドのカレー屋の匂いを思い出した尊が懐かしんだ。

 

「まだまだ、これからですよ」

 

 そう言って、クミンの匂いが移ったオイルにみじん切りにした玉ねぎを投入する。弱火とはいえ、数分も熱されていれば中の温度はそれなりに上昇する。ジューという音と共に玉ねぎが踊り狂う。

 脱水を促すべく塩を降り、それをヘラで混ぜてから平にならす。火力を強火に上げる。焼ける音がパチパチ、という音に変化したところで水を差す。この工程を十分ほど繰り返すと、玉ねぎにうっすらとした茶色に変わる。

 

「なにを作っているんですか?」

 

 様子を見にきた優曇華が変色した玉ねぎを見て訊ねる。作業に集中する右京に代わって尊が答えた。

 

「飴色玉ねぎだよ」

 

「飴色、玉ねぎ?」

 

「玉ねぎは火を通すと甘くなるよね。ああ、やって茶色になるまで炒めると甘さが引き出て、料理の旨味が増すんだ」

 

「へー」

 

 十五分も経つころにはすっかり狸色になり、ペースト一歩手前の段階まで進む。インドカレーなら玉ねぎが黒っぽくなるまで炒めるが、日本式カレーならこのあたりで止めても問題ない。

 続いて、摩りおろした人参を加え、にんにくと生姜も小さじ一ほど、摩りおろして入れる。軽く混ぜ合わせたら、ガラムマサラ、コリアンダー、カルダモン、チリパウダーを振りかけ、再加熱。

 水と沈殿物を取り除いた猪肉の煮汁、持参した赤ワイン、予め裏ごしされたダッテリーニトマト(甘味の強いイタリアのトマト)で鍋を満たし、ローリエを浮かべる。沸騰後、借りた蓋をして弱火で煮込む。

 

 猪肉は一時間近く、ごく弱火で煮込んでいたのもあって、かなり柔らかくなっていた。それを取り出し、一口大にカットしてから鍋の中に落とす。ここから三十分ほど煮込む。

 待っている間、右京はルーを箱から取り出して、割り入れられるように四個に割った。見慣れない色の材料に首を傾げる優曇華に尊が「あれはルーといって、調理工程を簡略化できるように作られた固形物なんだ」と語った。他の形状も存在するが、ここで使われる市販ルーは固形物なので間違いではない。

 

 さらに三十分が経過する。鍋を火から離し、粗熱が取れるまで冷ましてからルーを入れて、とろみがつくまでゆっくりかき混ぜる。ダマになっていないかしっかり確かめ、鍋を火元に戻す。弱火で加熱して、仕上げ用の隠し味であるチャツネ、鶏ガラスープのもと、インスタントコーヒーのもと、ケチャップ、オイスターソース、鮎の魚醤、砂糖などを加えて、じっくり煮込むまたは一日、寝かせて完成だ。

 右京の腕時計の時針が後少しで午後一時を回ろうとしていた。

 

「おっと。約束の時間を少し、オーバーしてしまいましたねえ」

 

「大丈夫よ。皆、雑談しているようだから」

 

 さっきまでいた優曇華のところに永琳が立っていた。

 

「皆、というと。霊夢さんたちもですか?」

 

「新聞天狗はすぐに去ったけど、残りの四人は輝夜と一緒に話してるわ。黒幕はなぜ、失踪したのか、おふたりが所持する葉っぱの正体とは、とかね。でも、一番の理由は」

 

 彼女の視線の先にあったものは料理が入った鍋だった。

 

「食べてみたいそうよ」

 

「そうでしたか。輝夜さんはなんと?」

 

「最初は嫌そうだったけど、優曇華が鍋いっぱいにあると言ったら、OKを出していたわ」

 

「寛大なお方ですねえ」

 

「自分たちだけじゃ、食べきれないと思ったからじゃない? あの娘の考えそうなことね」

 

「いや、分量的に八人〜十人前はあるので、ちょうどよかったかもしれませんよ」

 

 尊が告げると永琳は「えっ、そんなにあるの?」と驚いた様子だった。

 

「手軽に大人数分を作れるのが、この国民食の特徴ですから」

 

 グツグツと小さな音を立てる煮込み料理に永琳の興味が向いた。近づいた彼女が匂いを確かめてから、鍋を覗いた。

 

「複数の香辛料の匂いがするわね。それに、この色合い……。天竺(てんじく)の薬膳料理かしら?」

 

「その通りです。ですが、表の日本では本場とは少し異なり、独自のアレンジが施されております。現在では、世界に逆輸入されるほどの人気を誇っているのです。かぐや姫にはそれを味わって頂こうかと思っていますが、大丈夫でしょうか?」

 

「問題ないと思うわよ。あの娘、あまり好き嫌いしないし。だけど、ちょっと味見したほうがいいかもね」

 

 永琳は笑いながら自身を指差した。右京が液体を移した小皿を彼女に手渡す。小皿を傾けて、液体を飲み込めば、口の中へ今まで味わったことのない、五つの津波が押し寄せる。

 一瞬、戸惑いをみせた彼女だったが、口内の味がサッと引くころには、料理のコンセプトを理解したようだった。月の賢者は目を見開きながら紳士に「こんなの、よく作れたわね……」と、驚きにも似た称賛を与えた。

 

「輝夜さんは喜んでくれるでしょうか?」和製ホームズの問いかけに姫の保護者が「たぶん、喜ぶと思うわ」と即答する。

 お墨つきをもらった右京は尊が用意したご飯を幅広の器に盛りつけ、余ったスペースに液体を流し込む。それをお盆に乗せて居間へと運ぶと、文を除いた少女たち六人が待っていた。

 

「きたわね」

 

 待ってました、と輝夜が嬉しそうに手を叩いた。他の面々が注目する中、右京は料理が盛られた皿とスプーンを輝夜の正面に置いた。

 やや紅みを帯びてはいるものの、元々の茶色さを残す液体と白いごはんのコントラストが見る者の目を釘づけにする。

 

「これは……?」

 

 輝夜に訊ねられた右京が料理名を告げた。

 

「天竺発祥の料理、カレーライスです」

 

 天竺、つまりインドで生まれたそれはカレーライスだった。元々は名前のない料理だったが、イギリスに渡ったのち、カリーと名づけられる。日本に輸入されてからはカレーライスと呼ばれ、日本全国で親しまれるようになった。

 世界的にも有名な料理だろう。インドカレーと日本式カレーは別物とされているが、右京の料理は市販のルーにインド風の調理工程と大量の隠し味の加えた、本格寄りな日本カレーとなっている。

 トマトとチリパウダーを使ったことで、茶色のカレーからやや赤みがかったカレーに変化している。

 色合いで避けられるリスクを減らす目的があった。初見だと〝アレ〟を連想する人間もいるためだ。辛さを比較的、抑えるべく辛口のルーに甘味を多めに入れており、子供でも十分、食べられる辛さになっている。香辛料の匂いが居間にいる全員の鼻孔をくすぐった。

 

「わ、私らの分はあるよな!?」

 

 真っ先に訊ねてくる魔理沙に右京は「もちろん」と答え、続くように尊が皆の分の料理を持ってくる。永琳と特命係のふたりの分を含め、座卓に九人分の皿が並ぶ。出された料理をまじまじと観察する少女たち。

 

「カレーライス。存在は知っていたが、初めて見るぜ……」

 

 知識欲の強い魔理沙はカレーの存在を認知していた。しかし、幻想郷という閉鎖空間では食べる機会はない。外来人に材料を持参して作ってもらうという特殊な状況を除いて。今回がそのときだ。魔理沙は生唾を呑んだ。

 

「美味しそうだけど、食べられるのよ、ね……?」

 

 やや茶色の残ったルーは腹を下したときの〝アレ〟に見えなくもない。目の前の紳士はそんなマネをしないとわかっていつつも、実は罠だったという可能性を考えてしまう博麗の巫女。

 

「玉ねぎが完全に溶け込んでる……。肉以外の具材が見当たらない」

 

 非常に香ばしい匂いがするのだが、未知の香辛料が大量に使われているので、味の想像がつかない。使用人の優曇華は、外来人が作った料理に不安と好奇心の両方を抱えながら、白米の島と赤茶色の海、そこに浮かぶ肉の岩礁が織りなす世界を見下ろしていた。

 

「いい匂いじゃのう。これはかなり期待できそうじゃな」

 

 外来妖怪のマミはカレーを食べていたのか、見た目への抵抗は皆無だった。

 

「旦那が言うなら、大丈夫なんだろう……」

 

 目を細めながらカレーを観察する妹紅。彼女も霊夢同様に〝アレ〟を連想しているようだった。信頼を置いているマミがいなければ、食べるのを渋ったかもしれない。

 

「改めて見ると、インドカレーっぽいよな。作り方は日本カレーなのに」

 

 色が変われば、印象も変わる。香辛料を足したこともあってか、家庭料理よりも店の匂いに近くなっている。尊の中でも杉下カレーへの期待感が高まっていた。

 右京が順番にスプーンを置いていくが、足りなくなり、右京と尊、永琳は代わりに箸を使う。湯呑に用意されたお冷も全員に行き渡る。さて、実食の時間である。

 右京が輝夜のほうを向いて言った。

 

「お召し上がり下さい」

 

 まずは輝夜から食べてほしい。彼の瞳に宿る意思を感じ取り、輝夜は「わかったわ」と頷いて、ルーとご飯を掬った。

 スプーンの上、半分が白米。もう半分がルー。一対一の割合で綺麗によそわれている。皿の縮小版と言ってもよい。後は、これを口に含むだけだ。

 

「(こんな香り。初めてだわ)」

 

 平安時代の日本では、お目にかかれなかった料理にかぐや姫も多少の緊張を覚える。霊夢や妹紅のような発想はないが、目の前の料理の味が想像できなかった。未知の料理がこれほど、自分を悩ませるとは。かつてのかぐや姫なら、特に気にせずに食べたのだろうか。どのようなコメントするのだろうか。嫌味に聞こえてしまわないだろうか。

 そんな考えが頭をよぎる。だとしても今の自分は蓬莱山輝夜だ。地上人として食事を楽しもう。そして、思ったことを言おう。意を決して、輝夜はカレーを口に入れた。

 

「……」

 

 さっきまではしゃいでいた輝夜が嘘のように静かになった。料理を咀嚼して飲み込んでから数秒が経過する。彼女は口に右手をやって、なにかを考える素振りを見せた。

 口合わなかったのか。周囲に緊張が走った。しかし、その小ぶりな口から放たれたのはーー。

 

「――美味しいわ」

 

 お褒めの言葉だった。直後、周囲の緊張が解かれ、誰もがホッと胸をなでおろす。輝夜の感想が続けられた。

 

「複雑な味なのだけれど、バランスがいい。最初は甘味がやってきて、次々に塩味、酸味、苦味が押し寄せ、最後に辛味が口の中を満たす。そして、後味がよくて尾を引かない。だから、くどさもない。残るのは深みのある余韻とほどよい辛さ。当然、ご飯との相性も抜群で、お供としてこれ以上ないほどの組み合わせ。……さすが、国民食と呼ばれるだけのことはあるわ」

 

 かぐや姫としての威厳を見せながらも、子供のような笑みを浮かべる。輝夜のカリスマ性が発揮された瞬間だった。右京はコクンと頷いてから「気に入ってもらえたようですね。お作りした甲斐がありました」と嬉しそうに言った。

 こんな感想を聞かされて、少女たちがおとなしくしていられるわけもなく。一斉にスプーンでカレーを掬い上げる。そして、口に押し込めばーー。

 

「「「「「「うまっ!!」」」」」」

 

 皆、声を上げた。その味は幻想郷の住民にとって例えようのない味だった。津波のように味覚に押し寄せる旨味の塊たち。それらひとつひとつの濃さがバランスよく整えられており、最後の余韻は水中に飲み込まれるような錯覚すら感じさせる。

 大量の隠し味が独特の深みを作り、料理を複雑化させる代わりにオリジナリティが付与される。これは日本カレーの特徴といえる。

 表でカレーを食べていたはずのマミも「うむ。このカレーは一般家庭で出されるものとは比較にならんぞ。なにを入れたら、こうなるんじゃ?」と唸りながら首を傾げている。

 彼女の言う通り、一般家庭で振る舞われるカレーはここまでの味わいにはならない。隠し味に合うとされる様々な香辛料や調味料を味の調和が取れるように丁寧に加えたことが短時間で旨味を引き出せた大きな理由となっている。

 少女たちに遅れる形で尊がカレーを頂いた。

 

「専門店の味に近いですね。でも、市販のルーの味も残っている。家で出てくるカレーライスの最上位版って感じがします。猪肉も香味野菜で下茹でしたからか、ホロホロでジビエ特有の臭みもない。美味しいです」

 

 味に小うるさい男にも素直に美味しいと言わせた。右京は、ほくそ笑んでから自身の作ったカレーを口に含む。

 

「我ながらよいできです。カレーに猪肉が合うかどうか不安でしたが、問題なかったようです。ただ、バターを入れてコクをつけられなかったのが心残りですねえ」

 

「バターは常温保存が難しくて持ってこれなかったんでしたよね。だったら、仕方ないですよ」と尊が言った。右京の隣でカレーを食べる永琳も「十分、美味しいわ。これに文句をつけるのは、口の肥えた美食家くらいよ」と褒める。凝り性な彼も皆が納得しているならそれでよい、と自身の料理に満足して優雅なランチを楽しんだ。



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第177話 新たなる来訪者たち

投稿が遅れてしまい、申し訳ありません。
今年もよろしくお願いします!


 右京の作ったカレーは好評で、少女たちは舌鼓を打ちながらスプーンを動かし続けた。

 ある者は味について、ある者はカレーに合う酒の話、ある者は作り方について。それぞれが会話を楽しむ。

 作った甲斐があった。右京はひとりほくそ笑んで、彼女らの様子を眺めていた。

 四十分経つころには出されたカレーがなくなり、皆から礼を言われる。

 

「それはよかった。機会があったらまたお作りしましょう」

 

 右京は食器をお盆の上に重ね始めた。自分で料理を作ったら片づけも自身で行う。彼なりのマナーだ。そんな客人の姿を見た優曇華が「自分も手伝いましょうか?」と申し出る。

 

「ええ、お願いできるのなら」

 

 食器を運ぼうとするふたりに気まずくなった尊も片づけに参加。三人はそのまま台所に向かった。

 居間の残ったメンバーは温まった身体を冷やすために手をパタパタと動かす。

 

「はー、食った食った」

 

 魔理沙は生まれて初めて食べたカレーに大変、満足していた。

 

「これが国民食なんてねぇ。表ってすごいのね」

 

 癖の強い味だが、ご飯との相性が抜群でいくらでも食べられる。

 霊夢は大層、驚いていた。こんなのばかり食べられるなんてズルいわ、と。話を聞いたマミがいやいや、とかぶりを振った。

 

「これは特別じゃよ。一般家庭で出るカレーはもっと味が薄くて、水っぽい。もしくはドロドロしておる」

 

「そうなの?」

 

「そうじゃよ。一回の料理で大量に作れるから重宝されておる。栄養もあるしの」

 

「じゃあ、どうしておっさんの作ったカレーは美味いんだ?」と魔理沙が訊ねる。

 

 マミは唸ってから天井に目をやった。

 

「わからん。カレー自体は何回か食べたことはあるが、さっきのようなカレーは初めてじゃ。塩味、甘味、辛さ、酸味、苦味、すべてのバランスがよかった。神戸どのが専門店の味と言っておったから、本格的なカレーだったのじゃろうな。あの者が料理の腕も立つとは。……まこと不思議な男じゃわい」

 

 和製シャーロック・ホームズは本家同様、頭が切れて手先が器用。話術も優れており、真実を見抜ける洞察力と直感力を兼ね揃えている。

 幽霊が見えないという欠点も亡霊の女王によって克服し、一般的な外来人よりも高い霊感まで身につけた。短期間でここまでの成長を見せる杉下右京という男をマミは測りかねていた。

 残った湯呑の水をぐいっと飲み干した魔理沙が言う。

 

「さすがに空は飛べないだろうがな」

 

 早苗や菫子といった例外を除けば、外からやってきた人間は飛行能力を持たない。仮に飛行できたとしても遠距離攻撃を使えない以上、大した驚異にはならない。

 頭脳だけではやっていけないのが幻想郷だ。魔理沙の発言にはそんな意味が含まれていた。

 

「じゃな」

 

 マミは頷くにとどめた。

 

 

 同時刻。永遠亭の居間で行われている様子を物陰から覗き見るふたつの人影があった。

 

「楽しそうね」

 

「ですね」

 

 通気をよくするために窓が開かれていたこともあって居間は外から丸見えだった。生い茂る竹林の中に身を隠せば、誰でも気づかれずに観察できるだろう。

 このふたりも同じように考えて物音を立てないように小声で会話している。

 

「食事が終わったようだけど、挨拶しにいく?」

 

「姉さま。それはまずいですよ。知らない妖怪もいますし、よくわからない男ふたりもいます」

 

「そうね。片方は眼鏡をつけた紳士。もう片方は温室育ちそうな男性。うーん、どっちも悪くないわね」

 

「なんのお話ですか?」と妹が疑問符を浮かべる。

 

「私の好みの話よ。紳士もいいけど、あの細目のイケメンもいいわ。都にはいないタイプだもの」

 

「はい……?」

 

 何を語っているかと思えば、男の好みか。姉の奔放さに真面目な妹は開いた口が塞がらなかった。白けた視線を肌で感じた姉は言い含めるように語り聞かせる。

 

「男性の扱いを覚えなきゃ、いずれ苦労するわ。私たちだって、いつかは結婚するわけだし。今のうちに慣れておかないとね」

 

「ご身分をお考え下さい。結婚前にそこらの男と親しくしていたなどと悪評を立てられてしまえば、例えよき縁談が舞い込んできたとしても破談になるかもしれません」

 

「あー、それはあるかもね。でも、そうなったらそうなったでいいかも」

 

 独り身は気楽だし。ニヤリとする姉に妹はガクっと肩を落とさざるを得なかった。

 

「……ともかく、軽率な態度と発言はお控え願います」

 

「はいはい、承知いたしましたわ。我が自慢の妹さま」

 

「さまは、つけなくてもいいです」

 

「自慢のほうは?」

 

「そ、それは……」

 

 恥ずかしさから妹は視線を明後日の方向に投げた。何年経ってもこの娘はかわいいわ。姉は心の中でこっそりと微笑む。

 そんなときだった。一瞬だけ草木が不自然に揺れ、妹の目が見開かれた。直後、その後方で少女の声が響いた。

 

「あの〜。なにをして――」

 

 いち早く異変を察知した妹は反射的に腰に据えた刀を抜刀しながら身を翻し、その刀の切っ先を向けた。驚いた姉が刃に先端を見ると、そこには両手を挙げて困惑する射命丸文がいた。

 

「ちょ、ちょっと。いきなり何をするんですか!?」

 

 永遠亭の見張りを任せていた鴉から見知らぬ女ふたり組がいると聞かされ、インタビューを試みただけったのだが、疾風の如き瞬速を生かして背後を取ったことが不興を買ったようだ。

 

「貴様、何者だ?」

 

 鋭い目をさらに尖らせ、文を睨む姿は武器を構える修羅を連想させる。文は自身がとんでもない相手に話しかけたのだと悟った。だが、このふたりは上司でも妖怪の山を仕切る鬼でもない。頭を下げるのも癪な彼女はジャーナリストとしてスタンスを変えることなく、応戦に出た。

 

「この辺りで新聞屋をやっている者です。危害を加えるつもりで近づいたわけではありません。ですからそれ、下ろしてくれませんか」

 

「簡単には下ろせない」

 

「下ろして頂ければ、お話できることもありますが」

 

「何を話すと?」

 

「そうですね。例えば……永遠亭の話。とか?」

 

 永遠亭の様子を隠れて窺っていたところから、そのように告げてみたが、妹の態度に変化はない。

 

「貴様に尋ねることなど何もない。それよりどうやって音もなく忍び寄った?」

 

「どうやってと言われても、普通にとしか」

 

「ほう。この私、相手に普通とはな」

 

 妹は一層、目力を強めた。殺意とは異なるプレッシャーが文を襲う。息苦しいが厳かで、それでいて以前にも味わったことがあると、ジャーナリストは静かに分析した。

 

「こう見えて、しがない天狗でしてね」

 

 圧力に押されて思わず言葉を零す。妹は合点がいったようだった。

 

「天狗だったか。鼻が伸びていないから気がつかなかった」

 

「皆が鼻を伸ばしているわけではありませんから」

 

「いっそ、伸ばしているほうがよいのではないか。そうすればこのような事態にはならないぞ」

 

「お面でもつけてまわれと?」

 

「ついでに地味な白装束と竹馬のように長いゲタもだ」

 

「言ってくれますね……」

 

 幻想郷における天狗は上位の妖怪だ。舐めた態度を取れる存在は限られている。天狗と知ってなお、態度を変えない女剣士を文は訝しんだ。

 

「あなた、見ない顔ですね。妖怪ではなさそうだ。人間ですか?」

 

「この期に及んで質問とは。呆れたものだ」

 

「記者の性ですかね。悪気はありません」

 

 刃を向けられてなお質問する天狗に妹は強い口調で言い放った。

 

「貴様のような者に話すことはない。おとなしく立ち去るなら見逃してやる」

 

 高圧的な物言いに文の反骨心が刺激された。

 

「腕に自信がおありなのですね。私も一応、天狗なのですけど」

 

「天狗如きにやられたりせん。無駄な時間を取らせるな。どうしてもと言うなら、相手をしてやってもいいが」

 

「それはダメよ。あなたが穢れてしまうわ」

 

 割って入ってきた姉が熱くなっている妹を静止した。文の頭に穢れるというワードがひっかかる。

 

「穢れる? そのワード、どこかで聞いた気が……」と文が顔を上に向けてからつぶやく。

 

「ッ。余計なことを考えるな」

 

 仏頂面にわずかな歪みが走った。新聞天狗は僅かな反応も見逃さずに捉えていた。

 

「もしかして、何か関係がおありで?」

 

「もう喋るな。不愉快だ」

 

 片手を突き出して構えた剣を両手で握り直し、正眼の構えを取った。妹の逆鱗に触れたのだ。

 

「みねうちにしておいてやる。抵抗すると痛くなるだけだぞ」

 

 万事休すと思われた。しかし新聞天狗は不気味な笑みを見せた。

 

「簡単にはやられませんよ」

 

 文は右踵で地面を踏んで音を出した。それを合図に三人の頭上にいた数匹の鴉たちが一斉に大声で鳴き始めた。

 

「なんだ、鴉が鳴いているぞ」

 

 居間で雑談していた紅妹が様子を見に縁側に出てきた。人気を察知した妹が集中力を乱した途端、文が後方に跳ぶようにして剣の間合いから逃れる。

 すぐさま妹が文を目で追うも、そこに映ったのはカバンから天狗の団扇を取り出す文の姿だった。

 

「これでもくらえ!」

 

 天狗の団扇を薙ぐように振るうと、突風が吹き出るようにふたりを襲った。突風は人を軽く吹き飛ばす威力を持っており、華奢な少女ならいとも簡単に身体を浮かせられる。

 咄嗟に剣を振り下ろして風を切り裂いた妹はその場に踏みとどまれたが、姉のほうは踏ん張れずに「きゃあッ」と声を上げて飛ばされてしまう。

 

「お姉さま!」

 

 竹林から庭に放り出され、尻もちをついた姉の安全を確認するために妹も天狗そっちのけで竹林から飛び出した。

 目の前で起こった出来事に唖然とする妹紅。異変に気づいた他のメンバーも続々と縁側に集まる。

 居間にいた魔理沙が紅妹の隣に並び、庭にいたふたり組の姿を見た。

 

「おいおい、なんでこんなところにいるんだよ!?」

 

 彼女はえらく驚いたような表情を浮かべ、続いてやってきた霊夢も「どうしてここにいるのよ」と声を上げた。不審に思った輝夜も縁側から庭に出て、不審者を目撃するや否や、呆れたように目を細めながら彼女たちの名前を呼んだ。

 

「何やっているのよ()()、それに()()……」



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第178話 月の姫君

 新聞天狗の奇策で庭へと放り出され、地上人たちの目に晒されるふたりの姫君。姉のほうは恥ずかしさから顔を引きつらせているが、妹は微かに頬を赤くしただけで、辛うじて仏頂面を保っていた。

 

「……着地に失敗しただけだ」

 

 そう強がって、先に動いた妹が、姉の衣服についた砂埃を手で払ってから一緒に立ち上がる。

 

「師匠……いや、先生は元気か?」

 

 余計な詮索はするな。そう言わんばかりに無理やり質問をねじ込む彼女に、輝夜は乾いた笑いを漏らしながらも応じた。

 

「――ええ。元気よ。そっちも相変わらずそうで」

 

「ま、まぁ……月の民ですからね。おほほほっ」

 

 取り繕って見せる姉に輝夜のみならず、その周囲からも冷たい視線が突き刺さる。彼女らはそれらを無視するように咳払いをしてみせた。そうしている間に、文が合流する。

 

「皆さん、竹やぶから屋敷を覗いていた不審者を発見したのですが――う、うぉ!?」

 

 妹の放つ殺気に当てられた文は言葉を失い、思わず後ずさった。すぐにおおよその事情を察した地上の姫が「このふたりは怪しいけど、怪しくないから。そうよね? ふたりとも」と両者の間に割って入り、不要ないざこざを未然に防ごうとする。

 彼女が来訪者――主に妹をうまくたしなめる中、台所で物音を聞いた右京と尊も駆けつけ、廊下から姫君たちの姿をその視界に収めた。

 

「どちらさまでしょうかねえ」

 

「さあ……」

 

 彼らが疑問符を浮かべていると、ふらっとやってきた永遠亭の主が右京の隣に並び立った。

 

「あら、あの娘たちが遊びにきたのね」

 

「お知り合いですか?」

 

 尊の問いに、永琳はこくんと頷く。

 

「私の元教え子。髪の長いほうが姉の豊姫で、結っているのが妹の依姫。どっちも優秀な月のお姫さまよ」

 

 来訪者の正体は綿月豊姫と綿月依姫。月世界に存在する幻想郷の姫君である。姉はクリーム色の毛髪に透き通ったサファイアブルーの瞳を持った柔らかい雰囲気の少女で、妹は紫髪紫眼で鋭く研ぎ澄まされた気配を全身にまとった少女だ。どちらも整った顔立ちをしており、表の感覚で言うところの美少女だろう。

 ふたりは姫の肩書き以外にも月の実行部隊の参謀と隊長の名を背負っており、吸血鬼の宇宙旅行の際、地上人たちの企みを阻止。首謀者だった八雲紫を謝罪にまで追い込んだ。浮世離れした世界で生活しているためか、いささか抜けているところがあるが、名実ともに月の実力者である。

 

「というと、輝夜さんと同じ地域のご出身ですか。なるほど、なるほど――」

 

 地上の民と談笑する姉と、無表情な妹。実に対照的な姉妹だ。雰囲気と所持品からして姉のほうは外交、妹は戦闘に長けているのだろうか。などと妄想を膨らませながら観察に徹する和製ホームズ。元部下と月の賢者は、彼を挟みつつも互いに顔を合わせて苦笑うほかなかった。

 場が和んできたところで、今まで沈黙を貫いてきた妹紅が口を開く。

 

「ふーん。つまり、アンタらは月からこっちへ遊びにきたってわけか」

 

「別に遊びにきたわけではない。様子を窺いにきただけだ」

 

「同じように思えるのじゃが……」

 

「断じて違う」

 

「そうよ。仕事できてるの」

 

 頑なに否定を続ける妹とそれに続く姉。狸の総大将は呆れ顔を作りつつも、これ以上の追求を無意味と判断し、肩をすくめた。しかし、妹紅にとってそんなことはどうでもよかった。

 

「なぁ、アンタ。腕に自信あるんだろ?」

 

 直後、挑発的な視線を送りつける妹紅。依姫は無言ながらも目つきを尖らせて応戦する。

 

(この緊張感。本物だな)

 

 雰囲気だけで相手の並々ならぬ強さを感じ取った竹林の警備隊長は、愉快げに鼻を鳴らした。

 

「私もそれなりに自信があるんだが――どうだろうか?」

 

 腕を組んだまま、彼女は武人たる姫御子に挑戦状を叩きつけた。霊夢や魔理沙が慌てて言葉を差し込もうとするが、無言の圧力をかけてきた依姫によって牽制される。

 

「……構わん。こちらも体を動かしたかったところだ。ところで、貴様の言う勝負とは例の弾遊びか?」

 

 弾幕バトルを揶揄してそう呼び捨てる。子供の遊びに付き合うのは好きではない。彼女の表情からそれがありありと見て取れる。妹紅は首を横に振った。

 

「それだけが戦いの形式じゃない。正直なところ、本気の殺し合いじゃなきゃ、何でもいいんだよ」

 

 スペルカードと弾幕を使った戦いが主流となる地上の幻想郷だが、不殺というルールさえ遵守すれば、多少暴力的でも黙認される傾向にある。もっと端的に言うと()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「だが、心配はいらん」

 

 妹紅は自身の右腕を依姫たちに見せつけるようにしたのち、妖術で一気に右腕そのものを燃やし始めた。恐ろしい速度で紅蓮の炎が立ち上り、高熱によって肉と骨が溶けていく。豊姫は両手で口元を覆いながら銀髪の少女の行動に正気を疑った。反対に依姫は微動だにせず、彼女の奇行をじっと見つめている。数秒で妹紅の右腕が消失し、そこには白い煙だけが残っている。さらに数秒が経過すると、煙が腕の輪郭を形成し、瞬時に綺麗な右腕が復元された。

 

「私はな。この通り、特殊な体質なんだ」

 

「えぇ!? まさか、これって……」

 

 驚いた豊姫は慌てて輝夜に顔を向ける。少女は「そうよ」と一言だけで口にした。

 

「そうだ。首を吹っ飛ばされても死なない。理由は――説明不要だろ?」

 

「……」

 

 合点がいった依姫の霊気が一層、力強さを増す。当然だ。敬愛する恩師が作った「不老不死の薬」を飲んだ地上人が目の前にいるのだから。本来、それは世に存在してはいけない秘薬。師匠の才能を担保する代物ではあるが、同時に不幸たらしめた劇薬だ。依姫はこの薬自体、あまりよく思っていない。むしろ師匠と自分を遠ざけた元凶そのものと嫌悪している節さえある。

 当時、今よりずっと子供であった輝夜の行動を恨むこともできず、やりきれない日々を過ごしたが、この女に対してはそのような感情はない。先の一件と合わせて、思う存分八つ当たりが出来るだろう。彼女は口を閉じたまま、妹紅から目を外さずにいた。

 

(どうやら興味を持ってくれたようだな)

 

 狙い通りに事が運んだことを喜ぶ反面、相手の気迫に不安を拭えない。輝夜以外の月の姫、それも武闘派とくれば戦闘スタイル的に相性がよく、望み通りの戦いを繰り広げられるに違いない。すこぶる気分が高揚するはずだったが、実際はそうもいかなかった。相手が()()()()()()()であると理解してしまったからだ。

 が、喧嘩を売ってしまった以上、もはやどうにもならない。妹紅は自分の性質に自嘲しながらも、頭の中でまとめた試合形式を伝える。

 

「ルールはスペルカードと弾幕に加えて、格闘戦が可能。勝負はどちらかが動けなくなる、または降参するまで続ける。これでどうだい?」

 

「特に異論はない」

 

 妹紅の申し出に即答する依姫。これにて合意はなった。

 あまりに急な流れにさすがの放任主義者の輝夜も「アンタ、それはちょっと……」と制止に入る。豊姫も同じように妹を説得しようと試みたが、両者とも首を縦に振ることはなく、

 

「んじゃ、やろうか」

 

 妹紅が人差し指で空を差したことを皮切りに。ふたりは一斉に竹林上空へ向かって飛翔していった。



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第179話 不死鳥乱舞

「おいおい、やらせていいのかよ……」

 

 大空へと飛び立つ彼女らの姿を眺めながら魔理沙がこぼした。かつて依姫との戦闘で完膚なきまでの敗北を味わった魔女にとって、いかに不老不死とはいえ、知人の勝つビジョンが浮かばない。霊夢も同様だったが、妹紅の性格を考慮すれば、こうなってしまうのは仕方のないことだと半ば諦めている。

 少女ふたりの表情からマミは不安さを覚え、

 

「……あの御仁、そこまで強いのか?」

 

 そう尋ねた。

 

「強いわよ。月世界で五本の指に入るくらいには」

 

 地上の民に変わって輝夜が即答する。月は未知の技術で溢れた技術大国として地上の勢力にも知られ、その強さが時として横暴な振る舞いを引き起こす。とある事変で侵攻された事実を鑑みるに、相当な軍事力を有しているのは明らかだ。そんな世界で最上級の実力を持つ姫御子の戦闘力は計り知れない。狸の総大将は渋い面持ちとともにむぅ、と唸った。

 会話が途切れたところに廊下で様子を見ていた右京たち三人が歩み寄る。

 

「藤原さんはスペルカードバトルをなさるつもりですか?」

 

「たぶんね。ただ、殴り合いアリと言ってたから、かなり荒々しい戦いになるんじゃないかしらね」

 

 顎に手をやって自らの予想を語る輝夜。右京は空を見上げて、独り言のように呟く。

 

「可能ならば、近くから観察させていただきたいと思ったのですが……」

 

「やめておけ、おじさん。巻き添え食らったら火傷じゃすまんぞ」

 

「そうじゃぞ、杉下どの。無謀なのはひとりで十分じゃ」

 

「右に同じく」

 

 魔理沙、マミ、霊夢に釘を打たれるも右京は顔を向けることなく「残念ですねえ」とマイペースに振る舞ってみせた。客人の変人っぷりに永琳がふふっと笑ってから、豊姫に近寄る。

 

「久しぶりね。元気だった?」

 

「あ、先生! ご無沙汰しております」

 

 先ほどまでの尊大な態度はどこへやら。永琳を見るや月の参謀はペコリと頭を下げ、喜びを上まで露わにした。

 

「あらあら。相変わらずね」

 

「はい! 先生のほうもお変わりなく。真に嬉しく思います」

 

 教え子の満面の笑みに師匠の表情も緩み、笑顔で彼女を歓迎する。戦いそのものを心配する輝夜たちとの落差が激しく、傍から見ていた尊が「えぇ……」と声を漏らす。弟子と被保護者である娘の友人が殺し合うというのに、この余裕は一体どういうことか。右京の相棒は永琳という人物を測りかねていた。

 客人の呻き声を耳に入れていた永琳が後ろを振り向く。

 

「あのふたりなら大丈夫。片方は死なないし、片方は滅法強いから」

 

「え、あぁ……。そうですか……」

 

 当たり前のように言ってのける永琳。もはや、つっこみを入れる気力さえ失せ、尊は乾いた笑いをもって返すのが精一杯だ。

 ふと、視線が彼と合った豊姫が師匠に尋ねる。

 

「先生、あの方々は?」

 

「こちらは神戸さんであちらは杉下さん。表の世界から幻想郷にいらしたの。私たちの知人よ」

 

 話題が出たのを機会と捉えた尊が月の姫君のところまで歩を進めた。

 

「初めまして。神戸です」

 

「お初にお目にかかります。綿月豊姫と申します」

 

 軽く会釈を返す豊姫。敬愛する者から紹介されたとあって先ほどとは異なり、丁寧な対応を取った。所作の奥に隠れる気品。尊は「本物のお嬢さまだな、この娘」と内心で感嘆する。

 続いて名前を呼ばれた右京が尊の隣に並び、豊姫に挨拶した。

 

「どうも、杉下です」

 

「初めまして。綿月です」

 

 顔に微笑みを湛える紳士。豊姫は尊と同様にお辞儀して、友好的な態度を示した。この調子なら質問も受け付けてくれるに違いない。和製ホームズはさっそく彼女に尋ねてみた。

 

「妹君、これから藤原さんと一戦交えるようですね。ご心配ではありませんか?」

 

「うーん……。まったくないと言ったら嘘になりますけど、妹は腕が立ちますので」

 

「そうでしたか。やはり妹君は刀を主体に戦いになるのでしょうか?」

 

「えぇ。妹は剣の達人で、剣技だけなら月で一、二を争う腕を有しております」

 

 謙遜することなく言ってのける姉。妹の実力を高く評価しての発言だった。

 

「それはそれは。すごいですねえ。ふむふむ――」

 

 決して身内贔屓ではない、れっきとした事実であった。

 これはさぞかし苦戦するだろう。右京は、青く輝くこの大空に妹紅の健闘を祈った。

 

   ☆

 

 永遠亭上空。

 風の吹きすさむ中、妹紅は一定の距離を置いて依姫と相対していた。

 

「スペルカードバトルはやったことあるか?」

 

「一度だけ」

 

「どうだった?」

 

「相手の技を受け、その返しに反撃したらいつの間にか終わっていた」

 

「面白かったか?」

 

「退屈だったな」

 

「そうか、わかったよ」

 

 依姫との会話したのち、妹紅は両手と両足に妖力を込め、紅蓮の炎をまとわせた。メラメラと燃える炎によって、周囲の空気が熱気を帯びて揺らめいている。相当な高熱を発していると見てよい。

 

「接近戦主体でいく」

 

 不敵な笑みを浮かべ、正面を見据えて構える妹紅。まもなく戦いの幕が開けると悟った依姫も左腰に拵えた刀の鍔にそっと親指をかける。

 

「どこからでもこい」

 

 絵に描いたような強者の振る舞い。挑戦者は口元をニヤつかせた。

 

「じゃ、遠慮なく」

 

 その直後。四肢より発火する火炎をひと回り以上も膨張させ、同時に背中から噴射するように二対の火柱が出現――彼女の体を激しく押し出す。

 

「ハァッ!」

 

 噴射の勢いで加速した銀髪の少女は、またたく間に相手の間合いへと侵入する。

 射程に入った――。妹紅は右腕を大きく振りかぶり、その勢いを相手へ叩きつけるように拳を振り下ろす。

 相手は未だ動かない。やったか、そう思った刹那――。

 

「遅い」

 

 依姫は神速の如き速度で抜刀――迫りくる右腕をその一刀で切り落とした。

 

「――ッ」

 

 すれ違う両者。交叉から少し間を置いて、妹紅は自身が右腕を落としたのだと理解する。先制攻撃の失敗に舌打ちしながらもすでに右腕は再生し、元通りに復元されていた。

 

「やるな――」

 

 相手が抜刀したことさえわからなかった妹紅は、戦慄とともに武者震いを起こし、その熱が冷めないうちに身をひるがえして再び依姫に向かって突進した。

 背中から吹き出る火柱が三本に増加する。翼に見立てた姿はまるで天使そのもので、一種の神々しさすら放つ。しかし、その程度では月の姫御子は眉ひとつ動かさないだろう。

 右脚を大きく後方に動かしてから、強烈な蹴りを依姫のこめかみ目がけて放り込む。相手はまだ振り向いておらず、こちらの攻撃すら見ていない。本来なら急所を捉え、勝負が決まるほどの一撃、のはずが――。

 

「なっ!?」

 

 蹴りが当たる寸でのところ。振り向くと同時に依姫は、刀を縦に振り下ろして妹紅の右脚を膝下から一気に両断する。

 右脚は空を切る。だが、彼女の攻撃はまだ終わってはいない。蹴りの反動を利用――腰に力を入れて、残った左脚で回し蹴りを繰り出す。向こうも刀を振り切ったばかりで急な攻撃への対処は難しいはずだ。

 これで一矢報いてやる。意気込みとともに、炎をまとった蹴りで顔面を狙う。

 攻撃が当たる寸前。依姫は最小限の動きでそれを躱し、脚が伸び切ったところを刀を斬り上げて、左脚をも切断する。

 

「ぐぅっ!」

 

 いかに不老不死とはいえ、彼女も人間。ひと並みの痛覚を持ち合わせている。鋭い刃に骨を断たれれば、神経が嫌でも反応する。それがたとえわずかな時間だとしても、この超至近距離であれば依姫が見逃すはずもなく。

 

「……」

 

 姫御子は瞬時に妹紅の懐へと潜り込み、脳天をかち割ろうと刀を振り上げる。が、今回は攻撃の軌道が見えていた。

 

「なめんなっ!」

 

 火力を強めた右手で降ろされる一刀を受け止め、掌でがっちりと刀身を握る。

 

「掴んでしまえば、こっちのものだ!」

 

 左ストレートを見舞うべく肩を回す妹紅。予備動作から次の行動を予測した依姫はとっさに刀を右方向にずらす。すると体の軸がブレて、妹紅の攻撃が阻まれてしまう。

 

「んだとっ!?」

 

 左拳を出せない妹紅は、強引に右腕を動かして、依姫を狙えるポジションを奪おうと画策した。その矢先だった――彼女の左脇腹に硬い何かがめり込む。

 

「ッ――!?」

 

 目を落とせば、そこに依姫の左拳が突き刺さっていた。とても綺麗なレバーブローであった。

 

「がはぁっ……」

 

 レバーブローはその性質上、腹筋に阻まれやすく、綺麗に当てるのは難しいとされるが、相手の意識をすり抜けて肝臓に直撃したレバーブローはその道のプロさえも悶絶させるほどの威力がある。日本が誇る若き天才ボクサーがよい例だろう。依姫の一撃はそれに勝るとも劣らない破壊力を有しており、不死身の少女から呼吸を一気に断つ。

 脇腹から発せられる激痛で呼吸が出来ない妹紅。それでも刀だけは離さずいた。

 我慢比べなら自信がある。忍耐力を武器にチャンスを掴んでやる。と意気込んだのもつかの間。今度はそれ以上の衝撃が体を襲った。

 

「がぁっ!?」

 

 依姫は同じ箇所に同じ角度で鋭い膝蹴りを叩き込んだ。呼吸どころか臓器が潰れそうな、強烈なまでの圧迫感に思わず声が飛び出る。けれど妹紅は手を離さず、握りしめたまま耐えた。しかしながら、膝蹴りの勢いにより体が浮いてしまったことで距離が生まれ、続く三擊目の縦蹴りを許してしまい、靴底でみぞおちを抉られる。

 

「うぐぉっ――」

 

 ついに右手を刀身から手放した彼女は、後方へと吹き飛ばされた。刀が自由になった依姫が再度、宙を駆って得物に追撃をかける。

 妹紅が反射的に右腕を突き出すも即座に斬り払われ、苦し紛れで出した他の四肢も、右脚、左腕、左脚の順に切断――最後は横薙ぎにて首を落とされる。頭と四肢を失った胴体は浮力を失い、地上へと落下していく。

 その光景を依姫は見下ろしていた。本来ならここで終わりだが、姫御子は刀を握ったまま、警戒を解かない。それもそのはず、彼女は不老不死の力を知っているのだから。

 十五メートルほど落下した胴体から白煙が発生し、その中から再生を遂げた妹紅が飛び出す。

 

「くそっ、冗談じゃないぞ!」

 

 少女の体を戦慄が駆け抜けた。筆舌に尽くしがたい強さもさることながら、相手は汗ひとつ流さず、仏頂面を保っている。

 見上げた先にいる依姫は光の加減もあって、妹紅の位置からだと、神々しい光を放っているように映った。

 

「……ちっ!」

 

 彼女は距離を取りながら、掌から発せられる炎を走る斬撃のように依姫へと放つ。

 迫りくる三本線の斬撃を姫御子は避けるわけでもなく待ち構え、高速の燕返しで捻じ伏せた。

 妹紅は悔しさに顔を歪ませながらも、炎と光弾を交互に織り交ぜながら反撃の機会をひた狙う。

 

   ☆

 

「うわ、エグいな。アイツじゃなきゃ、とっくにルール違反だぜ……」

 

「……そうね」

 

 戦いが行われている場所より五百メートルほど離れた空の上から、魔理沙と霊夢がふたりの決闘を観察していた。その隣にはマミと文も並んでいる。

 

「なんと……」

 

「ヤバすぎませんか、あの方……」

 

 驚愕する両者。文の言葉に霊夢が「あれくらい普通にやってのけるわよ、アイツは」と目を閉じてこぼす。

 

「よく私ら、死ななかったなぁ……」

 

「……穢れを嫌う連中の事情に救われたのよ」

 

 魔女の口から出た言葉に相槌を打つ巫女。月の民は浄土のような清らかな世界に住んでおり、一切の穢れがない。殺生は業を作り出し、その地を穢す行為。月の姫たちが嫌うのもわけない。でなければ、霊夢たちは月の浜辺で彼女と遭遇した際に始末されていただろう。そうした事情により、謝罪で許された経緯がある。

 あの出来事は巫女にとって完全なる敗北だった。思い出すのも躊躇われる事件であるが、ふたりの決闘を観てしまうと、どうしても当時の光景が想起され、結果安堵してしまう。命まで取られなくてよかったな、と。

 

   ☆

 

「くっ――」

 

「……」

 

 近距離主体の攻撃から飛び道具主体の戦法に移行した妹紅は、あれから弾幕と火炎を駆使した攻撃を続けている。しかし、それらの弾幕は瞬時に斬り伏せられる。妹紅も弾幕の密度を上げ、大きな火球の死角になるように小さな弾幕を放つなど、対策を講じるのだが、なんの意味もなさない。

 火力でも手数でも、姫御子を倒す手立てにはなりえない。そんなことはわかっていた。

 

(なんとか隙さえ作れれば――)

 

 高火力のスペルカードで仕留めてやる。勝利への算段を整えていた妹紅だが、その隙すら生み出せず悪戦苦闘しているのが現状だった。活路が開ければと舌打つも、依姫相手では希望的観測にすぎない。

 ひたすら弾幕を撃つ妹紅とそれを黙々と叩き落とす依姫。もはや勝負にすらなっていない。

 銀髪の少女は奥歯を鳴らして、自身の体たらくに怒りを覚えた。同時に防がれて飛散した弾幕と炎の隙間から依姫の顔がチラリと垣間見える。彼女はさぞ退屈そうに視線を斜め下に逸しながら鼻を鳴らしていたのだ。

 このとき妹紅は、相手をがっかりさせていると知り、情けなさから右拳を強く握りしめた。

 

(そうだよな。つまらないよな――)

 

 妹紅は自分の消極的な戦法を恥じた。姫御子は弾幕バトルを嫌っているのだ。あまりの強さに礼を欠いていたと反省した彼女は、無意味な逡巡を止めて右ポケットから白い札を取り出す。

 

(やってやる!)

 

 勝つにしても負けるにしても、正面から行く。本来の自分を取り戻した妹紅はスペルカードを天に掲げ、高らかに宣言する。

 

「今からデカイのいくぞ。受けられるものなら受けてみな!」

 

 自信に満ちた少女の声音。依姫は目元をピクリと動かして、相手を見やった。その先には額に一筋の汗を垂らしながらも不敵な物言いをする不死者の姿がある。実力差を実感しながらも諦めておらず、真っ向勝負する姿勢を漂わせていた。

 

「……ふん」

 

 ならば放ってみろ。多少の期待を胸に、依姫はその場で刀を構えたまま様子を見守ることを選択する。

 こちらをじっと見据える姫御子の視線を一身に受けながら、妹紅はスペルカードの名前を叫ぶ。

 

「――バゼストバイフェニックス!」

 

 直後、全身から白い光が放たれ、妹紅の体が爆散するように弾け飛ぶ。その奇行を前に自爆か、と首をかしげる依姫だったが、飛散した破片が無数の光球として形作られていき――爆発の中心地より、一羽の光輝く巨鳥が出現した。

 岩石をも粉砕できる鋭利な嘴、体躯を支える強靭な脚、鮮やかに舞う両翼、しなやかに宙に漂う尾羽根。

 正体を見破った姫御子はぽつりと呟いた。

 

「……不死鳥か」

 

 かつて人間と妖怪のコンビを迎撃するために放った古のスペルカード「バゼストバイフェニックス」。体を破壊し、魂だけとなった状態で相手に取り憑く耐久系のスペル。数年の時を経て解放された技は、不死鳥の幻影を見せるほどに磨き抜かれていた。

 妹紅はこのスペルをもってして、依姫への反撃を試みる。

 

「いくぞ!」

 

 不死鳥の姿を象った妹紅は、無数の弾幕を無差別に巻き散らかしながら依姫へと特攻していく。

 眩しさと荒々しさを武器に迫りくる不死鳥。依姫はその姿を前にして、あろうことか目を閉じた。

 相手の行動に正気を疑う妹紅。しかし、その行為は決して、諦めなどではなく、

 

「――本物の炎を拝ませてやろう」

 

 彼女が本気になった証拠だった。

 

「愛宕さま。お力、お借りいたします」

 

 宣言ののち、上段に構えられた依姫の刀から燃えたぎるマグマの如き業火が迸る。間合いを詰める妹紅は「そんな炎で私の攻撃を止められると思うなよ」と自信を覗かせる。だが、それもつかの間。

 突如として刀の炎が膨張――高さ二十メートルをゆうに超える火柱を変化した。渦を巻くそれは無慈悲に被災者を焼き尽くす火災旋風のような暴力性を秘めている。姫御子は巨大な業火を不死鳥へと叩きつけた。

 爆炎が不死鳥を押しつぶし、一撃で本体を消し飛ばす。その余波は周囲の弾幕にまで及び、近くにばら撒かれた光球までをも一掃。耐久スペルであるにも関わらず、バゼストバイフェニックスは相手に激突する前に打ち破られてしまった。ところが――。

 

 ――まだまだこっからだ!

 

 不死鳥は灰の中から蘇る。

 

 再生した妹紅が業火の中から飛び出し、依姫の正面上空に現れる。そう、最初からこのスペルは囮であった。

 

「くらえ、不死『凱風快晴飛翔脚』!」

 

 続くスペルカードに選んだのは「凱風快晴飛翔脚」。右脚に炎を集中させて凝縮、渾身の飛び蹴りを見舞う近接戦用の大技だ。

 

「うおらぁ!!」

 

 掛け声とともに急降下し、烈火を宿す右脚で急襲を仕掛ける。

 

「火力が足りん」

 

 吐いて捨てた依姫が、業火をまとわせた刀でそれを受け止めた。拮抗する両者の攻撃。互いのエネルギーがバチバチと音を立てては霧散する。このまま紅い火花を散らし続けるのか、と思われたとき、依姫がさらに力を込め、妹紅を押し返し始めた。

 

「ッ――」

 

 力の均衡が崩れ、徐々に後方へと押しやられる妹紅。このままではまた吹き飛ばされてしまうだろう。

 徐々に右脚の炎の勢いが衰えていく。さらに追い打ちと言わんばかりに力を込める姫御子。このままではスペルが打ち破られるのも時間の問題。吹き飛ばされれば、苛烈な追撃が待っている。次こそは依姫も勝負にケリを付けるはずだ。ここで競り負けたら妹紅に勝ち目はない。そんな絶望的な状況であるにも関わらず、妹紅は口元をニヤリとさせて。

 

「かかったな!」

 

 なんと自分の右脚を極限まで熱し、融解させた。脚が溶けたことで依姫はバランスを崩し、前方へ移動。その間に妹紅は相手の背後へと移動し、互いの位置を入れ替えた。

 

「小癪な」

 

 不死者ならでは回避法に眉をひそめた依姫は、体勢を素早く立て直して振り向いた。そこには、刀の間合いより内側に肉薄する妹紅がいた。それだけなら理解できたのだが。

 

「?」

 

 不可解であった。彼女は拳を振り上げるでもなく、蹴り込むわけでもなく、胸の前辺りで両手を合わせていたのだ。初めて得られた直接攻撃のチャンスを無駄な行動に費やす。さすがの依姫も妹紅の意図を測りかねて、数瞬ばかり思考が固まる。

 

「これが私の切り札さ」

 

 対する妹紅は微かに笑いながら、両手を円を描くように丸めてその中心に体中の全エネルギーを叩き込んだ。突如として青白い球体が浮かび上がる。それを見た依姫がこの戦いの中で初めて表情を崩した。

 

「もう遅い」

 

 発現した球体は加速度的に膨れ上がり、やがて眩しい光がふたりを包む。

 

「こんな世は――」

 

 紡がれる詠唱。依姫はそれが超高威力のスペルカードであると直感する。もっとも、そのときにはすでに射程圏内であったが。

 

「燃え尽きてしまえ!」

 

 妹紅が吼える。唸る球体が、呼応したかのように妹紅たちを包んで大爆発を起こした。

 自らを巻き添えにして超威力の爆発を引き起こすラストワード「こんな世は燃え尽きてしまえ!」。その威力は壮絶であり、大気が震える規模の衝撃が竹林を揺らし、余波で永遠亭の障子やガラスがガタガタと振動させてしまうほど。ただの人間が喰らったら跡形も残らずにこの世から消滅する、藤原妹紅の絶対的切り札。

 爆発から数秒が経過し、爆発の中心地点から煙とともに妹紅が復活を果たす。

 

「ア、アイツはっ……」

 

 彼女の正面には、さっきまで存在していたはずの依姫の姿がなかった。

 

「やった、のか……?」

 

 大爆発に巻き込まれて、どこかへ吹き飛んだのだろうか。妹紅は白煙で覆われた中、ひとり佇んでいた。今更だが、死んでいなければいいな、と考えていた。だが、すぐに思い知った、それが不要な気遣いだったと。

 

「んッ――!?」

 

 自身の下に広がる煙に何やら陰が映っているのに気が付いた。陰影は次第に濃さを増し、大きくなっている。

 

「しまっ――」

 

 ハッとして上を見上げると、高速で落下してくる物体があった。そう、鉄拳を振り下ろさんとする月世界の鬼神が。

 瞬間、竹林の空に、ばごぉん、と激しい打撃音が鳴り響き、妹紅は数十メートル下の地面に頭から叩きつけられた。

 しばしの静寂の後、舞い上がった砂埃が風でひゅう、とか散らされる。そろそろ不屈の不死者が立ち上がる時間のはずだが、目立った動きはない。それもそのはず。

 

「あ、がぁ……」

 

 強烈な拳骨で頭頂部を殴打された妹紅は、泡を吹いて気絶しており、地面に倒れ伏していたのだから。

 

「やりすぎだ、馬鹿者」

 

 爆発で髪が乱れた依姫は、無謀な挑戦者に文句を言い放ってから刀を鞘に収めるのであった。



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第180話 特命係と月のプリンセス

今年、最後の投稿となります。


 砂埃が晴れるとともに訪れた静寂。周囲にいた者たちの誰もがそれを決着と捉えた。

 刀をしまう依姫の顔は真顔のままだったが、口元を結ぶ一文字だけはややほころびが見受けられる。満足にはほど遠いが、それなりに楽しめたのだろう。

 その様子をもってギャラリーたちは戦いが決着を捉えたことを悟った。それから、少しして空中で見守っていた魔理沙たちが妹紅のいるポイントへ向かい、降下する。

 

「予想通りの結果だな」

 

 泡を吹い倒れる不死者の姿を視界に収めた魔女が肩をすくめる。巫女も同様の反応で「こうなるわよね」と、かつての敗北を重ねてため息をつく。

 初めて依姫の戦いを目の当たりにしたマミゾウはうむ、と唸るばかりで倒れている知人にかける言葉すらも見つかっていない。文は自分がとんでもない相手と一戦交えようとしていたのだと知り、体から力が抜けていった。無理もない。先ほどのいざこざで依姫とスペルカードでもしようものなら、このような姿を晒したのは自分だったのだから。

 ぼー、と立っていてもなにも始まらない。気を取り直したマミゾウが「とりあえず、運ぶかのぅ」と言ってから妹紅を担ぎ上げ、そのまま飛翔。その後ろを三人がついていく。

 数分後。永遠亭に運ばれた妹紅は、うどんげに引き渡されて医務室へと運ばれた。様子を心配してか輝夜も付き添って縁側を離れる。

 

「なんか、壮絶な戦いだったみたいですね」

 

「ですねえ」

 

 敗北した妹紅を眺めていた尊がそう言った。

 実際は四肢や首を切断されており、その現場を目の当たりにしていたのなら、彼は吐き気を催して今頃トイレに籠もっていたかもしれない。元部下の横で右京は「あの藤原さんがこうも簡単に」とかすかに呟いて、視線を自身の後方へと移す。

 彼の目に映るのは姉の会話する依姫の姿。息ひとつ切らすことなく姉に報告しているところを見るによほどの実力差があったのは間違いない。口数の少なそうな表情と華奢な体にまとったピリつくような威圧感。誰が見ても只者ではないとひと目で判断できる。そんな来訪者に変人杉下右京が興味を惹かれないわけもなく。尊が気づいたときにはすでに歩を進めていた。

 

「藤原さんとの戦いはいかがでしたか?」

 

 いつも通りの微笑みを携えて依姫に声をかける。が、当然相手にされず、鋭い眼光にて牽制させる。一般人であればしどろもどろになるほどの圧力。しかしながら和製シャーロック・ホームズは、飄々とした面持ちで鋭く尖る殺気を受け止めた。

 

「あぁ、失礼。自己紹介がまだでした。僕は杉下と言います。表の国、日本からやって参りました。八意先生には以前、お世話になりまして、昨夜は宿を借りさせて頂きました」

 

「なんでも、先生に命を救われたそうで、そのときのお礼をしにお見上げを持って幻想郷へ戻ってきたみたいよ」

 

 ついさっきまで特命係と立ち話をしていた姉が補足を入れると妹は彼女を一瞥して「そうでしたか」と一言だけ返し、右京の顔に焦点を戻す。

 

(悪そうな男には見えないがーー)

 

 相手の眼を見れば、その中身がわかる。仕事がらひとと接する機会の多い彼女は、無意識のうちに他者に警戒を向ける傾向があった。表情や仕草を観察することで情報を入手するのが狙いだ。彼女はそれが自分自身、ひいては姉の身を守ることにつながると考えている。

 獲物を追い詰める鷹のような視線を浴びせられているにも関わらず、右京はニコッと笑ってみせた。

 

「僕の顔になにかついていますか?」

 

 それなりの圧力をかけているにも関わらず、彼の態度は崩れない。それどころか、気さくに話しかけてくる豪胆さを示す。依姫はピクリと目元を震わせながらも真顔のまま無言を貫く。言いしれぬなにかを感じ取ったようだった。

 重苦しい空気がふたりの間を包み始め、豊姫が気まずそうに「ちょっと依姫……」と注意を促した。姉としては先生の知り合いくらいには挨拶をしてほしいところだった。たとえ取るに足らない地上人だとしても礼儀がある。

 依姫とて理解はしているが、驚異の度合いを測れぬうちは言葉を交わすつもりはなかった。

 時間にして二十秒。間合いの取り合いが続いたのち、後ろから様子を窺っていた尊がちょいっと顔を出し「あの、どうかしたんですか?」と右京に声をかける。

 

「いえ、特には」

 

 顔を向けることなく答えた彼は姫御子の瞳をまっすぐ捉えていた。

 

(まるで巌のような険しさ。しかし、そこに淀みはない。根っからの武人なのでしょうねえ)

 

 相手が右京の測ろうとしていたように彼もまた依姫を観察していた。そこから見えてきたのは、絶え間ない努力によって培われた武人としてのプライド。何者にも遅れを取らんとするその激しさは賞賛にも値するが、同時に若さとも取れる。右京は依姫という人物の性質をぼんやりとだが把握した。

 

「刀ーーお使いになるのですか?」

 

 視線を彼女の刀に移し、問いかける右京。

 

「飾りにでも見えたのか?」

 

 初めて会話が成り立つ。しかし返ってきた言葉はどこか高圧的で、ひとによっては煽りとも捉えられかねない内容。隣の豊姫が額を押さえた。尊も「えぇ……」と引いてしまう。とても初対面の人物に向けての態度ではなかった。

 

「よく手入れされていると思いましてね」

 

「なぜ、そう言える。刀身を見たわけでもあるまい。神通力でも駆使したか?」

 

「ふふっ、そんなもの使うまでもありませんよ」

 

 そう言って右京は、彼女の鍔を指差した。

 

「鍔競り合いによってできたと思われる傷がありますが目立った汚れはなく、隙間にもホコリ等のゴミが見られない。鞘のほうも普段握っている部分が若干すり減っており、全体に細かな傷がついていますが、それ以上の損傷は見られず、当然、ゴミなどは挟まっていない。普段から手入れをされてなければ、その状態の維持は難しいでしょう」

 

 体をちょいっと動かしながら鞘を観察して感想を述べる紳士。その年を感じさせない軽快なフットワークに、依姫はやや困惑した表情を浮かべた。

 

「古物商、なのか……?」

 

「いえいえ。趣味で美術品を鑑賞する程度です。それに美術品なら彼の方が心得がありますよ」

 

「いやいやいや、自分なんて大したことないですからっ」

 

 いきなり話を振られ、焦った尊が右手を素早く振って否定した。

 武力と知力の怪物たちの間に挟まれて困っている客人を憐れに思ってか、病室から戻ってきた輝夜がフォローに入る。

 

「依姫。このひとたちは私たちーーもっと言えば永琳の客だから。少しは愛想よくしてもいいんじゃないの?」

 

「普段通り、接しているつもりだ」

 

「えっ、これで……?」

 

 元部下から言葉が口をついて出る。

 

「不満か?」

 

 瞳を閉じ、腕を組んで語る依姫。癇に障ったようだった。

 

「あ、いや……」

 

 尊は不機嫌を上まで表した姫御子に両手を胸の前に出して、失言を詫びる。依姫はふん、と鼻を鳴らした。

 

「もう。またそうやって」

 

 姉から半眼を向けられた依姫はバツが悪そうに口を閉じた。姉と知人のふたりから注意を受けるのはさすがに堪えたようだった。これ以上、意地を張るのは不毛である。彼女自身も悟りつつあった。

 つっけんどんな対応ではあるが、鉄壁に思われた仏頂面が崩壊の兆しを見せる。後少しでまともなコミュニケーションが取れそうな雰囲気だ。

 さて、どんな言葉で彼女の興味を惹こうか。右京はニコニコしながら姫御子攻略を画策ーー複数の選択肢から選び取る。

 

「実は僕たち、警察の人間でしてね。あぁ、警察とは治安維持を目的とした組織です」

 

「こちらで言うところの警備隊か」

 

 ここにきて依姫が明確な興味を示す。完全ではないが、警戒を弱めた証拠だった。

 

「僕は事件捜査を担当する刑事、こちらの彼も元同僚ですが、現在は要人警護に携わる部署で働いています」

 

「正確には戻ったというのが正しいですけどね」

 

 本人の補足を入ると、右京がわざとらしく手を叩いた。

 

「おや、そうでしたね。ーーそういう役職柄、昔から戦闘訓練を受ける機会がありましてねえ。僕は投げ技を主体とした武術である柔術、彼は剣術がベースとなった武道である剣道を嗜んでいます」

 

「それで?」

 

「市民を守るのが仕事ゆえ、戦いや護身に関わる知識はいくらあっても損はありません。後学のため、お話をお聞かせ願えればな、と思い立ち、こうしてお声をかけさせて頂きました」

 

 依姫は返事をせず、代わりにふたりの頭の先からつま先までじっくりと目をやっていた。

 若い方は四十代で、上司のほうは六十代そこそこの年齢と仮定する。ふたりとも腹回りに余分な肉がついておらず、胸元や肩周りを確認すると、うっすらと筋肉が浮かび上がっている。普段から鍛えておかなければ、このような体型にはならない。依姫はそのような結論に行き着く。

 

「……確かに鍛えてはいるようだな」

 

 一般人にしては。心の内でそう付け加え、言葉を続ける。

 

「だが、私は表のことを知らん。どの程度のレベルで、なにを語ればよいのか、イマイチわからん」

 

「いつもやってる訓練内容とかでいいと思うわよ。そこまで突っ込んだ話を聞きたいわけでもないでしょうし」

 

「ええ。お話できる内容だけで構いませんので」

 

「ふむ……」

 

 知り合いである輝夜のサポートもあって、ようやく依姫とまともな会話が成立するまでに至る。取るに足らんと思った相手であれば、ふたりのサポートがあっても決して言葉を交さない。自分と同じような組織に属しており、武術を学んでいるという点に少なからず関心を持ったのだろう。右京の強かさが彼女のガードを崩したと見てよい。

 しかし、彼女は難しい顔をするばかりで、一向に口を開こうとはしない。

 

「依姫……?」

 

 心配になった豊姫が顔を覗く。突如視界に現れた姉に依姫の頬が微かに動いた。

 

「すみません、姉上。なにから話してよいのか考えていたのですがーーその、……うまく思い浮かびませんでした」

 

「あら、そうだったのね……」

 

 真面目に答えようと言葉を選んでいたら、思った以上に時間がかかってしまったようだった。

 意外と天然だからねぇ、と輝夜が内心で感想を述べると、察したように依姫から彼女に無言の圧力という非難が突き刺さる。紫色の瞳にはバツの悪さを隠さんとする焦りがあり、姫御子の甘さが垣間見えていた。

 右京は「見た目の年齢らしい」と、そっと微笑む。

 さっきまでの空気とは一転、平穏な空気が周囲を包む。いたたまれなくなった依姫がこほんこほん、と咳払いをして、仕切り直しを図る。ただひとつ問題があるとすれば、それはあまりに唐突かつ強引な方向転換だったことで。

 

「……そちらは剣術を嗜んでいると言ったな?」

 

「は、はい。それが、どうかしました?」

 

 問われた尊の背筋がぴんと伸びる。

 

「相手方の実力を知らねば、的確な助言はできん。ということでだーー」

 

 依姫は輝夜のほうに視線を投げた。

 

「木刀を用意してくれ。二本だ」

 

「「へ……?」」

 

 依頼された輝夜もだが、巻き込まれたと感知した尊の口から乾いた声音が飛び出た。しかし会話は無情にも進んでいき。

 

「遠慮せず、打ち込んでこい。手加減は…………する」

 

「ちょっ、なんか今、端切れ悪くありませんでしたか⁉」

 

「実践ですか。興味深いですねえ〜」

 

「はぁ、なに言ってんですか⁉」

 

 上司のマイペースっぶりに思わずツッコミを入れる元部下。

 右京は咄嗟に明後日のほうを向いた。そこへ姫御子が「案ずるな。上司のほうとも手合わせする予定だ」と語り、彼の目をぎょっと見開かせた。

 よく好奇心は猫を殺すというが、ご他聞に漏れず右京もその例に当てはまってしまったようだ。藪をつついて蛇を出してまった紳士は「それはそれは。困りましたねえ〜」と笑ってみせたが、どこか顔が引きつっていた。

 その焦り様を見届けた尊は、元から細い目をさらに細めて「ま、杉下さんも戦うなら、ぼくのほうも納得して戦えるかな〜」と逃げ場を塞ぐように言ってのける。ひとりだけ逃がさせないからな。尊の執念が右京の足を掴んで離さない。さすがの和製ホームズもこれにはお手上げだった。

 

「…………わかりました。僕もやりましょう」

 

「その心意気やよし」

 

 ようやく自分の土俵に持ち込めた姫御子は水を得た魚のように勢いを取り戻し、不敵な笑みを浮かべる。

 こうして話を聞くだけのはずが、なぜか戦う方向へと進み、特命係のふたりは月の武人と手合わせすることになった。



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